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山本正美 (作曲家)
山本 正美(やまもと まさみ、1932年(昭和7年)12月25日 - 2003年(平成15年)4月12日)は、日本の作曲家。山本直純の妻。作曲家の山本純ノ介は長男、チェリストの山本祐ノ介は二男。東京藝術大学作曲科卒業。1981年、48歳にして長男の純ノ介と共に東京藝術大学大学院に入学し、話題となった。 岡本 正美(おかもと まさみ)名義で交響曲から歌曲・合唱曲まで幅広く手がけたが、その作風は、夫・直純の大衆に幅広く受け入れられるような作風とは違い、やや難解と見られがちな前衛風な響き、構成の作品が多い。上皇后美智子の詞に曲づけした「ねむの木の子守歌」が一般的によく知られている。 遠縁に吉永小百合がいる(山本正美の妹の夫の母が、吉永の母の従兄弟の妻と姉妹同士) という情報があるが、事実ではない。山本正美(旧姓.岡本)は3姉妹の3女で妹は存在しない。 また、佐良直美も遠縁にあたる(佐良の母方の大伯父である山口彰夫の妻と、吉永の母が姉妹同士) という点も、吉永小百合との遠縁関係がないので事実とは異なる。
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山本 正美は、日本の作曲家。山本直純の妻。作曲家の山本純ノ介は長男、チェリストの山本祐ノ介は二男。東京藝術大学作曲科卒業。1981年、48歳にして長男の純ノ介と共に東京藝術大学大学院に入学し、話題となった。 岡本 正美名義で交響曲から歌曲・合唱曲まで幅広く手がけたが、その作風は、夫・直純の大衆に幅広く受け入れられるような作風とは違い、やや難解と見られがちな前衛風な響き、構成の作品が多い。上皇后美智子の詞に曲づけした「ねむの木の子守歌」が一般的によく知られている。 遠縁に吉永小百合がいる(山本正美の妹の夫の母が、吉永の母の従兄弟の妻と姉妹同士) という情報があるが、事実ではない。山本正美(旧姓.岡本)は3姉妹の3女で妹は存在しない。 また、佐良直美も遠縁にあたる(佐良の母方の大伯父である山口彰夫の妻と、吉永の母が姉妹同士) という点も、吉永小百合との遠縁関係がないので事実とは異なる。
{{Portal クラシック音楽}} '''山本 正美'''(やまもと まさみ、[[1932年]]([[昭和]]7年)[[12月25日]] - [[2003年]]([[平成]]15年)[[4月12日]])は、日本の[[作曲家]]。[[山本直純]]の妻。作曲家の[[山本純ノ介]]は長男、チェリストの[[山本祐ノ介]]は二男。[[東京藝術大学]]作曲科卒業。[[1981年]]、48歳にして長男の純ノ介と共に[[東京藝術大学]]大学院に入学し、話題となった。 '''岡本 正美'''(おかもと まさみ)名義で交響曲から歌曲・合唱曲まで幅広く手がけたが、その作風は、夫・直純の大衆に幅広く受け入れられるような作風とは違い、やや難解と見られがちな[[前衛音楽|前衛]]風な響き、構成の作品が多い。[[上皇后美智子]]の詞に曲づけした「ねむの木の子守歌」が一般的によく知られている。 遠縁に[[吉永小百合]]がいる(山本正美の妹の夫の母が、吉永の母の従兄弟の妻と姉妹同士)<ref name="joseijishin"></ref> という情報があるが、事実ではない。山本正美(旧姓.岡本)は3姉妹の3女で妹は存在しない。 また、[[佐良直美]]も遠縁にあたる(佐良の母方の大伯父である[[山口彰夫]]の妻と、吉永の母が姉妹同士)<ref name="joseijishin">『[[女性自身]]』1981年5月14日・21日合併号。</ref> という点も、吉永小百合との遠縁関係がないので事実とは異なる。 == 代表的な作品 == * ねむの木の子守歌 * 交響曲第1番『ジーザス・クライスト』 *交響曲第2番『はじめの園』 *交響曲第3番『ノアの方舟』 *交響曲第4番『アブラハムの聖召』 *交響曲第5番『エキソドス(出エジプト記)』 *交響曲第6番『ゴールデンスパーク』 * 交響曲第7番 * 交響組曲『日本のリズム』(スプリング・ハズ・カムを含む)3部作 * チェロ協奏曲(第3楽章のみ独立して「アレグロ・アラ・ターラ」としてLPレコード化されている) * チェロ独奏の為の「エル・エム・ヘヴン」 * 短歌による女声三部合唱曲「軽井沢の四季」(その1、その2) == 脚注 == {{Reflist}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:やまもと まさみ}} [[Category:日本の女性作曲家]] [[Category:近現代の作曲家]] [[Category:山本直良家|まさみ]] [[Category:東京芸術大学出身の人物]] [[Category:1932年生]] [[Category:2003年没]]
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Musashi
musashi(遺伝子記号: msi)は、ショウジョウバエの遺伝子。この遺伝子の機能が欠失すると剛毛が二本に増える表現型を示す。二刀流の宮本武蔵から名付けられた。遺伝子座は細胞学的遺伝子地図で 96E2-4(第三染色体右腕)にある。 ショウジョウバエの剛毛は感覚器の一部であり、外部からの機械刺激を受け取る神経系である。この遺伝子は核に局在するRNA結合蛋白質をコードし、神経幹細胞で発現している。msi がなくなると本来神経になるべき細胞が剛毛に変化する。msi タンパク質は Tramtrack mRNA の 3' UTR に結合し翻訳を阻害する。Tramtrack タンパク質は神経への運命を阻害する機能をもつ。相同遺伝子はヒトにも存在し神経幹細胞で同様の機能をになっていることが予想されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "musashi(遺伝子記号: msi)は、ショウジョウバエの遺伝子。この遺伝子の機能が欠失すると剛毛が二本に増える表現型を示す。二刀流の宮本武蔵から名付けられた。遺伝子座は細胞学的遺伝子地図で 96E2-4(第三染色体右腕)にある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ショウジョウバエの剛毛は感覚器の一部であり、外部からの機械刺激を受け取る神経系である。この遺伝子は核に局在するRNA結合蛋白質をコードし、神経幹細胞で発現している。msi がなくなると本来神経になるべき細胞が剛毛に変化する。msi タンパク質は Tramtrack mRNA の 3' UTR に結合し翻訳を阻害する。Tramtrack タンパク質は神経への運命を阻害する機能をもつ。相同遺伝子はヒトにも存在し神経幹細胞で同様の機能をになっていることが予想されている。", "title": null } ]
musashiは、ショウジョウバエの遺伝子。この遺伝子の機能が欠失すると剛毛が二本に増える表現型を示す。二刀流の宮本武蔵から名付けられた。遺伝子座は細胞学的遺伝子地図で 96E2-4(第三染色体右腕)にある。 ショウジョウバエの剛毛は感覚器の一部であり、外部からの機械刺激を受け取る神経系である。この遺伝子は核に局在するRNA結合蛋白質をコードし、神経幹細胞で発現している。msi がなくなると本来神経になるべき細胞が剛毛に変化する。msi タンパク質は Tramtrack mRNA の 3' UTR に結合し翻訳を阻害する。Tramtrack タンパク質は神経への運命を阻害する機能をもつ。相同遺伝子はヒトにも存在し神経幹細胞で同様の機能をになっていることが予想されている。
{{Otheruses|遺伝子のmusashi|その他のMusashi、武蔵|武蔵}} {{出典の明記|date=2013年8月}} '''musashi'''(遺伝子記号: '''''msi''''')は、[[ショウジョウバエ]]の[[遺伝子]]。この遺伝子の機能が欠失すると剛毛が二本に増える[[表現型]]を示す。二刀流の[[宮本武蔵]]から名付けられた。[[遺伝子座]]は[[細胞学的遺伝子地図]]で 96E2-4(第三[[染色体]]右腕)にある。 ショウジョウバエの剛毛は[[感覚器]]の一部であり、外部からの機械刺激を受け取る[[神経]]系である。この遺伝子は[[細胞核|核]]に局在する[[RNA結合タンパク質|RNA結合蛋白質]]をコードし、[[神経幹細胞]]で発現している。msi がなくなると本来神経になるべき細胞が剛毛に変化する。msi タンパク質は Tramtrack mRNA の [[3' UTR]] に結合し[[翻訳 (生物学)|翻訳]]を阻害する。Tramtrack タンパク質は神経への運命を阻害する機能をもつ。[[相同遺伝子]]は[[ヒト]]にも存在し神経幹細胞で同様の機能をになっていることが予想されている。 {{DEFAULTSORT:むさし}} [[Category:遺伝子]]
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文庫レーベル一覧
文庫レーベル一覧(ぶんこレーベルいちらん)では、文庫本のレーベル一覧を掲載する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "文庫レーベル一覧(ぶんこレーベルいちらん)では、文庫本のレーベル一覧を掲載する。", "title": null } ]
文庫レーベル一覧(ぶんこレーベルいちらん)では、文庫本のレーベル一覧を掲載する。
'''文庫レーベル一覧'''(ぶんこレーベルいちらん)では、[[文庫本]]のレーベル一覧を掲載する。 == 一般文庫レーベル == === 出版別 あ行 === <table border="0" cellpadding="5" width="100%"> <tr valign="top"><td width="20%"> あ * [[朝日新聞出版]] ** [[朝日文庫]] ** 朝日エアロ文庫 * [[飛鳥新社]](レーベル名なし)<ref>[[水野敬也]]『夢をかなえるゾウ 文庫版』など</ref> </td><td width="20%"> い * [[岩波書店]] ** [[岩波文庫]] ** [[岩波現代文庫]] </td><td width="20%"> う * [[潮出版社]] ** 潮文庫 </td><td width="20%"> え </td><td width="20%"> お </td></tr> </table> === 出版社別 か行 === <table border="0" cellpadding="5" width="100%"> <tr valign="top"><td width="20%"> か * [[KADOKAWA]] [[アスキー・メディアワークス]] ** [[メディアワークス文庫]] * KADOKAWA [[角川書店]] ** [[角川文庫]] ** [[角川ソフィア文庫]] ** [[角川ホラー文庫]] * KADOKAWA [[中経出版]] ** 中経の文庫 * [[角川春樹事務所]] ** [[ハルキ文庫]] * [[河出書房新社]] ** [[河出文庫]] ** KAWADE夢文庫 </td><td width="20%"> き * [[KKベストセラーズ]] ** ワニ文庫 </td><td width="20%"> く </td><td width="20%"> け * [[幻冬舎]] ** [[幻冬舎文庫]] </td><td width="20%"> こ * [[講談社]] ** [[講談社文庫]] ** [[講談社学術文庫]] ** [[講談社文芸文庫]] ** [[講談社+α文庫]] ** [[講談社タイガ]] * [[光文社]] ** [[光文社文庫]] ** 知恵の森文庫 ** [[光文社古典新訳文庫]] * [[弘文堂]] ** [[アテネ文庫]] </td></tr> </table> === 出版社別 さ行 === <table border="0" cellpadding="5" width="100%"> <tr valign="top"><td width="20%"> さ * [[三交社]] ** [[SKYHIGH文庫]] * [[サンマーク出版]] ** サンマーク文庫 </td><td width="20%"> し * [[実業之日本社]] ** [[実業之日本社文庫]] * [[集英社]] ** [[集英社文庫]] ** [[集英社オレンジ文庫|オレンジ文庫]] * [[小学館]] ** [[小学館文庫]] * [[祥伝社]] ** [[祥伝社文庫]] ** 祥伝社黄金文庫 * [[新潮社]] ** [[新潮文庫]] *** [[新潮文庫#新潮文庫nex|新潮文庫nex]] </td><td width="20%"> す * [[スターツ出版]] ** [[スターツ出版文庫]] </td><td width="20%"> せ * [[青春出版社]] ** 青春文庫 * [[静山社]] ** 静山社文庫 *** ハリー・ポッター文庫 * [[成美堂出版]] ** 成美文庫 </td><td width="20%"> そ * [[草思社]] ** 草思社文庫 </td></tr> </table> === 出版社別 た行 === <table border="0" cellpadding="5" width="100%"> <tr valign="top"><td width="20%"> た * [[大和書房]] ** [[だいわ文庫]] * [[宝島社]] ** [[宝島社文庫]] </td><td width="20%"> ち * [[筑摩書房]] ** [[ちくま文庫]] ** [[ちくま学芸文庫]] * [[中央公論新社]] ** [[中公文庫]] </td><td width="20%"> つ </td><td width="20%"> て * [[ディスカヴァー・トゥエンティワン]](レーベル名なし)<ref>[[フリードリヒ・ニーチェ]]『超訳 ニーチェの言葉 エッセンシャル版』など</ref> </td><td width="20%"> と * [[東京創元社]] ** [[創元SF文庫]] ** [[創元推理文庫]] ** 創元ライブラリ * [[徳間書店]] ** [[徳間文庫]] *** 徳間時代小説文庫 </td></tr> </table> === 出版社別 な行 === <table border="0" cellpadding="5" width="100%"> <tr valign="top"><td width="20%"> な </td><td width="20%"> に * [[日本経済新聞出版社]] ** [[日経文庫]] ** [[日経文芸文庫]] ** 日経ビジネス人文庫 </td><td width="20%"> ぬ </td><td width="20%"> ね </td><td width="20%"> の </td></tr> </table> === 出版社別 は行 === <table border="0" cellpadding="5" width="100%"> <tr valign="top"><td width="20%"> は * [[ハーパーコリンズ|ハーパーコリンズ・ジャパン]] ** [[ハーパーBOOKS]] * [[早川書房]] ** [[ハヤカワ文庫]] * [[原書房]] ** [[コージーブックス]] </td><td width="20%"> ひ * [[PHP研究所]] ** [[PHP文庫]] ** [[PHP文芸文庫]] * [[一二三書房]] ** 一二三文庫 </td><td width="20%"> ふ * [[扶桑社]] ** [[扶桑社文庫]] * [[双葉社]] ** [[双葉文庫]] * [[二見書房]] ** 二見サラ文庫 * [[文藝春秋]] ** [[文春文庫]] ** 文春学藝ライブラリー * [[文芸社]] ** 文芸社文庫 </td><td width="20%"> へ </td><td width="20%"> ほ * [[ポプラ社]] ** [[ポプラ文庫]] ** [[ポプラポケット文庫]] ** [[ポプラ文庫ピュアフル]] </td></tr> </table> === 出版社別 ま行 === <table border="0" cellpadding="5" width="100%"> <tr valign="top"><td width="20%"> ま * [[マイナビ出版]] ** [[マイナビ文庫]] ** ファン文庫 * [[マガジンハウス]] ** マガジンハウス文庫 </td><td width="20%"> み * [[三笠書房]] ** 王様文庫 ** [[知的生きかた文庫]] </td><td width="20%"> む </td><td width="20%"> め </td><td width="20%"> も </td></tr> </table> === 出版社別 や行 === <table border="0" cellpadding="5" width="100%"> <tr valign="top"><td width="20%"> や </td><td width="20%"> </td><td width="20%"> ゆ </td><td width="20%"> </td><td width="20%"> よ </td></tr> </table> === 出版社別 ら行 === <table border="0" cellpadding="5" width="100%"> <tr valign="top"><td width="20%"> ら </td><td width="20%"> り </td><td width="20%"> る </td><td width="20%"> れ </td><td width="20%"> ろ </td></tr> </table> === 出版社別 わ行 === <table border="0" cellpadding="0" width="100%"> <tr valign="top"><td width="20%"> わ </td><td width="20%"> </td><td width="20%"> </td><td width="20%"> </td><td width="20%"> </td></tr> </table> == 男性向け中心の文庫レーベル == {{col| * [[イースト・プレス]] ** 悦文庫 * [[潮書房光人社]] ** [[光人社NF文庫]] ** [[文庫ぎんが堂]] * [[オークス (出版社)|オークス]] ** ヴァージン文庫 * [[海王社]] ** えちかわ文庫 * [[学陽書房]] ** 人物文庫 * [[河出書房新社]] ** 河出i文庫 * [[キルタイムコミュニケーション]] ** [[二次元ドリーム文庫]] ** [[あとみっく文庫]] ** リアルドリーム文庫 | * [[幻冬舎]] ** 幻冬舎時代小説文庫 ** 幻冬舎アウトロー文庫 ** コスミック文庫 ** コスミック・時代文庫 ** コスミック・ロマン文庫 ** 架空戦記文庫 * [[彩図社]](レーベル名なし)<ref>[[高木瑞穂]]『売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』など</ref> * コスミック出版 ** コスミック・告白文庫 * [[宝島社]] ** [[宝島SUGOI文庫]] * [[竹書房]] ** 竹書房文庫 ** 竹書房怪談文庫 ** ラブロマン文庫 * [[パラダイム]] ** [[ぷちぱら文庫]] *** ぷちぱら文庫Creative | * [[二見書房]] ** マドンナメイト文庫 ** 二見文庫 ** 二見時代小説文庫 * [[ミリオン出版]] ** 大洋文庫 * [[フランス書院]] ** フランス書院文庫 ** フランス書院文庫X ** [[ナポレオン文庫]] * [[ベストセラーズ]] ** ベストセラーズ文庫 * [[山と溪谷社]] ** ヤマケイ文庫 * KADOKAWA 中経出版 ** 新人物文庫 }} == 女性向け中心の文庫レーベル == {{col| * [[アルファポリス]] ** エタニティ文庫 ** レジーナ文庫 ** ノーチェ文庫 * [[イースト・プレス]] ** ソーニャ文庫 ** アズ文庫 * [[一迅社]] ** [[一迅社文庫アイリス]] * [[インフォレスト]] ** ジュリエット文庫 * [[オークラ出版]] ** プリズム文庫 ** マグノリアロマンス * [[KADOKAWA]] [[アスキー・メディアワークス]] ** B-PRINCE文庫 ** ジュエル文庫 * KADOKAWA [[エンターブレイン]] ** [[ビーズログ文庫]] ** ビーズログ文庫アリス * KADOKAWA [[角川書店]] ** [[角川ルビー文庫]] ** 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北総鉄道北総線
北総線(ほくそうせん)は、東京都葛飾区の京成高砂駅から千葉県印西市の印旛日本医大駅までを結ぶ北総鉄道の鉄道路線である。駅ナンバリングで使われる路線記号はHS。 千葉県船橋市、印西市にまたがる千葉ニュータウンと東京都心を結ぶ通勤路線としての役割を担っている。途中の千葉ニュータウン中央駅はその名の通り、千葉ニュータウンの中心的な地域にある。小室駅 - 印旛日本医大駅間は京成電鉄の完全子会社である千葉ニュータウン鉄道が第三種鉄道事業者として線路を保有し、北総鉄道が第二種鉄道事業者として旅客運送を行っている。 京成高砂駅で接続する京成電鉄の本線、さらにその先の押上線、都営地下鉄浅草線、京浜急行電鉄(京急)の本線・空港線・久里浜線と相互直通運転を行っており、東京国際空港(羽田空港)や神奈川県の横浜、三浦半島を結ぶ関東地方の広域ルートの一翼を担う。 また、東京と成田国際空港を結ぶ京成電鉄の成田空港線(成田スカイアクセス線)と全線にわたって線路を共用しており、乗車券は共通の取り扱いがある。 京成高砂駅 - 小室駅間は、千葉ニュータウン建設開始に伴い、1972年(昭和47年)3月の都市交通審議会(現在の運輸政策審議会)答申第15号が示した2本の東京都心直結ルートの一つで、「地下鉄1号線(都営地下鉄浅草線)を延伸し、京成高砂駅で京成線より分岐し、松戸・市川両市境を東進、鎌ケ谷市初富を経て千葉ニュータウン小室地区に至る路線」である。 千葉ニュータウン内の交通路整備を優先するため、北初富駅 - 小室駅間を北総線第1期として先行開業することとし、1974年(昭和49年)、日本鉄道建設公団(現・鉄道建設・運輸施設整備支援機構)民鉄線対象工事として着工した。1979年(昭和54年)3月13日に千葉ニュータウン小室・西白井両地区が入居開始することになり、その直前の3月9日に開業した。同時に暫定的に新京成線に乗り入れ、松戸駅まで相互直通運転を開始した。なお、新京成線との直通運転は第2期線開業後の1992年(平成4年)7月8日に同線の新鎌ヶ谷駅開業と同時に廃止された。 北総開発鉄道は、千葉ニュータウンと東京都心を結ぶことが建設目的であるため、1983年(昭和58年)に第2期線の建設に着手する。1991年(平成3年)に京成高砂駅 - 新鎌ヶ谷駅間を開業し、北総開発鉄道、京成電鉄、東京都交通局(都営地下鉄浅草線)、京浜急行電鉄の4者による相互直通運転を開始した。 小室駅 - 印旛日本医大駅間は、同じ答申で示されたもう一つのアクセスルートの一部で、地下鉄10号線(都営地下鉄新宿線)を延伸して鎌ケ谷市初富に至り、小室まで前記の路線と併走し、その先の印旛松虫地区に至る路線の一部である。本来、千葉県営鉄道として建設される予定のものを、1978年(昭和53年)3月に千葉ニュータウン事業に参加した宅地開発公団(のちの住宅・都市整備公団〈住都公団〉→都市基盤整備公団〈都市公団〉)が小室 - 印旛松虫間の鉄道敷設免許を譲り受けて建設、開業した。住宅・都市整備公団千葉ニュータウン線として小室駅 - 千葉ニュータウン中央駅間が1984年(昭和59年)に開業した。その後、1995年(平成7年)に印西牧の原駅まで、2000年(平成12年)に印旛日本医大駅まで延伸され、全線開業した。 千葉ニュータウン線は、列車の運行、旅客営業、鉄道施設の保守業務などを北総開発鉄道に委託していたが、地方鉄道法の廃止や鉄道事業法の施行に伴って、1988年(昭和63年)に住宅・都市整備公団が第3種鉄道事業者として線路・駅などを保有し、北総開発鉄道は施設を借り受けて運行・管理を行う第2種鉄道事業者となり、その後の延伸区間も同様の扱いとなった。その際、路線名も北総線区間を含めて北総・公団線とされた。 2004年(平成16年)7月1日に社名が北総鉄道に変更され、同時に都市公団が独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)に改組された。公団の保有する鉄道施設(小室 - 印旛日本医大間の線路・駅や車両など一式)については、京成電鉄の全額出資によって設立された新会社「千葉ニュータウン鉄道」に移管された。それに伴い、北総路線を呼ぶ際は「公団」が外されて北総線となった。 2010年(平成22年)7月17日に京成電鉄が運行する成田空港線(成田スカイアクセス線)が開業。北総線は全線が成田スカイアクセス線と共用となった。同時に駅ナンバリングを新京成電鉄を除いた京成グループ2社(京成電鉄・北総鉄道)と芝山鉄道の各線で一斉に採用した(新京成も後に採用)が、京成高砂駅を除く北総線各駅には北総鉄道の駅番号のみが付与され、京成電鉄の駅番号は付与されなかった。 早朝・深夜の出入庫列車を除くほぼ全列車が京成高砂駅から京成電鉄本線・押上線・都営地下鉄浅草線・京浜急行電鉄本線・空港線を経由して相互直通運転を実施する。特に日中は北総線系統・成田スカイアクセス線系統(便宜上本項に含める)ともに京急羽田空港第1・第2ターミナル駅発着が主体(京急線内は前者が特急、後者がエアポート快特)となる。 北総線の駅を始発・終着とする優等列車は現在も平日の朝夕のみの運行であるが、成田スカイアクセス線の開業後は、北総線を走行する優等列車が終日に渡って運行されるようになった。 共用区間を成田スカイアクセス線の列車として京成乗務員が運転する場合は京成側の運転規定が適用され、北総線の列車として北総鉄道の乗務員が運転する場合は北総鉄道側の運転規定が適用される。そのため、北総線の各駅端部には京成乗務員向けの駅間最高速度標識など、京成の運転規定上必要な標識が設置されている。 北総線の列車は普通列車(各駅停車)が主体であるが、平日に限り特急が運転されている。急行も運転されていたが、2022年11月26日のダイヤ改正で廃止した。 北総線系統とは別に、線路を共用する京成成田空港線(成田スカイアクセス線)の列車種別として、スカイライナー(京成上野駅 - 成田空港駅間)およびアクセス特急(主に羽田空港駅 - 成田空港駅間)がほぼ終日にわたって運転されている。なお、北総線との共用区間内においては乗車列車の指定はなされておらず、北総線内のみの利用に際して成田スカイアクセス線の列車を利用することも可能である(逆も可)。このため北総線と成田スカイアクセス線は列車種別を揃えるなど共通化した取り扱いもなされている。 一般列車は北総線系統と成田スカイアクセス線系統と合わせて40分周期のパターンで構成されている。 自社車両(千葉ニュータウン鉄道含む)をはじめ、直通運転先である京成電鉄・都営地下鉄浅草線・京浜急行電鉄の各社局の車両が乗り入れて運行される。 2023年3月時点で北総鉄道の営業列車として運行されている車両とかつて運行されていた車両は次の通り(自社所有車・リース車以外も含む)。 通常は8両編成のみの使用 2023年3月現在、全ての車両が8両編成で運行されている。ただし、ダイヤ乱れ等、車両が手配できない時に京成の6両編成が代走で運行されたことがある。 1979年の開業時は6両編成が主体であったが、1991年の都心直通時に自社車両はすべて8両編成に増強された。また、1992年から2000年7月22日のダイヤ改正前までは線内限定の区間列車として4両編成での運用が存在していた。 また、1993年4月1日から1994年12月9日にかけては直通先の京急空港線が8両編成の乗り入れに対応していなかったため、データイムのほぼ全てが6両編成での運転であった。しかし、当時は6両編成の車両を保有していなかったため、データイムはほぼ全てが他者の車両で運行されることになり、北総車両が自社線内をほとんど走行しない珍しい光景が見られた。 京成高砂駅を出ると、京成電鉄の高砂検車区を左に見ながら高架橋へと上がり、大きく左へカーブして高架のシェルターを抜けると新柴又駅へと到着する。住宅地を抜けると江戸川橋梁を渡り千葉県松戸市へと入るが、川岸から台地までは松戸市の特別緑地保全地区となっており、田園風景が広がる。線路はすぐに下総台地の下に掘られた栗山トンネルへ進入し、矢切駅へと至る。この先、北国分駅 - 松飛台駅間は地形上、台地と低地が入り組む谷津田が多いため、トンネルと高架が連続する高低差の大きい線形となる。特に秋山駅では地下駅なのに対し、次の東松戸駅ではJR武蔵野線を跨ぐためホームが地上20mの高さにある。松飛台駅を過ぎると高架の直線区間が続き、左手に住宅地、右手に梨畑を見ながら大町駅へと進み、国道464号(大町梨街道)と立体交差する。さらに高架を進むと、左手に新京成電鉄くぬぎ山車両基地を見ながら新京成線と合流。ここから併走区間となり、新京成線北初富駅の横を通るが、北総線に駅は設置されていない(新京成線乗り入れ時代は、連絡線が当時地上にあった北初富駅に直接合流していた)。まもなく私鉄4線が乗り入れる新鎌ヶ谷駅へと至る。 鎌ケ谷市の新しい市街地として開発が進む新鎌ケ谷を横目に、しばらく高架の直線区間が続いたのち短いトンネルを抜ける。やがて線路は掘割区間となり、千葉ニュータウン(白井市)の玄関口である西白井駅へと到着する。この先、千葉ニュータウンエリア内では堀割内を国道464号(北千葉道路)、およびその側道に挟まれるかたちで道路と併走する。次の白井駅にかけてはニュータウン独特の大型店舗が建ち並ぶ街並みが沿線に広がり、小室駅の手前では国道16号と交差する。この先神崎川を跨ぐ高架区間では両側に水田が広がり、線路は再び掘割区間を進み、北総線最大の乗降客数を誇る千葉ニュータウン中央駅へと至る。駅周辺にはイオンモール千葉ニュータウン等がある。また、掘割内では北総鉄道に沿って確保されていた成田新幹線(未成線)用地を転用し、太陽光パネルが設置されている。 この区間は元々、成田新幹線用に確保されていた用地を一部活用しているため、高低差もなく、線形も良い。次の印西牧の原駅周辺は、並行する国道464号沿道にロードサイド型の大型商業施設が立ち並ぶ。印西牧の原駅を出るとしばらく複々線区間が続いたのち、内側2線が印旛車両基地への高架線として右手にわかれる。右手に車両基地を見上げながら線路は掘割区間を進み、終点・印旛日本医大駅へと到着する。駅の成田空港側には引き上げ線が用意されており、本線は成田高速鉄道アクセスの線路として成田空港方面へ続く。 都心から成田国際空港への所要時間を短縮するために、北総線を経由する「成田新高速鉄道」構想が1985年の運輸政策審議会答申第7号において計画され、2006年に着工した。新設となる印旛日本医大駅から成田空港高速鉄道接続点までの区間は、新たに設立された成田高速鉄道アクセスが建設・保有を行うこととなった。新設区間は最高速度160km/hとなり、これに合わせ、既存の京成高砂駅 - 印旛日本医大駅間は最高速度130km/hで走行するための待避設備の設置と鉄道信号機に対する抑速現示の設定を含む設備改良工事が行われることが成田高速鉄道アクセスから発表されていた。ただし、現在の北総線区間では高速進行現示は設定されない。これに先立ち、小室駅では待避線建設に伴うホームの増設工事が行われ、東松戸駅、新鎌ヶ谷駅では路線建設時に将来用に設けられていたホームを使用開始した。そのほか、印西牧の原駅、印旛日本医大駅では分岐器変更による配線変更が行われた。このうち信号機の抑速現示は2009年夏より使用を開始した。 2010年7月17日の開業以降は、印旛日本医大駅止りの北総線の列車は従来通り北総鉄道が運行し、成田空港駅まで直通する成田スカイアクセス線の列車は京成電鉄が運行する。これにより、スカイライナーの所要時間は日暮里駅 - 空港第2ビル駅間で最速36分となった。それまでは、JRの成田エクスプレスや京成電鉄本線のスカイライナーを利用した場合、都心から空港第2ビル駅までは1時間程度を要していたため、大幅な所要時間短縮が実現した。 また、千葉県北西部等の交通利便性の向上と、成田地域と千葉ニュータウン地域の機能連携の強化にも寄与することが期待されている。しかし、その一方で「運賃の高い北総線経由になることで、運賃が値上げされるのではないか」「スカイライナーと北総線の運賃が二重運賃にならないか」と問題視する声もあったが、最終的に値上げや二重運賃は適用されず、印旛日本医大駅をまたいだ乗車であっても、両社の乗車距離の合計を京成成田空港線の運賃基準に当てはめて計算されることとなった(「北総鉄道#運賃」も参照)。 北総線は、東京通勤圏の一部を除く他の鉄道と比べて運賃が高い上、定期券の割引率が低いため沿線住民の負担になっている。山下努著『不動産絶望未来』東洋経済新報社によれば、千葉ニュータウンの住民の間では「財布落としても定期券落とすな」が合言葉になっていたほどであったという。 沿線の白井市などは「北総線通学定期券助成」制度を設けている。千葉県と沿線6市2村も、北総鉄道への財政支援を交換条件に運賃値下げを求めてきたが、2010年2月19日に認可され、運賃値下げが実現した(この時、運賃が最も高い区間だった西白井駅 - 新鎌ヶ谷駅間が300円から290円に値下げされた。2022年10月現在は280円になっている)。なお、2015年以降は自治体による財政支援は行われていない。 北総線は、東京圏東部の大型ニュータウンである千葉ニュータウン事業の一環として建設された。 千葉ニュータウンは、当初の計画では2,912haを開発して計画人口34万人を見込んでいたが、1970年代のオイルショックや1990年代のバブル崩壊などで縮小を余儀なくされ、2014年(平成26年)3月時点の開発面積は約1,930haで計画人口は45,600戸・143,300人に下方修正された。2014年(平成26年)1月末時点の実際の人口は93,631人にとどまっている。なお、千葉ニュータウンの事業認可期間は2014年(平成26年)3月で終了しており、未処分地の販売は5年間継続され、2014年(平成26年)3月で終了している。 ただし、沿線人口の増加に伴う北総線利用者数は増加傾向は続いており、2013年(平成25年)度は乗客数が過去最高を更新した。 なお、千葉ニュータウン中央以東の区間で線路に沿って確保されている用地は、成田新幹線(未成線)の跡地および、北千葉道路の建設用地である。 当路線は2010年7月17日より全線にわたり京成電鉄成田空港線(成田スカイアクセス線)との共用区間となり、アクセス特急が停車する北総鉄道の駅は京成電鉄との共用駅となった(京成高砂駅を除き駅管理は北総鉄道が行っている)。なお、京成高砂駅については北総鉄道の駅番号は振られていない。これは、京成電鉄が押上駅と京成津田沼駅を例外として駅番号の二重付番を行わない方針をとっているためである。 以下の表には、北総鉄道の運行する北総線の列車について記している。京成電鉄が運行する成田スカイアクセス線の列車(スカイライナー、アクセス特急)の停車駅は「京成成田空港線#駅一覧」を参照。
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成田空港駅間)およびアクセス特急(主に羽田空港駅 - 成田空港駅間)がほぼ終日にわたって運転されている。なお、北総線との共用区間内においては乗車列車の指定はなされておらず、北総線内のみの利用に際して成田スカイアクセス線の列車を利用することも可能である(逆も可)。このため北総線と成田スカイアクセス線は列車種別を揃えるなど共通化した取り扱いもなされている。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "一般列車は北総線系統と成田スカイアクセス線系統と合わせて40分周期のパターンで構成されている。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "自社車両(千葉ニュータウン鉄道含む)をはじめ、直通運転先である京成電鉄・都営地下鉄浅草線・京浜急行電鉄の各社局の車両が乗り入れて運行される。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "2023年3月時点で北総鉄道の営業列車として運行されている車両とかつて運行されていた車両は次の通り(自社所有車・リース車以外も含む)。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "通常は8両編成のみの使用", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2023年3月現在、全ての車両が8両編成で運行されている。ただし、ダイヤ乱れ等、車両が手配できない時に京成の6両編成が代走で運行されたことがある。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1979年の開業時は6両編成が主体であったが、1991年の都心直通時に自社車両はすべて8両編成に増強された。また、1992年から2000年7月22日のダイヤ改正前までは線内限定の区間列車として4両編成での運用が存在していた。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "また、1993年4月1日から1994年12月9日にかけては直通先の京急空港線が8両編成の乗り入れに対応していなかったため、データイムのほぼ全てが6両編成での運転であった。しかし、当時は6両編成の車両を保有していなかったため、データイムはほぼ全てが他者の車両で運行されることになり、北総車両が自社線内をほとんど走行しない珍しい光景が見られた。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "京成高砂駅を出ると、京成電鉄の高砂検車区を左に見ながら高架橋へと上がり、大きく左へカーブして高架のシェルターを抜けると新柴又駅へと到着する。住宅地を抜けると江戸川橋梁を渡り千葉県松戸市へと入るが、川岸から台地までは松戸市の特別緑地保全地区となっており、田園風景が広がる。線路はすぐに下総台地の下に掘られた栗山トンネルへ進入し、矢切駅へと至る。この先、北国分駅 - 松飛台駅間は地形上、台地と低地が入り組む谷津田が多いため、トンネルと高架が連続する高低差の大きい線形となる。特に秋山駅では地下駅なのに対し、次の東松戸駅ではJR武蔵野線を跨ぐためホームが地上20mの高さにある。松飛台駅を過ぎると高架の直線区間が続き、左手に住宅地、右手に梨畑を見ながら大町駅へと進み、国道464号(大町梨街道)と立体交差する。さらに高架を進むと、左手に新京成電鉄くぬぎ山車両基地を見ながら新京成線と合流。ここから併走区間となり、新京成線北初富駅の横を通るが、北総線に駅は設置されていない(新京成線乗り入れ時代は、連絡線が当時地上にあった北初富駅に直接合流していた)。まもなく私鉄4線が乗り入れる新鎌ヶ谷駅へと至る。", "title": "沿線風景" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "鎌ケ谷市の新しい市街地として開発が進む新鎌ケ谷を横目に、しばらく高架の直線区間が続いたのち短いトンネルを抜ける。やがて線路は掘割区間となり、千葉ニュータウン(白井市)の玄関口である西白井駅へと到着する。この先、千葉ニュータウンエリア内では堀割内を国道464号(北千葉道路)、およびその側道に挟まれるかたちで道路と併走する。次の白井駅にかけてはニュータウン独特の大型店舗が建ち並ぶ街並みが沿線に広がり、小室駅の手前では国道16号と交差する。この先神崎川を跨ぐ高架区間では両側に水田が広がり、線路は再び掘割区間を進み、北総線最大の乗降客数を誇る千葉ニュータウン中央駅へと至る。駅周辺にはイオンモール千葉ニュータウン等がある。また、掘割内では北総鉄道に沿って確保されていた成田新幹線(未成線)用地を転用し、太陽光パネルが設置されている。", "title": "沿線風景" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "この区間は元々、成田新幹線用に確保されていた用地を一部活用しているため、高低差もなく、線形も良い。次の印西牧の原駅周辺は、並行する国道464号沿道にロードサイド型の大型商業施設が立ち並ぶ。印西牧の原駅を出るとしばらく複々線区間が続いたのち、内側2線が印旛車両基地への高架線として右手にわかれる。右手に車両基地を見上げながら線路は掘割区間を進み、終点・印旛日本医大駅へと到着する。駅の成田空港側には引き上げ線が用意されており、本線は成田高速鉄道アクセスの線路として成田空港方面へ続く。", "title": "沿線風景" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "都心から成田国際空港への所要時間を短縮するために、北総線を経由する「成田新高速鉄道」構想が1985年の運輸政策審議会答申第7号において計画され、2006年に着工した。新設となる印旛日本医大駅から成田空港高速鉄道接続点までの区間は、新たに設立された成田高速鉄道アクセスが建設・保有を行うこととなった。新設区間は最高速度160km/hとなり、これに合わせ、既存の京成高砂駅 - 印旛日本医大駅間は最高速度130km/hで走行するための待避設備の設置と鉄道信号機に対する抑速現示の設定を含む設備改良工事が行われることが成田高速鉄道アクセスから発表されていた。ただし、現在の北総線区間では高速進行現示は設定されない。これに先立ち、小室駅では待避線建設に伴うホームの増設工事が行われ、東松戸駅、新鎌ヶ谷駅では路線建設時に将来用に設けられていたホームを使用開始した。そのほか、印西牧の原駅、印旛日本医大駅では分岐器変更による配線変更が行われた。このうち信号機の抑速現示は2009年夏より使用を開始した。", "title": "成田空港延伸" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "2010年7月17日の開業以降は、印旛日本医大駅止りの北総線の列車は従来通り北総鉄道が運行し、成田空港駅まで直通する成田スカイアクセス線の列車は京成電鉄が運行する。これにより、スカイライナーの所要時間は日暮里駅 - 空港第2ビル駅間で最速36分となった。それまでは、JRの成田エクスプレスや京成電鉄本線のスカイライナーを利用した場合、都心から空港第2ビル駅までは1時間程度を要していたため、大幅な所要時間短縮が実現した。", "title": "成田空港延伸" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "また、千葉県北西部等の交通利便性の向上と、成田地域と千葉ニュータウン地域の機能連携の強化にも寄与することが期待されている。しかし、その一方で「運賃の高い北総線経由になることで、運賃が値上げされるのではないか」「スカイライナーと北総線の運賃が二重運賃にならないか」と問題視する声もあったが、最終的に値上げや二重運賃は適用されず、印旛日本医大駅をまたいだ乗車であっても、両社の乗車距離の合計を京成成田空港線の運賃基準に当てはめて計算されることとなった(「北総鉄道#運賃」も参照)。", "title": "成田空港延伸" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "北総線は、東京通勤圏の一部を除く他の鉄道と比べて運賃が高い上、定期券の割引率が低いため沿線住民の負担になっている。山下努著『不動産絶望未来』東洋経済新報社によれば、千葉ニュータウンの住民の間では「財布落としても定期券落とすな」が合言葉になっていたほどであったという。", "title": "運賃問題" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "沿線の白井市などは「北総線通学定期券助成」制度を設けている。千葉県と沿線6市2村も、北総鉄道への財政支援を交換条件に運賃値下げを求めてきたが、2010年2月19日に認可され、運賃値下げが実現した(この時、運賃が最も高い区間だった西白井駅 - 新鎌ヶ谷駅間が300円から290円に値下げされた。2022年10月現在は280円になっている)。なお、2015年以降は自治体による財政支援は行われていない。", "title": "運賃問題" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "北総線は、東京圏東部の大型ニュータウンである千葉ニュータウン事業の一環として建設された。", "title": "大規模開発と鉄道" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "千葉ニュータウンは、当初の計画では2,912haを開発して計画人口34万人を見込んでいたが、1970年代のオイルショックや1990年代のバブル崩壊などで縮小を余儀なくされ、2014年(平成26年)3月時点の開発面積は約1,930haで計画人口は45,600戸・143,300人に下方修正された。2014年(平成26年)1月末時点の実際の人口は93,631人にとどまっている。なお、千葉ニュータウンの事業認可期間は2014年(平成26年)3月で終了しており、未処分地の販売は5年間継続され、2014年(平成26年)3月で終了している。", "title": "大規模開発と鉄道" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ただし、沿線人口の増加に伴う北総線利用者数は増加傾向は続いており、2013年(平成25年)度は乗客数が過去最高を更新した。", "title": "大規模開発と鉄道" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "なお、千葉ニュータウン中央以東の区間で線路に沿って確保されている用地は、成田新幹線(未成線)の跡地および、北千葉道路の建設用地である。", "title": "大規模開発と鉄道" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "当路線は2010年7月17日より全線にわたり京成電鉄成田空港線(成田スカイアクセス線)との共用区間となり、アクセス特急が停車する北総鉄道の駅は京成電鉄との共用駅となった(京成高砂駅を除き駅管理は北総鉄道が行っている)。なお、京成高砂駅については北総鉄道の駅番号は振られていない。これは、京成電鉄が押上駅と京成津田沼駅を例外として駅番号の二重付番を行わない方針をとっているためである。", "title": "駅一覧" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "以下の表には、北総鉄道の運行する北総線の列車について記している。京成電鉄が運行する成田スカイアクセス線の列車(スカイライナー、アクセス特急)の停車駅は「京成成田空港線#駅一覧」を参照。", "title": "駅一覧" } ]
北総線(ほくそうせん)は、東京都葛飾区の京成高砂駅から千葉県印西市の印旛日本医大駅までを結ぶ北総鉄道の鉄道路線である。駅ナンバリングで使われる路線記号はHS。
{{一部転記|京成成田空港線|京成成田空港線#北総区間の駅ナンバリングについて(議論再開)|date=2023年8月}} {{pp-vandalism|small=yes}} {{独自研究|date=2015年3月}} <!--検証可能性を満たさない部分があれば、該当箇所にテンプレートを貼付した上でノートで具体的に指摘してください--> {{Infobox 鉄道路線 |路線名 = [[File:Hokuso logo.svg|70px|link=北総鉄道]] 北総線 |路線色 = #00bfff |ロゴ = Number prefix Hokusō.svg |ロゴサイズ = 40px |画像 = Hokuso-Series7311.jpg |画像サイズ = 300px |画像説明 = 北総線を走行する[[北総開発鉄道7300形電車|7300形電車]]<br/>(2021年7月 [[松飛台駅]]) |国 = {{JPN}} |所在地 = [[東京都]]、[[千葉県]] |起点 = [[京成高砂駅]] |終点 = [[印旛日本医大駅]] |駅数 = 15駅 |路線記号 = HS |開業 = [[1979年]][[3月9日]] |休止 = |廃止 = |所有者 = [[北総鉄道]]<br />(京成高砂 - 小室間 第1種)<br />[[千葉ニュータウン鉄道]]<br />(小室 - 印旛日本医大間 第3種) |運営者 = 北総鉄道<br />(京成高砂 - 小室間第1種、小室 - 印旛日本医大間第2種) |車両基地 = |使用車両 = [[北総鉄道#車両]]を参照 |路線距離 = 32.3 [[キロメートル|km]] |軌間 = 1,435 [[ミリメートル|mm]] |線路数 = [[複線]] |電化方式 = [[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]]&nbsp;[[架空電車線方式]] |最大勾配 = |最小曲線半径 = |閉塞方式 = 自動閉塞式 |保安装置 = [[自動列車停止装置#C-ATS|C-ATS]]<!--<ref group="注釈" name="C-ATS">現状、待避線を有する駅の場内=連動駅構内のみC-ATS化されており、単純な棒線駅や駅間については現在も従来の1号型ATSが使用されている。これらの切り替えは走行中に自動的に切り替えが行われており、切り替え地点となる信号機には切り替えポイントを示す標識があり、『1号型→C-ATS』『C-ATS→1号型』という表記が見受けられる。なお、[[印旛日本医大駅]]以遠の成田スカイアクセス線内は全面的にC-ATS区間である。</ref>--> |最高速度 = 105 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="terada">寺田裕一『データブック日本の私鉄』 - ネコ・パブリッシング</ref><ref group="注釈" name="speed">同一線路上を走る成田スカイアクセス線の[[スカイライナー]]は130 km/h、アクセス特急は 120km/h。</ref> |路線図 = Hokusō Railway Linemap.svg }} '''北総線'''(ほくそうせん)は、[[東京都]][[葛飾区]]の[[京成高砂駅]]から[[千葉県]][[印西市]]の[[印旛日本医大駅]]までを結ぶ[[北総鉄道]]の[[鉄道路線]]である。[[駅ナンバリング]]で使われる路線記号は'''HS'''。 == 概要 == 千葉県[[船橋市]]、[[印西市]]にまたがる[[千葉ニュータウン]]と東京[[都心]]を結ぶ通勤路線としての役割を担っている。途中の[[千葉ニュータウン中央駅]]はその名の通り、千葉ニュータウンの中心的な地域にある。[[小室駅]] - 印旛日本医大駅間は[[京成電鉄]]の完全子会社である[[千葉ニュータウン鉄道]]が[[第三種鉄道事業者]]として線路を保有し、北総鉄道が[[第二種鉄道事業者]]として旅客運送を行っている。 京成高砂駅で接続する京成電鉄の[[京成本線|本線]]、さらにその先の[[京成押上線|押上線]]、[[都営地下鉄浅草線]]、[[京浜急行電鉄]](京急)の[[京急本線|本線]]・[[京急空港線|空港線]]・[[京急久里浜線|久里浜線]]と相互直通運転を行っており、[[東京国際空港]](羽田空港)や神奈川県の[[横浜市|横浜]]、[[三浦半島]]<ref>{{Cite web|和書|title=路線図|url=https://www.hokuso-railway.co.jp/railway/route_map.html|publisher=北総鉄道|accessdate=2021-05-23}}</ref>を結ぶ関東地方の広域ルートの一翼を担う。 また、東京と[[成田国際空港]]を結ぶ京成電鉄の[[京成成田空港線|成田空港線]](成田スカイアクセス線)と全線にわたって線路を共用しており、乗車券は共通の取り扱いがある<!-- あくまで同じ施設(線路)を使う別の路線 -->。 === 路線データ === * 路線距離:32.3km ** 京成高砂駅 - [[小室駅]]間 19.8km - [[鉄道事業者|第一種鉄道事業]] ** 小室駅 - 印旛日本医大駅間 12.5km - 第二種鉄道事業([[千葉ニュータウン鉄道]]が第三種鉄道事業者) * 建設主体:[[日本鉄道建設公団]](現 [[独立行政法人]] [[鉄道建設・運輸施設整備支援機構]]) * [[軌間]]:1,435mm([[標準軌]]) * 駅数:15駅(起終点駅含む) * 複線区間:全線[[複線]] * 電化区間:全線([[直流電化|直流]]1,500V) * [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:自動閉塞式 * 保安装置:[[自動列車停止装置#C-ATS|C-ATS]]<!--<ref group="注釈" name="C-ATS">現状、待避線を有する駅の場内=構内のみC-ATS化されており、単純な棒線駅や駅間については現在も従来の1号型ATSが使用されている。これらの切り替えは走行中に自動的に切り替えが行われており、切り替え地点となる信号機には切り替えポイントを示す標識があり、『1号型→C-ATS』『C-ATS→1号型』という表記が見受けられる。なお、[[印旛日本医大駅]]以遠の成田スカイアクセス線内は全面的にC-ATS区間である。</ref>--> * 最高速度:105km/h<ref name="terada" /><ref group="注釈" name="speed" /> [[File:Hokusou map.JPG|thumb|none|250px|羽田空港から成田空港までを一直線に描いた北総線停車駅案内図([[新鎌ヶ谷駅]])]] == 沿革 == 京成高砂駅 - 小室駅間は、[[千葉ニュータウン]]建設開始に伴い、[[1972年]](昭和47年)3月の都市交通審議会(現在の[[運輸政策審議会]])[[都市交通審議会答申第15号|答申第15号]]が示した2本の東京都心直結ルートの一つで、「地下鉄1号線([[都営地下鉄浅草線]])を延伸し、京成高砂駅で[[京成本線|京成線]]より分岐し、[[松戸市|松戸]]・[[市川市|市川]]両市境を東進、[[鎌ケ谷市]]初富を経て千葉ニュータウン小室地区に至る路線」である。 千葉ニュータウン内の交通路整備を優先するため、[[北初富駅]] - 小室駅間を'''北総線'''第1期として先行開業することとし、[[1974年]](昭和49年)、[[日本鉄道建設公団]](現・[[鉄道建設・運輸施設整備支援機構]])民鉄線対象工事として着工した。[[1979年]](昭和54年)3月13日に千葉ニュータウン小室・西白井両地区が入居開始することになり<ref name="mainichi-np-2014-3-31">橋本利昭(2014年3月31日). “未完のニュータウン:事業期間終了/2 高度成長期の象徴 世代交代が進まず”. [[毎日新聞]] (毎日新聞社)</ref>、その直前の3月9日に開業した<ref name="shitetsushi-HB">和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年、p.63</ref><ref name="sougounenpyou-p63">池田光雅『鉄道総合年表1972-93』中央書院、1993年、p.63</ref>。同時に暫定的に[[新京成電鉄新京成線|新京成線]]に乗り入れ、[[松戸駅]]まで相互直通運転を開始した。なお、新京成線との直通運転は第2期線開業後の[[1992年]](平成4年)[[7月8日]]に同線の[[新鎌ヶ谷駅]]開業と同時に廃止された。 北総開発鉄道は、千葉ニュータウンと東京都心を結ぶことが建設目的であるため、[[1983年]](昭和58年)に第2期線の建設に着手する。[[1991年]](平成3年)に京成高砂駅 - 新鎌ヶ谷駅間を開業し、北総開発鉄道、[[京成電鉄]]、[[東京都交通局]](都営地下鉄浅草線)、[[京浜急行電鉄]]の4者<!-- 交通局は社ではない-->による[[直通運転|相互直通運転]]を開始した<ref group="注釈" name="当初の計画">当初は1988年3月に開業する予定であったが、用地買収の難航と葛飾区における建設反対運動により、開業が1991年3月に延期した「北総鉄道 70年史 p66-p69」。</ref>。 小室駅 - 印旛日本医大駅間は、同じ答申で示されたもう一つのアクセスルートの一部で、地下鉄10号線([[都営地下鉄新宿線]])を延伸して鎌ケ谷市初富に至り、小室まで前記の路線と併走し、その先の印旛松虫地区に至る路線の一部である。本来、[[千葉県営鉄道]]として建設される予定のものを、[[1978年]](昭和53年)3月に千葉ニュータウン事業に参加した[[宅地開発公団]](のちの[[住宅・都市整備公団]]〈住都公団〉→[[都市基盤整備公団]]〈都市公団〉)が小室 - 印旛松虫間の鉄道敷設免許を譲り受けて建設、開業した。住宅・都市整備公団'''千葉ニュータウン線'''として小室駅 - [[千葉ニュータウン中央駅]]間が[[1984年]](昭和59年)に開業した。その後、[[1995年]](平成7年)に[[印西牧の原駅]]まで、[[2000年]](平成12年)に印旛日本医大駅まで延伸され、全線開業した。 千葉ニュータウン線は、列車の運行、旅客営業、鉄道施設の保守業務などを北総開発鉄道に委託していたが、[[地方鉄道法]]の廃止や[[鉄道事業法]]の施行に伴って、[[1988年]](昭和63年)に住宅・都市整備公団が[[鉄道事業者|第3種鉄道事業者]]として線路・駅などを保有し、北総開発鉄道は施設を借り受けて運行・管理を行う[[鉄道事業者|第2種鉄道事業者]]となり、その後の延伸区間も同様の扱いとなった。その際、路線名も北総線区間を含めて'''北総・公団線'''とされた。 [[2004年]](平成16年)[[7月1日]]に社名が'''北総鉄道'''に変更され、同時に都市公団が独立行政法人[[都市再生機構]](UR都市機構)に改組された<ref name="Hokuso200402">[https://web.archive.org/web/20040803154818/http://www.hokuso-railway.co.jp/topics/2004/020/index.htm 7月1日、当社は社名を「北総開発鉄道」から「北総鉄道」へ路線名を「北総・公団線」から、「北総線」に変更します。](北総鉄道トピックス・インターネットアーカイブ・2004年時点の版)。</ref>。公団の保有する鉄道施設(小室 - 印旛日本医大間の線路・駅や車両など一式)については、京成電鉄の全額出資によって設立された新会社「[[千葉ニュータウン鉄道]]」に移管された。それに伴い、北総路線を呼ぶ際は「公団」が外されて'''北総線'''となった<ref name="Hokuso200402"/>。 [[2010年]](平成22年)[[7月17日]]に京成電鉄が運行する[[京成成田空港線|成田空港線]](成田スカイアクセス線)が開業<ref name="chibanippo2010718">{{Cite news | title = 新型ライナー、成田空港到着 スカイアクセス開業 | newspaper = 『[[千葉日報]]』 | pages = 1,15-16 | publisher = 千葉日報社| date = 2010-07-18 }}</ref>。北総線は全線が成田スカイアクセス線と共用となった<ref group="注釈" name="共用">なお、一部では「北総線が成田空港まで延伸する」といった報道がなされていたが、あくまでも、現状の北総鉄道の線路上に京成電鉄が[[スカイライナー]]および[[京成成田空港線#運行形態|アクセス特急]]といった[[空港連絡鉄道|空港アクセス列車]]を運行するということであり、北総線の区間は京成高砂駅 - 印旛日本医大駅間のままである。これは、一つの線路を二つの鉄道会社が共用するという運行形態であり、いわゆる「直通運転」とは異なる。類例には[[都営地下鉄三田線]]・[[東京メトロ南北線]]の組み合わせなどがある。</ref>。同時に[[駅ナンバリング]]を[[新京成電鉄]]を除いた京成グループ2社(京成電鉄・北総鉄道)と[[芝山鉄道]]の各線で一斉に採用した(新京成も後に採用)が、京成高砂駅を除く北総線各駅には北総鉄道の駅番号のみが付与され、京成電鉄の駅番号は付与されなかった。 === 年表 === {{Main2|運行形態の変遷については「[[京成電鉄のダイヤ改正]]」も}} * [[1979年]]([[昭和]]54年)[[3月9日]] - 北総線(第1期)北初富駅 - 小室駅間 (7.9km) 開業<ref name="shitetsushi-HB" /><ref name="sougounenpyou-p63" />。同時に新京成線との相互直通運転開始。[[北総開発鉄道7000形電車|7000形]]電車営業運転開始。 * [[1984年]](昭和59年) ** [[3月19日]]- 住宅・都市整備公団千葉ニュータウン線小室駅 - 千葉ニュータウン中央駅間 (4.0km) 開業<ref name="sougounenpyou-p102">池田光雅『鉄道総合年表1972-93』中央書院、1993年、p.102</ref>。住宅・都市整備公団[[住宅・都市整備公団2000形電車|2000形(後の9000形)]]電車営業運転開始。 ** [[7月18日]] - 第2期工事起工式。 * [[1988年]](昭和63年)[[4月1日]] - 小室駅 - 千葉ニュータウン中央駅間 (4.0km) で北総開発鉄道が第2種鉄道事業者、住宅・都市整備公団が第3種鉄道事業者となる。北初富 - 千葉ニュータウン中央間 (12.7km) を併せて「北総・公団線」に改称。 * [[1991年]]([[平成]]3年)[[3月31日]] - 北総線(第2期)京成高砂駅 - 新鎌ヶ谷駅間(12.7km・第1種鉄道事業)開業<ref name="sougounenpyou-p195">池田光雅『鉄道総合年表1972-93』中央書院、1993年、p.195</ref><ref name="youran">国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成18年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会、pp.93-94</ref>。同時に4者による相互直通運転開始。[[北総開発鉄道7300形電車|7300形]]・[[京急1000形電車 (初代)#北総開発鉄道(当時・7150形)|7150形]]電車営業運転開始。 * [[1992年]](平成4年)[[7月8日]] - 新京成線に新鎌ヶ谷駅が開業<ref name="chibanippo1992621">{{Cite news| title = 新京成線新鎌ケ谷駅 来月8日開業 北総開発鉄道と接続 | newspaper = 『[[千葉日報]]』 | page = 16 | publisher = 千葉日報社 | date = 1992-06-21 }}</ref>。新京成電鉄との相互直通運転廃止。同時に北初富駅 - 新鎌ヶ谷駅間(0.8km)廃止。 * [[1993年]](平成5年)4月1日 - ダイヤ改正により、'''急行'''を新設<ref name="asahi1993310">{{Cite news | title = 北総開発鉄道の急行 市川と松戸の5駅は通過 | newspaper = 『[[朝日新聞]]』 | date = 1993-03-10 | author = | publisher = 朝日新聞社 | page = 朝刊 23 }}</ref>。平日朝ラッシュ時間帯の上りに2本設定される<ref>{{Cite news |title=朝混雑時に急行運転 北総開発鉄道 来月1日ダイヤ改正 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1993-03-11 |page=2 }}</ref>。 * [[1995年]](平成7年)4月1日 - 千葉ニュータウン中央 - 印西牧の原間(4.7km・第2種鉄道事業)開業<ref name="youran" />。下りの急行を新設し、3本設定される。住宅・都市整備公団[[住宅・都市整備公団9100形電車|9100形]]電車営業運転開始。 * [[2000年]](平成12年) ** [[7月22日]] - 印西牧の原駅 - 印旛日本医大駅間(3.8km・第2種鉄道事業)開業<ref name="youran" />。[[印旛車両基地]]の供用開始に伴い西白井の検修施設を閉鎖。また、全列車の8両編成化を実施。 ** [[10月14日]] - [[ほくそうパッスルカード]]を導入し、首都圏共通乗車システム[[パスネット]]に参加。 * [[2001年]](平成13年)[[9月15日]] - ダイヤ改正により、'''特急'''を新設<ref>「北総開発鉄道 特急列車を初導入」、『[[日本経済新聞]]』2001年8月21日付朝刊、29面、首都圏経済・東京</ref>。平日朝ラッシュ時間帯の上り急行が全て特急に格上げ。印旛日本医大駅行きの終電を32分繰り下げ、印旛日本医大駅24:46着とする。 * [[2004年]](平成16年)[[7月1日]] - 都市基盤整備公団保有区間の千葉ニュータウン鉄道への移管<ref name="youran" />に伴い、「公団」を外して'''「北総線」'''に改称<ref name="Hokuso200402"/>。 * [[2006年]](平成18年)2月20日 - [[北総鉄道7500形電車|7500形]]電車営業運転開始。 * [[2007年]](平成19年) ** 2月末 - 総利用者数5億人突破。 ** [[3月18日]] - [[PASMO]]を導入。 ** [[3月25日]] - 7000形電車[[さよなら運転]]。 * [[2009年]](平成21年)[[2月14日]] - 急行・特急の[[東松戸駅]]停車および同駅の新設ホーム供用開始<ref name="Hokuso200902">[https://web.archive.org/web/20090123233107/http://www.hokuso-railway.co.jp/topics/2009/002/index.htm 2月14日(土)北総線ダイヤ改正について。](北総鉄道トピックス・インターネットアーカイブ・2009年時点の版)。</ref>。同年に京急に次いで2社目となる抑速信号現示を北総線の大半の信号機に設定。 * [[2010年]](平成22年)[[7月17日]] - [[京成成田空港線]](成田スカイアクセス線)の開業に伴うダイヤ改正が行われ、北総線経由の列車種別として、京成電鉄のスカイライナー・アクセス特急が運行を開始<ref>[https://web.archive.org/web/20101125003230/http://hokuso-railway.co.jp/topics/2010/025/index.htm 7月17日(土)成田スカイアクセス開業に伴うダイヤ改正を実施します](北総鉄道トピックス・インターネットアーカイブ・2010年時点の版)。</ref><ref name="chibanippo2010718"/>。駅ナンバリングを導入<ref name="chibanippo2010718-5">{{Cite news| title = 駅にナンバリング 外国人案内機能の拡充へ 京成電鉄 | newspaper = 『千葉日報』 | page = 5 | publisher = 千葉日報社 | date = 2010-07-18}}</ref>。 * [[2011年]](平成23年) ** [[3月11日]] - [[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])が発生したため、都営地下鉄浅草線・京急線との相互直通運転およびスカイライナーの運転が休止。 ** 3月14日 東北地方太平洋沖地震による発電所の停止に伴う[[東日本大震災による電力危機|電力供給逼迫]]のため、[[東京電力]]が[[輪番停電|輪番停電(計画停電)]]を実施。これに伴い、この日からスカイライナーの運転が休止。 ** 3月 - 都営地下鉄浅草線との相互直通運転を再開。 ** 3月 - 京急線との相互直通運転を再開。 ** 3月16日 - スカイライナーの運転を再開。 * [[2013年]](平成25年) ** [[3月1日]] - 千葉ニュータウン鉄道[[北総鉄道7500形電車|9200形]]電車営業運転開始。 ** [[3月29日]] - 千葉ニュータウン中央駅・新鎌ヶ谷駅・東松戸駅で[[公衆無線LAN]]サービス「[[docomo Wi-Fi]]」が利用できるようになる。 * [[2015年]](平成27年)[[12月5日]] - ダイヤ改正により、平日夜間および深夜時間帯に下りの特急を新設し、4本設定される<ref name="Hokuso201512">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20151106074620/http://www.hokuso-railway.co.jp/data/topics/195/20151022165855.pdf 12月5日(土)北総線ダイヤ改正]}}(北総鉄道トピックス・インターネットアーカイブ・2015年時点の版)。</ref>。 * [[2017年]](平成29年) ** [[3月20日]] - 千葉ニュータウン鉄道9000形電車さよなら運転。 ** 3月21日 - 千葉ニュータウン鉄道9800形電車営業運転開始。 * [[2019年]](平成31年)3月9日 - 開業40周年で記念乗車券販売や特別[[方向幕|ヘッドマーク]]付き電車の運転などを開始<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42311480R10C19A3L71000/ 「北総鉄道、開業40周年乗車券」]『日本経済新聞』朝刊2019年3月12日(東京面)2019年4月2日閲覧。</ref>。 * [[2020年]]([[令和]]2年)10月1日 - 平日に印旛日本医大6:55発、京成上野7:51着の「臨時ライナー」を[[京成AE形電車 (2代)|AE形]]電車で運行開始(京成電鉄による運行)。特急券は500円で車内で発売。印旛日本医大駅・千葉ニュータウン中央駅は乗車のみ、青砥駅(青砥始発の浅草線方面に接続)・日暮里駅・京成上野駅は降車のみ。運行期間は当面の間<ref>[https://www.hokuso-railway.co.jp/topics/detail/6408 AE形車両を使用した「臨時ライナー」が運行されます] 北総鉄道、2020年9月24日</ref>。2022年2月26日のダイヤ改正に伴い、同月28日より、印旛日本医大7:00発、京成上野7:46着に変更された。 * [[2021年]](令和3年)4月17日 - 空間波式デジタル[[列車無線]]の使用を開始<ref group="注釈">京成電鉄でも同日から全線で使用開始。従来の[[誘導無線]]式アナログ列車無線との併用。</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.keisei.co.jp/information/files/info/20210416_171837804955.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210418093313/https://www.keisei.co.jp/information/files/info/20210416_171837804955.pdf|format=PDF|language=日本語|title=更なる輸送の安全確保のために デジタル方式の列車無線の使用を開始します 使用開始:2021年4月17日(土)〜|publisher=京成電鉄/北総電鉄|date=2021-04-16|accessdate=2021-04-19|archivedate=2021-04-18}}</ref>。 * [[2022年]](令和4年) ** 10月1日 - 北総線の運賃値下げを実施<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hokuso-railway.co.jp/topics/detail/11953 |title=北総線の運賃値下げを実施いたします(2022年10月1日実施予定) |access-date=2022年10月2日 |publisher=北総鉄道}}</ref>。 ** 11月26日 - ダイヤ改正により急行が廃止<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hokuso-railway.co.jp/topics/detail/19305|title=北総線ダイヤ改正を実施します|access-date=2022年11月26日 |publisher=北総鉄道}}</ref>。スカイライナーの一部が新鎌ヶ谷駅に停車([[青砥駅]]停車便からの追加停車)。 * [[2023年]](令和5年)[[4月22日]] - 列車無線を空間波式デジタルに移行完了<ref>{{PDFlink|[https://www.hokuso-railway.co.jp/hokuso-railwaycms/wp-content/uploads/2023/04/20230424_pressrelease.pdf デジタル方式の列車無線工事が完了しました]}} - 北総鉄道、2023年4月24日</ref>。 == 運行形態 == 早朝・深夜の出入庫列車を除くほぼ全列車が[[京成高砂駅]]から[[京成電鉄]][[京成本線|本線]]・[[京成押上線|押上線]]・[[都営地下鉄浅草線]]・[[京浜急行電鉄]][[京急本線|本線]]・[[京急空港線|空港線]]を経由して相互[[直通運転]]を実施する。特に日中は北総線系統・成田スカイアクセス線系統(便宜上本項に含める)ともに京急[[羽田空港第1・第2ターミナル駅]]発着が主体(京急線内は前者が特急、後者が[[エアポート快特]])となる。 北総線の駅を始発・終着とする優等列車は現在も平日の朝夕のみの運行であるが、成田スカイアクセス線の開業後は、北総線を走行する優等列車が終日に渡って運行されるようになった。 共用区間を成田スカイアクセス線の列車として京成乗務員が運転する場合は京成側の運転規定が適用され、北総線の列車として北総鉄道の乗務員が運転する場合は北総鉄道側の運転規定が適用される。そのため、北総線の各駅端部には京成乗務員向けの駅間最高速度標識など、京成の運転規定上必要な標識が設置されている。 === 列車種別 === ==== 北総線系統 ==== {{Vertical_images_list |幅= 250px |枠幅= 250px |1=Hokuso 7308 1.jpg |2=北総線系統[[京急本線#急行|急行]]<br />([[平和島駅]]) |3=Hokuso 7800 Series 7818F Keisei Oshiage Line.jpg |4=北総線系統[[京成押上線#特急|特急]]<br/>(青砥 - 京成立石) }} 北総線の列車は普通列車([[各駅停車]])<ref group="注釈" name="local">京成高砂駅を除き、駅構内放送では表記どおり「普通」と案内される(例:「○番線に到着の電車は、普通・印旛日本医大行きです」。「[[各駅停車#案内の状況]]」も参照)。</ref>が主体であるが、平日に限り'''[[特別急行列車|特急]]'''が運転されている。急行も運転されていたが、2022年11月26日のダイヤ改正で廃止した。 ; 特急 : 平日の朝上り・夜下りに設定されている。 : 2023年11月25日ダイヤでは以下のパターンが運転される。(いずれも印旛日本医大駅発着) :* 都営浅草線[[西馬込駅]]発着 :** 平日朝ラッシュ上りに4本、平日夜下りに1本運転される。 :** 京成線内は特急で運転、浅草線内は各駅に停車する。 :* 京急線直通 :** 平日朝上りに[[羽田空港第1・第2ターミナル駅|羽田空港]]行きが1本、平日夜下りに[[三崎口駅|三崎口]]始発が1本運転される。 :** 上り羽田空港行きは京成線内は特急、浅草線・京急線内で急行、下り三崎口発印旛日本医大行きは京急線・浅草線・京成線内で特急として運転される。 ; 普通 : 現行ダイヤでは以下の運行パターンがある。 :* 京成押上線・都営浅草線・京急本線・京急空港線直通 :** 羽田空港第1・第2ターミナル駅まで直通する系統で、運行の主体であり、昼間は全てこの系統となる。 :** 京急線内は快特・特急・急行で運転、浅草線内は各駅に停車。京成線内は大半の列車が普通で運転されているが、早朝上りの一部列車は京成線内を特急として運転している。 :* 京成押上線・都営浅草線・京急本線直通(上記以外) :** 最遠で三崎口駅まで直通するが、一部、[[三浦海岸駅]]、[[京急久里浜駅]]、[[金沢文庫駅]]、[[品川駅]]の各駅を終着とする列車があるほか、[[神奈川新町駅]]始発も存在する。 :** 京急線は快特、特急で、都営線・京成線内は普通で運転されている。 :** 現在、北総鉄道の車両は全て[[京急蒲田駅]]から[[京急空港線|空港線]]に入るため、異常時の運用変更以外は[[多摩川]]を渡って[[神奈川県]]に入ることはない。 :* 京成押上線・都営浅草線直通(上記以外) :** ラッシュ時の[[京急本線]]の線路容量の都合上、一部の列車が西馬込駅発着で運転されている。また、平日・土休日とも深夜に1本、泉岳寺行きが設定されている。 :* 京成押上線直通(上記以外) :** 一部、[[押上駅]] - 印西牧の原駅・印旛日本医大駅発着の列車の運転がある。 :* 北総線内完結 :** 出入庫で印西牧の原駅 - 印旛日本医大駅間のみ運転する列車がある。また、初終電は[[矢切駅]] - 印旛日本医大駅間の運転となる。 :** 印西牧の原駅 - 印旛日本医大駅間の列車は[[印西市]]内の1駅間の運転である(印西牧の原駅到着後下りは印旛日本医大行き、上りは都心方面に接続している列車が一部ある)。 :** 日中に矢切駅・新鎌ヶ谷駅 - 印西牧の原駅・印旛日本医大駅間の区間列車が設定されている。 : 京急では2012年までの毎年[[1月3日]]に[[東京箱根間往復大学駅伝競走|箱根駅伝]]復路開催(京急蒲田空港線第一踏切をランナーが通過する)に伴う[[京急空港線#1月3日の臨時ダイヤ|臨時ダイヤ]]が編成されていたため、当日当該時間帯は列車を京急蒲田駅で運転を打ち切り、神奈川新町駅まで[[回送]]された。 : 1999年の白紙ダイヤ改正までは、北総開発鉄道の車両が新逗子駅(現:[[逗子・葉山駅]])まで運転されていた時期もあった。また、2012年の改正までは、日中に運行される列車の3分の1程度は[[印西牧の原駅]]折り返しとなっていた。 : 2010年7月17日のダイヤ改正以降は、普通列車が線路を共用する[[京成成田空港線|成田スカイアクセス線]]のアクセス特急およびスカイライナーの待避を行うようになった。 ===== 廃止された種別 ===== ; 急行 : 1993年4月1日のダイヤ改正で設定され、2022年11月26日のダイヤ改正で廃止された。廃止前ダイヤ時点で平日夕ラッシュ時に下り2本のみ運転されていた。かつては上りの急行も設定されていたが、下り急行が廃止される前に廃止されている。停車駅は京成高砂駅、新柴又駅、矢切駅、東松戸駅、新鎌ヶ谷駅と新鎌ヶ谷駅から印旛日本医大駅の各駅だった。 : 2本とも印旛日本医大行きとして運転され、それぞれ都営浅草線西馬込駅発・京急線京急久里浜駅発(京急線内は特急運転)であった。都営線内・京成線内は普通で運転された。 : 2015年12月7日のダイヤ改正以前は、都営線・京成線内では快速として運転されていた(2010年以前は両線でも急行扱いだった)ほか、羽田空港発の列車もあった。 ==== 成田スカイアクセス線系統 ==== [[File:Keisei_3000kei.JPG|thumb|250px|成田スカイアクセス線のアクセス特急([[成田湯川駅]])]] 北総線系統とは別に、線路を共用する[[京成成田空港線]](成田スカイアクセス線)の列車種別として、[[スカイライナー]]([[京成上野駅]] - [[成田空港駅]]間)および[[京成成田空港線#アクセス特急|アクセス特急]](主に[[羽田空港第1・第2ターミナル駅|羽田空港駅]] - 成田空港駅間)がほぼ終日にわたって運転されている。なお、北総線との共用区間内においては乗車列車の指定はなされておらず、北総線内のみの利用に際して成田スカイアクセス線の列車を利用することも可能である(逆も可)。このため北総線と成田スカイアクセス線は列車種別を揃えるなど共通化した取り扱いもなされている。 {{See|京成成田空港線#運行形態}} === 運転パターン === 一般列車は北総線系統と成田スカイアクセス線系統と合わせて40分周期のパターンで構成されている。 * 普通(通過待ちなし、一部はスカイライナー通過待ち合わせ・緩急接続) * 普通([[新鎌ヶ谷駅]]または[[東松戸駅]]でアクセス特急待ち合わせ) * アクセス特急(一部はスカイライナー通過待ち合わせ) === 臨時列車 === ; ラーバン・コスモス号(1998年10月) : [[千葉ニュータウン]]で開催された「ラーバンフェスタ」のアクセス列車として、矢切駅 - 印西牧の原駅間で運行。側面に[[コスモス]]のラッピング装飾がされた9100形が使用され、車内では[[メキシコ]]の民族音楽の実演が行われた。なおラーバンとは、田舎 (rural) と都会 (urban) を併せた[[和製英語]]である。 ; 都営フェスタ号(2008年11月) : 都営地下鉄[[馬込車両検修場]]で開催された「[[都営フェスタ]]'08」のイベントの一環として、印西牧の原駅→西馬込駅にて運行。京成3500形3592編成4両編成で運行。 ; ほくそう春まつり号(2009年3月以降のまつり開催日) : 2009年に北総鉄道の開業30周年を記念して特別に運転され、その後も[[ほくそう春まつり]]・秋まつり開催日に運転されている。 : 詳細は「[[ほくそう春まつり#直通臨時列車]]」を参照 == 車両 == [[File:Hokuso Railway's Trains.jpg|thumb|250px|左から7260形・9000形・7500形・9100形・7300形7308編成]] 自社車両(千葉ニュータウン鉄道含む)をはじめ、直通運転先である[[京成電鉄]]・[[都営地下鉄浅草線]]・[[京浜急行電鉄]]の各社局の車両が乗り入れて運行される。 2023年3月時点で北総鉄道の営業列車として運行されている車両とかつて運行されていた車両は次の通り(自社所有車・リース車以外も含む)。 :◯の車両は成田スカイアクセス線にも運行される。 :▲の車両は成田スカイアクセス線には緊急時の代走や臨時・団体列車のみ。 === 運行中の車両 === 通常は8両編成のみの使用 * 自社保有車両 ** [[北総鉄道7500形電車|7500形]] ** [[北総開発鉄道7300形電車|7300形・7800形]] * 千葉ニュータウン鉄道所有車両 ** [[住宅・都市整備公団9100形電車|9100形]] ** [[北総鉄道7500形電車#千葉ニュータウン鉄道9200形|9200形]] ** [[北総開発鉄道7300形電車#千葉ニュータウン鉄道9800形|9800形]] * [[京成電鉄]]所有車両 **◯[[京成3000形電車 (2代)|3000形・3050形]] **◯[[京成3100形電車 (2代)|3100形(2代)]] ** ▲[[京成3400形電車|3400形]] **◯[[京成3700形電車|3700形]] **◯[[京成AE形電車 (2代)|AE形]] * [[京浜急行電鉄]]所有車両 **◯[[京急600形電車 (3代)|600形]] **◯[[京急1000形電車 (2代)|2代目1000形]] **○[[京急1500形電車|1500形]]<ref>イカロス出版『私鉄車両年鑑2023』p.133</ref> * [[東京都交通局]]([[都営地下鉄]])所有車両 **○[[東京都交通局5500形電車 (鉄道)|5500形]]<ref>[https://railf.jp/news/2018/09/04/000000.html 東京都交通局5500形が京成線・北総線で営業運転を開始] - 鉄道ファン(交友社)railf.jp、2018年9月4日</ref> === 過去の車両 === * 自社保有車両 **[[新京成電鉄800形電車|800形]] ** [[京成3150形電車|7050形]] ** [[北総開発鉄道7250形電車|7250形]] ** [[京急1000形電車 (初代)#北総開発鉄道(当時・7150形)|7150形]] ** [[北総開発鉄道7000形電車|7000形]] ** [[北総鉄道7260形電車|7260形]] * 千葉ニュータウン鉄道所有車両 ** [[住宅・都市整備公団2000形電車|9000形]] * 新京成電鉄所有車両 ** 800形 ** [[新京成電鉄8000形電車|8000形]] ** [[新京成電鉄8800形電車|8800形]] ** [[京成200形電車|200形]] * 京成電鉄所有車両 ** [[京成3050形電車 (初代)|3050形]] ** [[京成3100形電車 (初代)|3100形]] ** 3150形 ** [[京成3200形電車|3200形]] ** [[京成3300形電車|3300形]]<ref group="注釈" name="京成3300形">1998年に発売された「鉄道ピクトリアル」656号91ページには[[京急川崎駅|京急川崎]]行きの77Kの運用に付いている写真が掲載されている。</ref> ** [[京成3500形電車|3500形]] ** [[京成3600形電車|3600形]] * 東京都交通局(都営地下鉄)所有車両 ** [[東京都交通局5000形電車 (鉄道)|5000形・5200形]] **: 1991年3月31日から1994年12月9日までの定期運用だったが、その後は代走での乗り入れ、および[[2006年]][[11月3日]]の[[さよなら運転]]で西馬込駅 - 千葉ニュータウン中央駅間を1往復した。 ** [[東京都交通局5300形電車|5300形]] * 京浜急行電鉄所有車両 ** [[京急1000形電車 (初代)|初代1000形]] === 編成両数 === 2023年3月現在、全ての車両が8両編成で運行されている。{{要出典|範囲=ただし、ダイヤ乱れ等、車両が手配できない時に京成の6両編成が代走で運行されたことがある。|date=2021年3月}} [[1979年]]の開業時は6両編成が主体であったが、[[1991年]]の都心直通時に自社車両はすべて8両編成に増強された。また、[[1992年]]から[[2000年]][[7月22日]]のダイヤ改正前までは線内限定の区間列車として4両編成での運用が存在していた。 また、[[1993年]][[4月1日]]から[[1994年]][[12月9日]]にかけては直通先の[[京急空港線]]が8両編成の乗り入れに対応していなかったため、データイムのほぼ全てが6両編成での運転であった。しかし、当時は6両編成の車両を保有していなかったため、データイムはほぼ全てが他者の車両で運行されることになり、北総車両が自社線内をほとんど走行しない珍しい光景が見られた。 == 沿線風景 == {{BS-map |width = |title = 停車場・施設・接続路線 |title-bg = #1111cc |title-color = white |collapse = no |map = {{BS|BHF|||北総鉄道単独駅|}} {{BS|BHF|O1=lHST saffron|||北総・京成共同使用駅|}} {{BS||||(アクセス特急停車駅)|}} {{BS-colspan}} ---- {{BS5|||||||'''京成高砂駅以遠の直通列車'''|}} {{BS5-startCollapsible||||||||}} {{BS5|||KHSTa|||||KK72 [[三崎口駅]] ↓[[京浜急行電鉄|京急]]:[[京急久里浜線|久里浜線]]|}} {{BS3||ABZg+r||||←京急:[[京急本線|本線]]|}} {{BS|HST|||KK61 [[堀ノ内駅]]|}} {{BS3||ABZg+l||||京急:[[京急逗子線|逗子線]]→|}} {{BS|HST|||KK50 [[金沢八景駅]]|}} {{BS5|FLUG|tKHSTa|STR|||||KK17 [[羽田空港第1・第2ターミナル駅]]|}} {{BS3|tSTRe|O1=POINTERg@fq|STR||||↓京急:[[京急空港線|空港線]]|}} {{BS3|STRl|ABZg+r|||||}} {{BS|HST|||KK11 [[京急蒲田駅]]|}} {{BS3||STR|tKHSTa|||[[西馬込駅]] ↓[[都営地下鉄|都営]]:[[都営地下鉄浅草線|浅草線]]|}} {{BS3||HST|tSTR|||KK01 [[品川駅]]|}} {{BS3||tSTRa|tSTR||||}} {{BS3||tABZg+l|tSTRr|||↑京急:本線|}} {{BS|tHST|||A-07 [[泉岳寺駅]]|}} {{BS|tSTR|||↑都営:浅草線|}} {{BS|tHST||KK45 A-20 [[押上駅]]||}} {{BS|tSTRe|||↑京成:[[京成押上線|押上線]]|}} {{BS|ABZg+l|||京成:本線→|}} {{BS|HST|||KK09 [[青砥駅]]|}} {{BS-endCollapsible}} {{BS|STR|||↑[[京成電鉄|京成]]:[[京成本線|本線]]}} {{BS|BHF|O1=lHST saffron|0.0|KS10 [[京成高砂駅]]||}} {{BS|ABZgl|||京成:[[京成金町線|金町線]]→|}} {{BS3||ABZgl|KDSTeq||京成:[[京成電鉄の車両検修施設|高砂検車区]]||}} {{BS|ABZgr|||←京成:本線|}} {{BS|BHF|1.3|HS01 [[新柴又駅]]|}} {{BS|tSTRa}} {{BS|tBHF|3.2|HS02 [[矢切駅]]|}} {{BS|tBHF|4.7|HS03 [[北国分駅]]|}} {{BS|tSTRe}} {{BS|tSTRa}} {{BS|tBHF|6.2|HS04 [[秋山駅]]|}} {{BS|tSTRe}} {{BS3||BHF|O2=lHST saffron|P2=HUBaq|O3=HUB+r||7.5|HS05 [[東松戸駅]]|}} {{BS3||KRZo|BHFq|O3=HUBe|||←[[東日本旅客鉄道|JR東]]:[[武蔵野線]]→|}} {{BS|BHF|8.9|HS06 [[松飛台駅]]|}} {{BS|BHF|10.4|HS07 [[大町駅 (千葉県)|大町駅]]|}} {{BS3|STR+l|KRZo||||↓[[新京成電鉄|新京成]]:[[新京成電鉄新京成線|新京成線]]→|}} {{BS3|BHF|STR||||[[北初富駅]]||}} {{BS5||eABZgl|eKRZo|exSTR+r||||}} {{BS5||STR|eABZg+l|exSTRr|||||}} {{BS3|BHF|O1=HUBaq|BHF|O2=lHST saffron|P2=HUBq|O3=HUB+r||12.7|HS08 [[新鎌ヶ谷駅]]||}} {{BS5||KRZo|KRZo|BHFq|O4=HUBe||||←[[東武鉄道|東武]]:[[東武野田線|野田線]]→|}} {{BS3|STRr|STR||||←新京成:新京成線↑||}} {{BS|BHF|15.8|HS09 [[西白井駅]]|}} {{BS|BHF|17.8|HS10 [[白井駅]]|}} {{BS|BHF|19.8|HS11 [[小室駅]]|}} {{BS|BHF|O1=lHST saffron|23.8|HS12 [[千葉ニュータウン中央駅]]|}} {{BS|BHF|28.5|HS13 [[印西牧の原駅]]|}} {{BS3|KDSTaq|ABZgr|||[[印旛車両基地]]||}} {{BS|BHF|O1=lHST saffron|32.3|HS14 [[印旛日本医大駅]]|}} {{BS|tSTRa|||↓京成:[[京成成田空港線|成田スカイアクセス線]]}} {{BS|tKHSTe|||KS42 [[成田空港駅]]}} }} [[ファイル:Hokusou yagiri eki 01.jpg|thumb|right|250px|矢切駅出入口]] === 京成高砂 - 新鎌ヶ谷 === '''[[京成高砂駅]]'''を出ると、京成電鉄の[[高砂検車区]]を左に見ながら[[高架橋]]へと上がり、大きく左へカーブして高架のシェルターを抜けると'''[[新柴又駅]]'''へと到着する。[[住宅地]]を抜けると[[江戸川]]橋梁を渡り[[千葉県]][[松戸市]]へと入るが、川岸から台地までは松戸市の特別緑地保全地区となっており、田園風景が広がる。線路はすぐに[[下総台地]]の下に掘られた栗山[[トンネル]]へ進入し、'''[[矢切駅]]'''へと至る。この先、'''[[北国分駅]]''' - [[松飛台駅]]間は地形上、台地と低地が入り組む[[谷戸|谷津田]]が多いため、トンネルと高架が連続する高低差の大きい[[線形 (路線)|線形]]となる。特に'''[[秋山駅]]'''では[[地下駅]]なのに対し、次の'''[[東松戸駅]]'''ではJR[[武蔵野線]]を跨ぐためホームが地上20mの高さにある。'''[[松飛台駅]]'''を過ぎると高架の直線区間が続き、左手に住宅地、右手に[[ナシ|梨]]畑を見ながら'''[[大町駅 (千葉県)|大町駅]]'''へと進み、[[国道464号]](大町梨街道)と立体交差する。さらに高架を進むと、左手に[[新京成電鉄]][[くぬぎ山車両基地]]を見ながら[[新京成電鉄新京成線|新京成線]]と合流。ここから併走区間となり、新京成線[[北初富駅]]の横を通るが、北総線に駅は設置されていない(新京成線乗り入れ時代は、連絡線が当時地上にあった北初富駅に直接合流していた)。まもなく私鉄4線が乗り入れる'''[[新鎌ヶ谷駅]]'''へと至る。 === 新鎌ヶ谷 - 千葉ニュータウン中央 === [[鎌ケ谷市]]の新しい[[市街地]]として開発が進む[[新鎌ケ谷]]を横目に、しばらく高架の直線区間が続いたのち短いトンネルを抜ける。やがて線路は[[切土|掘割]]区間となり、[[千葉ニュータウン]](白井市)の玄関口である'''[[西白井駅]]'''へと到着する。この先、千葉ニュータウンエリア内では堀割内を国道464号([[北千葉道路]])、およびその側道に挟まれるかたちで道路と併走する。次の'''[[白井駅]]'''にかけてはニュータウン独特の大型店舗が建ち並ぶ街並みが沿線に広がり、'''[[小室駅]]'''の手前では[[国道16号]]と交差する。この先[[神崎川 (千葉県)|神崎川]]を跨ぐ高架区間では両側に[[水田]]が広がり、線路は再び掘割区間を進み、北総線最大の乗降客数を誇る'''[[千葉ニュータウン中央駅]]'''へと至る。駅周辺には[[イオンモール千葉ニュータウン]]等がある。また、掘割内では北総鉄道に沿って確保されていた[[成田新幹線]](未成線)用地を転用し、[[太陽光パネル]]が設置されている。 === 千葉ニュータウン中央 - 印旛日本医大 === この区間は元々、成田新幹線用に確保されていた用地を一部活用しているため、高低差もなく、[[線形 (路線)|線形]]も良い。次の'''[[印西牧の原駅]]'''周辺は、並行する国道464号沿道に[[ロードサイド店舗|ロードサイド型]]の大型商業施設が立ち並ぶ。印西牧の原駅を出るとしばらく[[複々線]]区間が続いたのち、内側2線が[[印旛車両基地]]への高架線として右手にわかれる。右手に車両基地を見上げながら線路は掘割区間を進み、終点・'''[[印旛日本医大駅]]'''へと到着する。駅の成田空港側には[[引き上げ線]]が用意されており、本線は[[成田高速鉄道アクセス]]の線路として[[成田空港駅|成田空港]]方面へ続く。 == 成田空港延伸 == {{See also|京成成田空港線}} 都心から[[成田国際空港]]への所要時間を短縮するために、北総線を経由する「[[京成成田空港線|成田新高速鉄道]]」構想が[[1985年]]の[[運輸政策審議会答申第7号]]において計画され、[[2006年]]に着工した。新設となる印旛日本医大駅から[[成田空港高速鉄道]]接続点までの区間は、新たに設立された[[成田高速鉄道アクセス]]が建設・保有を行うこととなった。新設区間は最高速度160km/hとなり、これに合わせ、既存の京成高砂駅 - 印旛日本医大駅間は最高速度130km/hで走行するための待避設備の設置と[[鉄道信号機]]に対する抑速現示の設定を含む設備改良工事が行われることが成田高速鉄道アクセスから発表されていた。ただし、現在の北総線区間では高速進行現示は設定されない。これに先立ち、[[小室駅]]では待避線建設に伴うホームの増設工事が行われ、東松戸駅、新鎌ヶ谷駅では路線建設時に将来用に設けられていたホームを使用開始した。そのほか、印西牧の原駅、印旛日本医大駅では[[分岐器]]変更による配線変更が行われた。このうち信号機の抑速現示は[[2009年]]夏より使用を開始した。 [[2010年]][[7月17日]]の開業以降は、印旛日本医大駅止りの北総線の列車は従来通り北総鉄道が運行し、[[成田空港駅]]まで直通する成田スカイアクセス線の列車は京成電鉄が運行する。これにより、スカイライナーの所要時間は[[日暮里駅]] - [[空港第2ビル駅]]間で最速36分となった。それまでは、JRの[[成田エクスプレス]]や京成電鉄本線の[[スカイライナー]]を利用した場合、都心から空港第2ビル駅までは1時間程度を要していたため、大幅な所要時間短縮が実現した。 また、千葉県北西部等の交通利便性の向上と、成田地域と千葉ニュータウン地域の機能連携の強化にも寄与することが期待されている。しかし、その一方で「運賃の高い北総線経由になることで、運賃が値上げされるのではないか」「スカイライナーと北総線の運賃が二重運賃にならないか」と問題視する声もあったが<ref>[https://web.archive.org/web/20090430130141/http://www.chiba-newtown.jp/HokusoUnchinKenkyu.htm 北総線高額運賃の研究] - 月刊千葉ニュータウン (Internet Archive)</ref><ref name="jcp20080827">[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-08-27/2008082704_01_0.html 北総線 高運賃是正を要請 国交相に市民団体]</ref>、最終的に値上げや二重運賃は適用されず、印旛日本医大駅をまたいだ乗車であっても、両社の乗車距離の合計を京成成田空港線の運賃基準に当てはめて計算されることとなった(「[[北総鉄道#運賃]]」も参照)。 == 運賃問題 == {{Main|北総鉄道#運賃問題}} 北総線は、東京通勤圏の一部を除く他の鉄道と比べて運賃が高い上、定期券の割引率が低いため沿線住民の負担になっている。山下努著『不動産絶望未来』東洋経済新報社によれば、千葉ニュータウンの住民の間では「財布落としても定期券落とすな」が合言葉になっていたほどであったという<ref group="注釈" name="teiki">現在は[[PASMO]]定期券ならば紛失時の再発行が可能になっている。</ref>。 沿線の白井市などは「北総線通学定期券助成」制度を設けている<ref>[https://web.archive.org/web/20090430105215/http://city.shiroi.chiba.jp/webapps/www/service/detail.jsp?id=3552 白井市北総線通学定期券助成の案内]</ref>。千葉県と沿線6市2村も、北総鉄道への財政支援を交換条件に運賃値下げを求めてきたが、[[2010年]][[2月19日]]に認可され、運賃値下げが実現した(この時、運賃が最も高い区間だった西白井駅 - 新鎌ヶ谷駅間が300円から290円に値下げされた<ref name="Hokuso201002">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20101125003753/http://hokuso-railway.co.jp/topics/2010/003/003.pdf 千葉県及び沿線市村との合意に基づく運賃値下げの実施について]}}(北総鉄道報道発表資料・インターネットアーカイブ・2010年時点の版)。</ref>。2022年10月現在は280円になっている)。なお、2015年以降は自治体による財政支援は行われていない<ref>[http://www.city.shiroi.chiba.jp/kurashi/norimono/n05/1477386432474.html 北総線運賃について] - 白井市、2018年4月9日閲覧</ref>。 == 大規模開発と鉄道 == 北総線は、東京圏東部の大型ニュータウンである[[千葉ニュータウン]]事業の一環として建設された。 千葉ニュータウンは、当初の計画では2,912haを開発して計画人口34万人を見込んでいたが、[[1970年代]]の[[オイルショック]]や[[1990年代]]の[[バブル崩壊]]などで縮小を余儀なくされ、[[2014年]](平成26年)3月時点の開発面積は約1,930haで計画人口は45,600戸・143,300人に下方修正された<ref name="mainichi-np-2014-3-30">橋本利昭(2014年3月30日). “未完のニュータウン:事業期間終了/1 「小さな世界都市」目指し45年 用地買収、難航極め”. [[毎日新聞]] (毎日新聞社)</ref>。2014年(平成26年)1月末時点の実際の人口は93,631人にとどまっている<ref name="mainichi-np-2014-4-5">橋本利昭(2014年4月5日). “未完のニュータウン:事業期間終了/4 消費意欲 商業施設で「格差」”. [[毎日新聞]] (毎日新聞社)</ref>。なお、千葉ニュータウンの事業認可期間は2014年(平成26年)3月で終了しており<ref name="mainichi-np-2014-3-31">橋本利昭(2014年3月31日). “未完のニュータウン:事業期間終了/2 高度成長期の象徴 世代交代が進まず”. [[毎日新聞]] (毎日新聞社)</ref>、未処分地の販売は5年間継続され<ref name="mainichi-np-2014-4-5" />、2014年(平成26年)3月で終了している<ref name="mainichi-np-2014-3-31" />。 ただし、沿線人口の増加に伴う北総線利用者数は増加傾向は続いており、2013年(平成25年)度は乗客数が過去最高を更新した<ref name="mainichi-np-2014-7-17">橋本利昭(2014年7月17日). “北総線、最高益164億円 沿線開発進み乗客増−−13年度営業益”. [[毎日新聞]] (毎日新聞社)</ref>。 なお、千葉ニュータウン中央以東の区間で線路に沿って確保されている用地は、[[成田新幹線]]([[未成線]])の跡地および、[[北千葉道路]]の建設用地である。 == 駅一覧 == 当路線は2010年7月17日より全線にわたり[[京成電鉄]][[京成成田空港線|成田空港線]](成田スカイアクセス線)との共用区間となり、アクセス特急が停車する北総鉄道の駅は京成電鉄との共用駅となった(京成高砂駅を除き駅管理は北総鉄道が行っている)。なお、京成高砂駅については北総鉄道の駅番号は振られていない。これは、京成電鉄が[[押上駅]]と[[京成津田沼駅]]を例外として駅番号の二重付番を行わない方針をとっているためである<ref>{{PDFlink|[http://www.keisei.co.jp/keisei/kouhou/news/22-034.pdf 京成線各駅で「駅ナンバリング」を導入いたします]}} 京成電鉄ニュースリリース、2010年6月25日</ref>。 以下の表には、北総鉄道の運行する北総線の列車について記している。京成電鉄が運行する成田スカイアクセス線の列車([[スカイライナー]]、アクセス特急)の停車駅は「[[京成成田空港線#駅一覧]]」を参照。 ;凡例 : 停車駅… ●:停車、|:通過 :* 普通列車は全駅に停車するため省略。 : 列車待避 … ◇:上下とも待避可能、▽:下りのみ待避可能 {| class="wikitable" rules="all" |- !style="width:3.5em; border-bottom:solid 3px #00bfff;"|駅番号 !style="width:12em; border-bottom:solid 3px #00bfff;"|駅名 !style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #00bfff;"|駅間キロ !style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #00bfff;"|累計キロ !style="background:#fcc; width:1em; border-bottom:solid 3px #00bfff;"|{{縦書き|特急}} !style="border-bottom:solid 3px #00bfff;"|接続路線・備考 !style="width:1em; border-bottom:solid 3px #00bfff;"|{{縦書き|列車待避|height=5em}} !colspan="2" style="border-bottom:solid 3px #00bfff;"|所在地 |- !colspan="4"|直通運転区間<br />(京成本線・押上線経由) | colspan="5" |[[ファイル:Toei Asakusa line symbol.svg|18px|A]] [[都営地下鉄浅草線|都営浅草線]][[西馬込駅]]まで<br />[[ファイル:Number prefix Keikyū.svg|18px|KK]] 都営浅草線・[[京急本線]]経由[[京急空港線]][[羽田空港第1・第2ターミナル駅]]まで<br />[[ファイル:Number prefix Keikyū.svg|18px|KK]] 都営浅草線・京急本線経由[[京急久里浜線|久里浜線]][[三崎口駅]]まで<br />[[ファイル:Number prefix Keikyū.svg|18px|KK]] 都営浅草線・京急本線経由[[京急逗子線|逗子線]][[逗子・葉山駅]]から |- !(KS10) |[[京成高砂駅]] |style="text-align:center;"|- |style="text-align:right;"|0.0 |style="background:#fcc; text-align:center;"|● |[[京成電鉄]]:[[ファイル:Number prefix Keisei.svg|18px|KS]] '''[[京成本線|本線]](直通運転:上記参照)'''・[[ファイル:Number prefix Keisei.svg|18px|KS]] [[京成金町線|金町線]]・[[ファイル:Number prefix SkyAccess.svg|18px|KS]] [[京成成田空港線|成田空港線]](成田スカイアクセス線・共同使用駅) |◇ |rowspan="2" colspan="2"|[[東京都]]<br>[[葛飾区]] |- !HS01 |[[新柴又駅]] |style="text-align:right;"|1.3 |style="text-align:right;"|1.3 |style="background:#fcc; text-align:center;"|| |&nbsp; |&nbsp; |- !HS02 |[[矢切駅]] |style="text-align:right;"|1.9 |style="text-align:right;"|3.2 |style="background:#fcc; text-align:center;"|| |&nbsp; |◇ |rowspan="13" style="text-align:center; width:1em; letter-spacing:0.5em;"|{{縦書き|[[千葉県]]|height=6em}} |[[松戸市]] |- !HS03 |[[北国分駅]]<small>([[堀之内貝塚]])</small> |style="text-align:right;"|1.5 |style="text-align:right;"|4.7 |style="background:#fcc; text-align:center;"|| |&nbsp; |&nbsp; |[[市川市]] |- !HS04 |[[秋山駅]] |style="text-align:right;"|1.5 |style="text-align:right;"|6.2 |style="background:#fcc; text-align:center;"|| |&nbsp; |&nbsp; |rowspan="3"|松戸市 |- !HS05 |[[東松戸駅]] |style="text-align:right;"|1.3 |style="text-align:right;"|7.5 |style="background:#fcc; text-align:center;"|● |[[東日本旅客鉄道]]:[[ファイル:JR JM line symbol.svg|18px|JM]] [[武蔵野線]] (JM 13)<br />[[京成電鉄]]:[[ファイル:Number prefix SkyAccess.svg|18px|KS]] 成田空港線(成田スカイアクセス線・共同使用駅) |◇ |- !HS06 |[[松飛台駅]]<small>([[八柱霊園]])</small> |style="text-align:right;"|1.4 |style="text-align:right;"|8.9 |style="background:#fcc; text-align:center;"|| |&nbsp; |&nbsp; |- !HS07 |[[大町駅 (千葉県)|大町駅]]<small>([[市川市動植物園]])</small> |style="text-align:right;"|1.5 |style="text-align:right;"|10.4 |style="background:#fcc; text-align:center;"|| |&nbsp; |&nbsp; |市川市 |- !HS08 |[[新鎌ヶ谷駅]] |style="text-align:right;"|2.3 |style="text-align:right;"|12.7 |style="background:#fcc; text-align:center;"|● |京成電鉄:[[ファイル:Number prefix SkyAccess.svg|18px|KS]] 成田空港線(成田スカイアクセス線・共同使用駅)<br />[[新京成電鉄]]:[[ファイル:Number prefix Shin-Keisei.svg|18px|SL]] [[新京成電鉄新京成線|新京成線]] (SL11)<br />[[東武鉄道]]:[[ファイル:Tobu Noda Line (TD) symbol.svg|18px|TD]] [[東武野田線|野田線]](東武アーバンパークライン) (TD-30) |◇ |style="white-space:nowrap;"|[[鎌ケ谷市]] |- !HS09 |[[西白井駅]] |style="text-align:right;"|3.1 |style="text-align:right;"|15.8 |style="background:#fcc; text-align:center;"|● |&nbsp; |&nbsp; |rowspan="2"|[[白井市]] |- !HS10 |[[白井駅]] |style="text-align:right;"|2.0 |style="text-align:right;"|17.8 |style="background:#fcc; text-align:center;"|● |&nbsp; |&nbsp; |- !HS11 |[[小室駅]] |style="text-align:right;"|2.0 |style="text-align:right;"|19.8 |style="background:#fcc; text-align:center;"|● |&nbsp; |▽ |[[船橋市]] |- !HS12 |[[千葉ニュータウン中央駅]] |style="text-align:right;"|4.0 |style="text-align:right;"|23.8 |style="background:#fcc; text-align:center;"|● |京成電鉄:[[ファイル:Number prefix SkyAccess.svg|18px|KS]] 成田空港線(成田スカイアクセス線・共同使用駅) |&nbsp; |rowspan="3"|[[印西市]] |- !HS13 |[[印西牧の原駅]] |style="text-align:right;"|4.7 |style="text-align:right;"|28.5 |style="background:#fcc; text-align:center;"|● |&nbsp; |◇ |- !HS14 |[[印旛日本医大駅]]<small>(松虫姫)</small> |style="text-align:right;"|3.8 |style="text-align:right;"|32.3 |style="background:#fcc; text-align:center;"|● |京成電鉄:[[ファイル:Number prefix SkyAccess.svg|18px|KS]] 成田空港線(成田スカイアクセス線:[[成田空港駅|成田空港]]方面・共同使用駅) |&nbsp; |} === 廃止区間 === * 全区間千葉県鎌ケ谷市に所在。 * 接続路線は廃止時点のもの。 {| class="wikitable" rules="all" |- !style="width:6.5em;"|駅名 !style="width:2.5em;"|営業キロ !接続路線 |- |[[北初富駅]] |style="text-align:right;"|0.0 |新京成電鉄:新京成線 |- |新鎌ヶ谷駅 |style="text-align:right;"|0.7 |北総開発鉄道:北総・公団線(小室方面) |- |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == *[[佐藤信之]]「鉄道・軌道プロジェクトの事例研究31 住宅・都市整備公団線の経緯」 - 鉄道ジャーナル社『[[鉄道ジャーナル]]』2004年6月号 No.452 pp.140-143 * [[日本地下鉄協会]]『SUBWAY』 ** 2009年7月号レポート1{{PDFlink|[http://www.jametro.or.jp/upload/subway/LVmDYWAgtRNN.pdf 「北総線」開業から30年の歩みと、成田新高速鉄道2010年開業に向けた大改良工事について]}}(pp.29 - 32) ** 2010年7月号現場から2{{PDFlink|[http://www.jametro.or.jp/upload/subway/HPKsNjzdOBEs.pdf 「成田新高速鉄道事業に関わる北総線改良工事概要と実施状況について」]}}(pp.38 - 43) == 関連項目 == * [[日本の鉄道路線一覧]] * [[千葉ニュータウン]] * [[京成成田空港線]](成田スカイアクセス線) * [[空港連絡鉄道]] * [[上下分離方式]] * [[ニュータウン鉄道]] * [[千葉県営鉄道|千葉県営鉄道北千葉線]] * [[成田新幹線]] * [[筑波高速度電気鉄道]] == 外部リンク == *[https://zaisen.tid-keisei.jp/html/zaisen.html?line=3&station=KS10 京成電鉄成田スカイアクセス線・北総鉄道北総線] - 列車走行位置 * [http://www.hokuso-railway.co.jp/ 北総鉄道] {{デフォルトソート:ほくそうてつとうほくそうせん}} [[Category:関東地方の鉄道路線|ほくそうせん]] [[Category:第三セクター路線]] [[Category:北総鉄道|路ほくそうせん]] [[Category:千葉ニュータウン鉄道|路ほくそうせん]] [[Category:東京都の交通]] [[Category:千葉県の交通]] [[Category:千葉ニュータウン]] [[Category:成田国際空港の鉄道]] [[Category:部分廃止路線]]
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新潮文庫
新潮文庫(しんちょうぶんこ)は、株式会社新潮社が発行している文庫レーベル。 大正3年(1914年)創刊で、現在まで続く「文庫」としては最も古い。新潮文庫の歴史は4期に分かれている。昭和2年(1927年)創刊の岩波文庫と並ぶ、文庫レーベルの老舗である。世界文学の名作を収め、また日本文学作品も数多く収めている。 創刊から100年を迎えた2014年9月の新刊までで累計点数は1万点、発行部数は16億部を超える。 2014年8月28日、新潮文庫nex(しんちょうぶんこネックス)が刊行開始される。新潮文庫内の派生シリーズという位置づけ。 また、2000年に創刊された姉妹レーベルとして「新潮OH!文庫」があった。 創刊時から世界文学の名作を刊行し在庫している。延原謙訳の「シャーロック・ホームズ」シリーズ、福田恆存訳のシェイクスピアは有名である。21世紀に入り、新訳・改版を積極的に行っている。 その後、日本文学の名作も収めるようになり、昭和の中頃までに活躍した作家の代表作は、大半が在庫している。特に三島由紀夫、山本周五郎においては、他を圧する作品数を擁する(そのため新潮社主催の文学賞には、両名の名がついている)。 岩波文庫と並び古典・名作が多いが、岩波が絶版をせず、復刊を度々行うのに対し、著名人の作品であっても売り上げが鈍れば絶版とする(例:「ドクトル・ジバゴ」、「収容所群島」、「ソフィーの選択」)。特に岩波版が、比較的多く収めていない戦後文学作品に関し、絶版になると(新本)入手が困難になるという点が指摘される。 新潮社は文藝春秋と同じくノベルスレーベルを持たないため、旅情ミステリーやSFなどは、多く網羅していない。毎月の刊行数は、21世紀に入る前後に減らし文春文庫よりも少ない。ノンフィクション作品を主に、初版のみでの刊行が多い(単行本は在庫があるが、再刊の文庫が品切の書目もある)のも、特色である。 現在、しおり紐(スピン)をつけている文庫は新潮文庫と星海社文庫のみである。そのため、製本工程において天(本の上部)の部分のみ化粧裁ちされていない(天アンカット)。カバーの背表紙は著者によって違う色を使用していて、上から題名、著者、整理番号、値段という並びになっている。また、本文用紙には、各製紙会社が特別に作る「新潮文庫用紙」を使用している。用紙の色は薄い「赤茶色」であり、これは目が疲れないようにとの配慮であるが、科学的な検証はなされていない。また葡萄をモチーフとしたマークは、グラフィックデザイナーの山名文夫の手になる。 カバーの背表紙の色は作者自身や作品のイメージから決められる。初めて新潮文庫に収められた作者には白が割り当てられるが、その時点で、後に継続して作品が収録される見込みがある場合には、最初から白以外の色がつく場合がある。また初めに白を割り当てられても、後に再びその作者の作品が収められた場合には白以外の色が振られ、白の背表紙もその色に変更される(主に重版時)。また、前後に並ぶ文庫の背表紙の同系色は使わないという原則もある。 1914年(大正3年)9月18日、刊行開始。四六半裁判(135×94ミリメートル)。初回配本は、トルストイ『人生論』(相馬御風訳)、ギヨオテ『ヱルテルの悲み』(秦豊吉訳)、マルコ・ポーロ『マルコポーロ旅行記【上】』(生方敏郎訳)、ダスタエーフスキイ『白痴【一】』(米川正夫訳)、イブセン『イブセン書簡集』(中村吉蔵訳)、ツルゲーネフ『はつ戀』(生田春月訳)の6点。ドイツのレクラム文庫に倣い、小型の翻訳叢書として、佐藤義亮が企画した。第1期の43点はすべて海外文学であった。 1928年(昭和3年)12月、刊行開始。四六判(177×118ミリメートル)のペーパーバック。初回配本は、佐藤春夫『田園之憂鬱 都会之憂鬱』、久米正雄『破船』、同『学生時代』、吉田絃二郎『吉田絃二郎傑作集』の4点。第2期は日本文学の名作が中心であった。1年半で19点が刊行された。 1933年(昭和8年)4月10日、刊行開始。菊半裁判(164×112ミリメートル)のペーパーバック(後に、A6判(148×105ミリメートル)に縮小される)。国内外の名作の他、近藤浩一路『漫画 坊っちやん』や、江戸川乱歩『パノラマ島奇談』など、エンターテインメント性の強い作品も含め、495点が刊行された。 1947年(昭和22年)7月16日、刊行開始。A6判(148×105ミリメートル)のペーパーバック。 1985年までの分類。青、黄については1976年まで。現在は著者50音順。 新潮文庫の売上増進のために行われていたキャンペーン。マスコットとして、ジャイアントパンダをイメージしたキャラクター「Yonda?君」が採用されていた。 新潮文庫は収録作品が多いため、毎月テーマ別にさまざまなフェアを行っている。毎年時期がたいてい決まっており、例えば2月はミステリー、10月は歴史時代小説などである。7月と8月は「新潮文庫の100冊」、12月と1月は年末年始フェアが拡大して開かれる。 2014年7月31日現在の発行部数上位10作品は次の通り。 日本ファンタジーノベル大賞の受賞作を刊行するために創設された。大賞・優秀賞を受けた作品は単行本で刊行され、1990年7月に第1回最終候補作の岩本隆雄『星虫』と岡崎弘明『月のしずく100%ジュース』を刊行して始まる。1992年までに十数作刊行しただけで終わったが、恩田陸『六番目の小夜子』は通常の装丁になり刊行され続けている。 歴史と科学に関する本を刊行している。2013年9月刊の『代替医療解剖』より始まるが、サイモン・シンの著作など一部それ以前に刊行された本も含んでいる。ロゴマークが統一されており整理番号「シ-38」に分類されている(シンのみ以前の整理番号を引き継いでいる)。 海外文学の新訳シリーズで、2014年4月刊の金原瑞人訳『月と六ペンス』(サマセット・モーム作)より始まるが、それ以前に刊行されたものも含んでいる。 新潮文庫創刊100年を迎えるに当たり、2014年8月28日、新潮文庫の中の1シリーズとして刊行開始。初回配本は河野裕『いなくなれ、群青』、雪乃紗衣『レアリアI』、竹宮ゆゆこ『知らない映画のサントラを聴く』、神永学『革命のリベリオン 第I部 いつわりの世界』、朝井リョウほか『この部屋で君と』、神西亜樹『坂東蛍子、日常に飽き飽き』の6点。nexには、これまでの新潮文庫がカバーできていなかった次の領域と、ライトノベルや漫画の次に手に取れる小説という2つの意味が込められている 。ライトノベルとは一線を画し、キャラクター性と物語性(文学性)をあわせ持ったエンターテインメントを目指すとされ、主にライト文芸を扱っている。書き下ろしや新潮社刊の単行本の文庫化の他、新潮ミステリー大賞の最終候補作 や『yom yom』に連載されたもの、他社から出版されていた作品の再刊も収められている。使われている書体は、岩田オールド明朝体。使われている本文用紙は、パスピエクリーム 66.3g/m。スピンはついていない。インターネット上に発表されている小説を対象とした新潮nex大賞という新人賞が設けられ、受賞作はこのシリーズに収録されている。ロゴは川谷康久によりデザインされた。2015年、創刊からの1年間で最も読者を惹きつけた作品を決める新潮文庫nex総選挙2015が行われる。河野裕『いなくなれ、群青』が2015大学読書人大賞を受賞している。 2000年に発刊した実用・雑学系を扱った文庫シリーズだった。その後休刊している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "新潮文庫(しんちょうぶんこ)は、株式会社新潮社が発行している文庫レーベル。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "大正3年(1914年)創刊で、現在まで続く「文庫」としては最も古い。新潮文庫の歴史は4期に分かれている。昭和2年(1927年)創刊の岩波文庫と並ぶ、文庫レーベルの老舗である。世界文学の名作を収め、また日本文学作品も数多く収めている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "創刊から100年を迎えた2014年9月の新刊までで累計点数は1万点、発行部数は16億部を超える。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2014年8月28日、新潮文庫nex(しんちょうぶんこネックス)が刊行開始される。新潮文庫内の派生シリーズという位置づけ。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "また、2000年に創刊された姉妹レーベルとして「新潮OH!文庫」があった。", "title": null }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "創刊時から世界文学の名作を刊行し在庫している。延原謙訳の「シャーロック・ホームズ」シリーズ、福田恆存訳のシェイクスピアは有名である。21世紀に入り、新訳・改版を積極的に行っている。", "title": "収録作品" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "その後、日本文学の名作も収めるようになり、昭和の中頃までに活躍した作家の代表作は、大半が在庫している。特に三島由紀夫、山本周五郎においては、他を圧する作品数を擁する(そのため新潮社主催の文学賞には、両名の名がついている)。", "title": "収録作品" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "岩波文庫と並び古典・名作が多いが、岩波が絶版をせず、復刊を度々行うのに対し、著名人の作品であっても売り上げが鈍れば絶版とする(例:「ドクトル・ジバゴ」、「収容所群島」、「ソフィーの選択」)。特に岩波版が、比較的多く収めていない戦後文学作品に関し、絶版になると(新本)入手が困難になるという点が指摘される。", "title": "収録作品" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "新潮社は文藝春秋と同じくノベルスレーベルを持たないため、旅情ミステリーやSFなどは、多く網羅していない。毎月の刊行数は、21世紀に入る前後に減らし文春文庫よりも少ない。ノンフィクション作品を主に、初版のみでの刊行が多い(単行本は在庫があるが、再刊の文庫が品切の書目もある)のも、特色である。", "title": "収録作品" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "現在、しおり紐(スピン)をつけている文庫は新潮文庫と星海社文庫のみである。そのため、製本工程において天(本の上部)の部分のみ化粧裁ちされていない(天アンカット)。カバーの背表紙は著者によって違う色を使用していて、上から題名、著者、整理番号、値段という並びになっている。また、本文用紙には、各製紙会社が特別に作る「新潮文庫用紙」を使用している。用紙の色は薄い「赤茶色」であり、これは目が疲れないようにとの配慮であるが、科学的な検証はなされていない。また葡萄をモチーフとしたマークは、グラフィックデザイナーの山名文夫の手になる。", "title": "造本・デザイン" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "カバーの背表紙の色は作者自身や作品のイメージから決められる。初めて新潮文庫に収められた作者には白が割り当てられるが、その時点で、後に継続して作品が収録される見込みがある場合には、最初から白以外の色がつく場合がある。また初めに白を割り当てられても、後に再びその作者の作品が収められた場合には白以外の色が振られ、白の背表紙もその色に変更される(主に重版時)。また、前後に並ぶ文庫の背表紙の同系色は使わないという原則もある。", "title": "造本・デザイン" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1914年(大正3年)9月18日、刊行開始。四六半裁判(135×94ミリメートル)。初回配本は、トルストイ『人生論』(相馬御風訳)、ギヨオテ『ヱルテルの悲み』(秦豊吉訳)、マルコ・ポーロ『マルコポーロ旅行記【上】』(生方敏郎訳)、ダスタエーフスキイ『白痴【一】』(米川正夫訳)、イブセン『イブセン書簡集』(中村吉蔵訳)、ツルゲーネフ『はつ戀』(生田春月訳)の6点。ドイツのレクラム文庫に倣い、小型の翻訳叢書として、佐藤義亮が企画した。第1期の43点はすべて海外文学であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1928年(昭和3年)12月、刊行開始。四六判(177×118ミリメートル)のペーパーバック。初回配本は、佐藤春夫『田園之憂鬱 都会之憂鬱』、久米正雄『破船』、同『学生時代』、吉田絃二郎『吉田絃二郎傑作集』の4点。第2期は日本文学の名作が中心であった。1年半で19点が刊行された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1933年(昭和8年)4月10日、刊行開始。菊半裁判(164×112ミリメートル)のペーパーバック(後に、A6判(148×105ミリメートル)に縮小される)。国内外の名作の他、近藤浩一路『漫画 坊っちやん』や、江戸川乱歩『パノラマ島奇談』など、エンターテインメント性の強い作品も含め、495点が刊行された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1947年(昭和22年)7月16日、刊行開始。A6判(148×105ミリメートル)のペーパーバック。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1985年までの分類。青、黄については1976年まで。現在は著者50音順。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "新潮文庫の売上増進のために行われていたキャンペーン。マスコットとして、ジャイアントパンダをイメージしたキャラクター「Yonda?君」が採用されていた。", "title": "Yonda? CLUB" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "新潮文庫は収録作品が多いため、毎月テーマ別にさまざまなフェアを行っている。毎年時期がたいてい決まっており、例えば2月はミステリー、10月は歴史時代小説などである。7月と8月は「新潮文庫の100冊」、12月と1月は年末年始フェアが拡大して開かれる。", "title": "フェア" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "2014年7月31日現在の発行部数上位10作品は次の通り。", "title": "累計発行部数ベスト10" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "日本ファンタジーノベル大賞の受賞作を刊行するために創設された。大賞・優秀賞を受けた作品は単行本で刊行され、1990年7月に第1回最終候補作の岩本隆雄『星虫』と岡崎弘明『月のしずく100%ジュース』を刊行して始まる。1992年までに十数作刊行しただけで終わったが、恩田陸『六番目の小夜子』は通常の装丁になり刊行され続けている。", "title": "文庫内レーベル" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "歴史と科学に関する本を刊行している。2013年9月刊の『代替医療解剖』より始まるが、サイモン・シンの著作など一部それ以前に刊行された本も含んでいる。ロゴマークが統一されており整理番号「シ-38」に分類されている(シンのみ以前の整理番号を引き継いでいる)。", "title": "文庫内レーベル" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "海外文学の新訳シリーズで、2014年4月刊の金原瑞人訳『月と六ペンス』(サマセット・モーム作)より始まるが、それ以前に刊行されたものも含んでいる。", "title": "文庫内レーベル" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "新潮文庫創刊100年を迎えるに当たり、2014年8月28日、新潮文庫の中の1シリーズとして刊行開始。初回配本は河野裕『いなくなれ、群青』、雪乃紗衣『レアリアI』、竹宮ゆゆこ『知らない映画のサントラを聴く』、神永学『革命のリベリオン 第I部 いつわりの世界』、朝井リョウほか『この部屋で君と』、神西亜樹『坂東蛍子、日常に飽き飽き』の6点。nexには、これまでの新潮文庫がカバーできていなかった次の領域と、ライトノベルや漫画の次に手に取れる小説という2つの意味が込められている 。ライトノベルとは一線を画し、キャラクター性と物語性(文学性)をあわせ持ったエンターテインメントを目指すとされ、主にライト文芸を扱っている。書き下ろしや新潮社刊の単行本の文庫化の他、新潮ミステリー大賞の最終候補作 や『yom yom』に連載されたもの、他社から出版されていた作品の再刊も収められている。使われている書体は、岩田オールド明朝体。使われている本文用紙は、パスピエクリーム 66.3g/m。スピンはついていない。インターネット上に発表されている小説を対象とした新潮nex大賞という新人賞が設けられ、受賞作はこのシリーズに収録されている。ロゴは川谷康久によりデザインされた。2015年、創刊からの1年間で最も読者を惹きつけた作品を決める新潮文庫nex総選挙2015が行われる。河野裕『いなくなれ、群青』が2015大学読書人大賞を受賞している。", "title": "文庫内レーベル" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "2000年に発刊した実用・雑学系を扱った文庫シリーズだった。その後休刊している。", "title": "新潮OH!文庫" } ]
新潮文庫(しんちょうぶんこ)は、株式会社新潮社が発行している文庫レーベル。 大正3年(1914年)創刊で、現在まで続く「文庫」としては最も古い。新潮文庫の歴史は4期に分かれている。昭和2年(1927年)創刊の岩波文庫と並ぶ、文庫レーベルの老舗である。世界文学の名作を収め、また日本文学作品も数多く収めている。 創刊から100年を迎えた2014年9月の新刊までで累計点数は1万点、発行部数は16億部を超える。 2014年8月28日、新潮文庫nex(しんちょうぶんこネックス)が刊行開始される。新潮文庫内の派生シリーズという位置づけ。 また、2000年に創刊された姉妹レーベルとして「新潮OH!文庫」があった。
'''新潮文庫'''(しんちょうぶんこ)は、株式会社[[新潮社]]が発行している[[文庫本|文庫]]レーベル。 大正3年([[1914年]])創刊で、現在まで続く「文庫」としては最も古い<ref name="shincyobunko_about">[https://www.shinchosha.co.jp/bunko/ 「新潮文庫」とは] 新潮社</ref>。新潮文庫の歴史は4期に分かれている。昭和2年([[1927年]])創刊の[[岩波文庫]]と並ぶ、文庫レーベルの[[老舗]]である。世界文学の名作を収め、また[[日本文学]]作品も数多く収めている。 創刊から100年を迎えた2014年9月の新刊までで累計点数は1万点、発行部数は16億部を超える<ref name="asahi_140919">「夏目漱石『こころ』100年ぶり連載 回顧一九一四年」『[[朝日新聞]]』2014年9月19日付東京朝刊、14頁。</ref>。 [[2014年]][[8月28日]]、'''新潮文庫nex'''(しんちょうぶんこネックス)が刊行開始される。新潮文庫内の派生シリーズという位置づけ。 また、2000年に創刊された姉妹レーベルとして「新潮OH!文庫」があった。 == 収録作品 == {{出典の明記|date=2017年9月|section=1}} 創刊時から世界文学の名作を刊行し在庫している。[[延原謙]]訳の「[[シャーロック・ホームズ]]」シリーズ、[[福田恆存]]訳の[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]は有名である。[[21世紀]]に入り、新訳・改版を積極的に行っている。 その後、日本文学の名作も収めるようになり、{{独自研究範囲|[[昭和]]の中頃までに活躍した[[作家]]の代表作は、大半が在庫している。特に[[三島由紀夫]]、[[山本周五郎]]においては、他を圧する作品数を擁する(そのため新潮社主催の[[文学賞]]には、両名の名がついている)|date=2021年1月}}。 岩波文庫と並び古典・名作が多いが、岩波が[[絶版]]をせず、復刊を度々行うのに対し、著名人の作品であっても売り上げが鈍れば絶版とする(例:「[[ドクトル・ジバゴ]]」、「[[収容所群島]]」、「[[ソフィーの選択]]」)。特に岩波版が、比較的多く収めていない戦後文学作品に関し、絶版になると(新本)入手が困難になるという点が指摘される{{誰2|date=2017年9月}}。 新潮社は[[文藝春秋]]と同じく[[ノベルス]]レーベルを持たないため、旅情[[ミステリー]]や[[サイエンス・フィクション|SF]]などは、多く網羅していない。毎月の刊行数は、21世紀に入る前後に減らし[[文春文庫]]よりも少ない。[[ノンフィクション]]作品を主に、初版のみでの刊行が多い(単行本は在庫があるが、再刊の文庫が品切の書目もある)のも、特色である。 == 造本・デザイン == 現在、しおり紐([[スピン (本)|スピン]])をつけている文庫は新潮文庫と[[星海社文庫]]のみである。そのため、製本工程において天(本の上部)の部分のみ化粧裁ちされていない(天アンカット)<ref name="shincyobunko_about" /><ref group="注">現在天の部分を化粧裁ちしていない文庫としては他に岩波文庫、[[角川文庫]]、[[ハヤカワ文庫]]などがある(理由については[[岩波文庫]]の項を参照)。</ref><ref group="注">新潮文庫nexについては、天の部分が化粧裁ちされており、スピンがついていない。</ref>。カバーの背表紙は著者によって違う色を使用していて、上から題名、著者、整理番号、値段という並びになっている。また、本文用紙には、各製紙会社が特別に作る「新潮文庫用紙」を使用している<ref>[http://www.metrobooks.co.jp/mnews/2004/july/hanmoto.htm メトロニュース]</ref>。用紙の色は薄い「赤茶色」であり、これは目が疲れないようにとの配慮であるが、科学的な検証はなされていない。また[[葡萄]]をモチーフとしたマークは、グラフィックデザイナーの[[山名文夫]]の手になる<ref>[http://kg.kanazawa-gu.ac.jp/nihonbungaku/?cat=4&paged=2 学科ニュース « 日本文学科]</ref>。 カバーの背表紙の色は作者自身や作品のイメージから決められる。初めて新潮文庫に収められた作者には白が割り当てられるが、その時点で、後に継続して作品が収録される見込みがある場合には、最初から白以外の色がつく場合がある。また初めに白を割り当てられても、後に再びその作者の作品が収められた場合には白以外の色が振られ、白の背表紙もその色に変更される<ref group="注">[[谷崎潤一郎]]・[[絲山秋子]]・[[ジークムント・フロイト]]などのように、複数の作品を収めた上で白の背表紙を維持する例もある。また[[山崎豊子]]・[[阿刀田高]]のように2色を組み合わせた背表紙も存在する(山崎・青と白、阿刀田・オレンジと緑)</ref>(主に重版時)。また、前後に並ぶ文庫の背表紙の同系色は使わないという原則もある<ref>[https://www.1101.com/shincho/05-03-29.html ほぼ日刊イトイ新聞 新潮文庫のささやかな秘密。]</ref>。 == 歴史 == === 第1期 === [[1914年]]([[大正]]3年)[[9月18日]]、刊行開始<ref name="shincyobunko_about" /><ref name="asahi_140919" /><ref>[http://www.gifu-nct.ac.jp/sizen/nakasima/sincho.htm 新潮]</ref>。四六半裁判(135×94ミリメートル)。初回配本は、[[レフ・トルストイ|トルストイ]]『人生論』([[相馬御風]]訳)、[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ギヨオテ]]『[[若きウェルテルの悩み|ヱルテルの悲み]]』([[秦豊吉]]訳)、[[マルコ・ポーロ]]『マルコポーロ旅行記【上】』([[生方敏郎]]訳)、[[フョードル・ドストエフスキー|ダスタエーフスキイ]]『[[白痴 (ドストエフスキー)|白痴]]【一】』([[米川正夫]]訳)、[[ヘンリック・イプセン|イブセン]]『イブセン書簡集』([[中村吉蔵]]訳)、[[イワン・ツルゲーネフ|ツルゲーネフ]]『[[初恋 (ツルゲーネフ)|はつ戀]]』([[生田春月]]訳)の6点。ドイツの[[レクラム出版社#レクラム文庫|レクラム文庫]]に倣い、小型の翻訳叢書として、[[佐藤義亮]]が企画した。第1期の43点はすべて海外文学であった<ref>{{Cite web|和書| title = 新潮文庫 第1期 1914年(大正3)9月〜| work = 新潮文庫創刊100年| publisher = [[新潮社]]| date = 2014-09-17| url = http://www.shinchosha.co.jp/bunko/blog/100th/2014/09/17.html| accessdate = 2017-09-26| archiveurl = https://archive.is/20140920025426/http://www.shinchosha.co.jp/bunko/blog/100th/2014/09/17.html| archivedate = 2014年9月20日| deadlinkdate = 2017年10月}}</ref>。 === 第2期 === [[1928年]]([[昭和]]3年)12月、刊行開始。四六判(177×118ミリメートル)のペーパーバック。初回配本は、[[佐藤春夫]]『田園之憂鬱 都会之憂鬱』、[[久米正雄]]『破船』、同『[[学生時代 (小説)|学生時代]]』、[[吉田絃二郎]]『吉田絃二郎傑作集』の4点。第2期は日本文学の名作が中心であった。1年半で19点が刊行された<ref>{{Cite web|和書| title = 新潮文庫 第2期 1928年(昭和3)12月〜| work = 新潮文庫創刊100年| publisher = [[新潮社]]| date = 2014-09-17| url = http://www.shinchosha.co.jp/bunko/blog/100th/2014/09/17_2.html| accessdate = 2017-09-26| archiveurl = https://archive.is/20140920025434/http://www.shinchosha.co.jp/bunko/blog/100th/2014/09/17_2.html| archivedate = 2014年9月20日| deadlinkdate = 2017年10月}}</ref>。 === 第3期 === [[1933年]](昭和8年)[[4月10日]]、刊行開始。菊半裁判(164×112ミリメートル)のペーパーバック(後に、A6判(148×105ミリメートル)に縮小される)。国内外の名作の他、[[近藤浩一路]]『漫画 坊っちやん』や、[[江戸川乱歩]]『[[パノラマ島奇談]]』など、エンターテインメント性の強い作品も含め、495点が刊行された<ref>{{Cite web|和書| title = 新潮文庫 第3期 1933年(昭和8)4月〜| work = 新潮文庫創刊100年| publisher = [[新潮社]]| date = 2014-09-17| url = http://www.shinchosha.co.jp/bunko/blog/100th/2014/09/17_3.html| accessdate = 2017-09-26| archiveurl = https://archive.is/20140920025436/http://www.shinchosha.co.jp/bunko/blog/100th/2014/09/17_3.html| archivedate = 2014年9月20日| deadlinkdate = 2017年10月}}</ref>。 * [[1938年]][[9月1日]] - 帯色が、番号による8種から分類による5種になる。 * [[1939年]]6月 - 新潮文庫刊行会設置( - [[1944年]]8月)。 * [[1942年]][[5月3日]] - A6判になる。 ;分類 {| class="wikitable" | 黄 | 現代小説・[[戯曲]] |- | 赤 | 海外小説・戯曲 |- | 青 | [[感想]]・[[紀行]] |- | 緑 | [[詩]]・[[短歌|歌]]・[[俳句]] |- | 白 | [[研究]]・[[評論]] {{small|日本古典文学・宗教・伝記・戦記・その他}} |} === 第4期 === [[1947年]](昭和22年)[[7月16日]]、刊行開始。A6判(148×105ミリメートル)のペーパーバック<ref>{{Cite web|和書| title = 新潮文庫 第4期 1947年(昭和22)7月〜| work = 新潮文庫創刊100年| publisher = [[新潮社]]| date = 2014-09-17| url = http://www.shinchosha.co.jp/bunko/blog/100th/2014/09/17_4.html| accessdate = 2017-09-26| archiveurl = https://archive.is/20140920025400/http://www.shinchosha.co.jp/bunko/blog/100th/2014/09/17_4.html| archivedate = 2014年9月20日| deadlinkdate = 2017年10月}}</ref>。 * [[1950年]][[11月25日]] - 整理番号ができる。装幀が変わる。 * [[1954年]][[9月30日]] - [[東京創元社|創元文庫]]より約30点を引き継ぐ。 * [[1958年]][[8月5日]] - 分類に「白」が加わる。 * [[1960年]] - カバー付が大幅に増える。 * [[1965年]][[4月30日]] - 分類に「紅」が加わる。 * [[1969年]]9月 - 定価表示が奥付から消える。その後、70年代末に書籍再販問題がおきたときに定価表示が復活したが、消費税導入のときにふたたび記述が消える。 * [[1976年]][[11月10日]] - 「青」→「草」、「黄」→「赤」に統合。[[ISBNコード]]は、このときの番号(裏カバーにつけた6桁番号)をもとに設定されている。 * [[1982年]][[3月25日]] - 初の[[書き下ろし]]『ドタンバのマナー』刊行。このころからISBNコードを付記する。字のポイントが大きくなった(以後、数次改定)。 * [[1985年]][[5月27日]] - 50音別著者番号が始まる。色分類を廃止。 * [[1990年]][[8月27日]] - バーコード表示が始まる。 ; 分類 [[1985年]]までの分類。青、黄については[[1976年]]まで。現在は著者50音順。 {| class="wikitable" | 草 | 日本文学 [[小説]] → 日本の作品 |- | 青 | 日本文学 詩・評論・その他 |- | 赤 | 海外文学 小説 → 海外の作品 |- | 黄 | 海外文学 詩・評論・その他 |- | 白 | 日本および海外の[[時代小説]]・[[推理小説|探偵小説]]など |- | 紅 | 時代小説・その他 |} == Yonda? CLUB == 新潮文庫の売上増進のために行われていたキャンペーン。[[マスコット]]として、[[ジャイアントパンダ]]をイメージした[[キャラクター]]「[[Yonda? CLUB|Yonda?君]]」が採用されていた。 {{Main|Yonda? CLUB}} == フェア == 新潮文庫は収録作品が多いため、毎月テーマ別にさまざまなフェアを行っている。毎年時期がたいてい決まっており、例えば2月はミステリー、10月は歴史時代小説などである。7月と8月は「[[新潮文庫の100冊]]」、12月と1月は年末年始フェアが拡大して開かれる。 ;新潮文庫の100冊 :1976年から開始。毎年夏に行われるキャンペーン。以前は「新潮文庫夏のキャンペーン広告」「新潮文庫ベスト100」であった。[[角川書店]]、[[集英社]]も同様のイベントを同時期に行っている。 == 累計発行部数ベスト10 == 2014年7月31日現在の発行部数上位10作品は次の通り<ref>{{Cite news| title = 夏目漱石「こころ」、新潮文庫版が700万部突破| newspaper = [[朝日新聞|朝日新聞デジタル]]| date = 2014-07-31| url = http://www.asahi.com/articles/ASG70659SG70UCLV00W.html| accessdate = 2017-09-26| archiveurl = https://archive.is/20140731190132/http://www.asahi.com/articles/ASG70659SG70UCLV00W.html| archivedate = 2014年7月31日| deadlinkdate = 2017年10月}}</ref>。 # [[夏目漱石]]『[[こゝろ|こころ]]』 701万500部 # [[太宰治]]『[[人間失格]]』 670万5000部 # [[アーネスト・ヘミングウェイ]]『[[老人と海]]』 489万5000部 # 夏目漱石『[[坊つちやん|坊っちゃん]]』 420万5000部 # [[アルベール・カミュ]]『[[異邦人 (カミュ)|異邦人]]』 412万1000部 # [[武者小路実篤]]『[[友情 (小説)|友情]]』 411万6000部 # [[川端康成]]『[[雪国 (小説)|雪国]]』 384万7000部 # [[島崎藤村]]『[[破戒 (小説)|破戒]]』 376万1000部 # 太宰治『[[斜陽]]』 369万6000部 # [[フランソワーズ・サガン]]『[[悲しみよこんにちは]]』 366万3000部 == 文庫内レーベル == === ファンタジーノベル・シリーズ === [[日本ファンタジーノベル大賞]]の受賞作を刊行するために創設された。大賞・優秀賞を受けた作品は単行本で刊行され、1990年7月に第1回最終候補作の[[岩本隆雄]]『星虫』と[[岡崎弘明]]『月のしずく100%ジュース』を刊行して始まる。1992年までに十数作刊行しただけで終わったが、[[恩田陸]]『六番目の小夜子』は通常の装丁になり刊行され続けている。 === Science&History Collection === 歴史と科学に関する本を刊行している。2013年9月刊の『代替医療解剖』より始まるが、[[サイモン・シン]]の著作など一部それ以前に刊行された本も含んでいる。ロゴマークが統一されており整理番号「シ-38」に分類されている(シンのみ以前の整理番号を引き継いでいる)。 === Star Classics 名作新訳コレクション === 海外文学の新訳シリーズで、2014年4月刊の[[金原瑞人]]訳『[[月と六ペンス]]』([[サマセット・モーム]]作)より始まるが、それ以前に刊行されたものも含んでいる。 === 新潮文庫nex === 新潮文庫創刊100年を迎えるに当たり、2014年8月28日、新潮文庫の中の1シリーズとして刊行開始。初回配本は[[河野裕 (小説家)|河野裕]]『[[いなくなれ、群青]]』、[[雪乃紗衣]]『レアリアI』、[[竹宮ゆゆこ]]『知らない映画のサントラを聴く』、[[神永学]]『革命のリベリオン 第I部 いつわりの世界』、[[朝井リョウ]]ほか『この部屋で君と』、神西亜樹『坂東蛍子、日常に飽き飽き』の6点。nexには、これまでの新潮文庫がカバーできていなかった次の領域と、[[ライトノベル]]や漫画の次に手に取れる小説という2つの意味が込められている<ref name="CINRA">{{Cite web|和書| title = 新潮社による新文庫「新潮文庫nex」創刊、「キャラクター」と「文学」の融合を目指す| publisher = CINRA.NET| date = 2014-09-01| url = https://www.cinra.net/news/20140901-shinchobunkonex| accessdate = 2014-09-03}}</ref> <ref>[https://twitter.com/shinchobunkonex/status/481347781676658688 新潮文庫nex on Twitter: "新潮文庫nexのこと2。]</ref>。ライトノベルとは一線を画し、[[キャラクター]]性と[[物語]]性([[文学]]性)をあわせ持った[[エンターテインメント]]を目指すとされ<ref name="CINRA" /><ref>[http://www.shinbunka.co.jp/news2014/07/140715-02.htm 【新文化】 - 新潮社、「新潮文庫nex」を8月28日に発売]</ref>、主に[[ライト文芸]]を扱っている<ref>[https://ddnavi.com/news/229282/ 『ビブリア古書堂の事件手帖』に続く大ヒット作は出るか? いま「キャラクター文芸」がアツい | ダ・ヴィンチニュース]</ref>。書き下ろしや新潮社刊の単行本の文庫化の他、[[新潮ミステリー大賞]]の最終候補作<ref>{{Cite web|和書| title = 九頭竜正志『さとり世代探偵のゆるやかな日常』| publisher = [[新潮社]]| url = http://www.shinchosha.co.jp/book/180032/| accessdate = 2017-09-24}}</ref> や『[[yom yom]]』に連載されたもの、他社から出版されていた作品の再刊も収められている。使われている書体は、岩田オールド明朝体<ref>[https://twitter.com/shinchobunkonex/status/505367156482011138 新潮文庫nexさんはTwitterを使っています 【造本について、書体のこと①】]</ref>。使われている本文用紙は、パスピエクリーム 66.3[[グラム|g]]/[[メートル|m]]<sup>2</sup><ref>[https://twitter.com/shinchobunkonex/status/507877582675513345 新潮文庫nexさんはTwitterを使っています: "【造本のこと、紙について①】]</ref>。スピンはついていない<ref>{{Cite news | title = 新潮文庫100周年 新シリーズ「nex」 表紙も一新、まず6点| newspaper = [[産経新聞|MSN産経ニュース]]| publisher = 海老沢類| date = 2014-09-03| url = http://sankei.jp.msn.com/life/news/140903/bks14090309300002-n1.htm| accessdate = 2017-09-26|archiveurl= https://web.archive.org/web/20140903210614/http://sankei.jp.msn.com/life/news/140903/bks14090309300002-n1.htm|archivedate= 2014-09-03}}</ref>。インターネット上に発表されている小説を対象とした'''新潮nex大賞'''という新人賞が設けられ<ref>[https://twitter.com/shinchobunkonex/status/481780183431516160 新潮文庫nexさんはTwitterを使っています 〈「新潮nex大賞」とは!〉]</ref>、受賞作はこのシリーズに収録されている。ロゴは川谷康久によりデザインされた<ref>[https://twitter.com/shinchobunkonex/status/482107325117779968 新潮文庫nexさんはTwitterを使っています 新潮文庫nexのロゴは]</ref>。[[2015年]]、創刊からの1年間で最も読者を惹きつけた作品を決める'''新潮文庫nex総選挙2015'''が行われる<ref>[http://shinchobunko-nex.jp/election/2015.html 新潮文庫nex総選挙2015 | 新潮文庫nex]</ref>。河野裕『いなくなれ、群青』が2015大学読書人大賞を受賞している<ref>[http://shinchobunko-nex.jp/blog/2015/05/15.html 河野裕『いなくなれ、群青』が「大学読書人大賞」を受賞! | 読み物| 新潮文庫nex]</ref>。 == 新潮OH!文庫 == [[2000年]]に発刊した[[実用]]・[[雑学]]系を扱った文庫シリーズだった<ref name="Kotob">{{Cite Kotobank|word=新潮OH!文庫|encyclopedia=デジタル大辞泉プラス |access-date=2023-10-29}}</ref>。その後休刊している<ref name="Kotob"/>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|3}} == 関連項目 == * [[文庫レーベル一覧]] == 外部リンク == * [https://www.shinchosha.co.jp/bunko/ 新潮文庫ホームページ] * [https://www.shinchobunko-nex.jp/ 新潮文庫nexホームページ] * [https://www.shinchosha.co.jp/bunko/starclassics/ Star Classics 名作新訳コレクション] * {{Twitter|shinchobunko}} * {{Twitter|shinchobunkonex|新潮文庫nex}} * {{Instagram|shinchobunko}} * [https://www.nttcom.co.jp/comware_plus/column/long_seller/201511.html NTTコムウェア・COMWARE PLUS(ニッポンロングセラー考「第134回・新潮文庫」)] {{新潮社}} {{DEFAULTSORT:しんちようふんこ}} [[Category:新潮社の出版物|ふんこ]] [[Category:文庫本]] [[Category:1914年刊行開始の刊行物]]
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創元推理文庫
創元推理文庫()は、株式会社東京創元社が発行している文庫レーベル。国内・海外のミステリー小説を中心に扱っている。 初期には著者番号はなく、通し番号の作品番号のみであった。著者番号が通し番号から50音別に変わる際に、作品番号が変更されたものもある。ISBN品番コードは、旧著者番号時の整理番号と対応している。分類は次の通り。番号は旧著者番号。カッコ内は通し番号の作品番号。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "創元推理文庫()は、株式会社東京創元社が発行している文庫レーベル。国内・海外のミステリー小説を中心に扱っている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "代表的な収録作家" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "初期には著者番号はなく、通し番号の作品番号のみであった。著者番号が通し番号から50音別に変わる際に、作品番号が変更されたものもある。ISBN品番コードは、旧著者番号時の整理番号と対応している。分類は次の通り。番号は旧著者番号。カッコ内は通し番号の作品番号。", "title": "著作者番号" } ]
創元推理文庫は、株式会社東京創元社が発行している文庫レーベル。国内・海外のミステリー小説を中心に扱っている。
{{読み仮名|'''創元推理文庫'''|そうげんすいりぶんこ}}は、株式会社[[東京創元社]]が発行している[[文庫本|文庫]]レーベル。国内・海外の[[ミステリー]]小説を中心に扱っている<ref>[https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784488495114 東京創元社文庫解説総目録 〔1959.4-2010.3〕 / 高橋 良平/東京創元社編集部【編】 - 紀伊國屋書店ウェブストア]</ref>。 == 歴史 == * [[1959年]]5月:創刊<ref>[http://www.tsogen.co.jp/sf50th/ 創元SF50周年 | 東京創元社]</ref> * [[1961年]]:「創元推理コーナー」創刊 * [[1963年]]:SF部門創設(現在の[[創元SF文庫]]) * [[1965年]]:『[[火星のプリンセス]]』刊行 * [[1969年]]:怪奇と冒険小説部門創設 * [[1970年]]代中頃:旧著者番号スタート * [[1983年]]5月、投込付録「[[紙魚の手帖]]」創刊(41号・1988年5月まで) * [[1984年]]5月:「YELLOW BOOKS」創刊 * [[1985年]]:[[スーパーアドベンチャーゲーム]]創刊 * [[1989年]]:「創元ノヴェルズ」創刊 * [[1991年]]:SF部門が「[[創元SF文庫]]」と名称変更 * [[1995年]]:「創元ライブラリ」創刊 * [[2002年]]:「創元コンテンポラリ」創刊 == 代表的な収録作家 == === 海外ミステリ === * [[ウィリアム・アイリッシュ]] (コーネル・ウールリッチ) * [[アイザック・アシモフ]]<ref group="注釈" name="sf">SF文庫にも作品あり</ref> * [[カトリーヌ・アルレー]] * [[S・S・ヴァン・ダイン]] * [[ジェラール・ド・ヴィリエ]] (プリンス・マルコ・シリーズ) * [[R・D・ウィングフィールド]] * [[ジョン・ディクスン・カー]]/カーター・ディクスン * [[エラリー・クイーン]] * [[アガサ・クリスティ]] * [[F・W・クロフツ]] * [[フェイ・ケラーマン]] * [[ドロシー・L・セイヤーズ]] * [[ハドリー・チェイス]] * [[G・K・チェスタトン]] * [[ジル・チャーチル]] * [[アーサー・コナン・ドイル]]<ref group="注釈">ホラー&ファンタジイ部門、SF文庫にも作品あり</ref> * [[アントニー・バークリー]] * [[フレドリック・ブラウン]]<ref group="注釈" name="sf" /> * [[イアン・フレミング]] * [[ドン・ペンドルトン]] (死刑執行人シリーズ) * [[エドワード・D・ホック]] * [[マイケル・ボンド]] * [[シャーロット・マクラウド]]/アリサ・クレイグ * [[T・J・マグレガー]] * [[モーリス・ルブラン]] * [[ジョセフ・ローゼンバーガー]] (デス・マーチャント・シリーズ) === 国内ミステリ === * [[鮎川哲也]] * [[江戸川乱歩]] * [[北村薫]] * [[黒川博行]] * [[高城高]] * [[佐々木丸美]] * [[多岐川恭]] * [[土屋隆夫]] * [[天藤真]] * [[樋口有介]] === ホラー&ファンタジイ === * [[ジョナサン・キャロル]] * [[ダイアナ・ウィン・ジョーンズ]] * [[ロバート・E・ハワード]] * [[H・R・ハガード]] * [[マーヴィン・ピーク]] * [[ロバート・ブロック]] * [[エドガー・アラン・ポオ]] * [[マイケル・ムアコック]] * [[H・P・ラヴクラフト]] == 著作者番号 == 初期には著者番号はなく、通し番号の作品番号のみであった。著者番号が通し番号から50音別に変わる際に、作品番号が変更されたものもある。[[ISBN]]品番コードは、旧著者番号時の整理番号と対応している。分類は次の通り。番号は旧著者番号。カッコ内は通し番号の作品番号。 {| border="1" |-nowrap align="center" |'''記号''' |'''ジャンル''' |'''番号''' |'''備考''' |-nowrap valign="top" |'''M''' |ミステリ |100〜<BR>(101〜) |以前はマークで<BR>「本格推理小説」(横顔マーク)<BR>「警察小説 ハードボイルド」(拳銃マーク)<BR>「サスペンス スリラー」(猫マーク)<BR>「その他の推理小説 法廷、倒叙もの」(時計マーク)<BR>に分類されていた |-nowrap valign="top" |'''F''' |ホラー&ファンタジイ |501〜 |以前は「怪奇と冒険」部門で、マークは帆船 |- |'''SF''' |SF |601〜<BR>(701〜) |以前はSFマーク<BR>現在は「[[創元SF文庫]]」に名称変更 |-nowrap valign="top" |colspan="2"|「YELLOW BOOKS」 |900 |「創元推理文庫」の表記はない |-nowrap valign="top" |'''G''' |[[ゲームブック]] |901〜 |以前は[[ユニコーン]]マーク<BR>現在は刊行されていない。[[スーパーアドベンチャーゲーム]] |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注釈"/> === 出典 === <references /> == 関連項目 == * [[創元SF文庫]] * [[鮎川哲也賞]] * [[ミステリーズ!新人賞]] * [[創元SF短編賞]] * [[創元推理短編賞]] * [[創元推理評論賞]] * [[創元クライム・クラブ]] * [[ミステリ・フロンティア]] * [[文庫レーベル一覧]] * [[ハヤカワ文庫]] == 書目文献 == *『[[東京創元社]]文庫解説総目録』、2010年12月に文庫判2分冊函入で刊行 :高橋良平・東京創元社編集部編、1959年の創刊時より2010年3月現在までの全文庫の内容紹介。 == 外部リンク == * [http://www.tsogen.co.jp/ 東京創元社] * [http://www.tsogen.co.jp/np/label/mystery.html 創元推理文庫] * [http://www.tsogen.co.jp/sftanpensho/ 創元SF短編賞] * [http://www.tsogen.co.jp/kaisha/nenpyou.html 東京創元社の年譜] {{DEFAULTSORT:そうけんすいりふんこ}} [[Category:東京創元社の文庫本]] [[Category:東京創元社の文学叢書]] [[Category:日本の推理小説叢書]] [[Category:1959年刊行開始の刊行物]]
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西竹一
西 竹一(にし たけいち、1902年〈明治35年〉7月12日 - 1945年〈昭和20年〉3月22日)は、日本の陸軍軍人、華族。最終階級は陸軍大佐。爵位は男爵。愛称はバロン西(Baron Nishi)。 1932年ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技の金メダリスト。この金メダルは、オリンピックの馬術競技で日本が獲得した唯一のメダルである。 帝国陸軍将校として騎兵畑を歩んでいたが、後に戦車兵に転科し、第二次世界大戦末期の硫黄島の戦いにおいて、戦車第26連隊長として戦死した。 男爵・西徳二郎の三男として東京市麻布区麻布笄町(現在の港区西麻布。住居は麻布桜田町付近)にて生まれた。正妻でない母は、出産後、家を出された。父は外務大臣や枢密顧問官などを歴任し、駐清公使時代には義和団の乱処理に当たった人物であった。義和団の乱の処理の際、清の西太后から中国茶の専売権を与えられ、巨万の富を手にしたといわれている。 学習院幼稚園を経て、学習院初等科時代は近隣の番町小の生徒と喧嘩を繰り返す暴れん坊であった。1912年(明治45年)には徳二郎が死去し、同年3月30日、その跡を継ぎ当主として男爵となる。後見人は西伊佐次。妻となる武子の祖父は川村純義海軍大将、父は伯爵・川村鉄太郎であり、武子の長姉・艶子は阪本釤之助の子で第二次世界大戦中の駐スイス公使時に終戦工作に奔走する阪本瑞男に嫁いだ。武子の次姉・花子は柳原白蓮の異母兄である柳原義光の後妻。子に長男の泰徳に、長女と次女の三子。 1915年(大正4年)4月、外交官であった父の遺志を継ぎ府立一中(現・日比谷高校)に入学、同期には小林秀雄、迫水久常らがいた。その後、府立一中在籍中から1917年(大正6年)9月、広島陸軍地方幼年学校に入校した。 1920年(大正9年)には陸軍中央幼年学校本科に進む。同期に名古屋陸軍幼年学校首席・辻政信、陸軍中央幼年学校予科首席・甲谷悦雄。1921年(大正10年)4月、陸士陸幼の制度改編で中幼本科を半年で修了すると、新設の陸軍士官学校予科へ第36期で入校した。 陸士予科では、希望兵科として帝国陸軍の花形である騎兵を選択。卒業後は士官候補生として世田谷騎兵第1連隊に配属(卒業成績:19番中13番)され、隊附勤務を経て陸軍士官学校(本科)に入校。1924年(大正13年)7月、陸士本科を第36期生として卒業、見習士官として原隊の騎兵第1連隊附となり同年10月には陸軍騎兵少尉に任官。1927年(昭和2年)9月に陸軍騎兵学校(乙種学生)を卒業し同年10月には陸軍騎兵中尉に進級した。 1930年(昭和5年)ロサンゼルスオリンピックの出場の為、半年間の休養を取り、アメリカと欧州へ向かった。欧州へ向かう船内で米国の映画スターダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォード夫妻と親交を持った。 3月にはイタリアで 終生の友とも言うべき存在となるウラヌスとの運命的な出会いを果たす。6,500伊リラ(当時の換算レートで、6,500伊リラ=100英ポンド=1,000日本円)で購入した。その後、欧州各地の馬術大会に参加し、好成績を残す。 1932年の習志野騎兵第16連隊附陸軍騎兵中尉時代、騎兵監などを歴任した大島又彦陸軍中将を団長に、城戸俊三陸軍騎兵少佐ら帝国陸軍の出場選手一同と参加したロサンゼルスオリンピック、馬術大障害飛越競技にて金メダリストとなる。これはアジア諸国として初めての、日本勢として唯一のオリンピック馬術競技でメダルを獲得した記録である。 障害競技で、ウラヌスが後足を横に捻ってクリアしたこともあり、インタビューでは「We won.」(「我々(自分とウラヌス)は勝った」)と応じている。 人種差別で排斥されていた在米日本人や日系アメリカ人間で人気を集め、上流階級の名士が集まる社交界では「バロン西」と呼ばれ、ロサンゼルス市名誉市民にもなっている。 現地で行われた金メダル受賞パーティーではダグラス・フェアバンクスと再会し、友情を温めるとともに金メダルを祝った。 1933年8月には陸軍騎兵大尉に進級、陸軍騎兵学校の教官となる。 1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックにも参加しているが、ウラヌスと臨んだ障害飛越競技では競技中落馬し棄権している。オリンピック数ヵ月後の同年11月には日独防共協定が締結されていることから、この意外な落馬には主催国ドイツの選手に金メダルを譲るために西が計った便宜ではなかったかという憶測が当時から流れていた。西は同大会では元競走馬のアスコットと共に総合馬術競技にも出場し、12位となっている。 ベルリンオリンピックの後、騎兵第1連隊の中隊長として軍務に戻る。日中戦争開戦後の1939年(昭和14年)3月には陸軍騎兵少佐に昇進し、軍馬の育成などを担当する陸軍省軍馬補充部の十勝支部員となる。 第一次世界大戦が終わり、第二次世界大戦の開戦に向けた軍拡時代の1930年代当時、時代の流れとして世界の陸軍においては騎兵部隊が削減され、代わって自動車化歩兵部隊や近代的な戦車兵・戦車部隊が新設されていた時代であり、同時期の帝国陸軍においても乗馬中隊と装甲車中隊とを組み合わせ、その機動力により戦闘斥候を行う偵察部隊である捜索隊(師団捜索隊)が新たに編成され、また従来の騎兵連隊も一部の連隊を残し、多くは同じく機動偵察部隊である捜索連隊や戦車連隊に改編されていた。 大東亜戦争開戦後の1942年11月、西は第26師団捜索隊長、更に1943年7月には第1師団捜索隊長を歴任している。 1943年8月、西は陸軍中佐に昇進、また戦車兵として1944年3月には戦車第26連隊(軍隊符号:26TK、部隊マークは「丸に縦矢印」)の連隊長を拝命、満州国北部(北満)防衛の任に就いた。 戦車第26連隊は当初は「サイパンの戦い」に参戦する予定であったが、現地守備隊が早々と玉砕したため守備隊が再編成され、1944年6月20日に硫黄島への動員が下令された。 26TKは満州から日本経由で硫黄島へ向かうが、その行路(父島沖)においてアメリカ海軍ガトー級潜水艦「コビア」の雷撃を受け、28両の戦車ともども輸送船「日秀丸」は沈没(連隊内の戦死者は2名)。 8月、戦車補充のため一旦東京に戻り、東京川崎財閥の御曹司で親友であった川崎大次郎の車を借用して駆け回っていた。その折、馬事公苑で余生を過していたウラヌスに会いに行き、ウラヌスは西の足音を聞いて狂喜して、馬が最大の愛情を示す態度である、首を摺り寄せ、愛咬をしてきたという。 その後、硫黄島へ戻るが、映画『硫黄島からの手紙』では、同じ騎兵出身の栗林忠道陸軍中将(陸軍大将。小笠原方面陸海軍最高指揮官たる小笠原兵団長)と意気投合したことになっているが、実際には確執もあったという(ただし劇中においても、確執をほのめかすシーンが存在する)。貴重な水で戦車を洗っていたことを栗林が咎め、厳罰を要求したが西がこれを撥ね付けたためという。ただそれは些細な諍いであり、両人とも硫黄島守備にあたる将兵の人気は高かった。 1945年、硫黄島守備隊として小笠原兵団(栗林忠道陸軍中将は、小笠原兵団長 兼 第109師団長)直轄の戦車第26連隊の指揮を執ることとなった。硫黄島においても愛用の鞭を手にエルメス製の乗馬長靴で歩き回っていたという。 丸万集落付近にて展開していた連隊本部は戦端が開かれる前に東地区に移動、地形状の関係から装備の九七式中戦車(新砲塔チハ車)及び九五式軽戦車の一部車両の砲塔を取り外したり、車体をダグインさせ擬装したりして、トーチカや砲台代わりに使用するなどした。混成第2旅団(旅団長:千田貞季陸軍少将)が主陣地とする玉名山の側面・南海岸に押し寄せるアメリカ海兵隊第4海兵師団、及び予想される沖縄戦のために温存されながら玉名山の前面・元山飛行場に予備部隊として新たに押し寄せてきた第3海兵師団の両海兵師団に所属するM4中戦車と撃滅戦を展開した。 この硫黄島での戦闘で戦場に遺棄されたアメリカ軍の兵器を積極的に鹵獲し、整備・修理した後それらを使用して勇戦したと伝えられている。戦闘末期の撤退戦の中でもはぐれた兵士を洞窟内に入れることを拒絶する他指揮官が多かった中、西は「一緒に戦おう」と受け入れたという逸話も残っている。また『硫黄島からの手紙』でも描かれた、負傷したアメリカ兵を尋問ののち乏しい医薬品でできるだけの手当てをしたこと、母親からの手紙がその米兵のポケットにあった・・・といったエピソードも証言として大野芳、城山三郎、R.F.ニューカムなどの著作でも触れられている。 アメリカ軍側では、ロサンゼルス五輪の英雄であった西を知る者も多かったため、「バロン西、我々はあなたを失いたくない。出てきなさい」と日本語で幾度となく西に投降を呼びかけたが、これらを全て無視した。一方、この呼びかけの逸話は創作の可能性が指摘されている。3月17日に音信を絶ち、3月21日払暁、兵団司令部への移動のため敵中突破中に掃射を受けその場で戦死したか、もしくはその後に銀明水及び双子岩付近にて副官と共に拳銃自決したともいわれる。 あるいは3月22日、火炎放射器で片目をやられながらも、数人の部下らと共に最期の突撃を行い戦死したともいう。また他の説に、硫黄島戦末期に日本軍に鹵獲され使用されたM4中戦車の話がある。接近してくる戦車に挨拶したアメリカ海兵隊員がいきなり銃撃を受けたり、戦場で合流した戦車から至近距離で砲撃を受け戦車が複数台撃破されたりした。後にこのM4中戦車は撃破され、中から日本兵の死体が発見されたが、その中の1人が西ではないかとも言われている。 西の最期の詳細は不明であるが 1973年のドキュメンタリー映画『硫黄島』では、アメリカ軍の手榴弾で戦死したとしている。満42歳没。最期と同様に、死亡場所についても複数の説があるが東海岸には西大佐戦死の碑がある。 戦死により陸軍大佐に進級。墓所は青山霊園。当主の死により長男の西泰徳が男爵を襲爵した。西の後を追うかの如く、死の一週間後の3月末、陸軍獣医学校に居たウラヌスも死亡している。西が死ぬまで離さなかったウラヌスの鬣(たてがみ)が、1990年にアメリカにおいて発見され、軍馬鎮魂碑のある北海道中川郡本別町の歴史民俗資料館に収められている。 ロサンゼルスオリンピックで獲得した金メダルは、ウラヌスの蹄鉄などと共に「優勝額」の形で秩父宮記念スポーツ博物館が所蔵している。 愛用していた乗馬鞭が、1964年に西の未亡人からアメリカの団体に譲渡され、当該団体の後身「LA84ファンデーション」(スポーツ振興団体)が2021年まで所蔵していた。2020年東京オリンピックの開催を機会に、2021年7月末に曽孫(東京在住)に返還された。 性格は至って鷹揚、天真爛漫でサッパリし、明るかったと生前に交流のあった人々は証言している。当時からスマートな美男子として有名であり、当時の日本人としては175cmの高身長、軍人ながら髪は海軍風の七三に分け、他の青年将校と同じく軍服は昭和の青年将校文化の影響を受けた派手なものを着用していた。 趣味は乗馬のみならず射撃やカメラ、バイク(ハーレーダビッドソン)自動車(クライスラーの高級輸入車)オープンカーを愛し、ロサンゼルス滞在中はゴールドのパッカードコンバーチブルを現地調達して乗り回していたという。 米国の映画スター、チャーリー・チャップリン、ダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォード夫妻、スペンサー・トレイシーらとの交友も話題となった。 硫黄島戦の時期にはアメリカ軍の情報将校としてグアムの第315爆撃航空団に赴任していたサイ・バートレット陸軍大佐は、1965年に来日して西の未亡人を訪ね、靖国神社において西の慰霊祭を挙行した。 「自分を理解してくれる人は少なかったが、ウラヌスだけは自分を分かってくれた」と語っていた。なおウラヌスは体高(肩までの高さ)が181cmもある大きな馬体。性格はかなり激しかったらしく、西以外は誰も乗りこなせなかったという。
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"趣味は乗馬のみならず射撃やカメラ、バイク(ハーレーダビッドソン)自動車(クライスラーの高級輸入車)オープンカーを愛し、ロサンゼルス滞在中はゴールドのパッカードコンバーチブルを現地調達して乗り回していたという。", "title": "人物像" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "米国の映画スター、チャーリー・チャップリン、ダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォード夫妻、スペンサー・トレイシーらとの交友も話題となった。", "title": "人物像" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "硫黄島戦の時期にはアメリカ軍の情報将校としてグアムの第315爆撃航空団に赴任していたサイ・バートレット陸軍大佐は、1965年に来日して西の未亡人を訪ね、靖国神社において西の慰霊祭を挙行した。", "title": "人物像" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "「自分を理解してくれる人は少なかったが、ウラヌスだけは自分を分かってくれた」と語っていた。なおウラヌスは体高(肩までの高さ)が181cmもある大きな馬体。性格はかなり激しかったらしく、西以外は誰も乗りこなせなかったという。", "title": "人物像" } ]
西 竹一は、日本の陸軍軍人、華族。最終階級は陸軍大佐。爵位は男爵。愛称はバロン西。 1932年ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技の金メダリスト。この金メダルは、オリンピックの馬術競技で日本が獲得した唯一のメダルである。 帝国陸軍将校として騎兵畑を歩んでいたが、後に戦車兵に転科し、第二次世界大戦末期の硫黄島の戦いにおいて、戦車第26連隊長として戦死した。
{{基礎情報 軍人 | 氏名 = {{ruby|西|にし}} {{ruby|竹一|たけいち}} | 各国語表記 = Takeichi Nishi | 生年月日 = {{生年月日と年齢|1902|7|12|死去}} | 没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1902|7|12|1945|3|22}} | 画像 = Takeichi Nishi.jpg | 画像サイズ = 250px | 画像説明 = 西と愛馬ウラヌス | 渾名 = [[男爵|バロン]]西 | 生誕地 = {{JPN}}・[[東京府]][[東京市]][[麻布区]]麻布笄町 | 死没地 = {{JPN}}・[[東京都]][[硫黄島村]] | 所属組織 = {{IJARMY}} | 軍歴 = [[1924年]] - [[1945年]] | 最終階級 =[[ファイル:帝國陸軍の階級―襟章―大佐.svg|40px]] [[大佐|陸軍大佐]] | 除名後 = | 墓所 = [[青山霊園]] | 署名 = }} {{MedalTableTop}} {{MedalCountry | {{JPN}} }} {{MedalSport |馬術競技}} {{MedalCompetition|[[オリンピックの馬術競技|オリンピック]]}} {{MedalGold |[[1932年ロサンゼルスオリンピック|1932 ロサンゼルス]] | [[1932年ロサンゼルスオリンピックの馬術競技・障害飛越個人|障害飛越個人]]}} {{MedalBottom}} '''西 竹一'''(にし たけいち、[[1902年]]〈[[明治]]35年〉[[7月12日]] - [[1945年]]〈[[昭和]]20年〉[[3月22日]])は、日本の[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[軍人]]、[[華族]]。最終[[軍隊の階級|階級]]は[[大佐|陸軍大佐]]。爵位は[[男爵]]。愛称は'''バロン西'''(Baron Nishi)'''<ref name="道新20210812" />'''。 [[1932年ロサンゼルスオリンピック]][[オリンピック馬術競技|馬術]][[障害飛越競技]]の[[金メダル|金メダリスト]]。この金メダルは、[[夏季オリンピック|オリンピック]]の馬術競技で日本が獲得した唯一の[[オリンピックメダル|メダル]]である<ref name="道新20210812"/>。 帝国陸軍[[将校]]として[[騎兵]]畑を歩んでいたが、後に[[兵科#戦車兵|戦車兵]]に転科し、[[第二次世界大戦]]末期の[[硫黄島の戦い]]において、[[戦車第26連隊]][[連隊長|長]]として[[戦死]]した<ref name="道新20210812">硫黄島で戦死 五輪馬術金メダリスト「バロン西」のむち 遺族の手に/米で保管国境飛び越え友情つなぐ『[[北海道新聞]]』夕刊2021年8月12日1面</ref>。 == 経歴 == === 生い立ち === 男爵・[[西徳二郎]]の三男として[[東京市]][[麻布区]][[笄町|麻布笄町]](現在の[[港区 (東京都)|港区]][[西麻布]]。住居は[[桜田町|麻布桜田町]]付近)にて生まれた。正妻でない母は、出産後、家を出された。父は[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]や[[枢密院 (日本)|枢密顧問官]]などを歴任し、駐[[清]][[公使]]時代には[[義和団の乱]]処理に当たった人物であった。義和団の乱の処理の際、清の[[西太后]]から[[中国茶]]の専売権を与えられ、巨万の富を手にしたといわれている。 === 男爵叙爵 === [[学習院幼稚園]]を経て、[[学習院初等科]]時代は近隣の[[千代田区立番町小学校|番町小]]の生徒と[[喧嘩]]を繰り返す暴れん坊であった。[[1912年]]([[明治]]45年)には徳二郎が死去し、同年3月30日、その跡を継ぎ当主として男爵となる<ref>『[[官報]]』第8632号(明治45年4月1日)</ref>。[[後見人]]は西伊佐次。妻となる武子の祖父は[[川村純義]][[海軍大将]]、父は[[伯爵]]・[[川村鉄太郎]]であり、武子の長姉・艶子は[[阪本釤之助]]の子で[[第二次世界大戦]]中の駐[[スイス]][[公使館|公使]]時に終戦工作に奔走する[[阪本瑞男]]に嫁いだ。武子の次姉・花子は[[柳原白蓮]]の異母兄である[[柳原義光]]の後妻。子に長男の泰徳に、長女と次女の三子。 [[1915年]]([[大正]]4年)<!-- 13歳入学なら1915年にあたる -->4月、[[外交官]]であった父の遺志を継ぎ[[府立一中]](現・[[東京都立日比谷高等学校|日比谷高校]])に入学、[[同期]]には[[小林秀雄 (批評家) |小林秀雄]]、[[迫水久常]]らがいた。その後、府立一中在籍中から[[1917年]](大正6年)<!--3年の地方幼年課程ゆえ1917年にした-->9月、[[広島陸軍地方幼年学校]]に入校した<ref group="注釈">[[乃木希典]][[陸軍大将]]が学習院[[院長]]のとき、華族の斜陽化を憂えて華族の子供は軍人を目指すように言ったことに影響されたという説がある。</ref>。 === 陸軍 === [[File:Imperial Baron Nishi.jpg|thumb|200px|right|西とウラヌスによる「車越え」]] [[1920年]](大正9年)には[[陸軍幼年学校|陸軍中央幼年学校本科]]に進む。同期に[[名古屋陸軍幼年学校]][[首席]]・[[辻政信]]、[[東京陸軍幼年学校|陸軍中央幼年学校予科]]首席・[[甲谷悦雄]]。[[1921年]](大正10年)4月、陸士陸幼の制度改編で中幼本科を半年で修了すると、新設の[[陸軍予科士官学校|陸軍士官学校予科]]へ第36期で入校した。 陸士予科では、希望[[兵科]]として帝国陸軍の花形である'''騎兵'''を選択。卒業後は[[士官候補生]]として[[世田谷区|世田谷]][[騎兵連隊|騎兵第1連隊]]に配属(卒業成績:19番中13番)され、隊附勤務を経て[[陸軍士官学校_(日本)|陸軍士官学校]](本科)に入校。[[1924年]](大正13年)7月、陸士本科を第36期生として卒業、[[見習士官]]として原隊の騎兵第1連隊附となり同年10月には[[少尉|陸軍騎兵少尉]]に任官。[[1927年]](昭和2年)9月に[[陸軍騎兵学校]](乙種学生)を卒業し同年10月には[[中尉|陸軍騎兵中尉]]に進級した。 === ウラヌスとの出会いと金メダル === [[File:Baron Nishi at LA.jpg|thumb|200px|ロサンゼルスオリンピックにて競技中の西とウラヌス]] [[ファイル:Boy's kimono from Japan, Honolulu Museum of Art 11029.1.JPG|thumb|200px|金メダリストの西は子供の着物の柄にもなった(1932年)]] [[1930年]](昭和5年)ロサンゼルスオリンピックの出場の為、半年間の休養を取り、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]と[[ヨーロッパ|欧州]]へ向かった。欧州へ向かう船内で米国の映画スター[[ダグラス・フェアバンクス]]と[[メアリー・ピックフォード]]夫妻と親交を持った。 3月には[[イタリア]]で 終生の友とも言うべき存在となる'''[[ウラヌス (競技馬)|ウラヌス]]'''との運命的な出会いを果たす。6,500[[リラ (通貨)|伊リラ]](当時の換算レートで、6,500伊リラ=100[[ポンド (通貨)|英ポンド]]=1,000[[円 (通貨)|日本円]])で購入した<ref>{{Harvnb|大野|1984|pp=97-98}}</ref><ref group="注釈">世界大会での使用に耐え得る一流の馬術競技馬は、少なくとも現代においては億円単位の値段が付けられるほどの高い価値を持つ存在である。</ref>。その後、欧州各地の馬術大会に参加し、好成績を残す。 [[1932年]]の[[習志野]][[騎兵連隊|騎兵第16連隊]]附陸軍騎兵中尉時代、[[教育総監#騎兵監部|騎兵監]]などを歴任した[[大島又彦]][[中将|陸軍中将]]を団長に、[[城戸俊三]][[少佐|陸軍騎兵少佐]]ら帝国陸軍の出場選手一同と参加したロサンゼルスオリンピック、馬術大障害飛越競技にて金メダリストとなる<ref>三上孝道『これだけは知っておきたい(11) オリンピックの大常識』(株式会社[[ポプラ社]]、2004年)96ページ、ISBN 4-591-08135-4</ref>。これは[[アジア]]諸国として初めての、日本勢として唯一のオリンピック馬術競技でメダルを獲得した記録である<ref name="道新20210812" />。 [[File:Imperial Japanese Army officer Baron Nishi.jpg|thumb|200px|[[ベルリン]]に赴く陸軍騎兵大尉時代の西と見送りの妻子(1936年)]] 障害競技で、ウラヌスが後足を横に捻ってクリアしたこともあり、インタビューでは「We won.」(「我々(自分とウラヌス)は勝った」)と応じている。 [[人種差別]]で排斥されていた在米日本人や[[日系アメリカ人]]間で人気を集め、上流階級の名士が集まる[[社交界]]では「バロン西」と呼ばれ、[[ロサンゼルス|ロサンゼルス市]]名誉市民にもなっている。 現地で行われた金メダル受賞パーティーではダグラス・フェアバンクスと再会し、友情を温めるとともに金メダルを祝った。 [[File:Ascot nishi.jpg|thumb|right|200px|西とアスコット]] [[1933年]]8月には[[大尉|陸軍騎兵大尉]]に進級、陸軍騎兵学校の教官となる。 === ベルリンオリンピック === [[1936年]](昭和11年)の[[1936年ベルリンオリンピック|ベルリンオリンピック]]にも参加しているが、ウラヌスと臨んだ障害飛越競技では競技中落馬し[[棄権]]している。オリンピック数ヵ月後の同年11月には[[日独防共協定]]が締結されていることから、この意外な落馬には主催国[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]の選手に金メダルを譲るために西が計った便宜ではなかったかという憶測が当時から流れていた。西は同大会では元[[競走馬]]の[[アスコツト|アスコット]]と共に[[総合馬術]]競技にも出場し、12位となっている。 === 軍馬補充部に === ベルリンオリンピックの後、騎兵第1連隊の[[中隊長]]として軍務に戻る。[[日中戦争]]開戦後の[[1939年]](昭和14年)3月には陸軍騎兵少佐に昇進し、[[軍馬]]の育成などを担当する[[陸軍省]][[軍馬補充部]]の[[十勝]]支部員となる。 [[第一次世界大戦]]が終わり、[[第二次世界大戦]]の開戦に向けた軍拡時代の[[1930年代]]当時、時代の流れとして世界の[[陸軍]]においては騎兵部隊が削減され、代わって[[自動車化歩兵]]部隊や近代的な戦車兵・戦車部隊が新設されていた時代であり、同時期の帝国陸軍においても乗馬中隊と[[装甲車]]中隊とを組み合わせ、その[[機動]]力により[[斥候|戦闘斥候]]を行う[[偵察]]部隊である[[捜索連隊|捜索隊(師団捜索隊)]]が新たに[[編成 (軍事)|編成]]され、また従来の騎兵連隊も一部の連隊を残し、多くは同じく機動偵察部隊である[[捜索連隊]]や[[戦車連隊]]に改編されていた。 [[大東亜戦争]]開戦後の[[1942年]]11月、西は[[第26師団 (日本軍)|第26師団]]捜索隊長、更に[[1943年]]7月には[[第1師団 (日本軍)|第1師団]]捜索隊長を歴任している。 === 戦車連隊長に === 1943年8月、西は[[中佐|陸軍中佐]]に昇進、また戦車兵として[[1944年]]3月には'''戦車第26連隊'''([[軍隊符号]]:'''26TK'''、部隊マーク<ref group="注釈">帝国陸軍の機甲部隊や飛行部隊([[陸軍飛行戦隊#部隊マーク]])では、部隊マークを考案して所属兵器に描く文化があり、一例として[[占守島の戦い]]で活躍した[[戦車第11連隊|11TK]]の(士魂の)「[[士]]」の文字、[[フィリピンの戦い (1944-1945年)|フィリピン防衛戦]]における[[戦車第9連隊|9TK]]の「[[菊水]]」の紋、[[飛行第11戦隊|11FR]]や[[飛行第50戦隊|50FR]]の「[[稲妻]]・電光」の図案、[[飛行第64戦隊|64FR]]の「斜め矢印」の図案などが存在する。</ref>は「'''丸に[[矢印|縦矢印]]'''」)の連隊長を拝命、[[満州国]]北部(北満)防衛の任に就いた。 戦車第26連隊は当初は「[[サイパンの戦い]]」に参戦する予定であったが、現地守備隊が早々と[[玉砕]]したため守備隊が再編成され、1944年6月20日に[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]への[[動員]]が下令された。 === 硫黄島へ === [[File:Ha-Go Guam-captured.jpg|thumb|200px|戦車第26連隊所属の[[九五式軽戦車]]。硫黄島の戦いでアメリカ軍に[[鹵獲]]されたもので、砲塔側面に部隊マーク「丸に縦矢印」が見える。]] 26TKは満州から日本経由で硫黄島へ向かうが、その行路([[父島]]沖)において[[アメリカ海軍]][[ガトー級潜水艦]]「[[コビア (潜水艦)|コビア]]」の[[雷撃]]を受け、28両の[[戦車]]ともども輸送船「[[日秀丸]]」は沈没(連隊内の戦死者は2名)。 8月、戦車補充のため一旦東京に戻り、[[東京川崎財閥]]の御曹司で親友であった川崎大次郎<ref group="注釈">のち[[第百生命]]会長。</ref>の車を借用して駆け回っていた<ref>川崎大次郎篇『[[私の履歴書]]』</ref>。その折、[[馬事公苑]]で余生を過していたウラヌスに会いに行き、ウラヌスは西の足音を聞いて狂喜して、馬が最大の愛情を示す態度である、首を摺り寄せ、愛咬をしてきたという。 その後、硫黄島へ戻るが、映画『[[硫黄島からの手紙]]』では、同じ騎兵出身の[[栗林忠道]][[中将|陸軍中将]]([[陸軍大将]]。[[小笠原諸島|小笠原]]方面陸海軍最高指揮官たる[[小笠原兵団]]長)と意気投合したことになっているが、実際には確執もあったという(ただし劇中においても、確執をほのめかすシーンが存在する)。貴重な水で戦車を洗っていたことを栗林が咎め、厳罰を要求したが西がこれを撥ね付けたためという。ただそれは些細な諍いであり、両人とも硫黄島守備にあたる将兵の人気は高かった。 === 戦死 === [[File:Type-97-Shinhoto-ChiHa-Aberdeen.0003dtwq.jpg|thumb|200px|戦車第26連隊所属の[[九七式中戦車#新砲塔|九七式中戦車(新砲塔チハ車)]]。硫黄島の戦いでアメリカ軍に鹵獲されたもので、現在は[[アメリカ陸軍兵器博物館]]が所蔵。]] 1945年、硫黄島守備隊として小笠原兵団([[栗林忠道]]陸軍中将は、小笠原兵団長 兼 [[第109師団 (日本軍)|第109師団]]長)直轄の戦車第26連隊の指揮を執ることとなった。硫黄島においても愛用の[[鞭]]を手に[[エルメス]]製の[[ブーツ#乗馬ブーツ|乗馬長靴]]<ref group="注釈">帝国陸軍において将校の軍装品は自身の嗜好で調達する私物であり、高級将校や西のような上流階級出身者は特に高級なテーラー・メイド品を使用していた。「[[軍服 (大日本帝国陸軍)]]」参照。</ref>で歩き回っていたという。 丸万集落付近にて展開していた連隊[[司令部|本部]]は戦端が開かれる前に東地区に移動、地形状の関係から装備の[[九七式中戦車]](新砲塔チハ車)及び[[九五式軽戦車]]の一部車両の[[砲塔]]を取り外したり、車体をダグインさせ[[擬装]]したりして、[[トーチカ]]や[[砲台]]代わりに使用するなどした。混成第2[[旅団]](旅団長:[[千田貞季]][[陸軍少将]])が主陣地とする玉名山の側面・南海岸に押し寄せる[[アメリカ海兵隊]][[第4海兵師団 (アメリカ軍)|第4海兵師団]]、及び予想される[[沖縄戦]]のために温存されながら玉名山の前面・元山飛行場に予備部隊として新たに押し寄せてきた[[第3海兵師団 (アメリカ軍)|第3海兵師団]]の両海兵師団に所属する[[M4中戦車]]と撃滅戦を展開した。 この硫黄島での戦闘で戦場に遺棄された[[アメリカ軍]]の[[兵器]]を積極的に[[鹵獲]]し、整備・修理した後それらを使用して勇戦したと伝えられている。戦闘末期の撤退戦の中でもはぐれた兵士を洞窟内に入れることを拒絶する他指揮官が多かった中、西は「一緒に戦おう」と受け入れたという逸話も残っている<ref>[[梯久美子]]『[[文藝春秋 (雑誌) |文藝春秋]]』2007年2月号</ref>。また『硫黄島からの手紙』でも描かれた、負傷したアメリカ兵を尋問ののち乏しい医薬品でできるだけの手当てをしたこと、母親からの手紙がその米兵のポケットにあった・・・といったエピソードも証言として[[大野芳]]、[[城山三郎]]、R.F.ニューカムなどの著作でも触れられている。 アメリカ軍側では、ロサンゼルス五輪の英雄であった西を知る者も多かったため、「バロン西、我々はあなたを失いたくない。出てきなさい」と日本語で幾度となく西に投降を呼びかけたが、これらを全て無視した。一方、この呼びかけの逸話は創作の可能性が指摘されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/92592?page=3 |title=伝説の五輪メダリスト・バロン西の壮絶死の「伝説」が、日本人の心の支えとなった理由 最後の証言者が語る【後編】 |access-date=2023-08-22 |publisher=現代ビジネス}}</ref>。3月17日に音信を絶ち、3月21日払暁、兵団司令部への移動のため敵中突破中に掃射を受けその場で戦死したか、もしくはその後に銀明水及び双子岩付近にて[[副官]]と共に[[自殺|拳銃自決]]したともいわれる。 あるいは3月22日、[[火炎放射器]]で片目をやられながらも、数人の部下らと共に最期の[[突撃]]を行い戦死したともいう{{要出典|date=2013年5月}}。また他の説に、硫黄島戦末期に[[日本軍]]に鹵獲され使用されたM4中戦車の話がある。接近してくる戦車に挨拶したアメリカ海兵隊員がいきなり銃撃を受けたり、戦場で合流した戦車から至近距離で砲撃を受け戦車が複数台撃破されたりした。後にこのM4中戦車は撃破され、中から日本兵の死体が発見されたが、その中の1人が西ではないかとも言われている{{要出典|date=2013年5月}}。 西の最期の詳細は不明であるが 1973年のドキュメンタリー映画『硫黄島』では、アメリカ軍の[[手榴弾]]で戦死したとしている<ref>『硫黄島』(1973年)。1:27:00- 参照。</ref>。満{{没年齢|1902|7|12|1945|3|22}}。最期と同様に、死亡場所についても複数の説があるが東海岸には西大佐戦死の碑がある。 === 死後 === 戦死により[[大佐|陸軍大佐]]に[[特進|進級]]。墓所は[[青山霊園]]。当主の死により長男の[[西泰徳]]が男爵を襲爵した。西の後を追うかの如く、死の一週間後の3月末、[[陸軍獣医学校]]に居たウラヌスも死亡している。西が死ぬまで離さなかったウラヌスの[[鬣]](たてがみ)が、[[1990年]]にアメリカにおいて発見され、軍馬鎮魂碑のある[[北海道]][[中川郡 (十勝国)|中川郡]][[本別町]]の歴史民俗資料館に収められている。 ロサンゼルスオリンピックで獲得した金メダルは、ウラヌスの蹄鉄などと共に「優勝額」の形で[[秩父宮記念スポーツ博物館]]が所蔵している<ref name=":0" />。 愛用していた乗馬鞭が、1964年に西の未亡人からアメリカの団体に譲渡され、当該団体の後身「LA84ファンデーション」(スポーツ振興団体)が2021年まで所蔵していた<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=バロン西のむち返還 馬術「金」、日本の遺族に|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2021070500074&g=int|website=時事ドットコム|accessdate=2021-10-19|language=ja|publisher=[[時事通信]]|date=2021-7-5|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210705044116/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021070500074&g=int|archivedate=2021-7-5}}</ref><ref name=":2">{{Cite web|和書|url=https://www.la.us.emb-japan.go.jp/itpr_ja/BaronNishi.08.2021.html |title=マシ・オカ氏がバロン西氏の馬鞭を遺族に返還 |access-date=2022-7-8 |publisher=在ロサンゼルス日本国総領事館 |archive-url=https://megalodon.jp/2022-0708-1016-58/https://www.la.us.emb-japan.go.jp:443/itpr_ja/BaronNishi.08.2021.html |archive-date=2022-7-8}}</ref>。[[2020年東京オリンピック]]の開催を機会に、2021年7月末に曽孫(東京在住)に返還された<ref name="道新20210812" /><ref name=":1" /><ref name=":2" /><ref>「戦没オリンピアン 友情今も:馬術金の「バロン西」遺族に鞭返還」[[産経新聞]] 2021年8月10日夕刊</ref>。 == 人物像 == [[File:Nishi Takeichi.jpg|thumb|right|200px|1936年ベルリンオリンピックが開催されていたドイツにて、[[ヒトラー・ユーゲント]]の団員と交換した帽子をかぶる西。]] 性格は至って鷹揚、天真爛漫でサッパリし、明るかったと生前に交流のあった人々は証言している。当時からスマートな美男子として有名であり、当時の日本人としては175cmの高身長、軍人ながら髪は[[大日本帝国海軍|海軍]]風の[[七三分け|七三]]に分け、他の青年将校と同じく[[軍服 (大日本帝国陸軍)|軍服]]は[[軍服 (大日本帝国陸軍)#青年将校文化(大11制・昭5制)|昭和の青年将校文化]]の影響を受けた派手なものを着用していた。 趣味は乗馬のみならず[[射撃]]や[[カメラ]]、[[オートバイ|バイク]]([[ハーレーダビッドソン]])[[自動車]]([[クライスラー]]の高級輸入車)[[オープンカー]]を愛し、[[ロサンゼルス]]滞在中はゴールドの[[パッカード]][[コンバーチブル]]を現地調達して乗り回していたという。 米国の[[映画俳優|映画スター]]、[[チャーリー・チャップリン]]、[[ダグラス・フェアバンクス]]と[[メアリー・ピックフォード]]夫妻、[[スペンサー・トレイシー]]らとの交友も話題となった。<!--http://kids.britannica.com/olympics/reflections/article-9397295--><!--http://youtu.be/iSKDdC8AmiY--> 硫黄島戦の時期にはアメリカ軍の情報将校として[[グアム島|グアム]]の[[日本本土空襲|第315爆撃航空団]]に赴任していた[[:en:Sy_Bartlett|サイ・バートレット]]陸軍大佐<ref group="注釈">西のロス五輪時の大会付き人。当時の米国では反日感情が強くバートレットも日本人に付くのを嫌がっていたが、西の人柄に互いに打ち解け、のち西が俳優らとのパーティーに連れて行った際に映画人を紹介した。</ref>は、[[1965年]]に来日して西の未亡人を訪ね、[[靖国神社]]において西の慰霊祭を挙行した<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=http://hokudai-horse.xsrv.jp/monogatari/04.html|title=バロン西と愛馬ウラヌス物語|accessdate=2018-10-20|website=|publisher=[[北海道大学]][[馬術]]部|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181020113446/http://hokudai-horse.xsrv.jp/monogatari/04.html|archivedate=2018-10-20}}</ref>。 「自分を理解してくれる人は少なかったが、ウラヌスだけは自分を分かってくれた」と語っていた。なおウラヌスは体高(肩までの高さ)が181cmもある大きな馬体。性格はかなり激しかったらしく、西以外は誰も乗りこなせなかったという。 == 家族 == * 父: [[西徳二郎|徳二郎]](男爵。[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]、[[枢密顧問官]]) * 妻: 武子([[川村純義]][[海軍大将]]の孫、[[川村鉄太郎]][[伯爵]]の娘) * 長男: 泰徳(男爵) * 長女: 淑子(小松彰久夫人) * 次女: 広子 * 孫: [[小松揮世久]]([[伊勢神宮]][[大宮司]]、[[小松宮|小松旧侯爵家]]当主) == 西竹一を扱った作品 == === 参考・関連書籍 === * [[城山三郎]]『[[硫黄島に死す]]』(初出:『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』1963年11月号) *{{Citation|和書|last=大野|first=芳|authorlink=大野芳|year=1984|title=オリンポスの使徒:「バロン西」伝説はなぜ生まれたか|edition=|publisher=[[文藝春秋]]|isbn=|series=|ref=harv}} *{{Cite journal ja-jp|author=[[梯久美子]]|year=2007|title=(検証)栗林中将 衝撃の最期|url=|format=|journal=[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]|issue=2007年2月号|serial=|publisher=[[文藝春秋]]|pages=|ref=harv}} *{{Citation|和書|title=硫黄島:栗林中将の最期|year=2016|last=梯|first=久美子|authorlink=梯久美子|series=|edition=[[Amazon Kindle]]|publisher=[[文藝春秋]]|isbn=|ref=harv}} * 太平洋戦争研究会『硫黄島とバロン西』[[ビジネス社]]、2006年11月1日 * [[土門周平]]・[[入江忠国]]『激闘戦車戦』[[光人社]]、1999年 * 『[[知ってるつもり?!]] 10 心やさしき勝利者たち』[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、1993年4月 ISBN 978-4820393016 *:(所収一覧: [[人見絹枝]]、[[嘉納治五郎]]、[[大江季雄]]、[[西田修平]]、バロン西、[[ベーブ・ルース]]、[[猫田勝敏]]) === 映画 === * 『[[硫黄島からの手紙]]』 - [[クリント・イーストウッド]]監督による「硫黄島プロジェクト」二部作映画の第2弾。[[渡辺謙]]演じる[[栗林忠道]]中将を中心に、日本軍側から硫黄島の戦いを描く。西役は[[伊原剛志]]。2006年。 === 漫画 === * 『風と踊れ! -時代を疾走ぬけた男 バロン西-』原作・[[二橋進吾]]、作画・[[樹崎聖]] - 『[[週刊少年ジャンプ]]』掲載の読み切り、1994年 * 『[[空手バカ一代]]』原作・[[梶原一騎]]、作画・[[つのだじろう]] - 主人公[[大山倍達]]のアメリカ修行時代に、硫黄島でアメリカ兵が西の投降を呼びかけるエピソードが登場する。1971年 - 1977年。 * 『劇画太平洋戦争11 玉砕!硫黄島』原作・山梨賢一 、作画・小田昭次、[[立風書房]]、1975年 - 米軍から西への呼びかけによる降伏勧告を拒んで[[玉砕]]する。 === テレビ === * 『[[栄光の旗]]』TBS、1965年 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[日本の夏季オリンピック金メダル]] * [[河石達吾]] == 外部リンク == * [https://www.joc.or.jp/column/olympic/history/003.html?mode=pc 3.激動の時代を迎えたオリンピック] * [https://www.nippon.com/en/nipponblog/m00041/la-1932-japan%E2%80%99s-breakout-olympics.html LA 1932: Japan’s Breakout Olympics] * {{Sports links}} {{-}} {{S-start}} {{S-reg|jp}} {{Succession box | title = 男爵 | years = 西(徳二郎)家第2代<br />1912年 - 1945年 | before = [[西徳二郎]] | after = [[西泰徳]] }} {{S-end}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:にし たけいち}} [[Category:西竹一|*]] [[Category:日本の男爵]] [[Category:大日本帝国陸軍軍人]] [[Category:20世紀の軍人]] [[Category:戦車隊指揮官]] [[Category:太平洋戦争で戦死した人物]] [[Category:硫黄島の戦い]] [[Category:日本の馬術選手]] [[Category:オリンピック馬術競技日本代表選手]] [[Category:日本のオリンピック金メダリスト]] [[Category:馬術のオリンピックメダリスト]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:陸軍騎兵学校の教員]] [[Category:陸軍士官学校 (日本)出身の人物]] [[Category:東京都立日比谷高等学校出身の人物]] [[Category:1902年生]] [[Category:1945年没]]
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ハヤカワ文庫
ハヤカワ文庫()とは、株式会社早川書房が発行している文庫レーベル。1970年(昭和45年)以来、SFや推理小説を中心に収録してきており、日本国外の翻訳作品が多い。ハヤカワ文庫SF、ハヤカワ文庫HMなど、いくつかのサブレーベルに分かれている。 1970年(昭和45年)8月にハヤカワSF文庫として創刊。創刊者は森優。海外SFのレーベル。ただし日本SFもごく初期に数点ある。No.1はエドモンド・ハミルトン『さすらいのスターウルフ』。 背表紙が白でカラー口絵・モノクロ挿絵のある通称「白背」(娯楽系SF)と、背表紙が青で口絵・挿絵のない通称「青背」(本格SF)があるが、近年は『ペリー・ローダン』シリーズを除きほぼ全て青背である。 2015年(平成27年)、SF文庫2000点を記念して『SFマガジン』4月号、6月号、8月号で「ハヤカワSF文庫総解説」が特集される。同年11月、上記特集の単行本化『ハヤカワ文庫SF総解説2000』が刊行された。 1972年(昭和47年)1月創刊。海外一般小説 (NoVel) のレーベル。NV は "novel" に由来する。No.1はジョン・スタインベック『エデンの東1』。 四六判で刊行されていた「ハヤカワ・ノヴェルズ」の文庫版として企画された。海外の主流文学系の作品が収録されていたが、epi文庫創刊後はそちらに移行。エンターテインメント性の強い小説が多く、SF・ミステリ性のある作品も含んでいる。SF作家とされるレイ・ブラッドベリの作品の多くがNVで刊行されていたが、のちにSFに移った。 サブシリーズとして「モダンホラー・セレクション」が1987年(昭和62年)から1990年(平成2年)まで刊行された。 1973年(昭和48年)3月にハヤカワJA文庫として創刊。日本人作家 (Japanese author) のレーベル。No.1は小松左京『果しなき流れの果に』。 初期は日本のSF小説もハヤカワ文庫SFから刊行されていたが、JA文庫(文庫JA)の創刊後はこちらで刊行されるようになった。創刊の経緯からSF専門レーベルであったが、1995年(平成7年)からは日本人作家ならジャンルは問わなくなった。小説以外も対象としており、エッセイや漫画(サブレーベルハヤカワコミック文庫、1996年 - 現在)も収録している。文庫SF同様、口絵・挿絵の有無で区別されるが、背表紙は同じである(伊藤計劃・円城塔らの作品など、背表紙が特殊デザインになっているものも一部存在する)。2010年(平成22年)頃には表紙デザインを統一し、ライトノベル系の作家・イラストレーターを起用した書き下ろし作品シリーズが刊行されていたが、次第に差異がなくなり、実質的に統合されている。 2021年10月刊行の樋口恭介編『異常論文』による文庫JAの刊行1500巻を記念して、〈SFマガジン〉〈ミステリマガジン〉両誌で「総解説」の特集企画を実施。2022年2月に『ハヤカワ文庫JA総解説1500』として単行本として刊行された。 別名、ハヤカワ・ミステリ文庫(英:Hayakawa Mystery bunko, etc.)。1976年(昭和51年)4月にハヤカワ・ミステリ文庫の名で創刊。海外ミステリのレーベルで、No.1はアガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』。HM は "Hayakawa" と "mystery" に由来する。 2015年(平成27年)10月からはサブレーベル〈my perfume〉(海外の「women's fiction」を訳す)を刊行している。 1977年(昭和52年)5月創刊。ノンフィクション (nonfiction) のレーベルで、No.1はジョージ・B・シャラー(英語版)『ゴリラの季節』。サブシリーズに「<数理を楽しむ>シリーズ」(2003年〈平成15年〉創刊)と「<ライフ・イズ・ワンダフル>シリーズ」(2005年〈平成17年〉創刊)がある。 トールサイズ化以前の分類は、青色は自然・科学、赤色は社会・文化、緑色は戦記、紫色は政治・経済、橙色は人・体験であり、背表紙のタイトルと著者名の間の丸印の色で区別した。トールサイズ化以降の背表紙は、「<数理を楽しむ>シリーズ」を除き、タイトルと整理番号部分が橙色地の装丁に統一されている。 1979年(昭和54年)2月創刊。海外ファンタジー (fantasy) のレーベル。創刊者は風間賢二。No.1はパトリシア・A・マキリップ『妖女サイベルの呼び声』。 2001年(平成13年)5月創刊。海外小説のレーベルで、No.1はグレアム・グリーン『第三の男』。epi は "epic(叙事詩)" および "epicentre(発信源)" に由来する。「良質な海外文学作品を若い感性を持つ読者に向けて発信」と謳われている。一部は文庫NVからの移行・改訳。 ハヤカワ演劇文庫(英:Hayakawa engeki bunko)は、2006年(平成18年)9月創刊の戯曲のレーベル。No.1は『アーサー・ミラー I』。 ハヤカワ時代ミステリ文庫(英:Hayakawa Jidai mystery bunko, Hayakawa jidai misuteri bunko, etc.)は、2019年(令和元年)9月10日に創刊した、時代小説のレーベル。2020年(令和2年)より年4回刊行予定。
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ハヤカワ文庫とは、株式会社早川書房が発行している文庫レーベル。1970年(昭和45年)以来、SFや推理小説を中心に収録してきており、日本国外の翻訳作品が多い。ハヤカワ文庫SF、ハヤカワ文庫HMなど、いくつかのサブレーベルに分かれている。
{{脚注の不足|date=2022年6月20日}} {{読み仮名|'''ハヤカワ文庫'''|ハヤカワぶんこ}}とは、[[株式会社]][[早川書房]]が発行している[[文庫本|文庫]]レーベル。[[1970年]]([[昭和]]45年)以来、[[サイエンス・フィクション|SF]]や[[推理小説]]を中心に収録してきており、日本国外の[[翻訳]]作品が多い。[[#SF|ハヤカワ文庫SF]]、[[#HM|ハヤカワ文庫HM]]など、いくつかのサブレーベルに分かれている。 == 沿革 == * [[1970年]](昭和45年)8月 - [[#SF|ハヤカワSF文庫(現・ハヤカワ文庫SF)]]の創刊。 * [[1971年]](昭和46年)7月 - SF文庫より『[[宇宙英雄ペリー・ローダン]]』の刊行を開始する。 * [[1972年]](昭和47年)1月 - [[#NV|ハヤカワ文庫NV]]の創刊。 * [[1973年]](昭和48年)3月 - [[#JA|ハヤカワJA文庫(現・ハヤカワ文庫JA)]]の創刊。 * [[1974年]](昭和49年) - 各文庫が「ハヤカワ文庫」として統一される。 * [[1976年]](昭和51年)4月 - [[#HM|ハヤカワ・ミステリ文庫(現・ハヤカワ文庫HM)]]の創刊。 * [[1977年]](昭和52年)5月 - [[#NF|ハヤカワ文庫NF]]の創刊。 * [[1979年]](昭和54年) ::* 2月 - [[#FT|ハヤカワ文庫FT]]の創刊。 ::* 9月 - JA文庫より『[[グイン・サーガ]]』の刊行を開始する。 * [[1980年]](昭和55年)2月 - [[#Jr|ハヤカワ文庫Jr]]の創刊。 * [[1985年]](昭和60年) - SF文庫に初めて品切れが発生。26作品を数えた。 * [[1986年]](昭和61年) ::* 月日未確認 - [[#YR|ハヤカワ文庫YR]]の創刊{{r|kb_YR}}。 ::* 12月 - [[#GB|ハヤカワ文庫GB]]の創刊。 * [[1988年]](昭和63年) - 著者別五十音順整理番号を導入する。<ref group="注">[[#NF|ハヤカワ文庫NF]]を除く。また、のちに創刊された[[#Mp|ミステリアス・プレス文庫]]は刊行順整理番号のみ。導入前は[[#HM|ハヤカワ文庫HM]]は著者別整理番号、他のレーベルは刊行順整理番号を使用していた。ただし、2010年現在も著者別五十音順整理番号と著者別整理番号または刊行順整理番号を併用している。</ref> * [[1989年]](昭和64年)1月 - [[#Mp|ミステリアス・プレス文庫]]の創刊。 * [[1991年]](平成3年)11月 - [[#HB|ハヤカワ文庫HB]]の創刊{{r|kb_HB}}。 * [[1994年]](平成6年)1月 - [[#NF|文庫NF]]が装幀を一新。 * [[1995年]](平成7年)4月 - [[#JA|JA文庫]]が日本人作家の総合エンタテインメント文庫になり、ミステリ、漫画なども刊行されるようになる。 * [[1999年]](平成11年)10月 - [[#Keyes|ダニエル・キイス文庫]]の創刊。 * [[2001年]](平成13年)5月 - [[#epi|ハヤカワepi文庫]]の創刊。 * [[2003年]](平成15年)10月 - [[#Christie|クリスティー文庫]]の創刊。 * [[2004年]](平成16年)6月 - [[#Hayden|トリイ・ヘイデン文庫]]の創刊。 * [[2006年]](平成18年)9月 - [[#演劇|ハヤカワ演劇文庫]]の創刊。 * [[2009年]](平成21年) ::* 4月 - この月以降の新刊より、文庫のサイズが縦に大きくなり、活字の大きい「トールサイズ」になる。既刊も重版時等にサイズ変更される。<ref group="注">ただし、以前に創刊されたハヤカワepi文庫、ダニエル・キイス文庫、アガサ・クリスティ文庫、トリイ・ヘイデン文庫は創刊時からトールサイズで刊行。</ref> ::* 10月 - [[#Isola|イソラ文庫]]の創刊。 * [[2015年]](平成27年)3月30日 - アメリカの〈ミステリアスプレス〉社と提携し、英米のミステリを原文で読む[[電子書籍]]シリーズ、〈ミステリアスプレス・ドット・コム・ブックス〉の[[ネット配信]]を開始。 * [[2019年]](令和元年)9月10日 - [[#JM|ハヤカワ時代ミステリ文庫]]の創刊<ref name=Ha_20190819>{{Cite web|和書|date=2019-08-19 |title=〈ハヤカワ 時代ミステリ文庫〉創刊! (2019/08/19)|url=https://www.hayakawa-online.co.jp/new/2019-08-19-112300.html |publisher=早川書房 |work=ハヤカワ・オンライン |accessdate=2020-06-20 }}</ref>。 == 主要サブレーベル == <!--※短文(…でもない暗号)で固有名を説明しようとして造語するのはおやめ下さい。例:FanTasy。海外ミステリ (Hayakawa Mystery)。海外一般小説 (NoVel)。--> {{Anchors|SF|SF文庫|ハヤカワSF文庫|ハヤカワ文庫SF(旧 ハヤカワSF文庫)}} === ハヤカワ文庫SF === [[1970年]](昭和45年)8月に'''ハヤカワSF文庫'''として創刊。創刊者は[[森優]]。海外[[サイエンスフィクション|SF]]のレーベル。ただし日本SFもごく初期に数点ある。No.1は[[エドモンド・ハミルトン]]『[[スターウルフ|さすらいのスターウルフ]]』。 [[背表紙]]が白でカラー[[口絵]]・モノクロ[[挿絵]]のある通称「白背」(娯楽系SF)と、背表紙が青で口絵・挿絵のない通称「青背」(本格SF)があるが、近年は『[[宇宙英雄ペリー・ローダン|ペリー・ローダン]]』シリーズを除きほぼ全て青背である。 2015年(平成27年)、SF文庫2000点を記念して『SFマガジン』4月号、6月号、8月号で「ハヤカワSF文庫総解説」が特集される。同年11月、上記特集の単行本化『ハヤカワ文庫SF総解説2000』が刊行された。 {{Anchors|NV|文庫NV}} === ハヤカワ文庫NV === [[1972年]](昭和47年)1月創刊。海外一般小説 (NoVel) のレーベル。NV は "'''n'''o'''v'''el" に由来する。No.1は[[ジョン・スタインベック]]『[[エデンの東]]1』。 [[四六判]]で刊行されていた「[[ハヤカワ・ノヴェルズ]]」の文庫版として企画された。海外の主流文学系の作品が収録されていたが、epi文庫創刊後はそちらに移行。エンターテインメント性の強い小説が多く、SF・ミステリ性のある作品も含んでいる。SF作家とされる[[レイ・ブラッドベリ]]の作品の多くがNVで刊行されていたが、のちにSFに移った。 サブシリーズとして「モダンホラー・セレクション」が1987年(昭和62年)から1990年(平成2年)まで刊行された。 {{Anchors|JA|JA文庫|文庫JA|ハヤカワJA文庫|ハヤカワ文庫JA(旧 ハヤカワJA文庫)}} === ハヤカワ文庫JA === [[1973年]](昭和48年)3月に'''ハヤカワJA文庫'''として創刊。[[日本人]]作家 ('''J'''apanese '''a'''uthor) のレーベル。No.1は[[小松左京]]『[[果しなき流れの果に]]』。 初期は日本のSF小説も[[#sf|ハヤカワ文庫SF]]から刊行されていたが、JA文庫(文庫JA)の創刊後はこちらで刊行されるようになった。創刊の経緯からSF専門レーベルであったが、[[1995年]](平成7年)からは日本人作家ならジャンルは問わなくなった。小説以外も対象としており、[[エッセイ]]や[[漫画]](サブレーベル[[ハヤカワコミック文庫]]、1996年 - 現在)も収録している。[[#SF|文庫SF]]同様、口絵・挿絵の有無で区別されるが、背表紙は同じである([[伊藤計劃]]・[[円城塔]]らの作品など、背表紙が特殊デザインになっているものも一部存在する)。[[2010年]](平成22年)頃には表紙デザインを統一し、[[ライトノベル]]系の作家・イラストレーターを起用した[[書き下ろし]]作品シリーズが刊行されていたが、次第に差異がなくなり、実質的に統合されている。 2021年10月刊行の[[樋口恭介]]編『異常論文』による文庫JAの刊行1500巻を記念して、〈[[SFマガジン]]〉〈[[ミステリマガジン]]〉両誌で「総解説」の特集企画を実施。2022年2月に『ハヤカワ文庫JA総解説1500』として単行本として刊行された。 {{Anchors|HM|文庫HM|ハヤカワ・ミステリ文庫|ハヤカワ文庫HM(ハヤカワ・ミステリ文庫)}} === ハヤカワ文庫HM === 別名、'''ハヤカワ・ミステリ文庫'''({{small|[[英語|英]]:}}Hayakawa Mystery bunko, etc.)。[[1976年]](昭和51年)4月に'''ハヤカワ・ミステリ文庫'''の名で創刊。海外[[推理小説|ミステリ]]のレーベルで、No.1は[[アガサ・クリスティ]]『[[そして誰もいなくなった]]』。HM は "'''H'''ayakawa" と "'''m'''ystery" に由来する。 2015年(平成27年)10月からはサブレーベル〈my perfume〉(海外の「women's fiction」を訳す)を刊行している。 {{Anchors|NF|文庫NF}} === ハヤカワ文庫NF === [[1977年]](昭和52年)5月創刊。[[ノンフィクション]] ('''n'''on'''f'''iction) のレーベルで、No.1は{{仮リンク|ジョージ・B・シャラー|en|George Schaller}}『ゴリラの季節』。サブシリーズに「<数理を楽しむ>シリーズ」(2003年〈平成15年〉創刊)と「<ライフ・イズ・ワンダフル>シリーズ」(2005年〈平成17年〉創刊)がある。 トールサイズ化以前の分類は、青色は自然・科学、赤色は社会・文化、緑色は戦記、紫色は政治・経済、橙色は人・体験であり、背表紙のタイトルと著者名の間の丸印の色で区別した。トールサイズ化以降の背表紙は、「<数理を楽しむ>シリーズ」を除き、タイトルと整理番号部分が橙色地の装丁に統一されている。<!--「<ライフ・イズ・ワンダフル>シリーズ」は未確認--> {{Anchors|FT|文庫FT}} === ハヤカワ文庫FT === [[1979年]](昭和54年)2月創刊。海外[[ファンタジー]] ('''f'''an'''t'''asy) のレーベル。創刊者は[[風間賢二]]。No.1は[[パトリシア・A・マキリップ]]『[[妖女サイベルの呼び声]]』。 {{Anchors|epi|epi文庫}} === ハヤカワepi文庫 === [[2001年]](平成13年)5月創刊。海外小説のレーベルで、No.1は[[グレアム・グリーン]]『[[第三の男]]』。epi は "epic([[叙事詩]])" および "epicentre(発信源)" に由来する。「良質な海外文学作品を若い感性を持つ読者に向けて発信」と謳われている。一部は[[#NV|文庫NV]]からの移行・改訳。 {{Anchors|演劇|演劇文庫}} === ハヤカワ演劇文庫 === {{main|ハヤカワ演劇文庫}} ハヤカワ演劇文庫({{small|英:}}Hayakawa engeki bunko)は、[[2006年]](平成18年)9月創刊の[[戯曲]]のレーベル。No.1は『[[アーサー・ミラー]] I』。 {{Anchors|JM}} === ハヤカワ時代ミステリ文庫 === ハヤカワ時代ミステリ文庫({{small|英:}}Hayakawa Jidai mystery bunko, Hayakawa jidai misuteri bunko, etc.)は、[[2019年]](令和元年)9月10日{{r|Ha_20190819}}に創刊した、[[時代小説]]のレーベル。[[2020年]](令和2年)より年4回刊行予定{{r|Ha_20190819}}。 == その他のサブレーベル == === 作家別 === ; {{Visible anchor|ダニエル・キイス文庫|Keyes|キイス}} : [[1999年]](平成11年)10月創刊。[[ダニエル・キイス]]の専用レーベルで、No.1は『[[アルジャーノンに花束を]]』。 ; {{Visible anchor|クリスティー文庫|Christie|クリスティー|クリスティ}} : [[2003年]](平成15年)10月創刊。[[アガサ・クリスティ]]の専用レーベルで、No.1は『[[スタイルズ荘の怪事件]]』。[[2004年]]に全100巻の刊行を終えたが、[[2010年]]に新刊が出て全102巻となった。うち90巻がHMからの移行、6巻がNVからの移行、2巻が新訳、4巻が解説書等。 ; {{Visible anchor|トリイ・ヘイデン文庫|Hayden|ヘイデン}} : [[2004年]](平成16年)6月創刊。[[トリイ・ヘイデン]]の専用レーベルで、No.1は『[[シーラという子]]』。 === 廃止・休止 === ; {{Visible anchor|ハヤカワ文庫Jr|Jr|文庫Jr}} : [[1980年]](昭和55年)2月から[[1981年]](昭和56年)8月まで刊行。海外[[ジュヴナイル]]のレーベルで、No.1は[[エラリー・クイーン]]『黒い犬の秘密』。11巻で終了。 ; {{Visible anchor|ハヤカワ文庫YR|YB|文庫YB}} : [[1986年]](昭和61年)から{{r|kb_YR}}[[1988年]](昭和63年)まで刊行{{r|kb_YR}}。[[少女]]向け[[恋愛小説]]のレーベルで{{r|kb_YR}}、YR は "Young" と "Romance" に由来する{{r|kb_YR}}。No.1は{{仮リンク|フランシーン・パスカル|en|Francine Pascal}}『恋はおまかせ』。『[[スイート・ヴァレー・ハイ]]』シリーズを20巻刊行したのみで終了。 ; {{Visible anchor|ハヤカワ文庫GB|GB|文庫GB}} : [[1986年]](昭和61年)12月から[[1987年]](昭和62年)10月まで刊行。GB は "[[ゲームブック|Game Book]]" の略。No.1は[[多摩豊]]『[[グイン・サーガの関連作品#ゲームブック|グイン・サーガ ラルハスの戦い]]』。全5巻。 ; {{Visible anchor|ハヤカワ文庫HB|Hb|文庫HB}} : [[1991年]](平成3年)11月から[[1992年]](平成4年)まで刊行。[[ヤングアダルト小説]]<ref name="kb_ヤングアダルト小説" group="字引">{{Cite web|和書|title=ヤングアダルト小説 |url=https://kotobank.jp/word/ヤングアダルト小説-2131941 |author=[[金原瑞人]]、小学館『[[日本大百科全書]](ニッポニカ)』|publisher=[[コトバンク]] |accessdate=2020-06-20 }}</ref>のレーベルで{{r|kb_HB}}、HB は "Hi! Books" の[[頭字語]]{{r|kb_HB}}。No.1は[[豊田淳子]]『2X殺人事件』。[[S-Fマガジン]]増刊の季刊誌「小説ハヤカワHi!」(廃刊)掲載の作品を中心としたレーベル。 ; {{Visible anchor|ミステリアス・プレス文庫|Mp}} : [[1989年]](昭和64年/平成元年)1月から[[2001年]](平成13年)まで刊行。アメリカのミステリ専門出版「Mysterious press」と提携したシリーズであり、No.1は[[アーロン・エルキンズ]]『[[ギデオン・オリヴァー教授|古い骨]]』。全156巻でレーベルは休止し、その後、一部作品はハヤカワ文庫HMに編入された。 ; {{Visible anchor|イソラ文庫|イソラ|Isola}} : イソラ文庫({{small|英:}}Isola bunko)は、[[2009年]](平成21年)10月から[[2011年]](平成23年)まで刊行。海外の女性向けエンターテイメント小説やロマンス小説、[[コージー・ミステリ]]などを刊行する文庫で、No.1はアディーナ・ハルパーン『人生最高の10のできごと』。背表紙の上部には同文庫のシンボル・マークが付されているが、エンターテイメントは水色、ロマンスは紫色、コージー・ミステリは黄緑色を使って描かれていた。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} ; 字引 {{Reflist|group="字引"}} === 出典 === {{Reflist|2|refs= <ref name=kb_HB>{{Cite web|和書|title=ハヤカワ文庫HB |url=https://kotobank.jp/word/ハヤカワ文庫HB-1746559 |author=[[小学館]]『デジタル[[大辞泉]]プラス』|publisher=[[コトバンク]] |accessdate=2020-06-20 }}</ref> <ref name=kb_YR>{{Cite web|和書|title=ハヤカワ文庫YR |url=https://kotobank.jp/word/ハヤカワ文庫YR-1746566 |author=小学館『デジタル大辞泉プラス』|publisher=コトバンク |accessdate=2020-06-20 }}</ref> }} == 関連項目 == * [[文庫レーベル一覧]] * 早川書房の他のレーベル ** [[ハヤカワ・ポケット・ミステリ]](通称「ポケミス」。[[1953年]]~) ** [[ハヤカワ・SF・シリーズ]](通称「銀背」「金背」「ポケットSF」。[[1957年]]12月~[[1974年]]11月) ** [[ハヤカワ・ノヴェルズ]] - ([[1964年]]~) * [[創元推理文庫]] == 外部リンク == * {{Cite web|和書|title=出版史 |url=http://www.hayakawa-online.co.jp/info/company_history.html |publisher=[[早川書房]] |website=公式ウェブサイト |work=ハヤカワ・オンライン |accessdate=2020-06-20 |ref={{SfnRef|his}} }} * {{Cite web|和書|title=お知らせ一覧 |url=https://www.hayakawa-online.co.jp/new/index.html |publisher=早川書房 |website=公式ウェブサイト |work=ハヤカワ・オンライン |accessdate=2020-06-20 |ref={{SfnRef|news}} }} {{Book-stub}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1=ハヤカワ・ミステリ文庫 |1-1=日本の推理小説叢書}} {{DEFAULTSORT:はやかわふんこ}} [[Category:ハヤカワ文庫|*]] [[Category:1970年刊行開始の刊行物]] [[Category:早川書房の文庫本|*]]
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電撃G's文庫
電撃G's文庫()は、1997年創刊のメディアワークス発行の文庫レーベルである。一般向けギャルゲーの小説版や、いわゆる美少女萌えの小説、少女のキャラクターを中心に据えた小説を中心に出版している他「月刊電撃コミックガオ!」掲載作品のノベライズも一部存在する。電撃文庫の派生レーベルで、奥付など、基本的な形は電撃文庫と同じだが、背表紙がすべて緑色なのが特徴。 現在電撃文庫他で活躍している、秋山瑞人、倉田英之、伊達将範などが、デビューしたての頃、このレーベルで、原作付きで小説を書いていたことがある。 2003年に休刊し、ギャルゲーのノベライズ作品は電撃ゲーム文庫・「ガオ!」掲載作品のノベライズは電撃文庫へそれぞれ移行することになった。
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{{出典の明記|date=2020年6月29日 (月) 13:48 (UTC)}} {{読み仮名|'''電撃G's文庫'''|でんげきジーズぶんこ}}は、[[1997年]]創刊の[[メディアワークス]]発行の[[文庫本|文庫]]レーベルである。一般向け[[ギャルゲー]]の小説版や、いわゆる[[美少女]][[萌え]]の小説、少女のキャラクターを中心に据えた小説を中心に出版している他「[[月刊電撃コミックガオ!]]」掲載作品のノベライズも一部存在する。[[電撃文庫]]の派生レーベルで、奥付など、基本的な形は電撃文庫と同じだが、背表紙がすべて緑色なのが特徴。 現在電撃文庫他で活躍している、[[秋山瑞人]]、[[倉田英之]]、[[伊達将範]]などが、デビューしたての頃、このレーベルで、原作付きで小説を書いていたことがある。 [[2003年]]に休刊し、ギャルゲーのノベライズ作品は[[電撃ゲーム文庫]]・「ガオ!」掲載作品のノベライズは電撃文庫へそれぞれ移行することになった。 ==関連項目== *[[電撃G's magazine]] * [[文庫レーベル一覧]] {{DEFAULTSORT:てんけきしいすふんこ}} [[Category:電撃G's文庫|*]] [[Category:アスキー・メディアワークスの出版物]] [[Category:KADOKAWAの文庫本|廃]] [[Category:KADOKAWAのライトノベル|廃]] [[Category:廃刊したライトノベルレーベル]] [[Category:廃刊した文庫]] [[Category:1997年刊行開始の刊行物]] [[Category:2003年刊行終了の刊行物]]
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古本
古本()または古書()とは、出版後に一度は消費者(所有者)の手元に置かれた中古本の呼称。雑誌などを含む場合もある。新本(新刊本)と対応した言葉。古書店(古本屋)やインターネット売買を通じて再度流通することが多い。 売れ残るなどして新刊なのに安価で販売される本をゾッキ本(バーゲンブック、自由価格本とも)という。ゾッキ本は「新古本」と呼ばれることもあるが、それと類似した表現で、比較的近年に刊行された本の中古を販売する店を新古書店と分類することもある。 本は出版された時代の文化の影響を強く記すものであり、歴史的な価値を持つ。絶版になったままの本や、後世に覆刻されても古い版本に骨董や文化遺産としての、新刊にはない魅力・価値を見出して、探し求める愛好家は珍しくない。特に、江戸時代およびそれ以前に出版・書写された文献資料、清朝およびそれ以前に出版・書写された漢籍(及び、同時代の韓本)、日本の古代から近代に至る一次資料(文書・書簡・原稿・拓本等)などは古典籍と称され、近世以前に著された和装本の一部は国宝や文化財に指定されている。文学館や美術館、博物館、図書館などが購入あるいは寄贈を受け付けて、厳重に保管している稀覯書・希少本も多い。 そうした希少価値がなくても、「中古でいいから本を安く買いたい」という消費者も多く、古書の需要・流通を支えている。 多くの古本は、所有者が古本屋(古書店)に持ち込み、売却することで再び市場に流通する。業者を経由せず、個人がフリーマーケットやインターネットオークションで他の消費者に直接販売する事例も見受けられる。新刊時の販売価格を大幅に下回る価格で買い取られるのが一般的だが、極端に流通が少なく需要が多い書籍(希少本・レア本)は、新刊時の販売価格を上回ることもある。流通に乗った古本は、買い取った古本屋でネット販売(「日本の古本屋」など)も含め販売されるほか、業者間の市(交換会や入札会と呼ばれる)に出され流通する。店頭での販売価格は各古本屋が、需給関係や本のコンディション(日焼け、汚れ、書込み等)から決定するため、まったく同じ古本でも、店によって価格が異なる。そのために「せどり」という商売が成立する。ネットの普及で「どこにどんな古本があるか」や相場を調べたり、売買したりが容易になり、古本を巡る状況は大きく変わっている。 近年の中国では、1911年以前の書籍は一律輸出禁止(文物局規定)とされており、日本で制作され流出した和装本などをはじめとする海外から流入した古書であっても持ち出せない制約が設けられている。 コンディションが良好な方が価格が高いことが一般的だが、それ以外にも、古本の値段や価値を左右する要因は多い。新刊時の出荷部数や重版の回数、電子書籍化を含む復刊や著作権保護期間切れによるデジタル公開の有無、著作権保護期間中でも国立国会図書館の「個人向けデジタル化資料送信サービス」での公開、本の内容が流行や実務的な需要(法律などの制度やビジネス知識)に合っているかどうか--などである。装丁が凝っていたり、古風(レトロ)だったりする本や初版、著者の署名入り(特に知人・著名人宛ての場合)、有名人の蔵書印が捺してある場合などは付加価値とみなされ、価格が上乗せされることもある。戦前や戦後すぐの刊行で、有名書籍で保存状態が良好であれば、初版の方が高価なこともある。 同じ中身の本であっても、古本の価格は時期や店により変わる。ある古書店が高く販売している本が、別の店では店頭に置かれたワゴンや書棚で100円、10円といった廉価で販売されていたことは昭和期にもあった(せどりは、こうした価格差を活用したビジネスである)。 また高額な絶版本が文庫化や復刊、新装版や完全版の刊行、電子書籍化などにより、古本価格が一気に安くなることもある。ネット販売普及後、古本の購入を検討する人は価格の検索・比較がしやすくなったため、低価格競争の結果、需要が少ないまたは供給が多い本は値下がりする傾向にある。Amazon.co.jpでは1円で売られている本もある。 一方、かつては読み捨てられていたような本が高騰することもある。昭和中期~後期に刊行された貸本時代の漫画や児童向け読み物、単行本に比べ保管されにくい一部の雑誌などがその例である。遺品整理に古書業者が呼ばれて、希少な蔵書が引き取られて古書として再度販売されることも多いが、古本に関心がない人々により廃棄されてしまうリスクは常に存在する。 第二次世界大戦直前の1940年12月には、古本にも公定価格が導入された。明治38年以前の出版物は定価の5倍までとし、以降、年代順に4区分して価格が決められた。希少価値のある古本でも定価の75%でしか販売できないケースも生じ、売り控えにより流通量が減るなど混乱が生じた。 世界全体における古本の史上最高額については諸説あるが、2013年にアメリカで開かれたオークションで、17世紀の詩編『ベイ・サーム・ブック』が1420万ドル(日本円では約14億4000万円)で落札され、古書競売の世界最高額となったと報道された 。またコミックスとしては2011年に『アクションコミックス』が216万ドルで落札された際、「米コミック誌としては過去最高額」 だと報じられた。 インターネットや目録販売専門の古書業者以外に、古書会館や百貨店など商業・公共施設で古本の即売会が開かれることも多い。常設の古書店は全国各地に点在しており、古書店が一つの地区や施設に集中する古書街も形成されている。東京都心の神田神保町にある「神田古書店街」は、百数十軒もの古本屋が集まり、世界最大の古書店街となっている。外国ではチャリング・クロス、カルチエ・ラタン、琉璃廠、イスタンブールのサハフラル・チャルシュスのように都市に成立してきたが、英ウェールズのヘイ・オン・ワイは交通の不便な田舎町に成立した珍しい例である。 古本を含む書籍はそれ自体が文化的な存在であるうえ、希少本の探索に熱意を向ける蒐書家(ビブリオマニア)にはコレクターにつきものの悲喜こもごもが伴う。このため、かつては『彷書月刊』という古書専門雑誌が出版されていたほか、古本にまつわるエッセイや古書店主の回想録も多い。 10月は古書月間、10月4日は「古書の日」とされている。読まれた本への感謝を表すため、古書市会場となっている京都市の知恩寺では毎年10月下旬に古本供養を行っている。東京の神田明神でも2017年10月5日、東京都古書籍商業協同組合が初の古本感謝祭を開いた。物に対する通常の供養・おはらいと異なり、これらの本は焼却・廃棄はされず、再度販売されている。 また古書店には、元の持ち主にとって思い入れがある本や、秘密を書いた手記・日記、魔術・魔導書などが並んでいても不思議ではない雰囲気がある。このため、ミステリ小説やホラー小説などの舞台としても多く用いられる。 元の持ち主による本以外の物の挟み込みや書き込み、破損などがある「痕跡本」を蒐集する者もいる(「#古書店主の著名人」で後述)。
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古本または古書とは、出版後に一度は消費者(所有者)の手元に置かれた中古本の呼称。雑誌などを含む場合もある。新本(新刊本)と対応した言葉。古書店(古本屋)やインターネット売買を通じて再度流通することが多い。 売れ残るなどして新刊なのに安価で販売される本をゾッキ本(バーゲンブック、自由価格本とも)という。ゾッキ本は「新古本」と呼ばれることもあるが、それと類似した表現で、比較的近年に刊行された本の中古を販売する店を新古書店と分類することもある。
[[ファイル:Used books 001.jpg|thumb|200px|古本]] {{読み仮名|'''古本'''|ふるほん}}または{{読み仮名|'''古書'''|こしょ}}とは、[[出版]]後に一度は[[消費者]](所有者)の手元に置かれた[[古物|中古]][[本]]の呼称。[[雑誌]]などを含む場合もある。新本(新刊本)と対応した言葉。[[古書店]](古本屋)や[[インターネット]]売買を通じて再度流通することが多い。 {{main|古書店}} 売れ残るなどして新刊なのに安価で販売される本を[[ゾッキ本]](バーゲンブック、自由価格本とも)という。ゾッキ本は「新古本」と呼ばれることもあるが、それと類似した表現で、比較的近年に刊行された本の中古を販売する店を[[新古書店]]と分類することもある。 {{main|新古書店}} == 概要 == [[ファイル:Kyoto shimogamo book market.jpg|thumb|left|200px|京都・[[下鴨神社]]での夏の古本市]] [[本]]は出版された時代の[[文化 (代表的なトピック)|文化]]の影響を強く記すものであり、歴史的な価値を持つ。[[絶版]]になったままの本や、後世に[[覆刻]]されても古い版本に[[骨董品|骨董]]や[[文化遺産]]としての、[[新刊]]にはない魅力・価値を見出して、探し求める[[愛好家]]は珍しくない。特に、[[江戸時代]]およびそれ以前に出版・書写された文献資料、[[清|清朝]]およびそれ以前に出版・書写された[[漢籍]](及び、同時代の韓本)、日本の[[古代]]から[[近代]]に至る[[一次資料]]([[文書]]・[[書簡]]・[[原稿]]・[[拓本]]等)などは'''古典籍'''と称され<ref>{{Cite web|和書|title=古典籍総合データベース|url=https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/about.html|website=www.wul.waseda.ac.jp|accessdate=2020-01-25}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=古典籍資料室|国立国会図書館―National Diet Library|url=https://www.ndl.go.jp/jp/tokyo/classic/index.html|website=www.ndl.go.jp|accessdate=2020-01-25}}</ref>、[[近世]]以前に著された[[和装本]]の一部は[[国宝]]や[[文化財]]に指定されている。文学館や[[美術館]]、[[博物館]]、[[図書館]]などが購入あるいは寄贈を受け付けて、厳重に保管している稀覯書・希少本も多い。 そうした[[希少性|希少価値]]がなくても、「中古でいいから本を安く買いたい」という[[消費者]]も多く、古書の[[需要と供給|需要]]・[[流通]]を支えている。 多くの古本は、所有者が古本屋(古書店)に持ち込み、売却することで再び市場に流通する。業者を経由せず、個人が[[蚤の市|フリーマーケット]]や[[インターネットオークション]]で他の消費者に直接販売する事例も見受けられる。新刊時の販売価格を大幅に下回る価格で買い取られるのが一般的だが、極端に流通が少なく需要が多い書籍(希少本・レア本)は、新刊時の販売価格を上回ることもある。流通に乗った古本は、買い取った古本屋でネット販売(「[[日本の古本屋]]」など)も含め販売されるほか、業者間の市(交換会や入札会と呼ばれる)に出され流通する。店頭での販売価格は各古本屋が、需給関係や本のコンディション(日焼け、汚れ、書込み等)から決定するため、まったく同じ古本でも、店によって価格が異なる。そのために「[[せどり]]」という商売が成立する。ネットの普及で「どこにどんな古本があるか」や相場を調べたり、売買したりが容易になり、古本を巡る状況は大きく変わっている。 近年の[[中華人民共和国|中国]]では、[[1911年]]以前の書籍は一律輸出禁止(文物局規定)とされており、日本で制作され流出した[[和装本]]などをはじめとする海外から流入した古書であっても持ち出せない制約が設けられている。 == 古本の価値・価格 == コンディションが良好な方が価格が高いことが一般的だが、それ以外にも、古本の値段や価値を左右する要因は多い。新刊時の出荷部数や重版の回数、[[電子書籍]]化を含む復刊や[[著作権]]保護期間切れによるデジタル公開の有無、著作権保護期間中でも[[国立国会図書館]]の「個人向けデジタル化資料送信サービス」での公開<ref>[https://www.ndl.go.jp/jp/use/digital_transmission/individuals_index.html 個人向けデジタル化資料送信サービス|国立国会図書館―National Diet Library]</ref>、本の内容が流行や実務的な需要([[法律]]などの制度やビジネス知識)に合っているかどうか--などである。装丁が凝っていたり、古風(レトロ)だったりする本や[[初版]]、著者の[[サイン (有名人の署名)|署名]]入り(特に知人・著名人宛ての場合)、有名人の[[印章|蔵書印]]が捺してある場合などは付加価値とみなされ、価格が上乗せされることもある。[[戦前]]や[[戦後]]すぐの刊行で、有名書籍で保存状態が良好であれば、初版の方が高価なこともある。 同じ中身の本であっても、古本の価格は時期や店により変わる。ある古書店が高く販売している本が、別の店では店頭に置かれたワゴンや書棚で100円、10円といった廉価で販売されていたことは[[昭和]]期にもあった(せどりは、こうした価格差を活用したビジネスである)。 また高額な絶版本が[[文庫]]化や[[復刊]]、新装版や完全版の刊行、電子書籍化などにより、古本価格が一気に安くなることもある。ネット販売普及後、古本の購入を検討する人は価格の検索・比較がしやすくなったため、低価格競争の結果、需要が少ないまたは供給が多い本は値下がりする傾向にある。[[Amazon.co.jp]]では1円で売られている本もある。 一方、かつては読み捨てられていたような本が高騰することもある。[[昭和]]中期~後期に刊行された[[貸本]]時代の[[漫画]]や児童向け読み物、単行本に比べ保管されにくい一部の雑誌などがその例である。[[遺品]]整理に古書業者が呼ばれて、希少な蔵書が引き取られて古書として再度販売されることも多いが、古本に関心がない人々により廃棄されてしまうリスクは常に存在する。 [[第二次世界大戦]]直前の[[1940年]]12月には、古本にも[[公定価格]]が導入された。明治38年以前の出版物は定価の5倍までとし、以降、年代順に4区分して価格が決められた。希少価値のある古本でも定価の75%でしか販売できないケースも生じ、売り控えにより流通量が減るなど混乱が生じた<ref>公定価に阻まれて珍しい古本消える(昭和15年12月26日 朝日新聞(夕刊))『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p156 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 世界全体における古本の史上最高額については諸説あるが、[[2013年]]にアメリカで開かれたオークションで、17世紀の詩編『[[:en:Bay Psalm Book|ベイ・サーム・ブック]]』が1420万ドル(日本円では約14億4000万円)で落札され、古書競売の世界最高額となったと報道された <ref>{{Cite news |url=https://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPTYE9AQ02X20131127 |title=米最初の印刷本が史上最高額14億円で落札、17世紀の詩編 |publisher=[[ロイター]] |date=2013-11-27 |accessdate=2015-07-13 }}</ref>。またコミックスとしては2011年に『[[:en:Action Comics|アクションコミックス]]』が216万ドルで落札された際、「米コミック誌としては過去最高額」<ref>[[フランス通信社|AFP]]「スーパーマンがデビューしたコミック誌、史上最高額で落札」『[https://www.afpbb.com/articles/-/2843476?pid=8151516 スーパーマンがデビューしたコミック誌、史上最高額で落札 国際ニュース : AFPBB News]』[[クリエイティヴ・リンク]]、[[2011年]][[12月2日]]。</ref> だと報じられた。 == 古書店と古書店街 == [[ファイル:Bookshop in Kanda-Jimbocho area of Tokyo.JPG|thumb|200px|[[神田古書店街]]]] {{main|古書店街}} インターネットや目録販売専門の古書業者以外に、古書会館や[[百貨店]]など商業・公共施設で古本の即売会が開かれることも多い。常設の古書店は全国各地に点在しており、古書店が一つの地区や施設に集中する古書街も形成されている。東京[[都心]]の[[神田神保町]]にある「[[神田古書店街]]」は、百数十軒もの[[古本屋]]が集まり、世界最大の[[古書店街]]となっている。外国では[[チャリング・クロス]]、[[カルチエ・ラタン]]、[[琉璃廠]]、[[イスタンブール]]のサハフラル・チャルシュスのように都市に成立してきたが、英[[ウェールズ]]の[[ヘイ・オン・ワイ]]は交通の不便な田舎町に成立した珍しい例である。 == 古書にまつわる文化 == 古本を含む書籍はそれ自体が文化的な存在であるうえ、希少本の探索に熱意を向ける蒐書家(ビブリオマニア)にはコレクターにつきものの悲喜こもごもが伴う。このため、かつては『[[彷書月刊]]』という古書専門雑誌が出版されていたほか、古本にまつわるエッセイや古書店主の回想録も多い。 10月は古書月間、10月4日は「古書の日」とされている。読まれた本への感謝を表すため、古書市会場となっている京都市の[[知恩寺]]では毎年10月下旬に古本[[供養]]を行っている<ref>[http://milky.geocities.jp/kyotonosato/gyoji10/10furuhonkuyou08.html 古本供養(知恩寺)]</ref>。東京の[[神田明神]]でも2017年10月5日、東京都古書籍商業協同組合が初の古本感謝祭を開いた<ref>[http://www.kosho.ne.jp/news/news_info170919-1.html 古本感謝祭 開催します。] 東京古書組合ホームページ(2017年9月20日)</ref><ref>「古本 感謝のおはらい/神田明神」『[[読売新聞]]』朝刊2017年10月5日(都民版)</ref>。物に対する通常の供養・[[祓|おはらい]]と異なり、これらの本は焼却・廃棄はされず、再度販売されている。 また古書店には、元の持ち主にとって思い入れがある本や、秘密を書いた手記・[[日記]]、[[魔術]]・[[魔導書]]などが並んでいても不思議ではない雰囲気がある。このため、[[推理小説|ミステリ小説]]や[[ホラー小説]]などの舞台としても多く用いられる<ref>[[ロバート・ブロック]]『[[妖蛆の秘密]]』、[[紀田順一郎]]『古本屋探偵』シリーズ、[[三上延]]『[[ビブリア古書堂の事件手帖]]』など。</ref>。 元の持ち主による本以外の物の挟み込みや書き込み、破損などがある「痕跡本」を蒐集する者もいる<ref>[http://www.ohtabooks.com/publish/2012/01/26132610.html 古沢和宏『痕跡本のすすめ』][[太田出版]](2019年7月31日閲覧)。</ref>(「[[#古書店主の著名人]]」で後述)。 === 古書マニアの著名人 === *[[清]]末四大蔵書家 - [[丁氏兄弟]]、瞿紹基、楊以増、[[陸心源]] *[[斎藤夜居]] *[[斎藤昌三 (古書研究家)|斎藤昌三]] *柴山大四郎 - [[山本周五郎]]の小説『ひやめし物語』の主人公([[田坂具隆]]監督の映画『冷飯とおさんとちゃん』) *[[小山力也 (古本屋ツーリスト)|小山力也]] - 『古本屋ツアー・イン・○○<ref group="注">○○にはジャパン、京阪神、神保町などが入る。</ref>』シリーズの著者。「古ツアさん」との愛称を持つ。声優の[[小山力也]]とは無関係。 *[[暁烏敏]] *[[山下武]] *[[草森紳一]] - 『随筆 本が崩れる』([[文春文庫]]) *[[紀田順一郎]] *[[井上ひさし]] - 遅筆堂文庫 *[[鹿島茂]] - 『子供より古書が大事と思いたい』([[青土社]]) *[[逢坂剛]] - 『古書もスペインもミステリー―逢坂剛対談集』([[玉川大学出版部]])などがある<ref group="注">逢坂の『書物の旅』([[講談社文庫]])では「本の山に埋もれて大往生できれば、本もわたしも''本望''だと思う」と書いている。</ref>。 *[[松岡正剛]] *[[立花隆]] *[[荒俣宏]] *[[横田順彌]] *[[坪内祐三]] *[[岡崎武志]] *[[林哲夫]] *[[河内紀]] *[[荻原魚雷]] *[[喜国雅彦]] *[[唐沢俊一]] *[[松沢呉一]] *[[南陀楼綾繁]] *[[近代ナリコ]] *[[グレゴリ青山]] *[[カラサキ・アユミ]] === 古書店主の著名人 === * [[反町茂雄]] * [[八木福次郎]] * [[高林恒夫]] * [[高林孝行]] - 高林恒夫の息子。 * [[出久根達郎]] * [[青木正美]] * [[古川益三]] * [[長嶋康郎]] - ニコニコ堂主人、『古道具ニコニコ堂のなんとなくコレクション』([[新紀元社]])著者。[[佐野洋子]]の友人、作家[[長嶋有]]の父。 * 石神井書林・[[内堀弘]] * 月の輪書林・[[高橋徹]]{{要曖昧さ回避|date=2022年4月}} * 田村治芳 - 雑誌『彷書月刊』の編集兼発行人 * [[戸川昌士]] - 珍レコードコレクションでもしられる、古書店主。 * [[山本善行]] - 古書善行堂主人。 * [[田中美穂]] - 蟲文庫(倉敷)店主。 * 古沢和宏 - 五っ葉文庫(愛知県)店主。書き込みなどがある本のコレクターで、著書に『痕跡本のすすめ』([[太田出版]])、『痕跡本の世界』([[ちくま文庫]])。 * [[高野之夫]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == *[[古書店]] *[[古書店街]] *[[古物商]] *[[ゾッキ本]]:古書店等で売られている新古本のこと。[[本#冊子本の構造|天地や小口]]にラインが入っていることが多い。 *[[せどり]] *[[古物]] *[[ビブリア古書堂の事件手帖]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ふるほん}} [[Category:書字・形態別の書物]] [[Category:出版物の流通]]
2003-04-12T15:21:43Z
2023-11-15T21:49:05Z
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漫画レーベル一覧
漫画レーベル一覧(まんがレーベルいちらん)は、漫画レーベルの出版社別一覧である。 ここで「漫画レーベル」とは、漫画作品の単行本を出版している出版社が、各単行本の内容、掲載誌、判型、その他の特徴を基準に単行本を分類し、その分類ごとに付与した名称のことをいう。 例えば芳文社の場合、成年男性向け雑誌に掲載された作品の単行本を「芳文社コミックス」、やおい雑誌に掲載された作品の単行本を「花音コミックス」、4コマ誌に掲載された作品の単行本を「まんがタイムコミックス」、雑誌「まんがタイムきらら」とその増刊に掲載された作品の単行本を「まんがタイムKRコミックス」として分類している。 分類の指標は出版社ごとに異なり、竹書房のように、4コマ漫画も麻雀漫画も成年向け漫画もすべて「バンブーコミックス」として同じレーベルを付与している例もある。 以下、出版社の五十音順に掲げるが、下記の出版社については個別の項目を参照のこと。 文庫版レーベルについては文庫レーベル一覧#漫画文庫を参照。
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漫画レーベル一覧(まんがレーベルいちらん)は、漫画レーベルの出版社別一覧である。 ここで「漫画レーベル」とは、漫画作品の単行本を出版している出版社が、各単行本の内容、掲載誌、判型、その他の特徴を基準に単行本を分類し、その分類ごとに付与した名称のことをいう。 例えば芳文社の場合、成年男性向け雑誌に掲載された作品の単行本を「芳文社コミックス」、やおい雑誌に掲載された作品の単行本を「花音コミックス」、4コマ誌に掲載された作品の単行本を「まんがタイムコミックス」、雑誌「まんがタイムきらら」とその増刊に掲載された作品の単行本を「まんがタイムKRコミックス」として分類している。 分類の指標は出版社ごとに異なり、竹書房のように、4コマ漫画も麻雀漫画も成年向け漫画もすべて「バンブーコミックス」として同じレーベルを付与している例もある。 以下、出版社の五十音順に掲げるが、下記の出版社については個別の項目を参照のこと。 KADOKAWA(アスキー・メディアワークス、エンターブレイン、角川書店、富士見書房、メディアファクトリーの各ブランド) - KADOKAWAの漫画レーベル 講談社 - 講談社の漫画レーベル 集英社 - 集英社の漫画レーベル 小学館 - 小学館の漫画レーベル スクウェア・エニックス - スクウェア・エニックスの漫画レーベル 文庫版レーベルについては文庫レーベル一覧#漫画文庫を参照。
'''漫画レーベル一覧'''(まんがレーベルいちらん)は、[[漫画]]レーベルの[[出版社]]別一覧である。 ここで「漫画レーベル」とは、漫画作品の[[単行本]]を出版している[[出版社]]が、各単行本の内容、掲載誌、[[判型]]、その他の特徴を基準に単行本を分類し、その分類ごとに付与した名称のことをいう。 例えば[[芳文社]]の場合、成年男性向け雑誌に掲載された作品の単行本を「[[芳文社コミックス]]」、やおい雑誌に掲載された作品の単行本を「花音コミックス」、4コマ誌に掲載された作品の単行本を「まんがタイムコミックス」、雑誌「まんがタイムきらら」とその増刊に掲載された作品の単行本を「まんがタイムKRコミックス」として分類している。 分類の指標は出版社ごとに異なり、[[竹書房]]のように、4コマ漫画も麻雀漫画も成年向け漫画もすべて「バンブーコミックス」として同じレーベルを付与している例もある。 以下、出版社の五十音順に掲げるが、下記の出版社については個別の項目を参照のこと。 * [[KADOKAWA]]([[アスキー・メディアワークス]]、[[エンターブレイン]]、[[角川書店]]、[[富士見書房]]、[[メディアファクトリー]]の各ブランド) - [[KADOKAWAの漫画レーベル]] * [[講談社]] - [[講談社の漫画レーベル]] * [[集英社]] - [[集英社の漫画レーベル]] * [[小学館]] - [[小学館の漫画レーベル]] * [[スクウェア・エニックス]](旧:[[エニックス]]) - [[スクウェア・エニックスの漫画レーベル]] 文庫版レーベルについては[[文庫レーベル一覧#漫画文庫]]を参照。 == 現在発行している漫画レーベルの出版社別一覧 == === あ行 === * [[アース・スターエンターテイメント]] ** アース・スターコミックス *アイエムエー **Colorful! コミックス(発売:日販アイ・ピー・エス) *[[小学館クリエイティブ|アイプロダクション]] ** ひめ恋セレクション(発売:[[祥伝社]]) ** ボーイズDuOセレクション(発売:祥伝社) **メルトコミックス(発売:祥伝社) * [[茜新社]] ** TENMA COMICS ** TENMA COMICS LO ** TENMAコミックス 永遠草紙 ** FLOW COMICS ** EDGE COMIX * [[秋田書店]] ** [[少年チャンピオン・コミックス]] *** 少年チャンピオン・コミックス・エクストラ ** [[チャンピオンREDコミックス]] ** ヤングチャンピオンコミックス *** [[ヤングチャンピオン烈コミックス]] ** プリンセス・コミックス *** プリンセス・コミックスプチ・プリ ** ボニータ・コミックス *** ボニータ・コミックスα *** ボニータ・コミックス・スペシャル ** MIU恋愛MAX COMICS *** MIU恋愛MAX COMICS DX ** ACエレガンス ** 秋田レディースコミックス(A.L.C.) *** A.L.C SELECTION *** A.L.C. 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新刊
新刊()は、新しく刊行された出版物のこと。以前に単行本などで刊行された出版物を、文庫本など別の形態で出版する際にも新刊として扱われる場合がある。また、以前に同様の形態(文庫本)などで出版されていても、新装版として再び新刊として刊行されることもある。ライトノベルではイラストレーターの変更などで、新装版がでることがある。 新刊の情報を集めるには、 など 新刊日は出版社、レーベルによって異なる。毎月の何日に定期的に刊行する場合もあれば、上旬に発売など日時を限定しない場合もある。また著者のや出版社の都合(締め切りに遅れるなど)によって、新刊予定に入っていた本の刊行日がずれることも多々ある。それとは別に運輸の都合や書店によって刊行日が異なることもある(刊行予定日より1日早く店頭に並ぶ、遅れるなど)。
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新刊は、新しく刊行された出版物のこと。以前に単行本などで刊行された出版物を、文庫本など別の形態で出版する際にも新刊として扱われる場合がある。また、以前に同様の形態(文庫本)などで出版されていても、新装版として再び新刊として刊行されることもある。ライトノベルではイラストレーターの変更などで、新装版がでることがある。 新刊の情報を集めるには、 出版社や著者のホームページ 書店に貼ってある新刊情報(大手の書店であれば、文庫・漫画の新刊カレンダーを貼っている) 新聞広告(主要な文庫本のレーベルは発売日頃に新聞広告を掲載することが多い) オンライン書店や出版社の情報を元にした新刊チェック用アプリやサービス など 新刊日は出版社、レーベルによって異なる。毎月の何日に定期的に刊行する場合もあれば、上旬に発売など日時を限定しない場合もある。また著者のや出版社の都合(締め切りに遅れるなど)によって、新刊予定に入っていた本の刊行日がずれることも多々ある。それとは別に運輸の都合や書店によって刊行日が異なることもある(刊行予定日より1日早く店頭に並ぶ、遅れるなど)。
{{複数の問題 | 独自研究 = 2016年9月 | 出典の明記 = 2013年9月 }} {{読み仮名|'''新刊'''|しんかん}}は、新しく刊行された[[出版|出版物]]のこと。以前に[[単行本]]などで刊行された出版物を、[[文庫本]]など別の形態で出版する際にも新刊として扱われる場合がある。また、以前に同様の形態(文庫本)などで出版されていても、新装版として再び新刊として刊行されることもある。[[ライトノベル]]では[[イラストレーター]]の変更などで、新装版がでることがある。 新刊の情報を集めるには、 * [[出版社]]や[[著者]]の[[ホームページ]] * [[書店]]に貼ってある新刊情報(大手の書店であれば、文庫・[[漫画]]の新刊カレンダーを貼っている) * [[新聞]][[広告]](主要な文庫本のレーベルは発売日頃に新聞広告を掲載することが多い) * オンライン書店や出版社の情報を元にした新刊チェック用アプリやサービス など 新刊日は出版社、レーベルによって異なる。毎月の何日に定期的に刊行する場合もあれば、上旬に発売など日時を限定しない場合もある。また著者のや出版社の都合(締め切りに遅れるなど)によって、新刊予定に入っていた本の刊行日がずれることも多々ある。それとは別に[[運輸]]の都合や書店によって刊行日が異なることもある(刊行予定日より1日早く店頭に並ぶ、遅れるなど)。 {{Publishing-stub}} {{DEFAULTSORT:しんかん}} [[Category:出版]]
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縛られたプロメテウス
『縛られたプロメテウス』(しばられたプロメテウス、希: Προμηθεὺς Δεσμώτης, プロメーテウス・デスモーテース、羅: Prometheus vinctus)は、アイスキュロス作のギリシア悲劇。 ギリシア悲劇は三部作で上演されるものであるため本作はその第1編であり、この後に の2編が続き、「プロメテウス三部作」を構成するものと考えられている(『火を運ぶ~』を三部作の冒頭に持ってくる意見もある)。 また、これらとは別に『火を点けるプロメーテウス』と言う作品もあるが、こちらはペルシア人競演の際のサテュロス劇『プロメテウス』だとされており、「プロメテウス三部作」には含まれない。しかし、これら3編は散佚し、わずかに断片のみが現代まで伝わっている。 この作品は後の時代の無名の脚本家の作で、アイスキュロスの作ではないという説もある。上演年代についても不明で、『テーバイ攻めの七将』、『オレステイア』の間に上演されたとする説、晩年の460年代とする説の他、紀元前478年以前とする説などがあげられるが、『オレステイア』(紀元前458年)より後の晩年の作品としたり、死後の他者の手によるものとして紀元前440年代-紀元前430年代の上演とする見方が有力である。 人間に火をあたえたプロメテウスは、ゼウスの怒りにふれ、ヘパイストスの作った縛めによりカウカソス山の山頂に縛り付けられる。プロメテウスは、ウーラノスが子のクロノスに、クロノスが子のゼウスに追われたように、ゼウスも子の神によって追われる運命であることを予言している。さらに、その子が誰との結婚によりもたらされるかも予言している。ゼウスはその予言の内容を知りたいがために、所詮は自分を解放せざるを得ないのだ、ということまでもプロメテウスは予言している。このためプロメテウスは、ゼウスに謝るように説得に来る様々な神の説得をはねのける。
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『縛られたプロメテウス』は、アイスキュロス作のギリシア悲劇。 ギリシア悲劇は三部作で上演されるものであるため本作はその第1編であり、この後に 『解放されたプロメーテウス』 『火を運ぶプロメーテウス』 の2編が続き、「プロメテウス三部作」を構成するものと考えられている(『火を運ぶ~』を三部作の冒頭に持ってくる意見もある)。 また、これらとは別に『火を点けるプロメーテウス』と言う作品もあるが、こちらはペルシア人競演の際のサテュロス劇『プロメテウス』だとされており、「プロメテウス三部作」には含まれない。しかし、これら3編は散佚し、わずかに断片のみが現代まで伝わっている。 この作品は後の時代の無名の脚本家の作で、アイスキュロスの作ではないという説もある。上演年代についても不明で、『テーバイ攻めの七将』、『オレステイア』の間に上演されたとする説、晩年の460年代とする説の他、紀元前478年以前とする説などがあげられるが、『オレステイア』(紀元前458年)より後の晩年の作品としたり、死後の他者の手によるものとして紀元前440年代-紀元前430年代の上演とする見方が有力である。
『'''縛られたプロメテウス'''』(しばられたプロメテウス、{{lang-el-short|Προμηθεὺς Δεσμώτης}}, '''プロメーテウス・デスモーテース'''、{{lang-la-short|Prometheus vinctus}})は、[[アイスキュロス]]作の[[ギリシア悲劇]]。 ギリシア悲劇は三部作で上演されるものであるため本作はその第1編であり、この後に *『解放されたプロメーテウス』 *『火を運ぶプロメーテウス』 の2編が続き、「プロメテウス三部作」を構成するものと考えられている(『火を運ぶ~』を三部作の冒頭に持ってくる意見もある<ref>『全集2』 岩波 p.294</ref>)。 また、これらとは別に『火を点けるプロメーテウス』と言う作品もあるが、こちらは[[ペルシア人 (アイスキュロス)|ペルシア人]]競演の際のサテュロス劇『プロメテウス』だとされており、「プロメテウス三部作」には含まれない。しかし、これら3編は散佚し、わずかに断片のみが現代まで伝わっている。 この作品は後の時代の無名の脚本家の作で、アイスキュロスの作ではないという説もある。上演年代についても不明で、『テーバイ攻めの七将』、『オレステイア』の間に上演されたとする説{{Sfn|相賀徹夫|1973|p=1}}、晩年の460年代とする説の他、紀元前478年以前とする説などがあげられるが、『[[オレステイア]]』(紀元前458年)より後の晩年の作品としたり、死後の他者の手によるものとして紀元前440年代-紀元前430年代の上演とする見方が有力である<ref>『全集2』 岩波 pp.295-296</ref>。 == あらすじ == 人間に火をあたえた[[プロメーテウス|プロメテウス]]は、[[ゼウス]]の怒りにふれ、[[ヘーパイストス|ヘパイストス]]の作った縛めによりカウカソス山の山頂に縛り付けられる。プロメテウスは、[[ウーラノス]]が子の[[クロノス]]に、クロノスが子のゼウスに追われたように、ゼウスも子の神によって追われる運命であることを予言している。さらに、その子が誰との結婚によりもたらされるかも予言している。ゼウスはその予言の内容を知りたいがために、所詮は自分を解放せざるを得ないのだ、ということまでもプロメテウスは予言している。このためプロメテウスは、ゼウスに謝るように説得に来る様々な神の説得をはねのける。 == 日本語訳 == *『縛られたプロメーテウス』 [[岩波文庫]]、1974年 **『ギリシア悲劇全集 第1巻 アイスキュロス』 [[人文書院]]、1960年 **『[[世界古典文学全集]]8 アイスキュロス ソポクレス』 [[筑摩書房]]、1964年 **『ギリシア悲劇1 アイスキュロス』 [[ちくま文庫]]、1985年 - 以上は[[呉茂一]]訳 *『ギリシア劇集』 [[新潮社]]、1963年 - [[森進一 (哲学者)|森進一]]訳 *『世界文学全集2 ギリシア悲劇』 [[講談社]]、1978年 - [[岡道男]]訳 *『ギリシア悲劇全集2 アイスキュロス II』 [[岩波書店]]、1991年 - 伊藤照夫訳 *『ギリシア悲劇全集10』 岩波書店、1991年<ref>『解放されたプロメーテウス』『火を運ぶプロメーテウス』『火を点けるプロメーテウス』のフラグメント(断片)が収載されている。</ref> *『世界戯曲全集 第一巻 希臘編』 [[村松正俊]]訳、近代社、1927年 *『アイスキュロス 悲壯劇』 [[田中秀央]]・内山敬二郎訳、生活社、1943年 *『ギリシャ悲劇全集1』 [[内山敬二郎]]訳、鼎出版会、1979年 == 翻案 == *『縛を解かれたプロミーシュース』 [[パーシー・ビッシュ・シェリー|シェリー]]作、[[石川重俊]]訳、[[岩波文庫]]、1957年 *『鎖を解かれたプロメテウス』 [[パーシー・ビッシュ・シェリー|シェリー]]作、[[石川重俊]]訳、[[岩波文庫]]、2003年<ref>上記の改訳・改訂版であり、特に訳注が大幅に書き換えられ項目が増えている。</ref> == 参考文献 == * 『アイスキュロス ソポクレス』、[[高津春繁]]解説、筑摩書房〈世界古典文学全集8〉、1964年、ISBN 9784480203083。 * {{Cite book|和書|editor= 相賀徹夫|title= 万有百科事典 1 文学|date= 1973-08-10|year= 1973|publisher= 小学館| ref= harv}} == 脚注・出典 == {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{Theatre of ancient Greece}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:しはられたふろめてうす}} [[Category:アイスキュロスの戯曲]] [[Category:古代ギリシアの政治哲学]]
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奥付
奥付()とは、本の本文が終わった後や巻末に設けられる書誌に関する事項(書誌事項)が記述されている部分。 和書には奥書を付ける慣習がある。洋書には通常は奥付はなく扉に標題、著者名、出版社、出版年等を記す。 和書では奥書を付けることが慣習となっている。これと決まった形式はなく、日本特有のものとされるが、丸山1986年・丸山1990年では、「スラブ系およびラテン系諸国の出版物には、奥付をつける慣行があるが、和書ほど完備していない」としている。 なお、洋書には奥付に相当するものとしてcolophon(コロフォン)がある。洋書の書誌事項は一般にタイトルページの次のページにある。ただし、和書の奥付は江戸時代に幕府の法制上の強制により始まった慣習であるのに対し、洋書のコロフォンは装飾的な意図で発生したものとされており沿革が異なる。 1722年(享保7年)11月の、大岡忠相による「新作書籍出板之儀に付触書」に由来する。 何書物ニよらす、此以後新板之物、作者并板元之実名、奥書ニ為致可申候事。 これにより、横行していた偽板(海賊版)が統制され、版元書店の出版権が明確になった。但し、明治以前の奥付は、今日のそれとは大きく異なっており、「版」と「刷」の相違が明確でなく、版木自体も売買されるものであったし、また、書店組合を結成して各地で出版販売するのが通例であったため、実際に、何年にどこの版元が出版したものであるか、というのは、詳細に書誌学的な考証を加えないと判断できない状況にある。 1893年(明治26年)の出版法では発行者の氏名・住所、年月日、印刷所の名称・住所、印刷の年月日の記載が義務付けられた。今のような形では、岩波書店が始めたとされている。現在は、義務付けはされていないが、慣習として続いている。 ただし、文部科学省の検定を受けた教科用図書については、「教科書の発行に関する臨時措置法」第3条で著者名、発行者名、印刷業者名等の記載が義務付けられている。 主に以下の事が書かれる。 「奥付」は「奥附」とも書くが、「附」の字が1954年の当用漢字補正案で「削る字」とされたため現在でも多くのマスコミが使用を避けており、また当用漢字音訓表・常用漢字表で「附」の字訓に「つく」が挙げられていないため、「奥付」と表記する場合が多い。これは、その書中における位置から付された名称であるが、その役割から付された名称として、刊記()とも称しているし、枠で囲んだ刊記は特に木記(、もくき)と称していた。 奥書()という言葉もあるが、これは一般的には、写本の巻末に、筆写者がその本の来歴などを記録したものを指す。古写本などでは、写したもとの本の奥書も一緒に書写することもあり、本の伝来の研究に役立つことが多い。 資格の申請等の際に、免許状(教育職員免許状、看護師・管理栄養士免許など)などのコピーを添付して提出する折に、それが原本(正本)と同一であることを証明するために、コピーした免許状等の余白部分に、「この写しは原本と同一であることを証明する 何年何月何日 ○○長 何野誰某」のように記載することを、「奥付証明」または「奥書証明」と称する。
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奥付とは、本の本文が終わった後や巻末に設けられる書誌に関する事項(書誌事項)が記述されている部分。 和書には奥書を付ける慣習がある。洋書には通常は奥付はなく扉に標題、著者名、出版社、出版年等を記す。
[[File:JogakuShouka Vol 1 1900-1912- Colophon.jpg|thumb|奥付。山田源一郎・編「女學唱歌」]] {{読み仮名|'''奥付'''|おくづけ}}とは、[[本]]の本文が終わった後や巻末に設けられる[[書誌]]に関する事項(書誌事項)が記述されている部分。 和書には奥書を付ける[[慣習]]がある<ref name="tosyo32" />。[[洋書]]には通常は奥付はなく[[標題紙|扉]]に標題、著者名、出版社、出版年等を記す<ref name="tosyo433" >図書館用語辞典編集委員会『最新図書館用語大辞典』柏書房、2004年、433頁</ref>。 == 概説 == 和書では奥書を付けることが慣習となっている<ref name="tosyo32" >図書館用語辞典編集委員会『最新図書館用語大辞典』柏書房、2004年、32頁</ref>。これと決まった形式はなく、日本特有のものとされるが、[[#maruyama1986|丸山1986年]]・[[#maruyama1990|丸山1990年]]では、「スラブ系およびラテン系諸国の出版物には、奥付をつける慣行があるが、和書ほど完備していない」としている。 なお、洋書には奥付に相当するものとしてcolophon(コロフォン)がある。[[洋書]]の書誌事項は一般にタイトルページの次のページにある。ただし、和書の奥付は[[江戸時代]]に[[江戸幕府|幕府]]の法制上の強制により始まった慣習であるのに対し、洋書のコロフォンは[[装飾]]的な意図で発生したものとされており沿革が異なる<ref name="tosyo32" />。 == 歴史 == === 江戸時代 === [[1722年]]([[享保]]7年)11月の、[[大岡忠相]]による「新作書籍出板之儀に付触書」に由来する。 <blockquote>何書物ニよらす、此以後新板之物、作者并板元之実名、奥書ニ為致可申候事。</blockquote> これにより、横行していた偽板([[海賊版]])が統制され、版元書店の出版権が明確になった。但し、明治以前の奥付は、今日のそれとは大きく異なっており、「版」と「刷」の相違が明確でなく、版木自体も売買されるものであったし、また、書店組合を結成して各地で出版販売するのが通例であったため、実際に、何年にどこの版元が出版したものであるか、というのは、詳細に[[書誌学]]的な考証を加えないと判断できない状況にある。 === 明治以後 === [[1893年]](明治26年)の[[出版法]]では発行者の氏名・住所、年月日、印刷所の名称・住所、印刷の年月日の記載が義務付けられた。今のような形では、[[岩波書店]]が始めたとされている。現在は、義務付けはされていないが、慣習として続いている。 ただし、[[文部科学省]]の[[教科用図書検定|検定]]を受けた'''[[教科用図書]]'''については、「[[教科書の発行に関する臨時措置法]]」第3条で著者名、発行者名、印刷業者名等の記載が義務付けられている。 == 書誌事項 == 主に以下の事が書かれる。 * 題名 * 著者、訳者、編者、[[編集者]](著作権にかかわる場合に記載されるのが例である) * 発行者 * 発行所([[出版社]]) * 印刷所 * 製本所 * [[著作権]]表示 * 検印(廃止されているものが多い。[[印税]]を参照) * 発行年月、[[版と刷|版数、刷数]](刷り部数を書くこともある) * [[ISBNコード]] * 価格(多くは裏表紙か[[ブックカバー|カバー]]に記載、教科用図書については表示無し<ref><!--基本的に-->「[[文部科学大臣]]が[[認可]]し、[[官報]]で[[告示]]した[[定価]](上記の定価は、各教科書取次供給所に表示します。)」と表記されている。<!--各教科書ごとの定価(「教科書の定価表」を教科書協会Webサイトで公開。)およびその上限(最高金額)が定められている(文部科学省Webサイト「教科書の定価」に記載。)ので、価格の確認は可能。--></ref>) == 表記 == === 奥附 === 「奥付」は「奥'''附'''」とも書くが<ref>戦前の辞書である[[#ueda1919|上田・松井(1919年]]540ページ、[{{NDLDC|954645/283}} 283コマ「おく・づけ」])の漢字には「奥附」という表記のみが記され、「奥付」は見られない。実際の用例としては、[[#hyodo1909|兵藤(1909年)]]の[{{NDLDC|843042/332}} 奥付]に「最新獨和兵語字典'''奥附'''」という一文が記されていることなどが挙げられる([[#nobuoka2004|信岡2004年]]39ページ図10)。</ref>、「附」の字が[[1954年]]の[[当用漢字]]補正案で「削る字」とされたため現在でも多くのマスコミが使用を避けており<ref>実際にはこの補正案は実施されておらず、現在の[[常用漢字]]にも「附」は含まれている。</ref>、また当用漢字音訓表・[[常用漢字]]表で「附」の字訓に「つく」が挙げられていないため、「奥付」と表記する場合が多い<ref>漢字表記に関しては正統主義寄りの新明解でさえ単に「奥付」としており(第5版)、注としても「奥附」は示していない。</ref>。これは、その書中における位置から付された名称であるが、その役割から付された名称として、{{読み仮名|'''刊記'''|かんき}}とも称しているし、枠で囲んだ刊記は特に{{読み仮名|'''木記'''|もっき|もくき}}と称していた<ref>刊記と木記については、[[#hitachi2010|日立ソリューションズ(2010年)]]に端的な解説がある。[[#nagoyau2005|名古屋大学(2005年]]7ページ中ほど)に実例があるので、参照されたい。</ref>。 === 奥書 === {{読み仮名|'''奥書'''|おくがき}}という言葉もあるが、これは一般的には、[[写本]]の巻末に、筆写者がその本の来歴などを記録したものを指す。古写本などでは、写したもとの本の奥書も一緒に書写することもあり、本の伝来の研究に役立つことが多い。 === 奥付証明・奥書証明 === [[資格]]の[[申請]]等の際に、[[免許状]]([[教育職員免許状]]、[[看護師]]・[[管理栄養士]][[免許]]など)などのコピーを添付して提出する折に、それが[[原本]]([[正本]])と同一であることを証明するために、コピーした免許状等の余白部分に、「この写しは原本と同一であることを証明する 何年何月何日 ○○長 何野誰某」のように記載することを、'''「奥付証明」'''または'''「奥書証明」'''と称する<ref group =注>[[住民票]]の抄本・謄本に為される[[首長]]の証明と同じ</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == <!-- 言及文献 著者姓名・発行日昇順 --> * {{Cite book|和書|author=上田万年|authorlink=上田万年|coauthors=[[松井簡治]]|year=1919|title=大日本国語辞典|volume=第1巻|publisher=金港堂書籍|ref=ueda1919|url={{近代デジタルライブラリーURL|43022818}}}} * {{Anchors|nagoyau2005}}{{Cite web|和書|date=2005-06-17|url=http://www.nul.nagoya-u.ac.jp/event/tenji/2005kikaku/hanashi1.pdf|title=名古屋大学附属図書館2005年企画展 説話 (はなし) の書物 小林文庫本を中心に|format=PDF|publisher=[[名古屋大学]]|accessdate=2010-11-27}} * {{Cite journal|和書|author=信岡資生|authorlink=信岡資生|date=2004年6月20日|title=明治期の兵語辞書について(三)ドイツ語を中心にして|journal=成城大学経済研究|issue=165|pages=pp. 1-45|publisher=[[成城大学]]経済学会|naid=110004028076|ref=nobuoka2004}} * {{Anchors|hitachi2010}}{{Cite web|和書|date=2010-05|url=https://kotobank.jp/word/%E5%88%8A%E8%A8%98-469418|title=刊記|work=百科事典マイペディア|publisher=[[日立ソリューションズ]]|accessdate=2010-11-27}} * {{Cite book|和書|author=兵藤三郎|authorlink=|date=1909-11|title=最新独和兵語辞典|publisher=兵事雑誌社|ref=hyodo1909}} * {{Cite book|和書|editor=丸山昭二郎編|date=1986-05|title=洋書目録法入門 つくり方編|series=図書館員選書 6|publisher=[[日本図書館協会]]|isbn=4-8204-8602-0|ref=maruyama1986}} ** {{Cite book|和書|editor=丸山昭二郎編|date=1990-06|title=洋書目録法入門 つくり方編|edition=改訂版|series=図書館員選書 6|publisher=[[日本図書館協会]]|isbn=4-8204-9005-2|ref=maruyama1990}} <!-- 非言及文献 --> * {{Cite book|和書|author=橋口侯之介|authorlink=|date=2005-10|title=和本入門 千年生きる書物の世界|publisher=[[平凡社]]|isbn=4-582-83292-X|ref=hashiguchi2005}} * {{Cite book|和書|author=廣庭基介|authorlink=|coauthors=[[長友千代治]]|date=1998-05|title=日本書誌学を学ぶ人のために|publisher=[[世界思想社]]|isbn=4-7907-0710-5|ref=hironiwa1998}} * {{Cite book|和書|author=藤井隆|authorlink=|date=1991-04|title=日本古典書誌学総説|publisher=和泉書院|isbn=4-87088-472-0|ref=fujii1991}} * {{Cite book|和書|author=山岸徳平|authorlink=山岸徳平|origdate=1977-12|date=2008-02|title=書誌学序説|series=岩波全書セレクション|publisher=[[岩波書店]]|isbn=978-4-00-021893-1|ref=yamagishi2008}} == 関連項目 == * [[日本における検閲]] * [[禁書]] * [[蔵書票]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:おくつけ}} [[Category:出版]] [[Category:書物]] [[Category:書誌学]]
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初版
初版()とは、出版された書物の最初の版。第1版ともいう。同一の版のうち最初に印刷されたものを初刷(、はつずり)、または第1刷()という。また、一般的には初版初刷のことを単に初版ということが多い。 初版が重版された場合、その本の奥付には「初版第○刷」「第1版第○刷」(○は重版回数)と表記される。重版の際内容の変更や訂正があった場合は、「第○版」(○は改訂・訂正回数)と表記されるのが普通である。 初刷は最も誤字、脱字、乱丁などのミスが多い。
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6,610
表紙
表紙()は、本のページを結合し保護する覆いである。本を開く向きに置いた時に表に来る「表表紙」、その裏面の「裏表紙」、綴じ込みのある側面の「背表紙」から成るが、特に「本の顔」の部分である表表紙を指すことも多い。背表紙は製本法によっては存在しない場合もある。 表紙には、よく知られているハードカバーとペーパーバックのみならず、ブックカバー、リング綴じ、さらに古風な手での製本などさまざまな形態がある。日本では表紙の上にさらにブックカバーをかけることが多いが洋書ではあまり多くなく、英語ではbook coverが表紙を指し「ブックカバー」はdust jacketと呼ばれる。 中国や日本では、昔から覆いも紙で製し糸で綴じていた(和綴)が、西洋では19世紀初頭までは本は木、革、金銀、宝石などの重い素材を用いて綴じられていた。数百年もの間、装幀は印刷または手製による高価なページを保護する手段として、またその文化的な権威を証立てるものとして機能してきた。1820年代には本の覆い方に大きな変化が始まり、機械的な製本技術が徐々に導入され始めた。蒸気機関によるプレス機や機械的に製造される紙によって本がとても安価なものになると、手での製本は本自体の価格に釣り合わないものとなってゆき、まず布が、それから紙(表紙)が定番の素材となっていった。 この新しいタイプの表紙は安価に製造できるだけでなく、カラーのリトグラフや、後にはハーフトーンの写真製版によってイラストレーションや写真を印刷することができた。19世紀のポスター制作者から借用してきた技法と、グラフィックデザインの職業的な実践が徐々に出版界全体に浸透した。表紙はページを保護するだけではなく、本を宣伝し、本の中身に関する情報を伝達する機能も担うようになった。 20世紀初頭のアーツ・アンド・クラフツ運動とアール・ヌーヴォーが表紙デザインに現代のルネサンスを喚び起こし、ヨーロッパ、ロンドン、ニューヨークの先進的な出版社を通じて成長の途にあった大衆的な出版業界全体へと浸透した。抜本的に現代的な表紙デザインとしては1920年代のソ連でアレクサンドル・ロトチェンコやエル・リシツキーといったアヴァンギャルドの芸術家たちによって生み出されたものがある。大きな影響力のあった初期の表紙デザイナーには他に、「イエロー・ブック」(1894年-1895年)の最初の4巻の目覚ましい表紙をデザインしたオーブリー・ビアズリーがいる。 戦後には、表紙は書籍出版界が競争市場となった中で極めて重要な要素となった。今日では表紙は本のスタイル、ジャンル、主題の詳しい手掛かりを与えるものとなり、多くの出版社は少しでも顧客の目を引こうと極限までデザインに凝るようになった。インターネット販売の時代になっても、表紙は二次元デジタル画像の形で本がオンラインで識別され売れるのを助ける機能を果たし続けており、その重要性はほとんど減じていない。 表表紙には書名と、著者名など最低限の書誌事項が入っている。日本では、一般的に書名が一番上に配置され、目立つようにされているが、洋書では著者名が一番上に配置され、書名より目立つことも多い。 裏表紙にはISBNや定価などの追加的な書誌情報のほか、本の概要などの宣伝事項が書かれることがある。背表紙には書名、著者名、出版社名が簡潔に記載される。 雑誌では表紙については表1(いわゆる表紙)、表2(表紙の裏)、表3(裏表紙の裏)、表4と言う。表1以外は広告が入る事がほとんどである。 近年では、漫画単行本のブックカバー下の本体に書き下ろし漫画や登場人物紹介といった付録的な情報を掲載する例も多い。 書籍出版業界では、本の外観、とくにその画像のことを「書影」という。 出版社では複数のオンライン書店、書評サイトなどから「書影」が求められることから、一般的には後者を意味する。 表紙まわり(ひょうしまわり)とは、本、特に雑誌の表紙4面のことをいう。「表まわり」ともいう。 冊子状となっている回数券では、綴りこんだ券面とは別に「表紙」が付いていることがあるが、マルスから1枚ずつ出てくるようなJRの回数券タイプの特別企画乗車券の中にも、有効な乗車券とは別に「表紙」という券がついてくる事例が存在する。この「表紙」は回数券として使用はできないが、払い戻しの際に表紙も必要とされることがある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "表紙()は、本のページを結合し保護する覆いである。本を開く向きに置いた時に表に来る「表表紙」、その裏面の「裏表紙」、綴じ込みのある側面の「背表紙」から成るが、特に「本の顔」の部分である表表紙を指すことも多い。背表紙は製本法によっては存在しない場合もある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "表紙には、よく知られているハードカバーとペーパーバックのみならず、ブックカバー、リング綴じ、さらに古風な手での製本などさまざまな形態がある。日本では表紙の上にさらにブックカバーをかけることが多いが洋書ではあまり多くなく、英語ではbook coverが表紙を指し「ブックカバー」はdust jacketと呼ばれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "中国や日本では、昔から覆いも紙で製し糸で綴じていた(和綴)が、西洋では19世紀初頭までは本は木、革、金銀、宝石などの重い素材を用いて綴じられていた。数百年もの間、装幀は印刷または手製による高価なページを保護する手段として、またその文化的な権威を証立てるものとして機能してきた。1820年代には本の覆い方に大きな変化が始まり、機械的な製本技術が徐々に導入され始めた。蒸気機関によるプレス機や機械的に製造される紙によって本がとても安価なものになると、手での製本は本自体の価格に釣り合わないものとなってゆき、まず布が、それから紙(表紙)が定番の素材となっていった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "この新しいタイプの表紙は安価に製造できるだけでなく、カラーのリトグラフや、後にはハーフトーンの写真製版によってイラストレーションや写真を印刷することができた。19世紀のポスター制作者から借用してきた技法と、グラフィックデザインの職業的な実践が徐々に出版界全体に浸透した。表紙はページを保護するだけではなく、本を宣伝し、本の中身に関する情報を伝達する機能も担うようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "20世紀初頭のアーツ・アンド・クラフツ運動とアール・ヌーヴォーが表紙デザインに現代のルネサンスを喚び起こし、ヨーロッパ、ロンドン、ニューヨークの先進的な出版社を通じて成長の途にあった大衆的な出版業界全体へと浸透した。抜本的に現代的な表紙デザインとしては1920年代のソ連でアレクサンドル・ロトチェンコやエル・リシツキーといったアヴァンギャルドの芸術家たちによって生み出されたものがある。大きな影響力のあった初期の表紙デザイナーには他に、「イエロー・ブック」(1894年-1895年)の最初の4巻の目覚ましい表紙をデザインしたオーブリー・ビアズリーがいる。", "title": "表紙デザイン" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "戦後には、表紙は書籍出版界が競争市場となった中で極めて重要な要素となった。今日では表紙は本のスタイル、ジャンル、主題の詳しい手掛かりを与えるものとなり、多くの出版社は少しでも顧客の目を引こうと極限までデザインに凝るようになった。インターネット販売の時代になっても、表紙は二次元デジタル画像の形で本がオンラインで識別され売れるのを助ける機能を果たし続けており、その重要性はほとんど減じていない。", "title": "表紙デザイン" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "表表紙には書名と、著者名など最低限の書誌事項が入っている。日本では、一般的に書名が一番上に配置され、目立つようにされているが、洋書では著者名が一番上に配置され、書名より目立つことも多い。", "title": "記載内容" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "裏表紙にはISBNや定価などの追加的な書誌情報のほか、本の概要などの宣伝事項が書かれることがある。背表紙には書名、著者名、出版社名が簡潔に記載される。", "title": "記載内容" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "雑誌では表紙については表1(いわゆる表紙)、表2(表紙の裏)、表3(裏表紙の裏)、表4と言う。表1以外は広告が入る事がほとんどである。", "title": "記載内容" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "近年では、漫画単行本のブックカバー下の本体に書き下ろし漫画や登場人物紹介といった付録的な情報を掲載する例も多い。", "title": "記載内容" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "書籍出版業界では、本の外観、とくにその画像のことを「書影」という。", "title": "類義語「書影」" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "出版社では複数のオンライン書店、書評サイトなどから「書影」が求められることから、一般的には後者を意味する。", "title": "類義語「書影」" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "表紙まわり(ひょうしまわり)とは、本、特に雑誌の表紙4面のことをいう。「表まわり」ともいう。", "title": "表紙まわり" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "冊子状となっている回数券では、綴りこんだ券面とは別に「表紙」が付いていることがあるが、マルスから1枚ずつ出てくるようなJRの回数券タイプの特別企画乗車券の中にも、有効な乗車券とは別に「表紙」という券がついてくる事例が存在する。この「表紙」は回数券として使用はできないが、払い戻しの際に表紙も必要とされることがある。", "title": "回数券の「表紙」" } ]
表紙は、本のページを結合し保護する覆いである。本を開く向きに置いた時に表に来る「表表紙」、その裏面の「裏表紙」、綴じ込みのある側面の「背表紙」から成るが、特に「本の顔」の部分である表表紙を指すことも多い。背表紙は製本法によっては存在しない場合もある。 表紙には、よく知られているハードカバーとペーパーバックのみならず、ブックカバー、リング綴じ、さらに古風な手での製本などさまざまな形態がある。日本では表紙の上にさらにブックカバーをかけることが多いが洋書ではあまり多くなく、英語ではbook coverが表紙を指し「ブックカバー」はdust jacketと呼ばれる。
{| <!--class="wikitable"--> style="float:right;" cellspacing="0" cellpadding="0" |- | style="vertical-align: top"| | style="vertical-align: top"| [[Image:Ilnolihi.jpg|thumb|upright|3巻本『Illustreret norsk literaturhistorie』(1896)の[[ハードカバー]]表紙]] |} {{読み仮名|'''表紙'''|ひょうし}}は、[[本]]のページを結合し保護する覆いである。本を開く向きに置いた時に表に来る「表表紙」、その裏面の「裏表紙」、綴じ込みのある側面の「背表紙」から成るが、特に「本の顔」の部分である表表紙を指すことも多い。背表紙は[[製本]]法によっては存在しない場合もある。 表紙には、よく知られている[[ハードカバー]]と[[ペーパーバック]]のみならず、[[ブックカバー]]、[[リング綴じ]]、<!--19世紀には多く見られた[[ボール紙]]、:paper-boards ボール紙は今でもハードカバーに使われているような? 意味が取れないのでコメントアウト-->さらに古風な手での製本などさまざまな形態がある。日本では表紙の上にさらにブックカバーをかけることが多いが洋書ではあまり多くなく、英語では''book cover''が表紙を指し「ブックカバー」は''dust jacket''と呼ばれる。 == 歴史 == [[Image:Ivory cover of the Lorsch Gospels, c. 810, Carolingian, Victoria and Albert Museum.jpg|thumb|left|upright|ロルシュのアウレウス[[コデックス|写本]]の[[象牙]]の表紙(810年頃)。[[ヴィクトリア&アルバート博物館]]蔵]] [[中国]]や[[日本]]では、昔から覆いも紙で製し[[糸]]で綴じていた([[和綴]])が、西洋では[[19世紀]]初頭までは本は[[木材|木]]、[[皮革|革]]、[[金]][[銀]]、[[宝石]]などの重い素材を用いて綴じられていた。数百年もの間、[[装幀]]は印刷または手製による高価なページを保護する手段として、またその文化的な権威を証立てるものとして機能してきた。[[1820年代]]には本の覆い方に大きな変化が始まり、機械的な製本技術が徐々に導入され始めた。[[蒸気機関]]によるプレス機や機械的に製造される紙によって本がとても安価なものになると、手での製本は本自体の価格に釣り合わないものとなってゆき、まず[[布]]が、それから[[紙]](表'''紙''')が定番の素材となっていった。 <!-- 日本の本にはあまりピンと来ない部分もあるので加筆が必要かもしれません。 --> この新しいタイプの表紙は安価に製造できるだけでなく、カラーの[[リトグラフ]]や、後にはハーフトーンの写真製版によって[[イラストレーション]]や[[写真]]を印刷することができた。19世紀のポスター制作者から借用してきた技法と、[[グラフィックデザイン]]の職業的な実践が徐々に出版界全体に浸透した。表紙はページを保護するだけではなく、本を宣伝し、本の中身に関する情報を伝達する機能も担うようになった。 {{-}} == 表紙デザイン == [[20世紀]]初頭の[[アーツ・アンド・クラフツ]]運動と[[アール・ヌーヴォー]]が表紙デザインに現代のルネサンスを喚び起こし、ヨーロッパ、ロンドン、ニューヨークの先進的な出版社を通じて成長の途にあった大衆的な出版業界全体へと浸透した。抜本的に現代的な表紙デザインとしては1920年代の[[ソビエト連邦|ソ連]]で[[アレクサンドル・ロトチェンコ]]や[[エル・リシツキー]]といった[[アバンギャルド|アヴァンギャルド]]の芸術家たちによって生み出されたものがある。大きな影響力のあった初期の表紙デザイナーには他に、「[[イエロー・ブック]]」(1894年-1895年)の最初の4巻の目覚ましい表紙をデザインした[[オーブリー・ビアズリー]]がいる。 戦後には、表紙は書籍出版界が競争市場となった中で極めて重要な要素となった。今日では表紙は本のスタイル、ジャンル、主題の詳しい手掛かりを与えるものとなり、多くの出版社は少しでも顧客の目を引こうと極限までデザインに凝るようになった。[[インターネット]]販売の時代になっても、表紙は二次元デジタル画像の形で本がオンラインで識別され売れるのを助ける機能を果たし続けており、その重要性はほとんど減じていない。 == 記載内容 == 表表紙には書名と、著者名など最低限の[[書誌]]事項が入っている。日本では、一般的に書名が一番上に配置され、目立つようにされているが、[[洋書]]では著者名が一番上に配置され、書名より目立つことも多い。{{-}}[[Image:Tsukigase-Kisho-Manuscript-Books.jpg|thumb|明治時代の[[和装本]]([[和綴]])]] 裏表紙には[[ISBN]]や定価などの追加的な書誌情報のほか、本の概要などの宣伝事項が書かれることがある。背表紙には書名、著者名、出版社名が簡潔に記載される。 雑誌では表紙については表1(いわゆる表紙)、表2(表紙の裏)、表3(裏表紙の裏)、表4と言う。表1以外は広告が入る事がほとんどである。 近年では、[[漫画]][[単行本]]のブックカバー下の本体に[[書き下ろし]]漫画や登場人物紹介といった付録的な情報を掲載する例も多い。 == 類義語「書影」 == 書籍出版業界では、本の外観、とくにその[[画像]]のことを「'''書影'''」という。 [[Image:Nsrw1914.jpg|thumb|150px|全5巻ある叢書の立体的な書影]] *'''広義の「書影」'''<br>帯付きの本、函入りの本の場合は帯や函も含めた外観、右の画像のような[[全集]]や[[叢書]]の場合、その全巻を立体的に並べた外観を含める。右上の「明治時代の和装本」の画像なども含む。 *'''狭義の「書影」'''<br>帯付きの本、函入りの本の場合でも、帯や函を外した状態の平面的な表紙のみの外観、全集や叢書の場合でも個々の平面的な表紙のみの外観に限定する<ref>[[Amazon.co.jp]]のe託販売サービスの商品画像のガイドラインでは、書籍は帯の無い画像が優先されると規定されている。</ref>。 出版社では複数の[[オンライン書店]]、書評サイトなどから「書影」が求められることから、一般的には後者を意味する。 == 表紙まわり== 表紙まわり(ひょうしまわり)とは、本、特に[[雑誌]]の表紙4面のことをいう。「表まわり」ともいう。 *'''定義'''<br>表紙を「'''表1'''」、表紙の裏側にある面を「'''表2'''」、裏表紙を「'''表4'''」、裏表紙の裏側を「'''表3'''」と呼び、これらをまとめて表紙まわり、または「表まわり」と呼ぶ<ref>[http://www.uni.ne.jp/flow/space.html 株式会社ユニ報創 雑誌広告について]</ref>。[[出版]]用語、[[印刷]]用語であると同時に[[広告]]用語でもある。 *'''印刷、出版の観点からの表紙まわり''' **背表紙<br>「表1」、「表2」、「表3」、「表4」に加えて、背表紙も含めて表紙まわりとする。背表紙は、[[リング綴じ]][[製本]]や[[中綴じ]][[製本]]では、生じない<ref>[http://comflex.jp/manual/sehaba.htm 無線綴じの背幅について/同人誌印刷 Comflex]</ref>。 **表紙まわりの印刷原稿作成・データ入稿<br>表紙まわりの印刷原稿・データは一般的に4面をセットで入稿する。その際も、「表1」(表紙)と「表4」(裏表紙)、「表2」と「表3」のそれぞれに背表紙分の背幅を加えて原稿・データを作成する。 *'''広告の観点からの表紙まわり''' **[[雑誌]]の場合、表紙まわりは、本文に掲載する広告よりも目立つことから広告効果が期待され、料金設定が高めに設定してあるのが一般的である<ref name="zashi">[http://www.media-pro.cc/zasshi_space.html 雑誌広告スペース 広告代理店メディアプロ]</ref>。 **なかでも、裏表紙の「表4」は、外側に露出していることから、最も注目度が高く広告料金も高くなっているのが一般的である<ref name="zashi"/>。 == 回数券の「表紙」 == 冊子状となっている[[回数券]]では、綴りこんだ券面とは別に「表紙」が付いていることがあるが、[[マルス (システム)|マルス]]から1枚ずつ出てくるような[[JR]]の回数券タイプの[[特別企画乗車券]]の中にも、有効な乗車券とは別に「表紙」という券がついてくる事例が存在する<ref name="東海">[http://railway.jr-central.co.jp/tickets/kaisuuken-tokyo/ 東京新幹線自由席回数券] [[東海旅客鉄道]]、2016年8月21日閲覧。</ref>。この「表紙」は回数券として使用はできないが、払い戻しの際に表紙も必要とされることがある<ref name="東海" />。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} <references/> == 関連項目 == {{Commonscat|Book covers}} * [[装幀]](ブックデザイン) * [[ブックカバー]] - 英語では''book cover''は表紙のことである。 * [[帯 (出版)|帯]] - 表紙、外箱、ブックカバーのさらに外を部分的に覆う宣伝用の紙。 * [[和綴]]、[[和装本]] - 日本の伝統的な書物での表紙の形態。 * [[黄表紙]] - [[江戸時代]]の[[草双紙]]の1分野。 == 外部リンク == * [http://www.bookcoverarchive.com 表紙アーカイブ] {{en icon}} * [http://www.gvsu.edu/library/digitalcollections/index.cfm?id=BA74E2BB-CBFF-CDC3-3A472EBE0321DBD9 グランド・バレー州立大学 デジタル・コレクション] {{en icon}} - 1870-1930年代の装飾された表紙の写真がある。 * [http://www.totalcardboard.com/book_cover_gallery.htm 歴史的な表紙デザインのギャラリー] {{en icon}} * [http://www.users.globalnet.co.uk/~jimthing/ パルプ・フィクションの表紙ギャラリー] {{en icon}} * [http://library.syr.edu/digital/guides/b/bonn_publish.htm トーマス・ボンの出版者インタビュー] {{en icon}} - 100を超す出版者やアートディレクターとの表紙に関するインタビュー。 {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひようし}} [[Category:書物]] [[Category:出版用語]] [[Category:装幀]] [[Category:アートメディア]] [[el:Κάλυμμα]] [[pl:Oprawa (poligrafia)]]
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シリーズ
シリーズ(英語: series; [ˈsɪriːz]; シリズ)
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シリーズ テレビ番組などのまとまりの単位。国により意味が異なる。 シリーズ (作品) - 作品群や連作。日本。 テレビ番組1本。 - 北米など。 シーズン (テレビ) - 1期間に放送される数本。イギリスなど。 シリーズ (スポーツ) - ある期間続けて行われる一連の試合。 級数 セリー 直列 シリーズ(Ceres) - ローマ神話の女神ケレースの英語読み。同じくケレス (準惑星)の英語読み。
{{Wiktionary|シリーズ|series}} '''シリーズ'''({{Lang-en|series}}; {{IPAc-en|ˈ|s|ɪ|r|iː|z}}; '''シ'''リズ) * [[テレビ番組]]などのまとまりの[[単位]]。[[国]]により[[意味]]が異なる。 ** [[シリーズ (作品)]] - 作品群や[[連作]]。[[日本]]。 ** テレビ番組1本。 - [[北米]]など。 ** [[シーズン (テレビ)]] - 1期間に放送される数本。[[イギリス]]など。 * [[シリーズ (スポーツ)]] - ある期間続けて行われる一連の[[試合]]。 * [[級数]] * [[セリー]] * [[直列]] * シリーズ({{En|Ceres}}) - [[ローマ神話]]の女神[[ケレース]]の英語読み。同じく[[ケレス (準惑星)]]の英語読み。 == 関連項目 == * [[系列]] * [[直列]]、[[シリアル]] (serial)、[[シリアライズ]] (serialize) * [[セリエ]] * {{Prefix|シリーズ}} * {{Intitle|シリーズ}} * [[連続ドラマ]] * [[Wikipedia:索引 しり#しりす]] {{aimai}} {{デフォルトソート:しりいす}} [[Category:英語の語句]] [[ar:سلسلة]]
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アリオン (漫画)
『アリオン』は、安彦良和の漫画。また、その主人公の名前である。プロメテウスをめぐる神話を下敷きにしている。安彦自らの監督により劇場アニメ化され、1986年3月15日に公開された。 アニメーター安彦良和にとって、初の本格的な漫画作品である。連載は徳間書店の漫画雑誌『リュウ』。単行本は徳間書店アニメージュコミックス(全5巻)、のち新装版(全3巻)、中公文庫コミック版(全4巻)で刊行されている。 連載開始当時、作者は『機動戦士ガンダム』劇場版にアニメーターとして携わっており、多忙を極めていた。そのため、完結まで長期にわたる連載となった。作品舞台はギリシア神話の世界であり、登場する神々や英雄たちの多くが登場するが、あえて独自の設定を行ったものが多く、同名の人物でも神話とは多くの違いがある。 超人と言って良い力を持ち、幾多の地を支配するティタン神族は、かつてウラノスを王として戴いていた。しかしウラノスはその子クロノスによって殺され、クロノスはまたその息子であるゼウスによって殺害されてその地位を奪われる。ゼウスはクロノスを殺したことで地上の王位を手に入れはしたものの、一族の勇者であるプロメテウスによって成された「祖父や父と同様、あなたも自らの子供の手によって殺されるだろう」との予言に怯え、病的なまでに猜疑心に満ちた生活を送っていた。 そんな頃、とある辺境の地にデメテルという女性が住んでいた。彼女は、かつてゼウスの兄であり海上の王でもあるポセイドンとの間に儲けた子供、アリオンと2人で穏やかな生活をしていた。ある日、ゼウスとポセイドンの兄であるハデスが彼女の下を訪ねてきた。それはアリオンを攫って刺客と成し、自らを陰鬱な冥府の王へと追いやった弟たちに復讐するためだった。 アリオンは、彼の手によって母の下から暗い冥界へと拉致され、暗殺者として鍛えられながら成長した。しかし最初の命令のゼウス殺しに失敗し追われる身となってしまう。逃走中にひょんなことから父親であるポセイドンの軍に加わり、次第にその運動能力によって頭角を現し始めたアリオンは、ポセイドンと敵対していたゼウスの子であるアテナ、アレス、アポロンらの手によって、あるいはハデスの呪いによって次第に追い詰められ、より過酷な運命の中へと誘われていく。 しかし、獅子の面をかぶった正体不明の男(黒の獅子王)やヘラクレス、リュカオーン王などに助けられ、また偶然出会った少女レスフィーナへの思いを糧に、次第に力強く成長していく。そしてその危難に満ちた旅の果てに、自らの出生の秘密を知る。 アニメ映画に登場したキャラクターは、キャストも併せて記載している。 日本サンライズ制作、1986年3月15日公開。現時点で、安彦自身が自ら作画を手掛けた最後のアニメ作品。予告編はショートバージョンとロングバージョンがあり、ショートバージョンのナレーションは銀河万丈が担当。キャッチコピーはショートバージョンが「君のなかにもアリオンがいる!」、ロングバージョンが「燃えろ!!君の中のアリオン」となっている。映画でのキャラクターデザインにあたり、監督の安彦は衣装デザインやガイアのキャラクター原案を、ギリシア神話を作品モチーフに使うことが多く造詣が深い少女漫画家山岸凉子に依頼している。そのため、一部のキャラクターのイメージが原作と異なる。 主人公の武器が斧から剣に代わったり、半身の狼に襲われる点などに『太陽の王子ホルスの大冒険』からの影響がみられる。 この映画で構成を担当したSF作家の川又千秋により、ノベライズ作品『アリオン異伝』(徳間書店および同文庫)が刊行されているが、内容は原作とも映画とも大幅に異なる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『アリオン』は、安彦良和の漫画。また、その主人公の名前である。プロメテウスをめぐる神話を下敷きにしている。安彦自らの監督により劇場アニメ化され、1986年3月15日に公開された。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "アニメーター安彦良和にとって、初の本格的な漫画作品である。連載は徳間書店の漫画雑誌『リュウ』。単行本は徳間書店アニメージュコミックス(全5巻)、のち新装版(全3巻)、中公文庫コミック版(全4巻)で刊行されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "連載開始当時、作者は『機動戦士ガンダム』劇場版にアニメーターとして携わっており、多忙を極めていた。そのため、完結まで長期にわたる連載となった。作品舞台はギリシア神話の世界であり、登場する神々や英雄たちの多くが登場するが、あえて独自の設定を行ったものが多く、同名の人物でも神話とは多くの違いがある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "超人と言って良い力を持ち、幾多の地を支配するティタン神族は、かつてウラノスを王として戴いていた。しかしウラノスはその子クロノスによって殺され、クロノスはまたその息子であるゼウスによって殺害されてその地位を奪われる。ゼウスはクロノスを殺したことで地上の王位を手に入れはしたものの、一族の勇者であるプロメテウスによって成された「祖父や父と同様、あなたも自らの子供の手によって殺されるだろう」との予言に怯え、病的なまでに猜疑心に満ちた生活を送っていた。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "そんな頃、とある辺境の地にデメテルという女性が住んでいた。彼女は、かつてゼウスの兄であり海上の王でもあるポセイドンとの間に儲けた子供、アリオンと2人で穏やかな生活をしていた。ある日、ゼウスとポセイドンの兄であるハデスが彼女の下を訪ねてきた。それはアリオンを攫って刺客と成し、自らを陰鬱な冥府の王へと追いやった弟たちに復讐するためだった。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "アリオンは、彼の手によって母の下から暗い冥界へと拉致され、暗殺者として鍛えられながら成長した。しかし最初の命令のゼウス殺しに失敗し追われる身となってしまう。逃走中にひょんなことから父親であるポセイドンの軍に加わり、次第にその運動能力によって頭角を現し始めたアリオンは、ポセイドンと敵対していたゼウスの子であるアテナ、アレス、アポロンらの手によって、あるいはハデスの呪いによって次第に追い詰められ、より過酷な運命の中へと誘われていく。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "しかし、獅子の面をかぶった正体不明の男(黒の獅子王)やヘラクレス、リュカオーン王などに助けられ、また偶然出会った少女レスフィーナへの思いを糧に、次第に力強く成長していく。そしてその危難に満ちた旅の果てに、自らの出生の秘密を知る。", "title": "あらすじ" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "アニメ映画に登場したキャラクターは、キャストも併せて記載している。", "title": "登場人物" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "日本サンライズ制作、1986年3月15日公開。現時点で、安彦自身が自ら作画を手掛けた最後のアニメ作品。予告編はショートバージョンとロングバージョンがあり、ショートバージョンのナレーションは銀河万丈が担当。キャッチコピーはショートバージョンが「君のなかにもアリオンがいる!」、ロングバージョンが「燃えろ!!君の中のアリオン」となっている。映画でのキャラクターデザインにあたり、監督の安彦は衣装デザインやガイアのキャラクター原案を、ギリシア神話を作品モチーフに使うことが多く造詣が深い少女漫画家山岸凉子に依頼している。そのため、一部のキャラクターのイメージが原作と異なる。", "title": "アニメ映画" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "主人公の武器が斧から剣に代わったり、半身の狼に襲われる点などに『太陽の王子ホルスの大冒険』からの影響がみられる。", "title": "アニメ映画" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "この映画で構成を担当したSF作家の川又千秋により、ノベライズ作品『アリオン異伝』(徳間書店および同文庫)が刊行されているが、内容は原作とも映画とも大幅に異なる。", "title": "アニメ映画" } ]
『アリオン』は、安彦良和の漫画。また、その主人公の名前である。プロメテウスをめぐる神話を下敷きにしている。安彦自らの監督により劇場アニメ化され、1986年3月15日に公開された。
『'''アリオン'''』は、[[安彦良和]]の漫画。また、その主人公の名前である。[[プロメーテウス|プロメテウス]]をめぐる神話を下敷きにしている。安彦自らの監督により[[アニメーション映画|劇場アニメ]]化され、[[1986年]]3月15日に公開された。 == 概要 == [[アニメーター]]安彦良和にとって、初の本格的な漫画作品である。連載は[[徳間書店]]の漫画雑誌『[[リュウ (雑誌)|リュウ]]』。単行本は徳間書店アニメージュコミックス(全5巻)、のち新装版(全3巻)、[[中公文庫]]コミック版(全4巻)で刊行されている。 連載開始当時、作者は『[[機動戦士ガンダム]]』劇場版にアニメーターとして携わっており、多忙を極めていた。そのため、完結まで長期にわたる連載となった。作品舞台は[[ギリシア神話]]の世界であり、登場する神々や英雄たちの多くが登場するが、あえて独自の設定を行ったものが多く、同名の人物でも神話とは多くの違いがある。 == あらすじ == 超人と言って良い力を持ち、幾多の地を支配する[[ティーターン|ティタン]]神族は、かつて[[ウーラノス|ウラノス]]を王として戴いていた。しかしウラノスはその子[[クロノス]]によって殺され、クロノスはまたその息子である[[ゼウス]]によって殺害されてその地位を奪われる。ゼウスはクロノスを殺したことで地上の王位を手に入れはしたものの、一族の勇者である[[プロメーテウス|プロメテウス]]によって成された「祖父や父と同様、あなたも自らの子供の手によって殺されるだろう」との予言に怯え、病的なまでに猜疑心に満ちた生活を送っていた。 そんな頃、とある辺境の地に[[デーメーテール|デメテル]]という女性が住んでいた。彼女は、かつてゼウスの兄であり海上の王でもある[[ポセイドーン|ポセイドン]]との間に儲けた子供、[[アレイオーン|アリオン]]と2人で穏やかな生活をしていた。ある日、ゼウスとポセイドンの兄である[[ハーデース|ハデス]]が彼女の下を訪ねてきた。それはアリオンを攫って刺客と成し、自らを陰鬱な[[黄泉|冥府]]の王へと追いやった弟たちに復讐するためだった。 アリオンは、彼の手によって母の下から暗い冥界へと拉致され、暗殺者として鍛えられながら成長した。しかし最初の命令のゼウス殺しに失敗し追われる身となってしまう。逃走中にひょんなことから父親であるポセイドンの軍に加わり、次第にその運動能力によって頭角を現し始めたアリオンは、ポセイドンと敵対していたゼウスの子である[[アテーナー|アテナ]]、[[アレース|アレス]]、[[アポローン|アポロン]]らの手によって、あるいはハデスの呪いによって次第に追い詰められ、より過酷な運命の中へと誘われていく。 しかし、獅子の面をかぶった正体不明の男(黒の獅子王)や[[ヘーラクレース|ヘラクレス]]、[[リュカーオーン|リュカオーン]]王などに助けられ、また偶然出会った少女レスフィーナへの思いを糧に、次第に力強く成長していく。そしてその危難に満ちた旅の果てに、自らの出生の秘密を知る。 == 登場人物 == アニメ映画に登場したキャラクターは、キャストも併せて記載している。 ; アリオン : 声 - [[中原茂]]、[[小宮和枝]](幼少期) : 本作の主人公。デメテルとポセイドンの子として育てられた少年。ティターン族の覇権争いに翻弄されながらも、自らの運命を切り開いていく。頭にはめているバンダナ状の金輪がトレードマーク。後に父親がポセイドンではなく、プロメテウスであることが明らかとなる。 : 原作、映画共に超人的能力を発揮しているが、とにかく敗北して誰かに助けられる場面が多い。また、アロアダイが成人したら何者もかなわないという逸話に沿ってか、とにかく子供扱いされる場面が多かった。 : 出生はポセイドンの双子の息子の[[アロアダイ]]がモデルで、名前はデメテルとポセイドンとの間に生まれた駿馬[[アレイオーン|アリオン]]。 ; レスフィーナ : 声 - [[高橋美紀]] : ゼウスの手によって言葉を封じられた少女。アテナの侍女として働いていたことから、捕らえられたアリオンと出会い、強く惹かれ合う。実はポセイドンとデメテルの子で、アリオンもまたポセイドンとデメテルの子として育てられていたことから、2人は双子の兄妹と思い込み悩むこととなる。出生は[[ペルセポネー|デスポイナ]]がモデル。また、ポセイドンと[[メデューサ]]の子とされる[[ペーガソス|ペガサス]]とも関連がある。 ; デメテル : 声 - [[武藤礼子]] : かつては豊穣の女神と呼ばれた美しい女性で、アリオンの母でありゼウス、ポセイドンらの妹。辺境の地で慎ましく暮していたところ、ハデスによって幼いアリオンを攫われる。かつてゼウスによって視力を奪われている。原作では出産に苦しんだ末、視力を失ったことになっている。 ; セネカ : 声 - [[田中真弓]] : 人間の子供。両親がおらず、盗みで生き延びてきた。アリオンと行動を共にする。名前のみ[[ローマ帝国]]時代の哲人[[ルキウス・アンナエウス・セネカ|セネカ]]を元にしている。漫画では[[男性器]]が見えるギャグシーンも描かれているが、映画版では[[少女]]となっている{{R|公式}}。 ; ギド : 声 - [[西尾徳]] : 冥府に住む三眼の巨人、魔人族([[ヘカトンケイル]])最後の生き残り。出会った当初はアリオンを殺そうとするが、逆に倒され服従する。冥府を発ったアリオンに同行する。 ; ゼウス : 声 - [[大久保正信]] : ティターンの王。猜疑心が強く非常に臆病なために、年齢の割に非常に老け込んでいる。父クロノスを殺し王位を奪った過去から、いずれ自らも同じ運命をたどることを恐れており、オリンポスに仇なす存在と予言に出たアリオンを病的なほどに恐れている。 : 原作では青年期は精神的にプロメテウスに依存している姿が、さらにガイアに運命を弄ばれた末、精神を病み外道の道に堕ちるまでの過程が描かれている。プロメテウスには「死を恐れるあまり、生きることをしなかった」と評されていた。 ; ハデス : 声 - [[大塚周夫]] : 冥府の王。弟ゼウスの奸計により冥府へと追いやられていたため、アリオンを利用してゼウス、さらにポセイドン暗殺を企てる。しかしゼウスの軍とポセイドンの軍がぶつかった際にケルベロス1匹を連れて戦の様子を見に訪れたことが災いし、戦場で心を迷わせ激していたアリオンに偶然遭遇してしまう。ハデスのかけた言葉はアリオンの激情に対し火に油を注いでしまうようなものであり、「自分をとりまく絶望的な呪縛」と見なして憎しみを向けられ、ケルベロスの護衛も役に立たず、殺害される。 ; ポセイドン : 声 - [[小林清志]] : アリオンの父。ゼウスの兄で海界の覇者。傲慢で豪放な人物。再会したアリオンを自らの軍に迎え入れてオリンポス軍と対決するが、ハデスの亡霊に操られたアリオンによって殺される。 ; アポロン : 声 - [[鈴置洋孝]] : ゼウスの長男で予言に言われた運命の子である。放蕩を装っているが強力な超常の力でオリンポスの明日の覇権を、それも「唯一絶対の神」としての地位を狙っており、そのためにレスフィーナの封印された力を欲している。アリオンの真の宿敵。原作とアニメでは性格や言動に違いがあり印象が異なる。 : 原作では兄弟の設定が前半と終盤で異なっており、当初は末っ子だったのがプロメテウスの回想シーン以降は長男になっている。おそらくはもっともティターンの血の濃い男子、途中で暗殺されて退場したガイアとゼウスの近親交配の息子ということにするためと思われる。 ; アテナ : 声 - [[勝生真沙子]] : ゼウスの長女。女性ながらオリンポス軍の将を務める。兄アポロンの放蕩を揶揄しながらも惹かれている。 : 原作、映画とほぼ同一のキャラクターだが、原作では幼少期、ヨシュアに非常に懐いていた普通の少女らしい姿が描かれている。 ; アレース : 声 - [[島田敏]] : アテナとアポロンの弟で、アテナの副官。 : 原作では頭の回転の鈍い大男として描写されている。ハデスの居城を攻め落とすが、罠を発動されて自軍のほとんどを失ってしまったりするなど、実力は今一つ。 : 映画では痩せて酷薄そうな外見と性格に変更されており、前述の冥府攻略のシーンはカットされている。アテナを暗殺するために帷幕に訪れたアリオンの気配を見破り、彼と交戦するも敵せず斬り捨てられた。 ; ガイア : 声 - [[来宮良子]] : ティターンの地母神。子クロノスに夫ウラノスを、さらに孫ゼウスにクロノスを殺させた張本人。デメテルの作る秘薬で若さを保っていた。 : 原作と映画では大きく設定が異なっている。原作では太った醜女で、後に(おそらくゼウスに)毒殺されている。映画では巨大な姿をしており、アポロン、アテナ、アレースらの母親という設定になっている。プロメテウスを殺害するが、その亡骸から出た霧に触れて力を取り戻したレスフィーナに敗れ、老いさらばえた正体をさらして死亡する。 ; 黒の獅子王(プロメテウス) : 声 - [[田中秀幸 (声優)|田中秀幸]] : 獅子の仮面に身を隠し、アリオンの危機をたびたび救う謎の人物。その正体は、かつて[[ヘイロタイ|ヘロット]](原住民)と共にゼウスに反旗を翻して処刑されたはずの勇者プロメテウスであり、アリオンの実の父。アリオンにティターンの因業の歴史を語る。 ; リュカオーン : 声 - [[永井一郎]] : ティターンに迫害されつつも服従していない部族(アルカディア)の王。人目を避け隠遁生活を送っていた。アリオンに真の敵がアポロンであることを教え、進むべき道を指し示す。 ; ヘラクレス : 声 - [[郷里大輔]] : 力自慢の青年。元山賊でリュカオーンの護衛役だったが、再びオリンポスに向かうアリオンに同行する。 : 原作では一度はアリオンを倒すほどの強さを見せる。 ; エートス : 声 - [[宮内幸平]] : ヘロットの老人。妻(声 - [[京田尚子]])がいる。かつてプロメテウスの下でオリンポスに反旗を翻した一人であり、同志達と共にアリオンを補佐する。アニメ版ではプロメテウスの妻パンドーラの父親に変更され、オリンポスとの戦いの途中で戦死する(原作では生き残る)ことになる。 ; [[エリーニュース|エリヌース]] : ゼウスに従う復讐の神々。元々はティターンに征服されたへロットの王族だったが、今はゼウスに服従している。ポセイドンを殺したアリオンを「父殺しの罪」でつけ狙う。原作では7人いたが、映画では3人に減っている。 ; [[ヘファイストス|ヘパイストス]] : ティターンの一族だが醜い外見を忌諱され、鍛冶場に籠もって一族のために多くの武具を作っている。同じ虐げられている者として、ハデスとは馬が合うらしい。映画では登場しない。 ; [[アプロディーテー|アフロディーテ]] : アテナがポセイドンを倒して凱旋の祝賀に登場する。アテナと互いに名前で呼び合う関係だった模様。映画では登場しない(似た外見のモブキャラクターは登場する)。 ; [[ヘーラー|ヘラ]] : アテナがポセイドンを倒して凱旋の祝賀に登場するほか、いくつか出番はある。アテナからは「ヘラ様」と敬称付けで呼ばれているため、おそらくは神話同様にゼウスの妻でアレースの母だと思われる。映画では登場しない(似た外見のモブキャラクターは登場する)。 ; [[パンドーラ]] : 元はウラノスに仕えた騎士デミテウスの娘(映画ではエートスの娘に変更)。プロメテウスの妻となるが、プロメテウスの心がデメテルにあるのを知っており、そのことを思い悩んでいた。 ; ヨシア : パンドーラの弟。プロメテウスを結婚以前から兄のように慕っており、またアテナの幼なじみだった。パンドーラと共に殺害される。映画では登場しない。 == アニメ映画 == {{Infobox Film | 作品名 = アリオン | 原題 = | 画像 = | 画像サイズ = | 画像解説 = | 監督 = [[安彦良和]] | 脚本 = 安彦良和<br />[[田中晶子]] | 原案 = | 原作 = | 製作 = [[尾形英夫]]<br />中川宏徳<br />山田哲久 | 製作総指揮 = [[徳間康快]]<br />磯邊律男<br />春名和雄<br />伊藤昌典 | ナレーター = | 出演者 = [[中原茂]]<br />[[高橋美紀]]<br />[[武藤礼子]]<br />[[田中真弓]]<br />[[大塚周夫]]<br />[[小林清志]] | 音楽 = [[久石譲]] | 主題歌 = [[後藤恭子]]「ペガサスの少女」 | 撮影 = 斉藤秋男 | 編集 = 井上和夫 | 制作会社 = | 製作会社 = [[徳間書店]]<br />[[博報堂]]<br />[[丸紅]]<br />[[日本サンライズ]] | 配給 = [[東宝]] | 公開 = {{flagicon|JPN}} [[1986年]][[3月15日]] | 上映時間 = 118分 | 製作国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 製作費 = | 興行収入 = | 配給収入 = 6.3億円<ref>{{Cite journal|和書|year=1987|title=邦画フリーブッキング配収ベスト作品|journal=[[キネマ旬報]]|issue=[[1987年]]([[昭和]]62年)[[2月]]下旬号|pages=129|publisher=[[キネマ旬報社]]}}</ref> | 前作 = | 次作 = }} [[サンライズ (アニメ制作ブランド)|日本サンライズ]]制作、1986年3月15日公開。現時点で、安彦自身が自ら作画を手掛けた最後のアニメ作品。予告編はショートバージョンとロングバージョンがあり、ショートバージョンのナレーションは[[銀河万丈]]が担当。キャッチコピーはショートバージョンが「'''君のなかにもアリオンがいる!'''」、ロングバージョンが「'''燃えろ!!君の中のアリオン'''」となっている。映画でのキャラクターデザインにあたり、監督の安彦は衣装デザインやガイアのキャラクター原案を、ギリシア神話を作品モチーフに使うことが多く造詣が深い少女漫画家[[山岸凉子]]に依頼している。そのため、一部のキャラクターのイメージが原作と異なる。 主人公の武器が斧から剣に代わったり、半身の狼に襲われる点などに『[[太陽の王子ホルスの大冒険]]』からの影響がみられる。 この映画で構成を担当したSF作家の[[川又千秋]]により、ノベライズ作品『アリオン異伝』(徳間書店および同文庫)が刊行されているが、内容は原作とも映画とも大幅に異なる。 === スタッフ === * 原作・監督・キャラクターデザイン・作画監督 - [[安彦良和]] * 演出 - [[浜津守]] * 脚本 - [[田中晶子 (脚本家)|田中晶子]]、[[安彦良和]] * 音楽 - [[久石譲]] * 企画 - [[徳間書店]]、[[日本サンライズ]] * 構成 - [[川又千秋]] * 美術監督 - 金子英俊 * 音響監督 - [[千葉耕市]] * 撮影監督 - 斉藤秋男 * 原画 - [[塩山紀生]]、[[神村幸子]]、[[わたなべひろし|渡辺浩]]、[[金山明博]]、[[千明孝一]]、[[うつのみや理|うつのみやさとる]] ほか * 作画監督補佐 - [[高橋久美子 (アニメーター)|高橋久美子]]、[[大橋誉志光]] === 主題歌 === * [[藤本恭子|後藤恭子]]「ペガサスの少女」 *: 作詞:[[松本隆]]、作曲:[[林哲司]]、編曲:[[萩田光雄]] == ゲーム == * 1986年に[[アスキー (企業)|アスキー]]から[[FM-7]]、[[PC-8801]]専用ソフトが発売。原作のストーリーに沿って、コマンドを選択して進んでいく[[アドベンチャーゲーム]]。 * 1986年に[[ツクダホビー]]から[[ウォー・シミュレーションゲーム]]が発売。 == 脚注 == {{Reflist|refs= <ref name="公式">{{Cite web|和書|website=[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]]ワールド|url=http://sunrise-world.net/titles/pickup_121.php|title=ネオ・ヒロイック・ファンタジア アリオン|accessdate=2022-12-04}}</ref> }} == 外部リンク == * アニメ映画 ** [http://sunrise-world.net/titles/pickup_121.php ネオ・ヒロイック・ファンタジア アリオン] - [[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]]ワールド ** {{Allcinema title|149710|アリオン}} ** {{Kinejun title|17658|アリオン}} ** {{Movie Walker|mv17479|アリオン}} ** {{映画.com title|68226|アリオン}} ** {{IMDb title|0090658|アリオン}} {{サンライズ}} {{Manga-stub}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1=アリオン (映画) |1-1=アニメ作品 あ |1-2=サンライズ作品 |1-3=徳間書店のアニメ作品 |1-4=徳間ジャパンコミュニケーションズのアニメ作品 |1-5=博報堂DYグループのアニメ作品 |1-6=日本のアニメ映画 |1-7=1986年のアニメ映画 |1-8=ファンタジーアニメ映画 |1-9=ギリシア神話を題材としたアニメ作品 |1-10=ギリシア・ローマ神話を題材とした映画作品 |1-11=久石譲の作曲映画 |1-12=安彦良和の監督映画 |1-13=丸紅の映像作品 }} {{デフォルトソート:ありおん}} [[Category:安彦良和の漫画作品]] [[Category:漫画作品 あ|りおん]] [[Category:リュウ]] [[Category:ファンタジー漫画]] [[Category:ギリシア神話を題材とした漫画作品]] [[Category:近親相姦を題材とした漫画作品]] [[Category:アスキーのゲームソフト]] [[Category:FM-7シリーズ用ゲームソフト]] [[Category:PC-8800用ゲームソフト]]
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洋書
洋書()とは、主に西洋(欧米)で出版された本や、英語・フランス語・ドイツ語などヨーロッパの言語で書かれた本のことである。これ以外にもヒンディー語・アラビア語など、アジアやアフリカの言葉で書かれたものも含まれることがあり、広義には「日本以外の地域で出版された本」あるいは「日本語以外の言語で書かれた本」のことを指す場合がある。ただし中国語・朝鮮語については一定でなく、和書とすることも少なくない。
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書評
書評(、英: Book review)とは、一般的に、刊行された書物を読者に紹介する目的で論評や感想などを記す文芸評論の一形式である。 書評は雑誌や新聞の記事として、また本の形をとった書評集として出版される。インターネット上で発表されることもある。通起源的には、18世紀の半ばから勃興してきた新聞という大衆向けメディアにおける新刊・新作紹介とする。 通常はいわゆる新刊本について行われることが多く、読者の書籍選びにあたって参考に供する意味を持つ。また前記のような古典的概念に加えて、現在では、正規の文字表現として定めないままに、書評としての内容を持って出される口頭のコメント(主としてテレビ、ラジオなどで行われる)なども、二次的概念としてこれに含む場合が多い。 内容的には、書物の紹介と内容に対する論評とが共存しているところに、特徴がある。したがって、一般の文芸評論のように後者にのみ偏っているものは、通常は書評とは呼ばれない。ただしいわゆる新刊紹介と書評が区別される境界線もまた、この内容に対する論評の部分に存しており、筆者の独自の見解を示しつつ読者を書物の世界に誘いこむ不思議な文学形式であるということができる。優れた書評文はそれ自身が独立して鑑賞するに足る作品であることが多い。
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書評(しょひょう、とは、一般的に、刊行された書物を読者に紹介する目的で論評や感想などを記す文芸評論の一形式である。 書評は雑誌や新聞の記事として、また本の形をとった書評集として出版される。インターネット上で発表されることもある。通起源的には、18世紀の半ばから勃興してきた新聞という大衆向けメディアにおける新刊・新作紹介とする。 通常はいわゆる新刊本について行われることが多く、読者の書籍選びにあたって参考に供する意味を持つ。また前記のような古典的概念に加えて、現在では、正規の文字表現として定めないままに、書評としての内容を持って出される口頭のコメントなども、二次的概念としてこれに含む場合が多い。 内容的には、書物の紹介と内容に対する論評とが共存しているところに、特徴がある。したがって、一般の文芸評論のように後者にのみ偏っているものは、通常は書評とは呼ばれない。ただしいわゆる新刊紹介と書評が区別される境界線もまた、この内容に対する論評の部分に存しており、筆者の独自の見解を示しつつ読者を書物の世界に誘いこむ不思議な文学形式であるということができる。優れた書評文はそれ自身が独立して鑑賞するに足る作品であることが多い。
{{出典の明記|date=2013年9月}} {{独自研究|date=2011年11月}} {{読み仮名|'''書評'''|しょひょう|{{lang-en-short|Book review}}}}とは、一般的に、刊行された[[書物]]を[[読者]]に紹介する[[目的]]で論評や[[感想]]などを記す[[文芸評論]]の一形式である。 書評は[[雑誌]]や[[新聞]]の記事として、また本の形をとった書評集として出版される<ref name=jaspul>[http://www.jaspul.org/pre/e-kenkyu/kikaku/pfb/pf/kikaku/shohyo-sample.doc 書評の探し方] [[私立大学図書館協会]]</ref>。インターネット上で発表されることもある<ref name=jaspul/>。{{要出典|date=2018-01|通起源的には、[[18世紀]]の半ばから勃興してきた[[新聞]]という大衆向け[[メディア (媒体)|メディア]]における[[新刊]]・新作紹介とする}}。 {{要出典|date=2018-01|通常はいわゆる新刊本について行われることが多く、読者の書籍選びにあたって参考に供する意味を持つ。また前記のような古典的概念に加えて、現在では、正規の文字表現として定めないままに、書評としての内容を持って出される口頭のコメント(主としてテレビ、ラジオなどで行われる)なども、二次的概念としてこれに含む場合が多い。}} {{要出典|date=2018-01|内容的には、書物の紹介と内容に対する論評とが共存しているところに、特徴がある。したがって、一般の文芸評論のように後者にのみ偏っているものは、通常は書評とは呼ばれない。ただしいわゆる新刊紹介と書評が区別される境界線もまた、この内容に対する論評の部分に存しており、筆者の独自の見解を示しつつ読者を書物の世界に誘いこむ不思議な文学形式であるということができる。優れた書評文はそれ自身が独立して鑑賞するに足る作品であることが多い。}} == 関連文献 == * [[丸谷才一]]編・解説、[[幾野宏]]ほか訳 『ロンドンで本を読む』[[マガジンハウス]] 2001年 ISBN 4838712413 - 英国の名書評集 ** 『ロンドンで本を読む 最高の書評による読書案内』 [[光文社]]知恵の森文庫、2007年-抄版である。ISBN 4334784755 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == {{Wikiversity|書評を書く|書評の書き方}} * [[読書感想文]] == 外部リンク == * [https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000111810 レファレンス事例詳細:「書評について知りたい。」] * [https://rnavi.ndl.go.jp/jp/guides/post_539.html 書評(国内)の探し方・見つけ方 リサーチ・ナビ 国立国会図書館] * [http://www.kulib.kyoto-u.ac.jp/refguide/13208 京都大学図書館機構 > レファレンスガイド > 書評(Book review)の探し方] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しよひよう}} [[Category:読書]] [[Category:文芸評論]]
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帯(おび、旧字体: 帶)とは、着物の上から腰の上に巻いて結ぶことで着物を体に固定させる幅広で紐状の装身具。道具を装用する機能も持つ。 帯の始まりはおそらく衣類自体より古く、初発的形態としては裸体に腰紐のみを巻き、そこに狩猟で用いる道具を挿していたことにはじまる。これはいわゆる未開社会で見られる。 前開きの上着に対して帯は原理的には必須ではなく、ガウンなどのように、脇の部分に結ぶための紐を備えることで、開かないようにできる。 帯は道具を装用するための機能もあり、たとえば日本刀の一種の打刀は腰の帯に差す形で携行されていたし、小物入れの機能を持った提げ物や印籠は、帯の裏に紐を通して帯の上端に留め具の根付をひっかける形で装用されていた。もとより日本語では「帯びる」というように、それは身体の最も近いところに置くことである。また漢語に於いても同様で、「携帯する」という語には既に、帯という字が含まれている。 服飾史においては、帯は「帯びる」「止める」よりも「飾る」機能の発揮によって様々なものが現れてきた。上半身と下半身を分かつ一本のラインとなり、トータルコーディネートの上での重要なアクセントである。ことに和服の帯のように幅広のものは、意匠を凝らす余地が存分にあることから、様々な模様が与えられ、実際的な機能を離れ鑑賞用になることもある。 広くは、帯は結び目を作ることで固定するが、帯鉤(たいこう)と呼ばれる金具によって固定するものも、ヨーロッパでは新石器時代の終わり頃からすでに見られる。いわゆるベルトである。これはヨーロッパ特有のものではなく、たとえば始皇帝陵の兵馬俑群が、その兵士たち一人ひとりが異なる形状の帯鉤を身につけていることでも知られているように、アジアなどにも存在した。これは日本においても律令制の時代の遺物には残っている。 和服の帯は江戸時代初期までは幅10cm程度の細い物であり、胴に巻いて縛ることで着物の打ち合わせを固定する機能性を持っていた。 平和な時代が長期に渡り、また華美を競う風潮と相まって時代が下がるごとに女性の帯の長大化が進んだ結果、現代の着物においては、帯の目的はもっぱら装飾である。これは、現代の着付けでは、打ち合わせを固定する機能は腰紐やコーリンベルトが担っており、帯はその上から巻くものとなっているためである。 和装の帯の種類には、次のようなものがある。 身体を取り締めるものである帯は、生命にかかわる呪術的な力をも有すると考えられ、妊婦のために特別のものが用意されるなどしたほか、様々な伝承において、力帯(ちからおび)やそれに類する装身具が広く見られる。北欧神話におけるトールの神話もその一つに挙げられる。適切に巻かれた帯は身体能力を発揮する一助となり、ウェイトリフティングなどのパワー系競技において、腰椎の保護などの機能も併せ、専用のベルトを装着する選手も多い。このことは古くより体験的に知られており、神秘的な力として、その強力なものが口承の中に現れてくるのであろう。 日本では帯初めという通過儀礼もあった。これは、着物の付け紐を取り、幼児が初めて帯を結ぶ儀式である。もとは室町時代に貴族の間で始まったと考えられる。地方によっては両親が執り行わず、帯親と呼ばれる人物に託す。これは名付け親などと同様の、仮親の一種と分類される。 「帯(おび、タイ)」という日本語は、多種多様な派生語と転義語を持つ。 束ねなければまとまりのつかない物を帯状に巻いて封印する「帯封(おびふう)」(■右列の画像を参照)や、外装する形で本・レコード・CDなどに巻かれる「帯(おび)」(■右列の画像を参照)、特定の長さをもつ一本の帯状のグラフの上に数値データを表して割合を示す「帯グラフ(おびグラフ)」(■右列の画像を参照)、ウェブデザインにおける「見出し帯(みだしおび)」などは、衣服の帯の直喩である。 また、物理的形状から敷衍して、「時間帯(じかんたい)」「時刻帯(じこくたい)」「深夜帯(しんやたい)」、「帯域(たいいき)」、「価格帯(かかくたい)」など、幅を持った事物・概念にも転用される。テレビやラジオ等の放送において安定した放送枠内で高い継続性をもつ番組を指して使われる「帯番組(おびばんぐみ)」、それがドラマであった場合の「帯ドラマ(おびドラマ)」、テレビ・ラジオ等のゴールデンタイム(プライムタイム)を帯になぞらえた「G帯(ジーたい)」などといった語も挙げることができる。 日本語の「衣帯(いたい)」は多義語であるが、中国語由来の「衣帯」は「帯」を意味し、これを川や海と関連付けた「一衣帯水(いちいたいすい)」は「一本の帯のように幅の狭い一筋の川や海」を意味すると共に、そのように何かで分断されていながら隣り合っていて関係の深いことをも意味する四字熟語である。語構成は[〈一 - 衣帯〉- 水 ]で、「一本の帯」と「川」や「水域」を意味する「水」との合成語。出典は『南史 陳後主紀』など。 中国語以外の外国語を音写もしくは漢訳した要素のある日本語としては、「帯スペクトル(読み:たいスペクトル、別名:ベルトスペクトル)」と「電子帯スペクトル(でんしたいスペクトル)」、「吸収帯(読み:きゅうしゅうたい、別名:吸収バンド)」、「メビウスの帯(読み:メビウスのおび、別名:メビウスの輪)」(■左列の画像を参照)、「ビーナスの帯(読み:ビーナスのおび、別名:ビーナスベルト)」、カイパーベルト「カイパー帯(読み:カイパーたい、別名:カイパーベルト)」、「帯状疱疹(たいじょうほうしん)」などがある。
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帯とは、着物の上から腰の上に巻いて結ぶことで着物を体に固定させる幅広で紐状の装身具。道具を装用する機能も持つ。
{{otheruses}} [[File:Kimono backshot by sth.jpg|thumb|right|190px|帯(立て矢系の結び)]] '''帯'''(おび、{{旧字体|'''帶'''}})とは、[[和服|着物]]の上から[[腰]]の上に巻いて結ぶことで着物を体に固定させる幅広で紐状の[[装身具]]<ref name="jpo-card-B1">[https://www.jpo.go.jp/shiryou/s_sonota/pdf/card/B1.pdf 意匠分類定義カード(B1)] 特許庁</ref>。[[道具]]を装用する機能も持つ。 == 衣類の帯 == === 帯の歴史 === 帯の始まりはおそらく衣類自体より古く、初発的形態としては裸体に腰紐のみを巻き、そこに[[狩猟]]で用いる道具を挿していたことにはじまる。これはいわゆる[[未開社会]]で見られる。 前開きの上着に対して帯は原理的には必須ではなく、[[ガウン]]などのように、脇の部分に結ぶための紐を備えることで、開かないようにできる。 帯は道具を装用するための機能もあり、たとえば[[日本刀]]の一種の[[打刀]]は腰の帯に差す形で携行されていたし、小物入れの機能を持った提げ物や[[印籠]]は、帯の裏に紐を通して帯の上端に留め具の[[根付]]をひっかける形で装用されていた。もとより[[日本語]]では「帯びる」というように、それは身体の最も近いところに置くことである。また[[漢語]]に於いても同様で、「携帯する」という語には既に、'''帯'''という字が含まれている。 [[服飾史]]においては、帯は「帯びる」「止める」よりも「飾る」機能の発揮によって様々なものが現れてきた。上半身と下半身を分かつ一本のラインとなり、トータルコーディネートの上での重要なアクセントである。ことに和服の帯のように幅広のものは、意匠を凝らす余地が存分にあることから、様々な模様が与えられ、実際的な機能を離れ鑑賞用になることもある。 === 帯鉤 === 広くは、帯は結び目を作ることで固定するが、'''帯鉤'''(たいこう)と呼ばれる金具によって固定するものも、[[ヨーロッパ]]では[[新石器時代]]の終わり頃からすでに見られる。いわゆる[[ベルト (服飾)|ベルト]]である。これはヨーロッパ特有のものではなく、たとえば[[始皇帝陵]]の[[兵馬俑]]群が、その[[兵士]]たち一人ひとりが異なる形状の帯鉤を身につけていることでも知られているように、[[アジア]]などにも存在した。これは[[日本]]においても[[律令制]]の時代の遺物には残っている。 === 和装の帯 === [[和服]]の帯は[[江戸時代]]初期までは幅10cm程度の細い物であり、胴に巻いて縛ることで着物の打ち合わせを固定する機能性を持っていた。 平和な時代が長期に渡り、また華美を競う風潮と相まって時代が下がるごとに女性の帯の長大化が進んだ結果、現代の着物においては、帯の目的はもっぱら装飾である。これは、現代の[[着付け]]では、打ち合わせを固定する機能は腰紐や[[コーリンベルト]]が担っており、帯はその上から巻くものとなっているためである。 和装の帯の種類には、次のようなものがある。 * 女物 ** [[丸帯]] ** [[袋帯]] ** [[腹合せ帯]]([[昼夜帯]]、鯨帯) ** [[名古屋帯]](九寸名古屋帯) ** [[名古屋帯|袋名古屋帯]](八寸名古屋帯) ** [[踊帯]] ** [[単帯]] ** [[六寸帯]] ** [[半幅帯]] : 女物の付属品 :* [[帯締め]] :* [[帯留]] :* [[帯揚げ]] :* [[帯枕]] :* [[帯板]] [[File:Stiff obi,Kaku-obi,Katori-city,Japan.jpg|thumb|right|180px|角帯の例]] * 男物 ** [[角帯]] ** [[三尺帯]] ** [[兵児帯]](へこおび) * 小児用 ** [[兵児帯]] ** [[扱帯]] ** [[作り帯]]([[付け帯]]) == 文化 == === 呪術的な要素 === 身体を取り締めるものである帯は、生命にかかわる[[魔術|呪術]]的な力をも有すると考えられ、[[妊婦]]のために特別のものが用意されるなどしたほか、様々な伝承において、[[力帯]](ちからおび)やそれに類する装身具が広く見られる。[[北欧神話]]における[[トール]]の神話もその一つに挙げられる。適切に巻かれた帯は身体能力を発揮する一助となり、[[ウェイトリフティング]]などのパワー系競技において、[[腰椎]]の保護などの機能も併せ、専用のベルトを装着する選手も多い。このことは古くより体験的に知られており、神秘的な力として、その強力なものが口承の中に現れてくるのであろう。 日本では[[帯初め]]という[[通過儀礼]]もあった。これは、着物の付け紐を取り、幼児が初めて帯を結ぶ儀式である。もとは[[室町時代]]に[[貴族]]の間で始まったと考えられる。地方によっては両親が執り行わず、帯親と呼ばれる人物に託す。これは名付け親などと同様の、仮親の一種と分類される。 == 派生・転義 == [[ファイル:2010-06-28 100-pack of 2 USD.jpg|thumb|160px|帯封をされた[[紙幣]]の束]] [[ファイル:Belly Band of Norwegian Wood 1st edition.jpg|thumb|160px|[[出版物]]とその帯(下の方に巻いてある)]] [[ファイル:Can use internet.png|thumb|160px|帯グラフ]] {{Anchors|転用|派生|転義|比喩|比喩的用法|<!--※これらは節名が変更されても元のリンクが解除されないよう布石として設ける“隠れ節名”です。どうあっても変えたい人は元の節名を追記した上で変えて下さい。-->}} 「[[wikt:帯|'''帯''']]([[wikt:おび|おび]]、タイ)」という[[日本語]]は、多種多様な[[派生語]]と[[転義法|転義]]語を持つ。 束ねなければまとまりのつかない物を帯状に巻いて封印する「'''[[帯封]]'''(おびふう)」(■右列の画像を参照)や、外装する形で[[本]]・[[レコード]]・[[コンパクトディスク|CD]]などに巻かれる「[[帯 (出版)|'''帯''']](おび)」(■右列の画像を参照)、特定の長さをもつ一本の帯状の[[統計図表|グラフ]]の上に数値データを表して[[割合]]を示す「'''帯グラフ<!--※現状ではリンクを張ろうとしても閲覧者は「帯グラフ」に辿り着けず、迷子になるだけです。-->'''(おびグラフ)」(■右列の画像を参照)、[[ウェブデザイン]]における<!--※「見出し帯」の説明が全くされていません。ネットで探しても確認できません。何を指すのか明確でなく、編集するにも推定どまりで書きようがありません。-->「'''[[見出し]]帯'''(みだしおび)」などは、衣服の帯の[[直喩]]である。 また、物理的形状から敷衍して、「'''[[時間帯]]'''(じかんたい)」「'''時刻帯'''(じこくたい)」「'''[[深夜]]帯'''(しんやたい)」、「'''[[帯域]]'''(たいいき)」、「'''[[価格]]帯'''(かかくたい)」など、[[幅]]を持った事物・[[概念]]にも転用される。[[テレビ]]や[[ラジオ]]等の[[放送]]において安定した放送枠内で高い継続性をもつ[[番組]]を指して使われる「'''[[帯番組]]'''(おびばんぐみ)」、それが[[ドラマ]]であった場合の「'''[[帯ドラマ]]'''(おびドラマ)」、テレビ・ラジオ等のゴールデンタイム([[プライムタイム]])を帯になぞらえた「'''G帯'''(ジーたい)」などといった語も挙げることができる。 {{Anchors|衣帯|一衣帯水}}日本語の「'''衣帯'''(いたい)」は[[多義語]]であるが、[[中国語]]由来の「衣帯」は「帯」を意味し、これを[[川]]や[[海]]と関連付けた「'''[[wikt:一衣帯水|一衣帯水]]'''(いちいたいすい)」は「一本の帯のように幅の狭い一筋の川や海」を意味すると共に、そのように何かで分断されていながら隣り合っていて関係の深いことをも意味する[[四字熟語]]である。語構成は[〈一 - 衣帯〉- 水 ]で、「一本の帯」と「川」や「[[水域]]」を意味する「水」との[[合成語]]。出典は『[[南史]] [[後主 (陳)|陳後主]]紀』など。 [[ファイル:Möbius strip.jpg|thumb|left|130px|メビウスの帯]] 中国語以外の外国語を[[wikt:音写|音写]]もしくは[[漢訳]]した要素のある日本語としては、「'''{{Anchors|帯スペクトル}}帯スペクトル'''(読み:たいスペクトル、別名:ベルトスペクトル)」と「'''{{Anchors|電子帯スペクトル}}電子帯スペクトル'''(でんしたいスペクトル)」、「'''{{Anchors|吸収帯}}吸収帯'''(読み:きゅうしゅうたい、別名:吸収バンド)」、{{Anchors|メビウスの帯}}「'''[[メビウスの帯]]'''(読み:メビウスのおび、別名:メビウスの輪)」(■左列の画像を参照)、{{Anchors|ビーナスの帯}}「'''[[ビーナスの帯]]'''(読み:ビーナスのおび、別名:'''ビーナスベルト''')」、{{Anchors|カイパーベルト}}カイパーベルト「'''カイパー帯'''(読み:カイパーたい、別名:[[カイパーベルト]])」、「'''[[帯状疱疹]]'''(たいじょうほうしん)」などがある。 == 出典 == {{Reflist}} == 関連項目 == {{commons|Category:Obi}} * [[和服]] * [[おはしょり]] * [[帯刀]] - [[苗字帯刀]] * [[ベルト (服飾)]] * [[リボン]] * [[石帯]] * [[帯 (柔道)]] * [[オビ=ワン・ケノービ]] - [[SF映画]]『[[スター・ウォーズ・シリーズ]]』の登場人物。名前の由来が「帯」([[英語]]で発音した[[黒帯]]が「ケノービ」。または「一番の'''帯'''」でオビ=ワン)から来ているという説がある。 * [[すてきに帯らいふ]] - [[2021年]][[12月22日]]深夜放送の特番。[[水曜日のダウンタウン]]スペシャルでの企画「ホントドッキリ」として実際に放送された史上初の“帯”番組。MCは[[ニューヨーク (お笑いコンビ)|ニューヨーク]]。 {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:おひ}} [[Category:和服]] [[category:日本の装身具]]
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特撮関連人名一覧
特撮関連人名一覧(とくさつかんれんじんめいいちらん)は、特殊撮影に関わるスタッフの一覧である。
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特撮関連人名一覧(とくさつかんれんじんめいいちらん)は、特殊撮影に関わるスタッフの一覧である。
'''特撮関連人名一覧'''(とくさつかんれんじんめいいちらん)は、[[特殊撮影]]に関わるスタッフの一覧である。 == 日本 == === 監督 === * [[浅田英一]] * [[アベユーイチ]] * [[雨宮慶太]] * [[有川貞昌]] * [[飯島敏宏]] * [[石井てるよし]] * [[石黒光一]] * [[石田秀範]] * [[伊藤良一]] * [[岩原直樹]] * [[内田一作]] * [[大木淳吉|大木淳]] * [[大森一樹]] * [[おかひでき]] * [[小笠原猛]] * [[奥中惇夫]] * [[折田至]] * [[加藤弘之 (テレビドラマ監督)|加藤弘之]] * [[金子修介]] * [[上堀内佳寿也]] * [[川北紘一]] * [[川崎郷太]] * [[菊地雄一]] * [[小池達朗]] * [[国米修市]] * [[小中和哉]] * [[小中肇]] * [[小西通雄]] * [[小林義明]] * [[佐伯孚治]] * [[坂本浩一]] * [[坂本太郎 (テレビドラマ監督)|坂本太郎]] * [[佐川和夫]] * [[佐藤健光]] * [[清水厚]] * [[鈴木健二 (特撮監督)|鈴木健二]] * [[実相寺昭雄]] * [[柴﨑貴行]] * [[杉原輝昭]] * [[鈴村展弘]] * [[高野宏一]] * [[たかひろや]] * [[竹本弘一]] * [[竹本昇]] * [[田口勝彦 (テレビドラマ監督)|田口勝彦]] * [[田口清隆]] * [[田﨑竜太]] * [[田中秀夫]] * [[田村直己]] * [[辻理]] * [[辻野正人]] * [[円谷英二]] * [[円谷一]] * [[手塚昌明]] * [[東條昭平]] * [[長石多可男]] * [[中澤祥次郎]] * [[中野昭慶]] * [[野口彰宏]] * [[野長瀬三摩地]] * [[畑澤和也]] * [[原田昌樹]] * [[樋口真嗣]] * [[福田純]] * [[広田茂穂]] * [[蓑輪雅夫]] * [[本多猪四郎]] * [[舞原賢三]] * [[的場徹]] * [[真船禎]] * [[三ツ村鐵治]] * [[村石宏實]] * [[諸田敏]] * [[八木毅]] * [[矢島信男]] * [[佛田洋]] * [[山際永三]] * [[山口恭平]] * [[山崎貴]] * [[山田稔 (テレビドラマ監督)|山田稔]] * [[湯浅憲明]] * [[渡辺勝也]] === 特殊美術・特殊造型 === * [[井口昭彦 ]] * [[井上泰幸 ]] * [[梅沢壮一 ]] * [[江川悦子 ]] * [[大澤哲三 ]] * [[開米栄三]] * [[小林知己]] * [[寒河江弘 ]] * [[佐々木明 (造形家)]] * [[品田冬樹 ]] * [[スクリーミング・マッド・ジョージ ]] * [[高山良策]] * [[辻一弘 ]] * [[利光貞三]] * [[成田亨 ]] * [[原口智生 ]] * [[三池敏夫]] * [[村瀬継蔵]] * [[安丸信行]] * [[渡辺明 (美術監督)|渡辺明]] === 操演 === * [[鈴木昶]] * [[根岸泉]] * [[松本光司 (操演技師) ]] === クリーチャー(怪獣・怪人)デザイナー === * [[阿部統]] * [[雨宮慶太]] * [[出渕裕]] * [[岡本英郎]] * [[K-SuKe]] * [[さとうけいいち]] * [[篠原保]] * [[竹谷隆之]] * [[寺田克也]] * [[酉澤安施]] * [[成田亨]] * [[西川伸司]] * [[韮沢靖]] * [[野口竜]] * [[原田吉郎]] * [[丸山浩 (デザイナー)|丸山浩]] * [[森木靖泰]] === スタントマン・殺陣師 === * [[大野幸太郎]] * [[金田治]] * [[大道寺俊典]] * [[高橋一俊]] * [[竹田道弘]] * [[マーク武蔵]] * [[宮崎剛 (俳優)|宮崎剛]] * [[山岡淳二]] * [[横山誠]] == 日本以外の人物 == * [[アイザック・フロレンティーン]] * [[ウィリス・オブライエン]] * [[ウェンディー・リー]] * [[エリー・デケル]] * [[エリック・S・ロールマン]] * [[キース・エマーソン]] * [[ギレルモ・デル・トロ]] * [[ジェームズ・キャメロン]] * [[ジェフ・プルート]] * [[ジャッキー・マーチャンド]] * [[ジャド・リン]] * [[シュキ・レヴィ]] * [[ジョー・ジョンストン]] * [[ジョージ・ルーカス]] * [[ジョナサン・ヅァクワー]] * [[ジョン・ダイクストラ]] * [[スコット・ページ=パグター]] * [[スタン・ウィンストン]] * [[スタンリー・キューブリック]] * [[スティーブ・クレイマー]] * [[スティーブ・ワン]] * [[ダグラス・スローン]] * [[ダグラス・トランブル]] * [[デレク・メディングス]] * [[デニス・ミューレン]] * [[デヴィッド・ウォルシュ]] * [[トニー・オリバー]] * [[トム・ワイナー]] * [[ノアム・カニエル]] * [[ハイム・サバン]] * [[ヒム・ヒョンレ]] * [[フィル・ティペット]] * [[ブライアン・ジョンソン (特殊効果)|ブライアン・ジョンソン]] * [[ブラッド・オーチャード]] * [[ヘンリー・G・サパースタイン]] * [[ポール・ピストーレ]] * [[マイケル・ソリッチ]] * [[マイケル・ランティエリ]] * [[ミチ・ヤマト]] * [[ユダ・アッコ]] * [[リチャード・エドランド]] * [[リック・ベイカー]] * [[レイ・ハリーハウゼン]] * [[ローランド・エメリッヒ]] * [[ロジャー・コーマン]] * [[ロバート・L・マナハン]] == 関連項目 == * [[SFX]] * [[特撮]] * [[特撮映画]] * [[戦争映画]] * [[怪獣映画]] * [[ホラー映画]] {{デフォルトソート:とくさつかんれんじんめいいちらん}} [[Category:特撮|*]] [[Category:人物の一覧|とくさつかんれん]]
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発禁
発禁(、はつきん)とは、『発行禁止処分』または『発売頒布禁止処分』の略称であるとともに、両者の総称である。 本項では略称の「発禁」に統一して記述する。 発行禁止処分または発売頒布禁止処分は、発行、発売、頒布された(またはその準備が整った)出版物、音楽、映画などの表現物の内容に不都合がある場合に、その発行、発売、頒布を禁止する処分である。無償頒布のものも対象となる。 どのような内容の表現物が発禁とされるかは、時代や地域によって異なる。 戦前の日本においては、雑誌ならば該当号、単行本ならばその書籍のみの発売や頒布を禁止対象とする「発売頒布禁止処分」と、雑誌や新聞の以後の号の発行を全て禁じる「発行禁止処分」があり、それぞれ根拠法条を異にしていたが、しばしば混同されている。 国立国会図書館では、旧帝国図書館時代に所蔵していた発禁本と、終戦後米軍が内務省から接収しその後返還された発禁本とを所蔵している。 1998年のアカデミー賞を受賞したアメリカ映画「クンドゥン」は、ダライ・ラマ14世の半生を描いたものであるとして、中華人民共和国で上映及び公開禁止となっている。 中国国内の経済格差という社会問題に触れた「迷失北京」は、中国政府の掲げる社会テーマと一致しないという理由で、中国映画審査機構より上映禁止となり、「迷失北京」から「苹果」(リンゴ)と改題、映画審査機構による5回の審査を受ける。2007年の第57回ベルリン国際映画祭への出品にあたり、北京市の不衛生な町風景と天安門広場及び中華人民共和国の国旗など、中国イメージの対外的な低下に繋がるシーンについて、当局から削除が命じられている。 現在の日本では、日本国憲法第21条において検閲が禁止されているため、法制度上の発禁は原則存在しない。 したがって、出版等が禁止されるのは、私人間の民事訴訟において、裁判所の判決または仮処分により出版等の差止めが命じられる場合に限られる。 民事訴訟において人権侵害(名誉毀損、プライバシーの侵害等)や著作権の侵害(著作権法第112条)が認定された場合は、販売差止め(出版差止め)が命じられ、これを俗に発売禁止ということもある。 アメリカ合衆国憲法修正第1条において、報道の自由が保障されている。しかし、報道の自由と個人のプライバシー権の議論がおこなわれ、政府が公開した情報なら合法という最高裁の決定が、Florida Star v. B. J. F.(英語版)(被害者情報を州法に反して保安官事務所が出してしまい被害者に保証金が支払われた。それを基に出版社の方針に反して記事を誤って出版してしまった事件の発禁処分に対しての裁判)にて下った。 発禁については、Criminal Code (刑法)に次の情報は発禁処分になると記されている。 戦前および戦中の日本においては、新聞紙発行条目(1873年太政官布告352号)、出版条例(1872年、明治4年)、讒謗律(1875年)、出版条例(1875年)、新聞紙条例(1875年)、出版法、新聞紙法(1909年)、映画法、治安警察法(第16条)、興行場及興行取締規則(警視庁令第15号)などに基づき検閲が行われた。 戦前戦中の検閲で発禁処分を受けたものの中では、思想的に危険視されたもの、性描写に関するものなどがあった。これらは、それぞれ「安寧秩序紊乱」・「風俗壊乱」とに分類された。根拠法は出版法・新聞紙法。 このほか1枚刷り以上の私暦(「類似暦」と称す。冊子状のものは伊勢暦のみ可)、市井の呪術者が発行する守札も印刷物として検閲の対象となった。根拠法は太政官達第307号(1870年)。 「風俗壊乱」による禁止のみは地方長官の手に委ねられたが、「安寧秩序紊乱」等はすべて内務省の内務大臣の名義で行われた。 発売頒布禁止処分が行政処分であるのに対して、発行禁止は司法処分であった。 検閲が進んでくると、出版側が正規の検閲前に所管官庁に原稿の点検を依頼することも行われるようになり、これを受けて、法律上の根拠はないものの、「注意処分」、「次版改訂(次版削除)処分」、「削除処分」、「分割還付」等の法外処分が行われることもあった。 日本における出版法でのレコードでの発禁第1号は、松井須磨子『今度生まれたら』(1917年、大正6年)と言われている。これは、歌詞中の「かわい女子(おなご)と寢て暮らそ。」の部分が猥褻とみなされたためである。 1941年(昭和16年)には組織強化が成された内閣情報局が、迷信的出版物(「二十八宿日割鑑」「人生一代身上開拓法」「誰にも判る一代の運勢」など)や風俗壊乱の恐れのある小説を一週間で20冊ほど発禁処分にするなど、戦時色が強まる背景の中で厳しい処分を行うようになった。 大東亜戦争(太平洋戦争)敗戦後の被占領期の日本においては、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)はプレスコードなどを発して民間検閲支隊による検閲を実行し、連合国や占領政策に対する批判、連合国軍の犯罪、日本を肯定するものなどに対し発禁処分などにした。
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発禁(はっきん、とは、『発行禁止処分』または『発売頒布禁止処分』の略称であるとともに、両者の総称である。 本項では略称の「発禁」に統一して記述する。
{{検閲}} {{読み仮名|'''発禁'''|はっきん|はつきん}}とは、『発行禁止処分』または『発売頒布禁止処分』の略称であるとともに、両者の総称である。 本項では略称の「発禁」に統一して記述する。 == 概要 == 発行禁止処分または発売頒布禁止処分は、発行、発売、頒布された(またはその準備が整った)[[出版|出版物]]、音楽、映画などの表現物の内容に不都合がある場合に、その発行、発売、頒布を禁止する処分である。無償頒布のものも対象となる。 どのような内容の表現物が発禁とされるかは、時代や地域によって異なる。 [[戦前#日本|戦前]]の[[大日本帝国|日本]]においては、雑誌ならば該当号、単行本ならばその書籍のみの発売や頒布を禁止対象とする「発売頒布禁止処分」と、雑誌や新聞の以後の号の発行を全て禁じる「発行禁止処分」があり、それぞれ根拠法条を異にしていたが、しばしば混同されている<ref>{{harvnb|浅岡邦雄|2018|pp=1-2}}</ref>。 [[国立国会図書館]]では、旧帝国図書館時代に所蔵していた発禁本と、終戦後[[アメリカ軍|米軍]]が[[内務省 (日本)|内務省]]から接収しその後返還された発禁本とを所蔵している<ref>{{Cite web |url=https://warp.ndl.go.jp/collections/content/info:ndljp/pid/286809/rnavi.ndl.go.jp/kaleido/tmp/65.pdf |title=第65回常設展示「発禁本」 |format=pdf |publisher=国立国会図書館 |date=1996-01 |accessdate=2023-12-16}}</ref>。 == 現行の事例 == === 中華人民共和国 === [[1998年]]の[[アカデミー賞]]を受賞した[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]「[[クンドゥン]]」は、[[ダライ・ラマ14世]]の半生を描いたものであるとして、[[中華人民共和国]]で上映及び公開禁止となっている。 中国国内の経済格差という社会問題に触れた「迷失北京」は、中国政府の掲げる社会テーマと一致しないという理由で、中国映画審査機構より上映禁止となり、「迷失北京」から「苹果」(リンゴ)と改題、映画審査機構による5回の審査を受ける。[[2007年]]の第57回[[ベルリン国際映画祭]]への出品にあたり、[[北京市]]の不衛生な町風景と[[天安門広場]]及び[[中華人民共和国の国旗]]など、中国イメージの対外的な低下に繋がるシーンについて、当局から削除が命じられている<ref>「中国人気映画の上映禁止、その背後を探る」大紀元、2007年8月18日掲載。</ref>。 === 日本 === 現在の日本では、[[日本国憲法]][[日本国憲法第21条|第21条]]において検閲が禁止されているため、法制度上の発禁は原則存在しない。 したがって、出版等が禁止されるのは、私人間の[[民事訴訟]]において、[[裁判所]]の[[判決 (日本法)|判決]]または[[仮処分]]により出版等の差止めが命じられる場合に限られる。 民事訴訟において[[人権]]侵害([[名誉毀損]]、[[プライバシー]]の侵害等)や[[著作権]]の侵害([[著作権法]]第112条)が認定された場合は、販売差止め(出版差止め)が命じられ、これを俗に発売禁止ということもある。<!--わいせつ物にあたる[[性的|性的描写]]に関しては、[[刑法 (日本)|刑法]]第175条の「[[わいせつ物頒布罪]]」により、出版した者が刑事罰の対象となる。このためわいせつ物頒布罪が認められた出版物は実質的に出版することができないので、俗に発売禁止と呼ばれることもある。[[チャタレー事件]]でわいせつ物頒布罪が認められた『[[チャタレイ夫人の恋人]]』は、その後、対象部分を伏字にして出版が行われ、現在は該当部分を改訳した完全版が出版されている。--> ===アメリカ=== [[アメリカ合衆国憲法修正第1条]]において、報道の自由が保障されている。しかし、報道の自由と個人のプライバシー権の議論がおこなわれ、政府が公開した情報なら合法という最高裁の決定が、{{ill2|Florida Star v. B. J. F.|en|Florida Star v. B. J. F.}}(被害者情報を州法に反して保安官事務所が出してしまい被害者に保証金が支払われた。それを基に出版社の方針に反して記事を誤って出版してしまった事件の発禁処分に対しての裁判)にて下った。 === イギリス === *進行中の裁判を妨害する事件情報:{{ill2|Contempt of Court Act 1981|en|Contempt of Court Act 1981}}により発禁となる。 *{{ill2|Sexual Offences (Amendment) Act 1992|en|Sexual Offences (Amendment) Act 1992}} - 性的暴行の被害者の情報は発禁となる。 === カナダ === 発禁については、Criminal Code (刑法)に次の情報は発禁処分になると記されている<ref>{{Cite web |url=https://www.bccourts.ca/supreme_court/publication_bans/about/statutory_bans.aspx |title=Supreme Court - Statutory Publication Bans |access-date=2022-05-22 |website=www.bccourts.ca}}</ref>。 * Section 486.4(1) and (2) - 性的暴行被害者の個人情報の公開 * Section 486.4(3) - 18歳未満の証人、児童ポルノ対象者の個人情報の公開 * Section 486.5(1) - 被害者または目撃者を特定できる情報の公開 * Section 486.5(2) - テロ組織・犯罪組織などの犯罪事件に関与した司法関係者の個人情報の公開 * Section 517/Section 539 - 係争中の裁判情報 * Section 631(6) - 裁判所が発禁が必要と判断した陪審員を特定できる情報 == 過去の事例 == === 日本 === {{see also|日本における検閲}} [[File:Grotesque news.png|thumb|250px|[[梅原北明]]の雑誌『[[グロテスク (雑誌)|グロテスク]]』の発禁を伝える[[死亡広告]]([[1928年]]・昭和3年)]] [[ファイル:Censorship TMPD.png|thumb|250px|[[警視庁 (内務省)|警視庁]]検閲課による検閲の様子([[1938年]]・昭和13年)]] [[戦前#日本|戦前]]および[[戦中]]の日本においては、新聞紙発行条目(1873年太政官布告352号)、[[出版条例]](1872年、[[明治]]4年)、[[讒謗律]](1875年)、[[出版条例]](1875年)、[[新聞紙条例]](1875年)、[[出版法]]、[[新聞紙法]](1909年)、[[映画法]]、[[治安警察法]](第16条)、興行場及興行取締規則(警視庁令第15号)などに基づき[[検閲]]が行われた。 [[戦前#日本|戦前]][[戦中]]の検閲で発禁処分を受けたものの中では、[[思想]]的に危険視されたもの、性描写に関するものなどがあった。これらは、それぞれ「安寧秩序紊乱」・「風俗壊乱」とに分類された。根拠法は[[出版法]]・[[新聞紙法]]。 このほか1枚刷り以上の私暦(「類似暦」と称す。冊子状のものは[[伊勢暦]]のみ可)、市井の呪術者が発行する[[守札]]も印刷物として検閲の対象となった。根拠法は[[太政官]]達第307号(1870年)。 「風俗壊乱」による禁止のみは地方長官の手に委ねられたが、「安寧秩序紊乱」等はすべて[[内務省 (日本)|内務省]]の[[内務大臣 (日本)|内務大臣]]の名義で行われた。<!--[[言論弾圧]]の現場は実際には内務省[[警保局]]図書課であった。図書課は[[文官高等試験]]に通った幹部候補の新人研修の場の一つでもあり、後に官選の知事(地方長官)となった者もいる。警保局長や[[勅選議員]]となった者もいる。厚生省や文部省などのいわば「植民地」に出向して幹部となった者も中には存在する。--> 発売頒布禁止処分が[[行政行為|行政処分]]であるのに対して、発行禁止は司法処分であった。 検閲が進んでくると、出版側が正規の検閲前に所管官庁に原稿の点検を依頼することも行われるようになり、これを受けて、法律上の根拠はないものの、「注意処分」、「次版改訂(次版削除)処分」、「削除処分」、「分割還付」等の法外処分が行われることもあった<ref>{{harvnb|浅野邦雄|2018|p=5}}</ref>。 日本における[[出版法]]での[[レコード]]での発禁第1号は、[[松井須磨子]]『今度生まれたら』<ref>[[芸術座 (劇団)|芸術座]]『生ける屍』([[1917年]][[10月30日]]初演)の劇中歌。[[北原白秋]]作詞。</ref>([[1917年]]、[[大正]]6年)と言われている<ref>[[永岡書店]]刊「おもしろ雑学百科」(ISBN 4-5220-1507-0)。レコードの発禁が出版法の対象とされるまでは[[治安警察法]]第16条によって禁止していた。</ref>。これは、歌詞中の「かわい女子(おなご)と寢て暮らそ。」の部分が猥褻とみなされたためである。 [[1941年]](昭和16年)には組織強化が成された内閣[[情報局]]が、迷信的出版物(「二十八宿日割鑑」「人生一代身上開拓法」「誰にも判る一代の運勢」など)や風俗壊乱の恐れのある小説を一週間で20冊ほど発禁処分にする<ref>著名作家の作品など大量に発禁『東京日日新聞』(昭和16年8月28日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p551 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>など、戦時色が強まる背景の中で厳しい処分を行うようになった。 === 占領・日本国憲法下での発禁 === [[大東亜戦争]]([[太平洋戦争]])敗戦後の[[連合国軍占領下の日本|被占領期の日本]]においては、[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)は[[プレスコード]]などを発して[[民間検閲支隊]]による検閲を実行し、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]や占領政策に対する批判、連合国軍の犯罪、日本を肯定するものなどに対し発禁処分などにした。 === 出版差し止めの例 === * [[織田作之助]]『青春の逆説』- 風俗壊乱出版として発禁処分になったが戦後解かれ、現在は[[青空文庫]]でも読める。 * [[福島次郎]]『三島由紀夫―剣と寒紅』1998年 - 遺族からの訴えにより「相続・所有権者側の承諾なしに手紙を無断で掲載したのは著作権侵害にあたる」とされ、回収された。 * [[石に泳ぐ魚]] * [[北方ジャーナル事件]] * [[田中真紀子長女記事出版差し止め事件]] * [[チャタレー事件]] * [[四畳半襖の下張事件]] * 「[[朝野新聞]]」が、1878年5月15日に[[大久保利通]]を殺害した[[島田一郎]]らの[[斬奸状]]を掲げ、7日間の発行停止を命じられた。初の日刊新聞発行停止である<ref>{{Cite journal|和書|author=塙叡 |date=1998 |url=https://kougei.repo.nii.ac.jp/records/750 |title=日本歴史歳時記 |journal=東京工芸大学工学部紀要. 人文・社会編 |ISSN=03876055 |volume=21 |issue=2 |pages=62-69 |naid=110001165825 |CRID=1050001202678853760}}</ref>。 == 脚注 == {{Reflist|2}} ==参考文献== *{{Cite journal |和書|author=浅岡邦雄 |url=https://chukyo-u.repo.nii.ac.jp/records/17025 |title=出版検閲における便宜的法外処分 |journal=中京大学図書館学紀要 |volume=38 |issue= |publisher= |date=2018-03-01 |pages=1-22 |naid=120006424134 |CRID=1050282676653397632 |ref=harv }} == 関連項目 == * [[言論統制]] * [[封印作品]] * [[廃盤]] * [[プランゲ文庫]] * [[表現の自由]] * [[上映禁止となった映画の一覧]] * [[絶版]] - 裁判で回収命令も行われる。 * {{ill2|強姦被害者保護法|en|Rape shield law}} == 外部リンク == *[{{NDLDC|982554}} 『近代文芸筆禍史』] [[斎藤昌三 (古書研究家)|斎藤昌三]]著(崇文堂, 1924) {{デフォルトソート:はつきん}} [[Category:出版]] [[Category:検閲]]
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中原茂
中原 茂(なかはら しげる、1961年1月22日 - )は、日本の男性声優。神奈川県鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市出身。ローカルドリームプロダクション所属。元妻は同じく声優のこおろぎさとみ。 神奈川県鎌倉市で誕生。父は化粧品メーカーの社員で、転勤族であった。生後ほどなくして神奈川県藤沢市に転居した後、大阪府で幼稚園時代の半期を過ごし、東京都で残りの半期を過ごす。その後は千葉県、群馬県、富山県、小学4年生の頃から神奈川県茅ヶ崎市と、父の転勤に伴い度重なる転校を経験する。 幼少期の夢はプロゴルファー、中学時代はテニスプレーヤーに憧れていたという。 高校時代は当時のフォークブームの影響もあり、シンガーソングライターを志す。しかしプロは無理かと考え始めた矢先、声優という道もあるかと思い立ち、通っていた東海大学教養学部を中退後、専門学校東京アナウンス学院放送声優科に通い始める。 同学院卒業後に 雑誌『ぴあ』のはみだしで見たボイスア-ツの募集記事を見て、応募。アニメのオーディションを受け合格した後、1982年に『魔境伝説アクロバンチ』の蘭堂ジュン役でデビュー。1983年の『聖戦士ダンバイン』のショウ・ザマ役以来、多分野で主役からサブキャラクターを演じるようになる。 以前はNPSテアトル、アーツビジョン、81プロデュース、シグマ・セブン(1997年4月 - 2007年12月)、ビーボ(2008年1月 - 2011年10月)、ビートワンに所属していた。 端正な声で真面目な青年役で知られる。 一人っ子である。祖母がドイツ人であり、クォーター(1/4ドイツ人)であると語っている。 趣味は読書、音楽鑑賞、映画鑑賞、お気に入りの喫茶店めぐり、インターネット、ショッピング、文章を書く事。 北海道帯広市のコミュニティFMラジオ局FMJAGAのDJ・梶山憲章とは専門学校東京アナウンス学院で知り合って以来の大親友であり、FMJAGAで番組を持っている。 太字はメインキャラクター。
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中原 茂は、日本の男性声優。神奈川県鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市出身。ローカルドリームプロダクション所属。元妻は同じく声優のこおろぎさとみ。
{{半保護}} {{声優 | 名前 = 中原 茂 | ふりがな = なかはら しげる | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = 同じ<ref name="nakaharashigeru">{{Cite web|和書|date=|url=http://www.nakaharashigeru.com/prof.htm|title= 中原茂プロフィール|publisher=中原茂ホームページ : エッセンス|accessdate=2019-10-19}}</ref> | 愛称 = | 性別 = [[男性]] | 出生地 = {{JPN}}・[[神奈川県]][[鎌倉市]]{{R|localdream}} | 出身地 = {{JPN}}・神奈川県[[藤沢市]]、[[茅ヶ崎市]]<ref name="OUT">{{Cite journal|和書|date = 1986-03-01|title = 声優マジカル通信 VOL.10 中原茂さん|journal = [[月刊OUT]]|issue = 1986年3月号 |pages = 97-101|publisher = [[みのり書房]]}}</ref><ref name="ジ・アニメ">{{Cite journal|和書|date = 1983-10|title =声優クローズあっぷ|journal = ジ・アニメ|issue = 1983年11月号|page =162|publisher = [[近代映画社]]}}</ref> | 死没地 = | 生年 = 1961 | 生月 = 1 | 生日 = 22 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 血液型 = [[ABO式血液型|O型]]{{R|localdream}} | 身長 = | 職業 = [[声優]] | 事務所 = [[ローカルドリームプロダクション]]{{R|localdream}} | 配偶者 = | 著名な家族 = | 公式サイト = [http://localdream.jp/nakahara 中原茂|ローカルドリームプロダクション] | 公称サイズ出典 = {{Cite web|和書|url=http://localdream.jp/nakahara|title=中原茂|publisher=ローカルドリームプロダクション|accessdate=2019-10-19}} | ref2name = localdream | 身長2 = 163 | 体重 = 67 | 活動期間 = [[1982年]] - | デビュー作 = 蘭堂ジュン(『[[魔境伝説アクロバンチ]]』)<ref name="shonanblue">{{Cite web|和書|date=|url=http://www.shonanblue.ne.jp/interview/002.html|title=第2回 中原茂さん|work=湘南の人|publisher=湘南BLUE|accessdate=2021-11-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20050208124533/http://www.shonanblue.ne.jp/interview/002.html|archivedate=2005-02-08}}</ref> }} '''中原 茂'''(なかはら しげる、[[1961年]][[1月22日]]{{R|nakaharashigeru|localdream|OUT}}<ref name="声優事典 第二版">{{Cite book|和書 |chapter= 男性篇 |date=1996-03-30 |editor= 掛尾良夫 |title=声優事典 第二版 |pages=214-215 |publisher=[[キネマ旬報社]]|isbn= 4-87376-160-3}}</ref><ref>{{Cite book|和書|year=1999|title=声優名鑑|pages=564|publisher=成美堂出版|isbn=4-415-00878-X}}</ref> - )は、[[日本]]の[[男性]][[声優]]。[[神奈川県]][[鎌倉市]]、[[藤沢市]]、[[茅ヶ崎市]]出身{{R|localdream|OUT|ジ・アニメ}}。[[ローカルドリームプロダクション]]所属{{R|localdream}}。元妻は同じく声優の[[こおろぎさとみ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://linkvod.myjcom.jp/artist/244945|title= 中原茂|website=linkvod.myjcom.jp|publisher=J:COMオンデマンド |accessdate=2023-11-12}}</ref>。 == 来歴 == [[神奈川県]][[鎌倉市]]で誕生{{R|localdream}}。父は化粧品メーカーの社員で、転勤族であった{{R|ジ・アニメ}}。生後ほどなくして神奈川県[[藤沢市]]に転居した後、[[大阪府]]で幼稚園時代の半期を過ごし、[[東京都]]で残りの半期を過ごす{{R|OUT}}。その後は[[千葉県]]、[[群馬県]]、[[富山県]]、小学4年生の頃から神奈川県[[茅ヶ崎市]]と、父の転勤に伴い度重なる転校を経験する{{R|OUT|ジ・アニメ}}。 幼少期の夢は[[プロゴルファー]]、中学時代はテニスプレーヤーに憧れていたという{{R|OUT}}。 高校時代は当時の[[フォークソング|フォーク]]ブームの影響もあり、[[シンガーソングライター]]を志す{{R|shonanblue}}。しかしプロは無理かと考え始めた矢先、声優という道もあるかと思い立ち、通っていた[[東海大学]][[教養学部]]{{R|ジ・アニメ}}を中退後、[[専門学校東京アナウンス学院]]放送声優科{{R|localdream}}<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.tohogakuen.ac.jp/announce/voice_actor/graduate/|title= 出身の声優|publisher=[[専門学校東京アナウンス学院]]|accessdate=2019-10-19}}</ref>に通い始める{{R|shonanblue}}。 同学院卒業後に 雑誌『[[ぴあ (雑誌)|ぴあ]]』のはみだしで見たボイスア-ツの募集記事を見て、応募{{R|shonanblue}}。アニメの[[オーディション]]を受け合格した後、1982年に『[[魔境伝説アクロバンチ]]』の蘭堂ジュン役でデビュー{{R|shonanblue}}。1983年の『[[聖戦士ダンバイン]]』の[[ショウ・ザマ]]役以来、多分野で主役からサブキャラクターを演じるようになる。 以前はNPSテアトル{{R|ジ・アニメ}}、[[アーツビジョン]]<ref>{{Cite web|和書|date=1999-04-03|url=http://www.nakaharashigeru.com/mainichi.htm|title=毎日がビバリー|publisher=中原茂ホームページ : エッセンス|accessdate=2021-11-12}}</ref>、[[81プロデュース]]{{R|声優事典 第二版}}、[[シグマ・セブン]]<ref name="es_40">{{Cite web|和書|date=2008-01-01|url=http://www.nakaharashigeru.com/es_40.htm|title=「風よ」~オレンジ・ドリ-ム~|publisher=中原茂ホームページ : エッセンス|accessdate=2023-11-12}}</ref><ref name="greeting">{{Cite web|和書|date=|url=http://www.nakaharashigeru.com/greeting.htm|title=ご挨拶|publisher=中原茂ホームページ : エッセンス|accessdate=2023-11-12}}</ref>(1997年4月 - 2007年12月)、[[ビーボ (芸能プロダクション)|ビーボ]]{{R|es_40|greeting}}(2008年1月 - 2011年10月)、[[ビートワン]]に所属していた。 == 人物 == 端正な声で真面目な青年役で知られる<ref>{{Cite book |和書 |author=小川びい |title=こだわり声優事典'97 |publisher=[[徳間書店]] |series=ロマンアルバム |page= 102|date=1997-03-10 |isbn=4-19-720012-9}}</ref>。 一人っ子である{{R|OUT|ジ・アニメ}}<ref>{{Cite journal|和書|date = 1995-06|title = 人気声優 直筆 DATA FILE 1995年度版|journal = [[アニメディア]]|issue = 1995年7月号|page = 40 |publisher = [[学習研究社]]}}</ref>。祖母が[[ドイツ人]]であり、[[混血|クォーター]](1/4ドイツ人)であると語っている<ref>CD『ラジオ カレイドスコープ eye's』</ref>。 趣味は[[読書]]、[[音楽]]鑑賞、[[映画]]鑑賞、お気に入りの[[喫茶店]]めぐり、[[インターネット]]、[[買物|ショッピング]]、[[文章]]を書く事{{R|nakaharashigeru}}。 [[北海道]][[帯広市]]のコミュニティFMラジオ局[[エフエムおびひろ|FMJAGA]]の[[ディスクジョッキー|DJ]]・[[梶山憲章]]とは[[専門学校東京アナウンス学院]]で知り合って以来の大親友であり、FMJAGAで番組を持っている<ref>{{Cite web|和書|title=DJ-INDEX {{!}} JAGA(エフエムおびひろ)|url=https://www.jaga.fm/list_dj.php|website=www.jaga.fm|accessdate=2021-09-15}}</ref>。 == 出演 == '''太字'''はメインキャラクター。 === テレビアニメ === {{dl2 | 1982年 | * [[銀河烈風バクシンガー]](ニーノ、マロウ、トーニ・アーウィン) * [[魔境伝説アクロバンチ]]('''蘭堂ジュン''') * [[まんが 水戸黄門]] | 1983年 | * [[機甲創世記モスピーダ]](男隊員A、軍人A) * [[キャプテン翼 (アニメ)|キャプテン翼]](井沢守、中西太一他) * [[聖戦士ダンバイン]]('''[[ショウ・ザマ]]'''{{R|ダンバイン}}) * [[超時空要塞マクロス]](町崎健一、カリタ・トラカジーデ) * [[光速電神アルベガス]](三郎) | 1984年 | * [[ガラスの仮面]](真島良) * [[よろしくメカドック]](五十嵐充) | 1985年 | * [[昭和アホ草紙あかぬけ一番!]](少年時代の祖父、とりまき) * [[超獣機神ダンクーガ]]('''式部雅人'''{{R|ダンクーガ}}) * [[六三四の剣]](日高剣介、三森先輩) | 1986年 | * [[あんみつ姫]](ロッカー、Q助) * [[Oh!ファミリー]](ケイ・アンダーソン) * [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第3シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎(第3作)]](中学生B) * [[生徒諸君!|生徒諸君! 心に緑のネッカチーフを]](生徒会長) * [[聖闘士星矢 (アニメ)|聖闘士星矢]]([[暗黒聖闘士#ブラックペガサス|暗黒ペガサス]]、[[聖闘士星矢の登場人物#鋼鉄聖闘士|スカイクロスの翔]]、孔雀座のシヴァ、[[神闘士#デルタ星メグレスのアルベリッヒ|δ星メグレスのアルベリッヒ]]) * [[ボスコアドベンチャー]](フローク) * [[マシンロボ クロノスの大逆襲]](ショーニー) | 1987年 | * [[エスパー魔美]](1987年 - 1989年、司会者、夢野、今井雅也、相手投手、ジョージ) * [[きまぐれオレンジ☆ロード]](中学生) * [[新メイプルタウン物語]](ジミー) * [[マンガ日本経済入門]](大貫、岡田、駐在員) | 1988年 | * [[それいけ!アンパンマン]](おそうじまん〈3代目〉) * [[鉄拳チンミ]](キンタン{{R|鉄拳チンミ}}) * [[のらくろクン]](鯉次郎) * [[ハロー!レディリン]](アーサー・ドレイク・ブライトン) * [[ビックリマン (アニメ)|ビックリマン]](チョッキング) * [[ひみつのアッコちゃん]]第2作(キーオ) * [[トッポ・ジージョ|夢見るトッポ・ジージョ]](ライオン) | 1989年 | * [[アイドル伝説えり子]](内田一樹、AD) * [[青いブリンク]](男A) * [[おぼっちゃまくん]](チン太、瓦版屋、地転ひろみ、鳶桐) * [[ジャングルブック・少年モーグリ]](スーラ{{R|ジャングルブック・少年モーグリ}}) * [[たいむとらぶるトンデケマン!]](ジークフリード) * [[ビリ犬なんでも商会]](掘田) | 1990年 | * [[アイドル天使ようこそようこ]](平、学生) * [[NG騎士ラムネ&40]]('''ゼンザイン'''{{R|NG騎士ラムネ&40}}) * [[それいけ!アンパンマン みなみの海をすくえ!]](おそうじまん) * [[ちびまる子ちゃん]](1990年 - 1991年、添田、男の子) * [[チンプイ]](マイケルマラソン) * [[魔法のエンジェルスイートミント]](フレッド、デューク、ジム) | 1991年 | * [[緊急発進セイバーキッズ]] * [[シティーハンター'91]](手下) * [[少年アシベ]](店員、サラリーマン) * [[どろろんぱっ!]](ハジメ) * [[炎の闘球児 ドッジ弾平]](御堂嵐) * [[横山光輝 三国志]]([[孫策]]) * [[わたしとわたし ふたりのロッテ]](ハンス) | 1992年 | * [[あしたへフリーキック]](フランク) * [[宇宙の騎士テッカマンブレード]](1992年 - 1993年、レビン<ref>{{Cite web|和書| accessdate=2022-11-08 | publisher=[[タツノコプロ]] | title=作品データベース 宇宙の騎士テッカマンブレード |url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/tekkaman_brade.html}}</ref>) * [[お〜い!竜馬]](平助) * [[ドラゴンボールZ]](1992年 - 1995年、[[人造人間17号]]) * [[南国少年パプワくん]](グンマ博士、オケラのオッくん) * [[花の魔法使いマリーベル]](モール) * [[ママは小学4年生]](主審) | 1993年 | * [[蒼き伝説シュート!]](松下浩) * [[ドラゴンボールZ 絶望への反抗!!残された超戦士・悟飯とトランクス]]('''人造人間17号''') * [[ミラクル☆ガールズ]](菱川) * [[幽☆遊☆白書 (テレビアニメ)|幽☆遊☆白書]]{{R|幽☆遊☆白書}}(妖狐蔵馬) | 1994年 | * [[おまかせスクラッパーズ]](スーパー7) * [[勇者警察ジェイデッカー]](カゲロウ) | 1995年 | * [[アニメ世界の童話]](三月ウサギ) * [[新機動戦記ガンダムW]](1995年 - 1996年、'''[[トロワ・バートン]]'''{{R|ガンダムW}}) * [[飛べ!イサミ]](男犯人) * [[ママはぽよぽよザウルスがお好き]](一文字秀人) * [[ヤンボウ ニンボウ トンボウ]](バビの父) * [[ロミオの青い空]](リナルド) | 1996年 | * [[あずきちゃん]](ケント) * [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](1996年 - 2008年、旗本武、西谷宏明、ロバート・テイラー、間熊篤、深町真二、龍尾景) | 1997年 | * [[金田一少年の事件簿 (アニメ)|金田一少年の事件簿]]([[金田一少年の事件簿の登場人物#遠野英治|遠野英治]]) * [[ドラゴンボールGT]](人造人間17号 / 超17号) * [[忍ペンまん丸]](紫狼沙) * [[爆走兄弟レッツ&ゴー!!WGP]](ウィリアム・アルヴァレズ) | 1998年 | * [[TRIGUN]](ロアン) * [[MASTERキートン]](ラディ) | 1999年 | * [[カウボーイビバップ]](マッケンタイア) * [[週刊ストーリーランド]](1999年 - 2001年、サギ師<ref>「いつかどこかでであった二人」</ref>、山下<ref>「いるはずのない同級生」</ref>、浩二<ref>「私になりたい女」</ref>、丸山アキオ<ref> [[謎の老婆|老婆シリーズ]]「あこがれのカーテン」</ref>) * [[トラブルチョコレート]](パパイヤ) * [[Bビーダマン爆外伝V]](はんせんボン) | 2000年 | * [[サクラ大戦TV]] | 2002年 | * [[王ドロボウJING]](ペルノー<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.aniplex.co.jp/jing/LIST/index-21.html |title=手配者リスト PERNOD |work=KING OF BANDIT JING |publisher=アニプレックス |accessdate=2017-03-26}}</ref>) | 2003年 | * [[星のカービィ (アニメ)|星のカービィ]](チップ先生) * [[妄想科学シリーズ ワンダバスタイル]](九十九工作) | 2004年 | * [[DAN DOH!!]]('''新庄樹靖''') * [[遙かなる時空の中で-八葉抄-]]('''藤原鷹通''') | 2007年 | * [[GR-GIANT ROBO-]](ジョニー・ソッコー) * [[DARKER THAN BLACK -黒の契約者-]](ニック・ヒルマン) * [[遙かなる時空の中で3 紅の月]]('''有川譲''') * [[Myself ; Yourself]](麻緒衣の父) | 2008年 | * [[西洋骨董洋菓子店〜アンティーク〜]](戸田〈BARのマスター〉) | 2009年 | * [[戦国BASARA]](2009年 - 2014年、[[戦国BASARAの登場人物#毛利軍|毛利元就]]<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20171201033841/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/11760| title = 戦国BASARA弐| publisher = メディア芸術データベース |accessdate = 2016-08-26}}</ref>)- 3シリーズ * [[ねぎぼうずのあさたろう]](諸越光雲斎) | 2010年 | * [[ケロロ軍曹 (アニメ)|ケロロ軍曹]](マコト) * [[ドラゴンボール改]](人造人間17号) * [[遙かなる時空の中で3#テレビアニメ|遙かなる時空の中で3 終わりなき運命]]('''有川譲''') | 2011年 | * [[デジモンクロスウォーズ 〜悪のデスジェネラルと七つの王国〜]](グラビモン) | 2012年 | * [[聖闘士星矢Ω]](2012年 - 2013年、牡羊座の貴鬼、スカイクロスの翔) | 2013年 | * [[惡の華]](佐伯奈々子の父) * [[京騒戯画]]('''鞍馬'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=アニメイトTV|title=100 万再生を記録した配信アニメ『京騒戯画』が今秋テレビアニメ化放送決定!|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1374822061&p=2|accessdate=2013-07-26}}</ref>) | 2017年 | * [[ドラゴンボール超]]('''人造人間17号''') | 2018年 | * [[学園BASARA]]('''毛利元就'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/anime/gakuen_basara/staffcast/|title=スタッフ&キャスト|work=TVアニメ「学園BASARA」公式ホームページ|publisher=TBSテレビ|accessdate=2018-06-19}}</ref>)<!-- 2018-10-05 --> | 2020年 | * [[のりものまん モービルランドのカークン]](2020年 - 2022年、ジャーニー)<!-- 2020-05-21 --> | 2021年 | * [[デジモンアドベンチャー:]](グラビモン)<!-- 2020-08-15 --> }} === 劇場アニメ === * [[超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか]](1984年、客B) * [[キャプテン翼 ヨーロッパ大決戦]](1985年、井沢守<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C410009|title=キャプテン翼 ヨーロッパ大決戦|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-09-28}}</ref>) * [[キャプテン翼 危うし! 全日本Jr.]](1985年、井沢守<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C410017|title=キャプテン翼 危うし! 全日本Jr.|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-09-28}}</ref>) * [[アリオン (漫画)|アリオン]](1986年、'''アリオン'''{{R|アリオン}}) * [[キャプテン翼 明日に向って走れ!]](1986年、井沢守<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C410042|title=キャプテン翼 明日に向って走れ!|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-09-29}}</ref>) * [[バツ&テリー]](1987年、花咲) * [[ルパン三世 風魔一族の陰謀]](1987年、ガクシャ<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20180219031538/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/2338| title = ルパン三世 風魔一族の陰謀| publisher = メディア芸術データベース| accessdate = 2016-08-05}}</ref>) * [[エスパー魔美|エスパー魔美 〜星空のダンシングドール〜]](1988年、大森良夫) * [[ぴーひょろ一家]](1988年、篠原Q太) * [[ひみつのアッコちゃん#劇場版(第2作)|ひみつのアッコちゃん]](1989年、キーオ) * [[ちびまる子ちゃん (映画)|ちびまる子ちゃん]](1990年、浩田くん) * ZIGGY THE MOVIE それゆけ!R&R BAND(1991年、戸城) * [[Jリーグを100倍楽しく見る方法!!]](1994年) * [[幽☆遊☆白書 冥界死闘篇 炎の絆]](1994年、妖狐蔵馬) * 新機動戦記ガンダムW Endless Waltz 特別編(1998年、'''[[トロワ・バートン]]''') * [[劇場版 遙かなる時空の中で 舞一夜]](2006年、'''藤原鷹通''') * [[戦国BASARA#劇場版 戦国BASARA -The Last Party-|劇場版 戦国BASARA -The Last Party-]](2011年、毛利元就<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20180303050423/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/14888| title = 劇場版 戦国BASARA -The Last Party-| publisher = メディア芸術データベース |accessdate = 2016-08-18}}</ref>) === OVA === * 超獣機神ダンクーガ OVA(1986年 - 1989年、'''式部雅人''') * [[レリックアーマーLEGACIAM]](1987年) * [[宇宙家族カールビンソン]](1988年、ジュン) * [[ズッコケ三人組#OVA|ズッコケ時空冒険]](1988年、長井先生) * [[New Story of Aura Battler DUNBINE]](1988年、'''シオン・ザバ''') * [[竜世紀]](1988年、キール) * [[アーシアン]](1989年、クリフ・グレイ) * [[銀河英雄伝説 (アニメ)|銀河英雄伝説]](1989年、フランツ・ヴァーリモント少尉) * [[湘南爆走族]](1989年、財津愛) * [[キャプテン翼 (アニメ)#OVA|新・キャプテン翼]](1989年、井沢守、新田瞬) * [[独身アパートどくだみ荘]](1989年、オサム) * [[風魔の小次郎]](1989年 - 1992年、項羽{{R|風魔の小次郎|風魔の小次郎2|風魔の小次郎3}}、小龍) * [[ガッデム]](1990年、トビー) * [[うしろの百太郎|心霊恐怖レポート うしろの百太郎]](1991年、百太郎) * [[おたくのビデオ]](1991年、日野) * [[ここはグリーン・ウッド]](1991年、男D) * [[ねこ・ねこ・幻想曲]](1991年、香川貴広) * [[ダークキャット]](1991年、小泉宏紀) * [[魍魎戦記MADARA]](1991年、カゲオウ) * [[間の楔]](1992年、キリエ) * [[ハロー張りネズミ|ハロー張りネズミ 〜殺意の領分〜]](1992年、'''七瀬五郎''') * [[8マン#リメイク作品|エイトマン AFTER]](1993年、イチロー、陳) * [[オフサイド (漫画)|オフサイド]](1993年、薬丸英樹) * 熱砂の惑星 女公安官ケイト(1994年、ジェンキス) * [[アルスラーン戦記|アルスラーン戦記 征馬孤影]](1995年、ジムサ) * [[精霊使い]](1995年、黒竜) * [[ミネルバの剣士]](1995年、デュナン) * [[超特急ヒカリアン]](1996年、スナイパーソニック) * [[ヴァリアブル・ジオ]](1997年、トキカゲ) * [[マクロス ダイナマイト7]](1997年、ローレンス) * [[新機動戦記ガンダムW Endless Waltz]](1998年、'''トロワ・バートン'''{{R|ガンダムWOVA}}) * [[HUNTER×HUNTER#パイロット版|HUNTER×HUNTER]](1998年、カイト) * [[旭日の艦隊]](1999年、ロナルド・パール) * [[luv wave]](2000年、マシー・スペクター) * 世にも恐ろしい日本昔話「[[かちかち山]]」(2000年、吾作) * [[遙かなる時空の中で-紫陽花ゆめ語り-]](2002年、'''藤原鷹通''') * [[紺碧の艦隊]](2003年、ロナルド・パール) * [[遙かなる時空の中で2-白き龍の神子-]](2003年、'''藤原幸鷹''') * [[名探偵コナン 戦慄の楽譜#工藤新一 謎の壁と黒ラブ事件|工藤新一 謎の壁と黒ラブ事件]](2008年、秋本光一) * [[スーパーナチュラル|SUPERNATURAL: THE ANIMATION]](2011年、デビッド) === Webアニメ === * [[京騒戯画]](2011年、鞍馬) === ゲーム === {{dl2 | 1993年 | * [[天使の詩 (ゲーム)#天使の詩II 堕天使の選択|天使の詩II 堕天使の選択]](シオン) | 1994年 | * 幽☆遊☆白書 特別篇(妖狐蔵馬) * [[幽☆遊☆白書 魔強統一戦]](妖狐蔵馬) * [[聖戦士伝承・雀卓の騎士]](ビアレス=グラン) | 1996年 | * [[新スーパーロボット大戦]](式部雅人、親衛隊兵) * [[第4次スーパーロボット大戦|第4次スーパーロボット大戦S]](ショウ・ザマ) * [[伝説のオウガバトル]](トリスタン / フィクス・トリシュトラム・ゼノビア) * [[ドラゴンボールZ 偉大なるドラゴンボール伝説]](人造人間17号、セルジュニア) * [[にとうしんでん]](シュウ) * [[パンツァードラグーン]] ツヴァイ(ランディ・ジャンジャック) | 1997年 | * EOS〜Edge of Skyhigh〜(リュオン) * [[スーパーロボット大戦F]](ショウ・ザマ、式部雅人、[[トロワ・バートン]]) * [[麻雀学園祭]](竹中正敬) | 1998年 | * [[EVE The Lost One]](瀬野尾靖夫) * [[スーパーロボットスピリッツ]](ショウ・ザマ) * [[スーパーロボット大戦F|スーパーロボット大戦F 完結編]](ショウ・ザマ、式部雅人、トロワ・バートン) * [[超鋼戦紀キカイオー]](ナカト・ファーランド、アービン・クロフォード) * [[DESIRE (ゲーム)|DESIRE]](アルバート・マクドガル)※Windows版 * 麻雀学園祭2(竹中正敬) * 麻雀学園祭DX(竹中正敬) * [[リアルロボッツファイナルアタック]](ショウ・ザマ) | 1999年 | * [[SDガンダム GGENERATION]](1999年 - 2019年、[[機動戦士ガンダム シルエットフォーミュラ91#トキオ・ランドール|トキオ・ランドール]]、トロワ・バートン) - 11作品{{Ras|『ZERO』<!-- 1999-08-12 -->(1999年)、『F』<!-- 2000-08-03 -->(2000年)、『F.I.F』<!-- 2001-05-02 -->(2001年)、『NEO』<!-- 2002-11-28 -->(2002年)、『SEED』<!-- 2004-02-19 -->(2004年)、『SPIRITS』<!-- 2007-11-29 -->(2007年)、『WARS』<!-- 2009-08-06 -->(2009年)、『WORLD』<!-- 2011-02-24 -->『3D』<!-- 2011-12-22 -->(2011年)、『OVER WORLD』<!-- 2012-09-27 -->(2012年)、『CROSSRAYS』<!-- 2019-11-28 -->(2019年)}} * [[スーパーヒーロー作戦]](トロワ・バートン) * [[スーパーロボット大戦コンプリートボックス]](ショウ・ザマ) * [[シーズウェア#散櫻 〜禁断の血族〜|散櫻 〜禁断の血族〜]](白石実) | 2000年 | * [[スーパーロボット大戦α]](ショウ・ザマ、式部雅人、トロワ・バートン) * [[遙かなる時空の中で]](藤原鷹通) | 2001年 | * あしたの雪之丞(須崎達也) * [[スーパーロボット大戦α|スーパーロボット大戦α for Dreamcast]](ショウ・ザマ、式部雅人、トロワ・バートン) * [[スーパーロボット大戦α外伝]](式部雅人、トロワ・バートン) * [[遙かなる時空の中で2]](藤原幸鷹) * [[リアルロボットレジメント]](ショウ・ザマ) | 2002年 | * [[スーパーロボット大戦IMPACT]](ショウ・ザマ、式部雅人) | 2003年 | * [[第2次スーパーロボット大戦α]](トロワ・バートン、ソルジャー) * [[ドラゴンボールZ]](人造人間17号) * [[遙かなる時空の中で-盤上遊戯-]](藤原鷹通) | 2004年 | * [[スーパーロボット大戦GC]](式部雅人、ムゲ兵) * [[ドラゴンボールZ2]](人造人間17号) * [[遙かなる時空の中で3]](有川譲) | 2005年 | * [[Another Century's Episode]](ショウ・ザマ、トロワ・バートン) * [[聖闘士星矢 聖域十二宮編]](スカイクロス・翔) * [[戦国BASARA]]([[戦国BASARAの登場人物#毛利軍|毛利元就]]) * [[第3次スーパーロボット大戦α 終焉の銀河へ]](式部雅人、トロワ・バートン、バッフ・クラン兵) * [[天使ノ二挺拳銃]](ジェイ) * [[天外魔境III NAMIDA]](アギナミ) * [[ドラゴンボールZ3]](人造人間17号) * [[ドラゴンボールZ Sparking!]](人造人間17号、スーパー17号) * [[ドラゴンボールZ 舞空烈戦]](人造人間17号) * [[遙かなる時空の中で-八葉抄-|遙かなる時空の中で〜八葉抄〜]](藤原鷹通) * 遙かなる時空の中で3 十六夜記(有川譲) * [[幽☆遊☆白書FOREVER]](妖狐蔵馬) | 2006年 | * [[Another Century's Episode 2]](ショウ・ザマ、トロワ・バートン) * [[スーパーロボット大戦GC|スーパーロボット大戦XO]](式部雅人、ムゲ兵) * [[戦国BASARA2]](毛利元就) * [[超ドラゴンボールZ]](人造人間17号) * [[ドラゴンボールZ Sparking!NEO]](人造人間17号、スーパー17号) * [[劇場版 遙かなる時空の中で 舞一夜|遙かなる時空の中で〜舞一夜〜]](藤原鷹通) * 遙かなる時空の中で3 運命の迷宮(有川譲) * [[Lamento -BEYOND THE VOID-]](歌うたい) | 2007年 | * [[Another Century's Episode 3 THE FINAL]](ショウ・ザマ) * THE BATTLE OF 幽☆遊☆白書 〜死闘!暗黒武術会〜 120%(妖狐蔵馬) * [[スーパーロボット大戦Scramble Commander the 2nd]](ショウ・ザマ、式部雅人、トロワ・バートン) * 戦国BASARA2 英雄外伝(毛利元就) * [[ドラゴンボールZ Sparking!METEOR]](人造人間17号、スーパー17号) * [[ドラゴンボールZ 遥かなる悟空伝説]](人造人間17号) | 2008年 | * [[機動戦士ガンダム ガンダムVS.ガンダム]](トロワ・バートン) * [[スーパーロボット大戦A|スーパーロボット大戦A PORTABLE]](トロワ・バートン) * 戦国BASARA X(毛利元就) * [[ドラゴンボールZ インフィニットワールド]](人造人間17号、スーパー17号) * [[ドラゴンボールZ バーストリミット]](人造人間17号) * 遙かなる時空の中で 夢浮橋(藤原鷹通、藤原幸鷹、有川譲) * [[遙かなる時空の中で4]](葛城忍人) * ラブミーテンダー 〜今宵、Barアルバで〜(橘幸彦) | 2009年 | * [[機動戦士ガンダム ガンダムVS.ガンダムNEXT]](トロワ・バートン) * [[スーパーロボット大戦NEO]](ゼンザイン) * 戦国BASARA バトルヒーローズ(毛利元就) * [[テイルズ オブ グレイセス]](ラムダ) * [[ドラゴンボール レイジングブラスト]](人造人間17号) * 遙かなる時空の中で 夢浮橋 Special(藤原鷹通、藤原幸鷹、有川譲) | 2010年 | * [[ガンダム無双3]](トロワ・バートン) * [[機動戦士ガンダム エクストリームバーサス]](トロワ・バートン<ref>エンターブレイン『機動戦士ガンダム EXTREME VS. ファイナルコンプリートガイド 』P133。</ref>) * [[戦国BASARA3]](毛利元就) * テイルズ オブ グレイセス エフ(ラムダ) * [[ドラゴンボール タッグバーサス]](人造人間17号) * [[ドラゴンボールヒーローズ]](2010年 - 、人造人間17号、ヘルファイター17号、超17号) - 5作品{{Ras|『ドラゴンボールヒーローズ』、『ドラゴンボールヒーローズ アルティメットミッション』シリーズ(無印、2、X)、『[[スーパードラゴンボールヒーローズ]]』}} * [[ドラゴンボール レイジングブラスト2]](人造人間17号) | 2011年 | * [[Another Century's Episode Portable]](ショウ・ザマ) * 戦国BASARA クロニクルヒーローズ(毛利元就) * 戦国BASARA3 宴(毛利元就) * [[第2次スーパーロボット大戦Z|第2次スーパーロボット大戦Z 破界篇 / 再世篇]](式部雅人、トロワ・バートン) * [[ドラゴンボール アルティメットブラスト]](人造人間17号) | 2012年 | * [[機動戦士ガンダム エクストリームバーサス フルブースト]](トロワ・バートン) * [[聖闘士星矢Ω|聖闘士星矢Ω アルティメットコスモ]](貴鬼) | 2013年 | * 真・ガンダム無双(トロワ・バートン) * [[スーパーロボット大戦Operation Extend]](ショウ・ザマ、式部雅人、ゼンザイン) * [[スーパーロボット大戦UX]](ショウ・ザマ) | 2014年 | * [[機動戦士ガンダム エクストリームバーサス マキシブースト]](トロワ・バートン) * [[戦国BASARA4]](毛利元就<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[週刊ファミ通]]|issue=2013年12月19日号|publisher=エンターブレイン|date=2013-12-05}}</ref>) * [[第3次スーパーロボット大戦Z|第3次スーパーロボット大戦Z 時獄篇 / 天獄篇]](2014年 - 2015年、トロワ・バートン) - 2作品 | 2015年 | * [[聖闘士星矢 ソルジャーズ・ソウル]](デルタ星メグレス アルベリッヒ) * 戦国BASARA4 皇(毛利元就<ref>{{Cite web|和書|work=戦国BASARA4 皇 公式サイト|publisher=[[カプコン]]|url=http://www.capcom.co.jp/basara4sumeragi/chara_mouri.html|title=登場人物|accessdate=2015-07-09}}</ref>) * [[ドラゴンボール ゼノバース]](人造人間17号、超17号) * [[スーパーロボット大戦BX]](ショウ・ザマ) | 2016年 | * [[ガールフレンド(仮)]](悪バイト男<ref>{{Cite web|和書|publisher=ガールフレンド(仮)公式ブログ|url=https://ameblo.jp/girlfriend-kari/entry-12175008756.html|title=イベント『たすけて!マイヒーロー〜ランフェス編〜』開催中♪|date=2016-06-30|accessdate=2016-06-30}}</ref>、悪大食漢) * 戦国BASARA 真田幸村伝(毛利元就) | 2017年 | * 遙かなる時空の中で3 Ultimate(有川譲)<!-- 2017-02-23 --> * [[キャプテン翼 (ゲーム)#KLab|キャプテン翼 〜たたかえドリームチーム〜]](井沢守<ref>{{Cite web|publisher=[[KLab]] |work=キャプテン翼 ~たたかえドリームチーム~ 公式サイト|url=https://www.tsubasa-dreamteam.com |title=参加声優紹介 |accessdate=2017-06-24}}</ref>)<!-- 2017-06-13 --> * [[仁王 (ゲーム)|仁王]]([[吉川広家]]) | 2018年 | * [[スーパーロボット大戦X-Ω]](式部雅人、ショウ・ザマ)<!-- 2018-01-31 --> * [[ドラゴンボール ファイターズ]](人造人間17号)<!-- 2018-02-01 --> * 遙かなる時空の中で Ultimate(藤原鷹通)<!-- 2018-02-22 --> * [[スーパーロボット大戦X]](ショウ・ザマ、トロワ・バートン)<!-- 2018-03-29 --> | 2019年 | * [[スーパーロボット大戦T]](ショウ・ザマ、シオン・ザバ)<!-- 2019-03-20 --> * [[スーパーロボット大戦DD]](2019年 - 2023年、ショウ・ザマ、シオン・ザバ、トロワ・バートン)<!-- 2019-08-21 --> | 2020年 | * [[ドラゴンボールZ カカロット]](人造人間17号)<!-- 2020-01-16 --> * [[共闘ことばRPG コトダマン]](妖狐蔵馬)<!-- 2020-09-30 --> | 2021年 | * [[スーパーロボット大戦30]](2021年 - 2022年、カゲロウ、式部雅人)<!-- 2021-10-28 --> | 2022年 | * [[機動戦士ガンダム アーセナルベース]](トロワ・バートン)<!-- 2022-08-25 --> }} === 吹き替え === ==== 担当俳優 ==== {{dl2 | [[チャップマン・トウ]] | * インファナル・アフェアシリーズ(キョン) ** [[インファナル・アフェア]] ※テレビ東京版 ** [[インファナル・アフェア 無間序曲]] ※テレビ東京版 ** [[インファナル・アフェアIII 終極無間]] ※BSジャパン版 * [[傷だらけの男たち]](チョイ・ウィンクォン) }} ==== 映画 ==== * [[アウトサイダー (1983年の映画)|アウトサイダー]]('''ジョニー・ケイド'''〈[[ラルフ・マッチオ]]〉)※フジテレビ版 * [[X-MEN (映画シリーズ)|X-MENシリーズ]]('''スコット・サマーズ''' / '''サイクロップス'''〈[[ジェームズ・マースデン]]〉)※テレビ朝日版 ** [[X-メン (映画)|X-MEN]] ** [[X-MEN2]]<ref>{{Cite web | url = http://www.tv-asahi.co.jp/nichiyou_2012/bk/data/01598.html| title = X-MEN2| publisher = 日曜洋画劇場| accessdate = 2016-07-22}}</ref> ** [[X-MEN:ファイナル ディシジョン]] * [[エイリアンノイド]](ホワイトフィールド) * [[エンジェル・スノー]]('''ソギュン'''〈イ・ソンジェ〉) * [[顔のない女]](ソグォン医師〈キム・テウ〉) * [[殺したいほどアイ・ラブ・ユー]](ディーボ〈[[リヴァー・フェニックス]]〉) * [[地獄の変異]]('''ジャック・マカリスター'''〈[[コール・ハウザー]]〉) * [[シャロウ・グレイブ]] * [[シン・レッド・ライン]](ファイフ二等兵〈[[エイドリアン・ブロディ]]〉) * [[戦火の勇気]](ダグ・ブルーノ広報官〈[[ブロンソン・ピンチョット]]〉)※ソフト版 * [[卒業の朝]](成人のディーパック・メータ) * [[卒業白書]](バリー〈ブロンソン・ピンチョット〉) * [[大脳分裂]](兄〈イヴァイロ・フヌーブ〉) * [[ダンス・フィーバー]](モーリス) * [[追跡者 (1998年の映画)|追跡者]](ノア・ニューマン連邦副保安官〈トム・ウッド〉)※テレビ朝日、テレビ東京版 * [[デッドエンド 暗戦リターンズ]](犯人〈[[イーキン・チェン]]〉) * [[ドアーズ (映画)|ドアーズ]](ロビー・クリーガー〈[[フランク・ホエーリー]]〉) * [[同居人 背中の微かな笑い声]](ジェレミー〈[[ウィリアム・マクナマラ]]〉)※ビデオ版 * [[逃亡者 (1993年の映画)|逃亡者]](ノア・ニューマン連邦副保安官〈トム・ウッド〉)※テレビ朝日版 * [[ナーズの復讐III ナーズ軍団、最終決戦!]](ハロルド・スコルニック〈グレッグ・ビンクレイ〉) * [[ハート・オブ・ジャスティス]](デヴィッド〈[[エリック・ストルツ]]〉) * [[ハートブルー]] ※ソフト版 * [[初体験/リッジモント・ハイ]](マーク・ラトナー) * [[Bananas in Pyjamas]](B2) * [[光る眼]](フランク・マクゴーワン〈[[マイケル・パレ]]〉)※ソフト版 * [[ファントム (1998年の映画)|ファントム]](ステュー・ワーグル〈[[リーヴ・シュレイバー]]〉) * [[ブレイブハート]](エドワード王子)※ソフト版 * [[マスターズ/超空の覇者]](チャーリー)※テレビ東京版 * [[身代金 (映画)|身代金]](カビー・バーンズ〈[[ドニー・ウォルバーグ|ドニー・ウォールバーグ]]〉)※日本テレビ版 * [[メンフィス・ベル (1990年の映画)|メンフィス・ベル]](ラスカル〈[[ショーン・アスティン]]〉)※WOWOW版 * [[モンキー・リーグ/史上最強のルーキー登場]](パトリック〈[[チャーリー・シュラッター]]〉) * [[ヤングガン2]](トム〈[[バルサザール・ゲティ]]〉)※フジテレビ版(BD収録) * [[勇気あるもの]](メル・メルビン〈[[グレゴリー・スポールダー|グレッグ・スポルダー]]〉) * [[ユニコーン/奇跡の航海]](セバスチャン) * [[ルーカスの初恋メモリー]] * [[レッサー・エヴィル]](少年時代のアイヴァン〈マーク・ウォーデン〉) * [[ワイルド・ウエスタン 荒野の二丁拳銃]](カウボーイ〈[[エミリオ・エステベス]]〉) ==== ドラマ ==== * [[X-ファイル]] ※ソフト版 * [[ダークエンジェル (テレビドラマ)|ダークエンジェル]](ベン、アレック・マクドウェル〈[[ジェンセン・アクレス]]〉)※テレビ版 * [[ザ・フラッシュ#『超音速ヒーロー ザ・フラッシュ』|超音速ヒーロー ザ・フラッシュ]](テッド・ウィットコム〈チャーリー・ラング〉)※日本テレビ版 * [[21ジャンプストリート]]('''トム・ハンソン潜入捜査官'''〈[[ジョニー・デップ]]〉)※ハピネットDVD版 * [[ビバリーヒルズ高校白書|ビバリーヒルズ高校白書/ビバリーヒルズ青春白書]]('''ブランドン・ウォルシュ'''〈[[ジェイソン・プリーストリー]]〉) * [[ファミリータイズ]](スキッピー・ハンドルマン〈マーク・プライス〉) * [[フレンズ (1994年のテレビドラマ)|フレンズ]](マイク・ハニガン〈[[ポール・ラッド]]〉、他) ==== アニメ ==== * [[アイアンマン]](ハッカー) * [[X-メン|X-MEN(テレビ東京版)]](クイックシルバー) * [[キャプテン・プラネット]](ウィラー) * [[サウスパーク]](ダフィー) * [[バイカーマイス]](ビニー) * [[パパはグーフィー]] * [[ヘラクレス (TVシリーズ)|ヘラクレス]](ステファノプロス) * [[ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ (1987年のアニメ)|ミュータント・タートルズ]](ウサギ・ヨージンボー) * [[ユメみるハックスレー]](サム) ==== 人形劇 ==== * [[がんばれタッグス]]('''テンセンツ''') === 特撮 === * [[もりもりぼっくん]](1986年、救急九太郎の声) * [[烈車戦隊トッキュウジャー]](2014年、ボトルシャドーの声) === ラジオ === * [[ガイア・ギア]](ジャンウェン・フー)※ラジオドラマ * [[新機動戦記ガンダムW BLIND TARGET]]([[トロワ・バートン]])※ラジオドラマ * ラジオ カレイドスコープ eye's * ラジオ パステルコレクション * ラジオ カフェ・エッセンス * ラジオ ただ風の中で FMJAGA === CD === * [[孔雀王]] 暗黒大魔王篇 (孔雀) * [[原獣文書]](レイ・ジーン・セイバーヘーゲン博士) * サインコサイン恋サイン(作山八織) * [[SAMURAI DEEPER KYO]]シリーズ(大四老・ひしぎ) * [[CDドラマコレクションズ 三國志]](徐庶元直) * [[戦国BASARA2]] 〜邂逅!瀬戸内の戦い〜 * [[DAN DOH!!]] SMILE SHOT!(新庄樹靖) * [[ちょーシリーズ|ちょー美女と野獣]](ジオラルド) * Dies=Nova(エストナ・ユーベン) * [[DOGS/BULLETS&CARNAGE]](ジョヴァンニ) * [[BASARA]]外伝TATARA(聖) * はじめの一歩(アレクサンドル・ヴォルグ・ザンギエフ) * [[花ざかりの君たちへ]](原秋葉) * [[遙かなる時空の中で]]〜八葉萌芽の巻〜前編・後編(藤原鷹通) * 遙かなる時空の中で〜八葉みさと異聞〜壱・剣花の巻〜(藤原鷹通) * 遙かなる時空の中で〜八葉みさと異聞〜弐・譲葉の巻〜(藤原鷹通) * 遙かなる時空の中で〜八葉みさと異聞〜参・待宵の巻〜(藤原鷹通) * 遙かなる時空の中で〜八葉みさと異聞〜四・青嵐の巻〜(藤原鷹通) * 遙かなる時空の中で〜八葉みさと異聞〜君恋ふる歌〜(藤原鷹通) * 遙かなる時空の中で〜八葉みさと異聞〜花の宴〜(藤原鷹通)「全巻購入特典プレゼント」 * 遙かなる時空の中で〜花鳥風月〜(藤原鷹通) * 遙かなる時空の中で〜音盤草紙〜白虹の巻〜(藤原鷹通)「LaLa全員サービスCD」 * 遙かなる時空の中で〜音盤草紙〜天の巻〜(藤原鷹通)「LaLa全員サービスCD」 * 遙かなる時空の中で〜うたがさね〜(藤原鷹通) * 遙かなる時空の中で〜四神ミニアルバム白虎〜(藤原鷹通) * 遙かなる時空の中で〜紫陽花ゆめ語り〜音滴〜(藤原鷹通) * 遙かなる時空の中で〜歌草紙〜涼風の宴〜(藤原鷹通) * 遙かなる時空の中で・八葉抄〜ドラマCD〜(藤原鷹通)「LaLa全員サービスCD」 * 遙かなる時空の中で・八葉抄〜キャラクターコレクション白虎編〜(藤原鷹通) * [[遙かなる時空の中で2]]〜刻の封印〜壱〜 - 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黒い絵
黒い絵(、スペイン語: Pinturas negras)とは、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤが、晩年に自身の住居の部屋の壁に描いた一連の絵画の総称。現在はプラド美術館に全点が所蔵されている。 1819年、ゴヤはマドリード郊外に「聾者の家」(Quinta del Sordo)と通称される別荘を購入し、1820年から1823年にかけて、この家のサロンや食堂を飾るために14枚の壁画を描いた。黒をモチーフとした暗い絵が多いため、上記の名で呼ばれている。特に『我が子を食らうサトゥルヌス』が有名。ゴヤは亡命(1824年)に至るまでの数年間を過ごした。「聾者の家」は、以前の所有者が難聴だったためにそう呼ばれたという。1909年に別荘が取り壊され、壁画が取り外された。 X線写真で見ると『大雄山羊(魔女の集会)』を除く13点には元々、風景画が描かれており、ゴヤ自身が上描きしたことが分かっているが、理由については諸説あり、はっきりとしたことは判っていない。
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黒い絵(くろいえ、とは、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤが、晩年に自身の住居の部屋の壁に描いた一連の絵画の総称。現在はプラド美術館に全点が所蔵されている。 1819年、ゴヤはマドリード郊外に「聾者の家」と通称される別荘を購入し、1820年から1823年にかけて、この家のサロンや食堂を飾るために14枚の壁画を描いた。黒をモチーフとした暗い絵が多いため、上記の名で呼ばれている。特に『我が子を食らうサトゥルヌス』が有名。ゴヤは亡命に至るまでの数年間を過ごした。「聾者の家」は、以前の所有者が難聴だったためにそう呼ばれたという。1909年に別荘が取り壊され、壁画が取り外された。 X線写真で見ると『大雄山羊』を除く13点には元々、風景画が描かれており、ゴヤ自身が上描きしたことが分かっているが、理由については諸説あり、はっきりとしたことは判っていない。
[[Image:Quintasordo.svg|thumb|聾者の家における配置図]] {{読み仮名|'''黒い絵'''|くろいえ|{{lang-es|Pinturas negras}}}}とは、[[スペイン]]の[[美術家|画家]][[フランシスコ・デ・ゴヤ]]が、晩年に自身の住居の部屋の壁に描いた一連の[[絵画]]の総称。現在は[[プラド美術館]]に全点が所蔵されている。 [[1819年]]、ゴヤは[[マドリード]]郊外に「[[:en:Quinta del Sordo|聾者の家]]」(Quinta del Sordo)と通称される別荘を購入し、[[1820年]]から[[1823年]]にかけて、この家のサロンや食堂を飾るために14枚の壁画を描いた。[[黒]]をモチーフとした暗い絵が多いため、上記の名で呼ばれている。特に『[[我が子を食らうサトゥルヌス]]』が有名。ゴヤは亡命(1824年)に至るまでの数年間を過ごした。「聾者の家」は、以前の所有者が難聴だったためにそう呼ばれたという<!---英語版より---->。1909年に別荘が取り壊され、壁画が取り外された。 [[X線写真]]で見ると『大雄山羊(魔女の集会)』を除く13点には元々、風景画が描かれており、ゴヤ自身が上描きしたことが分かっているが、理由については諸説あり、はっきりとしたことは判っていない。 ==ギャラリー== <gallery> Francisco_de_Goya,_Saturno_devorando_a_su_hijo_(1819-1823).jpg|{{small|『[[我が子を食らうサトゥルヌス]]』}} Atropos o Las Parcas.jpg|{{small|『{{ill|運命の女神たち|en|Atropos (Goya)}}}} El Aquelarre.jpg|{{small|『[[魔女の夜宴 (プラド美術館)|魔女の夜宴]]』}} Duelo a garrotazos, por Goya.jpg|{{small|『{{ill|棍棒での決闘|en|Fight with Cudgels}}』}} Viejos comiendo sopa.jpg|{{small|『{{ill|食事をする二老人|en|Two Old Ones Eating Soup}}』}} Vision fantástica o Asmodea (Goya).jpg|{{small|『{{ill|アスモデウス (ゴヤ)|en|Asmodea|label=アスモデウス}}』}} La romería de San Isidro.jpg|{{small|『{{ill|サン・イシードロの巡礼|en|A Pilgrimage to San Isidro}}』}} Goya Dog.jpg|{{small|『[[砂に埋もれる犬]]』}} 2 alte Männer, um 1821-23.jpg|{{small|『{{ill|二人の老人|en|Two Old Men}}』}} Hombres leyendo.jpg|{{small|『{{ill|読書 (ゴヤ)|en|Men Reading|label=読書}}』}} Judith y Holofernes.jpg|{{small|『{{ill|ユディトとホロフェルネス|en|Judith and Holofernes (Goya)}}』}} Mujeres riendo.jpg|{{small|『{{ill|自慰する男を嘲る二人の女|en|Man Mocked by Two Women}}』}} Peregrinación a la fuente de San Isidro.jpg|{{small|『{{ill|異端審問 (ゴヤ)|en|Pilgrimage to the Fountain of San Isidro|label=異端審問}}』}} La Leocadia (Goya).jpg|{{small|『{{ill|レオカディア|en|La Leocadia}}』}} </gallery> {{Commonscat|Pinturas negras}} {{フランシスコ・デ・ゴヤ}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:くろいえ}} [[Category:フランシスコ・デ・ゴヤの作品]] [[category:19世紀の絵画]] [[Category:絵画のシリーズ]]
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伝令RNA
分子生物学において、伝令RNA(でんれいアールエヌエー、英: messenger ribonucleic acid)は、mRNAまたはメッセンジャーリボ核酸とも呼ばれ、タンパク質を合成する過程でリボソームによって読み取られる、遺伝子の遺伝子配列に対応する一本鎖のリボ核酸(RNA)分子である。 mRNAは、RNAポリメラーゼという酵素が遺伝子を一次転写産物のmRNA前駆体(pre-mRNA)に変換する転写過程で作られる。このpre-mRNAには通常、最終的なアミノ酸配列をコードしないイントロンという領域が含まれるが、これらはRNAスプライシングの過程で除去され、タンパク質をコードする領域であるエクソンのみが残る。このエクソン配列が成熟mRNAを構成する。 次に、リボゾームが成熟mRNAを読み取り、転移RNA(tRNA)が運ぶアミノ酸を利用してタンパク質を作り出す。この過程は翻訳として知られている。 これらの過程はすべて、生物系(英語版)における遺伝情報の流れを説明する分子生物学のセントラルドグマの一部を形成する。 mRNAの遺伝情報は、デオキシリボ核酸(DNA)と同様にヌクレオチド配列に含まれ、おのおのが3連のリボヌクレオチドからなるコドンに配列されている。各コドンは、特定のアミノ酸をコードしているが、タンパク質合成を停止させる終止コドンは例外である。コドンからアミノ酸へ翻訳するためには、コドンを認識して対応するアミノ酸を供給する転移RNAと、リボソームに含まれるタンパク質製造装置の中心的な構成要素であるリボソームRNA(rRNA)の2種類のRNAが必要である。 mRNAの概念は、1960年にシドニー・ブレナーとフランシス・クリックによって発展した(歴史を参照)。実験検証を行う過程で、フランソワ・ジャコブとジャック・モノーが「メッセンジャーRNA(messenger RNA)」という名称を作り出した。1961年、ジェームズ・ワトソンの研究チームと、ジャコブ、モノー、マシュー・メセルソンのチームによって、mRNAが単離され、独立して記述された。 mRNA分子は転写から始まり、最終的に分解されて短い生涯を終える。mRNA分子はその寿命の間、翻訳前にプロセシング、編集、そして輸送されることもある。真核生物のmRNA分子は、しばしば広範なプロセシングや輸送を必要とするが、原核生物のmRNA分子はそうではない。真核生物のmRNA分子とそれに結合したタンパク質を合わせてメッセンジャーRNP(英語版)と呼ぶ。 DNAからRNAをコピーすることを転写という。転写の際、RNAポリメラーゼは必要に応じてDNAからmRNAへの遺伝子コピーを作成する。この過程は真核生物と原核生物でわずかに相違する。顕著な相違の一つは、原核生物のRNAポリメラーゼは転写中にDNA処理酵素と結合し、転写中にプロセシングを進めることができる。それによって、新しいmRNA鎖はtRNA鎖と呼ばれる相補鎖を生成して二本鎖となり、両者が結合すると塩基対形成による構造形成ができなくなる。さらに、mRNAの鋳型はtRNAの相補鎖であり、DNAが結合するアンチコドン配列と同じ配列である。短命で、未プロセシングあるいは部分的にプロセシングされた転写産物を前駆体mRNA、またはpre-mRNAと呼び、完全にプロセシングされると成熟mRNAと呼ぶ。 mRNAのプロセシングは、真核生物、細菌、および古細菌の間で大きく異なっている。非真核生物のmRNAは、本質的に転写された時点で成熟しており、まれな場合を除いてプロセシングを必要としない。しかし、真核生物のpre-mRNAは、細胞質へ輸送されリボソームにより翻訳される前に、一連のプロセシング段階を経る必要がある。 RNAスプライシングは、真核生物のpre-mRNAが成熟mRNAに至る広範なプロセシングであり、イントロンやアウトロン(非コード領域)が除去され、エクソン(コード領域)が結合する機構である。 5'キャップ(5' cap、RNAキャップ、RNA 7-メチルグアノシンキャップ、RNA mGキャップとも呼ばれる)とは、真核生物のメッセンジャーRNAの転写開始直後にその先端部つまり5'末端(英語版)に付加された修飾グアニンヌクレオチドである。5'キャップは、末端の7-メチルグアノシン残基からなり、5'-5'-トリリン酸結合を介して最初の転写ヌクレオチドに結びつく。その存在は、リボソームによる認識とリボヌクレアーゼ(RNase)酵素からの保護において重要である。 キャップの付加は転写と連動しており、相互に影響を与えるように共転写的に行われる。転写開始の直後、合成されるmRNAの5'末端は、RNAポリメラーゼに結合しているキャップ結合複合体(英語版)と結合する。この酵素複合体は、mRNAのキャッピングに必要な化学反応を触媒する。合成は多段階の生化学反応として進行する。 場合によって、mRNAが編集されて、そのヌクレオチド組成が変化することがある。ヒトを例にとると、アポリポタンパク質B(英語版)のmRNAは、ある組織では編集されるが、他の組織では編集されない。この編集によって中途での終止コドンが作られ、翻訳時に短いタンパク質が生成する。 ポリアデニル化(polyadenylation)とは、メッセンジャーRNA分子にポリアデニリル部を共有結合させることである。真核生物では、ほとんどのメッセンジャーRNA(mRNA)分子が3'末端でポリアデニル化されているが、最近の研究では、ウリジンの短い伸長(オリゴウリジル化)も一般的であることが示されている。ポリ(A)テールとそれに結合したタンパク質は、エキソヌクレアーゼによる分解からmRNAを保護することを助ける。また、ポリアデニル化は、転写終結、mRNAの核外輸送、および翻訳にも重要である。原核生物では、mRNAがポリアデニル化されると、ポリ(A)テールがエキソヌクレアーゼ分解を妨げるのではなく、むしろ促進するように作用することもある。 ポリアデニル化は、DNAからRNAへ転写される際、および(または)その直後に起こる。転写が終了すると、RNAポリメラーゼに結合するエンドヌクレアーゼ複合体の働きによって、mRNA鎖は切断される。mRNAが切断された後、切断部位の遊離3'末端に約250のアデノシン残基が付加される。この反応は、ポリアデニル酸ポリメラーゼ(英語版)によって触媒される。選択的スプライシングと同様に、1つのmRNAに複数種のポリアデニル化変異体が存在する可能性がある。 また、ポリアデニル化部位の変異も起こる。遺伝子の一次RNA転写産物は、ポリA付加部位で切断され、RNAの3'末端に100-200個のアデノシン残基が付加される。この部位が変化すると、異常に長く、不安定なmRNAコンストラクトが形成される。 真核生物と原核生物のもう一つの違いは、mRNAの輸送に関するものである。真核生物では転写と翻訳は区画的に分割されているため、真核生物ではmRNAを細胞核から細胞質へ輸送しなくてはならない。この過程は、さまざまなシグナル伝達経路によって制御されている可能性がある。成熟mRNAは修飾の処理によって認識され、キャップ結合タンパク質(CBC)(英語版)であるCBP20およびCBP80、および転写/核外輸送複合体(TREX)に結合することによって、核膜孔から輸送される。真核生物では、複数のmRNA輸送経路が同定されている。 空間的に複雑な細胞では、いくつかのmRNAは特定の細胞内目的地に輸送される。成熟した神経細胞では、ある種のmRNAが神経細胞体から樹状突起に輸送される。mRNA翻訳が行われる部位の一例は、シナプスの下に選択的に局在するポリリボソームである。Arc/Arg3.1のmRNAは、シナプス活動によって誘導され、NMDA受容体が生成するシグナルに基づいて、活動的なシナプス近傍に選択的に局在される。また、βアクチン(英語版)のmRNAのように、外部刺激に応答して樹状突起に移動するmRNAもある。アクチンのmRNAは、細胞核から輸送されるときに、ZBP1(英語版)および40Sサブユニット(英語版)と結合する。この複合体はモータータンパク質によって結合され、細胞骨格に沿って目的位置(神経突起伸長部)に輸送される。最終的に、ZBP1がSrc(英語版)によってリン酸化され、翻訳が開始される。発達中の神経細胞では、mRNAは成長中の軸索、特に成長円錐にも輸送される。多くのmRNAには、特定の場所に輸送するために、いわゆる「ジップコード(郵便番号の意)」が付与されている。mRNAは、細胞膜ナノチューブ(トンネルナノチューブ)と呼ばれる構造体を通じて、哺乳動物細胞間でも移動することができる。 原核生物のmRNAは、プロセシングや輸送を必要としないため、転写終了後すぐにリボソームにより翻訳を開始することができる。したがって、原核生物における翻訳は転写と共役しており、共転写的に行われていると言える。 真核生物のmRNAは、プロセシングされて細胞質に輸送された後(すなわち成熟mRNA)、リボソームによって翻訳することができる。翻訳は、細胞質内を自由に浮遊しているリボソームで起こる場合と、シグナル認識粒子によって誘導されて、小胞体に結合したリボソームで起こる場合がある。したがって、原核生物とは異なり、真核生物における翻訳は転写と直接的に結びついていない。乳癌(がん)で監視されるEEF1A1(英語版)のmRNA/タンパク質レベルのように、mRNAレベルの低下がタンパク質レベルの上昇を伴うこともある。 コーディング領域(coding regions)はコドン(遺伝暗号ともいう)で構成され、リボソームによって解読され、さらにタンパク質へ翻訳される。これは、真核生物では通常1つなのに対し、原核生物では通常複数である。コーディング領域は、開始コドンで始まり、終止コドンで終わる。一般に、開始コドンはAUGトリプレットで、終止コドンはUAG(アンバー)、UAA(オーカー)、またはUGA(オパール)である。コーディング領域は内部の塩基対によって安定化する傾向があり、これが分解を妨げている。コーディング領域は、タンパク質をコードすることに加え、その一部はエクソン性スプライシングエンハンサー(英語版)またはエクソン性スプライシングサイレンサー(英語版)として、pre-mRNA中の制御配列(英語版)として機能することがある。 非翻訳領域(untranslated regions、UTR)は、mRNAのうち、開始コドンの前および停止コドンの後で翻訳されない領域のことで、それぞれ5' 非翻訳領域(5' UTR)と3' 非翻訳領域(3' UTR)と呼ばれる。これらの領域はコーディング領域と一緒に転写されるため、成熟mRNA中にそのまま存在することからエクソン性(exonic)という。遺伝子発現に関わる非翻訳領域のいくつかの役割は、mRNAの安定性、mRNAの局在化、翻訳効率(英語版)へ起因するとされている。UTRがこれらの機能を果たすかどうかはUTRの配列に依存し、mRNAの種類によって異なる可能性がある。また、3' UTRの遺伝子変異は、RNAの構造やタンパク質への翻訳を変化させるため、疾患感受性にも関与すると考えられている。 mRNAの安定性は、リボヌクレアーゼというRNA分解酵素や、RNA分解を促進または阻害する補助タンパク質に対する親和性が異なるため、5' UTRおよび(または)3' UTRによって制御されている可能性がある (Cリッチ安定化配列(英語版)も参照)。 翻訳効率は、時には翻訳を完全に阻害することも含め、UTRによって制御することができる。3' UTRまたは5' UTRに結合するタンパク質は、リボソームがmRNAに結合する能力に働きかけることで、翻訳に影響を及ぼす可能性がある。また、3' UTRに結合したマイクロRNA(miRNA)も、翻訳効率やmRNAの安定性に影響を及ぼす可能性がある。 mRNAの細胞質局在性は、3' UTRの機能であると考えられている。細胞内の特定の領域で必要とされるタンパク質は、その場所で翻訳されることもある。このような場合、3' UTRには、転写産物を翻訳するためにこの領域に局在化させる配列が含まれている可能性がある。 非翻訳領域に含まれる配列の中には、RNAに転写されると特徴的な二次構造を形成するものがある。これらの構造的なmRNA配列は、mRNAの調節に関与している。SECIS配列(英語版)のようにタンパク質が結合する標的となるものもある。mRNA配列の一種であるリボスイッチは、小分子と直接結合してその折りたたみを変化させて転写や翻訳のレベルを変更する。こうした場合、mRNAはそれ自身を制御している。 3'ポリ(A)テール(3' poly(A) tail)は、pre-mRNAの3'末端に付加されたアデニンヌクレオチドの長い配列である(配列長は数100個が多い)。このテール(尾部)は、細胞核からの輸送と翻訳を促進するとともに、mRNAを分解から保護する役割を持つ。 mRNA分子が、単一のタンパク質鎖(ポリペプチド)のみを翻訳するための遺伝情報を含む場合、モノシストロン型(monocistronic mRNA)であるという。ほとんどの真核生物のmRNAはこのようなケースである。一方、ポリシストロン型(polycistronic mRNA)mRNAは、複数のオープン・リーディング・フレーム(ORF)を持ち、それぞれがポリペプチドに翻訳される。これらのポリペプチドは通常、関連する機能を持ち(多くは最終的な複合タンパク質を構成するサブユニット)、それらのコード配列(coding sequence、CDS)はプロモーターとオペレーターを含む制御領域にまとめられて全体として制御される。細菌や古細菌に見られるmRNAのほとんどはポリシストロン型で、ヒトのミトコンドリア・ゲノムも同様である。ジシストロン型(dicistronic)またはバイシストロン型(bicistronic)のmRNAは、2つのタンパク質のみをコードしている。 真核生物では、eIF4Eとポリ(A)結合タンパク質(PABP)が相互作用し、両者が足場タンパク質のeIF4G(英語版)に結合してmRNA-タンパク質-mRNAの橋渡しをすることで、mRNA分子は環状構造を形成する。環状化は、mRNA上のリボソームの循環を促進し、時間効率のよい翻訳をもたらすと考えられており、また、無傷のmRNAのみを翻訳するように機能する可能性もある(部分的に分解したmRNAは、mGキャップやポリ(A)テールの欠失を特徴とする)。 この他に、特にウイルスmRNAで、環状化の機構が知られている。ポリオウイルスのmRNAは、その5'末端方向のクローバーリーフ部分を利用してヒトタンパク質PCBP2(英語版)と結合し、PCBP2はポリ(A)結合タンパク質と結合して、よく知られたmRNA-タンパク質-mRNAの輪を形成する。オオムギ黄化萎縮ウイルス(英語版)は、5'末端と3'末端のmRNAセグメント間で結合し(キッシングステムループ(英語版)と呼ばれる)、タンパク質を介さずにmRNAを環状化する。 RNAウイルスゲノム(その+鎖がmRNAとして翻訳される)も一般に環状化している。ゲノム複製の際、環状化はゲノム複製速度を高めるように作用し、リボソームが循環している仮説とほぼ同様に、ウイルスRNA依存性RNAポリメラーゼを循環させる。 同じ細胞内でも、mRNAの寿命(安定性)はそれぞれ異なる。細菌細胞では、個々のmRNAは数秒から1時間以上生存することができる。しかしその寿命は平均して1-3分であり、細菌のmRNAは真核生物のmRNAよりもはるかに安定性が低い。哺乳動物細胞では、mRNAの寿命は数分から数日にまで及ぶ。mRNAの安定性が高いほどそのmRNAからより多くのタンパク質が生成される可能性がある。mRNAの寿命が限られているので、細胞は変化する需要に応じてタンパク質合成を速やかに変更することができる。mRNAの破壊をもたらす多くの機構があり、そのいくつかを次に説明する。 一般的に、原核生物では、真核生物よりもmRNAの寿命がはるかに短い。原核生物は、エンドヌクレアーゼ、3'エキソヌクレアーゼ、および5'エキソヌクレアーゼを含むリボヌクレアーゼの組み合わせて、メッセージ(mRNAの意)を分解する。また、数十から数百ヌクレオチド長の小型RNA(英語版)(sRNA)が相補的な配列と塩基対を形成し、RNase III(英語版)によるリボヌクレアーゼ切断を促進することによって、特定のmRNAの分解を促す場合がある。最近、細菌も5'末端に三リン酸からなる一種の5'キャップを持っていることが明らかになった。このリン酸を2つ除去すると5'-リン酸が残り、5'を3'に分解するエキソヌクレアーゼRNase Jによってメッセージが破壊される。 真核細胞内では、翻訳とmRNA分解のプロセス間で釣り合いが保たれている。活発に翻訳されているメッセージは、リボソーム、真核生物翻訳開始因子(英語版)eIF4EおよびeIF4G(英語版)、ポリ(A)結合タンパク質によって結合されている。eIF4EとeIF4Gはデキャッピング酵素(DCP2(英語版))を阻害し、ポリ(A)結合タンパク質はエキソソーム複合体を阻害して、メッセージの末端を保護する。翻訳と分解の釣り合いは、Pボディ(英語版)(P-bodies)という細胞質構造の大きさと存在量に反映される。mRNAのポリ(A)テールは、RNA上のシス制御配列とトランス作用性RNA結合タンパク質の組み合わせによって、特定のメッセンジャーRNAを標的とする特殊なエキソヌクレアーゼによって短縮される。ポリ(A)テールの除去は、メッセージの環状構造を破壊し、キャップ結合複合体(英語版)を不安定化すると考えられている。その後、メッセージはエキソソーム複合体またはデキャッピング複合体(英語版)のいずれかによって分解される。このようにして、翻訳的に不活性なメッセージを速やかに破壊し、活性なメッセージを無傷のまま残すことができる。翻訳を停止してメッセージが崩壊複合体に渡される機構は詳しくは分かっていない。 一部の哺乳類では、mRNA中にAUリッチエレメント(英語版)(ARE)が存在すると、この配列に結合してポリ(A)テールの除去を促す細胞タンパク質の作用によって、これらの転写産物を不安定化する傾向がある。ポリ(A)テールの欠失は、エキソソーム複合体とデキャッピング複合体(英語版)の両方による攻撃を促進することにより、mRNAの分解を促進すると考えられている。AUリッチエレメントを介した速やかなmRNA分解は、腫瘍壊死因子(TNF)や顆粒球マクロファージコロニー刺激因子(GM-CSF)のような強力なサイトカインの過剰産生を防ぐための重要な機構である。また、AUリッチエレメントは、c-Jun(英語版)やc-Fosなどの発がん性転写因子の生合成も調節する。 真核生物のメッセージは、メッセージ中の中途での終止コドン(ナンセンスコドン)の存在をチェックするナンセンス変異依存mRNA分解機構(NMD)による監視を受けている。ナンセンスコドンは、不完全なスプライシング、適応免疫系におけるV(D)J遺伝子再構成、DNAの変異、転写エラー、フレームシフト(英語版)を引き起こすリボソームによる漏出スキャン(英語版)、およびその他の原因によって発生する可能性がある。中途での終止コドンが検出されると、5'キャップ除去、3'ポリ(A)テール除去、またはヌクレオチド鎖切断による分解を引き起こす。 後生動物では、酵素であるDicerによって処理された低分子干渉RNA(siRNA)は、RNA誘導サイレンシング複合体またはRISC(RNA-induced silencing complex)として知られる複合体に取り込まれる。この複合はエンドヌクレアーゼを含んでおり、siRNAが結合する完全に相補的なメッセージを切断する。その結果として生じたmRNA断片は、エキソヌクレアーゼによって破壊される。siRNAは、細胞培養において遺伝子の機能を阻害するために、実験室で一般的に使用されている。これは二本鎖RNAウイルスに対する防御としての自然免疫系の一部であると考えられている。 マイクロRNA(miRNA)は、通常、後生動物のメッセンジャーRNAと部分相補的な配列を持つ小型RNAである。miRNAがメッセージに結合すると、そのメッセージの翻訳は抑制されまたポリ(A)テールの除去が促進されるため、mRNAの分解は早められる。miRNAの作用機序は活発な研究対象となっている。 メッセージが分解される機構は他にも、ノンストップ分解(英語版)(non-stop decay、NSD)や、Piwi結合RNA(英語版)(Piwi-interacting RNA、piRNA)によるサイレンシングなど、さまざまなものがある。 ヌクレオシド修飾メッセンジャーRNA(modRNA)配列を投与することで、細胞にタンパク質を作らせることができ、直接的にはそのタンパク質が病気を治療したり、ワクチンとして機能する可能性がある。より間接的には、このタンパク質が内在性幹細胞を望ましい方法で分化させる可能性がある。 RNA治療の主な課題は、RNAを適切な細胞に送達することにある。課題にはさらに、裸のRNA配列が調剤後に自然に分解されること、身体の免疫系がRNAを侵入者として攻撃する可能性があること、細胞膜を通過しないことといった事実も含まれる。RNAが細胞内に入った後、必要なリボソームがある細胞質で活動するためには、細胞の輸送機構を離れなくてはならない。 これらの課題を克服し、1989年に『広く適用可能なin vitroトランスフェクション技術が開発された後』、治療薬としてのmRNAが初めて提唱された。1990年代に、非ヌクレオシド修飾mRNAに依存した、個別化がん(英語版)に対するmRNAワクチンが開発された。mRNAを用いた治療法は、がんだけでなく、自己免疫疾患、代謝性疾患、および呼吸器炎症性疾患に対する治療法と処置法の両面で研究が続けられている。CRISPR(英語版)のような遺伝子編集療法も、目的のCasタンパク質を作るよう細胞を誘導するためにmRNAを使用することで、有益となる可能性がある。 2010年代以降、RNAワクチンやその他のRNA治療薬は「新しいクラスの医薬品」と見なされている。最初のmRNAに基づくワクチンは制限付き承認を受け、COVID-19パンデミックの間に、たとえばファイザー - バイオンテックやモデルナによるCOVID-19ワクチンが世界中で展開された。 1950年代初頭から、分子生物学の研究によって、タンパク質合成の際にRNAに関連する分子が存在することが示唆された。たとえば、最も古い報告の1つで、ジャック・モノーと彼のチームは、RNA合成がタンパク質合成に必要であることを示し、特に細菌の大腸菌で酵素であるβガラクトシダーゼを産生する時に必要なことを示した。また、1954年にアーサー・パーディー(英語版)も同様のRNA蓄積を発見した。1953年、アルフレッド・ハーシー、ジューン・ディクソン、マーサ・チェイスは、大腸菌内で合成後すぐに消失する特定のシトシン含有DNA(RNAであることを示す)について報告した。これは、mRNAの存在を示す最初の記録であったが、mRNAとしては特定されなかった。 mRNAのアイディアは、1960年4月15日、ケンブリッジのキングス・カレッジで、シドニー・ブレナーとフランシス・クリックによって最初に着想され、フランソワ・ジャコブが、アーサー・パーディー、ジャコブ、そしてモノーが最近行った実験について話しをしているときだった。クリックの励ましを受け、ブレナーとジャコブはすぐにこの新しい仮説の検証に着手し、カリフォルニア工科大学のマシュー・メセルソンに連絡を取った。1960年の夏、ブレナー、ジャコブ、メセルソンの3人は、カリフォルニア工科大学のメセルソンの研究室で実験を行い、mRNAの存在を証明した。その年の秋に、ジャコブとモノーは「メッセンジャーRNA(messenger RNA)」と命名し、その機能を説明する最初の理論的枠組みを構築した。 1961年2月、ジェームズ・ワトソンは、自身の研究グループが彼らのすぐ後を、ほぼ同じ方向で同様の実験を行っていることを明らかにした。ブレナーと他の人たちは、彼らの研究知見の論文発表を遅らせるというワトソンからの要請に同意した。その結果、1961年5月の『ネイチャー』誌にブレナーとワトソンの論文が同時に掲載され、同じ月の『ジャーナル・オブ・モレキュラー・バイオロジー(英語版)(Journal of Molecular Biology)』誌にジャコブとモノーはmRNAの理論的枠組みを発表した。
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"場合によって、mRNAが編集されて、そのヌクレオチド組成が変化することがある。ヒトを例にとると、アポリポタンパク質B(英語版)のmRNAは、ある組織では編集されるが、他の組織では編集されない。この編集によって中途での終止コドンが作られ、翻訳時に短いタンパク質が生成する。", "title": "合成、プロセシング、働き" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ポリアデニル化(polyadenylation)とは、メッセンジャーRNA分子にポリアデニリル部を共有結合させることである。真核生物では、ほとんどのメッセンジャーRNA(mRNA)分子が3'末端でポリアデニル化されているが、最近の研究では、ウリジンの短い伸長(オリゴウリジル化)も一般的であることが示されている。ポリ(A)テールとそれに結合したタンパク質は、エキソヌクレアーゼによる分解からmRNAを保護することを助ける。また、ポリアデニル化は、転写終結、mRNAの核外輸送、および翻訳にも重要である。原核生物では、mRNAがポリアデニル化されると、ポリ(A)テールがエキソヌクレアーゼ分解を妨げるのではなく、むしろ促進するように作用することもある。", "title": "合成、プロセシング、働き" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ポリアデニル化は、DNAからRNAへ転写される際、および(または)その直後に起こる。転写が終了すると、RNAポリメラーゼに結合するエンドヌクレアーゼ複合体の働きによって、mRNA鎖は切断される。mRNAが切断された後、切断部位の遊離3'末端に約250のアデノシン残基が付加される。この反応は、ポリアデニル酸ポリメラーゼ(英語版)によって触媒される。選択的スプライシングと同様に、1つのmRNAに複数種のポリアデニル化変異体が存在する可能性がある。", "title": "合成、プロセシング、働き" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "また、ポリアデニル化部位の変異も起こる。遺伝子の一次RNA転写産物は、ポリA付加部位で切断され、RNAの3'末端に100-200個のアデノシン残基が付加される。この部位が変化すると、異常に長く、不安定なmRNAコンストラクトが形成される。", "title": "合成、プロセシング、働き" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "真核生物と原核生物のもう一つの違いは、mRNAの輸送に関するものである。真核生物では転写と翻訳は区画的に分割されているため、真核生物ではmRNAを細胞核から細胞質へ輸送しなくてはならない。この過程は、さまざまなシグナル伝達経路によって制御されている可能性がある。成熟mRNAは修飾の処理によって認識され、キャップ結合タンパク質(CBC)(英語版)であるCBP20およびCBP80、および転写/核外輸送複合体(TREX)に結合することによって、核膜孔から輸送される。真核生物では、複数のmRNA輸送経路が同定されている。", "title": "合成、プロセシング、働き" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "空間的に複雑な細胞では、いくつかのmRNAは特定の細胞内目的地に輸送される。成熟した神経細胞では、ある種のmRNAが神経細胞体から樹状突起に輸送される。mRNA翻訳が行われる部位の一例は、シナプスの下に選択的に局在するポリリボソームである。Arc/Arg3.1のmRNAは、シナプス活動によって誘導され、NMDA受容体が生成するシグナルに基づいて、活動的なシナプス近傍に選択的に局在される。また、βアクチン(英語版)のmRNAのように、外部刺激に応答して樹状突起に移動するmRNAもある。アクチンのmRNAは、細胞核から輸送されるときに、ZBP1(英語版)および40Sサブユニット(英語版)と結合する。この複合体はモータータンパク質によって結合され、細胞骨格に沿って目的位置(神経突起伸長部)に輸送される。最終的に、ZBP1がSrc(英語版)によってリン酸化され、翻訳が開始される。発達中の神経細胞では、mRNAは成長中の軸索、特に成長円錐にも輸送される。多くのmRNAには、特定の場所に輸送するために、いわゆる「ジップコード(郵便番号の意)」が付与されている。mRNAは、細胞膜ナノチューブ(トンネルナノチューブ)と呼ばれる構造体を通じて、哺乳動物細胞間でも移動することができる。", "title": "合成、プロセシング、働き" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "原核生物のmRNAは、プロセシングや輸送を必要としないため、転写終了後すぐにリボソームにより翻訳を開始することができる。したがって、原核生物における翻訳は転写と共役しており、共転写的に行われていると言える。", "title": "合成、プロセシング、働き" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "真核生物のmRNAは、プロセシングされて細胞質に輸送された後(すなわち成熟mRNA)、リボソームによって翻訳することができる。翻訳は、細胞質内を自由に浮遊しているリボソームで起こる場合と、シグナル認識粒子によって誘導されて、小胞体に結合したリボソームで起こる場合がある。したがって、原核生物とは異なり、真核生物における翻訳は転写と直接的に結びついていない。乳癌(がん)で監視されるEEF1A1(英語版)のmRNA/タンパク質レベルのように、mRNAレベルの低下がタンパク質レベルの上昇を伴うこともある。", "title": "合成、プロセシング、働き" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "コーディング領域(coding regions)はコドン(遺伝暗号ともいう)で構成され、リボソームによって解読され、さらにタンパク質へ翻訳される。これは、真核生物では通常1つなのに対し、原核生物では通常複数である。コーディング領域は、開始コドンで始まり、終止コドンで終わる。一般に、開始コドンはAUGトリプレットで、終止コドンはUAG(アンバー)、UAA(オーカー)、またはUGA(オパール)である。コーディング領域は内部の塩基対によって安定化する傾向があり、これが分解を妨げている。コーディング領域は、タンパク質をコードすることに加え、その一部はエクソン性スプライシングエンハンサー(英語版)またはエクソン性スプライシングサイレンサー(英語版)として、pre-mRNA中の制御配列(英語版)として機能することがある。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "非翻訳領域(untranslated regions、UTR)は、mRNAのうち、開始コドンの前および停止コドンの後で翻訳されない領域のことで、それぞれ5' 非翻訳領域(5' UTR)と3' 非翻訳領域(3' UTR)と呼ばれる。これらの領域はコーディング領域と一緒に転写されるため、成熟mRNA中にそのまま存在することからエクソン性(exonic)という。遺伝子発現に関わる非翻訳領域のいくつかの役割は、mRNAの安定性、mRNAの局在化、翻訳効率(英語版)へ起因するとされている。UTRがこれらの機能を果たすかどうかはUTRの配列に依存し、mRNAの種類によって異なる可能性がある。また、3' UTRの遺伝子変異は、RNAの構造やタンパク質への翻訳を変化させるため、疾患感受性にも関与すると考えられている。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "mRNAの安定性は、リボヌクレアーゼというRNA分解酵素や、RNA分解を促進または阻害する補助タンパク質に対する親和性が異なるため、5' UTRおよび(または)3' UTRによって制御されている可能性がある (Cリッチ安定化配列(英語版)も参照)。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "翻訳効率は、時には翻訳を完全に阻害することも含め、UTRによって制御することができる。3' UTRまたは5' UTRに結合するタンパク質は、リボソームがmRNAに結合する能力に働きかけることで、翻訳に影響を及ぼす可能性がある。また、3' UTRに結合したマイクロRNA(miRNA)も、翻訳効率やmRNAの安定性に影響を及ぼす可能性がある。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "mRNAの細胞質局在性は、3' UTRの機能であると考えられている。細胞内の特定の領域で必要とされるタンパク質は、その場所で翻訳されることもある。このような場合、3' UTRには、転写産物を翻訳するためにこの領域に局在化させる配列が含まれている可能性がある。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "非翻訳領域に含まれる配列の中には、RNAに転写されると特徴的な二次構造を形成するものがある。これらの構造的なmRNA配列は、mRNAの調節に関与している。SECIS配列(英語版)のようにタンパク質が結合する標的となるものもある。mRNA配列の一種であるリボスイッチは、小分子と直接結合してその折りたたみを変化させて転写や翻訳のレベルを変更する。こうした場合、mRNAはそれ自身を制御している。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "3'ポリ(A)テール(3' poly(A) tail)は、pre-mRNAの3'末端に付加されたアデニンヌクレオチドの長い配列である(配列長は数100個が多い)。このテール(尾部)は、細胞核からの輸送と翻訳を促進するとともに、mRNAを分解から保護する役割を持つ。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "mRNA分子が、単一のタンパク質鎖(ポリペプチド)のみを翻訳するための遺伝情報を含む場合、モノシストロン型(monocistronic mRNA)であるという。ほとんどの真核生物のmRNAはこのようなケースである。一方、ポリシストロン型(polycistronic mRNA)mRNAは、複数のオープン・リーディング・フレーム(ORF)を持ち、それぞれがポリペプチドに翻訳される。これらのポリペプチドは通常、関連する機能を持ち(多くは最終的な複合タンパク質を構成するサブユニット)、それらのコード配列(coding sequence、CDS)はプロモーターとオペレーターを含む制御領域にまとめられて全体として制御される。細菌や古細菌に見られるmRNAのほとんどはポリシストロン型で、ヒトのミトコンドリア・ゲノムも同様である。ジシストロン型(dicistronic)またはバイシストロン型(bicistronic)のmRNAは、2つのタンパク質のみをコードしている。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "真核生物では、eIF4Eとポリ(A)結合タンパク質(PABP)が相互作用し、両者が足場タンパク質のeIF4G(英語版)に結合してmRNA-タンパク質-mRNAの橋渡しをすることで、mRNA分子は環状構造を形成する。環状化は、mRNA上のリボソームの循環を促進し、時間効率のよい翻訳をもたらすと考えられており、また、無傷のmRNAのみを翻訳するように機能する可能性もある(部分的に分解したmRNAは、mGキャップやポリ(A)テールの欠失を特徴とする)。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "この他に、特にウイルスmRNAで、環状化の機構が知られている。ポリオウイルスのmRNAは、その5'末端方向のクローバーリーフ部分を利用してヒトタンパク質PCBP2(英語版)と結合し、PCBP2はポリ(A)結合タンパク質と結合して、よく知られたmRNA-タンパク質-mRNAの輪を形成する。オオムギ黄化萎縮ウイルス(英語版)は、5'末端と3'末端のmRNAセグメント間で結合し(キッシングステムループ(英語版)と呼ばれる)、タンパク質を介さずにmRNAを環状化する。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "RNAウイルスゲノム(その+鎖がmRNAとして翻訳される)も一般に環状化している。ゲノム複製の際、環状化はゲノム複製速度を高めるように作用し、リボソームが循環している仮説とほぼ同様に、ウイルスRNA依存性RNAポリメラーゼを循環させる。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "同じ細胞内でも、mRNAの寿命(安定性)はそれぞれ異なる。細菌細胞では、個々のmRNAは数秒から1時間以上生存することができる。しかしその寿命は平均して1-3分であり、細菌のmRNAは真核生物のmRNAよりもはるかに安定性が低い。哺乳動物細胞では、mRNAの寿命は数分から数日にまで及ぶ。mRNAの安定性が高いほどそのmRNAからより多くのタンパク質が生成される可能性がある。mRNAの寿命が限られているので、細胞は変化する需要に応じてタンパク質合成を速やかに変更することができる。mRNAの破壊をもたらす多くの機構があり、そのいくつかを次に説明する。", "title": "分解" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "一般的に、原核生物では、真核生物よりもmRNAの寿命がはるかに短い。原核生物は、エンドヌクレアーゼ、3'エキソヌクレアーゼ、および5'エキソヌクレアーゼを含むリボヌクレアーゼの組み合わせて、メッセージ(mRNAの意)を分解する。また、数十から数百ヌクレオチド長の小型RNA(英語版)(sRNA)が相補的な配列と塩基対を形成し、RNase III(英語版)によるリボヌクレアーゼ切断を促進することによって、特定のmRNAの分解を促す場合がある。最近、細菌も5'末端に三リン酸からなる一種の5'キャップを持っていることが明らかになった。このリン酸を2つ除去すると5'-リン酸が残り、5'を3'に分解するエキソヌクレアーゼRNase Jによってメッセージが破壊される。", "title": "分解" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "真核細胞内では、翻訳とmRNA分解のプロセス間で釣り合いが保たれている。活発に翻訳されているメッセージは、リボソーム、真核生物翻訳開始因子(英語版)eIF4EおよびeIF4G(英語版)、ポリ(A)結合タンパク質によって結合されている。eIF4EとeIF4Gはデキャッピング酵素(DCP2(英語版))を阻害し、ポリ(A)結合タンパク質はエキソソーム複合体を阻害して、メッセージの末端を保護する。翻訳と分解の釣り合いは、Pボディ(英語版)(P-bodies)という細胞質構造の大きさと存在量に反映される。mRNAのポリ(A)テールは、RNA上のシス制御配列とトランス作用性RNA結合タンパク質の組み合わせによって、特定のメッセンジャーRNAを標的とする特殊なエキソヌクレアーゼによって短縮される。ポリ(A)テールの除去は、メッセージの環状構造を破壊し、キャップ結合複合体(英語版)を不安定化すると考えられている。その後、メッセージはエキソソーム複合体またはデキャッピング複合体(英語版)のいずれかによって分解される。このようにして、翻訳的に不活性なメッセージを速やかに破壊し、活性なメッセージを無傷のまま残すことができる。翻訳を停止してメッセージが崩壊複合体に渡される機構は詳しくは分かっていない。", "title": "分解" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "一部の哺乳類では、mRNA中にAUリッチエレメント(英語版)(ARE)が存在すると、この配列に結合してポリ(A)テールの除去を促す細胞タンパク質の作用によって、これらの転写産物を不安定化する傾向がある。ポリ(A)テールの欠失は、エキソソーム複合体とデキャッピング複合体(英語版)の両方による攻撃を促進することにより、mRNAの分解を促進すると考えられている。AUリッチエレメントを介した速やかなmRNA分解は、腫瘍壊死因子(TNF)や顆粒球マクロファージコロニー刺激因子(GM-CSF)のような強力なサイトカインの過剰産生を防ぐための重要な機構である。また、AUリッチエレメントは、c-Jun(英語版)やc-Fosなどの発がん性転写因子の生合成も調節する。", "title": "分解" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "真核生物のメッセージは、メッセージ中の中途での終止コドン(ナンセンスコドン)の存在をチェックするナンセンス変異依存mRNA分解機構(NMD)による監視を受けている。ナンセンスコドンは、不完全なスプライシング、適応免疫系におけるV(D)J遺伝子再構成、DNAの変異、転写エラー、フレームシフト(英語版)を引き起こすリボソームによる漏出スキャン(英語版)、およびその他の原因によって発生する可能性がある。中途での終止コドンが検出されると、5'キャップ除去、3'ポリ(A)テール除去、またはヌクレオチド鎖切断による分解を引き起こす。", "title": "分解" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "後生動物では、酵素であるDicerによって処理された低分子干渉RNA(siRNA)は、RNA誘導サイレンシング複合体またはRISC(RNA-induced silencing complex)として知られる複合体に取り込まれる。この複合はエンドヌクレアーゼを含んでおり、siRNAが結合する完全に相補的なメッセージを切断する。その結果として生じたmRNA断片は、エキソヌクレアーゼによって破壊される。siRNAは、細胞培養において遺伝子の機能を阻害するために、実験室で一般的に使用されている。これは二本鎖RNAウイルスに対する防御としての自然免疫系の一部であると考えられている。", "title": "分解" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "マイクロRNA(miRNA)は、通常、後生動物のメッセンジャーRNAと部分相補的な配列を持つ小型RNAである。miRNAがメッセージに結合すると、そのメッセージの翻訳は抑制されまたポリ(A)テールの除去が促進されるため、mRNAの分解は早められる。miRNAの作用機序は活発な研究対象となっている。", "title": "分解" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "メッセージが分解される機構は他にも、ノンストップ分解(英語版)(non-stop decay、NSD)や、Piwi結合RNA(英語版)(Piwi-interacting RNA、piRNA)によるサイレンシングなど、さまざまなものがある。", "title": "分解" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ヌクレオシド修飾メッセンジャーRNA(modRNA)配列を投与することで、細胞にタンパク質を作らせることができ、直接的にはそのタンパク質が病気を治療したり、ワクチンとして機能する可能性がある。より間接的には、このタンパク質が内在性幹細胞を望ましい方法で分化させる可能性がある。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "RNA治療の主な課題は、RNAを適切な細胞に送達することにある。課題にはさらに、裸のRNA配列が調剤後に自然に分解されること、身体の免疫系がRNAを侵入者として攻撃する可能性があること、細胞膜を通過しないことといった事実も含まれる。RNAが細胞内に入った後、必要なリボソームがある細胞質で活動するためには、細胞の輸送機構を離れなくてはならない。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "これらの課題を克服し、1989年に『広く適用可能なin vitroトランスフェクション技術が開発された後』、治療薬としてのmRNAが初めて提唱された。1990年代に、非ヌクレオシド修飾mRNAに依存した、個別化がん(英語版)に対するmRNAワクチンが開発された。mRNAを用いた治療法は、がんだけでなく、自己免疫疾患、代謝性疾患、および呼吸器炎症性疾患に対する治療法と処置法の両面で研究が続けられている。CRISPR(英語版)のような遺伝子編集療法も、目的のCasタンパク質を作るよう細胞を誘導するためにmRNAを使用することで、有益となる可能性がある。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "2010年代以降、RNAワクチンやその他のRNA治療薬は「新しいクラスの医薬品」と見なされている。最初のmRNAに基づくワクチンは制限付き承認を受け、COVID-19パンデミックの間に、たとえばファイザー - バイオンテックやモデルナによるCOVID-19ワクチンが世界中で展開された。", "title": "応用例" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "1950年代初頭から、分子生物学の研究によって、タンパク質合成の際にRNAに関連する分子が存在することが示唆された。たとえば、最も古い報告の1つで、ジャック・モノーと彼のチームは、RNA合成がタンパク質合成に必要であることを示し、特に細菌の大腸菌で酵素であるβガラクトシダーゼを産生する時に必要なことを示した。また、1954年にアーサー・パーディー(英語版)も同様のRNA蓄積を発見した。1953年、アルフレッド・ハーシー、ジューン・ディクソン、マーサ・チェイスは、大腸菌内で合成後すぐに消失する特定のシトシン含有DNA(RNAであることを示す)について報告した。これは、mRNAの存在を示す最初の記録であったが、mRNAとしては特定されなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "mRNAのアイディアは、1960年4月15日、ケンブリッジのキングス・カレッジで、シドニー・ブレナーとフランシス・クリックによって最初に着想され、フランソワ・ジャコブが、アーサー・パーディー、ジャコブ、そしてモノーが最近行った実験について話しをしているときだった。クリックの励ましを受け、ブレナーとジャコブはすぐにこの新しい仮説の検証に着手し、カリフォルニア工科大学のマシュー・メセルソンに連絡を取った。1960年の夏、ブレナー、ジャコブ、メセルソンの3人は、カリフォルニア工科大学のメセルソンの研究室で実験を行い、mRNAの存在を証明した。その年の秋に、ジャコブとモノーは「メッセンジャーRNA(messenger RNA)」と命名し、その機能を説明する最初の理論的枠組みを構築した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "1961年2月、ジェームズ・ワトソンは、自身の研究グループが彼らのすぐ後を、ほぼ同じ方向で同様の実験を行っていることを明らかにした。ブレナーと他の人たちは、彼らの研究知見の論文発表を遅らせるというワトソンからの要請に同意した。その結果、1961年5月の『ネイチャー』誌にブレナーとワトソンの論文が同時に掲載され、同じ月の『ジャーナル・オブ・モレキュラー・バイオロジー(英語版)(Journal of Molecular Biology)』誌にジャコブとモノーはmRNAの理論的枠組みを発表した。", "title": "歴史" } ]
分子生物学において、伝令RNAは、mRNAまたはメッセンジャーリボ核酸とも呼ばれ、タンパク質を合成する過程でリボソームによって読み取られる、遺伝子の遺伝子配列に対応する一本鎖のリボ核酸(RNA)分子である。 mRNAは、RNAポリメラーゼという酵素が遺伝子を一次転写産物のmRNA前駆体(pre-mRNA)に変換する転写過程で作られる。このpre-mRNAには通常、最終的なアミノ酸配列をコードしないイントロンという領域が含まれるが、これらはRNAスプライシングの過程で除去され、タンパク質をコードする領域であるエクソンのみが残る。このエクソン配列が成熟mRNAを構成する。 次に、リボゾームが成熟mRNAを読み取り、転移RNA(tRNA)が運ぶアミノ酸を利用してタンパク質を作り出す。この過程は翻訳として知られている。 これらの過程はすべて、生物系における遺伝情報の流れを説明する分子生物学のセントラルドグマの一部を形成する。 mRNAの遺伝情報は、デオキシリボ核酸(DNA)と同様にヌクレオチド配列に含まれ、おのおのが3連のリボヌクレオチドからなるコドンに配列されている。各コドンは、特定のアミノ酸をコードしているが、タンパク質合成を停止させる終止コドンは例外である。コドンからアミノ酸へ翻訳するためには、コドンを認識して対応するアミノ酸を供給する転移RNAと、リボソームに含まれるタンパク質製造装置の中心的な構成要素であるリボソームRNA(rRNA)の2種類のRNAが必要である。 mRNAの概念は、1960年にシドニー・ブレナーとフランシス・クリックによって発展した(歴史を参照)。実験検証を行う過程で、フランソワ・ジャコブとジャック・モノーが「メッセンジャーRNA」という名称を作り出した。1961年、ジェームズ・ワトソンの研究チームと、ジャコブ、モノー、マシュー・メセルソンのチームによって、mRNAが単離され、独立して記述された。
{{混同|ミトコンドリアDNA|マイクロRNA|x1=mDNAと略される|x2=MiRNAと略される}}[[Image:MRNA-interaction.svg|thumb|upright=1.2|[[真核細胞]]の'''mRNA'''のライフサイクルを示す模式図。mRNAは[[細胞核]]内で[[デオキシリボ核酸|DNA]]から[[転写 (生物学)|転写]]されて作られる。次に[[転写後修飾]](プロセシング)が行われ、[[細胞質]]へ輸送される。その後mRNAは[[リボソーム]]や[[転移RNA|tRNA]]と相互作用して[[翻訳 (生物学)|翻訳]]され、[[タンパク質]](または[[ペプチド]])分子が作られる。最終的にmRNAは分解される。]] [[分子生物学]]において、'''伝令RNA'''(でんれいアールエヌエー、{{Lang-en-short|messenger ribonucleic acid}})は、'''mRNA'''または'''メッセンジャーリボ核酸'''とも呼ばれ、[[タンパク質]]を[[タンパク質生合成|合成]]する過程で[[リボソーム]]によって読み取られる、[[遺伝子]]の[[遺伝子配列]]に対応する一本鎖の[[リボ核酸]](RNA)[[分子]]である。 mRNAは、[[RNAポリメラーゼ]]という[[酵素]]が遺伝子を[[一次転写産物]]の[[mRNA前駆体]](pre-mRNA)に変換する[[転写 (生物学)|転写]]過程で作られる。このpre-mRNAには通常、最終的な[[アミノ酸配列]]を[[遺伝暗号|コード]]しない[[イントロン]]という領域が含まれるが、これらは[[RNAスプライシング]]の過程で除去され、タンパク質をコードする領域である[[エクソン]]のみが残る。このエクソン配列が[[成熟mRNA]]を構成する。 次に、リボゾームが成熟mRNAを読み取り、[[転移RNA]](tRNA)が運ぶ[[アミノ酸]]を利用してタンパク質を作り出す。この過程は[[翻訳 (生物学)|翻訳]]として知られている。 これらの過程はすべて、{{ill2|生物系|en|Biological system}}における遺伝情報の流れを説明する分子生物学の[[セントラルドグマ]]の一部を形成する。 mRNAの遺伝情報は、[[デオキシリボ核酸]](DNA)と同様に[[ヌクレオチド]]配列に含まれ、おのおのが3連の[[リボヌクレオチド]]からなる[[コドン]]に配列されている。各コドンは、特定の[[アミノ酸]]をコードしているが、タンパク質合成を停止させる[[終止コドン]]は例外である。コドンからアミノ酸へ翻訳するためには、コドンを認識して対応するアミノ酸を供給する転移RNAと、リボソームに含まれるタンパク質製造装置の中心的な構成要素である[[リボソームRNA]](rRNA)の2種類のRNAが必要である。 mRNAの概念は、1960年に[[シドニー・ブレナー]]と[[フランシス・クリック]]によって発展した([[伝令RNA#歴史|歴史]]を参照)。実験検証を行う過程で、[[フランソワ・ジャコブ]]と[[ジャック・モノー]]が「メッセンジャーRNA(''messenger RNA'')」という名称を作り出した。1961年、[[ジェームズ・ワトソン]]の研究チームと、ジャコブ、モノー、[[マシュー・メセルソン]]のチームによって、mRNAが単離され、独立して記述された。 {{toclimit|3}} == {{Anchors|Synthesis, processing and function}}合成、プロセシング、働き == [[File:DNA transcription.svg|thumb|RNAポリメラーゼ酵素 (黄色)がDNA鎖を転写してmRNA (緑色)を形成する]] mRNA分子は転写から始まり、最終的に分解されて短い生涯を終える。mRNA分子はその寿命の間、翻訳前に[[生物学的過程|プロセシング]]、編集、そして輸送されることもある。真核生物のmRNA分子は、しばしば広範なプロセシングや輸送を必要とするが、[[原核生物]]のmRNA分子はそうではない。[[真核生物]]のmRNA分子とそれに結合したタンパク質を合わせて{{Ill2|メッセンジャーRNP|en|Messenger RNP}}と呼ぶ。 === 転写 === {{main|[[転写 (生物学)]]}} DNAからRNAをコピーすることを[[転写 (生物学)|転写]]という。転写の際、[[RNAポリメラーゼ]]は必要に応じてDNAからmRNAへの遺伝子コピーを作成する。この過程は真核生物と原核生物でわずかに相違する。顕著な相違の一つは、原核生物のRNAポリメラーゼは転写中にDNA処理酵素と結合し、転写中にプロセシングを進めることができる。それによって、新しいmRNA鎖はtRNA鎖と呼ばれる[[相補性 (分子生物学)#DNAとRNAの塩基対の相補性|相補鎖]]を生成して二本鎖となり、両者が結合すると[[塩基対]]形成による構造形成ができなくなる。さらに、mRNAの鋳型はtRNAの相補鎖であり、DNAが結合する[[アンチコドン]]配列と同じ配列である。短命で、未プロセシングあるいは部分的にプロセシングされた転写産物を前駆体mRNA、または''[[pre-mRNA]]''と呼び、完全にプロセシングされると''[[成熟mRNA]]''と呼ぶ。 === 真核生物のpre-mRNAプロセシング === {{main|転写後修飾}} [[File:Gene structure eukaryote 2 annotated.svg|thumb|(上段) DNA遺伝子はpre-mRNAに転写される。(中段) その後、pre-mRNAはプロセシングを経て成熟mRNAを形成する。(下段) 最終的に成熟mRNAはリボソームによって翻訳されてタンパク質が生成する。|440x440ピクセル]] mRNAのプロセシングは、[[真核生物]]、[[細菌]]、および[[古細菌]]の間で大きく異なっている。非真核生物のmRNAは、本質的に転写された時点で成熟しており、まれな場合を除いてプロセシングを必要としない<ref>{{Cite book| vauthors = Watson JD |author-link=James Watson |title=Molecular Biology of the Gene, 7th edition|publisher=Pearson Higher Ed USA|date=February 22, 2013|isbn=9780321851499}}</ref>。しかし、真核生物のpre-mRNAは、細胞質へ輸送されリボソームにより翻訳される前に、一連のプロセシング段階を経る必要がある。 ==== スプライシング ==== {{main|{{ill2|RNAスプライシング|en|RNA splicing}}}} [[RNAスプライシング]]は、真核生物のpre-mRNAが成熟mRNAに至る広範なプロセシングであり、[[イントロン]]や[[アウトロン]](非コード領域)が除去され、[[エクソン]](コード領域)が結合する機構である。 ==== 5'キャップの付加 ==== {{main|5'キャップ}} [[File:5' cap labeled.svg|thumb|真核生物mRNAの5'キャップの構造。7-メチルグアノシン (左上) が、5'-5'-トリリン酸結合 (中央) を介し、mRNAの最初の転写ヌクレオチド (右下) に結合することでキャップを形成する。]] ''[[5'キャップ]]''(''5' cap、''RNAキャップ、RNA [[7-メチルグアノシン]]キャップ、RNA m<sup>7</sup>Gキャップとも呼ばれる)とは、真核生物のメッセンジャーRNAの転写開始直後にその先端部つまり{{Ill2|5'末端|en|5' end}}に付加された修飾[[グアニン]]ヌクレオチドである。5'キャップは、末端の7-メチルグアノシン残基からなり、5'-5'-トリリン酸結合を介して最初の転写ヌクレオチドに結びつく。その存在は、[[リボソーム]]による認識と[[リボヌクレアーゼ]](RNase)酵素からの保護において重要である。 キャップの付加は転写と連動しており、相互に影響を与えるように共転写的<!-- co-transcriptionally -->に行われる。転写開始の直後、合成されるmRNAの5'末端は、[[RNAポリメラーゼ]]に結合している{{Ill2|キャッピング酵素|en|Capping enzyme|label=キャップ結合複合体}}と結合する。この[[酵素]]複合体は、mRNAのキャッピングに必要な化学反応を[[触媒]]する。合成は多段階の[[生化学]]反応として進行する。 ==== 編集 ==== {{Main|RNAエディティング}} 場合によって、mRNAが[[RNAエディティング|編集]]されて、そのヌクレオチド組成が変化することがある。ヒトを例にとると、{{Ill2|アポリポタンパク質B|en|Apolipoprotein B}}のmRNAは、ある組織では編集されるが、他の組織では編集されない。この編集によって中途での終止コドン<!--early stop codon-->が作られ、翻訳時に短いタンパク質が生成する。 ==== ポリアデニル化 ==== {{main|ポリアデニル化}} [[File:Polyadenylation.png|thumb|ポリアデニル化の過程]] [[ポリアデニル化]](''polyadenylation'')とは、メッセンジャーRNA分子にポリアデニリル部<!--polyadenylyl moiety-->を[[共有結合]]させることである。真核生物では、ほとんどのメッセンジャーRNA(mRNA)分子が3'末端でポリアデニル化されているが、最近の研究では、[[ウリジン]]の短い伸長(オリゴウリジル化<!-- oligouridylation -->)も一般的であることが示されている<ref name="Choi_2012">{{cite journal | vauthors = Choi YS, Patena W, Leavitt AD, McManus MT | title = Widespread RNA 3'-end oligouridylation in mammals | journal = RNA (New York, N.Y.) | volume = 18 | issue = 3 | pages = 394–401 | date = March 2012 | pmid = 22291204 | pmc = 3285928 | doi = 10.1261/rna.029306.111 }}</ref>。[[伝令RNA#Poly(A) tail|ポリ(A)テール]]とそれに結合したタンパク質は、[[エキソヌクレアーゼ]]による分解からmRNAを保護することを助ける。また、ポリアデニル化は、転写終結、mRNAの[[核外輸送]]、および翻訳にも重要である。原核生物では、mRNAがポリアデニル化されると、ポリ(A)テールがエキソヌクレアーゼ分解<!-- exonucleolytic degradation -->を妨げるのではなく、むしろ促進するように作用することもある。 ポリアデニル化は、DNAからRNAへ転写される際、および(または)その直後に起こる。転写が終了すると、RNAポリメラーゼに結合するエンドヌクレアーゼ複合体の働きによって、mRNA鎖は切断される。mRNAが切断された後、切断部位の遊離3'末端に約250のアデノシン残基が付加される。この反応は、{{Ill2|ポリヌクレオチドアデニリルトランスフェラーゼ|en|Polynucleotide adenylyltransferase|label=ポリアデニル酸ポリメラーゼ}}によって触媒される。[[選択的スプライシング]]と同様に、1つのmRNAに複数種のポリアデニル化変異体が存在する可能性がある。 また、ポリアデニル化部位の変異も起こる。遺伝子の一次RNA転写産物は、ポリA付加部位で切断され、RNAの3'末端に100-200個のアデノシン残基<!-- 訳注: 原文では単に"A"と書かれているが、前後の文よりアデノシン残基と判断した。 -->が付加される。この部位が変化すると、異常に長く、不安定なmRNAコンストラクトが形成される。 === 輸送 === {{Main|核輸送#核外輸送}} 真核生物と原核生物のもう一つの違いは、mRNAの輸送に関するものである。真核生物では転写と翻訳は[[細胞内膜系|区画的に分割]]されているため、真核生物ではmRNAを[[細胞核]]から[[細胞質]]へ輸送しなくてはならない。この過程は、さまざまな[[シグナル伝達|シグナル伝達経路]]によって制御されている可能性がある<ref name="Quaresma2013">{{cite journal | vauthors = Quaresma AJ, Sievert R, Nickerson JA | title = Regulation of mRNA export by the PI3 kinase/AKT signal transduction pathway | journal = Molecular Biology of the Cell | volume = 24 | issue = 8 | pages = 1208–1221 | date = April 2013 | pmid = 23427269 | pmc = 3623641 | doi = 10.1091/mbc.E12-06-0450 }}</ref>。成熟mRNAは修飾の処理によって認識され、{{Ill2|キャップ結合複合体|en|Cap binding complex|label=キャップ結合タンパク質(CBC)}}であるCBP20およびCBP80<ref name="kierzkowski2009">{{cite journal | vauthors = Kierzkowski D, Kmieciak M, Piontek P, Wojtaszek P, Szweykowska-Kulinska Z, Jarmolowski A | title = The Arabidopsis CBP20 targets the cap-binding complex to the nucleus, and is stabilized by CBP80 | journal = The Plant Journal | volume = 59 | issue = 5 | pages = 814–825 | date = September 2009 | pmid = 19453442 | doi = 10.1111/j.1365-313X.2009.03915.x | doi-access = free }}</ref>、および[[核膜孔#RNAの核外輸送|転写/核外輸送複合体(TREX)]]に結合することによって、[[核膜孔]]から輸送される<ref name="strausser2002">{{cite journal | vauthors = Strässer K, Masuda S, Mason P, Pfannstiel J, Oppizzi M, Rodriguez-Navarro S, Rondón AG, Aguilera A, Struhl K, Reed R, Hurt E | title = TREX is a conserved complex coupling transcription with messenger RNA export | journal = Nature | volume = 417 | issue = 6886 | pages = 304–308 | date = May 2002 | pmid = 11979277 | doi = 10.1038/nature746 | bibcode = 2002Natur.417..304S | s2cid = 1112194 }}</ref><ref name="katahira2014">{{cite journal | vauthors = Katahira J, Yoneda Y | title = Roles of the TREX complex in nuclear export of mRNA | journal = RNA Biology | volume = 6 | issue = 2 | pages = 149–152 | date = 27 October 2014 | pmid = 19229134 | doi = 10.4161/rna.6.2.8046 | doi-access = free }}</ref>。真核生物では、複数のmRNA輸送経路が同定されている<ref name="Cenik2011">{{cite journal | vauthors = Cenik C, Chua HN, Zhang H, Tarnawsky SP, Akef A, Derti A, Tasan M, Moore MJ, Palazzo AF, Roth FP | title = Genome analysis reveals interplay between 5'UTR introns and nuclear mRNA export for secretory and mitochondrial genes | journal = PLOS Genetics | volume = 7 | issue = 4 | pages = e1001366 | date = April 2011 | pmid = 21533221 | pmc = 3077370 | doi = 10.1371/journal.pgen.1001366 }}</ref>。 空間的に複雑な細胞では、いくつかのmRNAは特定の細胞内目的地<!--subcellular destinations-->に輸送される。成熟した[[神経細胞]]では、ある種のmRNAが[[細胞体|神経細胞体]]から[[樹状突起]]に輸送される。mRNA翻訳が行われる部位の一例は、シナプスの下に選択的に局在する[[ポリリボソーム]]である<ref>{{cite journal | vauthors = Steward O, Levy WB | title = Preferential localization of polyribosomes under the base of dendritic spines in granule cells of the dentate gyrus | journal = The Journal of Neuroscience | volume = 2 | issue = 3 | pages = 284–291 | date = March 1982 | pmid = 7062109 | pmc = 6564334 | doi = 10.1523/JNEUROSCI.02-03-00284.1982 }}</ref>。[[ARC (タンパク質)|Arc/Arg3.1]]のmRNAは、シナプス活動によって誘導され、[[NMDA受容体]]が生成するシグナルに基づいて、活動的なシナプス近傍に選択的に局在される<ref>{{cite journal | vauthors = Steward O, Worley PF | title = Selective targeting of newly synthesized Arc mRNA to active synapses requires NMDA receptor activation | journal = Neuron | volume = 30 | issue = 1 | pages = 227–240 | date = April 2001 | pmid = 11343657 | doi = 10.1016/s0896-6273(01)00275-6 | s2cid = 13395819 | doi-access = free }}</ref>。また、{{Ill2|βアクチン|en|Beta-actin|label=}}のmRNAのように、外部刺激に応答して樹状突起に移動するmRNAもある<ref name="Job1912">{{cite journal | vauthors = Job C, Eberwine J | title = Localization and translation of mRNA in dendrites and axons | journal = Nature Reviews. Neuroscience | volume = 2 | issue = 12 | pages = 889–898 | date = December 2001 | pmid = 11733796 | doi = 10.1038/35104069 | author-link2 = James Eberwine | s2cid = 5275219 }}</ref>。[[アクチン]]のmRNAは、細胞核から輸送されるときに、{{Ill2|ZBP1|en|ZBP1}}および{{Ill2|真核生物リボソーム小サブユニット|en|Eukaryotic small ribosomal subunit (40S)|label=40Sサブユニット}}と結合する。この複合体は[[モータータンパク質]]によって結合され、[[細胞骨格]]に沿って目的位置([[神経突起|神経突起伸長部]])に輸送される。最終的に、ZBP1が{{Ill2|Srcファミリーキナーゼ|en|Src family kinase|label=Src}}によって[[リン酸化]]され、翻訳が開始される<ref name="Hüttelmaier_2005">{{cite journal | vauthors = Hüttelmaier S, Zenklusen D, Lederer M, Dictenberg J, Lorenz M, Meng X, Bassell GJ, Condeelis J, Singer RH | display-authors = 6 | title = Spatial regulation of beta-actin translation by Src-dependent phosphorylation of ZBP1 | journal = Nature | volume = 438 | issue = 7067 | pages = 512–515 | date = November 2005 | pmid = 16306994 | doi = 10.1038/nature04115 | s2cid = 2453397 | bibcode = 2005Natur.438..512H }}</ref>。発達中の神経細胞では、mRNAは成長中の[[軸索]]、特に[[成長円錐]]にも輸送される。多くのmRNAには、特定の場所に輸送するために、いわゆる「ジップコード(郵便番号の意)」が付与されている<ref name="Ainger1997">{{cite journal | vauthors = Ainger K, Avossa D, Diana AS, Barry C, Barbarese E, Carson JH | title = Transport and localization elements in myelin basic protein mRNA | journal = The Journal of Cell Biology | volume = 138 | issue = 5 | pages = 1077–1087 | date = September 1997 | pmid = 9281585 | pmc = 2136761 | doi = 10.1083/jcb.138.5.1077 }}</ref>。mRNAは、[[細胞膜ナノチューブ]](トンネルナノチューブ)と呼ばれる構造体を通じて、[[哺乳動物]]細胞間でも移動することができる<ref>{{cite journal | vauthors = Haimovich G, Ecker CM, Dunagin MC, Eggan E, Raj A, Gerst JE, Singer RH | title = Intercellular mRNA trafficking via membrane nanotube-like extensions in mammalian cells | journal = Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America | volume = 114 | issue = 46 | pages = E9873–E9882 | date = November 2017 | pmid = 29078295 | pmc = 5699038 | doi = 10.1073/pnas.1706365114 | doi-access = free }}</ref><ref>{{Cite journal | vauthors = Haimovich G, Dasgupta S, Gerst JE |title=RNA transfer through tunneling nanotubes | journal = Biochemical Society Transactions | date = February 2021| volume = 49 | issue = 1 | pages = 145–160 |url=https://portlandpress.com/biochemsoctrans/article-abstract/49/1/145/227426/RNA-transfer-through-tunneling-nanotubes |doi=10.1042/BST20200113|pmid=33367488 |s2cid=229689880 }}</ref>。 === 翻訳 === {{main|翻訳 (生物学)|真核生物の翻訳}} [[File:Peptide syn.svg|thumb|mRNAからタンパク質への翻訳を示す模式図。[[リボソーム]] (緑)は、一連の'''伝令RNA''' (Messanger RNA) (黄緑)と、[[転移RNA]] (TRNA) (黄) に結びついた[[アミノ酸]] (赤丸) から所定の[[タンパク質]] (赤丸の連鎖) を組み立てる。]] 原核生物のmRNAは、プロセシングや輸送を必要としないため、転写終了後すぐに[[リボソーム]]により翻訳を開始することができる。したがって、原核生物における翻訳は転写と共役しており、共転写的に行われていると言える。 真核生物のmRNAは、プロセシングされて細胞質に輸送された後(すなわち成熟mRNA)、リボソームによって翻訳することができる。翻訳は、細胞質内を自由に浮遊しているリボソームで起こる場合と、[[シグナル認識粒子]]によって誘導されて、[[小胞体]]に結合したリボソームで起こる場合がある。したがって、原核生物とは異なり、真核生物における翻訳は転写と直接的に結びついていない。[[乳癌]](がん)で監視される{{Ill2|真核生物翻訳伸長因子1α1|en|Eukaryotic translation elongation factor 1 alpha 1|label=EEF1A1}}のmRNA/タンパク質レベルのように、mRNAレベルの低下がタンパク質レベルの上昇を伴うこともある<ref name="Lin2018">{{cite journal | vauthors = Lin CY, Beattie A, Baradaran B, Dray E, Duijf PH | title = Contradictory mRNA and protein misexpression of EEF1A1 in ductal breast carcinoma due to cell cycle regulation and cellular stress | journal = Scientific Reports | volume = 8 | issue = 1 | pages = 13904 | date = September 2018 | pmid = 30224719 | pmc = 6141510 | doi = 10.1038/s41598-018-32272-x | bibcode = 2018NatSR...813904L }}</ref>{{Primary source inline|date=June 2021}}。 == {{Anchors|Structure}}構造 == [[File:MRNA structure.svg|thumb|700px|center|成熟した真核生物のmRNAの構造。完全にプロセシングされたmRNAは、(左から右へ) [[5'キャップ]]、[[5' UTR]]、[[コーディング領域]]、[[3' UTR]]、および[[ポリ(A)テール]]から構成される。]] === コーディング領域 === {{main|コーディング領域}} [[コーディング領域]](''coding regions'')は[[コドン]](遺伝暗号ともいう)で構成され、リボソームによって解読され、さらにタンパク質へ翻訳される。これは、真核生物では通常1つなのに対し、原核生物では通常複数である。コーディング領域は、[[開始コドン]]で始まり、[[終止コドン]]で終わる。一般に、開始コドンはAUGトリプレットで、終止コドンはUAG(アンバー)、UAA(オーカー)、またはUGA(オパール)である。コーディング領域は内部の塩基対によって安定化する傾向があり、これが分解を妨げている<ref>{{cite journal | vauthors = Shabalina SA, Ogurtsov AY, Spiridonov NA | title = A periodic pattern of mRNA secondary structure created by the genetic code | journal = Nucleic Acids Research | volume = 34 | issue = 8 | pages = 2428–2437 | year = 2006 | pmid = 16682450 | pmc = 1458515 | doi = 10.1093/nar/gkl287 }}</ref><ref>{{cite journal | vauthors = Katz L, Burge CB | title = Widespread selection for local RNA secondary structure in coding regions of bacterial genes | journal = Genome Research | volume = 13 | issue = 9 | pages = 2042–2051 | date = September 2003 | pmid = 12952875 | pmc = 403678 | doi = 10.1101/gr.1257503 }}</ref>。コーディング領域は、タンパク質を[[遺伝暗号|コードする]]ことに加え、その一部は{{Ill2|エクソン性スプライシングエンハンサー|en|Exonic splicing enhancer}}または{{Ill2|エクソン性スプライシングサイレンサー|en|Exonic splicing silencer}}として、[[pre-mRNA]]中の{{Ill2|制御配列|en|Regulatory sequence}}として機能することがある。 === 非翻訳領域 === {{main|非翻訳領域|エクソン}} [[File:Fbioe-09-718753-g002.jpg|thumb|真核生物mRNAにおける5' 非翻訳領域 (5' UTR) および3' 非翻訳領域 (3' UTR) の一般的な構造を示す。]] [[非翻訳領域]](''untranslated regions''、UTR)は、mRNAのうち、開始コドンの前および停止コドンの後で翻訳されない領域のことで、それぞれ[[5' 非翻訳領域]](5' UTR)と[[3' 非翻訳領域]](3' UTR)と呼ばれる。これらの領域はコーディング領域と一緒に転写されるため、成熟mRNA中にそのまま存在することから[[エクソン|エクソン性]](''exonic'')という。[[遺伝子発現]]に関わる非翻訳領域のいくつかの役割は、mRNAの安定性、mRNAの局在化、{{Ill2|翻訳効率|en|Translational efficiency|label=翻訳効率}}へ起因するとされている。UTRがこれらの機能を果たすかどうかはUTRの配列に依存し、mRNAの種類によって異なる可能性がある。また、3' UTRの遺伝子変異は、RNAの構造やタンパク質への翻訳を変化させるため、疾患感受性にも関与すると考えられている<ref>{{cite journal | vauthors = Lu YF, Mauger DM, Goldstein DB, Urban TJ, Weeks KM, Bradrick SS | title = IFNL3 mRNA structure is remodeled by a functional non-coding polymorphism associated with hepatitis C virus clearance | journal = Scientific Reports | volume = 5 | pages = 16037 | date = November 2015 | pmid = 26531896 | pmc = 4631997 | doi = 10.1038/srep16037 | bibcode = 2015NatSR...516037L }}</ref>。 mRNAの安定性は、[[リボヌクレアーゼ]]というRNA分解酵素や、RNA分解を促進または阻害する補助タンパク質に対する親和性が異なるため、5' UTRおよび(または)3' UTRによって制御されている可能性がある ({{ill2|Cリッチ安定化配列|en|C-rich stability element}}も参照)。 翻訳効率は、時には翻訳を完全に阻害することも含め、UTRによって制御することができる。3' UTRまたは5' UTRに結合するタンパク質は、リボソームがmRNAに結合する能力に働きかけることで、翻訳に影響を及ぼす可能性がある。また、3' UTRに結合した[[マイクロRNA]](miRNA)も、翻訳効率やmRNAの安定性に影響を及ぼす可能性がある。 mRNAの細胞質局在性は、3' UTRの機能であると考えられている。細胞内の特定の領域で必要とされるタンパク質は、その場所で翻訳されることもある。このような場合、3' UTRには、転写産物を翻訳するためにこの領域に局在化させる配列が含まれている可能性がある。 非翻訳領域に含まれる配列<!-- elements -->の中には、RNAに転写されると特徴的な[[二次構造]]を形成するものがある。これらの構造的なmRNA配列は、mRNAの調節に関与している。{{Ill2|SECIS配列|en|SECIS element}}のようにタンパク質が結合する標的となるものもある。mRNA配列の一種である[[リボスイッチ]]は、[[小分子]]と直接結合してその折りたたみを変化させて転写や翻訳のレベルを変更する。こうした場合、mRNAはそれ自身を制御している。 === {{Anchors|Poly(A) tail}}ポリ(A)テール === {{main|ポリアデニル化}} 3'ポリ(A)テール(''3' poly(A) tail'')は、pre-mRNAの3'末端に付加された[[アデニン]]ヌクレオチドの長い配列である(配列長は数100個が多い)。このテール(尾部)は、細胞核からの輸送と翻訳を促進するとともに、mRNAを分解から保護する役割を持つ。 === モノシストロン型とポリシストロン型の違い === {{see also|{{ill2|シストロン (遺伝学)|en|Cistron}}}} mRNA分子が、単一の[[タンパク質構造|タンパク質鎖]](ポリペプチド)のみを[[翻訳 (生物学)|翻訳]]するための遺伝情報を含む場合、モノシストロン型(''monocistronic mRNA'')であるという。ほとんどの[[真核生物]]のmRNAはこのようなケースである<ref name="Kozak_1983">{{cite journal | vauthors = Kozak M | title = Comparison of initiation of protein synthesis in procaryotes, eucaryotes, and organelles | journal = Microbiological Reviews | volume = 47 | issue = 1 | pages = 1–45 | date = March 1983 | pmid = 6343825 | pmc = 281560 | doi = 10.1128/MMBR.47.1.1-45.1983}}</ref><ref>{{cite journal | vauthors = Niehrs C, Pollet N | title = Synexpression groups in eukaryotes | journal = Nature | volume = 402 | issue = 6761 | pages = 483–487 | date = December 1999 | pmid = 10591207 | doi = 10.1038/990025 | bibcode = 1999Natur.402..483N | s2cid = 4349134 }}</ref>。一方、ポリシストロン型(''polycistronic mRNA'')mRNAは、複数の[[オープンリーディングフレーム|オープン・リーディング・フレーム]](ORF)を持ち、それぞれがポリペプチドに翻訳される。これらのポリペプチドは通常、関連する機能を持ち(多くは最終的な複合タンパク質を構成するサブユニット)、それらのコード配列(''coding sequence''、CDS)は[[プロモーター]]と[[オペレーター (生物学)|オペレーター]]を含む制御領域にまとめられて全体として制御される。[[細菌]]や[[古細菌]]に見られるmRNAのほとんどはポリシストロン型で、ヒトの[[ミトコンドリア]]・[[ゲノム]]も同様である<ref name="Kozak_1983" />。ジシストロン型(''dicistronic'')またはバイシストロン型(''bicistronic'')のmRNAは、2つの[[タンパク質]]のみをコードしている<ref name="MercerNeph2011">{{cite journal | vauthors = Mercer TR, Neph S, Dinger ME, Crawford J, Smith MA, Shearwood AM, Haugen E, Bracken CP, Rackham O, Stamatoyannopoulos JA, Filipovska A, Mattick JS |author-link10=John Stamatoyannopoulos | title = The human mitochondrial transcriptome | journal = Cell | volume = 146 | issue = 4 | pages = 645–658 | date = August 2011 | pmid = 21854988 | pmc = 3160626 | doi = 10.1016/j.cell.2011.06.051 }}</ref>。 === mRNAの環状化 === [[File:Fgene-10-00006-g001.jpg|thumb|mRNAの環状化と調節。(詳細は[[:ファイル:Fgene-10-00006-g001.jpg|画像の概要]]を参照)]] 真核生物では、[[eIF4E]]と[[ポリ(A)結合タンパク質]](PABP)が相互作用し、両者が足場タンパク質の{{Ill2|eIF4G|en|eIF4G}}に結合してmRNA-タンパク質-mRNAの橋渡しをすることで、mRNA分子は環状構造を形成する<ref>{{cite journal | vauthors = Wells SE, Hillner PE, Vale RD, Sachs AB | title = Circularization of mRNA by eukaryotic translation initiation factors | journal = Molecular Cell | volume = 2 | issue = 1 | pages = 135–140 | date = July 1998 | pmid = 9702200 | doi = 10.1016/S1097-2765(00)80122-7 | citeseerx = 10.1.1.320.5704 }}</ref>。環状化は、mRNA上のリボソームの循環を促進し、時間効率のよい翻訳をもたらすと考えられており、また、無傷のmRNAのみを翻訳するように機能する可能性もある(部分的に分解したmRNAは、m<sup>7</sup>Gキャップやポリ(A)テールの欠失を特徴とする)<ref>{{cite journal | vauthors = López-Lastra M, Rivas A, Barría MI | title = Protein synthesis in eukaryotes: the growing biological relevance of cap-independent translation initiation | journal = Biological Research | volume = 38 | issue = 2–3 | pages = 121–146 | year = 2005 | pmid = 16238092 | doi = 10.4067/S0716-97602005000200003 | doi-access = free }}</ref>。 この他に、特にウイルスmRNAで、環状化の機構が知られている。[[ポリオウイルス]]のmRNAは、その5'末端方向のクローバーリーフ部分を利用してヒトタンパク質{{Ill2|PCBP2|en|PCBP2}}と結合し、PCBP2はポリ(A)結合タンパク質と結合して、よく知られたmRNA-タンパク質-mRNAの輪を形成する。{{Ill2|オオムギ黄化萎縮病|en|Barley yellow dwarf|label=オオムギ黄化萎縮ウイルス}}は、5'末端と3'末端のmRNAセグメント間で結合し({{Ill2|キッシングステムループ|en|Kissing stem-loop}}と呼ばれる)、タンパク質を介さずにmRNAを環状化する。 RNAウイルスゲノム(その+鎖がmRNAとして翻訳される)も一般に環状化している{{Citation needed|date=October 2012}}。ゲノム複製の際、環状化はゲノム複製速度を高めるように作用し、リボソームが循環している仮説とほぼ同様に、ウイルス[[RNA依存性RNAポリメラーゼ]]を循環させる。 == {{Anchors|Degradation}}分解 == 同じ細胞内でも、mRNAの寿命(安定性)はそれぞれ異なる。[[細菌]]細胞では、個々のmRNAは数秒から1時間以上生存することができる。しかしその寿命は平均して1-3分であり、細菌のmRNAは真核生物のmRNAよりもはるかに安定性が低い<ref>{{Cite book|title=Lewin's genes X|date=2011|publisher=Jones and Bartlett| veditors = Lewin B, Krebs JE, Kilpatrick ST, Goldstein ES |editor-link1=Benjamin Lewin |isbn=9780763766320|edition=10th|location=Sudbury, Mass.|oclc=456641931|url-access=registration|url=https://archive.org/details/lewinsgenesx0000unse}}</ref>。哺乳動物細胞では、mRNAの寿命は数分から数日にまで及ぶ<ref>{{cite journal | vauthors = Yu J, Russell JE | title = Structural and functional analysis of an mRNP complex that mediates the high stability of human beta-globin mRNA | journal = Molecular and Cellular Biology | volume = 21 | issue = 17 | pages = 5879–5888 | date = September 2001 | pmid = 11486027 | pmc = 87307 | doi = 10.1128/mcb.21.17.5879-5888.2001 }}</ref>。mRNAの安定性が高いほどそのmRNAからより多くのタンパク質が生成される可能性がある。mRNAの寿命が限られているので、細胞は変化する需要に応じてタンパク質合成を速やかに変更することができる。mRNAの破壊をもたらす多くの機構があり、そのいくつかを次に説明する。 === 原核生物のmRNA分解 === [[File:1-s2.0-S1874939913000436-gr1 lrg.jpg|thumb|さまざまな生命ドメインにおけるRNA分解経路の概要。グラム陰性の大腸菌とグラム陽性の枯草菌 (それぞれ左上と右上) に代表される2つの主要な細菌系統では、経路は類似しているが、酵素は異なっている。グラム陰性とグラム陽性の両方で、エンドリボヌクレアーゼは基質を繰り返し切断することができ、生成物はエキソリボヌクレアーゼによって攻撃される。比較のため、真核生物の分解経路を示す (右上)。]] 一般的に、原核生物では、真核生物よりもmRNAの寿命がはるかに短い。原核生物は、[[エンドヌクレアーゼ]]、3'[[エキソヌクレアーゼ]]、および5'エキソヌクレアーゼを含むリボヌクレアーゼの組み合わせて、メッセージ(mRNAの意)を分解する。また、数十から数百ヌクレオチド長の{{Ill2|小型RNA|en|Small RNA}}(sRNA)が相補的な配列と塩基対を形成し、{{Ill2|リボヌクレアーゼIII|en|Ribonuclease III|label=RNase III}}によるリボヌクレアーゼ切断を促進することによって、特定のmRNAの分解を促す場合がある。最近、細菌も5'末端に三リン酸からなる一種の5'キャップを持っていることが明らかになった<ref name="Deana2008">{{cite journal | vauthors = Deana A, Celesnik H, Belasco JG | title = The bacterial enzyme RppH triggers messenger RNA degradation by 5' pyrophosphate removal | journal = Nature | volume = 451 | issue = 7176 | pages = 355–358 | date = January 2008 | pmid = 18202662 | doi = 10.1038/nature06475 | bibcode = 2008Natur.451..355D | s2cid = 4321451 }}</ref>。このリン酸を2つ除去すると5'-リン酸が残り、5'を3'に分解するエキソヌクレアーゼRNase Jによってメッセージが破壊される。 === 真核生物のmRNAターンオーバー === 真核細胞内では、[[翻訳 (生物学)|翻訳]]とmRNA分解のプロセス間で[[ターンオーバー (生物)|釣り合いが保たれている]]。活発に翻訳されているメッセージは、[[リボソーム]]、{{Ill2|真核生物翻訳開始因子|en|Eukaryotic initiation factor}}[[eIF4E]]および{{Ill2|EIF4G|en|EIF4G|label=eIF4G}}、[[ポリ(A)結合タンパク質]]によって結合されている。eIF4EとeIF4Gはデキャッピング酵素({{Ill2|DCP2|en|DCP2}})を阻害し、ポリ(A)結合タンパク質は[[エキソソーム複合体]]を阻害して、メッセージの末端を保護する。翻訳と分解の釣り合いは、{{Ill2|Pボディ|en|P-bodies}}(''P-bodies'')という細胞質構造の大きさと存在量に反映される<ref name="Parker2007">{{cite journal | vauthors = Parker R, Sheth U | title = P bodies and the control of mRNA translation and degradation | journal = Molecular Cell | volume = 25 | issue = 5 | pages = 635–646 | date = March 2007 | pmid = 17349952 | doi = 10.1016/j.molcel.2007.02.011 | doi-access = free }}</ref>。mRNAの[[ポリアデニル化|ポリ(A)テール]]は、RNA上のシス制御配列とトランス作用性RNA結合タンパク質の組み合わせによって、特定のメッセンジャーRNAを標的とする特殊なエキソヌクレアーゼによって短縮される。ポリ(A)テールの除去は、メッセージの環状構造を破壊し、{{Ill2|キャップ結合複合体|en|Cap binding complex}}を不安定化すると考えられている。その後、メッセージはエキソソーム複合体または{{Ill2|デキャッピング複合体|en|Decapping complex}}のいずれかによって分解される。このようにして、翻訳的に不活性なメッセージを速やかに破壊し、活性なメッセージを無傷のまま残すことができる。翻訳を停止してメッセージが崩壊複合体に渡される機構は詳しくは分かっていない。 === AUリッチエレメント分解 === 一部の哺乳類では、mRNA中に{{Ill2|AUリッチエレメント|en|AU-rich element}}(ARE)が存在すると、この配列に結合して[[ポリ(A)テール]]の除去を促す細胞タンパク質の作用によって、これらの転写産物を不安定化する傾向がある。ポリ(A)テールの欠失は、[[エキソソーム複合体]]<ref name="Chen2001">{{cite journal | vauthors = Chen CY, Gherzi R, Ong SE, Chan EL, Raijmakers R, Pruijn GJ, Stoecklin G, Moroni C, Mann M, Karin M | title = AU binding proteins recruit the exosome to degrade ARE-containing mRNAs | journal = Cell | volume = 107 | issue = 4 | pages = 451–464 | date = November 2001 | pmid = 11719186 | doi = 10.1016/S0092-8674(01)00578-5 | s2cid = 14817671 | doi-access = free }}</ref>と{{Ill2|デキャッピング複合体|en|Decapping complex}}<ref>{{cite journal | vauthors = Fenger-Grøn M, Fillman C, Norrild B, Lykke-Andersen J | title = Multiple processing body factors and the ARE binding protein TTP activate mRNA decapping | journal = Molecular Cell | volume = 20 | issue = 6 | pages = 905–915 | date = December 2005 | pmid = 16364915 | doi = 10.1016/j.molcel.2005.10.031 | doi-access = free }}</ref>の両方による攻撃を促進することにより、mRNAの分解を促進すると考えられている。AUリッチエレメントを介した速やかなmRNA分解は、[[腫瘍壊死因子]](TNF)や[[顆粒球マクロファージコロニー刺激因子]](GM-CSF)のような強力な[[サイトカイン]]の過剰産生を防ぐための重要な機構である<ref name="Shaw1986">{{cite journal | vauthors = Shaw G, Kamen R | title = A conserved AU sequence from the 3' untranslated region of GM-CSF mRNA mediates selective mRNA degradation | journal = Cell | volume = 46 | issue = 5 | pages = 659–667 | date = August 1986 | pmid = 3488815 | doi = 10.1016/0092-8674(86)90341-7 | s2cid = 40332253 }}</ref>。また、AUリッチエレメントは、{{Ill2|Transcription factor Jun|en|Transcription factor Jun|label=c-Jun}}や[[c-Fos]]などの発がん性転写因子の生合成も調節する<ref name="Chen1995">{{cite journal | vauthors = Chen CY, Shyu AB | title = AU-rich elements: characterization and importance in mRNA degradation | journal = Trends in Biochemical Sciences | volume = 20 | issue = 11 | pages = 465–470 | date = November 1995 | pmid = 8578590 | doi = 10.1016/S0968-0004(00)89102-1 }}</ref>。 === ナンセンス変異依存mRNA分解機構 === {{main|ナンセンス変異依存mRNA分解機構}} 真核生物のメッセージは、メッセージ中の中途での終止コドン([[ナンセンスコドン]])の存在をチェックする[[ナンセンス変異依存mRNA分解機構]](NMD)による監視を受けている。ナンセンスコドンは、不完全なスプライシング、[[適応免疫系]]における[[V(D)J遺伝子再構成]]、DNAの[[遺伝的変異|変異]]、転写エラー、{{Ill2|リボソームフレームシフト|en|Ribosomal frameshift|label=フレームシフト}}を引き起こすリボソームによる{{Ill2|漏出スキャン|en|Leaky scanning}}、およびその他の原因によって発生する可能性がある。中途での終止コドンが検出されると、5'キャップ除去、3'[[ポリ(A)]]テール除去、または[[エンドヌクレアーゼ|ヌクレオチド鎖切断]]による分解を引き起こす<ref name="Isken2007">{{cite journal | vauthors = Isken O, Maquat LE | title = Quality control of eukaryotic mRNA: safeguarding cells from abnormal mRNA function | journal = Genes & Development | volume = 21 | issue = 15 | pages = 1833–1856 | date = August 2007 | pmid = 17671086 | doi = 10.1101/gad.1566807 | doi-access = free }}</ref>。 === 低分子干渉RNA (siRNA) === {{main|siRNA}} [[動物|後生動物]]では、酵素である[[Dicer]]によって処理された[[低分子干渉RNA]](siRNA)は、[[RNA誘導サイレンシング複合体]]またはRISC(RNA-induced silencing complex)として知られる複合体に取り込まれる。この複合は[[エンドヌクレアーゼ]]を含んでおり、siRNAが結合する完全に相補的なメッセージを切断する。その結果として生じたmRNA断片は、[[エキソヌクレアーゼ]]によって破壊される。siRNAは、細胞培養において遺伝子の機能を阻害するために、実験室で一般的に使用されている。これは[[二本鎖RNAウイルス]]に対する防御としての[[自然免疫系]]の一部であると考えられている<ref name="Obbard2009">{{cite journal | vauthors = Obbard DJ, Gordon KH, Buck AH, Jiggins FM | title = The evolution of RNAi as a defence against viruses and transposable elements | journal = Philosophical Transactions of the Royal Society of London. Series B, Biological Sciences | volume = 364 | issue = 1513 | pages = 99–115 | date = January 2009 | pmid = 18926973 | pmc = 2592633 | doi = 10.1098/rstb.2008.0168 }}</ref>。 === マイクロRNA (miRNA) === {{main|マイクロRNA}} [[マイクロRNA]](miRNA)は、通常、後生動物のメッセンジャーRNAと部分相補的な配列を持つ小型RNAである<ref>Robert E. Farrell, Jr. RNA Methodologies, 5th Edition. Academic Press, 2017</ref><ref>{{cite journal | vauthors = Brennecke J, Stark A, Russell RB, Cohen SM | title = Principles of microRNA-target recognition | journal = PLOS Biology | volume = 3 | issue = 3 | pages = e85 | date = March 2005 | pmid = 15723116 | pmc = 1043860 | doi = 10.1371/journal.pbio.0030085 }}</ref>。miRNAがメッセージに結合すると、そのメッセージの翻訳は抑制されまたポリ(A)テールの除去が促進されるため、mRNAの分解は早められる。miRNAの作用機序は活発な研究対象となっている<ref>Tasuku Honjo, Michael Reth, Andreas Radbruch, Frederick Alt. Molecular Biology of B Cells, 2nd Edition. Academic Press, 2014 (including "updated research on microRNAs")</ref><ref name="Eulalio2009">{{cite journal | vauthors = Eulalio A, Huntzinger E, Nishihara T, Rehwinkel J, Fauser M, Izaurralde E | title = Deadenylation is a widespread effect of miRNA regulation | journal = RNA | volume = 15 | issue = 1 | pages = 21–32 | date = January 2009 | pmid = 19029310 | pmc = 2612776 | doi = 10.1261/rna.1399509 }}</ref>。 === その他の分解機構 === メッセージが分解される機構は他にも、{{Ill2|ノンストップ分解|en|Non-stop decay}}(''non-stop decay''、NSD)や、{{Ill2|Piwi結合RNA|en|Piwi-interacting RNA}}(''Piwi-interacting RNA''、piRNA)による[[サイレンシング]]など、さまざまなものがある。 == {{Anchors|Applications}}応用例 == {{see also|RNAワクチン|RNA治療}} [[ヌクレオシド修飾メッセンジャーRNA]](modRNA)配列を投与することで、細胞にタンパク質を作らせることができ、直接的にはそのタンパク質が病気を治療したり、[[ワクチン]]として機能する可能性がある。より間接的には、このタンパク質が[[内在性]][[幹細胞]]を望ましい方法で分化させる可能性がある<ref name="NatRevMat">{{cite journal| vauthors = Hajj KA, Whitehead KA |title=Tools for translation: non-viral materials for therapeutic mRNA delivery|journal=Nature Reviews Materials|date=12 September 2017|volume=2|issue=10|pages=17056|doi=10.1038/natrevmats.2017.56|bibcode=2017NatRM...217056H|doi-access=free}}</ref><ref name="GEN">{{cite news| vauthors = Gousseinov E, Kozlov M, Scanlan C |title=RNA-Based Therapeutics and Vaccines|url=https://www.genengnews.com/gen-exclusives/rna-based-therapeutics-and-vaccines/77900520|work=Genetic Engineering News|date=September 15, 2015}}</ref>。 RNA治療の主な課題は、RNAを適切な細胞に送達することにある<ref name="genemed">{{cite journal|vauthors=Kaczmarek JC, Kowalski PS, Anderson DG|date=June 2017|title=Advances in the delivery of RNA therapeutics: from concept to clinical reality|journal=Genome Medicine|volume=9|issue=1|pages=60|doi=10.1186/s13073-017-0450-0|pmc=5485616|pmid=28655327}}</ref>。課題にはさらに、裸のRNA配列が調剤後に自然に分解されること、身体の[[免疫系]]がRNAを侵入者として攻撃する可能性があること、細胞膜を[[半透膜|通過]]しないことといった事実も含まれる<ref name="GEN" />。RNAが細胞内に入った後、必要な[[リボソーム]]がある[[細胞質]]で活動するためには、細胞の輸送機構を離れなくてはならない<ref name="NatRevMat" />。 これらの課題を克服し、1989年に『広く適用可能な''[[in vitro]]''[[トランスフェクション|トランスフェクション技術]]が開発された後』<ref>{{cite journal | vauthors = Schlake T, Thess A, Fotin-Mleczek M, Kallen KJ | title = Developing mRNA-vaccine technologies | journal = RNA Biology | volume = 9 | issue = 11 | pages = 1319–30 | date = November 2012 | pmid = 23064118 | pmc = 3597572 | doi = 10.4161/rna.22269 }}</ref>、治療薬としてのmRNAが初めて提唱された。1990年代に、非ヌクレオシド修飾mRNA<!-- non-nucleoside modified mRNA -->に依存した、{{Ill2|個別化がん免疫療法|en|Individualized cancer immunotherapy|label=個別化がん}}に対するmRNAワクチンが開発された。mRNAを用いた治療法は、がんだけでなく、[[自己免疫疾患]]、[[代謝疾患|代謝性疾患]]、および呼吸器炎症性疾患に対する治療法と処置法の両面で研究が続けられている。{{Ill2|CRISPR遺伝子編集|en|CRISPR gene editing|label=CRISPR}}のような[[遺伝子治療|遺伝子編集療法]]も、目的の[[Cas9|Cas]]タンパク質を作るよう細胞を誘導するためにmRNAを使用することで、有益となる可能性がある<ref>{{Cite web| vauthors = Haridi R |date=2021-04-23|title=The mRNA revolution: How COVID-19 hit fast-forward on an experimental technology|url=https://newatlas.com/science/mrna-revolution-vaccine-covid-therapy-pandemic-future-cancer/|url-status=live|access-date=2021-04-26|website=New Atlas|language=en-US}}</ref>。 2010年代以降、RNAワクチンやその他のRNA治療薬は「新しいクラスの医薬品」と見なされている<ref>{{Citation|title=mRNA-based therapeutics–developing a new class of drugs.|date=2014|work=[[:en:Nature Reviews Drug Discovery|Nature Reviews Drug Discovery]]|volume=13|issue=10|pages=759–780|language=en|pmid=25150148|vauthors=Kowalska J, Wypijewska del Nogal A, Darzynkiewicz ZM, Buck J, Nicola C, Kuhn AN, Lukaszewicz M, Zuberek J, Strenkowska M, Ziemniak M, Maciejczyk M, Bojarska E, Rhoads RE, Darzynkiewicz E, Sahin U, Jemielity J |doi=10.1093/nar/gku757 |doi-access=free |pmc=4176373}}</ref>。最初のmRNAに基づくワクチンは制限付き承認を受け、[[COVID-19パンデミック]]の間に、たとえば[[ファイザー - バイオンテック COVID-19 ワクチン|ファイザー - バイオンテック]]や[[モデルナCOVID-19ワクチン|モデルナ]]による[[COVID-19ワクチン]]が世界中で展開された<ref name="pmid35534554">{{cite journal | vauthors = Barbier AJ, Jiang AY, Zhang P, Wooster R, Anderson DG | title = The clinical progress of mRNA vaccines and immunotherapies | journal = Nature Biotechnology | volume = 40 | issue = 6 | pages = 840–854 | date = June 2022 | pmid = 35534554 | doi = 10.1038/s41587-022-01294-2 | s2cid = 248667843 }}</ref>。 == {{Anchors|History}}歴史 == 1950年代初頭から、分子生物学の研究によって、タンパク質合成の際にRNAに関連する分子が存在することが示唆された。たとえば、最も古い報告の1つで、[[ジャック・モノー]]と彼のチームは、RNA合成がタンパク質合成に必要であることを示し、特に細菌の[[大腸菌]]で酵素である[[Β-ガラクトシダーゼ|βガラクトシダーゼ]]を産生する時に必要なことを示した<ref>{{Cite journal | vauthors = Monod J, Pappenheimer AM, Cohen-Bazire G |date=1952 |title=La cinétique de la biosynthèse de la β-galactosidase chez E. coli considérée comme fonction de la croissance |journal=Biochimica et Biophysica Acta |language=fr |volume=9 |issue=6 |pages=648–660 |doi=10.1016/0006-3002(52)90227-8|pmid=13032175 }}</ref>。また、1954年に{{Ill2|アーサー・パーディー|en|Arthur Pardee}}も同様のRNA蓄積を発見した<ref>{{cite journal | vauthors = Pardee AB | title = Nucleic Acid Precursors and Protein Synthesis | journal = Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America | volume = 40 | issue = 5 | pages = 263–270 | date = May 1954 | pmid = 16589470 | pmc = 534118 | doi = 10.1073/pnas.40.5.263 | bibcode = 1954PNAS...40..263P | doi-access = free }}</ref>。1953年、[[アルフレッド・ハーシー]]、[[ジューン・ディクソン]]<!-- June Dixon -->、[[マーサ・チェイス]]は、大腸菌内で合成後すぐに消失する特定のシトシン含有DNA(RNAであることを示す)について報告した<ref>{{cite journal | vauthors = Hershey AD, Dixon J, Chase M | title = Nucleic acid economy in bacteria infected with bacteriophage T2. I. Purine and pyrimidine composition | journal = The Journal of General Physiology | volume = 36 | issue = 6 | pages = 777–789 | date = July 1953 | pmid = 13069681 | pmc = 2147416 | doi = 10.1085/jgp.36.6.777 }}</ref>。これは、mRNAの存在を示す最初の記録であったが、mRNAとしては特定されなかった<ref name="Cobb" />。 mRNAのアイディアは、1960年4月15日、ケンブリッジの[[キングス・カレッジ (ケンブリッジ大学)|キングス・カレッジ]]で、[[シドニー・ブレナー]]とフランシス・クリックによって最初に着想され、[[フランソワ・ジャコブ]]が、アーサー・パーディー、ジャコブ、そしてモノーが最近行った実験について話しをしているときだった。クリックの励ましを受け、ブレナーとジャコブはすぐにこの新しい仮説の検証に着手し、[[カリフォルニア工科大学]]の[[マシュー・メセルソン]]に連絡を取った。1960年の夏、ブレナー、ジャコブ、メセルソンの3人は、カリフォルニア工科大学のメセルソンの研究室で実験を行い、mRNAの存在を証明した。その年の秋に、ジャコブとモノーは「''メッセンジャーRNA''(''messenger RNA'')」と命名し、その機能を説明する最初の理論的枠組みを構築した<ref name="Cobb">{{cite journal |author-link1=Matthew Cobb |vauthors=Cobb M |date=29 June 2015 |title=Who discovered messenger RNA? |journal=Current Biology |volume=25 |issue=13 |pages=R526–R532 |doi=10.1016/j.cub.2015.05.032 |pmid=26126273 |doi-access=free}}</ref>。 1961年2月、[[ジェームズ・ワトソン]]は、自身の研究グループが彼らのすぐ後を、ほぼ同じ方向で同様の実験を行っていることを明らかにした。ブレナーと他の人たちは、彼らの研究知見の論文発表を遅らせるというワトソンからの要請に同意した。その結果、1961年5月の『[[ネイチャー]]』誌にブレナーとワトソンの論文が同時に掲載され、同じ月の『{{Ill2|ジャーナル・オブ・モレキュラー・バイオロジー|en|Journal of Molecular Biology}}(''Journal of Molecular Biology'')』誌にジャコブとモノーはmRNAの理論的枠組みを発表した<ref>F. Jacob, J. Monod "Genetic regulatory mechanisms in the synthesis of proteins". Journal of Molecular Biology, 3 (1961), pp. 318-356.</ref><ref name="Cobb" />。 == 関連項目 == {{Commonscat|mRNA}} * [[リボ核酸]](RNA) * [[タンパク質生合成]] - 細胞内でタンパク質を生成する過程 * [[転写 (生物学)]] - DNA上の遺伝情報をRNAにコピーする過程 * [[翻訳 (生物学)]] - mRNAに転写された遺伝情報に基づいてタンパク質を合成する過程 * [[リボソーム]] - 細胞内で生体タンパク質の合成(mRNAの翻訳)を行う高分子 * {{Ill2|ミスセンスmRNA|en|Missense mRNA}} - 変異したコドンを持つメッセンジャーRNA * [[ノンコーディングRNA]] - タンパク質へ翻訳されないRNA分子 * {{Ill2|mRNA監視機構|en|mRNA surveillance}} - 生物がmRNA分子の忠実度と品質を確保するための仕組み * [[トランスクリプトーム]] - 個体または細胞集団に存在するすべてのRNA転写産物の集まり * [[RNAワクチン]] - メッセンジャーRNA (mRNA) 分子のコピーを用いて免疫応答を引き起こすワクチンの一種 * [[RNA治療]] - リボ核酸(RNA)に基づく薬物の一群と、それによる治療法 * [[H-Invitational Database]] - ヒトnRNA配列の情報注釈データベース == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} === 推薦文献 === {{refbegin}} * {{cite journal | vauthors = Alsaweed M, Lai CT, Hartmann PE, Geddes DT, Kakulas F | title = Human milk miRNAs primarily originate from the mammary gland resulting in unique miRNA profiles of fractionated milk | journal = Scientific Reports | volume = 6 | issue = 1 | pages = 20680 | date = February 2016 | pmid = 26854194 | pmc = 4745068 | doi = 10.1038/srep20680 | bibcode = 2016NatSR...620680A }} * {{cite journal | vauthors = Lillycrop KA, Burdge GC | title = Epigenetic mechanisms linking early nutrition to long term health | journal = Best Practice & Research. Clinical Endocrinology & Metabolism | volume = 26 | issue = 5 | pages = 667–676 | date = October 2012 | pmid = 22980048 | doi = 10.1016/j.beem.2012.03.009 }} * {{cite journal | vauthors = Melnik BC, Kakulas F, Geddes DT, Hartmann PE, John SM, Carrera-Bastos P, Cordain L, Schmitz G | title = Milk miRNAs: simple nutrients or systemic functional regulators? | journal = Nutrition & Metabolism | volume = 13 | issue = 1 | pages = 42 | date = 21 June 2016 | pmid = 27330539 | pmc = 4915038 | doi = 10.1186/s12986-016-0101-2 }} * {{cite journal | vauthors = Vickers MH | title = Early life nutrition, epigenetics and programming of later life disease | journal = Nutrients | volume = 6 | issue = 6 | pages = 2165–2178 | date = June 2014 | pmid = 24892374 | pmc = 4073141 | doi = 10.3390/nu6062165 | doi-access = free }} * {{cite journal | vauthors = Zhou Q, Li M, Wang X, Li Q, Wang T, Zhu Q, Zhou X, Wang X, Gao X, Li X | title = Immune-related microRNAs are abundant in breast milk exosomes | journal = International Journal of Biological Sciences | volume = 8 | issue = 1 | pages = 118–123 | date = 2012 | pmid = 22211110 | pmc = 3248653 | doi = 10.7150/ijbs.8.118 }} {{refend}} == 外部リンク == {{scholia}} {{Commons category|MRNA|lcfirst=yes}} * {{脳科学辞典|伝令RNA}} {{核酸}} {{遺伝子発現}} {{DEFAULTSORT:てんれいああるえぬええ}} [[Category:リボ核酸]] [[Category:遺伝子発現]] [[Category:タンパク質生合成]] [[Category:遺伝学]] [[Category:分子遺伝学]] [[Category:スプライセオソーム]] [[Category:RNAスプライシング]] [[Category:ライフサイエンス産業]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E4%BB%A4RNA
6,622
静止衛星
静止衛星()とは、赤道上空の高度約3万5786キロメートルの円軌道(静止軌道)を、地球の自転周期と同じ周期で公転している人工衛星のことを指す。 地球の自転の周期と同じ周期で公転していることから、地上からは、空のある一点に静止しているかのように見える。 可視範囲は緯度81度以下、5度以上の仰角で地上から見えるのは緯度76度以下であり、これ以上の高緯度地域では利用できない。 静止衛星の軌道を静止軌道とよぶ。実際には、地球の重力場が一様ではない事と、太陽輻射圧や月の引力の影響があるため、静止衛星の位置は少しずつずれてゆく。それを補正するために静止衛星は定期的に軌道制御をする必要がある。軌道制御には東西方向の制御と南北方向の制御がある。軌道制御を怠ると、傾斜軌道となる。東西方向には、アジア付近の場合、インド洋方向に力が働いている。 静止衛星の実際の寿命は、概ね燃料搭載量で定まり、寿命末期には静止軌道から、さらに高度が高い墓場軌道に上昇させて廃棄し、静止軌道を空けることが国際条約により定められている。 放置されると約27年周期で軌道傾斜角が15°まで変化する一方、軌道周期は一定に保たれるため、運用中の静止衛星が存在する軌道を日に2回通過することになり、衝突リスクのあるスペースデブリとなる。 放送衛星・通信衛星・気象衛星などに用いられる。 静止軌道上は、静止衛星が世界各国で打ち上げられて同じ軌道上に並ぶ為、人工衛星の過密地帯になっている。以前は衛星ごとに経度2度分の間隔を空けることになっていたが、現在は同一経度に複数の衛星が投入されて運用されるようになっている。軌道投入時には特に注意を要する。 静止衛星の軌道割り当てに関しては国際電気通信連合無線通信部門 (ITU-R) が調整を行うことになっている。二つの国家が同一経度に静止衛星を投入した場合、最初にITU-Rに通報した国家の衛星が優先される。通信衛星の場合、電波干渉の問題が調整できれば、同一軌道にて複数国の衛星が運用されることもありうる。 概念は1928年にヘルマン・ポトチュニク(英語版)によって考案され、SF作家のアーサー・C・クラークによってWireless World(英語版)に1945年発表された事により大衆化された。当初のクラークの構想では巨大な有人宇宙ステーションが3機三角形状に配置されるというものだった(後に、インテルサットやインマルサットが、静止軌道上の数機の衛星で全地表をカバーするという構成をとっている)。 最初の地球同期軌道(軌道傾斜角が0ではなかったので、静止軌道ではない)衛星は、広く“静止衛星の父”として知られる、ハロルド・ローゼン(英語版)が開発した、1963年7月26日ケープカナベラルから打ち上げられたシンコム2であった。 最初の静止衛星は、1964年8月19日、デルタDでケープカナベラルから打ち上げられたシンコム3であった。180度経線付近に位置し、1964年の東京オリンピックのテレビ生放送を行った。 通信衛星の通信容量の増大と軌道修正に従来のヒドラジン系推進器に換わりイオンエンジンの搭載が進み徐々に長寿命化が進みつつある。その為、今後、打ち上げ需要は減少する事が予想される 静止軌道は前述のように過密地帯のため、ほぼ全ての衛星は情報を公開して運用されている。しかし、秘密裏に運用されている衛星(と思われる何か)も確認されており(軌道要素まで非公開にされると物理的に存在しないことになり、後から上げられた衛星が衝突する原因になりかねない)、特異なものを以下で述べる。 美星スペースガードセンターが2002年4月4日、2001年末から2002年にかけて、静止軌道の東経121度付近(インドネシアのスラウェシ島トミニ湾上空。日本付近の緯度では台湾・上海・山東半島・遼東半島が同経度である)に長さ50メートル程の何かがあること、それが制御されて軌道を維持していることなどを観測した、と報告した。物体には同センターの観測天体順番号X00639(X000639とも。表記が一定していない)が付けられている。同センターでは、その大きさについてアメリカのシギント軍事衛星計画にそれらしきものがあり、静止軌道に上げられたこと以外は秘密という軍事衛星があることから、それらの一つである可能性を挙げていた。その後の情報公開などから、メンター、ないしその前任のOrionの可能性が高いとみられている。
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静止衛星とは、赤道上空の高度約3万5786キロメートルの円軌道(静止軌道)を、地球の自転周期と同じ周期で公転している人工衛星のことを指す。
[[ファイル:MTSAT-1.jpg|サムネイル|300ピクセル|[[MTSAT]]]] {{読み仮名|'''静止衛星'''|せいしえいせい}}とは、[[赤道]]上空の高度約3万5786[[キロメートル]]の[[円軌道]]('''[[静止軌道]]''')を、[[地球]]の[[自転]]周期と同じ周期で[[公転]]している[[人工衛星]]のことを指す。 == 概要 == [[ファイル:Geostat.gif|thumb|'''静止軌道''']] === 軌道 === 地球の自転の周期と同じ周期で公転していることから、[[地上]]からは、空のある一点に静止しているかのように見える。 可視範囲は緯度81度以下、5度以上の仰角で地上から見えるのは緯度76度以下であり、これ以上の高緯度地域では利用できない。<ref>{{Cite journal|title=15.極軌道衛星|url=https://www.nict.go.jp/publication/kiho/20/108/Kiho_Vol20_SI_No108_pp361-364.pdf|journal=電波研究所季報}}</ref> 静止衛星の軌道を[[静止軌道]]とよぶ。実際には、地球の[[重力場]]が一様ではない事と、[[太陽]]輻射圧や[[月]]の[[引力]]の影響があるため、静止衛星の位置は少しずつずれてゆく。それを補正するために静止衛星は定期的に軌道制御をする必要がある。軌道制御には東西方向の制御と南北方向の制御がある。軌道制御を怠ると、傾斜軌道となる。東西方向には、アジア付近の場合、インド洋方向に力が働いている。 静止衛星の実際の寿命は、概ね燃料搭載量で定まり、寿命末期には静止軌道から、さらに高度が高い[[墓場軌道]]に上昇させて廃棄し、静止軌道を空けることが国際条約により定められている。 放置されると約27年周期で軌道傾斜角が15°まで変化する一方、軌道周期は一定に保たれるため、運用中の静止衛星が存在する軌道を日に2回通過することになり、衝突リスクのある[[スペースデブリ]]となる。<ref>{{Cite journal|last=Hanada|first=Toshiya|date=2002|title=Consequences of Continued Growth in the GEO and GEO Disposal Orbital Regimes.|url=https://doi.org/10.2322/jjsass.50.48|journal=JOURNAL OF THE JAPAN SOCIETY FOR AERONAUTICAL AND SPACE SCIENCES|volume=50|issue=577|pages=48–55|doi=10.2322/jjsass.50.48|issn=1344-6460}}</ref><!--以前のように、廃棄された衛星が大気圏で燃え尽きたり、地上に落下することは稀有となった。軌道制御のための燃料を、不要になった機体を別の軌道に遷移させて場所を空けるための分を残して使い尽くすと静止衛星としての機能は失なわれ、耐用年数切れとなる。お役御免の衛星は、地球の引力に引かれて落下し大気圏で燃え尽きる(中にはそのまま空間に残り、宇宙のゴミと化す物も)。--><!-- ← 静止軌道から、地上に落ちるような軌道まで落とすのに必要な ΔV は甚大であり、静止衛星がそのように落ちてくることは絶対にない。--> === 利用 === [[放送衛星]]・[[通信衛星]]・[[気象衛星]]などに用いられる。 静止軌道上は、静止衛星が世界各国で打ち上げられて同じ軌道上に並ぶ為、人工衛星の過密地帯になっている。以前は衛星ごとに経度2度分の間隔を空けることになっていたが、現在は同一経度に複数の衛星が投入されて運用されるようになっている。軌道投入時には特に注意を要する。 静止衛星の軌道割り当てに関しては[[国際電気通信連合]]無線通信部門 ([[ITU-R]]) が調整を行うことになっている。二つの国家が同一経度に静止衛星を投入した場合、最初にITU-Rに通報した国家の衛星が優先される。[[通信衛星]]の場合、電波干渉の問題が調整できれば、同一軌道にて複数国の衛星が運用されることもありうる。 == 歴史 == 概念は1928年に{{仮リンク|ヘルマン・ポトチュニク|en|Herman Potočnik}}によって考案され、[[アーサー・C・クラーク|SF作家のアーサー・C・クラーク]]によって{{仮リンク|Wireless World|en|Wireless World}}に1945年発表された事により大衆化された{{r|Extra-Terrestrial Relays}}。当初のクラークの構想では巨大な有人宇宙ステーションが3機三角形状に配置されるというものだった(後に、[[インテルサット]]や[[インマルサット]]が、静止軌道上の数機の衛星で全地表をカバーするという構成をとっている)。 最初の地球同期軌道([[人工衛星の軌道要素|軌道傾斜角]]が0ではなかったので、静止軌道ではない)衛星は、広く“静止衛星の父”として知られる、{{仮リンク|ハロルド・ローゼン|en|Harold Rosen (electrical engineer)}}が開発した、1963年7月26日[[ケープカナベラル]]から打ち上げられた[[通信衛星#シンコム|シンコム]]2であった<ref>{{Cite web|url=http://web.mit.edu/invent/iow/rosen.html|title=Geosynchronous Satellite|publisher=Massachusetts Institute of Technology|accessdate=2012-12-15}}</ref>。 最初の静止衛星は、1964年8月19日、デルタDでケープカナベラルから打ち上げられたシンコム3であった。[[180度経線]]付近に位置し、1964年の[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]のテレビ[[生放送]]を行った。<!--太平洋を横断する初のテレビ中継だった。--><!-- ← ケネディ暗殺で知られるリレー1号による中継は?--> == 今後の見通し == 通信衛星の通信容量の増大と軌道修正に従来の[[ヒドラジン]]系[[スラスター|推進器]]に換わり[[イオンエンジン]]の搭載が進み徐々に長寿命化が進みつつある。その為、今後、打ち上げ需要は減少する事が予想される<ref>[http://www.excite.co.jp/News/release/JCN49279.html JCNニュース「NECと米国エアロジェット社が人工衛星向けイオンエンジンの開発・販売で協業」]</ref> <!--メンテナンスされておらず、情報が古いという問題がある一覧のため(ノート参照)コメントアウトする。 == 静止衛星の一覧 == {| class="wikitable" |colspan="10"| === 西半球 === |- ! 位置 ! 人工衛星 ! Satellite<br />bus ! 運用者 ! 種類 ! 担当範囲 ! 打ち上げ日/ロケット ([[グリニッジ標準時|GMT]]) ! 全ての位置 ! 備考 ! As of |- |rowspan="2"|148.0°W |[[エコースター-1]] |[[AS-7000]] |[[エコースター]]/[[ディッシュ・ネットワーク]] |直接放送 | |1995年12月28日, [[長征 2]]E |{{nowrap|119°W (1996-1999),}} 148.0°W (1999-) | |2007年10月26日 |- |[[エコースター-2]] |[[AS-7000]] |[[エコースター]]/[[ディッシュ・ネットワーク]] |直接放送 | |1996年9月11日, [[アリアン 4]] |{{nowrap|119°W (1996-1999)}}, 148.0°W (1999-) | |2007年10月26日 |- |139.0°W |[[Americom-8]] |[[A2100]]A |[[SES Americom]] & [[AT&T Alascom]] |テレビとラジオ放送 |24 [[C band]] ([[カナダ]], [[カリビアン]],[[アメリカ合衆国]]を対象) |2000年12月19日, [[アリアン 5]]G | |以前は GE-8 for [[GE Americom]]; オーロラ IIIとしても知られる; Satcom C-5の代替機として2001年3月に打ち上げ |2007年5月19日 |- |137.0°W |[[Americom-7]] |[[A2100]]A |[[SES Americom]] |テレビとラジオ放送 |[[アメリカ合衆国]], [[カナダ]], [[メキシコ]]を対象 |2000年9月14日, [[アリアン 5]]G | |以前は GE-7 for [[GE Americom]] |2007年5月1日 |- |135.0°W |[[Americom-10]] |[[A2100]]A | | |[[アメリカ合衆国]], [[カナダ]], [[カリビアン]], [[メキシコ]]対象 | | | | |- |133.0°W |[[Galaxy-15]] | | | | | | | | |- |131.0°W |[[Americom-11]] |[[A2100]]A | | |[[アメリカ合衆国]], [[カナダ]], [[カリビアン]], [[メキシコ]]を対象 | | | | |- |rowspan="2"|129.0°W |[[Galaxy_27|Galaxy-27]] | | | | | | | | |- |[[EchoStar-5]] |[[FS-1300]] |[[Echostar]]/[[ディッシュ・ネットワーク]] |直接放送 | |1999年9月23日, [[アトラス II]]AS | | | |- |rowspan="2"|127.0°W |[[Galaxy-13]] | | | | | | | | |- |[[Horizons-1]] | | | | | | | | |- |rowspan="2"|125.0°W |[[Galaxy-14]] | | | | | | | | |- |[[Galaxy-12]] | | | | | | |spare | |- |123.0°W |[[Galaxy-10R]] | | | | | | | | |- |rowspan="2"|121.0°W |[[Galaxy_23|Galaxy-23]] | | | | | | | | |- |[[エコースター-9]] |[[FS-1300]] |[[エコースター]]/[[ディッシュ・ネットワーク]] |直接放送 |[[北米]] |2003年8月7日, [[ゼニット_(ロケット)|Zenit-3SL]] | |複合 C/Ku/Ka-バンド 人工衛星 | |- |rowspan="3"|119.0°W |[[DirecTV-7S]] |[[LS-1300]] |[[ディレクTV]] |直接放送 | |2004年5月4日, [[Zenit rocket|Zenit-3SL]] | | | |- |[[EchoStar-7]] |[[A2100]]AX |[[エコースター]]/[[ディッシュ・ネットワーク]] |直接放送 | |2002年2月21日, [[アトラス III]]B | | | |- |[[Americom-16]] |[[A2100]]AXS | | | | | | | |- |118.8°W |[[アニク|アニクF3]] |[[Eurostar-3000]] |[[Telesat Canada]] |直接放送 | |2007年4月9日, [[プロトンロケット]] | |複合 C/Ku/Ka-band satellite | |- |116.8°W |[[SatMex-5]] | | | | | | | | |- |rowspan="4"|115.0°W |[[XM-4|XM-Blues]] | | | | | | | | |- |[[XM-Rock]] | | | | | | | | |- |[[XM-Roll]] | | | | | | | | |- |[[Solidaridad-2]] | | | | | | | | |- |113.0°W |[[Satmex-6]] | | | | | | | | |- |111.1°W |[[アニク|アニクF2]] |[[ボーイング]] 702 |[[Telesat Canada]] |直接放送 | |2004年7月17日, [[アリアン 5]]G | |Hybrid C/Ku/Ka-band satellite | |- |110.4°W |[[EchoStar-6]] |[[FS-1300]] |[[エコースター]]/[[ディッシュ・ネットワーク]] |直接放送 | |2000年7月14日, [[アトラス IIAS]] | |予備 | |- |rowspan="3"|110.0°W |[[EchoStar-8]] |[[FS-1300]] |[[エコースター]]/[[ディッシュ・ネットワーク]] |直接放送 | |2002年8月21日, [[プロトンロケット]] | | | |- |[[EchoStar-10]] |[[A2100]]AXS |[[エコースター]]/[[ディッシュ・ネットワーク]] |直接放送 | |2006年2月15日, [[ゼニット_(ロケット)|ゼニット-3SL]] | | | |- |[[DirecTV-5]] |[[LS-1300]] |[[ディレクTV]] |直接放送 | |2002年5月7日, [[プロトンロケット|プロトン]] | |32 Ku-バンド 中継機 | |- |rowspan="2"|107.3°W |[[アニク|アニクF1]] |[[ボーイング]] 702 |[[Telesat カナダ]] |直接放送 | |2000年11月21日, [[アリアン 4]]4L | |Hybrid C/Ku-band 衛星; [[アニク|アニクF1R]]によって代替予定 | |- |[[アニク|アニクF1R]] |[[Eurostar-3000]] |[[Telesat カナダ]] |直接放送 | |2005年9月8日, [[プロトンロケット]] | |Hybrid C/Ku-band satellite;[[アニク|アニクF1]]の代替予定 | |- |rowspan="2"|105.0°W |[[Americom-18]] |[[A2100]]A |[[SES Americom]] |直接放送 |[[アメリカ合衆国|アメリカ]], [[カナダ]], [[カリビアン]], [[メキシコ]]を対象 |2006年12月8日, [[アリアン 5]] | | | |- |[[Americom-15]] |[[A2100]]AXS |[[SES Americom]] |直接放送 |[[アメリカ合衆国本土]], [[アラスカ]], [[ハワイ]] |2004年10月15日, [[Proton]]M | |Hybrid Ku/Ka-band satellite; twin of Americom-16 | |- |103.0°W |[[Americom-1]] |[[A2100]]A |[[SES Americom]] | ||[[アメリカ合衆国本土]], [[カナダ]], [[メキシコ]], [[カリビアン]], |1996年9月8日, [[アトラス II]]A | |Hybrid C/Ku-band satellite | |- |102.8°W |[[SPACEWAY-1]] |[[ボーイング]] 702 |[[ディレクTV]] |直接放送 | |2005年4月26日, [[ゼニット_(ロケット)|ゼニット-3SL]] | | | |- |101.2°W |[[DirecTV-4S]] |[[ボーイング]] 601 |[[ディレクTV]] |直接放送 | |2001年11月27日, [[アリアン 4]]4LP | |48台 Ku-band 中継機 | |- |101.1°W |[[ディレクTV-9S]] |[[LS-1300]] |[[ディレクTV]] |直接放送 | |2006年10月13日, [[アリアン 5]]ECA | | | |- |101.0°W |[[Americom-4]] |[[A2100]]AX |[[SES Americom]] | ||[[アメリカ合衆国本土]], [[カナダ]], [[メキシコ]], [[カリビアン]], [[中央アメリカ|中米]] |1999年11月13日, [[アリアン 4]]4LP | |Hybrid C/Ku-band satellite | |- |100.8°W |[[DirecTV-8]] |[[LS-1300]] |[[ディレクTV]] |直接放送 | |2005年5月22日, [[プロトンロケット]] | |Hybrid Ku/Ka-band satellite | |- |99.2°W |[[SPACEWAY-2]] | | | | | | | | |- |99.0°W |[[Galaxy-16]] |[[FS-1300]] |[[Intelsat]] | | |2006年6月18日, [[ゼニット_(ロケット)|ゼニット-3SL]] | | | |- |97.0°W |[[Galaxy_25|Galaxy-25]] | | | | | | | | |- |95.0°W |[[Galaxy-3C]] | | | | | | | | |- |93.0°W |[[Galaxy_26|Galaxy-26]] | | | | | | | | |- |rowspan="2"|91.0°W |[[Nimiq 1]] |[[A2100]]AX |[[Telesat Canada]] |直接放送 | |1999年5月20日, [[プロトンロケット]] | |32台 Ku-band 中継機 | |- |[[Galaxy-11]] | | | | | | | | |- |89.0°W |[[Galaxy_28|Galaxy-28]] |[[FS-1300]] |[[Intelsat]] | |The Americas |2005年6月23日, [[ゼニット_(ロケット)|ゼニット-3SL]] | |複合 C/Ku/Ka-band satellite; launched as Intelsat Americas-8 | |- |87.0°W |[[Americom-3]] |[[A2100]]A |[[SES Americom]] | ||[[アメリカ合衆国本土]], [[カナダ]], [[メキシコ]], [[カリビアン]], |1997年9月4日, [[Atlas II]]A | |Hybrid C/Ku-band satellite | |- |rowspan="3"|85.0°W |[[XM-3|XM-Rhythm]] |[[ボーイング]] 702 |[[XM Satellie Radio Holdings]] |ラジオ放送 |[[アメリカ合衆国本土]] |2005年2月28日, [[ゼニット_(ロケット)|ゼニット-3SL]] | | | |- |[[Americom-2]] |[[A2100]]A |[[SES Americom]] |直接放送 |Mainland [[アメリカ合衆国]], [[カナダ]], [[メキシコ]] |1997年1月30日, [[アリアン 4]]4L | | | |- |[[Americom-16]] |[[A2100]]AXS |[[SES Americom]] |直接放送 |[[アメリカ合衆国本土]], [[アラスカ]], [[ハワイ]] |2004年12月17日, [[アトラス V]] | |Hybrid Ku/Ka-band satellite; twin of Americom-15 | |- |84.0°W |[[Brasilsat-B3]] | | | | | | | | |- |83.0°W |[[Americom-9]] |[[3000B3]] |[[SES Americom]] |直接放送 |[[アメリカ合衆国本土]], [[カナダ]], [[メキシコ]], [[カリビアン]] |2003年6月7日, [[プロトンロケット]] | |Hybrid C/Ku-band satellite | |- |rowspan="2"|82.0°W |[[Nimiq 2]] |[[A2100]]AX |[[Telesat Canada]] |直接放送 | |2002年12月29日, [[プロトンロケット]] | |Hybrid Ku/Ka-band satellite | |- |[[Nimiq 3]] |[[HS-601]] |[[Telesat カナダ]] |直接放送 | |1995年6月9日, [[アリアン 4]]2P | |Previously DirecTV-3 for [[ディレクTV]] | |- |rowspan="2"|79.0°W |[[Americom-5]] |Spacebus-2000 |[[SES Americom]] | |[[アメリカ合衆国本土]], [[カナダ]], [[メキシコ]] |1998年10月28日, [[アリアン 4]]4L | | | |- |[[Satcom C3]] | | | | |1992年9月10日, [[アリアン 4]]4LP |Inclined orbit | |- |77.0°W |[[EchoStar-4]] |[[A2100AX]] |[[エコースター]]/[[ディッシュ・ネットワーク]] |直接放送 | |1998年5月8日, [[プロトンロケット]] | |予備機 | |- |76.8°W |[[Galaxy-4R]] | | | | | | |Inclined orbit | |- |75.0°W |[[Brasilsat-B1]] | | | | | | | | |- |74.9°W |[[Galaxy-9]] | | | | | | |予備機 | |- |74.0°W |[[SBS-6]] | | | | | | | | |- |72.5°W |[[ディレクTV-1R]] | | | | | | | | |- |72.0°W |[[Americom-6]] |[[A2100]]AX |[[SES Americom]] | |[[アメリカ合衆国本土]], [[カナダ]], [[メキシコ]], [[カリビアン]], [[中央アメリカ|中米]] |2000年10月22日, [[プロトンロケット]]DM | |複合 C/Ku-バンド 衛星;Ku-バンドの機材の一部は[[南アフリカ]]へ寄贈 | |- |71.0°W |[[Nahuel-1]] | | | | | | | | |- |70.0°W |[[Brasilsat-B4]] | | | | | | | | |- |65.0°W |[[Brasilsat-B2]] | | | | | | | | |- |63.0°W |[[Estrela do Sul 1]] | | | | | | | | |- |rowspan="2"|61.5°W |[[EchoStar-12]] |[[A2100]]AXS | | | | | |Formerly Rainbow-1, purchased from [[VOOM]] | |- |[[EchoStar-3]] |[[A2100AX]] |[[エコースター]]/[[ディッシュ・ネットワーク]] |直接放送 | |1997年10月5日, [[Atlas II]]AS | | | |- |61.0ºW |[[Hispasat|Hispasat Amazonas]] | | | | | | | | |- |58.0°W |[[Intelsat-9]] | | | | | | |formerly PAS-9 | |- |55.5°W |[[Intelsat-805]] | | | | | | | | |- |53.0°W |[[Intelsat-707]] | | | | | | | | |- |50.0°W |[[Intelsat-705]] | | | | | | | | |- |45.0°W |[[Intelsat-1R]] | | | | | | |formerly PAS-1R | |- |43.1°W |[[Intelsat-3R]] | | | | | | |formerly PAS-3R | |- |43.0°W |[[Intelsat-6B]] | | | | | | |formerly PAS-6B | |- |40.5°W |[[NSS-806]] | | | | | | | | |- |rowspan="2"|37.5°W |[[NSS-10]] | | | | | | | | |- |[[Telstar-11]] | | | | | | |Inclined orbit | |- |34.5°W |[[Intelsat-903]] | | | | | | | | |- |31.5°W |[[Intelsat-801]] | | | | | | | | |- |rowspan="2"|30.0ºW |[[Hispasat-1C]] | | | | | | | | |- |[[Hispasat-1D]] | | | | | | | | |- |27.5°W |[[Intelsat-907]] | | | | | | | | |- |24.5°W |[[Intelsat-905]] | | | | | | | | |- |24.0°W |[[Cosmos 2379]] | | | | | | |Inclined orbit | |- |22.0°W |[[NSS-7]] | | | | | | | | |- |20.0°W |[[Intelsat-603]] | | | | | | |Inclined orbit | |- |18.0°W |[[Intelsat-901]] | | | | | | | | |- |15.5°W |[[Inmarsat 3 f2]] | | | | | | | | |- |15.0°W |[[Telstar 12]] | | |通信衛星 |ヨーロッパ、南北アメリカ |1999年10月 | | | |- |rowspan="2"|14.0°W |[[ゴリゾント|ゴリゾント32]] | | | | | | |Inclined orbit | |- |[[Express-A4]] | | | | | | | | |- |12.5°W |[[Atlantic Bird 1]] | |[[ユーテルサット]] |通信衛星 |ヨーロッパ、中近東、南北アメリカ |2002年8月 | | | |- |11.0°W |[[Express-A3]] | | |通信衛星 |ヨーロッパ、北アフリカ、中近東 |2000年6月 | | | |- |rowspan="2"|8.0°W |[[Atlantic Bird 2]] | |[[ユーテルサット]] |通信衛星 |ヨーロッパ、中近東、南北アメリカ |2001年9月 | | | |- |[[Telecom 2D]] | | |通信衛星 |ヨーロッパ |1996年8月 | |Inclined orbit | |- |rowspan="4"|7.0°W |[[Nilesat 101]] | | | | | | | | |- |[[Nilesat 102]] | | | | | | | | |- |[[Nilesat 103]] | | | | | | | | |- |[[Atlantic Bird 4]] | |[[ユーテルサット]] |通信衛星 |ヨーロッパ、北アフリカ、中近東 |1998年2月 | | | |- |5.0°W |[[Atlantic Bird 3]] | |[[ユーテルサット]] |通信衛星 |ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ |2002年7月 | | | |- |rowspan="2"|4.0°W |[[AMOS 1]] | | | | | | | | |- |[[AMOS 2]] | | | | | | | | |- |3.4°W |[[Meteosat 8]] | | | | | | | | |- |1.0°W |[[Intelsat 10-02]] | | | | | | | | |- |rowspan="2"|0.8°W |[[Thor 2]] | | | | | | | | |- |[[Thor 3]] | | | | | | | | |- |colspan="10"| === 東半球 === |- ! 位置 ! 人工衛星 ! 人工衛星<br />バス ! 運用者 ! 種類 ! 担当範囲 ! 打ち上げ日/ロケット ([[グリニッジ標準時|GMT]]) ! 全位置 ! 備考 ! As of |- |0.5°E |[[Meteosat 7]] | | |気象衛星 | | | |Inclined orbit | |- |3.0°E |[[Telecom 2A]] | | | | | | | | |- |4.0°E |[[ユーロバード 4]] | |[[ユーテルサット]] |通信衛星 |ヨーロッパ、北アフリカ、中近東 |1997年9月 | | | |- |rowspan="2"|4.8°E |[[シリウス 2]] | | | | | | | | |- |[[アストラ 1C]] | |[[SES アストラ]] |放送衛星 | |1993年5月12日 | |0.9º inclined orbit | |- |5.0°E |[[シリウス 3]] | | | | | | | | |- |5.2°E |[[Astra 1A]] | | | | | | | | |- |6.0°E |[[Skynet 4F]] | | |軍用通信衛星 | | | |Inclined orbit | |- |7.0°E |[[Eutelsat W3A]] | |[[ユーテルサット]] |通信衛星 |ヨーロッパ、中近東、アフリカ |2004年3月 | | | |- |9.0°E |[[Eurobird 9]] | |[[ユーテルサット]] |通信衛星 |ヨーロッパ、北アフリカ、中近東 |1996年11月 | |formerly [[Hot Bird 2]] | |- |9.5°E |[[Meteosat 6]] | | |気象衛星 | | | |Inclined orbit | |- |10.0°E |[[Eutelsat W1]] | |[[ユーテルサット]] |通信衛星 |ヨーロッパ、中近東、アフリカ |2000年9月 | | | |- |12.5°E |[[Raduga 29]] | | | | | | |Inclined orbit | |- |rowspan="3"|13.0°E |[[Hot Bird 6]] | |[[ユーテルサット]] |通信衛星 |ヨーロッパ、北アフリカ、中近東 |2002年8月 | | | |- |[[Hot Bird 7A]] | |[[ユーテルサット]] |通信衛星 |ヨーロッパ、北アフリカ、中近東 |2006年3月 | | | |- |[[Hot Bird 8]] | |[[ユーテルサット]] |通信衛星 |ヨーロッパ、北アフリカ、中近東 |2006年8月 | | | |- |16.0°E |[[Eutelsat W2]] | |[[ユーテルサット]] |通信衛星 |ヨーロッパ、中近東、アフリカ |1998年10月 | | | |- |rowspan="6"|19.2°E |[[Astra 1E]] | |[[SES アストラ]] |放送衛星 | | | | | |- |[[Astra 1F]] | |[[SES アストラ]] |放送衛星 | | | | | |- |[[Astra 1G]] | |[[SES アストラ]] |放送衛星 | | | | | |- |[[Astra 1H]] | |[[SES アストラ]] |放送衛星 | | | | | |- |[[Astra 1KR]] | |[[SES アストラ]] |放送衛星 | | | | | |- |[[Astra 1L]] | |[[SES アストラ]] |放送衛星 | | | | | |- |20.0°E |[[Arabsat 2A]] | | | | | | |Inclined orbit | |- |21.0°E |[[AfriStar]] | | | | | | | | |- |rowspan="2"|21.5°E |[[Eutelsat II F3]] | | | | | | |Inclined orbit | |- |[[Artemis (satellite)|Artemis]] | | | | | | |Inclined orbit. | |- |23.5°E |[[Astra 3A]] | |[[SES アストラ]] |放送衛星 | | | | | |- |25.0°E |[[Inmarsat 3 F5]] | | | | | | | | |- |25.5ºE |[[Eurobird 2]] | |[[ユーテルサット]] |通信衛星 |ヨーロッパ、北アフリカ、中近東 |1998年10月 | | | |- |25.8°E |[[Badr 2]] | | | | | | | | |- |26.0°E |[[Badr 3]] | | | | | | | | |- |26.2°E |[[Badr C]] | | | | | | | | |- |rowspan="4"|28.2°E |[[Astra 2A]] | |[[SES アストラ]] |放送衛星 | | | | | |- |[[Astra 2B]] | |[[SES アストラ]] |放送衛星 | | | | | |- |[[Astra 2C]] | |[[SES アストラ]] |放送衛星 | | | | | |- |[[Astra 2D]] | |[[SES アストラ]] |放送衛星 | | | | | |- |28.5°E |[[Eurobird 1]] | |[[ユーテルサット]] |通信衛星 |ヨーロッパ |2001年3月 | | | |- |30.5°E |[[Arabsat 2B]] | | | | | | | | |- |30.0°E |[[アストラ 1D]] |[[HS-601]] |[[SES アストラ]] |[[通信衛星]] |24 [[Ku-band]] |1994年11月1日, [[アリアン 4]] |19.2°E (1994-1998)<br />28.2°E (1998)<br />19.2°E (1998-1999)<br />28.2°E (1999-2001)<br />24.2°E (2001-2003)<br />23.0°E (2003-2004)<br />23.5°E (2004-2007)<br />30.0°E (2007-) | |2007年11月14日 |- |31.5°E |[[Optus A3]] | | | | | | | | |- |rowspan="2"|33.0°E |[[Eurobird 3]] | |[[ユーテルサット]] |通信衛星 |ヨーロッパ |2003年9月 | | | |- |[[Intelsat 802]] | | | | | | | | |- |rowspan="2"|36.0°E |[[SESAT 1|Eutelsat Sesat 1]] | |[[ユーテルサット]] |通信衛星 |ヨーロッパ、北アフリカ、中近東、アジア |2000年4月 | | | |- |[[Eutelsat W4]] | |[[ユーテルサット]] |通信衛星 |アフリカ、ロシア |2000年5月 | | | |- |38.0°E |[[PAKSAT]] | | | | | | | | |- |39.0°E |[[Hellas Sat 2]] | | | | | | | | |- |rowspan="2"|42.0°E |[[TurkSat1C]] | | | | | | | | |- |[[TurkSat2A]] | | | | | | | | |- |42.5°E |[[NigComSat-1]] |[[DFH-4]] |[[National Space Research and Development Agency|NASRDA]] |通信衛星 |4台 [[C-バンド]], 14台 [[Ku-バンド]] & 2台 [[L-バンド]]で[[アフリカ]]をカバー. 8 [[Ka-band]] でアフリカと[[イタリア]]をカバー |2007年5月13日, [[長征 3]]B |42.5°E (2007-) | |2007年8月6日 |- |45.0°E |[[Intelsat 12]] | | | | | | | | |- |53.0°E |[[Express AM22]] | | |通信衛星 |ヨーロッパ、北アフリカ、中近東、アジア |2003年12月 | | | |- |56.0°E |[[Bonum 1]] | | | | | | | | |- |rowspan="2"|68.5°E |[[PanAmSat 7]] | | | | | | | | |- |[[PanAmSat 10]] | | | | | | | | |- |rowspan="4"|74.0°E |[[INSAT-3C]] | | | | | | | | |- |[[KALPANA-1]] | |[[ISRO]] |気象衛星 |N/A |2002年9月12日, [[PSLV]] |74.0°E (2002-) |元々はMetSat-1. コロンビア号の事故で亡くなった[[Kalpana Chawla]]宇宙飛行士を記念して2003年に改名 |2007年10月27日 |- |[[EDUSAT]] | |[[ISRO]] |技術習得通信衛星 |6台の [[Ka-band]] と 6台の [[C-band]]中継機[[インド]]をカバー |2004年9月20日, [[GSLV]] |74.0°E (2004-) |GSAT-3としても知られる |2007年10月27日 |- |[[INSAT-4CR]] | |[[INSAT]] |DTH, VPT and DSNG 通信 |12 [[Ku-band]] [[インド]]をカバー |2007年9月2日, [[GSLV]] |74.0°E (2007-) | |2007年10月27日 |- |79.0°E |[[Esafi 1]] |[[HS-351]] |[[トンガサット]] |[[通信衛星]] | |1981年2月21日, [[アトラス-セントール]] |142.0°W (1981年)<br />127°W (1981年-1985年)<br />76.0°W (1985年-2001年)<br />69.5°E (2001年-2002年)<br />70°E (2002年-2007年)<br />79.0°E (2007年-) |元々は[[Comstar-4]]として[[Lockheed Martin Global Telecommunications|LMGT]]が運用. [[Parallax-1]]に2001年に改名して[[SSC Parallax]]が運用. Purchased by [[トンガサット]]は2002年に改名して[[Esafi-1]]になる |2007年11月10日 |- |rowspan="2"|91.5°E |[[MEASAT|MEASAT-1]] | | | | | | | | |- |[[MEASAT|MEASAT-3]] | | | | | | | | |- |rowspan="5"|110.0°E |[[BSAT-1b]] |[[HS-376]] |[[放送衛星システム|B-SAT]] |[[放送衛星]] |日本 |1998年4月28日,[[アリアン4]] | |BSアナログ・デジタル放送衛星。通常運用終了後軌道上予備として待機中 | |- |[[BSAT-2a]] |[[STAR]] |[[放送衛星システム|B-SAT]] |[[放送衛星]] |日本 |2001年3月9日,[[アリアン5]] | |BSデジタル放送衛星。通常運用終了後軌道上予備として待機中 | |- |[[BSAT-2c]] |[[STAR]] |[[放送衛星システム|B-SAT]] |[[放送衛星]] |日本 |2003年6月12日,[[アリアン5]] | |BSデジタル放送衛星。通常運用終了後軌道上予備として待機中 | |- |[[BSAT-3a]] |[[A2100A]] |[[放送衛星システム|B-SAT]] |[[放送衛星]] |日本 |2007年8月14日,[[アリアン5]] | |BSアナログ・デジタル放送衛星。運用中 | |- |[[N-SAT-110]] |[[A2100AX]] |[[スカパーJSAT]] |[[放送衛星]] |日本 |2000年10月7日,[[アリアン4]]2L | |CS110度CS放送・通信衛星。「SUPERBIRD D」「JCSAT-110」とも呼ばれる | |- |140.0°E |[[MTSAT|MTSAT-1R]] |[[LS-1300]] |[[JAXA]] |[[気象衛星]] |東アジアおよびオセアニア |2005年2月26日,[[H-IIAロケット]]7号機 | |運輸多目的衛星。「[[MTSAT|ひまわり6号]]」として知られる | |- |145.0°E |[[MTSAT|MTSAT-2]] |[[DS2000]] |[[JAXA]] |[[気象衛星]] |東アジアおよびオセアニア |2006年2月18日,[[H-IIAロケット|H-IIA]]9号機 | |運輸多目的衛星。「[[MTSAT|ひまわり7号]]」として知られる。 | |- |148.0°E |[[MEASAT|MEASAT-2]] | | | | | | | | |- |rowspan="2"|152.0°E |[[Optus B3]] |[[BS601]] |[[Optus]]/[[Commonwealth Bank]] |通信衛星 | |1994年8月27日, [[長征 2]]E |152.0°E (1994-1995)<br />156.0°E (1995-2003)<br />152.0°E (2003-) | |2007年10月28日 |- |[[Optus D2]] |[[STAR-2]] |[[Optus]] |通信衛星 | |2007年10月5日, [[アリアン 5]] |152.0°E (2007-) | |2007年10月28日 |- |166.0°E |[[PanAmSat 8]] | | | | | | | | |- |colspan="10"| === 軌道変更 === |- !投入軌道 !人工衛星 !人工衛星<br />バス !運用者 !種類 !担当範囲 !打ち上げ日/ロケットt ([[グリニッジ標準時|GMT]]) !以前の位置 !備考 !As of |- |65.0°W |[[Star One C1]] |[[Spacebus|SB3000/B3]] |[[Star One (satellite operator)|Star One]] |放送衛星 |28 [[C-band]]<br />14 [[Ku-band]]<br />1 [[X-band]], covering [[南アメリカ|南米]] |2007年11月14日<br />[[アリアン 5]]-ECA | | |2007年11月14日 |- |53.0°E |[[Skynet 5B]] |[[E3000]] |[[UK Ministry of Defence|国防省]]/[[Paradigm]] |軍事用通信衛星 | |2007年11月14日<br />[[アリアン 5]]-ECA | | |2007年11月14日 |- |5.0°E |[[シリウス (人工衛星)#シリウス _4|シリウス 4]] |[[A2100AX]] |[[SES シリウス]] |[[通信衛星]] |52 [[Ku-band]] covering [[ヨーロッパ]]<br />2 [[Ka-band]] covering [[スカンジナビア]] |2007年11月17日<br />[[プロトン ロケット|プロトン-M]] | | |2007年11月18日 |- |colspan="10"| === 歴史的 === |- !廃棄日 !衛星 !衛星<br />bus !運用者 !種類 !担当範囲 !打ち上げ日/ロケット ([[グリニッジ標準時|GMT]]) !位置 !備考 !As of |- |2006年10月1日<br />20:37 [[グリニッジ標準時|GMT]] |[[Thaicom 3]] |[[SpaceBus 3000A]] |[[Shin Satellite]] |[[通信衛星]] |中東と南アジア |1997年4月16日<br />[[アリアン 4]] (44LP) |78.5°E |電源故障で退役 |2008年1月1日<ref name="ND-TC">[http://www.sat-index.com/failures/index.html?http://www.sat-index.com/failures/thaicom3.html Sat ND | Failures - Thaicom 3]</ref>}} |} --> == 詳細不明の静止衛星 == 静止軌道は前述のように過密地帯のため、ほぼ全ての衛星は情報を公開して運用されている。しかし、秘密裏に運用されている衛星(と思われる何か)も確認されており(軌道要素まで非公開にされると物理的に存在しないことになり、後から上げられた衛星が衝突する原因になりかねない)、特異なものを以下で述べる。 [[美星スペースガードセンター]]が2002年4月4日、2001年末から2002年にかけて、静止軌道の東経121度付近([[インドネシア]]の[[スラウェシ島]][[トミニ湾]]上空。日本付近の緯度では[[台湾]]・[[上海市|上海]]・[[山東半島]]・[[遼東半島]]が同経度である)に長さ50[[メートル]]程の何かがあること、それが制御されて軌道を維持していることなどを観測した、と報告した。物体には同センターの観測天体順番号X00639(X'''0'''00639とも。表記が一定していない)が付けられている。同センターでは、その大きさについてアメリカの[[シギント]][[軍事衛星]]計画にそれらしきものがあり、静止軌道に上げられたこと以外は秘密という軍事衛星があることから、それらの一つである可能性を挙げていた<ref>{{Cite web|和書|title=『あすてろいど』38号 静止軌道上の巨大(約50m)活動衛星-1|url=http://www.spaceguard.or.jp/asute/a38/html/con38-R04s01.htm|work=美星スペースガードセンター|accessdate=2010-4-1}}</ref>。その後の情報公開などから、[[メンター (人工衛星)|メンター]]、ないしその前任のOrionの可能性が高いとみられている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|refs= <ref name="Extra-Terrestrial Relays">{{Cite journal | first = Arthur C. | last = Clark | title = Extra-Terrestrial Relays — Can Rocket Stations Give Worldwide Radio Coverage? | journal = Wireless World | year = 1945 | month = October | pages = pp. 305-308 | url = http://www.clarkefoundation.org/docs/ClarkeWirelessWorldArticle.pdf | archiveurl = https://web.archive.org/web/20090327112240/clarkefoundation.org/docs/ClarkeWirelessWorldArticle.pdf | format = [[Portable Document Format|PDF]] | accessdate = 2010-5-7 | archivedate = 2009年3月27日 }}</ref> }} == 関連項目 == * [[軌道エレベーター]] * [[準天頂衛星]] * [[人工衛星]] * [[人工衛星の軌道]] * [[人工衛星の軌道要素]] * [[静止軌道]] * [[食 (天文)]] … 地球や月の影に入ると発電が行えない。 == 外部リンク == * [https://hamers.jp/cal/ 衛星位置計算表] … 地上から見た仰角・方位角を計算する {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:せいしえいせい}} [[Category:静止衛星|*]]
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原核生物
原核生物(げんかくせいぶつ、ラテン語: Prokaryota プローカリオータ、英語: Prokaryote プロカリオート)とは、細胞内にDNAを包む核(細胞核)を持たない生物のこと。またミトコンドリアや葉緑体といった 膜構造をもつ細胞小器官を持たない。すべて単細胞生物。 真核生物と対をなす分類で、性質の異なる細菌(バクテリア)と古細菌(アーキア)の2つの生物を含んでいる。 歴史的に原核生物は細菌(真正細菌、バクテリア)と同義語とされ、五界説では一括してモネラ界に分類されていた。このため、1990年ころ以前の資料で、原核生物の性質や構造として説明される内容が実際には細菌のものである場合が多い。 リボソームRNAなどをもとにした系統解析が進捗すると、原核生物は大きく異なる2つのグループ、細菌(バクテリア)と古細菌より構成されることが示され、また、古細菌は細菌よりむしろ真核生物に近いことがわかった。すなわち、このことは原核生物は大きく異なった二つの系統からなり、加えて生物界を真核生物と原核生物に二分する分類が必ずしも実際の系統関係を反映しているとは限らないことを意味する。 真核生物と比較した場合の特徴は、はるかに小さいこと(多くの場合1-5μm)、細胞核やミトコンドリアをはじめとする細胞内小器官がほとんど見つけられないことが最も大きい。この他に微小管を持たず、細胞質流動、エンドサイトーシスを行わない。細胞分裂の際にFtsZリングが出現する、有糸分裂を行わずDNAは細胞膜に付着して移動する、リボソームが70S(真核生物は80S)であることなどいくつか見つけられる。原核生物は非常に多様なので例外もまた多いが、基本的には上記の形質を保存している。そのバイオマス(生物量)は真核生物の数倍から数十倍に達するとも言われている。 細菌は、大腸菌などの化学栄養細菌や藍色細菌(シアノバクテリア)などの光栄養細菌からなる多様な原核生物群である。一方、古細菌には海底火山の熱水鉱床付近に生息する超好熱菌、陸上の温泉などに生息する好熱好酸菌、死海などの高塩濃度の環境に住む高度好塩菌、ウシの胃などに存在するメタン生成菌などがあるが、近年になってからは、海洋や土壌などの中低温・中性環境に多様な系統の菌が見つかっている。 原核生物は核を持たないことから、進化においてより原始的生物であると思われがちだが、多様な生物種が存在を脅かす現環境下で生き延び、非常に早い増殖を可能にするために無駄を省いたシステムを獲得したと考えることも出来る。また、多様なエネルギー獲得手段を有し、極限微生物を多く配する現生原核生物は、高度に特殊化しており原始的な生物とは大きく異なっているとも、化石時代と構造が大差ないともみられるなど、評価は定まっていない。
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原核生物とは、細胞内にDNAを包む核(細胞核)を持たない生物のこと。またミトコンドリアや葉緑体といった 膜構造をもつ細胞小器官を持たない。すべて単細胞生物。 真核生物と対をなす分類で、性質の異なる細菌(バクテリア)と古細菌(アーキア)の2つの生物を含んでいる。
{{出典の明記|date=2021-12}} [[File:Prokaryote cell.svg|right|thumb|300px|細菌の構造。<br/>[[:en:Bacterial capsule|Capsule]]: [[莢膜]]、[[:en:Cell wall|Cell wall]]: [[細胞壁]]、[[:en:Cell membrane|Plasma membrane]]: [[細胞膜]]、[[:en:Cytoplasm|Cytoplasm]]: [[細胞質]]、[[:en:Ribosome|Ribosome]]: [[リボソーム]]、[[:en:Plasmid|Plasmid]]: [[プラスミド]]、[[:en:Pilus|Pili]]: [[性繊毛]]、[[:en:Flagellum#Bacterial|Bacterial flagellum]]: [[鞭毛#真正細菌鞭毛|真正細菌鞭毛]]、[[:en:Nucleoid|Nucleoid]] ([[:en:Circular DNA|circular DNA]]): [[核様体]]]] '''原核生物'''(げんかくせいぶつ、[[ラテン語]]: Prokaryota <small>プローカリオータ</small>、[[英語]]: Prokaryote <small>プロカリオート</small>)とは、[[細胞]]内に[[デオキシリボ核酸|DNA]]を包む核([[細胞核]])を持たない[[生物]]のこと。またミトコンドリアや葉緑体といった 膜構造をもつ細胞小器官を持たない。すべて[[単細胞生物]]。 [[真核生物]]と対をなす分類で、性質の異なる[[細菌]](バクテリア)と[[古細菌]](アーキア)の2つの生物を含んでいる。 == 性質・構造 == [[Image:Relative scale.svg|right|thumb|300px|原核生物と他の生物や化合物の大きさの比較。<br/>[[:en:Eukaryote|Eukaryotes]]: [[真核生物]]、[[:en:Prokaryote|Prokaryotes]]: 原核生物、[[:en:Virus|Viruses]]: [[ウイルス]]、[[:en:Protein|Proteins]]: [[タンパク質]]、[[:en:Small molecule|Small molecules]]: [[低分子]]、[[:en:Atom|Atoms]]: [[原子]]]] [[歴史]]的に原核生物は[[細菌]](真正細菌、バクテリア)と同義語とされ、[[五界説]]では一括して[[モネラ界]]に分類されていた。このため、1990年ころ以前の資料で、原核生物の性質や構造として説明される内容が実際には細菌のものである場合が多い。 [[リボソームRNA]]などをもとにした系統解析が進捗すると、原核生物は大きく異なる2つのグループ、細菌(バクテリア)と古細菌より構成されることが示され、また、古細菌は細菌よりむしろ真核生物に近いことがわかった。すなわち、このことは原核生物は大きく異なった二つの系統からなり、加えて生物界を真核生物と原核生物に二分する分類が必ずしも実際の系統関係を反映しているとは限らないことを意味する。 真核生物と比較した場合の特徴は、はるかに小さいこと(多くの場合1-5μm)、細胞核や[[ミトコンドリア]]をはじめとする[[細胞内小器官]]がほとんど見つけられないことが最も大きい。この他に[[微小管]]を持たず、[[細胞質流動]]、[[エンドサイトーシス]]を行わない。[[細胞分裂]]の際に[[FtsZ]]リングが出現する、[[有糸分裂]]を行わずDNAは細胞膜に付着して移動する、[[リボソーム]]が70S(真核生物は80S)であることなどいくつか見つけられる。原核生物は非常に多様なので例外もまた多いが、基本的には上記の形質を保存している。その[[バイオマス]](生物量)は真核生物の数倍から数十倍に達するとも言われている。 細菌は、[[大腸菌]]などの化学栄養細菌や[[藍色細菌]](シアノバクテリア)などの光栄養細菌からなる多様な原核生物群である。一方、古細菌には[[海底火山]]の熱水鉱床付近に生息する超[[好熱菌]]、陸上の温泉などに生息する好熱好酸菌、[[死海]]などの高塩濃度の環境に住む[[高度好塩菌]]、ウシの胃などに存在する[[メタン生成菌]]などがあるが、近年になってからは、海洋や土壌などの中低温・中性環境に多様な系統の菌が見つかっている。 原核生物は核を持たないことから、進化においてより原始的生物であると思われがちだが、多様な生物種が存在を脅かす現環境下で生き延び、非常に早い増殖を可能にするために無駄を省いたシステムを獲得したと考えることも出来る。また、多様なエネルギー獲得手段を有し、[[極限微生物]]を多く配する現生原核生物は、高度に特殊化しており原始的な生物とは大きく異なっているとも、化石時代と構造が大差ないともみられるなど、評価は定まっていない。 {{自然}} {{biosci-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:けんかくせいふつ}} [[Category:生物]] [[Category:原核生物|*]]
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PC-FX
PC-FX(ピーシー エフエックス)は、1994年12月23日に日本電気ホームエレクトロニクス(NECホームエレクトロニクス)から発売された家庭用ゲーム機である。当時のメーカー希望小売価格は49,800円。 ハドソンと共同開発したPCエンジンの次世代機である。開発コードネームは「FX」。商品名の「PC-FX」について、「PC」=「PCエンジンの発展機であること」「PC-98シリーズとの親和性を持つ」という意味が込められ、「FX」=「Future(未来)とX(未知数)」という意味で「新しい時代を担う無限の可能性を持つマシン」を表している。 1992年-1993年頃、NECホームエレクトロニクスはPCエンジンSUPER CD-ROMの後継機として32ビット機の開発を始めていた。共同開発したハドソンは、1992年1月にアメリカ合衆国ラスベガスで開催されたCESでJPEGチップを公表している。一方アーケードゲーム業界では、セガ・エンタープライゼス(現:セガ)のMODEL2基板、ナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)のSYSTEM22基板などの3DCG対応アーケードゲーム基板が熾烈な性能競争を繰り広げていた。任天堂やセガ・エンタープライゼス、ソニー・コンピュータエンタテインメント(現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント)も次世代機の開発を進めていた。 1993年11月1日、日本経済新聞社が発行する『日本経済新聞』及び『日経ニューメディア』でNECホームエレクトロニクスが32ビットCD-ROMゲーム機を1994年末に商品化すると報道。この時点では32ビットRISC CPUを採用、映像処理用チップセットにハドソン製を採用、ゲーム媒体はCD-ROMを採用し実写映像やアニメーションを取り込んで再生可能、等と報じられた。同年11月30日発売の『PC Engine FAN』1994年1月号、『月刊PCエンジン』1994年1月号、『マル勝PCエンジン』1994年1月号で、開発コード「FX」と名付けられた次世代機の特集記事が掲載され、「FXはCD-ROM専用機」「PCエンジンとの互換性なし」「メインCPUはNEC製V810を採用し、その他に(ハドソンの)テツジンの一部のチップを若干変更して採用」「秒間30コマのフルカラー/フルアニメーションが可能」と報じられた。なお、1994年1月17日付『日経ニューメディア』には「32ビットCD-ROMゲーム機のCPUを、ハドソンから提案のあったハドソン独自CPUではなく、NECのV810に変更」すると報じられており、開発当初はハドソンから独自CPUの採用が提案されていたことがうかがえる。 同時期にはソニー・コンピュータエンタテインメントの新規参入ハード(コードネームPS-X、後のPlayStation)やセガ・エンタープライゼスのメガドライブ次世代機(コードネームSaturn、後のセガサターン)など、他社からも次世代機の開発計画が公表され始める。 1994年5月13日の「NEC全国ソフトメーカー会」会場でFXの詳細仕様が公開された。また、FXをPC-9801シリーズのCD-ROMドライブとして使用する専用アダプターも参考出品として展示された。このほかに本体モックアップの展示及び同時発売予定のソフトとして『バトルヒート』(仮称)、『FXファイター』(仮称)、『チームイノセント』(仮称)も発表されている。 1994年6月4日、5日の日程で千葉県・幕張メッセで開催された「'94東京おもちゃショー」NECブースで、FXのモックアップが一般向けに公開されると共に対応ソフトも同時出展され、会場で実際にプレイすることもできた。その後、正式名称を「PC-FX」に決定し、対応ソフトの参入メーカーとしてNECアベニュー、NECホームエレクトロニクス、データウエスト、ハドソン、ヒューネックス、マイクロキャビン、リバーヒルソフト、レイ・フォースの8社が参入する事も併せて発表され、『バトルヒート』と『チームイノセント』の2タイトルは正式に発売する事も公表された。同年7月にPC-FXのアイキャッチとロゴが公開され、同年8月上旬には正式発売の2タイトルに加えて11タイトルが追加で公表され、『バトルヒート』『TEAM INNOCENT』『卒業II 〜Neo Generation〜(卒業II FX)』の3本がPC-FXと同時発売されることが公表された。同年10月29日発売の『PC Engine FAN』1994年12月号で量産試作機の写真及び最終スペックが公開されたが、この時点では発売日は未定だった。 1994年10月31日、PC-FXを同年12月9日に発売すると正式発表。希望小売価格は49,800円と報じられた。同年11月30日発売の『PC Engine FAN』1995年1月号にPC-FXの広告も掲載されたが、本体添付の印刷物に記載ミスが見付かったことから発売日を12月23日に延期すると発表。こうして当初予定の1994年12月9日から2週間遅れて同年12月23日にPC-FXが発売された。なお、年末年始商戦で出荷された台数は7万台と報道されている。 1995年3月17日、NECホームエレクトロニクスはPC-FXのハード、ソフトをNECのPC-98シリーズで利用できるようにする周辺機器としてPC-FX SCSIアダプタ(型番:FX-SCSI)と98CanBe専用のPC-FXボード(型番:FX-98IF)を発売。同年4月、都内の家電量販店でPC-FXの店頭価格が29,800円と大幅に下落し、定価販売のPlayStationとの勝敗が鮮明と報じられた。 1995年5月、NECホームエレクトロニクスはPC-FX向けにアニメとゲームを融合した「アニメ戦略」を展開すると発表。また、イメージキャラクターとして只野和子がキャラクターデザインした「ロルフィー」を発表した。 1995年7月、NECホームエレクトロニクスはPC-FXの仕様を一般に公開し、年末にPC-98シリーズなどでゲームや映像ソフトが簡単に制作できるシステムを発売すると発表。同年12月8日、企業向けと比べて安価な開発ツールを提供する、PC-FX上位互換のPC-9800シリーズ用ゲームアクセラレータボード・PC-FXGAを販売した(DOS/V用は1996年6月発売)。これは本体付属ツールのみでも3DCGを作成できるというもので、初回1万本限定で別売の開発ツール(GMAKERスタータキット)を同梱した「PC-FXGAキャンペーンセット」も販売された。さらに追加の開発キット(GMAKERスタータキットプラス)も発売され、より高度な開発環境も提供された。当時はゲーム専門学校も活況であり、同人市場やゲーム業界に興味のある人を視野に置いたアプローチも行われ、ゲームソフト開発会社のヒューマンが運営するヒューマンクリエイティブスクールと共同でゲームソフト製作者の育成も試みられた。 なお、『PC Engine FAN』の発行元である徳間書店インターメディアも、PCエンジンソフト開発環境を自ら開発し、『でべろBOX』と称するハードウェアを誌上販売すると共に(1996年2月発売)、PCエンジンユーザー開発システム(開発ツール)『でべろスターターキット・アセンブラ編』『でべろスターターキット・BASIC編』を出版し、後には『でべろスターターキット・アセンブラ編』と『でべろBOX』をセットにした『でべろスターターセット』を誌上販売している。 ソニー・コンピュータエンタテインメントとセガ・エンタープライゼスによる次世代機の覇権争いで、PlayStationやセガサターンが廉価版を次々に投入するに伴い、PC-FXも1997年1月にオープン価格に移行。同年6月には実売価格が14,800円まで大幅に値下げして販売されていた。また、ソフマップとタイアップして『女神天国II』を同梱した「Sofmap特製 PC-FX限定Version 女神天国II付き」も発売されている。 1998年6月、NECホームエレクトロニクスがドリームキャストへの参入を発表。同時にPC-FXからの撤退を正式に発表した。なお、NECホームエレクトロニクスは、後にNECグループの事業整理の対象になり、2000年3月31日を以て事業を停止・解散した。またNECアベニューなどNECグループのソフトウェア関連部門を分離・統合して設立したNECインターチャネルも2004年に株式会社インデックスに譲渡され、NECグループはゲーム業界から撤退する事となった。 PC-FXの最終的な販売台数は、約11万1千台だった。世界累計販売台数1,000万台を超えたPCエンジンと比較すると、圧倒的な惨敗に終わった。 PC-FXのチップセットはPCエンジンと同様のハドソン製HuC62シリーズに加え、拡大・縮小・回転・セロハン(半透明)機能のある4枚のバックグラウンドが追加されている。動画再生機能としてMotion JPEGデコーダ(HuC6271)を搭載しており、動画ではなく一枚絵としてゲームの背景に使用することも可能。 一時期ポリゴン処理能力を持たせるという話題があったが、PC-FX自体には搭載されなかった。これには2つの説がある。 HuC6273は、PC-9800シリーズ用(Cバス)及びDOS/V用(ISAバス)ゲームアクセラレータボード・PC-FXGAに搭載され、『んーにゅー』(1996年7月発売・NECホームエレクトロニクス、市販された唯一のPC-FXGA用ゲームソフト)と共に発売された。なお当初計画・予告されていたPCIバス対応版のPC-FXGA/PCIは製品化されずに終わっている。 これに関して実際に言えば、新グラフィックチップ・HuC6273の開発が難航しPC-FX製品化のタイムスケジュールに間に合わないという事態となった。そこで、このチップの代わりに前世代のPCエンジン用グラフィックチップ(HuC6270)を2個搭載し、これにMotion JPEGデコーダ(HuC6271)を追加することで強力な動画再生機能を付与するという、はなはだアンバランスな構成となった。その結果、本機のグラフィック機能、特に画面モードとビデオメモリへのアクセス方法には様々な制約が存在することとなり、グラフィックメモリマッピングが極めて変則的であるため、3Dゲームのみならず、2Dシューティング/アクション/対戦格闘ゲーム等の移植も困難になってしまった。 以下は『PC Engine FAN』1994年12月号掲載の「PC-FX最終スペック表」(17頁)及び『PC-FX取扱説明書』「仕様/定格」(29頁)等による。 ゲームパッドのボタンは二列横並びの6ボタンであり、PCエンジン用6ボタンコントローラ『アーケードパッド6』(PCエンジンDuo-RXに同梱)と同形状のデザインである。しかしボタンを多用するようなゲーム性の作品はほとんど発売されず、『ファーストKiss☆物語』のミニゲーム・『ヒューネックスファイターズ'98』という2D対戦格闘ゲームで対応している。 後に有志によりコントローラ端子の3Dプリンター用データが公開された。 NEC製PC-9800シリーズとの連携が意識されていたため、PC-FXボード(型番:FX-98IF)、PC-FXGAなどPC上でPC-FXのソフトが遊べる拡張カードが発売され、PC-FXをSCSI接続の外付けCD-ROMドライブとして接続するPC-FX SCSIアダプタ(型番:FX-SCSI)も発売された。 ソフトの総数は雑誌付録・体験版・PC-FXGA専用ソフトを除くと62本。『バトルヒート』のようなアニメーションとゲームを融合させたゲームソフトを強みとした。 1995年3月20日、NECホームエレクトロニクスと共同のプラットフォームホルダーであるハドソンが、『天外魔境III NAMIDA』のPC-FXへの対応機種変更と、1996年春頃の発売予定であることを発表した。同年6月3日、4日に開催された「'95東京おもちゃショー」ではPC-FXの動画再生機能を生かしたデモンストレーションが再生されるなど大々的な展示が行われたが、結局、発売日未定のまま開発中止となった。ハドソンからは1996年3月8日に『銀河お嬢様伝説ユナFX 哀しみのセイレーン』、1996年4月26日に『スーパーパワーリーグFX』が発売されたが、以降はPC-FX専用ソフトのリリースは行われず、ハドソンによるPC-FX専用ソフトのリリースは少数にとどまった。 1995年10月、NECアベニューなどNECグループのコンテンツ製作・販売部門を統合してNECインターチャネルが設立された。PC-FXへのさらなる注力を表明したが、NECインターチャネルから発売されたPC-FX専用ソフトは『天地無用! 魎皇鬼FX』一作のみで、その後PC-FX専用ソフトをリリースすることはなかった。なお、1996年8月にNECインターチャネルは美少女ゲームを武器に巨大なギャルゲー市場があったセガサターンへ参入している。これについて当時TBSテレビ「JNN報道特集」にて特集されている。 このように、PC-FXに参入して独自にソフトウェアを販売するサードパーティーは少数に限られた。ビジネスとして成功するか様子見をしているゲーム会社もいることから、NECホームエレクトロニクスは他のブランドと開発費を出し合って開発するダブルブランド戦略も取っていた。その結果、PC-FXのほとんどのソフトをNECホームエレクトロニクスがリリースすることとなった。 1998年4月27日、PC-FX最後のソフトである『ファーストKiss☆物語』(NECホームエレクトロニクス)が発売された。 NECホームエレクトロニクスが1995年5月から展開したのが「アニメ戦略」である。これは、PC-FX最大の特徴でありウリでもある高速動画再生機能をフルに使用したアニメソフトを中心にゲームを制作していくもので、同時に発売予定のゲームタイトルは、アクティブプレイワールド、バラエティ・フォーラム、アイドルコミュニケーション、アニメエクスプレスの4つの世界観に分類されるとした。これにあわせて同年8月12日にリリースされたPC-FX専用CD-ROMソフト『アニメフリークFX』Vol.1(創刊号)の広告では「アニメファンのためのアニメ情報メディア」「アニメファンのためのゲームマシンで見るOVA登場!!」と謳っていた。また、PC-FXアニメファンクラブが設立され、積極的にアニメファンや声優ファンの取り込みを行っていた。 1995年8月発売の『アニメフリークFX』Vol.1の発売を皮切りに、同年8月に開催されたコミックマーケット48への出展、『アニメフリークFX』シリーズや『チップちゃんキィーック!』の販売を行っている。 PC-FXの購入者のほとんどは「PCエンジンからのファンの方たち。」20歳前後の男子であった。こういった状況から「当初、アニメ戦略を展開しましたが、みなさんの反応を見て、現在はさらに進んでギャルアニメ路線になりました。」として事業の方向性を鮮明にしていった。 1995年4月、NECホームエレクトロニクスにより倫理審査基準(レーティング)が定められた。同年4月以降にマスターアップするFC-FX及びPCエンジンのソフトが対象とされ、新しく発売するソフトのほか、再販するソフトにも適用された。 アニメ戦略を展開する際、PC-FXのマスコットキャラクター(イメージキャラクター)としてロルフィーを誕生させた。NECホームエレクトロニクスのゲーム事業向けのコーポレートキャラとして機能した。『アニメフリークFX』のチラシや表紙などを飾っており、ゲームソフト『となりのプリンセス ロルフィー』も発売されている。 1996年11月には徳間書店インターメディアからゲーム開発に焦点を絞ったムック『DEVELO MAGAZINE』が刊行され、PC-FXGAやでべろBOXと連動するという形式になったが、2号で休刊している。 『PC Engine FAN』1994年8月号の特集記事で、ハドソンの中本伸一は「ポリゴンは今注目されているから。だからそういう面では、PC-FXに動画機能という違った切り口があるっていうのがひとつ面白いやりかたなんじゃないかな。」「今はみんなポリゴンで見ちゃうんだよね。」「ボリゴンだけでゲームになるかといったら、やっぱりならないんだね。32Bit機といったって、やっばりスプライトや背景画面などの、今までのゲームの部分を高めていかないと。」と発言している。当時のリアルタイムポリゴン映像のほとんどが、実質数パターンのカメラ視点(視点切り替え)しか使用していない事を挙げ、同数の動画を用意すれば結果的に同じ事だと断じている。 こうして1994年の年末商戦にはセガサターンやPlayStationも発売され、PC-FXはこれらの2機種とともに次世代機戦争の一角を担うとされていた。しかし、他社に対抗できるキラーソフトをハードウェア立ち上げ時に用意できず、他の同世代機が持っていた3DCG機能を持たずに動画をメインとしたハードウェア設計により、競合機種の勢いに引き離され、『ファミコン通信』1995年10月27日号で行われた「ファミ通国勢調査'95」の「持っているゲームマシン」において、PC-FXの所有率は3.2%と、PlayStation:40.2%、サターン:34.5%に対して大きく差をつけられた(回答710名、男性73.8%、女性9.9%、不明16.3%)。 一方でデザインは評価され、1994年度グッドデザイン賞を受賞した。
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Engine FAN』1994年12月号掲載の「PC-FX最終スペック表」(17頁)及び『PC-FX取扱説明書』「仕様/定格」(29頁)等による。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ゲームパッドのボタンは二列横並びの6ボタンであり、PCエンジン用6ボタンコントローラ『アーケードパッド6』(PCエンジンDuo-RXに同梱)と同形状のデザインである。しかしボタンを多用するようなゲーム性の作品はほとんど発売されず、『ファーストKiss☆物語』のミニゲーム・『ヒューネックスファイターズ'98』という2D対戦格闘ゲームで対応している。", "title": "周辺機器" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "後に有志によりコントローラ端子の3Dプリンター用データが公開された。", "title": "周辺機器" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "NEC製PC-9800シリーズとの連携が意識されていたため、PC-FXボード(型番:FX-98IF)、PC-FXGAなどPC上でPC-FXのソフトが遊べる拡張カードが発売され、PC-FXをSCSI接続の外付けCD-ROMドライブとして接続するPC-FX SCSIアダプタ(型番:FX-SCSI)も発売された。", "title": "関連商品" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ソフトの総数は雑誌付録・体験版・PC-FXGA専用ソフトを除くと62本。『バトルヒート』のようなアニメーションとゲームを融合させたゲームソフトを強みとした。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1995年3月20日、NECホームエレクトロニクスと共同のプラットフォームホルダーであるハドソンが、『天外魔境III NAMIDA』のPC-FXへの対応機種変更と、1996年春頃の発売予定であることを発表した。同年6月3日、4日に開催された「'95東京おもちゃショー」ではPC-FXの動画再生機能を生かしたデモンストレーションが再生されるなど大々的な展示が行われたが、結局、発売日未定のまま開発中止となった。ハドソンからは1996年3月8日に『銀河お嬢様伝説ユナFX 哀しみのセイレーン』、1996年4月26日に『スーパーパワーリーグFX』が発売されたが、以降はPC-FX専用ソフトのリリースは行われず、ハドソンによるPC-FX専用ソフトのリリースは少数にとどまった。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1995年10月、NECアベニューなどNECグループのコンテンツ製作・販売部門を統合してNECインターチャネルが設立された。PC-FXへのさらなる注力を表明したが、NECインターチャネルから発売されたPC-FX専用ソフトは『天地無用! 魎皇鬼FX』一作のみで、その後PC-FX専用ソフトをリリースすることはなかった。なお、1996年8月にNECインターチャネルは美少女ゲームを武器に巨大なギャルゲー市場があったセガサターンへ参入している。これについて当時TBSテレビ「JNN報道特集」にて特集されている。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "このように、PC-FXに参入して独自にソフトウェアを販売するサードパーティーは少数に限られた。ビジネスとして成功するか様子見をしているゲーム会社もいることから、NECホームエレクトロニクスは他のブランドと開発費を出し合って開発するダブルブランド戦略も取っていた。その結果、PC-FXのほとんどのソフトをNECホームエレクトロニクスがリリースすることとなった。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "1998年4月27日、PC-FX最後のソフトである『ファーストKiss☆物語』(NECホームエレクトロニクス)が発売された。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "NECホームエレクトロニクスが1995年5月から展開したのが「アニメ戦略」である。これは、PC-FX最大の特徴でありウリでもある高速動画再生機能をフルに使用したアニメソフトを中心にゲームを制作していくもので、同時に発売予定のゲームタイトルは、アクティブプレイワールド、バラエティ・フォーラム、アイドルコミュニケーション、アニメエクスプレスの4つの世界観に分類されるとした。これにあわせて同年8月12日にリリースされたPC-FX専用CD-ROMソフト『アニメフリークFX』Vol.1(創刊号)の広告では「アニメファンのためのアニメ情報メディア」「アニメファンのためのゲームマシンで見るOVA登場!!」と謳っていた。また、PC-FXアニメファンクラブが設立され、積極的にアニメファンや声優ファンの取り込みを行っていた。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "1995年8月発売の『アニメフリークFX』Vol.1の発売を皮切りに、同年8月に開催されたコミックマーケット48への出展、『アニメフリークFX』シリーズや『チップちゃんキィーック!』の販売を行っている。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "PC-FXの購入者のほとんどは「PCエンジンからのファンの方たち。」20歳前後の男子であった。こういった状況から「当初、アニメ戦略を展開しましたが、みなさんの反応を見て、現在はさらに進んでギャルアニメ路線になりました。」として事業の方向性を鮮明にしていった。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1995年4月、NECホームエレクトロニクスにより倫理審査基準(レーティング)が定められた。同年4月以降にマスターアップするFC-FX及びPCエンジンのソフトが対象とされ、新しく発売するソフトのほか、再販するソフトにも適用された。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "アニメ戦略を展開する際、PC-FXのマスコットキャラクター(イメージキャラクター)としてロルフィーを誕生させた。NECホームエレクトロニクスのゲーム事業向けのコーポレートキャラとして機能した。『アニメフリークFX』のチラシや表紙などを飾っており、ゲームソフト『となりのプリンセス ロルフィー』も発売されている。", "title": "広告" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "1996年11月には徳間書店インターメディアからゲーム開発に焦点を絞ったムック『DEVELO MAGAZINE』が刊行され、PC-FXGAやでべろBOXと連動するという形式になったが、2号で休刊している。", "title": "関連雑誌" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "『PC Engine FAN』1994年8月号の特集記事で、ハドソンの中本伸一は「ポリゴンは今注目されているから。だからそういう面では、PC-FXに動画機能という違った切り口があるっていうのがひとつ面白いやりかたなんじゃないかな。」「今はみんなポリゴンで見ちゃうんだよね。」「ボリゴンだけでゲームになるかといったら、やっぱりならないんだね。32Bit機といったって、やっばりスプライトや背景画面などの、今までのゲームの部分を高めていかないと。」と発言している。当時のリアルタイムポリゴン映像のほとんどが、実質数パターンのカメラ視点(視点切り替え)しか使用していない事を挙げ、同数の動画を用意すれば結果的に同じ事だと断じている。", "title": "反響" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "こうして1994年の年末商戦にはセガサターンやPlayStationも発売され、PC-FXはこれらの2機種とともに次世代機戦争の一角を担うとされていた。しかし、他社に対抗できるキラーソフトをハードウェア立ち上げ時に用意できず、他の同世代機が持っていた3DCG機能を持たずに動画をメインとしたハードウェア設計により、競合機種の勢いに引き離され、『ファミコン通信』1995年10月27日号で行われた「ファミ通国勢調査'95」の「持っているゲームマシン」において、PC-FXの所有率は3.2%と、PlayStation:40.2%、サターン:34.5%に対して大きく差をつけられた(回答710名、男性73.8%、女性9.9%、不明16.3%)。", "title": "反響" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "一方でデザインは評価され、1994年度グッドデザイン賞を受賞した。", "title": "反響" } ]
PC-FXは、1994年12月23日に日本電気ホームエレクトロニクス(NECホームエレクトロニクス)から発売された家庭用ゲーム機である。当時のメーカー希望小売価格は49,800円。 ハドソンと共同開発したPCエンジンの次世代機である。開発コードネームは「FX」。商品名の「PC-FX」について、「PC」=「PCエンジンの発展機であること」「PC-98シリーズとの親和性を持つ」という意味が込められ、「FX」=「Future(未来)とX(未知数)」という意味で「新しい時代を担う無限の可能性を持つマシン」を表している。
{{Infobox コンシューマーゲーム機 | 名称 = PC-FX | ロゴ = [[File:PC-FX logo.png|210px]] | 画像 = [[File:PC-FX-Console-Set.png|250px]] | 画像コメント = PC-FX本体 | メーカー = [[日本電気ホームエレクトロニクス|NECホームエレクトロニクス]] | 種別 = [[ゲーム機|据置型ゲーム機]] | 世代 = [[ゲーム機|第5世代]] | 発売日 = {{Flagicon|JPN}} [[1994年]][[12月23日]] | CPU = [[NEC Vシリーズ#RISC V800シリーズ|V810]] 21.475MHz | GPU = [[HuC62]] | メディア = [[CD-ROM]] | ストレージ = [[バッテリーバックアップ]]<br />[[PC-FX バックアップメモリパック]] | コントローラ = 有線 | 外部接続 = [[Small Computer System Interface|SCSI]] | オンラインサービス = | 売上台数 = {{Flagicon|JPN}} 11万1,000台<br/>(出荷台数は40万台) | 最高売上ソフト = | 互換ハード = PC-FXボード、[[PC-FXGA]] | 前世代ハード = [[PCエンジン]]シリーズ | 次世代ハード = }} '''PC-FX'''(ピーシー エフエックス)は、[[1994年]][[12月23日]]に[[日本電気ホームエレクトロニクス]](NECホームエレクトロニクス)から発売された[[テレビゲーム|家庭用ゲーム機]]である。当時のメーカー[[希望小売価格]]は49,800円。 [[ハドソン]]と共同開発した[[PCエンジン]]の次世代機である。開発コードネームは「FX」。商品名の「PC-FX」について、「PC」=「PCエンジンの発展機であること」「[[PC-9800シリーズ|PC-98シリーズ]]との親和性を持つ」という意味が込められ、「FX」=「Future(未来)とX(未知数)」という意味で「新しい時代を担う無限の可能性を持つマシン」を表している<ref name="FAN 1994-08">{{Cite journal |和書 |title=緊急スクープ① PC-FX参入メーカー判明!! |journal=PC Engine FAN |issue=1994年8月号 |publisher=徳間書店インターメディア |date=1994-06-30 |pages=16-21}}</ref>。 == 歴史 == === 開発経緯 === [[1992年]]-[[1993年]]頃、NECホームエレクトロニクスはPCエンジン[[SUPER CD-ROM2|SUPER CD-ROM<sup>2</sup>]]の後継機として[[32ビット]]機の開発を始めていた。共同開発した[[ハドソン]]は、1992年1月に[[アメリカ合衆国]][[ラスベガス]]で開催された[[コンシューマー・エレクトロニクス・ショー|CES]]で[[JPEG]]チップを公表している<ref>{{Cite journal |和書 |title=WINTER CES REPORT |journal=PC Engine FAN |issue=1992年3月号 |publisher=徳間書店インターメディア |date=1992-01-30 |pages=102}}</ref>。一方[[アーケードゲーム]]業界では、セガ・エンタープライゼス(現:[[セガ]])の[[MODEL2]]基板、ナムコ(現:[[バンダイナムコエンターテインメント]])の[[SYSTEM22]]基板などの[[3次元コンピュータグラフィックス|3DCG]]対応[[アーケードゲーム基板]]が熾烈な性能競争を繰り広げていた。[[任天堂]]やセガ・エンタープライゼス、ソニー・コンピュータエンタテインメント(現:[[ソニー・インタラクティブエンタテインメント]])も次世代機の開発を進めていた。 === 商品化発表 === 1993年11月1日、[[日本経済新聞社]]が発行する『[[日本経済新聞]]』及び『日経ニューメディア』でNECホームエレクトロニクスが32ビット[[CD-ROM]]ゲーム機を1994年末に商品化すると報道。この時点では32ビット[[RISC]] CPUを採用、映像処理用[[チップセット]]にハドソン製を採用、ゲーム媒体はCD-ROMを採用し実写映像や[[アニメーション]]を取り込んで再生可能、等と報じられた<ref>{{Cite news |和書 |title=NECホームエレ、実写映像ゲームも―家庭用機種、来年末に。 |newspaper=日本経済新聞 |edition=朝刊 |publisher=日本経済新聞社 |date=1993-11-01}}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title=NEC HE、32ビットCD-ROMゲーム機を94年末に発売へ |newspaper=日経ニューメディア |publisher=日本経済新聞社 |date=1993-11-01}}</ref>。同年11月30日発売の『[[PC Engine FAN]]』1994年1月号、『[[月刊PCエンジン]]』1994年1月号、『[[マル勝PCエンジン]]』1994年1月号で、開発コード「FX」と名付けられた次世代機の特集記事が掲載され、「FXはCD-ROM専用機」「PCエンジンとの[[互換性]]なし」「メインCPUは[[日本電気|NEC]]製[[NEC Vシリーズ#V810系|V810]]を採用し、その他に(ハドソンの)テツジンの一部のチップを若干変更して採用」「秒間30コマのフルカラー/フルアニメーションが可能」と報じられた<ref>{{Cite journal |和書 |title=特報 新ハードの現状を緊急リポート ウワサの次世代機の全ぼうに迫る |journal=月刊PCエンジン |issue=1994年1月号 |publisher=徳間書店インターメディア |date=1993-11-30 |pages=25-29}}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |title=PC-ENGINE PLUS 次世代ゲームマシン「FX」発表 |journal=月刊PCエンジン |issue=1994年1月号 |publisher=[[小学館]] |date=1993-11-30 |pages=65-67}}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |title=ついにNEC HEが32ビットニューマシンを発表!! |journal=マル勝PCエンジン |issue=1994年1月号 |publisher=[[角川書店]] |date=1993-11-30 |pages=12-13}}</ref>。なお、[[1994年]]1月17日付『日経ニューメディア』には「32ビットCD-ROMゲーム機のCPUを、ハドソンから提案のあったハドソン独自CPUではなく、NECのV810に変更」すると報じられており<ref>{{Cite news |和書 |title=NEC HE、32ビットCD-ROMゲーム機のCPUをRISCのV.810に変更 |newspaper=日経ニューメディア |publisher=日本経済新聞社 |date=1994-01-17}}</ref>、開発当初はハドソンから独自CPU{{Efn2|独自CPUとは「HuC62320」を指すと思われる。}}の採用が提案されていたことがうかがえる。 同時期にはソニー・コンピュータエンタテインメントの新規参入ハード(コードネームPS-X、後の[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]])やセガ・エンタープライゼスの[[メガドライブ]]次世代機(コードネームSaturn、後の[[セガサターン]])など、他社からも次世代機の開発計画が公表され始める。 === 発売まで === 1994年5月13日の「NEC全国ソフトメーカー会」会場でFXの詳細仕様が公開された。また、FXをPC-9801シリーズの[[光学ドライブ|CD-ROMドライブ]]として使用する専用アダプターも参考出品として展示された。このほかに本体[[木型|モックアップ]]の展示及び[[ローンチタイトル|同時発売]]予定のソフトとして『バトルヒート』(仮称)、『FXファイター』(仮称)、『チームイノセント』(仮称)も発表されている<ref>{{Cite journal |和書 |title=緊急速報 FX(仮称)最新情報 |journal=PC Engine FAN |issue=1994年7月号 |publisher=徳間書店インターメディア |date=1994-05-30 |pages=16-21}}</ref>。 1994年6月4日、5日の日程で千葉県・[[幕張メッセ]]で開催された「'94[[東京おもちゃショー]]」NECブースで、FXのモックアップが一般向けに公開されると共に対応ソフトも同時出展され、会場で実際にプレイすることもできた<ref>{{Cite journal |和書 |title='94東京おもちゃショー お楽しみガイド |journal=PC Engine FAN |issue=1994年7月号 |publisher=徳間書店インターメディア |date=1994-05-30 |pages=22}}</ref>。その後、正式名称を「PC-FX」に決定し、対応ソフトの参入メーカーとして[[NECアベニュー]]、NECホームエレクトロニクス、[[データウエスト]]、ハドソン、[[ヒューネックス]]、[[マイクロキャビン]]、[[リバーヒルソフト]]、[[レイ・フォース]]の8社が参入する事も併せて発表され、『バトルヒート』と『チームイノセント』の2タイトルは正式に発売する事も公表された<ref name="FAN 1994-08"/>。同年7月にPC-FXのアイキャッチとロゴが公開され<ref>{{Cite journal |和書 |title=PC-FX はみ出し情報 |journal=PC Engine FAN |issue=1994年9月号 |publisher=徳間書店インターメディア |date=1994-07-30 |pages=60}}</ref>、同年8月上旬には正式発売の2タイトルに加えて11タイトルが追加で公表され、『[[バトルヒート]]』『[[TEAM INNOCENT -The Point of No Return-]]』『[[卒業II 〜Neo Generation〜]]』の3本がPC-FXと同時発売されることが公表された<ref>{{Cite journal |和書 |title=緊急速報 「FX」追加タイトル浮上 |journal=PC Engine FAN |issue=1994年10月号 |publisher=徳間書店インターメディア |date=1994-08-30 |pages=12-15}}</ref>。同年10月29日発売の『PC Engine FAN』1994年12月号で量産試作機の写真及び最終スペックが公開されたが、この時点では発売日は未定だった<ref name="FAN 1994-12">{{Cite journal |和書 |title=ハード本体徹底分析 PC-FX最終スペック公開 |journal=PC Engine FAN |issue=1994年12月号 |publisher=徳間書店インターメディア |date=1994-10-29 |pages=16-17}}</ref>。 1994年10月31日、PC-FXを同年12月9日に発売すると正式発表。希望小売価格は49,800円と報じられた<ref>{{Cite news |和書 |title=NEC-HEも32ビットゲーム機、来月発売、価格やや高め―各社製品出そろう。 |newspaper=日本経済新聞 |edition=朝刊 |publisher=日本経済新聞社 |date=1994-11-01}}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title=NEC-HE、来月発売、32ビットゲーム機、4万9800円。 |newspaper=[[日経産業新聞]] |publisher=日本経済新聞社 |date=1994-11-01}}</ref>。同年11月30日発売の『PC Engine FAN』1995年1月号にPC-FXの広告も掲載されたが<ref>{{Cite journal |和書 |title=1677万色、秒間30フレームのフルアニメーション・ゲームマシン。PC-FX |journal=PC Engine FAN |issue=1995年1月号 |publisher=徳間書店インターメディア |date=1994-11-30 |pages=2-3}}</ref>、本体添付の印刷物に記載ミスが見付かったことから発売日を12月23日に延期すると発表<ref>{{Cite news |和書 |title=NEC-HE、32ビットゲーム機発売延期―添付文書にミス。 |newspaper=日本経済新聞 |edition=朝刊 |publisher=日本経済新聞社 |date=1994-12-07}}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title=NEC-HE、32ビットゲーム機、発売延期―印刷物にミス、23日に。 |newspaper=日経産業新聞 |publisher=日本経済新聞社 |date=1994-12-07}}</ref>。こうして当初予定の1994年12月9日から2週間遅れて同年12月23日にPC-FXが発売された。なお、年末年始商戦で出荷された台数は7万台と報道されている<ref>{{Cite news |和書 |title=年末年始商戦、ゲーム業界乱戦模様―ソニー・セガ好調、苦戦する任天堂。 |newspaper=日本経済新聞 |edition=朝刊 |publisher=日本経済新聞社 |date=1995-01-10}}</ref>。 === 発売後 === [[1995年]]3月17日、NECホームエレクトロニクスはPC-FXのハード、ソフトをNECのPC-98シリーズで利用できるようにする周辺機器としてPC-FX SCSIアダプタ(型番:FX-SCSI)と[[98MULTi CanBe|98CanBe]]専用の[[98MULTi CanBe#PC-FXボード|PC-FXボード]](型番:FX-98IF)を発売<ref>{{Cite news |和書 |title=NEC-HEが2機種、32ビットゲーム機対応「98」周辺機器。 |newspaper=日経産業新聞 |publisher=日本経済新聞社 |date=1995-01-27}}</ref>。同年4月、都内の家電量販店でPC-FXの店頭価格が29,800円と大幅に下落し、定価販売のPlayStationとの勝敗が鮮明と報じられた<ref>{{Cite news |和書 |title=32ビットゲーム機の値段、勝敗鮮明に―NECホームは下落、ソニーは今も定価。 |newspaper=日本経済新聞 |edition=朝刊 |publisher=日本経済新聞社 |date=1995-04-18}}</ref>。 [[1995年]]5月、NECホームエレクトロニクスはPC-FX向けにアニメとゲームを融合した「[[#アニメ戦略|アニメ戦略]]」を展開すると発表<ref>{{Cite news |和書 |title=NEC-HE、32ビット機用にアニメ―品ぞろえ強化。 |newspaper=日経産業新聞 |publisher=日本経済新聞社 |date=1995-05-17}}</ref>。また、[[キャラクター|イメージキャラクター]]として[[只野和子]]が[[キャラクターデザイン]]した「[[ロルフィー]]」を発表した<ref name="FAN 1995-07">{{Cite journal |和書 |title=FXアニメ戦略特集 |journal=PC Engine FAN |issue=1995年7月号 |publisher=徳間書店インターメディア |date=1995-05-30 |pages=114-120}}</ref>。 1995年7月、NECホームエレクトロニクスはPC-FXの仕様を一般に公開し、年末にPC-98シリーズなどでゲームや映像ソフトが簡単に制作できるシステムを発売すると発表<ref>{{Cite news |和書 |title=NEC-HE、家庭でもソフト制作―32ビットゲーム機の仕様公開。 |newspaper=日本経済新聞 |edition=朝刊 |publisher=日本経済新聞社 |date=1995-07-09}}</ref>。同年12月8日、企業向けと比べて安価な[[プログラミングツール|開発ツール]]を提供する、PC-FX上位互換のPC-9800シリーズ用[[拡張カード|ゲームアクセラレータボード]]・'''[[PC-FXGA]]'''を販売した(DOS/V用は1996年6月発売)。これは本体付属ツールのみでも[[3次元コンピュータグラフィックス|3DCG]]を作成できるというもので、初回1万本限定で別売の開発ツール(GMAKERスタータキット)を同梱した「PC-FXGAキャンペーンセット」も販売された。さらに追加の開発キット(GMAKERスタータキットプラス)も発売され、より高度な開発環境も提供された。当時はゲーム専門学校も活況であり、同人市場やゲーム業界に興味のある人を視野に置いたアプローチも行われ、[[ゲームソフト]]開発会社の[[ヒューマン (ゲーム会社)|ヒューマン]]が運営する[[ヒューマン (ゲーム会社)#ヒューマンクリエイティブスクール|ヒューマンクリエイティブスクール]]と共同でゲームソフト製作者の育成も試みられた<ref>{{Cite news |和書 |title=NECホームエレ、ゲームソフト製作者育成―開発ツール、一般向け販売。 |newspaper=日経産業新聞 |publisher=日本経済新聞社 |date=1995-10-19}}</ref>。 なお、『PC Engine FAN』の発行元である[[徳間書店インターメディア]]も、PCエンジンソフト開発環境を自ら開発し、『でべろBOX』と称するハードウェアを誌上販売すると共に(1996年2月発売)、PCエンジンユーザー開発システム(開発ツール)『でべろスターターキット・アセンブラ編』『でべろスターターキット・BASIC編』を出版し、後には『でべろスターターキット・アセンブラ編』と『でべろBOX』をセットにした『でべろスターターセット』を誌上販売している。 ソニー・コンピュータエンタテインメントとセガ・エンタープライゼスによる次世代機の覇権争いで、PlayStationやセガサターンが[[廉価版]]を次々に投入するに伴い、PC-FXも[[1997年]]1月に[[オープン価格]]に移行。同年6月には実売価格が14,800円まで大幅に値下げして販売されていた<ref>{{Cite news |和書 |title=テレビゲーム機下落、店頭での販売競争が激化。 |newspaper=日経産業新聞 |publisher=日本経済新聞社 |date=1997-06-30}}</ref>。また、[[ソフマップ]]とタイアップして『[[女神天国|女神天国II]]』を同梱した「Sofmap特製 PC-FX限定Version 女神天国II付き」も発売されている。 [[1998年]]6月、NECホームエレクトロニクスが[[ドリームキャスト]]への参入を発表。同時にPC-FXからの撤退を正式に発表した<ref>{{Cite web|和書|url=https://ss-agent.jp/column/special/sp21-game-history-other/ |title=【ゲームの歴史 第五回】数多のメーカーが現れては消え——その他編 |publisher=Silicon Studio Agent |accessdate=2023-08-15}}</ref>。なお、NECホームエレクトロニクスは、後に[[NECグループ]]の事業整理の対象になり、2000年3月31日を以て事業を停止・解散した。またNECアベニューなど[[NECグループ]]のソフトウェア関連部門を分離・統合して設立した[[インターチャネル|NECインターチャネル]]も2004年に[[インデックス・ホールディングス|株式会社インデックス]]に譲渡され、NECグループはゲーム業界から撤退する事となった。<!-- その後、NECホームエレクトロニクス関連の権利は、2008年時点で[[BIGLOBE|NECビッグローブ]](現・ビッグローブ)が有していた<ref>{{Cite news|url=http://www.alfasystem.net/a_m/archives/108.html |title=リンダキューブアゲイン配信開始 |publisher=Alfa・MARS PROJECT |date=2008-09-11}}</ref> 。 --> PC-FXの最終的な販売台数は、約11万1千台だった<ref name="newspaper01">{{Cite news |和書 |title=ウィークエンド経済 第765号 |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2001-12-01 |edition=夕刊}}</ref>。世界累計販売台数1,000万台を超えたPCエンジンと比較すると、圧倒的な惨敗に終わった。 == ハードウェア == ; 筐体 : 家庭用ゲーム機としては初めて縦置きデザインを採用した。 ; 光学ドライブ : CD挿入部分は[[PCエンジンDuo]]と同じトップローディング方式である。 ; 映像 : CD-ROMから読み出した圧縮動画データを独自の圧縮データ伸長専用のプロセッサに送ることで、高速動画再生を実現する機能を持ち、グラフィック関係の機能が充実していた<ref>{{Cite journal |和書 |title=これがウワサのNEC PC-FXだ!! |journal=[[週刊ファミ通|ファミコン通信]] 1994年12月30日号 |number=No.335 |publisher=株式会社アスキー |date=1994-12-30 |page=172}}</ref>。 === チップセットについて === PC-FXの[[チップセット]]はPCエンジンと同様のハドソン製[[HuC62]]シリーズに加え、拡大・縮小・回転・セロハン(半透明)機能のある4枚の[[バックグラウンド]]が追加されている。動画再生機能として[[Motion JPEG]]デコーダ(HuC6271)を搭載しており、動画ではなく一枚絵としてゲームの背景に使用することも可能。 一時期[[ポリゴン]]処理能力を持たせるという話題があったが、PC-FX自体には搭載されなかった。これには2つの説がある。 * {{要出典範囲|元々はハドソン社によって開発されていた次世代ゲーム機のための[[チップセット]]([[コードネーム|コード名]]「TETSUJIN」)を搭載する予定であったが、そのうちの3D用表示用チップ・HuC6273([[クボタ|クボタコンプス]]との共同開発の[[グラフィックコントローラ|グラフィックチップ]])の開発がPC-FX製品化に間に合わなかったということになっている{{Efn2|HuC6273は表示個数やサイズなどに制限のない[[スプライト (映像技術)|スプライト]]機能・演算性能10万[[ポリゴン]]/秒の[[3次元コンピュータグラフィックス|3Dグラフィック]]機能の付加を実現する予定だった。}}|date=2019年7月}}。 * PCエンジンに詳しいゲーム開発者・ゲームライターの[[岩崎啓眞]]は上記の説を否定しており<ref name="blog01"/>、「PC-FXは3Dを前提として開発していたがチップが間に合わなかった」のではなく、「PC-FXの開発陣は当時のアーケードにおける熾烈な3D競争を知らず、2D路線で成功していたPCエンジンの延長としてPC-FXをとらえていたため、[[3DO]]・サターンと『2D戦争をやる』なら、PC-FXは致命的な性能のマシンではないが、そもそも3Dについてほとんど考えておらず、PlayStationが出てきてあわてて3D用のチップの開発を始めた」と説明している。 HuC6273は、PC-9800シリーズ用([[Cバス]])及び[[DOS/V]]用([[Industry Standard Architecture|ISAバス]])ゲームアクセラレータボード・PC-FXGAに搭載され、『んーにゅー』(1996年7月発売・NECホームエレクトロニクス、市販された唯一のPC-FXGA用ゲームソフト)と共に発売された。なお当初計画・予告されていた[[Peripheral Component Interconnect|PCIバス]]対応版のPC-FXGA/PCIは製品化されずに終わっている。 {{要出典範囲|これに関して実際に言えば、新グラフィックチップ・HuC6273の開発が難航しPC-FX製品化のタイムスケジュールに間に合わないという事態となった|date=2023年8月}}。そこで、このチップの代わりに前世代のPCエンジン用[[グラフィックコントローラ|グラフィックチップ]](HuC6270)を2個搭載し、これに[[Motion JPEG]]デコーダ(HuC6271)を追加することで強力な動画再生機能を付与するという、はなはだアンバランスな構成となった。{{要出典範囲|その結果、本機のグラフィック機能、特に画面モードとビデオメモリへのアクセス方法には様々な制約が存在することとなり、グラフィックメモリマッピングが極めて変則的であるため、3Dゲームのみならず、2Dシューティング/アクション/対戦格闘ゲーム等の移植も困難になってしまった。|date=2023年8月}} === 仕様 === 以下は『PC Engine FAN』1994年12月号掲載の「PC-FX最終スペック表」(17頁)及び『PC-FX取扱説明書』「仕様/定格」(29頁)等による。 * [[CPU]]:[[NEC Vシリーズ#V810系|V810]] (μPD70732GD-25)21.475[[メガヘルツ|MHz]] ** [[日本電気]]が開発した、オリジナル設計の[[32ビット]][[RISC]] CPU。このCPUは32ビットRISC CPUでありながら[[16ビット]]長の命令混在を許容することでメモリ使用効率の改善を図るなど、[[組み込みシステム|組み込み]]用途に適した[[プロセッサ]]である。 * メイン[[Random Access Memory|RAM]]:2[[メガバイト|MB]] * [[VRAM|ビデオRAM]] :1.25MB * CD[[バッファ]]:256[[キロバイト|KB]] * バックアップRAM:32KB * システムROM:1MB * CD-ROMドライブ:2倍速 * 対応CDフォーマット:PC-FX用CD-ROM、[[CD-DA|音楽CD]]、[[CD+G|CD-G]]、[[CD+G#Compact Disc + Extended Graphics|CD-EG]]、[[フォトCD]] * 最大表示色数:1677万色 * [[画面解像度]]:標準256×240ドット(PCエンジンと同等)、最大320×240ドット * スプライト数:1画面中に最大128個 * BG画面数:最大7面(最大9画面合成) * エフェクト:BG1画面に対して回転・拡大・縮小・セロファン・[[フェード]]・プライオリティ * 動画再生:Motion JPEG、フルカラー・フルスクリーン * 動画圧縮:JPEG/[[連長圧縮|ランレングス]](30フレーム/秒)<ref name="FAN 1994-12"/> * サウンド機能:[[適応的差分パルス符号変調|ADPCM]] 2ch、[[波形メモリ音源]](最大6音) * 出力端子:[[コンポジット映像信号|ビデオ端子]]、[[S端子|S映像出力端子]]、[[RCA端子|ステレオ音声出力端子]]、電源出力端子([[直流|DC]]出力 5[[ボルト (単位)|V]]/40[[ミリ|m]][[アンペア|A]]) * [[拡張カード|拡張スロット]] ** 本体前面:バックアップメモリ増設スロット - FX-BMP(本体メモリの4倍の容量を持つ[[PC-FXバックアップメモリパック|バックアップメモリパック]])用 ** 本体後面:機能拡張スロット(PC-98シリーズとの接続用) ** 本体底面:[[主記憶装置|メインメモリ]]増設スロット(対応製品なし) * [[ゲームパッド|パッド]]端子:2ポート * 外形寸法:幅132[[ミリメートル|mm]]×奥行き267mm×高さ244mm(5.2in×10.5in×9.6in) * 使用電源:[[交流|AC]] 100V±10% 50/60Hz * 消費電力:16[[ワット|W]] * 重量:約2.9[[キログラム|kg]](本体)、約200[[グラム|g]](PC-FX専用パッド) <gallery widths="180px"> NEC-PC-FX-Front.jpg|本体前面とバックアップメモリ増設スロット(EXT1) NEC-PC-FX-Back.jpg|本体後面と機能拡張スロット(EXT2) NEC-PC-FX-Bottom-Open.jpg|本体底面とメインメモリ増設スロット(EXT3) NEC-PC-FX-Side-Teardown-01.jpg|PC-FX内部 NEC-PC-FX-Motherboard.jpg|PC-FX[[マザーボード]] NEC-PC-FX-Daughterboard-Flat.jpg|PC-FX[[ドーターボード]] </gallery> == 周辺機器 == * PC-FX専用パッド(型番:FX-PAD) * PC-FX マウス(型番:FX-MOU) * [[PC-FX バックアップメモリパック]](型番:FX-BMP) [[ゲームパッド]]のボタンは二列横並びの6ボタンであり、PCエンジン用6ボタンコントローラ『アーケードパッド6』([[PCエンジンDuo#本体|PCエンジンDuo-RX]]に同梱)と同形状のデザインである<ref>[http://www2s.biglobe.ne.jp/tetuya/FXHP/pcengine/hard/arcpad6.html アーケードパッド6]</ref>。しかしボタンを多用するようなゲーム性の作品はほとんど発売されず、『[[ファーストKiss☆物語]]』の[[ミニゲーム]]・『ヒューネックスファイターズ'98』という[[対戦型格闘ゲーム#2D対戦格闘ゲーム|2D対戦格闘ゲーム]]で対応している。 後に有志によりコントローラ端子の[[3Dプリンター]]用データが公開された<ref>[https://www.thingiverse.com/thing:3004420 PC-FX Controller Connector by TDLinux - Thingiverse]</ref>。 == 関連商品 == * PC-FX SCSIアダプタ(型番:FX-SCSI) * [[98MULTi CanBe#PC-FXボード|PC-FXボード]](型番:FX-98IF、[[98MULTi CanBe|98CanBe]]専用) * [[PC-FXGA]]([[PC-9800シリーズ]]用) * PC-FXGA([[DOS/V]]用) NEC製[[PC-9800シリーズ]]との連携が意識されていたため、PC-FXボード(型番:FX-98IF)、PC-FXGAなど[[パーソナルコンピュータ|PC]]上でPC-FXの[[ソフトウェア|ソフト]]が遊べる[[拡張カード]]が発売され、PC-FXを[[Small Computer System Interface|SCSI]]接続の外付け[[CD-ROM]]ドライブとして接続するPC-FX SCSIアダプタ(型番:FX-SCSI)も発売された。 <gallery widths="180px"> PC-FX-Controller.jpg|FX-PAD PC-FX Mouse.jpg|PC-FX マウス PC-FX BackupMemoryPack.jpg|PC-FX バックアップメモリパック PC-FXGA(C-BUS) 01.jpg|PC-FXGA([[PC-9800シリーズ]]用) </gallery> == ソフトウェア == {{Main|PC-FXのゲームタイトル一覧}} ソフトの総数は雑誌付録・[[体験版]]・PC-FXGA専用ソフトを除くと62本。『[[バトルヒート]]』のようなアニメーションとゲームを融合させたゲームソフトを強みとした。 1995年3月20日、NECホームエレクトロニクスと共同の[[プラットフォーム (コンピューティング)|プラットフォーム]]ホルダーであるハドソンが、『[[天外魔境III NAMIDA]]』のPC-FXへの対応機種変更と、[[1996年]]春頃の発売予定であることを発表した<ref name="FAN 1995-05">{{Cite journal |和書 |title=ごぶさたタイトルの現状を探る!! |journal=PC Engine FAN |issue=1995年5月号 |publisher=徳間書店インターメディア |date=1995-03-30 |page=42}}</ref>。同年6月3日、4日に開催された「'95東京おもちゃショー」ではPC-FXの動画再生機能を生かしたデモンストレーションが再生されるなど大々的な展示が行われたが<ref>{{Cite journal |和書 |title=巻頭特報 天外魔境III NAMIDA イメージアニメ入手!! |journal=PC Engine FAN |issue=1995年8月号 |publisher=徳間書店インターメディア |date=1995-06-30 |pages=17-19}}</ref>、結局、発売日未定のまま開発中止となった{{Efn2|[[2005年]]に[[PlayStation 2]]用ソフトとして発売された。}}。ハドソンからは1996年3月8日に『[[銀河お嬢様伝説ユナ|銀河お嬢様伝説ユナFX 哀しみのセイレーン]]』、1996年4月26日に『[[パワーリーグ|スーパーパワーリーグFX]]』が発売されたが、以降はPC-FX専用ソフトのリリースは行われず、ハドソンによるPC-FX専用ソフトのリリースは少数にとどまった。 1995年10月、NECアベニューなどNECグループのコンテンツ製作・販売部門を統合してNECインターチャネルが設立された。PC-FXへのさらなる注力を表明したが、NECインターチャネルから発売されたPC-FX専用ソフトは『[[天地無用!|天地無用! 魎皇鬼FX]]』一作のみで、その後PC-FX専用ソフトをリリースすることはなかった。なお、1996年8月にNECインターチャネルは[[美少女ゲーム]]を武器に巨大な[[ギャルゲー]]市場があったセガサターンへ参入している。これについて当時[[TBSテレビ]]「[[JNN報道特集]]」にて特集されている。 このように、PC-FXに参入して独自にソフトウェアを販売する[[サードパーティー]]は少数に限られた。ビジネスとして成功するか様子見をしているゲーム会社もいることから、NECホームエレクトロニクスは他のブランドと開発費を出し合って開発する[[ダブルブランド]]戦略も取っていた<ref name="FAN 199408-18">{{Cite journal |和書 |title=緊急スクープ① PC-FX参入メーカー判明!! |journal=PC Engine FAN |issue=1994年8月号 |publisher=徳間書店インターメディア |date=1994-06-30 |pages=16}}</ref>。その結果、PC-FXのほとんどのソフトをNECホームエレクトロニクスがリリースすることとなった。 1998年4月27日、PC-FX最後のソフトである『[[ファーストKiss☆物語]]』(NECホームエレクトロニクス)が発売された。 === アニメ戦略 === NECホームエレクトロニクスが1995年5月から展開したのが「アニメ戦略」である。これは、PC-FX最大の特徴でありウリでもある高速動画再生機能をフルに使用したアニメソフトを中心にゲームを制作していくもので、同時に発売予定のゲームタイトルは、アクティブプレイワールド、バラエティ・フォーラム、アイドルコミュニケーション、アニメエクスプレスの4つの世界観に分類されるとした<ref name="FAN 1995-07"/>。これにあわせて同年8月12日にリリースされたPC-FX専用CD-ROMソフト『[[アニメフリークFX]]』Vol.1(創刊号)の広告では「アニメファンのためのアニメ情報メディア」<ref>{{Cite journal |和書 |journal=PC Engine FAN |issue=1995年8月号 |publisher=徳間書店インターメディア |date=1995-06-30 |pages=2}}</ref>「アニメファンのためのゲームマシンで見るOVA登場!!」と謳っていた<ref>{{Cite journal |和書 |journal=PC Engine FAN |issue=1995年9月号 |publisher=徳間書店インターメディア |date=1995-07-29 |pages=2-3}}</ref>。また、PC-FXアニメファンクラブが設立され、積極的にアニメファンや声優ファンの取り込みを行っていた。 1995年8月発売の『アニメフリークFX』Vol.1の発売を皮切りに、同年8月に開催された[[コミックマーケット]]48への出展{{Efn2|コミックマーケットの企業ブースはC48が初めてである。}}、『アニメフリークFX』シリーズや『チップちゃんキィーック!』の販売を行っている。 PC-FXの購入者のほとんどは「PCエンジンからのファンの方たち。」20歳前後の男子であった。こういった状況から「当初、アニメ戦略を展開しましたが、みなさんの反応を見て、現在はさらに進んでギャルアニメ路線になりました。」として事業の方向性を鮮明にしていった<ref>{{Cite journal |和書 |journal=[[DENGEKI HIME|電撃姫]] |volume=Vol.2 |publisher=[[メディアワークス]] |date=1997-07 |pages=112-113}}NEC-HEのホームサーバー事業部・粕谷氏インタビュー記事より。</ref>。 === レーティング === 1995年4月、NECホームエレクトロニクスにより倫理審査基準([[レイティング|レーティング]])が定められた。同年4月以降に[[テープアウト|マスターアップ]]するFC-FX及びPCエンジンのソフトが対象とされ、新しく発売するソフトのほか、再販するソフトにも適用された<ref>{{Cite journal |和書 |title=NEC倫理審査システム発表 |journal=PC Engine FAN |issue=1995年7月号 |publisher=徳間書店インターメディア |date=1995-05-30 |pages=121}}</ref>。 * 『一般向け』 - 年齢を問わずに推奨できるゲーム。性的な刺激のないもの。残酷なシーンや暴力などの刺激を与えないもの。年少者に対して[[犯罪]]や[[反社会的行動|反社会的行為]]を煽らないもの。未成年者の喫煙、飲酒のシーンを肯定するものも禁止。 * 『18歳以上推奨』 - 18歳未満のユーザーに推奨できない内容のもの。著しく性的感情を刺激しないもの。乳首まではOKだが、[[性行為]]表現は間接的でも禁止。暴力シーンは多少は可能だが残酷な描写は禁止。 * 『18歳未満禁止』 - 年少者がプレイするのは好ましくないと思われるもの。ただし、性行為・著しく残虐な暴力の直接的な表現は禁止。 == 広告 == {{main|ロルフィー}} アニメ戦略を展開する際、PC-FXの[[マスコットキャラクター]](イメージキャラクター)としてロルフィーを誕生させた。NECホームエレクトロニクスのゲーム事業向けのコーポレートキャラとして機能した。『アニメフリークFX』のチラシや表紙などを飾っており、ゲームソフト『[[となりのプリンセス ロルフィー]]』も発売されている。 == 関連雑誌 == * 『電撃PCエンジン』([[メディアワークス]]) - 1996年6月号(4月30日発売)から『[[電撃G's magazine|電撃G'sエンジン]]』へ誌名を変更。 * 『[[PC Engine FAN]]』([[徳間書店インターメディア]])- PCエンジン、PC-FXの専門情報誌。1996年10月号で休刊。 1996年11月には徳間書店インターメディアからゲーム開発に焦点を絞ったムック『DEVELO MAGAZINE』が刊行され、PC-FXGAやでべろBOXと連動するという形式になったが、2号で休刊している。 == 反響 == 『PC Engine FAN』1994年8月号の特集記事で、ハドソンの[[中本伸一]]は「ポリゴンは今注目されているから。だからそういう面では、PC-FXに動画機能という違った切り口があるっていうのがひとつ面白いやりかたなんじゃないかな。」「今はみんなポリゴンで見ちゃうんだよね。」「ボリゴンだけでゲームになるかといったら、やっぱりならないんだね。32Bit機といったって、やっばりスプライトや背景画面などの、今までのゲームの部分を高めていかないと。」と発言している<ref>{{Cite journal |和書 |title=緊急スクープ① PC-FX参入メーカー判明!! |journal=PC Engine FAN |issue=1994年8月号 |publisher=徳間書店インターメディア |date=1994-06-30 |pages=18}}</ref>。当時のリアルタイムポリゴン映像のほとんどが、実質数パターンのカメラ視点(視点切り替え)しか使用していない事を挙げ、同数の動画を用意すれば結果的に同じ事だと断じている。 こうして1994年の年末商戦には[[セガサターン]]や[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]も発売され、PC-FXはこれらの2機種とともに次世代機戦争の一角を担うとされていた。しかし、他社に対抗できる[[キラーソフト]]をハードウェア立ち上げ時に用意できず、他の[[ゲーム機#第5世代|同世代機]]が持っていた[[3次元コンピュータグラフィックス|3DCG]]機能を持たずに動画をメインとしたハードウェア設計<ref name="blog01">{{Cite news|url=http://www.highriskrevolution.com/gamelife/index.php?e=36 |work=Colorful Pieces of Game|title=決戦前夜(6)-追補|author=岩崎啓眞|date=2010-06-04}}</ref>により、競合機種の勢いに引き離され、『[[ファミ通|ファミコン通信]]』1995年10月27日号で行われた「ファミ通国勢調査'95」の「持っているゲームマシン」において、PC-FXの所有率は3.2%と、PlayStation:40.2%、サターン:34.5%に対して大きく差をつけられた(回答710名、男性73.8%、女性9.9%、不明16.3%)<ref>{{Cite journal |和書 |title=ファミ通国勢調査'95 |journal=[[週刊ファミ通|ファミコン通信]] 1995年10月27日号 |number=No.358 |publisher=株式会社アスキー |date=1995-10-27 |page=101,110頁}}</ref>{{Efn2|同調査では「欲しいと思うゲームマシン」として[[NINTENDO64]]:52.9%、サターン:43.9%、PlayStation:41.5%、PC-FX:17.5%、3DO:15.5%という調査結果も掲載されている。}}。 一方でデザインは評価され、1994年度[[グッドデザイン賞]]を受賞した<ref>{{グッドデザイン賞受賞対象リンク|id=20882 |name=テレビゲーム機 NEC PC-FX |accessdate=2022-01-05}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2}} === 出典 === {{reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|PC-FX}} * [[コア構想]] * [[バーチャルボーイ]] - 任天堂から発売されたゲーム機。本機にも採用されたCPUのV810が使用されている。 {{家庭用ゲーム機/NEC}} [[Category:1994年のコンピュータゲーム|*]] [[Category:ゲーム機]] [[Category:日本電気の製品]] [[Category:ハドソン]] [[Category:1990年代の玩具]] [[Category:グッドデザイン賞]]
2003-04-12T17:15:02Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/PC-FX
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センチメンタルグラフティ
『センチメンタルグラフティ』(Sentimental Graffiti)は、1998年1月22日にNECインターチャネルより発売されたセガサターン向けの恋愛シミュレーションゲーム。また、同ゲームを含む一連のメディアミックス企画の総称。公式の略称は「センチ」。「セングラ」という略称でも知られている。 後にWindows版、PlayStation版も発売された。また、2010年2月10日からガンホー・オンライン・エンターテイメントがゲームアーカイブスで配信している。 ゲーム本編ではプレイヤーの分身である「少年」本人の視点で物語が進行するが、小説版やアニメではヒロインの視点で物語が進行する。少年でもヒロインでもなく、第三者の視点で物語が進行するのは、アニメ『センチメンタルジャーニー』の第3話「七瀬優 -星降る夜の天使-」。ゲーム本編における、杉原真奈美が住む高松でのBGMは小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』を基に作ったものである。実際、JR高松駅では発着メロディに『瀬戸の花嫁』が採用されている。 1994年に発売された『ときめきメモリアル』が爆発的なヒット作となり、コンシューマーゲームにおいて恋愛ゲームというジャンルが広く認知されるに至った。それを受けて、『卒業』シリーズの主力スタッフだったNECインターチャネルの多部田俊雄とゲーム制作会社マーカスの窪田正義が、『ときメモ』に続く新しいブランド(「ネクスト『ときメモ』」と銘打っていた)とするべく共同考案したのが本作である。 脚本や文章を大倉らいた、キャラクターイメージを甲斐智久が担当。ヒロイン役の声優の内6人は青二プロダクションの新人を中心に起用。残りの6人は当時珍しかった一般公募による選考で揃えている。いずれのスタッフも当時は知名度が低く、その分メディアへの露出も少なかったが、強力な販促活動でバックアップすることによって独自のブランドを作り出すという販売戦略だった。 なお、大倉は本作に関わる前に『卒業』第1弾のヒロイン5人組の卒業後の生活を描いた作品『結婚 いつかあなたと...』を執筆していた関係で『卒業』シリーズとは間接的に繋がりがあった。この縁故により、当作にも『卒業』シリーズの舞台となる清華女子高等学校が登場し、ヒロインの内の1人である星野明日香が在籍する学校として設定されているほか、ゲーム本編でも清華女子高校の制服を着た明日香のアイコンが採用されている。このため、当作は『卒業』シリーズの関連作品、またはシリーズ作品として位置付けられている。 それだけに当初から活発な宣伝がなされており、『電撃G'sマガジン』における連動小説の掲載を始めとして各ゲーム雑誌で多くの特集記事や広告が掲載された。1997年からはTBSラジオにて『センチメンタルナイト』が放送され、声優による本格的なプロモーションを開始。「SGガールズ」と名付けられたユニットを組んでイベントやコンサートが精力的に行われた。関連グッズの発売も積極的に行われ、中でもプレディスクとして制作され3万枚限定で出荷された『センチメンタルグラフティ ファーストウィンドウ』は予約が殺到したため入手困難となり、最大で1万5千円前後ものプレミアム価格で取引されるほどだった。 1997年11月には三一書房から『センチメンタルグラフティ攻略読本』(ISBN 4-380-97294-1)という書籍がゲーム発売に先行して発売された。ゲーム発売元から許可を得ずに執筆されたためゲームキャラクターのイラストは一切使用せず、公開されているキャラクター設定から勝手にゲーム内容を予想して「攻略」するという内容で、攻略本ではなく謎本に分類される書籍である。 ゲーム発売前からキャラクターグッズやドラマCDなどや小説が「それまでの印税だけで数億円は下らない」という説が出るほどの高い売上を記録し、中には「そんなに儲かったのなら、もうゲームを発売しなくてもいいのでは?」と言い出す者もいた。 こうして発売前から大きな話題を呼んでいたが、本編の発売は当初予定の1997年夏から大幅に遅れて1998年1月22日に発売され、販売本数は上々だった。 本編発売後も積極的な営業活動が引き続き行われ、本作の1年前を描いたTVアニメ『センチメンタルジャーニー』の放送やコンサートツアーなど新しい展開が見られた。これはPlayStation用ソフト『センチメンタルジャーニー』の発売を睨んでのものであり、この販売はNECインターチャネルではなくバンプレストによって行われている。ゲーム本編は『センチメンタルグラフティ』の時と同様、発売延期となった。発売延期の影響もあり『センチメンタルジャーニー』の売上が低調に終わると、その後は『センチメンタルグラフティ』全体の人気が急速に下降していく。 『センチメンタルジャーニー』の販売に携わったバンプレストが撤退し、代わって再び販売事業に乗り出したNECインターチャネルが後に続編『センチメンタルグラフティ2』を発売したが、その際にはこれまでのような大規模な宣伝は見られなかった。「前作主人公が交通事故で死んだという設定」について、前作のシナリオ担当だった大倉も続編のシナリオを担当しなかった理由について、「前作の主人公が死ぬ、という設定の変更が不可能で、書きたくても書けなかった」と語っている。脚本は結果的に、スタックという大阪の新興ゲーム製作会社に丸投げされている。売上・評価・人気などすべての面で不振だった。なお、脚本を手掛けたライターの一人(役職上はシナリオ監督)は後にライトノベル作家として有名になる松智洋である。 その一方で、2001年3月29日には『電撃G's』連載小説の上巻を元にしたノベルゲーム『センチメンタルグラフティ〜約束』がPlayStation向けに、本編のPlayStation移植版と同時に発売された。また、小説版の下巻を元にしたノベルゲーム『センチメンタルグラフティ〜再会』も発売する予定だったが、発売中止となっている。 不評に終わった『2』を立て直すべく、センチメンタルシリーズの最新作として2004年10月28日にPlayStation 2用ソフト『センチメンタルプレリュード』が発売された。『2』との物語的関連性を断ち切り、大倉をライターとして復帰させるなど、ユーザーが抱いていた『2』への不満を一掃しての仕切り直しを計ったものの、売上・評価・人気などすべての面で『2』以上の不振を極め、この作品を最後にセンチメンタルシリーズに終止符が打たれた。 その後、原作者の大倉らいたは当作に間接的に関係する『坂物語り』を執筆する。それなりに人気が在り、グッズが発売されるなどしたが、ゲーム化やアニメ化などはされず、ささやかに終了している。その後は『リリカルレストラン あした天使の翼をかりて・・・』の執筆を最後に消息不明となり、現在に至っている。一方、ヒロイン役を務めた声優陣は殆どがその後も芸能活動を続けている。当作における直接の関連プロジェクト自体は前述のように『センチメンタルプレリュード』が最後となっているが、当作がデビュー作であった西口有香は当作に対して強い想い入れがあるらしく、時折当作について触れることがあり、またネット中継で当作を実況プレイするという企画に何度も出演したりしている。2018年1月22日には発売20周年記念を迎え、それに合わせて本作の発売20周年記念プロジェクトが行われた。 高校3年になる春休み、かつて中学卒業まで幾度となく転校を繰り返した主人公(デフォルト名は田中一郎)の元に、「あなたに会いたい」と書かれた差出人不明の手紙が届く。手紙の送り主を探すために主人公は全国各地を回り、思い出に残る12人の少女と再会する。 1年間の間に、平日の学業とアルバイトをこなしながら北海道から九州までの全国12都市を回り、ヒロインとのイベントを発生させることによって、ストーリーを進めるのが基本的な流れになる。各地にいるヒロイン達へ逢いに行き、ヒロインと各地方都市の名所を訪れる擬似観光体験が楽しめる。 それぞれのストーリーの進捗状況によって、各ヒロインごとのハッピーエンド、グッドエンド、バッドエンドのいずれかのエンディングを迎えることとなる。手紙の送り主を探すのが本来の目的なのだが、実際はエンディングで最も親密になってハッピーエンドを迎えたヒロインが送ったということになる。 期間は1998年3月21日(土)から1999年3月1日(月)まで。学校がある平日は自動処理でアルバイトをしたこととなり、プレイヤーがコマンドを実行して東京の外に出れるのは休日 である土曜・日曜・祝日等(ゴールデンウィーク含む)・長期休校期間(春休み ・夏休み ・冬休み )のみ。休日に実行できるコマンドには「電話をする」(東京の自宅からのみ)「バイトをする」「休む」(自宅・野宿・ユースホテル・シティホテル)「他の街に移動する」(快速列車・快速夜行・特急列車・特急夜行・飛行機・フェリー・深夜バス・ヒッチハイク)などがあり、それぞれに応じた所持金や体力(本作では行動力)が変化したり時間が経過したりする。ヒロインには「好感度」と「せつなさ度」が設定されており、好感度は会うことによって、せつなさ度は連絡を取らないことによって上昇する。せつなさ度が上がった状態で再会すると好感度が大幅に上がりイベントが発生しやすくなるが、東京に帰ると主人公の元への留守番電話が掛かってくる。留守番電話で休日にメッセージを聞くための時間が自動的に消費され、無言電話の場合は行動力最大値が低下する。またせつなさ度が上がり過ぎると「せつなさ炸裂」状態となってヒロインと通常通りには会えなくなる。「せつなさ炸裂」状態になったヒロインに対しては、地方都市の市外に行って会うことで関係を修復することができるが、ハッピーエンドを迎えられなくなる(なお、主人公の意思で各地方都市の市外に行くことができるのはこの時だけ)。ヒロインとは移動中に偶然出会ったり、東京滞在中に上京してきたりすることがある。またエンディングは好感度ではなくこなしたイベントの数によって決定するため、あくまで好感度はそのイベントを発生させやすくするための数値という意味のものでしかない。 行動力の最大値はヒロインと会ったりすることで上がるが、地方都市から遅く帰って学校の登校時間に間に合わなかったり無言電話を聞くなどして下がる。 電話のコマンドでデートの約束を取り付けて会うことができる。しかし、デートの待ち合わせ日時について相手から指定されて主人公が待ち合わせ日時を指定するイニシアチブが制限されていることや、デートの待ち合わせ時間に遅れると好感度が下がることのデメリットがあり、またデートの約束がなくてもヒロインたちが住む都市の場所を歩くだけでヒロインと偶然会うことが可能である。そのためデートの約束を取り付けるメリットは確実にデートをすることくらいである。 デートの約束をすっぽかした後に電話をする際に主人公から別れを切り出すこともできる(ただし、登場したヒロインの中で残り1人のヒロインとは別れることはできない)。 各ヒロインの誕生星座は13星座占いに基づくものであり、12星座占いに照らすと星座が一致しないヒロインがいる。 全ヒロインが本作から2年後の世界を舞台にした「2」に登場しており年月の経過等により一部設定に変化がある、詳細は「2」の記事を参照。 作中で訪れることができる各地方の場所。現実世界では市内に存在する場所が市外扱いになっていたり、現実世界の場所と名称が異なっているものもある。市内散策時には選択できないイベント専用の場所も含む。 以下は、ゲーム中では各キャラクターの登場時に曲のみBGMとして流れる。 これらの楽曲は当初NECアベニューから発売されていたが、後にレーベルをNECインターチャネルに移して再販された。1998年には新バージョンのキャラクターソングがコロムビアから発売されており、これらは『センチメンタルジャーニー』でのイメージソングとなっている。 本作のメディアミックスの一環として制作された電撃G'sマガジン連載小説を元にした小説単行本上巻のタイトルであり、またそれを題材にしたノベルゲームである。ゲームは2001年3月29日にPlayStation版が、2003年12月25日にドリームキャスト版が本編と同じくNECインターチャネルから発売された。前述のとおり、小説版の下巻を元にしたノベルゲームの発売も予定されたが、発売中止となっている。 電撃G'sマガジン連載小説は、『センチメンタルグラフティ〜約束』『センチメンタルグラフティ〜再会』の上下巻に編集され、角川スニーカー文庫より刊行されている。上巻に当たる『〜約束』は本編主人公と12少女との思い出とその別れを描いたものである。 なお、下巻に当たる『〜再会』は本編のオープニング内容にほぼ準じたものであるが、設定時期が夏休みとなっている点がゲームと異なる(ゲームでは春休み)。 2004年10月、『センチメンタルプレリュード』の発売に合わせて、宙出版ハートノベルズより、同作の小説版、及び『約束』『再会』の新装版が『〜+』(プラス)の表題で、それぞれ刊行された。『約束+』には、「ザ・スニーカー」に連載された『センチメンタルグラフティ あなたにあいたくて』が追加収録された。また、角川スニーカー文庫版の中で一部に誤った記述の箇所が在るが『再会+』では当該箇所が修正されている。また、『再会+』には主人公とヒロインの想いの成就を描いた『告白』の安達妙子編が収録されている。安達妙子篇以外の『告白』篇が収録されなかった件ついて、大倉は「脱稿直後に企画自体がボツになってしまったため、他のヒロインのストーリーは執筆されていない」と釈明している。 12人のメンバーが3人ごと4組に分かれて出演。いずれもTBSラジオで放送されていた。 2018年は1998年1月22日の同作の発売から20周年となる年であることから、予てより西口有香らによって20周年記念プロジェクトが立案されていた。西口は早期から20周年記念プロジェクトを考えており、鈴木麻里子に相談するなどしていたことを旧ブログに記載している。西口以外にも豊嶋真千子などが20周年記念の企画を考えていたとのことである。具体的に話が持ち上がったのは2016年10月であったという。ただし、メンバー各位が各々の仕事で忙しいことや、一部のメンバーが既に引退していることなどの事情もあって企画はなかなか進展しなかったが、2017年11月にtwitterの公式アカウントが開設され、twitterを利用しているメンバーが相互フォローをするなどして企画が徐々に構築され、2018年3月より20周年記念プロジェクトのイベント・企画が開始された。 クラウドファンディングのCAMPFIREを利用して開催資金を募り、2019年1月19日(土)にイベントを行うことが決定。クラウドファンディング開始前に発表されたリターン内容に出資予定者から疑問の声が出、内容の再考を余儀なくされるなどの問題が起こったものの、クラウドファンディング開始9分で目標額1,000万円を達成し、最終的に支援人数2,316人、総額34,701,700円の支援を集めた。 SGガールズが12人そろってから最初にリリースしたキャラクターソングCDは、それぞれ収録トラック数が70以上に及び、その殆どが無音かつ数秒で終わるという珍しい作りになっている。確実に収録されているのはトラックNo.1からトラックNo.5までであるが、トラックNo.5は最初は担当声優の自己紹介で始まり、自己紹介が終わると無音状態が続き、そこから暫く再生したままにしておくと、トラックの終了間際にヒロインの声でメッセージが流れる。また、トラックNo.40を過ぎたあたりから再びヒロインの声でゲーム本編の主人公宅の留守番電話に伝言を入れるメッセージドラマが収録されている。これらは無音状態が続いている中で突如登場する演出となっているため、何も収録されていないものと勘違いして聴き逃す者が多い。そのため、一種の隠しトラックとなっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "『センチメンタルグラフティ』(Sentimental Graffiti)は、1998年1月22日にNECインターチャネルより発売されたセガサターン向けの恋愛シミュレーションゲーム。また、同ゲームを含む一連のメディアミックス企画の総称。公式の略称は「センチ」。「セングラ」という略称でも知られている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "後にWindows版、PlayStation版も発売された。また、2010年2月10日からガンホー・オンライン・エンターテイメントがゲームアーカイブスで配信している。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ゲーム本編ではプレイヤーの分身である「少年」本人の視点で物語が進行するが、小説版やアニメではヒロインの視点で物語が進行する。少年でもヒロインでもなく、第三者の視点で物語が進行するのは、アニメ『センチメンタルジャーニー』の第3話「七瀬優 -星降る夜の天使-」。ゲーム本編における、杉原真奈美が住む高松でのBGMは小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』を基に作ったものである。実際、JR高松駅では発着メロディに『瀬戸の花嫁』が採用されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1994年に発売された『ときめきメモリアル』が爆発的なヒット作となり、コンシューマーゲームにおいて恋愛ゲームというジャンルが広く認知されるに至った。それを受けて、『卒業』シリーズの主力スタッフだったNECインターチャネルの多部田俊雄とゲーム制作会社マーカスの窪田正義が、『ときメモ』に続く新しいブランド(「ネクスト『ときメモ』」と銘打っていた)とするべく共同考案したのが本作である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "脚本や文章を大倉らいた、キャラクターイメージを甲斐智久が担当。ヒロイン役の声優の内6人は青二プロダクションの新人を中心に起用。残りの6人は当時珍しかった一般公募による選考で揃えている。いずれのスタッフも当時は知名度が低く、その分メディアへの露出も少なかったが、強力な販促活動でバックアップすることによって独自のブランドを作り出すという販売戦略だった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "なお、大倉は本作に関わる前に『卒業』第1弾のヒロイン5人組の卒業後の生活を描いた作品『結婚 いつかあなたと...』を執筆していた関係で『卒業』シリーズとは間接的に繋がりがあった。この縁故により、当作にも『卒業』シリーズの舞台となる清華女子高等学校が登場し、ヒロインの内の1人である星野明日香が在籍する学校として設定されているほか、ゲーム本編でも清華女子高校の制服を着た明日香のアイコンが採用されている。このため、当作は『卒業』シリーズの関連作品、またはシリーズ作品として位置付けられている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "それだけに当初から活発な宣伝がなされており、『電撃G'sマガジン』における連動小説の掲載を始めとして各ゲーム雑誌で多くの特集記事や広告が掲載された。1997年からはTBSラジオにて『センチメンタルナイト』が放送され、声優による本格的なプロモーションを開始。「SGガールズ」と名付けられたユニットを組んでイベントやコンサートが精力的に行われた。関連グッズの発売も積極的に行われ、中でもプレディスクとして制作され3万枚限定で出荷された『センチメンタルグラフティ ファーストウィンドウ』は予約が殺到したため入手困難となり、最大で1万5千円前後ものプレミアム価格で取引されるほどだった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1997年11月には三一書房から『センチメンタルグラフティ攻略読本』(ISBN 4-380-97294-1)という書籍がゲーム発売に先行して発売された。ゲーム発売元から許可を得ずに執筆されたためゲームキャラクターのイラストは一切使用せず、公開されているキャラクター設定から勝手にゲーム内容を予想して「攻略」するという内容で、攻略本ではなく謎本に分類される書籍である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ゲーム発売前からキャラクターグッズやドラマCDなどや小説が「それまでの印税だけで数億円は下らない」という説が出るほどの高い売上を記録し、中には「そんなに儲かったのなら、もうゲームを発売しなくてもいいのでは?」と言い出す者もいた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "こうして発売前から大きな話題を呼んでいたが、本編の発売は当初予定の1997年夏から大幅に遅れて1998年1月22日に発売され、販売本数は上々だった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "本編発売後も積極的な営業活動が引き続き行われ、本作の1年前を描いたTVアニメ『センチメンタルジャーニー』の放送やコンサートツアーなど新しい展開が見られた。これはPlayStation用ソフト『センチメンタルジャーニー』の発売を睨んでのものであり、この販売はNECインターチャネルではなくバンプレストによって行われている。ゲーム本編は『センチメンタルグラフティ』の時と同様、発売延期となった。発売延期の影響もあり『センチメンタルジャーニー』の売上が低調に終わると、その後は『センチメンタルグラフティ』全体の人気が急速に下降していく。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "『センチメンタルジャーニー』の販売に携わったバンプレストが撤退し、代わって再び販売事業に乗り出したNECインターチャネルが後に続編『センチメンタルグラフティ2』を発売したが、その際にはこれまでのような大規模な宣伝は見られなかった。「前作主人公が交通事故で死んだという設定」について、前作のシナリオ担当だった大倉も続編のシナリオを担当しなかった理由について、「前作の主人公が死ぬ、という設定の変更が不可能で、書きたくても書けなかった」と語っている。脚本は結果的に、スタックという大阪の新興ゲーム製作会社に丸投げされている。売上・評価・人気などすべての面で不振だった。なお、脚本を手掛けたライターの一人(役職上はシナリオ監督)は後にライトノベル作家として有名になる松智洋である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "その一方で、2001年3月29日には『電撃G's』連載小説の上巻を元にしたノベルゲーム『センチメンタルグラフティ〜約束』がPlayStation向けに、本編のPlayStation移植版と同時に発売された。また、小説版の下巻を元にしたノベルゲーム『センチメンタルグラフティ〜再会』も発売する予定だったが、発売中止となっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "不評に終わった『2』を立て直すべく、センチメンタルシリーズの最新作として2004年10月28日にPlayStation 2用ソフト『センチメンタルプレリュード』が発売された。『2』との物語的関連性を断ち切り、大倉をライターとして復帰させるなど、ユーザーが抱いていた『2』への不満を一掃しての仕切り直しを計ったものの、売上・評価・人気などすべての面で『2』以上の不振を極め、この作品を最後にセンチメンタルシリーズに終止符が打たれた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "その後、原作者の大倉らいたは当作に間接的に関係する『坂物語り』を執筆する。それなりに人気が在り、グッズが発売されるなどしたが、ゲーム化やアニメ化などはされず、ささやかに終了している。その後は『リリカルレストラン あした天使の翼をかりて・・・』の執筆を最後に消息不明となり、現在に至っている。一方、ヒロイン役を務めた声優陣は殆どがその後も芸能活動を続けている。当作における直接の関連プロジェクト自体は前述のように『センチメンタルプレリュード』が最後となっているが、当作がデビュー作であった西口有香は当作に対して強い想い入れがあるらしく、時折当作について触れることがあり、またネット中継で当作を実況プレイするという企画に何度も出演したりしている。2018年1月22日には発売20周年記念を迎え、それに合わせて本作の発売20周年記念プロジェクトが行われた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "高校3年になる春休み、かつて中学卒業まで幾度となく転校を繰り返した主人公(デフォルト名は田中一郎)の元に、「あなたに会いたい」と書かれた差出人不明の手紙が届く。手紙の送り主を探すために主人公は全国各地を回り、思い出に残る12人の少女と再会する。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1年間の間に、平日の学業とアルバイトをこなしながら北海道から九州までの全国12都市を回り、ヒロインとのイベントを発生させることによって、ストーリーを進めるのが基本的な流れになる。各地にいるヒロイン達へ逢いに行き、ヒロインと各地方都市の名所を訪れる擬似観光体験が楽しめる。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "それぞれのストーリーの進捗状況によって、各ヒロインごとのハッピーエンド、グッドエンド、バッドエンドのいずれかのエンディングを迎えることとなる。手紙の送り主を探すのが本来の目的なのだが、実際はエンディングで最も親密になってハッピーエンドを迎えたヒロインが送ったということになる。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "期間は1998年3月21日(土)から1999年3月1日(月)まで。学校がある平日は自動処理でアルバイトをしたこととなり、プレイヤーがコマンドを実行して東京の外に出れるのは休日 である土曜・日曜・祝日等(ゴールデンウィーク含む)・長期休校期間(春休み ・夏休み ・冬休み )のみ。休日に実行できるコマンドには「電話をする」(東京の自宅からのみ)「バイトをする」「休む」(自宅・野宿・ユースホテル・シティホテル)「他の街に移動する」(快速列車・快速夜行・特急列車・特急夜行・飛行機・フェリー・深夜バス・ヒッチハイク)などがあり、それぞれに応じた所持金や体力(本作では行動力)が変化したり時間が経過したりする。ヒロインには「好感度」と「せつなさ度」が設定されており、好感度は会うことによって、せつなさ度は連絡を取らないことによって上昇する。せつなさ度が上がった状態で再会すると好感度が大幅に上がりイベントが発生しやすくなるが、東京に帰ると主人公の元への留守番電話が掛かってくる。留守番電話で休日にメッセージを聞くための時間が自動的に消費され、無言電話の場合は行動力最大値が低下する。またせつなさ度が上がり過ぎると「せつなさ炸裂」状態となってヒロインと通常通りには会えなくなる。「せつなさ炸裂」状態になったヒロインに対しては、地方都市の市外に行って会うことで関係を修復することができるが、ハッピーエンドを迎えられなくなる(なお、主人公の意思で各地方都市の市外に行くことができるのはこの時だけ)。ヒロインとは移動中に偶然出会ったり、東京滞在中に上京してきたりすることがある。またエンディングは好感度ではなくこなしたイベントの数によって決定するため、あくまで好感度はそのイベントを発生させやすくするための数値という意味のものでしかない。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "行動力の最大値はヒロインと会ったりすることで上がるが、地方都市から遅く帰って学校の登校時間に間に合わなかったり無言電話を聞くなどして下がる。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", 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あなたにあいたくて』が追加収録された。また、角川スニーカー文庫版の中で一部に誤った記述の箇所が在るが『再会+』では当該箇所が修正されている。また、『再会+』には主人公とヒロインの想いの成就を描いた『告白』の安達妙子編が収録されている。安達妙子篇以外の『告白』篇が収録されなかった件ついて、大倉は「脱稿直後に企画自体がボツになってしまったため、他のヒロインのストーリーは執筆されていない」と釈明している。", "title": "センチメンタルグラフティ〜約束" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "12人のメンバーが3人ごと4組に分かれて出演。いずれもTBSラジオで放送されていた。", "title": "ラジオ番組" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "2018年は1998年1月22日の同作の発売から20周年となる年であることから、予てより西口有香らによって20周年記念プロジェクトが立案されていた。西口は早期から20周年記念プロジェクトを考えており、鈴木麻里子に相談するなどしていたことを旧ブログに記載している。西口以外にも豊嶋真千子などが20周年記念の企画を考えていたとのことである。具体的に話が持ち上がったのは2016年10月であったという。ただし、メンバー各位が各々の仕事で忙しいことや、一部のメンバーが既に引退していることなどの事情もあって企画はなかなか進展しなかったが、2017年11月にtwitterの公式アカウントが開設され、twitterを利用しているメンバーが相互フォローをするなどして企画が徐々に構築され、2018年3月より20周年記念プロジェクトのイベント・企画が開始された。", "title": "センチ20thプロジェクト" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "クラウドファンディングのCAMPFIREを利用して開催資金を募り、2019年1月19日(土)にイベントを行うことが決定。クラウドファンディング開始前に発表されたリターン内容に出資予定者から疑問の声が出、内容の再考を余儀なくされるなどの問題が起こったものの、クラウドファンディング開始9分で目標額1,000万円を達成し、最終的に支援人数2,316人、総額34,701,700円の支援を集めた。", "title": "センチ20thプロジェクト" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "SGガールズが12人そろってから最初にリリースしたキャラクターソングCDは、それぞれ収録トラック数が70以上に及び、その殆どが無音かつ数秒で終わるという珍しい作りになっている。確実に収録されているのはトラックNo.1からトラックNo.5までであるが、トラックNo.5は最初は担当声優の自己紹介で始まり、自己紹介が終わると無音状態が続き、そこから暫く再生したままにしておくと、トラックの終了間際にヒロインの声でメッセージが流れる。また、トラックNo.40を過ぎたあたりから再びヒロインの声でゲーム本編の主人公宅の留守番電話に伝言を入れるメッセージドラマが収録されている。これらは無音状態が続いている中で突如登場する演出となっているため、何も収録されていないものと勘違いして聴き逃す者が多い。そのため、一種の隠しトラックとなっている。", "title": "備考" } ]
『センチメンタルグラフティ』は、1998年1月22日にNECインターチャネルより発売されたセガサターン向けの恋愛シミュレーションゲーム。また、同ゲームを含む一連のメディアミックス企画の総称。公式の略称は「センチ」。「セングラ」という略称でも知られている。 後にWindows版、PlayStation版も発売された。また、2010年2月10日からガンホー・オンライン・エンターテイメントがゲームアーカイブスで配信している。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{出典の明記|date=2021-12-20}} {{コンピュータゲーム |Title = センチメンタルグラフティ |Genre = 恋愛シミュレーション |Plat = [[セガサターン]][SS]<br />[[Microsoft Windows|Windows]] [[Microsoft Windows 95|95]]・[[Microsoft Windows 98|98]]・[[Microsoft Windows NT|NT4.0]][Win]<br />[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]][PS]<br />[[ゲームアーカイブス]][GA] |Dev = [[インターチャネル|NECインターチャネル]] |Pub = NECインターチャネル[GA以外]<br />[[ガンホー・オンライン・エンターテイメント]][GA] |writer = [[大倉らいた]] |artist = キャラクターイメージ:[[水谷とおる|甲斐智久]] |composer = 野村教裕 |Play = 1人 |Media = [[CD-ROM]]1枚[SS/PS]・2枚[Win] |Date = SS:1998年1月22日<br />Win:1998年10月30日<br />PS:2001年3月29日<br />GA:2010年2月10日 |Rating = 全年齢[GA以外]<br />{{CERO-B}}[GA] |ContentsIcon = <!--コンテンツアイコン--> |Device = <!--使用可能デバイス--> |Spec = <!--必要環境(PCゲームの場合のみ)--> |Engine = <!--使用ゲームエンジン(PCゲームの場合のみ)--> |Sale = <!--販売本数--> |etc = <!--その他の情報--> }} 『'''センチメンタルグラフティ'''』(''Sentimental Graffiti'')は、[[1998年]][[1月22日]]に[[インターチャネル・ホロン|NECインターチャネル]]より発売された[[セガサターン]]向けの[[恋愛シミュレーションゲーム]]。また、同ゲームを含む一連の[[メディアミックス]]企画の総称。公式の略称は「センチ」{{efn|SGガールズや製作スタッフなどの間でも呼称されていた略称。}}。「セングラ」という略称でも知られている<ref name="kusoge">太田出版『超クソゲーVR』(多根清史、阿部弘樹、箭本進一著)64-67ページ</ref>。 後に[[Microsoft Windows|Windows]]版、[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]版も発売された。また、[[2010年]][[2月10日]]から[[ガンホー・オンライン・エンターテイメント]]が[[ゲームアーカイブス]]で配信している。 == 概要 == ゲーム本編ではプレイヤーの分身である「少年」本人の視点で物語が進行するが、小説版やアニメではヒロインの視点で物語が進行する。少年でもヒロインでもなく、第三者の視点で物語が進行するのは、アニメ『[[センチメンタルジャーニー (アニメ)|センチメンタルジャーニー]]』の第3話「七瀬優 -星降る夜の天使-」{{efn|第10話「永倉えみる -果てしない物語-」では[[青野武]]演じる[[ラムネ瓶]]が進行ナレーションを務めているが、物語自体は永倉えみる本人の視点で進行している。}}。ゲーム本編における、杉原真奈美が住む高松での[[BGM]]は[[小柳ルミ子]]の『[[瀬戸の花嫁]]』を基に作ったものである。実際、[[四国旅客鉄道|JR]][[高松駅 (香川県)|高松駅]]では発着メロディに『瀬戸の花嫁』が採用されている。 ===ゲーム発売以前=== [[1994年]]に発売された『[[ときめきメモリアル]]』が爆発的なヒット作となり、[[コンシューマーゲーム]]において[[恋愛ゲーム (ゲームジャンル)|恋愛ゲーム]]というジャンルが広く認知されるに至った。それを受けて、『[[卒業 (ゲーム)|卒業]]』シリーズの主力スタッフだったNECインターチャネルの[[多部田俊雄]]とゲーム制作会社[[マーカス (企業)|マーカス]]の[[六月十三|窪田正義]]が、『ときメモ』に続く新しいブランド(「ネクスト『ときメモ』」と銘打っていた)とするべく共同考案したのが本作である。 脚本や文章を[[大倉らいた]]、キャラクターイメージを[[水谷とおる|甲斐智久]]が担当<ref name="kusoge"/>。ヒロイン役の[[声優]]の内6人は[[青二プロダクション]]の新人を中心に起用。残りの6人は当時珍しかった一般公募による選考で揃えている。いずれのスタッフも当時は知名度が低く、その分メディアへの露出も少なかったが、強力な販促活動でバックアップすることによって独自のブランドを作り出すという販売戦略だった。 なお、大倉は本作に関わる前に『[[卒業 (ゲーム)|卒業]]』[[卒業 (ゲーム)#結婚 ~Marriage~|第1弾]]のヒロイン5人組の卒業後の生活を描いた作品『'''結婚 いつかあなたと...'''』を執筆していた関係で『卒業』シリーズとは間接的に繋がりがあった。この縁故により、当作にも『卒業』シリーズの舞台となる[[清華女子高等学校]]が登場し、ヒロインの内の1人である星野明日香が在籍する学校として設定されているほか、ゲーム本編でも清華女子高校の制服を着た明日香のアイコンが採用されている{{efn|裏設定ではあるが、星野明日香と『[[卒業III 〜Wedding Bell〜]]』のヒロイン5人組はクラスメイトであり、5人と一緒に描かれている公式イラストも存在する。}}。このため、当作は『卒業』シリーズの関連作品、またはシリーズ作品として位置付けられている。 それだけに当初から活発な宣伝がなされており、『[[電撃G'sマガジン]]』における連動小説の掲載を始めとして各ゲーム雑誌で多くの特集記事や広告が掲載された。[[1997年]]からは[[TBSラジオ]]にて『センチメンタルナイト』が放送され、声優による本格的なプロモーションを開始。「[[SGガールズ]]」と名付けられたユニットを組んでイベントやコンサートが精力的に行われた。関連グッズの発売も積極的に行われ、中でもプレディスクとして制作され3万枚限定で出荷された『センチメンタルグラフティ ファーストウィンドウ』は予約が殺到したため入手困難となり、最大で1万5千円前後もの[[プレミアム]]価格で取引されるほどだった<ref name="kusoge"/>。 1997年11月には[[三一書房]]から『センチメンタルグラフティ攻略読本』(ISBN 4-380-97294-1)という書籍がゲーム発売に先行して発売された<ref name="kusoge"/>。ゲーム発売元から許可を得ずに執筆されたためゲームキャラクターのイラストは一切使用せず、公開されているキャラクター設定から勝手にゲーム内容を予想して「攻略」するという内容で、攻略本ではなく[[謎本]]に分類される書籍である。 ゲーム発売前からキャラクターグッズやドラマCDなどや小説が「それまでの印税だけで数億円は下らない」という説が出るほどの高い売上を記録し、中には「そんなに儲かったのなら、もうゲームを発売しなくてもいいのでは?」と言い出す者もいた<ref name="kusoge"/>。 こうして発売前から大きな話題を呼んでいたが、本編の発売は当初予定の1997年11月から遅れて1998年1月22日に発売され、販売本数は上々だった。 === 以降の展開 === 本編発売後も積極的な営業活動が引き続き行われ、メディアミックスの一環として制作されたTVアニメ『[[センチメンタルジャーニー (アニメ)|センチメンタルジャーニー]]』の放送やコンサートツアーなど新しい展開が見られた。これは[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]用ソフト『センチメンタルジャーニー』の発売を睨んでのものであり、この販売はNECインターチャネルではなく[[バンプレスト]]によって行われている。ゲーム本編は『センチメンタルグラフティ』の時と同様、発売延期となった。発売延期の影響もあり『センチメンタルジャーニー』の売上が低調に終わると、その後は『センチメンタルグラフティ』全体の人気が急速に下降していく。 『センチメンタルジャーニー』の販売に携わったバンプレストが撤退し、代わって再び販売事業に乗り出したNECインターチャネルが後に続編『[[センチメンタルグラフティ2]]』を発売したが、その際にはこれまでのような大規模な宣伝は見られなかった。「前作主人公が交通事故で死んだという設定」について、前作のシナリオ担当だった大倉も続編のシナリオを担当しなかった理由について、「前作の主人公が死ぬ、という設定の変更が不可能で、書きたくても書けなかった」と語っている。脚本は結果的に、有限会社クリエイターズプロデュースユニットゴー(C.P.U. GO)が担当することになった。売上・評価・人気などすべての面で不振だった。なお、脚本を手掛けたライターの一人(役職上はシナリオ監督)は後に[[ライトノベル]]作家として有名になる[[松智洋]]である。また、『2』を企画した窪田が率いるマーカスは『2』の制作中に倒産し、同社が所有していた『センチメンタルグラフティ』関連の権利はNECインターチャネルに譲渡されているため、『2』の著作権表記にはマーカスの名前は入っていない。 その一方で、[[2001年]][[3月29日]]には『電撃G's』連載小説の上巻を元にしたノベルゲーム『センチメンタルグラフティ〜約束』がPlayStation向けに、本編のPlayStation移植版と同時に発売された。また、小説版の下巻を元にしたノベルゲーム『センチメンタルグラフティ〜再会』も発売する予定だったが、発売中止となっている。 不評に終わった『2』を立て直すべく、センチメンタルシリーズの最新作として[[2004年]][[10月28日]]に[[PlayStation 2]]用ソフト『[[センチメンタルプレリュード]]』が発売された。『2』との物語的関連性を断ち切り、大倉をライターとして復帰させるなど、ユーザーが抱いていた『2』への不満を一掃しての仕切り直しを計ったものの、売上・評価・人気などすべての面で『2』以上の不振を極め、この作品を最後にセンチメンタルシリーズに終止符が打たれた。 その後、原作者の[[大倉らいた]]は当作に間接的に関係する『[[坂物語り]]』を執筆する。それなりに人気が在り、グッズが発売されるなどしたが、ゲーム化やアニメ化などはされず、ささやかに終了している。その後は『リリカルレストラン あした天使の翼をかりて・・・』の執筆を最後に消息不明となり、現在に至っている。一方、ヒロイン役を務めた声優陣は殆どがその後も芸能活動を続けている。当作における直接の関連プロジェクト自体は前述のように『センチメンタルプレリュード』が最後となっているが、当作がデビュー作であった[[西口有香]]は当作に対して強い想い入れがあるらしく、時折当作について触れることがあり、またネット中継で当作を実況プレイするという企画に何度も出演したりしている。2018年1月22日には発売20周年記念を迎え、それに合わせて本作の発売20周年記念プロジェクトが行われた<ref>[https://dengekionline.com/elem/000/001/867/1867440/ 『センチメンタルグラフティ』20周年イベントのフォト到着。1,500人が来場!]、電撃オンライン、[[KADOKAWA]]</ref>。 == ゲーム内容 == 高校3年になる春休み、かつて中学卒業まで幾度となく[[転校]]を繰り返した主人公(デフォルト名は田中一郎)の元に、「あなたに会いたい」と書かれた差出人不明の手紙が届く。手紙の送り主を探すために主人公は全国各地を回り、思い出に残る12人の少女と再会する。 1年間の間に、平日の学業とアルバイトをこなしながら[[北海道]]から[[九州]]までの全国12都市を回り、ヒロインとのイベントを発生させることによって、ストーリーを進めるのが基本的な流れになる。各地にいるヒロイン達へ逢いに行き、ヒロインと各地方都市の名所を訪れる擬似観光体験が楽しめる。 それぞれのストーリーの進捗状況によって、各ヒロインごとのハッピーエンド、グッドエンド、バッドエンドのいずれかのエンディングを迎えることとなる。手紙の送り主を探すのが本来の目的なのだが、実際はエンディングで最も親密になってハッピーエンドを迎えたヒロインが送ったということになる。 期間は[[1998年]][[3月21日]](土)から[[1999年]][[3月1日]](月)まで。学校がある[[平日]]は自動処理でアルバイトをしたこととなり、プレイヤーがコマンドを実行して東京の外に出れるのは[[休日]] {{efn|正確には休日の前日夜から東京でコマンド入力の実行が可能。}}である[[土曜]]・[[日曜]]・[[日本の祝日|祝日]]等([[ゴールデンウィーク]]含む){{efn|4月29日([[みどりの日]]・水)・5月3日([[憲法記念日]]・日)・5月4日([[振替休日]]・月)・5月5日([[こどもの日]]・火)・7月20日([[海の日]]・月)・9月15日([[敬老の日]]・火)・9月23日([[秋分の日]]・水)・11月3日([[文化の日]]・火)・11月23日([[勤労感謝の日]])・1月15日([[成人の日]]・金)・2月11日([[建国記念の日]]・木)}}・長期休校期間([[春休み]] {{efn|3月21日(土)から[[4月5日]](日)まで。}}・[[夏休み]] {{efn|7月19日(土)から8月31日(火)まで。}}・[[冬休み]] {{efn|12月23日(火)から1月11日(日)まで。}})のみ。休日に実行できるコマンドには「電話をする」(東京の自宅からのみ{{efn|ゲーム開発をしていた1997年から1998年までは[[携帯電話]]([[PHS]]を含む)を所持率が増えている過渡期であり、高校3年生が[[携帯電話]](PHSを含む)を所持することが当然視されるような社会環境ではなかった。なお、各地方都市からヒロインの自宅へ公衆電話で電話することは考慮されていない模様。}})「バイトをする」「休む」(自宅・[[野宿]]・ユースホテル・シティホテル)「他の街に移動する」([[快速列車]]・快速夜行・[[特別急行列車|特急列車]]・特急夜行・[[飛行機]]・[[フェリー]]・[[深夜バス]]・[[ヒッチハイク]])などがあり、それぞれに応じた所持金や体力(本作では行動力)が変化したり時間が経過したりする<ref name="kusoge"/>。ヒロインには「好感度」と「せつなさ度」が設定されており、好感度は会うことによって、せつなさ度は連絡を取らないことによって上昇する。せつなさ度が上がった状態で再会すると好感度が大幅に上がりイベントが発生しやすくなるが、東京に帰ると主人公の元への[[留守番電話]]が掛かってくる。留守番電話で休日にメッセージを聞くための時間が自動的に消費され、[[迷惑電話|無言電話]]の場合は行動力最大値が低下する。またせつなさ度が上がり過ぎると「せつなさ炸裂」状態となってヒロインと通常通りには会えなくなる。「せつなさ炸裂」状態になったヒロインに対しては、地方都市の市外に行って会うことで関係を修復することができるが、ハッピーエンドを迎えられなくなる(なお、主人公の意思で各地方都市の市外に行くことができるのはこの時だけ)。ヒロインとは移動中に偶然出会ったり、東京滞在中に上京してきたりすることがある。またエンディングは好感度ではなくこなしたイベントの数によって決定するため、あくまで好感度はそのイベントを発生させやすくするための数値という意味のものでしかない。 行動力の最大値はヒロインと会ったりすることで上がるが、地方都市から遅く帰って学校の登校時間に間に合わなかったり無言電話を聞くなどして下がる。 電話のコマンドでデートの約束を取り付けて会うことができる。しかし、デートの待ち合わせ日時について相手から指定されて主人公が待ち合わせ日時を指定するイニシアチブが制限されていることや、デートの待ち合わせ時間に遅れると好感度が下がることのデメリットがあり、またデートの約束がなくてもヒロインたちが住む都市の場所を歩くだけでヒロインと偶然会うことが可能である。そのためデートの約束を取り付けるメリットは確実にデートをすることくらいである。 デートの約束をすっぽかした後に電話をする際に主人公から別れを切り出すこともできる(ただし、登場したヒロインの中で残り1人のヒロインとは別れることはできない)。 後に発売されたWindows版及びPlayStation版では、イベントの発生条件が変更されたり、会話で選んだ選択肢がヒロインのパラメーターに影響するようになるなど、システム面において大幅な変更が加えられている。 == 登場キャラクター == 各ヒロインの誕生星座は[[13星座占い]]に基づくものであり、[[星座占い|12星座占い]]に照らすと星座が一致しないヒロインがいる。 全ヒロインが本作から2年後の世界を舞台にした「2」に登場しており年月の経過等により一部設定に変化がある、詳細は「2」の記事を参照。 ; 田中 一郎(たなか いちろう)※デフォルト名 : 本作の主人公で、[[東京都]]'''緑が丘3丁目'''{{efn|具体的な所属自治体は不明だが、東京都内に「緑が丘3丁目」が実在するのは[[目黒区]]のみである。「緑'''が'''丘」は他にも[[武蔵村山市]]に存在するが、武蔵村山市の「緑'''が'''丘」は丁目制度を実施していない。また、[[羽村市]]には「緑ヶ丘3丁目」が存在するが、表記が「緑'''ヶ'''丘」であるため、一致しない。以上のことから、完全に一致するのは目黒区のみである。}}在住の高校生。父親の度重なる[[転勤]]{{efn|本作のファンから「主人公の父親はどんな職業?」との質問が原作者である大倉らいたのもとに多く寄せられたが、制作サイドから非公表にするよう指示が出されたため、公表できない旨を大倉自身がファンクラブ向けCD会報内のインタビューで回答している。後の20周年記念プロジェクトの際に、多部田俊雄が「主人公の祖父は大物政治家であり、主人公の父親はその議員秘書である」と発表し、度重なる転勤は全国に地盤を広げるための拡充行脚であった旨を合わせて発表したことで父親の職業が明らかにされた。}}により、小学校入学から中学校卒業まで[[転校]]を繰り返しながら、日本各地の12都市で過ごしてきた過去を持つ。中学1年の前半については謎のままであるが、実質的には小学6年の後半も卒業式を待たずに去っているため、何処の小学校を卒業したのかも不明のままである。ある日、差出人不明の手紙を受け取ったことをきっかけに、手紙の主を捜すため再び思い出の12都市を駆け巡り、その当時に知り合った12人の少女達と再会する。 : 小学校入学から中学校卒業までに過ごした各地方都市は、[[青森市]](小学1年から小学4年前半)、[[仙台市]](小学4年後半)、[[札幌市]](小学5年前半)、[[大阪市]](小学5年後半)、[[京都市]](小学6年前半)、[[名古屋市]](小学6年後半)、不明(中学1年前半)、[[広島市]](中学1年夏休み)、[[長崎市]](中学1年後半)、[[金沢市]](中学2年前半)、[[横浜市]](中学2年後半)、[[高松市]](中学3年前半)、[[福岡市]](中学3年後半)。なお、主人公は青森県青森市に住む前は東京都内に在住していたことが判明している<ref>小説版「センチメンタルグラフティ 〜約束〜」第一話 安達妙子篇にて記述が在る{{要ページ番号|date=2021-12-20}}。</ref>。 ; 沢渡 ほのか(さわたり ほのか) : [[声優|声]]:[[鈴木麻里子]] : 身長:160cm / スリーサイズ:79/56/80 / 誕生日:[[5月14日]] / 星座:[[牡牛座]] / 血液型:[[O型]] : [[北海道]][[札幌市]]出身、私立祥桜学園高等学校在籍。主人公とは小学5年の前半(アニメでは小学6年の後半)に出会う、温厚かつ明朗な性格で誰からも好かれる正統派美少女。[[北海道大学]][[獣医学]]([[センチメンタルジャーニー (アニメ)|センチメンタルジャーニー]]では[[考古学]])教授の父を持ち、自らも[[乗馬]]をたしなむ一方、同年代の男性を苦手とし、少々[[ファーザー・コンプレックス|ファザーコンプレックス]]な節が見受けられる。過去に馬と接する課外授業があった際、とある男子生徒によるイタズラにより危うく落馬しかけたところを主人公が身を挺して助けたが、主人公はその際に腕を骨折してしまう。責任を感じた彼女が主人公を看病していくうちに、他の男子生徒とは違う人となりに惹かれたことが、主人公への特別な想い入れを持つきっかけとなった。 : 作中屈指の人気キャラであり、それゆえに唯一サービスシーンがある。 : ゲーム中ラベンダー畑でのデート中、「う~んいい風~」と言っていたその風にミニスカートを捲られてしまう。 : トレカでも風でスカートが捲れていて、「アイスを食べてると、いっつも風がイタズラする」と嘆いている。 ; 安達 妙子(あだち たえこ) : 声:[[岡田純子 (声優)|岡田純子]](「2」のみ[[有島モユ|有島もゆ]]) : 身長:158cm / スリーサイズ:84/59/86 / 誕生日:[[1月19日]] / 星座:[[山羊座]] / 血液型:[[ABO式血液型|A型]] : [[青森県]][[青森市]]出身、青森県立青垣高等学校在籍{{efn|実在する[[丹波市立青垣中学校|青垣中学校(兵庫県丹波市)]]とは無関係。}}。全ヒロイン中唯一の[[左利き]]<ref>『TOMOHISA KAI Sentimental Graffiti Image Artworks』(ISBN 4-7973-0456-1)170ページ。同書の解説によると、当初は特に左利きという設定ではなかったが、キャラクターデザインの甲斐が妙子のイラストを描いている途中で左利きのような特徴で描いていることに気付き、試しに過去のデザインを調べてみると過去のデザインも左利きを匂わせる特徴で描いていたことが判ったため、これを機に左利きという設定にしたという。</ref>。ソバカスが特徴的で、料理が得意という素朴ながらも家庭的な少女。見た目どおり化粧や派手なファッションは苦手。実家は[[酒屋]]で、純という弟が1人いる。12人の少女の中で最も早い時期に出会っており、主人公は小学1年から小学4年までの3年半ほど安達家に[[居候]]していたため一緒に過ごした期間も一番長く、[[幼馴染]]に近い間柄の少女である。当時、主人公の一家が安達家に居候の身であったことをクラスメイトの男子から「安達夫婦」とからかわれるのが嫌で、「好きでもなんでもない」と思わず口走ってしまったのを、既に転校が決まっていた主人公が聴いてしまい、その時に見せた寂しそうな顔が忘れられなかったことから徐々に想いを募らせていく。父親は安達家の婿養子で高校の数学教師(勤務先は妙子の在学先である青垣高校)だが、妙子本人は数学が苦手。 ; 永倉 えみる(ながくら えみる) : 声:[[前田愛 (声優)|前田愛]] : 身長:154cm / スリーサイズ:80/58/83 / 誕生日:[[7月20日]] / 星座:[[蟹座]] / 血液型:[[ABO式血液型|B型]] : [[宮城県]][[仙台市]]出身、私立萌黄女子高等学校在籍。童顔の可愛らしい少女で、一人称は「えみりゅん」。成績は優秀(特に理系科目)な反面、[[オカルト]]マニアでややエキセントリックな行動をとることもあるが、実際の霊体験は大嫌い。主人公とは小学4年の後半に出会う。当時はその独特な言動によってクラスメイトからいじめられ孤立していたが、そんな彼女に唯一友好的に話しかけ、友達となったのが主人公だった。ある時、旧校舎の中を探検していた二人は、イジメっ子の男子らのイタズラによって外へ出られなくなってしまう事件が発生、夜になっても誰も助けに来て貰えず泣いていたところを勇気付けてくれた主人公が、月明りに反射したラムネの空き瓶からただ一つ外に出られる窓を見つけたことで無事脱出を果たした。その時にタイムカプセルとして旧校舎近くに埋めたラムネ瓶を、二人で掘り起こしたいという特別な想いがある。父親は[[仙台市役所]]勤務の公務員。母親はえみる本人に似て能天気な性格の専業主婦。 ; 星野 明日香(ほしの あすか) : 声:[[岡本麻見]] : 身長:153cm / スリーサイズ:80/60/86 / 誕生日:[[6月21日]] / 星座:[[双子座]] / 血液型:B型 : [[神奈川県]][[横浜市]]出身、私立[[清華女子高等学校]]在籍。流行りものに目がない[[アイドル]]志望の[[ミーハー]]娘だが、実際にアイドル並の美少女である。主人公とは中学2年の後半に出会う。誰とでもすぐ友達になれる明るい性格だが勉強は苦手で、通っているお嬢様学校も制服の可愛さで選んだほど。実家は母親が経営する[[元町 (横浜市)|元町]]のブティックで、姉がいる<ref name="family">Windows版『センチメンタルグラフティ』同梱プロフィールより。</ref>。当時、二人で映画を観に行こうとデートの予定を立てていたが、主人公は当日に急な引っ越しで行けなくなり、彼女は酷い風邪をひいて行けなくなってしまった。風邪により数日学校を休んだ彼女だったが、風邪が治って学校に登校すると主人公は既に転校した後であり、主人公も当日来られなかったという事情を知らない彼女は、自分が当日来なかったことを怒った主人公が、顔も見たくなくて何処かに転校してしまったのだと思い込み、それから自責の念をずっと抱えていた。観に行くことのできなかった映画を、いつかリバイバル上映される時に二人で観に行きたいと強く想っている。 ; 保坂 美由紀(ほさか みゆき) : 声:[[牧島有希]] : 身長:156cm / スリーサイズ:85/58/84 / 誕生日:[[2月16日]] / 星座:[[水瓶座]] / 血液型:A型 : [[石川県]][[金沢市]]出身、石川県立茶山高等学校在籍。お人好しで人の頼みを断るのが苦手なおっとり[[眼鏡キャラクター|眼鏡っ娘]]の優等生。主人公とは中学2年の前半に出会った。姉が1人いる(アニメでは兄も居るという設定{{efn|なお、1男2女の兄妹構成は演者の牧島も同様である。}})。老舗の[[呉服]]屋の娘として生まれるが、家業と地味な自分にコンプレックスを抱いている。和服の写真撮影を毎回のようにクラスメイトの男子に冷やかされ撮影が嫌でたまらなかった中、主人公だけが理解を示してくれたことをきっかけに仲良くなった。[[北日本新聞納涼花火|高岡の花火大会]]に、自分の家で扱っている反物の中から好きなものを選んで作った浴衣を着て行きたいと思っていたが、それが叶わぬまま主人公が転校してしまい、一緒に行くことも、浴衣を見せることも出来なかった。主人公への特別な想いとともに、いつか二人で選んで作った浴衣を着て花火大会に行きたいと今も望んでいる。 ; 山本 るりか(やまもと るりか) : 声:[[今野宏美]] : 身長:165cm / スリーサイズ:82/56/84 / 誕生日:[[8月22日]] / 星座:[[獅子座]] / 血液型:O型 : [[愛知県]][[名古屋市]]出身、愛知県立水塚高等学校在籍。主人公とは小学6年の後半(アニメでは小学5年の前半)に出会う。サラリーマンの父親と、兄が1人いる(アニメでは性別の異なる[[一卵性双生児|双子]]という設定{{efn|実際には一卵性双生児の性別が男女別性で生まれてくることは極めてまれ。詳細は[[双生児]]を参照。}})。クラス全員で協力して発掘したアンモナイトの化石を、女だからと軽く見られるのを嫌った彼女が理科室に運ぶ役を引き受けたが、途中で重さに耐え切れず落として割ってしまう。教師はもともと主人公に頼んでいたことから割ったのは主人公であると思い込み、主人公は罪を被って、彼女が咎められることはなかった。本当のことを言い出せず、ショックで数日休んだ彼女だったが、登校した時には既に主人公は転校した後であり、クラスメイトからは化石を壊して学校に居られなくなったから逃げたのだと思われていた。それに耐えられなかった彼女は、主人公は無実であり、本当は自分が割ったのだと担任に泣きながら謝るのだった。明るく社交的な性格の彼女だが、これをきっかけに「嘘」に敏感になる。自分の所為で悪者の烙印を押されたまま転校していった主人公にきちんと謝りたいと強く想っている。 ; 綾崎 若菜(あやさき わかな) : 声:[[小田美智子]] : 身長:165cm / スリーサイズ:84/57/85 / 誕生日:[[9月16日]] / 星座:[[乙女座]] / 血液型:A型 : [[京都府]][[京都市]]出身、私立紫雲女子高等学校在籍。厳格な家庭で育てられた純和風令嬢。もの静かで柔和な性格だが、怒る時は怒る。幼き頃、祖父に蔵に閉じ込められて以来[[暗所恐怖症|暗いところが苦手]]。主人公とは小学6年の前半に出会う。クラスメイトが彼女を特別扱いする中、主人公だけが綾崎家の取り決めに臆さず堂々と冒険させてくれたことがきっかけで、主人公への特別な想いを持つ。かつて子供だった頃に蔵で見つけたオルゴールを探し出す手伝いをしてくれたこと、一度綾崎老に見つかって叩き出された後に時間を見計らって蔵の天窓から侵入して助けに来てくれたこと、その時に主人公が握ってくれた不格好なおにぎりがおいしかったこと全てが彼女にとっての忘れられない想い出。その時に見つけたオルゴールをいつかまた二人で聴きたいと強く想っており、無くさないようにと再び蔵にしまうが、またも蔵の中で行方不明になってしまう。祖父の存在感が強すぎるためか、祖父母について語られることは多いが両親については触れられていない。 ; 森井 夏穂(もりい かほ) : 声:[[満仲由紀子]] : 身長:162cm / スリーサイズ:83/58/84 / 誕生日:[[4月19日]] / 星座:[[牡羊座]] / 血液型:O型 : [[大阪府]][[大阪市]]出身、私立笹峰女学園高等部在籍。陸上部に所属する陽気なスポーツ少女だが、時折少女らしい繊細さも覗かせる。家業は[[お好み焼き]]屋「おたふく」(アニメでは「もりや」)。主人公とは小学5年の後半に出会う。主人公が転校してきたばかりの頃、大阪府主催の陸上大会に向けてリレーの練習中だった彼女は、昨年の男子代表であった「卓也」が出てくれるものと思っていたが、彼は塾通いが忙しいため、陸上大会には出ないと断言していた。クラスから男子代表を選ぶ際、その彼が面白半分に陸上の経験が無い主人公を推薦し、彼女を困惑させた。陸上の経験が無いのになぜ辞退しなかったのかと主人公を責めたが「走る姿を見て自分も走りたくなった」と思いもよらぬ答えを聞き、生半可な気持ちではないことを悟った彼女は主人公を代表選手として認め、一緒に練習をするようになる。そうして一緒に練習を重ねていくうちに、次第と主人公へ好意を持つようになった。しかし、最後まで一緒に走り切ろうと約束するも、主人公は大会当日に引っ越しが決まってしまう。主人公の頑張りを遠目から見て本気で練習していたことを理解していた卓也は代走を受け入れるが、彼女は今も、主人公が自分へ遺した想いを胸にしまい、いつかまた一緒に走りたいと思っている。両親についてはお好み焼き屋の支店を任されていること以外は触れられていない。 ; 七瀬 優(ななせ ゆう) : 声:[[西口有香]] : 身長:160cm / スリーサイズ:85/56/85 / 誕生日:[[12月18日]] / 星座:[[射手座]] / 血液型:B型 : [[広島県]][[広島市]]出身、広島県立朱之宮高等学校在籍。星を見るのが好きで、暇さえあれば日本各地を旅しているミステリアスな雰囲気の少女。容姿と立ち居振る舞いは非常に中性的。主人公とは中学1年の夏休みに出会い、12人の少女の中で最も一緒に過ごした期間が短い。両親は世界的に有名なクラシックの音楽家で、綾崎若菜・遠藤晶・杉原真奈美の各家庭にほぼ匹敵する裕福な家庭の出身。洋服のままプールに飛び込むため、ゲーム中のヒロインの中では唯一水着になる場面が存在しない(ゲーム外において水着姿のイラスト画像は存在する)。[[ペルセウス座流星群]]のあった日に岬の高台(アニメでは宮島の高台)で主人公と出逢い、それまで誰にも自分の感性を分かち合える者がいなかった中で主人公だけが唯一理解を示してくれたことが、特別な想いを持つきっかけとなった。なお、全12人の中で主人公と学校生活を共にしていないのは彼女だけだが{{efn|小説版では、杉原真奈美も学校生活は共にしておらず、自宅での交流のみだったという設定。}}、アニメでは時期的に16歳でなければならない時期に17歳と語ったり、ドラマCDでは主人公との出逢いの時期が自らが中学2年の時だと語る物もある{{efn|アニメでは優本人が主人公と出逢った年は[[スイフト・タットル彗星]]が現れた年であると語っているが、これを天文史に当てはめると彼女が中学2年で主人公に出逢った年の計算になる。}}。なお、企画・オーディション段階では[[ボク少女|ボクっ娘]]キャラだった{{efn|『センチメンタルグラフティ ファーストウインドウ』に収められているオーディション時の映像において、今野宏美が七瀬優役のオーディションを受けている映像が収録されており、その時の優の一人称が「ボク」となっている。}}。 ; 杉原 真奈美(すぎはら まなみ) : 声:[[豊嶋真千子]] : 身長:158cm / スリーサイズ:78/56/81 / 誕生日:[[3月12日]] / 星座:[[魚座]] / 血液型:A型 : [[香川県]][[高松市]]出身、香川県立白井坂高等学校在籍。病弱で内向的だが、自然と鳥をこよなく愛する純粋な心を持つ、ガラス細工のように繊細な美少女。主人公とは中学3年の前半に出会う。[[香川県議会]]議員を務める政治家の父と、姉がおり<ref name="family"/>、豪邸を所有している。病弱で学校も休みがちだった彼女にプリントを手渡しにきた形で主人公と知り合い、プリントを渡すために毎日自宅を訪問してくれる主人公と簡単な会話を重ねていくうちに、次第に好意を持つようになる。ある時、傷ついた小鳥の雛を見つけて保護し、二人で懸命に看病することになった。自らは何もできない小さな存在でしかないと思い込み、何をするにも内向的であった彼女は、主人公と共に雛を看病することで、自分にもできることが在ると気付く。看病の甲斐あって雛は回復し、元気に羽ばたき旅立っていくのを見て、自分も勇気を持って羽ばたけるんだと気付かせてくれた主人公は大切な存在。 ; 松岡 千恵(まつおか ちえ) : 声:[[米本千珠]] : 身長:165cm / スリーサイズ:88/57/87 / 誕生日:[[11月23日]] / 星座:[[蠍座]] / 血液型:[[AB型]] : [[福岡県]][[福岡市]]出身、私立黒曜館高等学校在籍。地元の[[アマチュア]][[バンド (音楽)|バンド]]「サウザンブラック{{efn|「サウザン」は名前の「'''千'''恵」から、「ブラック」は彼女のイメージカラーとして設定された黒(ブラック)から、それぞれ付けられた。}}」で[[ヴォーカル]]を務めている{{efn|アニメではリーダーも担当しているという設定。}}。勝気で意地っ張りかつ熱血だが、内面は意外と女性的。主人公とは中学3年の後半に出会う。12人の少女の中で最も遅い時期に別れているが、これは卒業式後の謝恩会終了後であり、彼女と同じ中学を卒業している。実はモデルばりのスタイルの持ち主。成績は悪いが身体能力は非常に高くプレリュードの修学旅行では不良三人を素手で叩きのめしている。慎吾という弟が一人いる。主人公とは、学校でも問題児だった彼女が出席日数不足で留年しかけ、致し方なく登校した日に声をかけられる形で出逢う。いわゆる「不良{{efn|「不良娘」などと自称することもあるが、これはぶっきらぼうな態度の彼女を周囲が一方的に敬遠していることによるものであり、素行自体は不良でもなんでもない、ごく普通の少女である。}}」の彼女は学校内で煙たがられる存在であり、誰も声をかけなかったが、主人公だけが唯一声をかけてきたことで主人公に対して興味を持つようになる。主人公は彼女の活動するライブハウスに足を運ぶようになり、バンド仲間とも顔見知りになる。一方、主人公は担任から謝恩会の実行委員を彼女と一緒に担当するよう頼まれ、彼女にライブをしようと持ちかけ、一緒に練習するようになる。一緒に練習をし、一生懸命練習している主人公を見るうちに彼女は主人公に対して好意を持つようになる。謝恩会でのライブが成功をおさめ、彼女は自分を変えるきっかけをくれた主人公に感謝の気持ちを込めた歌を作って贈ろうとしたが、突然の引っ越しのため聴かせることが出来なかった。その曲をいつか聴かせたいと今でも想っている。両親は地元テレビ局のディレクター。 ; 遠藤 晶(えんどう あきら) : 声:[[鈴木麗子]] : 身長:168cm / スリーサイズ:83/58/83 / 誕生日:[[10月31日]] / 星座:[[天秤座]] / 血液型:AB型 : [[長崎県]][[長崎市]]出身(初期設定では[[東京都]][[世田谷区]]出身で後に長崎に転居したという設定。なお、演者の鈴木麗子は東京都世田谷区の出身)、長崎県立誠林女子高等学校在籍。高飛車で上品、典型的なお嬢様タイプ。若手[[ヴァイオリニスト]]として将来を嘱望されているが、コンクールでは2位に甘んじる事が多い。主人公とは中学1年の後半に出会う。父親は一流企業の重役で、クルーザーを所有している。また叔父は親族の中でも変わり者であり、喫茶店を営んでいる。弟が居る<ref name="family"/>。音楽室でひそかにバイオリンの練習をしていた彼女の演奏に引き寄せられるように聴き惚れていた主人公に気付く形で出逢い、その時の感想がそれまで「美少女の彼女」に言い寄ってくる男子の誰とも違う異質のものであったことから主人公に対して興味を持つようになる。バイオリンを教えてほしいを言ってきた主人公にレッスンすることになり、二人で過ごす時間が多くなるにつれ、次第に主人公に対して好意を持つ。主人公と一緒にいると不思議とリラックスでき、スランプを脱した彼女は主人公にコンクールの招待状を贈り、自分の演奏を聴いてほしいと伝えた。結果としてコンクールで優勝するも主人公は引っ越しのため演奏を聴くことが出来ず、優勝したという結果しか判らないままであったため、自分の演奏を聴かせたいと思った彼女は授賞式そっちのけで埠頭に走り、埠頭でコンクールの時よりも優れた演奏を披露するが、主人公には届かない。いつか自分のバイオリンを聴かせようと想っている。 ==場所== 作中で訪れることができる各地方の場所。現実世界では市内に存在する場所が市外扱いになっていたり、現実世界の場所と名称が異なっているものもある。市内散策時には選択できないイベント専用の場所も含む。 ;札幌市 :市内:[[パセオ (札幌市)|パセオ]]、[[北海道大学]]、[[北海道立近代美術館|道立近代美術館]]、[[狸小路商店街|たぬき小路]]、大通り公園([[大通公園]]) :市外:[[小樽市|小樽]]、[[定山渓温泉|定山渓]]、登別マリンランド([[登別マリンパークニクス]])、[[ふきだし公園]]、[[ニセコ]] ;青森市 :市内:サンセット青森([[サンロード青森]])、青森リビナ([[ラビナ]])、[[青森ベイブリッジ]]、[[新町 (青森市)|新町通り]]、[[ねぶたの里]] :市外:[[浅虫温泉|浅虫]]、[[八甲田山]]、[[奥入瀬渓流]]、[[十和田湖]]、りんご園([[弘前市]][[樹木 (弘前市)|樹木]]) ;仙台市 :市内:サンモール一番街([[一番町 (仙台市)|一番町]])、[[仙台市野草園]]、[[仙台城|青葉城]]、[[宮城県美術館]]、[[大崎八幡神社]] :市外:[[鳴子温泉]]、[[秋保温泉]]、[[宮城蔵王]]、菅生スポーツワールド([[スポーツランドSUGO]])、[[松島]] ;東京都 :[[東京タワー]]<!--ほのか、夏穂、優、千恵-->、[[ホテルニューオータニ]]<!--妙子-->、[[上野動物園]]<!--えみる、真奈美-->、[[東京芸術大学]]<!--美由紀-->、[[お茶の水女子大学]]<!--美由紀-->、[[浅草]]<!--るりか、若菜-->、海浜公園<!--明日香、晶--> ;横浜市 :市内:[[伊勢佐木町]]、[[横浜中華街]]、[[八景島]]、[[山下公園]]、[[みなとみらい21]] :市外:[[横須賀市|横須賀]]、[[鎌倉市|鎌倉]]、[[小田原市|小田原]]、[[箱根温泉|箱根]]、[[江ノ島]] ;金沢市 :市内:[[香林坊]]、[[近江町市場]]、[[東山ひがし|東山]]、[[金沢城|金沢城跡]]、[[犀川 (石川県)|犀川]] :市外:[[輪島市|輪島]]、[[能登島]]、[[七尾市|七尾]]、[[高岡市|高岡]]、[[加賀市|加賀]] ;名古屋市 :市内:[[名駅地下街サンロード|名古屋駅地下街]]、[[名古屋港]]、[[白川公園 (名古屋市)|白川公園]]、[[大須演芸場]]、[[東山動植物園]]・[[AGスクエア]] :市外:[[犬山城]]、長島スパーリゾート([[ナガシマスパーランド]])、[[南知多町|南知多]]、スモールワールド([[リトルワールド]])、明治野外博物館([[博物館明治村]]) ;京都市 :市内:[[京都タワー]]、[[新京極]]、[[河原町]]、[[祇園]]、[[東山 (京都府)|東山]] :市外:[[長岡京市]]、[[石清水八幡宮]]、[[松花堂]]、[[京都府道247号宇治公園線#沿線|宇治公園]] ;大阪市 :市内:[[道頓堀]]、[[難波]]、[[日本橋 (大阪市)|日本橋]]、[[アメリカ村]]、[[心斎橋]] :市外:[[大阪城公園]]、[[天王寺]]、[[新世界 (大阪)|新世界]]、[[弁天町駅|弁天町]]、[[天保山]] ;広島市 :市内:[[紙屋町・八丁堀|紙屋町]]、広島県現代美術館([[広島市現代美術館]])、[[比治山|比治山公園]]、[[平和記念公園]]、広島アレパーク([[アルパーク]]) :市外:[[尾道市|尾道]]、三段渓([[三段峡]])、[[妹背の滝]]、[[岩国市|岩国]]、[[厳島|宮島]] ;高松市 :市内:[[高松中央商店街|ライオン通り]]、[[栗林公園]]、[[高松城 (讃岐国)|玉藻公園]]、[[屋島 (高松市)|屋島]]、[[女木島]] :市外:[[小豆島]]、レオマランド([[ニューレオマワールド|レオマワールド]])、[[瀬戸大橋記念公園]]、フィッシングポート([[瀬戸大橋フィッシャーマンズワーフ]])、[[金刀比羅宮]] ;福岡市 :市内:[[天神 (福岡市)|天神]]、[[中洲]]、キャナルパーク福岡([[キャナルシティ博多]])、[[大濠公園]]、ベイサイドももち([[シーサイドももち]]) :市外:[[太宰府天満宮]]、スペースランド([[スペースワールド]])、[[志賀島]]、[[海の中道]]、[[柳川市|柳川]] ;長崎市 :市内:[[中央橋 (長崎市)|築町界隈]]、[[オランダ坂]]、[[大浦天主堂]]、[[長崎新地中華街|新地中華街]]、[[中島川|中島川河畔遊歩道]] :市外:[[島原市|島原]]、西海パールシーランド([[西海パールシーリゾート]])、[[西海橋]]、ハウステンボス町([[ハウステンボス]])、[[五島列島]] == テーマソング == * OP曲「雲の向こう」 作詞:為我井徹 作曲:田島浩二 歌:S.G.T(Sentimental Graffiti Tears){{Efn|OP曲とED曲を収録したシングルCDが発売された当初は'''Tears'''名義であった。}} * ED曲「センチメンタル・ラブ」 作詞:六月十三 作曲:田島浩二 歌:S.G.T(Sentimental Graffiti Tears) * Windows版OP曲「Truly One」 作詞:M.S 作曲:田島浩二 歌:S.G.T with [[渡辺かおる]] * Windows版ED曲「My Only Love」 作詞:M.S 作曲:田島浩二 歌:S.G.T with 渡辺かおる 以下は、ゲーム中では各キャラクターの登場時に曲のみBGMとして流れる。 * 沢渡ほのか「Long Distance Call」 作詞:篠原美生 作曲:[[濱田智之]] 歌:[[鈴木麻里子]] * 安達妙子「日曜日の丘」 作詞:浅田優美 作曲:徳永声一 歌:[[岡田純子 (声優)|岡田純子]] * 永倉えみる「私のもとへ逢いに来て」 作詞:浅田優美 作曲:篠原美生 歌:[[前田愛 (声優)|前田愛]] * 星野明日香「Sweet Tears」 作詞:濱田智之 作曲:坂本志崇 歌:[[岡本麻見]] * 保坂美由紀「一枚の風景」 作詞:加々美亜矢 作曲:武井浩之 歌:[[牧島有希]] * 山本るりか「水色の宝石」 作詞:篠原美生 作曲:武井浩之 歌:[[今野宏美]] * 綾崎若菜「せつなさの行方」 作詞:篠原美生 作曲:濱田智之 歌:[[小田美智子]] * 森井夏穂「君がいれば・・・」 作詞:浅田優美 作曲:浅田優美 歌:[[満仲由紀子]] * 杉原真奈美「想い出を止めたままで・・・」 作詞:濱田智之 作曲:濱田智之 歌:[[豊嶋真千子]] * 七瀬優「Only Lonely Star」 作詞:浅田優美 作曲:坂本志崇 歌:[[西口有香]] * 松岡千恵「Two Dreams」 作詞:濱田智之 作曲:武井浩之 歌:[[米本千珠]] * 遠藤晶「振り向けば I Love You」 作詞:濱田智之 作曲:濱田智之 歌:[[鈴木麗子]] これらの楽曲は当初[[NECアベニュー]]から発売されていたが、後にレーベルをNECインターチャネルに移して再販された。1998年には新バージョンのキャラクターソングがコロムビアから発売されており、これらは『センチメンタルジャーニー』でのイメージソングとなっている。 == センチメンタルグラフティ〜約束 == {{コンピュータゲーム |Title = センチメンタルグラフティ〜約束 |Genre = [[ビジュアルノベル|ノベルゲーム]] |Plat = [[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]][PS]<br />[[ドリームキャスト]][DC]<br />[[ゲームアーカイブス]][GA] |Dev = [[インターチャネル|NECインターチャネル]] |Pub = NECインターチャネル[PS][DC]<br />[[ガンホー・オンライン・エンターテイメント]][GA] |Play = 1人 |Media = [[CD-ROM]][PS]<br />[[GD-ROM]][DC] |Date = [[2001年]][[3月29日]][PS]<br />[[2003年]][[12月25日]][DC]<br />[[2019年]][[1月22日]][GA]<ref>{{Cite web|和書|url=https://store.playstation.com/ja-jp/product/JP0747-NPJJ00787_00-0000000000000001?smcid=pscomjp_catalog_detail-product-info|title=センチメンタルグラフティ~約束~,公式PlayStation™Store 日本|publisher=[[SONY]]|date=2019年1月22日|accessdate=2019-01-25}}</ref> |Rating = {{CERO-A}}[GA] |ContentsIcon = <!--コンテンツアイコン--> |Device = <!--使用可能デバイス--> |Spec = <!--必要環境(PCゲームの場合のみ)--> |Engine = <!--使用ゲームエンジン(PCゲームの場合のみ)--> |Sale = <!--販売本数--> |etc = <!--その他の情報--> }} 本作のメディアミックスの一環として制作された電撃G'sマガジン連載小説を元にした小説単行本上巻のタイトルであり、またそれを題材にしたノベルゲームである。ゲームは2001年3月29日にPlayStation版が、[[2003年]][[12月25日]]にドリームキャスト版が本編と同じくNECインターチャネルから発売された。前述のとおり、小説版の下巻を元にしたノベルゲームの発売も予定されたが、発売中止となっている。 ===小説版の内容=== 電撃G'sマガジン連載小説は、『センチメンタルグラフティ〜約束』『センチメンタルグラフティ〜再会』の上下巻に編集され、[[角川スニーカー文庫]]より刊行されている。上巻に当たる『〜約束』は本編主人公と12少女との思い出とその別れを描いたものである。 なお、下巻に当たる『〜再会』は本編のオープニング内容にほぼ準じたものであるが、設定時期が夏休みとなっている点がゲームと異なる(ゲームでは春休み)。<!--沢渡ほのかが3月下旬のまだまだ寒い札幌の街をノースリーブの服で行動するのはこの名残と考えられる--> ===新装版『+』(プラス)と『告白』=== 2004年10月、『センチメンタルプレリュード』の発売に合わせて、[[宙出版]]ハートノベルズより、同作の小説版、及び『約束』『再会』の新装版が『〜+』(プラス)の表題で、それぞれ刊行された。『約束+』には、「[[ザ・スニーカー]]」に連載された『センチメンタルグラフティ あなたにあいたくて』が追加収録された。また、角川スニーカー文庫版の中で一部に誤った記述の箇所が在るが『再会+』では当該箇所が修正されている{{efn|角川スニーカー文庫『センチメンタルグラフティ 〜再会〜』の七瀬優篇において、坂井良太が小学五年であるにもかかわらず「五歳」と表記されており、この部分が『センチメンタルグラフティ 〜再会+』にて「小学五年」に修正されている。}}。また、『再会+』には主人公とヒロインの想いの成就を描いた『告白』の安達妙子編が収録されている。安達妙子篇以外の『告白』篇が収録されなかった件ついて、大倉は「'''脱稿直後に企画自体がボツになってしまったため、他のヒロインのストーリーは執筆されていない'''」と釈明している。 *『センチメンタルグラフティ〜約束+』 ISBN 477679070X *『センチメンタルグラフティ〜再会+』 ISBN 4776790718 *『センチメンタルプレリュード〜キミと僕らの物語』 ISBN 4776790726 == ラジオ番組 == 12人のメンバーが3人ごと4組に分かれて出演。いずれもTBSラジオで放送されていた。 *[[センチメンタルナイト]](1997年) - パーソナリティ:[[藤田淑子]] *[[帰ってきたセンチメンタルナイト]](1998年4月7日から9月29日) *[[Onlyセンチメンタルナイト2]]([[1999年]]4月から[[2000年]]3月) == センチ20thプロジェクト == 2018年は1998年1月22日の同作の発売から20周年となる年であることから、予てより西口有香らによって20周年記念プロジェクトが立案されていた。西口は早期から20周年記念プロジェクトを考えており、鈴木麻里子に相談するなどしていたことを旧ブログに記載している。西口以外にも豊嶋真千子などが20周年記念の企画を考えていたとのことである。具体的に話が持ち上がったのは2016年10月であったという。ただし、メンバー各位が各々の仕事で忙しいことや、一部のメンバーが既に引退していることなどの事情もあって企画はなかなか進展しなかったが、2017年11月にtwitterの公式アカウントが開設され、twitterを利用しているメンバー{{efn|2018年7月現在、米本千珠・鈴木麻里子・豊嶋真千子・前田愛・岡田純子・鈴木麗子・西口有香の7人がtwitterを利用すると共に公式アカウントと相互フォローしている。満仲由紀子と今野宏美はプロジェクトには参加しているが、twitterは利用していない。小田美智子・岡本麻見・牧島有希は2018年8月現在、プロジェクトへの参加を表明していない。有島モユは続編『[[センチメンタルグラフティ2]]』からの加入であり、twitterも利用していないことからプロジェクトには不参加だと考えられていたが、『帰ってきたセンチメンタルナイト 20』の第4回配信に出演している。}}が相互フォローをするなどして企画が徐々に構築され、2018年3月{{efn|name="project"|プロジェクトの最初は2018年3月22日からの『センチメンタルジャーニー』の配信開始であるが、8月2日に配信が開始された『帰ってきたセンチメンタルナイト 20』の配信開始を正式なプロジェクト開始の起点としている。}}より20周年記念プロジェクトのイベント・企画が開始された。 クラウドファンディングの[[CAMPFIRE (クラウドファンディング)|CAMPFIRE]]を利用して開催資金を募り、[[2019年]][[1月19日]](土)にイベントを行うことが決定。クラウドファンディング開始前に発表されたリターン内容に出資予定者から疑問の声が出、内容の再考を余儀なくされるなどの問題が起こったものの、クラウドファンディング開始9分で目標額1,000万円を達成し、最終的に支援人数2,316人、総額34,701,700円の支援を集めた。 * 第1弾 - 『[[センチメンタルジャーニー (アニメ)|センチメンタルジャーニー]]』 配信放送開始 (2018年3月22日より、[[バンダイチャンネル]]にて配信放送開始) * 第2弾 - 『[[センチメンタルジャーニー (アニメ)|センチメンタルジャーニー]]』 劇場上映 (2018年7月20日、[[新宿ピカデリー]]にて12話の中から無作為に選抜された4話が上映された{{efn|当日は西口有香ら、メンバー数人が劇場に足を運んだ。}}) * 第3弾{{efn|name="project"}} - 『[[帰ってきたセンチメンタルナイト|帰ってきたセンチメンタルナイト 20]]』 配信開始 (2018年8月2日より、[[TwitCasting|TwitCasting LIVE]]にて配信開始{{efn|第2回配信では、[[甲斐智久]]による新作の永倉えみるの絵が公開され、甲斐からのメッセージも紹介された。}}) *センチメンタルグラフティ20周年スペシャルイベント〜再会〜(2019年1月19日に、東京・神保町の一ツ橋ホールにて、14:00、19:00の2部開催) == 備考 == * 日本国内でのWindows版の発売に合わせ、[[台湾]]と[[韓国]]向けに舞台や設定を現地に合わせて翻案したWindows版が発売される予定であったが頓挫し、最終的には日本語テキストの翻訳と主題歌の変更のみが行われて発売された。台湾版は前述の点を除けば日本版と同じであるが、韓国版では韓国語による台詞の収録や、一部のヒロインの衣装の差し替えが行われている{{Efn|安達妙子と森井夏穂の浴衣姿が、韓国の[[民族衣裳]]である[[チマチョゴリ]]に差し替えられている。}}。 * SGガールズが12人そろってから最初にリリースしたキャラクターソングCDは、それぞれ収録トラック数が70以上に及び、その殆どが無音かつ数秒で終わるという珍しい作りになっている。確実に収録されているのはトラックNo.1からトラックNo.5までであるが、トラックNo.5は最初は担当声優の自己紹介で始まり、自己紹介が終わると無音状態が続き、そこから暫く再生したままにしておくと、トラックの終了間際にヒロインの声でメッセージが流れる。また、トラックNo.40を過ぎたあたりから再びヒロインの声でゲーム本編の主人公宅の留守番電話に伝言を入れるメッセージドラマが収録されている。これらは無音状態が続いている中で突如登場する演出となっているため、何も収録されていないものと勘違いして聴き逃す者が多い。そのため、一種の隠しトラックとなっている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist}} === 出典 === {{reflist}} == 関連項目 == *[[センチメンタルジャーニー (アニメ)]] *[[センチメンタルグラフティ2]] *[[センチメンタルプレリュード]] *[[卒業 (ゲーム)]] - ヒロインの1人である星野明日香が在籍している[[清華女子高等学校]]は『卒業』シリーズのメイン舞台となる学校であり、明日香自身が『[[卒業III 〜Wedding Bell〜]]』の登場ヒロインとクラスメイトという公式設定のもと、同一の世界観に存在する。 *[[坂物語り]] *[[SGガールズ]] == 外部リンク == * {{Wayback |url=http://www.interchannel.co.jp/gamesoft/g99905083035.html |title=センチメンタルグラフティ(インターチャネル・ホロン公式サイト) |date=20060904061701}} * {{Wayback |url=http://www.interchannel.co.jp/gamesoft/g99905083036.html |title=センチメンタルグラフティ 〜約束(インターチャネル・ホロン公式サイト) |date=20060904184144}} * [http://www.jp.playstation.com/software/title/jp0747npjj00328_000000000000000001.html PlayStation.com(Japan)|ソフトウェアカタログ|センチメンタルグラフティ] {{リダイレクトの所属カテゴリ |header= |redirect1=センチメンタルグラフティ〜約束 |1-1=ノベルゲーム |1-2=PlayStation用ソフト |1-3=ドリームキャスト用ソフト |1-4=2001年のコンピュータゲーム |1-5=ゲームアーカイブス対応ソフト }} {{DEFAULTSORT:せんちめんたるくらふてい}} [[Category:インターチャネルのゲームソフト]] [[Category:ギャルゲー]] [[Category:恋愛シミュレーションゲーム]] [[Category:セガサターン用ソフト]] [[Category:Windows用ゲームソフト]] [[Category:PlayStation用ソフト]] [[Category:ゲームアーカイブス対応ソフト]] [[Category:1998年のコンピュータゲーム]] [[Category:角川スニーカー文庫]] [[Category:日本各地を舞台としたゲーム作品]] [[Category:メディアミックス作品]] [[Category:日本で開発されたコンピュータゲーム]]
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バビル2世
『バビル2世』(バビルにせい)は、横山光輝の作による漫画。および、それを原作としたアニメ作品である。 『バビル2世』は『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)に1971年7月5日号から1973年11月12日号まで連載された。全121話であり、他に『別冊少年チャンピオン』1973年5月号掲載の読切1話がある。超能力者であるバビル2世と、世界征服を企む超能力者のヨミとの死闘を描いたものであり、その内容から全4部作+読切1話で構成されているといわれている。横山光輝のSF作品としては、超能力者を扱った『地球ナンバーV7』から2年超ぶりであった。当時は劇画全盛で横山も全くSF作品を描かなかったが、本作のヒットで再びSF作品を描き続けることとなった。 当初は10回連載の予定であり、バビル2世とヨミがヒマラヤで戦い、雪崩に呑み込まれて終了する予定であった。ところが連載開始とともに人気が上昇したことから、長編連載に変更された。 1972年12月18・25日号にはアニメ化決定と紹介された。1973年1月1日よりNET(現:テレビ朝日)系列でテレビアニメが開始されて人気がさらに上昇し、アニメを見た女性ファンが『週刊少年チャンピオン』を買うことにより発行部数が増える現象が生じた。アニメ人気により雑誌連載もカラー頁や増頁掲載が増え、1973年2月5日号はテレビ放映記念として80頁が掲載された。 アニメ版も人気が過熱して当初予定より延長され、再放送も度々行われたことから、1979年には大阪を中心に「バビル2世ファンクラブ」が結成された。 横山は自身の好きな作品と聞かれると、必ず『バビル2世』と答えていた。 はるか昔、地球に不時着して帰れなくなり住み着いた宇宙人・バビル。彼が残した遺産・バベルの塔と三つのしもべを受け継いだ超能力者・浩一が、世界征服を企む悪の超能力者・ヨミと戦う物語。 5000年前、宇宙人・バビルは宇宙船の故障により地球に不時着した。彼はその科学力と自らの超能力によって時の権力者を動かして巨大なバベルの塔を建設させる。当初の目的は故郷に救助信号を送るためであった。しかし科学的知識に乏しい地球人は、一瞬のミスから完成直前の塔の大半を破壊してしまう。 故郷へ帰ることをあきらめて地球人と結婚したバビルは、破壊されたバベルの塔を子孫に託そうと決心する。彼は宇宙船の機器をもとに、いつの日か生まれるであろう自分と同じ体質を持つ子孫を探し出す装置と三つのしもべを作り上げた。この遺産を受け継ぐ人間が自分の2世になるのである。バビルは自分と同じ超能力をもった子孫にそれを託すことができるのを幸せだと考えた。 超高性能コンピュータが管理しており、5000年間の地球上の様々な出来事を記録している。人工砂嵐を起こしてその所在を隠し、催眠ライト・レーザー砲・ミサイルなどで武装、侵入者は塔内に仕掛けられた数々の罠で撃退する。そして破壊されても自動修復する機能を持ち、バビル2世に超能力者としての教育を施す装置や傷ついたバビル2世を癒す治療装置も完備している。アニメ第1作のみ「バビルの塔」と呼ばれる。 『バビル2世 ザ・リターナー』では、オーバーテクノロジーの固まりであるコンピューター本体から情報を読み出し一部管理するのに、現代の既存のコンピューターなどの機材(アラブ系のペーパーカンパニーを利用して購入した)を利用しているとされている。 なお、第1作において声を担当した声優は数人おり、初期は井上真樹夫(第6話)なども演じていたが、中盤以降は山田俊司(現 キートン山田)と矢田耕司による、独特のカン高い声による「コンピュータ音声」に固定された。 初代バビルが残した遺産であり、2世を主として命令には絶対服従する。原作において、2世と同質のテレパシー能力を持つヨミの命令も受け付けてしまう弱点が露呈。以降、ヨミのいる場所ではしもべを呼べなくなり(2世とヨミの命令が拮抗すると行動不能に陥る)、苦しい戦いを強いられる。 バビル2世とヨミの用いた超能力を記載。バビル2世はヨミと異なりエネルギー吸収能力も持っている。 バビル2世やヨミの超能力は強力だが、決して無限ではない。使えば使うほど威力は増していくが、同時に激しい疲労を起こすようになり、キャパシティの限界を超えて急激に力を消耗すると老化現象をおこす。 ヨミは自身の死の経験からバビル2世よりも早くこのことに気づき、自分なりに考えた上で「ただ普通の人間が何年もかかって使うエネルギーを、一瞬にして使うことができるだけ」「いくら水量が豊富な井戸でも、めちゃめちゃに水をくみ上げれば枯れてしまう、それと同じこと」との推論を出していた。 バビル2世は超能力を使った後の激しい疲労について塔のコンピュータに理由を訊ねるが、制限が掛けられているらしくコンピュータは答えない。彼は第3部最後の戦いで超能力を使い果たしたヨミの姿を見て、ようやくその答えを知ることになる。 第3部に登場。アメリカの宇宙衛星にくっついて地球に飛来したミクロの知的生命体(ウイルス)。生物に寄生して成長し、最後にはその生物を支配する。ウイルスに侵された生体が近くを走り抜けただけで空気感染するほど感染力は強く、繁殖力も非常に高い。 このビールスは過去の地球でも猛威をふるったことがあり、死者の復活やドラキュラ・狼男など多くの魔人伝説を生んだ。かつて宇宙人・バビルも宇宙旅行中にこのビールスと出会っており、バベルの塔のコンピュータにその時の記録が残っていた。ビールスに感染した人間は皆血を吐いて倒れ絶命するが、その中でビールスに耐えられる体力と相性の良さを持った者は「ビールス人間」として復活する(通常の人間だと、復活できるのは30%前後の確率)。 感染後は超人的な体力・知力や、銃で撃たれた程度ではみるみるうちに傷口が塞がる異常なほどの再生能力の他に、テレキネシスや火炎放射といった超能力を発揮し、数人で手をつなげばつなぐほど超能力が増していく。 また、他の動物に感染して復活する場合もあり、作中では「ビールス犬」「ビールス牛」も登場している。犬や牛などに感染した場合は手を繋ぐ必要はなく、一斉に集中することで超能力を増していた。 死亡したヨミを復活させ、その超能力を数倍に増す。ヨミはビールスと特に相性が良かったらしく、「ビールスの力は得るが、支配に対しては抵抗し自我を保つ」「自ら作り出したビールス人間を統率し、手足のように命令を下す」という、ある意味理想の状態を作り出していた。このような共存を成功させたのは、作中ではヨミだけである。反対にバビル二世は同じ超能力者でも相性が悪く、一般人と比べればはるかに発症が遅かったものの、感染した時は他と同じように血を吐いて倒れ、意識を失い危篤状態となった。それを見たバベルの塔が即座に治療装置にかけたために一命は取り留めた。 しかし、ニンニクのエキスに非常に弱いという欠点があり、そのためニンニクが群生している地球では、過去でも繁殖を阻まれていた。一度でもこのエキスを注入された生物はビールスに対して抗体ができるらしく、以降は二度と感染することがなくなる。ビールス生物がエキスを注入されると、たちまち死滅して元通りの死体に戻るか、死体も崩れて跡形もなく消滅してしまう。 1971年から1973年にかけて『週刊少年チャンピオン』に連載された。単行本全12巻。ストーリーは幾つかの区切りがあり、その内容から全4部作+読切1話で構成されているといわれている。第1部から第3部までは連載時に特に記されていないが、第3部では「暗黒魔王の巻」というサブタイトルがつけられた。また第106話(第3部の最終話、1973年7月23日号)の最終ページには、「構想も新たにバビル2世第四部が33号よりはじまります」と書かれている。 『その名は101』(そのなはワンゼロワン):1977年 - 1979年、『月刊少年チャンピオン』連載。単行本全5巻。 アメリカの研究施設に収容されていた山野浩一(本作ではじめてフルネームが判明した)は、自分の提供していた血液が人々を助けるためではなくCIAの超能力工作員を作り出すことに使われていたことを知り、嵐の夜に脱走する。浩一はコンピューター登録番号である『101』のままにワンゼロワンと呼ばれ、CIAに命を狙われる中、自分の血によって生まれた超能力工作員を抹殺していく。 本作では新たに浩一の血を輸血された人間(適応者)や動物が超能力者になる場合があるという設定が生まれた。浩一の血には、治癒効果があり、脱走した後も、負傷した人々に輸血していた。ピストルやナイフによる流血シーンなどバイオレンス描写は前作以上にハードで、主人公のエスパー戦士としての側面が強調されている。前作とは異なり浩一の内面描写が増え、卑劣な敵への怒りや憎しみをあらわにするシーンが多い。また恋愛描写も描かれ、浩一と恋に落ちる工作員として王銀鈴が登場する。 浩一の別名として「バビル2世」が挙げられ、ヨミが登場し、3つのしもべの存在も触れられるものの、本作は物語の終盤まで『バビル2世』本編とはリンクしないという異色の完結編である。作者によると単純な『バビル2世』の続編ではなく、主人公のその後に焦点を当てたかったと語っている。 上記のように、第4部に納得がいかなかったために改めて書かれた完結編であり、そのため、内容は第3部からの続きになっている。しかし、後に単行本化されたこの第4部は第3部の続きとして収められたため、結果的に本作は『バビル2世』のパラレルストーリーのようになってしまった。 『バビル2世』は当初、連載は3か月程度で完結する予定だったという。しかし、あまりの人気に2年半もの長期連載となり、何度倒されてもヨミが復活するというパターンが繰り返された。 横山光輝は後年、ムックのインタビューで「バビル2世と三つのしもべの関係は『西遊記』の三蔵法師とお供の孫悟空らをイメージして作った」と語っている。 この作品を描いた理由については「アメリカンコミックでは超能力者を主人公にした作品があるのに、日本にはまだなかったから」と答えている。 また、バビルがヨミを倒した後の人生がどうなったかを質問され、「きっと孤独な、寂しい人生を送ったんだと思いますよ」と答えている。『その名は101』を描いた理由については「バビル2世という作品に愛着があったから」とも答えている。 NET(現:テレビ朝日)系列で1973年1月1日から9月24日まで毎週月曜日19時00分から19時30分に放送。全39話。 最新科学装備のバビルの塔(漫画版におけるバベルの塔)に住む正義の超能力者バビル2世が悪の超能力者ヨミの陰謀を粉砕するために三つのしもべとともに戦うという基本設定は同じ。これに加えてアニメ独自の事件が起きる。 原作との最大の違いは、主人公・浩一がバビル2世となったため、幼少時から10年間育ててもらった叔父母の古見一家と心ならずも別れたという設定である。浩一にほのかな恋心を抱く従姉妹(古見夫妻の娘)由美子が浩一を探すのだが、毎回、現場にたどり着く直前に浩一は次の戦いに備えてその地を去るために逢えないというすれ違い描写が物語を盛り上げた。 第27話以降は舞台とサブキャラクターを一新し、主人公の服装も変わった。バビル2世は北海道のワタリ牧場の居候として平和な生活を営みながら、復活したヨミと戦うという展開になる。 正副主題歌・BGMとも、全曲が菊池俊輔による。なお、第37話における『魔犬ライナー0011変身せよ!』(音楽:山下毅雄)など、他の作品から適宜BGMの流用もされている。 本作は『東映まんがまつり』内で、2本が上映されている。 2001年10月5日から12月28日までテレビ東京の深夜アニメ枠で放送された。全13話。主人公の浩一の苗字が神谷に変更され、病院経営者である古見泰造に遠縁の子という名目で育てられたという設定になっている。原作をベースとしているが、オリジナル要素が強い一作となっている。2002年2月22日から7月26日にかけて、テレビ東京メディアネットよりDVDが全6巻で発売。 1992年にティーアップの制作により創美企画からOVA化された。VHSのみ全4巻(各巻30分,計120分)。テレビアニメ放送後の2002年11月22日にパイオニアLDCからDVD-BOXが発売されている。2017年4月4日にはHappinetからBlu-rayが発売。 ASIN B00006S254 原作の第2部までのストーリーを抜粋し、最終決戦部分はオリジナルストーリーとしている。この作品では、ヨミは平気で部下を使い捨てにするキャラクターとして描かれており、声はTV1作目を担当した大塚周夫の息子である明夫が担当している。 『バビル2世 ザ・リターナー』は原作:横山光輝、漫画:野口賢による漫画作品。 『ヤングチャンピオン』(秋田書店)にて、2010年6号(同年2月発売)から2017年3号(同年1月10日発売)まで連載された。 本編、「その名は101」の両方の設定を引き継いでいる。本編の40年後の現代が舞台で、バビル2世はアメリカに宣戦布告し、現代兵器・近未来兵器を駆使するアメリカ軍と壮絶な戦闘を繰り広げる。老いた伊賀野が官房長官として登場するほか、五十嵐、古見由美子、アニメ版の27話以降のワタリ牧場のユキらも40年経過した姿で登場している。また地球破壊プログラムを担った『マーズ』との対決と共闘というクロスオーバーや『魔法使いサリー』、『コメットさん』のキャラクターがスター・システム的に登場する。 ロプロスとポセイドンが化石様の装甲をまとった巨人(生物兵器)であり、旧支配者のロプロスとポセイドンを旧神であるバビル1世が封印したことになっているなどクトゥルフ神話への言及もある。
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1979年、『月刊少年チャンピオン』連載。単行本全5巻。", "title": "漫画" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "アメリカの研究施設に収容されていた山野浩一(本作ではじめてフルネームが判明した)は、自分の提供していた血液が人々を助けるためではなくCIAの超能力工作員を作り出すことに使われていたことを知り、嵐の夜に脱走する。浩一はコンピューター登録番号である『101』のままにワンゼロワンと呼ばれ、CIAに命を狙われる中、自分の血によって生まれた超能力工作員を抹殺していく。", "title": "漫画" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "本作では新たに浩一の血を輸血された人間(適応者)や動物が超能力者になる場合があるという設定が生まれた。浩一の血には、治癒効果があり、脱走した後も、負傷した人々に輸血していた。ピストルやナイフによる流血シーンなどバイオレンス描写は前作以上にハードで、主人公のエスパー戦士としての側面が強調されている。前作とは異なり浩一の内面描写が増え、卑劣な敵への怒りや憎しみをあらわにするシーンが多い。また恋愛描写も描かれ、浩一と恋に落ちる工作員として王銀鈴が登場する。", "title": "漫画" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "浩一の別名として「バビル2世」が挙げられ、ヨミが登場し、3つのしもべの存在も触れられるものの、本作は物語の終盤まで『バビル2世』本編とはリンクしないという異色の完結編である。作者によると単純な『バビル2世』の続編ではなく、主人公のその後に焦点を当てたかったと語っている。", "title": "漫画" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "上記のように、第4部に納得がいかなかったために改めて書かれた完結編であり、そのため、内容は第3部からの続きになっている。しかし、後に単行本化されたこの第4部は第3部の続きとして収められたため、結果的に本作は『バビル2世』のパラレルストーリーのようになってしまった。", "title": "漫画" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "『バビル2世』は当初、連載は3か月程度で完結する予定だったという。しかし、あまりの人気に2年半もの長期連載となり、何度倒されてもヨミが復活するというパターンが繰り返された。", "title": "漫画" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "横山光輝は後年、ムックのインタビューで「バビル2世と三つのしもべの関係は『西遊記』の三蔵法師とお供の孫悟空らをイメージして作った」と語っている。", "title": "漫画" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "この作品を描いた理由については「アメリカンコミックでは超能力者を主人公にした作品があるのに、日本にはまだなかったから」と答えている。", "title": "漫画" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "また、バビルがヨミを倒した後の人生がどうなったかを質問され、「きっと孤独な、寂しい人生を送ったんだと思いますよ」と答えている。『その名は101』を描いた理由については「バビル2世という作品に愛着があったから」とも答えている。", "title": "漫画" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "NET(現:テレビ朝日)系列で1973年1月1日から9月24日まで毎週月曜日19時00分から19時30分に放送。全39話。", "title": "テレビアニメ" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "最新科学装備のバビルの塔(漫画版におけるバベルの塔)に住む正義の超能力者バビル2世が悪の超能力者ヨミの陰謀を粉砕するために三つのしもべとともに戦うという基本設定は同じ。これに加えてアニメ独自の事件が起きる。", "title": "テレビアニメ" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "原作との最大の違いは、主人公・浩一がバビル2世となったため、幼少時から10年間育ててもらった叔父母の古見一家と心ならずも別れたという設定である。浩一にほのかな恋心を抱く従姉妹(古見夫妻の娘)由美子が浩一を探すのだが、毎回、現場にたどり着く直前に浩一は次の戦いに備えてその地を去るために逢えないというすれ違い描写が物語を盛り上げた。", "title": "テレビアニメ" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "第27話以降は舞台とサブキャラクターを一新し、主人公の服装も変わった。バビル2世は北海道のワタリ牧場の居候として平和な生活を営みながら、復活したヨミと戦うという展開になる。", "title": "テレビアニメ" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "正副主題歌・BGMとも、全曲が菊池俊輔による。なお、第37話における『魔犬ライナー0011変身せよ!』(音楽:山下毅雄)など、他の作品から適宜BGMの流用もされている。", "title": "テレビアニメ" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "本作は『東映まんがまつり』内で、2本が上映されている。", "title": "テレビアニメ" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "2001年10月5日から12月28日までテレビ東京の深夜アニメ枠で放送された。全13話。主人公の浩一の苗字が神谷に変更され、病院経営者である古見泰造に遠縁の子という名目で育てられたという設定になっている。原作をベースとしているが、オリジナル要素が強い一作となっている。2002年2月22日から7月26日にかけて、テレビ東京メディアネットよりDVDが全6巻で発売。", "title": "テレビアニメ" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "1992年にティーアップの制作により創美企画からOVA化された。VHSのみ全4巻(各巻30分,計120分)。テレビアニメ放送後の2002年11月22日にパイオニアLDCからDVD-BOXが発売されている。2017年4月4日にはHappinetからBlu-rayが発売。 ASIN B00006S254", "title": "OVA" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "原作の第2部までのストーリーを抜粋し、最終決戦部分はオリジナルストーリーとしている。この作品では、ヨミは平気で部下を使い捨てにするキャラクターとして描かれており、声はTV1作目を担当した大塚周夫の息子である明夫が担当している。", "title": "OVA" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "『バビル2世 ザ・リターナー』は原作:横山光輝、漫画:野口賢による漫画作品。", "title": "派生作品" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "『ヤングチャンピオン』(秋田書店)にて、2010年6号(同年2月発売)から2017年3号(同年1月10日発売)まで連載された。", "title": "派生作品" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "本編、「その名は101」の両方の設定を引き継いでいる。本編の40年後の現代が舞台で、バビル2世はアメリカに宣戦布告し、現代兵器・近未来兵器を駆使するアメリカ軍と壮絶な戦闘を繰り広げる。老いた伊賀野が官房長官として登場するほか、五十嵐、古見由美子、アニメ版の27話以降のワタリ牧場のユキらも40年経過した姿で登場している。また地球破壊プログラムを担った『マーズ』との対決と共闘というクロスオーバーや『魔法使いサリー』、『コメットさん』のキャラクターがスター・システム的に登場する。", "title": "派生作品" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "ロプロスとポセイドンが化石様の装甲をまとった巨人(生物兵器)であり、旧支配者のロプロスとポセイドンを旧神であるバビル1世が封印したことになっているなどクトゥルフ神話への言及もある。", "title": "派生作品" } ]
『バビル2世』(バビルにせい)は、横山光輝の作による漫画。および、それを原作としたアニメ作品である。
{{Infobox animanga/Header |タイトル=バビル2世 |ジャンル=[[少年漫画]]・[[SF漫画]] }} {{Infobox animanga/Manga |タイトル=バビル2世 |作者=[[横山光輝]] |出版社=[[秋田書店]] |掲載誌=[[週刊少年チャンピオン]] |レーベル=少年チャンピオンコミックス |開始号=1971年28号 |終了号=1973年47号 |巻数=全12巻 }} {{Infobox animanga/Manga |タイトル=バビル2世外伝 恐怖の予言の巻 |作者=横山光輝 |出版社=秋田書店 |掲載誌=[[月刊少年チャンピオン]] |開始号=1973年5月号 |終了号=(読み切り) }} {{Infobox animanga/Manga |タイトル=[[その名は101]] |作者=横山光輝 |出版社=秋田書店 |掲載誌=月刊少年チャンピオン |レーベル=少年チャンピオンコミックス |開始日=1977年 |終了日=1979年 |巻数=全5巻 }} {{Infobox animanga/Manga |タイトル=バビル2世 ザ・リターナー |作者=横山光輝(原作) |作画=[[野口賢]] |出版社=秋田書店 |掲載誌=[[ヤングチャンピオン]] |レーベル=ヤングチャンピオンコミックス |開始号=2010年6号 |終了号=2017年3号 |巻数=全17巻 }} {{Infobox animanga/TVAnime |タイトル=バビル2世 |企画=斎藤侑、高見義雄 |原作=横山光輝 |キャラクターデザイン=[[荒木伸吾]] |音楽=[[菊池俊輔]] |製作=[[テレビ朝日|NET]]、[[東映動画|東映]] |放送局=NET、他 |放送開始=[[1973年]][[1月1日]] |放送終了=1973年[[9月24日]] |話数= 全39話 }} {{Infobox animanga/TVAnime |タイトル=バビル2世 |原作=横山光輝 |監督=[[牛草健]] |キャラクターデザイン=嶋津郁雄 |アニメーション制作=[[ベガエンタテイメント]] |製作=[[テレビ東京メディアネット]]、<br />[[円谷映像]]、ベガエンタテイメント |放送局=[[テレビ東京]]、他 |放送開始=[[2001年]][[10月5日]] |放送終了=2001年[[12月28日]] |話数=全13話 }} {{Infobox animanga/OVA |タイトル=バビル2世 |原作=横山光輝 |監督=まつもとよしひさ |脚本=並木敏 |キャラクターデザイン=荒木伸吾、[[姫野美智]] |音楽=[[石田勝範]]、平野たかよし |製作=ティーアップ、[[J.C.STAFF]] |発売日=[[1992年]] |話数=全4巻(各巻30分) }} {{Infobox animanga/Footer |ウィキプロジェクト=[[プロジェクト:漫画|漫画]]、[[プロジェクト:アニメ|アニメ]] |ウィキポータル=[[Portal:漫画|漫画]]、[[Portal:アニメ|アニメ]] }} 『'''バビル2世'''』(バビルにせい)は、[[横山光輝]]の作による[[漫画]]。および、それを原作とした[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]作品である。 == 概要 == 『バビル2世』は『[[週刊少年チャンピオン]]』([[秋田書店]])に1971年7月5日号から1973年11月12日号まで連載された<ref name=”origin1”>「図説」、横山光輝『バビル2世《オリジナル版》』第1巻、[[復刊ドットコム]]、2019年3月20日発行、347頁。</ref>。全121話であり、他に『[[別冊少年チャンピオン]]』1973年5月号掲載の読切1話がある<ref name=”origin2” >「図説」、横山光輝『バビル2世《オリジナル版》』第2巻、復刊ドットコム、2019年5月24日発行、348頁。</ref>。超能力者であるバビル2世と、世界征服を企む超能力者のヨミとの死闘を描いたものであり、その内容から全4部作+読切1話で構成されているといわれている<ref name=”origin2” />。横山光輝のSF作品としては、超能力者を扱った『[[地球ナンバーV7]]』から2年超ぶりであった<ref name=”origin1” />。当時は[[劇画]]全盛で横山も全くSF作品を描かなかったが、本作のヒットで再びSF作品を描き続けることとなった<ref name=”origin1” />。 当初は10回連載の予定であり、バビル2世とヨミが[[ヒマラヤ]]で戦い、雪崩に呑み込まれて終了する予定であった<ref name=”origin1” />。ところが連載開始とともに人気が上昇したことから、長編連載に変更された<ref name=”origin1” />。 1972年12月18・25日号にはアニメ化決定と紹介された<ref name=”origin5”>「図説」、横山光輝『バビル2世《オリジナル版》』第5巻、復刊ドットコム、2019年11月20日発行、363頁。</ref>。1973年1月1日よりNET(現:[[テレビ朝日]])系列でテレビアニメが開始されて人気がさらに上昇し、アニメを見た女性ファンが『週刊少年チャンピオン』を買うことにより発行部数が増える現象が生じた<ref name=”origin6”>「図説」、横山光輝『バビル2世《オリジナル版》』第6巻、復刊ドットコム、2020年1月24日発行、363頁。</ref>。アニメ人気により雑誌連載もカラー頁や増頁掲載が増え、1973年2月5日号はテレビ放映記念として80頁が掲載された<ref name=”origin6” />。 アニメ版も人気が過熱して当初予定より延長され、再放送も度々行われたことから、1979年には大阪を中心に「バビル2世ファンクラブ」が結成された<ref name=”origin6” />。 横山は自身の好きな作品と聞かれると、必ず『バビル2世』と答えていた<ref name=”origin8”>「図説」、横山光輝『バビル2世《オリジナル版》』第8巻、復刊ドットコム、2020年1月24日発行、345頁。</ref>。 == 基本設定 == はるか昔、地球に不時着して帰れなくなり住み着いた[[宇宙人]]・バビル。彼が残した遺産・[[バベルの塔]]と三つのしもべを受け継いだ[[超能力|超能力者]]・浩一が、[[世界征服]]を企む悪の超能力者・ヨミと戦う物語。 === 5000年前の出来事 === 5000年前、宇宙人・バビルは宇宙船の故障により地球に不時着した。彼はその科学力と自らの超能力によって時の権力者を動かして巨大なバベルの塔を建設させる。当初の目的は故郷に救助信号を送るためであった。しかし科学的知識に乏しい地球人は、一瞬のミスから完成直前の塔の大半を破壊してしまう。 故郷へ帰ることをあきらめて地球人と結婚したバビルは、破壊されたバベルの塔を子孫に託そうと決心する。彼は宇宙船の機器をもとに、いつの日か生まれるであろう自分と同じ体質を持つ子孫を探し出す装置と三つのしもべを作り上げた。この遺産を受け継ぐ人間が自分の2世になるのである。バビルは自分と同じ超能力をもった子孫にそれを託すことができるのを幸せだと考えた。 === バベルの塔 === 超高性能[[コンピュータ]]が管理しており、5000年間の地球上の様々な出来事を記録している。人工砂嵐を起こしてその所在を隠し、催眠ライト・レーザー砲・ミサイルなどで武装、侵入者は塔内に仕掛けられた数々の罠で撃退する。そして破壊されても自動修復する機能を持ち、バビル2世に超能力者としての教育を施す装置や傷ついたバビル2世を癒す治療装置も完備している。アニメ第1作のみ「バビルの塔」と呼ばれる。 『バビル2世 ザ・リターナー』では、オーバーテクノロジーの固まりであるコンピューター本体から情報を読み出し一部管理するのに、現代の既存のコンピューターなどの機材(アラブ系のペーパーカンパニーを利用して購入した)を利用しているとされている。 なお、第1作において声を担当した声優は数人おり、初期は[[井上真樹夫]](第6話)なども演じていたが、中盤以降は山田俊司(現 [[キートン山田]])と[[矢田耕司]]{{Efn|初期に矢田が演じた際は普通の淡々とした声音であったが、中盤以降のカン高い声は[[ウルトラセブン]]で演じたゴーロン星人に近いものであった。}}による、独特のカン高い声による「コンピュータ音声」に固定された。 == 登場人物 == ; バビル2世 : 本名、山野浩一(アニメ版では古見/神谷と苗字がそれぞれ違っている)。 : ごく普通の両親のもとで、ごく普通の家庭に育った[[在籍者 (学習者)|中学生]]の少年だったが、ある時から夢に苛まされるようになる。バベルの塔が発する電波を感じ取ることができ、塔のコンピュータに正当な後継者=2世と認められた。 : 5000年前に地球にやってきた宇宙人・バビルの遠い子孫であり、バビルと同じ体質を持ち超人的な知力と体力、様々な超能力を発揮する。バベルの塔と三つのしもべを受け継いだが、ヨミとは道を違える。世界の平和を乱すヨミと対決するために、その力を注いでいく。 : アニメ版(1作目)では、エネルギー衝撃波や電撃を駆使してヨミとその配下達と戦うアクションシーンも多く、また第8話からブルーの戦闘服を着用し、自らバビル2世号{{Efn|『[[マジンガーZ]]』のパイルダー号のような小型ジェット機。本編ではバビル2世号、またはバビルカーと呼称。27話で墜落大破した後、自己修復能力で[[グレートマジンガー]]のブレーンコンドルに似た機首の尖った機体として再生している。}}を操縦して現地に向かうなど、よりヒーローらしさが強調されている。このバビル2世号は『リターナー』にも登場しているが、初代アニメ版とは異なるデザインとなっている。 ; ヨミ : 世界を支配しようとする悪の帝王。バビル2世同様にバビルの遠い子孫であり、言わばバビル2世の父親ともいうべき存在で、バビル2世と同等の超能力を持つ。 : 強大なカリスマ性を備え各地に秘密基地を建設して多くの部下を従えており、その種類も科学者・技術者・超能力者・サイボーグ工作員と多岐にわたる。各国の要人に改造人間を送り込んでいるため、国家をも意のままに操ることができる。三つのしもべに対抗してさまざまなロボット兵器を作り出し、自身の持てる超能力を振り絞ってバビル2世に戦いを挑む。 : 部下想いの面もあり、バビル2世を倒すチャンスを犠牲にしても部下の救出を優先したり、有用な作戦提案を即採用する度量の深さをしばしば見せる。その一方で、バビル2世を倒すチャンスのために部下を見殺しにする非情さも併せ持つ{{Efn|ただし部下を見殺しにする羽目になった場合には後味の悪い表情をする場合も多く、被害を抑えるためにバビル諸共攻撃せざるを得なくなった部下を攻撃せずに済んだ時には安心から油断を見せてしまったこともある。}}。 : 実は後継者候補としてバベルの塔に呼ばれたこともあったが、能力が不適合だったため、その記憶を消されていた。 : バビル2世との直接対決では何度も負けるが、倒されてもその度に復活する。さらに、第三部で宇宙ビールスに侵されて蘇ったことにより、特定の超能力ではバビル2世をも凌ぐ力を身に付けた。 : 原作者の横山はヨミの年齢について、110歳くらいをイメージしていると述べている。 ; 由美子 : 古見医院の一人娘で浩一の同級生。突如行方不明になった浩一を心配していた。ヨミの[[スパイ|工作員]]に銃撃され傷を負い、血だらけで現れた浩一に驚き、父と共に介抱する。アニメ版(1作目)では浩一の従姉妹で(浩一の苗字も同じ古見になった)、浩一に想いを寄せているという設定のヒロインとなっている。アニメ版3作目にも登場しているが、原作やアニメ版1作目とは髪型が異なっている。 ; 五十嵐 : 国家保安局局長。バビル2世からヨミの世界征服計画に関する報告書を渡されてヨミの陰謀を知り、以後バビル2世に協力するようになる。何か事件が起きた場合は、新聞に'''「書籍 バベルの塔 手に入れました」'''と暗号広告を打つことで連絡をつけている。 ; 国家保安局副局長 : 五十嵐と共にヨミの部下に拉致されそうになったところをバビル2世に救われた。 ; 伊賀野晋作 : 国家保安局の腕利き調査員。バビル2世と共に突如音信不通に陥ったF市の調査におもむく。最初はバビル2世をまったく信用しておらず、幾度も足手まといになってしまう。何度も命を救われ、その超能力を目の当たりにしてからは彼を理解し、バビル2世に友情を感じて良きパートナーたらんと動こうとした。それでも足手まといになることも多かったが、幾度かは活躍もしている。 === 三つのしもべ === 初代バビルが残した遺産であり、2世を主として命令には絶対服従する。原作において、2世と同質のテレパシー能力を持つヨミの命令も受け付けてしまう弱点が露呈。以降、ヨミのいる場所ではしもべを呼べなくなり(2世とヨミの命令が拮抗すると行動不能に陥る)、苦しい戦いを強いられる。 ; ロデム : [[スライム]]状の不定形生命体。普段は黒[[ヒョウ]]の形態を取る。どんな姿にも変身することができ、応用力が高いため、囮や諜報活動、また側近としてバビル2世の保護を受け持つ。ロプロスやポセイドンと違って明確な意思を持ち、バビル2世と[[テレパシー]]で会話することが出来る。また、ヨミに心を読まれないようにシールドを張ることもできる(ヨミと会話できるかは不明)。 : 不定形生物であるため単純な突く叩く殴ると言った攻撃はまるで効かず、銃撃されてもダメージを負うことは無い。武装した人間や、並みの超能力者程度なら身体で包み込んで溶解してしまうこともできる。しかしバビル2世やヨミのエネルギー衝撃波に弱く、連続で浴びせられるとダメージを受けて活動不能に陥るので戦闘にはあまり向いていない。また、生き物である以上体温を持ち呼吸をすることには変わりないため、熱センサーや二酸化炭素センサーなどを用いられると擬態した居所を見つけられてしまう。 : アニメ版(1作目)では、不定形生命体という説明は特にされず{{Efn|第6話でヨミの部下に化けた際、正体がばれてヨミに電撃を浴びせられた時は、原作同様に不定形生命体の姿になって捕まる描写はあったが、どのような形で囚われていたかは不明で、解放後は黒豹の姿でバビル2世と共に脱出している。}}、むしろ変身能力を持つ黒豹という扱いであり、後半でエネルギーを消耗して倒れてしまった際も黒豹の姿のままであった。また、原作版と違って普段から黒豹か女性の姿で付き従い、積極的に戦闘に参加しているばかりか、バビル2世に変身した時は、バビル2世と共にエネルギー衝撃波を使っており、万能ぶりを発揮している。 ; ロプロス : 巨大な怪鳥型[[ロボット]]。超音速で空を飛び、口からロケット弾と超音波を放つ。目にはカメラを装備しており、写真を撮影してそのデータを塔のコンピュータで分析することもできる。三つのしもべの中では最初に登場し、バビル2世を家から連れ出す役目もした。ヨミの作り出したV号との戦いで外装がはがれ、以降は機械状の表面がむき出しになった(アニメでは金色に表現されている)。主に戦闘やバビル2世を乗せての移動などに活躍する。 : 岩や爆弾の直撃程度ではビクともしない強固な装甲を持つが、原作第4部でバビル2世をかばい、水爆ミサイルの直撃を受けた際完全に破壊された。 : アニメ版(1作目)では最終回まで活躍、また、後半ではそのメカニックな外見にも関わらず、倒れたロデムの姿に悲しげに俯く描写などもあり、バビル2世の大事な仲間であることが強調されていた。 ; ポセイドン : 巨大な人型ロボット。攻撃力は三つのしもべ中最強で、大型船の船底を一撃で打ち抜くパンチとキック力を誇り、武装として指にレーザー砲、腹部に[[魚雷]]を装備する。また、ロプロスを上回る極めて硬い装甲を持ち、作中で一度も破損したりダメージを受ける描写がない。海中を高速で移動し、海を拠点とするが、陸上でも活動できる。目のランプを点滅させて信号を送り、バビル2世と会話することが出来る。 : アニメ版(1作目)では、ロプロスと共に最終回まで活躍。基本的には無表情なものの、後半は僅かではあるが仕草で意思表示をする描写も見られている。 == 超能力 == バビル2世とヨミの用いた[[超能力]]を記載。バビル2世はヨミと異なりエネルギー吸収能力も持っている。 ; 超体力・超感覚 : 人間の潜在能力を引き出せるので、常人の何十倍もの筋力で超スピードの運動能力やジャンプ力・怪力を発揮する。視力・聴力も非常に鋭敏で事前に本能的に危機を察知するなどの超感覚もある。 ; 超再生能力 : 瀕死の重傷を負っても短期間で回復できる。また、自身の血を怪我人に輸血することにより、輸血された相手を短期間で回復させることができる。 : ただし、体内に猛毒・ビールスを侵入させられるなど、単純な負傷だけでない外的要因が絡み合った場合は、この能力をもってしても完全に回復することはできない。 : これにより常人とは比べ物にならないほどの期間餓えや渇き、極端な暑さや寒さ、睡眠を取らない長期活動に耐えることができるが、流石に長期間何も口にできなかったり休養を取れなかったりすると体力は低下していき、最終的にはダメージが蓄積されて死に至る。原作ではヨミが一週間飲まず食わずで砂漠を彷徨った描写があるが、さしものヨミも精根尽き果てて倒れ込み、部下に回収された後しばし静養せざるを得なかった。 ; フライング能力 : どんな高い所からもクルクル回転しながら猫のように受身をとって着地する。 ; テレパシー : 他人の心の中を読んだり、遠隔地にいる相手に自分の意思を伝えたりする。また他の超能力者から読まれないように自分の心にバリアーを張ることもできる。 ; 催眠術 : 特殊な眼光で一瞬にして相手を催眠状態にして意のままに操る。 ; 天候操作 : 能力の増したヨミが、バビル2世に基地を悟られないために使用。一帯を黒雲で覆い、風を吹かせて強烈な大きさの雹を降らせた。 ; 幻覚術 : 能力の増したヨミが、バビル2世に基地を悟られないために使用。バビル2世をも「基地が爆弾で吹っ飛び、跡形もなくなった」と誤認させるほどの幻覚を見せた。 : ただし、あくまで「人間の知覚に訴える」ものであるため、映像記録や写真を撮られて確認されるとすぐにわかってしまうのが欠点。 ; 変身能力 : 顔の筋肉を変化させて他人の顔になる。全身の筋肉も同様に変化させ、別人になりすますことができる。 : しかし、骨格までは変化させることができないのが弱点。 ; パイロキネシス : 全身から高温の炎を吹き出し、体当たりする。並みの能力者程度では抗うことはできず、一瞬にして火だるまと化してしまう。 ; テレキネシス : 念力で周囲の物体を自由に動かすことができる。戦闘においては岩石や建築物を破壊したり、大量の石のつぶてを相手にぶつけたりする。 : 基本的にはより重く大きなものを動かそうとすると、消費が激しくなる。大型爆撃機が墜落した際には、さすがのバビル2世も「無理だ、ぼくにはあんな大きいものを(テレキネシスで)動かす力はない」と諦めざるを得なかった。 ; エネルギー衝撃波 : 腕から衝撃波を放って相手の内臓をズタズタにしてしまう。相手と接触しなければ効果がないので、格闘時に使われる。凄まじい威力を持ち、特性上後述の「ビールス生物」にも有効な攻撃手段なのだが、超能力の中でも特に大量のエネルギーを消費するため消耗が速く、使い過ぎるとたちまち力を失い、最後には老化現象を起こす。エンディングテーマ「正義の超能力少年」の歌詞では“[[電撃]]”と表現されている{{Efn|ただし4番の歌詞では「衝撃波」と歌われている。無料歌詞検索サイトUtaTenの[https://utaten.com/lyric/xa15051936/ 歌詞]を参照}}。 ; エネルギー吸収能力 : エネルギー衝撃波を吸収して体力を回復できる。ただし吸収できるかどうかは相手のエネルギー衝撃波の強さにもより、あまりに強い場合はダメージを負ってしまう。 : ヨミはこの能力を持たなかったため、バベルの塔から後継者とみなされなかった。 === 超能力のデメリット === バビル2世やヨミの超能力は強力だが、決して無限ではない。使えば使うほど威力は増していくが、同時に激しい疲労を起こすようになり、キャパシティの限界を超えて急激に力を消耗すると老化現象をおこす。 ヨミは自身の死の経験からバビル2世よりも早くこのことに気づき、自分なりに考えた上で「ただ普通の人間が何年もかかって使うエネルギーを、一瞬にして使うことができるだけ」「いくら水量が豊富な井戸でも、めちゃめちゃに水をくみ上げれば枯れてしまう、それと同じこと」との推論を出していた。 バビル2世は超能力を使った後の激しい疲労について塔のコンピュータに理由を訊ねるが、制限が掛けられているらしくコンピュータは答えない。彼は第3部最後の戦いで超能力を使い果たしたヨミの姿を見て、ようやくその答えを知ることになる。 == 宇宙ビールス == 第3部に登場。アメリカの宇宙衛星にくっついて地球に飛来したミクロの知的生命体([[ウイルス]])。生物に寄生して成長し、最後にはその生物を支配する。ウイルスに侵された生体が近くを走り抜けただけで空気感染するほど感染力は強く、繁殖力も非常に高い。 このビールスは過去の地球でも猛威をふるったことがあり、死者の復活や[[ドラキュラ伯爵]]・[[狼男]]など多くの魔人伝説を生んだ。かつて宇宙人・バビルも宇宙旅行中にこのビールスと出会っており、バベルの塔のコンピュータにその時の記録が残っていた。ビールスに感染した人間は皆血を吐いて倒れ絶命するが、その中でビールスに耐えられる体力と相性の良さを持った者は「ビールス人間」として復活する(通常の人間だと、復活できるのは30%前後の確率)。 感染後は超人的な体力・知力や、銃で撃たれた程度ではみるみるうちに傷口が塞がる異常なほどの再生能力の他に、テレキネシスや火炎放射といった超能力を発揮し、数人で手をつなげばつなぐほど超能力が増していく。 また、他の動物に感染して復活する場合もあり、作中では「ビールス犬」「ビールス牛」も登場している。犬や牛などに感染した場合は手を繋ぐ必要はなく、一斉に集中することで超能力を増していた。 死亡したヨミを復活させ、その超能力を数倍に増す。ヨミはビールスと特に相性が良かったらしく、「ビールスの力は得るが、支配に対しては抵抗し自我を保つ」「自ら作り出したビールス人間を統率し、手足のように命令を下す」という、ある意味理想の状態を作り出していた。このような共存を成功させたのは、作中ではヨミだけである。反対にバビル二世は同じ超能力者でも相性が悪く、一般人と比べればはるかに発症が遅かったものの、感染した時は他と同じように血を吐いて倒れ、意識を失い危篤状態となった。それを見たバベルの塔が即座に治療装置にかけたために一命は取り留めた。 しかし、[[ニンニク]]のエキスに非常に弱いという欠点があり、そのためニンニクが群生している地球では、過去でも繁殖を阻まれていた。一度でもこのエキスを注入された生物はビールスに対して抗体ができるらしく、以降は二度と感染することがなくなる。ビールス生物がエキスを注入されると、たちまち死滅して元通りの死体に戻るか、死体も崩れて跡形もなく消滅してしまう。 == 漫画 == === バビル2世 === [[1971年]]から1973年にかけて『[[週刊少年チャンピオン]]』に連載された。単行本全12巻。ストーリーは幾つかの区切りがあり、その内容から全4部作+読切1話で構成されているといわれている<ref name=”origin2” />。第1部から第3部までは連載時に特に記されていないが、第3部では「暗黒魔王の巻」というサブタイトルがつけられた<ref name=”origin5” />。また第106話(第3部の最終話、1973年7月23日号)の最終ページには、「構想も新たにバビル2世第四部が33号よりはじまります」と書かれている<ref>横山光輝『バビル2世《オリジナル版》』第7巻、復刊ドットコム、2020年3月20日発行、370頁。</ref>。 ; 第1部 1971年28号(7月5日号) - 1972年6号(1月31日号) : 平凡な中学生・浩一は毎晩砂漠にある高い塔の夢を見てはうなされていた。ある日、巨大な怪鳥に連れ去られた浩一は夢で見た砂漠の塔へと導かれる。そこははるかなる昔、宇宙人・バビルが超科学をもって作り上げたバベルの塔だった。バビルの後継者=「バビル2世」とみなされた浩一はカプセル内でコンピュータから100日間の教育を受け、超能力者としての才能を開花させていく。 : 次に浩一が塔から指示されたのは、チベット山中に多くの部下を従えて君臨するヨミという謎の人物と会うことだった。ヨミは2人の力で世界を征服しようと持ちかけるが、浩一は拒絶する。ヨミの操る岩石ロボット・ゴーリキの追撃を三つのしもべの力で振り切った浩一は、しもべの力とバベルの塔の科学力を使ってヨミと対決する決意を固める。 : ヨミは世界各国の要人に改造人間を送り込み、世界を意のままに操ろうとしていた。超能力者としての未熟さから一時ピンチを招いたバビル2世だったが、改造施設のある秘密基地を破壊することに成功する。一方ヨミは自分もバベルの塔の後継者候補であった記憶を取り戻し、逆に三つのしもべを操ってバビルを倒そうとする。 : しもべをうかつに使えないと悟ったバビルはロプロスを使ってヨミを砂漠におびき出し、直接対決する。エネルギー衝撃波によるすさまじい戦いでバビルは倒されたかに見えたが、実はヨミのエネルギーを吸収していた。回復したバビルの放った渾身の衝撃波でヨミの心臓は停止し、砂漠の砂に埋もれてゆくのだった。 ; 第2部 1972年7号(2月7日号) - 1972年35号(8月21日号) : ヨミは実は仮死状態で生きていた。息を吹き返したヨミは超能力を使った後の激しい疲労と老化現象に着目し、今度はバビルを徹底的に疲れさせてから倒す作戦に出る。バベルの塔に送り込まれた超能力者チームと怪力ロボット・バランとの戦いでピンチに陥ったバビル。しかし塔のコンピュータに助けられ、危うく難を逃れた。 : 回復したバビルはヒマラヤ山中に作られたヨミの秘密基地に忍び込み、反撃を開始する。しかしバビルはヨミの送り込んだ超能力者との激しい戦いや突如コントロールが利かなくなるしもべ達の反逆に悩まされ、重傷を負って吹雪の中で行方不明になってしまう。 : バビルが行方不明の間、沈黙を続けていたヨミは自ら作り出した超能力増幅装置が仇となり、能力の使いすぎで衰弱死していた。復活したバビルの命令で動き出した三つのしもべにより秘密基地は完全に破壊され、ここにヨミの野望は潰えた。 ; 第3部 1972年36号(8月28日号) - 1973年31号(7月23日号) : アメリカの人工衛星が日本の山中に落下した。人工衛星に付着してきた宇宙ビールスに感染した人間は高熱を発して死亡するが、生き残った人間は異常な体力と超能力を発揮して仲間を増やしてゆく。ニンニクエキスが弱点であることを塔のコンピュータがつきとめ、バビルはビールス人間退治に奔走する。しかしビールス人間の1人はヨミに興味を持ち、ヒマラヤ山中でヨミの死体を掘り返して復活させてしまう。ビールスによって蘇ったヨミはバビル以上の超能力を発揮し、バビルを苦しめる。ヨミとの直接対決で倒されそうになったバビルを救ったのはヨミとビールスとの仲間割れだった。 : 再び部下を集めたヨミはロプロスに似たV号という怪鳥ロボットを作り上げる。ヨミはV号を使ってバベルの塔の周辺国、バラビア共和国とサルダンを攻撃してその罪をロプロスになすりつけ、周辺国とバベルの塔を戦わせようと目論んだ。その企みに気がついたバベルの塔はV号と激しい戦闘を展開するが、その最中、バラビア共和国の爆撃機の大編隊が現れて爆撃を開始する。壮絶な迎撃戦の末に1機の爆撃機が大量の爆弾を抱えたまま塔に墜落して大爆発。塔は大破して活動停止、バビルも重傷を負ってしまう。ヨミはすかさず偵察隊を送り込むが、塔のコンピュータはかろうじて偵察隊を全滅させる。それを見たヨミは塔の未知の能力に恐れを抱き、ダメージを負ったV号修理のために引き上げてゆくのだった。 : ヨミは新たな作戦を立て、日本のF市に作った秘密基地を拠点にビールス人間を増やそうとする。国家保安局の調査員・伊賀野と共にF市に潜入したバビルは、数に勝るビールス人間やV号の攻撃に苦しめられたものの、自衛隊と連携してF市を包囲して秘密基地を破壊することに成功する。 : そして最後の直接対決が繰り広げられ、バビルの作戦で既に疲労させられていたヨミは老人化してしまう。瀕死のヨミは自らの死期を悟り、用意しておいたロケットPH304号に回収されていずこともなく去ってゆく。 ; 第4部 1973年33号(8月6日号) - 1973年47号(11月12日号) : 人々の謎の自殺が連続して起きた。バビル2世が調査すると、自殺したのは皆事故で手足を失い、不乱健博士によってヨミの身体のパーツを移植された人々だった。他人の身体で培養されたパーツをつなぎ合わせることにより、ヨミが再び復活する。 : ヨミは北極にバベルの塔を上回る能力を持つ基地を建設しようとするが、その野望を阻止すべくバビルはロプロスに乗って北極に向う。対するヨミはアメリカの原子力潜水艦から奪った核ミサイルをロプロスめがけて発射。自動追尾のミサイルからは逃れられないと判断したロプロスは、命令に背いてバビルを振り落とす。ミサイルが命中し、海に沈んだロプロスは二度とバビルの呼びかけに応えることはなかった。 : 残されたポセイドンと共に北極基地を攻撃するバビルの前に、縫い跡だらけの不気味な風貌となったヨミが現れた。ヨミは身体が衰えもはやバビルと戦う力が残っていないことを告げ、「これ以上破壊すると基地の原子炉が爆発して北極の氷が溶け地球が水没する」と話し、バビルに攻撃を中止して引き返すよう懇願。バビルはそれを受け入れ、去ってゆく。そして1人残されたヨミは基地と共に海に沈んでゆくのだった。 : 作者によると、この第4部に当たる部分は、本来の構想では、第3部で終わるつもりだったものが、テレビアニメとのタイアップで急遽連載再延長(そもそもは後述のように第1部のみで完結の予定だった)が決まったため、構想も不充分で満足の行く出来とはならなかったという。一部加筆を考えていたとの話もある<ref name=”origin8” />。 : 少年チャンピオン・コミックスでは全11巻で完結とされ未収録だったが、1986年から刊行された「秋田コミックスセレクト」版・全8巻の第8巻に、初めて収録された<ref name=”origin8” />。少年チャンピオン・コミックスには1995年に第12巻が刊行されて収録された<ref name=”origin8” />。 : このために再度、本当の完結編ということで執筆されたのが、後述の『その名は101』である。 ; 番外編「バビル二世外伝 恐怖の予言の巻」 『[[月刊少年チャンピオン]]』1973年5月号掲載。 : 第3部で舞台がF市に移る直前の話。コミックスではタイトルから「恐怖の予言の巻」が省かれている。 : 主人公は平凡な旅の男。空港で出会った占い師に「あの旅客機に乗った客は全員死亡する」と止められたが、無視して旅客機に乗り込んでしまう。予言は見事的中し、旅客機は墜落。1人だけ奇跡的に助かった男は砂漠をさまよい、V号・爆撃機との戦いで機能停止していたバベルの塔にたどり着く。男はそこで水と食料を奪って生還するが、街で塔の話をしても誰にも信じてもらえなかった。 : やがてヨミがそれを聞きつけ、塔への案内人としてヨミの部下と共に送り込まれる。しかしバベルの塔は既に復活しており、部下とロボット達は罠にかかり全滅。からくも男だけが逃げ延びるが、証拠隠滅のため旅客機の墜落事故現場でヘリコプターから突き落とされて死亡する。 === その名は101 === {{main|その名は101}} 『その名は101』(そのなはワンゼロワン):[[1977年]] - 1979年、『[[月刊少年チャンピオン]]』連載。単行本全5巻。 アメリカの研究施設に収容されていた山野浩一(本作ではじめてフルネームが判明した)は、自分の提供していた血液が人々を助けるためではなくCIAの超能力工作員を作り出すことに使われていたことを知り、嵐の夜に脱走する。浩一はコンピューター登録番号である『101』のままにワンゼロワンと呼ばれ、CIAに命を狙われる中、自分の血によって生まれた超能力工作員を抹殺していく。 本作では新たに浩一の血を輸血された人間(適応者)や動物が超能力者になる場合があるという設定が生まれた。浩一の血には、治癒効果があり、脱走した後も、負傷した人々に輸血していた。ピストルやナイフによる流血シーンなどバイオレンス描写は前作以上にハードで、主人公のエスパー戦士としての側面が強調されている。前作とは異なり浩一の内面描写が増え、卑劣な敵への怒りや憎しみをあらわにするシーンが多い。また恋愛描写も描かれ、浩一と恋に落ちる工作員として王銀鈴が登場する。 浩一の別名として「バビル2世」が挙げられ、ヨミが登場し、3つのしもべの存在も触れられるものの、本作は物語の終盤まで『バビル2世』本編とはリンクしないという異色の完結編である{{Efn|しもべたちはアメリカ政府により基地に閉じ込められ、終盤、浩一により解放されるが、その際に基地の一部を破壊したのみで全く活躍していない。そのため超能力者どうしのバトルが中心の展開となっているが、これは編集部の要望によるものであった。また、ヨミも最終回に復活した姿で登場するが、浩一に撃たれ生死は不明となっている。}}。作者によると単純な『バビル2世』の続編ではなく、主人公のその後に焦点を当てたかったと語っている。 上記のように、第4部に納得がいかなかったために改めて書かれた完結編であり、そのため、内容は第3部からの続きになっている。しかし、後に単行本化されたこの第4部は第3部の続きとして収められたため、結果的に本作は『バビル2世』のパラレルストーリーのようになってしまった。 === 漫画に関するエピソード === 『バビル2世』は当初、連載は3か月程度で完結する予定だったという。しかし、あまりの人気に2年半もの長期連載となり、何度倒されてもヨミが復活するというパターンが繰り返された。 横山光輝は後年、ムック<ref>『横山光輝グッズコレクション』([[講談社]]刊・2002年8月発行)参照。</ref>のインタビューで「バビル2世と三つのしもべの関係は『[[西遊記]]』の[[三蔵法師]]とお供の[[孫悟空]]らをイメージして作った」と語っている。 この作品を描いた理由については「アメリカンコミックでは超能力者を主人公にした作品があるのに、日本にはまだなかったから」と答えている{{Efn|実際には[[平井和正]]・[[石森章太郎]]の『[[幻魔大戦]]』が先行作品(発表は1967年)である。}}{{Efn|商業作品に限らなければ[[聖悠紀]]の『[[超人ロック]]』や関あきらの『スターシマック』が先行する。『バビル2世』の発表当時は両人ともプロデビュー前で、両作とも同人作品であるため一般的な知名度は低かったが、SF漫画ファンによる作品への評価は総じて高く、聖が東京に、関が大阪に拠点を置いていたことから、「西のシマック、東のロック」と称される人気作品であった。}}。 また、バビルがヨミを倒した後の人生がどうなったかを質問され、「きっと孤独な、寂しい人生を送ったんだと思いますよ」と答えている。『その名は101』を描いた理由については「バビル2世という作品に愛着があったから」とも答えている。 == テレビアニメ == === 1973年版 === {{基礎情報 テレビ番組 |番組名=バビル2世<br />(第1作) |ジャンル=[[テレビアニメ]] |放送期間=[[1973年]][[1月1日]] - 同年[[9月24日]] |放送時間=月曜19:00 - 19:30 |放送分=30 |放送回数=39回 |放送枠=[[テレビ朝日系列月曜夜7時台枠のアニメ]] |放送国={{JPN}} |国・地域=世界各国 |言語={{Flagicon|JPN}}[[日本語]] |放送チャンネル=[[オールニッポン・ニュースネットワーク|NET系列]] |制作=[[テレビ朝日|NET]]、[[東映動画|東映]] |原作=[[横山光輝]] |企画=斎藤侑(第1 - 5話)<br />高見義雄(第6 - 39話) |脚本=[[雪室俊一]]ほか |演出=田宮武ほか |プロデューサー=[[宮崎慎一]]、小沢英輔 |音楽=[[菊池俊輔]] |編集=花房三郎<br />古村均<br />鳥羽亮一 |声の出演=[[神谷明]]<br />[[大塚周夫]]<br />[[野田圭一]]<br />[[山口奈々]]<br />[[野村道子]]ほか |OPテーマ=「バビル2世」([[水木一郎]]、[[音羽ゆりかご会|コロムビアゆりかご会]]) |EDテーマ=「正義の超能力少年」(水木一郎) }} NET(現:[[テレビ朝日]])系列で[[1973年]][[1月1日]]から[[9月24日]]まで毎週月曜日19時00分から19時30分に放送。全39話。 ==== 内容 ==== 最新科学装備の'''バビル'''の塔(漫画版における'''バベル'''の塔)に住む正義の超能力者バビル2世が悪の超能力者ヨミの陰謀を粉砕するために三つのしもべとともに戦うという基本設定は同じ。これに加えてアニメ独自の事件が起きる。 原作との最大の違いは、主人公・浩一がバビル2世となったため、幼少時から10年間育ててもらった叔父母の古見一家と心ならずも別れたという設定である。浩一にほのかな恋心を抱く従姉妹(古見夫妻の娘)由美子が浩一を探すのだが、毎回、現場にたどり着く直前に浩一は次の戦いに備えてその地を去るために逢えないというすれ違い描写が物語を盛り上げた。 第27話以降は舞台とサブキャラクターを一新し、主人公の服装も変わった。バビル2世は[[北海道]]のワタリ牧場の居候として平和な生活を営みながら、復活したヨミと戦うという展開になる。 ==== 声の出演 ==== * '''主なキャスト''' ** バビル2世(古見 浩一) - [[神谷明]] ** ヨミ - [[大塚周夫]] ** ロデム(獣態) - [[野田圭一]] ** ロデム(人間態) - [[山口奈々]] ** コンピューター - [[矢田耕司]] ** バビル1世(1話) - [[小山田宗徳]] * '''26話まで''' ** 古見 由美子 - [[野村道子]] ** 由美子の父 - [[北川米彦|北川国彦]] ** 由美子の母 - [[坪井章子]] * '''27話以降''' ** 恒太郎(牧場主) - [[兼本新吾]] ** ユキ(恒太郎の孫娘) - [[田浦環]] ** チー坊(牧童) - [[山本圭子]] ** カー太(カラス) - 矢田耕司 ==== スタッフ ==== * 原作 - [[横山光輝]] * 企画 - 斉藤侑(第1-5話)、高見義雄(第6-39話) * キャラ設計 - [[荒木伸吾]] * 背景 - サン・アートスタジオ、スタジオコスモス、[[アトリエローク]] * 撮影 - 高橋宏固、菅谷正昭、細田民男、酒井寿一、武井利晴、森口洋輔、相磯嘉雄、菅谷英夫、佐藤隆郎、寺尾美代子 * 録音ディレクター - [[小松亘弘]] * 録音 - 二宮健治 * 編集 - 花房三郎、古村均、鳥羽亮一 * 音楽 - [[菊池俊輔]] * 選曲 - [[ビモス・プランニング|宮下滋]] * 制作担当 - 江藤昌治、三沢徹夫 * プロデューサー - [[宮崎慎一]]、小沢英輔 * 制作 - [[東映動画|東映]]、NET ==== 音楽 ==== 正副主題歌・BGMとも、全曲が菊池俊輔による。なお、第37話における『[[魔犬ライナー0011変身せよ!]]』(音楽:山下毅雄)など、他の作品から適宜BGMの流用もされている。 ==== 主題歌 ==== ; オープニングテーマ - 「バビル2世」 : 作詞 - 東映二{{efn|name="作詞"|作詞者名は[[日本コロムビア|コロムビアレコード]]における表記に基づく。詳細は“[[#正副主題歌の作詞家の表記(東映一・東映二・菊池俊輔)について|正副主題歌の作詞家の表記(東映一・東映二・菊池俊輔)について]]”の項を参照のこと。}}/ 作曲・編曲 - 菊池俊輔 / 歌 - [[水木一郎]]、[[コロムビアゆりかご会]]{{Efn|OPテロップでは「水木一郎」の単独表記であり、「コロムビアゆりかご会」はクレジットされていない。}} : オープニング映像に「コロムビアゆりかご会」の名がクレジットされていないことと関連しているかは定かでないが、もともと主題歌は「水木一郎」のソロで録音されたものの、当日、本人が風邪声だったために急遽「コロムビアゆりかご会」のコーラスをかぶせることになったという逸話がある<ref>{{Cite web|url=https://www.zakzak.co.jp/article/20181030-G4QTDBZUTNNQFESEKK77PKUJRE/|title=デビュー50周年水木一郎 アニキのオタケビ半生|work=zakzak夕刊フジ|publisher=産経デジタル|date=2018-10-30|accessdate=2023-8-16}}</ref>{{Efn|[[レーザーディスク|LD]]『バビル2世』VOL.1と2の副音声には音声特典としてBGMが6ミリテープからノーカット収録されているが、VOL.1ジャケット掲載の「BGMリスト」には、コーラスありの主題歌が(TVサイズ・フルサイズとも)未収録であることに関して「主題歌録音時はボーカルのみでコーラスの予定が無く、コロムビアゆりかご会のバックコーラスは後日録られたことから、東映動画に残されているBGMのテープにはコーラスありのオープニングが存在しない」と断り書きされている<ref>2枚組[[レーザーディスク|LD]]『バビル2世 VOL.1』[[東映ビデオ|東映ビデオ株式会社]]、LSTD01146、1994年7月21日、見開きジャケット左ページ。</ref>。}}。 : なお水木一郎ソロ・ヴァージョンは、第19話でフルサイズが挿入歌として使用されている。このフルサイズはモノラル音源ながら後年、CD『EVER GREEN SERIES アニメーションヒーロー バビル2世』のボーナストラックに収録された<ref>CD『EVER GREEN SERIES アニメーションヒーロー バビル2世』[[日本コロムビア]]、COCC-10143、1992年8月21日、track-17「バビル2世(レコードサイズ、コーラスなし)」。</ref>{{Efn|これについて、『テレビオリジナルBGMコレクション バビル2世』<ref name="BGM collection">30cmLP『テレビオリジナルBGMコレクション バビル2世』日本コロムビア、CX-7029、1981年8月25日(2003年9月25日にANIMEX1200シリーズ[24]『テレビオリジナルBGMコレクション バビル2世』COCC-72024として復刻CD化)。</ref>には、実際に使用されたTVサイズ(コーラスありヴァージョン)ではなく、TV未使用のソロ・ヴァージョンが収録されていたことを踏まえ、“BGM集の復刻にあたって「TV用主題歌(いわゆるTVサイズのこと)」のコーラスありヴァージョンを収録する予定だったのだが、テープが発見できなかったため、代わりにコーラスなしヴァージョンのフルサイズを収録することになった”という事情がライナーノートに記されている<ref>CD『EVER GREEN SERIES アニメーションヒーロー バビル2世』日本コロムビア、COCC-10143、1992年8月21日、ブックレットp14。</ref>。なお、所在が不明であったコーラスありヴァージョンのTVサイズは、その後TVサイズ集の各種CDにて収録が実現している<ref>CD『TVサイズ!テレビまんが主題歌のあゆみ 2』日本コロムビア、COCX-31668、2001年12月21日。</ref><ref>CD『TVサイズ!スーパーヒーロー主題歌集』日本コロムビア、COCX-31708、2002年1月19日。</ref><ref>CD『TVサイズ!東映アニメーション主題歌集1』日本コロムビア、COCX-33831、2006年7月26日。</ref>。}}ほか、CD『水木一郎 水木一郎 BEST&BEST』<ref>2枚組CD『水木一郎 BEST&BEST(ICHIRO MIZUKI Best&Best)』日本コロムビア、COCC-12811→12、1995年8月19日。</ref>でも聴くことができる。 : 第3話までのオープニングクレジットでは、“雑誌連載:冒険王”の「冒」の字を、「目」の上に「日」を重ねたものではなく、「月」の上に「日」を重ねた存在しない文字に誤植している。 ; エンディングテーマ - 「正義の超能力少年」 : 作詞・作曲・編曲 - 菊池俊輔{{efn|name="作詞"|}} / 歌 - 水木一郎 : 第11話ラストで挿入歌としても使用された。 *; {{Anchors|正副主題歌の作詞家の表記(東映一・東映二・菊池俊輔)について}}正副主題歌の作詞家の表記(東映一・東映二・菊池俊輔)について ** オープニング映像のクレジットでは主題歌の作詞は“'''東映一'''”となっており、一部の資料でも正副主題歌とも作詞者は“'''東映一'''”名義となっている<ref>甦る!東映アニメアンソロジー05『デビルマン&バビル2世』[[マイナビ|毎日コミュニケーションズ]]、2005年6月20日、{{ISBN2|4-8399-1812-0}}、2、50-51頁「オープニング&エンディング」。</ref>{{efn|東映アニメーションの公式サイトでも“'''東映一'''”である<ref>{{Cite web|url=https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/babil2/song/ |title=東映アニメーション 作品ラインナップ「バビル2世」主題歌/挿入歌|work=東映アニメーション|publisher=東映アニメーション|date=|accessdate=2023-10-21}}</ref>。}}が、当時の[[日本コロムビア|コロムビアレコード]]からリリースされた主題歌シングルレコード(SCS-512)では、OP・EDとも作詞:“'''東映二'''”となっていた<ref>シングルレコード『テレビ漫画 バビル2世から バビル2世/正義の超能力少年』[[日本コロムビア]]、SCS-512、1973年1月。</ref>(後に発行された徳間書店刊のムック『ロマンアルバム』でもOP・EDとも作詞を“'''東映二'''”と記載している<ref>徳間書店刊『アニメージュ増刊 ロマンアルバム(27) バビル2世』1979年12月30日発行、86-87頁。</ref>)。一方、同時期に発売されていたソノシート盤のジャケットでは、当初はOP・EDとも、作詞:“'''東映一'''”となっていたものの、再プレスからEDの作詞が“'''菊池俊輔'''”に改められている(ソノシート盤面のラベルではED作詞:'''東映一'''のまま)<ref>ソノシート『ソノラマエース・パピイシリーズ バビル2世』[[朝日ソノラマ]]、APM-4034、1972年12月25日(1973年3月6日再販)。</ref>。これに対してコロムビアレコードも後年[[テレビアニメ#第二次アニメブーム|アニメブーム]]の折に再販したシングルレコードからは、OP作詞:'''東映二'''、ED作詞:'''菊池俊輔'''となっており<ref>シングルレコード『ファンファンレコード バビル2世』日本コロムビア、CK-506、1978年4月。</ref>、以後コロムビアから発売される際にはこれがデフォルトとなった<ref name="BGM collection"/><ref name="DRAMA ALBUM">30cmLP『バビル2世』日本コロムビア、CS-7086、1978年12月(『テレビアニメーション・ドラマシリーズ バビル2世』COCC-12397として1995年3月1日に復刻CD化)。</ref><ref>30cmLP『ANIME SOUND MEMORIAL バビル2世』日本コロムビア、CX-7187、1984年10月。</ref><ref>CD『EVER GREEN SERIES アニメーションヒーロー バビル2世』日本コロムビア、COCC-10143、1992年8月21日。</ref><ref>2枚組CD『続・テレビまんが主題歌のあゆみ』日本コロムビア、56CC-1633→34、1987年6月21日。</ref><ref>2枚組CD『続・テレビまんが懐かしのB面コレクション』日本コロムビア、56CC-2576→77、1988年9月1日。</ref>{{Efn|1973年3月時点でのコロムビアレコードの、オムニバス・アルバム<ref>30cmLP『ゴールデンテレビまんが大行進11』日本コロムビア、KX-21、1973年3月。</ref>やミニアルバム<ref>4曲入りEP『テレビまんがヒットシリーズ バビル2世 ファイヤーマン』日本コロムビア、C-522、1973年3月。</ref>での記載は、OP・EDとも作詞はまだ“'''東映二'''”のままであり、いつからEDの作詞が“'''菊池俊輔'''”表記に変更となったのか、正確な時期ははっきりしない。}}。 ** なお、[[レーザーディスク|LD]]『バビル2世 VOL.2』の解説「BGMリスト」には、“'''東映二'''”は東映の企画プロデューサー・'''斎藤侑'''のペンネームとの記述がある<ref>2枚組[[レーザーディスク|LD]]『バビル2世 VOL.2』東映ビデオ株式会社、LSTD01160、1994年9月21日、見開きジャケット左ページ。</ref>。事実、後年の斎藤本人へのインタビューでも『バビル2世』で主題歌の作詞をしたと語られている<ref name="anthology">甦る!東映アニメアンソロジー05『デビルマン&バビル2世』毎日コミュニケーションズ、2005年6月20日、{{ISBN2|4-8399-1812-0}}、「スペシャルインタビュー 企画 斎藤侑」82-83頁。</ref>。そのインタビュー中における“菊池俊輔がテンポの速い曲を作ったため(=曲が短くなってしまったため)、急遽4番を付け足すことになったが(「3つのしもべ」それぞれを使って3番まで作ってしまったので)困ったすえに4番は「みんな、がんばれ」という詞になった”との発言から、EDの作詞にもかかわっていたことが示唆されている<ref name="anthology"/>。併せて「詞の著作権は会社にあって自分には無いが、菊池俊輔には権利を与えて欲しいと会社に訴えた」として、作詞の権利を菊池に譲ったともとれる発言もしている<ref name="anthology"/>。なお、斎藤はDVD-BOX付属ブックレットのインタビューでも「作詞の“'''東映一'''”とは実は僕」として、同様の裏話を語っている<ref>『バビル2世 DVD-BOX』[[NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン|ジェネオンエンタテインメント]]、GNBA-9003、2004年3月21日(2007年11月21日に廉価版がGNBA-5501として再発売)、SPECIAL BOOKLET p5-7「Interview 企画 斎藤侑」。</ref>。 ==== イメージソング ==== : 以下の2曲は後の[[テレビアニメ#第二次アニメブーム|アニメブーム]]時、1978年に発売されたドラマ編LP<ref name="DRAMA ALBUM"/>のために作られたもので、同時発売でシングルカットもされた<ref>シングルレコード『愛はまぼろし』日本コロムビア、CK-519、1978年12月。</ref>。そのため『バビル2世』の楽曲の中ではこの2曲のみ、作曲が菊池俊輔ではなく水木一郎である。 ; 「愛はまぼろし」 : 作詞・作曲・歌 - 水木一郎 / 編曲 - [[青木望]] ; 「戦士ひとり」 : 作詞 - [[辻真先]] / 作曲・歌 - 水木一郎 / 編曲 - 青木望 ==== 各話リスト ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" |- !話!!サブタイトル!!脚本!!演出!!作画監督!!美術!!放送日 |- |1||五千年前からの使者||[[雪室俊一]]||rowspan="2"|田宮武||rowspan="2"|[[荒木伸吾]]||rowspan="2"|浦田又治||'''1973年'''<br />1月1日 |- |2||恐怖の岩石巨人ゴーリキ||[[安藤豊弘]]||1月8日 |- |3||暗黒の帝王ヨミ||雪室俊一||[[明比正行]]||rowspan="2"|木暮輝夫||rowspan="2"|横井三郎||1月15日 |- |4||三つのしもべたち||安藤豊弘||宮崎一哉||1月22日 |- |5||これがテレキネシスだ!||雪室俊一||[[岡崎稔]]||我妻宏||浦田又治||1月29日 |- |6||危機一髪! バビルの塔||安藤豊弘||田宮武||rowspan="2"|江藤文男||横井三郎||2月5日 |- |7||もうひとりの司令官||雪室俊一||明比正行||伊藤英治||2月12日 |- |8||悪魔の秘密基地||安藤豊弘||古沢日出夫||石黒育||浦田又治||2月19日 |- |9||恐怖のロッキー山脈||[[辻真先]]||岡崎稔||我妻宏||土田勇||2月26日 |- |10||必殺ロボット・バラン||雪室俊一||宮崎一哉||木暮輝夫||横井三郎||3月5日 |- |11||アンドロイド2段攻撃||安藤豊弘||田宮武||荒木伸吾||伊藤英治||3月12日 |- |12||ロボット電送マシンX1||辻真先||明比正行||江藤文男||土田勇||3月19日 |- |13||人工衛星をとり戻せ||雪室俊一||岡崎稔||我妻宏||浦田又治||3月26日 |- |14||危うし!! 怪鳥ロプロス||安藤豊弘||宮崎一哉||木暮輝夫||土田勇||4月2日 |- |15||ノートルダム発狂事件||辻真先||古沢日出夫||石黒育||伊藤英治||4月9日 |- |16||幻の100兆円||rowspan="2"|雪室俊一||田宮武||荒木伸吾||勝又激||4月16日 |- |17||まっくらやみの挑戦||[[佐々木勝利]]||江藤文男||浦田又治||4月23日 |- |18||口笛を吹く悪魔たち||辻真先||[[山口康男]]||岡田敏靖||rowspan="2"|伊藤英治||4月30日 |- |19||マンモスゴリラの襲撃||rowspan="2"|安藤豊弘||茂野一清||白川忠志||5月7日 |- |20||戦慄の宇宙大作戦||宮崎一哉||木暮輝夫||土田勇||5月14日 |- |21||赤ちゃんは超能力者||雪室俊一||田宮武||荒木伸吾||伊藤英治||5月21日 |- |22||深海のカニロボット||安藤豊弘||佐々木勝利||rowspan="2"|江藤文男||福本智雄||5月28日 |- |23||死霊からの招待||rowspan="2"|辻真先||茂野一清||rowspan="2"|伊藤英治||6月4日 |- |24||永遠の都凍れるゾロウ||山口康男||岡田敏靖||6月11日 |- |25||死のV号作戦||雪室俊一||古沢日出夫||石黒育||土田勇||6月18日 |- |26||総攻撃バビル2世||安藤豊弘||田宮武||荒木伸吾||伊藤英治||6月25日 |- |27||新たなる闘い||雪室俊一||山口康男||岡田敏靖||土田勇||7月2日 |- |28||黄金のアミーバ||辻真先||佐々木勝利||江藤文男||rowspan="2"|伊藤英治||7月9日 |- |29||死を呼ぶギター||rowspan="2"|安藤豊弘||宮崎一哉||石黒育||7月16日 |- |30||ロボット使いの暗殺怪人||茂野一清||木暮輝夫||土田勇||7月23日 |- |31||死霊の馬ブルーペガサス||雪室俊一||田宮武||荒木伸吾||伊藤英治||7月30日 |- |32||ダスト・デビル死の灰作戦||辻真先||佐々木勝利||江藤文男||土田勇||8月6日 |- |33||どくろ魔女の恐怖||安藤豊弘||宮崎一哉||菊池城二||伊藤英治||8月13日 |- |34||夏に降る雪の狩人||辻真先||山口康男||岡田敏靖||土田勇||8月20日 |- |35||狂った女王蜂||雪室俊一||宮崎一哉||石黒育||伊藤英治||8月27日 |- |36||ヨミの秘密兵器ゴーリキ2号||安藤豊弘||茂野一清||木暮輝夫||下川忠海||9月3日 |- |37||謎のイプシロン星人||辻真先||田宮武||荒木伸吾||土田勇||9月10日 |- |38||東京地下占領作戦||雪室俊一||[[勝間田具治]]||江藤文男||rowspan="2"|伊藤英治||9月17日 |- |39||必殺! バビル2世対ヨミ||安藤豊弘||山口康男||岡田敏靖||9月24日 |} ==== 放送局 ==== {{節スタブ}} * NET(制作局):月曜 19:00 - 19:30 * [[北海道テレビ放送|北海道テレビ]]:月曜 19:00 - 19:30<ref>『[[北海道新聞]]』(縮刷版) 1973年(昭和48年)9月、テレビ欄。</ref> * [[青森テレビ]]:金曜 16:52 - 17:22<ref>『河北新報』1973年1月26日 - 9月7日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[テレビ岩手]]:金曜 17:30 - 18:00(1973年3月) → 金曜 18:00 - 18:30(1973年4月 - 10月12日) → 土曜 17:30 - 18:00(10月27日より)<ref>『河北新報』1973年3月23日 - 12月29日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[秋田放送]]:水曜 17:30 - 18:00<ref>『河北新報』1973年4月25日 - 9月6日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[山形放送]]:日曜 10:30 - 11:00(1973年9月まで) → 土曜 17:15 - 17:45(1973年10月から)<ref>『河北新報』1973年3月4日 - 12月1日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[宮城テレビ放送|宮城テレビ]]:月曜 19:00 - 19:30<ref>『河北新報』1973年1月1日 - 9月24日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[福島中央テレビ]]:月曜 19:00 - 19:30<ref>『福島民報』1973年1月1日 - 9月24日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[NST新潟総合テレビ|新潟総合テレビ]] * [[北日本放送]] * [[北陸放送]]:月曜 18:00 - 18:30<ref>『北國新聞』1973年7月9日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[福井放送]]:土曜 11:00 - 11:30<ref>『北國新聞』1973年6月2日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[山梨放送]] * [[長野放送]]:火曜 18:00 - 18:30<ref>『信濃毎日新聞』1973年9月11日付朝刊、テレビ欄</ref>。 * [[静岡放送]] * [[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ]] * [[毎日放送]] * [[山陰放送]] * [[岡山放送|テレビ岡山]] * [[広島ホームテレビ]] * [[瀬戸内海放送]] * [[九州朝日放送]] * [[長崎放送]] * [[熊本放送]] * [[テレビ大分]] * [[宮崎放送]]:月曜 18:00 - 18:30<ref name="minami">『[[南日本新聞]]』1973年5月7日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[鹿児島テレビ放送|鹿児島テレビ]]:月曜 19:00 - 19:30<ref name="minami" /> * [[沖縄テレビ放送|沖縄テレビ]] ==== 劇場版 ==== 本作は『[[東映まんがまつり]]』内で、2本が上映されている。 * バビル2世(1973年[[3月17日]]公開) ** 第2話「恐怖の岩石巨人ゴーリキ」のブローアップ版。 ** 同時上映は『[[パンダの大冒険]]』・『[[人造人間キカイダー#劇場版|飛び出す人造人間キカイダー]]』・『[[仮面ライダーV3#劇場版|仮面ライダーV3]]』・『[[マジンガーZ]]』・『[[ひみつのアッコちゃん]]』(第1作)の5本。 * バビル2世 赤ちゃんは超能力者(1973年[[7月18日]]公開) ** 第21話のブローアップ版。 ** 同時上映は『[[マジンガーZ対デビルマン]]』・『[[仮面ライダーV3対デストロン怪人]]』・『[[ロボット刑事#劇場版|ロボット刑事]]』・『[[キカイダー01#劇場版|キカイダー01]]』・『[[魔法使いサリー#劇場版|魔法使いサリー]]』(第1作)の5本。 ==== 備考 ==== * サブタイトルのBGMは後年、『[[オレたちひょうきん族]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系)の「[[タケちゃんマン]]」のオープニングに使用された。 * 90年代まで多くの地上波で再放送されたほか[[VHS]]の販売も行われた。後述の通り、DVDの販売のほか[[東映アニメーションミュージアムチャンネル]]<ref>{{Citation|title=【公式】バビル2世 第1話「五千年前からの使者」 <1970年代アニメ>|url=https://www.youtube.com/watch?v=oP19qYdSE3g|language=ja-JP|accessdate=2022-03-06}}</ref>、[[GYAO!]]<ref>{{Cite web|和書|title=バビルII世 {{!}} アニメ {{!}} GYAO!ストア |url=https://gyao.yahoo.co.jp/store/title/048132 |website=GYAO! |accessdate=2022-03-06 |language=ja}}</ref>、[[アマゾン・プライム・ビデオ]]<ref>{{Cite web|和書|title=Amazon.co.jp: バビル2世を観る {{!}} Prime Video |url=https://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AB%EF%BC%92%E4%B8%96/dp/B07124ZZ4P |website=www.amazon.co.jp |accessdate=2022-03-06}}</ref>などで動画配信が行われているほか、CS放送の東映チャンネルでも2022年3月7日より毎週月曜8:00に2話まとめて再放送される<ref>{{Cite web|和書|title=東映チャンネル {{!}} バビル2世 3月7日(月) 放送スタート!毎週(月)8:00~9:00 |url=https://www.toeich.jp/program/1TT000004869/202204 |website=東映チャンネル |accessdate=2022-03-06 |language=ja}}</ref>。同局では過去にも繰り返し再放送されている。 ==== 前後番組 ==== {{前後番組 | 放送局 = [[オールニッポン・ニュースネットワーク|NET系列]] | 放送枠 = [[テレビ朝日系列月曜夜7時台枠のアニメ|月曜19:00枠]] | 番組名 = バビル2世<br />(1973年1月1日 - 9月24日) | 前番組 = [[魔法使いチャッピー]]<br />(1972年4月3日 - 12月25日)<br />【[[東映魔女っ子シリーズ]]中断】 | 次番組 = [[ミラクル少女リミットちゃん]]<br />(1973年10月1日 - 1974年3月25日)<br />【東映魔女っ子シリーズ再開】 }} === 2001年版 === [[2001年]][[10月5日]]から[[12月28日]]まで[[テレビ東京]]の[[テレビ東京の深夜アニメ枠|深夜アニメ枠]]で放送された。全13話。主人公の浩一の苗字が'''神谷'''に変更され、病院経営者である古見泰造に遠縁の子という名目で育てられたという設定になっている。原作をベースとしているが、オリジナル要素が強い一作となっている。[[2002年]][[2月22日]]から[[7月26日]]にかけて、[[テレビ東京メディアネット]]よりDVDが全6巻で発売。 ==== 声の出演(2001年版) ==== * 神谷 浩一(バビル2世) - [[鈴村健一]] * ロデム - [[堀内賢雄]] * 佐伯 玲香 - [[ゆきのさつき|雪乃五月]] * ヨミ - [[麦人]] * レオン(穂村 光) - [[森久保祥太郎]] * フェレス(桐島 涼子) - [[日野由利加]] * 古見 由美子 - [[菊地祥子]] * 古見 泰造、デニス - [[中田雅之]] * ウル - [[紗ゆり]] * 郷田 剛、バラン - [[斉藤瑞樹]] * 沢木 登 - [[成瀬誠]] * バビル1世 - [[石丸博也]] * ゴーレム - [[木村雅史]] * リサ - [[岡村明美]] * ロイ - [[成田剣]] * ムルガ - [[北川勝博]] * エンキ - [[中田和宏]] * メイリン - [[堀江由衣]] * チェン - 室井晃 * アイラ - [[渡辺明乃]] * ムライ - [[入江崇史]] * マサキ - [[長克巳]] ==== スタッフ(2001年版) ==== * 監督 - [[牛草健]] * キャラクターデザイン - 嶋津郁雄 * 美術監督 - 阿部泰三郎 * 撮影監督 - 馬場健 * 音響監督 - [[高橋秀雄 (音響監督)|高橋秀雄]] * 音楽プロデューサー - 折本雄一 * プロデューサー - 並木俊治、今井朝幸、岡川晃基、[[松土隆二]] * アニメーション制作 - [[ベガエンタテイメント]] * 製作協力 - [[アニメシアターX|AT-X]]、[[アミューズピクチャーズ]] * 製作 - [[テレビ東京メディアネット]]、[[円谷映像]]、ベガエンタテイメント ==== 主題歌(2001年版) ==== ; オープニングテーマ - 「Never Die」 : 作詞・作曲・歌 - [[Lapis Lazuli (バンド)|Lapis Lazuli]] ; エンディングテーマ - 「landscape」 : 作詞・作曲 - 上田起士 / 歌 - [[etre]] ==== 各話リスト(2001年版) ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" |- !話!!サブタイトル!!脚本!!絵コンテ!!演出!!作画監督!!放送日 |- |1||選ばれし少年||rowspan="4"|増田貴彦||colspan="2" style="text-align:center"|[[牛草健]]||嶋津郁雄||'''2001年'''<br />10月5日 |- |2||大いなる遺産||釘宮洋||吉田俊司||佐藤真二||10月12日 |- |3||暴走する悪意||colspan="2" style="text-align:center"|鹿島典夫||[[宮田奈保美]]||10月19日 |- |4||新たなる覚醒||鈴木卓夫||[[真野玲]]||青井清年||10月26日 |- |5||ポセイドン発動!||[[荒木憲一]]||[[石山タカ明]]||三宅網太郎||嶋津郁雄||11月2日 |- |6||絶望の街||増田貴彦||嶋津奔||太田博光||[[長森佳容]]||11月9日 |- |7||バベルの塔攻防戦||荒木憲一||colspan="2" style="text-align:center"|岡尾貴洋||岡村正弘||11月16日 |- |8||激突! バビル2世対ヨミ||rowspan="3"|増田貴彦||colspan="2" style="text-align:center"|[[寺本幸代]]||桜井木ノ実||11月23日 |- |9||禁断の最終兵器||嶋津奔||吉田俊司||嶋津郁雄||11月30日 |- |10||密林の悪魔||colspan="2" style="text-align:center"|青木新一郎||桑原周絵||12月7日 |- |11||邪神復活||荒木憲一||鹿島典夫||三宅網太郎||服部益実||12月14日 |- |12||崩壊! バベルの塔||rowspan="2"|増田貴彦||桃瀬まりも||寺本幸代||桜井木ノ実||12月21日 |- |13||五千年の願い||嶋津奔||牛草健||嶋津郁雄||12月28日 |} {{前後番組 | 放送局 = [[テレビ東京]]<!--テレビ東京系同時ネットのアニメではないから「系」を付けないこと--> | 放送枠 = [[テレビ東京の深夜アニメ枠|金曜27:10枠]] | 番組名 = バビル2世<br />(2001年10月5日 - 12月28日) | 前番組 = [[コスモウォーリアー零]]<br />(2001年7月6日 - 9月28日) | 次番組 = [[フィギュア17 つばさ&ヒカル]]<br />(2002年1月11日 - 3月29日) }} == OVA == [[1992年]]にティーアップの制作により[[ハピネット|創美企画]]からOVA化された。VHSのみ全4巻(各巻30分,計120分)。テレビアニメ放送後の2002年11月22日に[[ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメント|パイオニアLDC]]から[[DVD-BOX]]が発売されている。2017年4月4日にはHappinetからBlu-rayが発売。 {{ASIN|B00006S254}} 原作の第2部までのストーリーを抜粋し、最終決戦部分はオリジナルストーリーとしている。この作品では、ヨミは平気で部下を使い捨てにするキャラクターとして描かれており、声はTV1作目を担当した大塚周夫の息子である明夫が担当している。 === 声の出演(OVA)=== * 山野 浩一(バビル2世) - [[草尾毅]] * ヨミ - [[大塚明夫]] * ジュジュ - [[三石琴乃]] * ウォン - [[石原慎一]] * 王禅寺ユカ - [[折笠愛]] * 山崎 - [[沢木郁也]] * ハマー - [[辻谷耕史]] * ニコラ - [[関俊彦]] * ラシェル - [[渡辺久美子]] * レア - [[西原久美子]] * グリフィン - [[森川智之]] * バビル1世 - [[中博史]] * サイキスト - [[高木渉]]、[[相沢まさき|相沢正輝]]、[[緑川光]]、[[玉井浩]] === スタッフ(OVA)=== * 原作 - 横山光輝 * 監督 - まつもとよしひさ * スペシャルアドバイザー - [[大畑晃一]] * 脚本 - 並木敏 * キャラクターデザイン - [[荒木伸吾]]、[[姫野美智]] * 美術監督 - 佐藤広明 * 音響監督 - [[田中英行]] * 音楽 - [[石田勝範]]、平野たかよし * 制作 - ティーアップ、[[ジェー・シー・スタッフ|J.C.STAFF]] === 主題歌(OVA)=== ; 「バビル/孤独のモニュメント」 : 作詞 - 水谷啓二 / 作曲・編曲 - [[見良津健雄]] / 歌 - [[石原慎一]] ; 「砂嵐の子守唄(ララバイ)」 : 作詞 - 水谷啓二 / 作曲・編曲 - 見良津健雄 / 歌 - 石原慎一 ; 「風に聞きたくて…」 : 作詞 - 坂田和子 / 作曲・編曲 - 見良津健雄 / 歌 - MacKanako ; 「Sunrise〜暁に抱かれて」 : 作詞 - 坂田和子 / 作曲・編曲 - 見良津健雄 / 歌 - MacKanako、[[岩崎元是]] === 各話リスト(OVA)=== # バベルの使者 # 砂塵の対決 # 光と影の間で # 蒼き閃光のかなたへ == 派生作品 == === バビル2世 ザ・リターナー === 『'''バビル2世 ザ・リターナー'''』は原作:横山光輝、漫画:[[野口賢]]による漫画作品。 『[[ヤングチャンピオン]]』([[秋田書店]])にて、2010年6号(同年2月発売)から2017年3号(同年1月10日発売)まで連載された。 本編、「その名は101」の両方の設定を引き継いでいる。本編の40年後の現代が舞台で、バビル2世はアメリカに宣戦布告し、現代兵器・近未来兵器を駆使するアメリカ軍と壮絶な戦闘を繰り広げる。老いた伊賀野が官房長官として登場するほか、五十嵐、古見由美子、アニメ版の27話以降のワタリ牧場のユキらも40年経過した姿で登場している。また地球破壊プログラムを担った『[[マーズ (漫画)|マーズ]]』との対決と共闘というクロスオーバーや『[[魔法使いサリー]]』、『[[コメットさん]]』のキャラクターが[[スター・システム (小説・アニメ・漫画)|スター・システム]]的に登場する。 ロプロスとポセイドンが化石様の装甲をまとった巨人(生物兵器)であり、[[旧支配者]]のロプロスとポセイドンを[[旧神]]であるバビル1世が封印したことになっているなど[[クトゥルフ神話]]への言及もある。 ; 単行本 :* 野口賢 『バビル2世 ザ・リターナー』 秋田書店〈ヤングチャンピオンコミックス〉、全17巻 :*# 2010年7月20日発売 ISBN 978-4-253-14885-6 :*# 2011年1月20日発売 ISBN 978-4-253-14886-3 :*# 2011年6月20日発売 ISBN 978-4-253-14887-0 :*# 2011年11月18日発売 ISBN 978-4-253-14888-7 :*# 2012年4月20日発売 ISBN 978-4-253-14889-4 :*# 2012年10月19日発売 ISBN 978-4-253-14890-0 :*# 2013年4月19日発売 ISBN 978-4-253-14894-8 :*# 2013年10月18日発売 ISBN 978-4-253-14904-4 :*# 2014年2月20日発売 ISBN 978-4-253-15171-9 :*# 2014年6月20日発売 ISBN 978-4-253-15172-6 :*# 2014年12月19日発売 ISBN 978-4-253-15173-3 :*# 2015年4月20日発売 ISBN 978-4-253-15174-0 :*# 2015年9月18日発売 ISBN 978-4-253-15175-7 :*# 2016年1月20日発売 ISBN 978-4-253-15176-4 :*# 2016年6月20日発売 ISBN 978-4-253-15177-1 :*# 2016年10月20日発売 ISBN 978-4-253-15178-8 :*# 2017年2月20日発売 ISBN 978-4-253-15179-5 == 他作品でのオマージュ == {{出典の明記|section=1|date=2017年1月}} {{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2017年1月}} ; 『[[ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日]]』 : 本作のキャラクターと設定は他の横山作品と同様、バビルを'''ビッグ・ファイア'''に、ヨミを'''黄帝ライセ'''に、三つの護衛団の名で登場したしもべが、ロデムを'''アキレス'''、ロプロスを'''ガルーダ'''、ポセイドンを'''ネプチューン'''と大胆に取り込まれている。また『その名は101』のエンディングから始まったのではないかという説が話題になったこともあるが、『ジャイアントロボ』は別の世界観を持つため直接繋がっているわけではない。漫画版『[[ジャイアントロボ 地球の燃え尽きる日]]』では、ビッグファイアのしもべが、ロデムの名前で登場している。また、他にもバビル2世に登場したキャラクターをモチーフにした登場人物たちが、多数登場している。 ; 『[[まほろまてぃっく]]』 : 安藤まほろのサポートメカとして、黒豹'''スラッシュ'''、巨大ロボ'''タツジン'''、巨大怪鳥'''ヴィマナ'''が登場している(アニメではスラッシュのみ登場)。特にアニメではスラッシュの声をロデムと同じく、野田圭一が充てている。 ; 『[[MAZE☆爆熱時空|MAZE☆爆熱時空 大胆過激な冒険者!!]]』 : OVA版でバブルの塔を守護する三つのしもべ、クイズ好きの怪鳥'''ロブロス'''、魔犬'''ロテム'''、自爆する小モンスターの'''ポセイドン'''が登場している。 ; 『[[KO世紀ビースト三獣士]]』 : 登場する神霊機(ジン)の、'''地霊王'''、'''海霊王'''、'''空霊王'''はバビル2世のオマージュ。 ; 『[[蒼い海のトリスティア]]』 : ナノカの祖父プロスペロが作ったEウェポン、狼型の'''スツーカ'''と戦闘型ゴーレムの'''テンザン'''が登場。さらに続編『[[蒼い空のネオスフィア]]』では鳥型Eウェポンの'''フェンサー'''が登場している。 ; 『[[こいこい7]]』 : TVアニメ版第11話で、東和野ミヤの側近である和洋中シスターズが、ポセイドンスーツ、ロプロススーツ、黒豹スーツを着て登場した。 ; 『[[ジョジョの奇妙な冒険]]』 : 第3部で空条承太郎が学生服を着ているのはバビル2世のオマージュであると原作者がコメントしている。 ; 『[[魔装機神]]』シリーズ : ヤンロンのファミリア・'''ランシャオ'''はその姿からリューネからロデムみたいと呼ばれ後に声が野田圭一になっている。 ; 『[[ザ・キング・オブ・ファイターズ]]』 : [[ルガール・バーンシュタイン]]は黒豹ロデムを連れている。 ; 『[[アスラクライン]]』 : 女性や黒豹に擬態できる使い魔'''イングリッド'''が登場する。 ; 『FARCE! 明智博士冒険記』 : [[紗夢猫]](現/赤井里実)作のコミック。巴・フェルナンディアが製作、自らの助手にしているロボット、スラッシュは黒豹と美女の姿に変身できる。なお、情緒は女性らしい。 ; 『ルナティックナイト』 : [[美衣暁]]作のアダルトコミック、三つのしもべと同名のキャラが登場するが、アニメ化の際に'''カルラ'''、'''クアール'''、'''ネプチューン'''に改名されている。なおポセイドンについては当初は作中で明示されず、「何故か読者がファンレターで皆ポセイドンと呼ぶのでポセイドンに決めた」とするネタが盛り込まれていた。 ; 『[[珍遊記2]]』 : 劇中、食の国の術師・安倍孔明が使う式神達で、'''黒犬'''がロデムの、'''伝書鳩'''がロプロスの、'''ゴーレム'''がポセイドンのそれぞれをモチーフにしている。 ; 『[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]』 : ヨミ演じる今田耕司、バビル演じる浜田雅功、ロデム演じる松本人志らによる「バビルくんとロデムくん」がある([[ダウンタウンのごっつええ感じのコント#は行]])。 ; 『[[テイルズ オブ リバース]]』 : ネレグの塔というダンジョンには中ボスとして、'''人間に化けている黒い不定形のモンスター'''、'''鳥型のモンスター'''、'''ロボット型のモンスター'''が出現する。 ; 『[[ナイトウィザード The ANIMATION]]』 : 第八話『時代を翔ける〜少女の塔〜』にてバベルの塔を守護する怪鳥、黒豹、巨人の姿をしたモンスターが登場。その後、TRPGにおいても「三つの僕」としてデータ化され、古代遺産を引き継いだキャラクターの専用武器となった。 ; 『僕と彼女とカノジョとかのじょ』 : '''黒恵'''がロデムの、'''金恵'''がロプロスの、'''銀花'''がポセイドンのそれぞれをモチーフにしている。 ; 『[[遊☆戯☆王ZEXAL]]』 : 第七話『正義の大盤振る舞い!エスパー・ロビン参上!!』以降、風也が使用するカード「異次元エスパー・スター・ロビン」「野獣戦士ピューマン」「鳳王獣ガイルーダ」「鉄巨人アイアンハンマー」がバビル2世と3つのしもべをオマージュしている。 ; 『[[涼宮ハルヒの憂鬱]]』 : 第八巻『涼宮ハルヒの憤慨』において「あたしの忠実な三つのしもべたちをこんなところに閉じ込めて何してんのよ!」というセリフがある。 ; 『[[絶対可憐チルドレン]]』 : 主人公、皆本'''光一'''の所属する政府機関の名が[[B.A.B.E.L.]](読みは「バベル」)。作中には超能力者が多数登場し、ライバル組織のリーダー・兵部京介は黒の学生服を纏う少年の姿をした、幾つもの超能力を持つ老人である。兵部の部下として登場する三幹部はそれぞれ「'''不定形'''の炭素繊維を操る'''黒ずくめ'''の男性」、「'''音波'''を含む振動波を操る若者」、「'''怪力'''に似た能力を持つ女性」。 <!--- 『[[絶対可憐チルドレン]]』ではテーマが超能力であることから皆本光一の名前はバビル2世から取られている。また (某エスパー漫画であり本作であると明言されていないのでコメントアウト)---> ; 『[[超感覚ANALマン]]』 : 主人公の息子「アナル2世」とその宿敵「ヨミ・売り」が登場。時の流れに逆らって未来からやって来たため、双方ズボンとパンツが脱げて下半身丸出しという、とんでもない姿に。 ; 『戦うメイドさん!』 : [[西野つぐみ]]作のコミック。作中キャラのメイドロイド「神無」が使役するしもべに「'''モデム'''」「'''ニプレス'''」「'''ボセイドン'''」がいる。 ;『Lv2からチートだった元勇者候補のまったり異世界ライフ』 : 鬼ノ城ミヤ作のライトノベル。3巻「カルゴーシ海岸編」にて領主「バンビールジュニア」、配下に「ロリンデーム」「ロップロンス」「ポルセイドン」が登場する。 == 関連番組・書籍 == * [[BSマンガ夜話]]「バビル2世」(1998年8月25日 NHK BS2) * いきなり最終回 PART4(1992年 [[JICC出版局]]) - 最終回が掲載。横山のコメントもあり。 * 「世界征服」は可能か?([[岡田斗司夫]] 2007年 [[筑摩書房]]) - 「悪の組織の首領」の例としてヨミを挙げ、その苦労を述べている。「ヨミさま人生すごろく」も掲載。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == * [https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/babil2/ バビル2世(1973年)] - 東映アニメーション * [http://jcstaff.co.jp/sakuhin/nenpyo/1992/02_bavil/bavil.htm バビル2世(1992年 OVA)] - ジェー・シー・スタッフ * {{YouTube|oP19qYdSE3g|【公式】バビル2世 第1話「五千年前からの使者」}} {{横山光輝}} {{東映アニメーション}} {{J.C.STAFF}} {{ベガエンタテイメント}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |collapse= |header= |redirect1=バビル2世 ザ・リターナー |1-1=リメイク漫画 |1-2=ヤングチャンピオン |1-3=漫画のクロスオーバー作品 |1-4=2010年の漫画 }} {{デフォルトソート:はひるにせい}} [[Category:横山光輝の漫画作品]] [[Category:漫画作品 は|ひるにせい]] [[Category:1971年の漫画]] [[Category:週刊少年チャンピオンの漫画作品]] [[Category:SF漫画作品]] [[Category:超能力を題材とした漫画作品]] [[Category:ウイルスを題材とした漫画作品]] [[Category:アニメ作品 は|ひるにせい]] [[Category:1973年のテレビアニメ]] [[Category:テレビ朝日系アニメ]] [[Category:東映アニメーションのアニメ作品]] [[Category:楽曲 は|ひるにせい]] [[Category:日本コロムビアのシングル]] [[Category:菊池俊輔が制作した楽曲]] [[Category:水木一郎の楽曲]] [[Category:1992年のOVA]] [[Category:J.C.STAFF]] [[Category:ハピネットのアニメ作品]] [[Category:2001年のテレビアニメ]] [[Category:テレビ東京の深夜アニメ]] [[Category:AT-Xのアニメ]] [[Category:ベガエンタテイメント]] [[Category:アミューズのアニメ作品]] [[Category:テレビ東京メディアネットのアニメ作品]] [[Category:ショウゲートのアニメ作品]] [[Category:円谷エンターテインメントのアニメ作品]] [[Category:荒木憲一のシナリオ作品]] [[Category:横山光輝原作のアニメ作品]] [[Category:チャンピオンコミックスのアニメ作品]] [[Category:超能力を題材としたアニメ作品]]
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アダルトゲーム一覧
アダルトゲーム一覧(アダルトゲームいちらん)は、性的な成人向けのコンピュータゲーム(「アダルトゲーム」を参照)作品の一覧である。 ウィキペディア日本語版に記事が存在し、原則として性的描写を理由に18歳未満購入禁止(→レイティング#性的表現などの検閲)となっているゲーム(エロゲー、H game)を掲載する。年齢による購入制限無しのゲームや、性的描写以外の理由により(暴力シーン・残酷な表現など)年齢による購入制限が設けられているゲームについては、「コンピュータゲームのタイトル一覧」や「CEROレーティング18才以上のみ対象ソフトの一覧」(日本)、「ESRBレイティング別対象ソフト一覧・AO (18歳未満提供禁止)」(アメリカ・カナダ)などに掲載する。 なお、括弧右端の略号に関しては、15禁はR-15(15歳未満禁止)指定の作品、同人は同人ゲーム、FDはファンディスク、CS・CS逆移植はコンシューマゲーム化(家庭用ゲーム機版移植)された作品・コンシューマゲームからの逆移植作品、OVAはOVA化された作品、TVはテレビアニメ化された作品、AVはアダルトビデオ化された作品、パチスロ・パチンコはパチスロ・パチンコの題材となった作品を、それぞれ表す。 ラブリーホラー〜おちゃめなゆうれい〜(全流通/1988年10月1日)
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アダルトゲーム一覧(アダルトゲームいちらん)は、性的な成人向けのコンピュータゲーム(「アダルトゲーム」を参照)作品の一覧である。 ウィキペディア日本語版に記事が存在し、原則として性的描写を理由に18歳未満購入禁止(→レイティング#性的表現などの検閲)となっているゲームを掲載する。年齢による購入制限無しのゲームや、性的描写以外の理由により(暴力シーン・残酷な表現など)年齢による購入制限が設けられているゲームについては、「コンピュータゲームのタイトル一覧」や「CEROレーティング18才以上のみ対象ソフトの一覧」(日本)、「ESRBレイティング別対象ソフト一覧・AO (18歳未満提供禁止)」(アメリカ・カナダ)などに掲載する。 なお、括弧右端の略号に関しては、15禁はR-15(15歳未満禁止)指定の作品、同人は同人ゲーム、FDはファンディスク、CS・CS逆移植はコンシューマゲーム化(家庭用ゲーム機版移植)された作品・コンシューマゲームからの逆移植作品、OVAはOVA化された作品、TVはテレビアニメ化された作品、AVはアダルトビデオ化された作品、パチスロ・パチンコはパチスロ・パチンコの題材となった作品を、それぞれ表す。
{{Notice|記事が執筆されていないタイトルは[[プロジェクト:美少女ゲーム系/未筆タイトル]]に掲載しています。|style=important}} '''アダルトゲーム一覧'''(アダルトゲームいちらん)は、性的な[[成人向けゲーム|成人向け]]の[[コンピュータゲーム]](「[[アダルトゲーム]]」を参照)作品の一覧である。 [[ウィキペディア日本語版]]に記事が存在し、原則として性的[[描写]]を理由に18歳未満購入禁止(→[[レイティング#性的表現などの検閲]])となっているゲーム('''エロゲー'''、'''H game''')を掲載する。[[年齢]]による購入制限無しのゲームや、性的描写以外の理由により(暴力シーン・残酷な表現など)年齢による購入制限が設けられているゲームについては、「[[コンピュータゲームのタイトル一覧]]」や「[[CEROレーティング18才以上のみ対象ソフトの一覧]]」(日本)、「[[ESRBレイティング別対象ソフト一覧・AO (18歳未満提供禁止)]]」(アメリカ・カナダ)などに掲載する。 なお、括弧右端の略号に関しては、'''15禁'''は[[映画のレイティングシステム#旧区分|R-15]](15歳未満禁止)指定の作品、'''同人'''は[[同人ゲーム]]、'''FD'''は[[ファンディスク]]、'''CS'''・'''CS逆移植'''は[[コンシューマーゲーム|コンシューマゲーム]]化(家庭用ゲーム機版移植)された作品・コンシューマゲームからの逆移植作品、'''OVA'''は[[OVA]]化された作品、'''TV'''は[[テレビアニメ]]化された作品、'''AV'''は[[アダルトビデオ]]化された作品、'''パチスロ'''・'''パチンコ'''は[[パチスロ]]・[[パチンコ]]の題材となった作品を、それぞれ表す。 __NOTOC__ {| id="toc" | style="padding: 5px;"| {| | style="padding: 3px;"| [[#一般男性向けゲーム|一般男性向けゲーム]] |} |- | style="padding: 3px;"| {| | style="padding: 3px;"| [[#あ|あ]] | style="padding: 3px;"| [[#い|い]] | 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**AYAKASHI H(2006年9月29日) *[[あやかしびと]](propeller/2005年6月24日) '''CS''' *[[あゆみちゃん物語]](アリスソフト/1993年9月15日) *[[Alive (Witch)|Alive]](Witch/1999年12月3日) **AliveRenewal(2001年3月30日) *[[ALIA's CARNIVAL!]](NanaWind/2014年3月28日) '''CS''' *[[Areas〜空に映すキミとのセカイ〜]](Lapis lazuli/2009年3月27日) **Areas〜恋する乙女の3H〜(2010年3月26日) *[[Aries]](CIRCUS/2000年4月28日) **Aries LoveDream、Aries PureDream(2004年4月2日) *[[ALICE (PSK)|ALICE adventures in wonderland]](パソコンショップ高知/1984年7月) *[[アリス2010]](アリスソフト/2009年12月18日) *[[ALICEの館]](アリスソフト/1989年12月) **ALICEの館2(1992年7月) **ALICEの館3(1995年4月) **ALICEの館4・5・6(1997年12月) **[[20世紀アリス]](2000年12月) **[[ALICEの館7]](2004年12月17日) *[[ALICE♥ぱれーど 〜二人のアリスと不思議の乙女たち〜]](ユニゾンシフト:ブロッサム/2007年10月12日) *[[アルカナ 〜光と闇のエクスタシス〜]](Ciel/2000年11月23日) *[[アルキメデスのわすれもの]](CIRCUS/2001年12月14日) '''FD''' *[[あるすまぐな! -ARS:MAGNA-]](light/2008年7月25日) *[[アルテミスブルー]](あっぷりけ -妹-/2011年2月24日) *[[あると]](Purple software/2006年2月24日) **みはる -あるとアナザーストーリー(2006年8月11日) '''FD''' *[[あるぴじ学園]](CIRCUS/2010年6月25日) *[[あるぺじお 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*[[イノセントガール]](フロントウイング/2014年2月28日) *[[If 〜イフ〜]](Active/1993年4月29日) *[[EVEシリーズ]](C's ware) **[[EVE burst error]](1995年) '''CS''' **EVE The Lost One(1998年) **ADAM THE DOUBLE FACTOR(1999年) **[[EVE ZERO]] '''CS''' **[[EVE The Fatal Attraction]] '''CS''' **[[EVE new generation|EVE new generation X]] '''CS''' *[[Imitation Lover]](light/2006年1月27日) *[[妹汁]](アトリエかぐや Berkshire Yorksire/2002年12月13日) '''OVA''' *[[妹スタイル]](C:drive./2011年7月29日) *[[妹スパイラル]](まかろんソフト/2013年9月27日) *[[妹スマイル]](しとろんソフト/2009年11月27日) *[[いもうと中毒 〜治す薬はありません〜]](GATSUN SOFT/2007年12月21日) *[[妹でいこう!]](オーバーフロー/2002年12月27日) '''OVA''' *[[妹に!スク水着せたら脱がさないっ!]](はむはむソフト/2007年12月21日) **妹に!スク水着せたら脱がさないっ! (Erotica/2009年4月3日) *[[イモウトノカタチ]](Sphere/2012年8月31日) *[[妹ぱらだいす! 〜お兄ちゃんと5人の妹のエッチしまくりな毎日〜]](MOONSTONE Cherry/2011年1月28日) *[[妹ペット]]シリーズ(私立さくらんぼ小学校) '''同人''' **妹ペット 〜repure〜(2008年8月17日) **妹ペット 〜premo〜(2008年12月30日) *[[11eyes -罪と罰と贖いの少女-]](11eyes CrossOver)(Lass/2008年4月25日) '''CS・TV''' **11eyes -Resona Forma-(2011年4月15日) '''FD''' *[[いろとりどりのセカイ]](FAVORITE/2011年7月29日) **いろとりどりのヒカリ(2012年8月31日) '''FD''' **いろとりどりのセカイ WORLD'S END COMPLETE(2013年7月26日) *[[色に出でにけり わが恋は]](ういんどみる/2010年4月29日) *[[いろは 〜秋の夕日に影ふみを〜]](Caitsith/2007年7月20日) *[[Inclusion〜インクルージョン〜]](burston/2004年10月29日) *[[Infantaria]](CIRCUS/2001年1月26日) *[[淫皇覇伝アマツ -白濁の呪印-]](アトリエかぐや DREIZEHN/2006年9月26日) *[[淫獣学園|淫獣学園EX]](DEZ SOFT NETWORK/1996年12月20日) *[[淫辱の性姫 〜快姦ニ堕チタ姫〜]](Studio e.go!/2008年10月31日) *[[淫堕の姫騎士ジャンヌ|淫堕の姫騎士ジャンヌ 〜オーガの仔種を注がれる気高き姫!〜]](catwalk NERO/2006年7月28日) '''OVA''' *[[淫内感染]](ZyX/1997年9月5日) *[[淫縛学艶|淫縛学艶 〜放課後に咲く恥辱の花〜]](メガロマンス/2006年9月29日) '''OVA''' *[[淫妹LOVE]](スワンマニア/2007年3月30日) *[[Yin-Yang! X Change Alternative]](CROWD/2004年10月29日) === う === *[[ヴァニタスの羊]](RococoWorks/2011年4月22日) *[[ヴァリアブル・ジオ]]シリーズ(戯画/1993年7月〜) '''CS・OVA''' *[[ヴァリスX]](BB5/2006年2月) *[[ヴァルキリーコンプレックス]](CIRCUS/2009年5月29日) *[[ウィザーズクライマー]](ソフトハウスキャラ/2008年5月30日) *[[ウィズ アニバーサリィー]](CROSSNET/2006年4月28日) **ウィズ アニバーサリィー ☆ FUNTA! feat.RURU(2006年8月11日) '''FD''' **ウィズ アニバーサリィー☆COMPLETE!(フェイバリット/2009年9月18日) *[[With You 〜みつめていたい〜]](絆という名のペンダント with TOYBOXストーリーズ)(カクテル・ソフト/1998年9月11日) '''CS・OVA''' **うぃずゆーTOYBOX(1999年9月17日) *[[With Ribbon]](Hulotte/2011年2月25日) *[[ウィッチズガーデン]](ういんどみる/2012年11月30日) *[[Wing&Wind]](Clear/2001年3月16日) *[[Wind -a breath of heart-]](minori/2002年4月19日) '''CS・OVA・TV''' *[[うえはぁす 〜お姫様は今日も危険でした〜]](ソフトハウスキャラ/2000年9月22日) *[[ヴェルディア幻奏曲]](エスクード/2008年7月25日) *WATER SUMMER ⇒ [[水夏]](CIRCUS/2001年7月27日) '''CS・OVA''' *[[失われた未来を求めて]](TRUMPLE/2010年11月26日) *[[ウソツキは天使のはじまり]](SAGA PLANETS/2005年3月25日) *[[嘘デレ!]](脳内彼女/2009年12月18日) *[[うそ×モテ 〜うそんこモテモテーション〜]](STUDIOねこぱんち/2002年11月29日) *うたシリーズ(フロントウイング) **[[ゆきうた]](Survive/2003年12月19日) **[[そらうた]](FrontWing/2004年8月27日) **[[ほしうた]](FrontWing/2008年12月26日) *[[うたう絵本]](CIRCUS) **うたう絵本 1・2・3 ハイ!!(2002年11月8日) **うたう絵本 4・5・6 Hi! Hi!(2005年8月26日) *[[うたかな]](ACTRESS/2002年6月7日) *[[うたわれるもの]](Leaf/2002年4月26日) '''CS・OVA・TV''' *[[うちの妹のばあい]](イージーオー/2003年5月30日) **うちの妹のばあい純愛版(2007年10月26日) *[[宇宙海賊サラ]](BLACK Lilith/2007年8月24日) '''OVA''' *[[宇宙快盗ファニーBee]](アリスソフト/1994年8月10日) *[[美しき獲物たち]]シリーズ(グレイト/1986年〜) *[[美しき獲物たちの学園]](ミンク/1998年9月25日) *[[感染って発情アクメ菌! -精にまみれた女学園-]](softhouse-seal/2010年6月25日) *[[うつりぎ七恋天気あめ]](キャラメルBOX/2007年2月23日) *[[奪 〜人の妻、売ります〜]](スタジオ奪/2014年8月22日) *[[裏番組 〜新人女子アナ欲情生中継〜]](13cm/2003年1月31日) *[[裏入学 〜淫液に濡れた教科書〜]](アトリエかぐや DREIZEHN/2004年12月17日) *[[ウルトラ魔法少女まなな]](アリスソフト/2004年8月27日) *[[雲上のフェアリーテイル]](COSMIC CUTE/2018年3月23日) *[[運命線上のφ]](Lump of Sugar/2014年10月31日) === え === *[[AIR (ゲーム)|AIR]](Key/2000年9月8日) '''CS・TV・劇場版アニメ''' *[[airy[F]airy 〜Easter of Sant'Ariccia〜]](RococoWorks/2010年1月29日) *[[AR 〜忘れられた夏〜]](CIRCUS/2006年2月24日) *[[永遠となった留守番 〜パパは帰らない〜]](たっちー/2003年2月28日) *[[永遠のアセリア|永遠のアセリア -The Spirit of Eternity Sword-]](-この大地の果てで-)(ザウス/2003年11月28日) '''CS・OVA''' **永遠のアセリア EXPANSION -The Spirit of Eternity Sword-(2005年10月21日) '''FD''' **スピたん Spirits Expedition -in the Phantasmagoria-(2006年3月3日) ***スピたん SPECIAL BOX(2006年12月22日) '''FD''' **[[聖なるかな|聖なるかな -The Spirit of Eternity Sword 2-]](2007年8月3日) *[[H2O -FOOTPRINTS IN THE SAND-|H<sub>2</sub>O -FOOTPRINTS IN THE SAND-]](H<sub>2</sub>O プラス)(枕/2006年6月23日) '''CS・TV''' **[[√after and another]](2007年10月26日) **H<sub>2</sub>O √after and another Complete Story Edition(2009年7月31日) *[[英雄*戦姫]](天狐/2012年3月30日) '''CS''' **英雄*戦姫GOLD(2014年3月28日) *[[エヴォリミット]](propeller/2010年5月28日) *[[エーデルヴァイス (ゲーム)|エーデルヴァイス]](inspire/2006年12月22日) *[[エーデルワイス (ゲーム)|エーデルワイス]] (OVERDRIVE/2006年12月15日) **[[エーデルワイス 詠伝ファンタジア]](2008年8月29日) '''FD''' *[[エーベンブルグの風]](Studio e.go!/2002年7月26日) '''OVA''' *[[Xchange]](CROWD/1997年10月24日) **[[Xchange2]](1999年8月27日) **[[Xchange3]](2004年6月25日) **[[Yin-Yang! X Change Alternative]](2004年10月29日) **[[X Change Alternative2|X Change Alternative2 -キミノヒトミニウツルキミ-]](2008年9月26日) *[[EXTRAVAGANZA 〜蟲愛でる少女〜]](ブラックサイク/2006年10月27日) *[[E×E]](ゆずソフト/2007年6月1日) *[[エクソダスギルティー|エクソダスギルティー・オルタナティブ]](アーベル/2002年12月5日) '''CS''' *[[SM調教師瞳]]シリーズ(西武企画/1990年1月1日〜) *[[エスカレーション (成人アニメ)|エスカレーション]]シリーズ(フェアリーダスト) '''OVA・AV''' **エスカレーション'95 〜お姉さまって呼んでいいですか?〜(1995年3月4日) **エスカレーション エクステンション(1996年9月27日) **エスカレーション 〜蒼い抱擁〜(1999年6月25日) **エスカレーション HARD CORE(2002年6月14日) *エターナル・エチュード Canvas4 ⇒ [[アクロウム・エチュード Canvas4]](F&C FC01/2011年1月28日) '''CS''' *[[エターナル・キングダム〜滅びの魔女と伝説の剣〜]](Studio e.go!/2008年7月25日) *[[エターナルファンタジー]](CIRCUS/2007年11月22日) *[[X-GIRL]](RED-ZONE/1996年4月19日) *[[H研究会]](May-Be SOFT/1999年11月26日) *エッチなバニーさんは嫌い?シリーズ(ZyX) **[[エッチなバニーさんは嫌い?]](2001年3月30日) **エッチなバニーさんは嫌い? 2(2002年11月29日) *[[悦楽の学園]](シーズウェア/1994年2月25日) *[[eden*]](minori/2009年9月18日) *[[NTR48 〜俺の家族が寝取られるまでの48日間〜]](黒鳥/2012年6月29日) *[[ef - a fairy tale of the two.]](ef - a tale of memories./ef - a tale of melodies.)(minori) '''CS・TV''' **ef - the first tale.(2006年12月22日) **ef - the latter tale.(2008年5月30日) **ef - First Fan Disc(2006年8月25日) '''FD''' **天使の日曜日-ef Pleasurable Box-(2010年9月17日) '''FD''' *[[effect 〜悪魔の仔〜]](裸足少女/2000年12月1日) *[[Emmy]](アスキー/1984年) *エミーリア ⇒ [[眠れる森のお姫さま]](ペンギンワークス/2000年8月4日) '''CS''' *[[M.E.M. 〜汚された純潔〜]](アイル/1999年8月26日) '''OVA''' *[[ELYSION 〜永遠のサンクチュアリ〜]](Terios/2000年8月10日) '''CS''' *[[ELLE (アダルトゲーム)|ELLE]](エルフ/1991年6月13日) **[[ELLE (アダルトゲーム)#〔él〕|〔el〕]](2000年9月29日) '''OVA''' *[[エルドラド伝奇]](エニックス/1985年) *[[エルフオールスターズ脱衣雀]](エルフ/2000年3月30日) **[[エルフオールスターズ脱衣雀2]](2001年11月22日) **[[エルフオールスターズ脱衣雀3]](2006年3月31日) *[[エルフ大人の缶詰]](エルフ/2000年12月22日) *[[Elle:PrieR 〜しあわせの欠片をさがして〜]](Etoiles/2010年8月27日) *EREMENTAR LEGION -創聖の戦記- ⇒ [[レジオン・ド・ヌール (ゲーム)|レジオン・ド・ヌール]](Infinite-Justice/2005年12月予定→発売日未定・未発売) *[[えろコン 〜Erotic Controller 4U〜]](ZERO/2003年9月26日) *[[エロティ課 誘惑研修はじまるよ〜 〜しごいちゃうから覚悟なさい!〜]](アトリエかぐや Honky-Tonk Pumpkin/2012年6月29日) *[[ENGAGE LINKS]](ALcot/2008年10月24日) *[[AngelWish|AngelWish 〜放課後の召使いにチュッ!〜]](〜君の笑顔にチュッ!〜)(CROSSNET/2004年5月28日) '''CS''' *[[ANGEL・CORE]](RUNE/2002年3月29日) '''OVA''' *[[Angel's Lesson]](Cronus/2000年12月15日) *[[ANGEL NAVIGATE]](Aries/2009年9月18日) *[[Angel Hearts (ゲーム)|Angel Hearts]](エルフ/1989年) *[[Angel Halo]](Active/1996年10月17日) *[[ANGEL BULLET]](ライアーソフト/2004年10月1日) *[[エンジェルブレイド]](デジアニメ・コーポレイション/2002年10月4日) *[[angel breath]](戯画/2006年2月24日) *[[ANGEL MAGISTER]](mana/2009年7月24日) *[[艶女医(エンジョイ) 〜2人のエッチな女医とエロエロ研修体験〜]](アトリエかぐや Berkshire Yorksire/2007年9月28日) *[[艶談・源平争乱記いろはにほへと]](全流通/1988年3月) **艶談・徳川興隆記ごらくいん(1988年12月) **艶談・歴史絵巻ぬかたのおおきみ(1989年12月) *[[Endless Serenade]](DISKDREAM/1999年2月26日) '''OVA''' === お === *[[おいしい魔法のとなえかた。]](C:drive./2007年2月23日) *[[オイラは番台]](インターハート/2001年12月14日) **[[オイラは番台 〜平作&健太の夢物語〜]](2003年12月19日) **[[オイラは番台 弐]](2006年4月21日) *[[桜華 -おうか-]](キャリエール/2005年6月24日) '''CS''' *[[王賊]](ソフトハウスキャラ/2007年6月29日) *[[オーガストファンBOX]](オーガスト/2004年8月27日) '''FD''' *[[桜花センゴク]](ApRicoT/2010年10月30日) *[[仰せのままに★ご主人様!]](桜月/2005年11月18日) *[[OH!! マイクロマン 〜小さくなって女の子の色んなトコロに入っちゃお!〜]](MBS TRUTH -DeepBlue-/2014年12月26日) *[[女将・静香 〜熟れた果実が堕ちる刻〜]](mini-mam/2007年4月27日) *[[おキツネSummer 〜夏合宿・女の子付き〜]](SCORE【しゅこあ!】/2006年12月22日) *[[置き場がない!]](あかべぇそふとつぅ/2010年5月27日) **やや置き場がない!(2011年11月25日) '''FD''' *[[奥さまは○学生]](私立さくらんぼ小学校/2006年8月13日) '''同人''' *[[幼なじみと甘〜くエッチに過ごす方法]](アトリエかぐやBerkshire Yorkshire/2007年2月23日) *[[よつのは|幼なじみとの暮らし方]](ハイクオソフト/2006年9月15日) '''FD''' *[[幼なじみな彼女]](イージーオー/2005年3月25日) *[[幼なじみは大統領 My girlfriend is the PRESIDENT.]](ALcot/2009年10月30日) *[[おしえて☆エッチなレシピ -アナタとワタシのあま〜いせいかつ!-]](ひよこソフト/2012年5月25日) *[[おしえて Re:メイド]](ユニゾンシフト・アクセント/2006年7月28日) *[[おしかけおさなづま³|おしかけおさなづま<sup>3</sup>]](ロール/2005年2月18日) *[[お嬢様組曲]](Symphony/2005年4月22日) '''CS''' *[[お嬢様をいいなりにするゲーム]](アリスソフト/2007年10月5日) *[[おたく☆まっしぐら]](銀時計/2006年9月29日) *[[堕ちゆく教室]](アトリエかぐや/2001年6月1日) *[[おっぱい小さくて何が悪いのさ!]](スワンマニア/2011年1月28日) *[[おっぱいティーチャー 〜むちムチ性教育〜]](スワン/2008年6月27日) *[[おっぱいナース! 〜白衣の搾乳病棟〜]](スワン/2008年2月29日) *[[おっぱいの王者48 〜何も考えず目の前のおっぱい全部しゃぶれ!〜]](OLE-M/2008年11月28日) *[[おっぱいハート〜彼女はケダモノ発情期ッ!?〜]](BISHOP/2010年2月26日) '''OVA''' *[[乙女が奏でる恋のアリア]](ensemble/2014年11月28日) **乙女が奏でる恋のアリア 君に捧げるアンコール(2015年6月26日) *[[乙女騎士♥いますぐ私を抱きしめて]](ensemble SWEET/2019年4月26日) *[[オトメクライシス]](戯画/2008年3月28日) *[[処女はお姉さまに恋してる]](乙女はお姉さまに恋してる)(キャラメルBOX/2005年1月28日) '''CS・TV''' **処女はお姉さまに恋してる 2人のエルダー(2010年6月30日) '''CS・TV''' *[[乙女理論とその周辺 -Ecole de Paris-]](Navel/2013年7月26日) '''CS''' *[[お兄ちゃん、右手の使用を禁止します!]](Galette/2014年9月26日) *[[鬼うた。 〜鬼が来たりて、甘えさせろとのたもうた。〜]] (130cm/2009年6月26日 ) **鬼まり。 〜鬼が夢見し常の世に、至る幼き恋の始まり〜(130cm/ 2010年1月29日) *[[鬼神楽]](Studio e.go!/2005年4月28日) *[[鬼がくる。 〜姉がひん死でピンチです〜]](えにしそふと/2017年7月28日) *[[鬼ごっこ!]](Alcot/2011年3月31日) '''FD・CS''' *[[鬼父]](ブルーゲイル) **鬼父 〜愛娘強制発情〜(2008年10月24日) '''OVA''' **鬼父2 〜あんたみたいな鬼畜、お父さんじゃない!〜(2009年8月28日) '''OVA''' *[[お姉ちゃんの3乗]](Marron/2003年7月25日) *[[お願い!委員長!!]](オーサリングヘヴン/2006年7月21日) *[[お願いお星さま]](PULLTOP/2004年5月28日) *[[お姫様は特訓中!]]シリーズ(Lusterise) **お姫様は特訓中 〜性なる魔法修行〜(2002年11月8日) **お姫様は特訓中R! 〜性なる魔法修行〜(2004年4月9日) **お姫様は特訓中!!2 受け継がれし性なる魔術(2005年12月16日) *[[オフィスで誘うエッチな彼女]](PULLTOP LATTE/2017年3月24日) *[[おまえのなつやすみ]](FlyingShine黒/2004年3月26日) **おまな2 おまえんち萌えてるぞ(2006年2月24日<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.game-style.jp/soft/200601/17/01oma_fs.php|title=あの不条理AVG『おまなつ』がさらにおバカになって帰ってきた! 『おまな2 おまえんち萌えてるぞ』2月24日発売!|author=高瀬|accessdate=2020-04-20|date=2006年1月17日|publisher=ビートニクス|work=Game-Style|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090709185457/http://www.game-style.jp/soft/200601/17/01oma_fs.php|archivedate=2009-07-09}} </ref>) *[[おまたせ!雀バラや♪]](おれんじぺこ/2005年6月3日) *[[思い出アルバム]](トラヴュランス/2000年10月28日) *[[母娘乱館]](アリスソフト/2012年9月28日) *伊頭家シリーズ(エルフ) **[[遺作 (ゲーム)|遺作]](1995年8月25日) '''OVA''' **[[鬼作]](2001年3月30日) '''OVA''' **[[臭作]](1998年3月27日) '''OVA''' *[[おやつのじかん]](Studio Ring/2004年12月24日) *[[ストロベリーポルノシリーズ|オランダ妻は電気ウナギの夢を見るか?]](コーエー) *[[俺たちに翼はない]](Navel/2009年1月30日) '''TV''' **[[俺たちに翼はない〜Prelude〜]](2008年6月28日) '''15禁''' *[[俺と5人の嫁さんがラブラブなのは、未来からきた赤ちゃんのおかげに違いない!?]](onomatope*/2012年12月21日) *[[俺の彼女のウラオモテ]](Aries/2012年4月26日) *[[俺の彼女はヒトでなし]](ホエール/2010年12月24日) *[[俺の彼女はロリで巨乳で秋葉系]](スワン/2007年1月12日) *[[俺の手でイけ 〜痴漢の日々〜]](スワンマニア/2006年12月8日) *[[おれのなつやすみ]]シリーズ(私立さくらんぼ小学校) '''同人''' **おれのなつやすみ(2002年12月30日) **おれのなつやすみ2(2003年8月17日) **おれのなつやすみ番外編(2003年8月17日) **おれのなつやすみDVD-BOX(2005年8月14日) *[[オレの氷川雫]](TRUST/2006年9月22日) *[[Orange Pocket]](HOOK/2003年6月13日) '''CS''' *[[Orange Memories]](Purple software delight/2010年9月24日) *[[終わりなき夏 永遠なる音律]](ファイアージュ/2009年7月24日) *[[ON AIR (ゲーム)|ON AIR]](BROWNIE/1999年3月5日) *[[女教師 (ゲーム)|女教師]](アトリエかぐや TEAM HEARTBEAT/2002年3月29日) '''OVA''' *[[女教師 君島美沙]](BLACK Lilith/2005年1月21日) *[[女教師・裕美の放課後]](GuiltyN/2002年9月13日) '''OVA''' *[[Only You -世紀末のジュリエット達-]](アリスソフト/1996年1月) **[[Only you -リ・クルス-]](Only you リベルクルス)(2001年7月26日) '''CS''' === か === *[[Garden (ゲーム)|Garden]](CUFFS/2008年1月25日) *[[CARNIVAL (ゲーム)|CARNIVAL]](S.M.L/2004年5月14日) *[[カーラ The Blood Lord]](ANIME Lilith/2012年6月1日) *[[快楽依存症]](TinkerBell某組/2006年9月15日) *[[かいわれっ!]](FlyingShine/2006年7月28日) *[[かえるにょ国にょアリス]](アリスソフト/2000年12月7日) '''非18禁''' *[[かえるにょ・ぱにょ〜ん]](アリスソフト/1997年9月29日) *[[カオスエンジェルズ]](アスキー/1988年) *[[顔のない月]](ROOT/2000年12月22日) '''OVA''' **[[桃華月憚|桃華月憚 〜顔のない月II〜]](2007年5月25日) '''CS・TV''' *[[鏡の中のオルゴール]]シリーズ(フェアリーテール) **鏡の中のオルゴール ひとつめの物語 THMBELINA(2003年6月27日) **鏡の中のオルゴール ふたつめの物語 SNOW WHITE(2003年7月25日) **鏡の中のオルゴール みっつめの物語 Hänsel und Gretel(2003年9月12日) *輝く季節へ ⇒ [[ONE 〜輝く季節へ〜]](Tactics/1998年5月26日) '''CS・OVA''' *[[下級生 (ゲーム)|下級生]](エルフ/1996年6月7日) '''CS・OVA・TV''' **[[下級生2]](2004年8月27日) '''OVA・TV''' *[[夏空少女]](mixed up/2005年10月14日) *[[学園催眠隷奴 〜さっきまで、大嫌いだったはずなのに〜]](silkys/2008年12月19日) '''OVA''' *[[学園☆新選組! 〜乙女ゴコロと局中法度〜]](May-Be SOFT/2008年3月21日) *[[学園の狩猟者|学園の狩猟者 〜烽火〜]](Empty/2002年5月24日) '''OVA''' *[[学園ソドム 〜教室の牝奴隷達〜]](PIL/1995年9月8日) '''OVA''' *[[神楽シリーズ]](Studio e.go!・でぼの巣製作所/2003年〜) *[[神楽道中記]](でぼの巣製作所/2009年7月24日) *[[かけた月は戻らない]](CLOCKUP/2006年7月28日) *[[歌月十夜]](TYPE-MOON/2001年8月11日) '''同人・FD''' *[[貸し出し妻、満里奈の“ネトラセ”報告 敏感妻と絶倫大学生]](アトリエさくら/2013年9月23日) **貸し出し妻、満里奈の“ネトラセ”報告2 CASE.元AV男優&敏感妻(2014年8月29日) **貸し出し妻、満里奈の“ネトラセ”報告3 CASE.元彼氏&敏感妻(2016年2月26日) *[[かしましコミュニケーション]](AXL/2010年2月26日) *[[神咒神威神楽]](light/2011年9月30日) *[[カスターズ・リベンジ]](ミスティーク/1982年10月13日) *[[カスタードクリームたい焼き]](アクシス/2010年4月30日) *[[カスタムメイド3D2]](kiss/2015年7月24日) *[[カスタムオーダーメイド3D2]](kiss/2018年2月23日) *[[化石の歌]](âge/2000年1月28日) *[[風の継承者]](Studio e.go!/2004年11月26日) *[[家族計画 (ゲーム)|家族計画]](D.O./2001年11月2日) '''CS''' *[[家族交感|家族交感 姉・母・妹]](カニスキー/ 2005年7月1日) *[[片恋いの月]](すたじお緑茶/2007年5月25日) **片恋いの月 えくすとら(2008年10月31日) *[[カタハネ]](Tarte/2007年1月26日) *[[かたわ少女]](Four Leaf Studios/発売日不明) '''同人''' *[[花鳥風月 〜恋ニヲチタル花園ノ姫〜]](Silver Bullet/2009年12月18日) *[[学校のヤラシイ怪談 〜こんな恥ずかしい除霊させないで!〜]](TinkerBell/2009年3月19日) *[[家庭教師のおねえさん|家庭教師のおねえさん 〜Hの偏差値あげちゃいます〜]](アトリエかぐや Berkshire Yorksire/2005年4月28日) '''OVA''' *[[加奈 〜いもうと〜]](D.O./1999年6月25日) '''CS''' *[[カナリア 〜この想いを歌に乗せて〜]](FrontWing/2000年8月4日) '''CS・OVA''' **青カナリア '''FD''' **カナリア茶 '''FD''' *[[鐘ノ音ダイナティック]](GROOVER/2006年2月24日) *[[彼女×彼女×彼女 〜三姉妹とのドキドキ共同生活〜]](ωstar/2008年5月30日) '''OVA''' **彼女×彼女×彼女 ドキドキフルスロットル!(2009年2月27日) **彼女×彼女×彼女 ドキドキPack!(2009年12月18日) *[[カノジョ*ステップ]](SMEE/2016年9月30日) '''CS''' *[[彼女たちの流儀]](130cm/2006年6月23日) *[[彼女と俺と恋人と。]](PULLTOP LATTE/2012年12月14日) *[[彼女の願うこと。僕の思うこと。]](Project-μ/2001年9月28日) *[[彼女はオレからはなれない]](戯画/2012年9月28日) '''CS''' *[[彼女は天使で妹で]](ALcotハニカム/2017年10月27日) *[[Kanon (ゲーム)|Kanon]](Key/1999年6月4日) '''CS・TV''' *[[喫茶ステラと死神の蝶]](ゆずソフト/2019年12月20日) *[[CAFE SOURIRE]](CUFFS/2011年6月24日) *[[Cafe Little Wish]](ぱてぃしぇ/2003年2月14日) '''CS''' *[[カミカゼ☆エクスプローラー!]](クロシェット/2011年5月27日) *[[かみさまの宿っ!]](White CYC/2006年4月6日) *[[神様のりんご]](light/2010年8月27日) *[[かみデレ]](きゃんでぃそふと/2012年9月28日) *[[神採りアルケミーマイスター]](エウシュリー/2011年4月22日) *[[かみぱに!]](クロシェット/2008年3月28日) *[[仮面の拷問士]](BLACK Lilith/2006年9月22日) *[[殻ノ少女]](Innocent Grey/2008年7月4日) '''OVA''' *[[カラフルアクアリウム]](eufonie/2006年11月24日) '''CS''' *[[からふる☆エデュケーション]](SOFT CIRCLE PARTHENON/2007年3月25日) '''同人''' *[[カラフルウィッシュ 〜12コのマジ★キュン!〜]](戯画/2008年4月25日) *[[カラフルキッス 〜12コの胸キュン!〜]](戯画/2003年3月14日) *[[カラフルハート 〜12コのきゅるるん♪〜]](戯画/2004年2月6日) *[[カラフルBOX]](SoundTail/2003年12月5日) '''CS''' **[[カラフルBOX#空缶 -KaRaKaN-|空缶 -KaRaKaN-]](RusK/2004年10月15日) '''FD''' *[[かりぐらし恋愛]](ASaProject/2018年8月30日) '''CS''' *[[カルタグラ 〜ツキ狂イノ病〜]](〜魂ノ苦悩〜)(Innocent Grey/2005年4月28日) '''CS・OVA''' *[[Quartett!]](Littlewitch/2004年4月23日) '''CS''' *[[カルマルカ*サークル]](SAGA PLANETS/2013年9月27日) *[[河原崎家の一族]](シルキーズ/1993年12月22日) '''OVA''' **[[河原崎家の一族2]](エルフ/2003年6月6日) '''OVA''' *[[GUN-KATANA(銃刀) ―Non-Human-Killer―]](Black Cyc/2007年8月31日) *[[姦禁飼育ホテル]](ダークスワン/2007年4月27日) *[[姦獄学園 〜学園公認、恥辱の課外授業〜]](Liquid/2010年8月27日) *[[監獄戦艦]]シリーズ(ANIME Lilith) '''OVA・AV''' **監獄戦艦 〜非道の洗脳改造航海〜(2007年3月30日) **監獄戦艦2 〜要塞都市の洗脳改造〜(2010年7月30日) **監獄戦艦3 〜熱砂の洗脳航路〜(2013年12月30日) *[[感汁・魔汁・ぶっかけ性活]](スワンマニア/2007年6月29日) *[[姦染|姦染 〜淫欲の連鎖〜]](SPEED/2006年4月21日) '''OVA''' **姦染2 〜淫罪都市〜(2007年6月15日) '''OVA''' **姦染3 〜首都崩壊〜(2008年11月28日) '''OVA''' **姦染4 〜the day after〜(2010年4月30日) **姦染5 〜The Daybreak〜(2011年12月22日) '''OVA''' **姦染 Ball Buster(2012年11月2日) **姦染 COMPLETE BOX 〜RECORD Of FIRST To BALLBUSTER〜(2013年7月26日) **姦染 CLIPPING CHRONICLE(2015年12月18日) *[[ガンナイトガール]](きゃんでぃそふと/2012年12月21日) === き === *[[機械仕掛けのイヴ 〜Dea Ex Machina〜]](ninetail/2006年9月22日) *[[危機一髪真由美ちゃん]](サンリツ電気/1988年) *[[輝光翼戦記 天空のユミナ]](ETERNAL/2009年1月23日) **輝光翼戦記 天空のユミナFD -ForeverDreams-(2010年1月29日) '''FD''' *[[鬼哭街]](ニトロプラス/2002年3月29日) *機神咆吼デモンベイン ⇒ [[斬魔大聖デモンベイン]](ニトロプラス/2003年4月25日) '''CS・TV''' *[[鬼作]](エルフ/2001年3月30日) '''OVA''' *[[キサラギGOLD★STAR]](SAGA PLANETS/2010年10月29日) *[[痕]](Leaf/1996年7月26日) '''CS版発売中止''' *[[キスと魔王と紅茶]](ま〜まれぇど/2009年10月30日) *絆という名のペンダント with TOYBOXストーリーズ ⇒ [[With You 〜みつめていたい〜]](カクテル・ソフト/1998年9月11日) '''CS・OVA''' *[[キスベル]](戯画/2012年12月14日) *[[KISSより…]](あいりゅ/1999年6月24日) '''CS逆移植・OVA''' *[[Kissing!! under the mistletoe]](valhalla/2003年9月19日) *[[規制不可〜俺は実在しないので、ナニをヤッても許される〜]]([[セルワークス|ALL-Time]]/2011年4月8日{{R|Hardcore155}}) *[[着せかえフェティッシュ!]](EXA feat.戯画/2005年9月9日) *[[Rance#鬼畜王ランス|鬼畜王ランス]](アリスソフト/1996年12月19日) *[[キッキングホース★ラプソディ]](ALcotハニカム/2010年11月26日) *[[きっと、澄みわたる朝色よりも、]](propeller/2009年7月24日) *[[Gift 〜ギフト〜]](MOONSTONE/2005年5月27日) '''CS・TV''' **[[Gift 〜ギフト〜#Giftにじいろストーリーズ|Giftにじいろストーリーズ]](2006年1月27日) '''FD''' *[[義母の吐息 〜背徳心に漂う母の色香〜]](Tinkerbell/2005年7月15日) '''OVA''' *[[君が主で執事が俺で]](みなとそふと/2007年5月25日) '''CS・TV''' *[[君がいた季節]](アージュ/1999年7月23日) *[[君が望む永遠]](âge/2001年8月3日) '''CS・OVA・TV''' **[[君が望む永遠#ファンディスク|君が望む永遠 〜special FanDisk〜]](2004年6月25日) '''FD''' *[[君が呼ぶ、メギドの丘で]](Leaf/2008年12月26日) *[[君だけのボテドル! 〜白濁まみれの天使〜]](スワンマニア/2010年11月26日) *[[君と彼女と彼女の恋。]](ニトロプラス/2013年6月28日) *[[君と恋して結ばれて]](RusK/2006年6月23日) *[[キミの声がきこえる]](AXL/2006年12月1日) *[[君の名残は静かに揺れて]](ユニゾンシフト:ブロッサム/2010年5月28日) *[[キミへ贈る、ソラの花]](Cabbit/2012年12月21日) *[[鬼門妖異譚]](ちぇりーそふと/2000年3月17日) *[[キャッスルファンタジア〜エレンシア戦記〜]](Studio e.go!/2000年4月21日) **キャッスルファンタジア〜エレンシア戦記〜リニューアル(2003年7月25日) *[[キャッスルファンタジア〜聖魔大戦〜]](Studio e.go!/1998年11月20日) '''OVA''' **キャッスルファンタジア〜聖魔大戦〜リニューアル(2000年12月22日) *[[CANNONBALL 〜ねこねこマシン猛レース!〜]](ライアーソフト/2003年2月7日) *[[キャラメルBOX やるきばこ]](キャラメルBOX/2005年6月24日) '''FD''' **[[キャラメルBOX やるきばこ2 エピソードV:やるきねこの逆襲]](2007年10月19日) '''FD''' *[[GALZOOアイランド]](アリスソフト/2005年12月9日) *[[きゃんきゃんバニーシリーズ]](カクテル・ソフト) **[[きゃんきゃんバニー]](1989年) **きゃんきゃんバニースペリオール(1990年) **きゃんきゃんバニースピリッツ(1991年) **きゃんきゃんバニープルミエール(1992年) **きゃんきゃんバニーエクストラ(1993年6月25日) **きゃんきゃんバニーリミテッド 5 1/2(1994年) **きゃんきゃんバニープルミエール2(1996年) **[[きゃんきゃんバニー|きゃんきゃんバニー1・Primo]](1997年) **きゃんきゃんバニー6 i♥mail(2000年) *[[CANDY TOYS]](JANIS/2003年6月6日) *[[Campus 〜桜の舞う中で〜]](エーテル/1999年2月26日) '''CS・OVA''' *[[Canvas 〜セピア色のモチーフ〜]](カクテル・ソフト/2000年11月24日) '''CS・OVA''' **[[Canvas2|Canvas2 〜茜色のパレット〜]](〜虹色のスケッチ〜)(F&C FC01/2004年4月23日) '''CS・TV''' **[[Canvas3|Canvas3 〜白銀のポートレート〜]](〜淡色のパステル〜、〜七色の奇跡〜)(F&C FC01/2009年3月20日) '''CS''' ***VALENTINE PINK(2009年12月29日) '''FD''' **[[アクロウム・エチュード Canvas4]](F&C FC01/2011年1月28日) '''CS''' *[[CURE GIRL]](Noesis/2011年5月20日) *[[吸血殲鬼ヴェドゴニア]](ニトロプラス/2001年1月26日) *[[狂淫学園]](アトリエかぐや Berkshire Yorkshire/2001年11月22日) *[[行殺・新選組|行殺♥新選組]](ライアーソフト/2000年4月28日) *[[巨乳シリーズ]](Waffle) **巨乳ファンタジー(2009年3月26日) **[[巨乳魔女]](2010年9月24日) **巨乳ファンタジー外伝(2011年12月16日) **巨乳ファンタジー2(2012年5月25日) **巨乳ファンタジー外伝2(2013年10月25日) *[[キラークイーン (ゲーム)|キラークイーン]](シークレットゲーム -KILLER QUEEN-)(FLAT/2006年8月13日) '''同人・CS''' **シークレットゲーム -KILLER QUEEN-DEPTH EDITION(2009年4月24日) *[[キラ☆キラ]](OVERDRIVE/2007年11月22日) '''CS''' **[[キラ☆キラ#キラ☆キラ カーテンコール|キラ☆キラ カーテンコール]](2008年8月14日) '''FD''' *[[キラリ☆南国小麦色 〜潮吹きパラダイスへようこそ!〜]](アトリエかぐや Honky-Tonk Pumpkin/2010年9月24日) *[[霧谷伯爵家の六姉妹]](アトリエかぐや TEAM HEARTBEAT/2010年5月28日) *[[きると]](CLOVER/2005年12月16日) '''CS''' *[[金色ラブリッチェ]](SAGA PLANETS/2017年12月22日) '''CS''' **金色ラブリッチェ -Golden Time-(SAGA PLANETS/2019年2月22日) *[[銀色 (ゲーム)|銀色]](ねこねこソフト/2000年8月31日) *[[禁断の病棟 〜特殊精神科医 遊佐惣介の診察記録〜]](アトリエかぐや TEAM HEARTBEAT/2011年7月29日) '''OVA''' *[[金曜日の仔猫]](emu/2003年6月20日) === く === *[[QUINTUPLE☆SPLASH]](Parasol/2015年12月25日) *[[クールなあの娘のHな妄想]](スワン/2009年7月31日) *[[久遠の絆|久遠の絆 -THE ORIGIN-]](ザウス/2011年7月1日) '''CS''' *[[鎖 -クサリ-]](Leaf/2005年9月22日) *[[腐り姫|腐り姫 〜euthanasia〜]](ライアーソフト/2002年2月8日) *[[鯨神のティアスティラ]](Whirlpool/2015年2月27日) *[[くすり指の教科書]](Active/1996年4月) **くすり指の教科書2(1997年7月) *[[口説き方教えます]](ハード/1986年) **カインドゥギャルズ 〜口説き方教えます2〜(1987年) *[[クドわふたー]](Key/2010年6月25日) *[[クラ☆クラ 〜CLASSY☆CRANBERRY'S〜]](アトリエかぐや・P-ch/2010年7月23日) *[[Grand Theft Auto: San Andreas]]([[Rockstar Games]]/[[PlayStation 2|PS2]]:2004年10月26日, PC([[Windows]]):2005年6月7日, [[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]:2005年6月7日、※[[ESRB]]レイティング(北米)における初期版のみ) *[[Clear -クリア-]](MOONSTONE/2007年8月24日) '''CS''' **Clear クリスタルストーリーズ(2008年5月3日) '''FD''' *[[くりいむレモン]] '''OVA''' *[[GREEN 〜秋空のスクリーン〜]](ジェリーフィッシュ/1999年12月29日) *[[グリーングリーン (ゲーム)|グリーングリーン]](鐘ノ音ダイナミック、鐘ノ音ロマンティック)(GROOVER/2001年10月5日) '''CS・OVA・TV''' **[[グリーングリーン2 恋のスペシャルサマー]](2004年10月29日) **[[グリーングリーン3 ハローグッバイ]](2005年8月5日) *[[グリザイアの果実]](フロントウイング/2011年2月25日) *[[クリスタルリナール -逢魔の迷宮-]](ディーオー/1994年7月12日) *[[ク・リトル・リトル 〜魔女の使役る、蟲神の触手〜]](2010年3月26日/Black cyc) *[[グリンスヴァールの森の中 〜成長する学園〜]](ソフトハウスキャラ/2006年6月16日) *[[狂った果実 (ゲーム)|狂った果実]](フェアリーテール/1992年5月1日) *[[くれいどるそんぐ 〜昨日に奏でる明日の唄〜]](ういんどみる/2004年2月27日) *[[CRESCENT (ゲーム)|CRESCENT]](シルキーズ/1993年10月21日) *[[紅蓮 (ゲーム)|紅蓮]](ZONE) '''OVA''' **紅蓮(1999年11月18日) **紅蓮天衝-修羅-(2002年7月19日) **紅蓮天衝-羅刹-(2002年12月27日) *[[黒愛 〜一夜妻館・淫口乱乳録〜]](CLOCKUP/2004年6月25日) '''OVA''' *[[黒獣 〜気高き聖女は白濁に染まる〜]](Liquid/2010年4月23日) *[[Close 2U 〜最後の夏休み〜]](赤ちゃん倶楽部/2000年6月16日) *[[Clover Day's]](ALcot/2014年3月28日) *[[Clover Heart's]](ALcot/2003年11月28日) '''CS''' *[[Clover Point]](Meteor/2007年12月21日) *[[Xross Scramble]](戯画/2007年4月27日) *[[CROSS†CHANNEL]](FlyingShine/2003年9月26日) '''CS''' *[[Cross Days]](オーバーフロー/2010年3月19日) *[[CROSS FIRE (アダルトゲーム)|CROSS FIRE]](JANIS/2006年12月22日) *[[黒と金の開かない鍵。]](little cheese/2010年12月4日) '''OVA''' *[[黒姫 (ゲーム)|黒姫]](SPD/2000年12月15日) '''OVA''' *[[クロノベルト-あやかしびと&BulletButlersクロスオーバーディスク-]](propeller/2008年5月23日) *[[黒薔薇は夜に咲く]](D-Angel/2004年1月23日) *[[群青の空を越えて]](light/2005年9月30日) === け === *[[けがれた英雄 〜邪淫聖女狩〜]](CLOCKUP/2002年9月13日) *[[月光のカルネヴァーレ]](ニトロプラス/2007年1月26日) *[[幻月のパンドオラ]](Q-X/2009年12月25日) *[[剣術少女和泉令と無人島 〜お家の掟だ…お前と子作りに励んでやる〜]](Norn/2008年5月16日) *[[幻夢館 〜愛欲と凌辱の淫罪〜]](aias/2002年3月29日) '''OVA''' *[[幻燐の姫将軍]](エウシュリー/2001年4月27日) **[[幻燐の姫将軍2 〜導かれし魂の系譜〜]](2003年12月19日) === こ === *[[ゴア・スクリーミング・ショウ]](Black Cyc/2006年1月20日) *[[恋色空模様]](すたじお緑茶/2010年3月26日) *[[こいいろChu!Lips]](PeasSoft/2006年6月30日) *[[恋色マリアージュ]](ま〜まれぇど/2012年10月26日) *[[恋妹SWEET☆DAYS]](Parasol/2012年5月25日) *[[恋がさくころ桜どき]](ぱれっと/2014年6月27日) *[[恋騎士 Purely☆Kiss]](エフォルダムソフト/2011年9月30日) *[[恋剣乙女]](eufonie/2012年12月21日) *[[恋衣〜まずはコレ着て!〜]](Catear/2009年11月20日) *[[こいじばし]](Raccoon/2004年8月13日) *[[恋する妹はせつなくてお兄ちゃんを想うとすぐHしちゃうの]](CAGE/2003年7月25日) *[[恋する乙女と守護の楯]](AXL/2007年6月29日) '''CS''' *[[恋する少女と想いのキセキ〜Poupee de souhaits〜]](Sugar Pot/2014年2月28日) *[[恋する気持ちのかさねかた]](ensemble/2015年11月27日) *[[恋ではなく―― It's not love, but so where near.]](しゃんぐりらすまーと/2011年5月27日) *[[恋DOKi]](Etoiles/2014年6月27日) *[[恋と選挙とチョコレート]](sprite/2010年10月29日)'''CS・TV''' *[[こいとれ 〜REN-AI TRAINING〜]](銀時計/2007年6月29日) *[[恋の話と]](I.D./2013年2月28日) *[[恋春アドレセンス]](Eclair/2014年10月31日) *[[こいびとどうしですることぜんぶ]](Sirius/2007年11月30日) *[[恋姫]](シルキーズ/1995年5月26日) '''OVA・[[パチンコ]]''' *[[恋姫†無双 〜ドキッ☆乙女だらけの三国志演義〜]](恋姫†夢想)(BaseSon/2007年1月26日) '''CS・OVA・TV・パチンコ''' **[[真・恋姫†無双 〜乙女繚乱☆三国志演義〜]](真・恋姫†夢想)(2008年12月26日) '''CS・TV''' **[[真・恋姫†無双 〜萌将伝〜]](2010年7月23日) *[[恋文ロマンチカ]](チュアブルソフト/2009年9月18日) *[[恋もも]](Fizz feat.戯画/2005年11月25日) *[[鋼炎のソレイユ -ChaosRegion-]](SkyFish/2008年4月25日) *[[鋼鉄の魔女アンネローゼ]](BLACK Lilith/2010年4月30日) '''OVA''' *[[校内写生]](フェアリーテールX指定/1991年7月26日) **遊人SPECIAL COLLECTION(1993年2月19日) *[[光輪の町、ラベンダーの少女]](あかべぇそふとつぅ/2010年6月24日) *[[Golden Marriage]](ensemble/2014年5月30日) *[[故郷の詩]](Waffle/2006年9月22日) *[[極嬢監禁らいふ! 〜男は黙ってご奉仕なさい〜]](スワンマニア/2011年3月31日) *[[告白 (ゲーム)|告白]](GUilTY/1997年11月7日) *[[ここから夏のイノセンス!]](クロシェット/2015年11月27日) *[[コ・コ・ロ…]](アアル/1998年12月4日) '''OVA''' **コ・コ・ロ…II(2000年8月25日) **コ・コ・ロ…0(2004年5月28日) *[[こころちゃんの秘密診療ファイル]](スウィートハーツ/2004年5月21日) *[[こころナビ]](Q-X/2003年6月27日) *[[ココロ@ファンクション!]](PULLTOP/2013年10月25日) *[[股人タクシー]](あいりゅ/2000年10月20日) '''OVA''' **股人タクシー スペシャルエディション(ザウス(吟醸)/2001年6月22日) **股人タクシー2(ザウス(吟醸)/2001年8月3日) **股人タクシー3(ザウス(吟醸)/2002年7月26日) *[[秋桜の空に]](Marron/2001年7月27日) *[[こづくり温泉 〜いっぱいつくって一族繁栄!?〜]](HighRunning/2011年6月17日) *[[言の葉舞い散る夏の風鈴]](シルキーズプラス/2018年12月21日) *[[コドモノアソビ]](Lump of Sugar/2015年11月27日) *[[こどもみるくぱふぇ]](私立さくらんぼ小学校/2003年12月30日) '''同人''' *[[ことり Love Ex P]](CIRCUS/2010年4月23日) '''FD''' *[[こなたよりかなたまで]](F&C FC01/2003年12月12日) **[[屋根裏の彼女|こなかな2 Konatayori Kanatamade II]](F&C/2013年4月26日) '''CS逆移植''' *[[この青空に約束を―]](戯画/2006年3月31日) '''CS・TV''' *[[この大空に、翼をひろげて]](PULLTOP/2012年5月25日) **この大空に、翼をひろげて FLIGHT DIARY(2013年1月25日) '''FD''' *[[この歌が終わったら -When this song is over-]](hourglass/2010年8月6日) *[[この晴れた空の下で|この晴れた空の下で R18]](クロムウェル/2005年12月9日) '''CS逆移植''' *[[この世の果てで恋を唄う少女YU-NO]](エルフ/1996年12月26日) '''CS・OVA''' *[[こみっくパーティー]](Leaf/1999年5月28日) '''CS・OVA・TV''' *[[コミュ - 黒い竜と優しい王国 -]](暁WORKS/2009年10月22日) *[[こもれびに揺れる魂のこえ]](ユニゾンシフト/2003年7月11日) *[[木洩れ陽のノスタルジーカ]](STREGA/2013年2月22日) *[[殺しのドレス (Ides)|殺しのドレス]](Fairytale/1987年) **殺しのドレス2(1989年) **殺しのドレス3(1993年) *[[コンチェルトノート]](あっぷりけ/2008年10月23日) *[[こんなアタシでも…]](WINTERS/2001年7月27日) *[[こんな娘がいたら僕はもう…!!]](あかべぇそふとつぅ/2006年9月29日) **[[こんぼく麻雀 〜こんな麻雀があったら僕はロン!〜]](2008年6月26日) *[[こんねこ]](ま〜まれぇど/2004年10月29日) '''CS''' *[[今夜も朝までPOWERFULまぁじゃん]](デービーソフト/1988年) **今夜も朝までPOWERFULまぁじゃん2(1989年) === さ === *[[C.D.Christmas Days 〜サーカスディスク クリスマスデイズ〜]](CIRCUS/2006年12月22日) '''FD''' **[[C.D.C.D.2 〜シーディーシーディー2〜]](2008年7月25日) '''FD''' *[[CircusLand I 〜ドキ! ヒロインいっぱい初音島★コスプレミスコン祭り♪よりどりみどりで♪好きな子選んで着せ替え育成デートだょ 兄さん♪〜]](CIRCUS/2007年7月27日) '''FD''' *[[ザーメンジャンキー 〜早くちょうだい、濃厚ミルク〜]](スワンマニア/2010年4月30日) *[[最終試験くじら]](CIRCUS/2004年12月23日) '''CS・Webアニメ''' **[[最終試験くじら〜Departures〜]](2005年12月23日) '''FD''' *[[最終痴漢電車]](アトリエかぐや TEAM HEARTBEAT/2001年10月26日) '''OVA''' **[[最終痴漢電車2]](2003年12月19日) **[[最終痴漢電車3]](2010年12月17日) *[[最果てのイマ]](ザウス/2005年8月12日) *[[沙織 -美少女達の館-]](フェアリーテールX指定/1991年10月18日) *[[さかあがりハリケーン 〜LET'S PILE UP OUR SCHOOL!〜]](戯画/2008年11月28日) '''CS''' *[[さかしき人にみるこころ]](light/2008年5月30日) **[[どんちゃんがきゅ〜]](2009年5月29日) **[[まじのコンプレックス]](2010年8月27日) **[[神様のりんご]](2010年8月27日) *[[Theガッツ!]](May-Be SOFT/1999年2月10日) '''OVA''' **Theガッツ!2 〜海でガッツ!〜(オーサリングヘヴン/2000年8月31日) **Theガッツ!3 〜山でガッツ!〜(オーサリングヘヴン/2001年7月27日) <!--**Theガッツ!Remix(オーサリングヘヴン/2001年10月26日)--><!--第一作のボイス追加版なのでバージョン違い商品として暫定コメントアウト--> **Theガッツ!4 〜私立ガッツ学園!〜(オーサリングヘヴン/2002年9月13日) **Theガッツ!5(オーサリングヘヴン/2003年10月10日) **Theガッツ!6 〜麻雀でガッツ!〜(2005年10月7日予定→発売日未定・未発売) **Theガッツ! -マキシマム・マタニティ!-(コンプリーツ/2012年9月28日) *[[サキガケ⇒ジェネレーション!]](クロシェット/2014年5月30日) *[[サキュヴァス 堕ちた天使]](あかとんぼ/1998年5月15日) *[[さくらさくら (ゲーム)|さくらさくら]](ハイクオソフト/2009年6月26日) '''CS''' *[[さくらシュトラッセ]](ぱれっと/2008年1月25日) **さくらんぼシュトラッセ(2008年8月29日) '''FD''' *[[さくらテイル]](Fizz/2009年10月30日) **さくらのしっぽ 〜さくらテイルファンディスク〜(2010年11月26日) '''FD''' *[[桜ノーリプライ]](onomatope*/2012年5月25日) '''CS''' *[[サクラノ詩]](枕/発売日不明) *[[はるのあしおと#ファンディスク|さくらのさくころ]](minori/2006年3月31日) '''FD''' *[[さくらビットマップ]](HOOKSOFT/2010年9月24日) *[[さくら日和]](May-Be SOFT/1999年5月21日) *[[桜舞う乙女のロンド]](ensemble/2013年11月29日) *[[さくらむすび]](CUFFS/2005年8月5日) *[[THE GOD OF DEATH]](スタジオメビウス/2005年7月29日) *[[誘ってオトして催淫術!]](スワンマニア/2006年12月22日) *[[サナララ]](ねこねこソフト/2005年4月29日) *[[サノバウィッチ]](ゆずソフト/2015年2月27日) *[[蠅声の王]](Lost Script/2006年4月28日) *[[サバト鍋-Nitro Amusement Disc-]](ニトロプラス/2006年2月3日) *[[サフィズムの舷窓]](ライアーソフト/2001年5月18日) *[[Summer Days]](オーバーフロー/2006年6月23日) *[[Summerラディッシュバケーション!!シリーズ]](オーバーフロー) **Summerラディッシュバケーション!!(2003年4月1日) **Summerラディッシュバケーション!!1.1(2004年8月13日) **Summerラディッシュバケーション!!2(2004年8月13日) *[[様々な媚薬を作り出し、女の子をエロエロにしちゃおう]](スワンマニア/2010年12月24日) *[[サムライホルモン]](くらむちゃうだー/2013年9月27日) '''OVA''' *[[THE野球拳スペシャル 〜今夜は12回戦〜]](ソシエッタ代官山/1995年7月28日) *[[沙耶の唄]](ニトロプラス/2003年12月26日) *[[さよならを教えて 〜comment te dire adieu〜]](craftwork/2001年3月2日) *[[さよらなエトランジュ]](CLOVER/2002年12月20日) *[[さらさらささら]](アトリエかぐや Berkshire Yorksire/2009年2月27日) **[[プリ☆さら 〜ドキドキ×らぶらぶWファンディスク〜]](2009年9月18日) '''FD''' *[[3LDK♥]](DEEP BLUE/2003年6月27日) '''CS''' *[[三刻志]](ミッチェル/1996年8月) *[[三極姫〜乱世、天下三分の計〜]](げーせん18/2010年12月17日) '''CS''' *[[残暑お見舞い申し上げます。|残暑お見舞い申し上げます。 〜君と過ごしたあの日と今と〜]](めろめろキュート/2008年2月29日) *[[斬魔大聖デモンベイン]](機神咆吼デモンベイン)(ニトロプラス/2003年4月25日) '''CS・TV''' === し === *[[しあわせ家族部]](Purple software/2012年5月25日) *[[SEEK 〜地下室の牝奴隷達〜]](PIL/1995年3月31日) **[[SEEK2 -SADISTIC BABYLON-]](1999年6月25日) *シークレットゲーム -KILLER QUEEN- ⇒ [[キラークイーン (ゲーム)|キラークイーン]](FLAT/2006年8月13日) '''同人・CS''' **シークレットゲーム -KILLER QUEEN-DEPTH EDITION(2009年4月24日) **[[シークレットゲーム CODE:Revise]](2011年3月31日) *[[G線上の魔王]](あかべぇそふとつぅ/2008年5月29日) *[[C.D.C.D.2 〜シーディーシーディー2〜]](CIRCUS/2008年7月25日) '''FD''' *[[seal Best collection]](softhouse-seal)'''パック販売''' **Seal Best collection(2008年5月30日) **seal best collection2 -エロいっぱいの真心ギフト これでいつでもH三昧!!-(2011年9月30日) **seal Best collection3 seal vs. Re:verse -俺よりエロい奴に会いに行く…-(2012年6月29日) *[[SeeIn青 -シーンAO-]](アリスソフト/2000年7月6日) '''OVA''' *[[紫影のソナーニル -What a beautiful memories-]](ライアーソフト/2010年11月26日) *[[JYB (ゲーム)|JYB]](カクテル・ソフト/1993年3月26日) *[[シェル・クレイル 〜愛しあう逃避の中で〜]](アリスソフト/2003年6月27日) *[[潮風の消える海に]](light/2007年1月26日) *[[ジオグラマトン]](CLOCKUP/2005年2月25日) '''OVA''' **[[Zwei Worter]](2006年7月21日) *[[シキガミ]](あかべぇそふとつぅTRY/2011年7月29日) *[[地獄SEEK]](PIL/1995年10月3日) *[[ジサツのための101の方法]](公爵/2001年10月5日) *[[思春期 (ゲーム)|思春期]](RUNE/2005年9月29日) *[[雫 (アダルトゲーム)|雫]](Leaf/1996年1月26日) *[[シスターコントラスト!]](AcaciaSoft/2003年11月21日) *[[SISTER SISTER]](ロール/2006年11月30日) *[[SISTERS 〜夏の最後の日〜]](ジェリーフィッシュ/2011年4月28日) **SISTERS 〜夏の最後の日〜 ULTRA EDITION(2013年2月22日) *[[シス☆ぽん〜孕ませ♪ご馳走さまっ!〜]](すもも/2007年11月30日) *[[肢体を洗う]](シルキーズ/2002年5月31日) '''OVA''' *[[漆黒のシャルノス|漆黒のシャルノス -What a beautiful tomorrow-]](ライアーソフト/2008年11月21日) *[[しっぽのきもち (アダルトゲーム)|しっぽのきもち]](CAGE/2002年6月21日) *[[忍流]](ソフトハウスキャラ/2009年12月18日) *[[姉妹いじり 〜散ル花 二輪〜]](にくきゅう/1999年6月25日) '''OVA''' *[[姉妹えっち 〜俺が教師で兄で他人で〜]](スワン/2006年11月24日) *[[死妹人形]](九頭龍/2004年10月29日) '''OVA''' *[[しまいま。]](アリスソフト/2006年) *[[シましょっ! 〜Hと恋のお勉強〜]](スワンマニア/2007年10月26日) *[[Justy×Nasty 〜魔王はじめました〜]](Whirlpool/2012年12月21日) '''CS''' *[[借金姉妹]](Selen/2007年4月27日) '''OVA''' **借金姉妹2(2008年6月27日) **借金姉妹2AfterStory(2010年2月26日) *[[SHUFFLE!]](Navel/2004年1月30日) '''CS・TV''' **[[Tick! Tack!]](2005年9月16日) **[[Really? Really!]](2006年11月24日) '''CS''' **SHUFFLE! Essence+(2009年10月30日) ***[[SHUFFLE! Love Rainbow]](2011年4月28日) '''FD''' **[[SHUFFLE! エピソード2 神にも悪魔にも狙われている男]](2020年5月29日) *SHADOW AND SHADOW ⇒ [[二重影]](ケロQ/2000年11月30日) '''CS''' *[[シャマナシャマナ 〜月とこころと太陽の魔法〜]](キャラメルBOX/2004年5月28日) *[[車輪の国、向日葵の少女]](あかべぇそふとつぅ/2005年11月25日) '''CS''' **[[車輪の国、悠久の少年少女]](2007年1月26日) '''FD''' *[[雀JAKA雀]](エルフ/1992年11月13日) *[[Chanter -キミの歌がとどいたら-]](Terios/2006年10月27日) '''CS''' *[[臭作]](エルフ/1998年3月27日) '''OVA''' *[[十次元立方体サイファー|十次元立方体サイファー 〜蒼き月の水底〜]](〜ゲーム・オブ・サバイバル〜)(Abel SOFTWARE/2004年12月24日) '''CS''' *[[重装皇女メタルプリンセス]](AniSeed/2002年2月22日) *[[終末少女幻想アリスマチック]](キャラメルBOX/2006年10月27日) '''CS''' *[[終末の過ごし方 -The world is drawing to an W/end-]](アボガドパワーズ/1999年4月9日) *[[Sugar+Spice!]](チュアブルソフト/2007年9月28日) '''CS''' **Sugar+Spice! Party☆Party(2008年5月23日) '''FD''' *[[Sugar+Spice2]](チュアブルソフト/2010年7月30日) *[[SuGirly Wish]](HOOKSOFT/2011年9月30日) '''CS''' *[[祝福のカンパネラ]](ういんどみるOasis/2009年1月30日) '''CS・TV''' **祝祭のカンパネラ!(2010年10月29日) '''FD''' *[[シュクレ 〜sweet and charming time for you.〜]](戯画/2011年9月22日) '''CS''' *[[受胎島]](ルネ/2012年7月27日) '''OVA''' *[[出撃!! 乙女たちの戦場〜闇を切り裂く、にび色の徹甲弾〜]](げーせん18/2009年12月18日) *[[しゅぷれ〜むキャンディ 〜王道には王道たる理由があるんです!〜]](枕/2008年9月26日) *[[少拘女 〜私を忘れないで〜]](アトリエかぐや/2001年6月22日) *[[少女剣士秋月蓮の押しかけ孕嫁生活 〜子作りは我が使命…受精するまで離さぬぞ!〜]](Norn/2009年5月1日) *[[少女神域∽少女天獄 -The Garden of Fifth Zoa-]](Lass/2013年4月26日) *[[少女と世界とお菓子の剣 〜Route of AYANO〜]](私立さくらんぼ小学校/2009年8月15日) '''同人''' *[[少女魔法学リトルウィッチロマネスク]](Littlewitch/2005年7月29日) '''CS''' *[[JOKER - 死線の果ての道化師 -]](あかべぇそふとすりぃ/2012年6月29日) *[[濁悪催眠180秒 〜目が覚めたら非処女になっていた〜]](黒鳥/2012年2月24日) *[[触手少女]](サークルソフトさ〜くるクレージュ/2007年4月25日) '''同人''' *[[触装!魔法少女ヒカル]](BLACK Lilith/2009年10月23日) *[[女系家族 (ゲーム)|女系家族]](シルキーズ/2002年10月25日) **[[女系家族 (ゲーム)#女系家族 〜淫謀〜|女系家族 〜淫謀〜]](2005年4月28日) '''OVA''' **[[女系家族 (ゲーム)#女系家族III 〜秘密HIMITSU卑蜜〜|女系家族III 〜秘密HIMITSU卑蜜〜]](2012年11月22日) *[[ショコラ 〜maid cafe "curio"〜]](戯画/2003年4月4日) '''CS''' **[[パルフェ 〜ショコラ second brew〜]](パルフェ - Chocolat Second Style -)(2005年3月25日) '''CS''' *[[妹に!スク水着せたら脱がさないっ!|女子校生コスプレファイル スクール水着を脱がさないっ!]](はむはむソフト/2009年4月3日) *[[女子大生プライベート]](日本ファルコム/1983年11月) *[[処女と魔王とタクティクス]](charlot/2011年6月24日) *[[女郎蜘蛛 (ゲーム)|女郎蜘蛛 〜呪縛の雌奴隷達〜]](PIL/1998年4月13日) **女郎蜘蛛 〜真伝〜(2002年6月21日) *[[私立アキハバラ学園]](フロントウイング/2003年8月29日) **あきばこ 私立アキハバラ学園ファンディスク(2003年12月19日) '''FD''' *[[しる☆シルっ!! 〜潮吹きお嬢様はHすぎますっ〜]](スワンアイ/2007年11月16日) *[[SilveryWhite 〜君と出逢った理由〜]](桜月/2006年9月29日) *[[しろくまベルスターズ♪]](PULLTOP/2009年12月11日) '''CS''' *[[白詰草話|白詰草話 -Episode of the Clovers-]](Littlewitch/2002年7月5日) '''CS''' *[[しろのぴかぴかお星さま]](sweetlight/2013年1月25日) *[[塵骸魔京]](ニトロプラス/2005年6月24日) *[[JINKI EXTEND Re:VISION]](戯画/2010年11月26日) *[[真・恋姫†無双 〜乙女繚乱☆三国志演義〜]](真・恋姫†夢想)(BaseSon/2008年12月26日) '''CS・TV''' **[[真・恋姫†無双 〜萌将伝〜]](2010年7月23日) *[[人工少女]](ILLUSION) **人工少女2(2004年11月26日) **人工少女3(2007年11月30日) *[[神樹の館]](Meteor/2004年9月24日) *[[真章 幻夢館]](Ciel/2004年12月17日) '''OVA''' *[[神聖にして侵すべからず]](PULLTOP/2011年10月28日) *[[御神楽少女探偵団|新・御神楽少女探偵団]](御神楽探偵団)(エルフ/2003年12月26日) '''CS逆移植・OVA''' *[[猟奇の檻#真説 猟奇の檻|真説 猟奇の檻]](CALIGULA/2004年12月17日) **[[猟奇の檻 第2章#真説 猟奇の檻 第2章|真説 猟奇の檻 第2章]](2009年5月1日) *[[瑠璃色の雪|真・瑠璃色の雪 〜ふりむけば隣に〜]] (アイル/2000年4月14日) '''CS・OVA''' === す === * SweetHoneyComing ⇒ [[HoneyComing]](HOOK/2007年6月29日) '''CS''' * [[Sweet Pleasure]](Cronus/2000年9月22日) ** Sweet Pleasure NS(2006年6月30日) * [[スイートレガシー]](フロントウイング/2002年4月26日) '''CS''' * [[水夏]](WATER SUMMER)(CIRCUS/2001年7月27日) '''CS・OVA''' * [[水月 (ゲーム)|水月]](F&C FC01/2002年4月26日) '''CS''' * [[水月 弐|水月 弐 〜追憶〜]](F&C/2012年12月21日) '''CS逆移植''' * [[水素〜1/2の奇蹟〜]](e-エ・レ・キテル/2001年3月30日) * [[水平線まで何マイル?|水平線まで何マイル? -Deep Blue Sky & Pure White Wings-]](ABHAR/2008年8月29日) '''CS''' ** すまいるCubic! -水平線まで何マイル? アフター&アナザーストーリーズ-(2009年4月24日) '''FD''' * [[すうぃと!]](きゃんでぃそふと/2007年9月21日) * [[スーパーリアル麻雀]]シリーズ(セタ/1987年3月 - ) '''CS・OVA''' * [[Scarlett (ゲーム)|Scarlett 〜スカーレット〜]](ねこねこソフト/2006年5月26日) '''CS''' * [[Skyprythem]](Armonica/2009年10月30日) * [[好き好き大好き!]](13cm/1998年7月31日) * [[School Days]](オーバーフロー/2005年4月28日) '''CS・OVA・TV''' ** [[Summer Days]](2006年6月23日) ** [[Cross Days]](2010年3月19日) * [[School Days (フェイス)|School Days]](フェイス/2000年3月24日) * [[スクールフェスタ]](ロール/2005年11月25日) * [[School ぷろじぇくと☆]](アトリエかぐや Berkshire Yorkshire/2006年6月30日) * [[すくぅ〜るメイト]](ILLUSION/2007年5月25日) ** [[すくぅ〜るメイト2]](2010年6月25日) * [[すくみず 〜フェチ☆になるもんっ!〜]](CIRCUS/2003年7月25日) ** [[すくみず2 〜泳・げ・な・い〜]](2005年8月26日) * [[スケバン雀士竜子]](セガ/1987年) * [[涼風のメルト -Where wishes are drawn to each other-]](Whirlpool/2010年8月27日) * [[涼崎探偵事務所ファイル|涼崎探偵事務所]]シリーズ(アボガドパワーズ) ** 黒の断章 THE LITERARY FRAGMENT(1995年7月14日) '''CS''' ** Esの方程式 Wo Es war,soll Ich werden.(1996年5月24日) ** 人工失楽園 Paradise Lost(開発凍結) * [[スズノネセブン!]](クロシェットlumie/2009年1月30日) '''CS''' ** スズノネセブン! -Sweet Lover's Concerto-(2009年11月27日) * [[スターシップランデブー]](スキャップトラスト/1988年) * [[スタープラチナ (アダルトゲーム)|スタープラチナ]](カスタム/1996年10月10日) * [[STARLESS]](Empress/2011年5月27日) * [[巣作りドラゴン]](ソフトハウスキャラ/2004年6月25日) * [[ずっとすきして たくさんすきして]](onomatope*/2013年6月28日) * [[Stellar☆Theater]](Rosebleu/2009年6月26日) '''CS''' ** Stellar☆Theater encore(2011年6月24日) '''FD''' * [[Strawberry Nauts]](HOOKSOFT/2011年11月25日) * [[ストロベリーポルノシリーズ]](コーエー) * [[SNOW (ゲーム)|SNOW]](スタジオメビウス/2003年1月31日) '''CS''' * [[Snowラディッシュバケーション!!]](オーバーフロー/2001年12月28日) * [[素晴らしき日々 〜不連続存在〜]](ケロQ/2010年3月26日) * [[スピたん|スピたん Spirits Expedition -in the Phantasmagoria-]](ザウス/2006年3月3日) ** スピたん SPECIAL BOX(2006年12月22日) '''FD''' * [[すぷらっしゅ!]](アトリエかぐや/2010年7月30日) * [[すぽコン! SPORTSWEAR COMPLEX]](アストロノーツ・アリア/2012年7月27日) * [[スマガ]](ニトロプラス/2008年9月26日) * [[3Dカスタム少女]](テックアーツ3D/2008年6月13日) * [[3days 〜満ちてゆく刻の彼方で〜]](Lass/2004年6月25日) * [[Sultan 〜The Lovesong is Forever〜]](light/2002年7月26日) * [[SWAN SONG (ゲーム)|SWAN SONG]](Le.Chocolat/2005年7月29日) === せ === *[[聖炎天使エレアノール]](SAGA PLANETS/2007年6月29日) *[[盛夏の杜]](Guts!/2001年3月16日) *聖剣アヴィリオン〜滅びの魔女と失われし王国〜 ⇒ [[エターナル・キングダム〜滅びの魔女と伝説の剣〜]](Studio e.go!/2008年7月25日) *[[聖少女戦隊レイカーズ]](アップルパイ/1993年12月25日) '''OVA''' **聖少女戦隊レイカーズII(1994年12月16日) **聖少女戦隊レイカーズIII(1996年4月26日) **聖少女戦隊レイカーズI・II For Win(1996年10月18日) *[[性処理くらぶ]]シリーズ(スワンマニア/2010年) **性処理くらぶ 〜いっぱいヌいてあげる♪〜(2010年2月26日) **性処理くらぶ2 〜コスって伸びる新人教育〜(2010年8月27日) *[[奴隷聖徒会長ヒカル〜淫魔に占陵された学園〜|聖徒会長ヒカル〜淫魔に占領された学園〜]](catwalk NERO/2009年7月24日)'''OVA''' *[[聖なるかな|聖なるかな -The Spirit of Eternity Sword 2-]](ザウス/2007年8月3日) '''CS''' *[[聖ヤリマン学園シリーズ]](ORCSOFT/2011年-2013年) '''OVA・AV''' *[[セーラーウォーズ]](日本物産/1993年) *[[世界征服彼女]](Navel/2010年12月24日) *[[世界でいちばんNGな恋]](HERMIT/2007年11月22日) '''CS''' *[[世界と世界の真ん中で]](Lump of sugar/2014年1月31日) *[[世界ノ全テ]](たまソフト/2002年4月26日) '''CS''' *[[赫炎のインガノック]](ライアーソフト/2007年11月22日) *[[Sexyビーチ]]シリーズ(ILLUSION/2003年〜) **Sexyビーチ2(2003年7月11日) **Sexyビーチ3(2006年9月29日) *[[se・きらら]](native/2010年3月26日) *[[雪影-setsuei-]](Silver Bullet/2006年3月24日) *[[セックス あ〜ん♪ パンツァー]](softhouse-seal/2014年9月12日) *[[SEXFRIEND 〜セックスフレンド〜]](CODEPINK/2003年3月20日) '''OVA''' *[[絶対★妹原理主義!!]](脳内彼女/2010年10月29日) *[[ぜったい遵守☆強制子作り許可証!!]](softhouse-seal GRANDEE/2010年5月28日) *[[ぜったい絶頂☆性器の大発明!! ─処女を狙う学園道具多発エロ─]](softhouse-seal GRANDEE/2011年3月31日) *[[絶対地球防衛機 メガラフター]](ライアーソフト/2005年5月20日) *[[絶対領域っ!]](Rio/2009年3月27日) *[[絶望 -青い果実の散花-]](スタジオメビウス/1999年9月10日) *[[絶倫アクロバットおやじ 飛びます・いれます・いかせます]](STUDIO KINKY/2002年9月27日) '''OVA''' **人生アクロバットゲーム 進め! おやじの変態道(2003年12月19日) '''OVA''' *[[XENON -夢幻の肢体-]](シーズウェア/1994年12月9日) *[[セミラミスの天秤]](キャラメルBOX/2014年6月27日) *[[セパレイトブルー]](Survive/2003年1月31日) *[[SeptemCharm まじかるカナン]](Terios/1998年12月17日) '''OVA・TV''' **まじかるカナン MAGICAL FANTASY BOX(1999年) '''FD''' **まじかるカナン -RISEA- トリプルフィーチャリングBOX(2005年4月28日) *[[77 〜And, two stars meet again〜]](〜Beyond the Milky Way〜)(Whirlpool/2009年7月31日) '''CS''' *[[瀬里奈 (ゲーム)|瀬里奈]](アトリエかぐや TEAM HEARTBEAT/2004年7月23日) *[[千恋万花]](ゆずソフト/2016年7月29日) *[[戦国†恋姫]](BaseSon/発売日不明)'''パチンコ''' *[[戦極姫 -戦乱の世に焔立つ-]](-戦乱に舞う乙女達-)(げーせん18/2008年11月20日) '''CS''' **[[戦極姫2〜戦乱の世、群雄嵐の如く〜]](-葉隠の乙女、風雲に乗ず-)(2010年2月19日) '''CS''' **[[戦極姫3〜天下を切り裂く光と影〜]](2011年6月17日) *[[Rance#戦国ランス|戦国ランス]](アリスソフト/2006年12月15日) *[[Sense Off]](otherwise/2000年8月18日) *[[先生だーいすき]](SCORE/2002年11月29日) **先生だーいすき2(2004年11月19日) *[[センチネル (ゲーム)|センチネル]](CLOCKUP/2006年12月22日) *[[聖奴隷学園]](Liquid/2006年6月23日) *[[千の刃濤、桃花染の皇姫]](オーガスト/2016年9月23日) '''CS''' **千の刃濤、桃花染の皇姫 -花あかり-(2019年9月27日) === そ === *[[蒼海の皇女たち]](アナスタシア/2008年3月14日) **[[蒼海のヴァルキュリア 〜孤高の皇女ルツィア〜]](2009年12月4日) *[[装甲悪鬼村正]](ニトロプラス/2009年10月30日) *[[創作彼女の恋愛公式]](Aino+Links/2021年11月26日) *[[創世奇譚アエリアル]](あかべぇそふとすりぃ/2012年7月27日) *[[蒼天のセレナリア]](ライアーソフト/2006年7月7日) *[[Soul Link]](Navel/2004年12月17日) '''CS・TV''' **Soul Link ULTIMATE(2010年6月25日) *[[続・殺戮のジャンゴ -地獄の賞金首-]](ニトロプラス/2007年7月27日)'''パチスロ''' *[[そして明日の世界より――]](etude/2007年11月22日) *[[そして初恋が妹になる]](ALcotハニカム/2016年5月27日) *[[卒業旅行 (ゲーム)|卒業旅行]](JANIS/1996年3月) *[[その花びらにくちづけを]]シリーズ(ふぐり屋) '''同人 OVA''' *[[その横顔を見つめてしまう〜A Profile 完全版〜]](あかべぇそふとつぅ/2006年3月24日) *[[そらいろ]](ねこねこソフト/2009年9月18日) *[[空色の風琴]](THE LOTUS/2004年3月26日) '''CS''' *[[そらうた]](フロントウイング/2004年8月27日) **そらうた Vista対応版(2008年10月24日) *[[そらのいろ、みずのいろ]](Ciel/2004年6月25日) '''OVA''' *[[空のつくりかた]](COSMIC CUTE/2016年10月28日) *[[空を飛ぶ、3つの方法。]](La'cryma/2008年7月25日) *[[ソルティアンジュ魔法倶楽部]](micro/2007年9月28日) *[[それは舞い散る桜のように]](BasiL/2002年6月28日) **それは舞い散る桜のように 完全版(2008年10月31日) *[[それゆけ! ぶるにゃんマン|それゆけ! ぶるにゃんマンHARDCORE!!!]](Digital Cute/2012年1月27日) *[[ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない]](SEACOXX/2015年2月20日) === た === * [[Dark Blue]](LiLiM DARKNESS/2009年11月27日) '''OVA''' * [[DARCROWS]](アリスソフト/1999年11月18日) '''OVA''' * [[大悪司]](アリスソフト/2001年11月30日) '''OVA''' * [[大好きな先生にHなおねだりしちゃうおませなボクの/私のぷにぷに]](CAGE/2004年2月27日) * [[たいせつなきみのために、ぼくにできるいちばんのこと]](だんでらいおん/2011年10月28日) * [[対戦アイドル麻雀ファイナルロマンス2]](ビデオシステム/1995年) ** アイドル麻雀ファイナルロマンス2(アスク講談社/1995年8月11日) * [[DAISOUNAN]](ソフトハウスキャラ/2009年3月27日) * [[大帝国]](アリスソフト/2011年4月28日) * [[大図書館の羊飼い]](オーガスト/2013年1月25日) * [[Tiny Dungeon|Tiny Dungeon 〜BLACK and WHITE〜]](Rosebleu/2010年6月25日) ** [[Tiny Dungeon|Tiny Dungeon 〜BLESS of DRAGON〜]](Rosebleu/2010年12月24日) * [[大番長|大番長 Big Bang Age]](アリスソフト/2003年12月19日) * [[零式 (ゲーム)|零式]](アリスソフト/1997年12月18日) *対魔忍シリーズ **[[対魔忍アサギ]](Black Lilith/2005年10月28日) '''OVA・AV''' ** 対魔忍アサギ カオス・アリーナ編(2006年1月13日) ** 対魔忍アサギ完全版(2006年9月29日) ** 対魔忍アサギ2 淫謀の東京キングダム(2006年10月27日) **[[対魔忍ムラサキ 〜くノ一傀儡奴隷に堕つ〜]](2008年10月24日)'''OVA・AV''' **[[対魔忍ユキカゼ]](2011年9月16日) '''OVA・AV''' * [[タイムリープ (ゲーム)|タイムリープ]](フロントウイング/2007年12月27日) '''CS''' ** タイムリープぱらだいす(2009年8月28日) '''FD''' * [[Timepiece Ensemble]](GLacé/2013年12月27日) '''CS''' *[[ダイヤミック・デイズ]](Lump of Sugar/2011年8月26日) * [[太陽のプロミア]](SEVEN WONDER/2011年5月27日) * [[D.C. 〜ダ・カーポ〜]](CIRCUS/2002年6月28日) '''CS・TV''' ** [[D.C. White Season 〜ダ・カーポ ホワイトシーズン〜]](2002年12月13日) '''FD''' ** [[D.C.P.S. 〜ダ・カーポ〜 プラスシチュエーション#D.C.P.C. 〜ダ・カーポ〜 プラスコミュニケーション|D.C.P.C. 〜ダ・カーポ〜 プラスコミュニケーション]](2004年5月28日) '''CS逆移植''' ** [[D.C. Summer Vacation 〜ダ・カーポ サマーバケーション〜]](2004年8月27日) '''FD''' ** [[D.C. Four Seasons 〜ダ・カーポ〜 フォーシーズンズ|D.C. After Seasons 〜ダ・カーポ〜 アフターシーズンズ]](2008年6月27日) '''FD''' * [[D.C.II 〜ダ・カーポII〜]](2006年5月26日) '''CS・TV''' ** [[D.C.II Spring Celebration 〜ダ・カーポII〜 スプリング セレブレイション]](2007年4月27日) '''FD''' ** [[D.C.II P.C. 〜ダ・カーポII〜 プラスコミュニケーション]](2008年12月26日) '''CS逆移植''' ** [[D.C.II To You 〜ダ・カーポII〜 トゥーユー]](2009年6月26日) ** [[D.C.II Fall in Love 〜ダ・カーポII〜 フォーリンラブ]](2009年12月18日) * [[D.C.P.K. 〜ダ・カーポーカー〜]](2008年2月29日) '''FD''' * [[D.C. Dream X'mas 〜ダ・カーポ〜 ドリームクリスマス]](2010年12月24日) * [[駄作 (ゲーム)|駄作]](CYCLET/2014年11月28日) ** 駄作 〜アリスとクロエ、結ばれる日〜(2015年9月25日) **[[蛇足 (ゲーム)|蛇足]](Waffle/2020年12月25日)<ref name="BugBug20201223">{{Cite web|和書|title=桜庭丸男氏&さくやついたち氏が手掛けるWaffleの衝撃作!! あのカルト作『駄作』の流れを汲む、エロとグロが狂宴する話題作『蛇足』がいよいよ発売!!|url=https://bugbug.news/b_game/27028/|website=bugbug.news|accessdate=2020-12-23|date=2020-12-23}}</ref>(『蛇足』の精神上の続編{{R|BugBug20201223}}) * [[誰彼]](Leaf/2001年2月9日) * [[黄昏のシンセミア]](あっぷりけ/2010年7月22日) * [[だっこしてぎゅっ! 〜オレの嫁は抱き枕〜]](Tactics*Latte/2009年9月18日) * [[W.L.O. 世界恋愛機構]](あかべぇそふとつぅ/2009年3月26日) '''CS''' ** W.L.O. 世界恋愛機構L.L.S. -LOVE LOVE SHOW-(2009年9月24日) '''FD''' * [[ダブル・ヴィジョン 美少女写真館スペシャル!]](HARD/1987年) * [[タペストリー -you will meet yourself-]](light/2009年2月27日) * [[たまきゅう]](フェアリーテール月星組/2003年6月27日) '''CS''' * [[たまたま 〜となりの彼女は声優のたまご。たまたま生まれた恋のたまごが…]](BANANA shu-shu/2006年8月25日) ** たまたま クリスマスBOX(2006年12月22日) '''FD''' * [[黙って私のムコになれ!]](ensemble/2011年1月28日) * [[魂響〜たまゆら〜]](あかべぇそふとつぅ/2005年5月27日) '''CS''' ** 魂響〜陵辱side〜(2005年7月8日) ** 魂響〜円環の絆〜(2007年7月26日) * [[タユタマ -Kiss on my Deity-]](Lump of Sugar/2008年7月11日) '''CS・TV''' ** タユタマ -It's happy days-(2009年5月29日) * [[タユタマ2 -you're the only one-]](Lump of Sugar/2016年9月23日) '''CS''' ** タユタマ2 -After Stories(2017年4月28日) * [[堕落の国のアンジー 〜狂界の牝奴隷達〜]](PIL/1997年7月25日) * [[DALK]](アリスソフト/1992年12月15日) ** [[DALK外伝]](2002年9月27日) * [[誰かのために出来ること〜Innocent Identity〜]](Fermi/2009年2月27日) * [[ダンジョンクルセイダーズ]](アトリエかぐや TEAM HEART BEAT/2006年12月15日) ** [[ダンジョンクルセイダーズ2 〜永劫の楽土〜]](2008年12月19日) * [[ダンシング・クレイジーズ]](ソフトハウスキャラ/2005年9月30日) * [[DUNGEONS&DOLLS]](アリスソフト/2004年12月17日) * [[ストロベリーポルノシリーズ|団地妻の誘惑]](コーエー) * [[たんぽぽ 〜Everything Nice〜]](苺みるく/2002年7月26日) === ち === *[[チアフル!]](戯画/2007年1月26日) *[[チェリーボーイにくびったけ]](ACTRESS/2003年4月11日) *[[チェリッシュピザはいかがですか]](F&C FC02/2004年2月13日) *[[痴漢者トーマス]](ザウス/2003年8月1日) '''OVA''' *[[痴漢専用車両]](Frill/2007年9月28日) **痴漢専用車両2(2009年4月24日) *[[恥辱診察室]](アトリエかぐや Berkshire Yorkshire/2002年6月21日) '''OVA''' *[[Tick! Tack!]](Navel/2005年9月16日) *[[ちびちびフィアンセ]](Norn/2007年12月7日) *[[チュートリアルサマー]](すたじおみりす ペレット/2005年10月28日) *[[中二病な彼女の恋愛方程式]] (PeasSoft/2015年5月29日) *[[ちゅぱしてあげる 〜スポーツクラブのおねえさん〜]](アトリエかぐや Honky-Tonk Pumpkin/2009年7月24日) *超昂シリーズ **[[超昂天使エスカレイヤー]](アリスソフト/2002年8月2日) '''OVA''' **[[超昂閃忍ハルカ]](アリスソフト/2008年2月29日) '''OVA''' **超昂大戦エスカレーションヒロインズ(アリスソフト/2020年11月25日) *[[超神伝説うろつき童子]](フェアリーテール/1990年4月21日) '''OVA''' *[[ちょこっと☆ばんぱいあ!]](Meteor/2006年11月17日) *[[ちょっと素直にどんぶり感情]](ういんどみる/2005年8月26日) === つ === *[[ツイ☆てる]](c:drive/2007年11月27日) *[[終ノ空]](ケロQ/1999年8月27日) '''OVA''' *[[終の館]]シリーズ(CIRCUS/2004年) **終の館 〜恋文〜(2月27日) **終の館 〜双ツ星〜(3月26日) **終の館 〜罪と罰〜(4月30日) **終の館 〜檻姫〜(5月28日) **終の館 〜人形〜(6月25日) *[[Zwei Worter]](CLOCKUP/2007年4月27日) *[[21-Two One-]](BasiL/2001年5月25日) '''CS''' *[[使い魔様は魔界プリンセス 〜勘違いするな! 中に出すのはただの魔力補給だ!!〜]](Norn/2007年4月27日) *[[月神楽]](Studio e.go!/2007年12月21日) *[[月陽炎]](すたじおみりす/2001年10月19日) '''OVA''' **月陽炎 -千秋恋歌-(2002年3月1日) '''FD''' *[[月染の枷鎖 -the end of scarlet luna-]](ひよこソフト/2010年1月29日) *[[月に寄りそう乙女の作法]](Navel/2012年10月26日) '''CS''' *[[月に寄りそう乙女の作法2]](Navel/2014年12月19日) '''CS''' *[[月は東に日は西に 〜Operation Sanctuary〜]](オーガスト/2003年9月26日) '''CS・TV''' *[[月姫 (ゲーム)|月姫]](TYPE-MOON/2000年12月) '''同人・TV''' **[[月姫PLUS-DISC]](2001年1月) **[[歌月十夜]](2001年8月) '''FD''' **[[月箱]](2003年4月29日) *[[尽くして愛DOLL! 〜マスター大好きっ〜]](スワンマニア/2007年5月25日) *[[尽くしてあげちゃう3 〜わたしのご主人様〜]](トラヴュランス/2001年12月7日) *[[九十九の奏〜欠け月の夜想曲〜]](SkyFish/2012年9月28日) *[[ツクモノツキ]](Sugar Pot/2012年2月24日) *[[辻堂さんの純愛ロード]](みなとカーニバル/2012年9月28日) *[[ツナガル★バングル]](ういんどみる/2007年10月26日) *[[椿色のプリジオーネ]](ミンク/2001年3月16日) '''OVA''' *[[翼をください (ゲーム)|翼をください]](skysphere/2010年2月26日) *妻シリーズ(アリスソフト) **[[妻みぐい]](2002年3月15日) '''OVA''' **[[妻みぐい#妻みぐい2|妻みぐい2]](2003年3月28日) **[[妻しぼり]](2006年8月4日) *[[つよきす]](きゃんでぃそふと/2005年8月26日) '''CS・TV''' **みにきす 〜つよきすファンディスク〜(2006年12月15日) '''FD''' **つよきす2学期(2008年4月25日) '''CS''' **つよきす3学期(2011年3月31日) '''CS''' **[[つよきすNEXT]](2013年12月20日) *[[つるぺた (ゲーム)|つるぺた]](Witch/2003年6月27日) *[[つるぺた★はにゃぁん]](萌。/2005年9月16日) === て === *[[DiaboLiQuE]](アリスソフト/1998年5月28日) *[[Tears to Tiara]](Leaf/2005年4月28日) '''CS・TV''' *[[DEARDROPS]](OVERDRIVE/2010年6月18日) '''CS''' *[[Dear My Friend (ゲーム)|Dear My Friend]](light/2004年7月9日) '''CS''' *[[Teaching Feeling -傷肌少女との生活-]](FreakilyCharming/2015年10月27日) '''同人''' *[[デイズシリーズ]](オーバーフロー) **[[School Days]](2005年4月28日) '''CS・OVA・TV''' **[[Summer Days]](2006年6月23日) **[[Cross Days]](2010年3月19日) *[[D+VINE[LUV]|D+VINE[LUV]]](アボガドパワーズ/2000年2月25日) '''CS・OVA''' **[[とびでばいん]](2001年5月25日) *[[DA・パンツ!!]](Cadath/2003年1月31日) *[[Dies irae -Also sprach Zarathustra-]](light/2007年12月21日) **Dies irae Also sprach Zarathustra -die Wiederkunft-(2009年7月24日) **Dies irae 〜Acta est Fabula〜(2009年12月25日) **Dies irae 〜Amantes amentes〜 (2012年8月31日) '''CS''' *[[D-spray]]シリーズ(アンダームーン) **D-spray 媚薬でモテモテ 課長代理補佐(2005年6月24日) **D-spray2 媚薬でモテモテ 課長代理 湯けむり旅情編(2006年9月29日) *[[でいじーちぇーん 〜TERMINATOR GIRL〜]](鱚/2005年2月25日) *[[DISCIPLINE 〜The record of a Crusade〜]](Active/2002年8月30日) '''OVA''' *[[ている・ている]](CLOVER/2003年12月12日) *[[ティンクル☆くるせいだーす]](Lillian/2008年9月26日) '''CS''' *[[DESIRE (ゲーム)|DESIRE 〜背徳の螺旋〜]](シーズウェア/1994年7月22日) '''CS''' *[[デッド・オブ・ザ・ブレイン]]シリーズ(フェアリーテール) '''CS''' **デッド・オブ・ザ・ブレイン 死霊の叫び(1992年4月1日) **デッド・オブ・ザ・ブレイン 2(1993年11月26日) *[[てとてトライオン!]](PULLTOP/2008年8月29日) '''CS''' *[[てのひらを、たいように]](Clear/2003年1月24日) '''CS''' **てのひらを、たいようにAB(2003年5月30日) '''FD''' *[[でぼの巣箱]](Studio e.go!/2005年12月22日) '''FD''' *[[D'ERLANGER〜誘惑の淫魔病棟〜]](DISTORTION/2005年1月21日) **Mirage〜淫艶の触手病棟〜Another Story of D'ERLANGER(2006年5月26日) '''OVA''' *[[デリコス! 〜お電話一本、私をお届け〜]](スワンマニア/2011年7月29日) *[[でりばらっ! -deliverance of strays-]](Parasol/2011年5月27日) *[[DUEL SAVIOR]](戯画/2004年10月1日) '''CS''' **[[angel breath]](2006年2月24日) *[[テレビの消えた日]](プチケロQ/2007年8月31日) *[[てんあく]](Studio e.go!/2002年10月25日) *[[転校生 (アダルトゲーム)|転校生]](スペースプロジェクト/1995年3月24日) **転校生2(1998年4月17日) *[[Dangel]](ミンク/1995年9月9日) **Danger Angel 〜異常進化〜(2003年2月14日) *[[天使たちの午後]]シリーズ(JAST/1985年〜) *[[天使のいない12月]](Leaf/2003年9月26日) *[[天使のたまご (ゲーム)|天使のたまご]](Purple software/2007年8月17日) *[[天使ノ二挺拳銃]](ニトロプラス/2005年1月28日) *[[天使の羽根を踏まないでっ]](MEPHISTO/2011年7月29日) *[[天神乱漫 -LUCKY or UNLUCKY!?-]](-Happy Go Lucky!!-)(ゆずソフト/2009年5月29日) '''CS''' *[[Tentacle and Witches]](Lilith Mist/2009年7月31日) '''OVA''' *[[女神3部作 (Norn)|天然やわちち女神フローラ・甘エロ新婚子作りライフ 〜お姉さんの子宮に、好きなだけ注いでもいいのですわよ♪〜]](Norn/2008年10月10日)([[女神3部作 (Norn)]]) *[[電脳学園]](ガイナックス/1989年7月15日) === と === *[[DOR]](ディーオー/1992年2月) **DOR2(1992年5月) **DOR3(1992年11月) **DOR Special Edition 魁(1993年5月) **DOR Special Edition'93(1993年11月) *[[12+]](アニゼッタ/2011年3月31日) *[[桃華月憚]](ROOT/2007年5月25日) '''CS・TV''' *[[同級生 (ゲーム)|同級生]](エルフ/1992年12月17日) '''CS・OVA''' **[[同級生2]](1995年1月31日) '''CS・OVA''' *東京女子高制服を脱いだ図鑑(NEW SYSTEM HOUSE OH!/1988年) **超番外制服図鑑プラス(SYSTEM HOUSE OH!/1989年) *[[TOKYOナンパストリート]](エニックス/1985年4月) *[[慟哭 そして…]](データイースト/1998年) **[[Revive 〜蘇生〜]](慟哭2)(1999年10月28日) '''CS''' *[[どうして?いじってプリンセス Final Road 〜もう!またこんなところで3〜]](ビタミン/2006年10月6日) *[[どうして抱いてくれないのっ!? 〜女の子だってヤりたいの!〜]](chococo/2011年8月26日) *闘神都市シリーズ(アリスソフト) **[[闘神都市]](1990年12月15日) **[[闘神都市II]](1994年12月10日) '''CS・OVA''' **闘神都市III(2008年11月28日) *[[同窓会 (ゲーム)|同窓会]]シリーズ(FAIRYTALE) '''CS・OVA''' **同窓会 -Yesterday Once More-(フレンズ 〜青春の輝き〜)(1996年9月12日) **同窓会again(2001年1月26日) **同窓会refrain(2001年8月24日) *[[To Heart]](Leaf/1997年5月23日) '''CS・TV''' **[[ToHeart2|ToHeart2 XRATED]](2005年12月9日) '''CS・OVA・TV・[[パチスロ]]''' ***ToHeart2 AnotherDays(2008年2月29日) *[[21-Two One-]](BasiL/2001年5月25日) '''CS''' *[[TRUE BLUE (アダルトゲーム)|TRUE BLUE]](LiLiM DARKNESS/2002年9月13日) '''OVA''' *[[TALK to TALK]](Clear/2002年2月1日) *[[ドーターメーカー]](ふぉ〜ちゅん♪/2002年3月28日) *[[冬音-Tone-]](FragiLe/2007年4月27日) *[[ドキドキお姉さん]](アトリエかぐや Berkshire Yorkshire/2003年7月25日) *[[ドキドキ母娘レッスン 〜教えて♪Hなお勉強〜]](TinkerBell/2006年4月14日) '''OVA''' *[[ドキドキしすたぁパラダイス]](light/2003年2月14日) *[[ときどきパクッちゃお!]](XANADU/2004年10月8日) *[[どきどきPrincess]](Cronus/2001年10月19日) *[[刻音色]](ミンク/2003年5月9日) *[[トキノ戦華]](Studio e.go!/2009年1月23日) *[[どこでもすきしていつでもすきして]](C:drive./2008年6月27日) *[[何処へ行くの、あの日]](MOONSTONE/2004年6月25日) '''CS''' *どこまでも青く… ⇒ [[果てしなく青い、この空の下で…。]](TOPCAT/2000年6月30日) '''CS''' *[[どすこい!女雪相撲 胸がドキドキ初場所体験]](ライアーソフト/2010年3月19日) *[[とっぱら〜ざしきわらしのはなし〜]](キャラメルBOXいちご味/2008年9月26日) *[[となりのお姉さんは巨乳OL]](スワンマニア/2008年7月25日) *[[とびでばいん]](アボガドパワーズ/2001年5月25日) *[[友達以上恋人未満 (ゲーム)|友達以上恋人未満]](スタジオメビウス/2004年9月24日) *[[従姫 -ともひめ-]](X[iks]/2002年9月27日) *[[智代アフター 〜It's a Wonderful Life〜]](Key/2005年11月25日) '''CS''' *[[とらいあんぐるハート]](JANIS/1998年12月18日) **[[とらいあんぐるハート2 さざなみ女子寮]](1999年7月30日)'''OVA''' **[[とらいあんぐるハート ラブラブおもちゃ箱]](2000年2月25日)'''FD''' **[[とらいあんぐるハート3 〜Sweet Songs Forever〜]](2000年12月8日)'''OVA''' **[[とらいあんぐるハート3 リリカルおもちゃ箱]](2001年6月29日)'''FD・TV''' **[[とらいあんぐるハート1・2・3 DVD EDITION]](2002年6月14日) *[[とらかぷっ!]](PULLTOP/2002年6月27日)'''CS''' *[[DRACU-RIOT!]](ゆずソフト/2012年3月30日) *[[ドラゴンシティX指定]](フェアリーテール/1991年2月) *[[ドラゴンナイト]](エルフ/1989年11月1日) '''OVA''' **[[ドラゴンナイト4]](1994年1月25日) '''CS・OVA''' *[[DR2ナイト雀鬼]](Leaf/1995年2月24日) *[[とらぶるっ!]](LiLiM/2006年12月1日) **とらいあんぐるBLUE(LiLiM DARKNESS/2007年7月13日) '''OVA''' *[[トラベリングスターズ]](HOOKSOFT/2015年8月28日) '''CS''' **トラベリングスターズ MiniFanDisc ジルコニア Ver.(HOOKSOFT/2016年3月18日) '''FD''' *[[Trample on “Schatten!!” 〜かげふみのうた〜]](TAIL WIND/2009年5月29日) *[[Treating2U]](BLUE GALE/2000年1月28日) *[[虜ノ姫 〜淫魔の調律〜]](アトリエかぐや TEAM HEARTBEAT/2007年6月29日) *[[Triptych (ゲーム)|Triptych]](ALcot/2006年4月28日) *[[D.P.S.]](アリスソフト/1989年12月) **D.P.S. 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SG set3(1991年12月) **Super D.P.S.(1992年9月) **D.P.S. 全部(1995年11月10日) *[[ドリル少女スパイラル・なみ]](エヴォリューション/2000年7月21日) *[[トロピカルKISS]](Twinkle/2009年9月25日) **[[トロピカルVACATION]](2014年10月31日) *[[Trois 〜トロワ〜]](Remain/2001年10月5日) *[[トワイライトゾーン (ゲーム)|トワイライトゾーン]](グレイト/1988年1月1日) **トワイライトゾーン2 -ナギサの館-(1988年10月21日) **トワイライトゾーン3 〜甘くて長い夜〜(1989年6月20日) **トワイライトゾーン Vol.4 特別編(1990年4月1日) *[[永遠ズ語リ 〜少女凌辱秘抄〜]](MarryBell/2006年12月8日) *[[どんちゃんがきゅ〜]](light/2009年5月29日) *[[ドンデンラバー Vol.1 〜白黒つけよっ〜]](DYNAX/1995年) === な === *[[Nursery Song]](Cronus/2002年5月24日) *[[Nursery Rhyme -ナーサリィ☆ライム-]](Lump of Sugar/2005年11月25日) *[[ナースにおまかせ]](アトリエかぐや Berkshire Yorkshire/2004年9月24日) *[[ナイキ (1991年のコンピュータゲーム)|ナイキ]](カクテルソフト/1991年7月){{R|NIKE26}} *[[ないしょの放課後]](ロール/2004年9月24日) *[[ナイショのよりみち]](CAGE/2005年12月22日) *[[ナイトウィザード 魔法大戦 〜The Peace Plan to Save the World〜]](RUNE/2004年6月25日) *[[Night Walker -真夜中の探偵-]](1993年) '''TV''' *[[ストロベリーポルノシリーズ|ナイトライフ]](光栄マイコンシステム/1982年) *[[ナイものねだりはもうお姉妹]](Aries/2013年4月26日)<ref name="kazuo">{{Cite web|和書|url=http://www.game-style.jp/kazuo/201303/27/125kzo_fk.php|title=カズオのエロゲ三昧 第125回:Aries『ナイものねだりはもうお姉妹』体験版|work=[[Game-Style]]|publisher=ビートニクス|accessdate=2014-05-22|date=2013年3月27日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130330085135/http://www.game-style.jp/kazuo/201303/27/125kzo_fk.php|archivedate=2013-03-30}}</ref> *[[“中出し”以外は校則違反!! 〜女子校祭・乗っ取り計画〜]](MBS Truth/2006年6月23日) *[[中出しスパイの挿入捜査 -子宮の平和は俺が守る!-]](softhouse-seal/2010年10月22日) *[[中出し孕ませ母娘どんぶり]](スワンマニア/2010年3月26日) *[[中の人などいない! トーキョー・ヒーロー・プロジェクト]](ALcot/2012年8月31日) *[[ナギサの]](コットンソフト/2007年12月14日) *[[和み匣 Innocent Greyファンディスク]](Innocent Grey/2007年4月6日) '''FD''' *[[Naturalシリーズ]](F&C) **[[Natural -身も心も-]](1998年2月6日) '''OVA''' **[[Natural2 -DUO-]](2000年5月26日) '''CS・OVA''' **[[Natural Zero+ -はじまりと終わりの場所で-]](2000年12月22日) **[[Natural Another One]](2003年9月26日) ***Natural Another One 2nd -Belladonna-(DreamSoft/2005年10月28日) *[[夏色小町]](Purple software/2003年2月28日) '''CS''' *[[夏色☆こみゅにけ〜しょん♪]](Terios/2003年11月7日) *[[夏色のエプロン]](ウラン/2000年8月12日) *[[夏色の砂時計|夏色の砂時計 for Windows]](Berries/2003年1月24日) '''CS逆移植・OVA''' *[[なついろ〜星降る湖畔の夏休み〜]](ACTRESS/2003年10月31日) '''CS''' *[[なついろレシピ]](PULLTOP Air/2015年5月29日) *[[夏神楽]](Studio e.go!/2003年6月20日) *[[夏神]](アトリエかぐや TEAM HEARTBEAT/2008年1月25日) *[[夏少女 (ゲーム)|夏少女]](PULLTOP/2003年5月30日) '''CS''' *[[夏空カナタ]](ゆずソフト/2008年5月23日) *[[夏空のペルセウス]](minori/2012年12月21日) *[[なつドキ!ハーレム 〜親せき宅での悩める受験勉強〜]](TinkerBell/2009年7月24日) *[[夏に奏でる僕らの詩]](Purple software/2010年3月26日) *[[夏ノ雨]](CUBE/2009年9月25日) *[[夏の終わりのニルヴァーナ]](ぱじゃまソフト/2013年1月25日) *[[なつぽち]](ALcot/2006年11月22日) *[[ナツメグ (ゲーム)|ナツメグ]](コットンソフト/2007年2月2日) *[[夏めろ]](AcaciaSoft/2007年1月26日) *[[ナツユメナギサ]](SAGA PLANETS/2009年7月31日) *[[撫子乱舞]](White CYC/2010年5月21日) *[[なないろ 恋の天気予報]](FilmSoftware/2002年12月25日) *[[なないろ航路]](Journey/2010年11月26日) *[[なないろリンカネーション]](シルキーズプラス/2014年9月26日) '''CS''' *[[ななついろ★ドロップス]](ユニゾンシフト/2006年4月21日) '''CS・TV''' *[[七つのふしぎの終わるとき]](etude/2011年12月22日) *[[ななみとこのみのおしえてA・B・C]](Studio Ring/2003年12月26日) *[[ナマイキデレーション]](まどそふと/2013年7月26日) *[[南国王宮子作りシリーズ]](Norn) **あまあねプリンセス・イリーナと南国王宮子作り 〜私の子宮で全部受け止めてあげる♪貴方の赤ちゃんが欲しいの〜(2009年10月23日) **ツンあねプリンセス・エミリアと南国王宮子作り 〜中出しなんて生意気よ! 赤ちゃん出来るまで許さないんだからね!〜(2009年11月6日) **素直クールプリンセス・サヤカと南国王宮子作り 〜抜いちゃヤだ…赤ちゃん出来るまで子宮に出して欲しい〜(2009年11月20日) *[[南国ドミニオン]](ソフトハウスキャラ/2005年2月18日) === に === *[[新妻イカせてミルク!|新妻イカせてミルク! 〜団地妻、昼下がりの下半身事情〜]](アトリエかぐや Honky-Tonk Pumpkin/2008年4月25日) *[[新妻は魔法少女]](Terios/2008年6月30日) *[[肉体転移]](シルキーズ/2003年2月28日) '''OVA''' *[[肉欲接待プロデュース 〜穴がブッ壊れるまで使ってやる〜]](黒鳥/2011年9月30日) *[[虹色あるけミカン Magic of alchemy]](しらたま/2007年8月31日) *[[20世紀アリス]](アリスソフト/2000年12月7日) *[[二重影]](SHADOW AND SHADOW)(ケロQ/2000年11月30日) '''CS''' **二重箱(2001年11月30日) '''FD''' *[[2度咲き!タルトレット]](しらたま/2009年6月26日) *[[にゃんカフェマキアート 〜猫がいるカフェのえっち事情〜]](SkyFish poco/2013年8月30日) *[[乳姫大祭]](West Vision/2007年1月19日) *[[人形使い]](フォレスト/1992年5月29日) **人形使い2(1996年8月23日) *[[人形の館 〜淫夢に抱かれたメイドたち〜]](アトリエかぐや/2002年10月25日) '''OVA''' *[[人間狩り]](アリスソフト/1997年12月18日) === ぬ === *[[ぬいぐるまー]](light/2004年12月24日) *[[ヌークシリーズ|ヌーク 〜あばかれた陰謀〜]](ボンびぃボンボン!/1992年11月1日) *ヌーク2 〜レミーの逆襲〜(1993年12月) *ヌーク3〜最後の性戦〜(1994年12月) *[[抜きゲーみたいな島に住んでる貧乳はどうすりゃいいですか?]](Qruppo/2018年7月27日) *抜きゲーみたいな島に住んでる貧乳はどうすりゃいいですか?2(Qruppo/2019年7月26日) === ね === *[[ねぇ〜お兄ちゃぁ〜ん 〜妹たちのドッキドキ誘惑合戦!〜]](スワン/2009年5月29日) *[[姉SUMMER!]](あるてみす。/2008年8月15日) '''同人''' **[[姉SUMMER!2]](2009年8月14日) '''同人''' *[[姉、ちゃんとしようよっ!]](きゃんでぃそふと/2003年6月27日) '''OVA''' **姉、ちゃんとしようよっ!2(2004年6月25日) **[[もっと 姉、ちゃんとしようよっ!]](2010年7月30日) *[[ねえ・姉パラダイス 〜俺と姉ちゃんの甘甘生活〜]](スワン/2007年8月24日) *[[ね〜PON?×らいPON!]](Navel/Lime /2007年8月31日) *[[ねがいの魔法。]](Tarte/2003年7月25日) *[[ねがぽじ 〜お兄ちゃんと呼ばないでっ!!〜]](Active/2001年4月6日) **ねがぽじファンディスク 〜ひとつ屋根の下で〜(2002年1月25日) '''FD''' *[[ねこ☆こい! 〜猫神さまとネコミミのたたり〜]](Whirlpool/2010年4月30日) *[[ネコっかわいがり! 〜クレインイヌネコ病院診療中〜]](13cm/2006年2月24日) *[[猫撫ディストーション]](WHITESOFT/2011年2月25日) *[[熱帯低気圧少女]](H℃/2008年5月30日) '''CS逆移植''' *[[ネブ*プラス]](Navel/2012年2月24日) *[[眠れる森のお姫さま]](エミーリア)(ペンギンワークス/2000年8月4日) '''CS''' === の === *[[NOVA -ノ・ヴァ- 魅入られた肢体]](Cat's Pro./1993年5月28日) *[[North Wind]](DreamSoft/2004年9月24日) '''CS''' *[[のーぱんつ!!]](Molamola.software/2010年8月27日) *[[のーぶる☆わーくす]](ゆずソフト/2010年12月24日) *[[ノストラダムスに聞いてみろ♪]](Lime/2008年2月29日) *[[覗いちゃだめっ! 〜ドキドキ女子寮かんさつ〜]](スワンマニア/2007年12月14日) *[[野々村病院の人々]](シルキーズ/1994年6月30日) '''CS・OVA''' *[[ノブレスオブルージュ]](チュアブルソフト/2013年9月27日) *[[ノラと皇女と野良猫ハート]](HARUKAZE/2016年2月26日) '''CS・TV''' **ノラと皇女と野良猫ハート2(HARUKAZE/2017年10月27日) '''CS''' === は === *[[バーチャコール]](フェアリーテール/1995年2月24日) **バーチャコール2(1995年12月22日) **バーチャコール3(バーチャコールS)(1997年7月25日) '''CS''' **バーチャコールクロニクル(F&C FC01/2004年9月24日) *[[HARD社の社長が社員に面白いと認めさせたクイズ第1弾、君も成田へ行って勝手にジャンケンをしよう]](HARD/1988年1月) *[[ハードスキャンダル 〜淫欲の女教師〜]](覇王/2004年10月8日) *[[HEARTWORK]](Active/1997年12月19日) '''OVA''' *[[はぁ・はぁ・テレパス 〜はじめてなのに超BINKAN〜]](SAGA PLANETS/2004年1月30日) *[[ハーレムブレイド 〜The Greatest of All Time.〜]](戯画/1996年4月26日) *[[背徳の学園 〜闇に捧げられた乙女たち〜]](Liquid/2005年7月29日) *[[バイナリィ・ポット]](オーガスト/2002年2月22日) *[[VIPER (ゲーム)|VIPER]]シリーズ(ソニア/1993年 - 2003年) **[[VIPER -RSR-]](2002年7月31日) *[[Hyper→Highspeed→Genius]](ういんどみる/2011年6月24日) *[[Bible Black]](Active/2000年7月14日) '''OVA''' *[[ハコてん雀]](ZyX/2000年9月29日) *[[はじめてのおいしゃさん]](ZERO/2002年4月26日) *[[はじめてのおてつだい]](Studio Ring/2005年10月28日) *[[はじめてのおるすばん (ゲーム)|はじめてのおるすばん]](ZERO/2001年12月28日) *[[ぱすてる (ゲーム)|ぱすてる]](SIESTA/2007年11月22日) *[[ぱすてるチャイム -恋のスキルアップ-]](アリスソフト/1998年11月26日) **[[ぱすてるチャイムContinue]](2005年6月17日) ***ぱすちゃC++(2005年12月9日) '''FD''' *[[パステルチャイム3 バインドシーカー]](2013年2月15日) *[[ハチミツ乙女blossomdays]](ルピナス/2009年10月23日) *[[パチンコセクシーリアクション]](サミー/1998年) *[[初恋 (ゲーム)|初恋]](RUNE/2002年10月25日) '''CS・OVA''' *[[初恋1/1]](tone work’s/2012年6月29日) *[[初恋サクラメント]](Purple software/2010年12月24日) *[[初恋予報。]](I.D./2011年5月27日) *[[HUSHABY BABY ハッシャバイベイビー]](アリスソフト/1999年9月30日) *[[初情スプリンクル]](Whirlpool/2017年7月28日) *[[はっちゃけあやよさん]](ハード/1989年2月28日) *[[×××な彼女が田舎生活を満喫するヒミツの方法]](Lime vert/2012年6月29日) *[[××な彼女のつくりかた]](KISS/2007年11月22日) **××な彼女のつくりかた ハプニング プラスディスク(2008年5月23日) **××な彼女のつくりかた 2008年 プラグインDISC(2008年9月26日) *[[はっぴ〜ぶり〜でぃんぐ]](Purple software/2002年4月26日) '''CS''' **[[はっぴ〜ぶり〜でぃんぐ#はぴぶりいまさらふぁんでぃすく|はぴぶりいまさらふぁんでぃすく]](2003年5月4日) '''FD''' *[[はっぴぃプリンセス]](Terios/2007年9月28日) **はっぴぃプリンセス 〜Another Fairytale〜(2008年7月25日) *[[はっぴぃ☆マーガレット!]](CROSSNET/2007年10月26日) *[[はつゆきさくら]](SAGA PLANETS/2012年2月24日) *[[パティシエなにゃんこ]](ぱじゃまソフト/2003年2月28日) '''CS''' *[[果てしなく青い、この空の下で…。]](どこまでも青く…)(TOPCAT/2000年6月30日) '''CS''' *[[バトルレイパー]](ILLUSION/2002年) *[[花色ヘプタグラム]](Lump of Sugar/2012年10月26日) *[[花咲ワークスプリング!]](SAGA PLANETS/2015年3月27日) '''CS''' *[[刃鳴散らす]](ニトロプラス/2005年9月30日) *[[花と乙女に祝福を]](ensemble/2009年5月29日) '''CS''' **花と乙女に祝福を ロイヤルブーケ(2010年1月29日) *[[花と蛇]](エルフ/2005年8月5日) *[[華の舞]](DYNAX/1988年) *[[桜吹雪 〜千年の恋をしました〜]](Silver Bullet/2009年4月24日) **[[花鳥風月 〜恋ニヲチタル花園ノ姫〜]](2009年12月18日) *[[はなマルッ!]](TinkerBell/2004年5月28日) *[[HoneyComing]](HOOK/2007年6月29日) '''CS''' **@HoneyComing RoyalSweet(HOOKSOFT/2009年8月28日) *[[HuniePop]](HuniePot/2015年1月19日) *[[BUNNYBLACK]](ソフトハウスキャラ/2010年7月30日) *[[ばにしゅ! 〜おっぱいの消えた王国〜]](アリスソフト/2009年2月27日) *[[パパラブ〜パパとイチャエロしたい娘達と一つ屋根の下で〜]](BLUE GALE/2011年12月16日) '''OVA''' *[[はぴとら -Happy Transportation-]](ブルームハンドル/2009年9月25日) **はぴとら外伝 アイナの新婚日記(2010年1月22日) *[[はぴねす!]](ういんどみる/2005年10月21日) '''CS・TV''' **はぴねす! りらっくす(ういんどみるOasis/2007年7月28日) '''FD''' **はぴねす!×はぴねす! りらっくす SPECIAL BOX(ういんどみるOasis/2008年10月24日) *[[ハピメア]](Purple software/2013年2月28日) **ハピメア Fragmentation Dream(2014年2月28日) '''FD''' *[[孕ら☆カノ!! 〜あの娘とラブラブ孕ぼて性活〜]](スワンアイ/2008年10月24日) *[[PARADISE LOST (ゲーム)|PARADISE LOST]](light/2004年1月16日) *[[孕ら☆ちゅちゅっ!! 〜咬めばあの娘もHな天使〜]](スワンアイ/2009年3月27日) *[[孕ら妻ナース!!]](スワンマニア/2009年6月26日) *[[はらハラしちゃう! 〜親にはナイショの子作り性活〜 ―朝霧姉妹編―]](アトリエかぐや/2011年6月24日) *[[孕ら☆ハラっ!! 〜中出し学園せ〜かつ〜]](スワンアイ/2007年6月29日) *[[孕ら☆パラっ!! 〜スワン中出しパラダイス〜]](スワン/2011年4月22日) '''FD''' *[[孕ませ人妻姉妹 〜兄嫁と弟嫁は俺の性妻〜]](スワンマニア/2009年2月27日) *[[はらみこ]](Selen/2009年4月24日) *[[孕ら巫女姉妹]](スワンマニア/2008年11月28日) *[[孕ら☆みん!! 〜催眠中だし子づくり宣言〜]](スワンアイ/2008年5月30日) *[[孕女 〜俺はこの学園で復讐を成し遂げる〜]](TinkerBell/2007年11月22日) *[[Parallel Harmony 月曜の扉は水曜の向こうに]](C's ware/2000年11月24日) *[[春色桜瀬]](Purple software/2008年7月31日) *[[春色こみゅにけ〜しょん]](Terios/2008年4月25日) *[[はるかかなた]](SORAHANE/2014年5月30日) *[[はるかぜどりに、とまりぎを。]](SkyFish/2007年10月26日) **[[はるかぜどりに、とまりぎを。 2nd Story 〜月の扉と海の欠片〜]](2010年1月29日) *[[ヨスガノソラ|ハルカナソラ]](Sphere/2009年9月25日) '''FD''' *[[遥かに仰ぎ、麗しの]](PULLTOP/2006年11月24日) *[[春恋*乙女 〜乙女の園でごきげんよう。〜]](BaseSon/2006年1月27日) '''OVA''' *「BALDR」シリーズ(戯画/1999年〜) **[[BALDRHEAD|BALDRHEAD〜武装金融外伝〜]](1999年7月2日) **[[BALDR FORCE]](2002年11月1日) '''CS・OVA''' **[[BALDR BULLET]](2000年10月27日) ***BALDR BULLET "REVELLION"(バルドバレット リベリオン)(2006年9月29日) '''CS''' **[[BALDR SKY]] ***BALDR SKY "Lost Memory" Dive1(2009年3月27日) ***BALDR SKY "RECORDARE" Dive2(2009年11月27日) ***BALDR SKY "DREAM WORLD" DiveX(2010年9月24日) ***BALDR SKY ZERO(2013年9月27日) ***BALDR SKY ZERO 2(2014年3月28日) **[[BALDR BRINGER]](2017年10月27日) *[[はるのあしおと]](minori/2004年7月23日) '''CS''' **さくらのさくころ(2006年3月31日) '''FD''' *[[パルフェ 〜ショコラ second brew〜]](パルフェ -Chocolat Second Style-)(戯画/2005年3月25日) '''CS''' *[[はるまで、くるる。]](すみっこソフト/2012年4月27日) *[[春萌 〜はるもい〜]](LOVERSOUL/2006年4月14日) **春萌 〜はるもい〜 沙緒アフター(2007年1月26日) *[[はるるみなもに!]](クロシェット/2017年3月24日) *[[8665^2 ハルルコのジジョウ]](RUNE/2007年9月28日) *[[PALETTE (アダルトゲーム)|PALETTE]](フェアリーテール/1998年11月20日) *[[Bullet Butlers]](propeller/2007年7月27日) *[[晴れときどきお天気雨]](ぱれっと/2011年11月25日) *[[晴れのち胸さわぎ]](カクテル・ソフト/1995年11月10日) **晴れのちときどき胸さわぎ(1997年4月25日) **晴れのちおおさわぎ!(1989年9月) *[[Hello Again (ゲーム)|Hello Again]](Active/2000年5月26日) *[[Hello,good-bye]](Lump of Sugar/2010年12月17日) *[["Hello, world."]](ニトロプラス/2002年9月27日) *[[パワースレイブ]](海月製作所/1995年10月27日) === ひ === *[[Piaキャロットへようこそ!!シリーズ]] **[[Piaキャロットへようこそ!!]](カクテル・ソフト/1996年7月26日) '''CS・OVA''' **[[Piaキャロットへようこそ!!2]](カクテル・ソフト/1997年10月31日) '''CS・OVA''' **[[Piaキャロットへようこそ!!3]](F&C FC02/2001年11月30日) '''CS・劇場版アニメ''' **[[Piaキャロットへようこそ!!G.O. 〜グランド・オープン〜]](カクテル・ソフト/2006年2月3日) '''CS・パチスロ''' **[[Piaキャロットへようこそ!!G.P.]](F&C カクテル・ソフト/2008年) ***ぴあきゃろG.O. TOYBOX 〜サマーフェア〜(2006年9月15日) '''FD''' ***ぴあきゃろG.O. TOYBOX2 〜スプリングフェア〜(2007年4月27日) '''FD''' ***ぴあ雀(2007年2月23日) **[[Piaキャロットへようこそ!!4]](カクテル・ソフト/2009年12月25日) '''CS''' *[[PP -ピアニッシモ- 操リ人形ノ輪舞]](Innocent Grey/2006年9月29日) *[[ピアノの森の満開の下]](ぱじゃまソフト/2007年8月24日) *[[P.S.2〜真実の扉〜]](URAN/1999年2月25日) *[[P.S.3〜ハーレムナイト〜]](URAN/2000年2月24日) *[[Peace@Pieces]](ユニゾンシフト/2004年12月23日) **わんもあ@ぴぃしぃず '''FD''' *[[景の海のアペイリア]](シルキーズプラスDOLCE/2017年7月28日) **景の海のアペイリア ~カサブランカの騎士~ '''FD'''(シルキーズプラスDOLCE/2017年12月22日) *[[白光のヴァルーシア]](ライアーソフト/2009年11月20日) *[[美脚性奴会長 亜衣「こ、この変態! 私のタイツになんてことを……!」]](オーバードーズ/2008年10月31日) *[[Beside 〜幸せはかたわらに〜]](F&C FC03/2001年10月26日) *[[美少女雀士プリティセーラー18禁]](日本物産/1994年8月) **美少女雀士プリティセーラー2 -Hなささやき-(1994年10月) *[[ひしょ×ひしょ]](ゆ〜かりそふと/2009年9月18日) *[[PigeonBlood]](PIL/SLASH/2014年10月3日) *[[秘蹟神姫アルカナセイバー]](Portion/2009年12月25日) **[[秘蹟神姫アルカナセイバーR]](2012年10月26日) *[[BITTERSWEET FOOLS]](minori/2001年8月31日) '''CS''' *[[bitter smile.]](戯画/2010年6月25日) '''CS''' *[[ひだまり (ゲーム)|ひだまり]](AXL/2006年5月26日) *[[ひだまりバスケット]](eufonie/2009年12月11日) *[[PIZZICATO POLKA|PIZZICATO POLKA -彗星幻夜-]](-縁鎖現夜-)(ぱじゃまソフト/2003年12月12日) '''CS''' *[[フリーゲーム#商品化された主なフリーゲーム|ひとかた]](お竜/2001年10月10日) *[[ひとがたルイン]](Studio e.go!/2004年12月24日) *[[ひとつ飛ばし恋愛]](ASa Project/2013年4月26日) '''CS''' *[[人妻お姉さんとツンデレ幼なじみの孕んだ関係]](スワンマニア/2008年8月29日) *[[人妻♪かすみさん 〜母娘と共同性活〜]](Tinkerbell/2003年7月18日) '''OVA''' *[[人妻コスプレ喫茶]](アトリエかぐや TEAM HEARTBEAT/2003年5月30日) '''OVA''' **[[人妻コスプレ喫茶2]](2006年4月28日) '''OVA''' *[[人妻戦隊アイサイガー]](DISCOVERY/2005年11月4日) **[[人妻戦隊アイサイガーPOWERED]](2007年2月23日) **[[人妻戦隊アイサイガーFLASH]](2008年5月30日) *[[人妻奴隷計画]](BLACK Lilith/2007年1月26日) *[[ひとづままん!! 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'''FD''' *[[僕と、僕らの夏]](light/2002年2月1日) '''CS''' *[[ボクの彼女はガテン系/彼女がした事、僕がされた事/巨乳妻完全捕獲計画/ボクの妻がアイツに寝取られました。]](エルフ/2011年12月8日) *[[ボクの手の中の楽園]](キャラメルBOX/2009年3月27日) *[[ボクのヒミツたいけん]](コンプリーツ/2001年10月26日) **もっと!ヒミツたいけん(2003年3月14日) **ボクの「なつやすみ」ヒミツたいけん(2004年12月22日) *[[僕は子羊?!]](May-Be SOFT/1999年8月27日) *[[ボクラはピアチェーレ]](ad:lib/2010年6月25日) *[[保健室のミサキ先生]](スワン/2009年9月25日) *[[保健室 〜マジカルピュアレッスン♪〜]](保健室へようこそ)(BunBun/2006年5月26日) '''CS''' *[[ぽこぽこ軍将 棚からこぼれたストーリー]](ainos/2001年5月24日) **[[ぽこぽこ軍将2 -いっつ・あ・りある・わ〜るど-]](2002年3月29日) *[[ほしうた]](フロントウイング/2008年12月26日) **ほしうた Starlight Serenade(2009年12月25日) *[[星恋*ティンクル]](きゃべつそふと/2017年1月27日) *[[星空のメモリア -Wish upon a shooting star-]](CROSSNET/2009年3月27日) **星空のメモリア Eternal Heart(FAVORITE/2010年1月29日) '''FD''' **星空のメモリア COMPLETE(FAVORITE/2010年11月26日) *[[星空へ架かる橋]](feng/2010年10月15日) '''TV''' *[[星空ぷらねっと]](ディーオー/2000年12月8日) '''CS''' **星空ぷらねっと 〜夢箱〜(2003年10月31日) *[[星の王子くん]](Leaf/2011年1月28日) *[[ほしフル|ほしフル 〜星藤学園天文同好会〜]](〜星の降る街〜)(F&C FC01/2007年9月28日) '''CS''' *[[螢子 (アダルトゲーム)|螢子]](タイガーマンプロジェクト/2002年9月27日) '''OVA''' *[[ポッキー (1989年のコンピュータゲーム)]](ポニーテールソフト/1989年1月) **ポッキー2(1991年7月{{R|pocky2p14}}) *[[炎の孕ませ転校生]](SQUEEZ/2005年9月22日) '''OVA''' **[[炎の孕ませ人生 〜あの頃に戻って孕ませナイト〜]](2006年4月21日) **[[炎の孕ませ同級生]](2007年9月21日) '''OVA''' *[[ぽぽたん]](ぷちフェレット/2003年7月11日) '''CS・TV''' *[[Volume7]](RococoWorks/2008年10月24日) *[[WHITE ALBUM]](Leaf/1998年5月1日) '''CS・TV''' **[[WHITE ALBUM2]] '''CS・TV''' ***WHITE ALBUM2 -introductory chapter-(2010年3月26日) ***WHITE ALBUM2 -closing chapter-(発売日不明) *[[WHITE CLARITY]](ACTRESS/2005年7月22日) '''CS''' *[[White 〜セツナサのカケラ〜]](ねこねこソフト(くるみブランド)/2000年1月28日) *[[White Princess 〜一途にイっても浮気してもOKなご都合主義学園恋愛アドベンチャー!!〜]](feng/2003年11月7日)'''CS''' *[[ホワイトブレス 〜with faint hope〜]](〜絆〜)(F&C FC02/2004年7月23日) '''CS''' **ホワイトブレス パーフェクトエディション+(2011年4月28日) '''CS逆移植''' *[[WHITE×RED]](TRYSET/2006年1月27日) === ま === *[[マージ 〜MARGINAL〜]](WHITE CLARITY/2003年1月23日) '''CS''' *[[麻雀 (ねこねこソフト)|麻雀]](ねこねこソフト/2004年12月10日) *[[麻雀かぐや姫]](三木商事/1989年) *[[麻雀禁じられたあそび イケイケ教師の欲望]](ホームデータ/1991年) *[[麻雀CLUB90's]](日本物産/1990年) *[[麻雀刺客]](日本物産/1988年) *[[麻雀レモンエンジェル]](ホームデータ/1990年) '''CS''' *[[マーブル★ブルマ]](Noesis/2008年10月10日) *[[My Dear アレながおじさん]](ブルーゲイル/1998年6月26日) *[[まいてつ]](Lose/2016年3月25日) *[[毎日がM!]](アトリエかぐや Honky-Tonk Pumpkin/2008年11月28日) *[[MinDeaD BlooD 〜支配者の為の狂死曲〜]](Black Cyc/2004年6月11日) **MinDeaD BlooD 〜麻由と麻奈の輸血箱〜(2004年10月8日) '''FD''' *[[魔王と踊れ! 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〜全員一緒に妊娠させてっ♪〜]](Norn/2009年5月15日) *[[真夏の夜の雪物語 -MIDSUMMER SNOW NIGHT-]](EX-ONE/2011年12月22日) *[[マネジ! シリーズ]] **マネジ! イキます!! 〜膣予選に賭けた夏2008〜(Norn/2008年5月30日) **マネジ! ヤリます!! 〜汗と白濁のグラウンド2009〜(softhouse-seal/2009年10月9日) **マネジ! キメます!! 〜絶頂ナインと駆け抜ける性春2011〜(softhouse-seal/2011年10月7日) **淫乱女子マネジと行く1泊2日スポ根中出しエロ合宿 〜マネジ! みんなでイキます!!〜(劇団近未来/2011年12月31日) '''同人・FD''' *[[マブラヴ]](âge/2003年2月28日) '''CS''' **マブラヴ サプリメント(âge/2004年12月17日) '''FD''' **[[マブラヴ オルタネイティヴ]](2006年2月24日) '''CS''' ***[[マブラヴ ALTERED FABLE]](2007年8月31日) '''FD''' *[[魔法少女アイ]](colors/2001年6月22日) '''OVA''' **[[魔法少女アイ2]](2002年9月27日) **[[魔法少女アイ参]](2008年12月19日) '''OVA''' *[[魔法少女アイリス]](エレクトリップ/2010年11月12日) *[[魔法少女イクシア]](エレクトリップ/2011年1月14日) *[[魔法少女イスカ]](BLACK Lilith/2009年6月19日) *[[魔法少女えれな]](わるきゅ〜れ/2009年4月17日) *[[魔法少女沙枝]](ミルフィーユ) '''OVA''' *[[魔法少女スバル]](BLACK Lilith/2009年12月18日) *[[魔法少女の大切なこと。]](めろめろキュート/2009年9月25日) *[[魔法少女フェアリーナイツ]](BLACK Lilith/2011年6月24日) *[[魔法少女マナ]](TOUCHABLE/2006年9月29日) *[[魔法少女メルル]](あかとんぼ/1999年4月2日) '''OVA''' *[[魔法戦士シリーズ]](Triangle) **[[魔法戦士スイートナイツ]]シリーズ(Triangle) ***魔法戦士スイートナイツ 〜ヒロイン陵辱指令〜(2002年5月17日) ***魔法戦士プリンセスティア(2003年5月23日) ***魔法戦士スイートナイツ2 〜メッツァー叛乱〜(2004年4月2日) **[[魔法戦士シンフォニックナイツ|魔法戦士シンフォニックナイツ 〜女神を継ぐ乙女たち〜]](2007年3月30日) **[[魔法戦士エリクシルナイツ|魔法戦士エリクシルナイツ 〜運命に繋がれし乙女達〜]](2007年9月28日) **[[魔法戦士レムティアナイツ|魔法戦士レムティアナイツ 〜光の乙女たち〜]](2008年9月26日) *[[魔法とHのカンケイ。]](ういんどみる/2004年11月26日) *[[魔法の少女シルキーリップ]](Waffle/2008年3月28日) '''CS逆移植''' *[[魔法、ひとつくださいな。]](ホワイトクラリティ/2006年9月29日) *[[まません]](ういろうそふと/2010年12月24日) *[[ママトト]](アリスソフト/1999年7月1日) *[[ママトト#ままにょにょ|ままにょにょ]](アリスソフト/2003年2月7日) *[[まままままま]](らぱぷる/2008年10月31日) *[[ままらぶ]](HERMIT/2004年10月29日) *[[ままん教室 〜未来のHなお勉強〜]](スワンアイ+/2009年10月30日) *[[まもってあげたい。 〜Dear My Master〜]](アトリエかぐや/2001年2月23日) *[[守り神様]](アリスソフト/1999年3月25日) *[[MARIONETTE -糸使い-]](CarrIe're/2003年3月28日) *[[マリちゃん危機一髪]](エニックス/1983年2月) *[[丸呑み (アダルトゲーム)|丸呑み]](ベェーカリィー/2010年7月25日) '''同人''' === み === *[[見上げた空におちていく]](あっぷりけ/2007年3月23日) *[[見上げてごらん、夜空の星を]](PULLTOP/2015年12月18日) **見上げてごらん、夜空の星を FINE DAYS(2016年5月27日) **見上げてごらん、夜空の星を Interstellar Focus(2018年6月29日) *[[美香がんばる 〜おしえてえっちなお勉強〜]](私立さくらんぼ小学校/2004年5月9日) '''同人''' *[[御神楽少女探偵団]](御神楽探偵団)(ヒューマン/1998年9月17日)※「新」のみ成人向け '''CS・OVA''' **続・御神楽少女探偵団 〜完結編〜(ヒューマン/1999年10月7日) **新・御神楽少女探偵団(エルフ/2003年12月26日) *[[みここ!]](しとろんソフト/2009年2月27日) *[[み・こ・こ・ん -巫女婚-]](Studio e.go!/2007年10月27日) *[[巫女舞 〜ただ一つの願い〜]](〜永遠の想い〜)(etude/2004年11月26日) '''CS''' *[[巫女みこナース]](PSYCHO/2003年5月23日) *[[MISS EACH OTHER]](オーバーフロー/2004年4月30日) *[[みずいろ]](ねこねこソフト/2001年4月13日) '''CS・OVA''' *[[ミステリート 〜不可逆世界の探偵紳士〜]](〜八十神かおるの事件ファイル〜)(アーベル/2004年5月28日) '''CS''' *[[翠の海 -midori no umi-]](Cabbit/2011年10月28日) *[[つよきす|みにきす 〜つよきすファンディスク〜]](きゃんでぃそふと/2006年12月15日) '''FD''' *[[峰深き瀬にたゆたう唄]](エウシュリー/2006年8月25日) *[[あると#みはる -あるとアナザーストーリー|みはる -あるとアナザーストーリー]](Purple software/2006年8月11日) '''FD''' *[[未来にキスを-Kiss the Future-]](otherwise/2001年9月21日) **未来にキスを-Kiss the Future- Standard Edition(13cm/2005年7月15日) *[[未来ノスタルジア]](Purple software/2011年9月2日) *[[未来はぼくらの手のなかに]](シェイプシフター/2001年2月16日) *[[みらろま]](ま〜まれぇど/2005年12月22日) *[[Milkyway]](Witch/2000年7月28日) '''OVA''' **Milkyway2(2002年6月28日) **Milkyway3(2005年4月28日) *[[MILK・ジャンキー]](ブルゲ ON DEMAND/2003年9月19日) **[[MILK・ジャンキー2]](2004年5月21日) '''OVA''' === む === *[[MOON.]](Tactics/1997年11月21日) *[[Moon Light 〜おもいでのはじまり〜]](Clear/2000年2月25日) **Moon Light Renewal 〜おもいでのはじまり〜(2003年7月25日) *[[夢幻泡影]](アリスソフト/1995年7月7日) *[[無人島物語シリーズ]]([[無人島物語シリーズ#無人島物語X|無人島物語X]]シリーズのみ)(Pinpai/1997年〜) **無人島物語X 〜外伝〜(1997年9月26日) **無人島物語XX(1999年2月26日) **無人島物語XXX(1999年8月27日) **無人島物語X.2001 〜姿なき悪魔〜(2001年4月27日) *[[むすめーかー]](Digital Cute/2008年12月19日) *[[娘姉妹]](RUNE Team TwinTail/2007年12月14日) *[[六ツ星きらり]](千世/2004年11月5日) '''CS''' *[[胸キュン! はぁとふるCafe]](ユニゾンシフト/2001年6月29日) === め === *[[めい・king]](フランベルジュの精霊)(にくきゅう/1998年7月3日) '''CS・OVA''' *[[Making*Lovers]](SMEE/2017年11月24日) '''CS''' **Making*Lovers 激イチャアフターストーリー Vol.01 亜子、可憐、咲(SMEE/2018年4月27日) '''FD''' **Making*Lovers 激イチャアフターストーリー Vol.02 レイナ、ましろ(SMEE/2018年6月29日) '''FD''' *[[五月倶楽部シリーズ|五月倶楽部(メイクラブ)シリーズ]] **V.R.デート☆五月倶楽部(デザイアー 1995年8月25日) **V.R.デート☆五月倶楽部2(1997年6月13日) **五月倶楽部DX(覇王 2001年5月11日、初作のリメイク) *[[メイド イン ドリーム]](ルネ featuring D/2002年6月7日) '''OVA''' *[[MAID iN HEAVEN 〜愛という名の欲望〜]](PIL/1998年12月18日) '''OVA''' *[[メイドさんしぃしー]](Le Chocolat/2004年4月2日) *[[めいどさん☆すぴりっつ! 〜わたしの中にいるあなた〜]](Sirius/2006年1月27日) *[[メイドさんと大きな剣]](May-Be SOFT/2006年7月21日) *[[Maple Colors]](CROSSNET/2003年7月25日) '''CS・OVA''' **[[Maple Colors 2]](2008年12月26日) *[[めがちゅ!]](フロントウイング/2006年9月29日) '''OVA''' *[[女神3部作 (Norn)|女神姉妹と子作り生活!三姉妹&ハーレム詰め合わせ 〜一途な愛から一夫多妻愛までまとめて愛して孕ませて♪〜]](Norn/2009年5月15日) *[[メカミミ]](きゃんでぃそふと/2009年7月31日) *[[女神3部作 (Norn)|女神ミュリエルは巨乳な幼妻 〜お嫌でなければ貴方の赤ちゃん産ませてください〜]](Norn/2008年11月7日) *[[めぐり、ひとひら。]](キャラメルBOX/2003年9月26日) *[[廻り巡ればめぐるときっ!?]](キャラメルBOXいちご味/2010年5月28日) *[[めざせっエロ漫画家 〜わたし処女ですけど!?〜]](スワン/2011年8月26日) *[[牝辱の穴ウメ 〜学園報復戦争〜]](黒鳥/2011年6月24日) *[[牝奴隷 〜犯された放課後〜]](アトリエかぐや TEAM HEARTBEAT/2005年9月30日) *[[めたもるふぁっく運動会! 〜飛び込めパンツの向こう側〜]](スワンマニア/2011年11月25日) *[[めちゃ婚!]](onomatope*/2011年4月8日) *[[メモリア (ゲーム)|メモリア]](Purple software/2009年8月28日) *[[メルクリア 〜水の都に恋の花束を〜]](Hearts/2010年1月29日) *[[MeltyMoment -メルティモーメント-]](HOOKSOFT/2014年1月31日) '''CS''' *MeltyMoment ミニファンディスク 葵&鏡水Ver.(HOOKSOFT/2014年8月15日) '''FD''' *MeltyMoment ミニファンディスク すみれ&千恵美Ver.(HOOKSOFT/2014年9月26日) '''FD''' *[[メンアットワーク!]](Studio e.go!/1999年7月30日) **メンアットワーク!2 〜ハンターアカデミーへようこそ〜(2000年11月17日) **メンアットワーク!3 〜ハンター達の青春〜(〜愛と青春のハンター学園〜)(2002年12月27日) '''CS''' **メンアットワーク!4 〜ハンター達よ 永遠に〜(2006年9月1日) === も === *[[モエかん]](ケロQ/2003年1月31日) '''CS・OVA''' **モエカす(2004年6月11日) '''FD''' *[[萌えろDownhill Night -峠最速伝説-]](TOP/2005年7月1日) **[[萌えろDownhill Night 2]](TOP/2006年10月27日) *[[もしも明日が晴れならば]](ぱれっと/2006年2月24日) *[[もっといじってプリンセス 〜もう!またこんなところで2〜]](ビタミン/2005年5月27日) *[[もっと 姉、ちゃんとしようよっ!]](きゃんでぃそふと/2010年7月30日) *[[モノごころ、モノむすめ。]](May-Be SOFT/2005年11月25日) *[[もののあはれは彩の頃。]](QUINCE SOFT/2017年9月29日) *[[ものべの]](Lose/2012年4月27日) *[[ももいろガーディアン]](アリスソフト/2009年9月18日) *[[桃色調教 〜めざせHなお嬢様〜]](スワン/2009年11月27日) *[[モンスターズ・レイド -魔に堕ちる姫騎士-]](Lusterise/2013年9月27日) === や === *[[ヤキモチストリーム]](まどそふと/2014年9月26日) *[[野球拳 (ハドソンのゲーム)|野球拳]](ハドソン) *[[夜勤病棟]](ミンク/1999年12月22日) '''OVA・パチスロ''' **夜勤病棟・弐(2004年1月15日) **夜勤病棟・参(2004年12月10日) ***夜勤ヒロインシリーズ ****七瀬恋(2005年5月13日) ****風間愛(2006年11月10日) ***麻雀ゲーム ****夜勤雀棟(2002年7月26日) ****夜勤雀棟2(2005年12月9日) *[[夜刀姫斬鬼行]](Terios/2005年12月16日) '''CS''' *[[屋根づたいの君へ]](KLEIN/2005年11月4日) *[[やみツキ!]](脳内彼女/2008年7月25日) *[[ヤミと帽子と本の旅人]](ROOT/2002年12月20日) '''TV''' *[[闇の声]](Black Cyc/2001年6月8日) **[[闇の声異聞録]](2005年7月29日) *[[置き場がない!|やや置き場がない!]](あかべぇそふとつぅ/2011年11月25日) '''FD''' *[[ヤンもえ双子姉妹 〜病んで孕んで愛されて…〜]](スワンマニア/2009年4月24日) === ゆ === *[[your diary]](CUBE/2011年9月30日) '''CS''' *[[遊撃警艦パトベセル 〜こちら首都圏上空青空署〜]](May-Be SOFT/2007年4月20日) *[[勇者からは逃げられない!]](ILLUSION/2009年10月2日) *[[勇者と彼女に花束を]](KLEIN/2011年4月8日) *[[euphoria (ゲーム)|euphoria]](CLOCKUP/2011年6月24日) '''OVA''' *[[ゆうれいは同居人!?]](ainos/2001年11月22日) *[[ゆ〜わく恋愛 〜実は巨乳でムチムチで〜]](スワン/2007年2月16日) *[[ゆきうた]](Survive/2003年12月19日) ** ゆきうた Vista対応版(2008年10月24日) *[[雪語り]](Tarte/2001年11月16日) '''CS''' *[[ゆきこいめると]](フロントウイング/2015年3月27日) *[[雪桜]](D.O./2003年11月28日) **沙紀のらぶらぶはねむーん(2004年5月31日) '''FD''' *[[雪のち、ふるるっ! 〜ところにより、恋もよう〜]](RUNE/2006年12月22日) *[[univ]]シリーズ(カクテル・ソフト) **univ 〜恋・はじまるよっ〜(2001年5月25日) **univ 〜愛・おまたせっ〜(2002年5月31日) *[[ゆのはな]](PULLTOP/2005年3月25日) *[[ゆめこい 〜夢見る魔法少女と恋の呪文〜]](Parasol/2013年5月31日) *[[夢みてナイト!|夢みてナイト! -The night of beautiful dreamer-]](Studio Ring/2005年4月15日) *[[夢見師]](H℃/2007年5月18日) '''CS逆移植''' **[[夢見白書]](2008年6月27日) '''CS''' *[[ユメミルクスリ]](ruf/2005年12月22日) *[[夢みる月のルナルティア]](Arianrhod/2011年11月25日) *[[ユユカナ -under the Starlight-]](NanaWind/2011年9月22日) *[[揺れるバスガイド 〜おっぱいがいっぱい〜]](Waffle/2005年1月28日) === よ === *[[夜明け前より瑠璃色な]](オーガスト/2005年9月22日) '''CS・TV''' **夜明け前より瑠璃色な -Moonlight Cradle-(2008年2月27日) *[[宵待姫 〜大正淫猥吸血姫譚〜]](ネル/2004年11月26日) **薺ヶ好 なずなと若葉の物語(2005年11月25日) *[[妖獣戦記]](ディーオー/1993年) *[[妖女乱舞 〜汚された聖域〜]](ZONE/1996年7月19日) **[[妖女乱舞2]](1997年5月29日) **[[AVARON]](2000年5月19日) *[[よくばりサボテン]](アリスソフト/2006年4月21日) *[[ヨスガノソラ]](Sphere/2008年12月5日) '''TV''' **ハルカナソラ(2009年9月25日) '''FD''' *[[よついろ★パッショナート!]](SkyFish/2010年12月24日) *[[よつのは]](ハイクオソフト/2006年1月27日) '''CS・OVA''' **幼なじみとの暮らし方(2006年9月15日) '''FD''' *[[夜が来る!]](アリスソフト/2001年4月19日) '''OVA''' *[[縁りて此の葉は紅に]](Lump of Sugar/2018年1月26日) *[[426 (ゲーム)|426]](FrontWing/2002年4月26日) **[[アズラエル (ゲーム)|アズラエル]] **[[スイートレガシー]] '''CS''' **[[501 (ゲーム)|501]] === ら === *[[ら〜じ・PonPon]](オーバーフロー/1999年11月26日) *[[Like a Butler]](AXL/2009年2月27日) *[[Like Life]](HOOK/2004年5月28日) '''CS''' **Like Life 氷庫版(2004年12月29日) '''FD''' **[[FairlyLife]](2008年10月10日) *[[らいむいろ戦奇譚|らいむいろ戦奇譚 〜明治日本、乙女防人ス〜]](エルフ/2002年12月13日) '''CS・OVA・TV''' **[[らいむいろ戦奇譚#らいむいろ雀奇譚|らいむいろ雀奇譚 〜明治日本、乙女 先ヅモス。〜]](2003年8月29日) **[[らいむいろ戦奇譚#らいむいろ流奇譚X|らいむいろ流奇譚X CROSS 〜恋、教ヘテクダサイ。〜]](2004年12月24日) '''TV''' *[[らくえん〜あいかわらずなぼく。の場合〜]](TerraLunar/2004年6月25日) *[[ラストオーダー (ゲーム)|ラストオーダー]](13cm/2003年12月26日) *[[LOVE&DEAD]](ライアーソフト/2008年4月25日) *[[luv wave]](シーズウェア/1998年7月31日) '''OVA''' *[[ラブ・エスカレーター]](海月製作所/1998年4月17日) **[[ラブ・エスカレーター#LOVERS 〜恋に落ちたら…〜|LOVERS 〜恋に落ちたら…〜]] (ジェリーフィッシュ/2003年10月10日) *[[恋神 -ラブカミ-]](PULLTOP/2010年10月29日) *[[らぶ2Quad]](ま〜まれぇど/2011年9月30日) *[[らぶデス2 〜Realtime Lovers〜]](TEATIME/2007年8月31日) **[[らぶデス3 〜Realtime Lovers〜]](2008年11月28日) **[[らぶデス4 〜ν-Realtime Lovers〜]](2009年12月18日) **[[らぶデス555!]](2010年11月26日){{R|Hardcore140}} *[[らぶでれーしょん!]](SMEE/2009年10月23日) *[[らぶフェチ]]シリーズ(2004年3月26日) *[[ら・ぶ・ら・ぶ調教 ふたご姉妹]](スワン/2008年3月28日) *[[ラブラブル 〜lover able〜]](SMEE/2011年2月25日) **同棲ラブラブル(SMEE/2012年1月27日) '''FD''' [[ラブリーホラー〜おちゃめなゆうれい〜]](全流通/1988年10月1日) *[[LOVELY QUEST]](HOOKSOFT/2012年9月28日) '''CS''' *[[LOVELY×CATION]](暁WORKS響/2011年6月24日) *[[ラムネ (ゲーム)|ラムネ]](ねこねこソフト/2004年7月30日) '''CS・TV''' *[[LAMUNATION!]](WhitePowder/2016年6月24日) *[[乱交地獄 〜泥濘に堕ちる女〜]](ダークスワン/2007年2月23日) *[[Lingeries]](ミンク/2001年5月25日) '''OVA''' *[[Rance]]シリーズ(アリスソフト) **[[Rance -光をもとめて-]](1989年7月15日) **Rance II -反逆の少女たち-(1990年5月15日) **[[Rance III -リーザス陥落-]](1991年11月15日) **Rance IV -教団の遺産-(1993年12月11日) **ランス4.1 -お薬工場を救え!-(1995年12月1日) **ランス4.2 -エンジェル組-(1995年12月8日) **Rance5D -ひとりぼっちの女の子-(2002年10月25日) **Rance VI -ゼス崩壊-(2004年8月27日) **[[戦国ランス]](2006年12月15日) **ランス・クエスト(2011年8月26日{{R|Hardcore188}}) ***ランス・クエスト マグナム(2012年2月24日)※アペンドディスク ***ランス・クエスト マグナム 統合版(2018年9月28日) **Rance IX -ヘルマン革命-(2014年4月25日) **[[Rance X -決戦-]](2018年2月23日) **[[鬼畜王ランス|外伝 鬼畜王ランス]](1996年12月19日) *[[Rumble 〜バンカラ夜叉姫〜]](ペンギンワークス/2000年4月14日) === り === *[[リアライズ (ゲーム)|リアライズ]](プレイム/2004年4月23日) '''CS''' *[[Really? Really!]](Navel/2006年11月24日) '''CS''' *[[リアル妹がいる大泉くんのばあい]](ALcotハニカム/2010年5月28日) *[[Leafアミューズメントソフト]](Leaf) '''FD''' **さおりんといっしょ!!(1996年1月22日) **初音のないしょ!!(1997年11月28日) **猪名川でいこう!!(2000年1月28日) ***[[ナイトライター]] **アルルゥとあそぼ!!(2004年4月28日) **愛佳でいくの!!(2009年12月18日) *[[りこりす -lycoris radiata-]](Terios/2006年3月24日) *[[Re:Seven 〜僕が君に出来るコト〜]](Lilac Soft/2010年3月26日) *[[リゾートBOIN]](Crossnet-Pie/2007年3月16日) '''OVA''' *[[リップスティックアドベンチャー]]シリーズ(フェアリーテール) **リップスティックアドベンチャー(1988年) **リップスティックアドベンチャー2(1989年) **リップスティックアドベンチャー3(1993年) **リップスティックアドベンチャーEX(1999年) **リップスティックアドベンチャー4(2001年) *[[RIDDLE JOKER]](ゆずソフト/2018年3月30日) *[[リトルバスターズ!|リトルバスターズ!エクスタシー]](Key/2008年7月21日) '''CS''' **[[クドわふたー]](2010年6月25日) *[[Little PRINCESS]](チャンピオンソフト/1987年11月) *[[リトルMyメイド]](Sweet Basil/1999年3月12日) *[[りとるらびっつ -わがままツインテール-]](WHITESOFT/2010年5月28日) *[[Reversible (ゲーム)|Reversible]](EGIS/2007年7月20日) *[[Revive 〜蘇生〜]](慟哭2)(データイースト/1999年10月28日) '''CS''' *リフレクティブハート(Infinite-Justice/発売中止) *[[流星☆キセキ -SHOOTING PROBE-]](ユニゾンシフト・アクセント/2013年3月29日) *[[流星雀士キララ☆スター]](ジャレコ/1996年3月) *[[流聖天使プリマヴェール]](Escu:de/2000年7月21日) '''OVA''' **流聖天使プリマヴェールV(2002年12月13日) *[[竜翼のメロディア -Diva with the blessed dragonol-]](Whirlpool/2012年9月28日) *[[猟奇の檻]](日本プランテック/1995年8月25日) **[[猟奇の檻#真説 猟奇の檻|真説 猟奇の檻]](CALIGULA/2004年12月17日) **[[猟奇の檻 第2章]](日本プランテック/1996年11月) '''OVA''' **[[猟奇の檻 第2章#真説 猟奇の檻 第2章|真説 猟奇の檻 第2章]](CALIGULA/2009年5月1日) *[[凌辱看護婦学院]](ANIM/2001年6月29日) *[[凌辱ゲリラ狩り]](Liquid/2002年11月15日) **凌辱ゲリラ狩り2(Liquid/2004年12月24日) **凌辱ゲリラ狩り3(Liquid/2007年1月26日) '''OVA''' * 凌辱女子学園 (GuiltyN/2002年12月20日) '''OVA''' *[[凌辱ファミレス調教メニュー]](Liquid/2004年4月23日) '''OVA''' *[[旅館白鷺]](SPEED/2002年5月24日) '''OVA''' *[[虜囚市場〜罠に嵌められたエルフの女将校〜]](BLACK Lilith/2011年3月25日) *[[リラクゼーション癒香 〜身も心も癒されて〜]](HERENCIA/2014年10月30日) **リラクゼーション癒香・艶 〜人妻セラピストによる洗体〜(2015年5月1日) **リラクゼーション癒香・陽 〜人妻セラピスト達による癒しの時間〜(2015年12月25日) **リラクゼーション癒香・双 〜人妻セラピストの贅沢Wコース〜(2016年1月29日予定) *[[リリカル♪りりっく]](ま〜まれぇど/2007年7月27日) **[[リリカルDS]](ま〜まれぇど/2008年5月30日) *[[LILITH-IZM]]シリーズ(リリス)<!--便宜上、親ブランドの「リリス」表記。--> **LILITH-IZM01 〜フェラ編〜(Lilith/2008年1月11日) **LILITH-IZM02 〜中出し/孕ませ編〜(Lilith/2008年8月22日) **LILITH-IZM03 〜IFストーリー編〜(Lilith/2008年12月22日) **LILITH-IZM04 〜褐色編〜(Lilith/2010年1月22日) **LILITH-IZM05 〜大量射精編〜(Lilith/2010年9月24日) **LiLiTH-IZM06 〜デジアニメwithリリー&リリア外伝〜(ANIME Lilith/2011年2月18日) **LILITH-IZM07 〜俺のペット編〜(Lilith/2011年7月22日) **LILITH-IZM08 のぶしと黒IZM(BLACK Lilith/2012年4月27日) *[[relations sister×sister.]](Aile/2011年4月28日) *[[臨界点 -CRITICAL POINT-]](Sweet Basil/1998年7月24日) *[[輪[妹]姦 -傷モノの妹-]](RaSeN/2005年8月12日) *[[輪姦倶楽部]](ANIME Lilith/2008年3月21日) '''OVA''' *[[燐月-リンゲツ-]](Selen/2004年8月6日) '''OVA''' **燐月 MINI FANDISC(2005年1月28日) '''FD''' **真・燐月(2007年10月26日) '''OVA''' === る === *[[るいは智を呼ぶ]](暁WORKS/2008年6月26日) *[[Routes|Routes -ルーツ-]](Leaf/2003年2月28日) '''CS''' *[[√after and another]](枕/2007年10月26日) **H<sub>2</sub>O √after and another Complete Story Edition(2009年7月31日) *[[ルナそら]](light/2006年8月4日) *[[Lunaris Filia 〜キスと契約と真紅の瞳〜]](Whirlpool/2011年9月30日) *[[瑠璃色の雪]](アイル/1997年3月7日) '''CS''' **真・瑠璃色の雪 〜ふりむけば隣に〜(2000年4月14日) '''CS・OVA''' *[[るるるとささらの先生☆教えて 〜ボクは女のお坊っちゃま〜]](あんでる/2007年6月22日) *[[R.U.R.U.R 〜ル・ル・ル・ル〜 このこのために、せめてきれいな星空を]](R.U.R.U.R -petit prince-)(light/2007年4月27日) '''CS''' === れ === *[[隷嬢学園 〜煉獄の学舎〜]](Psy-chs/2004年10月29日) **[[隷嬢学園2 〜嗜虐の花園〜]](2008年1月25日) *[[レイプレイ]](ILLUSION/2006年4月21日) *[[黎明のラヴェンデュラ]](NOA/2005年6月3日) *[[レクイエム (ゲーム)|レクイエム]](CLOCKUP/2004年12月10日) '''OVA''' *[[レコンキスタ (ゲーム)|レコンキスタ]](コットンソフト/2007年6月22日) *[[れすとあ]](ディーオー/2003年6月27日) *[[レッスルエンジェルス|レッスルエンジェルスSPECIAL]](GREAT/1994年2月) '''CS''' *[[レベルジャスティス]](ソフトハウスキャラ/2003年12月12日) *[[レミニセンス (ゲーム)|レミニセンス]](てぃ〜ぐる/2013年5月31日) **レミニセンス Re:Collect(2014年6月27日) *[[檸檬 〜影絵亭ノスタルジヤ〜]](13cm/ 2000年4月14日) *[[恋愛0キロメートル]](ASaProject/2011年10月28日) '''CS''' *[[恋愛+H]](TEATIME/2011年5月27日) *[[恋愛CHU! -彼女のヒミツはオトコのコ?-]](-ハッピーパーフェクト-)(SAGA PLANETS/2001年3月23日) '''CS''' **もっとLOVEちゅ! 〜恋愛CHU!ファンディスク〜(2001年8月31日) '''FD''' *[[連鎖 〜裏切りの鎖〜]](Selen/1999年12月17日) *[[恋想リレーション]](Lump of Sugar/2015年5月29日) === ろ === *[[ローデビル!]](BLACK LIGHT/2001年10月26日) *[[6インチまいだーりん]](あいりゅ/1999年5月20日) '''CS逆移植''' *[[ロケットの夏]](TerraLunar/2002年10月11日) *[[LOST M]](オーバーフロー/2004年10月15日) *[[LOST CHILD]](たまソフト/2006年3月24日) *[[Lost Passage]](DEEPBLUE/2002年6月28日) '''CS''' *[[ロマンスは剣の輝き|ロマンスは剣の輝き -THE LAST CRUSADER-]](フェアリーテール/1995年6月23日) **[[ロマンスは剣の輝きII]](1999年12月22日) '''CS・OVA''' *[[ロリータ・シンドローム (ゲーム)|ロリータ・シンドローム]](エニックス/1983年10月) *[[ロンド・リーフレット]](Littlewitch/2007年1月26日) === わ === *[[ワーズ・ワース]](エルフ/1993年7月22日) '''OVA''' *[[WAGA魔々かぷりちお]](ユニゾンシフト/2005年4月28日) *[[ワガママハイスペック]](まどそふと/2016年4月28日) '''TV・CS''' **ワガママハイスペックOC(まどそふと/2017年8月25日) '''FD''' *[[わくわく☆惑星プリンセス]](PUMPIE/1998年9月18日) *[[忘れな草 (ゲーム)|忘れな草]](Project-μ/2000年11月17日) *[[忘レナ草 〜Forget-me-Not〜]](ユニゾンシフト/2002年4月12日) *[[渡り鳥に宿り木を]](STUDiO B-ROOM/2003年5月2日) *[[ワルキューレロマンツェ 少女騎士物語]](Ricotta/2011年10月28日) *[[悪っ外伝 〜悪夢のラッシュアワー〜]](インターハート/1999年9月24日) *[[One Way Love〜ミントちゃん物語]](王宮魔法劇団(オーガスト)/2000年12月29日) '''同人''' *[[ONE 〜輝く季節へ〜]](輝く季節へ)(Tactics/1998年5月26日) '''CS・OVA''' *[[わんことくらそう]](ivory/2006年4月14日) *[[ワンコとリリー]](CUFFS/2006年8月11日) *[[1/2 summer]](Alcotハニカム/2012年6月29日) *[[ワンダリング・リペア!]](エスクード/2008年1月25日) == ボーイズラブゲーム == *[[愛と欲望は学園で|愛と欲望は学園で 〜華麗なる夜の舞踏会〜]](あまなっとうぱふぇ/2006年12月28日) *[[冤罪 eine falsche Beschuldi-gung]](郎猫儿/2002年10月11日) '''OVA''' *[[Angel's Feather]](BlueImpact/2003年4月25日) '''CS・OVA''' *[[王子さまLV1]](Alice Blue/2001年6月22日) '''CS''' **王子さまLV1.5(2002年2月22日) **王子さまLV2(2004年4月16日) *[[俺の下であがけ]](俺の下でAGAKE)(Alice Blue/2002年11月29日) '''CS''' *[[学園ヘヴン BOY'S LOVE SCRAMBLE!]](Spray/2002年8月2日) '''CS・TV''' *[[神無ノ鳥]](すたじおみりす/2002年11月29日) *[[鬼畜眼鏡]](Spray/2007年7月20日) **[[鬼畜眼鏡R]](2009年3月27日) '''FD''' *[[Cloth×Close 〜ボクがくぃ〜ん!?〜]](Catear/2006年7月14日) *[[コイビト遊戯]](PIL/SLASH /2007年8月24日) *[[少年達の病棟]](Singing Canary/2001年6月15日) *[[神学校 -Noli me tangere-]](PIL/SLASH/2011年3月30日) *[[sweet pool]](Nitro+CHiRAL/2008年12月19日) *[[好きなものは好きだからしょうがない!!]]シリーズ(プラチナれーべる) '''CS・TV''' **好きなものは好きだからしょうがない!! -FIRST LIMIT-(2000年8月10日) **好きなものは好きだからしょうがない!! -TARGET†NIGHTS- (2001年5月25日) **好きなものは好きだからしょうがない!! -RAIN-(2002年5月17日) **好きなものは好きだからしょうがない!! +White Flower+(2003年7月31日) **好きなものは好きだからしょうがない!! -FAN DISK-(2003年4月25日) *[[STEAL!]](Spray/2009年11月27日) *[[絶対服従命令]](郎猫儿/2005年4月22日) *[[帝国千戦記|帝国千戦記 〜千夜の夢〜]](郎猫儿/2004年4月23日) '''CS''' *[[咎狗の血]](Nitro+CHiRAL/2005年2月25日) '''CS・TV''' *[[屠殺の園]](Catear/2007年4月27日) *[[Trans' 〜僕とあたしの境界線〜]](2002年) '''非18禁''' **[[Trans'2〜僕とあたしと恋人と〜]](2005年7月8日) *[[熱砂ノ楽園]](Vivid Color/2010年8月27日) *[[花町物語]](Vivid Color/2005年8月26日) **[[花陰|花陰 -堕ちた蜜華-]](2009年10月23日) *[[Bois 〜機械仕掛けの街〜]](花梨エンターテイメント/2002年8月23日) '''同人''' *[[ぼくらはみんな、恋をする]](pekoe/2006年5月26日) *[[マスカレード 〜地獄学園SO/DO/MU〜]](PIL/SLASH/2006年5月26日) *[[みらくるのーとん]](Tennnenouji/2006年12月27日) '''同人''' **みらくるのーとん 只今増量中!!(2007年9月28日) **みらくるのーとん 願いを打ちこんで!(2008年4月30日) *[[メイド★はじめました 〜ご主人様のお世話いたします♥〜]](Vivid Color/2007年12月28日) *[[ラッキードッグ1]](Tennenouji/2009年6月10日) '''同人''' *[[Lamento -BEYOND THE VOID-]](Nitro+CHiRAL/2006年10月27日) *[[Laughter Land]](郎猫儿/2006年10月27日) *[[ROSARIUM -繋がれた少年-]](OPTiM/2005年5月27日) == 乙女ゲーム == *[[Under the Moon (ゲーム)|Under The Moon]](シュガービーンズ/2006年12月15日) '''CS''' **Under the Moon 〜つきいろ絵本〜(2007年8月24日) '''FD''' *[[いじわる My Master]](シュガービーンズ/2008年3月28日) *[[すみれの蕾]](美蕾/2009年3月13日) *[[月ノ光 太陽ノ影]](アロマリエ/2006年4月21日) **月ノ光 太陽ノ影 Another Moon(2006年12月20日) '''FD''' *[[バトラーズ〜召しませお嬢様〜]](TIARAMODE/2006年10月27日) *[[プリティ☆ウィッチ☆アカデミー!]](Strawberry*Maiden/2009年7月24日) *[[星の王女]](美蕾/2003年8月25日) **[[星の王女2]](美蕾/2004年2月29日) *[[Love☆Drops 〜みらくる同居物語〜]](らぶ☆どろ 〜Love☆Drops〜)(シュガービーンズ/2006年3月3日) '''CS''' == ゲイ向けゲーム == *[[家、建てます!]](UNDERGROUND CAMPAIGN) *[[ウツロガミ]](UNDERGROUND CAMPAIGN) *[[忘我境界 カンマの庭]](UNDERGROUND CAMPAIGN/2009年8月30日) '''同人''' *[[炎多留]](タルタルもにゃ〜/2002年12月28日) **炎多留2魂 〜男子局アナ(秘)衝撃スクープ〜(シンプル2000シリーズVol.38 漢のためのバイブル THE友情アドベンチャー 〜炎多留・魂〜)(2002年10月24日) '''CS''' **炎多留III 〜潮〜(2005年9月11日) == 脚注 == === 出典 === {{脚注ヘルプ}} {{reflist|2|refs= <ref name="Hardcore125">[[#hardcore|「姉です。 〜姉死覚悟の「弟しぼり」な夏が来る!〜」、『超エロゲー ハードコア』,p.125.]]</ref> <ref name="Hardcore140">[[#hardcore|「らぶデス555!」、『超エロゲー ハードコア』,p.140.]]</ref> <ref name="Hardcore155">[[#hardcore|「規制不可 〜俺は実在しないので、ナニをヤッても許される〜」、『超エロゲー ハードコア』,p.155.]]</ref> <ref name="Hardcore188">[[#hardcore|「ランス・クエスト」、『超エロゲー ハードコア』,p.188.]]</ref> <ref name="pocky2p14">[[#pocky2|「よくわかる美少女ゲーム 傾向と対策編 ポッキー2」、『美少女ゲーム最前線パート5』,p.14.]]</ref> <ref name="NIKE26">[[#NIKE|「よくわかる美少女ゲーム 傾向と対策編 ナイキ」、『美少女ゲーム最前線パート5』,p.26.]]</ref> <ref name="dpssg28">[[#dpssg1|「よくわかる美少女ゲーム 傾向と対策編 D・P・S SG」、『美少女ゲーム最前線パート5』,p.28.]]</ref> <ref name="dpssg30">[[#dpssg2|「よくわかる美少女ゲーム 傾向と対策編 D・P・S SG set2」、『美少女ゲーム最前線パート5』,p.30.]]</ref> }} == 参考文献 == === 雑誌記事 === * {{Cite|和書|title=美少女ゲーム最前線 パート5|publisher=辰巳出版|ref=bishoujo5|date=1991-11-1}} ** {{Wikicite|ref=pocky2|reference=「よくわかる美少女ゲーム 傾向と対策編 ポッキー2」、14-17頁。}} ** {{Wikicite|ref=NIKE|reference=「よくわかる美少女ゲーム 傾向と対策編 ナイキ」、26-27頁。}} ** {{Wikicite|ref=dpssg1|reference=「よくわかる美少女ゲーム 傾向と対策編 D・P・S SG」、28-29頁。}} ** {{Wikicite|ref=dpssg2|reference=「よくわかる美少女ゲーム 傾向と対策編 D・P・S SG set2」、30-31頁。}} *{{Cite book|和書|title=超エロゲー ハードコア|date=2012年10月|publisher=太田出版|author=多根清史|author2=箭本進一|author3=阿部広樹|ref=hardcore}} **{{Wikicite||reference=「姉です。 〜姉死覚悟の「弟しぼり」な夏が来る!〜」、140-127頁|ref=Hardcore125}} **{{Wikicite||reference=「らぶデス555!」、140-141頁|ref=Hardcore140}} **{{Wikicite||reference=「規制不可 〜俺は実在しないので、ナニをヤッても許される〜」、155-158頁|ref=Hardcore155}} **{{Wikicite||reference=「ランス・クエスト」、188-193頁|ref=Hardcore188}} == 関連項目 == *[[アダルトゲームメーカー一覧]] *[[コンピュータゲームのタイトル一覧]] *[[CEROレーティング18才以上のみ対象ソフトの一覧]] *[[ESRBレイティング別対象ソフト一覧・AO (18歳未満提供禁止)]] {{DEFAULTSORT:あたるとけむのたいとるいちらん}} [[Category:アダルトゲームソフト|*あたるとけむのたいとるいちらん]] [[Category:コンピュータゲームのタイトル一覧]]
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アダルトゲームメーカー一覧
アダルトゲームメーカー一覧(アダルトゲームメーカーいちらん)は、主にアダルトゲームを製作しているメーカー(企業・同人を問わない)及びブランドの一覧である。なお、記事作成時点で所属する組織が不明確なブランド名は、印をつけている。 活動停止に至った経緯(メーカーの事業撤退、統廃合、解散)は区別しない。また、現存メーカーの一部ブランドの活動停止は含めない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "アダルトゲームメーカー一覧(アダルトゲームメーカーいちらん)は、主にアダルトゲームを製作しているメーカー(企業・同人を問わない)及びブランドの一覧である。なお、記事作成時点で所属する組織が不明確なブランド名は、印をつけている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "活動停止に至った経緯(メーカーの事業撤退、統廃合、解散)は区別しない。また、現存メーカーの一部ブランドの活動停止は含めない。", "title": "かつて存在したメーカーとそのブランド" } ]
アダルトゲームメーカー一覧(アダルトゲームメーカーいちらん)は、主にアダルトゲームを製作しているメーカー(企業・同人を問わない)及びブランドの一覧である。なお、記事作成時点で所属する組織が不明確なブランド名は、#印をつけている。
{{Notice|記事が執筆されていないメーカーは[[プロジェクト:美少女ゲーム系/未筆メーカー]]に掲載しています。|style=important}} '''アダルトゲームメーカー一覧'''(アダルトゲームメーカーいちらん)は、主に[[アダルトゲーム]]を製作しているメーカー(企業・同人を問わない)及びブランドの一覧である。なお、記事作成時点で所属する組織が不明確なブランド名は、<sup>#</sup>印をつけている。 == 存続している会社 == === あ行 === * 有限会社アイオー ** mixed up * 有限会社アイス<ref name="sofurin3">一般社団法人コンピュータソフトウェア倫理機構会員一覧[http://www.sofurin.org/htm/member/index.htm]</ref> ** チロル * 株式会社アイワン<ref name="sofurin3" /> ** [[ILLUSION (ゲームブランド)|ILLUSION]] * 有限会社[[AKABEiSOFT2]]<ref name="sofurin3" /> ** あかべぇそふとつぅ(第1開発事業部) *** あかべぇそふとつぅTRY *** あかべぇそふとすりぃ ** 暁WORKS(第3開発事業部) ** hibiki works(第4開発事業部) ** てぃ~ぐる(第5開発事業部) * 株式会社[[アクアプラス]]<ref name="sofurin3" /> ** [[Leaf]] ** AQUAPLUS(コンシューマー向けブランド) * 有限会社アクセル<ref name="sofurin3" /> ** fairys * 有限会社[[ACTRESS]] ** アクトレス ** [[あてゅ・わぁくす]] * 株式会社[[アクラス]]<ref name="sofurin3" /> ** アイチェリー(DVD-PGブランド) ** アトリエさくら * 株式会社[[アシッド (企業)|アシッド]]<ref name="eizorin3">一般社団法人映像倫理機構会員一覧[http://www.eizorin.or.jp/members.html]</ref> ** [[アージュ]] ({{Unicode|âge}}) * 株式会社アスカデザイン<ref name="sofurin3" /> ** [[NanaWind]] * 株式会社アステックトゥーワン<ref name="sofurin3" /> ** [[アトリエかぐや]] * 有限会社アセンドアイ<ref name="eizorin3" /> ** [[スワン (ブランド)|スワン]] ** スワンマニア ** ダークスワン ** スワンアイ ** スワンアイ+ ** 黒鳥 * アップセット株式会社<ref name="sofurin3" /> ** Etoiles * 合同会社アトリエアクア<ref name="sofurin3" /> **[[SORAHANE]] * 株式会社アポスト<ref name="sofurin3" /> ** CLAPWORKS * 株式会社天沼矛 ** アメノムラクモ ** [[アパタイト (ゲームブランド)|アパタイト]] ** [[トルピード]] ** モノグラム ** スピンドル * ARIDESIGN株式会社<ref name="eizorin3" /> ** ROOT ** CLOVER ** ORBIT-CACTUS ** CORE * 株式会社[[アストロノーツ (ブランド)|アルカディアワークス]]<ref name="sofurin3" /> ** アストロノーツ・シリウス ** アストロノーツ・スピカ ** アストロノーツ・アリア * アミューズクラフト(株式会社[[ソフパル]] ゲームソフト開発部<ref name="sofurin3" />) ** 天津堂 ** CERES ** STRIKES ** ユニゾンシフト *** ユニゾンシフト:ブロッサム *** ユニゾンシフト・アクセント ** Hearts ** ぷらちなレーベル ** piriri! ** Qoo brand ** エレクトリップ * 有限会社アルティエ ** [[TOPCAT (ブランド)|TOPCAT]](活動休止) * 有限会社アルビオン<ref name="eizorin3" /> ** ORCSOFT ** パルテノン ** ARTEMIS. ** [[ソフトさ〜くるクレージュ]] ** [[クレージュA]] ** ソーラレイ ** スレイプニール * 有限会社アレス ** [[ういんどみる]] ** ういんどみるOasis * 株式会社アンノックアウト<ref name="eizorin3" /> ** [[softhouse-seal]] ** softhouse-seal GRANDEE ** SAMOYED SMILE * 株式会社itan<ref name="sofurin3" /> ** frantic labo * 株式会社[[インターハート]]<ref name="sofurin3" /> ** INTERHEART ** [[きゃんでぃそふと]] ** ういろうそふと ** REAL ** ぐみそふと ** 娘。 * 株式会社インフィニブレイン<ref name="eizorin22">一般社団法人映像倫理機構会員一覧[http://www.eizorin.or.jp/members.html]</ref> / 有限会社スロアストン ** [[リリス (ブランド)|Lilith]](リリス) ** BLACK Lilith(ブラックリリス) ** ANIME Lilith(アニメリリス) ** Lilith MIST(リリスミスト) ** Ands ** すとれーと * 株式会社インレ<ref name="sofurin22">一般社団法人コンピュータソフトウェア倫理機構会員一覧[http://www.sofurin.org/htm/member/index.htm]</ref> * 株式会社[[ウィルプラス]]<ref name="sofurin22" /> ** (男性向けブランド) ** [[Empress]] ** [[ensemble (ゲームブランド)|ensemble]] *** ensemble SWEET ** ETERNAL ** [[Guilty (ゲームブランド)|Guilty]] / Guilty+ ** HERMIT ** [[propeller (ゲームブランド)|propeller]] ** プラリネ ** [[PULLTOP]] *** PULLTOP LATTE *** PULLTOP Air ** しらたま ** とこはな ** (女性向けブランド) ** Sugarbeans * 合資会社ウィンタース<ref name="sofurin22" /> ** [[WINTERS]] * 株式会社[[エーテルインターライン]]<ref name="sofurin22" /> ** じぃすぽっと * 株式会社エイ・ワン・シー<ref name="sofurin22" /> ** Shelf *** Darkshelf ** Grand Cru ** biscotti * 株式会社エウクレイア<ref name="sofurin22" /> ** [[エウシュリー]] ** アナスタシア * 株式会社エクス ** EX-ONE * 株式会社エスアイエスプランニング<ref name="sofurin22" /> ** [[Anim]] ** [[CROWD]] ** CLIP☆CRAFT * 有限会社SGP SOFTWARE<ref name="sofurin22" /> ** SGP Software * 株式会社エスデジタル<ref name="sofurin22" /> ** [[LiLiM]] *** LiLiM DARKNESS ** [[Le.Chocolat]] ** Sugar Pot ** Princess Sugar * 有限会社エッジ<ref name="eizorin22" /> ** [[BLACK PACKAGE]] ** BLACK PACKAGE TRY ** BLACK PACKAGE XXX * 株式会社NKクリエイト<ref name="sofurin22" /> ** 3rdEye * 株式会社エフアールエヌ<ref name="sofurin22" /> ** SMILE * エフアンドシー ([[F&C]]) 株式会社<ref name="sofurin22" /> ** [[フェアリーテール (ブランド)|フェアリーテール]] (FAIRYTALE) ** [[カクテル・ソフト]] (COCKTAIL SOFT) ** RED-ZONE(レッドゾーン) ** F&C FC01 ** F&C FC02 ** 株式会社[[シャルラクプラス]] * 株式会社[[エフォルダム]](AKABEiSOFT2系列)<ref name="sofurin22" /> ** エフォルダムソフト(有限会社AKABEiSOFT2 東京開発室) *** エフォルダムソフトcrown ** あっぷりけ(有限会社AKABEiSOFT2 第3開発事業部) * 株式会社エムトリックス<ref name="eizorin22" /><ref>コンピュータソフトウェア倫理機構賛助会員[http://www.sofurin.org/htm/member/san.htm]</ref> ** Jelly Bean ** ぴいちぐみ ** BLUE JELLY ** Arianrhod * 有限会社エレメント<ref name="sofurin22" /> ** [[エスクード (ゲームブランド)|エスクード]] * 株式会社エンタコン<ref name="eizorin22" />(旧・株式会社ニューラル) ** [[CLOCKUP (ブランド)|CLOCKUP]] *** CLOCKUP team.DYO *** CLOCKUP team.ANISE *** CLOCKUP team.LILAC *** C.C.CLOCKUP *** クロックアップ企画 ** [[銀時計 (ブランド)|銀時計]] ** parade * 株式会社エヴィ ** evee * 有限会社エンターエッヂ<ref name="sofurin22" /> ** SKUNKWORKS ** :co/on * 株式会社オメガビジョン<ref name="sofurin22" /> ** [[Navel]] ** Lime * 株式会社オーディン<ref name="eizorin22" /> ** [[わるきゅ〜れ]] === か行 === * 有限会社[[CUFFS]]<ref name="sofurin">一般社団法人コンピュータソフトウェア倫理機構会員一覧[http://www.sofurin.org/htm/member/index.htm]</ref> ** CUFFS ** Sphere ** CUBE * 有限会社吉召ソフト屋しゃんばら<ref name="sofurin"/> ** ピンキィソフトMMM * 株式会社[[キッチンガイズファクトリー]]<ref name="sofurin"/> ** [[OVERDRIVE (ブランド)|OVERDRIVE]] * 有限会社キャラ<ref name="sofurin"/> ** [[ソフトハウスキャラ]] * 株式会社[[キルタイムコミュニケーション]]<ref name="eizorin">一般社団法人映像倫理機構会員一覧[http://www.eizorin.or.jp/members.html]</ref> ** ミルフィーユ * 有限会社クアードラ<ref name="sofurin"/> ** STARGAZER ** My Daughter ** Bitter half ** ぷちぱるふぇ ** Chien * クオリティコンフィデンス株式会社 ** [[etude]] ** eufonie ** [[Ricotta]] ** [[STREGA]] ** COMFORT(コンシューマー向けブランド) * 有限会社くくり<ref name="sofurin"/> ** [[チュアブルソフト]] * 有限会社クライン<ref name="sofurin"/> ** [[KLEIN (ゲームブランド)|KLEIN]] * 株式会社クリアブルーコミュニケーションズ<ref name="sofurin"/> ** [[Purple software]] ** WHITESOFT ** しとろんソフト * 株式会社クリアレーヴ<ref name="sofurin"/> ** [[ぱれっと (ゲームブランド)|ぱれっと]] ** バグシステム ** Lamia ** 娘娘 * 株式会社グリーンウッド(国立市)<ref name="sofurin"/> ** [[すたじお緑茶]] * 株式会社グリーンウッド(三鷹市)<ref name="sofurin"/> ** [[light (ゲームブランド)|light]] * 株式会社[[グリフォン (企業)|グリフォン]] ** Studio MGCM * 合同会社クローバーソフトウエア<ref name="sofurin"/> ** [[ALcot]] *** ALcotハニカム * 株式会社KUROGANE<ref name="sofurin"/> ** TABOO * 株式会社CROSSOVER<ref name="sofurin"/> ** とりぷる・すれっと ** スタッフィング ** ファイヤワークス ** include * 有限会社クロン ** [[千世 (アダルトゲームブランド)|千世]] * 有限会社グングニル<ref name="sofurin"/> ** [[Innocent Grey]] ** Noesis * 株式会社[[ケー・ティー・ファクトリー]]<ref name="sofurin"/> ** AMBER(アンバー) * 株式会社言語社 ** Sputnik ** bitterdrop * 株式会社[[コアマガジン]]<ref name="sofurin"/> ** メガロマンス * 株式会社コンテンツトラフィック ** [[ディーオー]] (D.O.) ** [[ZyX]] ** 株式会社[[シーディーブロス]]<ref name="sofurin"/> * 有限会社東風<ref name="sofurin"/> ** ASOBELL ** パティスリー * 有限会社コネクト・ウィザード<ref name="sofurin"/> ** すみっこソフト * 有限会社コミック<ref name="sofurin"/> ** ApRicoT * 合同会社崑玉 ** たぬきそふと * 株式会社コタプロダクション ** ソクラテス * 株式会社コロン ** I.D. ** P.W. * 合資会社[[コンプリーツ]]<ref name="sofurin"/> ** オーサリングヘブン ** コンプリーツ ** クロストーク === さ行 === * 株式会社彩牙<ref name="sofurin"/> ** [[RusK]] ** ゆ〜かりそふと * 有限会社[[サイバーワークス]]<ref name="sofurin"/> ** TinkerBell ** Wendy Bell * 有限会社ジーエスライン  ** abelia ** しゃくなげ * 有限会社[[ジェリーフィッシュ (ゲームメーカー)|ジェリーフィッシュ]]<ref name="sofurin"/> * [[システムソフト・アルファー]]株式会社 ** [[ユニコーン・エー|unicorn-a]] *** あねせん *** Ark Shell *** げーせん18 *** unicorn-b * 株式会社シャルトリュー (Chartreux)<ref name="sofurin"/> ** [[Rosebleu]] * 有限会社シューティングスター ** Athena * 株式会社シュピール<ref name="sofurin"/> ** TAKE OUT ** Love Juice ** [[オーバードーズ (ゲームブランド)|オーバードーズ]] ** Witch Flame ** 濡汁 ** 鬼畜野郎 ** トリプルエックス ** ミスリルソフトウェア ** A'sRing * 株式会社[[スクウェア (アダルトゲーム会社)|スクウェア]]<ref name="sofurin"/> ** U・Me SOFT ** ソフトウェアハウスぱせり * 株式会社[[ズー (会社)|ズー]]<ref name="eizorin"/> ** [[Norn]] ** [[Miel (ゲームブランド)|Miel]] ** Cybele * 有限会社スケアクロウ<ref name="sofurin"/> ** [[アボガドパワーズ]] * 株式会社スカイドッグエンタテインメント ** STUDIO邪恋 * 合資会社スカイ・フィッシュ<ref name="eizorin"/> ** [[SkyFish]] * 株式会社スクルズ ** つるみく * 株式会社スタークロス ** CASSIOPEIA(ぺんしるパーティーブランド) ** NONSUGAR * 合資会社スタジオエア ** StudioAir * 株式会社スタジオ・エゴ<ref name="sofurin"/> ** [[Studio e.go!]] ** Blue Impact * 合同会社スタジオ九尾<ref name="sofurin"/> ** [[ninetail]] ** dualtail ** tritail * studio blanket<ref name="sofurin"/> * 有限会社スタジオナレッジ<ref name="sofurin"/> ** [[Fizz]] * 株式会社スタジオパンドラ<ref name="sofurin"/> ** LOST SCRIPT * スタジオペールアクア ** Gipsy * スタジオ・ルクス ** ルクス ** Psy-chs * 有限会社スタック<ref name="sofurin"/> ** [[オーバーフロー (ブランド)|オーバーフロー]] (Overflow) * 株式会社STEP・IN ** Blue Topaz * 株式会社[[ストーンヘッズ]]<ref name="sofurin"/> ** PIL ** CODEPINK * 株式会社[[スペースプロジェクト]]<ref name="sofurin"/> / 株式会社広美<ref name="sofurin"/> ** JANIS ** SPEED ** Ciel ** Puzzlebox ** hourglass * 合同会社スマイルソフトウェア<ref name="sofurin"/> ** 筆柿そふと * 株式会社7COLORS<ref name="sofurin"/> ** Twinkle * 有限会社センキ(アトリエ・センキ)<ref name="sofurin"/> ** [[Waffle (ゲームブランド)|Waffle]] * 有限会社セルウィッシュ<ref name="sofurin"/> ** [[AXL (ブランド)|AXL]] * 株式会社[[XERO]]<ref name="sofurin"/> ** XANADU ** めろめろキュート ** C:drive. ** onomatope* * 株式会社ソルジャーブルー<ref name="sofurin"/> ** [[ねこねこソフト]] ** [[コットンソフト]] === た行 === * 株式会社TOUCHABLE <ref name="sofurin"/> ** [[TOUCHABLE]] * 株式会社[[チャンピオンソフト]]<ref name="sofurin"/> ** [[アリスソフト]] ** Alice Blue * 株式会社[[デジアニメ・コーポレイション|デジアニメ]]<ref name="sofurin"/> ** digi Anime ** AbelSOFTWARE ** Cain ** Red Label ** DisAbel * 有限会社テトラテック ** TETRATECH * ティラミスヴィラ * 有限会社ティーツー<ref name="eizorin"/> ** ピンパイ ** ピンパイジューシ * 株式会社[[テックアーツ]]<ref name="eizorin"/> ** [[May-Be SOFT]](有限会社リエーヴル) ** [[MBS TRUTH]] ** [[SQUEEZ]] ** [[G.J?]] ** OLE *** OLE-M ** Tech Arts 3D * 株式会社でぼの巣製作所<ref name="sofurin"/> ** [[でぼの巣製作所]] ** Silksoft(販売は[[アーカムプロダクツ]]株式会社) * 株式会社トゥインクルクリエイト<ref name="sofurin"/> ** [[ひよこソフト]] * 株式会社トラスロッド・ジャパン<ref name="sofurin"/> ** [[Whirlpool (ゲームブランド)|Whirlpool]] === な行 === * 株式会社ナイトウィンド ** [[シルキーズプラス]] ** シルキーズSAKURA * 株式会社ナゲッツ<ref name="sofurin"/> ** CATTLEYA * 株式会社和<ref name="sofurin"/> ** 縁 -yukari- * 株式会社日商総合企画<ref name="sofurin"/> ** [[BISHOP]] * 株式会社[[ニトロプラス]] <ref name="eizorin"/> ** Nitro+(ニトロプラス) ** [[Nitro+CHiRAL]](ニトロプラスキラル) * [[Nail]] ** Nail Sharp * 株式会社[[ネクストン]] (NEXTON)<ref name="sofurin"/> ** [[PSYCHO (ブランド)|PSYCHO]] ** [[Tactics (ブランド)|Tactics]] *** Tactics*Latte *** Tactics Luxury ** SCORE *** しゅこあ! ** [[BaseSon]] *** BaseSon SPICE* ** Liquid ** PL+US ** RaSeN ** Nomad * 株式会社No Company ** HARUKAZE * 有限会社ノーツ<ref name="sofurin"/> ** [[TYPE-MOON]] === は行 === * 株式会社葉月<ref name="sofurin"/> ** [[オーガスト (ブランド)|オーガスト]] ** [[ARIA (ゲームブランド)|ARIA]](コンシューマー向けブランド) * 株式会社パムソフト<ref name="sofurin"/> ** Rabbit * 有限会社ビーアイコミュニケーションズ ** [[Cyc (ブランド)|Cyc]] ** Cyc ROSE ** WHITE Cyc ** Rainbow Cyc * 株式会社ピーエムワークス <ref name="eizorin"/> ** Moviendo * 有限会社ピースソフト<ref name="sofurin"/> ** PeasSoft * 株式会社ビジネスパートナー<ref name="sofurin"/> ** [[ライアーソフト]] (Liar-soft) *** レイルソフト (raiL-soft) * 株式会社[[ビジュアルアーツ]]<ref name="sofurin"/> ** [[AMEDEO]] *** Kur-Mar-Ter ** [[Bonbee!]] ** catwalk *** catwalk NERO *** [[ocelot]](一般向けブランド) ** [[CONCEPT (ゲームブランド)|CONCEPT]] ** [[Frill]] ** [[Key (ゲームブランド)|Key]] ** mana ** pekoe ** [[RAM (ブランド)|RAM]] ** [[SAGA PLANETS]] ** [[Spray (ゲームブランド)|Spray]] ** [[ZERO (ブランド)|ZERO]] ** 有限会社エルシーナ *** Lapis lazuli ** 株式会社ぐーぱんち *** [[13cm]] *** 130cm *** 13cc ** シリウス ** のると ** [[はむはむソフト]] ** 人形遊戯舎 ** 合資会社メイクハート *** [[裸足少女]] ** [[プレイム]] (PLAYM) ** [[スタジオメビウス]] ** [[Studio Ring]] ** ZION * 株式会社ひつじぐも ** スマイル戦機 * 株式会社ブームスタイル ** GLacé ** Galette * 合資会社ファーストリーム ** flap ** HighRunning * 有限会社ファインモーション ** SherbetSoft * 有限会社フェイバリット<ref name="sofurin"/> ** [[FAVORITE (ゲームブランド)|FAVORITE]] * 有限会社フィックス ** H.W.Lab(ウエスト研究所)、Trush * 株式会社フォーナイン ** シロップ * 株式会社フューチャーリンク ** FOUNDATION * 株式会社FLAT ** FLAT ** BOOST5 ** FLATZ * 有限会社プラネッツ<ref name="sofurin"/> ** [[ま〜まれぇど]] * 株式会社ブランエール<ref name="sofurin"/> ** [[クロシェット]] * 有限会社フリーフルソフト<ref name="sofurin"/> ** [[Q-X]] * 有限会社ブルークレフ ** Symphony * 有限会社[[ブルーゲイル]]<ref name="sofurin"/> ** BLUE GALE ** ブルゲON DEMAND ** ブルゲLIGHT ** LAPIS BLUe. * 有限会社ブルースカイ<ref name="sofurin"/> ** 野良うさぎ ** DERUT! ** ぱちぱちそふと ** ソフトハウスSORA * 株式会社[[フロントウイング]]<ref name="sofurin"/> ** FrontWing * 株式会社プロジェクトマーズ ** LevoL * 株式会社[[ベースユニット]]<ref name="sofurin"/> ** 蛇ノ道ハ蛇ソフト ** 脳内彼女 ** Heat-Soft ** Eroro * 株式会社ぺんしる(プロダクションぺんしる)<ref name="sofurin"/> ** [[ぱじゃまソフト]] ** ぷちぱじゃま ** ぱじゃまエクスタシー ** Lillian ** bootUP! ** SEVEN WONDER(合同会社トライスター) ** Aries ** CASSIOPEIA ** Pink Tissue * 株式会社ホークアイ<ref name="sofurin"/> ** [[みなとそふと]] ** みなとカーニバル ** ホエール * 株式会社ボーントゥ<ref name="sofurin"/> ** LOSE * 有限会社ポジション<ref name="sofurin"/> ** [[TRYSET]] * [[ホビボックス]]株式会社<ref name="eizorin"/> ** [[キャラメルBOX]] ** Comet * Holicworks株式会社<ref name="eizorin"/> ** LOVEDELIVERY ** TYRANT ** judith * 株式会社ホワイトピジョンワークス<ref name="eizorin"/> ** [[ルナソフト]] === ま行 === * 株式会社まどか<ref name="sofurin"/> ** [[美蕾]] ** たるたるもにゃー * 有限会社[[マリゴールド]]<ref name="sofurin"/> ** ルネ *** ルネ Team Bitters *** ルネ loves K *** ルネ featuring D ** ネル ** マリン ** アンダームーン ** オーバードーズ ** タイガーマンプロジェクト * 株式会社まるいち<ref name="sofurin"/> ** だんでらいおん * [[Marron]]<ref name="sofurin"/> * 株式会社ミノリ<ref name="sofurin"/> ** [[minori]] * 有限会社ミマス ** クリムゾンSS ** 5bit * 株式会社美遊<ref name="sofurin"/> * 株式会社[[ミンク (企業)|ミンク]]<ref name="sofurin"/> ** M de PINK ** M no Violet ** M na RED ** M ni AQUA * 有限会社[[ムーン (ゲーム会社)|ムーン]]<ref name="sofurin"/> ** TOMATO ** ビタミン ** 祭企画 ** スタジオカメ ** ルナティック ** イノヘッドスタジオ * 株式会社ムーンストーン<ref name="sofurin"/> ** [[MOONSTONE]] *** MOONSTONE Cherry * ムーンフェイズ株式会社<ref name="sofurin"/> ** [[ケロQ]] ** [[枕 (ゲームブランド)|枕]] * 有限会社ムーンパロット ** [[An*tique]] * 有限会社メディアクルーズ<ref name="eizorin"/> ** H℃ * 有限会社[[メディアボックス (ゲーム会社)|メディアボックス]]<ref name="sofurin"/> ** MAIKA * 株式会社moby-dick ** [[CIRCUS (ブランド)|CIRCUS]]<ref name="sofurin"/> * モアデジタルエンタテインメント株式会社<ref name="sofurin"/> ** [[MORE (ゲームブランド)|MORE]] * 株式会社モノクローマ<ref name="sofurin"/> ** 天狐 ** [[Littlewitch]](リトルウィッチ) *** Littlewitch velvet * 有限会社モフモフ<ref name="sofurin"/> ** [[Inspire (ゲーム)|Inspire]](インスパイア、いんすぱいあ) - 現在の名義は「PHASE」。 ** FG * 株式会社森田商店<ref name="sofurin"/> ** [[あいりゅ]] ** [[アイル (ゲームブランド)|アイル]] ** アイン === や行 === * 株式会社U.L.B<ref name="sofurin"/> ** Potage * 株式会社ゆゑ ** Exception * 株式会社ユニファン<ref name="eizorin"/> ** little cheese * 株式会社ユノス ** [[ゆずソフト]] * 株式会社YourGames === ら行 === * [[ライドオンワークス]]株式会社(旧・株式会社瑞インターナショナル)<ref name="sofurin"/> ** NOIR ** ふくろう ** BIANCA ** LIEBE ** フェレット * 有限会社ラズエル<ref name="sofurin"/> ** [[Lass]] * [[LOVERSOUL]] * 合同会社ランシャン ** Eleonora ** TRICK STAR * 株式会社ランバ・アミューズ<ref name="sofurin"/> ** BLACK Cyc ** CYCLET * 有限会社ランプオブシュガー<ref name="sofurin"/> ** [[Lump of Sugar]] * 有限会社リバティソフトウェアプロダクツ<ref name="sofurin"/> ** 覇王 ** MILKCROWN ** 白濁系 ** 桃源郷 * 有限会社リップオンヒップ ** 匠 ** TearDrop * 有限会社ルートツー<ref name="sofurin"/> ** [[Triangle (ブランド)|Triangle]] ** Delta ** Trois ** Drei * 株式会社root nuko<ref name="sofurin"/> ** root nuko * 株式会社RAID<ref name="sofurin"/> ** 株式会社[[MASTERUP]] *** 黒雛 *** 桃雛 *** 萌雛 *** 暗黒劇場 *** 桃色劇場 *** 熟れ専 *** 可憐ソフト *** EROTICA BLACK *** EROTICA PEACH *** 極フェロ *** 桃フェロ *** おとこの娘倶楽部 ** Yatagarasu * 有限会社レインソフトウェア<ref name="sofurin"/> ** RAIN SOFTWARE ** BLACKRAINBOW ** cyon ** SUNLITE ** Singing Canary * 合同会社レガート<ref name="sofurin"/> ** Cross over * 株式会社RED FLAGSHIP ** Prim Rose * ロータス ** [[DIVA (ゲームブランド)|DIVA]] * 株式会社ロボプランニング<ref name="sofurin"/> ** [[HOOKSOFT]] *** SMEE *** THE JOLLY ROGER ** [[ASa Project]] * 合同会社ロングショット ** 10mile === わ行 === * 株式会社ワークマン (Reactor)<ref name="sofurin"/> ** [[Kiss (ブランド)|Kiss]] ** Kiss-MA ** Pleats soft ** Hatena ** オレンジペコ * 株式会社ワイアーヘッド ** Digital Cute * 株式会社ワンポイント<ref name="sofurin"/> ** eRONDO == 同人メーカー・ブランド == * Sage(サージュ)<sup>#</sup> * 合名会社スタジオミルク ** [[私立さくらんぼ小学校]]<sup>#</sup> ** 私立さくらんぼ乳学校 * 有限会社クレージュソフトウェア ** [[ソフトさ〜くるクレージュ]] ** [[クレージュA]] * 有限会社ハッピーメイク ** Parthenon(パルテノン) ** Parthenon ZERO(パルテノン ゼロ)'' * sol-fa-soft(ソルファソフト)<sup>#</sup> * 株式会社煉瓦社 ** [[ピンポイント]](pin-point) * 株式会社チアソル ** Shining Star ** 神無月製作所・妻魅組 ** Bud of Maiden ** Software circle Mercure ** Magical☆Girl ** レオナルド研究所 * 株式会社フレイル ** モーニングスター * 水鏡 ** BLUEWATER == かつて存在したメーカーとそのブランド == {{節スタブ}} 活動停止に至った経緯(メーカーの事業撤退、統廃合、解散)は区別しない。また、現存メーカーの一部ブランドの活動停止は含めない。 {{dl2 | あ行 | * 株式会社[[アアル (企業)|アアル]] ** r. (Aaru) ** ぴよぴよ組 * 有限会社アイス ** KIT ** Juice * [[アーカムプロダクツ]]株式会社 ** ** TEAM暗黒媒体 ** カニスキー * [[イーアンツ]]有限会社 ** エイチソフト ** STUIDO Kinky ** Noise ** ティラミスヴィラ *** リボンマジック ** [[ティアラモード]] ** サンダルダッシュ * 株式会社[[アークライト (企業)|アークライト]] ** BLACK LIGHT ** OUTGROW ** [[TerraLunar]] ** ALTERNA * アールエスケイ株式会社(ドット企画) ** Regulus * I.S.C. ** キュイッス * 有限会社アイビックス/有限会社フリーウェイ ** MAGI ** Concerto ** Journey * 合同会社アイリスデザインワークス ** AURORA * 合名会社ハイクオソフト<ref name="sofurin"/> ** [[ハイクオソフト]] * [[アスキー (企業)|アスキー]] * artifact(アーティファクト) ** ムー一座 * [[アクアハウス (ゲーム会社)|アクアハウス]] ** AQUAHOUSE ** Serene ** Chiffon ** ヘリオス ** マリンハート * 有限会社アクアリウム ** AQUARIUM、しーくえんす * 有限会社アクセル ** [[Selen (ゲームブランド)|Selen]] * 株式会社アグリー ** [[ちぇりーそふと]] - スタッフの一部がArtに移行。 * 株式会社[[アシッド (企業)|アシッド]] **ミラージュ (mirage) ** ファイアージュ ({{Unicode|φâge}}) * [[アセンブラージュ]]株式会社 ** INDIGO ** CARMINE * 株式会社[[アップルパイ (ゲーム会社)|アップルパイ]] * 株式会社アニゼッタ ** アニゼッタ * 株式会社アポロンクリエイト ** SAINT * 有限会社アルケミー ** グーテンターク ** すもも ** みるくぱい ** DISTORTION ** DARKROSE ** GRACIOUS * 株式会社アルテシア ** ALTACIA、A2、プラチナソフト * 有限会社アライブ ** UNDEAD ** かすたーど * 有限会社アルテミス ** [[Witch]] ** Katze * 株式会社アルファ ** [[にくきゅう]]、OUTLAW * 有限会社アレックス ** ScooP * Ange - 「[[KO世紀ビースト三獣士]]」のマトリクスの関連ブランド。 ** ソルシエール * 有限会社iseriA ** Hecate * 株式会社イデア・コム ** [[aias (アダルトブランド)|aias]] * 株式会社インターアパレル ** [[TAIL WIND]] *** TAIL SKID * 株式会社WIZ ** R-RATE、STUDIOねこぱんち * ウェンディマガジン ** ミスティ ** FrontHook * 有限会社ウラン ** URAN ** telluru * 有限会社エイアイアール ** HYPERSPACE、GAIA、VEGA、Tablet、DEVIL’S WORKS * [[宇宙企画]] * [[h.m.p]] ** Sepia * 有限会社エクスト ** Guts! * 株式会社エクセレンツ ** フォア・ナイン、apricot、デザイアー ** M’s、パールソフト、ピストンソフト ** SealStaff * エスアイエスプランニング ** [[emu]] * [[エニックス]] * 株式会社[[エルフ (ブランド)|エルフ]] ** エルフ ** [[シルキーズ]] * 株式会社[[エンターグラム]] ** [[戯画 (ブランド)|戯画]] ** [[PINK CLOVER]] * [[エンターブレイン]] ** [[TECH GIAN]] * 桜桃書房 ** 淫・SIDE、桜桃メディアラボ * [[オークラ出版|オークランド]] ** Milky Farm、スピカ * オー・パーツ ** [[あんく]] ** ぷちあんく ** タリスマン * 有限会社オーバー ** [[すたじおみりす]] * 有限会社オプト ** Factor | か行 | * 有限会社ガールズソフトウェア ** GIRL’S SOFTWARE * [[ガイナックス]] * 有限会社カスタム ** カスタム * 合資会社カスタムソフトウェア ** CustomSoftware * 河童堂 * [[角川書店]] ** [[WellMADE]] * 合資会社ガド・ティグレ ** [[ABHAR]] - 製作スタッフ等によってTrumpleが設立されている。 *** ABHAR Tronc *** ABHAR Rousalka *** ABHAR Tabby * 合資会社カレイドスコープ ** maple、wing、ハチミツ * 有限会社キャリエール ** [[キャリエール]] * キューティーリソース ** [[LIBIDO]] * [[九鬼 (アダルトビデオ)|KUKI]] * 株式会社[[CROSSNET]] ** CROSS NET ** EVE * 有限会社クロムウェル ** 戯作座/メルロー * [[クリスタル映像]] ** CRYSTAL VISION * [[グレイト (企業)|グレイト]] ** PLUM * 有限会社クラフトハイル ** LOVE-GUN * 有限会社[[グランブルー (ゲーム会社)|グランブルー]] * [[ゲオ]] * [[コーエー|光栄マイコンシステム]] * [[コスモスコンピューター]] ** ルナーソフト ** WEAPON ** RISE | さ行 | * [[サークル文庫|サークル出版社]] ** DALL、ADNiS * [[サイバーフロント]] ** [[KID (ゲームブランド)|KID]] * 株式会社[[彩文館出版]] - アダルトゲーム事業をエスデジタルに移管。 ** Bunny Pro ** Scramble HOUSE * [[サイレンス (ゲーム会社)|サイレンス]] ** ソニア ** シークラス * 株式会社[[ザウス (ブランド)|ザウス]] (XUSE)<ref name="sofurin"/> ** Xuse * 株式会社サカモト ** [[GROOVER (ゲームブランド)|GROOVER]] * 有限会社サンウェスト ** eelcom、Ralf * 株式会社三和 ** GASTRO * [[CSK (企業)|CSK]] ** LOVECOM - [[東映ビデオ]]との提携ブランド。 * 有限会社シーライオン ** Pochette * JADE ** Saphir、ケルト、フルーツ * SYSTEM HOUSE OH! * シャイ企画 ** EDEN * 株式会社[[ジャスト (ブランド)|ジャスト]] ** JAST ** ティアラ ** Angel Hearts * [[ジャパンホームビデオ]] ** [[アリスJAPAN]] * 株式会社[[ジャム・クリエーション]] ** ainos ** AQNOS ** でこポン! * 有限会社[[シルバーバレット]] ** Silver Bullet ** カウパー (COWPER) ** [[Meteor]](元はナインプラネッツのブランド) * [[スクウェア (ゲーム会社)|スクウェア]] - 上記の存続しているの[[スクウェア (アダルトゲーム会社)]]は別の会社。 * [[スタークラフト (ゲーム会社)|スタークラフト]] ** STUDIOみるく * 有限会社[[スタジオOX]] ** NEON、ISF * スタジオオフサイド ** ポニーテールソフト ** [[MEGAMI]] * 合資会社スタジオズー ** LiFox * 有限会社[[スタジオライン]] ** [[Terios]] ** [[CALIGULA]] ** Gash * ストライカー ** くりーむソフト * スパイスソフト * 株式会社ゼウス ** Jupiter * 有限会社セグエラボラトリー * [[セタ (企業)|セタ]] * 雪月花ソフトウェア株式会社 ** 雪月花ソフトウェア ** 乱蝶姫 * 株式会社セブンエイト ** [[DISCOVERY (ゲームブランド)|DISCOVERY]] (REBORN from 2000) ** ディスカバリーマーズ ** もーにんぐ ** 汁・ザル * 有限会社[[セルワークス]] / 株式会社ピックス ** ALL-TiME * 全流通 ** スタジオエンジェル ** グローサー * [[ZONE (ゲームメーカー)|ZONE]] * 有限会社ソシエッタ ** [[ソシエッタ代官山]] ** [[Active (アダルトゲームブランド)|Active]] ** くるりアクティブ | た行 | * 有限会社ターニング・ポインツ ** ペパーミントKids * 有限会社[[ダイス (ゲーム会社)|ダイス]] ** evolution * ダイナミックプロダクション * タキ・コーポレーション ** ウィッシュボーン * 株式会社タケ・ビジョン ** [[West Vision]] ** [[あんでる]]/C-side/Esport * 辻事務所 ** AGUMIX ** アルシーヴ * 株式会社[[ディール (ゲーム会社)|ディール]] ** Tarte - 倒産後、RococoWorks設立。 ** Tail ** ぷらす+てぃっく ** Anemone ** Raccoon * [[デービーソフト]] ** マカダミアソフト * 有限会社デジタルネットワークサービス ** Infinity∞ * ドゥジーン ** 公爵 * [[トータル・メディア・エージェンシー]] ** Peach * ドールハウス * [[徳間書店インターメディア]]株式会社 ** テクノポリスソフト(GAMEテクノポリス) * トライアド ** 猫球、オムニ舎 * ドリームジャパン ** D-Angel | な行 | * ナインプラネッツ ** Meteor - ナインプラネッツのブランドとしては解散しスタッフはCometを設立。 * [[加賀電子|ナグザット]] ** 幻ウェア * 株式会社ナスカークラフト ** IXIA * [[日本ファルコム]] * [[日本物産]]株式会社 ** SPHINX * 日本プランティック | は行 | * [[ハドソン]] * ハート電子産業株式会社 - 株式会社[[ILLUSION (ゲームブランド)|アイワン]]に移行。 ** ハートソフト * [[ハード (アダルトゲームブランド)|ハード]] * バードランド ** Blucky、[k]RIMZON FAKE * 株式会社バーサーカー ** BERSERKER、ペルシャソフト * 株式会社BasiL Software ** [[BasiL]] * 株式会社パスカルツー ** [[ボンドソフト]] * [[パソコンショップ高知]] * 有限会社バニラ ** UNCANNY! * 有限会社ぱにっく ** P-factory * 有限会社ハンズ ** MESA * 有限会社[[ぱんだはうす]] * 有限会社ビーアイジー ** SARANG * 株式会社ヒュー ** [[colors (企業)|colors]] ** Mosaic ** vivid * [[ファミリーソフト]] * フォーサイト ** iris * 株式会社フォリオ ** TOP ** Rolling Star * 有限会社フルール ** Muscadet ** HammerHeads ** Mignonne * 有限会社フレンズ ** フェイス、Spiral * 有限会社プラス ** Studio Ebisu * [[ブロッコリー (企業)|ブロッコリー]] ** [[La'cryma]] - 事業譲渡。 * ピーズサイテック - ソフト販売事業を[[彩文館出版]]に移管。 ** ACID PLAN * [[ビデオシステム]] * ビットデザイン有限会社 ** mixwill soft ** [[TEATIME]] ** FULTIME * [[姫屋ソフト]] ** [[シーズウェア]] * 有限会社ヒルフィールド ** EasyMode * 株式会社[[ペーパームーン (アニメショップ)|ペーパームーン]] ** SQUADRA D * 有限会社ペンギンワークス * [[魔法 (ゲーム会社)|ホームデータ]] * [[ポニーキャニオン|ポニー]] ** PONYCA * 有限会社ホワイトローズ<ref name="sofurin" /> ** [[feng]] | ま行 | * マイアミソフト * マイハーベスト ** Harvest * 株式会社[[ハッカーインターナショナル|マップジャパン]] ** エアプランツ * まんぼう小屋/C-Lab ** SOUP * ミスリル ** [[月面基地前]] | や行 | * 株式会社ヤクト ** Aile * 有限会社[[フライングシャイン]]<ref name="sofurin"/>/株式会社メガリスソフト ** FlyingShine ** FlyingShine黒 ** FlyingShine寿 ** FlyingShine犬 ** らぱぷる ** Axis * 有限会社ユーコム ** UCOM、for | ら行 | * 株式会社ラクジン ** スタジオ神楽 ** R/A software * [[ラナップ]] ** ピーチソフト * 有限会社リッツ ** ギミックハウス ** リンガーベル * リバース・イメージ・クリエイション ** VOICE * 株式会社[[ルーン (ゲーム会社)|ルーン]] ** CAGE ** pianissimo ** RUNE * 有限会社レイヴ ** RAVE * 株式会社レイジングカンパニー ** Nouvelle * るんるんそふと * Regrips ** サークルO.S.I * tumugi }} == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[アダルトゲーム一覧]] * [[ゲーム会社一覧]] - 一般作品を製作している企業・ブランド <!--* [[Wikipedia:ウィキプロジェクト 美少女ゲーム系/未筆メーカー]] - 未執筆リスト--> == 外部リンク == <!--* [http://www.9shift.net/pkwiki/index.php?%B9%B1%B5%D7%CA%DD%C1%B4%A4%F2%A1%C1%A5%B9%A5%EC 恒久保全を〜スレ]--> * [http://hirohornet.mad.buttobi.net/ ソフトハウス(18禁ゲーム)リンク]- 個人製作のソフトハウスリスト {{Adultgame-stub}} {{DEFAULTSORT:あたるとけえむめえかあいちらん}} [[Category:コンピュータゲーム関連一覧]] [[Category:アダルトゲームのメーカー・ブランド|*]] [[Category:アダルトゲームブランドの歴史|*]]
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クリーム (バンド)
クリーム(Cream)は、イングランド出身のスリーピース・ロックバンド。 活動期間はたった3年ほどであるがブルース、ポップ、サイケデリアを融合させたサウンドを展開し、ジャズやブルースなどで行われているライブでの即興演奏(インプロビゼーション)をロックに導入した先駆者であり、スタジオ録音で数分だった曲をライブでは10分以上かけて演奏することもあった。また、ワウを流行らせるなど当時の最新機材を駆使した大音量のエレクトリックサウンドから、ジミ・ヘンドリックスと共1960年代におけるハードロックの源流とされるグループの一つであり同ジャンルの基礎を創り上げたとも評されている。 当時既に成功を収めていたバンドで活動していたジャック・ブルース、エリック・クラプトン、ジンジャー・ベイカーの3人が集まって結成されたという経緯から世界初のスーパーグループの1つであると考えられている。 世界でのアルバム総売上は3500万枚以上に及び、 『Wheels of Fire』は世界初のプラチナ認定を受けた2枚組のアルバムとなった。 クリームの楽曲には「Crossroads」や「Spoonful」などの伝統的なブルースを基本としたもの、「Born Under a Bad Sign」などのモダンなブルース、さらにエキセントリックな「ストレンジ・ブルー」「英雄ユリシーズ」「Toad」などがある。 ヒット曲は「I Feel Free」(UK, #11)、 「Sunshine of Your Love」(US, #5)、「White Room」(US, #6),「Crossroads」(US, #28)、 「Badge」などがある。 クリームの音楽性と演奏スタイルは、レッド・ツェッペリンのような1960年代後半以降の英ハードロック・バンド、オールマン・ブラザーズ・バンド、グレイトフル・デッド、フィッシュなどのジャムバンド、マウンテンやフェリックス・パッパラルディらアメリカン・ハードロック、ラッシュなどのプログレッシブ・ロックバンドらにも影響を与えたとされている。しかしジンジャー・ベイカーは音楽誌のインタビューで「クリームがロックだった事は一度もない。あれはインプロヴィゼーション(即興音楽)だ」「レッド・ツェッペリンもヘヴィ・メタルも嫌いだ。巨大アンプの爆音が苦痛で堪らなかったからだ」と、影響を与えてきたヘヴィサウンドについては嫌悪感を示した。 クリームはVH1誌の 100 Greatest Artists of Hard Rock で16位にランクし、また、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第66位となった。 ジンジャー・ベイカーが、ヤードバーズで注目され脱退後ホワイト・ブルースの名門ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズに在籍していたエリック・クラプトンをバンドに誘う。クラプトンは、当時マンフレッド・マンにいたジャック・ブルースをベーシストにするならば、という条件を出す。ベイカーはブルースと非常に仲が悪かったがこの条件を呑み、1966年にデビューする運びとなる。 ブルースが作曲しリード・ヴォーカルを取る曲が多いにもかかわらず、アメリカのレコード会社はクラプトンをプッシュし、クラプトンとそのバックバンドとして売り出すことを提案したが、もちろんバンド側に却下された。ライブ・アルバムを聴けばわかるように、3人は全く対等の高度な演奏力で火花を散らし、強烈なアドリブを繰り広げ、誰かがリーダーシップを取って牽引するというようなことはなかった。わずか2年半の活動で世界を席巻し、1968年に解散するも、後続のミュージシャンに多大な影響を与えた。 1966年の7月、クラプトンはすでにヤードバーズとジョン・メイオール&ブルースブレイカーズでの活動によって、イギリスで第一級のブルースギタリストとしての評判を得ていた。 しかしクラプトンは、メイオール・バンドの環境を窮屈に感じ、新しいバンドで演奏することを求めていた。 1966年に、クラプトンは当時グラハム・ボンド・オーガニゼーション(以下「GBO」と略)のバンド・マスターだったベイカーと出会う。ベイカーのバンドにはジャック・ブルースがベース、ハーモニカとピアノを担当、ディック・ヘクストール=スミスらを擁し、バンドは高度な演奏力を評価されていたがベイカーもまたGBOに息苦しく感じていた。高い人気から看板役でボーカル、オルガン担当のグラハム・ボンドが薬物中毒に陥りその精神不安定と人間関係にうんざりし、ボンドの名を冠するバンドの実態は統率が崩れつつあった。「ジンジャーのことはずっと好きだった」とクラプトンは言う。「ジンジャーは、僕がジョン・メイオールと一緒に演奏するのを観に来た。ライブの後、彼のローバーでロンドンまで送ってくれた。彼の車と運転には感動した。彼は新しいバンドを始めたいと僕に言っていて、僕も同じことをずっと考えていた」。 その後2人は私的な音合わせの機会を重ね互いの演奏技術に感銘を受け、ベイカーの方からクラプトンを、まだ名前のない新しいグループに誘うことになった。クラプトンは即座に受け入れるが、ジャック・ブルースをベースとして迎えることが条件だった。クラプトンによると、ベイカーはその提案に驚くあまり、車をぶつけそうになったという。実は、クラプトンはボーカルにスティーヴ・ウィンウッドを迎えたいという願いもあったそうだ。 クラプトンは1966年3月に短期間ブルースブレイカーズでプレイしていた頃に、ジャック・ブルース(ベース・ギター、ボーカル担当)と会ったことがあった。同時期に2人はアメリカに本社があるエレクトラ・レコードがイギリス進出を果たしその記念の一環として制作した英米バンドのセッション・オムニバス・アルバム『ホワッツ・シェイキン』に参加している。表ジャケットにはカーマ・スートラ・レコード専属人気バンドラヴィン・スプーンフルというエレクトラ社外のバンドが掲載されていた。移籍ではなくこの記念アルバムのためにわざわざ限定契約を交わす気合いの入れようで、支社開設準備とアルバムのイギリス・サイドのプロデュースを担当したアメリカ人ジョー・ボイドも本社に対抗して大胆な奇策を立てた。これがセッション・バンドのザ・パワーハウス で、クラプトンにスペンサー・デイヴィス・グループからスティーヴ・ウィンウッド、ピート・ヨークにマンフレッド・マンのポール・ジョーンズとブルースという若手では実力人気ともにトップのミュージシャンの集結はイギリスにおいて新興エレクトラ・レーベルの宣伝と話題作りに成功した。クラプトンはこのセッション参加共演からブルースのボーカルと楽器演奏腕前に感動し、彼と継続的に活動したいと思ったのであった。 クラプトンは知らなかったのだが、ブルースはボンドのバンドに所属していたものの、ベイカーとは非常に仲が悪いことで有名であった。両人は素晴らしいジャズ・ミュージシャンであり、お互いのスキルを尊敬してはいたが、GBOというバンドでは2人のエゴを押さえ込むには小さすぎた。ボンドの人気からバンド活動を続けることは出来たが、内情に関しては徐々に目立ち始めたボンドの奇行と無気力に加え、ブルースとベイカーの険悪な関係からステージ上では演奏を放棄してケンカを始めたり、一方が楽器をサボるほどであった。ベイカーがブルースにクビを宣告した後もブルースはライブに現れ続けた。最終的には、ブルースはベイカーにナイフで脅されるまでバンドから離れなかった。 にもかかわらずベイカーは、メンバーそれぞれが曲と詩を出し合う、協力的なバンドになることを思い描いていた。バンドは「クリーム」と名付けられた。クラプトンとブルース、ベイカーは、すでにブリティッシュ・ミュージック・シーンにおけるブルースやジャズのミュージシャンの間で「cream of the crop(選りすぐりのもの)」と見なされていたからである。クリームに決定する前には、「Sweet 'n' Sour Rock 'n' Roll(甘酸っぱいロックンロール)」という名前も検討されていた。3人の中で、イギリスの中ではクラプトンがもっとも評判を得ていたが、彼はアメリカでは知られていなかった。「フォー・ユア・ラヴ」がビルボードトップ100にチャートインする前に、ヤードバーズを脱退していたからだ。 クリームの非公式なデビューは、1966年7月29日、マンチェスターのライブハウス「Twisted Wheel」でのギグ。正式なデビューは、2日後の「Sixth Annual Windsor Jazz & Blues Festival」だった。結成間もなく、オリジナルの持ち曲も少なかったが、クリームは熱の籠ったブルースのカバーを演奏し、大観衆を震撼させ、好反響を得た。10月には、ロンドンに来たばかりのジミ・ヘンドリックスが、かねてからファンであったクラプトンとステージでの共演を熱望し、アニマルズのベーシストでヘンドリックスのマネージャーだったチャス・チャンドラーを通して紹介された。 この頃のエピソードとしては、ジミがクリームのステージ上にのぼり、「キリング・フロア」のジャムをしたが、クラプトンはジミの演奏の凄さにぶっ飛び、泣きそうになっていたというものがある。 英米ミュージシャンの交流からステージ演奏ではPAでアンプ・スピーカーが林立し、結成初期のうちに、ブルースがリード・ボーカルをとることが決められた。クラプトンは歌うことを恥ずかしがっていたが、たまにブルースのボーカルにコーラスを付け、そしてそのうちに、"Four Until Late"、"Strange Brew"、"Crossroads"、"Badge"などの主だった曲で、リード・ボーカルを取るようになった。 クリームのデビューアルバム『フレッシュ・クリーム』は、1966年に録音・発表され、イギリスのチャートで6位、アメリカのチャートで39位を記録した。内容は「Four Until Late」、「Rollin' and Tumblin'」(マディ・ウォーターズの曲)、「Spoonful」(ウィリー・ディクスン作曲、ハウリン・ウルフの録音)、「I'm So Glad」、「Cat's Squirrel」など、主にブルースのカバーだった。その他の曲としては、ジャック・ブルース作で作詞は友人のピート ・ブラウンと共作した"I Feel Free" (イギリスでのヒットシングル。アルバムにはアメリカ版にのみ収録) やジンジャー・ベイカー作の"Toad"(ロックのドラム・ソロとしては最も初期の作品)などがある。 初期のクリームは、多くの曲を演奏してみせるタイトなバンドであった。「N.S.U.」や「Sweet Wine」「Toad」などすべての曲は5分程度のバージョンにうまくまとめられた。しかしたった2か月後には、セットリストは短く1曲ずつがぐっと長くなった。スタジオ録音では1967年「ストレンジ・ブルー」からアメリカ人フェリックス・パパラルディをプロデューサーに招聘しアレンジや一部の演奏に携わった。 結成時よりクリームが抱えていた根源的な問題は、ついには1968年11月の解散へ導いた。ブルースとベイカーの対立は、バンドに緊張をもたらした。クラプトンもまた、メンバー同士がお互いの意見を十分に聞かないと感じていた。クラプトンはあるとき、「クリームがコンサートで演奏しているとき、自分が演奏を止めてもベイカーもブルースも気づかない」と語った。クラプトンはまた、クリーム後期のコンサートはメンバーそれぞれの見栄の張り合いだけになっていたと語った。クリームは1968年5月のアメリカツアー中に、解散することを決断した。7月に、アメリカでの解散ツアーとその後ロンドンでの2回のコンサートを最後に解散すると、公式に発表された。クリームは11月4日のロードアイランドでのコンサートでアメリカツアーを終え、11月25日と26日に最後のイギリス公演をロンドンで行った。 クリームの解散後、クラプトンとベイカーは直ぐにブラインド・フェイスを結成。(クラプトンは以前よりクリームにスティーヴ・ウィンウッドを引き込み、ブルースとベイカーの緩衝剤になってもらおうと試みていた)。クラプトンはその後、より即興が少ない方向に演奏の方向性を大きく変え、デラニー&ボニーやデレク・アンド・ザ・ドミノスを経て、ソロとしてのキャリアを進めていった。だが、クラプトンはドラッグと酒におぼれ、1976年には「キープ・ブリテン・ホワイト」という白人主義的な発言に加え、レイシストのイーノック・パウエルを支持する発言を行い、厳しい批判を受けた。 ベイカーは、ブラインド・フェイスを基にジャズ・フュージョンのアンサンブル、ジンジャー・ベイカーズ・エアフォースを結成した。このバンドのメンバーは、ウィンウッド(ボーカル)、元ファミリー~ブラインド・フェイスのリック・グレッチ(ベース)、グレアム・ボンド(サックス)、元ムーディ・ブルースで後にウイングスに加入するデニー・レイン(ギター)であった。一方ブルースは様々なソロワークで成功をおさめ、1969年には『Songs for a Tailor』をリリースした。 1993年にロックの殿堂入りを果たし(プレゼンターはZZトップ)、その場限りの再結成で「サンシャイン・ラヴ」と「クロスロード」「悪い星の下に」の3曲が演奏された。 2005年5月にも、解散前の最後のライヴを行ったロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで、10月にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにおいて、再結成ライブが行われた。 2014年にブルースが71歳で、2019年にはベイカーが80歳で亡くなり、現在メンバーで生存しているのはクラプトンただ1人となった。
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{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照--> | 名前 = クリーム | 画像 = [[File:Cream Band.jpg|320px]] [[File:Cream Clapton Bruce Baker 1960s.jpg|280px]] | 画像説明 = 左よりジンジャー・ベイカー、ジャック・ブルース、エリック・クラプトン | 画像サイズ = 250px | 画像補正 = yes | 背景色 = band | 出身地 = {{ENG}}・[[ロンドン]] | ジャンル = {{Hlist-comma|[[ブルースロック]]<ref name="AM">{{Cite web |first=Richie |last=Unterberger |authorlink=:en:Richie Unterberger |title=Cream Biography, Songs & Albums |url=https://www.allmusic.com/artist/cream-mn0000112462/biography |website=[[オールミュージック|AllMusic]] |publisher=All Media Network |accessdate=2021-11-17 }}</ref>|[[ハードロック]]<ref name="AM" />|[[ポップ・ミュージック|ポップ]]<ref name="AM" />|[[サイケデリック・ミュージック|サイケデリア]]<ref name="AM" />}} | 活動期間 = {{plainlist| * [[1966年]] - [[1968年]] * [[1993年]] * [[2005年]] }} | レーベル = {{Hlist-comma|{{仮リンク|リアクション・レコード|label=リアクション|en|Reaction Records}}|[[ポリドール・レコード|ポリドール]]|[[アトコ・レコード|アトコ]]|{{仮リンク|RSOレコード|label=RSO|en|RSO Records}}|[[リプリーズ・レコード|リプリーズ]]}} | 旧メンバー = {{plainlist| * [[エリック・クラプトン]]([[ギター]]・[[ボーカル]]) * [[ジャック・ブルース]]([[ベース (弦楽器)|ベース]]・ボーカル) * [[ジンジャー・ベイカー]]([[ドラムセット|ドラムス]]) }} }} '''クリーム'''(''Cream'')は、[[イングランド]]出身の[[スリーピース]]・[[バンド (音楽)#ロックバンド|ロックバンド]]。 活動期間はたった3年ほどであるが[[ブルース]]、[[ポップ・ミュージック|ポップ]]、[[サイケデリック・ミュージック|サイケデリア]]を融合させたサウンドを展開し<ref name="AM" />、ジャズやブルースなどで行われているライブでの[[即興演奏|即興演奏(インプロビゼーション)]]をロックに導入した先駆者であり、スタジオ録音で数分だった曲をライブでは10分以上かけて演奏することもあった。また、[[ワウペダル|ワウ]]を流行らせるなど当時の最新機材を駆使した大音量のエレクトリックサウンドから、[[ジミ・ヘンドリックス]]と共[[1960年代]]における[[ハードロック]]の源流とされるグループの一つであり同ジャンルの基礎を創り上げたとも評されている<ref>{{Cite web |url=http://www.tapthepop.net/day/47784 |title=クリームの誕生と解散〜ロック史に新たな潮流を生み出したトリオバンドの強烈なグルーヴと不協和音〜 |publisher=TAP the POP |date=2016-07-16 |accessdate=2018-10-30 }}</ref>。 当時既に成功を収めていたバンドで活動していた[[ジャック・ブルース]]、[[エリック・クラプトン]]、[[ジンジャー・ベイカー]]の3人が集まって結成されたという経緯から世界初の[[スーパーグループ]]の1つであると考えられている<ref>[http://www.musicradar.com/news/guitars/the-worlds-18-biggest-supergroups-203302 Musicradar.com]</ref><ref>[https://edition.cnn.com/2005/SHOWBIZ/Music/05/03/cream.reunion.concert/index.html CNN.com]</ref><ref>[http://www.whereseric.com/news/2005/02/virgin-books-cream-the-worlds-first-supergroup.html Whereseric.com]</ref>。 世界でのアルバム総売上は3500万枚以上に及び<ref>{{Cite web|url=http://www.jackbruce.com/2008/Jack/Jack.htm|title=Jack Bruce - Biography|author=Jack Bruce Music|year=2008|accessdate=2011-04-13}}</ref>、 『''Wheels of Fire''』は世界初のプラチナ認定を受けた2枚組のアルバムとなった<ref name="Cream - the Band">{{cite web|url=http://www.bbc.co.uk/dna/h2g2/A425774|title=Cream - the Band|date=2000-09-20|publisher=[[BBC]]|language=en|accessdate=2008-06-30}}</ref><ref name="classic"/>。 == 概要 == クリームの楽曲には「Crossroads」や「Spoonful」などの伝統的なブルースを基本としたもの、「Born Under a Bad Sign」などのモダンなブルース、さらにエキセントリックな「[[ストレンジ・ブルー]]」「[[英雄ユリシーズ]]」「Toad」などがある。 ヒット曲は「I Feel Free」(UK, #11)、<ref name="classic"/> 「Sunshine of Your Love」(US, #5)、<ref name="RS">{{cite web|title = Cream: Biography: Rolling Stone|work= RollingStone.com|url = http://www.rollingstone.com/artists/cream/biography| accessdate = 2008-07-08}}</ref>「White Room」(US, #6),<ref name="RS"/>「Crossroads」(US, #28)、<ref name="RS"/> 「Badge」などがある。 クリームの音楽性と演奏スタイルは、[[レッド・ツェッペリン]]のような1960年代後半以降の英ハードロック・バンド、[[オールマン・ブラザーズ・バンド]]、[[グレイトフル・デッド]]、[[フィッシュ (バンド)|フィッシュ]]などの[[ジャムバンド]]、[[マウンテン (バンド)|マウンテン]]や[[フェリックス・パッパラルディ]]らアメリカン・ハードロック<ref>{{cite web | title = allmusic (((Black Sabbath > Overview)))| work = Allmusic.com| url = http://www.allmusic.com/artist/black-sabbath-mn0000771438| accessdate = 2008-11-08}}</ref>、[[ラッシュ (カナダのバンド)|ラッシュ]]などの[[プログレッシブ・ロック]]バンドらにも影響を与えたとされている<ref>{{cite web | title = allmusic (((Rush > Overview)))| work = Allmusic.com| url = http://www.allmusic.com/artist/rush-mn0000203008| accessdate = 2008-11-08}}</ref>。しかしジンジャー・ベイカーは音楽誌のインタビューで「クリームがロックだった事は一度もない。あれは[[即興演奏|インプロヴィゼーション(即興音楽)]]だ」<ref>{{Cite web |url=https://drumsmagazine.jp/player/archive-interview%E2%88%92ginger-baker/ |title=Archive Interview−ジンジャー・ベイカー |publisher=リットーミュージック |date=2021.08.19 |accessdate=2021.12.04 }}</ref>「レッド・ツェッペリンもヘヴィ・メタルも嫌いだ。巨大アンプの爆音が苦痛で堪らなかったからだ」と、影響を与えてきたヘヴィサウンドについては嫌悪感を示した<ref>{{Cite web |url=https://nme-jp.com/news/156/ |title=ジンジャー・ベイカー、「ジョン・ボーナムはミュージシャンとも呼べない」とツェッペリンを酷評 |publisher=NME JAPAN |date=2015-06-16 |accessdate=2018-10-30 }}</ref>。 クリームは[[VH1]]誌の ''100 Greatest Artists of Hard Rock'' で16位にランクし、また、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第66位となった<ref name="VH1's 100 Greatest Artists of Hard Rock">{{cite web|url=http://www.vh1.com/shows/dyn/the_greatest/62188/episode_wildcard.jhtml?wildcard=/shows/dynamic/includes/wildcards/the_greatest/hardrock_list_full.jhtml&event_id=862769&start=81|title=VH1's 100 Greatest Artists of Hard Rock (20-1)|year=2000|publisher=[[VH1]]|language=en|accessdate=2008-06-26}}</ref>。 == メンバー == * [[ジャック・ブルース]] (Jack Bruce) - [[ボーカル]]/[[ベース (弦楽器)|ベース]]/[[ハーモニカ]] * [[エリック・クラプトン]] (Eric Clapton) - [[ギター]]/ボーカル * [[ジンジャー・ベイカー]] (Ginger Baker) - [[ドラムセット|ドラムス]] <gallery widths="160px" heights="180px"> Jack Bruce (Cream) on Fanclub 1968.png|ジャック・ブルース Eric-Clapton 1975.jpg|エリック・クラプトン Ginger Baker (Cream) on Fanclub in 1968 (cropped).png|ジンジャー・ベイカー </gallery> == 経歴 == [[ジンジャー・ベイカー]]が、[[ヤードバーズ]]で注目され脱退後[[ホワイト・ブルース]]の名門[[ジョン・メイオール|ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ]]に在籍していた[[エリック・クラプトン]]をバンドに誘う。クラプトンは、当時[[マンフレッド・マン (バンド)|マンフレッド・マン]]にいた[[ジャック・ブルース]]をベーシストにするならば、という条件を出す。ベイカーはブルースと非常に仲が悪かったがこの条件を呑み、1966年にデビューする運びとなる。 ブルースが作曲しリード・ヴォーカルを取る曲が多いにもかかわらず、アメリカのレコード会社はクラプトンをプッシュし、クラプトンとそのバックバンドとして売り出すことを提案したが、もちろんバンド側に却下された。ライブ・アルバムを聴けばわかるように、3人は全く対等の高度な演奏力で火花を散らし、強烈なアドリブを繰り広げ、誰かがリーダーシップを取って牽引するというようなことはなかった。わずか2年半の活動で世界を席巻し、1968年に解散するも、後続のミュージシャンに多大な影響を与えた。 === 結成 === 1966年の7月、クラプトンはすでにヤードバーズとジョン・メイオール&ブルースブレイカーズでの活動によって、イギリスで第一級のブルースギタリストとしての評判を得ていた<ref name="AM"/>。 しかしクラプトンは、メイオール・バンドの環境を窮屈に感じ、新しいバンドで演奏することを求めていた。 1966年に、クラプトンは当時[[グレアム・ボンド|グレアム・ボンド・オーガニゼーション]]<ref group="注釈">日本語表記についてGrahamはグレアムかグラハム、Organisationはオーガニゼーションかオーガナイセションの2通りある。</ref>(以下「GBO」と略)のバンド・マスターだったベイカーと出会う。ベイカーのバンドにはジャック・ブルースがベース、ハーモニカと[[ピアノ]]を担当、[[ディック・ヘクストール=スミス]]らを擁し、バンドは高度な演奏力を評価されていたがベイカーもまたGBOに息苦しく感じていた。高い人気から看板役でボーカル、オルガン担当の[[グレアム・ボンド]]が[[薬物中毒]]に陥りその精神不安定と人間関係にうんざりし<ref group="注釈">[[キーフ・ハートリー]]の聴取をもとに構成した「ブリックヤード・ブルース」(Keef Hartley/Ian Southworth共著、中山義雄訳)でベイカーらが脱退した1967年頃共演した[[ジョン・ハイズマン]](ヘクストール=スミスと[[コロシアム (バンド)|コロシアム]]を結成)は「兼業からプロミュージシャン一本で生活するきっかけをグレアム・ボンドから貰ったがギャラ分配が不透明であるときはボンド本人の負債返済が優先され支払いが無く、ボンドの気ままさで演奏活動は左右されサボタージュを数度起こし対応に追われたり演奏技術上達も望めない状況から他のバンドへ移籍を考え、ひいてはコロシアムを結成するきっかけになった(要約略記)」とボンドとの関係をコメントし、金銭(ギャラ)問題も推測される。</ref>、ボンドの名を冠するバンドの実態は統率が崩れつつあった。「ジンジャーのことはずっと好きだった」とクラプトンは言う。「ジンジャーは、僕がジョン・メイオールと一緒に演奏するのを観に来た。ライブの後、彼のローバーでロンドンまで送ってくれた。彼の車と運転には感動した。彼は新しいバンドを始めたいと僕に言っていて、僕も同じことをずっと考えていた」<ref name="GW">{{Citation|last = McDermott|first = John | author-link =|title = Strange Brew|newspaper = Guitar World magazine|date=November 1997}}</ref>。 その後2人は私的な音合わせの機会を重ね互いの演奏技術に感銘を受け、ベイカーの方からクラプトンを、まだ名前のない新しいグループに誘うことになった。クラプトンは即座に受け入れるが、ジャック・ブルースをベースとして迎えることが条件だった<ref name="classic"/>。クラプトンによると、ベイカーはその提案に驚くあまり、車をぶつけそうになったという<ref>{{cite book| last = Clapton| first = Eric | authorlink = Eric Clapton | title = Clapton: The Autobiography| publisher = Broadway Books| year = 2007| location = New York, United States| pages = g. 74| isbn = 978-0-385-51851-2}}</ref>。実は、クラプトンはボーカルに[[スティーヴ・ウィンウッド]]を迎えたいという願いもあったそうだ。 クラプトンは1966年3月に短期間ブルースブレイカーズでプレイしていた頃に、ジャック・ブルース(ベース・ギター、ボーカル担当)と会ったことがあった<ref name="classic">{{cite video|title = Cream: Classic Artists|medium = DVD|publisher = Image Entertainment|year2 = 2007}}</ref>。同時期に2人はアメリカに本社がある[[エレクトラ・レコード]]がイギリス進出を果たしその記念の一環として制作した英米バンドのセッション・オムニバス・アルバム『[[:en:What's Shakin'|ホワッツ・シェイキン]]』に参加している。表ジャケットには[[カーマ・スートラ・レコード]]専属人気バンド[[ラヴィン・スプーンフル]]<ref group="注釈">イギリスはパイ・レコードからカーマ・スートラUKで販売された。</ref>というエレクトラ社外のバンドが掲載されていた。移籍ではなくこの記念アルバムのためにわざわざ限定契約を交わす気合いの入れようで、支社開設準備とアルバムのイギリス・サイドのプロデュースを担当したアメリカ人[[:en:Joe Boyd|ジョー・ボイド]]も本社に対抗して大胆な奇策を立てた。これがセッション・バンドの[[:en:Eric Clapton's Powerhouse|ザ・パワーハウス]] で、クラプトンに[[スペンサー・デイヴィス・グループ]]からスティーヴ・ウィンウッド、[[ピート・ヨーク]]に[[マンフレッド・マン (バンド)|マンフレッド・マン]]の[[ポール・ジョーンズ (シンガー)|ポール・ジョーンズ]]とブルースという若手では実力人気ともにトップのミュージシャンの集結はイギリスにおいて新興エレクトラ・レーベルの宣伝と話題作りに成功した。クラプトンはこのセッション参加共演からブルースのボーカルと楽器演奏腕前に感動し、彼と継続的に活動したいと思ったのであった。 クラプトンは知らなかったのだが、ブルースはボンドのバンドに所属していたものの、ベイカーとは非常に仲が悪いことで有名であった<ref name="Biography of Cream">{{cite web|url=http://classicrock.about.com/od/bandsandartists/p/Cream.htm|title=Cream|last=White|first=Dave|publisher=[[about.com]]|language=en|accessdate=2008-06-27}}</ref>。両人は素晴らしいジャズ・ミュージシャンであり、お互いのスキルを尊敬してはいたが、GBOというバンドでは2人のエゴを押さえ込むには小さすぎた。ボンドの人気からバンド活動を続けることは出来たが、内情に関しては徐々に目立ち始めたボンドの奇行と無気力に加え、ブルースとベイカーの険悪な関係からステージ上では演奏を放棄してケンカを始めたり、一方が楽器をサボるほどであった<ref name="Biography of Cream"/>。ベイカーがブルースにクビを宣告した後もブルースはライブに現れ続けた。最終的には、ブルースはベイカーにナイフで脅されるまでバンドから離れなかった。 にもかかわらずベイカーは、メンバーそれぞれが曲と詩を出し合う、協力的なバンドになることを思い描いていた。バンドは「クリーム」と名付けられた。クラプトンとブルース、ベイカーは、すでに[[:en:Music of the United Kingdom (1950s and 60s)|ブリティッシュ・ミュージック・シーン]]におけるブルースやジャズのミュージシャンの間で「cream of the crop(選りすぐりのもの)」と見なされていたからである。クリームに決定する前には、「Sweet 'n' Sour Rock 'n' Roll(甘酸っぱいロックンロール)」という名前も検討されていた。3人の中で、イギリスの中ではクラプトンがもっとも評判を得ていたが、彼はアメリカでは知られていなかった。「[[:en:For Your Love|フォー・ユア・ラヴ]]」が[[:en:Billboard Hot 100|ビルボードトップ100]]にチャートインする前に、ヤードバーズを脱退していたからだ<ref name="AM"/>。 クリームの非公式なデビューは、1966年7月29日、[[マンチェスター]]のライブハウス「[[:en:Twisted Wheel Club|Twisted Wheel]]」でのギグ<ref>{{Cite web |url=https://www.udiscovermusic.jp/stories/creams-live-debut-in-the-home-of-northern-soul |title=クリームという名前がついたばかり、1966年夏に行われたバンド初のライヴ |publisher=U discovermusic.jp |date=2018-9-1 |accessdate=2019-8-15 }}</ref>。正式なデビューは、2日後の「Sixth Annual Windsor Jazz & Blues Festival」だった<ref name="classic"/><ref name="claptonauto">{{cite book|last = Clapton|first = Eric|authorlink = Eric Clapton|title = Clapton: The Autobiography|publisher = Broadway Books|year = 2007|location = United States|pages = g. 77| isbn = 978-0-385-51851-2}}</ref>。結成間もなく、オリジナルの持ち曲も少なかったが、クリームは熱の籠ったブルースのカバーを演奏し、大観衆を震撼させ、好反響を得た。10月には、[[ロンドン]]に来たばかりの[[ジミ・ヘンドリックス]]が、かねてからファンであったクラプトンとステージでの共演を熱望し<ref name="classic"/>、[[アニマルズ]]のベーシストでヘンドリックスのマネージャーだった[[チャス・チャンドラー]]を通して紹介された<ref name="classic"/>。 この頃のエピソードとしては、ジミがクリームのステージ上にのぼり、「キリング・フロア」のジャムをしたが、クラプトンはジミの演奏の凄さにぶっ飛び、泣きそうになっていたというものがある。 英米ミュージシャンの交流からステージ演奏では[[Public Address|PA]]で[[マーシャル (アンプ)|アンプ・スピーカー]]が林立し、結成初期のうちに、ブルースがリード・ボーカルをとることが決められた。クラプトンは歌うことを恥ずかしがっていたが<ref>{{cite video|people = Ertegün, Ahmet|title = Classic Albums: Cream - Disraeli Gears|medium = DVD|publisher = Eagle Rock Entertainment|year2 = 2006}}</ref>、たまにブルースのボーカルにコーラスを付け、そしてそのうちに、"Four Until Late"<ref>Cream (1966). ''Fresh Cream''</ref>、"Strange Brew"<ref>Cream (1967). ''Disraeli Gears''</ref>、"Crossroads"<ref>Cream (1968). ''Wheels of Fire''</ref>、"Badge"<ref>Cream (1969). ''Goodbye'' (1969)</ref>などの主だった曲で、リード・ボーカルを取るようになった。 === ''フレッシュ・クリーム'' === クリームのデビューアルバム『[[フレッシュ・クリーム]]』は、1966年に録音・発表され、イギリスのチャートで6位、アメリカのチャートで39位を記録した<ref name="Fresh Cream">{{cite web|url=http://twtd.bluemountains.net.au/cream/fresh.htm|title=Fresh Cream|last=Pattingale|first=Graeme|date=1999-01-17|language=en|accessdate=2008-06-30}}</ref>。内容は「Four Until Late」、「[[Rollin' and Tumblin']]」([[マディ・ウォーターズ]]の曲)、「[[Spoonful]]」([[ウィリー・ディクスン]]作曲、[[ハウリン・ウルフ]]の録音)、「[[I'm So Glad]]」、「Cat's Squirrel」など、主にブルースのカバーだった<ref name="Album Review: Fresh Cream">{{cite web|url=http://www.answers.com/topic/fresh-cream?cat=entertainment|title=Album Review: Fresh Cream|publisher=[[answers.com]]|language=en|accessdate=2008-06-30}}</ref>。その他の曲としては、ジャック・ブルース作で作詞は友人の[[:en:Pete Brown|ピート ・ブラウン]]と共作した"[[I Feel Free]]" (イギリスでのヒットシングル<ref name="classic"/>。アルバムにはアメリカ版にのみ収録) やジンジャー・ベイカー作の"[[Toad (song)|Toad]]"([[ロック (音楽)|ロック]]のドラム・ソロとしては最も初期の作品)などがある。 初期のクリームは、多くの曲を演奏してみせるタイトなバンドであった。「N.S.U.」や「Sweet Wine」「Toad」などすべての曲は5分程度のバージョンにうまくまとめられた。しかしたった2か月後には、セットリストは短く1曲ずつがぐっと長くなった。スタジオ録音では1967年「[[ストレンジ・ブルー]]」からアメリカ人[[フェリックス・パパラルディ]]をプロデューサーに招聘しアレンジや一部の演奏に携わった。 ===解散=== [[ファイル:Cream on Fanclub 1968 (2).png|サムネイル|活動末期 - オランダTV出演時(1968年1月)]] 結成時よりクリームが抱えていた根源的な問題は、ついには1968年11月の解散へ導いた。ブルースとベイカーの対立は、バンドに緊張をもたらした。クラプトンもまた、メンバー同士がお互いの意見を十分に聞かないと感じていた。クラプトンはあるとき、「クリームがコンサートで演奏しているとき、自分が演奏を止めてもベイカーもブルースも気づかない」と語った<ref name="Biography of Cream"/>。クラプトンはまた、クリーム後期のコンサートはメンバーそれぞれの見栄の張り合いだけになっていたと語った<ref>{{cite web|url=http://www.spinner.com/2007/10/08/eric-clapton-chronicles-music-addiction-and-romance-in-new-book/|title=Eric Clapton Chronicles Music, Addiction and Romance in New Book|last=Clapton|first=Eric|date=2007-10-08|work=Clapton: The Autobiography|publisher=[[spinner.com]]|language=en|accessdate=2008-11-08|archiveurl=https://archive.is/fEth|archivedate=2012-09-10}}</ref>。クリームは1968年5月のアメリカツアー中に、解散することを決断した<ref name = "The Farewell"/>。7月に、アメリカでの解散ツアーとその後ロンドンでの2回のコンサートを最後に解散すると、公式に発表された。クリームは11月4日の[[ロードアイランド州|ロードアイランド]]でのコンサートでアメリカツアーを終え、11月25日と26日に最後のイギリス公演をロンドンで行った<ref name="The Farewell">{{cite web|url=http://www.cream2005.com/theband_farewell.lasso|title=The Farewell|last=Welch|first=Chris|date=2005-08-04|language=en|accessdate=2008-06-28}}</ref>。 === クリーム以降 === クリームの解散後、クラプトンとベイカーは直ぐに[[ブラインド・フェイス]]を結成。(クラプトンは以前よりクリームに[[スティーヴ・ウィンウッド]]を引き込み、ブルースとベイカーの緩衝剤になってもらおうと試みていた)。クラプトンはその後、より即興が少ない方向に演奏の方向性を大きく変え、[[デラニー&ボニー]]や[[デレク・アンド・ザ・ドミノス]]を経て、ソロとしてのキャリアを進めていった。だが、クラプトンはドラッグと酒におぼれ、1976年には「キープ・ブリテン・ホワイト」という白人主義的な発言に加え、レイシストのイーノック・パウエルを支持する発言を行い、厳しい批判を受けた。 ベイカーは、ブラインド・フェイスを基にジャズ・フュージョンのアンサンブル、[[:en:Ginger Baker's Air Force|ジンジャー・ベイカーズ・エアフォース]]を結成した。このバンドのメンバーは、ウィンウッド(ボーカル)、元[[ファミリー (バンド)|ファミリー]]~ブラインド・フェイスのリック・グレッチ(ベース)、グレアム・ボンド([[サキソフォン|サックス]])、元[[ムーディ・ブルース]]で後に[[ウイングス]]に加入する[[デニー・レイン]](ギター)であった。一方ブルースは様々なソロワークで成功をおさめ、1969年には『[[Songs for a Tailor]]』をリリースした。 == 再結成 == [[ファイル:Cream1993.jpg|サムネイル|「ロックの殿堂」入りで集結したメンバー (1993年)]] [[1993年]]に[[ロックの殿堂]]入りを果たし(プレゼンターは[[ZZトップ]])、その場限りの再結成で「サンシャイン・ラヴ」と「クロスロード」「悪い星の下に」の3曲が演奏された。 [[2005年]]5月にも、解散前の最後のライヴを行ったロンドンの[[ロイヤル・アルバート・ホール]]で、10月には[[ニューヨーク]]の[[マディソン・スクエア・ガーデン]]において、再結成ライブが行われた。 [[2014年]]にブルースが71歳で、[[2019年]]にはベイカーが80歳で亡くなり、現在メンバーで生存しているのはクラプトンただ1人となった。 == ディスコグラフィ == <!-- 箇条書きリストにカギ括弧は不要 --> === スタジオ・アルバム === * [[フレッシュ・クリーム]] - ''Fresh Cream''(1966年) * [[カラフル・クリーム]] - ''Disraeli Gears''(1967年) * [[クリームの素晴らしき世界]] - ''Wheels of Fire''(1968年) * [[グッバイ・クリーム]] - ''Goodbye''(1969年) === ライヴ・アルバム === * [[ライヴ・クリーム]] - ''Live Cream''(1970年) * [[ライヴ・クリーム Vol.2]] - ''Live Cream Volume 2''(1972年) * BBCライヴ - ''Cream BBC''(2003年) * リユニオン・ライヴ 05 - ''Royal Albert Hall London May 2-3-5-6 2005''(2005年) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} ==外部リンク== * [https://wmg.jp/cream/ ワーナーミュージック・ジャパン - クリーム] * [http://www.ericclapton.com/ Eric Clapton] official website * [http://www.jackbruce.com/ Jack Bruce] official website * [http://www.gingerbaker.com/ Ginger Baker] official website * [http://www.gingerbaker.com/bands/cream.htm The Cream Story – from the Official Ginger Baker Archive] * {{Pop Chronicles|53|name=Cream}} * [http://www.mossiehigh.com/Cream Discography] {{クリーム}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:くりいむ}} [[Category:クリーム|*]] [[Category:イングランドのハードロック・バンド]] [[Category:ブルースロック・バンド]] [[Category:サイケデリック・ロック・バンド]] [[Category:3人組の音楽グループ]] [[Category:ロックの殿堂入りの人物]] [[Category:1966年に結成した音楽グループ]] [[Category:1968年に解散した音楽グループ]]
2003-04-12T18:11:02Z
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がんばれギンくん
『がんばれギンくん』は、テクモが1995年に発売したアーケード版パーティーゲームで、2人同時プレイが可能である。 規定のノルマを達成するまで16種類あるミニゲームをクリアすることが目的となる。挑戦するゲームは開始前に表示された4種類の中から選択するが、表示さえされれば同じゲームを繰り返し遊ぶことも可能。 ゲームの内容は複数のラウンドに区切られており、ミニゲームを指定されたノルマの回数だけクリアすればそのラウンドを突破できる。難易度は「かんたんコース(ゲキトーTV THE ツライ)」、「ふつうコース(どんまい学園 涙もの)」、「きついコース(緊急出勤!ぶらり旅 スパイもの)」の3段階があり、上級のコースになるほど必要なノルマ達成数およびミニゲームの難易度が上昇する。 当時のアーケードではポリゴンを使った作品が多数出ていたにもかかわらず、本作ではプレイヤーキャラクターを含めゲーム内のほとんどのグラフィックが落書き風の線画で描かれていたり、選択肢によりミニゲームクリア後の(あまりゲームには関係しない)展開が変化したりするなど、本作全編を通じてシュールなセンスで貫かれている。各ミニゲームクリア後はより好成績を出したプレイヤーが次のゲームを選択できる。 ゲームを一つ失敗するとライフが一つ減少し、全てのライフを失うとゲームオーバーになるが、ランダムで「チャンスゲーム」とされたゲームをクリアするとライフが一つ回復する。 本作には点数の概念こそないが特定のゲームで好成績を重ねると、1Pは画面左上、2Pは右上のクレジット投入状態を示す小窓へ、ゲームに応じた「称号」が表示される(例:しかってしかばねなら「しの教官」、ベルギー消防団なら「とばしや」等)。また、ランキング画面は「本日のおだいじん」という題目で存在し、コンティニュー回数の多い順に上位5名のプレイヤーの名前が記録される。 家庭用への移植は行われていないが、テクモの『モンスターファーム』シリーズには本作のキャラクターが「ラクガキ種」として出演を果たしており、一部のミニゲームの演出はその必殺技にも反映されている。 以下、五十音順。制限時間のカウンターが表示されるものは時、一定数のノルマ達成を求められるものはノ、カウンターの表示がなく1回のみのプレイとなるものは一と、それぞれ括弧内に記す。
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『がんばれギンくん』は、テクモが1995年に発売したアーケード版パーティーゲームで、2人同時プレイが可能である。
{{出典の明記|date=2021年2月}} {{コンピュータゲーム |Title=がんばれギンくん |Genre=[[ミニゲーム|ミニゲーム集]] |Plat=[[アーケードゲーム]] |Dev = [[テクモ]] |Pub = テクモ |Play=1-2人同時プレイ |ArcOnly=1 |Date=[[1995年]] }} 『'''がんばれギンくん'''』は、[[テクモ]]が[[1995年]]に発売した[[アーケードゲーム|アーケード版]]パーティーゲームで、2人同時プレイが可能である。 == 概要 == 規定のノルマを達成するまで16種類ある[[ミニゲーム]]をクリアすることが目的となる。挑戦するゲームは開始前に表示された4種類の中から選択するが、表示さえされれば同じゲームを繰り返し遊ぶことも可能。 ゲームの内容は複数のラウンドに区切られており、ミニゲームを指定されたノルマの回数だけクリアすればそのラウンドを突破できる。難易度は「かんたんコース(ゲキトーTV THE ツライ)」、「ふつうコース(どんまい学園 涙もの)」、「きついコース(緊急出勤!ぶらり旅 スパイもの)」の3段階があり、上級のコースになるほど必要なノルマ達成数およびミニゲームの難易度が上昇する。 当時のアーケードでは[[ポリゴン]]を使った作品が多数出ていたにもかかわらず、本作ではプレイヤーキャラクターを含めゲーム内のほとんどのグラフィックが落書き風の線画で描かれていたり、選択肢によりミニゲームクリア後の(あまりゲームには関係しない)展開が変化したりするなど、本作全編を通じてシュールなセンスで貫かれている<ref>{{Cite web|和書|title=「でろーんでろでろ」って何? (3ページ目)|url=https://nlab.itmedia.co.jp/games/articles/0911/16/news022_3.html|website=ねとらぼ|accessdate=2021-02-14|date=2009年11月16日|author=ゲイムマン}}</ref>。各ミニゲームクリア後はより好成績を出したプレイヤーが次のゲームを選択できる。 ゲームを一つ失敗するとライフが一つ減少し、全てのライフを失うとゲームオーバーになるが、ランダムで「チャンスゲーム」とされたゲームをクリアするとライフが一つ回復する。 本作には点数の概念こそないが特定のゲームで好成績を重ねると、1Pは画面左上、2Pは右上のクレジット投入状態を示す小窓へ、ゲームに応じた「称号」が表示される(例:しかってしかばねなら「しの教官」、ベルギー消防団なら「とばしや」等)。また、ランキング画面は「本日のおだいじん」という題目で存在し、コンティニュー回数の多い順に上位5名のプレイヤーの名前が記録される。 家庭用への移植は行われていないが、テクモの『[[モンスターファーム (PlayStation)|モンスターファーム]]』シリーズには本作のキャラクターが「'''ラクガキ種'''」として出演を果たしており、一部のミニゲームの演出はその必殺技にも反映されている。 == キャラクター == ; ギンくん : 1P用キャラクター。タイトルデモ画面の紹介文曰く、「よい人」。 : 『モンスターファーム』シリーズには「ラクガキ」名義で出演している。 ; ハムくん : 2P用キャラクター。タイトルデモ画面の紹介文曰く、「よいカエル」。開発スタッフが声を当てた<ref>{{Cite web|和書|title=「テクモ・アーケードゲーム・クロニクル」インタビュー テクモアーケードゲームの歴史と魅力が凝縮された珠玉の逸品はいかにして生まれたのか?|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/interview/652235.html|website=GAME Watch|date=2014-06-06|accessdate=2021-02-14|language=ja|last=株式会社インプレス}}</ref>。 : 『モンスターファーム』シリーズには未登場。 ; ガツガツ : ゲームの合間のデモ画面にて、ギンくんやハムくんに絡むキャラクター。ゲーム操作説明の最後に台詞を述べる役(初回のみ)のほか、一部のゲームでは対戦相手や妨害役も務める。タイトルデモ画面の紹介文曰く、「ワルモノ」。 : 『モンスターファーム』シリーズには「ラクガキツー」名義で出演している。 == ミニゲーム == 以下、五十音順。制限時間のカウンターが表示されるものは'''時'''、一定数のノルマ達成を求められるものは'''ノ'''、カウンターの表示がなく1回のみのプレイとなるものは'''一'''と、それぞれ括弧内に記す。 ;赤ちゃん危機一髪(時) :横一列で海へ向かって這っている8人の赤ちゃん達に対し、後ろからガラガラを鳴らして手前へ呼び戻す。海上からはガツガツもガラガラを鳴らし、一部の赤ちゃんの加速を図ってくる。制限時間内に赤ちゃんを一人でも海へ入れてしまうと、母親に殴り飛ばされる。 :『モンスターファーム』シリーズにて、ガラガラを鳴らす動作はラクガキ種の必殺技「'''ガラガラ'''」と上位技「'''大ガラガラ'''」に反映されている。 ;牛と赤マント(一) :[[闘牛士]]の格好で牛の突進をかわす。レバー左右で2ヶ所から位置取りを決め、頭上に「オーレ」の合図が出たらボタンを押してマントを振る。 :失敗すると一瞬だけ自分の頭が吹き飛ぶ。 ;オレとジャンプとメタンガス(一) :[[走幅跳|走り幅跳び]]で肥溜めを跳び越える。レバーの回転でパワーを溜め、ボタンで跳ぶ。 ;カレーの王様(時、ノ) :頭上に[[カレー]]の器を乗せた王様の周りを空中浮遊で周回する。上昇にはボタン連打が必要。クリアすると、王様からカレーを分けてもらえる。 :周囲を飛び回る鳥に当たると墜落する。 ;くまちゃんムチの味(時) :玉乗りをしている6頭の[[熊]]の中から、ふらついているものをムチで叩いて姿勢を直す。ふらつき始めた熊は叩かれるまで黄色く変色する。 :制限時間内に熊を玉から転落させると、これに襲われて食べられる。 ;ゲッターギン(一) :自分の頭を上空まで打ち上げ、吹き出す息で落下点を制御し、地上で左右に動きながら待つ身体に受け止めさせる。 :失敗すると、[[ラモス瑠偉]]風のキャラクター・らもが地上に落ちた頭をドリブルで運び去る。 :自分の頭を打ち上げる挙動は、『モンスターファーム』シリーズにてラクガキ種の必殺技「'''ゲッター'''」及び上位技「'''ジャンプゲッター'''」にも見られる。 ;しかってしかばね(時、ノ) :墓場で踊る12体の[[ゾンビ]]達の中から、振り付けを間違えているものを見つけて棍棒で殴る。 :目標となるゾンビは常に一度に1体のみであり、誤って正しく踊っているものを殴るとこれに食べられる。 ;大砲でドン(一) :ガツガツと向かい合わせに大砲を構えて待機し、[[郷ひろみ]]風のキャラクター・ひろみから「GO」の合図を受けたらボタンの早押しで大砲を撃つ。 :合図には「COOL」や「COW」などのフェイントも混じるほか、合図とともに流れる肉声も正解のもの以外は高めの音程となる。 :『モンスターファーム』にてラクガキ種の必殺技「'''大砲'''」及び上位技「'''大大砲'''」として登場する。 ;だるまさんのふんどし(一) :ふんどし姿の片目のだるまに向かって、「だるまさんのふんどし」の台詞が段階的に表示される間だけボタン連打で前進する、いわゆる「だるまさんが転んだ」風のゲーム。クリアすると、だるまに目を書き入れることができる。 :台詞の表示される回数には制限があるほか、その表示速度が不意に速くなる場合もあり、誤って表示完了の状態でボタンを押すと、だるまから怪光線を撃たれて自分がだるまに変身する。 ;つりばか必死(時) :海上にて魚釣りに挑む。レバーの回転でリールを巻き上げ、抵抗されたらボタン連打で釣り竿を引く。操作の切り替えは画面の指示に従えばよい。 ;泣いてないよフラメンコ(時、ノ) :頭上から踏みつけてくる巨大なハイヒールの足をミサイルで迎え撃つ。ミサイルは設置から発射まで若干の間があり、発射の前に踏み潰されると無効。踏みつけはヒールとつま先の間に入っても回避できる。 :『モンスターファーム』シリーズでは、ラクガキ種の必殺技「'''ハイヒール'''」と上位技「'''ハイハイヒール'''」にて同様の巨大な足が現れる。 ;ふとうでしとう(一) :ニワトリ型のバイクで直線道路を走り、指定のラインより先から海へ転落するまでの間に停車を図る、いわゆる[[チキンレース]]風のゲーム。 :ラインより手前に止まると、女性に殴り飛ばされる。 :『モンスターファーム』シリーズでは、ラクガキ種の必殺技「'''チキン'''」、「'''ローリングチキン'''」でも同様のバイクが見られる。 ;ベルギー消防団(ノ) :[[小便小僧]]に変身して、ガツガツに点火された爆弾の導火線の消火を狙う。変身は何度でも可能だが、ボタン入力から変身までには若干の間があり、変身中は放水(放尿と見ることも可)が一定時間に渡って自動的に行われる。 :失敗して爆弾を爆発させると、眼前の水面から飛び出したワニに食べられる。 ;ユキヤマン(一) :雪だるまを作る熊の集団を避けながら、[[スキー]]でゴールまで滑走する。 :熊はその場から動かないが、誤ってこれに激突するとゲレンデを転げ落ち、怒って追いかけてきた熊に襲われる。 ;ラッコさん部隊(時) :多数の[[鮫]]が泳ぐ海上にて、近くに浮かぶ[[ラッコ]]の子供を数回に渡って息で吹き飛ばし、母ラッコのもとへこれを送って救援を求める。吹き飛ばす距離は変動するゲージをボタンで止めた瞬間の長さで決まり、特に最大値で止めるとその距離が通常以上に長くなる。 ;ロケットずし(時、ノ) :[[回転寿司]]の店内にて、次々と流れてくる[[寿司]]から指定のものを取って食べる。目標はその都度入れ替わるほか、それ以外の寿司は全て超ワサビ入りとなっており、誤ってこれを食べると画面中を飛び回ったのち爆発する。 :難易度が上がると寿司の速度の上昇に加えて、他の客も店内に増えてプレイヤーの視界を遮る。 == 関連商品 == ;CD :;がんばれギンくん/TECMO ::[[1995年]][[12月16日]]、SCITRONレーベルで[[ポニーキャニオン]]より発売。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:かんはれきんくん}} [[Category:1995年のアーケードゲーム]] [[Category:テクモのゲームソフト]] [[Category:ミニゲーム集]] [[Category:日本で開発されたコンピュータゲーム]]
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スパム
スパム(英語: SPAM)は、アメリカ合衆国のホーメル・フーズが販売するランチョンミート(香辛料などを加えた挽肉を型に入れて熱して固めたもの、ソーセージミート)の缶詰である。 1937年に誕生。優れた保存性からアメリカ軍のレーションに採用され、アメリカ合衆国のみならず、米軍の進出したヨーロッパやアジアで世界的に広まった。 商品名の由来について、当初は Hormel Spiced Ham(スパイスド・ハム)だったものがインパクトに欠けるということで公募されSPAMが採用された、という説があるが、ホーメルフーズは「SPAMはspiced hamの略ではなく、SPAMの意味はあくまでSPAMである」として否定していた。現在はFAQで「SPAMの正確な意味は以前のごく一部の重役しか知らず、もはや知る術がない」と見解を変更している。 日本では沖縄県に、米国ホーメル・コーポレーション出資の沖縄ホーメル(沖縄県中頭郡中城村)があり、アメリカから県内向けに輸入されている。沖縄の家庭料理「ポーク玉子」は、薄切りにしたスパムを焼き、卵焼きを添えたものである。 沖縄県のスーパーマーケットや土産物店、わしたショップなどで沖縄ホーメルによる輸入品が、他県でも輸入食品店・スーパー等の缶詰売り場で入手が可能である(輸入元は伊藤忠商事)。沖縄と本土では流通経路から価格がかなり違い、現地スーパーが開設しているインターネット通販で通常価格のものを取り寄せる方が、送料無料の場合などで割安になることがある。 2008年には、米国ホーメル・コーポレーションが直下にホーメルフーズジャパン(日本ホーメル、本社:渋谷区道玄坂・渋谷マークシティ)を設立。従来通りに伊藤忠商事が輸入元となり、同社の流通網を通じて米国産のSPAMクラシックがゼネラルマーチャンダイズストアを中心に販売されている。また、ウォルマート・ストアーズ傘下の西友では、伊藤忠商事が日本向けに輸入した製品ではあるものの、独自のシール包装を被せる形で貼付して西友プロキュアメントが販売元となっている。 2010年3月からは、関東広域圏など一部地域で、ホーメルフーズジャパンによる加熱調理のレシピ例を例示するテレビコマーシャルのスポットCMが放映された。SPAM缶の縫いぐるみキャラクター「SPAMMY(スパミー)君」が、コマ撮りで踊る内容である。なお、歌はたつやくんが歌っている。2018年からCMが外国人女性がスパム卵(いわゆるポーク卵)やスパムおにぎりをキッチンで楽しそうに作る新バージョンとなった。SPAMの缶を叩いて作った軽快なビートに合わせて日常の風景を切り取った内容である。作曲は沖縄県内のDJ/プロデューサーのKIZUM(キズム)とKAANEE(カーネー)の共同制作である。 保存料を使用しない代わりに、一般的な食肉加工品と比較して塩分が高く、また発色剤として発ガン性があるといわれる亜硝酸ナトリウムが使用されている。そのため毎日食べつづけることは栄養学的に好ましくないとされている。近年は世界的な減塩傾向に合わせた低塩スパムや脂肪分を減らしたものも販売されている。 現在米国を中心に発売されている主な種類は次の通り: SPAMはサイズにも種類がある。「スパムシングル」はサンドイッチ1切れ分のサイズであり、金属缶ではなく、プラスチック容器に入れられている。味はスパムクラシックとスパムライトがある。また、ハーフサイズ缶も発売されている。 SPAMは、ホーメルフーズの登録商標である。 元の名称は「Hormel Spiced Ham」であったが、インパクトに欠けていたため、売り上げが落ち始めた1930年代に名称が公募され、1937年7月5日に「SPAM」が選ばれた。イギリスの料理作家マーガレット・パッテン (Marguerite Patten(英語版)) は、著書『Spam ? The Cookbook』の中で「SPAMの名前は、ホーメル副社長の兄弟で俳優のケネス・デイノー (Kenneth Daigneau) が考えたもので、彼はこれにより100ドルの賞金を得た」と述べている。 由来について「当初、ホーメルフーズ自身により “Shoulder of Pork And haM” の略であると発表された」と言う人もいるが、ホーメルフーズの公式サイトに、この記述は無い。ただし、日本のSPAM公式サイトには、ケネスが考案したことを含めてこの記述がある。 このほかにも、一種のジョークとして「Something Posing As Meat(肉の形をした何か)」、「Stuff, Pork And haM(豚肉ともも肉の代物)」、「Spare Parts Animal Meat(予備の獣肉)」のようなバクロニムが考えられている。 アメリカ合衆国では「スパム」が、ホーメル製品以外の類似肉製品の呼び名としても使われることが多い。そこでホーメルフーズは、商標の普通名称化を避けるために「商標ガイドライン」を発表しており、「SPAM は、すべて大文字で書かなければならない。また『スパムランチョンミート』のように、形容詞的に用いなければならない」と説明している。 56グラムのスパムには、7グラムのタンパク質、2グラムの炭水化物、15グラムの脂質(アメリカ人が1日に必要とする量 (US Daily Value) の23%)が含まれている。脂質のうち6グラムは飽和脂肪酸であり、170キロカロリーである。ナトリウムは1日の摂取量の3分の1に達する。ビタミンとミネラルの含有量は少なく、ビタミンAは0%、ビタミンCは1%、カルシウムも1%、鉄は3%である。 以下に世界各地における、スパムに関係した事象を挙げる。 ホーメル社の発祥の地で本社のあるアメリカのミネソタ州のオースティンではSPAM Jamの愛称で知られた地方祭典があり、この中でパレードや景気付けに打ち上げられる花火と並んで、調理されたスパムは人気がある。また、オースティンにはスパム博物館があり、スパムの町として名高い。 ハワイのワイキキで行われているSPAM Jamのフェスティバル。 SPAM料理コンテスト(調理人部門と一般者部門)や寸劇、コンサート、大食いコンテストなどが行われていたが、主催者だった障害者支援団体が資金難のため活動を停止して以来、開かれなくなった。 沖縄県ではスパムを含むランチョンミートは、「ポーク」と呼ばれ多用されている。 沖縄戦から戦後にかけアメリカ軍に捕虜として収容された住民は、元々軍隊食として用いられたスパムを軍から支給された食糧として、また解放された後も食糧難より軍からの払い下げ品や横流し物資として、食べ始めることとなった。沖縄では琉球王国時代より豚肉を食べる文化が根付いていたが、激戦となった沖縄戦により養豚業が壊滅状態となり、また冷蔵庫がなくても保存が利くため豚肉の代用品として用いられることとなった。流通や保存技術の発達した現代においても豚肉より価格が安く、買いだめも可能なため、沖縄料理や日常のおかずに欠かすことのできない食材となっている。 他県より沖縄県ではスパムが安値で販売されており、主なスーパーマーケットでは一週間に1度か2度は日替わり特売商品として販売されている。理由としては大量消費地である沖縄独自の流通ルート、復帰特別措置法による輸入関税の優遇、沖縄ホーメルと米国本社の親密な資本提携関係による安価での仕入れ、オランダやデンマークなどの競合製品が複数存在し激しいシェア争いがある、と考えられる。 なお、近年は沖縄県内メーカーによる缶詰やレトルトパック入りのランチョンミートも発売されている。 沖縄県内では、スパムや他社ランチョンミートのラジオ・テレビCMも大々的に放送されている。 スパムが軍における食糧として、飽き飽きするものだとされていたという話がある。これは同製品が比較的安価で賞味期限も長いことから、第二次世界大戦から朝鮮戦争・ベトナム戦争の時代を通して、連合国軍やアメリカ軍内で主食だった戦闘糧食として、利用されたことに端を発すると言われている。 この製品は決して不味い物ではない(それどころか愛好者も少なからず存在する人気商品である)のだが、非常に塩味が濃く、毎日繰り返し食べていると、流石に飽きてくる。しかし軍隊はスパムばかり供給してくる。しまいには兵士達が「昨日もスパム、今日もスパム、明日もスパム、来週になってもまだスパム......」と、ぼやいたという。 なお、第二次世界大戦を指揮した一人であるアメリカ合衆国大統領のアイゼンハワーは、同製品に対し「兵士の健康を維持し、飢えさせないよう戦った」と評して、感謝状を贈っている。またレンドリース用の食料として、ポークビーンズ缶と共にソビエト社会主義共和国連邦にも供与された他、それをフィンランド軍の兵士が鹵獲して喜ぶ描写が、戦争映画の劇中にあるほど、アメリカと違い食料供給が不安定な軍隊では好評であった。 ナチス・ドイツは、ソ連から食糧を収奪し数百万人のスラブ人を餓死させようとした(飢餓計画(英語版))。ソ連軍がアメリカ軍から提供されたスパムは、1億ポンドにも上る。ニキータ・フルシチョフは「スパムが無ければ、我が軍に食料を配給する事はできなかっただろう」と語った。 第二次世界大戦前、イギリス帝国は食料の70%を輸入に頼っていた。肉は50%が輸入だった。これが弱点と知っていた枢軸国は、食料輸入路を断つことで兵糧攻めを狙った(詳細は大西洋の戦い (第二次世界大戦)を参照)。 イギリス政府は配給制度の改善のため、ポイント制を導入した。金銭があっても、クーポンが無ければ食料品は買えないのだが、米国のSPAMは当初不人気だったので、購入に必要なポイントが下げられた。また闇市でも入手しやすかった。 戦後は経済不況と世界的な食料不足のため、かえって食糧事情が悪くなり、ジャガイモすら1947年に初めて統制品になった。イギリス政府は食料不足を補うため、カマスを含め色々な食品を輸入した。肉は最後まで配給対象品として残され、外れたのは1954年だった。カマスは骨が多く油っぽいとして、イギリスの食卓に馴染まなかったが、SPAMは定着した。 イギリスのコメディアン・グループ、モンティ・パイソンによるコメディ番組「空飛ぶモンティ・パイソン」に「スパム」というコント (sketch) がある(初放映1970年)。内容は、『豚肉と煮豆とスパム』、『卵とソーセージとスパム』、果ては『スパムとスパムとスパームと......(執拗に繰り返し)......とスパーム』といった具合にメニューがスパムだらけの食堂で、寸胴のウェイトレス(と女性客)がメニューでスパムを連呼する度に他の客(なぜかバイキング)がスパムスパム......という歌を歌い出し、最後のスタッフロールの表記すらスパムだらけになるというものであった。これが、迷惑行為を指すスパムの始源とされている。 モンティ・パイソンのメンバーのほとんどは、少年時代の戦中戦後、肉の配給制時代にスパムを食べねばならなかった世代であった。 ハッカーとモンティ・パイソンとの親和性は、指摘されるところであり(ハッカー文化も参照のこと)、メッセージを繰り返して何かを溢れさせるような迷惑行為を、ハッカー達が「スパム」と呼ぶようになった。 The Net Abuse FAQでは、MUDのメッセージ機能で、SPAM SPAM SPAM ... と繰り返す嫌がらせを行った者がいた、という話を紹介している。『ハッカーズ大辞典』初版のspamの項には、[MUDコミュニティから]とあり、これを語源としているが、現行のジャーゴンファイル では、モンティ・パイソンからとしている。FOLDOCの記述も参照されたい。 大量のメッセージングによる迷惑行為が、ネットコミュニティで最初に問題になったのは、ネットニュースにおいてであった。「初の」ではないが、初期の有名なUsenet(ネットニュース)スパムに、1994年のグリーンカードスパム(en:Canter & Siegel#Green card spam)がある。 その後、電子メールでのスパム行為が、インターネット内には留まらない大きな社会問題となった。迷惑メールについてはスパム (メール)を参照。歴史についての詳細はen:Spamming#Historyにある。 迷惑メールなどの行為をスパムと呼ぶ社会現象に対し、ホーメル食品側は商標の普通名称化を懸念し「当社の商標はSPAMである」として、迷惑メールに関しては“spam”と小文字で表記することを提案、自社ウェブサイト上で呼び掛けている。しかし同社は、商標名を社名や商品名に使用することは容認しておらず、SpamArrest社(迷惑メール対策ソフトウェアを開発)を商標権侵害で訴えたが、敗訴した。その一方、インターネット利用者の中にも「spamは食えない(面白みが無い)が、SPAMはウマい!」等とする愛好者も現れるに至り、インターネット経由で愛好者を増やしたり、日本ではギークが秋葉原に行くついでに「アメ横でスパム缶を購入」が、冗談用のスタイルとして派生している。 2004年4月1日には、技術情報関連ニュースサイトから個人情報が流出、7名にスパム(同製品)が宅配便で届けられるというニュース(勿論、エイプリルフールのジョーク)が掲載されている。 スパムは賞味期限が製造から3年で常温で保存可能、缶詰を開けて加熱せずにそのまま食べることもできる。東日本大震災の際に、ホーメル食品は、岩手県・宮城県・福島県の被災者に、スパム36,000缶を救援物資として提供、また会社として10万米ドルを「マッチングギフト」として拠出し、従業員達から募った義援金と併せてアメリカ赤十字社を通じて寄付をした。2013年も引き続き被災者に、スパムを救援物資として提供した。 Spammyは、どのような食文化でも広く受け入れられる様に七面鳥の肉を用い、栄養失調の子供を飢餓から救済するために開発された製品である。栄養支援に特化された製品で、アメリカ合衆国農務省は、亜鉛・鉄・ビタミンB・その他ミネラルが強化されたこの製品を、アメリカ合衆国内には流通させない様に求めている。 2011年に、ホーメル食品は貧困率が50%を超える、中米のグアテマラを中心に、3年間で100万個のSpammyを支援することを発表した。就学前の児童160人に対し、20週以上に渡って行われた調査の結果、病気による欠席が減少し、「ビタミン・ミネラル強化製品」は統計的に有意な改善が見られたという成果を2014年に発表した。
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"2004年4月1日には、技術情報関連ニュースサイトから個人情報が流出、7名にスパム(同製品)が宅配便で届けられるというニュース(勿論、エイプリルフールのジョーク)が掲載されている。", "title": "spamと“SPAM”" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "スパムは賞味期限が製造から3年で常温で保存可能、缶詰を開けて加熱せずにそのまま食べることもできる。東日本大震災の際に、ホーメル食品は、岩手県・宮城県・福島県の被災者に、スパム36,000缶を救援物資として提供、また会社として10万米ドルを「マッチングギフト」として拠出し、従業員達から募った義援金と併せてアメリカ赤十字社を通じて寄付をした。2013年も引き続き被災者に、スパムを救援物資として提供した。", "title": "非常食として" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "Spammyは、どのような食文化でも広く受け入れられる様に七面鳥の肉を用い、栄養失調の子供を飢餓から救済するために開発された製品である。栄養支援に特化された製品で、アメリカ合衆国農務省は、亜鉛・鉄・ビタミンB・その他ミネラルが強化されたこの製品を、アメリカ合衆国内には流通させない様に求めている。", "title": "飢餓と戦うSpammy" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "2011年に、ホーメル食品は貧困率が50%を超える、中米のグアテマラを中心に、3年間で100万個のSpammyを支援することを発表した。就学前の児童160人に対し、20週以上に渡って行われた調査の結果、病気による欠席が減少し、「ビタミン・ミネラル強化製品」は統計的に有意な改善が見られたという成果を2014年に発表した。", "title": "飢餓と戦うSpammy" } ]
スパムは、アメリカ合衆国のホーメル・フーズが販売するランチョンミート(香辛料などを加えた挽肉を型に入れて熱して固めたもの、ソーセージミート)の缶詰である。
{{Otheruses|缶詰|その他}} {{出典の明記|date=2015年2月}} [[File:Spam 2.jpg|thumb|減塩スパム]] '''スパム'''({{Lang-en|SPAM}})は、[[アメリカ合衆国]]の[[ホーメル|ホーメル・フーズ]]が販売する[[ランチョンミート]](香辛料などを加えた挽肉を型に入れて熱して固めたもの、ソーセージミート)の[[缶詰]]である。 == 概要 == [[1937年]]に誕生。優れた保存性から[[アメリカ軍]]の[[レーション]]に採用され、アメリカ合衆国のみならず、米軍の進出したヨーロッパやアジアで世界的に広まった。 商品名の由来について、当初は Hormel '''Spiced Ham'''(スパイスド・ハム)だったものがインパクトに欠けるということで公募されSPAMが採用された、という説があるが、ホーメルフーズは「{{en|SPAMはspiced hamの略ではなく、SPAMの意味はあくまでSPAM}}である」として否定していた<ref>[http://www.spam.com/whatisspam/faq.pdf Does SPAM® mean “spiced ham?”](リンク切れ)</ref>。現在はFAQで「{{en|SPAMの正確な意味は以前のごく一部の重役しか知らず、もはや知る術がない}}」と見解を変更している<ref>[https://www.spam.com/faq What does the SPAM® brand name mean?”]</ref>。 [[File:2015-12-16 Goya champru in Ishigakijima ゴーヤチャンプルー(石垣島)DSCF2191.jpg|thumb|沖縄ではスパムを使ったゴーヤーチャンプルーはポピュラーである。(石垣島にて)]] [[File:Spam Meal.jpg|thumb|スパムエッグご飯の例、フィリピン]] [[日本]]では沖縄県に、米国ホーメル・コーポレーション出資の[[沖縄ホーメル]](沖縄県[[中頭郡]][[中城村]])があり、アメリカから県内向けに輸入されている。沖縄の家庭料理「[[ポーク玉子]]」は、薄切りにしたスパムを焼き、卵焼きを添えたものである。 沖縄県の[[スーパーマーケット]]や土産物店、[[わしたショップ]]などで沖縄ホーメルによる輸入品が、他県でも[[輸入食品店]]・スーパー等の缶詰売り場で入手が可能である(輸入元は[[伊藤忠商事]])。沖縄と本土では流通経路から価格がかなり違い、一定数以上であれば沖縄から通販で取り寄せる方が割安になる。 2008年には、米国ホーメル・コーポレーションが直下に[[ホーメルフーズジャパン]](日本ホーメル、本社:[[渋谷区]][[道玄坂]]・[[渋谷マークシティ]])を設立。従来通りに伊藤忠商事が輸入元となり、同社の流通網を通じて米国産のSPAMクラシックが[[ゼネラルマーチャンダイズストア]]を中心に販売されている。また、[[ウォルマート・ストアーズ]]傘下の[[西友]]では、伊藤忠商事が日本向けに輸入した製品ではあるものの、独自のシール包装を被せる形で貼付して[[西友プロキュアメント]]が販売元となっている。 2010年3月からは、[[関東広域圏]]など一部地域で、ホーメルフーズジャパンによる加熱調理のレシピ例を例示する[[テレビコマーシャル]]の[[スポットCM]]が放映された。SPAM缶の縫いぐるみキャラクター「SPAMMY(スパミー)君」が、[[コマ撮り]]で踊る内容である。なお、歌は[[たつやくん]]が歌っている。2018年からCMが外国人女性がスパム卵(いわゆるポーク卵)やスパムおにぎりをキッチンで楽しそうに作る新バージョンとなった。SPAMの缶を叩いて作った軽快なビートに合わせて日常の風景を切り取った内容である。作曲は沖縄県内のDJ/プロデューサーのKIZUM(キズム)とKAANEE(カーネー)の共同制作である。 保存料を使用しない代わりに、一般的な食肉加工品と比較して塩分が高く、また発色剤として発ガン性があるといわれる亜硝酸ナトリウムが使用されている。そのため毎日食べつづけることは栄養学的に好ましくないとされている。近年は世界的な減塩傾向に合わせた低塩スパムや脂肪分を減らしたものも販売されている。 == 種類 == 現在米国を中心に発売されている主な種類は次の通り<ref>http://www.spam.com/eatSpam/varieties.aspx</ref>: * スパムクラシック (Spam Classic) - オリジナル味 * スパム ホット&スパイシー (Spam Hot & Spicy) - [[タバスコ]]味 * 減塩スパム (Spam Less Sodium) - オリジナルよりも25%塩分が控えめ。 * スパムライト (Spam Lite) - オリジナルよりも33%カロリーが少なく、50%脂肪分が少ない。 * スパム オーブンローストターキー (Spam Oven Roasted Turkey) - [[ハラール]]の規格にも適合しており、イスラムの市場でも人気がある。 * ヒッコリー燻製風味スパム (Spam Hickory Smoke flavor) * スパムスプレッド (Spam Spread) - ペースト状のスパム。“if you're a spreader, not a slicer...just like Spam Classic, but in a spreadable form” * ベーコン入りスパム (Spam with Bacon) * チーズ入りスパム (Spam with Cheese) * にんにくスパム (Spam Garlic) * 黒胡椒スパム (Spam Black Pepper) * [[ハラペーニョ]]スパム (Spam Jalapeno) * [[照り焼き#アメリカのテリヤキ|テリヤキ]]スパム (Spam Teriyaki) * [[チョリソ]]風味スパム (Spam Chorizo Seasoning) * [[フィリピン料理|トシーノ]]風味スパム (Spam Tocino Seasoning) * スパム ゴールデンハニーグレイル (Spam Golden Honey Grail)- [[モンティ・パイソン]]の映画を基にしたミュージカル[[スパマロット]]を記念して作られた。 * スパム うす塩 - オリジナルよりも塩分が34%、脂肪分が17%少ない。沖縄県限定発売 * スパムマイルド (Spam Mild) - 韓国限定販売 * [[リングィーサ|ポーチュギーズソーセージ]]風味スパム (Spam Portuguese Sausage Seasoning) - ハワイ州限定販売 <!-- ホーメルハワイでは各国料理をモチーフとした、以下のようなバリエーションの企画も発表されている。 * キムチスパム (Spam Kim Chee) * 叉焼風味スパム (Spam Charsiu) * 香腸風味スパム (Spam Lup Cheong) * パステレ風味スパム (Spam Pastele) * パニオロ風燻製スパム (Spam Paniolo Smoked) * ポークアドボ風味スパム (Spam Pork Adovo) * 七色かき氷スパム (Spam Rainbow Shave Ice) - たぶんこれはジョーク。 --> SPAMはサイズにも種類がある。「スパムシングル」はサンドイッチ1切れ分のサイズであり、金属缶ではなく、プラスチック容器に入れられている。味はスパムクラシックとスパムライトがある。また、ハーフサイズ缶も発売されている。 == 名前の由来 == {{en|SPAM}}は、ホーメルフーズの[[商標|登録商標]]である<ref>http://www.spam.com/</ref>{{efn2|日本における商標登録番号は第1361691号。}}。 元の名称は「{{en|Hormel Spiced Ham}}」であったが、インパクトに欠けていたため、売り上げが落ち始めた1930年代に名称が公募され、[[1937年]][[7月5日]]に「{{en|SPAM}}」が選ばれた。イギリスの料理作家マーガレット・パッテン ({{仮リンク|Marguerite Patten|en|Marguerite Patten}}) は、著書『{{en|Spam ? The Cookbook}}』の中で「{{en|SPAM}}の名前は、ホーメル副社長の兄弟で俳優のケネス・デイノー (Kenneth Daigneau) が考えたもので、彼はこれにより100[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]の賞金を得た」と述べている<ref>[http://www.spam.com/museum/spam_history.aspx Spam.com - Spam Timeline]</ref>。 由来について「当初、ホーメルフーズ自身により {{en|“'''S'''houlder of '''P'''ork '''A'''nd ha'''M'''”}} の略であると発表された」と言う人もいるが、ホーメルフーズの公式サイトに、この記述は無い。<!-- NOTE: Please do not add backronyms without a source...We could spend days coming up with thousands of new meanings って英語版には書いてあるよ-->ただし、日本のSPAM公式サイトには、ケネスが考案したことを含めてこの記述がある<ref>http://www.spam-jp.com/products/trivia.html</ref>。 このほかにも、一種の[[ジョーク]]として「{{en|Something Posing As Meat}}(肉の形をした何か)」、「{{en|Stuff, Pork And haM}}(豚肉ともも肉の代物)」、「{{en|Spare Parts Animal Meat}}(予備の[[ジビエ|獣肉]])」のような[[バクロニム]]が考えられている<!--訳を付けようかとも思ったが、いずれも裏の意味が隠されている感じがするので、英語に強い人じゃなきゃ無理っぽい--><ref>{{cite book|title=Dear Ruby Ann: Down Home Advice about Lovin', Livin', and the Whole Shebang|first=Ruby Ann|last=Boxcar|publisher=Citadel Press|year=2004|id=ISBN 0-8065-2560-6}}, [https://books.google.co.jp/books?vid=ISBN0806525606&id=mJ-NL3yl9CYC&pg=PA244&lpg=PA244&sig=qjw0grByvy7TJKduWNH0ATQpqGY&redir_esc=y&hl=ja p. 244]</ref>。 アメリカ合衆国では「スパム」が、ホーメル製品以外の類似肉製品の呼び名としても使われることが多い。そこでホーメルフーズは、[[商標の普通名称化]]を避けるために「[[商標]]ガイドライン」を発表しており、「{{en|SPAM}} は、すべて大文字で書かなければならない。また『スパムランチョンミート』のように、[[形容詞]]的に用いなければならない」と説明している。 == 栄養 == 56グラムのスパムには、7グラムの[[タンパク質]]、2グラムの[[炭水化物]]、15グラムの[[脂質]](アメリカ人が1日に必要とする量 (US Daily Value) の23%)が含まれている。脂質のうち6グラムは[[飽和脂肪酸]]であり、170[[カロリー|キロカロリー]]である。<!--英語版にはUnfortunately,ってあるけどいいのかな?-->ナトリウムは1日の摂取量の3分の1に達する。ビタミンとミネラルの含有量は少なく、[[ビタミンA]]は0%、[[ビタミンC]]は1%、[[カルシウム]]も1%、[[鉄]]は3%である。 == 世界各地のスパム事情 == [[ファイル:Spammusubi1011.jpg|thumb|調理例・スパムむすび]] [[ファイル:Spam served with rice.jpg|thumb|スパムご飯]] 以下に世界各地における、スパムに関係した事象を挙げる。 * [[2003年]]時点では、41か国でスパムが販売されている。[[:en:Spam (food)|英語版の本項目]]を参照のこと。 * アメリカの[[ハワイ州]]と[[グアム]]はスパム消費が最も多い地域として知られている。[[日系アメリカ人]]の''Barbara Funamura''によって考案された<ref>[https://www.nichibei.org/2016/06/barbara-funamura-creator-of-spam-musubi-dies-at-78/ Barbara Funamura, creator of Spam musubi, dies at 78]</ref>薄切りにして焼かれ、[[飯]]の塊に[[海苔]]で留められた、[[寿司]]ネタの[[卵焼き|玉子]]に似た「[[スパムむすび]]」はハワイ州において多くの人に愛好されており、[[ABCストア]]などでも販売されている。その発展形として、スパム寿司も普及している。またハワイの[[マクドナルド]]では、スパム入りの[[ハンバーガー]]も販売されている。 * 環太平洋地域の[[サイパン島|サイパン]]([[北マリアナ諸島]])や、[[フィリピン]]を含む南太平洋諸島においても、スパムは一定の需要がある。これは[[太平洋戦争]]時に、アメリカ軍が進駐した影響もある。 * [[大韓民国]]の[[プデチゲ|プデ(部隊)チゲ]]は、韓国的な辛いスープでスパムやハム、ラーメンなどを野菜と共に煮込む鍋料理である。なお、韓国では、スパムは地元食品会社、[[CJグループ|CJ第一製糖]]がホーメル社よりライセンスを受けて韓国で製造されたものが一般的である。この韓国向けスパムは、日本の韓国食材店で販売されている。 * 第二次世界大戦中、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国軍]]([[ソビエト連邦]]を含む)に広く供給されたスパムではあるが、特に日常的に食べさせられた[[イギリス軍]]の兵士は、食べ飽きたスパムに対して嫌悪感すら抱いたため、いまだに英国内ではスパムに対して否定的な感情も存在する([[#軍の支給品としてのスパム|下記]]参照。ただし、{{いつ範囲|現在|date=2019年5月}}のところ、イギリスはアメリカ、韓国に次いで消費量第3位)。 * スパムの消費者の「54年間にもわたる無差別的消化力に対して」、[[1992年]]に[[イグノーベル賞|イグ・ノーベル賞]]栄養学賞が授与された。 == 文化的影響 == === 博物館 === [[File:Spam_Museum_in_evening.jpg|thumb|ホーメル社のスパム博物館]] * [[オースティン (ミネソタ州)|オースティン]]にスパム博物館がある。 {{Main|en:Spam Museum}} === フェスティバル === ==== SPAM Jam ==== {{Main|en:Spam Jam}} ホーメル社の発祥の地で本社のあるアメリカの[[ミネソタ州]]の[[オースティン (ミネソタ州)|オースティン]]ではSPAM Jamの愛称で知られた[[祭|地方祭典]]があり、この中で[[パレード]]や景気付けに打ち上げられる[[花火]]と並んで、調理されたスパムは人気がある。また、オースティンにはスパム博物館があり、スパムの町として名高い。 ==== Waikiki SPAM JAM ==== ハワイのワイキキで行われているSPAM Jamのフェスティバル<ref>[http://www.spamjamhawaii.com/ Waikiki SPAM JAM]</ref>。 ==== spamarama ==== [[File:SPAMARAMA 2004 Spam Eating Contest.jpg|thumb|大食いコンテスト、2004年]] {{Main|en:Spamarama}} SPAM料理コンテスト(調理人部門と一般者部門)や寸劇、コンサート、大食いコンテストなどが行われていたが<ref>[http://www.spamarama.org/index.html SPAMARAMA]</ref>、主催者だった障害者支援団体が資金難のため活動を停止して以来、開かれなくなった。 {{ external media | width = 400px | align = left | video1 = [https://www.youtube.com/watch?v=DMbigNipQKk How This Town Celebrates Your Favorite Canned Food] Smithsonian Channel }} {{Clear}} === 音楽 === * 1997年に[[スカコア]]パンクグループの[[セイヴ・フェリス]] ([[:en:Save Ferris|Save Ferris]]) が、食品のスパムをモチーフとした「SPAM」という曲を発表している。曲の中で、子供の頃は家が[[貧困]]で、肉代わりにスパムを頻繁に食べていたと歌っている<ref>[http://www.azlyrics.com/lyrics/saveferris/spam.html SAVE FERRIS LYRICS]</ref>。<!-- 歌詞に "It's made in Chernobyl" 等、理解しづらい点あり --> * [[アル・ヤンコビック]]も「SPAM」というコメディーソングを発表している。曲の中で、スパムがどこにでもある事を歌っている<ref>[http://www.songlyrics.com/weird-al-yankovic/spam-lyrics/ WEIRD AL YANKOVIC - SPAM LYRICS]</ref>。 * モンティ・パイソンの「SPAMソング」がある。 {{ external media | width = 400px | align = left | video1 = [https://www.youtube.com/watch?v=XmMohHV8sME SPAM, Save Ferris] | video2 = [https://www.youtube.com/watch?v=VNU_sHnBwT8 Spam - "Weird Al" Yankovic] | video3 = [https://www.youtube.com/watch?v=mBcY3W5WgNU Monty Python - Spam Song] }} {{Clear}} == 沖縄県とスパム == [[沖縄県]]ではスパムを含むランチョンミートは、「ポーク」と呼ばれ多用されている。 沖縄戦から[[戦後]]にかけ[[アメリカ合衆国軍|アメリカ軍]]に捕虜として収容された住民は、元々軍隊食として用いられたスパムを軍から支給された食糧として、また解放された後も食糧難より軍からの払い下げ品や横流し物資として、食べ始めることとなった。沖縄では琉球王国時代より[[豚肉]]を食べる文化が根付いていたが、激戦となった沖縄戦により養豚業が壊滅状態となり、また冷蔵庫がなくても保存が利くため豚肉の[[代用品]]として用いられることとなった。流通や保存技術の発達した現代においても豚肉より価格が安く、買いだめも可能なため、[[沖縄料理]]や日常のおかずに欠かすことのできない食材となっている。 他県より沖縄県ではスパムが安値で販売されており、主な[[スーパーマーケット]]では一週間に1度か2度は日替わり特売商品として販売されている。理由としては大量消費地である沖縄独自の流通ルート、[[沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律|復帰特別措置法]]による輸入関税の優遇、沖縄ホーメルと米国本社の親密な資本提携関係による安価での仕入れ、[[オランダ]]や[[デンマーク]]などの競合製品が複数存在し激しいシェア争いがある、と考えられる。 なお、近年は沖縄県内メーカーによる[[缶詰]]や[[レトルトパック]]入りのランチョンミートも発売されている。 沖縄県内では、スパムや他社ランチョンミートの[[コマーシャルメッセージ|ラジオ・テレビCM]]も大々的に放送されている。 <!---この時代、沖縄は少ない物資の中で旺盛な変革を見せ、沖縄駐留米軍から貪欲なまでに文化を吸収、従来からの沖縄文化にアメリカ文化を加えた現在の沖縄文化([[チャンプルー#概要|チャンプルー文化]]とも)の基盤を形成した。この状況下に於いて沖縄県周辺の楽器である[[三線]]は、業務用の大型スパム[[缶詰|缶]]の空き缶を利用して製作された「カンカラ[[三線]]」なる[[楽器]]も発明され、今日では学校教育の場でも利用されているという。---><!--三線の動に用いられるような大型のスパム缶が存在したという事実はない--> == 軍の支給品としてのスパム == スパムが軍における食糧として、飽き飽きするものだとされていたという話がある。これは同製品が比較的安価で[[賞味期限]]も長いことから、[[第二次世界大戦]]から[[朝鮮戦争]]・[[ベトナム戦争]]の時代を通して、連合国軍や[[アメリカ軍]]内で主食だった[[レーション|戦闘糧食]]として、利用されたことに端を発すると言われている。 この製品は決して不味い物ではない(それどころか愛好者も少なからず存在する人気商品である)のだが、非常に塩味が濃く、毎日繰り返し食べていると、流石に飽きてくる。しかし軍隊はスパムばかり供給してくる。しまいには兵士達が「昨日もスパム、今日もスパム、明日もスパム、来週になってもまだスパム……」と、ぼやいたという。 なお、第二次世界大戦を指揮した一人である[[アメリカ合衆国大統領]]の[[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー]]は、同製品に対し「兵士の健康を維持し、飢えさせないよう戦った」と評して、感謝状を贈っている<ref>http://wiredvision.jp/archives/200410/2004102007.html</ref>。また[[レンドリース法|レンドリース]]用の食料として、ポークビーンズ缶と共に[[ソビエト連邦|ソビエト社会主義共和国連邦]]にも供与された他、それを[[フィンランド国防軍|フィンランド軍]]の兵士が鹵獲して喜ぶ描写が、[[戦争映画]]の劇中にあるほど、アメリカと違い食料供給が不安定な軍隊では好評であった。 [[ナチス・ドイツ]]は、ソ連から食糧を収奪し数百万人の[[スラヴ人|スラブ人]]を[[餓死]]させようとした({{仮リンク|飢餓計画|en|Hunger Plan}})。ソ連軍がアメリカ軍から提供されたスパムは、1億ポンドにも上る。[[ニキータ・フルシチョフ]]は「スパムが無ければ、我が軍に食料を配給する事はできなかっただろう」と語った<ref>[http://www.foxnews.com/leisure/2014/03/31/things-didnt-know-about-spam/ Things you didn’t know about Spam] FOX News Network</ref>。<!-- 毎食SPAMばかり食べさせられてウンザリすることから、ウンザリするくらい執拗に送られてくる[[ダイレクトメール]]を「[[スパム (メール)|スパム]]」と呼ぶようになった。[[パソコン通信]]の時代には、[[電子メール]]を使った勧誘・広告に対しても使われるようになり、今日に至っている。 --><!-- ↑「ウンザリするくらい執拗に送られてくる[[ダイレクトメール]]を「[[スパム (メール)|スパム]]」と呼ぶようになった」という記述は、後の節に書いてあるように、それが最初ではない。他の媒体での迷惑行為を呼ぶようになったのが先であり、それがメールに転用された。 --><!-- なお、糧食の単調さが士気に与える悪影響を防ぐため、[[20世紀]]の終わり頃から、米軍の[[MRE]]に代表される、バラエティーに富む糧食が各国とも導入されるようになっており、多くの軍隊では、SPAMばかり支給されるような軍隊生活は、過去のものとなっている。 --><!-- ↑第二次大戦当時から戦闘糧食のバリエーションは十分に多かった。--> === 英国での普及 === 第二次世界大戦前、[[イギリス帝国]]は食料の70%を輸入に頼っていた。肉は50%が輸入だった。これが弱点と知っていた枢軸国は、[[通商破壊|食料輸入路を断つ]]ことで[[攻城戦|兵糧攻め]]を狙った(詳細は[[大西洋の戦い (第二次世界大戦)]]を参照)。 イギリス政府は[[配給 (物資)|配給]]制度の改善のため、ポイント制を導入した。金銭があっても、クーポンが無ければ食料品は買えないのだが、米国のSPAMは当初不人気だったので、購入に必要なポイントが下げられた。また[[闇市]]でも入手しやすかった。 戦後は経済不況と世界的な食料不足のため、かえって食糧事情が悪くなり、[[ジャガイモ]]すら1947年に初めて統制品になった。イギリス政府は食料不足を補うため、[[カマス]]を含め色々な食品を輸入した。肉は最後まで配給対象品として残され、外れたのは1954年だった。カマスは骨が多く油っぽいとして、イギリスの食卓に馴染まなかったが、SPAMは定着した<ref>[http://www.cooksinfo.com/british-wartime-food British Wartime Food: How Britain Fed Itself During World War Two] Cook's Info</ref><ref>[http://theconversation.com/how-world-war-ii-rationing-gave-us-a-liking-for-spam-35975 How World War II rationing gave us a liking for SPAM] The Conversation</ref><ref>[http://www.history.co.uk/study-topics/history-of-ww2/british-home-front British Home Front | HISTORY] AETN UK</ref>。 == モンティ・パイソンとスパム == {{Main|スパム (モンティ・パイソン)}} イギリスのコメディアン・グループ、[[モンティ・パイソン]]によるコメディ番組「[[空飛ぶモンティ・パイソン]]」に「[[スパム (モンティ・パイソン)|スパム]]」というコント (sketch) がある(初放映1970年)。内容は、『豚肉と煮豆とスパム』、『卵とソーセージとスパム』、果ては『スパムとスパムとスパームと……(執拗に繰り返し)……とスパーム{{efn2|伸ばして発音した場合”sperm”(精液)と同音になるため”egg and sperm"は「卵子と精子」という下品な駄洒落ギャグ。}}』といった具合にメニューがスパムだらけの食堂で、寸胴<!--pepper pot-->のウェイトレス(と女性客)がメニューでスパムを連呼する度に他の客(なぜか[[ヴァイキング|バイキング]])がスパムスパム……という歌を歌い出し、最後のスタッフロールの表記すらスパムだらけになるというものであった。これが、迷惑行為を指すスパムの始源とされている。 モンティ・パイソンのメンバーのほとんどは、少年時代の戦中戦後、肉の配給制時代にスパムを食べねばならなかった世代であった。 == 迷惑行為 == [[ハッカー]]とモンティ・パイソンとの親和性は、指摘されるところであり([[ハッカー文化]]も参照のこと)、メッセージを繰り返して何かを溢れさせるような迷惑行為を、ハッカー達が「スパム」と呼ぶようになった。 {{en|The Net Abuse FAQ}}では<ref>http://www.cybernothing.org/faqs/net-abuse-faq.html#2.4 {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/19961101225021/http://www.cybernothing.org/faqs/net-abuse-faq.html |date=1996年11月1日 }}</ref>、[[MUD]]のメッセージ機能で、SPAM SPAM SPAM ... と繰り返す嫌がらせを行った者がいた、という話を紹介している。『ハッカーズ大辞典』初版のspamの項には、[MUDコミュニティから]とあり、これを語源としているが、現行の[[ジャーゴンファイル]]<ref>http://catb.org/jargon/html/S/spam.html</ref> では、モンティ・パイソンからとしている。[[FOLDOC]]の記述<ref>http://foldoc.org/index.cgi?query=spam</ref>も参照されたい。 大量のメッセージングによる[[嫌がらせ|迷惑行為]]が、ネットコミュニティで最初に問題になったのは、[[ネットニュース]]においてであった。「初の」ではないが、初期の有名なUsenet(ネットニュース)スパムに、[[1994年]]のグリーンカードスパム([[:en:Canter & Siegel#Green card spam]])がある。 その後、[[電子メール]]でのスパム行為が、[[インターネット]]内には留まらない大きな社会問題となった。<!-- NOR 「迷惑メール」などという言い換え語を作ったため、さらにその後のSNSにおけるスパム行為に対する対処が遅れたうらみもあるように思われる。-->迷惑メールについては[[スパム (メール)]]を参照。歴史についての詳細は[[:en:Spamming#History]]にある。 == spamと“SPAM” == 迷惑メールなどの行為をスパムと呼ぶ社会現象に対し、ホーメル食品側は[[商標の普通名称化]]を懸念し「当社の[[商標]]は'''SPAM'''である」として、迷惑メールに関しては“spam”と小文字で表記することを提案、自社[[ウェブサイト]]上で呼び掛けている。しかし同社は、商標名を社名や商品名に使用することは容認しておらず、'''[[SpamArrest]]'''社(迷惑メール対策ソフトウェアを開発)を[[商標|商標権]]侵害で訴えたが、敗訴した。その一方、[[インターネット]]利用者の中にも「spamは食えない(面白みが無い)が、SPAMはウマい!」等とする愛好者も現れるに至り、インターネット経由で愛好者を増やしたり、日本では[[ギーク]]が[[秋葉原]]に行くついでに「[[アメヤ横丁|アメ横]]でスパム缶を購入」が、[[ジョーク|冗談]]用のスタイルとして派生している。 [[2004年]][[4月1日]]には、技術情報関連[[ニュースサイト]]から個人情報が流出、7名にスパム(同製品)が[[宅配便]]で届けられるという[https://srad.jp/story/04/03/31/2126247/ ニュース](勿論、[[エイプリルフール]]のジョーク)が掲載されている。 == 非常食として == スパムは賞味期限が製造から3年で常温で保存可能<ref>[http://www.okinawahormel.co.jp/product/spam/regular_spam.html レギュラースパム(R)] 沖縄ホーメル</ref>、[[缶詰]]を開けて加熱せずにそのまま食べることもできる<ref>[https://www.spam-jp.com/products#content-faq FAQ] (Q.7 SPAM®クラシック(レギュラー)はどうやって食べるの?) ホーメルフーズ</ref>。[[東日本大震災]]の際に、ホーメル食品は、[[岩手県]]・[[宮城県]]・[[福島県]]の被災者に、スパム36,000缶を救援物資として提供<ref name="pressroom">[http://www.spam-jp.com/newsfun/category/pressroom プレスルーム] ホーメルフーズ</ref>、また会社として10万[[アメリカ合衆国ドル|米ドル]]を「マッチングギフト」として拠出し、従業員達から募った[[寄付|義援金]]と併せて[[アメリカ赤十字社]]を通じて寄付をした<ref name="pressroom" /><ref>[http://www.hormelfoods.com/Newsroom/Press-Releases/2011/03/20110317 Hormel Foods Pledges to Relief Efforts in Japan] Hormel Foods Corporation</ref>。2013年も引き続き被災者に、スパムを救援物資として提供した<ref name="pressroom" />。 == 飢餓と戦うSpammy == Spammy{{sup|TM}}は、どのような食文化でも広く受け入れられる様に[[七面鳥]]の肉を用い、[[栄養失調]]の[[子供]]を[[飢餓]]から救済するために開発された製品である。栄養支援に特化された製品で、[[アメリカ合衆国農務省]]は、[[亜鉛]]・鉄・[[ビタミンB]]・その他[[ミネラル]]が強化されたこの製品を、アメリカ合衆国内には流通させない様に求めている<ref>[http://www.hormelfoods.com/About/CorporateResponsibility/~/media/56DBB03695144AB6B5D58C888ACB3B9F.ashx On Our Way to Ending Hunger Q&A] Hormel Foods Corporation</ref>。 [[2011年]]に、ホーメル食品は[[貧困率]]が50%を超える、中米の[[グアテマラ]]を中心に、3年間で100万個のSpammyを支援することを発表した<ref>[http://www.hormelfoods.com/Newsroom/Press-Releases/2011/03/20110330 Hormel Foods Develops Innovative Protein Product to Address Childhood Malnutrition] Hormel Foods Corporation</ref>。就学前の児童160人に対し、20週以上に渡って行われた調査の結果、[[病気]]による[[欠席]]が減少し、「[[ビタミン]]・ミネラル強化製品」は[[統計]]的に有意な改善が見られたという成果を[[2014年]]に発表した<ref>[http://www.hormelfoods.com/Newsroom/Press-Releases/2014/07/20140715 Hormel Foods and USDA Collaborate to Help Improve Physical and Cognitive Development in Malnourished Children] Hormel Foods Corporation</ref>。 {{ external media | width = 500px | align = left | video1 = [https://www.youtube.com/watch?v=4CZtIzqkEDI Hormel and Food For The Poor bring Spammy to Guatemala] | video2 = [https://www.youtube.com/watch?v=_0GkpjV28VQ Project Spammy] }} {{Clear}} == 脚注 == === 注釈 === {{notelist2}} === 出典 === {{reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|Spam (food)|スパム}} * [[ランチョンミート]] * [[チューリップ・フード・カンパニー]] - デンマークの食品会社で沖縄ではSPAMよりもシェアが大きい。 * [[レーション]] * [[チャンプルー]](代表的な[[沖縄料理]]で、今日ではランチョンミートが多用される) * [[プデチゲ|プデ(部隊)チゲ]]([[大韓民国|韓国]]の[[チゲ|チゲ(鍋料理)]]の一種で、スパムなどのランチョンミートを必ず使用する) == 外部リンク == * [http://www.spam-jp.com/ スパムR日本公式サイト]{{ja icon}} * [http://www.spam.com/ Hormel Foods 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火の鳥 (漫画)
『火の鳥』(ひのとり)は、手塚治虫の作品。20世紀を代表する漫画家である手塚のライフワークと位置付けられているシリーズ漫画である。時代的あるいは地質時代的に、または宇宙的に大きく隔てられた様々なキャラクターが登場し、死ぬことのない「火の鳥(フェニックス / 不死鳥)」を追い求めるという一点で互いに繋がりを持ちながら、ちっぽけな一つの生命としてあるいは煩悩にまみれた人間として生きる機会を得た“舞台”で、それぞれの生涯をかけたドラマを展開してゆくというもの。 本作は、漫画を原作としたメディアミックス作品(映画・アニメ・ラジオドラマ・ビデオゲーム)が製作されているほか、アニメーション映画と演劇ではスピンオフ作品となっている。 手塚治虫が漫画家として活動を始めた初期のころから晩年まで手がけられており、手塚治虫がライフワークと位置付けた漫画作品。古代からはるか未来まで、地球や宇宙を舞台に、生命の本質・人間の業が、手塚治虫自身の独特な思想を根底に壮大なスケールで描かれる。物語は「火の鳥」と呼ばれる鳥が登場し火の鳥の血を飲めば永遠の命を得られるという設定の元、主人公たちはその火の鳥と関わりながら悩み、苦しみ、闘い、残酷な運命に翻弄され続ける。 作品は時系列順には執筆されず、雑誌「COM」以降の連載作品では過去・未来・過去・未来と交互に描き、手塚本人が死亡した瞬間に作品が完結するという構想で描かれていた。 この作品に多くの漫画家が影響を受け、数多くの映像化・アニメ化・ラジオドラマ化が行われた。 火の鳥は「○○編」と名の付く複数の編から成り立っている。 最初に連載されたのは1954年(昭和29年)、学童社の『漫画少年』の「黎明編」だったが、学童社はその後約1年ほどで倒産し未完に終わる。1956年に雑誌『少女クラブ』に「エジプト編」「ギリシャ編」「ローマ編」が連載された。そこから期間を空け、1967年に雑誌『COM』に、構想も新たに「黎明編」が連載された。さらに「未来編」「ヤマト編」「宇宙編」「鳳凰編」「復活編」「羽衣編」「望郷編」「乱世編」と書き継がれたが、同誌は休刊になる。1976年には、雑誌『マンガ少年』で改めて「望郷編」「乱世編」が連載され、さらに「生命編」「異形編」も連載されたが、同誌も休刊する。1986年に小説誌『野性時代』で「太陽編」が連載された。 各エピソードは、1つの物語として完結しているため、朝日ソノラマ出版版や角川版などの一部では、「第○巻」とせずに「○○編」とだけ付けていた。手塚の生前は、このような巻数表記の無い単行本が主流であった。 手塚が生前執筆した『火の鳥』は「太陽編」までであるが、その後も複数のエピソードの構想が練られていた。『火の鳥』は過去、未来、過去、未来、と交互に「現代」に近付いて描かれるが、手塚は「自分の死亡時刻」を現代としており、「現代編」を死ぬ瞬間に1コマ程度描くと公言していたが、それは叶わなかった。 『火の鳥』の物語は、円環構造をなしている。作中の時代においてはもっとも先の時代を描いた「未来編」のラストは「黎明編」に回帰する構成になっており、作品自体が輪廻を無限に繰り返すような作りにもなっている。 1980年に公開されたアニメーション映画『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』は、漫画の映像化ではない手塚オリジナルの物語であり、火の鳥全体を総括するような内容になっている。本作品は火の鳥の世界の結末の一つが描かれている。 手塚死去のために描かれなかった内容は、セガから発売された2003年のゲーム『ASTRO BOY・鉄腕アトム -アトムハートの秘密-』や2006年の『ブラック・ジャック 火の鳥編』などに一部着想が生かされている。また、作家の桜庭一樹が「小説 火の鳥 大地編」を執筆している。 『ブッダ』は、雑誌『COM』の休刊時に「火の鳥 東洋編」として出版社から企画されたものであった。そのため、作風やテーマ性が共通し、鼻が大きな人物(猿田と同じ顔)など共通の登場人物が数人出てくる。 1989年に手塚がストーリーを手がけた舞台劇『火の鳥』が上演された。2月8日にスペース・ゼロにて初演を迎えたが、翌2月9日に手塚が亡くなったため、急遽追悼公演として上演されるようになった。手塚の訃報を知ったスタッフが午後7時の公演時間に合わせてお悔やみの場内アナウンスを流すと、観客席からは嗚咽が漏れ、舞台の最中にも止まらなかったという。その後、この舞台劇版は講談社から発売されている『手塚治虫漫画全集 386巻 別巻手塚治虫シナリオ集』や朝日新聞社から発売されている『ぜんぶ手塚治虫!』、樹立社の『手塚治虫SF・小説の玉手箱』などでシナリオ原稿を読むことができる。この舞台劇版は手塚存命中に発表された最後の作品であり、手塚治虫記念館の1階の入り口近くにある作品年表でも最終作として記載されている。 声は各種メディアでの声優、演は実写版での俳優。 上述してある通り、火の鳥という作品は読む順番を入れ替えることも可能であり、多くの出版社から単行本が発売されているが収録順は出版社によってさまざまである。現在までに手塚治虫が描いたとおりの順番で収録された単行本は一冊も無い。下記では手塚治虫が描いた順番で紹介する。 この他、手塚以外の作家により作画された連載作品として、アニメ映画『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』をの内容を元にコミカライズした御厨さと美による漫画(初出:『マンガ少年』(1980年2月号 - 4月号)がある。詳細については当該項目を参照。 上記とは別に手塚が胃癌中の病院のベッドで手がけた作品「舞台劇 火の鳥」が存在し、この舞台劇が公開された1989年2月8日の翌日に手塚は亡くなっている。この舞台劇の時代背景は西暦2001年である。 2012年3月現在、入手可能な単行本は以下の通り。 またコンビニ用のB6判コミックが、2011年2月から7月にかけて秋田書店と朝日新聞出版の共同企画で全7巻が発行され、2015年4月からは秋田書店から合本形式で全5巻が発売された。 手塚治虫は単行本を出すたびにそのつど内容や絵に手を加えており、現行の単行本でも大きく分けて3つの種類がある。朝日ソノラマ(現・朝日新聞出版)版と角川書店版と復刊ドットコム版である。講談社の漫画全集および文庫全集は朝日ソノラマ版である。小学館クリエイティブ社の版は角川版の内容に雑誌版の二色ページを再現、扉絵を収録したもの。そして、2011年版コンビニコミックは角川版、2015年版コンビニコミックは朝日ソノラマ版である。 手塚による加筆・修正の順番は、『雑誌掲載版』→『朝日ソノラマ版』→『角川書店版』である。それぞれ編によってはストーリーが大きく違うものもある。『復刊ドットコム版』は手塚が手を加えてない雑誌連載時の状態がそのままが読める単行本である(しかし、単行本時に直された設定ミスや絵の描き間違いもそのまま収録されている)。 一連の作品の一部はラジオドラマ化、アニメ化、テレビゲーム化、または実写映画化された。 『火の鳥』(ひのとり)は1978年(昭和53年)8月19日(1978年8月12日には、有楽座にて先行公開)に公開された日本の特撮・アニメ映画。製作は東宝・火の鳥プロダクション。配給は東宝。イーストマンカラー、東宝1.5ワイド。第1部である黎明編(月刊COM版)を映画化。キャッチコピーは、「はばたけ! 永遠の鳥よ 燃える炎の中に愛の宇宙が見えるまで」。 実写にアニメーションを合成した表現が特徴であるが、ピンク・レディーを踊る狼、瞳の中に燃えあがる怒りの炎といった遊びの過ぎたアニメ合成が多く、「壮大なテーマが結実しないうちに映画がさっさと出来上がってしまった印象」(佐藤忠男)など批評は芳しくなかった。本作品の映画化を熱望していた市川崑監督は、劇中でアニメと実写の融合を試みたものの、撮影条件が満たされないままアイディアが先行する形となり、アニメーション制作やオプチカル合成の遅延など、現実的な問題からアニメパートが想定よりも短くなる結果となった。また実写パートも、合戦用に調教された馬を調達できずにカット割りや編集でカバーするなど、製作上の制約を技術力で補う事態となった。市川監督自身も同年にNHKラジオ番組「日曜喫茶室」で、「ラッシュを見て、こんな映画を撮った監督はどこのどいつだと思った」と冗談まじりに失敗作を示唆している。さらに後年、本作品を述懐した市川監督は、「手塚治虫さんの原作に惚れ込み過ぎた。もっと原作と距離を保てば良かった。せっかくの原作に申し訳ないことをしました」と反省の弁を述べている。 音楽面ではプロデューサーの市川喜一の要望でミシェル・ルグランやロンドン交響楽団が起用され、フランスで作曲と録音が行われた。また、芸能山城組の演奏をテレビ放映で知った市川監督が、本作品のヤマタイ国の場面で音源使用している。また尾美としのりのデビュー作であり、表記は「尾美トシノリ」としている。 劇場映画での主演歴(厳密にトップクレジットに限定して)を持つ出演者12人、市川監督以下、谷川俊太郎、コシノジュンコ、山城詳二、ミシェル・ルグランら世界的知名度の高いメンバーを結集したスタッフ陣と超豪華な顔ぶれで話題を集めたが、興行成績は都市部ロードショーの盛況に反し地方興行が惨敗。トータルの配給収入7億は2010年代の興行収入に換算すれば二十数億に相当する中ヒットといったところだったが、製作費の高さに見合わず、初期構想では実写「第1部」とフルアニメーション「第2部」の二部構成で、出足好調だったことから一部では「第2部」の製作決定と報じられシナリオも完成していたにも関わらず、続編『宇宙編』はお蔵入りすることになった。ただし企画自体は存続し、1980年に劇場用オリジナル長編アニメである『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』として結実している。 東宝特撮封印作品を販売するドラマCD発売会社グリフォンは『ノストラダムスの大予言』と『獣人雪男』のドラマCDの広告の下に東宝特撮封印作品ドラマCDシリーズ第2弾として、『緯度0大作戦』と本作品のドラマCDの発売を予告していたが、実現せずに未発売に終わった。後記の通り地上波放送された他CSでの放送は行われており、2015年10月からは各種サイトで映像配信も行われている。映像ソフトは2021年12月18日にBlu-rayが発売され初ソフト化となった。 1981年1月5日(月曜) 20:02 - 22:48(日本標準時)、テレビ朝日系列で『新春特別ロードショー』と題してのテレビ放送が行われた。途中、21:24 - 21:30には『ANNニュース』が放送された。 前述の実写映画『火の鳥』は本来は二部構成であった。しかし、実写版は独立した作品となり、本作品はシナリオが作成されていたにもかかわらず制作には移らなかった。結果的に本作品の計画は『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』へとつながった。 本作品は『火の鳥』の世界の結末の一つが描かれており、実写「第1部」と作品が輪廻する予定であった(第1部で始まりを見せ、第2部で終わりを見せ、終わりは始まりにつながる予定だった)。現在、この『火の鳥』(第2部)の内容は河出書房新社の『手塚治虫絵コンテ大全6 火の鳥2772』で読むことができる。内容は「未来編」「宇宙編」「復活編」「望郷編」を総括したような作品になっている。 西暦23xx年。人類はスペース・リープ航法という手段を発明し、自由に宇宙を移動していた。主人公は牧村壮吾、29歳、一流の宇宙ハンター。牧村は試験管で生まれた人物であり、家族はオルガと呼ばれるロボットしかいなかった。牧村にとってオルガはアシスタントであり、妻であり、娘であり、かけがえのない存在であった。 ある日、牧村は地球連邦移民局の局長であるロック長官に呼ばれる。そこで永遠の命を持つ「火の鳥」という生物を捕獲することを命じられた。牧村はレオーナとチヒロという2人の男女と出会い、一緒に旅に出ることになった。レオーナとチヒロは旅の途中で「エデン17」という惑星に降り立ち、仲間から外れる。牧村はレオーナから火の鳥が住んでいる惑星について聞き出し、そこへ向かった。その惑星は鳥人が人間のように生活している惑星であった。牧村は火の鳥の情報を聞き出すために、ポポヨラという鳥人の娘と接触した。ある日、オルガが突然ポポヨラこそが火の鳥であると語りだす。牧村はそれを知り、ポポヨラと戦い、正体を現した火の鳥から血を貰う。 牧村は地球に帰ろうとするが、地球の周辺まで近づくと地球から攻撃を受けるようになった。それは地球の人口増加、食糧危機、宇宙民の反乱などを防ぐために宇宙民を地球に入れないとするロックの判断であった。宇宙民は移民連合を組み、地球と対抗する突撃隊を組織した。牧村は移民の中でレオーナとチヒロの娘である「ロミ」を見つける。ロミは両親であるレオーナとチヒロを亡くし、15歳になり、美しい地球に憧れるようになり移民連合に参加した。牧村はそんなロミに恋をするようになった。牧村は愛するロミのためにロックと戦うことを決意する。 移民連合で沢山の人間が亡くなったが、牧村達は地球へと潜り込むことができた。牧村とロミとオルガは、荒れ地に巨大なドームのような建物を発見する。その建物には「猿田彦」という博士が住んでおり、そのドームには世界中の動物・植物が冷凍保存され集められていた。その時、地球は連鎖爆発を起こし、滅びてしまう。猿田博士も死に、オルガも牧村をかばって破壊。地球上で生き残ったのは牧村とロミだけであった。そして二人は...。 1時間45分-2時間 1980年公開の映画作品。手塚治虫が原案・構成・総監督を務めた。 1986年公開。同時上映は真崎守監督の『時空の旅人』。映画作品だが公開当日に映像ソフトが発売されている。 ストーリーについては、#執筆された作品を参照。 『火の鳥 エデンの宙』のタイトルで2023年9月13日よりディズニープラスにて世界独占配信された後、エンディングが異なるバージョン『火の鳥 エデンの花』が同年11月3日に公開。「望郷編」をアニメ化した作品。 1987年8月1日発売。ストーリーについては、#執筆された作品を参照。 1987年12月21日発売。ストーリーについては、#執筆された作品を参照。 2004年に手塚プロダクション制作、NHK-BSハイビジョン(総合テレビ)にて本放送された。火の鳥を演じた竹下景子はアニメ映画『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』以来24年ぶりの火の鳥での出演である。 放送エピソードはアニメ化していなかった「黎明編」・「復活編」・「異形編」・「太陽編」・「未来編」。内容は一貫して愛憎両面での父子関係ないしは擬似父子関係を重視したものに大幅に短縮・改編され、編によってはほぼ別物語に近いものもある。また、原作漫画の実験的表現はほぼ完全に排されている。 ハイビジョン制作、5.1chサラウンド音声作品。 NHKでは様々なチャンネルで何度も放送されている。 ストーリーについては、#執筆された作品を参照。 手塚治虫ワールドの300インチシアターにて上映されていたオリジナル短編アニメ。制作陣はテレビアニメ版と一部同じだが、火の鳥の声優は代わっている。 手塚プロダクション/2004年7月17日/21分 『火の鳥 -絆編-』(ひのとりきずなへん)は2012年に公開されたプラネタリウム専用アニメーション映画である。秋田県能代市・能代市子ども館 、宮城県大崎市パレットおおさき(大崎生涯学習センター)、茨城県つくば市つくばエキスポセンターで上映。 主人公の平凡な地球人の少年カイは、宇宙へ飛びだったまま連絡が途絶えた父の帰りをずっと待っていた。しかし、父は10年経っても帰ってこなかった。ある日、そんなカイの前に炎に包まれた不思議な鳥が現れる。カイはその鳥と宇宙へと旅立つ。そしてカイは父の愛を知る。 愛媛県松山市は2019年より道後温泉本館が大規模な保存修理工事を開始したのを機に、同年1月より「道後REBORNプロジェクト」として手塚プロダクション、ポニーキャニオンと共同コラボレーション企画を展開。火の鳥をイメージキャラクターにしたキービジュアルや入浴券イラストが使用されるほか、同年5月からは手塚プロダクション制作によるオリジナルアニメーションを配信。アニメは全4話(プロローグ1話+本編3話)構成で、永遠の命を持つ火の鳥が三千年にわたる道後温泉の歴史において、それぞれの時代で人や神と関わる物語を描く。 下記に各話の登場人物および概要も簡単に解説。 2作品とも、アニメ映画『火の鳥 鳳凰編』とのメディアミックス作品。パッケージやマニュアルの表紙に映画のイメージ画像が使われているほか、手塚治虫に加えて映画の製作元である角川書店がクレジット表記されている。 上記は、手塚治虫生誕90周年記念書籍『テヅコミ』(マイクロマガジン社)にて連載されたトリビュート作品。2013年愛媛美術館で開催された「手塚治虫展」にて展示された漫画も収録し、単行本が全1巻刊行された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『火の鳥』(ひのとり)は、手塚治虫の作品。20世紀を代表する漫画家である手塚のライフワークと位置付けられているシリーズ漫画である。時代的あるいは地質時代的に、または宇宙的に大きく隔てられた様々なキャラクターが登場し、死ぬことのない「火の鳥(フェニックス / 不死鳥)」を追い求めるという一点で互いに繋がりを持ちながら、ちっぽけな一つの生命としてあるいは煩悩にまみれた人間として生きる機会を得た“舞台”で、それぞれの生涯をかけたドラマを展開してゆくというもの。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "本作は、漫画を原作としたメディアミックス作品(映画・アニメ・ラジオドラマ・ビデオゲーム)が製作されているほか、アニメーション映画と演劇ではスピンオフ作品となっている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "手塚治虫が漫画家として活動を始めた初期のころから晩年まで手がけられており、手塚治虫がライフワークと位置付けた漫画作品。古代からはるか未来まで、地球や宇宙を舞台に、生命の本質・人間の業が、手塚治虫自身の独特な思想を根底に壮大なスケールで描かれる。物語は「火の鳥」と呼ばれる鳥が登場し火の鳥の血を飲めば永遠の命を得られるという設定の元、主人公たちはその火の鳥と関わりながら悩み、苦しみ、闘い、残酷な運命に翻弄され続ける。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "作品は時系列順には執筆されず、雑誌「COM」以降の連載作品では過去・未来・過去・未来と交互に描き、手塚本人が死亡した瞬間に作品が完結するという構想で描かれていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "この作品に多くの漫画家が影響を受け、数多くの映像化・アニメ化・ラジオドラマ化が行われた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "火の鳥は「○○編」と名の付く複数の編から成り立っている。", "title": "作品の構成" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "最初に連載されたのは1954年(昭和29年)、学童社の『漫画少年』の「黎明編」だったが、学童社はその後約1年ほどで倒産し未完に終わる。1956年に雑誌『少女クラブ』に「エジプト編」「ギリシャ編」「ローマ編」が連載された。そこから期間を空け、1967年に雑誌『COM』に、構想も新たに「黎明編」が連載された。さらに「未来編」「ヤマト編」「宇宙編」「鳳凰編」「復活編」「羽衣編」「望郷編」「乱世編」と書き継がれたが、同誌は休刊になる。1976年には、雑誌『マンガ少年』で改めて「望郷編」「乱世編」が連載され、さらに「生命編」「異形編」も連載されたが、同誌も休刊する。1986年に小説誌『野性時代』で「太陽編」が連載された。", "title": "作品の構成" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "各エピソードは、1つの物語として完結しているため、朝日ソノラマ出版版や角川版などの一部では、「第○巻」とせずに「○○編」とだけ付けていた。手塚の生前は、このような巻数表記の無い単行本が主流であった。", "title": "作品の構成" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "手塚が生前執筆した『火の鳥』は「太陽編」までであるが、その後も複数のエピソードの構想が練られていた。『火の鳥』は過去、未来、過去、未来、と交互に「現代」に近付いて描かれるが、手塚は「自分の死亡時刻」を現代としており、「現代編」を死ぬ瞬間に1コマ程度描くと公言していたが、それは叶わなかった。", "title": "作品の構成" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "『火の鳥』の物語は、円環構造をなしている。作中の時代においてはもっとも先の時代を描いた「未来編」のラストは「黎明編」に回帰する構成になっており、作品自体が輪廻を無限に繰り返すような作りにもなっている。", "title": "作品の構成" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1980年に公開されたアニメーション映画『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』は、漫画の映像化ではない手塚オリジナルの物語であり、火の鳥全体を総括するような内容になっている。本作品は火の鳥の世界の結末の一つが描かれている。", "title": "作品の構成" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "手塚死去のために描かれなかった内容は、セガから発売された2003年のゲーム『ASTRO BOY・鉄腕アトム -アトムハートの秘密-』や2006年の『ブラック・ジャック 火の鳥編』などに一部着想が生かされている。また、作家の桜庭一樹が「小説 火の鳥 大地編」を執筆している。", "title": "作品の構成" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "『ブッダ』は、雑誌『COM』の休刊時に「火の鳥 東洋編」として出版社から企画されたものであった。そのため、作風やテーマ性が共通し、鼻が大きな人物(猿田と同じ顔)など共通の登場人物が数人出てくる。", "title": "作品の構成" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1989年に手塚がストーリーを手がけた舞台劇『火の鳥』が上演された。2月8日にスペース・ゼロにて初演を迎えたが、翌2月9日に手塚が亡くなったため、急遽追悼公演として上演されるようになった。手塚の訃報を知ったスタッフが午後7時の公演時間に合わせてお悔やみの場内アナウンスを流すと、観客席からは嗚咽が漏れ、舞台の最中にも止まらなかったという。その後、この舞台劇版は講談社から発売されている『手塚治虫漫画全集 386巻 別巻手塚治虫シナリオ集』や朝日新聞社から発売されている『ぜんぶ手塚治虫!』、樹立社の『手塚治虫SF・小説の玉手箱』などでシナリオ原稿を読むことができる。この舞台劇版は手塚存命中に発表された最後の作品であり、手塚治虫記念館の1階の入り口近くにある作品年表でも最終作として記載されている。", "title": "作品の構成" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "声は各種メディアでの声優、演は実写版での俳優。", "title": "登場人物" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "上述してある通り、火の鳥という作品は読む順番を入れ替えることも可能であり、多くの出版社から単行本が発売されているが収録順は出版社によってさまざまである。現在までに手塚治虫が描いたとおりの順番で収録された単行本は一冊も無い。下記では手塚治虫が描いた順番で紹介する。", "title": "各編のあらすじ" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "この他、手塚以外の作家により作画された連載作品として、アニメ映画『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』をの内容を元にコミカライズした御厨さと美による漫画(初出:『マンガ少年』(1980年2月号 - 4月号)がある。詳細については当該項目を参照。", "title": "各編のあらすじ" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "上記とは別に手塚が胃癌中の病院のベッドで手がけた作品「舞台劇 火の鳥」が存在し、この舞台劇が公開された1989年2月8日の翌日に手塚は亡くなっている。この舞台劇の時代背景は西暦2001年である。", "title": "各編のあらすじ" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "2012年3月現在、入手可能な単行本は以下の通り。", "title": "単行本" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "またコンビニ用のB6判コミックが、2011年2月から7月にかけて秋田書店と朝日新聞出版の共同企画で全7巻が発行され、2015年4月からは秋田書店から合本形式で全5巻が発売された。", "title": "単行本" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "手塚治虫は単行本を出すたびにそのつど内容や絵に手を加えており、現行の単行本でも大きく分けて3つの種類がある。朝日ソノラマ(現・朝日新聞出版)版と角川書店版と復刊ドットコム版である。講談社の漫画全集および文庫全集は朝日ソノラマ版である。小学館クリエイティブ社の版は角川版の内容に雑誌版の二色ページを再現、扉絵を収録したもの。そして、2011年版コンビニコミックは角川版、2015年版コンビニコミックは朝日ソノラマ版である。", "title": "単行本" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "手塚による加筆・修正の順番は、『雑誌掲載版』→『朝日ソノラマ版』→『角川書店版』である。それぞれ編によってはストーリーが大きく違うものもある。『復刊ドットコム版』は手塚が手を加えてない雑誌連載時の状態がそのままが読める単行本である(しかし、単行本時に直された設定ミスや絵の描き間違いもそのまま収録されている)。", "title": "単行本" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "一連の作品の一部はラジオドラマ化、アニメ化、テレビゲーム化、または実写映画化された。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "『火の鳥』(ひのとり)は1978年(昭和53年)8月19日(1978年8月12日には、有楽座にて先行公開)に公開された日本の特撮・アニメ映画。製作は東宝・火の鳥プロダクション。配給は東宝。イーストマンカラー、東宝1.5ワイド。第1部である黎明編(月刊COM版)を映画化。キャッチコピーは、「はばたけ! 永遠の鳥よ 燃える炎の中に愛の宇宙が見えるまで」。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "実写にアニメーションを合成した表現が特徴であるが、ピンク・レディーを踊る狼、瞳の中に燃えあがる怒りの炎といった遊びの過ぎたアニメ合成が多く、「壮大なテーマが結実しないうちに映画がさっさと出来上がってしまった印象」(佐藤忠男)など批評は芳しくなかった。本作品の映画化を熱望していた市川崑監督は、劇中でアニメと実写の融合を試みたものの、撮影条件が満たされないままアイディアが先行する形となり、アニメーション制作やオプチカル合成の遅延など、現実的な問題からアニメパートが想定よりも短くなる結果となった。また実写パートも、合戦用に調教された馬を調達できずにカット割りや編集でカバーするなど、製作上の制約を技術力で補う事態となった。市川監督自身も同年にNHKラジオ番組「日曜喫茶室」で、「ラッシュを見て、こんな映画を撮った監督はどこのどいつだと思った」と冗談まじりに失敗作を示唆している。さらに後年、本作品を述懐した市川監督は、「手塚治虫さんの原作に惚れ込み過ぎた。もっと原作と距離を保てば良かった。せっかくの原作に申し訳ないことをしました」と反省の弁を述べている。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "音楽面ではプロデューサーの市川喜一の要望でミシェル・ルグランやロンドン交響楽団が起用され、フランスで作曲と録音が行われた。また、芸能山城組の演奏をテレビ放映で知った市川監督が、本作品のヤマタイ国の場面で音源使用している。また尾美としのりのデビュー作であり、表記は「尾美トシノリ」としている。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "劇場映画での主演歴(厳密にトップクレジットに限定して)を持つ出演者12人、市川監督以下、谷川俊太郎、コシノジュンコ、山城詳二、ミシェル・ルグランら世界的知名度の高いメンバーを結集したスタッフ陣と超豪華な顔ぶれで話題を集めたが、興行成績は都市部ロードショーの盛況に反し地方興行が惨敗。トータルの配給収入7億は2010年代の興行収入に換算すれば二十数億に相当する中ヒットといったところだったが、製作費の高さに見合わず、初期構想では実写「第1部」とフルアニメーション「第2部」の二部構成で、出足好調だったことから一部では「第2部」の製作決定と報じられシナリオも完成していたにも関わらず、続編『宇宙編』はお蔵入りすることになった。ただし企画自体は存続し、1980年に劇場用オリジナル長編アニメである『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』として結実している。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "東宝特撮封印作品を販売するドラマCD発売会社グリフォンは『ノストラダムスの大予言』と『獣人雪男』のドラマCDの広告の下に東宝特撮封印作品ドラマCDシリーズ第2弾として、『緯度0大作戦』と本作品のドラマCDの発売を予告していたが、実現せずに未発売に終わった。後記の通り地上波放送された他CSでの放送は行われており、2015年10月からは各種サイトで映像配信も行われている。映像ソフトは2021年12月18日にBlu-rayが発売され初ソフト化となった。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "1981年1月5日(月曜) 20:02 - 22:48(日本標準時)、テレビ朝日系列で『新春特別ロードショー』と題してのテレビ放送が行われた。途中、21:24 - 21:30には『ANNニュース』が放送された。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "前述の実写映画『火の鳥』は本来は二部構成であった。しかし、実写版は独立した作品となり、本作品はシナリオが作成されていたにもかかわらず制作には移らなかった。結果的に本作品の計画は『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』へとつながった。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "本作品は『火の鳥』の世界の結末の一つが描かれており、実写「第1部」と作品が輪廻する予定であった(第1部で始まりを見せ、第2部で終わりを見せ、終わりは始まりにつながる予定だった)。現在、この『火の鳥』(第2部)の内容は河出書房新社の『手塚治虫絵コンテ大全6 火の鳥2772』で読むことができる。内容は「未来編」「宇宙編」「復活編」「望郷編」を総括したような作品になっている。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "西暦23xx年。人類はスペース・リープ航法という手段を発明し、自由に宇宙を移動していた。主人公は牧村壮吾、29歳、一流の宇宙ハンター。牧村は試験管で生まれた人物であり、家族はオルガと呼ばれるロボットしかいなかった。牧村にとってオルガはアシスタントであり、妻であり、娘であり、かけがえのない存在であった。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ある日、牧村は地球連邦移民局の局長であるロック長官に呼ばれる。そこで永遠の命を持つ「火の鳥」という生物を捕獲することを命じられた。牧村はレオーナとチヒロという2人の男女と出会い、一緒に旅に出ることになった。レオーナとチヒロは旅の途中で「エデン17」という惑星に降り立ち、仲間から外れる。牧村はレオーナから火の鳥が住んでいる惑星について聞き出し、そこへ向かった。その惑星は鳥人が人間のように生活している惑星であった。牧村は火の鳥の情報を聞き出すために、ポポヨラという鳥人の娘と接触した。ある日、オルガが突然ポポヨラこそが火の鳥であると語りだす。牧村はそれを知り、ポポヨラと戦い、正体を現した火の鳥から血を貰う。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "牧村は地球に帰ろうとするが、地球の周辺まで近づくと地球から攻撃を受けるようになった。それは地球の人口増加、食糧危機、宇宙民の反乱などを防ぐために宇宙民を地球に入れないとするロックの判断であった。宇宙民は移民連合を組み、地球と対抗する突撃隊を組織した。牧村は移民の中でレオーナとチヒロの娘である「ロミ」を見つける。ロミは両親であるレオーナとチヒロを亡くし、15歳になり、美しい地球に憧れるようになり移民連合に参加した。牧村はそんなロミに恋をするようになった。牧村は愛するロミのためにロックと戦うことを決意する。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "移民連合で沢山の人間が亡くなったが、牧村達は地球へと潜り込むことができた。牧村とロミとオルガは、荒れ地に巨大なドームのような建物を発見する。その建物には「猿田彦」という博士が住んでおり、そのドームには世界中の動物・植物が冷凍保存され集められていた。その時、地球は連鎖爆発を起こし、滅びてしまう。猿田博士も死に、オルガも牧村をかばって破壊。地球上で生き残ったのは牧村とロミだけであった。そして二人は...。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1時間45分-2時間", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "1980年公開の映画作品。手塚治虫が原案・構成・総監督を務めた。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "1986年公開。同時上映は真崎守監督の『時空の旅人』。映画作品だが公開当日に映像ソフトが発売されている。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "ストーリーについては、#執筆された作品を参照。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "『火の鳥 エデンの宙』のタイトルで2023年9月13日よりディズニープラスにて世界独占配信された後、エンディングが異なるバージョン『火の鳥 エデンの花』が同年11月3日に公開。「望郷編」をアニメ化した作品。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "1987年8月1日発売。ストーリーについては、#執筆された作品を参照。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "1987年12月21日発売。ストーリーについては、#執筆された作品を参照。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "2004年に手塚プロダクション制作、NHK-BSハイビジョン(総合テレビ)にて本放送された。火の鳥を演じた竹下景子はアニメ映画『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』以来24年ぶりの火の鳥での出演である。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "放送エピソードはアニメ化していなかった「黎明編」・「復活編」・「異形編」・「太陽編」・「未来編」。内容は一貫して愛憎両面での父子関係ないしは擬似父子関係を重視したものに大幅に短縮・改編され、編によってはほぼ別物語に近いものもある。また、原作漫画の実験的表現はほぼ完全に排されている。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "ハイビジョン制作、5.1chサラウンド音声作品。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "NHKでは様々なチャンネルで何度も放送されている。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "ストーリーについては、#執筆された作品を参照。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "手塚治虫ワールドの300インチシアターにて上映されていたオリジナル短編アニメ。制作陣はテレビアニメ版と一部同じだが、火の鳥の声優は代わっている。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "手塚プロダクション/2004年7月17日/21分", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "『火の鳥 -絆編-』(ひのとりきずなへん)は2012年に公開されたプラネタリウム専用アニメーション映画である。秋田県能代市・能代市子ども館 、宮城県大崎市パレットおおさき(大崎生涯学習センター)、茨城県つくば市つくばエキスポセンターで上映。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "主人公の平凡な地球人の少年カイは、宇宙へ飛びだったまま連絡が途絶えた父の帰りをずっと待っていた。しかし、父は10年経っても帰ってこなかった。ある日、そんなカイの前に炎に包まれた不思議な鳥が現れる。カイはその鳥と宇宙へと旅立つ。そしてカイは父の愛を知る。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "愛媛県松山市は2019年より道後温泉本館が大規模な保存修理工事を開始したのを機に、同年1月より「道後REBORNプロジェクト」として手塚プロダクション、ポニーキャニオンと共同コラボレーション企画を展開。火の鳥をイメージキャラクターにしたキービジュアルや入浴券イラストが使用されるほか、同年5月からは手塚プロダクション制作によるオリジナルアニメーションを配信。アニメは全4話(プロローグ1話+本編3話)構成で、永遠の命を持つ火の鳥が三千年にわたる道後温泉の歴史において、それぞれの時代で人や神と関わる物語を描く。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "下記に各話の登場人物および概要も簡単に解説。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "2作品とも、アニメ映画『火の鳥 鳳凰編』とのメディアミックス作品。パッケージやマニュアルの表紙に映画のイメージ画像が使われているほか、手塚治虫に加えて映画の製作元である角川書店がクレジット表記されている。", "title": "他のメディア" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "上記は、手塚治虫生誕90周年記念書籍『テヅコミ』(マイクロマガジン社)にて連載されたトリビュート作品。2013年愛媛美術館で開催された「手塚治虫展」にて展示された漫画も収録し、単行本が全1巻刊行された。", "title": "他のメディア" } ]
『火の鳥』(ひのとり)は、手塚治虫の作品。20世紀を代表する漫画家である手塚のライフワークと位置付けられているシリーズ漫画である。時代的あるいは地質時代的に、または宇宙的に大きく隔てられた様々なキャラクターが登場し、死ぬことのない「火の鳥」を追い求めるという一点で互いに繋がりを持ちながら、ちっぽけな一つの生命としてあるいは煩悩にまみれた人間として生きる機会を得た“舞台”で、それぞれの生涯をかけたドラマを展開してゆくというもの。 本作は、漫画を原作としたメディアミックス作品(映画・アニメ・ラジオドラマ・ビデオゲーム)が製作されているほか、アニメーション映画と演劇ではスピンオフ作品となっている。
{{Infobox animanga/Header | タイトル = 火の鳥 | 画像 = | サイズ = | 説明 = | ジャンル = [[サイエンス・フィクション|SF]] }} {{Infobox animanga/Manga | タイトル = | 作者 = [[手塚治虫]] | 作画 = | 出版社 = [[学童社]]<br />[[講談社|大日本雄辨會講談社]]<br />[[虫プロダクション#虫プロ商事|虫プロ商事]]<br />[[朝日ソノラマ]]<br />[[KADOKAWA]] | 他出版社 = | 掲載誌 = [[漫画少年]](黎明編)<br />[[少女クラブ]](エジプト編・ギリシャ編・ローマ編)<br />[[COM (雑誌)|COM]](黎明編、他複数{{Efn|黎明編・未来編・ヤマト編・宇宙編・鳳凰編・復活編・羽衣編・望郷編・乱世編。}})<br />[[マンガ少年]](望郷編・乱世編・生命編・異形編)<br />[[小説野性時代|野性時代]](太陽編) | レーベル = | 発行日 = | 発売日 = | 開始号 = | 終了号 = | 開始日 = 1954年7月 | 終了日 = 1988年2月 | 発表期間 = | 巻数 = 全11巻<ref name="名前なし-1">手塚治虫文庫全集 『火の鳥』 11巻 「火の鳥」解説、2012年、p.404-405.</ref> | 話数 = | その他 = | インターネット = }} {{Infobox animanga/RadioDrama | メディア = | タイトル = | 原作 = 火の鳥 黎明編・未来編・鳳凰編・乱世編 | 制作 = | 脚本 = | 演出 = | 放送局 = [[NHKラジオ第1放送]] | 番組 = 連続ラジオ小説 | 書籍 = | 発売元 = | 販売元 = | レーベル = | 発売日 = | 開始 = 1977年3月21日 | 終了 = 1980年3月21日 | 売上本数 = | レイティング = | 収録時間 = | 話数 = | 枚数 = | その他 = }} {{Infobox animanga/RadioDrama | メディア = | タイトル = | 原作 = 火の鳥 生命編 | 制作 = | 脚本 = | 演出 = | 放送局 = 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ディレクター = | キャラクターデザイン = | プロジェクト起案・原案 = | メカニックデザイン = | シナリオ = | 音楽 = | メディア = | ディスクレス起動 = | アクチベーション = | プレイ人数 = | 発売日 = 1987年1月4日 | 稼動時期 = | 出荷本数 = | 売上本数 = | レイティング = | インタフェース = | コンテンツアイコン = | 基板 = | キャラクター名設定 = | エンディング数 = | セーブファイル数 = | セーブファイル容量 = | コンテニュー = | 画面サイズ = | 全画面表示モード = | 音楽フォーマット = | キャラクターボイス = | 通信機能 = | デバイス = | その他 = }} {{Infobox animanga/Game | タイトル = 火の鳥 鳳凰編 | ゲームジャンル = [[シューティングゲーム]] | 対応機種 = [[MSX2]] | 必要環境 = | 推奨環境 = | ゲームエンジン = | 修正パッチ = | 開発元 = | 発売元 = | 開発・発売元 = [[コナミホールディングス|コナミ]] | 総監督 = | プロデューサー = | ディレクター = | キャラクターデザイン = | プロジェクト起案・原案 = | メカニックデザイン = | シナリオ = | 音楽 = | メディア = | ディスクレス起動 = | アクチベーション = | プレイ人数 = | 発売日 = 1987年4月5日 | 稼動時期 = | 出荷本数 = | 売上本数 = | レイティング = | インタフェース = | コンテンツアイコン = | 基板 = | キャラクター名設定 = | エンディング数 = | セーブファイル数 = | セーブファイル容量 = | コンテニュー = | 画面サイズ = | 全画面表示モード = | 音楽フォーマット = | キャラクターボイス = | 通信機能 = | デバイス = | その他 = }} {{Infobox animanga/RadioDrama | メディア = オーディオドラマ | タイトル = 火の鳥 永遠の生命 | 原作 = | 制作 = | 脚本 = | 演出 = | 放送局 = [[文化放送]] | 番組 = | 書籍 = | 発売元 = | 販売元 = | レーベル = | 発売日 = | 開始 = 1999年10月 | 終了 = 2000年3月 | 売上本数 = | レイティング = | 収録時間 = | 話数 = | 枚数 = | その他 = }} {{Infobox animanga/TVAnime | タイトル = | 原作 = 手塚治虫 | 総監督 = | 監督 = [[高橋良輔 (アニメ監督)|高橋良輔]] | シリーズディレクター = | シリーズ構成 = | 脚本 = [[五武冬史]](黎明編)<br />[[長谷川圭一]](復活編)<br />[[杉井ギサブロー]](異形編)<br />[[野崎透]](太陽編)<br />[[小林弘利]](未來編) | キャラクターデザイン = [[杉野昭夫]]、内田裕、[[西田正義]]、大下久馬 | メカニックデザイン = | 音楽 = [[内池秀和]]、[[野見祐二]] | アニメーション制作 = [[手塚プロダクション]] | 製作 = [[日本放送協会|NHK]] | 放送局 = NHK | 放送開始 = 2004年4月4日 | 放送終了 = 2004年6月27日 | 話数 = 13話 | その他 = | インターネット = }} {{Infobox animanga/TVAnime | タイトル = 火の鳥 エデンの宙 | 原作 = 手塚治虫「火の鳥 望郷編」 | 総監督 = | 監督 = [[西見祥示郎]] | シリーズディレクター = | シリーズ構成 = | 脚本 = [[真野勝成]]、[[木ノ花咲]] | キャラクターデザイン = [[西田達三]] | メカニックデザイン = | 音楽 = [[村松崇継]] | アニメーション制作 = [[STUDIO 4℃]] | 製作 = 「火の鳥 エデンの花」製作委員会 | 放送局 = [[Disney+]] | 放送開始 = 2023年9月13日 | 放送終了 = | 話数 = | その他 = 2023年11月3日より別エンディング版<br />「エデンの花」を劇場公開予定 | インターネット = }} {{Infobox animanga/Footer | ウィキプロジェクト = | ウィキポータル = }} 『'''火の鳥'''』(ひのとり)は、[[手塚治虫]]の作品。20世紀を代表する漫画家である手塚の[[ライフワーク]]と位置付けられているシリーズ[[漫画]]である。[[時代]]的あるいは[[地質時代]]的に、または[[宇宙]]的に大きく隔てられた様々な[[キャラクター]]が登場し、[[不死|死ぬことのない]]「火の鳥([[フェニックス]] / 不死鳥)」を追い求めるという一点で互いに繋がりを持ちながら、ちっぽけな一つの[[生命]]としてあるいは[[煩悩]]にまみれた人間として生きる機会を得た“舞台”で、それぞれの生涯をかけたドラマを展開してゆくというもの。 本作は、漫画を[[原作]]とした[[メディアミックス]]作品([[映画]]・[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]・[[ラジオドラマ]]・[[ビデオゲーム]])が製作されているほか、[[アニメーション映画]]と[[演劇]]では[[スピンオフ#作品制作におけるスピンオフ|スピンオフ]]作品となっている。 == 概要 == 手塚治虫が[[漫画家]]として活動を始めた初期のころから晩年まで手がけられており、手塚治虫がライフワークと位置付けた漫画作品{{efn|雑誌『マンガ少年』連載時の望郷編の扉絵には既に「手塚治虫のライフワーク」と銘打たれていた{{Full|date=2021年11月}}。}}。[[古代]]からはるか未来まで、[[地球]]や[[宇宙]]を舞台に、生命の本質・人間の業が、手塚治虫自身の独特な思想を根底に壮大なスケールで描かれる。物語は「火の鳥」と呼ばれる鳥が登場し火の鳥の血を飲めば永遠の命を得られるという設定の元、主人公たちはその火の鳥と関わりながら悩み、苦しみ、闘い、残酷な運命に翻弄され続ける。 作品は時系列順には執筆されず、雑誌「[[COM (雑誌)|COM]]」以降の連載作品では過去・未来・過去・未来と交互に描き、手塚本人が死亡した瞬間に作品が完結するという構想で描かれていた<ref name="名前なし-20230316125658">{{Harvnb|ニュータイプ100%コレクション 火の鳥|1986|p=}} {{要ページ番号|date=2021年11月}}</ref>。 この作品に多くの漫画家が影響を受け、数多くの映像化・アニメ化・ラジオドラマ化が行われた。 == 作品の構成 == 火の鳥は「○○編」と名の付く複数の編から成り立っている。 最初に連載されたのは[[1954年]](昭和29年)、[[学童社]]の『[[漫画少年]]』の「黎明編」だったが、学童社はその後約1年ほどで倒産し未完に終わる。[[1956年]]に雑誌『[[少女クラブ]]』に「エジプト編」「ギリシャ編」「ローマ編」が連載された。そこから期間を空け、[[1967年]]に雑誌『[[COM (雑誌)|COM]]』に、構想も新たに「黎明編」が連載された。さらに「未来編」「ヤマト編」「宇宙編」「鳳凰編」「復活編」「羽衣編」「望郷編」「乱世編」と書き継がれたが、同誌は休刊になる。[[1976年]]には、雑誌『[[マンガ少年]]』で改めて「望郷編」「乱世編」が連載され、さらに「生命編」「異形編」も連載されたが、同誌も休刊する。[[1986年]]に小説誌『[[小説野性時代|野性時代]]』で「太陽編」が連載された。 各エピソードは、1つの物語として完結しているため、朝日ソノラマ出版版や角川版などの一部では、「第○巻」とせずに「○○編」とだけ付けていた。手塚の生前は、このような巻数表記の無い単行本が主流であった。 手塚が生前執筆した『火の鳥』は「太陽編」までであるが、その後も複数のエピソードの構想が練られていた。『火の鳥』は過去、未来、過去、未来、と交互に「現代」に近付いて描かれるが、手塚は「自分の死亡時刻」を現代としており、「現代編」を死ぬ瞬間に1コマ程度描くと公言していたが<ref name="名前なし-20230316125658"/>、それは叶わなかった。 『火の鳥』の物語は、円環構造をなしている。作中の時代においてはもっとも先の時代を描いた「未来編」のラストは「黎明編」に回帰する構成になっており、作品自体が輪廻を無限に繰り返すような作りにもなっている。 [[1980年]]に公開されたアニメーション映画『[[火の鳥2772 愛のコスモゾーン]]』は、漫画の映像化ではない手塚オリジナルの物語であり、火の鳥全体を総括するような内容になっている。本作品は火の鳥の世界の結末の一つが描かれている。 手塚死去のために描かれなかった内容は、セガから発売された2003年のゲーム『[[ASTRO BOY・鉄腕アトム -アトムハートの秘密-]]』や2006年の『[[ブラック・ジャック 火の鳥編]]』などに一部着想が生かされている。また、作家の桜庭一樹が「小説 火の鳥 大地編」を執筆している<ref name="朝日_20200627">{{Cite news |和書 |date=2020-06-27 |title=桜庭一樹「小説 火の鳥 大地編」|url=https://www.asahi.com/culture/hinotori/ |publisher=朝日新聞社 |newspaper=[[朝日新聞デジタル]] |accessdate=2022-08-17 }}</ref>。 『[[ブッダ (漫画)|ブッダ]]』は、雑誌『COM』の休刊時に「火の鳥 東洋編」として出版社から企画されたものであった{{Sfnp|伴|手塚プロダクション|2009|p=156}}。そのため、作風やテーマ性が共通し、鼻が大きな人物(猿田と同じ顔)など共通の登場人物が数人出てくる。 1989年に手塚がストーリーを手がけた[[舞台劇]]『火の鳥』が上演された<ref name=official-about-1980s_20220817view>{{Cite web|和書|title=1980年代 < 年譜 |url=https://tezukaosamu.net/jp/about/1980.html |publisher=株式会社[[手塚プロダクション]] |website=公式ウェブサイト |work=手塚治虫 |accessdate=2022-08-17 }}</ref>。2月8日に[[スペース・ゼロ]]にて初演を迎えたが、翌2月9日に手塚が亡くなったため、急遽追悼公演として上演されるようになった<ref>1989年の2月8日報知新聞 1989年2月10日「ミュージカル火の鳥追悼公演」</ref>。手塚の訃報を知ったスタッフが午後7時の公演時間に合わせてお悔やみの場内アナウンスを流すと、観客席からは嗚咽が漏れ、舞台の最中にも止まらなかったという。その後、この舞台劇版は講談社から発売されている『[[手塚治虫漫画全集]] 386巻 別巻手塚治虫シナリオ集』や[[朝日新聞社]]から発売されている『ぜんぶ手塚治虫!』、樹立社の『手塚治虫SF・小説の玉手箱』などでシナリオ原稿を読むことができる。この舞台劇版は手塚存命中に発表された最後の作品であり、[[手塚治虫記念館]]の1階の入り口近くにある作品年表でも最終作として記載されている。 == 登場人物 == 声は各種メディアでの声優、演は実写版での俳優。 === 主要人物 === ; 火の鳥 : 声 - [[岡雅子|岡真佐子]](実写映画版)、[[竹下景子]](映画・愛のコスモゾーン、テレビアニメシリーズ)、[[池田昌子]](映画・鳳凰編、OVAシリーズ)、[[田中敦子 (声優)|田中敦子]](短編・羽衣編)、[[水樹奈々]](短編・道後温泉編)、[[土井美加]](オーディオドラマ)、[[小山茉美]](ゲームアトム時空の果て) : 人智を超えた存在である超生命体。炎をまとった鳥の姿をしている。100年に一度自らを火で焼いて再生(幼体化)することで永遠に生き続ける。他者との会話は[[テレパシー]]で行ない、未来を見通す。火の鳥の血を飲めば永遠の命を得ることができるため、多くの人間がその生き血を求める。呼称は[[鳳凰]]・火焔鳥・[[フェニックス]]・不死鳥などとも呼ばれる。 : 時空を超えて羽ばたく超生命体として描かれる。その身体は宇宙生命(コスモゾーン)で形成されており、関わった人々の魂をも吸収して体内で同化し生かし続けることも可能。話によっては人間との間に子供をもうけていたりもする。『エジプト編』の設定では元々は天上界にいたが人間界に降りたことになっている。火の鳥は一羽だけではなく、『ギリシャ編』ではチロルと呼ばれる火の鳥の娘が登場する。チロルはややわがままな性格をしており、他の編の火の鳥がチロルかどうかは不明。 : 手塚治虫は[[ストラヴィンスキー]]のバレエ「[[火の鳥 (ストラヴィンスキー)|火の鳥]]」を見て、その中の火の鳥の精を演じるバレリーナの魅力に心を奪われたのが本作品の漫画「火の鳥」を描くきっかけだったとしている<ref>COM名作コミックス「火の鳥 未来編」1968年{{要ページ番号|date=2021年11月}}</ref>。また手塚はソ連の映画「[[せむしの仔馬]]」のファンでもあり、この映画にも「火の鳥」は登場する。 ; 猿田 : 声 - [[熊倉一雄]](映画・愛のコスモゾーン)、[[堀勝之祐]](映画・鳳凰編、OVAシリーズ)、[[小村哲生]](テレビアニメシリーズ、短編・越後温泉編)/ 演 - [[若山富三郎]] : 『黎明編』から『未来編』まで多くの物語に関わってくる共通の特徴を持つ人物の総称。作品ごとに[[サルタヒコ|猿田彦]]、猿田博士、我王([[鞍馬]]の[[天狗]])、八儀家正(八百比丘尼の父)など個別の名前が付けられていることが多い。共通して大きな鼻の持ち主と運命づけられているが、性格や何ゆえにそのような大きな鼻を持ったのかの由来が少しずつ異なる。 : 猿田彦、八儀家正は「元々醜い顔で、さらに鼻が大きくなった」、猿田博士は「元よりそのような顔と鼻」、我王、『生命編』の猿田は「病で醜くなると同時に鼻も大きくなる」、『宇宙編』の猿田は「元より鼻は大きく、さらに醜くなる」、『太陽編』の猿田は「鼻が大きいだけ」など、作品ごとで異なる。鼻が大きい理由も、猿田彦は蜂の群れに刺されたことによるもの、八儀家正は鼻癌であるが、それ以外は原因不明{{Sfnp|公式ガイドブック|2005|p=120}}。 : それぞれの編の猿田が犯した数々の悪行を清算するために、酷い目に遭う宿命にある。『鳳凰編』では我王が『未来編』の猿田として生まれ変わり、人類の最期を看取ることが描写されている。基本的には、猿田の人物のほとんどはその醜さから女性との縁が無いことが多いが、一部にはその容姿とは関係無しに純粋に正反対の美女に惚れられた者もおり(例えば、猿田彦はウズメに惚れられた。しかも鼻が大きくなってからである)、その女性は後の猿田の名がつく者に繋がるとされる子孫を身籠っている。 : このことも含めて、猿田と名が付く者は先述の女性と縁がない一方で何らかの形で子孫は受け継がれているとみられる(生まれ変わりとする説もある)。ただし『未来編』の猿田博士のみは、その容姿ゆえに女性に縁が無いことが明確に描写され、子孫も残していない。『生命編』の猿田も、鼻が奇形になってから女性に縁のないままで命を絶っているため子孫を残したかは不明。 : 歴代の猿田は才能を持つ者が多く、科学者や指導者といった立場にいる者もいるが、彼らもまた心に弱さを持ち、悪行を行うこともある。 ; クマソタケル : 声 - [[屋良有作]](OVA)、[[浪川大輔]](テレビアニメシリーズ)/ 演 - [[田中健]] : 『黎明編』と『ヤマト編』に登場する[[熊襲]]の族長(『黎明編』にて[[邪馬台国]]に滅ぼされた当時の族長はカマムシ)。 : 『黎明編』終盤で主人公ナギの姉ヒナクと邪馬台国の医師グズリの跡取り息子として登場。火山噴火で出来たクレーターの中で生まれ育ち、外界への憧れと[[近交弱勢]]への懸念から外界への脱出を決意。火の鳥の激励を受けてクレーターの絶壁を登り切り、外界へ旅立ち配偶者を得る。後に妻と協力してクレーターから両親と弟妹を脱出させることに成功し、熊襲の復興を成し遂げる。 : 『ヤマト編』では年老いた初代タケルとその後継者である川上タケルが登場。後者は武勇を尊ぶ熊襲としては珍しく外交と文化に重きを置くインテリで、九州の諸部族の連合とヤマト政権の自己美化を糾弾する歴史書の制作で侵略してくるであろうヤマト政権に対抗しようとしていた。王妹カジカ(少女ながらも単身で[[ツキノワグマ]]を狩る戦士にして狩人である)に文弱を責められているが、本気を出せば妹の稽古相手7人を同時に相手にして完勝する武術の達人でもある。熊襲討伐指令を受けてヤマトからやってきた『ヤマト編』の主人公オグナ([[日本武尊]])にもその人格と器量の大きさを感服されるも、初代タケルの葬儀の際に最後まで墓前に残っていたところを女装したオグナに暗殺されてしまう。 : 川上タケルの記していた熊襲史は暗殺の時点でほぼ完成(全25巻のうち最終巻が書き掛け)しており、「鳳凰編」にも登場している。 ; 山之辺マサト : 声 - 浪川大輔(テレビアニメシリーズ) : 『未来編』の主人公。35世紀の都市国家[[メガロポリス]]・ヤマトの中央本部職員、2級人類戦士で[[宇宙飛行士]]。タマミと出会うまでは[[教条主義]]者であったとのこと。猿田と共に人類の最期を見届け、なお数十億年の時を経て新たな人類の誕生を待つことを運命づけられる人間。「[[わらび座|劇団わらび座]]」によるミュージカル「火の鳥 鳳凰編」では「鳳凰編」に登場する茜丸がその生まれ変わりとする解釈をした。ただし、これは「鳳凰編」中において茜丸が死亡するシーンで「茜丸は二度と人間に転生することはない」と火の鳥が告げていることと明らかに矛盾している。手塚の遺作である1989年の舞台劇「火の鳥」では主人公の名前が「山辺マサト」でほぼ[[同姓同名]]である。 ; ムーピー : いかなる厳しい環境にも耐え得る生命力を持つ不定形宇宙生物。変身能力を有し、人型をとり人間の社会に溶け込むことができるが、その能力から人気が高く人に狩られてしまうため、どこかの星でひっそりと暮らしている。『未来編』では一種の[[テレパシー]]能力を用いた「ムーピー・ゲーム」が人類を堕落させるとして、保有を禁止されたペットであり、メガロポリス・ヤマトでは1匹残らず処分するよう命令が出されている。「未来編」の主人公山之辺マサトの恋人タマミがそのムーピーだった。寿命は人間より遥かに長く、500年位は生きられる。 : 『望郷編』では人間とムーピーのハーフが登場する。ハーフたちは視力と耳朶(聴力)が無く、代わりに触角が生え、これで感覚を認識している。 ; [[ロック・ホーム|ロック]] : 声 - [[池田秀一]](映画・愛のコスモゾーン)、[[桐本琢也]](テレビアニメシリーズ) : もともと手塚が得意とする[[スター・システム (小説・アニメ・漫画)|スター・システム]]において常連のキャラクターであり、『未来編』などに登場。『未来編』ではメガロポリスヤマトの中央本部職員、1級人類戦士。エリートで、同期でありながら総合審査によって自分の部下となった「未来編」の主人公マサトに対して敵意を向けるが、政府指導部の構成員として[[戦争]]を嫌い『未来編』において人間の愚かさを見事に演じ切ったキャラクターでもある。[[試験管ベビー]]として誕生したので両親はわからず、本人に言わせれば自分を生み出した[[精子]]と[[卵子]]を選んだ中央コンピュータ「[[ハレルヤ]]」こそが親である。「火の鳥2772」では科学センターの長官として登場。1989年の舞台劇『火の鳥』では主人公の兄であり、恋敵の設定。 未制作の映画「火の鳥(第二部)」では地球連邦の移民局の長官として登場予定だったことがシナリオで残されている。プロットのみの『大地編』では主人公の一人として登場する予定だった。 ; ロビタ : 声 - [[牛山茂]](テレビアニメシリーズ) : 初出は『未来編』で猿田博士の助手として登場する。同時代には人間、あるいは自然動物と何ら変わらぬ外見のロボットも存在するが、ロビタは二本指で、足もなく臀部で滑って移動するなど、構造は非常に単純で「旧式ロボット」とされるが、まるで人間のように感情がこもった会話をし、猿田博士にしばしば諫言するなど、ロボットらしくない行動を取る。猿田脱出用のロケット整備をしていたところ、ロックにロケットを貸すよう脅迫され、断ったところ銃で破壊されてしまう。 : 『復活編』において、その誕生と理由が描写される。25世紀に主人公のレオナとチヒロが、ドク・ウィークデーの手によって結ばれて誕生したロボット{{Sfnp|公式ガイドブック|2005|p=222}}。電子頭脳が大きくなりすぎて重心が頭部に偏ってしまったためバランスが悪く、二足歩行を断念し両脚は取り外され、「[[摩擦]]よけの車」と表現される臀部のベアリングで滑るように動くこととなった。後に自身がレオナであったという記憶は消えたものの、一方で[[精神転送|レオナの精神と人類に関する記憶は受け継いだため]]、普通のロボットと違い人間臭い感情を持つ。稼動限界の後に業者が引き取って、その構造を模して記憶をコピーした物が量産される。その後、技術の発展でより精巧なロボット(ロビタや前身のチヒロと違い、人間に極めて近い構造)が作られても、ロビタはその人間臭い感情によって、「[[疲労]]を訴える」「機嫌の良し悪しがある」「(人間並みに)失敗をする」などの点にもかかわらず(あるいはそれゆえに)多くの人間に好まれ数世紀に亘って量産される。その一方でロボットを人間の道具と考える人間にとっては極めて不快な存在でもあった。 : 31世紀ごろ、ある子供が親や家政婦よりも懐いているロビタに会いに行って放射能農場に迷い込んだために死亡(子供本人は死ぬ間際までロビタに会いたがっていた)。怒り狂った親から「ロビタが殺した」という冤罪を受け、数十年間裁判を繰り返した結果、[[シリアルナンバー|個体ナンバー]]を特定できなかったという理由から(執筆当時は現実の21世紀ほど[[監視カメラ]]が一般的でなかったせいか、「証拠が何ひとつないのです」という発言がなされている)、事件発生時に農場で働いていたロビタ全員が溶解処分される。同胞をそのような形で失った世界中のロビタは集団自決を行い、稼動可能なロビタは全て[[溶鉱炉]]に身を投じる。しかし月面にいて集団自決に参加できず、エネルギー回路切断による自決を選んだ最後の一体のロビタは、35世紀に猿田博士に救助され、『未来編』へとつながる。 ; 牧村五郎 : 声 - [[神谷明]](OVAシリーズ)、[[浅沼晋太郎]](「エデンの宙」「エデンの花」) : 『宇宙編』『望郷編』で登場するアストロノーツ(宇宙飛行士)。生まれた時からアストロノーツとなることを宿命づけられ、外宇宙に地球由来の細菌を持ち込まないために、無菌室で成長する。初恋の女性に裏切られたことがトラウマとなり、女性に手が早くかつ冷酷である。その初恋の女性の幻(ホログラム)に惑わされる形で異星人を虐殺、その罪により火の鳥から、若返っては赤ん坊に戻り、再び成長して大人に戻っては若返るというサイクルを繰り返し、[[流罪|流刑]]星で永遠に生き続けなければならない罰を受けている。赤ん坊に戻っている間は、「ケース」と呼ばれる自身の姿を模した等身大の人型ロボットに乗り込み操縦をしている。時系列的に見て恐らく罰を受ける前である『望郷編』において、地球に帰郷する途中のロミと出会う。映画「火の鳥(第二部)」のシナリオでは主人公の名前が「牧村壮吾」であるが関連性は不明。 ; チヒロ : 声 - [[小林美佐]](テレビアニメシリーズ) : 精密機械局で作られた量産型の事務ロボット。2545号は『望郷編』にて地球に不法侵入したロミとコムを助け、61298号は『復活編』でチヒロが美少女に見えるようになった主人公レオナと出会い、愛の感情を得る。『望郷編』時のチヒロ2545号の発言によれば、チヒロ型の仲間は13,692,841体、他の型も合わせると世界に1,277,554,539体の仲間がいる。映画『火の鳥(第二部)』のシナリオでは同名の人間が登場しており、レオーナという男性と娘(ヒロイン)をもうけている。二人は「エデン17」という惑星で暮らした。 ; [[八百比丘尼]] : 声 - [[久保田民絵]](テレビアニメシリーズ) : 『異形編』『太陽編』に登場。その正体は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の女性・八儀左近介である。彼女は成り上がりの領主である父・八儀家正から虐待を受けつつ「跡継ぎの男子」として育てられた。やがて彼女は家老の息子と恋愛関係になるが、家正は彼を討ち死にに追い込んでしまう。父を恨む左近介は家正が致死性の鼻の病に罹患したと知り、その治療を行わせないため、万病を癒すと評判の八百比丘尼を始末すべく山の庵「蓬萊寺」に向かう。比丘尼は己の運命を受け入れ、笑いながら斬られ死ぬ。その折、蓬萊寺を包んだ暴風雨(時空の乱れ)で道が閉ざされ、左近介は比丘尼の蓬萊寺に閉じ込められる。やがて、比丘尼の治療を請う村人らが何も知らずに訪れ始め、左近介はやむなく比丘尼になりすまして、火の鳥の羽で人々を癒して日々を送る。やがて己が比丘尼を殺めた罪で過去の世界に流されたこと、そしていずれ来訪する「左近介」に殺される定めを永遠に繰り返すのだと悟る。左近介は取り乱して嘆くが、やがてこの理不尽な罪と罰を受け入れ、人のみならず異形の妖怪までもを癒す寛大さを持つようになり、名実ともに八百比丘尼として己の死をも笑って受け入れた。 : 『太陽編』で、霊界の戦いで傷ついた神々の手当てを行っているのは、負った罪を清算する方法であると語られている。 === 黎明編 === ; ナギ : 本編の主人公。姉のヒナクを救ったグスリが呼び寄せたヤマタイ国の軍に村を焼かれ、猿田彦を殺害しようとするが、逆に囚われる。その後、奴隷になり擬似親子のような関係を結ぶ。 : 高天原族にヤマタイ国を攻められ、共に戦死する。 ; ヒナク : ナギの姉。自身の病を治したグスリと結ばれる。その後国を焼かれたことで一度は恨むが、後に許し再び結ばれる。 : その後、5つ子を産むが、天変地異で何人か死に精神を病む。 ; グスリ : クマソに流れてきた医者。病にかかっていたヒナクの命を救うが、実際はヤマタイ国のスパイであった。その後、ヒナクと復縁し、子孫を残す。その子供は「大和編」の熊襲に受け継がれる。 : ヤマト編にも危篤状態の長老として登場する。 ; ニニギ : 高天原族の頭目。華麗な馬術と馬で日本原住民を蹂躙する王。 : 冷酷、苛烈だが、火の鳥を見て永遠の命には興味がないと発言する。 ; 弓彦 : 弓の名手で、ニニギによって滅ぼされた国の兵士。 : 鉄の矢を使い、作中で唯一火の鳥を討ち取った人物。 : ニニギを殺そうとするが、ウズメを人質に囚われ、逆に討たれる。 ; ウズメ : ニニギに不美人の女性として見世物として奴隷にされていた女性。だが、実際には美人であり、陵辱から身を守るため変装していた。 : 猿田彦に惚れ、彼の子供を宿す。その子供は火の鳥の物語の子孫たちに受け継がれる。 == 各編のあらすじ == === 執筆された作品 === 上述してある通り、火の鳥という作品は読む順番を入れ替えることも可能であり、多くの出版社から単行本が発売されているが収録順は出版社によってさまざまである。現在までに手塚治虫が描いたとおりの順番で収録された単行本は一冊も無い。下記では手塚治虫が描いた順番で紹介する。 ; {{Anchors|黎明編(漫画少年版)}}黎明編(漫画少年版) :* 初出:『漫画少年』([[1954年]]7月号 - [[1955年]]5月号)未完 : 主人公のナギの父親は重病に罹患していた。もし上空にある「血の星」という星が沈むまでに父の病が完治しなければ、村のしきたりにより父親は村人たちに食べられてしまう。悩みぬいたナギが長老に相談すると、父親の病気を治すには「火の鳥」という鳥の生き血が必要と教えられる。ナギは火の鳥を訪問し、運良く生き血を貰う。しかし、ナギが村に帰るころには「血の星」はすでに沈み、父親は村人に食べられてしまっていた。行き場を失った火の鳥の生き血は仕方がないのでナギと妹のナミが飲むことになった。やがて村はさらに豊かな土地へと引越しするために船を出すが、嵐のためナギとナミは難破し知らない島国に流れ着く。その知らない土地は原住民が住んでおり、火の鳥の生き血を飲んでいて死なない体の二人は彼らに神様と崇められる。主人公の[[イザナギ|イザ・ナギ]]と妹の[[イザナミ|イザ・ナミ]]は原住民から[[天照大神|天照大御神]](あまてらすおおみかみ)の名前を貰う。その後、二人は原住民の長である[[卑弥呼]]に出会うが、卑弥呼が[[天岩戸|岩戸]]の中に入るところで連載が中断され、その後に掲載誌自体が廃刊となったため未完に終わった{{Refnest|group="注釈"|『漫画少年』1955年5月号まで連載されたのち、翌6月号に「つごうで一時やすませていただくことになりました」という手塚のコメントが掲載された。『漫画少年』の廃刊は同年10月号であり、廃刊が連載中断の直接の原因ではない{{Sfnp|中川|2021|p=227}}。}}。 ; {{Anchors|エジプト編}}エジプト編 :* 初出:『少女クラブ』([[1956年]]5月号 - 10月号) : [[紀元前1000年]]ごろ。主人公の[[古代エジプト|エジプト]]の王子クラブは、父親の命令により、飲めば3000年の命が貰えるという火の鳥の血を求めて旅に立つ。しかし、その間に王家を乗っ取ろうと考えていた王女(クラブの継母)は王と王子を殺そうと計画する。旅に出たクラブは、もう一人の主人公である奴隷のダイアと出会う。ダイアの国はクラブのいるエジプト軍に滅ぼされ奴隷として育てられていた。やがてクラブとダイアは恋に落ち火の鳥を探す旅を続ける。そして二人は火の鳥の卵を洪水から救い、代わりに火の鳥の生き血を貰う。しかしクラブは王女の部下に殺され、ショックを受けたダイアも後を追って自殺する。 ; {{Anchors|ギリシャ編}}ギリシャ編 :* 初出:『少女クラブ』(1956年11月号 - [[1957年]]7月号) : エジプト編の続き。 : 殺されたクラブとダイアの死体は300年経ち[[ナイル川]]に流され、[[古代ギリシア|ギリシャ]]の海を彷徨っていた。そしてダイアの死体は[[イリオス|トロヤ]]軍の船に引き上げられ、クラブの死体は[[スパルタ]]の海岸に打ち上げられた。火の鳥の血を飲んでいた二人はそこでそれぞれ目覚める。クラブとダイアはスパルタの宮殿で偶然出会うが、二人は記憶をなくしていた。しかし、二人の心はなぜか惹かれ合い「きっと前世では兄妹だったのだろう」と決め兄妹として愛するようになった。やがて二人はトロヤとスパルタという敵同士の国に運命を引き裂かれ、[[トロイア戦争]]に巻き込まれる。そして悲劇が起き、[[トロイアの木馬|トロイの木馬]]によってダイアは潰され死亡する。クラブは悲しみのあまりダイアの死体を抱え海に飛び込み死亡する。 ; {{Anchors|ローマ編}}ローマ編 :* 初出:『少女クラブ』(1957年8月号 - 12月号) : ギリシャ編の続き。 : 海に飛び込み溺死したクラブとダイアは[[オデュッセウス|ユリシーズ]]によって死体を回収され長い間ギリシャの宝物庫に保管されていた。しかし、300年経ち[[古代ローマ|ローマ]]の[[シーザー]]がギリシャを制圧すると、シーザーの部下・アンドロクレスによって2人の死体は引き取られた。ローマへと渡った死体は火の鳥の生き血のおかげで生き返り、アンドロクレスに兄妹として育てられた。2人の暮らしは平和そのものであったが、そんな暮らしも長く続かず、ダイアはローマの暴君ネボケタスによって無理矢理妻にされそうになる。2人は抵抗するが、代わりに死刑を宣告され、闘技場に追い込まれて[[ライオン]]の餌食となりかける。 ; {{Anchors|黎明編(COM版)}}黎明編(COM版) :* 初出:『COM』([[1967年]]1月号 - 11月号) : [[3世紀]]の[[倭]](日本)、ところは[[熊襲]]。主人公のナギの姉ヒナクは[[破傷風]]にかかり、生死の境をさまよう。ヒナクの夫であるウラジは妻を助けるため火の鳥の生き血を求めて火の山に入るが、火の鳥の炎に包まれ死んでしまう。そんな折、村の海岸に漂着した異国の医師グズリが現れ、最新の医学知識でヒナクを救う。やがてグズリとヒナクは恋に落ちる。ところが婚礼の夜、グズリの手引によって、多数の軍船から[[サルタヒコ|猿田彦]]率いる[[防人]]の軍団が上陸。グズリは[[邪馬台国|ヤマタイ国]]のスパイであった。村人は虐殺され、ひとり生き残ったナギは猿田彦を襲撃するも捕えられる。猿田彦はナギの勇気を称え奴隷としてヤマタイ国に連れ帰り、狩り部(猟師)に鍛え上げる。ヤマタイ国がクマソを侵略した裏には、老いた卑弥呼が火の鳥の血を欲していたという事情があった。のちにヤマタイ国も、[[ニニギ]]率いる[[天孫族|高天原族]]に滅ぼされ、ナギも猿田彦も戦死する。 : 本作品は未完に終わった「漫画少年」版の黎明編を基に大幅に内容を変え連載したもの。大和朝廷の成立については、定説ではなく本作品執筆時に話題になった[[江上波夫]]の[[騎馬民族征服王朝説]]を採用している。その後何度か描き直されており、後年の版では主人公たちを襲う様々なスタイルの狼の中に、「[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]型」や「[[赤塚不二夫]]型」なども登場する。また[[日食]]の場面では太陽の欠け方が間違っており、手塚本人によって単行本では正しい日食の欠け方へと修正されている。現在では、黎明編といえば普通は漫画少年版ではなくてCOM版のことをさす。 : テレビアニメ版では幼少期の猿田彦のシーンが追加され、卑弥呼に忠誠を誓った経緯が分かるようになっている。 ; {{Anchors|未来編}}未来編 :* 初出:『COM』(1967年12月号 - [[1968年]]9月号) : 西暦[[3404年]]。時間軸で考えた場合の火の鳥の結末にあたる作品。人類は[[25世紀]]を頂点として衰退期に入り、文明も芸術も進歩が少しずつ停止、人々は昔の生活や服装にばかり憧れを抱くようになり、すでに[[4千年紀|30世紀]]には文明は[[21世紀]]ごろのレベルまで逆戻りしていた{{efn|name="発展"|『未来編』では25世紀を頂点に人類文明は衰退したと解説されるが、『復活編』では科学技術は進んだことが記述される。例えば復活編においては、技術の発達によってより精巧なロボットが制作されたことが記述される(それでも旧式なロボットであるロビタが普及したとされる)。また放射線に冒された子供を、医師が「30世紀の医療技術をもってしても治療不可能」と説明するくだりがあり、「25世紀より退歩しているから」という言及は無い。なお未来編においても、25世紀以降の衰退は、民衆が古いものを懐かしがったとされており、決して科学技術が退歩したとは記述されていないので、一応は矛盾はしていない。}}。地球人類は滅亡の淵にあり、他惑星に建設した植民地を放棄し、地上は人間はおろか生物がほとんど住めない世界となっていた。人類は世界の5箇所に作った地下都市“永遠の都”ことメガロポリス「レングード」(ユーラシア中央部)「ピンキング」(満洲北部)「ユーオーク」([[ニューヨーク]]付近)「ルマルエーズ」([[マルセイユ]]付近)「ヤマト」([[東京]]付近)に移り住み<!--劇中の地図(メガロポリス全滅を悟った猿田博士が「信じられん」という場面に登場)だと「レングード」はユーラシア中央部、「ピンキング」が満洲最北部付近に描かれていて、明らかにレニングラードや北京と場所が違います。-->、[[人工知能|超巨大コンピュータ]]に自らの支配を委ねていた。しかし、そのコンピュータも完璧な存在ではなく、コンピュータ同士で争いが起き、全体主義体制を採る「ヤマト」と自由主義体制の「レングード」の対立{{efn|山之辺マサトおよびムーピーのタマミをめぐる論争が原因である。当初はコンピュータの指示を受けたロック(ヤマト)とモニタ少佐(レングード)同士による[[テレビ電話]]での話し合いであったが、埒が開かないことからヤマトのコンピュータ「ハレルヤ」とレングードの「ダニューバー」の直接討論となった。しかし、お互いの主張が反目し合いまとまることはなく交渉は決裂。お互いが相手を消滅させようと目論み戦争の道を選択するに至る。現実における2国の対立と同じ。}}{{efn|「狂いかけていて雑音が出ている」と述べられており、議論の堂々巡りからコンピュータが発狂した事が示唆されている}}から[[核戦争]]が勃発した。その結果、対立関係とは無縁だった残りの3都市までもがなぜか[[水素爆弾|超水爆]]で爆発し、地球上に5つあった全ての地下都市が消滅。人類が滅亡してしまう{{efn|ヤマトとレングード以外のメガロポリスも同時に核爆発が起きているが、原作では核爆発の原因など詳細な説明はなされていない。アニメ版ではロックの「どこか一つでも残ればそこが勝利者となるからな」と漏らしており、暗に無関係のメガロポリスでの核爆発はヤマトとレングードのどちらかが関与していることを示唆している。}}。生き残ったのはシェルターに居た主人公の山之辺マサト、そして猿田、ロック、タマミのみであった{{efn|一応、他の生存者も存在はしていた。汚染が無くなるまで5000年間起こさないでくれと冷凍睡眠していた者が居たが、マサトが5300年後に開けたみたら粉々に砕けて死亡していた。原因は不明だがマサトが「しまった」と発言している事から、5300年の間に機械の経年劣化か何かで故障し途中で死亡していた。或いは生命維持機能は正常に稼働していたが、設定通り5000年で止まっており、不具合か何かで蓋が開かないのを稼働していると勘違いし、300年余計に様子を見た事で死亡したと推測される。}}。その後、山之辺マサトの意識は体外離脱し、火の鳥により、宇宙の構造と、人類の滅亡が生命の歴史のリセットを目的として実行されたことを告げられ、生命を復活させ正しい道に導くために永遠の命を授かる。他の者が次々と放射能の作用や寿命が尽きて死んでいく中で、山之辺マサトだけは永久に死ねない体のまま苦しみ、悶えながら生き続ける。途方も無い時間をたった一人で過ごす中で、マサトは地球の生命の復活を追究し続け、やがて一つの答えにたどり着く。 : ジョージ・オーウェルの名作『[[1984年 (小説)|1984年]]』を粉本としている。国民を管理する超巨大コンピュータは[[ビッグ・ブラザー]]を彷彿させる。 : 本作品は結末が黎明編へ繋がるような展開となっており、読む順番を最初にしても、最後にしても問題が無いような作りになっている。また雑誌版では第一話の最後でマサトとムーピーが火の鳥に会うというシーンがあったが、単行本ではカットされている<ref name=Natalie_20110510>{{Cite news |和書 |author=岸野恵加 |date=2011-05-10 |title=火の鳥《オリジナル版》復刻大全集 {{Small|手塚治虫のライフワーク、幻の雑誌連載版がついに初刊行}} 魅力を解き明かす萩尾望都インタビュー |url=https://natalie.mu/comic/pp/hinotori/page/2 |publisher=株式会社ナターシャ |newspaper=コミック[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]] |accessdate=2022-08-17 }}</ref>。 : なお、NHKアニメ版では本作品が最終エピソードとされたが、尺の都合および倫理的理由のため内容が大幅に削除・変更されている{{efn|マサトたちがドームに来る以前の物語はカットされ、後半も[[ナメクジ]]が[[進化]]し高度な文明を築きやがて大量破壊兵器による最終戦争で滅亡するに至るエピソードを全カットなど大幅に内容を変更している。}}。 ; {{Anchors|ヤマト編}}ヤマト編 :* 初出:『COM』(1968年9月号 - [[1969年]]2月号) : [[4世紀]]ごろの倭(日本)。[[古墳時代]]。主人公の[[ヤマト王権|ヤマト国]]の王子ヤマトオグナは、父である大王からクマソ国の[[酋長]]川上タケルを殺すことを命じられる。その理由は川上タケルが真実を書いた歴史書を作ろうとしているからであった。大王は、自分たちは神の末裔であるとする嘘の歴史書を作ろうとしていたため、川上タケルがやろうとしていたことは不都合であった。オグナは川上タケルの妹であるカジカと出会い恋に落ちるが、迷いながらも父の言いつけ通りに川上タケルを殺す。タケルは死に際に「わしの名前をやろう。これからは[[ヤマトタケル]]と名乗るがいい」と名前を譲る。愛したカジカに、仇として命を狙われることとなったタケル。二人の愛はやがて悲劇へと向かって行く。 : 本作品は『[[古事記]]』・『[[日本書紀]]』の日本武尊伝説と、日本書紀の垂仁紀にある埋められた殉死者のうめき声が数日にわたって聞こえたという[[殉死]]の風習と[[埴輪]]にまつわるエピソードを下敷きにしている。殉死者が死ななかったのは火の鳥の血の効果であるとし、期間も1年にわたってのこととした。[[石舞台古墳]]造営にまつわるエピソードがあるが、史実ではもっと後代の古墳であり、殉死者が埋められているということも無い。オグナは日本神話のヤマトタケルがモデル(「倭男具那命」-「やまとをぐな」はヤマトタケルの別名)で、川上タケルは川上梟帥がモデル。本作品に登場するクマソの国の長老は黎明編の最後で崖を登り切った青年であり、彼の子孫が繁栄しクマソ国へと発展している。 : 雑誌掲載版と単行本版では、手塚により細かな修正が行われている。ヤマト編は時事ネタが多かったため、単行本ではセリフの手直しが多い。作中で川上タケルは、"長島"なる部下に「王」と呼ばれている。これは初出時には川上タケル=[[川上哲治]]として、クマソを[[読売ジャイアンツ|巨人軍]]に見立て、その部下の長島=[[長嶋茂雄]]という洒落であったが、川上が監督を引退したので、川上タケルを[[王貞治]]に見立てる内容に改稿したためである。雑誌版では川上タケルがオグナを出迎えた場面で、手塚の学生時代の体験談である「日本とアメリカが都合のいいように相手国を中傷していた」という2ページに渡った内容があったが、単行本時に省かれている。 : OVA版はほぼ原作に準じているが、原作の時代設定を無視したギャグや歴史書に関するくだりは削除されている。 ; {{Anchors|宇宙編}}宇宙編 :* 初出:『COM』(1969年3月号 - 7月号) : 2577年。主人公たち5人は、[[ベテルギウス]]第3惑星から地球へ向かうために宇宙船で人工冬眠を行いながら宇宙を航海していた。しかし宇宙船は操縦者である牧村五郎の自殺によって事故に遭う。その事故により船は大破、乗員はすぐに宇宙船から離れないと危険な状態であった。乗員は人工冬眠から目覚め宇宙救命艇で脱出する。救命艇は一人乗りの小さな緊急用の物で、4人はバラバラに宇宙に投げ出されるような形になった。救命艇にはそれぞれ無線通信機が付いており、彼らは宇宙に漂いながら会話を始める。その内容は過去に起きた牧村五郎に関するものであった。やがて彼らの乗る4つの救命艇に謎の救命艇が近づいていく。果たしてその救命艇には誰が乗っているのか。 : 当時日本でも翻訳・紹介され評判となっていた[[レイ・ブラッドベリ]]の『万華鏡』を粉本としている{{Refnest|group="注釈"|[[石ノ森章太郎]]『[[サイボーグ009]]』「地下帝国ヨミ編」の粉本にもなっている。手塚と石ノ森のどちらが先なのかは不明。また、余談だが[[浦沢直樹]]『[[PLUTO]]』では手塚へのオマージュとして、粉本にされている。}}。特に、脱出船に乗った組員が無線で会話する場面において全シリーズ中でも特に極めて実験的なコマ割りを試みていることで有名である<ref>[https://tezukaosamu.net/jp/manga/393.html 火の鳥(宇宙編)]</ref>。本作品では、火の鳥が我欲のために罪を犯した猿田を直接処罰する明確な描写がある、数少ない作品となっている。 : 本作品のアニメ化は地上波ではなくOVAで発表された。そのためかなり制約が緩やかであり原作以上にグロテスクな表現が加えられることとなった。原作における特異なコマ割りも意識した演出となっている。牧村とナナと奇崎が出会うシーンが追加され、隊長の死亡理由の変更、牧村がラダを殺す動機の変更、牧村が不老不死になる過程の変更など、全体的にストーリーは変えないまでも細かな演出がより現実的になっている。また、オリジナルのラストシーンが追加されている。 ; {{Anchors|鳳凰編}}鳳凰編 :* 初出:『COM』(1969年8月号 - [[1970年]]9月号) : [[奈良時代]]。主人公の一人、我王は誕生直後に片目と片腕を失っており、心に影を持ちながら殺戮と強奪を繰り返しながら生活していた。もう一人の主人公である[[仏師]]の茜丸は、旅先で我王に利き腕を傷つけられ仏師としての生命の危機に追い込まれる。その後、我王は速魚という女性と出会って愛を知るが、彼女を信じ切れず些細な誤解から殺してしまう。しかし彼女の正体を知った時、激しい後悔に襲われることとなる。後悔の中、彷徨い続ける我王は[[良弁]]僧正と出会い、怒りを糧としながら仏師としての才能を開花させる。 : 一方、茜丸もまた負傷して以来、彼を慕う少女ブチとの出会い、仏師としての栄達などを経て少しずつその心と運命が変化していく。そして、それぞれに変わった二人は、国を挙げて建立されていた[[東大寺]]の[[鬼瓦]]製作という大勝負の場で再会する。 : 本作品は、生まれながらに苦しみ続けるがその中で次第に悟りを得ていく我王と権力の庇護を得て慢心し堕落していく茜丸の対比、[[東大寺盧舎那仏像|東大寺大仏]]建立の真相、[[輪廻転生]]といった深い題材を取り上げている。火の鳥は茜丸が[[鳳凰]]の像の制作を命じられることで物語に関わってくる。しかし、史実では[[橘諸兄]]によって重用されている[[吉備真備]]が政敵として対立する、良弁僧正が[[即身仏]]となるなど、史実と改変された点も多々見られる(良弁については作中でギャグ的にではあるが、朝廷がその死を隠すように指示しているというフォローがなされた)。一方で作中で我王と茜丸が作った鬼瓦は、同じ意匠のものが東大寺に実在する。 : 雑誌掲載版では、我王が泥を壁に投げて[[ヒョウタンツギ]]の絵を作るというお遊びのシーンがあったが、ストーリーに無関係なため、単行本では手塚本人により省略されている。 : 劇場アニメ化された時は60分という尺の短さから大幅に内容を短縮され、我王は速魚を殺した後は最後の対決までほとんど登場しない。また原作では比重の大きかった良弁僧正が一切登場せず、二人の心理変化もあまり描かれず、主人公の一人がもう一人の主人公の墓を彫る(弔う)というラストシーンもカットされている。 ; {{Anchors|復活編}}復活編 :* 初出:『COM』(1970年10月号 - [[1971年]]9月号) : [[2482年]]。主人公の少年レオナは[[エアカー]]から墜落した。レオナは最新科学の治療で生き返るが、人工細胞で脳を補うという方法だったため認識障害を起こす。具体的には、有機物(生命体)が無機物(人工物)に見え、無機物(人工物)が有機物(生命体)に見えるようになるというもので、レオナには人間が奇妙な無機物の塊にしか見えなくなってしまった。そんなある日、レオナは街で美しい少女を見かける。彼にとって唯一普通の人間に見えるその少女に心ひかれ追いかけるが、彼女の正体は人間とは似ても似つかぬ旧式ロボットであった。やがて過去の記憶を辿るうちに、墜落死の原因がかつてアメリカにおいてレオナがフェニックス(火の鳥)の血を入手したという過去がからんでいることも判明した。だが、認識障害が改善されても、ロボットのチヒロを人間の女性と認識し愛することに変わりは無く、ついにレオナはチヒロと駆け落ちしてしまう。そして再び瀕死の重傷を負ったレオナは、ある決断をする。 : 一方西暦3030年、旧式ながら通常のロボットとは異なる奇妙な人間味を持つロボット・ロビタが、溶鉱炉へ飛び込んで「集団自殺」するという異常事態が発生した。それはなぜなのか、そして月面の貨物施設で酷使される最後のロビタの運命は。二つの物語は、やがて意外な形で収束する。 : 本作品では「未来編」に登場するロビタの誕生が描かれ、ラストシーンにおいて繋がるようになっている{{efn|name="発展"}}。また雑誌掲載版と単行本版では2484年から3009年、さらに3030年へと行き戻りする物語の順番が手塚により一部修正されている。 : NHKのテレビアニメ版では大幅に内容を変更し、主人公の設定を変え、新キャラや新ヒロインを登場させ、さらにロビタが登場するパートを全カットして、ほぼ別物語に仕立てている。 ; {{Anchors|羽衣編}}羽衣編 :* 初出:『COM』(1971年10月号) : [[10世紀]]、[[三保の松原]]。主人公の漁師のズクは家の前にある松の木に、薄い衣が引っかかっているのを見つける。すぐさまそれを手に入れ売ろうとするが、衣の持ち主である女性・おときが現れ、ズクは彼女を天女だと思い込む。ズクは衣を返すことを引き換えに、3年間だけ妻として一緒に暮らすことを約束させる。 : 本作品は[[羽衣伝説|天の羽衣の伝説]]が元になっており、舞台で演じられる芝居を客席から見たような視点で描かれている。また羽衣伝説を基に描いているが、おときの正体は天女ではなく未来人であり、羽衣の正体は未来の技術で作られた謎の物体である。最後はひとり残されたズクが、この物体を数千年後の未来へと託すために地面に埋めるところで終わっている。短い作品であるが、「放射能{{efn|作中においては「毒の光」とされ「放射能」の言葉は無いが、続く望郷編において放射能であることが記述される。}}の影響で奇形で生まれた赤ちゃんを嘆いて殺そうとする」という表現についての問題や作者の意向があり、1980年まで描き直されるまで単行本化されなかった。本来は「望郷編(COM版)」と関連する話であるが、1980年に単行本化される際、全ての文章を手塚が書き直し独立した話になっている<ref name="名前なし-2">[https://tezukaosamu.net/jp/manga_syllabary_search/398.html マンガ作品紹介 火の鳥望郷編] 手塚治虫ワールド。{{リンク切れ|date=2022年8月17日}}{{出典無効|date=2022年8月17日|title=基本情報の不備}}</ref>。そのため、本来ならば最後に埋めた物体の正体がCOM版「望郷編」で語られたはずが、そのままになっている。 ; {{Anchors|望郷編(COM版)}}望郷編(COM版) :* 初出:『COM』(1971年12月号)・『COMコミックス』([[1972年]]1月号) : 城之内博士は人類の歴史をやり直すため、人間も植物も動物も全てクローンで賄われた「第二の地球」を創りだした。城之内博士の娘「時子」は、戦争から逃れるために4次元航空装置で「羽衣編(COM)」の時代へ逃げていた。時子の正体は実は羽衣編の「おとき」であり、本作品は彼女が未来へと戻ってくるところから始まる。時子には放射能のせいで奇形で誕生した赤ちゃんがいた。しかし、時子に恋心を抱いていたジョシュアという男は城之内博士を殺し、4次元航空装置を奪い、奇形の赤ちゃんを池に投げ捨て、時子を連れ本当の地球へと旅立つ。赤ちゃんは生きており、クローン動物から「コム」と呼ばれるようになる。 : 本作品はCOMの休刊によって{{Sfnp|中野|2005|p=169}}、未完のまま中断される。放射能障害を描いたCOM版「羽衣編」を前提としているため、「羽衣編」改稿に伴い、構想を新たに関連のない物語として『マンガ少年』版「望郷編」が描かれ<ref name="名前なし-2"/>、この版は未完のままで長く単行本に収録されることがなかった。復刻版でも絵と会話の内容が一部変えられている。放射能という単語が削除され、生まれた赤ちゃんであるコムの角は一角獣のようであったが復刻版ではメロンのような触覚に替えられた。また前後を大幅にカットした短縮版が『マンガ少年』に掲載されたこともあるが、そちらの短縮版はまだ一度も単行本化・書籍収録されたことはない。 ; {{Anchors|乱世編(COM版)}}乱世編(COM版) :* 初出:『COM』([[1973年]]8月号) : [[平安時代]]末期。主人公である猟師の「まきじ」は実の妹である「おぶう」と体も心も愛しあう関係であった。ある日、まきじは山で死にかけていた一匹の猿を救った。それはまきじが普段「赤坊主」と呼んでいたボス猿であった。どうやら赤坊主はハンニャとよばれる猿と争って負けボスの座を奪われたようである。まきじは瀕死の赤坊主を手当する。まきじは体の治った赤坊主と一緒に京都へ仕事に行くと、赤坊主をめぐり路上で役人と衝突。危ういところを名僧である明雲に助けられる。明雲の忠告もあり、まきじは赤坊主を山へ返そうとする。 : 本作品は後の「乱世編」の元となる話であるが、『COM』が再び休刊したことにともない連載中断している。主人公の「まきじ」は後の「マンガ少年」版の弁太の原型であるがほっそりしている。また、まきじとおぶうは兄妹でない設定に変わった。猿と子犬のエピソードは「マンガ少年」版に流用されているが、二匹の名前が変えられており、天狗(我王)に育てられた話になっている。 ; {{Anchors|望郷編(マンガ少年版)}}望郷編(マンガ少年版) :* 初出:『マンガ少年』([[1976年]]9月号 - [[1978年]]3月号) : 時代は宇宙時代。自然が失われ続ける地球に絶望した主人公ロミと恋人のジョージは、強盗で得た金で宇宙不動産会社から小さな惑星エデン17を買い、移住する。しかしそこは地震が頻発し、荒廃した惑星であった。悪徳業者に置き去りにされ、ジョージは事故で死に、ロミは残された息子と結ばれることで生命を繋ぐ決断をする。しかし近親婚の影響で女児を得ることができず、ロミは唯一の女性として、息子と結婚して子供を産んでは[[冷凍睡眠]]を繰り返すこととなった。やがて小さいながらもロミと息子たちのコミュニティが築かれていくが、兄弟同士の諍いから恐るべき計画が持ち上がり、それを聞かされたロミは絶望して睡眠装置に閉じこもってしまう。彼女を憐れんだ火の鳥は、ロミの夢に呼びかけ、異星人との混血をすすめた。火の鳥の働きかけによりムーピーがエデン17へ訪れ、ムーピーとの混血の新しい種族が繁栄していく。ロミが数百年にわたる眠りから目覚めた時、エデンには心優しく素朴な人々の住む、平和な文明が育っていた。ようやく心の平安を得たロミは、エデンの女王として人々に慕われ、静かに老いていくが、次第に地球への望郷の想いを募らせ、コムという少年と共に地球を目指す旅に出る。その旅先で、ロミは宇宙パトロール隊員の牧村と出会う。しかし牧村の任務は、地球に不法入国しようとする帰還者たちを阻止すること、即ちロミたちを殺すことだった。 : 本作品は『COM』版の「望郷編」(未完)との関連はほとんどなく、唯一、被爆した少年コムだけが、ムーピーと地球人との混血児という設定で再登場している。 : 手塚本人により何度も描き直されており、雑誌掲載版・[[朝日ソノラマ]]版・[[講談社]]版、[[角川書店]]版の各単行本では大きく内容が異なる。雑誌版では地球到達までのロミの顔は老婆のような状態だったが、朝日ソノラマ版では若く描き直されている。単行本ではフォックスと呼ばれるブラック・ジャックに似た男がロミを自然が残った場所へと連れて行くシーンが追加された。また雑誌版ではロミは牧村に撃ち殺されるが、単行本では若返りの副作用のため死んだことになっている。ラストシーンも牧村がロミのために[[星の王子さま]]を読むという場面が追加された。ロミとジョージの声が最後に聞こえるシーンも単行本で加筆されたもの。また角川版ではロミとジョージの出会いのシーンを冒頭に移動し、展開を早くするため宇宙船に他の宇宙人が搭乗する場面を省き、地球に向かう途中に立ち寄る星に違うものがあったりするなど内容が異なる。また、本作品は火の鳥全シリーズ中で最も手塚による加筆・修正が多い編であり、雑誌掲載版、角川書店版、朝日ソノラマ版・講談社版では上記以外でも100ページ以上の変更がある。特にムーピーと人間との混血が生まれる場面はそれぞれ設定が異なる。今日では望郷編と云えば、普通はCOM版ではなくてマンガ少年版のことを指す。 ; {{Anchors|乱世編}}乱世編 :* 初出:『マンガ少年』(1978年4月号 - [[1980年]]7月号) : [[平安時代]]末期の[[1172年]]。[[平安京]]の北の山村に住む[[木こり]]の弁太は、恋人おぶうと愛を育んでいた。ある日、薪と猪の皮を売りに都へ行った弁太は役人とトラブルを起こすも高価な櫛を拾い、おぶうへとプレゼントする。ところが、それは[[藤原成親]]の持ち物であった。弁太一家は成親の一味と見なされて焼討に遭い、弁太の両親は斬られ、さらにおぶうの父も殺害された。弁太は連れ去られたおぶうを追って都へと出向くが、その先で[[源義経]]の仲間にされてしまう。義経は一見したところ美貌の英雄だが、その実は平家打倒の目的のためならば非情な行いも平然とやってのける没義道な男であった。一方おぶうは[[平清盛]]の侍女となる。悪名高い清盛は、実は世間の荒波と家中の乱暴狼藉の板ばさみに苦悩する小心な老家長であった。そしてその清盛には、大陸からもたらされた火の鳥を隠し持っているという噂があった。 : 本作品は[[治承・寿永の乱|源平の抗争]]に巻き込まれた二人のすれ違いの運命を追っていき、源平の抗争や[[源頼朝]]・義経兄弟の相克には、火の鳥の争奪が関わっているという筋立て。弁慶伝説を下敷きとする。「鳳凰編」の我王も義経の師匠[[鞍馬天狗]]として登場している。本作品では英雄として名高い義経が非情な人間として描かれるが、その行為は文献に準ずるものもある(例えば民家への放火など)。清盛は残虐な面も描かれるが、平家一門の身内の増長に対しては逆に叱責したり、また大仏の焼き討ちなど自らのやり過ぎを後悔するなど、人間らしい面が描かれる。なお、この乱世編では手塚の実の先祖でもある[[手塚光盛|手塚太郎光盛]]が手塚の自画像と似せて登場する。 : 手塚により何度も描き直されており、雑誌掲載版、角川書店版、朝日ソノラマ版・講談社版では大きく内容が異なる。特筆すべき大きな変更は犬と猿のエピソードは本編の途中(天狗が死ぬ場面)に存在したが、朝日・講談社版ではラストに移動し、犬と猿が義経と清盛の転生後という設定になっている。その中では犬と猿が人間だったころの思い出(義経と清盛だったころ)を思い出すという内容が追加された。また角川版では犬と猿のエピソードは冒頭に移動され、物語の序章として扱われている。さらに弁太が義経を丸太で自慢の顔を潰して殺す場面は角川版では[[藤原泰衡]]軍の弓矢で死ぬ場面に変えられている。この他、細かな変更も多い。 ; {{Anchors|生命編}}生命編 :* 初出:『マンガ少年』(1980年8月号 - 12月号) : [[2155年]]。かつて人気をはくしたクローン動物を狩猟する番組「クローン・ハント」は刺激不足により視聴率低迷に喘いでいた。主人公の敏腕テレビプロデューサー・青居は打開策として、[[クローン]]人間を製造し狩猟する殺人番組「クローンマン(人間)・ハント」を考案する。クローンを使えば法律の抜け穴をついて合法的な殺人が行え、それを番組にすれば視聴率が取れると考えたためである。青居はクローン技術の工場がある[[ペルー]]の奥地に向かうが、奇妙な女術師によって自分自身をクローン人間として大量生産されてしまう。そして日本に連れて帰られた大量の青居は、皮肉なことに自分自身が他のクローンとともに企画した殺人番組の標的にされることになった。青居は番組初回に駆り出され、大量の青居が殺される中で左腕を失いながらも追手から逃れた後、逃亡中に出会った少女・ジュネと生活を始めるが…。 : 単行本では手塚による修正が入っている。まずサイボーグのおばあちゃんは雑誌掲載版では本当に生きたおばあちゃんであったが、朝日・講談社版では見るからにロボットの姿へと変更された。また鳥の顔をした女性は、雑誌掲載版では本当に火の鳥の顔をしていたが、単行本版では人間と火の鳥の中間的な顔つきへと修正されている。エンディングも全く異なり、雑誌掲載版では青居はテレビ番組内で殺されるのに対して、単行本版では青居がクローン人間培養工場を爆破するエピソードが追加されている。また雑誌版では主人公の青居は最後にはっきりとクローンと断定されるのに対して、単行本ではクローンではなく失った指から本物の青居であったと思えるような描写になっている。 ; {{Anchors|異形編}}異形編 :* 初出:『マンガ少年』([[1981年]]1月号 - 4月号) : [[戦国時代 (日本)|戦国の世]]([[室町時代]])。主人公の左近介は本来は女であったが、幼少のころより父に男として暴力をもって育てられた。その左近介の父は[[応仁の乱]]の功績で名をあげた残虐非道の男であり、左近介は父を憎んでいた。ある日、左近介の父の鼻に「鼻癌」と思わしき症状が現れ苦しんでいたところ、それを治せるという尼「[[八百比丘尼]]」が現れた。左近介と父は、まるで老いた左近介のような八百比丘尼の姿に驚く。父に恨みを抱いていた左近介は、治療を阻止するために、寺を訪れ八百比丘尼を殺す。だが、殺害を終えた左近介は不思議な力に阻まれ、寺から出られなくなる。八百比丘尼の治療を求める近隣住民たち、さらには人外の異形の者たちが次々と寺を訪れ、左近介は心ならずも比丘尼の身代わりとして治療に従事する羽目になるが、そこから恐ろしい因果応報が左近介に巡ってくる。 : 「太陽編」では仏族の攻撃により負傷した霊界の者たちを治療することができる人物がいるとして火の鳥が本作品の八百比丘尼と思われる女の下へ負傷者を誘導する描写がある。火の鳥はこのシーンで八百比丘尼のことを「自分の犯した罪を贖うために無限の時間をあらゆる世界の生き物を救うことに費やしている」と説明している。 : 本作品は八百比丘尼伝説を下敷きにしている。雑誌掲載版と単行本とでは結末に大きく加筆がされ、主要登場人物が最後に切られるという大事な場面は単行本で追加されたもの。その他にコマの入れ替えやページの組み換えなど細かな修正が多い。雑誌版と初期の単行本では、治療に訪れる異形の患者は宇宙人(火の鳥が他の星の生き物であることと、その理由を説明する)だが、後の版では前述の「太陽編」のシーンへと繋げるために、治療される対象は妖怪になり、絵も妖怪に近いデザインに改められている。 : NHKアニメ版では、唯一ほぼ変更なしにアニメ化されている{{efn|NHKアニメ版は父子関係の相克を重視する路線で製作されており、本作品はその路線に適合していた。}}。 ; {{Anchors|太陽編}}太陽編 :* 初出:『[[小説野性時代|野性時代]]』([[1986年]]1月号 - [[1988年]]2月号) : [[7世紀]]と21世紀([[2009年]])の2つの時代を交互に描いた物語。西暦663年、主人公の一人ハリマは[[百済]]の王族の血を引く存在であったが、[[白村江の戦い]]で敗れ、顔の皮を剥がされ、その上に狼の顔を被せられた。狼の皮はハリマの顔に張り付き、本来の皮膚と同化して取れなくなってしまった。ハリマが倒れているところを占い師のオババが助け、逃げるために将軍・[[阿倍比羅夫]]と共に倭(日本)に渡る。ハリマは倭では犬上宿禰(いぬがみのすくね)と名乗り、狗(ク)族の少女マリモとの出会いを経て、やがて[[壬申の乱]]に巻き込まれてゆく。壬申の乱は世俗での権力闘争であると同時に、外来宗教である仏教と日本土着の神々との霊的な戦いでもあった。 : 一方、21世紀の日本は「火の鳥」を崇拝する宗教団体「光」一族に支配されていた。もう一人の主人公である坂東スグルは、幼いころから「光」によって地下街の荒廃した環境で生活させられ、スグルはその中の反「光」団体「シャドー」に属したテロリストとして冷酷な人殺しを繰り返していたが、ある作戦に失敗したことによって「光」のメンバーに捕らえられ洗脳するための施設に入れられ、狼の頭に似た洗脳ヘルメットを被せられる生活を送ることになる、そしてかつて任務で同い年という理由から殺さなかった少女兵士・ヨドミと施設で知り合い、惹かれ合っていく。 : 本作品はハリマがスグルになった夢を見て、スグルはハリマになった夢を見るというように交互に物語が入れ替わる。過去と未来の宗教は双方とも火の鳥自身がご神体となっている。 : 単行本化の際は手塚自身により未来側のストーリーが大幅に変更され、火の鳥が登場したり、猿田が罰を受ける描写などかなりのカットがなされている。雑誌掲載版では回想シーンに猿田の兄として[[鉄腕アトム]]のお茶の水博士が登場する。 : また、NHKのテレビアニメ版では尺の都合で大幅カットされ未来側の物語は描かれなかった。 ; {{Anchors|休憩 INTERMISSION}}休憩 INTERMISSION :* 初出:『COM』(1971年11月号) : 他の編と異なり手塚自身が登場するエッセイ風短編漫画。「なぜ火の鳥を描くのか」といったテーマになっている。 : 二種類が存在する。一つはCOMに掲載された『休憩 INTERMISSION 火の鳥 またはなぜ門や柿の木の記憶が宇宙エネルギーの進化と関係あるか』であり、もう一つは1978年マンガ少年11月号に再録された『休憩 INTERMISSION 火の鳥 というタイトルでなくともよいというわけ』である。 : 後者は前者の「再録」という形ではあるが、前者は6ページあるのに対し、後者は3ページに削られた上、文章が全て書き換えられている。なぜ後半3ページが削除されて、文章が全て書き換えられたかは不明であるが、削られた3ページには「火の鳥の正体(火の鳥とはどういった存在か)」など核心を突く内容が描かれていた。 この他、手塚以外の作家により作画された連載作品として、アニメ映画『[[火の鳥2772 愛のコスモゾーン]]』をの内容を元にコミカライズした[[御厨さと美]]による漫画(初出:『マンガ少年』(1980年2月号 - 4月号)がある。詳細については当該項目を参照。 === 執筆されなかった作品 === ; 大地編(シノプシスのみ) :* 初出:『[[月刊ニュータイプ]]5月号付録「手塚治虫MEMORIAL BOOK」』([[角川書店]]/1989年刊行)、その他にも証言複数あり。 : 大地編は二種類が存在する。「[[日中戦争]]が舞台の物語」と「[[幕末]]から[[明治維新]]が舞台の物語」である。 : 一つは西暦[[1938年]](昭和13年)の1月が時代背景。[[日中戦争]]時の[[上海市|上海]]を舞台に、[[関東軍]]の戦意高揚のため、中国大陸に伝説の仙鳥の探索を計画する。[[シノプシス]]には間久部緑郎(ロック)、その弟の間久部正人、猿田博士が登場。 : 1989年の舞台劇『火の鳥』の原作として、上記内容で新作描き下ろしを連載をする予定だったが、よりSF的な内容にとの希望があったためペンディングとなった。『野性時代』に1989年春から掲載されるはずだったとも言われるが{{Sfnp|中野|2005|p=176}}、手塚が病に倒れたことから執筆されることはなかった。ただし、『野性時代』の編集部は『火の鳥』の続編ではなく『[[シュマリ]]』の続編を望んでいことから内容の構想を変えたという。シノプシスの内容はナツメ社から発売されている「火の鳥公式ガイドブック」や朝日ソノラマから出版されている「太陽編・下(B5版)」などで確認できる。文章量は原稿用紙2枚と5行。日中戦争を舞台とした火の鳥大地編は舞台劇火の鳥のシナリオへと書き直された。 : 『野性時代』に連載予定だった大地編は日中戦争が舞台ではなく、『シュマリ』と同じような時代に合わせて幕末から明治維新を舞台に構想されていた。手塚プロダクションの[[松谷孝征]]社長は「構想など手塚が残した骨子はあるので、次作が実現すれば、手塚プロ出身者など“身内”の誰かに描いてもらいたい」「舞台は幕末から明治維新。シュマリみたいな主人公が大陸に渡る話です」と語っている<ref name=DailySports_20140128>{{Cite news |和書 |date=2014-01-28 |title=手塚治虫さん原画展、仏で初開催 |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2014/01/28/0006667829.shtml |publisher=株式会社[[神戸新聞社]] |newspaper=[[デイリースポーツ]] |accessdate=2022-08-17 }}</ref><ref name="産経_20140128">{{Cite news |和書 date=2014-01-28 |title=パリ初!手塚治虫さん原画展、松谷社長「火の鳥」続編に意欲 |url=https://www.sanspo.com/article/20140128-RBMCYRS3YBL7LPOAZ7BN44362I/ |publisher=[[産業経済新聞社]] |newspaper=[[サンケイスポーツ]] |accessdate=2022-08-17 }}</ref>。  : このシノプシスを元に[[桜庭一樹]]が『小説 火の鳥 大地編』のタイトルで執筆、2019年4月より[[朝日新聞]]土曜別刷り「[[be (朝日新聞)|be]]」において連載されている。挿絵は[[黒田征太郎]]が担当<ref name="朝日_20190123">{{Cite news |和書 |author=滝沢文那 |date=2019-01-23 |title=手塚治虫「火の鳥」幻の続編、桜庭一樹さんが小説化 |url=https://www.asahi.com/articles/ASM1P7SYJM1PUCVL054.html |publisher=[[朝日新聞社]] |newspaper=[[朝日新聞デジタル]] |accessdate=2022-08-17 }}</ref>。 ; 再生(アトム?)編(構想のみ) :* 初出:『雑誌「COM」火の鳥黎明編第5回』(1967年5月号)、その他にも証言複数あり。 : 火の鳥に鉄腕アトムが登場するという構想が存在し、複数の証言が得られている。 : 火の鳥黎明編の雑誌掲載版では、猿田彦の鼻が大きくなるところのナレーション解説が入る場面で「この物語の中では、猿田彦は、ただの防人ではあるが、お茶の水博士の先祖ということになっている」と書かれていた。単行本では「この物語の中では、猿田彦は、ただの防人ではあるが、彼の子孫は、物語全体を通じていずれも重要な役割を持つようになるのである」に変更された。 : 赤旗(現・[[しんぶん赤旗]]。1997年4月より改題)1974年1月22日付けコラム中で、手塚は「火の鳥は、太古から、超未来までえんえんと運ばれる叙事詩です。(中略)じつは、これはまだ先の話ですが、二十一世紀の部分のエピソードで、アトムの物語がでてきます。アトムもじつは火の鳥の一挿話だったというオチです」と語っている{{Sfnp|手塚|2008|p=48}}。 : 連続ラジオ小説「火の鳥 乱世編」([[NHKラジオ第1放送]] 1980年3月21日)でもその内容が語られている。本編[[オンエア|OA]]後に手塚治虫自身が21世紀が舞台であるので『鉄腕アトム』の外伝を描いてみたいと構想を語っている。具体的な構想があったわけではないが、断片的なアイデアとして、「アトムはロボットであり、不死の存在と言える。その魂は、最終的には、火の鳥に救われるのではないか」と言うことと、「意識していたわけではないのだが、お茶の水博士はその容貌からして、猿田の血を引いていると思う。彼はアトムの最期を見届けることになるだろう」と語っている。 : 長く手塚のチーフアシスタントを務めた[[福元一義]]によれば、「(手塚治虫は)日中戦争を扱った大地編というのをやりたいと。それからアトムのオールキャストみたいな格好で火の鳥を締め括ろうというお話でした」と語る{{Sfnp|河出『手塚治虫―総特集』|1999|p=123}}。 : 手塚治虫の息子である[[手塚眞]]はある時、火の鳥の最終話について編集者にそっと耳打ちしたという。編集者は「あれは過去、未来と話が行ったり来たりして、最後に現代に近いところで終わるんだよ。そう、アトムが誕生するころにね」と語ったという{{Sfnp|手塚眞|2009|p=43}}。 : 火の鳥が連載していたマンガ少年の編集者である松岡博治は、「あの完結編の話でしょ?直接、先生から聞いていました。過去未来、過去未来、過去未来ってきてですね、2003年、アトムの誕生の年に過去と未来がクロスして完結するという。アトムも、[[ブラック・ジャック]]も、[[三つ目がとおる|三つ目]]も、先生の[[キャラクター]]が何もかも出てきて…」と雑誌のインタビューで語る{{Sfnp|神様の伴走者─手塚番13+2|2010|p=210}}。 : (ただし、上記の証言では再生編(仮)を火の鳥の完結と語っているが、下記で解説する現代編の内容とは異なる。手塚は最終作である現代編を上記の後、死ぬ直前に描くことを生前にほのめかしていた。上記のアイデアはゲーム「ASTRO BOY・鉄腕アトム -アトムハートの秘密-」や小説「火の鳥アトム編」などに生かされている。) ; 現代編(構想のみ) :* 初出:『「火の鳥」と私』(1968年12月)、その他にも証言複数あり。 : 手塚治虫は雑誌「COM」以降の火の鳥の全体構成を、黎明編と未来編を発表した後、過去、未来、過去、未来、と時間を現代に収束させる予定で描いた{{R|火の鳥と私}}(太陽編は2つの時代が描かれているが最終的に過去側は未来側の物語に組み込まれる)。 : 1968年の虫プロ商事から発行された火の鳥未来編の単行本のあとがきでは手塚は次のように語っている。「私は、新しいこころみとして、一本の長い物語をはじめと終わりから描き始めるという冒険をしてみたかったのです」「最後には未来と過去の結ぶ点、つまり現代を描くことで終わるのです。それが、それまでの話の結論に結びつき、それが終わると、黎明編から長い長い一貫したドラマになるわけです。したがって、そのひとつひとつの話は、てんでんばらばらでまったく関連がないように見えますが、最後にひとつにつながってみたときに、はじめてすべての話が、じつは長い物語の一部にすぎなかったということがわかるしくみになっています{{R|火の鳥と私}}」 : 後に『ニュータイプ100%コレクション 火の鳥』(角川書店/1986年刊行)の[[角川春樹]]との対談の中で、手塚治虫自身が「現代編」の構想を明かしている。手塚は「現代」というものは常に浮遊しており、読者から見た「現代」と作者が描いている時点の「現代」のズレが生じる問題を角川に伝えている。火の鳥という作品は1950年代から描かれているが、この対談時ですら1950年代は「現代」ではなくはるか「過去」になっている。 : そこで手塚は「現代」というものの解釈を「自分の体から魂が離れる時」だとしていた(手塚にとってそれ以降の未来がなく、そこから以前は全て過去であるため。「未来も無く過去しかない=現代」)。 : そして、その時こそ「現代編」を描く時だと語った。 : それを聞いた角川は手塚に対して「死ぬ時ですからね。描けませんよ(笑)」と語り、手塚は「いや、僕は描いて見せますよ」「一コマでもいいんですよね。それが一つの話になっていればいいんですから」と死ぬ直前に一コマでも物語を描くことを約束している{{Sfnp|ニュータイプ100%コレクション 火の鳥|1986|p=67}}。 : 毎日新聞デジタル(2012年07月23日)でのインタビューにおいて[[聖悠紀]]は「手塚先生は『火の鳥で、過去の話を書いたら、未来の話を書いて、次の過去の話と、だんだん時代の間隔が短くなって、最後は原稿を書いている自分の部屋で終わりたい』とおっしゃっていた」と述べている<ref name=MANTAN_20120723>{{Cite web |和書 |date=2012-07-23 |title=超人ロック:誕生から半世紀 聖悠紀が語る“長寿”の理由 |url=https://mantan-web.jp/article/20120723dog00m200009000c.html |publisher=株式会社[[MANTAN]] |website=MANTANWEB |accessdate=2022-08-17 }}</ref>。 : 雑誌COM版の「火の鳥 休憩 INTERMISSION」の後に削られた3ページには、火の鳥はどういう存在かを語り、火の鳥の結末はいつ発表するかを語っていた。具体的には「火の鳥は生命から生命へと媒介するエネルギーのようなもの」「火の鳥の結末はぼくが死ぬ時に発表する」という内容などであった。手塚が「自分と似たシワクチャな年寄りの夢を見る」ということも意味深に明かし、鼻が手塚の似顔絵程度に大きいシルエットの人物も描かれている。 : 角川との対談で「僕の中にあるエネルギー体が"羽化"するときに現代編を描く」ということも語っている。削られた「休憩」の最後の一コマでは布団に頭から足まで包まれて横になった手塚から[[火の鳥|この漫画を象徴する存在]]が手塚と重なるように描かれていた。 : 手塚は胃癌で死ぬ直前の昏睡状態の時でも「鉛筆をくれ…」とうわ言を言っており{{Sfnp|手塚眞|1989}}、手塚の死に立ち会った手塚プロの松谷孝征社長によると手塚の最後の言葉は「頼むから仕事をさせてくれ」であったという。この時、手塚は息子である[[手塚眞]]がペンを渡すと握りしめるという動作までは行っている。 上記とは別に手塚が胃癌中の病院のベッドで手がけた作品「舞台劇 火の鳥」が存在し、この舞台劇が公開された1989年2月8日の翌日に手塚は亡くなっている。この舞台劇の時代背景は西暦2001年である。 == 単行本 == 2012年3月現在、入手可能な単行本は以下の通り。 * 1978年7月 - 1995年9月 [[講談社]] [[手塚治虫漫画全集]] B6判 全16巻 + 少女クラブ版 全1巻 * 1992年12月 [[角川書店]] [[角川文庫]] 文庫判 全13巻 ** 2018年6月 - 12月 角川書店 角川文庫 文庫判 新装版 全14巻 (旧版13巻 + 別巻1巻) * 2009年5月 - 10月 [[朝日新聞出版]] B5判 全11巻 + 別巻 * 2011年6月 - 2012年5月[[復刊ドットコム]] 《オリジナル版》復刻大全集 B5判 全12巻 * 2011年10月 - 2012年3月 講談社 手塚治虫文庫全集 文庫判 全11巻 + 少女クラブ版 全1巻 * 2013年11月 - 2014年4月 [[小学館クリエイティブ]] 四六判 全11巻 またコンビニ用のB6判コミックが、2011年2月から7月にかけて[[秋田書店]]と朝日新聞出版の共同企画で全7巻が発行され、2015年4月からは秋田書店から合本形式で全5巻が発売された。 手塚治虫は単行本を出すたびにそのつど内容や絵に手を加えており、現行の単行本でも大きく分けて3つの種類がある。[[朝日ソノラマ]](現・朝日新聞出版)版と角川書店版と復刊ドットコム版である。講談社の漫画全集および文庫全集は朝日ソノラマ版である。小学館クリエイティブ社の版は角川版の内容に雑誌版の二色ページを再現、扉絵を収録したもの。そして、2011年版コンビニコミックは角川版、2015年版コンビニコミックは朝日ソノラマ版である。 手塚による加筆・修正の順番は、『雑誌掲載版』→『朝日ソノラマ版』→『角川書店版』である。それぞれ編によってはストーリーが大きく違うものもある。『復刊ドットコム版』は手塚が手を加えてない雑誌連載時の状態がそのままが読める単行本である{{R|"名前なし-1"}}(しかし、単行本時に直された設定ミスや絵の描き間違いもそのまま収録されている)。 == 描かれる歴史上・神話上の人物・出来事 == {{col| ; 黎明編 :* [[イザナギ]] :* [[卑弥呼]](→[[天照大神|アマテラス]]) :* [[スサノオ]] :* [[サルタヒコ|猿田彦]] :* [[アメノウズメ|ウズメ]] :* [[天之麻迦古弓|天弓彦]] :* [[ニニギ]](→[[神武天皇]]) :* [[邪馬台国]] :* [[熊襲|クマソ]] :* [[天岩戸]] :* [[騎馬民族征服王朝説]] | ; ヤマト編 :* [[ヤマトタケル]] :* [[熊襲|クマソタケル]] :* [[大王 (ヤマト王権)|大王(おおきみ)]](→[[景行天皇]]) :* [[石舞台古墳]] :* [[天叢雲剣|草薙の剣]] :* [[埴輪]] ; 鳳凰編 :* [[良弁]] :* [[橘諸兄]] :* [[吉備真備]] :* [[藤原仲麻呂]] :* [[聖武天皇]] :* [[国分寺]] :* [[東大寺盧舎那仏像|奈良の大仏]] :* [[遣唐使]] ; 羽衣編 :* [[三保の松原]]([[羽衣伝説]]) :* [[承平天慶の乱#平将門の乱|平将門の乱(承平天慶の乱)]] | ; 乱世編 :* [[鞍馬天狗]] :* [[武蔵坊弁慶|弁慶]] :* [[源義経]] :* [[金売吉次]] :* [[平清盛]] :* [[平重盛]] :* [[平宗盛]] :* [[平盛俊|越中守盛俊]] :* [[源頼朝]] :* [[文覚]] :* [[土佐坊昌俊]] :* [[源義仲|木曾義仲]] :* [[巴御前]] :* [[源義広 (志田三郎先生)|志田三郎]] :* [[明雲]] :* [[俊寛]] :* [[藤原成親]] :* [[後白河天皇|後白河法皇]] :* [[手塚光盛|手塚太郎光盛]] :* [[平氏政権]] :* [[鹿ケ谷の陰謀]] :* [[治承・寿永の乱|源平合戦]] :* [[日宋貿易]] :* [[鳥獣戯画]]([[覚猷]]) | ; 異形編 :* [[人魚#八百比丘尼伝説]] :* [[応仁の乱]] :* [[百鬼夜行絵巻]] ; 太陽編 :* [[扶余豊璋|余豊璋]] :* [[阿倍比羅夫]] :* [[天智天皇]] :* [[天武天皇|大海人皇子]] :* [[弘文天皇|大友皇子]] :* [[十市皇女|十市媛]] :* [[大伴吹負]] :* [[壱伎韓国]] :* [[蘇我果安]] :* [[山部王]] :* [[壬申の乱]] :* [[白村江の戦い]] }} == その他・余談 == [[ファイル:宝塚市平和モニュメント 火の鳥.jpg|thumb|right|180px|[[宝塚市立手塚治虫記念館]]前に設置されている火の鳥の[[モニュメント]]]] * [[テレビアニメ]]『[[ふしぎなメルモ]]』に登場するミラクルキャンディーは、第1話で描かれる製造過程によると原料は火の鳥の卵である。エンディング場面では毎回火の鳥の卵からキャンディーが作られる工程が放送された。なお、[[ふくやまけいこ#来歴|福山けいこ]]によるリメイク漫画『メルモちゃん』には、他の手塚キャラとともに火の鳥も出演している。 * 漫画『[[ブラック・ジャック]]』の「不死鳥」回は火の鳥にまつわる話である。しかしなぜか手塚自身がこの作品を封印していたこともあり、手塚の存命時には単行本に収録されなかった(「不死鳥」は手塚の死後アニメ化もされている)。 * テレビアニメ『[[アストロボーイ・鉄腕アトム]]』(2003年 - 2004年)に手塚作品の[[スター・システム (小説・アニメ・漫画)|スター・システム]]の一環でゲストキャラクターとして登場、声優はNHKのテレビアニメ版と同じ竹下景子。 * 「火の鳥2772」については、手塚自身が講談社[[手塚治虫漫画全集]]で描き下ろしをして再漫画化する予定もあったが、実現しなかった。 * 手塚の死後に作られたオリジナルストーリーでは、[[二階堂黎人]]による小説『火の鳥アトム編』、創作舞踊劇『火の鳥 転生編』、プラネタリウム用アニメ映画『火の鳥-絆編-』、音楽劇『NINAGAWA火の鳥』、宝塚歌劇花組公演『火の鳥』、短編アニメ『火の鳥アースキーパーズ編』など様々なものが作られている。 * [[鈴木英史]]による吹奏楽曲「[[鳳凰〜仁愛鳥譜]]」は、鈴木のお気に入りである「未来編」のイメージで作曲されたものである。 * [[イギリス]]の[[環境音楽|アンビエント]]・[[テクノポップ|テクノ]]・[[バンド (音楽)|バンド]]の[[システム7 (バンド)|システム7]]が、シングル「Hinotori」を含むアルバム『Phoenix』を2007年に発表。これは、手塚治虫の長女・[[手塚るみ子]]の呼びかけによるもの。『火の鳥』の内容に触発されて制作された。 * 火の鳥は[[阪神・淡路大震災]]復興活動のシンボルマークとして使われていた。これは悦子夫人が兵庫県に「火の鳥」のイラスト使用権を10年間無償提供したことによる。 * 2010年8月6日に[[全国農業協同組合中央会]]は、[[2010年日本における口蹄疫の流行]]で被害を受けた畜産農家の復興支援を目的に、火の鳥をデザインしたマークを作成している<ref>[https://web.archive.org/web/20110722123935/https://www.sankeibiz.jp/business/news/100806/bsd1008061703014-n1.htm 宮崎口蹄疫復興“火の鳥”マークを作成 JA、手塚プロがタッグ]{{リンク切れ|date=July 2014}}サンケイビズ 2010年8月6日</ref>。 * 2011年8月7日開催の[[ロック・フェスティバル]]「[[ワールド・ハピネス|WORLD HAPPINESS 2011]]」において、[[東日本大震災]]からの復興・再生をテーマに掲げ、火の鳥を“再生”のシンボルとしてキービジュアルに起用<ref name=iLOUD_20110708>{{Cite web|和書|author= |date=2011-07-08 |title=WORLD HAPPINESS 2011 特集 |url=http://www.iloud.jp/special/world_happiness_2011.php |publisher=有限会社エクストラ |work=iLOUD |accessdate=2017-09-27 }}</ref>。同イベントでは、[[イエロー・マジック・オーケストラ]]が火の鳥をモチーフにした新曲「Fire Bird」を初披露した<ref name=Natalie_20120801>{{Cite news |和書 |date=2012-08-01 |title=YMO、昨年ワーハピで初披露した「Fire Bird」を配信開始 |url=https://natalie.mu/music/news/73957 |publisher=株式会社ナターシャ |newspaper=音楽[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]] |accessdate=2017-09-27 }}</ref>。 * [[バレーボール日本女子代表]]チームの愛称は「火の鳥NIPPON」であり、ロゴなどのデザインは手塚プロダクションが担当している<ref>[https://www.jva.or.jp/information/20090518001.html 全日本女子チームの愛称決定]{{リンク切れ|date=July 2014}} 日本バレーボール協会プレスリリース 2009年5月18日閲覧</ref><ref>[https://www.jva.or.jp/japan/women/senior/nickname.html 火の鳥NIPPON]{{リンク切れ|date=July 2014}} 日本バレーボール協会プレスリリース</ref>。 * 火の鳥の実写映画は本来はアニメとの[[二部]]構成であった。シナリオまで作られていたが未制作に終わった。内容は火の鳥の世界の結末の一つが描かれている(シナリオの内容は'''後述''')。 * 手塚生前時における掲載誌は廃刊・休刊することが多く、陰ながら「本作品が掲載されると廃刊になる」などと囁かれた{{Sfnp|矢口|1990|loc=前文『「マタギ」の思い出』より。表題作が掲載誌を変えて書き継がれたことを、「火の鳥」と出版業界事情を引き合いに出して説明している。}}。ただし、これは実際には火の鳥のせいではなく、火の鳥が月刊誌のみに連載していたことが原因である。火の鳥は1950年代から連載してきたが、週刊漫画雑誌が登場し主流になり、1950年代からある月刊漫画誌が全て廃刊していったため。なお、火の鳥太陽編が連載していた「野性時代」は1996年に休刊した後、2003年に新創刊し、2016年現在「小説 野性時代」として刊行中である。 * 元手塚のアシスタントの[[石坂啓]]は乱世編で見開きで村祭りのシーンがあった時に、それが最後まで仕上げられていなかったので、「これは時間がかかるから、後でアシスタントにやらせるのだろう」とアシスタント全員で思っていたら、手塚治虫が下描き無しで、踊る村人たちを全部書き始めたが、火を囲んでいる大勢の人の輪と、一人ひとりの影をちゃんと角度を変えて驚異的な速さで仕上げたので、「まるで魔法を見ているようだった」と語った<ref>『[[ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜]]』3巻52ページコラムより。</ref>。 * 本作品をオマージュした(影響を受けた)作品は少なくない。 ** 全体を元にしたもの *** [[浦沢直樹]]のマンガ『[[BILLY BAT]]』 *** [[谷甲州]]の小説『[[航空宇宙軍史|終わりなき索敵]]』は、火の鳥との関連性が指摘されている{{Sfnp|巽|1996|p=359}}。 ** 一部を元にしたもの *** [[藤木稟]]の小説『旅立ちの時』は、復活編との類似点が指摘されている<ref>[http://www47.tok2.com/home/leon/teduka.html 手塚治虫と藤木稟の作品を比較するサイト]{{リンク切れ|date=2022年8月17日}}{{出典無効|date=2022年8月17日|title=基本情報の不備}}</ref>。 *** 『[[沙耶の唄]]』、『[[セイバーマリオネット]]』はどちらも復活編を元にしている。 * 旧ソ連の映画「せむしの仔馬」には火の鳥が登場し、これは手塚治虫が漫画「火の鳥」を描くきっかけとの一つとなった。手塚が胃癌の闘病中に病院のベッドで手がけたアニメに「[[青いブリンク]]」があるがこれは「せむしの仔馬」の手塚風のリメイク作品である。「青いブリンク」はアニメでの手塚の遺作の一つになった。 * 手塚治虫がまだ漫画家になるか医者になるか迷っていた時に、母親とアニメーション映画を見に行き、開演までの時間にロビーの椅子で母親に相談すると「好きな方を択ぶように」と言われ漫画家になった。その時のアニメーションが「せむしの仔馬」である<ref>角川文庫「火の鳥13 ギリシャ・ローマ編」 あとがきの手塚治虫の妹である宇都美美奈子の寄稿より</ref>。 * ミッシェル・ルグラン作曲の交響組曲「火の鳥」の原曲は、1975年第4回東京音楽祭世界大会にイギリスから参加したスーザン・モーン歌唱の「あふれる想い(There is a River)」である。作詞はルグランとの曲づくりパートナーでもあるハル・シャパーで日本発売もされた。東京音楽祭には深町純や村井邦彦も参加している。 * [[近畿日本鉄道]]の[[近鉄80000系電車|80000系特急車両]]の愛称は「ひのとり」だが、本作品とは無関係である。ただし、車両の開発に当たっては事前に手塚プロダクションに確認を取り、了承を得た。 == 他のメディア == 一連の作品の一部は[[ラジオドラマ]]化、[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]化、[[テレビゲーム]]化、または実写[[映画]]化された。 === ラジオ === * 連続ラジオ小説「火の鳥 黎明編」([[NHKラジオ第1放送]] 1977年3月21日 - 3月28日) ** 声の出演 - [[羽佐間道夫]]、[[沢たまき]] * 連続ラジオ小説「火の鳥 未来編」(NHKラジオ第1放送 1977年3月29日 - 4月2日) ** 声の出演 - [[風間杜夫]]、[[高木均]]、沢たまき * 連続ラジオ小説「火の鳥 鳳凰編」(NHKラジオ第1放送 1978年1月4日 - 1月15日) ** 声の出演 - [[ささきいさお]]、[[石田太郎]]、[[萩尾みどり]]、[[米倉斉加年]] ** 主題歌「傷だらけの翼」 / イメージソング「名も知らぬ星」(CK-502、[[日本コロムビア]]) :: 作詞 - [[長坂秀佳]] / 作曲・歌 - ささきいさお / 編曲 - [[高田弘]] * 連続ラジオ小説「火の鳥 乱世編」(NHKラジオ第1放送 1980年3月3日 - 3月21日) ** 声の出演 - [[東野英心]]、[[西村晃]]、[[市毛良枝]]、[[岸田森]]、[[森山周一郎]] * 「火の鳥 生命編」([[ニッポン放送]] 1987年1月1日 [[オールナイトニッポン|手塚治虫のオールナイトニッポンスペシャル]]内ミニドラマ) ** 声の出演 - [[小泉今日子]] * オーディオドラマ「火の鳥 永遠の生命」([[文化放送]] 1999年10月 - 2000年3月) ** 声の出演 - [[土井美加]] === 実写映画 === {{Anchors|映画(実写版)|映画(実写版)}} {{Infobox Film | 作品名 = 火の鳥 | 原題 = HINOTORI{{R|画報197}} | 画像 = | 画像サイズ = | 画像解説 = | 監督 = [[市川崑]] | 脚本 = [[谷川俊太郎]] | 原案 = | 原作 = [[手塚治虫]] | 製作 = [[市川喜一]]<br />[[村井邦彦]] | 製作総指揮 = | ナレーター = | 出演者 = [[若山富三郎]]<br />[[尾美としのり|尾美トシノリ]]<br />[[高峰三枝子]] | 音楽 = [[深町純]] | 主題歌 = [[松崎しげる]]「火の鳥」(本編未使用) | 撮影 = [[長谷川清 (撮影監督)|長谷川清]] | 編集 = 長田千鶴子<br />[[池田美千子]] | 制作会社 = [[手塚プロダクション]] | 製作会社 = {{Plainlist| * [[東宝]]{{R|全史550}} * 火の鳥プロダクション{{R|全史550}} }} | 配給 = 東宝{{R|全史550}} | 公開 = {{flagicon|JPN}} {{要出典範囲|[[1978年]][[8月12日]]([[TOHOシネマズ有楽座|有楽座]]で先行上映)|date=2022年2月}}<br />1978年[[8月19日]]{{R|全史550}}(全国公開) | 上映時間 = 140分{{R|全史550}}{{efn|書籍『ゴジラ画報』では、「2時間」と記述している{{R|画報197}}。}} | 製作国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 製作費 = | 興行収入 = | 配給収入 = 7億1800万円{{Sfnp|キネマ旬報 No.754|1979|p=124}} | 前作 = | 次作 = }} {{Portal 映画}} 『'''火の鳥'''』(ひのとり)は[[1978年]]([[昭和]]53年)[[8月19日]](1978年8月12日には、[[TOHOシネマズ有楽座|有楽座]]にて先行公開)に公開された[[日本]]の[[特撮]]・[[アニメ映画]]。製作は[[東宝]]・火の鳥プロダクション。配給は[[東宝]]。イーストマンカラー{{Sfnp|市川|森|2015|p=513}}、東宝1.5ワイド{{Sfnp|市川|森|2015|p=513}}。第1部である黎明編([[COM (雑誌)|月刊COM版]])を映画化{{R|全史438|画報197}}。キャッチコピーは、「はばたけ! 永遠の鳥よ 燃える炎の中に愛の宇宙が見えるまで」。 ==== 概要 ==== 実写にアニメーションを合成した表現が特徴であるが{{R|全史438|画報197}}{{efn|同様の手法は、同じ手塚原作のテレビドラマ『[[バンパイヤ]]』でも用いていた{{R|画報197}}。}}、[[ピンク・レディー]]を踊る狼、瞳の中に燃えあがる怒りの炎といった遊びの過ぎたアニメ合成が多く、「壮大なテーマが結実しないうちに映画がさっさと出来上がってしまった印象」([[佐藤忠男]])など批評は芳しくなかった。本作品の映画化を熱望していた[[市川崑]]監督は、劇中でアニメと実写の融合を試みたものの、撮影条件が満たされないままアイディアが先行する形となり、アニメーション制作やオプチカル合成の遅延など、現実的な問題からアニメパートが想定よりも短くなる結果となった。また実写パートも、合戦用に調教された馬を調達できずにカット割りや編集でカバーするなど、製作上の制約を技術力で補う事態となった{{Sfnp|市川|森|2015|pp=309-312}}。市川監督自身も同年にNHKラジオ番組「[[日曜喫茶室]]」で、「ラッシュを見て、こんな映画を撮った監督はどこのどいつだと思った」と冗談まじりに失敗作を示唆している{{信頼性要検証|date=2022年2月}}。さらに後年、本作品を述懐した市川監督は、「手塚治虫さんの原作に惚れ込み過ぎた。もっと原作と距離を保てば良かった。せっかくの原作に申し訳ないことをしました」と反省の弁を述べている{{Sfnp|市川|森|2015|pp=309,313}}。 音楽面ではプロデューサーの市川喜一の要望で[[ミシェル・ルグラン]]や[[ロンドン交響楽団]]が起用され、フランスで作曲と録音が行われた。また、[[芸能山城組]]の演奏をテレビ放映で知った市川監督が、本作品のヤマタイ国の場面で音源使用している{{Sfnp|市川|森|2015|pp=310,311}}。また[[尾美としのり]]のデビュー作であり、表記は「尾美トシノリ」としている。 劇場映画での主演歴(厳密にトップクレジットに限定して)を持つ出演者12人、市川監督以下、[[谷川俊太郎]]、[[コシノジュンコ]]、[[山城祥二|山城詳二]]、ミシェル・ルグランら世界的知名度の高いメンバーを結集したスタッフ陣と超豪華な顔ぶれで話題を集めたが、興行成績は都市部ロードショーの盛況に反し地方興行が惨敗。トータルの配給収入7億は{{要出典範囲|date=2016年5月|2010年代の興行収入に換算すれば二十数億に相当する中ヒットといったところだったが、}}製作費の高さに見合わず、初期構想では実写「第1部」とフルアニメーション「第2部」の二部構成で{{Sfnp|手塚|1999|p=713}}、出足好調だったことから一部では「第2部」の製作決定と報じられシナリオも完成していたにも関わらず、続編『宇宙編』はお蔵入りすることになった。ただし企画自体は存続し、[[1980年]]に劇場用オリジナル長編アニメである『[[火の鳥2772 愛のコスモゾーン]]』として結実している{{Sfnp|市川|森|2015|p=486}}。 東宝特撮封印作品を販売するドラマCD発売会社'''グリフォン'''は『[[ノストラダムスの大予言 (映画)|ノストラダムスの大予言]]』と『[[獣人雪男]]』のドラマCDの広告の下に東宝特撮封印作品ドラマCDシリーズ第2弾として、『[[緯度0大作戦]]』と本作品のドラマCDの発売を予告していたが{{Sfnp|君島|1998|p=34}}、実現せずに未発売に終わった。後記の通り地上波放送された他CSでの放送は行われており、2015年10月からは<ref>[http://streaming.yahoo.co.jp/p/y/00799/v08839/ GYAOストア 火の鳥]{{リンク切れ|date=2022年8月17日}}{{出典無効|date=2022年8月17日|title=基本情報の不備}}</ref>各種サイトで映像配信も行われている<ref name="filmarks_火の鳥">{{Cite web|和書|title=火の鳥(1978年製作の映画)|url=https://filmarks.com/movies/30796 |publisher=株式会社つみき |work=filmarks |accessdate=2022-08-17 }}</ref>。[[ビデオグラム|映像ソフト]]は2021年12月18日にBlu-rayが発売され初ソフト化となった。 ==== キャスト ==== * 猿田彦 - [[若山富三郎]] * ナギ - [[尾美としのり|尾美トシノリ]] * 天弓彦 - [[草刈正雄]] * タケル - [[田中健 (俳優)|田中健]] * ヒナク - [[大原麗子]] * ウズメ - [[由美かおる]] * グズリ - [[林隆三]] * スサノオ - [[江守徹]] * ウラジ - [[沖雅也]] * マツロ王 - [[潮哲也]] * ヤマタイ国親衛隊長 - [[小林昭二]] * オロ - [[風吹ジュン]] * 女官ヌサ - [[池畑慎之介|ピーター]] * 女官シメ - [[カルーセル麻紀]] * 女官サヨ - [[木原光知子]] * カマムシ - [[加藤武]] * スクネ - [[大滝秀治]] * まじない師 - [[伴淳三郎]] * イヨ - [[草笛光子]] * ヒミコ - [[高峰三枝子]] * ジンギ - [[仲代達矢]] * 火の鳥の声 - [[岡真佐子]] * 役名不明 - [[丹古母鬼馬二]]、[[長谷川弘]]、[[関山耕司]]、[[新海丈夫]]、[[花上晃]]、[[小瀬格]]、[[山本廉]] ==== スタッフ(実写) ==== * 監督 - [[市川崑]] * チーフ助監督 - 橋本伊三郎 * 脚本 - [[谷川俊太郎]] * 音楽 - [[深町純]] * テーマ音楽 - [[ミシェル・ルグラン|ミッシェル・ルグラン]] * 演奏 - [[ロンドン交響楽団]]、[[新日本フィルハーモニー交響楽団]] * サントラ盤 - [[アルファレコード]] * イメージソング(本編未使用) - 「火の鳥」 ** 作詞 - 谷川俊太郎 ** 作曲・編曲 - ミッシェル・ルグラン ** 歌 - [[松崎しげる]]([[ビクターエンタテインメント|ビクターレコード]]) *** このイメージソングについては[[ハイ・ファイ・セット]]版と[[サーカス (コーラスグループ)|サーカス]]版も存在する。 * 撮影 - [[長谷川清 (撮影監督)|長谷川清]] * 美術 - 阿久根巌 * 照明 - [[佐藤幸次郎 (照明技師)|佐藤幸次郎]] * 振付 - [[西野皓三]] * 衣裳デザイン - [[コシノジュンコ]] * 衣装 - [[長島重夫]] * 古代民族音楽・作曲考証 - [[山城祥二|山城詳二]]([[芸能山城組]]) * 演奏 - 芸能山城組、[[小口大八]]と御諏訪太鼓 * 殺陣 - [[美山晋八]] * 編集 - 長田千鶴子、[[池田美千子]] * 効果 - [[東宝効果集団]] * 製作 - [[市川喜一]]、[[村井邦彦]] * 製作担当 - [[徳増俊郎]] * スチール - [[橋山直己]] * 記録 - [[土屋テル子]] * 協賛 - [[阿蘇町]]観光協会、[[白水村 (熊本県阿蘇郡)|白水村]]観光課、[[スタートラベル]] * 現像 - [[IMAGICA Lab.|東洋現像所]] ==== スタッフ(特撮) ==== * 特技監督 - [[中野昭慶]] * 撮影 - [[山本武 (撮影監督)|山本武]] * 美術 - [[井上泰幸]] * 照明 - [[森本正邦]] * 合成 - [[三瓶一信]] * 光学撮影 - [[宮西武史]] * 光学作画 - [[石井義雄]] * 操演 - [[松本光司 (操演技師)|松本光司]] * 特殊効果 - [[渡辺忠昭]] * 助監督 - [[松本清孝]] * 製作担当 - [[篠田啓助]] ==== スタッフ(アニメーション) ==== * 製作 - [[手塚プロダクション]] * 原作・アニメーション総指揮 - 手塚治虫 * 原画 - [[山本準治]]、[[中村和子]]、岩崎治彦、堀治、八木大、三輪考輝、勝井千賀雄 * 動画 - [[渡辺佳子]]、[[猿山二郎]]、[[関野郁子]] * 仕上げ担当 - [[高橋富子]] * 美術 - [[明石貞一]] * 特殊効果 - [[橋爪朋二]] * 製作担当 - 山本智 * 作画演出 - [[鈴木伸一]] ==== 受賞 ==== * [[ロサンゼルス国際映画祭]]ポスター部門最優秀賞 ==== テレビ放送 ==== 1981年1月5日(月曜) 20:02 - 22:48([[日本標準時]])、[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]で『新春特別ロードショー』と題してのテレビ放送が行われた<ref>{{Cite book |和書 |title=[[朝日新聞#縮刷版|朝日新聞縮刷版]] |publisher={{要検証範囲|[[ダイヤモンド社]]|date=2019年11月}} |date=1981-01-05}}同日付のラジオ・テレビ欄より。</ref>。途中、21:24 - 21:30には『[[ANNニュース]]』が放送された。 === アニメ映画 === {{Anchors|映画(アニメ版)}} ==== 火の鳥・第2部(未制作) ==== 前述の実写映画『火の鳥』は本来は二部構成であった。しかし、実写版は独立した作品となり、本作品はシナリオが作成されていたにもかかわらず制作には移らなかった{{Sfnp|手塚|1999|p=711}}。結果的に本作品の計画は『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』へとつながった。 本作品は『火の鳥』の世界の結末の一つが描かれており、実写「第1部」と作品が輪廻する予定であった(第1部で始まりを見せ、第2部で終わりを見せ、終わりは始まりにつながる予定だった)。現在、この『火の鳥』(第2部)の内容は[[河出書房新社]]の『手塚治虫絵コンテ大全6 火の鳥2772』で読むことができる。内容は「未来編」「宇宙編」「復活編」「望郷編」を総括したような作品になっている。 ===== あらすじ===== 西暦23xx年。人類はスペース・リープ航法という手段を発明し、自由に宇宙を移動していた。主人公は牧村壮吾、29歳、一流の宇宙ハンター。牧村は試験管で生まれた人物であり、家族はオルガと呼ばれるロボットしかいなかった。牧村にとってオルガはアシスタントであり、妻であり、娘であり、かけがえのない存在であった。 ある日、牧村は地球連邦移民局の局長であるロック長官に呼ばれる。そこで永遠の命を持つ「火の鳥」という生物を捕獲することを命じられた。牧村はレオーナとチヒロという2人の男女と出会い、一緒に旅に出ることになった。レオーナとチヒロは旅の途中で「エデン17」という惑星に降り立ち、仲間から外れる。牧村はレオーナから火の鳥が住んでいる惑星について聞き出し、そこへ向かった。その惑星は鳥人が人間のように生活している惑星であった。牧村は火の鳥の情報を聞き出すために、ポポヨラという鳥人の娘と接触した。ある日、オルガが突然ポポヨラこそが火の鳥であると語りだす。牧村はそれを知り、ポポヨラと戦い、正体を現した火の鳥から血を貰う。 牧村は地球に帰ろうとするが、地球の周辺まで近づくと地球から攻撃を受けるようになった。それは地球の人口増加、食糧危機、宇宙民の反乱などを防ぐために宇宙民を地球に入れないとするロックの判断であった。宇宙民は移民連合を組み、地球と対抗する突撃隊を組織した。牧村は移民の中でレオーナとチヒロの娘である「ロミ」を見つける。ロミは両親であるレオーナとチヒロを亡くし、15歳になり、美しい地球に憧れるようになり移民連合に参加した。牧村はそんなロミに恋をするようになった。牧村は愛するロミのためにロックと戦うことを決意する。 移民連合で沢山の人間が亡くなったが、牧村達は地球へと潜り込むことができた。牧村とロミとオルガは、荒れ地に巨大なドームのような建物を発見する。その建物には「猿田彦」という博士が住んでおり、そのドームには世界中の動物・植物が冷凍保存され集められていた。その時、地球は連鎖爆発を起こし、滅びてしまう。猿田博士も死に、オルガも牧村をかばって破壊。地球上で生き残ったのは牧村とロミだけであった。そして二人は…。 ===== スタッフ(予定されていた内容) ===== * 制作、総指揮、監督 - 手塚治虫 * 監修 - 市川崑 * 脚本 - 手塚治虫、谷川俊太郎 1時間45分-2時間 ==== 火の鳥2772 愛のコスモゾーン ==== [[1980年]]公開の映画作品。手塚治虫が原案・構成・総監督を務めた。 {{main|火の鳥2772 愛のコスモゾーン}} ==== 火の鳥 鳳凰編 ==== {{Infobox Film | 作品名 = 火の鳥 鳳凰編 | 原題 = | 画像 = | 画像サイズ = | 画像解説 = | 監督 = [[りんたろう]] | 脚本 = [[高屋敷英夫]]<br />[[金春智子]] | 原案 = | 原作 = | 製作 = りんたろう<br />[[丸山正雄]]<br />岩瀬安輝 | 製作総指揮 = [[角川春樹]] | ナレーター = | 出演者 = [[堀勝之祐]]<br />[[池田昌子]] | 音楽 = 石川光<br />[[宮下富実夫]] | 主題歌 = [[渡辺典子]]「[[火の鳥 (渡辺典子の曲)|火の鳥]]」<br />(作詞:[[阿久悠]]、作曲:宮下富実夫、編曲:[[瀬尾一三]]) | 撮影 = 石川欽一 | 編集 = 尾形治敏 | 制作会社 = プロジェクトチームアルゴス<br />[[マッドハウス]] | 製作会社 = | 配給 = [[東宝]] | 公開 = {{flagicon|JPN}} [[1986年]][[12月20日]] | 上映時間 = 60分 | 製作国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 製作費 = | 興行収入 = | 配給収入 = 2億3000万円{{Sfnp|中川|2014|p=283}} | 前作 = | 次作 = }} [[1986年]]公開。同時上映は[[真崎守]]監督の『[[時空の旅人]]』。映画作品だが公開当日に映像ソフトが発売されている<ref>『[[月刊ニュータイプ]]』1987年1月号([[角川書店]]、22頁)</ref>。 ストーリーについては、[[#執筆された作品]]を参照。 ===== 声の出演(鳳凰編) ===== * 我王 - [[堀勝之祐]] * 茜丸 - [[古川登志夫]] * 速魚 - [[麻上洋子]] * ブチ - [[小山茉美]] * [[吉備真備]] - [[大塚周夫]] * 火の鳥 - [[池田昌子]] * ナレーション - [[城達也]] * その他(役名表示なし) - [[塩沢兼人]]、[[田中和実]]、[[屋良有作]]、[[松井摩味]]、[[池水通洋]]、[[平野正人]]、[[田中康郎]]、[[柳沢三千代]] ===== スタッフ(鳳凰編) ===== * 監督:[[りんたろう]] * 製作:[[角川春樹]] * プロデューサー:[[丸山正雄]]、りんたろう、岩瀬安輝 * 脚本:[[高屋敷英夫]]、[[金春智子]] * 作画監督:さかいあきお * 美術監督:[[椋尾篁]] * 撮影監督:石川欽一 * 編集:尾形治敏 * 音響監督:[[宮下富実夫]] * 音楽プロデューサー:石川光 *製作:プロジェクトチームアルゴス、[[マッドハウス]] *企画協力:[[手塚プロダクション]] ==== 火の鳥 エデンの宙/火の鳥 エデンの花 ==== 『火の鳥 エデンの宙』のタイトルで[[2023年]][[9月13日]]より[[ディズニープラス]]にて世界独占配信された後、エンディングが異なるバージョン『火の鳥 エデンの花』が同年[[11月3日]]に公開<ref name="tezukaosamu20230328">{{Cite web|和書|title=『PHOENIX: EDEN17』ディズニープラス「スター」で2023年世界独占配信!|url=https://tezukaosamu.net/jp/mushi/entry/26513.html |website=虫ん坊|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL |date=2023-03-28 |access-date=2023-05-11 |language=ja}}</ref><ref name="disney20230904">{{Cite web|和書|url=https://disneyplus.disney.co.jp/news/2023/0904_phoenix_eden17|title=手塚治虫 原作、アニメ『火の鳥 エデンの宙』ディズニープラス スターで9月13日より独占配信スタート!|website=disney+|date=2023-09-04|accessdate=2023-09-14}}</ref>。「望郷編」をアニメ化した作品。 ===== 声の出演(エデンの宙/エデンの花) ===== * ロミ - [[宮沢りえ]] * コム - [[吉田帆乃華]] * ジョージ - [[窪塚洋介]] * 牧村 - [[浅沼晋太郎]] * ズダーバン - [[イッセー尾形]] * カイン - [[木村良平]] ===== スタッフ(エデンの宙/エデンの花) ===== * 監督:[[西見祥示郎]] * キャラクターデザイン・総作画監督:[[西田達三]] * 脚本:[[真野勝成]]、[[木ノ花咲]] * 音楽:[[村松崇継]] * 美術監督:[[木村真二]] * 演出・CGI監督:[[斉藤亜規子]] * 色彩設計:[[江上柚布子]] * 編集:[[重村建吾]] * 音響監督:[[笠松広司]] * プロデューサー:[[田中栄子 (プロデューサー)|田中栄子]] * エンディングテーマ:[[リベラ (ソプラノユニット)|LIBERA]]「永遠の絆」 * 製作:「火の鳥 エデンの花」製作委員会 * アニメーション制作:[[STUDIO 4℃]] * 配給:[[ハピネットファントム・スタジオ]] === OVA === ==== 火の鳥・ヤマト編 ==== 1987年8月1日発売。ストーリーについては、[[#執筆された作品]]を参照。 ===== 声の出演(ヤマト編) ===== * オグナ - [[井上和彦 (声優)|井上和彦]] * カジカ - [[鶴ひろみ]] * 川上タケル - [[屋良有作]] * イマリ - [[塩屋浩三]] * 第一王子 - [[徳丸完]] * ヤマトの王 - [[岸野一彦]] * 火の鳥 - 池田昌子 ===== スタッフ(ヤマト編) ===== * 監督:[[平田敏夫]] * 製作:角川春樹、[[植村伴次郎]] * 企画:田宮武、中川真次 * プロデューサー:りんたろう、丸山正雄 * 脚本:高屋敷英夫、金春智子 * キャラクターデザイン・作画監督:さかいあきお * 撮影:山口仁、松村康弘 * 美術監督:松岡聡 * 撮影監督:石川欽一 * 編集:尾形治敏 * 音楽監督:宮下富実夫 * 音響監督:[[明田川進]] * 音楽プロデューサー:石川光 * 制作スタジオ:プロジェクトチームアルゴス、マッドハウス * 企画協力:手塚プロダクション ==== 火の鳥・宇宙編 ==== 1987年12月21日発売。ストーリーについては、[[#執筆された作品]]を参照。 ===== 声の出演(宇宙編) ===== * 猿田 - [[堀勝之祐]] * 牧村 - [[神谷明]] * 一宮ナナ - [[戸田恵子]] * 城之内 - [[玄田哲章]] * 奇崎 - [[塩沢兼人]] * 隊員 - [[大倉正章]] * 火の鳥 - 池田昌子 ===== スタッフ(宇宙編) ===== * 監督:[[川尻善昭]] * 製作:角川春樹、植村伴次郎 * 企画:田宮武、中川真次 * プロデューサー:りんたろう、丸山正雄 * 脚本:高屋敷英夫、金春智子 * 作画監督:野田卓雄 * メカニカルデザイン・設定デザイン:稲垣賢吾 * 美術監督:[[池田祐二]] * 撮影監督:石川欽一 * 編集:尾形治敏 * 音楽監督:宮下富実夫 * 音響監督:明田川進 * 音楽プロデューサー:石川光 * 制作スタジオ:プロジェクトチームアルゴス、マッドハウス * 企画協力:手塚プロダクション === テレビアニメ === [[2004年]]に手塚プロダクション制作、[[日本放送協会|NHK]]-[[NHKデジタル衛星ハイビジョン|BSハイビジョン]]([[NHK総合テレビジョン|総合テレビ]])にて本放送された。火の鳥を演じた[[竹下景子]]はアニメ映画『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』以来24年ぶりの火の鳥での出演である。 放送エピソードはアニメ化していなかった「黎明編」・「復活編」・「異形編」・「太陽編」・「未来編」。内容は一貫して愛憎両面での父子関係ないしは擬似父子関係を重視したものに大幅に短縮・改編され、編によってはほぼ別物語に近いものもある。また、原作漫画の実験的表現はほぼ完全に排されている。 [[ハイビジョン制作]]、[[5.1chサラウンド]]音声作品。 NHKでは様々なチャンネルで何度も放送されている。 ストーリーについては、[[#執筆された作品]]を参照。 * BSハイビジョン ** [[2004年]]3月に先行放送開始。同年4月より毎週金曜19時30分からレギュラー放送。 ** [[2005年]]元旦に全編再放送。 ** [[2009年]]3月31日より「ハイビジョン アニメシリーズ」枠内にて毎週火曜19時25分から放送。 * 総合テレビジョン ** 2004年4月 - 6月 [[NHKアニメ劇場]]枠にて毎週日曜19時30分から放送。 ** 2005年4月、[[ミッドナイトチャンネル]]枠内で土曜深夜24時50分から25時15分に放送された。 ==== 声の出演(テレビアニメ) ==== * 火の鳥 - 竹下景子 * ナレーション - [[久米明]] {{col| * '''黎明編''' ** ナギ - [[竹内順子]] ** [[猿田彦]] - [[小村哲生]] ** グズリ - [[中尾みち雄]] ** ヒナク - [[玉川砂記子|玉川紗己子]] ** [[卑弥呼|ヒミコ]] - [[来宮良子]] ** 天ノ弓彦 - [[てらそままさき|寺杣昌紀]] ** [[スサノオ]] - [[津田英三]] ** [[ニニギ]] - [[大塚明夫]] ** [[アメノウズメ|ウズメ]] - [[中谷ゆみ]] ** カマムシ - [[飯塚昭三]] ** ウラジ - [[屋良有作]] ** おばば - [[瀬畑奈津子]] ** おじじ - [[依田英助]] ** 呪術師 - [[宮田光]] ** 長老 - [[西川幾雄]] ** [[クマソタケル|タケル]] - [[浪川大輔]] ** フキ - [[中川亜紀子]] ** ヤズチ - [[野島裕史]] ** [[田力男]] - [[土屋利秀]] ** 侍女 - [[出口佳代]] ** 侍女 - [[中川亜紀子]] ** 兵 - [[木村雅史]] ** 兵 - [[近藤孝行]] ** 侍従 - [[辻村真人]] ** 兵士 - [[長嶝高士]] ** 兵士 - [[松本大 (声優)|松本大]] ** 兵士 - [[小谷津央典]] ** 兵の声 - [[秋元羊介]]、小谷津央典 * '''復活編''' ** レオナ・宮津 - [[佐々木望]] ** チヒロ - [[小林美佐]] ** [[アセチレン・ランプ (手塚治虫)|ランプ]] - [[広瀬正志]] ** ニールセン - [[小川真司]] ** レイコ - [[大坂史子]] ** 猿田博士 - 小村哲生 ** ロビタ - [[牛山茂]] ** レオナの父 - [[岩尾万太郎]] ** レオナ(子供時代) - [[高木礼子]] ** 少年 - [[久保田恵]] ** 職員 - 岩男万太郎、[[麻生智久]]、[[田中完]] ** 声 - 近藤孝行 | * '''異形編''' ** 左近介 - [[浅野まゆみ]] ** 八百比丘尼 - [[久保田民絵]] ** 可平 - [[島田敏]] ** 八木家正 - 小村哲生 ** 塙陣太夫 - [[岸野一彦]] ** 村長 - 長嶝高士 ** 老婆 - [[定岡小百合]] ** 母 - [[平辻朝子]] ** 村人 - 松本大、[[上田陽司]]、[[保村真]] * '''太陽編''' ** 犬上(ハリマ、クチイヌ) - [[松本保典]] ** マリモ - [[内川藍維]] ** おばば - [[巴菁子]] ** [[阿曇比羅夫|阿曇ノ連]]猿田 - 小村哲生 ** ルベツ - [[菅生隆之]] ** [[天武天皇|大海人皇子]] - [[内田直哉]] ** [[天智天皇|大王天智]] - [[池田勝]] ** 法弁 - [[大木民夫]] ** [[蘇我果安]] - [[藤本譲]] ** [[蘇我安麻呂]] - [[柳沢栄治]] ** 月壇 - [[楠見尚己]](その二)、[[江川央生]] ** 火檀 - 楠見尚己 ** 木檀 - [[廣田行生]] ** [[弘文天皇|大友皇子]] - [[神谷浩史]] ** [[壱伎韓国|壱伎史韓国]] - [[渡部猛]] ** [[高市皇子]] - [[野島健児 (声優)|野島健児]] ** 日壇 - [[岩崎ひろし]] ** 大后 - [[小金沢篤子]] ** 伊吹丸 - [[郷里大輔]] ** 将軍 - [[坂口候一]] ** 小熊村長 - 麻生智久 ** 国司 - [[仲野裕]] ** 兵士 - 服巻浩司、小谷津央典 ** 農夫 - 宮田光 ** 男 - [[最上嗣生]] ** 女 - [[茂呂田かおる]] ** 役人 - [[西脇保]]、[[中嶋聡彦]] ** 従者 - 保村真 ** 里人 - 上田陽司、小谷津央典 ** 子ども - [[樋口あかり]] ** 側近 - 服巻浩司 ** 側近 - 小谷津央典 ** 農民 - [[土屋利秀]] ** 村人 - 上田陽司 | * '''未来編''' ** 山之辺マサト - 浪川大輔 ** タマミ - [[冬馬由美]] ** [[ロック・ホーム|ロック]] - [[桐本琢也]] ** 猿田博士 - 小村哲生 ** ロビタ - 牛山茂 ** アダム - [[水島大宙]] ** フィメール - [[夏樹リオ]] ** マサト(老人) - [[阪脩]] ** 少年 - [[佐藤ゆうこ (声優)|佐藤ゆうこ]] ** 少女 - 中川亜紀子 ** 赤ん坊 - 樋口あかり ** 原人 - [[幸田昌明]] }} ==== スタッフ(テレビアニメ) ==== * 原作 - 手塚治虫 * 監督 - [[高橋良輔 (アニメ監督)|高橋良輔]] * 作画監督・キャラクターデザイン - [[杉野昭夫]]、内田裕、[[西田正義]]、大下久馬 * 美術監督 - [[河野次郎]]、[[西田稔]]、斉藤雅巳、柴田正人 * 色彩設定 - 箕輪綾美、小林美代子 * 撮影監督 - 中村圭介 * 音楽 - [[内池秀和]]、[[野見祐二]] * 音響監督 - [[小林克良]] * アニメーションプロデューサー - 清水義裕、宇田川純男 * 制作統括 - [[貴志謙介]]、冨永慎一 * アニメーション制作 - 手塚プロダクション * 国際共同制作 - [[:en:WNET|Thirteen/WNET New York]] * 共同制作 - [[NHKエンタープライズ]] * 制作・著作 - NHK ==== 主題歌 ==== ; オープニングテーマ「火の鳥」 : 作曲 - [[内池秀和]] / 編曲 - [[野見祐二]] / 演奏 - [[チェコ・フィルハーモニー管弦楽団]]、[[チェン・ミン]]、[[諫山実生]] : オーケストラによる演奏。諫山実生によるコーラスがあるが、歌詞はない。 ; エンディングテーマ「[[火の鳥 (中島美嘉の曲)|火の鳥]]」 : 作詞 - [[湯川れい子]] / 作曲 - [[内池秀和]] / 編曲 - [[冨田恵一]] / 歌 - [[中島美嘉]] : エンディングの映像は宇宙空間をバックに、きらめく火の鳥を映したものとなっている。 ==== 各話リスト ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" |- !話数!!放送日!!サブタイトル!!脚本!!絵コンテ!!演出!!作画監督!!美術監督 |- |第1話||'''2004年'''<br />4月4日||黎明編 その一||rowspan="4"|[[鈴木良武|五武冬史]]||[[寺田和男]]||吉村文宏||[[杉野昭夫]]||rowspan="2"|[[河野次郎]] |- |第2話||4月11日||黎明編 その二||吉村文宏||津田義三||杉野昭夫<br />高橋直樹 |- |第3話||4月18日||黎明編 その三||colspan="2" style="text-align:center"|[[竹内啓雄]]||杉野昭夫||河野次郎<br />安原稔 |- |第4話||4月25日||黎明編 その四||colspan="2" style="text-align:center"|[[青山弘]]||杉野昭夫<br />垪和等<br />大下久馬||河野次郎 |- |第5話||5月2日||復活編 その一||rowspan="2"|[[長谷川圭一]]||[[波多正美]]||吉村文宏||内田裕||rowspan="2"|斉藤雅巳 |- |第6話||5月9日||復活編 その二||鈴木卓夫||萩原露光||内田裕<br />渡辺章 |- |第7話||5月16日||異形編||colspan="2" style="text-align:center"|[[杉井ギサブロー]]||大下久馬<br />水野健太郎||大下久馬||河野次郎 |- |第8話||5月23日||太陽編 その一||rowspan="4"|[[野崎透]]||竹内啓雄||伊藤幸松||西田正義<br />清水恵蔵||rowspan="4"|柴田正人 |- |第9話||5月30日||太陽編 その二||colspan="2" style="text-align:center"|[[桑原智]]||西田正義 |- |第10話||6月6日||太陽編 その三||colspan="2" style="text-align:center"|竹内啓雄||西田正義<br />瀬谷新二 |- |第11話||6月13日||太陽編 その四||colspan="3" style="text-align:center"|西田正義 |- |第12話||6月20日||未来編 その一||rowspan="2"|[[小林弘利]]||colspan="2" style="text-align:center"|吉村文宏||rowspan="2"|杉野昭夫||rowspan="2"|[[西田稔]] |- |第13話||6月27日||未来編 その二||波多正美||鈴木卓夫 |} === 火の鳥 羽衣編 === [[手塚治虫ワールド]]の300インチシアターにて上映されていたオリジナル短編アニメ。制作陣はテレビアニメ版と一部同じだが、火の鳥の声優は代わっている{{Sfn|official-anime 羽衣編}}。 手塚プロダクション/2004年7月17日/21分 ==== スタッフ(羽衣編) ==== * ズク:[[小村哲生]] * トキ:[[斎藤恵理]] * 火の鳥:[[田中敦子 (声優)|田中敦子]] * 監督、キャラクターデザイン、作画監督:西田正義 * コンテ:桑原智 * 美術監督:柴田正人 * 色彩設計:油谷ゆみ === プラネタリウム用アニメーション映画 === {{Infobox Film | 作品名 = 火の鳥 -絆編- | 原題 = | 画像 = | 画像サイズ = | 画像解説 = | 監督 = [[河口俊夫]] | 脚本 = | 原案 = | 原作 = | 製作 = | 製作総指揮 = | ナレーター = | 出演者 = | 音楽 = | 主題歌 = | 撮影 = | 編集 = | 製作会社 = | 配給 = | 公開 = {{flagicon|JPN}} [[2012年]][[7月]]([[プラネタリウム]]専用映画) | 上映時間 = 25分 | 製作国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 製作費 = | 興行収入 = | 前作 = | 次作 = }} 『'''火の鳥 -絆編-'''』(ひのとりきずなへん)は2012年に公開されたプラネタリウム専用アニメーション映画である。秋田県能代市・能代市子ども館 、宮城県大崎市パレットおおさき(大崎生涯学習センター)、茨城県つくば市つくばエキスポセンターで上映<ref name="official_虫ん坊201208">{{Cite web|和書|date=2012-08 |title=虫ん坊「火の鳥絆編 河口俊夫監督インタビュー」< 虫ん坊 2012年8月号(通巻No.00125)|url=https://tezukaosamu.net/jp/mushi/201208/special2.html |publisher=株式会社手塚プロダクション |website=公式ウェブサイト |work=手塚治虫 |accessdate=2022-08-17 }}</ref>。 主人公の平凡な地球人の少年カイは、宇宙へ飛びだったまま連絡が途絶えた父の帰りをずっと待っていた。しかし、父は10年経っても帰ってこなかった。ある日、そんなカイの前に炎に包まれた不思議な鳥が現れる。カイはその鳥と宇宙へと旅立つ。そしてカイは父の愛を知る。 ==== スタッフ(絆編) ==== * 監督:河口俊夫<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.co-aza.net/works.html|title=作品情報|publisher=カンパニーAZA|accessdate=2018-12-13}}{{リンク切れ|date=2022年8月17日}}</ref> * 音響監督:[[はたしょう二]] * 音楽:倖山リオ * 音楽制作:カンパニーAZA * 制作:手塚プロダクション === 火の鳥“道後温泉編” === [[愛媛県]][[松山市]]は[[2019年]]より[[道後温泉本館]]が大規模な保存修理工事を開始したのを機に、同年1月より「道後REBORNプロジェクト」として手塚プロダクション、[[ポニーキャニオン]]と共同コラボレーション企画を展開。火の鳥をイメージキャラクターにしたキービジュアルや入浴券イラストが使用されるほか、同年5月からは手塚プロダクション制作によるオリジナルアニメーションを配信<ref name=Natalie_20181209>{{Cite news |和書 |date=2018-12-09 |title=「火の鳥」が道後温泉本館とコラボ、新作アニメ“道後温泉編”に三森すずこら |url=https://natalie.mu/comic/news/311456 |publisher=株式会社ナターシャ |newspaper=コミック[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]] |accessdate=2022-08-17 }}</ref><ref name=Natalie_20190327>{{Cite news |和書 |date=2019-03-27 |title=水樹奈々が火の鳥役に!手塚プロ×道後温泉のアニメを松山市長&手塚るみ子とPR |url=https://natalie.mu/comic/news/325565 |publisher=株式会社ナターシャ |newspaper=コミックナタリー |accessdate=2022-08-17 }}</ref>。アニメは全4話(プロローグ1話+本編3話)構成で、永遠の命を持つ火の鳥が三千年にわたる道後温泉の歴史において、それぞれの時代で人や神と関わる物語を描く。 ==== スタッフ(道後温泉編) ==== * 原作 - 手塚治虫 * 企画 - 松山市 * 監督、絵コンテ - 吉村文宏 * 脚本 - 増本庄一郎、西村太佑 * キャラクターデザイン、プロローグ/第一話作画監督・レイアウト・原画 - 瀬谷新二 * 第二話/第三話作画監督・レイアウト・原画 - 加藤茂 * 美術監督 - 柴田正人 * 音楽 - [[野見祐二]] * アニメーションプロデューサー - 宇田川純男 * プロデュース - 清水義裕 * アニメーション制作 - 手塚プロダクション(第二話/第三話制作協力 - スタジオアド) * 制作 - ポニーキャニオン * 製作 - 手塚プロダクション / 松山市 ==== 声の出演(道後温泉編) ==== * 火の鳥 - [[水樹奈々]] (全話に登場) * ナレーション - [[小村哲生]](プロローグ・第一話)、[[友近]](第二・三話) 下記に各話の登場人物および概要も簡単に解説。 ; プロローグ「大国主(オオクニヌシ)と少彦名(スクナヒコナ)」 : 2019年5月23日より配信開始 : [[日本神話]]の時代。神である大国主は諸国を巡る旅の途中であったが、供である少彦名が熱を出して倒れてしまった。そこに現れた火の鳥が、二柱を温泉(のちの道後温泉)に導き癒す。元気になった二柱は温泉の守り神となり、後々の世まで人々を見守ることとなる。 :* [[大国主]] - [[つるの剛士]](第二・三話にも出演) :* [[スクナビコナ|少彦名]] - [[三森すずこ]](第二・三話にも出演) ; 第一話「聖徳太子、来浴」 : プロローグと一体化して同日に配信開始 : 法興六年(西暦[[596年]])10月、摂政として激務の日々を送る[[聖徳太子|厩戸皇子]](のちの聖徳太子)は大層疲れていた。そこに現れた老人が、皇子を温泉に導く。 :* 厩戸皇子 - [[田所陽向]] :* 老人(猿田彦) - 小村哲生(第二話にも明治時代の「猿田彦」が登場) :* 従者A - 松岡侑李 :* 従者B - [[ふじたまみ]] ; 第二話 「子規と漱石」 : 2020年2月1日より配信開始 : 明治23年(西暦[[1890年]])。当時の[[道後湯之町]]々長である[[伊佐庭如矢]]は、老朽化していた道後温泉本館を100年後の世まで持たせたいという心意気で「りぼーん(明治の改築)」に着手。腕のいい大工・坂本又八郎も棟梁として改築に協力し、無事に本館は生まれ変わった。その5年後、[[正岡子規]]は持病の病を癒すため友人である[[夏目漱石]]と共に道後温泉を訪れ、俗に言う「愚陀仏庵」で共に逗留生活を送る。この数年後、子規は物故する運命にあるが温泉に入って活力を得たことで、ほんの一時ではあるが命を長らえ、漱石は子規と過ごした日々を忘れず日本近代文学の礎を築いた。 :* 正岡子規 - [[福山潤]] :* 夏目漱石 - [[立花慎之介]] :* マドンナ - 友近(第三話にも出演) :* 伊佐庭如矢 - つるの剛士(第三話にも出演) :* 坂本又八郎 - 三森すずこ(第三話にも出演) :* 赤シャツ(「大工」も兼ね役) - [[中野泰佑]] :* 大工 - [[中村大志 (声優)|中村大志]] : ※このほか、道後温泉改築を[[クラウドファンディング]]で支援した2名の一般人(成人男性と少女)が、リターン(返礼)として本編にアニメキャラクター化して登場。声の出演もした。 ; 第三話 「そして、未来へ」 : 2020年11月20日より配信開始 : 正応元年(西暦[[1288年]])。後に[[時宗]]の開祖として崇められる[[一遍|一遍上人]]は十数年の諸国遊行を経て故郷である伊予の国に戻ってきた。彼の清冽な強い思いに感じ入った火の鳥は一遍に啓示を与える。一遍は道後温泉の湯釜に文字を掘り、その周りで人々と共に楽しく踊る。時は流れ、物語は現代、そして未来の道後温泉を描く。 :* 一遍上人 - [[板尾創路]] :* 異星人女 - 三森すずこ :* ロビタ / お客様 - [[牛山茂]] :* 女性ロボ / 異星人子 - [[島田愛野]] :* 異星人男 - [[田丸篤志]] === 舞台 === * [[青二プロ]]シンフォニックドラマ『火の鳥-黎明編』(1979年) * オペラ『火の鳥-黎明編』(1985年) [[青島広志]]作曲 * オペラ『火の鳥-ヤマト編』(1985年) 青島広志作曲 * 舞台『スペースファンタジー「火の鳥」』アスペクタ(グリーンピア南阿蘇)落成記念フェスティバルで上演。(1987年) * 舞台劇『火の鳥』(1989年) ** [[スペース・ゼロ|全労済ホールスペース・ゼロ]]開館記念として[[杮落とし]]公演。2001年の近未来を舞台にしたオリジナルストーリー。手塚治虫の遺作の一つ。 ** 出演:[[沖田浩之]]、[[五十嵐いづみ]]、[[隆大介]]、岡本舞、[[湯浅実]]、[[木ノ葉のこ]] * [[宝塚歌劇団|宝塚歌劇]][[花組]]公演『[[火の鳥 (1994年の宝塚歌劇)|火の鳥]]』(1994年) ** [[宝塚市立手塚治虫記念館]]開館記念公演。 * 松竹音楽劇『火の鳥』(1994年) ** 脚本:[[鈴木聡 (演出家)|鈴木聡]]、演出:[[栗山民也]] ** 出演:[[岡本健一]](グリス/マモル)、[[藤真利子]](ヒミコ/メガミ)、[[赤坂晃]](ナギ/オロ)、[[つみきみほ]](ヒナク/タマミ)、[[笹野高史]](猿田彦/猿田) * 舞台『火の鳥』神戸オリエンタル劇場で上演。(1996年) * 舞台『火の鳥・羽衣編』[[劇団民話芸術座]]が全国の学校・ホールで上演(1997年) * ABCミュージカル『火の鳥』(2000年) ** 脚本:[[鈴木哲也 (脚本家)|鈴木哲也]]、演出:[[マキノノゾミ]]、音楽:[[財津和夫]] ** 出演:[[萩原流行]](我王/猿田彦)、[[牧瀬里穂]](ブチ/速魚)、[[村井國夫|村井国夫]](良弁僧正)、[[鈴木壮麻|鈴木綜馬]](茜丸)、[[森山未來]](ヒョウタンカブリ)、[[庄野真代]](火の鳥) * 音楽劇『NINAGAWA火の鳥』(2000年) ** [[さいたまスーパーアリーナ]]開館記念公演。脚本:[[横内謙介]]、演出:[[蜷川幸雄]] ** 出演:[[今井絵理子]]、[[越中睦|MAKOTO]]、[[いかりや長介]] * 民話芸術座『火の鳥・羽衣編』(2004年、再演) * 創作舞踊劇場公演『火の鳥 転生編〜炎のむこうにあなたがいた〜』(2004年) ** [[花柳寿楽 (3代目)|花柳錦之輔]] / 尾上青楓(茜丸)、尾上京 / 花柳路太(比乃子)、市山松之助 / 西川大樹(我王)、橘芳慧([[光明皇后]]) * 音舞劇『火の鳥』東京芸術劇場中ホールで上演(2005年) * [[わらび座]]ミュージカル『火の鳥 鳳凰編』(2008年 - 2009年) ** 手塚治虫生誕80周年記念公演 ** 演出:[[栗山民也]]、脚本:齋藤雅文、音楽:[[甲斐正人]]、美術:[[妹尾河童]] ** 出演:[[パク・トンハ]] / [[三重野葵]] / 渡部徹 / 平野進一 / 上野哲也(我王)、戎本みろ(茜丸)、[[碓井涼子 (女優)|碓井涼子]] / [[椿千代]](速魚)、[[新妻聖子]](火の鳥の声) * 人形劇団クラルテ『手塚治虫生誕80周年 劇団結成60周年記念公演 火の鳥-黎明編』(2008年-各地を巡演){{efn|同劇団の代表 [[高平和子]]と秋田文庫版の手塚治虫作品集の表紙イラストを手掛けたイラストレーターの[[西口司郎]]は夫婦であり、生前に豪華版単行本のイラストを手掛けた事から手塚とも交流があった。}} === 小説 === * 角川書店『火の鳥〈鳳凰編〉』(1986年、著者:山崎晴哉) * 角川書店『火の鳥〈乱世編 上〉大魔王之巻』(1986年、著者:山崎晴哉) * 角川書店『火の鳥〈乱世編 下〉美麗悪魔之巻 』(1987年、著者:山崎晴哉) * 角川書店『火の鳥〈黎明編〉卑弥呼・群狼之巻』(1987年、著者:山崎晴哉) * 講談社『火の鳥2772 (マガジン・ノベルス・スペシャル)』(1995年、著者:並木敏) * ポプラ社『小説 火の鳥 黎明編 (小説火の鳥 1)』(2006年、著者: 大林憲司) * ポプラ社『小説 火の鳥 ヤマト編 (小説火の鳥 2)』(2007年、著者: 大林憲司) * ポプラ社『小説 火の鳥 鳳凰編 (小説火の鳥 3)』(2008年、著者: 大林憲司) * 『火の鳥アトム編』 ** 二階堂黎人により『SF Japan VOL.3 冬季号 手塚治虫スペシャル (2001年 徳間書店)』の中にて書きおろし。文庫『手塚治虫COVER タナトス篇(2003年 徳間書店)』にも収録。 * 『小説 火の鳥 大地編』(2019年、著者:[[桜庭一樹]]、[[朝日新聞]][[be (朝日新聞)|be]]連載) === TVゲーム === * [[火の鳥 鳳凰編 我王の冒険]]([[ファミリーコンピュータ]]、[[コナミ]]、1987年) * [[火の鳥 鳳凰編 (MSX)|火の鳥 鳳凰編]]([[MSX2]]、コナミ、1987年) 2作品とも、アニメ映画『火の鳥 鳳凰編』とのメディアミックス作品。パッケージやマニュアルの表紙に映画のイメージ画像が使われているほか、手塚治虫に加えて映画の製作元である角川書店がクレジット表記されている。 === ギャグ漫画 === * 和田ラヂヲの火の鳥(著者:[[和田ラヂヲ]]、[[マイクロマガジン社]]) 上記は、手塚治虫生誕90周年記念書籍『テヅコミ』(マイクロマガジン社)にて連載されたトリビュート作品。2013年愛媛美術館で開催された「手塚治虫展」にて展示された漫画も収録し、単行本が全1巻刊行された。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{reflist|2 |refs= <ref name="火の鳥と私">「『火の鳥』と私」1968年12月20日発行 火の鳥未来編巻末より{{要ページ番号|date=2021年11月}}</ref> <ref name="全史438">{{Harvnb|東宝特撮映画全史|1983|pp=438-439|loc=「一般映画の中の特撮」}}</ref> <ref name="全史550">{{Harvnb|東宝特撮映画全史|1983|p=550|loc=「東宝特撮映画作品リスト」}}</ref> <ref name="画報197">{{Harvnb|ゴジラ画報|1999|p=197|loc=「火の鳥」}}</ref> }} == 参考文献 == ; 没後の本人名義の文献 * {{Cite book |和書 |author=手塚治虫 |date=1999-07 |title=手塚治虫絵コンテ大全〈6〉火の鳥2772 |publisher=[[河出書房新社]] |ref={{SfnRef|手塚|1999}} }}{{Small|{{ISBN2|4-309-72346-2}}、{{ISBN2|978-4-309-72346-4}}、{{OCLC|47612608}}}}。 * {{Cite book |和書 |author=手塚治虫 |date=2008-02-23 |title=手塚治虫 ぼくのマンガ道 |url=https://www.shinnihon-net.co.jp/general/detail/name/手塚治虫%E3%80%80ぼくのマンガ道/code/978-4-406-05115-6/ |publisher=[[新日本出版社]] |ref={{SfnRef|手塚|2008}} }}{{Small|{{ISBN2|4-406-05115-5}}、{{ISBN2|978-4-406-05115-6}}、{{OCLC|676112436}}}}。 ; 書籍、ムック * <!--いちかわ-->{{Cite book |和書 |author1=[[市川崑]] |author2=森遊机 |date=2015-11-12 |title=完本 市川崑の映画たち |publisher=[[洋泉社]] |ref={{SfnRef|市川|森|2015}} }}{{Small|{{ISBN2|4-8003-0792-9}}、{{ISBN2|978-4-8003-0792-7}}、{{OCLC|931942510}}}}。 * <!--かわで-->{{Cite book |和書 |date=1999-05-25 |title=手塚治虫―総特集:永久保存版 |url=https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309975719/ |publisher=[[河出書房新社]] |series=KAWADE夢ムック 文藝別冊 |ref={{SfnRef|河出『手塚治虫―総特集』|1999}} }}{{Small|{{ISBN2|4-309-97571-2}}、{{ISBN2|978-4-309-97571-9}}、{{OCLC|54856912}}}}。 * <!--きみしまorきみじま-->{{Cite book |和書 |author=君島志郎 |date=1998-04-10 |title=宇宙船YEAR BOOK 1998 |publisher=[[朝日ソノラマ]] |series=[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]別冊 |ref={{SfnRef|君島|1998}} }}{{Small|{{ASIN|B0054UU4FC}}}}。 * <!--たに-->{{Cite book |和書 |author=谷甲州 |date=1996-11 |title=終わりなき索敵─航空宇宙軍史〈下〉|publisher=[[早川書房]] |series=[[ハヤカワ文庫#ハヤカワ文庫JA|ハヤカワ文庫JA]] }}{{Small|{{ISBN2|4-15-030570-6}}、{{ISBN2|978-4-15-030570-3}}、{{OCLC|674735006}}}}。 ** {{Wikicite |ref={{SfnRef|巽|1996}} |reference=[[巽孝之]]「超光速涅槃で待つ」}} * <!--てづかまこと-->{{Cite book |和書 |author=[[手塚眞]] |date=2009-05 |title=「父」手塚治虫の素顔 |edition=初版 |publisher=あいうえお館、[[誠文堂新光社]] |ref={{SfnRef|手塚眞|2009}} }}{{Small|{{ISBN2|4-416-90923-3}}、{{ISBN2|978-4-416-90923-2}}、{{OCLC|676600218}}}}。 ** {{Cite book |和書 |author=手塚眞 |date=2012-03-28 |title=「父」手塚治虫の素顔 |publisher=[[新潮社]] |series=[[新潮文庫]] |ref={{SfnRef|手塚眞|2012}} }}{{Small|{{ISBN2|4-10-136521-0}}、{{ISBN2|978-4-10-136521-3}}、{{OCLC|816912188}}}}。 * <!--なかがわ-->{{Cite book |和書 |author=[[中川右介]] |date=2014-03-08 |title=角川映画 1976-1986 日本を変えた10年 |publisher=[[KADOKAWA]] |ref={{SfnRef|中川|2014}} }}{{Small|{{ISBN2|4-04-731905-8}}、{{ISBN2|978-4-04-731905-9}}、{{OCLC|870959052}}}}。 * {{Cite book |和書 |author=中川右介 |date=2021-05-25 |title=手塚治虫とトキワ荘 |publisher=[[集英社]] |series=[[集英社文庫]] |ref={{SfnRef|中川|2021}} }}{{Small|{{ISBN2|4-08-744249-7}}、{{ISBN2|978-4-08-744249-6}}、{{OCLC|1255752747}}}}。 * <!--なかの-->{{Cite book |和書 |author=[[中野晴行]] |date=2005-4-01 |title=そうだったのか手塚治虫―天才が見抜いていた日本人の本質 |publisher=[[祥伝社]] |series=[[祥伝社新書]] |ref={{SfnRef|中野|2005}} }}{{Small|{{ISBN2|4-396-11009-X}}、{{ISBN2|978-4-396-11009-3}}、{{OCLC|676598160}}}}。 * <!--ばん-->{{Cite book |和書 |author1=[[伴俊男 (漫画家)|伴俊男]] |author2=[[手塚プロダクション]] |date=2009-03-01 |title=手塚治虫物語―アニメの夢1960~1989 |publisher=[[金の星社]] |ref={{SfnRef|伴|手塚プロダクション|2009}} }}{{Small|{{ISBN2|4-323-07150-7}}、{{ISBN2|978-4-323-07150-3}}、{{OCLC|441471891}}}}。 * <!--やぐち-->{{Cite book |和書 |author=[[矢口高雄]] |date=1990-02-05 |title=[[マタギ (漫画)|マタギ]] 愛蔵版 |publisher=[[中央公論社]] |ref={{SfnRef|矢口|1990}} }}{{Small|{{ISBN2|4-12001885-7}}、{{ISBN2|978-4-12001885-5}}、{{OCLC|674585044}}}}。 <!--※以下は法人など。--> * <!--あさひ-->{{Cite book |和書 |author=朝日新聞社(著)|date=1989-01-01 |title=手塚治虫の世界─朝日ジャーナル臨時増刊 1989年4月20日号 |url=https://muuseo.com/jason1208/items/601 |publisher=[[朝日新聞社]] }}{{Small|{{ASIN|B008HD65VA}}}}。 ** {{Wikicite |ref={{SfnRef|手塚眞|1989}} |reference=[[手塚眞]]「わが父 手塚治虫」}} * <!--かどかわ-->{{Cite book |和書 |date=1986-12-20 |title=火の鳥 |publisher=[[角川書店]] |series=ニュータイプ100%コレクション |ref={{SfnRef|ニュータイプ100%コレクション 火の鳥|1986}} }}{{Small|{{ISBN2|4-04852057-1}}、{{ISBN2|978-4048520577}}、{{OCLC|673583768}}}}。 * <!--しょうがくかん-->{{Cite book |和書 |author=小学館(著)|others=佐藤敏章(インタビュー)、[[ビッグコミック]]1編集部(編集)|date=2010-09-30 |title=神様の伴走者─手塚番13+2 |publisher=[[小学館]] |ref={{SfnRef|神様の伴走者─手塚番13+2|2010}} }}{{Small|{{ISBN2|4-09-388149-9}}、{{ISBN2|978-4-09-388149-4}}、{{OCLC|669740850}}}}。 * <!--たけ-->{{Cite book |和書 |date=1999-12-24 |origdate=1993-12-21 |title=ゴジラ画報─東宝幻想映画半世紀の歩み |edition=第3版 |publisher=[[竹書房]] |ref={{SfnRef|ゴジラ画報|1999}}}}{{Small|{{ISBN2|4-81240581-5}}、{{ISBN2|978-4-81240581-9}}、{{OCLC|54421721}}}}。 * <!--とうほう-->{{Cite book |和書 |others=東宝株式会社出版事業室(企画・編集)、[[田中友幸]](監修)|date=1983-12-10 |title=東宝特撮映画全史 |publisher=[[東宝]]出版事業室 |ref={{SfnRef|東宝特撮映画全史|1983}}}}{{Small|{{ISBN2|4-924609-00-5}}、{{ISBN2|978-4-924609-00-6}}、{{OCLC|672843293}}}}。 * <!--ナツメしゃ-->{{Cite book |和書 |others=[[手塚プロダクション]](監修)|date=2005-05-01 |title=火の鳥 公式ガイドブック―悠久の時に刻まれる生命の謎と真実 |edition= |publisher=[[ナツメ社]] |ref={{SfnRef|公式ガイドブック|2005}} }}{{Small|{{ISBN2|4-81633884-5}}、{{ISBN2|978-4-81633884-7}}、{{OCLC|170002555}}}}。 ; 雑誌 * <!--キネマ-->{{Cite journal |和書 |author= |date=1979 |title=1978年邦画四社<封切配収ベスト5> |url=https://www.art-blue.jp/kj2/1979/ |publisher=[[キネマ旬報社]] |journal=[[キネマ旬報]] |volume=2月下旬決算特別号 |issue=No.754 |pages=124 |ref={{SfnRef|キネマ旬報 No.754|1979}} }} == 関連文献 == <!--※出典でない書籍情報は「参考文献」節から外しています。典拠とする場合は、{{Sfnp|火の鳥大解剖|2022|p=ページ番号}}などという形で表示すると共に移動させて下さい。--> * <!--さんえい-->{{Cite book |和書 |date=2022-06-02 |title=火の鳥大解剖─人はなぜ生まれ、なぜ死ぬのか |publisher=[[三栄]] |series=日本の名作漫画アーカイブシリーズ サンエイムック |ref={{SfnRef|火の鳥大解剖|2022}} }}{{Small|{{ISBN2|4-77964574-3}}、{{ISBN2|978-4-77964574-7}}、{{OCLC|1329170496}}}}。 ** プレスリリース:{{Cite news |和書 |author=[[三栄]] |date=2022-06-02 |title=手塚治虫氏の名作を読み解く『火の鳥大解剖』発売。未来編ラストシーンの原画も掲載 |url=https://www.famitsu.com/news/202206/02263585.html |publisher=株式会社 [[KADOKAWA Game Linkage]] |newspaper=[[ファミ通]].com |accessdate=2022-08-17 |ref={{SfnRef|ファミ通 20220602}} }} == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|スペキュレイティブ・フィクション|[[ファイル:Dragon-149393.svg|34px|Portal:スペキュレイティブ・フィクション]]}} * 漫画 ** [https://tezukaosamu.net/jp/manga/397.html 手塚治虫公式サイト内作品ページ(マンガ『火の鳥(鳳凰編)』)] ** [http://tezukaosamumagazineclub.com/modules/library/library.php?title=%B2%D0%A4%CE%C4%BB 手塚治虫マガジン倶楽部 - 火の鳥] * テレビアニメ ** {{Wayback|url=https://www6.nhk.or.jp/anime/program/detail.html?i=hinotori |title=NHKアニメワールド |date=20161220093343}} ** {{NHK放送史|D0009044080_00000|火の鳥}} * 実写映画 ** {{Allcinema title|86178|火の鳥}} ** {{Kinejun title|18868|火の鳥}} ** {{Amg movie|95235|Hi no tori}} ** {{IMDb title|0077673|Hi no tori}} * アニメ映画 ** [https://tezukaosamu.net/jp/anime/16.html 手塚治虫公式サイト内作品ページ(アニメ『火の鳥(鳳凰編)』)] ** [https://happinet-phantom.com/hinotori-eden/ 映画『火の鳥 エデンの花』公式サイト] ** {{Allcinema title|149987|火の鳥 鳳凰編}} ** {{Kinejun title|17770|火の鳥 鳳凰編}} ** {{Movie Walker|mv17591|火の鳥 鳳凰編}} ** {{映画.com title|41162|火の鳥 鳳凰編}} ** {{IMDb title|0185359|Hi no tori: Hôô hen}} {{前後番組 |放送局=[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]] |放送枠=日曜19:30 - 19:55枠 |番組名=火の鳥<br />(2004年4月4日 - 6月27日)<br />【本作より[[NHKアニメ劇場]]枠】 |前番組=[[お宝映像クイズ 見ればナットク!]]<br />※19:20 - 20:00 |次番組=[[アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル]]<br />(2004年7月4日 - 2005年5月15日) }} {{手塚治虫}} {{市川崑}} {{マッドハウス}} {{りんたろう監督作品}} {{高橋良輔監督作品}} {{川尻善昭監督作品}} {{東宝特撮映画}} {{講談社出版文化賞児童まんが部門}} {{デフォルトソート:ひのとり}} [[Category:火の鳥|*]] [[Category:手塚治虫の作品]] [[Category:漫画作品 ひ|のとり]] [[Category:1954年の漫画]] [[Category:漫画のシリーズ]] [[Category:少年漫画雑誌掲載漫画]] [[Category:児童・幼年雑誌掲載漫画作品]] [[Category:COMの漫画作品]] [[Category:マンガ少年]] [[Category:文芸雑誌掲載漫画作品]] [[Category:小説 野性時代]] [[Category:SF漫画作品]] [[Category:絶筆作品の漫画]] [[Category:未完の漫画作品]] [[Category:古墳時代以前の日本を舞台とした漫画作品]] [[Category:飛鳥時代を舞台とした漫画作品]] [[Category:奈良時代を舞台とした作品]] [[Category:平安時代を舞台とした漫画作品]] [[Category:治承・寿永の乱を題材とした作品]] 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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E3%81%AE%E9%B3%A5_(%E6%BC%AB%E7%94%BB)
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個人情報の保護に関する法律
個人情報の保護に関する法律(こじんじょうほうのほごにかんするほうりつ、英語: Act on the Protection of Personal Information)は、個人情報の有用性に配慮しつつ、個人の権利利益を保護することを目的とした個人情報の取扱いに関連する日本の法律。略称は個人情報保護法。 この法律では個人情報の定義を「生存する個人に関する情報であって、この情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの」としている。2003年(平成15年)5月23日に成立、同年5月30日公布。一般企業に直接関わる罰則を含む第4章から第6章(現行 第7章)以外の規定は即日施行され、2005年(平成17年)4月1日に全面施行された。 個人情報保護法および同施行令によって、取扱件数に関係なく、個人情報を個人情報データベース等として所持し事業に用いている事業者は個人情報取扱事業者とされ、個人情報保護委員会による命令に違反したり、個人情報取扱事業者の役員や従業員が自己または第三者の不正な利益を図る目的で、業務上取り扱った個人情報データベースを提供したりした場合等は、事業者に対して刑事罰が科される。例外規定が存在し、(1)法令に基づく場合、(2)人の生命、身体または財産の保護に必要な場合、(3)公衆衛生・児童の健全育成に特に必要は場合、(4)国等に協力する場合には、本人の同意がなくとも、個人情報の第三者提供が可能と規定されている。 個人情報保護法が制定された背景として以下の7つが挙げられる: 本法において、プライバシーという言葉は明示的には現れないものの、プライバシーの保護を重要な目的としている。 しかし、本法違反が「直ちに」(プライバシー侵害として)不法行為を構成するかについては、これを否定する峻別説が一般的である。 そのため、例えば形式的には本法に反する個人情報の目的外利用となる場合であっても、プライバシー侵害としての違法性が否定されることもある。 逆に、(他の情報との照合により個人を特定できる場合でない)携帯電話番号の公開について、プライバシー侵害として不法行為が認められることもある。 個人情報保護法は、3年ごとに見直すことが、2015年に明文化されている。当初の根拠規定は次のようである。: その後、2020年の改正の際に、根拠規定が次のものに変更された。なお個人情報の保護に関する法律及び行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律の一部を改正する法律(平成27年法律第65号) 附則第12条第3項は、「この法律の施行後三年ごとに」が「この法律の施行後三年を目途として」に改正されている。 第十条 政府は、この法律の施行後三年ごとに、個人情報の保護に関する国際的動向、情報通信技術の進展、それに伴う個人情報を活用した新たな産業の創出及び発展の状況等を勘案し、新個人情報保護法の施行の状況について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。 高度情報通信社会の進展に伴い個人情報の利用が著しく拡大していることにかんがみ、個人情報の適正な取扱いに関し、基本理念および政府による基本方針の作成その他の個人情報の保護に関する施策の基本となる事項を定め、国及び地方公共団体の責務等を明らかにするとともに、個人情報を取り扱う事業者の遵守すべき義務等を定めることにより、個人情報の有用性に配慮しつつ、個人の権利利益を保護することを目的とする(第1条)。 個人情報は、個人の人格尊重の理念の下に慎重に取り扱われるべきことに鑑み、その適正な取扱いが図られなければならない(第3条)。 本法(第2条第1項)では、個人情報を次のとおりに定義している: 一 当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等(文書、図画若しくは電磁的記録(電磁的方式(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式をいう。次項第二号において同じ。)で作られる記録をいう。第十八条第二項において同じ。)に記載され、若しくは記録され、又は音声、動作その他の方法を用いて表された一切の事項(個人識別符号を除く。)をいう。以下同じ。)により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。) 二 個人識別符号が含まれるもの 上記二号の「個人識別符号」は、第2条第2項で次のとおりに定義している: 一 特定の個人の身体の一部の特徴を電子計算機の用に供するために変換した文字、番号、記号その他の符号であって、当該特定の個人を識別することができるもの 二 個人に提供される役務の利用若しくは個人に販売される商品の購入に関し割り当てられ、又は個人に発行されるカードその他の書類に記載され、若しくは電磁的方式により記録された文字、番号、記号その他の符号であって、その利用者若しくは購入者又は発行を受ける者ごとに異なるものとなるように割り当てられ、又は記載され、若しくは記録されることにより、特定の利用者若しくは購入者又は発行を受ける者を識別することができるもの 上述した「個人に関する情報」の定義や具体例はこの法律には規定されていないが、個人情報保護委員会の『個人情報保護法ガイドライン(通則編)』には個人情報保護法における「個人に関する情報」を以下のように説明している。 金融庁の『金融分野における個人情報保護に関するガイドライン』p1にもほぼ同様の記述があるが、最後の暗号に関する記述はない。 金融庁のこのガイドラインでは、「個人に関する情報」と個人情報の関係を以下のように説明している: 本法では個人情報を「生存する個人に関する情報」と限定している(第2条1項)。したがって、死者に関する情報は個人情報に含まれない。ただし前述の『個人情報の保護に関する法律についての経済産業分野を対象とするガイドライン』には、以下の注意が述べられている: 『金融分野における個人情報保護に関するガイドライン』p1にも同一の記述がある。 本法は主に個人データの取扱いに関して個人情報取扱事業者に義務を課している。すなわち、個人情報データベース等に含まれる個人情報だけが、個人データとして法の直接の規制対象になる。個人情報データベース等を構成するすべての情報が個人データになるわけではない。 後述の規制対象となる個人情報取扱事業者が扱う個人情報データベース等に含まれない個人情報であって、店頭での呼出しアナウンスなどの音声、メモ書き、人の記憶などのものには、この法律の規制は及ばない。 国は、この法律の趣旨にのっとり、個人情報の適正な取扱いを確保するために必要な施策を総合的に策定し、及びこれを実施する責務を有する。地方公共団体は、この法律の趣旨にのっとり、その地方公共団体の区域の特性に応じて、個人情報の適正な取扱いを確保するために必要な施策を策定し、及びこれを実施する責務を有する(第4条、第5条)。 個人情報等データベースを事業に用いる者であって、次の者を除く者を対象とする(第16条2項)。 したがって、事業者には営利法人だけでなく非営利法人、個人も事業の用に供している場合は、該当する。 本法の条文とOECD8原則は以下のように対応している: 個人情報保護法第4章第2節に個人情報取扱事業者の義務が記されている。 個人データについては、データ内容の正確性の確保(第22条)、安全管理措置や従業者・委託先の監督(第24条・第25条)、第三者提供の制限(第27条)が定められている。 保有個人データについては、事項の公表等(第32条)、開示(33条)、訂正等(第34条)、利用停止等(第35条)が規定されている。 事項の公表、開示、訂正、利用停止の規定により、本人から求められた措置の全部又は一部について、その措置をとらない旨を通知する場合又はその措置と異なる措置をとる旨を通知する場合は、本人に対し、その理由を説明するよう努めなければならない(第36条)。 個人情報取扱事業者は、以下の場合を除いては、あらかじめ本人の同意を得なければ、個人データを第三者に提供してはならない(第20条)。 ただし、必ずしも本人の同意を得なくとも、以下の場合は第三者への提供ができるものと規定されている。 また、個人情報取扱事業者と実質的に同一とみなしうる事業者が共同で利用する場合、または共同利用もしくは業務委託として一定の要件を満たした場合は、第三者とみなされない規定がある。すなわち、これらの場合は、本人の同意を得る必要がない。 個人情報取扱事業者は、本人から、当該本人が識別される保有個人データの利用目的の通知を求められたときは、本人に対し、遅滞なく、これを通知しなければならない(第37条2項)。この場合は、手数料を徴収できる(第38条)。 個人情報取扱事業者は、本人から保有個人データの開示を求められたときは、以下のいずれかに該当する時を除いては、遅滞なく開示しなければならない。ただし、情報の存否を明らかにすることによって公益等が害される情報は除かれる(第19条)。この場合は、手数料を徴収することができる(第30条)。 医療機関等に訴訟外で、医療の診療録等を開示や、信用情報の個人情報開示請求する例が考えられる。 個人情報取扱事業者は、本人から、保有個人データの内容が事実でないという理由によって当該個人データの内容の訂正、追加又は削除を求められた場合は、利用目的の達成に必要な範囲内において、遅滞なく必要な調査を行い、その結果に基づき、保有個人データ等の訂正を行わなければならない(第34条)。 個人情報取扱事業者は、本人から、個人情報の目的外の利用を行っていること、個人情報を不正に取得したことを理由として、保有個人情報データの利用停止または消去を求められた場合であって、その求めに理由があると認められるときは、違反を是正する限度で、利用停止等を行わなければならない。ただし、利用停止等に多額の費用を要する場合その他の利用停止等を行うことが困難な場合であって、本人の権利利益を保護するため必要なこれに代わるべき措置をとるときは、この限りでない(第35条1項)。 個人情報保護委員会は、個人情報取扱事業者の義務の規定の施行に必要な限度において、個人情報取扱事業者に関し、個人情報の取扱いについて報告を求め(第146条)、助言することができる(第147条)。 個人情報保護委員会は、個人情報取扱事業者が本法の規定(ただし開示請求等は除く)に違反していて個人の権利利益を保護するために措置をとる必要があると認めるときは、勧告することができる(第148条)。 個人情報保護委員会は、個人情報取扱事業者が正当な理由なく勧告に従わないときにはその勧告に係る措置をとるべきことを命ずることができ(第148条2項)、それに従わないときは、当該違反行為の中止その他違反を是正するために必要な措置をとるべきことを命ずることができる(第148条3項)。 命令に違反すると1年以下の懲役または100万円以下の罰金に処せられることがある(178条)。 個人情報取扱事業者が、マスコミ・著述業関係、大学等、宗教団体や政治団体であり、それぞれ、報道・著述、学術研究、宗教活動、政治活動の目的で個人情報を利用する場合は、個人情報取扱事業者の義務の適用を受けない(第57条1項)。これは、個人情報保護委員会の報告徴収等を通じて表現の自由等を制約するおそれがあるという強い反対論に基づいて設けられた規定である。これらの者については、個人情報保護のために必要な措置を自ら講じ、内容を公表する努力義務が課せられる(第57条3項)。 さらに個人情報保護委員会は、一般の個人情報取扱事業者がマスコミ・著述業関係、大学等、宗教団体や政治団体に対して、上述の目的に利用するために個人情報を提供する場合には、報告徴収や命令等の権限を行使しないものとしている(個人情報保護法そのものの適用除外を意味するものではない)。 なお、これらの職にある者が、正当な理由がない場合に、業務上の取扱いによって知り得た秘密を漏らしたときは、刑法134条2項の秘密漏示罪が成立することがある。個人情報取扱事業者の義務の除外と刑法上の責任の免除とは別である点に留意する必要がある。 個人情報に関する苦情処理や事業者への情報提供等の業務を行おうとする法人(権利能力なき社団も含む)は、個人情報保護委員会の認定を受けて認定個人情報保護団体となることができる(第47条)。 認定個人情報保護団体でない者は、認定個人情報保護団体という名称又はこれに紛らわしい名称を用いてはならない(第56条)。違反した者は、10万円以下の過料に処せられる(第185条)。 認定個人情報保護団体は、その認定業務を廃止しようとするときは、あらかじめ、その旨を主務大臣に届け出なければならない(51条)。 届出をせず、又は虚偽の届出をした者は、10万円以下の過料に処せられる(第185条)。 個人情報保護委員会は、規定の施行に必要な限度において、認定個人情報保護団体に対し、認定業務に関し報告をさせることができる(第153条)。 報告をせず、又は虚偽の報告をした者は、50万円以下の罰金に処せられる(第182条)。 行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律及び独立行政法人の保有する個人情報の保護に関する法律で規定していた事項を規定し、地方公共団体も対象としたもの。 個人情報保護委員会の設置、任務、権限を規定。 2015年(平成27年)の通常国会(第189回国会)において、同年9月3日に衆院本会議で「改正個人情報保護法」が与党や民主党などの賛成多数で可決、成立。蓄積された膨大な個人情報を「ビッグデータ」として企業が利用しやすくする一方、情報漏洩に対する罰則を新設した。 この法律については、誤解や過剰反応に基づいた問題が発生している。「個人の権益を守りながらも、必要に応じて個人情報を有効活用する」という法律の基本理念を逸脱した拡大解釈が見られる。例として、回答拒否者には罰則規定もある国勢調査のような基幹統計調査の拒否の理由にも使えると誤解した人々が増加して回答率が下がる、学校の緊急連絡網が作れない、災害時要援護者リストの作成遅延などがある。 実際には、法律上、主務官庁の、個人情報取扱事業者に対する監督がなされるだけで、一般国民に対する直接の規制はない。事業者による個人情報漏洩それ自体に対する直接の罰則はない。個人情報取扱事業者の主務官庁による中止・是正措置の勧告がなされ、従わない場合または要求された報告をしない場合には罰則が課される。個人情報漏洩を原因とした損害が発生した場合は、民事上の責任を問われる。 災害や大規模な事故などが発生した際の安否情報も、第23条第1項第2号の「人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき」に該当するので、この法律の規制は及ばないと解釈される。しかし、次のようなことがあった。 内閣府ではこういった過剰反応や誤解に対し、個人情報保護法に抵触しない例を出すこととなった。 「オプトアウト」を定める第23条2項の趣旨は「利用停止を求めれば、第三者提供は停止される」というものであり、「本人に通知する」ことの代替として「本人が容易に知り得る状態に置く」ことを容認している。 汎用コンピュータの処理能力が向上したことにより、行政・民間が保有する膨大な個人情報を容易に処理することが可能となった結果、そういった個人情報データベース等からの個人情報漏洩によるプライバシー侵害への危険性、不安が増大していった。また、行政部外者による、行政機関に所属する公務員の個人情報取得およびその不適切な使用によって政策決定等への障碍可能性が公平性の観点から危惧されるようになった。1980年(昭和55年)にはOECD理事会で「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関する勧告」が採択されるなど、国際的にも個人情報の取扱いや積極的プライバシー権の保護が次第に重要視されるようになった。 日本では、 1988年(昭和63年)に、公的機関を対象とした「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」が公布された。 1989年(平成元年)には、民間部門に対して通商産業省(現:経済産業省)が「民間部門における電子計算機処理に係る個人情報の保護に関するガイドライン」を策定した。 しかし「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」には罰則規定がなく、また民間部門を対象としたガイドラインには法的拘束力がないなど、個人情報の保護という観点から十分に機能しているとは言いがたい状況であった。 さらに住民基本台帳ネットワークの稼動(2002年(平成14年))、中川秀直愛人スキャンダル事件(2000年(平成12年))、Yahoo! BB顧客情報漏洩事件(2004年(平成16年))、TBC個人情報漏洩事件(2002年(平成14年))など多発する個人情報漏洩事件を受けて、2002年(平成14年)に個人情報保護法関連五法が国会に提出された。個人情報保護法は、個人情報を取得する際には個人情報の利用方法を本人に明確に伝えなければならないと定めているために、報道の自由を侵害するなどの理由から反対運動が展開され、一度廃案となったが、再度審議され2003年(平成15年)5月に成立した。 企業への準備期間として、法律成立から施行までに2年間の準備期間が設けられた。個人情報保護法が施行される直前の2005年(平成17年)3月には、これまで起きていながら隠蔽していた個人情報漏洩事件を公表する企業が多くあった。探偵を安易に多用し、採用時以外においても、必要以上の個人情報を積極的に取得する等、個人情報保護に関する感覚が希薄だった、従来の日本の企業習慣に対する法規制となった。 1980年(昭和55年)にOECD理事会で採択された「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関する勧告」には収集制限の原則、利用制限の原則などの「OECD8原則」が含まれる。 1995年(平成7年)、EUが「個人データ処理に係る個人情報保護及び当該データの自由な移動に関する欧州議会及び理事会の指令」(通称:EU指令)を採択し、EU加盟国以外への個人情報の移転は、当該国が十分なレベルの保護措置を講じている場合に限られるとした。EU指令によって顧客データの授受をはじめとする様々な経済活動に影響が出ることが懸念されたので、1998年(平成10年)に「プライバシーマーク制度」が設立された。2019年1月23日に、日本について、個人情報保護法の対象範囲内に限り、個人データについて十分な保護水準を満たしていることを認める十分性認定を欧州委員会が行った 他に国際標準としては、個人情報を取り扱う主体を分類し、その間の関係性を整理するとともに、それぞれがどのようにして個人情報を取り扱うべきであるかという11のプライバシー原則を示したISO/IEC 29100 Privacy Framework および、実装時のアーキテクチャの枠組みを示した ISO/IEC 29101 Privacy Architecture Framework が存在する。さらに、プライバシー影響評価(PIA)の方法論をまとめた ISO/IEC 29134 Privacy Impact Assessment Methodology も現在作成中である。 また、個人情報の安全管理処置としては、情報セキュリティマネジメントシステム(ISMS)が満たすべき要件を定めた国際規格ISO/IEC 27001もある。この国際規格の認証は、「個人情報漏洩に対する企業の対策」や「個人情報漏洩後の企業の対策」の資料や手順書を企業が作成および周知し、社員が認識し実行しているかどうかを調べて認定される。取得にはおよそ1年以上の時間を要する。 また、EUでは2012年(平成24年)に新たな概念である「忘れられる権利」がEUデータ保護規則(GDPR)案に導入されたが、これは2013年に、欧州議会の審議において「消去権」に変更され、2016年4月27日に最終的に採択された。この規則は2018年5月25日に施行された。 法律に関わる事務全般は、個人情報保護委員会によって行われている。これは、平成28年1月1日に効力を発した「個人情報の保護に関する法律及び行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律の一部を改正する法律」(平成27年法律第65号)の一部施行によるものである。 2022年改正までは、個人情報保護法には個人情報保護の基本理念、国及び地方公共団体の責務等が規定されているものの、具体的な義務が書かれているのは事業者のみで、国の行政機関、独立行政法人、地方公共団体等の義務については記載がなく、それぞれ「行政機関個人情報保護法」、「独立行政法人個人情報保護法」、「個人情報保護条例」が規律している。また事業者に対しても義務を守るための指針は個人情報保護法には規定されておらず、「個人情報委員会ガイドライン」、「事業分野ガイドライン」、「個人情報保護指針」で規定している。 こうした事情から 「民間事業者」+「国の行政機関」+「独法」+「自治体(都道府県47、市区町村1750、広域連合等115)」 で日本国内におよそ2000個の条例等があるかなり煩雑な状態になっており、これを2000個問題という。2000個問題により、下記のような弊害が生じていた: 医療情報のような機微な情報でもこのような弊害が指摘されており、実際東日本大震災の際、「民間支援団体に提供して支援や安否確認を実施した自治体は、2自治体しかない」といった弊害が起こった。その後災害対策基本法の改正により「「避難行動要支援者名簿」の作成義務と、自治体と支援団体間での事前情報共有を促す条項が設けられた」ものの、平常時から個人情報を官民で共有するにはハードルが高いという現状が2022年まではあった。 2022年改正で、個人情報保護法に、国、独立行政法人、地方公共団体についても一元的に規定したため、この問題はおおむね解消された。
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"第一章 総則" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "一 特定の個人の身体の一部の特徴を電子計算機の用に供するために変換した文字、番号、記号その他の符号であって、当該特定の個人を識別することができるもの", "title": "第一章 総則" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "二 個人に提供される役務の利用若しくは個人に販売される商品の購入に関し割り当てられ、又は個人に発行されるカードその他の書類に記載され、若しくは電磁的方式により記録された文字、番号、記号その他の符号であって、その利用者若しくは購入者又は発行を受ける者ごとに異なるものとなるように割り当てられ、又は記載され、若しくは記録されることにより、特定の利用者若しくは購入者又は発行を受ける者を識別することができるもの", "title": "第一章 総則" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "上述した「個人に関する情報」の定義や具体例はこの法律には規定されていないが、個人情報保護委員会の『個人情報保護法ガイドライン(通則編)』には個人情報保護法における「個人に関する情報」を以下のように説明している。", "title": "第一章 総則" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "金融庁の『金融分野における個人情報保護に関するガイドライン』p1にもほぼ同様の記述があるが、最後の暗号に関する記述はない。 金融庁のこのガイドラインでは、「個人に関する情報」と個人情報の関係を以下のように説明している:", "title": "第一章 総則" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "本法では個人情報を「生存する個人に関する情報」と限定している(第2条1項)。したがって、死者に関する情報は個人情報に含まれない。ただし前述の『個人情報の保護に関する法律についての経済産業分野を対象とするガイドライン』には、以下の注意が述べられている:", "title": "第一章 総則" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "『金融分野における個人情報保護に関するガイドライン』p1にも同一の記述がある。", "title": "第一章 総則" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "本法は主に個人データの取扱いに関して個人情報取扱事業者に義務を課している。すなわち、個人情報データベース等に含まれる個人情報だけが、個人データとして法の直接の規制対象になる。個人情報データベース等を構成するすべての情報が個人データになるわけではない。", "title": "第一章 総則" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "後述の規制対象となる個人情報取扱事業者が扱う個人情報データベース等に含まれない個人情報であって、店頭での呼出しアナウンスなどの音声、メモ書き、人の記憶などのものには、この法律の規制は及ばない。", "title": "第一章 総則" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "国は、この法律の趣旨にのっとり、個人情報の適正な取扱いを確保するために必要な施策を総合的に策定し、及びこれを実施する責務を有する。地方公共団体は、この法律の趣旨にのっとり、その地方公共団体の区域の特性に応じて、個人情報の適正な取扱いを確保するために必要な施策を策定し、及びこれを実施する責務を有する(第4条、第5条)。", "title": "第二章 国及び地方公共団体の責務等" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "個人情報等データベースを事業に用いる者であって、次の者を除く者を対象とする(第16条2項)。", "title": "第三章 個人情報の保護に関する施策等" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "したがって、事業者には営利法人だけでなく非営利法人、個人も事業の用に供している場合は、該当する。", "title": "第三章 個人情報の保護に関する施策等" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "本法の条文とOECD8原則は以下のように対応している:", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "個人情報保護法第4章第2節に個人情報取扱事業者の義務が記されている。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "個人データについては、データ内容の正確性の確保(第22条)、安全管理措置や従業者・委託先の監督(第24条・第25条)、第三者提供の制限(第27条)が定められている。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "保有個人データについては、事項の公表等(第32条)、開示(33条)、訂正等(第34条)、利用停止等(第35条)が規定されている。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "事項の公表、開示、訂正、利用停止の規定により、本人から求められた措置の全部又は一部について、その措置をとらない旨を通知する場合又はその措置と異なる措置をとる旨を通知する場合は、本人に対し、その理由を説明するよう努めなければならない(第36条)。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "個人情報取扱事業者は、以下の場合を除いては、あらかじめ本人の同意を得なければ、個人データを第三者に提供してはならない(第20条)。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ただし、必ずしも本人の同意を得なくとも、以下の場合は第三者への提供ができるものと規定されている。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "また、個人情報取扱事業者と実質的に同一とみなしうる事業者が共同で利用する場合、または共同利用もしくは業務委託として一定の要件を満たした場合は、第三者とみなされない規定がある。すなわち、これらの場合は、本人の同意を得る必要がない。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "個人情報取扱事業者は、本人から、当該本人が識別される保有個人データの利用目的の通知を求められたときは、本人に対し、遅滞なく、これを通知しなければならない(第37条2項)。この場合は、手数料を徴収できる(第38条)。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "個人情報取扱事業者は、本人から保有個人データの開示を求められたときは、以下のいずれかに該当する時を除いては、遅滞なく開示しなければならない。ただし、情報の存否を明らかにすることによって公益等が害される情報は除かれる(第19条)。この場合は、手数料を徴収することができる(第30条)。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "医療機関等に訴訟外で、医療の診療録等を開示や、信用情報の個人情報開示請求する例が考えられる。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "個人情報取扱事業者は、本人から、保有個人データの内容が事実でないという理由によって当該個人データの内容の訂正、追加又は削除を求められた場合は、利用目的の達成に必要な範囲内において、遅滞なく必要な調査を行い、その結果に基づき、保有個人データ等の訂正を行わなければならない(第34条)。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "個人情報取扱事業者は、本人から、個人情報の目的外の利用を行っていること、個人情報を不正に取得したことを理由として、保有個人情報データの利用停止または消去を求められた場合であって、その求めに理由があると認められるときは、違反を是正する限度で、利用停止等を行わなければならない。ただし、利用停止等に多額の費用を要する場合その他の利用停止等を行うことが困難な場合であって、本人の権利利益を保護するため必要なこれに代わるべき措置をとるときは、この限りでない(第35条1項)。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "個人情報保護委員会は、個人情報取扱事業者の義務の規定の施行に必要な限度において、個人情報取扱事業者に関し、個人情報の取扱いについて報告を求め(第146条)、助言することができる(第147条)。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "個人情報保護委員会は、個人情報取扱事業者が本法の規定(ただし開示請求等は除く)に違反していて個人の権利利益を保護するために措置をとる必要があると認めるときは、勧告することができる(第148条)。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "個人情報保護委員会は、個人情報取扱事業者が正当な理由なく勧告に従わないときにはその勧告に係る措置をとるべきことを命ずることができ(第148条2項)、それに従わないときは、当該違反行為の中止その他違反を是正するために必要な措置をとるべきことを命ずることができる(第148条3項)。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "命令に違反すると1年以下の懲役または100万円以下の罰金に処せられることがある(178条)。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "個人情報取扱事業者が、マスコミ・著述業関係、大学等、宗教団体や政治団体であり、それぞれ、報道・著述、学術研究、宗教活動、政治活動の目的で個人情報を利用する場合は、個人情報取扱事業者の義務の適用を受けない(第57条1項)。これは、個人情報保護委員会の報告徴収等を通じて表現の自由等を制約するおそれがあるという強い反対論に基づいて設けられた規定である。これらの者については、個人情報保護のために必要な措置を自ら講じ、内容を公表する努力義務が課せられる(第57条3項)。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "さらに個人情報保護委員会は、一般の個人情報取扱事業者がマスコミ・著述業関係、大学等、宗教団体や政治団体に対して、上述の目的に利用するために個人情報を提供する場合には、報告徴収や命令等の権限を行使しないものとしている(個人情報保護法そのものの適用除外を意味するものではない)。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "なお、これらの職にある者が、正当な理由がない場合に、業務上の取扱いによって知り得た秘密を漏らしたときは、刑法134条2項の秘密漏示罪が成立することがある。個人情報取扱事業者の義務の除外と刑法上の責任の免除とは別である点に留意する必要がある。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "個人情報に関する苦情処理や事業者への情報提供等の業務を行おうとする法人(権利能力なき社団も含む)は、個人情報保護委員会の認定を受けて認定個人情報保護団体となることができる(第47条)。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "認定個人情報保護団体でない者は、認定個人情報保護団体という名称又はこれに紛らわしい名称を用いてはならない(第56条)。違反した者は、10万円以下の過料に処せられる(第185条)。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "認定個人情報保護団体は、その認定業務を廃止しようとするときは、あらかじめ、その旨を主務大臣に届け出なければならない(51条)。 届出をせず、又は虚偽の届出をした者は、10万円以下の過料に処せられる(第185条)。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "個人情報保護委員会は、規定の施行に必要な限度において、認定個人情報保護団体に対し、認定業務に関し報告をさせることができる(第153条)。 報告をせず、又は虚偽の報告をした者は、50万円以下の罰金に処せられる(第182条)。", "title": "第四章 個人情報取扱事業者の義務等" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律及び独立行政法人の保有する個人情報の保護に関する法律で規定していた事項を規定し、地方公共団体も対象としたもの。", "title": "第五章 行政機関等の義務等" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "個人情報保護委員会の設置、任務、権限を規定。", "title": "第六章 個人情報保護委員会" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "2015年(平成27年)の通常国会(第189回国会)において、同年9月3日に衆院本会議で「改正個人情報保護法」が与党や民主党などの賛成多数で可決、成立。蓄積された膨大な個人情報を「ビッグデータ」として企業が利用しやすくする一方、情報漏洩に対する罰則を新設した。", "title": "2015年改正" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "この法律については、誤解や過剰反応に基づいた問題が発生している。「個人の権益を守りながらも、必要に応じて個人情報を有効活用する」という法律の基本理念を逸脱した拡大解釈が見られる。例として、回答拒否者には罰則規定もある国勢調査のような基幹統計調査の拒否の理由にも使えると誤解した人々が増加して回答率が下がる、学校の緊急連絡網が作れない、災害時要援護者リストの作成遅延などがある。", "title": "法律への誤解・拡大解釈" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "実際には、法律上、主務官庁の、個人情報取扱事業者に対する監督がなされるだけで、一般国民に対する直接の規制はない。事業者による個人情報漏洩それ自体に対する直接の罰則はない。個人情報取扱事業者の主務官庁による中止・是正措置の勧告がなされ、従わない場合または要求された報告をしない場合には罰則が課される。個人情報漏洩を原因とした損害が発生した場合は、民事上の責任を問われる。", "title": "法律への誤解・拡大解釈" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "災害や大規模な事故などが発生した際の安否情報も、第23条第1項第2号の「人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき」に該当するので、この法律の規制は及ばないと解釈される。しかし、次のようなことがあった。", "title": "法律への誤解・拡大解釈" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "内閣府ではこういった過剰反応や誤解に対し、個人情報保護法に抵触しない例を出すこととなった。", "title": "法律への誤解・拡大解釈" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "「オプトアウト」を定める第23条2項の趣旨は「利用停止を求めれば、第三者提供は停止される」というものであり、「本人に通知する」ことの代替として「本人が容易に知り得る状態に置く」ことを容認している。", "title": "法律への誤解・拡大解釈" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "汎用コンピュータの処理能力が向上したことにより、行政・民間が保有する膨大な個人情報を容易に処理することが可能となった結果、そういった個人情報データベース等からの個人情報漏洩によるプライバシー侵害への危険性、不安が増大していった。また、行政部外者による、行政機関に所属する公務員の個人情報取得およびその不適切な使用によって政策決定等への障碍可能性が公平性の観点から危惧されるようになった。1980年(昭和55年)にはOECD理事会で「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関する勧告」が採択されるなど、国際的にも個人情報の取扱いや積極的プライバシー権の保護が次第に重要視されるようになった。", "title": "成立の経緯" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "日本では、 1988年(昭和63年)に、公的機関を対象とした「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」が公布された。 1989年(平成元年)には、民間部門に対して通商産業省(現:経済産業省)が「民間部門における電子計算機処理に係る個人情報の保護に関するガイドライン」を策定した。", "title": "成立の経緯" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "しかし「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」には罰則規定がなく、また民間部門を対象としたガイドラインには法的拘束力がないなど、個人情報の保護という観点から十分に機能しているとは言いがたい状況であった。", "title": "成立の経緯" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "さらに住民基本台帳ネットワークの稼動(2002年(平成14年))、中川秀直愛人スキャンダル事件(2000年(平成12年))、Yahoo! BB顧客情報漏洩事件(2004年(平成16年))、TBC個人情報漏洩事件(2002年(平成14年))など多発する個人情報漏洩事件を受けて、2002年(平成14年)に個人情報保護法関連五法が国会に提出された。個人情報保護法は、個人情報を取得する際には個人情報の利用方法を本人に明確に伝えなければならないと定めているために、報道の自由を侵害するなどの理由から反対運動が展開され、一度廃案となったが、再度審議され2003年(平成15年)5月に成立した。", "title": "成立の経緯" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "企業への準備期間として、法律成立から施行までに2年間の準備期間が設けられた。個人情報保護法が施行される直前の2005年(平成17年)3月には、これまで起きていながら隠蔽していた個人情報漏洩事件を公表する企業が多くあった。探偵を安易に多用し、採用時以外においても、必要以上の個人情報を積極的に取得する等、個人情報保護に関する感覚が希薄だった、従来の日本の企業習慣に対する法規制となった。", "title": "成立の経緯" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "1980年(昭和55年)にOECD理事会で採択された「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関する勧告」には収集制限の原則、利用制限の原則などの「OECD8原則」が含まれる。", "title": "関連する国際標準" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "1995年(平成7年)、EUが「個人データ処理に係る個人情報保護及び当該データの自由な移動に関する欧州議会及び理事会の指令」(通称:EU指令)を採択し、EU加盟国以外への個人情報の移転は、当該国が十分なレベルの保護措置を講じている場合に限られるとした。EU指令によって顧客データの授受をはじめとする様々な経済活動に影響が出ることが懸念されたので、1998年(平成10年)に「プライバシーマーク制度」が設立された。2019年1月23日に、日本について、個人情報保護法の対象範囲内に限り、個人データについて十分な保護水準を満たしていることを認める十分性認定を欧州委員会が行った", "title": "関連する国際標準" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "他に国際標準としては、個人情報を取り扱う主体を分類し、その間の関係性を整理するとともに、それぞれがどのようにして個人情報を取り扱うべきであるかという11のプライバシー原則を示したISO/IEC 29100 Privacy Framework および、実装時のアーキテクチャの枠組みを示した ISO/IEC 29101 Privacy Architecture Framework が存在する。さらに、プライバシー影響評価(PIA)の方法論をまとめた ISO/IEC 29134 Privacy Impact Assessment Methodology も現在作成中である。", "title": "関連する国際標準" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "また、個人情報の安全管理処置としては、情報セキュリティマネジメントシステム(ISMS)が満たすべき要件を定めた国際規格ISO/IEC 27001もある。この国際規格の認証は、「個人情報漏洩に対する企業の対策」や「個人情報漏洩後の企業の対策」の資料や手順書を企業が作成および周知し、社員が認識し実行しているかどうかを調べて認定される。取得にはおよそ1年以上の時間を要する。", "title": "関連する国際標準" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "また、EUでは2012年(平成24年)に新たな概念である「忘れられる権利」がEUデータ保護規則(GDPR)案に導入されたが、これは2013年に、欧州議会の審議において「消去権」に変更され、2016年4月27日に最終的に採択された。この規則は2018年5月25日に施行された。", "title": "関連する国際標準" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "法律に関わる事務全般は、個人情報保護委員会によって行われている。これは、平成28年1月1日に効力を発した「個人情報の保護に関する法律及び行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律の一部を改正する法律」(平成27年法律第65号)の一部施行によるものである。", "title": "法律に関わる事務" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "2022年改正までは、個人情報保護法には個人情報保護の基本理念、国及び地方公共団体の責務等が規定されているものの、具体的な義務が書かれているのは事業者のみで、国の行政機関、独立行政法人、地方公共団体等の義務については記載がなく、それぞれ「行政機関個人情報保護法」、「独立行政法人個人情報保護法」、「個人情報保護条例」が規律している。また事業者に対しても義務を守るための指針は個人情報保護法には規定されておらず、「個人情報委員会ガイドライン」、「事業分野ガイドライン」、「個人情報保護指針」で規定している。", "title": "2000個問題" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "こうした事情から", "title": "2000個問題" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "「民間事業者」+「国の行政機関」+「独法」+「自治体(都道府県47、市区町村1750、広域連合等115)」", "title": "2000個問題" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "で日本国内におよそ2000個の条例等があるかなり煩雑な状態になっており、これを2000個問題という。2000個問題により、下記のような弊害が生じていた:", "title": "2000個問題" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "医療情報のような機微な情報でもこのような弊害が指摘されており、実際東日本大震災の際、「民間支援団体に提供して支援や安否確認を実施した自治体は、2自治体しかない」といった弊害が起こった。その後災害対策基本法の改正により「「避難行動要支援者名簿」の作成義務と、自治体と支援団体間での事前情報共有を促す条項が設けられた」ものの、平常時から個人情報を官民で共有するにはハードルが高いという現状が2022年まではあった。", "title": "2000個問題" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "2022年改正で、個人情報保護法に、国、独立行政法人、地方公共団体についても一元的に規定したため、この問題はおおむね解消された。", "title": "2000個問題" } ]
個人情報の保護に関する法律は、個人情報の有用性に配慮しつつ、個人の権利利益を保護することを目的とした個人情報の取扱いに関連する日本の法律。略称は個人情報保護法。 この法律では個人情報の定義を「生存する個人に関する情報であって、この情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの」としている。2003年(平成15年)5月23日に成立、同年5月30日公布。一般企業に直接関わる罰則を含む第4章から第6章(現行 第7章)以外の規定は即日施行され、2005年(平成17年)4月1日に全面施行された。 個人情報保護法および同施行令によって、取扱件数に関係なく、個人情報を個人情報データベース等として所持し事業に用いている事業者は個人情報取扱事業者とされ、個人情報保護委員会による命令に違反したり、個人情報取扱事業者の役員や従業員が自己または第三者の不正な利益を図る目的で、業務上取り扱った個人情報データベースを提供したりした場合等は、事業者に対して刑事罰が科される。例外規定が存在し、(1)法令に基づく場合、(2)人の生命、身体または財産の保護に必要な場合、(3)公衆衛生・児童の健全育成に特に必要は場合、(4)国等に協力する場合には、本人の同意がなくとも、個人情報の第三者提供が可能と規定されている。
{{Redirect|個人情報保護法|各国の法律|データ保護法}} {{Pathnav|[[プライバシー]]|[[情報セキュリティのガイドライン、標準規格、法制度等の一覧|ガイドライン、標準規格、法制度等]]|[[個人情報保護法関連五法]]|frame=1}} {{law}} {{日本の法令 |題名=個人情報の保護に関する法律 |効力=現行法 |種類=[[消費者法]] |所管=[[個人情報保護委員会]] |内容=総則<br />国及び地方公共団体の責務等<br />個人情報の保護に関する施策等<br />個人情報取扱事業者の義務等<br >雑則<br />罰則 |関連=[[不正競争防止法]]<br />個人情報保護法施行令 |リンク={{Egov law}} |ウィキソース =個人情報の保護に関する法律 }} '''個人情報の保護に関する法律'''(こじんじょうほうのほごにかんするほうりつ、{{lang-en|Act on the Protection of Personal Information}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japaneselawtranslation.go.jp/ja/laws/view/2781|title=個人情報の保護に関する法律|website=日本法令外国語訳データベースシステム|publisher=[[法務省]]|trans-title=Act on the Protection of Personal Information|access-date=2023-01-19}}</ref>)は、[[個人情報]]の有用性に配慮しつつ、個人の権利利益を保護することを目的とした個人情報の取扱いに関連する[[日本]]の[[法律]]<ref name=":2">[https://www.stat.go.jp/info/today/007.html 統計調査と個人情報保護] 総務省</ref>。略称は'''個人情報保護法'''。 この法律では個人情報の定義を「生存する個人に関する情報であって、この情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの」としている。[[2003年]]([[平成]]15年)[[5月23日]]に成立、同年[[5月30日]]公布。一般企業に直接関わる罰則を含む第4章から第6章(現行 第7章)以外の規定は即日施行され、[[2005年]](平成17年)[[4月1日]]に全面施行された。 個人情報保護法および同施行令によって、取扱件数に関係なく<ref group="注釈">2017年(平成29年)5月30日以前は、5,000件以下の個人情報を扱う企業や者は対象外であった</ref>、個人情報を個人情報データベース等として所持し事業に用いている事業者は'''個人情報取扱事業者'''とされ、[[個人情報保護委員会]]による命令に違反したり、個人情報取扱事業者の役員や従業員が自己または第三者の不正な利益を図る目的で、業務上取り扱った個人情報データベースを提供したりした場合等は、事業者に対して刑事罰が科される。例外規定が存在し、(1)[[法令]]に基づく場合、(2)人の生命、身体または財産の保護に必要な場合、(3)[[公衆衛生]]・児童の健全育成に特に必要は場合、(4)[[国]]等に協力する場合には、本人の同意がなくとも、個人情報の第三者提供が可能と規定されている<ref name=":3">https://www.ppc.go.jp/files/pdf/personal_pamph27_caa.pdf</ref>。 == 概要 == ===背景=== 個人情報保護法が制定された背景として以下の7つが挙げられる<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/shukenshi028.pdf/$File/shukenshi028.pdf |title=衆憲資第28号 知る権利・アクセス権とプライバシー権に関する基礎的資料―情報公開法制・個人情報保護法制を含む―(平成15年5月15日の参考資料) |accessdate=2016年8月31日 |publisher=衆議院 |date=2003 |author=基本的人権の保障に関する調査小委員会 |format=PDF |pages=77-78 }}</ref>: * 情報化社会の進展とプライバシー問題の認識 * 個人情報保護法制定の世界的潮流 * [[プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドライン|OECD 理事会のプライバシー保護勧告]] * 地方公共団体の個人情報保護条例の増加 * [[EU一般データ保護規則]]([[指令 (EU)|欧州連合指令]])<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000196313.pdf |title=個人データ処理に係る個人の保護及び当該データの自由な移動に関する指令 |author=欧州議会 |date=1995 |accessdate=2016-09-26 |format=PDF }}</ref> * 電子商取引におけるプライバシー保護の要請 * 住民基本台帳法の改正による個人情報保護法制の要請 === 個人情報保護法とプライバシー === 本法において、プライバシーという言葉は明示的には現れないものの、プライバシーの保護を重要な目的としている。{{Sfn|石井|曽我部|森|2021|p=6}} しかし、本法違反が「直ちに」(プライバシー侵害として)不法行為を構成するかについては、これを否定する峻別説が一般的である。{{Sfn|松尾|2017|p=244}} そのため、例えば形式的には本法に反する個人情報の目的外利用となる場合であっても、プライバシー侵害としての違法性が否定されることもある。{{Sfn|松尾|2017|p=245}} 逆に、(他の情報との照合により個人を特定できる場合でない)携帯電話番号の公開について、プライバシー侵害として不法行為が認められることもある。{{Sfn|松尾|2017|p=245}} ==構成== *第1章 総則(第1条 - 第3条) *第2章 国及び地方公共団体の責務等(第4条 - 第6条) *第3章 人情報の保護に関する施策等 **第1節 個人情報の保護に関する基本方針(第7条) **第2節 国の施策(第8条 - 第11条) **第3節 地方公共団体の施策(第12条 - 第14条) **第4節 国及び地方公共団体の協力(第15条) *第4章 個人情報取扱事業者の義務等 **第1節 総則(第16条) **第2節 個人情報取扱事業者及び個人関連情報取扱事業者の義務(第17条 - 第40条) **第3節 仮名加工情報取扱事業者等の義務(第41条・第42条) **第4節 匿名加工情報取扱事業者等の義務(第43条 - 第46条) **第5節 民間団体による個人情報の保護の推進(第47条 - 第56条) **第6節 雑則(第57条―第59条) *第5章 行政機関等の義務等 **第1節 総則(第60条) **第2節 行政機関等における個人情報等の取扱い(第61条 - 第73条) **第3節 個人情報ファイル(第74条・第75条) **第4節 開示、訂正及び利用停止 ***第1款 開示(第76条 - 第89条) ***第2款 訂正(第90条 - 第97条) ***第3款 利用停止(第98条 - 第103条) ***第4款 審査請求(第104条 - 第107条) ***第5款 条例との関係(第108条) **第5節 行政機関等匿名加工情報の提供等(第109条 - 第123条) **第6節 雑則(第124条 - 第129条) *第6章 個人情報保護委員会 **第1節 設置等(第130条 - 第145条) **第2節 監督及び監視 ***第1款 個人情報取扱事業者等の監督(第146条 - 第152条) ***第2款 認定個人情報保護団体の監督(第153条 - 第155条) ***第3款 行政機関等の監視(第156条 - 第160条) **第3節 送達(第161条 - 第164条) **第4節 雑則(第165条 - 第170条) *第7章 雑則(第171条 - 第175条) *第8章 罰則(第176条 - 第185条) *附則 === 見直し === 個人情報保護法は、3年ごとに見直すことが、2015年に明文化されている。当初の根拠規定は次のようである。: {{Quotation|'''個人情報の保護に関する法律及び行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律の一部を改正する法律(平成27年法律第65号) 附則第12条第3項'''<br> 3 政府は、前項に定める事項のほか、この法律の施行後三年ごとに、個人情報の保護に関する国際的動向、情報通信技術の進展、それに伴う個人情報を活用した新たな産業の創出及び発展の状況等を勘案し、新個人情報保護法の施行の状況について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。}} その後、2020年の改正の際に、根拠規定が次のものに変更された。なお個人情報の保護に関する法律及び行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律の一部を改正する法律(平成27年法律第65号) 附則第12条第3項は、「この法律の施行後三年ごとに」が「この法律の施行後三年を目途として」に改正されている。 {{Quotation|'''個人情報の保護に関する法律等の一部を改正する法律(平成27年法律第65号) 附則第10条''' 第十条 政府は、この法律の施行後三年ごとに、個人情報の保護に関する国際的動向、情報通信技術の進展、それに伴う個人情報を活用した新たな産業の創出及び発展の状況等を勘案し、新個人情報保護法の施行の状況について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。 }} ==第一章 総則== === 基本理念 === 高度情報通信社会の進展に伴い個人情報の利用が著しく拡大していることにかんがみ、個人情報の適正な取扱いに関し、基本理念および政府による基本方針の作成その他の個人情報の保護に関する施策の基本となる事項を定め、国及び地方公共団体の責務等を明らかにするとともに、個人情報を取り扱う事業者の遵守すべき義務等を定めることにより、個人情報の有用性に配慮しつつ、個人の権利利益を保護することを目的とする([[s:個人情報の保護に関する法律#1|第1条]])。 個人情報は、個人の人格尊重の理念の下に慎重に取り扱われるべきことに鑑み、その適正な取扱いが図られなければならない([[s:個人情報の保護に関する法律#3|第3条]])。 *「プライバシーの権利」については、本法では明文で規定していない。 *本法は、個人情報をあまねく網羅して規制を掛けるという趣旨の法律ではない。 === 定義 === ==== 個人情報 ==== 本法(第2条第1項)では、個人情報を次のとおりに定義している: {{Quotation|この法律において「個人情報」とは、生存する個人に関する情報であって、次の各号のいずれかに該当するものをいう。 一 当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等(文書、図画若しくは電磁的記録(電磁的方式(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式をいう。次項第二号において同じ。)で作られる記録をいう。第十八条第二項において同じ。)に記載され、若しくは記録され、又は音声、動作その他の方法を用いて表された一切の事項(個人識別符号を除く。)をいう。以下同じ。)により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。) 二 個人識別符号が含まれるもの |個人情報保護法第2条1項 |[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=415AC0000000057&amp;openerCode=1 e-GOV法令検索]}} 上記二号の「個人識別符号」は、第2条第2項で次のとおりに定義している: {{Quotation| 2 この法律において「個人識別符号」とは、次の各号のいずれかに該当する文字、番号、記号その他の符号のうち、政令で定めるものをいう。 一 特定の個人の身体の一部の特徴を電子計算機の用に供するために変換した文字、番号、記号その他の符号であって、当該特定の個人を識別することができるもの 二 個人に提供される役務の利用若しくは個人に販売される商品の購入に関し割り当てられ、又は個人に発行されるカードその他の書類に記載され、若しくは電磁的方式により記録された文字、番号、記号その他の符号であって、その利用者若しくは購入者又は発行を受ける者ごとに異なるものとなるように割り当てられ、又は記載され、若しくは記録されることにより、特定の利用者若しくは購入者又は発行を受ける者を識別することができるもの |個人情報保護法第2条2項 |[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=415AC0000000057&amp;openerCode=1 e-GOV法令検索]}} ==== 個人に関する情報 ==== 上述した「個人に関する情報」の定義や具体例はこの法律には規定されていないが、[[個人情報保護委員会]]の『個人情報保護法ガイドライン(通則編)』には個人情報保護法における「個人に関する情報」を以下のように説明している。{{Quotation|氏名、性別、生年月日等個人を識別する情報に限られず、個人の身体、財産、職種、肩書等の属性に関して、事実、判断、評価を表すすべての情報であり、評価情報、公刊物等によって公にされている情報や、映像、音声による情報も含まれ、暗号化等によって秘匿化されているかどうかを問わない(中略)。 |[https://www.ppc.go.jp/files/pdf/230401_guidelines01.pdf 個人情報保護法ガイドライン(通則編) p5]}}[[金融庁]]の『[https://www.fsa.go.jp/common/law/kj-hogo/01.pdf 金融分野における個人情報保護に関するガイドライン]』p1にもほぼ同様の記述があるが、最後の暗号に関する記述はない。 金融庁のこのガイドラインでは、「個人に関する情報」と個人情報の関係を以下のように説明している:{{Quotation|「個人に関する情報」が、氏名等と相まって「特定の個人を識別することができる」ことになれば、それが「個人情報」となる。|[https://www.fsa.go.jp/common/law/kj-hogo/01.pdf 金融分野における個人情報保護に関するガイドライン]}} ==== 死者の情報 ==== 本法では個人情報を「生存する個人に関する情報」と限定している(第2条1項)。したがって、死者に関する情報は個人情報に含まれない。ただし前述の『個人情報の保護に関する法律についての経済産業分野を対象とするガイドライン』には、以下の注意が述べられている:{{Quotation|死者に関する情報が、同時に、遺族等の生存する個人に関する情報でもある場合には、当該生存する個人に関する情報となる。|[https://www.ppc.go.jp/files/pdf/230401_guidelines01.pdf 個人情報保護法ガイドライン(通則編) p5}}『[https://www.fsa.go.jp/common/law/kj-hogo/01.pdf 金融分野における個人情報保護に関するガイドライン]』p1にも同一の記述がある。 ==== 外国人と法人 ==== {{Quotation|「生存する個人」には日本国民に限られず、外国人も含まれるが、法人その他の団体は「個人」に該当しないため、法人等の団体そのものに関する情報は含まれない(ただし、役員、従業員等に関する情報は個人情報)。|[https://www.ppc.go.jp/files/pdf/230401_guidelines01.pdf 個人情報保護法ガイドライン(通則編)p5]}} ===その他の用語の定義=== ;個人情報データベース等 :個人情報データベース等は、個人情報を含む、コンピュータ等で容易に検索できるデータベースや、目次や索引等によって体系的に整理された紙のデータベース等を指す(第2条2項)。コンピュータに入力して検索可能であるか、目次、索引などを有し検索が容易であることが要件であり、未整理の紙の情報等は該当しない。 ;個人データ :個人情報データベース等を構成する個人情報は個人データと呼ばれる(第16条3項)。 ;保有個人データ(第16条4項) :個人情報取扱事業者が、開示、内容の訂正、追加または削除、利用の停止、消去及び第三者への提供の停止を行うことのできる権限を有する個人データのことで、以下のもの以外。 :*その存否が明らかになることにより公益その他の利益が害されるもの(施行令5条) :*# 当該個人データの存否が明らかになることにより、本人または第三者の生命、身体または財産に危害が及ぶおそれがあるもの :*# 当該個人データの存否が明らかになることにより、違法又は不当な行為を助長し、または誘発するおそれがあるもの :*# 当該個人データの存否が明らかになることにより、国の安全が害されるおそれ、他国もしくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれまたは他国もしくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれがあるもの :*# 当該個人データの存否が明らかになることにより、犯罪の予防、鎮圧または捜査その他の公共の安全と秩序の維持に支障が及ぶおそれがあるもの 本法は主に個人データの取扱いに関して個人情報取扱事業者に義務を課している。すなわち、個人情報データベース等に含まれる個人情報だけが、個人データとして法の直接の規制対象になる。個人情報データベース等を構成するすべての情報が個人データになるわけではない。 後述の規制対象となる個人情報取扱事業者が扱う個人情報データベース等に含まれない個人情報であって、店頭での呼出しアナウンスなどの音声、メモ書き、人の記憶などのものには、この法律の規制は及ばない。 == 第二章 国及び地方公共団体の責務等 == 国は、この法律の趣旨にのっとり、個人情報の適正な取扱いを確保するために必要な施策を総合的に策定し、及びこれを実施する責務を有する。地方公共団体は、この法律の趣旨にのっとり、その地方公共団体の区域の特性に応じて、個人情報の適正な取扱いを確保するために必要な施策を策定し、及びこれを実施する責務を有する([[s:個人情報の保護に関する法律#4|第4条]]、[[s:個人情報の保護に関する法律#5|第5条]])。 == 第三章 個人情報の保護に関する施策等 == === 国及び地方公共団体の責務・施策 === *政府は、個人情報の保護に関する施策の総合的かつ一体的な推進を図るため、個人情報の保護に関する基本方針を定めなければならない。内閣総理大臣は、消費者委員会の意見を聴いて、基本方針の案を作成し、閣議決定を求めなければならない。閣議決定があったときは、遅滞なく、基本方針を公表しなければならない([[s:個人情報の保護に関する法律#7|第7条]])。 *国は、地方公共団体が策定し、又は実施する個人情報の保護に関する施策及び国民又は事業者等が個人情報の適正な取扱いの確保に関して行う活動を支援するため、情報の提供、事業者等が講ずべき措置の適切かつ有効な実施を図るための指針の策定その他の必要な措置を講ずるものとする([[s:個人情報の保護に関する法律#8|第8条]])。地方公共団体は、その保有する個人情報の性質、当該個人情報を保有する目的等を勘案し、その保有する個人情報の適正な取扱いが確保されるよう必要な措置を講ずることに努めなければならない([[s:個人情報の保護に関する法律#11|第11条]])。 ===個人情報取扱事業者の対象=== 個人情報等データベースを事業に用いる者であって、次の者を除く者を対象とする(第16条2項)<ref>{{Cite web|和書|url=https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=415AC0000000057#5 |title=個人情報の保護に関する法律第16条2項 |website=e-Gov法令検索 |publisher=デジタル庁 |date= |quote=|accessdate=2023-10-15}}</ref>。 * 国、地方公共団体、独立行政法人等および地方独立行政法人(第6章で別途規定) <!-- * 取り扱う個人情報(市販の電話帳やカーナビの住所情報等は除く)が過去6か月以内のいずれの時点においても5,000人<ref>この5,000人のうち、当該事業者以外の者が作成した個人情報データベース等であって、氏名、住所情報、電話番号以外の個人情報がないものについて、当該個人情報データベース等を編集、加工せずにそのまま使用する場合には、当該個人情報データベース等での取扱個人の件数は含まれない。</ref>以下の事業者 --><!-- 平成27年の個人情報保護法の改正(平成29年完全施行)により変更され、以前の保有する個人情報の件数(5000件以上)という件数の制限要件が撤廃されたため、コメントアウトしました。2020年1月14日--> したがって、事業者には営利法人だけでなく非営利法人、個人も事業の用に供している場合は、該当する。 == 第四章 個人情報取扱事業者の義務等 == === OECD8原則との関係 === 本法の条文と[[プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドライン|OECD8原則]]は以下のように対応している<ref>[[個人情報の保護に関する法律#中間整理|中間整理]] p.6.</ref>: {| class="wikitable" style="width:110%" style="font-size:90%;" |+ !OECD8原則 !個人情報保護法(条文要約) |- |'''収集制限の原則''' |[[s:個人情報の保護に関する法律#19 |第19条]]  偽りその他不正の手段により個人情報を取得してはならない。 |- |'''データ内容の原則''' |[[s:個人情報の保護に関する法律#22|第22条]]  個人データを正確かつ最新の内容に保たねばならない。 |- |'''目的明確化の原則''' '''利用制限の原則''' |[[s:個人情報の保護に関する法律#17|第17条]]  利用目的をできる限り特定しなければならない。 [[s:個人情報の保護に関する法律#18|第18条]]  利用目的の達成に必要な範囲を超えて個人情報を取り扱ってはならない。 [[s:個人情報の保護に関する法律#23|第23条]] あらかじめ本人の同意を得ないで個人データを第三者に提供してはならない。 |- |style="white-space:nowrap" |'''安全保護措置の原則''' |[[s:個人情報の保護に関する法律#23|第23条]] 個人データの安全管理のために必要かつ適切な措置を講じなければならない。 [[s:個人情報の保護に関する法律#24|第24条]]・[[s:個人情報の保護に関する法律#25|第25条]] 個人データの安全管理が図られるよう従業者・委託先に対する必要かつ適切な監督を行わなければならない。 |- |'''公開の原則''' '''個人参加の原則''' |[[s:個人情報の保護に関する法律#21|第21条]]  個人情報を取得した場合は速やかに、その利用目的を、本人に通知し、又は公表しなければならない。 [[s:個人情報の保護に関する法律#32|第32条]] 利用目的等を本人の知り得る状態に置かなければならない。 [[s:個人情報の保護に関する法律#33|第33条]] 本人が識別される保有個人データの開示を請求することができる。 [[s:個人情報の保護に関する法律#34|第34条]] 本人は保有個人データの内容の訂正、追加又は削除を請求することができる。 [[s:個人情報の保護に関する法律#35|第35条]]  本人は当該保有個人データの利用の停止又は消去を請求することができる。 |- |'''責任の原則''' |[[s:個人情報の保護に関する法律#40|第40条]] 個人情報の取扱いに関する苦情の適切かつ迅速な処理に努めなければならない。 |} ===個人情報取扱事業者の主な義務=== 個人情報保護法第4章第2節に個人情報取扱事業者の義務が記されている。 ==== 個人情報について ==== *利用目的の特定([[s:個人情報の保護に関する法律#17|第17条]]) *利用目的の制限([[s:個人情報の保護に関する法律#18|第18条]]) *適正な取得([[s:個人情報の保護に関する法律#20|第20条]]) *取得に際しての利用目的の通知([[s:個人情報の保護に関する法律#21|第21条]]) *苦情の処理([[s:個人情報の保護に関する法律#40|第40条]]) 個人データについては、データ内容の正確性の確保([[s:個人情報の保護に関する法律#22|第22条]])、安全管理措置や従業者・委託先の監督([[s:個人情報の保護に関する法律#24|第24条]]・[[s:個人情報の保護に関する法律#25|第25条]])、第三者提供の制限([[s:個人情報の保護に関する法律#27|第27条]])が定められている。 保有個人データについては、事項の公表等([[s:個人情報の保護に関する法律#32|第32条]])、開示([[s:個人情報の保護に関する法律#33|33条]])、訂正等([[s:個人情報の保護に関する法律#34|第34条]])、利用停止等([[s:個人情報の保護に関する法律#35|第35条]])が規定されている。 事項の公表、開示、訂正、利用停止の規定により、本人から求められた措置の全部又は一部について、その措置をとらない旨を通知する場合又はその措置と異なる措置をとる旨を通知する場合は、本人に対し、その理由を説明するよう努めなければならない([[s:個人情報の保護に関する法律#36|第36条]])。 ====第三者提供の制限==== 個人情報取扱事業者は、以下の場合を除いては、あらかじめ本人の同意を得なければ、個人データを第三者に提供してはならない([[s:個人情報の保護に関する法律#20|第20条]])。 #[[法令]]に基づく場合。(例:[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]などの統計調査等) #人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。(例:事故の際の安否情報など) #公衆衛生の向上または児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。(例:[[児童虐待]]情報など) #国の機関若しくは[[地方公共団体]]又はその委託を受けた者が[[法令]]の定める事務を遂行することに対して協力する必要があって、本人の同意を得ることにより当該事務の遂行に支障を及ぼすおそれがあるとき。(例:犯罪捜査の協力など) ただし、必ずしも本人の同意を得なくとも、以下の場合は第三者への提供ができるものと規定されている。 :第三者に提供される個人データについて、本人の求めに応じて当該本人が識別される個人データの第三者への提供を停止することとしている場合であって、次の4点についてあらかじめ本人に通知し、又は本人が容易に知り得る状態に置いているときは、前項の規定にかかわらず、当該個人データを第三者に提供することができる(第23条第2項)。 :#第三者への提供を利用目的とすること :#第三者に提供される個人データの項目 :#第三者への提供の手段又は方法 :#本人の求めに応じて当該本人が識別される個人データの第三者への提供を停止すること また、''個人情報取扱事業者と実質的に同一とみなしうる事業者が共同で利用する場合、または共同利用もしくは業務委託として一定の要件を満たした場合は、第三者とみなされない''規定がある。すなわち、''これらの場合は、本人の同意を得る必要がない''<ref group="注釈">この規定は[[メガバンク]]が相当な広範囲で個人情報を利用するという問題をはらんでいる。 :大蔵省に対する回答「一般に、[[銀行]]等と顧客との契約の[[約款]]において、個人情報を系列企業の商品販売に利用しないとは書いていないが、顧客から止めてほしい旨言われれば止めるようにしている」 [https://www.kantei.go.jp/jp/it/privacy/991004dai4.html 第4回個人情報保護検討部会議事要旨] 1999年9月7日</ref>。 ====事項の公表等==== 個人情報取扱事業者は、本人から、当該本人が識別される保有個人データの利用目的の通知を求められたときは、本人に対し、遅滞なく、これを通知しなければならない([[s:個人情報の保護に関する法律#37|第37条]]2項)。この場合は、手数料を徴収できる([[s:個人情報の保護に関する法律#38|第38条]])。 ====開示請求==== 個人情報取扱事業者は、本人から保有個人データの開示を求められたときは、以下のいずれかに該当する時を除いては、遅滞なく開示しなければならない。ただし、情報の存否を明らかにすることによって公益等が害される情報は除かれる(第19条)。この場合は、手数料を徴収することができる(第30条)。 #本人又は第三者の生命、身体、財産その他の権利利益を害するおそれがある場合 #当該個人情報保護取扱事業者の業務の適正な実施に著しい支障を及ぼすおそれがある場合 #他の法令に違反することとなる場合 医療機関等に訴訟外で、医療の[[診療録]]等を開示や、[[信用情報]]の個人情報開示請求する例が考えられる。 ====訂正請求==== 個人情報取扱事業者は、本人から、保有個人データの内容が事実でないという理由によって当該個人データの内容の訂正、追加又は削除を求められた場合は、利用目的の達成に必要な範囲内において、遅滞なく必要な調査を行い、その結果に基づき、保有個人データ等の訂正を行わなければならない([[s:個人情報の保護に関する法律#34|第34条]])。 ====利用停止請求==== 個人情報取扱事業者は、本人から、個人情報の目的外の利用を行っていること、個人情報を不正に取得したことを理由として、保有個人情報データの利用停止または消去を求められた場合であって、その求めに理由があると認められるときは、違反を是正する限度で、利用停止等を行わなければならない。ただし、利用停止等に多額の費用を要する場合その他の利用停止等を行うことが困難な場合であって、本人の権利利益を保護するため必要なこれに代わるべき措置をとるときは、この限りでない([[s:個人情報の保護に関する法律#35|第35条]]1項)。 ===個人情報保護委員会による報告徴収等=== 個人情報保護委員会は、個人情報取扱事業者の義務の規定の施行に必要な限度において、個人情報取扱事業者に関し、個人情報の取扱いについて報告を求め([[s:個人情報の保護に関する法律#146|第146条]])、助言することができる([[s:個人情報の保護に関する法律#147|第147条]])。 個人情報保護委員会は、個人情報取扱事業者が本法の規定(ただし開示請求等は除く)に違反していて個人の権利利益を保護するために措置をとる必要があると認めるときは、勧告することができる([[s:個人情報の保護に関する法律#148|第148条]])。 個人情報保護委員会は、個人情報取扱事業者が正当な理由なく勧告に従わないときにはその勧告に係る措置をとるべきことを命ずることができ(第148条2項)、それに従わないときは、当該違反行為の中止その他違反を是正するために必要な措置をとるべきことを命ずることができる(第148条3項)。 命令に違反すると1年以下の懲役または100万円以下の罰金に処せられることがある([[s:個人情報の保護に関する法律#178|178条]])。 ===適用除外=== 個人情報取扱事業者が、マスコミ・著述業関係、大学等、宗教団体や政治団体であり、それぞれ、報道・著述、学術研究、宗教活動、政治活動の目的で個人情報を利用する場合は、個人情報取扱事業者の義務の適用を受けない([[s:個人情報の保護に関する法律#57|第57条]]1項)。これは、個人情報保護委員会の報告徴収等を通じて[[表現の自由]]等を制約するおそれがあるという強い反対論に基づいて設けられた規定である。これらの者については、個人情報保護のために必要な措置を自ら講じ、内容を公表する努力義務が課せられる(第57条3項)。 さらに個人情報保護委員会は、一般の個人情報取扱事業者がマスコミ・著述業関係、大学等、宗教団体や政治団体に対して、上述の目的に利用するために個人情報を提供する場合には、報告徴収や命令等の権限を行使しないものとしている(個人情報保護法そのものの適用除外を意味するものではない)。 なお、これらの職にある者が、正当な理由がない場合に、業務上の取扱いによって知り得た秘密を漏らしたときは、刑法134条2項の[[秘密を侵す罪|秘密漏示罪]]が成立することがある。個人情報取扱事業者の義務の除外と刑法上の責任の免除とは別である点に留意する必要がある。 ===認定個人情報保護団体=== 個人情報に関する苦情処理や事業者への情報提供等の業務を行おうとする法人(権利能力なき社団も含む)は、個人情報保護委員会の認定を受けて認定個人情報保護団体となることができる([[s:個人情報の保護に関する法律#47|第47条]])。 認定個人情報保護団体でない者は、認定個人情報保護団体という名称又はこれに紛らわしい名称を用いてはならない([[s:個人情報の保護に関する法律#56|第56条]])。違反した者は、10万円以下の過料に処せられる([[s:個人情報の保護に関する法律#185|第185条]])。 認定個人情報保護団体は、その認定業務を廃止しようとするときは、あらかじめ、その旨を主務大臣に届け出なければならない([[s:個人情報の保護に関する法律#51|51条]])。 届出をせず、又は虚偽の届出をした者は、10万円以下の過料に処せられる(第185条)。 個人情報保護委員会は、規定の施行に必要な限度において、認定個人情報保護団体に対し、認定業務に関し報告をさせることができる([[s:個人情報の保護に関する法律#153|第153条]])。 報告をせず、又は虚偽の報告をした者は、50万円以下の罰金に処せられる([[s:個人情報の保護に関する法律#182|第182条]])。 == 第五章 行政機関等の義務等 == [[行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律]]及び独立行政法人の保有する個人情報の保護に関する法律で規定していた事項を規定し、地方公共団体も対象としたもの。 == 第六章 個人情報保護委員会 == 個人情報保護委員会の設置、任務、権限を規定。 == 2015年改正 == [[2015年]](平成27年)の通常国会([[第189回国会]])において、同年[[9月3日]]に衆院本会議で「改正個人情報保護法」が与党や民主党などの賛成多数で可決、成立<ref name="jiji20150903">{{cite news|title =改正マイナンバー法成立=18年から預金口座に適用-年金との連結は延期|url= http://www.jiji.com/jc/zc?k=201509/2015090300035&g=pol|publisher = [[時事通信社]]|date = 2015-09-03| accessdate = 2015-09-04}}</ref><ref name="sankei20150903">{{cite news|title =改正マイナンバー法成立=2018年から預金口座に適用-年金との連結は延期|url= https://www.sankei.com/article/20150903-W45ULJOVMJJ4XAJRSDNTJKSDLY/|publisher = [[産経新聞]]|date = 2015-09-03| accessdate = 2015-09-04}}</ref>。蓄積された膨大な個人情報を「[[ビッグデータ]]」として企業が利用しやすくする一方、[[情報漏洩]]に対する罰則を新設した{{R|jiji20150903|sankei20150903}}。 *取り扱う個人情報の数が5000件以下の「小規模取扱事業者」も法律適用の対象となり、「件数要件」が撤廃となった<ref name="forbes20171019">{{Cite web|和書|url=https://forbesjapan.com/articles/detail/18097|title=ビッグデータの利活用、日本企業は「匿名化」問題を超えられるか|author=河鐘基|date=2017-10-19|publisher=[[Forbes Japan]]|accessdate=2017-10-30}}</ref> 。 *「利用目的の明示」、「第三者提供の際の本人同意」といった個人情報を活用するにあたっての義務が細かく定められた{{R|forbes20171019}}。 *個人情報を復元できないよう「匿名加工情報」にするなど、一定の条件を満たすことで第三者に提供することも可能になるとされた{{R|forbes20171019}}。 == 2022年改正 == *[[行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律]]及び独立行政法人の保有する個人情報の保護に関する法律で規定していた事項を個人情報保護法に統合。地方公共団体も対象とする。 *主務大臣の権限を、個人情報保護委員会に移管。 == 法律への誤解・拡大解釈 == {{複数の問題|独自研究=2010年6月|正確性=2023年1月|section=1}} この法律については、誤解や過剰反応に基づいた問題が発生している。「個人の権益を守りながらも、必要に応じて個人情報を有効活用する」という法律の基本理念を逸脱した拡大解釈が見られる。例として、回答拒否者には罰則規定もある[[国勢調査]]のような基幹統計調査の拒否の理由にも使えると誤解した人々が増加して回答率が下がる、学校の緊急連絡網が作れない、災害時要援護者リストの作成遅延などがある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.stat.go.jp/info/today/007.html |title=統計調査と個人情報保護 |access-date=2022/7/23 |publisher=総務省統計局}}</ref>。 実際には、法律上、主務官庁の、個人情報取扱事業者に対する監督がなされるだけで、一般国民に対する直接の規制はない。事業者による個人情報漏洩<ref group="注釈">ここでは、個人情報取扱事業者が、個人データの漏洩防止等のための安全管理措置義務(第20条)を怠って個人データを漏洩した場合をいう。</ref>それ自体に対する直接の罰則はない。個人情報取扱事業者の主務官庁による中止・是正措置の勧告がなされ、従わない場合または要求された報告をしない場合には罰則が課される。個人情報漏洩を原因とした損害<ref group="注釈">通常は、個人情報取扱事業者が安全管理措置義務(第20条)を怠って個人データを漏洩し、もって当該データの個人情報が第三者に知られる可能性が生じた時点で、本人の精神的損害(慰謝料)は少なくとも認められうる。</ref>が発生した場合は、民事上の責任を問われる。 災害や大規模な事故などが発生した際の安否情報も、[[s:個人情報の保護に関する法律#23|第23条]]第1項第2号の「人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき」に該当するので、この法律の規制は及ばないと解釈される。しかし、次のようなことがあった。 * [[JR福知山線脱線事故|JR宝塚線(福知山線)の脱線事故]]では、家族からの安否確認に回答するかどうかで医療現場で混乱が生じ話題となった。 * [[新潟県中越沖地震]]では、同県柏崎市が個人情報保護法の施行を理由に、「要援護者」の名簿を地元自治会や消防にあらかじめ提供していなかったことが分かった。4人の死亡者が名簿に掲載されており、「あらかじめ知らされていれば対応ができたのでは」との疑問の声が出た。自治体が保有する要援護者名簿が町内会に共有されていれば、地震の死者を減らせた可能性がある<ref>[http://blog.livedoor.jp/pink1122/archives/18560.html 新潟県中越沖地震 「要援護者情報」伝わらず](産経新聞 7月19日13時30分配信)</ref><ref>[https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20070726/278365/ 中越沖地震が教える過剰反応対策の必要性]</ref>。 * 「学級連絡網・卒業アルバムが作れない」、「医療機関への個人情報の提供を拒む」、「企業の社員住所録が作成されなくなる」などの事態も起きている<ref group="注釈">この法律の規制が及ばないというわけではない。場合によっては、組織外への第三者への無断提供や、漏洩防止等のための安全管理措置義務は、規制の対象になりうる。本人の同意が必要になる場合があり、全員が同意しなかった場合に、「本人が同意しなかったという個人情報」自体が組織内で共有されてしまうとして、最初から作成しないということも起こり得る。</ref>。 [[内閣府]]ではこういった過剰反応や誤解に対し、個人情報保護法に抵触しない例を出すこととなった<ref>内閣府国民生活局個人情報保護推進室「[http://www.caa.go.jp/seikatsu/kojin/gimon-kaitou.html 個人情報保護法に関するよくある疑問と回答]」{{リンク切れ|date=2018-08}}</ref>。 「[[オプトアウト]]」を定める第23条2項の趣旨は「利用停止を求めれば、第三者提供は停止される」というものであり、「本人に通知する」ことの代替として「本人が容易に知り得る状態に置く」ことを容認している。 == 成立の経緯 == 汎用コンピュータの処理能力が向上したことにより、行政・民間が保有する膨大な個人情報を容易に処理することが可能となった結果、そういった個人情報データベース等からの[[個人情報漏洩]]による[[プライバシー侵害]]への危険性、不安が増大していった。また、行政部外者による、行政機関に所属する公務員の個人情報取得およびその不適切な使用によって政策決定等への障碍可能性が公平性の観点から危惧されるようになった。[[1980年]]([[昭和]]55年)には[[経済協力開発機構|OECD]]理事会で「[[プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドライン|プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関する勧告]]」<ref>[http://www.oecd.org/document/18/0,3343,en_2649_34255_1815186_1_1_1_1,00.html OECD Guidelines on the Protection of Privacy and Transborder Flows of Personal Data]</ref>が採択されるなど、国際的にも個人情報の取扱いや[[プライバシー|積極的プライバシー権]]の保護が次第に重要視されるようになった。 日本では、 [[1988年]](昭和63年)に、公的機関を対象とした「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」が公布された。 [[1989年]](平成元年)には、民間部門に対して通商産業省(現:経済産業省)が「民間部門における電子計算機処理に係る個人情報の保護に関するガイドライン」を策定した。 しかし「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」には罰則規定がなく、また民間部門を対象としたガイドラインには法的拘束力がないなど、個人情報の保護という観点から十分に機能しているとは言いがたい状況であった。 さらに[[住民基本台帳ネットワーク]]の稼動([[2002年]](平成14年))、[[中川秀直]]愛人スキャンダル事件([[2000年]](平成12年))、[[Yahoo! BB顧客情報漏洩事件]]([[2004年]](平成16年))、TBC個人情報漏洩事件(2002年(平成14年))など多発する個人情報漏洩事件を受けて、2002年(平成14年)に[[個人情報保護法関連五法]]が国会に提出された。個人情報保護法は、個人情報を取得する際には個人情報の利用方法を本人に明確に伝えなければならないと定めているために、報道の自由を侵害するなどの理由から反対運動が展開され、一度廃案となったが、再度審議され2003年(平成15年)5月に成立した。 企業への準備期間として、法律成立から施行までに2年間の準備期間が設けられた。個人情報保護法が施行される直前の2005年(平成17年)3月には、これまで起きていながら隠蔽していた個人情報漏洩事件を公表する企業が多くあった。[[探偵]]を安易に多用し、採用時以外においても、必要以上の個人情報を積極的に取得する等、個人情報保護に関する感覚が希薄だった、従来の日本の企業習慣に対する法規制となった。 ==関連する国際標準== [[1980年]](昭和55年)にOECD理事会で採択された「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関する勧告」には収集制限の原則、利用制限の原則などの「OECD8原則」が含まれる。 [[1995年]](平成7年)、EUが「個人データ処理に係る個人情報保護及び当該データの自由な移動に関する欧州議会及び理事会の指令」(通称:EU指令)を採択し、EU加盟国以外への個人情報の移転は、当該国が十分なレベルの保護措置を講じている場合に限られるとした。EU指令によって顧客データの授受をはじめとする様々な経済活動に影響が出ることが懸念されたので、[[1998年]](平成10年)に「[[プライバシーマーク]]制度」が設立された。2019年1月23日に、日本について、個人情報保護法の対象範囲内に限り、個人データについて十分な保護水準を満たしていることを認める十分性認定を欧州委員会が行った<ref>[https://www.hitachi-solutions.co.jp/hibun/sp/column/leakage/03.html GDPR(EU一般データ保護規則)とは?日本企業が対応すべきポイントを考える]</ref> 他に国際標準としては、個人情報を取り扱う主体を分類し、その間の関係性を整理するとともに、それぞれがどのようにして個人情報を取り扱うべきであるかという11のプライバシー原則を示したISO/IEC 29100 {{lang|en|Privacy Framework}} および、実装時のアーキテクチャの枠組みを示した ISO/IEC 29101 {{lang|en|Privacy Architecture Framework}} が存在する。さらに、プライバシー影響評価(PIA)の方法論をまとめた ISO/IEC 29134 {{lang|en|Privacy Impact Assessment Methodology}} も現在作成中である。 また、個人情報の安全管理処置としては、[[情報セキュリティマネジメントシステム]](ISMS)が満たすべき要件を定めた国際規格[[ISO/IEC 27002|ISO/IEC 27001]]もある。この国際規格の認証は、「個人情報漏洩に対する企業の対策」や「個人情報漏洩後の企業の対策」の資料や手順書を企業が作成および周知し、社員が認識し実行しているかどうかを調べて認定される。取得にはおよそ1年以上の時間を要する。 また、EUでは[[2012年]](平成24年)に新たな概念である「[[忘れられる権利]]」がEUデータ保護規則(GDPR)案に導入されたが、これは[[2013年]]に、欧州議会の審議において「消去権」に変更され、2016年4月27日に最終的に採択された。この規則は2018年5月25日に施行された<ref>[http://informationlaw.jp/2016/09/10/eugdpr-right-to-erasure/ EUデータ保護規則(GDPR)]</ref>。 == 法律に関わる事務 == 法律に関わる事務全般は、個人情報保護委員会によって行われている。これは、平成28年1月1日に効力を発した「個人情報の保護に関する法律及び行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律の一部を改正する法律」(平成27年法律第65号)の一部施行によるものである。 == 2000個問題 == 2022年改正までは、個人情報保護法には個人情報保護の基本理念、国及び地方公共団体の責務等が規定されているものの、具体的な義務が書かれているのは事業者のみで、国の行政機関、独立行政法人、地方公共団体等の義務については記載がなく<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/suishin/meeting/wg/toushi/20161115/161115toushi01.pdf|title=個人情報保護法制2000個問題について|accessdate=2020/06/23|publisher=内閣府|date=2016年11月|format=pdf|pages=2-3}}</ref>、それぞれ「[[行政機関個人情報保護法]]」、「[[独立行政法人個人情報保護法]]」、「[[個人情報保護条例]]」が規律している<ref name=":1">{{Cite web|和書|url=https://news.yahoo.co.jp/byline/okamototadashi/20150513-00045653|title=個人情報保護法制「2000個問題」って何?「自治体個人情報保護法」による解決を目指す|accessdate=2020/06/23|publisher=Yahoo Japan|author=岡本正(銀座パートナーズ法律事務所 弁護士・法学博士)|date=2015/5/13}}</ref>。また事業者に対しても義務を守るための指針は個人情報保護法には規定されておらず、「個人情報委員会ガイドライン」、「事業分野ガイドライン」、「個人情報保護指針」で規定している<ref name=":0" />。 こうした事情から<blockquote>「民間事業者」+「国の行政機関」+「独法」+「自治体(都道府県47、市区町村1750、広域連合等115)」<ref name=":0" /></blockquote>で日本国内におよそ2000個の条例等があるかなり煩雑な状態になっており、これを'''2000個問題'''という<ref name=":0" />。2000個問題により、下記のような弊害が生じていた: * そもそも条例未制定の地方公共団体の存在<ref name=":0" /> * 個人情報の利活用の格差<ref name=":1" />や自治体ごとの個人情報に対する知識の格差<ref name=":1" /> * 条例ごとの解釈や手続の差異による自治体間連携の妨げ<ref name=":0" /><ref name=":1" /> * 官民で異なる規律なので監督官庁がはっきりしないものが存在<ref name=":1" /> 医療情報のような機微な情報でもこのような弊害が指摘されており<ref name=":0" /><ref name=":1" />、実際[[東日本大震災]]の際、「民間支援団体に提供して支援や安否確認を実施した自治体は、2自治体しかない」<ref name=":1" />といった弊害が起こった。その後[[災害対策基本法]]の改正により「「避難行動要支援者名簿」の作成義務と、自治体と支援団体間での事前情報共有を促す条項が設けられた」ものの、平常時から個人情報を官民で共有するにはハードルが高いという現状が2022年まではあった<ref name=":1" />。 2022年改正で、個人情報保護法に、国、独立行政法人、地方公共団体についても一元的に規定したため、この問題はおおむね解消された。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注釈" /> === 出典 === <references/> == 参考文献 == * {{Citation|和書|title=個人情報保護法コンメンタール|author=石井夏生利|author2=曽我部真裕|author3=森亮二|year=2021年3月|publisher=勁草書房|ref={{Sfnref|石井|曽我部|森|2021}}}} * {{Citation|和書|title=最新判例にみるインターネット上のプライバシー・個人情報保護の理論と実務|author=松尾 剛行|year=2017年7月|publisher=勁草書房|ref={{Sfnref|松尾|2017}}}} * {{Cite book |和書 |last= |first= |author= 岡村久道 |authorlink= |coauthors= |translator= |year=2010 |title=個人情報保護法の知識 |publisher=日経文庫 |page= |id= |isbn=4532112095 |quote= }} === 個人情報保護法の「いわゆる3年毎の見直し」関連の資料 === *2020年度 **{{Cite web|和書|url=https://www.ppc.go.jp/files/pdf/press_betten1.pdf|title=個人情報保護法いわゆる3年ごと見直しに係る検討の中間整理|accessdate=2019/09/06|publisher=[[個人情報保護委員会]]|format=pdf|date=平成31年4月25日|ref=中間整理}} **{{Cite web|和書|url=https://www.ppc.go.jp/news/press/2019/20200310/|title=「個人情報の保護に関する法律等の一部を改正する法律案」の閣議決定について|accessdate=2020/06/24|publisher=個人情報保護委員会|date=2020年3月20日}} == 関連項目 == {{Wikisource|個人情報の保護に関する法律|個人情報の保護に関する法律}} {{Wikibooks|コンメンタール個人情報の保護に関する法律|コンメンタール個人情報の保護に関する法律}} *[[個人情報保護法関連五法]] **個人情報の保護に関する法律 - 基本法則と[[個人情報]]保護を一元的に規定 **[[行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律]]-廃止 **独立行政法人の保有する個人情報の保護に関する法律-廃止 **[[情報公開・個人情報保護審査会設置法]] **行政機関の保有する個人情報保護法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律 *[[特定個人情報保護評価]] *[[安倍内閣メールマガジン#目的外使用問題]] *[[企業コンプライアンス]] *[[住民基本台帳ネットワーク]] *[[表現の自由]] - [[報道の自由]] - [[言論の自由]] *[[プライバシー]] - [[プライバシーポリシー]] - [[プライバシーマーク]]([[JIS Q 15001]]) *[[名簿業者]] *[[メディア規制三法]] == 外部リンク == * [https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=415AC0000000057 個人情報の保護に関する法律(平成十五年法律第五十七号)].e-Gov法令検索. 総務省行政管理局 <!-- 平成三十年七月二十七日公布(平成三十年法律第八十号)改正、2020年1月7日施行版を閲覧。--> * [https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=415CO0000000507 個人情報の保護に関する法律施行令(平成十五年政令第五百七号)].e-Gov法令検索. 総務省行政管理局 <!-- 平成二十八年十月五日公布(平成二十八年政令第三百二十四号)改正、2017年5月30日施行版を閲覧。--> *{{Wayback|url=https://www.kantei.go.jp/jp/it/privacy/houseika/hourituan/ |title=個人情報の保護に関する法律 |date=20020613034138}} - 首相官邸 *[http://www.ppc.go.jp/personalinfo/ 個人情報保護法について](個人情報保護委員会) *[https://www.meti.go.jp/policy/it_policy/privacy/kaisei-guideline.pdf 個人情報の保護に関する法律についての経済産業分野を対象とするガイドライン](経済産業省) *[http://www.meti.go.jp/policy/it_policy/privacy/080229kaiseiq-a.pdf 個人情報の保護に関する法律についての経済産業分野を対象とするガイドライン等に関するQ&A](経済産業省) *[http://privacymark.jp/ プライバシーマーク制度](一般財団法人日本情報経済社会推進協会) {{DEFAULTSORT:こしんしようほうのほこにかんするほうりつ}} [[Category:2003年の法]] [[Category:言論・表現の自由]] [[Category:日本の行政規制法]] [[Category:日本の情報法]] [[Category:日本の法律]] [[Category:プライバシー]] [[Category:プライバシー法]]
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BC
BC、Bc、bc
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BC、Bc、bc
{{WikipediaPage|ビューロクラット('''B'''ureau'''c'''rat)|Wikipedia:ビューロクラット}} {{TOCright}} '''BC'''、'''Bc'''、'''bc''' == 記号・単位 == * '''B.C.'''、<span style="font-variant:small-caps">'''bc'''</span> - [[西暦]]の[[紀元前]] (Before Christ)。 == 正式名称 == * '''bc''' - [[UNIX]]における[[C言語]]に似た任意で正確な計算をするための[[プログラム言語]]。 {{main|[[bc (UNIX)]]}} == 略語・略称 == === 一般名詞・術語 === * スポーツ ** [[ベースボール・チャレンジ・リーグ]] (略称「BCリーグ」、旧「北信越BCリーグ」) ** [[ブリーダーズカップ・ワールド・サラブレッド・チャンピオンシップ]] (Breeders' Cup World Thoroughbred Championships) - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]で行われている[[競馬]]の祭典。 ** [[バスケットボール部]] (basketball club) ** [[ベースボールクラブ]] (baseball club) ** [[ブルペン捕手]] (bullpen catcher) ** {{仮リンク|ベースキャンプ|en|Base camp}} (base camp) ** [[スキー]]、[[スノーボード]]のバックカントリー([[山スキー]]、[[バックカントリースノーボード]])の略。 ** [[浮力補償装置]] (Buoyancy compensator) の略。[[ダイビング器材]]の[[ダイビング器材#BC|BC(浮力補償装置)]]に参照。 * 交通・運輸 ** バスセンター (bus center){{main|[[バスターミナル]]}} ** 燃油調整料 (Bunker Charge){{main|[[燃油サーチャージ]]}} * 軍事関連 ** [[巡洋戦艦]] (battle cruiser) ** [[大量破壊兵器]]のうち、[[核兵器]]を除いた[[生物兵器]] (biological weapon) と[[化学兵器]] (chemical weapon)。 * コンピュータ関連 ** [[MPEG-2]] AudioBC (Backward Compatible) - MPEG-2 Audio の規格名称。 ** [[Z80]]の16ビットレジスタのひとつ。'''BC'''レジスタ。 ** [[BitComet]]の略称。 * [[通奏低音]] (basso continuo) * [[証明書|受益者証明書]] (beneficiary’s certificata) * [[ボディコンバット]] (Body Combat) * [[B/C]](ビーバイシー、benefit by cost の略) * [[境界条件]] (boundary condition) * [[ベネフィット・コーポレーション]] (Benefit Corporation) * [[社内カンパニー|ブランドカンパニー]] (Brand Company) * [[中波帯]] - 放送を表す BroadCasting の略から。 **[[ラジオ#ラジオ放送の種類|AMラジオ放送]]の行われている中波帯のこと。 === 固有名詞 === * 地理 ** カナダの州、[[ブリティッシュコロンビア州]] (British Columbia) の略。 *大学の略称 ** [[ボストンカレッジ]] (Boston College) - [[アメリカ合衆国]][[マサチューセッツ州]]の大学。 ** B.C. - [[BEAT CRUSADERS]]のインディーズ時代の略称。 * アニメ『[[BLACK CAT]]』、および関連の[[インターネットラジオ]]番組「[[RADIO BLACK CAT]]」。 * [[B.C.ビューティー・コロシアム]] - かつて[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[フジネットワーク|系列]]で放送されていたテレビ番組。 * [[美少女クラブ]] (bishoujo club) * [[BCライオンズ]] - カナダのプロ[[カナディアンフットボール]]チーム。 == コード・形式名 == * 国際標準化機構の行政区画コード ([[ISO 3166-2]]) などのコードで、以下の各国の行政区画を示す。 ** カナダの'''[[ブリティッシュコロンビア州]]''' - [[ISO 3166-2:CA]] * [[国際航空運送協会|IATA]][[航空会社コード]]で、'''[[スカイマーク]]'''を示す。 * [[スバル・レガシィ|レガシィセダン]]初代車の型番。 *'''Bc''' - [[国鉄1100形蒸気機関車#西成鉄道|国鉄1150形蒸気機関車]](旧北海道官設鉄道)の鉄道作業局時代の形式 == 他の記号などを付して用いるもの == * '''B-C''' - [[1990年代]]に使われていた[[日本コロムビア]]と[[ビーイング]]の共同レーベル。 * BC戦争 ('''B'''luebird・'''C'''orona) - かつて[[日産・ブルーバード]]と、[[トヨタ・コロナ]]の間で繰り広げられていた熾烈な販売競争。詳しくはそれぞれの項を参照。 == 関連項目 == * [[ラテン文字のアルファベット二文字組み合わせの一覧]] * [[特別:Prefixindex/BC|BCで始まる記事の一覧]] * [[特別:Prefixindex/Bc|Bc, bcで始まる記事の一覧]] {{aimai}}
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セイヨウショウロ
セイヨウショウロ(西洋松露、Tuber spp.)は、子嚢菌門のチャワンタケ目セイヨウショウロ科セイヨウショウロ属に所属するきのこの総称。子嚢果(子実体)はトリュフ(仏: truffe、英: truffle)の名で高級食材として知られる。 通常のきのことは外観が大きく異なり、かさ・ひだ・柄を欠き、ゆがんだ球状ないし塊状をなす。外面は黒色・赤褐色・灰白色・クリーム色など、種の違いや成熟の程度によってさまざまな色調を呈し、角錐状の小突起を密生してごつごつした外観を示すものや、僅かにざらつく程度でほぼ平滑なものなどがあり、しばしば不規則な亀裂を生じることがある。内部は初めは淡い灰色ないしほぼ白色を呈するものが多いが、成熟するとともにより暗色となり、多くは黒っぽい地に不規則で淡色の脈を生じ、全体としては大理石状の模様を形成する。また、成熟するに伴い、特有の芳香を発するものが多い。老熟すると大理石状の模様は不明瞭になり、香りも弱くなる。 成熟に伴って、子実体の内部には歪んだ嚢状の子嚢が無数に形成され、その内部に1-数個の子嚢胞子が作られる。子嚢胞子は一般に褐色を帯び、その表面には網目状あるいは棘状の突起が形成されるが、1つの子嚢当りの子嚢胞子の形成数・子嚢胞子の形と大きさ・胞子表面の突起の形質などは、種レベルでの分類に際して重要な特徴と見なされている。子嚢には、胞子を射出させるための構造が分化しておらず、成熟した段階で子嚢壁が溶解することによって子嚢胞子の分散が行われる。 子実体は、少なくとも初期には地下(深さはおおむね5-40センチメートル程度)に形成されるが、成熟するとしばしば地上に現れる。胞子の分散には、哺乳類(リス・ノネズミ・モモンガその他)やある種のハエ(たとえばAnisotoma cinnamomea Panzer、あるいは俗にトリュフバエmouches à truffe と呼ばれるSuillia pallida Fallénなど)が関与しているといわれている。 少なくともTuber 属に含まれる種はすべてが外生菌根を形成し、ナラ属(Quercus)や、ブナ属(Fagus)・カバノキ属(Betula)・ ハシバミ属(Corylus)・クマシデ属(Carpinus)・ヤマナラシ属(Populus)あるいはマツ属(Pinus)などの樹木の細根と共生している。また、ハンニチバナ科(Cistaceae)に属するハンニチバナ属(Helianthemum)やゴジアオイ属(Cistus)などの植物の多くもまた、Tuber 属の菌との間で外生菌根を形成する。 Terfezia 属についてはカヤツリグサ科ヒゲハリスゲ属(Kobresia)の一種や、ハンニチバナ属のいくつかの種との間に共生関係を持つとの報告があるが、菌根の形態は Tuber 属のものとは異なるという。 雷の落ちた場所ではトリュフがよく育つ事が経験的に知られているが、これは落雷による高電圧の印加により窒素が固定され、生じた亜硝酸塩が養分になるからとする研究がある。
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セイヨウショウロは、子嚢菌門のチャワンタケ目セイヨウショウロ科セイヨウショウロ属に所属するきのこの総称。子嚢果(子実体)はトリュフの名で高級食材として知られる。
{{生物分類表 |色 = lightblue |名称 = セイヨウショウロ |画像 = [[ファイル:Truffe noire du Périgord.jpg|250px]] |画像キャプション = セイヨウショウロ(トリュフ) |界 = [[菌界]] {{sname||Fungus}} |門 = [[子嚢菌門]] {{sname||Ascomycota}} |綱 = [[チャワンタケ綱]] {{sname||Pezizomycetes}} |目 = [[チャワンタケ目]] {{sname||Pezizales}} |科 = [[セイヨウショウロ科]] {{sname||Tuberaceae}} |属 = '''セイヨウショウロ属''' {{snamei||Tuber}} |下位分類名 = 種 |下位分類 = 本文参照 |学名 = ''Tuber'' |英名 = {{sname||Truffle}} }} '''セイヨウショウロ'''('''西洋松露'''、'''''Tuber'' spp.''')は、[[子嚢菌門]]の[[チャワンタケ目]][[セイヨウショウロ科]]セイヨウショウロ属に所属する[[キノコ|きのこ]]の総称<ref name="toku2810">[https://www.customs.go.jp/tokyo/content/toku2810.pdf トリュフの輸入] 東京税関、2020年4月19日閲覧。</ref>。子嚢果(子実体)は[[トリュフ]]({{lang-fr-short|truffe}}、{{lang-en-short|truffle}})の名で高級食材として知られる。 == 形態 == 通常のきのことは外観が大きく異なり、かさ・ひだ・柄を欠き、ゆがんだ球状ないし塊状をなす。外面は[[黒色]]・[[赤褐色]]・[[灰白色]]・[[クリーム色]]など、種の違いや成熟の程度によってさまざまな色調を呈し、角錐状の小突起を密生してごつごつした外観を示すものや、僅かにざらつく程度でほぼ平滑なものなどがあり、しばしば不規則な亀裂を生じることがある。内部は初めは淡い灰色ないしほぼ白色を呈するものが多いが、成熟するとともにより暗色となり、多くは黒っぽい地に不規則で淡色の脈を生じ、全体としては[[大理石]]状の模様を形成する。また、成熟するに伴い、特有の芳香を発するものが多い。老熟すると大理石状の模様は不明瞭になり、香りも弱くなる。 成熟に伴って、子実体の内部には歪んだ嚢状の[[子嚢]]が無数に形成され、その内部に1-数個の[[胞子|子嚢胞子]]が作られる。子嚢胞子は一般に褐色を帯び、その表面には網目状あるいは棘状の突起が形成されるが、1つの子嚢当りの子嚢胞子の形成数・子嚢胞子の形と大きさ・胞子表面の突起の形質などは、種レベルでの分類に際して重要な特徴と見なされている。子嚢には、胞子を射出させるための構造が分化しておらず、成熟した段階で子嚢壁が溶解することによって子嚢胞子の分散が行われる。 == 生態 == 子実体は、少なくとも初期には地下(深さはおおむね5-40[[センチメートル]]程度)に形成されるが、成熟するとしばしば地上に現れる。胞子の分散には、[[哺乳類]]([[リス]]・[[ノネズミ]]・[[モモンガ]]その他)やある種の[[ハエ]](たとえば''Anisotoma cinnamomea'' Panzer<ref>Fabre, J. H. (Translated by de Mattos, A. T.), 2009. The life of fly. Echo Library, ISBN 9781406863222</ref>、あるいは俗に'''トリュフバエ'''mouches à truffe と呼ばれる''Suillia pallida'' Fallén<ref>Pacioni, G., Bologna, M. A., and M. Laurenzi. 1991. Insect attraction by ''Tuber'': a chemical explanation. Mycological Research 95(12): 1359–1363.</ref><ref>Dubarry, F., and S. Bucquet-Grenet, 2001. The Little Book of Truffles. Flammarion.ISBN 9782080106278.</ref>など)が関与しているといわれている。 少なくとも''Tuber'' 属に含まれる種はすべてが[[外生菌根]]を形成し、[[ナラ]]属(''Quercus'')や、[[ブナ属]](''Fagus'')・[[カバノキ属]](''Betula'')・ [[ハシバミ属]](''Corylus'')・[[クマシデ属]](''Carpinus'')・[[ヤマナラシ属]](''Populus'')あるいは[[マツ属]](''Pinus'')などの樹木の細根と共生している。また、[[ハンニチバナ科]](''Cistaceae'')に属するハンニチバナ属(''Helianthemum'')や[[ゴジアオイ属]](''Cistus'')などの植物の多くもまた、''Tuber'' 属の菌との間で外生菌根を形成する<ref>Chevalier, G., Mousain, D., and Y. Couteaudier, 1975. Association ectomycorhiziennes entre Tubéracées et Cistacées. Annales de Phytopathologie 7: 355-356.</ref><ref>Giovannetti, G., and A. Fontana, 1982. Mycorrhizal synthesis between Cistaceae and Tuberaceae. New Phytologist 92: 533-537.</ref><ref>Wenkart, S., Mills, D., and V. Kagan-Zur, 2001. Mycorrhizal associations between ''Tuber melanosporum'' mycelia and transformed roots of ''Cistus incanus''. Plant Cell Reports 20: 369-373.</ref>。 ''Terfezia'' 属については[[カヤツリグサ科]][[ヒゲハリスゲ属]](''Kobresia'')の一種<ref>Ammarellow, A., and H. Saremi, 2008. Mycorrhiza between ''Kobresia bellardii'' (All.) Degel and ''Terfezia boudieri'' Chatin. Turkish Journal of Botany 32: 17-23.</ref>や、ハンニチバナ属のいくつかの種<ref>Morte, A., C. Lovisolo, C., and A. Schubert, 2000. Effect of drought stress on growth and water relations of the mycorrhizal association ''Helianthemum almeriense''-''Terfezia claveryi''. Mycorrhiza 10: 115-119.</ref><ref>Turgeman, T., Jiftach Ben Asher, J. B., Roth-Bejerano, N., Varda Kagan-Zur, V., Kapulnik, Y., and Y. Sitrit. 2011. Mycorrhizal association between the desert truffle ''Terfezia boudieri'' and ''Helianthemum sessiliflorum'' alters plant physiology and fitness to arid conditions. Mycorrhiza 21: 623-630.</ref>との間に共生関係を持つとの報告があるが、菌根の形態は ''Tuber'' 属のものとは異なるという。 [[雷]]の落ちた場所ではトリュフがよく育つ事が経験的に知られているが、これは[[落雷]]による[[高電圧]]の[[印加]]により[[窒素]]が固定され、生じた[[亜硝酸塩]]が養分になるからとする研究がある<ref>[http://botit.botany.wisc.edu/toms_fungi/more.html The Lightning and the Truffle]</ref>。 == 食用 == '''黒トリュフ'''の最高級とされているのが[[フランス]]の[[ペリゴール]]地方産のものだといわれる<ref name="講談社2013">{{Cite book|和書|editor =講談社|title = からだにやさしい旬の食材 野菜の本|date=2013-05-13|publisher = [[講談社]]|isbn=978-4-06-218342-0|page=214}}</ref>。これは、[[キャビア]]、[[フォアグラ]]と並ぶ「[[世界三大珍味]]」とされるもので、「黒いダイヤモンド」の異名でもよばれている<ref name="講談社2013"/>。香りが命であるが、加熱しないと香りが立たない<ref name="講談社2013"/>。 '''白トリュフ'''は黒トリュフよりもさらに高級といわれており、黒トリュフより白トリュフのほうが香りが強いため高価である<ref name="講談社2013"/>。[[イタリア]]の[[ピエモンテ]]地方産のものが有名<ref name="講談社2013"/>。イタリアでは[[米びつ]]に入れて保存し、香りが移った米で[[リゾット]]を作る<ref name="講談社2013"/>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[:en:List of Tuber (fungus) species]] - ''Tuber''一覧 * [[フォアグラ]] * [[キャビア]] * [[メラノガステル属]] - 菌の一種。外観がトリュフに類似しているが食用価値はなく、俗に「偽トリュフ(false truffle)」と呼ばれる。 * [[トリュフチョコレート]] - トリュフに似せた[[チョコレート]]。[[生チョコレート|ガナッシュ]](固めのチョコレートクリーム)を丸めたものに[[クーベルチュール・チョコレート]]をコーティングしたものが一般的。 * [[ショウロ]] - 本種の和名の元になった、日本で珍重される食用キノコ。 == 外部リンク == {{Commons|truffle|トリュフ}} * [http://www.tartufidiacqualagna.it/index_en.htm Italian Truffle] *[https://bimikyushin.com/chapter_4/04_ref/sendanjyuji.html 美味求真.com「栴檀樹耳」] {{DEFAULTSORT:せいようしようろ}} [[Category:食用キノコ]] [[Category:フランスの食文化]] [[Category:イタリアの食文化]] [[Category:ピエモンテ州の食文化]] [[Category:チャワンタケ目]] [[Category:キノコの形態]] [[de:Trüffel]]
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JIS X 0208
JIS X 0208は、日本語表記、地名、人名などで用いられる6,879図形文字を含む、主として情報交換用の2バイト符号化文字集合を規定する日本産業規格 (JIS) である。現行の規格名称は7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化漢字集合 (7-bit and 8-bit double byte coded KANJI sets for information interchange) である。1978年にJIS C 6226として制定され、1983年、1990年および1997年に改正された。JIS漢字コード、JIS漢字、JIS第1第2水準漢字、JIS基本漢字などの通称がある。 JIS X 0208が定める文字集合は、主として、データ処理システムおよび関連する装置の間またはデータ通信システム相互の間の情報交換 (information interchange) に用いるための文字集合である。この文字集合はデータ処理および文書処理にも利用できる。 文字集合の部分実装は規格に適合しない。第1次規格の原案作成委員会が第1水準および第2水準への振り分けに気をつかったこと、第2次規格で一部の異体字の水準間の入れかえがおこなわれたことなどからすると、少なくとも第1次規格および第2次規格では、非漢字および第1水準漢字のみの実装が想定されたと推測される。しかし、このような実装が規格に適合すると明記されたことはない。 かつてはJIS X 0208:1997の規格票には適合性について規定されているにもかかわらず、この規格は適合性認証または自己適合宣言の対象となる製品規格ではないと考えられていた。だが2009年現在では経済産業省およびJISCが「国がJISマーク表示制度の対象となる商品等を限定する指定商品制を廃止し、認証可能なJIS製品規格がある製品が対象となります」と明言しているため、適合性について規定のあるJIS X 0208:1997も適合性認証または自己適合宣言の対象となると考えられる。 JIS X 0208の符号は、基本的に7ビット2バイト符号または8ビット2バイト符号である。ただし、図形文字 (graphic character) のうちの1文字「SPACE」およびすべての制御文字 (control character) は1バイトで表現される。符号位置を表現するために、「列番号/行番号」および「区点番号」が使用される。符号に依存しない文字の識別手段として「文字の名前」が用意されている。 1バイト符号のビット組合せ (bit combination) を表現するために、列番号/行番号が用いられる。これは1バイトの16進数表記(00からFF)の上の桁と下の桁に相当する。具体的には、7ビットの上位3ビットまたは8ビットの上位4ビットを十進整数の0から7または0から15に対応させて、この数字を列番号とし、下位4ビットを十進整数の0から15に対応させて、この数字を行番号とする。 例えば、図形文字SPACEに対応するビット組合せは、7ビット符号で010 0000、8ビット符号で0010 0000である。これは、列番号/行番号によって2/0と表現される。 2バイト符号のうち、2バイトの第1バイトを同じくする符号の集合を、区 (row) といい、一つの区のうちの個々の符号を、点 (cell) という。ある区のある点のことを、区点位置 (code-point) と呼ぶ。 2バイトの第1バイトおよび第2バイトには、それぞれ、列番号/行番号で表示して2/1から7/14までの94通りのビット組合せが許される。したがって、区は94個あり、一つの区には、94個の点がある。区点位置は94×94=8,836個ある。 区点位置は区点番号によって参照される。それぞれの区に1から94までの番号を与え、それぞれの区のうちの点に1から94までの番号を与える。そして、区点番号を、区の番号と点の番号によって「何区何点」と表現するか、区の番号と点の番号をハイフンでつないで表現する。例えば、文字「亜」の区点位置は、区点番号によって16区1点または16-01と参照される。 区点番号と図形文字との対応は、規格の付属書3において、区の番号を縦軸に、点の番号を横軸に取った94×94の図形文字符号表で示されている。 この構造は、中国のGB 2312や韓国のKS C 5601(現在のKS X 1001)でも採用された。 2バイト符号のうち、9区から15区までおよび85区から94区までは空き領域 (unassigned code-points)、すなわち文字が規定されていない区点位置である。それ以外の区のうちでも一部の点は空き領域となっている。 空き領域は基本的に使用してはならない区点位置である。情報交換の当事者の合意があるときを除いて、空き領域に文字(外字)を割り当てて情報交換をしてはならない。 空き領域に文字を割り当てるときにも、規格に定められた図形文字を空き領域にも割り当てたり、空き領域の複数の区点位置に同じ文字を割り当てたりしてはならない。重複符号化を排除するためである。 なお、空き領域に文字を割り当てるときには、漢字の字体についての包摂規準に注意する必要がある。例えば、25区66点には「口高」および「はしご高」が包摂されて対応している。したがって、25区66点の文字を「口高」に限定して解釈し、「はしご高」を空き領域に割り当てることは、規格に定められた図形文字を空き領域にも割り当てることになり、規格違反となる。 この規格の符号化文字には、それぞれの名前が与えられている。文字の名前を使うことによって、符号に依存しないで文字を識別することができる。文字の名前は他の符号化文字集合の規格と整合して決められているので、ある符号化文字集合に含まれるある文字が、別の符号化文字集合に含まれるある文字と同一の文字であるか否かは、それらの名前が同一であるか否かで判断できる。 例えば、ISO/IEC 646の列番号/行番号で4/1の文字の名前も、この規格の3区33点の文字の名前も、同じくLATIN CAPITAL LETTER Aである。したがって、ISO/IEC 646の4/1の文字およびこの規格の3区33点の文字は、同じ文字であると結論できる。またISO/IEC 646国際基準版の2/2「QUOTATION MARK」、2/7「APOSTROPHE」、2/13「HYPHEN-MINUS」および7/14「TILDE」は、この規格にはない文字であることがわかる。 漢字以外の文字の名前に用いられる文字は、ラテン文字大文字、間隔およびハイフンである。漢字以外の文字には日本語通用名称も与えられているが、日本語通用名称は参考であって規定の一部ではない。 漢字の名前は、対応する国際符号化文字集合 (UCS) の文字の16進表記の符号化表現から機械的に決められている。符号化表現の先頭に「CJK UNIFIED IDEOGRAPH-」を冠することで、漢字の名前が得られる。例えば、16区1点「亜」はUCSの4E9Cの文字に対応するので、この文字の名前はCJK UNIFIED IDEOGRAPH-4E9Cである。漢字には日本語通用名称は与えられていない。 JIS X 0208が規定する、7ビット2バイトまたは8ビット2バイトの符号に対応する6,879の図形文字の集合を、JIS X 0208では漢字集合 (Kanji set) と呼ぶ。漢字集合には、漢字6,355文字およびラテン文字、平仮名などの524文字の非漢字が含まれる。漢字集合に含まれる図形文字およびそれが収められる区は、つぎのとおりである。 漢字集合の特殊文字には、ISO/IEC 646の国際基準版 (IRV) 図形文字集合に含まれる一部の文字が欠けている。前述のQUOTATION MARK、APOSTROPHE、HYPHEN-MINUSおよびTILDEの4文字である。IRVのQUOTATION MARK、APOSTROPHEおよびHYPHEN-MINUSは、表のように、漢字集合では複数の区点位置に分離されている(西村 1978、JIS X 0221-1:2001規格票解説3.8.7)。IRVのTILDEは、漢字集合のどの文字とも対応づけられない。 これは、漢字集合が世界で最も普及している符号化文字集合の上位互換でないことを意味し、この規格の欠点の1つに数えられる。 漢字集合およびIRVの集合に共通する特殊文字、数字およびラテン文字90文字についても、この規格では、ISO/IEC 646の配列を踏襲していない。90文字は漢字集合の1区から4区までに分かれて収録されている。 「漢字集合の数字、ラテン文字などは『全角英数字』であって、IRVの文字とは異なる」との解釈に基づく実装が発生・普及した原因は、これらの非互換性のためだと考えられる。 第1次規格以来、丸付き数字や「キロ」「メートル」などの合字およびローマ数字は、文字の合成によって表現できるとされ、独立した区点位置を与えられなかった。情報機器を製造する各社は、顧客が必要とするこれらの文字を、文字の合成により表現できるようにするのでも、規格に追加するよう求めるのでもなく、外字として独自に提供する道を選んだ。 1997年の第4次規格では、すべての文字が現在位置の前進動作を伴う文字すなわちスペーシング文字 (spacing character) であることが明確にされたうえ、文字の合成をおこなってはならないと規定された。このため、ダイアクリティカルマークつきのラテン文字は、2区82点のオングストローム (Å) を唯一の例外として、表現できないことになった。 JIS X 0208の平仮名および片仮名においては、JIS X 0201の片仮名に含まれない濁点つきの仮名および半濁点つきの仮名が含まれる。JIS X 0201の片仮名に含まれない「ヰ」「ヱ」および「ヮ」も含まれる。 JIS X 0208の仮名の配列は、JIS X 0201の片仮名の配列と異なっている。JIS X 0201では、小文字(小書きの仮名)は小文字で、大文字(清音の文字)は大文字で、それぞれ五十音順に配列されている(ヲァィゥェォャュョッーアイウエオ......ラリルレロワン)。一方、JIS X 0208では、小文字、大文字、濁点つきの文字および半濁点つきの文字を一括して五十音順で、五十音順で同順位の場合は小文字、大文字、濁点つきの文字、半濁点つきの文字の順序で、配列されている(ぁあぃいぅうぇえぉお......っつづ......はばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽ......ゎわゐゑをん)。この配列は、仮名文字列の簡易的な辞書順ソートを容易にするために採用された(安岡ほか 2006)。 この規格には、先に制定されたJIS X 0201の片仮名の配列が踏襲されなかった。JIS X 0201の片仮名を「半角仮名」(「半角カタカナ」とも呼ばれる)として、この規格の片仮名と区別する実装が発生した原因は、この非互換性にあると考えられる。その点もこの規格の欠点の一つである。 この規格の漢字が、何を典拠としてどのように選ばれ、何に基づいて第1水準および第2水準に振り分けられ、どのように配列されたかは、1997年の第4次規格の規格票の解説に詳しい。それによると、つぎの4つの漢字表に含まれる漢字が、1978年の第1次規格の6,349文字に採用された。 第2次規格および第3次規格で、それぞれ4文字および2文字の第2水準漢字が追加され、漢字は6,355文字になった。第2次規格では字形の変更および水準間の漢字の入れ替えが行われ、第3次規格でも字形の変更が行われた。これについては後述する。 第1水準は、当用漢字字体表、当用漢字補正案および人名用漢字別表を基本として、多種の漢字表に共通して出現する文字が選ばれた。JIS C 6260(都道府県コード、現在のJIS X 0401)およびJIS C 6261(市区町村コード、現在のJIS X 0402)を参照して、都道府県名および市区町村名に使用される漢字がすべて第1水準に含まれるように意図された。さらに専門家による調整が加えられた。 しかし安岡 (2001a) によれば作業漏れがあったようで、安岡は印旛郡、印旛村の「旛」(58-57) および泗水町の「泗」(61-89) が第1水準に含まれていないことを指摘している。 第2水準には、上記の主要4漢字表に出現して第1水準から漏れた漢字が収められた。次に記すように、第1水準は漢字の音訓に基づいて並べられたので、音訓がわかりにくい漢字の中には第1水準から第2水準にまわされたものもある(西村 1978)。 一般的に第1水準は使用頻度の高い漢字、第2水準は使用頻度の低い漢字とされるが、水準分けはもちろんJIS漢字制定当時の基準であるので、時代の流れによって今日では「翔」や「煌」といった第2水準だがよく使われるようになった漢字、逆に「糎」や「粍」といった第1水準だがあまり使われなくなった漢字も多数存在する。人名用漢字別表にはJIS漢字制定後に追加されたものの中には第2水準のものもいくつか存在する。 実際の人名が収録されたと思われた『日本生命収容人名漢字』は選定に寄与したとされるが、秋田県に多い苗字である草彅の「彅」が含まれていないなど網羅性に不備があったとされる。参照時点で原典が存在せず転記となっているなど正確性も不明であった。 1990年代以降はほとんどのシステムで第2水準漢字まで使えるようになり、文字コードもUnicodeへ移行しつつあるため、使用したい漢字が第1水準か第2水準か気にする必要はほとんどなくなった。しかし、数千字もある漢字フォントを作るには、相当の手間と時間がかかるため、フリーのフォントなどでは一部の漢字しか収録しないことがある。その際、水準を基準にして収録するかしないかを決めることもある(第1水準しか収録していないフォントもある)。 第1水準漢字は、この規格独自の代表音訓、すなわち各漢字についてそれぞれ一つずつ定めた音または訓、の順に配列された。原則として、音が代表音訓とされ、音が複数ある(異表記の漢音・呉音・唐音など)漢字については「使用度が優勢」と判断された音が代表音訓として採用された(JIS C 6226-1978規格票解説3.4)。音が存在しないか一般的でない漢字については、訓が代表音訓とされた。動詞の訓を代表音訓とするときは、終止形ではなく連用形が代表音訓とされた。 例えば、16区1点から41点までに代表音訓が「あ」で始まる41文字が配列されている。このうち、「葵」(キ、あおい、16-10)、「粟」(ゾク、ショク、あわ、16-32) など22文字は訓を代表音訓としている。「逢」(ホウ、あい、16-09)、「扱」(ソウ、キュウ、あつかい、16-23)などは動詞の連用形が代表音訓とされた例である。 代表音訓を同じくする漢字の中では、音を代表音訓とする漢字が先に、訓を代表音訓とする漢字が後に並べられ、音または訓を同じくする漢字の中では、部首および画数の順に並べられた。 第1水準にあっても第2水準にあっても、異体字は基本的に親字の直後にまとめて配列された。例えば、第2水準において、49区88点の「劍」の直後には、原則である画数順を乱して「劔」、「劒」および「剱」が配列されている。 第2水準漢字集合は、部首および画数の順に配列された。部首および画数を同じくする漢字の中では、五十音順に並べられた。 従来、漢字集合に一般の漢和辞典に見られない漢字が含まれていて、その典拠が不明であることが指摘されていた。例えば、第1次規格制定の1年後には、田嶋一夫(1979)が、『新字源』にも『大漢和辭典』にも見られず、略字としても把握できない漢字を63文字認めたことを報告し、「漢和辞典で確認できない漢字が、確かな基準で選択されたものであることを望む」とした。これらの漢字はやがて、幽霊文字、幽霊漢字などと称されるようになった。 第4次規格の原案作成委員会も、典拠不明の漢字の存在を問題視し、第1次規格の原案作成委員会がいかなる資料を参照したかを調査した。その結果、第1次規格の原案作成委員会が『対応分析結果』に大きく依拠して漢字を収集していたことが判明した。第4次規格の原案作成委員会が『対応分析結果』を入手して検討したところ、一般の漢和辞典に見られないにもかかわらず漢字集合に含まれている漢字の多くが、『対応分析結果』において『日本生命収容人名漢字』または『国土行政区画総覧使用漢字』とされていることがわかった。 『日本生命収容人名漢字』については、『対応分析結果』が参照した原典が現存しないことが判明した。『国土行政区画総覧』については、第4次規格の原案作成委員会に加わった笹原宏之が、第1次規格開発当時の版の全ページに出現する漢字を調査した。委員会はまた、多くの古字書を参照し、NTTの電話帳データベースでの人名用例を調査した。 このような委員会の徹底的な調査によっても、委員会は、表に示す12の漢字の典拠について確信を持つことはできなかった。これらのうちには、誤写による誤字体と推測されているものが多い。 1997年の第4次規格の定義によれば、包摂(ほうせつ、unification)とは、複数の字体を区別せずに、それらに同一の区点位置を与えることである。第4次規格では、漢字の字体にかぎって、包摂する字体の範囲を明確に定めている。 なお、規格の定義によれば、字体 (ZITAI) は、図形文字の図形表現としての形状についての抽象的概念であり、字形 (ZIKEI) は、字体を手書き、印字、画面表示などによって実際に図形として表現したものである。一つの字体には無数の具体的かつ可視的な字形が存在する。一つの字体についての字形の異なりはデザインの差である。 ひとつの区点位置に包摂される字体の範囲は、その区点位置の例示字体およびその例示字体に適用することができる包摂規準によって決まる。すなわち、ある区点位置の例示字体は、その区点位置に対応する。そして、例示字体において、例示字体を構成する部分字体を包摂規準にしたがって置き換えたものも、その区点位置に対応する。 例えば、33区46点(僧)の例示字体として、「人偏に曽」が示されている。そして、包摂規準連番101には、部分字体「曽」、「曾(第1画および第2画は「八」)」および「曾(第1画および第2画は「ソ」)」が示されている。したがって、例示字体「人偏に曽」の部分字体「曽」を「曾(第1画および第2画は「八」)」または「曾(第1画および第2画は「ソ」)」に置き換えた文字も、33区46点に対応する。 第4次規格には、第1刷に対する正誤表で追加された一つを含めて、186個の包摂規準が定められている。 ある区点位置の例示字体が複数の部分字体からなるときに、それぞれの部分字体について包摂規準を適用できる。一つの部分字体に包摂規準を適用した後、その部分字体に重ねて包摂規準を適用することはできない。他の区点位置の字体をも包摂するような包摂規準の適用は許されない。 例示字体は、その区点位置の字体の一例にすぎず、規格が推奨する字体ではない。包摂規準は、一般に用いられている漢字とこの規格の区点位置との対応づけのためのみに用いるものとされている。規格は、例示字体および包摂規準に基づいて一般に用いられていない字体を創作することのないように求めている。 漢字集合の漢字は、完全に一貫した包摂規準に基づいて選ばれてはいない。例えば、41区7点は、第3画および第4画が交わる「彥」にも交わらない「彦」にも対応している (包摂規準連番72)のに対して、20区73点は第3画および第4画が交わらない「顔」のみに対応し、80区90点は第3画および第4画が交わる「顏」のみに対応している。 包摂、包摂規準および例示字体という用語は、第4次規格で採用されたものである。第1次規格から第3次規格までの規格票解説は、漢字と漢字との関係を、独立、対応および同値の3種類に分け、同値と認められた文字を「ただ一つの符号に合併する」と説明していた。同値には、「まったく同形と認めるもの」のほかに、「書体等の違いと認めるもの」および「字形の違いがわずかであると認めるもの」が含まれていた。 第1次規格には「この規格では......字形の詳細は定めない」と規定されていて(細分箇条3.1)、その規格票解説は「この規格は、文字概念とその符号を定めることを本旨とし、その他字形設計等のことは範囲としない」と述べていた(引用にあたって、原文のコンマを読点に改めた)。第2次規格および第3次規格にも、具体的字形設計を適用範囲としない旨が備考として示されていた(箇条1の備考)。第4次規格も、「この規格は、図形文字及びそのビット組合せを規定するもので、用途、個々の図形文字の具体的字形設計などは、この規格の適用範囲とはしない」と規定している(JIS X 0208:1997箇条1。引用にあたって、原文のコンマを読点に改めた)。 第4次規格には、過去の規格との互換性を維持するための包摂規準が定められている。これは、JIS C 6226-1983以降の字体がJIS C 6226-1978の字体と大きく異なる29の区点位置に限って適用される。29の区点位置について、JIS C 6226-1983以降の字体に相当する字体がAとして、JIS C 6226-1978の字体に相当する字体がBとして示されている。これらの区点位置については、区点位置ごとに、AまたはBのいずれの字体を採用してもよい。ただし、規格への適合性を主張するためには、区点位置ごとにAまたはBのいずれの字体を採用したかを、文書に明示しなければならない。 JIS X 0208:1997では、規格票本体の箇条7ならびに附属書1および2において、つごう8種類の符号が規定されている。 第4次規格に規定されたこれらの符号化文字集合のうち、IANAに登録されているものは、シフト符号化文字集合のみである。 漢字集合を符号拡張法のもとで使うこともできる。各Gバッファに漢字集合を指示するためのエスケープシーケンスはつぎのとおりである。ここで、ESCは制御文字ESCAPEである。 この規格の漢字集合をISO/IEC 646の国際基準版図形文字集合またはJIS X 0201のラテン文字用図形文字集合と組み合わせて使用するとき、両方の文字集合に共通して含まれる文字の扱いが問題となる。特別な措置がなければ、共通して含まれる文字は、1文字につき複数の符号位置が与えられる、すなわち、重複符号化(ちょうふくふごうか)されることになる。 JIS X 0208:1997は、両方の文字集合に共通して含まれる文字について、2個の符号位置のうちの一方である漢字集合の符号位置の使用を基本的に禁じて、重複符号化を排除している。同じ名前を有する文字が同じ文字と判断される。 例えば、ISO/IEC 646の国際基準版図形文字集合のビット組合せ4/1に対応する文字の名前も、漢字集合の3区33点に対応する文字の名前も、LATIN CAPITAL LETTER Aである。国際基準版・漢字用8ビット符号では、ビット組合せ4/1によっても、漢字集合の3区33点に対応する2バイトのビット組合せ10/3 12/1によっても、「A」すなわちLATIN CAPITAL LETTER Aを表現できることになる。規格はビット組合せ10/3 12/1の使用を禁じて、重複符号化を排除しようとしている。 漢字集合の符号位置の文字を「全角文字」として、国際基準版文字集合またはラテン文字用図形文字集合の文字と異なる文字として扱ってきた実装があることに配慮して、過去との互換のためにのみ、漢字集合の符号位置の使用が許される。例えば、過去との互換のために、国際基準版・漢字用8ビット符号の10/3 12/1には、「全角のA」が対応していると見なすことが許される。 漢字集合を国際基準版図形文字集合またはラテン文字用図形文字集合と併用すると、規格に忠実に従っても、文字の一意な符号化は保証されない。例えば、国際基準版・漢字用8ビット符号では、ハイフンをビット組合せ2/13の文字HYPHEN-MINUSで表現することも、漢字集合1区30点にあたるビット組合せ10/1 11/14の文字HYPHENで表現することも、いずれも正当である。そして、規格が両者の使い分けを決めていない以上、ハイフンは一意に符号化されない。同様のことが負符号、引用符などについても生じる。 「全角スペース」と通称される1区1点の文字IDEOGRAPHIC SPACE(日本語通用名称は「和字間隔」)および「半角スペース」と通称される2/0の文字SPACE(日本語通用名称は「間隔」)は、漢字集合を単独で使用する符号においても共存している。JIS X 0208においては両者がどのように異なるのかは規格に定められていなかったが、JIS X 4051「日本語文書の組版方法」において明確に規格化され2/0の文字SPACEは欧文の単語間の間隔に用いるスペース、1区1点の文字IDEOGRAPHIC SPACEは和字間隔として和字(日本語文字)の空き量を示すスペースと規定された。 一つのJISが制定、確認または改正されてから5年を経過するまでに、その規格の確認、改正または廃止の手続がとられる。制定以来4度の改正を経て、現在、第5次規格が有効である。 第1次規格は、通商産業大臣が1978年1月1日に制定したJIS C 6226-1978 情報交換用漢字符号系 (Code of Japanese graphic character set for information interchange) である。78JISとも呼ばれる。工業技術院の委託を受け、日本情報処理開発協会漢字符号標準化調査研究委員会が原案を作成した。委員長は森口繁一であった。 特殊文字は108文字、第2水準漢字は3,384文字であり、罫線素片が含まれなかった。したがって、漢字集合は、非漢字453文字および漢字6,349文字の合計6,802文字からなっていた。規格票は写研の石井明朝体で印刷された。 第2次規格は、1983年9月1日に第1次規格を改正したJIS C 6226-1983 情報交換用漢字符号系 (Code of Japanese graphic character set for information interchange) である。83JISとも呼ばれる。工業技術院の委託を受け、日本情報処理開発協会漢字符号系JIS委員会が原案を作成した。委員長は元岡達であった。 第2次規格の原案は、常用漢字表の公布、人名用漢字別表の施行、郵政省による日本語テレテックス標準化の検討などをふまえ、JIS C 6234-1983 ドットプリンタ用24ドット字形(現在のJIS X 9052)の原案作成と歩調を合わせて、つぎの変更がおこなわれた。 約300文字の字形の変更のうちには、第1次規格の字体がいわゆる康熙字典体であったものを、異体字、とりわけ略字(拡張新字体)に変更したものがあった。例えば、字形が大きく変わったためによく批判の材料にされたのが、18区10点の「鴎」および38区34点の「涜」である。 いわゆる康熙字典体からその異体字への変更としては、もっと小さなものが多かった。例えば、25区84点の「鵠」である。第1次規格の字体が康熙字典体でなかったものを、いわゆる康熙字典体に変更したものもあった。例えば、80区49点の「靠」である。 これらは、第1次規格の設計意図を明らかにするために第4次規格で示された包摂規準によって包摂される範囲内となった。例に挙げた「鵠」および「靠」についての変更前後の字体差は、部分字体「告」についての包摂規準(連番42) の範囲内である。 字形の変更の基準は第1水準漢字と第2水準漢字で違ったものになっている。具体的に言えば、略字化は第1水準漢字のほうが第2水準漢字よりも進んでおり、第1水準漢字の「溌」や「醗」は略字化されているが第2水準漢字の「撥」は略字化されていないといった違いがある。前述の「鵠」と「靠」についても「鵠」は第1水準漢字、「靠」は第2水準漢字といった違いがある。もっとも、第2水準漢字でも字形が変更されたものもあり、「戸」を含む文字や「冬」を含む文字などは第1水準漢字、第2水準漢字の違いなく変更されている。 しかしながら、先に挙げた「鴎」、「涜」など29の区点位置については、第4次規格では、第1次規格の設計意図と矛盾するものとされた。これらは、第4次規格において「過去の規格との互換性を維持するための包摂規準」を適用する区点位置になっている。 JISに分類記号「X」の情報部門が新設されたのにともなって、第2次規格は、1987年3月1日にJIS X 0208-1983に移行した。 第3次規格は、1990年9月1日に第2次規格を改正したJIS X 0208-1990 情報交換用漢字符号 (Code of Japanese graphic character set for information interchange) である。90JISとも呼ばれる。工業技術院の委託を受け、日本規格協会JIS X 0208情報交換用漢字符号系改正原案作成委員会が原案を作成した。委員長は田嶋一夫であった。 225文字の漢字の字体が変更され、第2水準に「凜」および「熙」の2文字が追加された。字体の変更のうちの一部および2文字の追加は、1990年3月に人名用漢字別表に追加された118文字に対応するためであった。規格票は平成明朝体で印刷された。 第4次規格は、1997年1月20日に第3次規格を改正したJIS X 0208:1997 7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化漢字集合 (7-bit and 8-bit double byte coded KANJI sets for information interchange) である。97JISとも呼ばれる。工業技術院の委託を受け、日本規格協会符号化文字集合調査研究委員会が原案を作成した。委員長は芝野耕司であった。 この改正の基本方針は、文字集合に対する変更をおこなわず、曖昧な規定を明確にし、より使いやすい規格とすることであった。文字の追加、削除または区点位置入れかえはおこなわれず、例示字体も一切変更されなかった。ただし、規格票は全面的に書き直され、補充された。第3次規格の規格票は解説を除いて65ページであったのに対して、第4次規格の規格票は解説を除いて374ページとなった。 改正の要点は以下にまとめられる。 第5次規格は、2012年2月20日に第4次規格を改正したJIS X 0208:1997/AMENDMENT 1:2012 7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化漢字集合(追補1) 7-bit and 8-bit double byte coded KANJI sets for information interchange (Amendment 1) である。2010年11月30日の常用漢字表改定に対応して、引用例の変更、附属書6の[常]の削除、附属書12の追加がなされた。なお、JIS X 0213と異なるマッピングが記載されており、そのため、解説にてJIS X 0208規格のJIS X 0213規格への将来的な統合方針が記載された。 JIS X 0213(拡張漢字)は「JIS X 0208が当初符号化を意図していた現代日本語を符号化するために十分な文字集合を提供することを目的として」設計され、JIS X 0208の漢字集合を拡張した文字集合を規定する。JIS X 0213の原案作成者たちは、JIS X 0213の利点として、印刷標準字体への対応、新しい人名用漢字への対応などを挙げ、JIS X 0208からJIS X 0213への移行を推奨している。 JIS X 0213の原案作成者たちの期待に反して、2000年の制定以来しばらく、JIS X 0213の普及は進まなかった。JIS X 0213:2004の原案作成委員会は、2004年に「“大半の情報機器で共通に利用できるのはJIS X 0208だけ”という状態が続いている」と書いた(JIS X 0213:2000/追補1:2004解説2.9.7)。 パーソナルコンピュータ用OSとして圧倒的なシェアを有するWindowsは、2006年11月にリリースされたWindows VistaでJIS X 0213のレパートリに対応した。macOSはすでに、2001年にリリースされたバージョン10.1以降、JIS X 0213に対応しており、Linuxの多くも、JIS X 0213に対応できるようになっている。したがって、今後は、Windows Vistaおよびその後継OSの普及とともに、パーソナルコンピュータではJIS X 0213のレパートリを問題なく使用できるようになってゆくと考えられる。 JIS X 0213の原案作成者の中には、JIS X 0213の普及の先に、JIS X 0213とJIS X 0208との統合を構想する者もいるという(佐藤 2004)。 しかしながら、JIS X 0208が今後も利用され続け、規格として存続し続けることを予測させる事実も、多く挙げられる。 第1に、日本の携帯電話(フィーチャーフォン)に採用される文字のレパートリは、現在のところJIS X 0208を基本としたものである。これをJIS X 0213に対応するものへと移行させる計画は、まったく公表されていない。結果的にスマートフォンの普及と、フィーチャーフォンの衰退によるガラホへの置き換えによって実現することになった。 第2に、後述するように、JIS X 0213は厳密にはJIS X 0208の上位互換ではない。総合目録データベースなど、JIS X 0208を採用してその包摂規準に忠実に従ってきた大規模なデータベースを、データの一貫性を保ったままJIS X 0213に対応させることは困難と考えられる。 第3に、多くのシステムが、JIS X 0208の空き領域に外字を定義して使っているという現実がある。例えば、WindowsではIBM拡張文字やユーザ定義文字用の領域、携帯電話では絵文字が割り当てられている。外字の符号位置がJIS X 0213の符号が利用する符号位置と衝突するため、これらのシステムをJIS X 0208からJIS X 0213へ移行させるのは困難である。UCS/Unicodeへ移行させて、その上でJIS X 0213のレパートリを使うことも一案であるが、システム管理者は、UCS/Unicodeのサロゲートペア(代用対)や文字合成の実装が十分に安定したと判断できるまで、それらの実装を要するJIS X 0213のレパートリの採用を躊躇するだろう。 以下に、各社によるJIS C 6226・JIS X 0208の実装を、社名の五十音順で列挙する。 前記のように、漢字集合はISO/IEC 646国際基準版 (IRV) 図形文字集合の上位互換ではない。漢字集合および国際基準版図形文字集合は、JIS X 0208に規定された国際基準版・漢字用7ビット符号または国際基準版・漢字用8ビット符号によって、ともに利用できる。EUC-JPによっても、ともに利用できる。 漢字集合はJIS X 0201のラテン文字用図形文字集合に含まれる2/2「QUOTATION MARK」、2/7「APOSTROPHE」および2/13「HYPHEN-MINUS」を欠いている。漢字集合はJIS X 0201の片仮名用図形文字集合に含まれるすべての文字を含んでいる。 漢字集合およびラテン文字用図形文字集合は、JIS X 0208に規定されたラテン文字・漢字用7ビット符号またはラテン文字・漢字用8ビット符号によって、ともに利用できる。漢字集合、ラテン文字用図形文字集合およびJIS X 0201の片仮名用図形文字集合は、JIS X 0208に規定されたシフト符号化文字集合 (Shift_JIS) によって、ともに利用できる。漢字集合および片仮名用図形文字集合は、EUC-JPによって、ともに利用できる。 JIS X 0212(補助漢字)は、JIS X 0208に含まれない文字を必要とする情報交換のために、JIS X 0208の補助としての文字およびその符号を規定する。JIS X 0212は、JIS X 0208が非漢字として1区26点に収録している「〆」を漢字として16区17点に収録している。JIS X 0208の第2次規格が字形を変更した区点位置のうち、28区点位置の変更前の字形に相当する文字を収録している。これらのほかに、JIS X 0208と共通する文字は収録していない。 JIS X 0208およびJIS X 0212は、EUC-JPによって、ともに利用できる。JIS X 0208およびJIS X 0212は、UCS/UnicodeのCJK統合漢字の原規格となっているので、UCS/Unicodeを使って両規格の漢字を共存させることができる。 ただし、JIS X 0208の第4次規格には、JIS X 0212との関連について一切規定されていない。これは、JIS X 0208の第4次規格の原案作成委員会に、JIS X 0212の文字の選定方法および同定方法に批判的な意見があったからと考えられる。例えば、第4次規格の原案作成委員会の委員長をつとめた芝野耕司 (1997a) は、補助漢字の選定方法は「JIS X 0208の文字集合選定の表層的理解に基づくものであり、間違った理解である」「1万字を越える水準の文字集合の検討としては、大きな問題がある」と述べている(引用するにあたって、原文のコンマを読点に改めた)。 第4次規格の規格票解説は、JIS X 0212の文字同定の問題点を指摘したうえで、「文字同定が不可能である以上、共同運用も不可能と考え、JIS X 0212との関連については、一切規定しないこととした」と述べている(解説3.3.1。引用にあたって、原文のコンマを読点に改めた)。 JIS X 0213(拡張漢字)は、JIS X 0208の漢字集合を拡張した漢字集合を規定する。規格票解説によれば、この文字集合は「JIS X 0208が当初符号化を意図していた現代日本語を符号化するために十分な文字集合を提供することを目的として設計された」ものである。 JIS X 0208とJIS X 0213は併用されない。JIS X 0213の漢字集合は、JIS X 0208の漢字集合で表現できるすべての文字を含む、非漢字1,183文字および漢字10,050文字の合計11,233文字からなり、JIS X 0213に規定された符号で運用される。 JIS X 0213は一見するとJIS X 0208に規定された符号化文字集合の上位互換な符号化文字集合を規定または参考として提供しているように見える。しかし厳密にはJIS X 0213はJIS X 0208の上位互換ではない。これはJIS X 0213の原案作成委員会も認めるところである(JIS X 0213:2000規格票解説5.3.2、JIS X 0213:2000/追補1:2004規格票解説3.2.2)。 JIS X 0213がJIS X 0208の上位互換でないというのは、JIS X 0213ではJIS X 0208の一部の区点位置について包摂分離がおこなわれたというところによる。すなわちJIS X 0208において明示的に包摂されて一つの区点位置で表現されていた相異なる字体に対し、JIS X 0213ではそれぞれ独立の面区点位置が与えられている場合がある。このため、JIS X 0208の符号によって符号化されたデータがJIS X 0213の符号に変換できないことがある。 例えばJIS X 0208の33区46点(僧)には、「人偏に曽」の字体、「人偏に曾(第1画および第2画は「八」)」の字体および「人偏に曾(第1画および第2画は「ソ」)」の字体が包摂されている。JIS X 0213ではこれについて包摂分離をおこない、1面33区46点に「人偏に曽」および「人偏に曾(第1画および第2画は「ソ」)」を包摂して、1面14区41点を「人偏に曾(第1画および第2画は「八」)」とした。したがってJIS X 0208の33区46点をJIS X 0213に移す際に、1面33区46点と1面14区41点のいずれに移すべきかが機械的には定められない。 もっとも、現実にはJIS X 0208のm区n点とJIS X 0213の1面m区n点を一対一に対応させることがおこなわれていて、それによって大きな混乱は生じていない。大きな混乱がない理由としては、多くの書体がJIS X 0208の例示字体にならった字体を採用してきたこと、利用者の多くが包摂規準の存在を意識していないことなどが考えられる。 JIS X 0208の漢字はISO/IEC 10646 (UCS) およびUnicodeのCJK統合漢字の当初からの原規格である。JIS X 0208のすべての漢字が、UCS/Unicodeの基本多言語面のいずれかの符号位置に対応する。 JIS X 0208の非漢字も、すべて、基本多言語面のいずれかの符号位置に対応する。ただし、一部の特殊文字について、JIS X 0208:1997で与えられた文字の名前に基づくUCS/Unicodeとの対応とは異なる対応を実装しているシステムもある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "JIS X 0208は、日本語表記、地名、人名などで用いられる6,879図形文字を含む、主として情報交換用の2バイト符号化文字集合を規定する日本産業規格 (JIS) である。現行の規格名称は7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化漢字集合 (7-bit and 8-bit double byte coded KANJI sets for information interchange) である。1978年にJIS C 6226として制定され、1983年、1990年および1997年に改正された。JIS漢字コード、JIS漢字、JIS第1第2水準漢字、JIS基本漢字などの通称がある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "JIS X 0208が定める文字集合は、主として、データ処理システムおよび関連する装置の間またはデータ通信システム相互の間の情報交換 (information interchange) に用いるための文字集合である。この文字集合はデータ処理および文書処理にも利用できる。", "title": "適用範囲および適合性" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "文字集合の部分実装は規格に適合しない。第1次規格の原案作成委員会が第1水準および第2水準への振り分けに気をつかったこと、第2次規格で一部の異体字の水準間の入れかえがおこなわれたことなどからすると、少なくとも第1次規格および第2次規格では、非漢字および第1水準漢字のみの実装が想定されたと推測される。しかし、このような実装が規格に適合すると明記されたことはない。", "title": "適用範囲および適合性" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "かつてはJIS X 0208:1997の規格票には適合性について規定されているにもかかわらず、この規格は適合性認証または自己適合宣言の対象となる製品規格ではないと考えられていた。だが2009年現在では経済産業省およびJISCが「国がJISマーク表示制度の対象となる商品等を限定する指定商品制を廃止し、認証可能なJIS製品規格がある製品が対象となります」と明言しているため、適合性について規定のあるJIS X 0208:1997も適合性認証または自己適合宣言の対象となると考えられる。", "title": "適用範囲および適合性" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "JIS X 0208の符号は、基本的に7ビット2バイト符号または8ビット2バイト符号である。ただし、図形文字 (graphic character) のうちの1文字「SPACE」およびすべての制御文字 (control character) は1バイトで表現される。符号位置を表現するために、「列番号/行番号」および「区点番号」が使用される。符号に依存しない文字の識別手段として「文字の名前」が用意されている。", "title": "符号の構造" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1バイト符号のビット組合せ (bit combination) を表現するために、列番号/行番号が用いられる。これは1バイトの16進数表記(00からFF)の上の桁と下の桁に相当する。具体的には、7ビットの上位3ビットまたは8ビットの上位4ビットを十進整数の0から7または0から15に対応させて、この数字を列番号とし、下位4ビットを十進整数の0から15に対応させて、この数字を行番号とする。", "title": "符号の構造" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "例えば、図形文字SPACEに対応するビット組合せは、7ビット符号で010 0000、8ビット符号で0010 0000である。これは、列番号/行番号によって2/0と表現される。", "title": "符号の構造" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2バイト符号のうち、2バイトの第1バイトを同じくする符号の集合を、区 (row) といい、一つの区のうちの個々の符号を、点 (cell) という。ある区のある点のことを、区点位置 (code-point) と呼ぶ。", "title": "符号の構造" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2バイトの第1バイトおよび第2バイトには、それぞれ、列番号/行番号で表示して2/1から7/14までの94通りのビット組合せが許される。したがって、区は94個あり、一つの区には、94個の点がある。区点位置は94×94=8,836個ある。", "title": "符号の構造" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "区点位置は区点番号によって参照される。それぞれの区に1から94までの番号を与え、それぞれの区のうちの点に1から94までの番号を与える。そして、区点番号を、区の番号と点の番号によって「何区何点」と表現するか、区の番号と点の番号をハイフンでつないで表現する。例えば、文字「亜」の区点位置は、区点番号によって16区1点または16-01と参照される。", "title": "符号の構造" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "区点番号と図形文字との対応は、規格の付属書3において、区の番号を縦軸に、点の番号を横軸に取った94×94の図形文字符号表で示されている。", "title": "符号の構造" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "この構造は、中国のGB 2312や韓国のKS C 5601(現在のKS X 1001)でも採用された。", "title": "符号の構造" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "2バイト符号のうち、9区から15区までおよび85区から94区までは空き領域 (unassigned code-points)、すなわち文字が規定されていない区点位置である。それ以外の区のうちでも一部の点は空き領域となっている。", "title": "符号の構造" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "空き領域は基本的に使用してはならない区点位置である。情報交換の当事者の合意があるときを除いて、空き領域に文字(外字)を割り当てて情報交換をしてはならない。", "title": "符号の構造" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "空き領域に文字を割り当てるときにも、規格に定められた図形文字を空き領域にも割り当てたり、空き領域の複数の区点位置に同じ文字を割り当てたりしてはならない。重複符号化を排除するためである。", "title": "符号の構造" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "なお、空き領域に文字を割り当てるときには、漢字の字体についての包摂規準に注意する必要がある。例えば、25区66点には「口高」および「はしご高」が包摂されて対応している。したがって、25区66点の文字を「口高」に限定して解釈し、「はしご高」を空き領域に割り当てることは、規格に定められた図形文字を空き領域にも割り当てることになり、規格違反となる。", "title": "符号の構造" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "この規格の符号化文字には、それぞれの名前が与えられている。文字の名前を使うことによって、符号に依存しないで文字を識別することができる。文字の名前は他の符号化文字集合の規格と整合して決められているので、ある符号化文字集合に含まれるある文字が、別の符号化文字集合に含まれるある文字と同一の文字であるか否かは、それらの名前が同一であるか否かで判断できる。", "title": "符号の構造" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "例えば、ISO/IEC 646の列番号/行番号で4/1の文字の名前も、この規格の3区33点の文字の名前も、同じくLATIN CAPITAL LETTER Aである。したがって、ISO/IEC 646の4/1の文字およびこの規格の3区33点の文字は、同じ文字であると結論できる。またISO/IEC 646国際基準版の2/2「QUOTATION MARK」、2/7「APOSTROPHE」、2/13「HYPHEN-MINUS」および7/14「TILDE」は、この規格にはない文字であることがわかる。", "title": "符号の構造" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "漢字以外の文字の名前に用いられる文字は、ラテン文字大文字、間隔およびハイフンである。漢字以外の文字には日本語通用名称も与えられているが、日本語通用名称は参考であって規定の一部ではない。", "title": "符号の構造" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "漢字の名前は、対応する国際符号化文字集合 (UCS) の文字の16進表記の符号化表現から機械的に決められている。符号化表現の先頭に「CJK UNIFIED IDEOGRAPH-」を冠することで、漢字の名前が得られる。例えば、16区1点「亜」はUCSの4E9Cの文字に対応するので、この文字の名前はCJK UNIFIED IDEOGRAPH-4E9Cである。漢字には日本語通用名称は与えられていない。", "title": "符号の構造" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "JIS X 0208が規定する、7ビット2バイトまたは8ビット2バイトの符号に対応する6,879の図形文字の集合を、JIS X 0208では漢字集合 (Kanji set) と呼ぶ。漢字集合には、漢字6,355文字およびラテン文字、平仮名などの524文字の非漢字が含まれる。漢字集合に含まれる図形文字およびそれが収められる区は、つぎのとおりである。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "漢字集合の特殊文字には、ISO/IEC 646の国際基準版 (IRV) 図形文字集合に含まれる一部の文字が欠けている。前述のQUOTATION MARK、APOSTROPHE、HYPHEN-MINUSおよびTILDEの4文字である。IRVのQUOTATION MARK、APOSTROPHEおよびHYPHEN-MINUSは、表のように、漢字集合では複数の区点位置に分離されている(西村 1978、JIS X 0221-1:2001規格票解説3.8.7)。IRVのTILDEは、漢字集合のどの文字とも対応づけられない。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "これは、漢字集合が世界で最も普及している符号化文字集合の上位互換でないことを意味し、この規格の欠点の1つに数えられる。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "漢字集合およびIRVの集合に共通する特殊文字、数字およびラテン文字90文字についても、この規格では、ISO/IEC 646の配列を踏襲していない。90文字は漢字集合の1区から4区までに分かれて収録されている。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "「漢字集合の数字、ラテン文字などは『全角英数字』であって、IRVの文字とは異なる」との解釈に基づく実装が発生・普及した原因は、これらの非互換性のためだと考えられる。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "第1次規格以来、丸付き数字や「キロ」「メートル」などの合字およびローマ数字は、文字の合成によって表現できるとされ、独立した区点位置を与えられなかった。情報機器を製造する各社は、顧客が必要とするこれらの文字を、文字の合成により表現できるようにするのでも、規格に追加するよう求めるのでもなく、外字として独自に提供する道を選んだ。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1997年の第4次規格では、すべての文字が現在位置の前進動作を伴う文字すなわちスペーシング文字 (spacing character) であることが明確にされたうえ、文字の合成をおこなってはならないと規定された。このため、ダイアクリティカルマークつきのラテン文字は、2区82点のオングストローム (Å) を唯一の例外として、表現できないことになった。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "JIS X 0208の平仮名および片仮名においては、JIS X 0201の片仮名に含まれない濁点つきの仮名および半濁点つきの仮名が含まれる。JIS X 0201の片仮名に含まれない「ヰ」「ヱ」および「ヮ」も含まれる。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "JIS X 0208の仮名の配列は、JIS X 0201の片仮名の配列と異なっている。JIS X 0201では、小文字(小書きの仮名)は小文字で、大文字(清音の文字)は大文字で、それぞれ五十音順に配列されている(ヲァィゥェォャュョッーアイウエオ......ラリルレロワン)。一方、JIS X 0208では、小文字、大文字、濁点つきの文字および半濁点つきの文字を一括して五十音順で、五十音順で同順位の場合は小文字、大文字、濁点つきの文字、半濁点つきの文字の順序で、配列されている(ぁあぃいぅうぇえぉお......っつづ......はばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽ......ゎわゐゑをん)。この配列は、仮名文字列の簡易的な辞書順ソートを容易にするために採用された(安岡ほか 2006)。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "この規格には、先に制定されたJIS X 0201の片仮名の配列が踏襲されなかった。JIS X 0201の片仮名を「半角仮名」(「半角カタカナ」とも呼ばれる)として、この規格の片仮名と区別する実装が発生した原因は、この非互換性にあると考えられる。その点もこの規格の欠点の一つである。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "この規格の漢字が、何を典拠としてどのように選ばれ、何に基づいて第1水準および第2水準に振り分けられ、どのように配列されたかは、1997年の第4次規格の規格票の解説に詳しい。それによると、つぎの4つの漢字表に含まれる漢字が、1978年の第1次規格の6,349文字に採用された。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "第2次規格および第3次規格で、それぞれ4文字および2文字の第2水準漢字が追加され、漢字は6,355文字になった。第2次規格では字形の変更および水準間の漢字の入れ替えが行われ、第3次規格でも字形の変更が行われた。これについては後述する。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "第1水準は、当用漢字字体表、当用漢字補正案および人名用漢字別表を基本として、多種の漢字表に共通して出現する文字が選ばれた。JIS C 6260(都道府県コード、現在のJIS X 0401)およびJIS C 6261(市区町村コード、現在のJIS X 0402)を参照して、都道府県名および市区町村名に使用される漢字がすべて第1水準に含まれるように意図された。さらに専門家による調整が加えられた。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "しかし安岡 (2001a) によれば作業漏れがあったようで、安岡は印旛郡、印旛村の「旛」(58-57) および泗水町の「泗」(61-89) が第1水準に含まれていないことを指摘している。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "第2水準には、上記の主要4漢字表に出現して第1水準から漏れた漢字が収められた。次に記すように、第1水準は漢字の音訓に基づいて並べられたので、音訓がわかりにくい漢字の中には第1水準から第2水準にまわされたものもある(西村 1978)。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "一般的に第1水準は使用頻度の高い漢字、第2水準は使用頻度の低い漢字とされるが、水準分けはもちろんJIS漢字制定当時の基準であるので、時代の流れによって今日では「翔」や「煌」といった第2水準だがよく使われるようになった漢字、逆に「糎」や「粍」といった第1水準だがあまり使われなくなった漢字も多数存在する。人名用漢字別表にはJIS漢字制定後に追加されたものの中には第2水準のものもいくつか存在する。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "実際の人名が収録されたと思われた『日本生命収容人名漢字』は選定に寄与したとされるが、秋田県に多い苗字である草彅の「彅」が含まれていないなど網羅性に不備があったとされる。参照時点で原典が存在せず転記となっているなど正確性も不明であった。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1990年代以降はほとんどのシステムで第2水準漢字まで使えるようになり、文字コードもUnicodeへ移行しつつあるため、使用したい漢字が第1水準か第2水準か気にする必要はほとんどなくなった。しかし、数千字もある漢字フォントを作るには、相当の手間と時間がかかるため、フリーのフォントなどでは一部の漢字しか収録しないことがある。その際、水準を基準にして収録するかしないかを決めることもある(第1水準しか収録していないフォントもある)。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "第1水準漢字は、この規格独自の代表音訓、すなわち各漢字についてそれぞれ一つずつ定めた音または訓、の順に配列された。原則として、音が代表音訓とされ、音が複数ある(異表記の漢音・呉音・唐音など)漢字については「使用度が優勢」と判断された音が代表音訓として採用された(JIS C 6226-1978規格票解説3.4)。音が存在しないか一般的でない漢字については、訓が代表音訓とされた。動詞の訓を代表音訓とするときは、終止形ではなく連用形が代表音訓とされた。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "例えば、16区1点から41点までに代表音訓が「あ」で始まる41文字が配列されている。このうち、「葵」(キ、あおい、16-10)、「粟」(ゾク、ショク、あわ、16-32) など22文字は訓を代表音訓としている。「逢」(ホウ、あい、16-09)、「扱」(ソウ、キュウ、あつかい、16-23)などは動詞の連用形が代表音訓とされた例である。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "代表音訓を同じくする漢字の中では、音を代表音訓とする漢字が先に、訓を代表音訓とする漢字が後に並べられ、音または訓を同じくする漢字の中では、部首および画数の順に並べられた。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "第1水準にあっても第2水準にあっても、異体字は基本的に親字の直後にまとめて配列された。例えば、第2水準において、49区88点の「劍」の直後には、原則である画数順を乱して「劔」、「劒」および「剱」が配列されている。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "第2水準漢字集合は、部首および画数の順に配列された。部首および画数を同じくする漢字の中では、五十音順に並べられた。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "従来、漢字集合に一般の漢和辞典に見られない漢字が含まれていて、その典拠が不明であることが指摘されていた。例えば、第1次規格制定の1年後には、田嶋一夫(1979)が、『新字源』にも『大漢和辭典』にも見られず、略字としても把握できない漢字を63文字認めたことを報告し、「漢和辞典で確認できない漢字が、確かな基準で選択されたものであることを望む」とした。これらの漢字はやがて、幽霊文字、幽霊漢字などと称されるようになった。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "第4次規格の原案作成委員会も、典拠不明の漢字の存在を問題視し、第1次規格の原案作成委員会がいかなる資料を参照したかを調査した。その結果、第1次規格の原案作成委員会が『対応分析結果』に大きく依拠して漢字を収集していたことが判明した。第4次規格の原案作成委員会が『対応分析結果』を入手して検討したところ、一般の漢和辞典に見られないにもかかわらず漢字集合に含まれている漢字の多くが、『対応分析結果』において『日本生命収容人名漢字』または『国土行政区画総覧使用漢字』とされていることがわかった。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "『日本生命収容人名漢字』については、『対応分析結果』が参照した原典が現存しないことが判明した。『国土行政区画総覧』については、第4次規格の原案作成委員会に加わった笹原宏之が、第1次規格開発当時の版の全ページに出現する漢字を調査した。委員会はまた、多くの古字書を参照し、NTTの電話帳データベースでの人名用例を調査した。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "このような委員会の徹底的な調査によっても、委員会は、表に示す12の漢字の典拠について確信を持つことはできなかった。これらのうちには、誤写による誤字体と推測されているものが多い。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "1997年の第4次規格の定義によれば、包摂(ほうせつ、unification)とは、複数の字体を区別せずに、それらに同一の区点位置を与えることである。第4次規格では、漢字の字体にかぎって、包摂する字体の範囲を明確に定めている。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "なお、規格の定義によれば、字体 (ZITAI) は、図形文字の図形表現としての形状についての抽象的概念であり、字形 (ZIKEI) は、字体を手書き、印字、画面表示などによって実際に図形として表現したものである。一つの字体には無数の具体的かつ可視的な字形が存在する。一つの字体についての字形の異なりはデザインの差である。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "ひとつの区点位置に包摂される字体の範囲は、その区点位置の例示字体およびその例示字体に適用することができる包摂規準によって決まる。すなわち、ある区点位置の例示字体は、その区点位置に対応する。そして、例示字体において、例示字体を構成する部分字体を包摂規準にしたがって置き換えたものも、その区点位置に対応する。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "例えば、33区46点(僧)の例示字体として、「人偏に曽」が示されている。そして、包摂規準連番101には、部分字体「曽」、「曾(第1画および第2画は「八」)」および「曾(第1画および第2画は「ソ」)」が示されている。したがって、例示字体「人偏に曽」の部分字体「曽」を「曾(第1画および第2画は「八」)」または「曾(第1画および第2画は「ソ」)」に置き換えた文字も、33区46点に対応する。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "第4次規格には、第1刷に対する正誤表で追加された一つを含めて、186個の包摂規準が定められている。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "ある区点位置の例示字体が複数の部分字体からなるときに、それぞれの部分字体について包摂規準を適用できる。一つの部分字体に包摂規準を適用した後、その部分字体に重ねて包摂規準を適用することはできない。他の区点位置の字体をも包摂するような包摂規準の適用は許されない。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "例示字体は、その区点位置の字体の一例にすぎず、規格が推奨する字体ではない。包摂規準は、一般に用いられている漢字とこの規格の区点位置との対応づけのためのみに用いるものとされている。規格は、例示字体および包摂規準に基づいて一般に用いられていない字体を創作することのないように求めている。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "漢字集合の漢字は、完全に一貫した包摂規準に基づいて選ばれてはいない。例えば、41区7点は、第3画および第4画が交わる「彥」にも交わらない「彦」にも対応している (包摂規準連番72)のに対して、20区73点は第3画および第4画が交わらない「顔」のみに対応し、80区90点は第3画および第4画が交わる「顏」のみに対応している。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "包摂、包摂規準および例示字体という用語は、第4次規格で採用されたものである。第1次規格から第3次規格までの規格票解説は、漢字と漢字との関係を、独立、対応および同値の3種類に分け、同値と認められた文字を「ただ一つの符号に合併する」と説明していた。同値には、「まったく同形と認めるもの」のほかに、「書体等の違いと認めるもの」および「字形の違いがわずかであると認めるもの」が含まれていた。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "第1次規格には「この規格では......字形の詳細は定めない」と規定されていて(細分箇条3.1)、その規格票解説は「この規格は、文字概念とその符号を定めることを本旨とし、その他字形設計等のことは範囲としない」と述べていた(引用にあたって、原文のコンマを読点に改めた)。第2次規格および第3次規格にも、具体的字形設計を適用範囲としない旨が備考として示されていた(箇条1の備考)。第4次規格も、「この規格は、図形文字及びそのビット組合せを規定するもので、用途、個々の図形文字の具体的字形設計などは、この規格の適用範囲とはしない」と規定している(JIS X 0208:1997箇条1。引用にあたって、原文のコンマを読点に改めた)。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "第4次規格には、過去の規格との互換性を維持するための包摂規準が定められている。これは、JIS C 6226-1983以降の字体がJIS C 6226-1978の字体と大きく異なる29の区点位置に限って適用される。29の区点位置について、JIS C 6226-1983以降の字体に相当する字体がAとして、JIS C 6226-1978の字体に相当する字体がBとして示されている。これらの区点位置については、区点位置ごとに、AまたはBのいずれの字体を採用してもよい。ただし、規格への適合性を主張するためには、区点位置ごとにAまたはBのいずれの字体を採用したかを、文書に明示しなければならない。", "title": "漢字集合" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "JIS X 0208:1997では、規格票本体の箇条7ならびに附属書1および2において、つごう8種類の符号が規定されている。", "title": "符号化文字集合" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "第4次規格に規定されたこれらの符号化文字集合のうち、IANAに登録されているものは、シフト符号化文字集合のみである。", "title": "符号化文字集合" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "漢字集合を符号拡張法のもとで使うこともできる。各Gバッファに漢字集合を指示するためのエスケープシーケンスはつぎのとおりである。ここで、ESCは制御文字ESCAPEである。", "title": "符号化文字集合" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "この規格の漢字集合をISO/IEC 646の国際基準版図形文字集合またはJIS X 0201のラテン文字用図形文字集合と組み合わせて使用するとき、両方の文字集合に共通して含まれる文字の扱いが問題となる。特別な措置がなければ、共通して含まれる文字は、1文字につき複数の符号位置が与えられる、すなわち、重複符号化(ちょうふくふごうか)されることになる。", "title": "符号化文字集合" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "JIS X 0208:1997は、両方の文字集合に共通して含まれる文字について、2個の符号位置のうちの一方である漢字集合の符号位置の使用を基本的に禁じて、重複符号化を排除している。同じ名前を有する文字が同じ文字と判断される。", "title": "符号化文字集合" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "例えば、ISO/IEC 646の国際基準版図形文字集合のビット組合せ4/1に対応する文字の名前も、漢字集合の3区33点に対応する文字の名前も、LATIN CAPITAL LETTER Aである。国際基準版・漢字用8ビット符号では、ビット組合せ4/1によっても、漢字集合の3区33点に対応する2バイトのビット組合せ10/3 12/1によっても、「A」すなわちLATIN CAPITAL LETTER Aを表現できることになる。規格はビット組合せ10/3 12/1の使用を禁じて、重複符号化を排除しようとしている。", "title": "符号化文字集合" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "漢字集合の符号位置の文字を「全角文字」として、国際基準版文字集合またはラテン文字用図形文字集合の文字と異なる文字として扱ってきた実装があることに配慮して、過去との互換のためにのみ、漢字集合の符号位置の使用が許される。例えば、過去との互換のために、国際基準版・漢字用8ビット符号の10/3 12/1には、「全角のA」が対応していると見なすことが許される。", "title": "符号化文字集合" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "漢字集合を国際基準版図形文字集合またはラテン文字用図形文字集合と併用すると、規格に忠実に従っても、文字の一意な符号化は保証されない。例えば、国際基準版・漢字用8ビット符号では、ハイフンをビット組合せ2/13の文字HYPHEN-MINUSで表現することも、漢字集合1区30点にあたるビット組合せ10/1 11/14の文字HYPHENで表現することも、いずれも正当である。そして、規格が両者の使い分けを決めていない以上、ハイフンは一意に符号化されない。同様のことが負符号、引用符などについても生じる。", "title": "符号化文字集合" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "「全角スペース」と通称される1区1点の文字IDEOGRAPHIC SPACE(日本語通用名称は「和字間隔」)および「半角スペース」と通称される2/0の文字SPACE(日本語通用名称は「間隔」)は、漢字集合を単独で使用する符号においても共存している。JIS X 0208においては両者がどのように異なるのかは規格に定められていなかったが、JIS X 4051「日本語文書の組版方法」において明確に規格化され2/0の文字SPACEは欧文の単語間の間隔に用いるスペース、1区1点の文字IDEOGRAPHIC SPACEは和字間隔として和字(日本語文字)の空き量を示すスペースと規定された。", "title": "符号化文字集合" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "一つのJISが制定、確認または改正されてから5年を経過するまでに、その規格の確認、改正または廃止の手続がとられる。制定以来4度の改正を経て、現在、第5次規格が有効である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "第1次規格は、通商産業大臣が1978年1月1日に制定したJIS C 6226-1978 情報交換用漢字符号系 (Code of Japanese graphic character set for information interchange) である。78JISとも呼ばれる。工業技術院の委託を受け、日本情報処理開発協会漢字符号標準化調査研究委員会が原案を作成した。委員長は森口繁一であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "特殊文字は108文字、第2水準漢字は3,384文字であり、罫線素片が含まれなかった。したがって、漢字集合は、非漢字453文字および漢字6,349文字の合計6,802文字からなっていた。規格票は写研の石井明朝体で印刷された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "第2次規格は、1983年9月1日に第1次規格を改正したJIS C 6226-1983 情報交換用漢字符号系 (Code of Japanese graphic character set for information interchange) である。83JISとも呼ばれる。工業技術院の委託を受け、日本情報処理開発協会漢字符号系JIS委員会が原案を作成した。委員長は元岡達であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "第2次規格の原案は、常用漢字表の公布、人名用漢字別表の施行、郵政省による日本語テレテックス標準化の検討などをふまえ、JIS C 6234-1983 ドットプリンタ用24ドット字形(現在のJIS X 9052)の原案作成と歩調を合わせて、つぎの変更がおこなわれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "約300文字の字形の変更のうちには、第1次規格の字体がいわゆる康熙字典体であったものを、異体字、とりわけ略字(拡張新字体)に変更したものがあった。例えば、字形が大きく変わったためによく批判の材料にされたのが、18区10点の「鴎」および38区34点の「涜」である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "いわゆる康熙字典体からその異体字への変更としては、もっと小さなものが多かった。例えば、25区84点の「鵠」である。第1次規格の字体が康熙字典体でなかったものを、いわゆる康熙字典体に変更したものもあった。例えば、80区49点の「靠」である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "これらは、第1次規格の設計意図を明らかにするために第4次規格で示された包摂規準によって包摂される範囲内となった。例に挙げた「鵠」および「靠」についての変更前後の字体差は、部分字体「告」についての包摂規準(連番42) の範囲内である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "字形の変更の基準は第1水準漢字と第2水準漢字で違ったものになっている。具体的に言えば、略字化は第1水準漢字のほうが第2水準漢字よりも進んでおり、第1水準漢字の「溌」や「醗」は略字化されているが第2水準漢字の「撥」は略字化されていないといった違いがある。前述の「鵠」と「靠」についても「鵠」は第1水準漢字、「靠」は第2水準漢字といった違いがある。もっとも、第2水準漢字でも字形が変更されたものもあり、「戸」を含む文字や「冬」を含む文字などは第1水準漢字、第2水準漢字の違いなく変更されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "しかしながら、先に挙げた「鴎」、「涜」など29の区点位置については、第4次規格では、第1次規格の設計意図と矛盾するものとされた。これらは、第4次規格において「過去の規格との互換性を維持するための包摂規準」を適用する区点位置になっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "JISに分類記号「X」の情報部門が新設されたのにともなって、第2次規格は、1987年3月1日にJIS X 0208-1983に移行した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "第3次規格は、1990年9月1日に第2次規格を改正したJIS X 0208-1990 情報交換用漢字符号 (Code of Japanese graphic character set for information interchange) である。90JISとも呼ばれる。工業技術院の委託を受け、日本規格協会JIS X 0208情報交換用漢字符号系改正原案作成委員会が原案を作成した。委員長は田嶋一夫であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "225文字の漢字の字体が変更され、第2水準に「凜」および「熙」の2文字が追加された。字体の変更のうちの一部および2文字の追加は、1990年3月に人名用漢字別表に追加された118文字に対応するためであった。規格票は平成明朝体で印刷された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "第4次規格は、1997年1月20日に第3次規格を改正したJIS X 0208:1997 7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化漢字集合 (7-bit and 8-bit double byte coded KANJI sets for information interchange) である。97JISとも呼ばれる。工業技術院の委託を受け、日本規格協会符号化文字集合調査研究委員会が原案を作成した。委員長は芝野耕司であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "この改正の基本方針は、文字集合に対する変更をおこなわず、曖昧な規定を明確にし、より使いやすい規格とすることであった。文字の追加、削除または区点位置入れかえはおこなわれず、例示字体も一切変更されなかった。ただし、規格票は全面的に書き直され、補充された。第3次規格の規格票は解説を除いて65ページであったのに対して、第4次規格の規格票は解説を除いて374ページとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "改正の要点は以下にまとめられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "第5次規格は、2012年2月20日に第4次規格を改正したJIS X 0208:1997/AMENDMENT 1:2012 7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化漢字集合(追補1) 7-bit and 8-bit double byte coded KANJI sets for information interchange (Amendment 1) である。2010年11月30日の常用漢字表改定に対応して、引用例の変更、附属書6の[常]の削除、附属書12の追加がなされた。なお、JIS X 0213と異なるマッピングが記載されており、そのため、解説にてJIS X 0208規格のJIS X 0213規格への将来的な統合方針が記載された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "JIS X 0213(拡張漢字)は「JIS X 0208が当初符号化を意図していた現代日本語を符号化するために十分な文字集合を提供することを目的として」設計され、JIS X 0208の漢字集合を拡張した文字集合を規定する。JIS X 0213の原案作成者たちは、JIS X 0213の利点として、印刷標準字体への対応、新しい人名用漢字への対応などを挙げ、JIS X 0208からJIS X 0213への移行を推奨している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "JIS X 0213の原案作成者たちの期待に反して、2000年の制定以来しばらく、JIS X 0213の普及は進まなかった。JIS X 0213:2004の原案作成委員会は、2004年に「“大半の情報機器で共通に利用できるのはJIS X 0208だけ”という状態が続いている」と書いた(JIS X 0213:2000/追補1:2004解説2.9.7)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "パーソナルコンピュータ用OSとして圧倒的なシェアを有するWindowsは、2006年11月にリリースされたWindows VistaでJIS X 0213のレパートリに対応した。macOSはすでに、2001年にリリースされたバージョン10.1以降、JIS X 0213に対応しており、Linuxの多くも、JIS X 0213に対応できるようになっている。したがって、今後は、Windows Vistaおよびその後継OSの普及とともに、パーソナルコンピュータではJIS X 0213のレパートリを問題なく使用できるようになってゆくと考えられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "JIS X 0213の原案作成者の中には、JIS X 0213の普及の先に、JIS X 0213とJIS X 0208との統合を構想する者もいるという(佐藤 2004)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "しかしながら、JIS X 0208が今後も利用され続け、規格として存続し続けることを予測させる事実も、多く挙げられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "第1に、日本の携帯電話(フィーチャーフォン)に採用される文字のレパートリは、現在のところJIS X 0208を基本としたものである。これをJIS X 0213に対応するものへと移行させる計画は、まったく公表されていない。結果的にスマートフォンの普及と、フィーチャーフォンの衰退によるガラホへの置き換えによって実現することになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "第2に、後述するように、JIS X 0213は厳密にはJIS X 0208の上位互換ではない。総合目録データベースなど、JIS X 0208を採用してその包摂規準に忠実に従ってきた大規模なデータベースを、データの一貫性を保ったままJIS X 0213に対応させることは困難と考えられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "第3に、多くのシステムが、JIS X 0208の空き領域に外字を定義して使っているという現実がある。例えば、WindowsではIBM拡張文字やユーザ定義文字用の領域、携帯電話では絵文字が割り当てられている。外字の符号位置がJIS X 0213の符号が利用する符号位置と衝突するため、これらのシステムをJIS X 0208からJIS X 0213へ移行させるのは困難である。UCS/Unicodeへ移行させて、その上でJIS X 0213のレパートリを使うことも一案であるが、システム管理者は、UCS/Unicodeのサロゲートペア(代用対)や文字合成の実装が十分に安定したと判断できるまで、それらの実装を要するJIS X 0213のレパートリの採用を躊躇するだろう。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "以下に、各社によるJIS C 6226・JIS X 0208の実装を、社名の五十音順で列挙する。", "title": "各社の実装" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "前記のように、漢字集合はISO/IEC 646国際基準版 (IRV) 図形文字集合の上位互換ではない。漢字集合および国際基準版図形文字集合は、JIS X 0208に規定された国際基準版・漢字用7ビット符号または国際基準版・漢字用8ビット符号によって、ともに利用できる。EUC-JPによっても、ともに利用できる。", "title": "他の規格との関係" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "漢字集合はJIS X 0201のラテン文字用図形文字集合に含まれる2/2「QUOTATION MARK」、2/7「APOSTROPHE」および2/13「HYPHEN-MINUS」を欠いている。漢字集合はJIS X 0201の片仮名用図形文字集合に含まれるすべての文字を含んでいる。", "title": "他の規格との関係" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "漢字集合およびラテン文字用図形文字集合は、JIS X 0208に規定されたラテン文字・漢字用7ビット符号またはラテン文字・漢字用8ビット符号によって、ともに利用できる。漢字集合、ラテン文字用図形文字集合およびJIS X 0201の片仮名用図形文字集合は、JIS X 0208に規定されたシフト符号化文字集合 (Shift_JIS) によって、ともに利用できる。漢字集合および片仮名用図形文字集合は、EUC-JPによって、ともに利用できる。", "title": "他の規格との関係" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "JIS X 0212(補助漢字)は、JIS X 0208に含まれない文字を必要とする情報交換のために、JIS X 0208の補助としての文字およびその符号を規定する。JIS X 0212は、JIS X 0208が非漢字として1区26点に収録している「〆」を漢字として16区17点に収録している。JIS X 0208の第2次規格が字形を変更した区点位置のうち、28区点位置の変更前の字形に相当する文字を収録している。これらのほかに、JIS X 0208と共通する文字は収録していない。", "title": "他の規格との関係" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "JIS X 0208およびJIS X 0212は、EUC-JPによって、ともに利用できる。JIS X 0208およびJIS X 0212は、UCS/UnicodeのCJK統合漢字の原規格となっているので、UCS/Unicodeを使って両規格の漢字を共存させることができる。", "title": "他の規格との関係" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "ただし、JIS X 0208の第4次規格には、JIS X 0212との関連について一切規定されていない。これは、JIS X 0208の第4次規格の原案作成委員会に、JIS X 0212の文字の選定方法および同定方法に批判的な意見があったからと考えられる。例えば、第4次規格の原案作成委員会の委員長をつとめた芝野耕司 (1997a) は、補助漢字の選定方法は「JIS X 0208の文字集合選定の表層的理解に基づくものであり、間違った理解である」「1万字を越える水準の文字集合の検討としては、大きな問題がある」と述べている(引用するにあたって、原文のコンマを読点に改めた)。", "title": "他の規格との関係" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "第4次規格の規格票解説は、JIS X 0212の文字同定の問題点を指摘したうえで、「文字同定が不可能である以上、共同運用も不可能と考え、JIS X 0212との関連については、一切規定しないこととした」と述べている(解説3.3.1。引用にあたって、原文のコンマを読点に改めた)。", "title": "他の規格との関係" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "JIS X 0213(拡張漢字)は、JIS X 0208の漢字集合を拡張した漢字集合を規定する。規格票解説によれば、この文字集合は「JIS X 0208が当初符号化を意図していた現代日本語を符号化するために十分な文字集合を提供することを目的として設計された」ものである。", "title": "他の規格との関係" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "JIS X 0208とJIS X 0213は併用されない。JIS X 0213の漢字集合は、JIS X 0208の漢字集合で表現できるすべての文字を含む、非漢字1,183文字および漢字10,050文字の合計11,233文字からなり、JIS X 0213に規定された符号で運用される。", "title": "他の規格との関係" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "JIS X 0213は一見するとJIS X 0208に規定された符号化文字集合の上位互換な符号化文字集合を規定または参考として提供しているように見える。しかし厳密にはJIS X 0213はJIS X 0208の上位互換ではない。これはJIS X 0213の原案作成委員会も認めるところである(JIS X 0213:2000規格票解説5.3.2、JIS X 0213:2000/追補1:2004規格票解説3.2.2)。", "title": "他の規格との関係" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "JIS X 0213がJIS X 0208の上位互換でないというのは、JIS X 0213ではJIS X 0208の一部の区点位置について包摂分離がおこなわれたというところによる。すなわちJIS X 0208において明示的に包摂されて一つの区点位置で表現されていた相異なる字体に対し、JIS X 0213ではそれぞれ独立の面区点位置が与えられている場合がある。このため、JIS X 0208の符号によって符号化されたデータがJIS X 0213の符号に変換できないことがある。", "title": "他の規格との関係" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "例えばJIS X 0208の33区46点(僧)には、「人偏に曽」の字体、「人偏に曾(第1画および第2画は「八」)」の字体および「人偏に曾(第1画および第2画は「ソ」)」の字体が包摂されている。JIS X 0213ではこれについて包摂分離をおこない、1面33区46点に「人偏に曽」および「人偏に曾(第1画および第2画は「ソ」)」を包摂して、1面14区41点を「人偏に曾(第1画および第2画は「八」)」とした。したがってJIS X 0208の33区46点をJIS X 0213に移す際に、1面33区46点と1面14区41点のいずれに移すべきかが機械的には定められない。", "title": "他の規格との関係" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "もっとも、現実にはJIS X 0208のm区n点とJIS X 0213の1面m区n点を一対一に対応させることがおこなわれていて、それによって大きな混乱は生じていない。大きな混乱がない理由としては、多くの書体がJIS X 0208の例示字体にならった字体を採用してきたこと、利用者の多くが包摂規準の存在を意識していないことなどが考えられる。", "title": "他の規格との関係" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "JIS X 0208の漢字はISO/IEC 10646 (UCS) およびUnicodeのCJK統合漢字の当初からの原規格である。JIS X 0208のすべての漢字が、UCS/Unicodeの基本多言語面のいずれかの符号位置に対応する。", "title": "他の規格との関係" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "JIS X 0208の非漢字も、すべて、基本多言語面のいずれかの符号位置に対応する。ただし、一部の特殊文字について、JIS X 0208:1997で与えられた文字の名前に基づくUCS/Unicodeとの対応とは異なる対応を実装しているシステムもある。", "title": "他の規格との関係" } ]
JIS X 0208は、日本語表記、地名、人名などで用いられる6,879図形文字を含む、主として情報交換用の2バイト符号化文字集合を規定する日本産業規格 (JIS) である。現行の規格名称は7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化漢字集合 である。1978年にJIS C 6226として制定され、1983年、1990年および1997年に改正された。JIS漢字コード、JIS漢字、JIS第1第2水準漢字、JIS基本漢字などの通称がある。
{{参照方法|date=2023年11月}} {{WikipediaPage|日本語表記|Wikipedia:表記ガイド}} [[ファイル:Euler diag for jp charsets.svg|lang=ja|300px|サムネイル|右|[[オイラー図]](JIS X 0208、JIS X 0212、JIS X 0213等の漢字集合)]] '''JIS X 0208'''は、[[日本語]]表記、地名、人名などで用いられる6,879図形文字を含む、主として情報交換用の2バイト[[符号化文字集合]]を規定する[[日本産業規格]] (JIS) である。現行の規格名称は'''7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化漢字集合''' (7-bit and 8-bit double byte coded KANJI sets for information interchange) である。1978年に'''JIS C 6226'''として制定され、1983年、1990年および1997年に改正された。'''JIS漢字コード'''、'''JIS漢字'''、'''JIS第1第2水準漢字'''、'''JIS基本漢字'''などの通称がある。 == 適用範囲および適合性 == JIS X 0208が定める文字集合は、主として、データ処理システムおよび関連する装置の間またはデータ通信システム相互の間の'''情報交換''' (information interchange) に用いるための文字集合である。この文字集合はデータ処理および文書処理にも利用できる。 文字集合の部分実装は規格に適合しない。第1次規格の原案作成委員会が第1水準および第2水準への振り分けに気をつかったこと、第2次規格で一部の異体字の水準間の入れかえがおこなわれたことなどからすると、少なくとも第1次規格および第2次規格では、非漢字および第1水準漢字のみの実装が想定されたと推測される。しかし、このような実装が規格に適合すると明記されたことはない。 かつてはJIS X 0208:1997の規格票には適合性について規定されているにもかかわらず、この規格は適合性認証または自己適合宣言の対象となる製品規格ではないと考えられていた{{efn|JIS X 0208は、経済産業省が[[2007年]][[1月17日]]に公表した[http://www.jisc.go.jp/newstopics/2006/070117new_jis_list.htm 新JISマーク表示制度の対象となり得るJISリスト]{{リンク切れ|date=2019年7月}}に含まれていない。}}。だが2009年現在では[[経済産業省]]および[[日本産業標準調査会|JISC]]が「国がJISマーク表示制度の対象となる商品等を限定する指定商品制を廃止し、認証可能なJIS製品規格がある製品が対象となります」と明言している<ref>[http://www.jisc.go.jp/newjis/index.html 日本工業標準調査会:新JIS制度-新JIS制度について]{{リンク切れ|date=2019年7月}}</ref><ref>[http://www.chubu.meti.go.jp/technology/jis/new_jis.htm 新JISマーク制度について(METI Chubu/経済産業省中部経済産業局)]{{リンク切れ|date=2019年7月}}</ref>ため、適合性について規定のあるJIS X 0208:1997も'''適合性認証または自己適合宣言の対象となる'''と考えられる。 == 符号の構造 == JIS X 0208の符号は、基本的に7ビット2バイト符号または8ビット2バイト符号である。ただし、'''[[図形文字]]''' (graphic character) のうちの1文字「SPACE」およびすべての'''制御文字''' (control character) は1バイトで表現される。符号位置を表現するために、「列番号/行番号」および「区点番号」が使用される。符号に依存しない文字の識別手段として「文字の名前」が用意されている。 === 列番号/行番号 === 1バイト符号の'''ビット組合せ''' (bit combination) を表現するために、'''列番号'''/'''行番号'''が用いられる。これは1バイトの16進数表記(00からFF)の上の桁と下の桁に相当する。具体的には、7ビットの上位3ビットまたは8ビットの上位4ビットを十進整数の0から7または0から15に対応させて、この数字を列番号とし、下位4ビットを十進整数の0から15に対応させて、この数字を行番号とする。 例えば、図形文字SPACEに対応するビット組合せは、7ビット符号で010 0000、8ビット符号で0010 0000である。これは、列番号/行番号によって2/0と表現される。 === 区点位置および区点番号 === 2バイト符号のうち、2バイトの第1バイトを同じくする符号の集合を、'''区''' (row) といい、一つの区のうちの個々の符号を、'''点''' (cell) という{{efn|国際登録簿に登録された符号表に見られるように、1997年の第4次規格の前までは区および点はそれぞれ、sectionおよびpositionと英訳されていた。英訳が変更された背景には、ISO/IEC 10646-1:1993を翻訳した規格であるJIS X 0221-1995 (UCS) において、group、plane、rowおよびcellに、それぞれ群、面、区および点という日本語訳が与えられたことが指摘できる。ただし、JIS X 0208の区および点と、UCSの区および点は、異なる概念である。}}。ある区のある点のことを、'''区点位置''' (code-point) と呼ぶ。 2バイトの第1バイトおよび第2バイトには、それぞれ、列番号/行番号で表示して2/1から7/14までの94通りのビット組合せが許される。したがって、区は94個あり、一つの区には、94個の点がある。区点位置は94×94=8,836個ある。 区点位置は'''区点番号'''によって参照される。それぞれの区に1から94までの番号を与え、それぞれの区のうちの点に1から94までの番号を与える。そして、区点番号を、区の番号と点の番号によって「何区何点」と表現するか、区の番号と点の番号をハイフンでつないで表現する。例えば、文字「亜」の区点位置は、区点番号によって16区1点または16-01と参照される。 区点番号と図形文字との対応は、規格の付属書3において、区の番号を縦軸に、点の番号を横軸に取った94×94の'''図形文字符号表'''で示されている。 この構造は、中国の[[GB 2312]]や韓国のKS C 5601(現在の[[KS X 1001]])でも採用された。 === 空き領域 === 2バイト符号のうち、9区から15区までおよび85区から94区までは'''空き領域''' (unassigned code-points)、すなわち文字が規定されていない区点位置である。それ以外の区のうちでも一部の点は空き領域となっている。 空き領域は基本的に使用してはならない区点位置である。情報交換の当事者の合意があるときを除いて、空き領域に文字([[外字]])を割り当てて情報交換をしてはならない。 空き領域に文字を割り当てるときにも、規格に定められた図形文字を空き領域にも割り当てたり、空き領域の複数の区点位置に同じ文字を割り当てたりしてはならない。重複符号化を排除するためである。 なお、空き領域に文字を割り当てるときには、漢字の字体についての[[包摂 (文字コード)|包摂]]規準に注意する必要がある。例えば、25区66点には「口高」および「はしご高」が包摂されて対応している。したがって、25区66点の文字を「口高」に限定して解釈し、「はしご高」を空き領域に割り当てることは、規格に定められた図形文字を空き領域にも割り当てることになり、規格違反となる。 === 文字の名前 === この規格の符号化文字には、それぞれの'''名前'''が与えられている。文字の名前を使うことによって、符号に依存しないで文字を識別することができる。文字の名前は他の符号化文字集合の規格と整合して決められているので、ある符号化文字集合に含まれるある文字が、別の符号化文字集合に含まれるある文字と同一の文字であるか否かは、それらの名前が同一であるか否かで判断できる。 例えば、[[ISO/IEC 646]]の列番号/行番号で4/1の文字の名前も、この規格の3区33点の文字の名前も、同じくLATIN CAPITAL LETTER Aである。したがって、ISO/IEC 646の4/1の文字およびこの規格の3区33点の文字は、同じ文字であると結論できる。またISO/IEC 646国際基準版の2/2「QUOTATION MARK」、2/7「APOSTROPHE」、2/13「HYPHEN-MINUS」および7/14「TILDE」は、この規格にはない文字であることがわかる。 漢字以外の文字の名前に用いられる文字は、ラテン文字大文字、間隔およびハイフンである。漢字以外の文字には'''日本語通用名称'''も与えられているが、日本語通用名称は参考であって規定の一部ではない{{efn|文字の名前は、ラテン文字で与えられて国際的に通用するので、生物の[[学名]]になぞらえることができる。これに対して、日本語通用名称は、生物の[[標準和名]]になぞらえることができる。}}。 漢字の名前は、対応する[[国際符号化文字集合]] (UCS) の文字の16進表記の符号化表現から機械的に決められている。符号化表現の先頭に「CJK UNIFIED IDEOGRAPH-」を冠することで、漢字の名前が得られる。例えば、16区1点「亜」はUCSの4E9Cの文字に対応するので、この文字の名前はCJK UNIFIED IDEOGRAPH-4E9Cである。漢字には日本語通用名称は与えられていない。 == 漢字集合 == === 概要 === JIS X 0208が規定する、7ビット2バイトまたは8ビット2バイトの符号に対応する6,879の図形文字の集合を、JIS X 0208では'''漢字集合''' (Kanji set) と呼ぶ。漢字集合には、漢字6,355文字および[[ラテン文字]]、[[平仮名]]などの524文字の'''非漢字'''が含まれる。漢字集合に含まれる図形文字およびそれが収められる区は、つぎのとおりである。 ;特殊文字 :1区および2区に収められる。'''[[和字間隔]]'''1文字、読点、句点などの'''記述記号'''18文字、濁点、半濁点などの'''[[ダイアクリティカルマーク]]'''8文字、「々」、「〆」などの'''仮名又は漢字に準じるもの'''10文字、'''括弧記号'''22文字、数学記号である'''学術記号'''45文字、[[通貨記号]]を含む'''単位記号'''11文字、「#」、「〒」などの一般記号32文字からなる合計147文字である。 ;[[数字]] :3区に収められる。「0」から「9」までの10文字である。 ;[[ラテン文字]] :3区に収められる。大文字および小文字の52文字である。 ;[[平仮名]] :4区に収められる。「ゐ」および「ゑ」を含む清音48文字、濁音20文字、半濁音5文字、拗音および促音のための小文字10文字、の合計83文字である。 ;[[片仮名]] :5区に収められる。86文字である。平仮名に対応する文字に加えて、「ヵ」、「ヶ」および「ヴ」が含まれる。 ;[[ギリシア文字]] :6区に収められる。大文字および小文字の48文字である。 ;[[キリル文字]] :7区に収められる。大文字および小文字の66文字である。 ;[[罫線素片]] :8区に収められる。細線素片、太線素片および細線太線混在素片からなる32文字である。 ;[[漢字]] :16区から47区までの'''第1水準'''2,965文字および48区から84区までの'''第2水準'''3,390文字の合計6,355文字である。 === 特殊文字、数字およびラテン文字 === 漢字集合の[[特殊文字]]には、[[ISO/IEC 646]]の国際基準版 (IRV) 図形文字集合に含まれる一部の文字が欠けている。前述のQUOTATION MARK、APOSTROPHE、HYPHEN-MINUSおよびTILDEの4文字である。IRVのQUOTATION MARK、APOSTROPHEおよびHYPHEN-MINUSは、表のように、漢字集合では複数の区点位置に分離されている(西村 1978、JIS X 0221-1:2001規格票解説3.8.7)。IRVのTILDEは、漢字集合のどの文字とも対応づけられない。 {| class="wikitable" |+ISO/IEC 646 IRVおよびJIS X 0208の一対多対応ならびにISO/IEC 646 IRVのTILDEおよびJIS X 0208のWAVE DASH。「図形」の欄の図形記号は、UCS/Unicodeの符号位置の文字を利用者の環境のフォントで表示したものである。 !colspan="3"|ISO/IEC 646 IRV!!colspan="3"|JIS X 0208 |- !列/行!!図形!!名前!!区点!!図形!!名前 |- |rowspan="4"|2/2||rowspan="4" style="font-family:monospace" lang="en" xml:lang="en"|"||rowspan="4"|QUOTATION MARK||1-15||style="font-family:monospace"|¨||DIAERESIS |- |1-40||style="font-family:monospace"|“||LEFT DOUBLE QUOTATION MARK |- |1-41||style="font-family:monospace"|”||RIGHT DOUBLE QUOTATION MARK |- |1-77||style="font-family:monospace"|″||DOUBLE PRIME |- |rowspan="4"|2/7||rowspan="4" style="font-family: monospace" lang="en" xml:lang="en"|&#x27;||rowspan="4"|APOSTROPHE||1-13||style="font-family:monospace"|´||ACUTE ACCENT |- |1-38||style="font-family:monospace"|‘||LEFT SINGLE QUOTATION MARK |- |1-39||style="font-family:monospace"|’||RIGHT SINGLE QUOTATION MARK |- |1-76||style="font-family:monospace"|′||PRIME |- |rowspan="2"|2/13||rowspan="2" style="font-family: monospace" lang="en" xml:lang="en"|-||rowspan="2"|HYPHEN-MINUS||1-30||style="font-family:monospace"|‐||HYPHEN |- |1-61||style="font-family:monospace"|−||MINUS SIGN |- |7/14||style="font-family:monospace" lang="en" xml:lang="en"|~||TILDE||colspan="3"|対応する文字はない |- |colspan="3"|対応する文字はない||1-33||style="font-family:monospace"|〜||[[波ダッシュ|WAVE DASH]] |} これは、漢字集合が世界で最も普及している符号化文字集合の上位互換でないことを意味し、この規格の欠点の1つに数えられる。 漢字集合およびIRVの集合に共通する特殊文字、数字およびラテン文字90文字についても、この規格では、ISO/IEC 646の配列を踏襲していない。90文字は漢字集合の1区から4区までに分かれて収録されている。 「漢字集合の数字、ラテン文字などは『全角英数字』であって、IRVの文字とは異なる」との解釈に基づく実装が発生・普及した原因は、これらの非互換性のためだと考えられる。 第1次規格以来、丸付き数字や「キロ」「メートル」などの[[合字]]およびローマ数字は、文字の'''合成'''によって表現できるとされ{{efn|JIS C 6225-1979(情報交換用漢字符号系のための制御文字符号)に、「合成開始」および「合成終了」の制御文字が規定されていた。JIS C 6225は[[1987年]]に[[JIS X 0207]]に移行し、1997年に廃止された。}}、独立した区点位置を与えられなかった。情報機器を製造する各社は、顧客が必要とするこれらの文字を、文字の合成により表現できるようにするのでも、規格に追加するよう求めるのでもなく、[[外字]]として独自に提供する道を選んだ。 [[1997年]]の第4次規格では、すべての文字が'''現在位置の前進動作を伴う文字'''すなわち'''スペーシング文字''' (spacing character) であることが明確にされたうえ、文字の合成をおこなってはならないと規定された。このため、[[ダイアクリティカルマーク]]つきのラテン文字は、2区82点のオングストローム (Å) を唯一の例外として、表現できないことになった。 === 平仮名および片仮名 === JIS X 0208の平仮名および片仮名においては、JIS X 0201の片仮名に含まれない濁点つきの仮名および半濁点つきの仮名が含まれる。[[JIS X 0201]]の片仮名に含まれない「ヰ」「ヱ」および「ヮ」も含まれる。 JIS X 0208の仮名の配列は、JIS X 0201の片仮名の配列と異なっている。JIS X 0201では、小文字(小書きの仮名)は小文字で、大文字(清音の文字)は大文字で、それぞれ五十音順に配列されている(ヲァィゥェォャュョッーアイウエオ……ラリルレロワン)。一方、JIS X 0208では、小文字、大文字、濁点つきの文字および半濁点つきの文字を一括して五十音順で、五十音順で同順位の場合は小文字、大文字、濁点つきの文字、半濁点つきの文字の順序で、配列されている(ぁあぃいぅうぇえぉお……っつづ……はばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽ……ゎわゐゑをん)。この配列は、仮名文字列の簡易的な辞書順ソートを容易にするために採用された(安岡ほか 2006){{efn|仮名文字列の本格的なソートのためには、音引き、繰り返し記号などを考慮しなければならない。日本語文字列のソートは、JIS X 4061([[日本語文字列照合順番]])に定められている。}}。 この規格には、先に制定されたJIS X 0201の片仮名の配列が踏襲されなかった。JIS X 0201の片仮名を「[[半角カナ|半角仮名]]」(「半角カタカナ」とも呼ばれる)として、この規格の片仮名と区別する実装が発生した原因は、この非互換性にあると考えられる。その点もこの規格の欠点の一つである。 === 漢字 === この規格の漢字が、何を典拠としてどのように選ばれ、何に基づいて第1水準および第2水準に振り分けられ、どのように配列されたかは、1997年の第4次規格の規格票の解説に詳しい。それによると、つぎの4つの漢字表に含まれる漢字が、1978年の第1次規格の6,349文字に採用された。 ;標準コード用漢字表(試案) :[[情報処理学会]]漢字コード委員会が1971年に編纂したものである。下記の『対応分析結果』には6,086文字が見える。 ;行政情報処理用基本漢字 :[[行政管理庁]]が1975年に選定したもので、2,817文字からなる。選定のための資料として、行政管理庁は、『標準コード用漢字表 (試案)』をはじめとする複数の漢字表を対照した資料『行政情報処理用標準漢字選定のための漢字の使用頻度および対応分析結果』(『対応分析結果』)を作成した<ref name="series004_09">{{Cite web|和書|title=名字・名前と漢字 第9回 WEB国語教室 |publisher=[[大修館書店]] |url=https://web.archive.org/web/20191117112258/https://www.taishukan.co.jp/kokugo/webkoku/series004_09.html|website=web.archive.org|date=2019-11-17|accessdate=2021-03-16}}</ref>。 ;日本生命収容人名漢字 :『対応分析結果』を構成する漢字表の一つで、3,044文字からなる。[[日本生命]]が契約者の氏名から抽出した漢字とされるが、第1次規格の原案作成委員会の時点で原典が存在せず、『対応分析結果』に転記されていた<ref name=series004_09 />。 ;国土行政区画総覧使用漢字 :『対応分析結果』を構成する漢字表の一つで、3,251文字からなる。[[国土地理協会]]が編集している日本全国の字までの行政地名の一覧表『国土行政区画総覧』に使用されていた漢字である。原案作成委員会は『国土行政区画総覧』そのものを調査せず、それに使用された漢字は『対応分析結果』を通じて規格に反映された。 第2次規格および第3次規格で、それぞれ4文字および2文字の第2水準漢字が追加され、漢字は6,355文字になった。第2次規格では字形の変更および水準間の漢字の入れ替えが行われ、第3次規格でも字形の変更が行われた。これについては後述する。 ==== 水準分け ==== 第1水準は、当用漢字字体表、当用漢字補正案および人名用漢字別表を基本として、多種の漢字表に共通して出現する文字が選ばれた。JIS C 6260(都道府県コード、現在の[[JIS X 0401]])およびJIS C 6261(市区町村コード、現在の[[JIS X 0402]])を参照して、都道府県名および市区町村名に使用される漢字がすべて第1水準に含まれるように意図された。さらに専門家による調整が加えられた。 しかし安岡 (2001a) によれば作業漏れがあったようで、安岡は[[印旛郡]]、[[印旛村]]の「旛」(58-57) および[[泗水町]]の「泗」(61-89) が第1水準に含まれていないことを指摘している。 第2水準には、上記の主要4漢字表に出現して第1水準から漏れた漢字が収められた。次に記すように、第1水準は漢字の音訓に基づいて並べられたので、音訓がわかりにくい漢字の中には第1水準から第2水準にまわされたものもある(西村 1978)。 一般的に第1水準は使用頻度の高い漢字、第2水準は使用頻度の低い漢字とされるが、水準分けはもちろんJIS漢字制定当時の基準であるので、時代の流れによって今日では「翔」や「煌」といった第2水準だがよく使われるようになった漢字、逆に「糎」や「粍」といった第1水準だがあまり使われなくなった漢字も多数存在する。人名用漢字別表にはJIS漢字制定後に追加されたものの中には第2水準のものもいくつか存在する。 実際の人名が収録されたと思われた『日本生命収容人名漢字』は選定に寄与したとされるが、[[秋田県]]に多い苗字である[[草彅]]の「彅」が含まれていないなど網羅性に不備があったとされる<ref name=series004_09 />。参照時点で原典が存在せず転記となっているなど正確性も不明であった。 [[1990年代]]以降はほとんどのシステムで第2水準漢字まで使えるようになり、文字コードもUnicodeへ移行しつつあるため、使用したい漢字が第1水準か第2水準か気にする必要はほとんどなくなった。しかし、数千字もある漢字フォントを作るには、相当の手間と時間がかかるため、フリーのフォントなどでは一部の漢字しか収録しないことがある。その際、水準を基準にして収録するかしないかを決めることもある(第1水準しか収録していないフォントもある)。 ==== 配列 ==== 第1水準漢字は、この規格独自の'''代表音訓'''、すなわち各漢字についてそれぞれ一つずつ定めた音または訓、の順に配列された{{efn|19区の30点および31点において、代表音訓順の配列が乱れている。すなわち、正しくは蛙(かえる)、馨(かおり)と配列されるべきところ、馨、蛙と配列されている。}}。原則として、音が代表音訓とされ、音が複数ある(異表記の[[漢音]]・[[呉音]]・[[唐音]]など)漢字については「使用度が優勢」と判断された音が代表音訓として採用された(JIS C 6226-1978規格票解説3.4)。音が存在しないか一般的でない漢字については、訓が代表音訓とされた。動詞の訓を代表音訓とするときは、終止形ではなく連用形が代表音訓とされた。 例えば、16区1点から41点までに代表音訓が「あ」で始まる41文字が配列されている。このうち、「葵」(キ、あおい、16-10)、「粟」(ゾク、ショク、あわ、16-32) など22文字は訓を代表音訓としている。「逢」(ホウ、あい、16-09)、「扱」(ソウ、キュウ、あつかい、16-23)などは動詞の連用形が代表音訓とされた例である。 代表音訓を同じくする漢字の中では、音を代表音訓とする漢字が先に、訓を代表音訓とする漢字が後に並べられ、音または訓を同じくする漢字の中では、部首および画数の順に並べられた。 第1水準にあっても第2水準にあっても、[[異体字]]は基本的に親字の直後にまとめて配列された。例えば、第2水準において、49区88点の「劍」の直後には、原則である画数順を乱して「劔」、「劒」および「剱」が配列されている{{efn|このほか、「剣」は第1水準の23区85点にあり、第2水準の「釼」は金偏の漢字として78区63点にある。}}。 第2水準漢字集合は、部首および画数の順に配列された。部首および画数を同じくする漢字の中では、五十音順に並べられた。 ==== 典拠不明の漢字 ==== {| class="wikitable floatright" |+JIS X 0208:1997附属書7において、典拠不詳、不明または同定不能とされる漢字 |- !区点!!図形!!種別 |- |52-55||墸||不明 |- |52-63||壥||不明 |- |54-12||妛||典拠不詳 |- |55-27||彁||同定不能 |- |57-43||挧||典拠不詳 |- |58-83||暃||典拠不詳 |- |59-91||椦||典拠不詳 |- |60-57||槞||典拠不詳 |- |74-12||蟐||典拠不詳 |- |74-57||袮||典拠不詳 |- |79-64||閠||典拠不詳 |- |81-50||駲||典拠不詳 |} {{Main|幽霊文字}} 従来、漢字集合に一般の漢和辞典に見られない漢字が含まれていて、その典拠が不明であることが指摘されていた。例えば、第1次規格制定の1年後には、[[田嶋一夫]](1979)が、『新字源』にも『大漢和辭典』にも見られず、略字としても把握できない漢字を63文字認めたことを報告し、「漢和辞典で確認できない漢字が、確かな基準で選択されたものであることを望む」とした。これらの漢字はやがて、'''幽霊文字'''、'''幽霊漢字'''などと称されるようになった。 第4次規格の原案作成委員会も、典拠不明の漢字の存在を問題視し、第1次規格の原案作成委員会がいかなる資料を参照したかを調査した。その結果、第1次規格の原案作成委員会が『対応分析結果』に大きく依拠して漢字を収集していたことが判明した。第4次規格の原案作成委員会が『対応分析結果』を入手して検討したところ、一般の漢和辞典に見られないにもかかわらず漢字集合に含まれている漢字の多くが、『対応分析結果』において『日本生命収容人名漢字』または『国土行政区画総覧使用漢字』とされていることがわかった。 『日本生命収容人名漢字』については、『対応分析結果』が参照した原典が現存しないことが判明した。『国土行政区画総覧』については、第4次規格の原案作成委員会に加わった[[笹原宏之]]が、第1次規格開発当時の版の全ページに出現する漢字を調査した。委員会はまた、多くの古字書を参照し、NTTの電話帳データベースでの人名用例を調査した。 このような委員会の徹底的な調査によっても、委員会は、表に示す12の漢字の典拠について確信を持つことはできなかった。これらのうちには、誤写による誤字体と推測されているものが多い。 ==== 漢字の字体の包摂 ==== [[1997年]]の第4次規格の定義によれば、'''包摂'''(ほうせつ、unification)とは、複数の字体を区別せずに、それらに同一の区点位置を与えることである。第4次規格では、漢字の字体にかぎって、包摂する字体の範囲を明確に定めている。 なお、規格の定義によれば、'''字体''' (''{{en|ZITAI}}'') は、図形文字の図形表現としての形状についての抽象的概念であり、'''字形''' (''{{en|ZIKEI}}'') は、字体を手書き、印字、画面表示などによって実際に図形として表現したものである。一つの字体には無数の具体的かつ可視的な字形が存在する。一つの字体についての字形の異なりは'''デザインの差'''である。 ひとつの区点位置に包摂される字体の範囲は、その区点位置の'''例示字体'''およびその例示字体に適用することができる'''包摂規準'''によって決まる。すなわち、ある区点位置の例示字体は、その区点位置に対応する。そして、例示字体において、例示字体を構成する部分字体を包摂規準にしたがって置き換えたものも、その区点位置に対応する。 例えば、33区46点(僧)の例示字体として、「人偏に曽」が示されている。そして、包摂規準連番101には、部分字体「曽」、「曾(第1画および第2画は「八」)」および「{{Lang|zh-Hans|曾}}(第1画および第2画は「ソ」)」が示されている。したがって、例示字体「人偏に曽」の部分字体「曽」を「曾(第1画および第2画は「八」)」または「{{Lang|zh-Hans|曾}}(第1画および第2画は「ソ」)」に置き換えた文字も、33区46点に対応する。 第4次規格には、第1刷に対する正誤表で追加された一つを含めて、186個の包摂規準が定められている。 ある区点位置の例示字体が複数の部分字体からなるときに、それぞれの部分字体について包摂規準を適用できる。一つの部分字体に包摂規準を適用した後、その部分字体に重ねて包摂規準を適用することはできない。他の区点位置の字体をも包摂するような包摂規準の適用は許されない。 例示字体は、その区点位置の字体の一例にすぎず、規格が推奨する字体ではない。包摂規準は、一般に用いられている漢字とこの規格の区点位置との対応づけのためのみに用いるものとされている。規格は、例示字体および包摂規準に基づいて一般に用いられていない字体を創作することのないように求めている。 漢字集合の漢字は、完全に一貫した包摂規準に基づいて選ばれてはいない。例えば、41区7点は、第3画および第4画が交わる「彥」にも交わらない「彦」にも対応している (包摂規準連番72)のに対して、20区73点は第3画および第4画が交わらない「顔」のみに対応し、80区90点は第3画および第4画が交わる「顏」のみに対応している。 包摂、包摂規準および例示字体という用語は、第4次規格で採用されたものである。第1次規格から第3次規格までの規格票解説は、漢字と漢字との関係を、'''独立'''、'''対応'''および'''同値'''の3種類に分け、同値と認められた文字を「ただ一つの符号に合併する」と説明していた。同値には、「まったく同形と認めるもの」のほかに、「書体等の違いと認めるもの」および「字形の違いがわずかであると認めるもの」が含まれていた。 第1次規格には「この規格では……字形の詳細は定めない」と規定されていて(細分箇条3.1)、その規格票解説は「この規格は、文字概念とその符号を定めることを本旨とし、その他字形設計等のことは範囲としない」と述べていた(引用にあたって、原文のコンマを読点に改めた)。第2次規格および第3次規格にも、具体的字形設計を適用範囲としない旨が備考として示されていた(箇条1の備考)。第4次規格も、「この規格は、図形文字及びそのビット組合せを規定するもので、用途、個々の図形文字の具体的字形設計などは、この規格の適用範囲とはしない」と規定している(JIS X 0208:1997箇条1。引用にあたって、原文のコンマを読点に改めた)。 ==== 過去の規格との互換性を維持するための包摂規準 ==== 第4次規格には、'''過去の規格との互換性を維持するための包摂規準'''が定められている。これは、JIS C 6226-1983以降の字体がJIS C 6226-1978の字体と大きく異なる29の区点位置に限って適用される。29の区点位置について、JIS C 6226-1983以降の字体に相当する字体がAとして、JIS C 6226-1978の字体に相当する字体がBとして示されている。これらの区点位置については、区点位置ごとに、AまたはBのいずれの字体を採用してもよい。ただし、規格への適合性を主張するためには、区点位置ごとにAまたはBのいずれの字体を採用したかを、文書に明示しなければならない。 == 符号化文字集合 == === 8種類の符号 === JIS X 0208:1997では、規格票本体の箇条7ならびに附属書1および2において、つごう8種類の符号が規定されている。 *「符号」および「符号化文字集合」は同義語とされている。 *JIS X 0211は[[ISO/IEC 6429]]に一致する国内規格である。 *CL、GL、CRおよびGRの各領域は、それぞれ、列番号/行番号が0/0から1/15まで、2/1から7/14まで、8/0から9/15までおよび10/1から15/14までの各領域である。 *いずれの符号においても、2/0には図形文字「SPACE」を、7/15には制御文字「DELETE」を割り当てる。 ;漢字用7ビット符号 :規格票本体に規定されている。CL領域にJIS X 0211のC0集合を割り当て、GL領域に漢字集合を割り当てる。 ;漢字用8ビット符号 :規格票本体に規定されている。CL領域にJIS X 0211のC0集合を割り当て、GL領域に漢字集合を割り当てる。CR領域には、JIS X 0211のC1集合を割り当てるか、何も割り当てないかのいずれかとする。GR領域には何も割り当てない。 ;国際基準版・漢字用7ビット符号 :規格票本体に規定されている。CL領域にC0集合を割り当てる。GL領域に[[ISO/IEC 646]]の国際基準版 (IRV) 図形文字集合およびJIS X 0208の漢字集合を、それぞれ、SHIFT-INおよびSHIFT-OUTによって割り当てて用いる。 ;国際基準版・漢字用8ビット符号 :規格票本体に規定されている。JIS X 0211のC0集合をCL領域に、ISO/IEC 646の国際基準版図形文字集合をGL領域に、漢字集合をGR領域に割り当てる。[[EUC-JP]]において、JIS X 0201の片仮名用図形文字集合およびJIS X 0212の補助漢字を使用しないようにしたものに相当する。 ;ラテン文字・漢字用7ビット符号 :規格票本体に規定されている。国際基準版・漢字用7ビット符号における国際基準版図形文字集合を、JIS X 0201のラテン文字用図形文字集合に置き換えたものである。 ;ラテン文字・漢字用8ビット符号 :規格票本体に規定されている。国際基準版・漢字用8ビット符号における国際基準版図形文字集合を、JIS X 0201のラテン文字用図形文字集合に置き換えたものである。 ;シフト符号化文字集合 :附属書1「シフト符号化表現」に規定されている。[[Shift_JIS]]である。 ;<nowiki>RFC 1468</nowiki>符号化文字集合 :附属書2「<nowiki>RFC 1468</nowiki>符号化表現」に規定されている。<nowiki>RFC 1468</nowiki>に規定された[[ISO-2022-JP]]に似ている。ただし、ISO-2022-JPは7ビットを1バイトとする符号であるのに対して、<nowiki>RFC 1468</nowiki>符号化文字集合は8ビットを1バイトとする符号である点が異なる。 第4次規格に規定されたこれらの符号化文字集合のうち、[[IANA]]に登録されているものは、シフト符号化文字集合のみである{{efn|IANAによるCharacter sets<ref>[http://www.iana.org/assignments/character-sets Character sets]</ref>は、JIS X 0208:1997附属書1を引用することでShift_JISを定義している。}}。 === エスケープシーケンス === 漢字集合を[[符号拡張法]]のもとで使うこともできる。各Gバッファに漢字集合を指示するための[[エスケープシーケンス]]はつぎのとおりである。ここで、ESCは[[エスケープ文字|制御文字ESCAPE]]である。 {| class="wikitable" |+JIS C 6226およびJIS X 0208を指示するためのエスケープシーケンス !規格!!G0!!G1!!G2!!G3 |- !78JIS |ESC 2/4 4/0||ESC 2/4 2/9 4/0||ESC 2/4 2/10 4/0||ESC 2/4 2/11 4/0 |- !83JIS |ESC 2/4 4/2||ESC 2/4 2/9 4/2||ESC 2/4 2/10 4/2||ESC 2/4 2/11 4/2 |- !90JIS以降 |ESC 2/6 4/0 ESC 2/4 4/2||ESC 2/6 4/0 ESC 2/4 2/9 4/2||ESC 2/6 4/0 ESC 2/4 2/10 4/2||ESC 2/6 4/0 ESC 2/4 2/11 4/2 |} === 重複符号化の問題 === この規格の漢字集合をISO/IEC 646の国際基準版図形文字集合またはJIS X 0201のラテン文字用図形文字集合と組み合わせて使用するとき、両方の文字集合に共通して含まれる文字の扱いが問題となる。特別な措置がなければ、共通して含まれる文字は、1文字につき複数の符号位置が与えられる、すなわち、'''重複符号化'''(ちょうふくふごうか)されることになる。 JIS X 0208:1997は、両方の文字集合に共通して含まれる文字について、2個の符号位置のうちの一方である漢字集合の符号位置の使用を基本的に禁じて、重複符号化を排除している。同じ名前を有する文字が同じ文字と判断される。 例えば、ISO/IEC 646の国際基準版図形文字集合のビット組合せ4/1に対応する文字の名前も、漢字集合の3区33点に対応する文字の名前も、LATIN CAPITAL LETTER Aである。国際基準版・漢字用8ビット符号では、ビット組合せ4/1によっても、漢字集合の3区33点に対応する2バイトのビット組合せ10/3 12/1によっても、「A」すなわちLATIN CAPITAL LETTER Aを表現できることになる。規格はビット組合せ10/3 12/1の使用を禁じて、重複符号化を排除しようとしている。 漢字集合の符号位置の文字を「全角文字」として、国際基準版文字集合またはラテン文字用図形文字集合の文字と異なる文字として扱ってきた実装があることに配慮して、過去との互換のためにのみ、漢字集合の符号位置の使用が許される。例えば、過去との互換のために、国際基準版・漢字用8ビット符号の10/3 12/1には、「全角のA」が対応していると見なすことが許される。 漢字集合を国際基準版図形文字集合またはラテン文字用図形文字集合と併用すると、規格に忠実に従っても、文字の一意な符号化は保証されない。例えば、国際基準版・漢字用8ビット符号では、[[ハイフン]]をビット組合せ2/13の文字HYPHEN-MINUSで表現することも、漢字集合1区30点にあたるビット組合せ10/1 11/14の文字HYPHENで表現することも、いずれも正当である。そして、規格が両者の使い分けを決めていない以上、ハイフンは一意に符号化されない。同様のことが[[負符号]]、[[引用符]]などについても生じる。 「全角スペース」と通称される1区1点の文字IDEOGRAPHIC SPACE(日本語通用名称は「[[和字間隔]]」)および「半角スペース」と通称される2/0の文字SPACE(日本語通用名称は「間隔」)は、漢字集合を単独で使用する符号においても共存している。JIS X 0208においては両者がどのように異なるのかは規格に定められていなかったが、[[JIS X 4051]]「日本語文書の組版方法」において明確に規格化され2/0の文字SPACEは欧文の単語間の間隔に用いるスペース、1区1点の文字IDEOGRAPHIC SPACEは和字間隔として和字(日本語文字)の空き量を示すスペースと規定された。 == 歴史 == 一つのJISが制定、確認または改正されてから5年を経過するまでに、その規格の確認、改正または廃止の手続がとられる。制定以来4度の改正を経て、現在、第5次規格が有効である。 === 第1次規格 === '''第1次規格'''は、通商産業大臣が[[1978年]][[1月1日]]に制定した'''JIS C 6226-1978 情報交換用漢字符号系''' (Code of Japanese graphic character set for information interchange) である。'''78JIS'''とも呼ばれる。[[工業技術院]]の委託を受け、[[日本情報処理開発協会]]漢字符号標準化調査研究委員会が原案を作成した。委員長は[[森口繁一]]であった。 特殊文字は108文字、第2水準漢字は3,384文字であり、罫線素片が含まれなかった。したがって、漢字集合は、非漢字453文字および漢字6,349文字の合計6,802文字からなっていた。規格票は[[写研]]の石井明朝体で印刷された。 === 第2次規格 === '''第2次規格'''は、[[1983年]][[9月1日]]に第1次規格を改正した'''JIS C 6226-1983 情報交換用漢字符号系''' (Code of Japanese graphic character set for information interchange) である。'''83JIS'''とも呼ばれる。工業技術院の委託を受け、[[日本情報処理開発協会]]漢字符号系JIS委員会が原案を作成した。委員長は[[元岡達]]であった。 第2次規格の原案は、常用漢字表の公布、人名用漢字別表の施行、郵政省による日本語[[テレテックス]]標準化の検討などをふまえ、JIS C 6234-1983 ドットプリンタ用24ドット字形(現在の[[JIS X 9052]])の原案作成と歩調を合わせて、つぎの変更がおこなわれた。 ;特殊文字の追加 :特殊文字に39文字が追加された。39文字には、[[日本科学技術情報センター]]からの提案、JIS Z 8201-1981(数学記号)、JIS Z 8202-1982(量記号、単位記号及び化学記号)などから、合成によって表現できないとされたものが選ばれた。 ;罫線素片の新設 :32文字からなる[[罫線素片]]が追加された。 ;異体字の区点位置の入れかえ :互いに異体字の関係にある第1水準漢字および第2水準漢字の22組について、区点位置が入れかえられた。たとえば、第1次規格では第1水準である36区59点の「壺」は、第2次規格では第2水準である52区68点に移され、もと52区68点であった「壷」が36区59点に移された。 ;第2水準漢字の追加 :第1水準漢字3文字および第2水準漢字1文字は、空き領域であった84区に第2水準漢字として新たな区点位置を与えられた。もとの区点位置には、それぞれの漢字の異体字が収容された。例えば、第1次規格に含まれていなかった「尭」を第1水準に収録するために、22区38点の「堯」が84区1点に移動され、22区38点に「尭」が収容された。 ;字形の変更 :約300文字の漢字の字形が変更された。野村 (1984) によれば、字形が変更されたのは区点位置間での入れ替えを含めて294文字である。芝野 (1997a) および第4次規格の規格票の解説によれば、字形が変更されたのは300文字である。 約300文字の字形の変更のうちには、第1次規格の字体がいわゆる[[康熙字典体]]であったものを、異体字、とりわけ[[略字]]([[拡張新字体]])に変更したものがあった。例えば、字形が大きく変わったためによく批判の材料にされたのが、18区10点の「鴎」および38区34点の「涜」である。 いわゆる康熙字典体からその異体字への変更としては、もっと小さなものが多かった。例えば、25区84点の「鵠」である。第1次規格の字体が康熙字典体でなかったものを、いわゆる康熙字典体に変更したものもあった。例えば、80区49点の「靠」である。 これらは、第1次規格の設計意図を明らかにするために第4次規格で示された包摂規準によって包摂される範囲内となった。例に挙げた「鵠」および「靠」についての変更前後の字体差は、部分字体「告」についての包摂規準(連番42) の範囲内である{{efn|包摂規準の範囲内でどのような字体を採用するかは書体設計者に任せられている。利用者の環境によって「鵠」および「靠」のいずれもいわゆる康熙字典体で表示されるかもしれないし、いずれもいわゆる康熙字典体とは異なった字体で表示されるかもしれないし、いずれか一方のみがいわゆる康熙字典体で表示されるかもしれない。}}。 字形の変更の基準は第1水準漢字と第2水準漢字で違ったものになっている。具体的に言えば、略字化は第1水準漢字のほうが第2水準漢字よりも進んでおり、第1水準漢字の「溌」や「醗」は略字化されているが第2水準漢字の「撥」は略字化されていないといった違いがある。前述の「鵠」と「靠」についても「鵠」は第1水準漢字、「靠」は第2水準漢字といった違いがある。もっとも、第2水準漢字でも字形が変更されたものもあり、「戸」を含む文字や「冬」を含む文字などは第1水準漢字、第2水準漢字の違いなく変更されている。 しかしながら、先に挙げた「鴎」、「涜」など29の区点位置については、第4次規格では、第1次規格の設計意図と矛盾するものとされた。これらは、第4次規格において「過去の規格との互換性を維持するための包摂規準」を適用する区点位置になっている。 JISに分類記号「X」の情報部門が新設されたのにともなって、第2次規格は、1987年3月1日に'''JIS X 0208-1983'''に移行した。 === 第3次規格 === '''第3次規格'''は、[[1990年]]9月1日に第2次規格を改正した'''JIS X 0208-1990 情報交換用漢字符号''' (Code of Japanese graphic character set for information interchange) である。'''90JIS'''とも呼ばれる。工業技術院の委託を受け、[[日本規格協会]]JIS X 0208情報交換用漢字符号系改正原案作成委員会が原案を作成した。委員長は[[田嶋一夫]]であった。 225文字の漢字の字体が変更され、第2水準に「凜」および「熙」の2文字が追加された。字体の変更のうちの一部および2文字の追加は、1990年3月に人名用漢字別表に追加された118文字に対応するためであった。規格票は[[平成明朝体]]で印刷された。 === 第4次規格 === '''第4次規格'''は、[[1997年]][[1月20日]]に第3次規格を改正した'''JIS X 0208:1997 7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化漢字集合''' (7-bit and 8-bit double byte coded KANJI sets for information interchange) である。'''97JIS'''とも呼ばれる。工業技術院の委託を受け、[[日本規格協会]]符号化文字集合調査研究委員会が原案を作成した。委員長は[[芝野耕司]]であった。 この改正の基本方針は、文字集合に対する変更をおこなわず、曖昧な規定を明確にし、より使いやすい規格とすることであった。文字の追加、削除または区点位置入れかえはおこなわれず、例示字体も一切変更されなかった。ただし、規格票は全面的に書き直され、補充された。第3次規格の規格票は解説を除いて65ページであったのに対して、第4次規格の規格票は解説を除いて374ページとなった。 改正の要点は以下にまとめられる。 ;符号化方式の明確化 :第3次規格までは、JIS X 0202の符号拡張法のもとで符号化する方法のみが規定されていた。これは符号化文字集合の規格としては異例のことであった。第4次規格では、符号拡張法のためのエスケープシーケンスを使わない符号化方式が規定された。 ;空き領域の使用の原則的な禁止および空き領域の利用方法の明確化 :第3次規格の規格票は、規格の一部ではない解説に、空き領域の一部は外字を割り当ててもよい領域であるとするような記述があった。第4次規格では、空き領域が基本的に使用禁止の領域であることが明確にされた。また、空き領域を利用するための条件が明示された。 ;重複符号化の原則的な排除 :各文字に他の規格と整合する'''文字の名前'''が与えられた。ISO/IEC 646の国際基準版またはJIS X 0201と併用する符号化方式が規定された。併用にあたっては、同じ名前の文字が割り当てられた2つの符号位置のうちの一方のみが許され、重複符号化が原則的に排除されることになった。 ;漢字の典拠の調査 :従来、『[[康熙字典]]』にも『[[大漢和辞典]]』にも見られない漢字がこの規格に含まれていることが指摘されていた。そこで、第1次規格がいかなる意図でいかなる典拠に基づきこれらの漢字を収録したのかが調査された(詳細は[[幽霊文字]]を参照)。 ;漢字の包摂規準の明確化 :第1次規格の原案作成のための資料などに基づいて、各区点位置が表現する字体の範囲についての第1次規格の意図の復元がこころみられた。そして、漢字の字体の包摂規準が明確に規定された。 ;事実上の標準の取り込み :Shift_JISと[[ISO-2022-JP]]がそれぞれパーソナルコンピュータと電子メールにおける符号化方式の事実上の標準となっていた。これらの符号化方式がそれぞれ、「シフト符号化表現」および「<nowiki>RFC 1468</nowiki>符号化表現」として規格に取り込まれた。 === 第5次規格 === '''第5次規格'''は、[[2012年]][[2月20日]]に第4次規格を改正した'''JIS X 0208:1997/AMENDMENT 1:2012 7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化漢字集合(追補1)''' 7-bit and 8-bit double byte coded KANJI sets for information interchange (Amendment 1) である。[[2010年]][[11月30日]]の[[常用漢字表]]改定に対応して、引用例の変更、附属書6の[常]の削除、附属書12の追加がなされた。なお、JIS X 0213と異なるマッピングが記載されており、そのため、解説にてJIS X 0208規格のJIS X 0213規格への将来的な統合方針が記載された<ref>『JIS X 0208:2012』解説</ref>。 === 将来 === [[JIS X 0213]]([[拡張漢字]])は「JIS X 0208が当初符号化を意図していた現代日本語を符号化するために十分な文字集合を提供することを目的として」設計され、JIS X 0208の漢字集合を拡張した文字集合を規定する。JIS X 0213の原案作成者たちは、JIS X 0213の利点として、[[表外漢字字体表|印刷標準字体]]への対応、新しい[[人名用漢字]]への対応などを挙げ、JIS X 0208からJIS X 0213への移行を推奨している。 JIS X 0213の原案作成者たちの期待に反して、2000年の制定以来しばらく、JIS X 0213の普及は進まなかった。JIS X 0213:2004の原案作成委員会は、2004年に「“大半の情報機器で共通に利用できるのはJIS X 0208だけ”という状態が続いている」と書いた(JIS X 0213:2000/追補1:2004解説2.9.7)。 パーソナルコンピュータ用OSとして圧倒的なシェアを有するWindowsは、2006年11月にリリースされた[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]]でJIS X 0213の[[文字集合#レパートリ|レパートリ]]に対応した。[[macOS]]はすでに、2001年にリリースされたバージョン10.1以降、JIS X 0213に対応しており、[[Linux]]の多くも、JIS X 0213に対応できるようになっている。したがって、今後は、Windows Vistaおよびその後継OSの普及とともに、パーソナルコンピュータではJIS X 0213のレパートリを問題なく使用できるようになってゆくと考えられる。 JIS X 0213の原案作成者の中には、JIS X 0213の普及の先に、JIS X 0213とJIS X 0208との統合を構想する者もいるという(佐藤 2004)。 しかしながら、JIS X 0208が今後も利用され続け、規格として存続し続けることを予測させる事実も、多く挙げられる。 第1に、[[日本における携帯電話|日本の携帯電話]]([[フィーチャーフォン]])に採用される文字のレパートリは、現在のところJIS X 0208を基本としたものである。これをJIS X 0213に対応するものへと移行させる計画は、まったく公表されていない。結果的に[[スマートフォン]]の普及と、フィーチャーフォンの衰退による[[ガラホ]]への置き換えによって実現することになった。 第2に、後述するように、JIS X 0213は厳密にはJIS X 0208の上位互換ではない。[[総合目録データベース]]{{efn|総合目録データベースの目録情報の基準 第4版<ref>[http://www.nii.ac.jp/CAT-ILL/MAN/KIJUN/kijun4.html 目録情報の基準 第4版]</ref>の11.1.1には、JIS X 0208の包摂規準を採用することが明示されている。宮澤彰「学術情報と漢字」<ref>前田富祺、野村雅昭編『漢字と社会』朝倉漢字講座4、朝倉書店、2005年。</ref>を参照すれば、包摂規準の適用が非常に厳密に行われていることがわかる。}}{{efn|[[青空文庫]]青空文庫の[http://www.aozora.gr.jp/KOSAKU/MANU_MOKU.html 工作員マニュアル]には、JIS X 0208の包摂規準を採用することが明示されている。}}など、JIS X 0208を採用してその包摂規準に忠実に従ってきた大規模なデータベースを、データの一貫性を保ったままJIS X 0213に対応させることは困難と考えられる。 第3に、多くのシステムが、JIS X 0208の空き領域に外字を定義して使っているという現実がある。例えば、WindowsではIBM拡張文字やユーザ定義文字用の領域、携帯電話では[[携帯電話の絵文字|絵文字]]が割り当てられている。外字の符号位置がJIS X 0213の符号が利用する符号位置と衝突するため、これらのシステムをJIS X 0208からJIS X 0213へ移行させるのは困難である。UCS/Unicodeへ移行させて、その上でJIS X 0213のレパートリを使うことも一案であるが、システム管理者は、UCS/Unicodeの[[Unicode#サロゲートペア|サロゲートペア(代用対)]]や文字合成の実装が十分に安定したと判断できるまで、それらの実装を要するJIS X 0213のレパートリの採用を躊躇するだろう。 == 各社の実装 == 以下に、各社によるJIS C 6226・JIS X 0208の実装を、社名の五十音順で列挙する。 *[[Apple]]:[[MacJapanese]] *[[日本電気]]:[[JIPS]] *[[日立製作所]]:[[KEIS]] *[[富士通]]:[[JEF漢字コード]] *[[マイクロソフト]]:[[Microsoftコードページ932]] {{節スタブ}} == 他の規格との関係 == === ISO/IEC 646 IRV === 前記のように、漢字集合はISO/IEC 646国際基準版 (IRV) 図形文字集合の上位互換ではない。漢字集合および国際基準版図形文字集合は、JIS X 0208に規定された国際基準版・漢字用7ビット符号または国際基準版・漢字用8ビット符号によって、ともに利用できる。[[EUC-JP]]によっても、ともに利用できる。 === JIS X 0201 === 漢字集合は[[JIS X 0201]]のラテン文字用図形文字集合に含まれる2/2「QUOTATION MARK」、2/7「APOSTROPHE」および2/13「HYPHEN-MINUS」を欠いている。漢字集合はJIS X 0201の片仮名用図形文字集合に含まれるすべての文字を含んでいる。 漢字集合およびラテン文字用図形文字集合は、JIS X 0208に規定されたラテン文字・漢字用7ビット符号またはラテン文字・漢字用8ビット符号によって、ともに利用できる。漢字集合、ラテン文字用図形文字集合およびJIS X 0201の片仮名用図形文字集合は、JIS X 0208に規定されたシフト符号化文字集合 (Shift_JIS) によって、ともに利用できる。漢字集合および片仮名用図形文字集合は、[[EUC-JP]]によって、ともに利用できる。 === JIS X 0212 === [[JIS X 0212]](補助漢字)は、JIS X 0208に含まれない文字を必要とする情報交換のために、JIS X 0208の補助としての文字およびその符号を規定する。JIS X 0212は、JIS X 0208が非漢字として1区26点に収録している「〆」を漢字として16区17点に収録している。JIS X 0208の第2次規格が字形を変更した区点位置のうち、28区点位置の変更前の字形に相当する文字を収録している。これらのほかに、JIS X 0208と共通する文字は収録していない。 JIS X 0208およびJIS X 0212は、[[EUC-JP]]によって、ともに利用できる。JIS X 0208およびJIS X 0212は、UCS/Unicodeの[[CJK統合漢字]]の原規格となっているので、UCS/Unicodeを使って両規格の漢字を共存させることができる。 ただし、JIS X 0208の第4次規格には、JIS X 0212との関連について一切規定されていない。これは、JIS X 0208の第4次規格の原案作成委員会に、JIS X 0212の文字の選定方法および同定方法に批判的な意見があったからと考えられる。例えば、第4次規格の原案作成委員会の委員長をつとめた芝野耕司 (1997a) は、補助漢字の選定方法は「JIS X 0208の文字集合選定の表層的理解に基づくものであり、間違った理解である」「1万字を越える水準の文字集合の検討としては、大きな問題がある」と述べている(引用するにあたって、原文のコンマを読点に改めた)。 第4次規格の規格票解説は、JIS X 0212の文字同定の問題点を指摘したうえで、「文字同定が不可能である以上、共同運用も不可能と考え、JIS X 0212との関連については、一切規定しないこととした」と述べている(解説3.3.1。引用にあたって、原文のコンマを読点に改めた)。 === JIS X 0213 === [[JIS X 0213]](拡張漢字)は、JIS X 0208の漢字集合を拡張した漢字集合を規定する。規格票解説によれば、この文字集合は「JIS X 0208が当初符号化を意図していた現代日本語を符号化するために十分な文字集合を提供することを目的として設計された」ものである。 JIS X 0208とJIS X 0213は併用されない。JIS X 0213の漢字集合は、JIS X 0208の漢字集合で表現できるすべての文字を含む、非漢字1,183文字および漢字10,050文字の合計11,233文字からなり、JIS X 0213に規定された符号で運用される。 JIS X 0213は一見するとJIS X 0208に規定された符号化文字集合の上位互換な符号化文字集合を規定または参考として提供しているように見える。しかし厳密にはJIS X 0213はJIS X 0208の上位互換ではない。これはJIS X 0213の原案作成委員会も認めるところである(JIS X 0213:2000規格票解説5.3.2、JIS X 0213:2000/追補1:2004規格票解説3.2.2)。 JIS X 0213がJIS X 0208の上位互換でないというのは、JIS X 0213ではJIS X 0208の一部の区点位置について'''包摂分離'''がおこなわれたというところによる。すなわちJIS X 0208において明示的に包摂されて一つの区点位置で表現されていた相異なる字体に対し、JIS X 0213ではそれぞれ独立の面区点位置が与えられている場合がある。このため、JIS X 0208の符号によって符号化されたデータがJIS X 0213の符号に変換できないことがある。 例えばJIS X 0208の33区46点(僧)には、「人偏に曽」の字体、「人偏に曾(第1画および第2画は「八」)」の字体および「人偏に{{Lang|zh-Hans|曾}}(第1画および第2画は「ソ」)」の字体が包摂されている。JIS X 0213ではこれについて包摂分離をおこない、1面33区46点に「人偏に曽」および「人偏に{{Lang|zh-Hans|曾}}(第1画および第2画は「ソ」)」を包摂して、1面14区41点を「人偏に曾(第1画および第2画は「八」)」とした。したがってJIS X 0208の33区46点をJIS X 0213に移す際に、1面33区46点と1面14区41点のいずれに移すべきかが機械的には定められない{{efn|これはISO/IEC 646のHYPHEN-MINUSを、JIS X 0208のHYPHENまたはMINUS SIGNのいずれに移すべきかが定まらないのと同様である。}}。 もっとも、現実にはJIS X 0208の''m''区''n''点とJIS X 0213の1面''m''区''n''点を一対一に対応させることがおこなわれていて、それによって大きな混乱は生じていない。大きな混乱がない理由としては、多くの[[フォント|書体]]がJIS X 0208の例示字体にならった字体を採用してきたこと、利用者の多くが包摂規準の存在を意識していないことなどが考えられる。 === ISO/IEC 10646およびUnicode === JIS X 0208の漢字は[[ISO/IEC 10646]] (UCS) および[[Unicode]]のCJK統合漢字の当初からの原規格である。JIS X 0208のすべての漢字が、UCS/Unicodeの[[基本多言語面]]のいずれかの符号位置に対応する。 JIS X 0208の非漢字も、すべて、基本多言語面のいずれかの符号位置に対応する。ただし、一部の特殊文字について、JIS X 0208:1997で与えられた文字の名前に基づくUCS/Unicodeとの対応とは異なる対応を実装しているシステムもある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == 著者名を第1キーとし、発表年を第2キーとして配列する。 *{{Cite journal|author=内田 富雄|year=1990|title=JIS X0212(情報交換用漢字符号—補助漢字)の制定|journal=標準化ジャーナル|volume=20|issue=11|pages=6-11}} *{{Cite web|和書|author=小形 克宏|year=2006a|title= JIS C 6226-1983 (83JIS) で例示字体を変更したうち、97JISで包摂とされなかったもの|url=http://homepage.mac.com/ogwata/.Public/83JIS_gokan.pdf|format=PDF |accessdate=2007年1月29日}} *{{Cite web|和書|author=小形 克宏|year=2006b|title=JIS C 6226-1983 (83JIS) 例示字体変更のうち、包摂の範囲内だったもの|url=http://homepage.mac.com/ogwata/.Public/97unify.pdf|format=PDF |accessdate=2007年1月29日}} *{{Cite journal|author=佐藤 敬幸|year=2004|title=JIS X 0213(7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合)の改正について|journal=標準化ジャーナル|volume=34|issue=4|pages=8-12}} *{{Cite journal|author=芝野 耕司|year=1997a|title=JIS X0208(7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化漢字集合)の改正について|journal=標準化ジャーナル|volume=27|issue=3|pages=8-12}} *{{Cite journal|author=芝野 耕司|year=1997b|title=JIS漢字の拡張計画|journal=標準化ジャーナル|volume=27|issue=7|pages=5-11}} *{{Cite journal|author=芝野 耕司|year=2000|title=JIS X 0213(7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合) の制定|journal=標準化ジャーナル|volume=30|issue=3|pages=3-7}} *{{Cite journal|author=芝野 耕司|year=2001|title=JIS漢字について|journal=標準化と品質管理|volume=54|issue=8|pages=44-50}} *{{Cite book|author=芝野 耕司(編著)|year=2002|title=増補改訂 JIS漢字字典|publisher=日本規格協会|id=ISBN 4-542-20129-5}} *{{Cite journal|author=芝野 耕司|year=2002|title=漢字・日本語処理技術の発展: 漢字コードの標準化|journal=情報処理|volume=43|issue=12|pages=1362-1367| url=https://web.archive.org/web/20061020040655/http://www.ipsj.or.jp/katsudou/museum/paper/magazine/IPSJ-MGN431217.pdf}} *{{Cite journal|author=田嶋 一夫|year=1979|title=JIS漢字表の利用上の問題: 漢字処理システムにおける漢字のデザインと管理|journal=情報管理|volume=21|issue=10|pages=753-761}} *{{Cite journal|author=西村 恕彦|year=1978|title=漢字のJIS|journal=標準化ジャーナル|issue=171|pages=3-8}} *{{Cite journal|author=野村 雅昭|year=1984|title=JIS C 6226 情報交換用漢字符号系の改正|journal=標準化ジャーナル|volume=14|issue=3|pages=4-9}} *{{Cite journal|author=安岡 孝一|year=2001a|title=日本における最新文字コード事情(前編)|journal=システム/制御/情報|volume=45|issue=9|pages=528-535}} *{{Cite journal|author=安岡 孝一|year=2001b |title=日本における最新文字コード事情(後編)|journal=システム/制御/情報|volume=45|issue=12|pages=687-694}} *{{Cite journal|author=安岡 孝一|year=2006|title=JIS漢字案 (1976) とJIS C 6226-1978の異同|journal=東洋学へのコンピュータ利用|volume=第17回研究セミナー|pages=3-51|url=http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/publications/2006-03-24.pdf}} *{{Cite book|author=安岡 孝一|year=2006|coauthors=安岡 素子|title=文字符号の歴史: 欧米と日本編|publisher=共立出版|id=ISBN 4-320-12102-3}} == 関連項目 == *日本産業規格の符号化文字集合 **[[JIS X 0201]] 7ビット及び8ビットの情報交換用符号化文字集合 **JIS X 0202 情報技術—文字符号の構造及び拡張法 ([[ISO/IEC 2022]]) **'''JIS X 0208''' 7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化漢字集合 **JIS X 0211 符号化文字集合用制御機能 ([[ISO/IEC 6429]]) **[[JIS X 0212]] 情報交換用漢字符号—補助漢字 **[[JIS X 0213]] 7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合 **[[JIS X 0221]] 国際符号化文字集合 (UCS) ([[ISO/IEC 10646]]) *[[拡張新字体]] *[[幽霊文字]] == 外部リンク == *情報処理学会情報規格調査会 (IPSJ/ITSCJ) が管理する[https://www.itscj.ipsj.or.jp/ISO-IR/overview.htm 国際登録簿] **{{Wayback|url=http://kikaku.itscj.ipsj.or.jp/ISO-IR/042.pdf |title=Japanese Character Set JIS C 6226-1978|date=20140512222323}} **{{Wayback|url=http://kikaku.itscj.ipsj.or.jp/ISO-IR/087.pdf |title=Japanese Character Set JIS C 6226-1983|date=20140512232050}} **{{Wayback|url=http://kikaku.itscj.ipsj.or.jp/ISO-IR/168.pdf |title=Update Registration 87 Japanese Graphic Character Set for Information Interchange|date=20140512224322}} *{{cite jis|X|0208|2012|name=7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化漢字集合}} *[https://www.jisc.go.jp/app/jis/general/GnrJISSearch.html 日本規格協会データベース検索] - 最新の規格票が購入できる。 *[https://www.aozora.gr.jp/hosetsu_kijyun/ JIS X 0208と0213規格票の包摂関連項目] *[https://www.asahi-net.or.jp/~AX2S-KMTN/ref/jisx0208.html Cyber Librarian - JIS基本漢字] {{文字コード}} [[Category:JIS規格番号|X0208]] 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アポロ
アポロ(ラテン語: Apollo) *神ヘスティアの元彼
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アポロ アポロ(アポロー) - ローマ神話の太陽神。ギリシア神話のアポローンに相当。アポローン#異名とローマ神話を参照。
'''アポロ'''({{lang-la|Apollo}}) * アポロ(アポロー) - [[ローマ神話]]の[[太陽神]]。[[ギリシア神話]]の'''[[アポローン]]'''に相当。[[アポローン#異名とローマ神話]]を参照。 == 人名 == * {{仮リンク|アポロ (新約聖書)|en|Apollos}} - [[新約聖書]]に登場する[[ユダヤ人]]キリスト教徒。 * [[アポロ・アントン・オーノ]] ('''Apolo''' Anton Ohno) - [[アメリカ合衆国]]の[[スピードスケート]]選手。 * [[アポロ・パパサナシオ]] - [[スウェーデン]]の[[歌手]]。 ; 芸名 * [[APOLLO (レゲエミュージシャン)]] - [[日本]]の[[レゲエ]]音楽家、[[YouTuber]]。 * [[アポロ菅原]] - 日本の[[プロレスラー]]。 * [[アポロ嘉男]] - 日本の[[プロボクサー]]。 * [[アポロ (ケータイ小説家)]] - 日本の[[ケータイ小説]]家。 * [[アポロ (占い師)]] - 日本のタロット占い師。 * [[あぽろ]] - 日本の[[実況プレイ|ゲーム実況者]]、YouTuber。 *神ヘスティアの元彼 == 企業・団体名 == * [[アポロ (企業)]] - 日本のソフトウェア開発・販売会社。 * [[アポロ社]] - 日本の玩具メーカー。[[エポック社]]のグループ企業。 * [[アポロ・アウトモビリ]] - ドイツの自動車メーカー。 * [[アポロ医療器]] - 日本の健康器具製造販売会社。 * [[アポロ・グローバル・マネジメント]] - アメリカ合衆国の[[プライベート・エクイティ・ファンド]]。 * アポロ工業 - かつて存在した日本の自動車部品・金属製品メーカー。[[サンウエーブ工業#沿革]]を参照。 * [[アポロコンピュータ]] - アメリカ合衆国のコンピュータ会社。 * {{仮リンク|オーランド・アポロズ|en|Orlando Apollos}} - [[アライアンス・オブ・アメリカン・フットボール|AAF]]の[[アメリカンフットボール]]チーム。 * {{仮リンク|アポロ 100|en|Apollo_100}} - イギリスのバンド == 商品名 == * [[APOLLO (ピアノ)]] - 日本の[[ピアノ]]メーカー[[東洋ピアノ製造]]が販売するピアノの[[ブランド]]。 * [[Apollo/Domain]] - [[アポロコンピュータ]]がかつて開発・販売していた[[ワークステーション]]。 * [[グンペルト・アポロ]] - [[アポロ・アウトモビリ]]がかつて製造販売していた[[スーパーカー]]。 * Apollo - [[アドビ]]が開発するソフトウェア、[[Adobe AIR]]の旧商品名。 * [[アポロ (菓子)]] - [[明治 (企業)|明治]](旧:[[明治製菓]])が販売する[[チョコレート]]菓子。 * アポロ - 過去に[[出光興産]]が販売する石油製品、および同社が運営する[[ガソリンスタンド]]のブランド。現在はアポロマークと『Idemitsu』の表記である。ガソリンスタンドのブランドとしては『アポロステーション』が使われる。 * [[ナガイパン#アポロ(スペースアポロ)|アポロ(スペースアポロ)]] - かつて[[ナガイパン|ナガイのパン]]がアポロとして販売し、関連会社の[[フジパン]]によってスペースアポロとして復活した[[菓子パン]]。 * アポロ式 - アポロ工業が製造販売した[[自動車]]の矢羽式(腕木式)[[方向指示器]]を指す名称。[[方向指示器#歴史]]を参照。 == 施設名 == * [[アポロ・シアター]] - アメリカ合衆国の多目的劇場。 * [[あべのアポロ]] - [[大阪市]][[阿倍野区]]の「きんえいアポロビル」に入居する[[複合商業施設]]。 == 文学・芸術 == * [[アポロ賞]] - [[フランス]]の文学賞。 == 作品名 == * 音楽 ** [[APOLLO (大江千里のアルバム)]] *** [[APOLLO (大江千里の曲)]] → [[APOLLO (大江千里のアルバム)]]を参照。 ** [[APOLLO (PERSONZのアルバム)]] ** [[APOLLO (沢靖英の曲)]] - [[沢靖英]]のシングル。テレビアニメ『[[大草原の小さな天使 ブッシュベイビー]]』オープニングテーマ。 ** [[アポロ (曲)]] - 日本のロックバンド、[[ポルノグラフィティ]]のデビューシングル。 == 宇宙・天文 == * [[アポロ計画]] - [[アメリカ合衆国]]の月探査計画。 ** 上記計画の宇宙船の名については[[アポロ計画の一覧]]を参照。 * [[アポロ (クレーター)]] - 月の裏側にある巨大な[[クレーター]]。 * [[アポロ群]] - 地球の公転軌道と交差する動きをする小惑星の一群。 ** [[アポロ (小惑星)]] - アポロ群に属する小惑星。 == 競馬 == * [[アポロ (競走馬)]] - アメリカ合衆国の[[サラブレッド]]の[[競走馬]]。1882年[[ケンタッキーダービー]]優勝。 * [[アポロサラブレッドクラブ]] - 日本の競走馬[[馬主]]。 ** 上記馬主の産駒は「アポロ」の[[冠名]]を使用する。[[アポロサラブレッドクラブ#おもな所有馬]]を参照。 == 軍事 == * イギリス海軍の艦艇 ** [[アポロ (防護巡洋艦)]] - 1891年進水のアポロ級防護巡洋艦。第一次世界大戦時は機雷敷設艦として活動。1920年解体。 ** [[アポロ (軽巡洋艦)]] - 1934年進水のリアンダー級軽巡洋艦。1939年にオーストラリア海軍所属となり[[ホバート (軽巡洋艦)|ホバート]]と改名。 ** [[アポロ (高速機雷敷設艦)]] - 1943年進水のアブディール級機雷敷設艦。1962年解体。 ** [[アポロ (フリゲート)]] - 1970年進水のリアンダー級フリゲート。1988年にパキスタンへ売却。 == フィクション == * キャラクターなど架空の名称 ** アポロ・クリード - 映画『[[ロッキー (映画)|ロッキー]]』シリーズの登場人物。 ** アポロ - ゲーム『[[PC原人 (1989年のゲーム)|PC原人]]』に登場するキャラクター。 ** アポロ - 『[[ポケットモンスター ハートゴールド・ソウルシルバー]]』の登場人物。[[ポケットモンスター 金・銀の登場人物#ロケット団]]を参照。 ** アポロ - 『[[創聖のアクエリオン]]』の主人公。 ** アポロ - SFドラマ『[[スターゲイト アトランティス]]』に登場する超光速宇宙戦艦。[[ダイダロス (スターゲイト)#アポロ]]を参照。 ** アポロ - ゲーム『[[モンスターストライク]]』に登場するキャラクター。火属性。現在は獣神化改まで実装済み。 == 関連項目 == * {{prefix}} * {{intitle}} * {{prefix|apollo}} * {{intitle|apollo}} * [[アポロ級]]([[曖昧さ回避]]) * [[アポロン (曖昧さ回避)]] - [[ギリシア語]] {{Aimai}} {{デフォルトソート:あほろ}} [[Category:ラテン語の語句]] [[Category:同名の企業]] [[Category:同名の建築物]] [[Category:同名の作品]]
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ニーケー
ニーケー(古希: Νίκη, Nīkē、古代ギリシャ語発音:[nǐːkɛː])は、ギリシア神話に登場する勝利の女神。日本語では長音を省略しニケと表記する場合もある。ローマ神話ではウィクトーリア (Victōria) と同一視される。 ティーターン族の血族パラースとステュクス(冥界の河)の子。兄弟は、ゼーロス(鼓舞)、クラトス(力)、ビアー(暴力)。ティーターノマキアーには、ステュクスの命によりオリュムポス側につき、ゼウスに賞されたという。 一般には有翼の女性の姿で表される。アテーナーの随神だが、アテーナーの化身とする場合もある。しかし、ローマ神話のウィクトーリアは、マールスに付き従う。アテーナイのパルテノン神殿の本尊であったアテーナー神像では、右手の上に載せられていた。 サモトラーケー島で発掘された彫像「サモトラケのニケ」が有名。 英語ではナイキ(Nike、英語発音: [ˈnaɪki])と発音される。スポーツ用品メーカー「ナイキ」の社名はこの女神に由来する。トレードマークはこの女神の翼をイメージしたもの。
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ニーケーは、ギリシア神話に登場する勝利の女神。日本語では長音を省略しニケと表記する場合もある。ローマ神話ではウィクトーリア (Victōria) と同一視される。 ティーターン族の血族パラースとステュクス(冥界の河)の子。兄弟は、ゼーロス(鼓舞)、クラトス(力)、ビアー(暴力)。ティーターノマキアーには、ステュクスの命によりオリュムポス側につき、ゼウスに賞されたという。 一般には有翼の女性の姿で表される。アテーナーの随神だが、アテーナーの化身とする場合もある。しかし、ローマ神話のウィクトーリアは、マールスに付き従う。アテーナイのパルテノン神殿の本尊であったアテーナー神像では、右手の上に載せられていた。 サモトラーケー島で発掘された彫像「サモトラケのニケ」が有名。 英語ではナイキ(Nike、)と発音される。スポーツ用品メーカー「ナイキ」の社名はこの女神に由来する。トレードマークはこの女神の翼をイメージしたもの。
{{redirect|ニケ}} {{出典の明記|date=2018年2月2日 (金) 08:42 (UTC)}} [[File:Nike Samothrace 001.jpg|thumb|[[サモトラケのニケ]]像([[ルーヴル美術館]]所蔵)]] '''ニーケー'''({{lang-grc-short|Νίκη, Nīkē}}、<small>[[古代ギリシャ語]]発音:</small>{{IPA-el|nǐːkɛː|}})は、[[ギリシア神話]]に登場する勝利の[[女神]]。[[日本語]]では長音を省略し'''ニケ'''と表記する場合もある。[[ローマ神話]]では'''[[ウィクトーリア]]''' ({{lang|la|Victōria}}) と同一視される。 [[ティーターン]]族の血族[[パラース]]と[[ステュクス]](冥界の河)の子。兄弟は、[[ゼーロス]](鼓舞)、[[クラトス]](力)、[[ビアー]](暴力)。[[ティーターノマキアー]]には、ステュクスの命によりオリュムポス側につき、[[ゼウス]]に賞されたという。 一般には有翼の女性の姿で表される。[[アテーナー]]の随神だが、アテーナーの化身とする場合もある。しかし、ローマ神話のウィクトーリアは、[[マールス]]に付き従う。アテーナイのパルテノン神殿の本尊であったアテーナー神像では、右手の上に載せられていた。 [[サモトラキ島|サモトラーケー島]]で発掘された彫像「[[サモトラケのニケ]]」が有名。 [[英語]]では'''ナイキ'''({{lang|el|Nike}}、{{IPA-en|ˈnaɪki}})と発音される。スポーツ用品メーカー「[[ナイキ]]」の社名はこの女神に由来する。トレードマークはこの女神の翼をイメージしたもの。 ==ニケの像== *[[サモトラケのニケ]] *[[独立記念碑 (メキシコ)]] == 関連項目 == {{Commonscat|Nike|ニーケー}} * [[ニカの乱]] - '''ニカ'''(勝て)は'''ニケ'''と同語源である。 * [[ニケ (小惑星)]] == 脚注 == {{reflist}} <gallery> ファイル:Paris.louvre.winged.500pix.jpg|サモトラケのニケ </gallery> {{ギリシア神話}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:にいけえ}} [[Category:ギリシア神話の神]] [[Category:女神]] [[Category:勝利]]
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森博嗣
森 博嗣(もり ひろし、1957年〈昭和32年〉12月7日 - )は、日本の工学者・小説家・随筆家・同人作家。工学博士(名古屋大学・論文博士・1990年)。元名古屋大学大学院環境学研究科都市環境学専攻助教授。ローマ字表記は「MORI Hiroshi」。妻はイラストレーターのささきすばる。近年は、清涼院流水が立ち上げたプロジェクト「The BBB」(Breakthrough Bandwagon Books)に参加し、『スカイ・クロラ』(2001年)『すべてがFになる』(1996年)など英語版の著作を発表している。 『すべてがFになる』でデビュー。2005年まで工学部教授として大学に勤務しながら、理系ミステリーを数多く発表する。作品に『スカイ・クロラ』、『カクレカラクリ』(2006年)、『Xの悲劇』(2016年)など。科学エッセイも執筆している。 1957年12月7日、愛知県に生まれる。実家は、商店など商業施設の建築設計を主に請け負う工務店だった。 東海中学校・高等学校卒業後、名古屋大学工学部建築学科に進学した。同大学大学院修士課程修了後、三重大学工学部に助手として採用される。その後、31歳のとき、母校に助教授として採用された。 1990年、工学博士(名古屋大学)の学位を取得(いわゆる論文博士)。学位論文は「フレッシュコンクリートの流動解析法に関する研究」である。 1995年の夏休みに処女作『冷たい密室と博士たち』を約1週間で執筆。原稿募集が始まったメフィストに投稿し、編集部から次作の要望を受ける。第4作『すべてがFになる』の完成後、メフィスト編集部がメフィスト賞の誕生を発表。『すべてがFになる』が第1回メフィスト賞受賞作となる。1996年4月のデビュー作『すべてがFになる』刊行時には第5作目までが刊行予定とされていた。それ以降も大学で勤務しながらハイペースで作品を発表し、一躍人気作家となる。当初の著者プロフィールでは「国立N大学助教授」や「某国立大学の工学部助教授」としていたが、2005年に名古屋大学を退官した後は「作家」や「工学博士」などに変更している。 教員時代の海外へ短期留学の時期および三重大学に勤務していた時期以外は、故郷の愛知県に居住していた。2013年時点で「涼しい国」に在住していた模様。ただし「外国」とは書いていないので、信濃国や越前国の可能性もある。また町内会に入会していたとのことである。2017年の著作では「現在、海外のどこか涼しい国にいるらしい」と書かれている。 妻は同人活動で知り合ったイラストレーターのささきすばるで、小説家としてデビュー後は小説の挿絵や絵本で共著がある。 かつて飼っていたシェットランド・シープドッグの「森都馬(もり とうま)」が、2005年3月24日に死んだ後は、同じくシェットランド・シープドッグの「パスカル」および「ヘクト」を飼っている(両方とも雄)。 学生時代から多趣味であり、鉄道模型・飛行機模型・音響装置・自動車などに関する記述がホームページ上で多く見られる。特に小学生の頃にHOゲージから始めた鉄道模型は、デビュー後に購入した敷地に5インチゲージの庭園鉄道「欠伸軽便鉄道弁天ヶ丘線」(2010年5月で廃線)や「梵天坂線」を「開業」し、車両制作のために大型の工作機械を導入するなど、本格的なレベルで活動している。鉄道には招かれた作家や編集者以外にも、ファンの集いなどで乗車会を行っている。愛犬の森都馬はこの庭園鉄道の「駅長」を長く務めた。都馬の死後は、パスカルが「駅長」、ヘクトが「助役」を務めている。 自動車好きを公言しており、愛車は予約して購入したホンダ・ビートと、印税を元に購入したポルシェ・911。他にミニや、光岡のキットカー「K-2」なども所有している。 同時期にデビューした京極夏彦、森の影響を公言し「神」とまで評価する西尾維新、哲学者の土屋賢二らとは複数回対談を行っている。特に京極や土屋とは一緒に旅行へ行くほどの仲だという。また森に続いてメフィスト賞でデビューした清涼院流水の作品にゲストとして参加したり、清涼院が立ち上げた作家の英語圏進出プロジェクト・The BBBに参加するなどしている(2016年3月に英語版短編集『Seven Stories』を刊行。『スカイ・クロラ』の英訳も予告されている)。他にもよしもとばななとは家族ぐるみの交流がある。その一方で小説家の知り合いは少ないとも発言しており、文庫版の解説に起用されるのも、落語家や学術関係者など出版業界とは関係の薄い人物や、同人作家時代に知り合った漫画家であることが多い。 専攻は主にコンクリートなどの建築材料の数値解析に関する分野(粘塑性流体の数値解析手法)で、当時登場したばかりのC言語を利用しており、構造計算に関する専門書も執筆した。また計算だけでなくコンクリート標本の曝露試験など屋外実験も行っている。 1988年に、谷川恭雄、黒川善幸らとともに「振動力を受けるフレッシュコンクリートの流動解析法」で、第16回セメント協会論文賞を受賞。谷川と黒川は、名前を伏せた上で日記に登場したほか、Mシリーズに登場する人物のモデルにもなっている。 毛利衛がエンデバー号内部で紙飛行機を飛ばす実験を行う前に、パソコン通信で懸賞問題として出された「無重力状態で紙飛行機の挙動」を理論的に予測し的中させた。JAXAによる説明とは答えが異なっているが、これは前提となる環境条件が違うため。賞品として小さなトロフィーが贈られたという。 大学の卒業制作(図面)は図書館。建築士の資格は有していないが、試験問題の作成を担当したことがある。 2000年代になって長らく技術が途絶えていたジャイロモノレールを復活させた。動画サイトへのジャイロモノレールの動画の投稿後、これらの動画に触発され、ジャイロモノレールの投稿動画の数が増えた。 近年はジェットエンジンで推進する機関車などを作っている。 作者が工学部の助教授であったことに加え、デビュー当時は一般的でなかったコンピュータや電子メールを駆使する人物、科学や工学分野に関する専門的な会話が説明なしに交わされたり、作中で難解な数学問題が提示されるという展開から「理系ミステリ」と評された。 理系と称される要因の1つとして、「外来語のカタカナ表記において音引きを省略する」という原則を徹底していることが挙げられる。これは理系分野においては一般的に外国語の単語をカタカナに直す際に長音を省くことが多いためであるが、森の場合、日常語においても音引きを略すのが特徴的である。かつて日本工業規格(JIS Z 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ほとんどの作品の扉または巻頭部分に、引用文が載せられている。引用元は『オブジェクト指向システム分析設計入門』(青木淳著 ソフト・リサーチ・センター刊)のような専門書から、『不思議の国のアリス』のような古典文学まで多岐にわたる。この引用文の役割は、 などである。 また、日本語タイトルに先んじて考えるという英語タイトルは、その著作を本質的に表しているものになっている。一方で『スカイ・クロラ』や『奥様はネットワーカ』のように、英語のタイトルも同じになっている作品もある。実際に推理小説ではタイトルのみを先に決めて、それに合わせて後から内容やトリックを考えることが多いという(本人が明らかにしているものとしては『すべてがFになる』『封印再度』など)。 デビュー前から一貫してMacユーザであり、ワープロソフトはクラリスワークス、インプットメソッドはATOKが気に入らなかったため、ことえりを使っていたが、後にATOKへ移行した。 京極夏彦とともに手書きやワープロ専用機ではなく、デビュー当初からパソコンで執筆を完結させる作家の先駆けとされている。 高校時代に同級生であった堀田清成らと漫画研究同好会設立に参画、機関紙「べた」を創刊するなど、積極的に活動を行っていた。絵のタッチは、崇拝する萩尾望都に限りなく近いと自称している。 大学進学後は漫画研究会を設立しており、漫画家の荻野真とをかべまさゆきは研究会の後輩だった。学外でも堀田らと同人サークル「グループドガ」(GROUP DEGAS)を主宰し、創作オンリーという当時でも硬派な同人誌即売会「コミック・カーニバル」を開催し、迷宮とも連携していた。グループドガ解体後は、後に妻となるささきすばるが会長を務める「出版JetPlopost」で活動するなど、当時は東海地方の同人業界では中心的な存在であった。当時のペンネームは「森むく」。当時のJetPlopostには、山田章博やコジマケンなどが在籍しており、小説家としてデビュー後に2人のイラストが森の本に採用されている。1980年代中盤から同人の商業化が東海地方にも波及するのに前後し、同人からは引退。同人作家時代のエピソードは、米澤嘉博が「数奇にして模型」文庫版の解説で言及している他、グループドガ時代の同人誌が明治大学の米沢嘉博記念図書館に収蔵されている。 同人時代から熊のイラストを多用しており、小説家としてデビュー後もWebサイトや栞に描いている。 小説家としてデビュー後、作品が漫画化されたりイラストを描くことはあったが、2014年現在まで新作のオリジナル漫画は発表していない。 デビュー当初から執筆活動を「対価を得るためのビジネス」というスタンスをとっており、「いずれ執筆をやめる」とまで宣言していた。2008年12月には、ブログの更新も終了した。今後一切の取材、講演会などを引き受けず、ファン・メールへの返信もやめ表舞台から姿を消すこと、予定している15作品(長編小説のみで)の出版を残すのみであることを発表した。ただし、この発表の中で、「少しずつ間隔をあけて、どんどんさきへ伸ばすかもしれません」とも述べている。この発表の前にも、森は「今確実なことは、いつまでも続けるつもりではないこと、今後は少しずつ表に出る機会を減らし、人知れず地味に静かに消えたいと願っていること、である」と述べている。 以降は当初の目的である「ビジネスとして」ではなく「趣味としての」小説に切り替える一方で、趣味である「欠伸軽便鉄道」に関しては積極的にレポートの更新や動画投稿、専門誌への寄稿を継続している。またノンフィクションも定期的に出版する予定があると予告し、実際に2010年以降はノンフィクションの出版を増やしている。 2008年12月31日に「最後のご挨拶」とされ、『百年シリーズ』最終作以後小説を書くことはないとされていたが、そのちょうど5年後の2013年12月31日、「久し振りのご挨拶」として近況報告が行われ、心境に若干の変化があったためとされる。 なお、「引退する」と述べたことはない旨の発言をしていたが、現在では「作家を引退した」と明言し、新作小説の執筆、取材、講演会などは断っているが、例外的にエッセイは「締切が3か月以上先で、内容、発表形態、料金についてメールで明示する」ことを条件に引き受けている。また、以前から親交のある編集者からの依頼を受けて、前述した長編15作品の予定になかった単発作品も執筆している。 一部の著作を除き世界観が時系列で繋がっており、『S&Mシリーズ、Vシリーズ、四季シリーズ、百年シリーズ』が一連のサーガとなっている。また、『Gシリーズ、Xシリーズ、Wシリーズ』や短編集等とも世界観を共有している。『S&Mシリーズ、Vシリーズ、百年シリーズ』は予備知識がなくても読むことができ、『四季シリーズ、Gシリーズ、Xシリーズ、Wシリーズ』等は他シリーズで設定をあらかじめ把握した上で読んだ方がより良いとされる。(もっとも、作者である森自身はどのような順番で読んでも良いと繰り返し述べている) 「」内が森博嗣の作品 発行から20年以上経過しているため入手困難。いくつかは『森博嗣のミステリィ工作室』に縮小した形で収録されている。また一部の作品のタイトルは小説に流用されている。
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"作者が工学部の助教授であったことに加え、デビュー当時は一般的でなかったコンピュータや電子メールを駆使する人物、科学や工学分野に関する専門的な会話が説明なしに交わされたり、作中で難解な数学問題が提示されるという展開から「理系ミステリ」と評された。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "理系と称される要因の1つとして、「外来語のカタカナ表記において音引きを省略する」という原則を徹底していることが挙げられる。これは理系分野においては一般的に外国語の単語をカタカナに直す際に長音を省くことが多いためであるが、森の場合、日常語においても音引きを略すのが特徴的である。かつて日本工業規格(JIS Z 8301)において「その言葉が3音以上の場合には、語尾に長音符号をつけない」という規定があった。「コンピュータ」など一部の語のみ長音記号を省略する小説家はいたが、これを徹底して小説に持ち込んだ。また、独自のルールとして子音+yで終わる言葉には「ィ」を用いている(例:mystery → 「ミステリィ」)。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "論文や科研費の申請書などの事務書類で覚えたという論理的な文章でありながら、作中に詩や歌詞が挿入されるという展開、「意味なしジョーク」と称されるシュールなジョーク、最後まで答えが明かされない難解なパズルや数学問題など、既存の作家には見られなかった特異な作風が話題となった。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "当初は広義の推理小説を中心として執筆していたが、次第にSF、幻想小説、架空戦記、剣豪小説などの他ジャンル、ブログの書籍化、エッセイ、絵本、詩集といった他の分野へも進出を果たした。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": 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"作品の特徴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "また、日本語タイトルに先んじて考えるという英語タイトルは、その著作を本質的に表しているものになっている。一方で『スカイ・クロラ』や『奥様はネットワーカ』のように、英語のタイトルも同じになっている作品もある。実際に推理小説ではタイトルのみを先に決めて、それに合わせて後から内容やトリックを考えることが多いという(本人が明らかにしているものとしては『すべてがFになる』『封印再度』など)。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "デビュー前から一貫してMacユーザであり、ワープロソフトはクラリスワークス、インプットメソッドはATOKが気に入らなかったため、ことえりを使っていたが、後にATOKへ移行した。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "京極夏彦とともに手書きやワープロ専用機ではなく、デビュー当初からパソコンで執筆を完結させる作家の先駆けとされている。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "高校時代に同級生であった堀田清成らと漫画研究同好会設立に参画、機関紙「べた」を創刊するなど、積極的に活動を行っていた。絵のタッチは、崇拝する萩尾望都に限りなく近いと自称している。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "大学進学後は漫画研究会を設立しており、漫画家の荻野真とをかべまさゆきは研究会の後輩だった。学外でも堀田らと同人サークル「グループドガ」(GROUP DEGAS)を主宰し、創作オンリーという当時でも硬派な同人誌即売会「コミック・カーニバル」を開催し、迷宮とも連携していた。グループドガ解体後は、後に妻となるささきすばるが会長を務める「出版JetPlopost」で活動するなど、当時は東海地方の同人業界では中心的な存在であった。当時のペンネームは「森むく」。当時のJetPlopostには、山田章博やコジマケンなどが在籍しており、小説家としてデビュー後に2人のイラストが森の本に採用されている。1980年代中盤から同人の商業化が東海地方にも波及するのに前後し、同人からは引退。同人作家時代のエピソードは、米澤嘉博が「数奇にして模型」文庫版の解説で言及している他、グループドガ時代の同人誌が明治大学の米沢嘉博記念図書館に収蔵されている。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "同人時代から熊のイラストを多用しており、小説家としてデビュー後もWebサイトや栞に描いている。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "小説家としてデビュー後、作品が漫画化されたりイラストを描くことはあったが、2014年現在まで新作のオリジナル漫画は発表していない。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "デビュー当初から執筆活動を「対価を得るためのビジネス」というスタンスをとっており、「いずれ執筆をやめる」とまで宣言していた。2008年12月には、ブログの更新も終了した。今後一切の取材、講演会などを引き受けず、ファン・メールへの返信もやめ表舞台から姿を消すこと、予定している15作品(長編小説のみで)の出版を残すのみであることを発表した。ただし、この発表の中で、「少しずつ間隔をあけて、どんどんさきへ伸ばすかもしれません」とも述べている。この発表の前にも、森は「今確実なことは、いつまでも続けるつもりではないこと、今後は少しずつ表に出る機会を減らし、人知れず地味に静かに消えたいと願っていること、である」と述べている。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "以降は当初の目的である「ビジネスとして」ではなく「趣味としての」小説に切り替える一方で、趣味である「欠伸軽便鉄道」に関しては積極的にレポートの更新や動画投稿、専門誌への寄稿を継続している。またノンフィクションも定期的に出版する予定があると予告し、実際に2010年以降はノンフィクションの出版を増やしている。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "2008年12月31日に「最後のご挨拶」とされ、『百年シリーズ』最終作以後小説を書くことはないとされていたが、そのちょうど5年後の2013年12月31日、「久し振りのご挨拶」として近況報告が行われ、心境に若干の変化があったためとされる。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "なお、「引退する」と述べたことはない旨の発言をしていたが、現在では「作家を引退した」と明言し、新作小説の執筆、取材、講演会などは断っているが、例外的にエッセイは「締切が3か月以上先で、内容、発表形態、料金についてメールで明示する」ことを条件に引き受けている。また、以前から親交のある編集者からの依頼を受けて、前述した長編15作品の予定になかった単発作品も執筆している。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "一部の著作を除き世界観が時系列で繋がっており、『S&Mシリーズ、Vシリーズ、四季シリーズ、百年シリーズ』が一連のサーガとなっている。また、『Gシリーズ、Xシリーズ、Wシリーズ』や短編集等とも世界観を共有している。『S&Mシリーズ、Vシリーズ、百年シリーズ』は予備知識がなくても読むことができ、『四季シリーズ、Gシリーズ、Xシリーズ、Wシリーズ』等は他シリーズで設定をあらかじめ把握した上で読んだ方がより良いとされる。(もっとも、作者である森自身はどのような順番で読んでも良いと繰り返し述べている)", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "「」内が森博嗣の作品", "title": "作品リスト" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "発行から20年以上経過しているため入手困難。いくつかは『森博嗣のミステリィ工作室』に縮小した形で収録されている。また一部の作品のタイトルは小説に流用されている。", "title": "作品リスト(その他)" } ]
森 博嗣は、日本の工学者・小説家・随筆家・同人作家。工学博士(名古屋大学・論文博士・1990年)。元名古屋大学大学院環境学研究科都市環境学専攻助教授。ローマ字表記は「MORI Hiroshi」。妻はイラストレーターのささきすばる。近年は、清涼院流水が立ち上げたプロジェクト「The BBB」に参加し、『スカイ・クロラ』(2001年)『すべてがFになる』(1996年)など英語版の著作を発表している。 『すべてがFになる』でデビュー。2005年まで工学部教授として大学に勤務しながら、理系ミステリーを数多く発表する。作品に『スカイ・クロラ』、『カクレカラクリ』(2006年)、『Ⅹの悲劇』(2016年)など。科学エッセイも執筆している。
{{Other people}} {{Infobox 作家 |name= 森 博嗣<br />(もり ひろし) |birth_date={{生年月日と年齢|1957|12|7}} |birth_place={{JPN}}・[[愛知県]] |death_date= |death_place= |occupation=[[作家]]<br>元[[大学教員]] |nationality={{JPN}} |period=[[1996年]] - |genre=[[推理小説]] |subject=[[理学]]<br>[[工学]] |movement= |notable_works=『[[すべてがFになる]]』<br>『[[スカイ・クロラシリーズ|スカイ・クロラ]]』 |awards=第1回[[メフィスト賞]](1996年) |debut_works=『すべてがFになる』 |spouse=[[ささきすばる]] |footnotes= }} {{Infobox 学者 |出身校=[[東海中学校・高等学校]]<br>[[名古屋大学]]([[学士]]、[[修士]]、[[博士]]) |時代=[[20世紀]] |活動地域={{JPN}} |研究分野=[[材料工学]]<br>[[コンクリート工学]] |研究機関=[[三重大学]]<br>[[名古屋大学]] |学位=[[学士(工学)|工学士]]<br>[[修士(工学)|工学修士]]<br>[[博士(工学)|工学博士]] |学会= |主な受賞歴=[[森博嗣#受賞歴|受賞歴]]の項を参照 }} '''森 博嗣'''(もり ひろし、[[1957年]]〈[[昭和]]32年〉[[12月7日]] - )は、[[日本]]の[[工学者]]・[[小説家]]・[[随筆家]]・[[同人|同人作家]]。[[博士(工学)|工学博士]]([[名古屋大学]]・[[博士#博士学位の取得方法|論文博士]]・1990年)。元名古屋大学大学院環境学研究科都市環境学専攻[[准教授|助教授]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://researchmap.jp/read0011355|title=森 博嗣 (Hiroshi Mori) - マイポータル - researchmap|accessdate=2021-08-18}}</ref>。[[ローマ字]]表記は「{{スペル|'''MORI Hiroshi'''|lang=ja-Latn}}」。妻はイラストレーターの[[ささきすばる]]。近年は、[[清涼院流水]]が立ち上げたプロジェクト「[[The BBB]]」(Breakthrough Bandwagon Books)に参加し、『[[スカイ・クロラ]]』(2001年)『[[すべてがFになる]]』(1996年)など英語版の著作を発表している。 『すべてがFになる』でデビュー。2005年まで工学部教授として大学に勤務しながら、理系ミステリーを数多く発表する。作品に『スカイ・クロラ』、『カクレカラクリ』(2006年)、『Ⅹの悲劇』(2016年)など。科学エッセイも執筆している。 == 人物 == [[1957年]][[12月7日]]、[[愛知県]]に生まれる。実家は、商店など商業施設の建築設計を主に請け負う[[工務店]]だった。 [[東海中学校・高等学校]]卒業後、[[名古屋大学]][[名古屋大学大学院工学研究科・工学部|工学部]][[建築学科]]に進学した。同大学大学院修士課程修了後、[[三重大学]]工学部に[[助手 (教育)|助手]]として採用される。その後、31歳のとき、母校に[[准教授|助教授]]として採用された{{efn2|『森 博嗣のミステリィ工作室』(メディアファクトリー)154-158ページによれば、この年齢は平均的ではなく自分より若い助教授はいなかったが、研究以外の仕事が増えるためにあまり嬉しくなく、昇任のことは半年妻に黙っていた。}}。 [[1990年]]、[[博士(工学)|工学博士]]([[名古屋大学]])の[[学位]]を取得(いわゆる[[博士#博士学位の取得方法|論文博士]]{{efn2|論文の通し番号が「甲」ではなく「乙」になっているため。}})。[[論文#学位請求論文|学位論文]]は「フレッシュコンクリートの流動解析法に関する研究」である<ref>{{Cite web|和書|url=https://ci.nii.ac.jp/naid/500000064984|title=CiNii 博士論文 - フレッシュコンクリートの流動解析法に関する研究|accessdate=2021-08-18}}</ref>。 <!-- 出典がある記述とコンフリクトするため一旦コメントアウト:大学に在籍していた[[1996年]]、家族に読ませるために書いたミステリー小説<ref>「S&Mシリーズ」に相当</ref>の評価が芳しくなかったため、第三者の評価を知るために、巻末に原稿募集の告知を載せていた[[メフィスト (文芸誌)|メフィスト]]に投稿したところ<ref>後の「冷たい密室と博士たち」に相当する作品</ref>、続編として執筆されていた『[[すべてがFになる]]』を第1回メフィスト賞受賞作として発表された<ref>[http://www.bookclub.kodansha.co.jp/mephisto/ 第一回メフィスト賞|webメフィスト|講談社BOOK倶楽部</ref>。-->1995年の夏休みに処女作{{efn2|ここでは初めて書き上げた小説の意。小説家デビュー作は『[[すべてがFになる]]』。}}『冷たい密室と博士たち』を約1週間で執筆<ref>{{Cite book|和書|author=森博嗣|title=森 博嗣のミステリィ工作室|publisher=講談社|series=講談社文庫|id=ISBN 4-06-273322-6|date=2001-12-15|edition=第1刷|page=222|chapter=第2部 いまさら自作を語る}}</ref>。原稿募集が始まったメフィストに投稿し、編集部から次作の要望を受ける<ref name="quizshowpPA06">{{cite book|和書|title=秘密室ボン QUIZ SHOW|author=清涼院流水|publisher=講談社|series=講談社文庫|id=ISBN 4-06-275403-7|date=2006-05-15|edition=第1刷|page=巻末特別付録 p.06}}</ref>。第4作『[[すべてがFになる]]』の完成後、メフィスト編集部が[[メフィスト賞]]の誕生を発表<ref name="quizshowpPA06"/>。『すべてがFになる』が第1回メフィスト賞受賞作となる。1996年4月のデビュー作『すべてがFになる』刊行時には第5作目までが刊行予定とされていた<ref name="quizshowpPA0608">{{cite book|和書|title=秘密室ボン QUIZ SHOW|author=清涼院流水|publisher=講談社|series=講談社文庫|id=ISBN 4-06-275403-7|date=2006-05-15|edition=第1刷|page=巻末特別付録 p.06、08}}</ref>{{efn2|森博嗣『森 博嗣のミステリィ工作室』(講談社文庫)218、219ページによれば、森の第4作目『すべてがFになる』執筆時に、『すべてがFになる』を最初に発行することが決まった。そのため、登場人物の年齢やコンピュータに関する記述や通信技術など物語の時間を3年ほど戻して書きなおした。また、先の3作についても改稿が必要だった。}}。それ以降も大学で勤務しながらハイペースで作品を発表し、一躍人気作家となる。当初の著者プロフィール{{efn2|小説やエッセイでは「名古屋大学助教授」と明記したことはないが、専門書には所属先の記載がある。}}では「国立N大学助教授」や「某国立大学の工学部助教授」としていたが、2005年に名古屋大学を退官した後は「作家」や「工学博士」などに変更している。 教員時代の海外へ短期留学の時期および三重大学に勤務していた時期以外は、故郷の愛知県に居住していた。2013年時点で「涼しい国」に在住していた模様。ただし「外国」とは書いていないので、信濃国や越前国の可能性もある<ref>『つぼやきのテリーヌ』202頁</ref>。また町内会に入会していたとのことである<ref name="『つぼやきのテリーヌ』40頁">『つぼやきのテリーヌ』40頁</ref>。2017年の著作では「現在、海外のどこか涼しい国にいるらしい」と書かれている<ref>『MORI Magazine』8頁</ref>。 === 家族 === 妻は同人活動で知り合ったイラストレーターの[[ささきすばる]]で、小説家としてデビュー後は小説の挿絵や絵本で共著がある。 かつて飼っていた[[シェットランド・シープドッグ]]の「森都馬(もり とうま){{efn2|萩尾望都の『トーマの心臓』に由来するもので、「都」も「望都」から借用した字である。また「S&Mシリーズ」などに登場する西之園萌絵の飼い犬、西之園都馬のモデルとなった。}}」が、[[2005年]][[3月24日]]に死んだ後は、同じくシェットランド・シープドッグの「パスカル」および「ヘクト」を飼っている(両方とも雄)。 === 趣味 === 学生時代から多趣味であり、[[鉄道模型]]・飛行機模型・音響装置・自動車などに関する記述がホームページ上で多く見られる。特に小学生の頃にHOゲージから始めた鉄道模型は、デビュー後に購入した敷地に5インチゲージの[[庭園鉄道]]「欠伸[[軽便鉄道]]弁天ヶ丘線」([[2010年]]5月で廃線)や「梵天坂線」を「開業」し、車両制作のために大型の工作機械を導入するなど、本格的なレベルで活動している。鉄道には招かれた作家や編集者以外にも、ファンの集いなどで乗車会を行っている。愛犬の森都馬はこの庭園鉄道の「駅長」を長く務めた。都馬の死後は、パスカルが「駅長」、ヘクトが「助役」を務めている。 自動車好きを公言しており、愛車は予約して購入した[[ホンダ・ビート (自動車)|ホンダ・ビート]]{{efn2|納車時に[[コンパニオン]]と写真撮影をしてもらえるサービスがあったという。}}と、印税を元に購入した[[ポルシェ・993|ポルシェ・911]]{{efn2|ボディーが青色であるため、日記などでは「[[青の6号]]」という名で呼ばれている。}}。他に[[ミニ (BMC)|ミニ]]や、[[光岡自動車|光岡]]の[[キットカー]]「K-2」{{efn2|自身が所属していた研究室の院生らと組み立てたもので、以前は制作レポートがネット上に公開されていた。ボディーの色は[[セロハンテープ]]の台から採色。}}なども所有している。 === 交友関係 === 同時期にデビューした[[京極夏彦]]、森の影響を公言し「神」とまで評価する[[西尾維新]]、哲学者の[[土屋賢二]]らとは複数回対談を行っている。特に京極や土屋とは一緒に旅行へ行くほどの仲だという<ref>TRUCK & TROLL</ref>。また森に続いてメフィスト賞でデビューした[[清涼院流水]]の作品にゲストとして参加したり、清涼院が立ち上げた作家の英語圏進出プロジェクト・[[The BBB]]に参加するなどしている(2016年3月に英語版短編集『[[Seven Stories]]』を刊行。『スカイ・クロラ』の英訳も予告されている)。他にも[[よしもとばなな]]とは家族ぐるみの交流がある。その一方で小説家の知り合いは少ないとも発言しており、文庫版の解説に起用されるのも、落語家や学術関係者など出版業界とは関係の薄い人物や、同人作家時代に知り合った漫画家であることが多い。 === 学術業績 === 専攻は主に[[コンクリート]]などの[[建築材料]]の数値解析に関する分野(粘塑性流体の数値解析手法)で、当時登場したばかりの[[C言語]]を利用しており、[[構造計算]]に関する専門書も執筆した。また計算だけでなくコンクリート標本の曝露試験など屋外実験も行っている。 1988年に、谷川恭雄{{efn2|現在は[[名城大学]]教授。}}、黒川善幸{{efn2|現在は[[鹿児島大学]]准教授。}}らとともに「振動力を受けるフレッシュコンクリートの流動解析法」で、第16回[[セメント協会論文賞]]を受賞。谷川と黒川は、名前を伏せた上で日記に登場したほか、Mシリーズに登場する人物のモデルにもなっている。 [[毛利衛]]が[[スペースシャトル・エンデバー|エンデバー号]]内部で[[紙飛行機]]を飛ばす実験を行う前に、[[パソコン通信]]で懸賞問題として出された「[[無重力状態]]で紙飛行機の挙動」を理論的に予測し的中させた<ref>[https://www.ne.jp/asahi/beat/non/plane/plane00/plane14.html スペースシャトルの実験] 浮遊工作室(飛行機製作部)</ref>。[[JAXA]]による説明<ref>[https://iss.jaxa.jp/iss_faq/go_space/step_2_2.html#q19 JAXAによる説明]</ref>とは答えが異なっているが、これは前提となる環境条件が違うため{{efn2|JAXAは理想的な環境で考え、森は現実に近い環境で考えた。}}。賞品として小さなトロフィーが贈られたという。 大学の卒業制作(図面)は[[図書館]]。[[建築士]]の資格は有していないが、試験問題の作成を担当したことがある<ref>森博嗣の浮遊研究室</ref>。 2000年代になって長らく技術が途絶えていた[[ジャイロモノレール]]を復活させた。動画サイトへのジャイロモノレールの動画の投稿後、これらの動画に触発され、ジャイロモノレールの投稿動画の数が増えた{{efn2|長らく途絶えていた技術を復活させた事で工学的見地からも高く評価される。}}。 近年はジェットエンジンで推進する機関車などを作っている<ref>連載「道なき未知〈第13回〉人生の道草」</ref>。 ==== 受賞歴 ==== *1988年 セメント協会論文賞 *1989年 [[日本建築学会]]東海賞 *1989年 [[日本建築学会奨励賞]] *1990年 日本コンクリート工学協会賞 *1990年 日本材料学会論文賞 == 作品の特徴 == === 理系 === 作者が工学部の助教授であったことに加え、デビュー当時は一般的でなかったコンピュータや電子メールを駆使する人物、科学や工学分野に関する専門的な会話が説明なしに交わされたり、作中で難解な数学問題が提示されるという展開から「理系ミステリ」と評された。 理系と称される要因の1つとして、「外来語のカタカナ表記において音引きを省略する」という原則を徹底していることが挙げられる。これは理系分野においては一般的に外国語の単語をカタカナに直す際に長音を省くことが多いためであるが、森の場合、日常語においても音引きを略すのが特徴的である。かつて[[日本工業規格]](JIS Z 8301)において「その言葉が3音以上の場合には、語尾に長音符号をつけない」という規定があった{{efn2|JIS Z 8301 2005年版では、「原則として長音をつける」に変更されているが、改訂年度によってさらなる変更がある。}}。「コンピュータ」など一部の語のみ長音記号を省略する小説家はいたが、これを徹底して小説に持ち込んだ。また、独自のルールとして子音+yで終わる言葉には「ィ」を用いている(例:mystery → 「ミステリィ」)<ref>[https://web.archive.org/web/20080503111507/http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2005/11/post_74.php 2005年11月8日の記事](現在閲覧不能)</ref>。 === 作風 === 論文や[[科研費]]の申請書などの事務書類で覚えたという論理的な文章でありながら、作中に詩や歌詞が挿入されるという展開、「意味なしジョーク」と称されるシュールなジョーク、最後まで答えが明かされない難解なパズルや数学問題など、既存の作家には見られなかった特異な作風が話題となった。 当初は広義の[[推理小説]]を中心として執筆していたが、次第に[[サイエンス・フィクション|SF]]、[[幻想小説]]、[[架空戦記]]、[[時代小説|剣豪小説]]などの他ジャンル、ブログの書籍化、エッセイ、[[絵本]]、詩集といった他の分野へも進出を果たした。 本人によれば、推理小説ではストーリーに意外性を持たせるために先のことを考えずに執筆し、だいたい5割ぐらいまで作品ができてきたところで初めて犯人を誰にするか考えるという。本人いわく「何が真相かというのを自分も知らずに書いていれば『まさかこれはないだろう』というふうにできる」とのこと。そのためにつじつまの合わないところが出てきた場合はそのシーンに戻って修正を加えるという。過去にはきちんとストーリーのプロットを固めてから執筆したこともあるが(『冷たい密室と博士たち』)「それだと全然意外じゃない」とのことで現在のような作風になった。後述するようにタイトルだけを先に決めて、それに合わせてトリックを考えることも多い<ref name=senzaki>『先崎学の実況!盤外戦』(講談社文庫、[[2006年]])pp.209 - 211</ref>。 === 執筆ペース === デビュー後から非常にハイペースで刊行を続けている。特に文庫化され始めたデビュー3年目以降は年に10作品以上が刊行される状態であり、2004年には毎月1冊以上刊行して合計27冊、2006年にも合計26冊を記録した(文庫落ちを含む)。かなりのハイペースであったが、出版業界で常態化していた締め切りに多少遅れるのが普通、という姿勢を知らなかったため{{efn2|他の作家との会話中に、指摘されて初めて知ったという。}}、遅れないように一部の依頼を断っていた。このため事前に確約した締め切りに遅れることはなかった{{efn2|一度、間に合わなくなりそうだったため、事前に締め切りを延ばして貰ったことはあるという。}}。 デビューから10年ほど過ぎた頃から、趣味に使う時間を増やすため刊行ペースを落としたが、文庫を含むと年に10冊を超えることが多い。 === タイトル・引用 === ほとんどの作品の扉または巻頭部分に、引用文が載せられている。引用元は『オブジェクト指向システム分析設計入門』(青木淳著 ソフト・リサーチ・センター刊)のような専門書から、『[[不思議の国のアリス]]』のような古典文学まで多岐にわたる。この引用文の役割は、 * 両作が同じ主題を提示する * 両作が同じ方法論を提示している * 引用文が主題に反する「裏もしくは副次的テーマ」になっている などである<ref>宝島文庫「森博嗣本」より</ref>。 また、日本語タイトルに先んじて考えるという英語タイトルは、その著作を本質的に表しているものになっている。一方で『スカイ・クロラ』や『奥様はネットワーカ』のように、英語のタイトルも同じになっている作品もある。実際に推理小説ではタイトルのみを先に決めて、それに合わせて後から内容やトリックを考えることが多いという(本人が明らかにしているものとしては『すべてがFになる』『封印再度』など)<ref name=senzaki />。 === 執筆環境 === デビュー前から一貫して[[Macintosh|Mac]]ユーザであり、ワープロソフトは[[クラリスワークス]]、[[インプットメソッド]]は[[ATOK]]が気に入らなかった<ref>日記では「比喩ではなく本当にゴミ箱へ捨てた」と記述がある。</ref>ため、[[ことえり]]を使っていたが、後にATOKへ移行した。 京極夏彦とともに手書きや[[ワープロ専用機]]ではなく、デビュー当初からパソコンで執筆を完結させる作家の先駆けとされている。 === 同人作家として === 高校時代に同級生であった堀田清成{{efn2|[[ほったゆみ]]の夫。}}らと[[漫画]]研究[[クラブ活動|同好会]]設立に参画、機関紙「べた」を創刊するなど、積極的に活動を行っていた。絵のタッチは、崇拝する[[萩尾望都]]に限りなく近いと自称している。 大学進学後は漫画研究会を設立<ref>[http://bluewatersoft.cocolog-nifty.com/about.html bluewatersoft] - 設立メンバーでソフトウェア開発者山本康彦の略歴</ref>しており、漫画家の[[荻野真]]とをかべまさゆきは研究会の後輩だった。学外でも堀田らと同人サークル「グループドガ」(GROUP DEGAS)を主宰し、創作オンリー{{efn2|このためか [http://meiman.web.fc2.com/about.html#what 名古屋大学漫画研究会] は2013年現在でも二次創作禁止を表明している。}}という当時でも硬派な同人誌即売会「コミック・カーニバル」を開催し、[[迷宮 (同人サークル)|迷宮]]とも連携していた。グループドガ解体後は、後に妻となるささきすばるが会長を務める「出版JetPlopost{{efn2|「ジェット・プロポスト社」との表記もある。}}」で活動するなど、当時は[[東海地方]]の同人業界では中心的な存在であった{{efn2|[[ぱふ]]の1979年12月号では、東海地方の中心的な存在として取り上げられていたこともある。}}。当時のペンネームは「森むく」。当時のJetPlopostには、[[山田章博]]やコジマケンなどが在籍しており、小説家としてデビュー後に2人のイラストが森の本に採用されている<ref>{{Cite web|和書|title=「ヴォイド・シェイパシリーズ」の講談社ノベルス化に寄せて/森 博嗣|「ヴォイド・シェイパシリーズ」の講談社ノベルス化に寄せて/森 博嗣|tree|url=https://tree-novel.com/works/episode/aad96160fce444b7706e8cc9f4c40225.html?t=1|website=tree|accessdate=2022-01-09|language=ja}}</ref>。1980年代中盤から同人の商業化が東海地方にも波及するのに前後し、同人からは引退。同人作家時代のエピソードは、[[米澤嘉博]]が「数奇にして模型」文庫版の解説で言及している他、グループドガ時代の同人誌が[[明治大学]]の米沢嘉博記念図書館に収蔵されている<ref>[https://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/archives/exh_microcosmos/ 同人誌の小宇宙 米沢コレクションを中心に] - 米沢嘉博記念図書館</ref>。 同人時代から熊のイラストを多用しており、小説家としてデビュー後もWebサイトや栞に描いている。 小説家としてデビュー後、作品が漫画化されたりイラストを描くことはあったが、2014年現在まで新作のオリジナル漫画は発表していない。 === 執筆活動の縮小 === デビュー当初から執筆活動を「対価を得るためのビジネス」というスタンスをとっており、「いずれ執筆をやめる」とまで宣言していた。[[2008年]]12月には、ブログの更新も終了した{{efn2|もともと書籍化を前提に原稿料を受け取って執筆しているものだった。}}。今後一切の取材、講演会などを引き受けず、ファン・メールへの返信もやめ表舞台から姿を消すこと、予定している15作品(長編小説のみで)の出版を残すのみであることを発表した<ref>[http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/myst/nawadays.html 最後のご挨拶]</ref>。ただし、この発表の中で、「少しずつ間隔をあけて、どんどんさきへ伸ばすかもしれません」とも述べている。この発表の前にも、森は「今確実なことは、いつまでも続けるつもりではないこと、今後は少しずつ表に出る機会を減らし、人知れず地味に静かに消えたいと願っていること、である」と述べている<ref>[https://web.archive.org/web/20090315013409/http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/09/18/index.php MORI LOG ACADEMY: 2007年09月18日 アーカイブ]</ref>。 以降は当初の目的である「ビジネスとして」ではなく「趣味としての」小説に切り替える<ref>常識にとらわれない100の講義</ref>一方で、趣味である「欠伸軽便鉄道」に関しては積極的にレポートの更新や動画投稿、専門誌への寄稿を継続している。また[[ノンフィクション]]も定期的に出版する予定があると予告し<ref>『科学的とはどういう意味か』まえがき</ref>、実際に2010年以降はノンフィクションの出版を増やしている。 2008年12月31日に「最後のご挨拶」とされ、『百年シリーズ』最終作以後小説を書くことはないとされていたが、そのちょうど5年後の2013年12月31日、「久し振りのご挨拶」として近況報告が行われ、心境に若干の変化があったためとされる<ref>[http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/myst/nawadays.html 浮遊工作室 (近況報告) - So-net]</ref>。 なお、「引退する」と述べたことはない旨の発言をしていたが、現在では「作家を引退した」と明言し<ref name="『つぼやきのテリーヌ』40頁"/>、新作小説の執筆、取材、講演会などは断っているが、例外的にエッセイは「締切が3か月以上先で、内容、発表形態、料金についてメールで明示する」ことを条件に引き受けている<ref>[http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/myst/forrequest.html マスコミ・出版社の方へ]</ref>。また、以前から親交のある編集者からの依頼を受けて、前述した長編15作品の予定になかった単発作品も執筆している。 === 世界観 === 一部の著作を除き世界観が時系列で繋がっており、『[[S&Mシリーズ]]、[[Vシリーズ]]、[[四季シリーズ]]、[[百年シリーズ]]』が一連のサーガとなっている。また、『[[Gシリーズ]]、[[Xシリーズ]]、[[Wシリーズ]]』や短編集等とも世界観を共有している。『S&Mシリーズ、Vシリーズ、百年シリーズ』は予備知識がなくても読むことができ、『四季シリーズ、Gシリーズ、Xシリーズ、Wシリーズ』等は他シリーズで設定をあらかじめ把握した上で読んだ方がより良いとされる。(もっとも、作者である森自身はどのような順番で読んでも良いと繰り返し述べている) == エピソード == * メフィスト賞は森を衝撃的にデビューさせるために設立されたとされる。『冷たい密室と博士たち』を投稿した時点で『すべてがFになる』『冷たい密室と博士たち』『笑わない数学者』『詩的私的ジャック』も完成させていたが、[[宇山日出臣]](当時の担当者)に次の作品の内容を尋ねられ、「孤島の研究所で殺人が起きる」というおおまかな設定を電話口で話したところ、宇山は「それをデビュー作にしましょう」と即決した。このことについて、後に森は「英断だった」「先見の明ならぬ不見の明」と評価している<ref>『本』1996年9月号および『森博嗣のミステリィ工作室』より</ref>。 * 体調と合っていることを理由として、食事は通常1日1食である。もっとも、少なからず間食をしているようである<ref>[http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/06/10/index.php 2007年6月10日の記事](現在閲覧不能)</ref>。デビュー当初は喫煙者だったが、後に禁煙した。 * 「作家・森博嗣が創作者として崇拝する唯一の存在」と自称するほどの萩尾望都ファンで、萩尾作品に出会わなかったら創作はしていないと話す。これが縁で萩尾による作品解説や、トーマの心臓の小説版執筆に繋がった。 * 代表作であると意識している作品は『スカイ・クロラ』シリーズだと述べている<ref>映画『[[スカイ・クロラシリーズ|スカイ・クロラ]]』劇場パンフレットの作品へのコメント</ref>。執筆を続けるうちに自信作の順位は変動しているという。 * 自身の名を英語表記するときには、日本での姓名の順に合わせて、必ず「MORI Hiroshi」としている。これは、名前のために行っている創作活動であるのに、その名前を正しく認識してもらえなければ意義を損なうと考えているためである<ref>{{cite web|url=http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2006/01/post_189.php|title=誤植|work=MORI LOG ACADEMY|date=2006-01-06|accessdate=2008-06-07}}(現在閲覧不能)</ref>。MORI が全て大文字なのは、姓だと分かってもらうため<ref>{{cite web|url=http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2005/10/post_16.php|title=中国語に訳す場合|work=MORI LOG ACADEMY|date=2005-10-09|accessdate=2008-06-07}}(現在閲覧不能)</ref>。この表記方法は理工系の研究者の論文や[[サッカー]]の登録選手名などで用いられ、作家では薬学博士の[[瀬名秀明]](SENA Hideaki){{efn2|『すべてがFになる』の文庫判で解説を担当している。}}など理系とされる人物や、森に続いてメフィスト賞を受賞し、公式サイトを英語表記のみにしている[[清涼院流水]](SEIRYOIN Ryusui)が採用している。 * 工学分野で助教授になったのは他者と比較して当時としても極めて早かったと語っている。しかし助教授になったことが嫌すぎて妻に数か月隠していた。実験時間が減ることなどが理由。 * 当初は詳しい経歴を明かさずに写真撮影なども断っていたが、現在では[[Amazon.co.jp]]の著者ページにのみ近影を掲載している<ref>[https://www.amazon.co.jp/%E6%A3%AE%E5%8D%9A%E5%97%A3/e/B003UW6NG0 Amazon.co.jp: 森 博嗣:作品一覧、著者略歴]</ref>。 * オセロの勝負をして負けたのは、ほったゆみと戦った時の一度だけと語っている<ref>封印サイトは詩的私的手記</ref>。 * 抜群の記憶力を持ち、一度覚えたことを忘れたことがないと述べている。その反面、エッセイではゴミを出す日を覚えられないとも発言している。 * 強度の[[遠視]]であり、かつては文字を読む(ピントを合わせる)のが苦痛だったという(本人には遠視の自覚がなかった)。現在は眼鏡をかけることでこれを解決している。 * 講談社ノベルス版にはカバーの袖に、[[講談社文庫]]版では特製の栞{{efn2|京極夏彦以外の作家は講談社製のもの。}}に直筆のイラストと短い詩が書かれている。 * 累計で1300万部を超えるベストセラー作家ではあるが、2014年までデビュー時のメフィスト賞{{efn2|前述の通り結果的な受賞である。}}以外には文学賞を受賞しておらず、本人も賞に執着がない旨をブログやエッセイで表明している。 *『発音がうまくならないと英会話は上達しない』という題名の本があるが、これは同姓同名の別人の著書である。 * 2014年12月現在、全ての小説が絶版になっておらず、特に[[S&Mシリーズ]]の文庫版はカバーをリニューアルして継続販売されている。 * 公認のファンクラブ「森ぱふぇ(PRAMM{{efn2|Perfect Readers Association of Mori's Mysteriesの略。}})」は1998年4月1日から活動を継続している。 == ミステリ・ランキング == * '''[[週刊文春ミステリーベスト10]]''' ** 1996年 - 『すべてがFになる』8位 * '''[[本格ミステリ・ベスト10]]''' ** 1997年 - 『すべてがFになる』4位 ** 1998年 - 『封印再度』9位、『幻惑の死と使途』11位 ** 1999年 - 『有限と微小のパン』11位 ** 2000年 - 『そして二人だけになった』10位 * '''[[MRC大賞]]''' ** 2022年 - 『オメガ城の惨劇 SAIKAWA Sohei’s Last Case』2位 == 作品リスト == === S&Mシリーズ === {{Main|S&Mシリーズ}} * [[すべてがFになる]] <small>The Perfect Insider</small>(1996年4月 [[講談社ノベルス]] / 1998年12月 [[講談社文庫]]) * 冷たい密室と博士たち <small>Doctors in Isolated Room</small>(1996年7月 講談社ノベルス / 1999年3月 講談社文庫) * 笑わない数学者 <small>Mathematical Goodbye</small>(1996年9月 講談社ノベルス / 1999年7月 講談社文庫) * 詩的私的ジャック <small>Jack the Poetical Private</small>(1997年1月 講談社ノベルス / 1999年11月 講談社文庫) * 封印再度 <small>Who Inside</small>(1997年4月 講談社ノベルス / 2000年3月 講談社文庫) * 幻惑の死と使途 <small>Illusion Acts Like Magic</small>(1997年10月 講談社ノベルス / 2000年11月 講談社文庫) * 夏のレプリカ <small>Replaceable Summer</small>(1998年1月 講談社ノベルス / 2000年11月 講談社文庫) * 今はもうない <small>Switch Back</small>(1998年4月 講談社ノベルス / 2001年3月 講談社文庫) * 数奇にして模型 <small>Numerical Models</small>(1998年7月 講談社ノベルス / 2001年7月 講談社文庫) * 有限と微小のパン <small>The Perfect Outsider</small>(1998年10月 講談社ノベルス / 2001年11月 講談社文庫) === Vシリーズ === {{Main|Vシリーズ (小説)}} * 黒猫の三角 <small>Delta in the Darkness</small>(1999年5月 講談社ノベルス / 2002年7月 講談社文庫) * 人形式モナリザ <small>Shape of Things Human</small>(1999年9月 講談社ノベルス / 2002年11月 講談社文庫) * 月は幽咽のデバイス <small>The Sound Walks When the Moon Talks</small>(2000年1月 講談社ノベルス / 2003年3月 講談社文庫) * 夢・出逢い・魔性 <small>You May Die in My Show</small>(2000年5月 講談社ノベルス / 2003年7月 講談社文庫) * 魔剣天翔 <small>Cockpit on Knife Edg</small>e(2000年9月 講談社ノベルス / 2003年11月 講談社文庫) * 恋恋蓮歩の演習 <small>A Sea of Deceits</small>(2001年5月 講談社ノベルス / 2004年7月 講談社文庫) * 六人の超音波科学者 <small>Six Supersonic Scientists</small>(2001年9月 講談社ノベルス / 2004年11月 講談社文庫) * 捩れ屋敷の利鈍 <small>The Riddle in Torsional Nest</small>(2002年1月 講談社ノベルス / 2005年3月 講談社文庫) * 朽ちる散る落ちる <small>Rot off and Drop away</small>(2002年5月 講談社ノベルス / 2005年7月 講談社文庫) * 赤緑黒白 <small>Red Green Black and White</small>(2002年9月 講談社ノベルス / 2005年11月 講談社文庫) === 百年シリーズ === {{Main|百年シリーズ}} * 女王の百年密室 <small>God Save the Queen</small>(2000年7月 [[幻冬舎]] / 2001年12月 [[幻冬舎ノベルス]] / 2003年6月 [[幻冬舎文庫]] / 2004年2月 [[新潮文庫]] / 2017年1月 講談社文庫) * 迷宮百年の睡魔 <small>Labyrinth in Arm of Morpheus</small>(2003年6月 [[新潮社]] / 2004年3月 幻冬舎ノベルス / 2005年6月 新潮文庫 / 2017年2月 講談社文庫) * 赤目姫の潮解 <small>Lady Scarlet Eyes and Her Deliquescence</small>(2013年7月 講談社 / 2016年7月 講談社文庫) === 四季シリーズ === {{Main|真賀田四季#『四季』シリーズ}} * 四季 春 <small>The Four Seasons Green Spring</small>(2003年9月 講談社ノベルス / 2006年11月 講談社文庫) * 四季 夏 <small>The Four Seasons Red Summer</small>(2003年11月 講談社ノベルス / 2006年11月 講談社文庫) * 四季 秋 <small>The Four Seasons White Autumn</small>(2004年1月 講談社ノベルス / 2006年12月 講談社文庫) * 四季 冬 <small>The Four Seasons Black Winter</small>(2004年3月 講談社ノベルス / 2006年12月 講談社文庫) * 四季 <small>The Four Seasons</small> - 『春』『夏』『秋』『冬』の合本(2004年2月 講談社) === Gシリーズ === {{Main|Gシリーズ (小説)}} * φ(ファイ)は壊れたね <small>Path connected {{lang|gr|φ}} broke</small>(2004年9月 講談社ノベルス / 2007年11月 講談社文庫) * θ(シータ)は遊んでくれたよ <small>Another playmate {{lang|gr|θ}}</small>(2005年5月 講談社ノベルス / 2002年11月 講談社文庫) * τ(タウ)になるまで待って <small>Please stay until {{lang|gr|τ}}</small>(2005年9月 講談社ノベルス / 2008年7月 講談社文庫) * ε(イプシロン)に誓って <small>Swearing on solemn {{lang|gr|ε}}</small>(2006年5月 講談社ノベルス / 2009年11月 講談社文庫) * λ(ラムダ)に歯がない <small>{{lang|gr|λ}} has no teeth</small>(2006年9月 講談社ノベルス / 2010年3月 講談社文庫) * η(イータ)なのに夢のよう <small>Dreamily in spite of {{lang|gr|η}}</small>(2007年1月 講談社ノベルス / 2010年8月 講談社文庫) * 目薬α(アルファ)で殺菌します <small>Disinfectant {{lang|gr|α}} for the eyes</small>(2008年9月 講談社ノベルス / 2012年12月 講談社文庫) * ジグβ(ベータ)は神ですか <small>Jig {{lang|gr|β}} knows Heaven</small>(2012年11月 講談社ノベルス / 2015年10月 講談社文庫) * キウイγ(ガンマ)は時計仕掛け <small>Kiwi {{lang|gr|γ}} in clockwork</small>(2013年11月 講談社ノベルス / 2016年11月 講談社文庫) * χ(カイ)の悲劇 <small>The Tragedy of {{lang|gr|χ}}</small>(2016年5月 講談社ノベルス / 2019年5月 講談社文庫) * ψ(プサイ)の悲劇 <small>The Tragedy of {{lang|gr|ψ}}</small>(2018年5月 講談社ノベルス / 2021年6月 講談社文庫) === Xシリーズ === {{Main|Xシリーズ}} * イナイ×イナイ <small>Peekaboo</small>(2007年5月 講談社ノベルス / 2010年9月 講談社文庫) * キラレ×キラレ <small>Cutthroat</small>(2007年9月 講談社ノベルス / 2011年3月 講談社文庫) * タカイ×タカイ <small>Crucifixion</small>(2008年1月 講談社ノベルス / 2012年3月 講談社文庫) * ムカシ×ムカシ <small>Reminiscence</small>(2014年6月 講談社ノベルス / 2017年4月 講談社文庫) * サイタ×サイタ <small>Explosive</small>(2014年11月 講談社ノベルス / 2017年9月 講談社文庫) * ダマシ×ダマシ <small>Swindler </small>(2017年5月 講談社ノベルス / 2020年5月 講談社文庫) === XXシリーズ === * 馬鹿と嘘の弓 <small>Fool Lie Bow </small>(2020年10月 講談社ノベルス / 2023年7月 講談社文庫) * 歌の終わりは海 <small>Song End Sea </small>(2021年10月 講談社ノベルス) * 情景の殺人者 <small>Scene Killer </small>(2023年10月 講談社ノベルス) === スカイ・クロラ シリーズ === {{Main|スカイ・クロラシリーズ}} * スカイ・クロラ <small>The Sky Crawlers</small>(2001年6月 [[中央公論新社]] / 2002年10月 [[C★NOVELS|C★NOVELS Bibliotheque]] / 2004年10月 [[中公文庫]] / 2022年5月 中公文庫【新装版】) * ナ・バ・テア <small>None But Air</small>(2004年6月 中央公論新社 / 2004年10月 C★NOVELS Bibliotheque / 2005年11月 中公文庫 / 2022年7月 中公文庫【新装版】) * ダウン・ツ・ヘヴン <small>Down to Heaven</small>(2005年6月 中央公論新社 / 2005年12月 C★NOVELS Bibliotheque / 2006年11月 中公文庫 / 2022年9月 中公文庫【新装版】) * フラッタ・リンツ・ライフ <small>Flutter into Life</small>(2006年6月 中央公論新社 / 2007年5月 C★NOVELS Bibliotheque / 2007年11月 中公文庫 / 2022年11月 中公文庫【新装版】) * クレィドゥ・ザ・スカイ <small>Cradle the Sky</small>(2007年6月 中央公論新社 / 2007年10月 C★NOVELS Bibliotheque / 2008年4月 中公文庫 / 2023年1月 中公文庫【新装版】) * スカイ・イクリプス <small>Sky Eclipse</small>(2008年6月 中央公論新社 / 2008年11月 C★NOVELS Bibliotheque / 2009年2月 中公文庫 / 2023年3月 中公文庫【新装版】) === Mシリーズ === * 工学部・水柿助教授の日常 <small>The Ordinary of Dr.Mizukaki</small>(2001年1月 幻冬舎 / 2003年2月 幻冬舎ノベルス / 2004年12月 幻冬舎文庫) * 工学部・水柿助教授の逡巡 <small>The Hesitation of Dr.Mizukaki</small>(2004年12月 幻冬舎 / 2006年1月 幻冬舎ノベルス / 2007年10月 幻冬舎文庫) * 工学部・水柿助教授の解脱 <small>The Nirvana of Dr.Mizukaki</small>(2008年4月 幻冬舎 / 2009年12月 幻冬舎ノベルス / 2011年10月 幻冬舎文庫) === Zシリーズ === * ZOKU(2003年10月 [[光文社]] / 2004年10月 [[カッパ・ノベルス]] / 2006年10月 [[光文社文庫]]) * ZOKUDAM(2007年7月 光文社 / 2008年7月 カッパ・ノベルス / 2010年1月 光文社文庫) * ZOKURANGER(2009年4月 光文社 / 2010年8月 カッパ・ノベルス / 2011年8月 光文社文庫) === ヴォイド・シェイパ シリーズ === * ヴォイド・シェイパ <small>The Void Shaper</small>(2011年4月 中央公論新社 / 2013年4月 中公文庫 / 2021年1月 講談社ノベルス) * ブラッド・スクーパ <small>The Blood Scooper</small>(2012年4月 中央公論新社 / 2014年4月 中公文庫 / 2021年3月 講談社ノベルス) * スカル・ブレーカ <small>The Skull Breaker</small>(2013年4月 中央公論新社 / 2015年3月 中公文庫 / 2021年5月 講談社ノベルス) * フォグ・ハイダ <small>The Fog Hider</small>(2014年4月 中央公論新社 / 2016年3月 中公文庫 / 2021年7月 講談社ノベルス) * マインド・クァンチャ <small>The Mind Quencher</small>(2015年4月 中央公論新社 / 2017年3月 中公文庫 / 2021年9月 講談社ノベルス) === Wシリーズ === {{Main|Wシリーズ}} * 彼女は一人で歩くのか? <small>Does She Walk Alone?</small>(2015年10月20日 [[講談社タイガ]]) * 魔法の色を知っているか? <small>What Color is the Magic?</small>(2016年1月19日 講談社タイガ) * 風は青海を渡るのか? <small>The Wind Across Qinghai Lake?</small>(2016年6月21日 講談社タイガ) * デボラ、眠っているのか? <small>Deborah, Are You Sleeping?</small>(2016年10月19日 講談社タイガ) * 私たちは生きているのか? <small>Are We Under the Biofeedback?</small>(2017年2月21日 講談社タイガ) * 青白く輝く月を見たか? <small>Did the Moon Shed a Pale Light?</small>(2017年6月21日 講談社タイガ) * ペガサスの解は虚栄か? <small>Did Pegasus Answer the Vanity?</small>(2017年10月19日 講談社タイガ) * 血か、死か、無か? <small>Is It Blood, Death or Null?</small>(2018年2月22日 講談社タイガ) * 天空の矢はどこへ? <small>Where is the Sky Arrow?</small>(2018年6月22日 講談社タイガ) * 人間のように泣いたのか? <small>Did She Cry Humanly?</small>(2018年10月24日 講談社タイガ) === WWシリーズ === {{Main|WWシリーズ}} * それでもデミアンは一人なのか? <small>Still Does Demian Have Only One Brain?</small>(2019年6月21日 講談社タイガ) * 神はいつ問われるのか? <small>When Will God be Questioned?</small>(2019年10月23日 講談社タイガ) * キャサリンはどのように子供を産んだのか? <small>How Did Catherine Cooper Have a Child?</small>(2020年2月21日 講談社タイガ) * 幽霊を創出したのは誰か? <small>Who Created the Ghost?</small>(2020年6月19日 講談社タイガ) * 君たちは絶滅危惧種なのか? <small>Are You Endangered Species?</small>(2021年4月15日 講談社タイガ) * リアルの私はどこにいる? <small>Where Am I on the Real Side?</small>(2022年4月15日 講談社タイガ) * 君が見たのは誰の夢? <small>Whose Dream Did You See?</small>(2023年4月14日 講談社タイガ) === 短編集 === * [[まどろみ消去]] <small>Missing under the Mistletoe</small>(1997年7月 講談社ノベルス / 2000年7月 講談社文庫) * [[地球儀のスライス]] <small>A Slice of Terrestrial Globe</small>(1999年1月 講談社ノベルス / 2002年3月 講談社文庫) * [[今夜はパラシュート博物館へ]] <small>The Last Dive to Parachute Museum</small>(2001年1月 講談社ノベルス / 2004年3月 講談社文庫) * [[虚空の逆マトリクス]] <small>Inverse of Void Matrix</small>(2003年1月 講談社ノベルス / 2006年7月 講談社文庫) * [[レタス・フライ]] <small>Lettuce Fry</small>(2006年1月 講談社ノベルス / 2009年3月 講談社文庫) * 現代ミステリー短編集 9 悩める刑事(2007年3月 岩崎書店) * 僕は秋子に借りがある 森博嗣自選短編集 <small>I'm in Debt to Akiko</small>(2008年8月 講談社 / 2009年7月 講談社文庫) * どちらかが魔女 森博嗣シリーズ短編集 <small>Which is the Witch?</small>(2008年8月 講談社 / 2009年7月 講談社文庫) === シリーズ外の小説 === * そして二人だけになった <small>Until Death Do Us Part</small>(1999年6月 [[新潮ミステリー倶楽部]] / 2001年11月 講談社ノベルス / 2002年12月 新潮文庫 / 2018年9月 講談社文庫) * 墜ちていく僕たち <small>Falling Ropewalkers</small>(2001年6月 [[集英社]] / 2003年4月 集英社 / 2004年5月 [[集英社文庫]]) * [[奥様はネットワーカ]] <small>Wife at Network</small>(2002年7月 [[メディアファクトリー]] / 2005年1月 講談社ノベルス / 2007年4月 ダ・ヴィンチブックス) * [[探偵伯爵と僕]] <small>His name is Earl</small>(2004年4月 [[ミステリーランド]] / 2007年11月 講談社ノベルス / 2008年11月 講談社文庫) * [[どきどきフェノメノン]] <small>A phenomenon among students</small>(2005年4月 [[角川書店]] / 2006年10月 [[カドカワ・エンタテインメント]] / 2008年4月 [[角川文庫]]) * [[カクレカラクリ]] <small>An Automaton in Long Sleep</small>(2006年8月 ダ・ヴィンチブックス / 2008年7月 講談社ノベルス / 2009年8月 [[MF文庫ダ・ヴィンチ]] / 2020年7月 講談社文庫) * 少し変わった子あります <small>Eccentric persons are in stock</small>(2006年8月 [[文藝春秋]] / 2007年11月 文藝春秋 / 2009年6月 [[文春文庫]]) * [[ゾラ・一撃・さようなら]] <small>Zola with a blow and goodbye</small>(2007年8月 集英社 / 2009年2月 講談社ノベルス / 2010年8月 集英社文庫) * もえない <small>incombustibles</small>(2007年12月 角川書店 / 2008年12月 カドカワ・エンタテインメント / 2010年12月 角川文庫) * 銀河不動産の超越 <small>Trancendence of Ginga Estate Agency</small>(2008年5月 文藝春秋 / 2009年9月 講談社ノベルス / 2011年11月 講談社文庫) * 喜嶋先生の静かな世界 <small>The Silent World of Dr.Kishima</small>(2010年10月 講談社 / 2013年10月 講談社文庫) * 相田家のグッドバイ <small>Running in the Blood</small>(2012年2月 幻冬舎 / 2014年12月 幻冬舎文庫) * 実験的経験 <small>EXPERIMENTAL EXPERIENCE</small>(2012年5月 講談社 / 2014年7月 講談社文庫) * 神様が殺してくれる <small>Dieu aime Lion</small>(2013年6月 幻冬舎 / 2016年4月 幻冬舎文庫) * 暗闇・キッス・それだけで <small>Only the Darkness or Her Kiss</small>(2015年1月 集英社 / 2018年1月 集英社文庫) * イデアの影 <small>The shadow of Ideas</small>(2015年11月 中央公論新社 / 2018年11月 中公文庫) * オメガ城の惨劇 <small>SAIKAWA Sohei’s Last Case</small>(2022年10月 講談社 / 2022年10月 講談社ノベルス) === ノヴェライズ === * トーマの心臓 <small>Lost heart for Thoma</small> - 原作:萩尾望都(2009年7月 ダ・ヴィンチブックス / 2010年10月 講談社ノベルス / 2012年4月 MF文庫ダ・ヴィンチ / 2022年8月 講談社文庫) === 浮遊研究室シリーズ === * 森博嗣の浮遊研究室 <small>MORI Hiroshi's Floating Laboratory</small>(2003年3月 ダ・ヴィンチブックス) * 森博嗣の浮遊研究室2 未来編 <small>MORI Hiroshi's Floating Laboratory 2</small>(2003年10月 ダ・ヴィンチブックス) * 森博嗣の浮遊研究室3 宇宙編 <small>MORI Hiroshi's Floating Laboratory 3</small>(2004年3月 ダ・ヴィンチブックス) * 森博嗣の浮遊研究室4 鳳凰編 <small>MORI Hiroshi's Floating Laboratory 4</small>(2004年11月 ダ・ヴィンチブックス) * 森博嗣の浮遊研究室5 望郷編 <small>MORI Hiroshi's Floating Laboratory 5</small>(2005年7月 ダ・ヴィンチブックス) === モリログシリーズ === * MORI LOG ACADEMY 1 <small>モリログ・アカデミィ 1</small>(2006年3月 ダ・ヴィンチブックス) * MORI LOG ACADEMY 2 <small>モリログ・アカデミィ 2</small> 1年のケーキ元旦に飽き(2006年6月 ダ・ヴィンチブックス) * MORI LOG ACADEMY 3 <small>モリログ・アカデミィ 3</small> 日のないところに書け無理絶えず(2006年9月 ダ・ヴィンチブックス) * MORI LOG ACADEMY 4 <small>モリログ・アカデミィ 4</small> 投げたらあかん!(2006年12月 ダ・ヴィンチブックス) * MORI LOG ACADEMY 5 <small>モリログ・アカデミィ 5</small> なんとなくクリスマス(2007年3月 ダ・ヴィンチブックス) * MORI LOG ACADEMY 6 <small>モリログ・アカデミィ 6</small> 指揮者必衰のおことわり(2007年6月 ダ・ヴィンチブックス) * MORI LOG ACADEMY 7 <small>モリログ・アカデミィ 7</small> 山伏の品格(2007年9月 ダ・ヴィンチブックス) * MORI LOG ACADEMY 8 <small>モリログ・アカデミィ 8</small> レースにかける青春(2007年12月 ダ・ヴィンチブックス) * MORI LOG ACADEMY 9 <small>モリログ・アカデミィ 9</small> おあとがよろしいようで(2008年3月 ダ・ヴィンチブックス) * MORI LOG ACADEMY 10 <small>モリログ・アカデミィ 10</small> 推定鼯鼠(2008年6月 ダ・ヴィンチブックス) * MORI LOG ACADEMY 11 <small>モリログ・アカデミィ 11</small> 飛行少年の日々(2008年9月 ダ・ヴィンチブックス) * MORI LOG ACADEMY 12 <small>モリログ・アカデミィ 12</small> たそがれの天職(2008年12月 ダ・ヴィンチブックス) * MORI LOG ACADEMY 13 <small>モリログ・アカデミィ 13</small> ウは宇宙のウ(2009年3月 ダ・ヴィンチブックス) === 日記シリーズ === * すべてがEになる <small>I say Essay Everyday</small>(2000年1月 幻冬舎 / 2001年12月 幻冬舎文庫) * 毎日は笑わない工学博士たち <small>I say Essay Everyday</small>(2000年7月 幻冬舎 / 2002年8月 幻冬舎文庫) * 封印サイトは詩的私的手記 <small>I say Essay Everyday</small>(2001年6月 幻冬舎 / 2003年8月 幻冬舎文庫) * ウェブ日記レプリカの使途 <small>I say Essay Everyday</small>(2003年2月 幻冬舎 / 2004年2月 幻冬舎文庫) * 数奇にして有限の良い終末を <small>I say Essay Everyday</small>(2004年4月 幻冬舎 / 2006年2月 幻冬舎文庫) === 100の講義シリーズ === * 常識にとらわれない100の講義 <small>100 lectures on the contrary honesty</small>(2012年7月 [[大和書房]] / 2013年9月 [[だいわ文庫]]) * 「思考」を育てる100の講義 <small>100 lectures for fostering thought</small>(2013年8月 大和書房 / 2014年9月 だいわ文庫) * 素直に生きる100の講義 <small>100 lectures by sober observation</small>(2014年8月 大和書房 / 2015年8月 だいわ文庫) * 本質を見通す100の講義 <small>100 lectures to see through essence</small>(2015年7月 大和書房 / 2016年9月 だいわ文庫) * 正直に語る100の講義 <small>100 lectures describing in sincerity</small>(2016年8月 大和書房 / 2017年8月 だいわ文庫) === クリームシリーズ === * つぶやきのクリーム <small>The cream of the notes</small>(2011年9月 講談社 / 2012年9月 講談社文庫) * つぼやきのテリーヌ <small>The cream of the notes 2</small>(2013年12月 講談社文庫) * つぼねのカトリーヌ <small>The cream of the notes 3</small>(2014年12月 講談社文庫) * ツンドラモンスーン <small>The cream of the notes 4</small>(2015年12月 講談社文庫) * つぼみ茸ムース <small>The cream of the notes 5</small>(2016年12月 講談社文庫) * つぶさにミルフィーユ <small>The cream of the notes 6</small>(2017年12月 講談社文庫) * 月夜のサラサーテ <small>The cream of the notes 7</small>(2018年12月 講談社文庫) * つんつんブラザーズ <small>The cream of the notes 8</small>(2019年12月 講談社文庫) * ツベルクリンムーチョ The cream of the notes 9(2020年12月 講談社文庫) * 追懐のコヨーテ <small>The cream of the notes 10</small>(2021年12月 講談社文庫) * 積み木シンドローム <small>The cream of the notes 11</small>(2022年12月 講談社文庫) * 妻のオンパレード <small>The cream of the notes 12</small>(2023年12月 講談社文庫) === MORI Magazineシリーズ === * MORI Magazine(2017年7月 大和書房 / 2018年8月 だいわ文庫) * MORI Magazine 2(2018年7月 大和書房 / 2019年8月 だいわ文庫) * MORI Magazine 3(2019年7月 大和書房) === 日々シリーズ === * 森籠もりの日々 <small>Thinking everyday in the forest</small>(2018年7月 講談社) * 森遊びの日々 <small>Thinking everyday in the forest 2</small>(2019年2月 講談社) * 森語りの日々 <small>Thinking everyday in the forest 3</small>(2019年8月 講談社) * 森心地の日々 <small>Thinking everyday in the forest 4</small>(2020年1月 講談社) * 森メトリィの日々 <small>Thinking everyday in the forest 5</small>(2020年7月 講談社) === 写真集、絵本、詩集 === * アイソパラメトリック <small>Isoparametric</small>(2001年11月 講談社ノベルス / 2006年3月 講談社文庫) * 君の夢 僕の思考 <small>You Will Dream While I Think</small>(2002年6月 [[PHP研究所]] / 2005年6月 [[PHP文庫]] / 2009年5月 講談社文庫) * 議論の余地しかない <small>A Space under Discussion</small>(2002年12月 PHP研究所 / 2008年10月 講談社文庫) * 詩集 MATEKI - 魔的 <small>Magical Words behind me</small>(2003年7月 PHP研究所 / 2007年2月 中公文庫) * 的を射る言葉 <small>Gathering the Pointed wits</small>(2004年9月 PHP研究所 / 2010年11月 講談社文庫) * STAR EGG 星の玉子さま(2004年11月 文藝春秋 / 2007年12月 文春文庫) * STAR SALAD 星の玉子さま2(2006年10月 文藝春秋 / 2009年11月 文春文庫) * 悪戯王子と猫の物語 <small>Fables of Captain Trouble and Cat</small> - ささきすばるとの共著(2002年10月 講談社 / 2006年3月 講談社文庫) * 蜥蜴 <small>Salamander</small> - ささきすばるとの共著(2003年10月 中央公論新社) * 蛟竜 <small>Dragon</small> - ささきすばるとの共著(2004年11月 中央公論新社) * DAY & NIGHT 昼も夜も - ささきすばるとの共著(2007年4月 中央公論新社) * 猫の建築家 <small>A Cat of Architect</small> - 絵:佐久間真人(2002年10月 光文社 / 2006年12月 光文社文庫) * 失われた猫 <small>The Lost Cat</small> - 絵:佐久間真人(2011年12月 光文社) === エッセイ・対談・ファンブック === * 森博嗣のミステリィ工作室 <small>Mori's Mystery Workshop</small>(1999年3月 ダ・ヴィンチブックス / 2001年12月 講談社文庫) * 100人の森博嗣 <small>100 MORI Hiroshies</small>(2003年3月 ダ・ヴィンチブックス / 2005年11月 ダ・ヴィンチブックス / 2011年9月 講談社文庫) * 工作少年の日々 <small>Under Construction forever</small>(2004年7月 集英社 / 2008年1月 集英社文庫) * 森博嗣の TOOL BOX(2005年10月 [[日経BP]]) ** 【改題】森博嗣の道具箱 <small>The Spirits of Tools</small>(2008年2月 中公文庫) * 悠悠おもちゃライフ <small>The Leisurely Life with Toys and Models</small>(2006年6月 ラピタ・ブックス / 2007年7月 講談社文庫) * 森博嗣の半熟セミナ 博士、質問があります! <small>DR. MORI's Soft-boiled Seminar</small> (2008年12月 講談社 / 2011年1月 講談社文庫) * DOG & DOLL(2009年3月 Tokyo FM出版 / 2011年7月 講談社文庫) * TRUCK & TROLL <small>The Leisurely Life with Toys and Models</small>(2010年3月 Tokyo FM出版 / 2012年6月 講談社文庫) * 道なき未知 <small>Uncharted Unknown</small>(2017年11月 [[ベストセラーズ]] / 2019年4月 [[ワニ文庫]]) * 森には森の風が吹く <small>My wind blows in my forest</small>(2018年11月 講談社 / 2021年11月 講談社文庫) * なにものにもこだわらない(2019年3月 PHP研究所 / 2020年3月 PHP文庫) * アンチ整理術(2019年11月 [[日本実業出版社]] / 2022年3月 講談社文庫{{efn2|文庫版のみの英題「Anti-Organizing Life」}}) * アンチ・ハウス <small>ANTI HOUSE</small> - 阿竹克人との共著(2003年6月 中央公論新社) * 人間は考えるFになる - [[土屋賢二]]との共著(2004年9月 講談社 / 2007年3月 講談社文庫) * 森博嗣本 作品ガイドからお庭まで - [[別冊宝島]]編集部・編、[[西尾維新]]との対談などが収録されているファンブック、絶版(2004年5月 [[宝島社]] / 2006年2月 [[宝島社文庫]]) === 新書 === * 臨機応答・変問自在 森助教授VS理系大学生(2001年4月 [[集英社新書]]) * 臨機応答・変問自在2(2002年9月 集英社新書) * 大学の話をしましょうか - 最高学府のデバイスとポテンシャル(2005年10月 [[中公新書ラクレ]]) * 自由をつくる 自在に生きる(2009年11月 集英社新書) * 創るセンス 工作の思考(2010年2月 集英社新書) * 小説家という職業(2010年6月 集英社新書) * 自分探しと楽しさについて(2011年2月 集英社新書) * 科学的とはどういう意味か(2011年6月 [[幻冬舎新書]]) * 人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか(2013年3月 [[新潮新書]]) * 「やりがいのある仕事」という幻想(2013年5月 [[朝日新書]]) * 孤独の価値(2014年11月 幻冬舎新書) * 作家の収支(2015年11月 幻冬舎新書) * 夢の叶え方を知っていますか?(2017年1月 朝日新書) * 集中力はいらない(2018年3月 [[SB新書]]) * 読書の価値(2018年4月 [[NHK出版新書]]) * ジャイロモノレール(2018年9月 幻冬舎新書) * 悲観する力(2019年1月 幻冬舎新書) * 面白いとは何か? 面白く生きるには?(2019年9月 ワニブックスPLUS新書) * お金の減らし方(2020年4月 SB新書) * 勉強の価値(2020年11月 幻冬舎新書) * 諦めの価値(2021年8月 朝日新書) === 庭園鉄道シリーズ === * ミニチュア庭園鉄道 欠伸軽便鉄道弁天ヶ丘線の昼下がり(2003年7月 [[中公新書ラクレ]]) * ミニチュア庭園鉄道 2 欠伸軽便鉄道弁天ヶ丘線の大躍進(2004年8月 中公新書ラクレ) * ミニチュア庭園鉄道 3 欠伸軽便鉄道弁天ヶ丘線の野望(2005年3月 中公新書ラクレ) * 庭園鉄道趣味 鉄道に乗れる庭 <small>Garden Railway Life</small>(2008年7月 講談社) * 庭煙鉄道趣味 庭蒸気が走る毎日 <small>Steam in the Garden</small>(2009年7月 講談社) === アンソロジー === 「」内が森博嗣の作品 * 21世紀本格 書下ろしアンソロジー(2001年12月 [[カッパ・ノベルス]])「トロイの木馬」 * Day to Day(2021年3月 講談社)「静かな緊急事態生活」 == 作品リスト(翻訳版) == === 英語版作品 === * The Girl Who Was the Little Bird(『小鳥の恩返し』の英語版 <ref>[http://thebbb.net/jp/ebooks/the-girl-who-was-the-little-bird.html 英語版 『小鳥の恩返し』 森博嗣(著) - The BBB 日本版]</ref>) * A Pair of Hearts(『片方のピアス』の英語版 <ref>[http://thebbb.net/jp/ebooks/a-pair-of-hearts.html 英語版 『片方のピアス』 森博嗣(著) - The BBB 日本版]</ref>) * I'm In Debt to Akiko(『僕は秋子に借りがある』の英語版 <ref>[http://thebbb.net/jp/ebooks/im-in-debt-to-akiko.html 英語版 『僕は秋子に借りがある』 森博嗣(著) - The BBB 日本版]</ref>) * Silent Prayer In Empty(『虚空の黙祷者』の英語版<ref>[http://thebbb.net/jp/ebooks/silent-prayer-in-empty.html 英語版 『虚空の黙祷者』 森博嗣(著) - The BBB 日本版]</ref>) * Kappa(『河童』の英語版<ref>[http://thebbb.net/jp/ebooks/kappa.html 英語版 『河童』 森博嗣(著) - The BBB 日本版]</ref>) * The Rooftop Ornaments of Stone Ratha(英語版 『石塔の屋根飾り』の英語版。S&Mシリーズ作品<ref>[http://thebbb.net/jp/ebooks/the-rooftop-ornaments-of-stone-ratha.html 英語版 『石塔の屋根飾り』 森博嗣(著) - The BBB 日本版]</ref>) * Which Is the Witch?(『どちらかが魔女』の英語版。S&Mシリーズ作品<ref>[http://thebbb.net/jp/ebooks/which-is-the-witch.html 英語版 『どちらかが魔女』 森博嗣(著) - The BBB 日本版]</ref>) * [[Seven Stories]](上記の7作品をおさめた'''英語版短編集''' 「[[The BBB]]」にて電子書籍化。巻末には、英訳者・[[清涼院流水]]による解説を収録<ref>[http://thebbb.net/jp/ebooks/seven-stories.html 英語版短編集 『Seven Stories』 森博嗣(著) - The BBB 日本版]</ref>) *The Sky Crawlers: Prologue, Episode 1 *The Sky Crawlers: Episode 2, Episode 3 *The Sky Crawlers: Episode 4, Episode 5, Epilogue *The Sky Crawlers(巻末に「『スカイ・クロラ』についての森博嗣氏インタビュー」を収録<ref>[http://thebbb.net/jp/ebooks/the-sky-crawlers.html 英語版 『スカイ・クロラ』 森博嗣(著) - The BBB 日本版]</ref>。) === 英語版以外の作品 === * [[中華人民共和国]]、[[大韓民国]]、[[台湾]]などでS&MシリーズやVシリーズの一部作品が出版されている。 == 作品リスト(その他) == === 学術著書 === * 建築系のための[[BASIC]]プログラミング(共著 1986年12月、[[森北出版]]) * [[C言語]]による[[マトリックス]]演算 〔C言語による[[構造力学|構造解析]]シリーズ〕(共著 1988年6月、森北出版) * C言語による[[有限要素法]]入門 〔C言語による構造解析シリーズ〕(単著、1989年3月、森北出版) * 建築材料――その選択から施工まで(共著 1989年7月、理工図書 / 第2版1991年 / 改訂1版1999年) * {{cite journal| last=| first=| title=ジャイロモノレール〈第1回〉| publisher=機芸出版 | journal=鉄道模型趣味| date=2010年5月}} * {{cite journal| last=| first=|title=ジャイロモノレール〈第2回〉| publisher=機芸出版 | journal=鉄道模型趣味| date=2010年6月}} * {{cite journal| last=| first=|title=シンプルなジャイロモノレールの作り方 | publisher=機芸出版 | journal=鉄道模型趣味| date=2010年8月}} === 翻訳 === * 考えなしの行動 - ジェーン・フルトン・スーリ、[[IDEO]]著、[[太田出版]] === 監修 === * コマとジャイロ 回転体の科学と技術 - [[ジョン・ペリー]]著、[[誠文堂新光社]] === 同人誌 === 発行から20年以上経過しているため入手困難。いくつかは『森博嗣のミステリィ工作室』に縮小した形で収録されている。また一部の作品のタイトルは小説に流用されている。 == メディアミックス == === コミック === * すべてがFになる - 作画:[[浅田寅ヲ]]、[[ソニーマガジンズ]]→[[幻冬舎コミックス]]BIRZ COMICS SPECIAL→幻冬舎コミックス漫画文庫 * 冷たい密室と博士たち - 作画:浅田寅ヲ、幻冬舎コミックスBIRZ COMICS SPECIAL→幻冬舎コミックス漫画文庫 * 女王の百年密室 - 作画:[[スズキユカ]]、幻冬舎コミックスBIRZ COMICS SPECIAL→幻冬舎コミックス漫画文庫 * 迷宮百年の睡魔 - 作画:スズキユカ、幻冬舎コミックスBIRZ COMICS SPECIAL * 赤目姫の潮解 - 作画:スズキユカ、幻冬舎コミックスBIRZ COMICS SPECIAL * 黒猫の三角 - 作画:[[皇名月|皇なつき]]、角川書店あすかコミックスDX→幻冬舎コミックスBIRZ COMICS SPECIAL→幻冬舎コミックス漫画文庫 * すべてがFになる - 作画:[[霜月かいり]]、KC ARIA * 四季 - 作画:猫目トーチカ、KC ITAN === ビデオゲーム === * すべてがFになる - [[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]ソフト、[[KID (ゲームブランド)|KID]] === ラジオドラマ === * 女王の百年密室 - 出演:[[高山みなみ]]他、[[NHK-FM]] [[青春アドベンチャー]]、2003年放送・2005年再放送 * 迷宮百年の睡魔 - 出演:高山みなみ他、NHK-FM 青春アドベンチャー、2005年放送 === テレビドラマ === * [[カクレカラクリ#テレビドラマ|カクレカラクリ]](2006年9月13日、[[TBSテレビ|TBS]]系列、出演:[[加藤成亮]]・[[平岡祐太]]・[[栗山千明]]・[[星井七瀬]]・[[落合モトキ|落合扶樹]]ほか) * [[超再現!ミステリー]] 第1回(2012年4月17日、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列) - 『[[奥様はネットワーカ]]』を再現ドラマ化 * [[すべてがFになる#テレビドラマ|すべてがFになる]](2014年10月21日 - 12月23日、[[フジテレビ]]系列、主演:[[武井咲]]、[[綾野剛]]) * [[Vシリーズ (小説)#テレビドラマ|瀬在丸紅子の事件簿〜黒猫の三角〜]](2015年2月6日、フジテレビ系列『[[赤と黒のゲキジョー]]』、主演:[[檀れい]]) - 原作:[[Vシリーズ (小説)|Vシリーズ]] === 映画 === * [[スカイ・クロラシリーズ#映画|スカイ・クロラ The Sky Crawlers]] - 監督:[[押井守]]、脚本:[[伊藤ちひろ]]、アニメーション製作:[[プロダクション・アイジー|プロダクションI.G]]、配給:[[ワーナー・ブラザース]]映画 <br />※ 長編アニメーション映画 === テレビアニメ === * [[すべてがFになる|すべてがFになる THE PERFECT INSIDER]] (2015年10月 - 12月、フジテレビ系列『[[ノイタミナ]]』) - 監督:[[神戸守]]、アニメーション製作:[[A-1 Pictures]] - 原作:『すべてがFになる』、四季シリーズ == 関連人物 == * [[大沢在昌]] - 作家。東海高校では2年先輩にあたる。 * 阿竹克人 - 建築家。大学の先輩で同僚でもあり、自宅のガレージの設計を依頼している。 * [[宇山日出臣]] - 講談社の編集者。 * [[辰巳四郎]] - S&Mシリーズ(ノベルス版・文庫版)やVシリーズ(ノベルス版のみ)などの装丁を手がけた。 * [[鈴木成一]]デザイン室 - 森作品の多くの装幀を手がけている。 * [[清涼院流水]] - 友人の作家。「[[The BBB]]」で『[[スカイ・クロラ]]』など森作品の英訳も担当している。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2|2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == * [https://www.ne.jp/asahi/beat/non/mori/ 森博嗣の浮遊工作室][https://web.archive.org/web/20191230105605/http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/index.html] * [https://web.archive.org/web/19970727155441/http://www.degas.nuac.nagoya-u.ac.jp/people/mori/index2.html 森博嗣の浮遊工作室] - 旧ホームページ * [https://web.archive.org/web/20041107002852fw_/http://blog.mf-davinci.com/mori/index.html WEBダヴィンチブログ] * [https://www.ne.jp/asahi/beat/non/mori/myst/timetable.html 浮遊工作室(予定表)] - 出版やイベントの予定 * [http://akubilr.asablo.jp/blog/ Construction in Waterloo] - 欠伸軽便鉄道のブログ * [https://www.ne.jp/asahi/beat/non/loco/loco00.html ミニチュア庭園鉄道(浮遊工作室機関車製作部)] * [http://www.youtube.com/user/AkubiLR?feature=watch Akubi Lightweight Railway] - 欠伸軽便鉄道のYoutubeチャンネル * [https://www.ne.jp/asahi/mori/fan/ PRAMM(森博嗣ファン倶楽部)] * [http://thebbb.net/jp/cast/hiroshi-mori.html The BBB 森博嗣] - [[清涼院流水]]が立ち上げた英語圏進出プロジェクトの著者ページ。 * [http://bookshorts.jp/morihiroshi/ ブックショート 森博嗣さんインタビュー(2015.1.24)] {{森博嗣}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:もり ひろし}} [[Category:森博嗣|*]] [[Category:20世紀日本の小説家]] [[Category:21世紀日本の小説家]] [[Category:日本の推理作家]] [[Category:メフィスト賞受賞者]] [[Category:日本のコラムニスト]] [[Category:鉄道模型]] [[Category:同人作家]] [[Category:東海高等学校出身の人物]] [[Category:名古屋大学出身の人物]] [[Category:名古屋大学の教員]] [[Category:三重大学の教員]] [[Category:名城大学の教員]] [[Category:工学博士取得者]] [[Category:愛知県出身の人物]] [[Category:1957年生]] [[Category:存命人物]]
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PUFFY
PUFFY(パフィー)は、日本の女性ボーカルデュオ、ユニット。メンバーは大貫亜美と吉村由美。1996年に奥田民生プロデュースのシングル『アジアの純真』でデビュー。力の抜けた自然体のスタイル、親しみやすいキャラクター、ハイクオリティな楽曲が特徴。2000年にSXSWに出演、2002年にPuffy AmiYumi名義で北米ツアーを行い、2004年にはPUFFYをモデルにしたアニメ『ハイ!ハイ! パフィー・アミユミ』が全米でブレイクし、世界110カ国以上で放送される。2016年にデビュー20周年を迎える。 1994年、SMAに所属する大貫亜美と吉村由美が出会い、1995年にユニットを結成。同事務所の奥田民生サウンドプロデュースの下、1996年5月にCDデビュー。奥田が他のアーティストをプロデュースするのはこれが初めてだった。デビューから4連続でミリオンヒットを記録した。また、同年の新人アーティストで最高の売上を記録。日本国外でも、アジア各国でも人気を得て、2002年には北米でもCDデビューしツアーを行う。2004年、二人をモデルにしたアニメーション番組『Hi Hi Puffy AmiYumi』が全米でスタートし、現在まで、世界110カ国以上で放映されている。しかし活動拠点はあくまで日本であり、毎年全国ツアーを行い、国内外問わず多くのイベントやフェスに参加するなど、積極的なライブ活動を行っている。 PUFFYという名前はアンディ・スターマーが命名した。当初は「The Puffy」(ザ・パフィー)とも表記されていた。 東京都町田市生まれ神奈川県横浜市育ちの大貫亜美は、高校在学中に結成したバンドのデモテープを、「落選通知を受け取るために」 ソニー主催のオーディションに送った。結果は合格であったが、メンバー全員乗り気でなかったため解散。志望職種であったCAを目指して神田外語学院に進学したが、彼女の声質に魅力を感じたソニーのスタッフに説得され、専門学校に通うかたわら歌唱指導を受けるなど、ソロ歌手としてデビューの準備を進めていた。 同じ頃、大阪府寝屋川市出身の吉村由美は高校を中退してアルバイトを転々とする、フリーターの生活を送っていたが、1993年の夏におこなわれた「ちょっとそこまでオーディション」でデビューのきっかけを掴んだ。そのオーディションはソニー・ミュージックエンタテインメントの主催でありながら、歌の審査がない風変わりなものだった。夏休みにホテルに集められた応募者(10代の女性)らはプールで遊ばされたり、テニス、パターゴルフ、人形劇などをさせられたが、由美はセンスあるストリートファッションに加え、姉御肌の性格を発揮してグループを取り仕切り、「媚びてなく格好良い。いいキャラクター」として担当者の目を惹いた。オーディションの狙いは、歌を専業にしない人材の発掘であり、タレント、パーソナリティ、モデルなど何でもよかった。歌手もやる、という程度の考えだったという。どのような芸能活動を行いたいか、というソニー側の質問に何となく「歌手」と答えた由美は、SMA所属のアーティストとして上京し、ボイストレーニングなどを受けた。 1994年、事務所で初めて対面した亜美と由美は、双方の内気な性格から当初は打ち解けず、由美が年長の亜美に敬語で対応する関係がしばらく続いた。しかし、思いもよらぬ芸能界入りという同じような境遇にあった二人は、徐々に友情を深め、由美が亜美の実家に出入りするまでに親密な関係となった。ソロデビューに不安を抱えていた亜美は事務所に由美とのデュオを提案し、すでに亜美のソロ音源が録音されていたにもかかわらず、すんなり受け入れられた。 その後、小室哲哉や小林武史等の活躍に影響を受け、プロデュース業に関心を寄せていた奥田民生がプロデュースを担当することになった。 結成翌年の1996年5月13日、プロデュースと作曲を奥田、作詞を井上陽水が担当したシングル『アジアの純真』でメジャーデビューした。デビュー後にはPV撮影の為に渡米し、アメリカ大陸を2週間かけて横断した(この模様は『これが私の生きる道』のPVおよびビデオ・フォトブック『RUN!PUFFY!RUN!』に収められている)。その後もアルバム『amiyumi』、2ndシングル『これが私の生きる道』 と相次いで奥田プロデュースの作品を発表し、この曲は翌春の選抜高等学校野球大会の入場曲に使用された。その年の音楽新人賞を総なめにした。 1997年10月に初の冠番組であるバラエティ番組『パパパパパフィー』がテレビ朝日系列で放送開始され、2002年3月31日まで放送された。この番組は、デビュー直後に出演したフジテレビ系の音楽番組『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(1996年10月28日放送)において、司会の松本人志が二人の性格に対して「その様なことでは、もし冠番組を持ったときにどうするのか」として、司会の予行演習を行わせようとした際に提案した架空のテレビ番組の名をそのまま採用して生まれたものであった。 1997年からアジアキャンペーンを行い、1998年には台湾で発売したCD全てがゴールドディスクを受賞した。1998年、1999年にはツアーの一環として香港・台湾でもコンサートを行った(1999年は台湾大地震により中止)。シングルCDのジャケット等を担当していた、米国のイラストレーター、ロドニー・アラン・グリーンブラットによるキャラクター商品は人気を博した。さらにこの時期、二人はドラマの撮影やMCを担当していた朝の生番組『saku saku morning call』や『パパパパパフィー』の収録と、寝る暇がないほどに多忙であったが、それらと並行してレコーディングや全国ツアーなども行う。 2000年、米国テキサス州で行われたロック・フェスティバル「SXSW」(サウス・バイ・サウスウエスト)に出演した。この時のライブは現地のアメリカ人にウケが良く、また、同じく日本から出演したナンバーガールやロリータ18号のライブに感銘を受け、2人はライブに対する考え方が変化したという。レギュラー番組が終了したのを機に、2002年に初の北米ツアーを行い、『SPIKE』で全米インディーズデビュー。この時PUFFYのプロモーションには、マスメディアを使わずに北米114都市をバスで移動するライブ活動を展開した。そして、ソニーの現地レーベルとカナダのBar/None Records(英語版)から、『SPIKE』の現地版と、ベスト盤である『An Illustrated History Of Puffy AmiYumi』(英語)(日本未発売)を発売した。これらは、米カレッジチャートにランクインした。米国で発売した最初の3枚のアルバムは合計で6万枚を売り上げた。なお、北米で「Puffy AmiYumi」と名乗るのは、パフィーの愛称を持つラッパー、ショーン・コムズから警告を受けてのことである。 2003年、米国のカートゥーン・ネットワークのアニメ『Teen Titans』の主題歌と「K2G」をアンディ・スターマーのプロデュースで共作、演奏を担当、2006年までの42作にクレジットされた。また、同局のプロデューサーは二人をモデルにしたアニメの制作をかねてより打診しており、2004年11月、アニメ『Hi Hi Puffy AmiYumi』の全米放送が開始し、それに伴ってアニメの主題歌を含むアルバム『Hi Hi Puffy Amiyumi』で全米メジャーデビューを果たす。二人はインタビューにおいて、ミュージシャン達(シンディ・ローパーやグリーン・デイなど)が自分たちを知っていて驚いたこと、原因は相手の子供たちがこのアニメのファンだったからだと語っている。 同年公開のアメリカのアニメ実写映画『スクービー・ドゥー2 モンスターパニック』において、 エンディングテーマと劇中挿入歌を担当した。 日本では同時期に『SDガンダムフォース』の主題歌を担当、2004年2月11日に業界初のガンプラ付きCDを発売した。 2005年、デビュー時から在籍していたEPICレコードからKi/oonレコードへレーベル移籍した。これはSME内の配置転換である。4月28日にアメリカの深夜バラエティー番組「ジミー・キンメル・ライブ!」第4期29話に出演した。11月にはニューヨークの秋の風物詩「メイシーズデパート主催の全米最大の感謝祭パレード」に日本人として初めて参加、アニメにも登場するライブツアー用のバスを模したフロート車で練り歩き、同デパート前でミニライブを披露した。また独占契約を結んだマテルからアミとユミのキャラクター人形が楽器や衣装、ツアーバスのおもちゃと共に発売されるのを記念し、感謝祭後から始まるクリスマス商戦に合わせてマジソンスクエアに近いトイザらスに特設コーナーが設けられた。 2006年にはデビュー10周年を迎えた。米国での活躍を認められ、国土交通省が中心となって推進する『ビジット・ジャパン・キャンペーン』の重点市場国の一つである米国における観光親善大使に任命された。また、同じくアニバーサリーイヤーを迎えるリプトンの紅茶アンバサダーに任命され、東京スカパラダイスオーケストラとのコラボレーションバンドを結成。6月には『パパパパパフィー』の限定復活番組が放送され、7月から1クールで『Hi Hi PUFFY部』が放送された。 2008年、アヴリル・ラヴィーンの東京ドーム公演にゲストとしてライブ出演。 2009年7月、アルバム『Bring it!』をフランスでも発売し、パリで行われたJapan Expoにてライブ出演。 2010年元日、初のオフィシャルファンクラブ期間限定結成が発表された。6月からファンクラブ旗揚げ公演と称して全国ツアーを敢行、香港で11年ぶり、台湾で12年ぶりの公演も果たし、チケットは完売、衰えない人気を示した。また、NYでのイベント出演に合わせて、『honeycreeper』『Bring it!』を全米配信リリース。2011年にはデビュー15周年を迎え、アルバム『Thank You!』の発売と4月からの全国ツアーが発表された。アニバーサリーイヤーをプロモーションすべく、例年より多くのメディア出演をこなす。 2015年11月18日、シングル『パフィピポ山』を発売。サウンドプロデュースをもふくちゃん、作詞を前山田健一、作曲をPandaBoY、編曲を浅野尚志、ミュージックビデオを「スミネム(スミス・夢眠ねむ)」が手がけた。 2016年、デビュー20周年を迎えた。12月31日には『第67回NHK紅白歌合戦』へ出場。『紅白歌合戦』へは初出場であり、「PUFFY 20周年紅白スペシャル」として「アジアの純真」「渚にまつわるエトセトラ」の2曲を歌唱した。 2018年、12年ぶりのレギュラー番組となる『PUFFYの耳地獄』がBSスカパーにて放送開始。 2021年4月21日、25周年記念ボックスセット『PLAYLIST 〜PUFFY 25th Anniversary〜』発売。 プロデューサーである奥田は、PUFFYがアイドルの様に短期間で消費されてしまうことを嫌い、責任ある姿勢で指導に当たった。二人はこうした彼の姿勢から、彼を「先生ちゃん」と呼んで慕った。奥田は、個々のボーカルよりも二人の合わさった声に魅力を感じており、歌い方に関しても『自分のビブラートなしの歌い方を勝手に押し付けたわけですから、二人は大変だったんですよ。二人で真っ直ぐ歌えないと駄目なんで。ごまかしがきかない。日本のいわゆる歌姫と呼ばれる人たちに、PUFFYのようにやれって言ってもできないでしょうね。』と語っている。 奥田はPUFFYが特定の指導者に依存することを望まず、1999年のアルバム 『FEVER*FEVER』では、笹路正徳にプロデュースを託し、2003年のアルバム『NICE.』及び2004年のミニアルバム『59』では、アンディ・スターマーがプロデュースに当たった。特に『NICE.』では、彼が全曲を作曲した。 デビュー当初、PUFFYは「企画モノ」で終わるつもりであったため、特に目指すべき方向を持たなかった。その後は人気の下降と共に徐々にアーティスト寄りの方向に進み、『NICE.』で一つの到達点を示したことで“キャラクターから脱出し、シリアスになりかけた”。しかし、それを阻止したのはアメリカでの『Hi Hi Puffy AmiYumi』の成功であり、自身のポップ・キャラクターとしての魅力を再確認させられ、二人のやりたい音楽も明確になった。 『Splurge』以降は、かつての様に複数の作曲者から作品の提供を受け、個々にプロデュースを依頼するといった傾向が続いている。曲の提供は、しばしば奥田やアンディも手掛けるが、アルバムには国内外問わず二人が好きなアーティストにリクエストし、椎名林檎や斉藤和義、チバユウスケ、LOW IQ 01、山中さわおなどは複数の楽曲を提供している。 作詞面では、初期より二人あるいは個人での作詞も行っており、シングルとしては「たららん/パフィーのツアーメン」(1998年)で初めてPUFFYとしてクレジットされた。2006年に発表した9thアルバム『Splurge』では、ロッキング・オン編集者である兵庫慎司の全曲解説が寄せられ、二人の作詞家ぶりを絶賛している。しかし本人達としては、作詞へのこだわりは一切無い。また、全編英語詞のシングルも数曲リリースしている。 レコーディングには楽曲ごとに様々なミュージシャンが参加しており、提供者やそのバンドメンバーが演奏することもよくある。2011年に発表した『Thank You!』では、ライブのバンドメンバーで全楽曲を演奏している。ライブはほぼ固定されたバンドで行い、テレビ出演やツアーでメンバーが替わることがあるが、リズム隊はデビュー当時からほぼ変わらない。 映画
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AmiYumi」と名乗るのは、パフィーの愛称を持つラッパー、ショーン・コムズから警告を受けてのことである。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "2003年、米国のカートゥーン・ネットワークのアニメ『Teen Titans』の主題歌と「K2G」をアンディ・スターマーのプロデュースで共作、演奏を担当、2006年までの42作にクレジットされた。また、同局のプロデューサーは二人をモデルにしたアニメの制作をかねてより打診しており、2004年11月、アニメ『Hi Hi Puffy AmiYumi』の全米放送が開始し、それに伴ってアニメの主題歌を含むアルバム『Hi Hi Puffy Amiyumi』で全米メジャーデビューを果たす。二人はインタビューにおいて、ミュージシャン達(シンディ・ローパーやグリーン・デイなど)が自分たちを知っていて驚いたこと、原因は相手の子供たちがこのアニメのファンだったからだと語っている。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "同年公開のアメリカのアニメ実写映画『スクービー・ドゥー2 モンスターパニック』において、 エンディングテーマと劇中挿入歌を担当した。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "日本では同時期に『SDガンダムフォース』の主題歌を担当、2004年2月11日に業界初のガンプラ付きCDを発売した。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "2005年、デビュー時から在籍していたEPICレコードからKi/oonレコードへレーベル移籍した。これはSME内の配置転換である。4月28日にアメリカの深夜バラエティー番組「ジミー・キンメル・ライブ!」第4期29話に出演した。11月にはニューヨークの秋の風物詩「メイシーズデパート主催の全米最大の感謝祭パレード」に日本人として初めて参加、アニメにも登場するライブツアー用のバスを模したフロート車で練り歩き、同デパート前でミニライブを披露した。また独占契約を結んだマテルからアミとユミのキャラクター人形が楽器や衣装、ツアーバスのおもちゃと共に発売されるのを記念し、感謝祭後から始まるクリスマス商戦に合わせてマジソンスクエアに近いトイザらスに特設コーナーが設けられた。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "2006年にはデビュー10周年を迎えた。米国での活躍を認められ、国土交通省が中心となって推進する『ビジット・ジャパン・キャンペーン』の重点市場国の一つである米国における観光親善大使に任命された。また、同じくアニバーサリーイヤーを迎えるリプトンの紅茶アンバサダーに任命され、東京スカパラダイスオーケストラとのコラボレーションバンドを結成。6月には『パパパパパフィー』の限定復活番組が放送され、7月から1クールで『Hi Hi PUFFY部』が放送された。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "2008年、アヴリル・ラヴィーンの東京ドーム公演にゲストとしてライブ出演。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "2009年7月、アルバム『Bring it!』をフランスでも発売し、パリで行われたJapan Expoにてライブ出演。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "2010年元日、初のオフィシャルファンクラブ期間限定結成が発表された。6月からファンクラブ旗揚げ公演と称して全国ツアーを敢行、香港で11年ぶり、台湾で12年ぶりの公演も果たし、チケットは完売、衰えない人気を示した。また、NYでのイベント出演に合わせて、『honeycreeper』『Bring it!』を全米配信リリース。2011年にはデビュー15周年を迎え、アルバム『Thank You!』の発売と4月からの全国ツアーが発表された。アニバーサリーイヤーをプロモーションすべく、例年より多くのメディア出演をこなす。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "2015年11月18日、シングル『パフィピポ山』を発売。サウンドプロデュースをもふくちゃん、作詞を前山田健一、作曲をPandaBoY、編曲を浅野尚志、ミュージックビデオを「スミネム(スミス・夢眠ねむ)」が手がけた。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "2016年、デビュー20周年を迎えた。12月31日には『第67回NHK紅白歌合戦』へ出場。『紅白歌合戦』へは初出場であり、「PUFFY 20周年紅白スペシャル」として「アジアの純真」「渚にまつわるエトセトラ」の2曲を歌唱した。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2018年、12年ぶりのレギュラー番組となる『PUFFYの耳地獄』がBSスカパーにて放送開始。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "2021年4月21日、25周年記念ボックスセット『PLAYLIST 〜PUFFY 25th Anniversary〜』発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "プロデューサーである奥田は、PUFFYがアイドルの様に短期間で消費されてしまうことを嫌い、責任ある姿勢で指導に当たった。二人はこうした彼の姿勢から、彼を「先生ちゃん」と呼んで慕った。奥田は、個々のボーカルよりも二人の合わさった声に魅力を感じており、歌い方に関しても『自分のビブラートなしの歌い方を勝手に押し付けたわけですから、二人は大変だったんですよ。二人で真っ直ぐ歌えないと駄目なんで。ごまかしがきかない。日本のいわゆる歌姫と呼ばれる人たちに、PUFFYのようにやれって言ってもできないでしょうね。』と語っている。", "title": "音楽性" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "奥田はPUFFYが特定の指導者に依存することを望まず、1999年のアルバム 『FEVER*FEVER』では、笹路正徳にプロデュースを託し、2003年のアルバム『NICE.』及び2004年のミニアルバム『59』では、アンディ・スターマーがプロデュースに当たった。特に『NICE.』では、彼が全曲を作曲した。", "title": "音楽性" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "デビュー当初、PUFFYは「企画モノ」で終わるつもりであったため、特に目指すべき方向を持たなかった。その後は人気の下降と共に徐々にアーティスト寄りの方向に進み、『NICE.』で一つの到達点を示したことで“キャラクターから脱出し、シリアスになりかけた”。しかし、それを阻止したのはアメリカでの『Hi Hi Puffy AmiYumi』の成功であり、自身のポップ・キャラクターとしての魅力を再確認させられ、二人のやりたい音楽も明確になった。", "title": "音楽性" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "『Splurge』以降は、かつての様に複数の作曲者から作品の提供を受け、個々にプロデュースを依頼するといった傾向が続いている。曲の提供は、しばしば奥田やアンディも手掛けるが、アルバムには国内外問わず二人が好きなアーティストにリクエストし、椎名林檎や斉藤和義、チバユウスケ、LOW IQ 01、山中さわおなどは複数の楽曲を提供している。", "title": "音楽性" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "作詞面では、初期より二人あるいは個人での作詞も行っており、シングルとしては「たららん/パフィーのツアーメン」(1998年)で初めてPUFFYとしてクレジットされた。2006年に発表した9thアルバム『Splurge』では、ロッキング・オン編集者である兵庫慎司の全曲解説が寄せられ、二人の作詞家ぶりを絶賛している。しかし本人達としては、作詞へのこだわりは一切無い。また、全編英語詞のシングルも数曲リリースしている。", "title": "音楽性" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "レコーディングには楽曲ごとに様々なミュージシャンが参加しており、提供者やそのバンドメンバーが演奏することもよくある。2011年に発表した『Thank You!』では、ライブのバンドメンバーで全楽曲を演奏している。ライブはほぼ固定されたバンドで行い、テレビ出演やツアーでメンバーが替わることがあるが、リズム隊はデビュー当時からほぼ変わらない。", "title": "サポートメンバー" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "映画", "title": "国内外での活動" } ]
PUFFY(パフィー)は、日本の女性ボーカルデュオ、ユニット。メンバーは大貫亜美と吉村由美。1996年に奥田民生プロデュースのシングル『アジアの純真』でデビュー。力の抜けた自然体のスタイル、親しみやすいキャラクター、ハイクオリティな楽曲が特徴。2000年にSXSWに出演、2002年にPuffy AmiYumi名義で北米ツアーを行い、2004年にはPUFFYをモデルにしたアニメ『ハイ!ハイ! パフィー・アミユミ』が全米でブレイクし、世界110カ国以上で放送される。2016年にデビュー20周年を迎える。
{{otheruses|日本の女性歌手コンビ|パフィーの愛称を持つMC|ショーン・コムズ}} {{出典の明記|date=2015年10月5日 (月) 20:42 (UTC)}} {{TVWATCH}} {{Infobox Musician | 名前 = PUFFY | 画像 = Puffy AmiYumi 20090704 Japan Expo 58.jpg | 画像説明 = 2009年度 フランスJapan Expoにて | 画像サイズ = 220px<!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 --> | 画像補正 = yes | 背景色 = group | 別名 = Puffy AmiYumi | 出身地 = {{JPN}} | ジャンル = {{Hlist-comma|[[オルタナティヴ・ロック]]<ref name="allmusic">{{AllMusic |first=Mark |last=Deming |title=Puffy AmiYumi {{!}} Biography & History |class=artist |id=puffy-amiyumi-mn0000368578/biography |accessdate=2020-06-20 }}</ref>|[[インディー・ロック]]<ref name="allmusic" />|[[渋谷系]]<ref name="allmusic" />|[[J-POP]]<ref name="allmusic" />}} | 活動期間 = [[1995年]] - | レーベル = {{Plainlist| * {{Hlist-comma|{{Flagicon|JPN}} [[エピックレコードジャパン|Epic]]|[[キューンミュージック|Ki/oon]]|[[ワーナーミュージック・ジャパン|WMJ]]}} * {{Hlist-comma|{{Flagicon|USA}} {{仮リンク|バーノン・レコード|label=Bar/None|en|Bar/None Records}}|[[東風レコード|東風]]}} }} | 事務所 = [[ソニー・ミュージックアーティスツ]] | 共同作業者 = {{Hlist-comma|[[奥田民生]]|[[アンディ・スターマー]]}} | 公式サイト = [https://puffy.jp/ PUFFY Official Website] | メンバー = {{Plainlist| * [[大貫亜美]]([[ボーカル]]) * [[吉村由美]](ボーカル) }} | 旧メンバー = }} '''PUFFY'''(パフィー)は、[[日本]]の女性[[二人組|ボーカルデュオ]]<ref name="natalie">{{Cite news |url=https://natalie.mu/music/artist/725|title=PUFFYの記事まとめ|accessdate=2015-10-26|newspaper=[[ナタリー (ニュースサイト)|音楽ナタリー]]|publisher=ナターシャ}}</ref>、[[音楽ユニット|ユニット]]<ref name="cdjournal">{{Cite web |url=https://artist.cdjournal.com/a/puffy/124115|title=PUFFY|accessdate=2015-10-26|work=CDJournal|publisher=音楽出版社}}</ref>。メンバーは[[大貫亜美]]と[[吉村由美]]<ref name="natalie"/>。[[1996年]]に[[奥田民生]]プロデュースのシングル『[[アジアの純真]]』でデビュー<ref name="natalie"/>。力の抜けた自然体のスタイル<ref name="natalie"/>、親しみやすいキャラクター<ref name="cdjournal"/>、ハイクオリティな楽曲が特徴<ref name="natalie"/>。2000年に[[サウス・バイ・サウスウエスト|SXSW]]に出演<ref name="cdjournal"/>、2002年に'''Puffy AmiYumi'''名義で[[北アメリカ|北米]]ツアーを行い、2004年にはPUFFYをモデルにしたアニメ『[[ハイ!ハイ! パフィー・アミユミ]]』が全米でブレイクし、世界110カ国以上で放送される<ref name="natalie"/>。2016年にデビュー20周年を迎える<ref>{{Cite news |url=https://natalie.mu/music/news/156216|title=PUFFY&キャンスパ20周年アイテム発表、モデルに亜美+黒猫チェルシーメンバー|accessdate=2015-10-26|newspaper=音楽ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2015-08-06}}</ref>。<!-- 要出典 中国語表記は"'''帕妃'''"。「パフィー声」と称される --> == 略歴 == 1994年、[[ソニー・ミュージックアーティスツ|SMA]]に所属する[[大貫亜美]]と[[吉村由美]]が出会い、1995年にユニットを結成。同事務所の[[奥田民生]]サウンドプロデュースの下、1996年5月にCDデビュー。奥田が他のアーティストをプロデュースするのはこれが初めてだった{{Sfn |奥田|1996| p=193}}{{Sfn |奥田|1996| p=213}}{{Refnest|group="注"|ただし、以前にも他人への楽曲提供を行ったことはある{{Sfn |奥田|1996| p=294}}。}}。デビューから4連続でミリオンヒットを記録した。また、同年の新人アーティストで最高の売上を記録。日本国外でも、[[アジア]]各国でも人気を得て、2002年には[[北アメリカ|北米]]でもCDデビューしツアーを行う。2004年、二人をモデルにしたアニメーション番組『[[Hi Hi Puffy AmiYumi]]』が全米でスタートし、現在まで、世界110カ国以上で放映されている。しかし活動拠点はあくまで日本であり、毎年全国ツアーを行い、国内外問わず多くのイベントやフェスに参加するなど、積極的なライブ活動を行っている。 PUFFYという名前は[[アンディ・スターマー]]が命名した{{Sfn |奥田|1996| p=184}}。当初は「'''The Puffy'''」(ザ・パフィー)とも表記されていた{{Sfn |奥田|1996| p=179}}{{Sfn |奥田|1996| p=193}}。 === デビュー前(1993年 - 1995年) === 東京都[[町田市]]生まれ神奈川県[[横浜市]]育ちの[[大貫亜美]]は、高校在学中に結成したバンドの[[デモテープ]]を、「落選通知を受け取るために」 [[ソニー]]主催の[[オーディション]]に送った。結果は合格であったが、メンバー全員乗り気でなかったため解散。志望職種であった[[キャビン・アテンダント|CA]]を目指して[[神田外語学院]]に進学したが、彼女の声質に魅力を感じたソニーのスタッフに説得され、専門学校に通うかたわら歌唱指導を受けるなど、ソロ歌手としてデビューの準備を進めていた。 同じ頃、大阪府[[寝屋川市]]出身の[[吉村由美]]は高校を中退して[[アルバイト]]を転々とする、[[フリーター]]の生活を送っていたが、[[1993年]]の夏におこなわれた「ちょっとそこまでオーディション」でデビューのきっかけを掴んだ<ref name=ugaya96>[[烏賀陽弘道]]『[[Jポップ]]とは何か-巨大化する[[音楽産業]]』[[岩波書店]]〈[[岩波新書]](新赤版)〉、2005年、96頁。</ref>。そのオーディションは[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]]の主催でありながら、歌の審査がない風変わりなものだった<ref name=ugaya96/>。夏休みにホテルに集められた応募者(10代の女性)らは[[プール]]で遊ばされたり、[[テニス]]、[[パターゴルフ]]、[[人形劇]]などをさせられたが、由美はセンスある[[ストリートファッション]]に加え、姉御肌の性格を発揮してグループを取り仕切り、「媚びてなく格好良い。いいキャラクター」として担当者の目を惹いた<ref name=ugaya96/>。オーディションの狙いは、歌を専業にしない人材の発掘であり、[[タレント]]、[[パーソナリティ]]、[[モデル (職業)|モデル]]など何でもよかった<ref name=ugaya97>烏賀陽弘道『Jポップとは何か-巨大化する音楽産業』岩波書店〈岩波新書(新赤版)〉、2005年、97頁。</ref>。歌手もやる、という程度の考えだった<ref name=ugaya97/>という。どのような芸能活動を行いたいか、というソニー側の質問に何となく「歌手」と答えた由美は、SMA所属のアーティストとして上京し、[[ボイストレーニング]]などを受けた。 1994年、事務所で初めて対面した亜美と由美は、双方の内気な性格から当初は打ち解けず、由美が年長の亜美に敬語で対応する関係がしばらく続いた。しかし、思いもよらぬ芸能界入りという同じような境遇にあった二人は、徐々に友情を深め、由美が亜美の実家に出入りするまでに親密な関係となった。ソロデビューに不安を抱えていた亜美は事務所に由美との[[二人組|デュオ]]を提案し、すでに亜美のソロ音源<ref group="注">後に由美のソロも作られ、大貫亜美吉村由美名義のアルバム『[[solosolo]]』 として発表された。</ref>が録音されていたにもかかわらず、すんなり受け入れられた。 その後、[[小室哲哉]]や[[小林武史]]等の活躍に影響を受け、プロデュース業に関心を寄せていた奥田民生がプロデュースを担当することになった<ref>{{Cite book |俺は知ってるぜ |author=奥田民生 |year=2004 |title=俺は知ってるぜ |page=130 |publisher=株式会社ロッキング・オン|location= |isbn4= 86052-042-4 |quote= }}</ref>。 === デビュー直後(1996年 - 1997年) === 結成翌年の[[1996年]][[5月13日]]、[[プロデュース]]と作曲を奥田、作詞を[[井上陽水]]が担当したシングル『[[アジアの純真]]』で[[メジャー・デビュー (音楽家)|メジャーデビュー]]した。デビュー後にはPV撮影の為に渡米し、アメリカ大陸を2週間かけて横断した(この模様は『[[これが私の生きる道]]』のPVおよびビデオ・フォトブック『RUN!PUFFY!RUN!』に収められている)。その後もアルバム『[[amiyumi]]』、2ndシングル『[[これが私の生きる道]]』 と相次いで奥田プロデュースの作品を発表し、この曲は翌春の[[選抜高等学校野球大会]]の入場曲に使用された。その年の音楽新人賞を総なめにした。 [[1997年]]10月に初の[[冠番組]]であるバラエティ番組『[[パパパパパフィー]]』がテレビ朝日系列で放送開始され、2002年3月31日まで放送された。この番組は、デビュー直後に出演したフジテレビ系の音楽番組『[[HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP]]』(1996年10月28日放送)において、司会の[[松本人志]]が二人の性格に対して「その様なことでは、もし冠番組を持ったときにどうするのか」として、司会の予行演習を行わせようとした際に提案した架空のテレビ番組の名をそのまま採用して生まれたものであった。 === 人気の拡大(1998年 - 2001年頃) === 1997年からアジアキャンペーンを行い、1998年には台湾で発売したCD全てが[[ゴールドディスク]]を受賞した。1998年、1999年にはツアーの一環として[[香港]]・台湾でもコンサートを行った(1999年は[[921大地震|台湾大地震]]により中止)。シングルCDのジャケット等を担当していた、米国のイラストレーター、[[ロドニー・アラン・グリーンブラット]]によるキャラクター商品は人気を博した。さらにこの時期、二人はドラマの撮影やMCを担当していた朝の生番組『[[saku saku morning call]]』や『パパパパパフィー』の収録と、寝る暇がないほどに多忙であったが、それらと並行してレコーディングや全国ツアーなども行う。 === 北米大陸へ(2002年 - 2005年) === [[2000年]]、米国[[テキサス州]]で行われたロック・フェスティバル「'''SXSW'''」(サウス・バイ・サウスウエスト)に出演した。この時のライブは現地のアメリカ人にウケが良く、また、同じく日本から出演した[[ナンバーガール]]や[[ロリータ18号]]のライブに感銘を受け、2人はライブに対する考え方が変化したという<ref>「あゆみ(2006年)」インタビューより</ref>。レギュラー番組が終了したのを機に、[[2002年]]に初の北米ツアーを行い、『[[SPIKE (PUFFYのアルバム)|SPIKE]]』で全米[[インディーズ]]デビュー。この時PUFFYのプロモーションには、[[マスメディア]]を使わずに北米114都市をバスで移動するライブ活動を展開した。そして、ソニーの現地レーベルとカナダのBar/None Records<small>([[:en:Bar/None Records|英語版]])</small>から、『SPIKE』の現地版と、ベスト盤である『[[:en:An Illustrated History Of Puffy AmiYumi|An Illustrated History Of Puffy AmiYumi]]』{{Languageicon|en}}(日本未発売)を発売した。これらは、米カレッジチャートにランクインした{{いつ|date=2017年6月}}。米国で発売した最初の3枚のアルバムは合計で6万枚を売り上げた<ref>[https://web.archive.org/web/20031121161334/http://biztech.nikkeibp.co.jp/wcs/leaf/CID/onair/biztech/biz/276532 日本のポップス、米に進撃]、[[日経BP]] - [[インターネットアーカイブ]](『[[日経ビジネス]]』2003年11月17日号、14頁)</ref>。なお、北米で「Puffy AmiYumi」と名乗るのは、パフィーの愛称を持つラッパー、[[ショーン・コムズ]]から警告<ref>{{cite journal|url= https://ew.com/article/2001/04/04/puffy-maintains-us-rights-his-name/|title= Puffy maintains the U.S. rights to his name <nowiki>[</nowiki>Puffy、アメリカ国内の商標権を守る<nowiki>]</nowiki>|publisher= Meredith Corporation|author1= Willman, Chris |author2=Brunner, Rob|archiveurl= https://web.archive.org/web/20161009123259/http://www.ew.com/article/2001/04/04/puffy-maintains-us-rights-his-name|archivedate= 2016-10-09|journal= Entertainment Weekly|date= 2001-04-04|accessdate=2018-08-31}}</ref>を受けてのことである。 [[2003年]]、米国の[[カートゥーン ネットワーク|カートゥーン・ネットワーク]]のアニメ『[[ティーン・タイタンズ (アニメ)|Teen Titans]]』の主題歌と「K2G」を[[アンディ・スターマー]]のプロデュースで共作、演奏を担当、2006年までの42作にクレジットされた<ref>{{cite web|title= Teen Titans (2003–2006) |url= https://www.imdb.com/title/tt0343314/fullcredits?ref_=tt_ql_1|publisher= [[IMDb]]|language= en|accessdate= 2018-08-31}}</ref>。また、同局のプロデューサーは二人をモデルにした[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]の制作をかねてより打診しており、2004年11月、アニメ『[[Hi Hi Puffy AmiYumi]]』の全米放送が開始し、それに伴ってアニメの主題歌を含むアルバム『Hi Hi Puffy Amiyumi』で全米メジャーデビューを果たす。二人はインタビューにおいて、ミュージシャン達([[シンディ・ローパー]]や[[グリーン・デイ]]など)が自分たちを知っていて驚いたこと、原因は相手の子供たちがこのアニメのファンだったからだと語っている{{いつ|date=2017年6月}}{{どこ|date=2017年6月}}。 同年公開のアメリカのアニメ実写映画『[[スクービー・ドゥー2 モンスターパニック]]』において、 エンディングテーマと劇中挿入歌を担当した。 日本では同時期に『[[SDガンダムフォース]]』の主題歌を担当、2004年2月11日に業界初の[[ガンプラ]]付きCDを発売した<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/sdgundamforce/|title= SDガンダムフォース オープニング&エンディングテーマ決定|archiveurl= https://web.archive.org/web/20040414230217/http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/sdgundamforce/|archivedate= 2004-04-14|publisher= Sony Music Entertainment (Japan) Inc.|accessdate=2018-08-31}}</ref>。 [[2005年]]、デビュー時から在籍していた[[エピックレコードジャパン|EPICレコード]]から[[キューンレコード|Ki/oonレコード]]へ[[レコードレーベル|レーベル]]移籍した。これは[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|SME]]内の配置転換である。4月28日にアメリカの深夜バラエティー番組「[[ジミー・キンメル・ライブ!]]」第4期29話に出演した<ref>{{cite web|url= https://www.imdb.com/name/nm1703894/?ref_=ttfc_fc_cr153|title= Puffy AmiYumi|publisher= IMDb|accessdate= 2018-08-31}}</ref>。11月にはニューヨークの秋の風物詩「[[メイシーズ・サンクスギヴィング・デイ・パレード|メイシーズデパート主催の全米最大の感謝祭パレード]]」に日本人として初めて参加、アニメにも登場するライブツアー用のバスを模した[[フロート車]]で練り歩き、同デパート前でミニライブを披露した<ref name="macys">{{Cite web|和書|url= https://www.warnermediagroup.com/newsroom/press-releases/2005/10/31/cartoon-network-unveils-hi-hi-puffy-amiyumi-float-for-the-79th |title= Cartoon Network Unveils Hi Hi Puffy AmiYumi Float For the 79th Annual Macy's Thanksgiving Day Parade® <nowiki>[</nowiki>「ハイハイ、パフィーアミユミ」のパレードカーが第79回メイシーズ感謝祭パレードに参加、カートゥーンネットワーク発表」<nowiki>]</nowiki>|date= 2005年10月31日|language= en|archiveurl= https://web.archive.org/web/20180831123844/https://www.warnermediagroup.com/newsroom/press-releases/2005/10/31/cartoon-network-unveils-hi-hi-puffy-amiyumi-float-for-the-79th|publisher= WarnerMedia|archivedate= 2018-08-31|accessdate= 2018-08-31}}</ref>。また独占契約を結んだ<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.warnerbros.com/news/press-releases/warner-bros-consumer-products-and-cartoon-network-name-mattel-master-toy-manufacturer-|title= Warner Bros. Consumer Products And Cartoon Network Name Mattel Master Toy Manufacturer For “Hi Hi Puffy Amiyumi” <nowiki>[</nowiki>ワーナーブラザース顧客プロダクト部門とカートゥーンネットワーク社、「ハイハイ・パフィー・アミユミ」のライセンス先にマテルを指名<nowiki>]</nowiki>|date= 16 February 2005|location= カリフォルニア州バーバンク|publisher= Warner Bros. Entertainment Inc |language= en|accessdate=2018-08-31}}</ref>[[マテル]]からアミとユミのキャラクター人形<ref>{{Cite web|和書|title= 「ハイ・ハイ・パフィー・アミユミ」のキャラクター商品群|url= https://www.amazon.com/s/ref=nb_sb_noss_2?url=search-alias%3Dtoys-and-games&field-keywords=Hi+Hi+Puffy+Amiyumi |archiveurl= https://web.archive.org/web/20180831143619/https://www.amazon.com/s/ref=nb_sb_noss_2?url=search-alias%3Dtoys-and-games&field-keywords=Hi+Hi+Puffy+Amiyumi|language= en|archivedate= 2018-08-31|accessdate= 2018-08-31}}</ref>が楽器や衣装、ツアーバスのおもちゃと共に発売されるのを記念し、感謝祭後から始まるクリスマス商戦に合わせて[[マジソンスクエア]]に近い[[トイザらス]]に特設コーナーが設けられた<ref name="macys"/>。 === デビュー10周年以降(2006年 - 2015年) === [[2006年]]にはデビュー10周年を迎えた。[[アメリカ合衆国|米国]]での活躍を認められ、[[国土交通省]]が中心となって推進する『[[ビジット・ジャパン・キャンペーン]]』の重点市場国の一つである米国における観光親善大使に任命された<ref>[https://web.archive.org/web/20080915220059/http://www.jnto.go.jp/vjc/ambassador.html VISIT JAPAN CAMPAIGN](アーカイブ)</ref>。また、同じくアニバーサリーイヤーを迎える[[リプトン]]の紅茶アンバサダーに任命され、[[東京スカパラダイスオーケストラ]]とのコラボレーションバンドを結成。6月には『パパパパパフィー』の限定復活番組が放送され、7月から1クールで『[[Hi Hi PUFFY部]]』が放送された。 [[2008年]]、[[アヴリル・ラヴィーン]]の東京ドーム公演にゲストとしてライブ出演。 [[2009年]]7月、アルバム『[[Bring it!]]』をフランスでも発売し、パリで行われた[[Japan Expo]]にてライブ出演。 [[2010年]]元日、初のオフィシャルファンクラブ期間限定結成が発表された<ref>[https://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/PUFFY/fc/index.html PUFFY オフィシャルファンクラブ 『劇団アセス』]</ref>。6月からファンクラブ旗揚げ公演と称して全国ツアーを敢行、香港で11年ぶり、台湾で12年ぶりの公演も果たし、チケットは完売、衰えない人気を示した。また、NYでのイベント出演に合わせて、『[[honeycreeper]]』『[[Bring it!]]』を全米配信リリース。[[2011年]]にはデビュー15周年を迎え、アルバム『[[Thank You! (PUFFYのアルバム)|Thank You!]]』の発売と4月からの全国ツアーが発表された。アニバーサリーイヤーをプロモーションすべく、例年より多くのメディア出演をこなす。 2015年11月18日、シングル『[[パフィピポ山]]』を発売。サウンドプロデュースを[[福嶋麻衣子|もふくちゃん]]、作詞を[[前山田健一]]、作曲を[[PandaBoY]]、編曲を[[浅野尚志]]、ミュージックビデオを「スミネム([[スミス (映像作家)|スミス]]・[[夢眠ねむ]])」が手がけた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000120942|title=PUFFY、ひた向きに「桃まんじゅう」を作るMV。監督はスミス&夢眠ねむ|accessdate=2015-11-18|work=[[BARKS]]|publisher=ジャパンミュージックネットワーク株式会社|date=2015-10-23}}</ref>。 === デビュー20周年(2016年 - ) === [[2016年]]、デビュー20周年を迎えた。[[12月31日]]には『[[第67回NHK紅白歌合戦]]』へ出場<ref name=sponichi161124>{{cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/11/24/kiji/K20161124013783000.html|title=NHK紅白歌合戦 出場歌手発表 初出場は宇多田、KinKiら10組|newspaper=スポニチアネックス|date=2016-11-24|accessdate=2016-11-24}}</ref>。『[[NHK紅白歌合戦|紅白歌合戦]]』へは初出場であり<ref name=sponichi161124/>、「PUFFY 20周年紅白スペシャル」として「アジアの純真」「渚にまつわるエトセトラ」の2曲を歌唱した。 [[2018年]]、12年ぶりのレギュラー番組となる『PUFFYの耳地獄』がBSスカパーにて放送開始。 [[2021年]]4月21日、25周年記念ボックスセット『PLAYLIST 〜PUFFY 25th Anniversary〜』発売。 == 音楽性 == プロデューサーである奥田は、PUFFYがアイドルの様に短期間で消費されてしまうことを嫌い、責任ある姿勢で指導に当たった。二人はこうした彼の姿勢から、彼を「先生ちゃん」と呼んで慕った。奥田は、個々のボーカルよりも二人の合わさった声に魅力を感じており、歌い方に関しても『自分の[[ビブラート]]なしの歌い方を勝手に押し付けたわけですから、二人は大変だったんですよ。二人で真っ直ぐ歌えないと駄目なんで。ごまかしがきかない。日本のいわゆる歌姫と呼ばれる人たちに、PUFFYのようにやれって言ってもできないでしょうね。』と語っている<ref>2007年10月4日 [[日経新聞]]{{要ページ番号|date=2017年6月}}</ref>。 奥田はPUFFYが特定の指導者に依存することを望まず、[[1999年]]のアルバム 『[[FEVER*FEVER]]』では、[[笹路正徳]]にプロデュースを託し、[[2003年]]のアルバム『[[NICE.]]』及び[[2004年]]のミニアルバム『[[59 (アルバム)|59]]』では、[[アンディ・スターマー]]がプロデュースに当たった。特に『NICE.』では、彼が全曲を作曲した。 デビュー当初、PUFFYは「企画モノ」で終わるつもりであったため、特に目指すべき方向を持たなかった。その後は人気の下降と共に徐々にアーティスト寄りの方向に進み、『NICE.』で一つの到達点を示したことで“キャラクターから脱出し、シリアスになりかけた”<ref>[[渋谷陽一]]ライナーノーツより{{いつ|date=2017年6月}}</ref>。しかし、それを阻止したのはアメリカでの『[[Hi Hi Puffy AmiYumi]]』の成功であり、自身のポップ・キャラクターとしての魅力を再確認させられ、二人のやりたい音楽も明確になった。 『[[Splurge]]』以降は、かつての様に複数の作曲者から作品の提供を受け、個々にプロデュースを依頼するといった傾向が続いている。曲の提供は、しばしば奥田やアンディも手掛けるが、アルバムには国内外問わず二人が好きな[[アーティスト]]にリクエストし、[[椎名林檎]]や[[斉藤和義]]、[[チバユウスケ]]、[[LOW IQ 01]]、[[山中さわお]]などは複数の楽曲を提供している。 作詞面では、初期より二人あるいは個人での作詞も行っており、シングルとしては「[[たららん/パフィーのツアーメン]]」(1998年)で初めて'''PUFFY'''としてクレジットされた。[[2006年]]に発表した9thアルバム『Splurge』では、[[ロッキング・オン]]編集者である兵庫慎司の全曲解説<ref>[https://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/PUFFY/special/liner.html PUFFY『Splurge』全曲解説(兵庫慎司)]</ref>が寄せられ、二人の作詞家ぶりを絶賛している。しかし本人達としては、作詞へのこだわりは一切無い。また、全編英語詞のシングルも数曲リリースしている。 == サポートメンバー == レコーディングには楽曲ごとに様々なミュージシャンが参加しており、提供者やそのバンドメンバーが演奏することもよくある。2011年に発表した『[[Thank You! (PUFFYのアルバム)|Thank You!]]』では、ライブのバンドメンバーで全楽曲を演奏している。ライブはほぼ固定されたバンドで行い、テレビ出演やツアーでメンバーが替わることがあるが、リズム隊はデビュー当時からほぼ変わらない。 * [[ドラムス]] ** 古田たかし(ex.[[Dr.StrangeLove]]、初期[[バンドマスター|バンマス]]、1997年 - ) **: PUFFYの師匠である[[奥田民生]]のサポートも行っており、それ以前には[[UNICORN|ユニコーン]]の[[川西幸一]]が脱退した後にも共にツアーを回ったことがある。また、古田がPUFFYのサポートに回れない時に川西が入るようになった。 ** 松川恒二(1997年) ** [[ナカジマノブ]]([[人間椅子 (バンド)|人間椅子]]、[[PONI-CAMP]]、[[ドミンゴス (バンド)|ドミンゴス]]、テレビ出演時、2003年 - ) ** 川西幸一(ユニコーン、2007年 - ) **: 以前には、1996年の事務所の年末イベントで「アジアのボイン」(「[[アジアの純真]]」+「[[ヒゲとボイン]]」)などをサポートしたことがあった。 ** [[小林雅之]]([[JUN SKY WALKER(S)]]、テレビ出演時、2000年 - ) ** [[山田雅人 (ドラマー)|山田雅人]]([[シュノーケル (バンド)|シュノーケル]]、テレビ出演時、2008年 - ) ** Pすけ(平尾 雄祐|cembalo、2009年) ** [[山口美代子]](DETROITSEVEN、BimBamBoom、2010年 - ) * [[ベース (弦楽器)|ベース]] ** [[井上富雄]](1997年 - ) ** [[木下裕晴]](ex.[[L⇔R]]、2代目バンマス鬼軍曹、1998年 - ) ** レイ(PONI-CAMP、テレビ出演時、2003年 - ) ** KATARU([[ニューロティカ]]、テレビ出演時、2005年 - ) * [[ギター]] ** 柳沢二三男(1997年 - 2007年) ** [[辻剛]](ex.[[JUSTY-NASTY]]、1997年 - 2006年) ** [[藤井謙二]](ex.[[My Little Lover|MY LITTLE LOVER]]、2006年) ** ゴロー(ex.[[ロリータ18号]]、2006年 - ) ** [[エナポゥ]](PONI-CAMP、ex.ロリータ18号、テレビ出演時、2003年 - ) ** シズヲ(ex.ニューロティカ、ゲタカルビ、シズヲバンド、2004年) ** [[中重雄|中シゲオ]]([[ザ・サーフコースターズ|The Surf Coasters]]、2007年 - ) ** [[岩瀬敬吾]](ex.19、2008年) ** [[フジタユウスケ]](2009年 - ) * [[キーボード (楽器)|キーボード]] ** [[柴田義也|Gee2wo]](ex.[[RCサクセション]]、1998年) ** 藤本純一(1998年 - ) ** 斉藤有太(1997年 - ) ** 伊東ミキオ(2006年 - ) ** [[鈴木秋則]](テレビ出演時、2007年 - ) ** 渡辺シュンスケ(副バンマス、2006年 - ) == ディスコグラフィー == === シングル === ==== オリジナル・シングル ==== {|class="wikitable" style="width:100%;text-align:center;font-size:small;" |- ! background:#88ff88;"| # ! background:#88ff88;"| 発売日 ! background:#88cc88;"| タイトル ! background:#88ff88;"| 規格品番 ! background:#88ff88;"| 楽曲制作 ! background:#88ff88;"| 収録アルバム ! background:#88ff88;"| 順位 |- ! 1st | [[1996年]][[5月13日]] | '''[[アジアの純真]]''' | ESDB-3659 | style="text-align:left;"|作詞:[[井上陽水]]<br />作曲・編曲:[[奥田民生]] | [[amiyumi]] | 3位 |- ! 2nd | [[1996年]][[10月7日]] | '''[[これが私の生きる道]]''' | ESDB-3722 | rowspan="2" style="text-align:left;"|作詞・作曲:奥田民生 | rowspan="5"|[[JET CD]] | 1位 |- ! 3rd | [[1997年]][[3月12日]] | '''[[サーキットの娘]]''' | ESDB-3748 | 1位 |- ! 4th | [[1997年]][[4月16日]] | '''[[渚にまつわるエトセトラ]]''' | ESDB-3749 | rowspan="2" style="text-align:left;"|作詞:井上陽水<br />作曲・編曲:奥田民生 | 1位 |- ! 5th | [[1997年]][[12月12日]] | '''[[MOTHER/ネホリーナハホリーナ]]''' | ESDB-3817 | 5位 |- ! 6th | [[1998年]][[3月14日]] | '''[[愛のしるし]]''' | ESDB-3832 | style="text-align:left;"|作詞・作曲:[[草野マサムネ|草野正宗]]<br />編曲:奥田民生 | 3位 |- ! 7th | [[1998年]][[8月29日]] | '''[[たららん/パフィーのツアーメン]]''' | ESDB-3860 | style="text-align:left;"|作詞:PUFFY・奥田民生<br />作曲・編曲:[[アンディ・スターマー]] | rowspan="4"|[[FEVER*FEVER]] | 4位 |- ! 8th | [[1998年]][[12月12日]] | '''[[パフィー de ルンバ]]''' | ESDB-3888 | style="text-align:left;"|作詞:PUFFY<br />作曲:田村依子<br />編曲:[[笹路正徳]] | 14位 |- ! 9th | [[1999年]][[4月1日]] | '''[[日曜日の娘]]''' | ESDB-3907 | style="text-align:left;"|作詞・作曲:奥田民生<br />編曲:笹路正徳 | 15位 |- ! 10th | [[1999年]][[6月9日]] | '''[[夢のために]]''' | ESDB-3913 | rowspan="3" style="text-align:left;"|作詞・作曲:奥田民生 | 12位 |- ! 11th | [[2000年]][[4月5日]] | '''[[海へと/プールにて]]''' | ESCB-2122 | rowspan="2"|[[SPIKE (PUFFYのアルバム)|SPIKE]] | 15位 |- ! 12th | [[2000年]][[9月27日]] | '''[[ブギウギ No.5]]''' | ESCB-2173 | 22位 |- ! 13th | [[2001年]][[4月25日]] | '''[[あたらしい日々 (PUFFYの曲)|あたらしい日々]]''' | ESCB-2229 | style="text-align:left;"|作詞:PUFFY<br />作曲・編曲:アンディ・スターマー | [[NICE.]] | 28位 |- ! 14th | [[2001年]][[12月5日]] | '''[[青い涙 (PUFFYの曲)|青い涙]]''' | ESCL-2287 | style="text-align:left;"|作詞・作曲:三田二郎<br />編曲:奥田民生 | rowspan="2"|[[THE HIT PARADE]] | 32位 |- ! 15th | [[2002年]][[2月6日]] | '''[[ハリケーン (シャネルズの曲)|ハリケーン]]''' | ESCL-2293 | style="text-align:left;"|作詞:[[湯川れい子]]<br />作曲:[[井上大輔]]<br />編曲:奥田民生 | 36位 |- ! 16th | [[2002年]][[11月20日]] | '''[[赤いブランコ/Planet Tokyo]]''' | ESCL-2351 | rowspan="4" style="text-align:left;"|作詞:PUFFY<br />作曲・編曲:アンディ・スターマー | NICE. | 45位 |- ! 17th | [[2004年]][[2月11日]] | '''[[SUNRISE (PUFFYの曲)|SUNRISE]]''' | ESCL-2495 | [[59 (アルバム)|59]] | 24位 |- ! 18th | [[2005年]][[7月13日]] | '''[[はじまりのうた/ナイスバディ]]''' | KSCL-841 | [[Splurge]] | 33位 |- ! 19th | [[2005年]][[11月16日]] | '''[[Hi Hi]]''' | KSCL-896 | [[Hi Hi Puffy AmiYumi]] | 107位 |- ! 20th | [[2006年]][[4月12日]] | '''[[モグラライク]]''' | KSCL-978 | style="text-align:left;"|作詞・作曲・編曲:奥田民生 | rowspan="2"|Splurge | 35位 |- ! 21st | [[2006年]][[5月24日]] | '''[[Tokyo I'm On My Way]]''' | KSCL-988 | style="text-align:left;"|作詞・作曲:[[デクスター・ホーランド]]<br />編曲:[[亀田誠治]] | 58位 |- ! 22nd | [[2006年]][[11月22日]] | '''[[働く男 (PUFFYの曲)|働く男]]''' | KSCL-1073 | style="text-align:left;"|作詞・作曲:奥田民生 | - | 41位 |- ! 23rd | [[2007年]][[7月18日]] | '''[[Boom boom beat/お江戸流れ星IV]]''' | KSCL-1137 | style="text-align:left;"|作詞:PUFFY<br />編曲・作曲:アンダース・ヘルグレン、デビッド・マイアー | rowspan="2"|[[honeycreeper]] | 47位 |- ! 24th | [[2007年]][[9月5日]] | '''[[オリエンタル・ダイヤモンド/くちびるモーション]]''' | KSCL-1167 | style="text-align:left;"|作詞:井上陽水<br />作曲・編曲:奥田民生 | 55位 |- ! 25th | [[2008年]][[5月21日]] | '''[[All Because Of You]]''' | KSCL-1253 | style="text-align:left;"|作詞・作曲:[[ブッチ・ウォーカー]]、[[アヴリル・ラヴィーン]] | rowspan="3"|[[Bring it!]] | 34位 |- ! 26th | [[2008年]][[8月6日]] | '''[[マイストーリー]]''' | KSCL-1271 | style="text-align:left;"|作詞:PUFFY<br />作曲・編曲:アンダース・ヘルグレン、デビッド・マイアー | 44位 |- ! 27th | [[2009年]][[2月25日]] | '''[[日和姫]]''' | KSCL-1345 | style="text-align:left;"|作詞・作曲:[[椎名林檎]] | 38位 |- ! 28th | [[2009年]][[7月29日]] | '''[[誰かが]]''' | KSCL-1432 | style="text-align:left;"|作詞・作曲:[[チバユウスケ]] | [[15 (PUFFYのアルバム)|15]] | 30位 |- ! 29th | [[2010年]][[11月17日]] | '''[[R.G.W.]]''' | KSCL-1660 | style="text-align:left;"|作詞:PUFFY<br />作曲:奥田民生 | rowspan="2"|[[Thank You! (PUFFYのアルバム)|Thank You!]] | 44位 |- ! 30th | [[2011年]][[2月9日]] | '''[[ハッピーバースデイ]]''' | KSCL-1720 | style="text-align:left;"|作詞:PUFFY<br />作曲:デビッド・マイアー、ピーター・クヴィント | 28位 |- ! 31st | [[2011年]][[8月17日]] | '''[[SWEET DROPS]]''' | KSCL-1830/1 | style="text-align:left;"|作詞・作曲:[[鈴木祥子]] | 15 | 25位 |- ! 32nd | [[2012年]][[5月23日]] | '''[[トモダチのわお!]]''' | KSCL-2040/1 | style="text-align:left;"|作詞:PUFFY、石野卓球<br />作曲:石野卓球 | rowspan="2"|[[非脱力派宣言]] | 85位 |- ! 33rd | [[2013年]][[5月22日]] | '''[[脱ディストピア]]''' | KSCL-2240/1 | style="text-align:left;"|作詞:PUFFY<br />作曲:[[石原理酉]] | 102位 |- ! 34th | 2015年[[11月18日]] | '''[[パフィピポ山]]''' | {{Nowrap|WPCL-12247}}<br />(初回盤)<br />WPCL-12248<br />(通常盤) | style="text-align:left;"|作詞:[[前山田健一]]<br />作曲:PandaBoY<br />編曲:[[浅野尚志]] | [[THE PUFFY]] | 62位 |} ==== 配信限定シングル ==== {|class="wikitable" style="width:100%;text-align:center;font-size:small;" |- ! background:#88ff88;"| # ! background:#88ff88;"| 発売日 ! background:#88cc88;"| タイトル ! background:#88ff88;"| 楽曲制作 ! background:#88ff88;"| 収録アルバム |- ! 1st | [[2014年]][[4月23日]] | '''[[秘密のギミーキャット 〜うふふ 本当よ〜]]''' | style="text-align:left;"|作詞・作曲:[[ROLLY]] | [[非脱力派宣言]] |- ! 2nd | [[2015年]][[7月29日]] | '''[[COLORFUL WAVE SURFERS]]''' | style="text-align:left;"|作詞:PUFFY<br />作曲:[[OKAMOTO'S|オカモトコウキ]] | - |- ! 3rd | 2017年3月29日 | '''[[冒険のダダダ]]''' | style="text-align:left;"|作詞:PUFFY<br />作曲:堂島考平 | rowspan="2"|[[THE PUFFY]] |- ! 4th | [[2018年]][[12月7日]] | '''[[すすめナンセンス]]''' | style="text-align:left;"|作詞:[[さくらももこ]]<br />作曲:[[織田哲郎]] |- ! 5th | 2020年7月28日 | '''[[ほうやれほ]]''' | style="text-align:left;"|作詞:大貫亜美<br />編曲:渡辺シュンスケ | - |- ! 6th | 2021年4月30日 | '''[[Pathfinder]]''' | style="text-align:left;"|作詞:PUFFY<br />作曲・編曲:生形新一 | THE PUFFY |} ==== コラボ・シングル ==== * [[ハズムリズム]](2006年9月20日)※PUFFY×[[東京スカパラダイスオーケストラ]]名義 === アルバム === ==== オリジナル・アルバム ==== {|class="wikitable" style="font-size:small;" |- !| # !|発売日 !|タイトル !|規格品番 !|順位 !|備考 |- ! 1st | 1996年7月22日 | '''[[amiyumi]]''' | ESCB-1722 | 3位 | ミニアルバム。台湾、香港でも発売。<br>初回盤はピクチャーレーベル仕様。 |- ! 2nd | 1998年4月1日 | '''[[JET CD]]''' | ESCB-1871 | 1位 | ミリオンヒット。台湾、香港でも発売。<br>初回盤はピクチャーレーベル仕様。 |- ! 3rd | 1999年6月23日 | '''[[FEVER*FEVER]]''' | ESCB-1995 | 3位 | 台湾、香港でも発売。<br>初回盤はピクチャーレーベル仕様。 |- ! 4th | {{Nowrap|2000年10月12日}} | '''[[SPIKE (PUFFYのアルバム)|SPIKE]]''' | ESCB-2174 | 10位 | 2002年5月にアメリカでインディーズレーベルから発売。<br>初回盤はピクチャーレーベル仕様。 |- ! 5th | 2003年1月22日 | '''[[NICE.]]''' | ESCL-2357 | 20位 | [[アンディ・スターマー]]によるプロデュース。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[カナダ]]でも北米版として発売。収録曲もジャケットも異なっている。 |- ! 6th | 2004年3月31日 | '''[[59 (アルバム)|59]]''' | ESCL-2680 | 62位 | ミニアルバム。[[アンディ・スターマー]]によるプロデュース。 |- ! 7th | 2006年6月28日 | '''[[Splurge]]''' | KSCL-1010 | 19位 | デビュー10周年記念アルバム。レーベル移籍第一弾。<br>初回限定トレーディングカード封入。 |- ! 8th | 2007年9月26日 | '''[[honeycreeper]]''' | KSCL-1174 | 27位 | 2010年全米配信リリース。 |- ! 9th | 2009年6月17日 | '''[[Bring it!]]''' | KSCL-1387~1388(初回生産限定盤)<br>KSCL-1389(通常盤) | 17位 | 7月2日にフランスで発売、2010年全米配信リリース。 |- ! 10th | 2011年3月9日 | '''[[Thank You! (PUFFYのアルバム)|Thank You!]]''' | KSCL-1746~1747(初回生産限定盤)<br>KSCL-1748(通常盤) | 25位 | 15周年記念アルバム。 |- ! 11th | 2021年9月22日 | '''[[THE PUFFY]]''' | WPCL-13329(初回限定盤A)<br />WPZL-31902(初回限定盤B)<br />WPCL-13330(通常盤) | 27位 | 25周年記念アルバム。 |} ==== カバー・アルバム ==== {|class="wikitable" style="font-size:small;" |- !|発売日 !|タイトル !|規格品番 !|順位 !|備考 |- |2002年2月20日 |'''[[THE HIT PARADE (PUFFYのアルバム)|THE HIT PARADE]]''' |ESCL-2288 |10位 |初回盤はピクチャーレーベル仕様。 |- |2009年3月25日 |'''PUFFY AMIYUMI×PUFFY ''' |KSCL-1371 | - |カバー曲のコンピレーション。 |} ==== ベスト・アルバム ==== {|class="wikitable" style="font-size:small;" |- !発売日 !タイトル !規格品番 !順位 !備考 |- |2000年7月5日 |rowspan="2"|'''[[The Very Best of Puffy / amiyumi jet fever]]''' |ESCB-2140(CD) |rowspan="2"|2位 |rowspan="2"| |- |2000年7月14日 |SYUM-0162/3(2LP) |- |2002年5月21日 |'''An Illustrated History''' | - | - |北米圏のみで発売。 |- |2007年2月14日 |'''[[Hit&Fun]]''' |KSCL-1097/8(初回盤)<br />KSCL-1099(通常盤) |9位 |10周年記念。ファン投票による選曲。韓国、台湾、香港、マレーシア、シンガポールでも発売。 |- |2011年11月23日 |'''[[15 (PUFFYのアルバム)|15]]''' |KSCL-1891~4(初回盤)<br />KSCL-1895/(通常盤) |21位 |15周年記念。"鉄板"の曲を集めたDisc1と、メンバーが"太鼓判"を押す曲を集めたDisc2の2枚組。 |- |2016年4月6日 |'''[[非脱力派宣言]]''' |WPCL-12291/2(BEAMSコラボ限定盤A)<br />WPCL-12351/2(BEAMSコラボ限定盤B)<br />WPCL-12298/9(通常盤) |14位 |20周年記念。歴代のシングル曲から選曲し時系列に並べたもの。新曲2曲入り。 |- |2021年4月21日 |'''PLAYLIST 〜PUFFY 25th Anniversary〜''' |MHCL-30671~6 | - |25周年記念。5CD+DVDの6枚組。歴代の曲から5つの時代・テーマごとに選曲したもの。DVDはMVやTV-SPOT映像に加えてライブ映像3曲を収録。 |} ==== 企画アルバム ==== # [[solosolo]]('''大貫亜美吉村由美'''名義、1997年8月6日) # リミックス・アルバム『PRMX』(1999年12月31日、[[ミニディスク|MD]]とアナログ盤も発売) # リミックス・アルバム『PRMX TURBO』(2003年9月18日) # トリビュート・アルバム『MARCHING PUFFY』{{small|([[:es:Marching_Puffy|スペイン語版]])}}(2003年11月26日) # サウンドトラック『Hi Hi Puffy AmiYumi』{{small|([[:en:Hi Hi Puffy AmiYumi (album)|英語版]])}}(2004年11月16日、全米メジャーデビューアルバム) === カバー作品 === * [[鈴木雅之 (歌手)|鈴木雅之]]トリビュート・アルバム『[[SUZUKI MANIA]]』([[2004年]][[2月25日]]発売) ** M-10「ハリケーン」で参加 * [[ニューロティカ]]トリビュート・アルバム『A.I カンパニー』([[2004年]][[3月17日]]発売) ** DISC-2,M-8「東京花火」で参加 * [[山口百恵]]トリビュート・アルバム『Thank you』([[2004年]][[5月18日]]発売) ** M-6「[[ひと夏の経験]]」で参加 * [[ギターウルフ]]トリビュート・アルバム『I LOVE GUITAR WOLF very much』([[2004年]][[6月23日]]発売) ** M-12「CAN-NANA FEVER」で参加 * [[真心ブラザーズ]]トリビュート・アルバム『[[真心COVERS]]』([[2004年]][[9月1日]]発売) ** M-5「人間はもう終わりだ」で参加 * [[ジョン・レノン]]トリビュート・アルバム『[[HAPPY BIRTHDAY,JOHN|HAPPY BIRTHDAY, JOHN]]』([[2005年]][[9月30日]]発売) ** M-7「[[ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ|Lucy In The Sky With Diamonds]]」で参加 * [[松田聖子]]トリビュート・アルバム『[[Jewel Songs 〜Seiko Matsuda Tribute & Covers〜|Jewel Songs]]』([[2006年]][[12月13日]]発売) ** M-4「[[天使のウィンク]]」参加 * 『[[ユニコーン・トリビュート]]』/『[[奥田民生・カバーズ]]』([[2007年]][[10月24日]]発売) ** DISC-2,M-7「[[働く男]]」/DISC-2,M-2「健康」で参加 * [[シンディ・ローパー]]トリビュート・アルバム『We Love Cyndi -Tribute To Cyndi Lauper-』([[2008年]][[7月23日]]発売) ** M-1「Girls Just Want To Have Fun」で参加 * [[SNUFF]]トリビュート・アルバム『Yowavinalaaaafincha? -A Tribute To Snuff-』([[2008年]][[9月24日]]発売) ** M-12「Not Listening」で参加 * [[JUDY AND MARY 15th Anniversary Tribute Album]]([[2009年]][[3月18日]]発売) ** M-2「[[mottö]]」で参加 * [[THE BLUE HEARTS "25th Anniversary" TRIBUTE]]([[2010年]][[2月24日]]発売) ** M-5「[[人にやさしく]]」で参加 === VHS・DVD === # 「RUN!PUFFY!RUN!」(VHS-1996/12/01、DVD-2000/10/12) # 「TOUR!PUFFY!TOUR!」(VHS-1997/09/21、DVD-2000/10/12) # 「JET VIDEO」(VHS-1998/06/10、DVD-2000/10/12) # 「JET TOUR EXTRA」(VHS-1999/01/21、DVD-2000/10/12) # 「FEVER FEVER VIDEO」(VHS-1999/12/18、DVD-200010/12) # 「CLIPS」(DVD-2000/07/05) # 「スパイク大作戦」(VHS、DVD-2001/04/25) # 「Rolling Debut Revue CANADA USA Tour 2002」(VHS、DVD-2002/12/18) # 「FUNCLIPS FUNCLUB」(DVD-2005/05/11) # 「TOUR!PUFFY!TOUR!10 FINAL at 日比谷野外音楽堂」(DVD-2006/12/20) == タイアップ == {|class="wikitable" style="font-size:smaller;" ! 楽曲 !! タイアップ |- | アジアの純真 || CM「[[キリンビバレッジ|キリン]] 天然育ち」 |- | rowspan="4"|これが私の生きる道 || CM「[[資生堂]] [[ティセラ]]」 |- | [[第69回選抜高等学校野球大会]]・入場行進曲 |- | 映画『[[内村さまぁ〜ず#映画|内村さまぁ〜ず THE MOVIE エンジェル]]』主題歌 |- | アニメ『[[ReLIFE]]』5話(2016年) |- | サーキットの娘 || CM「[[ヤマハ]] [[ヤマハ・ビーノ|Vino]]」 |- | 渚にまつわるエトセトラ || CM「[[キリンビバレッジ|キリン]] 天然育ち」 |- | MOTHER || ドラマ『[[イヴ (テレビドラマ)|イヴ]]』 |- | ネホリーナハホリーナ || [[テレビ朝日]]系『[[パパパパパフィー|パパパパPUFFY]]』 |- | 愛のしるし || CM「[[資生堂]] TISS」 |- | たららん || CM「[[ダイハツ工業|ダイハツ]] [[ダイハツ・ムーヴラテ|ムーヴラテ]]」 |- | パフィー de ルンバ || CM「ダイハツ ムーブラテ/資生堂 TISS」 |- | 日曜日の娘 || CM「ヤマハ Vino」 |- | 夢のために || CM「[[サントリー]] [[サントリーフーズ#乳性飲料|ビックル]]」 |- | 海へと || CM「サントリー ビックル」 |- | プールにて || CM「[[ライオン (企業)|ライオン]] エメロン」 |- | ブギウギ No.5 || CM「[[SOTEC]]」 |- | あたらしい日々 || CM「サントリー ビックル」 |- | 赤いブランコ || CM「サントリー [[DAKARA]]」 |- | SUNRISE || アニメ『[[SDガンダムフォース]]』 |- | はじまりのうた || アニメ映画『[[劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション ミュウと波導の勇者 ルカリオ|劇場版ポケットモンスターAG ミュウと波導の勇者 ルカリオ]]』主題歌 |- | rowspan="2"|Hi Hi || CM「[[味の素|AJINOMOTO]] さらさらキャノーラ油」 |- | アニメ『[[ハイ!ハイ!パフィー・アミユミ]]』 |- | モグラライク || 2006年度[[ザ・プロ野球]](TBS)テーマソング |- | Tokyo I'm On My Way || CM「AJINOMOTO ヘルシーピュアライト」 |- | 働く男 || アニメ『[[働きマン]]』主題歌 |- | Boom boom beat || CM「[[モード学園]]」 |- | お江戸流れ星IV || アニメ『[[大江戸ロケット]]』オープニングテーマ |- | オリエンタル・ダイヤモンド || [[全日本空輸|ANA]]中国線就航20周年テーマソング |- | くちびるモーション || CM「[[カネボウ化粧品|カネボウ]] [[Lavshuca]]」 |- | All Because Of You || CM「[[SONY]] [[ウォークマン]]」 |- | マイストーリー || CM「カネボウ Lavshuca」 |- | rowspan="2"|日和姫 || アニメ『[[源氏物語千年紀 Genji]]』 |- | CM「[[森永乳業]] [[MOW (アイスクリーム)|MOW]]」 |- | 誰かが || アニメ映画『[[劇場版 NARUTO -ナルト- 疾風伝 火の意志を継ぐ者]]』 |- | rowspan="3"|R.G.W. || 『[[トイ・ストーリー3]]』ブルーレイ・DVD CM |- | 日本テレビ『[[DON!]]』テーマソング |- | [[テレビ神奈川|TVK]]『[[戦国鍋TV 〜なんとなく歴史が学べる映像〜]]』エンディングテーマ |- | rowspan="2"|ハッピーバースデイ || テレビ東京『[[JAPAN COUNTDOWN]]』2011年1月OP曲 |- | CM「森永乳業 [[MOW]]」 |- | SWEET DROPS || アニメ映画『[[うさぎドロップ]]』 |- | トモダチのわお! || [[テレビせとうち]]『[[しまじろうのわお!]]』 |- | 脱ディストピア || [[エイチ・アイ・エス|H.I.S.]]「自由な旅」CMソング |- | 秘密のギミーキャット 〜うふふ 本当よ〜 || [[Dlife]]『[[マンハッタンに恋をして 〜キャリーの日記〜]]』イメージソング |- | COLORFUL WAVE SURFERS || [[ラゾーナ川崎プラザ|ラゾーナ]]バーゲン CMソング |- | 冒険のダダダ || 映画『[[しまじろうのわお!#映画|しまじろうと にじのオアシス]]』テーマソング |- | すすめナンセンス || [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系アニメ『[[ちびまる子ちゃん]]』エンディングテーマ<ref>{{Cite news|title=PUFFYがさくらももこ作詞「すすめナンセンス」配信、「JET CD」再現ライブ開催|url=https://natalie.mu/music/news/311130|newspaper=音楽ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2018-12-07|accessdate=2018-12-18}}</ref> |- | ほうやれほ || [[東宝]]と[[アルファポリス]]「『ゆめレスキュー』AI(人工知能)子守唄プロジェクト」 |- | Pathfinder || [[コロンビア・スポーツウェア|コロンビアスポーツウェアジャパン]]のコレクション「ESCAPE with Columbia」 |- | SweetSweet || 映画『劇場版 [[シルバニアファミリー]] フレアからのおくりもの』主題歌<ref>{{Cite web|url=https://natalie.mu/eiga/news/545240|title=「劇場版 シルバニアファミリー」予告解禁、主題歌はPUFFY×奥田民生の13年ぶり新曲に|date=2023-10-17|website=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|accessdate=2023-10-17}}</ref> |} == 国内外での活動 == === 出演 === <!-- 単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人」参照 --> ==== バラエティ番組 ==== * [[竹山先生。]]([[テレビ東京]]) - ミニコーナーの声の出演 * [[VIDEO JAM]]([[テレビ朝日]]) * [[saku saku morning call]](初代MC、[[テレビ神奈川|tvk]]、1997年) * [[イチバン!]]([[TBSテレビ]]、1997年8月7日) * [[パパパパパフィー]](テレビ朝日、1997年10月1日 - 2002年3月30日)  * スイス縦断!? これがPuffyのおさんぽ旅行 〜ハイジになりた〜い!!〜(テレビ朝日、2000年9月3日) * [[Hi Hi PUFFY部]](テレビ朝日、2006年7月5日 - 9月) * [[がむしゃら (毎日放送)|がむしゃら]]([[MBSテレビ|毎日放送]]、木曜 - 日曜、2010年4月 - 7月) - ナレーター ==== テレビドラマ ==== * ワイルドで行こう([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、1997年9月) * [[イヴ (テレビドラマ)|イブ]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]、1997年9月 - 12月) * [[働きマン]] 第7話(フジテレビ、2006年)- 本人役(声の出演) ==== テレビアニメ ==== * [[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]](テレビ朝日、1997年10月10日) - 本人役(声の出演) * [[うさぎドロップ#テレビアニメ|うさぎドロップ]](フジテレビ、2011年、第9話)- 本人役(声の声優) * [[ちびまる子ちゃん#テレビアニメ|ちびまる子ちゃん]](フジテレビ、2018年12月23日)- 大貫が大村あみ役、吉村が大村ゆみ役(声の出演)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1544256988|title=『ちびまる子ちゃん』年末1時間SPに、PUFFYがゲスト声優として登場! 劇中で歌声も披露しちゃいます♪|publisher=アニメイトタイムズ|date=2018-12-09|accessdate=2018-12-09}}</ref> ==== ラジオ番組 ==== * [[ソーテック|SOTEC]]パフィーのラジオ([[エフエム東京|TOKYO FM]]、2001年1月 - 不明) * [[Hi Hi PUFFY ENGLISH]]([[J-WAVE]] 月曜 - 木曜、番組「[[MUSIC PLUS|M+(MUSIC PLUS)]]」内組み込み) * Amusic Diner(2021年9月5日、12日、19日、26日・[[FM COCOLO]]) - パーソナリティ * [[Monthly Artist File-THE VOICE-]](2021年9月5日、12日、19日・TOKYO FM/[[全国FM放送協議会|JFN]]37局) - パーソナリティ * STEP ONE(2021年9月13日 -16日・J-WAVE)MY FAVORITE THINGS * [[GROOVE LINE]](2021年9月22日・J-WAVE) - リモートゲスト * [[THE TRAD]](2021年9月27日・TOKYO FM) - ゲスト * [[伊集院光とらじおと]](2021年9月29日・[[TBSラジオ]]) - ゲスト '''映画''' * [[模倣犯 (小説)#映画|模倣犯]]([[2004年]]) - 自転車で通りすがりの二人 役 * [[宇宙で1番ワガママな星]](2010年) - 本人役 * [[内村さまぁ〜ず]] THE MOVIE エンジェル(2015年) - 本人役 ==== 吹き替え ==== * [[オープンシーズン]](2006年) - ロージー役、マリア役 ==== CM ==== * [[キリンビバレッジ]] 天然育ち(1996年 - 1997年頃) * [[資生堂]] [[ティセラ]]、TISS * [[ソニー]] [[ハンディカム]]、[[ウォークマン]] * [[ヤマハ発動機]] [[ヤマハ・ビーノ|ビーノ]] * [[サントリー]] [[サントリーフーズ|ビックル]](1999年 - 2000年頃) * [[ライフ (信販)|ライフ]] ライフカード(1999年) * [[ライオン (企業)|ライオン]] [[エメロン]]・アクアピュア(2000年 - ) * [[ピザハット]] クリスピーエッジ(2000年) * [[九州旅客鉄道|JR九州]] [[2枚きっぷ・4枚きっぷ]](2001年夏 - 2003年春) * [[日本中央競馬会]](2001年(声のみ)) * [[ソーテック]] AFiNA Style(2001年) * [[任天堂]] [[ファミコンミニ]]ディスクシステムセレクション(2004年) * [[ワーナー ブラザース ジャパン|ワーナー エンターテイメント ジャパン]] 『スクービー・ドゥー2・モンスターパニック』(2004年) * [[味の素]]・[[J-オイルミルズ]] 味の素 さらさらキャノーラ油(2005年 - ) * [[東宝]] 『[[劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション ミュウと波導の勇者 ルカリオ]]』(2005年) * [[ダイハツ工業]] [[ダイハツ・ムーヴラテ|ムーヴラテ]](2004年 - 2008年) * [[長谷工コーポレーション]]・[[大成有楽不動産|有楽土地]]・[[伊藤忠都市開発]]他 コロンブスシティ(千葉県[[幕張新都心]])(2006年) * [[ジョインベスト証券]](2006年) * [[ギャップ (企業)|GAP]]ワールド展開広告キャラクター(2007年) * [[全日本空輸]] [[中華人民共和国|中国]]線就航20周年キャンペーン(2007年) * [[カネボウ化粧品]] [[Lavshuca|ラヴーシュカ]](2007年 - ) * [[カゴメ]] [[カゴメ・野菜生活100|野菜生活]](2008年) * [[森永乳業]] [[エスキモーMOW]]、[[ビヒダスヨーグルト]](2008年 - ) * [[トイ・ストーリー3]]DVD、Blu-ray(2010年) * [[トヨタ自動車]] [[トヨタ・カローラフィールダー|カローラフィールダーハイブリッド]] 「[[丘を越えて]] Aパターン篇」(2015年) - [[木村拓哉]]([[SMAP]])、[[OKAMOTO'S]]、[[清水翔太]]、[[矢野顕子]]らと共演 * [[麒麟麦酒|キリンビール]]「のどごし<生>」(2016年)<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/music/news/178093|title=PUFFYが「のどごし」CM登場、温泉旅館で堺雅人らとカラオケ熱唱|newspaper=音楽ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2016-03-01|accessdate=2016-03-01}}</ref> === ミュージック・ビデオ === * [[LOW IQ 01]]「Thorn in My Side」(2019年) === コンサート・イベント === * 1996年 「Hit&Run2000GTR」(亜美のみ) * 1997年 ツアー「RUN! Puffy! RUN! 」(プレ、追加公演含む14公演) :: 「Hit&Run2000GTR-S」(3公演、亜美はボーボーズ、由美はワイキキチャンピオンズで出演) * 1998年 ツアー「JET TOUR 98」(自身初の[[日本武道館]]を含む国内31公演、アジア3公演) :: 「Hit&Run2000GTR-W」(5公演、HELL番地の夜死村、南無亜美で出演) :: 「燃えよドラゴンへの海の中道」「燃えよドラゴンへの沖縄」「フフフフ富士山」 * 1999年 クラブツアー「クラブサーキット'99」(国内5公演) :: ホールツアー「FEVER*FEVER」(国内25公演) :: 「8いちだよ!全員集合」「8よんだよ!全員集合」「8ごだよ!こっちへ全員移動」「フフフフ富士山2」「ROCKING GREEN KOIWAI」 :: 「Hit&Run2000GTR-F」(8公演) * 2000年 ツアー「スパイク大作戦、特別編」(国内28公演) :: 「SXSW2000」で初のアメリカ公演 * 2001年 ツアー「2001年途中の旅」(国内21公演) * 2002年 ツアー「Mad Dogs & Runaway Cats Rolling Cover Revue」(国内11公演) :: USツアー「Rolling Debut Revue CANADA USA Tour 2002」で初の北米単独ツアー(12公演) :: 「[[SUMMER SONIC]] 2002」 * 2003年 [[Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ]] * 2004年 ツアー「P-59 SPECIAL」(国内6公演、アメリカ3公演) :: 「Sony Music Fes.2004」「[[RISING SUN ROCK FESTIVAL]] 2004」「[[SETSTOCK]] 2004」 * 2005年 USツアー「Hi! Hi! Puffy AmiYumi ROCK SHOW *** GO WEST!!」(アメリカ7公演) :: 国内ツアー「Hi! Hi! Puffy AmiYumi ROCK SHOW *** GO FAR EAST!!」(国内7公演) :: USツアー「Hi! Hi! Puffy AmiYumi ROCK SHOW *** GO EAST!!」(アメリカ5公演) :: 「SUMMER SONIC 2005」「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ」「SMA バリ3カーニバル」 * 2006年 国内ツアー「TOUR! PUFFY! TOUR! 10」(国内13公演)、「LIVE Splurge 2006」 :: USツアー「Puffy AmiYumi Tour '06 Splurge!」(アメリカ7公演) :: 「ROCKIN'ON PRESENTS JAPAN CIRCUIT -vol.38-」「PUFFY IN 奈良東大寺」「SUMMER SONIC 2006」「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2006」「HIGHER GROUND 2006」「[[COUNTDOWN JAPAN]] 06/07」 * 2007年 ツアー「Hits & Fans」(国内3公演) :: ツアー「PUFFY TOUR 2007 honeysweeper」(カナダ1公演、アメリカ4公演、国内7公演) :: @ZEPP LEAGUE「奥田民生 vs PUFFY」「ROCK IN JAPAN FES 2007」「Hit&Runちゃん祭り2007〜ワカすバンド天国」 * 2008年 ツアー「All Because Of Live 2008」(国内3公演) :: 「GREEN POWER LIVE 2008」「星野楽器100周年イベント『百年の鼓動』」「ROCK IN JAPAN FES 2008」「COUNT DOWN JAPAN 08/09」 * 2009年 ツアー「Bring it!」(国内7公演) :: 「SOUND SHOOTER#04」「MTV SING OUT「歌おうぜ!」supported by PEPSI NEX」「ROCK IN JAPAN FES 2009」「SUMMER SONIC 2009」「川西幸一 50歳記念 チョットオンチー栄光の50年(4公演)」「COUNT DOWN JAPAN 09/10」 * 2010年 劇団アセス旗揚げ公演「カニとともに去りぬ」(国内9公演、香港、台湾) :: 「ROCK IN JAPAN FES 2010」「RISIN SUN ROC FESTIVAL 2010」「[[ap bank fes]] 2010」「フジフジフジQ」「JUNK!JUNK!JUNK!2010」「[[岩船山クリフステージ]]#10」「Far East To East Showcase in NY」「ベストヒット☆SMA」「COUNT DOWN JAPAN 10/11」 * 2011年 ツアー「Time for ACTION」(国内12公演) :: 「ROCK IN JAPAN FES 2011」 === 受賞歴 === * 1996年 [[日本有線大賞]]・[[レコード大賞]][[最優秀新人賞]]・第34回[[ゴールデン・アロー賞]]新人賞(音楽) * 1997年 [[ベストジーニスト賞]] * 1998年 [[日本ゴールドディスク大賞]]「ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」 * 2001年 ヘアーカラーリング賞 アーティスト部門 * 2005年 [[日経BP社]] 第4回[[日本イノベーター大賞]] ジャパンクール賞。日本公演に訪れていた[[オフスプリング]]の[[デクスター・ホーランド]]に作曲を依頼した『[[Tokyo I'm On My Way]]』は、 LA MUSIC AWARD 06において「World Music Single of the year」に輝いた。 === NHK紅白歌合戦出場歴 === {| class="wikitable" |+ |-| style="background: #ccf;" ! | 年度/放送回 ! | 回 ! | 曲目 ! | 出演順 ! | 対戦相手 ! | 備考 |- |2016年(平成28年)/[[第67回NHK紅白歌合戦|第67回]]||初||PUFFY 20周年紅白スペシャル<ref group="注">「アジアの純真」「渚にまつわるエトセトラ」の2曲を披露。</ref>||1/23||[[関ジャニ∞]]||紅組先攻トップバッター |- |} ; 注意点 * 出演順は「出演順/出場者数」で表す。 === その他 === ==== 書籍 ==== * 「BOON PUFFY BOON」(フォトブック、[[祥伝社]]、1997年) * 「RUN!PUFFY!RUN!」(フォトブック、[[ソニー・マガジンズ]]、1998年) * 「パパパパPUFFY 1-3巻」([[単行本]]、[[角川書店]]、1998年、1999年) * 「PUFFY 大吉」(単行本、祥伝社、1999年) * 「それはなにかとたずねたら―PUFFY1996/2000」(単行本、[[ぴあ]]、2000年) * 「Smile」([[絵本]]、[[小学館文庫]]、2002年) * 「HI HI PUFFY ENGLISH」(単行本、ぴあ、2006年) * 「あゆみ」(単行本、ソニー・マガジンズ、2006年) * 「ツキイチ」(単行本、[[河出書房新社]]、2008年) * 「これ なーんだ?」(絵本アプリ「こえほん」内で配信、[[アイフリークモバイル|アイフリーク]]、2011年) ==== ゲーム ==== * 「PuffyのP.S. I Love You」([[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]、[[ソニー・コンピュータエンタテインメント]]、1999年) * 「[[ハイ!ハイ! パフィー・アミユミ|ハイ! ハイ! パフィー★アミユミ]]」([[ゲームボーイアドバンス]]、[[ディースリー・パブリッシャー]]、2005年) ==== CD-ROM ==== * 「ROM!PUFFY!ROM!」[https://web.archive.org/web/20160304110347/http://www.sonymusic.co.jp/multimedia/puffy/adult.html] *: (缶入りTシャツ+CD-ROM、1997年) == 参考文献 == * {{Cite book|和書 |author= 奥田民生|title=FISH OR DIE フィッシュ・オア・ダイ|date=1996|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-883461-4|ref ={{SfnRef|奥田|1996}}}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[ポピュラー音楽の音楽家一覧 (日本・グループ)]] == 外部リンク == {{Commonscat|Puffy AmiYumi}} * {{Official website|https://puffy.jp/|PUFFY Official Website}} * {{Twitter|PUFFY|PUFFYスタッフ}} * {{YouTube|u=PUFFYofficialSMA}} * {{Facebook|PuffyAmiYumi|PUFFY AMIYUMI}} * {{Instagram|puffyamiyumi_official}} * {{TikTok|puffyamiyumi_official}} * {{Instagram|ami_onuki|PUFFY 大貫亜美}} * {{Twitter|yumi_puffy|吉村由美}} * {{Official|https://wmg.jp/puffy/|PUFFY}} - [[ワーナーミュージック・ジャパン]] * {{Myspace|wearepuffyamiyumi|Puffy AmiYumi}} <!-- * {{Wayback|url=http://m.myspace.co.jp/wearepuffyamiyumi |title=Puffy AmiYumi - MySpaceモバイル |date=*}} - MySpaceモバイル内のPuffy公式ページ。(携帯電話専用) * {{Wayback|date=20060111031915|url=http://www.cartoonnetwork.com/tv_shows/puffyamiyumi/|title=アニメ「Hi Hi Puffy AmiYumi」公式ページ}} --> {{PUFFY}} {{日本レコード大賞最優秀新人賞}} {{日本有線大賞最優秀新人賞}} {{ベストヒット歌謡祭最優秀新人賞|全日本有線放送大賞}} {{ソニー・ミュージックアーティスツ}} {{東京スカパラダイスオーケストラ}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はふい}} [[Category:PUFFY|*]] [[Category:日本のポップ・アイドルグループ]] [[Category:日本の女性アイドルグループ]] [[Category:ワーナーミュージック・ジャパンのアーティスト]] [[Category:エピックレコードジャパンのアーティスト]] [[Category:キューンミュージックのアーティスト]] [[Category:ソニー・ミュージックアーティスツ]] [[Category:2人組の音楽グループ]] [[Category:ROCK IN JAPAN FESTIVAL出場者]] [[Category:サマーソニック出演者]] [[Category:NHK紅白歌合戦出演者]] [[Category:1995年に結成した音楽グループ]]
2003-04-13T05:00:37Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/PUFFY
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メモリーカード
メモリーカード(英: Memory Card) は、薄型でカードのような形状をした補助記憶装置の総称である。 フラッシュメモリや超小型のハードディスクを内蔵し、一定のインターフェースを備える。 ノートパソコン用のリムーバブルメディアとして登場した「SRAMカード」(SRAMは揮発性メモリのため電池での給電が必要だった)が始まりで、その後不揮発メモリであるNANDフラッシュメモリを使用した製品に置き換わっていった。派生として小型ハードディスクドライブを採用した製品もある。形状もSRAMカードではPCカードサイズだったが、次第により小型な製品が各社から提案された。 携帯性が高いことからデジタルカメラやICレコーダー、携帯電話などの記録媒体として使用されるほか、パソコンに接続して汎用のリムーバブルメディアとしても広く利用されている。 多くは汎用の規格品だが、特定のゲーム機などに対応した独自規格のユーザの情報を記録する媒体も「メモリーカード」と呼ばれる(ただし、特定のゲーム機専用のメモリーカードは2000年代半ばには姿を消している。ソニーはPlayStation 3以降の機種でHDDもしくはSSDを内蔵し、任天堂はWii以降の機種でフラッシュメモリ(NAND)を内蔵し、補助的にSDメモリーカード(WiiおよびWii U、Nintendo Switch本体、ニンテンドーDSi、3DSシリーズ)、USBメモリ(Wiiのごく一部のソフト、Wii U,Switchのドック)を使用するようになったため。この他、Xbox 360やXbox Series X/Sでは専用端子の内付けHDD/SSDを後付けできる機種が存在するが、Xbox 360を除くと、Xboxシリーズでは基本的に本体内のHDDを交換することはできない。(仮に交換する場合、セキュリティシールを剥がすことになってしまう。)専用のメモリーカードを採用していた最後の機種はPlayStation Vita(PlayStation Vita TV/PlayStation TV)だった。任天堂機では本体メモリにほとんどのデータを保存させることによってゲーム機の改造を困難にしている利点も存在する。 ゲームカセットにセーブデータを直接保存する任天堂のゲーム機はファミコン、スーパーファミコン、NINTENDO64、バーチャルボーイ、ゲームボーイ(ゲームボーイカラー)、ゲームボーイアドバンス、NINTENDO DS、NINTENDO 3DS。
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メモリーカードが始まりで、その後不揮発メモリであるNANDフラッシュメモリを使用した製品に置き換わっていった。派生として小型ハードディスクドライブを採用した製品もある。形状もSRAMカードではPCカードサイズだったが、次第により小型な製品が各社から提案された。 携帯性が高いことからデジタルカメラやICレコーダー、携帯電話などの記録媒体として使用されるほか、パソコンに接続して汎用のリムーバブルメディアとしても広く利用されている。 多くは汎用の規格品だが、特定のゲーム機などに対応した独自規格のユーザの情報を記録する媒体も「メモリーカード」と呼ばれる(ただし、特定のゲーム機専用のメモリーカードは2000年代半ばには姿を消している。ソニーはPlayStation 3以降の機種でHDDもしくはSSDを内蔵し、任天堂はWii以降の機種でフラッシュメモリを内蔵し、補助的にSDメモリーカード、USBメモリを使用するようになったため。この他、Xbox 360やXbox Series X/Sでは専用端子の内付けHDD/SSDを後付けできる機種が存在するが、Xbox 360を除くと、Xboxシリーズでは基本的に本体内のHDDを交換することはできない。専用のメモリーカードを採用していた最後の機種はPlayStation Vitaだった。任天堂機では本体メモリにほとんどのデータを保存させることによってゲーム機の改造を困難にしている利点も存在する。
{{Otheruses|カード状の読み書きが可能な補助記憶装置|カード状の読み取り専用デバイス|ロムカセット}} {{Otheruses2|一般名詞としてのカード状の補助記憶装置|ゲーム機において単にメモリーカードと呼称されていた補助記憶装置|PlayStation (ゲーム機)|PlayStation 2|ニンテンドーゲームキューブ|ネオジオ}} {{出典の明記|date=2023年3月}} '''メモリーカード'''({{lang-en-short|Memory Card}}) は、薄型で[[カード]]のような形状をした[[補助記憶装置]]の総称である。 [[フラッシュメモリ]]や超小型の[[ハードディスクドライブ|ハードディスク]]を内蔵し、一定の[[インタフェース (情報技術)|インターフェース]]を備える。 [[ノートパソコン]]用の[[リムーバブルメディア]]として登場した「[[SRAMカード]]」(SRAMは揮発性メモリのため電池での給電が必要だった)が始まりで、その後不揮発メモリである[[NANDフラッシュメモリ]]を使用した製品に置き換わっていった。派生として小型ハードディスクドライブを採用した製品もある。形状もSRAMカードでは[[PCカード]]サイズだったが、次第により小型な製品が各社から提案された。 携帯性が高いことから[[デジタルカメラ]]や[[ICレコーダー]]、[[携帯電話]]などの記録媒体として使用されるほか、パソコンに接続して汎用の[[リムーバブルメディア]]としても広く利用されている。 多くは汎用の規格品だが、特定の[[ゲーム機]]などに対応した独自規格のユーザの情報を記録する媒体も「メモリーカード」と呼ばれる(ただし、特定のゲーム機専用のメモリーカードは2000年代半ばには姿を消している。[[ソニー・インタラクティブエンタテインメント|ソニー]]は[[PlayStation 3]]以降の機種で[[ハードディスクドライブ|HDD]]もしくは[[ソリッドステートドライブ|SSD]]を内蔵し、[[任天堂]]は[[Wii]]以降の機種でフラッシュメモリ([[NAND型フラッシュメモリ|NAND]])を内蔵し、補助的に[[SDメモリーカード]]([[Wii]]および[[Wii U]]、[[Nintendo Switch]]本体、ニンテンドー[[ニンテンドーDSi|DSi]]、[[ニンテンドー3DS|3DS]]シリーズ{{Efn|SDカードはプレイやん(PLAY-YAN micro)、ゲームキューブの周辺機器、DSi,Wiiのゲーム内,Wii Uの一部ソフトでしか使用できないケースが多く、この場合はSDHC以降の規格のSDカードを使用できない。SDHCカードはWiiメニュー(バージョンアップ後)でも使用が可能。SDXCカードはNintendo Switchでも使用可能。 規格上の問題はこのようになるが、上位規格のSDカードをSD規格のデータ保存形式でフォーマットした場合は非公式でも古い[[任天堂]]の機器で対応することがある。}})、[[USBフラッシュドライブ|USBメモリ]](Wiiのごく一部のソフト、Wii U,Switchのドック)を使用するようになったため。この他、[[Xbox 360]]や[[Xbox Series X/S]]では専用端子の内付けHDD/SSDを後付けできる機種が存在するが、[[Xbox 360]]を除くと、[[Xbox]]シリーズでは基本的に本体内のHDDを交換することはできない。(仮に交換する場合、[[セキュリティシール]]を剥がすことになってしまう。)専用のメモリーカードを採用していた最後の機種は[[PlayStation Vita]]([[PlayStation Vita TV|PlayStation Vita TV/PlayStation TV]])だった。[[任天堂]]機では本体メモリにほとんどのデータを保存させることによってゲーム機の改造を困難にしている利点も存在する。 ==主なメモリーカード== {{Main|#仕様}} *[[PCカード]] **'''[[SRAMカード]]''' *'''[[メモリースティック]] (MS)''' **[[メモリースティック#メモリースティック Duo|メモリースティックDuo]] *'''[[SDメモリーカード]] (SD)、[[マルチメディアカード]] (MMC)''' **[[SDメモリーカード#microSDカード|microSDカード]](別名: [[SDメモリーカード#microSDカード|トランスフラッシュ]], TF) *'''[[スマートメディア]] (SM)''' *'''[[xDピクチャーカード]] (xD)''' *'''[[コンパクトフラッシュ]] (CF)''' **'''[[マイクロドライブ]] (MD)''' **[[コンパクトフラッシュ#CFastカード|CFastカード]] *'''[[USBメモリ]]''' == ゲーム用メモリーカード == === PlayStationシリーズ === * '''メモリーカード''' ([[PlayStation (ゲーム機)|PS1]]用128KB・15ブロック) * '''[[PocketStation]]''' (PS1用128KB・15ブロック) * '''メモリーカード([[PlayStation 2|PS2]])''' (PS2用7998KB) * '''"[[PlayStation 2]]"専用ハードディスクドライブ'''(外付け型・EXPANTION BAYタイプの二つが存在、40GB、[[PlayStation BB Unit|PlayStation BB]]に付属) * (汎用品)[[メモリースティック|メモリースティックデュオ]]([[PlayStation Portable|PSP]]) * (汎用品)2.5インチ[[ハードディスクドライブ|ハードディスク]]([[PlayStation 3|PS3]],[[PlayStation 4|PS4]]) * (汎用品)[[メモリースティック]](デュオ)、[[SDメモリーカード|SDカード]]、[[コンパクトフラッシュ]]([[PlayStation 3|PS3]]のCECHA00型番のみ) * '''[[PlayStation Vita]]専用メモリーカード'''(4GB、8GB、16GB、32GB、64GB) * (汎用品)[[ソリッドステートドライブ|M.2 SSD]]([[PlayStation 5|PS5]]用、一枚までPS5本体内に接続可能、接続条件あり) === [[任天堂]](ゲームカセット除く) === * (汎用品)[[コンパクトカセット]]([[ファミリーベーシック]]用) * '''[[ファミリーコンピュータ ディスクシステム]]用のディスク''' * '''[[サテラビュー]]用8Mメモリーパック''' * '''SFメモリカセット、GBメモリーカートリッジ'''([[ニンテンドウパワー]]用) * [[NINTENDO64|'''コントローラーパック''']](電池式) * '''[[64DD]]ディスク''' * '''メモリーカード'''([[ニンテンドーゲームキューブ]]、[[Wii]]用) * (汎用品)SD/micro SDカード([[プレイやん]]および[[PLAY-YAN micro]]、DOL-019、[[ニンテンドーDSi|DSi]]、3DS、Wii、[[Wii U]]、[[Nintendo Switch]]シリーズの本体すべて) * (汎用品)USBメモリ、およびUSBを経由した外付けHDD/SSD(Wii、Wii U、[[Nintendo Switch Lite|Lite]]を除くNintendo Switchシリーズすべて) ゲームカセットにセーブデータを直接保存する任天堂のゲーム機は[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]、[[スーパーファミコン]]、[[NINTENDO64]]、[[バーチャルボーイ]]、[[ゲームボーイ]](ゲームボーイカラー)、[[ゲームボーイアドバンス]]、[[ニンテンドーDS|NINTENDO DS]]、[[ニンテンドー3DS|NINTENDO 3DS]]。 === Xbox === * '''[[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]用メモリーユニット'''(8MB) * '''Xbox 360用メモリーユニット'''(64MB、512MB) * '''[[Xbox 360]](360 S,360 E)専用ハードディスク'''(無印360、360 S、360 Eで形状が異なる) * '''[[Xbox Series X/S]]専用[[seagate]]ストレージ拡張カード'''(512GB,1TB,2TB) === [[SEGA]](ゲームカセット除く) === * (汎用品)コンパクトカセット、フロッピーディスク([[SC-3000]]用) * '''バックアップRAMカートリッジ'''([[メガCD|MEGA CD]]) * '''パワーメモリー'''([[セガサターン]]) * (汎用品)フロッピーディスク(セガサターン内のFDDオペレータなどで使用) * '''[[ビジュアルメモリ]]'''、および先行発売した[[あつめてゴジラ]]([[ドリームキャスト]]) * '''メモリーカード4X'''(ドリームキャスト) === [[NEC]](ゲームカセット除く) === * [[天の声2]](電池式) * [[天の声BANK]] * バックアップブースター(II) * セーブくん、メモリーベース128(一部PCエンジンタイトルのみ対応) * [[PC-FX バックアップメモリパック]](電池式) === [[SNK (1978年設立の企業)|SNK]](ゲームカセット除く) === * ([[ネオジオ]]用)メモリーカード <gallery widths="170" heights="150"> ファイル:Flash memory cards size.jpg|各種のメモリーカードとマッチの大きさの比較 ファイル:PSX-Memory-Card.jpg|PS用(128KB) メモリーカード ファイル:PS2-8MB-Mem-Card.jpg|PS2用(8MB) メモリーカード ファイル:PC-Card Adapter26in1.jpg|[[PCカード]]を用いたメモリーカードアダプタ ファイル:Multiple memory card reader writer.jpg|[[メモリーカードリーダライタ]] ファイル:FDD-Cardreader.jpg|フロッピーディスクドライブ+メモリーカードリーダーライター </gallery> ==仕様== {| class="wikitable" |+ 仕様 |- style="font-size:small;" ! colspan="3" | 名称 ![[体積]]<br />(mm<sup>3</sup>) ![[面積]]<br />(mm<sup>2</sup>) !幅<br /><small>(mm)</small> !奥行<br /><small>(mm)</small> !厚み<br /><small>(mm)</small> !端<br />子 !倍速<br /><small>([[CD-ROM|CD]]比)</small> !速度<br /><small>([[メガバイト|MB]]/[[秒|s]])</small> !最大容量(現在)<br />([[ギガバイト|GB]]) !略称 |- style="font-size:small;" ! rowspan="8" | SDメモリーカード<br>(SD) ! colspan="2" | [[SDメモリーカード]] |1612.8 |768 |24 |32 |2.1 |9 |? |? |2<small>('08-1-?)</small> |SD |- style="font-size:small;" ! colspan="2" | [[SDメモリーカード#SDHCメモリーカード|SDHCメモリーカード]] |1612.8 |768 |24 |32 |2.1 |9 |166 |25 |32<small>('08-1-?)</small> |SDHC |- style="font-size:small;" ! colspan="2" | [[SDメモリーカード#SDXCメモリーカード|SDXCメモリーカード]] |1612.8 |768 |24 |32 |2.1 |9 |400 |60 |1000<small>('19)</small> |SDXC |- style="font-size:small;" ! rowspan="2" | miniSDカード ![[SDメモリーカード#miniSDカード|miniSDカード]] |602 |430 |20 |21.5 |1.4 |11 |? |? |2<small>('05-12-?)</small> |miniSD |- style="font-size:small;" ![[SDメモリーカード#miniSDHCカード|miniSDHCカード]] |602 |430 |20 |21.5 |1.4 |11 |166 |25 |4<small>('06-11-17)</small> |miniSDHC |- style="font-size:small;" ! rowspan="3" | microSDカード<br>(microSD, TF) ![[SDメモリーカード#microSDカード|microSDカード]] |165 |165 |11 |15 |1 |8 |166 |25 |2<small>('06-?-?)</small> |microSD, TransFlash (TF) |- style="font-size:small;" ![[SDメモリーカード#microSDカード|microSDHCカード]] |165 |165 |11 |15 |1 |8 |? |? |32<small>('09-?-?)</small> |microSDHC |- style="font-size:small;" ![[SDメモリーカード#microSDカード|microSDXCカード]] |165 |165 |11 |15 |1 |8 |? |? |1000<small>('19)</small> |microSDXC |- style="font-size:small;" ! rowspan="11" | メモリースティック<br>(MS) ! colspan="2" | [[メモリースティック]] |3010 |1075 |21.5 |50 |2.8 |10 |133 |20 |128 MB<small>('01)</small> |MS |- style="font-size:small;" ! colspan="2" | [[メモリースティック#メモリースティック PRO|メモリースティックPRO]] |3010 |1075 |21.5 |50 |2.8 |10 |133 |20 |4<small>('05)</small> |MS PRO |- style="font-size:small;" ! rowspan="5" | メモリースティック Duo ![[メモリースティック#メモリースティック Duo|メモリースティックDuo]] |992 |620 |20 |31 |1.6 |10 |133 |20 |128 MB<small>('03-3-21)</small> |MS Duo |- style="font-size:small;" ![[メモリースティック#メモリースティック PRO Duo|メモリースティックPRO Duo]] |992 |620 |20 |31 |1.6 |10 |133 |20 |32<small>('09)</small> |MS PRO Duo |- style="font-size:small;" ![[メモリースティック#メモリースティック PRO-HG Duo|メモリースティックPRO-HG Duo]] |992 |620 |20 |31 |1.6 |14 |400 |60 |32<small>('09-9-7)</small> |PRO-HG Duo |- style="font-size:small;" ![[メモリースティック#メモリースティック XC Duo|メモリースティックXC Duo]] |992 |620 |20 |31 |1.6 |10 |133 |20 |{{n/a}} |XC Duo |- style="font-size:small;" ![[メモリースティック#メモリースティック XC-HG Duo|メモリースティックXC-HG Duo]] |992 |620 |20 |31 |1.6 |14 |400 |60 |64<small>('12)</small> |XC-HG Duo |- style="font-size:small;" ! rowspan="4" | メモリースティック マイクロ<br>(M2) ![[メモリースティック#メモリースティック マイクロ (M2)|メモリースティック マイクロ]] |225 |187.5 |12.5 |15 |1.2 |11 |133 |20 |16<small>('09-?-?)</small> |M2 |- style="font-size:small;" ![[メモリースティック#メモリースティック HG マイクロ|メモリースティックHGマイクロ]] |225 |187.5 |12.5 |15 |1.2 |20 |400 |60 |{{n/a}} |M2-HG |- style="font-size:small;" ![[メモリースティック#メモリースティック XC マイクロ|メモリースティックXCマイクロ]] |225 |187.5 |12.5 |15 |1.2 |11 |133 |20 |{{n/a}} |M2 XC |- style="font-size:small;" ![[メモリースティック#メモリースティック XC-HG マイクロ|メモリースティックXC-HGマイクロ]] |225 |187.5 |12.5 |15 |1.2 |20 |400 |60 |{{n/a}} |M2 XC-HG |- style="font-size:small;" ! rowspan="28" | ! rowspan="3" | マルチメディアカード<br>(MMC) ![[マルチメディアカード#概要|マルチメディアカードマイクロ]] |184.8 |168 |12 |14 |1.1 |10 |173 |26 |1<small>('0?-?-?)</small> |MMC<small>micro</small> |- style="font-size:small;" ![[マルチメディアカード#概要|マルチメディアカードモバイル]] |604.8 |432 |24 |18 |1.4 |13 |346 |52 |2<small>('06-?-?)</small> |MMC<small>mobile</small> |- style="font-size:small;" ![[マルチメディアカード#概要|マルチメディアカードプラス]] |1075.2 |768 |24 |32 |1.4 |13 |346 |52 |8<small>('06-?-?)</small> |MMC<small>plus</small> |- style="font-size:small;" ! rowspan="4" |[[xDピクチャーカード]]<br>(xD) !(無印) |850 |500 |25 |20 |1.7 |18 |? |? |512 MB |xD |- style="font-size:small;" !TypeM |850 |500 |25 |20 |1.7 |18 |? |? |2 |xD |- style="font-size:small;" !TypeM+ |850 |500 |25 |20 |1.7 |18 |? |? |2 |xD |- style="font-size:small;" !TypeH |850 |500 |25 |20 |1.7 |18 |? |? |2 |xD |- style="font-size:small;" ! rowspan="2" |[[スマートメディア]]<br>(SM) !(5V) |1265.4 |1665 |37 |45 |0.76 |22 |33 |5 |4 MB |SM |- style="font-size:small;" !(3.3V / ID) |1265.4 |1665 |37 |45 |0.76 |22 |33 |5 |128 MB<small>('01)</small> |SM |- style="font-size:small;" ! rowspan="19" | ![[SIMカード]] |285 |375 |15 |25 |0.76 |8 |? |? |製品に依存 |SIM |- style="font-size:small;" ![[USBメモリ]]薄型寸法例 |615.6 |324 |12 |27 |1.9 |4 |400 |60 |製品に依存 |USB |- style="font-size:small;" ![[ICカード]] |3513.0 |4622.4 |54 |85.6 |0.76 |8 |? |? |製品に依存 |ICC |- style="font-size:small;" !ミニチュアカード |4389 |1254 |38 |33 |3.5 |60 |? |? |64 MB<small>('98-?-?)</small> |MC |- style="font-size:small;" ![[コンパクトフラッシュ]]タイプ1 |5141.1 |1557.9 |42.8 |36.4 |3.3 |50 |888 |133 |16<small>('06-12-?)</small> |CF I |- style="font-size:small;" ![[コンパクトフラッシュ]]タイプ2 |7789.6 |1557.9 |42.8 |36.4 |5 |50 |888 |133 |12<small>('0?-?-?)</small> |CF II |- style="font-size:small;" !スモールPCカードタイプ1 |6355.8 |1926 |42.8 |45 |3.3 |68 |133 |20 |?<small>('0?-?-?)</small> |SPCC I |- style="font-size:small;" !スモールPCカードタイプ2 |9630 |1926 |42.8 |45 |5 |68 |133 |20 |?<small>('0?-?-?)</small> |SPCC II |- style="font-size:small;" !スモールPCカードタイプ3 |20223 |1926 |42.8 |45 |10.5 |68 |133 |20 |?<small>('0?-?-?)</small> |SPCC III |- style="font-size:small;" ![[PCカード]]タイプ1 |15253.9 |4622.4 |54 |85.6 |3.3 |68 |888 |133 |?<small>('0?-?-?)</small> |PCMCIA I |- style="font-size:small;" ![[PCカード]]タイプ2 |23112 |4622.4 |54 |85.6 |5 |68 |888 |133 |12<small>('0?-?-?)</small> |PCMCIA II |- style="font-size:small;" ![[PCカード]]タイプ3 |48535.2 |4622.4 |54 |85.6 |10.5 |68 |888 |133 |?<small>('0?-?-?)</small> |PCMCIA III |- style="font-size:small;" ![[ハードディスクドライブ|1インチHDD]]1[[プラッタ]] |6000 |1200 |30 |40 |5 |50 |888 |133 |12<small>('06-?-?)</small> |MD |- style="font-size:small;" ![[ハードディスクドライブ|1.8インチHDD]] (1プラッタ / 5mm) |19170 |3834 |54 |71 |5 |68 |888 |133 |40<small>('06)</small> | |- style="font-size:small;" !1.8インチHDD (2プラッタ / 8mm) |30672 |3834 |54 |71 |8 |68 |888 |133 |80<small>('06)</small> | |- style="font-size:small;" ![[ExpressCard]]/34 |12750 |2550 |34 |75 |5 |26 |1666 |250 |16<small>('07-4)</small> |EC/34 |- style="font-size:small;" ![[ExpressCard]]/54 |20250 |4050 |54 |75 |5 |26 |1666 |250 |16<small>('0?-?-?)</small> |EC/54 |- style="font-size:small;" ![[iVDR]] |111760 |8800 |80 |110 |12.7 |26 |2000 |300 |160<small>('07-4-?)</small> |iVDR |- style="font-size:small;" ![[iVDR]] Mini |53600 |5360 |80 |67 |10 |26 |2000 |300 |30<small>('0?-?-?)</small> |iVDR Mini |} == 脚注 == {{notelist}} ==関連項目== {{commonscat|Solid-state computer storage media}} *[[メモリーカードリーダライタ]] {{メモリーカード}} {{Basic computer components}} {{Normdaten}} [[Category:メモリーカード|*]] [[Category:デジタルカメラ|めもりいかあと]]
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6,663
Xα法
Xα法(エックスアルファ法、英: Xα method)はハートリー=フォック近似における交換相互作用についての近似法。 ポテンシャルが、一般の非一様な電子密度に対しても同様の式で成り立つとした近似(Hartree–Fock–Slater近似)の次の拡張として、この交換相互作用ポテンシャルの式にパラメータαを導入したもの。このパラメータαから、Xα法と言われるようになった。 パラメータαの値は、2/3から1の間の値をとる。値は経験的に決められる。 バンド計算では、不完全であるが相関効果も取り入れた、局所密度近似とその拡張が主流となっている。
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Xα法はハートリー=フォック近似における交換相互作用についての近似法。 ポテンシャルが、一般の非一様な電子密度に対しても同様の式で成り立つとした近似(Hartree–Fock–Slater近似)の次の拡張として、この交換相互作用ポテンシャルの式にパラメータαを導入したもの。このパラメータαから、Xα法と言われるようになった。 パラメータαの値は、2/3から1の間の値をとる。値は経験的に決められる。 バンド計算では、不完全であるが相関効果も取り入れた、局所密度近似とその拡張が主流となっている。
{{出典の明記|date=2011年3月}} '''Xα法'''('''エックスアルファ法'''、{{lang-en-short|'''Xα method'''}})は[[ハートリー=フォック方程式|ハートリー=フォック近似]]における[[交換相互作用]]についての近似法。 ポテンシャルが、一般の非一様な[[電子密度]]に対しても同様の式で成り立つとした近似(Hartree–Fock–Slater近似)の次の拡張として、この交換相互作用ポテンシャルの式にパラメータ[[α]]を導入したもの。このパラメータαから、'''Xα法'''と言われるようになった。 パラメータαの値は、2/3から1の間の値をとる。値は経験的に決められる。 [[バンド計算]]では、不完全であるが相関効果も取り入れた、[[局所密度近似]]とその拡張が主流となっている。 == 参考文献 == * {{cite book|和書|author=小口多美夫|authorlink=小口多美夫|title=バンド理論|publisher=内田老鶴圃|isbn=978-4-7536-5609-7}} == 関連項目 == * [[DV-Xα法]] * [[局所密度近似]] * [[密度汎関数法]] * [[トーマス=フェルミ模型]] {{DEFAULTSORT:えつくすあるふあほう}} [[Category:量子力学]] [[Category:バンド計算]]
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元号一覧 (日本)
日本の元号一覧(にほんのげんごういちらん)は、和暦でこれまでに使用された日本の元号の一覧である。 明治以降の元号は、天皇一代につき元号を一つ制定する制度(一世一元の制)に基づいている。 慶応4年(1868年)を改めて明治元年とする一世一元の詔によって制定された元号は次のとおり。 1909年(明治42年)に公布された登極令に基づく改元は次のとおり。なお、同令は1947年(昭和22年)に廃止された。 1979年(昭和54年)に成立、施行された元号法に基づく改元は次のとおり。
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日本の元号一覧(にほんのげんごういちらん)は、和暦でこれまでに使用された日本の元号の一覧である。
'''日本の元号一覧'''(にほんのげんごういちらん)は、[[和暦]]でこれまでに使用された[[元号#日本の元号|日本の元号]]の一覧である。 == 概要 == *[[明治]]以前の元号については読み方が明示されなかった{{efn|name="akamitori"|[[朱鳥]]の読み方について『[[日本書紀]]』巻第二十九[[天武天皇]]下、朱鳥元年7月20日条に「朱鳥此云阿訶美苔利(あかみとり)」と記されたのは珍しい例である。}}ため、下記に示した読み方は例示である。 *令和は248個目の元号である。 *カッコ内の[[西暦]]は、[[飛鳥時代]]から「[[天正]]」の始期(元亀4年7月28日/1573年8月25日)までは'''[[ユリウス暦]]'''で、「天正」の終期(天正20年12月8日/1593年1月10日)以降は'''[[グレゴリオ暦]]'''で表記している。これは、ヨーロッパのカトリック諸国で、天正年間に当たる1582年(天正10年)に、従来のユリウス暦からグレゴリオ暦が導入されたためである{{efn|name="seireki"|ヨーロッパのカトリック諸国では、ユリウス暦1582年10月4日(木曜日)の翌日を、1582年10月15日(金曜日)として、グレゴリオ暦を導入した。この暦の切替えは、和暦では天正年間(グレゴリオ暦1582年10月15日=天正10年9月19日)に当たる。}}。 *[[改元]]の日付は、[[平成]]は翌日改元、[[令和]]は翌月改元であり、最初の[[大化]]も公布翌月の実施と見られるが、[[白雉]]から[[明治]]までの多くは当年(年初)から改元する年初改元、[[大正]]・[[昭和]]は当日(日初)から改元する当日改元だった。これらは過去にさかのぼって改元するため、各元号の有効な期間は、 #その後の文書で当時の日付に言及する場合 #当時の文書でそのときの日付に言及した場合 :のいずれかで異なる。この表の日付は主に後者であり、年初改元や当日改元は遡時を無視して改元公布の瞬間を元号の切り替わりとみなしている。すなわち、当日は新旧双方の元号に(一部ずつが)属す。しかしこれは(改元後の)公的な扱いとは異なる。法令や標準が整備されている明治以降に関しては、公文書等で使われる、前者の日付も記すこととする。これでは、新元号は当年初めまたは当日初めにさかのぼって始まり、旧元号はその前日に終わっている。 *使用期間が、最短の元号は[[暦仁]]で74日間、最長の元号は[[昭和]]で62年と14日間。 == 元号一覧 == === 飛鳥時代 === {| class="wikitable" style="width:100%; font-size:90%" !colspan="2" style="width:auto;"|元号名 !colspan="2" style="width:auto;"|期間 !rowspan="2" style="width: 5em;"|年数 !rowspan="2" style="width: 6em;"|天皇名 !rowspan="2" style="width:auto;"|改元理由 |- !style="width: 6em;"|漢字 !style="width: 6em;"|読み !style="width:11em;"|始期 !style="width:11em;"|終期 |- !rowspan="3"|- |rowspan="3"|-||rowspan="3"|[[崇峻天皇]]5年[[12月8日 (旧暦)|12月8日]]<br>([[593年]][[1月15日]])||rowspan="3"|[[斉明天皇|皇極天皇]]4年[[6月30日 (旧暦)|6月30日]]<br>([[645年]][[7月28日]])||rowspan="3"|53年||[[推古天皇]]||rowspan="3"|皇極天皇まで元号は無い。 |- |[[舒明天皇]] |- |皇極天皇 |- ![[大化]] |たいか||大化元年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]]<br>(645年[[7月29日]])||大化6年[[2月15日 (旧暦)|2月15日]]<br>([[650年]][[3月22日]])||6年||rowspan="4" style=""|[[孝徳天皇]]||天下安寧・[[政化敷行]]による[[改元]]。 |- !rowspan="3"|[[白雉]] |はくち||rowspan="3"|大化6年2月15日<br>(650年3月22日)||rowspan="3"|白雉5年[[12月30日 (旧暦)|12月30日]]<br>([[655年]][[2月11日]])||rowspan="3"|5年||rowspan="3"|[[長門国|穴戸国]]の国司が白[[キジ|雉]]を献上した[[祥瑞]]による改元。 |- |びゃくち |- |しらきぎす |- !rowspan="4"|- |rowspan="4"|-||rowspan="4"|[[斉明天皇]]元年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]<br>([[655年]][[2月12日]])||rowspan="4"|[[天武天皇]]15年[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]<br>([[686年]][[8月14日]])||rowspan="4"|32年||斉明天皇||rowspan="4"|斉明天皇の[[重祚]]により元号は中断する。 |- |[[天智天皇]] |- |[[弘文天皇]] |- |rowspan="4"|天武天皇 |- !rowspan="3"|[[朱鳥]] |しゅちょう||rowspan="3" style=""|天武天皇15年7月20日<br>(686年8月14日)||rowspan="3"|朱鳥元年[[閏月|閏]]12月30日<br>([[687年]][[2月17日]])||rowspan="3"|1年||rowspan="3"|天武天皇の病気平癒を祈願した改元か。 |- |すちょう |- |style=""|あかみとり |- !rowspan="2"|- |rowspan="2"|-||rowspan="2"|[[持統天皇]]元年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]<br>([[687年]][[2月18日]])||rowspan="2"|[[文武天皇]]5年[[3月21日 (旧暦)|3月21日]]<br>([[701年]][[5月3日]])||rowspan="2"|15年||持統天皇||rowspan="2"|天武天皇の崩御の翌年から元号は中断する。 |- |rowspan="4"|文武天皇 |- !rowspan="2"|[[大宝 (日本)|大宝]] |たいほう||rowspan="2"|文武天皇5年3月21日<br>(701年5月3日)||rowspan="2"|大宝4年[[5月10日 (旧暦)|5月10日]]<br>([[704年]][[6月16日]])||rowspan="2"|4年||rowspan="2"|[[対馬国]]から[[金]]が献上された事による改元。 |- |だいほう |- !rowspan="2"|[[慶雲]] |けいうん||rowspan="2"|大宝4年5月10日<br>(704年6月16日)||rowspan="2"|慶雲5年[[1月11日 (旧暦)|1月11日]]<br>([[708年]][[2月7日]])||rowspan="2"|5年||rowspan="2"|西楼上に慶雲を見た祥瑞による改元。 |- |きょううん||rowspan="2"|[[元明天皇]] |- ![[和銅]] |わどう||慶雲5年1月11日<br>(708年2月7日)||和銅8年[[9月2日 (旧暦)|9月2日]]<br>([[715年]][[10月3日]])||8年||[[武蔵国]]より和銅が献上された祥瑞による改元。 |- |colspan="7"<span style=font-size:smaller>|「大化」は[[斉明天皇|皇極天皇]]4年[[6月19日 (旧暦)|6月19日]](645年[[7月17日]])以後30日以前に公布され、翌月1日から実施されたと考えられるが、史書によって記述が一定しない{{efn|『[[扶桑略記]]』や『[[皇代記|帝王編年記]]』では「7月」、『[[元亨釈書]]』では「正月」(7月に公布)、『[[国史大辞典 (明治時代)|国史大辞典]]』([[吉川弘文館]]、1908年発行)では「6月19日」となっている。}}ため、正確な始期は不明となる。</span> |} === 奈良時代 === {| class="wikitable" style="width:100%; font-size:90%" !colspan="2" style="width:auto;"|元号名 !colspan="2" style="width:auto;"|期間 !rowspan="2" style="width: 5em;"|年数 !rowspan="2" style="width: 6em;"|天皇名 !rowspan="2" style="width:auto;"|改元理由 |- !style="width: 6em;"|漢字 !style="width: 6em;"|読み !style="width:11em;"|始期 !style="width:11em;"|終期 |- ![[霊亀]] |れいき||和銅8年9月2日<br>(715年10月3日)||霊亀3年[[11月17日 (旧暦)|11月17日]]<br>([[717年]][[12月24日]])||3年||rowspan="2" style=""|[[元正天皇]]||元正天皇の即位、[[京職|左京職]]より瑞亀が献上された祥瑞による改元。 |- ![[養老]] |ようろう||霊亀3年11月17日<br>(717年12月24日)||養老8年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]<br>(724年[[3月3日]])||8年||[[美濃国]]の美泉の祥瑞による改元。 |- ![[神亀]] |じんき||養老8年2月4日<br>(724年3月3日)||神亀6年[[8月5日 (旧暦)|8月5日]]<br>(729年[[9月2日]])||6年||rowspan="3"|[[聖武天皇]]||白亀を献上された祥瑞による改元。 |- ![[天平]] |てんぴょう||神亀6年8月5日<br>(729年9月2日)||天平21年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]<br>(749年[[5月4日]])||style=""|21年||[[京職|左京職]]が背に「天王貴平知百年」と文のある亀を献上した祥瑞による改元。 天平はてんびょうとも読む。 |- !style=""|[[天平感宝]] |てんぴょうかんぽう||天平21年4月14日<br>(749年5月4日)||天平感宝元年[[7月2日 (旧暦)|7月2日]]<br>(749年[[8月19日]])||1年||[[陸奥国]]から黄金を献上された祥瑞による改元。 |- ![[天平勝宝]] |style=""|てんぴょうしょうほう||天平感宝元年7月2日<br>(749年8月19日)||style=""|天平勝宝9歳[[8月18日 (旧暦)|8月18日]]<br>([[757年]][[9月6日]])||9年||rowspan="2"|[[孝謙天皇]]||孝謙天皇即位による改元。 |- !rowspan="3"|[[天平宝字]] |rowspan="3"|てんぴょうほうじ||rowspan="3" style=""|天平勝宝9歳8月18日<br>(757年9月6日)||rowspan="3"|天平宝字9年[[1月7日 (旧暦)|1月7日]]<br>([[765年]][[2月1日]])||rowspan="3"|9年||rowspan="3"|宮中で[[蚕]]が「五月八日開下帝釋標知天皇命百年息」の文字を成し、[[駿河国]]でも瑞字を生じた祥瑞による改元。 |- |[[淳仁天皇]] |- |rowspan="3"|称徳天皇 |- ![[天平神護]] |てんぴょうじんご||天平宝字9年1月7日<br>(765年2月1日)||天平神護3年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]<br>([[767年]][[9月13日]])||3年||[[孝謙天皇|称徳天皇]][[重祚]]による改元。 |- ![[神護景雲]] |じんごけいうん||天平神護3年8月16日<br>(767年9月13日)||神護景雲4年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]<br>([[770年]][[10月23日]])||4年||[[慶雲]]の祥瑞による改元。 |- ![[宝亀]] |ほうき||神護景雲4年10月1日<br>(770年10月23日)||宝亀12年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]<br>([[781年]][[1月30日]])||12年||rowspan="2"|[[光仁天皇]]||[[肥後国]]より白亀が献上された祥瑞による改元。 |- !rowspan="2"|[[天応 (日本)|天応]] |てんおう||rowspan="2"|宝亀12年1月1日<br>(781年1月30日)||rowspan="2"|天応2年[[8月19日 (旧暦)|8月19日]]<br>([[782年]][[9月30日]])||rowspan="2"|2年||rowspan="2"|[[美雲]]の祥瑞による改元。 |- |てんのう||rowspan="2"|[[桓武天皇]] |- ![[延暦]] |えんりゃく||天応2年8月19日<br>(782年9月30日)||延暦25年[[5月18日 (旧暦)|5月18日]]<br>([[806年]][[6月8日]])||25年||桓武天皇[[践祚]]による改元。 |} === 平安時代 === {| class="wikitable" style="width:100%; font-size:90%" !colspan="2" style="width:auto;"|元号名 !colspan="2" style="width:auto;"|期間 !rowspan="2" style="width: 5em;"|年数 !rowspan="2" style="width: 6em;"|天皇名 !rowspan="2" style="width:auto;"|改元理由 |- !style="width: 6em;"|漢字 !style="width: 6em;"|読み !style="width:11em;"|始期 !style="width:11em;"|終期 |- !rowspan="2"|[[大同 (日本)|大同]] |rowspan="2"|だいどう||rowspan="2"|延暦25年5月18日<br>(806年6月8日)||rowspan="2"|大同5年[[9月19日 (旧暦)|9月19日]]<br>([[810年]][[10月20日]])||rowspan="2"|5年||[[平城天皇]]||rowspan="2"|平城天皇践祚による改元。 |- |rowspan="2"|[[嵯峨天皇]] |- !rowspan="2"|[[弘仁]] |rowspan="2"|こうにん||rowspan="2"|大同5年9月19日<br>(810年10月20日)||rowspan="2"|弘仁15年[[1月5日 (旧暦)|1月5日]]<br>([[824年]][[2月8日]])||rowspan="2" style=""|15年||rowspan="2"|嵯峨天皇践祚による改元。 |- |rowspan="2"|[[淳和天皇]] |- !rowspan="2"|[[天長]] |rowspan="2" style=""|てんちょう||rowspan="2"|弘仁15年1月5日<br>(824年2月8日)||rowspan="2"|天長11年[[1月3日 (旧暦)|1月3日]]<br>([[834年]][[2月14日]])||rowspan="2"|11年||rowspan="2"|仁明天皇践祚による改元。仁明天皇の践祚に伴い、天皇の即位を意味する改元が行われ、新しい年号が定められた。 |- |rowspan="4"|[[仁明天皇]] |- !rowspan="2"|[[承和 (日本)|承和]] |じょうわ||rowspan="2"|天長11年1月3日<br>(834年2月14日)||rowspan="2"|承和15年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]<br>([[848年]][[7月16日]])||rowspan="2"|15年||rowspan="2"|仁明天皇践祚による改元。 |- |しょうわ |- !rowspan="2"|[[嘉祥]] |かしょう||rowspan="2"|承和15年6月13日<br>(848年7月16日)||rowspan="2"|嘉祥4年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]<br>([[851年]][[6月1日]])||rowspan="2"|4年||rowspan="2"|[[豊後国]]から白亀が献じられた瑞祥による改元。 |- |かじょう||rowspan="4"|[[文徳天皇]] |- ![[仁寿]] |にんじゅ||嘉祥4年4月28日<br>(851年6月1日)||仁寿4年[[11月30日 (旧暦)|11月30日]]<br>([[854年]][[12月23日]])||4年||文徳天皇即位、白亀・甘露の瑞祥による改元。 |- ![[斉衡]] |さいこう||仁寿4年11月30日<br>(854年12月23日)||斉衡4年[[2月21日 (旧暦)|2月21日]]<br>([[857年]][[3月20日]])||4年||[[石見国]]から醴泉の瑞を献上された事による改元。 |- !rowspan="2"|[[天安 (日本)|天安]] |てんあん||rowspan="2"|斉衡4年2月21日<br>(857年3月20日)||rowspan="2"|天安3年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]<br>([[859年]][[5月20日]])||rowspan="2"|3年||rowspan="2"|[[美作国]]・[[常陸国]]両国より白鹿、連理の樹が献上された祥瑞による改元。 |- |てんなん||rowspan="2"|[[清和天皇]] |- !rowspan="2"|[[貞観 (日本)|貞観]] |rowspan="2"|じょうがん||rowspan="2"|天安3年4月15日<br>(859年5月20日)||rowspan="2"|貞観19年[[4月16日 (旧暦)|4月16日]]<br>([[877年]]6月1日)||rowspan="2"|19年||rowspan="2"|清和天皇践祚による改元。 |- |rowspan="2"|[[陽成天皇]] |- !rowspan="2"|[[元慶]] |rowspan="2"|がんぎょう||rowspan="2"|貞観19年4月16日<br>(877年6月1日)||rowspan="2"|元慶9年2月21日<br>([[885年]][[3月11日]])||rowspan="2"|9年||rowspan="2"|陽成天皇践祚、白雉・白鹿献上の瑞祥による改元。 |- |rowspan="2"|[[光孝天皇]] |- !rowspan="2"|[[仁和]] |にんな||rowspan="2"|元慶9年2月21日<br>(885年3月11日)||rowspan="2"|仁和5年[[4月27日 (旧暦)|4月27日]]<br>([[889年]][[5月30日]])||rowspan="2"|5年||rowspan="2"|光孝天皇践祚による改元。 |- |にんわ||rowspan="3"|[[宇多天皇]] |- !rowspan="3"|[[寛平]] |かんぴょう||rowspan="3"|仁和5年4月27日<br>(889年5月30日)||rowspan="3"|寛平10年[[4月26日 (旧暦)|4月26日]]<br>([[898年]]5月20日){{efn|name="kanpyou"|[[4月16日 (旧暦)|4月16日]]([[5月10日]])、[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]([[9月5日]])の説もある。}}||rowspan="3"|10年||rowspan="3"|宇多天皇践祚による改元。 |- |かんぺい |- |かんへい||rowspan="4"|[[醍醐天皇]] |- ![[昌泰]] |しょうたい||寛平10年4月26日<br>(898年5月20日){{efn|name="kanpyou"}}||昌泰4年[[7月15日 (旧暦)|7月15日]]<br>([[901年]][[8月31日]])||4年||醍醐天皇践祚による改元。 |- ![[延喜]] |えんぎ||昌泰4年7月15日<br>(901年8月31日)||延喜23年[[4月11日 (旧暦)|閏4月11日]]<br>([[923年]][[5月29日]])||23年||[[辛酉|辛酉革命]]、天変による改元。 |- !rowspan="2"|[[延長 (元号)|延長]] |rowspan="2"|えんちょう||rowspan="2"|延喜23年閏4月11日<br>(923年5月29日)||rowspan="2"|延長9年4月26日<br>([[931年]][[5月16日]])||rowspan="2"|9年||rowspan="2"|水潦、疾疫による改元。 |- |rowspan="4"|[[朱雀天皇]] |- !rowspan="2"|[[承平 (日本)|承平]] |じょうへい||rowspan="2"|延長9年4月26日<br>(931年5月16日)||rowspan="2"|承平8年[[5月22日 (旧暦)|5月22日]]<br>([[938年]][[6月22日]])||rowspan="2"|8年||rowspan="2"|朱雀天皇践祚による改元。 |- |しょうへい |- !rowspan="2"|[[天慶]] |てんぎょう||rowspan="2"|承平8年5月22日<br>(938年6月22日)||rowspan="2"|天慶10年[[4月22日 (旧暦)|4月22日]]<br>([[947年]][[5月15日]])||rowspan="2"|10年||rowspan="2"|厄運、地震、御慎による改元。 |- |てんきょう||rowspan="5"|[[村上天皇]] |- ![[天暦]] |てんりゃく||天慶10年4月22日<br>(947年5月15日)||天暦11年[[10月27日 (旧暦)|10月27日]]<br>([[957年]][[11月21日]])||11年||村上天皇践祚による改元。 |- ![[天徳 (日本)|天徳]] |てんとく||天暦11年10月27日<br>(957年11月21日)||天徳5年[[2月16日 (旧暦)|2月16日]]<br>([[961年]][[3月5日]])||5年||水旱による改元。 |- ![[応和]] |おうわ||天徳5年2月16日<br>(961年3月5日)||応和4年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]<br>([[964年]]8月19日)||4年||辛酉革命、皇居火災などによる改元。 |- !rowspan="2"|[[康保]] |rowspan="2"|こうほう||rowspan="2"|応和4年7月10日<br>(964年8月19日)||rowspan="2"|康保5年[[8月13日 (旧暦)|8月13日]]<br>([[968年]][[9月8日]])||rowspan="2"|5年||rowspan="2"|[[甲子|甲子革令]]、旱魃による改元。 |- |rowspan="2"|[[冷泉天皇]] |- !rowspan="2"|[[安和]] |あんな||rowspan="2"|康保5年8月13日<br>(968年9月8日)||rowspan="2"|安和3年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]<br>([[970年]]5月3日)||rowspan="2"|3年||rowspan="2"|冷泉天皇践祚による改元。 |- |あんわ||rowspan="6"|[[円融天皇]] |- ![[天禄]] |てんろく||安和3年3月25日<br>(970年5月3日)||天禄4年[[12月20日 (旧暦)|12月20日]]<br>([[973年]][[2月6日]])||4年||円融天皇践祚による改元。 |- ![[天延]] |てんえん||天禄4年12月20日<br>(973年2月6日)||天延4年[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]<br>([[976年]][[8月11日]])||4年||天変、地震による改元。 |- ![[貞元 (日本)|貞元]] |じょうげん||天延4年7月13日<br>(976年8月11日)||貞元3年[[11月29日 (旧暦)|11月29日]]<br>([[978年]][[12月31日]])||3年||[[火災]]、地震による改元。 |- ![[天元 (日本)|天元]] |てんげん||貞元3年11月29日<br>(978年12月31日)||天元6年4月15日<br>([[983年]]5月29日)||6年||災変、陽五厄による改元。 |- !rowspan="2"|[[永観]] |rowspan="2"|えいかん||rowspan="2"|天元6年4月15日<br>(983年5月29日)||rowspan="2"|永観3年4月27日<br>([[985年]][[5月19日]])||rowspan="2"|3年||rowspan="2"|干魃、皇居火災などによる改元。 |- |rowspan="2"|[[花山天皇]] |- !rowspan="2"|[[寛和]] |かんな||rowspan="2"|永観3年4月27日<br>(985年5月19日)||rowspan="2"|寛和3年[[4月5日 (旧暦)|4月5日]]<br>([[987年]][[5月5日]])||rowspan="2"|3年||rowspan="2"|花山天皇践祚による改元。 |- |かんわ||rowspan="7"|[[一条天皇]] |- ![[永延]] |えいえん||寛和3年4月5日<br>(987年5月5日)||永延3年[[8月8日 (旧暦)|8月8日]]<br>([[989年]][[9月10日]])||3年||一条天皇践祚による改元。 |- ![[永祚 (日本)|永祚]] |えいそ||永延3年8月8日<br>(989年9月10日)||永祚2年[[11月7日 (旧暦)|11月7日]]<br>([[990年]][[11月26日]])||2年||彗星、地震など天変災異による改元。 |- ![[正暦]] |しょうりゃく||永祚2年11月7日<br>(990年11月26日)||正暦6年[[2月22日 (旧暦)|2月22日]]<br>([[995年]][[3月25日]])||6年||大風、天変による改元。 |- ![[長徳]] |ちょうとく||正暦6年2月22日<br>(995年3月25日)||長徳5年[[1月13日 (旧暦)|1月13日]]<br>([[999年]]2月1日)||5年||疾疫、天変による改元。 |- ![[長保]] |ちょうほう||長徳5年1月13日<br>(999年2月1日)||長保6年[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]<br>([[1004年]][[8月8日]])||6年||天変、炎旱による改元。 |- !rowspan="2"|[[寛弘]] |rowspan="2"|かんこう||rowspan="2"|長保6年7月20日<br>(1004年8月8日)||rowspan="2"|寛弘9年[[12月25日 (旧暦)|12月25日]]<br>([[1013年]]2月8日)||rowspan="2"|9年||rowspan="2"|天変地妖による改元。 |- |rowspan="2"|[[三条天皇]] |- !rowspan="2"|[[長和]] |rowspan="2"|ちょうわ||rowspan="2"|寛弘9年12月25日<br>(1013年2月8日)||rowspan="2"|長和6年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]]<br>([[1017年]][[5月21日]])||rowspan="2"|6年||rowspan="2"|三条天皇践祚による改元。 |- |rowspan="5"|[[後一条天皇]] |- ![[寛仁]] |かんにん||長和6年4月23日<br>(1017年5月21日)||寛仁5年[[2月2日 (旧暦)|2月2日]]<br>([[1021年]][[3月17日]])||5年||後一条天皇践祚による改元。 |- ![[治安 (元号)|治安]] |じあん||寛仁5年2月2日<br>(1021年3月17日)||治安4年7月13日<br>([[1024年]][[8月19日]])||4年||辛酉革命による改元。 |- ![[万寿]] |まんじゅ||治安4年7月13日<br>(1024年8月19日)||万寿5年[[7月25日 (旧暦)|7月25日]]<br>([[1028年]][[8月18日]])||5年||甲子革令による改元。 |- !rowspan="2"|[[長元]] |rowspan="2"|ちょうげん||rowspan="2"|万寿5年7月25日<br>(1028年8月18日)||rowspan="2"|長元10年[[4月21日 (旧暦)|4月21日]]<br>([[1037年]][[5月9日]])||rowspan="2"|10年||rowspan="2"|疫病、炎旱による改元。 |- |rowspan="4"|[[後朱雀天皇]] |- ![[長暦]] |ちょうりゃく||長元10年4月21日<br>(1037年5月9日)||style=""|長暦4年[[11月10日 (旧暦)|11月10日]]<br>([[1040年]][[12月16日]])||4年||後朱雀天皇践祚による改元。 |- ![[長久]] |ちょうきゅう||style=""|長暦4年11月10日<br>(1040年12月16日)||長久5年[[11月24日 (旧暦)|11月24日]]<br>([[1044年]]12月16日)||5年||災変、[[内裏]]焼失による改元。 |- !rowspan="2"|[[寛徳]] |rowspan="2"|かんとく||rowspan="2"|長久5年11月24日<br>(1044年12月16日)||rowspan="2"|寛徳3年4月14日<br>([[1046年]][[5月22日]])||rowspan="2"|3年||rowspan="2"|疾疫、干魃による改元。 |- |rowspan="7"|[[後冷泉天皇]] |- !rowspan="2"|[[永承]] |えいしょう||rowspan="2"|寛徳3年4月14日<br>(1046年5月22日)||rowspan="2"|永承8年1月11日<br>([[1053年]][[2月2日]])||rowspan="2"|8年||rowspan="2"|後冷泉天皇践祚による改元。 |- |えいじょう |- !rowspan="2"|[[天喜]] |てんぎ||rowspan="2"|永承8年1月11日<br>(1053年2月2日)||rowspan="2"|天喜6年[[8月29日 (旧暦)|8月29日]]<br>([[1058年]][[9月19日]])||rowspan="2"|6年||rowspan="2"|天変、怪異による改元。 |- |てんき |- ![[康平]] |こうへい||天喜6年8月29日<br>(1058年9月19日)||康平8年[[8月2日 (旧暦)|8月2日]]<br>([[1065年]][[9月4日]])||8年||[[大極殿]]、[[法成寺]]の火災による改元。 |- !rowspan="2"|[[治暦]] |rowspan="2"|じりゃく||rowspan="2"|康平8年8月2日<br>(1065年9月4日)||rowspan="2"|治暦5年[[4月13日 (旧暦)|4月13日]]<br>([[1069年]][[5月6日]])||rowspan="2"|5年||rowspan="2"|旱魃、三合厄による改元。 |- |rowspan="2"|[[後三条天皇]] |- !rowspan="2"|[[延久]] |rowspan="2"|えんきゅう||rowspan="2"|治暦5年4月13日<br>(1069年5月6日)||rowspan="2"|延久6年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]<br>([[1074年]][[9月16日]])||rowspan="2"|6年||rowspan="2"|後三条天皇践祚による改元。 |- |rowspan="7"|[[白河天皇]] |- !rowspan="2"|[[承保]] |じょうほう||rowspan="2"|延久6年8月23日<br>(1074年9月16日)||rowspan="2"|承保4年11月17日<br>([[1077年]][[12月5日]])||rowspan="2"|4年||rowspan="2"|白河天皇践祚、三合厄による改元。 |- |しょうほう |- !rowspan="2"|[[承暦]] |じょうりゃく||rowspan="2"|承保4年11月17日<br>(1077年12月5日)||rowspan="2"|承暦5年[[2月10日 (旧暦)|2月10日]]<br>([[1081年]]3月22日)||rowspan="2"|5年||rowspan="2"|旱魃、疱瘡の流行による改元。 |- |しょうりゃく |- ![[永保]] |えいほう||承暦5年2月10日<br>(1081年3月22日)||永保4年[[2月7日 (旧暦)|2月7日]]<br>([[1084年]][[3月15日]])||4年||辛酉革命による改元。 |- !rowspan="2"|[[応徳]] |rowspan="2"|おうとく||rowspan="2"|永保4年2月7日<br>(1084年3月15日)||rowspan="2"|応徳4年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]<br>([[1087年]][[5月11日]])||rowspan="2"|4年||rowspan="2"|甲子革令による改元。 |- |rowspan="9"|[[堀河天皇]] |- ![[寛治]] |かんじ||応徳4年4月7日<br>(1087年5月11日)||寛治8年[[12月15日 (旧暦)|12月15日]]<br>([[1095年]][[1月23日]])||8年||堀河天皇践祚による改元。 |- ![[嘉保]] |かほう||寛治8年12月15日<br>(1095年1月23日)||嘉保3年[[12月17日 (旧暦)|12月17日]]<br>([[1097年]][[1月3日]])||3年||疱瘡の流行による改元。 |- ![[永長]] |えいちょう||嘉保3年12月17日<br>(1096年1月28日)||永長2年[[11月21日 (旧暦)|11月21日]]<br>(1097年[[12月27日]])||2年||天変、地震([[永長地震]])による改元。 |- !rowspan="2"|[[承徳]] |じょうとく||rowspan="2"|永長2年11月21日<br>(1097年12月27日)||rowspan="2"|承徳3年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]<br>([[1099年]][[9月15日]])||rowspan="2"|3年||rowspan="2"|天変、地震による改元。 |- |しょうとく |- ![[康和]] |こうわ||承徳3年8月28日<br>(1099年9月15日)||康和6年2月10日<br>([[1104年]][[3月8日]])||6年||地震([[康和地震]])、疾病による改元。 |- ![[長治]] |ちょうじ||康和6年2月10日<br>(1104年3月8日)||長治3年[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]<br>([[1106年]][[5月13日]])||3年||天変による改元。 |- !rowspan="2"|[[嘉承]] |かしょう||rowspan="2"|長治3年4月9日<br>(1106年5月13日)||rowspan="2"|嘉承3年[[8月3日 (旧暦)|8月3日]]<br>([[1108年]][[9月9日]])||rowspan="2"|3年||rowspan="2"|彗星による改元。 |- |かじょう||rowspan="6"|[[鳥羽天皇]] |- ![[天仁]] |てんにん||嘉承3年8月3日<br>(1108年9月9日)||天仁3年7月13日<br>([[1110年]][[7月31日]])||3年||鳥羽天皇践祚による改元。 |- ![[天永]] |てんえい||天仁3年7月13日<br>(1110年7月31日)||天永4年7月13日<br>([[1113年]][[8月25日]])||4年||彗星の出現による改元。 |- ![[永久 (元号)|永久]] |えいきゅう||天永4年7月13日<br>(1113年8月25日)||永久6年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]<br>([[1118年]][[4月25日]])||6年||天変、兵革、疫疾などによる改元。 |- ![[元永]] |げんえい||永久6年4月3日<br>(1118年4月25日)||元永3年[[4月10日 (旧暦)|4月10日]]<br>([[1120年]]5月9日)||3年||天変、疾疫による改元。 |- !rowspan="2"|[[保安 (元号)|保安]] |rowspan="2"|ほうあん||rowspan="2"|元永3年4月10日<br>(1120年5月9日)||rowspan="2"|保安5年4月3日<br>([[1124年]][[5月18日]])||rowspan="2"|5年||rowspan="2"|天変、厄運による改元。 |- |rowspan="8"|[[崇徳天皇]] |- ![[天治]] |てんじ||保安5年4月3日<br>(1124年5月18日)||天治3年[[1月22日 (旧暦)|1月22日]]<br>([[1126年]]2月15日)||3年||崇徳天皇践祚による改元。 |- ![[大治 (日本)|大治]] |だいじ||天治3年1月22日<br>(1126年2月15日)||大治6年[[1月29日 (旧暦)|1月29日]]<br>([[1131年]][[2月28日]])||6年||疱瘡の流行による改元。 |- !rowspan="2"|[[天承]] |てんしょう||rowspan="2"|大治6年1月29日<br>(1131年2月28日)||rowspan="2"|天承2年[[8月11日 (旧暦)|8月11日]]<br>([[1132年]][[9月21日]])||rowspan="2"|2年||rowspan="2"|炎旱、天変による改元。 |- |てんじょう |- ![[長承]] |ちょうしょう||天承2年8月11日<br>(1132年9月21日)||長承4年4月27日<br>([[1135年]][[6月10日]])||4年||疾疫、怪異による改元。 |- ![[保延]] |ほうえん||長承4年4月27日<br>(1135年6月10日)||保延7年7月10日<br>([[1141年]][[8月13日]])||7年||飢饉、疫疾、洪水による改元。 |- !rowspan="2"|[[永治]] |rowspan="2"|えいじ||rowspan="2"|保延7年7月10日<br>(1141年8月13日)||rowspan="2"|永治2年4月28日<br>([[1142年]][[5月25日]])||rowspan="2"|2年||rowspan="2"|辛酉革命による改元。 |- |rowspan="7"|[[近衛天皇]] |- ![[康治]] |こうじ||永治2年4月28日<br>(1142年5月25日)||康治3年[[2月23日 (旧暦)|2月23日]]<br>([[1144年]][[3月28日]])||3年||近衛天皇践祚による改元。 |- ![[天養]] |てんよう||康治3年2月23日<br>(1144年3月28日)||天養2年[[7月22日 (旧暦)|7月22日]]<br>([[1145年]][[8月12日]])||2年||甲子革令による改元。 |- ![[久安]] |きゅうあん||天養2年7月22日<br>(1145年8月12日)||久安7年[[1月26日 (旧暦)|1月26日]]<br>([[1151年]]2月14日)||7年||彗星の出現による改元。 |- !rowspan="2"|[[仁平]] |にんぺい||rowspan="2"|久安7年1月26日<br>(1151年2月14日)||rowspan="2"|仁平4年[[10月28日 (旧暦)|10月28日]]<br>([[1154年]][[12月4日]])||rowspan="2"|4年||rowspan="2"|彗星の出現による改元。 |- |にんぴょう |- !rowspan="2"|[[久寿]] |rowspan="2"|きゅうじゅ||rowspan="2"|仁平4年10月28日<br>(1154年12月4日)||rowspan="2"|久寿3年4月27日<br>([[1156年]]5月18日)||rowspan="2"|3年||rowspan="2"|変異、厄運による改元。 |- |rowspan="2"|[[後白河天皇]] |- !rowspan="2"|[[保元]] |rowspan="2"|ほうげん||rowspan="2"|久寿3年4月27日<br>(1156年5月18日)||rowspan="2"|保元4年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]<br>([[1159年]]5月9日)||rowspan="2"|4年||rowspan="2"|後白河天皇践祚による改元。 |- |rowspan="7"|[[二条天皇]] |- ![[平治]] |へいじ||保元4年4月20日<br>(1159年5月9日)||平治2年[[1月10日 (旧暦)|1月10日]]<br>([[1160年]][[2月18日]])||2年||二条天皇践祚による改元。 |- ![[永暦]] |えいりゃく||平治2年1月10日<br>(1160年2月18日)||永暦2年[[9月4日 (旧暦)|9月4日]]<br>([[1161年]][[9月24日]])||2年||兵乱による改元。 |- !rowspan="2"|[[応保]] |おうほう||rowspan="2"|永暦2年9月4日<br>(1161年9月24日)||rowspan="2"|応保3年[[3月29日 (旧暦)|3月29日]]<br>([[1163年]]5月4日)||rowspan="2"|3年||rowspan="2"|疱瘡の流行による改元。 |- |おうほ |- ![[長寛]] |ちょうかん||応保3年3月29日<br>(1163年5月4日)||長寛3年[[6月5日 (旧暦)|6月5日]]<br>([[1165年]][[7月14日]])||3年||天変、疱瘡による改元。 |- !rowspan="2"|[[永万]] |rowspan="2"|えいまん||rowspan="2"|長寛3年6月5日<br>(1165年7月14日)||rowspan="2"|永万2年[[8月27日 (旧暦)|8月27日]]<br>([[1166年]][[9月23日]])||rowspan="2"|2年||rowspan="2"|天変、怪異、疾疫などによる改元。 |- |rowspan="2"|[[六条天皇]] |- !rowspan="2"|[[仁安 (日本)|仁安]] |rowspan="2"|にんあん||rowspan="2"|永万2年8月27日<br>(1166年9月23日)||rowspan="2"|仁安4年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]<br>([[1169年]]5月6日)||rowspan="2"|4年||rowspan="2"|六条天皇践祚による改元。 |- |rowspan="5"|[[高倉天皇]] |- ![[嘉応]] |かおう||仁安4年4月8日<br>(1169年5月6日)||嘉応3年4月21日<br>([[1171年]][[5月27日]])||3年||高倉天皇践祚による改元。 |- ![[承安 (日本)|承安]] |じょうあん||嘉応3年4月21日<br>(1171年5月27日)||承安5年[[7月28日 (旧暦)|7月28日]]<br>([[1175年]][[8月16日]])||5年||災変、厄会による改元。 |- ![[安元]] |あんげん||承安5年7月28日<br>(1175年8月16日)||安元3年[[8月4日 (旧暦)|8月4日]]<br>([[1177年]][[8月29日]])||3年||疱瘡の流行による改元。 |- !rowspan="2"|[[治承]] |rowspan="2"|じしょう||rowspan="2"|安元3年8月4日<br>(1177年8月29日)||rowspan="2"|治承5年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]<br>([[1181年]]8月25日)||rowspan="2"|5年||rowspan="2"|大極殿の火災、天変による改元。 |- |rowspan="3"|[[安徳天皇]] |- ![[養和]] |ようわ||治承5年7月14日<br>(1181年8月25日)||養和2年[[5月27日 (旧暦)|5月27日]]<br>([[1182年]][[6月29日]])||2年||安徳天皇践祚による改元。 |- !rowspan="2"|[[寿永]] |rowspan="2"|じゅえい||rowspan="2"|養和2年5月27日<br>(1182年6月29日)||rowspan="2"|寿永3年4月16日<br>([[1184年]]5月27日)||rowspan="2"|3年||rowspan="2"|飢饉、兵革、病事による改元。 |- |rowspan="2" style=""|[[後鳥羽天皇]] |- ![[元暦]] |げんりゃく||寿永3年4月16日<br>(1184年5月27日)||元暦2年[[8月14日 (旧暦)|8月14日]]<br>([[1185年]]9月9日)||2年||後鳥羽天皇践祚による改元。 |- |colspan="7"|<span style="font-size:smaller">治承4年(1180年)、[[平氏政権]]が実権を握る中で、[[平清盛]]の外孫である[[安徳天皇]]が即位し、翌年「[[養和]]」へ改元された。朝廷でのこの動きに対し、対立する[[源頼朝]]の[[鎌倉幕府|関東政権]]は、「養和」と「[[寿永]]」の元号を使わず、「治承」を引き続き使用した。関東政権による「治承」の継続使用は、寿永2年(治承7年、1183年)に源氏が京都を占領し、擁立した[[後鳥羽天皇]]の[[寿永二年十月宣旨]]によって東国支配を認められるまで続く。一方、平氏一門は都落ちした後も安徳天皇を擁し、元暦2年(寿永4年、1185年)の[[壇ノ浦の戦い]]で滅亡するまで、引続き「寿永」を使用していた。</span> |} === 鎌倉時代 === {| class="wikitable" style="width:100%; font-size:90%" !colspan="2" style="width:auto;"|元号名 !colspan="2" style="width:auto;"|期間 !rowspan="2" style="width: 5em;"|年数 !rowspan="2" style="width: 6em;"|天皇名 !rowspan="2" style="width:auto;"|改元理由 |- !style="width: 6em;"|漢字 !style="width: 6em;"|読み !style="width:11em;"|始期 !style="width:11em;"|終期 |- ![[文治]] |ぶんじ||元暦2年8月14日<br>(1185年9月9日)||文治6年4月11日<br>([[1190年]]5月16日)||6年||rowspan="2" style=""|[[後鳥羽天皇]]||地震([[文治地震]])による改元。<br>兵革を理由とする説もあり。 |- !rowspan="2"|[[建久]] |rowspan="2"|けんきゅう||rowspan="2"|文治6年4月11日<br>(1190年5月16日)||rowspan="2"|建久10年4月27日<br>([[1199年]][[5月23日]])||rowspan="2"|10年||rowspan="2"|三合による改元。 |- |rowspan="6"|[[土御門天皇]] |- ![[正治]] |しょうじ||建久10年4月27日<br>(1199年5月23日)||正治3年[[2月13日 (旧暦)|2月13日]]<br>([[1201年]][[3月19日]])||3年||土御門天皇践祚による改元。 |- ![[建仁]] |けんにん||正治3年2月13日<br>(1201年3月19日)||建仁4年[[2月20日 (旧暦)|2月20日]]<br>([[1204年]][[3月23日]])||4年||辛酉革命による改元。 |- ![[元久]] |げんきゅう||建仁4年2月20日<br>(1204年3月23日)||元久3年4月27日<br>([[1206年]][[6月5日]])||3年||甲子革令による改元。 |- ![[建永]] |けんえい||元久3年4月27日<br>(1206年6月5日)||建永2年[[10月25日 (旧暦)|10月25日]]<br>([[1207年]][[11月16日]])||2年||改元は以下の説によるものとみられている。 *[[麻疹|赤斑瘡]]を原因とする説 *[[摂政]]・[[九条良通]]の急死を原因とする説 |- !rowspan="2"|[[承元]] |rowspan="2"|じょうげん||rowspan="2" style=""|建永2年10月25日<br>(1207年11月16日)||rowspan="2"|承元5年[[3月9日 (旧暦)|3月9日]]<br>([[1211年]][[4月23日]])||rowspan="2"|5年||rowspan="2"|改元の原因には以下の説がある。 *三合を原因とする説 *[[天然痘|疱瘡]]を原因とする説 |- |rowspan="4"|[[順徳天皇]] |- ![[建暦]] |けんりゃく||承元5年3月9日<br>(1211年4月23日)||建暦3年[[12月6日 (旧暦)|12月6日]]<br>([[1214年]][[1月18日]])||3年||順徳天皇践祚による改元。 |- ![[建保]] |けんぽう||建暦3年12月6日<br>(1214年1月18日)||建保7年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]<br>([[1219年]]5月27日)||7年||地震による改元と見られている。 |- !rowspan="3"|[[承久]] |rowspan="3" style=""|じょうきゅう||rowspan="3"|建保7年4月12日<br>(1219年5月27日)||rowspan="3"|承久4年4月13日<br>([[1222年]]5月25日)||rowspan="3"|4年||rowspan="3"|[[旱魃]]と三合による改元。 |- |[[仲恭天皇]] |- |rowspan="7"|[[後堀河天皇]] |- ![[貞応]] |じょうおう||承久4年4月13日<br>(1222年5月25日)||貞応3年[[11月20日 (旧暦)|11月20日]]<br>([[1224年]]12月31日)||3年||後堀河天皇践祚による改元。 |- ![[元仁]] |げんにん||貞応3年11月20日<br>(1224年12月31日)||元仁2年4月20日<br>([[1225年]][[5月28日]])||2年||天変炎旱による改元。 |- ![[嘉禄]] |かろく||元仁2年4月20日<br>(1225年5月28日)||嘉禄3年[[12月10日 (旧暦)|12月10日]]<br>([[1228年]]1月18日)||3年||改元の理由は「[[嘉禄]]」の項目を参照。 |- ![[安貞]] |あんてい||嘉禄3年12月10日<br>(1228年1月18日)||安貞3年[[3月5日 (旧暦)|3月5日]]<br>([[1229年]][[3月31日]])||3年||天変が相次いだため、また、三合や疱瘡の流行による改元。 |- ![[寛喜]] |かんぎ||安貞3年3月5日<br>(1229年3月31日)||寛喜4年[[4月2日 (旧暦)|4月2日]]<br>([[1232年]]4月23日)||4年||[[天災]]、[[飢饉]]による改元。 |- !rowspan="2"|[[貞永]] |rowspan="2"|じょうえい||rowspan="2"|寛喜4年4月2日<br>(1232年4月23日)||rowspan="2"|貞永2年4月15日<br>([[1233年]]5月25日)||rowspan="2"|2年||rowspan="2"|? |- |rowspan="7"|[[四条天皇]] |- ![[天福 (日本)|天福]] |てんぷく||貞永2年4月15日<br>(1233年5月25日)||天福2年[[11月5日 (旧暦)|11月5日]]<br>([[1234年]][[11月27日]])||2年||? |- ![[文暦]] |ぶんりゃく||天福2年11月5日<br>(1234年11月27日)||文暦2年9月19日<br>([[1235年]][[11月1日]])||2年||天変地震による改元。 |- ![[嘉禎]] |かてい||文暦2年9月19日<br>(1235年11月1日)||嘉禎4年[[11月23日 (旧暦)|11月23日]]<br>([[1238年]][[12月30日]])||4年||地震頻発による改元。 |- ![[暦仁]] |りゃくにん||嘉禎4年11月23日<br>(1238年12月30日)||暦仁2年2月7日<br>([[1239年]][[3月13日]])||2年||天変による改元。 |- ![[延応]] |えんおう||暦仁2年2月7日<br>(1239年3月13日)||延応2年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]<br>([[1240年]][[8月5日]])||2年||天変や地震による改元。 |- !rowspan="2"|[[仁治]] |rowspan="2"|にんじ||rowspan="2"|延応2年7月16日<br>(1240年8月5日)||rowspan="2"|仁治4年[[2月26日 (旧暦)|2月26日]]<br>([[1243年]][[3月18日]])||rowspan="2"|4年||rowspan="2"|[[彗星]]、地震、旱魃などによる改元。 |- |rowspan="2"|[[後嵯峨天皇]] |- !rowspan="2"|[[寛元]] |rowspan="2"|かんげん||rowspan="2"|仁治4年2月26日<br>(1243年3月18日)||rowspan="2"|寛元5年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]<br>([[1247年]][[4月5日]])||rowspan="2"|5年||rowspan="2"|後嵯峨天皇践祚による改元。 |- |rowspan="6"|[[後深草天皇]] |- ![[宝治]] |ほうじ||寛元5年2月28日<br>(1247年4月5日)||宝治3年[[3月18日 (旧暦)|3月18日]]<br>([[1249年]][[5月2日]])||3年||後深草天皇践祚による改元。 |- ![[建長]] |けんちょう||宝治3年3月18日<br>(1249年5月2日)||建長8年[[10月5日 (旧暦)|10月5日]]<br>([[1256年]][[10月24日]])||8年||天変や火災による改元。 |- ![[康元]] |こうげん||建長8年10月5日<br>(1256年10月24日)||康元2年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]<br>([[1257年]]3月31日)||2年||赤斑瘡による改元とみられている。 |- ![[正嘉]] |しょうか||康元2年3月14日<br>(1257年3月31日)||正嘉3年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]]<br>([[1259年]][[4月20日]])||3年||[[太政官庁]]などの施設の焼失が相次いだことによる改元。 |- !rowspan="2"|[[正元 (日本)|正元]] |rowspan="2"|しょうげん||rowspan="2"|正嘉3年3月26日<br>(1259年4月20日)||rowspan="2"|正元2年4月13日<br>([[1260年]][[5月24日]])||rowspan="2"|2年||rowspan="2"|? |- |rowspan="4"|[[亀山天皇]] |- ![[文応]] |ぶんおう||正元2年4月13日<br>(1260年5月24日)||文応2年2月20日<br>([[1261年]]3月22日)||2年||亀山天皇践祚による改元。 |- ![[弘長]] |こうちょう||文応2年2月20日<br>(1261年3月22日)||弘長4年2月28日<br>([[1264年]][[3月27日]])||4年||辛酉革命による改元。 |- !rowspan="2"|[[文永]] |rowspan="2"|ぶんえい||rowspan="2"|弘長4年2月28日<br>(1264年3月27日)||rowspan="2"|文永12年[[4月25日 (旧暦)|4月25日]]<br>([[1275年]]5月22日)||rowspan="2"|12年||rowspan="2"|甲子革令による改元。 |- |rowspan="3"|[[後宇多天皇]] |- ![[建治]] |けんじ||文永12年4月25日<br>(1275年5月22日)||建治4年[[2月29日 (旧暦)|2月29日]]<br>([[1278年]]3月23日)||4年||? |- !rowspan="2"|[[弘安]] |rowspan="2"|こうあん||rowspan="2"|建治4年2月29日<br>(1278年3月23日)||rowspan="2"|弘安11年4月28日<br>([[1288年]]5月29日)||rowspan="2"|11年||rowspan="2"|疫病による改元とみられている。 |- |rowspan="3"|[[伏見天皇]] |- ![[正応]] |しょうおう||弘安11年4月28日<br>(1288年5月29日)||正応6年8月5日<br>([[1293年]]9月6日)||6年||伏見天皇践祚による改元。 |- !rowspan="2"|[[永仁]] |rowspan="2"|えいにん||rowspan="2"|正応6年8月5日<br>(1293年9月6日)||rowspan="2"|永仁7年4月25日<br>([[1299年]]5月25日)||rowspan="2"|7年||rowspan="2"|天変と[[関東]]の地震による改元。 |- |rowspan="2"|[[後伏見天皇]] |- !rowspan="2"|[[正安]] |rowspan="2"|しょうあん||rowspan="2"|永仁7年4月25日<br>(1299年5月25日)||rowspan="2"|正安4年11月21日<br>([[1302年]][[12月10日]])||rowspan="2"|4年||rowspan="2"|後伏見天皇践祚による改元。 |- |rowspan="4"|[[後二条天皇]] |- ![[乾元 (日本)|乾元]] |けんげん||正安4年11月21日<br>(1302年12月10日)||乾元2年8月5日<br>([[1303年]]9月16日)||2年||後二条天皇践祚による改元。 |- ![[嘉元]] |かげん||乾元2年8月5日<br>(1303年9月16日)||嘉元4年[[12月14日 (旧暦)|12月14日]]<br>([[1307年]]1月18日)||4年||彗星と日照りによる改元。 |- !rowspan="2"|[[徳治]] |rowspan="2"|とくじ||rowspan="2"|嘉元4年12月14日<br>(1307年1月18日)||rowspan="2"|徳治3年[[10月9日 (旧暦)|10月9日]]<br>([[1308年]][[11月22日]])||rowspan="2"|3年||rowspan="2"|天変による改元。 |- |rowspan="5"|[[花園天皇]] |- ![[延慶 (日本)|延慶]] |えんきょう||徳治3年10月9日<br>(1308年11月22日)||延慶4年4月28日<br>([[1311年]][[5月17日]])||4年||花園天皇践祚による改元。 |- ![[応長]] |おうちょう||延慶4年4月28日<br>(1311年5月17日)||応長2年[[3月20日 (旧暦)|3月20日]]<br>([[1312年]][[4月27日]])||2年||[[疫病]]による改元。 |- ![[正和]] |しょうわ||応長2年3月20日<br>(1312年4月27日)||正和6年[[2月3日 (旧暦)|2月3日]]<br>([[1317年]][[3月16日]])||6年||天変地震による改元。 |- !rowspan="2"|[[文保]] |rowspan="2"|ぶんぽう||rowspan="2"|正和6年2月3日<br>(1317年3月16日)||rowspan="2"|文保3年4月28日<br>([[1319年]]5月18日)||rowspan="2"|3年||rowspan="2"|大地震などによる改元。 |- |rowspan="6"|[[後醍醐天皇]] |- ![[元応]] |げんおう||文保3年4月28日<br>(1319年5月18日)||元応3年2月23日<br>([[1321年]]3月22日)||3年||後醍醐天皇践祚による改元。 |- ![[元亨]] |げんこう||元応3年2月23日<br>(1321年3月22日)||元亨4年[[12月9日 (旧暦)|12月9日]]<br>([[1324年]][[12月25日]])||4年||辛酉革命による改元。 |- ![[正中 (元号)|正中]] |しょうちゅう||元亨4年12月9日<br>(1324年12月25日)||正中3年4月26日<br>([[1326年]]5月28日)||3年||甲子革令による改元。 |- ![[嘉暦]] |かりゃく||正中3年4月26日<br>(1326年5月28日)||嘉暦4年8月29日<br>([[1329年]][[9月22日]])||4年||疫病と地震による改元。 |- ![[元徳]] |げんとく||嘉暦4年8月29日<br>(1329年9月22日)|| style="" |[[大覚寺統]]:元徳3年[[8月9日 (旧暦)|8月9日]]<br>([[1331年]][[9月11日]])<br>[[持明院統]]:元徳4年4月28日<br>([[1332年]]5月23日)||style=""|大覚寺統:3年<br>持明院統:4年||疫病による改元。 |- |colspan="7"|<span style="font-size:smaller">元徳3年(1331年)、[[後醍醐天皇]](大覚寺統)の倒幕計画発覚後、天皇は「[[元弘]]」に改元した。<br>しかし、[[鎌倉幕府]]は改元を認めず、「[[元徳]]」を使い続けるとともに[[光厳天皇]](持明院統)を擁立した。</span> |} ==== 大覚寺統 ==== {| class="wikitable" style="width:100%; font-size:90%" !colspan="2" style="width:auto;"|元号名 !colspan="2" style="width:auto;"|期間 !rowspan="2" style="width: 5em;"|年数 !rowspan="2" style="width: 6em;"|天皇名 !rowspan="2" style="width:auto;"|改元理由 |- !style="width: 6em;"|漢字 !style="width: 6em;"|読み !style="width:11em;"|始期 !style="width:11em;"|終期 |- ![[元弘]] |げんこう||元徳3年8月9日<br>(1331年9月11日)||元弘4年1月29日<br>([[1334年]]3月5日)||4年||[[後醍醐天皇]]||? |- |colspan="7"|<span style="font-size:smaller">鎌倉幕府に擁立された光厳天皇は「[[正慶]]」に改元。後醍醐天皇は[[隠岐諸島|隠岐]]に流される。</span> |} ==== 持明院統 ==== {| class="wikitable" style="width:100%; font-size:90%" !colspan="2" style="width:auto;"|元号名 !colspan="2" style="width:auto;"|期間 !rowspan="2" style="width: 5em;"|年数 !rowspan="2" style="width: 6em;"|天皇名 !rowspan="2" style="width:auto;"|改元理由 |- !style="width: 6em;"|漢字 !style="width: 6em;"|読み !style="width:11em;"|始期 !style="width:11em;"|終期 |- !rowspan="2"|[[正慶]] |style=""|しょうけい||rowspan="2"|元徳4年4月28日<br>(1332年5月23日)||rowspan="2"|正慶2年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]]<br>([[1333年]][[7月7日]])||rowspan="2" style=""|2年||rowspan="2" style=""|[[光厳天皇]]||rowspan="2"|光厳天皇践祚による改元。 |- |しょうきょう |- |colspan="7"|<span style="font-size:smaller">配流先の隠岐から帰京した後醍醐天皇は、光厳天皇の即位と「正慶」の元号の無効を宣言。[[親政|天皇親政]]を始めた後醍醐天皇は、「[[建武 (日本)|建武]]」に改元する([[建武の新政]])。</span> |} === 南北朝時代・室町時代 === {| class="wikitable" style="width:100%; font-size:90%" !colspan="2" style="width:auto;"|元号名 !colspan="2" style="width:auto;"|期間 !rowspan="2" style="width: 5em;"|年数 !rowspan="2" style="width: 6em;"|天皇名 !rowspan="2" style="width:auto;"|改元理由 |- !style="width: 6em;"|漢字 !style="width: 6em;"|読み !style="width:11em;"|始期 !style="width:11em;"|終期 |- ![[建武 (日本)|建武]] |style=""|けんむ||元弘4年1月29日<br>(1334年3月5日)||南朝:建武3年2月29日<br>([[1336年]][[4月11日]])<br>北朝:建武5年8月28日<br>([[1338年]][[10月11日]])||style=""|南朝:3年<br />北朝:5年||style=""|[[後醍醐天皇]]||? |- |colspan="7" style="font-size:smaller"|建武の新政(建武政権)は2年足らずで崩壊し、[[足利尊氏]]が離反。建武3年(1336年)に[[後醍醐天皇]]は「延元」に改元した。これに対して尊氏は入京して[[光明天皇]]を擁立し、「建武」の元号を使い続ける。後醍醐天皇は一旦和睦したものの再び京を脱出して[[吉野行宮|吉野]]へ逃れ、[[南朝 (日本)|吉野朝廷(南朝)]]が成立した。 |} ==== 南朝(大覚寺統) ==== * [[建徳]]以降の元号は改元史料を欠き、正確な始期を明らかにし難い。[[文中]]を除いて、『[[続史愚抄]]』『[[南朝公卿補任]]』以来の通説を掲げる。 {| class="wikitable" style="width:100%; font-size:90%" !colspan="2" style="width:auto;"|元号名 !colspan="2" style="width:auto;"|期間 !rowspan="2" style="width: 5em;"|年数 !rowspan="2" style="width: 6em;"|天皇名 !rowspan="2" style="width:auto;"|改元理由 |- !style="width: 6em;"|漢字 !style="width: 6em;"|読み !style="width:11em;"|始期 !style="width:11em;"|終期 |- !rowspan="2"|[[延元]] |rowspan="2"|えんげん||rowspan="2"|建武3年2月29日<br>(1336年4月11日)||rowspan="2"|延元5年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]<br>([[1340年]][[5月25日]])||rowspan="2"|5年||style=""|[[後醍醐天皇]]||rowspan="2"|[[建武の乱]]による改元。 |- |rowspan="3"|[[後村上天皇]] |- ![[興国]] |こうこく||延元5年4月28日<br>(1340年5月25日)||興国7年[[12月8日 (旧暦)|12月8日]]<br>([[1347年]][[1月20日]])||7年|| 後村上天皇践祚による改元とみられている。<br />また[[神武天皇即位紀元]]2000年を記念したものか<!--林屋辰三郎の説-->。 |- !rowspan="2"|[[正平 (日本)|正平]] |rowspan="2"|しょうへい||rowspan="2"|興国7年12月8日{{efn|『[[七巻冊子]]』は[[4月 (旧暦)|4月]]、『[[南朝編年記略]]』『[[南朝公卿補任]]』は[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]([[8月11日]])、『続史愚抄』は[[7月4日 (旧暦)|7月4日]]([[7月22日]])とするが、全て誤り。}}<br>(1347年1月20日)||rowspan="2"|正平25年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]<br>([[1370年]][[8月16日]])||rowspan="2" style=""|25年||rowspan="2"| 天変や兵革による改元か。 |- |rowspan="5"|[[長慶天皇]] |- ![[建徳]] |けんとく||style=""|正平25年7月24日{{efn|鴨脚本『[[皇代記]]』は[[4月22日 (旧暦)|4月22日]]([[5月17日]])、『[[伊勢之巻]]』は[[1月21日 (旧暦)|1月21日]]([[2月17日 (旧暦)|2月17日]])とする。}}<br>(1370年8月16日)||建徳3年[[4月 (旧暦)|4月]]<br>([[1372年]][[5月]])||3年|| 長慶天皇践祚による改元とみられている。 |- ![[文中]] |style=""|ぶんちゅう||建徳3年4月{{efn|『南朝編年記略』『[[続史愚抄]]』ともに[[10月4日 (旧暦)|10月4日]]([[10月30日]])とするのは誤り。『七巻冊子』は[[3月22日 (旧暦)|3月22日]]([[4月26日]])とするが、確証を得ない。}}<br>(1372年5月)||文中4年[[5月27日 (旧暦)|5月27日]]<br>([[1375年]][[6月26日]])||4年||災異による改元とみられている。 |- ![[天授 (日本)|天授]] |てんじゅ||文中4年5月27日{{efn|『七巻冊子』は[[2月 (旧暦)|2月]]上旬とする。}}<br>(1375年6月26日)||天授7年[[2月10日 (旧暦)|2月10日]]<br>([[1381年]][[3月6日]])||7年||地震災害による改元か。 |- !rowspan="2"|[[弘和]] |rowspan="2"|こうわ||rowspan="2"|天授7年2月10日{{efn|『南朝編年記略』は[[2月14日 (旧暦)|2月14日]]([[3月10日]])とする。}}<br>(1381年3月6日)||rowspan="2"|弘和4年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]<br>([[1384年]][[5月18日]])||rowspan="2"|4年||rowspan="2"|辛酉革命による改元。 |- |rowspan="2"|[[後亀山天皇]] |- ![[元中]] |げんちゅう||弘和4年4月28日<br>(1384年5月18日)||style=""|元中9年[[10月5日 (旧暦)|閏10月5日]]<br>([[1392年]][[11月19日]])||9年||後亀山天皇践祚および甲子革令による改元。 |- |colspan="7"|<span style="font-size:smaller">元中9年(1392年)、後亀山天皇が退位して南北朝合一が成った([[明徳の和約]])。元号は「明徳」に統一された。</span> |} ==== 北朝(持明院統) ==== {| class="wikitable" style="width:100%; font-size:90%" !colspan="2" style="width:auto;"|元号名 !colspan="2" style="width:auto;"|期間 !rowspan="2" style="width: 5em;"|年数 !rowspan="2" style="width: 6em;"|天皇名 !rowspan="2" style="width:auto;"|改元理由 |- !style="width: 6em;"|漢字 !style="width: 6em;"|読み !style="width:11em;"|始期 !style="width:11em;"|終期 |- |colspan="7"|<span style="font-size:smaller">「延元」への改元・南朝成立後も、[[北朝 (日本)|北朝]]・足利方では引き続き「建武」の元号を使用した。</span> |- !rowspan="2"|[[暦応]] |りゃくおう||rowspan="2"|建武5年8月28日<br>(1338年10月11日)||rowspan="2"|暦応5年4月27日<br>([[1342年]]6月1日)||rowspan="2"|5年||rowspan="4"|[[光明天皇]]||rowspan="2"|? |- |れきおう |- ![[康永]] |こうえい||暦応5年4月27日<br>(1342年6月1日)||康永4年[[10月21日 (旧暦)|10月21日]]<br>([[1345年]][[11月15日]])||4年||天変や疫病による改元。 |- !rowspan="2"|[[貞和]] |じょうわ||rowspan="2"|康永4年10月21日<br>(1345年11月15日)||rowspan="2"|貞和6年[[2月27日 (旧暦)|2月27日]]<br>([[1350年]][[4月4日]])||rowspan="2"|6年||rowspan="2"|天変や疫病による改元。 |- |ていわ||rowspan="3"|[[崇光天皇]] |- !rowspan="2"|[[観応]] |かんのう||rowspan="2"|貞和6年2月27日<br>(1350年4月4日)||rowspan="2"|観応3年[[9月27日 (旧暦)|9月27日]]<br>([[1352年]][[11月4日]])||rowspan="2"|3年||rowspan="2"|崇光天皇践祚による改元。 |- |かんおう |- !rowspan="2"|[[文和]] |ぶんな||rowspan="2"|観応3年9月27日<br>(1352年11月4日)||rowspan="2"|文和5年[[3月28日 (旧暦)|3月28日]]<br>([[1356年]][[4月29日]])||rowspan="2"|5年||rowspan="7"|[[後光厳天皇]]||rowspan="2"|後光厳天皇践祚による改元。 |- |ぶんわ |- ![[延文]] |えんぶん||文和5年3月28日<br>(1356年4月29日)||延文6年3月29日<br>([[1361年]]5月4日)||6年||兵革による改元。 |- ![[康安]] |こうあん||延文6年3月29日<br>(1361年5月4日)||康安2年[[9月23日 (旧暦)|9月23日]]<br>([[1362年]]10月11日)||2年||? |- !rowspan="2"|[[貞治]] |じょうじ||rowspan="2"|康安2年9月23日<br>(1362年10月11日)||rowspan="2"|貞治7年[[2月18日 (旧暦)|2月18日]]<br>([[1368年]][[3月7日]])||rowspan="2"|7年||rowspan="2"|天変や兵革による改元。 |- |ていじ |- !rowspan="2"|[[応安]] |rowspan="2"|おうあん||rowspan="2"|貞治7年2月18日<br>(1368年3月7日)||rowspan="2"|応安8年2月27日<br>([[1375年]][[3月29日]])||rowspan="2"|8年||rowspan="2"|疫病や天変による改元。 |- |rowspan="4"|[[後円融天皇]] |- ![[永和 (日本)|永和]] |えいわ||応安8年2月27日<br>(1375年3月29日)||永和5年[[3月22日 (旧暦)|3月22日]]<br>([[1379年]][[4月9日]])||5年||後円融天皇践祚による改元。 |- ![[康暦]] |こうりゃく||永和5年3月22日<br>(1379年4月9日)||康暦3年[[2月24日 (旧暦)|2月24日]]<br>([[1381年]]3月20日)||3年||疫病や兵革による改元。 |- !rowspan="2"|[[永徳]] |rowspan="2"|えいとく||rowspan="2"|康暦3年2月24日<br>(1381年3月20日)||rowspan="2"|永徳4年2月27日<br>([[1384年]]3月19日)||rowspan="2"|4年||rowspan="2"|辛酉革命による改元。 |- |rowspan="6"|[[後小松天皇]] |- ![[至徳 (日本)|至徳]] |しとく||永徳4年2月27日<br>(1384年3月19日)||至徳4年8月23日<br>([[1387年]][[10月5日]])||4年||甲子革令による改元。 |- !rowspan="2"|[[嘉慶 (日本)|嘉慶]] |かけい||rowspan="2"|至徳4年8月23日<br>(1387年10月5日)||rowspan="2"|嘉慶3年[[2月9日 (旧暦)|2月9日]]<br>([[1389年]]3月7日)||rowspan="2"|3年||rowspan="2"|疫病による改元。 |- |かきょう |- ![[康応]] |こうおう||嘉慶3年2月9日<br>(1389年3月7日)||康応2年3月26日<br>([[1390年]][[4月12日]])||2年||病事による改元とみられている。 |- ![[明徳]] |めいとく||康応2年3月26日<br>(1390年4月12日)||明徳5年[[7月5日 (旧暦)|7月5日]]<br>([[1394年]][[8月2日]])||5年||天変や兵革による改元。 |- |colspan="7"|<span style = "font-size:smaller">[[長門探題]](後に[[九州探題]])の[[足利直冬]]は九州の広い地域で7年(=観応2年=1351年)まで貞和の元号を用いた。観応の元号は2年の[[正平一統]]によりいったん廃されたが、破談により翌年に復活した。</span> |} ==== 南北朝合一後 ==== {| class="wikitable" style="width:100%; font-size:90%" !colspan="2" style="width:auto;"|元号名 !colspan="2" style="width:auto;"|期間 !rowspan="2" style="width: 5em;"|年数 !rowspan="2" style="width: 6em;"|天皇名 !rowspan="2" style="width:auto;"|改元理由 |- !style="width: 6em;"|漢字 !style="width: 6em;"|読み !style="width:11em;"|始期 !style="width:11em;"|終期 |- !rowspan="2"|[[応永]] |rowspan="2"|おうえい||rowspan="2"|明徳5年7月5日<br>(1394年8月2日)||rowspan="2"|応永35年4月27日<br>([[1428年]]6月10日)||rowspan="2"|35年||[[後小松天皇]]||rowspan="2"|疫病(疱瘡)の流行による改元。 |- |rowspan="2"|[[称光天皇]] |- !rowspan="2"|[[正長]] |rowspan="2"|しょうちょう||rowspan="2"|応永35年4月27日<br>(1428年6月10日)||rowspan="2"|正長2年[[9月5日 (旧暦)|9月5日]]<br>([[1429年]]10月3日)||rowspan="2"|2年||rowspan="2"|称光天皇践祚による改元。 |- |rowspan="9"|[[後花園天皇]] |- ![[永享]] |えいきょう||正長2年9月5日<br>(1429年10月3日)||永享13年[[2月17日 (旧暦)|2月17日]]<br>([[1441年]][[3月10日]])||13年||後花園天皇践祚による改元。 |- ![[嘉吉]] |かきつ||永享13年2月17日<br>(1441年3月10日)||嘉吉4年[[2月5日 (旧暦)|2月5日]]<br>([[1444年]][[2月23日]])||4年||辛酉革命による改元。 |- ![[文安]] |ぶんあん||嘉吉4年2月5日<br>(1444年2月23日)||文安6年7月28日<br>([[1449年]]8月16日)||6年||甲子革令による改元。 |- ![[宝徳]] |ほうとく||文安6年7月28日<br>(1449年8月16日)||宝徳4年7月25日<br>([[1452年]][[8月10日]])||4年||? |- ![[享徳]] |きょうとく||宝徳4年7月25日<br>(1452年8月10日)||享徳4年7月25日<br>([[1455年]]9月6日)||4年||三合の厄を避けるためによる改元。 |- ![[康正]] |こうしょう||享徳4年7月25日<br>(1455年9月6日)||康正3年[[9月28日 (旧暦)|9月28日]]<br>([[1457年]][[10月16日]])||3年||? |- ![[長禄]] |ちょうろく||康正3年9月28日<br>(1457年10月16日)||長禄4年[[12月21日 (旧暦)|12月21日]]<br>([[1461年]]2月1日)||4年||? |- !rowspan="2"|[[寛正]] |rowspan="2"|かんしょう||rowspan="2"|長禄4年12月21日<br>(1461年2月1日)||rowspan="2"|寛正7年2月28日<br>([[1466年]][[3月14日]])||rowspan="2"|7年||rowspan="2"|飢饉による改元。 |- |rowspan="2"|[[後土御門天皇]] |- ![[文正]] |ぶんしょう||寛正7年2月28日<br>(1466年3月14日)||文正2年3月5日<br>([[1467年]]4月9日)||2年||? |- |colspan="7"|<span style = "font-size:smaller">[[鎌倉公方]]の[[足利持氏]]は永享への改元を認めず、正長の元号を4年(=永享3年=1431年)まで用いた。[[古河公方]]の[[足利成氏]]は康正以後の改元を認めず、以後も関東の広い地域において、享徳の元号は27年(=文明10年=1478年)まで用いられた([[享徳の乱]])。</span> |} === 戦国時代 === {| class="wikitable" style="width:100%; font-size:90%" !colspan="2" style="width:auto;"|元号名 !colspan="2" style="width:auto;"|期間 !rowspan="2" style="width: 5em;"|年数 !rowspan="2" style="width: 6em;"|天皇名 !rowspan="2" style="width:auto;"|改元理由 |- !style="width: 6em;"|漢字 !style="width: 6em;"|読み !style="width:11em;"|始期 !style="width:11em;"|終期 |- ![[応仁]] |おうにん||文正2年3月5日<br>(1467年4月9日)||応仁3年4月28日<br>([[1469年]]6月8日)||3年||rowspan="5" style=""|[[後土御門天皇]]||災異による改元。 |- ![[文明 (日本)|文明]] |ぶんめい||応仁3年4月28日<br>(1469年6月8日)||文明19年7月20日<br>([[1487年]][[8月9日]])||style=""|19年||災異による改元。 |- ![[長享]] |style=""|ちょうきょう||文明19年7月20日<br>(1487年8月9日){{efn|ただし改元後も幕府側の準備不足の為、[[8月9日 (旧暦)|8月9日]]([[8月27日]])まで公家も武家も「[[文明 (日本)|文明]]」の年号を使用した。}}||style=""|長享3年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]]<br>([[1489年]]9月16日)||3年||戦乱や疫病などによる改元。 |- ![[延徳]] |えんとく||長享3年8月21日<br>(1489年9月16日)||延徳4年[[7月19日 (旧暦)|7月19日]]<br>([[1492年]]8月12日)||4年||? |- !rowspan="2"|[[明応]] |rowspan="2"|めいおう||rowspan="2" style=""|延徳4年7月19日<br>(1492年8月12日){{efn|ただし[[室町幕府]]は改元[[吉書]]始を[[7月28日 (旧暦)|7月28日]]([[8月21日]])に行い、この日から新元号を採用している。}}||rowspan="2"|明応10年2月29日<br>([[1501年]]3月18日)||rowspan="2"|10年||rowspan="2"|疫病などによる改元。 |- |rowspan="4"|[[後柏原天皇]] |- ![[文亀]] |ぶんき||明応10年2月29日<br>(1501年3月18日)||文亀4年[[2月30日 (旧暦)|2月30日]]<br>([[1504年]]3月16日)||4年||後柏原天皇践祚、および辛酉革命による改元。 |- ![[永正]] |えいしょう||文亀4年2月30日<br>(1504年3月16日)||永正18年8月23日<br>([[1521年]]9月23日)||18年||甲子革令による改元。 |- !rowspan="2"|[[大永]] |rowspan="2"|たいえい||rowspan="2"|永正18年8月23日<br>(1521年9月23日)||rowspan="2"|大永8年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]<br>([[1528年]][[9月3日]])||rowspan="2"|8年||rowspan="2"|戦乱、天変などの災異による改元。 |- |rowspan="4"|[[後奈良天皇]] |- ![[享禄]] |きょうろく||大永8年8月20日<br>(1528年9月3日)||享禄5年[[7月29日 (旧暦)|7月29日]]<br>([[1532年]]8月29日)||5年||後奈良天皇践祚による改元。 |- ![[天文 (元号)|天文]] |てんぶん||享禄5年7月29日<br>(1532年8月29日)||天文24年[[10月23日 (旧暦)|10月23日]]<br>([[1555年]][[11月7日]])||24年||戦乱などの災異による改元。 |- !rowspan="2"|[[弘治 (日本)|弘治]] |rowspan="2"|こうじ||rowspan="2"|天文24年10月23日<br>(1555年11月7日)||rowspan="2"|弘治4年2月28日<br>([[1558年]]3月18日)||rowspan="2"|4年||rowspan="2"|戦乱などの災異による改元。 |- |rowspan="3"|[[正親町天皇]] |- ![[永禄]] |えいろく||弘治4年2月28日<br>(1558年3月18日)||永禄13年4月23日<br>([[1570年]]5月27日)||13年||正親町天皇践祚による改元。 |- ![[元亀]] |げんき||永禄13年4月23日<br>(1570年5月27日)||元亀4年7月28日<br>([[1573年]]8月25日)||4年||戦乱などの災異による改元。 |} === 安土桃山時代 === {| class="wikitable" style="width:100%; font-size:90%" !colspan="2" style="width:auto;"|元号名 !colspan="2" style="width:auto;"|期間 !rowspan="2" style="width: 5em;"|年数 !rowspan="2" style="width: 6em;"|天皇名 !rowspan="2" style="width:auto;"|改元理由 |- !style="width: 6em;"|漢字 !style="width: 6em;"|読み !style="width:11em;"|始期 !style="width:11em;"|終期 |- !rowspan="2"|[[天正]] |rowspan="2"|てんしょう||rowspan="2"|元亀4年7月28日<br>(1573年8月25日{{efn|ユリウス暦による。グレゴリオ暦では1573年9月4日。}}{{efn|name="seireki"}})||rowspan="2"|天正20年12月8日<br>([[1593年]][[1月10日]]{{efn|[[グレゴリオ暦]]による。[[ユリウス暦]]では1592年12月31日。}}{{efn|name="seireki"}})||rowspan="2"|20年||[[正親町天皇]]||rowspan="2"|戦乱などの災異による改元。 |- |rowspan="3"|[[後陽成天皇]] |- ![[文禄]] |ぶんろく||天正20年12月8日<br>(1593年1月10日)||文禄5年10月27日<br>([[1596年]]12月16日)||5年||後陽成天皇践祚による改元。 |- !rowspan="2"|[[慶長]] |rowspan="2"|けいちょう||rowspan="2"|文禄5年10月27日<br>(1596年12月16日)||rowspan="2"|慶長20年7月13日<br>([[1615年]][[9月5日]])||rowspan="2"|20年||rowspan="2"|[[慶長伏見地震]]など天変地異の災異による改元。 |- |[[後水尾天皇]] |} === 江戸時代 === {| class="wikitable" style="width:100%; font-size:90%" !colspan="2" style="width:auto;"|元号名 !colspan="2" style="width:auto;"|期間 !rowspan="2" style="width: 5em;"|年数 !rowspan="2" style="width: 6em;"|天皇名 !rowspan="2" style="width:auto;"|改元理由 |- !style="width: 6em;"|漢字 !style="width: 6em;"|読み !style="width:11em;"|始期 !style="width:11em;"|終期 |- ![[元和 (日本)|元和]] |げんな||慶長20年7月13日<br>(1615年9月5日)||元和10年2月30日<br>([[1624年]][[4月17日]])||style=""|10年||rowspan="2" style=""|[[後水尾天皇]]||後水尾天皇践祚と戦乱([[大坂の陣]])などの災異による改元。 |- !rowspan="3"|[[寛永]] |rowspan="3"|かんえい||rowspan="3"|元和10年2月30日<br>(1624年4月17日)||rowspan="3"|寛永21年[[12月16日 (旧暦)|12月16日]]<br>([[1645年]][[1月13日]])||rowspan="3"|21年||rowspan="3"|甲子革令による改元。<br>ただし、[[徳川家光]]の[[征夷大将軍]]任命にあたり「将軍代始改元」を改元事由に加えようとした江戸幕府の意向とする説もあり。 |- |[[明正天皇]] |- |rowspan="4"|[[後光明天皇]] |- ![[正保]] |しょうほう||寛永21年12月16日<br>(1645年1月13日)||正保5年2月15日<br>([[1648年]][[4月7日]])||5年||後光明天皇践祚による改元。 |- ![[慶安]] |けいあん||正保5年2月15日<br>(1648年4月7日)||style=""|慶安5年[[9月18日 (旧暦)|9月18日]]<br>([[1652年]]10月20日)||5年||「正保」が「焼亡」に繋がると批判が起きたことによる改元。 |- !rowspan="2"|[[承応]] |rowspan="2"|じょうおう||rowspan="2"|慶安5年9月18日<br>(1652年10月20日)||rowspan="2"|承応4年4月13日<br>([[1655年]]5月18日)||rowspan="2"|4年||rowspan="2"|[[徳川家綱]]将軍就任のためによる改元とみられている。 |- |rowspan="4"|[[後西天皇]] |- ![[明暦]] |めいれき||承応4年4月13日<br>(1655年5月18日)||明暦4年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]<br>([[1658年]][[8月21日]])||4年||後西天皇践祚による改元。<br>ただし、承応2年([[1653年]])の内裏火災による改元予定が後光明天皇崩御によって延期されたとの説もあり。 |- ![[万治]] |まんじ||明暦4年7月23日<br>(1658年8月21日)||万治4年4月25日<br>([[1661年]]5月23日)||4年||江戸の大火([[明暦の大火]])などの災異による改元。 |- !rowspan="2"|[[寛文]] |rowspan="2"|かんぶん||rowspan="2"|万治4年4月25日<br>(1661年5月23日)||rowspan="2"|寛文13年[[9月21日 (旧暦)|9月21日]]<br>([[1673年]][[10月30日]])||rowspan="2"|13年||rowspan="2"|内裏火災などの災異による改元。 |- |rowspan="4"|[[霊元天皇]] |- ![[延宝]] |えんぽう||寛文13年9月21日<br>(1673年10月30日)||延宝9年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]]<br>([[1681年]][[11月9日]])||9年||京都大火などの災異による改元。 |- ![[天和 (日本)|天和]] |てんな||延宝9年9月29日<br>(1681年11月9日)||天和4年2月21日<br>([[1684年]]4月5日)||4年||辛酉革命による改元。 |- !rowspan="2"|[[貞享]] |rowspan="2" style=""|じょうきょう||rowspan="2"|天和4年2月21日<br>(1684年4月5日)||rowspan="2"|貞享5年[[9月30日 (旧暦)|9月30日]]<br>([[1688年]]10月23日)||rowspan="2"|5年||rowspan="2"|甲子革令による改元。 |- |rowspan="3"|[[東山天皇]] |- ![[元禄]] |げんろく||貞享5年9月30日<br>(1688年10月23日)||元禄17年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]<br>([[1704年]][[4月16日]])||17年||東山天皇践祚による改元。 |- !rowspan="2"|[[宝永]] |rowspan="2"|ほうえい||rowspan="2"|元禄17年3月13日<br>(1704年4月16日)||rowspan="2"|宝永8年4月25日<br>([[1711年]][[6月11日]])||rowspan="2"|8年||rowspan="2"|[[元禄地震]]による改元。 |- |rowspan="3"|[[中御門天皇]] |- ![[正徳 (日本)|正徳]] |しょうとく||宝永8年4月25日<br>(1711年6月11日)||正徳6年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]<br>([[1716年]]8月9日)||6年||中御門天皇践祚による改元。 |- !rowspan="2"|[[享保]] |rowspan="2"|きょうほう||rowspan="2"|正徳6年6月22日<br>(1716年8月9日)||rowspan="2"|享保21年4月28日<br>([[1736年]][[6月7日]])||rowspan="2"|21年||rowspan="2"|[[徳川家継]]死去による改元。 |- |rowspan="4"|[[桜町天皇]] |- ![[元文]] |げんぶん||享保21年4月28日<br>(1736年6月7日)||元文6年2月27日<br>([[1741年]]4月12日)||6年||桜町天皇践祚による改元。 |- ![[寛保]] |かんぽう||元文6年2月27日<br>(1741年4月12日)||寛保4年2月21日<br>([[1744年]][[4月3日]])||4年||辛酉革命による改元。 |- !rowspan="2"|[[延享]] |rowspan="2"|えんきょう||rowspan="2"|寛保4年2月21日<br>(1744年4月3日)||rowspan="2"|延享5年[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]<br>([[1748年]]8月5日)||rowspan="2"|5年||rowspan="2"|甲子革令による改元。 |- |rowspan="3"|[[桃園天皇]] |- ![[寛延]] |かんえん||延享5年7月12日<br>(1748年8月5日)||寛延4年10月27日<br>([[1751年]][[12月14日]])||4年||桃園天皇践祚による改元。 |- !rowspan="2"|[[宝暦]] |rowspan="2"|ほうれき||rowspan="2"|寛延4年10月27日<br>(1751年12月14日)||rowspan="2"|宝暦14年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]<br>([[1764年]][[6月30日]])||rowspan="2"|14年||rowspan="2"|桜町上皇[[崩御]]と[[徳川吉宗]]死去、その間に発生した地震のための改元とみられている。 |- |rowspan="2"|[[後桜町天皇]] |- !rowspan="2"|[[明和]] |rowspan="2"|めいわ||rowspan="2" style=""|宝暦14年6月2日<br>(1764年6月30日){{efn|当初[[1月28日 (旧暦)|1月28日]]([[2月29日]])改元の予定であったが、朝鮮通信使の来日中の改元は事務上の問題に加えて外聞の問題も生じるとして4ヶ月延期された。}}||rowspan="2"|明和9年[[11月16日 (旧暦)|11月16日]]<br>([[1772年]]12月10日)||rowspan="2"|9年||rowspan="2"|後桜町天皇践祚による改元。 |- |rowspan="2"|[[後桃園天皇]] |- !rowspan="2"|[[安永 (元号)|安永]] |rowspan="2"|あんえい||rowspan="2"|明和9年11月16日<br>(1772年12月10日)||rowspan="2"|安永10年4月2日<br>([[1781年]]4月25日)||rowspan="2"|10年||rowspan="2"|後桃園天皇践祚と、続いて起こった火事風水害が「明和九年(めいわくねん)」すなわち「迷惑年」によるとされたことによる改元。 |- |rowspan="5"|[[光格天皇]] |- ![[天明]] |てんめい||安永10年4月2日<br>(1781年4月25日)||天明9年[[1月25日 (旧暦)|1月25日]]<br>([[1789年]][[2月19日]])||9年||光格天皇践祚による改元。 |- ![[寛政]] |かんせい||天明9年1月25日<br>(1789年2月19日)||寛政13年2月5日<br>([[1801年]]3月19日)||13年||内裏炎上などの災異による改元。 |- ![[享和]] |きょうわ||寛政13年2月5日<br>(1801年3月19日)||享和4年[[2月11日 (旧暦)|2月11日]]<br>([[1804年]]3月22日)||4年||辛酉革命による改元。 |- !rowspan="2"|[[文化 (元号)|文化]] |rowspan="2"|ぶんか||rowspan="2"|享和4年2月11日<br>(1804年3月22日)||rowspan="2"|文化15年4月22日<br>([[1818年]][[5月26日]])||rowspan="2"|15年||rowspan="2"|甲子革令による改元。 |- |rowspan="4"|[[仁孝天皇]] |- ![[文政]] |ぶんせい||文化15年4月22日<br>(1818年5月26日)||文政13年12月10日<br>([[1831年]]1月23日)||13年||仁孝天皇践祚による改元。 |- ![[天保]] |てんぽう||文政13年12月10日<br>(1831年1月23日)||天保15年[[12月2日 (旧暦)|12月2日]]<br>([[1845年]][[1月9日]])||15年||江戸の大火や京都の地震などによる災異改元。 |- !rowspan="2"|[[弘化]] |rowspan="2"|こうか||rowspan="2"|天保15年12月2日<br>(1845年1月9日)||rowspan="2"|弘化5年2月28日<br>([[1848年]][[4月1日]])||rowspan="2"|5年||rowspan="2"|[[江戸城]]火災などの災異による改元。 |- |rowspan="7"|[[孝明天皇]] |- ![[嘉永]] |かえい||弘化5年2月28日<br>(1848年4月1日)||嘉永7年[[11月27日 (旧暦)|11月27日]]<br>([[1855年]][[1月15日]])||7年||孝明天皇践祚による改元。 |- ![[安政]] |あんせい||嘉永7年11月27日<br>(1855年1月15日)||安政7年3月18日<br>([[1860年]][[4月8日]])||7年||内裏炎上、地震([[安政の大地震]])、[[黒船来航]]などの災異による改元。 |- ![[万延]] |まんえん||安政7年3月18日<br>(1860年4月8日)||万延2年[[2月19日 (旧暦)|2月19日]]<br>([[1861年]]3月29日)||2年||江戸城火災や[[桜田門外の変]]などの災異による改元。 |- ![[文久]] |ぶんきゅう||万延2年2月19日<br>(1861年3月29日)||文久4年2月20日<br>([[1864年]]3月27日)||4年||辛酉革命による改元。 |- ![[元治]] |げんじ||文久4年2月20日<br>(1864年3月27日)||元治2年4月7日<br>([[1865年]][[5月1日]])||2年||甲子革令による改元。 |- !rowspan="2"|[[慶応]] |rowspan="2"|けいおう||rowspan="2"|元治2年4月7日<br>(1865年5月1日)||rowspan="2"|慶応4年[[9月8日 (旧暦)|9月8日]]<br>([[1868年]]10月23日)||rowspan="2"|4年||rowspan="2"|[[禁門の変]]や社会不安などの災異による改元。 |- |[[明治天皇]] |} === 明治以降 === 明治以降の元号は、天皇一代につき元号を一つ制定する制度([[一世一元の制#日本|一世一元の制]])に基づいている。 ==== 一世一元の詔下 ==== 慶応4年([[1868年]])を改めて[[明治元年]]とする[[一世一元の詔]]によって制定された元号は次のとおり。 {| class="wikitable" style="width:100%; font-size:90%" !rowspan="2" |元号名<br />(読み) !colspan="2" |公式 !colspan="2" |改元当時 !rowspan="2" |最終年 !rowspan="2" |在位年日数 !rowspan="2" |天皇名 |- !初日!!最終日!!初日!!最終日 |- style="text-align: center; border-top: solid 3px green;" | '''[[明治]]'''<br />(めいじ) | 明治元年1月1日<br />([[1868年]][[1月25日]]) | 明治45年([[1912年]])<br />[[7月29日]] | 明治元年[[9月8日 (旧暦)]]<br />(1868年10月23日) | 明治45年(1912年)<br />[[7月30日]]{{efn|name="taisho"|明治天皇の崩御当日に[[改元]]の詔書(明治四十五年七月三十日以後ヲ改メテ大正元年ト為ス)を発した。同日は、「明治45年」であったが、「大正元年」に改められた。}} | 45年 | {{Age in years and days|1868|1|24|1912|7|29|to=none}} | [[明治天皇]] |- | colspan="9"| [[一世一元の詔]]発布による改元。 |} ==== 登極令下 ==== [[1909年]](明治42年)に公布された[[登極令]]に基づく改元は次のとおり。なお、同令は[[1947年]](昭和22年)に廃止された。 {| class="wikitable" style="width:100%; font-size:90%" !rowspan="2" |元号名<br />(読み) !colspan="2" |公式 !colspan="2" |改元当時 !rowspan="2" |最終年 !rowspan="2" |在位年日数 !rowspan="2" |天皇名 |- !初日!!最終日!!初日!!最終日 |- style="text-align: center; border-top: solid 3px green;" | '''[[大正]]'''<br />(たいしょう) | 大正元年(1912年)<br />7月30日 | 大正15年([[1926年]])<br />[[12月24日]] | 大正元年(1912年)<br />7月30日{{efn|name="taisho"}} | 大正15年(1926年)<br />[[12月25日]]{{efn|name="showa"|大正天皇の崩御当日に改元の詔書(大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ昭和元年ト為ス)を発した。同日は、「大正15年」であったが、「昭和元年」に改められた。}} | 15年 | {{age in years and days|1912|7|29|1926|12|24|to=none}} | [[大正天皇]] |- | colspan="9"| 明治天皇の[[崩御]]に伴う[[皇太子]]嘉仁[[親王]](大正天皇)の践祚(皇位継承)により、[[登極令]]に基づき改元。 |- style="text-align: center; border-top: solid 3px green;" | '''[[昭和]]'''<br />(しょうわ) | 昭和元年(1926年)<br />12月25日 | 昭和64年([[1989年]])<br />[[1月7日]] | 昭和元年(1926年)<br />12月25日{{efn|name="showa"}} | 昭和64年(1989年)<br />1月7日{{efn|name="heisei"|[[1947年]](昭和22年)[[5月3日]]の[[日本国憲法]]・現[[皇室典範]]施行から[[1979年]](昭和54年)[[6月12日]]の[[元号法]]公布までの間、元号の法的根拠は消失していた。1989年(昭和64年)1月7日、元号法に基づいて[[竹下内閣 (改造)|竹下内閣]]が[[s:元号を改める政令 (昭和六十四年政令第一号)|元号を改める政令(昭和64年政令第1号)]]を定め、翌日から施行された。}} | 64年 |{{age in years and days|1926|12|24|1989|1|7|to=none}} | [[昭和天皇]] |- style="border-bottom: solid 3px green;" | colspan="9"| 大正天皇の崩御に伴う[[摂政宮]](皇太子)裕仁親王(昭和天皇)の践祚(皇位継承)により、登極令に基づき改元。 |} ==== 元号法下 ==== [[1979年]](昭和54年)に成立、施行された[[元号法]]に基づく改元は次のとおり。 {| class="wikitable" style="width:100%; font-size:90%" !rowspan="2"|元号名<br />(読み) !colspan="2"|公式 !colspan="2"|改元当時 !rowspan="2"|最終年 !rowspan="2"|在位年日数 !rowspan="2"|天皇名 |- !初日!!最終日!!初日!!最終日 |- style="text-align:center; border-top:solid 3px green" |'''[[平成]]'''<br />(へいせい) |平成元年([[1989年]])<br />[[1月8日]] |平成31年([[2019年]])<br />[[4月30日]]{{Efn|name="Emperor Change"|「[[s:元号を改める政令 (平成三十一年政令第百四十三号)|元号を改める政令(平成31年政令第143号)]]」の規定によるもの。}} |平成元年(1989年)<br />1月8日{{Efn|name="heisei"}} |平成31年(2019年)<br />4月30日 |31年 |{{age in years and days|1989|1|7|2019|4|30|to=none}} |[[明仁]]<br />([[上皇 (天皇退位特例法)|上皇]]) |- |colspan="9"|[[皇室典範]]の規定に従い、[[昭和天皇]]の崩御に伴う皇太子明仁親王の即位([[皇位継承]])により、[[元号法]]並びに[[元号を改める政令 (昭和六十四年政令第一号)|元号を改める政令]](昭和64年政令第1号)に基づいて改元。 |- style="text-align:center; border-top:solid 3px green" |'''[[令和]]'''<br />(れいわ) |令和元年(2019年)<br />[[5月1日]]{{Efn|name="Emperor Change"}} |令和{{#expr:{{#time:Y|+9 hours}}-2018}}年([[{{#time:Y|+9 hours}}年]])<br />[[{{#time:n|+9 hours}}月{{#time:j|+9 hours}}日]]〜 |令和元年(2019年)<br />5月1日 |令和{{#expr:{{#time:Y|+9 hours}}-2018}}年([[{{#time:Y|+9 hours}}年]])<br />[[{{#time:n|+9 hours}}月{{#time:j|+9 hours}}日]]〜 |{{#expr:{{#time:Y|+9 hours}}-2018}}年 |{{age in years and days|2019|4|30|to=none}} |'''[[徳仁]]'''<br />(今上天皇) |- style="border-bottom:solid 3px green" |colspan="9"|[[天皇の退位等に関する皇室典範特例法]]の施行による、明仁から皇太子徳仁親王への[[譲位]]に伴い、元号法並びに[[元号を改める政令 (平成三十一年政令第百四十三号)|元号を改める政令]](平成31年政令第143号)に基づいて改元。 |} <!-- すぐ上に同様のことが記載されているため、下記のテンプレートは不要。 ==現在の元号== {{現在の元号}} --> == 中央政府以外の元号 == * [[私年号]] == 符号位置(明治から令和まで) == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|13182|337E|1-13-77|明治}} {{CharCode|13181|337D|1-13-78|大正}} {{CharCode|13180|337C|1-13-79|昭和}} {{CharCode|13179|337B|1-13-63|平成}} {{CharCode|13055|32FF|-|令和}} |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} <!--=== 出典 === {{Reflist}}--> == 外部リンク == {{ウィキプロジェクトリンク|紀年法}} * [https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/era 元号一覧] - [[国立公文書館]] デジタルアーカイブ {{日本の元号}} {{Chronology}} {{日本関連の項目}} {{デフォルトソート:けんこういちらん にほん}} [[Category:日本の時間|けんこう]] [[Category:日本の元号|*いちらん]] [[Category:日本史の一覧]]
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アルセーヌ・ルパン
アルセーヌ・ルパン(仏: Arsène Lupin)は、フランスの小説家モーリス・ルブランが発表した推理小説・冒険小説「アルセーヌ・ルパンシリーズ」の主人公である怪盗、およびシリーズの総称。日本では慣例としてルパンと訳されているが発音としては「リュパン」が元音に近い。20世紀初頭の翻訳では「リュパン」と表記されている物もある。 アルセーヌ・ルパンシリーズは、1905年から四半世紀以上にわたって執筆された、フランスの人気小説にしてルブランの代表作である。前期の作品では神出鬼没の「怪盗紳士アルセーヌ・ルパン」の話がメインだが、中盤は「ドン・ルイス・ペレンナ」の愛国冒険もの、後期は「探偵ジム・バーネット」などの探偵もの、本名「ラウール」の名を用いた恋愛冒険ものになるなど、バリエーションが豊かで前期の作品と後期の作品ではそれぞれ趣きも異なる。 紳士にして、冒険家。変装の名人でいくつもの変名を持つ。貴族の城館や資本家の邸宅などを襲い宝石や美術品、貴重な家具などを盗んでいく大胆不敵な大泥棒。また、脱獄の名人でもある。 一方、善良な者を助ける義賊の性格もあわせ持っており、虐げられた婦人や子供にとっては頼もしい保護者となる。 多くの女性に惚れ、また彼も多くの女性を虜にしているが、作中に描写される限りでは浮気はしていない。しかし、彼と深い仲となった女性の多くは様々な事情で短命であったため、結果的に多くの女性と恋愛をしている。 親日家であり、ルブランが執筆した当時、欧米ではあまり普及していなかった柔道などの武術を心得ている。また、『怪盗紳士ルパン』(第4話「謎の旅行者」)では日本には絶対に行ってみたいとも話しており、日本を「古い古い神秘の国」と評している。 なお、作者ルブランといつ頃知り合って伝記作家に任じたのかは不明。ルブラン本人は短編集『怪盗紳士ルパン』の第6話「ハートの7」で作中に初登場する。ルパンがルブランに自らの生い立ちと常習窃盗犯になったきっかけである第5話「王妃の首飾り」を語るのはこの後のことで、作品は時系列順ではない。 変装はルパンの代名詞の一つであるが、原作のルパンの変装は、アニメなどで表現される顔全体にマスクをかぶるようなものではない。その多くはメーキャップや服装を変える程度で、せいぜい「パラフィンの皮下注射で皮膚を膨らませる」「科学的な薬品で鬚や髪の毛を伸ばし、声を変える」「ダイエットをする」「アトロピンを点眼する」程度である(以上、「ルパンの脱獄」より)。それよりもルパンが重視するのは、しぐさや歩き方、表情や話し方などを変えるといった、突出した観察力から生まれる「俳優としてのスキル」である。 またルパンの服装のイメージとして、「シルクハットと夜会服にモノクル (片眼鏡)」というものがある。が、意外にも原作の本文中にはそういう描写はまったくない。このイメージは、ラフィット社からルパンの単行本が初めて出た時に、表紙などのイラストがこのスタイルで描かれたことが原因で広まったらしい。このあたりの事情は、シャーロック・ホームズにおける「インバネス・コートに鹿撃ち帽」のイメージ流布のケースと同様である。 ※ラジオドラマ「ペギー、新アルセーヌ・ルパンと出会う」はミステリ研究家のフランシス・ラカサンによって未知のルパン譚として存在が公表されたものだが、その後の他の研究者によってそれが既知の短編のラジオドラマ化シリーズの一編であり、他二編が「アルセーヌ・ルパンの逮捕」「エメラルドの指輪」など既に知られた作品である事、また、当時の出版物などの記述から、単に「ネリー、アルセーヌ・ルパンと再会す」の誤植である事が明らかにされた。 ※「ルパン最後の事件(アルセーヌ・ルパンの数十億)」は、単行本化のときに連載中の一章が欠如した状態で出版されており、また、息子のクロード・ルブランがこの作品の復刊自体を拒んだ事から、モーリス・ルブランの著作権保護期間が満了する2011年以降まで完全版が出版された事がなかった。本作は1982年に偕成社・榊原晃三訳版が出版されているが、該当箇所が欠如した訳となっている。なお、2003年韓国で出版されたアルセーヌ・ルパン全集では、欠如部分を補ったものになっている。 ※「ルパン最後の恋」は、近年、ルブランの伝記を記したジャック・ドゥルアールの調査によってそのタイプ原稿が発見され、フランス本国では2012年5月、日本では同年9月に刊行された。 (参考「戯曲アルセーヌ・ルパン」住田忠久による解説) ルパン譚は主に冒険小説として見られ、ともすれば荒唐無稽とすら取られるが、作中で使われているトリックは後のミステリ小説でも何度も形を変えて使われ続けている。 特に短編には推理小説として本格的なものも多く、『八点鐘』収録の「水びん」のトリックや「テレーズとジェルメーヌ」の密室トリック、「雪の上の足跡」の足跡トリックなどは、ミステリ・アンソロジーにも何度も収録されている。第1話の「ルパン逮捕される」からして、叙述トリックやクローズド・サークルものの元祖の一つとも言える。また、「奇巌城」や「太陽のたわむれ」などのように、暗号を扱った作品も多い。 推理作家であり、推理小説評論家としても名高いエラリー・クイーンは、「クイーンの定員」と呼ばれる古今東西の推理小説選(1845年から1967年の作品を対象としている)で、ルパンシリーズより『怪盗紳士ルパン』と『八点鐘』を取り上げ、特に『八点鐘』については、「ほとんどすべての批評家から、探偵ルパンの最良の見本をいくつか含んだ事件と折り紙をつけられた短編集」と非常に高い評価をしている。 上記のミステリとしての評価とは逆に、冒険・伝奇ロマンとしてのルパンを積極的に評価する立場もある。特に、ルパン・シリーズを通読すると、ルブランの歴史趣味を多分に感じる事ができる。「女王の首飾り」では有名な首飾り事件が密接に絡み、「奇岩城」では鉄仮面、マリー・アントワネットやフランス革命ばかりかカエサルやシャルルマーニュにまで言及されている。「カリオストロ伯爵夫人」ジョゼフィーヌ・バルサモは、詐欺師であり怪人物として知られるカリオストロ伯爵ジュゼッペ・バルサモの娘として設定され、その作中では、シャルル7世の愛妾であったアニェス・ソレルの故事にも触れられている。 その他上記の類の例は、短編から「813」などの長編まで、枚挙に暇がない。また「三十棺桶島」では、ブルターニュ地方を舞台にしたケルトの土俗、ドルメン、ドルイド僧などの伝奇ロマンとしての雰囲気作りがおどろおどろしく、ルパン作品の翻案も手がけた横溝正史の「獄門島」、「八つ墓村」などへの影響が感じられる。 ルブランはポーやコナン・ドイル、ルルーと同じくミステリ作家の元祖であるのと同時に、もしくはそれ以上に、「三銃士」「鉄仮面」「モンテ・クリスト伯」などを著わしたアレクサンドル・デュマの系譜の作家(ロマン・フュトン作家)の末裔であるともみられるのである。 過去の歴史的事件だけでなく、ルパン譚は当時起こった歴史的事件とも大きく関わっている。「アンベール夫人の金庫」は当時実際に起こった詐欺事件、「水晶の栓」では当時フランス政界で起こったパナマ運河疑獄事件がモチーフになっている。また、「813」「オルヌカン城の謎」「金三角」「三十棺桶島」「虎の牙」の一連の流れでは、当時の世界史上の一大事件であった第一次世界大戦が大きな舞台となっており、作中でルパンが征服しフランスに譲渡したモーリタニアは、この時期にフランスが獲得したアフリカにおける植民地の一つである。また、普仏戦争でドイツ領となっていたアルザス=ロレーヌ地方についてルパンが、第一次世界大戦の勝利によってフランスに戻ってくることを喜ぶ描写もある。 当時最先端の科学技術も現れるや否やすぐさま作品に登場する。第1話「ルパン逮捕される」で重要な役割を担った無線電信は当時実用化されたばかりの最新技術である。遠隔地への通信に電報や伝令を利用することが多いホームズに対し、ルパン作品では電話が頻繁に登場する。辻馬車を愛好するホームズに比べルパンは自動車やオートバイを愛用し(これはホームズとの若干の世代差も大きく影響している)、果ては潜水艦(「ハートの7」「奇岩城」「三十棺桶島」)や飛行機まで(「虎の牙」)積極的に利用する。いずれも登場作品の数年前に開発、もしくは実用化が成ったものである。また、キュリー夫妻のラジウム・放射能研究の成果(1903年ノーベル物理学賞受賞)も、作品に取り入れられている(三十棺桶島)。 日本では原題、主人公の名前、本の内容を日本的に翻訳(場合によってはプロットのみを換骨奪胎して翻案)することがあるためだれがいつ初訳したのかは特定することは困難である。 フランス語をあえてカタカナ表記する場合、現在の慣習では「Lupin」は「リュパン」とされることもあるが、それほど外来音になじみのなかった時期に日本に紹介されたこともあって、命名者は不明(一説には上田敏。保篠龍緒説もある)ながら昔から「アルセーヌ・ルパン」として紹介され、親しまれてきた。現在でも、東京創元社他一部を除いて表記としては「アルセーヌ・ルパン」が主流となっている。 訳者、保篠龍緒が以下の通り翻訳した。保篠龍緒はこの後も何度もルパン全集を手がけ、日本のルパン翻訳史において長い間スタンダードの地位を保つ事になる。保篠の日本語題があまりに見事だったため、現在の各社から出ているルパンシリーズの日本語題も保篠訳に倣う事が多い。(『奇巖城』『八点鐘』など) 昭和30年代になり、南洋一郎が児童向けに翻案。また、南は別名「池田宣政」名義でも『アルセーヌ=ルパン全集』全20巻を翻訳している。 また、訳者・詩人の堀口大學が新潮社より以下の通り翻訳。2006年現在においても最も手に入りやすいルパン全集となっている。 偕成社から、複数の訳者により原文に忠実な完訳でシリーズ全作品を網羅した全集が刊行。現在最も完全な全集として版を重ねている。またこの全集には、ルパンシリーズに入らないルブランの他の著作も5冊、「別巻」として組み込まれている。 ルパン生誕100周年を機に、訳者平岡敦が同年フランスで刊行されたルパン全集を底本に早川書房のハヤカワ・ミステリ文庫から新訳を刊行。2005年8月、『カリオストロ伯爵夫人』から、刊行開始。当初は、ルパンシリーズ全21作を、1年に2冊、10年計画で刊行予定で、完訳の文庫版としては最新訳であり、シリーズ全作を網羅する予定であった事から、初の文庫版完訳完全全集になることが期待されていたのだが、順調に刊行されたのは、2005年9月『怪盗紳士ルパン』、2006年5月『奇岩城』までで、4冊目となる『水晶の栓』の刊行は2007年2月にずれ込み、5冊目として『ルパン、最後の恋』が2013年5月に刊行されたが、それ以後の刊行予定はなく全訳計画は中絶された。 訳者、佐佐木茂索が以下のとおり翻訳した。 また昭和34年-昭和35年、石川湧・井上勇らによる東京創元社『アルセーヌ・リュパン全集』全12巻が現在の創元推理文庫版(「怪盗紳士リュパン」「リュパン対ホームズ」「リュパンの告白」「リュパンの冒険」他全18冊)の元となった。(文庫版刊行時の翻訳権の関係から、全集に収録されて居る「813の謎」「八点鐘」「三十棺桶島」「バーネット探偵社」が刊行できなかったため収録されていない。)創元推理文庫では2012年発表のLe Dernier Amour d'Arsène Lupinの翻訳も2013年に「リュパン、最後の恋」として刊行しており、リュパン表記を維持している。 曽根元吉訳『奇巌城』(中央公論社「世界推理名作全集」2。昭和36年。所収)では、アルセーヌ・リュパン表記となっている。(この訳文は「嶋中文庫」で刊行予定だったが同社の蹉跌のため中止となった) 『怪盗紳士ルパン』の中の短篇「遅かりしシャーロック・ホームズ」では、かの名探偵シャーロック・ホームズと対決させたが、コナン・ドイルの厳重な抗議にあったため(という説があるが定かではない。詳細はルパン対ホームズを参照)、ルブランは「遅かりしシャーロック・ホームズ」を含め次の『ルパン対ホームズ』(日本語題)以下一連の作品ではホームズの名前をアナグラムにした「Herlock Sholmès(フランス語の発音エルロック・ショルメ)」という別人にした。またワトスンはウィルソンという別人にした。 原作の漫画化は省略。 アルセーヌ・ルパンの物語を前提として、その子孫を登場させた作品も存在する。作品によっては、初代ルパンも登場する。 シリーズ本編にも、『カリオストロ伯爵夫人』にて誘拐されたジャンが登場しているため、息子の名前を「ジャン」としている作品が多い。 なお、上記の『ルパン三世』にも、ルパンの息子が登場している。 Arsène Lupin contre Arsène Lupin(フランス語版) 設定などは、本作品をふまえていないルパンという名称のみの流用作品。 シアター・ドラマシティ(2007年3月)宙組特別公演、日本青年館(宝塚クリエイティブアーツよりシアター・ドラマシティ公演を録画したDVDが発売されていた) 1987年10月8日~25日PARCO劇場初演 入鹿尊、大西多摩恵、他 2018/1/30[火]> 2/4[日]ウッディシアター中目黒 翻訳・構成・脚色・演出 小林ヒデタケ[イルカ団!] イルカ団! PRESENTS RATATATTAT!×モーリス・ルブランとしてウッディシアター中目黒で上演。 “et Sonia!”は、モーリス・ルブランが書いた唯一の長編戯曲“ARSÈNE LUPIN“(邦題:ルパンの冒険、小説版:消えた宝冠)を翻訳、脚色して日本初上演。 “en Prison!”は、アルセーヌ・ルパンシリーズ第一作“L'ARRESTATION D'ARSÈNE LUPIN”(邦題:アルセーヌ・ルパンの逮捕)と第二作“ARSÈNE LUPIN EN PRISON”(邦題:獄中のアルセーヌ・ルパン)を原作にしたオリジナル脚本。 “et Sonia!” “en Prison!” 2019/1/29[火]> 2/3[日]ウッディシアター中目黒 翻訳・構成・脚色・演出 小林ヒデタケ[イルカ団!] イルカ団! PRESENTS RATATATTAT!×モーリス・ルブランとしてウッディシアター中目黒で上演。 “le RETOUR D'”は“EDITH AU COU DE CYGNE(邦題:白鳥の首のエディス)”、“LE RETOUR D'ARSÈNE LUPIN(邦題:アルセーヌ・ルパンの帰還)”、“LA MORT QUI RÔDE(邦題:うろつく死神)”を原作とし、 “et CLARISSE”は“LE BOUCHON DE CRISTAL(邦題:水晶の栓)”“LA COMTESSE DE CAGLIOSTRO(邦題:カリオストロ伯爵夫人)”を原作としたオリジナル脚本。 “le RETOUR D'” “et CLARISSE” 2020/1/28[火]> 2/2[日]ウッディシアター中目黒 翻訳・構成・脚色・演出 小林ヒデタケ[イルカ団!] イルカ団! PRESENTS RATATATTAT!×モーリス・ルブランとしてウッディシアター中目黒で上演。 “et DEUX SOURIRES”は“LA FEMME AUX DEUX SOURIRES(二つの微笑を持つ女)”と“Le Sept de cœur(ハートの7)”を原作とし、“vs GANIMARD”は“VICTOR,DE LA BRIGADE MONDAINE(特捜班ビクトール)”を原作としたオリジナル脚本。 “et DEUX SOURIRES” “vs GANIMARD” 2021/1/19[火]>1/24[日]ウッディシアター中目黒 翻訳・構成・脚色・演出 小林ヒデタケ[イルカ団!] イルカ団! PRESENTS RATATATTAT!×モーリス・ルブランとしてウッディシアター中目黒で上演。 “LA DAME BLONDE(金髪婦人)”、“LA LAMPJUIVE(ユダヤのランプ)”、“HERLOCK SHOLMÈS ARRIVETROP TARD(おそかりしシャーロック・ホームズ)”三つの作品を原作としたオリジナル脚本。 世界中の名作ミステリーを専門に舞台化、上演していくことをコンセプトに活動しているノサカラボによる朗読劇シリーズ。 2021/12/4[土]> 12/5[日]草月ホール 構成・演出 :野坂実 2022/8/6[土]> 8/7[日]イイノホール 脚本・構成・演出 :野坂実 2023/9/30[土]>10/1[日]日経ホール 構成・脚色・演出:野坂実
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "アルセーヌ・ルパン(仏: Arsène Lupin)は、フランスの小説家モーリス・ルブランが発表した推理小説・冒険小説「アルセーヌ・ルパンシリーズ」の主人公である怪盗、およびシリーズの総称。日本では慣例としてルパンと訳されているが発音としては「リュパン」が元音に近い。20世紀初頭の翻訳では「リュパン」と表記されている物もある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "アルセーヌ・ルパンシリーズは、1905年から四半世紀以上にわたって執筆された、フランスの人気小説にしてルブランの代表作である。前期の作品では神出鬼没の「怪盗紳士アルセーヌ・ルパン」の話がメインだが、中盤は「ドン・ルイス・ペレンナ」の愛国冒険もの、後期は「探偵ジム・バーネット」などの探偵もの、本名「ラウール」の名を用いた恋愛冒険ものになるなど、バリエーションが豊かで前期の作品と後期の作品ではそれぞれ趣きも異なる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "紳士にして、冒険家。変装の名人でいくつもの変名を持つ。貴族の城館や資本家の邸宅などを襲い宝石や美術品、貴重な家具などを盗んでいく大胆不敵な大泥棒。また、脱獄の名人でもある。", "title": "怪盗紳士アルセーヌ・ルパン" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "一方、善良な者を助ける義賊の性格もあわせ持っており、虐げられた婦人や子供にとっては頼もしい保護者となる。", "title": "怪盗紳士アルセーヌ・ルパン" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "多くの女性に惚れ、また彼も多くの女性を虜にしているが、作中に描写される限りでは浮気はしていない。しかし、彼と深い仲となった女性の多くは様々な事情で短命であったため、結果的に多くの女性と恋愛をしている。", "title": "怪盗紳士アルセーヌ・ルパン" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "親日家であり、ルブランが執筆した当時、欧米ではあまり普及していなかった柔道などの武術を心得ている。また、『怪盗紳士ルパン』(第4話「謎の旅行者」)では日本には絶対に行ってみたいとも話しており、日本を「古い古い神秘の国」と評している。", "title": "怪盗紳士アルセーヌ・ルパン" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "なお、作者ルブランといつ頃知り合って伝記作家に任じたのかは不明。ルブラン本人は短編集『怪盗紳士ルパン』の第6話「ハートの7」で作中に初登場する。ルパンがルブランに自らの生い立ちと常習窃盗犯になったきっかけである第5話「王妃の首飾り」を語るのはこの後のことで、作品は時系列順ではない。", "title": "怪盗紳士アルセーヌ・ルパン" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "変装はルパンの代名詞の一つであるが、原作のルパンの変装は、アニメなどで表現される顔全体にマスクをかぶるようなものではない。その多くはメーキャップや服装を変える程度で、せいぜい「パラフィンの皮下注射で皮膚を膨らませる」「科学的な薬品で鬚や髪の毛を伸ばし、声を変える」「ダイエットをする」「アトロピンを点眼する」程度である(以上、「ルパンの脱獄」より)。それよりもルパンが重視するのは、しぐさや歩き方、表情や話し方などを変えるといった、突出した観察力から生まれる「俳優としてのスキル」である。", "title": "怪盗紳士アルセーヌ・ルパン" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "またルパンの服装のイメージとして、「シルクハットと夜会服にモノクル (片眼鏡)」というものがある。が、意外にも原作の本文中にはそういう描写はまったくない。このイメージは、ラフィット社からルパンの単行本が初めて出た時に、表紙などのイラストがこのスタイルで描かれたことが原因で広まったらしい。このあたりの事情は、シャーロック・ホームズにおける「インバネス・コートに鹿撃ち帽」のイメージ流布のケースと同様である。", "title": "怪盗紳士アルセーヌ・ルパン" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "※ラジオドラマ「ペギー、新アルセーヌ・ルパンと出会う」はミステリ研究家のフランシス・ラカサンによって未知のルパン譚として存在が公表されたものだが、その後の他の研究者によってそれが既知の短編のラジオドラマ化シリーズの一編であり、他二編が「アルセーヌ・ルパンの逮捕」「エメラルドの指輪」など既に知られた作品である事、また、当時の出版物などの記述から、単に「ネリー、アルセーヌ・ルパンと再会す」の誤植である事が明らかにされた。", "title": "アルセーヌ・ルパンシリーズ" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "※「ルパン最後の事件(アルセーヌ・ルパンの数十億)」は、単行本化のときに連載中の一章が欠如した状態で出版されており、また、息子のクロード・ルブランがこの作品の復刊自体を拒んだ事から、モーリス・ルブランの著作権保護期間が満了する2011年以降まで完全版が出版された事がなかった。本作は1982年に偕成社・榊原晃三訳版が出版されているが、該当箇所が欠如した訳となっている。なお、2003年韓国で出版されたアルセーヌ・ルパン全集では、欠如部分を補ったものになっている。", "title": "アルセーヌ・ルパンシリーズ" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "※「ルパン最後の恋」は、近年、ルブランの伝記を記したジャック・ドゥルアールの調査によってそのタイプ原稿が発見され、フランス本国では2012年5月、日本では同年9月に刊行された。", "title": "アルセーヌ・ルパンシリーズ" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "(参考「戯曲アルセーヌ・ルパン」住田忠久による解説)", "title": "アルセーヌ・ルパンシリーズ" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ルパン譚は主に冒険小説として見られ、ともすれば荒唐無稽とすら取られるが、作中で使われているトリックは後のミステリ小説でも何度も形を変えて使われ続けている。", "title": "アルセーヌ・ルパンシリーズ" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", 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PRESENTS RATATATTAT!×モーリス・ルブランとしてウッディシアター中目黒で上演。", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "“et Sonia!”は、モーリス・ルブランが書いた唯一の長編戯曲“ARSÈNE LUPIN“(邦題:ルパンの冒険、小説版:消えた宝冠)を翻訳、脚色して日本初上演。", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "“en Prison!”は、アルセーヌ・ルパンシリーズ第一作“L'ARRESTATION D'ARSÈNE LUPIN”(邦題:アルセーヌ・ルパンの逮捕)と第二作“ARSÈNE LUPIN EN PRISON”(邦題:獄中のアルセーヌ・ルパン)を原作にしたオリジナル脚本。", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "“et Sonia!”", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "“en Prison!”", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "2019/1/29[火]> 2/3[日]ウッディシアター中目黒", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "翻訳・構成・脚色・演出 小林ヒデタケ[イルカ団!]", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "イルカ団! PRESENTS RATATATTAT!×モーリス・ルブランとしてウッディシアター中目黒で上演。", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "“le RETOUR D'”は“EDITH AU COU DE CYGNE(邦題:白鳥の首のエディス)”、“LE RETOUR D'ARSÈNE LUPIN(邦題:アルセーヌ・ルパンの帰還)”、“LA MORT QUI RÔDE(邦題:うろつく死神)”を原作とし、", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "“et CLARISSE”は“LE BOUCHON DE CRISTAL(邦題:水晶の栓)”“LA COMTESSE DE CAGLIOSTRO(邦題:カリオストロ伯爵夫人)”を原作としたオリジナル脚本。", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "“le RETOUR D'”", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "“et CLARISSE”", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "2020/1/28[火]> 2/2[日]ウッディシアター中目黒", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "翻訳・構成・脚色・演出 小林ヒデタケ[イルカ団!]", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "イルカ団! PRESENTS RATATATTAT!×モーリス・ルブランとしてウッディシアター中目黒で上演。", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "“et DEUX SOURIRES”は“LA FEMME AUX DEUX SOURIRES(二つの微笑を持つ女)”と“Le Sept de cœur(ハートの7)”を原作とし、“vs GANIMARD”は“VICTOR,DE LA BRIGADE MONDAINE(特捜班ビクトール)”を原作としたオリジナル脚本。", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "“et DEUX SOURIRES”", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "“vs GANIMARD”", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "2021/1/19[火]>1/24[日]ウッディシアター中目黒", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "翻訳・構成・脚色・演出 小林ヒデタケ[イルカ団!]", "title": "舞台作品" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "イルカ団! 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アルセーヌ・ルパンは、フランスの小説家モーリス・ルブランが発表した推理小説・冒険小説「アルセーヌ・ルパンシリーズ」の主人公である怪盗、およびシリーズの総称。日本では慣例としてルパンと訳されているが発音としては「リュパン」が元音に近い。20世紀初頭の翻訳では「リュパン」と表記されている物もある。 アルセーヌ・ルパンシリーズは、1905年から四半世紀以上にわたって執筆された、フランスの人気小説にしてルブランの代表作である。前期の作品では神出鬼没の「怪盗紳士アルセーヌ・ルパン」の話がメインだが、中盤は「ドン・ルイス・ペレンナ」の愛国冒険もの、後期は「探偵ジム・バーネット」などの探偵もの、本名「ラウール」の名を用いた恋愛冒険ものになるなど、バリエーションが豊かで前期の作品と後期の作品ではそれぞれ趣きも異なる。
{{出典の明記|date=2009年1月}} {{Infobox character |series=アルセーヌ・ルパンシリーズ |image=[[ファイル:Lupin01.jpg|250px|]] |caption=ピエールラフィット社刊『[[怪盗紳士ルパン]]』表紙(1907年) |first=「アルセーヌ・ルパンの逮捕」(1905年) |creator=[[モーリス・ルブラン]] |occupation=[[怪盗]] |family=テオフラスト・ルパン(父)<br>アンリエット・ダンドレジー(母) |nationality={{FRA}} }} {{wikisourcelang|fr|Maurice Leblanc|モーリス・ルブランのルパンシリーズを含む著作}} '''アルセーヌ・ルパン'''({{lang-fr-short|''Arsène Lupin''}})は、[[フランス]]の小説家[[モーリス・ルブラン]]が発表した[[推理小説]]・[[冒険小説]]「アルセーヌ・ルパンシリーズ」の主人公である[[怪盗]]、およびシリーズの総称。日本では慣例としてルパンと訳されているが発音としては「リュパン」が元音に近い。20世紀初頭の翻訳では「リュパン」と表記されている物もある。 アルセーヌ・ルパンシリーズは、[[1905年]]から四半世紀以上にわたって執筆された、フランスの人気小説にしてルブランの代表作である。前期の作品では神出鬼没の「怪盗紳士アルセーヌ・ルパン」の話がメインだが、中盤は「ドン・ルイス・ペレンナ」の愛国冒険もの、後期は「探偵ジム・バーネット」などの探偵もの、本名「ラウール」の名を用いた恋愛冒険ものになるなど、バリエーションが豊かで前期の作品と後期の作品ではそれぞれ趣きも異なる。 ==怪盗紳士アルセーヌ・ルパン== ===人物像=== 紳士にして、冒険家。[[変装]]の名人でいくつもの変名を持つ。貴族の城館や資本家の邸宅などを襲い宝石や美術品、貴重な家具などを盗んでいく大胆不敵な大泥棒。また、脱獄の名人でもある。 一方、善良な者を助ける[[義賊]]の性格もあわせ持っており、虐げられた婦人や子供にとっては頼もしい保護者となる。 多くの女性に惚れ、また彼も多くの女性を虜にしているが、作中に描写される限りでは浮気はしていない。しかし、彼と深い仲となった女性の多くは様々な事情で短命であったため、結果的に多くの女性と恋愛をしている。 [[親日家]]であり、ルブランが執筆した当時、[[欧米]]ではあまり普及していなかった[[柔道]]などの[[武術]]を心得ている<ref group="注釈">なお一部の日本語翻訳書において、ルブランの原作本文中、ルパンが使用したボクシング技や柔道の当て身技を翻訳者が[[空手]]と訳した例もあるが、実際には空手は使用していない。</ref>。また、『[[怪盗紳士ルパン]]』(第4話「謎の旅行者」)では[[日本]]には絶対に行ってみたいとも話しており、日本を「古い古い神秘の国」と評している。 ===略歴=== *[[1874年]]、誕生<ref group="注釈">生地に関しては『虎の牙』のフロリアーニの生地[[ブロワ]]とする者と、これに反対し、『バール=イ=ヴァ』で、ルパンが「コー地方! わが生活の全てがそこにある……」と言う、コー地方が出身地とする者とがいる。</ref>。幼名ラウール(Raoul)。父親は体育教師テオフラスト・ルパン(Théophraste Lupin)、母親はアンリエット・ダンドレジー(Henriette d'Andrésy)。 **父テオフラストはラウールが幼い頃米国で獄死する。アンリエットは幼いラウールを連れ、少女時代の学友ドルー・スビーズ伯爵夫人の元に身を寄せる。 *[[1880年]]、6歳。最初の事件。(王妃の首飾り) *[[1893年]]、初めて「アルセーヌ・ルパン」を名乗る。(アンベール夫人の金庫) *[[1894年]]、20歳。『[[カリオストロ伯爵夫人]]』で最初の大冒険。クラリス・デティーグと最初の結婚。 *1894年-1899年、クラリスとの間に娘が生まれるも、誕生後まもなく亡くなる。この時期に「奇巌城」を発見する。マキシム・ベルモンの名で、高名な建築家のルシアン・デタンジュと知り合う。 *[[1899年]]、25歳。 **息子ジャン誕生も、クラリスと死別。更にジャンは誘拐される。(カリオストロ伯爵夫人) **初めて逮捕される。(アルセーヌ・ルパンの逮捕) *[[1900年]]、収監されるが脱獄。(アルセーヌ・ルパンの脱獄)「遅かりしシャーロック・ホームズ」でエルロック・ショルメとの初対決。 *1900年-[[1901年]]、「金髪の美女」事件でショルメとの二度目の対決。二度目の逮捕・逃亡。 *[[1903年]]、「ユダヤのランプ」事件でショルメとの三度目の対決。 *[[1905年]]、『[[ルパンの冒険]]』(消えた宝冠)事件。三度目の逮捕・逃亡。ソニア・クリスチノフと恋仲になる。 *[[1906年]]-[[1907年]]、『[[水晶の栓]]』事件。「[[ルパンの告白|白鳥の首のエディス]]」事件。この後にソニアが亡くなったと思われる。 *1907年、二度目の結婚。(ルパンの結婚) *[[1908年]]、エルロック・ショルメとの最後の直接対決。([[奇巌城]]) 古代ローマの遺跡発見。([[緑の目の令嬢]]) *[[1909年]]、この頃、ジム・バーネットを名乗ってパリで探偵社を開業。ベシュ刑事との奇妙な連携で次々と事件を解決する。([[バーネット探偵社]]) *[[1910年]]、「謎の家」事件。ベシュ刑事との対決。オルタンス・ダニエル嬢と八つの冒険を行う。([[八点鐘]]) *[[1911年]]、ベシュ刑事の依頼でバール・イ・ヴァ荘を訪れる。([[バール・イ・ヴァ荘]]) *[[1912年]]、38歳。イタリアにてドイツ皇帝と握手をする。ドン・ルイス・ペレンナとして[[モロッコ]]に現れ、外人部隊に入隊。([[813 (小説)|813]]) *[[1912年]]頃、[[モーリタニア]]帝国を征服し、[[スルタン]](皇帝)に即位する。 *[[1915年]]、第一次世界大戦。フランスの金塊の国外流出を食い止める。([[金三角]]) *[[1917年]]、[[ブルターニュ]]地方の島にて、「人を生かしも殺しもする神の石」を発見する。([[三十棺桶島]]) *[[1919年]]、7年務めたモーリタニア帝国スルタンを退位し主権をフランスに譲渡。([[虎の牙]]) *[[1922年]]、国防債権事件。([[特捜班ビクトール]]) *[[1923年]]、50歳近く。息子・ジャンと見られる青年と邂逅する。([[カリオストロの復讐]]) なお、作者ルブランといつ頃知り合って伝記作家に任じたのかは不明。ルブラン本人は短編集『[[怪盗紳士ルパン]]』の第6話「[[ハートの7]]」で作中に初登場する。ルパンがルブランに自らの生い立ちと常習窃盗犯になったきっかけである第5話「王妃の首飾り」を語るのはこの後のことで、作品は時系列順ではない。 ===ルパンと変装=== 変装はルパンの代名詞の一つであるが、原作のルパンの変装は、アニメなどで表現される顔全体にマスクをかぶるようなものではない。その多くは[[メーキャップ]]や服装を変える程度で、せいぜい「[[パラフィン]]の皮下注射で皮膚を膨らませる」「科学的な薬品で鬚や髪の毛を伸ばし、声を変える」「[[ダイエット]]をする」「[[アトロピン]]を点眼する」程度である(以上、「[[ルパンの脱獄]]」より)。それよりもルパンが重視するのは、しぐさや歩き方、表情や話し方などを変えるといった、突出した観察力から生まれる「[[俳優]]としてのスキル」である。 またルパンの服装のイメージとして、「[[シルクハット]]と[[燕尾服|夜会服]]に[[片眼鏡|モノクル (片眼鏡)]]」というものがある。が、意外にも原作の本文中にはそういう描写はまったくない。このイメージは、[[ラフィット社]]からルパンの単行本が初めて出た時に、表紙などのイラストがこのスタイルで描かれたことが原因で広まったらしい。このあたりの事情は、[[シャーロック・ホームズ]]における「[[インバネス・コート]]に[[鹿撃ち帽]]」のイメージ流布のケースと同様である。 ==アルセーヌ・ルパンシリーズ== ===作品一覧=== *[[1905年]]-[[1907年]]:[[怪盗紳士ルパン]](Arsène Lupin, gentleman-cambrioleur:第一短編集) **ルパン逮捕される (L'Arrestation d'Arsène Lupin) **獄中のアルセーヌ・ルパン (Arsène Lupin en prison) **ルパンの脱獄(L'Évasion d'Arsène Lupin) **ふしぎな旅行者(Le Mystérieux voyageur) **女王の首飾り (Le Collier de la reine) **[[ハートの7]] (Le Sept de cœur) **アンベール夫人の金庫 (Le Coffre-fort de madame Imbert) **黒真珠 (La Perle noire) ***(版によっては「アンベール夫人の金庫」と「黒真珠」とを省き、「うろつく死神」を入れているものがある。日本語訳の創元推理文庫、角川文庫、ハヤカワ・ポケット・ブックスはそれに従う。一方、新潮文庫、岩波少年文庫、偕成社版全集及び偕成社文庫、早川文庫版はオリジナルに従っている) **おそかりしシャーロック・ホームズ(Herlock Sholmès arrive trop tard) *[[1906年]]-[[1908年]]:[[ルパン対ホームズ]](Arsène Lupin contre Herlock Sholmès:2本の中篇) **金髪の美女(La Dame blonde) **ユダヤのランプ(La Lampe juive) *[[1909年]]:[[ルパンの冒険]](Arsène Lupin/Une Aventure d'Arsène Lupin:戯曲、及び戯曲の小説化) *[[1909年]]:[[奇岩城]](L'Aiguille creuse(空洞の針):長編) *[[1910年]]:[[813 (小説)|813]](813:長編:[[1917年]]に「La Double-vie d'Arsène Lupin:ルパンの二重生活」と「Les Trois Crimes d'Arsène Lupin:ルパンの三つの犯罪」に分冊化。偕成社版及び新潮文庫版は「813」「続813」) *[[1912年]]:[[水晶の栓]](Le Bouchon de cristal:長編) *[[1911年]]-[[1913年]]:[[ルパンの告白]](Les Confidences d'Arsène Lupin:第二短編集) **太陽のたわむれ(Les Jeux du soleil) **結婚指輪(L'Anneau nuptial) **影の合図 **地獄の罠 **赤い絹のスカーフ **うろつく死神 ***(版によっては、『怪盗紳士ルパン』に収載されているものがあり、日本語訳も創元推理文庫、角川文庫、早川ミステリはそれに従っている。早川文庫版の『怪盗紳士』には含まれていない) **白鳥の首のエディス(Édith au cou de cygne) **麦わらのストロー(Le Fétu de paille) **ルパンの結婚(Le Mariage d'Arsène Lupin) *[[1915年]]:[[オルヌカン城の謎]](L'Éclat d'obus(砲弾の破片):長編)初版にはルパンは登場しない、後の版で「営業上」の理由から加筆され一場面にのみ登場する。 *[[1917年]]:[[金三角]](Le Triangle d'or:長編) *[[1919年]]:[[三十棺桶島]](L'Île aux trente cercueils:長編) *[[1920年]]:アルセーヌ・ルパンの帰還(Le Retour d'Arsène Lupin:戯曲) *[[1920年]]:[[虎の牙]](Les Dents du tigre:長編) *[[1923年]]:[[八点鐘]](Les Huit Coups de l'horloge(時計の八時の鐘):連作短編集) **塔のてっぺんで(Au sommet de la tour) **水びん(La Carafe d'eau) **テレーズとジェルメーヌ(Thérèse et Germaine) **秘密をあばく映画(Le Film révélateur) **ジャン・ルイ事件(Le Cas de Jean-Louis) **斧をもつ貴婦人(La Dame à la hache) **雪の上の足あと(Des Pas sur la neige) *[[1924年]]:[[カリオストロ伯爵夫人]](La Comtesse de Cagliostro:長編) *[[1927年]]:[[緑の目の令嬢]](La Demoiselle aux yeux verts:長編) *[[1927年]]:山羊皮服の男(L'Homme à la peau de bique:短編) **英訳は、「ルパンの告白」に「モルグの森の惨劇」(A Tragedy in the Forest of Morgues)として収録されているので、フランス版の初出もこれ以前の可能性もある *[[1927年]]-[[1928年]]:[[バーネット探偵社]](L'Agence Barnett et C<sup>ie</sup>:連作短編集) **水は流れる(Les Gouttes qui tombent) **ジョージ王のラブレター(La Lettre d'amour du roi George) **バカラの勝負(La Partie de baccara) **金歯の男(L'Homme aux dents d'or) **十二枚の株券(Les Douze Africaines de Béchoux) **壊れた橋(The bridge that broke:英訳版のみに存在。ただし、アマゾンkindle版の全集Les Aventures extraordinaires d'Arsène Lupin、ASIN:B0077CVG2Aには、第三者による仏訳Le pont qui se romptが収録されている) **偶然が奇跡をもたらす(Le Hasard fait des miracles) **白い手袋。。。白いゲートル。。。(Gants blancs... guêtres blanches...) **ベシュ、ジム・バーネットを逮捕す(Béchoux arrête Jim Barnett) *[[1928年]]:[[謎の家]](La Demeure mystérieuse:長編) *[[1930年]]:[[バール・イ・ヴァ荘]](La Barre-y-va:長編)(1934年にアシェット社の'''Bibliothèque verte'''という選集に収録された際に、エピローグが割愛された) *[[1930年]]:エメラルドの指輪(Le Cabochon d'émeraude:短編) *[[1932年]]:[[二つの微笑をもつ女]](La Femme aux deux sourires:長編) *[[1932年]]:ジャスト五分間 (Cinq minutes montre en main:寸劇) *[[1932年]]:アルセーヌ・ルパンとの十五分(Un quart d'heure avec Arsène Lupin:寸劇。Cinq minutes montre en mainの改作 戯曲版は未訳) *[[1934年]]:[[特捜班ビクトール]](Victor, de la Brigade mondaine:長編) *[[1935年]]:[[カリオストロの復讐]](La Cagliostro se venge:長編) *[[1939年]]:[[ルパン最後の事件]](Les Milliards d'Arsène Lupin(アルセーヌ・ルパンの数十億):長編) *[[2012年]]:[[ルパン最後の恋]](Le Dernier Amour d'Arsène Lupin: 長編) ※ラジオドラマ「ペギー、新アルセーヌ・ルパンと出会う」はミステリ研究家のフランシス・ラカサンによって未知のルパン譚として存在が公表されたものだが、その後の他の研究者によってそれが既知の短編のラジオドラマ化シリーズの一編であり、他二編が「アルセーヌ・ルパンの逮捕」「エメラルドの指輪」など既に知られた作品である事、また、当時の出版物などの記述から、単に「ネリー、アルセーヌ・ルパンと再会す」の誤植である事が明らかにされた。 ※「ルパン最後の事件(アルセーヌ・ルパンの数十億)」は、単行本化のときに連載中の一章が欠如した状態で出版されており、また、息子のクロード・ルブランがこの作品の復刊自体を拒んだ事から、[[モーリス・ルブラン]]の著作権保護期間が満了する2011年以降まで完全版が出版された事がなかった。本作は1982年に[[偕成社]]・[[榊原晃三]]訳版が出版されているが、該当箇所が欠如した訳となっている。なお、2003年韓国で出版されたアルセーヌ・ルパン全集では、欠如部分を補ったものになっている。 ※「ルパン最後の恋」は、近年、ルブランの伝記を記したジャック・ドゥルアールの調査によってそのタイプ原稿が発見され、フランス本国では2012年5月、日本では同年9月に刊行された。 (参考「戯曲アルセーヌ・ルパン」住田忠久による解説) ===ミステリとしてのアルセーヌ・ルパン=== ルパン譚は主に[[冒険小説]]として見られ、ともすれば荒唐無稽とすら取られるが、作中で使われている[[トリック (推理小説)|トリック]]は後のミステリ小説でも何度も形を変えて使われ続けている。 特に短編には[[推理小説]]として[[本格派推理小説|本格的]]なものも多く、『[[八点鐘]]』収録の「[[水びん]]」のトリックや「[[テレーズとジェルメーヌ]]」の密室トリック、「[[雪の上の足跡]]」の足跡トリックなどは、ミステリ・アンソロジーにも何度も収録されている。第1話の「[[ルパン逮捕される]]」からして、叙述トリックや[[クローズド・サークル]]ものの元祖の一つとも言える。また、「[[奇巌城]]」や「[[太陽のたわむれ]]」などのように、[[暗号]]を扱った作品も多い。 推理作家であり、推理小説評論家としても名高い[[エラリー・クイーン]]は、「クイーンの定員」と呼ばれる古今東西の推理小説選(1845年から1967年の作品を対象としている)で、ルパンシリーズより『[[怪盗紳士ルパン]]』と『[[八点鐘]]』を取り上げ、特に『八点鐘』については、「ほとんどすべての批評家から、探偵ルパンの最良の見本をいくつか含んだ事件と折り紙をつけられた短編集」と非常に高い評価をしている。 ===冒険・歴史・伝奇ロマンとしてのアルセーヌ・ルパン=== 上記のミステリとしての評価とは逆に、冒険・[[伝奇小説#日本の近現代の伝奇風小説|伝奇]]ロマンとしてのルパンを積極的に評価する立場もある。特に、ルパン・シリーズを通読すると、ルブランの歴史趣味を多分に感じる事ができる。「[[女王の首飾り]]」では有名な[[首飾り事件]]が密接に絡み、「[[奇岩城]]」では[[鉄仮面]]、[[マリー・アントワネット]]や[[フランス革命]]ばかりか[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]や[[シャルルマーニュ]]にまで言及されている。「[[カリオストロ伯爵夫人]]」ジョゼフィーヌ・バルサモは、詐欺師であり怪人物として知られる[[カリオストロ|カリオストロ伯爵ジュゼッペ・バルサモ]]の娘として設定され、その作中では、[[シャルル7世 (フランス王)|シャルル7世]]の愛妾であった[[アニェス・ソレル]]の故事にも触れられている。 その他上記の類の例は、短編から「[[813 (小説)|813]]」などの長編まで、枚挙に暇がない。また「[[三十棺桶島]]」では、[[ブルターニュ]]地方を舞台にした[[ケルト人|ケルト]]の土俗、[[ドルメン]]、[[ドルイド]]僧などの伝奇ロマンとしての雰囲気作りがおどろおどろしく、ルパン作品の翻案も手がけた[[横溝正史]]の「[[獄門島]]」、「[[八つ墓村]]」などへの影響が感じられる。 ルブランは[[エドガー・アラン・ポー|ポー]]や[[アーサー・コナン・ドイル|コナン・ドイル]]、[[ガストン・ルルー|ルルー]]と同じくミステリ作家の元祖であるのと同時に、もしくはそれ以上に、「[[三銃士]]」「[[鉄仮面]]」「[[モンテ・クリスト伯]]」などを著わした[[アレクサンドル・デュマ・ペール|アレクサンドル・デュマ]]の系譜の作家([[ロマン・フュトン]]作家)の末裔であるともみられるのである。 ===同時代史としてのアルセーヌ・ルパン=== 過去の歴史的事件だけでなく、ルパン譚は当時起こった歴史的事件とも大きく関わっている。「[[アンベール夫人の金庫]]」は当時実際に起こった詐欺事件、「[[水晶の栓]]」では当時フランス政界で起こった[[パナマ運河疑獄事件]]がモチーフになっている。また、「[[813 (小説)|813]]」「[[オルヌカン城の謎]]」「[[金三角]]」「[[三十棺桶島]]」「[[虎の牙]]」の一連の流れでは、当時の世界史上の一大事件であった[[第一次世界大戦]]が大きな舞台となっており、作中でルパンが征服しフランスに譲渡した[[モーリタニア]]は、この時期にフランスが獲得したアフリカにおける植民地の一つである。また、[[普仏戦争]]でドイツ領となっていた[[アルザス=ロレーヌ]]地方についてルパンが、第一次世界大戦の勝利によってフランスに戻ってくることを喜ぶ描写もある。 当時最先端の科学技術も現れるや否やすぐさま作品に登場する。第1話「[[ルパン逮捕される]]」で重要な役割を担った[[無線]][[電信]]は当時実用化されたばかりの最新技術である。遠隔地への通信に[[電報]]や伝令を利用することが多いホームズに対し、ルパン作品では[[電話]]が頻繁に登場する。[[辻馬車]]を愛好するホームズに比べルパンは[[自動車]]や[[オートバイ]]を愛用し(これはホームズとの若干の世代差も大きく影響している)、果ては[[潜水艦]](「[[ハートの7]]」「[[奇岩城]]」「[[三十棺桶島]]」)や[[飛行機]]まで(「[[虎の牙]]」)積極的に利用する。いずれも登場作品の数年前に開発、もしくは実用化が成ったものである。また、[[キュリー夫妻]]の[[ラジウム]]・[[放射能]]研究の成果([[1903年]][[ノーベル物理学賞]]受賞)も、作品に取り入れられている([[三十棺桶島]])。 ===主な登場人物=== ;アルセーヌ・ルパン :怪盗紳士。時に大怪盗として、時に名探偵として、時に愛国者として縦横無尽の活躍をする。多くの女性と恋愛をするも、悲恋が多い。 :;ドン・ルイス・ペレンナ ::スペイン貴族にしてフランス外人部隊の英雄(「プレンナ」と表記する場合もある)。実はルパンの変装であり、Arsene Lupinのアナグラムである。(Luis Perenna) :;ジャン・デヌリ ::「謎の家」(訳者により題は異なる)に登場する冒険家。実はルパンの変装。 :;ポール・セルニーヌ ::ルパンの変装。ルイス・ペレンナ(プレンナ)同様、Arsene Lupinのアナグラム。(Paul Sernine) :;ジム・バーネット ::「調査無料」の看板を掲げる探偵。実際はルパンの変装。 ;ジュスタン・ガニマール :ルパンを追う警部。50歳。作品初期に主に登場する。力は強いがルパンには敵わない。 ;[[シャーロック・ホームズ]] :複数の作品で、ルパンのライバルとして登場。作者のコナン・ドイルにはそもそも無断なうえ、間違えて別人を撃ち殺すなど間抜けに描写したため、{{要出典範囲|コナン・ドイルからは抗議を申し入れる書面が届いた|date=2023年6月}}。 ;エルロック・ショルメ :{{要出典範囲|抗議を受け|date=2023年6月}}、以後ルブランはシャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)の冒頭の"S"を後ろに移動させ(Herlock Sholmes)に改名した。イギリスの私立探偵で、住所はロンドンのパーカー街219。しかし多くの日本語訳では「シャーロック・ホームズ」のままである(後述)。 ;“わたし” :ルパンの伝記作家(作者ルブラン自身) ;イジドール・ボートルレ :「奇巌城」の実質的な主人公。少年探偵。 ;ソニア・クリスチノフ :ロシア少女。ルパンの恋人となるも、「奇巌城」では、無残な死を遂げたとのみ語られる。 ;ビクトワール :善良な初老の女。又、ルパンの乳母でもある。 ;フォルムリー :予審判事 ;デュドゥイ :国家警察部部長 ;ルノルマン :国家警察部部長 デュドゥイの後任 ルパンの変装 ;ウェベール :国家警察部副部長 ;パトリス・ベルバル :大尉 ;デマリヨン :警視総監 ;バラングレー :首相 後、大統領 ;テオドール・ベシュ :刑事 ==名前の表記をめぐって== 日本では原題、主人公の名前、本の内容を日本的に翻訳(場合によってはプロットのみを換骨奪胎して翻案)することがあるためだれがいつ初訳したのかは特定することは困難である。 フランス語をあえてカタカナ表記する場合、現在の慣習では「Lupin」は「'''リュパン'''」とされることもあるが、それほど外来音になじみのなかった時期に日本に紹介されたこともあって、命名者は不明(一説には[[上田敏]]。[[保篠龍緒]]説もある)ながら昔から「'''アルセーヌ・ルパン'''」として紹介され、親しまれてきた。現在でも、[[東京創元社]]他一部を除いて表記としては「アルセーヌ・ルパン」が主流となっている。 ===ルパン表記=== 訳者、[[保篠龍緒]]が以下の通り翻訳した。保篠龍緒はこの後も何度もルパン全集を手がけ、日本のルパン翻訳史において長い間スタンダードの地位を保つ事になる。保篠の日本語題があまりに見事だったため、現在の各社から出ているルパンシリーズの日本語題も保篠訳に倣う事が多い。(『奇巖城』『八点鐘』など) *大正7年、金剛社 アルセーヌ・ルパン叢書 「怪紳士」「怪人対巨人」「奇巌城」「813」他全9巻 *大正10年、博文館 探偵傑作叢書 「虎の牙」「水晶の栓」 *昭和4年、平凡社 ルパン全集・怪奇探偵 「三十棺桶島」「バルネ探偵局」「ルパンの告白」「八点鐘」他全12巻(別巻2巻) *昭和26年、日本出版協同 アルセーヌ・ルパン全集 全23巻別巻2 *昭和31年、鱒書房、ルパン全集 全25巻(上記、出版協同社版を改編したもので、「驚天動地」を欠く) この全集は改編され昭和33年から昭和44年にかけて三笠書房(全25巻)/田園書房(全25巻)/三笠書房(全25巻)/日本文芸社(全20巻、短編の5冊が中止となったため)と版元をかえながら刊行され続けた。 昭和30年代になり、[[南洋一郎]]が児童向けに翻案。また、南は別名「池田宣政」名義でも『アルセーヌ=ルパン全集』全20巻を翻訳している。 *昭和33年、[[ポプラ社]] 怪盗ルパン全集 「奇巌城」「怪盗紳士」「古塔の地下牢」「黄金三角」他全15巻(後に30巻にまで改訂。現在は20巻に縮小・南洋一郎名義) *昭和43年、ポプラ社 アルセーヌ・ルパン全集 「ルパン対ホームズ」「8・1・3」「ルパン三つの犯罪」「怪盗紳士」「恐怖の島」「緑の目の令嬢」他全20巻(池田宣政名義) また、訳者・詩人の[[堀口大學]]が[[新潮社]]より以下の通り翻訳。2006年現在においても最も手に入りやすいルパン全集となっている。 *昭和34年、[[新潮文庫]] ルパン傑作集 「813」「続813」「奇岩城」「ルパン対ホームズ」「バーネット探偵社」他全10巻。※(殺人事件での殺害方法が、フランス語のオリジナルでは喉を切って殺す(égorger)ものでも、堀口訳では絞殺(étrangler)になっている箇所がいくつもある。青少年向けに一部修正が加えられた版を使っている可能性も考えられる) [[偕成社]]から、複数の訳者により原文に忠実な完訳でシリーズ全作品を網羅した全集が刊行。現在最も完全な全集として版を重ねている。またこの全集には、ルパンシリーズに入らないルブランの他の著作も5冊、「別巻」として組み込まれている。 *昭和56年、偕成社 アルセーヌ・ルパン全集 「怪盗紳士ルパン」「813」「続813」「金三角」「八点鐘」「バール・イ・ヴァ荘」「特捜班ヴィクトール」「ルパン最後の事件」他全25巻 *昭和57年、偕成社 アルセーヌ・ルパン全集別巻 「女探偵ドロテ」「バルタザールのとっぴな生活」「三つの眼」「真夜中から七時まで」「赤い輪」全5巻 ルパン生誕100周年を機に、訳者[[平岡敦]]が同年フランスで刊行されたルパン全集を底本に[[早川書房]]の[[ハヤカワ文庫|ハヤカワ・ミステリ文庫]]から新訳を刊行。2005年8月、『カリオストロ伯爵夫人』から、刊行開始。当初は、ルパンシリーズ全21作を、1年に2冊、10年計画で刊行予定で、完訳の文庫版としては最新訳であり、シリーズ全作を網羅する予定であった事から、初の文庫版完訳完全全集になることが期待されていたのだが、順調に刊行されたのは、2005年9月『怪盗紳士ルパン』、2006年5月『奇岩城』までで、4冊目となる『水晶の栓』の刊行は2007年2月にずれ込み、5冊目として『ルパン、最後の恋』が2013年5月に刊行されたが、それ以後の刊行予定はなく全訳計画は中絶された。 ===リュパン表記=== 訳者、佐佐木茂索が以下のとおり翻訳した。 *大正13年、随筆社のルブラン全集「強盗紳士アルセエヌ・リユパン」「リユパンの勝利」 *昭和4年、改造社『アルセエヌ・リュパン』 また昭和34年-昭和35年、石川湧・井上勇らによる東京創元社『アルセーヌ・リュパン全集』全12巻が現在の[[創元推理文庫]]版(「怪盗紳士リュパン」「リュパン対ホームズ」「リュパンの告白」「リュパンの冒険」他全18冊)の元となった。(文庫版刊行時の翻訳権の関係から、全集に収録されて居る「813の謎」「八点鐘」「三十棺桶島」「バーネット探偵社」が刊行できなかったため収録されていない。<ref>[https://honyakumystery.jp/1415922723 東京創元社における翻訳ミステリ出版前史(承前)戸川安宣]</ref>)創元推理文庫では2012年発表のLe Dernier Amour d'Arsène Lupinの翻訳も2013年に「リュパン、最後の恋」として刊行しており、リュパン表記を維持している。 曽根元吉訳『奇巌城』(中央公論社「世界推理名作全集」2。昭和36年。所収)では、アルセーヌ・リュパン表記となっている。(この訳文は「嶋中文庫」で刊行予定だったが同社の蹉跌のため中止となった) ==キャラクターの流用== ===シャーロック・ホームズとエルロック・ショルメ=== ;原作者の扱い 『怪盗紳士ルパン』の中の短篇「遅かりしシャーロック・ホームズ」では、かの名探偵[[シャーロック・ホームズ]]と対決させたが、コナン・ドイルの厳重な抗議にあったため(という説があるが定かではない。詳細は[[ルパン対ホームズ]]を参照)、ルブランは「遅かりしシャーロック・ホームズ」を含め次の『ルパン対ホームズ』(日本語題)以下一連の作品ではホームズの名前を[[アナグラム]]にした「Herlock Sholmès(フランス語の発音エルロック・ショルメ)」という別人にした。また[[ジョン・H・ワトスン|ワトスン]]はウィルソンという別人にした。 ;日本語訳での扱い *保篠龍緒訳の大正期や昭和戦前の訳書では、ヘルロック・ショルムズであり、ウィルソンである。又、住所もパーカー街二百十九番地(街に「まち」と振り仮名)となって居る。大人向けの訳書の戦後版はシャーロク・ホームズとワトソンに改められたが、戦後になって刊行された保篠名義の児童書『怪人対巨人』では、ヘルロック・ショルムズとウィルソンとでありバーカー街二百十九番地となっていた。一方『奇巌城』ではシャーロック・ホームズとなって居た。後に、前者の訳題も『ルパン対ホームズ』となり、総てシャーロック・ホームズとワトソンとに統一された。 *古くから日本の翻訳では、訳者が著作権者に無断でエルロック・ショルメをホームズの名に替えてきた。ただしウィルソンはそのままでワトスンにはしないものとワトソンにしているものとがある。現在でもこれは慣習となっていて、日本で出版されているルパンシリーズの「ショルメ」はほとんど「ホームズ」に改変されている。改変されていないものでは、フランス語の発音も英語の発音(「ハーロック・ショームズ(若しくは<!--アクサンがある「E」を英語化して-->ショーミーズ)」となるはず)も無視し、エルロック・ショルメスと翻訳されている場合が多い。<ref group="注釈">フランス語でも人名の場合は語尾のsなどの子音を発音する例外があるので、これはあながち間違ってもいない。例:[[ポール・デュカス]](デュカ説もありフランスでも読みは一定ではない)、[[ピエール・ブーレーズ]]など。</ref>。 *曽根元吉訳『奇巌城』では、ハーロック・ショーメズとしている。 *ジョルジュ・デクリエール主演のフランスの人気ドラマ『怪盗紳士アルセーヌ・ルパン』の中の一篇が日本でDVDソフト化された際も、劇中のセリフ及び表記がエルロック・ショルメスとウィルソンでありながら、字幕はシャーロック・ホームズとワトソンになっていて、タイトルも『ルパン対ホームズ』だった。 *[[森田崇]]による[[漫画化]]作品『[[アバンチュリエ|怪盗ルパン伝 アバンチュリエ]]』では、英語発音に合わせて「ハーロック・ショームズ」と表記されている。ウィルソンはそのまま。 ===[[パスティーシュ]]=== ==== 海外小説作品 ==== ;[[ボワロー=ナルスジャック]] :ルパンもの新作として1973-1977年に発表。最初の3作は当初、[[覆面作家]]アルセーヌ・ルパンとして作者名を隠して発表された。 :*『ウネルヴィル城館の秘密』(悪魔のダイヤ) :*『バルカンの火薬庫』(ルパンと時限爆弾) :*『アルセーヌ・ルパンの第二の顔』(ルパン二つの顔) :*『[[アルセーヌ・ルパンの裁き]]』(ルパン、100億フランの炎)(ルパンと殺人魔) :*『ルパン危機一髪』 ;[[アーサー・ポージス]] :*『八一三号車室にて』 ;[[ジャン=クロード・ラミ]] :*『アルセーヌ・リュパン―怪盗紳士の肖像』 ;[[ジャン=マーク]]&[[ランディ=ロフィシエール]] :*『避けられぬ運命』 :*『おそかりしアルセーヌ・ルパン』 :*『不親切きわまる省略』 :*『カリオストロ伯爵夫人の死』 ==== 日本の小説作品 ==== ;[[南洋一郎]] :[[ポプラ社文庫]]で翻訳を担当した人物。自分の作品に登場させたり、少年少女向け編訳版『[[ピラミッドの秘密]]』に模作を紛れ込ませている。上記ボワロー=ナルスジャック作品もその全集には含まれていた(旧版のみ。新全集からはパスティーシュ作品は除外されている)。『ピラミッドの秘密』は出だしこそルブランの原作が存在するが途中からは南の創作だろうとされている。ただし、南自身はアメリカの古い児童向け雑誌に掲載されたものがもとになっているという趣旨の事を書いている。 :*『蒙古王の宝冠』([[日本正學館]]「[[冒瞼少年]]」<ref>{{Cite book |title=冒險少年 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011226235-00 |publisher=日本正学館 |date=1948 |location=東京 |last=日本正學館}}</ref>昭和23年 臨時増刊号(第1巻 第12号)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.soka.ac.jp/files/en/20170804_010909.pdf |title=『冒瞼少年』・『少年日本』総索引 |access-date=2023年7月16日 |publisher=創価大学 |page=249 |author=北川洋子}}</ref>) :*『怪盗ルパンと佐久良探偵』([[ポプラ社]]「日本名探偵文庫」第19巻『洞窟の魔人』(1956年)<ref>{{Cite web|和書|title=洞窟の魔人 |url=https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/1700019.html |website=ポプラ社 |access-date=2023-07-16}}</ref>所収<ref>{{Cite web|和書|title=国立国会図書館デジタルコレクション |url=https://dl.ndl.go.jp/pid/1638794/1/1 |website=dl.ndl.go.jp |access-date=2023-07-16}}</ref>) :*『[[ピラミッドの秘密]]』 :*『[[アルセーヌ・ルパンの裁き#女賊とルパン|女賊とルパン]]』 ;[[江戸川乱歩]] :下記の作品以外に、[[怪人二十面相]]などにもその影響がみられる。 :*『[[黄金仮面]]』 ;[[西村京太郎]] :上記の江戸川乱歩の作品も踏まえて[[明智小五郎]]がルパンと再対決している。この作品では、[[エルキュール・ポアロ|エルキュール・ポワロ]]、[[エラリー・クイーン (架空の探偵)|エラリー・クイーン]]、[[ジュール・メグレ]]も登場。日本に不慣れなルパンに対し、[[怪人二十面相]]が助力している。 :*『[[名探偵が多すぎる]]』 ;[[芦辺拓]] :『真説 ルパン対ホームズ』では、ショルメではなくホームズとの対決を描いている。 :『少年は怪人を夢見る』では、ある少年が[[怪人二十面相]]になるまでが描かれ、[[幽霊塔|芦屋暁斎]]や[[一枚の切符|左右田五郎]]などと出会い、名前も顔も失っていく中で部下になった人物として黄金仮面が登場。 :*『真説 ルパン対ホームズ』([[原書房]]、2000年、ISBN 4562033037)<ref>{{Cite book |title=真説ルパン対ホームズ : 名探偵博覧会 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002888423-00 |publisher=原書房 |date=2000 |location=東京 |first=芦辺 |last=拓, 1958-}}</ref> :*『少年は怪人を夢見る』([[PHP研究所]]、2000年、『変化 : 書下ろしホラー・アンソロジー』所収、ISBN 4569574610)<ref>{{Cite book |title=変化 : 書下ろしホラー・アンソロジー |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002928539-00 |publisher=PHP研究所 |date=2000 |location=東京 |first=菊地 |last=秀行, 1949- |first2=水木 |last2=しげる}}</ref>その他の所収書籍あり<ref>{{Cite web|和書|title=詳細検索結果|「少年は怪人を夢見る」に一致する資料: 7件中1から4件目|国立国会図書館サーチ |url=https://iss.ndl.go.jp/books?ar=4e1f&display=&rft.title=%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%81%AF%E6%80%AA%E4%BA%BA%E3%82%92%E5%A4%A2%E8%A6%8B%E3%82%8B&search_mode=advanced |website=iss.ndl.go.jp |access-date=2023-07-16 |language=ja}}</ref> ;[[保篠龍緒]] :*『[[ルパン・ノート#青色カタログ|青色カタログ]]』 :*『[[ルパン・ノート#空の防御|空の防御]]』 :*『鐘楼の鳩』<!-- 雑誌「Lectures pour tous」1931年2月号に掲載された、HERVE DE PESLOUAN作の「LA COLOMBE BURGONDE」の翻訳・翻案であることが判明している。 --> ;[[横溝正史]] :*『ルパン大盗伝』([[奇巌城]]の翻案) :*『海底水晶宮』([[水晶の栓]]の翻案) ;[[島田一男]] :*『ルパン就縛』 ;[[北杜夫]] :*『怪盗ジバコ』 :若いころのジバコが老ルパンと出会うエピソードがある。 ;[[井上宗和]] :*『ルパン残影 フォル・ラ・ラッテ城の秘密』 ;[[伊吹秀明]] :*『シャーロック・ホームズの決闘』 ;[[二階堂黎人]] :*『ルパンの慈善』 :*『カーの復讐』 ;[[斎藤肇]] :*『青い絹のスカーフ〜ルパンの事前〜』 ;[[小林泰三]]、[[近藤史恵]]、[[藤野恵美]]、[[真山仁]]、[[湊かなえ]] :*『みんなの怪盗ルパン』 ==== 漫画作品 ==== 原作の漫画化は省略。 ;『[[怪盗ジョーカー|怪盗ジョーカー 時を超える怪盗と失われた宝石]]』([[たかはしひでやす]]) :18世紀に実在した伝説の怪盗として登場。担当声優は[[福山潤]]。 ;『[[ジェットキング]]』([[手塚治虫]]) :主人公ジェットキングと戦う悪役の1人として登場。舞台は発表時の現代または未来だが、ルブランの小説に登場するアルセーヌ・ルパン本人とされており、柔道の投技を用いる場面もある。 ;『少年はその時群青の風を見たか?』([[酒井美詠子]]) :少年時代のルパンが、ライバルであり親友のホームズとともにパブリックスクールで青春時代を過ごす新説ストーリー。 ;『[[ルパン・エチュード]]』([[岩崎陽子]]) :[[秋田書店]]「[[プリンセスGOLD]]」2016年12月号より連載開始。19世紀末のフランスを舞台に、主人公の青年のラウールに眠る人格が「アルセーヌ・ルパン」を名乗る。ルブラン小説のルパンの経歴を元にオリジナルエピソードと『アンベール夫人の金庫』(単話)、『カリオストロ伯爵夫人』(コミックス2巻から4巻)で構成されたパスティーシュ。 ==== ゲーム作品 ==== ;『[[Code:Realize 〜創世の姫君〜]]』 : 泥棒紳士を自称する大泥棒として登場。物語のキーマンとなっている。担当声優は[[前野智昭]]。 ;『[[アカシックリコード]]』 :古今東西の物語のキャラクターが登場する作品であるが、そのうちの1人で、創作されたキャラクターであるにもかかわらず、別の物語の世界へ渡り歩く特別な存在として「神秘蒐集者アルセーヌ・ルパン」が登場する。 ;『[[モンスターストライク]]』 :アルセーヌ・ルパンをモチーフにした女性キャラクターの「アルセーヌ」が登場する。担当声優は[[沢城みゆき]]。 === ルパンの子孫が登場する作品 === アルセーヌ・ルパンの物語を前提として、その子孫を登場させた作品も存在する。作品によっては、初代ルパンも登場する。 ;『[[ルパン三世]]』([[モンキー・パンチ]]) :主人公の[[ルパン三世 (架空の人物)|ルパン三世]]は、アルセーヌ・ルパンの孫という設定になっているが、作品によってはそれを否定する描写もある。最初の予定では、「あまりの怪盗ぶり故、愛称として世間で「ルパン三世」と呼ばれているという」という設定だったが、担当編集者から「そんな面倒くさい設定にするな」と言われ、わかりやすくアルセーヌ・ルパンの孫という設定になった。原典のアルセーヌ・ルパンに該当するルパン一世も登場している。 :;『[[ルパン小僧]]』(モンキー・パンチ) ::『ルパン三世』の派生作品。ルパン三世の息子(初代ルパンから数えて4世)が登場。 :;『[[ルパン8世]]』 ::『ルパン三世』の派生作品。ルパン三世の来孫(初代ルパンから数えて8世)が登場。 :;『[[LUPIN ZERO]]』 ::『ルパン三世』の派生作品。少年期のルパン三世と、ルパン二世、ルパン一世が登場。 : ;『[[緋弾のアリア]]』([[赤松中学]]) : 登場人物の1人、峰理子は本名「峰・理子・リュパン4世」であり、アルセーヌ・リュパンの曾孫。リュパンの子孫と思われることに反発し、ホームズの末裔を倒すことで初代リュパン越えを目標とし、この作品でのホームズの曾孫の「神崎・H・アリア」と対決する。 ;『[[ひょっこりひょうたん島]]』([[井上ひさし]]、[[山元護久]]) : アルセーヌ・ルパンの孫の孫として「アルセーヌ・クッペパン」が登場。担当声優は[[野沢那智]]。 ==== ルパンの息子が登場する作品 ==== シリーズ本編にも、『[[カリオストロ伯爵夫人]]』にて誘拐されたジャンが登場しているため、息子の名前を「ジャン」としている作品が多い。 なお、上記の『ルパン三世』にも、ルパンの息子が登場している。 ;『[[英国探偵ミステリア]]』 : ゲーム作品。ジャン・ルパン(通称ルパンJr.)と呼ばれるルパンの息子が登場。 ;『[[アルセーヌ・ルパン対明智小五郎 黄金仮面の真実]]』([[松岡佳祐]]) : 小説作品。[[明智小五郎]]が誘拐されたジャンという可能性が描かれる。 ;『[[小林少年と不逞の怪人]]』([[上条明峰]]) : ジャンと呼ばれるルパンの息子が登場。 {{仮リンク|Arsène Lupin contre Arsène Lupin|fr|Arsène_Lupin_contre_Arsène_Lupin_(film,_1962)}} : 1962年のフランス映画。ルパンの二人の息子を描いた作品。 ==== ルパンの子孫の関係者が登場する作品 ==== ;『[[快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー]]』 :東映の特撮テレビ番組で、「スーパー戦隊シリーズ」の1つ。作中に登場する「ルパンレンジャー」は、アルセーヌ・ルパンの末裔に仕える執事・コグレがスカウトした3名からなる集団で、アルセーヌ・ルパンが収集した秘宝「ルパンコレクション」を犯罪者集団から奪還するために戦う。 === ルパンという名称の流用 === 設定などは、本作品をふまえていないルパンという名称のみの流用作品。 *[[辻真先]] **小説『[[迷犬ルパンシリーズ]]』に登場する犬の名前。[[赤川次郎]]の『[[三毛猫ホームズシリーズ]]』を意識したタイトル。 *[[青山剛昌]] **『さりげなくルパン』 - 『[[まじっく快斗]]』の原型となった読み切り漫画作品。 **『[[名探偵コナン]]』 - 同作者の別作品。鈴木次郎吉の愛犬の名前として登場。なお、下記の|怪盗キッドも登場。上記の『ルパン三世』とも二度コラボしている。 **『[[まじっく快斗]]』 - 作中に登場する怪盗の[[黒羽快斗|怪盗キッド]]は「平成のルパン」と称されている。『コナン』と『ルパン三世』の二度目のコラボでは、ルパンとも共演している。 *[[仮面ライダーシリーズ]] **『[[仮面ライダーX]]』 - 敵組織GOD機関の送り込む「悪人軍団」の怪人の一体として「カブトムシルパン」が登場する。 **『[[仮面ライダー×仮面ライダー ドライブ&鎧武 MOVIE大戦フルスロットル]]』 - 「仮面ライダールパン」が登場する。オリジナルビデオにも登場。 *『[[ペルソナ5]]』 - 物語の主人公が最初に覚醒するペルソナ(もう一人の自分)がルパンのような姿をした「アルセーヌ」となっている。担当声優は主人公と同じ福山潤。 ==映像作品== ===映画=== *'''『怪盗紳士(''The Gentleman Burglar'')』'''1908年製作の[[エドウィン・S・ポーター]](Edwin S. Porter)監督によるアメリカ映画(短編)。最初のルパン物映画とされている。ルパン役は[[ウィリアム・V・レイナス]](William V. Ranous)(ルパンが恋人と結婚して泥棒稼業から足を洗い、子供も出来て幸せになる。しかし、元恋敵の男から素性をばらすとおどされ、口止めの金を義父から盗もうとして見つかり追い払われることに)。フランスでは''Une aventure d'Arsène Lupin''のタイトルで上映された。 *'''『アルセーヌ・ルパン対ガニマール (''Arsène Lupin contre Ganimard'')』'''1913年製作の[[ミシェル・カレ]]監督によるフランスのサイレント映画(ドイツ系アメリカ人のジョセフ・メンヒェン '''Joseph Menchen'''が製作者。彼はモーリス・ルブランとの間にルパン物の映画化権の独占契約を交わした。しかし、実際に作られたのはこの1作だけであった。メンヒェンは1920年にその権利を36万ドルで、ロバートソン=コール社に譲渡した。1930年代になるまで、フランスでルパン映画が作られなかったのはこの契約があったからである)。 *'''『アルセーヌ・ルパン』'''1915年製作の[[ジェラルド・エイムズ]](Gerald Ames)主演、[[ジョージ・ローニー・タッカー]](George Loane Tucker)監督によるイギリスのサイレント映画。 *'''『[[813 (小説)#1920年版|八一三]](''813'')』'''1920年製作の[[ウェッジウッド・ノエル]]主演、[[スコット・シドニー]]、[[チャールズ・クリスティ]]監督によるアメリカのサイレント映画。 *'''『[[813 (小説)#1923年版|813]]』'''1923年製作の[[溝口健二]]監督による日本のサイレント映画(フィルムは行方不明)。海外では(「ルパン物」の勘違いなのか)''Rupimono''とも呼ばれている。 *'''『アルセーヌ・ルパン(''Arsene Lupin'')』''' 1932年製作の[[ジョン・バリモア]]主演、[[ジャック・コンウェイ (映画監督)|ジャック・コンウェイ]]監督によるアメリカ映画。 *'''『名探偵アルセーヌ・ルパン (''Arsène Lupin détective'')』'''1937年製作の[[ジュール・ベリー]](Jules Berry)主演、[[アンリ・ディアマン=ベルジェ]](Henri Diamant-Berger,)監督によるフランスの映画。『バーネット探偵社』に基づいている。 *'''『顔のない男』'''1955年製作の[[芦原正]]監督による松竹映画。『[[ルパンの告白]]』所収の「赤い絹のスカーフ」に基づく。 *'''『怪盗ルパン(''Les Aventures d'Arsène Lupin'')』'''1957年製作のフランスの映画。 *'''『[[ルパン (映画)|ルパン]](''Arsene Lupin'')』''' 2004年製作のフランス、イタリア、スペイン、イギリス合作の映画。 ===映画(翻案)=== *'''『七つの顔の男』'''(多羅尾伴内)1946年大映。ルパンの「怪屋」(謎の家)の翻案となっている。 *'''『[[ルパンの奇巌城]]』'''2011年公開の日本映画。「[[奇巌城]]」の舞台を日本にアレンジしたもの。 ===テレビ=== *'''『[[怪盗紳士アルセーヌ・ルパン]](''Arsène Lupin)』'''''(1971年、1973-74年) フランス・ドイツ・オランダ・イタリア・スイス・オーストリア・ベルギー・カナダ共同で製作されたドラマ・シリーズ、主演ジョルジュ・デクリーエル。全26話。DVDソフト有り(BOX版は全6BOXで26話を収録) *'''『怪盗ルパン813の謎』'''(1979年) [[タツノコプロ]]製作の[[アニメーション]]作品。80分。のちに劇場公開。 *'''『Lupin』'''(2007年4月-8月)([[フィリピン]]のドラマ・シリーズ)モーリス・ルブランの原作と[[ルパン三世]]とをミックスさせたような内容。DVDソフト有り。 * '''『[[Lupin/ルパン]](''Lupin'')』''' (2021年1月) [[Netflix]]オリジナル・ドラマシリーズ<ref>{{Cite news|url=https://www.youtube.com/watch?v=Y3tVDKuORi8|title=Lupin {{!}} Official Teaser {{!}} Netflix|website=Netflix|accessdate=2020-09-25}}</ref>。 ==漫画作品== *劇画怪盗ルパン (1984年) [[永井豪]]・[[安田達矢]]と[[ダイナミックプロ]]による、短編長編10編の漫画化。[[小学館]]。「奇岩城」<ref>{{Cite book |title=奇岩城 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000098-I000177983-00 |publisher=小学館 |date=1984-05 |location=東京 |first=モーリス・ルブラン |last=原作 |first2=保篠龍緒 |last2=訳 |first3=永井豪,安田達矢ダイナミック・プロダクション |last3=劇画}}</ref>「金三角」<ref>{{Cite book |title=金三角 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000098-I000177957-00 |publisher=小学館 |date=1984-10-01 |location=東京 |first=モーリス・ルブラン |last=原作 |first2=保篠龍緒 |last2=訳 |first3=永井豪 |last3=ほか劇画 |first4=永井豪,安田達矢ダイナミック・プロダクション |last4=画}}</ref>「虎の牙」<ref>{{Cite book |title=虎の牙 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000098-I000177953-00 |publisher=小学館 |date=1984-12-01 |location=東京 |first=モーリス・ルブラン |last=原作 |first2=保篠龍緒 |last2=訳 |first3=永井豪 |last3=ほか劇画 |first4=永井豪,安田達矢ダイナミック・プロダクション |last4=画}}</ref>「三十棺桶島」<ref>{{Cite book |title=三十棺桶島 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000098-I000177950-00 |publisher=小学館 |date=1984-11-01 |location=東京 |first=モーリスルブラン |last=原作 |first2=保篠龍緒 |last2=訳 |first3=永井豪 |last3=ほか劇画 |first4=モーリス・ルブラン |last4=原作 |first5=永井豪,安田達矢ダイナミック・プロダクション |last5=劇画}}</ref>「ルパン対ホームズ」<ref>{{Cite book |title=ルパン対ホームズ |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000098-I000177968-00 |publisher=小学館 |date=1984-06 |location=東京 |first=モーリス・ルブラン |last=原作 |first2=保篠龍緒 |last2=訳 |first3=永井豪,安田達矢ダイナミック・プロダクション |last3=劇画}}</ref>「水晶の栓」<ref>{{Cite book |title=水晶の栓 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000098-I000178128-00 |publisher=小学館 |date=1984-09-01 |location=東京 |first=保篠龍緒 |last=訳 |first2=永井豪 |last2=著 |first3=安田達矢 |last3=著 |first4=モーリス・ルブラン |last4=原作}}</ref>「怪盗紳士」<ref>{{Cite book |title=怪盗紳士 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000098-I000177971-00 |publisher=小学館 |date=1984-05 |location=東京 |first=モーリス・ルブラン |last=原作 |first2=保篠龍緒 |last2=訳 |first3=永井豪 |last3=劇画 |last4=安田達矢ダイナミック・プロダクション}}</ref>「813の謎」<ref>{{Cite book |title=813の謎 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000098-I000177962-00 |publisher=小学館 |date=1984-08-01 |location=東京 |first=モーリス・ルブラン |last=原作 |first2=保篠龍緒 |last2=訳 |first3=永井豪 |last3=劇画 |first4=永井豪 |last4=劇画 |last5=安田達矢ダイナミック・プロダクション}}</ref>「八点鐘」<ref>{{Cite book |title=八点鐘 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000098-I000177999-00 |publisher=小学館 |date=1985-01-01 |location=東京 |first=モーリス・ルブラン |last=原作 |first2=保篠龍緒 |last2=訳 |first3=永井豪 |last3=ほか劇画 |first4=永井豪,安田達矢ダイナミック・プロ |last4=劇画}}</ref>「ルパン再現」<ref>{{Cite book |title=ルパン再現 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000098-I000177982-00 |publisher=小学館 |date=1985-02-01 |location=東京 |first=モーリス・ルブラン |last=原作 |first2=保篠龍緒 |last2=訳 |first3=永井豪 |last3=ほか劇画 |first4=永井豪 |last4=画 |last5=安田達矢ダイナミック・プロ}}</ref>以上10編。 *アルセーヌ・ルパンシリーズ (1989~1998年) {{仮リンク|ジャック・ジュロン|fr|Jacques Géron}}他による、本国フランスでの、原作に忠実な[[バンデシネ]]。全6編。[[偕成社]]より、日本語版(「KAISEI-SHA COMICS 名探偵コレクション」)刊。「水晶の栓」<ref>{{Cite book |title=水晶の栓 : アルセーヌ・ルパン |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002318321-00 |publisher=偕成社 |date=1994 |location=東京 |language=frejpn |first=Geron |last=Jacques}}</ref>「813・ルパンの二重生活」<ref>{{Cite book |title=813・ルパンの二重生活 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000098-I000131977-00 |publisher=偕成社 |date=1994-06 |location=東京 |first=モーリス・ルブラン |last=原作 |first2=ジャック・ジュロン |last2=イラスト |first3=アンドレ・ポール・ドュシャトー |last3=文 |first4=長島良三 |last4=訳}}</ref>「続813・ルパンの三つの犯罪」<ref>{{Cite book |title=続813・ルパンの三つの犯罪―アルセーヌ・ルパン |url=https://www.amazon.co.jp/%E7%B6%9A813%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%B8%89%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E2%80%95%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3-%E5%90%8D%E6%8E%A2%E5%81%B5%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-5-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BBP-%E3%83%89%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%88%E3%83%BC/dp/4036250507/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=25T1SMJ7E16F2&keywords=KAISEI-SHA+COMICS+%E5%90%8D%E6%8E%A2%E5%81%B5%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3&qid=1689672933&s=books&sprefix=kaisei-sha+comics+%E5%90%8D%E6%8E%A2%E5%81%B5%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3,stripbooks,162&sr=1-2 |publisher=偕成社 |date=1994-07-01 |isbn=978-4-03-625050-9 |translator=良三 長島 |others=ン ジャック・ジュロ |last=アンドレ・P.ドュシャトー |first2=ン |last2=モーリス・ルブラ}}</ref>「緑の目の令嬢」<ref>{{Cite book |title=緑の目の令嬢 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000098-I000131958-00 |publisher=偕成社 |date=1994-08 |location=東京 |first=モーリス・ルブラン |last=原作 |first2=ジャック・ジュロン |last2=イラスト |first3=アンドレ・ポール・ドュシャトー |last3=文 |first4=長島良三 |last4=訳}}</ref>「奇岩城」<ref>{{Cite book |title=奇岩城―アルセーヌ・ルパン |url=https://www.amazon.co.jp/%E5%A5%87%E5%B2%A9%E5%9F%8E%E2%80%95%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3-%E5%90%8D%E6%8E%A2%E5%81%B5%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-8-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%88%E3%83%BC/dp/4036250809 |publisher=偕成社 |date=1994-11-01 |isbn=978-4-03-625080-6 |translator=良三 長島 |others=ン ジャック・ジュロ |first=ー |last=アンドレ・ポール・ドュシャト |first2=ン |last2=モーリス・ルブラ}}</ref>「特捜班ビクトール」以上6編。 *まんが怪盗ルパン(1997~1998年)[[一峰大二]]による漫画化。単行本全5巻。[[くもん出版]]<ref>{{Cite book |title=まんが怪盗ルパン(1) ルパンの逮捕 {{!}} モーリス・ルブラン,一峰 大二 {{!}} 絵本ナビ:レビュー・通販 |url=https://www.ehonnavi.net/sp/sp_ehon00.asp?no=109487 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite book |title=まんが怪盗ルパン(2) 不思議な旅行者 {{!}} モーリス・ルブラン,一峰 大二 {{!}} 絵本ナビ:レビュー・通販 |url=https://www.ehonnavi.net/sp/sp_ehon00.asp?no=109488 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite book |title=まんが怪盗ルパン(3) 女王の首飾り {{!}} モーリス・ルブラン,一峰 大二 {{!}} 絵本ナビ:レビュー・通販 |url=https://www.ehonnavi.net/sp/sp_ehon00.asp?no=109489 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite book |title=まんが怪盗ルパン(4) ハートの7 {{!}} モーリス・ルブラン,一峰 大二 {{!}} 絵本ナビ:レビュー・通販 |url=https://www.ehonnavi.net/sp/sp_ehon00.asp?no=109490 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite book |title=まんが怪盗ルパン(5) ブロンドの貴婦人 {{!}} モーリス・ルブラン,一峰 大二 {{!}} 絵本ナビ:レビュー・通販 |url=https://www.ehonnavi.net/sp/sp_ehon00.asp?no=109491 |language=ja}}</ref>。 *mystery classics アルセーヌ・ルパン編 (2005年~) 森元さとるによる短編数篇の漫画化。[[講談社]]。全3巻。<ref>{{Cite web|和書|title=『mystery classics ~甦る名探偵達~ アルセーヌ・ルパン編(1)』(森元 さとる) 製品詳細 講談社コミックプラス |url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000043109 |website=講談社コミックプラス |access-date=2023-07-18 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|url=https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF-%E6%80%AA%E7%9B%97%E7%B4%B3%E5%A3%AB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3-%E5%85%AB%E7%82%B9%E9%90%98-%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%82%A3%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-JET/dp/4776745062 |publisher=宙出版 |date=2017-06-01 |isbn=978-4-7767-4506-8 |last=JET |first2=ン |last2=モーリス・ルブラ}}</ref>。 *コミック版ルパン&ホームズ (2009年~) 春野まことによる、[[ポプラ社]]版の数編の漫画化。全5巻。<ref>{{Cite web|和書|title=コミック版 ルパン&ホームズ(全5巻) |url=https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/8687.00.html |website=ポプラ社 |access-date=2023-07-18}}</ref> *[[アバンチュリエ|怪盗ルパン伝 アバンチュリエ]] (2011年~) [[森田崇]]による、原作第1話「ルパン逮捕される」からの大河形式での漫画化。 **[[アバンチュリエ|アバンチュリエ 新訳アルセーヌ・ルパン]] - [[講談社]][[イブニング]]連載 (2011~2012年) 「怪盗紳士ルパン」(一部掲載話変更)から「金髪婦人」まで。単行本全5巻。 **[[アバンチュリエ|怪盗ルパン伝 アバンチュリエ《登場編》]] - [[ヒーローズ (企業)|ヒーローズ]]/[[小学館クリエイティブ]][[月刊ヒーローズ]]刊 イブニング連載分に「黒真珠」を加えた増補・改訂版。単行本上・下(「怪盗紳士」「金髪婦人」)巻。 **[[アバンチュリエ|怪盗ルパン伝 アバンチュリエ]] - [[ヒーローズ (企業)|ヒーローズ]]/[[小学館クリエイティブ]][[月刊ヒーローズ]]連載 (2013年~) 登場編(イブニング連載分)の続き。「公妃の宝冠(ルパンの冒険・戯曲アルセーヌ・ルパン)」からスタート。以下「ユダヤのランプ」「奇巌城」と連載中。 *VSルパン (2014年~) [[さいとうちほ]]による漫画化。小学館「[[月刊フラワーズ]]」連載。コミックス既刊5巻<ref>{{Cite book |title=VSルパン |url=https://www.amazon.co.jp/VS%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3-1-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1-%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%86-%E3%81%A1%E3%81%BB/dp/4091361102/ref=rw_dp_pbnx_fo_thb_1 |publisher=小学館 |date=2014-04-10 |isbn=978-4-09-136110-3 |first=ちほ |last=さいとう |first2=ン |last2=モーリス・ルブラ}}</ref><ref>{{Cite book |title=VSルパン |url=https://www.amazon.co.jp/VS%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3-2-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1-%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%86-%E3%81%A1%E3%81%BB/dp/4091374336/ref=rw_dp_pbnx_fo_thb_2 |publisher=小学館 |date=2015-07-10 |isbn=978-4-09-137433-2 |first=ちほ |last=さいとう |first2=ン |last2=モーリス・ルブラ}}</ref><ref>{{Cite book |title=VSルパン |url=https://www.amazon.co.jp/VS%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3-3-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1-%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%86-%E3%81%A1%E3%81%BB/dp/4091386814/ref=rw_dp_pbnx_fo_thb_3 |publisher=小学館 |date=2016-10-07 |isbn=978-4-09-138681-6 |first=ちほ |last=さいとう |first2=ン |last2=モーリス・ルブラ}}</ref><ref>{{Cite book |title=VSルパン |url=https://www.amazon.co.jp/VS%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3-4-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1-%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%86-%E3%81%A1%E3%81%BB/dp/4098705400/ref=rw_dp_pbnx_fo_thb_4 |publisher=小学館サービス |date=2019-08-09 |isbn=978-4-09-870540-5 |first=ちほ |last=さいとう}}</ref><ref>{{Cite book |title=VSルパン |url=https://www.amazon.co.jp/VS%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3-5-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1-%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%86-%E3%81%A1%E3%81%BB/dp/4098712954/ref=rw_dp_pbnx_fo_thb_5 |publisher=小学館 |date=2021-04-09 |isbn=978-4-09-871295-3 |first=ちほ |last=さいとう |first2=ン |last2=モーリス・ルブラ}}</ref><ref>{{Cite book |title=VSルパン |url=https://www.amazon.co.jp/VS%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3-6-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%CE%B1-%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%86-%E3%81%A1%E3%81%BB/dp/4098717115/ref=rw_dp_pbnx_fo_thb_6 |publisher=小学館 |date=2022-07-08 |isbn=978-4-09-871711-8 |first=ちほ |last=さいとう |first2=ン |last2=モーリス・ルブラ}}</ref>(2022年7月現在)。 ==舞台作品== ===ルパン -ARCЁNE LUPIN-=== :モーリス・ルブラン作『ルパン、最後の恋(ハヤカワ・ミステリ刊/ハヤカワ文庫近刊)』を原作としたミュージカル。[[宝塚歌劇団]]・[[月組]]公演。2013年7月12日 - 8月12日 [[宝塚大劇場]]、8月30日 - 10月6日 [[東京宝塚ビル#東京宝塚劇場|東京宝塚劇場]]。:併演作はグランドレビュー「[[Fantastic Energy!]]」。(宝塚クリエイチブアーツより宝塚大劇場公演を録画したDVDが発売されている) ;主演 *アルセーヌ・ルパン:[[龍真咲]] *カーラ・ド・レルヌ:[[愛希れいか]] ;その他の主な出演者 *モーリス・ルブラン:[[北翔海莉]] *ビクトワール:[[飛鳥裕]] *ベアフォール伯爵:[[美弥るりか]] *ドナルド・ドースン:[[凪七瑠海]] *トニー・カーペット:[[沙央くらま]] *ジェスタン・ガニマール:[[星条海斗]] *フラヴィ:[[憧花ゆりの]] *ヘリンボーン:[[越乃リュウ]] ===A / L--怪盗ルパンの青春--=== [[シアター・ドラマシティ]](2007年3月)宙組特別公演、[[日本青年館]]([[宝塚クリエイティブアーツ]]よりシアター・ドラマシティ公演を録画したDVDが発売されていた) :作・演出 斉藤吉正。作曲・編曲 青木朝子 ;主な出演者 *ラウル・バラン(A / L):[[大和悠河]] *アニエス・ド・スーピーズ:[[陽月華]] *シャーロック・ホームズ:[[北翔海莉]] *アンリエット:[[光あけみ]] *ルイ・アントワーヌ・レオン公爵:[[悠未ひろ]] *ドクトル・ゴッズ:[[寿つかさ]] *スービーズ伯爵夫人:[[鈴奈沙也]] *ミロ・ガニマール警部:[[初嶺麿代]] *ヴィクトワール・ル・ルブラン:[[美風舞良]] *ローアン枢機卿:[[十輝いりす]] *エヴァ・ローレン:[[和音美桜]] :ルブランの短編「王妃の首飾り」を中心に「アンペール夫人の金庫」、「シャーロック・ホームズの遅すぎた到着」などの挿話を取り込んだオリジナル脚本。 ===ルパン=== 1987年10月8日~25日PARCO劇場初演 :作・演出 [[隆巴]] :音楽 [[池辺晋一郎]] ;主な出演者 *ルパン、ルブラン(二役):[[仲代達矢]] *メーテルリンク:[[隆大介]] 入鹿尊、大西多摩恵、他 :仲代がルブランとルパンの二役を演じ作中世界と現実世界を往還するオリジナル戯曲。[[無名塾]]制作。 : === ARSÈNE LUPIN “et Sonia!”&“en Prison!” === 2018/1/30[火]> 2/4[日]ウッディシアター中目黒 翻訳・構成・脚色・演出 [[小林ヒデタケ]][[[イルカ団|イルカ団!]]] [[イルカ団|イルカ団!]] PRESENTS RATATATTAT!×モーリス・ルブランとして[[ウッディシアター中目黒]]で上演。<ref>http://www.irukadan.com/next.html</ref> “et Sonia!”は、モーリス・ルブランが書いた唯一の長編戯曲“ARSÈNE LUPIN“(邦題:ルパンの冒険、小説版:消えた宝冠)を翻訳、脚色して日本初上演。 “en Prison!”は、アルセーヌ・ルパンシリーズ第一作“L'ARRESTATION D'ARSÈNE LUPIN”(邦題:アルセーヌ・ルパンの逮捕)と第二作“ARSÈNE LUPIN EN PRISON”(邦題:獄中のアルセーヌ・ルパン)を原作にしたオリジナル脚本。 “et Sonia!” * ガニマール警部:[[夢麻呂]](『熱ら。』) * シャルムラース公爵:[[渡辺隼斗]] * ソニア・クリチーノフ:[[松田実里]] * ジェルメーヌ:[[小松詩乃]] * イルマ:角田佳代(劇団フジ) “en Prison!” * ネリー・アンダダウン:[[高橋あゆみ]] * ベルナール・ダンドレジー:今井玲男 * ガニマール警部:夢麻呂(『熱ら。』) === ARSÈNE LUPIN 2e “le RETOUR D'”&“et CLARISSE” === 2019/1/29[火]> 2/3[日]ウッディシアター中目黒 翻訳・構成・脚色・演出 [[小林ヒデタケ]][[[イルカ団|イルカ団!]]] [[イルカ団| イルカ団!]] PRESENTS RATATATTAT!×モーリス・ルブランとして[[ウッディシアター中目黒]]で上演。<ref>{{Cite web|和書|title=イルカ団/次回公演|url=http://www.irukadan.com/next.html|website=www.irukadan.com|accessdate=2019-02-06}}</ref>  “le RETOUR D'”は“EDITH AU COU DE CYGNE(邦題:白鳥の首のエディス)”、“''LE RETOUR D'ARSÈNE LUPIN''(邦題:アルセーヌ・ルパンの帰還)”、“''LA MORT QUI RÔDE''(邦題:うろつく死神)”を原作とし、  “et CLARISSE”は“LE BOUCHON DE CRISTAL(邦題:水晶の栓)”“LA COMTESSE DE CAGLIOSTRO(邦題:カリオストロ伯爵夫人)”を原作としたオリジナル脚本。 “le RETOUR D'” * ガニマール警部:[[夢麻呂]](『熱ら。』) * エディス・スパルミエント/ソニア・クリチーノフ:[[松田実里]] * フィユル予審判事/ヴィクトワール:[[小松詩乃]] * ジョルジュ・シャンドン・ジェロ:今井玲男 “et CLARISSE” * アルセーヌ・ルパン:[[渡辺隼斗]] * クラリス・メルジー:[[高橋あゆみ]] * クラリス・デティーグ:植野祐美 * ヴィクトワール:角田佳代(劇団フジ) ===ARSÈNE LUPIN 3e “et DEUX SOURIRES”&“vs GANIMARD”=== 2020/1/28[火]> 2/2[日]ウッディシアター中目黒 翻訳・構成・脚色・演出 [[小林ヒデタケ]][[[イルカ団|イルカ団!]]] [[イルカ団| イルカ団!]] PRESENTS RATATATTAT!×モーリス・ルブランとして[[ウッディシアター中目黒]]で上演。<ref>{{Cite web|和書|title=イルカ団!の「ルパン」シリーズ第3弾、2作品を交互上演|url=https://natalie.mu/stage/news/363074|website=ステージナタリー|accessdate=2020-02-03|language=ja|publisher=株式会社ナターシャ}}</ref> “et DEUX SOURIRES”は“LA FEMME AUX DEUX SOURIRES(二つの微笑を持つ女)”と“Le Sept de cœur(ハートの7)”を原作とし、“vs GANIMARD”は“VICTOR,DE LA BRIGADE MONDAINE(特捜班ビクトール)”を原作としたオリジナル脚本。 “et DEUX SOURIRES” * アルセーヌ・ルパン:[[渡辺隼斗]] * コンスタンス・ベークフィールド:[[高橋あゆみ]] * アントニーヌ・ゴーチエ/クララ:小林未往 * ジャンヌ・ブルジョワ/ル・バリュ:枢木むつ “vs GANIMARD” * ガニマール警部:[[夢麻呂]](『熱ら。』) * コンスタンス・ベークフィールド:[[松田実里]] * モーレオン警視:秋本一樹([[劇団め組]]) * ガブリエル・ドオトレー:角田佳代(劇団フジ) === ARSÈNE LUPIN 4e “la BLONDE -金髪婦人-” === 2021/1/19[火]>1/24[日]ウッディシアター中目黒 翻訳・構成・脚色・演出 [[小林ヒデタケ]][[[イルカ団|イルカ団!]]] [[イルカ団|イルカ団!]] PRESENTS RATATATTAT!×モーリス・ルブランとして[[ウッディシアター中目黒]]で上演。<ref>{{Cite web|和書|title=イルカ団/次回公演|url=http://www.irukadan.com/next.html|website=www.irukadan.com|accessdate=2021-01-27}}</ref> “LA DAME BLONDE(金髪婦人)”、“LA LAMPJUIVE(''ユダヤのランプ'')”、“HERLOCK SHOLMÈS ARRIVETROP TARD(''おそかりしシャーロック・ホームズ'')”三つの作品を原作としたオリジナル脚本。 * アルセーヌ・ルパン:[[渡辺隼斗]] * シャーロック・ホームズ:大塚真矢 * ワトソン:後藤星羅 * ビクトール・ダンブルバル男爵:[[川島広輝]] * クロチルド・デタンジュ:[[高橋あゆみ]] * アリス・ドマン:矢萩麻里菜 * クローゾン伯爵夫人:角田佳代 ==朗読劇== ===ノサカラボ朗読劇「アルセーヌ・ルパン」シリーズ=== 世界中の名作ミステリーを専門に舞台化、上演していくことをコンセプトに活動している[[ノサカラボ]]による朗読劇シリーズ。 === 朗読劇「アルセーヌ・ルパン#1 813」=== 2021/12/4[土]> 12/5[日]草月ホール 構成・演出 :[[野坂実]] * アルセーヌ・ルパン:[[関智一]] * モーリス・ルブラン:木村良平 * ドロレス・ケッセルバッハ:能登麻美子(Wキャスト)、小松未可子(Wキャスト) * ヴィくトワール:[[井上喜久子]] * ジュヌビエーヴ・エルヌモン:[[古賀葵]] * ドイツ皇帝:高木渉 * アンサンブルキャスト:金森陽助、金光宣明、川東哲也、斉藤隼一、佐々木哲夫、高橋祐典、佐藤聴成、千菜津、古川靖人、野田てつろう === 朗読劇「アルセーヌ・ルパン#2 虎の牙」=== 2022/8/6[土]> 8/7[日]イイノホール 脚本・構成・演出 :[[野坂実]] * アルセーヌ・ルパン:[[関智一]] * モーリス・ルブラン:木村良平 * ガストン・ソーブラン:梶裕貴 * フロランス・ルバッスール:花澤香菜 * ジャン・ベルノック:金光宣明 * イポリート・フォービル:岩田光央 * デマリオン警視総監:関俊彦 * アンサンブルキャスト:阿部純也、上西哲平、江尻拓己、光部樹、斉藤隼一、高橋雛子、宮園拓夢、三好翼 === 朗読劇「アルセーヌ・ルパン#3 緑の目の令嬢」=== 2023/9/30[土]>10/1[日]日経ホール 構成・脚色・演出:[[野坂実]] * アルセーヌ・ルパン:[[関智一]] * モーリス・ルブラン:木村良平 * オーレリー・ダストゥー:高橋李依(Wキャスト)、伊藤美来(Wキャスト) * ギョーム・アンシベル:竹内栄治 * ジョド:金光宣明 * ロドルフ・マレスカル:諏訪部順一 * プレジャック:井上和彦 * アンサンブルキャスト:石井隆之、井上歌奏子、太田秀介、倉本春奈、佐藤聴成、鈴木幸二、武井和歩、新田純輝、三好翼、本谷史織 ==音楽== ===Lupin il ladro gentiluomo(怪盗紳士ルパン)=== :歌 [[José Luis Moreno]] (スペイン出身の歌手・俳優・腹話術師ホセ・ルイス・モレノが1985年にイタリアで出したRockfeller A Pentatlonというアルバムに収録) == 関連事項 == * [[サバット]] - ルパンが父から手ほどきを受けた武術。日本語訳では「ボクシング」と表記されることが多い。 * [[ルパン三世]] - [[ルパン三世 (架空の人物)|主人公]]がアルセーヌ・ルパンの孫という設定 * [[シャーロック・ホームズ]] * [[孫了紅]] - 東洋のアルセーヌ・ルパンと呼ばれる魯平(ルーピン)シリーズを書いた推理作家 * [[ジャン=ポール・サルトル]] - ルパンのことを「泥棒界の[[シラノ・ド・ベルジュラック|シラノ]](Cyrano de la pègre)」と評した。<ref group="注釈"> ジャン=ポール・サルトル「[[:fr:Les Mots|言葉]]」(1964年)[[人文書院]]刊行の[[沢田直]]訳では「泥棒世界のシラノ」としているが、正しくは「裏社会のシラノ」である。</ref> * [[雅孝司]] - アンソロジー『黄昏ホテル』(2004年12月、小学館)所収の短編「一つだけのイアリング」で怪盗紳士の名前がモチーフになっている。 * 翻訳者 ** [[保篠龍緒]] - 1892-1968。戦前・戦後にルパン・シリーズを一手に訳していた訳者。日本出版協同「アルセーヌ・ルパン全集」(1951年)等。 ** [[南洋一郎]] - 1893-1980。戦後児童向けにルパン・シリーズのほとんどをリライトした児童作家。ポプラ社「怪盗ルパン全集」(1958年)等。 ** [[堀口大学]] - 1892-1981。新潮文庫「ルパン傑作集」(1959年)等。 ** [[井上勇]] - 1901-1985。東京創元社「アルセーヌ・リュパン全集」(1959年)等。 ** [[石川湧]] - 1906-1976。東京創元社「アルセーヌ・リュパン全集」(1959年)等。 ** [[榊原晃三]] - 1930-1996。アルセーヌ・ルパンシリーズの幾つかを訳しているが、特に[[ルパン最後の事件]](偕成社 アルセーヌ=ルパン全集25, 1982年)を唯一翻訳している。 ** [[大友徳明]] - 1935-。偕成社「アルセーヌ=ルパン全集」(1982年)等。 ** [[長島良三]] - 1936-2013。岩崎書店「アルセーヌ・ルパン名作集」(1997年)、偕成社「アルセーヌ=ルパン全集」(1982年)等。 ** [[矢野浩三郎]] - 1936-2006。偕成社「アルセーヌ=ルパン全集」(1982年)等。 ==脚注== {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} ==参考文献== {{参照方法|date=2009年1月|section=1}} *[[ジャン=クロード・ラミ]] 『アルセーヌ・リュパン―怪盗紳士の肖像』東京創元社 [[大友徳明]]訳 ISBN 4488015107 *[[和田英次郎]] 『怪盗ルパンの時代―ベル・エポックを謳歌した伊達男』早川書房 ISBN 4152033975 *[[松村喜雄]] 『怪盗対名探偵―フランス・ミステリーの歴史』晶文社 ISBN 479495963X ISBN 4575658510 *浜田知明 「解説」 『アルセーヌ・ルパン(世界の名探偵コレクション10)』集英社(文庫) ISBN 4087485579 *浜田知明 「解説」 『怪盗ルパン 奇巌城』 ISBN 4087520323 *榊原晃三 「解説」 『アルセーヌ・ルパン全集 ルパン最後の事件』偕成社 ISBN 4038152502 *住田忠久 「解説」 『戯曲アルセーヌ・ルパン』論創社 ISBN 4846007413 ==外部リンク== {{commonscat|Arsène Lupin}} *[http://www.arsene-lupin.com/ ルパン荘] *[http://www.coolfrenchcomics.com/arsenelupin.htm Arsène Lupin] {{アルセーヌ・ルパン}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:るはん あるせえぬ}} [[Category:アルセーヌ・ルパン|*]] [[Category:推理小説の登場人物]] [[Category:怪盗]] [[Category:架空の探偵]]
2003-04-13T13:04:05Z
2023-11-04T13:11:43Z
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非電化
非電化路線(ひでんかろせん)は、その路線を走行する列車の動力に電気を用いない、すなわち電化されていない鉄道路線のことである。 非電化路線の動力としては、黎明期には馬や人力も使われた例があるが、初期の段階では蒸気機関が中心であった。20世紀半ば以降、非電化区間ではおもに内燃機関を用いた内燃機関車、気動車が使用されている。機関効率や安全性においてディーゼルエンジンが最も有利とされ、多く採用されている。ほかにガソリンエンジンやガスタービンエンジンを使用した例もある。将来に向けては、ハイブリッド気動車・蓄電池電車・燃料電池動車の導入(日本の電気式気動車#電気式への回帰とその趨勢(ハイブリッド気動車・新世代の電気式気動車)も参照)やバイオディーゼルの実用化検討(いすみ鉄道・北条鉄道)などの取り組みが進められている。 鉄道は電化した方が使用エネルギーの効率が上がり、列車の高速化も内燃機関を使用した場合よりはるかに容易である。しかし、電化には設備の建設や維持に大きな投資が必要になるほか、さまざまな条件の制約を受けることもあり、非電化のままとなっている例もある。 一般的に輸送量が多い区間ほど電化した方が運行費が安価となるが、石油燃料を安価に供給できているうえに列車本数が少ない国や、経済力に比べて電気の製造コストが高い国、鉄道に十分な投資が難しい一部の発展途上国などでは、幹線でもまったく電化されていない国も多い。発展途上国では、乗客の多い人口密集地においても無賃乗車を目論む者が列車の屋根に登って感電事故を起こすリスク、電化に必要な大規模電気設備の維持にまつわる技術的な問題、治安状況が悪い場合には電気設備や架線が盗難に遭うリスクやそれによる余計なコストの発生なども、総合的に考慮する必要がある。 逆に、スイスなど電力を安価に供給可能な国では、列車本数の少ない区間でも大半を電化している。 最も一般的な例である。電化を行うには路線への投資額が多くなるため、ある程度の需要が継続的に見込まれる都市周辺以外では、非電化のままとなっている路線が少なくない。 JR北海道が代表的な事例である。人口密度の希薄な地域が多いため駅間距離が長く、輸送密度が低い。また、北海道の場合は機器や架線の雪や寒さによる故障も頻繁に起こりやすい。その結果、たとえその区間の需要が高くても、電化に関わる投資額や維持・修理のためのコストが高くなる割に、鉄道電化のメリットを発揮しにくいことが挙げられる。 高山本線や宗谷本線などは当初は電化する予定であったものの、その時期が国鉄末期の財政難も重なり、電化を断念し、両者とも非電化のまま特急列車を通過させるための高速化改良に移行した。 途中区間の既存のトンネルが電化を前提に設計されておらず、断面が小さく架線を張ることが困難であるという理由で、非電化となっている路線もある。 JR四国が代表的な事例である。土讃線のうち、琴平駅までは電化されているが、それ以南は電化されていない。また、高徳線に至っては起点の高松市内に小断面のトンネルが存在するため、香川県内だけの電化すらできず非電化のままである。 戦争状態に陥った場合、自国土の発電所や変電所・送電線などは敵国にとっての攻撃・破壊の上位対象となってくる。電化済みの鉄道の場合、これらが武力攻撃で破壊されて電力供給が絶たれるうえ、停電すると電気車両の運行は不可能となる。このため、軍事的な理由(変電所への攻撃を避けるなど)で大部分の路線が非電化のところもある。 また、弾丸列車計画は同様の理由で東京 - 静岡間は長大な新丹那トンネルを有することから電化が計画され、それ以外の区間は、非電化で計画されたが、第二次世界大戦後に建設された東海道・山陽新幹線は、電車(交流25,000ボルト)による運行である。 なお、非電化であっても信号やCTC、踏切などの設備は電力を得て動作しており、停電すれば運行できなくなる可能性がある。戦争ではないが、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う計画停電の際には、関東地方の非電化路線においても運休や減便といった影響が発生した。 茨城県筑波山付近の石岡市柿岡にある気象庁地磁気観測所の周辺地域は、直流電化を行うと直流の電流が磁場を発生させる現象(ビオ・サバールの法則)により測定が正確にできなくなり、一方で交流電化を行うと、電化工事は直流に比べて低コストだが交流型電車の増備が高コストとなる。そのため、この地域を通る鉄道のうち、交流電化に伴う費用の捻出の難しい関東鉄道は非電化となっている。かつて、磁気を発生させない直直デッドセクション方式による直流電化実験が行われたことがあったが、やはりコスト面から直流電化も断念している。戦前には水戸電気鉄道がこの影響で電化を行えずに当初の計画の挫折に追い込まれ、後に廃線となった例もある。 仙石東北ラインは直流電化の仙石線と交流電化の東北本線を結んでいるが、立地上デッドセクションが設置できないため連絡線は非電化となっており、直通列車はHB-E210系気動車で運行されている。 平成時代に新規開業した路線はほとんどが電化路線として開業しているが、日本鉄道建設公団建設線を開業した第三セクター鉄道は、電車によるJRからの特急「はくたか」が乗り入れるために電化された北越急行ほくほく線以外は、ほとんどが非電化となっている。特に井原鉄道井原線は、両端で接続するJR伯備線と福塩線が井原線開業時の1999年時点で電化されていたにもかかわらず、非電化で開業している。 鉄道の需要が少なくなると、採算性改善の可能性を求めて、鉄道の運行事業者が電化の廃止を選択する場合がある。これは、変電所や架線などの電化設備の維持コストと気動車の運用コストを比較した場合に、電化を廃止したほうがコストを削減できると判断されたためである。池田鉄道や羽後交通雄勝線、玉野市営電気鉄道、名鉄三河線の一部と八百津線、くりはら田園鉄道線、JR九州長崎本線などがその例であるが、それでも採算が取れずに廃線に至った路線も少なくない。 また、電化設備は維持したままでも、主に普通列車の運行コストを削減するため、電気車を気動車などに置き換える例もある(会津鉄道、肥薩おれんじ鉄道、えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインなど)。これは、JRでも主に県境を跨ぐ区間や路線末端の閑散区間、交流・直流電化の接続区間で顕著に見られるほか、電化に際して高価な電車の新製コストを抑えるため、電化以前から使用されていた車両をそのまま使い続ける例も見られる。 戦前の日本の私鉄の中には、阿波電気軌道や善光寺白馬電鉄のように将来の電化を構想し、非電化のまま「電気鉄道(軌道)」や「電鉄」を社名に冠した例もあったが、その多くは実際の電化を果たせないまま、廃止や改名に追い込まれている。また、非電化私鉄が既存の電化私鉄に合併された結果、電気鉄道会社に所属する非電化路線となった例もある。
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電気を用いないこと。発明家の藤村靖之が提唱する「非電化製品プロジェクト」や「非電化生活」など。アーミッシュ#生活等も参照。 電化されていない鉄道路線、非電化路線のこと。本項で記述する。 非電化路線(ひでんかろせん)は、その路線を走行する列車の動力に電気を用いない、すなわち電化されていない鉄道路線のことである。
# [[電気]]を用いないこと。発明家の[[藤村靖之]]が提唱する「非電化製品プロジェクト」や「非電化生活」など。[[アーミッシュ#生活]]等も参照。 # 電化されていない鉄道路線、非電化路線のこと。本項で記述する。 ---- {{告知}} {{複数の問題 |出典の明記=2015-05-27 |特筆性=2016-06-02 |正確性=2019-08-23 |独自研究=2019-08-23 }} '''非電化路線'''(ひでんかろせん)は、その路線を走行する[[列車]]の動力に電気を用いない、すなわち[[鉄道の電化|電化]]されていない[[鉄道路線]]のことである。 == 使用動力 == 非電化路線の動力としては、黎明期には[[馬]]や[[人力]]も使われた例があるが、初期の段階では[[蒸気機関]]が中心であった。20世紀半ば以降、非電化区間ではおもに[[内燃機関]]を用いた内燃機関車、[[気動車]]が使用されている。機関効率や安全性において[[ディーゼルエンジン]]が最も有利とされ、多く採用されている。ほかに[[ガソリンエンジン]]や[[ガスタービンエンジン]]を使用した例もある。将来に向けては、[[鉄道車両におけるハイブリッド|ハイブリッド気動車]]・[[蓄電池電車]]・[[燃料電池]]動車の導入([[日本の電気式気動車#電気式への回帰とその趨勢(ハイブリッド気動車・新世代の電気式気動車)]]も参照)や[[バイオディーゼル]]の実用化検討([[いすみ鉄道]]・[[北条鉄道]])などの取り組みが進められている。<!--詳細は[[気動車]]などで書けばいいでしょう--> == 非電化の理由 == 鉄道は電化した方が使用エネルギーの効率が上がり、列車の[[高速化 (鉄道)|高速化]]も内燃機関を使用した場合よりはるかに容易である。しかし、電化には設備の建設や維持に大きな投資が必要になるほか、さまざまな条件の制約を受けることもあり、非電化のままとなっている例もある。 一般的に輸送量が多い区間ほど電化した方が運行費が安価となるが、[[石油]]燃料を安価に供給できているうえに列車本数が少ない国や、経済力に比べて電気の製造コストが高い国、鉄道に十分な投資が難しい一部の[[開発途上国|発展途上国]]などでは、[[幹線]]でもまったく電化されていない国も多い。発展途上国では、乗客の多い人口密集地においても[[不正乗車|無賃乗車]]を目論む者が[[トレイン・サーフィン|列車の屋根に登って]][[感電]]事故を起こすリスク、電化に必要な大規模電気設備の維持にまつわる技術的な問題、[[治安]]状況が悪い場合には電気設備や[[架線]]が[[窃盗|盗難]]に遭うリスクやそれによる余計なコストの発生なども、総合的に考慮する必要がある。 逆に、[[スイス]]など電力を安価に供給可能な国では、列車本数の少ない区間でも大半を電化している。 === 需要の低さ(費用対効果)から非電化となっている例 === 最も一般的な例である。電化を行うには路線への投資額が多くなるため、ある程度の需要が継続的に見込まれる都市周辺以外では、非電化のままとなっている路線が少なくない。 [[北海道旅客鉄道|JR北海道]]が代表的な事例である。[[人口密度]]の希薄な地域が多いため駅間距離が長く、[[輸送密度]]が低い。また、[[北海道]]の場合は機器や[[架線]]の[[雪]]や寒さによる故障も頻繁に起こりやすい。その結果、たとえその区間の需要が高くても、電化に関わる投資額や維持・修理のためのコストが高くなる割に、鉄道電化のメリットを発揮しにくいことが挙げられる。 [[高山本線]]や[[宗谷本線]]などは当初は電化する予定であったものの、その時期が[[日本国有鉄道|国鉄]]末期の[[財政]]難も重なり、電化を断念し、両者とも非電化のまま[[特別急行列車|特急列車]]を通過させるための高速化改良に移行した。 === 物理的理由(断面の小さいトンネル)から非電化となっている例 === 途中区間の既存の[[トンネル]]が電化を前提に設計されておらず、断面が小さく架線を張ることが困難であるという理由で、非電化となっている路線もある。 [[四国旅客鉄道|JR四国]]が代表的な事例である。[[土讃線]]のうち、[[琴平駅]]までは電化されているが、それ以南は電化されていない。また、[[高徳線]]に至っては起点の[[高松市]]内に小断面のトンネルが存在するため、[[香川県]]内だけの電化すらできず非電化のままである。 === 軍事的事情から非電化となっている例 === [[戦争]]状態に陥った場合、自国土の[[発電所]]や[[変電所]]・[[送電線]]などは[[敵]]国にとっての[[攻撃]]・[[破壊]]の上位対象となってくる。電化済みの鉄道の場合、これらが武力攻撃で破壊されて電力供給が絶たれるうえ、[[停電]]すると電気車両の運行は不可能となる。このため、軍事的な理由(変電所への攻撃を避けるなど)で大部分の路線が非電化のところもある。 また、[[弾丸列車]]計画は同様の理由で東京 - 静岡間は長大な[[新丹那トンネル]]を有することから電化が計画され、それ以外の区間は、非電化で計画されたが、[[第二次世界大戦]]後に建設された[[東海道・山陽新幹線]]は、電車([[交流]]25,000[[ボルト (単位)|ボルト]])による運行である。 なお、非電化であっても[[鉄道信号機|信号]]や[[列車集中制御装置|CTC]]、[[踏切]]などの設備は電力を得て動作しており、[[停電]]すれば運行できなくなる可能性がある。戦争ではないが、[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])に伴う[[輪番停電|計画停電]]の際には、[[関東地方]]の非電化路線においても[[運転整理|運休や減便]]といった影響が発生した。 === その他の例 === [[茨城県]][[筑波山]]付近の[[石岡市]]柿岡にある[[気象庁地磁気観測所]]の周辺地域は、[[直流電化]]を行うと直流の電流が[[磁場]]を発生させる現象([[ビオ・サバールの法則]])により測定が正確にできなくなり、一方で[[交流電化]]を行うと、電化工事は直流に比べて低コストだが[[交流型電車]]の増備が高コストとなる<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://news.mynavi.jp/article/trivia-114/ |title=第114回 鉄道トリビア 「非電化複線」が意外に少ない理由 |access-date=2022-06-10 |publisher=マイナビ |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20220610122312/https://news.mynavi.jp/article/trivia-114/ |archive-date=2022-06-10 |date=2011-09-03 |website=マイナビニュース}}</ref>。そのため、この地域を通る鉄道のうち、交流電化に伴う費用の捻出の難しい[[関東鉄道]]は非電化となっている<ref name=":0" />。かつて、磁気を発生させない直直[[デッドセクション]]方式による直流電化実験が行われたことがあったが、やはりコスト面から直流電化も断念している。[[戦前]]には[[水戸電気鉄道線|水戸電気鉄道]]がこの影響で電化を行えずに当初の計画の挫折に追い込まれ、後に[[廃線]]となった例もある。 [[仙石東北ライン]]は直流電化の[[仙石線]]と交流電化の[[東北本線]]を結んでいるが、立地上[[デッドセクション]]が設置できないため連絡線は非電化となっており、直通列車は[[JR東日本HB-E210系気動車|HB-E210系気動車]]で運行されている。 [[平成]]時代に新規開業した路線はほとんどが電化路線として開業しているが、[[日本鉄道建設公団]]建設線を開業した[[第三セクター鉄道]]は、電車によるJRからの特急「[[はくたか]]」が乗り入れるために電化された[[北越急行ほくほく線]]以外は、ほとんどが非電化となっている。<!--これは、国鉄の[[特定地方交通線]]を引き継ぐためなどの理由から。-->特に[[井原鉄道井原線]]は、両端で接続するJR[[伯備線]]と[[福塩線]]が井原線開業時の[[1999年]]時点で電化されていたにもかかわらず、非電化で開業している。 == 電化の廃止 == {{See also|鉄道の電化#電化設備の撤去}} 鉄道の需要が少なくなると、[[損益分岐点|採算性]]改善の可能性を求めて、[[鉄道事業者|鉄道の運行事業者]]が電化の廃止を選択する場合がある。これは、[[変電所]]や[[架線]]などの電化設備の維持コストと[[気動車]]の運用コストを比較した場合に、電化を廃止したほうがコストを削減できると判断されたためである。[[池田鉄道]]や[[羽後交通雄勝線]]、[[玉野市営電気鉄道]]、[[名鉄三河線]]の一部と[[名鉄八百津線|八百津線]]、[[くりはら田園鉄道線]]、[[九州旅客鉄道|JR九州]][[長崎本線]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://toyokeizai.net/articles/-/449275?page=3 |title=新幹線開業で主役交代、在来線「長崎本線」の現状 引き続きJR九州が運営する区間の将来の姿は? |access-date=2022-06-10 |publisher=東洋経済新報社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20220610121509/https://toyokeizai.net/articles/-/449275?page=3 |archive-date=2022-06-10 |date=2021-08-24 |page=3 |website=東洋経済オンライン}}</ref>などがその例であるが、それでも採算が取れずに[[廃線]]に至った路線も少なくない。 また、電化設備は維持したままでも、主に[[普通列車]]の運行コストを削減するため、電気車を気動車などに置き換える例もある([[会津鉄道]]、[[肥薩おれんじ鉄道]]、[[えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン]]など)。これは、JRでも主に県境を跨ぐ区間や路線末端の閑散区間、[[デッドセクション|交流・直流電化の接続]]区間で顕著に見られる<ref group="注">電気方式の車上切替を行う交流直流両用車両は、直流専用あるいは交流専用車両に比べ、はるかに複雑かつ高価である。</ref>ほか、電化に際して高価な電車の新製コストを抑えるため、電化以前から使用されていた車両をそのまま使い続ける例も見られる。 [[戦前]]の日本の私鉄の中には、[[阿波電気軌道]]や[[善光寺白馬電鉄]]のように将来の電化を構想し、非電化のまま「電気鉄道(軌道)」や「電鉄」を社名に冠した例もあったが、その多くは実際の電化を果たせないまま、廃止や改名に追い込まれている。また、非電化私鉄が既存の電化私鉄に合併された結果、電気鉄道会社に所属する非電化路線となった例もある。 == 脚注 == === 注釈 === <references group="注" />{{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[鉄道]] * [[鉄道の電化]] {{Rail-stub}} {{DEFAULTSORT:ひてんか}} [[Category:鉄道の電化]]
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アキレウス
アキレウス(アキッレウス、希: Ἀχιλλεύς、羅: Achilles)は、ギリシア神話に登場する大英雄で、ホメーロスの叙事詩『イーリアス』の主人公である。ラテン語ではアキレス。 プティーアの出身で、プティーア王ペーレウスと海の女神テティスとの間に生まれた。アイアコスの孫にあたる。スキューロス島の王リュコメーデースの娘デーイダメイアとの間にネオプトレモスをもうけた。トロイア戦争にはミュルミドーン人を率いて50隻の船と共に参加し、たった一人で形勢を逆転させ、敵の名将を尽く討ち取るなど、無双の力を誇ったが、戦争に勝利する前に弱点の踵を射られて命を落とした。足が速く、『イーリアス』では「駿足のアキレウス」と形容される。 アキレウスが生まれると母テティスは、息子を不死の体にするために冥府を流れる川ステュクスの水に息子を浸した。そのとき、テティスの手はアキレウスのかかとを掴んでいたためにそこだけは水に浸からず、かかとのみは不死とならなかった。別の説では、アキレウスはテティスに焼き殺されかけ、失った足の代わりに最速の巨人ダミュソスの踵の骨を与えられたが、ここが弱点になったという。テティスはアキレウスを養育しなかったので、ペーレウスはアキレウスを、ケンタウロスの賢者ケイローンに預けた。アキレウスは長じて英雄となるが、トロイア戦争でかかとをパリス(一説にはアポローン)に射られて死に到ることになる。踵からふくらはぎにかけての腱であるアキレス腱はこの挿話にちなんでいる。 テティスは、アキレウスがトロイア戦争に加わると命を落とすことを予言し、アキレウスをスキューロス島に送り女の格好をさせておいた。アキレウスはここで、スキューロス王リュコメーデースの娘デーイダメイアとの間にネオプトレモスをもうけた。そこに、商人のなりをしたオデュッセウスが勧誘に来た。彼は女向けの商品の中に武器をまぜて展示した。女たちが見向きもしない中、アキレウスだけが武器に手を出したため、彼は正体をあばかれてトロイア戦争に引きずり出された。 トロイア遠征のために集結したギリシア軍であったが、逆風のためアナトリアへ渡れなくなってしまった。そこで総大将アガメムノーンが神託を求めたところ、娘イーピゲネイアを女神アルテミスに生贄として捧げれば解決するとの予言を賜る。アガメムノーンは苦悩したものの、結局家族への愛情よりも名誉欲と大将としての責任を優先させ、イーピゲネイアをアキレウスとの縁談を名目に呼び寄せた。このことはアキレウスにはまったく知らされておらず、イーピゲネイアについてきた彼女の母クリュタイムネーストラーが挨拶に来たために初めて知ることになった。 勝手に名前を使われたアキレウスはアガメムノーンに憤ると同時に騙されて生贄にされかけているイーピゲネイアに同情し、クリュタイムネーストラーと共に必死の助命運動を行った。しかし二人の嘆願も空しくイーピゲネイアは生贄となったため、両人はアガメムノーンに深い遺恨を抱くにいたった。 アキレウスは、友人パトロクロスと共に、ミュルミドーン人たちを率いてトロイア戦争に参加していた。ギリシア勢がトロイア戦争を開始してから十年目、ある事情により、戦利品で愛妾のブリーセーイスを総大将アガメムノーンに奪われた。理不尽な行為に腹をたてたアキレウスは、それ以降戦いに参加しなくなる。 アキレウス退陣とともに神々の加護を失ったギリシア勢は、名だたる英雄たちも傷つき総崩れとなり、陣地の中にまで攻め込まれる(ゼウスがギリシア勢に味方する振りをしてイーリオス勢に味方したため)。これを見たパトロクロスは、出陣してギリシア勢を助けてくれるようアキレウスに頼んだが、アキレウスは首を縦に振らない。そこでパトロクロスはアキレウスの鎧を借り、ミュルミドーン人たちを率いて出陣する。アキレウスの鎧を着たパトロクロスの活躍により、ギリシア勢はイーリオス勢を押し返す。しかしパトロクロスは、イーリオスの王プリアモスの息子で事実上の総大将であるヘクトールに討たれ、アキレウスの鎧も奪われてしまう。 パトロクロスの死をアキレウスは深く嘆き、ヘクトールへの復讐のために出陣することを決心する。テティスはアキレウスのために新しい鎧を用意し、アキレウスに授ける。出陣したアキレウスは、イーリオスの名だたる勇士たちを葬り去る。形勢不利と見てイーリオス勢が城内に逃げ去る中、門前に一人、ヘクトールが待ち構える。 ギリシア勢とイーリオス勢が見守る中、アキレウスとヘクトールの一騎討ちが始まる。アキレウスはヘクトールを追いまわし、ヘクトールは逃げ回ってイーリオスの周りを三度回る。しかし、ついにヘクトールはアキレウスに冷酷な殺し文句と共に討たれる。アキレウスはヘクトールの鎧を剥ぎ、彼を戦車の後ろにつなげて引きずりまわす。復讐を遂げて満足したアキレウスは、さまざまな賞品を賭けてパトロクロスの霊をなぐさめるための競技会を開く。 競技会が終わった後も、アキレウスはヘクトールの遺体を引きずりまわすことをやめない。ヘクトールの父プリアモスはこれを悲しみ、深夜アキレウスのもとを訪れ、息子の遺体を返してくれるように頼む。アキレウスはプリアモスをいたわり、ヘクトールの遺体を返す。ヘクトールの葬儀の記述をもって、『イーリアス』は終わる。 ヘクトール亡き後イーリオス勢は意気消沈するが、アマゾーンの女王で女神のごときペンテシレイアの加勢により、再び勢いを盛り返す。ペンテシレイアはギリシア勢の名だたる英雄をなぎ倒して暴れまわるが、無謀にもアキレウスに挑戦し、命を落とす。アキレウスは遺体となったペンテシレイアの美貌に目を奪われ、殺してしまったことを後悔する。テルシーテースがそれを笑うと、逆上したアキレウスはテルシーテースを撲殺した。 ペンテシレイアの死後、再びイーリオス勢は意気消沈するが、エチオピア勢を率いてきたメムノーン(暁の女神エーオースとティートーノスの子)の加勢により、元気を取り戻す。メムノーンはネストールの子アンティロコスを倒すなどして活躍するが、アキレウスに討ち取られてしまう。王を失ったエチオピア勢は戦場を去っていく。 メムノーンを葬り去ったあくる日、アキレウスはイーリオスのスカイアイ門の前で戦っていたが、急所のアキレス腱をイーリオスの王子パリス(一説によると彼の暴虐に憤ったアポローン)に射られ、瀕死の重傷を負って倒れた。しかしアキレウスは再び立ち上がり、イーリオス勢を追い回す。が、ついに予言どおり死の運命が彼を捉えた。パリスをはじめとするイーリオス勢は、アキレウスの遺体を奪おうとしたが、大アイアースとオデュッセウスに阻まれた。アキレウスの遺体を確保して後、アキレウスの甲冑をめぐってオデュッセウスと大アイアースが争い、オデュッセウスが勝ちを収める。これが原因で、後に大アイアースは命を落とすこととなる。その後、アキレウスの子ネオプトレモスとピロクテーテースの持つヘーラクレースの弓なしにはイーリオスを落せないという予言が下り、今度はネオプトレモスが引きずり出される。 イーリオス陥落後、ネオプトレモスの夢の中にアキレウスが現れ、「プリアモス王の娘ポリュクセネーを、自分の墓に奉げてほしい」と語った。さもなければギリシア勢の帰路を妨げるというのである。生前アキレウスはポリュクセネーに恋焦がれ、未練が残っていたのだ。このため、ネオプトレモスはポリュクセネーを手にかけ、アキレウスの墓に奉げた。 『オデュッセイア』において、オデュッセウスは冥府を訪れる。オデュッセウスは死人となったアキレウスと語り合う。アキレウスは死人の王になるよりも、生きてつまらぬ男に仕えることのほうがましだと語り、一子ネオプトレモスの活躍と安否を問う。オデュッセウスが、ネオプトレモスの活躍について語ると、喜び満足して去っていったという。なお、一説には、アキレウスは死後、神々の楽園エーリュシオンにむかえられたという。
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アキレウスは、ギリシア神話に登場する大英雄で、ホメーロスの叙事詩『イーリアス』の主人公である。ラテン語ではアキレス。 プティーアの出身で、プティーア王ペーレウスと海の女神テティスとの間に生まれた。アイアコスの孫にあたる。スキューロス島の王リュコメーデースの娘デーイダメイアとの間にネオプトレモスをもうけた。トロイア戦争にはミュルミドーン人を率いて50隻の船と共に参加し、たった一人で形勢を逆転させ、敵の名将を尽く討ち取るなど、無双の力を誇ったが、戦争に勝利する前に弱点の踵を射られて命を落とした。足が速く、『イーリアス』では「駿足のアキレウス」と形容される。
[[File:Akhilleus Aias Staatliche Antikensammlungen 1417.jpg|thumb|アキレウスと[[アイアース]]。紀元前500年頃]] {{Greek mythology}} '''アキレウス'''(アキッレウス、{{lang-el-short|Ἀχιλλεύς}}、{{lang-la-short|Achilles}})は、[[ギリシア神話]]に登場する大[[英雄]]で、[[ホメーロス]]の[[叙事詩]]『[[イーリアス]]』の主人公である。[[ラテン語]]では'''アキレス'''。 [[プティーア]]の出身で、プティーア王[[ペーレウス]]と海の女神[[テティス]]との間に生まれた。[[アイアコス]]の孫にあたる。[[スキューロス島]]の王[[リュコメーデース]]の娘[[デーイダメイア]]との間に[[ネオプトレモス]]をもうけた。[[トロイア戦争]]には[[ミュルミドーン人]]を率いて50隻の船と共に参加し、たった一人で形勢を逆転させ、敵の名将を尽く討ち取るなど、無双の力を誇ったが、戦争に勝利する前に弱点の踵を射られて命を落とした。足が速く、『イーリアス』では「駿足のアキレウス」と形容される。 == 幼年時代 == アキレウスが生まれると母テティスは、息子を不死の体にするために冥府を流れる川[[ステュクス]]の水に息子を浸した。そのとき、テティスの手はアキレウスのかかとを掴んでいたためにそこだけは水に浸からず、かかとのみは不死とならなかった<ref>[[スタティウス]]の叙事詩『アキレイス』 i. 269</ref>。別の説では、アキレウスはテティスに焼き殺されかけ、失った足の代わりに最速の[[ギガース|巨人]][[ダミュソス]]の踵の骨を与えられたが、ここが弱点になったという<ref>Pierre Grimal 1986, p.126.</ref><ref>プトレマイオス・ヘパイスティオン(フォティオス『{{仮リンク|図書総覧|en|Bibliotheca (Photius)|label=ビブリオテケ}}』190。)</ref>。テティスはアキレウスを養育しなかったので、ペーレウスはアキレウスを、[[ケンタウロス]]の賢者[[ケイローン]]に預けた。アキレウスは長じて英雄となるが、トロイア戦争でかかとを[[パリス]](一説には[[アポローン]])に射られて死に到ることになる。踵からふくらはぎにかけての[[腱]]である[[アキレス腱]]はこの挿話にちなんでいる。 == 『イーリアス』以前 == [[File:Akhilleus embassy Staatliche Antikensammlungen 8770.jpg|left|thumb|[[オデュッセウス]]と女装するアキレウス。紀元前480年頃]] テティスは、アキレウスがトロイア戦争に加わると命を落とすことを[[予言]]し、アキレウスを[[スキロス島|スキューロス島]]に送り女の格好をさせておいた。アキレウスはここで、スキューロス王リュコメーデースの娘デーイダメイアとの間に[[ネオプトレモス]]をもうけた。そこに、商人のなりをした[[オデュッセウス]]が勧誘に来た。彼は女向けの商品の中に武器をまぜて展示した。女たちが見向きもしない中、アキレウスだけが武器に手を出したため、彼は正体をあばかれてトロイア戦争に引きずり出された。 [[イリオス|トロイア]]遠征のために集結した[[ギリシア]]軍であったが、逆風のため[[アナトリア]]へ渡れなくなってしまった。そこで総大将[[アガメムノーン]]が神託を求めたところ、娘[[イーピゲネイア]]を女神[[アルテミス]]に[[生贄]]として捧げれば解決するとの[[予言]]を賜る。アガメムノーンは苦悩したものの、結局家族への愛情よりも名誉欲と大将としての責任を優先させ、イーピゲネイアをアキレウスとの縁談を名目に呼び寄せた。このことはアキレウスにはまったく知らされておらず、イーピゲネイアについてきた彼女の母[[クリュタイムネーストラー]]が挨拶に来たために初めて知ることになった。 勝手に名前を使われたアキレウスはアガメムノーンに憤ると同時に騙されて生贄にされかけているイーピゲネイアに同情し、クリュタイムネーストラーと共に必死の助命運動を行った。しかし二人の嘆願も空しくイーピゲネイアは生贄となったため、両人はアガメムノーンに深い遺恨を抱くにいたった。 == 『イーリアス』におけるアキレウス == [[File:Akhilleus Patroklos Antikensammlung Berlin F2278.jpg|left|thumb|矢で負傷した[[パトロクロス]]を治療するアキレウス。紀元前500年頃]] アキレウスは、友人[[パトロクロス]]と共に、ミュルミドーン人たちを率いてトロイア戦争に参加していた。ギリシア勢がトロイア戦争を開始してから十年目、ある事情により、戦利品で愛妾の[[ブリーセーイス]]を総大将[[アガメムノーン]]に奪われた。理不尽な行為に腹をたてたアキレウスは、それ以降戦いに参加しなくなる。 アキレウス退陣とともに神々の加護を失ったギリシア勢は、名だたる英雄たちも傷つき総崩れとなり、陣地の中にまで攻め込まれる([[ゼウス]]がギリシア勢に味方する振りをして[[イーリオス]]勢に味方したため)。これを見たパトロクロスは、出陣してギリシア勢を助けてくれるようアキレウスに頼んだが、アキレウスは首を縦に振らない。そこでパトロクロスはアキレウスの鎧を借り、ミュルミドーン人たちを率いて出陣する。アキレウスの鎧を着たパトロクロスの活躍により、ギリシア勢はイーリオス勢を押し返す。しかしパトロクロスは、イーリオスの王[[プリアモス]]の息子で事実上の総大将である[[ヘクトール]]に討たれ、アキレウスの鎧も奪われてしまう<ref>[[イーリアス]]16巻-17巻</ref>。 パトロクロスの死をアキレウスは深く嘆き、ヘクトールへの復讐のために出陣することを決心する。テティスはアキレウスのために新しい鎧を用意し、アキレウスに授ける<ref>[[イーリアス]]18巻</ref>。出陣したアキレウスは、イーリオスの名だたる勇士たちを葬り去る。形勢不利と見てイーリオス勢が城内に逃げ去る中、門前に一人、ヘクトールが待ち構える。 [[File:Achilles Hector Louvre G153.jpg|thumb|[[ヘクトール]]の死体とアキレウス。紀元前490年~480年頃]] ギリシア勢とイーリオス勢が見守る中、アキレウスとヘクトールの[[一騎討ち]]が始まる。アキレウスはヘクトールを追いまわし、ヘクトールは逃げ回ってイーリオスの周りを三度回る。しかし、ついにヘクトールはアキレウスに冷酷な殺し文句と共に討たれる。アキレウスはヘクトールの鎧を剥ぎ、彼を戦車の後ろにつなげて引きずりまわす。復讐を遂げて満足したアキレウスは、さまざまな賞品を賭けてパトロクロスの霊をなぐさめるための競技会を開く。 競技会が終わった後も、アキレウスはヘクトールの遺体を引きずりまわすことをやめない。ヘクトールの父プリアモスはこれを悲しみ、深夜アキレウスのもとを訪れ、息子の遺体を返してくれるように頼む。アキレウスはプリアモスをいたわり、ヘクトールの遺体を返す。ヘクトールの葬儀の記述をもって、『イーリアス』は終わる。 == 『イーリアス』以後 == [[File:Akhilleus Penthesileia Staatliche Antikensammlungen 1502.jpg|left|thumb|[[ペンテシレイア]]と戦うアキレウス。紀元前520年頃]] ヘクトール亡き後イーリオス勢は意気消沈するが、[[アマゾーン]]の女王で女神のごとき[[ペンテシレイア]]の加勢により、再び勢いを盛り返す。ペンテシレイアはギリシア勢の名だたる英雄をなぎ倒して暴れまわるが、無謀にもアキレウスに挑戦し、命を落とす。アキレウスは遺体となったペンテシレイアの美貌に目を奪われ、殺してしまったことを後悔する。[[テルシーテース]]がそれを笑うと、逆上したアキレウスはテルシーテースを撲殺した。 ペンテシレイアの死後、再びイーリオス勢は意気消沈するが、[[エチオピア]]勢を率いてきた[[メムノーン]](暁の女神[[エーオース]]と[[ティートーノス]]の子)の加勢により、元気を取り戻す。メムノーンは[[ネストール]]の子[[アンティロコス]]を倒すなどして活躍するが、アキレウスに討ち取られてしまう。王を失ったエチオピア勢は戦場を去っていく。 [[File:Odysseus Ajax Louvre F340.jpg|thumb|アキレウスの武具を争うアイアースとオデュッセウス。紀元前520年頃]] メムノーンを葬り去ったあくる日、アキレウスはイーリオスのスカイアイ門の前で戦っていたが、急所のアキレス腱をイーリオスの王子パリス(一説によると彼の暴虐に憤ったアポローン)に射られ、瀕死の重傷を負って倒れた。しかしアキレウスは再び立ち上がり、イーリオス勢を追い回す。が、ついに予言どおり死の運命が彼を捉えた。パリスをはじめとするイーリオス勢は、アキレウスの遺体を奪おうとしたが、[[大アイアース]]とオデュッセウスに阻まれた。アキレウスの遺体を確保して後、アキレウスの甲冑をめぐってオデュッセウスと大アイアースが争い、オデュッセウスが勝ちを収める。これが原因で、後に大アイアースは命を落とすこととなる。その後、アキレウスの子[[ネオプトレモス]]と[[ピロクテーテース]]の持つ[[ヘーラクレース]]の弓なしにはイーリオスを落せないという予言が下り、今度はネオプトレモスが引きずり出される。 == 死後 == イーリオス陥落後、[[ネオプトレモス]]の夢の中にアキレウスが現れ、「プリアモス王の娘[[ポリュクセネー]]を、自分の墓に奉げてほしい」と語った。さもなければギリシア勢の帰路を妨げるというのである。生前アキレウスはポリュクセネーに恋焦がれ、未練が残っていたのだ。このため、ネオプトレモスはポリュクセネーを手にかけ、アキレウスの墓に奉げた。 『[[オデュッセイア]]』において、オデュッセウスは冥府を訪れる。オデュッセウスは死人となったアキレウスと語り合う。アキレウスは死人の王になるよりも、生きてつまらぬ男に仕えることのほうがましだと語り、一子ネオプトレモスの活躍と安否を問う。オデュッセウスが、ネオプトレモスの活躍について語ると、喜び満足して去っていったという。なお、一説には、アキレウスは死後、神々の楽園[[エーリュシオン]]にむかえられたという。 ; 鎧 : アキレスの死を書いた[[オウィディウス]]の『[[変身物語]]』では、[[大アイアース|アイアース]]と[[オデュッセウス]]との間で所有権争いが起きる<ref>著:オウィディウス 変身物語 Book XII 「The Death of Achilles」-Book XIII</ref>。 == 備考 == * [[小惑星]][[アキレス (小惑星)|アキレス]]はアキレウスにちなんで名付けられた。 == 系図 == {{アキレウスの系図}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{commonscat|Achilles}} * [[アキレウスの盾]] - アキレウスが[[ヘクトール]]と戦う時に用いた[[盾]]。 * [[ゼノンのパラドックス]]「アキレスと亀」 * [[アキレス腱]] * [[アキレス数]] * [[ジークフリート]] * [[トロイ (映画)]] * 588[[アキレス (小惑星)]] *{{仮リンク|アキレウスの画家|en|Achilles Painter|label=}} == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{ギリシア神話}} {{イーリアスの登場人物}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あきれうす}} [[Category:ギリシア神話の人物]] [[Category:イーリアスの登場人物]] [[Category:アキレウス|*]]
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重力
重力()とは、以下の概念のいずれかを指して用いられる。 重力に関する言葉は、英語の gravity の頭文字を取って G と略されることがある。たとえば、物理学の文献においては慣習的に、天体の表面重力を小文字の g、万有引力定数を大文字の G を用いて表す。日本語の「重力」は、オランダ語の zwaartekracht を「zwaarte(重さ)」と「kracht(力)」に分けて意訳されたものである。また、重力の働く場所が一点に集中したと考えたとき、それは重心である。 重力という表現は、宇宙論などの領域では万有引力と同一として扱われることがある。 地球上のことについて論じている場合は、地球上の物体に対して働く地球の万有引力と地球自転による遠心力との合力を指している。また、人工衛星のように、地球の自転とは無関係な物体の運動について論じている場合は、遠心力の成分は除いて扱うことになる。 地球上で質量が 1 kg の物体に作用する重力の強さは、約 9.8 N でほぼ一定である。だが、精密に調べてみると重力の度合いは地球上の場所により、あるいは時間によっても変化している。 加速度の単位は国際単位系においてはメートル毎秒毎秒 (m/s) であるが、日本の計量法は特殊の計量である「重力加速度又は地震に係る振動加速度の計量」に限定して、CGS単位系における加速度の単位である「ガル (Gal)」および 10 (1000分の1) のミリガル (mGal)の使用を認めている。1 Gal = 0.01 m/s = 0.01N = 1 cm/s である。 重力や重さに関する議論は、古代ギリシャ初期の段階から行われていた形跡があるという。 影響力の大きかった人物はアリストテレスである。彼は『自然学』を著し、物の運動等についても体系的に論じた。彼の宇宙観では、天界と地上はまったく別世界であり、天体はエーテルでできていて、地上の物体は四大元素でできていると見なした。そして《重さ》と《軽さ》というのは、地上界にある物体に特有の一対の内在的な性質だと見なした。古代ギリシャでは、コスモス(世界・宇宙)の中心に地球があると考えられていたので、アリストテレスもそう考えていた(地球中心説)。アリストテレスにとって、物の落下するということはコスモスの中心へ接近することであり、上昇するということはコスモスの中心から離れてゆくことを意味した。《火元素》を含むものが《軽さ》を内在しており、地中から離れ天へと向かいたがり、石などには《土元素》が含まれており、《土元素》はコスモスの中心に帰りたがる性質を持っているのだ、とした。その《土元素》をより多く含んでいるものが、より大きな《重さ》を内在している、とした。またその速さについては、《土元素》を多く含むものが速く落ちる、とした。 ヨーロッパ中世の人々は、以下のように考えていた。 例えば、小石を空中に投げれば、小石は本来の位置から離されることになり、小石は一旦は抵抗を示しながら上に上がるが、結局はできるだけ速やかに、その本来の位置である地に戻ってこようとする。 (太陽中心説というのは一応アリスタルコスも唱えていたとされるが)16世紀にヨーロッパでニコラウス・コペルニクス (1473 - 1543)によって太陽中心説が唱えられると、(それがすぐに受け入れられたわけではないが)もしこれを受け入れた場合、アリストテレス的な《重さ》《軽さ》の概念は根底から考え直さざるを得ない、ということになった。 コペルニクスは、重力というのは、各天体の部分部分が球形になりたがり一体化しようとする自然的な欲求だ、とした。一方《軽さ》というのは、重さの少ない物体が持つ“偶有的性質”だとされた。 フランスのデカルト (1596 – 1650年)は、著書において渦動説を展開し重力を説明した。世界にはエーテルが満ちており、ちょうど渦に木切れが吸い寄せられるように、エーテルに渦が起きるとその渦の中心に物体は引き寄せられる、こうして物体は地球に引き寄せられる、と説明した。 ドイツのケプラー (1571 – 1630年)は、重力というのは似たもの同士が引き合う力(引力)であり、この引力は潮の満ち引きという(月の変化の周期と連動する)現象から推察するに、地球と月との間にも作用している、と見なした。 ガリレオ・ガリレイ(ユリウス暦1564年 – グレゴリオ暦1642年)は重さと落下の速さとは無関係であることを実験で見出した。 オランダのホイヘンス (1629 – 1695年)は1669年から1690年にかけてデカルトの渦動説を検討し精密化した。ライプニッツも渦動説の流れを汲んだ理解をしていた。 アイザック・ニュートン (1642 - 1727)は、天体の運動も地上の物体の運動もひとつの原理で説明できる、とする説(万有引力)を『自然哲学の数学的諸原理』で発表した。天界と地上の区別がとりはらわれており、宇宙全域の物体の運動を同一の原理で説明しており、地上のgravityというのも万有引力の一つの現れとされている。 また(上でも述べた)ホイヘンスは、遠心力の公式を発見した。地球の自転はすでに明らかになっていたので、重力は万有引力そのものではなく、万有引力と地球の自転による遠心力との合力だということになった。 エルンスト・マッハ (1838 - 1916)は、「慣性力は宇宙の全質量の作用として考えなければならない」とした。例えば、回転するバケツの水面をへこませる慣性力についてマッハは、「慣性力はバケツが絶対空間に対してまわったから発生したのではなく、宇宙の物質が回転するバケツに、ある作用を及ぼした結果、発生した」と考え、「バケツがまわることと、バケツを止めて宇宙をバケツのまわりに逆回転させることは同等である」とした(マッハの原理)。 マッハの原理は、アルベルト・アインシュタインの一般相対性理論により体系化された。一般相対性理論によれば、万有引力も慣性の力も等価(等価原理)であり、共に、時空の歪みによる測地線の変化である。ただ、万有引力と慣性の力とでは歪みの原因が異なるにすぎない。 アインシュタイン方程式からは、時空の歪みの源は質量ではなく、エネルギーと運動量からなるエネルギー・運動量テンソルで決まることがわかる。つまり、質量(エネルギーに比例)だけでなく運動量も時空を歪め、重力を生む。質量は引力を生むのに対し、運動量が生む重力は、引力でも斥力でもない慣性系の引きずりという形を取る。慣性系の引きずりは自転するブラックホールであるカー・ブラックホールで顕著である。 素粒子物理学では、一般相対性理論での重力を量子化し、量子重力理論にしようとする試み(量子化された重力は重力子と名づけられている)や、重力は自然界に働く4つの力の他の力である電磁気力、弱い力、強い力との統合が試みられている。 概説で述べたように、同じ地球上でも場所によって重力の大きさ(重力値)は異なり、向きも異なる(重力の向きは、一般に遠心力の影響で地球の中心からずれている。地球の中心からどの程度ずれているかは、おもに緯度によって決まる)。 地表面に存在する物体にはたらく地球の重力は、地球を構成する無数の質点がそれぞれ物体を引く微小な力(これらの力の大きさは距離の2乗に反比例して小さくなる)の合力に、さらに自転による遠心力を合成したものである。ところが、地表面のある地点から見たときの地球表面および地球内部の物質分布(密度分布)は必ずしも同一ではなく、場所によって少しずつ異なる。これに加えて、地球は完全な球体ではなく(回転楕円体で地表面には凹凸がある)、遠心力の大きさも緯度により異なる。したがって、上記のような力の合成の結果として生ずる重力の大きさや向きは、当然ながら場所によって異なる。 まとめると、重力に影響を与える要因として、主に次の5点があげられる。 高度が増加するとゆるやかに重力値が減少してゆくわけであるが、その減少の度合いというのは地表付近では 1 m あたり 0.3086 mGal(ミリガル)程度である。ただしこれも場所により1割程度の変動はある。 2番目の「地形の影響」というのは、険しい巨大な山岳などのふもとでは、山が上向きの引力(万有引力)を及ぼしていることなどを意味しており、山岳地帯ではこうした影響は数十 mGal に達する。 5番目の地球の内部構造(地下構造)に起因する重力値の過大や過小を重力異常と言う。 単に重力加速度といった場合は、地球表面の重力加速度を意味することが多い。重力加速度の大きさは、緯度や標高、さらに厳密に言えば場所によって異なる。 ジオイド上(標高0)の重力加速度は、赤道上では 9.7799 m/sと最も小さくなり、北極、南極の極地では 9.83 m/sと最も大きくなる。赤道と極地との差の主な理由は自転による遠心力であるが、自転以外にも地殻の岩盤の厚さ、種類、地球中心からの距離などによる影響も若干受ける。このため、重力を精密に測定し、標準的な重力と比較することで地殻の構造を推定することができる。測定手法には絶対重力測定と相対重力測定があり、日本では国土地理院が日本重力基準網として基準重力点を設定している。 国際度量衡会議では、定数として使える標準重力加速度の値を g = 9.80665 m/sと定義している。 前節で述べたように、重力は、地球を構成する質点が物体を引く力の合力であるから(地球の中心での重力を考える場合は遠心力は無視してよい)、仮に地球が完全な球体であって、内部の物質分布も地球の中心に対して対称であれば、地球の中心では全方向から同じ大きさの力で外側に向かって引かれる状態になるので、すべての力が互いに打ち消し合って、重力は0になる。 前述のように、地球上での物体の運動を扱う場合は、 他の質量から受ける万有引力(以下「引力」)と地球自転による遠心力との合力を「重力」と言うことがある。 地球の自転と共に動く回転座標系で物体の運動を記述するならば、 物体は地軸に対して垂直に下記の遠心力(慣性力の一種)を受けると考えることができる。 引力は、地球が球対称ではないため厳密にではないが、ほぼ地球の中心方向に向かう。 それに対し重力は、遠心力が加わるため、地球の中心方向からやや赤道寄りに(北半球なら南寄りに)ずれ、大きさはやや小さくなる。 一方、天文学や宇宙開発では、宇宙空間のことは適当な慣性座標系(慣性系)で考えることが多い。この場合、慣性力は存在せず、重力という言葉を万有引力と同じ意味で使うことになる。たとえば人工衛星の運動を慣性座標系で説明すると、「重力(= 引力)が向心力となって回転運動をしている」となる。 同じ状況を人工衛星と共に動く座標系で考えれば、引力と遠心力(慣性力)が釣り合っており、その合力はほぼゼロとなる。これを無重力状態または無重量状態と言うことがある。 これを無重力と言うのは一般相対性理論の等価原理に似た考え方ともいえる。 一般相対性理論は、外力(たいていの場合は電磁気力)にって加速されるときに感じる重力と万有引力によって生じる重力は区別できないものとする 等価原理 を基礎としている。 一般相対性理論の立場からは、重力場は時空の歪みそのものと解釈される。より厳密には、その曲率によって重力値を示す四次元時空多様体が定義される。 地球での重力加速度を 1 とした場合の、太陽系内の各天体表面での重力加速度の大きさは以下の通り。 注 : 気体が大部分を占める木星型惑星については、大気の最上層部を「表面」とした。 遠心力や加速を利用して人工重力が作られる。長時間無重力状態にいると骨の中のカルシウムが減るので惑星間飛行や長期間の宇宙空間への滞在時には使用が想定される。
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1916)は、「慣性力は宇宙の全質量の作用として考えなければならない」とした。例えば、回転するバケツの水面をへこませる慣性力についてマッハは、「慣性力はバケツが絶対空間に対してまわったから発生したのではなく、宇宙の物質が回転するバケツに、ある作用を及ぼした結果、発生した」と考え、「バケツがまわることと、バケツを止めて宇宙をバケツのまわりに逆回転させることは同等である」とした(マッハの原理)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "マッハの原理は、アルベルト・アインシュタインの一般相対性理論により体系化された。一般相対性理論によれば、万有引力も慣性の力も等価(等価原理)であり、共に、時空の歪みによる測地線の変化である。ただ、万有引力と慣性の力とでは歪みの原因が異なるにすぎない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "アインシュタイン方程式からは、時空の歪みの源は質量ではなく、エネルギーと運動量からなるエネルギー・運動量テンソルで決まることがわかる。つまり、質量(エネルギーに比例)だけでなく運動量も時空を歪め、重力を生む。質量は引力を生むのに対し、運動量が生む重力は、引力でも斥力でもない慣性系の引きずりという形を取る。慣性系の引きずりは自転するブラックホールであるカー・ブラックホールで顕著である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "素粒子物理学では、一般相対性理論での重力を量子化し、量子重力理論にしようとする試み(量子化された重力は重力子と名づけられている)や、重力は自然界に働く4つの力の他の力である電磁気力、弱い力、強い力との統合が試みられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "概説で述べたように、同じ地球上でも場所によって重力の大きさ(重力値)は異なり、向きも異なる(重力の向きは、一般に遠心力の影響で地球の中心からずれている。地球の中心からどの程度ずれているかは、おもに緯度によって決まる)。", "title": "地球表面の重力値の相違と重力加速度" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "地表面に存在する物体にはたらく地球の重力は、地球を構成する無数の質点がそれぞれ物体を引く微小な力(これらの力の大きさは距離の2乗に反比例して小さくなる)の合力に、さらに自転による遠心力を合成したものである。ところが、地表面のある地点から見たときの地球表面および地球内部の物質分布(密度分布)は必ずしも同一ではなく、場所によって少しずつ異なる。これに加えて、地球は完全な球体ではなく(回転楕円体で地表面には凹凸がある)、遠心力の大きさも緯度により異なる。したがって、上記のような力の合成の結果として生ずる重力の大きさや向きは、当然ながら場所によって異なる。 まとめると、重力に影響を与える要因として、主に次の5点があげられる。", "title": "地球表面の重力値の相違と重力加速度" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "高度が増加するとゆるやかに重力値が減少してゆくわけであるが、その減少の度合いというのは地表付近では 1 m あたり 0.3086 mGal(ミリガル)程度である。ただしこれも場所により1割程度の変動はある。", "title": "地球表面の重力値の相違と重力加速度" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "2番目の「地形の影響」というのは、険しい巨大な山岳などのふもとでは、山が上向きの引力(万有引力)を及ぼしていることなどを意味しており、山岳地帯ではこうした影響は数十 mGal に達する。", "title": "地球表面の重力値の相違と重力加速度" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "5番目の地球の内部構造(地下構造)に起因する重力値の過大や過小を重力異常と言う。", "title": "地球表面の重力値の相違と重力加速度" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "単に重力加速度といった場合は、地球表面の重力加速度を意味することが多い。重力加速度の大きさは、緯度や標高、さらに厳密に言えば場所によって異なる。", "title": "地球表面の重力値の相違と重力加速度" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "ジオイド上(標高0)の重力加速度は、赤道上では 9.7799 m/sと最も小さくなり、北極、南極の極地では 9.83 m/sと最も大きくなる。赤道と極地との差の主な理由は自転による遠心力であるが、自転以外にも地殻の岩盤の厚さ、種類、地球中心からの距離などによる影響も若干受ける。このため、重力を精密に測定し、標準的な重力と比較することで地殻の構造を推定することができる。測定手法には絶対重力測定と相対重力測定があり、日本では国土地理院が日本重力基準網として基準重力点を設定している。", "title": "地球表面の重力値の相違と重力加速度" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "国際度量衡会議では、定数として使える標準重力加速度の値を g = 9.80665 m/sと定義している。", "title": "地球表面の重力値の相違と重力加速度" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "前節で述べたように、重力は、地球を構成する質点が物体を引く力の合力であるから(地球の中心での重力を考える場合は遠心力は無視してよい)、仮に地球が完全な球体であって、内部の物質分布も地球の中心に対して対称であれば、地球の中心では全方向から同じ大きさの力で外側に向かって引かれる状態になるので、すべての力が互いに打ち消し合って、重力は0になる。", "title": "地球の中心における重力" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "前述のように、地球上での物体の運動を扱う場合は、 他の質量から受ける万有引力(以下「引力」)と地球自転による遠心力との合力を「重力」と言うことがある。", "title": "ニュートン力学" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "地球の自転と共に動く回転座標系で物体の運動を記述するならば、 物体は地軸に対して垂直に下記の遠心力(慣性力の一種)を受けると考えることができる。", "title": "ニュートン力学" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "引力は、地球が球対称ではないため厳密にではないが、ほぼ地球の中心方向に向かう。 それに対し重力は、遠心力が加わるため、地球の中心方向からやや赤道寄りに(北半球なら南寄りに)ずれ、大きさはやや小さくなる。", "title": "ニュートン力学" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "一方、天文学や宇宙開発では、宇宙空間のことは適当な慣性座標系(慣性系)で考えることが多い。この場合、慣性力は存在せず、重力という言葉を万有引力と同じ意味で使うことになる。たとえば人工衛星の運動を慣性座標系で説明すると、「重力(= 引力)が向心力となって回転運動をしている」となる。", "title": "ニュートン力学" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "同じ状況を人工衛星と共に動く座標系で考えれば、引力と遠心力(慣性力)が釣り合っており、その合力はほぼゼロとなる。これを無重力状態または無重量状態と言うことがある。 これを無重力と言うのは一般相対性理論の等価原理に似た考え方ともいえる。", "title": "ニュートン力学" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "一般相対性理論は、外力(たいていの場合は電磁気力)にって加速されるときに感じる重力と万有引力によって生じる重力は区別できないものとする 等価原理 を基礎としている。", "title": "相対性理論による重力" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "一般相対性理論の立場からは、重力場は時空の歪みそのものと解釈される。より厳密には、その曲率によって重力値を示す四次元時空多様体が定義される。", "title": "相対性理論による重力" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "地球での重力加速度を 1 とした場合の、太陽系内の各天体表面での重力加速度の大きさは以下の通り。", "title": "主要な天体の重力加速度" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "注 : 気体が大部分を占める木星型惑星については、大気の最上層部を「表面」とした。", "title": "主要な天体の重力加速度" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "遠心力や加速を利用して人工重力が作られる。長時間無重力状態にいると骨の中のカルシウムが減るので惑星間飛行や長期間の宇宙空間への滞在時には使用が想定される。", "title": "人工重力" } ]
重力とは、以下の概念のいずれかを指して用いられる。 地球上で物体が地面に近寄っていく現象や、それを引き起こすとされる「力」。人々が日々、物を持った時に感じているいわゆる「重さ」を作り出す原因となる力。 物体が他の物体に引きよせられる現象。および(その現象は《力》が引き起こしていると見なす場合の)その「力」。 その物体の質量によって生じる時空の歪みが他の物体を引き寄せる作用。 重力に関する言葉は、英語の gravity の頭文字を取って G と略されることがある。たとえば、物理学の文献においては慣習的に、天体の表面重力を小文字の g、万有引力定数を大文字の G を用いて表す。日本語の「重力」は、オランダ語の zwaartekracht を「zwaarte(重さ)」と「kracht(力)」に分けて意訳されたものである。また、重力の働く場所が一点に集中したと考えたとき、それは重心である。
{{Otheruses|質量に働く力全般|質量間に働く引力|万有引力}} {{読み仮名|'''重力'''|じゅうりょく}}とは、以下の概念のいずれかを指して用いられる。 * [[地球]]上で[[物体]]が[[地面]]に近寄っていく[[現象]]や、それを引き起こすとされる「[[力 (物理学)|力]]」<ref>デジタル大辞泉</ref>。人々が日々、物を持った時に感じているいわゆる「[[重さ]]」を作り出す原因となる力。 * [[力 (物理学)|物体]]が他の[[物体]]に引きよせられる現象。および(その現象は《[[力 (物理学)|力]]》が引き起こしていると見なす場合の)その「[[力 (物理学)|力]]」。 *その[[物体]]の[[質量]]によって生じる[[時空]]の歪みが他の物体を引き寄せる[[作用 (物理学)|作用]]。 重力に関する言葉は、[[英語]]の ''{{en|gravity}}'' の頭文字を取って '''G''' と略されることがある。たとえば、[[物理学]]の文献においては[[慣習]]的に、天体の[[表面重力]]を小文字の '''g'''、[[万有引力定数]]を大文字の '''G''' を用いて表す。日本語の「重力」は、[[オランダ語]]の ''zwaartekracht'' を「''zwaarte''([[重さ]])」と「''kracht''([[力 (物理学)|力]])」に分けて意訳されたものである。また、重力の働く場所が一点に集中したと考えたとき、それは重心である。 == 概説 == 重力という表現は、[[宇宙論]]などの領域では[[万有引力]]と同一として扱われることがある<ref name='murakami'>{{Cite book|和書|chapter = 重力、重力異常|author= 村田一郎|authorlink=村田一郎|title = 世界大百科事典|year = 1988}}</ref>。 地球上のことについて論じている場合は、地球上の物体に対して働く地球の万有引力と地球自転による[[遠心力]]との合力を指している<ref name='murakami' />。また、[[人工衛星]]のように、地球の自転とは無関係な物体の運動について論じている場合は、遠心力の成分は除いて扱うことになる<ref name='murakami' />。 地球上で[[質量]]が 1 [[キログラム|kg]] の物体に作用する重力の強さは、約 9.8 [[ニュートン (単位)|N]] でほぼ一定である<ref name='murakami' />。だが、精密に調べてみると重力の度合いは地球上の場所により、あるいは[[時間]]によっても変化している<ref name='murakami' />。 <!-- なお、重力加速度は場所の属性だが、重力はそれとは異なり、あくまで物体が受ける力 (=質量との積)である。「[[月]]の重力は地球の1/6」のような表現は誤解を招きやすく、厳密に言えば「月の重力加速度は地球の1/6」あるいは「同じ質量の物体が月で受ける重力は地球での1/6」となる。 --> <!-- 先に「重力加速度」の説明が欲しいところ。なぜ加速度の単位の話? という感じがある。--> 加速度の単位は国際単位系においては[[メートル毎秒毎秒]] (m/s<sup>2</sup>) であるが、日本の計量法は特殊の計量である「重力加速度又は地震に係る振動加速度の計量」に限定して、CGS単位系における加速度の単位である「[[ガル]] (Gal)」および 10<sup>-3</sup> (1000分の1) のミリガル (mGal)の使用を認めている。1 Gal = 0.01 m/s<sup>2</sup> = 0.01N = 1 cm/s<sup>2</sup> である。 ==歴史== 重力や重さに関する議論は、[[古代ギリシャ]]初期の段階から行われていた形跡があるという<ref name='yokoyama'>{{Cite book|和書|chapter=重力|author= 横山雅彦|authorlink=横山雅彦|title = 哲学・思想事典|year = 1998}}</ref>。 影響力の大きかった人物は[[アリストテレス]]である<ref name='yokoyama' />。彼は『[[自然学 (アリストテレス)|自然学]]』を著し、物の運動等についても体系的に論じた。彼の宇宙観では、天界と地上はまったく別世界であり、天体は[[エーテル (神学)|エーテル]]でできていて、地上の物体は[[四大元素]]でできていると見なした。そして《重さ》と《軽さ》というのは、地上界にある物体に特有の一対の内在的な性質だと見なした<ref name='yokoyama' />。古代ギリシャでは、[[コスモス (宇宙観)|コスモス]]([[世界]]・[[宇宙]])の中心に地球があると考えられていたので、アリストテレスもそう考えていた([[地球中心説]])。アリストテレスにとって、物の落下するということはコスモスの中心へ接近することであり、上昇するということはコスモスの中心から離れてゆくことを意味した<ref name='yokoyama' />。《火元素》を含むものが《軽さ》を内在しており、地中から離れ天へと向かいたがり、石などには《土元素》が含まれており、《土元素》はコスモスの中心に帰りたがる性質を持っているのだ、とした。その《土元素》をより多く含んでいるものが、より大きな《重さ》を内在している、とした。またその速さについては、《土元素》を多く含むものが速く落ちる、とした。 [[Image:Ptolemaicsystem-small.png|thumb|right|200px|[[ペトルス・アピアヌス]]([[:en:Petrus Apianus|Petrus Apianus]])の''Cosmographia ''([[アントワープ]]、 1539年刊)に描かれた中世のコスモス像。アリストテレスの宇宙観の延長上にある。]] ヨーロッパ中世の人々は、以下のように考えていた<ref name='yano'>{{Cite book|和書|author= 矢野健太郎|authorlink=矢野健太郎 (数学者)|year = 1991|title = アインシュタイン |publisher = 講談社学術文庫|pages = 127-166|id = ISBN 4-0615-8991-1}}</ref>。 {{Quotation|[[マーモット|地リス]]や[[鳥]]などの生き物がそれぞれ巣穴や巣という<u>本来の位置</u>を持っていて一時的に理由があってそこを離れることがあっても結局<u>本来の位置</u>に帰るように、物も、それぞれの性質に応じて<u>本来の位置</u>を持っている。たとえば[[石|小石]]はその<u>本来の位置</u>を地に持っている。[[炎|焔]]はその<u>本来の位置</u>を天上に持っている<ref name='yano' />。 例えば、小石を空中に投げれば、小石は本来の位置から離されることになり、小石は一旦は抵抗を示しながら上に上がるが、結局はできるだけ速やかに、その<u>本来の位置</u>である地に戻ってこようとする<ref name='yano' />。 }} (太陽中心説というのは一応[[アリスタルコス]]も唱えていたとされるが<ref name='takahashi'>{{Cite book|和書|chapter=太陽中心説|author= 高橋憲一|authorlink=高橋憲一|title = 哲学・思想事典|year = 1998}}</ref>)16世紀にヨーロッパで[[ニコラウス・コペルニクス]] (1473 - 1543)によって[[太陽中心説]]が唱えられると、(それがすぐに受け入れられたわけではないが)もしこれを受け入れた場合、アリストテレス的な《重さ》《軽さ》の概念は根底から考え直さざるを得ない、ということになった<ref name='yokoyama' />。 コペルニクスは、重力というのは、各天体の部分部分が球形になりたがり一体化しようとする自然的な欲求だ、とした。一方《軽さ》というのは、重さの少ない物体が持つ“偶有的性質”だとされた<ref name='takahashi' />。 {{seealso|重力を説明する古典力学的理論}} フランスの[[ルネ・デカルト|デカルト]] (1596 – 1650年)は、著書において[[渦動説]]を展開し重力を説明した。世界にはエーテルが満ちており、ちょうど渦に木切れが吸い寄せられるように、エーテルに渦が起きるとその[[渦]]の中心に物体は引き寄せられる、こうして物体は地球に引き寄せられる、と説明した。 ドイツの[[ヨハネス・ケプラー|ケプラー]] (1571 – 1630年)は、重力というのは似たもの同士が引き合う力(引力)であり、この引力は潮の満ち引きという(月の変化の周期と連動する)現象から推察するに、地球と月との間にも作用している、と見なした<ref name='yokoyama' />。 [[ガリレオ・ガリレイ]](ユリウス暦1564年 – グレゴリオ暦1642年)は重さと落下の速さとは無関係であることを実験で見出した。 オランダの[[クリスティアーン・ホイヘンス|ホイヘンス]] (1629 – 1695年)は1669年から1690年にかけてデカルトの渦動説を検討し精密化した。[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]も渦動説の流れを汲んだ理解をしていた。 [[アイザック・ニュートン]] (1642 - 1727)は、天体の運動も地上の物体の運動もひとつの原理で説明できる、とする説(万有引力)を『[[自然哲学の数学的諸原理]]』で発表した。天界と地上の区別がとりはらわれており、宇宙全域の物体の運動を同一の原理で説明しており、地上のgravityというのも万有引力の一つの現れとされている。 <!--{{要出典範囲|物体が質量に比例した[[下]]向きの重力を受けることは、[[古典力学]]の形で定式化はされていなかったものの、[[アイザック・ニュートン]]による万有引力の発見以前から半ば自明のこととして知られていた|date=2011年3月}}。{{要出典範囲|ニュートンが明らかにしたのは、重力の正体が、物体と[[地球]]との間に働く万有引力だということである|date=2011年4月}}。--> また(上でも述べた)[[クリスティアン・ホイヘンス|ホイヘンス]]は、[[遠心力]]の公式を発見した。地球の[[自転]]はすでに明らかになっていたので、重力は万有引力そのものではなく、万有引力と地球の自転による遠心力との[[合力]]だということになった。 [[エルンスト・マッハ]] (1838 - 1916)は、「[[慣性力]]は宇宙の全質量の作用として考えなければならない」<ref>{{Cite |和書 |author = マックス・ボルン|authorlink = マックス・ボルン|translator = 林 一|title = アインシュタインの相対性理論|date = 1980| pages = 82|publisher = 東京図書 |isbn = 4-4890-1007-9|ref = harv }}</ref>とした。例えば、回転するバケツの水面をへこませる[[慣性力]]についてマッハは、「[[慣性力]]はバケツが[[絶対空間]]に対してまわったから発生したのではなく、宇宙の物質が回転するバケツに、ある作用を及ぼした結果、発生した」<ref name='satoumatuda'>{{Cite |和書 |author = 佐藤文隆 |author2 = 松田卓也|title = 相対論的宇宙論 |date = 1981| pages = 232|publisher = 講談社 |ref = harv }}</ref>と考え、「バケツがまわることと、バケツを止めて宇宙をバケツのまわりに逆回転させることは同等である」<ref name='satoumatuda' />とした([[マッハの原理]])。 === 20世紀以降の物理学 === マッハの原理は、[[アルベルト・アインシュタイン]]の[[一般相対性理論]]により体系化された。一般相対性理論によれば、万有引力も慣性の力も等価([[等価原理]])であり、共に、[[時空の歪み]]による[[測地線]]の変化である。ただ、万有引力と慣性の力とでは歪みの原因が異なるにすぎない。 <!--アインシュタインはニュートンの導き出した方程式は相対性理論の近似であることを示した{{要出典|date=2010年7月}}--><!--{{要検証|date=2010年7月}}。この理論により水星の近日点移動が説明できた{{要検証|date=2010年7月}}。--> [[アインシュタイン方程式]]からは、時空の歪みの源は質量ではなく、[[エネルギー]]と[[運動量]]からなる[[エネルギー・運動量テンソル]]で決まることがわかる。つまり、質量(エネルギーに比例)だけでなく運動量も時空を歪め、重力を生む。質量は引力を生むのに対し、運動量が生む重力は、引力でも斥力でもない[[慣性系の引きずり]]という形を取る。慣性系の引きずりは自転する[[ブラックホール]]である[[カー・ブラックホール]]で顕著である。 [[素粒子物理学]]では、一般相対性理論での重力を[[量子化]]し、[[量子重力理論]]にしようとする試み(量子化された重力は[[重力子]]と名づけられている)や、重力は自然界に働く[[4つの力]]の他の力である[[電磁気力]]、[[弱い力]]、[[強い力]]との統合が試みられている。 ==地球表面の重力値の相違と重力加速度== 概説で述べたように、同じ地球上でも場所によって重力の大きさ(重力値)は異なり、向きも異なる(重力の向きは、一般に遠心力の影響で地球の中心からずれている。地球の中心からどの程度ずれているかは、おもに緯度によって決まる)<ref name='murakami' />。 地表面に存在する物体にはたらく地球の重力は、'''地球を構成する無数の質点がそれぞれ物体を引く微小な力'''(これらの力の大きさは[[逆2乗の法則|距離の2乗に反比例]]して小さくなる)'''の合力'''に、さらに'''自転による遠心力'''を合成したものである。ところが、地表面のある地点から見たときの地球表面および地球内部の物質分布(密度分布)は必ずしも同一ではなく、場所によって少しずつ異なる。これに加えて、地球は完全な球体ではなく(回転楕円体で地表面には凹凸がある)、遠心力の大きさも緯度により異なる。したがって、上記のような力の合成の結果として生ずる重力の大きさや向きは、当然ながら場所によって異なる。 まとめると、重力に影響を与える要因として、主に次の5点があげられる。 * 地球の内部構造が一様ではないこと<ref name='murakami' /> * 地球が完全な[[球形]]ではなく、[[回転楕円体]]のような形状をしていること<ref name='murakami' /> * 測定点の[[標高]]が場所ごとに異なっていること<ref name='murakami' /> * 周囲の地形の影響が場所により異なっていること<ref name='murakami' /> * 自転による[[遠心力]]が[[緯度]]により異なっていること<ref name='murakami' /> 高度が増加するとゆるやかに重力値が減少してゆくわけであるが、その減少の度合いというのは地表付近では 1 m あたり 0.3086 mGal(ミリガル)程度である<ref name='murakami' />。ただしこれも場所により1割程度の変動はある<ref name='murakami' />。 2番目の「地形の影響」というのは、険しい巨大な山岳などのふもとでは、山が上向きの引力(万有引力)を及ぼしていることなどを意味しており、山岳地帯ではこうした影響は数十 mGal に達する<ref name='murakami' />。 5番目の地球の内部構造(地下構造)に起因する重力値の過大や過小を[[重力異常]]と言う<ref name='murakami' />。 単に重力加速度といった場合は、[[地球]]表面の重力加速度を意味することが多い。重力加速度の大きさは、[[緯度]]や[[高さ#地理|標高]]、さらに厳密に言えば場所によって異なる。 [[ジオイド]]上(標高0)の重力加速度は、[[赤道]]上では 9.7799 m/s<sup>2</sup>と最も小さくなり、[[北極]]、[[南極]]の極地では 9.83 m/s<sup>2</sup>と最も大きくなる。赤道と[[極圏|極地]]との差の主な理由は自転による遠心力であるが、自転以外にも[[地殻]]の[[岩石|岩盤]]の厚さ、種類、地球中心からの距離などによる影響も若干受ける。このため、重力を精密に測定し、標準的な重力と比較することで地殻の構造を推定することができる。測定手法には絶対重力測定と相対重力測定があり、日本では[[国土地理院]]が日本重力基準網として基準重力点を設定している。 国際度量衡会議では、定数として使える[[標準重力加速度]]の値を ''g'' = 9.80665 m/s<sup>2</sup>と定義している。 ==地球の中心における重力== 前節で述べたように、重力は、地球を構成する質点が物体を引く力の合力であるから(地球の中心での重力を考える場合は遠心力は無視してよい)、仮に地球が完全な球体であって、内部の物質分布も地球の中心に対して対称であれば、地球の中心では全方向から同じ大きさの力で外側に向かって引かれる状態になるので、すべての力が互いに打ち消し合って、重力は0になる。 == ニュートン力学 == {{see also|万有引力#ニュートン力学と重力}} {{出典の明記|date=2011年4月|section=1}} [[File:Acceleration-due-to-Gravity-on-Earth.png|thumb|250px|地球における、重力のイメージ]] 前述のように、地球上での物体の運動を扱う場合は、 他の質量から受ける[[万有引力]](以下「引力」)と地球自転による遠心力との[[合力]]を「重力」と言うことがある。 <!-- [[地球]]表面に存在する物体は地軸のまわりを[[円運動]]している。←正確には、慣性系に対して円運動しているのは 物体というより 地面の座標系。 --> <!-- 地面を基準として物体の運動を記述するならば、 --> 地球の自転と共に動く[[回転座標系]]で物体の運動を記述するならば、 物体は地軸に対して垂直に下記の[[遠心力]]([[慣性力]]の一種)を受けると考えることができる。 : 遠心力 = (質量)×(地軸までの距離)×(角速度)<SUP>2</SUP> 引力は、地球が[[球対称]]ではないため厳密にではないが、ほぼ地球の中心方向に向かう。 <!--重力は引力と[[遠心力]]の[[合力]]となる。←最初に言ってるし、再度言わなくてもいい。--> それに対し重力は、遠心力が加わるため、地球の中心方向からやや[[赤道]]寄りに([[北半球]]なら[[南]]寄りに)ずれ、大きさはやや小さくなる<ref>{{Cite |和書 |author = 朝永振一郎 ||authorlink = 朝永振一郎|title = 物理学読本|edition = 第2 |date = 1981| pages = 28|publisher = みすず書房 |isbn=4-622-02503-5|ref = harv }}</ref>。 <!-- ↓慣性力でもコリオリとかは ここで言う「重力」には含めないのでは? 慣性の力は[[座標系]]に依存するため、重力も座標系に依存する(引力は座標系に依存しない)。そして、基準となる座標系は時と場合により異なる。通常は地球の自転と共に動く[[回転系]]で考えるが、[[乗り物]]の中などでは乗り物の座標系で考えることもある。たとえば乗り物に乗って「Gがかかる」とか「重力がかかる」といった場合は、乗り物の座標系で考えている{{要出典|date=2011-8}}。 --> 一方、[[天文学]]や[[宇宙開発]]では、[[宇宙空間]]のことは適当な[[慣性座標系]](慣性系)で考えることが多い。この場合、慣性力は存在せず、重力という言葉を万有引力と同じ意味で使うことになる。たとえば[[人工衛星]]の運動を慣性座標系で説明すると、「重力(= 引力)が[[向心力]]となって[[回転運動]]をしている」となる。 <!-- ↓解析力学の一般化座標系を使う話かと思うが、その場合「遠心力」と言うのか? あるいは、暗黙のうちに[[極座標系]]で考え、「重力(= 引力)と遠心力がつりあっている」となる(極座標で考えているので、地球との距離が変わらない状態が釣り合いである。また、ここで言う遠心力とは慣性力ではなく、座標系が[[直交座標系]]でないことによる[[見かけの力]]である)。 --> 同じ状況を人工衛星と共に動く座標系で考えれば、引力と遠心力(慣性力)が釣り合っており、その合力はほぼゼロとなる。これを[[無重力状態]]または[[無重量状態]]と言うことがある<ref>{{Cite book|author=前田恵一|year=2013|title=重力とは何か?―宇宙を支配する不思議な力 (ニュートンムック Newton別冊) |publisher=ニュートンプレス|page=p.37}}</ref>。 <!-- しかし重力がゼロかどうかは、このように座標系によるので、無重力という言葉を避け無重量と言うこともある --> これを無重力と言うのは[[一般相対性理論]]の[[等価原理]]に似た考え方ともいえる。 == 相対性理論による重力 == {{出典の明記|date=2011年4月|section=1}} {{main|重力場|一般相対性理論}} [[一般相対性理論]]は、外力(たいていの場合は電磁気力)にって加速されるときに感じる重力と万有引力によって生じる重力は区別できないものとする [[等価原理]] を基礎としている。 <!-- {{要出典範囲|[[空間]]の各点における重力加速度は、[[重力場]]を構成する|date=2011-8}}。 ↑重力が弱い場合の近似的な話か? --> 一般相対性理論の立場からは、重力場は時空の歪みそのものと解釈される。より厳密には、その曲率によって重力値を示す四次元時空多様体が定義される<ref>{{Cite |和書|author = ペーター・G・ベルグマン |translator = 谷川安孝|title = 重力の謎 一般相対性理論入門 |date =1981| pages = 163|publisher = 講談社 |ref = harv }}</ref>。 == 主要な天体の重力加速度 == {{出典の明記|section=1|date=2011年4月}} 地球での重力加速度を 1 とした場合の、[[太陽系]]内の各天体表面での重力加速度の大きさは以下の通り。 {|class="wikitable" | [[太陽]] || 27.9 |- | [[水星]] || 0.376 |- | [[金星]] || 0.903 |- | [[地球]] || 1 |- | [[月]] || 0.165 |- | [[火星]] || 0.38 |- | [[木星]] || 2.34 |- | [[土星]] || 1.16 |- | [[天王星]] || 1.15 |- | [[海王星]] || 1.19 |} 注 : 気体が大部分を占める[[木星型惑星]]については、大気の最上層部を「表面」とした。 == 人工重力 == {{main|en:Artificial gravity}} [[遠心力]]や[[加速]]を利用して人工重力が作られる。長時間[[無重力]]状態にいると[[骨]]の中の[[カルシウム]]が減るので惑星間飛行や長期間の宇宙空間への滞在時には使用が想定される。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Wiktionary|重力}} {{Commonscat|Gravitation}} * [[重力を説明する古典力学的理論]] * [[:en:Earth's gravity]]([[地球の重力]]) * [[:en:Standard gravity]]([[標準重力]]) * [[自由落下]] * [[重力加速度]] * [[加速度]] * [[質量]]([[重力質量]]) * [[重さ]](重量) * [[重力ポテンシャル]]([[位置エネルギー]]・[[ポテンシャル]]) * [[重力圏]] * [[重力異常]] * [[重力単位系]] * [[重力式コンクリートダム]]・[[重力式アーチダム]] * [[重力波 (流体力学)]] * [[潮汐力]] * [[無重量状態]] * [[反重力]] * [[重力相互作用]] * [[万有引力]]およびその関連用語 ** [[一般相対性理論]]([[重力崩壊]]・[[重力波 (相対論)]]・[[重力レンズ]]) ** [[量子重力理論]]・[[重力子]]・[[統一場理論]] *** [[超重力理論]]・[[超弦理論]]・[[ループ量子重力理論]] == 外部リンク == * [https://www.gsi.go.jp/buturisokuchi/grageo_index 国土地理院 重力・ジオイド] * {{Kotobank}} {{基本相互作用}} {{重力理論}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しゆうりよく}} [[Category:重力|*]] [[Category:力学]] [[Category:加速度]]
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電磁相互作用
電磁相互作用()は、電場あるいは磁場から電荷が力を受ける 相互作用のことをいい、基本相互作用の一つである。電磁気学によって記述される。場の理論においてラグランジアンに対して1次のユニタリ群(U(1))ゲージ対称性を付与することで現れるU(1)ゲージ場の成分が電磁気学におけるいわゆるスカラーポテンシャル及びベクトルポテンシャルと対応し、また自身についても対応する自由ラグランジアンを持っている。ラグランジュ形式で議論することで、物質に対応する変数でオイラー=ラグランジュ方程式を解くことで電磁場から物質に対しての影響を、逆に電磁場に対応する変数でオイラーラグランジュ方程式を解くことで物質側から電磁場に与える影響を導き出すことができ、それぞれ、通常の力学でのローレンツ力とマクスウェル方程式のうちのガウスの法則とアンペールマクスウェル方程式を導出することになる。 電磁相互作用で発生する力は電磁気力()といい電荷にはプラスとマイナスがあり、同じもの同士で斥力、異なるもの同士で引力が働く。ゲージ場理論より、相互作用を媒介する粒子が存在し、電磁相互作用の場合は光子が媒介する。電磁相互作用を媒介する光子を仮想光子と呼ぶ事もある。 また、電磁相互作用と弱い相互作用は1967年に、ワインバーグとサラムによって統一された(ワインバーグ・サラム理論)。 電磁相互作用による力はマクロな系では電気力と磁気力として現れる。電磁気力の強度は距離の逆二乗に比例し、クーロンの法則(電気力)として定式化されている。 なお、電磁気力は電気力と磁気力を理論的に同じものであるとして統一したものである。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "電磁相互作用()は、電場あるいは磁場から電荷が力を受ける 相互作用のことをいい、基本相互作用の一つである。電磁気学によって記述される。場の理論においてラグランジアンに対して1次のユニタリ群(U(1))ゲージ対称性を付与することで現れるU(1)ゲージ場の成分が電磁気学におけるいわゆるスカラーポテンシャル及びベクトルポテンシャルと対応し、また自身についても対応する自由ラグランジアンを持っている。ラグランジュ形式で議論することで、物質に対応する変数でオイラー=ラグランジュ方程式を解くことで電磁場から物質に対しての影響を、逆に電磁場に対応する変数でオイラーラグランジュ方程式を解くことで物質側から電磁場に与える影響を導き出すことができ、それぞれ、通常の力学でのローレンツ力とマクスウェル方程式のうちのガウスの法則とアンペールマクスウェル方程式を導出することになる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "電磁相互作用で発生する力は電磁気力()といい電荷にはプラスとマイナスがあり、同じもの同士で斥力、異なるもの同士で引力が働く。ゲージ場理論より、相互作用を媒介する粒子が存在し、電磁相互作用の場合は光子が媒介する。電磁相互作用を媒介する光子を仮想光子と呼ぶ事もある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "また、電磁相互作用と弱い相互作用は1967年に、ワインバーグとサラムによって統一された(ワインバーグ・サラム理論)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "電磁相互作用による力はマクロな系では電気力と磁気力として現れる。電磁気力の強度は距離の逆二乗に比例し、クーロンの法則(電気力)として定式化されている。", "title": "電磁気力" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "なお、電磁気力は電気力と磁気力を理論的に同じものであるとして統一したものである。", "title": "電磁気力" } ]
電磁相互作用は、電場あるいは磁場から電荷が力を受ける 相互作用のことをいい、基本相互作用の一つである。電磁気学によって記述される。場の理論においてラグランジアンに対して1次のユニタリ群(U)ゲージ対称性を付与することで現れるU(1)ゲージ場の成分が電磁気学におけるいわゆるスカラーポテンシャル及びベクトルポテンシャルと対応し、また自身についても対応する自由ラグランジアンを持っている。ラグランジュ形式で議論することで、物質に対応する変数でオイラー=ラグランジュ方程式を解くことで電磁場から物質に対しての影響を、逆に電磁場に対応する変数でオイラーラグランジュ方程式を解くことで物質側から電磁場に与える影響を導き出すことができ、それぞれ、通常の力学でのローレンツ力とマクスウェル方程式のうちのガウスの法則とアンペールマクスウェル方程式を導出することになる。
{{redirect|電磁力|フレミングの左手の法則|フレミングの左手の法則}} {{出典の明記|date=2017年5月}} {{読み仮名|'''電磁相互作用'''|でんじそうごさよう}}は、[[電場]]あるいは[[磁場]]から[[電荷]]が力を受ける{{疑問点|date=2021年4月|title=この説明だと「相互」に見えない。「電荷を持ったもの」でなく「電荷」が力を受ける と言ってしまっていいのかも少々疑問。}} [[相互作用]]のことをいい、[[基本相互作用]]の一つである。[[電磁気学]]によって記述される。場の理論において[[ラグランジアン]]に対して1次の[[ユニタリ群]](U(1))[[ゲージ対称性]]を付与することで現れるU(1)ゲージ場の成分が電磁気学におけるいわゆる[[スカラーポテンシャル]]及び[[ベクトルポテンシャル]]と対応し、また自身についても対応する[[自由ラグランジアン]]を持っている。ラグランジュ形式で議論することで、物質に対応する変数で[[オイラー=ラグランジュ方程式]]を解くことで電磁場から物質に対しての影響を、逆に電磁場に対応する変数でオイラーラグランジュ方程式を解くことで物質側から電磁場に与える影響を導き出すことができ、それぞれ、通常の力学での[[ローレンツ力]]と[[マクスウェル方程式]]のうちのガウスの法則とアンペールマクスウェル方程式を導出することになる。 == 概要 == 電磁相互作用で発生する力は{{読み仮名|'''電磁気力'''|でんじきりょく}}といい電荷にはプラスとマイナスがあり、同じもの同士で斥力、異なるもの同士で引力が働く。[[ゲージ理論#ゲージ場|ゲージ場理論]]より、相互作用を媒介する粒子が存在し、電磁相互作用の場合は[[光子]]が媒介する。電磁相互作用を媒介する光子を'''仮想光子'''と呼ぶ事もある。 また、電磁相互作用と[[弱い相互作用]]は[[1967年]]に、[[スティーヴン・ワインバーグ|ワインバーグ]]と[[アブドゥッサラーム|サラム]]によって統一された([[ワインバーグ・サラム理論]])。 == 電磁気力 == 電磁相互作用による力はマクロな系では[[クーロンの法則#電荷に関するクーロンの法則|電気力]]と[[磁力|磁気力]]として現れる{{疑問点|date=2021年4月|title=マクロであっても、電荷をもった物体が運動していれば両方の影響を受ける。分かれて見られるケースが多いと言いたいのか、電磁気学の歴史的なことを言いたいのか。}}。電磁気力の強度は距離の逆二乗に比例し、[[クーロンの法則]](電気力)として定式化されている。 なお、電磁気力は電気力と磁気力を理論的に同じものであるとして統一したものである。 {{Physics-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:てんしそうこさよう}} [[Category:電磁気学]] [[Category:素粒子物理学]] [[Category:力 (自然科学)]] [[Category:インタラクション]] [[ar:تآثر كهرومغناطيسي]] [[ml:വിദ്യുത്കാന്തികബലം]]
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グラビトン (曖昧さ回避)
グラビトン (graviton)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "グラビトン (graviton)", "title": null } ]
グラビトン (graviton) 物理学における重力子のこと。 日本の漫画作品『サイレントメビウス』に登場するヒロインの一人キディ・フェニルが使う重力銃。 日本の特撮テレビ番組『大鉄人17』に登場する主役ロボットワンセブンの必殺技。 メガ・グラビトン - 日本の漫画作品『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』に登場する魔戦将軍ロス・ザボス・フリードリッヒの必殺技。上記のパロディ。 ディスク・ウォーズ:アベンジャーズに登場するキャラクター。 グラビトン (アニメスタジオ) - かつて日本に存在したアニメーション制作スタジオ。合田浩章、摩砂雪、増尾昭一、窪岡俊之、平田智浩らが在籍していた。
{{Wikt|en:graviton}} '''グラビトン''' (graviton) * [[物理学]]における[[重力子]]のこと。 * [[日本]]の[[漫画]]作品『[[サイレントメビウス]]』に登場するヒロインの一人キディ・フェニルが使う重力銃。 * 日本の[[特撮]][[テレビ番組]]『[[大鉄人17]]』に登場する主役[[ロボット]]ワンセブンの[[必殺技]]。 ** メガ・グラビトン - 日本の漫画作品『[[BASTARD!! -暗黒の破壊神-]]』に登場する魔戦将軍ロス・ザボス・フリードリッヒの必殺技。上記の[[パロディ]]。 * [[ディスク・ウォーズ:アベンジャーズ]]に登場するキャラクター。 * [[グラビトン (アニメスタジオ)]] - かつて日本に存在した[[アニメーション]]制作スタジオ。[[合田浩章]]、[[摩砂雪]]、[[増尾昭一]]、[[窪岡俊之]]、[[平田智浩]]らが在籍していた。 {{Aimai}} {{デフォルトソート:くらひとん}}
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光電効果
光電効果(、英: photoelectric effect)とは、物質に光を照射した際に、電子が放出されたり電流が流れたりする現象である。 デジタルカメラや太陽光発電の動作原理として広く利用されている。外部光電効果と内部光電効果の二種類があり、単に光電効果という場合は外部光電効果を指す場合が多い。内部光電効果は、光起電力効果とも呼ばれる。 物質に光を照射すると、光と電子の相互作用によって、光のもつエネルギーが電子に与えられ、電子(光電子)が物質の表面から放出される。この現象を外部光電効果、または単に光電効果と言う。広義には電子のみならず、原子や分子が外部に放出される現象も含める。また、気体の原子や分子が自由電子を放出する光イオン化(英: photoionization、光電離)も広義の外部光電効果である。 光電子の放出は物質に一定の振動数以上の光を照射した時のみ発生する。このときの振動数を限界振動数 ν0 と言う。またその時の波長を限界波長 λ0 と言い、これらの値は物質の種類によって決まっている。入射光の強度にはよらない。 この現象の起こりやすさは仕事関数 φ で表すことができ、ν0 と λ0 を用いて書くと、c を光速、e を電気素量として と表される。 外部光電効果の応用例としては、外部光電効果型の光センサ(光電管、光電子増倍管や撮像管など)がある。光電面には仕事関数の小さいアルカリ金属が用いられる。内部光電効果を利用したものに比べて暗電流が少ない、線形性が良いなどの特徴を持ち、光やX線の高感度検出や精密測定に用いられる。特に光電子増倍管は汎用の超高感度光センサとしての用途が広く、原子吸光分析法等、各種の研究開発や工業生産・測定などの現場で利用されている。 また、放出された光電子のエネルギーや運動量を調べることで物質内部のバンド構造や表面状態などを調べられるため、光電子分光法などの分析手法にも応用される。 半導体や絶縁体に充分に短波長の光を照射すると、物質内部の伝導電子が増加する現象、またそれによって起こる電気伝導率が増加するなどの現象を内部光電効果と呼ぶ。光伝導(英: photoconduction)、光導電とも言う。半導体や絶縁体において、価電子帯や不純物準位などにある電子が光子のエネルギーを吸収し、伝導帯などへ励起される。この励起された電子を光電子と呼ぶ。これによって伝導電子や正孔が増加するため、導電性が増す。この性質を光伝導性(英: photoconductivity)、光導電性という。この時の電気伝導率の増加は、キャリアの電荷を e、キャリアの寿命を τ、移動度を μ、体積・時間あたりの光子数を f、1光子あたりに生じるキャリア数(量子効率)を η として Δ σ = e τ μ η f {\displaystyle \Delta \sigma =e\tau \mu \eta f} で表される。この効果は半導体のみならず、酸化物や硫化物、有機物など非常に多様な物質で見られる。 一般に内部光電効果を用いた場合、低電圧で駆動可能、小型化しやすい、丈夫で長寿命、などの利点が得られる。 1839年、アレクサンドル・エドモン・ベクレルが光起電力効果の研究において、光電効果による光と電流の関係性を見いだした。これは薄い塩化銀で覆われた白金の2つの電極を電解液に浸し、片方に光を照射すると光電流が生じる現象(ベクレル効果)として見いだされ、光起電力効果に関する最初の報告となった。 1887年、ドイツの物理学者ヘルツは、陰極に紫外線を照射することにより、電極間の放電現象が起こって電圧が下がる現象として、光電効果を見出した。 翌1888年、金属に短波長の(振動数の大きな)光を照射すると、電子が表面から飛び出す現象がドイツの物理学者ヴィルヘルム・ハルヴァックス(英語版)によって発見された。 その後、ドイツの物理学者レーナルトの研究によって解明が進み、 などの事実が実験により明らかにされた。 この現象は、19世紀の物理学では説明することのできない難題であったが、1905年、物理学者のアルベルト・アインシュタインが自身の論文『光の発生と変換に関する1つの発見的な見地について』内で導入した光量子仮説によって、説明付けられた。1916年、アメリカ合衆国の物理学者ロバート・ミリカンの実験により光量子仮説が証明され、アインシュタインはこの業績によって1921年にノーベル物理学賞を受賞している。 アインシュタインが光量子仮説を導入するまでは以下のような考え方があった。 しかし、レーナルトの実験によると光電子のエネルギーは入射光の強度には依存せず強度を増すと光電子の数だけが増し、また、入射光の振動数の増大とともに光電子のエネルギーが増すことが分かっているので、光の波動論と実験事実は矛盾する。 しかし、この推測では光電子のエネルギーが入射光の振動数に依存するということの説明ができていない。また、この推測が正しい場合、光電効果は金属の温度に強く依存するはずであるが、実際はそうではなく、この推測も事実と矛盾する。 光子が吸収されるときのエネルギーは、一般的な場合にはアインシュタインの方程式と呼ばれる次の方程式で表現できる。 h ν = P 1 + P 2 + e V {\displaystyle h\nu =P_{1}+P_{2}+eV} ここで P1 は電子を原子から引き離すエネルギー(イオン化エネルギー)、P2 は物体表面から電子を飛び出させる仕事、eV は解放された光電子の運動エネルギーである。金属の特徴として、その中に多量の自由電子を有している。自由電子はすでに原子から離れて、金属内を自由に運動しているので金属に対して P1 = 0 と考えることができる。そのかわり、金属表面から電子が飛び出すためには、金属内部に閉じ込められている場に打ち勝たねばならない。これに打ち勝つために費やす仕事が仕事関数 P2 である。金属の場合、アインシュタインの方程式は次のようになる。 h ν = P 2 + e V {\displaystyle h\nu =P_{2}+eV} もし、hν < P2 ならば電子は金属表面から飛び出せず、光電効果は起こらない。これはある最小の振動数、ν0 があり、ν0 では光電効果を起こすことができるが、それ以下の振動数では光電効果を観測できない。なお、仕事関数は熱電子に関する実験から求めることができる。 ミリカンは真空中の陰極に光を当てて光電効果を起こし、その時に陰極、陽極間に流れる電流を測定した。そして、陰極、陽極間の電圧と光電子の運動エネルギーの関係からプランク定数を求め、光電効果を実証した。光電子の運動エネルギーを Ek、電界が電子にする仕事を eV とする。もし、 eV > Ek ならば、光電子は陽極に到達することができなくて電流は流れない。よって、ちょうど電流が流れなくなる電圧を V0 とすると、アインシュタインの方程式 hν = P2 + eV より e V 0 = h ν − P 2 V 0 = h e ν − W e {\displaystyle {\begin{aligned}&eV_{0}=h\nu -P_{2}\\&V_{0}={\frac {h}{e}}\nu -{\frac {W}{e}}\end{aligned}}} となる。この V0 を照射光の振動数 ν に対するグラフとして描き、そのグラフの傾き h/e からミリカンはプランク定数を求めることができた。ミリカンが光電効果から求めたプランク定数は h = 6.56×10 J•s となり、黒体輻射の実験から求めたプランク定数 h = 6.558×10 J•s とほぼ一致している。
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"この現象は、19世紀の物理学では説明することのできない難題であったが、1905年、物理学者のアルベルト・アインシュタインが自身の論文『光の発生と変換に関する1つの発見的な見地について』内で導入した光量子仮説によって、説明付けられた。1916年、アメリカ合衆国の物理学者ロバート・ミリカンの実験により光量子仮説が証明され、アインシュタインはこの業績によって1921年にノーベル物理学賞を受賞している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "アインシュタインが光量子仮説を導入するまでは以下のような考え方があった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "しかし、レーナルトの実験によると光電子のエネルギーは入射光の強度には依存せず強度を増すと光電子の数だけが増し、また、入射光の振動数の増大とともに光電子のエネルギーが増すことが分かっているので、光の波動論と実験事実は矛盾する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "しかし、この推測では光電子のエネルギーが入射光の振動数に依存するということの説明ができていない。また、この推測が正しい場合、光電効果は金属の温度に強く依存するはずであるが、実際はそうではなく、この推測も事実と矛盾する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "光子が吸収されるときのエネルギーは、一般的な場合にはアインシュタインの方程式と呼ばれる次の方程式で表現できる。", "title": "仕事関数" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "h ν = P 1 + P 2 + e V {\\displaystyle h\\nu =P_{1}+P_{2}+eV}", "title": "仕事関数" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ここで P1 は電子を原子から引き離すエネルギー(イオン化エネルギー)、P2 は物体表面から電子を飛び出させる仕事、eV は解放された光電子の運動エネルギーである。金属の特徴として、その中に多量の自由電子を有している。自由電子はすでに原子から離れて、金属内を自由に運動しているので金属に対して P1 = 0 と考えることができる。そのかわり、金属表面から電子が飛び出すためには、金属内部に閉じ込められている場に打ち勝たねばならない。これに打ち勝つために費やす仕事が仕事関数 P2 である。金属の場合、アインシュタインの方程式は次のようになる。", "title": "仕事関数" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "h ν = P 2 + e V {\\displaystyle h\\nu =P_{2}+eV}", "title": "仕事関数" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "もし、hν < P2 ならば電子は金属表面から飛び出せず、光電効果は起こらない。これはある最小の振動数、ν0 があり、ν0 では光電効果を起こすことができるが、それ以下の振動数では光電効果を観測できない。なお、仕事関数は熱電子に関する実験から求めることができる。", "title": "仕事関数" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ミリカンは真空中の陰極に光を当てて光電効果を起こし、その時に陰極、陽極間に流れる電流を測定した。そして、陰極、陽極間の電圧と光電子の運動エネルギーの関係からプランク定数を求め、光電効果を実証した。光電子の運動エネルギーを Ek、電界が電子にする仕事を eV とする。もし、 eV > Ek ならば、光電子は陽極に到達することができなくて電流は流れない。よって、ちょうど電流が流れなくなる電圧を V0 とすると、アインシュタインの方程式 hν = P2 + eV より", "title": "ミリカンの実験" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "e V 0 = h ν − P 2 V 0 = h e ν − W e {\\displaystyle {\\begin{aligned}&eV_{0}=h\\nu -P_{2}\\\\&V_{0}={\\frac {h}{e}}\\nu -{\\frac {W}{e}}\\end{aligned}}}", "title": "ミリカンの実験" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "となる。この V0 を照射光の振動数 ν に対するグラフとして描き、そのグラフの傾き h/e からミリカンはプランク定数を求めることができた。ミリカンが光電効果から求めたプランク定数は", "title": "ミリカンの実験" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "h = 6.56×10 J•s", "title": "ミリカンの実験" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "となり、黒体輻射の実験から求めたプランク定数", "title": "ミリカンの実験" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "h = 6.558×10 J•s", "title": "ミリカンの実験" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "とほぼ一致している。", "title": "ミリカンの実験" } ]
光電効果(こうでんこうか、とは、物質に光を照射した際に、電子が放出されたり電流が流れたりする現象である。 デジタルカメラや太陽光発電の動作原理として広く利用されている。外部光電効果と内部光電効果の二種類があり、単に光電効果という場合は外部光電効果を指す場合が多い。内部光電効果は、光起電力効果とも呼ばれる。
{{読み仮名|'''光電効果'''|こうでんこうか|{{lang-en-short|photoelectric effect}}}}とは、[[物質]]に[[光]]を照射した際に、[[電子]]が放出されたり[[電流]]が流れたりする現象である。 [[デジタルカメラ]]や[[太陽光発電]]の動作原理として広く利用されている。外部光電効果と内部光電効果の二種類があり、単に光電効果という場合は外部光電効果を指す場合が多い。内部光電効果は、[[光起電力効果]]とも呼ばれる<ref group="注">JIS C 8960「太陽光発電用語」において、光起電力効果と呼ばれている。</ref>。 == 外部光電効果 == [[File:Photoelectric effect in a solid - diagram.svg|200 px|thumb|'''外部光電効果''':金属等に光を照射すると光電子が飛び出す]] 物質に光を照射すると、光と電子の相互作用によって、光のもつエネルギーが電子に与えられ、電子([[光電子]])が物質の表面から放出される。この現象を'''外部光電効果'''、または単に光電効果と言う。広義には電子のみならず、[[原子]]や[[分子]]が外部に放出される現象も含める。また、[[気体]]の原子や分子が[[自由電子]]を放出する[[光イオン化]]({{lang-en-short|photoionization}}、光電離)も広義の外部光電効果である。 [[光電子]]の放出は物質に一定の[[振動数]]以上の光を照射した時のみ発生する。このときの振動数を[[限界振動数]] {{math|''&nu;''{{Sub|0}}}} と言う。またその時の波長を[[限界波長]] {{math|''&lambda;''{{Sub|0}}}} と言い、これらの値は物質の種類によって決まっている。入射光の強度にはよらない。 この現象の起こりやすさは[[仕事関数]] {{mvar|&phi;}} で表すことができ、{{math|''&nu;''{{sub|0}}}} と {{math|''&lambda;''{{Sub|0}}}} を用いて書くと、{{Mvar|c}} を[[光速]]、{{Mvar|e}} を[[電気素量]]として : <math>h\nu_0=\frac{ch}{\lambda_0}=e\varphi</math> と表される。 === 応用例 === 外部光電効果の応用例としては、外部光電効果型の[[光検知器|光センサ]]([[光電管]]、[[光電子増倍管]]や[[撮像管]]など)がある。光電面には[[仕事関数]]の小さい[[アルカリ金属]]が用いられる。内部光電効果を利用したものに比べて[[暗電流]]が少ない、[[線形性]]が良いなどの特徴を持ち、光やX線の高感度検出や精密測定に用いられる。特に[[光電子増倍管]]は汎用の超高感度光センサとしての用途が広く、[[原子吸光|原子吸光分析法]]等、各種の研究開発や工業生産・測定などの現場で利用されている。<!--さすがに応用現場まで挙げるのは冗長なので推敲:ニュートリノ観測の[[カミオカンデ]]や[[スーパーカミオカンデ]]にも使用されている。--> また、放出された[[光電子]]のエネルギーや運動量を調べることで物質内部の[[バンド構造]]や表面状態などを調べられるため、[[光電子分光法]]などの分析手法にも応用される。 == 内部光電効果 == [[File:Photoelectric-J.PNG|thumb|right|200 px|'''内部光電効果''':半導体や絶縁体に光を照射すると電子が励起する]] [[半導体]]や[[絶縁体]]に充分に短波長の[[光]]を照射すると、物質内部の[[伝導電子]]が増加する現象、またそれによって起こる[[電気伝導率]]が増加するなどの現象を'''内部光電効果'''と呼ぶ。'''光伝導'''({{lang-en-short|photoconduction}})、'''光導電'''とも言う。[[半導体]]や[[絶縁体]]において、[[価電子帯]]や[[不純物準位]]などにある電子が[[光子]]のエネルギーを吸収し、[[伝導帯]]などへ励起される。この励起された電子を[[光電子]]と呼ぶ。これによって[[伝導電子]]や[[正孔]]が増加するため、導電性が増す。この性質を'''光伝導性'''({{lang-en-short|photoconductivity}})、'''光導電性'''という。この時の電気伝導率の増加は、[[半導体#半導体の型|キャリア]]の電荷を {{Mvar|e}}、キャリアの寿命を {{mvar|&tau;}}、移動度を {{mvar|&mu;}}、体積・時間あたりの光子数を {{Mvar|f}}、1光子あたりに生じるキャリア数([[量子効率]])を {{mvar|&eta;}} として {{Indent|<math>\Delta\sigma=e\tau\mu\eta f</math>}} で表される。この効果は[[半導体]]のみならず、酸化物や硫化物、有機物など非常に多様な物質で見られる。 === 応用例 === 一般に内部光電効果を用いた場合、低電圧で駆動可能、小型化しやすい、丈夫で長寿命、などの利点が得られる。 * 内部光電効果型の光センサ ** [[フォトダイオード]]や[[固体撮像素子]] (カメラの[[CCD]]、[[CMOS]]イメージセンサ)など、[[PN接合|接合]]を用いた半導体[[光センサ]] ** [[硫化カドミウム]]などを用いた[[光導電セル]] * [[セレン]]を用いた[[写真フィルム|撮影用フィルム]]の[[感光材]]、[[複写機]]の[[感光ドラム]]など * [[太陽電池]] == 歴史 == [[1839年]]、[[アレクサンドル・エドモン・ベクレル]]が[[光起電力効果]]の研究において、光電効果による光と電流の関係性を見いだした<ref>{{Harvtxt|Becquerel|1839}}</ref><ref name="Williams">{{Harvtxt|Williams|1959}}</ref>。これは薄い[[塩化銀]]で覆われた[[白金]]の2つの電極を電解液に浸し、片方に光を照射すると[[光電流]]が生じる現象(ベクレル効果)として見いだされ、[[光起電力効果]]に関する最初の報告となった<ref name="SolarCells">{{Harvtxt|Partain|Fraas|2010}}</ref>{{R|Williams}}。 [[1887年]]、[[ドイツ]]の[[物理学者]][[ハインリヒ・ヘルツ|ヘルツ]]は、[[陰極]]に[[紫外線]]を照射することにより、電極間の放電現象が起こって電圧が下がる現象として、光電効果を見出した<ref>{{Harvtxt|Hertz|1887}}</ref>。 翌[[1888年]]、[[金属]]に短波長の(振動数の大きな)[[光]]を照射すると、[[電子]]が表面から飛び出す現象がドイツの物理学者{{仮リンク|ヴィルヘルム・ハルヴァックス|en|Wilhelm Hallwachs}}によって発見された。 その後、ドイツの物理学者[[フィリップ・レーナルト|レーナルト]]の研究によって解明が進み、 * 電子の放出は、ある一定以上大きな[[振動数]]の[[光]]でなければ起こらず、それ以下の振動数の光をいくら当てても電子は飛び出してこない。 * 振動数の大きい光を当てると光電子の[[運動エネルギー]]は変わるが飛び出す電子の数に変化はない * 強い光を当てるとたくさんの電子が飛び出すが、電子1個あたりの運動エネルギーに変化はない などの事実が実験により明らかにされた。 この現象は、[[19世紀]]の物理学では説明することのできない難題であったが、[[1905年]]、[[物理学者]]の[[アルベルト・アインシュタイン]]が自身の論文『光の発生と変換に関する1つの発見的な見地について』内で導入した光量子仮説によって、説明付けられた<ref>{{Harvtxt|Einstein|1905}}</ref>{{Refnest|group="注"|タイトルの日本語訳は『アインシュタイン選集1』<ref>{{Harvtxt|Einstein|1971}}</ref>およびこの書籍を参考文献としているウェブサイト<ref>{{Harvtxt|Shinkai|2005}}</ref>から取っている。}}。1916年、[[アメリカ合衆国]]の物理学者[[ロバート・ミリカン]]の実験により光量子仮説が証明され、アインシュタインはこの業績によって[[1921年]]に[[ノーベル物理学賞]]を受賞している<ref>{{Cite news|url=http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/1921/|language=[[英語]]|title=The Nobel Prize in Physics 1921|publisher=[[ノーベル賞]]の公式ウェブサイト}}</ref><ref group="注">この授賞については、本来授賞理由とされるべきであった[[相対性理論]]に対して、当時(実は現代も)は懐疑的・否定的な意見([[相対性理論#反「相対性理論」]]を参照)、あるいは新発見ではなく単なる物理学の解釈に過ぎないという意見があった事から、名目上は光電効果研究が授賞理由にされたと言われている。</ref>。 アインシュタインが光量子仮説を導入するまでは以下のような考え方があった。 * [[波動]]の観点から考える。光が金属面に当たると、光の電磁場によって金属内の[[電子]]が激しく揺さぶられエネルギーが与えられる。電子のエネルギーがある限界を超えると電子は金属面から飛び出す。この時、電子に与えられるエネルギーは光の電磁場の強さの2乗に比例するはずである<ref group="注">電磁気学により電磁波のエネルギーは振幅の二乗に比例することが分かっている。(振動数には関係がない)因みに、古典力学によれば、力学的波動(質点が運動する運動)のエネルギーは振幅の二乗と振動数の二乗の両方に比例する(出典:https://eman-physics.net/dynamics/wave_energy.html)</ref>。よって、放出される光電子のエネルギーは入射光の強度に依存するはずである。 しかし、レーナルトの実験によると[[光電子]]のエネルギーは入射光の強度には依存せず強度を増すと光電子の数だけが増し、また、入射光の振動数の増大とともに[[光電子]]のエネルギーが増すことが分かっているので、光の波動論と実験事実は矛盾する。 * 波動の観点とは違い、光はただ[[電子]]を放出するだけの役割を担っているという考え方も存在した。光が電子を放出し、電子はエネルギーを金属内の熱エネルギーから受け取ることにより光電効果が起こると推測された。 しかし、この推測では光電子のエネルギーが入射光の[[振動数]]に依存するということの説明ができていない。また、この推測が正しい場合、光電効果は金属の温度に強く依存するはずであるが、実際はそうではなく、この推測も事実と矛盾する。 ==仕事関数== [[光子]]が吸収されるときのエネルギーは、一般的な場合にはアインシュタインの方程式と呼ばれる次の方程式で表現できる。 {{Indent|<math>h\nu=P_1+P_2+eV</math>}} ここで {{math|''P''{{Sub|1}}}} は[[電子]]を原子から引き離すエネルギー([[イオン化エネルギー]])、{{math|''P''{{Sub|2}}}} は物体表面から電子を飛び出させる仕事、{{Mvar|eV}} は解放された[[光電子]]の[[運動エネルギー]]である。金属の特徴として、その中に多量の[[自由電子]]を有している。自由電子はすでに原子から離れて、金属内を自由に運動しているので金属に対して {{math|''P''{{Sub|1}} {{=}} 0}} と考えることができる。そのかわり、金属表面から電子が飛び出すためには、金属内部に閉じ込められている場に打ち勝たねばならない。これに打ち勝つために費やす仕事が[[仕事関数]] {{math|''P''{{Sub|2}}}} である。金属の場合、アインシュタインの方程式は次のようになる。 {{Indent|<math>h\nu=P_2+eV</math>}} もし、{{math|''h&nu;'' &lt; ''P''{{Sub|2}}}} ならば電子は金属表面から飛び出せず、光電効果は起こらない。これはある最小の振動数、{{math|''&nu;''{{Sub|0}}}} があり、{{math|''&nu;''{{Sub|0}}}} では光電効果を起こすことができるが、それ以下の振動数では光電効果を観測できない。なお、仕事関数は熱電子に関する実験から求めることができる。 ==ミリカンの実験== [[File:セミナー12.jpg|200px|thumb|'''ミリカンの実験装置の略図''']] [[ロバート・ミリカン|ミリカン]]は真空中の陰極に光を当てて光電効果を起こし、その時に陰極、陽極間に流れる電流を測定した。そして、陰極、陽極間の電圧と光電子の[[運動エネルギー]]の関係から[[プランク定数]]を求め、光電効果を実証した。光電子の運動エネルギーを {{Mvar|E{{sub|k}}}}、[[電界]]が電子にする仕事を {{Mvar|eV}} とする。もし、 {{Math|''eV'' &gt; ''E{{sub|k}}''}} ならば、光電子は陽極に到達することができなくて電流は流れない。よって、ちょうど電流が流れなくなる電圧を {{Math|''V''{{sub|0}}}} とすると、アインシュタインの方程式 {{math|''h''&nu; {{=}} ''P''{{Sub|2}} + ''eV''}} より {{Indent|<math>\begin{align}&eV_0=h\nu-P_2\\ &V_0=\frac{h}{e}\nu-\frac{W}{e}\end{align}</math>}} となる。この {{Math|''V''{{sub|0}}}} を照射光の[[振動数]] ν に対するグラフとして描き、そのグラフの傾き {{Mvar|{{Sfrac|h|e}}}} からミリカンはプランク定数を求めることができた。ミリカンが光電効果から求めたプランク定数は {{Indent|{{Math|''h'' {{=}} {{Val|6.56|e=-34|u=J•s}}}}}} となり、[[黒体|黒体輻射]]の実験から求めたプランク定数 {{Indent|{{Math|''h'' {{=}} {{Val|6.558|e=-34|u=J•s}}}}}} とほぼ一致している。 ==脚注== === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} ==参考文献== === 原論文 === * {{cite journal|first=A.|last=Einstein|authorlink=アルベルト・アインシュタイン|title=Über einen die Erzeugung und Verwandlung des Lichtes betreffenden heuristischen Gesichtspunkt|url=http://www.physik.uni-augsburg.de/annalen/history/einstein-papers/1905_17_132-148.pdf|format=[[Portable Document Format|PDF]]|trans-title=光の発生と変換に関する1つの発見的な見地について|journal=[[アナーレン・デア・フィジーク|Annalen der 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journal|last=Hertz|first=H.R.|authorlink=ハインリヒ・ヘルツ|url=http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/andp.18872670827/pdf|title=Ueber einen Einfluss des ultravioletten Lichtes auf die electrische Entladung|format=[[Portable Document Format|PDF]]|journal=[[Annalen der Physik]]|volume=267|issue=8|pages=983-1000|date=June 1887|lccn=50013519|issn=0003-3804|oclc=5854993|doi=10.1002/andp.18872670827|ref=harv}} === 書籍 === ; 洋書 * {{citation|title=The electron and the light-quant from the experimental point of view|author=Robert A. Millikan|authorlink=ロバート・ミリカン|pages=54-66|date=May 23, 1924|url=https://web.archive.org/web/20160812201010/http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/1923/millikan-lecture.pdf|format=[[Portable Document Format|PDF]]}} * {{Cite book|last1=Partain|first1=L. 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2003-04-13T14:05:03Z
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思考実験
思考実験 (しこうじっけん、英: thought experiment、独: Gedankenexperiment)とは、頭の中で想像するのみの実験。科学の基礎原理に反しない限りで、極度に単純・理想化された前提(例えば摩擦のない運動、収差のないレンズなど)で行われるという想定上の実験。 思考実験という言葉自体は、エルンスト・マッハによって初めて用いられた。 思考実験の例としては、古代ギリシャの「アキレスと亀」やガリレオといった古典から、サンデル講義で有名になった「トロッコ問題」、映画『マトリックス』のモチーフとなった「水槽の中の脳」、アインシュタインと量子力学の闘いといった先端科学までわたる。有名な例としては、アインシュタインが光の速度と慣性系の関係についての洞察から特殊相対性理論に達した考察が挙げられる。 実際に実験器具を用いて測定を行うことなく、ある状況で理論から導かれるはずの現象を思考のみによって演繹すること。いわゆるシミュレーションも実際の対象を使わない点で共通するが、シミュレーションはモデルを使って行うものであり、少なくとも具体的な数値や数式を用いて詳細な結果を得る。これに対して、思考実験はよりあいまいで概念的な結果を求めるものを指す。 とりわけ科学史上、特殊な状況に理論を当てはめることによる帰結と、実験を必要としない日常的経験とを比較することによって、理論のより深い洞察に達してきた考察や、元の理論を端的に反駁し、新たな理論の必要性を示すとともに、それを発展させるのに利用されてきた考察を指すことが多い。 古代ギリシャ語の証明という意味の術語「デイクニミ」( δείκνυμι )が起源とされ、「数学的証明の最も古いパターンであり」、ユークリッド数学の前に存在し、思考の実験的な部分ではなく、概念に重点が置かれていた。 あまりに有名な為、後世の創作ではないかと疑われる事もあるが真実は不明。 この結果、ニュートンは引力を形式化する微分を作ることになる。 この後、ガリレオは実際に物体を落下させて「重いものほど速く落下する」というのが間違いであることを実験により示した。ただし、ガリレオの学徒ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニがガリレオの伝記で書いているピサの斜塔で行った落下実験は、現在では事実であるとは必ずしも認められていない。 物理学の分野で使われる思考実験には、以下のようなものがある。 哲学の分野では頻繁に思考実験が使われる。以下のようなものがある。
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思考実験 とは、頭の中で想像するのみの実験。科学の基礎原理に反しない限りで、極度に単純・理想化された前提(例えば摩擦のない運動、収差のないレンズなど)で行われるという想定上の実験。
{{出典の明記|date=2013年2月}} '''思考実験''' (しこうじっけん、{{Lang-en-short|thought experiment}}、{{Lang-de-short|Gedankenexperiment}})とは、{{行内引用|頭の中で[[想像]]するのみの[[実験]]}}<ref>{{Cite journal|和書 |author=[[古澤明]] |year=2011 |title=量子コンピュータの実現も一歩引き寄せる |journal=大学ジャーナル |volume=97 |url=http://www.djweb.jp/pdf/vol97.pdf#page=3 |deadlinkdate=2023-06-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170323234736/http://www.djweb.jp/pdf/vol97.pdf#page=3 |archivedate=2017-03-23 |page=3 |publisher=くらむぽん出版}}</ref>。[[科学]]の基礎[[原理]]に反しない限りで、極度に単純・理想化された前提(例えば[[摩擦]]のない運動、[[収差]]のないレンズなど)で行われるという想定上の実験<ref>{{Cite|和書|author=[[平凡社]]|year=2014|title=百科事典マイペディア|publisher=[[朝日新聞社]]・[[VOYAGE GROUP]]<!--2014年時点-->|url=https://kotobank.jp/word/%E6%80%9D%E8%80%83%E5%AE%9F%E9%A8%93-73014#E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.E3.83.9E.E3.82.A4.E3.83.9A.E3.83.87.E3.82.A3.E3.82.A2}}</ref>。 ==概要== 思考実験という[[言葉]]自体は、[[エルンスト・マッハ]]によって初めて用いられた。 思考実験の例としては、[[古代ギリシャ]]の「[[アキレスと亀]]」や[[ガリレオ・ガリレイ|ガリレオ]]といった古典から、[[マイケル・サンデル|サンデル]]講義で有名になった「[[トロッコ問題]]」、映画『[[マトリックス (映画)|マトリックス]]』のモチーフとなった「[[水槽の中の脳]]」、[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]と[[量子力学]]の闘いといった先端科学までわたる<ref>{{Cite|和書|author=榛葉豊|year=2012|title=頭の中は最強の実験室:学問の常識を揺るがした思考実験|publisher=[[化学同人]]|url=http://www.sist.ac.jp/~shinba/gedankenexperiment.pdf|isbn=978-4759815238}}</ref>。有名な例としては、[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]が[[光]]の[[速度]]と[[慣性系]]の関係についての洞察から[[特殊相対性理論]]に達した考察が挙げられる。 実際に[[実験器具]]を用いて[[測定]]を行うことなく、ある状況で[[理論]]から導かれるはずの[[現象]]を[[思考]]のみによって[[演繹]]すること。いわゆる[[シミュレーション]]も実際の対象を使わない点で共通するが、シミュレーションは[[モデル (自然科学)|モデル]]を使って行うものであり、少なくとも具体的な[[数値]]や[[数式]]を用いて詳細な結果を得る。これに対して、思考実験はよりあいまいで概念的な結果を求めるものを指す。 とりわけ科学史上、特殊な状況に理論を当てはめることによる帰結と、実験を必要としない日常的経験とを比較することによって、理論のより深い洞察に達してきた考察や、元の理論を端的に反駁し、新たな理論の必要性を示すとともに、それを発展させるのに利用されてきた考察を指すことが多い。 == 起源 == 古代ギリシャ語の証明という意味の術語「デイクニミ」( δείκνυμι )が起源とされ、「数学的証明の最も古いパターンであり」、ユークリッド数学の前に存在し、思考の実験的な部分ではなく、概念に重点が置かれていた。<ref>{{Cite|洋書|author=Gennaro Perrotta|year=1958|titleMAIA. RIVISTA DI LETTERATURE CLASSICHE VOL.X ANNO X N.S.|publisher=[[CAPPELLI]]|book}}</ref> ==実例== ===アイザック・ニュートンの重力(万有引力)の発見につながる思考実験=== あまりに有名な為、後世の創作ではないかと疑われる事もあるが真実は不明。 #[[リンゴ]]が[[木]]から落ちるのに遭遇したニュートン。 #りんごの木を見上げるとその向こうには[[月]]が光っている。 #りんごが落ちたのはりんごを木につなぎ止めていた力がなくなったからである。 #では、なぜ月は落ちて来ないのか? どんな力が月を空につなぎ止めているのか? #[[糸]]をりんごに結びつけて振り回している図を想像するニュートン。 #振り回すと速度によって離れて行こうとする([[遠心力]])。 #月は[[地球]]を回っていることを思い浮かべる。 #遠心力で月が飛び去って行かないのは、糸のかわりをしている力があるはずである。 #月が地球の回りを回りながら同じ距離を保っているのは、遠心力とこのつなぎ止める力がつりあっているからであるに違いない。 #このつなぎ止める力を[[重力]]と呼ぼう。 #しかし、重力は地球だけが持ち月をつなぎ止めているのか? それとも月も地球も重力を持ちお互いに引っ張りあっているのか? #これは、計算式を立てて様子を見てみないと分からない。 この結果、ニュートンは引力を形式化する微分<!--「積分」と書くべからず。たしか積分のほうはニュートン以前から知られていたはずなので-->を作ることになる。 ===ガリレオ・ガリレイによる「重いものほど速く落下する」という考えを否定する思考実験=== #重いものほど速く落下するとしよう。 #大小二つの[[鉄球]]を用意する。 #小さいものは遅く、大きいものは速く落下するだろう。 #二つの鉄球を軽いひもでつないで一つの物体とする。 #これを落下させると、小さい鉄球は速く落下する大きい鉄球に引かれるため元より速く落下する。一方、大きい鉄球は遅く落下する小さい鉄球に引かれ元より遅く落下する。従って二つの鉄球の中間の速度で落下するはずである。 #しかし、全体としては大小の鉄球を合計した重量になり、より重くなるのだから元の鉄球それぞれより速く落ちるはずである。 #同じ前提から相反する結果が導かれるのはおかしいのではないだろうか。 この後、ガリレオは実際に物体を落下させて「重いものほど速く落下する」というのが間違いであることを実験により示した。ただし、ガリレオの学徒[[ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ]]がガリレオの[[伝記]]で書いている[[ピサの斜塔]]で行った落下実験は、現在では事実であるとは必ずしも認められていない。 ==思考実験一覧== ===数学=== * [[ピンポン球問題]] ([[無限]])([[:en:Ping-pong ball conundrum|Ping-pong ball conundrum]]) <!--番号のついたピンポン球。1から順に箱に入れていく。10個入れたら、つまり10まで入れたら、箱の中で一番小さい数字の書いてあるボールを一つ取り出す。また10個入れる。つまり20までだ。そして最小の番号の球2を取り出す。これを永遠に繰り返した果てに箱の中にいくつボールがあるだろうか? 普通なら沢山あるように思うが、小さいほうから順に全てのボールを取り出してもいるのだから箱の中のボールの数はゼロだとも言える。というもの--> * [[モンティ・ヘル問題]] ([[無限]]) <!--ピンポン球問題と同様の趣旨--> * [[モンティ・ホール問題]] ([[確率論]]、[[情報]]) * [[無限の猿定理]] ([[無限]]、[[確率論]]) <!--サルにランダムにタイプライターを打たせていれば、そのうちシェイクスピアの著作も出来上がるかもしれない、というお話--> * [[ゼノンのパラドックス]] ([[無限小]]、[[極限]]) <!--<br>古代ギリシャの[[無限小]]、[[極限]]に関する思考実験--> * [[ガブリエルのラッパ]] ===物理学=== [[物理学]]の分野で使われる思考実験には、以下のようなものがある。 * [[ガリレオの船]] ([[力学]]、[[1632年]]) * [[ニュートンのバケツ]] ([[力学]])([[:en:Bucket argument|Bucket argument]]) <!--ニュートンが提案した思考実験。水の入ったバケツが、ヒモに吊るされ回される。--> * [[ラプラスの悪魔]] ([[古典力学]]、[[決定論]]) * [[カルノーサイクル]] ([[熱力学]]) * [[マクスウェルの悪魔]] (熱力学、[[1871年]]) <!--<br>熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)は本当に[[物理法則]]なのか?という問題意識の下に提案された思考実験。小さい悪魔がフタを開け閉めする。--> * [[ブラウン・ラチェット]] ([[熱力学]]) <!--<br>ファインマンが、物理学の講義で熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)を説明するために利用した永久機関のようにみえる装置。--> <!--* [[カシミールのコーン]]<br>Basis for almost perpetual motion machine fueled by [[エントロピー]][http://johnoleary.net/cones/]--> * [[EPRパラドックス]] ([[量子力学]]) <!--<br>これは提案当初は純粋な思考実験であったが、現在は実際に実験されている--> <!--* [[Plato's theory of refraction]] (光学) 英語版で紛糾中--> * [[シュレーディンガーの猫]] ([[量子力学]]) <!-- <br>マクロレベルでの状態の重ね合わせ、という状況の異様さを鮮明化した思考実験。箱に入れられた猫が生死の境をさまよう。--> * [[量子自殺]] ([[量子力学]])([[:en:Quantum suicide|Quantum suicide]]) <!--<br>[[エヴェレットの多世界解釈]]が持つ量子力学的不死性を示す思考実験。自らに拳銃を突きつけた物理学者が生死の境をさまよう。--> * [[ウィグナーの友人]] ([[量子力学]]、[[心の哲学]]) <!--<br>波動関数の収縮に対する意識の影響を考える思考実験。--> * [[双子のパラドックス]] ([[特殊相対性理論]]) <!--<br>加速・減速が時間の流れに対して与える影響を鮮明にした思考実験。双子の兄弟の片方が宇宙旅行に出かける。--> * [[ウィトゲンシュタインの杖]] ([[:en:Wittgenstein's rod|Wittgenstein's rod]]) <!--<br>[[応用力学]]- an exercise in [[可視化]]--> ===哲学=== [[哲学]]の分野では頻繁に思考実験が使われる。以下のようなものがある。 * [[世界五分前仮説]]([[認識論]], [[懐疑主義]]) * [[ヘンペルのカラス]] ([[科学哲学]]、[[論理学]]) * [[ヒラリー・パトナム#意味論的外在主義|双子の地球]] ([[言語哲学]])([[:en:Twin Earth thought experiment|Twin Earth thought experiment]]) * [[シミュレーテッドリアリティ]]([[計算機科学]], [[認知科学]])<!--* [[Changing places]] ([[reflexive monism]], [[心の哲学]])--> * [[水槽の脳|水槽の中の脳]] ([[認識論]], [[心の哲学]]) * [[中国脳]] (物理主義, 心の哲学) * [[チューリング・テスト]] (心の哲学, [[人工知能]], 計算機科学) * [[中国語の部屋]] (心の哲学, 人工知能, 認知科学) * [[哲学的ゾンビ]] (心の哲学, 人工知能, 認知科学) * [[メアリーの部屋]] (心の哲学) * [[スワンプマン|スワンプマン(沼男)]] ([[自己同一性|アイデンティティー]]、心の哲学) <!--沼に行った男が雷に打たれて死ぬ。その時すぐ隣にも雷が落ち、この雷によってたまたま有機物が合成される。死んだ男と寸分たがわぬ有機物が。この男はテクテク歩き出す……そう何事もなかったかのように。さて私とはなんぞや--> * [[テセウスの船]] ([[同一性]]) <!--壊れた船の部品を、少しづつ新しい材木で交換していく。全部の部品を交換してしまった後でも、これは同じ船なのだろうか?--> * [[エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤック|コンディヤック]]の立像(コンディヤックは『感覚論』にて身体機関は全く人間と同じな立像[statue]に一つずつ感覚を付与するという思考実験で、自身の説の正しさを示した) <!--* [[Coherence (philosophical gambling strategy)]]--> * [[神の残骸]] ([[宗教]])([[:en:God's Debris|God's Debris]]) * [[原初状態]] ([[政治学]])([[:en:Original position|Original position]]) * [[社会契約説]] * [[トロッコ問題]] ([[倫理]]) <!--暴走するトロッコ。レールの上には五人の人が縛り付けられている、マッドな哲学者によって。切替スイッチの横にいるあなた。もしスイッチを切り替えれば、トロッコはもう一方の路線に入る。しかしこちらの路線にも、人が縛り付けられている。しかしこっちは一人だけだ。さぁ、どうすべきか。--> * [[臓器くじ]] (倫理) * [[ザ・バイオリニスト]] (倫理)([[:en:Judith Jarvis Thomson|The Violinist]]) <!--ある晩、あなたが寝ている間に、ちょっとおかしい外科医によって、あなたの体が世界的に有名なバイオリニストの体とくっつけられてしまう。さて、という事はあなたが公演についていかないと、バイオリニストはもう演奏ひとつできないという事だ。世界的文化価値をもつバイオリニストとあなたの日常生活。さて、どう折り合いをつける?--> ===計算機科学=== * [[食事する哲学者の問題|食卓の哲学者]] ([[計算機科学]]) * [[チューリングマシンの停止問題|停止問題]] ([[計算機科学]]、[[計算理論]]、[[計算複雑性理論]]) * [[チューリングマシン]] ([[計算機科学]]、[[計算理論]]) ===[[社会科学]]=== * [[存在の概念がない世界]]([[比較文化]]) ===芸術=== * [[コンセプチュアル・アート]]([[形式主義]] [[ジョナサン・ボロフスキー]]) ===その他=== *SF([[サイエンス・フィクション]])は、時に思考実験であると言われる。例えば[[小松左京]]の『[[日本沈没]]』は、「もし日本列島が沈んでしまったら、日本民族はどうなるだろう?」という着想に基づく思考実験であり、そのためには「どうやったらある程度科学的な説明のつく形で日本を沈没させることが可能か」という思考実験を重ねたものである。いわゆる「[[終末もの]]」「ロボットもの」「超能力もの」など、それぞれにそのような現象や事象が存在した場合、それが現実に、あるいは人間にどのような結果をもたらすか、という思考実験であると見られる例は数多い。 * その他、ビジネスにおいて、新発明・新事業・新サービスなどの創出などにおいても、思考実験は活用される場合が少なくない。コストをかけずに、頭の中だけで試行錯誤を繰り返して最適解を導いていくことは、起業のスタートアップにおいては非常に有意義であると考えられる。 * [[ブライテンベルグ・ビークル]] [http://www.lcv.ne.jp/~hhase/memo/m03_06b.html##0619]([[ロボティクス]]、センシング) * [[人類滅亡の日]] (人間原理)([[:en:Doomsday argument|Doomsday argument]]) ==出典== {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} ==関連項目== * [[仮説]] * [[ジレンマ]] * [[パラドックス]] * [[歴史改変SF]] * [[前後即因果の誤謬]] ==外部リンク== {{SEP|thought-experiment|Thought Experiments}} {{科学哲学}}{{分析哲学}} {{authority control}} {{デフォルトソート:しこうしつけん}} [[Category:思考実験|*]] [[Category:実験]] [[Category:物理学]] [[Category:概念モデル]] [[Category:科学哲学の概念]] [[Category:理性]] [[Category:知識源]]
2003-04-13T14:06:17Z
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プランク定数
プランク定数(プランクていすう、プランクじょうすう、英語: Planck constant)は、光子のもつエネルギーと振動数の比例関係をあらわす比例定数のことで、量子論を特徴付ける物理定数である。 量子力学の創始者の一人であるマックス・プランクにちなんで命名された。 作用の次元を持ち、作用量子とも呼ばれている。 SIにおける単位はジュール秒(英語版)(記号: J⋅s または J s)である。プランク定数は2019年5月に定義定数となり、正確に6.62607015×10 J⋅sと定義された。 光子の持つエネルギー(エネルギー量子)ε は振動数 ν に比例し、その比例定数がプランク定数と定義される。 光のエネルギー E は光子の持つエネルギーの倍数の値のみを取り得る。 プランク定数の値は である(2018年CODATA推奨値)。 また、プランク定数 h を 円周率 π の2倍で割った量 h/2π もよく使われるため、「換算プランク定数」、または「ディラック定数」と呼ばれる。 ディラック定数の値は である(2018年CODATA推奨値)。 プランク定数は、記号 h で表される。この記号はプランクの輻射公式を説明する定数としてプランク自身の論文の中で導入されている。Hilfsgröße(Hilfs=補助、größe=大きさ、量)の頭文字に由来する。また専用の記号として h (PLANCK CONSTANT, Unicode U+210E) も用意されている。 ディラック定数の記号は、 h にストローク符号を付けた記号 ħ(H WITH STROKE, LATIN SMALL LETTER、Unicode U+0127、JIS X 0213 1-10-93)が使われる。量の記号にイタリック体を用いる約束に従って、専用の記号として ħ (PLANCK CONSTANT OVER TWO PI, Unicode U+210F, JIS X 0213 1-3-61) も用意されている。またTeX には数式記号 ħ {\displaystyle \hbar } (\hbar)が用意されている。ħ は「エイチバー」または「クロストエイチ」と発音される。 1896年にヴィルヘルム・ヴィーンが黒体放射におけるエネルギー分布に関するヴィーンの放射法則を提案した。この式はそれ以前の実験で得られていた高振動数領域では測定値をよく説明したが、新たに得られた低振動数の領域では合わなかった。1900年にプランクが低振動数領域でも測定値と一致するようにヴィーンの理論式を修正する形でプランクの法則を提案した。プランクの理論式は、高振動数の領域ではヴィーンの理論式に移行する。レイリー卿は古典的なエネルギー等分配則から低振動数極限における近似式の形を提案し、1905年にジェームズ・ジーンズがその係数を正しく与えた。レイリー・ジーンズの法則と呼ばれるこの式は、プランクの理論式から導かれる低振動数極限の形と係数を含めて一致した。 プランクは彼の公式の理論的な説明を与える過程で、振動数 ν の光のエネルギーの受け渡しは大きさ hν を単位としてのみ起こり得る、という仮定をした。この h が後にプランク定数と呼ばれるようになった普遍定数である。実験結果と彼の理論式を比較してプランクは、 と定めた。 アルベルト・アインシュタインはプランクの理論の影響を受け、1905年、光が粒子のような性質を持つという光量子仮説を提唱し光電効果を説明した。光量子仮説では、プランクとは別の方法でエネルギー量子の存在を説明した。アインシュタインの光電効果の考えはともかくとして彼が導いた式の正しさは、ロバート・ミリカンによって10年かけて行われた実験にて確かめられた。1916年にミリカンが報告したプランク定数の値は、 であり、プランクが黒体放射から得た値とよく一致した。 プランク定数は量子論的な不確定性関係と関わる定数であり、h → 0 の極限で量子力学が古典力学に一致するなど、量子論を特徴付ける定数である。 軌道角運動量やスピンは常に換算プランク定数の整数倍か半整数倍になっている。例えば、電子のスピンは ±ħ/2 である。なお、量子力学の分野では ħ = 1 とするプランク単位系や原子単位系を用いる場合が多く、その場合の電子のスピンは ±1/2 となる。 プランク定数は位置と運動量の積の次元を持ち、不確定性関係から位相空間での面積の最小単位であるとも考えられているが、最近では Zurek らの研究で、量子カオス系においてはプランク定数以下のミクロ構造が現れる事がわかった。 質量のSI単位であるキログラムは、従来の定義では国際キログラム原器(IPK)が用いられていたが、プランク定数を用いた新しい定義に改定され、2019年5月に発効した。 新しい定義においてプランク定数はSIを定義する定義定数として位置付けられ、SI単位による値は実験的に決定される測定値ではなく、固定された定義値となった。 プランク定数(h = 6.62607015×10 J s)とともに値が固定された定数である光速度 c、及びセシウム133の超微細遷移周波数 ΔνCs とを組み合わせることで、キログラムが導かれるという仕組みになっている。 国際度量衡委員会の下部組織である質量関連量諮問委員会による2013年の勧告では、新たな質量の定義を採用する条件として、 等が要求されていたが、2017年5月の 16th CCM meeting 時点までにこの条件は達成された。 NISTの D. Haddad らは、2015年から2017年にかけて NIST-4 キブル天秤による計測を繰り返した結果として 6.626069934(89)×10 J s の値を得ており、相対標準不確かさでは 13×10 を達成している。その他の実験結果については「モルプランク定数#実験値から定義値へ」を参照のこと。 2018年11月の第26回国際度量衡総会 (CGPM) で決議され、2019年5月20日に施行された新しいSIの定義では、プランク定数は定義定数となった。
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プランク定数は、光子のもつエネルギーと振動数の比例関係をあらわす比例定数のことで、量子論を特徴付ける物理定数である。 量子力学の創始者の一人であるマックス・プランクにちなんで命名された。 作用の次元を持ち、作用量子とも呼ばれている。 SIにおける単位はジュール秒である。プランク定数は2019年5月に定義定数となり、正確に6.62607015×10−34 J⋅sと定義された。
{{特殊文字}} {{物理定数 |英語=Planck constant |記号={{mvar|h}} |値={{val|6.62607015e-34|u=J.s}}(正確に) |不確かさ=定義値 |語源=[[マックス・プランク]] }} {{物理定数 |名称=換算プランク定数<br/>[[ディラック定数]] |英語=reduced Planck constant<br/>Dirac's constant |記号={{mvar|&#x127;}} |値={{val|1.054571817e-34|end=...|u=J.s}} |不確かさ=定義値 |語源=[[ポール・ディラック]] }} '''プランク定数'''(プランクていすう、プランクじょうすう、{{Lang-en|Planck constant}})は、光子のもつエネルギーと振動数の比例関係をあらわす比例定数のことで、[[量子論]]を特徴付ける[[物理定数]]である。 量子力学の創始者の一人である[[マックス・プランク]]にちなんで命名された。 [[作用 (物理学)|作用]]の[[量の次元|次元]]を持ち、作用量子とも呼ばれている。 [[国際単位系|SI]]における単位は{{仮リンク|ジュール秒|en|Joule-second}}(記号: J&sdot;s または J s)である。プランク定数は2019年5月に定義定数となり、正確に{{val|6.62607015|e=-34|u=J.s}}と定義された。 == 概要 == [[光子]]の持つエネルギー('''エネルギー量子'''){{Mvar|&epsilon;}} は[[振動数]] {{Mvar|&nu;}} に[[比例]]し、その比例定数がプランク定数と定義される<ref>[[#nobel|1921年 ノーベル物理学賞(アインシュタイン)]]</ref>。 :<math>\varepsilon=h\nu</math> 光のエネルギー {{mvar|E}} は光子の持つエネルギーの倍数の値のみを取り得る。 :<math>E=nh\nu</math> プランク定数の値は :正確に<math>\begin{align}h&=6.626\,070\,15\times 10^{-34}\,\mathrm{J\,s}\\ &=4.135\,667\,696...\times 10^{-15}\,\mathrm{eV\,s}\end{align}</math> である(2018年[[CODATA]]推奨値<ref>[[#h|CODATA Value]]</ref><ref>[[#hev|CODATA Value]]</ref>)。 また、プランク定数 {{mvar|h}} を [[円周率]] {{mvar|&pi;}} の2倍で割った量 {{math|{{Sfrac|''h''|2''&pi;''}}}} もよく使われるため、「'''換算プランク定数'''」、または「[[ディラック定数]]」と呼ばれる<ref>[[#dictionary|The American Heritage® Science Dictionary]]</ref>。 ディラック定数の値は :<math>\begin{align}\hbar&=1.054\,571\,817...\times 10^{-34}\,\mathrm{J\,s}\\ &=6.582\,119\,569\times 10^{-16}\,\mathrm{eV\,s}\end{align}</math> である(2018年[[CODATA]]推奨値<ref>[[#hbar|CODATA Value]]</ref><ref>[[#hbarev|CODATA Value]]</ref>)。 == 記号 == プランク定数は、記号 {{mvar|h}} で表される。この記号は[[プランクの法則|プランクの輻射公式]]を説明する定数としてプランク自身の論文の中で導入されている。{{De|Hilfsgröße}}({{De|Hilfs}}=補助、{{De|größe}}=大きさ、量)の頭文字に由来する。また専用の記号として &#x210E; (PLANCK CONSTANT, [[Unicode]] U+210E) も用意されている。 [[ディラック定数]]の記号は、 {{mvar|h}} に[[ストローク符号]]を付けた記号 [[Ħ|&#x127;]](H WITH STROKE, LATIN SMALL LETTER、[[Unicode]] U+0127、[[JIS X 0213]] 1-10-93)が使われる。量の記号に[[イタリック体]]を用いる約束に従って、専用の記号として &#8463; (PLANCK CONSTANT OVER TWO PI, [[Unicode]] U+210F, [[JIS X 0213]] 1-3-61) も用意されている。また[[TeX|{{TeX}}]] には数式記号 <math>\hbar</math>(<code>\hbar</code>)が用意されている。{{mvar|&#x127;}} は「エイチバー」または「クロストエイチ」と発音される。 {|class="wikitable" style="text-align: center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|8462|210E|-|PLANCK CONSTANT}} {{CharCode|8463|210F|1-3-61|PLANCK CONSTANT OVER TWO PI}} |} == 歴史 == === 黒体放射 === [[Image:RWP-comparison.svg|thumb|300px|温度 8 mK の[[黒体]]の[[ヴィーンの放射法則|ヴィーン]]、[[プランクの法則|プランク]]、[[レイリー・ジーンズの法則|レイリー]]の3式の比較]] 1896年に[[ヴィルヘルム・ヴィーン]]が[[黒体放射]]におけるエネルギー分布に関する[[ヴィーンの放射法則]]を提案した。この式はそれ以前の実験で得られていた高振動数領域では測定値をよく説明したが、新たに得られた低振動数の領域では合わなかった。1900年にプランクが低振動数領域でも測定値と一致するようにヴィーンの理論式を修正する形で[[プランクの法則]]を提案した{{Sfnp|Planck|1900a}}{{Sfnp|Planck|1900b}}{{Sfnp|Planck|1900c}}。プランクの理論式は、高振動数の領域ではヴィーンの理論式に移行する。[[ジョン・ウィリアム・ストラット (第3代レイリー男爵)|レイリー卿]]は古典的な[[エネルギー等分配則]]から低振動数極限における近似式の形を提案し、1905年に[[ジェームズ・ジーンズ]]がその係数を正しく与えた。[[レイリー・ジーンズの法則]]と呼ばれるこの式は、プランクの理論式から導かれる低振動数極限の形と係数を含めて一致した。 プランクは彼の公式の理論的な説明を与える過程で、振動数 {{Mvar|&nu;}} の光のエネルギーの受け渡しは大きさ {{mvar|h&nu;}} を単位としてのみ起こり得る、という仮定をした{{Efn2|プランクは光を放出する物体は振動子をもち、その振動によって波を放出すると考えた。ここで言う受け渡しとは振動子と電磁波の間におこるエネルギーの受け渡しの事である。}}<ref group="注">この仮定が必要となった経緯については次が詳しい。[[#planck|『熱輻射と量子』]], &sect;.M.Planck 正常スペクトル中のエネルギー分布の法則について.</ref>。この {{mvar|h}} が後にプランク定数と呼ばれるようになった普遍定数である<ref>{{Cite book|和書|author=C・ロヴェッリ|authorlink=カルロ・ロヴェッリ|year=2019|title=すごい物理学講義|publisher=河出文庫|page=145}}</ref>。実験結果と彼の理論式を比較してプランクは、 :{{mvar|h}} = {{val|6.55e-34|u=J s}} と定めた{{Sfnp|Planck|1900a}}。 === 光電効果 === [[アルベルト・アインシュタイン]]はプランクの理論の影響を受け、1905年、[[光]]が[[粒子]]のような性質を持つという[[光子|光量子仮説]]を提唱し[[光電効果]]を説明した。光量子仮説では、プランクとは別の方法でエネルギー量子の存在を説明した{{Sfnp|Einstein|1969|loc=&sect;.輻射の本質と構造に関するわれわれの見解の発展について}}。アインシュタインの光電効果の考えはともかくとして彼が導いた式の正しさは、[[ロバート・ミリカン]]によって10年かけて行われた実験にて確かめられた。1916年にミリカンが報告したプランク定数の値は、 :{{mvar|h}} = {{val|6.57e-34|u=J s}} であり、プランクが黒体放射から得た値とよく一致した{{sfnp|Millikan|1916|p=388}}。 == 理論 == プランク定数は[[量子論]]的な[[不確定性関係]]と関わる定数であり、{{math|''h'' &rarr; 0}} の極限で量子力学が[[古典力学]]に一致するなど、量子論を特徴付ける定数である。 [[軌道角運動量]]や[[スピン角運動量|スピン]]は常に換算プランク定数の整数倍か[[半整数]]倍になっている。例えば、[[電子]]のスピンは {{math|&plusmn;{{Sfrac|''&#x127;''|2}}}} である。なお、[[量子力学]]の分野では {{math|1=''&#x127;'' = 1}} とする[[プランク単位系]]や[[原子単位系]]を用いる場合が多く、その場合の電子のスピンは {{math|&plusmn;{{Sfrac|1|2}}}} となる。 プランク定数は[[位置]]と[[運動量]]の積の[[量の次元|次元]]を持ち、不確定性関係から[[位相空間 (物理学)|位相空間]]での面積の最小単位であるとも考えられているが、最近では {{enlink|Wojciech H. Zurek|Zurek|p=off|s=off}} らの研究で、[[量子]][[カオス理論|カオス系]]においてはプランク定数以下の[[ミクロ]]構造が現れる事がわかった{{Sfnp|Zurek|2000}}。 == キログラムの定義 == {{see also|SI基本単位の再定義 (2019年)}} 質量のSI単位である[[キログラム]]は、従来の[[定義]]では[[国際キログラム原器]](IPK)が用いられていたが、プランク定数を用いた新しい定義に改定され、2019年5月に発効した。 新しい定義においてプランク定数はSIを定義する定義定数として位置付けられ、SI単位による値は実験的に決定される測定値ではなく、固定された定義値となった。 プランク定数({{Math|''h'' {{=}} {{val|6.62607015|e=-34|u=J s}}}})とともに値が固定された定数である[[光速度]] {{mvar|c}}、及び[[セシウム133]]の[[超微細構造|超微細遷移]][[周波数]] {{math|{{mvar|&Delta;&nu;}}{{sub|Cs}}}} とを組み合わせることで、[[キログラム]]が導かれるという仕組みになっている。 === 経緯 === [[国際度量衡委員会]]の下部組織である質量関連量諮問委員会による2013年の勧告では、新たな質量の定義を採用する条件として、 * 相対[[標準不確かさ]]が 50{{e-|9}} 以下のプランク定数が少なくとも3つ、独立した実験([[ワット天秤|キブル天秤]]法とX線結晶密度法<ref>{{Cite journal|和書|url=https://www.nmij.jp/library/SICE/SICE_2_201402.pdf|title=質量標準の現状とキログラム(kg)の定義改定をめぐる最新動向|format=PDF|author=藤井賢一|journal=計測と制御|publisher=[[計測自動制御学会]]|volume=53|issue=2|date=2013-11-05|oclc=984806670|issn=1883-8170|doi=10.11499/sicejl.53.144}}</ref>を含む)により得られていること、 * その内の少なくとも1つは、相対標準不確かさが 20{{e-|9}} 以下であること、 等が要求されていたが、2017年5月の 16th CCM meeting 時点までにこの条件は達成された<ref name=":0">{{Cite web|url=http://www.bipm.org/cc/CCM/Allowed/16/06E_Final_CCM-Recommendation_G1-2017.pdf|title=RECOMMENDATION OF THE CONSULTATIVE COMMITTEE FOR MASS AND RELATED QUANTITIES SUBMITTED TO THE INTERNATIONAL COMMITTEE FOR WEIGHTS AND MEASURES|format=PDF|work=RECOMMENDATION G 1 (2017) For a new definition of the kilogram in 2018|publisher=[[国際度量衡局|BIPM]]|accessdate=2018-05-10}}</ref>。 [[アメリカ国立標準技術研究所|NIST]]の D. Haddad らは、2015年から2017年にかけて NIST-4 キブル天秤による計測を繰り返した結果として {{Val|6.626069934|(89)|e=-34|u=J s}} の値を得ており、相対標準不確かさでは 13{{e-|9}} を達成している<ref>{{Cite web|url=https://scienceblog.com/495009/new-measurement-will-help-redefine-international-unit-mass/|title=New Measurement Will Help Redefine International Unit Of Mass|publisher=ScienceBlog.com|date=July 2, 2017|accessdate=2018-05-10}}</ref><ref>{{cite journal|year=2017|title=Measurement of the Planck constant at the National Institute of Standards and Technology from 2015 to 2017|publisher={{enlink|IOP Publishing|p=off|s=off}}|journal={{enlink|Metrologia|p=off|s=off}}|volume=54|issue=5|first1=Darine|last1=Haddad|first2=Frank|last2=Seifert|first3=Leon|last3=Chao|first4=Antonio|last4=Possolo|first5=David B|last5=Newell|first6=Jon R|last6=Pratt|first7=Carl J|last7=Williams|first8=Stephan|last8=Schlamminger|issn=0026-1394|lccn=65009907|oclc=48198209|doi=10.1088/1681-7575/aa7bf2}}</ref>。その他の実験結果については「[[モルプランク定数#実験値から定義値へ]]」を参照のこと。 2018年11月の第26回[[国際度量衡総会]] (CGPM) で決議され、[[2019年]][[5月20日]]に施行された新しいSIの定義では、プランク定数は定義定数となった<ref>[https://www.bipm.org/utils/common/pdf/si-brochure/SI-Brochure-9-concise-EN.pdf A concise summary of the International System of Units, SI]BIPM,2019-05-20</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == === 原論文 === * {{Cite journal|last=Planck|first=Max|authorlink=マックス・プランク|url=http://theochem.kuchem.kyoto-u.ac.jp/Ando/planck1901.pdf|format=[[Portable Document Format|PDF]]|title=On the Law of Distribution of Energy in the Normal Spectrum|journal=[[アナーレン・デア・フィジーク|Annalen der Physik]]|publisher={{仮リンク|Wiley-VCH Verlag|de|Wiley-VCH Verlag|en|Wiley-VCH}}|volume=4|page=553 ff|language=[[英語|English]]|year=1900|month=October|ref={{SfnRef|Planck|1900a}}|archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006162543/http://theochem.kuchem.kyoto-u.ac.jp/Ando/planck1901.pdf|archivedate=2011年10月6日|deadurldate=2017年9月}} * {{Cite journal|last=Planck|first=Max|title=Ueber das Gesetz der Energieverteilung im Normalspectrum|url=http://www.physik.uni-augsburg.de/annalen/history/historic-papers/1901_309_553-563.pdf|format=[[Portable Document Format|PDF]]|journal=Annalen der Physik|publisher={{仮リンク|Wiley-VCH Verlag|de|Wiley-VCH Verlag|en|Wiley-VCH}}|language=[[ドイツ語|German]]|volume=309|issue=3|pages=553–563|date=October 19, 1900|ref={{SfnRef|Planck|1900b}}}} * {{Cite journal|first=M.|last=Planck|date=December 14, 1900|title=Zur Theorie des Gesetzes der Energieverteilung im Normalspektrum|url=http://www.christoph.mettenheim.de/planck-energieverteilung.pdf|format=[[Portable Document Format|PDF]]|journal=[[ドイツ物理学会|Deutsche Physikalische Gesellschaft]]|language=[[ドイツ語|German]]|volume=2|pages=237-245|ref={{SfnRef|Planck|1900c}}|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150807054128/http://www.christoph.mettenheim.de/planck-energieverteilung.pdf|archivedate=2015年8月7日|deadurldate=2017年9月}} * {{cite journal|author=A. Einstein|authorlink=アルベルト・アインシュタイン|title=Über einen die Erzeugung und Verwandlung des Lichtes betreffenden heuristischen Gesichtspunkt|url=http://www.physik.uni-augsburg.de/annalen/history/einstein-papers/1905_17_132-148.pdf|format=[[Portable Document Format|PDF]]|trans-title=光の発生と変脱とに関するひとつの発見法的観点について|journal=[[アナーレン・デア・フィジーク|Annalen der Physik]]|series=Ser. 4|publisher={{仮リンク|Wiley-VCH Verlag|de|Wiley-VCH Verlag|en|Wiley-VCH}}|location=[[ヴァインハイム|Weinheim]]|language=[[ドイツ語|German]]|volume=322|issue=6|pages=132–148|date=March 17, 1905|lccn=50013519|issn=0003-3804|oclc=5854993|doi=10.1002/andp.19053220607|bibcode=1905AnP...322..132E|ref=harv}} * {{cite journal|author=A. Einstein|title=Zur Theorie der Lichterzeugung und Lichtabsorption|url=http://www.physik.uni-augsburg.de/annalen/history/einstein-papers/1906_20_199-206.pdf|format=[[Portable Document Format|PDF]]|trans-title=光の発生と光の吸収の理論について|journal=Annalen der Physik|series=Ser. 4|publisher={{仮リンク|Wiley-VCH Verlag|de|Wiley-VCH Verlag|en|Wiley-VCH}}|location=Weinheim|language=[[ドイツ語|German]]|volume=325|issue=6|pages=199–206|date=March 13, 1906|lccn=50013519|issn=0003-3804|oclc=5854993|doi=10.1002/andp.19063250613|bibcode=1906AnP...325..199E|ref=harv}} * {{cite journal | first = R. A. | last = Millikan |author-link =ロバート・ミリカン | title = A Direct Photoelectric Determination of Planck's '''h''' | journal = [[Physical Review]] | year = 1916 | volume = 7 | issue = 3 | pages = 355–88 | doi = 10.1103/PhysRev.7.355|bibcode = 1916PhRv....7..355M | doi-access = free||ref=harv }} * {{Cite journal|first=Wojciech Hubert|last=Zurek|authorlink=:en:Wojciech H. Zurek|date=25 September 2000|url=http://www.nature.com/nature/journal/v412/n6848/pdf/412712a0.pdf|title=Sub-Planck structure in phase space and its relevance for quantum decoherence|trans-title=位相空間におけるサブ・プランクスケールの構造と量子デコヒーレンスとの関係|format=[[Portable Document Format|PDF]]|location=[[ロンドン|London]]|publisher={{enlink|Nature Publishing Group|p=off|s=off}}|journal=[[ネイチャー|Nature]]|volume=412|pages=712-717|issn=0028-0836|oclc=01586310|ref=harv}} === 書籍 === ; 洋書 * {{Cite book|url=http://dictionary.reference.com/browse/dirac's+constant|chapter=dirac's constant|title={{enlink|The American Heritage Dictionary of the English Language|The American Heritage® Science Dictionary|p=off|s=off}}|edition=1st|location=[[ボストン|Boston]]|publisher={{enlink|Houghton Mifflin Harcourt|p=off|s=off}}|date=January 25, 2005|asin=B001P5HDQI|oclc=56356196|ncid=BA73925776|isbn=0618455043|ref=dictionary}} ; 和書 * {{Cite book|和書|title=熱輻射と量子|series=物理学古典論分叢書|editor=物理学史研究刊行会|translator=前川太市・辻哲夫・江渕文昭|publisher=[[東海大学出版部|東海大学出版会]]|date=1970-05|id={{全国書誌番号|69001601}}|isbn=4486001117|ncid=BN0095811X|oclc=674052206|asin=4486001117|ref=planck}} * {{Cite book|和書|first=A.|last=Einstein|title=光量子論|series=物理学古典論分叢書|editor=物理学史研究刊行会|translator=[[高田誠二]]・[[広重徹]]・上川友好|publisher=東海大学出版会|date=1969-04|id={{全国書誌番号|21579698}}|isbn=4486001125|ncid=BN00957809|oclc=675079787|asin=4486001125|ref=harv}} == 外部リンク == * [[国際度量衡局|BIPM]] ** {{Cite web|url=https://www.bipm.org/utils/en/pdf/CGPM/Draft-Resolution-A-EN.pdf|title=Draft Resolution A - 26th meeting of the CGPM (13-16 November 2018)|format=PDF|publisher=BIPM|date=2018-02-06|accessdate=2018-05-09|ref=bipm1}} ** {{Cite web|url=https://www.bipm.org/utils/en/pdf/si-revised-brochure/Draft-Concise-summary-2018.pdf|title=A concise summary of the International System of Units, SI|format=PDF|publisher=BIPM|date=2018-02-06|accessdate=2018-05-09|ref=bipm2}} * CODATA Value ** {{Cite web|url=http://physics.nist.gov/cgi-bin/cuu/Value?h|title=Planck constant|accessdate=2015-06-27|ref=h}} ** {{Cite web|url=http://physics.nist.gov/cgi-bin/cuu/Value?hev|title=Planck constant in eV s|accessdate=2015-06-27|ref=hev}} ** {{Cite web|url=http://physics.nist.gov/cgi-bin/cuu/Value?hbar|title=Planck constant over 2 pi|accessdate=2015-06-27|ref=hbar}} ** {{Cite web|url=http://physics.nist.gov/cgi-bin/cuu/Value?hbarev|title=Planck constant over 2 pi in eV s|accessdate=2015-06-27|ref=hbarev}} * {{Cite web|url=http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/1921/|title=The Nobel Prize in Physics 1921|accessdate=2013-12-28|ref=nobel}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ふらんくていすう}} [[Category:量子力学]] [[Category:統計力学]] [[Category:物理定数]] [[Category:マックス・プランク]] [[Category:物理学のエポニム]]
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量子化
量子化(りょうしか、英: quantization)
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量子化 量子化(物理学) - ある物理現象が、量子条件に合うような離散的な物理量をもつこと。 古典力学の理論から量子力学の理論に移行するための手続きそのものを指す場合もある。 正準量子化 幾何学的量子化 量子化 (情報科学) - 信号処理や画像処理において、信号の大きさを離散的な値で近似的に表すこと。 量子化 (信号処理) 量子化 (画像処理) 色の量子化 ベクトル量子化 量子化(数学) Q-類似 Category:数学的量子化
'''量子化'''(りょうしか、{{lang-en-short|quantization}}) * [[量子化 (物理学)|量子化(物理学)]] - ある物理現象が、[[量子条件]]に合うような離散的な物理量をもつこと。 古典力学の理論から量子力学の理論に移行するための手続きそのものを指す場合もある。 ** [[正準量子化]] ** {{仮リンク|幾何学的量子化|en|Geometric quantization}} * [[量子化 (情報科学)]] - [[信号処理]]や[[画像処理]]において、信号の大きさを離散的な値で近似的に表すこと。 ** {{仮リンク|量子化 (信号処理)|en|Quantization (signal processing)}} ** {{仮リンク|量子化 (画像処理)|en|Quantization (image processing)}} ** [[色の量子化]] ** [[ベクトル量子化]] * 量子化(数学) ** [[Q-類似]] ** [[:Category:数学的量子化|Category:数学的量子化]] == 関連記事 == *[[量子]] *[[標本化]] *[[量子化誤差]] *[[量子群]] *[[ビット深度 (音響機器)]] {{デジタル信号処理}} {{aimai}} {{DEFAULTSORT:りようしか}}
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水素原子
水素原子(、英: Hydrogen atom)は、水素の原子である。1つの陽子と1つの電子により構成されている。水素原子は宇宙の全質量の約75%を占める。 水素は地球上では他の原子との化合物(例えば、水)を作るか、水素分子(H2)の状態で存在していることが多く、単に水素と言えば一般的には水素分子のことを指す。 電気分解などにより単離した水素原子や、酸素や窒素などと結びついた水素原子は、反応性が高く、その還元作用のため活性水素 (Active hydrogen) と呼ばれる。 H-H結合は、298 Kでの結合解離エンタルピーが435.88 kJ/molと最も強い結合の1つである。この強い結合のため、水素分子は高温になるまでほとんど解離しない。3,000 Kで解離度は7.85%である。 水素原子は反応性が非常に高く、ほぼ全ての元素と結合できる。 最も豊富な同位体である水素1、プロティウム、軽水素は中性子を含まない。一方、重水素や三重水素等の他の水素の同位体は1つかそれ以上の中性子を含む。下記の式は3つ全ての同位体に対して適用できるが、同位体ごとに若干異なるリュードベリ定数を用いる必要がある。 水素原子は単純な二体問題の系として多くの分析的な単純解を生成してきたことから、量子力学や量子場理論において特別に重要な意味を持つ。 1913年、ニールス・ボーアは多くの仮定を置いて単純化することで、水素原子のエネルギー準位及びスペクトル周波数を得た。ボーアの原子模型の基礎であるこれらの仮定は完全に正しくはないが、かなり正しいエネルギー値が得られた。ボーアの原子模型では、それぞれのエネルギー準位は整数値の量子数 n で識別され、 で与えられるエネルギーを持つ。ここで、me は電子の静止質量、c は光速、α は微細構造定数である。周波数とエネルギー値に関するボーアの結論は、1925年から26年にかけてのシュレーディンガー方程式の解と同値のものである。水素についてのシュレーディンガー方程式の解は解析解であり、水素のエネルギー準位とスペクトル線の周波数についての簡単な表現を与える。シュレーディンガー方程式の解は他に2つの量子数と様々な量子状態での電子の波動関数の形を与えるためボーアの原子模型よりもさらに詳細な情報が得られ、これにより原子結合の異方的な性質が説明できる。 シュレーディンガー方程式はもっと複雑な原子や分子にも適用できる。電子か核子の数が1つを超えると解は解析的には求められず、コンピュータ計算か仮定の単純化が必要となる。 シュレーディンガー方程式は非相対性理論的な量子力学にしか適用できないため、水素原子に関して得られる解は完全に正確なものではない。このことは相対論的量子力学に基づくディラック方程式によって改善される。 水素原子のシュレーディンガー方程式の解は、核子によるクーロンポテンシャルは等方的であるという事実を用いる。結果として得られた基底状態の固有関数(軌道)自体は等方的である必要はないものの、それらの角座標への依存はこのポテンシャルの等方性から得られるものである。ハミルトニアンの固有状態(即ちエネルギー固有状態)は、角運動量演算子の同時固有状態として選ぶことができる。これは、核子の周りでの電子の軌道運動において角運動量が保存されるという事実と合致する。従って、エネルギー固有状態は2つの角運動量量子数 l と m (どちらも整数)により分類することができる。角運動量量子数 l (= 0,1,2,...) は角運動量の大きさを決定し、磁気量子数 m (= -l, ..., +l) は任意に選んだz軸への角運動量の射影を決定する。 波動関数の全角運動量と角運動量射影の数学的な表現に加え、波動関数の放射方向依存の表現も見出す必要がある。これは 1/r クーロンポテンシャル(ラゲールの陪多項式)から導ける。ここから3つ目の量子数 n (= 1,2,3, ...) が得られる。水素のこの量子数は原子の全エネルギーと関連している。 角運動量の保存のため、l が同じで m が異なる状態は同じエネルギーを持つ。さらに水素原子の場合は、n が同じで l が異なる状態は縮退している(即ち同じエネルギーを持つ)。しかしこれは水素に特有の性質で、1/r とは異なるポテンシャルを持つ、より複雑な原子に対しては当てはまらない。 電子のスピン角運動量を考慮に入れると、2つの値を取りうる最後の量子数(z軸に沿った電子の角運動量の射影)が得られる。従って、水素中の電子のあらゆる固有状態は4つの量子数で完全に記述することができる。量子力学の規則によると、電子の実際の状態はこれらの状態の重ね合わせである。このことは、z軸の方向の取り方が任意であることも説明できる。 ヴェルナー・ハイゼンベルクの行列力学においては、水素原子は角運動量とラプラス・ルンゲ・レンツベクトルから生み出される四次元回転対称性(O(4)-対称性)を用いて、ウォルフガング・パウリによって初めて解かれた。O(4)-対称性をO(4,2)に拡張することによって、全体のスペクトルと全ての遷移状態が1つの既約群表現に内包される。 1979年(非相対論的な)水素原子について、リチャード・P・ファインマンの経路積分の範囲で初めて解かれた。この成果はファインマンの方法の適用範囲を大きく広げた。 1928年、ポール・ディラックは特殊相対性理論と完全に両立できる方程式(ディラック方程式)を発見し、その結果として波動関数を正負のエネルギー(物質と反物質)および両方向のスピンからなる4成分のディラック・スピノルで表した。この方程式の解はシュレーディンガー方程式の解よりも正確な以下の結果を与える。 微細構造を含みラムシフトや超微細構造を含まない水素原子のエネルギー準位はディラックの微細構造表現により与えられる。 ここで α は微細構造定数、j は |l ± 1/2| に等しくスピンの方向に依存する全角運動量量子数である。この式は、ニールス・ボーアとシュレーディンガーによって得られた下記のエネルギーを補正している。角括弧で囲まれた値は相対論的効果に由来する因子であり,ほぼ1に近い。n = 1 における角括弧の前の因子 m e c 2 α 2 / 2 = 13.6 eV {\displaystyle {m_{\text{e}}c^{2}\alpha ^{2}}/{2}=13.6\,{\text{eV}}} はリュードベリ定数と呼ばれ、ボーアの原子模型 から最初に発見された。ここで、me は電子の静止質量、e は電気素量、h はプランク定数、ε0 は真空の誘電率である。この定数はエネルギーのリュードベリ単位という形で原子物理学においてよく用いられる。 上記のリュードベリ定数の正確な値は、核子は電子と比べて無限に重いことを仮定する。軽水素、重水素、三重水素では、この定数は系の換算質量を用いることで単純な電子の質量を用いるのと比べて若干改善される。しかし核子が電子よりも遥かに重いため値はほぼ同じになる。電子1つの水素のリュードベリ定数を RM とすると、R は で与えられる。ここで M は原子核の質量である。軽水素では、me/M の値は約1/1836である。重水素、三重水素ではこの値はそれぞれ約1/3670、1/5497である。これらの値を分母の1に加えるとR の値の補正値となる。 球面座標系において、標準位置での波動関数は で与えられる。ここで、 量子数は以下の値を取る: さらに、これらの波動関数は規格化され、直交関数列化される。 ここで |n, l, m⟩ はブラ-ケット記法で表した波動関数 ψnlm、δ はクロネッカーのデルタである。 角運動量演算子の固有値は 右図は水素原子の最初のいくつかの軌道(エネルギー固有関数)を示している。これらは確率振幅の断面図を表している(黒色は密度0、白色は最大密度である)。角運動量量子数 l はそれぞれの列に示されている(s は l = 0 、p は l = 1、d は l = 2 を意味する)。主量子数 n はそれぞれの行の右に示されている。全ての図において磁気量子数 m は 0 としており、断面図はxz平面である。基底状態、即ち最もエネルギーの低い状態では、電子は常に 1s の状態にある(n = 1, l =0)。 図中で最初の軌道以外に現れる黒い線は、波動関数の節、即ち確率密度が 0 になる地点である(より正確には、節は極座標でシュレーディンガー方程式を解いた時に得られる球面調和関数で表される)。 量子数がこれらの節の形を決める。
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水素原子(すいそげんし、(英: Hydrogen atom)は、水素の原子である。1つの陽子と1つの電子により構成されている。水素原子は宇宙の全質量の約75%を占める。 水素は地球上では他の原子との化合物(例えば、水)を作るか、水素分子(H2)の状態で存在していることが多く、単に水素と言えば一般的には水素分子のことを指す。 電気分解などにより単離した水素原子や、酸素や窒素などと結びついた水素原子は、反応性が高く、その還元作用のため活性水素 (Active hydrogen) と呼ばれる。
{{Infobox 同位体 |image = Hydrogen 1.svg |alternate_names = protium |mass_number = 1 |symbol = H |num_neutrons = 0 |num_protons = 1 |abundance = 99.985% |mass = 1.007825 |spin = {{frac|1|2}}+ |excess_energy = 7288.969 |error1 = 0.001 |binding_energy = 0.000 |error2 = 0.0000 }} [[ファイル:hydrogen atom.svg|thumb|200px|水素原子の[[モデル (自然科学)|モデル]]。[[電子雲]]の中に[[原子核]]が存在している。このモデルにおいては、[[ボーア半径]]の2倍を水素原子の大きさとして表現している。]] {{読み仮名|'''水素原子'''|すいそげんし|{{lang-en-short|Hydrogen atom}}}}は、[[水素]]の[[原子]]である。1つの[[陽子]]と1つの[[電子]]により構成されている。水素原子は[[宇宙]]の全[[質量]]の約75%を占める<ref> {{cite web |last=Palmer|first=D. |title=Hydrogen in the Universe |url=http://imagine.gsfc.nasa.gov/docs/ask_astro/answers/971113i.html |publisher=NASA |date=13 September 1997 |accessdate=5 February 2008 }}</ref>。 水素は地球上では他の原子との化合物(例えば、[[水]])を作るか、[[水素分子]](H<sub>2</sub>)の状態で存在していることが多く、単に水素と言えば一般的には水素分子のことを指す。 [[電気分解]]などにより単離した水素原子や、酸素や窒素などと結びついた水素原子は、反応性が高く、その還元作用のため'''活性水素''' (Active hydrogen) と呼ばれる<ref name="岩波理化学辞典">「活性水素」『岩波理化学辞典』第5版、371ページ。</ref><ref>{{Cite web|和書|title=活性水素とは|url=https://kotobank.jp/word/%E6%B4%BB%E6%80%A7%E6%B0%B4%E7%B4%A0-45262|website=コトバンク|accessdate=2021-10-18|language=ja|first=日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典|last=小項目事典,世界大百科事典内言及}}</ref>。 ==生成と反応== H-H結合は、298 Kでの結合解離[[エンタルピー]]が435.88 kJ/molと最も強い結合の1つである。この強い結合のため、水素分子は高温になるまでほとんど解離しない。3,000 Kで解離度は7.85%である<ref>Greenwood, N. N.; & Earnshaw, A. (1997). ''Chemistry of the Elements'' (2nd Edn.), Oxford:Butterworth-Heinemann. {{ISBN2|0-7506-3365-4}}.</ref>。 :H<sub>2</sub> &#x21CC; 2 H 水素原子は反応性が非常に高く、ほぼ全ての元素と結合できる。 ==同位体== 最も豊富な同位体である'''水素1'''、'''プロティウム'''、'''軽水素'''は[[中性子]]を含まない。一方、[[重水素]]や[[三重水素]]等の他の[[水素の同位体]]は1つかそれ以上の中性子を含む。下記の式は3つ全ての同位体に対して適用できるが、同位体ごとに若干異なる[[リュードベリ定数]]を用いる必要がある。 ==量子理論的分析== 水素原子は単純な[[二体問題]]の系として多くの分析的な単純解を生成してきたことから、[[量子力学]]や[[量子場理論]]において特別に重要な意味を持つ。 1913年、[[ニールス・ボーア]]は多くの仮定を置いて単純化することで、水素原子の[[エネルギー準位]]及びスペクトル周波数を得た。[[ボーアの原子模型]]の基礎であるこれらの仮定は完全に正しくはないが、かなり正しいエネルギー値が得られた。ボーアの原子模型では、それぞれのエネルギー準位は整数値の[[量子数]] {{mvar|n}} で識別され、 :<math>E_n = - \frac{m_e c^2\alpha^2}{2n^2}. </math> で与えられるエネルギーを持つ。ここで、{{mvar|m<sub>e</sub>}} は[[電子の静止質量]]、{{mvar|c}} は[[光速]]、{{mvar|&alpha;}} は[[微細構造定数]]である。周波数とエネルギー値に関するボーアの結論は、1925年から26年にかけての[[シュレーディンガー方程式]]の解と同値のものである。水素についてのシュレーディンガー方程式の解は[[解析解]]であり、水素のエネルギー準位と[[スペクトル線]]の周波数についての簡単な表現を与える。シュレーディンガー方程式の解は他に2つの量子数と様々な量子状態での電子の[[波動関数]]の形を与えるためボーアの原子模型よりもさらに詳細な情報が得られ、これにより原子結合の[[異方的]]な性質が説明できる。 シュレーディンガー方程式はもっと複雑な原子や分子にも適用できる。電子か核子の数が1つを超えると解は解析的には求められず、コンピュータ計算か仮定の単純化が必要となる。 シュレーディンガー方程式は非[[相対性理論]]的な量子力学にしか適用できないため、水素原子に関して得られる解は完全に正確なものではない。このことは[[相対論的量子力学]]に基づく[[ディラック方程式]]によって改善される。 ===シュレーディンガー方程式の解=== 水素原子のシュレーディンガー方程式の解は、核子による[[クーロンの法則|クーロンポテンシャル]]は等方的であるという事実を用いる。結果として得られた[[基底状態]]の[[固有関数]](軌道)自体は等方的である必要はないものの、それらの[[球面座標系|角座標]]への依存はこのポテンシャルの等方性から得られるものである。[[ハミルトニアン]]の固有状態(即ちエネルギー固有状態)は、[[角運動量演算子]]の同時固有状態として選ぶことができる。これは、核子の周りでの電子の[[軌道運動]]において[[角運動量]]が保存されるという事実と合致する。従って、エネルギー固有状態は2つの角運動量量子数 {{mvar|l}} と {{mvar|m}} (どちらも整数)により分類することができる。角運動量量子数 {{math|''l'' ({{=}} 0,1,2,...)}} は角運動量の大きさを決定し、磁気量子数 {{math|''m'' ({{=}} -''l'', ..., +''l'')}} は任意に選んだz軸への角運動量の射影を決定する。 波動関数の全角運動量と角運動量射影の数学的な表現に加え、波動関数の放射方向依存の表現も見出す必要がある。これは {{math|1/''r''}} クーロンポテンシャル([[ラゲールの陪多項式]])から導ける。ここから3つ目の量子数 {{math|''n'' ({{=}} 1,2,3, ...)}} が得られる。水素のこの量子数は原子の全エネルギーと関連している。 角運動量の保存のため、{{mvar|l}} が同じで {{mvar|m}} が異なる状態は同じエネルギーを持つ。さらに水素原子の場合は、{{mvar|n}} が同じで {{mvar|l}} が異なる状態は[[縮退]]している(即ち同じエネルギーを持つ)。しかしこれは水素に特有の性質で、{{math|1/''r''}} とは異なるポテンシャルを持つ、より複雑な原子に対しては当てはまらない。 電子の[[スピン角運動量]]を考慮に入れると、2つの値を取りうる最後の量子数(z軸に沿った電子の角運動量の射影)が得られる。従って、水素中の電子のあらゆる固有状態は4つの量子数で完全に記述することができる。量子力学の規則によると、電子の実際の状態はこれらの状態の[[重ね合わせ]]である。このことは、z軸の方向の取り方が任意であることも説明できる。 ===シュレーディンガー理論の代替=== [[ヴェルナー・ハイゼンベルク]]の[[行列力学]]においては、水素原子は角運動量と[[ラプラス・ルンゲ・レンツベクトル]]から生み出される四次元回転[[対称性 (物理学)|対称性]](O(4)-対称性)を用いて、[[ウォルフガング・パウリ]]によって初めて解かれた<ref name="pauli_1926"> {{cite journal | last = Pauli | first = W | year = 1926 | title = Über das Wasserstoffspektrum vom Standpunkt der neuen Quantenmechanik | journal = Zeitschrift für Physik | volume = 36 | pages = 336–363 | doi = 10.1007/BF01450175 |bibcode = 1926ZPhy...36..336P }}</ref>。O(4)-対称性をO(4,2)に拡張することによって、全体のスペクトルと全ての遷移状態が1つの既約群表現に内包される<ref> {{cite journal | title = Group Dynamics of the Hydrogen Atom | author = Kleinert H. | journal = Lectures in Theoretical Physics, edited by W.E. Brittin and A.O. Barut, Gordon and Breach, N.Y. 1968 | volume = | pages = 427–482 | year = 1968 | doi = | url = http://www.physik.fu-berlin.de/~kleinert/kleiner_re4/4.pdf }}</ref>。 1979年(非相対論的な)水素原子について、[[リチャード・P・ファインマン]]の[[経路積分]]の範囲で初めて解かれた<ref> {{cite journal | title = Solution of the path integral for the H-atom | author = Duru I.H., Kleinert H. | journal = Physics Letters B | volume = 84 | issue = 2 | pages = 185–188 | year = 1979 | doi = 10.1016/0370-2693(79)90280-6 | url = http://www.physik.fu-berlin.de/~kleinert/kleiner_re65/65.pdf |bibcode = 1979PhLB...84..185D }}</ref><ref> {{cite journal | title = Quantum Mechanics of H-Atom from Path Integrals | author = Duru I.H., Kleinert H. | journal = Fortschr. Phys | volume = 30 | issue = 2 | pages = 401–435 | year = 1982 | doi = 10.1002/prop.19820300802 | url = http://www.physik.fu-berlin.de/~kleinert/kleiner_re83/83.pdf |bibcode = 1982ForPh..30..401D }}</ref>。この成果はファインマンの方法の適用範囲を大きく広げた。 ===水素原子の固有状態についての数学的概要=== {{main|水素原子におけるシュレーディンガー方程式の解}} 1928年、[[ポール・ディラック]]は[[特殊相対性理論]]と完全に両立できる方程式(ディラック方程式)を発見し、その結果として波動関数を正負のエネルギー(物質と[[反物質]])および両方向のスピンからなる4成分の[[ディラック・スピノル]]で表した。この方程式の解はシュレーディンガー方程式の解よりも正確な以下の結果を与える。 ====エネルギー準位==== 微細構造を含み[[ラムシフト]]や[[超微細構造]]を含まない水素原子のエネルギー準位はディラックの微細構造表現により与えられる。 :<math>\begin{align} E_{jn} & = -m_\text{e}c^2\left[1-\left(1+\left[\dfrac{\alpha}{n-j-\frac{1}{2}+\sqrt{\left(j+\frac{1}{2}\right)^2-\alpha^2}}\right]^2\right)^{-1/2}\right] \\ & \approx -\dfrac{m_\text{e}c^2\alpha^2}{2n^2} \left[1 + \dfrac{\alpha^2}{n^2}\left(\dfrac{n}{j+\frac{1}{2}} - \dfrac{3}{4} \right) \right] . \end{align}</math> ここで {{mvar|α}} は微細構造定数、{{mvar|j}} は {{math|{{!}}''l'' &pm; 1/2{{!}}}} に等しくスピンの方向に依存する[[全角運動量量子数]]である。この式は、[[ニールス・ボーア]]とシュレーディンガーによって得られた下記のエネルギーを補正している。角括弧で囲まれた値は相対論的効果に由来する因子であり,ほぼ1に近い。{{math|''n'' {{=}} 1}} における角括弧の前の因子 <math>{m_{\text{e}} c^2\alpha^2}/{2} = 13.6\,\text{eV}</math> は[[リュードベリ定数]]と呼ばれ、ボーアの原子模型 :<math>-\frac{m_{\text{e}} e^4}{8 h^2 \varepsilon_0^2} = -13.6 \,\text{eV}</math> から最初に発見された。ここで、{{math|''m''<sub>e</sub>}} は電子の静止質量、{{mvar|e}} は[[電気素量]]、{{mvar|h}} は[[プランク定数]]、{{math|''&epsilon;''<sub>0</sub>}} は[[真空の誘電率]]である。この定数はエネルギーの[[原子単位系#リュードベリ原子単位系|リュードベリ単位]]という形で[[原子物理学]]においてよく用いられる。 :<math>1 \,\text{Ry} \equiv h c R_\infty = 13.605\;692\;53(30) \,\text{eV}.</math><ref name="codata">P.J. Mohr, B.N. Taylor, and D.B. Newell (2011), "The 2010 CODATA Recommended Values of the Fundamental Physical Constants" (Web Version 6.0). This database was developed by J. Baker, M. Douma, and S. Kotochigova. Available: http://physics.nist.gov/constants. National Institute of Standards and Technology, Gaithersburg, MD 20899. [http://physics.nist.gov/cgi-bin/cuu/Value?ryd Link to R<sub>∞</sub>], [http://physics.nist.gov/cgi-bin/cuu/Value?rydhcev Link to hcR<sub>∞</sub>]</ref> 上記のリュードベリ定数の正確な値は、核子は電子と比べて無限に重いことを仮定する。軽水素、重水素、三重水素では、この定数は系の[[換算質量]]を用いることで単純な電子の質量を用いるのと比べて若干改善される。しかし核子が電子よりも遥かに重いため値はほぼ同じになる。電子1つの水素のリュードベリ定数を {{mvar|R<sub>M</sub>}} とすると、{{mvar|R}} は :<math>R_M = \frac{R_\infty}{1+m_{\text{e}}/M}</math> で与えられる。ここで {{mvar|M}} は原子核の質量である。軽水素では、{{math|''m''{{sub|e}}/''M''}} の値は約1/1836である。重水素、三重水素ではこの値はそれぞれ約1/3670、1/5497である。これらの値を分母の1に加えると{{mvar|R}} の値の補正値となる。 ====波動関数==== [[ファイル:Hydrogen eigenstate n4 l3 m1.png|thumb|right|固有状態<math>\psi_{4,3,1}</math>の3次元モデル。ドーナツ状の形の内部に、45%の確率で電子が存在する。]] [[球面座標系]]において、標準位置での波動関数は :<math> \psi_{nlm}(r,\theta,\varphi) = \sqrt {{\left ( \frac{2}{n a_0} \right )}^3\frac{(n-l-1)!}{2n(n+l)!} } e^{- \rho / 2} \rho^{l} L_{n-l-1}^{2l+1}(\rho) Y_{l}^{m}(\theta, \varphi ) </math> で与えられる。ここで、 *{{math|''&rho;'' {{=}} 2''r'' / ''na''{{sub|0}}}}, *{{math|''a''{{sub|0}}}} は[[ボーア半径]]、 *<math> L_{n-l-1}^{2l+1}(\rho) </math>は、{{math|''n'' - ''l'' - 1}} 次の一般化されたラゲールの陪多項式であり、著者によって様々に定義されるがここではMessiah<ref>{{cite book|last=Messiah|first=Albert|title=Quantum Mechanics|year=1999|publisher=Dover|location=New York|isbn=0-486-40924-4|pages=1136}}</ref>やMathematica<ref>[http://reference.wolfram.com/mathematica/ref/LaguerreL.html LaguerreL]. Wolfram Mathematica page</ref>による定義に従う。 *<math> Y_{l}^{m}(\theta, \varphi ) \,</math>は、{{mvar|l}} 次 {{mvar|m}} 桁の[[球面調和関数]]である。 量子数は以下の値を取る: :<math>\begin{align} & n=1,2,3,\ldots, \\ &l=0,1,2,\ldots,n-1,\\ &m=-l,\ldots,l.\end{align}</math> さらに、これらの波動関数は規格化され、[[直交関数列]]化される。 :<math>\int_0^{\infty} r^2 \mathrm{d}r\int_0^{\pi} \sin \theta \mathrm{d}\theta \int_0^{2 \pi} \mathrm{d}\varphi\; \psi^*_{nlm}(r,\theta,\varphi)\psi_{n'l'm'}(r,\theta,\varphi)=\langle n,l,m | n',l',m' \rangle = \delta_{nn'} \delta_{ll'} \delta_{mm'}.</math> ここで {{math|{{ket|''n'', ''l'', ''m''}}}} は[[ブラ-ケット記法]]で表した波動関数 {{math|''&psi;{{sub|nlm}}''}}、{{mvar|&delta;}} は[[クロネッカーのデルタ]]である<ref>Introduction to Quantum Mechanics, Griffiths 4.89</ref>。 ====角運動量==== 角運動量演算子の[[固有値]]は : <math> L^2\, | n, l, m\rangle = {\hbar}^2 l(l+1)\, | n, l, m \rangle, </math> : <math> L_z\, | n, l, m \rangle = \hbar m \,| n, l, m \rangle. </math> ===水素の電子軌道の可視化=== {{main|原子軌道}} [[ファイル:HAtomOrbitals.png|frame|異なる量子数におけるxz平面上での電子の確率密度]] 右図は水素原子の最初のいくつかの軌道(エネルギー固有関数)を示している。これらは[[確率振幅]]の断面図を表している(黒色は密度0、白色は最大密度である)。角運動量量子数 {{mvar|l}} はそれぞれの列に示されている({{mvar|s}} は {{math|''l'' {{=}} 0}} 、{{mvar|p}} は {{math|''l'' {{=}} 1}}、{{mvar|d}} は {{math|''l'' {{=}} 2}} を意味する)。主量子数 {{mvar|n}} はそれぞれの行の右に示されている。全ての図において磁気量子数 {{mvar|m}} は 0 としており、断面図はxz平面である。基底状態、即ち最もエネルギーの低い状態では、電子は常に {{math|1''s''}} の状態にある({{math|''n'' {{=}} 1, ''l'' {{=}}0}})。 図中で最初の軌道以外に現れる黒い線は、波動関数の節、即ち確率密度が 0 になる地点である(より正確には、節は極座標でシュレーディンガー方程式を解いた時に得られる球面調和関数で表される)。 量子数がこれらの節の形を決める。 ==出典== {{reflist|2}} ==関連文献== *{{cite book | first=David J. | last=David J. Griffiths | title=Introduction to Quantum Mechanics | publisher=Prentice Hall | year=1995 | isbn=0-13-111892-7 }} Section 4.2 deals with the hydrogen atom specifically, but all of Chapter 4 is relevant. *{{cite book | first=B.H. | last=Bransden | author2=C.J. Joachain | title=Physics of Atoms and Molecules | publisher=[[Longman]] | year=1983 | isbn=0-582-44401-2 }} * Kleinert, H. (2009). ''Path Integrals in Quantum Mechanics, Statistics, Polymer Physics, and Financial Markets'', 4th edition, [http://www.worldscibooks.com/physics/7305.html Worldscibooks.com], World Scientific, Singapore (also available online [http://www.physik.fu-berlin.de/~kleinert/re.html#B8 physik.fu-berlin.de]) ==関連項目== {{表2列| * [[反水素]] * [[原子軌道]] * [[バルマー系列]] * [[ヘリウム原子]] * [[水素分子イオン]] | * [[陽子崩壊]] * [[量子化学]] * [[量子状態]] * [[プロトン化水素分子]] }} ==外部リンク== {{Commonscat}} * [http://scienceworld.wolfram.com/physics/HydrogenAtom.html Physics of hydrogen atom on Scienceworld] * [http://webphysics.davidson.edu/faculty/dmb/hydrogen/ Interactive graphical representation of orbitals] * [http://www.falstad.com/qmatom/ Applet which allows viewing of all sorts of hydrogenic orbitals] * [http://panda.unm.edu/Courses/Finley/P262/Hydrogen/WaveFcns.html The Hydrogen Atom: Wave Functions, and Probability Density "pictures"] * [http://www.physics.drexel.edu/~tim/open/hydrofin Basic Quantum Mechanics of the Hydrogen Atom] * [http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20101105a1.html "Research team takes image of hydrogen atom" Kyodo News, Friday, 5 November 2010 – (includes image)] {{Normdaten}} {{デフォルトソート:すいそけんし}} [[Category:水素]] [[Category:原子]]
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不確定性原理
不確定性原理(、独: Unschärferelation、英: Uncertainty principle)は、量子力学に従う系の物理量 A ^ {\displaystyle {\hat {A}}} を観測したときの不確定性と、同じ系で別の物理量 B ^ {\displaystyle {\hat {B}}} を観測したときの不確定性が適切な条件下では同時に0になる事はないとする一連の定理の総称である。特に重要なのは A ^ {\displaystyle {\hat {A}}} 、 B ^ {\displaystyle {\hat {B}}} がそれぞれ位置と運動量のときであり、狭義にはこの場合のものを不確定性原理という。 原理的には、一般のフーリエ解析で窓関数を狭めるほど得られるスペクトルが不正確となるのと同種の説明がなされる。 このような限界が存在するはずだという元々の発見的議論がハイゼンベルクによって与えられたため、これはハイゼンベルクの原理という名前が付けられることもある。しかし後述するようにハイゼンベルク自身による不確定性原理の物理的説明は、今日の量子力学の知識からは正しいものではない。 今日の量子力学において、不確定性原理でいう観測は日常語のそれとは意味が異なる用語であり、測定装置のような古典的物体と量子系との間の任意の相互作用を意味する。したがって例えば、実験者が測定装置に表示された値を実際に見たかどうかといった事とは無関係に定義される。また不確定性とは、物理量を観測した時に得られる測定値の標準偏差を表す。 不確定性原理が顕在化する現象の例としては、原子(格子)の零点振動(このためヘリウムは、常圧下では絶対零度まで冷却しても固化しない)、その他量子的なゆらぎ(例:遍歴電子系におけるスピン揺らぎ)などが挙げられる。 不確定性原理は、物質が根源的に波であり、位置と運動量が共役すなわちフーリエ変換の双対となることに由来する。よって、一般の音声解析等のフーリエ変換にて生じるトレードオフに例えられる。 フーリエ変換では対象となる波に窓関数を乗じて波の一部を切り出し、一度の解析対象領域とするが、この領域を長くとった方が周波数分析としては正確であり、スペクトル空間上の局在的な情報が得られる。例えば波長の値などが正確に得られる。 しかし、領域が長いほど、波の瞬時ピークの高さやその出現時刻といった、時間軸で局在している特徴は曖昧になる。スペクトル空間上の局在性を犠牲にして対象領域を狭めていくことで時間軸上の局在情報すなわち瞬時のピークや波形は、より正確に捉えられる。 これは窓関数の利用に限ったことではなく、波の局在した成分を捉えようとすると、周波数空間での情報は曖昧になり分布が広がる。両方を同時に局在化させることはできない。 ※詳細は不確定性原理英語版やフーリエ解析にて図入りで説明されている。 歴史的に、不確定性原理は観察者効果と呼ばれる物理学におけるいくらか似た効果と混同されてきた。観察者効果とは、系を測定する行為それ自身が系に影響を与えてしまうというものである。 量子力学が成立するミクロな世界が測定による観測者効果で「揺動」してしまうという説明は、ハイゼンベルク自身が当初不確定性原理に対して与えたものであり、今日において繰り返し出てくるものの、根本的に誤解を招くおそれのあることが現在は知られている。 「不確定性原理は実際には量子系の基本的特性を述べており、現代のテクノロジーにおける測定精度の到達点について述べたものではない」。不確定性原理は全ての波のような系にもともと備わっている特性であること、不確定性は単純に全ての量子物体の物質波の性質によって現われることが今日の量子力学ではわかっている。 測定器の誤差と測定による反作用との不確定性とは区別して考えなければならない。量子論での時間発展や測定についての基本的要請をすべて使って展開できる量子測定理論を用いて、ハイゼンベルクの考察した「測定精度と反作用に関する不確定性原理」ははじめて導けるが、その結果得られる不等式の下限はケースバイケースで変わることが判っている。後述する小澤の不等式などがその1つである。 不確定性原理で特に重要になるのは、物理量 A ^ {\displaystyle {\hat {A}}} と物理量 B ^ {\displaystyle {\hat {B}}} がそれぞれ(j軸方向の)位置 Q ^ j {\displaystyle {\hat {Q}}_{j}} と運動量 P ^ j {\displaystyle {\hat {P}}_{j}} である場合である。系が状態ψにあるときのこれらの不確定性をそれぞれ Δ ψ Q ^ j {\displaystyle \Delta _{\psi }{\hat {Q}}_{j}} 、 Δ ψ P ^ j {\displaystyle \Delta _{\psi }{\hat {P}}_{j}} とするとき、以下が成立する: ここで ħ {\displaystyle \hbar } は換算プランク定数である。なお本項ではH13に従い、不確定性を Δ ψ Q ^ j {\displaystyle \Delta _{\psi }{\hat {Q}}_{j}} と表記したが、多くの物理の教科書では系の状態ψを省略し Δ Q ^ j {\displaystyle \Delta {\hat {Q}}_{j}} と表記する。 上式右辺は0より真に大きいので、位置の不確定性 Δ ψ Q ^ j {\displaystyle \Delta _{\psi }{\hat {Q}}_{j}} が0に近い値であれば Δ ψ P ^ j {\displaystyle \Delta _{\psi }{\hat {P}}_{j}} は極端に大きくなり、逆に Δ ψ P ^ j {\displaystyle \Delta _{\psi }{\hat {P}}_{j}} が0に近い値であれば Δ ψ Q ^ j {\displaystyle \Delta _{\psi }{\hat {Q}}_{j}} は極端に大きくなる。両方共0に近い値にする事はできない。 一般の物理量 A ^ {\displaystyle {\hat {A}}} 、 B ^ {\displaystyle {\hat {B}}} に対する不確定性原理として、以下のロバートソンの不等式がある: ここで [ A ^ , B ^ ] {\displaystyle [{\hat {A}},{\hat {B}}]} は A ^ {\displaystyle {\hat {A}}} と B ^ {\displaystyle {\hat {B}}} の交換子 であり、 ⟨ [ A ^ , B ^ ] ⟩ ψ {\displaystyle \langle [{\hat {A}},{\hat {B}}]\rangle _{\psi }} は系の状態がψであるときに [ A ^ , B ^ ] {\displaystyle [{\hat {A}},{\hat {B}}]} を観測したときの観測値の期待値である。 これまでψについて詳しく書いてこなかったが、実はψが適切な定義域に属している場合にしか不確定性原理は成り立たず、そうでない場合には反例がある事が知られているので注意が必要である。そこで次節でこの点を考慮して不確定性原理を厳密に定式化する。 不確定性原理を定式化する為の予備知識を説明する。量子力学において(純粋)量子状態は状態空間 H {\displaystyle {\mathcal {H}}} という複素内積ベクトル空間(ヒルベルト空間)における長さ1のベクトル(状態ベクトル)として記述され、物理量(オブザーバブルと呼ぶ)は H {\displaystyle {\mathcal {H}}} 上の自己共役作用素として定式化される。 粒子がn個ある系の場合 H {\displaystyle {\mathcal {H}}} は、3n次元空間 R 3 n = { ( x 1 , ... , x 3 n ) } {\displaystyle \mathbf {R} ^{3n}=\{(x_{1},\ldots ,x_{3n})\}} 上の複素数値の自乗可積分函数全体の空間と同一視でき、このようにみなした場合、状態ベクトルのことを波動関数と呼ぶ。 x j {\displaystyle x_{j}} 軸方向の位置作用素 Q ^ j {\displaystyle {\hat {Q}}_{j}} と運動量作用素 P ^ j {\displaystyle {\hat {P}}_{j}} はそれぞれ により定義される。ここで ħ {\displaystyle \hbar } は換算プランク定数である。 不確定性原理を定式化する準備として、オブザーバブルの定義域に関して述べる。後でみるように、不確定性原理を厳密に定式化する際、オブザーバブルの定義域に関して細心の注意を払わないと、反例がつくれてしまうからである。 まず運動量作用素と位置作用素の定義域に関して調べる。定義から分かるように、運動量作用素は波動関数が微分可能な場合しか定義できないが、自乗可積分関数の中には微分可能でないものもあるので、運動量作用素は状態空間 H {\displaystyle {\mathcal {H}}} の全域では定義できず、 H {\displaystyle {\mathcal {H}}} の部分空間でのみ定義された作用素である。また位置作用素に関しても、 Q ^ j ψ ( x ) = x j ψ ( x ) {\displaystyle {\hat {Q}}_{j}\psi (x)=x_{j}\psi (x)} が常に自乗可積分関数になるわけではないので、 Q ^ j ψ ( x ) = x j ψ ( x ) {\displaystyle {\hat {Q}}_{j}\psi (x)=x_{j}\psi (x)} が自乗可積分関数になるような ψ ( x ) {\displaystyle \psi (x)} に対してしか位置作用素を定義できない(そうしないと Q ^ j {\displaystyle {\hat {Q}}_{j}} の値域が H {\displaystyle {\mathcal {H}}} からはみ出してしまうので、 Q ^ j {\displaystyle {\hat {Q}}_{j}} が H {\displaystyle {\mathcal {H}}} 上の自己共役作用素にならない)。こうした事情から量子力学では、オブザーバブル A ^ {\displaystyle {\hat {A}}} が H {\displaystyle {\mathcal {H}}} の部分空間でのみでしか定義されていないケースをも許容し、代わりに定義域 D o m ( A ^ ) ⊂ H {\displaystyle \mathrm {Dom} ({\hat {A}})\subset {\mathcal {H}}} が H {\displaystyle {\mathcal {H}}} で稠密になる事を要請する。 オブザーバブル A ^ {\displaystyle {\hat {A}}} が H {\displaystyle {\mathcal {H}}} の部分空間でのみでしか定義されない事を許容した事が原因で、2つのオブザーバブル A ^ {\displaystyle {\hat {A}}} 、 B ^ {\displaystyle {\hat {B}}} の交換子 も常に定義できるとは限らない。実際、積 A ^ B ^ ψ {\displaystyle {\hat {A}}{\hat {B}}\psi } は のときしか意味を持たないし、 B ^ A ^ ψ {\displaystyle {\hat {B}}{\hat {A}}\psi } にも同様の制約が課せられる。結局 [ A ^ , B ^ ] ψ := A ^ B ^ ψ − B ^ A ^ ψ {\displaystyle [{\hat {A}},{\hat {B}}]\psi :={\hat {A}}{\hat {B}}\psi -{\hat {B}}{\hat {A}}\psi } が意味を持つのは、 が全て成り立つときのみである。 状態空間 H {\displaystyle {\mathcal {H}}} 上2つの元ψ、χに対し、ψとχの内積を ⟨ ψ , χ ⟩ {\displaystyle \langle \psi ,\chi \rangle } と書き表し、ノルムを とする。オブザーバブル A ^ {\displaystyle {\hat {A}}} と状態ベクトル ψ ∈ D o m ( A ^ ) {\displaystyle \psi \in \mathrm {Dom} ({\hat {A}})} に対し、 と定義し、さらに A ^ {\displaystyle {\hat {A}}} の ψ ∈ D o m ( A ^ ) {\displaystyle \psi \in \mathrm {Dom} ({\hat {A}})} に対する不確定性を により定義する。ここでIは単位行列である。 ⟨ A ^ ⟩ ψ {\displaystyle \langle {\hat {A}}\rangle _{\psi }} と Δ ψ A ^ {\displaystyle \Delta _{\psi }{\hat {A}}} は物理的にはそれぞれ、状態 ψ {\displaystyle \psi } にある系で A ^ {\displaystyle {\hat {A}}} を観測した時に得られる観測値の平均値と標準偏差である。 A ^ {\displaystyle {\hat {A}}} 、 B ^ {\displaystyle {\hat {B}}} を状態空間 H {\displaystyle {\mathcal {H}}} 上のオブザーバブルとし、 ψ ∈ H {\displaystyle \psi \in {\mathcal {H}}} が を満たしているとする。このとき、 [ A ^ , B ^ ] ψ := A ^ B ^ ψ − B ^ A ^ ψ {\displaystyle [{\hat {A}},{\hat {B}}]\psi :={\hat {A}}{\hat {B}}\psi -{\hat {B}}{\hat {A}}\psi } が定義可能であり、以下の不等式(ロバートソンの不等式)が成立する: 証明は後述する。 d次元空間R上の自乗可積分関数全体の空間 L 2 ( R d ) {\displaystyle L^{2}(\mathbf {R} ^{d})} におけるj番目の位置作用素と運動量作用素 に関しては、ψの定義域に関する条件を弱めることができる事が知られている。 すなわち状態空間が H = L 2 ( R d ) {\displaystyle {\mathcal {H}}=L^{2}(\mathbf {R} ^{d})} であるとき、 であれば、 が成立する。 なお、 である。ここで「偏微分可能」は通常の意味の偏微分が可能である事を含むのはもちろん、弱微分の意味での偏微分が可能であるものも許容する。 証明は引用文献H13のp246~248を参照されたい。 本節の証明は引用文献H13p243を参考にした。ψが定理の条件を満たす時 [ A ^ , B ^ ] ψ = A ^ B ^ ψ − B ^ A ^ ψ {\displaystyle [{\hat {A}},{\hat {B}}]\psi ={\hat {A}}{\hat {B}}\psi -{\hat {B}}{\hat {A}}\psi } が定義可能であることは既に見たので、以下不等式が成り立つことの証明のみに注力する。記法を簡単にするため とする。単位行列Iが H {\displaystyle {\mathcal {H}}} の全域で定義されている事を利用すると、ψの条件 ψ ∈ D o m ( A ^ ) ∩ D o m ( B ^ ) {\displaystyle \psi \in \mathrm {Dom} ({\hat {A}})\cap \mathrm {Dom} ({\hat {B}})} 、 B ^ ψ ∈ D o m ( A ^ ) {\displaystyle {\hat {B}}\psi \in \mathrm {Dom} ({\hat {A}})} 、 A ^ ψ ∈ D o m ( B ^ ) {\displaystyle {\hat {A}}\psi \in \mathrm {Dom} ({\hat {B}})} より、 がいずれも定義可能である事が簡単な議論で分る。 コーシー・シュワルツの不等式により、 A ^ ′ B ^ ′ ψ {\displaystyle {\hat {A}}'{\hat {B}}'\psi } 、 B ^ ′ A ^ ′ ψ {\displaystyle {\hat {B}}'{\hat {A}}'\psi } が定義可能であったので、 単位行列Iは全ての作用素と可換なので、 よってロバートソンの不等式が証明された。 これまで我々はψが定義域に関する条件を満たしていればロバートソンの不等式が成立する事を示し、さらに L 2 ( R d ) {\displaystyle L^{2}(\mathbf {R} ^{d})} における位置作用素と運動量作用素の場合には、この条件が緩められる事を見た。 しかし単位区間[-1,1]上の自乗可積分関数の集合 L 2 ( [ − 1 , 1 ] ) {\displaystyle L^{2}([-1,1])} における位置作用素と運動量作用素の場合には、不確定性原理が成り立たない反例ψ0が存在する。この反例は よってこの反例の存在はこれまでの成果と矛盾しない。 なおこの反例は引用文献H13p245~246によった。 1次元空間 R {\displaystyle \mathbf {R} } 上の自乗可積分関数に対する通常の位置作用素 Q ^ {\displaystyle {\hat {Q}}} 、運動量作用素 P ^ {\displaystyle {\hat {P}}} と区別するため、[−1, 1]上の自乗可積分関数に対する位置作用素と運動量作用素をそれぞれ Q ^ ′ {\displaystyle {\hat {Q}}'} 、 P ^ ′ {\displaystyle {\hat {P}}'} と書くことにする。すなわち である事は通常の Q ^ {\displaystyle {\hat {Q}}} 、 P ^ {\displaystyle {\hat {P}}} と変わらないが、 Q ^ {\displaystyle {\hat {Q}}} 、 P ^ {\displaystyle {\hat {P}}} の場合と違い、ψはR全体で定義された関数ではなく、区間[−1, 1]でのみ定義された関数である。 区間[−1, 1]上の自乗可積分関数ψに対し、区間[−1, 1]上の積分 ∫ [ − 1 , 1 ] x 2 ψ ( x ) 2 d x {\displaystyle \int _{[-1,1]}x^{2}\psi (x)^{2}\mathrm {d} x} は必ず有限値になるので、 でとしてよい。 一方、ψ、χが周期性 ψ ( − 1 ) = ψ ( 1 ) {\displaystyle \psi (-1)=\psi (1)} 、 χ ( − 1 ) = χ ( 1 ) {\displaystyle \chi (-1)=\chi (1)} を満たす可微分関数であれば、 P ^ ′ {\displaystyle {\hat {P}}'} が対称性を満たす事を簡単な計算で示すことができる: よって としてよい。(なお、 P ^ ′ {\displaystyle {\hat {P}}'} の自己共役性を示すには、「可微分」を弱微分の意味に解釈する必要があるが、本項の範囲を超えるので詳細は省略する)。 ψが可微分であれば、 より、 が成立する。したがって特に、ロバートソンの不等式の定義域に関する条件を満たしている場合には、上式が成立する。 しかし とすると、ロバートソンの不等式の左辺が0になる事を示すことができる。 なぜなら、 よりψ0は P ^ ′ {\displaystyle {\hat {P}}'} の長さ1の固有関数であるので、 Δ ψ 0 P ^ ′ {\displaystyle \Delta _{\psi _{0}}{\hat {P}}'} は0になる: 一方明らかに なので、 ロバートソンの不等式が成り立つためには、 でなければならなかった。しかし上述したψ0は は であるので、 D o m ( P ^ ′ ) {\displaystyle \mathrm {Dom} ({\hat {P}}')} の周期性の条件を満たさない。よって であり、ロバートソンの不等式の条件が満たされない。 小澤正直は、(当初のハイゼンベルクの思考実験では混同されており、ボーアが指摘している)測定限界や測定することによる対象の擾乱や測定誤差と、量子自体の性質(不確定性関係)による量子ゆらぎを厳密に区別した式(小澤の不等式)を提案した。式の形は、ハイゼンベルクの式に補正項を付け加えた形になる。さらに、その式に従えば(従来のハイゼンベルクの式に従って信じられていた)「ハイゼンベルクの不確定性原理による測定の限界」を超えて、量子に対する精度の良い測定が可能であると、2003年1月に発表した(この結果につながった論争は、1980年代に、重力波検出装置の可能性と限界を巡って始まったものである)。オブサーバブル O {\displaystyle {\mathcal {O}}} の測定の誤差(すなわち精度)を ε O {\displaystyle \epsilon _{\mathcal {O}}} 、測定過程による撹乱を η O {\displaystyle \eta _{\mathcal {O}}} 、量子ゆらぎを σ O {\displaystyle \sigma _{\mathcal {O}}} とすると以下の不等式が成り立つ。 位置と運動量の測定の関係を小澤の不等式に当てはめると、 となる。この改良された不等式から見ると、1927年に発表されたハイゼンベルクの不確定性原理は上式の第1項についてのみ述べていたということになる。 小澤の不等式が示す測定誤差(左辺の第1項)の下限は、ハイゼンベルクの不等式が示していた測定誤差下限よりも第2項、第3項の分だけ小さい。このことは、ハイゼンベルクの不等式が示した限界よりも精度の良い測定ができる可能性を示唆しており、実際にそのような小澤の不等式を実証する実験結果が2012年に発表された。この実験では原子炉から出る中性子のスピン角度を2台の装置によってはかり、ハイゼンベルクの不等式の限界を超えて精度よく測定することに成功したと発表された。 時間とエネルギーに関しては、観測量の分散に対するロバートソン不等式を論じることは一般にできない。それはエネルギー固有値が連続でかつ上限および下限を持たない量子系でなければ、ハミルトニアン ˆH に正準共役な時間演算子 ˆT は定義できないためである。もし考えている量子系においてエルミートな ˆT が存在して を満たすならば、任意の実数 k に対して というユニタリ変換が存在する。これをあるエネルギー固有値 E に対応する固有状態 |E⟩ に作用させると、得られる状態は という関係を満たすため、エネルギー固有値が E + k のエネルギー固有状態を得たことになる。しかし k は負の無限大から正の無限大の間の任意の実数値をとれるため、エネルギー固有値も連続的となり下限も上限もなくなる。安定した基底状態をもつ量子系ではエネルギー固有値は下限をもつため、エルミートな時間演算子は存在しないことが証明される。従って安定な基底状態をもつ通常の量子系では、時間とエネルギーに関するロバートソン不等式は意味を持たない。同様に、時間とエネルギーに関しては小澤の不等式も意味を持たない。 なお未知の時間パラメータ t {\displaystyle t} に依存する量子状態 |ψ(t)⟩ を量子測定して、その測定結果から t の値を推定する場合には、その推定誤差 δt とハミルトニアンの標準偏差との間に不等式 δ t ⟨ ( Δ H ^ ) 2 ⟩ ≥ ħ / 2 {\displaystyle \delta t{\sqrt {\langle (\Delta {\hat {H}})^{2}\rangle }}\geq \hbar /2} が成立することは知られている。しかしこれはロバートソン不等式や小澤の不等式ではなく、量子推定理論のクラメール・ラオ不等式からの帰結である。 ハミルトニアン ˆH によって時間発展した状態が初期状態に比べて有意に変化するには、 t ∼ ħ / ⟨ ( Δ H ^ ) 2 ⟩ {\displaystyle t\sim \hbar /{\sqrt {\langle (\Delta {\hat {H}})^{2}\rangle }}} 以上の経過時間が必要である。この関係を時間とエネルギーの不確定性関係の一種とみなす場合もある。しかしエネルギーの標準偏差 ⟨ ( Δ H ^ ) 2 ⟩ {\displaystyle {\sqrt {\langle (\Delta {\hat {H}})^{2}\rangle }}} と、状態差が生まれるための経過時間 t との積の下限は ħ / 2 という普遍的な値を持たず、使用する状態差の指標等の詳細に依存する。 一方、エネルギーの測定誤差とエネルギーの測定にかかる時間との間には原理的な不確定性関係は存在しない。1930年のソルヴェイ会議でのアインシュタインとの不確定性原理の論争において、ボーアが測定時間とエネルギーの誤差の不確定性関係を破る光子箱の思考実験を論破したと言われているが、この時のボーアの議論は正確ではない。例えば重力場を電場に、光子を電子に置き換えることによって、光子箱と同様のエネルギー測定の思考実験が作れる。しかしこの場合は一般相対性理論を必要とせず、重力ポテンシャルと時間の遅れの関係式も不必要となるため、ボーアが考えた測定時間とエネルギーの測定誤差の不確定性関係は成立しないことが示される。他の物理量と同様に、エネルギーは任意の時刻で正確に測定できる。例えば一定外部磁場 B 中のスピン S が持つエネルギー H ∝ B·S の精密測定は、スピンの磁場方向成分の精密測定で実現できる。スピンの特定方向成分の理想測定はその測定時間に原理的制約を持たないため、いくらでも短い測定時間の間に磁場方向のスピンの精密測定はできる。従ってそのエネルギーも測定時間に関係なく精密測定ができる。 時間とエネルギーの不確定性関係のために短時間ではエネルギー保存則が破れるという説も流布しているが、それに根拠はない。フェルミの黄金律等の摂動論において議論されている有限時間でのエネルギー保存則の破れは、相互作用項を無視した自由ハミルトニアン ˆHo のみに対する議論にすぎない。相互作用があると ˆHo は時間的に保存しないが、相互作用項 ˆV まで取り入れた全ハミルトニアン ˆHo + ˆV 自体は任意の時刻で保存しており、エネルギー保存則は量子力学でも破れることはない。場の量子論では、エネルギー運動量テンソル演算子 ˆT を用いて という局所的表現でエネルギー保存則は与えられる。他の量子系と同様に、短時間でもエネルギー保存則が破れることはない。ファインマンダイアグラムを用いた摂動論において、仮想粒子が実粒子の間を媒介して力を伝達する事象をエネルギー保存則の破れで簡易に説明する場合があるが、厳密に言うとその破れは相互作用項を無視した自由ハミルトニアンの保存則の破れを指す。場の量子論においても相互作用項まで取り入れたエネルギー保存則は破れることはない。 1927年にヴェルナー・ハイゼンベルクは、ある粒子の位置をより正確に決定する程、その運動量を正確に知ることができなくなり、逆もまた同様である、と述べた。(小澤正直によれば、「ハイゼンベルクは、標準偏差の関係(3)と誤差の関係(1)を混同していたのではなく、測定直後の状態が関係(3)をみたすことから、誤差の関係(1)が帰結すると主張したのであるが、その推論は不十分であった」) 位置の標準偏差 σx と運動量の標準偏差 σp を結び付ける不等式は1927年にアール・ヘッセ・ケナードによって、1928年にヘルマン・ワイルによって導出された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "不確定性原理(、独: Unschärferelation、英: Uncertainty principle)は、量子力学に従う系の物理量 A ^ {\\displaystyle {\\hat {A}}} を観測したときの不確定性と、同じ系で別の物理量 B ^ {\\displaystyle {\\hat {B}}} を観測したときの不確定性が適切な条件下では同時に0になる事はないとする一連の定理の総称である。特に重要なのは A ^ {\\displaystyle {\\hat {A}}} 、 B ^ {\\displaystyle {\\hat {B}}} がそれぞれ位置と運動量のときであり、狭義にはこの場合のものを不確定性原理という。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "原理的には、一般のフーリエ解析で窓関数を狭めるほど得られるスペクトルが不正確となるのと同種の説明がなされる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "このような限界が存在するはずだという元々の発見的議論がハイゼンベルクによって与えられたため、これはハイゼンベルクの原理という名前が付けられることもある。しかし後述するようにハイゼンベルク自身による不確定性原理の物理的説明は、今日の量子力学の知識からは正しいものではない。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "今日の量子力学において、不確定性原理でいう観測は日常語のそれとは意味が異なる用語であり、測定装置のような古典的物体と量子系との間の任意の相互作用を意味する。したがって例えば、実験者が測定装置に表示された値を実際に見たかどうかといった事とは無関係に定義される。また不確定性とは、物理量を観測した時に得られる測定値の標準偏差を表す。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "不確定性原理が顕在化する現象の例としては、原子(格子)の零点振動(このためヘリウムは、常圧下では絶対零度まで冷却しても固化しない)、その他量子的なゆらぎ(例:遍歴電子系におけるスピン揺らぎ)などが挙げられる。", "title": null }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "不確定性原理は、物質が根源的に波であり、位置と運動量が共役すなわちフーリエ変換の双対となることに由来する。よって、一般の音声解析等のフーリエ変換にて生じるトレードオフに例えられる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "フーリエ変換では対象となる波に窓関数を乗じて波の一部を切り出し、一度の解析対象領域とするが、この領域を長くとった方が周波数分析としては正確であり、スペクトル空間上の局在的な情報が得られる。例えば波長の値などが正確に得られる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "しかし、領域が長いほど、波の瞬時ピークの高さやその出現時刻といった、時間軸で局在している特徴は曖昧になる。スペクトル空間上の局在性を犠牲にして対象領域を狭めていくことで時間軸上の局在情報すなわち瞬時のピークや波形は、より正確に捉えられる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "これは窓関数の利用に限ったことではなく、波の局在した成分を捉えようとすると、周波数空間での情報は曖昧になり分布が広がる。両方を同時に局在化させることはできない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "※詳細は不確定性原理英語版やフーリエ解析にて図入りで説明されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "歴史的に、不確定性原理は観察者効果と呼ばれる物理学におけるいくらか似た効果と混同されてきた。観察者効果とは、系を測定する行為それ自身が系に影響を与えてしまうというものである。", "title": "観察者効果との混同" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "量子力学が成立するミクロな世界が測定による観測者効果で「揺動」してしまうという説明は、ハイゼンベルク自身が当初不確定性原理に対して与えたものであり、今日において繰り返し出てくるものの、根本的に誤解を招くおそれのあることが現在は知られている。", "title": "観察者効果との混同" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "「不確定性原理は実際には量子系の基本的特性を述べており、現代のテクノロジーにおける測定精度の到達点について述べたものではない」。不確定性原理は全ての波のような系にもともと備わっている特性であること、不確定性は単純に全ての量子物体の物質波の性質によって現われることが今日の量子力学ではわかっている。", "title": "観察者効果との混同" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "測定器の誤差と測定による反作用との不確定性とは区別して考えなければならない。量子論での時間発展や測定についての基本的要請をすべて使って展開できる量子測定理論を用いて、ハイゼンベルクの考察した「測定精度と反作用に関する不確定性原理」ははじめて導けるが、その結果得られる不等式の下限はケースバイケースで変わることが判っている。後述する小澤の不等式などがその1つである。", "title": "観察者効果との混同" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "不確定性原理で特に重要になるのは、物理量 A ^ {\\displaystyle {\\hat {A}}} と物理量 B ^ {\\displaystyle {\\hat {B}}} がそれぞれ(j軸方向の)位置 Q ^ j {\\displaystyle {\\hat {Q}}_{j}} と運動量 P ^ j {\\displaystyle {\\hat {P}}_{j}} である場合である。系が状態ψにあるときのこれらの不確定性をそれぞれ Δ ψ Q ^ j {\\displaystyle \\Delta _{\\psi }{\\hat {Q}}_{j}} 、 Δ ψ P ^ j {\\displaystyle \\Delta _{\\psi }{\\hat {P}}_{j}} とするとき、以下が成立する:", "title": "不確定性原理の概要" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ここで ħ {\\displaystyle \\hbar } は換算プランク定数である。なお本項ではH13に従い、不確定性を Δ ψ Q ^ j {\\displaystyle \\Delta _{\\psi }{\\hat {Q}}_{j}} と表記したが、多くの物理の教科書では系の状態ψを省略し Δ Q ^ j {\\displaystyle \\Delta {\\hat {Q}}_{j}} と表記する。", "title": "不確定性原理の概要" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "上式右辺は0より真に大きいので、位置の不確定性 Δ ψ Q ^ j {\\displaystyle \\Delta _{\\psi }{\\hat {Q}}_{j}} が0に近い値であれば Δ ψ P ^ j {\\displaystyle \\Delta _{\\psi }{\\hat {P}}_{j}} は極端に大きくなり、逆に Δ ψ P ^ j {\\displaystyle \\Delta _{\\psi }{\\hat {P}}_{j}} が0に近い値であれば Δ ψ Q ^ j {\\displaystyle \\Delta _{\\psi }{\\hat {Q}}_{j}} は極端に大きくなる。両方共0に近い値にする事はできない。", "title": "不確定性原理の概要" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "一般の物理量 A ^ {\\displaystyle {\\hat {A}}} 、 B ^ {\\displaystyle {\\hat {B}}} に対する不確定性原理として、以下のロバートソンの不等式がある:", "title": "不確定性原理の概要" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ここで [ A ^ , B ^ ] {\\displaystyle [{\\hat {A}},{\\hat {B}}]} は A ^ {\\displaystyle {\\hat {A}}} と B ^ {\\displaystyle {\\hat {B}}} の交換子", "title": "不確定性原理の概要" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "であり、 ⟨ [ A ^ , B ^ ] ⟩ ψ {\\displaystyle \\langle [{\\hat {A}},{\\hat {B}}]\\rangle _{\\psi }} は系の状態がψであるときに [ A ^ , B ^ ] {\\displaystyle [{\\hat {A}},{\\hat {B}}]} を観測したときの観測値の期待値である。", "title": "不確定性原理の概要" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "これまでψについて詳しく書いてこなかったが、実はψが適切な定義域に属している場合にしか不確定性原理は成り立たず、そうでない場合には反例がある事が知られているので注意が必要である。そこで次節でこの点を考慮して不確定性原理を厳密に定式化する。", "title": "不確定性原理の概要" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "不確定性原理を定式化する為の予備知識を説明する。量子力学において(純粋)量子状態は状態空間 H {\\displaystyle {\\mathcal {H}}} という複素内積ベクトル空間(ヒルベルト空間)における長さ1のベクトル(状態ベクトル)として記述され、物理量(オブザーバブルと呼ぶ)は H {\\displaystyle {\\mathcal {H}}} 上の自己共役作用素として定式化される。", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "粒子がn個ある系の場合 H {\\displaystyle {\\mathcal {H}}} は、3n次元空間 R 3 n = { ( x 1 , ... , x 3 n ) } {\\displaystyle \\mathbf {R} ^{3n}=\\{(x_{1},\\ldots ,x_{3n})\\}} 上の複素数値の自乗可積分函数全体の空間と同一視でき、このようにみなした場合、状態ベクトルのことを波動関数と呼ぶ。 x j {\\displaystyle x_{j}} 軸方向の位置作用素 Q ^ j {\\displaystyle {\\hat {Q}}_{j}} と運動量作用素 P ^ j {\\displaystyle {\\hat {P}}_{j}} はそれぞれ", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "により定義される。ここで ħ {\\displaystyle \\hbar } は換算プランク定数である。", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "不確定性原理を定式化する準備として、オブザーバブルの定義域に関して述べる。後でみるように、不確定性原理を厳密に定式化する際、オブザーバブルの定義域に関して細心の注意を払わないと、反例がつくれてしまうからである。", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "まず運動量作用素と位置作用素の定義域に関して調べる。定義から分かるように、運動量作用素は波動関数が微分可能な場合しか定義できないが、自乗可積分関数の中には微分可能でないものもあるので、運動量作用素は状態空間 H {\\displaystyle {\\mathcal {H}}} の全域では定義できず、 H {\\displaystyle {\\mathcal {H}}} の部分空間でのみ定義された作用素である。また位置作用素に関しても、 Q ^ j ψ ( x ) = x j ψ ( x ) {\\displaystyle {\\hat {Q}}_{j}\\psi (x)=x_{j}\\psi (x)} が常に自乗可積分関数になるわけではないので、 Q ^ j ψ ( x ) = x j ψ ( x ) {\\displaystyle {\\hat {Q}}_{j}\\psi (x)=x_{j}\\psi (x)} が自乗可積分関数になるような ψ ( x ) {\\displaystyle \\psi (x)} に対してしか位置作用素を定義できない(そうしないと Q ^ j {\\displaystyle {\\hat {Q}}_{j}} の値域が H {\\displaystyle {\\mathcal {H}}} からはみ出してしまうので、 Q ^ j {\\displaystyle {\\hat {Q}}_{j}} が H {\\displaystyle {\\mathcal {H}}} 上の自己共役作用素にならない)。こうした事情から量子力学では、オブザーバブル A ^ {\\displaystyle {\\hat {A}}} が H {\\displaystyle {\\mathcal {H}}} の部分空間でのみでしか定義されていないケースをも許容し、代わりに定義域 D o m ( A ^ ) ⊂ H {\\displaystyle \\mathrm {Dom} ({\\hat {A}})\\subset {\\mathcal {H}}} が H {\\displaystyle {\\mathcal {H}}} で稠密になる事を要請する。", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "オブザーバブル A ^ {\\displaystyle {\\hat {A}}} が H {\\displaystyle {\\mathcal {H}}} の部分空間でのみでしか定義されない事を許容した事が原因で、2つのオブザーバブル A ^ {\\displaystyle {\\hat {A}}} 、 B ^ {\\displaystyle {\\hat {B}}} の交換子", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "も常に定義できるとは限らない。実際、積 A ^ B ^ ψ {\\displaystyle {\\hat {A}}{\\hat {B}}\\psi } は", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "のときしか意味を持たないし、 B ^ A ^ ψ {\\displaystyle {\\hat {B}}{\\hat {A}}\\psi } にも同様の制約が課せられる。結局 [ A ^ , B ^ ] ψ := A ^ B ^ ψ − B ^ A ^ ψ {\\displaystyle [{\\hat {A}},{\\hat {B}}]\\psi :={\\hat {A}}{\\hat {B}}\\psi -{\\hat {B}}{\\hat {A}}\\psi } が意味を持つのは、", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "が全て成り立つときのみである。", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "状態空間 H {\\displaystyle {\\mathcal {H}}} 上2つの元ψ、χに対し、ψとχの内積を ⟨ ψ , χ ⟩ {\\displaystyle \\langle \\psi ,\\chi \\rangle } と書き表し、ノルムを", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "とする。オブザーバブル A ^ {\\displaystyle {\\hat {A}}} と状態ベクトル ψ ∈ D o m ( A ^ ) {\\displaystyle \\psi \\in \\mathrm {Dom} ({\\hat {A}})} に対し、", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "と定義し、さらに A ^ {\\displaystyle {\\hat {A}}} の ψ ∈ D o m ( A ^ ) {\\displaystyle \\psi \\in \\mathrm {Dom} ({\\hat {A}})} に対する不確定性を", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "により定義する。ここでIは単位行列である。 ⟨ A ^ ⟩ ψ {\\displaystyle \\langle {\\hat {A}}\\rangle _{\\psi }} と Δ ψ A ^ {\\displaystyle \\Delta _{\\psi }{\\hat {A}}} は物理的にはそれぞれ、状態 ψ {\\displaystyle \\psi } にある系で A ^ {\\displaystyle {\\hat {A}}} を観測した時に得られる観測値の平均値と標準偏差である。", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "A ^ {\\displaystyle {\\hat {A}}} 、 B ^ {\\displaystyle {\\hat {B}}} を状態空間 H {\\displaystyle {\\mathcal {H}}} 上のオブザーバブルとし、 ψ ∈ H {\\displaystyle \\psi \\in {\\mathcal {H}}} が", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "を満たしているとする。このとき、 [ A ^ , B ^ ] ψ := A ^ B ^ ψ − B ^ A ^ ψ {\\displaystyle [{\\hat {A}},{\\hat {B}}]\\psi :={\\hat {A}}{\\hat {B}}\\psi -{\\hat {B}}{\\hat {A}}\\psi } が定義可能であり、以下の不等式(ロバートソンの不等式)が成立する:", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "証明は後述する。", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "d次元空間R上の自乗可積分関数全体の空間 L 2 ( R d ) {\\displaystyle L^{2}(\\mathbf {R} ^{d})} におけるj番目の位置作用素と運動量作用素", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "に関しては、ψの定義域に関する条件を弱めることができる事が知られている。", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "すなわち状態空間が H = L 2 ( R d ) {\\displaystyle {\\mathcal {H}}=L^{2}(\\mathbf {R} ^{d})} であるとき、", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "であれば、", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "が成立する。", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "なお、", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "である。ここで「偏微分可能」は通常の意味の偏微分が可能である事を含むのはもちろん、弱微分の意味での偏微分が可能であるものも許容する。", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "証明は引用文献H13のp246~248を参照されたい。", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "本節の証明は引用文献H13p243を参考にした。ψが定理の条件を満たす時 [ A ^ , B ^ ] ψ = A ^ B ^ ψ − B ^ A ^ ψ {\\displaystyle [{\\hat {A}},{\\hat {B}}]\\psi ={\\hat {A}}{\\hat {B}}\\psi -{\\hat {B}}{\\hat {A}}\\psi } が定義可能であることは既に見たので、以下不等式が成り立つことの証明のみに注力する。記法を簡単にするため", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "とする。単位行列Iが H {\\displaystyle {\\mathcal {H}}} の全域で定義されている事を利用すると、ψの条件 ψ ∈ D o m ( A ^ ) ∩ D o m ( B ^ ) {\\displaystyle \\psi \\in \\mathrm {Dom} ({\\hat {A}})\\cap \\mathrm {Dom} ({\\hat {B}})} 、 B ^ ψ ∈ D o m ( A ^ ) {\\displaystyle {\\hat {B}}\\psi \\in \\mathrm {Dom} ({\\hat {A}})} 、 A ^ ψ ∈ D o m ( B ^ ) {\\displaystyle {\\hat {A}}\\psi \\in \\mathrm {Dom} ({\\hat {B}})} より、", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "がいずれも定義可能である事が簡単な議論で分る。", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "コーシー・シュワルツの不等式により、", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "A ^ ′ B ^ ′ ψ {\\displaystyle {\\hat {A}}'{\\hat {B}}'\\psi } 、 B ^ ′ A ^ ′ ψ {\\displaystyle {\\hat {B}}'{\\hat {A}}'\\psi } が定義可能であったので、", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "単位行列Iは全ての作用素と可換なので、", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "よってロバートソンの不等式が証明された。", "title": "厳密な定式化" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "これまで我々はψが定義域に関する条件を満たしていればロバートソンの不等式が成立する事を示し、さらに L 2 ( R d ) {\\displaystyle L^{2}(\\mathbf {R} ^{d})} における位置作用素と運動量作用素の場合には、この条件が緩められる事を見た。", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "しかし単位区間[-1,1]上の自乗可積分関数の集合 L 2 ( [ − 1 , 1 ] ) {\\displaystyle L^{2}([-1,1])} における位置作用素と運動量作用素の場合には、不確定性原理が成り立たない反例ψ0が存在する。この反例は", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "よってこの反例の存在はこれまでの成果と矛盾しない。", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "なおこの反例は引用文献H13p245~246によった。", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "1次元空間 R {\\displaystyle \\mathbf {R} } 上の自乗可積分関数に対する通常の位置作用素 Q ^ {\\displaystyle {\\hat {Q}}} 、運動量作用素 P ^ {\\displaystyle {\\hat {P}}} と区別するため、[−1, 1]上の自乗可積分関数に対する位置作用素と運動量作用素をそれぞれ Q ^ ′ {\\displaystyle {\\hat {Q}}'} 、 P ^ ′ {\\displaystyle {\\hat {P}}'} と書くことにする。すなわち", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "である事は通常の Q ^ {\\displaystyle {\\hat {Q}}} 、 P ^ {\\displaystyle {\\hat {P}}} と変わらないが、 Q ^ {\\displaystyle {\\hat {Q}}} 、 P ^ {\\displaystyle {\\hat {P}}} の場合と違い、ψはR全体で定義された関数ではなく、区間[−1, 1]でのみ定義された関数である。", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "区間[−1, 1]上の自乗可積分関数ψに対し、区間[−1, 1]上の積分 ∫ [ − 1 , 1 ] x 2 ψ ( x ) 2 d x {\\displaystyle \\int _{[-1,1]}x^{2}\\psi (x)^{2}\\mathrm {d} x} は必ず有限値になるので、", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "でとしてよい。", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "一方、ψ、χが周期性 ψ ( − 1 ) = ψ ( 1 ) {\\displaystyle \\psi (-1)=\\psi (1)} 、 χ ( − 1 ) = χ ( 1 ) {\\displaystyle \\chi (-1)=\\chi (1)} を満たす可微分関数であれば、 P ^ ′ {\\displaystyle {\\hat {P}}'} が対称性を満たす事を簡単な計算で示すことができる:", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "よって", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "としてよい。(なお、 P ^ ′ {\\displaystyle {\\hat {P}}'} の自己共役性を示すには、「可微分」を弱微分の意味に解釈する必要があるが、本項の範囲を超えるので詳細は省略する)。", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "ψが可微分であれば、", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "より、", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "が成立する。したがって特に、ロバートソンの不等式の定義域に関する条件を満たしている場合には、上式が成立する。", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "しかし", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "とすると、ロバートソンの不等式の左辺が0になる事を示すことができる。", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "なぜなら、", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "よりψ0は P ^ ′ {\\displaystyle {\\hat {P}}'} の長さ1の固有関数であるので、 Δ ψ 0 P ^ ′ {\\displaystyle \\Delta _{\\psi _{0}}{\\hat {P}}'} は0になる:", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "一方明らかに", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "なので、", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "ロバートソンの不等式が成り立つためには、", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "でなければならなかった。しかし上述したψ0は", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "は", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "であるので、 D o m ( P ^ ′ ) {\\displaystyle \\mathrm {Dom} ({\\hat {P}}')} の周期性の条件を満たさない。よって", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "であり、ロバートソンの不等式の条件が満たされない。", "title": "反例" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "小澤正直は、(当初のハイゼンベルクの思考実験では混同されており、ボーアが指摘している)測定限界や測定することによる対象の擾乱や測定誤差と、量子自体の性質(不確定性関係)による量子ゆらぎを厳密に区別した式(小澤の不等式)を提案した。式の形は、ハイゼンベルクの式に補正項を付け加えた形になる。さらに、その式に従えば(従来のハイゼンベルクの式に従って信じられていた)「ハイゼンベルクの不確定性原理による測定の限界」を超えて、量子に対する精度の良い測定が可能であると、2003年1月に発表した(この結果につながった論争は、1980年代に、重力波検出装置の可能性と限界を巡って始まったものである)。オブサーバブル O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} の測定の誤差(すなわち精度)を ε O {\\displaystyle \\epsilon _{\\mathcal {O}}} 、測定過程による撹乱を η O {\\displaystyle \\eta _{\\mathcal {O}}} 、量子ゆらぎを σ O {\\displaystyle \\sigma _{\\mathcal {O}}} とすると以下の不等式が成り立つ。", "title": "小澤の関係式" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "位置と運動量の測定の関係を小澤の不等式に当てはめると、", "title": "小澤の関係式" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "となる。この改良された不等式から見ると、1927年に発表されたハイゼンベルクの不確定性原理は上式の第1項についてのみ述べていたということになる。", "title": "小澤の関係式" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "小澤の不等式が示す測定誤差(左辺の第1項)の下限は、ハイゼンベルクの不等式が示していた測定誤差下限よりも第2項、第3項の分だけ小さい。このことは、ハイゼンベルクの不等式が示した限界よりも精度の良い測定ができる可能性を示唆しており、実際にそのような小澤の不等式を実証する実験結果が2012年に発表された。この実験では原子炉から出る中性子のスピン角度を2台の装置によってはかり、ハイゼンベルクの不等式の限界を超えて精度よく測定することに成功したと発表された。", "title": "小澤の関係式" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "時間とエネルギーに関しては、観測量の分散に対するロバートソン不等式を論じることは一般にできない。それはエネルギー固有値が連続でかつ上限および下限を持たない量子系でなければ、ハミルトニアン ˆH に正準共役な時間演算子 ˆT は定義できないためである。もし考えている量子系においてエルミートな ˆT が存在して", "title": "時間とエネルギーの不確定性関係" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "を満たすならば、任意の実数 k に対して", "title": "時間とエネルギーの不確定性関係" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "というユニタリ変換が存在する。これをあるエネルギー固有値 E に対応する固有状態 |E⟩ に作用させると、得られる状態は", "title": "時間とエネルギーの不確定性関係" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "という関係を満たすため、エネルギー固有値が E + k のエネルギー固有状態を得たことになる。しかし k は負の無限大から正の無限大の間の任意の実数値をとれるため、エネルギー固有値も連続的となり下限も上限もなくなる。安定した基底状態をもつ量子系ではエネルギー固有値は下限をもつため、エルミートな時間演算子は存在しないことが証明される。従って安定な基底状態をもつ通常の量子系では、時間とエネルギーに関するロバートソン不等式は意味を持たない。同様に、時間とエネルギーに関しては小澤の不等式も意味を持たない。", "title": "時間とエネルギーの不確定性関係" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "なお未知の時間パラメータ t {\\displaystyle t} に依存する量子状態 |ψ(t)⟩ を量子測定して、その測定結果から t の値を推定する場合には、その推定誤差 δt とハミルトニアンの標準偏差との間に不等式 δ t ⟨ ( Δ H ^ ) 2 ⟩ ≥ ħ / 2 {\\displaystyle \\delta t{\\sqrt {\\langle (\\Delta {\\hat {H}})^{2}\\rangle }}\\geq \\hbar /2} が成立することは知られている。しかしこれはロバートソン不等式や小澤の不等式ではなく、量子推定理論のクラメール・ラオ不等式からの帰結である。", "title": "時間とエネルギーの不確定性関係" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "ハミルトニアン ˆH によって時間発展した状態が初期状態に比べて有意に変化するには、 t ∼ ħ / ⟨ ( Δ H ^ ) 2 ⟩ {\\displaystyle t\\sim \\hbar /{\\sqrt {\\langle (\\Delta {\\hat {H}})^{2}\\rangle }}} 以上の経過時間が必要である。この関係を時間とエネルギーの不確定性関係の一種とみなす場合もある。しかしエネルギーの標準偏差 ⟨ ( Δ H ^ ) 2 ⟩ {\\displaystyle {\\sqrt {\\langle (\\Delta {\\hat {H}})^{2}\\rangle }}} と、状態差が生まれるための経過時間 t との積の下限は ħ / 2 という普遍的な値を持たず、使用する状態差の指標等の詳細に依存する。", "title": "時間とエネルギーの不確定性関係" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "一方、エネルギーの測定誤差とエネルギーの測定にかかる時間との間には原理的な不確定性関係は存在しない。1930年のソルヴェイ会議でのアインシュタインとの不確定性原理の論争において、ボーアが測定時間とエネルギーの誤差の不確定性関係を破る光子箱の思考実験を論破したと言われているが、この時のボーアの議論は正確ではない。例えば重力場を電場に、光子を電子に置き換えることによって、光子箱と同様のエネルギー測定の思考実験が作れる。しかしこの場合は一般相対性理論を必要とせず、重力ポテンシャルと時間の遅れの関係式も不必要となるため、ボーアが考えた測定時間とエネルギーの測定誤差の不確定性関係は成立しないことが示される。他の物理量と同様に、エネルギーは任意の時刻で正確に測定できる。例えば一定外部磁場 B 中のスピン S が持つエネルギー H ∝ B·S の精密測定は、スピンの磁場方向成分の精密測定で実現できる。スピンの特定方向成分の理想測定はその測定時間に原理的制約を持たないため、いくらでも短い測定時間の間に磁場方向のスピンの精密測定はできる。従ってそのエネルギーも測定時間に関係なく精密測定ができる。", "title": "時間とエネルギーの不確定性関係" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "時間とエネルギーの不確定性関係のために短時間ではエネルギー保存則が破れるという説も流布しているが、それに根拠はない。フェルミの黄金律等の摂動論において議論されている有限時間でのエネルギー保存則の破れは、相互作用項を無視した自由ハミルトニアン ˆHo のみに対する議論にすぎない。相互作用があると ˆHo は時間的に保存しないが、相互作用項 ˆV まで取り入れた全ハミルトニアン ˆHo + ˆV 自体は任意の時刻で保存しており、エネルギー保存則は量子力学でも破れることはない。場の量子論では、エネルギー運動量テンソル演算子 ˆT を用いて", "title": "時間とエネルギーの不確定性関係" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "という局所的表現でエネルギー保存則は与えられる。他の量子系と同様に、短時間でもエネルギー保存則が破れることはない。ファインマンダイアグラムを用いた摂動論において、仮想粒子が実粒子の間を媒介して力を伝達する事象をエネルギー保存則の破れで簡易に説明する場合があるが、厳密に言うとその破れは相互作用項を無視した自由ハミルトニアンの保存則の破れを指す。場の量子論においても相互作用項まで取り入れたエネルギー保存則は破れることはない。", "title": "時間とエネルギーの不確定性関係" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "1927年にヴェルナー・ハイゼンベルクは、ある粒子の位置をより正確に決定する程、その運動量を正確に知ることができなくなり、逆もまた同様である、と述べた。(小澤正直によれば、「ハイゼンベルクは、標準偏差の関係(3)と誤差の関係(1)を混同していたのではなく、測定直後の状態が関係(3)をみたすことから、誤差の関係(1)が帰結すると主張したのであるが、その推論は不十分であった」)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "位置の標準偏差 σx と運動量の標準偏差 σp を結び付ける不等式は1927年にアール・ヘッセ・ケナードによって、1928年にヘルマン・ワイルによって導出された。", "title": "歴史" } ]
不確定性原理(ふかくていせいげんり、は、量子力学に従う系の物理量 A ^ を観測したときの不確定性と、同じ系で別の物理量 B ^ を観測したときの不確定性が適切な条件下では同時に0になる事はないとする一連の定理の総称である。特に重要なのは A ^ 、 B ^ がそれぞれ位置と運動量のときであり、狭義にはこの場合のものを不確定性原理という。 原理的には、一般のフーリエ解析で窓関数を狭めるほど得られるスペクトルが不正確となるのと同種の説明がなされる。 このような限界が存在するはずだという元々の発見的議論がハイゼンベルクによって与えられたため、これはハイゼンベルクの原理という名前が付けられることもある。しかし後述するようにハイゼンベルク自身による不確定性原理の物理的説明は、今日の量子力学の知識からは正しいものではない。 今日の量子力学において、不確定性原理でいう観測は日常語のそれとは意味が異なる用語であり、測定装置のような古典的物体と量子系との間の任意の相互作用を意味する。したがって例えば、実験者が測定装置に表示された値を実際に見たかどうかといった事とは無関係に定義される。また不確定性とは、物理量を観測した時に得られる測定値の標準偏差を表す。 不確定性原理が顕在化する現象の例としては、原子の零点振動、その他量子的なゆらぎなどが挙げられる。
{{Pathnav|[[物理学]]|[[量子力学]]|frame=1}} {{読み仮名|'''不確定性原理'''|ふかくていせいげんり|{{lang-de-short|Unschärferelation}}、{{lang-en-short|Uncertainty principle}}}}は、[[量子力学]]に従う[[系 (自然科学)|系]]の[[物理量]]<math>\hat{A}</math>を観測したときの不確定性と、同じ系で別の物理量<math>\hat{B}</math>を観測したときの不確定性が適切な条件下では同時に0になる事はないとする一連の定理の総称である。特に重要なのは<math>\hat{A}</math>、<math>\hat{B}</math>がそれぞれ位置と運動量のときであり、狭義にはこの場合のものを不確定性原理という。 原理的には、一般のフーリエ解析で窓関数を狭めるほど得られるスペクトルが不正確となるのと同種の説明がなされる。 このような限界が存在するはずだという元々の発見的議論が[[ヴェルナー・ハイゼンベルク|ハイゼンベルク]]によって与えられたため、これは'''ハイゼンベルクの原理'''という名前が付けられることもある。しかし後述するようにハイゼンベルク自身による不確定性原理の物理的説明は、今日の量子力学の知識からは正しいものではない。 今日の量子力学において、不確定性原理でいう'''観測'''は日常語のそれとは意味が異なる用語であり、測定装置のような古典的物体と量子系との間の任意の相互作用を意味する<ref>Quantum Mechanics Non-Relativistic Theory, Third Edition: Volume 3. Landau, Lifshitz</ref>。したがって例えば、実験者が測定装置に表示された値を実際に見たかどうかといった事とは無関係に定義される。また'''不確定性'''とは、物理量を観測した時に得られる測定値の[[標準偏差]]を表す。 不確定性原理が顕在化する現象の例としては、[[原子]](格子)の[[零点振動]](このため[[ヘリウム]]は、常圧下では絶対零度まで冷却しても固化しない)、その他量子的な[[ゆらぎ]](例:遍歴電子系におけるスピン揺らぎ)などが挙げられる。 == 概要 == === 一般のフーリエ変換に現れる同種のトレードオフ === 不確定性原理は、物質が根源的に波であり、位置と運動量が共役すなわちフーリエ変換の双対となることに由来する。よって、一般の音声解析等のフーリエ変換にて生じるトレードオフに例えられる。 フーリエ変換では対象となる波に窓関数を乗じて波の一部を切り出し、一度の解析対象領域とするが、この領域を長くとった方が周波数分析としては正確であり、スペクトル空間上の局在的な情報が得られる。例えば波長の値などが正確に得られる。 しかし、領域が長いほど、波の瞬時ピークの高さやその出現時刻といった、時間軸で局在している特徴は曖昧になる。スペクトル空間上の局在性を犠牲にして対象領域を狭めていくことで時間軸上の局在情報すなわち瞬時のピークや波形は、より正確に捉えられる。 これは窓関数の利用に限ったことではなく、波の局在した成分を捉えようとすると、周波数空間での情報は曖昧になり分布が広がる。両方を同時に局在化させることはできない。 ※詳細は[[:en:Uncertainty principle|不確定性原理英語版]]や[[フーリエ解析]]にて図入りで説明されている。 ==観察者効果との混同== 歴史的に、不確定性原理は[[観察者効果]]と呼ばれる[[物理学]]におけるいくらか似た効果と混同されてきた<ref>{{Citation|title=One Thing Is Certain: Heisenberg's Uncertainty Principle Is Not Dead|year=2012|last=Furuta|first=Aya|url=http://www.scientificamerican.com/article.cfm?id=heisenbergs-uncertainty-principle-is-not-dead|journal=Scientific American}}</ref><ref name="Ozawa20032">{{Citation|title=Universally valid reformulation of the Heisenberg uncertainty principle on noise and disturbance in measurement|year=2003|last=Ozawa|first=Masanao|journal=Physical Review A|volume=67|issue=4|arxiv=quant-ph/0207121|bibcode=2003PhRvA..67d2105O|doi=10.1103/PhysRevA.67.042105}}</ref>。観察者効果とは、系を測定する行為それ自身が系に影響を与えてしまうというものである。 量子力学が成立するミクロな世界が測定による観測者効果で「揺動」してしまうという説明は、ハイゼンベルク自身が当初不確定性原理に対して与えたものであり<ref>Werner Heisenberg, ''The Physical Principles of the Quantum Theory'', p. 20</ref>、今日において繰り返し出てくるものの、根本的に誤解を招くおそれのあることが現在は知られている<ref name="Rozema2">{{cite journal|last1=Rozema|first1=Lee A.|last2=Darabi|first2=Ardavan|last3=Mahler|first3=Dylan H.|last4=Hayat|first4=Alex|last5=Soudagar|first5=Yasaman|last6=Steinberg|first6=Aephraim M.|title=Violation of Heisenberg’s Measurement-Disturbance Relationship by Weak Measurements|journal=Physical Review Letters|volume=109|issue=10|year=2012|issn=0031-9007|doi=10.1103/PhysRevLett.109.100404}}</ref><ref>[http://www.sciencedaily.com/releases/2012/09/120907125154.htm Scientists Cast Doubt On Heisenberg's Uncertainty Principle ''Science Daily'' 7 September 2012]</ref>。 「不確定性原理は実際には量子系の基本的特性を述べており、現代のテクノロジーにおける測定精度の到達点について述べたものではない」<ref name="nptel2">[http://www.youtube.com/watch?v=TcmGYe39XG0 youtube.com website] Indian Institute of Technology Madras, Professor V. Balakrishnan, Lecture 1 – Introduction to Quantum Physics; Heisenberg's uncertainty principle, National Programme of Technology Enhanced Learning</ref>。不確定性原理は全ての[[波]]のような系にもともと備わっている特性であること<ref name="Rozema2" />、不確定性は単純に全ての量子物体の[[物質波]]の性質によって現われることが今日の量子力学ではわかっている。 測定器の誤差と測定による反作用との不確定性とは区別して考えなければならない。量子論での時間発展や測定についての基本的要請をすべて使って展開できる[[量子測定理論]]を用いて、ハイゼンベルクの考察した「測定精度と反作用に関する不確定性原理」ははじめて導けるが、その結果得られる不等式の下限はケースバイケースで変わることが判っている<ref>{{Cite book|和書|author=清水明|authorlink=清水明|title=量子論の基礎―その本質のやさしい理解のために―|url=http://www.saiensu.co.jp/?page=book_details&ISBN=ISBN978-4-7819-1062-8&YEAR=2004|edition=新版|series=新物理学ライブラリ 別巻2|year=2003|month=4|publisher=[[サイエンス社]]|pages=pp.85 f|isbn=4-7819-1062-9}}</ref>。後述する[[#小澤の関係式|小澤の不等式]]などがその1つである。 == 不確定性原理の概要 == 不確定性原理で特に重要になるのは、物理量<math>\hat{A}</math>と物理量<math>\hat{B}</math>がそれぞれ({{mvar|j}}軸方向の)位置<math>\hat{Q}_j</math>と運動量<math>\hat{P}_j</math>である場合である。系が状態{{mvar|ψ}}にあるときのこれらの不確定性をそれぞれ<math>\Delta_{\psi}\hat{Q}_j</math>、<math>\Delta_{\psi}\hat{P}_j</math>とするとき、以下が成立する:{{Equation box 1|border |indent=::|equation=<math> \Delta_{\psi}\hat{Q}_j\Delta_{\psi}\hat{P}_j \geq \frac{\hbar}{2} ~~</math>|cellpadding=6|border colour=#0073CF|background colour=#F5FFFA}} ここで<math>\hbar</math>は[[換算プランク定数]]である。なお本項では[[不確定性原理#H13|H13]]に従い、不確定性を<math>\Delta_{\psi}\hat{Q}_j</math>と表記したが、多くの物理の教科書では系の状態{{mvar|ψ}}を省略し<math>\Delta\hat{Q}_j</math>と表記する。 上式右辺は0より真に大きいので、位置の不確定性<math>\Delta_{\psi}\hat{Q}_j</math>が0に近い値であれば<math>\Delta_{\psi}\hat{P}_j</math>は極端に大きくなり、逆に<math>\Delta_{\psi}\hat{P}_j</math>が0に近い値であれば<math>\Delta_{\psi}\hat{Q}_j</math>は極端に大きくなる。両方共0に近い値にする事はできない。 一般の物理量<math>\hat{A}</math>、<math>\hat{B}</math>に対する不確定性原理として、以下の'''ロバートソンの不等式'''がある:{{Equation box 1|border |indent=::|equation=<math>(\Delta_{\psi} \hat{A})^2 ( \Delta_{\psi} \hat{B})^2 \ge \frac{1}{4} \left| \langle [\hat{A}, \hat{B}] \rangle_\psi \right|^2</math>|cellpadding=6|border colour=#0073CF|background colour=#F5FFFA}} ここで<math>[\hat{A},\hat{B}]</math>は<math>\hat{A}</math>と<math>\hat{B}</math>の交換子 : <math>[\hat{A},\hat{B}]=\hat{A}\hat{B}-\hat{B}\hat{A}</math> であり、<math>\langle [\hat{A},\hat{B}]\rangle_{\psi}</math>は系の状態が{{mvar|ψ}}であるときに<math>[\hat{A},\hat{B}]</math>を観測したときの観測値の期待値である。 これまで{{mvar|ψ}}について詳しく書いてこなかったが、実は'''{{mvar|ψ}}が適切な定義域に属している場合にしか不確定性原理は成り立たず、そうでない場合には反例がある'''事が知られているので注意が必要である。そこで次節でこの点を考慮して不確定性原理を厳密に定式化する。 == 厳密な定式化 == === 予備知識 === 不確定性原理を定式化する為の予備知識を説明する。[[量子力学]]において(純粋)量子状態は'''状態空間'''<math>\mathcal{H}</math>という複素内積ベクトル空間([[ヒルベルト空間]])における長さ1のベクトル('''状態ベクトル''')として記述され、[[オブザーバブル|物理量]]('''オブザーバブル'''と呼ぶ)は'''<math>\mathcal{H}</math>'''上の[[自己共役作用素]]として定式化される。 粒子が{{Mvar|n}}個ある系の場合'''<math>\mathcal{H}</math>'''は、{{Mvar|3n}}次元空間'''<math>\mathbf{R}^{3n}=\{(x_1,\ldots,x_{3n})\}</math>'''上の複素数値の[[自乗可積分函数]]全体の空間と同一視でき、このようにみなした場合、状態ベクトルのことを'''[[波動関数]]'''と呼ぶ。<math>x_j</math>軸方向の'''位置作用素<math>\hat{Q}_j</math>'''と[[運動量演算子|'''運動量作用素''']]'''<math>\hat{P}_j</math>'''はそれぞれ :<math>\begin{align} \hat{Q}_j\psi(x)&=x_j\psi(x) \\ \hat{P}_j\psi(x)&=-i\hbar \frac{\partial}{\partial x_j}\psi(x) \end{align}</math> により定義される。ここで'''<math>\hbar</math>'''は[[ディラック定数|換算プランク定数]]である。 ===オブザーバブルの定義域=== {{Main|量子力学の数学的定式化}} 不確定性原理を定式化する準備として、オブザーバブルの[[定義域]]に関して述べる。後でみるように、不確定性原理を厳密に定式化する際、オブザーバブルの定義域に関して細心の注意を払わないと、反例がつくれてしまうからである。 まず運動量作用素と位置作用素の定義域に関して調べる。定義から分かるように、運動量作用素は波動関数が微分可能な場合しか定義できないが、自乗可積分関数の中には微分可能でないものもあるので、運動量作用素は状態空間'''<math>\mathcal{H}</math>'''の全域では定義できず、'''<math>\mathcal{H}</math>'''の部分空間でのみ定義された作用素である。また位置作用素に関しても、<math>\hat{Q}_j\psi(x)=x_j\psi(x)</math>が常に自乗可積分関数になるわけではないので、<math>\hat{Q}_j\psi(x)=x_j\psi(x)</math>が自乗可積分関数になるような<math>\psi(x)</math>に対してしか位置作用素を定義できない(そうしないと<math>\hat{Q}_j</math>の値域が'''<math>\mathcal{H}</math>'''からはみ出してしまうので、<math>\hat{Q}_j</math>が'''<math>\mathcal{H}</math>'''上の自己共役作用素にならない)。こうした事情から量子力学では、'''オブザーバブル<math>\hat{A}</math>が<math>\mathcal{H}</math>の部分空間でのみでしか定義されていないケースをも許容し、代わりに定義域<math>\mathrm{Dom}(\hat{A})\subset\mathcal{H}</math>が<math>\mathcal{H}</math>で稠密になる事を要請する'''。 オブザーバブル<math>\hat{A}</math>が<math>\mathcal{H}</math>の部分空間でのみでしか定義されない事を許容した事が原因で、2つのオブザーバブル<math>\hat{A}</math>、<math>\hat{B}</math>の'''交換子''' : <math>[\hat{A},\hat{B}]\psi:=\hat{A}\hat{B}\psi-\hat{B}\hat{A}\psi</math> も常に定義できるとは限らない。実際、積<math>\hat{A}\hat{B}\psi</math>は : <math>\psi\in\mathrm{Dom}(\hat{B})</math> かつ <math>\hat{B}\psi\in\mathrm{Dom}(\hat{A})</math> のときしか意味を持たないし、<math>\hat{B}\hat{A}\psi</math>にも同様の制約が課せられる。結局<math>[\hat{A},\hat{B}]\psi:=\hat{A}\hat{B}\psi-\hat{B}\hat{A}\psi</math>が意味を持つのは、 : <math>\psi\in\mathrm{Dom}(\hat{A})\cap\mathrm{Dom}(\hat{B})</math>、<math>\hat{B}\psi\in\mathrm{Dom}(\hat{A})</math>、<math>\hat{A}\psi\in\mathrm{Dom}(\hat{B})</math> が全て成り立つときのみである。 ===不確定性の定義=== 状態空間'''<math>\mathcal{H}</math>'''上2つの元{{Mvar|ψ}}、{{Mvar|χ}}に対し、{{Mvar|ψ}}と{{Mvar|χ}}の[[内積]]を<math>\langle \psi, \chi\rangle</math>と書き表し、[[ノルム]]を : <math>\|\psi\| := \sqrt{\langle \psi,\psi\rangle}</math> とする。オブザーバブル<math>\hat{A}</math>と状態ベクトル<math>\psi\in\mathrm{Dom}(\hat{A})</math>に対し、 : <math>\langle \hat{A}\rangle_\psi := \langle \psi, \hat{A}\psi\rangle</math> と定義し[[不確定性原理#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=53}}、さらに<math>\hat{A}</math>の<math>\psi\in\mathrm{Dom}(\hat{A})</math>に対する'''不確定性'''を : <math>\Delta_{\psi} \hat{A} := \|(\hat{A}-\langle \hat{A} \rangle_\psi I)\psi\| </math> により定義する[[不確定性原理#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=241}}。ここで{{Mvar|I}}は[[単位行列]]である。<math>\langle \hat{A}\rangle_\psi</math>と<math>\Delta_\psi \hat{A}</math>は物理的にはそれぞれ、状態<math>\psi</math>にある系で<math>\hat{A}</math>を観測した時に得られる観測値の平均値と[[標準偏差]]である。 ===ロバートソンの不等式=== <math>\hat{A}</math>、<math>\hat{B}</math>を状態空間<math>\mathcal{H}</math>上のオブザーバブルとし、<math>\psi\in\mathcal{H}</math>が : <math>\psi\in\mathrm{Dom}(\hat{A})\cap\mathrm{Dom}(\hat{B})</math>、<math>\hat{B}\psi\in\mathrm{Dom}(\hat{A})</math>、<math>\hat{A}\psi\in\mathrm{Dom}(\hat{B})</math> を満たしているとする。このとき、<math>[\hat{A},\hat{B}]\psi:=\hat{A}\hat{B}\psi-\hat{B}\hat{A}\psi</math>が定義可能であり、以下の不等式('''ロバートソンの不等式''')が成立する[[不確定性原理#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=241,242}}: : <math>(\Delta_{\psi} \hat{A})^2 ( \Delta_{\psi} \hat{B})^2 \ge \frac{1}{4} \left| \langle [\hat{A}, \hat{B}] \rangle_\psi \right|^2</math> 証明は後述する。 === {{math|''L''{{sup|2}}({{mathbf|R}}{{sup|''d''}})}} における位置と運動量に関する不確定性原理 === {{mvar|d}}次元空間{{math|'''R'''{{sup|''d''}}}}上の[[Lp空間|自乗可積分関数全体の空間]]<math>L^2(\mathbf{R}^d)</math>における{{mvar|j}}番目の位置作用素と運動量作用素 :<math>\begin{align} \hat{Q}_j\psi(x)&=x_j\psi(x) \\ \hat{P}_j\psi(x)&=-i\hbar \frac{\partial}{\partial x_j}\psi(x) \end{align}</math> に関しては、{{mvar|ψ}}の定義域に関する条件を弱めることができる事が知られている。 すなわち状態空間が<math>\mathcal{H}=L^2(\mathbf{R}^d)</math>であるとき、 : <math>\psi\in\mathrm{Dom}(\hat{Q}_j)\cap\mathrm{Dom}(\hat{P}_j)</math> であれば、 : <math>(\Delta_{\psi} \hat{Q}_j)^2 ( \Delta_{\psi} \hat{P}_j)^2 \ge \frac{\hbar}{2} </math> が成立する[[不確定性原理#H13|<sup>H13</sup>]]{{Rp|page=246,248}}。 なお、 : <math>\mathrm{Dom}(\hat{Q}_j)=\Bigg\{\psi\in L^2(\mathbf{R}^d) \Bigg| \int_{\mathbf{R}^d}x_j{}^2\psi(x){}^2\mathrm{d}x <\infty \Bigg\}</math> : <math> \mathrm{Dom}(\hat{P}_j)=\{\psi\in L^2(\mathbf{R}^d) \mid \psi (x)</math>の偏微分<math>{\partial \psi\over \partial x_j}(x)</math>が定義可能<math>\}</math> である。ここで「偏微分可能」は通常の意味の偏微分が可能である事を含むのはもちろん、[[弱微分]]の意味での偏微分が可能であるものも許容する。 証明は引用文献[[不確定性原理#H13|H13]]のp246~248を参照されたい。 === ロバートソンの不等式の証明 === 本節の証明は引用文献[[不確定性原理#H13|H13p]]243を参考にした。{{Mvar|ψ}}が定理の条件を満たす時<math>[\hat{A},\hat{B}]\psi=\hat{A}\hat{B}\psi-\hat{B}\hat{A}\psi</math>が定義可能であることは既に見たので、以下不等式が成り立つことの証明のみに注力する。記法を簡単にするため :<math>\begin{align} \hat{A}' &:= \hat{A}-\langle \hat{A} \rangle_\psi I \\ \hat{B}' &:= \hat{B}-\langle \hat{B} \rangle_\psi I \end{align} </math> とする。単位行列{{mvar|I}}が<math>\mathcal{H}</math>の全域で定義されている事を利用すると、{{mvar|ψ}}の条件<math>\psi\in\mathrm{Dom}(\hat{A})\cap\mathrm{Dom}(\hat{B})</math>、<math>\hat{B}\psi\in\mathrm{Dom}(\hat{A})</math>、<math>\hat{A}\psi\in\mathrm{Dom}(\hat{B})</math>より、 : <math>\hat{A}'\psi</math>、<math>\hat{B}'\psi</math>、<math>\hat{A}'\hat{B}'\psi</math>、<math>\hat{B}'\hat{A}'\psi</math> がいずれも定義可能である事が簡単な議論で分る。 [[コーシー・シュワルツの不等式]]により、 :<math>(\Delta_{\psi} \hat{A})^2 ( \Delta_{\psi} \hat{B})^2 = \|\hat{A}'\psi\|^2\|\hat{B}'\psi\|^2 \ge |\langle \hat{A}'\psi , \hat{B}'\psi \rangle|^2 \ge |\mathrm{Im}\langle \hat{A}'\psi , \hat{B}'\psi \rangle|^2 \ge \frac14 |\langle \hat{A}'\psi,\hat{B}'\psi\rangle - \langle \hat{B}'\psi,\hat{A}'\psi\rangle |^2</math> <math>\hat{A}'\hat{B}'\psi</math>、<math>\hat{B}'\hat{A}'\psi</math>が定義可能であったので、 :<math>\langle \hat{A}'\psi,\hat{B}'\psi\rangle - \langle \hat{B}'\psi,\hat{A}'\psi\rangle =\langle \psi, \hat{A}'\hat{B}'\psi\rangle - \langle \psi, \hat{B}'\hat{A}'\psi\rangle =\langle\psi,[ \hat{A}',\hat{B}'] \psi \rangle </math> 単位行列{{mvar|I}}は全ての作用素と可換なので、 :<math>[ \hat{A}',\hat{B}'] =[ \hat{A}-\langle \hat{A} \rangle_\psi I, \hat{B}-\langle \hat{B} \rangle_\psi I] =[\hat{A},\hat{B}]</math> よってロバートソンの不等式が証明された。 == 反例 == これまで我々は{{mvar|ψ}}が定義域に関する条件を満たしていればロバートソンの不等式が成立する事を示し、さらに<math>L^2(\mathbf{R}^d)</math>における位置作用素と運動量作用素の場合には、この条件が緩められる事を見た。 しかし単位区間{{math|[-1,1]}}上の自乗可積分関数の集合<math>L^2([-1,1])</math>における位置作用素と運動量作用素の場合には、不確定性原理が成り立たない反例{{mvar|ψ{{sub|0}}}}が存在する。この反例は * 後述するように{{mvar|ψ{{sub|0}}}}はロバートソンの不等式の定義域に関する条件を満たさない * {{mvar|ψ{{sub|0}}}}は位置作用素と運動量作用素の不確定性原理における緩められた条件は満たすものの、空間が<math>L^2(\mathbf{R}^d)</math>ではなく<math>L^2([-1,1])</math>である よってこの反例の存在はこれまでの成果と矛盾しない。 なおこの反例は引用文献[[不確定性原理#H13|H13p]]245~246によった。 === 反例となる作用素 === 1次元空間<math> \mathbf{R}</math>上の自乗可積分関数に対する通常の位置作用素<math>\hat{Q}</math>、運動量作用素<math>\hat{P}</math>と区別するため、{{math|[−1, 1]}}上の自乗可積分関数に対する位置作用素と運動量作用素をそれぞれ<math>\hat{Q}'</math>、<math>\hat{P}'</math>と書くことにする。すなわち :<math>\begin{align} \hat{Q}' \psi(x)&=x_j\psi(x) \\ \hat{P}' \psi(x)&=-i\hbar \frac{\mathrm{d}}{\mathrm{d} x}\psi(x) \end{align}</math> である事は通常の<math>\hat{Q}</math>、<math>\hat{P}</math>と変わらないが、<math>\hat{Q}</math>、<math>\hat{P}</math>の場合と違い、{{mvar|ψ}}は{{math|'''R'''}}全体で定義された関数ではなく、区間{{math|[−1, 1]}}でのみ定義された関数である。 === {{mvar|{{hat|Q}}&prime;}}の定義域 === 区間{{math|[−1, 1]}}上の自乗可積分関数{{mvar|ψ}}に対し、区間{{math|[−1, 1]}}上の積分<math>\int_{[-1,1]}x^2 \psi(x)^2\mathrm{d}x</math>は必ず有限値になるので、 : <math>\mathrm{Dom}(\hat{Q}')= L^2([-1,1])</math> でとしてよい。 === {{mvar|{{hat|P}}&prime;}}の定義域 === 一方、{{mvar|ψ}}、{{mvar|χ}}が周期性<math>\psi(-1)=\psi(1)</math>、<math>\chi(-1)=\chi(1)</math>を満たす可微分関数であれば、<math>\hat{P}'</math>が[[対象作用素|対称性]]を満たす事を簡単な計算で示すことができる: : <math>\langle \psi,\hat{P}'\chi\rangle - \langle \hat{P}'\psi, \chi\rangle = \int_{[-1,1]} \overline{- i\hbar { \mathrm{d}\psi \over \mathrm{d} x}(x)}\chi(x) \mathrm{d}x - \int_{[-1,1]} \overline{\psi(x)}\cdot -i\hbar \frac{\mathrm{d}\chi}{ \mathrm{d} x}(x)\chi(x) \mathrm{d}x =\int_{[-1,1]}i\hbar \frac{ \mathrm{d}}{\mathrm{d} x}(\psi (x)\chi(x))\mathrm{d}x=0 </math> よって : <math>\mathrm{Dom}(\hat{P}')= \{\psi \mid\psi(-1)=\psi(1) </math>を満たす{{math|[−1, 1]}}区間上の可微分関数<math>\}</math> としてよい。(なお、<math>\hat{P}'</math>の自己共役性を示すには、「可微分」を弱微分の意味に解釈する必要があるが、本項の範囲を超えるので詳細は省略する)。 === 不等式の右辺 === {{mvar|ψ}}が可微分であれば、 :<math>\begin{align} \hat{P}'\hat{Q}'\psi &= -i\hbar {\mathrm{d}\over \mathrm{d}x}(x\psi(x)) = -i\hbar\psi(x) -i\hbar x{\mathrm{d}\over \mathrm{d}x}(\psi(x)) \\ \hat{Q}'\hat{P}'\psi &= -i\hbar x {\mathrm{d}\over \mathrm{d}x}\psi(x) \end{align} </math> より、 : <math>[\hat{Q}',\hat{P}']\psi =-i \hbar \psi</math> が成立する。したがって特に、ロバートソンの不等式の定義域に関する条件を満たしている場合には、上式が成立する。 === 不等式の左辺が0になる関数 === しかし : <math>\psi_0(x):={1\over \sqrt{2}}\mathrm{exp}(i\pi x)</math> とすると、ロバートソンの不等式の左辺が0になる事を示すことができる。 なぜなら、 :<math>\|\psi_0\|^2= \frac12 \int_{[-1,1]} \overline{\mathrm{exp}(i\pi x)} \mathrm{exp}(i\pi x) \mathrm{d}x =\frac12 \int_{[-1,1]} \mathrm{d}x =1</math> : <math>\hat{P}'\psi_0(x):=-i\hbar{\mathrm{d}\over\mathrm{d} x}\mathrm{exp}(i\pi x) = \hbar\pi\psi_0(x) </math> より{{mvar|ψ{{sub|0}}}}は<math>\hat{P}'</math>の長さ1の固有関数であるので、<math>\Delta_{\psi_0}\hat{P}'</math>は0になる: : <math>\Delta_{\psi_0}\hat{P}'=\|\hat{P}'\psi_0-\langle\psi_0, \hat{P}'\psi_0 \rangle \psi_0\|</math><math>=\|i\pi \psi_0-i\pi \langle\psi_0, \psi_0 \rangle \psi_0\|=0</math> 一方明らかに : <math>\Delta_{\psi_0}\hat{Q}'<\infty</math> なので、 : <math>\Delta_{\psi_0}\hat{P}'\Delta_{\psi_0}\hat{Q}'=0 </math> === どの条件に反しているか === ロバートソンの不等式が成り立つためには、 : <math>\hat{Q}\psi\in\mathrm{Dom}(\hat{P}')</math>、 でなければならなかった。しかし上述した{{mvar|ψ{{sub|0}}}}は : <math>\hat{Q}\psi_0(x)= {x\over \sqrt{2}}\mathrm{exp}(i\pi x)</math> は : <math>\hat{Q}\psi_0(-1) =1\neq -1 =\hat{Q}\psi_0(1)</math> であるので、<math>\mathrm{Dom}(\hat{P}')</math>の周期性の条件を満たさない。よって : <math>\hat{Q}\psi_0\notin \mathrm{Dom}(\hat{P}')</math> であり、ロバートソンの不等式の条件が満たされない。 ==小澤の関係式== [[小澤正直]]は、(当初のハイゼンベルクの思考実験では混同されており、ボーアが指摘している)測定限界や測定することによる対象の擾乱や測定誤差と、量子自体の性質(不確定性関係)による量子ゆらぎを厳密に区別した式('''小澤の不等式''')を提案した。式の形は、ハイゼンベルクの式に補正項を付け加えた形になる。さらに、その式に従えば(従来のハイゼンベルクの式に従って信じられていた)「ハイゼンベルクの不確定性原理による測定の限界」を超えて、量子に対する精度の良い測定が可能であると、2003年1月に発表した<ref name="Ozawa20032" />(この結果につながった論争は、1980年代に、[[重力波 (相対論)#重力波の検出実験|重力波検出装置]]の可能性と限界を巡って始まったものである)。オブサーバブル <math>\mathcal{O}</math> の測定の誤差(すなわち精度)を <math>\epsilon_{\mathcal{O}}</math>、測定過程による撹乱を <math>\eta_{\mathcal{O}}</math>、量子ゆらぎを <math>\sigma_{\mathcal{O}}</math> とすると以下の不等式が成り立つ<ref name="Ozawa20032" />。{{Equation box 1|border |indent=:|equation=<math> \epsilon_A \eta_B + \epsilon_A \sigma_B + \sigma_A \eta_B \ge \left| \frac{1}{2i} \langle [\hat{A},\hat{B}] \rangle \right|</math>|cellpadding=6|border colour=#0073CF|background colour=#F5FFFA}} 位置と運動量の測定の関係を小澤の不等式に当てはめると、 : <math> \epsilon_P \eta_Q + \epsilon_P \sigma_Q + \sigma_P \eta_Q \ge \frac{\hbar}{2}</math> となる。この改良された不等式から見ると、1927年に発表されたハイゼンベルクの不確定性原理は上式の第1項についてのみ述べていたということになる。 小澤の不等式が示す測定誤差(左辺の第1項)の下限は、ハイゼンベルクの不等式が示していた測定誤差下限よりも第2項、第3項の分だけ小さい。このことは、ハイゼンベルクの不等式が示した限界よりも精度の良い測定ができる可能性を示唆しており、実際にそのような小澤の不等式を実証する実験結果が2012年に発表された<ref>{{Citation|title=Experimental demonstration of a universally valid error-disturbance uncertainty relation in spin-measurements|year=2012|last=Erhart|first=Jacqueline|coauthors=Stephan Sponar, Georg Sulyok, Gerald Badurek, Masanao Ozawa, Yuji Hasegawa|journal=Nature Physics|volume=8|issue=3|pages=185–189|arxiv=1201.1833|bibcode=2012NatPh...8..185E|doi=10.1038/nphys2194}}</ref>。この実験では原子炉から出る[[中性子]]の[[スピン角運動量|スピン]]角度を2台の装置によってはかり、ハイゼンベルクの不等式の限界を超えて精度よく測定することに成功したと発表された<ref>{{Cite news|title=物理の根幹、新たな数式 名大教授の予測を実証|newspaper=[[asahi.com]]|date=2012年1月16日|url=http://www.asahi.com/science/update/0116/TKY201201150398.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120118050703/http://www.asahi.com/science/update/0116/TKY201201150398.html|archivedate=2012年1月18日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。 ==時間とエネルギーの不確定性関係== 時間とエネルギーに関しては、観測量の分散に対するロバートソン不等式を論じることは一般にできない。それはエネルギー固有値が連続でかつ上限および下限を持たない量子系でなければ、ハミルトニアン {{Math|{{Hat|''H''}}}} に正準共役な時間演算子 {{Math|{{Hat|''T''}}}} は定義できないためである。もし考えている量子系においてエルミートな {{Math|{{Hat|''T''}}}} が存在して : <math>[\hat{H},\hat{T}]=i\hbar</math> を満たすならば、任意の実数 {{Mvar|k}} に対して : <math>\hat{U}(k) = \exp (-ik \hat{T} / \hbar) </math> というユニタリ変換が存在する。これをあるエネルギー固有値 {{Mvar|E}} に対応する固有状態 {{Math|{{Ket|''E''}}}} に作用させると、得られる状態は : <math>\hat{H}\hat{U}(k)|E\rangle =(E+k)\hat{U}(k)|E\rangle</math> という関係を満たすため、エネルギー固有値が {{Math|''E'' + ''k''}} のエネルギー固有状態を得たことになる。しかし {{Mvar|k}} は負の無限大から正の無限大の間の任意の実数値をとれるため、エネルギー固有値も連続的となり下限も上限もなくなる。安定した基底状態をもつ量子系ではエネルギー固有値は下限をもつため、エルミートな時間演算子は存在しないことが証明される。従って安定な基底状態をもつ通常の量子系では、時間とエネルギーに関するロバートソン不等式は意味を持たない。同様に、時間とエネルギーに関しては小澤の不等式も意味を持たない。 なお未知の時間パラメータ<math>t</math>に依存する量子状態 {{Math|{{Ket|''&psi;''(''t'')}}}} を量子測定して、その測定結果から {{Mvar|t}} の値を推定する場合には、その推定誤差 {{Mvar|&delta;t}} とハミルトニアンの標準偏差との間に不等式 <math>\delta t \sqrt{\langle (\Delta \hat{H})^2 \rangle} \geq \hbar / 2</math> が成立することは知られている。しかしこれはロバートソン不等式や小澤の不等式ではなく、[[量子推定理論]]の[[クラメール・ラオ不等式]]からの帰結である。 ハミルトニアン {{Math|{{Hat|''H''}}}} によって時間発展した状態が初期状態に比べて有意に変化するには、<math>t \sim \hbar / \sqrt{\langle (\Delta \hat{H})^2 \rangle}</math>以上の経過時間が必要である。この関係を時間とエネルギーの不確定性関係の一種とみなす場合もある<ref>清水明「新版 量子論の基礎」(サイエンス社)</ref>。しかしエネルギーの標準偏差<math>\sqrt{\langle(\Delta \hat{H})^2 \rangle}</math>と、状態差が生まれるための経過時間 {{Mvar|t}} との積の下限は {{Math|''ħ'' / 2}} という普遍的な値を持たず、使用する状態差の指標等の詳細に依存する。 一方、エネルギーの測定誤差とエネルギーの測定にかかる時間との間には原理的な不確定性関係は存在しない。1930年の[[ソルヴェイ会議]]での[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]との不確定性原理の論争において、[[ニールス・ボーア|ボーア]]が測定時間とエネルギーの誤差の不確定性関係を破る[[光子箱の思考実験]]を論破したと言われているが、この時のボーアの議論は正確ではない。例えば重力場を電場に、光子を電子に置き換えることによって、光子箱と同様のエネルギー測定の思考実験が作れる<ref>H. J. Treder,"The Einstein-Bohr Box Experiment" published in ''Perspective in Quantum Theory'', Yourgrau and van der Mehwe (eds), MIT press (1970) pp.&nbsp;17–24.</ref>。しかしこの場合は[[一般相対性理論]]を必要とせず、[[重力ポテンシャル]]と時間の遅れの関係式も不必要となるため、ボーアが考えた測定時間とエネルギーの測定誤差の不確定性関係は成立しないことが示される。他の物理量と同様に、エネルギーは任意の時刻で正確に測定できる。例えば一定外部磁場 {{Mvar|'''B'''}} 中の[[スピン角運動量|スピン]] {{Mvar|'''S'''}} が持つエネルギー {{Math|'''''H''''' &prop; '''''B'''''&middot;'''''S'''''}} の精密測定は、スピンの磁場方向成分の精密測定で実現できる。スピンの特定方向成分の[[理想測定]]はその測定時間に原理的制約を持たないため、いくらでも短い測定時間の間に磁場方向のスピンの精密測定はできる。従ってそのエネルギーも測定時間に関係なく精密測定ができる。 時間とエネルギーの不確定性関係のために短時間ではエネルギー保存則が破れるという説も流布しているが、それに根拠はない。[[フェルミの黄金律]]等の摂動論において議論されている有限時間でのエネルギー保存則の破れは、相互作用項を無視した自由ハミルトニアン {{Math|{{Hat|''H''}}<sub>o</sub>}} のみに対する議論にすぎない。相互作用があると {{Math|{{Hat|''H''}}<sub>o</sub>}} は時間的に保存しないが、相互作用項 {{Math|{{Hat|''V''}}}} まで取り入れた全ハミルトニアン {{Math|{{Hat|''H''}}<sub>o</sub> + {{Hat|''V''}}}} 自体は任意の時刻で保存しており、エネルギー保存則は量子力学でも破れることはない。場の量子論では、エネルギー運動量テンソル演算子 {{Math|{{Hat|''T''}}<sup>''&mu;&nu;''</sup>}} を用いて : <math>\partial_{\mu}\hat{T}^{\mu0}=0</math> という局所的表現でエネルギー保存則は与えられる。他の量子系と同様に、短時間でもエネルギー保存則が破れることはない。[[ファインマンダイアグラム]]を用いた摂動論において、仮想粒子が実粒子の間を媒介して力を伝達する事象をエネルギー保存則の破れで簡易に説明する場合があるが、厳密に言うとその破れは相互作用項を無視した自由ハミルトニアンの保存則の破れを指す。場の量子論においても相互作用項まで取り入れたエネルギー保存則は破れることはない。 == 歴史 == 1927年に[[ヴェルナー・ハイゼンベルク]]は、ある粒子の位置をより正確に決定する程、その運動量を正確に知ることができなくなり、逆もまた同様である、と述べた<ref name="Heisenberg_19272">{{Citation|title={{lang|de|Über den anschaulichen Inhalt der quantentheoretischen Kinematik und Mechanik}}|year=1927|postscript=.|last=Heisenberg|first=W.|journal=[[Zeitschrift für Physik]]|volume=43|issue=3–4|pages=172–198|bibcode=1927ZPhy...43..172H|doi=10.1007/BF01397280}}. Annotated pre-publication proof sheet of [http://osulibrary.oregonstate.edu/specialcollections/coll/pauling/bond/papers/corr155.1.html Über den anschaulichen Inhalt der quantentheoretischen Kinematik und Mechanik], March 23, 1927.</ref>。(小澤正直によれば、「ハイゼンベルクは、標準偏差の関係(3)と誤差の関係(1)を混同していたのではなく、測定直後の状態が関係(3)をみたすことから、誤差の関係(1)が帰結すると主張したのであるが、その推論は不十分であった」<ref>{{Cite book|title=数理科学2012年9月号|date=2012年9月|year=2012|publisher=サイエンス社}}</ref>) 位置の[[標準偏差]] {{Math|''σ''<sub>''x''</sub>}} と運動量の標準偏差 {{Math|''σ''<sub>''p''</sub>}} を結び付ける不等式は1927年に[[アール・ヘッセ・ケナード]]によって<ref name="Kennard2">{{Citation|title={{lang|de|Zur Quantenmechanik einfacher Bewegungstypen}}|year=1927|postscript=.|last=Kennard|first=E. H.|journal=Zeitschrift für Physik|volume=44|issue=4–5|pages=326|bibcode=1927ZPhy...44..326K|doi=10.1007/BF01391200}}</ref>、1928年に[[ヘルマン・ワイル]]によって<ref name="Weyl19282">{{Citation|title=Gruppentheorie und Quantenmechanik|year=1928|last=Weyl|first=H.|location=Leipzig|publisher=Hirzel}}</ref>導出された。 ==引用== {{Reflist}} == 文献 == ===引用文献=== * [H13] {{Cite book|ref=H13|author=Brian C.Hall|title=Quantum Theory for Mathematicians|series=Graduate Texts in Mathematics 267|date=2013-07-01|publisher=Springer}} ===その他関連書籍=== * {{Cite book|和書|author=石井茂|authorlink=石井茂 (編集者)|year=2006|month=1|title=ハイゼンベルクの顕微鏡 不確定性原理は超えられるか|publisher=日経BP社|isbn=4-8222-8233-3|url=http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/P82330.html|ref=石井2006}} * {{Cite book|和書|author=鈴木坦|authorlink=鈴木坦|year=1948|title=不確定性原理 現代物理学の言葉|series=京大理学普及講座 4|publisher=富書店|ref=鈴木1948}} * {{Cite book|和書|author=立澤一哉|authorlink=立澤一哉|editor=数学書房編集部|editor-link=数学書房|year=2009|month=6|title=この定理が美しい|chapter=思いがけぬ活用法不確定性原理とその応用|publisher=数学書房|isbn=978-4-903342-10-8|ref=数学書房編集部編2009}} * {{Cite book|和書|author=都筑卓司|authorlink=都筑卓司|year=1970|month=5|title=不確定性原理 運命への挑戦|series=[[ブルーバックス]] B-155|publisher=講談社|isbn=4-06-117755-9|url=https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000128783|ref=都筑1970}} ** {{Cite book|和書|author=都筑卓司|year=2002|month=9|title=不確定性原理 運命への挑戦|edition=新装版|series=ブルーバックス B-1385|publisher=講談社|isbn=4-06-257385-7|url=https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000194346|ref=都筑2002}} * {{Cite book|1=和書|author=並木美喜雄|authorlink=並木美喜雄|year=1982|month=5|title=不確定性原理 量子力学を語る|series=物理学one point 18|publisher=共立出版|isbn=4-320-03172-5|url=http://www.kyoritsu-pub.co.jp/bookhtml/0409/001075.html|ref=並木1982|archiveurl=https://web.archive.org/web/20060813134128/http://www.kyoritsu-pub.co.jp/bookhtml/0409/001075.html|archivedate=2006年8月13日|deadlinkdate=2017年9月}} * {{Cite book|1=和書|first=ニック|last=ハーバート|authorlink=ニック・ハーバート|others=[[はやしはじめ]]訳|year=1990|month=11|title=量子と実在 不確定性原理からベルの定理へ|publisher=白揚社|isbn=4-8269-0045-7|url=http://www.hakuyo-sha.co.jp/cgi-bin/search.cgi?mode=detail&mode2=search&id=246|ref=ハーバート著はやし訳1990|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304102456/http://www.hakuyo-sha.co.jp/cgi-bin/search.cgi?mode=detail&mode2=search&id=246|archivedate=2016年3月4日|deadlinkdate=2017年9月}} * {{Cite book|和書|first=ヴェルナー|last=ハイゼンベルク|authorlink=ヴェルナー・ハイゼンベルク|editor=J・R・ニューマンほか|editor-link=J・R・ニューマン|others=[[林雄一郎]]訳編|year=1970|title=自然のなかの数学|chapter=不確定性原理|series=科学技術選書|publisher=東京図書|ref=ニューマンほか編林訳編1970}} * {{Cite book|和書|author=原康夫|authorlink=原康夫|year=1985|month=1|title=量子の不思議 不確定性原理の世界|series=[[中公新書]]|publisher=中央公論社|isbn=4-12-100751-4|url=http://www.chuko.co.jp/shinsho/1985/01/100751.html|ref=原1985}} * {{Cite book|和書|author=古澤明|authorlink=古澤明|year=2011|month=2|title=量子もつれとは何か 「不確定性原理」と複数の量子を扱う量子力学|series=ブルーバックス B-1715|publisher=講談社|isbn=978-4-06-257715-1|url=https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000194676|ref=古澤2011}} * {{Cite book|1=和書|author=宮下精二|authorlink=宮下精二|year=2006|month=10|title=量子スピン系 不確定性原理と秩序|series=岩波講座 物理の世界 物質科学の展開 7|publisher=岩波書店|isbn=4-00-011130-2|url=http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/01/2/0111300.html|ref=宮下2006|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090525070920/http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/01/2/0111300.html|archivedate=2009年5月25日|deadlinkdate=2017年9月}} * {{Cite book|和書|author=伏見康治|authorlink=伏見康治|title=確率論及統計論|url= http://ebsa.ism.ac.jp/ebooks/ebook/204|year=1942|publisher=[[河出書房]]|isbn=9784874720127|ref=harv}} ==関連項目== * [[観察者効果]] * [[確率]] * [[フーリエ変換#不確定性関係]] ** [[短時間フーリエ変換#STFTの問題点である不確定性原理]] * [[量子力学]] ** [[量子測定理論]] ** [[量子トンネル効果]] ** [[量子力学の数学的基礎]] ==外部リンク== {{SEP|qt-uncertainty|The Uncertainty Principle}} * [http://daarb.narod.ru/tcpr-eng.html The certainty principle] –確定性原理 {{en icon}} * {{Kotobank}} {{量子力学}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ふかくていせいけんり}} [[Category:量子力学]] [[Category:測定]] [[Category:原理]] [[Category:ヴェルナー・ハイゼンベルク]]
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サモトラケのニケ
『サモトラケのニケ』(フランス語: Victoire de Samothrace, 英語: Winged Victory, ギリシア語: Νίκη της Σαμοθράκης)は、 ヘレニズム期の大理石彫刻。翼のはえた勝利の女神ニケ(ニーケー)が空から船のへさきへと降り立った様子を表現した彫像である。1863年に(エーゲ海の)サモトラケ島(現在のサモトラキ島)で発見された。頭部と両腕は失われている。フランスのルーブル美術館が所蔵している。 動的な姿態と、巧みな「ひだ」の表現で知られており、ギリシャ彫刻の傑作とされる。 大理石製で、高さは244cmである。 最初の発見は1863年で、フランス領事シャルル・シャンポワゾ(フランス語版)によって、胴体部分と総数1118点の片翼の断片が発見され復元された。像は1884年にルーヴル美術館の『ダリュの階段踊り場』に展示され、現在に至る。 1950年に右手が発見され、ルーヴル美術館に保管されている。その手は大きく広げられている。 紀元前190年頃の制作とも推定され、ロードス島の人々が、シリアのアンティオコス3世との戦いで勝利できたので、勝利の女神ニケ(ニーケー)に感謝して、サモスラキ島のカベイロス神域の近くに立てた像と(も)推定されているがそのいわれや制作年に関しては諸説ある。→#年代と作者の推測 この彫像について記述した古文書は発見されていないため、様式および傍証から年代を推定することしかできない。まず、デメトリオス1世ポリオルケテスの貨幣が、この像を表しているのではないかと考えられ、デメトリオス1世が海戦の勝利を祝って建造したと推測する説があった。この説によれば、彫像は紀元前4世紀終わりから紀元前3世紀初頭の作ということになり、サモトラケ島で活動していたスコパスの弟子などが該当する可能性がある。しかしながら、サモトラケ島は当時デメトリオスと敵対関係にあったリシマクス(リュシマコス)の支配下にあり、ここにデメトリオスが像を建立したとは考えにくい。 次に、ロードス島のリンドスで発見された船を象った浮き彫りの形態と台座の大理石の由来から、彫像がロードス島のものであり、コス島、シデ(英語版)、あるいはミヨニソス(英語版)での勝利を祝したものと考える説がある。年代はそれぞれ紀元前261年頃、紀元前190年、おなじく紀元前190年である。 この時期は大プリニウスにも言及されている チモカリスの息子ピトクリトスが彫刻家として活動していた時期に符合する。ピトクリトスはリンドスのアクロポリスの彫像を手がけたことでも知られている。そしてシャンポワゾは1892年、彫像の直近からロードス島ラルトス産の大理石の断片を発見したが、これには「...Σ ΡΟΔΙΟΣ / ...S RHODIOS」という表記があり、「ロードスのピトクリトス」に符合する可能性を示すものとして注目された。しかしながら、この断片とニケの彫像が置かれていたエクセドラ(半円状に突出した建築部位)の関係は明らかではなく、とりわけ、この断片の小さな凹部はそれが小像の台座であることを物語っている。 他に、この彫像がアンティゴノス2世ゴナタスの奉納物であるとする説がある。すなわち紀元前250年代のコス島でのプトレマイオス2世に対する勝利の記念物である。アンティゴノス2世はデロス島に彫像を建立していることから、アンティゴノス朝が伝統的に守ってきた聖域であるサモトラケ島にも同様なことを行っていたと考えることは可能である。 他の検討の可能性として、ニケの彫像をペルガモンの大祭壇のフリーズに彫られた人物像と比較する研究者もいた。 世界中に、ほとんど無数ともいえるほどのレプリカやコピーや模倣品がある。 アメリカ最高権威の医学賞であるラスカー賞においては、サモトラケのニケをトロフィーにしたものが受賞者に贈られる。同賞は医学研究においてノーベル賞の次に権威があるとされ、また、受賞者のおよそ半数がノーベル医学賞を受賞している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『サモトラケのニケ』(フランス語: Victoire de Samothrace, 英語: Winged Victory, ギリシア語: Νίκη της Σαμοθράκης)は、 ヘレニズム期の大理石彫刻。翼のはえた勝利の女神ニケ(ニーケー)が空から船のへさきへと降り立った様子を表現した彫像である。1863年に(エーゲ海の)サモトラケ島(現在のサモトラキ島)で発見された。頭部と両腕は失われている。フランスのルーブル美術館が所蔵している。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "動的な姿態と、巧みな「ひだ」の表現で知られており、ギリシャ彫刻の傑作とされる。 大理石製で、高さは244cmである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "最初の発見は1863年で、フランス領事シャルル・シャンポワゾ(フランス語版)によって、胴体部分と総数1118点の片翼の断片が発見され復元された。像は1884年にルーヴル美術館の『ダリュの階段踊り場』に展示され、現在に至る。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1950年に右手が発見され、ルーヴル美術館に保管されている。その手は大きく広げられている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "紀元前190年頃の制作とも推定され、ロードス島の人々が、シリアのアンティオコス3世との戦いで勝利できたので、勝利の女神ニケ(ニーケー)に感謝して、サモスラキ島のカベイロス神域の近くに立てた像と(も)推定されているがそのいわれや制作年に関しては諸説ある。→#年代と作者の推測", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "この彫像について記述した古文書は発見されていないため、様式および傍証から年代を推定することしかできない。まず、デメトリオス1世ポリオルケテスの貨幣が、この像を表しているのではないかと考えられ、デメトリオス1世が海戦の勝利を祝って建造したと推測する説があった。この説によれば、彫像は紀元前4世紀終わりから紀元前3世紀初頭の作ということになり、サモトラケ島で活動していたスコパスの弟子などが該当する可能性がある。しかしながら、サモトラケ島は当時デメトリオスと敵対関係にあったリシマクス(リュシマコス)の支配下にあり、ここにデメトリオスが像を建立したとは考えにくい。", "title": "年代と作者の推測" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "次に、ロードス島のリンドスで発見された船を象った浮き彫りの形態と台座の大理石の由来から、彫像がロードス島のものであり、コス島、シデ(英語版)、あるいはミヨニソス(英語版)での勝利を祝したものと考える説がある。年代はそれぞれ紀元前261年頃、紀元前190年、おなじく紀元前190年である。", "title": "年代と作者の推測" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "この時期は大プリニウスにも言及されている チモカリスの息子ピトクリトスが彫刻家として活動していた時期に符合する。ピトクリトスはリンドスのアクロポリスの彫像を手がけたことでも知られている。そしてシャンポワゾは1892年、彫像の直近からロードス島ラルトス産の大理石の断片を発見したが、これには「...Σ ΡΟΔΙΟΣ / ...S RHODIOS」という表記があり、「ロードスのピトクリトス」に符合する可能性を示すものとして注目された。しかしながら、この断片とニケの彫像が置かれていたエクセドラ(半円状に突出した建築部位)の関係は明らかではなく、とりわけ、この断片の小さな凹部はそれが小像の台座であることを物語っている。", "title": "年代と作者の推測" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "他に、この彫像がアンティゴノス2世ゴナタスの奉納物であるとする説がある。すなわち紀元前250年代のコス島でのプトレマイオス2世に対する勝利の記念物である。アンティゴノス2世はデロス島に彫像を建立していることから、アンティゴノス朝が伝統的に守ってきた聖域であるサモトラケ島にも同様なことを行っていたと考えることは可能である。", "title": "年代と作者の推測" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "他の検討の可能性として、ニケの彫像をペルガモンの大祭壇のフリーズに彫られた人物像と比較する研究者もいた。", "title": "年代と作者の推測" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "世界中に、ほとんど無数ともいえるほどのレプリカやコピーや模倣品がある。", "title": "レプリカ" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "アメリカ最高権威の医学賞であるラスカー賞においては、サモトラケのニケをトロフィーにしたものが受賞者に贈られる。同賞は医学研究においてノーベル賞の次に権威があるとされ、また、受賞者のおよそ半数がノーベル医学賞を受賞している。", "title": "レプリカ" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "", "title": "外部サイト" } ]
『サモトラケのニケ』は、 ヘレニズム期の大理石彫刻。翼のはえた勝利の女神ニケ(ニーケー)が空から船のへさきへと降り立った様子を表現した彫像である。1863年に(エーゲ海の)サモトラケ島(現在のサモトラキ島)で発見された。頭部と両腕は失われている。フランスのルーブル美術館が所蔵している。
{{Infobox artwork | image = File:Nike of Samothrake Louvre Ma2369 n4.jpg | image_size = 280px | title = サモトラケのニケ | other_language_1 = ギリシア語 | other_title_1 = Νίκη της Σαμοθράκης | other_language_2 = フランス語 | other_title_2 = Victoire de Samothrace | artist = | year = 前200–前190年ごろ | height = 244 | type = 彫刻 | material = [[パロス島]]産の[[大理石]] | city = [[パリ]] |museum = [[ルーヴル美術館]] }} 『'''サモトラケのニケ'''』({{lang-fr|Victoire de Samothrace}}, {{lang-en|Winged Victory}}, {{lang-el|Νίκη της Σαμοθράκης}})は、 [[ヘレニズム]]期の[[大理石]][[彫刻]]<ref name="kotobank_britannica">ブリタニカ国際大百科事典</ref>。[[翼]]のはえた勝利の女神[[ニーケー|ニケ(ニーケー)]]が空から船の[[船首|へさき]]へと降り立った様子を表現した彫像である<ref name="kotobank_britannica" />。[[1863年]]に([[エーゲ海]]の)[[サモトラキ島|サモトラケ島(現在のサモトラキ島)]]で発見された<ref name="kotobank_britannica" />。頭部と両腕は失われている<ref name="kotobank_britannica" />。フランスの[[ルーブル美術館]]が所蔵している<ref name="kotobank_britannica" />。 == 概要 == 動的な姿態と、巧みな「[[ひだ]]」の表現で知られており、ギリシャ彫刻の傑作とされる<ref>大辞林第三版「サモトラケのニケ」</ref>。 大理石製で、高さは244cm<ref>Honour, H. and J. Fleming, (2009) A World History of Art. 7th edn. London: Laurence King Publishing, p. 174. ISBN 9781856695848</ref><!--「{{要出典|date=2019年8月}}高さは328cm」-->である。 最初の発見は[[1863年]]で、フランス領事{{仮リンク|シャルル・シャンポワゾ|fr|Charles Champoiseau}}によって、胴体部分と総数1118点の片翼の断片が発見され復元された。像は[[1884年]]にルーヴル美術館の『ダリュの階段踊り場』に展示され、現在に至る。 [[1950年]]に右手が発見され、ルーヴル美術館に保管されている。その手は大きく広げられている。 [[紀元前190年]]頃の制作とも推定され、[[ロードス島]]の人々が、シリアの[[アンティオコス3世 (セレウコス朝)|アンティオコス3世]]との戦いで勝利できたので、勝利の女神ニケ(ニーケー)に感謝して、[[サモスラキ島]]の[[カベイロス]]神域の近くに立てた像と(も)推定されている<ref name="kotobank_britannica" />がそのいわれや制作年に関しては諸説ある。→[[#年代と作者の推測]] == ギャラリー == <center> <gallery> File:Daru staircase Louvre 2007 05 13.jpg|「ダリュの階段踊り場」 File:Victoire de Samothrace - vue de gauche (2).JPG|最新の修復の後 File:Nike_of_Samothrace_Musée_du_Louvre_20141107_125035.jpg|側面から File:Victoire de Samothrace - de face (3).JPG|台座の上の像 </gallery> <gallery> File:Nike di samotracia 00.JPG|修復前の像。大理石の塊の上に立っている。 File:Winged_Victory_of_Samothrace_side.jpg|修復前 File:WingedVictoryBack.jpg|修復前。背面から </gallery> </center> == 年代と作者の推測 == この彫像について記述した古文書は発見されていないため、様式および傍証から年代を推定することしかできない。まず、[[デメトリオス1世 (マケドニア王)|デメトリオス1世ポリオルケテス]]の貨幣が、この像を表しているのではないかと考えられ、デメトリオス1世が海戦の勝利を祝って建造したと推測する説があった。この説によれば、彫像は紀元前4世紀終わりから紀元前3世紀初頭の作ということになり、サモトラケ島で活動していた[[スコパス]]の弟子などが該当する可能性がある。しかしながら、サモトラケ島は当時デメトリオスと敵対関係にあった[[リシマクス]]([[リュシマコス]])の支配下にあり、ここにデメトリオスが像を建立したとは考えにくい<ref name="Hamiaux">Hamiaux [2000].</ref>。 次に、ロードス島の[[リンドス]]で発見された船を象った浮き彫りの形態と台座の大理石の由来から、彫像が[[ロードス島]]のものであり、[[コス島]]、{{仮リンク|シデ (トルコ)|label=シデ|en|Side, Turkey}}、あるいは{{仮リンク|ミヨニソスの戦い|label=ミヨニソス|en|Battle of Myonessus}}での勝利を祝したものと考える説がある。年代はそれぞれ[[紀元前261年]]頃、[[紀元前190年]]、おなじく紀元前190年である<ref name="Hamiaux" />。 この時期は[[大プリニウス]]にも言及されている<ref>''Histoire naturelle'' (XXXIV, 91).</ref> [[チモカリス]]の息子ピトクリトスが彫刻家として活動していた時期に符合する。ピトクリトスはリンドスの[[アクロポリス]]の彫像を手がけたことでも知られている。そしてシャンポワゾは1892年、彫像の直近からロードス島ラルトス産の大理石の断片を発見したが、これには「…Σ ΡΟΔΙΟΣ / …S RHODIOS」という表記があり<ref>Fragment Ma 4194, H. 5 cm, L. cons. 8 cm, ép. cons. 16 cm.</ref>、「ロードスのピトクリトス」に符合する可能性を示すものとして注目された。しかしながら、この断片とニケの彫像が置かれていた[[エクセドラ]](半円状に突出した建築部位)の関係は明らかではなく<ref>Smith, p. 78.</ref>、とりわけ、この断片の小さな凹部はそれが小像の台座であることを物語っている<ref>Hamiaux [1998, n. 51, p. 41.]</ref>。 他に、この彫像が[[アンティゴノス2世ゴナタス]]の奉納物であるとする説がある。すなわち紀元前250年代のコス島での[[プトレマイオス2世]]に対する勝利の記念物である。アンティゴノス2世はデロス島に彫像を建立していることから、[[アンティゴノス朝]]が伝統的に守ってきた聖域であるサモトラケ島にも同様なことを行っていたと考えることは可能である<ref>Smith, p. 79.</ref>。 他の検討の可能性として、ニケの彫像をペルガモンの大祭壇のフリーズに彫られた人物像と比較する研究者もいた<ref name="Hamiaux" />。 == レプリカ == 世界中に、ほとんど無数ともいえるほどの[[レプリカ]]やコピーや模倣品がある。 <gallery> File:Simon_Glücklich_Nocturne.jpg|[[ジモン・グリュックリッヒ]]の『Nocturne』という絵画に描かれているサモトラケのニケのレプリカ File:MNBA_Vitória_de_Samotracia.jpg|[[リオデジャネイロ]]の[[:en:Museu Nacional de Belas Artes|Museu Nacional de Belas Artes]]にあるレプリカ File:MNBA aos 80 anos 01.jpg File:Bilbao - Museo de Reproducciones Artísticas (antigua iglesia del Corazón de María) 17.jpg|[[:es:Museo de Reproducciones de Bilbao]] File:Die Siegesgöttin Nike vor der Hechelmannausstellung - panoramio.jpg File:Escultura 2.JPG File:Isny Kloster Skulptur Nike von Samothrake 2.jpg File:Liceo Toschi Gipsoteca 01.JPG File:MUT Nike von Samothrake 01.JPG File:Nike of Samothrace at Darwin Martin House conservatory.jpg File:Nike of Samothrace-Academy of Arts, Architecture and Design-Prague.jpg File:Victoire de Samothrace de Montpellier.jpg|[[モンペリエ]] File:ENAP1.jpg File:Waldemarsudde 1.jpg </gallery> === ラスカー賞 === アメリカ最高権威の医学賞である[[ラスカー賞]]においては、サモトラケのニケをトロフィーにしたものが受賞者に贈られる。同賞は医学研究においてノーベル賞の次に権威があるとされ、また、受賞者のおよそ半数がノーベル医学賞を受賞している。 === 日本にあるレプリカ === * [[星槎道都大学]](北海道北広島市) * [[青森市立浦町中学校]](青森県青森市) * [[岩手大学]](岩手県盛岡市) * [[岩手県立不来方高等学校]](岩手県紫波郡矢巾町) * [[福島県立安積高等学校]] (福島県郡山市) * [[筑波大学]](茨城県つくば市) * [[栃木県立栃木女子高等学校]](栃木県栃木市) * [[埼玉県立大宮光陵高等学校]](埼玉県さいたま市西区) * [[武蔵野美術大学]](東京都小平市小川町) * [[多摩美術大学]](東京都八王子市鑓水) * [[東京都立晴海総合高等学校]](東京都中央区) * [[東京女子学院中学校・高等学校]](東京都練馬区) * [[女子美術大学]](東京都杉並区和田) * [[玉川大学]](東京都町田市) * [[日本大学]][[日本大学芸術学部・大学院芸術学研究科|芸術学部]](東京都練馬区) * [[青山学院女子短期大学]](東京都渋谷区) * [[東海大学]](神奈川県秦野市) * [[メルセデス・ベンツ]]新潟(新潟県新潟市) * [[金沢美術工芸大学]](石川県金沢市) * [[石川県立金沢辰巳丘高等学校]](石川県金沢市) * [[山梨県立甲府南高等学校]](山梨県甲府市) * [[美ヶ原高原美術館]](長野県上田市) * [[聖十字病院]](岐阜県土岐市泉町久尻) * [[住宅型有料老人ホーム太郎と花子]](愛知県丹羽郡大口町) * [[ルーブル彫刻美術館]](三重県津市白山町) * [[京都外国語大学]](京都府京都市右京区) * [[近畿大学]](大阪府東大阪市) * [[大阪芸術大学]](大阪府南河内郡河南町) * [[奈良市立一条高等学校]](奈良県奈良市法華寺町) - かつては[[なら・シルクロード博覧会]]に展示、終了後はJR[[奈良駅]]旧駅舎(2代目)のコンコースにあった。 * [[奈良芸術短期大学]](奈良県橿原市) * [[広島経済大学]](広島県広島市) * [[鳥取県立米子東高等学校]](鳥取県米子市) * [[尾道市立大学]](広島県尾道市久山田町) * [[中村学園大学]](福岡県福岡市) * [[鹿児島県立松陽高等学校]](鹿児島県鹿児島市福山町) == 登場するメディア・引用 == * [[フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ|マリネッティ]]が「[[未来派宣言]]」<ref>{{Cite web |title=フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ|未来派宣言|ARCHIVE |url=http://www.project-archive.org/0/017.html |website=ARCHIVE |access-date=2023-12-18 |language=ja-JP}}</ref>の中で凌駕すべき静止した芸術の例として挙げた。 * アメリカ映画『[[パリの恋人]]』(1957年)で、ルーヴル美術館の階段踊り場に置かれたサモトラケのニケを背景に、ヒロインの写真モデルが階段を降りるシーンを撮影に使っている。 * アメリカ映画『[[タイタニック (1997年の映画)|タイタニック]]』(1997年)で、ヒロインがタイタニック号の甲板先端で両手を広げたポーズを取るのは、船の舳先に立つニケの真似事。 * スポーツウェアメーカー[[ナイキ]]の社名の由来。ナイキのロゴはこの像の翼をイメージしたもの。 * 漫画「[[ギャラリーフェイク]]」[[小学館]][[ビッグコミックス]]第17巻第2話「堕天使の聖夜」は上述のナイキとルーヴル美術館所蔵のサモトラケのニケの繋がりを解説するエピソードとなっている。 * [[食玩]]『[[コレクト倶楽部]]』で、サモトラケのニケがフィギュア化されている。また[[シークレットアイテム]]として、完全体予想版も存在する。 * [[漫画]]『[[デビルマン]]』で、[[悪魔]](デーモン)の1人として登場。[[飛鳥了]]によって倒される。 *漫画『[[ジャングルの王者ターちゃん]]』の登場キャラクター、ダン国王は「サモトラケのニケ像の首を折ったのは自分だ」と発言している。 * [[ロシア]]の[[ヴォルゴグラード]]近く、[[ママエフ・クルガン]]にある[[母なる祖国像]]のデザイン。 * 演劇『FANTASISTA』で、主人公の彫刻家カインが作った像として登場。カインはニケ像を完成させる前に亡くなってしまうが、その未完成のニケ像を中心にストーリーが展開される。 == 脚注 == {{reflist|2}} == 参考文献 == * Marianne Hamiaux : **''Les sculptures grecques'', tome II, Département des antiquités grecques, étrusques et romaines du musée du Louvre, éditions de la Réunion des musées nationaux, Paris, 1998 ISBN 2-7118-3603-7, p. 27-40, ** « La Victoire de Samothrace », feuillets pédagogiques du Louvre, Louvre et Réunion des Musées nationaux, vol. V, n° 3/43, 2000 ISBN 2-7118-4191-X. * Bernard Holtzmann et Alain Pasquier, ''Histoire de l'art antique : l'art grec,'' Documentation française, coll. « Manuels de l'École du Louvre », Paris, 1998 ISBN 2-11-003866-7, p. 258-259. * R. R. R. Smith, ''La Sculpture hellénistique'', Thames & Hudson, coll. « L'univers de l'art », 1996 ISBN 2-87811-107-9, p. 77-79. == 関連項目 == * {{仮リンク|パイオニオスのニケ|en|Nike of Paionios}} (古代ギリシアの彫刻家パイオニオスによって制作されたニケ像) * マリネッティ「[[未来派宣言]]」 - 「広き噴出管の蛇の如く毒気を吐き行く競争自働車、 銃口をでし弾丸の如くはためきつつ飛び行く自働車はSamothrakeの勝利女神より美なり」との一節がある([https://www.project-archive.org/0/017.html 全文])。 == 外部サイト == {{commonscat|Nike of Samothrace}} <!--*http://www.louvre.or.jp/louvre/japonais/collec/ager/ma2369/ager_f.htm **《サモトラケのニケ》の解説、ルーヴル美術館公式サイト(日本語ページ) =消滅?。代わりに公式ルーヴルサイトの日本語ページを追加 --> * [http://www.louvre.fr/llv/dossiers/detail_oal.jsp?CONTENT%3C%3Ecnt_id=10134198674148731&CURRENT_LLV_OAL%3C%3Ecnt_id=10134198674148731&FOLDER%3C%3Efolder_id=9852723696500764&bmLocale=ja_JP 《サモトラケのニケ》についてのマルティメディア特集]ルーヴル美術館公式サイト(日本語ページ) * [http://www.louvre.fr/llv/oeuvres/detail_notice.jsp;jsessionid=Gxjh2vZhQnGJpQhSXr8J1G50GRvDMPhkV7XXjNk2vpyHmQpmVLbC!-315744210?CONTENT%3C%3Ecnt_id=10134198673225805&CURRENT_LLV_NOTICE%3C%3Ecnt_id=10134198673225805&FOLDER%3C%3Efolder_id=9852723696500817&baseIndex=0&bmUID=1181868954318&bmLocale=ja_JP 《サモトラケのニケ》の解説]ルーヴル美術館公式サイト(日本語ページ) <!--{{Commons|Image:Paris.louvre.winged.500pix.jpg}}--> {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:さもとらけのにけ}} [[Category:大理石彫刻]] [[Category:古代ギリシアの彫刻]] [[Category:サモトラキ島]] [[Category:ルーヴル所蔵品]] [[Category:神像]]
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フェニックス
フェニックスまたはフェニクス(古代ギリシア語: φοῖνιξ(phoînix)、(古: ポイニクス、中世: フィニクス)、ラテン語、英語: phoenix(教会ラテン:フェニックス、英:フィーニクス))は、死んでも蘇ることで永遠の時を生きるといわれる伝説上の鳥である。 寿命を迎えると、自ら薪から燃え上がる炎に飛び込んで死ぬが、再び蘇るとされており、不死鳥、もしくは見た目または伝承から火の鳥ともいわれる。 フェニックスとはラテン語での呼び方であり、ギリシア語ではポイニクスと呼ばれ、他にもフェネクス、フェニキス等、様々な呼び方がある。この名前は、ギリシア語の赤を意味する単語(赤はすなわち炎の色)に由来するとも、同じく紫を意味する単語(フェニックスの羽の色を紫色とする説がある)に由来するともいわれている。 フェニックスは、古代エジプトの神話に登場する、聖なる鳥ベンヌがその原型だと考えられている。当時のエジプト人は、太陽神ラーに従うベンヌはヘリオポリスのラーの神殿で燃やされている炎へ毎夜飛び込んで死に、毎朝その炎から生まれると信じていた。ベンヌはすなわち、毎夕に沈み毎朝昇る太陽を象徴していた。 この話が、古代ギリシアの歴史家ヘロドトス(紀元前485年頃 - 紀元前420年頃)の元に伝えられると、彼はその著作『歴史』において、エジプトの東方に位置するアラビアに住む鳥フェニックスとして紹介した。そこでのフェニックスは、鷲に似た体型の、金色と赤で彩られた羽毛を持つ鳥で、父親の鳥が死ぬとその遺骸を雛鳥が没薬で出来た入れ物に入れてヘリオポリスに運ぶ習性があるとされた。 初期キリスト教の司教であった聖クレメンス(? - 101年?)が記したところでは、フェニックスは寿命を迎えると、自分で香料や没薬などを集めて棺を準備してその中に入り、間もなく死ぬと、その遺骸から虫が生まれて遺骸を食べ尽くし、やがて虫に羽毛が生えて飛んでいくとされた。同様の記述はプリニウス(22年頃 - 79年)の『博物誌』にもすでにみられている。 なお、古代ローマの歴史家タキトゥス(55年頃 - 120年頃)の『年代記(英語版)』によると、34年にフェニックスが現れたという。 フェニックスの伝承は、古代ギリシアや古代ローマの著述家によって次第に変化していった。ローマの地理学者メラ(英語版)は43年頃に、その著作『地誌』において、フェニックスは500年たつと自分で積み上げた香料を薪として炎の中で死ぬが、その炎から再び生まれてきて、自分の遺骨をエジプトに運んで埋葬する旨を記した。 ローマの著述家ソリヌス(英語版)(3世紀)は、フェニックスが住むのはアラビアだとし、その羽毛や羽根の色合いの豪華さを記述している。またソリヌスは、エジプトでフェニックスの1羽が捕まり、クラウディウス皇帝時代のローマに運ばれて多くの人が見物した旨を記述している。 2世紀から4世紀にかけて成立した『フィシオロゴス』でのフェニックスは、500年ごとに、芳香を羽根いっぱいに持ってヘリオポリスの神官の元へ行き、祭壇の炎の中で焼死する。そして翌日その場所に生じた虫が、3日目には元のフェニックスの姿にまで育ち、神官に挨拶をしてから故郷へ飛んでいく、とされている。その外観は、羽根や頭部や脚に宝石や装飾具が着いているとされている。 フェニックスの寿命については『フィシオロゴス』をはじめ多くの人が500年だとしているが、プリニウスやソリヌスは540年だとし、タキトゥスは1461年だとした。タキトゥスの意見は、恒星シリウスが日の出の直前に昇る日とエジプトで新年の始まる日とが同じになる周期に基づいている。 自ら焼死したのちに蘇るという伝説は、エジプト神話をルーツとしながらもギリシア・ローマの著述家によって作られたものである。しかし、ローマ帝国では繁栄の象徴となり、フェニックスの姿がコインやモザイク画にあしらわれるようになった。また、キリスト教徒にとっても、死んだ後に復活するフェニックスはキリストの復活を象徴するものとなった。『フィシオロゴス』では、創造主を崇めることもないこの鳥さえ死から蘇るならば神を崇める我々が復活しないはずがない、といった内容の文言が書かれた。キリスト教徒はこの鳥を再生のシンボルとみなした。10世紀成立の『エクセター写本』に収録された、8世紀に作られた詩「フェニックス(英語版)」の中では、フェニックスの復活とキリストの復活とが関連づけられている。こうしたこともあって、こんにちに至るまで、不死鳥=フェニックスのイメージが多くの人々に受け入れられている(#現代におけるフェニックスも参照)。 フェニックスは中世や近世の旅行記にもたびたび登場している。ジョン・マンデヴィルによる『マンデヴィルの旅行記』でも、自らを焼死させて3日後に蘇ることや、姿を見た人に幸せをもたらすことなどが記録されている。また中世の聖務日課祈祷書(英語版)や『動物寓話集』でもしばしば言及された。 錬金術においては「賢者の石」を象徴するものだとされた。すなわち、第一質料(マテリア・プリマ)が消失し賢者の石として再生される様子がフェニックスになぞらえられた。 フェニックスの起源については、アジアに生息する錦鶏鳥だとする説もある。 ヨーハン・ヴァイヤーの著した『悪魔の偽王国』や、作者不明のグリモワール『レメゲトン』の第1部「ゴエティア」には、鳥のフェニックスのような姿で現れるというフェニックスという名の悪魔が記載されている。「ゴエティア」ではソロモン王が使役したといわれる72悪魔の一角を担う序列37番の大いなる侯爵とされる。アレイスター・クロウリーの出版した『ゴエティア』では「Phenex(フェネクス)」 の綴りになっている。不死鳥のフェニックスと区別して悪魔のフェニックスを「フェネクス」と呼ぶ場合もある。 詩作に優れており、話す言葉も自然に詩になるが、人間の姿を取った時は、耳を塞ぎたくなるほど聞き苦しい声で喋るという。 こんにちでもフェニックスの意匠は家屋の紋章、特に火災保険に関連する建物の紋章にあしらわれている。 また、大災害などからの復興事業などに、何度もよみがえる不死鳥にあやかって「フェニックス」という名称をつけることがある。以下に日本での事例を挙げる。 ほか、海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦ひゅうがは、艦名の由来となった宮崎県における県木フェニックス(カナリーヤシ)にちなみ、不死鳥フェニックスをあしらった意匠を艦および搭載ヘリコプターのエンブレムとして採用している。 中世アラビアでは炎の中に生きる伝説の動物サラマンダーとフェニックスが混同され、サラマンダーが鳥となったものがフェニックスだとされていたという。 中国の伝説にある鳳凰はフェニックスに似た存在だと考えられ、混同されることも多い(鳳凰#フェニックスとの関係を参照)。なお、星座のPhoenixがほうおう座と訳されるがこれは東西で訳語的に対応するものという意味で、誤認に基づいたものではない。 トルコに伝わる伝説の鳥Konrul(英語版)は、一日一回生死を繰り返す不死の緋色の鳥である。
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フェニックスまたはフェニクスは、死んでも蘇ることで永遠の時を生きるといわれる伝説上の鳥である。 寿命を迎えると、自ら薪から燃え上がる炎に飛び込んで死ぬが、再び蘇るとされており、不死鳥、もしくは見た目または伝承から火の鳥ともいわれる。 フェニックスとはラテン語での呼び方であり、ギリシア語ではポイニクスと呼ばれ、他にもフェネクス、フェニキス等、様々な呼び方がある。この名前は、ギリシア語の赤を意味する単語(赤はすなわち炎の色)に由来するとも、同じく紫を意味する単語(フェニックスの羽の色を紫色とする説がある)に由来するともいわれている。
{{Otheruses|伝説の生物}} {{混同|フォニックス}} [[ファイル:Barthelemy Phoenix.jpg|thumb|200px|right|フランスの写本に描かれたフェニックス。]] '''フェニックス'''または'''フェニクス'''({{lang-grc|φοῖνιξ|phoînix}}(phoînix)、(古: '''ポイニクス'''、中世: '''フィニクス''')、[[ラテン語]]、{{lang-en|phoenix}}(教会ラテン:フェニックス、英:フィーニクス))は、死んでも蘇ることで永遠の時を生きるといわれる伝説上の[[鳥類|鳥]]である<ref>{{Cite Kotobank |word=フェニックス |encyclopedia=デジタル大辞泉 |accessdate=2022-02-05}}</ref>。 寿命を迎えると、自ら薪から燃え上がる炎に飛び込んで死ぬが、再び蘇るとされており、'''不死鳥'''、もしくは見た目または伝承から'''火の鳥'''ともいわれる。 '''フェニックス'''とは[[ラテン語]]での呼び方であり、ギリシア語では'''ポイニクス'''と呼ばれ、他にも'''フェネクス'''、'''フェニキス'''等、様々な呼び方がある<ref name="ローズp359">[[#ローズ,松村訳 (2004)|ローズ,松村訳 (2004)]], p. 359.</ref>。この名前は、ギリシア語の赤を意味する単語(赤はすなわち炎の色)に由来する<ref name="ビーダーマンp362">[[#ビーダーマン,藤代ら訳 (2000)|ビーダーマン,藤代ら訳 (2000)]], p. 362.</ref>とも、同じく紫を意味する単語(フェニックスの羽の色を紫色とする説がある)に由来する<ref name="ローズp359" />ともいわれている。 == 概要 == [[ファイル:Fenix bennu.jpg|thumb|right|200px|古代エジプトで描かれたベンヌ。]] フェニックスは、[[古代エジプト]]の[[エジプト神話|神話]]に登場する、聖なる鳥[[ベンヌ]]がその原型だと考えられている<ref name="アランp46">[[#アラン,上原訳 (2009)|アラン,上原訳 (2009)]], p. 46.</ref><ref name="松平p189">[[#松平 (2005)|松平 (2005)]], p. 189.</ref>。当時のエジプト人は、太陽神[[ラー]]に従うベンヌは[[ヘリオポリス]]のラーの神殿で燃やされている炎へ毎夜飛び込んで死に、毎朝その炎から生まれると信じていた。ベンヌはすなわち、毎夕に沈み毎朝昇る太陽を象徴していた<ref name="アランp46" />。 この話が、古代ギリシアの歴史家[[ヘロドトス]](紀元前485年頃 - 紀元前420年頃)の元に伝えられると、彼はその著作『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]』において、エジプトの東方に位置するアラビアに住む鳥フェニックスとして紹介した。そこでのフェニックスは、[[鷲]]に似た体型の、金色と赤で彩られた羽毛を持つ鳥で、父親の鳥が死ぬとその遺骸を雛鳥が[[没薬]]で出来た入れ物に入れてヘリオポリスに運ぶ習性があるとされた<ref name="アランp46" /><ref>[[#松平 (2005)|松平 (2005)]], pp. 186-187.</ref>。 [[ファイル:CONSTANTIUS II - RIC VIII 119 - 158045.jpg|thumb|right|200px|[[コンスタンティウス2世]]の時代のコインにあしらわれたフェニックス。]] [[ファイル:Mosaïque Phénix 01.JPG|thumb|right|200px|2世紀から3世紀頃に制作されたとみられるモザイク画のフェニックス。]] 初期キリスト教の司教であった[[クレメンス1世 (ローマ教皇)|聖クレメンス]](? - 101年?)が記したところでは、フェニックスは寿命を迎えると、自分で[[香料]]や没薬などを集めて棺を準備してその中に入り、間もなく死ぬと、その遺骸から虫が生まれて遺骸を食べ尽くし、やがて虫に羽毛が生えて飛んでいくとされた<ref name="松平p187">[[#松平 (2005)|松平 (2005)]], p. 187.</ref>。同様の記述は[[プリニウス]](22年頃 - 79年)の『[[#博物誌 (プリニウス)|博物誌]]』にもすでにみられている<ref>[[#松平 (2005)|松平 (2005)]], pp. 187-188.</ref>。 なお、古代ローマの歴史家[[タキトゥス]](55年頃 - 120年頃)の『{{仮リンク|年代記 (タキトゥス)|en|Annals (Tacitus)|label=年代記}}』によると、34年にフェニックスが現れたという<ref name="松平p187" />。 フェニックスの伝承は、古代ギリシアや古代ローマの著述家によって次第に変化していった<ref name="アランp46" />。ローマの地理学者{{仮リンク|ポンポニウス・メラ|en|Pomponius Mela|label=メラ}}は[[43年]]頃に、その著作『地誌』において、フェニックスは500年たつと自分で積み上げた香料を薪として炎の中で死ぬが、その炎から再び生まれてきて、自分の遺骨をエジプトに運んで埋葬する旨を記した<ref name="松平p188">[[#松平 (2005)|松平 (2005)]], p. 188.</ref>。 ローマの著述家{{仮リンク|ガイウス・ユリウス・ソリヌス|en|Gaius Julius Solinus|label=ソリヌス}}(3世紀)は、フェニックスが住むのはアラビアだとし、その羽毛や羽根の色合いの豪華さを記述している。またソリヌスは、エジプトでフェニックスの1羽が捕まり、クラウディウス皇帝時代のローマに運ばれて多くの人が見物した旨を記述している<ref name="松平p187" />。 2世紀から4世紀にかけて成立した『[[フィシオロゴス]]』でのフェニックスは<ref name="松平p188" />、500年ごとに、芳香を羽根いっぱいに持ってヘリオポリスの神官の元へ行き、祭壇の炎の中で焼死する。そして翌日その場所に生じた虫が、3日目には元のフェニックスの姿にまで育ち<ref name="アランp46" /><ref name="松平p188" />、神官に挨拶をしてから故郷へ飛んでいく、とされている。その外観は、羽根や頭部や脚に宝石や装飾具が着いているとされている<ref name="松平p188" />。 フェニックスの寿命については『フィシオロゴス』をはじめ多くの人が500年だとしているが、プリニウスやソリヌスは540年だとし、タキトゥスは1461年だとした<ref name="松平p188" />。タキトゥスの意見は、恒星[[シリウス]]が日の出の直前に昇る日とエジプトで新年の始まる日とが同じになる周期に基づいている<ref name="アランp46" />。 [[ファイル:Phoenix rising from its ashes.jpg|thumb|right|200px|『{{仮リンク|アバディーン動物寓意集|en|Aberdeen Bestiary}}』の中に描かれたフェニックス<ref name="松平p188" />。]] [[ファイル:Phoenix detail from Aberdeen Bestiary.jpg|thumb|200px|right|同じく『アバディーン動物寓意集』でのフェニックス。]] 自ら焼死したのちに蘇るという伝説は、エジプト神話をルーツとしながらもギリシア・ローマの著述家によって作られたものである<ref name="松平p189" />。しかし、ローマ帝国では繁栄の象徴となり、フェニックスの姿が[[硬貨|コイン]]や[[モザイク画]]にあしらわれるようになった<ref name="ビーダーマンp362" />。また、キリスト教徒にとっても、死んだ後に復活するフェニックスはキリストの復活を象徴するものとなった<ref name="アランp46" /><ref name="ビーダーマンp362" />。『フィシオロゴス』では、創造主を崇めることもないこの鳥さえ死から蘇るならば神を崇める我々が復活しないはずがない、といった内容の文言が書かれた<ref name="ビーダーマンp362" />。キリスト教徒はこの鳥を再生のシンボルとみなした<ref name="松平p189" />。10世紀成立の『[[エクセター本|エクセター写本]]』に収録された<ref name="松平p189" />、8世紀に作られた詩<ref name="水野p56">{{Cite journal|和書|author=[[水野知昭]] |title=不死鳥の歌なんか聞こえない : 海のかなたの楽園と古ゲルマンの選民思想 |url=https://hdl.handle.net/10091/667 |journal=人文科学論集 文化コミュニケーション学科編 |publisher=信州大学人文学部 |date=2003-03-14 |volume=37 |pages=45-70 |naid=110004625076 |ISSN=13422790 |accessdate=2022-03-20 |ref=harv }} p.56 より</ref>「{{仮リンク|フェニックス (古英語詩)|en|The Phoenix (Old English poem)|label=フェニックス}}」の中では、フェニックスの復活とキリストの復活とが関連づけられている{{refnest|group="注釈"|この古英語詩は、4世紀のローマの著述家の[[ルキウス・カエキリウス・フィルミアヌス・ラクタンティウス|ラクタンティウス]](240年頃 - 320年頃)<!--松平 (2005) p.189の「テクタンティウス(245-315)」と同一人物か?-->による詩「不死鳥についての歌」(de Ave Phoenice) に基づいている<ref name="松平p189" /><ref name="水野p56" />。}}<ref name="松平p189" />。こうしたこともあって、こんにちに至るまで、不死鳥=フェニックスのイメージが多くの人々に受け入れられている<ref name="松平p189" />([[#現代におけるフェニックス]]も参照)。 フェニックスは中世や近世の旅行記にもたびたび登場している<ref name="松平p189" />。[[ジョン・マンデヴィル]]による『[[東方旅行記|マンデヴィルの旅行記]]』でも、自らを焼死させて3日後に蘇ること<ref>{{Cite journal|和書|author=大沼由布 |title=『マンデヴィルの旅行記』と「装置」としての語り手 |url=https://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013273 |journal=同志社大学英語英文学研究 |publisher=同志社大学人文学会 |year=2013 |month=mar |issue=91 |pages=1-18 |naid=110009614600 |doi=10.14988/pa.2017.0000013273 |issn=0286-1291|accessdate=2020-09-14 }}</ref>や、姿を見た人に幸せをもたらすことなどが記録されている<ref name="松平p189" />。また中世の{{仮リンク|聖務日課祈祷書|en|Breviary}}や『[[動物寓意譚|動物寓話集]]』でもしばしば言及された<ref name="ローズp359" />。 [[錬金術]]においては「[[賢者の石]]」を象徴するものだとされた<ref name="松平p189" />。すなわち、[[第一質料]](マテリア・プリマ)が消失し賢者の石として再生される様子がフェニックスになぞらえられた<ref name="ビーダーマンp362" />。 フェニックスの起源については、アジアに生息する[[キンケイ|錦鶏鳥]]だとする説もある<ref name="松平p189" />。 == 悪魔としてのフェニックス == {{出典の明記|section=1|date=2015年11月15日 (日) 12:30 (UTC)}} [[ヨーハン・ヴァイヤー]]の著した『[[悪魔の偽王国]]』や、作者不明の[[グリモワール]]『[[レメゲトン]]』の第1部「[[ゴエティア]]」には、鳥のフェニックスのような姿で現れるというフェニックスという名の悪魔が記載されている。「ゴエティア」では[[ソロモン]]王が使役したといわれる72悪魔の一角を担う序列37番の大いなる[[侯爵]]とされる。[[アレイスター・クロウリー]]の出版した『ゴエティア』では「'''[[:en:Phenex|Phenex]](フェネクス)'''」 の綴りになっている<ref>{{Cite book |author=S.L. MacGregor Mathers and Aleister Crowley |origyear=1904 |url=http://www.sacred-texts.com/grim/lks/index.htm |title=The Lesser Key of Solomon |language=英語 |accessdate=2013-08-10}}</ref>。不死鳥のフェニックスと区別して悪魔のフェニックスを「フェネクス」と呼ぶ場合もある。 詩作に優れており、話す言葉も自然に詩になるが、人間の姿を取った時は、耳を塞ぎたくなるほど聞き苦しい声で喋るという。 == 現代におけるフェニックス == [[ファイル:Phoenix fire plaque, Pickering - geograph.org.uk - 1772783.jpg|thumb|200px|right|建物が火災保険に加入していることを示す標章 ([[:en:Fire insurance mark|Fire insurance mark]]) に描かれたフェニックス]] [[ファイル:Phoenix Fireworks at Nagaoka Festival 2011.JPG|thumb|200px|right|復興祈願花火フェニックス(2011年8月撮影)]] こんにちでもフェニックスの意匠は家屋の紋章、特に[[火災保険]]に関連する建物の紋章にあしらわれている<ref name="ローズp359" />。 また、大災害などからの復興事業などに、何度もよみがえる不死鳥にあやかって「フェニックス」という名称をつけることがある。以下に日本での事例を挙げる。 * 新潟県[[長岡市]]の[[市町村章|市章]]は「長」の字と不死鳥を併せたものを図案化した形となっており、市内の多数の公共施設にフェニックスの名称が取り入れられている<!--(「[[フェニックス大手]]([[長岡市役所]]の一部機能などが入所)」「[[新潟県立長岡屋内総合プール|フェニックスプール]]」「[[フェニックス大橋]]」など)--><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.nagaoka.niigata.jp/syoukai/ |title=市の紹介 |publisher=長岡市 |accessdate=2013-06-04 }}</ref>。これは、[[1868年|慶応4年]]の[[戊辰戦争]]([[北越戦争]])・[[1945年|昭和20年]]の[[第二次世界大戦]]([[長岡空襲]])の二度の戦禍から不撓不屈の精神で復興し、地方中核都市として限りなく発展するという願いを込めたものである{{要出典|date=2015年11月15日 (日) 12:30 (UTC)}}。また近年では、平成16年の一年間に3度も発生した自然災害([[新潟県中越地震]]・[[平成16年7月新潟・福島豪雨|7・13水害]]・[[豪雪]])からの復興の願いを込めた「復興祈願花火フェニックス」が毎年[[8月2日]]・[[8月3日|3日]]に開催される[[長岡まつり]]で打ち上げられている<ref>{{Cite web|和書|url=http://phoenix-hanabi.jp/pc/ |title=新潟県長岡市 復興と感謝のシンボル【復興祈願花火フェニックス】 |publisher=長岡まつり協議会 フェニックス部会 事務局 |accessdate=2015-11-15 }}</ref>。この花火は、[[噴火]]による被害を受けた[[三宅島]]<ref>{{Cite news |url=http://www.47news.jp/CN/200607/CN2006073001003582.html |title=三宅島に「復興」の花火 長岡がプレゼント |newspaper=共同ニュース |publisher=47NEWS |date=2006-07-30 |accessdate=2015-11-15 }}</ref>や[[東日本大震災]]の被災地である宮城県[[石巻市]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.nagaoka.niigata.jp/shityo/kaiken/file/20110523-1-0.pdf |title=「石巻川開き祭り」で震災復興祈願花火「フェニックス」を打ち上げ!被災地へ勇気と希望を届けます。 |work=記者会見資料 |publisher=長岡市観光課・長岡まつり協議会 |format=PDF |date=2011-05-23 |accessdate=2015-11-15 }}</ref>などでも打ち上げられた。 * 福井県[[福井市]]は、市民憲章の名前が「不死鳥のねがい」であり<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.fukui.lg.jp/fukuisi/prezen/kensyou/citizen_charter.html |title=憲章・都市宣言 |publisher=福井市 |quote=''エジプトの伝説上の霊鳥フェニックスのことで、形はワシに似て赤や金の翼を持っており、死期が来ると、みずから燃える火中に入って焼かれ、その灰の中から再生すると言われています。...再び三たび立ち上がった福井市民の努力は、まさに不死鳥(フェニックス)の姿にも似て...'' |date=2015-07-09 |accessdate=2015-11-15 }}</ref>、コミュニケーションマークも不死鳥をかたどっている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.fukui.lg.jp/sisei/plan/sonota/p008318.html |title=コミュニケーションマーク |publisher=福井市 |date=2010-03-26 |accessdate=2015-11-15 }}</ref>。これは福井市が[[1945年]]([[昭和]]20年)からの3年間で3回壊滅([[福井空襲]]・[[福井地震]]・[[九頭竜川]]の[[堤防]]の[[堤防#破堤(決壊)と欠壊|決壊]])したがそのたびに復興したことに基づいている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.fukui.lg.jp/kyoiku/gakusyu/skensyou/p004646.html |title=不死鳥のねがい(福井市市民憲章)の誕生 |publisher=福井市 |date=2014-02-03 |accessdate=2014-11-22 }}</ref>。 [[ファイル:JMSDF DDH-181 Hyuga Logo SH-60J.jpg|thumb|right|200px|海上自衛隊の[[対潜哨戒機#哨戒ヘリコプター|哨戒ヘリコプター]]・[[SH-60J (航空機)|SH-60J]]の機体に描かれたひゅうがのロゴマーク]] * 1995年1月に[[阪神・淡路大震災]]で大被害を受けた兵庫県では、1995年度からの「阪神・淡路震災復興計画」に「ひょうごフェニックス計画」の愛称を冠すると同時に、主人公の「火の鳥」がフェニックスと同一視された<!--「未来編」で-->という設定の漫画『[[火の鳥 (漫画)|火の鳥]]』([[手塚治虫]]作)をシンボルマークに採用している<ref>{{Cite web|和書|url=http://tezukaosamu.net/jp/productions/social_contribution.html |title=社会貢献 |publisher=[[手塚プロダクション]] |accessdate=2015-11-15 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hemri21.jp/phoenix/01.pdf |title=第一章 阪神・淡路震災復興計画 |work=「翔べフェニックス」 |publisher=[[人と防災未来センター|公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構]] |page=38 |format=PDF |quote=''..,この復興計画の愛称を、フェニックス計画とし、シンボルキャラクターとして火の鳥「フェニックス」を提唱した。フェニックスとは、エジプトの神話にでてくる霊鳥。五、六百年ごとに一度、自ら香木を積み重ねて火をつけて焼死し、その灰の中から再び幼鳥となって現れる不死鳥である。...手塚治虫さんの「火の鳥」の題名で知られている作品の中の空想の鳥。'' |accessdate=2015-11-15 }}</ref>。また、兵庫県の[[防災]]システムにも「フェニックス」の名が冠されている<ref>例:{{Cite web|和書|url=http://web.pref.hyogo.jp/pa21/pa17_000000059.html |title=フェニックス防災システム |work=まちづくり・防災 |publisher=兵庫県 |date=2012-04-01 |accessdate=2015-11-15 }}</ref>。 ほか、[[海上自衛隊]]のヘリコプター搭載[[護衛艦]][[ひゅうが (護衛艦)|ひゅうが]]は、艦名の由来となった宮崎県における[[県木]][[カナリーヤシ|フェニックス(カナリーヤシ)]]にちなみ、不死鳥フェニックスをあしらった意匠を艦および搭載ヘリコプターの[[エンブレム]]として採用している<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20130622010026/http://www.mod.go.jp/msdf/ccf1/1ed/hyuga/ |work=海上自衛隊第1護衛隊群 |title=第1護衛隊【ひゅうが】 |publisher=防衛省・自衛隊 |accessdate=2016-06-19 }}</ref>。 == フェニックスに類似した幻獣 == 中世アラビアでは炎の中に生きる伝説の動物[[四大精霊#サラマンダー|サラマンダー]]とフェニックスが混同され<ref name="ローズp359" />、サラマンダーが鳥となったものがフェニックスだとされていたという<ref>{{Cite book |和書 |author=ヘイズ中村 |year=2014 |title=ヴィジュアル版 天使と悪魔の事典|pages=p. 147 |publisher=[[学研パブリッシング]] |isbn=4054060188}}</ref>。 [[中国]]の伝説にある[[鳳凰]]はフェニックスに似た存在だと考えられ<ref>[[#ビーダーマン,藤代ら訳 (2000)|ビーダーマン,藤代ら訳 (2000)]]</ref>、混同されることも多い([[鳳凰#フェニックスとの関係]]を参照)。なお、星座のPhoenixが[[ほうおう座]]と訳されるがこれは東西で訳語的に対応するものという意味で、誤認に基づいたものではない。 トルコに伝わる伝説の鳥{{ill2|Konrul|en|Konrul}}は、一日一回生死を繰り返す不死の緋色の鳥である。 == 脚注 == === 注釈 === {{脚注ヘルプ}} <references group="注釈"/> === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |last=アラン |first=トニー |others=上原ゆうこ訳 |title=世界幻想動物百科 ヴィジュアル版 |publisher=[[原書房]] |date=2009-11 |origyear=2008 |isbn=978-4-562-04530-3 |chapter=フェニックス |pages=pp. 46-47 |ref=アラン,上原訳 (2009) }} * {{Cite book |和書 |last=ビーダーマン |first=ハンス |others=[[藤代幸一]]監訳、[[宮本絢子]]他訳 |title=図説世界シンボル事典 |publisher=[[八坂書房]] |date=2000-11 |isbn=978-4-89694-463-1 |chapter=フェニックス |pages=pp. 362-363 |ref=ビーダーマン,藤代ら訳 (2000) }} * {{Cite book |和書 |author=松平俊久 |others=[[蔵持不三也]]監修 |title=図説ヨーロッパ怪物文化誌事典 |publisher=原書房 |date=2005-03 |chapter=フェニクス |pages=pp. 186-190 |isbn=978-4-562-03870-1 |ref=松平 (2005) }} * {{Cite book |和書 |last=ローズ |first=キャロル |others=[[松村一男]]監訳 |title=世界の怪物・神獣事典 |publisher=原書房 |date=2004-12-07 |chapter=フェニックス |isbn=978-4-562-03850-3 |pages=pp. 358-359 |ref=ローズ,松村訳 (2004) }} * [https://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/yousei/190812/20190812039.html 亀井澄夫の妖精・妖怪世界の旅 - フェニックス(エジプト・ギリシャ・ペルーほか) 大阪日日新聞記事(2019年8月12日掲載)] == 関連項目 == {{Commons&cat}} {{Wikiquotelang|en|Phoenix}} {{Wiktionarylang|en|phoenix}} * [[ベンヌ]] * [[鳳凰]] * [[ポイニクス]] {{ゴエティアの悪魔}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ふえにつくす}} [[Category:神話・伝説の鳥]] [[Category:ヨーロッパの伝説の生物]] [[Category:不老不死]] [[Category:ゴエティアの悪魔]] [[Category:ギリシャの国の象徴]]
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テティス
テティス(古希: Θέτις, Thetis)は、ギリシア神話に登場する海の女神である。海神ネーレウスとドーリスの娘たち(ネーレーイス)の1人。一説にはケンタウロス族の賢者ケイローンの娘。テッサリアー地方のプティーアの王ペーレウスと結婚し、トロイア戦争最大の英雄アキレウスの母となった。 ホメーロスとヘーシオドスからは「銀の足のテティス」と呼ばれている。ギリシア神話の他の水域の神々と同様にあらゆるものに変身する能力を持ち、予言の才能に長けていた。神話では古い海神ネーレウスの娘でありながらオリュムポスの神々と密接に結びついている。ホメーロスの叙事詩『イーリアス』などによるとテティスを養育したのはヘーラーとされ、テティスもヘーラーに恩を感じていた。またテティスは苦難に陥った神々の救済者・保護者として語られ、ゼウスとポセイドーンから求婚されたことも伝えられている。『イーリアス』ではアキレウスの運命を悲嘆しながらも、息子に尽力する母として大きく取り上げられており、物語が展開するうえでの重要人物として描かれている。テティスとペーレウスの結婚は『イーリアス』でもしばしば言及されており、また前日譚である失われた叙事詩『キュプリア』では2人の結婚がトロイア戦争のきっかけとなったことが語られていた。紀元前7世紀ごろのスパルタ出身の抒情詩人アルクマーンはテティスに関する詩を作った。アルクマーンの詩は現存するわずかな断片から宇宙論的な性格のものであったと推測されている。 ヘーロドトス、パウサニアースの著作によってマグネーシア地方、およびラコーニア地方とメッセニア地方で崇拝されたことが知られている。 『イーリアス』におけるテティスは困難に直面した神々の救済者として語られている。かつてオリュムポスでヘーラー、ポセイドーン、アテーナーが反乱を起こし、ゼウスを拘束するという事件が起きた。このとき神々の中でただ1人テティスだけがゼウスの味方をした。テティスはヘカトンケイルの1人ブリアレオース(別名アイガイオーン)に知らせ、ゼウスの味方として馳せ参じさせた。すると神々はブリアレオースを恐れるあまりゼウスに近づくことさえ出来なかった。テティスはそのすきに縄を解いてゼウスを解放した。 またテティスは鍛冶神ヘーパイストスや酒神ディオニューソスを苦難から助け出した。ヘーパイストスは生まれてまもなく母のヘーラーによって天から海に捨てられた。これはヘーラーがヘーパイストスの不自由な足を嫌ったためと語られている。しかしテティスとエウリュノメーはヘーパイストスを助け9年の間海底で匿った。その間ヘーパイストスは2人のために様々な宝飾を制作した。 テティスがディオニューソスを救ったのはトラーキアの残忍な王リュクールゴスに襲われたときである。リュクールゴスはニューセイオンの山でディオニューソスの乳母を追い回し、女たちを撲殺しただけでなくディオニューソスを脅喝した。ディオニューソスは命からがら海に逃げ込み、恐怖で震えていたところをテティスに助けられた。 こうした経緯からゼウス、ヘーパイストス、ディオニュソースはいずれもテティスとアキレウスに親切であった。トロイア戦争においてゼウスはテティスを通じて届けられたアキレウスの願いを聞き入れ、ヘーパイストスはテティスの依頼に応じてアキレウスのために見事な武具を作り上げた。またディオニュソースは黄金の骨壷を授けた。 テティスが英雄ペーレウスと結婚した経緯についてはいくつかの説がある。ピンダロスによるとテティスはゼウスとポセイドーンから結婚を望まれた。しかしテミスが「テティスは父親よりも偉大な子供を生む定めにあり、子供は長じてゼウスの雷撃やポセイドーンの三叉戟を越える武器を振るうだろう」と予言した。それだけでなく、むしろ人間に与えて生まれた子供は戦場で戦死させるのが良いと助言し、イオールコスで最も敬虔な英雄ペーレウスと結婚させることを勧めた。この物語ではテティスと結婚することは、ゼウスあるいはポセイドーンの息子から王権を簒奪するライバルが出現することを意味している。そのため彼らはテティスとの結婚を諦めざるを得ない。またテティスから生まれてくる子供の運命についても示唆されている。 アイスキュロスの悲劇『縛られたプロメーテウス』はこの物語を下敷きとしている。プロメーテウスは母テミスから教えられたとして、ゼウスと結婚する女性が強い子供を生み、王位を簒奪すると予言する。アイスキュロスはどの女性から簒奪者が生まれるかについては明言していないが、アポロドーロスとヒュギーヌスはプロメーテウスの予言した女性をテティスとしている。特にアポロドーロスは予言者をテミスとする説に加えてプロメーテウスの名を挙げて「生まれてきた子が天の支配者となる」と述べている。これに対してオウィディウスは予言者を海の老人プローテウスとしている。 叙事詩『キュプリア』によると、モーモスがトロイア戦争を起こすためテティスを人間と結婚させることをゼウスに助言した。ヘーラーに好意的であったテティスはゼウスの求婚を避けたため、怒ったゼウスは彼女を人間に娶すことを誓った。 一方、これらの説と異なる伝承をやはりピンダロスが伝えている。それによるとテティスはケイローンの助言を受けたペーレウスに取り抑えらえ、炎やライオンなど様々なものに変身して逃れようとしたが、とうとう観念して妻になることを認めたという。 こうして2人は結婚することになった。結婚式はペーリオン山で行われた。結婚式には神々も祝福に訪れ、さまざまな贈り物をした。このときケイローンはとねりこの槍を贈り、ポセイドーンは馬のクサントスとバリオスを贈った(『イーリアス』ではアキレウスがこれらを用いている)。 結婚式にはすべての神が招かれたが、争いの神エリスだけは招かれなかった。エリスは怒って宴席に乗り込み、「最も美しい女神に贈る」として黄金の林檎を投げ入れた。この林檎をめぐって3人の女神ヘーラー、アテーナー、アプロディーテーが争った。ゼウスは仲裁するためにイーリオス王プリアモスの息子で、現在はイーデー山で羊飼いをしているパリス(アレクサンドロス)に判定させることとした(パリスの審判)。女神たちは様々な約束をしてパリスを買収しようとしたが、結局「最も美しい女を与える」としたアプロディーテーが勝ちを得た。「最も美しい女」とはすでにスパルタ王メネラーオスの妻となっていたヘレネーのことで、これがギリシアのトロイア戦争の原因となった。 結婚後、テティスはペーレウスとの間に多くの子供を産んだと伝えられている。ところがテティスは子供の不死性を確かめるため赤子を水の満ちた大釜に投じては溺死させた。こうして多くの赤子が死んだため、ペーレウスは怒ってテティスの行動を阻んだ。このとき助かった赤子が後のアキレウスである。 テティスがアキレウスを不死にしようと試みたことも伝えられている。テティスがアキレウスの踵を掴んでステュクスの流れに浸すと身体の大部分は不死となった。しかし踵はステュクスに浸からなかったため、アキレウスの唯一の弱点となった。エレウシスのデーメーテール神話とよく似た伝承によると、テティスは毎晩のようにアキレウスを火にくべて人間の部分を焼き、昼間はアムブロシアを塗り、不死を与えようとした。しかしテティスはこの行いを秘密にしていたため、夜にその光景を目撃したペーレウスは驚いてテティスを止めた。目的を阻まれたテティスはアキレウスと夫を捨てて海に去った。その後アキレウスはケイローンのもとで養育された。 しかしテティスは夫や子供のことを忘れたわけではなかった。ペーレウスがアルゴー船の冒険に参加したとき、ヘーラーに説得されてアルゴナウタイがパイアーケス人の国にたどり着くまでの間、荒波とプランクタイの岩礁から船を救った。すなわちテティスは岩礁を避けるため船の舵を取り、またネーレーイデスは船の周りを廻り、船が岩礁に近づくたびに船を持ち上げて空中に投じ、岩礁から遠ざけた。 またアキレウスが9歳のとき、ミュケーナイ王アガメムノーンらはトロイアに遠征する準備を進めており、カルカースの予言によってトロイア攻略にどうしてもアキレウスの力が必要とされた。しかしテティスはアキレウスが戦争に参加したら必ず死ぬことを予知し、アキレウスに女装させてスキューロス島のリュコメーデース王に女として育てるよう預けた。しかしアキレウスはオデュッセウスによって女装を見破られ、戦争に参加することになった。 テティスはトロイア戦争では息子のために献身的に行動し、またアキレウスの死に関して多くの予言をしている。海を渡ったギリシア軍がテネドス島を攻撃したとき、テティスがテネース王(アポローンの子キュクノスの子)を殺せばアポローンの報復を受けて死ぬことになると予言した。しかしそれにもかかわらずアキレウスはテネースを殺してしまう。またテティスはトロイアに最初に上陸した者は必ず命を落とすと予言したため、誰も船から降りようとしなかった。このときピュラケーの武将プローテシラーオスが勇敢にも真っ先に上陸し、トロイア軍との最初の戦闘でヘクトールに討たれた。 『イーリアス』ではアキレウスの言葉によると「戦場に留まれば生きて帰国できないが、すぐに帰国したならば天寿を全うできる」と予言し、トロイアの城壁の下でアポローンの矢を受けて命を落とすこと、またパトロクロスが死ぬことも予言していた。 『イーリアス』第1巻でアガメムノーンの要求に激怒したアキレウスはアガメムノーンが謝罪するまで戦うことを拒否した。このときアキレウスの嘆きを聞いたテティスは海底から現れ、アキレウスの望みをかなえるためにオリュムポスのゼウスの王宮に行き、アガメムノーンがアキレウスに謝罪して復帰を要請するまで、トロイアの味方をしてギリシア軍を苦しめてほしいと懇願する。テティスがゼウスの前に座り、左手で膝に触れ、右手でゼウスのあごに触れながら懇願するとゼウスは沈黙していたが、再度の懇願でしぶしぶ承諾した。これ以降ギリシア人は連日苦戦を強いられることとなった。 アキレウスの代わりに出陣したパトロクロスがヘクトールに討たれたときも、テティスは海底で息子の悲痛な叫びを聞き、悲しみに囚われる。慰めようとする姉妹たちにテティスは漏らす。「私は成長した息子をトロイアに送り出しましたが、再び彼をペーレウスの王宮で迎えることは出来ないでしょう。息子はまだ生きていますが、私が行っても彼の抱える悩みには何の助けにもならないのです。それでも戦場から遠ざかっている間にどんな悲しいことがあったのか聞くために参りましょう」。そう言って姉妹たちを引き連れて海から現れたテティスは、親友の仇を取ろうとはやるアキレウスに、ヘクトールを討った後でアキレウス自身も死ぬことになると予言し、戦場に出るのを止めようとした。しかしこの言葉はアキレウスを苛立たせただけであり、アキレウスの意志を変えられないと分かると、オリュムポスのヘーパイストスの工房に行き、武具を失った息子のために新たな武具の制作を依頼した。またアキレウスがパトロクロスの遺体の腐敗を心配するので、遺体の鼻孔からアムブロシアーとネクタルを体内に滴らせ、腐敗から保護した。 24巻ではアキレウスがヘクトールを討ち、その遺体を戦車に結びつけてパトロクロスの墳墓の周囲を引き回したため、ヘクトールを憐れんだ神々からヘルメースを遣わして遺体を盗み出すという意見が出た。しかしテティスから恨まれることを嫌ったゼウスはアキレウスの面目を立てることを第一に考え、イーリスにテティスを呼びに行かせた。テティスがオリュムポスに現れると、ゼウスは彼女にアキレウスがヘクトールの遺体を返還するよう働きかけることを依頼する。そこでテティスがゼウスの意志を伝えるとアキレウスはその要請に応じ、密かにギリシア陣営を訪れた老王プリアモスを招き入れる。 叙事詩『アイティオピス』ではアキレウスが女神エーオースの子メムノーンを打ち倒してアンティロコスの仇をとったこと、テティスがゼウスにアキレウスの不死を願ったが、パリスとアポローンに殺されたことが語られていた。パウサニアスは『キュプセロスの箱』にアキレウスとメムノーンの戦いおよび2人を見守るテティスとエーオースが彫刻されていたと述べており、その様子を描いた壷絵も多く発見されている。アイスキュロスは現存しない悲劇『魂の重さ比べ』において、ゼウスがアキレウスとメムノーンの魂を秤にかけて死すべき者を決定し、その両脇でテティスとエーオースが自分の息子を勝者とするよう嘆願する様を描いたと伝えられている。 『オデュッセイア』によるとアキレウスの死を知ったテティスは姉妹のネーレーイデスとともに海底から現われた。すると周囲に不気味な叫び声が響き渡ったため兵士たちは恐怖にとりつかれ、ネストールがアキレウスの母である女神が現れたのだと言って混乱を鎮めなかったなら、みな船に逃げ込むところだった。海の女神たちは嘆きの声をあげながらアキレウスの遺体の周りに立って不滅の衣を着せ、9人のムーサイは嘆きの歌を歌い、兵士たちの心を打った。このように女神と人間たちは17日に渡って死を悼んだのち18日目に遺体を火葬した。そしてアキレウスとパトロクロスの骨がディオニューソスから贈られた黄金の骨壷に一緒に納められ、またアンティロコスの骨も別に収められ、3人ともに同じ墳墓に葬られた。その後、アキレウスの葬礼競技が催され、テティスは神々から授けられた品々を賞品として出した。 テティスがネーレーイデスやムーサイとともに現れて息子の死を嘆いたとする伝承はプロクロスや、クイントゥス、ピロストラトスも伝えている。クイントゥスによるとアキレウスの死がネーレーイデスに知れ渡ると彼女たちの嘆く声がヘレスポントス中に響き渡り、ヘリコーン山からはムーサイもやって来た。このときゼウスがギリシアの兵士たちに気力を注いだおかげで彼らは女神の集団を目にしても恐怖にとりつかれずにすんだ。また、カリオペーや、ネーレウス、ポセイドーンといった神々がテティスを慰めたが、特にポセイドーンの「アキレウスがディオニューソスやヘーラクレースのように神となって永遠に生きる」という言葉はテティスの苦しみを和らげた。 ピロストラトスはテティスたちが現れたとき海水が盛り上がって岸に近づいてくるという不思議な現象が起きたこと、毎晩のように息子の死を嘆くテティスの声が全軍に響き渡ったことを述べている。また死後に不死となったアキレウスはヘレネーと結婚して黒海のレウケー島で暮らしたとも伝えられているが、この島をピロストラトスはテティスがアキレウスのためにポセイドーンに願って海から現出してもらったものだとしている。 エウリーピデースの悲劇『アンドロマケー』はトロイア戦争後のプティーア地方の都市ファルサロスの北東に位置するテティディオン(英語版)(現在のテティディオ(ギリシア語版))を舞台としている。この地名はテティスの聖域の意であり、結婚したテティスとペーレウスが暮らした場所とされ、地名もテティスに由来する。 トロイア戦争から帰国したネオプトレモス(アキレウスの子)はプティーアの支配をペーレウスに任せ、テティディオンで妻ヘルミオネーと奴隷として連れ帰ったアンドロマケーとともに暮らしていた。しかしネオプトレモスとアンドロマケーとの間に1子(モロッソス)が生まれると、これを恨みに思ったヘルミオネーは、ネオプトレモスの留守中に、父メネラーオスと協力してアンドロマケーとその子供を殺そうとする。そのためアンドロマケーは子供を他所に預け、自分はテティスの神殿に逃げ込む。その後はペーレウスによって救われるが、ネオプトレモスはオレステースによって殺される。テティスは劇のエピロゴスでデウス・エクス・マーキナーとして登場する。テティスはペーレウスにネオプトレモスをデルポイに埋葬してオレステースの罪を後世に伝えることを命じ、アンドロマケーはヘレノスと結婚しネオプトレモスの子はモロッシア王家の祖となること、またペーレウス自身は不老不死の神となり、ネーレウスの館で自分とともに暮らすであろうと予言する。最後にペーレウスがテティスと結婚したペーリオン山に思いをはせて劇は終る。 古代の何人かの著述家がテティス崇拝について言及している。歴史家ヘーロドトスはペルシア戦争と関連してテッサリアー地方のテティス崇拝について言及している。テルモピュライの戦い(前480年)に先立ち、クセルクセース1世率いる大海軍がギリシアに到達したとき、マグネーシア地方のカスタナイアー市(Kasthanaie)とセピアス(Sepias)岬の間にある浜辺に停泊した。しかしペルシア軍は3日3晩激しい嵐に見舞われ400隻もの軍勢を失った。そのためペルシア軍はイオニア人の助言に従い、セピアス岬を聖域とするテティスとネーレーイデスに対して嵐の鎮静化を祈願したという。このセピアス岬の正確な位置は不明瞭である。20世紀初頭にA. J. B. ウェイス(A. J. B. Wace)とJ. B. ドループ(J. B. Droop)の2人はセピアスの発掘調査を行ったが、神殿の遺構は発見されなかった。 パウサニアースによるとテティスはスパルタに聖域を持っていた。アギス朝のアナクサンドロス王(在位:前640年-前615年頃)の時代、スパルタは離反したメッセニア人を平定するためメッセニア地方に侵攻し、女たちを捕虜にした。その中にテティスの女祭司クレオーがおり、王の妻レアンドリスは彼女がテティスの木彫神像を持っていることに気がつくと、王に願って彼女を譲り受け、2人でテティスの神殿を造営した。また木彫神像は非公開のまま聖域で守護されていた。これによるとスパルタのテティス崇拝はメッセニア地方まで遡り、スパルタでの崇拝は紀元前7世紀に始まって、パウサニアースが生きた2世紀でも続いていたことになる。 ピロストラトスが言及するテッサリアー地方のアキレウス崇拝によると、テッサリアー人はドードーナの神託によってトロイア地方まで航海し、アキレウスの供儀を行った。彼らは上陸する際に船上からテティスの讃歌を唱えなければならなかった。しかし彼らが供儀の習慣を止めてしまったとき、アキレウスとテティスはテッサリアー地方に災厄をもたらしたという。 アルクマーンの宇宙論的な詩は1957年にオクシュリュンコス・パピュルスから発見された。詩は古代の注釈者によって断片的に引用されており、注釈者は哲学的な用語を用いながらアルクマーンの詩を解説しようとしている。それによると原初の宇宙は無秩序で不定形の質料(ヒューレー)で成り立っており、やがてテティスが、続いてポロスが現れ、それが過ぎ去るとテクモールという神が現れたとしている。万物は青銅に似ており、テティスはそこから青銅器を作る職人に喩えられている。またポロスは始原であり、テクモールは終末であるとし、さらに闇(スコトス)が生まれたと述べている。しかし注釈は錯綜しており、テティスが生まれたとき、万物の始原と終末も同時に生まれたとしている。 かつてテッサリアー神話におけるテティス、ペーレウス、ケイローンの結びつきに注目したヴィルヘルム・マンハルト(ドイツ語版)は、『森と畑の祭祀』第2巻(1877年)で結婚からアキレウスの幼少期までを描いた叙事詩『ペーレイス』が存在したと主張した。マンハルトの仮説が証明される見込みはないが、テティスの結婚に関してまとまった伝承が『イーリアス』以前に存在していたことは確実と見なされている。『イーリアス』では結婚に関する伝承が断片的に見られるほか、別離の伝承が詩全体を通して効果的に活用されている。作中でアキレウスの嘆きに応えて現れる身軽さは、ペーレウスとの結婚生活が破綻し、海底のネーレウスの館で暮らしていることに由来している。また最後の24巻では詩人はゼウスの要請に従ってオリュムポスに赴くテティスを語っているが、この描写はアキレウスのためにオリュムポスに赴く1巻と対比の関係にある。1巻と24巻はテティス以外にも登場人物が対比的に描かれており、彼らの行動によって物語をまとめ上げる詩人の構想が見て取れる。 一方『イーリアス』のゼウスを救出する神話(1巻396行-406行)は否定的に解釈される傾向にある。すでに古代アレクサンドリア図書館の初代館長を務めた文献学者ゼノドトス(英語版)は当該箇所を削除しており、現代においてもマルコム・モーリス・ウィルコック(Malcolm Maurice Willcock)やM・W・エドワーズ(M. W. Edwards)といった研究者がテティスを詩人の《発明》と見なしている。というのも、当該箇所にはヘカトンケイルを呼び出すテティスの権威が何に由来するのかという疑問があり、ブリアレオースの別名として挙げられているアイガイオーンは散逸した叙事詩『ティーターノマキアー(英語版)』によるとポントスとガイアとの間に生まれた海の巨人であり、両者の同一視は海の女神であるテティスと本来接点のないへカトンケイルとを結びつける詩人の創作であることを疑わせる。したがってテティスがヘカトンケイルを呼び出せる立場にないとすると、神々がゼウスに反乱を起こし、それをテティスが鎮めるという伝承自体あやふやなものとなる。しかしこうした批判的研究に対し、近年はスラトキン(Laura M. Slatkin)の 著書 "The Power of Thetis"(1991年)のようにテティスを捉え直す研究もある(同書はテティスを単独で扱った最初の研究書となっている)。他にもアルビン・レスキー(ドイツ語版)は1巻396行-406行をもとにテティスを偉大な女神だったと位置付けることで、テティスの神話を解釈しようとした。アルクマーンの宇宙論的な詩によってテティスを原初的かつデーミウールゴス的な性格を備えた偉大な女神と見なすことは可能だが、古代の注釈者の引用が断片的であること、また詩を当時の宇宙論的思想で解釈したと考えられることから慎重に扱う必要があるとされている。もっとも、テティスの原初的性格は彼女の名前から窺えるとする意見もある。即ちテティスの名前は原初の海の女神テーテュースと発音でも意味でもたがいに似ており、どちらも元来は海の女主人であったと考えられる。 最後に比較神話学の視点からテティスの神話とインドの叙事詩『マハーバーラタ』とを比較することが提案されている。この研究ではテティス=アキレウスとガンガー=ビーシュマの母子関係との間の驚くべき一致が指摘されている。海の女神テティスは多くの赤子を水に沈めて溺死させたと伝えられるが、ガンジス川の化身である女神ガンガーもまた(前世の罪のためにガンガーの子として地上に生まれてきたヴァス神群を天に還すため)多くの赤子を川に沈めて溺死させたと伝えられている。テティスもガンガーもともに水域の女神であり、子供を溺死させ、最後に残った子供が後に大戦争で活躍する大英雄になるという点で一致している。このような類似はインド=ヨーロッパ共通時代に遡る伝承であることを示しているという。 テティスの神話は古代以来、芸術家たちの創作の源泉となった。ルネサンス以降の西洋絵画で好まれた主題はテティスとペーレウスの結婚であり、アキレウスと関係のあるエピソードもまた同様に描かれた。他の神々と描かれた例としてはゼウス(ユーピテル)、ヘーパイストス(ウゥルカーヌス)、アポローンなどの例がある。テティスの最も有名な絵画作品はフランス新古典主義の画家ドミニク・アングルが1811年に描いた『ユピテルとテティス』で、『イーリアス』第1巻のテティスの懇願を主題としているが主題としては少数派である。アポローンとともに描かれた例は日没の寓意となっている。こちらはフランソワ・ブーシェの対作品『日の出』、『日没』が有名。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "テティス(古希: Θέτις, Thetis)は、ギリシア神話に登場する海の女神である。海神ネーレウスとドーリスの娘たち(ネーレーイス)の1人。一説にはケンタウロス族の賢者ケイローンの娘。テッサリアー地方のプティーアの王ペーレウスと結婚し、トロイア戦争最大の英雄アキレウスの母となった。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ホメーロスとヘーシオドスからは「銀の足のテティス」と呼ばれている。ギリシア神話の他の水域の神々と同様にあらゆるものに変身する能力を持ち、予言の才能に長けていた。神話では古い海神ネーレウスの娘でありながらオリュムポスの神々と密接に結びついている。ホメーロスの叙事詩『イーリアス』などによるとテティスを養育したのはヘーラーとされ、テティスもヘーラーに恩を感じていた。またテティスは苦難に陥った神々の救済者・保護者として語られ、ゼウスとポセイドーンから求婚されたことも伝えられている。『イーリアス』ではアキレウスの運命を悲嘆しながらも、息子に尽力する母として大きく取り上げられており、物語が展開するうえでの重要人物として描かれている。テティスとペーレウスの結婚は『イーリアス』でもしばしば言及されており、また前日譚である失われた叙事詩『キュプリア』では2人の結婚がトロイア戦争のきっかけとなったことが語られていた。紀元前7世紀ごろのスパルタ出身の抒情詩人アルクマーンはテティスに関する詩を作った。アルクマーンの詩は現存するわずかな断片から宇宙論的な性格のものであったと推測されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ヘーロドトス、パウサニアースの著作によってマグネーシア地方、およびラコーニア地方とメッセニア地方で崇拝されたことが知られている。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": 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"テティスがアキレウスを不死にしようと試みたことも伝えられている。テティスがアキレウスの踵を掴んでステュクスの流れに浸すと身体の大部分は不死となった。しかし踵はステュクスに浸からなかったため、アキレウスの唯一の弱点となった。エレウシスのデーメーテール神話とよく似た伝承によると、テティスは毎晩のようにアキレウスを火にくべて人間の部分を焼き、昼間はアムブロシアを塗り、不死を与えようとした。しかしテティスはこの行いを秘密にしていたため、夜にその光景を目撃したペーレウスは驚いてテティスを止めた。目的を阻まれたテティスはアキレウスと夫を捨てて海に去った。その後アキレウスはケイローンのもとで養育された。", "title": "神話" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "しかしテティスは夫や子供のことを忘れたわけではなかった。ペーレウスがアルゴー船の冒険に参加したとき、ヘーラーに説得されてアルゴナウタイがパイアーケス人の国にたどり着くまでの間、荒波とプランクタイの岩礁から船を救った。すなわちテティスは岩礁を避けるため船の舵を取り、またネーレーイデスは船の周りを廻り、船が岩礁に近づくたびに船を持ち上げて空中に投じ、岩礁から遠ざけた。", "title": "神話" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "またアキレウスが9歳のとき、ミュケーナイ王アガメムノーンらはトロイアに遠征する準備を進めており、カルカースの予言によってトロイア攻略にどうしてもアキレウスの力が必要とされた。しかしテティスはアキレウスが戦争に参加したら必ず死ぬことを予知し、アキレウスに女装させてスキューロス島のリュコメーデース王に女として育てるよう預けた。しかしアキレウスはオデュッセウスによって女装を見破られ、戦争に参加することになった。", "title": "神話" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "テティスはトロイア戦争では息子のために献身的に行動し、またアキレウスの死に関して多くの予言をしている。海を渡ったギリシア軍がテネドス島を攻撃したとき、テティスがテネース王(アポローンの子キュクノスの子)を殺せばアポローンの報復を受けて死ぬことになると予言した。しかしそれにもかかわらずアキレウスはテネースを殺してしまう。またテティスはトロイアに最初に上陸した者は必ず命を落とすと予言したため、誰も船から降りようとしなかった。このときピュラケーの武将プローテシラーオスが勇敢にも真っ先に上陸し、トロイア軍との最初の戦闘でヘクトールに討たれた。", "title": "神話" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "『イーリアス』ではアキレウスの言葉によると「戦場に留まれば生きて帰国できないが、すぐに帰国したならば天寿を全うできる」と予言し、トロイアの城壁の下でアポローンの矢を受けて命を落とすこと、またパトロクロスが死ぬことも予言していた。", "title": "神話" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "『イーリアス』第1巻でアガメムノーンの要求に激怒したアキレウスはアガメムノーンが謝罪するまで戦うことを拒否した。このときアキレウスの嘆きを聞いたテティスは海底から現れ、アキレウスの望みをかなえるためにオリュムポスのゼウスの王宮に行き、アガメムノーンがアキレウスに謝罪して復帰を要請するまで、トロイアの味方をしてギリシア軍を苦しめてほしいと懇願する。テティスがゼウスの前に座り、左手で膝に触れ、右手でゼウスのあごに触れながら懇願するとゼウスは沈黙していたが、再度の懇願でしぶしぶ承諾した。これ以降ギリシア人は連日苦戦を強いられることとなった。", "title": "神話" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "アキレウスの代わりに出陣したパトロクロスがヘクトールに討たれたときも、テティスは海底で息子の悲痛な叫びを聞き、悲しみに囚われる。慰めようとする姉妹たちにテティスは漏らす。「私は成長した息子をトロイアに送り出しましたが、再び彼をペーレウスの王宮で迎えることは出来ないでしょう。息子はまだ生きていますが、私が行っても彼の抱える悩みには何の助けにもならないのです。それでも戦場から遠ざかっている間にどんな悲しいことがあったのか聞くために参りましょう」。そう言って姉妹たちを引き連れて海から現れたテティスは、親友の仇を取ろうとはやるアキレウスに、ヘクトールを討った後でアキレウス自身も死ぬことになると予言し、戦場に出るのを止めようとした。しかしこの言葉はアキレウスを苛立たせただけであり、アキレウスの意志を変えられないと分かると、オリュムポスのヘーパイストスの工房に行き、武具を失った息子のために新たな武具の制作を依頼した。またアキレウスがパトロクロスの遺体の腐敗を心配するので、遺体の鼻孔からアムブロシアーとネクタルを体内に滴らせ、腐敗から保護した。", "title": "神話" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "24巻ではアキレウスがヘクトールを討ち、その遺体を戦車に結びつけてパトロクロスの墳墓の周囲を引き回したため、ヘクトールを憐れんだ神々からヘルメースを遣わして遺体を盗み出すという意見が出た。しかしテティスから恨まれることを嫌ったゼウスはアキレウスの面目を立てることを第一に考え、イーリスにテティスを呼びに行かせた。テティスがオリュムポスに現れると、ゼウスは彼女にアキレウスがヘクトールの遺体を返還するよう働きかけることを依頼する。そこでテティスがゼウスの意志を伝えるとアキレウスはその要請に応じ、密かにギリシア陣営を訪れた老王プリアモスを招き入れる。", "title": "神話" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "叙事詩『アイティオピス』ではアキレウスが女神エーオースの子メムノーンを打ち倒してアンティロコスの仇をとったこと、テティスがゼウスにアキレウスの不死を願ったが、パリスとアポローンに殺されたことが語られていた。パウサニアスは『キュプセロスの箱』にアキレウスとメムノーンの戦いおよび2人を見守るテティスとエーオースが彫刻されていたと述べており、その様子を描いた壷絵も多く発見されている。アイスキュロスは現存しない悲劇『魂の重さ比べ』において、ゼウスがアキレウスとメムノーンの魂を秤にかけて死すべき者を決定し、その両脇でテティスとエーオースが自分の息子を勝者とするよう嘆願する様を描いたと伝えられている。", "title": "神話" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "『オデュッセイア』によるとアキレウスの死を知ったテティスは姉妹のネーレーイデスとともに海底から現われた。すると周囲に不気味な叫び声が響き渡ったため兵士たちは恐怖にとりつかれ、ネストールがアキレウスの母である女神が現れたのだと言って混乱を鎮めなかったなら、みな船に逃げ込むところだった。海の女神たちは嘆きの声をあげながらアキレウスの遺体の周りに立って不滅の衣を着せ、9人のムーサイは嘆きの歌を歌い、兵士たちの心を打った。このように女神と人間たちは17日に渡って死を悼んだのち18日目に遺体を火葬した。そしてアキレウスとパトロクロスの骨がディオニューソスから贈られた黄金の骨壷に一緒に納められ、またアンティロコスの骨も別に収められ、3人ともに同じ墳墓に葬られた。その後、アキレウスの葬礼競技が催され、テティスは神々から授けられた品々を賞品として出した。", "title": "神話" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "テティスがネーレーイデスやムーサイとともに現れて息子の死を嘆いたとする伝承はプロクロスや、クイントゥス、ピロストラトスも伝えている。クイントゥスによるとアキレウスの死がネーレーイデスに知れ渡ると彼女たちの嘆く声がヘレスポントス中に響き渡り、ヘリコーン山からはムーサイもやって来た。このときゼウスがギリシアの兵士たちに気力を注いだおかげで彼らは女神の集団を目にしても恐怖にとりつかれずにすんだ。また、カリオペーや、ネーレウス、ポセイドーンといった神々がテティスを慰めたが、特にポセイドーンの「アキレウスがディオニューソスやヘーラクレースのように神となって永遠に生きる」という言葉はテティスの苦しみを和らげた。", "title": "神話" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ピロストラトスはテティスたちが現れたとき海水が盛り上がって岸に近づいてくるという不思議な現象が起きたこと、毎晩のように息子の死を嘆くテティスの声が全軍に響き渡ったことを述べている。また死後に不死となったアキレウスはヘレネーと結婚して黒海のレウケー島で暮らしたとも伝えられているが、この島をピロストラトスはテティスがアキレウスのためにポセイドーンに願って海から現出してもらったものだとしている。", "title": "神話" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "エウリーピデースの悲劇『アンドロマケー』はトロイア戦争後のプティーア地方の都市ファルサロスの北東に位置するテティディオン(英語版)(現在のテティディオ(ギリシア語版))を舞台としている。この地名はテティスの聖域の意であり、結婚したテティスとペーレウスが暮らした場所とされ、地名もテティスに由来する。", "title": "悲劇作品におけるテティス" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "トロイア戦争から帰国したネオプトレモス(アキレウスの子)はプティーアの支配をペーレウスに任せ、テティディオンで妻ヘルミオネーと奴隷として連れ帰ったアンドロマケーとともに暮らしていた。しかしネオプトレモスとアンドロマケーとの間に1子(モロッソス)が生まれると、これを恨みに思ったヘルミオネーは、ネオプトレモスの留守中に、父メネラーオスと協力してアンドロマケーとその子供を殺そうとする。そのためアンドロマケーは子供を他所に預け、自分はテティスの神殿に逃げ込む。その後はペーレウスによって救われるが、ネオプトレモスはオレステースによって殺される。テティスは劇のエピロゴスでデウス・エクス・マーキナーとして登場する。テティスはペーレウスにネオプトレモスをデルポイに埋葬してオレステースの罪を後世に伝えることを命じ、アンドロマケーはヘレノスと結婚しネオプトレモスの子はモロッシア王家の祖となること、またペーレウス自身は不老不死の神となり、ネーレウスの館で自分とともに暮らすであろうと予言する。最後にペーレウスがテティスと結婚したペーリオン山に思いをはせて劇は終る。", "title": "悲劇作品におけるテティス" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "古代の何人かの著述家がテティス崇拝について言及している。歴史家ヘーロドトスはペルシア戦争と関連してテッサリアー地方のテティス崇拝について言及している。テルモピュライの戦い(前480年)に先立ち、クセルクセース1世率いる大海軍がギリシアに到達したとき、マグネーシア地方のカスタナイアー市(Kasthanaie)とセピアス(Sepias)岬の間にある浜辺に停泊した。しかしペルシア軍は3日3晩激しい嵐に見舞われ400隻もの軍勢を失った。そのためペルシア軍はイオニア人の助言に従い、セピアス岬を聖域とするテティスとネーレーイデスに対して嵐の鎮静化を祈願したという。このセピアス岬の正確な位置は不明瞭である。20世紀初頭にA. J. B. ウェイス(A. J. B. Wace)とJ. B. ドループ(J. B. Droop)の2人はセピアスの発掘調査を行ったが、神殿の遺構は発見されなかった。", "title": "テティス崇拝" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "パウサニアースによるとテティスはスパルタに聖域を持っていた。アギス朝のアナクサンドロス王(在位:前640年-前615年頃)の時代、スパルタは離反したメッセニア人を平定するためメッセニア地方に侵攻し、女たちを捕虜にした。その中にテティスの女祭司クレオーがおり、王の妻レアンドリスは彼女がテティスの木彫神像を持っていることに気がつくと、王に願って彼女を譲り受け、2人でテティスの神殿を造営した。また木彫神像は非公開のまま聖域で守護されていた。これによるとスパルタのテティス崇拝はメッセニア地方まで遡り、スパルタでの崇拝は紀元前7世紀に始まって、パウサニアースが生きた2世紀でも続いていたことになる。", "title": "テティス崇拝" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "ピロストラトスが言及するテッサリアー地方のアキレウス崇拝によると、テッサリアー人はドードーナの神託によってトロイア地方まで航海し、アキレウスの供儀を行った。彼らは上陸する際に船上からテティスの讃歌を唱えなければならなかった。しかし彼らが供儀の習慣を止めてしまったとき、アキレウスとテティスはテッサリアー地方に災厄をもたらしたという。", "title": "テティス崇拝" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "アルクマーンの宇宙論的な詩は1957年にオクシュリュンコス・パピュルスから発見された。詩は古代の注釈者によって断片的に引用されており、注釈者は哲学的な用語を用いながらアルクマーンの詩を解説しようとしている。それによると原初の宇宙は無秩序で不定形の質料(ヒューレー)で成り立っており、やがてテティスが、続いてポロスが現れ、それが過ぎ去るとテクモールという神が現れたとしている。万物は青銅に似ており、テティスはそこから青銅器を作る職人に喩えられている。またポロスは始原であり、テクモールは終末であるとし、さらに闇(スコトス)が生まれたと述べている。しかし注釈は錯綜しており、テティスが生まれたとき、万物の始原と終末も同時に生まれたとしている。", "title": "アルクマーンの宇宙開闢詩" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "かつてテッサリアー神話におけるテティス、ペーレウス、ケイローンの結びつきに注目したヴィルヘルム・マンハルト(ドイツ語版)は、『森と畑の祭祀』第2巻(1877年)で結婚からアキレウスの幼少期までを描いた叙事詩『ペーレイス』が存在したと主張した。マンハルトの仮説が証明される見込みはないが、テティスの結婚に関してまとまった伝承が『イーリアス』以前に存在していたことは確実と見なされている。『イーリアス』では結婚に関する伝承が断片的に見られるほか、別離の伝承が詩全体を通して効果的に活用されている。作中でアキレウスの嘆きに応えて現れる身軽さは、ペーレウスとの結婚生活が破綻し、海底のネーレウスの館で暮らしていることに由来している。また最後の24巻では詩人はゼウスの要請に従ってオリュムポスに赴くテティスを語っているが、この描写はアキレウスのためにオリュムポスに赴く1巻と対比の関係にある。1巻と24巻はテティス以外にも登場人物が対比的に描かれており、彼らの行動によって物語をまとめ上げる詩人の構想が見て取れる。", "title": "研究" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "一方『イーリアス』のゼウスを救出する神話(1巻396行-406行)は否定的に解釈される傾向にある。すでに古代アレクサンドリア図書館の初代館長を務めた文献学者ゼノドトス(英語版)は当該箇所を削除しており、現代においてもマルコム・モーリス・ウィルコック(Malcolm Maurice Willcock)やM・W・エドワーズ(M. W. Edwards)といった研究者がテティスを詩人の《発明》と見なしている。というのも、当該箇所にはヘカトンケイルを呼び出すテティスの権威が何に由来するのかという疑問があり、ブリアレオースの別名として挙げられているアイガイオーンは散逸した叙事詩『ティーターノマキアー(英語版)』によるとポントスとガイアとの間に生まれた海の巨人であり、両者の同一視は海の女神であるテティスと本来接点のないへカトンケイルとを結びつける詩人の創作であることを疑わせる。したがってテティスがヘカトンケイルを呼び出せる立場にないとすると、神々がゼウスに反乱を起こし、それをテティスが鎮めるという伝承自体あやふやなものとなる。しかしこうした批判的研究に対し、近年はスラトキン(Laura M. Slatkin)の 著書 \"The Power of Thetis\"(1991年)のようにテティスを捉え直す研究もある(同書はテティスを単独で扱った最初の研究書となっている)。他にもアルビン・レスキー(ドイツ語版)は1巻396行-406行をもとにテティスを偉大な女神だったと位置付けることで、テティスの神話を解釈しようとした。アルクマーンの宇宙論的な詩によってテティスを原初的かつデーミウールゴス的な性格を備えた偉大な女神と見なすことは可能だが、古代の注釈者の引用が断片的であること、また詩を当時の宇宙論的思想で解釈したと考えられることから慎重に扱う必要があるとされている。もっとも、テティスの原初的性格は彼女の名前から窺えるとする意見もある。即ちテティスの名前は原初の海の女神テーテュースと発音でも意味でもたがいに似ており、どちらも元来は海の女主人であったと考えられる。", "title": "研究" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "最後に比較神話学の視点からテティスの神話とインドの叙事詩『マハーバーラタ』とを比較することが提案されている。この研究ではテティス=アキレウスとガンガー=ビーシュマの母子関係との間の驚くべき一致が指摘されている。海の女神テティスは多くの赤子を水に沈めて溺死させたと伝えられるが、ガンジス川の化身である女神ガンガーもまた(前世の罪のためにガンガーの子として地上に生まれてきたヴァス神群を天に還すため)多くの赤子を川に沈めて溺死させたと伝えられている。テティスもガンガーもともに水域の女神であり、子供を溺死させ、最後に残った子供が後に大戦争で活躍する大英雄になるという点で一致している。このような類似はインド=ヨーロッパ共通時代に遡る伝承であることを示しているという。", "title": "研究" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "テティスの神話は古代以来、芸術家たちの創作の源泉となった。ルネサンス以降の西洋絵画で好まれた主題はテティスとペーレウスの結婚であり、アキレウスと関係のあるエピソードもまた同様に描かれた。他の神々と描かれた例としてはゼウス(ユーピテル)、ヘーパイストス(ウゥルカーヌス)、アポローンなどの例がある。テティスの最も有名な絵画作品はフランス新古典主義の画家ドミニク・アングルが1811年に描いた『ユピテルとテティス』で、『イーリアス』第1巻のテティスの懇願を主題としているが主題としては少数派である。アポローンとともに描かれた例は日没の寓意となっている。こちらはフランソワ・ブーシェの対作品『日の出』、『日没』が有名。", "title": "西洋絵画" } ]
テティスは、ギリシア神話に登場する海の女神である。海神ネーレウスとドーリスの娘たち(ネーレーイス)の1人。一説にはケンタウロス族の賢者ケイローンの娘。テッサリアー地方のプティーアの王ペーレウスと結婚し、トロイア戦争最大の英雄アキレウスの母となった。 ホメーロスとヘーシオドスからは「銀の足のテティス」と呼ばれている。ギリシア神話の他の水域の神々と同様にあらゆるものに変身する能力を持ち、予言の才能に長けていた。神話では古い海神ネーレウスの娘でありながらオリュムポスの神々と密接に結びついている。ホメーロスの叙事詩『イーリアス』などによるとテティスを養育したのはヘーラーとされ、テティスもヘーラーに恩を感じていた。またテティスは苦難に陥った神々の救済者・保護者として語られ、ゼウスとポセイドーンから求婚されたことも伝えられている。『イーリアス』ではアキレウスの運命を悲嘆しながらも、息子に尽力する母として大きく取り上げられており、物語が展開するうえでの重要人物として描かれている。テティスとペーレウスの結婚は『イーリアス』でもしばしば言及されており、また前日譚である失われた叙事詩『キュプリア』では2人の結婚がトロイア戦争のきっかけとなったことが語られていた。紀元前7世紀ごろのスパルタ出身の抒情詩人アルクマーンはテティスに関する詩を作った。アルクマーンの詩は現存するわずかな断片から宇宙論的な性格のものであったと推測されている。 ヘーロドトス、パウサニアースの著作によってマグネーシア地方、およびラコーニア地方とメッセニア地方で崇拝されたことが知られている。
{{Otheruses|ネーレーイデスの一人|ティーターンの一人である海の女神|テーテュース|土星の衛星(テーテュースに由来)|テティス (衛星)}} {{Infobox deity | type = Greek | name = テティス<br/>Θέτις | image = Thetis Peleus Cdm Paris 539.jpg | image_size = 280px | caption = {{small|テティスを捕らえようとするペーレウス描いた[[アッティカ]][[赤絵式]][[キュリクス]]([[紀元前490年]]、[[エトルリア]])。[[パリ]]、[[フランス国立図書館]]、キャビネ・デ・メダイユ所蔵}} | deity_of = {{small|海の女神}} | birth_place = | death_place = | abode = | symbol = | consort = | parents = [[ネーレウス (ギリシア神話の神)|ネーレウス]]、[[ドーリス (ギリシア神話)|ドーリス]] | siblings = [[ネーレーイデス]]([[アムピトリーテー]]、[[ガラテイア]]、[[プサマテー]]他) | children = [[アキレウス]] | mount = | Roman_equivalent = }} [[File:Júpiter y Tetis, por Dominique Ingres.jpg|thumb|280px|[[ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル]]の1811年の絵画『[[ユピテルとテティス]]』。[[エクス=アン=プロヴァンス]]、[[グラネ美術館]]所蔵。]] '''テティス'''({{lang-grc-short|'''Θέτις'''}}, {{ラテン翻字|el|Thetis}})は、[[ギリシア神話]]に登場する海の[[女神]]である。[[海神]][[ネーレウス (ギリシア神話の神)|ネーレウス]]と[[ドーリス (ギリシア神話)|ドーリス]]の娘たち([[ネーレーイス]])の1人<ref>ヘーシオドス『神統記』244行。</ref><ref>アポロドーロス、1巻2・7。</ref>。一説には[[ケンタウロス族]]の賢者[[ケイローン]]の娘<ref>ヒュギーヌス『天文譜』2巻18。</ref><ref>ロドスのアポローニオス『アルゴナウティカ』1巻558への古註。</ref><ref>クレータのディクテュス、1巻14、6巻7。</ref>。[[テッサリアー]]地方の[[プティーア]]の王[[ペーレウス]]と結婚し、[[トロイア戦争]]最大の英雄[[アキレウス]]の母となった<ref>ヘーシオドス『神統記』1006行-1007行。</ref><ref>アポロドーロス、3巻13・5-13・6。</ref><ref>[[シケリアのディオドロス]]、4巻72・6。</ref>。 [[ホメーロス]]と[[ヘーシオドス]]からは「銀の足のテティス」と呼ばれている<ref>『イーリアス』18巻127行。</ref><ref>『神統記』1006行。</ref>。ギリシア神話の他の水域の神々と同様にあらゆるものに[[変身]]する能力を持ち、[[予言]]の才能に長けていた。神話では古い海神ネーレウスの娘でありながら[[オリュムポス]]の神々と密接に結びついている。ホメーロスの[[叙事詩]]『[[イーリアス]]』などによるとテティスを養育したのは[[ヘーラー]]とされ、テティスもヘーラーに恩を感じていた。またテティスは苦難に陥った神々の救済者・保護者として語られ、[[ゼウス]]と[[ポセイドーン]]から求婚されたことも伝えられている。『イーリアス』ではアキレウスの運命を悲嘆しながらも、息子に尽力する母として大きく取り上げられており、物語が展開するうえでの重要人物として描かれている。テティスとペーレウスの結婚は『イーリアス』でもしばしば言及されており、また前日譚である失われた叙事詩『[[キュプリア]]』では2人の結婚がトロイア戦争のきっかけとなったことが語られていた。紀元前7世紀ごろの[[スパルタ]]出身の[[抒情詩人]][[アルクマーン]]はテティスに関する詩を作った。アルクマーンの詩は現存するわずかな断片から宇宙論的な性格のものであったと推測されている{{Refnest|group="注釈"|Bowra (1961) 25-6, Barrett (1961) 689, {{仮リンク|マーティン・リッチフィールド・ウェスト|en|Martin Litchfield West|label=West}} (1963) 154-56, West (1967) 1-15, Penwill (1974) 15, [[マルセル・ドゥティエンヌ|Detienne]] and [[ジャン=ピエール・ヴェルナン|Vernant]] (1978) ch.5, Segal (1985) 179.<ref name="Noriko Yasumura">Noriko Yasumura, Cosmogonic Fragment of Alcman (Oxyrhynchus Papyri XXIV).</ref>}}。 [[ヘーロドトス]]、[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアース]]の著作によって[[マグネーシア]]地方<ref name=Hero_7_191>ヘロドトス、7巻191。</ref>、および[[ラコーニア]]地方と[[メッセニア]]地方で崇拝されたことが知られている<ref>パウサニアス、3巻14・4-5。</ref>{{Refnest|group="注釈"|Der Kleine Pauly はテッサリアー地方,スパルタ,ギュテイオン,エリュトライで崇拝されたとする<ref name="角田">角田幸彦「ホメロス作品世界の精神史的考察 新稿」。</ref>。}}。 == 神話 == === 救済者・保護者としてのテティス === ====神々の反乱を鎮める==== [[File:(2) Flaxman Ilias 1793, gestochen 1795, 185 x 251 mm.jpg|thumb|220px|[[ジョン・フラックスマン]]が描いたテティス(1793年)。ブリアレオースを喚び出し、ヘーラー、ポセイドーン、アテーナーからゼウスを救う様子を描いている。]] 『イーリアス』におけるテティスは困難に直面した神々の救済者として語られている。かつて[[オリュムポス]]で[[ヘーラー]]、[[ポセイドーン]]、[[アテーナー]]が反乱を起こし、[[ゼウス]]を拘束するという事件が起きた。このとき神々の中でただ1人テティスだけがゼウスの味方をした。テティスは[[ヘカトンケイル]]の1人[[ブリアレオース]](別名アイガイオーン)に知らせ、ゼウスの味方として馳せ参じさせた。すると神々はブリアレオースを恐れるあまりゼウスに近づくことさえ出来なかった。テティスはそのすきに縄を解いてゼウスを解放した<ref>『イーリアス』1巻396行-406行。</ref>{{Refnest|group="注釈"|紀元4世紀ごろのクイントゥスがヘーパイストス、ディオニューソスを保護したエピソードとともに簡単に言及するという例はあるが<ref>クイントゥス『トロイア戦記』2巻。</ref>『イーリアス』以外ではほぼ知られていない伝承である。}}。 ====他の神々の保護==== またテティスは鍛冶神[[ヘーパイストス]]や酒神[[ディオニューソス]]を苦難から助け出した。ヘーパイストスは生まれてまもなく母のヘーラーによって天から海に捨てられた。これはヘーラーがヘーパイストスの不自由な足を嫌ったためと語られている。しかしテティスと[[エウリュノメー]]はヘーパイストスを助け9年の間海底で匿った。その間ヘーパイストスは2人のために様々な宝飾を制作した<ref>『イーリアス』18巻。</ref>{{Refnest|group="注釈"|『[[ホメーロス風讃歌]]』第3歌「アポローン讃歌」やアポロドーロスではヘーパイストスを助けたのはテティス1人となっている<ref>『ホメーロス風讃歌』第3歌「アポローン讃歌」319行-320行。</ref><ref>アポロドーロス、1巻3・5。</ref>。}}。 テティスがディオニューソスを救ったのは[[トラーキア]]の残忍な王[[トラキアのリュクルゴス|リュクールゴス]]に襲われたときである。リュクールゴスはニューセイオンの山でディオニューソスの乳母を追い回し、女たちを撲殺しただけでなくディオニューソスを脅喝した。ディオニューソスは命からがら海に逃げ込み、恐怖で震えていたところをテティスに助けられた<ref>『イーリアス』6巻。</ref><ref>アポロドーロス、3巻5・1。</ref>。 こうした経緯からゼウス、ヘーパイストス、ディオニュソースはいずれもテティスとアキレウスに親切であった。トロイア戦争においてゼウスはテティスを通じて届けられたアキレウスの願いを聞き入れ<ref>『イーリアス』1巻488行-530行。</ref>、ヘーパイストスはテティスの依頼に応じてアキレウスのために見事な武具を作り上げた<ref name="『イーリアス』18巻">『イーリアス』18巻368行-617行。</ref>。またディオニュソースは黄金の骨壷を授けた<ref>『オデュッセイア』24巻73行-75行。</ref>。 === 神々の求婚 === ====イストミア祝勝歌==== テティスが英雄ペーレウスと結婚した経緯についてはいくつかの説がある。[[ピンダロス]]によるとテティスは[[ゼウス]]と[[ポセイドーン]]から結婚を望まれた。しかし[[テミス]]が「テティスは父親よりも偉大な子供を生む定めにあり、子供は長じてゼウスの雷撃やポセイドーンの[[三叉戟]]を越える武器を振るうだろう」と[[予言]]した。それだけでなく、むしろ人間に与えて生まれた子供は戦場で戦死させるのが良いと助言し、[[イオールコス]]で最も敬虔な英雄ペーレウスと結婚させることを勧めた。この物語ではテティスと結婚することは、ゼウスあるいはポセイドーンの息子から王権を簒奪するライバルが出現することを意味している。そのため彼らはテティスとの結婚を諦めざるを得ない。またテティスから生まれてくる子供の運命についても示唆されている<ref>ピンダロス『イストミア祝勝歌』第8歌27行-47行。</ref>。 [[アイスキュロス]]の[[ギリシア悲劇|悲劇]]『[[縛られたプロメーテウス]]』はこの物語を下敷きとしている。[[プロメーテウス]]は母テミスから教えられたとして、ゼウスと結婚する女性が強い子供を生み、王位を簒奪すると予言する。アイスキュロスはどの女性から簒奪者が生まれるかについては明言していないが、[[アポロドーロス]]と[[ヒュギーヌス]]はプロメーテウスの予言した女性をテティスとしている<ref name=Ap_3_13_5>アポロドーロス、3巻13・5。</ref><ref>ヒュギーヌス、54話。</ref>。特にアポロドーロスは予言者をテミスとする説に加えてプロメーテウスの名を挙げて「生まれてきた子が天の支配者となる」と述べている。これに対して[[オウィディウス]]は予言者を海の老人[[プローテウス]]としている<ref>[[オウィディウス]]『[[変身物語]]』11巻。</ref>。 <div class="thumb tright"> <div style="margin: 0px; padding: 2px; border: 1px solid #a2a9b1; text-align: center; border-collapse: collapse; font-size: 95%; text-align:left; font-size:80%"> ; テティスの系図([[ヘーシオドス]]『[[神統記]]』他より) {{familytree/start|style=font-size:75%;line-height:90%;}} {{familytree | border=1| | | | | | NEL |y| DOR | | NEL=[[ネーレウス (ギリシア神話の神)|ネーレウス]] |DOR=[[ドーリス (ギリシア神話)|ドーリス]]}} {{familytree | border=1| | |,|-|-|-|-|-|^|-|-|-|-|-|-|-|.| }} {{familytree | border=1| | PSA |y|~| AIA |~|y| END | | |!| | END=[[エンデーイス]] | AIA=[[アイアコス]] | PSA=[[プサマテー]]}} {{familytree | border=1| | | | |!| | | |,|-|^|-|.| | | |!| | }} {{familytree | border=1| | | | PHO | | TEL | | PEL |y| THE | | PHO=[[ポーコス]] |TEL=[[テラモーン]] | PEL=[[ペーレウス]] | THE='''テティス'''}} {{familytree | border=1| | | | | | | | | | | | | | |!| | | | | | | }} {{familytree | border=1| | | | | | | | | | | | | | ACH |y| DEI | | ACH=[[アキレウス]] | DEI=[[デーイダメイア]]}} {{familytree | border=1| | | | | | | | | | | | | | | | |!| | | | | }} {{familytree | border=1| | | | | | | | ORE |y| HER |~| NEO |y| AND | | ORE=[[オレステース]] | HER=[[ヘルミオネー]]| NEO=[[ネオプトレモス]]| AND=[[アンドロマケー]]}} {{familytree | border=1| | | | | | | | | | |!| | | | | | | |!| | | }} {{familytree | border=1| | | | | | | | | | TIS | | | | | | MOR | | TIS=[[ティーサメノス]] | MOR=[[モロッソス]]}} {{familytree | border=1| | | | | | | | | | | | | | | | | | | }} {{familytree/end}}</div></div> ====キュプリア断片==== 叙事詩『キュプリア』によると、[[モーモス]]がトロイア戦争を起こすためテティスを人間と結婚させることをゼウスに助言した。ヘーラーに好意的であったテティスはゼウスの求婚を避けたため、怒ったゼウスは彼女を人間に娶すことを誓った<ref>『キュプリア』断片(ピロデモス『敬虔について』B7241-50)。</ref>。 ====ネメア祝勝歌==== 一方、これらの説と異なる伝承をやはりピンダロスが伝えている。それによるとテティスはケイローンの助言を受けたペーレウスに取り抑えらえ、炎や[[ライオン]]など様々なものに変身して逃れようとしたが、とうとう観念して妻になることを認めたという<ref>ピンダロス『ネメア祝勝歌』第4歌62行-65行。</ref><ref name=Ap_3_13_5 />。 === ペーレウスとの結婚 === [[File:The feast of the gods at the wedding of Peleus and Thetis.jpg|thumb|240px|[[アブラハム・ブルーマールト]]の絵画『ペレウスとテティスの結婚』(1638年)。[[デン・ハーグ]]、[[マウリッツハイス美術館]]所蔵。]] こうして2人は結婚することになった。[[結婚式]]は[[ペーリオン山]]で行われた。結婚式には神々も祝福に訪れ、さまざまな贈り物をした。このときケイローンはとねりこの槍を贈り、ポセイドーンは馬の[[クサントス (ギリシア神話)|クサントス]]と[[バリオス]]を贈った<ref name=Ap_3_13_5 />(『[[イーリアス]]』ではアキレウスがこれらを用いている)。 結婚式にはすべての神が招かれたが、争いの神[[エリス (ギリシア神話)|エリス]]だけは招かれなかった。エリスは怒って宴席に乗り込み、「最も美しい女神に贈る」として[[黄金の林檎]]を投げ入れた。この林檎をめぐって3人の女神[[ヘーラー]]、[[アテーナー]]、[[アプロディーテー]]が争った。ゼウスは仲裁するために[[イーリオス]]王[[プリアモス]]の息子で、現在は[[カズ・ダー|イーデー山]]で羊飼いをしている[[パリス]](アレクサンドロス)に判定させることとした([[パリスの審判]])。女神たちは様々な約束をしてパリスを買収しようとしたが、結局「最も美しい女を与える」としたアプロディーテーが勝ちを得た。「最も美しい女」とはすでに[[スパルタ]]王[[メネラーオス]]の妻となっていた[[ヘレネー]]のことで、これがギリシアの[[トロイア戦争]]の原因となった<ref>プロクロス『文学便覧』「キュプリア梗概」。</ref>。 === アキレウスの出産と別離 === [[File:Peter Paul Rubens 181.jpg|thumb|240px|[[ルーベンス]]の『ステュクスの流れにアキレウスを浸すテティス』(1630年-1635年頃)。[[ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館]]所蔵。]] 結婚後、テティスはペーレウスとの間に多くの子供を産んだと伝えられている。ところがテティスは子供の[[不死|不死性]]を確かめるため赤子を水の満ちた大釜に投じては溺死させた。こうして多くの赤子が死んだため、ペーレウスは怒ってテティスの行動を阻んだ。このとき助かった赤子が後のアキレウスである<ref name=Aig_fr>『{{仮リンク|アイギミオス|en|Aegimius (poem)}}』断片(ロドスのアポローニオス『アルゴナウティカ』4巻816行への古註)。</ref>。 テティスがアキレウスを不死にしようと試みたことも伝えられている。テティスがアキレウスの踵を掴んで[[ステュクス]]の流れに浸すと身体の大部分は不死となった。しかし踵はステュクスに浸からなかったため、アキレウスの唯一の弱点となった<ref>[[スタティウス]]『アキレイス』1巻269行。</ref>。[[エレウシス]]の[[デーメーテール]]神話とよく似た伝承によると、テティスは毎晩のようにアキレウスを火にくべて人間の部分を焼き、昼間は[[アムブロシア]]を塗り、不死を与えようとした。しかしテティスはこの行いを秘密にしていたため、夜にその光景を目撃したペーレウスは驚いてテティスを止めた。目的を阻まれたテティスはアキレウスと夫を捨てて海に去った<ref>ロドスのアポローニオス、4巻866行-879行。</ref><ref name=Ap_3_13_6>アポロドーロス、3巻13・6。</ref>。その後アキレウスはケイローンのもとで養育された<ref name=Ap_3_13_6 />。 しかしテティスは夫や子供のことを忘れたわけではなかった。ペーレウスが[[アルゴー船]]の冒険に参加したとき、ヘーラーに説得されて<ref>ロドスのアポローニオス、4巻780行-841行。</ref>アルゴナウタイがパイアーケス人の国にたどり着くまでの間、荒波とプランクタイの岩礁から船を救った。すなわちテティスは岩礁を避けるため船の舵を取り、またネーレーイデスは船の周りを廻り、船が岩礁に近づくたびに船を持ち上げて空中に投じ、岩礁から遠ざけた<ref>ロドスのアポローニオス、4巻930行-963行。</ref><ref>アポロドーロス、1巻9・25。</ref>{{Refnest|group="注釈"|[[古代ローマ]]の詩人[[カトゥルス]]の詩によると、ペーレウスがテティスを見染めたのはアルゴー船が出航した際に、テティスが[[アムピトリーテー]]のお供として見物に現れたときである<ref>松田治『トロイア戦争全史』p.15。</ref>。}}。 またアキレウスが9歳のとき、[[ミュケーナイ]]王[[アガメムノーン]]らはトロイアに遠征する準備を進めており、[[カルカース]]の予言によってトロイア攻略にどうしてもアキレウスの力が必要とされた。しかしテティスはアキレウスが戦争に参加したら必ず死ぬことを予知し、アキレウスに[[女装]]させて[[スキューロス島]]の[[リュコメーデース]]王に女として育てるよう預けた。しかしアキレウスは[[オデュッセウス]]によって女装を見破られ、戦争に参加することになった<ref>アポロドーロス、3巻18・8。</ref>。 === トロイア戦争 === テティスはトロイア戦争では息子のために献身的に行動し、またアキレウスの死に関して多くの予言をしている。海を渡ったギリシア軍が[[テネドス島]]を攻撃したとき、テティスが[[テネース]]王(アポローンの子[[キュクノス]]の子)を殺せばアポローンの報復を受けて死ぬことになると予言した。しかしそれにもかかわらずアキレウスはテネースを殺してしまう<ref>アポロドーロス、摘要(E)3・26。</ref>。またテティスはトロイアに最初に上陸した者は必ず命を落とすと予言したため、誰も船から降りようとしなかった。このときピュラケーの武将[[プローテシラーオス]]が勇敢にも真っ先に上陸し、トロイア軍との最初の戦闘で[[ヘクトール]]に討たれた<ref>アポロドーロス、摘要(E)3・29。</ref>。 ====『イーリアス』==== [[File:Anthonis van Dyck 066.jpg|thumb|left|240px|[[アンソニー・ヴァン・ダイク]]の絵画『ヘパイストスからアキレウスの武具を受け取るテティス』(1630年-1632年)。[[ウィーン]]、[[美術史美術館]]所蔵。]] 『イーリアス』ではアキレウスの言葉によると「戦場に留まれば生きて帰国できないが、すぐに帰国したならば天寿を全うできる」と予言し<ref>『イーリアス』9巻410行-416行。</ref>、トロイアの城壁の下でアポローンの矢を受けて命を落とすこと<ref>『イーリアス』21巻277行。</ref>{{Refnest|group="注釈"|アキレウスに討たれたヘクトールが息を引き取る前に予言した言葉ではパリスとアポローン<ref>『イーリアス』22巻359行。</ref>。}}、またパトロクロスが死ぬことも予言していた<ref>『イーリアス』18巻9行-11行。</ref>。 『イーリアス』第1巻でアガメムノーンの要求に激怒したアキレウスはアガメムノーンが謝罪するまで戦うことを拒否した。このときアキレウスの嘆きを聞いたテティスは海底から現れ、アキレウスの望みをかなえるために[[オリュムポス]]のゼウスの王宮に行き、アガメムノーンがアキレウスに謝罪して復帰を要請するまで、トロイアの味方をしてギリシア軍を苦しめてほしいと懇願する。テティスがゼウスの前に座り、左手で膝に触れ、右手でゼウスのあごに触れながら懇願するとゼウスは沈黙していたが、再度の懇願でしぶしぶ承諾した<ref>『イーリアス』1巻364以下。</ref>。これ以降ギリシア人は連日苦戦を強いられることとなった。 アキレウスの代わりに出陣した[[パトロクロス]]がヘクトールに討たれたときも、テティスは海底で息子の悲痛な叫びを聞き、悲しみに囚われる。慰めようとする姉妹たちにテティスは漏らす。「私は成長した息子をトロイアに送り出しましたが、再び彼をペーレウスの王宮で迎えることは出来ないでしょう。息子はまだ生きていますが、私が行っても彼の抱える悩みには何の助けにもならないのです。それでも戦場から遠ざかっている間にどんな悲しいことがあったのか聞くために参りましょう」。そう言って姉妹たちを引き連れて海から現れたテティスは、親友の仇を取ろうとはやるアキレウスに、ヘクトールを討った後でアキレウス自身も死ぬことになると予言し、戦場に出るのを止めようとした。しかしこの言葉はアキレウスを苛立たせただけであり<ref>『イーリアス』18巻35行-126行。</ref>、アキレウスの意志を変えられないと分かると、オリュムポスの[[ヘーパイストス]]の工房に行き、武具を失った息子のために新たな武具の制作を依頼した<ref>『イーリアス』18巻127行-147行。</ref><ref name="『イーリアス』18巻" />。またアキレウスがパトロクロスの遺体の腐敗を心配するので、遺体の鼻孔からアムブロシアーとネクタルを体内に滴らせ、腐敗から保護した<ref>『イーリアス』19巻1行-39行。</ref>。 24巻ではアキレウスがヘクトールを討ち、その遺体を戦車に結びつけてパトロクロスの墳墓の周囲を引き回したため、ヘクトールを憐れんだ神々から[[ヘルメース]]を遣わして遺体を盗み出すという意見が出た。しかしテティスから恨まれることを嫌ったゼウスはアキレウスの面目を立てることを第一に考え、[[イーリス]]にテティスを呼びに行かせた。テティスがオリュムポスに現れると、ゼウスは彼女にアキレウスがヘクトールの遺体を返還するよう働きかけることを依頼する。そこでテティスがゼウスの意志を伝えるとアキレウスはその要請に応じ、密かにギリシア陣営を訪れた老王[[プリアモス]]を招き入れる<ref>『イーリアス』24巻1行以下。</ref>。 ====テティスとエーオース==== [[File:Akhilleus Memnon Staatliche Antikensammlungen 1410.jpg|thumb|300px|戦うアキレウスとメムノーンの背後に両英雄の母テティスとエーオースが描かれている。[[イタリア]]、{{仮リンク|ヴルチ|en|vulci}}から出土した[[アッティカ]][[黒絵式]][[アンフォラ]](前510年頃)。{{仮リンク|州立古代美術博物館|en|Staatliche Antikensammlungen}}所蔵。]] 叙事詩『[[アイティオピス]]』ではアキレウスが女神[[エーオース]]の子[[メムノーン]]を打ち倒して[[アンティロコス]]の仇をとったこと、テティスがゼウスにアキレウスの不死を願ったが、パリスとアポローンに殺されたことが語られていた。パウサニアスは『[[キュプセロス (僭主)|キュプセロス]]の箱』にアキレウスとメムノーンの戦いおよび2人を見守るテティスとエーオースが彫刻されていたと述べており<ref>パウサニアス、5巻19・2。</ref>、その様子を描いた壷絵も多く発見されている。アイスキュロスは現存しない悲劇『魂の重さ比べ』において、ゼウスがアキレウスとメムノーンの魂を秤にかけて死すべき者を決定し、その両脇でテティスとエーオースが自分の息子を勝者とするよう嘆願する様を描いたと伝えられている<ref>アイスキュロス断片。</ref>。 ====アキレウスの葬礼==== 『オデュッセイア』によるとアキレウスの死を知ったテティスは姉妹のネーレーイデスとともに海底から現われた。すると周囲に不気味な叫び声が響き渡ったため兵士たちは恐怖にとりつかれ、ネストールがアキレウスの母である女神が現れたのだと言って混乱を鎮めなかったなら、みな船に逃げ込むところだった。海の女神たちは嘆きの声をあげながらアキレウスの遺体の周りに立って不滅の衣を着せ、9人の[[ムーサイ]]は嘆きの歌を歌い、兵士たちの心を打った。このように女神と人間たちは17日に渡って死を悼んだのち18日目に遺体を火葬した。そしてアキレウスとパトロクロスの骨がディオニューソスから贈られた黄金の[[骨壷]]に一緒に納められ、またアンティロコスの骨も別に収められ、3人ともに同じ墳墓に葬られた。その後、アキレウスの葬礼競技が催され、テティスは神々から授けられた品々を賞品として出した<ref>『オデュッセイア』24巻47行-97行。</ref>。 テティスがネーレーイデスやムーサイとともに現れて息子の死を嘆いたとする伝承はプロクロスや<ref>プロクルス『文学便覧』「アイティオピス梗概」。</ref>、[[クイントゥス]]、[[ピロストラトス]]も伝えている。クイントゥスによるとアキレウスの死がネーレーイデスに知れ渡ると彼女たちの嘆く声がヘレスポントス中に響き渡り、ヘリコーン山からはムーサイもやって来た。このときゼウスがギリシアの兵士たちに気力を注いだおかげで彼らは女神の集団を目にしても恐怖にとりつかれずにすんだ。また、カリオペーや、ネーレウス、ポセイドーンといった神々がテティスを慰めたが、特にポセイドーンの「アキレウスがディオニューソスやヘーラクレースのように神となって永遠に生きる」という言葉はテティスの苦しみを和らげた<ref>クイントゥス、3巻。</ref>。 ピロストラトスはテティスたちが現れたとき海水が盛り上がって岸に近づいてくるという不思議な現象が起きたこと、毎晩のように息子の死を嘆くテティスの声が全軍に響き渡ったことを述べている<ref>ピロストラトス『ヘーロイコス』51。</ref>。また死後に不死となったアキレウスはヘレネーと結婚して[[黒海]]の[[ズミイヌイ島|レウケー島]]で暮らしたとも伝えられているが、この島をピロストラトスはテティスがアキレウスのためにポセイドーンに願って海から現出してもらったものだとしている<ref>ピロストラトス『ヘーロイコス』54。</ref>。 == 悲劇作品におけるテティス == ===エウリーピデース『アンドロマケ―』=== [[エウリーピデース]]の[[ギリシア悲劇|悲劇]]『[[アンドロマケ (エウリピデス)|アンドロマケー]]』はトロイア戦争後のプティーア地方の都市[[ファルサロス]]の北東に位置する{{仮リンク|テティディオン|en|Thetidium}}{{Refnest|group="注釈"|古代では以下の表記が知られている。テティディオン({{el|Θετίδιον}}, {{ラテン翻字|el|Thetidion}})<ref>[[ストラボン]]、9巻5・6(C431)。</ref><ref>[[ポリュビオス]]『[[歴史 (ポリュビオス)|歴史]]』18・3・4。</ref>、テティデイオン({{el|Θετίδειον}}, {{ラテン翻字|el|Thetideion}})<ref>エウリーピデース『アンドロマケー』20行。</ref>、テスティデイオン({{el|Θεστίδειον}}, {{ラテン翻字|el|Thestideion}})<ref>ビューザンティオンのステファノス。</ref>。}}(現在の{{仮リンク|テティディオ|el|Θετίδιο Λάρισας}})を舞台としている。この地名は'''テティスの聖域'''の意であり、結婚したテティスとペーレウスが暮らした場所とされ、地名もテティスに由来する<ref>エウリーピデース『アンドロマケー』16行-20行。</ref>。 トロイア戦争から帰国した[[ネオプトレモス]](アキレウスの子)はプティーアの支配をペーレウスに任せ、テティディオンで妻[[ヘルミオネー]]と奴隷として連れ帰った[[アンドロマケー]]とともに暮らしていた。しかしネオプトレモスとアンドロマケーとの間に1子([[モロッソス]])が生まれると、これを恨みに思ったヘルミオネーは、ネオプトレモスの留守中に、父[[メネラーオス]]と協力してアンドロマケーとその子供を殺そうとする。そのためアンドロマケーは子供を他所に預け、自分はテティスの神殿に逃げ込む。その後はペーレウスによって救われるが、ネオプトレモスは[[オレステース]]によって殺される。テティスは劇のエピロゴスで[[デウス・エクス・マーキナー]]として登場する<ref>エウリーピデース『アンドロマケー』1231行以下。</ref>。テティスはペーレウスにネオプトレモスをデルポイに埋葬してオレステースの罪を後世に伝えることを命じ、アンドロマケーは[[ヘレノス]]と結婚しネオプトレモスの子はモロッシア王家の祖となること、またペーレウス自身は不老不死の神となり、ネーレウスの館で自分とともに暮らすであろうと予言する。最後にペーレウスがテティスと結婚したペーリオン山に思いをはせて劇は終る。 == テティス崇拝 == [[File:Magnesia.jpg|thumb|left|180px|ペーリオン山北方の海岸にカスタナイアー市。セピアス岬はマグネシア地方南東の先端部と考えられていた。]] 古代の何人かの著述家がテティス崇拝について言及している。歴史家ヘーロドトスは[[ペルシア戦争]]と関連してテッサリアー地方のテティス崇拝について言及している。[[テルモピュライの戦い]](前480年)に先立ち、[[クセルクセス1世|クセルクセース1世]]率いる大海軍がギリシアに到達したとき<ref>ヘーロドトス、186。</ref>、マグネーシア地方のカスタナイアー市(Kasthanaie)とセピアス(Sepias)岬の間にある浜辺に停泊した。しかしペルシア軍は3日3晩激しい嵐に見舞われ<ref>ヘーロドトス、188。</ref>400隻もの軍勢を失った<ref>ヘーロドトス、190。</ref>。そのためペルシア軍は[[イオニア人]]の助言に従い、セピアス岬を聖域とするテティスとネーレーイデスに対して嵐の鎮静化を祈願したという<ref name=Hero_7_191 />。このセピアス岬の正確な位置は不明瞭である。20世紀初頭にA. J. B. ウェイス(A. J. B. Wace)とJ. B. ドループ(J. B. Droop)の2人はセピアスの発掘調査を行ったが、神殿の遺構は発見されなかった<ref name="Emma Aston">Emma Aston, Thetis and Cheiron in Tessaly.</ref>。 パウサニアースによるとテティスはスパルタに聖域を持っていた。アギス朝の[[アナクサンドロス]]王(在位:前640年-前615年頃)の時代、スパルタは離反したメッセニア人を平定するためメッセニア地方に侵攻し、女たちを捕虜にした。その中にテティスの女祭司クレオーがおり、王の妻レアンドリスは彼女がテティスの木彫神像を持っていることに気がつくと、王に願って彼女を譲り受け、2人でテティスの神殿を造営した<ref>パウサニアス、3巻14・4。</ref>。また木彫神像は非公開のまま聖域で守護されていた<ref>パウサニアス、3巻14・5。</ref>。これによるとスパルタのテティス崇拝はメッセニア地方まで遡り、スパルタでの崇拝は紀元前7世紀に始まって、パウサニアースが生きた2世紀でも続いていたことになる。 ピロストラトスが言及するテッサリアー地方のアキレウス崇拝によると、テッサリアー人は[[ドードーナ]]の神託によってトロイア地方まで航海し、アキレウスの供儀を行った。彼らは上陸する際に船上からテティスの讃歌を唱えなければならなかった。しかし彼らが供儀の習慣を止めてしまったとき、アキレウスとテティスはテッサリアー地方に災厄をもたらしたという<ref>ピロストラトス『ヘーロイコス』53。</ref>。 == アルクマーンの宇宙開闢詩 == アルクマーンの宇宙論的な詩は1957年に[[オクシュリュンコス・パピュルス]]から発見された。詩は古代の注釈者によって断片的に引用されており、注釈者は哲学的な用語を用いながらアルクマーンの詩を解説しようとしている。それによると原初の宇宙は無秩序で不定形の質料(ヒューレー)で成り立っており、やがてテティスが、続いてポロスが現れ、それが過ぎ去るとテクモールという神が現れたとしている。万物は[[青銅]]に似ており、テティスはそこから青銅器を作る職人に喩えられている。またポロスは始原であり、テクモールは終末であるとし、さらに闇(スコトス)が生まれたと述べている。しかし注釈は錯綜しており、テティスが生まれたとき、万物の始原と終末も同時に生まれたとしている<ref>アルクマーン断片5。</ref><ref name="廣川洋一「哲学の始まりと抒情詩」">廣川洋一「哲学の始まりと抒情詩 アルクマンの場合」。</ref><ref name="Noriko Yasumura" />。 == 研究 == かつてテッサリアー神話におけるテティス、ペーレウス、ケイローンの結びつきに注目した{{仮リンク|ヴィルヘルム・マンハルト|de|Wilhelm Mannhardt}}は、『森と畑の祭祀』第2巻(1877年)で結婚からアキレウスの幼少期までを描いた叙事詩『ペーレイス』が存在したと主張した<ref>Wilhelm Mannhardt, Antike Wald- und Feldkulte aus nordeuropäischer Überlieferung, 1877, Bd. II, p. 52-55.</ref><ref name="Emma Aston" />。マンハルトの仮説が証明される見込みはないが、テティスの結婚に関してまとまった伝承が『イーリアス』以前に存在していたことは確実と見なされている。『イーリアス』では結婚に関する伝承が断片的に見られるほか、別離の伝承が詩全体を通して効果的に活用されている。作中でアキレウスの嘆きに応えて現れる身軽さは、ペーレウスとの結婚生活が破綻し、海底のネーレウスの館で暮らしていることに由来している。また最後の24巻では詩人はゼウスの要請に従ってオリュムポスに赴くテティスを語っているが、この描写はアキレウスのためにオリュムポスに赴く1巻と対比の関係にある<ref name="岡">岡道男『ホメロスと叙事詩の環』。</ref>。1巻と24巻はテティス以外にも登場人物が対比的に描かれており{{Refnest|group="注釈"|娘[[クリューセーイス]]の返還を求める老神官[[クリューセース]](1巻)と息子ヘクトールの遺体の返還を求める老王[[プリアモス]](24巻)、それを追い返すアガメムノーン(1巻)と迎え入れてもてなすアキレウス(24巻)という対比。}}、彼らの行動によって物語をまとめ上げる詩人の構想が見て取れる。 一方『イーリアス』のゼウスを救出する神話(1巻396行-406行)は否定的に解釈される傾向にある。すでに古代[[アレクサンドリア図書館]]の初代館長を務めた文献学者{{仮リンク|ゼノドトス|en|Zenodotus}}は当該箇所を削除しており<ref name="Noriko Yasumura" />、現代においても[[マルコム・モーリス・ウィルコック]](Malcolm Maurice Willcock)やM・W・エドワーズ(M. W. Edwards)といった研究者がテティスを詩人の《発明》と見なしている{{Refnest|group="注釈"|M. M. Willcock (1964) 143, M. W. Edwards (1987) 67.<ref name="岡" />。}}。というのも、当該箇所にはヘカトンケイルを呼び出すテティスの権威が何に由来するのかという疑問があり、ブリアレオースの別名として挙げられているアイガイオーンは散逸した叙事詩『{{仮リンク|ティーターノマキアー (叙事詩)|en|Titanomachy (epic poem)|label=ティーターノマキアー}}』によると[[ポントス]]と[[ガイア]]との間に生まれた海の[[巨人 (伝説の生物)|巨人]]であり、両者の同一視は海の女神であるテティスと本来接点のないへカトンケイルとを結びつける詩人の創作であることを疑わせる。したがってテティスがヘカトンケイルを呼び出せる立場にないとすると、神々がゼウスに反乱を起こし、それをテティスが鎮めるという伝承自体あやふやなものとなる<ref name="岡" />。しかしこうした批判的研究に対し、近年はスラトキン(Laura M. Slatkin)の 著書 "The Power of Thetis"(1991年)のようにテティスを捉え直す研究もある(同書はテティスを単独で扱った最初の研究書となっている<ref name="角田" />)。他にも{{仮リンク|アルビン・レスキー|de|Albin Lesky}}は1巻396行-406行をもとにテティスを偉大な女神だったと位置付けることで、テティスの神話を解釈しようとした<ref>Albin Lesky, Peleus, 1937.</ref><ref name="岡" />。アルクマーンの宇宙論的な詩によってテティスを原初的かつ[[デーミウールゴス]]的な性格を備えた偉大な女神と見なすことは可能だが、古代の注釈者の引用が断片的であること、また詩を当時の宇宙論的思想で解釈したと考えられることから慎重に扱う必要があるとされている<ref name="Noriko Yasumura" /><ref name="廣川洋一「哲学の始まりと抒情詩」" />。もっとも、テティスの原初的性格は彼女の名前から窺えるとする意見もある。即ちテティスの名前は原初の海の女神[[テーテュース]]と発音でも意味でもたがいに似ており、どちらも元来は海の女主人であったと考えられる<ref>カール・ケレーニイ『ギリシアの神話 神々の時代』1章1。</ref>。 最後に[[比較神話学]]の視点からテティスの神話と[[インド]]の叙事詩『[[マハーバーラタ]]』とを比較することが提案されている。この研究ではテティス=アキレウスと[[ガンガー]]=[[ビーシュマ]]の母子関係との間の驚くべき一致が指摘されている。海の女神テティスは多くの赤子を水に沈めて溺死させたと伝えられるが<ref name=Aig_fr />、[[ガンジス川]]の化身である女神ガンガーもまた([[前世]]の罪のためにガンガーの子として地上に生まれてきた[[ヴァス神群]]を天に還すため)多くの赤子を川に沈めて溺死させたと伝えられている<ref>『マハーバーラタ』1巻91章-93章。</ref>。テティスもガンガーもともに水域の女神であり、子供を溺死させ、最後に残った子供が後に大戦争で活躍する大英雄になるという点で一致している。このような類似はインド=ヨーロッパ共通時代に遡る伝承であることを示しているという<ref>吉田敦彦『ギリシァ神話と日本神話』p.71-74。</ref><ref>沖田瑞穂「印欧語族の豊穣女神に共通する諸特徴について」。</ref>。 ==西洋絵画== テティスの神話は古代以来、芸術家たちの創作の源泉となった。[[ルネサンス]]以降の西洋絵画で好まれた主題はテティスとペーレウスの結婚であり、アキレウスと関係のあるエピソードもまた同様に描かれた。他の神々と描かれた例としてはゼウス([[ユーピテル]])、ヘーパイストス([[ウゥルカーヌス]])、アポローンなどの例がある。テティスの最も有名な絵画作品は[[フランス]][[新古典主義]]の画家[[ドミニク・アングル]]が[[1811年]]に描いた『[[ユピテルとテティス]]』で、『イーリアス』第1巻のテティスの懇願を主題としているが主題としては少数派である。アポローンとともに描かれた例は日没の寓意となっている。こちらは[[フランソワ・ブーシェ]]の対作品『日の出』、『日没』が有名。 ===ペーレウスとテティスの結婚=== <center><gallery widths="140px" heights="140px" perrow="4"> Jan Brueghel d.Æ. - The Feast of the Gods. The Wedding of Peleus and Thetis - KMSsp225 - Statens Museum for Kunst.jpg|{{small|[[ヤン・ブリューゲル (父)|ヤン・ブリューゲル]]『神々の饗宴あるいはペレウスとテティスの結婚』(1589年-1632年の間) [[コペンハーゲン国立美術館]]所蔵}} Abraham Bloemaert - Die Hochzeit von Peleus und Thetis - 6526 - Bavarian State Painting Collections.jpg|{{small|[[アブラハム・ブルーマールト]]『ペレウスとテティスの結婚』(1590年-1595年頃) [[ミュンヘン]]、[[アルテ・ピナコテーク]]所蔵}} WLANL - legalizefreedom - De bruiloft van Peleus en Thetis.jpg|{{small|[[コルネリス・ファン・ハールレム]]『ペレウスとテティスの結婚』(1592年-1593年頃) [[ハールレム]]、[[フランス・ハルス美術館]]}} Hans Rottenhammer - Götterfest, Hochzeit von Peleus und Thetis (Ermitage).jpg|{{small|[[ハンス・ロッテンハンマー]]『神々の饗宴あるいはペレウスとテティスの結婚』(16世紀後半)[[サンクトペテルブルク]]、[[エルミタージュ美術館]]所蔵}} Hans Rottenhammer 001.jpg|{{small|ハンス・ロッテンハマー、ヤン・ブリューゲル『神々の饗宴あるいはペレウスとテティスの結婚』(1600年)サンクトペテルブルク、エルミタージュ美術館所蔵}} PeleusThetisWtewael2.jpg|{{small|[[ヨアヒム・ウテワール]]『ペレウスとテティスの結婚』(1602年) [[ブラウンシュヴァイク]]、[[アントン・ウルリッヒ公爵美術館]]所蔵}} Hendrik de Clerck - The Nuptials of Thetis and Peleus - WGA5022.jpg|{{small|{{仮リンク|ヘンドリック・デ・クラーク|en|Hendrick de Clerck}}『テティスとペレウスの結婚』(1606年-1609年の間) [[ルーヴル美術館]]所蔵}} The wedding of Peleus and Thetis, by Joachim Wtewael.jpg|{{small|ヨアヒム・ウテワール『ペレウスとテティスの結婚』(1612年){{仮リンク|ウィリアムズタウン (マサチューセッツ州)|en|Williamstown, Massachusetts|label=ウィリアムズタウン}}、{{仮リンク|クラーク・アート・インスティテュート美術館|en|Clark Art Institute}}所蔵}} Golden Apple of Discord by Jacob Jordaens.jpg|{{small|[[ヤーコプ・ヨルダーンス]]『ペレウスとテティスの結婚』(1633年)[[マドリード]]、[[プラド美術館]]所蔵}} The Wedding of Peleus and Thetis by Peter Paul Rubens.jpg|{{small|[[ピーテル・パウル・ルーベンス]]『ペレウスとテティスの結婚』(1636年) [[シカゴ美術館]]所蔵}} 1715 Elliger Hochzeit von Peleus und Thetis anagoria.JPG|{{small|[[オットマール・エリガー]]『ペレウスとテティスの結婚』(1715年)[[ニュルンベルク]]、[[ゲルマン国立博物館]]所蔵}} </gallery></center> ===テティスとアキレウス=== <center><gallery widths="140px" heights="140px" perrow="5"> Thetis dipping Achilles into the River Styx by Donato Creti.jpg|{{small|{{仮リンク|ドナート・クレティ|en|Donato Creti}}『ステュクスの流れにアキレウスを浸すテティス』(1710年) [[ボローニャ]]、{{仮リンク|国立絵画館 (ボローニャ)|en|Pinacoteca Nazionale di Bologna|label=国立絵画館}}}} Giovanni Battista Tiepolo - Thetis Consoling Achilles - WGA22339.jpg|{{small|[[ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ]]『アキレウスを慰めるテティス』(1757年) [[ヴェネツィア]]、{{仮リンク|ヴァルマラーナ・アイ・ナーニ邸|it|Villa Valmarana "Ai Nani"}}所蔵}} Thetis Immerses Son Achilles in Water of River Styx by Antoine Borel.jpg|{{small|{{仮リンク|アントワーヌ・ボレル|fr|Antoine Borel (artiste)}}『ステュクスの流れにアキレウスを浸すテティス』(18世紀) [[パルマ国立美術館]]所蔵}} Pompeo Batoni - Teti richiama Achille dal Centauro Chirone (1770).jpg|{{small|[[ポンペオ・バトーニ]]『ケイロンのもとからアキレウスを連れて行くテティス』(1770年)[[エルミタージュ美術館]]所蔵}} Thetis Bringing Armor to Achilles II by Benjamin West.jpg|{{small|[[ベンジャミン・ウエスト]]『アキレウスに武具を与えるテティス』(1804年)[[ロサンゼルス・カウンティ美術館]]所蔵}} </gallery></center> ===テティスと神々=== <center><gallery widths="140px" heights="140px" perrow="4"> Peter Paul Rubens - Thétis recevant de Vulcain.jpg|{{small|ピーテル・パウル・ルーベンス『ウルカヌスからアキレウスの武具を受け取るテティス』(1630年) {{仮リンク|ポー美術館|fr|Musée des Beaux-Arts de Pau}}}} Peter Paul Rubens (taller) - Thetis y Minerva.jpg|{{small|ピーテル・パウル・ルーベンスの工房『テティスとミネルヴァ』(17世紀) [[ブエノスアイレス]]、[[アルゼンチン国立美術館|国立美術館]]所蔵}} Charles de La Fosse - Apollo and Thetis.jpg|{{small|[[シャルル・ド・ラ・フォス]]『アポロンとテティス』(1688年)[[ヴェルサイユ]]、[[大トリアノン宮殿]]所蔵}} Jean Baptiste Zhuvene - Apollo and Thetis.jpg|{{small|[[ジャン・ジュヴネ]]『アポロンとテティス』(1701年) [[ベルサイユ宮殿]]所蔵}} Boucher, François - The Setting of the Sun - 1752.jpg|{{small|[[フランソワ・ブーシェ]]『日没』(1752年) [[ロンドン]]、[[ウォレス・コレクション]]所蔵}} Julien de Parme Giove e Teti 1776.jpg|{{small|[[ジュリアン・ド・パルム]]『ユピテルとテティス』(1776) [[フィレンツェ]]、{{仮リンク|近代美術館 (フィレンツェ)|it|Galleria d'Arte Moderna (Firenze)|label=近代美術館}}所蔵}} </gallery></center> == 脚注 == ===注釈=== {{reflist|group="注釈"}} ===脚注=== {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[アポロドーロス]]『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年) * [[アルクマン]]他『ギリシア合唱抒情詩集』[[丹下和彦]]訳、[[京都大学学術出版会]](2002年) * 『[[オデュッセイア]]/[[アルゴナウティカ]]』[[松平千秋]]・[[岡道男]]訳、[[講談社]](1982年) * 『ギリシア悲劇III [[エウリピデス]](上)』、[[ちくま文庫]](1986年) * 『ギリシア悲劇全集6 エウリーピデースII』、[[岩波書店]](1991年) * [[スミュルナのコイントス|クイントゥス]]『[[トロイア戦記]]』[[松田治]]訳、[[講談社学術文庫]](2000年) * [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年) * [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』松田治・青山照男訳、講談社学術文庫(2005年) * [[ピロストラトス]]『英雄が語るトロイア戦争』[[内田次信]]訳、[[平凡社ライブラリー]](2008年) * [[ピンダロス]]『祝勝歌集/断片選』内田次信訳、京都大学学術出版会(2001年) * [[ヘシオドス]]『[[神統記]]』[[廣川洋一]]訳、岩波文庫(1984年) * 『ヘシオドス 全作品』[[中務哲郎]]訳、京都大学学術出版会(2013年) * [[ヘロドトス]]『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]](下)』 松平千秋訳、岩波文庫(1972年) * [[ホメロス]]『[[イリアス]](上)』松平千秋訳、岩波文庫(1992年) * [[カール・ケレーニイ]]『ギリシアの神話 神々の時代』[[植田兼義]]訳、[[中公文庫]](1985年) * 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、[[岩波書店]](1960年) * 松田治『トロイア戦争全史』、講談社学術文庫(2008年) * [[吉田敦彦]]『ギリシァ神話と日本神話 比較神話学の試み』、[[みすず書房]](1974年) ===論文=== * 岡道男 「[https://hdl.handle.net/2433/72993 ホメロスと叙事詩の環]」 『京都大学文学部研究紀要』 乙第3361号 博士論文, 1976年 * 沖田瑞穂「[https://hdl.handle.net/10959/1944 印欧語族の豊穣女神に共通する諸特徴について]」 『学習院大学人文科学論集』 2003年 12号 p.181-206 * [[角田幸彦]]「[https://hdl.handle.net/10291/19243 ホメロス作品世界の精神史的考察 新稿]」 『明治大学教養論集』 2017年 531巻 p.1-53, {{ISSN|0389-6005}} * {{Cite journal|和書|author=[[安村典子|Yasumura Noriko]] |title=Cosmogonic Fragment of Alcman (Oxyrhynchus Papyri XXIV) |journal=西洋古典論集 |url=https://hdl.handle.net/2433/68664 |issn=0289-7113 |publisher=京都大学西洋古典研究会 |year=2001 |month=jun |issue=17 |pages=1-15 |naid=110004687700}} * 廣川洋一「[https://doi.org/10.20578/jclst.20.0_40 哲学のはじまりと抒情詩 アルクマンの場合]」 『西洋古典学研究』 1972年 20巻 p.40-48 * Emma Aston, [https://journals.openedition.org/kernos/1769 Thites and Cheiron in Thessaly]([[HTML]]), Kernos 22, 2009. == 関連項目 == {{Commonscat|Thetis}} * [[ネーレーイデス]] * [[アルクマーン]] * [[アキレウス]] * [[ペーレウス]] * [[イーリアス]] * [[キュプリア]] * [[テティス (小惑星)]] {{ギリシア神話}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:てていす}} [[Category:ギリシア神話の神]] [[Category:ネーレーイス]] [[Category:海神]] [[Category:女神]] [[Category:アキレウス]] [[Category:ヘーラー]]
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同位体
同位体(どういたい、英: isotope;アイソトープ)とは、同一原子番号を持つものの中性子数(質量数 A - 原子番号 Z)が異なる核種の関係をいう。この場合、同位元素とも呼ばれる。歴史的な事情により核種の概念そのものとして用いられる場合も多い。 同位体は、放射能を持つ放射性同位体 (radioisotope) とそうではない安定同位体 (stable isotope) の2種類に分類される。 同位体の表記は、核種の表記と同様に、元素名に続けて質量数を示すか、元素記号の左肩に質量を付記し、例えば炭素14あるいは C のように表される。ただし現在は水素の同位体に限り、固有の記号で表される核種もある。重水素 (H Deuterium) は D または d、三重水素 (H Tritium) は Tである。例として重水の化学式は D2O と表す。かつてはラドンの同位体に関して、ラドン220 (Rn) はトロン Tn 、ラドン219 (Rn) はアクチノン An という固有の名称および記号が与えられており、現在でも温泉科学など特定の分野で慣用的に用いることがある。 同一元素の同位体においては、電子状態が同じであるため化学的性質は同等である。しかし質量数は異なるため、結合、あるいは解離反応の速度などに微小な差が現れる(速度論的同位体効果参照)。特に質量が2倍差、3倍差となる水素の同位体では、軽水と重水のように顕著な物性の違いとなる。また、核スピンの値や、中性子吸収断面積など、原子核の性質は同位体核種ごとに異なる。 同位体を製造する方法としては、核合成により直接合成する方法と、同位体分離(英語版)と言われる同位体を天然中の物質から分離する方法とがある。kg単位以上の同位体を製造する場合は同位体分離で行われる。 同位体分離は、同位体の蒸気圧などの微小な物性差や質量差を利用して行われる。同位体分離には、蒸留分離、拡散分離、遠心分離、レーザー分離といった方法がある。水素は最も大きく速度論的同位体効果が現れる為に重水素を濃縮する場合は、水の電気分解の速度差が利用されている。安定同位体においては、ホウ素10、酸素18が日本国内で製造されている。また、ウランを核燃料として使うにあたり、核分裂しやすいウラン235の濃度を高めるウラン濃縮が行われるが、これも同位体分離である。 自然界における同位体の存在比を同位体比という。太陽系内の物質の同位体比は、放射性物質の影響および同位体効果を除くと、極めて一様である。これは太陽系誕生時に、物質が高温で熱せられ拡散したことにより、それ以前に各物質が保有していた固有の同位体比が平均化されたためと考えられている。 原子量が整数からかけ離れている元素は複数の同位体(核種)からなり、その比率もまばらであることが多い。例えば塩素の原子量は約35.5であるが、これは塩素の同位体である塩素35と塩素37の存在比がおよそ3:1なためである。これを一般化するとn個の同位体Iiからなる元素の原子量Awは で与えられる。 ただし例外的に、太陽系物質ではありえない同位体比をもった粒子が、原始的な隕石から発見されており、それらは、超新星爆発や赤色巨星星周など太陽系外に起源を持ち、原始太陽系の高温時代を生き残った粒子だと考えられている。 また太陽系内の物質であっても、同位体効果などにより、パーミルのオーダー (0.1%=1‰) では同位体比にも差がある。その差異を分析することにより、試料の起源、変遷を探ることができるため、後述する地球惑星科学の分野などで同位体比の測定が活用されている。例えば、はやぶさが持ち帰った試料も、希ガスの同位体測定により、その起源が解析されている。 地球上においても、閉じた系の内部では放射性同位体の崩壊などにより年月を経て同位体比は変化する。これを利用したのが放射性炭素年代測定である。 同位体比の測定には、主に質量分析法が用いられ、NMRや赤外分光法が活用されることもある。星雲などの宇宙空間の物質の同位体比を測定するには、電波観測や赤外線観測が利用される。 製造された各同位体は、用途に合わせて目的化合物に取り入れて利用する。このことを、同位体標識といい、同位体標識された化合物を同位体標識化合物(正式には同位元素標識化合物)という。単に「マークする」や、化合物を称してマーカーと呼ぶことも多い。 同位体標識化合物の名称は、化学名の後に、標識部位、標識核種名が続く。例えば、化学式CH3COOHの酢酸は酢酸-2-Cとなり、化学式CHCOOHの酢酸は酢酸-1-Cと、化学式CH3COOHで部位の特定が必要ない場合は、酢酸-C2 と表される。また、同位体標識化合物ごとのCAS登録番号も存在する。 同位体標識化合物の合成は、特にその分子の一部分の原子だけを標識する場合、その化学合成による標識は非常に困難である。
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同位体とは、同一原子番号を持つものの中性子数が異なる核種の関係をいう。この場合、同位元素とも呼ばれる。歴史的な事情により核種の概念そのものとして用いられる場合も多い。 同位体は、放射能を持つ放射性同位体 (radioisotope) とそうではない安定同位体 の2種類に分類される。
{{混同|同素体}} {{Redirect|アイソトープ|尾崎豊設立の芸能事務所|アイソトープ (事務所)|バンド|アイソトープ (バンド)}} {{Expand English|Isotope|date=2023-11}} '''同位体'''(どういたい、{{lang-en-short|isotope}};アイソトープ)とは、同一[[原子番号]]を持つ<ref>すなわち同じ[[元素]]である。</ref>ものの[[中性子]]数([[質量数]] A - [[原子番号]] Z)が異なる[[核種]]の関係をいう。この場合、'''同位元素'''とも呼ばれる。歴史的な事情により[[核種]]の概念そのものとして用いられる場合も多い。 同位体は、[[放射能]]を持つ[[放射性同位体]] (radioisotope) とそうではない安定同位体 (stable isotope) の2種類に分類される<ref>放射性同位体は時間とともに[[放射性崩壊]]を起こすが、安定同位体は自然界で一定の割合をもって安定に存在する。</ref>。   == 概要 == 同位体の表記は、核種の表記と同様に、元素名に続けて質量数を示すか、元素記号の左肩に質量を付記し、例えば炭素14あるいは {{sup|14}}C のように表される。ただし現在は[[水素]]の同位体に限り、固有の記号で表される核種もある。[[重水素]] ({{sup|2}}H Deuterium) は D または d、[[三重水素]] ({{sup|3}}H Tritium) は Tである。例として[[重水]]の化学式は D{{sub|2}}O と表す。かつては[[ラドン]]の同位体に関して、ラドン220 ({{sup|220}}Rn) は[[ラドン#同位体|トロン Tn]] 、ラドン219 ({{sup|219}}Rn) はアクチノン An という固有の名称および記号が与えられており、現在でも温泉科学など特定の分野で慣用的に用いることがある。 同一元素の同位体においては、電子状態が同じであるため化学的性質は同等である。しかし質量数は異なるため、結合、あるいは解離反応の速度などに微小な差が現れる([[速度論的同位体効果]]参照)。特に質量が2倍差、3倍差となる[[水素の同位体]]では、軽水と重水のように顕著な物性の違いとなる。また、核[[スピン角運動量|スピン]]の値や、中性子吸収断面積など、原子核の性質は同位体核種ごとに異なる。 同位体を製造する方法としては、核合成により直接合成する方法と、{{Ill2|同位体分離|en|Isotope separation}}と言われる同位体を天然中の物質から分離する方法とがある。kg単位以上の同位体を製造する場合は同位体分離で行われる。 同位体分離は、同位体の蒸気圧などの微小な物性差や質量差を利用して行われる。同位体分離には、[[蒸留]]分離、[[拡散]]分離、[[遠心分離]]、[[レーザー]]分離といった方法がある。水素は最も大きく[[速度論的同位体効果]]が現れる為に重水素を濃縮する場合は、水の電気分解の速度差が利用されている。安定同位体においては、ホウ素10<ref>{{Cite web|和書 | url = http://www.stella-chemifa.co.jp/products/chemical/category06/10b.html | archiveurl = https://web.archive.org/web/20120322025901/http://www.stella-chemifa.co.jp/products/chemical/category06/10b.html | title = <sup>10</sup>B濃縮ホウフッ化カリウム | work = 事業紹介 &gt; 高純度薬品事業 &gt; 原子力関連 | publisher = [[ステラケミファ]] | accessdate = 2012-4-11 | archivedate = 2012-3-22 | deadlinkdate = 2018年11月27日 }}</ref>、酸素18<ref name="JST">[https://www.jst.go.jp/itaku/info/taiyou.html 水-{{sup|18}}O製造、JST]、2012年4月11日閲覧。</ref><ref>[http://stableisotope.tn-sanso.co.jp/oxygen/index.html 大陽日酸 SI事業部、安定同位体試薬/酸素安定同位体]、2012年4月11日閲覧。</ref>が日本国内で製造されている。また、ウランを[[核燃料]]として使うにあたり、核分裂しやすい[[ウラン235]]の濃度を高める[[ウラン濃縮]]が行われるが、これも同位体分離である。 == 同位体比 == {{Main|天然存在比}} 自然界における同位体の存在比を同位体比(天然存在比)という。太陽系内の物質の同位体比は、放射性物質の影響および同位体効果を除くと、極めて一様である。これは太陽系誕生時に、物質が高温で熱せられ拡散したことにより、それ以前に各物質が保有していた固有の同位体比が平均化されたためと考えられている。 [[原子量]]が整数からかけ離れている元素は複数の同位体(核種)からなり、その比率もまばらであることが多い。例えば[[塩素]]の原子量は約35.5であるが、これは塩素の同位体である塩素35と塩素37の存在比がおよそ3:1なためである<ref>[[親切な物理]](下)P374</ref>。これを一般化すると''n''個の同位体''I{{sub|i}}''からなる元素の原子量''A''{{sub|w}}は :<math>A_w =\sum_{i=1}^n p_i I_i</math> で与えられる。 ただし例外的に、[[太陽系]]物質ではありえない同位体比をもった粒子が、原始的な[[隕石]]から発見されており<ref>[http://ksgeo.kj.yamagata-u.ac.jp/~kazsan/class/chronology/presolar.html 隕石中の希ガスの同位体異常とプレソーラー粒子の説明]</ref>、それらは、[[超新星爆発]]や[[赤色巨星]]星周など太陽系外に起源を持ち、原始太陽系の高温時代を生き残った粒子だと考えられている。 また太陽系内の物質であっても、[[同位体効果]]などにより、[[パーミル]]のオーダー (0.1%=1‰) では同位体比にも差がある。その差異を分析することにより、試料の起源、変遷を探ることができるため、後述する[[地球科学|地球惑星科学]]の分野などで同位体比の測定が活用されている。例えば、[[はやぶさ (探査機)|はやぶさ]]が持ち帰った試料も、[[希ガス]]の同位体測定により、その起源が解析されている<ref>[http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2011/27.html 東京大学大学院 理学研究科、プレスリリース「はやぶさが持ち帰った小惑星の微粒子を分析-希ガス同位体分析からわかったこと-」]、2011年8月26日掲載、2012年4月11日閲覧。</ref>。 地球上においても、[[系 (自然科学)|閉じた系]]の内部では放射性同位体の[[放射性崩壊|崩壊]]などにより年月を経て同位体比は変化する。これを利用したのが[[放射性炭素年代測定]]である。 同位体比の測定には、主に[[質量分析法]]が用いられ、[[核磁気共鳴|NMR]]や[[赤外分光法]]が活用されることもある。星雲などの宇宙空間の物質の同位体比を測定するには、[[電波望遠鏡|電波観測]]や[[赤外線天文学|赤外線観測]]が利用される。 == 同位体標識化合物 == 製造された各同位体は、用途に合わせて目的化合物に取り入れて利用する。このことを、'''同位体標識'''といい、同位体標識された化合物を'''同位体標識化合物'''(正式には同位元素標識化合物)という。単に「マークする」や、化合物を称して'''マーカー'''と呼ぶことも多い。 同位体標識化合物の名称は、化学名の後に、標識部位、標識核種名が続く。例えば、化学式{{sup|13}}CH{{sub|3}}COOHの酢酸は酢酸-2-{{sup|13}}Cとなり、化学式CH{{sup|13}}COOHの酢酸は酢酸-1-{{sup|13}}Cと、化学式{{sup|13}}CH{{sub|3}}{{sup|13}}COOHで部位の特定が必要ない場合は、酢酸-{{sup|13}}C{{sub|2}} と表される。また、同位体標識化合物ごとの[[CAS登録番号]]も存在する。 同位体標識化合物の合成は、特にその分子の一部分の原子だけを標識する場合、その化学合成による標識は非常に困難である。 == 利用方法 == ;ポジトロン断層法(PET診断) :[[悪性腫瘍|ガン]]診断に用いられる[[ポジトロン断層法]]の試薬には、放射性同位体[[フッ素18]]([[半減期]]約108分)で標識した{{sup|18}}F-FDGが用いられている。またその原料として、[[酸素]]の安定同位体、酸素18原子で標識した[[水]]-{{sup|18}}O(重酸素水 H{{sub|2}}{{sup|18}}O)が製造されている<ref name="JST"/>。 ;NMR分光法 :[[核磁気共鳴]]は核種に依存した測定法であるため、溶媒の水素原子による妨害を避けるために[[重溶媒|重水素化した溶媒]]を用いる、複雑な[[高分子]]の分析に際して、一部の原子を同位体で標識する、などの手法がある。 ;地球惑星科学 :前述の通り、地球惑星科学の研究分野では、物質の同位体比を[[質量分析器]]で測定することにより、物質の起源、変遷の解析や、年代測定を行うことができる。そこから、地球の古環境や[[マントル]]などの地球深部の物質の移動などが解き明かされてきた。 ;熱電変換素子 :太陽系の小惑星帯よりも外側で活動する[[惑星探査機]]では、[[太陽電池]]では電力が不足するという理由で[[原子力電池]]として利用される。これは[[放射性核種]]の[[原子核崩壊]]の際に発生するエネルギーを熱源として[[熱電変換素子]]により電力に変換する仕組みである。 ;代謝測定 :重水、水-{{sup|18}}Oあるいは{{sup|13}}Cで標識した試薬を生体内に投入すると、生体内で[[代謝]]が進むことにより、呼気や[[尿]]などから {{sup|13}}C, {{sup|18}}O, 重水素 (D) を天然存在比よりも多く含んだ[[二酸化炭素]]や水分などが採取できる。この採取した物質の同位体比を測定することにより、生体内の代謝状況を解析できる。この安定同位体を用いた代謝測定の技術は、[[胃|胃内]]にその存在の有無が確認できる[[ピロリ菌]]の呼気検査や、エネルギー代謝測定が不可欠な[[肥満|肥満科学]]やスポーツ科学などに利用されている。 :同様に、炭素の放射性同位体で生成した二酸化炭素をマーカーとして代謝測定することは、動物のみならず、植物の光合成に関する試験等でも用いられる。 ;ホウ素中性子捕捉療法 (BNCT) :[[ホウ素]]の同位体{{sup|10}}Bの原子核に中性子を照射すると、[[核反応]]により高エネルギーの[[リチウム]]の同位体{{sup|7}}Li原子核と[[ヘリウム]]{{sup|4}}He原子核を放出する。そこで、このホウ素10を特定の化合物に標識しガン細胞に選択的に取り込ませると、ガン細胞を選択的に中性子照射により破壊することができる。このガン治療法を[[中性子捕捉療法|ホウ素中性子捕捉療法]] (Boron Neutron Capture Therapy, BNCT) といい、日本国内では[[京都大学複合原子力科学研究所]]<ref>[http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/ 京都大学複合原子力科学研究所]</ref>の京大炉 (KUR)、[[武蔵工業大学]]原子力研究所<ref>[http://www.atom.musashi-tech.ac.jp/ 武蔵工業大学原子力研究所]</ref>の武蔵工大炉(MITRR)、[[日本原子力研究開発機構]]の[[JRR-4]]<ref>[http://jrr4.jaea.go.jp/ 日本原子力研究開発機構 原子力科学研究所 JRR-4]</ref>の3箇所に実施できる施設があったが、2018年5月時点で利用可能な施設は京大炉 (KUR) のみである(武蔵工大炉は既に廃炉であり、JRR-4も廃炉予定(2017年6月に廃止認可)である。京大炉は[[福島第一原子力発電所事故]]の影響で研究用原子炉にも安全対策の強化が求められたことから2014年5月26日の定期検査入りをもって運転停止中であったが、新規制基準に対応する工事を終え、2017年8月29日に再稼働した。)。BNCTの課題として、中性子源に原子炉が必要ということで、汎用性に乏しかったが、NEDO-PJに参加する京都大学・森義治教授が、原子炉を使わずに中性子線を発生する小型加速器(百平方メートル程度の大きさ)のアイデアを2006年イタリアで開かれた国際学会で発表した<ref>{{PDFlink|[http://133.53.8.211/02/press2006/p06062601/t2.pdf BNCTの説明図]}}JAEA</ref><ref> http://wwwa.jnc.ne.jp/ffid0000/ FFAG・DDS研究機構</ref><ref>http://www.nedo.go.jp/activities/portal/gaiyou/p05003/p05003.html NEDO-次世代DDS型悪性腫瘍治療システム研究開発事業</ref>。2013年には[[住友重機械工業]]が福島県の[[一般財団法人]]脳神経疾患研究所からBNCTシステムを受注し、世界初の院内設置型BNCTシステムとして2016年の治験開始、2018年の治療開始を目指している<ref>http://www.shi.co.jp/info/2012/6kgpsq0000001in0.html 世界初 病院設置型加速器によるホウ素中性子捕捉療法システム(BNCT)を受注(2013年3月4日)</ref><ref>http://southerntohoku-bnct.com/ 一般財団法人脳神経疾患研究所附属 南東北BNCT研究センター</ref>。 ;安定同位体比による食品産地分析 : 安定同位体として、[[水素]]{{sup|1}}Hの同位体{{sup|2}}H、[[炭素]]{{sup|12}}Cの同位体{{sup|13}}C、[[窒素]]{{sup|14}}Nの同位体{{sup|15}}N、[[酸素]]{{sup|16}}Oの同位体{{sup|17}}O、{{sup|18}}Oがそれぞれ存在していることを利用し、食品の生育環境・地理学上の違いを判断するもの。 : 標準となる物質に安定同位体が存在する割合(炭素なら、{{sup|12}}Cに対する{{sup|13}}C)と、サンプルの安定同位体が存在する割合を比較し、どの程度ずれているかを示す値を、安定同位体比(炭素なら、δ{{sup|13}}C - デルタ13C)で示す。単位は%(パーセント、[[百分率]])ではなく‰(パーミル、[[千分率]])で、正の値を取るとき、標準となる物質よりもサンプルの方に重たい同位体が多いことを示す。 : 標準となる物質は、水素と酸素は世界標準平均海水SMOW ({{日本語版にない記事リンク|Standard Mean Ocean Water|en|Standard Mean Ocean Water}}) を、炭素は矢石化石([[ベレムナイト]]化石のPDB (Pee Dee Belemnite))を、窒素は空気(大気)を、それぞれ用いている<ref>[http://www.isotope.sc/cn8/tech_02.html 安定同位体の表し方] - 同位体研究所</ref>。 : コシヒカリの産地判別<ref>{{Cite journal|和書|author=鈴木彌生子, 中下留美子, 赤松史一, 伊永隆史 |title=生元素安定同位体比解析によるコシヒカリの産地判別の可能性 |journal=日本食品科学工学会誌 |issn=1341027X |publisher=日本食品科学工学会 |year=2008 |month=may |volume=55 |issue=5 |pages=250-252 |naid=10021178784 |doi=10.3136/nskkk.55.250 |url=https://doi.org/10.3136/nskkk.55.250}}</ref>、豚肉の産地判別<ref>{{Cite journal|和書|author=中村哲, 高嶋康晴 |title=炭素・窒素安定同位体比による豚肉の産地判別の検討 |journal=農林水産消費安全技術センター食品関係等調査研究報告 |issn=18837824 |publisher=農林水産消費安全技術センター |year=2009 |month=oct |issue=33 |pages=8-14 |naid=40017013580 |url=https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010782583}}</ref>、果汁やはちみつへの異性化糖添加やはちみつの産地判別<ref>[http://www.isotope.sc/Test/test2_01.html 果汁・蜂蜜糖添加検査一覧] -同位体研究所</ref>などが報告されている。 : また同じ原理を[[覚醒剤]]のプロファイリングに応用し、密造地の特定に結び付ける研究も行われている<ref>{{Cite journal|和書|author=岩田祐子, 桑山健次, 辻川健治, 金森達之, 井上博之 |url=https://doi.org/10.2116/bunsekikagaku.63.221 |title=覚醒剤メタンフェタミンのプロファイリング |journal=分析化学 |publisher=日本分析化学会 |year=2014 |volume=63 |issue=3 |pages=221-231 |naid=130003391229 |doi=10.2116/bunsekikagaku.63.221 |issn=0525-1931}}</ref>。 ;安定同位体比による水圏の物質循環の解析 :栄養段階が一つ上がるにつれて炭素安定同位体比 δ<sup>13</sup>C、窒素安定同位体比 δ<sup>15</sup>Nが濃縮されることが示されており、これを用いて栄養起源や栄養段階の推定に使用される<ref>{{Cite journal|和書|author=和田英太郎, 野口真希 |title=窒素・炭素安定同位体を用いた新食物連鎖解析法-その現状と今後- |journal=RADIOISOTOPES |issn=0033-8303 |publisher=日本アイソトープ協会 |year=2017 |volume=66 |issue=9 |pages=331-342 |naid=130006077837 |doi=10.3769/radioisotopes.66.331 |url=https://doi.org/10.3769/radioisotopes.66.331}}</ref><ref>{{Cite journal|author=和田英太郎|month=3|year=2017|title=安定同位体を用いた河川生態系の研究|url=http://www.rfc.or.jp/pdf/vol_84/p024.pdf|journal=RIVER FRONT|volume=84|page=|pages=24-27}}</ref>。また、陸上起源の有機物は δ<sup>13</sup>C、δ<sup>15</sup>Nが低いことを指標とした水圏での起源の推定<ref name=":0">山中勤、P.29</ref>、懸濁態有機炭素の低い δ<sup>13</sup>Cを指標として湿地由来有機物の供給時期及び寄与率の推定<ref>山中勤、P.30</ref>、湖沼水中の栄養塩の起源の推定などに使用されている<ref>名古屋大学「[http://www.nagoya-u.ac.jp/about-nu/public-relations/researchinfo/upload_images/20180122_env_1.pdf 琵琶湖における年間硝酸生産量の推定に成功!]」</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=角皆潤 |title=軽元素安定同位体比の高感度分析に基づく地球惑星科学研究・地球環境科学研究の新展開 |journal=地球化学 |issn=0386-4073 |publisher=日本地球化学会 |year=2018 |volume=52 |issue=3 |pages=107-129 |naid=130007487092 |doi=10.14934/chikyukagaku.52.107 |url=https://doi.org/10.14934/chikyukagaku.52.107}}</ref>。 == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * 日本化学会編 『化学総説 23 同位体の化学』学会出版センター、1979年、ISBN 4-7622-2181-3 * 和田英太郎 『生物界におけるδ{{sup|15}}N,δ{{sup|13}}Cの分布 -その40年史』 * 酒井均、松久幸敬著『安定同位体地球化学』1996年、東京大学出版会、ISBN 978-4-13-060713-1 * J.ヘフス著、和田秀樹/服部陽子訳 『同位体地球科学の基礎』シュプリンガージャパン、2007年、ISBN 978-4-431-71245-9 *山中勤編集『[http://www.ied.tsukuba.ac.jp/wordpress/wp-content/uploads/pdf_papers/terc_em02/terc-em02.pdf 環境循環系診断のための同位体トレーサー技術]』筑波大学陸域環境研究センター、2006年 == 関連項目 == * [[核種]] ** [[同重体]] ** [[同中性子体]] ** [[同余体]] * {{ill2|環境同位体|en|Environmental isotopes}} ‐ 環境中に存在する安定同位体をトレーサーとして、さまざまな環境を追跡できる(恐竜の卵の化石から体温を測定など) * [[核種の一覧]] * {{仮リンク|分割した核種の一覧|en|Isotope table (divided)}} * [[質量数]] * [[原子量]] * [[同位体効果]] * [[重水]] * [[原子力電池]] * [[放射性トレーサー]] == 外部リンク == {{Commonscat}} * [https://physics.nist.gov/cgi-bin/Compositions/stand_alone.pl?ele=&all=all&ascii=html&isotype=some アメリカ国立標準技術研究所]同位体の相対原子質量と天然存在比 * [https://www.jrias.or.jp/ 日本アイソトープ協会] * [https://atomica.jaea.go.jp/data/detail/dat_detail_08-02-01-04.html PETの原理と応用 (原子力百科事典 ATOMICA)] * [https://atomica.jaea.go.jp/data/detail/dat_detail_08-02-02-18.html ホウ素中性子捕捉法(BNCT)の現状と将来の展開 (原子力百科事典 ATOMICA)] {{放射線}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:とういたい}} [[Category:同位体|*]]
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質量
質量(しつりょう、羅: massa、希: μᾶζα、独: Masse、英: mass)とは、物体を構成する不変な物質の量を指す語で、物体の動かしにくさの度合いであり、重力源でもある。 質量という概念は、動力学や力学の発達と伴って変化している。 物理学的にはかつて、動かし難さを指す慣性質量 (inertial mass)と、万有引力による重さの度合いを指す重力質量 (gravitational mass)の二通りの定義が存在したが、現在の物理学では等価とされている(等価原理)。 慣性質量と重力質量の等価性は、重力加速度を定めることで説明できる。物体に働く「重力は”重力質量”と重力加速度の積」であり、また、「重力と”慣性質量”の比」が重力加速度となる。 質量の発生原理としてヒッグス機構が有力視されているが完全には分かっていない。 質量は、日常的には重さとして捉えやすく混同されがちである。物体の重さとは、その物体が受ける「重力の大きさ」である。よって、重力場の異なる場所(例えば月と地球とで地表の重力加速度は異なる)では、同一質量の物体を用意したとしても、その重さは異なる。 以上は物体の固有な量としての質量についてであるが、金属などの結晶中を運動する電子など、特殊な状況において質量に相当するような量を考える場合があり、通常の質量と区別して有効質量 (effective mass) などと呼ばれる。 計量の分野において、質量は長さ、時間と共に極めて重要な「物象の状態の量」(物理量をいう計量用語)とされる。日本の計量法第2条第1号の72個の物象の状態の量の列挙では、質量は時間の次の第2番目に掲げられている。 しかし日常的には「重量」または「重さ」の語が伝統的に用いられてきており、計量分野や理科教育分野では、この重量(重さ)と質量の違いを峻別することが求められる。 重量は質量を示す場合と周囲に及ぼす荷重を示す場合とがある、日常的には区別する必要のない場面も多い。 以上の2つの意味があることによって、次の例に見るように日本の法令上の扱いもまちまちである。食品表示基準のように一法令の中に「質量」と(質量の意の)「重量」が混在している場合もある。 より正確な記述は後述することにして、「質量の概念」や「質量・重量(重さ)の違い」について概略を述べる。 バケツやコップに水を注ぐと、注いだ分だけバケツやコップの重さが増す。このことは、容器を変えても同様であり、水の量(体積)に応じて水の重さが変わることが分かる。また、同じ容器に水ではなく水銀などを入れると、同じ大きさの容器かつ同じ体積であるにもかかわらず、入れた物質によって「重さ」が異なることが分かる。このように、物の重さはその物の種類と量によって異なり、逆に同じ重さであっても異なる種類と量の物を用意することができる。このことから、様々な物体に共通する、物体の重さを支配する量が存在すると期待できる。後述するように、このような役割を果たす物体固有の量が、質量である。 物を支える際に感じる「重さ」以外にも、物を動かしたときにもその物体の「重さ」を感じることができる。台車に荷物を載せて運ぶ際、台車を動かし始めるときや動いている台車を止めるとき、たとえ同じ速さで台車が動いていたとしても(あるいは動いていなかったとしても)、台車に載せた積荷の量によって感じる手応えは異なる。このように、物体の動かし難さとしての「重さ」が存在し、それは物体の種類と量によって異なるため、先ほどの場合と同様に物体がある種の「質量」を持っていると考えられる。 物体を支える際に感じる「重さ」は、その物体を支えるものがなければ物体は落ちていってしまうので、物の落下する性質に関係する。物体が落下しようとする力を重力と呼び、これに関係する質量を重力質量と呼ぶ。重力質量の大きさは天秤を用いて測ることができる。同じ重力質量を持つ物体同士は重さも等しいので、天秤に載せると互いに釣り合う。基準となる物体を用意することで、基準に対する比として重力質量が定まる。 物体を動かす際に感じる「重さ」は、静止している物体は静止し続け、ある速さで運動する物体は同じ速さで運動し続けようとする性質、すなわち物体の慣性に関係する。これに関連する質量を慣性質量と呼ぶ。慣性質量は、たとえばハンマー投げのように物体を円運動させたときに感じる手応えによって知ることができる。慣性質量の異なる物体を同じように円運動させたとき、慣性質量が大きいほど円運動を維持するのに必要な力は大きくなる。 経験的に、慣性質量の大きな物体は重力質量が大きい、つまり「地球の重力で引っ張られて重い」(持ち上げにくい)と感じられる物ほど、「無重力状態でも動かしにくい」ことが知られている。この事実から、慣性質量と重力質量の違いに因われることなく、物体の重さを感じることができる。この慣性質量と重力質量の関係性を直接的に示すものが落体の法則である。落体の法則によれば、自由落下する物体の運動は、物体の重力質量に依らず同じであり、このことから重力質量と慣性質量が等価であることが導かれる。重力質量と慣性質量の等価性から、両者を区別することなく、単に質量と呼ぶことができる。この現象は、基本的には一般相対性理論の等価原理によって説明される。 質量の定義説明には慣性質量と重力質量の 2 通りある。 慣性質量(inertial mass)mI はニュートンの運動方程式において導入される量である。 物体に作用する力 F と物体の加速度 a の比例係数として次の様に表される。 m I a = F . {\displaystyle m_{\mathrm {I} }{\boldsymbol {a}}={\boldsymbol {F}}.} これは実際に実験を行い、物体を(ばねの変形などによる)既知の力で引っ張ったときの加速度を調べ、比例係数を計算することで求められる。慣性質量は物体の動きにくさ(あるいは止まりにくさ)を表す値であるといえる。 重力質量(gravitational mass)mG は重力(万有引力によって生じる駆動力あるいは周囲におよぼす荷重)を起こす質量のことである。 物体に作用する重力 FG とその場所での重力加速度 g により次の様に表される。 F G = m G g {\displaystyle {\boldsymbol {F}}_{\mathrm {G} }=m_{\mathrm {G} }{\boldsymbol {g}}} これは体重計などで計ることができる、「重さ」による質量の捉え方である。 両者は全く別の事象であるが、これらは同一の値を取る。この経験則を等価原理といい、エトヴェシュ・ロラーンドなどが行った実験により高い精度で示されている。落体の法則や振り子の等時性といった法則は、この原理のために成り立っている。だが、なぜ慣性質量と重力質量が同じ値をとるのかという理由は、現在でもわかっていない。慣性質量が生じる仕組みについてはヒッグス粒子によるヒッグス機構が唱えられているが、これは重力質量にはあてはまらない。重力質量発生のしくみは重力子交換によるものであると考えられている。 光速に近い速度で運動する物体の質量が増えるといわれることがある。これは相対論的質量とよばれる考え方で、速度の大きな物体についてF = m a が成り立つように相対論的効果を質量に押し付けた場合に現れる。現在では、このような相対論的質量の考え方を用いないのが運動方程式 が一般的である。詳しくは特殊相対性理論を参照。 特殊相対論において、光のエネルギーが観測者の速度に寄って増減して見えることが示された。これが光源の運動エネルギの観測者に寄る増減と釣り合って保存すると考えたときに、 C( m v^2) ≒ (v^2 / c^2 )L という近似式が導かれる。Cが定数、mが光源の質量、vが光源との速度、cが光速、Lが光源から見た光のエネルギ(光は光源から光軸の正負2方向均等に放射する前提)。 上式の右辺は、光源から見た光エネルギLに対する、(光放射方向の)速度vで移動する観測者にとっての増加分である。それと釣り合うはずの、観測者速度に依存する運動エネルギの変化分が左辺である。両辺にv^2があるからこの関係は観測者速度に寄らない。そして放射された光エネルギLと釣り合うだけの Cm = L / c^2 なる値の質量変化が光源に起きているはずで、光によって慣性量が輸送されることが示唆される。 というのがアインシュタインによるエネルギと質量の可換性についての指摘である。(特殊相対論の2本目とされる文書“Ist die Trägheit eines Körpers von seinem Energieinhalt abhängig? [物体の慣性は、そのエネルギーの大きさに依存するか]”) なお、電磁波の等価質量についてはアインシュタインや相対論以前から議論されていた。 マクロな物質の質量は同一物質で同温・同圧の条件下においては、経験的に体積におおよそ比例することが知られている。この性質から、特に温度や圧力による体積変化が少ない固体・液体において、物質ごとに定まる物理量としての密度が用いられる。 これより、均一物質を分けた場合、その体積比と質量比はおおよそ一致することとなる。この性質により、物質を根源となる粒子まで細かく分けていけば、その粒子の種類ごとに質量が定まり、その粒子の質量の総和が物質の質量となるという、いわゆる原子論の類の説が説得力を持つことになる。アヴォガドロの分子説の根幹である「同温・同圧の気体中には同数の分子が存在する」という主張も、体積と質量の比例関係から一定の説得力を得られるのである。これらの化学の発展に基づき、同一物質であれば質量に比例する物質量が定義されるに至った。 ニュートン力学においては、力と質量、加速度の関係を表す運動方程式、 が成り立つ。これは運動の第2法則 に運動量 p と質量 m および速度 v の関係 を適用したものである。 特殊相対性理論においては、物体のエネルギーは で定義される。これを計算すると、 が求められる。ここで v = 0 とすると、E = mc という有名な公式を導くことができる。これが「質量とエネルギーの等価性」を示しているのである。また、v/c が 1 より充分小さいとき、2 次のテイラー展開より、 が成り立つ。この右辺の第 2 項がニュートン力学における運動エネルギーに対応する。第 1 項は定数であるため、この定数分を引いたものを新たに系のエネルギーとして定義することができる。そのため、この結果は速度が充分小さい運動について非相対論的な理論と一致していることを示す。 素粒子物理学では、素粒子の質量を静止エネルギー値(eV)を用いて eV/c という単位表記がなされる。これは、「静止エネルギーを光速で除算する値」という一種の記法であり、「除算した値」ではないことに注意。例として、電子の静止エネルギーは 511 keV で、電子の静止質量は 511 keV/c と表される。
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[物体の慣性は、そのエネルギーの大きさに依存するか]”)", "title": "E=MC^2" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "なお、電磁波の等価質量についてはアインシュタインや相対論以前から議論されていた。", "title": "E=MC^2" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "マクロな物質の質量は同一物質で同温・同圧の条件下においては、経験的に体積におおよそ比例することが知られている。この性質から、特に温度や圧力による体積変化が少ない固体・液体において、物質ごとに定まる物理量としての密度が用いられる。", "title": "他の物理量との関係" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "これより、均一物質を分けた場合、その体積比と質量比はおおよそ一致することとなる。この性質により、物質を根源となる粒子まで細かく分けていけば、その粒子の種類ごとに質量が定まり、その粒子の質量の総和が物質の質量となるという、いわゆる原子論の類の説が説得力を持つことになる。アヴォガドロの分子説の根幹である「同温・同圧の気体中には同数の分子が存在する」という主張も、体積と質量の比例関係から一定の説得力を得られるのである。これらの化学の発展に基づき、同一物質であれば質量に比例する物質量が定義されるに至った。", "title": "他の物理量との関係" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ニュートン力学においては、力と質量、加速度の関係を表す運動方程式、", "title": "他の物理量との関係" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "が成り立つ。これは運動の第2法則", "title": "他の物理量との関係" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "に運動量 p と質量 m および速度 v の関係", "title": "他の物理量との関係" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "を適用したものである。", "title": "他の物理量との関係" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "特殊相対性理論においては、物体のエネルギーは", "title": "他の物理量との関係" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "で定義される。これを計算すると、", "title": "他の物理量との関係" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "が求められる。ここで v = 0 とすると、E = mc という有名な公式を導くことができる。これが「質量とエネルギーの等価性」を示しているのである。また、v/c が 1 より充分小さいとき、2 次のテイラー展開より、", "title": "他の物理量との関係" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "が成り立つ。この右辺の第 2 項がニュートン力学における運動エネルギーに対応する。第 1 項は定数であるため、この定数分を引いたものを新たに系のエネルギーとして定義することができる。そのため、この結果は速度が充分小さい運動について非相対論的な理論と一致していることを示す。", "title": "他の物理量との関係" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "素粒子物理学では、素粒子の質量を静止エネルギー値(eV)を用いて eV/c という単位表記がなされる。これは、「静止エネルギーを光速で除算する値」という一種の記法であり、「除算した値」ではないことに注意。例として、電子の静止エネルギーは 511 keV で、電子の静止質量は 511 keV/c と表される。", "title": "他の物理量との関係" } ]
質量とは、物体を構成する不変な物質の量を指す語で、物体の動かしにくさの度合いであり、重力源でもある。
{{出典の明記|date=2011-4}} {{物理量 |名称=質量 |英語=mass |記号=''m'' |次元=M |階=スカラー |SI=[[キログラム]] (kg) |CGS=[[グラム]] (g) |MTS=[[トン]] (t) |FPS=[[ポンド (質量)|ポンド]] (lb) |MKSG=[[メトリックスラグ]] |FPSG=[[スラグ (単位)|スラグ]] |プランク=[[プランク質量]] |原子=[[電子の静止質量]] ({{math|''m''{{sub|e}}}}) }} '''質量'''(しつりょう、{{lang-la-short|massa}}、{{lang-el-short|μᾶζα}}、{{lang-de-short|Masse}}、{{lang-en-short|mass}})とは、物体を構成する不変な物質の[[量]]を指す語で、[[物体]]の動かしにくさの度合いであり、重力源でもある。 == 概説 == 質量という概念は、[[動力学]]や[[力学]]の発達と伴って変化している{{sfn|小出昭一郎|1988}}。 [[物理学]]的にはかつて、動かし難さを指す'''[[#慣性質量|慣性質量]]''' {{en|(inertial mass)}}{{sfn|朝永振一郎|1981|p=15}}と、[[万有引力]]による重さの度合いを指す'''[[#重力質量|重力質量]]''' {{en|(gravitational mass)}}{{sfn|朝永振一郎|1981|p=12}}の二通りの[[定義]]が存在したが、現在の物理学では等価とされている([[等価原理]])<ref group="注">等価原理には、[[弱い等価原理]]、[[アインシュタインの等価原理]]、[[強い等価原理]]の三種類が存在する。</ref>。 慣性質量と重力質量の等価性は、[[重力加速度]]を定めることで説明できる。物体に働く「[[重力]]は”重力質量”と重力加速度の積」であり、また、「重力と”慣性質量”の比」が重力加速度となる。 質量の発生原理として[[ヒッグス機構]]が有力視されているが完全には分かっていない。 質量は、日常的には[[重さ]]として捉えやすく混同されがちである。物体の重さとは、その物体が受ける「重力の大きさ」である。よって、重力場の異なる場所(例えば[[月]]と[[地球]]とで地表の重力加速度は異なる)では、同一質量の物体を用意したとしても、その重さは異なる。 以上は物体の固有な量としての質量についてであるが、金属などの結晶中を運動する[[電子]]など、特殊な状況において質量に相当するような量を考える場合があり、通常の質量と区別して'''[[有効質量]]''' {{en|(effective mass)}} などと呼ばれる。 == 質量と重量との区別 == [[計量]]の分野において、質量は[[長さ]]、[[時間]]と共に極めて重要な「物象の状態の量」<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=404AC0000000051&keyword=%E8%A8%88%E9%87%8F%E6%B3%95 計量法] 第2条「この法律において「計量」とは、次に掲げるもの(以下「物象の状態の量」という。)を計ることをいい、・・・」</ref>([[物理量]]をいう計量用語)とされる。日本の[[計量法]]第2条第1号の72個の物象の状態の量の列挙では、質量は時間の次の第2番目に掲げられている<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=404AC0000000051&keyword=%E8%A8%88%E9%87%8F%E6%B3%95 計量法] 第2条第1号 長さ、質量、時間、電流、温度、物質量、光度、角度、立体角、面積、体積、・・・</ref>。 しかし日常的には「重量」または「[[重さ]]」の語が伝統的に用いられてきており、計量分野や理科教育分野では、この重量(重さ)と質量の違いを峻別することが求められる<ref>[http://www.edu.utsunomiya-u.ac.jp/chem/v2n2/ohmasa/ 重量と質量,化学と物理] 大政光史(近畿大学・生物理工学部・基礎機械工学科)、「化学教育ジャーナル (CEJ)」第2巻第2号/採録番号2-13/1998年11月16日</ref>。 === 重量の2つの意味 === 重量は質量を示す場合と周囲に及ぼす荷重を示す場合とがある、日常的には区別する必要のない場面も多い。 # 質量を意味する場合:この場合は、単に質量の語に置き換えることができる。「物象の状態の量」としては「質量」であり、その[[SI単位]]は、キログラム(kg)である(他に[[グラム]]、[[トン]]などがある)。 # 周囲に及ぼす[[荷重]]を意味する場合:この場合の「物象の状態」は力であり、その[[SI単位]]はニュートン(N)である他にkg重など。 === 法令中の用例 === 以上の2つの意味があることによって、次の例に見るように日本の法令上の扱いもまちまちである。[[食品表示基準]]のように一法令の中に「質量」と(質量の意の)「重量」が混在している場合もある。 * 自動車の規格を規制している[[道路運送車両法]]においては、「[[車両総重量]]」の語を自動車の総'''質量'''の意味で用いている([[車両総重量#定義]])。しかし[[ISO]]と[[JIS]]の自動車用語の規格においては、「自動車総質量」の語を用いている。 * [[不当景品類及び不当表示防止法]](景品表示法)に基づく「家庭電気製品製造業における表示に関する公正競争規約」は電化製品のカタログや取扱説明書の記載方法を規制しているが、テレビ・冷蔵庫などの諸元を表示する場合は、例えば「テレビジョン受信機本体の大略'''質量'''を「kg又はキログラム」で表示すること。」と規定しており、'''重量'''の語を全く用いていない<ref>[https://www.jfftc.org/rule_kiyaku/pdf_kiyaku_hyouji/kaden_manufacturing.pdf#page=25 家庭電気製品製造業における表示に関する公正競争規約] p.25、別表2-1、一般社団法人全国公正取引協議会連合会</ref>。 * [[食品表示法]]に基づく食品表示基準では、その別表第9の炭水化物と糖質の測定方法では「'''質量'''」の語を用いている<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=427M60000002010&keyword=%E8%B3%AA%E9%87%8F 食品表示基準 別表第9] タンパク質、糖質の栄養成分及び熱量測定及び算出の方法として、「当該食品の'''質量'''から、たんぱく質、脂質、灰分及び水分の量を控除して算定すること。」と規定している。</ref>。しかし、その他の約400箇所においては「'''重量'''」の語を用いている<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=427M60000002010&keyword=%E8%B3%AA%E9%87%8F 食品表示基準(平成二十七年内閣府令第十号)]</ref>。これらは「重量(g)」の語などが示すとおり、その意味は'''質量'''である。 * [[日本食品標準成分表]]の2015年版(七訂版)までは、食品の質量として「重量」の語を用いていたが、教育面での配慮から2020年版(八訂版)では、正しく「'''質量'''」の語を用いている。ただし、調理前後の質量の増減を示す数値のみは、2015年版と同様に「'''重量'''変化率」としている<ref>[https://www.mext.go.jp/a_menu/syokuhinseibun/mext_01110.html 日本食品標準成分表2020年版(八訂)] 日本食品標準成分表2020年版(八訂) 電子書籍(第2章を除く) (PDF:9.5MB) 、p.30、4) 「質量(mass)」と「重量(weight)」 、文部科学省 科学技術・学術政策局政策課資源室</ref>。 * 理科教育振興法施行令(昭和二十九年政令第三百十一号)は、'''質量'''の計量器(つまり[[秤]]のこと)を小中高校の理科教育のための設備として必要なものと指定している<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=329CO0000000311_20160401_427CO0000000421&keyword=%E8%B3%AA%E9%87%8F 理科教育振興法施行令] 第2条、別表「長さ、体積、質量、時間、温度及び電気の計量器」</ref>。 == 質量の概念 == より正確な記述は[[#二つの質量|後述することにして]]、「質量の概念」や「質量・重量([[重さ]])の違い」について概略を述べる。 バケツやコップに水を注ぐと、注いだ分だけバケツやコップの重さが増す。このことは、容器を変えても同様であり、水の量(体積)に応じて水の重さが変わることが分かる。また、同じ容器に水ではなく[[水銀]]などを入れると、同じ大きさの容器かつ同じ体積であるにもかかわらず、入れた物質によって「重さ」が異なることが分かる。このように、物の重さはその物の種類と量によって異なり、逆に同じ重さであっても異なる種類と量の物を用意することができる。このことから、様々な物体に共通する、物体の重さを支配する量が存在すると期待できる。後述するように、このような役割を果たす物体固有の量が、'''質量'''である。 物を支える際に感じる「重さ」以外にも、物を動かしたときにもその物体の「重さ」を感じることができる。台車に荷物を載せて運ぶ際、台車を動かし始めるときや動いている台車を止めるとき、たとえ同じ速さで台車が動いていたとしても(あるいは動いていなかったとしても)、台車に載せた積荷の量によって感じる手応えは異なる。このように、物体の動かし難さとしての「重さ」が存在し、それは物体の種類と量によって異なるため、先ほどの場合と同様に物体がある種の「質量」を持っていると考えられる。 物体を支える際に感じる「重さ」は、その物体を支えるものがなければ物体は落ちていってしまうので、物の落下する性質に関係する。物体が落下しようとする力を[[重力]]と呼び、これに関係する質量を'''重力質量'''と呼ぶ。重力質量の大きさは[[天秤はかり|天秤]]を用いて測ることができる。同じ重力質量を持つ物体同士は重さも等しいので、天秤に載せると互いに釣り合う。基準となる物体を用意することで、基準に対する[[比]]として重力質量が定まる。 物体を動かす際に感じる「重さ」は、静止している物体は静止し続け、ある速さで運動する物体は同じ速さで運動し続けようとする性質、すなわち物体の[[慣性]]に関係する。これに関連する質量を'''慣性質量'''と呼ぶ。慣性質量は、たとえばハンマー投げのように物体を[[円運動]]させたときに感じる手応えによって知ることができる。慣性質量の異なる物体を同じように円運動させたとき、慣性質量が大きいほど円運動を維持するのに必要な力は大きくなる。 経験的に、慣性質量の大きな物体は重力質量が大きい、つまり「地球の重力で引っ張られて重い」(持ち上げにくい)と感じられる物ほど、「無重力状態でも動かしにくい」ことが知られている。この事実から、慣性質量と重力質量の違いに因われることなく、物体の重さを感じることができる。この慣性質量と重力質量の関係性を直接的に示すものが[[自由落下|落体の法則]]である。落体の法則によれば、自由落下する物体の運動は、物体の重力質量に依らず同じであり、このことから重力質量と慣性質量が等価であることが導かれる。重力質量と慣性質量の等価性から、両者を区別することなく、単に'''質量'''と呼ぶことができる。この現象は、基本的には[[一般相対性理論]]の[[等価原理]]によって説明される。 == 二つの質量 == 質量の定義説明には慣性質量と重力質量の 2 通りある。 === 慣性質量 === '''慣性質量'''({{lang|en|inertial mass}}){{math|''m''<sub>I</sub>}} は[[ニュートンの運動方程式]]において導入される量である。 物体に作用する[[力 (物理学)|力]] {{mvar|'''F'''}} と物体の[[加速度]] {{mvar|'''a'''}} の比例係数として次の様に表される。 {{Indent| <math>m_\mathrm{I} \boldsymbol{a} = \boldsymbol{F}.</math> }} これは実際に実験を行い、物体を(ばねの変形などによる)既知の力で引っ張ったときの加速度を調べ、比例係数を計算することで求められる。慣性質量は物体の動きにくさ(あるいは止まりにくさ)を表す値であるといえる。 === 重力質量 === '''重力質量'''({{lang|en|gravitational mass}}){{math|''m''<sub>G</sub>}} は[[重力]]([[万有引力]]によって生じる駆動力あるいは周囲におよぼす荷重)を起こす質量のことである。 物体に作用する重力 {{math|'''''F'''''<sub>G</sub>}} とその場所での[[重力加速度]] {{mvar|'''g'''}} により次の様に表される。 {{Indent| <math>\boldsymbol{F}_\mathrm{G} = m_\mathrm{G} \boldsymbol{g}</math> }} これは[[体重計]]などで計ることができる、「重さ」による質量の捉え方である。 === 等価原理 === {{main|等価原理}} 両者は全く別の事象であるが、これらは同一の値を取る。この経験則を'''[[等価原理#重力質量と慣性質量|等価原理]]'''といい、[[エトヴェシュ・ロラーンド]]などが行った[[エトヴェシュの実験|実験]]により高い精度で示されている。[[落体の法則]]や[[振り子]]の[[等時性]]といった法則は、この原理のために成り立っている。だが、なぜ慣性質量と重力質量が同じ値をとるのかという理由は、現在でもわかっていない。慣性質量が生じる仕組みについては[[ヒッグス粒子]]によるヒッグス機構が唱えられているが、これは重力質量にはあてはまらない。重力質量発生のしくみは[[重力子]]交換によるものであると考えられている{{要出典|date=2012年9月24日 (月) 05:14 (UTC)}}。 == 相対論的質量 == [[光速]]に近い[[速度]]で運動する物体の質量が増えるといわれることがある。これは相対論的質量とよばれる考え方で、速度の大きな物体について{{math|'''''F''''' {{=}} ''m''&thinsp;'''''a'''''}} が成り立つように相対論的効果を質量に押し付けた場合に現れる。現在{{いつ|date=2021年11月}}では、このような相対論的質量の考え方を用いないのが運動方程式 が一般的である。詳しくは[[特殊相対性理論]]を参照。 == E=MC^2 == [[特殊相対性理論|特殊相対論]]において、光のエネルギーが観測者の速度に寄って増減して見えることが示された。これが光源の運動エネルギの観測者に寄る増減と釣り合って保存すると考えたときに、 C( m v^2) ≒ (v^2 / c^2 )L という近似式が導かれる。Cが定数、mが光源の質量、vが光源との速度、cが光速、Lが光源から見た光のエネルギ(光は光源から光軸の正負2方向均等に放射する前提)。 上式の右辺は、光源から見た光エネルギLに対する、(光放射方向の)速度vで移動する観測者にとっての増加分である。それと釣り合うはずの、観測者速度に依存する運動エネルギの変化分が左辺である。両辺にv^2があるからこの関係は観測者速度に寄らない。そして放射された光エネルギLと釣り合うだけの Cm = L / c^2 なる値の質量変化が光源に起きているはずで、光によって慣性量が輸送されることが示唆される。  というのがアインシュタインによる[[質量とエネルギーの等価性|エネルギと質量の可換性]]についての指摘である。'''(特殊相対論の2本目とされる文書“Ist die Trägheit eines Körpers von seinem Energieinhalt abhängig? [物体の慣性は、そのエネルギーの大きさに依存するか]”)'''  なお、電磁波の等価質量についてはアインシュタインや相対論以前から議論されていた。 == 他の物理量との関係 == マクロな物質の質量は同一物質で[[温度|同温]]・[[圧力|同圧]]の条件下においては、経験的に[[体積]]におおよそ比例することが知られている。この性質から、特に温度や圧力による体積変化が少ない[[固体]]・[[液体]]において、物質ごとに定まる物理量としての[[密度]]が用いられる。 これより、均一物質を分けた場合、その体積比と質量比はおおよそ一致することとなる。この性質により、物質を根源となる粒子まで細かく分けていけば、その粒子の種類ごとに質量が定まり、その粒子の質量の総和が物質の質量となるという、いわゆる[[原子論]]の類の説が説得力を持つことになる。[[アメデオ・アヴォガドロ|アヴォガドロ]]の分子説の根幹である「同温・同圧の気体中には同数の[[分子]]が存在する」という主張も、体積と質量の比例関係から一定の説得力を得られるのである。これらの[[化学]]の発展に基づき、同一物質であれば質量に比例する[[物質量]]が定義されるに至った。 [[ニュートン力学]]においては、[[力 (物理学)|力]]と質量、[[加速度]]の関係を表す運動方程式、 :<math>\boldsymbol{F} = m\boldsymbol{a}</math> :{{mvar|'''F'''}}:物体に働く合力、{{mvar|m}}:物体の質量、{{mvar|'''a'''}}:物体の加速度 が成り立つ。これは[[運動の第2法則]] :<math>\boldsymbol{F} = \frac{\mathrm{d}\boldsymbol{p}(t)}{\mathrm{d}t}</math> に[[運動量]] {{mvar|'''p'''}} と質量 {{mvar|m}} および速度 {{mvar|'''v'''}} の関係 :<math>\boldsymbol{p}(t) = m\boldsymbol{v}(t)</math> を適用したものである。 [[特殊相対性理論]]においては、物体の[[エネルギー]]は :<math>\frac{E}{c}=m\frac{d(ct)}{d\tau}</math> :{{mvar|E}}:物体のエネルギー、{{mvar|c}}:[[光速]]、{{mvar|m}}:物体の[[静止質量]]、{{mvar|t}}:観測者の時刻、{{mvar|τ}}:[[固有時]] で定義される。これを計算すると、 :<math>E=mc^2\frac{1}{\sqrt{1-\left(\frac{v}{c}\right)^2}}</math> :{{mvar|v}}:物体の[[速度|速さ]] が求められる。ここで {{math|''v'' {{=}} 0}} とすると、{{math|''E'' {{=}} ''mc''<sup>2</sup>}} という有名な公式を導くことができる。これが「質量とエネルギーの等価性」を示しているのである。また、{{math|''v''/''c''}} が {{math|1}} より充分小さいとき、2 次の[[テイラー展開]]より、 :<math>E\simeq mc^2+\frac{1}{2}mv^2</math> が成り立つ。この右辺の第 2 項がニュートン力学における[[運動エネルギー]]に対応する。第 1 項は定数であるため、この定数分を引いたものを新たに系のエネルギーとして定義することができる。そのため、この結果は速度が充分小さい運動について非相対論的な理論と一致していることを示す。 === 単位表記 === 素粒子物理学では、素粒子の質量を[[静止エネルギー]]値({{Math|eV}})を用いて {{Math|eV/c<sup>2</sup>}} という単位表記がなされる。これは、「静止エネルギーを光速<sup>2</sup>で除算する値」という一種の記法であり、「除算した値」ではないことに注意。例として、電子の静止エネルギーは {{math|511 keV}} で、電子の静止質量は {{math|511 keV/c<sup>2</sup>}} と表される。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == *{{Cite book|和書|author=小出昭一郎|chapter=質量|year=1988|title=世界大百科事典|publisher=平凡社|ref=harv}} *{{Cite book|和書|author=朝永振一郎|authorlink=朝永振一郎|title=物理学読本|edition=第2|date=1981|publisher=みすず書房|isbn=4-622-02503-5|ref=harv}} == 関連項目 == {{Wiktionary}} {{wikidata property|P2067}} * [[等価原理]] * [[ヒッグス粒子]] * [[質量の比較]] * [[質量保存の法則]] * [[重さ]] * [[有効質量]] * [[光速]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しつりよう}} [[Category:質量|*]] [[Category:物理量]]
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運動量
運動量(、英: momentum)とは、初等的には物体の運動の状態を表す物理量で、質量と速度の積として定義される。この意味の運動量は後述する一般化された運動量と区別して、運動学的運動量(あるいは動的運動量)と呼ばれる。また、角運動量という運動量とは異なる量と対比する上で、線型運動量などと呼ばれることもある。 日常生活において、物体の持つ運動量は、動いている物体の止めにくさとして体感される。つまり、重くて速い物体ほど運動量が大きく、静止させるのに大きな力積が必要になる。 アイザック・ニュートンは運動量の時間的変化と力の関係を運動の第2法則として提示した。 解析力学では、上述の定義から離れ、運動量は一般化座標とオイラー=ラグランジュ方程式を通じて与えられる。この運動量は一般化座標系における一般化速度の対応物として、一般化運動量と呼ばれる。 特にハミルトン形式の解析力学においては、正準方程式を通じて与えられる正準変数の一方を座標と呼び他方を運動量と呼ぶ。この意味の運動量は、他と区別して、正準運動量と呼ばれる。また、正準運動量は、正準方程式において座標の対となるという意味で、共役運動量と呼ばれる。運動量は、ハミルトン形式の力学では、速度よりも基本的な量であり、ハミルトン形式で記述される通常の量子力学においても重要な役割を果たす。 共役運動量と通常の運動学的運動量の違いが際立つ例として、磁場中を運動する電子の運動の例が挙げられる(#解析力学における運動量も参照)。電磁場中を運動する電子に対してはローレンツ力が働くが、このローレンツ力に対応する一般化されたポテンシャルエネルギーには電子の速度の項があるために、共役運動量はラグランジアンのポテンシャル項に依存した形になる。このとき共役運動量と運動学的運動量は一致しない。また、電磁場中の電子の運動を記述する古典的ハミルトニアンでは、共役運動量の部分がすべて共役運動量からベクトルポテンシャルの寄与を引いたものに置き換わる。 運動量は、運動の第2法則において、その時間に対する変化の割合が力と等しい量として導入される。 つまり、運動量 p はニュートンの運動方程式、 d p d t = F ( t ) {\displaystyle {\frac {d{\boldsymbol {p}}}{dt}}={\boldsymbol {F}}(t)} を満たす。力 F はベクトル量であり、運動量もまたベクトル量である。また、定義から明らかなように、運動量は時刻 t の関数として表される量である。 質点の運動量は、質点の速度に比例する。質点の運動量は、質点の速度を v と表し、比例係数を m とすると、 p = m v {\displaystyle {\boldsymbol {p}}=m{\boldsymbol {v}}} で与えられる。 ここで導入された比例係数 m は慣性質量 (inertial mass) と呼ばれ質点の速度の変化し難さを表す。 運動量の変化量は力積であるが、運動の間、慣性質量が一定であるとすれば、速度の変化量は力積を慣性質量で割ったものとなる。従って、同じ大きさの力積に対しては、慣性質量が大きいほど速度の変化は小さいものとなる。 時刻 t0 から t1 の間の物体の運動量の変化量を Δ p ( t 0 ; t 1 ) := p ( t 1 ) − p ( t 0 ) = ∫ t 0 t 1 d p d t d t {\displaystyle \Delta {\boldsymbol {p}}(t_{0};t_{1}):={\boldsymbol {p}}(t_{1})-{\boldsymbol {p}}(t_{0})=\int _{t_{0}}^{t_{1}}{\frac {d{\boldsymbol {p}}}{dt}}\,dt} とする。 この物体が時刻 t に力 F(t) を受けながら運動していたとすると、運動方程式から運動量の時間変化率 dp/dt は力 F(t) に等しいため、運動量の変化量 Δp は Δ p ( t 0 ; t 1 ) = ∫ t 0 t 1 F ( t ) d t =: I {\displaystyle \Delta {\boldsymbol {p}}(t_{0};t_{1})=\int _{t_{0}}^{t_{1}}{\boldsymbol {F}}(t)\,dt=:{\boldsymbol {I}}} となり力 F(t) を時刻 t0 から t1 まで積分したものに等しい。 この力の時間積分 I は力積(impulse)と呼ばれ、運動量の変化量に等しい。 時間 Δt=t1−t0 で物体が受ける力の時間的な平均は F ave ( t 0 ; t 1 ) := 1 Δ t ∫ t 0 t 1 F ( t ) d t {\displaystyle {\boldsymbol {F}}_{\text{ave}}(t_{0};t_{1}):={\frac {1}{\Delta t}}\int _{t_{0}}^{t_{1}}{\boldsymbol {F}}(t)\,dt} で定義される。力の時間平均 Fave を用いれば力積は I = Δ p ( t 0 ; t 1 ) = F ave ( t 0 ; t 1 ) Δ t {\displaystyle {\boldsymbol {I}}=\Delta {\boldsymbol {p}}(t_{0};t_{1})={\boldsymbol {F}}_{\text{ave}}(t_{0};t_{1})\Delta t} となる。 特に時間 Δt が充分に短く、力が一定であると見なせる場合には、力積は単に力と時間の積 I = Δ p = F Δ t {\displaystyle {\boldsymbol {I}}=\Delta {\boldsymbol {p}}={\boldsymbol {F}}\,\Delta t} として表すことができる。 つまり、物体に一定の力を加えて、物体の運動量の変化を大きくするには、力が作用する時間を長くすればよい。逆に、大きな力を加えたとしても、それがごく短期間のものであれば、物体に与える力積は小さくなる。 運動量は加法的な量であり、系の全運動量は部分の運動量の和で表される。 質点系の全運動量 P は、質点 i = 1, 2, 3,... の運動量 pi = mivi = midri/dt とすれば P ( t ) = ∑ i p i ( t ) = ∑ i m i d r i d t = d d t ( ∑ i m i r i ( t ) ) {\displaystyle {\boldsymbol {P}}(t)=\sum _{i}{\boldsymbol {p}}_{i}(t)=\sum _{i}m_{i}\,{\frac {d{\boldsymbol {r}}_{i}}{dt}}={\frac {d}{dt}}\left(\sum _{i}m_{i}\,{\boldsymbol {r}}_{i}(t)\right)} となる。 ここで質点系の全質量 M と質量中心 rg を M = ∑ i m i , r g ( t ) = 1 M ∑ i m i r i ( t ) {\displaystyle M=\sum _{i}m_{i},~{\boldsymbol {r}}_{g}(t)={\frac {1}{M}}\sum _{i}m_{i}\,{\boldsymbol {r}}_{i}(t)} により導入すれば P ( t ) = M d r g d t {\displaystyle {\boldsymbol {P}}(t)=M{\frac {d{\boldsymbol {r}}_{g}}{dt}}} となる。 即ち、質点系の全運動量は、質量中心に全質量が集中していると考えたときの運動量に等しい。 質点 i の運動量 pi の時間変化は、質点 i に作用する力 Fi に等しく d p i d t = F i {\displaystyle {\frac {d{\boldsymbol {p}}_{i}}{dt}}={\boldsymbol {F}}_{i}} を満たす。 ここで質点 i に作用する力は、質点系の外部から作用する外力と、系に含まれる他の質点との内部相互作用に分けられる。 質点 i に作用する外力を fi、質点 j から質点 i に作用する内力を fij とすれば F i = f i + ∑ j f i j {\displaystyle {\boldsymbol {F}}_{i}={\boldsymbol {f}}_{i}+\sum _{j}{\boldsymbol {f}}_{ij}} と表される。 ただし、質点 i から質点 i 自身に作用する力は fii = 0 とする。 全運動量の時間変化を考えると d P d t = ∑ i d p i d t = ∑ i f i + ∑ i , j f i j {\displaystyle {\frac {d{\boldsymbol {P}}}{dt}}=\sum _{i}{\frac {d{\boldsymbol {p}}_{i}}{dt}}=\sum _{i}{\boldsymbol {f}}_{i}+\sum _{i,j}{\boldsymbol {f}}_{ij}} となる。 ここで運動の第3法則から、質点 j から質点 i に作用する力 fij と 質点 i から質点 j に作用する力 fji は大きさが等しく符号が逆なので f i j = − f j i , f i j + f j i = 0 {\displaystyle {\boldsymbol {f}}_{ij}=-{\boldsymbol {f}}_{ji},~{\boldsymbol {f}}_{ij}+{\boldsymbol {f}}_{ji}=0} が成り立ち、内力を全て足し合わせたものは 0 となる。 従って d P d t = M d 2 r g d t 2 = ∑ i f i {\displaystyle {\frac {d{\boldsymbol {P}}}{dt}}=M{\frac {d^{2}{\boldsymbol {r}}_{g}}{dt^{2}}}=\sum _{i}{\boldsymbol {f}}_{i}} となり、質点系の全運動量の時間変化は作用する外力の総和と等しい。 これは、重力などの単純な外力の下では質量中心の運動が相対位置の運動から分離できることを意味している。 質点系の運動において、特に作用する外力が釣り合っている場合は d P d t = d d t ( ∑ i p i ( t ) ) = 0 {\displaystyle {\frac {d{\boldsymbol {P}}}{dt}}={\frac {d}{dt}}\left(\sum _{i}{\boldsymbol {p}}_{i}(t)\right)=0} P ( t ) = ∑ i p i ( t ) = const. {\displaystyle {\boldsymbol {P}}(t)=\sum _{i}{\boldsymbol {p}}_{i}(t)={\text{const.}}} が成り立つ。 つまり、この系では系の全運動量は時間的に変化しない。これは運動量保存の法則 (law of conservation of momentum) と呼ばれる。運動量保存の法則は、ニュートン力学においては作用反作用の法則から導かれるが、運動量保存則自体は作用反作用の法則より一般的に成り立つ法則である。たとえば、電磁気学などの場の理論では近接作用論の立場をとり、遠隔作用論的な法則である作用反作用の法則をその基礎には置かない。しかしながら、電磁気学においても運動量保存の法則は成り立ち、それに伴い運動量の定義も拡張される。 物理学において、ベクトルで表される物理量とある原点に対する位置の外積をモーメントという。運動量のモーメントは、角運動量 (angular momentum) と呼ばれ、次のように定義される。 L := r × p . {\displaystyle {\boldsymbol {L}}:={\boldsymbol {r}}\times {\boldsymbol {p}}.} 古典的な角運動量の大きさは、位置ベクトル r の大きさと、運動量 p の r に直交する成分の大きさの積として表される。2 つのベクトル r, p が載っている平面上の、2 つのベクトル r, p の間の角度を θ とすれば、角運動量の大きさは次のように表される。 | L | = | r | | p ⊥ | = | r | | p | sin θ . {\displaystyle \left|{\boldsymbol {L}}\right|=\left|{\boldsymbol {r}}\right|\left|{\boldsymbol {p}}_{\perp }\right|=\left|{\boldsymbol {r}}\right|\left|{\boldsymbol {p}}\right|\sin \theta .} 解析力学においては、角運動量は角度に対応した一般化運動量として得られる。 角運動量は、ニュートンの運動方程式と同様な方程式、 d L d t = N {\displaystyle {\frac {d{\boldsymbol {L}}}{dt}}={\boldsymbol {N}}} を満たす。ここで N ≔ r × F は物体に作用する力のモーメントである。 解析力学において、一般化座標 qi に対応する一般化運動量 (generalized momentum) pi はその系のラグランジアン L(q, ·q) の一般化速度 ·qi による偏微分として定義される。 p i := ∂ L ( q , q ̇ ) ∂ q ̇ i {\displaystyle p_{i}:={\frac {\partial L({\boldsymbol {q}},{\dot {\boldsymbol {q}}})}{\partial {\dot {q}}_{i}}}} ここで、ラグランジアン L(q, ·q) は、運動エネルギー K、ポテンシャル U の差として定義される。 L = K − U . {\displaystyle L=K-U.} ハミルトン形式の力学では、一般化速度の代わりに一般化運動量が力学変数として用いられる。ハミルトニアン H(q, p) は、ラグランジアン L(q, ·q) のルジャンドル変換として定義される。ルジャンドル変換 H ( q , p ) := max q ̇ ∈ D { q ̇ ⋅ p − L ( q , q ̇ ) } {\displaystyle H({\boldsymbol {q}},{\boldsymbol {p}}):=\max _{{\dot {\boldsymbol {q}}}\in D}\left\{{\dot {\boldsymbol {q}}}\cdot {\boldsymbol {p}}-L({\boldsymbol {q}},{\dot {\boldsymbol {q}}})\right\}} の右辺を最大化する ·q を考えると、ルジャンドル変換をする領域 D の中でラグランジアンが凸でありかつ充分滑らかなら、そのような ·q は以下の関係を満たす。 ∂ ∂ q ̇ ( q ̇ ⋅ p − L ( q , q ̇ ) ) = 0 . {\displaystyle {\frac {\partial }{\partial {\dot {\boldsymbol {q}}}}}\left({\dot {\boldsymbol {q}}}\cdot {\boldsymbol {p}}-L({\boldsymbol {q}},{\dot {\boldsymbol {q}}})\right)={\boldsymbol {0}}.} これはすなわち、ハミルトニアンの変数 p が一般化運動量に等しいことを意味する。 3 次元の直交座標系 x = xˆx + yˆy + zˆz においては、ポテンシャルが速度 ·x に依存しないときには L ( x , x ̇ ) = m 2 ( x ̇ 2 + y ̇ 2 + z ̇ 2 ) − U ( x ) {\displaystyle L({\boldsymbol {x}},{\dot {\boldsymbol {x}}})={\frac {m}{2}}({\dot {x}}^{2}+{\dot {y}}^{2}+{\dot {z}}^{2})-U({\boldsymbol {x}})} p α = ∂ L ∂ α ̇ = m α ̇ , α = x , y , z {\displaystyle p_{\alpha }={\frac {\partial L}{\partial {\dot {\alpha }}}}=m{\dot {\alpha }},\quad \alpha =x,y,z} であり、このとき一般化運動量 p は質量と速度の積となっている。これはニュートン形式の運動量に一致する。 一般化座標として二次元極座標 x = (r, θ) を選ぶと、ラグランジアン及び r, θ に共役な運動量 pr, pθ はそれぞれ L ( r , θ , r ̇ , θ ̇ ) = m 2 ( r ̇ 2 + r 2 θ ̇ 2 ) − U ( x ) {\displaystyle L(r,\theta ,{\dot {r}},{\dot {\theta }})={\frac {m}{2}}({\dot {r}}^{2}+r^{2}{\dot {\theta }}^{2})-U({\boldsymbol {x}})} p r = ∂ L ∂ r ̇ = m r ̇ {\displaystyle p_{r}={\frac {\partial L}{\partial {\dot {r}}}}=m{\dot {r}}} p θ = ∂ L ∂ θ ̇ = m r 2 θ ̇ {\displaystyle p_{\theta }={\frac {\partial L}{\partial {\dot {\theta }}}}=mr^{2}{\dot {\theta }}} となる。ここで、θ に共役な運動量は角運動量となっている。また r の共役運動量は動径方向への運動量を表している。 ポテンシャルが速度に依存するときもある。このとき直交座標系における一般化運動量はニュートン力学におけるものとは異なっている。 p i = ∂ ( K ( v ) − U ( x , v ) ) ∂ v i ≠ ∂ K ( v ) ∂ v i = m v i . {\displaystyle p_{i}={\frac {\partial (K({\boldsymbol {v}})-U({\boldsymbol {x}},{\boldsymbol {v}}))}{\partial v_{i}}}\neq {\frac {\partial K({\boldsymbol {v}})}{\partial v_{i}}}=mv_{i}.} このような系の例として、電磁場中を運動する電荷を持つ粒子の非相対論的な運動が挙げられる。 この系のラグランジアンは具体的に L ( x , v ) = m 2 v 2 − e φ ( x ) + e v ⋅ A ( x ) {\displaystyle L({\boldsymbol {x}},{\boldsymbol {v}})={\frac {m}{2}}{\boldsymbol {v}}^{2}-e\phi ({\boldsymbol {x}})+e{\boldsymbol {v}}\cdot {\boldsymbol {A}}({\boldsymbol {x}})} である。ここで e は物体の持つ電荷、φ はスカラーポテンシャル、A はベクトルポテンシャルである。このとき、共役運動量は p = m v + e A {\displaystyle {\boldsymbol {p}}=m{\boldsymbol {v}}+e{\boldsymbol {A}}} となる。このときの共役運動量は質量と速度の積の普通の運動量に、電磁場との相互作用による eA の項が加わる。 このとき、ハミルトニアンは、ルジャンドル変換 H ( x , p ) = v ⋅ p − L ( x , v ) {\displaystyle H({\boldsymbol {x}},{\boldsymbol {p}})={\boldsymbol {v}}\cdot {\boldsymbol {p}}-L({\boldsymbol {x}},{\boldsymbol {v}})} より、 H ( x , p ) = ( p − e A ( x ) ) 2 2 m + e φ ( x ) {\displaystyle H({\boldsymbol {x}},{\boldsymbol {p}})={\frac {\left({\boldsymbol {p}}-e{\boldsymbol {A}}({\boldsymbol {x}})\right)^{2}}{2m}}+e\phi ({\boldsymbol {x}})} となる。ベクトルポテンシャルのない系と比べると、形式的には共役運動量 p を運動学的な運動量 p − eA に置き換えたものとなっている。 相対性理論において運動量とエネルギーはミンコフスキー空間における四元ベクトルを為し、 である(m は質量、τ は固有時間)。これの空間成分は となる。非相対論的極限 v/c → 0 において前述の運動量(質量と速度の積)に一致する。 運動量とエネルギーは の関係を満たしている。運動量が 0 の場合は有名な E = mc の式になっている。 光(あるいは電磁波)は波であるが、実験によりエネルギーと運動量を持つ粒子でもあると考えられている。 そのエネルギーと運動量は である。(ここで h はプランク定数、ν は振動数、ω = 2πν は角振動数、c は真空中の光速、λ は波長、k は波数である) 前述のエネルギーと運動量の関係式にこの関係を入れると、ω = ck からこの粒子の質量は 0 であることが分かる。この質量 0 の粒子を光子という。 量子力学では、上記の古典論的運動量 p → {\displaystyle {\vec {p}}} は、波動関数 ψ ( t , x → ) = ψ ( t , x , y , z ) {\displaystyle \psi (t,{\vec {x}})=\psi (t,x,y,z)} に対する、 という演算子であるとみなされる。ここに、 i {\displaystyle \,i} は虚数単位、 ∇ {\displaystyle \,\nabla } はナブラである。 或いはエネルギーとまとめて四元ベクトルで表すと、 である。これらは対応原理と呼ばれ、解析力学における作用積分 S {\displaystyle \,S} の汎関数微分が であることなどから類推された。 また、正準量子化という方法によれば、位置と運動量は正準交換関係 を満たす物理量として量子化される。 運動量は空間の一様性(並進対称性)に対応する保存量である。 時間の一様性に対応するエネルギー、空間の等方性に対応する角運動量とともに、基本的な物理量である。
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"tag": "p", "text": "d p i d t = F i {\\displaystyle {\\frac {d{\\boldsymbol {p}}_{i}}{dt}}={\\boldsymbol {F}}_{i}}", "title": "質点系の運動" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "を満たす。 ここで質点 i に作用する力は、質点系の外部から作用する外力と、系に含まれる他の質点との内部相互作用に分けられる。 質点 i に作用する外力を fi、質点 j から質点 i に作用する内力を fij とすれば", "title": "質点系の運動" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "F i = f i + ∑ j f i j {\\displaystyle {\\boldsymbol {F}}_{i}={\\boldsymbol {f}}_{i}+\\sum _{j}{\\boldsymbol {f}}_{ij}}", "title": "質点系の運動" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "と表される。 ただし、質点 i から質点 i 自身に作用する力は fii = 0 とする。 全運動量の時間変化を考えると", "title": "質点系の運動" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "d P d t = ∑ i d p i d t = ∑ i f i + ∑ i , j f i j {\\displaystyle {\\frac {d{\\boldsymbol {P}}}{dt}}=\\sum _{i}{\\frac {d{\\boldsymbol {p}}_{i}}{dt}}=\\sum _{i}{\\boldsymbol {f}}_{i}+\\sum _{i,j}{\\boldsymbol {f}}_{ij}}", "title": "質点系の運動" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "となる。 ここで運動の第3法則から、質点 j から質点 i に作用する力 fij と 質点 i から質点 j に作用する力 fji は大きさが等しく符号が逆なので", "title": "質点系の運動" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "f i j = − f j i , f i j + f j i = 0 {\\displaystyle {\\boldsymbol {f}}_{ij}=-{\\boldsymbol {f}}_{ji},~{\\boldsymbol {f}}_{ij}+{\\boldsymbol {f}}_{ji}=0}", "title": "質点系の運動" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "が成り立ち、内力を全て足し合わせたものは 0 となる。 従って", "title": "質点系の運動" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "d P d t = M d 2 r g d t 2 = ∑ i f i {\\displaystyle {\\frac {d{\\boldsymbol {P}}}{dt}}=M{\\frac {d^{2}{\\boldsymbol {r}}_{g}}{dt^{2}}}=\\sum _{i}{\\boldsymbol {f}}_{i}}", "title": "質点系の運動" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "となり、質点系の全運動量の時間変化は作用する外力の総和と等しい。 これは、重力などの単純な外力の下では質量中心の運動が相対位置の運動から分離できることを意味している。", "title": "質点系の運動" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "質点系の運動において、特に作用する外力が釣り合っている場合は", "title": "保存則" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "d P d t = d d t ( ∑ i p i ( t ) ) = 0 {\\displaystyle {\\frac {d{\\boldsymbol {P}}}{dt}}={\\frac {d}{dt}}\\left(\\sum _{i}{\\boldsymbol {p}}_{i}(t)\\right)=0}", "title": "保存則" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "P ( t ) = ∑ i p i ( t ) = const. {\\displaystyle {\\boldsymbol {P}}(t)=\\sum _{i}{\\boldsymbol {p}}_{i}(t)={\\text{const.}}}", "title": "保存則" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "が成り立つ。 つまり、この系では系の全運動量は時間的に変化しない。これは運動量保存の法則 (law of conservation of momentum) と呼ばれる。運動量保存の法則は、ニュートン力学においては作用反作用の法則から導かれるが、運動量保存則自体は作用反作用の法則より一般的に成り立つ法則である。たとえば、電磁気学などの場の理論では近接作用論の立場をとり、遠隔作用論的な法則である作用反作用の法則をその基礎には置かない。しかしながら、電磁気学においても運動量保存の法則は成り立ち、それに伴い運動量の定義も拡張される。", "title": "保存則" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "物理学において、ベクトルで表される物理量とある原点に対する位置の外積をモーメントという。運動量のモーメントは、角運動量 (angular momentum) と呼ばれ、次のように定義される。", "title": "モーメント" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "L := r × p . {\\displaystyle {\\boldsymbol {L}}:={\\boldsymbol {r}}\\times {\\boldsymbol {p}}.}", "title": "モーメント" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "古典的な角運動量の大きさは、位置ベクトル r の大きさと、運動量 p の r に直交する成分の大きさの積として表される。2 つのベクトル r, p が載っている平面上の、2 つのベクトル r, p の間の角度を θ とすれば、角運動量の大きさは次のように表される。", "title": "モーメント" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "| L | = | r | | p ⊥ | = | r | | p | sin θ . {\\displaystyle \\left|{\\boldsymbol {L}}\\right|=\\left|{\\boldsymbol {r}}\\right|\\left|{\\boldsymbol {p}}_{\\perp }\\right|=\\left|{\\boldsymbol {r}}\\right|\\left|{\\boldsymbol {p}}\\right|\\sin \\theta .}", "title": "モーメント" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "解析力学においては、角運動量は角度に対応した一般化運動量として得られる。", "title": "モーメント" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "角運動量は、ニュートンの運動方程式と同様な方程式、", "title": "モーメント" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "d L d t = N {\\displaystyle {\\frac {d{\\boldsymbol {L}}}{dt}}={\\boldsymbol {N}}}", "title": "モーメント" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "を満たす。ここで N ≔ r × F は物体に作用する力のモーメントである。", "title": "モーメント" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "解析力学において、一般化座標 qi に対応する一般化運動量 (generalized momentum) pi はその系のラグランジアン L(q, ·q) の一般化速度 ·qi による偏微分として定義される。", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "p i := ∂ L ( q , q ̇ ) ∂ q ̇ i {\\displaystyle p_{i}:={\\frac {\\partial L({\\boldsymbol {q}},{\\dot {\\boldsymbol {q}}})}{\\partial {\\dot {q}}_{i}}}}", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "ここで、ラグランジアン L(q, ·q) は、運動エネルギー K、ポテンシャル U の差として定義される。", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "L = K − U . {\\displaystyle L=K-U.}", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "ハミルトン形式の力学では、一般化速度の代わりに一般化運動量が力学変数として用いられる。ハミルトニアン H(q, p) は、ラグランジアン L(q, ·q) のルジャンドル変換として定義される。ルジャンドル変換", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "H ( q , p ) := max q ̇ ∈ D { q ̇ ⋅ p − L ( q , q ̇ ) } {\\displaystyle H({\\boldsymbol {q}},{\\boldsymbol {p}}):=\\max _{{\\dot {\\boldsymbol {q}}}\\in D}\\left\\{{\\dot {\\boldsymbol {q}}}\\cdot {\\boldsymbol {p}}-L({\\boldsymbol {q}},{\\dot {\\boldsymbol {q}}})\\right\\}}", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "の右辺を最大化する ·q を考えると、ルジャンドル変換をする領域 D の中でラグランジアンが凸でありかつ充分滑らかなら、そのような ·q は以下の関係を満たす。", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "∂ ∂ q ̇ ( q ̇ ⋅ p − L ( q , q ̇ ) ) = 0 . {\\displaystyle {\\frac {\\partial }{\\partial {\\dot {\\boldsymbol {q}}}}}\\left({\\dot {\\boldsymbol {q}}}\\cdot {\\boldsymbol {p}}-L({\\boldsymbol {q}},{\\dot {\\boldsymbol {q}}})\\right)={\\boldsymbol {0}}.}", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "これはすなわち、ハミルトニアンの変数 p が一般化運動量に等しいことを意味する。", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "3 次元の直交座標系 x = xˆx + yˆy + zˆz においては、ポテンシャルが速度 ·x に依存しないときには", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "L ( x , x ̇ ) = m 2 ( x ̇ 2 + y ̇ 2 + z ̇ 2 ) − U ( x ) {\\displaystyle L({\\boldsymbol {x}},{\\dot {\\boldsymbol {x}}})={\\frac {m}{2}}({\\dot {x}}^{2}+{\\dot {y}}^{2}+{\\dot {z}}^{2})-U({\\boldsymbol {x}})}", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "p α = ∂ L ∂ α ̇ = m α ̇ , α = x , y , z {\\displaystyle p_{\\alpha }={\\frac {\\partial L}{\\partial {\\dot {\\alpha }}}}=m{\\dot {\\alpha }},\\quad \\alpha =x,y,z}", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "であり、このとき一般化運動量 p は質量と速度の積となっている。これはニュートン形式の運動量に一致する。", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "一般化座標として二次元極座標 x = (r, θ) を選ぶと、ラグランジアン及び r, θ に共役な運動量 pr, pθ はそれぞれ", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "L ( r , θ , r ̇ , θ ̇ ) = m 2 ( r ̇ 2 + r 2 θ ̇ 2 ) − U ( x ) {\\displaystyle L(r,\\theta ,{\\dot {r}},{\\dot {\\theta }})={\\frac {m}{2}}({\\dot {r}}^{2}+r^{2}{\\dot {\\theta }}^{2})-U({\\boldsymbol {x}})}", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "p r = ∂ L ∂ r ̇ = m r ̇ {\\displaystyle p_{r}={\\frac {\\partial L}{\\partial {\\dot {r}}}}=m{\\dot {r}}}", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "p θ = ∂ L ∂ θ ̇ = m r 2 θ ̇ {\\displaystyle p_{\\theta }={\\frac {\\partial L}{\\partial {\\dot {\\theta }}}}=mr^{2}{\\dot {\\theta }}}", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "となる。ここで、θ に共役な運動量は角運動量となっている。また r の共役運動量は動径方向への運動量を表している。", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "ポテンシャルが速度に依存するときもある。このとき直交座標系における一般化運動量はニュートン力学におけるものとは異なっている。", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "p i = ∂ ( K ( v ) − U ( x , v ) ) ∂ v i ≠ ∂ K ( v ) ∂ v i = m v i . {\\displaystyle p_{i}={\\frac {\\partial (K({\\boldsymbol {v}})-U({\\boldsymbol {x}},{\\boldsymbol {v}}))}{\\partial v_{i}}}\\neq {\\frac {\\partial K({\\boldsymbol {v}})}{\\partial v_{i}}}=mv_{i}.}", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "このような系の例として、電磁場中を運動する電荷を持つ粒子の非相対論的な運動が挙げられる。 この系のラグランジアンは具体的に", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "L ( x , v ) = m 2 v 2 − e φ ( x ) + e v ⋅ A ( x ) {\\displaystyle L({\\boldsymbol {x}},{\\boldsymbol {v}})={\\frac {m}{2}}{\\boldsymbol {v}}^{2}-e\\phi ({\\boldsymbol {x}})+e{\\boldsymbol {v}}\\cdot {\\boldsymbol {A}}({\\boldsymbol {x}})}", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "である。ここで e は物体の持つ電荷、φ はスカラーポテンシャル、A はベクトルポテンシャルである。このとき、共役運動量は", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "p = m v + e A {\\displaystyle {\\boldsymbol {p}}=m{\\boldsymbol {v}}+e{\\boldsymbol {A}}}", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "となる。このときの共役運動量は質量と速度の積の普通の運動量に、電磁場との相互作用による eA の項が加わる。 このとき、ハミルトニアンは、ルジャンドル変換", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "H ( x , p ) = v ⋅ p − L ( x , v ) {\\displaystyle H({\\boldsymbol {x}},{\\boldsymbol {p}})={\\boldsymbol {v}}\\cdot {\\boldsymbol {p}}-L({\\boldsymbol {x}},{\\boldsymbol {v}})}", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "より、", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "H ( x , p ) = ( p − e A ( x ) ) 2 2 m + e φ ( x ) {\\displaystyle H({\\boldsymbol {x}},{\\boldsymbol {p}})={\\frac {\\left({\\boldsymbol {p}}-e{\\boldsymbol {A}}({\\boldsymbol {x}})\\right)^{2}}{2m}}+e\\phi ({\\boldsymbol {x}})}", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "となる。ベクトルポテンシャルのない系と比べると、形式的には共役運動量 p を運動学的な運動量 p − eA に置き換えたものとなっている。", "title": "解析力学における運動量" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "相対性理論において運動量とエネルギーはミンコフスキー空間における四元ベクトルを為し、", "title": "相対性理論" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "である(m は質量、τ は固有時間)。これの空間成分は", "title": "相対性理論" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "となる。非相対論的極限 v/c → 0 において前述の運動量(質量と速度の積)に一致する。", "title": "相対性理論" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "運動量とエネルギーは", "title": "相対性理論" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "の関係を満たしている。運動量が 0 の場合は有名な E = mc の式になっている。", "title": "相対性理論" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "光(あるいは電磁波)は波であるが、実験によりエネルギーと運動量を持つ粒子でもあると考えられている。 そのエネルギーと運動量は", "title": "量子論" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "である。(ここで h はプランク定数、ν は振動数、ω = 2πν は角振動数、c は真空中の光速、λ は波長、k は波数である)", "title": "量子論" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "前述のエネルギーと運動量の関係式にこの関係を入れると、ω = ck からこの粒子の質量は 0 であることが分かる。この質量 0 の粒子を光子という。", "title": "量子論" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "量子力学では、上記の古典論的運動量 p → {\\displaystyle {\\vec {p}}} は、波動関数 ψ ( t , x → ) = ψ ( t , x , y , z ) {\\displaystyle \\psi (t,{\\vec {x}})=\\psi (t,x,y,z)} に対する、", "title": "量子論" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "という演算子であるとみなされる。ここに、 i {\\displaystyle \\,i} は虚数単位、 ∇ {\\displaystyle \\,\\nabla } はナブラである。", "title": "量子論" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "或いはエネルギーとまとめて四元ベクトルで表すと、", "title": "量子論" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "である。これらは対応原理と呼ばれ、解析力学における作用積分 S {\\displaystyle \\,S} の汎関数微分が", "title": "量子論" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "であることなどから類推された。", "title": "量子論" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "また、正準量子化という方法によれば、位置と運動量は正準交換関係", "title": "量子論" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "を満たす物理量として量子化される。", "title": "量子論" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "運動量は空間の一様性(並進対称性)に対応する保存量である。 時間の一様性に対応するエネルギー、空間の等方性に対応する角運動量とともに、基本的な物理量である。", "title": "対称性との関係" } ]
運動量(うんどうりょう、とは、初等的には物体の運動の状態を表す物理量で、質量と速度の積として定義される。この意味の運動量は後述する一般化された運動量と区別して、運動学的運動量と呼ばれる。また、角運動量という運動量とは異なる量と対比する上で、線型運動量などと呼ばれることもある。
<!--{{出典の明記|date=2011年10月}}{{正確性|date=2006年9月}}--> {{物理量 |名称 = |英語 = momentum |画像 = |記号 = ''p'' |次元 = [[質量|M]] [[長さ|L]] [[時間|T]]{{sup-|1}} |階 = ベクトル |SI = [[キログラムメートル毎秒]](kg&sdot;m&sdot;s<sup>&minus;1</sup>), [[ニュートン秒]] (N&sdot;s) |CGS = ダイン秒 (dyn&sdot;s) |MTS = |FPS = |MKSG = |CGSG = |FPSG = |プランク = [[プランク運動量]] |原子 = }} {{古典力学}} {{読み仮名|'''運動量'''|うんどうりょう|{{Lang-en-short|momentum}}}}とは、初等的には[[物体]]の[[運動 (物理学)|運動]]の[[状態]]を表す[[物理量]]で、[[質量]]と[[速度]]の[[積]]として定義される。この意味の運動量は後述する一般化された運動量と区別して、'''運動学的運動量'''(あるいは'''動的運動量'''<ref group="注釈">{{lang-en-short|kinetic momentum}}、{{lang|en|dynamical momentum}}</ref>)と呼ばれる。また、'''[[角運動量]]'''<ref group="注釈">{{lang-en-short|angular momentum}}</ref>という運動量とは異なる量と対比する上で、'''線型運動量'''<ref group="注釈">{{lang-en-short|linear momentum}}、{{lang|en|translational momentum}}</ref>などと呼ばれることもある。 ==概要== 日常生活において、物体の持つ運動量は、動いている物体の止めにくさとして体感される。つまり、重くて速い物体ほど運動量が大きく、静止させるのに大きな[[力積]]が必要になる。 [[アイザック・ニュートン]]は運動量の時間的変化と力の関係を[[運動の第2法則]]として提示した{{sfn|松田|1993|p=21}}{{sfn|Newton|1729|loc=Axioms, or Laws of Motion; Law II}}。 [[解析力学]]では、上述の定義から離れ、運動量は[[一般化座標系|一般化座標]]と[[オイラー=ラグランジュ方程式]]を通じて与えられる。この運動量は一般化座標系における一般化速度の対応物として、'''一般化運動量'''<ref group="注釈">{{lang-en-short|generalized momentum}}</ref>と呼ばれる。 特に[[ハミルトン力学|ハミルトン形式]]の解析力学においては、[[正準方程式]]を通じて与えられる[[正準変数]]の一方を座標と呼び他方を'''運動量'''と呼ぶ{{sfn|須藤|2008|pp=42&ndash;43,48&ndash;51|loc=&sect;5 ハミルトン形式と正準変換}}。この意味の運動量は、他と区別して、[[ハミルトン力学#正準変換|正準運動量]]<ref group="注釈">{{lang-en-short|canonical momentum}}</ref>と呼ばれる。また、正準運動量は、正準方程式において座標の対となるという意味で、'''共役運動量'''<ref group="注釈">{{lang-en-short|conjugate momentum}}</ref>と呼ばれる{{sfn|須藤|2008|pp=42,51|loc=&sect;5 ハミルトン形式と正準変換}}。運動量は、ハミルトン形式の力学では、速度よりも基本的な量であり、ハミルトン形式で記述される通常の[[量子力学]]においても重要な役割を果たす。 共役運動量と通常の運動学的運動量の違いが際立つ例として、[[磁場]]中を運動する[[電子]]の運動の例が挙げられる([[#解析力学における運動量]]も参照)。[[電磁場]]中を運動する電子に対しては[[ローレンツ力]]が働くが、このローレンツ力に対応する一般化された[[ポテンシャルエネルギー]]には電子の速度の項があるために、共役運動量は[[ラグランジアン]]のポテンシャル項に依存した形になる{{sfn|須藤|2008|pp=202&ndash;204|loc=付録 A 電磁場の古典論}}。このとき共役運動量と運動学的運動量は一致しない。また、電磁場中の電子の運動を記述する古典的ハミルトニアンでは、共役運動量の部分がすべて共役運動量から[[ベクトルポテンシャル]]の寄与を引いたものに置き換わる{{sfn|須藤|2008|pp=202&ndash;204|loc=付録 A 電磁場の古典論}}。 ==数学的表現== 運動量は、[[運動の第2法則]]において、その時間に対する変化の割合が[[力 (物理学)|力]]と等しい量として導入される。 つまり、運動量 {{mvar|'''p'''}} は[[ニュートンの運動方程式]]、 {{Indent|<math> \frac{d\boldsymbol{p}}{dt} =\boldsymbol{F}(t) </math>}} を満たす。力 {{mvar|'''F'''}} は[[ベクトル量]]であり、運動量もまたベクトル量である。また、定義から明らかなように、運動量は時刻 {{mvar|t}} の[[関数 (数学)|関数]]として表される量である。 [[質点]]の運動量は、質点の[[速度]]に[[比例]]する。質点の運動量は、質点の速度を {{mvar|'''v'''}} と表し、比例係数を {{mvar|m}} とすると、 {{Indent|<math> \boldsymbol{p} =m\boldsymbol{v} </math>}} で与えられる。 ここで導入された比例係数 {{mvar|m}} は'''[[慣性質量]]''' {{en|(inertial mass)}} と呼ばれ質点の速度の変化し難さを表す。 運動量の変化量は[[力積]]であるが、運動の間、慣性質量が一定であるとすれば、速度の変化量は力積を慣性質量で割ったものとなる。従って、同じ大きさの力積に対しては、慣性質量が大きいほど速度の変化は小さいものとなる。 == 時間的な変化 == {{Main|力積}} 時刻 {{math|''t''{{sub|0}}}} から {{math|''t''{{sub|1}}}} の間の物体の運動量の変化量を {{Indent| <math>\Delta \boldsymbol{p}(t_0; t_1) := \boldsymbol{p}(t_1) -\boldsymbol{p}(t_0) =\int_{t_0}^{t_1} \frac{d\boldsymbol{p}}{dt}\, dt</math> }} とする。 この物体が時刻 {{mvar|t}} に力 {{math|{{mvar|'''F'''}}({{mvar|t}})}} を受けながら運動していたとすると、[[運動方程式]]から運動量の時間変化率 {{math|{{mvar|d'''p'''}}/{{mvar|dt}}}} は力 {{math|{{mvar|'''F'''}}({{mvar|t}})}} に等しいため、運動量の変化量 {{math|&Delta;'''''p'''''}} は {{Indent| <math>\Delta \boldsymbol{p}(t_0; t_1) =\int_{t_0}^{t_1} \boldsymbol{F}(t)\, dt =: \boldsymbol{I}</math> }} となり力 {{math|{{mvar|'''F'''}}({{mvar|t}})}} を時刻 {{math|''t''{{sub|0}}}} から {{math|''t''{{sub|1}}}} まで[[積分]]したものに等しい。 この力の時間積分 {{mvar|'''I'''}} は'''[[力積]]'''({{en|impulse}})と呼ばれ、運動量の変化量に等しい。 時間 {{math|1=&Delta;''t''=''t''{{sub|1}}&minus;''t''{{sub|0}}}} で物体が受ける力の時間的な[[平均]]は {{Indent| <math>\boldsymbol{F}_\text{ave}(t_0; t_1) := \frac{1}{\Delta t} \int_{t_0}^{t_1} \boldsymbol{F}(t)\, dt</math> }} で定義される。力の時間平均 {{math|{{mvar|'''F'''}}{{sub|ave}}}} を用いれば力積は {{Indent| <math>\boldsymbol{I} =\Delta\boldsymbol{p}(t_0; t_1) =\boldsymbol{F}_\text{ave}(t_0; t_1) \Delta t</math> }} となる。 特に時間 {{math|&Delta;''t''}} が充分に短く、力が一定であると見なせる場合には、力積は単に力と時間の積 {{Indent| <math>\boldsymbol{I} =\Delta\boldsymbol{p} =\boldsymbol{F}\, \Delta t</math> }} として表すことができる。 つまり、物体に一定の力を加えて、物体の運動量の変化を大きくするには、力が作用する時間を長くすればよい。逆に、大きな力を加えたとしても、それがごく短期間のものであれば、物体に与える力積は小さくなる。 == 質点系の運動 == 運動量は加法的な量であり、系の全運動量は部分の運動量の和で表される。 質点系の全運動量 {{mvar|'''P'''}} は、質点 {{math|''i'' {{=}} 1, 2, 3,...}} の運動量 {{math|'''''p'''<sub>i</sub>'' {{=}} ''m<sub>i</sub>'''v'''<sub>i</sub>'' {{=}} ''m<sub>i</sub>{{sfrac|d'''r'''<sub>i</sub>|dt}}''}} とすれば {{Indent|<math> \boldsymbol{P}(t) =\sum_i \boldsymbol{p}_i(t) =\sum_i m_i\, \frac{d\boldsymbol{r}_i}{dt} =\frac{d}{dt} \left( \sum_i m_i\, \boldsymbol{r}_i(t) \right) </math>}} となる。 ここで質点系の全質量 {{mvar|M}} と[[質量中心]] {{math|'''''r'''''<sub>g</sub>}} を {{Indent|<math> M =\sum_i m_i,~ \boldsymbol{r}_g(t) =\frac{1}{M} \sum_i m_i\, \boldsymbol{r}_i(t) </math>}} により導入すれば {{Indent|<math> \boldsymbol{P}(t) =M\frac{d\boldsymbol{r}_g}{dt} </math>}} となる。 即ち、質点系の全運動量は、質量中心に全質量が集中していると考えたときの運動量に等しい。 質点 {{mvar|i}} の運動量 {{mvar|'''p'''<sub>i</sub>}} の時間変化は、質点 {{mvar|i}} に作用する力 {{mvar|'''F'''<sub>i</sub>}} に等しく {{Indent|<math> \frac{d\boldsymbol{p}_i}{dt} =\boldsymbol{F}_i </math>}} を満たす。 ここで質点 {{mvar|i}} に作用する力は、質点系の外部から作用する外力と、系に含まれる他の質点との内部相互作用に分けられる。 質点 {{mvar|i}} に作用する外力を {{mvar|'''f'''<sub>i</sub>}}、質点 {{mvar|j}} から質点 {{mvar|i}} に作用する内力を {{mvar|'''f'''<sub>ij</sub>}} とすれば {{Indent| <math>\boldsymbol{F}_i =\boldsymbol{f}_i +\sum_j \boldsymbol{f}_{ij}</math> }} と表される。 ただし、質点 {{mvar|i}} から質点 {{mvar|i}} 自身に作用する力は {{math|'''''f'''<sub>ii</sub>'' {{=}} 0}} とする。 全運動量の時間変化を考えると {{Indent| <math>\frac{d\boldsymbol{P}}{dt} =\sum_i \frac{d\boldsymbol{p}_i}{dt} =\sum_i \boldsymbol{f}_i +\sum_{i,j} \boldsymbol{f}_{ij}</math> }} となる。 ここで[[運動の第3法則]]から、質点 {{mvar|j}} から質点 {{mvar|i}} に作用する力 {{mvar|'''f'''<sub>ij</sub>}} と 質点 {{mvar|i}} から質点 {{mvar|j}} に作用する力 {{mvar|'''f'''<sub>ji</sub>}} は大きさが等しく符号が逆なので {{Indent| <math>\boldsymbol{f}_{ij} =-\boldsymbol{f}_{ji},~ \boldsymbol{f}_{ij} +\boldsymbol{f}_{ji} =0</math> }} が成り立ち、内力を全て足し合わせたものは {{math|0}} となる。 従って {{Indent| <math>\frac{d\boldsymbol{P}}{dt} =M\frac{d^2\boldsymbol{r}_g}{dt^2} =\sum_i \boldsymbol{f}_i</math> }} となり、質点系の全運動量の時間変化は作用する外力の[[総和]]と等しい。 これは、重力などの単純な外力の下では質量中心の運動が相対位置の運動から分離できることを意味している。 == 保存則 == {{Main|運動量保存の法則}} 質点系の運動において、特に作用する外力が釣り合っている場合は {{Indent| <math>\frac{d\boldsymbol{P}}{dt} =\frac{d}{dt} \left( \sum_i\boldsymbol{p}_i(t) \right) =0</math> }} {{Indent| <math>\boldsymbol{P}(t) =\sum_i\boldsymbol{p}_i(t) =\text{const.}</math> }} が成り立つ。 つまり、この系では系の全運動量は時間的に変化しない。これは'''[[運動量保存の法則]]''' {{en|(law of conservation of momentum)}} と呼ばれる。運動量保存の法則は、ニュートン力学においては[[作用反作用の法則]]から導かれるが、運動量保存則自体は作用反作用の法則より一般的に成り立つ法則である{{sfn|砂川|1987|p=234|loc=第 5 章 &sect;2 電磁場のエネルギーと運動量}}。たとえば、[[電磁気学]]などの[[場の理論]]では[[近接作用|近接作用論]]の立場をとり、[[遠隔作用|遠隔作用論]]的な法則である[[作用反作用の法則]]をその基礎には置かない。しかしながら、電磁気学においても運動量保存の法則は成り立ち、それに伴い運動量の定義も拡張される{{sfn|砂川|1987|pp=156&ndash;160; 234&ndash;240|loc=第 3 章 &sect;5 定常電流間に作用する力; 第 5 章 &sect;2 電磁場のエネルギーと運動量}}。 == モーメント == {{Main|角運動量}} 物理学において、[[ベクトル空間|ベクトル]]で表される物理量とある原点に対する位置の[[ベクトル積|外積]]を[[モーメント]]という。運動量のモーメントは、'''角運動量''' {{en|(angular momentum)}} と呼ばれ、次のように定義される。 {{Indent|<math> \boldsymbol{L} := \boldsymbol{r} \times \boldsymbol{p}. </math>}} 古典的な角運動量の大きさは、位置ベクトル {{mvar|'''r'''}} の大きさと、運動量 {{mvar|'''p'''}} の {{mvar|'''r'''}} に[[直交]]する成分の大きさの積として表される。2 つのベクトル {{math|'''''r''''', '''''p'''''}} が載っている平面上の、2 つのベクトル {{math|'''''r''''', '''''p'''''}} の間の角度を {{mvar|&theta;}} とすれば、角運動量の大きさは次のように表される。 {{indent|<math> \left|\boldsymbol{L}\right| = \left|\boldsymbol{r}\right|\left|\boldsymbol{p}_\perp\right| =\left|\boldsymbol{r}\right|\left|\boldsymbol{p}\right| \sin\theta. </math>}} 解析力学においては、角運動量は[[角度]]に対応した一般化運動量として得られる。 角運動量は、[[ニュートンの運動方程式]]と同様な方程式、 {{Indent| <math>\frac{d\boldsymbol{L}}{dt} = \boldsymbol{N}</math> }} を満たす。ここで {{math|'''''N''''' {{coloneqq}} '''''r''''' &times; '''''F'''''}} は物体に作用する[[力のモーメント]]である。 == 解析力学における運動量 == [[解析力学]]において、[[一般化座標]] {{mvar|q<sub>i</sub>}} に対応する'''一般化運動量''' {{en|(generalized momentum)}} {{mvar|p<sub>i</sub>}} はその[[系 (自然科学)|系]]の[[ラグランジアン]] {{math|''L''('''''q''''', {{dot|'''''q'''''}})}} の一般化速度 {{math|{{dot|''q''}}''<sub>i</sub>''}} による[[偏微分]]として定義される。 {{Indent| <math>p_i := \frac{\partial L(\boldsymbol{q},\dot{\boldsymbol q})}{\partial\dot{q}_i}</math> }} ここで、ラグランジアン {{math|''L''('''''q''''', {{dot|'''''q'''''}})}} は、[[運動エネルギー]] {{mvar|K}}、[[ポテンシャル]] {{mvar|U}} の差として定義される。 {{Indent| <math>L=K-U.</math> }} [[ハミルトン力学|ハミルトン形式]]の力学では、一般化速度の代わりに一般化運動量が力学変数として用いられる。[[ハミルトニアン]] {{math|''H''('''''q''''', '''''p''''')}} は、ラグランジアン {{math|''L''('''''q''''', {{dot|'''''q'''''}})}} の[[ルジャンドル変換]]として定義される{{sfn|須藤|2008|pp=45&ndash;47|loc=5.2 ルジャンドル変換}}。ルジャンドル変換{{sfn|田崎|2000|pp=259&ndash;270; 270&ndash;278|loc=付録 G. 凸関数; H. Legendre 変換}} {{indent|<math> H(\boldsymbol{q}, \boldsymbol{p}) := \max_{\dot{\boldsymbol q}\in D} \left\{ \dot{\boldsymbol q}\cdot\boldsymbol{p} - L(\boldsymbol{q}, \dot{\boldsymbol q}) \right\} </math>}} の右辺を最大化する {{math|{{dot|'''''q'''''}}}} を考えると、ルジャンドル変換をする領域 {{mvar|D}} の中でラグランジアンが[[凸関数|凸]]でありかつ[[滑らかな関数|充分滑らか]]なら、そのような {{math|{{dot|'''''q'''''}}}} は以下の関係を満たす。 {{indent|<math> \frac{\partial}{\partial \dot{\boldsymbol q}}\left( \dot{\boldsymbol q}\cdot\boldsymbol{p} - L(\boldsymbol{q}, \dot{\boldsymbol q} )\right) = \boldsymbol{0}. </math>}} これはすなわち、ハミルトニアンの変数 {{mvar|'''p'''}} が一般化運動量に等しいことを意味する。 === 直交座標系 === 3 次元の[[直交座標系]] {{math|'''''x''''' {{=}} ''x''{{hat|'''x'''}} + ''y''{{hat|'''y'''}} + ''z''{{hat|'''z'''}}}} においては、[[ポテンシャル]]が[[速度]] {{math|{{dot|'''''x'''''}}}} に依存しないときには {{Indent| <math>L(\boldsymbol{x}, \dot{\boldsymbol{x}}) = \frac{m}{2}(\dot{x}^2+\dot{y}^2+\dot{z}^2) -U(\boldsymbol{x})</math> }} {{Indent| <math>p_\alpha = \frac{\partial L}{\partial\dot{\alpha}} = m\dot{\alpha}, \quad \alpha = x, y, z</math> }} であり、このとき一般化運動量 {{mvar|'''p'''}} は質量と速度の積となっている。これは[[ニュートン力学|ニュートン形式]]の運動量に一致する。 === 極座標系 === 一般化座標として二次元[[極座標]] {{math|'''''x''''' {{=}} (''r'', ''&theta;'')}} を選ぶと、ラグランジアン及び {{math|''r'', ''&theta;''}} に共役な運動量 {{math|''p<sub>r</sub>'', ''p<sub>&theta;</sub>''}} はそれぞれ {{Indent| <math>L(r,\theta,\dot{r},\dot{\theta}) = \frac{m}{2}(\dot{r}^2+r^2\dot{\theta}^2) -U(\boldsymbol{x})</math> }} {{Indent| <math>p_r = \frac{\partial L}{\partial\dot{r}} = m\dot{r}</math> }} {{Indent| <math>p_\theta = \frac{\partial L}{\partial\dot{\theta}} = mr^2\dot{\theta}</math> }} となる。ここで、{{mvar|&theta;}} に共役な運動量は[[角運動量]]となっている。また {{mvar|r}} の共役運動量は動径方向への運動量を表している。 === 一般化されたポテンシャル === ポテンシャルが速度に依存するときもある。このとき直交座標系における一般化運動量はニュートン力学におけるものとは異なっている。 {{indent|<math> p_i = \frac{\partial (K(\boldsymbol{v}) - U(\boldsymbol{x},\boldsymbol{v}))}{\partial v_i} \ne \frac{\partial K(\boldsymbol{v})}{\partial v_i} = mv_i. </math>}} このような系の例として、[[電磁場]]中を運動する[[電荷]]を持つ[[粒子]]の[[特殊相対性理論|非相対論的]]な運動が挙げられる。 この系のラグランジアンは具体的に {{Indent| <math>L(\boldsymbol{x},\boldsymbol{v}) = \frac{m}{2}\boldsymbol{v}^2 - e\phi(\boldsymbol{x}) + e\boldsymbol{v}\cdot\boldsymbol{A}(\boldsymbol{x})</math> }} である。ここで {{mvar|e}} は物体の持つ[[電荷]]、{{mvar|&phi;}} は[[電磁ポテンシャル|スカラーポテンシャル]]、{{mvar|'''A'''}} は[[電磁ポテンシャル|ベクトルポテンシャル]]である。このとき、共役運動量は {{Indent| <math>\boldsymbol{p} = m\boldsymbol{v} + e\boldsymbol{A}</math> }} となる。このときの共役運動量は質量と速度の積の''普通の''運動量に、電磁場との相互作用による {{mvar|e'''A'''}} の項が加わる。 このとき、ハミルトニアンは、ルジャンドル変換 {{indent|<math> H(\boldsymbol{x},\boldsymbol{p}) = \boldsymbol{v}\cdot\boldsymbol{p}-L(\boldsymbol{x},\boldsymbol{v}) </math>}} より、 {{indent|<math> H(\boldsymbol{x},\boldsymbol{p}) = \frac{\left(\boldsymbol{p}-e\boldsymbol{A}(\boldsymbol{x})\right)^2}{2m} + e\phi(\boldsymbol{x}) </math>}} となる。ベクトルポテンシャルのない系と比べると、形式的には共役運動量 {{mvar|'''p'''}} を運動学的な運動量 {{math|'''''p''''' &minus; ''e'''A'''''}} に置き換えたものとなっている{{sfn|須藤|2008|pp=202&ndash;204|loc=付録 A 電磁場の古典論}}。 == 相対性理論 == 相対性理論において運動量と[[エネルギー]]は[[ミンコフスキー空間]]における[[4元ベクトル|四元ベクトル]]を為し、 : <math>p^\mu = m \frac{dx^\mu}{d\tau}</math> である({{mvar|m}} は質量、{{mvar|&tau;}} は[[固有時間]])。これの空間成分は : <math>p_j = m \frac{dx_j}{dt}\frac{dt}{d\tau} = \frac{mv_j}{\sqrt{1-\tfrac{v^2}{c^2}}}</math> となる。非相対論的極限 {{math|''v''/''c'' &rarr; 0}} において前述の運動量(質量と速度の積)に一致する。 運動量とエネルギーは : <math>-m^2 c^2 = -\frac{E^2}{c^2} + \vec{p}^2</math> の関係を満たしている。運動量が {{math|0}} の場合は有名な {{math|''E'' {{=}} ''mc''{{msup|2}}}} の式になっている。 == 量子論 == {{main|運動量演算子}} [[光]](あるいは[[電磁波]])は[[波]]であるが、実験によりエネルギーと運動量を持つ粒子でもあると考えられている。 そのエネルギーと運動量は : <math>E = h\nu = \hbar\omega</math> : <math>p = \frac{h\nu}{c} = \frac{h}{\lambda} = \hbar k</math> である。(ここで {{mvar|h}} は[[プランク定数]]、{{mvar|&nu;}} は[[振動数]]、{{math|''&omega;'' {{=}} 2&pi;''&nu;''}} は[[角振動数]]、{{mvar|c}} は[[光速|真空中の光速]]、{{mvar|&lambda;}} は[[波長]]、{{mvar|k}} は[[波数]]である) 前述のエネルギーと運動量の関係式にこの関係を入れると、{{math|''&omega;'' {{=}} ''ck''}} からこの粒子の質量は {{math|0}} であることが分かる。この質量 {{math|0}} の粒子を[[光子]]という。 量子力学では、上記の古典論的運動量 <math>\vec{p}</math> は、波動関数 <math>\psi(t,\vec{x}) = \psi(t, x, y, z)</math> に対する、 : <math>\vec{p} \rightarrow \frac{\hbar}{i}\vec{\nabla} = \left( \frac{\hbar}{i}\frac{\partial}{\partial x}, \frac{\hbar}{i}\frac{\partial}{\partial y}, \frac{\hbar}{i}\frac{\partial}{\partial z} \right)</math> という[[作用素|演算子]]であるとみなされる。ここに、<math>\,i</math> は[[虚数単位]]、<math>\,\nabla</math>は[[ナブラ]]である。 或いはエネルギーとまとめて四元ベクトルで表すと、 : <math>p_\mu \rightarrow \frac{\hbar}{i}\frac{\partial}{\partial x^\mu}</math> である。これらは'''対応原理'''と呼ばれ、[[ラグランジュ力学|解析力学]]における[[作用積分]] <math>\,S</math> の[[汎函数微分|汎関数微分]]が : <math>\frac{\delta S}{\delta x^\mu} = p_\mu</math> であることなどから類推された。 また、[[正準量子化]]という方法によれば、位置と運動量は[[正準交換関係]] : <math>[x^\mu,p_\nu]=i\hbar \delta^\mu_\nu</math> : <math>[x^\mu,x^\nu]=0 \, ,\, [p_\mu,p_\nu]=0</math> を満たす[[物理量]]として[[量子化]]される。 == 対称性との関係 == 運動量は空間の一様性(並進対称性)に対応する[[保存量]]である。 時間の一様性に対応する[[エネルギー]]、空間の等方性に対応する[[角運動量]]とともに、基本的な物理量である{{sfn|ランダウ|リフシッツ|2008}}。 {{see also|ネーターの定理|ポアンカレ対称性}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} ===注釈=== {{Notelist}} ===出典=== {{Reflist}} == 参考文献 == * {{cite wikisource |title=The Mathematical Principles of Natural Philosophy |wslink=The Mathematical Principles of Natural Philosophy (1729)/Axioms, or Laws of Motion#Law2 |wslanguage=en |last=Newton |first=Isaac |year=1729 |edition=English |others=translated by Andrew Motte |ref=harv}} * {{Cite book|和書 |last=松田 |first=哲 |series=パリティ物理学コース |title=力学 |publisher=丸善 |year=1993 |ref=harv }} * {{Cite book|和書 |last1=ランダウ |first1=L.D. |authorlink1=レフ・ランダウ |last2=リフシッツ |first2=E.M. |authorlink2=エフゲニー・リフシッツ |translator=[[水戸巌]]・[[恒藤敏彦]]・[[廣重徹]] |title=力学・場の理論 : ランダウ=リフシッツ物理学小教程 |year=2008 |publisher=[[筑摩書房]] |series=[[ちくま学芸文庫]] |isbn=978-4-480-09111-6 |ref=harv }} * {{cite book|和書 |last=須藤 |first=靖 |title=解析力学・量子論 |year=2008 |publisher=東京大学出版会 |isbn=978-4-13-062610-1 |ref=harv }} *{{cite book|和書 |last=砂川 |first=重信 |title=電磁気学 |year=1987 |series=物理テキストシリーズ 4 |publisher=岩波書店 |edition=新装版 |isbn=4-00-007744-9 |ref=harv }} *{{cite book|和書 |last=田崎 |first=晴明 |date=2000-04-12 |edition=初版 |title=熱力学 現代的な視点から |publisher=培風館 |isbn=978-4-563-02432-1 |ref=harv }} == 関連項目 == {{Commonscat|Momentum}} * [[運動量保存の法則]] * [[角運動量保存の法則]] * [[角運動量]] * [[慣性]] * [[速度]] * [[加速度]] * [[エネルギー・運動量テンソル]] * [[結晶運動量]] {{古典力学のSI単位}} {{Physics-stub}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:うんとうりよう}} [[Category:力学]] [[Category:電磁気学]] [[Category:量子力学]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8B%E5%8B%95%E9%87%8F
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速度
速度(そくど、英: velocity)は、単位時間当たりの物体の位置の変化量である(位置の時間微分)。 国際単位系(SI)における、一貫性 (単位系)のある単位は、メートル毎秒(m/s)である。国際単位系国際文書においては、組立量は、「速さ、速度」(英語版では、speed, velocity)としている。 ただし、日本の計量法では、「速さ」のみを物象の状態の量(物理量と考えてよい。)としており、「速度」は採用していない 日常語としての「速度」と「速さ」はほとんど区別なく使われている。この場合の速さは、動いている物体が一定時間あたりに進む距離のことを指す。これは移動距離を経過時間で割ったもの として求めることができ、時速、分速などの単位が用いられる。 これに対して、物理学においては、速さ(英語: speed)と速度(velocity)を区別することがある。速度とは、一義的には力学における質点の運動を表し、運動している質点の単位時間あたりの変位、およびその方向を表すベクトル量である。よって、ベクトルであることを強調する際には、速度を速度ベクトルと呼ぶ。一方、速さとは、速度の大きさ(厳密には絶対値)を表すスカラー量である。この意味で日常語として使われる速さと同義である。 例として東向きを正に取ると、自動車が一定速度で東の方向に走り、1 時間で 60 km 移動した場合、車の速度は「東向きに(+)時速 60 km」となり、車の速さは「時速 60 km」となる。また例えば、マラソン選手が西向きに 40 km を 2 時間で走った場合、そのマラソン選手の速さは 20 km/h、または時速 20 km と表されるが、速度は「西向きに(-)20 km/h」となる。 着目する現象が時間的に変化している場合に、その現象の単位時間あたりの変化量(時間微分)に対して「速度」という言葉が用いられることがある。 など種々の速度の概念が定義される。各種物理量の速度には特別な名称が付けられていることがあり、馬力、仕事率、躍度などがある。 物体の運動やその安定性を記述する際、最初の状態における速度がしばしば問題になる(初期値問題)。この初めの速度のことを初速度(initial velocity)という。 速度に対して抵抗を受けて変化するとき、平衡となって一定となった速度を終端速度(terminal velocity)という。 質点は大きさを持たないが、一般の物体は大きさを持つため、回転運動が定義される。単位時間当たりの回転量を角速度という。2次元空間(平面)では、回転面は 1 つだけなので、スカラー量である。3次元空間においては回転の中心が進む方向に対して右ねじの向きを正とするベクトル量として定義される。 単位時間当たりの変化量、すなわち[対象の変化量] ÷ [経過時間]によって求められる速度は平均速度(あるいは平均速度ベクトル)と呼ばれる。 例えば物体の運動について、ある時刻t1における物体の位置ベクトルをx1、時刻t2のときの物体の位置ベクトルをx2とすると、この時間区分における物体の平均速度 v ̄ {\displaystyle {\bar {\boldsymbol {v}}}} は、 で表される。 また、この平均速度の大きさを平均の速さと呼ぶ。 平均速度を観測する際に、時間区分t2 -t1を十分小さくし 0 に近づけていくとき、各時点における速度とみなせるものが観測でき、これを時刻tにおける瞬間速度と呼ぶ。 時刻t、物体の座標xの変化量をそれぞれΔt , Δxとすると、瞬間速度vは、 と表される。 また、この瞬間速度の大きさを瞬間の速さと呼ぶ。 中辺は平均速度に対し時間区分の長さを 0 とする極限をとったものである。つまり物体の瞬間速度とは、その物体の位置座標を時間tの関数x (t )とみなしたとき、それを時間tについて微分したものである。 通常は、瞬間速度のことを指して単に速度と呼ぶことが多い。また例えば、瞬間速度の微分(すなわち速度変化の瞬間速度)として加速度を考えることができる。 日本の小学校における算数教育の授業では前述の「平均速度」の式(速度=距離÷時間)を習う。式変形は習っていないので距離と時間を求める式は別の公式として習得する。 この三つの公式を覚えるための方法として、「は・じ・き(速さ、時間、距離)」「み・は・じ(道のり、速さ、時間)」として、教科書では頻繁に使われ、「はじきの法則」と呼ばれる。
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速度は、単位時間当たりの物体の位置の変化量である(位置の時間微分)。
{{物理量 | 名称 = | 英語 = velocity | 画像 = | 記号 = ''v'', ''u'' | 次元 = [[長さ|L]] [[時間|T]] {{sup-|1}} | 階 = ベクトル | SI = [[メートル毎秒]] (m/s) [[SI組立単位]] | CGS = [[センチメートル毎秒]] (cm/s) | MTS = | FPS = [[フィート毎秒]] (ft/s) | MKSG = | CGSG = | FPSG = | プランク = [[光速度]] (''c'') | 原子 = }}{{古典力学}} '''速度'''(そくど、{{lang-en-short|velocity}})は、[[単位時間]]当たりの[[物体]]の[[位置]]の変化量である(位置の[[時間微分]]<ref group="注釈"> 物体の位置の、各時間の点での変化の[[割合]]</ref>)。 == 速度の単位 == [[国際単位系]](SI)における、[[一貫性 (単位系)]]のある単位は、[[メートル毎秒]](m/s)である。[[国際単位系国際文書]]においては、[[組立量]]は、「速さ、速度」<ref>国際単位系(SI)第9版(2019)、p.108 表5</ref>(英語版では、speed, velocity<ref>[https://www.bipm.org/documents/20126/41483022/SI-Brochure-9.pdf/fcf090b2-04e6-88cc-1149-c3e029ad8232 The International System of Units] p.139、Table 5.、Derived quantityとして、「speed, velocity」とある。</ref>)としている。 ただし、日本の[[計量法]]では、「速さ」のみを[[法定計量単位#物象の状態の量|物象の状態の量]]([[物理量]]と考えてよい。)としており、「速度」は採用していない<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=404AC0000000051&keyword=%E8%A8%88%E9%87%8F%E6%B3%95 計量法] 第2条第1項第1号 </ref><ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=404CO0000000357_20190520_501CO0000000006&keyword=%E8%A8%88%E9%87%8F%E5%8D%98%E4%BD%8D%E4%BB%A4 計量単位令] 別表第1、項番14。</ref> == 速度と速さ == 日常語としての「速度」と「速さ」はほとんど区別なく使われている。この場合の速さは、動いている物体が一定時間あたりに進む[[距離]]のことを指す。これは移動距離を経過時間で割ったもの : [平均の速さ] = [移動距離] ÷ [経過時間] として求めることができ、[[時速]]、分速などの[[単位]]が用いられる。 これに対して、[[物理学]]においては、[[速さ]]({{lang-en|speed}})と速度({{en|velocity}})を区別することがある。'''速度'''とは、一義的には[[力学]]における[[質点]]の[[運動 (物理学)|運動]]を表し、運動している質点の単位[[時間]]あたりの[[変位]]、およびその方向を表す[[ベクトル量]]である。よって、ベクトルであることを強調する際には、速度を'''速度ベクトル'''と呼ぶ。一方、'''速さ'''とは、速度の大きさ(厳密には[[絶対値]])を表す[[スカラー量]]である。この意味で日常語として使われる速さと同義である。<ref>{{cite book|last=Wilson|first=Edwin Bidwell|title=Vector analysis: a text-book for the use of students of mathematics and physics, founded upon the lectures of J. Willard Gibbs|year=1901|pages=125|url=https://hdl.handle.net/2027/mdp.39015000962285?urlappend=%3Bseq=149}}</ref> 例として東向きを正に取ると、自動車が一定速度で東の方向に走り、1 時間で 60 km 移動した場合、車の速度は「東向きに(+)時速 60 km」となり、車の速さは「時速 60 km」となる。また例えば、マラソン選手が西向きに 40 km を 2 時間で走った場合、そのマラソン選手の速さは 20 km/h、または時速 20 km と表されるが、速度は「西向きに(-)20 km/h」となる。 == 類似の概念 == 着目する[[現象]]が[[時間]]的に[[変化]]している場合に、その現象の単位時間あたりの変化量([[時間微分]])に対して「速度」という言葉が用いられることがある。 {{div col}} * [[面積速度一定の法則|面積速度]] * [[角速度]] * [[気化]]速度 * [[反応速度]] * [[膨張]]速度 {{div col end}} など種々の速度の[[概念]]が[[定義]]される。各種[[物理量]]の速度には特別な名称が付けられていることがあり、[[馬力]]、[[仕事率]]、[[躍度]]などがある。 物体の運動やその[[安定性理論|安定性]]を記述する際、最初の状態における速度がしばしば問題になる([[初期値問題]])。この初めの速度のことを'''初速度'''{{en|(initial velocity)}}という。 速度に対して抵抗を受けて変化するとき、平衡となって一定となった速度を[[終端速度]]{{en|(terminal velocity)}}という。 == 角速度 == {{main|角速度}} [[質点]]は大きさを持たないが、一般の[[物体]]は大きさを持つため、[[回転]]運動が定義される。単位時間当たりの回転量を角速度という。2次元空間([[平面]])では、回転面は 1 つだけなので、スカラー量である。3次元空間においては回転の中心が進む方向に対して[[右ねじ]]の向きを正とするベクトル量として定義される。 == 平均速度と瞬間速度 == === 平均速度 === 単位時間当たりの変化量、すなわち[対象の変化量] ÷ [経過時間]によって求められる速度は'''平均速度'''(あるいは平均速度ベクトル)と呼ばれる。 例えば物体の運動について、ある時刻''t''<sub>1</sub>における物体の[[位置ベクトル]]を'''''x'''''<sub>1</sub>、時刻''t''<sub>2</sub>のときの物体の位置ベクトルを'''''x'''''<sub>2</sub>とすると、この時間区分における物体の平均速度<math>\bar{\boldsymbol{v}}</math>は、 : <math>\bar{\boldsymbol{v}} = {{\boldsymbol{x}_2 - \boldsymbol{x}_1}\over{t_2 -t_1}}</math> で表される。 また、この平均速度の大きさを'''平均の速さ'''と呼ぶ。 ===瞬間速度=== 平均速度を観測する際に、時間区分''t''<sub>2</sub> -''t''<sub>1</sub>を十分小さくし 0 に近づけていくとき、各時点における速度とみなせるものが観測でき、これを時刻''t''における'''瞬間速度'''<ref>{{lang-en-short|instant velocity}}</ref>と呼ぶ。 時刻''t''、物体の座標'''''x'''''の変化量をそれぞれ&Delta;''t'' , &Delta;'''''x'''''とすると、瞬間速度'''''v'''''は、 : <math>\boldsymbol{v} = \lim_{\Delta t \to 0}{\Delta\boldsymbol{x} \over \Delta t} \equiv {d\boldsymbol{x} \over dt} </math> と表される。 また、この瞬間速度の大きさを'''瞬間の速さ'''と呼ぶ。 中辺は平均速度に対し時間区分の長さを 0 とする[[極限]]をとったものである。つまり物体の瞬間速度とは、その物体の位置座標を時間''t''の[[関数 (数学)|関数]]'''''x''''' (''t'' )とみなしたとき、それを時間''t''について[[微分]]したものである。 通常は、瞬間速度のことを指して単に速度と呼ぶことが多い。また例えば、瞬間速度の微分(すなわち速度変化の瞬間速度)として[[加速度]]を考えることができる。 == 算数における速さ == 日本の小学校における[[算数]]教育の授業では前述の「平均速度」の式(速度=距離÷時間)を習う。式変形は習っていないので距離と時間を求める式は別の公式として習得する。 この三つの公式を覚えるための方法として、「'''は・じ・き'''(速さ、時間、距離)」「'''み・は・じ'''(道のり、速さ、時間)」として、教科書では頻繁に使われ、「はじきの法則」と呼ばれる<ref>{{Cite journal|和書|author=松岡隆, 佐伯昭彦, 秋田美代 |date=2013-12 |url=https://hdl.handle.net/2433/195410 |title=小学校教員養成における教科専門科目「算数」の教材例 (数学教師に必要な数学能力とその育成法に関する研究) |journal=数理解析研究所講究録 |ISSN=1880-2818 |publisher=京都大学数理解析研究所 |volume=1867 |pages=89-97 |hdl=2433/195410 |CRID=1050564285761501056 |quote=p.91(円グラフ様の図がある。}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Wiktionary}} * [[速さ]] * [[単位時間]] * [[運動量]] * [[加速度]] * [[躍度]] * [[加加加速度]] * [[根二乗平均速度]] * [[等速度運動]] * [[速さの比較]] * [[慣性]] * [[表定速度]] * [[スピード]] == 外部リンク == * [https://unit.aist.go.jp/nmij/public/report/SI_9th/pdf/SI_9th_日本語版_r.pdf] {{Cite book |和書 |author=BIPM|authorlink=BIPM |date=2020-03 | translator = [[産業技術総合研究所]] 計量標準総合センター|title=国際単位系(SI)第9版(2019)日本語版 |publisher=産業技術総合研究所 計量標準総合センター |page= |id= |isbn= |ref=国際単位系(SI)第9版(2019) |quote= }} * [https://keisan.casio.jp/exec/system/1163740120 等速度運動速度計算|高精度計算サイト] * [https://www.sokudo-keisan.com/ 速度計算ナビ] * [http://www5d.biglobe.ne.jp/Jusl/SmartJitutomo/sokudokyorijikan.html 速度と時間・距離の関係|実務の友] * [https://tools.m-bsys.com/calculators/speed.php 速度計算機] * [https://www.orientalmotor.co.jp/tech/support_tool/speed/ 速度換算|オリエンタルモーター株式会社] {{古典力学のSI単位}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:そくと}} [[Category:速度|*]] [[Category:物理量]] [[Category:物理学]] [[Category:初等数学]] [[Category:和製漢語]] [[Category:哲学の和製漢語]] [[Category:ベクトル]] [[fr:Vitesse]]
2003-04-13T17:19:18Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9F%E5%BA%A6
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波()とは、水面の高低運動である。浪、濤とも書き、波浪()とも言う。 波は、起きる原因によって分類することも可能である。風によって起きる波を風浪()と呼ぶ。船舶などが航行することによって後方に生じる波は航跡波や引き波と呼ばれる。これらを含めて人工的に波を造り出すことは造波()という。地震などによって起きる波は津波と呼ばれる。このように波ができる原因はいくつもあるが、最も一般的な原因は風である。 多方向からの波が合成されてできるピラミッド状の波を三角波と言う。 特に、確率的に発生する相対的に波高がかなり大きな波や、あるいは絶対的な観点から波高が巨大な波を、巨大波と呼び分類する。海洋遭難防止の観点から、この名称でこのような波を分類し、研究が進められている。 波浪とは風によって起こる波のことである。波浪には風浪()とうねりの2種類がある。(→#風浪) その場で吹いている風によって引き起こされた波は風浪あるいは風波(、かざなみ)と呼ばれる。風が海面に当たると、風と海水の摩擦で海面が波立つ。風浪は波の上部が尖った三角形に近い形をしている。 風が強くなるほど風浪の高さは大きくなる傾向があり見た目の形状も変化する。無風で波の無い状態の時は凪()と呼ばれ、海面の質感はほぼ平坦になる。このような状態は「鏡のような海面」とも表現される。風がかすかに吹くと小さな波(さざ波)が立つ。風速が数メートル程度になると波頭(、波の頂上部分)の水が風に飛ばされ、視野を広く見ると海面全体に白い部分がチラチラ、ピョコピョコと動いているように見える。日本では地域によってはこの状態を「兎が跳ぶ」と表現する。このような風と風浪の形状の関係を利用して、風浪から風速をおおよそ推定できる。 他の海域で風によって起こされた波が伝わってきた波はうねりと呼ばれる。日本の気象庁では、うねりについて「遠くの台風などにより作られた波が伝わってきたもので、滑らかな波面を持ち、波長の長い規則的な波。」と定義している。遠地の台風や低気圧などによって発生している高波が、減衰しながら時間をかけて長距離を伝播していくものであり、例えば日本近海で発生したうねりはハワイにまで到達することがある。うねりの波長は100m以上、周期は8秒以上であることが多い。うねりの代表例としては、 暴風の余波で起こる波や土用波などがある。うねりは、風浪に比べて周期も波長も長く、波頭は丸みを帯びるため、水深が浅い海岸などでは海底の影響で波高が高くなりやすい。このため、しばしば海の事故を誘発したり船舶に影響を与えたりする。気象庁は、風浪やうねりによって災害が引き起こされると予測される場合は、警報や注意報を発表して注意を促している。 波浪は、海岸の地形に大きな影響を及ぼしている。砂浜の形状は波浪の影響を受けて絶えず変化している。岩壁に絶え間なく打ち寄せつづける波浪は岩壁を侵食してゆく。また、波浪は、海岸の生物、生態系にも大きな影響を与えている。波が打ち寄せる場所を波打ち際と言う。 通常「波の高さ」と言えば有義波高(100波のうち高い33波の平均値)をいい、天気予報などでの「波の高さ」もこの値の予報値である。有義波高は100波のうち高い33波の平均値であるから、最大ではこの2倍程度の波が押し寄せることもありうる。→#有義波高 天気予報で波の高さが「波の高さは2mになるでしょう」などと伝えることがあるが、天気予報で伝えられる波の高さは「有義波高」という特別な方法で数値をはじいたものである。 通常、波は大小が入り混じっていて、その大きさをひとつの数字で言い表すことはできない。しかし最大波高や最小波高を用いると、人間の実感ともかけはなれる。平均波高を使っても、平均波高より高い波が数多く打ち寄せるので、平均波高を用いるのも防災上よろしくない。そうした配慮から考え出されたのが「有義波高」であり、平均波高を集めてそれらを高いほうから並べ、上位1/3の平均値を「有義波高」としている。この「有義波高」は人間が波を目視した実感にかなり近く、実用的である。 しかしながら、この便利な「有義波高」でも、それより大きい波や小さい波は発生する。例えば、10波に1波は有義波高の1.3倍、100波に1波は有義波高の1.6倍、1000波に1波は有義波高の2倍となるので注意を要する。このように、全体から見て割合としては小さいものの確率的には発生する波高の高い波を高波()と呼ぶ。「昨日 埠頭で(桟橋で)釣りをしていた人が、高波にさらわれ死亡しました」といったていのニュースは頻繁に流れている。海釣りをする時などは、そうした数万回に1回来る高くて強い波のことも心の片隅に置いて注意しなければならない。けれども、逆に言えばサーフィンをしている時は波が小さいと感じられても、諦めずに根気強く待ち続ければ半日に1回くらいは大きな波に出会える可能性がある。 主に風力に正比例して波が大きくなるが、地球の大気との摩擦面である水面に「油、流氷、流木、海藻など」が浮いてたり、水中の摩擦力が高くなる要素である「氷塊・浮遊生物など」があったりする場合、さらに豪雨・豪雪が水面に衝突する場合は波高が抑えられる。 京都大学防災研究所教授の森信人らによる研究では、地球温暖化は海面上昇だけでなく大気の対流を促して風による波のエネルギーを増大させ、砂浜など海岸の地形や生態系に大きな影響を与えると警鐘を鳴らしている。 津波は、地震によって引き起こされる波のことである。長波の性質を持ち、その進行速度は重力の加速度と、水深の積の平方根となる。気象庁では、地震が起こると直ちに震源地、震源の深さ、地震の強さなどを計算し、津波が予測される場合は、津波の程度により、大津波警報、津波警報、津波注意報を出す。 台風や季節風などにより発生したうねりが遠くまで伝わり、干満差の影響も加わると沿岸部が高波に襲われ大きな被害を受けることがある。 有義波の高さでみると、世界の観測史上最高の波は以下のようになっている。 波は人間にとって、大切な遊び相手である。海水浴、サーフィン、ボディボード、ウィンドサーフィンなどで、波を体感して楽しむ人々も多い。 また波は形(視覚的要素)でも人々を魅了する。世界的に見れば波をテーマとして追求している画家やカメラマンたちが多数いる。大型書店には波の写真集が通常何種類も並んでいる。 また、波の音も人々を魅了する。波の音は波音(なみおと)という。波の音には適度な規則性と適度な不規則性「ゆらぎ」が含まれている。おだやかな波音を聞いていると、そうでない時よりもずっと熟睡できる、という人も多いため、近年では海から離れて都会で暮らしている人々のために、波音を録音したCDも販売されている。 一部の分野では水の波、そのなかでも波が砕け散ったりしないようなものを「水面波」という用語で呼ぶこともある。水面波は、物理学的に説明する場合、波動の一種という位置づけになる。水面波も他の波動と同様に屈折、回折、反射、透過、減衰などの性質をもつ。 ここでは、主として海の波に関する理論を挙げる。 波は、水深によって、 に分類される。 水面変動の振幅が水深に対して十分小さい波のことを微小振幅波といい、その仮定における理論を微小振幅波理論という。それに対して、波高がそれほど小さくない場合、有限振幅波という。 流体力学における連続の方程式であるラプラス方程式 ∂ 2 φ ∂ x 2 + ∂ 2 φ ∂ z 2 = 0 {\displaystyle {\frac {\partial ^{2}\varphi }{\partial x^{2}}}+{\frac {\partial ^{2}\varphi }{\partial z^{2}}}=0} は、ある仮定および境界条件のもとで解くことができる。すなわち、波の振幅が微小であること、海水が完全流体(非圧縮・非粘性)であることなどの仮定、および、水底・水面における力学的・運動学的境界条件から速度ポテンシャル φ(x, z, t) を求めると、 φ = − H g 2 ω cosh k ( h + z ) cosh k h sin ( k x − ω t ) {\displaystyle \varphi =-{\frac {Hg}{2\omega }}{\frac {\cosh k(h+z)}{\cosh kh}}\sin(kx-\omega t)} となる。H は波高、ω は角周波数 (=2π/T)、k は波数 (=2π/L)、cosh は双曲線余弦関数である。 速度ポテンシャルを微分すると速度が求められ、この式から、海水の水粒子は楕円軌道を描いて運動しており、深海波では円軌道に近くなることが分かる。 また、水粒子が水面から飛び出すことなく水面の動きに追随すること(水面における運動学的境界条件という)から、分散関係式 ω 2 = g k tanh k h {\displaystyle \omega ^{2}=gk\tanh kh\,} が得られる。tanh は双曲線正接関数である。 ストークス波、クノイド波、孤立波などの理論がある。 波は沖から岸に近付くにつれて形を変える。水深が小さくなるにしたがって、波高が大きくなり波長は短くなる。沖での波高をH0としたとき、Ks = H/H0 を浅水係数といい、波高の増減の具合を示す。 水の波に類似した現象は自然界では広く見られる。例えば、音、光、電磁波などが挙げられる。 物理学などでは、音、光、電磁波などの波を「波動」という用語で表現している。 たとえば、重力波、地震波、偏西風波動(大気循環で見られる現象)などがある。 また海波によって発生した微小な波のことを脈動といい、地震計によって観測することができる。 社会的、心的な要素も含めて、様々な変動を波と呼ぶ。 例:「時代の波」「感情の波」、アルビン・トフラー『第三の波』。
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波とは、水面の高低運動である。浪、濤とも書き、波浪とも言う。
{{Otheruses|水面の高低運動|物理学用語で、変化が周囲に次々と伝わっていく現象|波動|その他}} [[ファイル:Gentle waves come in at a sandy beach.JPG|thumb|250px|[[砂浜]]へ寄せる波]] [[ファイル:Wind wave 2.ogv|250px|thumb|砂浜に打ち寄せるやや荒れ気味の波([[瀬戸内海]]にて)]] [[ファイル:golven.jpg|thumb|比較的小さな風浪]] [[ファイル:Waves lajolla.jpg|thumb|打ち寄せて水煙を上げるうねり]] [[ファイル:Mavericks Surf Contest 2010b.jpg|thumb|Mavericks Surf Contest 2010での巨大な波とサーファー。[[アメリカ合衆国西海岸|米国西海岸]]、カリフォルニア州の[[:en:Mavericks, California|Mavericks]]というサーフィン向きの海岸([[:en:El Granada, California|El Granada]]の近く)で開かれるサーフィン大会での光景。(2010年2月13日)]] [[File:Bow wave 1.jpg|thumb|航行する船によって引き起こされた[[引き波]]]] [[ファイル:The_Great_Wave_off_Kanagawa.jpg|thumb|[[葛飾北斎]]が描いた波『[[富嶽三十六景]] [[神奈川沖浪裏]]』。]] {{読み仮名|'''波'''|なみ}}とは、[[水面]]の高低[[運動 (物理学)|運動]]である<ref name="kohjien">『[[広辞苑]]』第六版「なみ【波、浪、濤】」</ref>。<!--あるいは {{要出典範囲|それが伝わってゆく現象のことである。|date=2011-9}}-->'''浪'''、'''濤'''とも書き、{{読み仮名|'''波浪'''|はろう}}とも言う<ref name="kohjien" />。 == 波の分類 == ;原因による分類 波は、起きる原因によって分類することも可能である。[[風]]によって起きる波を{{読み仮名|'''風浪'''|ふうろう}}と呼ぶ。[[船舶]]などが航行することによって後方に生じる波は[[航跡波]]や[[引き波]]と呼ばれる。これらを含めて人工的に波を造り出すことは{{読み仮名|'''造波'''|ぞうは}}という。[[地震]]などによって起きる波は'''[[津波]]'''と呼ばれる。このように波ができる原因はいくつもあるが、最も一般的な原因は風である<ref name="kazenami102">『風と波を知る101のコツ』p.102</ref>。 多方向からの波が合成されてできる[[ピラミッド]]状の波を'''[[三角波]]'''と言う。 ;大きさによる分類 特に、確率的に発生する相対的に波高がかなり大きな波や、あるいは絶対的な観点から波高が巨大な波を、'''[[巨大波]]'''と呼び分類する。海洋遭難防止の観点から、この名称でこのような波を分類し、研究が進められている。 == 波浪(風浪とうねり) == 波浪とは風によって起こる波のことである。波浪には{{読み仮名|'''風浪'''|ふうろう}}と'''うねり'''の2種類がある。(→[[#風浪]]) === 風浪 === その場で吹いている風によって引き起こされた波は風浪あるいは{{読み仮名|'''風波'''|ふうは|かざなみ}}と呼ばれる。風が海面に当たると、風と海水の摩擦で海面が波立つ<ref name="kazenami102" />。風浪は波の上部が尖った三角形に近い形をしている<ref name="kazenami102" />。 風が強くなるほど風浪の高さは大きくなる傾向があり見た目の形状も変化する。無風で波の無い状態の時は{{読み仮名|[[凪]]|なぎ}}と呼ばれ、海面の質感はほぼ平坦になる。このような状態は「[[鏡]]のような海面」とも表現される。風がかすかに吹くと小さな波(さざ波)が立つ。風速が数メートル程度になると{{読み仮名|波頭|なみがしら|波の頂上部分}}の水が風に飛ばされ、視野を広く見ると海面全体に白い部分がチラチラ、ピョコピョコと動いているように見える。日本では地域によってはこの状態を「[[ウサギ|兎]]が跳ぶ」と表現する。このような風と風浪の形状の関係を利用して、風浪から風速をおおよそ推定できる。 === うねり === 他の海域で風によって起こされた波が伝わってきた波はうねりと呼ばれる。[[日本]]の[[気象庁]]では、うねりについて「遠くの台風などにより作られた波が伝わってきたもので、滑らかな波面を持ち、波長の長い規則的な波。」と定義している<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=気象庁|予報用語 波浪、潮位|url=https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/nami.html|website=www.jma.go.jp|accessdate=2021-12-30}}</ref>。遠地の[[台風]]や[[低気圧]]などによって発生している高波が、減衰しながら時間をかけて長距離を伝播していくものであり、例えば[[日本]]近海で発生したうねりは[[ハワイ州|ハワイ]]にまで到達することがある。うねりの波長は100m以上、周期は8秒以上であることが多い<ref name=":1" />。うねりの代表例としては、 暴風の余波で起こる波や[[土用波]]などがある。うねりは、[[風浪]]に比べて周期も[[波長]]も長く、波頭は丸みを帯びるため、水深が浅い海岸などでは海底の影響で波高が高くなりやすい。このため、しばしば海の事故を誘発したり船舶に影響を与えたりする。気象庁は、風浪やうねりによって災害が引き起こされると予測される場合は、[[波浪警報|警報]]や[[波浪注意報|注意報]]を発表して注意を促している。 === 波浪の地形などへの影響 === 波浪は、[[海岸]]の[[地形]]に大きな影響を及ぼしている。[[砂浜]]の形状は波浪の影響を受けて絶えず変化している。岩壁に絶え間なく打ち寄せつづける波浪は岩壁を侵食してゆく。また、波浪は、海岸の[[生物]]、[[生態系]]にも大きな影響を与えている。波が打ち寄せる場所を[[波打ち際]]と言う。 == 波高と確率 == 通常「波の高さ」と言えば有義波高(100波のうち高い33波の平均値)をいい、天気予報などでの「波の高さ」もこの値の予報値である。有義波高は100波のうち高い33波の平均値であるから、最大ではこの2倍程度の波が押し寄せることもありうる。→[[#有義波高]] ===有義波高=== [[天気予報]]で波の高さが「波の高さは2mになるでしょう」などと伝えることがあるが、天気予報で伝えられる波の高さは「[[有義波高]]」という特別な方法で数値をはじいたものである<ref name="kazenami109">『風と波を知る101のコツ』p.109</ref>。 通常、波は大小が入り混じっていて、その大きさをひとつの数字で言い表すことはできない。しかし最大波高や最小波高を用いると、人間の実感ともかけはなれる<ref name="kazenami109" />。平均波高を使っても、平均波高より高い波が数多く打ち寄せるので<!--(その場合、波は高さが2倍になるとパワーが4倍になる)--><!--有義波高を使う理由になっていない-->、平均波高を用いるのも防災上よろしくない<ref name="kazenami109" />。そうした配慮から考え出されたのが「有義波高」であり、平均波高を集めてそれらを高いほうから並べ、上位1/3の平均値を「有義波高」としている<ref name="kazenami109" />。この「有義波高」は人間が波を目視した実感にかなり近く、実用的である<ref name="kazenami109" />。 しかしながら、この便利な「有義波高」でも、それより大きい波や小さい波は発生する<ref name="kazenami109" />。例えば、10波に1波は有義波高の1.3倍、100波に1波は有義波高の1.6倍、1000波に1波は有義波高の2倍となるので注意を要する<ref name="kazenami109" />。このように、全体から見て割合としては小さいものの確率的には発生する波高の高い波を{{読み仮名|[[高波]]|たかなみ}}と呼ぶ。「昨日 [[埠頭]]で([[桟橋]]で)釣りをしていた人が、高波にさらわれ死亡しました」といったていのニュースは頻繁に流れている。[[海釣り]]をする時などは、そうした数万回に1回来る高くて強い波のことも心の片隅に置いて注意しなければならない。けれども、逆に言えば[[サーフィン]]をしている時は波が小さいと感じられても、諦めずに根気強く待ち続ければ半日に1回くらいは大きな波に出会える可能性がある<ref name="kazenami109" />。 ===波高に影響する要因=== 主に[[風力]]に[[正比例]]して波が大きくなるが、[[地球の大気]]との[[摩擦]]面である水面に「油、[[流氷]]、流木、[[海藻]]など」が浮いてたり、水中の[[摩擦力]]が高くなる要素である「[[氷塊]]・[[浮遊生物]]など」があったりする場合、さらに豪雨・豪雪が水面に衝突する場合は波高が抑えられる<ref>丸川久俊『海洋学』[[昭和]]七年十月十四日発行 p.149([https://play.google.com/store/books/details?id=FoYMLFGXvjYC&rdid=book-FoYMLFGXvjYC&rdot=1 Googlebook])</ref>。 [[京都大学防災研究所]]教授の森信人らによる研究では、[[地球温暖化]]は[[海面上昇]]だけでなく大気の[[対流]]を促して風による波のエネルギーを増大させ、砂浜など海岸の地形や[[生態系]]に大きな影響を与えると警鐘を鳴らしている<ref>[https://mainichi.jp/articles/20210727/ddm/013/040/012000c 「温暖化で波の高さ強さ増大」]『[[毎日新聞]]』朝刊2021年7月27日くらしナビ面(2021年8月7日閲覧)</ref>。 == 津波 == [[ファイル:Tsunami_comic_book_style_jp.png|thumb|津波の発生原理を示す図]] {{main|津波}} [[津波]]は、[[地震]]によって引き起こされる波のことである。長波の性質を持ち、その進行速度は重力の加速度と、水深の積の平方根となる。気象庁では、地震が起こると直ちに震源地、震源の深さ、地震の強さなどを計算し、津波が予測される場合は、津波の程度により、大津波警報、津波警報、津波注意報を出す。 ==高波== 台風や季節風などにより発生したうねりが遠くまで伝わり、干満差の影響も加わると沿岸部が高波に襲われ大きな被害を受けることがある。 ===高波の主な被害=== *[[1934年]][[9月21日]] - [[室戸台風]]に伴う高波が[[大阪湾]]沿岸部を襲い、大阪市街地の大部分が水没<ref>{{Cite web|和書|author= 谷端 郷|date= 2014|url=http://r-cube.ritsumei.ac.jp/repo/repository/rcube/5659/DMUCH8_tanibata.pdf |title= 大阪市における1934年室戸台風による 被災社寺の分布とその特|format=PDF |publisher=『歴史都市防災論文集』Vol. 8(2014年7月)|accessdate=2018-10-29}} </ref>。死者2702名、全壊家屋3万8771戸、流水家屋4277戸の被害(高波以外の被害も含む)<ref>{{Cite web|和書|date= |url= https://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/know/history/flood_record/flood_1934.html|title= 昭和9年(1934年)室戸台風|publisher=国土交通省淀川河川事務所 |accessdate=2018-10-29}}</ref>。 *[[1966年]][[9月24日]]、25日 - [[昭和41年台風第24・26号]]の接近により、[[静岡県]][[富士市]]吉原海岸に防波堤を越える波浪が押し寄せ、死者13人、負傷者64人の被害<ref>「あと4m高ければ 吉原防波堤の高波災害」『朝日新聞』昭和423年7月26日夕刊3版11面</ref><ref>{{Cite web|和書|date= |url=https://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/saidai_takashio/02/pdf/s2.pdf |title=想定し得る最大規模の高潮等について |publisher=国土交通省|accessdate=2020-10-23}}</ref>。 *[[2004年]][[9月8日]] - [[平成16年台風第18号|台風第18号]]の接近による高波で[[北海道]][[神恵内村]]の[[国道229号]]大森大橋が大破。数年間にわたり通行止となる<ref>{{Cite web|和書|date= |url= https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/ame_chuui/ame_chuui_p7.html|title= 高波による災害|publisher= 気象庁|accessdate=2018-10-29}}</ref>。 *[[2008年]][[2月24日]] - 強い冬型の気圧配置の中、[[富山湾]]で寄り回り波が発生、湾内一帯で死者1名、重軽傷者15名、住家全壊4棟、半壊7棟の被害<ref>{{Cite web|和書|date= 2008|url=http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00008/2008/55-0151.pdf |title= 富山県東部海岸 における2008年2月高波による被害調査|format=PDF |publisher= 『海岸工学論文集』第55巻(20)|accessdate=2018-10-29}}</ref>。 *[[2018年]][[9月4日]] - [[平成30年台風第21号|台風第21号]]の接近による高波で、[[関西国際空港]]が水没する等、大阪湾一帯に被害<ref>{{Cite web|和書|date=2018-09-04 |url=https://mainichi.jp/graphs/20180904/hpj/00m/040/001000g/23 |title=台風21号 関西空港滑走路など浸水、最大風速58m |publisher=毎日新聞 |accessdate=2018-10-29 }}</ref>。 === 記録 === 有義波の高さでみると、世界の観測史上最高の波は以下のようになっている<ref>[https://wmo.asu.edu/content/world-meteorological-organization-global-weather-climate-extremes-archive World Meteorological Organization Global Weather & Climate Extremes Archive] 2021年12月13日閲覧</ref>。 *船舶による観測:[[2000年]][[2月8日]]22時14分([[協定世界時]])、[[北大西洋]]の{{coord|57|30|N|12|42|W}}([[イギリス]]([[スコットランド]])・[[セント・キルダ]]島西方約250キロメートルの地点)の位置で観測された'''18.5メートル'''。 *ブイによる観測:[[2013年]][[2月4日]]6時(協定世界時)、北大西洋の{{coord|59|07|N|11|42|W}}(セント・キルダ島の北西約230キロメートルの地点)で観測された'''19.0メートル'''。 == 波と文化 == {{multiple image | align = right | image1 = Dresden Altstadt Kongresszentrum C.Muench.jpg | width1 = 220 | caption1 = [[ドレスデン]]の彫刻「Die Woge」 | image2 = Debussy - La Mer - The great wave of Kanaga from Hokusai.jpg | width2 = 140 | caption2 = [[ドビュッシー]]作曲『[[海 (ドビュッシー)|海]]』の[[楽譜]]表紙 }} {{言葉を濁さない|date=2017年7月|section=4}} {{節スタブ}} 波は[[人間]]にとって、大切な[[遊び]]相手である。[[海水浴]]、[[サーフィン]]、[[ボディボード]]、[[ウィンドサーフィン]]などで、波を体感して楽しむ人々も多い。<!--なかでも[[サーファー]]の中には、波と恋愛をしていると言ってもいいような日々を過ごしている人たちがいる。--> また波は形([[視覚]]的要素)でも人々を魅了する。世界的に見れば波をテーマとして追求している[[画家]]や[[カメラマン]]たちが多数いる。大型書店には波の[[写真集]]が通常何種類も並んでいる。 また、波の[[音]]も人々を魅了する。波の音は[[波音]](なみおと)という。波の音には適度な規則性と適度な不規則性「[[ゆらぎ]]」が含まれている。おだやかな波音を聞いていると、そうでない時よりもずっと熟睡できる、という人も多いため、近年では海から離れて都会で暮らしている人々のために、波音を録音した[[コンパクトディスク|CD]]も販売されている。 == 物理理論 == [[ファイル:Water waves at sea.jpg|thumb|波が[[円 (数学)|円]]状に広がっている]] [[ファイル:Water diffraction.jpg|thumb|画面右から左へ進む波。防波堤を挟んで[[回折]]が起きている]] 一部の分野では水の波、そのなかでも波が砕け散ったりしないようなものを「水面波」という用語で呼ぶこともある。水面波は、[[物理学]]的に説明する場合、[[波動]]の一種という位置づけになる。水面波も他の波動と同様に[[屈折]]、[[回折]]、[[反射 (物理学)|反射]]、[[透過]]、[[減衰]]などの性質をもつ。 ここでは、主として海の波に関する理論を挙げる。 === 波のパラメータ === * 波長 ''L''、周期 ''T''、波速 ''C'' (=''L''/''T'') * 波高 ''H''、振幅 ''a'' (=''H''/2) * 水深 ''h'' * 水面波形 ''η'' === 波の分類 === 波は、水深によって、 * 深海波 (沖波, {{en|deep water wave}}) * 浅海波 ({{en|wave in transitional depth}}) * 極浅海波 (長波, {{en|shallow water wave}}, {{en|long wave}}) に分類される。 水面変動の振幅が水深に対して十分小さい波のことを'''微小振幅波'''といい、その仮定における理論を微小振幅波理論という。それに対して、波高がそれほど小さくない場合、'''有限振幅波'''という。 === 微小振幅波理論 === [[流体力学]]における[[連続の方程式]]である[[ラプラス方程式]] {{Indent|<math>\frac{\partial^2\varphi}{\partial x^2}+\frac{\partial^2\varphi}{\partial z^2}=0</math>}} は、ある仮定および[[境界条件]]のもとで解くことができる。すなわち、波の振幅が微小であること、海水が[[完全流体]](非圧縮・非粘性)であることなどの仮定、および、水底・水面における力学的・運動学的境界条件から[[速度ポテンシャル]] ''φ''(''x'', ''z'', ''t'') を求めると、 {{Indent|<math>\varphi=-\frac{Hg}{2\omega}\frac{\cosh k(h+z)}{\cosh kh}\sin (kx-\omega t)</math>}} となる。''H'' は波高、''ω'' は角周波数 (=2''π''/''T'')、''k'' は波数 (=2''π''/''L'')、cosh は[[双曲線関数|双曲線余弦関数]]である。 [[ファイル:Waverp.gif|thumb|360px|水深が深い場所の波において、水面の粒子が見せる運動(赤い点の運動)]] [[Image:Shallow water wave.gif|360px|thumb|水深が浅い場所の波で 、水面・水中・水底の各粒子が見せる運動の違い。(水色の点および線で描画)]] 速度ポテンシャルを[[微分]]すると[[速度]]が求められ、この式から、海水の水粒子は[[楕円軌道]]を描いて運動しており、深海波では円軌道に近くなることが分かる。 また、水粒子が水面から飛び出すことなく水面の動きに追随すること(水面における運動学的境界条件という)から、[[分散関係式]] {{Indent|<math>\omega^2 = gk \tanh kh \,</math>}} が得られる。tanh は[[双曲線関数|双曲線正接関数]]である。 === 有限振幅波理論 === [[ファイル:2006-01-14 Surface waves.jpg|thumb|容器の振動によって起きている特殊な波]] [[ストークス波]]、[[クノイド波]]、[[孤立波]]などの理論がある。 === 浅水変形 === 波は沖から岸に近付くにつれて形を変える。水深が小さくなるにしたがって、波高が大きくなり波長は短くなる。沖での波高を''H''<sub>0</sub>としたとき、''K<sub>s</sub>'' = ''H''/''H''<sub>0</sub> を浅水係数といい、波高の増減の具合を示す。 == 他の媒体での波 == [[File:Onde electromagnetique.svg|thumb|[[電磁波]]]] {{Main|波動}} 水の波に類似した現象は自然界では広く見られる<ref name="sekai_pd">『[[世界大百科事典]]』第21巻 p.162【波】(執筆:[[寺本俊彦]])</ref>。例えば、[[音]]、[[光]]、[[電磁波]]などが挙げられる<ref name="sekai_pd" />。 物理学などでは、[[音]]、[[光]]、[[電磁波]]などの波を「[[波動]]」という用語で表現している<ref name="sekai_pd" />。 たとえば、[[重力波 (相対論)|重力波]]<ref name="sekai_pd" />、[[地震波]]<ref name="sekai_pd" />、[[偏西風波動]]([[大気循環]]で見られる現象)<ref name="sekai_pd" />などがある。 また海波によって発生した微小な波のことを[[脈動 (地震学)|脈動]]といい、[[地震計]]によって観測することができる。 == 比喩 == 社会的、心的な要素も含めて、様々な変動を波と呼ぶ。 例:「時代の波」「感情の波」、[[アルビン・トフラー]]『第三の波』。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|Waves|波}} {{wiktionary|なみ|波|濤|涛|wave}} * [[波飛沫]] * [[引き波]] * [[巨大波]] * [[物理学]] - [[波動]] - [[重力波 (流体力学)]] - [[振動]] - [[:en:Oscillation]] * [[海岸工学]] - [[津波]] - [[堤防]] - [[消波ブロック]] * [[風浪階級]](Sea State) * [[ダグラス海況階級]] * [[ビューフォート風力階級]] * [[東映#オープニング]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:なみ}} [[Category:波|*]] [[Category:振動と波動]] [[Category:海]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2
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次元
次元(じげん、英: Dimension、中国語: 維度)は、空間の広がりをあらわす一つの指標である。座標が導入された空間ではその自由度を変数の組の大きさとして表現することができることから、要素の数・自由度として捉えることができる。数学や計算機において要素の配列の長さを指して次元ということもある。自然科学においては、物理量の自由度として考えられる要素の度合いを言い、物理的単位の種類を記述するのに用いられる。 直感的に言えば、ある空間内で特定の場所や物を唯一指ししめすのに、どれだけの変数があれば十分か、ということである。たとえば、地球は3次元的な物体であるが、表面だけを考えれば、緯度・経度で位置が指定できるので2次元空間であるとも言える。しかし、人との待ち合わせのときには建物の階数や時間を指定する必要があるため、この観点からは我々は4次元空間に生きているとも言える。 超立方体正八胞体は四次元図形の例である。数学と無縁な人は「正八胞体は四つの次元を持つ」というような「次元」という言葉の使い方をしてしまうこともあるが、専門用語としての通常の使い方は「正八胞体は次元(として) 4 を持つ」とか「正八胞体の次元は 4 である」といった表現になる(図形の次元はひとつの数値であって、いくつもあるようなものではない)。 また、転じて次元は世界の構造を意味することがある。 dimension の訳語として「次元」という言葉が初めて見られたのは、1889年の藤沢利喜太郎による『数学に用いる辞の英和対訳字書』と言われる。 私たちの住む世界は共時的には3つの向きへの広がりをもった実3次元的な空間だととらえられる。また、時間は一方向的な実1次元的物理量だと考えられ、ニュートン力学では空間と時間は相互に独立な物理概念として取り扱われる。一方、相対性理論では光速を通じ時間の尺度と空間の尺度とは結びつけられ、符号(3, 1)の計量が入った実4次元の空間(ミンコフスキー空間)において現象が記述される。ただし、ミンコフスキー空間においても依然として時間軸は他の3つの空間軸とは性質の異なるものとしてとらえられることに注意しなければならない。 コンピュータ言語において添字で指定できる一連の変数を配列(配列変数)と言うが、ひとつの配列で独立して指定できる添字の個数を配列の次元と言う。 配列参照。 ある量体系に含まれる量の次元とは、その体系において独立な基本量の冪乗として表したものである。 特に、国際量体系(ISQ)に基づく場合は、独立な基本量として7つの物理量が定められている。 数学では、次元は様々な数学的対象について異なる方法で定義されている。例えば、 などが挙げられる。次元の概念は多様であるが、基本はユークリッド空間 R の次元が n となることであり、局所的に R である空間の次元が n に一致することである。 現代的な次元の概念は、古典的な図形の幾何学がユークリッド空間内の点集合論として一般化される19世紀末から20世紀初頭に掛けて、ポアンカレやブラウワーを萌芽としてメンガーやウリゾーンらの手によって可分な距離空間に対して定式化された。区別のために被覆次元と呼ばれるこの次元の概念はルベーグによれば「可分距離空間 X の任意の有限開被覆に対して高々次数 n + 1 の細分がとれるとき、X の次元は高々 n である」として述べられ、X が高々 n 次元かつ高々 n − 1 次元でないとき X は n 次元であると定義される。たとえば被覆次元が 0 であるというのは、各点が開かつ閉なる近傍を持つことであると述べることができる。そして古典的な意味で次元 n であるユークリッド空間 R は被覆次元の意味でも n 次元になる。 あまりにもかけはなれた考え方、技量、性質を形容する際に「次元が違う」と表現することがある。特に、量の違いではなく質の違いがあることを指して「まったく別の要素(次元)を取り入れないと理解できない」ということを意味することが多い。かけはなれていることを意味する「次元」は、多くの場合で「世界」に置き換えが可能である。(例: 世界が違う) SFやファンタジーなどの創作作品においてしばしば用いられる「次元」は、それぞれの世界に働く根源的な要素の集まりのことを指すことが多い。転じて、ある根源的な要素を基調とする世界のことも次元と称されることもある。 根源的な要素という意味の次元には、ある世界に存在しないまったく異なる要素も含まれる。そのような要素を持っている世界と持っていない世界とでは、世界の仕組みや過ごし方がまったく異なる。このため、世界の根源をなす要素が異なる(異次元の)世界同士は、異次元世界(または単に「異次元」)と呼称される。例えば、我々が過ごしている3次元空間の世界では、空間内を動くことによって移動が行われるが、魔法などによって移動が行われる世界では、我々の過ごす世界と根源となる要素が大きく異なっていると考えられる。このような場合において、「双方の世界は、異次元である」「双方は、異次元世界である」などと表現する。 また、異次元世界(異次元)という用語は、「異なった根源的な要素による世界」という意味の転用として、別世界、別天地、亜空間、異世界、パラレルワールドなどとほぼ同義に用いられる。 次元という語は、視覚メディアなどで提示される架空の世界を現実の世界から区別する用語として使用されることがある。具体的には、奥行き情報を込めずに構成される架空世界を「2次元世界」、物理空間における現実世界を「3次元世界」と呼称することがある。 また、漫画やアニメーションのキャラクターなど、伝統的に平面的なメディアの上で視覚化されてきたキャラクターを「2次元キャラクター」などと呼ぶことがある。 文字コードにおける次元とは、符号化文字集合内の符号点を、いくつかの組に分けて示すときの組の数をいう。 古くはEBCDICやASCIIを示す際に、その表を16文字ずつ程度に区切って(すなわち、下位4ビットと残りの上位桁、といったふうに)並べたりするなど、自然に2次元として扱っていたりしたものであるが、仕様書中における記述としてたとえば 'A' のコードを 4/1 といったように記したり、JIS X 0208などで「区」「点」という概念と用語が使われるなど、明確に階層的なものが使われるようになっていた。一方でUnicodeにおいて符号位置(Unicodeにおいて符号点を指す用語)を示す整数「Unicodeスカラ値」は、その名の通り1次元のスカラ値である。 Unicodeはそのように1次元の符号点を定義する一方で、1980年代当初からUnicode関係者内外から指摘されていたような理由により、漢字において「Three-Dimensional Conceptual Model」というものを導入する必要が生じた。つまり、符号位置を表現する座標の次元とは直交する軸がある、というもの(そして現在では、漢字の場合は異体字セレクタ(Variation Selectors)のひとつであるIdeographic Variation Selectorsで選ばれるもの)である。このような事情などもあり、後述するようにISO 10646では次元の構造が強調されることとなった。 このような「組」及びそれを元にした「次元」の概念は、さまざまな文字コードの規格に現れており、それらの規格書において、2次元の符号空間は物理的な2次元の図で、3次元の符号空間は物理的な3次元の図を使って説明されていることがある。また、各数字は8ビットに収まる256以下、あるいはその半分の128、ISO 2022系のように96や94のこともある。 このような意味での次元の概念を最も整備された形で規格書に明記しているのはISO/IEC 10646である。ISO/IEC 10646の規格書では、以下のように記述されている。 その結果ISO/IEC 10646での符号位置は、「群・面・区・点」の4つの要素から構成されるが群が00群であるときは群の記述を、さらに00群において面が00面であるときには群だけでなく面も省略して表記されることがある。ISO/IEC 10646のこのような構造はUnicodeを取り入れて大幅に内容が変わる前のDIS 10646第1版からのものである。ISO/IEC 10646の規格書ではこのような構造を空間的な三次元の図にして説明を加えており、各面の詳細なコードマップを二次元の図にして説明を加えている。 ISO/IEC 2022に準拠した図形文字集合には、シングルバイトの文字集合(94文字集合及び96文字集合)と複数バイト文字集合があるが、複数バイト文字集合も、単に一次元で表される巨大な符号空間が存在するのではなくは94文字集合または96文字集合を複数組み合わせる構造をもっており、これを「次元」と呼ぶことがある。なお、ISO/IEC 2022準拠の文字コードのうちCNS 11643やJIS X 0213のような複数の「面」を持つものは、規格自体は複数の面を持つ「三次元」であるが、ISO/IEC 2022の国際登録簿には二次元の個々の「面」ごとに異なる登録番号で登録されている。 ASCIIやISO/IEC 646のようないわゆるシングルバイト文字コードを特に1次元の文字コードと呼ぶことがある。
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次元は、空間の広がりをあらわす一つの指標である。座標が導入された空間ではその自由度を変数の組の大きさとして表現することができることから、要素の数・自由度として捉えることができる。数学や計算機において要素の配列の長さを指して次元ということもある。自然科学においては、物理量の自由度として考えられる要素の度合いを言い、物理的単位の種類を記述するのに用いられる。 直感的に言えば、ある空間内で特定の場所や物を唯一指ししめすのに、どれだけの変数があれば十分か、ということである。たとえば、地球は3次元的な物体であるが、表面だけを考えれば、緯度・経度で位置が指定できるので2次元空間であるとも言える。しかし、人との待ち合わせのときには建物の階数や時間を指定する必要があるため、この観点からは我々は4次元空間に生きているとも言える。 超立方体正八胞体は四次元図形の例である。数学と無縁な人は「正八胞体は四つの次元を持つ」というような「次元」という言葉の使い方をしてしまうこともあるが、専門用語としての通常の使い方は「正八胞体は次元(として) 4 を持つ」とか「正八胞体の次元は 4 である」といった表現になる(図形の次元はひとつの数値であって、いくつもあるようなものではない)。 また、転じて次元は世界の構造を意味することがある。 dimension の訳語として「次元」という言葉が初めて見られたのは、1889年の藤沢利喜太郎による『数学に用いる辞の英和対訳字書』と言われる。
{{Otheruses||[[ルパン三世]]の登場人物|次元大介}} [[File:Dimension levels.svg|right|thumb|350px|空間次元を模式的に表した図。]] '''次元'''(じげん、{{lang-en-short|Dimension}}、{{lang-zh|維度}})は、空間の広がりをあらわす一つの指標である。[[座標]]が導入された[[空間]]ではその自由度を変数の組の大きさとして表現することができることから、要素の数・自由度として捉えることができる。[[数学]]や[[計算機]]において要素の配列の長さを指して次元ということもある。[[自然科学]]においては、物理量の[[自由度]]として考えられる要素の度合いを言い、物理的[[単位]]の種類を記述するのに用いられる。 直感的に言えば、ある空間内で特定の場所や物を唯一指ししめすのに、どれだけの変数があれば十分か、ということである。たとえば、地球は3次元的な物体であるが、表面だけを考えれば、緯度・経度で位置が指定できるので2次元空間であるとも言える。しかし、人との待ち合わせのときには建物の階数や時間を指定する必要があるため、この観点からは我々は4次元空間に生きているとも言える。 超立方体[[正八胞体]]は四次元図形の例である。数学と無縁な人は「正八胞体は四つの次元を持つ」というような「次元」という言葉の使い方をしてしまうこともあるが、専門用語としての通常の使い方は「正八胞体は次元(として) 4 を持つ」とか「正八胞体の次元は 4 である」といった表現になる(図形の次元はひとつの数値であって、いくつもあるようなものではない)。 また、転じて次元は'''世界'''の構造を意味することがある。 ''dimension'' の訳語として「次元」という言葉が初めて見られたのは、1889年の[[藤沢利喜太郎]]による『数学に用いる辞の英和対訳字書』と言われる<ref>{{cite|和書 |editor= |author=宮崎興二 |title=4次元図形百科 |edition= |publisher=丸善出版 |year=2020 |isbn=978-4-621-30482-2 |page=44}}</ref>。 == 独立要素数 == === 空間・時空 === 私たちの住む世界は共時的には3つの向きへの広がりをもった実3次元的な空間だととらえられる。また、[[時間]]は一方向的な実1次元的物理量だと考えられ、[[ニュートン力学]]では空間と時間は相互に独立な物理概念として取り扱われる。一方、[[相対性理論]]では[[光速]]を通じ時間の尺度と空間の尺度とは結びつけられ、符号(3, 1)の[[計量テンソル|計量]]が入った実4次元の空間([[ミンコフスキー空間]])において現象が記述される。ただし、ミンコフスキー空間においても依然として時間軸は他の3つの空間軸とは性質の異なるものとしてとらえられることに注意しなければならない。 === 配列(プログラム) === [[コンピュータ言語]]において[[添字]]で指定できる一連の[[変数 (プログラミング)|変数]]を配列(配列変数)と言うが、ひとつの配列で独立して指定できる添字の個数を'''配列の次元'''と言う。 [[配列]]参照。 === 量の次元 === ある量体系に含まれる[[量]]の[[量の次元|次元]]とは、その体系において独立な[[基本量]]の[[冪乗]]として表したものである。 特に、[[国際量体系]](ISQ)に基づく場合は、独立な基本量として7つの[[物理量]]が定められている。 {{main|量の次元}} == 次元論 == {{main|次元 (数学)}} 数学では、次元は様々な数学的対象について異なる方法で定義されている。例えば、 * [[ベクトル空間の次元]] - ベクトル空間において、[[一次独立]](線型独立)な生成系の[[濃度 (数学)|濃度]]。 * [[多様体]]や[[代数多様体]]の次元 * 複体のホモロジー次元 * 可換環の[[クルル次元]]。[[次元論 (代数学)]]も参照。 * 環の[[大域次元]] * [[環上の加群|加群]]の次元([[射影次元]]、[[移入次元]]、etc.) * [[位相次元]](トポロジカル次元) ** [[ルベーグ被覆次元]] ** [[帰納次元]]: 大きな帰納的次元 - 小さな帰納的次元 * [[フラクタル次元]] - [[フラクタル幾何]]も参照。フラクタルで定義される次元は0以上の実数であり、整数とは限らない。 ** [[ハウスドルフ次元]] ** [[相似次元]] ** [[容量次元]](ボックス次元、ボックスカウンティング次元) ** スペクトル次元 ** ランダムウォーク次元 ** ミンコフスキー次元(Minkovski-Bouligand次元) ** パッキング次元 などが挙げられる。次元の概念は多様であるが、基本は[[ユークリッド空間]] '''R'''<sup>''n''</sup> の次元が ''n'' となることであり、局所的に '''R'''<sup>''n''</sup> である空間の次元が ''n'' に一致することである。 現代的な次元の概念は、古典的な図形の幾何学がユークリッド空間内の点集合論として一般化される19世紀末から20世紀初頭に掛けて、[[アンリ・ポアンカレ|ポアンカレ]]や[[ライツェン・エヒベルトゥス・ヤン・ブラウワー|ブラウワー]]を萌芽として[[カール・メンガー (数学者)|メンガー]]や[[ポール・ウリゾーン|ウリゾーン]]らの手によって[[可分空間|可分]]な[[距離空間]]に対して定式化された。区別のために'''被覆次元'''と呼ばれるこの次元の概念は[[アンリ・ルベーグ|ルベーグ]]によれば「可分距離空間 ''X'' の任意の有限開被覆に対して高々次数 ''n'' + 1 の細分がとれるとき、''X'' の次元は高々 ''n'' である」として述べられ、''X'' が高々 ''n'' 次元かつ高々 ''n'' &minus; 1 次元でないとき ''X'' は ''n'' 次元であると定義される。たとえば被覆次元が 0 であるというのは、各点が開かつ閉なる近傍を持つことであると述べることができる。そして古典的な意味で次元 ''n'' であるユークリッド空間 '''R'''<sup>''n''</sup> は被覆次元の意味でも ''n'' 次元になる。 == 転用表現 == === 観点・尺度 === あまりにもかけはなれた考え方、技量、性質を形容する際に「次元が違う」と表現することがある。特に、量の違いではなく質の違いがあることを指して「まったく別の要素(次元)を取り入れないと理解できない」ということを意味することが多い。かけはなれていることを意味する「次元」は、多くの場合で「世界」に置き換えが可能である。(例: 世界が違う) === 世界 === [[サイエンス・フィクション|SF]]や[[ファンタジー]]などの創作作品においてしばしば用いられる「次元」は、それぞれの世界に働く根源的な要素の[[集合|集まり]]のことを指すことが多い。転じて、ある根源的な要素を基調とする世界のことも次元と称されることもある。 根源的な要素という意味の次元には、ある世界に存在しないまったく異なる要素も含まれる。そのような要素を持っている世界と持っていない世界とでは、世界の仕組みや過ごし方がまったく異なる。このため、世界の根源をなす要素が異なる(異次元の)世界同士は、'''異次元世界'''(または単に「異次元」)と呼称される。例えば、我々が過ごしている[[3次元]]空間の世界では、空間内を動くことによって移動が行われるが、[[魔法]]などによって移動が行われる世界では、我々の過ごす世界と根源となる要素が大きく異なっていると考えられる。このような場合において、「双方の世界は、異次元である」「双方は、異次元世界である」などと表現する。 また、異次元世界(異次元)という[[用語]]は、「異なった根源的な要素による世界」という意味の転用として、別世界、別天地、亜空間、異世界、[[パラレルワールド]]などとほぼ同義に用いられる。 === 架空世界・架空人物 === 次元という語は、[[視覚]][[メディア (媒体)|メディア]]などで提示される架空の世界を現実の世界から区別する用語として使用されることがある。具体的には、奥行き情報を込めずに構成される架空世界を「2次元世界」、物理空間における現実世界を「3次元世界」と呼称することがある。 また、漫画やアニメーションのキャラクターなど、伝統的に平面的なメディアの上で視覚化されてきたキャラクターを「2次元キャラクター」などと呼ぶことがある。 === 文字コード === [[文字コード]]における次元とは、[[符号化文字集合]]内の[[符号点]]を、いくつかの組に分けて示すときの組の数をいう。 古くは[[EBCDIC]]や[[ASCII]]を示す際に、その表を16文字ずつ程度に区切って(すなわち、下位4ビットと残りの上位桁、といったふうに)並べたりするなど、自然に2次元として扱っていたりしたものであるが、仕様書中における記述としてたとえば 'A' のコードを 4/1 といったように記したり、[[JIS X 0208]]などで「区」「点」という概念と用語が使われるなど、明確に階層的なものが使われるようになっていた。一方でUnicodeにおいて符号位置(Unicodeにおいて符号点を指す用語)を示す整数「Unicodeスカラ値」は、その名の通り1次元のスカラ値である。 Unicodeはそのように1次元の符号点を定義する一方で、1980年代当初からUnicode関係者内外から指摘されていたような理由により、漢字において「Three-Dimensional Conceptual Model」というものを導入する必要が生じた。つまり、符号位置を表現する座標の次元とは直交する軸がある、というもの(そして現在では、漢字の場合は[[異体字セレクタ]](Variation Selectors)のひとつであるIdeographic Variation Selectorsで選ばれるもの)である。このような事情などもあり、後述するようにISO 10646では次元の構造が強調されることとなった。 このような「組」及びそれを元にした「次元」の概念は、さまざまな文字コードの規格に現れており、それらの規格書において、2次元の符号空間は物理的な2次元の図{{efn|このようなものは「コードマップ」と呼ばれることがある。}}で、3次元の符号空間は物理的な3次元の図を使って説明されていることがある。また、各数字は8ビットに収まる256以下、あるいはその半分の128、ISO 2022系のように96や94のこともある。 ==== ISO/IEC 10646における次元 ==== このような意味での次元の概念を最も整備された形で規格書に明記しているのは[[ISO/IEC 10646]]である。ISO/IEC 10646の規格書では、以下のように記述されている<ref>「図1 国際符号化文字集合の全体構造」『JIS X 0221:2007』p.. 7-10 </ref>。 * ISO/IEC 10646の符号空間全体は4次元の空間であり、それは128個の群から構成される。 * 群は3次元の符号化空間であり、一つの群は256個の面から構成される。 * [[面 (文字コード)|面]]は2次元の符号化空間であり、一つの面は256個の区から構成される。 * 区は1次元の符号化空間であり、一つの区は256個の点([[符号点]])から構成される。 その結果ISO/IEC 10646での符号位置は、「群・面・区・点」の4つの要素から構成されるが群が00群であるときは群の記述を、さらに00群において面が00面であるときには群だけでなく面も省略して表記されることがある。ISO/IEC 10646のこのような構造はUnicodeを取り入れて大幅に内容が変わる前の[[DIS 10646]]第1版からのものである。ISO/IEC 10646の規格書ではこのような構造を空間的な三次元の図にして説明を加えており<ref>「図1 国際符号化文字集合の全符号化空間」『JIS X 0221:2007』p. 9 </ref><ref>「図2 国際符号化文字集合の群99」『JIS X 0221:2007』p. 10 </ref>、各面の詳細なコードマップを二次元の図にして説明を加えている<ref>「基本多言語面の概観」『JIS X 0221:2007』p. 41 </ref><ref>「用字及び記号群に用いる追加多言語面の概観」『JIS X 0221:2007』p. 43 </ref><ref>「追加漢字面の概観」『JIS X 0221:2007』p. 44 </ref>。 ==== ISO/IEC 2022における次元 ==== ISO/IEC 2022に準拠した図形文字集合には、シングルバイトの文字集合(94文字集合及び96文字集合)と複数バイト文字集合があるが、複数バイト文字集合も、単に一次元で表される巨大な符号空間が存在するのではなくは94文字集合または96文字集合を複数組み合わせる構造をもっており、これを「次元」と呼ぶことがある。なお、ISO/IEC 2022準拠の文字コードのうち[[CNS 11643]]や[[JIS X 0213]]のような複数の「面」を持つものは、規格自体は複数の面を持つ「三次元」であるが、ISO/IEC 2022の国際登録簿には二次元の個々の「面」ごとに異なる登録番号で登録されている。 ==== さまざまな文字コードにおける次元 ==== * 以下のような数字の組が群・面・区・点の4つからなる体系は4次元の文字コードと呼ばれる。 ** [[ISO/IEC 10646]] * 以下のような数字の組が面・区・点の3つからなる体系は3次元の文字コードと呼ばれる。 ** [[Unicode]](Ver.2以降) ** [[CNS 11643]] ** [[JIS X 0213]] ** [[CCCII]] ** [[TRONコード]] * 以下のような数字の組が区・点の2つからなる体系は2次元の文字コードと呼ばれる。マルチバイト文字コードの多くは2次元の文字コードである。 ** Unicode(Ver.1.X) ** [[JIS X 0208]](JIS C 6226) ** [[JIS X 0212]] ** [[GB 2312]] ** [[KS X 1001]](KS C 5601) [[ASCII]]や[[ISO/IEC 646]]のようないわゆるシングルバイト文字コードを特に1次元の文字コードと呼ぶことがある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * 『JIS X 0202:1998』日本規格協会(ISO/IEC 2022の国際一致規格) * 『JIS X 0221;2007』日本規格協会(ISO/IEC 10646の国際一致規格) {{次元}} {{sci-stub}} {{DEFAULTSORT:しけん}} [[Category:次元|*]] [[Category:幾何学]] [[Category:物理学の概念]] [[Category:数学の概念]] [[Category:数学に関する記事]] [[hi:आयाम]] [[ku:Rehend]] [[sk:Rozmer]] [[sl:Razsežnost]] [[sq:Përmasa]]
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弱い相互作用
素粒子物理学において、弱い相互作用(よわいそうごさよう、英語: weak interaction、弱い力や弱い核力とも呼ばれる)は、原子の放射性崩壊の原因となる亜原子粒子間の相互作用のメカニズムである。核分裂において重要な役割を果たしており、その振る舞いと効果の両方の観点から見る理論は量子フレーバーダイナミクス(QFD)と呼ばれることがあるが、電弱理論(EWT)の観点からより良く理解されるため、QFDという用語はほとんど使われない。これに加え、QFDは強い相互作用を扱う量子色力学(QCD)および電磁気力を扱う量子電磁力学(QED)に関連している。 弱い力が有効な範囲は亜原子の距離に限定されており、陽子の直径よりも小さい。強い相互作用、電磁気力、重力と並び自然の4つの既知の力に関連する基本相互作用の1つである。 素粒子物理学の標準模型は、電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用を理解するための統一された枠組みを与える。2つの粒子(半整数のスピンを持つフェルミオンであることが一般的だが、必ずしもそうとは限らない)が整数スピンで力を運ぶボソンを交換すると相互作用が生じる。このような交換に関わるフェルミオンは素粒子(例えば電子やクォーク)や複合粒子(例えば陽子や中性子)のいずれかであるが、最も深いレベルでは全ての弱い相互作用は究極的には素粒子間の相互作用である。 弱い相互作用の場合、フェルミオンはW, W, Zボソンとして知られる3つの異なる種類のフォースキャリアを交換できる。これらの各ボソンの質量は、陽子や中性子の質量よりもはるかに大きく、これは弱い力の影響範囲が短いことと整合している。与えられた距離における場の強度が通常、強い核力や電磁力の場の強度よりも数桁小さいため、「弱い」力と呼ばれる。 中性子や陽子などの複合粒子を構成するクォークは、アップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、トップ、ボトムの6つの「フレーバー」からなり、複合粒子に特性を与える。弱い相互作用はクォークが他のクォークとフレーバーを交換できるという点で特有である。これらの特性の交換はフォースキャリアボソンにより媒介される。例えば、β崩壊中に中性子内のダウンクォークはアップクォークに変化し、これにより中性子が陽子に変わり電子と電子反ニュートリノが放出される。 弱い相互作用はパリティ対称性を破る唯一の基本相互作用であり、同様に電荷パリティ対称性を破る唯一の相互作用である。 弱い相互作用を伴う現象の他の重要な例としては、ベータ崩壊および太陽の熱核過程の動力となる水素のヘリウムへの核融合がある。ほとんどのフェルミ粒子は時間の経過とともに弱い相互作用により崩壊する。炭素14は弱い相互作用により窒素14へと崩壊するため放射性炭素年代測定が可能となる。また、これによりトリチウム照明およびベータボルタイクスの関連分野で一般的に使われる放射線ルミネセンスも生成することができる。 初期宇宙のクォーク時代に、電弱力が電磁力と弱い力に分かれた。 1933年、エンリコ・フェルミはフェルミ相互作用として知られる弱い相互作用の最初の理論を提唱した。彼はベータ崩壊が距離の離れていない接触力を伴う4つのフェルミオンの相互作用により説明できると提唱した。 しかし、これは非常に短いが有限の範囲を持つ非接触力場としてより良く説明される。1968年、シェルドン・グラショー、アブドゥッサラーム、スティーヴン・ワインバーグは電磁力と弱い相互作用を、これらが現在電弱力と呼ばれる1つの力の2つの側面であることを示すことで統一した。 WボソンとZボソンの存在は、1983年まで直接確認されなかった。 弱い相互作用は、多くの点で特有である。 質量が大きいため(約90 GeV/c)、WボソンやZボソンと呼ばれるこれらのキャリア粒子は短命であり、寿命は10 秒未満である。弱い相互作用は10と10の間の結合定数(相互作用の強さの指標)を持ち、強い相互作用の結合定数1および電磁結合定数約10と比較すると、結果として弱い相互作用は強度の点で弱い。弱い相互作用が有効な範囲は非常に短い(約10~10 m)。10mくらいの距離では弱い相互作用は電磁力と同じくらいの強さを持つが、距離が長くなるにつれて指数関数的に減少し始める。たった1.5桁だけスケールアップしたおよそ3×10 mの距離で弱い相互作用は10,000倍弱くなる。 弱い相互作用は標準模型の全てのフェルミ粒子とヒッグスボソンに作用する。ニュートリノは重力と弱い相互作用のみを介して相互作用し、ニュートリノは「弱い力」の名前の元々の由来であった。弱い相互作用は、重力が天文学的スケールで行ったり、電磁力が原子レベルで行ったり、強い核力が原子核の内部で行ったりすること、つまり束縛状態を作り出したり、結合エネルギーに関与するといったことはしない。 この最も顕著な効果は、最初の特有な特徴であるフレーバーの変化によるものである。例えば、中性子は陽子よりも重いが、中性子は2つのダウンクォークのうち、1つのフレーバーをアップクォークに変えないと陽子に崩壊することはできない。強い相互作用も電磁気学もフレーバーの変化を許さないため、これは弱い崩壊により進む。弱い崩壊がなければストレンジネスやチャーム(同じ名前のクォークと関連する)などのクォークの性質も、全ての相互作用にわたり保存される。 全ての中間子は弱い崩壊により不安定である。ベータ崩壊として知られる過程において、中性子のダウンクォークは仮想のW中間子を放出することでアップクォークに変化し、この中間子はその後電子と電子反ニュートリノに変換される。他の例は、原子内の陽子と電子が相互作用し、中性子に変化し(アップクォークがダウンクォークに変化)、電子ニュートリノが放出される放射性崩壊の一般的な変形である電子捕獲である。 Wボソンは質量が大きいため、弱い相互作用に依存する粒子の変換もしくは崩壊(フレーバーの変化など)は、普通、強い力または電磁力のみに依存する変換または崩壊よりもはるかに遅く起こる。例えば、中性パイ中間子は電磁的に崩壊するため、寿命は約10秒しかない。これに対し荷電パイ中間子は弱い相互作用によってのみ崩壊するため、寿命約10秒と中性パイ中間子よりも1億倍も長い寿命を持つ。特に極端な例は、自由中性子の弱い力による崩壊で約15分を要する。 全ての粒子は弱アイソスピン(記号T3)と呼ばれる特性を持つ。これは量子数として働き、弱い相互作用における粒子の振る舞いを決定する。弱アイソスピンは弱い相互作用において、電磁気における電荷、強い相互作用における色荷と同じ役割を果たす。全ての左巻きのフェルミ粒子は+ ⁄2もしくは− ⁄2の値の弱アイソスピンを持つ。例えば、アップクォークは+ ⁄2、ダウンクォークは− ⁄2である。クォークは弱い相互作用により同じT3のクォークに崩壊することはない。T3が+ ⁄2のクォークはT3が− ⁄2のクォークにのみ崩壊し、逆もまた然りである。 あらゆる相互作用において弱アイソスピンが保存される:相互作用に入る粒子の弱アイソスピン数の合計は、この相互作用から出る粒子の弱アイソスピン数の合計に等しくなる。例えば、弱アイソスピンが+1の(左巻き)πは通常、νμ(+ ⁄2)とμ(右巻き反粒子、+ ⁄2)に崩壊する。 電弱理論の発展に続き、別の特性である弱超電荷が発展した。これは粒子の電荷と弱アイソスピンに依存し、以下の式 Y W = 2 ( Q − T 3 ) {\displaystyle \qquad Y_{\text{W}}=2(Q-T_{3})} により定義される。ここでYWは与えられたタイプの粒子の弱超電荷、Qはその電荷(基本電荷単位)、T3は弱アイソスピンである。弱アイソスピンが0の粒子もあるが、全てのスピン⁄2粒子は0でない弱超電荷を持つ。弱超電荷は、電弱ゲージ群のU(1)部分を生成する。 弱い相互作用には2つのタイプがある(頂点と呼ばれる)。1番目は電荷を運ぶ粒子(WやWボソンなど)により媒介されるため、「荷電カレント相互作用」と呼ばれる。ベータ崩壊現象は、この荷電カレント相互作用によって引き起こされる。2番目は中性粒子であるZボソンにより媒介されるため「中性カレント相互作用」と呼ばれる。 ある種の荷電カレント相互作用では、荷電レプトン(電子またはミューオンなど、電荷−1を持つ)はWボソン(電荷+1を持つ粒子)を吸収しそれにより対応するニュートリノ(電荷0)に変換される。ニュートリノの種類(フレーバー)である電子、ミュー、タウは相互作用におけるレプトンの種類と同じである。例えば 同様にダウンタイプのクォーク(電荷−⁄3のd)はWボソンを放出もしくはWボソンを吸収することによりアップタイプのクォーク(電荷+⁄3のu)に変換されうる。より正確にはダウンタイプのクォークはアップタイプクォークの量子重ね合わせになる、つまり、CKM行列の表で確率が与えられているため、3つのアップタイプのクォークのいずれかになる可能性があるということである。逆にアップタイプのクォークはWボソンを放出もしくはWボソンを吸収して、それによりダウンタイプのクォークに変換されうる。例えば Wボソンは不安定なため、非常に短い寿命で急速に崩壊する。例えば 様々な確率で、他の生成物へWボソンの崩壊が起こることがある。 いわゆる中性子のベータ崩壊では(上記の画像参照)、中性子内のダウンクォークが仮想Wボソンを放出し、これによりアップクォークに変換され、中性子が陽子に変換される。この過程に関わるエネルギー(つまり、ダウンクォークとアップクォークの質量差)のため、Wボソンは電子と電子反ニュートリノにしか変換されない。クォークレベルでは、この過程は次のように表すことができる。 中性カレント相互作用において、クォークやレプトン(電子やミューオンなど)は中性Zボソンを放出もしくは吸収する。例えば Wボソン同様、Zボソンも急速に崩壊する。例えば 素粒子物理学の標準模型は、電磁相互作用と弱い相互作用を単一の電弱相互作用の2つの異なる面として説明する。この理論は1968年ごろにシェルドン・グラショー、アブドゥッサラーム、スティーヴン・ワインバーグにより発展され、3人は1979年にノーベル物理学賞を受賞した。ヒッグス機構は、3つの質量のあるゲージボソン(W, W, Z, 3つの弱い相互作用のキャリア)質量のない光子(γ, 電磁相互作用のキャリア)の存在を説明する。 電弱理論によると、非常に高いエネルギーにおいて宇宙にはヒッグス場の4つの成分があり、その相互作用は光子に似た4つの質量のないゲージボソンにより運ばれ、複素スカラーヒッグス場ダブレットを形成する。しかし、低いエネルギーでは、ヒッグス場の1つが真空期待値を獲得するため、このゲージ対称性は自発的に電磁気のU(1)対称性に破れる。この対称性の破れは3つの質量のないボソンを生成すると予想されるが、代わりに他の3つの場により統一され、ヒッグス機構を介して質量を獲得する。これらの3つのボソンの統合により、弱い相互作用のW, W, Zボソンが生成される。4番目のゲージボソンは電磁気の光子であり、質量がないままである。 この理論は、発見前にZボソンとWボソンの質量を予測するなど多くの予測を行ってきた。2012年7月4日、大型ハドロン衝突型加速器のCMSとATLASの実験チームは独立に、質量125–127 GeV/cのこれまで未知のボソンを公式に発見したことを確認したことを発表した。このボソンのそれまでの振る舞いはヒッグス粒子と「一致」していたが、新しいボソンが何らかのタイプのヒッグス粒子であることを積極的に特定する前にさらにデータと分析が必要であるという注意を加えた。2013年3月14日までにヒッグス粒子が存在することが暫定的に確認された。 電弱対称性の破れスケールが下がった場合、破れていないSU(2)相互作用は最終的に閉じ込められる。SU(2)がそのスケールを超えて閉じ込められる代わりのモデルは、低エネルギーでは標準模型と定量的に類似しているが、対称性の破れを超えると劇的に異なる。 自然の法則は鏡の反射の下では同じままであると長らく考えられていた。鏡を通して見た実験結果は、実験装置の鏡で反射した写しの結果と同一であると予想された。このいわゆるパリティ保存則は、古典的な重力、電磁気学、強い相互作用においては守られることが知られており、普遍的な法則であると仮定されていた。しかし、1950年代半ば楊振寧と李政道は弱い相互作用がこの法則に反する可能性があることを提案した。呉健雄と共同研究者が1957年に弱い相互作用がパリティに反することを発見し、楊と李に1957年ノーベル物理学賞受賞をもたらした。 かつてはフェルミの理論で弱い相互作用が説明されていたが、パリティ破れと繰り込み理論の発見により、新たなアプローチが必要であることが示唆された。1957年、ロバート・マーシャクとジョージ・スダルシャン、そして少し遅れてリチャード・ファインマンとマレー・ゲルマンが弱い相互作用のためにV−A(ベクトルマイナス軸性ベクトルもしくは左巻き)ラグランジアンを提案した。この理論では、弱い相互作用は左巻きの粒子(および右巻きの反粒子)にのみ作用する。左巻きの粒子を鏡で反射したものは右巻きであるため、これがパリティの最大破れを説明する。V−A理論はZボソンが発見される前に開発されたため、中性カレントの相互作用に加わる右巻きの場は含まれていなかった。 しかし、この理論により複合的な対称性CPを保存することができた。CPはパリティP(左から右への切り替え)と荷電共役C(粒子と反粒子の切り替え)の組み合わせである。1964年にジェイムズ・クローニンとヴァル・フィッチがK中間子崩壊ではCP対称性も破れるという明確な証拠を示し、物理学者を再び驚かせた。2人は1980年にノーベル物理学賞を受賞している。1973年、小林誠と益川敏英が弱い相互作用のCP破れには2世代より多くの粒子が必要であることを示し、事実上当時未知であった第3世代の存在を予測した。この発見により2008年のノーベル物理学賞の半分を獲得した。 パリティ破れとは異なり、CP破れは限られた状況でのみ発生する。その珍しさにもかかわらず、宇宙に反物質よりも物質がはるかに多く存在する理由と広く信じられており、それによりバリオン数生成のアンドレイ・サハロフの3つの条件の1つを構成している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "素粒子物理学において、弱い相互作用(よわいそうごさよう、英語: weak interaction、弱い力や弱い核力とも呼ばれる)は、原子の放射性崩壊の原因となる亜原子粒子間の相互作用のメカニズムである。核分裂において重要な役割を果たしており、その振る舞いと効果の両方の観点から見る理論は量子フレーバーダイナミクス(QFD)と呼ばれることがあるが、電弱理論(EWT)の観点からより良く理解されるため、QFDという用語はほとんど使われない。これに加え、QFDは強い相互作用を扱う量子色力学(QCD)および電磁気力を扱う量子電磁力学(QED)に関連している。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "弱い力が有効な範囲は亜原子の距離に限定されており、陽子の直径よりも小さい。強い相互作用、電磁気力、重力と並び自然の4つの既知の力に関連する基本相互作用の1つである。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "素粒子物理学の標準模型は、電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用を理解するための統一された枠組みを与える。2つの粒子(半整数のスピンを持つフェルミオンであることが一般的だが、必ずしもそうとは限らない)が整数スピンで力を運ぶボソンを交換すると相互作用が生じる。このような交換に関わるフェルミオンは素粒子(例えば電子やクォーク)や複合粒子(例えば陽子や中性子)のいずれかであるが、最も深いレベルでは全ての弱い相互作用は究極的には素粒子間の相互作用である。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "弱い相互作用の場合、フェルミオンはW, W, Zボソンとして知られる3つの異なる種類のフォースキャリアを交換できる。これらの各ボソンの質量は、陽子や中性子の質量よりもはるかに大きく、これは弱い力の影響範囲が短いことと整合している。与えられた距離における場の強度が通常、強い核力や電磁力の場の強度よりも数桁小さいため、「弱い」力と呼ばれる。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "中性子や陽子などの複合粒子を構成するクォークは、アップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、トップ、ボトムの6つの「フレーバー」からなり、複合粒子に特性を与える。弱い相互作用はクォークが他のクォークとフレーバーを交換できるという点で特有である。これらの特性の交換はフォースキャリアボソンにより媒介される。例えば、β崩壊中に中性子内のダウンクォークはアップクォークに変化し、これにより中性子が陽子に変わり電子と電子反ニュートリノが放出される。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "弱い相互作用はパリティ対称性を破る唯一の基本相互作用であり、同様に電荷パリティ対称性を破る唯一の相互作用である。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "弱い相互作用を伴う現象の他の重要な例としては、ベータ崩壊および太陽の熱核過程の動力となる水素のヘリウムへの核融合がある。ほとんどのフェルミ粒子は時間の経過とともに弱い相互作用により崩壊する。炭素14は弱い相互作用により窒素14へと崩壊するため放射性炭素年代測定が可能となる。また、これによりトリチウム照明およびベータボルタイクスの関連分野で一般的に使われる放射線ルミネセンスも生成することができる。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "初期宇宙のクォーク時代に、電弱力が電磁力と弱い力に分かれた。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1933年、エンリコ・フェルミはフェルミ相互作用として知られる弱い相互作用の最初の理論を提唱した。彼はベータ崩壊が距離の離れていない接触力を伴う4つのフェルミオンの相互作用により説明できると提唱した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "しかし、これは非常に短いが有限の範囲を持つ非接触力場としてより良く説明される。1968年、シェルドン・グラショー、アブドゥッサラーム、スティーヴン・ワインバーグは電磁力と弱い相互作用を、これらが現在電弱力と呼ばれる1つの力の2つの側面であることを示すことで統一した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "WボソンとZボソンの存在は、1983年まで直接確認されなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "弱い相互作用は、多くの点で特有である。", "title": "特性" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "質量が大きいため(約90 GeV/c)、WボソンやZボソンと呼ばれるこれらのキャリア粒子は短命であり、寿命は10 秒未満である。弱い相互作用は10と10の間の結合定数(相互作用の強さの指標)を持ち、強い相互作用の結合定数1および電磁結合定数約10と比較すると、結果として弱い相互作用は強度の点で弱い。弱い相互作用が有効な範囲は非常に短い(約10~10 m)。10mくらいの距離では弱い相互作用は電磁力と同じくらいの強さを持つが、距離が長くなるにつれて指数関数的に減少し始める。たった1.5桁だけスケールアップしたおよそ3×10 mの距離で弱い相互作用は10,000倍弱くなる。", "title": "特性" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "弱い相互作用は標準模型の全てのフェルミ粒子とヒッグスボソンに作用する。ニュートリノは重力と弱い相互作用のみを介して相互作用し、ニュートリノは「弱い力」の名前の元々の由来であった。弱い相互作用は、重力が天文学的スケールで行ったり、電磁力が原子レベルで行ったり、強い核力が原子核の内部で行ったりすること、つまり束縛状態を作り出したり、結合エネルギーに関与するといったことはしない。", "title": "特性" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "この最も顕著な効果は、最初の特有な特徴であるフレーバーの変化によるものである。例えば、中性子は陽子よりも重いが、中性子は2つのダウンクォークのうち、1つのフレーバーをアップクォークに変えないと陽子に崩壊することはできない。強い相互作用も電磁気学もフレーバーの変化を許さないため、これは弱い崩壊により進む。弱い崩壊がなければストレンジネスやチャーム(同じ名前のクォークと関連する)などのクォークの性質も、全ての相互作用にわたり保存される。", "title": "特性" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "全ての中間子は弱い崩壊により不安定である。ベータ崩壊として知られる過程において、中性子のダウンクォークは仮想のW中間子を放出することでアップクォークに変化し、この中間子はその後電子と電子反ニュートリノに変換される。他の例は、原子内の陽子と電子が相互作用し、中性子に変化し(アップクォークがダウンクォークに変化)、電子ニュートリノが放出される放射性崩壊の一般的な変形である電子捕獲である。", "title": "特性" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "Wボソンは質量が大きいため、弱い相互作用に依存する粒子の変換もしくは崩壊(フレーバーの変化など)は、普通、強い力または電磁力のみに依存する変換または崩壊よりもはるかに遅く起こる。例えば、中性パイ中間子は電磁的に崩壊するため、寿命は約10秒しかない。これに対し荷電パイ中間子は弱い相互作用によってのみ崩壊するため、寿命約10秒と中性パイ中間子よりも1億倍も長い寿命を持つ。特に極端な例は、自由中性子の弱い力による崩壊で約15分を要する。", "title": "特性" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "全ての粒子は弱アイソスピン(記号T3)と呼ばれる特性を持つ。これは量子数として働き、弱い相互作用における粒子の振る舞いを決定する。弱アイソスピンは弱い相互作用において、電磁気における電荷、強い相互作用における色荷と同じ役割を果たす。全ての左巻きのフェルミ粒子は+ ⁄2もしくは− ⁄2の値の弱アイソスピンを持つ。例えば、アップクォークは+ ⁄2、ダウンクォークは− ⁄2である。クォークは弱い相互作用により同じT3のクォークに崩壊することはない。T3が+ ⁄2のクォークはT3が− ⁄2のクォークにのみ崩壊し、逆もまた然りである。", "title": "特性" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "あらゆる相互作用において弱アイソスピンが保存される:相互作用に入る粒子の弱アイソスピン数の合計は、この相互作用から出る粒子の弱アイソスピン数の合計に等しくなる。例えば、弱アイソスピンが+1の(左巻き)πは通常、νμ(+ ⁄2)とμ(右巻き反粒子、+ ⁄2)に崩壊する。", "title": "特性" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "電弱理論の発展に続き、別の特性である弱超電荷が発展した。これは粒子の電荷と弱アイソスピンに依存し、以下の式", "title": "特性" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "Y W = 2 ( Q − T 3 ) {\\displaystyle \\qquad Y_{\\text{W}}=2(Q-T_{3})}", "title": "特性" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "により定義される。ここでYWは与えられたタイプの粒子の弱超電荷、Qはその電荷(基本電荷単位)、T3は弱アイソスピンである。弱アイソスピンが0の粒子もあるが、全てのスピン⁄2粒子は0でない弱超電荷を持つ。弱超電荷は、電弱ゲージ群のU(1)部分を生成する。", "title": "特性" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "弱い相互作用には2つのタイプがある(頂点と呼ばれる)。1番目は電荷を運ぶ粒子(WやWボソンなど)により媒介されるため、「荷電カレント相互作用」と呼ばれる。ベータ崩壊現象は、この荷電カレント相互作用によって引き起こされる。2番目は中性粒子であるZボソンにより媒介されるため「中性カレント相互作用」と呼ばれる。", "title": "相互作用の種類" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ある種の荷電カレント相互作用では、荷電レプトン(電子またはミューオンなど、電荷−1を持つ)はWボソン(電荷+1を持つ粒子)を吸収しそれにより対応するニュートリノ(電荷0)に変換される。ニュートリノの種類(フレーバー)である電子、ミュー、タウは相互作用におけるレプトンの種類と同じである。例えば", "title": "相互作用の種類" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "同様にダウンタイプのクォーク(電荷−⁄3のd)はWボソンを放出もしくはWボソンを吸収することによりアップタイプのクォーク(電荷+⁄3のu)に変換されうる。より正確にはダウンタイプのクォークはアップタイプクォークの量子重ね合わせになる、つまり、CKM行列の表で確率が与えられているため、3つのアップタイプのクォークのいずれかになる可能性があるということである。逆にアップタイプのクォークはWボソンを放出もしくはWボソンを吸収して、それによりダウンタイプのクォークに変換されうる。例えば", "title": "相互作用の種類" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "Wボソンは不安定なため、非常に短い寿命で急速に崩壊する。例えば", "title": "相互作用の種類" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "様々な確率で、他の生成物へWボソンの崩壊が起こることがある。", "title": "相互作用の種類" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "いわゆる中性子のベータ崩壊では(上記の画像参照)、中性子内のダウンクォークが仮想Wボソンを放出し、これによりアップクォークに変換され、中性子が陽子に変換される。この過程に関わるエネルギー(つまり、ダウンクォークとアップクォークの質量差)のため、Wボソンは電子と電子反ニュートリノにしか変換されない。クォークレベルでは、この過程は次のように表すことができる。", "title": "相互作用の種類" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "中性カレント相互作用において、クォークやレプトン(電子やミューオンなど)は中性Zボソンを放出もしくは吸収する。例えば", "title": "相互作用の種類" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "Wボソン同様、Zボソンも急速に崩壊する。例えば", "title": "相互作用の種類" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "素粒子物理学の標準模型は、電磁相互作用と弱い相互作用を単一の電弱相互作用の2つの異なる面として説明する。この理論は1968年ごろにシェルドン・グラショー、アブドゥッサラーム、スティーヴン・ワインバーグにより発展され、3人は1979年にノーベル物理学賞を受賞した。ヒッグス機構は、3つの質量のあるゲージボソン(W, W, Z, 3つの弱い相互作用のキャリア)質量のない光子(γ, 電磁相互作用のキャリア)の存在を説明する。", "title": "電弱理論" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "電弱理論によると、非常に高いエネルギーにおいて宇宙にはヒッグス場の4つの成分があり、その相互作用は光子に似た4つの質量のないゲージボソンにより運ばれ、複素スカラーヒッグス場ダブレットを形成する。しかし、低いエネルギーでは、ヒッグス場の1つが真空期待値を獲得するため、このゲージ対称性は自発的に電磁気のU(1)対称性に破れる。この対称性の破れは3つの質量のないボソンを生成すると予想されるが、代わりに他の3つの場により統一され、ヒッグス機構を介して質量を獲得する。これらの3つのボソンの統合により、弱い相互作用のW, W, Zボソンが生成される。4番目のゲージボソンは電磁気の光子であり、質量がないままである。", "title": "電弱理論" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "この理論は、発見前にZボソンとWボソンの質量を予測するなど多くの予測を行ってきた。2012年7月4日、大型ハドロン衝突型加速器のCMSとATLASの実験チームは独立に、質量125–127 GeV/cのこれまで未知のボソンを公式に発見したことを確認したことを発表した。このボソンのそれまでの振る舞いはヒッグス粒子と「一致」していたが、新しいボソンが何らかのタイプのヒッグス粒子であることを積極的に特定する前にさらにデータと分析が必要であるという注意を加えた。2013年3月14日までにヒッグス粒子が存在することが暫定的に確認された。", "title": "電弱理論" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "電弱対称性の破れスケールが下がった場合、破れていないSU(2)相互作用は最終的に閉じ込められる。SU(2)がそのスケールを超えて閉じ込められる代わりのモデルは、低エネルギーでは標準模型と定量的に類似しているが、対称性の破れを超えると劇的に異なる。", "title": "電弱理論" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "自然の法則は鏡の反射の下では同じままであると長らく考えられていた。鏡を通して見た実験結果は、実験装置の鏡で反射した写しの結果と同一であると予想された。このいわゆるパリティ保存則は、古典的な重力、電磁気学、強い相互作用においては守られることが知られており、普遍的な法則であると仮定されていた。しかし、1950年代半ば楊振寧と李政道は弱い相互作用がこの法則に反する可能性があることを提案した。呉健雄と共同研究者が1957年に弱い相互作用がパリティに反することを発見し、楊と李に1957年ノーベル物理学賞受賞をもたらした。", "title": "対称性の破れ" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "かつてはフェルミの理論で弱い相互作用が説明されていたが、パリティ破れと繰り込み理論の発見により、新たなアプローチが必要であることが示唆された。1957年、ロバート・マーシャクとジョージ・スダルシャン、そして少し遅れてリチャード・ファインマンとマレー・ゲルマンが弱い相互作用のためにV−A(ベクトルマイナス軸性ベクトルもしくは左巻き)ラグランジアンを提案した。この理論では、弱い相互作用は左巻きの粒子(および右巻きの反粒子)にのみ作用する。左巻きの粒子を鏡で反射したものは右巻きであるため、これがパリティの最大破れを説明する。V−A理論はZボソンが発見される前に開発されたため、中性カレントの相互作用に加わる右巻きの場は含まれていなかった。", "title": "対称性の破れ" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "しかし、この理論により複合的な対称性CPを保存することができた。CPはパリティP(左から右への切り替え)と荷電共役C(粒子と反粒子の切り替え)の組み合わせである。1964年にジェイムズ・クローニンとヴァル・フィッチがK中間子崩壊ではCP対称性も破れるという明確な証拠を示し、物理学者を再び驚かせた。2人は1980年にノーベル物理学賞を受賞している。1973年、小林誠と益川敏英が弱い相互作用のCP破れには2世代より多くの粒子が必要であることを示し、事実上当時未知であった第3世代の存在を予測した。この発見により2008年のノーベル物理学賞の半分を獲得した。", "title": "対称性の破れ" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "パリティ破れとは異なり、CP破れは限られた状況でのみ発生する。その珍しさにもかかわらず、宇宙に反物質よりも物質がはるかに多く存在する理由と広く信じられており、それによりバリオン数生成のアンドレイ・サハロフの3つの条件の1つを構成している。", "title": "対称性の破れ" } ]
素粒子物理学において、弱い相互作用は、原子の放射性崩壊の原因となる亜原子粒子間の相互作用のメカニズムである。核分裂において重要な役割を果たしており、その振る舞いと効果の両方の観点から見る理論は量子フレーバーダイナミクス(QFD)と呼ばれることがあるが、電弱理論(EWT)の観点からより良く理解されるため、QFDという用語はほとんど使われない。これに加え、QFDは強い相互作用を扱う量子色力学(QCD)および電磁気力を扱う量子電磁力学(QED)に関連している。 弱い力が有効な範囲は亜原子の距離に限定されており、陽子の直径よりも小さい。強い相互作用、電磁気力、重力と並び自然の4つの既知の力に関連する基本相互作用の1つである。
[[File:Beta-minus Decay.svg|thumb|放射性[[ベータ崩壊]]は弱い相互作用によるものであり、中性子を陽子、電子、[[電子ニュートリノ|電子反ニュートリノ]]に変換する。]] {{標準模型}} [[素粒子物理学]]において、'''弱い相互作用'''(よわいそうごさよう、{{lang-en|weak interaction}}、'''弱い力'''や'''弱い核力'''とも呼ばれる)は、原子の[[放射性崩壊]]の原因となる[[亜原子粒子]]間の相互作用のメカニズムである。[[核分裂反応|核分裂]]において重要な役割を果たしており、その振る舞いと効果の両方の観点から見る理論は'''量子フレーバーダイナミクス'''('''QFD''')と呼ばれることがあるが、[[電弱相互作用|電弱理論]](EWT)の観点からより良く理解されるため、QFDという用語はほとんど使われない<ref name="griffiths">{{cite book|title=Introduction to Elementary Particles|last=Griffiths|first=David|year=2009|isbn=978-3-527-40601-2|pages=59–60}}</ref>。これに加え、QFDは[[強い相互作用]]を扱う[[量子色力学]](QCD)および電磁気力を扱う[[量子電磁力学]](QED)に関連している。 弱い力が有効な範囲は亜原子の距離に限定されており、陽子の直径よりも小さい。[[強い相互作用]]、[[電磁気学|電磁気力]]、[[重力]]と並び自然の4つの既知の力に関連する[[基本相互作用]]の1つである。 ==背景== [[素粒子物理学]]の[[標準模型]]は、電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用を理解するための統一された枠組みを与える。2つの粒子([[半整数]]の[[スピン角運動量|スピン]]を持つ[[フェルミオン]]であることが一般的だが、必ずしもそうとは限らない)が整数スピンで力を運ぶ[[ボソン]]を交換すると相互作用が生じる。このような交換に関わるフェルミオンは素粒子(例えば[[電子]]や[[クォーク]])や複合粒子(例えば[[陽子]]や[[中性子]])のいずれかであるが、最も深いレベルでは全ての弱い相互作用は究極的には[[素粒子]]間の相互作用である。 弱い相互作用の場合、フェルミオンは[[ウィークボソン|W<sup>+</sup>, W<sup>−</sup>, Zボソン]]として知られる3つの異なる種類のフォースキャリアを交換できる。これらの各ボソンの[[質量]]は、陽子や中性子の質量よりもはるかに大きく、これは弱い力の影響範囲が短いことと整合している。与えられた距離における場の強度が通常、強い核力や電磁力の場の強度よりも数桁小さいため、「弱い」力と呼ばれる。 中性子や陽子などの複合粒子を構成する[[クォーク]]は、アップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、トップ、ボトムの6つの「フレーバー」からなり、複合粒子に特性を与える。弱い相互作用はクォークが他のクォークとフレーバーを交換できるという点で特有である。これらの特性の交換はフォースキャリアボソンにより媒介される。例えば、[[ベータ崩壊|β<sup>&minus;</sup>崩壊]]中に中性子内のダウンクォークはアップクォークに変化し、これにより中性子が陽子に変わり電子と電子反ニュートリノが放出される。 弱い相互作用は[[パリティ (物理学)|パリティ対称性]]を破る唯一の基本相互作用であり、同様に[[CP対称性の破れ|電荷パリティ対称性]]を破る唯一の相互作用である。 弱い相互作用を伴う現象の他の重要な例としては、[[ベータ崩壊]]および太陽の熱核過程の動力となる[[恒星内元素合成|水素のヘリウムへの核融合]]がある。ほとんどのフェルミ粒子は時間の経過とともに弱い相互作用により崩壊する。[[炭素14]]は弱い相互作用により[[窒素14]]へと崩壊するため[[放射性炭素年代測定]]が可能となる。また、これによりトリチウム照明およびベータボルタイクスの関連分野で一般的に使われる[[放射線ルミネセンス]]も生成することができる<ref>{{cite web |url=https://www.nobelprize.org/prizes/physics/1979/press-release/ |title=The Nobel Prize in Physics 1979: Press Release |work=NobelPrize.org |publisher=Nobel Media |accessdate=22 March 2011}}</ref>。 [[初期宇宙]]の[[クォーク時代]]に、[[電弱力]]が電磁力と弱い力に分かれた。 ==歴史== 1933年、[[エンリコ・フェルミ]]は[[フェルミ相互作用]]として知られる弱い相互作用の最初の理論を提唱した。彼は[[ベータ崩壊]]が距離の離れていない接触力を伴う4つの[[フェルミオン]]の相互作用により説明できると提唱した<ref name="Fermi's theory">{{cite journal | title=Versuch einer Theorie der β-Strahlen. I | author=Fermi, Enrico | bibcode=1934ZPhy...88..161F | journal=[[Zeitschrift für Physik A]] | year=1934 | volume=88 | issue=3–4 | pages=161–177 | doi=10.1007/BF01351864}}</ref><ref name="Fermi's theory translation">{{cite journal | title=Fermi's Theory of Beta Decay | author=Wilson, Fred L. | journal=American Journal of Physics |date=December 1968 | volume=36 | issue=12 | pages=1150–1160 | doi=10.1119/1.1974382|bibcode = 1968AmJPh..36.1150W }}</ref>。 しかし、これは非常に短いが有限の範囲を持つ非接触力場としてより良く説明される{{citation needed|date=November 2015}}。1968年、[[シェルドン・グラショー]]、[[アブドゥッサラーム]]、[[スティーヴン・ワインバーグ]]は電磁力と弱い相互作用を、これらが現在電弱力と呼ばれる1つの力の2つの側面であることを示すことで統一した<ref>{{cite web|url=http://www.osti.gov/accomplishments/weinberg.html|title=Steven Weinberg, Weak Interactions, and Electromagnetic Interactions|publisher= |accessdate=2018年7月15日}}</ref><ref name="Salam">{{cite news|url=https://www.nobelprize.org/prizes/physics/1979/summary/ |work=Nobel Prize |title=1979 Nobel Prize in Physics |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140706082221/http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/1979/ |archivedate=6 July 2014 |deadurl=no |df=dmy}}</ref>。 [[ウィークボソン|WボソンとZボソン]]の存在は、1983年まで直接確認されなかった<ref name="Cott8">Cottingham & Greenwood (1986, 2001), p. 8</ref>。 ==特性== [[File:Weak Decay (flipped).svg|thumb|right|280px|弱い相互作用による様々な崩壊ルートとその可能性を示す図。線の強度は[[CKM行列]]により与えられる。]] 弱い相互作用は、多くの点で特有である。 * クォークの[[フレーバー (素粒子)|フレーバー]]を変更できる(つまりある種類のクォークから別の種類のクォークに変わる)唯一の相互作用である。 * [[パリティ (物理学)|'''P'''すなわちパリティ対称性]]を破る唯一の相互作用である。また、[[CP対称性の破れ|電荷パリティ'''CP'''対称性]]を破る唯一の相互作用である。 * [[ヒッグス機構]]により[[標準模型]]で説明される異常な特徴である、大きな質量を持つ[[ゲージボソン|フォースキャリア粒子]]により媒介(伝播)される。 質量が大きいため(約90&nbsp;GeV/c<sup>2</sup><ref name="PDG">{{cite journal |author=W.-M. Yao ''et al''. ([[Particle Data Group]]) |year=2006 |title=Review of Particle Physics: Quarks |url=http://pdg.lbl.gov/2006/tables/qxxx.pdf |journal=[[Journal of Physics G]] |volume=33 |pages=1–1232 |doi=10.1088/0954-3899/33/1/001 |arxiv = astro-ph/0601168 |bibcode = 2006JPhG...33....1Y }}</ref>)、WボソンやZボソンと呼ばれるこれらのキャリア粒子は短命であり、寿命は10<sup>−24</sup>&nbsp;秒未満である<ref>{{cite book |title=Story of the W and Z |author=Peter Watkins |publisher=Cambridge University Press |location=Cambridge |url=https://books.google.com/books?id=J808AAAAIAAJ&pg=PA70 |page=70 |year=1986 |isbn=978-0-521-31875-4}}</ref>。弱い相互作用は10<sup>−7</sup>と10<sup>−6</sup>の間の[[結合定数 (物理学)|結合定数]](相互作用の強さの指標)を持ち、強い相互作用の結合定数1および[[微細構造定数|電磁結合定数]]約10<sup>−2</sup>と比較すると<ref name="coupling">{{cite web |url=http://hyperphysics.phy-astr.gsu.edu/hbase/forces/couple.html |title=Coupling Constants for the Fundamental Forces |work=HyperPhysics | publisher =Georgia State University |accessdate=2 March 2011}}</ref>、結果として弱い相互作用は強度の点で弱い<ref name="physnet"/>。弱い相互作用が有効な範囲は非常に短い(約10<sup>−17</sup>~10<sup>−16</sup>&nbsp;m<ref name="physnet">{{cite web |url=http://physnet2.pa.msu.edu/home/modules/pdf_modules/m281.pdf |title=The Weak Interaction |author=J. Christman |publisher=Michigan State University |work=Physnet |year=2001 |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110720004912/http://physnet2.pa.msu.edu/home/modules/pdf_modules/m281.pdf |archivedate=20 July 2011 |df=dmy-all |accessdate=2019-10}}</ref>)<ref name="coupling"/>。10<sup>−18</sup>mくらいの距離では弱い相互作用は電磁力と同じくらいの強さを持つが、距離が長くなるにつれて[[湯川ポテンシャル|指数関数的]]に減少し始める。たった1.5桁だけスケールアップしたおよそ3×10<sup>−17</sup> mの距離で弱い相互作用は10,000倍弱くなる<ref>{{cite web |url=http://www.particleadventure.org/electroweak.html |title=Electroweak |work=The Particle Adventure |publisher=[[Particle Data Group]] |accessdate=3 March 2011}}</ref>。 弱い相互作用は[[標準模型]]の全ての[[フェルミ粒子]]と[[ヒッグスボソン]]に作用する。[[ニュートリノ]]は重力と弱い相互作用のみを介して相互作用し、ニュートリノは「弱い力」の名前の元々の由来であった<ref name="physnet"/>。弱い相互作用は、重力が[[宇宙の距離梯子|天文学的スケール]]で行ったり、電磁力が原子レベルで行ったり、強い核力が原子核の内部で行ったりすること、つまり[[束縛状態]]を作り出したり、[[結合エネルギー]]に関与するといったことはしない<ref name="greiner">{{cite book |url=https://books.google.com/books?id=yWTcPwqg_00C |title=Gauge Theory of Weak Interactions |author1=Walter Greiner |author2=Berndt Müller |publisher=Springer |page=2 |year=2009 |isbn=978-3-540-87842-1}}</ref>。 この最も顕著な効果は、最初の特有な特徴である[[CKM行列|フレーバーの変化]]によるものである。例えば、[[中性子]]は[[陽子]]よりも重いが、中性子は2つのダウンクォークのうち、1つの[[フレーバー (素粒子)|フレーバー]]をアップクォークに変えないと陽子に崩壊することはできない。[[強い相互作用]]も[[電磁気学]]もフレーバーの変化を許さないため、これは'''弱い崩壊'''により進む。弱い崩壊がなければストレンジネスやチャーム(同じ名前のクォークと関連する)などのクォークの性質も、全ての相互作用にわたり保存される。 全ての[[中間子]]は弱い崩壊により不安定である<ref>Cottingham & Greenwood (1986, 2001), p. 29. NB. The neutral pion, however, decays electromagnetically, and several mesons mostly decay strongly, when their quantum numbers allow.</ref>。[[ベータ崩壊]]として知られる過程において、[[中性子]]のダウンクォークは[[仮想粒子|仮想]]のW<sup>-</sup>中間子を放出することでアップクォークに変化し、この中間子はその後[[電子]]と電子[[反ニュートリノ]]に変換される<ref name="Cott28"/>。他の例は、原子内の陽子と電子が相互作用し、中性子に変化し(アップクォークがダウンクォークに変化)、電子ニュートリノが放出される[[放射性崩壊]]の一般的な変形である[[電子捕獲]]である。 Wボソンは質量が大きいため、弱い相互作用に依存する粒子の変換もしくは崩壊(フレーバーの変化など)は、普通、強い力または電磁力のみに依存する変換または崩壊よりもはるかに遅く起こる。例えば、中性[[パイ中間子]]は電磁的に崩壊するため、寿命は約10<sup>−16</sup>秒しかない。これに対し荷電パイ中間子は弱い相互作用によってのみ崩壊するため、寿命約10<sup>−8</sup>秒と中性パイ中間子よりも1億倍も長い寿命を持つ<ref name="Cottingham30">Cottingham & Greenwood (1986, 2001), p. 30</ref>。特に極端な例は、自由中性子の弱い力による崩壊で約15分を要する<ref name="Cott28">Cottingham & Greenwood (1986, 2001), p. 28</ref>。 ===弱アイソスピンと弱超電荷=== {{main article|弱アイソスピン}} {| style="right; margin:0 0 .5em 1em;" class="wikitable" |+'''標準模型における左巻きフェルミ粒子'''<ref name="baez">{{Cite journal |first1=John C. |last1=Baez |authorlink1=John C. Baez |first2=John |last2=Huerta |year=2009 |title=The Algebra of Grand Unified Theories|url=http://math.ucr.edu/~huerta/guts/node9.html |bibcode=2009arXiv0904.1556B |volume=0904 |pages=483–552 |arxiv=0904.1556 |journal=Bull. Am. Math. Soc. |accessdate=15 October 2013 |doi=10.1090/s0273-0979-10-01294-2}}</ref> |- !colspan="3" style="background:#339900; color:#ffffff"|第1世代 !colspan="3" style="background:#339900; color:#ffffff"|第2世代 !colspan="3" style="background:#339900; color:#ffffff"|第3世代 |- style="background:#fdd;" !フェルミ粒子 !記号 ![[弱アイソスピン]] !フェルミ粒子 !記号 ![[弱アイソスピン]] !フェルミ粒子 !記号 ![[弱アイソスピン]] |- |style="background:#efefef"|[[電子ニュートリノ]] |<math>\nu_e\,</math> |<math>+\tfrac 1 2 \,</math> |style="background:#efefef"|[[ミューニュートリノ]] |<math>\nu_\mu\,</math> |<math>+\tfrac 1 2 \,</math> |style="background:#efefef"|[[タウニュートリノ]] |<math>\nu_\tau\,</math> |<math>+\tfrac 1 2 \,</math> |- |style="background:#efefef"|[[電子]] |<math>e^-\,</math> |<math>-\tfrac 1 2 \,</math> |style="background:#efefef"|[[ミュー粒子]] |<math>\mu^-\,</math> |<math>-\tfrac 1 2 \,</math> |style="background:#efefef"|[[タウ粒子]] |<math>\tau^-\,</math> |<math>-\tfrac 1 2 \,</math> |- |style="background:#efefef"|[[アップクォーク]] |<math>u\,</math> |<math>+\tfrac 1 2 \,</math> |style="background:#efefef"|[[チャームクォーク]] |<math>c\,</math> |<math>+\tfrac 1 2 \,</math> |style="background:#efefef"|[[トップクォーク]] |<math>t\,</math> |<math>+\tfrac 1 2 \,</math> |- |style="background:#efefef"|[[ダウンクォーク]] |<math>d\,</math> |<math>-\tfrac 1 2 \,</math> |style="background:#efefef"|[[ストレンジクォーク]] |<math>s\,</math> |<math>-\tfrac 1 2 \,</math> |style="background:#efefef"|[[ボトムクォーク]] |<math>b\,</math> |<math>-\tfrac 1 2 \,</math> |- | colspan="9" style="text-align:center;"|上記の左巻きの粒子は全て、等しく反対の弱アイソスピンを持つ対応する右巻きの反粒子を持つ。 |- | colspan="9" style="text-align:center;"|全ての右巻き粒子と左巻き反粒子には0の弱アイソスピンがある。 |} 全ての粒子は[[弱アイソスピン]](記号''T''<sub>3</sub>)と呼ばれる特性を持つ。これは[[量子数]]として働き、弱い相互作用における粒子の振る舞いを決定する。弱アイソスピンは弱い相互作用において、[[電磁気]]における[[電荷]]、[[強い相互作用]]における[[色荷]]と同じ役割を果たす。全ての左巻きの[[フェルミ粒子]]は{{frac|+|1|2}}もしくは{{frac|&minus;|1|2}}の値の弱アイソスピンを持つ。例えば、アップクォークは{{frac|+|1|2}}、ダウンクォークは{{frac|&minus;|1|2}}である。クォークは弱い相互作用により同じ''T''<sub>3</sub>のクォークに崩壊することはない。''T''<sub>3</sub>が{{frac|+|1|2}}のクォークは''T''<sub>3</sub>が{{frac|&minus;|1|2}}のクォークにのみ崩壊し、逆もまた然りである。 [[File:PiPlus muon decay.svg|thumb|left|π<sup>+</sup>の弱い相互作用による崩壊]] あらゆる相互作用において弱アイソスピンが[[保存則|保存]]される:相互作用に入る粒子の弱アイソスピン数の合計は、この相互作用から出る粒子の弱アイソスピン数の合計に等しくなる。例えば、弱アイソスピンが+1の(左巻き)π<sup>+</sup>は通常、ν<sub>μ</sub>({{frac|+|1|2}})とμ<sup>+</sup>(右巻き反粒子、{{frac|+|1|2}})に崩壊する<ref name="Cottingham30"/>。 電弱理論の発展に続き、別の特性である[[弱超電荷]]が発展した。これは粒子の電荷と弱アイソスピンに依存し、以下の式 <math>\qquad Y_\text{W} = 2(Q - T_3)</math> により定義される。ここで''Y''<sub>W</sub>は与えられたタイプの粒子の弱超電荷、''Q''はその電荷([[電気素量|基本電荷]]単位)、''T''<sub>3</sub>は弱アイソスピンである。弱アイソスピンが0の粒子もあるが、全ての[[フェルミ粒子|スピン{{frac|1|2}}粒子]]は0でない弱超電荷を持つ。[[弱超電荷]]は、電弱[[ゲージ群]]のU(1)部分を生成する。 ==相互作用の種類== 弱い相互作用には2つのタイプがある([[ファインマン・ダイアグラム|頂点]]と呼ばれる)。1番目は[[電荷]]を運ぶ粒子([[Wボソン|W<sup>+</sup>やW<sup>-</sup>ボソン]]など)により媒介されるため、「荷電カレント相互作用」と呼ばれる。[[ベータ崩壊]]現象は、この荷電カレント相互作用によって引き起こされる。2番目は中性粒子である[[Zボソン]]により媒介されるため「中性カレント相互作用」と呼ばれる。 ===荷電カレント相互作用=== [[File:Beta Negative Decay.svg|thumb|right|200px|中性子の間に重いW<sup>-</sup>ボソンを介した[[陽子]]、[[電子]]、[[ニュートリノ|電子反ニュートリノ]]へのベータマイナス崩壊の[[ファインマン・ダイアグラム]]]] ある種の荷電カレント相互作用では、荷電[[レプトン (素粒子)|レプトン]]([[電子]]または[[ミューオン]]など、電荷−1を持つ)はW<sup>+</sup>ボソン(電荷+1を持つ粒子)を吸収しそれにより対応する[[ニュートリノ]](電荷0)に変換される。ニュートリノの種類(フレーバー)である電子、ミュー、タウは相互作用におけるレプトンの種類と同じである。例えば :<math>\mu^-+ W^+\to \nu_\mu</math> 同様にダウンタイプの[[クォーク]](電荷−{{frac|3}}の''d'')はW<sup>-</sup>ボソンを放出もしくはW<sup>+</sup>ボソンを吸収することによりアップタイプのクォーク(電荷+{{frac|2|3}}の''u'')に変換されうる。より正確にはダウンタイプのクォークはアップタイプクォークの[[重ね合わせ|量子重ね合わせ]]になる、つまり、[[CKM行列]]の表で確率が与えられているため、3つのアップタイプのクォークのいずれかになる可能性があるということである。逆にアップタイプのクォークはW<sup>+</sup>ボソンを放出もしくはW<sup>-</sup>ボソンを吸収して、それによりダウンタイプのクォークに変換されうる。例えば :<math>\begin{align} d &\to u + W^- \\ d + W^+ &\to u \\ c &\to s + W^+ \\ c + W^- &\to s \end{align}</math> Wボソンは不安定なため、非常に短い寿命で急速に崩壊する。例えば :<math>\begin{align} W^- &\to e^- + \bar\nu_e~ \\ W^+ &\to e^+ + \nu_e~ \end{align}</math> 様々な確率で、他の生成物へWボソンの崩壊が起こることがある<ref name="PDG2">{{cite journal |author=K. Nakamura ''et al''. ([[Particle Data Group]]) |year=2010 |title=Gauge and Higgs Bosons |url=http://pdg.lbl.gov/2010/tables/rpp2010-sum-gauge-higgs-bosons.pdf |journal=[[Journal of Physics G]] |volume=37 | doi = 10.1088/0954-3899/37/7a/075021 |bibcode = 2010JPhG...37g5021N }}</ref>。 いわゆる中性子の[[ベータ崩壊]]では(上記の画像参照)、中性子内のダウンクォークが[[仮想粒子|仮想]]W<sup>-</sup>ボソンを放出し、これによりアップクォークに変換され、中性子が陽子に変換される。この過程に関わるエネルギー(つまり、ダウンクォークとアップクォークの質量差)のため、W<sup>-</sup>ボソンは電子と電子反ニュートリノにしか変換されない<ref name="PDG3">{{cite journal |author=K. Nakamura ''et al''. ([[Particle Data Group]]) |year=2010 |title= n |url=http://pdg.lbl.gov/2010/listings/rpp2010-list-n.pdf |journal=[[Journal of Physics G]] |volume=37 |page=7|doi=10.1088/0954-3899/37/7a/075021|bibcode = 2010JPhG...37g5021N }}</ref>。クォークレベルでは、この過程は次のように表すことができる。 :<math>d\to u+ e^- + \bar\nu_e~</math> ===中性カレント相互作用=== 中性カレント相互作用において、[[クォーク]]や[[レプトン (素粒子)|レプトン]]([[電子]]や[[ミューオン]]など)は中性[[Zボソン]]を放出もしくは吸収する。例えば :<math>e^-\to e^- + Z^0</math> Wボソン同様、Zボソンも急速に崩壊する<ref name="PDG2"/>。例えば :<math>Z^0\to b+\bar b</math> ==電弱理論== {{main article|電弱相互作用|ワインバーグ=サラム理論}} 素粒子物理学の[[標準模型]]は、[[電磁相互作用]]と弱い相互作用を単一の電弱相互作用の2つの異なる面として説明する。この理論は1968年ごろに[[シェルドン・グラショー]]、[[アブドゥッサラーム]]、[[スティーヴン・ワインバーグ]]により発展され、3人は1979年にノーベル物理学賞を受賞した<ref>{{cite web |publisher=Nobel Media |work=NobelPrize.org |title=The Nobel Prize in Physics 1979 |url=https://www.nobelprize.org/prizes/physics/1979/summary/ |accessdate=26 February 2011}}</ref>。[[ヒッグス機構]]は、[[ウィークボソン|3つの質量のあるゲージボソン]](W<sup>+</sup>, W<sup>-</sup>, Z, 3つの弱い相互作用のキャリア)質量のない[[光子]](''γ'', 電磁相互作用のキャリア)の存在を説明する<ref name="PDGHiggs">{{cite journal |author=C. Amsler ''et al.'' ([[Particle Data Group]]) |year=2008 |title=Review of Particle Physics – Higgs Bosons: Theory and Searches |url=http://pdg.lbl.gov/2008/reviews/higgs_s055.pdf |journal=[[Physics Letters B]] |volume=667 |issue= |pages=1–6 |doi= 10.1016/j.physletb.2008.07.018 |bibcode = 2008PhLB..667....1A }}</ref>。 電弱理論によると、非常に高いエネルギーにおいて宇宙には[[ヒッグス場]]の4つの成分があり、その相互作用は[[光子]]に似た4つの質量のないゲージ[[ボソン]]により運ばれ、複素スカラーヒッグス場ダブレットを形成する。しかし、低いエネルギーでは、ヒッグス場の1つが[[真空期待値]]を獲得するため、このゲージ対称性は自発的に電磁気の'''U'''(1)対称性に[[自発的対称性の破れ|破れる]]。この対称性の破れは3つの質量のない[[南部・ゴールドストーン粒子|ボソン]]を生成すると予想されるが、代わりに他の3つの場により統一され、[[ヒッグス機構]]を介して質量を獲得する。これらの3つのボソンの統合により、弱い相互作用のW<sup>+</sup>, W<sup>-</sup>, Zボソンが生成される。4番目のゲージボソンは電磁気の光子であり、質量がないままである<ref name="PDGHiggs"/>。 この理論は、発見前にZボソンとWボソンの質量を予測するなど多くの予測を行ってきた。2012年7月4日、[[大型ハドロン衝突型加速器]]のCMSとATLASの実験チームは独立に、質量125–127&nbsp;GeV/''c''<sup>2</sup>のこれまで未知のボソンを公式に発見したことを確認したことを発表した。このボソンのそれまでの振る舞いはヒッグス粒子と「一致」していたが、新しいボソンが何らかのタイプのヒッグス粒子であることを積極的に特定する前にさらにデータと分析が必要であるという注意を加えた。2013年3月14日までにヒッグス粒子が存在することが暫定的に確認された<ref>{{cite web|url=http://home.web.cern.ch/about/updates/2013/03/new-results-indicate-new-particle-higgs-boson |title=New results indicate that new particle is a Higgs boson &#124; CERN |publisher=Home.web.cern.ch |date= |accessdate=20 September 2013}}</ref>。 [[ヒッグス機構|電弱対称性の破れ]]スケールが下がった場合、破れていないSU(2)相互作用は最終的に閉じ込められる。SU(2)がそのスケールを超えて閉じ込められる代わりのモデルは、低エネルギーでは[[標準模型]]と定量的に類似しているが、対称性の破れを超えると劇的に異なる<ref>{{cite journal |last1=Claudson |first1=M. |last2=Farhi |first2=E. |last3=Jaffe |first3=R. L. |title=Strongly coupled standard model |journal=Physical Review D |date=1 August 1986 |volume=34 |issue=3 |pages=873–887 |doi=10.1103/PhysRevD.34.873 |url=http://prd.aps.org/abstract/PRD/v34/i3/p873_1 |accessdate=4 February 2019}}</ref>。 ==対称性の破れ== [[File:Right left helicity.svg|thumb|right|280px|[[カイラリティ|左巻きと右巻きの粒子]]: pは粒子の運動量、Sは[[スピン角運動量|スピン]]。条件間の反射対称性は欠いていることに留意。]] 自然の法則は鏡の[[反射]]の下では同じままであると長らく考えられていた。鏡を通して見た実験結果は、実験装置の鏡で反射した写しの結果と同一であると予想された。このいわゆる[[パリティ (物理学)|パリティ]]保存則は、古典的な[[重力]]、[[電磁気学]]、[[強い相互作用]]においては守られることが知られており、普遍的な法則であると仮定されていた<ref>{{cite book |title=American scientists |author=Charles W. Carey |chapter=Lee, Tsung-Dao |year=2006 |publisher=Facts on File Inc. |url=https://books.google.com/books?id=00r9waSNv1cC&pg=PA225 |page=225 |isbn=9781438108070}}</ref>。しかし、1950年代半ば[[楊振寧]]と[[李政道]]は弱い相互作用がこの法則に反する可能性があることを提案した。[[呉健雄]]と共同研究者が1957年に弱い相互作用がパリティに反することを発見し、楊と李に1957年ノーベル物理学賞受賞をもたらした<ref>{{cite web |publisher=Nobel Media |work=NobelPrize.org |title=The Nobel Prize in Physics 1957 |url=https://www.nobelprize.org/prizes/physics/1957/summary/ |accessdate=26 February 2011}}</ref>。 かつては[[フェルミ相互作用|フェルミの理論]]で弱い相互作用が説明されていたが、パリティ破れと[[繰り込み]]理論の発見により、新たなアプローチが必要であることが示唆された。1957年、[[ロバート・マーシャク]]と[[ジョージ・スダルシャン]]、そして少し遅れて[[リチャード・ファインマン]]と[[マレー・ゲルマン]]が弱い相互作用のために'''V−A'''([[空間ベクトル|ベクトル]]マイナス[[軸性ベクトル]]もしくは左巻き)[[ラグランジアン (場の理論)|ラグランジアン]]を提案した。この理論では、弱い相互作用は左巻きの粒子(および右巻きの反粒子)にのみ作用する。左巻きの粒子を鏡で反射したものは右巻きであるため、これがパリティの最大破れを説明する。'''V−A'''理論はZボソンが発見される前に開発されたため、中性カレントの相互作用に加わる右巻きの場は含まれていなかった。 しかし、この理論により複合的な対称性'''[[CP対称性の破れ|CP]]'''を保存することができた。'''CP'''はパリティ'''P'''(左から右への切り替え)と荷電共役'''C'''(粒子と反粒子の切り替え)の組み合わせである。1964年に[[ジェイムズ・クローニン]]と[[ヴァル・フィッチ]]が[[K中間子]]崩壊ではCP対称性も破れるという明確な証拠を示し、物理学者を再び驚かせた。2人は1980年にノーベル物理学賞を受賞している<ref>{{cite web |publisher=Nobel Media |work=NobelPrize.org |title=The Nobel Prize in Physics 1980 |url=https://www.nobelprize.org/prizes/physics/1980/summary/ |accessdate=26 February 2011}}</ref>。1973年、[[小林誠 (物理学者)|小林誠]]と[[益川敏英]]が弱い相互作用のCP破れには2[[世代 (素粒子)|世代]]より多くの粒子が必要であることを示し<ref name="KM">{{Cite journal|author1=Kobayashi, Makoto |author1-link=小林誠 |author2=Maskawa, Toshihide |author2-link=益川敏英 |date=1973-02 |url=https://doi.org/10.1143/PTP.49.652 |title=CP-Violation in the Renormalizable Theory of Weak Interaction |journal=Progress of Theoretical Physics |volume=49 |issue=2 |publisher=The Yukawa Institute for Theoretical Physics and the Physical Society of Japan |hdl=2433/66179 |doi=10.1143/PTP.49.652 |language=en |accessdate=2023-12-07}}</ref>、事実上当時未知であった第3世代の存在を予測した。この発見により2008年のノーベル物理学賞の半分を獲得した<ref>{{cite web |publisher=Nobel Media |work=NobelPrize.org |title=The Nobel Prize in Physics 2008 |url=https://www.nobelprize.org/prizes/physics/2008/summary/ |accessdate=2020年6月9日}}</ref>。 パリティ破れとは異なり、CP破れは限られた状況でのみ発生する。その珍しさにもかかわらず、宇宙に[[反物質]]よりも物質がはるかに多く存在する理由と広く信じられており、それにより[[バリオン数生成]]の[[アンドレイ・サハロフ]]の3つの条件の1つを構成している<ref>{{cite book |title=CP violation |editor=Cecilia Jarlskog |author=Paul Langacker |chapter=Cp Violation and Cosmology |origyear=1989 |year=2001 |publisher=World Scientific Publishing Co. |location=London, [[River Edge]] |url=https://books.google.com/books?id=U5TC5DSWOmIC |page=552 |isbn=9789971505615}}</ref>。 ==脚注== {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 参考文献 == ===一般向け=== * {{Cite book |author=R. Oerter |year=2006 |title=The Theory of Almost Everything: The Standard Model, the Unsung Triumph of Modern Physics |publisher=[[Plume (publisher)|Plume]] |isbn=978-0-13-236678-6 }} * {{Cite book |author=B.A. Schumm |year=2004 |title=Deep Down Things: The Breathtaking Beauty of Particle Physics |publisher=[[Johns Hopkins University Press]] |isbn=0-8018-7971-X |url-access=registration |url=https://archive.org/details/deepdownthingsbr00schu }} ===テキスト=== * {{Cite book | author1=[[Walter Greiner]] | author2=B. Müller | year=2000 | title=Gauge Theory of Weak Interactions | publisher=Springer | isbn=3-540-67672-4 }} * {{Cite book |author1=G.D. Coughlan |author2=J.E. Dodd |author3=B.M. Gripaios |year=2006 |title=The Ideas of Particle Physics: An Introduction for Scientists |edition=3rd |publisher=Cambridge University Press |isbn=978-0-521-67775-2 }} * {{Cite book | author1=W.N. Cottingham | author2=D.A. Greenwood | title=An introduction to nuclear physics | publisher=Cambridge University Press | origyear=1986 | year=2001 | edition=2nd | page=30 | isbn=978-0-521-65733-4 | url=https://books.google.com/books?id=0VIpJPn-qWoC&pg=PA30 }} * {{Cite book | author=D.J. Griffiths | year=1987 | title=Introduction to Elementary Particles | publisher=John Wiley & Sons | isbn=0-471-60386-4 }} * {{Cite book | author=G.L. Kane | year=1987 | title=Modern Elementary Particle Physics | publisher=[[Perseus Books]] | isbn=0-201-11749-5 }} * {{Cite book | author=D.H. Perkins | year=2000 | title=Introduction to High Energy Physics | publisher=Cambridge University Press | isbn=0-521-62196-8 }} ==関連項目== {{portal|物理学}} * [[重力]] * [[核力]] * [[電磁気学]] == 外部リンク == {{wikiquote}} <!-- 会員登録が必要になったのでコメント化。2023.10.23 * Harry Cheung, [http://home.fnal.gov/~cheung/rtes/RTESWeb/LQCD_site/pages/weakforce.htm The Weak Force] @[http://fnal.gov/ Fermilab] --> * [http://hyperphysics.phy-astr.gsu.edu/hbase/Forces/funfor.html Fundamental Forces] @[http://hyperphysics.phy-astr.gsu.edu/hbase/index.html Hyperphysics], Georgia State University. * [https://briankoberlein.com/ Brian Koberlein,] [https://briankoberlein.com/2015/03/01/light-of-other-days/ What is the weak force?] * {{Kotobank}} {{基本相互作用}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:よわいそうこさよう}} [[Category:素粒子物理学]] [[Category:力 (自然科学)]] [[Category:インタラクション]]
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反物質
反物質(、英: antimatter)は、ある物質と比して質量とスピンが全く同じで、構成する素粒子の電荷などが全く逆の性質を持つ反粒子によって組成される物質。例えば、電子はマイナスの電荷を持つが、反電子(いわゆる陽電子)はプラスの電荷を持つ。中性子と反中性子は電荷を持たないが、中性子はクォーク、反中性子は反クォークから構成されている。 1928年、物理学者のポール・ディラックは電子の相対論的な量子力学を記述するディラック方程式を導いたが、この方程式から導かれる負エネルギー状態の電子の解釈について悩んでいた。負エネルギー状態の電子は質量が負であるため、引っ張るとそれと反対向きに動こうとする奇妙な性質を持つ。この性質がロバに似ていることから「ロバ電子」 (donkey electron) という名前がつけられた。 1930年、ディラックは、真空がロバ電子で満たされており、その中の泡に相当する空孔 (hole) が負エネルギー電子になるだろうという着想を得て、空孔理論 (hole theory) を提出した。この理論によると、負エネルギー状態の電子はあたかも正の電荷を持った電子(陽電子)のように振舞うはずであった。しかし、ディラックは、陽電子が当時発見されていなかったことから、負エネルギー状態の電子は正電荷を持つ陽子に対応しているというアイディアを推し進め、なぜ陽子が電子の質量と大きく異なっているかについては未解決の問題としてしまった。この点はディラックの間違いであり、この論文が公表された直後に他の研究者によって指摘されたが、ディラックによれば「数学上の対称性から空孔は電子と同じ質量を持つ粒子であるべきである」ときわめてはっきり言明したのはヘルマン・ワイルであった。 1932年、宇宙線の研究をしていた物理学者のアンダーソンにより正の電荷を持つ電子、すなわち陽電子が発見される。 1955年、物理学者のセグレとチェンバレンにより、前年に建設された粒子加速器ベヴァトロンを用いて反陽子を発見。この実験では反中性子も発見されている。 1995年、欧州原子核研究機構(CERN)とドイツの研究チームにおいて、陽電子と反陽子からなる「反水素」が生成された事が分かり、翌年1月に発表。 2002年 欧州原子核研究機構で日本を含む国際共同研究実験グループにおいて、反水素の5万個ほどの大量生成に成功。 2010年11月 欧州原子核研究機構で日本を含む国際共同研究実験グループにおいて、反水素原子38個を磁気瓶に閉じ込めることに成功(反水素原子の存続時間は0.2秒間)。 2011年1月10日、NASAのガンマ線天文衛星「フェルミ」は2009年12月にエジプト上空を飛行中に特徴的なガンマ線を検出しており、NASAの分析によればこれが南に4500キロ離れたザンビアで発生した雷によって生成された反物質の一種であり、衛星自身を構成している物質の電子と衝突、対消滅した際に生成されたガンマ線であったことを発表した。ただし、この時点では雷から直接反物質を検出したわけではなく、推論に基づくものだった。 2011年4月、米ブルックヘブン研究所(BNL)の実験により、これまでで最も重い反物質である「反ヘリウム原子核」が合成された。10億回の金原子核の衝突によって生じた5000億個の荷電粒子の軌跡を調べたところ、その中で18個が、反ヘリウム原子核と思われる軌跡であった。これ以上重い反原子核は、何らかの偶然を除けば、生成確率が非常に低いため、人類が手にすることの出来る最も重い反物質であると思われる。 2011年6月、欧州原子核研究機構で日本の理化学研究所や東京大学含む日米欧などの国際共同研究実験グループにおいて、反水素原子を1000秒以上閉じ込めることに7回成功。装置は前回と同様の物を用いた。 2017年11月には、雷によって空気中で反物質が生成され、対消滅を起こしている事が日本で報道された。対消滅ガンマ線を検出した事が証拠とされた。 2023年9月、通常の物質と同様に、反物質も重力によって落下することが国際研究グループによって確認された。以前は反物質には反重力が働くのではないかとの推論も一部にあったが、この研究により反重力は存在しないことが証明されたとしている。 物質と反物質が衝突すると対消滅を起こし、質量がエネルギーとなって放出される。これは反応前の物質・反物質そのものが完全になくなってしまい、消滅したそれらの質量に相当するエネルギーがそこに残るということである 。1gの質量は約 9×10(90兆)ジュール のエネルギーに相当する。ただし 発生するニュートリノが一部のエネルギーを持ち去るため、反物質の対消滅で発生するエネルギーのうち光子などの比較的検出しやすい粒子に与えられるエネルギーは、これより少なくなると言われる。 反物質は自然界には殆ど存在しないので、人工的に作らねば得ることが難しい。非常に高いエネルギーを持つ粒子どうしを衝突させると、多くの粒子が新たに生成されることは既に知られているが、これは、粒子が衝突前に持っていたエネルギーがそれに相当する質量に変わるためである。物質と反物質の衝突とは逆の事が起きていることになるので、それによって生成される粒子の中に反粒子が実際に含まれている。そのため現在では、人工的に高エネルギーの粒子を、粒子加速器という非常に巨大な装置を使って作り出し、それらを衝突させて反粒子を作りだし捕獲することで反粒子を得ている。 反物質がどうして我々の住む宇宙では殆ど存在していないのかは、長い間、物理学の大きな疑問の一つであったが、最近その疑問への回答が部分的ではあるが得られつつある。初期宇宙においての超高温のカオス状態の中で、クォークから陽子や中性子が出来、中間子が生まれ、それぞれの反粒子との衝突で光子(電磁波・ガンマ線)に変換されたり再び対生成されていた頃にすべては起こったと考えられている。 従来、物質と反物質は鏡のように性質が逆なだけでその寿命は全く同じだと考えられてきた(CP対称性)。だが近年、粒子群の中で「物質と反物質の寿命がほんの少しだけ違う」というものが出てきた。最初はK中間子と反K中間子である。そして、B中間子も反B中間子とでは明確に寿命が違うことが確認された。日本の高エネルギー加速器研究機構のBelle検出器による発見である。「反物質の寿命がわずかに短かった」(CP対称性の破れ)。これにより、初期宇宙の混沌の一瞬の間の「物質と反物質の対生成と対消滅」において、ほんのわずかな可能性だが反物質だけが消滅し物質だけが取り残されるケースがあり、無限に近いほどの回数の生成・消滅の果てに、「やがて宇宙は物質だけで構成されるようになった」と説明できる。もちろん多種さまざまな粒子群の中のわずか2つの事例であるが、他の粒子での同様の現象の発見やそもそもの寿命のずれの発生機序が解明されれば、この謎は遠からずすべてが解明されると期待されている。 反物質は粒子加速器を使う核融合実験の際に微量ずつ発生し、次の瞬間には対消滅で消え去っている事が観測データから確認されている。しかし自然界においては石油やウランなどと異なりほとんど存在していないため、反物質を得るには一から生成する必要がある。 ただし、反物質を生成するために必要なエネルギーは反物質を燃料として消費するときに得られるエネルギーよりも大きいため、純粋な燃料用途としては結局は損をする。これは、水素を燃料として使うために水を電気分解した後、再び燃料電池として電気に戻して消費するサイクルに似ている。ただ、エネルギー密度だけを考えれば非常に高密度であるので遠い将来の宇宙開発のような特殊な用途での利用が想像されている。反物質は物質に触れると爆発的な対消滅を起こすので貯蔵や取り扱いには工夫が必要になる。 反物質は、周囲の物質と対消滅を行うことにより自身の質量の200%をエネルギーに転換できるので、宇宙開発上課題となっている燃料の質量を劇的に軽量化できる。NASAは反物質動力の推進機関に関心を示している。宇宙機のエンジンとして比べれば、核分裂では核燃料の質量のおよそ千分の一、核融合ではおよそ百分の一がエネルギーに転換されるのに対し、反物質を燃料として使えばその大部分がエネルギーに転換される。例えば100kgの深宇宙探査機を50年間加速させるのに必要な反物質燃料は100μgで良い。一方、化学燃料によって得るエネルギーはその質量のおよそ一億分の一相当にすぎず、1グラムの反物質の対消滅によるエネルギーは、スペースシャトルの外部燃料タンク23個分に相当する。
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反物質(はんぶっしつ、は、ある物質と比して質量とスピンが全く同じで、構成する素粒子の電荷などが全く逆の性質を持つ反粒子によって組成される物質。例えば、電子はマイナスの電荷を持つが、反電子はプラスの電荷を持つ。中性子と反中性子は電荷を持たないが、中性子はクォーク、反中性子は反クォークから構成されている。
{{読み仮名|'''反物質'''|はんぶっしつ|{{lang-en-short|antimatter}}}}は、ある物質と比して[[質量]]と[[スピン角運動量|スピン]]が全く同じで、構成する[[素粒子]]の[[電荷]]などが全く逆の性質を持つ[[反粒子]]によって組成される[[物質]]。例えば、[[電子]]はマイナスの電荷を持つが、反電子(いわゆる[[陽電子]])はプラスの電荷を持つ。中性子と反中性子は電荷を持たないが、中性子は[[クォーク]]、反中性子は[[反クォーク]]から構成されている。 == 歴史 == [[1928年]]、[[物理学者]]の[[ポール・ディラック]]は[[電子]]の相対論的な[[量子力学]]を記述する[[ディラック方程式]]を導いたが、この方程式から導かれる負エネルギー状態の電子の解釈について悩んでいた。負エネルギー状態の電子は質量が負であるため、引っ張るとそれと反対向きに動こうとする奇妙な性質を持つ。この性質が[[ロバ]]に似ていることから「ロバ電子」 (donkey electron) という名前がつけられた。 [[1930年]]、ディラックは、真空がロバ電子で満たされており、その中の泡に相当する[[空孔]] (hole) が負エネルギー電子になるだろうという着想を得て、空孔理論 (hole theory) を提出した。この理論によると、負エネルギー状態の電子はあたかも正の電荷を持った電子(陽電子)のように振舞うはずであった。しかし、ディラックは、陽電子が当時発見されていなかったことから、負エネルギー状態の電子は正電荷を持つ[[陽子]]に対応しているというアイディアを推し進め、なぜ陽子が電子の質量と大きく異なっているかについては未解決の問題としてしまった。この点はディラックの間違いであり、この論文が公表された直後に他の研究者によって指摘されたが、ディラックによれば「数学上の対称性から空孔は電子と同じ質量を持つ粒子であるべきである」ときわめてはっきり言明したのは[[ヘルマン・ワイル]]であった<ref group="注">この誤りについてディラックは「私は大胆さを欠いていたのです」と後述している。ディラックも空孔理論の着想を得たころは空孔が電子と同じ質量を持つと考えていたが、もしそのような粒子があればすでに発見されているはずと思ってしまったのである。この点が、そのような粒子が発見されていないという事実には何も悩まされることがない数学者[[ヘルマン・ワイル]]との違いであった。出典 P.A.M.ディラック『ディラック現代物理学講義』(23頁)有馬朗人・松瀬丈浩 共訳 培風館(ISBN 4-563-02167-9 C3042)</ref>。 [[1932年]]、[[宇宙線]]の研究をしていた[[物理学者]]の[[カール・デイヴィッド・アンダーソン|アンダーソン]]により正の電荷を持つ[[電子]]、すなわち[[陽電子]]が発見される。 [[1955年]]、物理学者の[[エミリオ・セグレ|セグレ]]と[[オーウェン・チェンバレン|チェンバレン]]により、前年に建設された[[加速器|粒子加速器]]ベヴァトロンを用いて[[反陽子]]を発見。この実験では[[反中性子]]も発見されている。 [[1995年]]、[[欧州原子核研究機構]](CERN)と[[ドイツ]]の研究チームにおいて、陽電子と反陽子からなる「[[反水素]]」が生成された事が分かり、翌年1月に発表。 [[2002年]] 欧州原子核研究機構で[[日本]]を含む国際共同研究実験グループにおいて、反水素の5万個ほどの大量生成に成功。 [[2010年]]11月 欧州原子核研究機構で日本を含む国際共同研究実験グループにおいて、反水素原子38個を[[磁気瓶]]に閉じ込めることに成功(反水素原子の存続時間は0.2秒間)<ref>{{Wayback|url=https://web.archive.org/web/20101121054837/https://www.yomiuri.co.jp/science/news/20101118-OYT1T00185.htm |title=「天使と悪魔」に登場…反物質、瓶閉じこめ成功 |date=20101118}}</ref>。 [[2011年]]1月10日、NASAのガンマ線天文衛星「[[フェルミガンマ線宇宙望遠鏡|フェルミ]]」は2009年12月にエジプト上空を飛行中に特徴的なガンマ線を検出しており、NASAの分析によればこれが南に4500キロ離れたザンビアで発生した雷によって生成された反物質の一種であり、衛星自身を構成している物質の電子と衝突、[[対消滅]]した際に生成されたガンマ線であったことを発表した。ただし、この時点では雷から直接反物質を検出したわけではなく、推論に基づくものだった<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1103S_R10C11A1CR8000/ 「反物質」雷で生成 NASA、衛星で証拠発見]。[[日本経済新聞]]、2011年1月11日、2022年10月11日閲覧。</ref>。 2011年4月、米[[ブルックヘブン研究所]](BNL)の実験により、これまでで最も重い反物質である「[[反ヘリウム]]原子核」が合成された<ref>{{Wayback|url=https://web.archive.org/web/20110429050941/http://www.bnl.gov/bnlweb/pubaf/pr/PR_display.asp?prID=1259 |title=RHIC Physicists Nab New Record for Heaviest Antimatter |date=20110429050941}}{{en icon}}</ref>。10億回の金原子核の衝突によって生じた5000億個の荷電粒子の軌跡を調べたところ、その中で18個が、反ヘリウム原子核と思われる軌跡であった。これ以上重い反原子核は、何らかの偶然を除けば、生成確率が非常に低いため、人類が手にすることの出来る最も重い反物質であると思われる。 2011年6月、欧州原子核研究機構で日本の[[理化学研究所]]や[[東京大学]]含む日米欧などの国際共同研究実験グループにおいて、反水素原子を1000秒以上閉じ込めることに7回成功<ref name="nikkei20110606">{{cite news| url = 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[[2023年]]9月、通常の物質と同様に、反物質も[[重力]]によって落下することが国際研究グループによって確認された。以前は反物質には[[反重力]]が働くのではないかとの推論も一部にあったが、この研究により反重力は存在しないことが証明されたとしている<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/science/20230927-OYT1T50337/ 「反物質」も重力で落下、国際研究グループが初めて直接観測…「反重力が存在しないと証明」]読売新聞 2023年9月28日(2023年9月30日閲覧)</ref>。 == 性質 == 物質と反物質が衝突すると[[対消滅]]を起こし、[[質量]]が[[エネルギー]]となって放出される。これは反応前の物質・反物質そのものが完全になくなってしまい、消滅したそれらの質量に相当するエネルギーがそこに残るということである 。<!--[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]の相対性理論によれば、質量とエネルギーは等価であり、2つの関係は計算式「''E'' = ''mc''<sup>2</sup>」で表されるという。消滅した質量に相当するエネルギーがどれほどかはこの式から計算されている。(例えば上の式によれば、-->1gの質量は約 9×10<sup>13</sup>(90兆)[[ジュール]] <!-- [[TNT]]火薬に換算して27キロトン分の爆発エネルギーに相当する←数を変えたので換算が必要-->のエネルギーに相当する。<!-- 90兆ジュールは2,500万kWhに等しく、一般家庭の1ヶ月の消費電力を300kWhと考えた場合は約6900年分の消費電力に相当し、また90兆ジュールは20万t以上の氷水を蒸発させるエネルギーと等しい。-->ただし <!--電子と陽電子とでの対消滅ではγ線が発生するが、陽子と反陽子の対消滅では正負の電荷を持つ、もしくは持たないパイ中間子が発生、その後電荷を持つパイ中間子はミュー粒子とニュートリノに崩壊する-->発生する[[ニュートリノ]]が一部のエネルギーを持ち去るため、反物質の対消滅で発生するエネルギーのうち光子などの比較的検出しやすい粒子に与えられるエネルギーは、これより少なくなると言われる。<!-- ) 質量がエネルギーとなり放出される反応は他に[[核融合]]等で起きる。それらの反応では、反応前の質量のうちのほんのわずかな質量がエネルギーとなり放出される。それに対し、物質と反物質の衝突では反応後エネルギー以外完全に残らない、つまり反応前の質量全てがエネルギーとなり放出される。このことから物質と反物質の反応は質量に対するエネルギー生産効率が非常にいいといえる。かなりの質量を用い[[核反応]]させることでつくれるエネルギーと同等のエネルギーを、先と比べて遥かに小さい質量でつくることができるのだ(具体的に、1gの質量をエネルギーに変える場合を想定してみよう。核分裂では放射能物質を実際約1kg必要とするが、物質と反物質の消滅反応ではそれぞれ0.5gずつを必要とするにすぎない)。いかなる反応もこれほどの効率を出すことはできない。 --> 反物質は自然界には殆ど存在しないので、人工的に作らねば得ることが難しい。非常に高いエネルギーを持つ粒子どうしを衝突させると、多くの粒子が新たに生成されることは既に知られているが、これは、粒子が衝突前に持っていたエネルギーがそれに相当する質量に変わるためである。物質と反物質の衝突とは逆の事が起きていることになるので、それによって生成される粒子の中に反粒子が実際に含まれている。そのため現在では、人工的に高エネルギーの粒子を、[[粒子加速器]]という非常に巨大な装置を使って作り出し、それらを衝突させて反粒子を作りだし捕獲することで反粒子を得ている。 == 反物質の消滅 == {{Unsolved|物理学|なぜ、我々の宇宙には反物質ではなく、物質だけが存在するのか。}} 反物質がどうして我々の住む宇宙では殆ど存在していないのかは、長い間、物理学の大きな疑問の一つであったが、最近その疑問への回答が部分的ではあるが得られつつある。初期宇宙においての超高温のカオス状態の中で、クォークから陽子や中性子が出来、中間子が生まれ、それぞれの反粒子との衝突で光子(電磁波・ガンマ線)に変換されたり再び対生成されていた頃にすべては起こったと考えられている。 従来、物質と反物質は鏡のように性質が逆なだけでその寿命は全く同じだと考えられてきた(CP対称性)。だが近年、粒子群の中で「物質と反物質の寿命がほんの少しだけ違う」というものが出てきた。最初は[[K中間子]]と反K中間子である。そして、B中間子も反B中間子とでは明確に寿命が違うことが確認された。日本の高エネルギー加速器研究機構<ref>[http://www.kek.jp/ja/news/press/2003/belle3.html kek.jp]。</ref>のBelle検出器<ref>[http://www.hp.phys.titech.ac.jp/f-yuki/svd_research.html titech.ac.jp]。</ref>による発見である。「反物質の寿命がわずかに短かった」([[CP対称性の破れ]])。これにより、初期宇宙の混沌の一瞬の間の「物質と反物質の対生成と対消滅」において、ほんのわずかな可能性だが反物質だけが消滅し物質だけが取り残されるケースがあり、無限に近いほどの回数の生成・消滅の果てに、「やがて宇宙は物質だけで構成されるようになった」と説明できる。もちろん多種さまざまな粒子群の中のわずか2つの事例であるが、他の粒子での同様の現象の発見やそもそもの寿命のずれの発生機序が解明されれば、この謎は遠からずすべてが解明されると期待されている。 == 将来の利用法 == 反物質は[[粒子加速器]]を使う[[原子核融合|核融合]]実験の際に微量ずつ発生し、次の瞬間には対消滅で消え去っている事が観測データから確認されている。しかし自然界においては[[石油]]や[[ウラン]]などと異なりほとんど存在していないため、反物質を得るには一から生成する必要がある。 ただし、反物質を生成するために必要なエネルギーは反物質を燃料として消費するときに得られるエネルギーよりも大きいため、純粋な燃料用途としては結局は損をする。これは、水素を燃料として使うために水を電気分解した後、再び燃料電池として電気に戻して消費するサイクルに似ている。ただ、エネルギー密度だけを考えれば非常に高密度であるので遠い将来の宇宙開発のような特殊な用途での利用が想像されている。反物質は物質に触れると爆発的な対消滅を起こすので貯蔵や取り扱いには工夫が必要になる。 反物質は、周囲の物質と対消滅を行うことにより自身の質量の200%をエネルギーに転換できるので、宇宙開発上課題となっている燃料の質量を劇的に軽量化できる。[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]は反物質動力の推進機関に関心を示している。宇宙機のエンジンとして比べれば、核分裂では核燃料の質量のおよそ千分の一、核融合ではおよそ百分の一がエネルギーに転換されるのに対し、反物質を燃料として使えばその大部分がエネルギーに転換される。例えば100kgの深宇宙探査機を50年間加速させるのに必要な反物質燃料は100μgで良い<ref>[https://www.astroarts.co.jp/news/2000/10/31antimatter-drive/index-j.shtml astroarts]。</ref>。一方、化学燃料によって得るエネルギーはその質量のおよそ一億分の一相当にすぎず、1グラムの反物質の対消滅によるエネルギーは、[[スペースシャトル]]の外部燃料タンク23個分に相当する。 == 反物質を扱った作品 == === 映画 === * 『[[天使と悪魔 (映画)]]』 - バチカンを狙った反物質の爆破装置が登場する。 === ドラマ === * 『[[スタートレック]]』 - 反物質を装填した兵器「光子魚雷」が普及している。 === 小説 === * 『[[星界の紋章]]』シリーズ([[森岡浩之]]) - 劇中世界では反物質動力が動力源として普及している。 * 『白亜期往事』([[劉慈欣]])- 反物質の対消滅を利用した兵器が登場する。 === 漫画 === * 『[[2001夜物語]]』([[星野之宣]]) - 21世紀初頭に海王星軌道のはるか外側で発見された新惑星ルシファー(魔王星)は、太陽に拮抗しうる質量を備えた反物質星であった。 * 『[[砲神エグザクソン]]』([[園田健一]]) - 主人公が操る巨大人型兵器は反物質ジェネレータ「XXXユニット」を搭載。 * 『[[ARMS]]』([[皆川亮二]]×[[七月鏡一]]) - 主人公に移植されたARMS「ジャバウォック」は反物質生成能力を持つ。 * 『[[銃夢 LastOrder]]』([[木城ゆきと]]) - 最強の空手使いと呼ばれる登場人物が反物質を込めた拳「屠竜破骨」を使う。 * 『[[超人ロック]]』([[聖悠紀]]) - 劇中世界では反物質を燃料とした「反応炉」が動力源として普及している。反物質を装填したミサイルも登場する。 === アニメ === * 『[[さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち]]』 - 反物質世界の人物が登場する。 * 『[[トップをねらえ!]]』 - 名称のみだが「反物質機雷」という兵器が登場する。 * 『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』 - 電子と陽電子の対消滅時に発生するエネルギーを利用した「陽電子砲(ポジトロンライフル)」という兵器がアニメ版第六話にて登場する。 * 『[[ガンダム Gのレコンギスタ]]』 - G-セルフ(パーフェクトパック)が使用する「フォトン・トルピード」という反物質を閉じ込めた結晶体を散布する兵器がある。 === 特撮 === * 『[[ウルトラマンガイア]]』 - 身体が反物質で構成された怪獣「アンチマター」が登場する。 === ゲーム === * 『[[DEATH STRANDING]]』に登場する「BT」と呼ばれる敵は身体が反物質によって構成されている。また、配送荷物の中に「反物質爆弾」という兵器が存在する。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == <!-- {{Cite book}}、{{Cite journal}} --> * {{Cite book|和書 |author = [[伊達宗行]] |title = 新しい物性物理 : 物質の起源からナノ・極限物性まで |year = 2005 |publisher = [[講談社]] |series = [[ブルーバックス]] |id = |isbn = 4-06-257483-7 |oclc = |page = |chapter = 消えた反物質 }} == 関連項目 == {{Commonscat|Antimatter}} * [[物理学]] * [[相対性理論]] * [[量子力学]] * [[素粒子]] * [[反水素]] * [[反ヘリウム]] * [[反リチウム]] * [[反ベリリウム]] * [[光子魚雷]] == 外部リンク == <!-- {{Cite web}} --> * [http://asacusa.web.cern.ch/ASACUSA/index.html ASACUSA] * [http://athena.web.cern.ch/athena ATHENA] * [http://alpha.web.cern.ch/alpha ALPHA] * [http://astr.phys.saga-u.ac.jp/~funakubo/BAU/chapter5/chapter5-1.html saga-u.ac.jp] - 物質と反物質 {{Physics-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はんふつしつ}} [[Category:反物質|*]] [[Category:物質]] [[Category:素粒子物理学]] [[Category:宇宙論]] [[Category:天文学に関する記事]]
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江崎玲於奈
江崎 玲於奈(えさき れおな、「崎」は清音、1925年(大正14年)3月12日 - )は、日本の物理学者。日本国外においてはレオ・エサキ(Leo Esaki)の名で知られる。 1973年(昭和48年)、トンネル効果の研究に関連して、アイヴァー・ジェーバー、ブライアン・ジョゼフソンとともにノーベル物理学賞を受賞し、日本人としては4人目となるノーベル賞受賞者となった。 文化勲章受章者、勲一等旭日大綬章受章者。 大阪府中河内郡高井田村(現在の東大阪市)で生まれ、京都市で育つ。1947年に東京帝国大学を卒業し、川西機械製作所(後の神戸工業株式会社、現在のデンソーテン)に入社、真空管の陰極からの熱電子放出の研究を行った。1956年、東京通信工業株式会社(現在のソニー)に移籍する。半導体研究室の主任研究員として、PN接合ダイオードの研究に着手し、約1年間の試行錯誤の後、ゲルマニウムのPN接合幅を薄くすると、その電流電圧特性はトンネル効果による影響が支配的となり、電圧を大きくするほど逆に電流が減少するという負性抵抗を示すことを発見した。 発見の顛末については、当時東通工が製造していたゲルマニウムトランジスタの不良品解析において、偶然トンネル効果を持つトランジスタ(製品としては使い物にならない)が見つかったことが発見のきっかけであることが、後にNHKスペシャル「電子立国日本の自叙伝」の中で当時の関係者により語られている(詳しくはトランジスタラジオ#日本における歴史を参照)。 この発見は、物理学において固体でのトンネル効果を初めて実証した例であり、かつ電子工学においてトンネルダイオード(またはエサキダイオード)という新しい電子デバイスの誕生であった。この成果により、1959年に東京大学から博士の学位を授与されている。1973年には、超伝導体内での同じくトンネル効果について功績のあったアイヴァー・ジェーバーと共にノーベル物理学賞を受賞した。同年の物理学賞はジョセフソン効果のブライアン・ジョゼフソンにも与えられている(賞金はジョセフソンが1/2、江崎とジェーバーが1/4ずつ)。 1960年、米国IBM トーマス・J・ワトソン研究所に移籍。磁場と電場の下における新しいタイプの電子-フォノン相互作用や、トンネル分光の研究を行った。さらに分子線エピタキシー法を開発し、これを用いて半導体超格子構造を作ることに成功した。 1992年、筑波大学学長に就任した。学長として6年、産・官・学連携の拠点として先端学際領域研究センター(TARAセンター)の立ち上げ等、大学改革の推進を行った 。 2000年、首相の小渕恵三からの要請により、教育改革国民会議の座長に就任。合計13回の全体会議等を通じ、「教育を変える17の提言」を骨子とする最終報告を纏め上げた。 2003年にナノサイエンス分野の業績を顕彰する科学賞として江崎玲於奈賞が創設され、その選考委員長に就任した。そのほか日本学術振興会賞、沖縄平和賞などの選考委員も務めている。 2023年12月現在、存命の日本人ノーベル賞受賞者では唯一1970年代以前の受賞者である。また、1981年9月に湯川秀樹が死去してから、同年福井謙一の受賞が決まるまでの間は、江崎が存命する唯一の日本人ノーベル賞受賞者となっていた。2015年に南部陽一郎が死去して以降は、最高齡の日本人ノーベル賞受賞者でもある。 「玲於奈」という珍しい名前の由来について、以下のように語っている。 父は最初、獅子の如く勇敢になれということで「レオ」にしようと思ったのですが、今までにない名前ですから役所の人が驚いて「レオナ」とする方が据わりが良いのではと言ってきた、という話を母から聞きました。レオナルド・ダ・ヴィンチをまねしたといってもいいかもしれませんが、父が世界に通じる名前をと考えたのは、その頃大正デモクラシーが叫ばれ、産業の都である大阪が大変栄えていた背景があります。外国に行くとレオというのは非常に簡単で、みんな覚えてくれる。国際的に活躍するのには、良い名前だと思います。 子供の頃に患っていた吃音症について、以下のように語っている。 小学校で私が直面した問題は吃音であった。思うようにコミュニケーションができない。これはちょっとした苦痛だった。これについては母が自責の念にかられた、ちょっとした物語がある。1927年8月、私は2歳5か月くらいで全く覚えていないが、淡路島の南に位置する沼島という小さな島に滞在して夏の海辺を楽しんでいた。ところが滞在した家に5歳くらいの悪さをする女の子がおり、たまたま縁側にいた私を後ろから突き落としたというのである。 母が急いで私を抱き上げたが声が出ず、しばらくしてやっと口をきいたまではよいが、発音がひどく不自由になり、それがすぐには治らなかったという。腹式呼吸とか、様々な治療を試みたが効果は乏しかった。しかし、大きくなるにつれて、吃音は次第に姿を消してくれた。下手な英語では不思議にほとんど不自由はなかった。 私は早くから、自分は自然を相手とするサイエンスの研究に適した人間ではないかと思っていたが、それは人とあまり話さなくてもよいという条件にかなっていたからである。従って私の場合、吃音はノーベル物理学賞の受賞には、ひょっとするとプラスに働いたのかもしれない。 1994年夏のリンダウ・ノーベル賞受賞者会議で、江崎は「ノーベル賞を取るために、してはいけない5か条」のリストを提案している。 原文:Esaki's “five don’ts” rules 日本語訳 2000年、教育改革国民会議委員として、以下の発言をする 人間の能力は二つの要因によって定まる。一つは持って生まれた“天性”、即ち遺伝情報であり、もう一つは環境による“育成”、即ち遺伝外情報取得である。一般的に、生物学者や優生学者は“天性”を重視し、社会学者や社会主義者は“育成”を重んずる傾向にあるが、“天性を見出し、育成に努める”のが教育の基本理念である。われわれの容姿や容貌、才能や素質、ある病気にかかる傾向が強いといった各人の特徴はすべてゲノム、遺伝情報としてDNAの中に刻み込まれており、この持って生まれたゲノムは宿命とでも言おうか、決して変えられないのだということ、勿論、平等ではないことを生徒、父母、教師すべて認めなければならない。“天性”を見出すとは、言わば、自分のゲノム解読なのであるが、先生の講話を聞き、級友達と交流する教育環境の中で、知性、感性の受ける様々な刺激が自己発見に結びつく。このように、先ず、自分の“天性”の発見に努め、次に、それが個性的な光彩を放つよう“天性”を最大限生かす“育成”を図るのが教育の目標である。このような教育が実行されれば、国民それぞれが生まれ持つ能力は最大限に発揮されることになり、我が国の社会の活力は限りなく増大することは明らかであろう。
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江崎 玲於奈は、日本の物理学者。日本国外においてはレオ・エサキの名で知られる。 1973年(昭和48年)、トンネル効果の研究に関連して、アイヴァー・ジェーバー、ブライアン・ジョゼフソンとともにノーベル物理学賞を受賞し、日本人としては4人目となるノーベル賞受賞者となった。 文化勲章受章者、勲一等旭日大綬章受章者。
{{Infobox scientist | name = 江崎 玲於奈 | image = Esaki_leo_Gakushiin.jpg | image_width = | alt = | caption = 日本学士院より公開された肖像写真 | birth_name = | birth_date = {{生年月日と年齢|1925|3|12}}<ref name="Chiezou1990">{{Cite book|和書 |author= |editor= |title=朝日現代用語 [[知恵蔵]] 1990 |origdate= |origyear= |url= |format= |accessdate= |edition= |date=1990-01-01 |year= |publisher=[[朝日新聞社]] |location=東京都中央区築地5-3-2 |series= |id=雑誌60031-01 |isbn= |volume= |page=1174}}</ref> | birth_place = [[大阪府]]<ref name="Chiezou1990" />[[中河内郡]][[高井田村]](現[[東大阪市]]) | death_date = <!-- {{死亡年月日と没年齢||||||}} --> | death_place = | death_cause = | residence = <!-- 居住 --> | citizenship = <!-- 市民権 --> | nationality = {{JPN}} | field = [[半導体]][[物理学]] | workplaces = {{fontsize|75%| [[IBM]] [[トーマス・J・ワトソン研究所]] }} | alma_mater = [[東京大学|東京帝国大学]] | doctoral_advisor = <!-- 博士課程指導教員 --> | academic_advisors = <!-- 他の指導教員 --> | doctoral_students = <!-- 博士課程指導学生 --> | notable_students = <!-- 他の指導学生 --> | known_for = <!-- 主な業績 --> | influences = <!-- 影響を受けた者 --> | influenced = <!-- 影響を与えた者 --> | awards = [[日本学士院賞]](1965年)<br />[[ノーベル物理学賞]](1973年)<br />[[IEEE栄誉賞]](1991年)<br />[[日本国際賞]](1998年) | author_abbreviation_bot = <!-- 命名者名略表記(植物学) --> | author_abbreviation_zoo = <!-- 命名者名略表記(動物学) --> | signature = <!-- 署名(ファイル名のみ) --> | signature_alt = | footnotes = <p style="text-align:center">[[筑波大学]]学長<br />[[芝浦工業大学]]学長<br />[[横浜薬科大学]]学長<br />[[教育改革国民会議]]座長</p> }} {{thumbnail:begin}} {{thumbnail:ノーベル賞受賞者|1973年|ノーベル物理学賞|半導体内および超伝導体内の各々におけるトンネル効果の実験的発見}} {{thumbnail:end}} [[File:Leo Esaki 1959.jpg|thumb|200px|1959年撮影]] [[画像:Leo Esaki 1959b.jpg|thumb|200px|東京でソニーに勤務<br />(1959年6月27日)]] '''江崎 玲於奈'''(えさき れおな、「崎」は[[清音]]、[[1925年]](大正14年)[[3月12日]]<ref name="Chiezou1990" /> - )は、日本の[[物理学者]]。日本国外においては'''レオ・エサキ'''({{en|Leo Esaki}})の名で知られる。 [[1973年]]([[昭和]]48年)、[[トンネル効果]]の研究に関連して、[[アイヴァー・ジェーバー]]、[[ブライアン・ジョゼフソン]]とともに[[ノーベル物理学賞]]を受賞し、日本人としては4人目となる[[ノーベル賞]]受賞者となった<ref name="1973-10-23_Nobelpressrelease">{{cite web|url=http://nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/1973/press.html|title=Press Release: The 1973 Nobel Prize in Physics |work=[[ノーベル賞|Nobelprize.org]]. 27 June 2011 |publisher=[[スウェーデン王立科学アカデミー]] |date=1973-10-23 |accessdate=2011-06-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110517091855/http://nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/1973/press.html|archivedate=2011-05-17|quote=The Royal Swedish Academy of Sciences has decided to award the 1973 Nobel Prize in Physics to Leo Esaki, USA, Ivar Giaever, USA and Brian D Josephson, UK. The award is for their discoveries regarding tunneling phenomena in solids |url-status=dead}}</ref>。 [[文化勲章]]受章者、[[勲一等旭日大綬章]]受章者。 == 人物・来歴 == [[大阪府]][[中河内郡]][[高井田村]](現在の[[東大阪市]])で生まれ、京都市で育つ。1947年に[[東京大学|東京帝国大学]]を卒業し、[[川西機械製作所]](後の神戸工業株式会社、現在の[[デンソーテン]])に入社、[[真空管]]の陰極からの[[エジソン効果|熱電子放出]]の研究を行った。1956年、東京通信工業株式会社(現在の[[ソニー]])に移籍する。[[半導体]]研究室の主任研究員として、[[PN接合]][[ダイオード]]の研究に着手し、約1年間の試行錯誤の後、[[ゲルマニウム]]のPN接合幅を薄くすると、その電流電圧特性は[[トンネル効果]]による影響が支配的となり、電圧を大きくするほど逆に電流が減少するという負性抵抗を示すことを発見した。 発見の顛末については、当時東通工が製造していたゲルマニウム[[トランジスタ]]の不良品解析において、偶然トンネル効果を持つトランジスタ(製品としては使い物にならない)が見つかったことが発見のきっかけであることが、後に[[NHKスペシャル]]「[[電子立国日本の自叙伝]]」の中で当時の関係者により語られている(詳しくは[[トランジスタラジオ#日本における歴史]]を参照)。 この発見は、[[物理学]]において固体での[[トンネル効果]]を初めて実証した例であり、かつ[[電子工学]]において[[トンネルダイオード]](またはエサキダイオード)という新しい[[電子デバイス]]の誕生であった。この成果により、1959年に[[東京大学]]から[[博士]]の[[学位]]を授与されている。1973年には、[[超伝導]]体内での同じくトンネル効果について功績のあった[[アイヴァー・ジェーバー]]と共にノーベル物理学賞を受賞した。同年の物理学賞は[[ジョセフソン効果]]の[[ブライアン・ジョゼフソン]]にも与えられている(賞金はジョセフソンが1/2、江崎とジェーバーが1/4ずつ)。 1960年、[[アメリカ合衆国|米国]][[IBM]] [[トーマス・J・ワトソン研究所]]に移籍。[[磁場]]と[[電場]]の下における新しいタイプの電子-[[フォノン]]相互作用や、トンネル分光の研究を行った。さらに[[分子線エピタキシー法]]を開発し、これを用いて半導体[[超格子]]構造を作ることに成功した。 1992年、[[筑波大学]][[学長]]に就任した。学長として6年、産・官・学連携の拠点として先端学際領域研究センター(TARAセンター)の立ち上げ等、大学改革の推進を行った {{refnest|group="注"|2008年に、[[茨城県]]より[[茨城県#茨城県名誉県民|茨城県名誉県民]]の[[称号]]を贈られている。2015年には、[[つくば市]]にゆかりのある3人のノーベル賞受賞者の功績を受けて、同市吾妻の中央公園に、江崎(筑波大学 元学長)、[[小林誠 (物理学者)|小林誠]]([[高エネルギー加速器研究機構]][[特別栄誉教授]])、[[朝永振一郎]](筑波大学の前身である[[東京教育大学]] 元学長)の[[銅像]]や[[レリーフ]]などが設置された<ref>[http://mainichi.jp/feature/news/m20150316ddlk08040111000c.html ノーベル賞:江崎、小林、朝永氏の銅像やレリーフ設置 完成記念式でお披露目「子どもが夢を」−−つくば・中央公園 / 茨城 - 毎日新聞] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20150424074404/http://mainichi.jp/feature/news/m20150316ddlk08040111000c.html |date=2015-04-24 }}</ref>。}}。 2000年、首相の[[小渕恵三]]<!--肩書きは、2000年当時のもの-->からの要請により、[[教育改革国民会議]]の座長に就任。合計13回の全体会議等を通じ、「教育を変える17の提言」を骨子とする最終報告を纏め上げた。 2003年に[[ナノサイエンス]]分野の業績を顕彰する科学賞として[[江崎玲於奈賞]]が創設され、その選考委員長に就任した。そのほか[[日本学術振興会賞]]、[[沖縄平和賞]]などの選考委員も務めている。 2023年12月現在、存命の日本人ノーベル賞受賞者では唯一[[1970年代]]以前の受賞者である。また、1981年9月に[[湯川秀樹]]が死去してから、同年[[福井謙一]]の受賞が決まるまでの間は、江崎が存命する唯一の日本人ノーベル賞受賞者となっていた。2015年に[[南部陽一郎]]が死去して以降は、最高齡の日本人ノーベル賞受賞者でもある。 == 発言 == 「玲於奈」という珍しい名前の由来について、以下のように語っている<ref>[https://www.sankei.com/article/20181127-P6CUQMCZEZPPVP37IGBWD5KMJY/ 物理学者・江崎玲於奈(93)(2)中学受験で大きな挫折]</ref>。 <blockquote>父は最初、獅子の如く勇敢になれということで「レオ」にしようと思ったのですが、今までにない名前ですから役所の人が驚いて「レオナ」とする方が据わりが良いのではと言ってきた、という話を母から聞きました。[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]をまねしたといってもいいかもしれませんが、父が世界に通じる名前をと考えたのは、その頃[[大正デモクラシー]]が叫ばれ、産業の都である大阪が大変栄えていた背景があります。外国に行くとレオというのは非常に簡単で、みんな覚えてくれる。国際的に活躍するのには、良い名前だと思います。</blockquote> 子供の頃に患っていた[[吃音症]]について、以下のように語っている<ref>[https://www.kanaloco.jp/special/serial/wagajinsei/article-915898.html わが人生・江崎玲於奈(4)父の手紙 今も大切に]</ref>。 <blockquote> 小学校で私が直面した問題は吃音であった。思うようにコミュニケーションができない。これはちょっとした苦痛だった。これについては母が自責の念にかられた、ちょっとした物語がある。1927年8月、私は2歳5か月くらいで全く覚えていないが、[[淡路島]]の南に位置する[[沼島]]という小さな島に滞在して夏の海辺を楽しんでいた。ところが滞在した家に5歳くらいの悪さをする女の子がおり、たまたま縁側にいた私を後ろから突き落としたというのである。 母が急いで私を抱き上げたが声が出ず、しばらくしてやっと口をきいたまではよいが、発音がひどく不自由になり、それがすぐには治らなかったという。腹式呼吸とか、様々な治療を試みたが効果は乏しかった。しかし、大きくなるにつれて、吃音は次第に姿を消してくれた。下手な英語では不思議にほとんど不自由はなかった。 私は早くから、自分は自然を相手とするサイエンスの研究に適した人間ではないかと思っていたが、それは人とあまり話さなくてもよいという条件にかなっていたからである。従って私の場合、吃音はノーベル物理学賞の受賞には、ひょっとするとプラスに働いたのかもしれない。</blockquote> 1994年夏の[[リンダウ・ノーベル賞受賞者会議]]で、江崎は「[[ノーベル賞]]を取るために、してはいけない5か条」のリストを提案している。 <blockquote>原文:Esaki's “five don’ts” rules # Don’t allow yourself to be trapped by your past experiences. # Don’t allow yourself to become overly attached to any one authority in your field – the great professor, perhaps. # Don’t hold on to what you don’t need. # Don’t avoid confrontation. # Don’t forget your spirit of childhood curiosity. 日本語訳 # 今までの行き掛かりにとらわれてはいけない。 呪縛やしがらみに捉われると、洞察力は鈍り、創造力は発揮できない。 # 大先生を尊敬するのはよいが、のめり込んではいけない。 # 情報の大波の中で、自分に無用なものまでも抱え込んではいけない。 # 自分の主義を貫くため、戦う事を避けてはいけない。 # いつまでも初々しい感性と飽くなき好奇心を失ってはいけない。</blockquote> 2000年、教育改革国民会議委員として、以下の発言をする<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/dai2/2siryou7.html|title=教育改革国民会議委員から寄せられた教育のあり方に関する意見|publisher=内閣官房内閣内政審議室 教育改革国民会議担当室|accessdate=2020-07-26}}</ref><blockquote>人間の能力は二つの要因によって定まる。一つは持って生まれた“天性”、即ち遺伝情報であり、もう一つは環境による“育成”、即ち遺伝外情報取得である。一般的に、[[生物学|生物学者]]や[[優生学|優生学者]]は“天性”を重視し、[[社会学|社会学者]]や[[社会主義|社会主義者]]は“育成”を重んずる傾向にあるが、“天性を見出し、育成に努める”のが教育の基本理念である。われわれの容姿や容貌、才能や素質、ある病気にかかる傾向が強いといった各人の特徴はすべてゲノム、遺伝情報としてDNAの中に刻み込まれており、この持って生まれたゲノムは宿命とでも言おうか、決して変えられないのだということ、勿論、平等ではないことを生徒、父母、教師すべて認めなければならない。“天性”を見出すとは、言わば、自分のゲノム解読なのであるが、先生の講話を聞き、級友達と交流する教育環境の中で、知性、感性の受ける様々な刺激が自己発見に結びつく。このように、先ず、自分の“天性”の発見に努め、次に、それが個性的な光彩を放つよう“天性”を最大限生かす“育成”を図るのが教育の目標である。このような教育が実行されれば、国民それぞれが生まれ持つ能力は最大限に発揮されることになり、我が国の社会の活力は限りなく増大することは明らかであろう。</blockquote> == 略歴 == * 1925年 - 建築技師である江崎壮一郎の長男として、大阪府<ref name="Chiezou1990" />中河内郡高井田村(現在の東大阪市)に生まれ、京都市で育つ。 : [[京都市立第四錦林小学校|京都市立第四錦林尋常小学校]]から、[[京都府立洛北高等学校・附属中学校|京都府立京都第一中学校]]の入試に失敗し{{refnest|group="注"|本人の談によると、健康優良児が求められていた軍国主義の当時、体が細かったため不合格になったという。また、東京帝国大学は戦争中で入試が実施されず、内申書による合否のみをもって入学したという<ref>読売新聞2014年12月9日20面 [http://info.yomiuri.co.jp/yri/n-forum/nf20141120.htm 「独創性とは何か」ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム] 11月20日</ref><ref>[https://www.u-tokyo.ac.jp/130ut/event/03_07.html 『私と東大』]</ref>。}}、[[神戸大学附属住吉小学校|兵庫県師範学校御影附属小学校]]高等科を経て[[同志社中学校・高等学校|同志社中学校]]に進む。中学校は[[旧制中学校#「四修」による上級学校への進学|四年修了]]で[[第三高等学校 (旧制)|第三高等学校]](いずれも[[旧制学校]])に進み、1944年に[[東京大学|東京帝国大学]]に入学。[[杉山金太郎|杉山報公会]]奨学生だった。 * 1947年 ** [[東京帝国大学理学部物理学科]]卒業。 ** 株式会社[[川西機械製作所]](後の神戸工業株式会社、さらに[[富士通テン]]株式会社、現在の [[デンソーテン]])に勤務。 * 1956年 - 東京通信工業株式会社(現在の[[ソニー]]株式会社)に勤務。 * 1959年 - 東京大学から理学博士の学位を授与される。論文は「薄いp-n接合における新現象」<ref>{{NAID|500000473329}}</ref>。 * 1960年 ** [[アメリカ合衆国|米国]][[IBM]] [[トーマス・J・ワトソン研究所]]に勤務。 ** IBM主任研究員 * 1975年 - [[日本学士院]]会員 * 1976年 - [[米国科学アカデミー|全米科学アカデミー]]外国会員 * 1992年 - 筑波大学学長に就任。 * 2000年 - [[教育改革国民会議]]座長、[[芝浦工業大学]]学長に就任。 * 2006年 - [[横浜薬科大学]]学長に就任。 === 受賞歴 === * 1959年 - [[仁科記念賞]]、[[朝日賞]] * 1960年 - [[東レ科学技術賞]] * 1961年 - [[IEEEダニエル・E・ノーブル賞|モーリス・N・リーブマン記念賞]](米[[無線学会|IRE]]、後の[[IEEE]])、[[スチュアート・バレンタイン・メダル]](米フランクリン協会) * 1965年 - [[日本学士院賞]] * 1973年 - [[ノーベル物理学賞]] * 1985年 - [[ジェームス・C・マックグラディ新材料賞]] * 1991年 - [[IEEE栄誉賞]] * 1998年 - [[日本国際賞]]<ref>{{Cite web|和書|title=ジャパンプライズ(Japan Prize/日本国際賞)|website=[[国際科学技術財団]]|url=https://www.japanprize.jp/laureates_by_year1990.html |accessdate=2022-10-04}}</ref> === 勲章・栄典 === * 1974年 - [[文化勲章]] * 1998年 - [[勲一等旭日大綬章]] == 社会的活動 == * [[日本学術振興会]][[21世紀COEプログラム]]プログラム委員会委員長(平成18年度) * [[財団法人]]茨城県科学技術振興財団理事長 * 財団法人国際開発高等教育機構評議員 * 日本新事業支援機関協議会名誉会長 * 財団法人日本オペラ振興会顧問 * 財団法人山田科学振興財団理事 * 財団法人国際科学振興財団評議員 * 社団法人科学技術[[道徳再武装#日本での展開|国際交流センター]]評議員 * 財団法人下中記念財団理事 * 財団法人社会経済生産性本部評議員 * 財団法人仁科記念財団理事 * [[特定非営利活動法人]]日本自動車殿堂顧問 == 著書 == === 単著 === * {{Cite book |和書 |title=トンネルの長い旅路 |date=1974-11 |publisher=[[講談社]] }} * {{Cite book |和書 |title=新・日本イソップ物語 一科学者の提言 |date=1978-04 |publisher=[[日刊工業新聞社]] }} * {{Cite book |和書 |title=アメリカと日本 ニューヨークで考える |date=1980-06 |publisher=[[読売新聞社]] |isbn=9784643534702 }} * {{Cite book |和書 |title=日本とアメリカ 甲南大学創立30周年記念講演会・講演録 |date=1983-03 |publisher=[[甲南大学]] }} * {{Cite book |和書 |title=創造の風土 ニューヨークから |date=1984-01 |publisher=読売新聞社 |isbn=9784643541502 }} * {{Cite book |和書 |title=アメリカと日本 |date=1987-07 |publisher=[[三笠書房]] |series=[[知的生きかた文庫]] |isbn=9784837901723 }} * {{Cite book |和書 |title=創造の風土 |date=1987-11 |publisher=三笠書房 |series=知的生きかた文庫 |isbn=9784837901976 }} * {{Cite book |和書 |title=個人人間の時代 ニューヨークから |date=1988-04 |publisher=読売新聞社 |isbn=9784643880427 }} * {{Cite book |和書 |title=個性と創造 |date=1993-12 |publisher=読売新聞社 |isbn=9784643930726 }} * {{Cite book |和書 |title=サイエンスの進歩が意味するもの |date=1994-06 |publisher=同志社大学出版部 |series=新島講座 |isbn=9784924608399 }} * {{Cite book |和書 |title=創造力の育て方・鍛え方 |date=1997-02 |publisher=講談社 |isbn=9784062079068 }} * {{Cite book |和書 |editor=日本経済新聞社編 |title=限界への挑戦 |date=2007-09 |publisher=[[日本経済新聞出版社]] |series=[[私の履歴書]] |isbn=9784532166359 }} * {{Cite book |和書 |editor=滝田恭子編集協力 |title=オプションを活かそう 選択が人生を決める |date=2013-10 |publisher=[[中央公論新社]] |isbn=9784120045561 }} * {{Cite book |和書 |title=「未知」という選択 世界のレオ創造の軌跡 |date=2017-01 |publisher=[[神奈川新聞社]] |series=わが人生 12 |isbn=9784876455614 }} === 共著 === * {{Cite book |和書 |title=創造性への対話 江崎玲於奈対談集 |date=1974-10 |publisher=中央公論社 |series=自然選書 }} * {{Cite book |和書 |author1=江崎玲於奈 |author2=[[広中平祐]] |title=日本を語る |date=1977-03 |publisher=[[毎日新聞社]] }} * {{Cite book |和書 |author1=[[福井謙一]] |author2=江崎玲於奈 |title=科学と人間を語る |date=1982-06 |publisher=[[共同通信社]] |isbn=9784764101142 }} * {{Cite book |和書 |author1=江崎玲於奈 |author2=[[西川哲治]] |editor=未来の夢をひらく会編 |title=科学革命 日本生き残りの戦略 |date=1983-02 |publisher=[[ダイヤモンド社]] }} * {{Cite book |和書 |title=日本人の選択 世界のなかの日本 |date=1985-11 |publisher=[[小学館]] |series=小学館創造選書 96 |isbn=9784098200962 }} * {{Cite book |和書 |editor=[[日本創造学会]]編 |title=日本の科学者と創造性 |date=1987-11 |publisher=[[共立出版]] |series=創造性研究 5 |isbn=9784320008595 }} * {{Cite book |和書 |author1=[[牧野昇]] |author2=江崎玲於奈 |title=総予測21世紀の技術革新 |date=2000-11 |publisher=[[工業調査会]] |isbn=9784769361350 }} * {{Cite book |和書 |title=家族の力はとり戻せるか 世界五大学長が語る新世紀 |date=2001-05 |publisher=中央公論新社 |series=[[中公新書ラクレ]] 9 |isbn=9784121500090 }} === 監修 === * {{Cite book |和書 |others=江崎玲於奈日本語版監修 |title=コンピュータ・社会・経済 新情報社会の構想 |date=1980-11 |publisher=コンピュータ・エージ社 |series=The computer age series 第1巻 }} * {{Cite book |和書 |others=江崎玲於奈日本語版監修 |title=コンピュータ・個人・生活 新情報社会への展望 |date=1980-11 |publisher=コンピュータ・エージ社 |series=The computer age series 第2巻 }} * {{Cite book |和書 |others=江崎玲於奈日本語版監修 |title=コンピュータ・科学・技術 新情報社会の推進技術 |date=1980-11 |publisher=コンピュータ・エージ社 |series=The computer age series 第3巻 }} * {{Cite book |和書 |others=江崎玲於奈・[[尾上久雄]]監修 |title=科学と大学の将来 日米大学長は語る |date=1995-07 |publisher=[[京都大学学術出版会]] |isbn=9784876980215 }} == 主な論文 == * Leo Esaki, "New Phenomenon in Narrow Germanium p−n Junctions". Phys. Rev. 109, 603 (1958), {{doi|10.1103/PhysRev.109.603}} * L. Esaki ; R. Tsu, "Superlattice and Negative Differential Conductivity in Semiconductors" IBM Journal of Research and Development (Volume:14, Issue:1, Jan. 1970), {{DOI|10.1147/rd.141.0061}} * R. Tsu and L. Esaki, [https://doi.org/10.1063/1.1654509 Tunneling in a finite superlattice] Appl. Phys. Lett. 22, 562 (1973), {{doi|10.1063/1.1654509}} * Leo Esaki, "[http://science.sciencemag.org/content/183/4130/1149 Long Journey into Tunneling]". Science 22 Mar 1974, Vol. 183, Issue 4130, pp. 1149-1155, {{DOI|10.1126/science.183.4130.1149}} * G. A. Sai-Halasz, L. Esaki, and W. A. Harrison, "[https://doi.org/10.1103/PhysRevB.18.2812 InAs-GaSb superlattice energy structure and its semiconductor-semimetal transition]". Phys. Rev. B 18, 2812 (1978), {{doi|10.1103/PhysRevB.18.2812}} * 江崎玲於奈、[https://doi.org/10.2183/tja1948.36.suppl_39 半導体デバイスの誕生と発展] 日本學士院紀要 1979年 36巻 suppl号 p.39-54, {{doi|10.2183/tja1948.36.suppl_39}} * 江崎玲於奈、「創造的失敗」日本物理學會誌 69(3), 127, 2014-03-05, {{naid|110009804931}} == 参考資料 == * 「[[私の履歴書]]」江崎玲於奈、[[日本経済新聞]] 2007年1月2日号~1月31日号 * [[国立科学博物館]]:[https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/tour/nobel/esaki/p1.html ノーベル賞受賞者9人の偉業.江崎玲於奈] * 「時代の証言者」江崎玲於奈、[[読売新聞]] * 「真空管から半導体への“トンネル”の思い出」江崎玲於奈、『日本の物理学史』 pp. 478-496 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.nobelprize.org/prizes/physics/1973/summary/ The Nobel Prize in Physics 1973] - [https://www.nobelprize.org/ ノーベル財団] * [http://www.tsukuba.ac.jp/about/nobel/esaki.html 江崎 玲於奈 博士の略歴、受賞歴、業績]([[筑波大学]]) * [http://www.i-step.org/prize/esaki/index.htm 江崎玲於奈賞] - [http://www.i-step.org/ (財)茨城県科学技術振興財団] * {{NHK放送史|D0009030582_00000|江崎玲於奈氏 ノーベル物理学賞を受賞}} * {{NHK放送史|D0009043947_00000|江崎玲於奈博士と語る}} * {{YouTube|wmxasYZmuQ8|昭和のノーベル賞 民間企業から物理学賞 江崎玲於奈氏“日本の頭脳流出”から筑波大学学長に(1973年)【映像記録 news archive】}}(ANNnewsCH) {{先代次代|芝浦工業大学学長|2000年 - 2005年|[[小口泰平]]|[[平田賢]]}} {{日本人のノーベル賞受賞者}} {{ノーベル物理学賞受賞者 (1951年-1975年)}} {{筑波大学学長|第5代:1992年 - 1998年}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:えさき れおな}} [[Category:江崎玲於奈|*]] [[Category:20世紀日本の物理学者]] [[Category:21世紀日本の物理学者]] [[Category:日本のノーベル賞受賞者]] [[Category:ノーベル物理学賞受賞者]] [[Category:IEEE栄誉賞受賞者]] [[Category:日本学士院賞受賞者]] [[Category:朝日賞受賞者]] [[Category:仁科記念賞の受賞者]] [[Category:勲一等旭日大綬章受章者]] [[Category:芝浦工業大学学長]] [[Category:文化勲章受章者]] [[Category:理学博士取得者]] [[Category:理学士取得者]] [[Category:日本国際賞受賞者]] [[Category:日本学士院会員]] [[Category:米国科学アカデミー外国人会員]] [[Category:全米技術アカデミー外国人会員]] [[Category:ロシア科学アカデミー外国人会員]] [[Category:アメリカ物理学会フェロー]] [[Category:ソニーの人物]] [[Category:筑波大学学長]] [[Category:筑波大学の教員]] [[Category:芝浦工業大学の教員]] [[Category:横浜薬科大学の教員]] [[Category:トーマス・J・ワトソン研究所の人物]] [[Category:IBMフェロー]] [[Category:日本のナノテクノロジー研究者]] [[Category:吃音の人物]] [[Category:私の履歴書の登場人物]] [[Category:東京大学出身の人物]] [[Category:旧制第三高等学校出身の人物]] [[Category:大阪府出身の人物]] [[Category:1925年生]] [[Category:存命人物]]
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シャルル・ド・クーロン
シャルル=オーギュスタン・ド・クーロン(Charles-Augustin de Coulomb、 1736年6月14日 - 1806年8月23日)はフランス・アングレーム出身の物理学者・土木技術者。彼が発明したねじり天秤を用いて帯電した物体間に働く力を測定し、クーロンの法則を発見した。電荷の単位「クーロン」は彼の名にちなむ。 クーロンはフランス・アングレームの裕福な家庭に生まれた。父アンリ・クーロン(Henri Coulomb)はモンペリエの役人であり、母Catherine Bajetは羊毛交易で財を成した名家の出であった。 少年時代、一家はパリに移住し、パリの名門校Collège des Quatre-Nationsにて学んだ。そこでPierre Charles Monnierの数学の授業を受けたことにより、数学および数学に関連した分野に進むことを決意した。1757年から1759年にかけてモンペリエにある父方の実家に滞在し、市アカデミーでの仕事に従事した。市アカデミーでは数学者のAugustin Danyzyに師事し、数学の教育を受けた。1759年、父親の同意を得て、メジエールの陸軍士官学校入学の受験勉強のためパリに戻った。 1761年に陸軍士官学校を卒業し、イギリス沿岸の地形図作成のための測量に参加した。1764年、 マルティニーク島への転属を命じられ、ブルボン城塞の建設に従事した。七年戦争終結後の当時、マルティニーク島のフランス植民地は英領とスペイン領に挟まれ、孤立を余儀なくされていた。 マルティニーク島ではブルボン城塞建設の監督に8年間従事し、この間に石造建築の耐久性や支持構造物の振る舞いに関する実験を行った。これらの実験は、ピーター・ヴァン・マッシェンブレーケ(オランダの科学者、ライデン瓶を発明)の摩擦理論にヒントを得たものであった。 マルティニーク島の風土病で体をこわし、帰国。その後、大尉としてラ・ロシェル、大西洋の小島Isle of Aix、シェルブールの任地を歴任した。彼は、電荷の間に働く力は距離の2乗に反比例していることを発見した。彼にちなんで、この法則はクーロンの法則と呼ばれるようになった。また、1773年には土圧理論を提唱。クーロン土圧は、現在でも土木工学・土質工学系の分野で一般的に用いられている。 1774年には科学アカデミーの通信会員となり、1777年、磁気コンパスの研究により科学アカデミーの懸賞第一位に。1781年、摩擦の研究により再び懸賞第一位を獲得した。同年、科学アカデミー会員に選出された。 1781年、最終任地としてパリに配属。1789年、フランス革命の勃発にともない辞職し、ブロワにて隠遁生活に入った。その後、革命政府による新しい度量衡の制定のためパリに呼び戻された。1801年、フランス学士院会長。1802年、社会教育長官。その頃すでに彼の健康状態は悪化しており、4年後の1806年、パリにて死去。 クーロンは力学と電磁気学の分野において特筆すべき貢献をした。1779年、摩擦力の法則に関する論文「部品間の摩擦とロープの張力を考慮した単純な機械に関する理論」(Théorie des machines simples, en ayant égard au frottement de leurs parties et à la roideur des cordages)を出版した。これはクーロンの摩擦法則、あるいはアモントン-クーロンの摩擦法則として知られている。 1784年、「金属線のねじれと弾性に関する理論的研究および実験」("Recherches théoriques et expérimentales sur la force de torsion et sur l'élasticité des fils de metal")を発表した。この論文では、幾つかの異なる形式のねじれ秤について述べている。 クーロンは物体の表面における電荷分布を帯びた2つの小球の間にはたらく引力および斥力を、彼が発明したねじれ秤を用いて実験的に測定し、クーロンの法則を確立した。また、磁気についても同様の法則が成り立つことを明らかにした。 1785年、電磁気に関する3報の論文を発表した。 その後も、4報の論文を発表した。 イギリスのヘンリー・キャヴェンディッシュ(1731年 - 1810年)もクーロンの法則を独立に発見していたが、生前にその発見を公開していなかったため、発見者の栄誉はクーロンに与えられた。 クーロンは電荷間や磁極間に生じる引力および反発力についての法則を論じたが、電気と磁気との間にある関係を見出さなかった。彼は、電気と磁気は、それぞれ異なる種類の流体によって引力や反発力が生じるものと考えていた。
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シャルル=オーギュスタン・ド・クーロンはフランス・アングレーム出身の物理学者・土木技術者。彼が発明したねじり天秤を用いて帯電した物体間に働く力を測定し、クーロンの法則を発見した。電荷の単位「クーロン」は彼の名にちなむ。
{{Infobox Scientist | name = シャルル=オーギュスタン・ド・クーロン | image = Charles de Coulomb.png | caption = [[:en:Hippolyte Lecomte|Hippolyte Lecomte]]による肖像画 | birth_date = {{生年月日と年齢|1736|6|14|死去}} | birth_place = {{FRA987}} [[アングレーム]] | death_date = {{死亡年月日と没年齢|1736|6|14|1806|8|23}} | death_place = {{FRA1804}} [[パリ]] | residence = {{FRA}} | nationality = {{FRA}} | field = 物理学 | work_institution = <!--研究機関--> | alma_mater = [[:en:Collège_des_Quatre-Nations|Collège des Quatre-Nations]] | doctoral_advisor = <!--博士課程指導教官--> | doctoral_students = <!--博士課程指導学生--> | known_for = [[クーロン]](単位)<br />[[クーロンの法則]] | prizes = <!--主な受賞歴--> | religion = ローマカトリック | footnotes = <!--備考--> }} '''シャルル=オーギュスタン・ド・クーロン'''('''Charles-Augustin de Coulomb'''、 [[1736年]][[6月14日]] - [[1806年]][[8月23日]])は[[フランス]]・[[アングレーム]]出身の[[物理学者]]・[[土木技術者]]。彼が発明した[[ねじり天秤]]を用いて帯電した物体間に働く力を測定し、[[クーロンの法則]]を発見した。[[電荷]]の[[計量単位一覧|単位]]「[[クーロン]]」は彼の名にちなむ。 ==生涯== クーロンは[[フランス]]・[[アングレーム]]の裕福な家庭に生まれた。父アンリ・クーロン(Henri Coulomb)は[[モンペリエ]]の役人<!--inspector of the [[Royal Fields]] in [[Montpellier]]-->であり、母Catherine Bajetは羊毛交易で財を成した名家の出であった。 少年時代、一家は[[パリ]]に移住し、パリの名門校Collège des Quatre-Nationsにて学んだ。そこでPierre Charles Monnierの数学の授業を受けたことにより、数学および数学に関連した分野に進むことを決意した。1757年から1759年にかけてモンペリエにある父方の実家に滞在し、市アカデミーでの仕事に従事した。市アカデミーでは数学者のAugustin Danyzyに師事し、数学の教育を受けた。1759年、父親の同意を得て、[[シャルルヴィル=メジエール|メジエール]]の陸軍士官学校入学の受験勉強のためパリに戻った。 1761年に陸軍士官学校を卒業し、イギリス沿岸の地形図作成のための測量に参加した。1764年、 [[マルティニーク|マルティニーク島]]への転属を命じられ、ブルボン城塞の建設に従事した。[[七年戦争]]終結後の当時、マルティニーク島のフランス植民地は英領とスペイン領に挟まれ、孤立を余儀なくされていた。 マルティニーク島ではブルボン城塞建設の監督に8年間従事し、この間に石造建築の耐久性や支持構造物の振る舞いに関する実験を行った。これらの実験は、[[ピーター・ヴァン・マッシェンブレーケ]](オランダの科学者、[[ライデン瓶]]を発明)の[[摩擦]]理論にヒントを得たものであった。 マルティニーク島の風土病で体をこわし、帰国。その後、大尉として[[ラ・ロシェル]]、大西洋の小島Isle of Aix、[[シェルブール]]の任地を歴任した。彼は、電荷の間に働く力は距離の2乗に反比例していることを発見した。彼にちなんで、この法則は[[クーロンの法則]]と呼ばれるようになった。また、1773年には土圧理論を提唱。[[土圧#クーロン土圧|クーロン土圧]]は、現在でも土木工学・土質工学系の分野で一般的に用いられている。 1774年には[[科学アカデミー (フランス)|科学アカデミー]]の通信会員となり、1777年、磁気コンパスの研究により科学アカデミーの懸賞第一位に。1781年、摩擦の研究により再び懸賞第一位を獲得した。同年、科学アカデミー会員に選出された。 1781年、最終任地としてパリに配属。1789年、[[フランス革命]]の勃発にともない辞職し、[[ブロワ]]にて隠遁生活に入った。その後、革命政府による新しい[[度量衡]]の制定のためパリに呼び戻された。1801年、[[フランス学士院]]会長。1802年、社会教育長官<!--inspector of public instruction-->。その頃すでに彼の健康状態は悪化しており、4年後の1806年、パリにて死去。 ==研究== クーロンは[[力学]]と[[電磁気学]]の分野において特筆すべき貢献をした。1779年、[[摩擦力]]の法則に関する論文「部品間の摩擦とロープの張力を考慮した単純な機械に関する理論」(''Théorie des machines simples, en ayant égard au frottement de leurs parties et à la roideur des cordages'')を出版した。これはクーロンの摩擦法則、あるいはアモントン-クーロンの摩擦法則として知られている。 1784年、「金属線のねじれと弾性に関する理論的研究および実験」("Recherches théoriques et expérimentales sur la force de torsion et sur l'élasticité des fils de metal")<ref>Histoire de l’Académie Royale des Sciences, 229-269, 1784 </ref>を発表した。この論文では、幾つかの異なる形式のねじれ秤について述べている。 クーロンは物体の表面における[[電荷]]分布を帯びた2つの小球の間にはたらく引力および斥力を、彼が発明したねじれ秤を用いて実験的に測定し、クーロンの法則を確立した。また、磁気についても同様の法則が成り立つことを明らかにした。 1785年、電磁気に関する3報の論文を発表した。 *''Premier Mémoire sur l’Électricité et le Magnétisme'' (電気と磁気に関する第一論文)<ref>Histoire de l’Académie Royale des Sciences, 569-577, 1785</ref>:ねじれ秤のねじれる角度が外力に比例するという性質を用いて、電荷間にはたらく力を測定する方法を示し、同じ電荷を有する2つの物体間に働く力に関する法則を実験的に決定した。 *''Second Mémoire sur l’Électricité et le Magnétisme''(電気と磁気に関する第二論文) <ref>Histoire de l’Académie Royale des Sciences, 578-611, 1785</ref>:磁気流体と電気流体(the Magnetic and the Electric fluids)の振舞う法則により、反発力が生じるか引力が生じるかを決定した。 *''Troisième Mémoire sur l’Électricité et le Magnétisme''(電気と磁気に関する第三論文) <ref>Histoire de l’Académie Royale des Sciences, 612-638, 1785</ref>:湿度の低い空気や、帯電量が多いもしくは少ない支持体に触れることにより、孤立した物体が一定時間後に失う電気の量について述べた。“ その後も、4報の論文を発表した。 *''Quatrième Mémoire''(第四論文):電気流体の2つの基本的な性質を提示した。1番目の性質は「この流体は、[[化学親和力]](chemical affinity)や電気的な引力によって、物体内に広がることはないが、2つの物体を接触させることにより、これらの異なる物体間で分割される。」というものである。2番目の性質は「電気伝導体において、安定状態にある電気流体は物体の表面にとどまり内部には浸透しない。」というものである。(1786年) *''Cinquième Mémoire'' (第五論文):2つの電気伝導体を接触させることにより分割される電気流体の振る舞いと、この物体表面における電気流体の分布について(1787年) *''Sixième Mémoire''(第六論文):いくつかの電気伝導体における電気流体の分布に関する研究の続報と、これらの物体表面の異なる点における電気密度の決定(1788年) *''Septième Mémoire.''(第七論文):磁気に関して(1789年) [[イギリス]]の[[ヘンリー・キャヴェンディッシュ]](1731年 - 1810年)もクーロンの法則を独立に発見していたが、生前にその発見を公開していなかったため、発見者の栄誉はクーロンに与えられた。 クーロンは電荷間や磁極間に生じる引力および反発力についての法則を論じたが、電気と磁気との間にある関係を見出さなかった。彼は、電気と磁気は、それぞれ異なる種類の流体によって引力や反発力が生じるものと考えていた。 == 出典 == {{reflist}} {{Commons|Charles de Coulomb}} {{電磁気学}} {{normdaten}} {{DEFAULTSORT:くうろん しやるる}} [[Category:フランスの物理学者]] [[Category:18世紀の学者]] [[Category:フランスの技術者]] [[Category:フランスの土木技術者]] [[Category:1736年生]] [[Category:1806年没]] [[Category:シャラント県出身の人物]]
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万有引力
万有引力(、英: universal gravitation)または万有引力の法則(、英: law of universal gravitation)とは、「この宇宙においては全ての質点(物体)は互いに gravitation(重力)・attraction (引力、引き寄せる作用)を及ぼしあっている」とする考え方、概念、法則のことである。 この万有引力という見方がどのようなものであるか、その正しい位置づけ・真価を理解するには、一旦、この概念が生み出される以前に人々がこの世界をどのようにとらえていたのか、その思想、世界の見え方(世界観)に寄り添って理解し、そこからどのように変えていったのか、その相違の程度を理解する必要がある。 石を手から離せば自然に地面へと落ちる。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、その原因は、石を構成する土元素(四元素のうちの一つ)が、本来の位置である地へ戻ろうとする性質にあると考えた。土元素が多いものが重い、と考え、それが多いものほど速く落ちる、と考えた。 中世ヨーロッパではアリストテレスの考え方が広く知られていたので、人々はそうした見方で世界を見ていた。以下のような考え方である。 我々人間は、それぞれの家に住んでいる。人間は何かの理由で家から離れることがあっても、結局はその家に帰ろうとする。動物も同じだ。地リスは地面に巣穴を持っている。何かの理由があると、たとえば危険を感じると、穴から一時的に離れることはあるが、危険がさればやはりその巣穴に戻ろうとする。鳥もそうだ。鳥も何かの理由、例えば食べ物を探すために一時的に巣から飛び立つことがあるが、結局はその巣へ帰ってくる。命あるものは全て、それぞれの性質に応じて本来の位置というものをもっていて、一時的にそこから離れることはあっても、結局はそこへ帰ろうとするものだ。 生き物がそれぞれ本来の位置というのを持っているように、物(無生物)も、それぞれの性質に応じて本来の位置を持っている。たとえば小石はその本来の位置を地に持っている。焔はその本来の位置を天上に持っている。 例えば、小石を空中に投げれば、小石は本来の位置から離されることになり、小石は一旦は抵抗を示しながら上に上がるが、結局はできるだけすみやかに、その本来の位置である地に戻ってこようとする。 だが、無生物でも、その本来の位置を持たないと思われる存在がある。天に見える天体である。天体は永久に同じ運動を繰り返すばかりで、その本来の位置を持っていないように見える。そこで中世の人々は、地上の存在と天の存在は本質的に異なっていると考え、地上の存在はただの存在であり、それに対して天の世界に属する存在、永遠に運動を繰り返す天体は、いわば霊的な存在である、と考えた。中世の人々は、天の世界は地上とは全く別の法則が働いている別世界なのだ、と考えていたのである。また、天の世界の、地上とは異なった性質を説明するために、地上は四元素でできているのに対して、天体は第五元素でできている、とも考えていた。 さて、アリストテレスの考え、「土元素が多いものが重い、それが多いものほど速く落ちる」については、パドヴァ大学のベネデッティ(Giambattista Benedetti、1530-1590)が異論を唱えた。またオランダのステヴィン(Simon Stevin、1548-1620)は、重さが10倍異なる二つの鉛玉を9メートルほど落下させ、ほとんど同時に落ちることを確かめて、このアリストテレスの理論に異議を唱えた。 自然学者ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)も、上記の中世の考え方(の一部)に疑問を投げかけた。(ところで、先行する14世紀の自然学者ビュリダンはインペタス理論(いきおい理論)を提唱し、その理論では、物体を投げると手からインペタスが物体の内部に移ることで飛び続け、空気や重さなどの抵抗により内部要因のインペタスが減り、落下に伴ってインペタスが増加し、ますます速く落ちるようになる、と説明した。)ガリレイは、当初、このインペタス理論を採用していた が、やがてガリレイは物体の運動をモーメント(重さ以外の、距離や速度などをひとまとめに呼ぶ、ガリレオによる概念)という考え方で理解しはじめ、(内部要因の変化で説明する)インペタス理論は採らなくなった。では落下速度はどのような理屈で増加するのか? 落下距離に比例するか? 落下時間に比例するか? という点で、1600年ごろガリレイは悩み悪戦苦闘したらしい が、1604年には(経緯が詳しくは分かってはいないらしいが)「落下速度は時間に比例する」という仮説にたどり着いた、という。こうしてガリレイは動力学に貢献した。ガリレイは斜面で球を転がす実験を多数行い、水平面では等速になることから、「加速・減速の外的原因が取り去られている限り、いったん運動体に与えられたどんな速度も不変に保たれる」という考え方をするようになった。これは現代で言う慣性の法則に近いものではあるが、ただガリレイは、それは地上の物体にだけ通用する法則であって、天体には通用しないと考えていた。ガリレイも古代ギリシャ以来の考え方をなぞり、天体は天体で別の性質を持っている、円運動をする性質を持っているのだ、と考えていたのである。 一般には、アイザック・ニュートン(1642-1727)が1665年に、地上の引力が月などに対しても同様に働いている可能性があることに気付いた、とされている。 ウィリアム・ステュークリ(1687 - 1765)の著書『回想録』には、ステュークリが、ニュートンが死去する前年である1726年4月15日にロンドン西方の彼の自宅を訪問した時、昼食をともにしたあと庭に出て数本のりんごの木陰でお茶を飲んでいたところ、話の合間にニュートンが「昔、万有引力の考えが心に浮かんだ時とそっくりだ。瞑想にふけっていると、たまたまリンゴが落ちて、はっと思いついたのだ」と語った、と書いてあるという。詳細は、アイザック・ニュートン#リンゴについての逸話を参照。 王立協会の書記であったロバート・フックは、1665年に刊行した『顕微鏡図譜』で引力の法則についても論じたあと1666年には王立協会で「引力について」(On gravity)と題して講演をおこない、次の法則を追加した。 また、フックは1666年に王立協会と交わした書簡において、世界のしくみについて次の3点を述べた。 当時、惑星の運動についてケプラーの法則が学者たちに知られていた。 また、クリスティアーン・ホイヘンスによる振り子の研究と1659年ごろの円運動の研究が結び付いた結果、中心の引力は半径に比例し周期の2乗に反比例するということが判り、これが1673年の『振子時計』で公表された。この研究成果をケプラーの第3法則を結びつければ、引力は半径の2乗に反比例する、ということはたやすく算出できるようになっていた。 ここで、なぜ惑星はケプラーの法則に従って動くのかが論点となった。当時の自然哲学者たちは、ガリレイたちが作り上げてきた、外力が働かなければ地上の物体は等速直線運動をつづけるとする地上の動力学を使うことを考えるようになっていた。ところが、惑星が直線ではなく楕円を描くということは、太陽の方向に働く引力があることを意味する。 1679年11月24日、フックからアイザック・ニュートンに「惑星の運動に関する私の仮説について、あなたの意見を学会機関紙に投稿してほしい」という手紙が送られた。フックが意見を求めたのは、楕円運動を作り出す太陽に引き寄せる力、すなわち引力の性質についてである。 ニュートンは、1679年にフックから手紙を送られた当時、光学の研究に忙しく、フックがその5年前に惑星の運動を説明するための仮説を学会に提出していたことも知らなかった。この手紙を見たニュートンは、13年ほど前にウールソープ(ニュートンの家)で試していた地上の重力が月にまで及んでいると想定した計算をやり直すことにした。それは、次のようなものであった。 1684年1月のある水曜日、ロンドンのコーヒーハウスにあつまったフック、天文学者エドモンド・ハレー、王立学会会長兼建築家クリストファー・レンは、残る問題となった、逆2乗の引力をもとにして、いかにケプラーの第1法則と第2法則を導くことができるかを話題にした。同年8月、ニュートンを大学で訪問したハレーは、ニュートンがすでに独自にこの問題を解決していたことを知り、11月に、それを出版することをすすめ、『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)の核心部分が出来てゆくことになった。しかし、フックは引力については自分がニュートンに教えたのだとし、二人の間で対立が生じることになった。その後、ハリーの資金面での援助やフックとの先取権をめぐるいざこざの仲裁などといった支援もあり、ニュートンは『自然哲学の数学的諸原理』の刊行にこぎつけた。 『自然哲学の数学的諸原理』は、1687年に刊行された。同書は三篇で構成されており、第三篇の「世界体系について」で惑星の運動が主として扱われている。例えば、「月は地球に向かって重力で引かれる」という、ニュートンがウールスソープ時代に思いついた命題は、第三篇の命題4において提示されており、逆2乗の引力が木星とその衛星、5つの惑星と太陽の間でも働くことを、ケプラーの第2法則と第3法則からこの引力を逆に導き出しつつ主張した。さらに命題7で重力は物の量(質量)に比例することを述べ、第三篇の命題8において、この宇宙ではどこでも物質には互いに物質の量の積に比例する逆二乗の引力が働いている、すなわち万有引力の法則を主張した。 ニュートンが『自然哲学の数学的諸原理』で開示した力学体系を、ニュートン力学という。 ニュートン力学そのままの用語では、現代では理解しにくい点もあるので、以下では、古典力学の現代版の用語や記述方式を用いつつ、万有引力を解説する。 ニュートンは、太陽を公転する地球の運動や木星の衛星の運動を統一して説明することを試み、ケプラーの法則に、運動方程式を適用することで、万有引力の法則(逆2乗の法則)が成立することを発見した。これは、『2つの物体の間には、物体の質量に比例し、2物体間の距離の2乗に反比例する引力が作用する』と見なす法則である。力そのものは、瞬時すなわち無限大の速度で伝わると考えた。式で表すと、万有引力の大きさ F {\displaystyle F} は、物体の質量を M , m {\displaystyle M,m} 、物体間の距離を r {\displaystyle r} として、 となる。 G {\displaystyle G} は万有引力定数と呼ばれる比例定数で、 である。(因みに「この式が全ての物体の間で成立する」と考えると「木から落ちるリンゴにも適用することができる」と考えることができるのである。) 地球の質量を M {\displaystyle M} 、リンゴの質量を m {\displaystyle m} 、地球の半径を R {\displaystyle R} とすれば、万有引力の大きさは、 F = G M m R 2 {\displaystyle F=G{\frac {Mm}{R^{2}}}} であり、リンゴの運動方程式は、加速度を g {\displaystyle g} として、 m g = G M m R 2 {\displaystyle mg=G{\frac {Mm}{R^{2}}}} となる。すなわち、地球重力による加速度(重力加速度)は となり、すべての物質について同じ値になる。 地球表面では重力加速度は約9.8m/sであり、地球の半径は約6400kmであるので、上記の式から地球の質量を のように求めることができる。同様に、他の惑星上での重力加速度も求めることができる。 ニュートンによる「万有引力の法則の発見」を“重力の発見”だと解釈してしまう例があるが、これは間違った解釈である。「リンゴが木から落ちるのを見て、ニュートンは万有引力を発見した」などとする単純化された巷に流布している逸話も、この誤解を広める原因になっている可能性がある。ニュートンは「リンゴに働く重力」を発見したわけではない。「リンゴに対して働いている力が、月や惑星に対しても働いているのではないか」と着想したのである。地上では物体に対して地面(地球)に引きよせる方向で外力が働くことは、(ガリレオなどの貢献もあり)ニュートンの時代には理解されていた。ニュートンが行った変革というのは、同様のことが天の世界でも起きている、つまり宇宙ならばどこでも働いている、という形で提示したことにある(そして同時に、地球が物体を一方的に引くのではなく、全ての質量を持つ物体が相互に引き合っている事と、天体もまた質量を持つ物体のひとつに過ぎない事)。「law of universal gravitation 万有引力の法則」という表現は、それを表している。 万有引力の考え方は大きな議論・非難を呼んだ。同著発表当時、物体の運動の説明というのは、ヨーロッパ大陸側であれイギリス側であれ、近接作用論で考えられていた。プリンキピアはそれに対して異論を唱える形で万有引力という遠隔作用論を大々的に提示した形になった。 これはライプニッツおよびその一派らから反発を呼び、「オカルト的な質を持ち込んでいる」「オカルト的な力を導入している」と非難されることになった。大陸側の学者らはライプニッツの考え方を支持していたので、ドーバー海峡を隔てて大陸側の学者たちと議論が数十年以上も続くことになった。ニュートンは『自然哲学の数学的諸原理』の第二版発行の時点では同版に「Hypotheses non fingo(我、仮説をつくらず)」との記述を書き加えた。 もっとも、第二版に仮説をつくらないと書いたものの、ニュートン自身は実際にはその後、万有引力が起きる仕組みについての検討・考察を行っており、重力というのはエーテルの流れが引き起こしているのかも知れない、とも考察した。すなわち近接作用論に回帰するような仮説立て、推察も行っていたのである。 現代の初学者向けの科学史などでは、こうした複雑な経緯がすっかり忘れ去られ美化され、「ニュートンは原因の哲学的な思弁を避け、数的な関係の記述にとどめるという新しい方法論を提唱した」「力学の基礎、ひいては近代科学の考え方の基礎となった」とだけ解説がされていることもある。 イギリス側の自然哲学者はニュートンの説を支持をする者が多かったが、その後、数十年以上の長い年数の議論を経て徐々に大陸側でも支持者が増え、やがては物理学においては自然界に存在する基本的な力だと見なされるようになっていった。 後の時代で発見された電磁気力では、引力と斥力がある、とされているのに対して、重力(万有引力)では引力しか存在せず、斥力は存在しない。 現在では、重力と呼ぶ場合には、質量に加速度を与える力全般を意味する。重力には、地球自転の遠心力のような慣性の力や、一般相対論で予言される慣性系の引きずりによる力も含めて考えることがあるが、それらは万有引力ではない。 重力(または重力相互作用)の正体は、アルベルト・アインシュタインの一般相対性理論では、質量を持つ物体が引き起こす時空の歪みである、と説明された。これに対して、'万有引力'という用語は、ニュートンの定式化した重力の意味で用いられる傾向にある。 今日、質量を有する任意の2物体が引力の相互作用ポテンシャルを伴うことは、疑いのない自然法則として認められているが、その理由や機構についての研究は進んでいないという状況にあると言える。 アインシュタインは、光速度に近い場合の力学として、1905年に特殊相対性理論を発表した後、加速度運動を含めた相対性理論の構築に取り掛かかった。そして重力場を時空の幾何学として取り扱う方法を模索し、1916年に一般相対性理論を発表した。 アインシュタインの重力場の方程式(アインシュタイン方程式)では、万有引力はもはやニュートン力学的な力ではなく、重力場という時空の歪みである、と説明されるようになった。また、重力の作用は、瞬時ではなく光速度で伝えられる、とされるようになった。 ニュートンの万有引力の法則では、質量を持った物体間の力であるとされるので、質量を持たない物質には万有引力は存在しない事となる。 一般相対性理論では、重力が時空の歪みであるとするため、光の軌道もまた重力によって曲がる事を意味する。これはアーサー・エディントン による観測で実証されることになった。 一般相対性理論は、非常に強い重力が働く場を記述する。 太陽系であれば、ニュートン力学に若干の補正項が加わる程度なので、ニュートン力学はその意味で近似的に正しいと考えて差し障りない。例えば前述の光の軌道の歪みについても、太陽の近傍においてようやく観測され得るものである。 アインシュタイン方程式は、通常の物理の方程式と同様、時間反転に対して対称なので、宇宙全体に適用すると、重力の影響で収縮宇宙の解と共に、膨張宇宙の解が得られる、という。 一般相対性理論の発表当時は、ハッブルによる膨張宇宙の発見前で、アインシュタインは「宇宙は静的で安定している」と考えていた。自身の方程式が、動的な宇宙を予言したため、アインシュタインは万有引力に拮抗する万有斥力があると想定し、重力場の方程式に宇宙項を加えることで、静的な解が存在できるように重力場の方程式を修正した。 後に彼は宇宙項について「生涯最大の過ち」と悔いたが、宇宙項のアイデアは現在の宇宙論において、宇宙のインフレーションや宇宙の加速膨張を説明するものとして復活していると言える。 素粒子物理学では、自然界に存在する四つの基本的な相互作用のひとつとして、素粒子間に働く重力相互作用とみなされ、重力子(グラヴィトン)という素粒子により媒介するとみなされるが、素粒子としての重力子は現在のところ未発見である。素粒子間の重力相互作用は無視できるほど小さいが、素粒子と地球との間の重力を考慮する必要があることもある。 近年では、量子力学と一般相対性理論の結合、重力の量子化が試みられ、量子重力と呼ばれている。格子重力などさまざまな試みがあるが、実現は困難である。量子重力を宇宙論に適用する試みは、量子宇宙論と呼ばれる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "万有引力(、英: universal gravitation)または万有引力の法則(、英: law of universal gravitation)とは、「この宇宙においては全ての質点(物体)は互いに gravitation(重力)・attraction (引力、引き寄せる作用)を及ぼしあっている」とする考え方、概念、法則のことである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "この万有引力という見方がどのようなものであるか、その正しい位置づけ・真価を理解するには、一旦、この概念が生み出される以前に人々がこの世界をどのようにとらえていたのか、その思想、世界の見え方(世界観)に寄り添って理解し、そこからどのように変えていったのか、その相違の程度を理解する必要がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "石を手から離せば自然に地面へと落ちる。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、その原因は、石を構成する土元素(四元素のうちの一つ)が、本来の位置である地へ戻ろうとする性質にあると考えた。土元素が多いものが重い、と考え、それが多いものほど速く落ちる、と考えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "中世ヨーロッパではアリストテレスの考え方が広く知られていたので、人々はそうした見方で世界を見ていた。以下のような考え方である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "我々人間は、それぞれの家に住んでいる。人間は何かの理由で家から離れることがあっても、結局はその家に帰ろうとする。動物も同じだ。地リスは地面に巣穴を持っている。何かの理由があると、たとえば危険を感じると、穴から一時的に離れることはあるが、危険がさればやはりその巣穴に戻ろうとする。鳥もそうだ。鳥も何かの理由、例えば食べ物を探すために一時的に巣から飛び立つことがあるが、結局はその巣へ帰ってくる。命あるものは全て、それぞれの性質に応じて本来の位置というものをもっていて、一時的にそこから離れることはあっても、結局はそこへ帰ろうとするものだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "生き物がそれぞれ本来の位置というのを持っているように、物(無生物)も、それぞれの性質に応じて本来の位置を持っている。たとえば小石はその本来の位置を地に持っている。焔はその本来の位置を天上に持っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "例えば、小石を空中に投げれば、小石は本来の位置から離されることになり、小石は一旦は抵抗を示しながら上に上がるが、結局はできるだけすみやかに、その本来の位置である地に戻ってこようとする。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "だが、無生物でも、その本来の位置を持たないと思われる存在がある。天に見える天体である。天体は永久に同じ運動を繰り返すばかりで、その本来の位置を持っていないように見える。そこで中世の人々は、地上の存在と天の存在は本質的に異なっていると考え、地上の存在はただの存在であり、それに対して天の世界に属する存在、永遠に運動を繰り返す天体は、いわば霊的な存在である、と考えた。中世の人々は、天の世界は地上とは全く別の法則が働いている別世界なのだ、と考えていたのである。また、天の世界の、地上とは異なった性質を説明するために、地上は四元素でできているのに対して、天体は第五元素でできている、とも考えていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "さて、アリストテレスの考え、「土元素が多いものが重い、それが多いものほど速く落ちる」については、パドヴァ大学のベネデッティ(Giambattista Benedetti、1530-1590)が異論を唱えた。またオランダのステヴィン(Simon Stevin、1548-1620)は、重さが10倍異なる二つの鉛玉を9メートルほど落下させ、ほとんど同時に落ちることを確かめて、このアリストテレスの理論に異議を唱えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "自然学者ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)も、上記の中世の考え方(の一部)に疑問を投げかけた。(ところで、先行する14世紀の自然学者ビュリダンはインペタス理論(いきおい理論)を提唱し、その理論では、物体を投げると手からインペタスが物体の内部に移ることで飛び続け、空気や重さなどの抵抗により内部要因のインペタスが減り、落下に伴ってインペタスが増加し、ますます速く落ちるようになる、と説明した。)ガリレイは、当初、このインペタス理論を採用していた が、やがてガリレイは物体の運動をモーメント(重さ以外の、距離や速度などをひとまとめに呼ぶ、ガリレオによる概念)という考え方で理解しはじめ、(内部要因の変化で説明する)インペタス理論は採らなくなった。では落下速度はどのような理屈で増加するのか? 落下距離に比例するか? 落下時間に比例するか? という点で、1600年ごろガリレイは悩み悪戦苦闘したらしい が、1604年には(経緯が詳しくは分かってはいないらしいが)「落下速度は時間に比例する」という仮説にたどり着いた、という。こうしてガリレイは動力学に貢献した。ガリレイは斜面で球を転がす実験を多数行い、水平面では等速になることから、「加速・減速の外的原因が取り去られている限り、いったん運動体に与えられたどんな速度も不変に保たれる」という考え方をするようになった。これは現代で言う慣性の法則に近いものではあるが、ただガリレイは、それは地上の物体にだけ通用する法則であって、天体には通用しないと考えていた。ガリレイも古代ギリシャ以来の考え方をなぞり、天体は天体で別の性質を持っている、円運動をする性質を持っているのだ、と考えていたのである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "一般には、アイザック・ニュートン(1642-1727)が1665年に、地上の引力が月などに対しても同様に働いている可能性があることに気付いた、とされている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ウィリアム・ステュークリ(1687 - 1765)の著書『回想録』には、ステュークリが、ニュートンが死去する前年である1726年4月15日にロンドン西方の彼の自宅を訪問した時、昼食をともにしたあと庭に出て数本のりんごの木陰でお茶を飲んでいたところ、話の合間にニュートンが「昔、万有引力の考えが心に浮かんだ時とそっくりだ。瞑想にふけっていると、たまたまリンゴが落ちて、はっと思いついたのだ」と語った、と書いてあるという。詳細は、アイザック・ニュートン#リンゴについての逸話を参照。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "王立協会の書記であったロバート・フックは、1665年に刊行した『顕微鏡図譜』で引力の法則についても論じたあと1666年には王立協会で「引力について」(On gravity)と題して講演をおこない、次の法則を追加した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "また、フックは1666年に王立協会と交わした書簡において、世界のしくみについて次の3点を述べた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "当時、惑星の運動についてケプラーの法則が学者たちに知られていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "また、クリスティアーン・ホイヘンスによる振り子の研究と1659年ごろの円運動の研究が結び付いた結果、中心の引力は半径に比例し周期の2乗に反比例するということが判り、これが1673年の『振子時計』で公表された。この研究成果をケプラーの第3法則を結びつければ、引力は半径の2乗に反比例する、ということはたやすく算出できるようになっていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "ここで、なぜ惑星はケプラーの法則に従って動くのかが論点となった。当時の自然哲学者たちは、ガリレイたちが作り上げてきた、外力が働かなければ地上の物体は等速直線運動をつづけるとする地上の動力学を使うことを考えるようになっていた。ところが、惑星が直線ではなく楕円を描くということは、太陽の方向に働く引力があることを意味する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1679年11月24日、フックからアイザック・ニュートンに「惑星の運動に関する私の仮説について、あなたの意見を学会機関紙に投稿してほしい」という手紙が送られた。フックが意見を求めたのは、楕円運動を作り出す太陽に引き寄せる力、すなわち引力の性質についてである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ニュートンは、1679年にフックから手紙を送られた当時、光学の研究に忙しく、フックがその5年前に惑星の運動を説明するための仮説を学会に提出していたことも知らなかった。この手紙を見たニュートンは、13年ほど前にウールソープ(ニュートンの家)で試していた地上の重力が月にまで及んでいると想定した計算をやり直すことにした。それは、次のようなものであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1684年1月のある水曜日、ロンドンのコーヒーハウスにあつまったフック、天文学者エドモンド・ハレー、王立学会会長兼建築家クリストファー・レンは、残る問題となった、逆2乗の引力をもとにして、いかにケプラーの第1法則と第2法則を導くことができるかを話題にした。同年8月、ニュートンを大学で訪問したハレーは、ニュートンがすでに独自にこの問題を解決していたことを知り、11月に、それを出版することをすすめ、『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)の核心部分が出来てゆくことになった。しかし、フックは引力については自分がニュートンに教えたのだとし、二人の間で対立が生じることになった。その後、ハリーの資金面での援助やフックとの先取権をめぐるいざこざの仲裁などといった支援もあり、ニュートンは『自然哲学の数学的諸原理』の刊行にこぎつけた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "『自然哲学の数学的諸原理』は、1687年に刊行された。同書は三篇で構成されており、第三篇の「世界体系について」で惑星の運動が主として扱われている。例えば、「月は地球に向かって重力で引かれる」という、ニュートンがウールスソープ時代に思いついた命題は、第三篇の命題4において提示されており、逆2乗の引力が木星とその衛星、5つの惑星と太陽の間でも働くことを、ケプラーの第2法則と第3法則からこの引力を逆に導き出しつつ主張した。さらに命題7で重力は物の量(質量)に比例することを述べ、第三篇の命題8において、この宇宙ではどこでも物質には互いに物質の量の積に比例する逆二乗の引力が働いている、すなわち万有引力の法則を主張した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ニュートンが『自然哲学の数学的諸原理』で開示した力学体系を、ニュートン力学という。", "title": "ニュートン力学と重力" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ニュートン力学そのままの用語では、現代では理解しにくい点もあるので、以下では、古典力学の現代版の用語や記述方式を用いつつ、万有引力を解説する。", "title": "ニュートン力学と重力" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ニュートンは、太陽を公転する地球の運動や木星の衛星の運動を統一して説明することを試み、ケプラーの法則に、運動方程式を適用することで、万有引力の法則(逆2乗の法則)が成立することを発見した。これは、『2つの物体の間には、物体の質量に比例し、2物体間の距離の2乗に反比例する引力が作用する』と見なす法則である。力そのものは、瞬時すなわち無限大の速度で伝わると考えた。式で表すと、万有引力の大きさ F {\\displaystyle F} は、物体の質量を M , m {\\displaystyle M,m} 、物体間の距離を r {\\displaystyle r} として、", "title": "ニュートン力学と重力" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "となる。 G {\\displaystyle G} は万有引力定数と呼ばれる比例定数で、", "title": "ニュートン力学と重力" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "である。(因みに「この式が全ての物体の間で成立する」と考えると「木から落ちるリンゴにも適用することができる」と考えることができるのである。)", "title": "ニュートン力学と重力" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "地球の質量を M {\\displaystyle M} 、リンゴの質量を m {\\displaystyle m} 、地球の半径を R {\\displaystyle R} とすれば、万有引力の大きさは、 F = G M m R 2 {\\displaystyle F=G{\\frac {Mm}{R^{2}}}} であり、リンゴの運動方程式は、加速度を g {\\displaystyle g} として、 m g = G M m R 2 {\\displaystyle mg=G{\\frac {Mm}{R^{2}}}} となる。すなわち、地球重力による加速度(重力加速度)は", "title": "ニュートン力学と重力" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "となり、すべての物質について同じ値になる。", "title": "ニュートン力学と重力" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "地球表面では重力加速度は約9.8m/sであり、地球の半径は約6400kmであるので、上記の式から地球の質量を", "title": "ニュートン力学と重力" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "のように求めることができる。同様に、他の惑星上での重力加速度も求めることができる。", "title": "ニュートン力学と重力" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "ニュートンによる「万有引力の法則の発見」を“重力の発見”だと解釈してしまう例があるが、これは間違った解釈である。「リンゴが木から落ちるのを見て、ニュートンは万有引力を発見した」などとする単純化された巷に流布している逸話も、この誤解を広める原因になっている可能性がある。ニュートンは「リンゴに働く重力」を発見したわけではない。「リンゴに対して働いている力が、月や惑星に対しても働いているのではないか」と着想したのである。地上では物体に対して地面(地球)に引きよせる方向で外力が働くことは、(ガリレオなどの貢献もあり)ニュートンの時代には理解されていた。ニュートンが行った変革というのは、同様のことが天の世界でも起きている、つまり宇宙ならばどこでも働いている、という形で提示したことにある(そして同時に、地球が物体を一方的に引くのではなく、全ての質量を持つ物体が相互に引き合っている事と、天体もまた質量を持つ物体のひとつに過ぎない事)。「law of universal gravitation 万有引力の法則」という表現は、それを表している。", "title": "ありがちな誤解" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "万有引力の考え方は大きな議論・非難を呼んだ。同著発表当時、物体の運動の説明というのは、ヨーロッパ大陸側であれイギリス側であれ、近接作用論で考えられていた。プリンキピアはそれに対して異論を唱える形で万有引力という遠隔作用論を大々的に提示した形になった。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "これはライプニッツおよびその一派らから反発を呼び、「オカルト的な質を持ち込んでいる」「オカルト的な力を導入している」と非難されることになった。大陸側の学者らはライプニッツの考え方を支持していたので、ドーバー海峡を隔てて大陸側の学者たちと議論が数十年以上も続くことになった。ニュートンは『自然哲学の数学的諸原理』の第二版発行の時点では同版に「Hypotheses non fingo(我、仮説をつくらず)」との記述を書き加えた。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "もっとも、第二版に仮説をつくらないと書いたものの、ニュートン自身は実際にはその後、万有引力が起きる仕組みについての検討・考察を行っており、重力というのはエーテルの流れが引き起こしているのかも知れない、とも考察した。すなわち近接作用論に回帰するような仮説立て、推察も行っていたのである。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "現代の初学者向けの科学史などでは、こうした複雑な経緯がすっかり忘れ去られ美化され、「ニュートンは原因の哲学的な思弁を避け、数的な関係の記述にとどめるという新しい方法論を提唱した」「力学の基礎、ひいては近代科学の考え方の基礎となった」とだけ解説がされていることもある。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "イギリス側の自然哲学者はニュートンの説を支持をする者が多かったが、その後、数十年以上の長い年数の議論を経て徐々に大陸側でも支持者が増え、やがては物理学においては自然界に存在する基本的な力だと見なされるようになっていった。", "title": "万有引力の法則、その後" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "後の時代で発見された電磁気力では、引力と斥力がある、とされているのに対して、重力(万有引力)では引力しか存在せず、斥力は存在しない。", "title": "万有引力の法則、その後" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "現在では、重力と呼ぶ場合には、質量に加速度を与える力全般を意味する。重力には、地球自転の遠心力のような慣性の力や、一般相対論で予言される慣性系の引きずりによる力も含めて考えることがあるが、それらは万有引力ではない。", "title": "万有引力の法則、その後" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "重力(または重力相互作用)の正体は、アルベルト・アインシュタインの一般相対性理論では、質量を持つ物体が引き起こす時空の歪みである、と説明された。これに対して、'万有引力'という用語は、ニュートンの定式化した重力の意味で用いられる傾向にある。", "title": "万有引力の法則、その後" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "今日、質量を有する任意の2物体が引力の相互作用ポテンシャルを伴うことは、疑いのない自然法則として認められているが、その理由や機構についての研究は進んでいないという状況にあると言える。", "title": "万有引力の法則、その後" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "アインシュタインは、光速度に近い場合の力学として、1905年に特殊相対性理論を発表した後、加速度運動を含めた相対性理論の構築に取り掛かかった。そして重力場を時空の幾何学として取り扱う方法を模索し、1916年に一般相対性理論を発表した。", "title": "万有引力の法則、その後" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "アインシュタインの重力場の方程式(アインシュタイン方程式)では、万有引力はもはやニュートン力学的な力ではなく、重力場という時空の歪みである、と説明されるようになった。また、重力の作用は、瞬時ではなく光速度で伝えられる、とされるようになった。", "title": "万有引力の法則、その後" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ニュートンの万有引力の法則では、質量を持った物体間の力であるとされるので、質量を持たない物質には万有引力は存在しない事となる。 一般相対性理論では、重力が時空の歪みであるとするため、光の軌道もまた重力によって曲がる事を意味する。これはアーサー・エディントン による観測で実証されることになった。", "title": "万有引力の法則、その後" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "一般相対性理論は、非常に強い重力が働く場を記述する。 太陽系であれば、ニュートン力学に若干の補正項が加わる程度なので、ニュートン力学はその意味で近似的に正しいと考えて差し障りない。例えば前述の光の軌道の歪みについても、太陽の近傍においてようやく観測され得るものである。 アインシュタイン方程式は、通常の物理の方程式と同様、時間反転に対して対称なので、宇宙全体に適用すると、重力の影響で収縮宇宙の解と共に、膨張宇宙の解が得られる、という。", "title": "万有引力の法則、その後" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "一般相対性理論の発表当時は、ハッブルによる膨張宇宙の発見前で、アインシュタインは「宇宙は静的で安定している」と考えていた。自身の方程式が、動的な宇宙を予言したため、アインシュタインは万有引力に拮抗する万有斥力があると想定し、重力場の方程式に宇宙項を加えることで、静的な解が存在できるように重力場の方程式を修正した。", "title": "万有引力の法則、その後" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "後に彼は宇宙項について「生涯最大の過ち」と悔いたが、宇宙項のアイデアは現在の宇宙論において、宇宙のインフレーションや宇宙の加速膨張を説明するものとして復活していると言える。", "title": "万有引力の法則、その後" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "素粒子物理学では、自然界に存在する四つの基本的な相互作用のひとつとして、素粒子間に働く重力相互作用とみなされ、重力子(グラヴィトン)という素粒子により媒介するとみなされるが、素粒子としての重力子は現在のところ未発見である。素粒子間の重力相互作用は無視できるほど小さいが、素粒子と地球との間の重力を考慮する必要があることもある。", "title": "万有引力の法則、その後" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "近年では、量子力学と一般相対性理論の結合、重力の量子化が試みられ、量子重力と呼ばれている。格子重力などさまざまな試みがあるが、実現は困難である。量子重力を宇宙論に適用する試みは、量子宇宙論と呼ばれる。", "title": "万有引力の法則、その後" } ]
万有引力(ばんゆういんりょく、または万有引力の法則(ばんゆういんりょくのほうそく、とは、「この宇宙においては全ての質点は互いに gravitation・attraction を及ぼしあっている」とする考え方、概念、法則のことである。
{{otheruses||日本の劇団|演劇実験室◎万有引力}} {{読み仮名|'''万有引力'''|ばんゆういんりょく|{{lang-en-short|universal gravitation}}}}または{{読み仮名|'''万有引力の法則'''|ばんゆういんりょくのほうそく|{{lang-en-short|law of universal gravitation}}}}とは、「この宇宙においては全ての質点(物体)は互いに gravitation([[重力]])・attraction ([[引力]]、引き寄せる作用)を及ぼしあっている」とする考え方、[[概念]]、[[法則]]のことである。 <!--[[アイザック・ニュートン]]が着想した発見した、と考える人は、Newton's law of universal gravitationと呼ぶことがある。--> == 歴史 == === 前史 === この万有引力という見方がどのようなものであるか、その正しい位置づけ・真価を理解するには、一旦、この概念が生み出される以前に人々がこの世界をどのようにとらえていたのか、その思想、世界の見え方(世界観)に寄り添って理解し、そこからどのように変えていったのか、その相違の程度を理解する必要がある。 ==== アリストテレスの考え方 ==== 石を手から離せば自然に地面へと落ちる。古代ギリシャの哲学者[[アリストテレス]]は、その原因は、石を構成する土元素([[四元素]]のうちの一つ)が、本来の位置である地へ戻ろうとする性質にあると考えた<ref name='yano'>{{Cite book|和書 |author = 矢野健太郎 |authorlink= 矢野健太郎 (数学者) |year = 1991 |month = 10 |title = アインシュタイン |publisher = 講談社 |series = 講談社学術文庫 |id = ISBN 4-06-158991-1 }} pp.127-166.</ref>。土元素が多いものが重い、と考え、それが多いものほど速く落ちる、と考えた<ref name='onuma'> {{Cite book|和書 |author = 大沼正則 |authorlink= 大沼正則 |year = 1978 |month = 9 |title = 科学の歴史 |publisher = 青木書店 |isbn = 4-250-78037-6 }} pp.86-144.</ref>。 ==== 中世の考え方 ==== 中世ヨーロッパではアリストテレスの考え方が広く知られていたので、人々はそうした見方で世界を見ていた。以下のような考え方である。 {{Quotation| 我々人間は、それぞれの家に住んでいる。[[人間]]は何かの理由で家から離れることがあっても、結局はその家に帰ろうとする。動物も同じだ。[[マーモット|地リス]]は地面に巣穴を持っている。何かの理由があると、たとえば危険を感じると、穴から一時的に離れることはあるが、危険がさればやはりその巣穴に戻ろうとする。鳥もそうだ。[[鳥]]も何かの理由、例えば食べ物を探すために一時的に巣から飛び立つことがあるが、結局はその巣へ帰ってくる。[[生命|命]]あるものは全て、それぞれの性質に応じて{{underline|本来の位置}}というものをもっていて、一時的にそこから離れることはあっても、結局はそこへ帰ろうとするものだ<ref name='yano' />。 生き物がそれぞれ本来の位置というのを持っているように、物(無生物)も、それぞれの性質に応じて{{underline|本来の位置}}を持っている。たとえば[[石|小石]]はその{{underline|本来の位置}}を地に持っている。[[炎|焔]]はその{{underline|本来の位置}}を天上に持っている<ref name='yano' />。 例えば、小石を空中に投げれば、小石は本来の位置から離されることになり、小石は一旦は抵抗を示しながら上に上がるが、結局はできるだけすみやかに、その{{underline|本来の位置}}である地に戻ってこようとする<ref name='yano' />。 }} だが、無生物でも、その{{underline|本来の位置}}を持たないと思われる存在がある。天に見える[[天体]]である。天体は永久に同じ運動を繰り返すばかりで、その本来の位置を持っていないように見える<ref name='yano' />。そこで中世の人々は、地上の存在と天の存在は本質的に異なっていると考え、地上の存在はただの存在であり、それに対して天の世界に属する存在、永遠に運動を繰り返す天体は、いわば[[霊]]的な存在である、と考えた<ref name='yano' />。中世の人々は、天の世界は地上とは全く別の法則が働いている別世界なのだ、と考えていたのである。また、天の世界の、地上とは異なった性質を説明するために、地上は四元素でできているのに対して、天体は[[第五元素]]でできている、とも考えていた。 ==== 地上の範囲での、従来の自然学への疑念と改良 ==== さて、アリストテレスの考え、「土元素が多いものが重い、それが多いものほど速く落ちる」については、[[パドヴァ大学]]の[[ベネデッティ]]([[:en:Giambattista Benedetti|Giambattista Benedetti]]、1530-1590)が異論を唱えた<ref name='onuma' />。またオランダの[[ステヴィン]]([[:en:Simon Stevin|Simon Stevin]]、1548-1620)は、重さが10倍異なる二つの鉛玉を9メートルほど落下させ、ほとんど同時に落ちることを確かめて、このアリストテレスの理論に異議を唱えた<ref name='onuma' />。 [[自然学者]][[ガリレオ・ガリレイ]](1564-1642)も、上記の中世の考え方(の一部)に疑問を投げかけた<ref name='yano' />。(ところで、先行する14世紀の[[自然学者]][[ビュリダン]]は[[インペタス理論]](いきおい理論)を提唱し、その理論では、物体を投げると手からインペタスが物体の内部に移ることで飛び続け、空気や重さなどの抵抗により内部要因のインペタスが減り、落下に伴ってインペタスが増加し、ますます速く落ちるようになる、と説明した。)ガリレイは、当初、このインペタス理論を採用していた<ref name='onuma' /> が、やがてガリレイは物体の運動を[[モーメント]](重さ以外の、距離や速度などをひとまとめに呼ぶ、ガリレオによる概念)という考え方で理解しはじめ<ref name='onuma' />、(内部要因の変化で説明する)インペタス理論は採らなくなった<ref name='onuma' />。では落下速度はどのような理屈で増加するのか? 落下{{underline|距離}}に比例するか? 落下{{underline|時間}}に比例するか? という点で、1600年ごろガリレイは悩み悪戦苦闘したらしい<ref name='onuma' /> が、1604年には(経緯が詳しくは分かってはいないらしいが)「落下速度は時間に比例する」という[[仮説]]にたどり着いた<ref name='onuma' />、という。こうしてガリレイは[[動力学]]に貢献した<ref name='onuma' />。ガリレイは斜面で球を転がす実験を多数行い、水平面では等速になることから、「加速・減速の外的原因が取り去られている限り、いったん運動体に与えられたどんな速度も不変に保たれる」という考え方をするようになった<ref name='onuma' />。これは現代で言う[[慣性の法則]]に近いものではあるが、ただガリレイは、それは地上の物体にだけ通用する法則であって、天体には通用しないと考えていた<ref name='onuma' />。ガリレイも古代ギリシャ以来の考え方をなぞり、天体は天体で別の性質を持っている、円運動をする性質を持っているのだ、と考えていたのである<ref name='onuma' />。 <!--俗にニュートンが重力を発見したというのは間違い。--> === ニュートン、フック、ハリーらの活動 === [[ファイル:GodfreyKneller-IsaacNewton-1689.jpg|thumb|100px|[[アイザック・ニュートン]]の[[肖像画]]]] ==== ニュートンの発想 ~ガリレオ動力学の天体への適用~ ==== 一般には、[[アイザック・ニュートン]](1642-1727)が[[1665年]]に、地上の引力が月などに対しても同様に働いている可能性があることに気付いた、とされている。 [[ウィリアム・ステュークリ]](1687 - 1765)の著書『回想録』には、ステュークリが、ニュートンが死去する前年である1726年4月15日にロンドン西方の彼の自宅を訪問した時、昼食をともにしたあと庭に出て数本のりんごの木陰でお茶を飲んでいたところ、話の合間にニュートンが「昔、万有引力の考えが心に浮かんだ時とそっくりだ。[[瞑想]]にふけっていると、たまたま[[リンゴ]]が落ちて、はっと思いついたのだ」と語った、と書いてあるという<ref name='onuma' />。詳細は、[[アイザック・ニュートン#リンゴについての逸話]]を参照。 ==== 同時期の、フックによる引力に関する活動 ==== [[ファイル:13 Portrait of Robert Hooke.JPG|thumb|right|100px|[[ロバート・フック]]の想像画(Rita Greer、2004年)。<small>(存在したはずの唯一の肖像画は、その後ニュートンとの確執の中で失われたと推測されている)</small>]] [[王立協会]]の書記であった[[ロバート・フック]]は、[[1665年]]に刊行した『[[顕微鏡図譜]]』で引力の法則についても論じたあと[[1666年]]には王立協会で「引力について」(On gravity)と題して講演をおこない、次の法則を追加した。 * 移動する物体は何らかの力を受けない限りそのまま直進する([[慣性の法則]]) * 引力は距離が近いほど強くなる また、フックは[[1666年]]に王立協会と交わした書簡において、世界のしくみについて次の3点を述べた<ref>[[:en:Dugald Stewart|Dugald Stewart]], [https://books.google.co.jp/books?id=OAwRAAAAYAAJ&pg=PA304&dq=dugald+stewart&as_brr=1&ie=ISO-8859-1&output=html&redir_esc=y&hl=ja ''Elements of the Philosophy of the Human Mind''], Vol. 2, Ch. 2, Section 4.2 (p. 304 f.)</ref>。 * 全ての天体は引力(gravity)によってその各部分を中心に引きつけているだけでなく、[[天体]]間で相互に引き付けあって運動する * 外部から力が継続的に加わらない限り、天体は単純に直進し続ける。しかし、引力によって天体は[[円軌道]]、[[楕円軌道]]などの曲線を描く * 引力は天体同士が近いほど強くなる。ただし、距離と引力の強さの関係は発見できていない 当時、惑星の運動について[[ケプラーの法則]]が学者たちに知られていた。 ;第1法則 :惑星は太陽を焦点とした[[楕円]]軌道を描く ;第2法則 :惑星は太陽に近い軌道では速く、遠いところではゆっくり動き、惑星と太陽とを結ぶ直線が等しい時間等しい面積を掃くように動く([[面積速度]]一定の法則) ;第3法則 :惑星が太陽を一周する時間(周期)の2乗は、惑星と太陽との平均距離の3乗に比例する また、[[クリスティアーン・ホイヘンス]]による振り子の研究と[[1659年]]ごろの[[円運動]]の研究が結び付いた結果、中心の引力は半径に比例し周期の2乗に反比例するということが判り、これが[[1673年]]の『[[振子時計]]』で公表された。この研究成果をケプラーの第3法則を結びつければ、引力は半径の2乗に反比例する、ということはたやすく算出できるようになっていた。 ここで、なぜ惑星はケプラーの法則に従って動くのかが論点となった。当時の[[自然哲学者]]たちは、ガリレイたちが作り上げてきた、外力が働かなければ地上の物体は等速直線運動をつづけるとする地上の動力学を使うことを考えるようになっていた。ところが、惑星が直線ではなく楕円を描くということは、太陽の方向に働く引力があることを意味する。 [[1679年]]11月24日、フックから[[アイザック・ニュートン]]に「惑星の運動に関する私の仮説について、あなたの意見を学会機関紙に投稿してほしい」という手紙が送られた。フックが意見を求めたのは、楕円運動を作り出す太陽に引き寄せる力、すなわち引力の性質についてである。 === 『自然哲学の諸原理』における、万有引力という考え方の公表 === [[File:NewtonsPrincipia.jpg|thumb|right|200px|ニュートン自身が所有していた[[プリンキピア]]の初版。]] ニュートンは、1679年にフックから手紙を送られた当時、[[光学]]の研究に忙しく、フックがその5年前に[[惑星]]の運動を説明するための仮説を学会に提出していたことも知らなかった。この手紙を見たニュートンは、13年ほど前にウールソープ(ニュートンの家)で試していた地上の重力が[[月]]にまで及んでいると想定した計算をやり直すことにした。それは、次のようなものであった。 {{Quote| まず、[[月]]に対して何の力も働かなければ、月はガリレオの慣性の考え方によれば直線方向にAからBまで1分間に37.4km進む、と計算される。(月を円軌道とし、地球一周に27日7時間43分かかることから算出)。だが、月はBではなくB´の位置にいる。つまり1分間にBB´だけ「落下する」と考えることができる。その長さは直角三角形AOBに[[ピタゴラスの定理]]を用い計算でき、毎分4.9mの落下、となる。毎秒ならば、その3600分の1、4.9/3600となる。ところで地上の落下は、ガリレイが見出した法則により、毎秒4.9mである。月の位置で働く引力は、地球上の3600分の1まで弱まっている、ということになる。月までの距離は地球半径の60倍だから、結局、この引力というのは距離の2乗に反比例しているということになる([[逆2乗の法則]])。}} [[1684年]]1月のある水曜日、ロンドンの[[コーヒーハウス]]にあつまったフック、天文学者[[エドモンド・ハレー]]、王立学会会長兼建築家[[クリストファー・レン]]は、残る問題となった、逆2乗の引力をもとにして、いかにケプラーの第1法則と第2法則を導くことができるかを話題にした。同年8月、ニュートンを大学で訪問したハレーは、ニュートンがすでに独自にこの問題を解決していたことを知り、11月に、それを出版することをすすめ、『[[自然哲学の数学的諸原理]]』(プリンキピア)の核心部分が出来てゆくことになった。しかし、フックは引力については自分がニュートンに教えたのだとし、二人の間で対立が生じることになった。その後、ハリーの資金面での援助やフックとの先取権をめぐるいざこざの仲裁などといった支援もあり、ニュートンは『自然哲学の数学的諸原理』の刊行にこぎつけた。 [[File:Edmund Halley.gif|thumb|right|100px|エドモンド・ハレー]] 『自然哲学の数学的諸原理』は、[[1687年]]に刊行された。同書は三篇で構成されており、第三篇の「世界体系について」で惑星の運動が主として扱われている。例えば、「月は地球に向かって重力で引かれる」という、ニュートンがウールスソープ時代に思いついた命題は、第三篇の命題4において提示されており、逆2乗の引力が木星とその衛星、5つの惑星と太陽の間でも働くことを、ケプラーの第2法則と第3法則からこの引力を逆に導き出しつつ主張した。さらに命題7で重力は物の量(質量)に比例することを述べ、第三篇の命題8において、この宇宙ではどこでも物質には互いに物質の量の[[積]]に比例する逆二乗の引力が働いている、すなわち万有引力の法則を主張した。 == ニュートン力学と重力 == {{古典力学}} ニュートンが『自然哲学の数学的諸原理』で開示した力学体系を、[[ニュートン力学]]という。 ニュートン力学そのままの用語では、現代では理解しにくい点もあるので、以下では、[[古典力学]]の現代版の用語や記述方式を用いつつ、万有引力を解説する。 [[アイザック・ニュートン|ニュートン]]は、太陽を公転する地球の運動や木星の衛星の運動を統一して説明することを試み、[[ケプラーの法則]]に、[[運動方程式]]を適用することで、万有引力の法則([[逆2乗の法則]])が成立することを発見した。これは、『2つの物体の間には、物体の質量に比例し、2物体間の距離の2乗に反比例する引力が作用する』と見なす法則である。力そのものは、瞬時すなわち[[無限|無限大]]の速度で伝わると考えた。式で表すと、万有引力の大きさ<math>F</math>は、物体の質量を<math> M,m </math>、物体間の[[距離]]を<math> r </math>として、 : <math> F= G \frac{M m}{r^2} </math> となる。<math>G</math>は[[万有引力定数]]と呼ばれる比例定数で、 : <math>G = 6.67259 \times 10^{-11} \mbox{m}^3 \cdot \mbox{s}^{-2} \cdot \mbox{kg}^{-1}</math> である。(因みに「この式が全ての物体の間で成立する」と考えると「木から落ちるリンゴにも適用することができる」と考えることができるのである。) [[地球]]の質量を<math> M </math>、リンゴの質量を<math> m </math>、地球の半径を<math> R </math>とすれば、万有引力の大きさは、<math> F= G \frac{M m}{R^2} </math>であり、リンゴの運動方程式は、加速度を<math> g </math>として、<math> mg= G \frac{M m}{R^2} </math>となる。すなわち、地球重力による加速度([[重力加速度]])は : <math> g=\frac{G M}{R^2} </math> となり、すべての物質について同じ値になる。 地球表面では重力加速度は約9.8m/s<sup>2</sup>であり、地球の半径は約6400kmであるので、上記の式から地球の質量を : <math> M=\frac{g R^2}{G} \simeq 6 \times 10^{24} \mbox{kg} </math> のように求めることができる。同様に、他の惑星上での重力加速度も求めることができる。 == ありがちな誤解 == ニュートンによる「万有引力の法則の発見」を“重力の発見”だと解釈してしまう例があるが、これは間違った解釈である。「リンゴが木から落ちるのを見て、ニュートンは万有引力を発見した」などとする単純化された巷に流布している逸話も、この誤解を広める原因になっている可能性がある。ニュートンは「リンゴに働く重力」を発見したわけではない。「リンゴに対して働いている力が、月や惑星に対しても働いているのではないか」と着想したのである。地上では物体に対して地面(地球)に引きよせる方向で外力が働くことは、(ガリレオなどの貢献もあり)ニュートンの時代には理解されていた。ニュートンが行った変革というのは、同様のことが天の世界でも起きている、つまり宇宙ならばどこでも働いている、という形で提示したことにある(そして同時に、地球が物体を一方的に引くのではなく、全ての質量を持つ物体が相互に引き合っている事と、天体もまた質量を持つ物体のひとつに過ぎない事)。「law of universal gravitation 万有引力の法則」という表現は、それを表している。 == 評価 == 万有引力の考え方は大きな議論・非難を呼んだ。同著発表当時、物体の運動の説明というのは、ヨーロッパ大陸側であれイギリス側であれ、[[近接作用論]]で考えられていた。プリンキピアはそれに対して異論を唱える形で万有引力という[[遠隔作用論]]を大々的に提示した形になった。 {{See also|渦動説|重力を説明する古典力学的理論}} これは[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]およびその一派らから反発を呼び、「[[オカルト]]的な質を持ち込んでいる」「オカルト的な[[力 (物理学)|力]]を導入している」と非難されることになった。大陸側の学者らはライプニッツの考え方を支持していたので、ドーバー海峡を隔てて大陸側の学者たちと議論が数十年以上も続くことになった。ニュートンは『自然哲学の数学的諸原理』の第二版発行の時点では同版に「{{lang|lat|Hypotheses non fingo}}([[ヒポテセス・ノン・フィンゴ|我、仮説をつくらず]])」との記述を書き加えた{{efn2|遠隔作用論は、その原因について際限の無い議論を引き起こすものだったので、そうした議論が続き、際限の無い個別の弁明にも疲れたニュートンが、議論を避けるためにプリンキピア自体に書き加えた、といった解説がされることもある。}}。 もっとも、第二版に仮説をつくらないと書いたものの、ニュートン自身は実際にはその後、万有引力が起きる仕組みについての検討・考察を行っており、重力というのは[[エーテル (物理)|エーテル]]の流れが引き起こしているのかも知れない、とも考察した<ref>{{Citation |author=Aiton, E.J. |year= 1969 |title=Newton's Aether-Stream Hypothesis and the Inverse Square Law of Gravitation |journal= Annals of Science |volume =25 |pages =255&ndash;260 |doi=10.1080/00033796900200151 |issue=3 }}</ref>。すなわち近接作用論に回帰するような[[仮説]]立て、推察も行っていたのである{{efn2|万有引力の原因は現代に至るまで明らかにはなっておらず、様々な試みが為されている(例えば[[エントロピック重力]]など)。}}。 現代の初学者向けの科学史などでは、こうした複雑な経緯がすっかり忘れ去られ美化され、「ニュートンは原因の哲学的な思弁を避け、数的な関係の記述にとどめるという新しい方法論を提唱した」「[[力学]]の基礎、ひいては近代科学の考え方の基礎となった」とだけ解説がされていることもある。 == 万有引力の法則、その後== {{出典の明記| date = 2019年11月| section = 1}} イギリス側の自然哲学者はニュートンの説を支持をする者が多かったが、その後、数十年以上の長い年数の議論を経て徐々に大陸側でも支持者が増え、やがては物理学においては自然界に存在する基本的な力だと見なされるようになっていった。 後の時代で発見された[[電磁気力]]では、引力と[[斥力]]がある、とされているのに対して、重力(万有引力)では引力しか存在せず、斥力は存在しない。 現在では、[[重力]]と呼ぶ場合には、質量に加速度を与える力全般を意味する{{疑問点|date=2021年4月|title=この書き方はまずい。}}。重力には、地球自転の[[遠心力]]のような[[慣性の力]]や、[[一般相対論]]で予言される[[慣性系の引きずり]]による力も含めて考えることがあるが、それらは万有引力ではない。 重力(または重力相互作用)の正体は、[[アルベルト・アインシュタイン]]の一般相対性理論では、質量を持つ物体が引き起こす時空の歪みである、と説明された。これに対して、'万有引力'という用語は、ニュートンの定式化した重力の意味で用いられる傾向にある。 今日、質量を有する任意の2物体が引力の[[相互作用]][[ポテンシャル]]を伴うことは、疑いのない自然[[法則]]として認められているが、その理由や機構についての研究は進んでいないという状況にあると言える{{疑問点|date=2021年4月|title=怪しい書き方。「理由」を問うのは物理学というより科学哲学。}}。 === 一般相対性理論と重力 === [[アルバート・アインシュタイン|アインシュタイン]]は、光速度に近い場合の力学として、1905年に[[特殊相対性理論]]を発表した後、加速度運動を含めた相対性理論の構築に取り掛かかった。そして重力場を時空の幾何学として取り扱う方法を模索し、1916年に[[一般相対性理論]]を発表した。 アインシュタインの'''重力場の方程式'''([[アインシュタイン方程式]])では、万有引力はもはや[[ニュートン力学]]的な[[力 (物理学)|力]]ではなく、[[重力場]]という[[時空]]の歪みである、と説明されるようになった。また、重力の作用は、瞬時ではなく[[光速度]]で伝えられる、とされるようになった。 ニュートンの万有引力の法則では、質量を持った物体間の力であるとされるので、質量を持たない物質には万有引力は存在しない事となる。 一般相対性理論では、重力が時空の歪みであるとするため、光の軌道もまた重力によって曲がる事を意味する。これは[[アーサー・エディントン]] による観測で実証されることになった。 一般相対性理論は、非常に強い重力が働く場を記述する。 太陽系であれば、ニュートン力学に若干の補正項が加わる程度なので、ニュートン力学はその意味で近似的に正しいと考えて差し障りない。例えば前述の光の軌道の歪みについても、太陽の近傍においてようやく観測され得るものである。 アインシュタイン方程式は、通常の物理の方程式と同様、時間反転に対して対称なので、宇宙全体に適用すると、重力の影響で収縮宇宙の解と共に、膨張宇宙の解が得られる、という。 一般相対性理論の発表当時は、[[ハッブル]]による[[膨張宇宙]]の発見前で、アインシュタインは「[[宇宙]]は静的で安定している」と考えていた。自身の方程式が、動的な宇宙を予言したため、アインシュタインは万有引力に拮抗する[[万有斥力]]があると想定し、重力場の方程式に[[宇宙項]]を加えることで、静的な解が存在できるように重力場の方程式を修正した。 後に彼は宇宙項について「生涯最大の過ち」と悔いたが、宇宙項のアイデアは現在の宇宙論において、[[宇宙のインフレーション]]や[[宇宙の加速膨張]]を説明するものとして復活していると言える。 {{See also|相対性理論}} === 素粒子物理学と重力 === [[素粒子物理学]]では、自然界に存在する[[基本相互作用|四つの基本的な相互作用]]のひとつとして、[[素粒子]]間に働く重力相互作用とみなされ、[[重力子]](グラヴィトン)という素粒子により媒介するとみなされるが、素粒子としての重力子は現在のところ未発見である。素粒子間の重力相互作用は無視できるほど小さいが、素粒子と地球との間の重力を考慮する必要があることもある。 <!--2011年1月に書かれた怪しい記述: (※「ひとつの原子に存在する電子の数と陽子の数は同じで、種類によって数が決まっている。により、やはり電荷を帯びた電子が運動する事により電磁波が生まれ、それが引き付けあう力(反発力より若干大きい為)が発生し引力として認識される、とする説もある。) --> {{see also|ウンルー効果|:en:Quantum field theory in curved spacetime}} === 量子重力 === 近年では、[[量子力学]]と一般相対性理論の結合、重力の[[量子化]]が試みられ、[[量子重力]]と呼ばれている。[[格子重力]]などさまざまな試みがあるが、実現は困難である。量子重力を[[宇宙論]]に適用する試みは、[[量子宇宙論]]と呼ばれる。 == 注釈 == {{notelist2}} == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 関連項目 == * [[万有引力定数]] * [[重力]] * [[基本相互作用]] * [[一般相対性理論]] - [[アインシュタイン方程式]] - [[重力波 (相対論)|重力波]] * [[重力を説明する古典力学的理論]] * [[キャヴェンディッシュの実験]] * [[重力モデル]] - [[社会科学]]におけるさまざまな相互作用を説明するモデルとして、万有引力に似たモデルが用いられることがある。 {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はんゆういんりよく}} [[Category:重力]] [[Category:質量]]
2003-04-13T17:41:44Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E6%9C%89%E5%BC%95%E5%8A%9B
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公理
公理()は、その他の命題を導き出すための前提として導入される最も基本的な仮定のことである。一つの形式体系における議論の前提として置かれる一連の公理の集まりを公理系(英語版) (axiomatic system) という 。公理を前提として演繹手続きによって導きだされる命題は定理とよばれる。多くの文脈で「公理」と同じ概念をさすものとして仮定や前提という言葉も並列して用いられている。 公理とは他の結果を導きだすための議論の前提となるべき論理的に定式化された言明であるにすぎず、真実であることが明らかな自明の理が採用されるとは限らない。知の体系の公理化は、いくつかの基本的でよく知られた事柄からその体系の主張が導きだせることを示すためになされることが多い。 ユークリッド原論などの古典的な数学観では、最も自明な前提を公理、それに準じて要請される前提を公準として区別していた。 以下にいくつかの公理の例を示す。 公理にもとづいて証明される命題は定理という。以下に定理の例を示す。 axiomという言葉の語源はギリシャ語のαξιωμα (axioma、価値があり適切と考えられるものあるいはそれ自身明らかなもの)である。公理の概念が明確に記述された現存する文書のうちで最も古いものは、紀元前300年頃にギリシアで書かれたユークリッドの原論である。 原論には以下の5つの公準が挙げられている: やがてこれらの公準は公理として認識されるが、最後の第5公準(平行線公準とも呼ばれる)は他の公準ほど自明ではない。このため平行線公準は公準ではなく、他の4つの公理から導ける定理なのではないかという疑問が生じ(平行線問題)、証明が試みられたがいずれもうまくはいかなかった。 19世紀にガウス、ボヤイ、ロバチェフスキーらによって、最初の4つの公理が成立しかつ平行線公準が成立していないような幾何学の体系(楕円幾何学、双曲幾何学)が構成された事によって平行線問題は否定的に解決された。もし最初の4つの公理から平行線公理が導けるのであればこのような幾何学は存在するはずがなく、よって平行線公準は他の4つの公理からは導けないのである。平行線公理を仮定して展開されるユークリッド幾何学に対し、双曲幾何学のように最初の4つの公理は満たすが平行線公理のみは満たさないような幾何学を非ユークリッド幾何学という。非ユークリッド幾何学の発見により、互いに相容れない前提にもとづく様々な数学の体系がありうる事が認識されるようになった。 20世紀はじめにはヒルベルトを中心とした数学の抽象化・形式化の運動の中で、公理にもとづき理論を展開するという立場が強調された。公理系に求めるべき妥当性として、矛盾が導かれないことや、必ず成立するような命題は全て証明可能であることがあげられる。ヒルベルトは有限のデータによって定まり(有限の立場)このような妥当性を満たす公理系をもとにして数学を展開することを目指した(ヒルベルト・プログラム)。この考え方はハウスドルフらによる位相空間論、ブルバキによる数学の再編成などを通じて20世紀の数学に大きな影響を与えた。しかしゲーデルの不完全性定理によって「普通の数学」(自然数論)を展開できるような公理系では(体系が無矛盾である限り)その無矛盾性を与えられた公理系だけからは証明できないことが示され、ヒルベルトが思い描いた形でのヒルベルト・プログラムは実現不可能であることが明らかになってしまった。 公理にもとづく数学の定式化は、記述の定式化を促し、さらに数学をものの内在的な意味からはなれた形式的な記号の操作だと見なす考え方を導いた。公理とは前提として任意に選ばれた論理式にすぎず、その論理式から単なる記号操作で得られる論理式が定理であるという立場をとる論理学者や数学者もいる。このような考え方にたてば、ユークリッド幾何学における点や直線・平面は、論理式によって指定される性質を満たす限り、抽象的な記号操作の対象にすぎず、現実世界におけるいかなる物体を表しているわけでもないことになる。現実世界における点や直線、平面の形をしたものやそれらの間の関係性を調べることは、ユークリッド幾何学の意味(セマンティックス)を推察する助けにはなるが、公理にもとづく定理の推論(ユークリッド幾何のシンタックス)がそこから直ちに従うわけではないことになる。 このような立場に立てば、「点」、「直線」、「平面」といった言葉の選択はまったく任意なものであり、別の用語を選んだとしてもそれらの間にユークリッド幾何学の関係性を仮定するならばまったくおなじ体系が得られることになる。 このような「公理は論理式にすぎない」という考え方は(しばしば揶揄を込めて)「ビールジョッキ思想」と呼ばれている。上のような置き換えを行うと例えば「2直線は1点で交わる」という命題は「2つの机は1つのビールジョッキで交わる」という、みかけ上全く意味の無い命題になるが満たしている論理式は置き換え前と同じものなので頓着しない。 これは丁度「2(x+y)=2x+2y」という命題の「x」と「y」を「u」と「v」に置き換えて「2(u+v)=2u+2v」としても数式としては差異がないのと似ている。 ビールジョッキ思想で問題となっている言葉・記号の選択の任意性はすでに19世紀の論理学者たちの間で問題になっており、その議論の一端はルイス・キャロルによる『鏡の国のアリス』にも反映されている。『アリス』の登場人物ハンプティ・ダンプティは勝手に新しい単語を作ったり、既存の単語を別の意味に用いたりして主人公のアリスを混乱させる。つまりハンプティ・ダンプティは英語ならぬ「ハンプティ・ダンプティ語」を作ってそれを話しているのである。 公理系は記号で書かれた論理式の集まりなので、理屈の上では現実世界の観察に基づかない非現実的な公理系のもとに全く無意味な数学理論の体系を構築しても良いことになるが、多くの数学者は現実世界の観察に基づかない非現実的な公理系ではなく、現実世界の観察に基づく公理系を研究の対象にしている。 だがどういう公理系が「直観的歴史的妥当性がある」ものであるのかについては必ずしも数学者全員の合意が得られているとは限らない。例えば直観主義論理の立場では排中律は認められない。排中律とは任意の命題Aに対しA自身かAの否定のどちらかが成立する、という要請で一つのモデルの中では命題の真偽は確定的なものであるという立場の推論規則である。通常の数学では排中律を認めるが、直観主義論理の立場に立った研究者たちは命題の真偽について実際に証明できる手続きが与えられることを要請する。 同様に妥当性が問題になるタイプの公理に集合論の選択公理など無限を取り扱ったものがある。これは「無限個の(空でない)集合の列から一個ずつ元を選ぶことができる」という趣旨の公理である。選択公理は(集合論のそれ以外の公理が矛盾していない限り)矛盾を導かず(ゲーデル)、さらに選択公理の否定からも矛盾が導かれない(コーヘン)ことが知られている。 選択公理を認めることで様々な強力な定理(帰納的順序集合における極大元の存在、ベクトル空間の基底の存在、代数的閉包の存在、従順群上の不変汎関数の存在など)が証明できる。いっぽうで選択公理を認めてしまうと一見直観に反していて逆理であるかのような定理(バナッハ・タルスキの逆理、非可測集合の存在)が成立してしまう。ほとんどの数学者は選択公理を認めた数学体系を研究しているが、おもに数学基礎論の研究において、選択公理を認めない数学の可能性を追求している数学者もいる。
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公理は、その他の命題を導き出すための前提として導入される最も基本的な仮定のことである。一つの形式体系における議論の前提として置かれる一連の公理の集まりを公理系 という。公理を前提として演繹手続きによって導きだされる命題は定理とよばれる。多くの文脈で「公理」と同じ概念をさすものとして仮定や前提という言葉も並列して用いられている。 公理とは他の結果を導きだすための議論の前提となるべき論理的に定式化された言明であるにすぎず、真実であることが明らかな自明の理が採用されるとは限らない。知の体系の公理化は、いくつかの基本的でよく知られた事柄からその体系の主張が導きだせることを示すためになされることが多い。 ユークリッド原論などの古典的な数学観では、最も自明な前提を公理、それに準じて要請される前提を公準として区別していた。
{{読み仮名|'''公理'''|こうり}}は、その他の[[命題]]を導き出すための[[前提]]として導入される最も基本的な[[仮定]]のことである。一つの[[形式体系]]における議論の前提として置かれる一連の公理の集まりを'''{{仮リンク|公理系|en|Axiomatic system|preserve=1}}''' (axiomatic system) という<ref>[[伏見康治]]「[[確率論及統計論]]」第II章 確率論 8節 公理系 p.61 ISBN 9784874720127 http://ebsa.ism.ac.jp/ebooks/ebook/204</ref> 。公理を前提として演繹手続きによって導きだされる命題は[[定理]]とよばれる。多くの文脈で「公理」と同じ[[概念]]をさすものとして仮定や前提という言葉も並列して用いられている。 公理とは他の結果を導きだすための議論の前提となるべき論理的に定式化された言明であるにすぎず、真実であることが明らかな[[自明]]の理が採用されるとは限らない。知の体系の公理化は、いくつかの基本的でよく知られた事柄からその体系の主張が導きだせることを示すためになされることが多い。 [[ユークリッド原論]]などの古典的な数学観では、最も自明な前提を'''公理'''、それに準じて要請される前提を'''公準'''として区別していた。 == 公理の例 == 以下にいくつかの公理の例を示す。 * 命題 P が成立するなら、命題「PまたはQ」も成立する。 * 2つの点が与えられたとき、その2点を通るような直線を引くことができる([[ユークリッド幾何学]])。 * 平行でない二つの異なる直線はただ一点で交わる([[ユークリッド幾何学]])。 * ''a''=''b'' なら、''a''+''c'' = ''b''+''c''である([[ユークリッド原論]]を参照)。 * どんな[[自然数]]に対しても、その数の「次の」自然数が存在する([[ペアノの公理]])。 * どんなものも含まないような[[集合]]([[空集合]])が存在する([[公理的集合論]])。 * 集合 ''S'' と条件式 ''P'' が与えられたとき、''S'' の[[集合|元]]のうち、条件 ''P''(''x'') を満たすような ''x'' だけからなる集合を作ることができる([[公理的集合論]])。 * すべての集合 ''x'' に対して、''x'' ∈ ''U'' のようなグロタンディーク宇宙 ''U'' が存在する([[グロタンディーク宇宙]])。 公理にもとづいて証明される[[命題]]は[[定理]]という。以下に定理の例を示す。 * 2本の平行な線とそれに平行でない一本の直線が成す[[錯角]]は等しい([[ユークリッド幾何学]])。 *[[三角形]]の[[内角]]の和は180度である([[ユークリッド幾何学]])。 *[[円周角の定理]]([[ユークリッド幾何学]])。 <!-- コメントアウト:ノートを参照。 ==公理の必要性== {{出典の明記|date=2013年6月26日 (水) 10:37 (UTC)|section=1}} {{Cleanup|date=2013年6月26日 (水) 10:37 (UTC)|section=1}} 広く一般に言われる「数学は何でもかんでも証明する学問である」という考えは間違いである。 AはBから証明でき、BはCから証明でき、CはDから証明でき…と原因をさかのぼっていくとき、どこまでも無限にさかのぼる事はできない。 なぜなら人間は有限時間しか生きる事ができないので、無限に長い証明を全て読む事はできないからである。([[有限の立場]])。 この為さかのぼるのをどこかであきらめ、幾つかの命題を無批判に認めざるをえない。 この無批判に認める命題が「公理」である。 *1 数学において,証明項を「原因」と呼ぶのは誤りである. 「原因」は「結果」との対比において事物的(通俗的に了解された限りでの科学的の意と解してほぼ構わない)因果関係について用いられる概念(語)であるのに対し,数学の証明がそれに属する論理関係における証明項と被証明項の対比においては,後者が「結論」と呼ばれ前者すなわち証明項は「理由」と呼ばれるからである. *2 この説明は誤りに思われる. 仮に人間が無限の時間を生き得ようと,あるいは無限の時間にわたって推論可能な思惟存在によってであろうと,最終的には幾つかの命題( とその適用規則 )とは証明なしに存在するのでなければ,数学的証明行為それ自体が成立しえないからである. 言い換えれば,およそ証明が行われるためには,なんらかの(諸)前提が証明なし(という意味で無根拠)に受け入れられていなければならないのである――但し,証明によってではなく,直観・叡智的認識等々といった他の手段によってであれば数学において公理は根拠付けられる,という考え方は歴史的に存在してきた. この,数学において証明なしに受け入れられる前提の内のあるものが「公理」である.( 他に論理等も証明なしに受け入れられる事なしには数学的推論が行われる事は不可能である). よって,数学において有限主義は公理の無根拠性(乃至証明不可能性)を帰結せしめる理由ではない,と考えられる. --> ==歴史== axiomという言葉の語源は[[ギリシャ語]]の{{lang|grc|αξιωμα}} (axioma、''価値があり適切と考えられるもの''あるいは''それ自身明らかなもの'')である<ref>「しかし‘アキシオーマ’という言葉も‘ヒュポテシス’[→定義]や‘アイテーマ’[→公準]と同様,もとは[[弁証論]](ディアレクティク)から出たものであり、これが後に数学の術語に受け入れられていったのであるから,数学的公理の自明性からこの言葉の意味を考えるのは本末顛倒である.」「最も普通の場合,そこ[=弁証論]における{{lang|grc|ἀξιόω}}の意味は‘アイテーマ’の動詞と同様に‘請う,要請する,要求する’の意味に使われている」(伊東俊太郎「第I部 ギリシア数学」第3章「§3. ユークリッド原論の成立」、『数学講座 18 数学史』筑摩書房、1975年、p.106→[[伊東俊太郎]]『ギリシア人の数学』第3章、講談社学術文庫、1990年)。以上は、[[アルパッド・K・サボー]]らの文献学的なギリシア数学史研究に拠る説。「サボーの説には、今日の仮言法的公理論の原型がすでにギリシアの数学にあったという示唆がある」([[村田全]]「[http://fomalhautpsa.sakura.ne.jp/Science/Murata/bourbaki-utf.pdf#page=15 『ブルバキ 数学史』について]」『数学史の世界』玉川大学出版部、1977年、pp.148-149.)。</ref>。公理の概念が明確に記述された現存する文書のうちで最も古いものは、紀元前300年頃にギリシアで書かれた[[ユークリッド]]の[[原論]]である。 {{Main|平行線公準}} 原論には以下の5つの公準<ref>ユークリッドはこれら5つに「公準」という言葉を用いており、他の命題を「公理」と記している。</ref>が挙げられている: # 第1公準 : 点と点を直線で結ぶ事ができる # 第2公準 : 線分は両側に延長して直線にできる # 第3公準 : 1点を中心にして任意の半径の円を描く事ができる # 第4公準 : 全ての直角は等しい(角度である) # 第5公準 : 1つの直線が2つの直線に交わり、同じ側の内角の和が2つの直角より小さいならば、この2つの直線は限りなく延長されると、2つの直角より小さい角のある側において交わる。 やがてこれらの公準は公理として認識されるが、最後の第5公準([[平行線公準]]とも呼ばれる)は他の公準ほど自明ではない。このため平行線公準は公準ではなく、他の4つの公理から導ける定理なのではないかという疑問が生じ(平行線問題)、証明が試みられたがいずれもうまくはいかなかった。 19世紀に[[カール・フリードリヒ・ガウス|ガウス]]、[[ボーヤイ・ヤーノシュ|ボヤイ]]、[[ニコライ・ロバチェフスキー|ロバチェフスキー]]らによって、最初の4つの公理が成立しかつ平行線公準が成立していないような幾何学の体系([[楕円幾何学]]、[[双曲幾何学]])が構成された事によって平行線問題は否定的に解決された。もし最初の4つの公理から平行線公理が導けるのであればこのような幾何学は存在するはずがなく、よって平行線公準は他の4つの公理からは導けないのである。平行線公理を仮定して展開される[[ユークリッド幾何学]]に対し、双曲幾何学のように最初の4つの公理は満たすが平行線公理のみは満たさないような幾何学を[[非ユークリッド幾何学]]という。非ユークリッド幾何学の発見により、互いに相容れない前提にもとづく様々な数学の体系がありうる事が認識されるようになった。 20世紀はじめには[[ダフィット・ヒルベルト|ヒルベルト]]を中心とした数学の抽象化・形式化の運動の中で、公理にもとづき理論を展開するという立場が強調された。公理系に求めるべき[[妥当性]]として、[[矛盾]]が導かれないことや、必ず成立するような[[命題]]は全て証明可能であることがあげられる。ヒルベルトは有限のデータによって定まり(有限の立場)このような妥当性を満たす公理系をもとにして数学を展開することを目指した([[ヒルベルト・プログラム]])。この考え方は[[フェリックス・ハウスドルフ|ハウスドルフ]]らによる[[位相空間]]論、[[ニコラ・ブルバキ|ブルバキ]]による数学の再編成などを通じて20世紀の数学に大きな影響を与えた。しかし[[ゲーデルの不完全性定理]]によって「普通の数学」(自然数論)を展開できるような公理系では(体系が無矛盾である限り)その無矛盾性を与えられた公理系だけからは証明できないことが示され、ヒルベルトが思い描いた形でのヒルベルト・プログラムは実現不可能であることが明らかになってしまった。 == 公理の形式性 == {{節スタブ}} 公理にもとづく数学の定式化は、記述の定式化を促し、さらに数学をものの内在的な意味からはなれた形式的な記号の操作だと見なす考え方を導いた。公理とは前提として任意に選ばれた論理式にすぎず、その論理式から単なる記号操作で得られる論理式が定理であるという立場をとる論理学者や数学者もいる。このような考え方にたてば、ユークリッド幾何学における点や直線・平面は、論理式によって指定される性質を満たす限り、抽象的な記号操作の対象にすぎず、現実世界におけるいかなる物体を表しているわけでもないことになる。現実世界における点や直線、平面の形をしたものやそれらの間の関係性を調べることは、ユークリッド幾何学の意味([[セマンティックス]])を推察する助けにはなるが、公理にもとづく定理の推論(ユークリッド幾何の[[シンタックス]]<!-- もっといい言葉あらまほし -->)がそこから直ちに従うわけではないことになる。 このような立場に立てば、「点」、「直線」、「平面」といった言葉の選択はまったく任意なものであり、別の用語を選んだとしてもそれらの間にユークリッド幾何学の関係性を仮定するならばまったくおなじ体系が得られることになる。 このような「公理は論理式にすぎない」という考え方は(しばしば揶揄を込めて)「[[ビールジョッキ思想]]」と呼ばれている。上のような置き換えを行うと例えば「2直線は1点で交わる」という命題は「2つの机は1つのビールジョッキで交わる」という、みかけ上全く意味の無い命題になるが満たしている論理式は置き換え前と同じものなので頓着しない。 これは丁度「2(x+y)=2x+2y」という命題の「x」と「y」を「u」と「v」に置き換えて「2(u+v)=2u+2v」としても数式としては差異がないのと似ている。 <!-- コメントアウト:数理モデル化の話は別に公理とは関係ないのでは? 実際の点、直線、平面が数学で扱う「点」、「直線」、「平面」とは別物であるという考えは、後に[[数理モデル]]の考え方を生んだ。 例えば経済数学では金、株、財産など数式化して経済法則を探る。 この際出てくる「金」、「株」、「財産」等は「数理モデル」と呼ばれるもので、あくまでたんなる数字にすぎず、実際の金、株、財産とは別物である。 経済数学に出てくる「金」、「株」、「財産」は数字なので紙幣や株券といった実態を持たない。 経済数学で扱うのは数理モデル版の「金」、「株」、「財産」であるので、 経済数学で得られた成果が実際の金、株、財産の性質とはずれてしまう事もありうる。 --> ビールジョッキ思想で問題となっている言葉・記号の選択の任意性はすでに19世紀の論理学者たちの間で問題になっており、その議論の一端は[[ルイス・キャロル]]による『[[鏡の国のアリス]]』にも反映されている。『アリス』の登場人物[[ハンプティ・ダンプティ]]は勝手に新しい単語を作ったり、既存の単語を別の意味に用いたりして主人公のアリスを混乱させる。つまりハンプティ・ダンプティは英語ならぬ「ハンプティ・ダンプティ語」を作ってそれを話しているのである。 <!-- ビールジョッキ思想もこれに似ている。「点」、「直線」、「平面」は日本語であるが、ビールジョッキ思想ではこれを「ビールジョッキ」、「机」、「椅子」に置き換えた「ビールジョッキ語」を作っているのである。 日本人のほとんどは日本語を話すのに対しビールジョッキ語を話している民族はいないので、日本語の方がビールジョッキ語よりもコミュニケーション・ツールとしては優れている。しかし純粋に論理的に言えば日本語とビールジョッキ語のどちらが偉いわけでもない。これは英語と日本語のどちらが偉いわけでもなく、異なる言語であるに過ぎないのと同じである。 よってビールジョッキ思想では日本語で記述した数学とビールジョッキ語で記述した数学を等価だと考える。 日本語で「点」、「直線」、「平面」と言って数学を構築しても英語で「Point」、「Line」、「Plain」と言って数学を構築しても同じものができあがる。 同様にビールジョッキ語で数学を構築しても同じだとビールジョッキ思想では考えるのである。 --> == 公理の直観的・歴史的な妥当性 == {{節スタブ}} 公理系は記号で書かれた論理式の集まりなので、理屈の上では現実世界の観察に基づかない非現実的な公理系のもとに全く無意味な数学理論の体系を構築しても良いことになるが、多くの数学者は現実世界の観察に基づかない非現実的な公理系ではなく、現実世界の観察に基づく公理系を研究の対象にしている。 だがどういう公理系が「直観的歴史的妥当性がある」ものであるのかについては必ずしも数学者全員の合意が得られているとは限らない。<!-- 多くの数学者達は同じ公理のもと成立する数学を研究しているが、[[数学基礎論]]を研究している研究者の中にはあえて普通とは違う公理を研究する人々もいる。 -->例えば[[直観主義論理]]の立場では[[排中律]]は認められない。排中律とは任意の命題Aに対しA自身かAの否定のどちらかが成立する、という要請で一つのモデルの中では命題の真偽は確定的なものであるという立場の推論規則である。通常の数学では排中律を認めるが、直観主義論理の立場に立った研究者たちは命題の真偽について実際に証明できる手続きが与えられることを要請する。 同様に妥当性が問題になるタイプの公理に集合論の[[選択公理]]など[[無限]]を取り扱ったものがある。これは「無限個の(空でない)集合の列から一個ずつ元を選ぶことができる」という趣旨の公理である。選択公理は(集合論のそれ以外の公理が矛盾していない限り)矛盾を導かず(ゲーデル)、さらに選択公理の否定からも矛盾が導かれない(コーヘン)ことが知られている。 選択公理を認めることで様々な強力な定理([[帰納|帰納的]]順序集合における極大元の存在、[[ベクトル空間]]の基底の存在、[[代数的閉包]]の存在、従順群上の不変汎関数の存在など)が証明できる。いっぽうで選択公理を認めてしまうと一見直観に反していて逆理であるかのような定理([[バナッハ・タルスキの逆理]]、[[非可算集合|非可測集合]]の存在)が成立してしまう。ほとんどの数学者は選択公理を認めた数学体系を研究しているが、おもに[[数学基礎論]]の研究において、選択公理を認めない数学の可能性を追求している数学者もいる。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == *[[証明 (数学)]] *[[形式主義 (数学)|形式主義]] * [[公理的集合論]] * [[ダフィット・ヒルベルト]] * [[ヒルベルト・プログラム]] * [[演繹]] * [[亀がアキレスに言ったこと|ルイス・キャロルのパラドックス]] * [[科学哲学]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} * {{Kotobank|公準}} {{DEFAULTSORT:こうり}} [[Category:公理|*]] [[Category:論理学の概念]] [[Category:仮定 (論理学)]] [[Category:数学基礎論]] [[Category:科学的方法]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:形式体系]]
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微分方程式
解析学において、微分方程式(、英: differential equation)とは、未知関数とその導関数の関係式として書かれている関数方程式である。 数学の応用分野においてしばしば、異なる2つの変数の関係を調べることが行われる。2変数を対応付ける関数があらわになっていなくても、その導関数(の満たすべき方程式)を適当な仮定の下で定めることができ、そこから目的とする関数を探し出すことができる。 物理法則を記述する基礎方程式は、多くが時間微分、空間微分を含む微分方程式であり、物理学からの要請もあり微分方程式の解法には多くの関心が注がれてきた。 方程式論は解析学の中心的な分野で、フーリエ変換、ラプラス変換等は元々、微分方程式を解くために開発された手法である。また物理学における微分方程式の主要な問題は境界値問題、固有値問題である。 微分方程式は大きく線型微分方程式と非線型微分方程式に分類される。線形微分方程式の例として、例えばシュレーディンガー方程式が挙げられる。シュレーディンガー方程式は、量子系の状態の時間発展を記述する方法の一つとして広く用いられている。非線型微分方程式の例として、例えばナビエ–ストークス方程式(NS方程式)が挙げられる。NS方程式は流体の運動を記述する基本方程式であり、物理学の応用としても重要な方程式である。しかし、NS方程式の解の存在性は未解決問題でありミレニアム懸賞問題にも選ばれている。 微分方程式は方程式に含まれる導関数の階数によって分類され、最も高い階数が n 次である場合、その微分方程式を n 階微分方程式と呼ぶ。 いずれの場合も未知関数は一つとは限らず、また、連立する複数の微分方程式を同時に満たす関数を解とするような連立方程式の形を取る場合もある。これは連立 n 階微分方程式などと呼ばれる。 一変数関数の導関数の関係式で書かれる常微分方程式と多変数関数の偏導関数を含む関係式で書かれる偏微分方程式に分かれる。 常微分方程式とは例えば、 や、 のような方程式である。 また、偏微分方程式は、 や、 のような格好をした方程式である。 未知関数とその導関数の関係式が、未知関数や導関数を変数と見たときに解析関数を係数とする多項式である場合、代数的微分方程式と呼ばれる。 方程式が未知関数の一次式として書けるような方程式を線形微分方程式と呼ぶ。また、線型でない微分方程式は非線形微分方程式と呼ばれる。 例えば、g(x) を f(x) を含まない既知の関数とすれば、 は線型微分方程式であり、 は非線型微分方程式である。線型と呼ばれる理由は後述する線型斉次な方程式について、解の線型結合がその方程式の一般解をなすためである。 未知関数が 1 つの場合、高階の線型微分方程式を一階線型微分方程式の形に書き直すことができる。 たとえば、{gk} を既知関数の組として、以下の線型微分方程式が与えられたとき、 未知関数 f(x) のk 階の導関数を yk(x) として (k = 0,..., n − 1)、以下の一組の微分方程式を得る。 この微分方程式は、より一般的に、ベクトルと行列の記法を用いて と書くことができる。ここで y は未知関数 y0,..., yn−1 を成分に持つベクトル、A は既知関数 {aij}i,j=0,...,n−1 を成分に持つ n × n の行列、b は既知関数 b0,..., bn−1 を成分に持つベクトルである。 すべての項が未知関数を含むか 0 であるような線型微分方程式を線型斉次微分方程式と呼び、斉次でない線形微分方程式は線型非斉次微分方程式と呼ばれる。同じ意味の言葉として斉次方程式をしばしば同次方程式と呼ぶことがある。 例えば、 は斉次な方程式であり、右辺に α を加えた、 は非斉次な方程式である。 より一般の線形常微分方程式について、 右辺の関数 g0(x) がゼロならこの方程式は斉次である。 斉次方程式の特徴として、方程式の解 s(x) が得られたとき、その定数倍 cs(x) も方程式の解となる。また、斉次方程式の解の線形結合もその斉次方程式の解になる。 また、非斉次な方程式の解 sin(x) が得られたとき、元の方程式を斉次な形にしたときの解 shom(x) を用いて、非斉次方程式の新たな解 sin(x) + shom(x) を作ることができる。実際、 としたとき、sin(x), shom(x) はそれぞれ を満たすので、sin(x) + shom(x) は元の方程式の解になっている。 方程式に含まれる既知関数が確率変数によって記述されるような微分方程式を確率微分方程式と呼ぶ。確率常微分方程式や確率偏微分方程式はしばしば英語の頭文字を取って“SODE”, “SPDE”と略記される。代表的な例は物理学におけるランジュバン方程式や金融工学におけるブラック-ショールズ方程式がある。確率微分方程式の既知関数は、自身の期待値や相関関数によって特徴付けられる。 微分方程式に限らず一般の方程式は必ずしも厳密解が得られるとは限らない。従って多く場合は摂動などの手法を用いて近似的な評価を与えるか、ルンゲ=クッタ法やSOR法、有限要素法のような数値解法によって具体的な解を得ることになる。しかしながらいくつかの基本的な微分方程式については、厳密解が得られたり、形式的に解を書き表せる。 微分方程式の具体的な解法としては代表的なものに、斉次方程式の解を利用して解く定数変化法、グリーン関数を用いた解法、差分方程式を用いた解法、ラプラス変換や逆ラプラス変換を用いた解法などが知られている。 一階の線型斉次常微分方程式の中で最も基本的な方程式として次のものがある。 d y ( x ) d x = y ( x ) . {\displaystyle {\frac {\mathrm {d} y(x)}{\mathrm {d} x}}=y(x).} 一般の線形微分方程式を解く際も、まずこの種の斉次微分方程式に帰着させるため、この方程式は微分方程式の解法を調べる上で基本的な役割を果たす。 この方程式の解はよく知られているように指数関数となる。 y ( x ) = C e x . {\displaystyle y(x)=C\mathrm {e} ^{x}.} ここで C は任意定数である。解法は脚注にて紹介する。 指数関数の有用な性質として、微分作用素を別の定数や関数に置き換えられることが挙げられる。係数が定数の斉次方程式 の解として指数関数で書けるものを探すと、f(x) = Cexp(λx) と置き換えて、 と書くことができる。これは λ に対する n 次の代数方程式になっている。 重根がなければ方程式の解が n 個求まることになり、斉次方程式の一般解はそれらの線型結合として表される。 この形の方程式の一般解を求める方法としては定数変化法がある。 一つの未知関数に対する、一般の一階線型常微分方程式は、既知関数を P(x)、Q(x) として、次のように書かれる。 d y ( x ) d x + P ( x ) y ( x ) = Q ( x ) . {\displaystyle {\frac {\mathrm {d} y(x)}{\mathrm {d} x}}+P(x)y(x)=Q(x).} この一階線型常微分方程式は、一般解が求積法で解ける。 まず、斉次方程式 d y ( x ) d x + P ( x ) y ( x ) = 0 {\displaystyle {\frac {\mathrm {d} y(x)}{\mathrm {d} x}}+P(x)y(x)=0} の一般解は、積分定数を A ≠ 0 として、 y ( x ) = A exp ( − ∫ P ( x ′ ) d x ′ ) {\displaystyle y(x)=A\exp \left(-\int P(x')\,\mathrm {d} x'\right)} となる。一階線型常微分方程式の一般解は、斉次方程式の解を利用し A を x の関数とみなす定数変化法によって求められる。 y ( x ) = { ∫ Q ( x ′ ) exp ( ∫ P ( x ′′ ) d x ′′ ) d x ′ + C } exp ( − ∫ P ( x ′ ) d x ′ ) . {\displaystyle y(x)=\left\{\int Q(x')\exp \left(\int P(x'')\,\mathrm {d} x''\right)\mathrm {d} x'+C\right\}\exp \left(-\int P(x')\,\mathrm {d} x'\right).} ここで C ≠ 0 は積分定数である。 二階線型常微分方程式の一般形は、既知関数を P(x), Q(x), R(x) として、次のように書かれる。 d 2 y ( x ) d x 2 + P ( x ) d y ( x ) d x + Q ( x ) y = R ( x ) . {\displaystyle {\frac {\mathrm {d} ^{2}y(x)}{\mathrm {d} x^{2}}}+P(x){\frac {\mathrm {d} y(x)}{\mathrm {d} x}}+Q(x)y=R(x).} この二階線型常微分方程式は、このままの形では求積法を用いて一般解を表示することはできない。 もし、右辺を 0 とした斉次方程式の特殊解として、y = y1 が存在すれば、 d 2 y 1 ( x ) d x 2 + P ( x ) d y 1 ( x ) d x + Q ( x ) y 1 ( x ) = 0 {\displaystyle {\frac {\mathrm {d} ^{2}y_{1}(x)}{\mathrm {d} x^{2}}}+P(x){\frac {\mathrm {d} y_{1}(x)}{\mathrm {d} x}}+Q(x)y_{1}(x)=0} が成り立つので、z なる未知関数を導入して、 y ( x ) = y 1 ( x ) z ( x ) {\displaystyle y(x)=y_{1}(x)z(x)} とすれば、二階線型常微分方程式が、z に関する常微分方程式、 y 1 d 2 z ( x ) d x 2 + ( 2 y 1 ′ ( x ) + P ( x ) y 1 ( x ) ) d z ( x ) d x = R ( x ) , y 1 ′ ( x ) = d y 1 ( x ) d x , {\displaystyle {\begin{aligned}&y_{1}{\frac {\mathrm {d} ^{2}z(x)}{\mathrm {d} x^{2}}}+{\Bigl (}2y'_{1}(x)+P(x)y_{1}(x){\Bigr )}{\frac {\mathrm {d} z(x)}{\mathrm {d} x}}=R(x),\\&y'_{1}(x)={\frac {\mathrm {d} y_{1}(x)}{\mathrm {d} x}},\end{aligned}}} に変換される。この常微分方程式は、導関数 dz/dx に関して一階線型常微分方程式なので、求積法で解ける。その一般解を z = ψ ( C 1 , C 2 , x ) {\displaystyle z=\psi (C_{1},C_{2},x)~~} とすると、二階線型常微分方程式の一般解は、 y = y 1 ψ ( C 1 , C 2 , x ) {\displaystyle y=y_{1}\psi (C_{1},C_{2},x)~~} で与えられる。なお、C1, C2 は積分定数である。 x の既知関数を含む二階線型常微分方程式で、求積法で解ける微分方程式は少ないが、 次の微分方程式などが知られている。
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"title": "解法" } ]
解析学において、微分方程式(びぶんほうていしき、とは、未知関数とその導関数の関係式として書かれている関数方程式である。 数学の応用分野においてしばしば、異なる2つの変数の関係を調べることが行われる。2変数を対応付ける関数があらわになっていなくても、その導関数を適当な仮定の下で定めることができ、そこから目的とする関数を探し出すことができる。 物理法則を記述する基礎方程式は、多くが時間微分、空間微分を含む微分方程式であり、物理学からの要請もあり微分方程式の解法には多くの関心が注がれてきた。 方程式論は解析学の中心的な分野で、フーリエ変換、ラプラス変換等は元々、微分方程式を解くために開発された手法である。また物理学における微分方程式の主要な問題は境界値問題、固有値問題である。 微分方程式は大きく線型微分方程式と非線型微分方程式に分類される。線形微分方程式の例として、例えばシュレーディンガー方程式が挙げられる。シュレーディンガー方程式は、量子系の状態の時間発展を記述する方法の一つとして広く用いられている。非線型微分方程式の例として、例えばナビエ–ストークス方程式が挙げられる。NS方程式は流体の運動を記述する基本方程式であり、物理学の応用としても重要な方程式である。しかし、NS方程式の解の存在性は未解決問題でありミレニアム懸賞問題にも選ばれている。
{{Differential equations}} 解析学において、{{読み仮名|'''微分方程式'''|びぶんほうていしき|{{lang-en-short|differential equation}}}}とは、[[未知関数]]とその[[導関数]]の関係式として書かれている[[関数方程式]]である<ref name="r">[[長倉三郎]]ほか編、『[http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/08/6/0800900.html 岩波理化学辞典] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130927144110/http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/08/6/0800900.html|date=2013年9月27日}}』、[[岩波書店]]、1998年、項目「微分方程式」より。ISBN 4-00-080090-6</ref>。 数学の応用分野においてしばしば、異なる2つの変数の関係を調べることが行われる。2変数を対応付ける[[関数 (数学)|関数]]があらわになっていなくても、その導関数(の満たすべき[[方程式]])を適当な仮定の下で定めることができ、そこから目的とする関数を探し出すことができる。 [[物理法則]]を記述する[[基礎方程式]]は、多くが[[時間微分]]、[[空間微分]]を含む微分方程式であり、[[物理学]]からの要請もあり微分方程式の解法には多くの関心が注がれてきた。 {{Calculus}} 方程式論は[[解析学]]の中心的な分野で、[[フーリエ変換]]、[[ラプラス変換]]等は元々、微分方程式を解くために開発された手法である。また物理学における微分方程式の主要な問題は[[境界値問題]]、[[固有値問題]]である<ref name="r" />。 微分方程式は大きく[[線型微分方程式]]と[[非線型微分方程式]]に分類される。線形微分方程式の例として、例えば[[シュレーディンガー方程式]]が挙げられる。シュレーディンガー方程式は、量子系の状態の時間発展を記述する方法の一つとして広く用いられている。非線型微分方程式の例として、例えば[[ナビエ–ストークス方程式]](NS方程式)が挙げられる。NS方程式は[[流体力学|流体]]の運動を記述する基本方程式であり、物理学の応用としても重要な方程式である。しかし、NS方程式の解の存在性は[[数学上の未解決問題|未解決問題]]であり[[ミレニアム懸賞問題]]にも選ばれている。 {{main2|その他、有名な微分方程式については[[:Category:微分方程式]]を}} == 概要 == 微分方程式は方程式に含まれる[[導関数]]の'''階数'''<ref group="注釈">{{lang-en-short|order}}</ref>によって分類され、最も高い階数が {{mvar|n}} 次である場合、その微分方程式を {{mvar|n}} 階微分方程式<ref group="注釈">{{lang-en-short|{{mvar|n}}th order differential equation}}</ref>と呼ぶ<ref name="r" />。 いずれの場合も未知関数は一つとは限らず、また、連立する複数の微分方程式を同時に満たす関数を解とするような[[方程式|連立方程式]]の形を取る場合もある<ref name="r"/>。これは連立 {{mvar|n}} 階微分方程式などと呼ばれる。 === 常微分方程式と偏微分方程式 === {{main|常微分方程式|偏微分方程式}} 一変数関数の[[導関数]]の関係式で書かれる[[常微分方程式]]と多変数関数の[[偏微分|偏導関数]]を含む関係式で書かれる[[偏微分方程式]]に分かれる<ref name="r" />。 常微分方程式とは例えば、 :<math>\frac{\mathrm d}{\mathrm {d}x}\!f(x) - f(x) = 0</math> や、 :<math>\frac{\mathrm{d}^2}{\mathrm {d}x^2}\!f(x) - 2\frac{\mathrm d}{\mathrm {d}x}\!f(x) + f(x) = \sin(x)</math> のような方程式である。 また、偏微分方程式は、 :<math>\left(x\frac{\partial}{\partial y} - y\frac{\partial}{\partial x}\right) f(x,y) = 0</math> や、 :<math>\left(\frac{\partial^2}{\partial x^2} + \frac{\partial^2}{\partial y^2}\right) f(x,y) = \alpha x + \beta y</math> のような格好をした方程式である。 === 代数的微分方程式 === 未知関数とその導関数の関係式が、未知関数や導関数を変数と見たときに[[解析関数]]を係数とする多項式である場合、'''代数的微分方程式'''と呼ばれる。 === 線形微分方程式 === {{main|線型微分方程式}} 方程式が未知関数の一次式として書けるような方程式を'''[[線形微分方程式]]'''と呼ぶ。また、線型でない微分方程式は'''[[非線形微分方程式]]'''<ref group="注釈">{{lang-en-short|non-linear differential equation}}</ref>と呼ばれる。 例えば、{{math|''g''(''x'')}} を {{math|''f''(''x'')}} を含まない既知の関数とすれば、 :<math>\left(\frac{\mathrm d}{\mathrm{d}x} + \alpha\right)f(x) = g(x)</math> は'''線型微分方程式'''であり、 :<math>\left(\frac{\mathrm{d}}{\mathrm{d}x}f(x)\frac{\mathrm{d}}{\mathrm{d}x}\right)f(x) = g(x)</math> は'''非線型微分方程式'''である。線型と呼ばれる理由は[[#斉次方程式と非斉次方程式|後述する線型斉次な方程式]]について、解の線型結合がその方程式の一般解をなすためである。 未知関数が 1 つの場合、高階の線型微分方程式を一階線型微分方程式の形に書き直すことができる。 たとえば、{{math|{{(}}''g<sub>k</sub>''{{)}}}} を既知関数の組として、以下の線型微分方程式が与えられたとき、 :<math>\left(\sum_{k=0}^n g_{k+1}(x)\frac{\mathrm{d}^k}{{\mathrm{d}x}^k}\right)f(x) = g_0(x), \quad g_{n+1}(x) = 1</math> 未知関数 {{math|''f''(''x'')}} の{{mvar|k}} 階の導関数を {{math|''y<sub>k</sub>''(''x'')}} として ({{math|''k'' {{=}} 0,..., ''n'' &minus; 1}})、以下の一組の微分方程式を得る。 :<math>\begin{cases} \displaystyle \frac{\mathrm d}{\mathrm{d}x}y_{k-1}(x) = y_k(x), \quad k=1,\dots,n-1\\ \displaystyle \frac{\mathrm d}{\mathrm{d}x}y_{n-1}(x) = g_0(x) - \sum_{k=0}^{n-1} g_{k+1}(x)y_k(x) \end{cases}</math> この微分方程式は、より一般的に、[[ベクトル空間|ベクトル]]と[[行列 (数学)|行列]]の記法を用いて :<math>\frac{\mathrm d}{\mathrm{d}x}\mathbf{y}(x) = A(x)\mathbf{y}(x) + \mathbf{b}(x)</math> と書くことができる。ここで {{math|'''y'''}} は未知関数 {{math|''y''<sub>0</sub>,..., ''y''<sub>''n''&minus;1</sub>}} を成分に持つベクトル、{{mvar|A}} は既知関数 {{math|{{(}}''a<sub>ij</sub>''{{)}}<sub>''i,j''{{=}}0,...,''n''&minus;1</sub>}} を成分に持つ {{math|''n''&thinsp;&times;&thinsp;''n''}} の行列、{{math|'''b'''}} は既知関数 {{math|''b''<sub>0</sub>,..., ''b''<sub>''n''&minus;1</sub>}} を成分に持つベクトルである。 ==== 斉次方程式と非斉次方程式 ==== すべての項が未知関数を含むか {{math|0}} であるような線型微分方程式を'''線型斉次微分方程式'''<ref group="注釈">{{lang-en-short|homogeneous linear differential equation}}</ref>と呼び、斉次でない線形微分方程式は'''線型非斉次微分方程式'''<ref group="注釈">{{lang-en-short|inhomogeneous linear differential equation}}</ref>と呼ばれる。同じ意味の言葉として斉次方程式をしばしば'''同次方程式'''と呼ぶことがある。 例えば、 :<math>\frac{\mathrm d}{\mathrm{d}x}\!f(x)+f(x)=0</math> は'''斉次'''な方程式であり、右辺に {{mvar|&alpha;}} を加えた、 :<math>\frac{\mathrm d}{\mathrm{d}x}\!f(x)+f(x) = \alpha</math> は'''非斉次'''な方程式である。 より一般の線形常微分方程式について、 :<math>\left(\sum_{k=0}^n g_{k+1}(x)\frac{\mathrm{d}^k}{{\mathrm{d}x}^k}\right)f(x) = g_0(x), \quad g_{n+1}(x) = 1</math> 右辺の関数 {{math|''g''<sub>0</sub>(''x'')}} がゼロならこの方程式は斉次である。 斉次方程式の特徴として、方程式の解 {{math|''s''(''x'')}} が得られたとき、その定数倍 {{math|''cs''(''x'')}} も方程式の解となる。また、斉次方程式の解の[[線形結合]]もその斉次方程式の解になる。 また、非斉次な方程式の解 {{math|''s''<sub>in</sub>(''x'')}} が得られたとき、元の方程式を斉次な形にしたときの解 {{math|''s''<sub>hom</sub>(''x'')}} を用いて、非斉次方程式の新たな解 {{math|''s''<sub>in</sub>(''x'') + ''s''<sub>hom</sub>(''x'')}} を作ることができる。実際、 :<math>\left(\sum_{k=0}^n g_{k+1}(x)\frac{\mathrm{d}^k}{\mathrm{d}x^k}\right)\left(s_\mathrm{in}(x)+s_\mathrm{hom}(x)\right) = g_0(x)</math> としたとき、{{math|''s''<sub>in</sub>(''x''), ''s''<sub>hom</sub>(''x'')}} はそれぞれ :<math>\begin{align} \left(\sum_{k=0}^n g_{k+1}(x)\frac{\mathrm{d}^k}{{\mathrm{d}x}^k}\right)s_\mathrm{hom}(x) &= 0\\ \left(\sum_{k=0}^n g_{k+1}(x)\frac{\mathrm{d}^k}{{\mathrm{d}x}^k}\right)s_\mathrm{in}(x) &= g_0(x) \end{align}</math> を満たすので、{{math|''s''<sub>in</sub>(''x'') + ''s''<sub>hom</sub>(''x'')}} は元の方程式の解になっている。 === 確率微分方程式 === {{main|確率微分方程式}} 方程式に含まれる既知関数が[[確率変数]]によって記述されるような微分方程式を'''確率微分方程式'''<ref group="注釈">{{lang-en-short|stochastic differential equation}}、SDE</ref>と呼ぶ。確率常微分方程式や確率偏微分方程式はしばしば英語の頭文字を取って“{{lang|en|SODE}}”, “{{lang|en|SPDE}}”と略記される。代表的な例は物理学における[[ランジュバン方程式]]や金融工学における[[ブラック-ショールズ方程式]]がある。確率微分方程式の既知関数は、自身の[[期待値]]や[[相関関数]]によって特徴付けられる。 == 解法 == 微分方程式に限らず一般の方程式は必ずしも厳密解が得られるとは限らない。従って多く場合は[[摂動]]などの手法を用いて近似的な評価を与えるか、[[ルンゲ=クッタ法]]や[[SOR法]]、[[有限要素法]]のような[[数値解析|数値解法]]によって具体的な解を得ることになる。しかしながらいくつかの基本的な微分方程式については、厳密解が得られたり、形式的に解を書き表せる。 微分方程式の具体的な解法としては代表的なものに、斉次方程式の解を利用して解く[[定数変化法]]、[[グリーン関数]]を用いた解法、[[差分方程式]]を用いた解法、[[ラプラス変換]]や[[逆ラプラス変換]]を用いた解法などが知られている。 === 指数関数と微分方程式 === 一階の線型斉次常微分方程式の中で最も基本的な方程式として次のものがある。 {{Indent|<math> \frac{\mathrm{d}y(x)}{\mathrm{d}x} = y(x). </math>}} 一般の線形微分方程式を解く際も、まずこの種の斉次微分方程式に帰着させるため、この方程式は微分方程式の解法を調べる上で基本的な役割を果たす。 この方程式の解はよく知られているように[[指数関数]]となる<ref group="注釈">この微分方程式の解として指数関数を定義する場合もある。その場合、{{math|''y''(0) {{=}} 1}} となる解 {{math|''y''(''x'')}} を指数関数 {{math|exp(''x'') (&equiv; e{{sup|''x''}})}} とする。</ref>。 {{Indent|<math>y(x) = C\mathrm{e}^x.</math>}} ここで {{mvar|C}} は任意定数である。解法は脚注にて紹介する{{efn|'''解法:''' 一つの方法は次の[[自然対数]]の積分公式を利用する方法である。 {{indent|<math>\scriptstyle \int \frac{\mathrm{d}x'}{x'} = \ln|x| + \mathrm{constant}.</math>}} ある {{mvar|x}} で {{mvar|y}} が {{math|0}} となるなら、 {{indent|<math>\scriptstyle \frac{\mathrm{d}y(x)}{\mathrm{d}x} = 0</math>}} 方程式を満たす解 {{mvar|y}} は {{math|0}} である。次に {{mvar|y}} が {{math|0}} とならない解を探すと、 方程式は次のように変形できる。 {{Indent|<math>\scriptstyle \frac{1}{y(x)}\frac{\mathrm{d}y(x)}{\mathrm{d}x} = 1.</math>}} 両辺を積分すれば、右辺は最初に示した積分と同じ形になる<ref group="注釈">この関係を示す際に、ラフな計算法として {{math|d''y'', d''x''}} を微小な数として扱うことがある。つまり、 :<math>\scriptstyle \frac{\mathrm{d}y}{\mathrm{d}x} = y</math> の両辺に {{math|d''x''/''y''}} を掛けて、 :<math>\scriptstyle \frac{\mathrm{d}y}{y} = \mathrm{d}x</math> とし、最後に積分記号 {{math|&int;}} を添える。</ref>。 {{Indent|<math>\scriptstyle \int \frac{1}{y'}\,\mathrm{d}y' = \int 1\,\mathrm{d}x'.</math>}} 両辺の積分を計算すると方程式の解は[[指数関数]]になることが分かる<ref group="注釈">対数関数が指数関数の[[逆関数]]であることを利用する。{{math|exp(ln ''y'') {{=}} ''y''.}}</ref>。 {{Indent|<math>\scriptstyle y(x) = \mathrm{constant}\times \exp(x).</math>}} その他の解法としては結局、指数関数か対数関数の定義に帰着させることになる。 }}。 指数関数の有用な性質として、[[微分作用素]]を別の定数や関数に置き換えられることが挙げられる。係数が定数の斉次方程式 :<math>\left(\sum_{k=0}^n c_{k+1}\frac{\mathrm{d}^k}{{\mathrm{d}x}^k}\right)f(x) = 0, \quad c_{n+1} = 1</math> の解として指数関数で書けるものを探すと、{{math|''f''(''x'') {{=}} ''C''exp(''&lambda;x'')}} と置き換えて、 :<math>\sum_{k=0}^n c_{k+1}\lambda^k = 0</math> と書くことができる<ref group="注釈">非自明な解を探しているので、任意の {{mvar|&lambda;}} に対して {{math|''f''(''x'') {{=}} ''C''exp(''&lambda;x'') &ne; 0}} である。従って、 :<math>\scriptstyle \left(\sum_{k=0}^n c_{k+1}\lambda^k\right)C\exp(\lambda x) = 0</math> を満たす {{mvar|&lambda;}} はすべて :<math>\scriptstyle \sum_{k=0}^n c_{k+1}\lambda^k = 0</math> を満たす。</ref>。これは {{mvar|&lambda;}} に対する {{mvar|n}} 次の[[代数方程式]]になっている。 [[重根 (多項式)|重根]]がなければ方程式の解が {{mvar|n}} 個求まることになり、斉次方程式の一般解はそれらの[[線型結合]]として表される。 この形の方程式の一般解を求める方法としては[[定数変化法]]がある<ref group="注釈">解の形として {{math|''f''(''x'') {{=}} ''C''(''x'')exp(''&lambda;x'')}} というものを仮定しても一般性は損なわれない。</ref>。 === 一階線型常微分方程式 === 一つの未知関数に対する、一般の一階線型常微分方程式は、既知関数を {{math|''P''(''x'')}}、{{math|''Q''(''x'')}} として、次のように書かれる。 {{Indent|<math>\frac{\mathrm{d}y(x)}{\mathrm{d}x} + P(x)y(x) = Q(x).</math>}} この一階線型常微分方程式は、[[一般解]]が[[求積法]]で解ける。 まず、斉次方程式 {{Indent|<math>\frac{\mathrm{d}y(x)}{\mathrm{d}x} + P(x)y(x) = 0</math>}} の一般解は、積分定数を {{math|''A'' &ne; 0}} として、 {{Indent|<math>y(x) = A\exp\left(-\int P(x')\,\mathrm{d}x'\right)</math>}} となる。一階線型常微分方程式の一般解は、斉次方程式の解を利用し {{mvar|A}} を {{mvar|x}} の関数とみなす[[定数変化法]]によって求められる。 {{Indent|<math>y(x) = \left\{\int Q(x') \exp\left(\int P(x'')\,\mathrm{d}x''\right)\mathrm{d}x' +C\right\} \exp\left(-\int P(x')\,\mathrm{d}x'\right).</math>}} ここで {{math|''C'' &ne; 0}} は積分定数である。 === 二階線型常微分方程式 === 二階線型常微分方程式の一般形は、既知関数を {{math|''P''(''x''), ''Q''(''x''), ''R''(''x'')}} として、次のように書かれる。 {{Indent|<math>\frac{\mathrm{d}^2y(x)}{\mathrm{d}x^2}+P(x)\frac{\mathrm{d}y(x)}{\mathrm{d}x}+Q(x)y=R(x).</math>}} この二階線型常微分方程式は、このままの形では求積法を用いて[[一般解]]を表示することはできない。 もし、右辺を {{math|0}} とした斉次方程式の[[特殊解]]として、{{math|''y'' {{=}} ''y''<sub>1</sub>}} が存在すれば、 {{Indent|<math>\frac{\mathrm{d}^2 y_1(x)}{\mathrm{d}x^2}+P(x)\frac{\mathrm{d}y_1(x)}{\mathrm{d}x}+Q(x)y_1(x) = 0</math>}} が成り立つので、{{mvar|z}} なる未知関数を導入して、 {{Indent|<math> y(x)=y_1(x)z(x)</math>}} とすれば、二階線型常微分方程式が、{{mvar|z}} に関する常微分方程式、 {{Indent|<math>\begin{align} &y_{1}\frac{\mathrm{d}^2 z(x)}{\mathrm{d}x^2} + \Bigl(2y'_1(x) + P(x)y_1(x)\Bigr)\frac{\mathrm{d}z(x)}{\mathrm{d}x} = R(x),\\ &y'_1(x) = \frac{\mathrm{d}y_1(x)}{\mathrm{d}x}, \end{align}</math>}} に変換される。この常微分方程式は、導関数 {{math|d''z''/d''x''}} に関して一階線型常微分方程式なので、求積法で解ける。その一般解を {{Indent|<math> z=\psi(C_1,C_2,x)~~</math>}} とすると、二階線型常微分方程式の一般解は、 {{Indent|<math> y=y_{1}\psi(C_1,C_2,x)~~</math>}} で与えられる。なお、{{math|''C''<sub>1</sub>, ''C''<sub>2</sub>}} は積分定数である。 {{mvar|x}} の既知関数を含む二階線型常微分方程式で、求積法で解ける微分方程式は少ないが、 次の微分方程式などが知られている<ref name="diffequ-2005nga">長島隆廣 『常微分方程式80余例とその厳密解』 近代文芸社、2005年 ISBN 4-7733-7282-6. 国立国会図書館蔵書, 請求記号:MA117-H55(東京 本館書庫)</ref><ref name="diffeq-198205">長島 隆廣[常微分方程式134例とその解]丸善出版サービスセンター,1982年5月発行,国立国会図書館・請求記号 MA117-111,全国書誌番号 82049441</ref><ref name="difeq-201812ccrmap">長島 隆廣『常微分方程式80余例と求積法による解法』2018年12月 researchmap で公開,全編PDF: https://researchmap.jp/T_Nagashima または,https://researchmap.jp/multidatabases/multidatabase_contents/detail/263160/16f8fddfba5ab789f6475ac2962bfd31?frame_id=539358</ref>。<!-- 2.参考文献を追加記入 2020/02/06/T.N. --> {| class="wikitable" style="text-align:center" |+ 求積法で解ける方程式の例<ref group="注釈">{{math|''a'' &ne; 0}} と {{math|''b'' &ne; 0}} および {{mvar|&alpha;}} と {{math|''&beta;'' &ne; 0}} は定数で、{{math|''C''<sub>1</sub>, ''C''<sub>2</sub>}} は[[積分定数]]。</ref> ! 方程式 !! 一般解<ref name="diffequ-2005nga"/> |- | <math>\frac{\mathrm{d}^2y}{\mathrm{d}x^2}-xP(x)\frac{\mathrm{d}y}{\mathrm{d}x}+P(x)y=0</math>||<math>y=x \Bigl\{C_1 +C_2 \int \frac{1}{\,x^2 \,}\exp \Bigl( \int\! x P(x) \,dx \Bigr)\, dx \Bigr\}</math> |- | <math>\frac{\mathrm{d}^2y}{\mathrm{d}x^2}+P(x)\frac{\mathrm{d}y}{\mathrm{d}x}-a(a+P(x))y=0</math>||<math>y=e^{ax}\Bigl\{C_1 +C_2\! \int \exp \Bigl(\! -2ax -\!\! \int\! P(x)\,dx \Bigr)\, dx \Bigr\}</math> |- | <math>P(x)\frac{\mathrm{d}^2 y}{\mathrm{d}x^2}+(a+bx)\frac{\mathrm{d}y}{\mathrm{d}x}-by=0</math>||<math>y= C_1\!\! \int \! \! \int \!\! \frac{1}{\,P(x)\,}\exp \Bigl(\! -\!\! \int \! \frac{\,a+bx\,}{P(x)}\,dx \Bigr)\, dx\, dx +C_2\Bigl(x+\frac{a}{\,b\,}\Bigr)</math> |- | <math>\frac{\mathrm{d}^2y\,}{\mathrm{d}x^2}-\left(\frac{1}{2P(x)}\cdot\frac{\mathrm{d}P(x)}{\mathrm{d}x}\right)\frac{\mathrm{d}y}{\mathrm{d}x}+P(x)y=0</math>||<math>y=C_1\sin\left(\int\sqrt{P(x)}\,\mathrm{d}x\right)+C_2\cos\left(\int\sqrt{P(x)}\,\mathrm{d}x\right)</math> |- | <math>\frac{\mathrm{d}^2y\,}{\mathrm{d}x^2}-\left(\frac{1}{P(x)}\cdot\frac{\mathrm{d}P(x)}{\mathrm{d}x}\right)\frac{\mathrm{d}y}{\mathrm{d}x}-\left(P(x)\right)^2 y=0</math>||<math>y=C_1\exp\left(\int P(x)\,\mathrm{d}x\right)+C_2\exp\left(-\int P(x)\,\mathrm{d}x\right)</math> |- | <math>x\frac{\mathrm{d}^2 y\,}{\mathrm{d}x^2}+(\alpha + \beta x)\frac{\mathrm{d}y}{\mathrm{d}x}+\beta y = 0.</math>||<math>y=x^{1-\alpha}e^{-\beta x} \left( C_1 \int{}x^{\alpha-2} e^{\beta x}\,\mathrm{d}x + C_2 \right)</math> |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|数学|[[画像:Nuvola apps edu mathematics-p.svg|34px|Portal:数学]]}} *[[方程式]] *[[関数方程式]] *[[常微分方程式]] **[[常微分方程式の数値解法]] *[[偏微分方程式]] **[[偏微分方程式の数値解法]] *[[確率微分方程式]] *[[線型微分方程式]] *[[求積法]] *[[変数分離]] *[[線型性]] *[[初期値問題]] *[[境界値問題]] *[[固有値問題]] *[[安定性理論]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{数学}} {{Calculus topics}} {{Analysis-footer}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひふんほうていしき}} [[Category:微分方程式|*]] [[Category:解析学]] [[Category:方程式]] [[Category:数学に関する記事]]
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フィールズ賞
フィールズ賞(フィールズしょう)は、若い数学者のすぐれた業績を顕彰し、その後の研究を励ますことを目的に、カナダ人数学者ジョン・チャールズ・フィールズ (John Charles Fields, 1863年 - 1932年) の提唱によって1936年に作られた賞のことである。 4年に一度開催される国際数学者会議 (ICM) において、顕著な業績を上げた40歳以下の数学者(2名以上4名以下)に授与される。ICMで同時に授与される賞としては、ネヴァンリンナ賞、ガウス賞、チャーン賞などがある。 数学に関する賞では最高の権威を有する。しかし、若い数学者の優れた業績を顕彰し、その後の研究を奨励することが目的であり、「4年に一度」「40歳以下」「2名以上4名以下」という制限がある。ただし、唯一の例外として、「フェルマーの最終定理」の証明に成功したアンドリュー・ワイルズは証明当時すでに42歳になっていたが、その業績の重要性から1998年に45歳で「特別賞」を与えられた。 受賞者は西ヨーロッパとアメリカの数学者が通例で、ダランベールかライプニッツの系譜に連なる場合が多い。冷戦時には、共産圏の数学者との交流は困難であった。1970年、初めてソ連の数学者が受賞したが、海外渡航が許されず授賞式には出席できなかった。受賞者の出身国は多様化してきており、ベトナム、イラン、ブラジルなども受賞者を出している。2014年には初めての女性受賞者が現れた。なお、メダルは国際数学者会議の開幕式において名誉議長から手渡される。 フィールズ賞は、フィールズ賞選考委員会で決められる。グリゴリー・ペレルマンは、2019年時点では受賞を辞退したただ一人の人物である。 「数学のノーベル賞」と呼ばれることもあるが、賞としての性格は大きく異なる。ノーベル賞は(存命であれば)受賞者の年齢に関係なく贈られるのに対し、フィールズ賞はその時点でまさに活躍中の40歳以下の若手数学者に贈賞されている。また、ノーベル賞は業績ごとに選考されるため、一つの業績に対して複数の共同受賞者が出ることが多くなっているがフィールズ賞は個人に贈られるものであり、共同受賞の例はない。 近年では、「年齢制限なし」「毎年授与」「高額賞金」などノーベル賞に近い性格を持つ国際的数学賞が次々と現れている。1980年に創設されたクラフォード賞は、毎年ではないものの数学上の業績に対して比較的高額な賞金を年齢制限なく与える国際学術賞である。ウルフ賞数学部門も、賞金規模はやや小さいものの、1978年以降ほぼ毎年、年齢制限なく与えられている。2000年には、特定の業績に対してのみノーベル賞級の高額賞金を年齢制限なく与える「ミレニアム懸賞問題」が発表され、世界中の関心を集めた。 2002年には、ノーベル賞により性格の近いアーベル賞が設立された。フィールズ賞とアーベル賞の両方を受賞した人物も存在する。 さらに2014年には、ノーベル賞をも超越する莫大な賞金額を誇る数学ブレイクスルー賞が創設された。 日本人の受賞者は、2020年現在、小平邦彦(1954年)、広中平祐(1970年)、森重文(1990年)の3人(国籍別では5番目に多い)であり、1990年以降受賞者は出ていない。 東洋系の受賞者は上記の3名以外に、丘成桐(中国系米国人)(1982年)、陶哲軒(中国系オーストラリア人)(2006年)、ゴ・バオ・チャウ(ベトナム系フランス人)(2010年)、マリアム・ミルザハニ(イラン人)(2014年)、マンジュル・バルガヴァ(インド系カナダ・米国人)(2014年)、許埈珥(韓国系米国人)(2022年)の6人がいる。 名前の読み(名前の綴り、生年 - 没年)、国籍、受賞理由(英語)の順。国籍は受賞時の国名で記す。 受賞時の国籍が基準。二重国籍はそれぞれの国に1個。国旗は現在のもの。ただし、消滅した国の国旗は最後の受賞者の受賞時のもの。(2022年7月現在)
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フィールズ賞(フィールズしょう)は、若い数学者のすぐれた業績を顕彰し、その後の研究を励ますことを目的に、カナダ人数学者ジョン・チャールズ・フィールズ の提唱によって1936年に作られた賞のことである。
{{Infobox award | name = フィールズ賞 | image = FieldsMedalFrontArchimedes.jpg | imagesize = 200px | alt = フィールズ・メダル(表面) | caption = フィールズ・メダルの表面。[[アルキメデス]]の肖像と銘文 {{lang-la|TRANSIRE SUUM PECTUS MUNDOQUE POTIRI}}(己を高め、世界を捉えよ{{sfn|モナスティルスキー|2013|p=27}})が刻まれている。カナダの彫刻家[[ロバート・テイト・マッケンジー]]によるデザインで{{sfn|Tropp|1976|p=181}}、カナダ王室造幣局で鋳造されている{{sfn|Riehm|2002|p=781}}。受賞者の名前は縁に刻まれる{{sfn|Curbera|2009|p={{Google books quote|id=9uDqBgAAQBAJ|page=111|111}}}}。 | description = 傑出した業績をあげた40歳以下の数学者 | presenter = [[国際数学者会議]] (ICM) | country = | year = [[1936年]] | website = [https://www.mathunion.org/imu-awards/fields-medal International Mathematical Union (IMU) Details] }} '''フィールズ賞'''(フィールズしょう)は、若い数学者のすぐれた業績を顕彰し、その後の研究を励ますことを目的に、[[カナダ]]人[[数学者]][[ジョン・チャールズ・フィールズ]] (John Charles Fields, 1863年 - 1932年) の提唱によって[[1936年]]に作られた[[賞]]のことである<ref name="IMU">{{Cite web |url=https://www.mathunion.org/imu-awards/fields-medal |title=Fields Medal |accessdate=2021-12-06 |publisher=[[国際数学連合]]}}</ref><ref>[[#Reference-Kotobank-フィールズ賞|世界大百科事典 第2版『フィールズ賞』]]</ref>{{sfn|モナスティルスキー|2013}}。 == 概要 == 4年に一度開催される[[国際数学者会議]] (ICM) において、顕著な業績を上げた40歳以下{{efn|正確な規定は次の通り:受賞年の1月1日より前に40歳の誕生日を迎えたものは候補となれない{{sfn|Curbera|2009|p={{Google books quote|id=9uDqBgAAQBAJ|page=110|110}}}}。ただし厳格な規定が成文化されたのは1966年のICMにおいてである{{sfn|Barany|2015|p=17}}。}}の数学者(2名以上4名以下)に授与される<ref name="IMU" />。ICMで同時に授与される賞としては、[[ネヴァンリンナ賞]]、[[ガウス賞]]、[[チャーン賞]]などがある。 数学に関する賞では最高の権威を有する<ref>{{Cite journal |title=2006 Fields Medals awarded |journal=[[Notices of the American Mathematical Society]] |volume=53 |issue=9 |publisher=[[アメリカ数学会|American Mathematical Society]] |year=2006 |month=10 |page=1037-1044 |url=http://www.ams.org/notices/200609/comm-prize-fields.pdf |format=PDF |accessdate=2021-12-06}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mathsoc.jp/publicity/news20100819.html |title=ICM2010におけるフィールズ賞を含むIMU各賞の受賞者について |date=2010-08-19 |accessdate=2021-12-06 |publisher=[[日本数学会]]}}</ref>。しかし、若い数学者の優れた業績を顕彰し、その後の研究を奨励することが目的であり、「4年に一度」「40歳以下」「2名以上4名以下」という制限がある。ただし、唯一の例外として、「[[フェルマーの最終定理]]」の証明に成功した[[アンドリュー・ワイルズ]]は証明当時すでに42歳になっていたが、その業績の重要性から1998年に45歳で「特別賞」を与えられた。 受賞者は西ヨーロッパとアメリカの数学者が通例で<ref name="SCIENTIFIC AMERICAN">{{Cite web|url=https://www.scientificamerican.com/article/fields-medals-are-concentrated-in-mathematical-families/|title=Fields Medals Are Concentrated in Mathematical ‘Families’|accessdate=2021-12-05|publisher=SCIENTIFIC AMERICAN}}</ref>、[[ジャン・ル・ロン・ダランベール|ダランベール]]か[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]の系譜に連なる場合が多い<ref name="SCIENTIFIC AMERICAN" />。冷戦時には、共産圏の数学者との交流は困難であった。1970年、初めてソ連の数学者が受賞したが、海外渡航が許されず授賞式には出席できなかった{{sfn|モナスティルスキー|2013|p=19}}。受賞者の出身国は多様化してきており、ベトナム、イラン、ブラジルなども受賞者を出している。2014年には初めての女性受賞者が現れた<ref name="afpbb20140813">{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3022978 |title=「数学のノーベル賞」で女性初受賞、イラン出身の米大教授 |date=2014-08-13 |accessdate=2021-12-06 |publisher=AFPBB News}}</ref>。なお、メダルは国際数学者会議の開幕式において名誉議長から手渡される{{sfn|モナスティルスキー|2013|p=34}}。 フィールズ賞は、フィールズ賞選考委員会で決められる<ref name="IMU" />。[[グリゴリー・ペレルマン]]は、2019年時点では受賞を辞退したただ一人の人物である。 === 他の贈賞との比較 === 「[[ある分野のノーベル賞として知られる賞の一覧|数学のノーベル賞]]」と呼ばれることもあるが<ref name="afpbb20140813" />{{sfn|渡辺|上総|1985}}、賞としての性格は大きく異なる{{efn|たとえば[[マイケル・アティヤ|アティヤ]]はインタビューでそれらの名声と効果の違いについて比較し述べている<ref>{{Cite book|和書|author=マイケル・F. アティヤ |authorlink=マイケル・アティヤ |others=志賀浩二 訳 |title=数学とは何か アティヤ 科学・数学論集 |date=2010-11-25 |publisher=朝倉書店 |isbn=978-4-254-10247-5 |pages=148-149}}</ref>。また日本でフィールズ賞をとることは、ノーベル賞をとるようなものだが、英国では誰も気にとめてくれないなど、国によって扱われ方に違いがあることにも言及している。}}。ノーベル賞は(存命であれば)受賞者の年齢に関係なく贈られるのに対し、フィールズ賞はその時点でまさに活躍中の40歳以下の若手数学者に贈賞されている{{sfn|モナスティルスキー|2013}}。また、ノーベル賞は業績ごとに選考されるため、一つの業績に対して複数の共同受賞者が出ることが多くなっているがフィールズ賞は個人に贈られるものであり、共同受賞の例はない。 近年では、「年齢制限なし」「毎年授与」「高額賞金」などノーベル賞に近い性格を持つ国際的数学賞が次々と現れている。1980年に創設された[[クラフォード賞]]は、毎年ではないものの数学上の業績に対して比較的高額な賞金を年齢制限なく与える国際学術賞である。[[ウルフ賞数学部門]]も、賞金規模はやや小さいものの、1978年以降ほぼ毎年、年齢制限なく与えられている。2000年には、特定の業績に対してのみノーベル賞級の高額賞金を年齢制限なく与える「[[ミレニアム懸賞問題]]」が発表され、世界中の関心を集めた。 [[2002年]]には、[[ノーベル賞]]により性格の近い[[アーベル賞]]が設立された。フィールズ賞とアーベル賞の両方を受賞した人物も存在する。 さらに[[2014年]]には、ノーベル賞をも超越する莫大な賞金額を誇る[[数学ブレイクスルー賞]]が創設された。 {|class="wikitable" style="margin:0 auto" !比較項目!!数学ブレイクスルー賞!!ミレニアム懸賞問題!!ノーベル賞!!アーベル賞!!フィールズ賞 |- !第1回 |[[2015年]]||''(創設は2000年)''||[[1901年]]||[[2003年]]||[[1936年]] |- !実施間隔 |1年||不定||1年||1年||4年 |- !年齢制限 |なし||なし||なし||なし||40歳以下 |- !賞金額 |約3億円||約1億円||約1億円||約1億円||約200万円 |- !授賞分野の制限 |特になし||特定業績のみ||'''数学を対象としない'''||特になし||特になし |} == 東洋人の受賞者 == [[日本人]]の受賞者は、2020年現在、[[小平邦彦]]([[1954年]])、[[広中平祐]]([[1970年]])、[[森重文]]([[1990年]])の3人(国籍別では5番目に多い)であり、1990年以降受賞者は出ていない。 東洋系の受賞者は上記の3名以外に、[[丘成桐]](中国系米国人)([[1982年]])、[[陶哲軒]](中国系オーストラリア人)([[2006年]])、[[ゴ・バオ・チャウ]](ベトナム系フランス人)([[2010年]])、[[マリアム・ミルザハニ]](イラン人)([[2014年]])、[[マンジュル・バルガヴァ]](インド系カナダ・米国人)(2014年)、[[許埈珥]](韓国系米国人)(2022年)の6人がいる。 == 受賞者の一覧 == 名前の読み(名前の綴り、生年 - 没年)、国籍、受賞理由(英語)の順。国籍は受賞時の国名で記す。 ;[[1936年]]([[オスロ]]) * [[ラース・ヴァレリアン・アールフォルス]](Lars Valerian Ahlfors, [[1907年]] - [[1996年]]){{FIN}} {{cquote|Awarded medal for research on covering surfaces related to [[リーマン面|Riemann surfaces]] of inverse functions of entire and [[有理型関数|meromorphic functions]]. Opened up new fields of analysis.}} * [[ジェス・ダグラス]](Jesse Douglas, [[1897年]] - [[1965年]]){{USA}} {{cquote|Did important work of the Plateau problem which is concerned with finding minimal surfaces connecting and determined by some fixed boundary.}} ;[[1950年]]([[ケンブリッジ]]) * [[ローラン・シュヴァルツ]](Laurent Schwartz, [[1915年]] - [[2002年]]){{FRA}} {{cquote|Developed the theory of [[超関数|distributions]], a new notion of generalized function motivated by the [[ディラックのデルタ関数|Dirac delta-function]] of [[理論物理学|theoretical physics]].}} * [[アトル・セルバーク]](Atle Selberg, [[1917年]] - [[2007年]]){{NOR}} {{cquote|Developed generalizations of the [[篩法|sieve methods]] of [[ヴィーゴ・ブルン|Viggo Brun]]; achieved major results on zeros of the [[リーマンゼータ関数|Riemann zeta function]]; gave an elementary proof of the [[素数定理|prime number theorem]] (with [[エルデシュ|P. Erdős]]), with a generalization to prime numbers in an arbitrary [[等差数列|arithmetic progression]].}} ;[[1954年]]([[アムステルダム]]) * [[小平邦彦]](Kunihiko Kodaira, [[1915年]] - [[1997年]]){{JPN}} {{cquote|Achieved major results in the theory of harmonic integrals and numerous applications to Kählerian and more specifically to [[代数多様体|algebraic varieties]]. He demonstrated, by sheaf cohomology, that such varieties are [[ホッジ多様体|Hodge manifolds]].}} * [[ジャン=ピエール・セール|ジャン=ピエール・セール]](Jean-Pierre Serre, [[1926年]] - ){{FRA}} {{cquote|Achieved major results on the [[ホモトピー群|homotopy groups]] of spheres, especially in his use of the method of spectral sequences. Reformulated and extended some of the main results of complex variable theory in terms of [[層 (数学)|sheaves]].}} ;[[1958年]]([[エディンバラ]]) * [[クラウス・フリードリッヒ・ロス]] (Klaus Friedrich Roth, [[1925年]] - [[2015年]]){{GBR}}([[ヴロツワフ]]生まれ。当時は[[ドイツ]]領、現在は[[ポーランド]]領) {{cquote|Solved in 1955 the famous Thue-Siegel problem concerning the [[ディオファントス近似|approximation]] to [[代数的数|algebraic numbers]] by [[有理数|rational numbers]] and proved in 1952 that a sequence with no three numbers in [[等差数列|arithmetic progression]] has zero density (a conjecture of [[エルデシュ|Erdös]] and Turán of 1935).}} * [[ルネ・トム]](René Thom, [[1923年]] - [[2002年]]){{FRA}} {{cquote|In 1954 invented and developed the theory of cobordism in [[代数的トポロジー|algebraic topology]]. This classification of manifolds used [[ホモトピー理論|homotopy theory]] in a fundamental way and became a prime example of a general cohomology theory.}} ;[[1962年]]([[ストックホルム]]) * [[ラース・ヘルマンダー]](Lars Hörmander, [[1931年]] - [[2012年]]){{SWE}} {{cquote|Worked in [[偏微分方程式|partial differential equations]]. Specifically, contributed to the general theory of linear differential operators. The questions go back to one of [[ヒルベルト問題|Hilbert's problems]] at the 1900 congress.}} * [[ジョン・ウィラード・ミルナー]](John Willard Milnor, 1931年 - ){{USA}} {{cquote|Proved that a 7-dimensional [[超球面|sphere]] can have several differential structures; this led to the creation of the field of [[微分位相幾何学|differential topology]].}} ;[[1966年]]([[モスクワ]]) * [[マイケル・フランシス・アティヤ]](Michael Francis Atiyah, [[1929年]] - [[2019年]]){{GBR}} {{cquote|Did joint work with [[ヒルツェブルフ|Hirzebruch]] in [[K理論|K-theory]]; proved jointly with [[イサドール・シンガー|Singer]] the [[指数定理|index theorem]] of elliptic operators on [[複素多様体|complex manifolds]]; worked in collaboration with [[ラウル・ボット|Bott]] to prove a [[アティヤ・ボットの不動点定理|fixed point theorem]] related to the "Lefschetz formula".}} * [[ポール・コーエン (数学者)|ポール・コーエン]](Paul Joseph Cohen, [[1934年]] - [[2007年]]){{USA}} {{cquote|Used technique called "[[強制法|forcing]]" to prove the independence in [[集合論|set theory]] of the [[選択公理|axiom of choice]] and of the [[連続体仮説#一般連続体仮説|generalized continuum hypothesis]]. The latter problem was the first of [[ヒルベルト問題|Hilbert's problems]] of the 1900 Congress.}} * [[アレクサンドル・グロタンディーク]](Alexander Grothendieck, [[1928年]] - [[2014年]])無国籍(主にフランスで活動、ドイツ出身) {{cquote|Built on work of [[アンドレ・ヴェイユ|Weil]] and [[ザリスキー|Zariski]] and effected fundamental advances in [[代数幾何学|algebraic geometry]]. He introduced the idea of [[K理論|K-theory]] (the [[グロタンディーク群|Grothendieck groups]] and rings). Revolutionized [[ホモロジー代数学|homological algebra]] in his celebrated "[[東北数学雑誌|Tohoku]] paper"}} * [[スティーヴン・スメイル]](Stephen Smale, [[1930年]] - ){{USA}} {{cquote|Worked in [[微分位相幾何学|differential topology]] where he proved the generalized [[ポアンカレ予想|Poincaré conjecture]] in dimension n&ge;5: Every closed, n-dimensional manifold [[ホモトピー同値|homotopy-equivalent]] to the [[n次元球面|n-dimensional sphere]] is [[同相|homeomorphic]] to it. Introduced the method of [[ハンドル体|handle-bodies]] to solve this and related problems.}} ;[[1970年]]([[ニース]]) * [[アラン・ベイカー]](Alan Baker, [[1939年]] - [[2018年]]){{GBR}} {{cquote|Generalized the [[ゲルフォント=シュナイダーの定理|Gelfond-Schneider theorem]] (the solution to Hilbert's seventh problem). From this work he generated [[超越数|transcendental numbers]] not previously identified.}} * [[広中平祐]](Heisuke Hironaka, 1931年 - ){{JPN}} {{cquote|Generalized work of [[ザリスキー|Zariski]] who had proved for dimension &le;3 the theorem concerning the resolution of singularities on an [[代数多様体|algebraic variety]]. Hironaka proved the results in any dimension.}} * [[セルゲイ・ノヴィコフ (数学者)|セルゲイ・ノヴィコフ]](Sergei Novikov, [[1938年]] - ){{SSR}} {{cquote|Made important advances in topology, the most well-known being his proof of the topological invariance of the [[ポントリャーギン類|Pontrjagin classes]] of the [[可微分多様体|differentiable manifold]]. His work included a study of the cohomology and homotopy of Thom spaces.}} * [[ジョン・G・トンプソン|ジョン・グリッグス・トンプソン]](John Griggs Thompson, [[1932年]] - ){{USA}} {{cquote|Proved jointly with W. Feit that all non-cyclic finite [[単純群|simple groups]] have even order. The extension of this work by Thompson determined the minimal simple finite groups, that is, the simple finite groups whose proper subgroups are [[可解群|solvable]].}} ;[[1974年]]([[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]) * [[エンリコ・ボンビエリ]](Enrico Bombieri, [[1940年]] - ){{ITA}} {{cquote|Major contributions in the [[素数|primes]], in [[単葉関数|univalent functions]] and the local [[ビーベルバッハ予想|Bieberbach conjecture]], in [[関数論|theory of functions]] of several complex variables, and in theory of [[偏微分方程式|partial differential equations]] and minimal surfaces - in particular, to the solution of Bernstein's problem in higher dimensions.}} * [[デヴィッド・ブライアント・マンフォード]](David Bryant Mumford, [[1937年]] - ){{GBR}} {{cquote|Contributed to problems of the existence and structure of varieties of moduli, varieties whose points parametrize isomorphism classes of some type of geometric object. Also made several important contributions to the theory of [[代数曲面|algebraic surfaces]].}} ;[[1978年]]([[ヘルシンキ]]) * [[ピエール・ルネ・ドリーニュ]](Pierre René Deligne, [[1944年]] - ){{BEL}} {{cquote|Gave solution of the three [[ヴェイユ予想|Weil conjectures]] concerning generalizations of the [[リーマン仮説|Riemann hypothesis]] to finite fields. His work did much to unify [[代数幾何学|algebraic geometry]] and [[代数的整数論|algebraic number theory]].}} * [[チャールズ・ルイス・フェファーマン]](Charles Louis Fefferman, [[1949年]] - ){{USA}} {{cquote|Contributed several innovations that revised the study of multidimensional [[複素解析|complex analysis]] by finding correct generalizations of classical (low-dimensional) results.}} * [[グレゴリー・マルグリス|グレゴリ・アレキサンドロヴィッチ・マルグリス]] (Gregori Aleksandrovi(t?)ch Margulis, [[1946年]] - ){{SSR}} {{cquote|Provided innovative analysis of the structure of [[リー群|Lie groups]]. His work belongs to [[組合せ論|combinatorics]], [[微分幾何学|differential geometry]], [[エルゴード理論|ergodic theory]], [[力学系|dynamical systems]], and Lie groups.}} * [[ダニエル・キレン]] (Daniel G. Quillen, [[1940年]] - [[2011年]]){{USA}} {{cquote|The prime architect of the higher [[代数的K理論|algebraic K-theory]], a new tool that successfully employed geometric and topological methods and ideas to formulate and solve major problems in algebra, particularly [[環論|ring theory]] and [[加群論|module theory]].}} ;[[1982年]]([[ワルシャワ]]) * [[アラン・コンヌ]](Alain Connes, [[1947年]] - ){{FRA}} {{cquote|Contributed to the [[作用素環論|theory of operator algebras]], particularly the general classification and structure theorem of factors of type III, classification of automorphisms of the hyperfinite factor, classification of injective factors, and applications of the theory of [[C*-環|C*-algebras]] to foliations and differential geometry in general.}} * [[ウィリアム・サーストン]](William P. Thurston, 1946年 - 2012年){{USA}} {{cquote|Revolutionized study of [[低次元トポロジー|topology]] in 2 and 3 dimensions, showing interplay between analysis, topology, and geometry. Contributed idea that a very large class of closed 3-manifolds carry a hyperbolic structure.}} * [[丘成桐]](Shing-Tung Yau, 1949年 - ){{USA}}(中国系) {{cquote|Made contributions in [[微分方程式|differential equations]], also to the [[カラビ予想|Calabi conjecture]] in [[代数幾何学|algebraic geometry]], to the positive mass conjecture of [[一般相対性理論|general relativity theory]], and to real and complex Monge-Ampère equations.}} ;[[1986年]]([[バークレー (カリフォルニア州)|バークレー]]) * [[サイモン・ドナルドソン]](Simon K. Donaldson, [[1957年]] - ){{GBR}} {{cquote|Received medal primarily for his work on [[トポロジー|topology]] of four-manifolds, especially for showing that there is a differential structure on euclidian four-space which is different from the usual structure.}} * [[ゲルト・ファルティングス]](Gerd Faltings, [[1954年]] -){{DEU}} {{cquote|Using methods of [[数論的代数幾何学|arithmetic algebraic geometry]], he received medal primarily for his proof of the [[モーデル予想|Mordell Conjecture]].}} * [[マイケル・フリードマン]](Michael H. Freedman, [[1951年]] - ){{USA}} {{cquote|Developed new methods for topological analysis of four-manifolds. One of his results is a proof of the four-dimensional [[ポアンカレ予想|Poincaré Conjecture]].}} ;[[1990年]]([[京都]]) * [[ウラジーミル・ドリンフェルト]](Vladimir Drinfeld, 1954年 - ){{SSR}}([[ウクライナ]]出身) {{cquote|For his work on [[量子群|quantum groups]] and for his work in [[数論|number theory]].}} * [[ヴォーン・ジョーンズ]](Vaughan F. R. Jones, [[1952年]] - [[2020年]]){{NZL}} {{cquote|for his discovery of an unexpected link between the mathematical study of [[結び目理論|knots]] – a field that dates back to the 19th century – and [[統計力学|statistical mechanics]], a form of mathematics used to study complex systems with large numbers of components.}} * [[森重文]] (Shigefumi Mori, 1951年 -){{JPN}} {{cquote|for the proof of Hartshorne’s conjecture and his work on the classification of three-dimensional [[代数多様体|algebraic varieties]].}} * [[エドワード・ウィッテン]](Edward Witten, 1951年 - ){{USA}} {{cquote|proof in 1981 of the positive energy theorem in [[一般相対論|general relativity]]}} ;[[1994年]]([[チューリッヒ]]) * [[ジャン・ブルガン]](Jean Bourgain, 1954年 - 2018年){{BEL}} {{cquote|Bourgain's work touches on several central topics of mathematical analysis: the geometry of [[バナッハ空間|Banach spaces]], convexity in high dimensions, [[調和解析|harmonic analysis]], [[エルゴード理論|ergodic theory]], and finally, nonlinear [[偏微分方程式|partial differential equations]] from [[数理物理学|mathematical physics]].}} * [[ピエール=ルイ・リオン|ピエール=ルイ・リオン]](Pierre-Louis Lions, [[1956年]] - ){{FRA}} {{cquote|... such nonlinear [[偏微分方程式|partial differential equation]] simply do not have smooth or even C1 solutions existing after short times. ... The only option is therefore to search for some kind of "weak" solution. This undertaking is in effect to figure out how to allow for certain kinds of "physically correct" singularities and how to forbid others. ... Lions and Crandall at last broke open the problem by focusing attention on [[粘性解|viscosity solutions]], which are defined in terms of certain inequalities holding wherever the graph of the solution is touched on one side or the other by a smooth [[試験関数|test function]]}} * [[ジャン=クリストフ・ヨッコス|ジャン=クリストフ・ヨッコス]](Jean-Christophe Yoccoz, [[1957年]] - [[2016年]]){{FRA}} {{cquote|proving stability properties - dynamic stability, such as that sought for the solar system, or [[構造安定|structural stability]], meaning persistence under parameter changes of the global properties of the system.}} * [[エフィム・ゼルマノフ]](Efim Zelmanov, [[1955年]] - ){{RUS}} {{cquote|For his solution to the restricted Burnside problem.}} ;[[1998年]]([[ベルリン]]) * [[リチャード・ボーチャーズ ]](Richard E. Borcherds, [[1959年]] - ){{GBR}}([[南アフリカ共和国|南アフリカ]]出身) {{cquote|for his work on the introduction of vertex algebras, the proof of the Moonshine conjecture and for his discovery of a new class of automorphic infinite products}} * [[ウィリアム・ティモシー・ゴワーズ]](William Timothy Gowers, [[1963年]] - ){{GBR}} {{cquote|William Timothy Gowers has provided important contributions to [[関数解析学|functional analysis]], making extensive use of methods from [[組合せ論|combination theory]]. These two fields apparently have little to do with each other, and a significant achievement of Gowers has been to combine these fruitfully.}} * [[マキシム・コンツェビッチ]](Maxim Kontsevich, [[1964年]] - ){{RUS}} {{cquote|contributions to four problems of geometry}} * [[カーティス・マクマレン]](Curtis T. Mcmullen, [[1958年]] - ){{USA}} {{cquote|He has made important contributions to various branches of the theory of [[力学系|dynamical systems]], such as the algorithmic study of polynomial equations, the study of the distribution of the points of a lattice of a [[リー群|Lie group]], [[双曲幾何学|hyperbolic geometry]], [[正則力学系|holomorphic dynamics]] and the renormalization of maps of the interval.}} * [[アンドリュー・ワイルズ]](Andrew J. Wiles, [[1953年]] - )(特別表彰){{GBR}} ;[[2002年]]([[北京]]) * [[ローラン・ラフォルグ]](Laurent Lafforgue, [[1966年]] - ){{FRA}} {{cquote|Laurent Lafforgue has been awarded the Fields Medal for his proof of the [[ラングランズ対応|Langlands correspondence]] for the [[一般線形群|full linear groups]] GL<sub>r</sub> (r≥1) over [[代数関数体|function fields]].}} * [[ウラジーミル・ヴォエヴォドスキー]](Vladimir Voevodsky, [[1966年]] - [[2017年]]){{RUS}} {{cquote|he defined and developed motivic cohomology and the A1-homotopy theory of [[代数多様体|algebraic varieties]]; he proved the [[ミルナー予想|Milnor conjectures]] on the [[K理論|K-theory]] of fields}} ;[[2006年]]([[マドリード]]) * [[テレンス・タオ|陶哲軒(テレンス・タオ)]](Terence Tao, [[1975年]] - ){{AUS}}(中国系) {{cquote|for his contributions to [[偏微分方程式|partial differential equations]], [[組合せ論|combinatorics]], [[調和解析|harmonic analysis]] and additive number theory}} * [[グリゴリー・ペレルマン]](Grigori Perelman, [[1966年]] - ){{RUS}}(本人は受賞を辞退) {{cquote|for his contributions to geometry and his revolutionary insights into the analytical and geometric structure of the [[リッチフロー|Ricci flow]]}} * [[アンドレイ・オクンコフ|アンドレイ・オコンコフ]] (Andrei Okounkov, [[1969年]] - ){{RUS}} {{cquote|for his contributions bridging [[確率論|probability]], [[表現論|representation theory]] and [[代数幾何学|algebraic geometry]]}} * [[ウェンデリン・ウェルナー]](Wendelin Werner, [[1968年]] - ){{FRA}}(ドイツ出身) {{cquote|for his contributions to the development of stochastic Loewner evolution, the geometry of two-dimensional [[ブラウン運動|Brownian motion]], and [[共形場理論|conformal field theory]]}} ;[[2010年]]([[ハイデラバード (インド)|ハイデラバード]]){{sfn|ICM|2010|p={{Google books quote|id=GFE1vx2pynMC|page=23|23}}}} * [[エロン・リンデンシュトラウス]](Elon Lindenstrauss, [[1970年]] - ){{ISR}} {{cquote|For his results on measure rigidity in [[エルゴード理論|ergodic theory]], and their applications to [[数論|number theory]].}} * [[スタニスラフ・スミルノフ]](Stanislav Smirnov, [[1970年]] - ){{RUS}} {{cquote|For the proof of conformal invariance of [[パーコレーション|percolation]] and the planar [[イジング模型|Ising model]] in [[統計物理学|statistical physics]].}} * [[ゴ・バオ・チャウ]](Ngô Bảo Châu, [[1972年]] - ){{FRA}}{{VNM}} {{cquote|For his proof of the Fundamental Lemma in the theory of [[保型形式|automorphic forms]] through the introduction of new algebro-geometric methods.}} * [[セドリック・ヴィラニ]](Cédric Villani, [[1973年]] - ){{FRA}} {{cquote|For his proofs of nonlinear Landau damping and convergence to equilibrium for the [[ボルツマン方程式|Boltzmann equation]].}} ;[[2014年]]([[ソウル特別市|ソウル]])<ref>{{Cite web |url=http://www.icm2014.org/en/awards/prizes/FieldsMedalist.html |title=Awards |author=[[国際数学者会議|International Congress of Mathematicians]] |year=2014 |accessdate=2021-12-06}}</ref> * [[マリアム・ミルザハニ]](Maryam Mirzakhani, [[1977年]] - [[2017年]] ){{IRN}} (女性初) {{cquote|for her outstanding contributions to the dynamics and geometry of [[リーマン面|Riemann surfaces]] and their [[モジュライ空間|moduli spaces]].}} * [[アルトゥル・アビラ]](Artur Avila, [[1979年]] - ){{BRA}}{{FRA}} {{cquote|for his profound contributions to [[力学系|dynamical systems]] theory have changed the face of the field, using the powerful idea of renormalization as a unifying principle.}} * [[マンジュル・バルガヴァ]](Manjul Bhargava, [[1974年]] - ){{CAN}}{{USA}} {{cquote|for developing powerful new methods in the geometry of numbers, which he applied to count rings of small rank and to bound the average rank of [[楕円曲線|elliptic curves]].}} * [[マルティン・ハイラー]](Martin Hairer, [[1975年]] - ){{AUT}} {{cquote|for his outstanding contributions to the theory of stochastic partial differential equations, and in particular for the creation of a theory of regularity structures for such equations.}} ;[[2018年]]([[リオデジャネイロ]])<ref>{{Cite web| |url=https://www.mathunion.org/imu-awards/fields-medal/fields-medals-2018 |title=Fields Medals 2018 |author=[[国際数学連合|International Mathematical Union (IMU)]] |year=2018 |accessdate=2021-12-06}}</ref> * [[コーチェル・ビルカー]](Caucher Birkar, [[1978年]] - ){{GBR}}{{IRN}} {{cquote|For the proof of the boundedness of [[ファノ多様体|Fano varieties]] and for contributions to the [[極小モデル|minimal model program]].}} * [[アレッシオ・フィガリ]](Alessio Figalli, [[1984年]] -){{ITA}} {{cquote|For contributions to the theory of [[:en:Optimal transport|optimal transport]] and its applications in [[偏微分方程式|partial differential equations]], [[距離空間|metric geometry]] and [[確率論|probability]].}} * [[ピーター・ショルツ]](Peter Scholze, [[1987年]] - ){{GER}} {{cquote|For transforming [[数論幾何学|arithmetic algebraic geometry]] over [[p進数|p-adic fields]] through his introduction of [[:en:Perfectoid space|perfectoid spaces]], with application to [[ガロワ表現|Galois representations]], and for the development of new [[コホモロジー論|cohomology theories]].}} * [[アクシェイ・ヴェンカテシュ]](Akshay Venkatesh, [[1981年]] - ){{AUS}} {{cquote|For his synthesis of [[解析的整数論|analytic number theory]], homogeneous dynamics, [[位相幾何学|topology]], and [[表現論|representation theory]], which has resolved long-standing problems in areas such as the equidistribution of arithmetic objects.}} ;[[2022年]](オンライン開催{{Efn|フィールズ賞の授賞式は[[ヘルシンキ]]で行われた。}})<ref>{{Cite web| |url=https://www.mathunion.org/imu-awards/fields-medal/fields-medals-2022 |title=Fields Medals 2022 |author=[[国際数学連合|International Mathematical Union (IMU)]] |year=2022 |accessdate=2022-07-05}}</ref> * [[ユーゴー・デュミニル=コパン]](Hugo Duminil-Copin, [[1985年]] - ){{FRA}} {{cquote|For solving longstanding problems in the probabilistic theory of phase transitions in statistical physics, especially in dimensions three and four.}} * [[許埈珥]](June Huh, [[1983年]] - ){{USA}}{{KOR}} {{cquote|For bringing the ideas of Hodge theory to combinatorics, the proof of the Dowling–Wilson conjecture for geometric lattices, the proof of the Heron–Rota–Welsh conjecture for matroids, the development of the theory of Lorentzian polynomials, and the proof of the strong Mason conjecture.}} * [[ジェームズ・メイナード]](James Maynard, [[1987年]] - ){{GBR}} {{cquote|For contributions to analytic number theory, which have led to major advances in the understanding of the structure of prime numbers and in Diophantine approximation.<br />[[解析的整数論]]に貢献し,[[素数]]の構造理解と[[ディオファントス近似]]の理解に大きな進歩をもたらした<ref name="fields2022"/>。}} * [[マリナ・ヴィヤゾフスカ]](Maryna Viazovska, [[1984年]] - ){{UKR}} (女性2人目) {{cquote|For the proof that the <math>E_8</math> lattice provides the densest packing of identical spheres in 8 dimensions, and further contributions to related extremal problems and interpolation problems in Fourier analysis.<br/>[[球充填問題]]を8次元と24次元で解決したことや,[[フーリエ解析]]における極値および補間問題への更なる貢献が評価<ref name="fields2022">{{Cite web|和書|url=https://columnlab.net/entry/FieldsMedals-2022|title=【ざっくり分かる】フィールズ賞2022 ,どんな人がどんな理由で受賞した?|accessdate=2022-07-30}}</ref>。}} == 国籍別の受賞者数 == 受賞時の国籍が基準。[[多重国籍|二重国籍]]はそれぞれの国に1個。国旗は現在のもの。ただし、消滅した国の国旗は最後の受賞者の受賞時のもの。(2022年7月現在) {|class="wikitable" !国!!style="white-space:nowrap"|受賞数 |- |{{USA}}||14 |- |{{FRA}}||14 |- |{{RUS}}<br/>({{SSR}}を含む)||9 |- |{{GBR}}||9 |- |{{JPN}}||3 |- |{{AUS}}<br>{{UKR}}<br>{{BEL}}<br>{{GER}}<br>{{IRN}}<br>{{ITA}}||2 |- |{{AUT}}<br>{{BRA}}<br>{{CAN}}<br>{{FIN}}<br>{{ISR}}<br>{{NOR}}<br>{{NZL}}<br>{{SWE}}<br>{{VIE}}<br>{{KOR}}||1 |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|30em}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 参考文献 == <!-- 項目のアルファベット順 --> * {{Cite journal |last=Barany |first=Michael J. |title=The myth and the medal |url=http://www.ams.org/notices/201501/rnoti-p15.pdf |format=PDF |journal=Notices Amer. Math. Soc. |volume=62 |year=2015 |page=15–20 |mr=3308164 |zbl=1338.01009 |accessdate=2021-12-06 |ref=harv}} * {{Cite book |last=Curbera |first=Guillermo P. |title=Mathematicians of the World, Unite!: The International Congress of Mathematicians—A Human Endeavor |url={{Google books|9uDqBgAAQBAJ|plainurl=yes}} |publisher=A. K. Peters |year=2009 |isbn=978-1-56881-330-1 |doi=10.1201/b10584 |mr=2499757 |zbl=1166.01001 |page={{Google books quote|id=9uDqBgAAQBAJ|page=110|110}}–{{Google books quote|id=9uDqBgAAQBAJ|page=118|118}} |ref=harv}} * {{Cite book |last=Monastyrsky |first=Michael |title=Modern Mathematics in the Light of the Fields Medals |publisher=A. K. Peters |year=1997 |isbn=1-56881-065-2 |mr=1427488 |zbl=0874.01014}} ** {{Cite book|和書|author=マイケル・モナスティルスキー |others=眞野元 訳 |date=2013-06-10 |title=フィールズ賞で見る現代数学 |series=ちくま学芸文庫 |publisher=[[筑摩書房]] |isbn=978-4-480-09543-5 |ref={{sfnref|モナスティルスキー|2013}}}} - 上記の日本語訳 * {{Cite journal |last=Riehm |first=Carl |title=The early history of the Fields Medal |year=2002 |journal=Notices Amer. Math. Soc. |volume=49 |page=778–782 |url=http://www.ams.org/notices/200207/comm-riehm.pdf |mr=1911718 |zbl=1126.01301 |ref=harv}} * {{Cite journal |last=Tropp |first=Henry S. |title=The origins and history of the Fields Medal |year=1976 |journal=Historia Math. |volume=3 |page=167–181 |doi=10.1016/0315-0860(76)90033-1 |mr=0505005 |zbl=0326.01007 |ref=harv}} * {{Cite book|和書|author=渡辺誠 |author2=上総潮 |year=1985 |title=努力で生まれた数学界の星―フィールズ賞(数学界のノーベル賞)を受けた広中平祐 |publisher=[[佼成出版社]] |isbn=4333011957 |ref={{sfnref|渡辺|上総|1985}}}} === 会議録 === * {{Cite book |editors=R. Bhatia et al. |year=2010 |title=Proceedings of the International Congress of Mathematicians: Hyderabad 2010 |volume=I |url={{Google books|GFE1vx2pynMC|plainurl=yes}} |publisher=World Scientific Publishing |isbn=978-981-4324-31-1 <!-- 978-81-85931-08-3 --> |mr=2840854 |ref={{sfnref|ICM|2010}}}} == 関連文献 == * {{Cite book |last1=Atiyah |first1=Michael |author-link1=マイケル・アティヤ |last2=Iagolnitzer |first2=Daniel |title=Fields Medalists' Lectures |series=World Scientific Series in 20th Century Mathematics |volume=5 |publisher=World Scientific Publishing |year=1997 |isbn=981-02-3117-2 |doi=10.1142/3445 |mr=1622945}} * Riehm, Elaine McKinnon (2010), &ldquo;The Fields Medal: Serendipity and J. L. Synge&rdquo;, ''Fields Notes'' '''10''': 1–2.<!-- https://pdfs.semanticscholar.org/aa29/b0aac6b9c26218870cea3c7c86b9642fb5ad.pdf --><!-- コレ?正式なURLには見えないが --> * {{Cite book |last1=Riehm |first1=Elaine McKinnon |last2=Hoffman |first2=Frances |title=Turbulent Times in Mathematics: The Life of J.C. Fields and the History of the Fields Medal |url={{Google books|h8S_AwAAQBAJ|plainurl=yes}} |publisher=[[アメリカ数学会|AMS]] |year=2011 |isbn=978-0-8218-6914-7 |doi=10.1090/mbk/080 |mr=2850575 |zbl=1247.01047}} * {{Cite book|和書|title=フィールズ賞物語 |series=数学セミナー・リーディングス |edition=数学セミナー増刊 |yaer=1985 |month=3 |publisher=[[日本評論社]] |isbn=978-4-5357-0224-0}} * {{Cite book|和書|author=マイケル・モナスティルスキー |others=眞野元 翻訳 |title=フィールズ賞で見る現代数学 |date=2013-05-08 |publisher=筑摩書房 |series=ちくま学芸文庫 |isbn=978-4-4800-9543-5}} == 関連項目 == *[[国際数学者会議]] ** [[ガウス賞]] ** [[チャーン賞]] ** [[ネヴァンリンナ賞]] * [[アーベル賞]] * [[コール賞]] * [[ショック賞]] * [[ラマヌジャン賞]] == 外部リンク == * {{Kotobank|フィールズ賞|世界大百科事典 第2版}} * [https://www.mathunion.org/imu-awards/fields-medal 公式サイト]{{En icon}} {{フィールズ賞}} {{数学}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ふいいるすしよう}} [[Category:数学の賞]] [[Category:人名を冠した賞]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:エポニム]]
2003-04-13T17:50:52Z
2023-10-25T01:20:28Z
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フェルマーの最終定理
フェルマーの最終定理(フェルマーのさいしゅうていり、英: Fermat's Last Theorem)とは、3 以上の自然数 n について、x + y = z となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理である。 フェルマーの大定理とも呼ばれる。ピエール・ド・フェルマーが「驚くべき証明を得た」と書き残したと伝えられ、長らく証明も反証もなされなかったことからフェルマー予想とも称されたが、フェルマーの死後330年経った1995年にアンドリュー・ワイルズによって完全に証明され、ワイルズの定理またはフェルマー・ワイルズの定理とも呼ばれるようになった。 17世紀、フランスの裁判官ピエール・ド・フェルマー(1607年 - 1665年)は、古代ギリシアの数学者ディオファントスの著作『算術』を読み、本文中の記述に関連した着想を得ると、それを余白に書き残しておくという習慣を持っていた。それらは数学的な定理あるいは予想であったが、限られた余白への書き込みであるため、また充分な余白がある場合にも、フェルマーはその証明をしばしば省略した(たとえば、フェルマーの小定理として知られる書き込みを実際に証明したのは、ゴットフリート・ライプニッツである)。 48か所に及ぶこれらの書き込みが知られるようになったのは、フェルマーの没後の1670年に彼の息子サミュエルによってフェルマーの書き込み入りの『算術』が刊行されてからである。 第2巻第8問「平方数を2つの平方数の和に表せ」の欄外余白に、フェルマーは とラテン語で書き残した。彼の残した他の書き込みは、全て真か偽かの決着がつけられた(証明された・反例が挙げられた)が、最後まで残ったこの予想だけは誰も証明することも反例を挙げることもできなかった。そのため「フェルマーの最終定理」と呼ばれるようになった。内容自体は三平方の定理程度の知識があれば理解できるものであったため、プロ、アマチュアを問わず多くの者がその証明に挑んだ。見事に証明した者には賞金を与えるという話も出てきて、フェルマーの最終定理の存在が一般にも徐々に知られるようになっていった。 n が具体的な値を取るいくつかの場合についてはさまざまな証明が与えられた。 フェルマー自身の証明は、ディオファントスの『算術』に記された45番目の書き込みに含まれている。フェルマーは以下の手法、法則、定理を使い証明した。 フェルマーによる証明は後にレオンハルト・オイラーによって簡潔な形で直される。 n = 4 の場合がフェルマーによって証明された後は、残りの証明は n が奇素数の場合のみを考えればよいことになる。なぜなら、n が奇数の場合は、n = pq...r のように奇素数の積で表すことができて、奇素数 p のときに成り立てば、(x) + (y) = (z) より n = pq...r のときも成り立つことが示される。さらに、n が偶数の場合は、4で割った余りが0または2となるので、余りが0すなわち n = 4m の場合は (x) + (y) = (z) より成り立ち、余りが2すなわち n = 4m+2 の場合は n = 2(2m+1) より n が奇数の因数 2m+1 を持つことになり 2m+1 を素因数分解したときの奇素数について成り立つからである。 レオンハルト・オイラーは1753年にクリスティアン・ゴールドバッハへ宛てた書簡の中で n = 3 の場合の証明法について言及し、1760年に純初等的で完全な証明を得た。さらに、1770年に刊行した著書『代数学』(Vollständige Anleitung zur Algebra)ではその証明とは異なり(複素数を用いる)エレガントながら不完全な証明を公開した。ただし、この2番目の証明は虚数のレベル、具体的には a+b√−3 の形の数まで因数分解を行ったもので、現代の言葉で言えば、整数環 Z [ − 3 ] {\displaystyle \mathbb {Z} [{\sqrt {-3}}]} で因数分解を行うものであったが、この整数環では素因数分解の一意性が成立しない(一意分解環ではない)という不備があったので、のちに √−3 の代わりに 1の原始3乗根 ζ 3 = ( − 1 ± − 3 ) / 2 {\displaystyle \zeta _{3}=(-1\pm {\sqrt {-3}})/2} を付加した整数環 Z [ ζ 3 ] {\displaystyle \mathbb {Z} [\zeta _{3}]} (これは円分体 Q [ ζ 3 ] {\displaystyle \mathbb {Q} [\zeta _{3}]} の整数環でもあり、素因数分解の一意性が成り立つ)を使うことで修正された。 1823年に当時ほとんどいなかった女性数学者であったソフィ・ジェルマンは、フェルマー予想を奇素数 p に対して、 x + y = z において、 という2つのケースに分類し、p と 2p+1 が共に素数の場合について、「第一の場合」に関してはフェルマー予想が正しいことを証明した: ソフィ・ジェルマンの定理 ― p を 2p+1 も素数であるような奇素数とする.このときフェルマーの大定理の第一の場合は指数 p に対して正しい. 例えば、p = 5 のとき、2p+1 = 11 は素数なので、ソフィ・ジェルマンの定理(英語版)よりフェルマー予想の「第一の場合」は指数 n = 5 に対して正しい。 1825年に「第二の場合」も含めて n = 5 の場合を完全に証明したのはペーター・グスタフ・ディリクレとアドリアン=マリ・ルジャンドルである。 ジェルマンまでは(そしてジェルマン以降も当面は)「n = 3 のとき」あるいは「n = 4 のとき」といった個別研究の域を出なかったこの問題に対し、解の条件が「第一の場合」に限られているとはいえ包括的な証明を与えようとした点において、ジェルマンの研究成果の意義はきわめて大きい。 1832年にディリクレは n = 14 の場合を証明したが、上述の通り n が素数である場合の方が肝要なので、これは n = 7 の場合を証明するための途中経過であった。しかし実際に n = 7 の場合を証明したのはガブリエル・ラメ(1839年)と、ラメの証明に含まれていた誤りを訂正したヴィクトル=アメデ・ルベーグ(英語版)(1840年)であった。 1847年、ラメは「フェルマー予想の一般的解法を発見した」と発表し、同じ解法を自分の方が先に発見していたと主張するオーギュスタン=ルイ・コーシーとの間で論争にまでなった。しかしこの解法とは x + y = z の左辺を複素数で素因子分解するというものであり、この分解は一意的なものでないためこの問題に関する解法たりえていないことが指摘される。 また、n = 7 の場合についてのラメの証明があまりにも複雑なものだったため、同様の手法で n = 11 や 13 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1955年9月、日光で開催された整数論に関する国際会議で、谷山豊が提出した幾つかの「問題」を原型とする数学の予想が谷山–志村予想である。そこでは楕円曲線とモジュラー形式の間の深い関係が示唆されており、後に志村五郎によって定式化された。「すべての楕円曲線はモジュラーである」という、発表当時は注目を引かなかったこの谷山–志村予想が、のちにフェルマー予想の証明に大きな役割を果たすこととなる。 実はこの前年の1954年、ある保型形式に関するラマヌジャン予想の一部をマルティン・アイヒラー(英語版)が証明していた。そこでは「解析的ゼータ=代数的ゼータ」が示されており、谷山–志村予想の最初の実例と呼べるものだった。 このラマヌジャン予想→谷山–志村予想→ラングランズ予想→超ラングランズ予想という一連の流れ(ゼータの統一)は数論の中心的テーマの一つとなっている。 1984年にゲルハルト・フライはフェルマーの最終定理に対する反例 a + b = c からはモジュラーでない楕円曲線(フライ曲線): が得られ、これは谷山–志村予想に対する反例を与えることになるというアイディアを提示。ジャン=ピエール・セールによって定式化されたこの予想はフライ・セールのイプシロン予想と呼ばれ、1986年にケン・リベットによって証明された。 これらの経過は以下のように整理することができる。 つまり、谷山–志村予想が証明されたならば、それはフェルマーの最終定理が証明されたことをも意味するのである(=完全証明への道がつながった)。 しかし、当時の数学者たちのほとんどが「谷山-志村予想は証明不可能」と考えており、ここまでアプローチできてもフェルマー予想を解決しようと取り組む数学者は皆無に等しかった。 つまりケン・リベットによるイプシロン予想の解決は『証明不可能なフェルマーの最終定理』が『証明不可能な谷山-志村予想』に置き換わったにすぎなかったのである。 プリンストン大学にいたイギリス生まれの数学者アンドリュー・ワイルズは岩澤主予想 (Iwasawa main conjecture) を解決するなどして、元々数論の研究者として有名な人物であった。彼は10歳の時に触れたフェルマー予想に憧れて数学者となったが、プロとなってからは子供時代の夢は封印し、フェルマー予想のような孤立した骨董品ではなく主流数学の研究に勤しんでいた。ところが1986年、ケン・リベットがフライ・セール予想を解決したことにより、フェルマー予想に挑むことは、主流数学の一大予想に挑むことと同義になってしまった。かつての憧れだったものが、今や骨董品どころか解かずには済まされない中心課題の一つになったのである。ワイルズはこのことに強い衝撃を受け発奮、正にフェルマー予想の解決を目的として、他の研究を全て止めて谷山–志村予想に取り組むこととなった。ただしこの際、彼は人々の耳目を集め過ぎることを懸念して、表面的には未発表の研究成果を小出しにすることで偽装し、谷山–志村予想の研究を秘密裏に行うこととした。 ワイルズは、代数幾何学(特に楕円曲線と群スキーム(英語版))や数論(モジュラー形式やガロア表現、ヘッケ環、岩澤理論)の高度な道具立てを用いて証明を試みたが、類数公式の導出に当たり岩澤理論を用いる方向では行き詰まってしまった。そこでコリヴァギン=フラッハ法(ヴィクター・コリヴァギンとマティアス・フラッハ(英語版)の方法)に基づくよう方針転換し、最後のレビュー段階で自分のコリヴァギン=フラッハ法の運用に誤りがないか確認を依頼するためプリンストンの同僚ニック・カッツに「谷山-志村が証明できそうだ」と打ち明け、助けを得るまで、細部に至るまでの証明を完璧な秘密のうちにほぼすべて独力で成し遂げた(ここまでで7年が経過していた)。彼がケンブリッジ大学で1993年の6月21日から23日にかけて3つの講義からなるコースで証明を発表したとき、聴衆は証明に使われた数々の発想と構成に驚愕した。 ただし、その後の査読において、ワイルズの証明には1箇所致命的な誤りがあることが判明した。この修正は難航したが、ワイルズは彼の教え子リチャード・テイラーの助けを借りつつ、約1年後の1994年9月、障害を回避することに成功した。ワイルズはその瞬間を「研究を始めて以来、最も大事な一瞬」と語っている。1994年10月に新しい証明を発表。1995年のAnnals of Mathematics誌において出版し、その証明は、1995年2月13日に誤りがないことが確認され、360年に渡る歴史に決着を付けた。 1998年のアニメ『ザ・シンプソンズ』シーズン10第2話「発明は反省のパパ」にて、ホーマー・シンプソンが次の反例であるように見える等式を書く場面がある; (注:もちろんこれは指数nが4の倍数である時点で、フェルマー自身が証明したように解ではありえない)。 3987 12 + 4365 12 = 4472 12 {\displaystyle 3987^{12}+4365^{12}=4472^{12}} (a=3987,b=4365,c=4472,n=12) しかし、この等式は偽であり、厳密に計算すると以下のようになる。 一方、 最初の10桁までが同じ数字列である。その差は、 これは約1.212×10ほどの差である。 また、 これは1.58×10ほどの差である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "フェルマーの最終定理(フェルマーのさいしゅうていり、英: Fermat's Last Theorem)とは、3 以上の自然数 n について、x + y = z となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "フェルマーの大定理とも呼ばれる。ピエール・ド・フェルマーが「驚くべき証明を得た」と書き残したと伝えられ、長らく証明も反証もなされなかったことからフェルマー予想とも称されたが、フェルマーの死後330年経った1995年にアンドリュー・ワイルズによって完全に証明され、ワイルズの定理またはフェルマー・ワイルズの定理とも呼ばれるようになった。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "17世紀、フランスの裁判官ピエール・ド・フェルマー(1607年 - 1665年)は、古代ギリシアの数学者ディオファントスの著作『算術』を読み、本文中の記述に関連した着想を得ると、それを余白に書き残しておくという習慣を持っていた。それらは数学的な定理あるいは予想であったが、限られた余白への書き込みであるため、また充分な余白がある場合にも、フェルマーはその証明をしばしば省略した(たとえば、フェルマーの小定理として知られる書き込みを実際に証明したのは、ゴットフリート・ライプニッツである)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "48か所に及ぶこれらの書き込みが知られるようになったのは、フェルマーの没後の1670年に彼の息子サミュエルによってフェルマーの書き込み入りの『算術』が刊行されてからである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "第2巻第8問「平方数を2つの平方数の和に表せ」の欄外余白に、フェルマーは", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": 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フェルマーの最終定理とは、3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる自然数の組 は存在しない、という定理である。 フェルマーの大定理とも呼ばれる。ピエール・ド・フェルマーが「驚くべき証明を得た」と書き残したと伝えられ、長らく証明も反証もなされなかったことからフェルマー予想とも称されたが、フェルマーの死後330年経った1995年にアンドリュー・ワイルズによって完全に証明され、ワイルズの定理またはフェルマー・ワイルズの定理とも呼ばれるようになった。
{{pp-vandalism|small=yes}} [[画像:Diophantus-II-8-Fermat.jpg|thumb|フェルマーの解説、特に「フェルマーの最後の定理」(''Observatio Domini Petri de Fermat'') を含む1670年版[[アレクサンドリアのディオファントス|ディオファントス]]の『[[算術 (書物)|算術]]』。]] [[画像:Pierre de Fermat.jpg|thumb|ピエール・ド・フェルマー]] '''フェルマーの最終定理'''(フェルマーのさいしゅうていり、{{lang-en-short|Fermat's Last Theorem}})とは、{{math|3}} 以上の[[自然数]] {{mvar|n}} について、{{math|''x{{sup|n}}'' + ''y{{sup|n}}'' {{=}} ''z{{sup|n}}''}} となる自然数の組 {{math|(''x'', ''y'', ''z'')}} は存在しない、という[[定理]]である{{refnest|group=注釈|これに対して {{math|''n'' {{=}} 2}} のとき、{{math|''x{{sup|2}}'' + ''y{{sup|2}}'' {{=}} ''z{{sup|2}}''}} を満たす自然数の組 {{math|(''x'', ''y'', ''z'')}} は無数に存在し、[[ピタゴラスの定理#ピタゴラス数|ピタゴラス数]]と呼ばれる。}}。 '''フェルマーの大定理'''とも呼ばれる。[[ピエール・ド・フェルマー]]が「驚くべき証明を得た」と書き残したと伝えられ、長らく[[証明 (数学)|証明]]も反証もなされなかったことから'''フェルマー予想'''とも称されたが、フェルマーの死後330年経った[[1995年]]に[[アンドリュー・ワイルズ]]によって完全に[[ワイルズによるフェルマーの最終定理の証明|証明]]され、'''ワイルズの定理'''または'''フェルマー・ワイルズの定理'''とも呼ばれるようになった<ref>[[ニュートン (雑誌)|Newton]] 2019年2月号 p86</ref>。 == 概要 == [[17世紀]]、[[フランス]]の[[裁判官]][[ピエール・ド・フェルマー]]([[1607年]] - [[1665年]])は、[[古代ギリシア]]の数学者[[アレクサンドリアのディオファントス|ディオファントス]]の著作『[[算術 (書物)|算術]]』を読み、本文中の記述に関連した着想を得ると、それを余白に書き残しておくという習慣を持っていた。それらは数学的な定理あるいは予想であったが、限られた余白への書き込みであるため、また充分な余白がある場合にも、フェルマーはその証明をしばしば省略した(たとえば、[[フェルマーの小定理]]として知られる書き込みを実際に証明したのは、[[ゴットフリート・ライプニッツ]]である)。 48か所に及ぶこれらの書き込みが知られるようになったのは、フェルマーの没後の[[1670年]]に彼の息子サミュエルによってフェルマーの書き込み入りの『算術』が刊行されてからである{{refnest|group=注釈|フェルマーの書き込み入りの『算術』原本は、今日では失われている。フェルマーが当時読んでいた『算術』は、1621年にフランスの貴族バシェが[[ギリシア語]]の原文に[[ラテン語]]の翻訳を追加した対訳版である<ref>{{Harvnb|足立|1995|pp=40f}}</ref><ref>{{Harvnb|足立|2006|pp=17, 87-95}}</ref>。}}{{refnest|group=注釈|48個の書き込みの全訳は{{Harvtxt|足立|1986}}に収録されている。}}。 第2巻第8問「平方数を2つの平方数の和に表せ{{refnest|group=注釈|ここで、平方数とは有理数の平方を意味する。他の冪も同様。よって、『算術』の元の問題を現代風に表現すれば、有理数 {{mvar|a}} に対し、{{math|''x''{{sup|2}} + ''y''{{sup|2}} {{=}} ''a''{{sup|2}}}} の正の有理数解を(1つ)求めよ、ということである。}}」の欄外余白に、フェルマーは {| |style="width:50%;padding:0 1em;vertical-align:top;font-style:italic" |Cubum autem in duos cubos, aut quadratoquadratum in duos quadratoquadratos, et generaliter nullam in infinitum ultra quadratum potestatem in duos eiusdem nominis fas est dividere cuius rei demonstrationem mirabilem sane detexi. Hanc marginis exiguitas non caperet.<ref>{{Harvnb|Panchishkin|Manin|2007|p=341}}</ref> |style="width:50%;padding:0 1em;vertical-align:top"|[[立方数]]を2つの立方数の和に分けることはできない。4乗数を2つの4乗数の和に分けることはできない。一般に、[[冪]]が2より大きいとき、その冪乗数を2つの冪乗数の和に分けることはできない。この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。 |} と[[ラテン語]]で書き残した。彼の残した他の書き込みは、全て真か偽かの決着がつけられた(証明された・反例が挙げられた)が、最後まで残ったこの予想だけは誰も証明することも反例を挙げることもできなかった。そのため「'''フェルマーの最終定理'''」<ref group="注釈">定理の証明がなされた1995年よりも前からこの予想を「[[定理]]」と呼んでいたことには無理があるが、反例も挙げられておらず、予想自体は「真であろう」と誰もが予測したため、「定理」と呼ばれるようになった。</ref>と呼ばれるようになった。内容自体は[[ピタゴラスの定理|三平方の定理]]程度の知識があれば理解できるものであったため、プロ、アマチュアを問わず多くの者がその証明に挑んだ。見事に証明した者には賞金を与えるという話も出てきて、フェルマーの最終定理の存在が一般にも徐々に知られるようになっていった。 == 個別研究の時代 == {{mvar|n}} が具体的な値を取るいくつかの場合についてはさまざまな証明が与えられた。 === {{math|''n'' {{=}} 4}}:フェルマー === [[ファイル:Diophantus-VI-24-20-Fermat.png|thumb|right|1670年に発行されたディオファントスの『算術』(338–339頁)には、フェルマー自身が記した {{math|n{{=}}4}} の場合の[[無限降下法]]を用いた最終定理の証明が収録されている。]] [[ピエール・ド・フェルマー|フェルマー]]自身の証明は、ディオファントスの『算術』に記された45番目の書き込みに含まれている<ref>{{Harvnb|足立|2006|pp=93-95}}</ref>。フェルマーは以下の手法、法則、[[定理]]を使い証明した<ref>{{Harvnb|足立|2006|pp=99-101}}</ref>。 *[[冪乗|指数]]法則に従って {{math|''x''{{sup|4}} + ''y''{{sup|4}} {{=}} ''z''{{sup|4}}}} を {{math|(''x''{{sup|2}}){{sup|2}} + (''y''{{sup|2}}){{sup|2}} {{=}} (''z''{{sup|2}}){{sup|2}}}} に変換し、[[ピタゴラスの定理#ピタゴラス数|ピタゴラス数の性質]]を利用する。 *{{math|''x'', ''y'', ''z''}} は[[互いに素 (整数論)|互いに素]]であるとする。 *定理「互いに素である2つの数の積が[[平方数]]であるならば、2つの数もそれぞれ[[平方数]]である。」 *{{mvar|x}} を偶数、{{math|''z'', ''y''}} を奇数とする。 *[[偶数]]と[[奇数]]の性質 *[[無限降下法]] フェルマーによる証明は後に[[レオンハルト・オイラー]]によって簡潔な形で直される<ref>{{Harvnb|足立|2006|pp=137-139}}</ref>。 {{math|''n'' {{=}} 4}} の場合がフェルマーによって証明された後は、残りの証明は {{mvar|n}} が[[奇素数]]の場合のみを考えればよいことになる<ref>{{Harvnb|足立|2006|pp=139-140}}</ref>。なぜなら、{{mvar|n}} が奇数の場合は、{{math|''n'' {{=}} ''pq…r''}} のように奇素数の積で表すことができて、奇素数 {{mvar|p}} のときに成り立てば、{{math|(''x''{{sup|''q…r''}}){{sup|p}} + (''y''{{sup|''q…r''}}){{sup|p}} {{=}} (''z''{{sup|''q…r''}}){{sup|p}}}} より {{math|''n'' {{=}} ''pq…r''}} のときも成り立つことが示される。さらに、{{mvar|n}} が偶数の場合は、4で割った余りが0または2となるので、余りが0すなわち {{math|''n'' {{=}} ''4m''}} の場合は {{math|(''x''{{sup|m}}){{sup|4}} + (''y''{{sup|m}}){{sup|4}} {{=}} (''z''{{sup|m}}){{sup|4}}}} より成り立ち、余りが2すなわち {{math|''n'' {{=}} ''4m+2''}} の場合は {{math|''n'' {{=}} ''2(2m+1)''}} より {{mvar|n}} が奇数の因数 {{math|''2m+1''}} を持つことになり {{math|''2m+1''}} を素因数分解したときの奇素数について成り立つからである。 === {{math|''n'' {{=}} 3}}:オイラー === [[レオンハルト・オイラー]]は[[1753年]]に[[クリスティアン・ゴールドバッハ]]へ宛てた書簡の中で {{math|''n'' {{=}} 3}} の場合の証明法について言及し<ref>{{Harvnb|足立|2006|p=140}}</ref>、[[1760年]]に[[オイラー予想|純初等的で完全な証明]]を得た<ref>{{Harvnb|足立|2006|p=148}}</ref>。さらに、[[1770年]]に刊行した著書『代数学』(''Vollständige Anleitung zur Algebra'')ではその証明とは異なり([[複素数]]を用いる)エレガントながら不完全な証明を公開した。ただし、この2番目の証明は[[虚数]]のレベル、具体的には {{math|''a''+''b''{{sqrt|−3}}}} の形の数まで[[因数分解]]を行ったもので、現代の言葉で言えば、整数環 <math>\mathbb{Z}[\sqrt{-3}]</math> で因数分解を行うものであったが、この整数環では素因数分解の一意性が成立しない([[一意分解環]]ではない)という不備があった<ref>{{Harvnb|足立|2006|pp=140-148}}</ref>ので、のちに {{math|{{sqrt|−3}}}} の代わりに [[1の冪根|1の原始3乗根]] <math>\zeta_3=(-1\pm \sqrt{-3})/2</math> を付加した整数環 <math>\mathbb{Z}[\zeta_3]</math> (これは[[円分体]] <math>\mathbb{Q}[\zeta_3]</math> の整数環でもあり、素因数分解の一意性が成り立つ)を使うことで修正された。 === {{math|''n'' {{=}} 5}}:ジェルマン、ディリクレ、ルジャンドル === [[1823年]]に当時ほとんどいなかった女性数学者であった[[ソフィ・ジェルマン]]は、フェルマー予想を奇素数 {{mvar|p}} に対して、 {{math|''x{{sup|p}}'' + ''y{{sup|p}}'' {{=}} ''z{{sup|p}}''}} において、 ;第一の場合:{{math|''x'', ''y'', ''z''}} のいずれも {{mvar|p}} で割り切れない ;第二の場合:{{math|''x'', ''y'', ''z''}} のいずれかが {{mvar|p}} で割り切れる という2つのケースに分類し、{{mvar|p}} と {{math|2''p''+1}} が共に素数の場合について、「第一の場合」に関してはフェルマー予想が正しいことを証明した<ref>{{Harvnb|足立|2006|pp=150-156}}</ref>: {{math_theorem|ソフィ・ジェルマンの定理|{{mvar|p}} を {{math|2''p''+1}} も素数であるような奇素数とする.このときフェルマーの大定理の第一の場合は指数 {{mvar|p}} に対して正しい.}} 例えば、{{math|''p'' {{=}} 5}} のとき、{{math|2''p''+1 {{=}} 11}} は素数なので、{{仮リンク|ソフィ・ジェルマンの定理|en|Sophie Germain's theorem}}よりフェルマー予想の「第一の場合」は指数 {{math|''n'' {{=}} 5}} に対して正しい。 [[1825年]]に「第二の場合」も含めて {{math|''n'' {{=}} 5}} の場合を完全に証明したのは[[ペーター・グスタフ・ディリクレ]]と[[アドリアン=マリ・ルジャンドル]]である<ref name="足立2006.p=150">{{Harvnb|足立|2006|p=150}}</ref>。 ジェルマンまでは(そしてジェルマン以降も当面は)「{{math|''n'' {{=}} 3}} のとき」あるいは「{{math|''n'' {{=}} 4}} のとき」といった個別研究の域を出なかったこの問題に対し、解の条件が「第一の場合」に限られているとはいえ包括的な証明を与えようとした点において、ジェルマンの研究成果の意義はきわめて大きい。 === {{math|''n'' {{=}} 14}} :ディリクレおよび {{math|''n'' {{=}} 7}} :ラメ、ルベーグ === [[1832年]]に[[ペーター・ディリクレ|ディリクレ]]は {{math|''n'' {{=}} 14}} の場合を証明した<ref>{{Harvnb|足立|2006|p=231}}</ref>が、上述の通り {{mvar|n}} が素数である場合の方が肝要なので、これは {{math|''n'' {{=}} 7}} の場合を証明するための途中経過であった。しかし実際に {{math|''n'' {{=}} 7}} の場合を証明したのは[[ガブリエル・ラメ]]([[1839年]])と、ラメの証明に含まれていた誤りを訂正した{{仮リンク|ヴィクトル=アメデ・ルベーグ|en|Victor-Amédée Lebesgue}}([[1840年]])であった<ref name="足立2006.p=150" />。 [[1847年]]、ラメは「フェルマー予想の一般的解法を発見した」と発表し、同じ解法を自分の方が先に発見していたと主張する[[オーギュスタン=ルイ・コーシー]]との間で論争にまでなった。しかしこの解法とは {{math|''x{{sup|n}}'' + ''y{{sup|n}}'' {{=}} ''z{{sup|n}}''}} の左辺を複素数で素因子分解するというものであり、この分解は一意的なものでないためこの問題に関する解法たりえていないことが指摘される<ref>{{Harvnb|足立|2006|pp=156-165}}</ref>。 また、{{math|''n'' {{=}} 7}} の場合についてのラメの証明があまりにも複雑なものだったため、同様の手法で {{math|''n'' {{=}} 11}} や {{math|13}} の場合について研究してみようと思う者はいなくなり、個別研究の時代は終わる<ref name="足立2006.p=150" />。 === クンマーの理想数 === コーシーとラメが争っていたのと同じ頃、[[エルンスト・クンマー]]が自ら打ち立てた[[理想数]]の理論(後に[[リヒャルト・デーデキント]]が[[イデアル]]の理論として発展させる)を導入する<ref>{{Harvnb|足立|2006|pp=166-218}}</ref>。これにより、多くの素数において一意的な因数分解が可能となり、{{mvar|n}} が[[正則素数]]である(もしくは正則素数で割り切れる)全ての場合については証明がなされた<ref>{{Harvnb|足立|2006|p=215}}</ref>。虚数レベルでの一意的な因数分解が不可能な[[非正則素数]]も無限に存在する{{refnest|group=注釈|[[非正則素数]]が無限に存在することは[[1915年]]に[[ヨハン・イェンセン]]によって証明された<ref>{{Harvnb|足立|2006|pp=217, 227}}</ref>。}}が、クンマーは {{math|100}} 以下の非正則素数({{math|[[37]], [[59]], [[67]]}} の 3 個しかない)についてはそれぞれ個別に研究して解決した<ref>{{Harvnb|足立|2006|pp=223-224}}</ref>。その結果、{{math|100}} までの全ての奇素数 {{mvar|n}} について(当然 {{math|100}} 以下の奇素数を約数に持つ全ての {{mvar|n}} についても)フェルマー予想が成り立つことが証明され、それまでの個別研究からこの問題は大きく飛躍した。 [[1857年]]、[[フランス科学アカデミー]]は、[[1816年]]に続き[[1850年]]に設けたまま受賞者の出なかった「フェルマー予想の証明者」のための懸賞金(金メダルと3000フラン)を(最終的解決でないことを承知の上で)クンマーに与えた<ref>{{Harvnb|足立|2006|p=220}}</ref>。[[1874年]]、クンマーは 101 から 163 までの指数について計算を実行し、新たに [[101]], [[103]], [[131]], [[149]], [[157]] の 5 個が非正則素数であることを示した<ref>{{Harvnb|足立|2006|pp=215, 226}}</ref>。 その後、クンマーの理想数を発展させた[[代数的整数論]]による判定法をコンピューターで計算させることにより、[[1994年]]の初めには ;第一の場合 :奇素数 {{math|''p'' < 8.8&times;10{{sup|20}}}} ;第二の場合 :奇素数 {{math|''p'' < 4000000}} の場合にフェルマー予想が成り立つことが証明された<ref>{{Harvnb|足立|1995|pp=17, 128}}</ref>。 == 近代的アプローチへ == === モジュラー形式 === {{main|モジュラー形式}} [[アンリ・ポアンカレ]]は[[上半平面]]上の関数についての研究から、[[モジュラー形式]]を案出する。 === モーデル予想 === {{main|ファルティングスの定理|モーデルの定理}} [[ゲルト・ファルティングス]]による[[モーデル予想]]の解決(1983年)により、3以上の''n''に対するフェルマー方程式 {{math|''x{{sup|n}}'' + ''y{{sup|n}}'' {{=}} ''z{{sup|n}}''}} が整数解をもつならば(つまりフェルマー予想が誤りならば)その解の個数は本質的に(自明な場合を除いて)有限個しかないことが証明される。この「有限個」が「実は 0 個」であることが示されればフェルマー予想は証明できたことになるが、この方向からの絞り込みには行き詰まりが指摘されていた。ともあれ、この時点でフェルマー予想が「ほとんど全ての場合について正しい(各''n''に対して非自明な解は高々有限個である)」ことが判明したと言うことはできた。 === 谷山–志村予想 === {{main|谷山–志村予想}} [[1955年]]9月、[[日光市|日光]]で開催された整数論に関する国際会議で、[[谷山豊]]が提出した幾つかの「問題」を原型とする数学の予想が'''谷山–志村予想'''である。そこでは楕円曲線とモジュラー形式の間の深い関係が示唆されており、後に[[志村五郎]]によって定式化された。「すべての[[楕円曲線]]は[[モジュラー形式|モジュラー]]である」<!-- 間違っていたら誰か直して下さい -->という、発表当時は注目を引かなかったこの[[谷山–志村予想]]が、のちにフェルマー予想の証明に大きな役割を果たすこととなる。 実はこの前年の1954年、ある保型形式に関する[[シュリニヴァーサ・ラマヌジャン|ラマヌジャン]]予想の一部を{{仮リンク|マルティン・アイヒラー|en|Martin Eichler}}が証明していた。そこでは「解析的ゼータ=代数的ゼータ」が示されており、谷山–志村予想の最初の実例と呼べるものだった。 この[[ラマヌジャン予想]]→'''谷山–志村予想'''→[[ラングランズ・プログラム|ラングランズ予想]]→超ラングランズ予想という一連の流れ(ゼータの統一)は数論の中心的テーマの一つとなっている。 === フライ・セール予想 === 1984年に[[ゲルハルト・フライ]]はフェルマーの最終定理に対する反例 {{math|''a{{sup|n}}'' + ''b{{sup|n}}'' {{=}} ''c{{sup|n}}''}} からは<u>モジュラーでない楕円曲線</u>(フライ曲線): :{{math|''y''{{sup|2}} {{=}} ''x''(''x'' &minus; ''a{{sup|n}}'')(''x'' + ''b{{sup|n}}'')}} が得られ、これは'''[[谷山–志村予想]]'''に対する反例を与えることになるというアイディアを提示。[[ジャン=ピエール・セール]]によって定式化されたこの予想は'''フライ・セールのイプシロン予想'''と呼ばれ、1986年に[[ケン・リベット]]によって証明された。 これらの経過は以下のように整理することができる。 #まず、フェルマー予想が偽である(フェルマー方程式が自然数解をもつ)と仮定する。 #この自然数解からは、モジュラーでない楕円曲線を作ることができる。 #しかし、'''谷山–志村予想が正しいならば'''、''モジュラーでない楕円曲線''は存在しない。 #矛盾が導かれたので、当初の仮定が誤っていることとなる。 #したがって、フェルマー予想は真である。([[背理法]]) つまり、'''谷山–志村予想が証明された'''ならば、それは'''フェルマーの最終定理が証明されたこと'''をも意味するのである(='''完全証明への道'''がつながった)。 しかし、当時の数学者たちのほとんどが「'''谷山-志村予想'''は証明不可能」と考えており、ここまでアプローチできてもフェルマー予想を解決しようと取り組む数学者は皆無に等しかった。 つまりケン・リベットによるイプシロン予想の解決は『証明不可能なフェルマーの最終定理』が『証明不可能な谷山-志村予想』に置き換わったにすぎなかったのである。 == 最終的解決 == {{Main|ワイルズによるフェルマーの最終定理の証明}} [[画像:Andrew wiles1-3.jpg|thumb|アンドリュー・ワイルズ]] [[プリンストン大学]]にいた[[イギリス]]生まれの数学者[[アンドリュー・ワイルズ]]は[[岩澤理論の主予想|岩澤主予想]] ({{Lang|en|Iwasawa main conjecture}}) を解決するなどして、元々数論の研究者として有名な人物であった。彼は10歳の時に触れたフェルマー予想に憧れて数学者となったが、プロとなってからは子供時代の夢は封印し、フェルマー予想のような孤立した骨董品ではなく主流数学の研究に勤しんでいた。ところが1986年、[[ケン・リベット]]が[[フライ・セール予想]]を解決したことにより、フェルマー予想に挑むことは、主流数学の一大予想に挑むことと同義になってしまった。かつての憧れだったものが、今や骨董品どころか解かずには済まされない中心課題の一つになったのである。ワイルズはこのことに強い衝撃を受け発奮、正にフェルマー予想の解決を目的として、他の研究を全て止めて'''[[谷山–志村予想]]'''に取り組むこととなった。ただしこの際、彼は人々の耳目を集め過ぎることを懸念して、表面的には未発表の研究成果を小出しにすることで偽装し、'''谷山–志村予想'''の研究を秘密裏に行うこととした。 ワイルズは、[[代数幾何学]](特に[[楕円曲線]]と{{仮リンク|群スキーム|en|group scheme}})や[[数論]]([[モジュラー形式]]や[[ガロア表現]]、[[ヘッケ環]]、[[岩澤理論]])の高度な道具立てを用いて証明を試みたが、[[類数公式]]の導出に当たり岩澤理論を用いる方向では行き詰まってしまった。そこで[[コリヴァギン=フラッハ法]]([[ヴィクター・コリヴァギン]]と{{仮リンク|マティアス・フラッハ|en|Matthias Flach (mathematician)}}の方法)に基づくよう方針転換し、最後のレビュー段階で自分のコリヴァギン=フラッハ法の運用に誤りがないか確認を依頼するためプリンストンの同僚[[ニック・カッツ]]に「谷山-志村が証明できそうだ」と打ち明け、助けを得るまで、細部に至るまでの証明を完璧な秘密のうちにほぼすべて独力で成し遂げた(ここまでで7年が経過していた)。彼が[[ケンブリッジ大学]]で[[1993年]]の6月21日から23日にかけて3つの講義からなるコースで証明を発表したとき、聴衆は証明に使われた数々の発想と構成に驚愕した。 ただし、その後の査読において、ワイルズの証明には1箇所致命的な誤りがあることが判明した。この修正は難航したが、ワイルズは彼の教え子[[リチャード・テイラー (数学者)|リチャード・テイラー]]の助けを借りつつ、約1年後の1994年9月、障害を回避することに成功した。ワイルズはその瞬間を「研究を始めて以来、最も大事な一瞬」と語っている。[[1994年]][[10月]]に新しい証明を発表。1995年の''[[Annals of Mathematics]]''誌において出版し、その証明は、[[1995年]][[2月13日]]に誤りがないことが確認され<ref>1995年2月の毎日新聞縮小版より</ref>、360年に渡る歴史に決着を付けた。 === 証明した論文 === *{{cite journal |author = Andrew Wiles |year = 1995 |month = May |title = Modular elliptic curves and Fermat's Last Theorem(モジュラー楕円曲線とフェルマーの最終定理) |journal = Annals of Mathematics |volume = 141 |issue = 3 |pages = 443-551 |url = http://scienzamedia.uniroma2.it/~eal/Wiles-Fermat.pdf |format = PDF }} *{{cite journal |author = Richard Taylor and Andrew Wiles |year = 1995 |month = May |title = Ring-theoretic properties of certain Hecke algebras(ある種のヘッケ環の理論的性質) |journal = Annals of Mathematics |volume = 141 |issue = 3 |pages = 553-572 |url = http://virtualmath1.stanford.edu/~rltaylor/hecke.pdf |format = PDF }} == エピソード == <!--*[http://www-gap.dcs.st-and.ac.uk/~history/HistTopics/Fermat%27s_last_theorem.html 詳細な歴史(st-and.ac.uk)]--><!--外部リンクは脚注で--> *現在も未解決の問題の大多数は、問題自体が難解な用語を用いなければ表現できないものであるのに対し、本定理の言わんとするところは中学生程度の知識さえあれば理解できるため、数多くのアマチュア数学ファンがこれを解決しようと熱中し、数学を志す者も輩出された。最終的に解決に導いたワイルズ自身もそうした者の一人であった。 *フェルマーはこの定理の証明に関して「真に驚くべき証明を見つけた」と記述を残している。しかし、現在知られている証明は、分野ごとの壁が厚くなったことで、半ば独自に進化と発展を遂げた各数学分野の最新理論を巧妙に組み合わせ、駆使することで構成されている。いかに「数論の父」と呼ばれるフェルマーであっても、400年前に独自にこの証明を成し遂げたとは考え難いため、フェルマーが {{math|''n'' {{=}} 4}} の場合に用いた[[無限降下法]]による証明が全ての自然数に対して適用可能であるとの勘違いによるものとも考えられる。また、[[整数論]]が専門の[[東洋大学]]の[[小山信也]]教授は科学雑誌「[[ニュートン (雑誌)|Newton]]」中でこう語っている。 ::「その後フェルマーは,{{math|''n'' {{=}} 3}}の場合を研究した形跡があります。完全な証明を得たのなら,個別の{{math|''n'' }}について研究する必要がありません。完全な証明を見つけたというのは間違いだったと,フェルマー自身も気づいていたのではないでしょうか」<ref>{{Cite book|和書|title=Newton別冊 数学の世界[増補第3版]|date=2019年11月5日|year=2019|publisher=ニュートンプレス|page=156}}</ref>。 *最終的証明は[[概型|スキーム]]の[[圏論|圏]]などの現代的な代数幾何の構成を用いている。これは[[ジョン・フォン・ノイマン|ノイマン]]・[[ポール・ベルナイス|ベルナイス]]・[[クルト・ゲーデル|ゲーデル]]流の[[集合論]]([[NBG集合論]])という、通常の集合に加えて[[類]] (class) を考え、ただし集合に対する言明の真偽(証明可能性)は [[公理的集合論|ZFC集合論]]と同じになる(ZFC の保存的拡大という)ようにした枠組みで定義される。NBG集合論は本質的には ZFC集合論と同じもので、ZFC集合論に[[到達不能基数]]の存在公理を付け加えて[[グロタンディーク宇宙]]の構成を可能にしたもので置き換えられると考えられている。このことから最終定理の証明のために本当はどれだけの公理が必要なのかについては疑問が呈されてもいて、ZFC よりは弱い体系でも十分なのではないかと言われている。 *最終的な証明で重要な役割を果たした谷山–志村予想に関して、ワイルズとテイラーが証明したのは「半安定」と呼ばれる特殊な場合であり、一般的な場合に関しては証明を与えることはできなかったが、フェルマーの最終定理(の反例)からくるであろう反例の可能性を排除するにはこれで十分だった。ちなみに、後に谷山–志村予想に完全な証明を与えたのはワイルズの弟子である[[ブライアン・コンラッド]]と[[フレッド・ダイアモンド]]であり、今では数論の1つの到達点とされて「モジュラー性定理」とよばれることもある。 *1988年に当時[[西ドイツ]]の[[マックス・プランク研究所|マックス・プランク数学研究所]]にいた、[[宮岡洋一]]が証明できそうだというニュースが報道された。ただし実際には不備があり、完全な証明には至らなかった。 *1908年、ドイツの富豪[[パウル・ヴォルフスケール]]は[[2007年]]9月13日までの期限付きでフェルマー予想の証明者に対して10万[[金マルク]]の懸賞金を設けた ({{interlang|de|Wolfskehl-Preis}})。当然のことながらワイルズが受賞し、その賞金は約500万円程度であるが、[[第一次世界大戦]]後の[[ヴァイマル共和政のハイパーインフレーション|ハイパーインフレーション]]がなければ、十数億円であったといわれる。授賞式は1997年6月、[[ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン|ゲッティンゲン大学]]の大ホールにて、500人の数学者が列席する中、執り行われた。 *解決以前に書かれた[[サイエンス・フィクション|SF]]などの文芸作品における「未来」において、未解決の問題として言及されていることがしばしばある<ref>『[[新スタートレック]]』38話「ホテル・ロイヤルの謎」など</ref>など、解決以前は「未解決問題」の代表的な存在であった。 *解決以前において、[[サイコップ]]のメンバーだった[[カール・セーガン]]は、「人類より高度な文明を持つ知的生命体と意思のみで交信できる」という[[チャネラー]]に対し、その知的生命体への質問として「フェルマーの最終定理」の解法を訊いてみるが、ことごとく無視された{{refnest|group=注釈|[[カール・セーガン]]は以下のように述べている。{{Quotation| 私はときどき、宇宙人と「コンタクト」しているという人から手紙をもらうことがある。「宇宙人に何でも質問してください」と言われるので、ここ数年はあらかじめ短い質問リストを用意している。聞くところによると、宇宙人はとても進歩しているそうだ。そこでこんな質問をしてみる――「フェルマーの最終定理を簡単に証明してください」。あるいは、[[ゴールドバッハの予想|ゴルトバッハの予想]]でもいい。もちろん宇宙人は、「フェルマーの最終定理」という呼び方はしないだろうから、その内容を説明しなくてはならない。そこで例の、{{読み仮名|冪|べき}} 指数つきのごく簡単な式を書いておくのだが、返事をもらったことはただの一度もない。|カール・セーガン|『[[カール・セーガン#青木1997|カール・セーガン 科学と悪霊を語る]]』[[青木薫]]訳、[[新潮社]]、1997年9月20日。ISBN 4-10-519203-5。pp. 108ff}} }}。 * 2020年11月、[[望月新一]]らのグループがプレプリントを発表し、望月が提唱する[[宇宙際タイヒミュラー理論]]の応用により、フェルマーの最終定理の別証明を与えたと主張している<ref>{{Cite report | author1 =SHINICHI MOCHIZUKI | author2 = IVAN FESENKO, YUICHIRO HOSHI, ARATA MINAMIDE, AND WOJCIECH POROWSKI | date =2020-11-30 | title =Explicit Estimates in Inter-universal Teichm¨uller Theory | url =http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/preprint/file/RIMS1933.pdf | format = PDF | publisher =京都大学数理解析研究所 | accessdate = 2020-12-05}}</ref>([[ABC定理]]を利用すれば、フェルマーの最終定理の証明は数行でできてしまう)。 == フィクション == === 偽の反例 === [[1998年]]のアニメ『[[ザ・シンプソンズ]]』シーズン10第2話「発明は反省のパパ」にて、[[ザ・シンプソンズの登場人物#ホーマー|ホーマー・シンプソン]]が次の反例であるように見える等式を書く場面がある<ref>{{cite book |url=https://books.google.com/books?id=feg_AQAAQBAJ&pg=PA35 |title=The Simpsons and Their Mathematical Secrets |last=Singh |first=Simon |author-link=Simon Singh |pages=35–36 |year=2013 |publisher=A&C Black |isbn=978-1-4088-3530-2 |language=en}}</ref>; (注:もちろんこれは指数''n''が4の倍数である時点で、フェルマー自身が証明したように解ではありえない)。 <math>3987^{12}+4365^{12}=4472^{12}</math>(a=3987,b=4365,c=4472,n=12) しかし、この等式は偽であり、厳密に計算すると以下のようになる。 * 3987<sup>12</sup> = {{val|16134474609751291283496491970515151715346481}} * 4365<sup>12</sup> = {{val|47842181739947321332739738982639336181640625}} * 3987<sup>12</sup> + 4365<sup>12</sup> = {{val|63976656349698612616236230953154487896987106}} (約6.4×10<sup>43</sup>) 一方、 * 4472<sup>12</sup> = {{val|63976656348486725806862358322168575784124416}}  (約6.4×10<sup>43</sup>) 最初の10桁までが同じ数字列である。その差は、 * 3987<sup>12</sup> + 4365<sup>12</sup> - 4472<sup>12</sup> = {{val|1211886809373872630985912112862690}} これは約1.212×10<sup>33</sup>ほどの差である。 また、 * (3987<sup>12</sup> + 4365<sup>12</sup>)<sup>1/12</sup> = {{val|4472.000000007059290738213529241449409}}・・・ * {{val|4472.000000007059290738213529241449409}}/ 4472 = {{val|1.000000000001578553}} これは1.58×10<sup>-12</sup>ほどの差である。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == *{{Cite book|和書 |author = 足立恒雄 |authorlink = 足立恒雄 |year = 1984 |month = 8 |title = フェルマーの大定理 整数論の源流 |series = 数セミ・ブックス12 |publisher = [[日本評論社]] |ref = {{Harvid|足立|1984}} }} **{{Cite book|和書 |author = 足立恒雄 |year = 1994 |month = 6 |title = フェルマーの大定理 整数論の源流 |edition = 第2版 |publisher = 日本評論社 |isbn = 4-535-78207-5 |ref = {{Harvid|足立|1994}} }} **{{Cite book|和書 |author = 足立恒雄 |year = 1996 |month = 5 |title = フェルマーの大定理 整数論の源流 |edition = 第3版 |publisher = 日本評論社 |isbn = 4-535-78231-8 |ref = {{Harvid|足立|1996}} }} **{{Cite book|和書 |author = 足立恒雄 |year = 2006 |month = 9 |title = フェルマーの大定理 整数論の源流 |series = ちくま学芸文庫 ア24‐1 Math & Science |publisher = 筑摩書房 |isbn = 978-4-480-09012-6 |ref = {{Harvid|足立|2006}} }} *{{Cite book|和書 |author = 足立恒雄 |year = 1995 |month = 6 |title = フェルマーの大定理が解けた! オイラーからワイルズの証明まで |series = ブルーバックスB-1074 |publisher = 講談社 |isbn = 978-4-06-257074-9 |ref = {{Harvid|足立|1995}} }} *{{Citation |last1 = Panchishkin |first1 = Alexei A. |last2 = Manin |first2 Yu. I. |year = 2007 |month = April |title = Introduction to Modern Number Theory: Fundamental Problems, Ideas and Theories |publisher = Springer |isbn = 978-3-540-20364-3 |url = {{Google books|wvK586IxaxwC|Introduction to Modern Number Theory: Fundamental Problems, Ideas and Theories|page=341|plainurl=yes}} }} == 関連文献 == *{{Cite book|和書 |author = 足立恒雄 |year = 1986 |month = 6 |title = フェルマーを読む |publisher = 日本評論社 |isbn = 4-535-78153-2 |ref = {{Harvid|足立|1986}} }} *{{Cite book|和書 |author = アミール・D・アクゼル |authorlink = アミール・D・アクゼル |others = [[吉永良正]] 訳 |year = 1999 |month = 5 |title = 天才数学者たちが挑んだ最大の難問 フェルマーの最終定理が解けるまで |publisher = 早川書房 |isbn = 4-15-208224-0 |ref = {{Harvid|アクゼル|1999}} }} **{{Cite book|和書 |author = アミール・D・アクゼル |others = 吉永良正 訳 |year = 2003 |month = 9 |title = 天才数学者たちが挑んだ最大の難問 フェルマーの最終定理が解けるまで |series = ハヤカワ文庫 NF <数理を愉しむ>シリーズ |publisher = 早川書房 |isbn = 4-15-050282-X |ref = {{Harvid|アクゼル|2003}} }} *{{Cite book|和書 |author = アルフ・ファン・デル・プールテン |authorlink = アルフ・ファン・デル・プールテン |others = 山口周 訳 |year = 2000 |month = 2 |title = フェルマーの最終定理についてのノート その注釈と随想 |publisher = 森北出版 |isbn = 4-627-06101-3 |ref = {{Harvid|プールテン|2000}} }} *{{Cite book|和書 |author = 加藤和也 |authorlink = 加藤和也 (数学者) |year = 1995 |month = 10 |title = 解決!フェルマーの最終定理 現代数論の軌跡 |publisher = 日本評論社 |isbn = 4-535-78223-7 |ref = {{Harvid|加藤|1995}} }} *{{Cite book|和書 |author = 久我勝利 |authorlink = 久我勝利 |others = [[關口力]]・[[百瀬文之]] 監修 |year = 2005 |month = 9 |title = [[図解雑学シリーズ|図解雑学]] 数論とフェルマーの最終定理 |publisher = ナツメ社 |isbn = 4-8163-3995-7 |ref = {{Harvid|久我|關口|百瀬|2005}} }} *{{Cite book|和書 |author = サイモン・シン |authorlink = サイモン・シン |others = [[青木薫]] 訳 |year = 2000 |month = 1 |title = フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで |publisher = 新潮社 |isbn = 4-10-539301-4 |ref = {{Harvid|シン|2000}} }} **{{Cite book|和書 |author = サイモン・シン |others = 青木薫 訳 |year = 2006 |month = 6 |title = フェルマーの最終定理 |series = 新潮文庫 |publisher = 新潮社 |isbn = 4-10-215971-1 |ref = {{Harvid|シン|2006}} }} *{{Cite book|和書 |author = 富永裕久 |authorlink = 富永裕久 |year = 1996 |month = 2 |title = フェルマーの最終定理に挑戦 天才ガウスも断念 |publisher = ナツメ社 |isbn = 4-8163-1933-6 |ref = {{Harvid|富永|1996}} }} *{{Cite book|和書 |author = 富永裕久 |year = 1999 |month = 10 |title = 図解雑学 フェルマーの最終定理 |publisher = ナツメ社 |isbn = 4-8163-2697-9 |ref = {{Harvid|富永|1999}} }} *{{Cite book|和書 |author = Paulo Ribenboim |authorlink = Paulo Ribenboim |others = [[吾郷博顕]] 訳 |year = 1983 |month = 7 |title = フェルマーの最終定理13講 |publisher = 共立出版 |isbn = 4-320-01087-6 |ref = {{Harvid|Ribenboim|1983}} }} **{{Cite book|和書 |author = Paulo Ribenboim |others = 吾郷博顕 訳 |year = 1989 |month = 2 |title = フェルマーの最終定理13講 |edition = 第2版 |publisher = 共立出版 |isbn = 4-320-01415-4 |ref = {{Harvid|Ribenboim|1989}} }} *{{Cite book|和書 |author = 山口周 |year = 1997 |month = 4 |title = フェルマーの最終定理 証明への道具立てと発見的推理 |publisher = 東宛社 |isbn = 4-924694-32-0 |ref = {{Harvid|山口|1997}} }} === 小説 === *{{Cite book|和書 |author = アーサー・C・クラーク |authorlink = アーサー・C・クラーク |coauthors = [[フレデリック・ポール]] 共著 |others = [[小野田和子]]訳 |date = 2010-01-22 |title = 最終定理 |series = 海外SFノヴェルズ |publisher = 早川書房 |isbn = 978-4-15-209101-7 |ref = {{Harvid|クラーク|ポール|2010}} }} - フェルマーの最終定理の簡潔な証明に挑むスリランカの大学生を主人公にした長編SF小説。クラークの遺作。 *{{Cite book|和書 |author = 日沖桜皮 |authorlink = 日沖桜皮 |date = 2010-03-19 |title = [小説]フェルマーの最終定理 |publisher = PHP研究所 |isbn = 978-4-569-77742-9 |ref = {{Harvid|日沖|2010}} }} - フェルマーの最終定理に関連する数学史を対話形式で紹介した小説。 *{{Cite book|和書 |author = 保阪正康 |authorlink = 保阪正康 |year = 1976 |title = ある数学狂の一世紀 まぼろしの定理に憑かれた男 |publisher = 講談社 |asin = B000J96SEE |ref = {{Harvid|保阪|1976}} }} - フェルマーの最終定理の証明に後半生をかけた茂木学介の伝記。 **{{Cite book|和書 |author = 保阪正康 |date = 2012-02-08 |title = 数学に魅せられた明治人の生涯 |series = ちくま文庫 ほ16-4 |publisher = 筑摩書房 |isbn = 978-4-480-42907-0 |ref = {{Harvid|保阪|2012}} }} - {{Harvtxt|保阪|1976}}の文庫版。 *{{Cite book|和書 |author = 結城浩 |authorlink = 結城浩 |year = 2008 |month = 8 |title = 数学ガール フェルマーの最終定理 |publisher = ソフトバンククリエイティブ |isbn = 978-4-7973-4526-1 |ref = {{Harvid|結城|2008}} }} - 3人の高校生と1人の中学生が数学にチャレンジする青春物語。 === まんが版 === *{{Cite book|和書 |author = 中村亨 |authorlink = 中村亨 (数学ライター) |others = [[三嶋くるみ]] 漫画、[[木戸実験]] シナリオ |year = 2009 |month = 12 |title = フェルマーの最終定理 萌えて愉しむ数学最大の難問 |publisher = PHP研究所 |isbn = 978-4-569-77520-3 |ref = {{Harvid|中村|三嶋|木戸|2009}} }} *{{Cite book|和書 |author = 結城浩 |authorlink = 結城浩 |others = [[春日旬]] 画 |date = 2011-04-23 |title = 数学ガール フェルマーの最終定理 |volume= (1) |series = MFコミックス アライブシリーズ |publisher = メディアファクトリー |isbn = 978-4-8401-3793-5 |ref = {{Harvid|結城|春日|2011}} }} *{{Cite book|和書 |author = 結城浩 |others = 春日旬 画 |date = 2012-02-23 |title = 数学ガール フェルマーの最終定理 |volume = (2) |series = MFコミックス フラッパーシリーズ |publisher=メディアファクトリー |isbn = 978-4-8401-4422-3 |ref = {{Harvid|結城|春日|2012}} }} *{{Cite book|和書 |author = 結城浩 |others = 春日旬 画 |date = 2013-03-23 |title = 数学ガール フェルマーの最終定理 |volume = (3)(完) |series = MFコミックス フラッパーシリーズ |publisher = メディアファクトリー |isbn = 978-4-8401-5015-6 |url = |ref = {{Harvid|結城|春日|2013}} }} === さらに進んだ書物 === *{{Cite book|和書 |author = 加藤和也 |authorlink = 加藤和也 (数学者) |coauthors = [[黒川信重]]・[[斎藤毅 (数学者)|斎藤毅]] |date = 1996-10-07 |title = 数論 1 ―― Fermatの夢 ―― |series = 現代数学の基礎 1〔18〕 |publisher = 岩波書店 |isbn = 4-00-010631-7 |ref = {{Harvid|加藤|黒川|斎藤|1996}} }} *{{Cite book|和書 |author = 加藤和也 |coauthors = 黒川信重・斎藤毅 |date = 1998-10-07 |title = 数論 2 ―― 類体論とは ―― |series = 現代数学の基礎 1〔19〕 |publisher = 岩波書店 |isbn = 4-00-010643-0 |ref = {{Harvid|加藤|黒川|斎藤|1998}} }} **{{Cite book|和書 |author = 加藤和也 |others = 黒川信重・斎藤毅 |date = 2005-01-07 |title = 数論 I ―― Fermatの夢と類体論 ―― |publisher = 岩波書店 |isbn = 978-4-00-005527-7 |ref = {{Harvid|加藤|黒川|斎藤|2005}} }} - {{Harvtxt|加藤|黒川|斎藤|1996}}と{{Harvtxt|加藤|黒川|斎藤|1998}}の合冊、改訂版。 *{{Cite book|和書 |author = 加藤和也 |date = 2009-01-29 |title = フェルマーの最終定理・佐藤-テイト予想解決への道 |volume = 第1巻 |series = 類体論と非可換類体論 |publisher = 岩波書店 |isbn = 978-4-00-006617-4 |ref = {{Harvid|加藤|2009}} }} *{{Cite book|和書 |author = 斎藤毅 |date = 2000-03-28 |title = Fermat予想 |volume = 第1巻 |series = 現代数学の展開 9〔11〕 |publisher = 岩波書店 |isbn = 4-00-010659-7 |ref = {{Harvid|斎藤|2000}} }} *{{Cite book|和書 |author = 斎藤毅 |date = 2008-02-08 |title = Fermat予想 |volume = 第2巻 |series = 現代数学の展開 12〔12〕 |publisher = 岩波書店 |isbn = 978-4-00-010662-7 |ref = {{Harvid|斎藤|2008}} }} **{{Cite book|和書 |author = 斎藤毅 |date = 2009-02-06 |title = フェルマー予想 |publisher = 岩波書店 |isbn = 978-4-00-005958-9 |ref = {{Harvid|斎藤|2009}} }} - {{Harvtxt|斎藤|2000}}と{{Harvtxt|斎藤|2008}}の合本。 == 関連項目 == {{ウィキプロジェクトリンク|数学|[[画像:Nuvola apps edu mathematics blue-p.svg|34px|ウィキプロジェクト 数学]]}} {{Div col}} *[[ABC予想]] - 予想が正しかった場合、{{mvar|n}} が {{math|6}} 以上の場合についての証明を与える、とよく誤解される。正しくは「質が2以上であるabc-tripleは存在しない」というABC予想に関連するまた別の予想からの帰結である。 *[[オイラー予想]] - フェルマーの最終定理を発展させた数学的予想。反例が示され、否定的に証明されている。 *[[佐藤・テイト予想]] *[[数学上の未解決問題]] *[[フェルマー=カタラン予想]] {{Div col end}} == 外部リンク == *{{MathWorld|title=Fermat's Last Theorem|urlname=FermatsLastTheorem}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ふえるまあのさいしゆうていり}} [[Category:数論の定理]] [[Category:ピタゴラスの定理]] [[Category:ピエール・ド・フェルマー]] [[Category:数学のエポニム]] [[Category:数学に関する記事]]
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ピタゴラスの定理
初等幾何学におけるピタゴラスの定理(、英: Pythagorean theorem)は、直角三角形の3辺の長さの間に成り立つ関係について述べた定理である。その関係は、斜辺の長さを c, 他の2辺の長さを a, b とすると、 という等式の形で述べられる。 現在の日本では三平方の定理()とも呼ばれている。戦前の日本では勾股弦の定理()と呼ばれていた。「ピタゴラス」と冠しているが、彼が発見したかは定かでない。 ピタゴラスの定理によって、直角三角形において2辺の長さが分かっていれば、残りの1辺の長さを計算することができる。例えば、2次元直交座標系において、座標が分かっている2点間の距離を求めることができる。2点間の距離は、2点の各座標の差の 2乗の総和の平方根となる。このことは3次元直交座標系でも成り立つ。このようにして一般の有限次元直交座標系に対して導入される距離はユークリッド距離と呼ばれる。 (a, b, c) で特に全てが自然数であるものは、本質的に可算個あることが知られており、ピタゴラス数と呼ばれている。 直角三角形において、斜辺の長さを c、直角をはさむ 2辺の長さを a, b とすると、次の等式が成り立ち、「ピタゴラスの定理」と呼ばれる: ここで a, b, c はいずれも正であるから、2辺の長さから残りの辺の長さを、次のように計算できる: この定理は、余弦定理によって一般の三角形に拡張される:任意の三角形において、1つの内角の大きさとそれをはさむ2辺の長さから残りの辺(対辺)の長さを計算できる。特にここで考えている内角の大きさが直角の場合、余弦定理はピタゴラスの等式に帰着する。 「ピタゴラスが直角二等辺三角形のタイルが敷き詰められた床を見ていて、この定理を思いついた」などいくつかの逸話が伝えられているが、実際にピタゴラスが発見したかどうかは正確には判っていない。 ピタゴラスの定理の内容は歴史上の文献にいくつか著されているが、どれだけあるのかは議論がある。ピタゴラスが生まれる前からピタゴラスの定理は広く知られていた。 判明しているもので最初期のものは、ピタゴラスが生まれる1000年以上前のバビロン第1王朝時代ごろ(紀元前20世紀から16世紀の間)とされる。 バビロニアの粘土板『プリンプトン322』には、ピタゴラスの定理に関わる要素が数多く含まれている。YBC 7289の裏面にはそれらしい記述がある。 エジプト数学やバビロニア数学などにはピタゴラス数についての記述があるが、定理を発見していたかまでは定かではない。ただし、直角を作図するために 3:4:5の直角三角形が作図上利用された可能性がある。紀元前2000年から1786年ごろに書かれた古代エジプトエジプト中王国のパピルス "Berlin Papyrus 6619(英語版)" には定理に関わる部分が欠けている。 中国古代においては、『周髀算経』(紀元前2世紀前後)や『九章算術』の数学書でもこの定理が取り上げられている。中国ではこの定理を勾股定理、商高定理等と呼んで説明している。 紀元前3世紀に書かれたユークリッド原論では、第1巻の命題47で言及されている。 インドの紀元前5-8世紀に書かれた『シュルバ・スートラ』などにも定理に関わる文章が見られる。しかし、これはバビロニア数学の影響を受けた結果ではないかという推測もされているが、結論には至っていない。 「ピュタゴラス(ピタゴラス)の定理」という呼称が一般的になったのは、西洋においても少なくとも20世紀に入ってからである。 日本の和算でも、中国での呼称を用いて鉤股弦の法()等と呼んでいた。「勾(鈎)・股・弦」とはそれぞれ、a + b = c (a < b < c) としたときの a, b, c を表している。 日本の明治時代の中等学校の教科書では「ピュタゴラスの定理」と呼ばれていた。 現在、ピタゴラスの定理は「三平方の定理」とも呼ばれているが、「三平方の定理」と呼ばれるようになったのは1942年(昭和17年)の太平洋戦争開始後のことである。 このときに「鉤股弦の定理」とする案などもあったが、末綱恕一(東大教授)の発案で「三平方の定理」に改められたとされる。 3辺の長さが何れも整数である直角三角形は、ピタゴラスの定理の項目の中で古くから知られた。例えば、紀元前1800年ごろのバビロニアの粘土板には、3辺の長さの表(例えば 4961 + 6480 = 8161 のようなもの)が出ている。 a + b = c を満たす自然数の組 (a, b, c) をピタゴラス数 (Pythagorean triple) という。特に、a, b, c が互いに素であるピタゴラス数 (a, b, c) は原始ピタゴラス数 (primitive Pythagorean triple) と呼ばれる。全てのピタゴラス数は原始ピタゴラス数で (a, b, c) の正の整数倍 (ka, kb, kc) で表されるから、ピタゴラス数のリストを知るには、原始ピタゴラス数が本質的である。 ピタゴラス数 (a, b, c) が原始的であるためには、3つのうちある2つが互いに素であれば十分である。原始ピタゴラス数の小さい方のリストは、c < 100 で、a < b とすると次の通りである: ピタゴラス数 (a, b, c) には、次の性質がある。 自然数の組 (a, b, c) が原始ピタゴラス数であるためには、ある自然数 m, n が を満たすとして、 であることが必要十分である。上記の (m, n) は無数に存在し重複がないので、原始ピタゴラス数は無数に存在し、すべての原始ピタゴラス数を重複なく列挙できる。 例えば である。a < b を満たす原始ピタゴラス数を a の昇順に並べた一覧表は以下のようになる。 また、フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーは一般のピタゴラス数 (a, b, c) に対して、S = 1/2ab(直角三角形の面積)は平方数でないことを無限降下法により証明した。 1956年に Jesmanowicz が次の予想を提出した: 第二余弦定理 はピタゴラスの定理を C = π/2 = 90° → cos C = 0 の場合として含む。 つまり、第二余弦定理はピタゴラスの定理を一般の三角形に対して拡張した定理になっている。 指数の 2 の部分を一般化すると となる。n = 2 の場合、自明(つまり a, b, c の少なくとも1つが 0)や既知解(原始ピタゴラス数の定数倍)を除いても、整数解は実質無数に存在するが、n ≥ 3 の場合は非自明な整数解は存在しない。 3次元空間内に平面があるとき、その閉領域 S の面積は、yz 平面、zx 平面、xy 平面への射影の面積 Sx, Sy, Sz を用いて と表される。これは高次元へ一般化できる。 この定理には数百通りもの異なる証明がある。 頂点 C から斜辺 AB に下ろした垂線の足を H とする。△ABC と △ACH は相似である。ゆえに であり、同様に である。したがって であるから、両辺に c を掛けて を得る。 前節の証明は、三角比を用いると簡単に表記できる: 本証明を一般の三角形に拡張すると、第二余弦定理の証明が得られる。 ∠C = 90° のとき、斜辺AB を直径とする円O を描くことができる。 このとき点C から直径AB に下ろした垂線の足を H とし、△CHO に対して三平方の定理を証明する。OA = OB = OC = c, CH = a, OH = b とする。 △AHC ∽ △BHC なので、 △ABC と合同な4個の三角形を右図のように並べると、外側に一辺が a + b の正方形(以下「大正方形」)が、内側に一辺が c の正方形(以下「小正方形」)ができる。 である。大正方形の面積は (a + b), 小正方形の面積は c, 直角三角形1個の面積は 1 2 a b {\displaystyle {\frac {1}{2}}ab} である。これらを代入すると、 整理して を得る。 △ABC において、内接円の半径 r を用いて面積 S を表すと となるが、∠C = 90°より、 となるから、(1) に (2), (3) を代入すると 整理すると が得られる。 三角関数と指数関数は冪級数によって定義されているものとする。(指数法則やオイラーの公式の証明に本定理が使用されない定義であればよい。)まず sin θ + cos θ = 1 が任意の複素数 θ に対して成り立つことを(3通りの方法で)示す。 オイラーの公式より または もしくは、オイラーの公式から三角関数の半角の公式を導出する。 (1) の式はピタゴラスの基本三角関数公式 (Fundamental Pythagorean trigonometric identity) と呼ばれている。 (1) の時点ですでに単位円上において本定理の成立が明らかである。なぜならば、実数の範囲では、単位円上の偏角 θ の点の座標として定義した (cos θ, sin θ) と上記の冪級数による定義は一致するからである。 前提とした △ABC について、∠A = θ とおけば (1), (2), (3) より ゆえに が得られる。 正弦および余弦関数を微分すれば (1), (2) および微分公式より したがって ここで C は定数である。θ = 0 を代入すると sin 0 = 0, cos 0 = 1 であるので、C = 1 が得られる。よって が得られる。 あとは前節と同様にして が得られる。 下記のように関数を定める。 上記を漸化式を利用して不定積分すると である。微分積分学の基本定理を考慮し、これを微分すると である。したがって ゆえに、ピタゴラスの定理は成立する。 三角関数の加法定理は、三平方の定理を使わないで証明できる。本定理を使わないで証明した、三角関数の加法定理を使うと、 または が得られる。 また、加法定理から導かれる半角公式を適用すると したがって が得られる。 あとはこれまでと同様にして が得られる。 三角関数は級数によって定義されているものとし、cos θ と sin θ の自乗をそれぞれ計算すると となる。ここで二項定理より である。したがって が得られる。 あとはこれまでと同様にして が得られる。 平面において原点を中心とする角 θ の回転の表現行列は であるが、このことも三平方の定理を用いないで証明が可能である。 R(θ) R (−θ) = I2(単位行列)であるが、この式の左辺を直接計算すると となる。したがって が得られる。 あとはこれまでと同様にして が得られる。 任意の z ∈ C に対し である。よって任意の θ ∈ C に対して が成り立つ。 あとはこれまでと同様にして が得られる。 ピタゴラスの定理は、逆も真となる。すなわち、△ABC に対して が成立すれば、△ABC は ∠C = π/2 の直角三角形となる。 △ABC が a + b = c を満たすとする。線分 AB を b : a に内分する点を D とすると である。これより であるから2辺比夾角相等より △ ACD ∼ △ ABC {\displaystyle \triangle {\text{ACD}}\sim \triangle {\text{ABC}}} 。 同様に となるから となる。 (1) より 一方 であるから、(2), (3) より (1), (4) より ゆえに △ABC は ∠C = π/2 の直角三角形である。 B'C' = a, A'C' = b,∠C' = π/2 である直角三角形 A'B'C' において、A'B' = c' とすれば、ピタゴラスの定理より が成り立つ。 一方、仮定から △ABC において が成り立っている。(1), (2) より c > 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"あとは前節と同様にして", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "が得られる。", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "下記のように関数を定める。", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "上記を漸化式を利用して不定積分すると", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "である。微分積分学の基本定理を考慮し、これを微分すると", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "である。したがって", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "ゆえに、ピタゴラスの定理は成立する。", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "三角関数の加法定理は、三平方の定理を使わないで証明できる。本定理を使わないで証明した、三角関数の加法定理を使うと、", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "または", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "が得られる。 また、加法定理から導かれる半角公式を適用すると", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "したがって", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "が得られる。", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "あとはこれまでと同様にして", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "が得られる。", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "三角関数は級数によって定義されているものとし、cos θ と sin θ の自乗をそれぞれ計算すると", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "となる。ここで二項定理より", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "である。したがって", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "が得られる。", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "あとはこれまでと同様にして", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "が得られる。", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "平面において原点を中心とする角 θ の回転の表現行列は", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "であるが、このことも三平方の定理を用いないで証明が可能である。", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "R(θ) R (−θ) = I2(単位行列)であるが、この式の左辺を直接計算すると", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "となる。したがって", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "が得られる。", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "あとはこれまでと同様にして", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "が得られる。", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "任意の z ∈ C に対し", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "である。よって任意の θ ∈ C に対して", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "が成り立つ。", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "あとはこれまでと同様にして", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "が得られる。", "title": "ピタゴラスの定理の証明" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "ピタゴラスの定理は、逆も真となる。すなわち、△ABC に対して", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "が成立すれば、△ABC は ∠C = π/2 の直角三角形となる。", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "△ABC が a + b = c を満たすとする。線分 AB を b : a に内分する点を D とすると", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "である。これより", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "であるから2辺比夾角相等より △ ACD ∼ △ ABC {\\displaystyle \\triangle {\\text{ACD}}\\sim \\triangle {\\text{ABC}}} 。", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "同様に", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "となるから", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "となる。", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "(1) より", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "一方", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "であるから、(2), (3) より", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "(1), (4) より", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "ゆえに △ABC は ∠C = π/2 の直角三角形である。", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "B'C' = a, A'C' = b,∠C' = π/2 である直角三角形 A'B'C' において、A'B' = c' とすれば、ピタゴラスの定理より", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "が成り立つ。 一方、仮定から △ABC において", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "が成り立っている。(1), (2) より", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "c > 0, c' > 0 より", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "したがって、3辺相等から", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "∴ ∠C = ∠C' = π/2。ゆえに △ABC は ∠C = π/2 の直角三角形である。", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "△ABC において ∠C ≠ π/2 であると仮定する。頂点 A から直線 BC に下ろした垂線の足を D とし、AD = h, CD = d とする。", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "∠C < π/2 の場合、直角三角形 ABD においてピタゴラスの定理より", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "であり、同様に直角三角形 ACD では", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "である。よって", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "となる。", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "∠C > π/2 の場合も同様に考えて", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "ゆえに", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "となる。", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "よっていずれの場合も", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "である。対偶を取って、a + b = c ならば ∠C = π/2 である。", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "なお、この証明から分かるように、", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "という対応がある。", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "ピタゴラスの定理は既知とすると、それより導かれる余弦定理を用いることができる。△ABC において、a = BC, b = CA, c = AB, C = ∠ACB とおくと、余弦定理より", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "一方、仮定より", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "であるから", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "となる。三角形の内角の和は π であるから 0 < C < π より、", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "ゆえに △ABC は ∠C = π/2 の直角三角形である。", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "△ABC において", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "であり", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "である。 ここで", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "である。したがって", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "である。よって", "title": "ピタゴラスの定理の逆" }, { "paragraph_id": 146, "tag": "p", "text": "である。ゆえに、ピタゴラスの定理の逆が証明された。", "title": "ピタゴラスの定理の逆" } ]
初等幾何学におけるピタゴラスの定理(ピタゴラスのていり、は、直角三角形の3辺の長さの間に成り立つ関係について述べた定理である。その関係は、斜辺の長さを c, 他の2辺の長さを a, b とすると、 という等式の形で述べられる。 現在の日本では三平方の定理とも呼ばれている。戦前の日本では勾股弦の定理と呼ばれていた。「ピタゴラス」と冠しているが、彼が発見したかは定かでない。 ピタゴラスの定理によって、直角三角形において2辺の長さが分かっていれば、残りの1辺の長さを計算することができる。例えば、2次元直交座標系において、座標が分かっている2点間の距離を求めることができる。2点間の距離は、2点の各座標の差の 2乗の総和の平方根となる。このことは3次元直交座標系でも成り立つ。このようにして一般の有限次元直交座標系に対して導入される距離はユークリッド距離と呼ばれる。 で特に全てが自然数であるものは、本質的に可算個あることが知られており、ピタゴラス数と呼ばれている。
{{Infobox mathematical statement |name = ピタゴラスの定理 |image = Pythagorean.svg |caption = |type = [[定理]] |field = [[ユークリッド幾何学]] |statement = 2辺 ({{math2|''a'', ''b''}}) 上の2つの正方形の面積の和は、斜辺 ({{mvar|c}}) 上の正方形の面積に等しくなる。 |symbolic statement = <math>a^2 + b^2 = c^2</math> |generalizations = {{Plainlist| * [[余弦定理]] * [[空間幾何学]] * [[非ユークリッド幾何学]] * [[微分幾何学]] }} |consequences = {{Plainlist| * [[ピタゴラス数]] * 逆ピタゴラスの定理 * [[複素数]] * [[ユークリッド距離]] * [[ピタゴラスの三角恒等式]] }} }} [[初等幾何学]]における{{読み仮名|'''ピタゴラスの定理'''|ピタゴラスのていり|{{lang-en-short|Pythagorean theorem}}}}は、[[直角三角形]]の3[[辺]]の長さの間に成り立つ関係について述べた[[定理]]である。その関係は、[[斜辺]]の長さを {{mvar|c}}, 他の2辺の長さを {{math2|''a'', ''b''}} とすると、 :<math>c^2=a^2+b^2</math> という[[等式]]の形で述べられる<ref name="大矢2001" /><ref name="大矢1975" /><ref name="大矢1952" />。 現在の日本では{{読み仮名|'''三平方の定理'''|さんへいほうのていり}}とも呼ばれている。戦前の日本では{{読み仮名|'''勾股弦の定理'''|こうこげんのていり}}と呼ばれていた。「[[ピタゴラス]]」と冠しているが、彼が発見したかは定かでない。 ピタゴラスの定理によって、直角三角形において2辺の長さが分かっていれば、残りの1辺の長さを計算することができる<ref group="注">故に {{math2|(''a'', ''b'', ''c'')}} の[[自由度]]は2次元である。</ref>。例えば、2次元[[直交座標系]]において、座標が分かっている2点間の[[距離空間|距離]]を求めることができる。2点間の距離は、2点の各座標の差の 2乗の総和の[[平方根]]となる<ref group="注">2次元直交座標系においては、原点{{math|O(0, 0)}} と点{{math|P(''x'', ''y'')}} の距離は {{math2|{{sqrt|''x''{{sup|2}} + ''y''{{sup|2}}}}}} と表すことができる。ここで {{math|√}} は負でない[[平方根]]を表す。</ref>。このことは3次元直交座標系でも成り立つ。このようにして一般の有限次元直交座標系に対して導入される距離は[[ユークリッド距離]]と呼ばれる。 {{math2|(''a'', ''b'', ''c'')}} で特に全てが自然数であるものは、本質的に[[可算]]個あることが知られており、[[ピタゴラス数]]と呼ばれている。 == 定理の概要 == 直角三角形において、[[斜辺]]の[[長さ]]を {{mvar|c}}、直角をはさむ 2辺の長さを {{math2|''a'', ''b''}} とすると、次の[[等式]]が成り立ち、「ピタゴラスの定理」と呼ばれる: :<math>a^2 + b^2 = c^2</math> ここで {{math2|''a'', ''b'', ''c''}} はいずれも正であるから、2辺の長さから残りの辺の長さを、次のように計算できる: :<math>a = \sqrt{c^2 - b^2}</math> :<math>b = \sqrt{c^2 - a^2}</math> :<math>c = \sqrt{a^2 + b^2}</math> この定理は、[[余弦定理]]によって一般の三角形に拡張される:任意の三角形において、1つの内角の大きさとそれをはさむ2辺の長さから残りの辺(対辺)の長さを計算できる。特にここで考えている内角の大きさが直角の場合、余弦定理はピタゴラスの等式に帰着する。 == 歴史 == [[画像:Plimpton 322.jpg|260px|thumb|[[バビロニア数学]]について記された[[粘土板]][[プリンプトン322]]]] 「[[ピタゴラス]]が[[直角二等辺三角形]]のタイルが敷き詰められた床を見ていて、この定理を思いついた」などいくつかの逸話が伝えられているが、実際にピタゴラスが発見したかどうかは正確には判っていない。 ピタゴラスの定理の内容は歴史上の文献にいくつか著されているが、どれだけあるのかは議論がある。ピタゴラスが生まれる前からピタゴラスの定理は広く知られていた。 判明しているもので最初期のものは、ピタゴラスが生まれる1000年以上前の[[バビロン第1王朝]]時代ごろ(紀元前20世紀から16世紀の間)とされる<ref>{{harvnb|Neugebauer|1969}}: p.36 "In other words it was known during the whole duration of Babylonian mathematics that the sum of the squares on the lengths of the sides of a right triangle equals the square of the length of the hypotenuse."</ref><ref>{{Cite journal |author=Friberg, Jöran |url=https://www.researchgate.net/publication/222892801 |title=Methods and traditions of Babylonian mathematics: Plimpton 322, Pythagorean triples, and the Babylonian triangle parameter equations |journal=Historia Mathematica |volume=8 |pages=277-318 |year=1981 |doi=10.1016/0315-0860(81)90069-0 |doi-access=free}}: p.306 "Although Plimpton 322 is a unique text of its kind, there are several other known texts testifying that the Pythagorean theorem was well known to the mathematicians of the Old Babylonian period."</ref><ref>{{Cite conference |last=Høyrup |first=Jens |authorlink=:en:Jens Høyrup |contribution=Pythagorean ‘Rule’ and ‘Theorem’ – Mirror of the Relation Between Babylonian and Greek Mathematics |pages=393-407 |editor-last=Renger |editor-first=Johannes |title=Babylon: Focus mesopotamischer Geschichte, Wiege früher Gelehrsamkeit, Mythos in der Moderne. 2. Internationales Colloquium der Deutschen Orient-Gesellschaft 24.–26. März 1998 in Berlin |publisher=Berlin: Deutsche Orient-Gesellschaft / Saarbrücken: SDV Saarbrücker Druckerei und Verlag|url=http://akira.ruc.dk/~jensh/Publications/Pythrule.pdf}}, p.406, "''To judge from this evidence alone'' it is therefore likely that the Pythagorean rule was discovered within the lay surveyors’ environment, possibly as a spin-off from the problem treated in Db{{sub|2}}-146, somewhere between 2300 and 1825 BC." ({{ill2|IM 67118|en|IM 67118}}(Db{{sub|2}}-146) is an Old Babylonian clay tablet from [[Eshnunna]] concerning the computation of the sides of a rectangle given its area and diagonal.)</ref><ref>{{Cite book |authorlink=:en:Eleanor Robson |last=Robson |first=E. |title=Mathematics in Ancient Iraq: A Social History |publisher=Princeton University Press |year=2008}}: p.109 "Many Old Babylonian mathematical practitioners … knew that the square on the diagonal of a right triangle had the same area as the sum of the squares on the length and width: that relationship is used in the worked solutions to word problems on cut-and-paste ‘algebra’ on seven different tablets, from Ešnuna, Sippar, Susa, and an unknown location in southern Babylonia."</ref>。 バビロニアの[[粘土板]]『[[プリンプトン322]]』には、ピタゴラスの定理に関わる要素が数多く含まれている。[[YBC 7289]]の裏面にはそれらしい記述がある。 [[エジプト数学]]や[[バビロニア数学]]などには[[ピタゴラス数]]についての記述があるが、定理を発見していたかまでは定かではない。ただし、[[直角]]を作図するために 3:4:5の直角三角形が作図上利用された可能性がある<ref name="亀井" />。紀元前2000年から1786年ごろに書かれた[[古代エジプト]][[エジプト中王国]]の[[パピルス]] "{{ill2|Berlin Papyrus 6619|en|Berlin Papyrus 6619}}" には定理に関わる部分が欠けている。 [[画像:Chinese pythagoras.jpg|250px|thumb|『[[周髀算経]]』におけるピタゴラスの定理の証明({{Lang-zh|句股冪合以成弦冪}})]] 中国古代においては、『[[周髀算経]]』([[紀元前2世紀]]前後)や『[[九章算術]]』の数学書でもこの定理が取り上げられている。中国ではこの定理を'''勾股定理'''、'''商高定理'''等と呼んで説明している。 [[紀元前3世紀]]に書かれた[[ユークリッド原論]]では、第1巻の命題47で言及されている。 インドの紀元前5-8世紀に書かれた『[[シュルバ・スートラ]]』などにも定理に関わる文章が見られる<ref>{{Cite book |author=Kim Plofker |title=Mathematics in India |title-link= Mathematics in India |pages=[https://books.google.com/books?id=DHvThPNp9yMC&pg=PA17 17–18] |year=2009 |publisher=Princeton University Press |isbn=978-0-691-12067-6}}</ref>。しかし、これはバビロニア数学の影響を受けた結果ではないかという推測もされているが、結論には至っていない<ref>{{Cite book |author1=Carl Benjamin Boyer |authorlink=:en:Carl Benjamin Boyer |author2=Uta C. Merzbach |author2-link=:en:Uta Merzbach |year=2011 |title=A history of mathematics |edition=3rd |url=https://books.google.com/books?id=bR9HAAAAQBAJ |chapter=China and India |page=229 |isbn=978-0470525487 |quote='''Quote:''' [In Sulba-sutras,] we find rules for the construction of right angles by means of triples of cords the lengths of which form Pythagorean triages, such as 3, 4, and 5, or 5, 12, and 13, or 8, 15, and 17, or 12, 35, and 37. Although Mesopotamian influence in the ''Sulvasũtras'' is not unlikely, we know of no conclusive evidence for or against this. Aspastamba knew that the square on the diagonal of a rectangle is equal to the sum of the squares on the two adjacent sides. Less easily explained is another rule given by Apastamba – one that strongly resembles some of the geometric algebra in Book II of Euclid's ''Elements''. (...) |publisher=Wiley}}</ref>。 [[画像:Pythagoras theorem leonardo da vinci.png|250px|thumb|[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]による[[ピタゴラス]]の定理の証明。橙色の部分を {{math|90}}度回転し、緑色の部分は裏返して図の位置にできる。]] 「ピュタゴラス(ピタゴラス)の定理」という呼称が一般的になったのは、西洋においても少なくとも[[20世紀]]に入ってからである<ref name="katano"/>。 === 日本での呼称 === 日本の[[和算]]でも、中国での呼称を用いて{{読み仮名|'''鉤股弦の法'''|こうこげんのほう}}等と呼んでいた<ref>[https://www.ndl.go.jp/math/s1/c6.html コラム ピタゴラスの定理 江戸の数学] 国立国会図書館</ref><ref name=":0">{{Cite journal|和書|author1=金光三男|author2=安井孜|author3=花木良|author4=河上哲|author5=山中聡恵 |date=2013-03 |url=https://hdl.handle.net/2433/194793 |title=教師に必要な数学的素養の育成 : 教科内容の背景にある数学 (数学教師に必要な数学能力に関連する諸問題) |journal=数理解析研究所講究録 |ISSN=1880-2818 |publisher=京都大学数理解析研究所 |volume=1828 |pages=101-130 |hdl=2433/194793 |CRID=1050282810781995008}} p.105 より</ref>。「勾(鈎)・股・弦」とはそれぞれ、{{math2|1=''a''{{sup|2}} + ''b''{{sup|2}} = ''c''{{sup|2}} (''a'' < ''b'' < ''c'')}} としたときの {{math2|''a'', ''b'', ''c''}} を表している。 日本の[[明治]]時代の中等学校の教科書では「ピュタゴラスの定理」と呼ばれていた。 現在、ピタゴラスの定理は「三平方の定理」とも呼ばれているが、「三平方の定理」と呼ばれるようになったのは[[1942年]](昭和17年)の[[太平洋戦争]]開始後のことである<ref name="katano">{{Cite book|和書 |author=片野善一郎 |title=数学用語と記号ものがたり |publisher=[[裳華房]] |date=2003-08-25 |page=157}}</ref>。 このときに「鉤股弦の定理」とする案などもあったが、[[末綱恕一]](東大教授)の発案で「三平方の定理」に改められたとされる。 == ピタゴラス数 == {{main|ピタゴラス数}} 3辺の長さが何れも整数である[[直角三角形]]は、ピタゴラスの定理の項目の中で古くから知られた<ref name="katano"/>。例えば、紀元前1800年ごろのバビロニアの粘土板には、3辺の長さの表(例えば {{math2|1=4961{{sup|2}} + 6480{{sup|2}} = 8161{{sup|2}}}} のようなもの)が出ている。 {{math2|1=''a''{{sup|2}} + ''b''{{sup|2}} = ''c''{{sup|2}}}} を満たす[[自然数]]の組 {{math|(''a'', ''b'', ''c'')}} を'''ピタゴラス数''' ({{en|Pythagorean triple}}) という。特に、{{math|''a'', ''b'', ''c''}} が[[互いに素 (整数論)|互いに素]]であるピタゴラス数 {{math|(''a'', ''b'', ''c'')}} は'''[[原始ピタゴラス数]]''' {{en|(primitive Pythagorean triple)}} と呼ばれる。全てのピタゴラス数は原始ピタゴラス数で {{math2|(''a'', ''b'', ''c'')}} の正の整数倍 {{math2|(''ka'', ''kb'', ''kc'')}} で表されるから、ピタゴラス数のリストを知るには、原始ピタゴラス数が本質的である。 ピタゴラス数 {{math|(''a'', ''b'', ''c'')}} が原始的であるためには、3つのうちある2つが互いに素であれば十分である。原始ピタゴラス数の小さい方のリストは、{{math2|''c'' < 100}} で、{{math2|''a'' < ''b''}} とすると次の通りである<ref>{{mvar|a}} の順序は{{OEIS|A020884}}による。{{math2|''b'', ''c''}} を昇順に並べると、それぞれ{{OEIS|A020883}}および{{OEIS|A020882}}になる。</ref>: :({{mvar|a}}, {{mvar|b}}, {{mvar|c}}) = (3, 4, 5), (5, 12, 13), (7, 24, 25), (8, 15, 17), (9, 40, 41), (11, 60, 61), (12, 35, 37), (13, 84, 85), (16, 63, 65), (20, 21, 29), (28, 45, 53), (33, 56, 65), (36, 77, 85), (39, 80, 89), (48, 55, 73), (65, 72, 97) === ピタゴラス数の性質 === {{main|ピタゴラス数}} ピタゴラス数 {{math2|(''a'', ''b'', ''c'')}} には、次の性質がある。 * {{mvar|a}} または {{mvar|b}} は {{math|4}} の倍数 * {{mvar|a}} または {{mvar|b}} は {{math|3}} の倍数 * {{mvar|a}} または {{mvar|b}} または {{mvar|c}} は {{math|5}} の倍数 ** したがって、積 {{mvar|abc}} は {{math|60}} の倍数である。 自然数の組 {{math2|(''a'', ''b'', ''c'')}} が原始ピタゴラス数であるためには、ある自然数 {{math2|''m'', ''n''}} が * {{math|''m'', ''n''}} は互いに素 * {{math|''m'' > ''n''}} * {{mvar|m}} と {{mvar|n}} の偶奇が異なる(一方が[[偶数]]で他方が[[奇数]]) を満たすとして、 : {{math2|1=(''a'', ''b'', ''c'') = (''m''{{sup|2}} &minus; ''n''{{sup|2}}, 2''mn'', ''m''{{sup|2}} + ''n''{{sup|2}})}} または {{math2|(2''mn'', ''m''{{sup|2}} &minus; ''n''{{sup|2}}, ''m''{{sup|2}} + ''n''{{sup|2}})}} であることが必要十分である<ref>{{Harvtxt|足立|1995|pp=31-34, 106-109}}</ref><ref>{{Harvtxt|足立|2006|pp=19-22, 49-55}}</ref>。上記の {{math|(''m'', ''n'')}} は無数に存在し重複がないので、原始ピタゴラス数は無数に存在し、すべての原始ピタゴラス数を重複なく列挙できる。 例えば :{{math|(''m'', ''n'') {{=}} (2, 1)}} のとき {{math2|1=(''a'', ''b'', ''c'') = (3, 4, 5)}} :{{math|(''m'', ''n'') {{=}} (3, 2)}} のとき {{math2|1=(''a'', ''b'', ''c'') = (5, 12, 13)}} :{{math|(''m'', ''n'') {{=}} (4, 1)}} のとき {{math2|1=(''a'', ''b'', ''c'') = (8, 15, 17)}} である。{{math2|''a'' < ''b''}} を満たす原始ピタゴラス数を {{mvar|a}} の昇順に並べた一覧表は以下のようになる<ref>{{mvar|a}} の順序は{{OEIS|A020884}}による。</ref>。 {|class="wikitable" |+原始ピタゴラス数の一覧表 |style="vertical-align:top"| {|class="sortable wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="text-align:right" ! # !! {{mvar|m}} !! {{mvar|n}} !! {{mvar|a}} !! {{mvar|b}} !! {{mvar|c}} |- ! 1 | 2 || 1 || 3 || 4 || 5 |- ! 2 | 3 || 2 || 5 || 12 || 13 |- ! 3 | 4 || 3 || 7 || 24 || 25 |- ! 4 | 4 || 1 || 8 || 15 || 17 |- ! 5 | 5 || 4 || 9 || 40 || 41 |- ! 6 | 6 || 5 || 11 || 60 || 61 |- ! 7 | 6 || 1 || 12 || 35 || 37 |- ! 8 | 7 || 6 || 13 || 84 || 85 |- ! 9 | 8 || 7 || 15 || 112 || 113 |- ! 10 | 8 || 1 || 16 || 63 || 65 |- ! 11 | 9 || 8 || 17 || 144 || 145 |- ! 12 | 10 || 9 || 19 || 180 || 181 |- ! 13 | 5 || 2 || 20 || 21 || 29 |- ! 14 | 10 || 1 || 20 || 99 || 101 |- ! 15 | 11 || 10 || 21 || 220 || 221 |- ! 16 | 12 || 11 || 23 || 264 || 265 |- ! 17 | 12 || 1 || 24 || 143 || 145 |- ! 18 | 13 || 12 || 25 || 312 || 313 |- ! 19 | 14 || 13 || 27 || 364 || 365 |- ! 20 | 7 || 2 || 28 || 45 || 53 |- ! 21 | 14 || 1 || 28 || 195 || 197 |- ! 22 | 15 || 14 || 29 || 420 || 421 |- ! 23 | 16 || 15 || 31 || 480 || 481 |- ! 24 | 16 || 1 || 32 || 255 || 257 |- ! 25 | 7 || 4 || 33 || 56 || 65 |} |style="vertical-align:top"| {|class="sortable wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="text-align:right" ! # !! {{mvar|m}} !! {{mvar|n}} !! {{mvar|a}} !! {{mvar|b}} !! {{mvar|c}} |- ! 26 | 17 || 16 || 33 || 544 || 545 |- ! 27 | 18 || 17 || 35 || 612 || 613 |- ! 28 | 9 || 2 || 36 || 77 || 85 |- ! 29 | 18 || 1 || 36 || 323 || 325 |- ! 30 | 19 || 18 || 37 || 684 || 685 |- ! 31 | 8 || 5 || 39 || 80 || 89 |- ! 32 | 20 || 19 || 39 || 760 || 761 |- ! 33 | 20 || 1 || 40 || 399 || 401 |- ! 34 | 21 || 20 || 41 || 840 || 841 |- ! 35 | 22 || 21 || 43 || 924 || 925 |- ! 36 | 11 || 2 || 44 || 117 || 125 |- ! 37 | 22 || 1 || 44 || 483 || 485 |- ! 38 | 23 || 22 || 45 || 1012 || 1013 |- ! 39 | 24 || 23 || 47 || 1104 || 1105 |- ! 40 | 8 || 3 || 48 || 55 || 73 |- ! 41 | 24 || 1 || 48 || 575 || 577 |- ! 42 | 25 || 24 || 49 || 1200 || 1201 |- ! 43 | 10 || 7 || 51 || 140 || 149 |- ! 44 | 26 || 25 || 51 || 1300 || 1301 |- ! 45 | 13 || 2 || 52 || 165 || 173 |- ! 46 | 26 || 1 || 52 || 675 || 677 |- ! 47 | 27 || 26 || 53 || 1404 || 1405 |- ! 48 | 28 || 27 || 55 || 1512 || 1513 |- ! 49 | 28 || 1 || 56 || 783 || 785 |- ! 50 | 11 || 8 || 57 || 176 || 185 |} |style="vertical-align:top"| {|class="sortable wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="text-align:right" ! # !! {{mvar|m}} !! {{mvar|n}} !! {{mvar|a}} !! {{mvar|b}} !! {{mvar|c}} |- ! 51 | 29 || 28 || 57 || 1624 || 1625 |- ! 52 | 30 || 29 || 59 || 1740 || 1741 |- ! 53 | 10 || 3 || 60 || 91 || 109 |- ! 54 | 15 || 2 || 60 || 221 || 229 |- ! 55 | 30 || 1 || 60 || 899 || 901 |- ! 56 | 31 || 30 || 61 || 1860 || 1861 |- ! 57 | 32 || 31 || 63 || 1984 || 1985 |- ! 58 | 32 || 1 || 64 || 1023 || 1025 |- ! 59 | 9 || 4 || 65 || 72 || 97 |- ! 60 | 33 || 32 || 65 || 2112 || 2113 |- ! 61 | 34 || 33 || 67 || 2244 || 2245 |- ! 62 | 17 || 2 || 68 || 285 || 293 |- ! 63 | 34 || 1 || 68 || 1155 || 1157 |- ! 64 | 13 || 10 || 69 || 260 || 269 |- ! 65 | 35 || 34 || 69 || 2380 || 2381 |- ! 66 | 36 || 35 || 71 || 2520 || 2521 |- ! 67 | 36 || 1 || 72 || 1295 || 1297 |- ! 68 | 37 || 36 || 73 || 2664 || 2665 |- ! 69 | 14 || 11 || 75 || 308 || 317 |- ! 70 | 38 || 37 || 75 || 2812 || 2813 |- ! 71 | 19 || 2 || 76 || 357 || 365 |- ! 72 | 38 || 1 || 76 || 1443 || 1445 |- ! 73 | 39 || 38 || 77 || 2964 || 2965 |- ! 74 | 40 || 39 || 79 || 3120 || 3121 |- ! 75 | 40 || 1 || 80 || 1599 || 1601 |} |} また、フランスの数学者[[ピエール・ド・フェルマー]]は一般のピタゴラス数 {{math2|(''a'', ''b'', ''c'')}} に対して、{{math2|1=''S'' = {{sfrac|1|2}}''ab''}}(直角三角形の面積)は[[平方数]]でないことを[[無限降下法]]により証明した<ref>{{Harvtxt|足立|2006|pp=93-95, 99-101}}、{{Harvtxt|高瀬|2019|pp=114-115, 180}}</ref>。 === Jesmanowicz 予想 === 1956年に Jesmanowicz が次の予想を提出した: :{{math|(''a'', ''b'', ''c'')}} を原始ピタゴラス数、{{mvar|n}} を自然数とする。方程式: ::<math>(an)^x+(bn)^y=(cn)^z</math> :の自然数解 {{math2|(''x'', ''y'', ''z'')}} は ::<math>x=y=z=2</math> :のみである。 === 特別なピタゴラス数 === * 直角をはさむ2辺 {{math2|''a'', ''b''}} が連続する原始ピタゴラス数は :{{math2|(3, 4, 5), (20, 21, 29), (119, 120, 169), …}}({{OEIS|A114336}}) :である。この問題はフランスの数学者[[ピエール・ド・フェルマー]]が出題し、解も発見した<ref>{{Harvtxt|高瀬|2019|pp=99-101, 147-149}}</ref>。 * 斜辺 {{mvar|c}} と他の2辺の和 {{math2|''a'' + ''b''}} が両方とも平方数になる最小のピタゴラス数は :{{math2|1=''a'' = 4565486027761, ''b'' = 1061652293520, ''c'' = 4687298610289}} :である。この問題はピエール・ド・フェルマーが出題し、解も発見した<ref>{{Harvtxt|高瀬|2019|pp=151, 174-177}}、{{OEIS|A166930}}を参照。ただしオンライン数列内のコメント内にある {{mvar|a}} の値が間違っているので注意が必要。</ref>。 * ピタゴラス数 ({{math2|''a'', ''b'', ''c''}}) において {{math2|''a'', ''b''}} の差が 1 で、{{mvar|c}} が[[平方数]]になるのは {{math2|(119, 120, 169)}} に限られる<ref>{{Cite journal|和書 |author= |date=2017-11 |title= |journal=数学セミナー |issue=通巻673号 |page=52 |publisher=日本評論社 <!--|url=https://www.nippyo.co.jp/shop/magazine/7583.html-->}}</ref>。 :{{math2|1=119{{sup|2}} + 120{{sup|2}} = (13{{sup|2}}){{sup|2}}.}} * 3辺の長さが {{math2|''a'', ''b'', ''c''}} の直角三角形と、周の長さと面積の両方が同じ値となる、すべての辺の長さが整数である二等辺三角形が存在するならば、そのような直角三角形は全て相似であり、最小の ({{math2|''a'', ''b'', ''c''}}) の値は、{{math2|(135, 352, 377)}} である<ref>[https://www.keio.ac.jp/ja/press-releases/files/2018/9/12/180912-2.pdf 世界に1つだけの三角形の組] 慶應義塾大学理工学部KiPAS、2018年9月12日</ref>。 == 一般化 == === 角の一般化 === {{main|余弦定理}} 第二[[余弦定理]] :{{math2|1=''c''{{sup|2}} = ''a''{{sup|2}} + ''b''{{sup|2}} &minus; 2''ab'' cos&thinsp;''C''}} はピタゴラスの定理を {{math2|1=''C'' = {{sfrac|π|2}} = 90° → cos&thinsp;''C'' = 0}} の場合として含む。 つまり、第二余弦定理はピタゴラスの定理を一般の三角形に対して拡張した定理になっている。 === 指数の一般化 === {{main|フェルマーの最終定理}} 指数の {{math|2}} の部分を一般化すると :{{math|1=''a{{sup|n}}'' + ''b{{sup|n}}'' = ''c{{sup|n}}''}} となる。{{math2|1=''n'' = 2}} の場合、自明(つまり {{math2|''a'', ''b'', ''c''}} の少なくとも1つが 0)や既知解(原始ピタゴラス数の定数倍)を除いても、整数解は実質[[#ピタゴラス数|無数に存在する]]が、{{math2|''n'' ≥ 3}} の場合は非自明な整数解は存在しない。 === 次元の一般化 === {{main|ド・グアの定理}} 3次元空間内に平面があるとき、その閉領域 {{mvar|S}} の面積は、{{mvar|yz}} 平面、{{mvar|zx}} 平面、{{mvar|xy}} 平面への射影の面積 {{math2|''S{{sub|x}}'', ''S{{sub|y}}'', ''S{{sub|z}}''}} を用いて :<math>S^2={S_x}^2+{S_y}^2+{S_z}^2</math> と表される。これは高次元へ一般化できる。 == ピタゴラスの定理の証明 == この定理には数百通りもの異なる[[証明 (数学)|証明]]がある。 === 相似による証明 === [[画像:Pythagoras1v2.jpg|250px|thumb|相似を用いた証明]] [[頂点]] {{math|C}} から斜辺 {{math|AB}} に下ろした[[垂直|垂線]]の足を {{math|H}} とする。{{math|△ABC}} と {{math|△ACH}} は[[図形の相似|相似]]である。ゆえに :<math>\text{AC}:\text{AH} = \text{AB}:\text{AC} \Longrightarrow \text{AH} = { \text{AC} \times \text{AC} \over \text{AB}} = {b^2 \over c}</math> であり、同様に :<math>\text{BH} = {a^2 \over c}</math> である。したがって :<math>c = \text{AH} + \text{BH} = {b^2 \over c} + {a^2 \over c}</math> であるから、両辺に {{mvar|c}} を掛けて :<math>c^2=a^2+b^2</math> を得る。 === 三角比による証明 === 前節の証明は、[[三角関数|三角比]]を用いると簡単に表記できる: :<math>\begin{align} c^2 &= c \times c \\ &= c \times ( \text{AH} + \text{BH} ) \\ &= c \times (b \cos A + a \cos B) \\ &= b \times c \cos A+a \times c \cos B \\ &= b \times b +a \times a \\ &= a^2 + b^2. \end{align}</math> 本証明を一般の三角形に拡張すると、第二[[余弦定理]]の証明が得られる。 === 外接円を用いた証明 === [[画像:三平方の定理.jpg|297px|thumb|外接円を用いた証明]] {{math2|1=∠C = 90°}} のとき、斜辺{{math|AB}} を直径とする円{{math|O}} を描くことができる。 このとき点{{math|C}} から直径{{math|AB}} に下ろした垂線の足を {{math|H}} とし、{{math|△CHO}} に対して三平方の定理を証明する。{{math2|1=OA = OB = OC = ''c'', CH = ''a'', OH = ''b''}} とする。 {{math2|△AHC ∽ △BHC}} なので、 :{{math2|1=HA : HC = HC : HB}} :{{math2|1=(OA &minus; OH) : HC = HC : (OB + OH)}} :{{math2|1=(''c'' &minus; ''b'') : ''a'' = ''a'' : (''c'' + ''b'')}} :{{math2|1=''c''{{sup|2}} &minus; ''b''{{sup|2}} = ''a''{{sup|2}}}} :{{math2|1=∴ ''a''{{sup|2}} + ''b''{{sup|2}} = ''c''{{sup|2}} ◾️}} === 正方形を用いた証明 === [[画像:Pythagoras2.jpg|250px|thumb|正方形を用いた証明]] {{math|△ABC}} と[[図形の合同|合同]]な4個の三角形を右図のように並べると、外側に一辺が {{math2|''a'' + ''b''}} の[[正方形]](以下「大正方形」)が、内側に一辺が {{mvar|c}} の正方形(以下「小正方形」)ができる。 :(大正方形の面積)=(小正方形の面積)+(直角三角形の面積)× 4 である。大正方形の[[面積]]は {{math2|(''a'' + ''b''){{sup|2}}}}, 小正方形の面積は {{math|''c''{{sup|2}}}}, 直角三角形1個の面積は <math>\frac{1}{2}ab</math> である。これらを代入すると、 :<math>(a+b)^2 = c^2 + \frac{1}{2} ab \times 4</math> 整理して :<math>a^2+b^2=c^2</math> を得る。 <gallery> Pythag anim.gif|正方形を用いた証明の視覚化 Pythagoras-2a.gif|正方形を用いた証明2 Pythagorean proof.png|正方形を用いた証明3 </gallery> [[画像:Teorema de Pitágoras.Pappus1.svg|250px|thumb]] === 内接円を用いた証明 === {{math|△ABC}} において、[[内接円]]の半径 {{mvar|r}} を用いて面積 {{mvar|S}} を表すと :{{numBlk|:|<math>S= \frac{1}{2} r(a+b+c)</math>|{{equationRef|link1|1}}}} となるが、{{math2|1=∠C = 90°}}より、 :{{numBlk|:|<math>S= \frac{1}{2}ab</math>|{{equationRef|link2|2}}}} :{{numBlk|:|<math>r= \frac{1}{2} (a+b-c)</math>|{{equationRef|link3|3}}}} となるから、{{equationNote|link1|(1)}} に {{equationNote|link2|(2)}}, {{equationNote|link3|(3)}} を代入すると :<math>\frac{1}{2} ab = \frac{1}{4} (a+b-c)(a+b+c)</math> 整理すると :<math>a^2+b^2=c^2</math> が得られる。 === オイラーの公式を用いた証明 === [[三角関数]]と指数関数は[[冪級数]]によって[[定義]]されているものとする。(指数法則や[[オイラーの公式]]の証明に本定理が使用されない定義であればよい。)まず {{math2|1=sin{{sup|2}} ''θ'' + cos{{sup|2}} ''θ'' = 1}} が任意の複素数 {{mvar|θ}} に対して成り立つことを(3通りの方法で)示す。 オイラーの公式より :<math>\begin{align} 1 &=e^0=e^{i\theta-i\theta}=e^{i\theta}e^{-i\theta} \\ &=(\cos \theta+i\sin \theta)(\cos \theta-i\sin \theta) \\ &=\sin^2 \theta+\cos^2 \theta \end{align}</math> または :<math>\begin{align} \sin^2 \theta+\cos^2 \theta &=\left( \frac{e^{i\theta} -e^{-i\theta}}{2i} \right)^2 +\left( \frac{e^{i\theta}+e^{-i\theta}}{2} \right)^2 \\ &=\frac{e^{2i\theta}+e^{-2i\theta}-2}{-4} +\frac{e^{2i\theta}+e^{-2i\theta}+2}{4} \\ &=1 \end{align}</math> もしくは、オイラーの公式から三角関数の半角の公式を導出する。 :<math>\begin{align} \sin^2 \theta &=\left(\frac{e^{i\theta}-e^{-i\theta}}{2i} \right)^2 \\ &=\frac{e^{2i\theta}+e^{-2i\theta}-2}{-4} \\ &=\frac{1-\cos2\theta}{2}\ ,\\ \cos^2 \theta &=\left( \frac{e^{i\theta}+e^{-i\theta}}{2} \right)^2 \\ &=\frac{e^{2i\theta}+e^{-2i\theta}+2}{4} \\ &=\frac{1+\cos2\theta}{2} \ . \end{align}</math> :{{NumBlk||<math>\therefore \sin^2 \theta+\cos^2 \theta=1.</math><ref name="稲津將" /><ref name="数学・物理通信" />|{{EquationRef|Euler1|1}}}} {{equationNote|Euler1|(1)}} の式は'''ピタゴラスの基本三角関数公式''' {{en|(Fundamental Pythagorean trigonometric identity)}} と呼ばれている<ref name="Leff" />。 {{equationNote|Euler1|(1)}} の時点ですでに[[単位円]]上において本定理の成立が明らかである。なぜならば、実数の範囲では、単位円上の偏角 {{mvar|θ}} の点の座標として定義した {{math2|(cos ''θ'', sin ''θ'')}} と上記の冪級数による定義は一致するからである<ref name="三平方の定理の逆の証明" />。 前提とした {{math|△ABC}} について、{{math2|1=∠A = ''θ''}} とおけば {{NumBlk|:|<math>a = c \sin \theta</math>|{{EquationRef|Euler2|2}}}} {{NumBlk|:|<math>b = c \cos \theta</math>|{{EquationRef|Euler3|3}}}} {{equationNote|Euler1|(1)}}, {{equationNote|Euler2|(2)}}, {{equationNote|Euler3|(3)}} より :<math>\begin{align} a^2+b^2 &= (c \sin \theta )^2 + ( \cos \theta )^2 \\ &= c^2 (\sin^2 \theta + \cos^2 \theta) \\ &= c^2 \cdot 1= c^2 \end{align}</math> ゆえに :<math>a^2+b^2=c^2</math> が得られる。 === 三角関数の微分公式を用いた証明 === 正弦および余弦関数を微分すれば {{NumBlk|:|<math>(\sin \theta )'=\cos \theta</math>|{{EquationRef|diff1|1}}}} {{NumBlk|:|<math>(\cos \theta )'=-\sin \theta</math>|{{EquationRef|diff2|2}}}} {{equationNote|diff1|(1)}}, {{equationNote|diff2|(2)}} および微分公式より :<math>(\sin^2 \theta +\cos^2 \theta )'=2\sin \theta \cos \theta + 2 \cos \theta (-\sin \theta )=0</math> したがって :<math>\sin^2 \theta +\cos^2 \theta =C</math> ここで {{mvar|C}} は定数である。{{math2|1=''θ'' = 0}} を代入すると {{math2|1=sin 0 = 0, cos 0 = 1}} であるので、{{math2|1=''C'' = 1}} が得られる。よって {{NumBlk|:|<math>\sin^2 \theta + \cos^2 \theta = 1</math>|{{EquationRef|diff3|3}}}} が得られる<ref name="数学・物理通信" />。 あとは前節と同様にして :<math>a^2 + b^2 = c^2</math> が得られる。 === 三角関数の不定積分を用いた証明 === 下記のように関数を定める。 :<math>f(\theta)=\sin^2 \theta+\cos^2 \theta .</math> 上記を漸化式を利用して不定積分すると :<math>\begin{align} \int f(\theta) d\theta &= \int (\sin^2 \theta) d\theta + \int (\cos^2 \theta) d\theta \\ &=\left( {1 \over 2}\theta - {1 \over 2}\sin\theta\cos\theta + C_1 \right ) + \left( {1 \over 2}\theta + {1 \over 2} \sin\theta\cos\theta + C_2 \right) \\ &= \theta + C \end{align}</math> である<ref>[http://www.geisya.or.jp/~mwm48961/kou2/recur_integral1.htm 不定積分の漸化式]</ref>。[[微分積分学の基本定理]]を考慮し、これを微分すると :<math>\frac{d}{d\theta} \int f(\theta) d\theta = f(\theta) = \frac{d}{d\theta}(\theta + C ) = 1</math> である。したがって :<math>f(\theta)=\sin^2 \theta+\cos^2 \theta =1.</math> ゆえに、ピタゴラスの定理は成立する。 === 三角関数の加法定理を用いた証明 === 三角関数の加法定理は、三平方の定理を使わないで証明できる。本定理を使わないで証明した、三角関数の加法定理を使うと、 :<math>\begin{align} \cos^2 \theta + \sin^2 \theta &= \cos \theta \cos \theta + \sin \theta \sin \theta \\ &= \cos( \theta - \theta ) \\ &= \cos 0 =1 \end{align}</math> または :<math>\sin^2 \theta + \cos^2 \theta = \sin \theta \cos \left( \frac{\pi}{2} - \theta \right) + \cos \theta \sin \left( \frac{\pi}{2} - \theta \right) = \sin \frac{\pi}{2} =1</math> が得られる<ref name="三平方の定理の証明" /><ref name="Einige spezielle Funktionen" />。 また、加法定理から導かれる[[半角公式]]を適用すると :<math>\sin^2 \theta = \frac{1 - \cos 2\theta}{2}</math> :<math>\cos^2 \theta = \frac{1 + \cos 2\theta}{2}</math> したがって :<math>\sin^2 \theta + \cos^2 \theta = 1</math> が得られる。 あとはこれまでと同様にして :<math>a^2+b^2=c^2</math> が得られる<ref name="三平方の定理の証明" />。 === 冪級数展開を用いた証明 === 三角関数は級数によって定義されているものとし、{{math|cos ''θ''}} と {{math|sin ''θ''}} の自乗をそれぞれ計算すると :<math>\begin{align} \sin^2 \theta &= \left\{ \sum_{n=0}^\infty \frac{(-1)^n}{(2n+1)!}\theta^{2n+1} \right\}^2 \\ &=\sum_{n=0}^\infty \sum_{k=0}^n \frac{(-1)^k}{(2k+1)!} \frac{(-1)^{n-k}}{(2n-2k+1)!}\theta^{2n+2} \\ &=\sum_{n=0}^\infty \frac{(-1)^n \theta^{2n+2}}{(2n+2)!} \sum_{k=0}^n \binom{2(n+1)}{2k+1} \\ &=\sum_{n=1}^{\infty} \frac{(-1)^{n-1} \theta^{2n}}{(2n)!} \sum_{k=0}^{n-1} \binom{2n}{2k+1} \\ &=- \sum_{n=1}^{\infty} \frac{(-1)^n \theta^{2n}}{(2n)!} \sum_{k=0}^{n-1} \binom{2n}{2k+1} \\ \cos^2 \theta &=\left\{ \sum_{n=0}^\infty \frac{(-1)^n}{(2n)!}\theta^{2n} \right\}^2 \\ &=\sum_{n=0}^\infty \sum_{k=0}^n \frac{(-1)^k}{(2k)!} \frac{(-1)^{n-k}}{(2n-2k)!} \theta^{2n} \\ &=\sum_{n=0}^\infty \frac{(-1)^n \theta^{2n}}{(2n)!} \sum_{k=0}^n \binom{2n}{2k} \\ &=1+\sum_{n=1}^\infty \frac{(-1)^n \theta^{2n}}{(2n)!} \sum_{k=0}^n \binom{2n}{2k} \end{align}</math> となる<ref group="注">級数の収束半径は {{math|∞}} であるからこれは任意の複素数 {{mvar|θ}} に対して成り立つ。</ref>。ここで[[二項定理]]より :<math>\begin{align} \sum_{k=0}^n \binom{2n}{2k} - \sum_{k=0}^{n-1} \binom{2n}{2k+1} &= \sum_{m=0}^{2n} (-1)^m {2n \choose m} \\ &=(1-1)^{2n} =0 \end{align}</math> である。したがって :<math>\sin^2 \theta + \cos^2 \theta = 1</math> が得られる。 あとはこれまでと同様にして :<math>a^2+b^2=c^2</math> が得られる<ref name="Hamilton" />。 === 回転行列を用いた証明 === 平面において原点を中心とする角 {{mvar|θ}} の[[回転行列|回転]]の表現行列は :<math>R(\theta)=\begin{bmatrix} \cos \theta &-\sin \theta \\ \sin \theta &\cos \theta \end{bmatrix}</math> であるが、このことも三平方の定理を用いないで証明が可能である。 {{math2|1=''R''(''θ'') ''R'' (−''θ'') = ''I''{{sub|2}}}}([[単位行列]])であるが<ref name="行列と1次変換" />、この式の左辺を直接計算すると :<math>\begin{align} R(\theta) \cdot R(-\theta) &= \begin{bmatrix} \cos \theta&-\sin \theta \\ \sin \theta&\cos \theta \end{bmatrix} \begin{bmatrix} \cos \theta &\sin \theta \\ -\sin \theta &\cos \theta \end{bmatrix} \\ &= \begin{bmatrix} \cos^2 \theta+\sin^2 \theta&\cos \theta\sin \theta-\sin \theta \cos \theta \\ \sin \theta \cos \theta-\cos \theta\sin \theta&\sin^2 \theta+\cos^2 \theta \end{bmatrix} \\ &= \begin{bmatrix} \sin^2 \theta+\cos^2 \theta &0 \\ 0 &\sin^2 \theta+\cos^2 \theta \end{bmatrix} \end{align}</math> となる<ref name="対称行列と直交行列" />。したがって :<math>\sin^2 \theta + \cos^2 \theta = 1</math> が得られる<ref name="Solution for Assignment" />。 あとはこれまでと同様にして :<math>a^2+b^2=c^2</math> が得られる。 === 三角関数と双曲線関数を用いた証明 === 任意の {{math|''z'' ∈ '''C'''}} に対し :<math>\begin{align} \sin^2 iz + \cos^2 iz &= (i\sinh z)^2 + \cosh^2 z \\ &= \cosh^2 z - \sinh^2 z \\ &=1 \end{align}</math> である<ref name="双曲線関数について" /><ref name="Complex Analysis Solutions" />。よって任意の {{math2|''θ'' ∈ '''C'''}} に対して :<math>\sin^2 \theta + \cos^2 \theta = 1</math> が成り立つ。 あとはこれまでと同様にして :<math>a^2+b^2=c^2</math> が得られる。 == ピタゴラスの定理の逆 == ピタゴラスの定理は、[[逆]]も真となる。すなわち、{{math|△ABC}} に対して :<math>a^2+b^2=c^2</math> が成立すれば、{{math|△ABC}} は {{math2|1=∠C = {{sfrac|π|2}}}} の直角三角形となる。 === 証明 === ==== ピタゴラスの定理に依存しない証明 ==== [[画像:Inverse pythagorean theorem.jpg|250px|thumb|ピタゴラスの定理に依存しない証明]] {{math|△ABC}} が {{math2|1=''a''{{sup|2}} + ''b''{{sup|2}} = ''c''{{sup|2}}}} を満たすとする。線分 {{math|AB}} を {{math2|''b''{{sup|2}} : ''a''{{sup|2}}}} に内分する点を {{math|D}} とすると :<math>\begin{align} \text{AD} &= c \times \frac{b^2}{b^2+a^2} \\ &= c \times \frac{b^2}{c^2} \\ &= \frac{b^2}{c} \end{align}</math> である。これより :<math>\text{AC} : \text{AD} =b:\frac{b^2}{c} = c:b = \text{AB} : \text{AC}</math> であるから[[図形の相似#性質および条件|2辺比夾角相等]]より <math>\triangle \text{ACD} \sim \triangle \text{ABC}</math>。 :<math>\therefore \angle \text{ADC} = \angle \text{ACB}</math> 同様に :<math>\angle \text{BDC} = \angle \text{BCA}</math> となるから {{numBlk|:|<math>\angle \text{ADC} = \angle \text{ACB} = \angle \text{BDC}</math>|{{equationRef|independent1|1}}}} となる。 {{equationNote|independent1|(1)}} より {{numBlk|:|<math>\angle \text{ADC} = \angle \text{BDC}</math>|{{equationRef|independent2|2}}}} 一方 {{numBlk|:|<math>\angle \text{ADC} + \angle \text{BDC} = \pi</math>|{{equationRef|independent3|3}}}} であるから、{{equationNote|independent2|(2)}}, {{equationNote|independent3|(3)}} より {{numBlk|:|<math>\angle \text{ADC} = \angle \text{BDC} = \frac\pi{2}</math>|{{equationRef|independent4|4}}}} {{equationNote|independent1|(1)}}, {{equationNote|independent4|(4)}} より :<math>\angle \text{ACB} = \frac{\pi}{2}</math> ゆえに {{math|△ABC}} は {{math2|1=∠C = {{sfrac|π|2}}}} の直角三角形である<ref name="三平方の定理の逆の証明" />。 ==== 同一法を用いた証明 ==== [[画像:Inverse of Pythagorean theorem.jpg|thumb|ピタゴラスの定理を用いた証明]] {{math2|1=B'C' = ''a'', A'C' = ''b'',∠C' = {{sfrac|π|2}}}} である直角三角形 {{math|A'B'C'}} において、{{math2|1=A'B' = ''c'''}} とすれば、ピタゴラスの定理より {{NumBlk|:|<math>a^2+b^2=c'\,^2</math>|{{EquationRef|same1|1}}}} が成り立つ。 一方、仮定から {{math|△ABC}} において {{NumBlk|:|<math>a^2+b^2=c^2</math>|{{EquationRef|same2|2}}}} が成り立っている。{{equationNote|same1|(1)}}, {{equationNote|same2|(2)}} より :<math>c^2=c'\,^2</math> {{math2|''c'' > 0, ''c{{'}}'' > 0}} より :<math>c=c'</math> したがって、[[図形の合同#三角形の決定問題|3辺相等]]から :<math>\triangle \text{ABC} \equiv \triangle \text{A}'\text{B}'\text{C}'</math> {{math2|1=∴ ∠C = ∠C' = {{sfrac|π|2}}}}。ゆえに {{math|△ABC}} は {{math2|1=∠C = {{sfrac|π|2}}}} の直角三角形である<ref name="三平方の定理の逆の証明" />。 ==== 対偶を用いた証明 ==== {{math|△ABC}} において {{math2|∠C ≠ {{sfrac|π|2}}}} であると仮定する。頂点 {{math|A}} から直線 {{math|BC}} に下ろした垂線の足を {{math|D}} とし、{{math2|1=AD = ''h'', CD = ''d''}} とする。 {{math|∠C < {{sfrac|π|2}}}} の場合、直角三角形 {{math|ABD}} においてピタゴラスの定理より :<math>\begin{align} c^2 &= (a-d)^2+h^2 \\ &= a^2-2ad+d^2+h^2 \end{align}</math> であり、同様に直角三角形 {{math|ACD}} では :<math>b^2=d^2+h^2</math> である。よって :<math>c^2 = a^2-2ad+b^2 < a^2+b^2</math> となる。 {{math|∠C > {{sfrac|π|2}}}} の場合も同様に考えて :<math>\begin{align} c^2 &= (a+d)^2+h^2\\ &= a^2+2ad+d^2+h^2\\ &= a^2+2ad+b^2 \end{align}</math> ゆえに :<math>c^2 > a^2+b^2</math> となる。 よっていずれの場合も :<math>a^2+b^2 \ne c^2</math> である。対偶を取って、{{math2|1=''a''{{sup|2}} + ''b''{{sup|2}} = ''c''{{sup|2}}}} ならば {{math2|1=∠C = {{sfrac|π|2}}}} である。 なお、この証明から分かるように、 * {{math2|∠C < {{sfrac|π|2}} ⇔ ''a''{{sup|2}} + ''b''{{sup|2}} > ''c''{{sup|2}}}} * {{math2|1=∠C = {{sfrac|π|2}} ⇔ ''a''{{sup|2}} + ''b''{{sup|2}} = ''c''{{sup|2}}}} * {{math2|∠C > {{sfrac|π|2}} ⇔ ''a''{{sup|2}} + ''b''{{sup|2}} < ''c''{{sup|2}}}} という対応がある。 ==== 余弦定理を用いた証明 ==== [[画像:InvPythagorean theorem.jpg|250px|thumb|余弦定理を用いた証明]] ピタゴラスの定理は既知とすると、それより導かれる[[余弦定理]]を用いることができる。{{math|△ABC}} において、{{math2|1=''a'' = BC, ''b'' = CA, ''c'' = AB, ''C'' = ∠ACB}} とおくと、余弦定理より :<math>c^2=a^2+b^2-2ab\cos C</math> 一方、仮定より :<math>a^2+b^2=c^2</math> であるから :<math>\cos C=0</math> となる。三角形の内角の和は {{π}} であるから {{math2|0 < ''C'' < π}} より、 :<math>C = \cos^{-1} 0 = \frac{\pi}{2}</math> ゆえに {{math|△ABC}} は {{math2|1=∠C = {{sfrac|π|2}}}} の直角三角形である。 ==== ベクトルを用いた証明 ==== {{math|△ABC}} において :<math>\Vert \vec c \|^2 = \Vert \vec a \|^2 + \Vert \vec b \|^2</math> であり :<math>\vec c = \vec b - \vec a</math> である。 ここで :<math>\begin{align} \Vert \vec c \|^2 &= \vec c \cdot \vec c \\ &= (\vec b - \vec a) \cdot (\vec b - \vec a) \\ &= \Vert \vec b \|^2 - 2\vec b \cdot \vec a + \Vert \vec a \|^2 \\ \end{align}</math> である。したがって :<math>\vec b \cdot \vec a = 0</math> である。よって :<math>\angle \text{C}=\frac{\pi}{2}</math> である。ゆえに、ピタゴラスの定理の逆が証明された。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{reflist|2|refs= <ref name="亀井">{{Cite web|和書 |title = エジプトひもで古代文明に挑戦しよう |author = 亀井喜久男 |url = http://www.ctk.ne.jp/~kamei-ki/egyptrope1.htm |accessdate = 2008-03-03 }}</ref> <ref name="大矢1952">{{Cite book|和書 |author = 大矢真一 |authorlink = 大矢真一 |title = ピタゴラスの定理 |year = 1952 |publisher = 東海書房 }}</ref> <ref name="大矢1975">{{Cite book|和書 |author = 大矢真一 |title = ピタゴラスの定理 |year = 1975 |publisher = 東海大学出版会 |series = 東海科学選書 }}</ref> <ref name="大矢2001">{{Cite book|和書 |author = 大矢真一 |title = ピタゴラスの定理 |date = 2001-08 |publisher = 東海大学出版会 |series = Tokai library |isbn = 4-486-01558-4 |url = http://www.press.tokai.ac.jp/bookdetail.jsp?isbn_code=ISBN978-4-486-01558-1 }}</ref> <ref name="稲津將">{{Cite web|和書 |title = オイラーの公式 |author = 稲津將 |url = http://www.sci.hokudai.ac.jp/~inaz/lecture/butsurisuugaku2/html/model/node4.html |accessdate = 2014-10-04 }}</ref> <ref name="数学・物理通信">{{Cite web|和書 |title = 数学・物理通信 |author = 新関章三(元高知大学)、矢野忠(元愛媛大学) |url = http://www.phys.cs.is.nagoya-u.ac.jp/~tanimura/math-phys/mathphys-1-5.pdf |accessdate = 2014-10-04 }}</ref> <ref name="Leff">{{Cite book |title = PreCalculus the Easy Way |first = Lawrence S. |last = Leff |url = https://books.google.co.jp/books?id=y_7yrqrHTb4C&pg=PA296&redir_esc=y&hl=ja |isbn = 0-7641-2892-2 |page = 296 |edition = 7th |publisher = Barron's Educational Series |year = 2005 }}</ref> <ref name="三平方の定理の証明">{{Cite web|和書 |title = 三平方の定理の証明 |url = http://www2.oninet.ne.jp/mazra/math216.htm |accessdate = 2014-10-05 }}</ref> <ref name="Einige spezielle Funktionen">{{Cite web |title = Einige spezielle Funktionen |url = http://math-www.uni-paderborn.de/~walter/teachingWS03_04/Kapitel5.pdf |accessdate = 2014-11-26 }}</ref> <ref name="三平方の定理の逆の証明">{{Cite web|和書 |title = 三平方の定理の逆の証明 |url = https://web.archive.org/web/20141012232714/http://www.geocities.jp/ikemath/_userdata/ho_pdf/332hozyu.pdf |accessdate = 2014-10-08 }}</ref> <ref name="Hamilton">{{Cite book |title = Time series analysis |first = James Douglas |last=Hamilton |page = 714 |chapter = Power series |isbn=0-691-04289-6 |year = 1994 |publisher = Princeton University Press }}</ref> <ref name="行列と1次変換">{{Cite web|和書 |title = 行列と1次変換 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* {{Kotobank|ピタゴラスの定理|2=百科事典マイペディア}} * {{Kotobank|三平方の定理|2=日本大百科全書}} * {{MathWorld|title=Pythagorean Theorem|urlname=PythagoreanTheorem}} * {{MathWorld|title=Pythagorean Triple|urlname=PythagoreanTriple}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひたこらすのていり}}<!--カテゴリの50音順--> [[Category:ピタゴラスの定理|*]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:証明を含む記事]]
2003-04-13T18:01:13Z
2023-12-21T09:09:26Z
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化学結合
化学結合(、英: chemical bond)は、化学物質を構成する複数の原子を結びつけている結合である。化学結合は分子内にある原子同士をつなぎ合わせる分子内結合と分子と別の分子とをつなぎ合わせる分子間結合とに大別でき、分子間結合を作る力を分子間力という。なお、金属結晶は通常の意味での「分子」とは言い難いが、金属結晶を構成する結合(金属結合)を説明するバンド理論では、分子内結合における原子の数を無限大に飛ばした極限を取ることで、金属結合の概念を定式化している。 分子内結合、分子間結合、金属結合のいずれにおいても、化学結合を作る力は原子の中で正の電荷を持つ原子核が、別の原子の中で負の電荷を持つ電子を電磁気力によって引きつける事によって実現されている。物理学では4種類の力が知られているが、電磁気力以外の3つの力は電磁気力よりも遥かに小さい為、化学結合を作る主要因にはなっていない。したがって化学結合の後述する細かな分類、例えば共有結合やイオン結合はどのような状態の原子にどのような形で電磁気力が働くかによる分類である。 化学結合の定式化には、複数の原子がある場合において電子の軌道を決定する必要があり、そのためには量子力学が必須となる。しかし多くの簡単な化合物や多くのイオンにおいて、化学結合に関する定性的な説明や簡単な定量的見積もりを行う分には、量子力学で得られた知見に価電子や酸化数といった分子の構造と構成を使って古典力学的考察を加える事でも可能である。 それに対し複雑な化合物、例えば金属複合体では価電子理論は破綻し、その振る舞いの多くは量子力学を基本とした理解が必要となる。これに関してはライナス・ポーリングの著書、The Nature of the Chemical Bondで詳しく述べられている。 分子間力が働く機構を定性的に説明すると下記のとおりになる。分子内にある原子は、原子Aの原子核と原子Bの電子との間に働く電磁気的な力F1により引きつけられ、これがAとBの間の分子内結合を構成する引力となる。それに対し、原子Aの原子核と原子Bの原子核の間には電磁気的な斥力F2働いて結合を邪魔しようとし、同様に原子Aの電子と原子Bの電子の間にも斥力F3が働く。 しかし原子同士の距離が適切な近さ(結合距離)程度にあれば、引力は斥力よりも大きくなる。この原因を古典力学にいえば、原子は中心に原子核があり、そこから遠く離れたところに電子が飛んでいるという構成をしているので、原子核・原子核間の距離よりも原子核・電子間の距離のほうが小さくなり、斥力F2は引力F1よりも小さくなる。また電子は原子核に比べて軽いので、電子・電子間は斥力によって簡単に遠く離れるため、電子・電子間の斥力F3も小さくなる。 結局引力がF1斥力F2 + F3に勝ち、分子内の原子同士が引きつけられる事になる。 なお、既に述べたように分子内結合が起こるためには原子間の適切な範囲にあり、距離が近すぎる場合には、斥力によって距離が離れていき、結局結合距離の近辺で落ち着く事になる。この事実は量子力学の知識を使って中心力場の系を解く事で示せる。 分子内結合をさらに詳細を記述する為、電子軌道の量子数の概念を説明し、量子数を使って分子内結合を記述する。原子内の電子の軌道は、実際には量子力学に従っているため、軌道は「量子化されている」(=飛び飛びの値を取る)。電子の軌道は4種類の量子数という自然数値によって特徴づけられる。4つの量子数は、電子がK殻、L殻、M殻...のいずれに入るかを決める主量子数、殻の中のs軌道、p軌道、d軌道...のいずれに入るかを決める方位量子数、軌道角運動量、スピン角運動量がそれぞれ上向きか下向きかを決める磁気量子数、スピン量子数からなる。 分子内結合を記述する上で重要になるのは、同一原子中にある相異なる2つの電子の量子数が4つとも同一になる事はないという事実である(パウリの排他律)。よって原子中の異なる電子は異なる軌道にある事になり、例外はあるものの、基本的にはエネルギー状態が小さい軌道から順に電子が埋まっていく。 電子が1つ以上ある殻で、最も外側にあるものを原子価殻、もしくは最外殻といい、原子価殻にある電子を原子価殻電子もしくは最外殻電子という。 化学結合に関わるのは、基本的にエネルギー状態が高い不安定な軌道にある電子であり、それは主に最外殻電子である。パウリの排他原理により最外殻には有限個の原子しか入れない。最外殻に最大数の電子が入っている場合、最外殻は閉殻であるという。閉殻は安定した状態にあり、逆に言えば最外殻に余った電子がある場合は、その電子は電磁気力により他の原子の原子核に引き寄せられる。また最外殻に電子が足りていないなら、他の原子の最外殻に余っている電子を電磁気力で引きつけて足りない部分を補おうとする。 こうして電磁気的に引きつけられた原子同士の分子内結合を記述する為のパラメータとして、電気陰性度という尺度がある。これは原子がどの程度原子外にある電子を引きつけるかを示す尺度である。結合した2つの原子の電気陰性度に極端な差異がある場合は、電気陰性度が大きい原子の方に最外殻電子が完全に移動してしまう。この状態における分子内結合をイオン結合という。 それとは逆に両者の電気陰性度が完全に釣り合っているときは、最外殻電子を2つの原子で「共有」する状態になる。この状態を非極性共有結合という。電気陰性度が両者の中間にある場合は、最外殻電子を一方の原子にやや引きつけた「極性」のある共有状態になる。この状態を極性共有結合という。非極性または極性の共有結合の事を共有結合という。 共有結合状態にある2つの原子は、互いに相手の原子にある電子を引きつける事になる。このため多くの共有結合では、それぞれの原子から1つずつ、計2個の電子が共有結合に関わる事になる。この2個の電子を共有電子対という。 しかし共有結合の中には片方の原子から2つの電子を提供して共有電子対になるケースもある。たとえばアンモニウムイオン NH 4 + {\displaystyle {\ce {NH4+}}} の共有結合はアンモニア NH 3 {\displaystyle {\ce {NH3}}} の窒素原子から2つの電子を提供して H {\displaystyle {\ce {H}}} と共有結合する。このような共有結合を配位結合という。なお、共有電子対の状態にある2つの電子は、スピン量子数の方向が逆向きになったペアである。 一般論として、主要族の原子(周期表で左端2列か右端6列に記載されている原子)は、共有電子がなくなるか、オクテット則が満たされるまで、可能な限り電子を共有しようとする。一組の共有電子対しか持たない共有結合を単結合といい、二組、三組、...の共有電子対を持つ共有結合をそれぞれ二重結合、三重結合、...という。共有結合がn重結合である場合、その共有結合の結合次数はnであるという。共有結合にかかわらない原子価電子も対になっており、このような対を孤立電子対という。 共有結合の強さを表す尺度として、結合解離エネルギーがある。これは共有結合状態にある原子を切り離すのに必要となるエネルギーの量である。 以上で説明した共有電子対の概念を用いてオゾン O 3 {\displaystyle {\ce {O3}}} の共有結合を書き表すと、 となる。ここで点2つの組は非共有電子対であり、線は結合係数1の共有結合である。上記の構造は、中央の酸素原子のみ、閉殻になっていない。そこで右の酸素原子の非共有電子対を引きつけてもう一つ共有結合を作るか、あるいは左の酸素原子の非共有電子対を引きつけて共有結合を作るはずである。すなわち もしくは となる事が予想される。 実際には、これら2つの状態を重ね合わせた平均の状態になる。この状態を共鳴混成体といい、これに寄与した各点電子構造を共鳴構造という。共鳴とは量子力学的重ね合わせのことで、共鳴理論は原子価結合理論の一部である。 原子価結合理論によれば、共有結合は1つの不対電子を含んでいるそれぞれの原子の半分占有された原子価軌道の重なり合いによって2つの原子間で形成される。原子価結合構造はルイス構造と似ているが、単一のルイス構造では書くことができない場合は複数の原子価結合構造が使われる。これらの各VB構造は特定のルイス構造を表わす。原子価結合構造の組み合わせが共鳴理論の要点である。原子価結合理論は、関与する原子の重なり合った原子軌道が化学結合を形成すると考える。この重なり合いのため、電子が結合領域に存在する可能性が最も高くなる。原子価結合理論は結合を弱く連結した軌道として見る。原子価結合理論は、基底状態分子において典型的にはより簡単に利用できる。内殻軌道および電子は結合の形成の間には基本的に変化しない。 イオン結合では、ある原子にある電子が一つ以上、別の原子に移動してしまう。移動により電子を失った側を陽イオンもしくはカチオンといい、電子を得た側を陰イオンもしくはアニオンといい、陰イオンまたは陽イオンの事をイオンという。 なお、便宜上「原子」がイオンになると説明したが、実際には「原子団」がイオンになることもあり、アンモニアイオン NH 4 + {\displaystyle {\ce {NH4+}}} や水酸化物イオン OH − {\displaystyle {\ce {OH-}}} がその例である。 陰イオンと陽イオンは互いに電気的に引き合い、イオン結合する。ただし共有結合の場合とは異なり、通常の状態では陰イオンと陽イオン一組で明確な形の分子を構成することはなく、大量の陰イオンと陽イオンが結び付き合ってイオン結晶を形成する。 気体状態で電気的に中性な原子から最もエネルギー状態が高い電子を取り除くのに必要なエネルギーを(第一)イオン化エネルギーといい、これはその原子が陽イオンになる際のなりにくさを表している。さらにもう一つ電子を取り除く第二イオン化エネルギーも同様に定義できる。 一方、気体状態で電気的に中性な原子に電子を一つ付け加えるのにかかるエネルギーを電子親和力といい、これはこの原子が陰イオンになる際のなりにくさを意味している。 またイオン結晶状態にある一組の陽イオン・陰イオンのペアを、気体状態にするのにかかるエネルギーを格子エネルギーといい、これはイオン結晶の結合の強さを表している。 金属結合とは、金属で見られる化学結合である。金属原子はいくつかの電子を出して陽イオン(金属結晶の格子点に存在する正電荷を持つ金属の原子核)と、自由電子(結晶全体に広がる負電荷をもったもの)となる。規則正しく配列した陽イオンの間を自由電子が自由に動き回り、これらの間に働くクーロン力(静電気力、静電引力)で結び付けられている。一部では共有結合の一種とみなす主張があるが、原子集団である結晶場で結合電子を共有していて、典型的な共有結合は2原子間でしか共有されていないので、計算手法等が著しく異なり混乱を招くので主流ではない。π結合は分子、あるいはグラフェン内の多くの原子で結合軌道が形成されるので一種の金属結合的性質を持ち、それがグラファイト系物質の導電性の源泉となっている。 金属の場合、最外殻電子など電子の一部は特定の原子核の近傍に留まらず結晶全体に非局在化しており、この様な状態の電子を擬似的な自由電子と呼ぶ。金属の電気伝導性や熱伝導度が高いことは自由電子の存在に起因していると考えられ、それゆえ、自由電子は伝導電子とも呼ばれる。自由電子の分子軌道はほぼ同一のエネルギー準位のエネルギーバンドを形成し、電子ガスとも呼ばれるような自由電子の状態を形成する。電子は光子と相互作用するので、金属の持つ特性である反射率、金属光沢は自由電子のエネルギーバンドの状況を反映していると考えられている。 分子間力について説明するための予備知識として、双極子について簡単に説明する。 極性共有結合では、分子内で電子が片方の原子により、全体として電気的な偏りが生じる(分極)。分子内にある原子が電気的にプラスであるかマイナスであるかを極性といい、分子のような小さな物体に両方の極性がある状態を双極子という。双極子は分子間力を作り出す原因の一つとなっている。 分子間力には、以下のものがある イオン-双極子力は、双極子の電気的に正の部分、負の部分がそれぞれ陰イオン、陽イオンに引き寄せられる事により生じる力である。この力は NaCl {\displaystyle {\ce {NaCl}}} のようなイオン物質の水溶液で重要であり、極性を持つ水分子はイオンを取り囲む。 双極子-双極子力はある分子の双極子が別の分子の双極子内の逆向きの極を引きつける事によって生じる。一般にこの力は弱く、3~4 kJ/mol程度であり、分子が密着している場合のみ働く。双極子-双極子力は沸点と関係しており、分子の分極が大きいほどその分子からなる化学物質の沸点は高くなる。 双極子-双極子力は一般的には弱いが、電気陰性度の高い O {\displaystyle {\ce {O}}} 、 N {\displaystyle {\ce {N}}} 、 F {\displaystyle {\ce {F}}} と水素原子との間に生じる双極子-双極子力は例外的に異常に強くなり、これを水素結合という。水素結合において双極子-双極子力が強くなるのは、水素原子の場合には原子核の電気的な力を遮蔽する内殻電子を持たず、しかも水素原子は他の原子よりも小さいので、他の分子に近づいて密着できるためである。 全体として極性をもたない分子であっても、分子運動により電子雲が歪められて一時的な電気的偏りが生じ、これが分子同士を引きつける原因になる。このような分子運動による電気的偏りから生じる分子間力をロンドンの分散力という。分散力も一般的に弱く1~10 kJ/mol程度であり、その大きさは電子雲の歪められやすさの尺度である分極率に依存する。一般論として大きな分子や重い分子は多くの電子を持つため分極率が高くなる傾向にあり、形が対象でない分子も分極率が高くなる傾向にある。
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金属の場合、最外殻電子など電子の一部は特定の原子核の近傍に留まらず結晶全体に非局在化しており、この様な状態の電子を擬似的な自由電子と呼ぶ。金属の電気伝導性や熱伝導度が高いことは自由電子の存在に起因していると考えられ、それゆえ、自由電子は伝導電子とも呼ばれる。自由電子の分子軌道はほぼ同一のエネルギー準位のエネルギーバンドを形成し、電子ガスとも呼ばれるような自由電子の状態を形成する。電子は光子と相互作用するので、金属の持つ特性である反射率、金属光沢は自由電子のエネルギーバンドの状況を反映していると考えられている。", "title": "分子内結合" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "分子間力について説明するための予備知識として、双極子について簡単に説明する。", "title": "分子間力" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "極性共有結合では、分子内で電子が片方の原子により、全体として電気的な偏りが生じる(分極)。分子内にある原子が電気的にプラスであるかマイナスであるかを極性といい、分子のような小さな物体に両方の極性がある状態を双極子という。双極子は分子間力を作り出す原因の一つとなっている。", "title": "分子間力" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "分子間力には、以下のものがある", "title": "分子間力" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "イオン-双極子力は、双極子の電気的に正の部分、負の部分がそれぞれ陰イオン、陽イオンに引き寄せられる事により生じる力である。この力は NaCl {\\displaystyle {\\ce {NaCl}}} のようなイオン物質の水溶液で重要であり、極性を持つ水分子はイオンを取り囲む。", "title": "分子間力" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "双極子-双極子力はある分子の双極子が別の分子の双極子内の逆向きの極を引きつける事によって生じる。一般にこの力は弱く、3~4 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化学結合(かがくけつごう、は、化学物質を構成する複数の原子を結びつけている結合である。化学結合は分子内にある原子同士をつなぎ合わせる分子内結合と分子と別の分子とをつなぎ合わせる分子間結合とに大別でき、分子間結合を作る力を分子間力という。なお、金属結晶は通常の意味での「分子」とは言い難いが、金属結晶を構成する結合を説明するバンド理論では、分子内結合における原子の数を無限大に飛ばした極限を取ることで、金属結合の概念を定式化している。 分子内結合、分子間結合、金属結合のいずれにおいても、化学結合を作る力は原子の中で正の電荷を持つ原子核が、別の原子の中で負の電荷を持つ電子を電磁気力によって引きつける事によって実現されている。物理学では4種類の力が知られているが、電磁気力以外の3つの力は電磁気力よりも遥かに小さい為、化学結合を作る主要因にはなっていない。したがって化学結合の後述する細かな分類、例えば共有結合やイオン結合はどのような状態の原子にどのような形で電磁気力が働くかによる分類である。 化学結合の定式化には、複数の原子がある場合において電子の軌道を決定する必要があり、そのためには量子力学が必須となる。しかし多くの簡単な化合物や多くのイオンにおいて、化学結合に関する定性的な説明や簡単な定量的見積もりを行う分には、量子力学で得られた知見に価電子や酸化数といった分子の構造と構成を使って古典力学的考察を加える事でも可能である。 それに対し複雑な化合物、例えば金属複合体では価電子理論は破綻し、その振る舞いの多くは量子力学を基本とした理解が必要となる。これに関してはライナス・ポーリングの著書、The Nature of the Chemical Bondで詳しく述べられている。
{{読み仮名|'''化学結合'''|かがくけつごう|{{lang-en-short|chemical bond}}}}は、[[化学物質]]を構成する複数の原子を結びつけている結合である。化学結合は分子内にある原子同士をつなぎ合わせる分子内結合と分子と別の分子とをつなぎ合わせる分子間結合とに大別でき、分子間結合を作る力を[[分子間力]]という。なお、[[金属結晶]]は通常の意味での「分子」とは言い難いが、[[金属結晶]]を構成する結合([[金属結合]])を説明する[[バンド理論]]では、分子内結合における原子の数を無限大に飛ばした極限を取ることで、金属結合の概念を定式化している。 分子内結合、分子間結合、[[金属結合]]のいずれにおいても、化学結合を作る力は原子の中で正の[[電荷]]を持つ[[原子核]]が、別の原子の中で負の電荷を持つ[[電子]]を[[電磁相互作用|電磁気力]]によって引きつける事によって実現されている。物理学では[[基本相互作用|4種類の力]]が知られているが、[[電磁気力]]以外の3つの力は[[電磁相互作用|電磁気力]]よりも遥かに小さい又は、力の及ぶ範囲が狭い為、化学結合を作る主要因にはなっていない。したがって化学結合の後述する細かな分類、例えば[[共有結合]]や[[イオン結合]]はどのような状態の原子にどのような形で[[電磁相互作用|電磁気力]]が働くかによる分類である。 化学結合の定式化には、複数の原子がある場合において電子の軌道を決定する必要があり、そのためには[[量子力学]]が必須となる。しかし多くの簡単な化合物や多くの[[イオン]]において、化学結合に関する[[定性的]]な説明や簡単な[[定量的研究|定量的]]見積もりを行う分には、量子力学で得られた知見に[[価電子]]や[[酸化数]]といった分子の構造と構成を使って古典力学的考察を加える事でも可能である。 それに対し複雑な化合物、例えば[[金属]]複合体では価電子理論は破綻し、その振る舞いの多くは[[量子力学]]を基本とした理解が必要となる。これに関しては[[ライナス・ポーリング]]の著書、''The Nature of the Chemical Bond''で詳しく述べられている。 == 分子内結合 == === 古典力学的な説明 === 分子間力が働く機構を定性的に説明すると下記のとおりになる。分子内にある原子は、原子Aの原子核と原子Bの電子との間に働く電磁気的な力{{Math|''F''{{sub|1}}}}により引きつけられ、これがAとBの間の分子内結合を構成する引力となる。それに対し、原子Aの原子核と原子Bの原子核の間には電磁気的な斥力{{Math|''F''{{sub|2}}}}働いて結合を邪魔しようとし、同様に原子Aの電子と原子Bの電子の間にも斥力{{Math|''F''{{sub|3}}}}が働く。 しかし原子同士の距離が適切な近さ(結合距離)<ref>{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=86}}</ref>程度にあれば、[[引力と斥力|引力は斥力]]よりも大きくなる。この原因を古典力学にいえば、原子は中心に原子核があり、そこから遠く離れたところに電子が飛んでいるという構成をしているので、原子核・原子核間の距離よりも原子核・電子間の距離のほうが小さくなり、斥力{{Math|''F''{{sub|2}}}}は引力{{Math|''F''{{sub|1}}}}よりも小さくなる。また電子は原子核に比べて軽いので、[[電子]]・電子間は斥力によって簡単に遠く離れるため、電子・電子間の斥力{{Math|''F''{{sub|3}}}}も小さくなる。 結局引力が{{Math|''F''{{sub|1}}}}斥力{{Math|''F''{{sub|2}} + ''F''{{sub|3}}}}に勝ち、分子内の原子同士が引きつけられる事になる。 なお、既に述べたように分子内結合が起こるためには原子間の適切な範囲にあり、距離が近すぎる場合には、斥力によって距離が離れていき、結局結合距離の近辺で落ち着く事になる。この事実は量子力学の知識を使って[[水素原子におけるシュレーディンガー方程式の解|中心力場の系]]を解く事で示せる。 === 原子の電子配置による説明 === {{Main|水素原子におけるシュレーディンガー方程式の解|量子数|電子殻}} 分子内結合をさらに詳細を記述する為、電子軌道の量子数の概念を説明し、量子数を使って分子内結合を記述する。原子内の電子の軌道は、実際には量子力学に従っているため、軌道は「量子化されている」(=飛び飛びの値を取る)。電子の軌道は4種類の量子数という[[自然数]]値によって特徴づけられる。4つの量子数は、電子が[[電子殻|K殻、L殻、M殻…]]のいずれに入るかを決める主量子数、殻の中の[[電子殻|s軌道、p軌道、d軌道…]]のいずれに入るかを決める[[方位量子数]]、[[軌道角運動量]]、[[スピン角運動量]]がそれぞれ上向きか下向きかを決める[[軌道角運動量|磁気量子数]]、[[スピン量子数]]からなる<ref>{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=46}}</ref>。 分子内結合を記述する上で重要になるのは、同一原子中にある相異なる2つの電子の量子数が4つとも同一になる事はないという事実である([[パウリの排他原理|パウリの排他律]])<ref>{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=52}}</ref>。よって原子中の異なる電子は異なる軌道にある事になり、例外はあるものの、基本的にはエネルギー状態が小さい軌道から順に電子が埋まっていく<ref>{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|pp=53-54}}</ref>。 電子が1つ以上ある殻で、最も外側にあるものを原子価殻<ref name="p56">{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=56}}</ref>、もしくは最外殻といい、原子価殻にある電子を原子価殻電子<ref name="p56"/>もしくは最外殻電子という。 化学結合に関わるのは、基本的にエネルギー状態が高い不安定な軌道にある電子であり、それは主に[[電子殻|最外殻電子]]である。パウリの排他原理により最外殻には有限個の原子しか入れない。最外殻に最大数の電子が入っている場合、最外殻は[[閉殻]]であるという。閉殻は安定した状態にあり、逆に言えば最外殻に余った電子がある場合は、その電子は電磁気力により他の原子の原子核に引き寄せられる。また最外殻に電子が足りていないなら、他の原子の最外殻に余っている電子を[[電磁気力]]で引きつけて足りない部分を補おうとする。 === 電気陰性度による分類 === こうして電磁気的に引きつけられた原子同士の分子内結合を記述する為のパラメータとして、[[電気陰性度]]という尺度がある。これは原子がどの程度原子外にある電子を引きつけるかを示す尺度である。結合した2つの原子の電気陰性度に極端な差異がある場合は、電気陰性度が大きい原子の方に最外殻電子が完全に移動してしまう。この状態における分子内結合を[[イオン結合]]という<ref name="p88">{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=88}}</ref>。 それとは逆に両者の電気陰性度が完全に釣り合っているときは、最外殻電子を2つの原子で「共有」する状態になる。この状態を非極性共有結合という<ref name="p88"/>。電気陰性度が両者の中間にある場合は、最外殻電子を一方の原子にやや引きつけた「極性」のある共有状態になる。この状態を極性共有結合という<ref name="p88"/>。非極性または極性の共有結合の事を[[共有結合]]という。 === 共有結合 === {{Main|共有結合}} ==== 概要 ==== 共有結合状態にある2つの原子は、互いに相手の原子にある電子を引きつける事になる。このため多くの共有結合では、それぞれの原子から1つずつ、計2個の電子が共有結合に関わる事になる。この2個の電子を共有電子対という<ref name="p91">{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=91}}</ref>。 しかし共有結合の中には片方の原子から2つの電子を提供して共有電子対になるケースもある<ref name="p92">{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=92}}</ref>。たとえば[[アンモニウムイオン]]<chem>NH4+ </chem>の共有結合は[[アンモニア]]<chem>NH3 </chem>の[[窒素|窒素原子]]から2つの電子を提供して<chem>H </chem>と共有結合する。このような共有結合を[[配位結合]]という<ref name="p92"/>。なお、共有電子対の状態にある2つの電子は、スピン量子数の方向が逆向きになったペアである<ref>{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=105}}</ref>。 一般論として、主要族の原子([[周期表]]で左端2列か右端6列に記載されている原子)は、共有電子がなくなるか、[[オクテット則]]が満たされるまで、可能な限り電子を共有しようとする<ref name="p91"/>。一組の共有電子対しか持たない共有結合を単結合といい、二組、三組、…の共有電子対を持つ共有結合をそれぞれ[[二重結合]]、[[三重結合]]、…という<ref name="p92"/>。共有結合が{{Mvar|n}}重結合である場合、その共有結合の結合次数は{{Mvar|n}}であるという<ref name="p92"/>。共有結合にかかわらない原子価電子も対になっており、このような対を[[孤立電子対]]という<ref name="p91"/>。 共有結合の強さを表す尺度として、[[結合解離エネルギー]]がある<ref name="p87">{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=87}}</ref>。これは共有結合状態にある原子を切り離すのに必要となるエネルギーの量である<ref name="p87"/>。 ====共鳴構造==== 以上で説明した共有電子対の概念を用いてオゾン<chem>O3 </chem>の共有結合を書き表すと、 : <math>:\overset{\cdot\cdot}{\underset{\cdot\cdot}{O}} - \overset{\cdot\cdot}{O} - \overset{\cdot\cdot}{\underset{\cdot\cdot}{O}}: </math> となる。ここで点2つの組は非共有電子対であり、線は結合係数1の共有結合である。上記の構造は、中央の酸素原子のみ、閉殻になっていない。そこで右の酸素原子の非共有電子対を引きつけてもう一つ共有結合を作るか、あるいは左の酸素原子の非共有電子対を引きつけて共有結合を作るはずである。すなわち : <math>:\overset{\cdot\cdot}{\underset{\cdot\cdot}{O}} - \overset{\cdot\cdot}{O} \text{=} \overset{\cdot\cdot}{\underset{\cdot\cdot}{O}} </math> もしくは : <math>\overset{\cdot\cdot}{\underset{\cdot\cdot}{O}} = \overset{\cdot\cdot}{O} - \overset{\cdot\cdot}{\underset{\cdot\cdot}{O}}: </math> となる事が予想される。 実際には、これら2つの状態を重ね合わせた平均の状態になる<ref name="p93">{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=93}}</ref>。この状態を[[共鳴理論|共鳴混成体]]といい<ref name="p93"/>、これに寄与した各点電子構造を共鳴構造という<ref name="p93"/>。共鳴とは[[量子力学]]的[[重ね合わせ]]のことで、共鳴理論は[[原子価結合法|原子価結合理論]]の一部である。 ==== 原子価結合理論 ==== {{Main|原子価結合法}}原子価結合理論によれば、共有結合は1つの不対電子を含んでいるそれぞれの原子の半分占有された原子価軌道の重なり合いによって2つの原子間で形成される。原子価結合構造は[[電子式|ルイス構造]]と似ているが、単一のルイス構造では書くことができない場合は複数の原子価結合構造が使われる。これらの各VB構造は特定のルイス構造を表わす。原子価結合構造の組み合わせが共鳴理論の要点である。原子価結合理論は、関与する原子の重なり合った[[原子軌道]]が'''化学結合'''を形成すると考える。この重なり合いのため、電子が結合領域に存在する可能性が最も高くなる。原子価結合理論は結合を弱く連結した軌道として見る。原子価結合理論は、[[基底状態]]分子において典型的にはより簡単に利用できる。[[内殻電子|内殻]]軌道および電子は結合の形成の間には基本的に変化しない。{{節スタブ|date=2017年8月11日 (金) 14:34 (UTC)}} === イオン結合 === {{Main|イオン結合}} イオン結合では、ある原子にある電子が一つ以上、別の原子に移動してしまう。移動により電子を失った側を陽イオンもしくはカチオンといい、電子を得た側を陰イオンもしくはアニオンといい、陰イオンまたは陽イオンの事を[[イオン]]という<ref>{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=62}}</ref>。 なお、便宜上「原子」が[[イオン]]になると説明したが、実際には「原子団」がイオンになることもあり、アンモニアイオン<chem>NH4+ </chem>や水酸化物イオン<chem>OH- </chem>がその例である<ref name="p63">{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=63}}</ref>。 陰イオンと陽イオンは互いに電気的に引き合い、イオン結合する<ref name="p63"/>。ただし共有結合の場合とは異なり、通常の状態では陰イオンと陽イオン一組で明確な形の分子を構成することはなく、大量の陰イオンと陽イオンが結び付き合って[[イオン結晶]]を形成する<ref name="p63"/>。 気体状態で電気的に中性な原子から最もエネルギー状態が高い電子を取り除くのに必要なエネルギーを(第一)[[イオン化エネルギー]]といい<ref>{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=66}}</ref>、これはその原子が陽イオンになる際のなりにくさを表している。さらにもう一つ電子を取り除く第二イオン化エネルギーも同様に定義できる。 一方、気体状態で電気的に中性な原子に電子を一つ付け加えるのにかかるエネルギーを[[電子親和力]]といい<ref>{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=68}}</ref>、これはこの原子が陰イオンになる際のなりにくさを意味している。 またイオン結晶状態にある一組の[[陽イオン]]・[[陰イオン]]のペアを、気体状態にするのにかかるエネルギーを[[格子エネルギー]]といい<ref>{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=73}}</ref>、これは[[イオン結晶]]の結合の強さを表している。 === 金属結合 === {{Main|金属結合}}'''金属結合'''とは、[[金属]]で見られる'''化学結合'''である。[[金属元素|金属原子]]はいくつかの電子を出して[[陽イオン]](金属結晶の格子点に存在する'''正'''[[電荷]]を持つ金属の[[原子核]])と、[[自由電子]]([[結晶]]全体に広がる'''負電荷'''をもったもの)となる。規則正しく配列した[[陽イオン]]の間を[[自由電子]]が自由に動き回り、これらの間に働く[[クーロン力]]([[静電気力]]、[[静電引力]])で結び付けられている。一部では共有結合の一種とみなす主張があるが、原子集団である結晶場で結合電子を共有していて、典型的な共有結合は2原子間でしか共有されていないので、計算手法等が著しく異なり混乱を招くので主流ではない。π結合は分子、あるいは[[グラフェン]]内の多くの原子で結合軌道が形成されるので一種の金属結合的性質を持ち、それが[[グラファイト]]系物質の導電性の源泉となっている。 金属の場合、[[最外殻電子]]など電子の一部は特定の原子核の近傍に留まらず結晶全体に[[非局在化電子|非局在化]]しており、この様な状態の電子を擬似的な[[自由電子]]と呼ぶ。金属の[[電気伝導性]]や[[熱伝導度]]が高いことは自由電子の存在に起因していると考えられ、それゆえ、自由電子は[[伝導電子]]とも呼ばれる。自由電子の[[分子軌道]]はほぼ同一のエネルギー準位の'''エネルギーバンド'''を形成し、'''電子ガス'''とも呼ばれるような自由電子の状態を形成する。電子は[[光子]]と相互作用するので、金属の持つ特性である[[反射率]]、[[金属光沢]]は自由電子の[[エネルギーバンド]]の状況を反映していると考えられている。{{節スタブ|date=2017年8月11日 (金) 14:34 (UTC)}} == 分子間力 == {{Main|分子間力}} 分子間力について説明するための予備知識として、双極子について簡単に説明する。 極性共有結合では、分子内で電子が片方の原子により、全体として電気的な偏りが生じる([[電気化学的分極|分極]])<ref>{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=208}}</ref>。分子内にある原子が電気的にプラスであるかマイナスであるかを[[極性]]といい、分子のような小さな物体に両方の極性がある状態を[[電気双極子|双極子]]という<ref>{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=209}}</ref>。双極子は分子間力を作り出す原因の一つとなっている。 分子間力には、以下のものがある<ref>{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|pp=210-214}}</ref> * イオン-双極子力 * 双極子-双極子力 * [[ロンドン分散力|ロンドンの分散力]] イオン-双極子力は、双極子の電気的に正の部分、負の部分がそれぞれ[[陰イオン]]、[[陽イオン]]に引き寄せられる事により生じる力である<ref name="p210">{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=210}}</ref>。この力は<chem>NaCl </chem>のようなイオン物質の水溶液で重要であり<ref name="p210"/>、極性を持つ水分子はイオンを取り囲む<ref name="p210"/>。 双極子-双極子力はある分子の双極子が別の分子の双極子内の逆向きの極を引きつける事によって生じる。一般にこの力は弱く、3~4 kJ/mol程度であり<ref name="p212">{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=212}}</ref>{{Rp|page=212}}、分子が密着している場合のみ働く<ref name="p212"/>。双極子-双極子力は沸点と関係しており、分子の分極が大きいほどその分子からなる化学物質の沸点は高くなる<ref name="p212"/>。 双極子-双極子力は一般的には弱いが、電気陰性度の高い<chem>O </chem>、<chem>N </chem>、<chem>F </chem>と水素原子との間に生じる双極子-双極子力は例外的に異常に強くなり、これを[[水素結合]]という<ref name="p213">{{Harvnb|McMurry |Fay|2010|p=213}}</ref>。水素結合において双極子-双極子力が強くなるのは、水素原子の場合には原子核の電気的な力を遮蔽する内殻電子を持たず、しかも水素原子は他の原子よりも小さいので、他の分子に近づいて密着できるためである<ref name="p213"/>。 全体として極性をもたない分子であっても、分子運動により電子雲が歪められて一時的な電気的偏りが生じ、これが分子同士を引きつける原因になる。このような分子運動による電気的偏りから生じる分子間力をロンドンの分散力という<ref name="p212"/>。分散力も一般的に弱く1~10 kJ/mol程度であり、その大きさは電子雲の歪められやすさの尺度である[[分極率]]に依存する<ref name="p212"/>。一般論として大きな分子や重い分子は多くの電子を持つため分極率が高くなる傾向にあり、形が対象でない分子も分極率が高くなる傾向にある<ref name="p212"/>。 == 出典 == {{reflist|3}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|last1= McMurry|first1=J.|last2= Fay|first2=R. C.|title=マクマリー 一般化学(上)|year=2010|publisher=[[東京化学同人]]|ISBN=9784807907427|translator=荻野博、 山本学、大野公一}} * {{Citation|和書||last1= McMurry|first1=J.|last2= Fay|first2=R. C.|title=マクマリー 一般化学(下)|year=2011|publisher=[[東京化学同人]]|ISBN=9784807907434|translator=荻野博、 山本学、大野公一}} ==関連項目== {{ウィキポータルリンク|化学|[[File:Nuvola apps edu science.svg|32px|ウィキポータル 化学]]}} {{ウィキプロジェクトリンク|化学|[[File:Nuvola apps edu science.svg|32px|ウィキプロジェクト 化学]]}} *[[化学]] *[[化学式]] *[[疎水結合]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{化学結合}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:かかくけつこう}} [[Category:化学結合|*]] [[Category:力 (自然科学)]] [[Category:物理化学の現象]] [[Category:化学]] [[Category:量子化学]]
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イオン化エネルギー
イオン化エネルギー(イオンかエネルギー、英語: ionization energy、電離エネルギー、イオン化ポテンシャルとも言う)とは、原子、イオンなどから電子を取り去ってイオン化するために必要な最小のエネルギー。ある原子がその電子をどれだけ強く結び付けているのかの目安である。 気体状態の単原子(または分子の基底状態)の中性原子から取り去る電子が1個目の場合を第1イオン化エネルギー(IE)、2個目の電子を取り去る場合を第2イオン化エネルギー(IE)、3個目の電子を取り去る場合を第3イオン化エネルギー(IE)・・・(以下続く)と言う。単にイオン化エネルギーといった場合、第1イオン化エネルギーのことを指すことがある。 イオン化エネルギーの一般的な傾向は、s軌道とp軌道の相対的エネルギーとともに、電子の結合に対する有効核電荷の効果を考えることによって説明できる。 原子核の正電荷が増すにつれ、与えられた軌道にある負に荷電した電子はより強いクーロン引力を受け、より強く保持される。ヘリウムの1s電子を除去するには水素の1s電子を除去するよりも多くのエネルギーを必要とする。 周期表の同じ周期の中で最高のイオン化エネルギーは貴ガスのものである。これは貴ガス元素が周期表の右端にあり、同周期中で最も最外殻電子に対する有効核電荷が大きいことに由来する。 主量子数nの値が小さい内殻電子のイオン化エネルギーは価電子に比べ格段に大きい。たとえば電子3個のリチウムではIEは5.32eV であるが、1sからのIEは75.6eVである。2s軌道の電子は1s軌道の電子ほど強く保持されていない。 最低のイオン化エネルギーは周期表の左端にある第1族元素のものである。これらの原子のひとつから電子1個を除くと貴ガス原子と同じ閉殻電子配置を持つイオンになる。 どの原子からも最も容易に失われる電子は最高エネルギー軌道にある電子からである。 アルカリ金属などでIEが低く、貴ガスに近づくにつれ値が高まる傾向があることは前述のとおりだが、ベリリウムとホウ素、窒素と酸素などではその傾向が少しだけ逆転している。この理由については原子軌道やフントの規則を考慮する必要がある。 窒素原子と酸素原子を例に考える。二つの電子配置は次の表のようになる。(IEの単位はeV) N : 1s 2s 2p IE:14.53, IE :29.60 O : 1s 2s 2p IE:13.61, IE :35.12 窒素原子より酸素原子のほうが第一イオン化エネルギーが小さいのは、2p軌道に入る4個目の電子が三重に縮重したp軌道のいずれかの軌道に異なるスピンをもって入り、電子間の静電的な反発エネルギーが電子を不安定にするためである。 ちなみに、第2イオン化エネルギーの場合は、どちらも区別のつかない2p軌道からひとつずつ取り去るので、有効核電荷が大きい酸素原子のほうがIEは大きくなる。このことは他の周期でもみられる。 また電気陰性度(マリケンの電気陰性度)は、電子親和力とイオン化エネルギーの相加平均であるが、前者に比べ後者のほうがかなり大きいため、電気陰性度はほぼイオン化エネルギーに比例する。
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イオン化エネルギー(イオンかエネルギー、英語: ionization energy、電離エネルギー、イオン化ポテンシャルとも言う)とは、原子、イオンなどから電子を取り去ってイオン化するために必要な最小のエネルギー。ある原子がその電子をどれだけ強く結び付けているのかの目安である。 気体状態の単原子(または分子の基底状態)の中性原子から取り去る電子が1個目の場合を第1イオン化エネルギー(IE1)、2個目の電子を取り去る場合を第2イオン化エネルギー(IE2)、3個目の電子を取り去る場合を第3イオン化エネルギー(IE3)・・・(以下続く)と言う。単にイオン化エネルギーといった場合、第1イオン化エネルギーのことを指すことがある。 イオン化エネルギーの一般的な傾向は、s軌道とp軌道の相対的エネルギーとともに、電子の結合に対する有効核電荷の効果を考えることによって説明できる。 原子核の正電荷が増すにつれ、与えられた軌道にある負に荷電した電子はより強いクーロン引力を受け、より強く保持される。ヘリウムの1s電子を除去するには水素の1s電子を除去するよりも多くのエネルギーを必要とする。 周期表の同じ周期の中で最高のイオン化エネルギーは貴ガスのものである。これは貴ガス元素が周期表の右端にあり、同周期中で最も最外殻電子に対する有効核電荷が大きいことに由来する。 主量子数nの値が小さい内殻電子のイオン化エネルギーは価電子に比べ格段に大きい。たとえば電子3個のリチウムではIE1は5.32eV であるが、1sからのIE2は75.6eVである。2s軌道の電子は1s軌道の電子ほど強く保持されていない。 最低のイオン化エネルギーは周期表の左端にある第1族元素のものである。これらの原子のひとつから電子1個を除くと貴ガス原子と同じ閉殻電子配置を持つイオンになる。 どの原子からも最も容易に失われる電子は最高エネルギー軌道にある電子からである。
{{出典の明記|date=2011年6月}} [[File:First ionization energies.png|thumb|280px|元素順の第一イオン化エネルギー。[[アルカリ金属]]で最も小さく、[[貴ガス]]で最も大きくなる周期的な変化が見られる。]] '''イオン化エネルギー'''(イオンかエネルギー、{{lang-en|ionization energy}}、電離エネルギー、イオン化ポテンシャルとも言う)とは、[[原子]]、[[イオン]]などから[[電子]]を取り去って[[イオン化]]するために必要な最小の[[エネルギー]]<ref>{{GoldBookRef|dile=I03199|title= ionization energy|doi=10.1351/goldbook.I03199}}</ref>。ある原子がその電子をどれだけ強く結び付けているのかの目安である。 気体状態の単原子(または分子の基底状態)の中性原子から取り去る電子が1個目の場合を'''第1イオン化エネルギー'''(IE<sup>1</sup>)、2個目の電子を取り去る場合を'''第2イオン化エネルギー'''(IE<sup>2</sup>)、3個目の電子を取り去る場合を'''第3イオン化エネルギー'''(IE<sup>3</sup>)・・・(以下続く)と言う<ref name="shriver39">[[#shriver|Shriver & Atkins (2001)]], p.39。</ref>。単にイオン化エネルギーといった場合、第1イオン化エネルギーのことを指すことがある。 :<math>\rm M(g) \rarr M^+ (g) + e^-</math>  IE<sup>1</sup> :<math>\rm M^+(g) \rarr M^{2+} (g) + e^-</math>  IE<sup>2</sup> :<math>\rm M^{2+}(g) \rarr M^{3+} (g) + e^-</math>  IE<sup>3</sup> イオン化エネルギーの一般的な傾向は、[[s軌道]]と[[p軌道]]の相対的エネルギーとともに、電子の結合に対する[[有効核電荷]]の効果を考えることによって説明できる。 原子核の正電荷が増すにつれ、与えられた軌道にある負に荷電した電子はより強い[[クーロン力|クーロン引力]]を受け、より強く保持される。[[ヘリウム]]の1s電子を除去するには[[水素]]の1s電子を除去するよりも多くのエネルギーを必要とする。 :<math>\rm H(g) \rarr H^+ (g) + e^-</math>  <math>IE^1=1312\;\rm{kJ\;mol^{-1}}</math> :<math>\rm He(g) \rarr He^+ (g) + e^-</math>  <math>IE^1=2372\;\rm{kJ\;mol^{-1}}</math> 周期表の同じ周期の中で最高のイオン化エネルギーは[[貴ガス]]のものである。これは貴ガス元素が周期表の右端にあり、同周期中で最も最外殻電子に対する有効核電荷が大きいことに由来する。 [[主量子数]]''n''の値が小さい内殻電子のイオン化エネルギーは価電子に比べ格段に大きい<ref name="shriver43">[[#shriver|Shriver & Atkins (2001)]], p.43。</ref>。たとえば電子3個の[[リチウム]]ではIE<sup>1</sup>は5.32eV であるが、1sからのIE<sup>2</sup>は75.6eVである<ref name="shriver43" />。2s軌道の電子は1s軌道の電子ほど強く保持されていない。 最低のイオン化エネルギーは[[周期表]]の左端にある第1族元素のものである。これらの原子のひとつから電子1個を除くと貴ガス原子と同じ閉殻電子配置を持つイオンになる。 どの原子からも最も容易に失われる電子は最高エネルギー軌道にある電子からである。 ==一覧== {| class="wikitable sortable" style="text-align:right" |+ イオン化エネルギーの一覧 [[ジュール|kJ]]/[[モル|mol]] ! [[原子番号]] !![[元素記号]] !! 元素名!! 第1 !! 第2 !! 第3 !! 第4 !! 第5 !! 第6 !! 第7 !! 第8 !! 第9 !! 第10 |- | 1 || H || [[水素]] | <!--1st-->1312.0 || || || || || || || || || |- | 2 || He || [[ヘリウム]] | <!--1st-->2372.3 || <!--2nd-->5250.5 || || || || || || || || |- | 3 || Li || [[リチウム]] | <!--1st-->520.2 || <!--2nd-->7298.1 || <!--3rd-->11815.0 || || || || || || || |- | 4 || Be || [[ベリリウム]] | <!--1st-->899.5 || <!--2nd-->1757.1 || <!--3rd-->14848.7 || <!--4th-->21006.6 || || || || || || |- | 5 || B || [[ホウ素]] | <!--1st-->800.6 || <!--2nd-->2427.1 || <!--3rd-->3659.7 || <!--4th-->25025.8 || <!--5th-->32826.7 || || || || || |- | 6 || C || [[炭素]] | <!--1st-->1086.5 || <!--2nd-->2352.6 || <!--3rd-->4620.5 || <!--4th-->6222.7 || <!--5th-->37831 || <!--6th-->47277.0|| || || || |- | 7 || N || [[窒素]] | <!--1st-->1402.3 || <!--2nd-->2856 || <!--3rd-->4578.1 || <!--4th-->7475.0 || <!--5th-->9444.9 || <!--6th-->53266.6 || <!--7th-->64360 || || || |- | 8 || O || [[酸素]] | <!--1st-->1313.9 || <!--2nd-->3388.3 || <!--3rd-->5300.5 || <!--4th-->7469.2 || <!--5th-->10989.5 || <!--6th-->13326.5 || <!--7th-->71330 || <!--8th-->84078.0|| || |- | 9 || F || [[フッ素]] | <!--1st-->1681.0 || <!--2nd-->3374.2 || <!--3rd-->6050.4 || <!--4th-->8407.7 || <!--5th-->11022.7 || <!--6th-->15164.1 || <!--7th-->17868 || <!--8th-->92038.1 || <!--9th-->106434.3 || |- | 10 || Ne || [[ネオン]] | <!--1st-->2080.7 || <!--2nd-->3952.3 || <!--3rd-->6122 || <!--4th-->9371 || <!--5th-->12177 || <!--6th-->15238 || <!--7th-->19999.0 || <!--8th-->23069.5 || <!--9th-->115379.5 || <!--10th-->131432 |- | 11 || Na || [[ナトリウム]] | <!--1st-->495.8 || <!--2nd-->4562 || <!--3rd-->6910.3 || <!--4th-->9543 || <!--5th-->13354 || <!--6th-->16613 || <!--7th-->20117 || <!--8th-->25496 || <!--9th-->28932 || <!--10th-->141362 |- | 12 || Mg || [[マグネシウム]] | <!--1st-->737.7 || <!--2nd-->1450.7 || <!--3rd-->7732.7 || <!--4th-->10542.5 || <!--5th-->13630 || <!--6th-->18020 || <!--7th-->21711 || <!--8th-->25661 || <!--9th-->31653 || <!--10th-->35458 |- | 13 || Al || [[アルミニウム]] | <!--1st-->577.5 || <!--2nd-->1816.7 || <!--3rd-->2744.8 || <!--4th-->11577 || <!--5th-->14842 || <!--6th-->18379 || <!--7th-->23326 || <!--8th-->27465 || <!--9th-->31853 || <!--10th-->38473 |- | 14 || Si || [[ケイ素]] | <!--1st-->786.5 || <!--2nd-->1577.1 || <!--3rd-->3231.6 || <!--4th-->4355.5 || <!--5th-->16091 || <!--6th-->19805 || <!--7th-->23780 || <!--8th-->29287 || <!--9th-->33878 || <!--10th-->38726 |- | 15 || P || [[リン]] | <!--1st-->1011.8 || <!--2nd-->1907 || <!--3rd-->2914.1 || <!--4th-->4963.6 || <!--5th-->6273.9 || <!--6th-->21267 || <!--7th-->25431 || <!--8th-->29872 || <!--9th-->35905 || <!--10th-->40950 |- | 16 || S || [[硫黄]] | <!--1st-->999.6 || <!--2nd-->2252 || <!--3rd-->3357 || <!--4th-->4556 || <!--5th-->7004.3 || <!--6th-->8495.8 || <!--7th-->27107 || <!--8th-->31719 || <!--9th-->36621 || <!--10th-->43177 |- | 17 || Cl || [[塩素]] | <!--1st-->1251.2 || <!--2nd-->2298 || <!--3rd-->3822 || <!--4th-->5158.6 || <!--5th-->6542 || <!--6th-->9362 || <!--7th-->11018 || <!--8th-->33604 || <!--9th-->38600 || <!--10th-->43961 |- | 18 || Ar || [[アルゴン]] | <!--1st-->1520.6 || <!--2nd-->2665.8 || <!--3rd-->3931 || <!--4th-->5771 || <!--5th-->7238 || <!--6th-->8781 || <!--7th-->11995 || <!--8th-->13842 || <!--9th-->40760 || <!--10th-->46186 |- | 19 || K || [[カリウム]] | <!--1st-->418.8 || <!--2nd-->3052 || <!--3rd-->4420 || <!--4th-->5877 || <!--5th-->7975 || <!--6th-->9590 || <!--7th-->11343 || <!--8th-->14944 || <!--9th-->16963.7 || <!--10th-->48610 |- | 20 || Ca || [[カルシウム]] | <!--1st-->589.8 || <!--2nd-->1145.4 || <!--3rd-->4912.4 || <!--4th-->6491 || <!--5th-->8153 || <!--6th-->10496 || <!--7th-->12270 || <!--8th-->14206 || <!--9th-->18191 || <!--10th-->20385 |- | 21 || Sc || [[スカンジウム]] | <!--1st-->633.1 || <!--2nd-->1235.0 || <!--3rd-->2388.6 || <!--4th-->7090.6 || <!--5th-->8843 || <!--6th-->10679 || <!--7th-->13310 || <!--8th-->15250 || <!--9th-->17370 || <!--10th-->21726 |- | 22 || Ti || [[チタン]] | <!--1st-->658.8 || <!--2nd-->1309.8 || <!--3rd-->2652.5 || <!--4th-->4174.6 || <!--5th-->9581 || <!--6th-->11533 || <!--7th-->13590 || <!--8th-->16440 || <!--9th-->18530 || <!--10th-->20833 |- | 23 || V || [[バナジウム]] | <!--1st-->650.9 || <!--2nd-->1414 || <!--3rd-->2830 || <!--4th-->4507 || <!--5th-->6298.7 || <!--6th-->12363 || <!--7th-->14530 || <!--8th-->16730 || <!--9th-->19860 || <!--10th-->22240 |- | 24 || Cr || [[クロム]] | <!--1st-->652.9 || <!--2nd-->1590.6 || <!--3rd-->2987 || <!--4th-->4743 || <!--5th-->6702 || <!--6th-->8744.9 || <!--7th-->15455 || <!--8th-->17820 || <!--9th-->20190 || <!--10th-->23580 |- | 25 || Mn || [[マンガン]] | <!--1st-->717.3 || <!--2nd-->1509.0 || <!--3rd-->3248 || <!--4th-->4940 || <!--5th-->6990 || <!--6th-->9220 || <!--7th-->11500 || <!--8th-->18770 || <!--9th-->21400 || <!--10th-->23960 |- | 26 || Fe || [[鉄]] | <!--1st-->762.5 || <!--2nd-->1561.9 || <!--3rd-->2957 || <!--4th-->5290 || <!--5th-->7240 || <!--6th-->9560 || <!--7th-->12060 || <!--8th-->14580 || <!--9th-->22540 || <!--10th-->25290 |- | 27 || Co || [[コバルト]] | <!--1st-->760.4 || <!--2nd-->1648 || <!--3rd-->3232 || <!--4th-->4950 || <!--5th-->7670 || <!--6th-->9840 || <!--7th-->12440 || <!--8th-->15230 || <!--9th-->17959 || <!--10th-->26570 |- | 28 || Ni || [[ニッケル]] | <!--1st-->737.1 || <!--2nd-->1753.0 || <!--3rd-->3395 || <!--4th-->5300 || <!--5th-->7339 || <!--6th-->10400 || <!--7th-->12800 || <!--8th-->15600 || <!--9th-->18600 || <!--10th-->21670 |- | 29 || Cu || [[銅]] | <!--1st-->745.5 || <!--2nd-->1957.9 || <!--3rd-->3555 || <!--4th-->5536 || <!--5th-->7700 || <!--6th-->9900 || <!--7th-->13400 || <!--8th-->16000 || <!--9th-->19200 || <!--10th-->22400 |- | 30 || Zn || [[亜鉛]] | <!--1st-->906.4 || <!--2nd-->1733.3 || <!--3rd-->3833 || <!--4th-->5731 || <!--5th-->7970 || <!--6th-->10400 || <!--7th-->12900 || <!--8th-->16800 || <!--9th-->19600 || <!--10th-->23000 |- | 31 || Ga || [[ガリウム]] | <!--1st-->578.8 || <!--2nd-->1979.3 || <!--3rd-->2963 || <!--4th-->6180|| || || || || || |- | 32 || Ge || [[ゲルマニウム]] | <!--1st-->762 || <!--2nd-->1537.5 || <!--3rd-->3302.1 || <!--4th-->4411 || <!--5th-->9020|| || || || || |- | 33 || As || [[ヒ素]] | <!--1st-->947.0 || <!--2nd-->1798 || <!--3rd-->2735 || <!--4th-->4837 || <!--5th-->6043 || <!--6th-->12310|| || || || |- | 34 || Se || [[セレン]] | <!--1st-->941.0 || <!--2nd-->2045 || <!--3rd-->2973.7 || <!--4th-->4144 || <!--5th-->6590 || <!--6th-->7880 || <!--7th-->14990|| || || |- | 35 || Br || [[臭素]] | <!--1st-->1139.9 || <!--2nd-->2103 || <!--3rd-->3470 || <!--4th-->4560 || <!--5th-->5760 || <!--6th-->8550 || <!--7th-->9940 || <!--8th-->18600|| || |- | 36 || Kr || [[クリプトン]] | <!--1st-->1350.8 || <!--2nd-->2350.4 || <!--3rd-->3565 || <!--4th-->5070 || <!--5th-->6240 || <!--6th-->7570 || <!--7th-->10710 || <!--8th-->12138 || <!--9th-->22274 || <!--10th-->25880 |- | 37 || Rb || [[ルビジウム]] | <!--1st-->403.0 || <!--2nd-->2633 || <!--3rd-->3860 || <!--4th-->5080 || <!--5th-->6850 || <!--6th-->8140 || <!--7th-->9570 || <!--8th-->13120 || <!--9th-->14500 || <!--10th-->26740 |- | 38 || Sr || [[ストロンチウム]] | <!--1st-->549.5 || <!--2nd-->1064.2 || <!--3rd-->4138 || <!--4th-->5500 || <!--5th-->6910 || <!--6th-->8760 || <!--7th-->10230 || <!--8th-->11800 || <!--9th-->15600 || <!--10th-->17100 |- | 39 || Y || [[イットリウム]] | <!--1st-->600 || <!--2nd-->1180 || <!--3rd-->1980 || <!--4th-->5847 || <!--5th-->7430 || <!--6th-->8970 || <!--7th-->11190 || <!--8th-->12450 || <!--9th-->14110 || <!--10th-->18400 |- | 40 || Zr || [[ジルコニウム]] | <!--1st-->640.1 || <!--2nd-->1270 || <!--3rd-->2218 || <!--4th-->3313 || <!--5th-->7752 || <!--6th-->9500|| || || || |- | 41 || Nb || [[ニオブ]] | <!--1st-->652.1 || <!--2nd-->1380 || <!--3rd-->2416 || <!--4th-->3700 || <!--5th-->4877 || <!--6th-->9847 || <!--7th-->12100|| || || |- | 42 || Mo || [[モリブデン]] | <!--1st-->684.3 || <!--2nd-->1560 || <!--3rd-->2618 || <!--4th-->4480 || <!--5th-->5257 || <!--6th-->6640.8 || <!--7th-->12125 || <!--8th-->13860 || <!--9th-->15835 || <!--10th-->17980 |- | 43 || Tc || [[テクネチウム]] | <!--1st-->702 || <!--2nd-->1470 || <!--3rd-->2850|| || || || || || || |- | 44 || Ru || [[ルテニウム]] | <!--1st-->710.2 || <!--2nd-->1620 || <!--3rd-->2747|| || || || || || || |- | 45 || Rh || [[ロジウム]] | <!--1st-->719.7 || <!--2nd-->1740 || <!--3rd-->2997|| || || || || || || |- | 46 || Pd || [[パラジウム]] | <!--1st-->804.4 || <!--2nd-->1870 || <!--3rd-->3177|| || || || || || || |- | 47 || Ag || [[銀]] | <!--1st-->731.0 || <!--2nd-->2070 || <!--3rd-->3361|| || || || || || || |- | 48 || Cd || [[カドミウム]] | <!--1st-->867.8 || <!--2nd-->1631.4 || <!--3rd-->3616|| || || || || || || |- | 49 || In || [[インジウム]] | <!--1st-->558.3 || <!--2nd-->1820.7 || <!--3rd-->2704 || <!--4th-->5210|| || || || || || |- | 50 || Sn || [[スズ]] | <!--1st-->708.6 || <!--2nd-->1411.8 || <!--3rd-->2943.0 || <!--4th-->3930.3 || <!--5th-->7456|| || || || || |- | 51 || Sb || [[アンチモン]] | <!--1st-->834 || <!--2nd-->1594.9 || <!--3rd-->2440 || <!--4th-->4260 || <!--5th-->5400 || <!--6th-->10400|| || || || |- | 52 || Te || [[テルル]] | <!--1st-->869.3 || <!--2nd-->1790 || <!--3rd-->2698 || <!--4th-->3610 || <!--5th-->5668 || <!--6th-->6820 || <!--7th-->13200|| || || |- | 53 || I || [[ヨウ素]] | <!--1st-->1008.4 || <!--2nd-->1845.9 || <!--3rd-->3180|| || || || || || || |- | 54 || Xe || [[キセノン]] | <!--1st-->1170.4 || <!--2nd-->2046.4 || <!--3rd-->3099.4|| || || || || || || |- | 55 || Cs || [[セシウム]] | <!--1st-->375.7 || <!--2nd-->2234.3 || <!--3rd-->3400|| || || || || || || |- | 56 || Ba || [[バリウム]] | <!--1st-->502.9 || <!--2nd-->965.2 || <!--3rd-->3600|| || || || || || || |- | 57 || La || [[ランタン]] | <!--1st-->538.1 || <!--2nd-->1067 || <!--3rd-->1850.3 || <!--4th-->4819 || <!--5th-->5940|| || || || || |- | 58 || Ce || [[セリウム]] | <!--1st-->534.4 || <!--2nd-->1050 || <!--3rd-->1949 || <!--4th-->3547 || <!--5th-->6325 || <!--6th-->7490|| || || || |- | 59 || Pr || [[プラセオジム]] | <!--1st-->527 || <!--2nd-->1020 || <!--3rd-->2086 || <!--4th-->3761 || <!--5th-->5551|| || || || || |- | 60 || Nd || [[ネオジム]] | <!--1st-->533.1 || <!--2nd-->1040 || <!--3rd-->2130 || <!--4th-->3900|| || || || || || |- | 61 || Pm || [[プロメチウム]] | <!--1st-->540 || <!--2nd-->1050 || <!--3rd-->2150 || <!--4th-->3970|| || || || || || |- | 62 || Sm || [[サマリウム]] | <!--1st-->544.5 || <!--2nd-->1070 || <!--3rd-->2260 || <!--4th-->3990|| || || || || || |- | 63 || Eu || [[ユウロピウム]] | <!--1st-->547.1 || <!--2nd-->1085 || <!--3rd-->2404 || <!--4th-->4120|| || || || || || |- | 64 || Gd || [[ガドリニウム]] | <!--1st-->593.4 || <!--2nd-->1170 || <!--3rd-->1990 || <!--4th-->4250|| || || || || || |- | 65 || Tb || [[テルビウム]] | <!--1st-->565.8 || <!--2nd-->1110 || <!--3rd-->2114 || <!--4th-->3839|| || || || || || |- | 66 || Dy || [[ジスプロシウム]] | <!--1st-->573.0 || <!--2nd-->1130 || <!--3rd-->2200 || <!--4th-->3990|| || || || || || |- | 67 || Ho || [[ホルミウム]] | <!--1st-->581.0 || <!--2nd-->1140 || <!--3rd-->2204 || <!--4th-->4100|| || || || || || |- | 68 || Er || [[エルビウム]] | <!--1st-->589.3 || <!--2nd-->1150 || <!--3rd-->2194 || <!--4th-->4120|| || || || || || |- | 69 || Tm || [[ツリウム]] | <!--1st-->596.7 || <!--2nd-->1160 || <!--3rd-->2285 || <!--4th-->4120|| || || || || || |- | 70 || Yb || [[イッテルビウム]] | <!--1st-->603.4 || <!--2nd-->1174.8 || <!--3rd-->2417 || <!--4th-->4203|| || || || || || |- | 71 || Lu || [[ルテチウム]] | <!--1st-->523.5 || <!--2nd-->1340 || <!--3rd-->2022.3 || <!--4th-->4370 || <!--5th-->6445|| || || || || |- | 72 || Hf || [[ハフニウム]] | <!--1st-->658.5 || <!--2nd-->1440 || <!--3rd-->2250 || <!--4th-->3216|| || || || || || |- | 73 || Ta || [[タンタル]] | <!--1st-->761 || <!--2nd-->1500|| || || || || || || || |- | 74 || W || [[タングステン]] | <!--1st-->770 || <!--2nd-->1700|| || || || || || || || |- | 75 || Re || [[レニウム]] | <!--1st-->760 || <!--2nd-->1260 || <!--3rd-->2510 || <!--4th-->3640|| || || || || || |- | 76 || Os || [[オスミウム]] | <!--1st-->840 || <!--2nd-->1600|| || || || || || || || |- | 77 || Ir || [[イリジウム]] | <!--1st-->880 || <!--2nd-->1600|| || || || || || || || |- | 78 || Pt || [[白金]] | <!--1st-->870 || <!--2nd-->1791 || || || || || || || || |- | 79 || Au || [[金]] | <!--1st-->890.1 || <!--2nd-->1980 || || || || || || || || |- | 80 || Hg || [[水銀]] | <!--1st-->1007.1 || <!--2nd-->1810 || <!--3rd-->3300|| || || || || || || |- | 81 || Tl || [[タリウム]] | <!--1st-->589.4 || <!--2nd-->1971 || <!--3rd-->2878|| || || || || || || |- | 82 || Pb || [[鉛]] | <!--1st-->715.6 || <!--2nd-->1450.5 || <!--3rd-->3081.5 || <!--4th-->4083 || <!--5th-->6640 || || || || || |- | 83 || Bi || [[ビスマス]] | <!--1st-->703 || <!--2nd-->1610 || <!--3rd-->2466 || <!--4th-->4370 || <!--5th-->5400 || <!--6th-->8520 || || || || |- | 84 || Po || [[ポロニウム]] | <!--1st-->812.1 || || || || || || || || || |- | 85 || At || [[アスタチン]] | <!--1st-->890±40 || || || || || || || || || |- | 86 || Rn || [[ラドン]] | <!--1st-->1037 || || || || || || || || || |- | 87 || Fr || [[フランシウム]] | <!--1st-->380 || || || || || || || || || |- | 88 || Ra || [[ラジウム]] | <!--1st-->509.3 || <!--2nd-->979.0 || || || || || || || || |- | 89 || Ac || [[アクチニウム]] | <!--1st-->499 || <!--2nd-->1170 || || || || || || || || |- | 90 || Th || [[トリウム]] | <!--1st-->587 || <!--2nd-->1110 || <!--3rd-->1930 || <!--4th-->2780 || || || || || || |- | 91 || Pa || [[プロトアクチニウム]] | <!--1st-->568 || || || || || || || || || |- | 92 || U || [[ウラン]] | <!--1st-->597.6 || <!--2nd-->1420 || || || || || || || || |- | 93 || Np || [[ネプツニウム]] | <!--1st-->604.5 || || || || || || || || || |- | 94 || Pu || [[プルトニウム]] | <!--1st-->584.7 || || || || || || || || || |- | 95 || Am || [[アメリシウム]] | <!--1st-->578 || || || || || || || || || |- | 96 || Cm || [[キュリウム]] | <!--1st-->581 || || || || || || || || || |- | 97 || Bk || [[バークリウム]] | <!--1st-->601 || || || || || || || || || |- | 98 || Cf || [[カリホルニウム]] | <!--1st-->608 || || || || || || || || || |- | 99 || Es || [[アインスタイニウム]] | <!--1st-->619 || || || || || || || || || |- | 100 || Fm || [[フェルミウム]] | <!--1st-->627 || || || || || || || || || |- | 101 || Md || [[メンデレビウム]] | <!--1st-->635 || || || || || || || || || |- | 102 || No || [[ノーベリウム]] | <!--1st-->642 || || || || || || || || || |- | 103 || Lr || [[ローレンシウム]] | <!--1st-->470 || || || || || || || || || |- | 104 || Rf || [[ラザホージウム]] | <!--1st-->580 || || || || || || || || || |} == イオン化エネルギーについての補足 == [[アルカリ金属]]などでIEが低く、貴ガスに近づくにつれ値が高まる傾向があることは前述のとおりだが、[[ベリリウム]]と[[ホウ素]]、[[窒素]]と[[酸素]]などではその傾向が少しだけ逆転している<ref>[[#shriver|Shriver & Atkins (2001)]], pp.41-42。</ref>。この理由については[[原子軌道]]や[[フントの規則]]を考慮する必要がある。 窒素原子と酸素原子を例に考える。二つの電子配置は次の表のようになる。(IEの単位はeV) N : 1s<sup>2</sup> 2s<sup>2</sup> 2p<sup>3</sup>   IE<sup>1</sup>:14.53, IE <sup>2</sup>:29.60 O : 1s<sup>2</sup> 2s<sup>2</sup> 2p<sup>4</sup>   IE<sup>1</sup>:13.61, IE <sup>2</sup>:35.12 {| class="wikitable" |+ ! !!1s!!2s!!2p<sub>x</sub>!!2p<sub>y</sub>!!2p<sub>z</sub> |- ! '''N''' |↑↓||↑↓||↑ ||↑ ||↑ |- ! '''O''' |↑↓||↑↓||↑↓||↑ ||↑ |} 窒素原子より酸素原子のほうが第一イオン化エネルギーが小さいのは、2p軌道に入る4個目の電子が三重に縮重したp軌道のいずれかの軌道に異なる[[スピン角運動量|スピン]]をもって入り、電子間の静電的な反発エネルギーが電子を不安定にするためである。 ちなみに、第2イオン化エネルギーの場合は、どちらも区別のつかない2p軌道からひとつずつ取り去るので、[[有効核電荷]]が大きい酸素原子のほうがIE<sup>2</sup>は大きくなる。このことは他の周期でもみられる。 また[[電気陰性度]](マリケンの電気陰性度)は、[[電子親和力]]とイオン化エネルギーの[[相加平均]]であるが、前者に比べ後者のほうがかなり大きいため、電気陰性度はほぼイオン化エネルギーに比例する。 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == *{{cite book | title=シュライバー無機化学(上) | publisher=[[東京化学同人]] | author=Shriver, D. F. and Atkins, P. W. | year=2001 | isbn=4-8079-0534-1 | 1=和書 | others=[[玉虫伶太]]・[[佐藤弦]]・[[垣花眞人]]訳|ref=shriver}} == 関連項目 == {{Wikidata property}} * [[電子親和力]] * [[物性物理学]] * [[仕事関数]] * [[クープマンズの定理]] * [[イオン化傾向]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:いおんかえねるきい}} [[Category:イオン]] [[Category:電子]] [[Category:エネルギー]] [[Category:物理化学]] [[Category:電気化学]] [[Category:量子化学]]
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6,702
電子親和力
電子親和力(でんししんわりょく、英: electron affinity、EA)は、原子、分子(場合により、固体や表面も対象となる)に1つ電子を与えた時に放出または吸収されるエネルギー。放出の場合は正、吸収の場合は負と定義する。電子親和力が負であることは、陰イオンになり難いことを意味する。 この時(左辺、右辺の原子、イオンはそれぞれ同じものとする。またエネルギーの符号は考えず、量のみのを比較する)、 という関係が成り立つ。また である(この場合、通常イオン化エネルギーの方が値として大きい)。 金属では仕事関数と一致するが、半導体の場合は伝導帯の底から真空準位までのエネルギー差として定義されるため、フェルミ準位から真空準位までのエネルギー差として定義される仕事関数とは異なる値になる。 負の電子親和力(←表面系の場合) NEAは、ダイヤモンドの表面系で観測の報告がある。負の電子親和力が実現されると、低い温度で作動する冷陰極真空管などに応用できる可能性があり注目されている。
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電子親和力は、原子、分子(場合により、固体や表面も対象となる)に1つ電子を与えた時に放出または吸収されるエネルギー。放出の場合は正、吸収の場合は負と定義する。電子親和力が負であることは、陰イオンになり難いことを意味する。 この時(左辺、右辺の原子、イオンはそれぞれ同じものとする。またエネルギーの符号は考えず、量のみのを比較する)、 電気的に中性な原子、分子の電子親和力=一価の負のイオンとなっている原子、分子のイオン化エネルギー(イオン化ポテンシャル、電離エネルギーとも言う) 一価の正のイオンとなっている原子、分子の電子親和力=中性の原子、分子のイオン化エネルギー という関係が成り立つ。また 中性の原子、分子の電子親和力≠中性の原子、分子のイオン化エネルギー である(この場合、通常イオン化エネルギーの方が値として大きい)。 金属では仕事関数と一致するが、半導体の場合は伝導帯の底から真空準位までのエネルギー差として定義されるため、フェルミ準位から真空準位までのエネルギー差として定義される仕事関数とは異なる値になる。 負の電子親和力(←表面系の場合) NEAは、ダイヤモンドの表面系で観測の報告がある。負の電子親和力が実現されると、低い温度で作動する冷陰極真空管などに応用できる可能性があり注目されている。
{{出典の明記|date=2011年6月}} '''電子親和力'''(でんししんわりょく、{{lang-en-short|electron affinity}}、EA)は、[[原子]]、[[分子]](場合により、固体や表面も対象となる)に1つ[[電子]]を与えた時に放出または吸収される[[エネルギー]]。放出の場合は正、吸収の場合は負と定義する。電子親和力が負であることは、[[陰イオン]]になり難いことを意味する。 この時(左辺、右辺の原子、イオンはそれぞれ同じものとする。またエネルギーの符号は考えず、量のみのを比較する)、 * 電気的に中性な原子、分子の電子親和力=一価の負の[[イオン]]となっている原子、分子の[[イオン化エネルギー]](イオン化ポテンシャル、電離エネルギーとも言う) * 一価の正のイオンとなっている原子、分子の電子親和力=中性の原子、分子のイオン化エネルギー という関係が成り立つ。また * 中性の原子、分子の電子親和力≠中性の原子、分子のイオン化エネルギー である(この場合、通常イオン化エネルギーの方が値として大きい)。 [[金属]]では[[仕事関数]]と一致するが、[[半導体]]の場合は[[伝導帯]]の底から[[真空準位]]までのエネルギー差として定義されるため、[[フェルミエネルギー|フェルミ準位]]から真空準位までのエネルギー差として定義される仕事関数とは異なる値になる。 '''負の電子親和力'''(←表面系の場合) :[[表面]]系において、表面の電子状態が半導体的([[バンドギャップ]]が存在)である場合、真空準位が伝導帯の底より低い位置に存在する場合があり得る。この場合、[[価電子帯]]から伝導帯へ励起された電子は、そのまま何の障害もなく真空準位へ遷移することができる。つまり、室温或いはそれより低い温度(による励起)で、表面から(伝導帯に励起された)電子が真空中へ放出されていく。これを'''負の電子親和力'''({{en|negative electron affinity}}、NEA、負の電子親和性)と言う。但し、これは仕事関数が負であることを意味しない。 NEAは、[[ダイヤモンド]]の表面系で観測の報告がある<ref>{{Cite journal |author3=八田章光 |author2=伊藤利道 |author1=平木昭夫 |date=1997-03-10 |title=負性電子親和力ダイヤモンド半導体 |url=https://doi.org/10.11470/oubutsu1932.66.235 |journal=応用物理 |volume=66 |issue=3 |pages=235–241 |language=ja |doi=10.11470/oubutsu1932.66.235 |issn=0369-8009}}</ref>。負の電子親和力が実現されると、低い温度で作動する[[冷陰極]][[真空管]]などに応用できる可能性があり注目されている<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.jst.go.jp/pr/announce/20121209-2/index.html |title=真空を利用したパワースイッチを開発 —ダイヤモンド半導体を使うことにより世界で初めて成功 |accessdate=2019-7-24 |publisher=科学技術振興機構、産業技術総合研究所、物質・材料研究機構 |website=科学技術振興機構 |date=2012-12-9 }}</ref>。 == 一覧 == {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller" |- ! !! 電子親和力(kJ/mol) !! 出典 |- ! [[水素]] | 72.8 || <ref name=LykkeH>Lykke K.R., Murray K.K. and Lineberger W.C. (1991). Threshold Photodetachment of H<sup>−</sup>. [[Physical Review A|''Phys. Rev. A'']] '''43''', 6104–7 {{DOI|10.1103/PhysRevA.43.6104}}.</ref> |- ! [[ヘリウム]] | -48 || <ref name=Bratsch>Bratsch S.G. and Lagowski J.J. (1986). Predicted stabilities of monatomic anions in water and liquid ammonia at 298.15 K. ''Polyhedron'' '''5''':1763–1770 {{DOI|10.1016/S0277-5387(00)84854-8}}.</ref> |- ! [[リチウム]] | 59.6326 || <ref name=HaefflerLi>Haeffler G., Hanstorp D., Kiyan I., Klinkmüller A.E., Ljungblad U. and Pegg D.J. (1996a). Electron affinity of Li: A state-selective measurement. ''Phys. Rev. A'' '''53''':4127–31 {{DOI|10.1103/PhysRevA.53.4127}}.</ref> |- ! [[ベリリウム]] | -50 || <ref name=Bratsch /> |- ! [[ホウ素]] | 26.989 || <ref name=ScheerBCs>Scheer M., Bilodeau R.C. and Haugen H.K. (1998). Negative ion of boron: An experimental study of the <sup>3</sup>''P'' ground state. ''Phys. Rev. Lett.'' '''80''':2562–65 {{DOI|10.1103/PhysRevLett.80.2562}}.</ref> |- ! [[炭素]] | 121.78 || <ref name=BresteauC>Bresteau D., Drag C. and Blondel C. (2016). Isotope shift of the electron affinity of carbon measured by photodetachment microscopy. ''Phys. Rev. A'' '''93''' 013414 {{DOI|10.1103/PhysRevA.93.013414}}.</ref> |- ! [[窒素]] | -0.07 || <ref name=Bratsch /> |- ! [[酸素]] | 141 |- ! [[フッ素]] | 328 |- ! [[ネオン]] | -116 |- ! [[ナトリウム]] | 53 |- ! [[マグネシウム]] | <0 |- ! [[アルミニウム]] | 43 |- ! [[珪素|ケイ素]] | 134 |- ! [[リン]] | 72 |- ! [[硫黄]] | 200 |- ! [[塩素]] | 349 |- ! [[アルゴン]] | -96 |- ! [[カリウム]] | 48 |- ! [[カルシウム]] | 2 |- ! [[スカンジウム]] | 18 |- ! [[チタン]] | 8 |- ! [[バナジウム]] | 51 |- ! [[クロム]] | 64 |- ! [[マンガン]] | < 0 |- ! [[鉄]] | 15 |- ! [[コバルト]] | 64 |- ! [[ニッケル]] | 112 |- ! [[銅]] | 119 |- ! [[亜鉛]] | < 0 |- ! [[ガリウム]] | 41 |- ! [[ゲルマニウム]] | 119 |- ! [[ヒ素]] | 79 |- ! [[セレン]] | 195 |- ! [[臭素]] | 324 |- ! [[クリプトン]] | -96 |- ! [[ルビジウム]] | 47 |- ! [[ストロンチウム]] | 5 |- ! [[イットリウム]] | 30 |- ! [[ジルコニウム]] | 41 |- ! [[ニオブ]] | 86 |- ! [[モリブデン]] | 72 |- ! [[テクネチウム]] | 53 |- ! [[ルテニウム]] | 101 |- ! [[ロジウム]] | 110 |- ! [[パラジウム]] | 54 |- ! [[銀]] | 126 |- ! [[カドミウム]] | < 0 |- ! [[インジウム]] | 39 |- ! [[スズ]] | 107 |- ! [[アンチモン]] | 101 |- ! [[テルル]] | 190 |- ! [[ヨウ素]] | 295 |- ! [[キセノン]] | -77 |- ! [[セシウム]] | 46 |- ! [[バリウム]] | 14 |- ! [[ランタン]] | 48 |- ! [[セリウム]] | 92 |- ! [[プラセオジム]]から[[エルビウム]]まで | |- ! [[ツリウム]] | 99 |- ! [[イッテルビウム]] | |- ! [[ルテチウム]] | 33 |- ! [[ハフニウム]] | 2 |- ! [[タンタル]] | 31 |- ! [[タングステン]] | 79 |- ! [[レニウム]] | 14 |- ! [[オスミウム]] | 104 |- ! [[イリジウム]] | 150 |- ! [[白金]] | 205 |- ! [[金]] | 223 |- ! [[水銀]] | < 0 |- ! [[タリウム]] | 36 |- ! [[鉛]] | 35 |- ! [[ビスマス]] | 91 |- ! [[ポロニウム]] | 183 |- ! [[アスタチン]] | 270 |- ! [[ラドン]] | < 0 |- ! [[フランシウム]] | 47 |- ! [[ラジウム]] | 10 |- ! [[アクチニウム]] | 34 |- ! [[トリウム]]から[[オガネソン]] | |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[電気陰性度]] * [[量子化学]] * [[物性物理学]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:てんししんわりよく}} [[Category:電子]] [[Category:原子]] [[Category:分子]] [[Category:分子物理学]]
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6,703
NaCl (曖昧さ回避)
NaCl
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "NaCl", "title": null } ]
NaCl 塩化ナトリウムの化学式 Google Native Clientの略称 ネットワーク応用通信研究所(島根県松江市)の略称 NaCl (ソフトウェア) - パブリックドメインのセキュア通信、暗号化、復号及びデジタル署名のための高速なライブラリ
'''NaCl''' * [[塩化ナトリウム]]の化学式 * [[Google Native Client]]の略称 * [[ネットワーク応用通信研究所]]([[島根県]][[松江市]])の略称 * [[NaCl (ソフトウェア)]] - [[パブリックドメイン]]の[[セキュア通信]]、[[暗号化]]、復号及び[[デジタル署名]]のための高速な[[ライブラリ]] {{aimai}}
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6,705
放射能
放射能(、英: Radioactivity)とは、放射性同位元素が放射性崩壊を起こして別の元素に変化する性質(能力)を言う。なお、放射性崩壊に際しては放射線の放出を伴う。 放射能は、単位時間に放射性崩壊する原子の個数(単位:ベクレル [Bq])で計量される。 なお、ある元素の同位体の中で放射能を持つ元素を表す場合は「放射性同位体」、それらを含む物質を表す場合は「放射性物質」と呼ぶのが適切である。 すべての物質は原子から構成される。さらに原子は負電荷を持つ電子と正電荷をもつ原子核からなる。原子核の種類を核種というが、核種によってはその量子力学的バランスの不釣り合いから、放射線(α線、β線、γ線など)を放出して放射性崩壊と呼ばれる崩壊現象を起こして他の核種に変化することがある。そのような放射線を放出して放射性崩壊を起こす性質のことを放射能 (radioactivity) と呼ぶ。 元素の同位体で放射能を持つものを「放射性同位体」と呼び、放射性同位体を含む物質を「放射性物質」と呼ぶ。しかし、一般には放射能をもつあらゆるもの(同位体や物質、核種、放射線など)に対する総称として、表現としては不適切と承知の上で使用されたり、不適切であることを知らないまま使用されたりもする。 放射性崩壊(Radioactive decay)によって放出された粒子や電磁波は高いエネルギーを持つ。このエネルギーは崩壊エネルギーと呼ばれる。崩壊エネルギーは最終的に熱エネルギーに変質する。 一般に放射性物質の単位時間あたりに放射性崩壊する原子の個数(放射性崩壊の速さ)を、その放射性物質の放射能(activity)と呼び、単位としてはベクレル(Bq [s])が用いられる。またベクレル以前に用いられていた単位であり、現在補助単位として用いられているキュリー (Ci) と呼ばれる単位もある。 放射能(ベクレル)を直接測定することは難しいので、測定対象物から発する放射線の数やエネルギーを測定して、間接的に放射性物質の量(ベクレルと質量は対応する。比放射能も参照)を求める方法を採ることが多い。 放射線を浴びることを被曝という。被曝線量によっては放射線障害と呼ばれる影響が身体に現れることがある。被曝は大きく外部被曝と内部被曝に分類される。外部被曝を防ぐには、遮蔽、距離、被曝時間が重要である。
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放射能(ほうしゃのう、とは、放射性同位元素が放射性崩壊を起こして別の元素に変化する性質を言う。なお、放射性崩壊に際しては放射線の放出を伴う。 放射能は、単位時間に放射性崩壊する原子の個数で計量される。 なお、ある元素の同位体の中で放射能を持つ元素を表す場合は「放射性同位体」、それらを含む物質を表す場合は「放射性物質」と呼ぶのが適切である。
{{Otheruses||[[クラフトワーク]]の[[アルバム]]|放射能 (アルバム)}} {{出典の明記|date=2021年3月}} [[File:Radioactive.svg|thumb|right|150px|{{center|放射性標識}} {{smaller|放射線が発生している場所、例えば[[病院]]や[[診療所]]のレントゲン撮影室などには、上図のような放射性標識(産業安全標識では放射能標識とされている)が表示される。3つの葉は、アルファ線、ベータ線、ガンマ線を意味している。なお、[[Unicode]]にはU+2622に放射性標識がある :}}<br /> <span class="Unicode" style="font-size:200%;border:solid 1px">&#x2622;</span>]] {{読み仮名|'''放射能'''|ほうしゃのう|{{lang-en-short|Radioactivity}}}}とは、[[放射性同位体|放射性同位元素]]が[[放射性崩壊]]を起こして別の元素に変化する性質(能力)を言う<ref>[[#草間(2007)|草間(2007)]] p.&nbsp;99.</ref>。なお、放射性崩壊に際しては[[放射線]]の放出を伴う。 放射能は、単位時間に[[放射性崩壊]]する原子の個数(単位:[[ベクレル]] [Bq])で計量される。 なお、ある元素の[[同位体]]の中で放射能を持つ元素を表す場合は「[[放射性同位体]]」、それらを含む物質を表す場合は「[[放射性物質]]」と呼ぶのが適切である{{efn|日常会話やマスコミ等において「放射能を浴びる」「放射能に汚染される」などの誤用が一般に定着し常用されている。ここでいう「放射能を浴びる」とは放射性物質から放出される放射線を浴びることを意味し、「放射能に汚染される」とは放射性物質に汚染される事を意味している。}}。 == 概要 == [[File:Becquerel plate.jpg|250px|thumb|right|<small>[[アンリ・ベクレル|ベクレル]]が偶然近くに置いたウラン鉱石が写真乾板を感光させたことによって、放射能は発見された。乾板とウラン鉱石の間にあった金属製[[マルタ十字]]シンボルが偶然感光して映り込んでいるのも見て取れる。</small>]] すべての物質は[[原子]]から構成される。さらに原子は[[負電荷]]を持つ電子と正電荷をもつ[[原子核]]{{efn|なお、原子核は電気的に中性な中性子と正電荷を持つ陽子からなる。中性子と陽子を合わせて核子と呼ぶ。}}からなる。原子核の種類を[[核種]]という{{efn|あくまで原子核の種類を核種というのであって、単に核種といった場合は放射能を持たない[[安定同位体]]も含まれている<ref>J.E.BRADY・G.E.HUMSTON著 『ブラディ一般化学 下』若山信行・一国雅巳・大島泰郎訳、東京化学同人、1992年、863頁。ISBN 4-8079-0348-9</ref>。}}が、核種によってはその量子力学的バランスの不釣り合いから、放射線(α線、β線、γ線など)を放出して[[放射性崩壊]]と呼ばれる崩壊現象を起こして他の核種に変化することがある。そのような放射線を放出して放射性崩壊を起こす性質のことを'''放射能''' (radioactivity) と呼ぶ{{efn|ウランやトリウムといった自然界に存在している原子核の放射能を天然放射能といい、核爆発や原子炉などの核反応で人工的に作り出されたプルトニウムやセシウムの一部の同位体などの放射能を人工放射能ということもある<ref name="rika"> 長倉三郎ほか編、『[https://www.iwanami.co.jp/book/b256607.html 岩波理化学辞典] 』、岩波書店、1998年、項目「放射能」より。ISBN 4-00-080090-6</ref>。}}{{efn|1896年に[[アンリ・ベクレル]]により発見され、[[マリ・キュリー]]により命名された<ref name="buturi">物理学辞典編集委員会編、『物理学辞典三訂版』、培風館、2005年、項目「放射能」より。ISBN 4-563-02094-X</ref>。}}。 元素の同位体で放射能を持つものを「[[放射性同位体]]」と呼び、放射性同位体を含む物質を「[[放射性物質]]」と呼ぶ。しかし、一般には放射能をもつあらゆるもの(同位体や物質、核種、放射線など)に対する総称として、表現としては不適切と承知の上で使用されたり、不適切であることを知らないまま使用されたりもする。 == 放射性崩壊 == 放射性崩壊(Radioactive decay)によって放出された粒子や電磁波は高いエネルギーを持つ。このエネルギーは[[崩壊エネルギー]]と呼ばれる。崩壊エネルギーは最終的に熱エネルギーに変質する{{efn|[[原子力電池]]ではこの熱エネルギーを電気エネルギーに転換して利用する。}}。 === 放射性崩壊の速さとしての放射能 (activity) とその単位 === 一般に[[放射性物質]]の単位時間あたりに[[放射性崩壊]]する原子の個数(放射性崩壊の速さ)を、その放射性物質の放射能(activity)と呼び、単位としては[[ベクレル]](Bq [s<sup>−1</sup>])が用いられる{{efn|放射能は壊変毎秒 (decay per second ; dps) または壊変毎分 (decay per minutes ; dpm) で表されることもある。}}{{efn|放射能研究の当初は標準単位がなく[[アーネスト・ラザフォード]]も独自の単位を使用していた。そこで、標準となる単位の必要性を感じていたラザフォード自身が基準委員会の委員長となり、1910年の第一回国際放射線学会にて 1 g の[[ラジウム]]が持つ放射能を単位とした1キュリー (Ci) が定義された。その後、1974年にSI単位として国際度量衡総会でベクレルを採択し1975年から国際標準として用いられている。日本においては法改正がなされた1989年からベクレルが公式使用されている。}}。またベクレル以前に用いられていた単位であり、現在補助単位として用いられている[[キュリー]] (Ci) と呼ばれる単位もある。 {{details|半減期#放射能 (activity)}} ;ベクレル (Bq) :放射性物質が1秒間当たりに崩壊する'''原子の個数''' (d/sec) の単位を'''ベクレル'''(記号:Bq)と言う{{efn|たとえば、ある物質が 1 Bq の放射能を持つとは'''毎秒 1 個の原子'''が放射性崩壊により崩壊しているということである。}}{{efn|1 kg あたりの放射能として[[比放射能]]という目安もある。 {{details|比放射能}}}}。毎秒壊変(崩壊)数 (dps ; decay per second) などとも呼ばれていた{{efn|ただし、原子核が崩壊する時に放射線を放射するが、1個の原子核が崩壊するときに1個の放射線が出てくるとは限らない。さらには、出てくる放射線の種類やエネルギーなどの確率が異なることがある。この確率を分岐比という<ref>大塚徳勝・西谷源展 『Q&A放射線物理 改訂新版』、共立出版、2007年、152-155頁。ISBN 978-4-320-03453-2</ref>。}}{{efn|1=なお、ある物質が 1 モル (mol) だけあれば、それを構成する分子の個数は[[アボガドロ定数]] N<sub>A</sub> = 6.02214129 × 10<sup>23</sup> 個である。}}。 {{details|ベクレル}} ;キュリー (Ci)(補助単位、旧単位) :歴史的な理由から、放射性物質である[[ラジウム]] 1 g が1秒間に崩壊する原子の個数(d/sec , Bq)をもとに定められた放射能の単位をキュリー(記号:Ci)と言う{{efn|ただし、毎秒370億個のラジウム原子が崩壊(3.7×10<sup>10</sup>Bq)してアルファ粒子を放出するという値は古い値であり、現代における正確な値は3.61×10<sup>10</sup>Bq である。そのため、放射能の単位としてのキュリー (Ci) と放射性物質のラジウムの間に直接の関係はなくなってしまった。<ref>[[#Ray(1955)|原子核工学(1955)]] p.&nbsp;23.</ref>}}。1Ci(キュリー)はベクレル (Bq) を元に以下のように定められる。 ::1 Ci = 3.7×10<sup>10</sup> Bq (370億ベクレル) :また、1ベクレルは2.7×10<sup>−11</sup>キュリーである<ref name="buturi3">大塚徳勝・西谷源展 『Q&A放射線物理 改訂新版』、共立出版、2007年、152-155頁。ISBN 978-4-320-03453-2</ref>。なお、キュリーは現在でも補助単位として使用されている。 {{details|キュリー}} == 放射能の測定 == 放射能(ベクレル)を直接測定することは難しいので、測定対象物から発する[[放射線]]の数やエネルギーを測定して、間接的に放射性物質の量(ベクレルと質量は対応する。[[比放射能]]も参照)を求める方法を採ることが多い。 * α線の測定には、液体シンチレーションカウンタや[[硫化亜鉛]][[シンチレーション検出器]]、[[半導体検出器]]<ref>{{Cite web|和書|url =http://isotope.c-technol.co.jp/products/syahei/alpha.html|title =アルファちゃん|accessdate=2012-10-22|deadlinkdate=2018年10月}}</ref>が用いられる。 * γ線の測定には、[[半導体検出器#ゲルマニウム半導体検出器|Ge半導体検出器]]や[[ヨウ化ナトリウム|NaI]]シンチレーションカウンタが用いられる。 * 表面汚染を検出するには、[[ガイガーカウンター|ガイガー=ミュラー検出器]]が用いられる。 == 放射線障害とその防護 == 放射線を浴びることを[[被曝]]という。被曝線量によっては放射線障害と呼ばれる影響が身体に現れることがある。被曝は大きく外部被曝と内部被曝に分類される。外部被曝を防ぐには、遮蔽、距離、被曝時間が重要である{{efn|放射線障害を防止するため、法令により、人体が被曝する放射線の量([[線量]])に限度が設けられており、放射性物質を取り扱う場合はこの値を超えないようにする必要がある。また放射性物質を取扱う施設の仕様、放射性物質の購入・保管・廃棄の管理、汚染の管理、管理被服や[[放射線防護服]]、保護具の着用も法令や施設の内規で定められている。 }}。 {{see also|放射線#放射線障害とその防護|放射線障害|被曝}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * {{cite book | 和書 | title=放射線・アイソトープ 講義と実習 | editor=日本アイソトープ協会(編) | publisher=丸善 | year=1992 | ref=アイソトープ協会 }} * {{cite book | 和書 | title=原子核工学 | author=Raymond L.Murray | editor=杉本 朝雄(訳) | publisher=丸善 | year=1955 | ref=Ray(1955) }} * {{cite book | 和書 | title=看護実践に役立つ放射線の基礎知識―患者と自分をまもる15章 | year=2007 | editor=草間 朋子(編) | publisher=医学書院 | ref=草間(2007) }} == 関連項目 == {{div col}} * [[半減期]] * [[放射能の比較]] * [[放射線]] * [[被曝]] * [[放射線障害]] * [[広島市への原子爆弾投下 ]] * [[長崎市への原子爆弾投下 ]] {{div col end}} {{放射線}} {{核技術}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ほうしやのう}} [[Category:放射能|*]] [[Category:原子力]] [[Category:素粒子物理学]] [[Category:原子核物理学]] [[Category:物質の性質]] [[Category:ピエール・キュリー]] [[Category:マリ・キュリー]]
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水素爆弾
水素爆弾(、英: hydrogen bomb)または熱核兵器(、英: thermonuclear weapon)あるいは水爆()とは、重水素および三重水素(トリチウム)の熱核反応を利用した核兵器をいう。 なお、ここでいう「水素」とは普通の水素(軽水素)のことではなく、水素の同位体である重水素と三重水素を示している。また、21世紀においても核融合反応のみを用いた純粋水爆は開発されておらず、核分裂反応を併用している。 原子爆弾(核分裂兵器)は強力な兵器であるが、核分裂反応の性質上、ウラン235(U)やプルトニウム239(Pu)をどんなに増やしても、最大でも広島・長崎級原爆の10倍程度に留まる爆発エネルギーしか得られない。 核分裂兵器の多くは爆縮レンズと呼ばれる装置で、プルトニウムやウランの塊(ピット)を中心方向に向かって瞬間的に圧縮させることで核分裂の連鎖反応を生じさせる臨界状態へと到達させる「インプロージョン型」という方式が採用されているが、これは使用するウランやプルトニウムといった核分裂性物質の使用量を増やして大型化させるにつれて、爆縮時の不安定性が大きくなりやすいという問題がある。代表的なものとしてはレイリー・テイラー不安定性が挙げられるが、これによって衝撃波が歪になり十分な核爆発を引き起こせない事に繋がる。 それに対して、熱核反応(核融合反応)はそれを起こす物質を追加すればいくらでもエネルギーを増加させることができるという特徴を持つ。そのため、特に二重水素・三重水素の熱核反応(D-T反応、D-D反応)を利用することで、広島・長崎級原爆の数十倍 -数百倍の爆発エネルギーを持たせた核兵器が開発できると見込まれていた。 この水素爆弾における核融合反応というのは、原子爆弾の核分裂による爆発を用いて引き起こされ、その投入した熱エネルギー以上の莫大な熱エネルギーを出力させることを目的としている。単に核融合反応を起こすだけであれば原子核の電気的な斥力を突破できる条件(ローソン条件)を満たすエネルギーを投入すれば良いが、投入した以上の熱エネルギーを得るための条件としては、核融合反応で生じたエネルギーでさらに核融合反応を持続させる「自己点火条件」まで到達させなければならない。 実際、原爆開発技術を独占していた米国において、原爆保有国となったソ連に対抗するため、トルーマン大統領によって製造命令が下されたのが、原爆を起爆装置として重水素を熱核反応させる水素爆弾(hydrogen bomb)である。 初期の装置は核融合燃料として液体の重水素を用いていた。重水素を液体に保つには極低温状態を維持しなければならず、そのための装置が極めて巨大であるため、爆撃機やミサイルに搭載することは不可能であり、実用化には至らなかった。 しかし、核融合燃料として常温で固体の重水素化リチウム(LiD)を用いることにより、実用化に至った。 原子爆弾を起爆装置として用い、核分裂反応で発生する放射線と超高温、超高圧を利用して、水素の同位体の重水素や三重水素()の核融合反応を誘発し莫大なエネルギーを放出させる。高温による核融合反応(熱核反応)を起こすことから「熱核爆弾」や「熱核兵器」とも呼ばれ、核出力は原爆をはるかに上回る。中性子爆弾や3F爆弾も水爆の一形態である。しかし、核融合反応による核出力の効率化は水爆1 tあたりTNT換算6メガトン(Mt)が理論上の限界であり、実際には起爆装置の原子爆弾などの重量も含まれるため効率はさらに低下するが、今のところ水素爆弾の威力の上限に限界は存在しないと考えられている。 第二次世界大戦後から現在に至る原爆開発競争に参加した国の中でも、水素爆弾を兵器として実用化したのは国際連合の常任理事国であるアメリカ合衆国と旧ソビエト連邦(ソ連、現ロシア)、イギリス、フランス、中華人民共和国のみであるが、2016年になって朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が開発に成功したと主張している。 第二次世界大戦末期のマンハッタン計画後、アメリカ合衆国でエドワード・テラー、スタニスワフ・ウラムらによって開発が進められ、1952年11月1日、エニウェトク環礁で人類初の水爆実験、アイビー作戦(Operation Ivy)が実施された。この作戦で米国はマイク(Mike)というコードネームで呼ばれる水爆の爆発実験に成功した。マイクの核出力は10.4メガトン(Mt)であったが、常温常圧(例えば25°C、1気圧)では気体である重水素や三重水素を零下200度以下に冷却液化しなければならないため、そうした大規模な装置類の付属により、重量は65トンに及び、実用兵器には程遠いものであった。 ところが、翌1953年、ソビエト連邦が重水素などの熱核材料をリチウムと化合させて重水素化リチウム(固体)として用いた水爆の実験(RDS-6)に成功した(実際には水爆ではなかったといわれている)。この型では大掛かりな付属装置が不要なため水爆を小型軽量化できた。その後米国も熱核材料をリチウムで固体化した乾式水爆テラー・ウラム型を完成。1954年、キャッスル作戦(Operation Castle)が実施された。作戦の一つ、大幅な小型化を試みたブラボー(Bravo)実験の成功により、小型化の成功が確認された。 さらに米ソ両国で核実験が続けられ1955年から1956年には爆撃機にも搭載可能になり核兵器における威力対重量比が格段に増大する結果となった。いわゆるメガトン級核兵器の登場である。中華人民共和国は1967年6月17日に3.3メガトン(Mt)の最初の水爆実験に成功している。1976年11月17日には4メガトン(Mt)の実験に成功している。この後中国では重水生産工場の運転が開始されている。 2016年1月6日には、朝鮮民主主義人民共和国が4回目の核実験で水素爆弾の実験に初めて成功したと発表した。 水爆の構造は重要な軍事機密であるため公表されていないが、以下のようであろうと推測されている。 一端が丸い円筒形や回転楕円体をした弾殻内の丸い側や焦点に核分裂装置、つまり原子爆弾が置かれる。円筒部分か、もう一方の焦点には、外層にタンパーとしてウラン238(U)、中間層に核融合物質としての重水素化リチウム、中心に更なる核分裂反応源としてのプルトニウム239(Pu)よりなる3層の物質が置かれる。弾殻は放射線の反射材として機能させるために、ベリリウム(Be)、ウラン、タングステン(W)などが使用され、特にこの部分にUやウラン235(U)を分厚く使用したものが3F爆弾と呼ばれるさらに発生エネルギーを高めた核爆弾である。核融合部分と弾殻の間はポリスチレン等が詰められる。 原子爆弾が起爆されると、その核反応により放出された強力なX線とガンマ線、中性子線が直接に、または弾殻の球面に反射して、もう一方の核融合部分に照射される。照射されたX線は核融合物質周辺のスチレン重合体などを瞬時にプラズマ化させ、高温高圧となって円筒部の中心に位置する3層の核融合装置を圧縮する。ウラン238(U)が促進効果で核融合物質としての重水素化リチウムを中心へ圧縮する。中心軸のスパークプラグのプルトニウム239(Pu)も圧縮され、Puが核分裂反応を開始することで中心部からも重水素化リチウムを圧縮する。 超高温超高密度に圧縮された重水素化リチウムはやがてローソン条件(英語版)を満たし、核融合反応を起こす。加えて、核融合によって放たれた高速中性子がウラン合金製のタンパーに到達し、さらなる核分裂反応も発生する。これらの反応により、核爆発が発生する。核融合装置を多段化することにより、核出力の拡大が図られる。 核融合爆弾の主なエネルギー源となるのは重水素と三重水素である。重水素は自然界の水の中に5000分の1の割合で含まれており抽出が比較的容易であり、三重水素の原料となるリチウムも入手が容易である。水爆では、まず起爆薬としての原爆により高温高圧の環境を作り、中性子によるウランの反応も関与して、重水素とリチウムの混合物の核融合を導くという2段階の方法をとる。この水素爆弾で使われる核融合物質は熱核材料と呼ばれる。 重水素と共に用いられるリチウムが、原爆から発生する中性子により三重水素に核種変化するので、重水素化リチウムを使用した水爆では三重水素は不要になる。リチウムの原子核に中性子を当てるとヘリウム4(He)と三重水素の原子核が形成される。 原爆から発したX線は光速度で熱核材料に達して加熱圧縮するので、中性子の到達までに核融合が始まってしまってリチウムが三重水素に変化する時間がないのではないかという考えがある。加熱圧縮の材料に密度の極めて低いスチレン重合体を使う点に答えがあるかもしれない。あるいは、原爆からの中性子ではなく融合燃料の慣性圧縮から生じるD-D反応より生成した中性子を元にD-T反応が誘発されるので、融合燃料の点火自体には三重水素は不要ではないかという意見もあり真相ははっきりしていない。 水爆が戦争において使用された例はない。しかし、1952年のアイビー作戦による実験以降も世界各地で大規模な核実験(水爆実験)が数多く行われ、偶発的に遭遇した第三者や環境への被害が広がった。その代表的な事件として、1954年3月1日にビキニ環礁で行なわれた前述のキャッスルブラボー実験の際に、日本の第五福竜丸を含む漁船数百隻が被曝したものがある。 1963年に調印された部分的核実験禁止条約(PTBT)によって、水爆を含め大気圏・宇宙空間・水中での核実験は禁止されたが、以後もPTBTで禁止されなかった地下核実験はたびたび行なわれた。1996年には地下核実験禁止を含む包括的核実験禁止条約(CTBT)が国連で採択されたが、2016年現在も発効しておらず、未批准国などによる核実験も行われている。 歴史上最大の威力の水爆は旧ソビエト連邦のRDS-220「ツァーリ・ボンバ」と呼ばれるもので50メガトン(Mt;広島型原爆の約3,300倍、第二次世界大戦で使用された全爆薬の10倍)の核出力を誇った(本来の設計上は100Mtを超えていたが、自国の環境に配慮して威力を抑えたといわれている)。この爆弾は長さ8m、直径2m、重さ27tと巨大な物で、専用改修を受けたTu-95爆撃機に搭載され、1961年10月30日にノヴァヤゼムリャ島の上空約4,000mで炸裂した。爆発による衝撃波が地球を3周したことが観測されたということからも、その威力の大きさが窺える。 この爆弾は米ソ間の軍拡競争の産物であり、実際には量産されなかった。また爆弾自体も大きすぎたために実用的でなく、実戦配備することよりむしろ、西側への威嚇および水爆実験が主な目的であった。 原爆を起爆剤に使用しない純粋水爆、いわゆる「きれいな水爆」の研究が1952年からアメリカ合衆国で行われたが、1992年に米国は純粋水爆の開発を事実上断念し、研究データを公開した。これは起爆に原爆を使用しないため、核分裂反応による放射性降下物(フォールアウト)が生成されず、残留放射能が格段に減るという仕組みである。但し、起爆時の核反応でα, β, γおよび中性子線などの放射線、核融合やその燃え残りで生じた水素などの放射性同位体は少なからず放出される。2015年現在、米国ローレンス・リバモア国立研究所にある実験施設「国立点火施設」でレーザーによる核融合が、またロシアの核研究施設アルザマス16では磁場による核融合(Z-ピンチ方式)がそれぞれ研究されているが、2016年時点ではこの種の兵器の開発は成功していない。
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水素爆弾(すいそばくだん、または熱核兵器(ねつかくへいき、あるいは水爆とは、重水素および三重水素の熱核反応を利用した核兵器をいう。 なお、ここでいう「水素」とは普通の水素のことではなく、水素の同位体である重水素と三重水素を示している。また、21世紀においても核融合反応のみを用いた純粋水爆は開発されておらず、核分裂反応を併用している。
{{混同|原子爆弾|水素爆発}} {{Pathnav|核兵器|核爆弾|frame=1}} {{出典の明記|date=2011年3月}} [[ファイル:IvyMike2.jpg|right|thumb|300px|1952年11月1日、人類初の水爆実験である[[アイビー作戦]] ]] {{読み仮名|'''水素爆弾'''|すいそばくだん|{{lang-en-short|hydrogen bomb}}}}または{{読み仮名|'''熱核兵器'''|ねつかくへいき|{{lang-en-short|thermonuclear weapon}}}}あるいは{{読み仮名|'''水爆'''|すいばく}}とは、[[重水素]]および[[三重水素]]([[トリチウム]])の[[核融合反応|熱核反応]]を利用した[[核兵器]]をいう。 なお、ここでいう「'''水素'''」とは普通の[[水素]]([[軽水素]])のことではなく、水素の[[同位体]]である[[重水素]]と[[三重水素]]を示している。また、21世紀においても[[核融合反応]]'''のみ'''を用いた'''[[純粋水爆]]'''は開発されておらず、[[核分裂反応]]を併用している。 == 概要 == [[原子爆弾]](核分裂兵器)は強力な[[兵器]]であるが、[[核分裂反応]]の性質上、[[ウラン]]235(<sup>235</sup>U)や[[プルトニウム]]239(<sup>239</sup>Pu)をどんなに増やしても、最大でも[[広島原爆|広島]]・[[長崎原爆|長崎]]級原爆{{refnest|group="注釈"|[[トリニトロトルエン|TNT]]火薬で[[TNT換算|換算]]して約20[[キロトン]] (kt) 相当爆発エネルギーを発生させる[[原子爆弾]]を、広島・長崎級原爆と呼ぶ。また特に、軍事関連では標準原爆とも呼ばれる<ref>[[水素爆弾#長崎(1998) |長崎(1998)]] p.37</ref>。}}の10倍程度に留まる爆発エネルギーしか得られない<ref>[[#武谷著作集3|武谷著作集3]] p.276</ref>。 核分裂兵器の多くは爆縮レンズと呼ばれる装置で、プルトニウムやウランの塊(ピット)を中心方向に向かって瞬間的に圧縮させることで核分裂の連鎖反応を生じさせる[[臨界状態]]へと到達させる「インプロージョン型」という方式が採用されているが、これは使用するウランやプルトニウムといった核分裂性物質の使用量を増やして大型化させるにつれて、爆縮時の不安定性が大きくなりやすいという問題がある。代表的なものとしては[[レイリー・テイラー不安定性]]が挙げられるが、これによって衝撃波が歪になり十分な核爆発を引き起こせない事に繋がる。 それに対して、熱核反応([[核融合反応]])はそれを起こす物質を追加すればいくらでもエネルギーを増加させることができるという特徴を持つ。そのため、特に[[二重水素]]・[[三重水素]]の熱核反応(D-T反応、D-D反応)を利用することで、広島・長崎級原爆の数十倍 -数百倍の爆発エネルギーを持たせた核兵器が開発できると見込まれていた。 この水素爆弾における核融合反応というのは、原子爆弾の核分裂による爆発を用いて引き起こされ、その投入した熱エネルギー以上の莫大な熱エネルギーを出力させることを目的としている。単に核融合反応を起こすだけであれば原子核の電気的な斥力を突破できる条件([[ローソン条件]])を満たすエネルギーを投入すれば良いが、投入した以上の熱エネルギーを得るための条件としては、核融合反応で生じたエネルギーでさらに核融合反応を持続させる「[[エネルギー増倍率|自己点火条件]]」まで到達させなければならない。 実際、原爆開発技術を独占していた米国において、原爆保有国となったソ連に対抗するため、[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]大統領によって製造命令が下されたのが、原爆を起爆装置として重水素を熱核反応させる'''水素爆弾'''(hydrogen bomb)である。 初期の装置は核融合燃料として液体の重水素を用いていた。重水素を液体に保つには極低温状態を維持しなければならず、そのための装置が極めて巨大であるため、爆撃機やミサイルに搭載することは不可能であり、実用化には至らなかった。 しかし、核融合燃料として常温で固体の重水素化[[リチウム]](LiD)を用いることにより、実用化に至った<ref group="注釈">二重水素化リチウムは常温で固体であることから、液体重水素を用いる湿式水爆に対比して乾式水爆とも呼ばれていた。</ref>。 [[原子爆弾]]を[[起爆装置]]として用い、[[核分裂反応]]で発生する[[放射線]]と超高温、超高圧を利用して、水素の同位体の[[重水素]]や{{読み仮名|[[三重水素]]|トリチウム}}の核融合反応を誘発し莫大な[[エネルギー]]を放出させる<ref group="注釈">そのため必ずウラン235またはプルトニウム239の臨界量以上の重量がある。</ref>。高温による核融合反応(熱核反応)を起こすことから「熱核爆弾」や「熱核兵器」とも呼ばれ、[[核出力]]は原爆をはるかに上回る。[[中性子爆弾]]や[[3F爆弾]]も水爆の一形態である。しかし、核融合反応による核出力の効率化は水爆1 tあたり[[TNT換算]]6メガトン(Mt)が理論上の限界であり、実際には起爆装置の原子爆弾などの重量も含まれるため効率はさらに低下するが、今のところ水素爆弾の威力の上限に限界は存在しないと考えられている。 [[第二次世界大戦]]後から現在に至る原爆開発競争に参加した国の中でも、水素爆弾を兵器として実用化したのは[[国際連合]]の[[常任理事国]]である[[アメリカ合衆国]]と旧[[ソビエト連邦]](ソ連、現[[ロシア]])、[[イギリス]]、[[フランス]]、[[中華人民共和国]]のみであるが、2016年になって[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)が開発に成功したと主張している<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/world/20160106-OYT1T50061.html 北、「水爆実験を実施」と発表…朝鮮中央テレビ] 読売新聞 2016年01月06日13時55分 </ref>。 <!-- 英中仏の水爆保有状況をここに加筆していただくとありがたい。イスラエルの水爆のウワサは聞いたことが無いが開発していないと考えて良いかは自信がない。 --> == 開発の歴史 == [[File:Ivy Mike fireball.jpg|right|thumb|300px|米国の水爆実験アイビーマイク]] {{main|核実験の一覧}} [[第二次世界大戦]]末期の[[マンハッタン計画]]後、アメリカ合衆国で[[エドワード・テラー]]、[[スタニスワフ・ウラム]]らによって開発が進められ、[[1952年]][[11月1日]]、[[エニウェトク環礁]]で人類初の水爆実験、[[アイビー作戦]]([[:en:Operation Ivy|Operation Ivy]])が実施された。この作戦で米国はマイク(Mike)という[[コードネーム]]で呼ばれる水爆の爆発実験に成功した。マイクの核出力は10.4[[メガトン]](Mt)<ref group="注釈">1メガトン (Mt) は1,000キロトン (kt) 、つまり百万 t分の[[トリニトロトルエン|TNT]]爆薬が爆発したときに発するエネルギーに相当する核出力を意味する。[[広島市への原子爆弾投下|広島]]に投下された原爆の出力は15 kt、[[長崎市への原子爆弾投下|長崎]]のそれは20 ktであった。</ref>であったが、常温常圧(例えば25℃、1気圧)では[[気体]]である重水素や三重水素を零下200度以下に冷却液化しなければならないため、そうした大規模な装置類の付属により、重量は65[[トン]]に及び、実用兵器には程遠いものであった<ref group="注釈">[[気体]]のままでは[[密度]]が低く、核融合反応が起きない。</ref>。 ところが、翌[[1953年]]、ソビエト連邦が重水素などの熱核材料を[[リチウム]]と化合させて重水素化リチウム([[固体]])として用いた水爆の実験([[RDS-6]])に成功した(実際には水爆ではなかったといわれている)。この型では大掛かりな付属装置が不要なため水爆を小型軽量化できた。その後米国も熱核材料をリチウムで固体化した乾式水爆[[テラー・ウラム型]]を完成。[[1954年]]、[[キャッスル作戦]]([[:en:Operation Castle|Operation Castle]])が実施された。作戦の一つ、大幅な小型化を試みたブラボー(Bravo)実験の成功により、小型化の成功が確認された。 さらに米ソ両国で核実験が続けられ[[1955年]]から[[1956年]]には[[爆撃機]]にも搭載可能になり<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=amSkuTHMkGI&t=1041s 1956年ニュースハイライト(1956年(昭和31年)]</ref>核兵器における威力対重量比が格段に増大する結果となった。いわゆるメガトン級核兵器の登場である。[[中華人民共和国]]は[[1967年]][[6月17日]]に3.3メガトン(Mt)の最初の水爆実験に成功している。[[1976年]][[11月17日]]には4メガトン(Mt)の実験に成功している。この後中国では[[重水]]生産工場の運転が開始されている。<!-- 1966年5月9日の実験は水爆ではない。 --> [[2016年]][[1月6日]]には、[[朝鮮民主主義人民共和国]]が4回目の核実験で水素爆弾の実験に初めて成功したと発表した。 == 原理 == {{unreferenced|section=1|date=2016年1月6日 (水) 12:12 (UTC)}} {{Main|テラー・ウラム型}} [[Image:Teller-Ulam device 3D.svg|right|thumb|300px|エドワード・テラー(Edward Teller)とスタニスワフ・ウラム(Stanislaw Ulam)が水爆の基本的設計を行なった。その時の設計が'''[[テラー・ウラム型]]'''(Teller–Ulam configuration)として今も標準的な水爆の基本設計とされている。まず、図の上部の核分裂爆弾(原爆)を爆発させ、その高温高圧を利用して図の下部の水素リチウム核物質に核融合反応を起こさせる。核融合反応を足すことで核分裂反応に比べて1桁{{~}}3桁ほど大きなエネルギーが取り出せる。]] [[Image:W87-Mk.21 Thermonuclear Weapon.png|right|thumb|300px|アメリカ軍のMk.21再突入体と、その内部の[[W87 (核弾頭)|W87]]熱核弾頭の想像図。プライマリと呼ばれる右側の球形の原子爆弾が炸裂することで放出されるX線が、ホーラムと呼ばれる容器内で反射を繰り返し、セカンダリと呼ばれる左側の球形の核融合燃料を爆縮する。]] 水爆の構造は重要な軍事機密であるため公表されていないが、以下のようであろうと推測されている。 === 形状と配置 === 一端が丸い円筒形や[[回転楕円体]]をした弾殻内の丸い側や焦点に核分裂装置、つまり原子爆弾が置かれる。円筒部分か、もう一方の焦点には、外層にタンパーとして[[ウラン238]](<sup>238</sup>U)、中間層に核融合物質としての重水素化[[リチウム]]、中心に更なる核分裂反応源としての[[プルトニウム]]239(<sup>239</sup>Pu)よりなる3層の物質が置かれる。弾殻は放射線の反射材として機能させるために、[[ベリリウム]](Be)、ウラン、[[タングステン]](W)などが使用され、特にこの部分に<sup>238</sup>Uや[[ウラン235]](<sup>235</sup>U)を分厚く使用したものが[[3F爆弾]]と呼ばれるさらに発生エネルギーを高めた核爆弾である。核融合部分と弾殻の間は[[ポリスチレン]]等が詰められる。 === 第1段階:原子爆弾の起爆と核分裂による放射 === [[原子爆弾]]が起爆されると、その核反応により放出された強力な[[X線]]と[[ガンマ線]]、[[中性子]]線が直接に、または弾殻の球面に反射して、もう一方の核融合部分に照射される。照射されたX線は核融合物質周辺のスチレン重合体などを瞬時にプラズマ化させ、高温高圧となって円筒部の中心に位置する3層の核融合装置を圧縮する。ウラン238(<sup>238</sup>U)が促進効果で核融合物質としての重水素化[[リチウム]]を中心へ圧縮する。中心軸のスパークプラグの[[プルトニウム]]239(<sup>239</sup>Pu)も圧縮され、<sup>239</sup>Puが核分裂反応を開始することで中心部からも重水素化リチウムを圧縮する。 === 第2段階:核融合反応の発生 === 超高温超高密度に圧縮された重水素化リチウムはやがて{{仮リンク|ローソン条件|en|Lawson criterion}}を満たし、核融合反応を起こす。加えて、核融合によって放たれた高速中性子がウラン合金製のタンパーに到達し、さらなる核分裂反応も発生する。これらの反応により、核爆発が発生する。核融合装置を多段化することにより、核出力の拡大が図られる。 === 核反応物質 === 核融合爆弾の主なエネルギー源となるのは重水素と三重水素である。重水素は自然界の水の中に5000分の1の割合で含まれており抽出が比較的容易であり、三重水素の原料となるリチウムも入手が容易である。水爆では、まず起爆薬としての原爆により高温高圧の環境を作り、中性子によるウランの反応も関与して、重水素とリチウムの混合物の核融合を導くという2段階の方法をとる。この水素爆弾で使われる核融合物質は熱核材料と呼ばれる。 重水素と共に用いられるリチウムが、原爆から発生する中性子により三重水素に核種変化するので、重水素化リチウムを使用した水爆では三重水素は不要になる。リチウムの原子核に中性子を当てると[[ヘリウム]]4(<sup>4</sup>He)と三重水素の原子核が形成される。 === 核反応の疑問点 === {{言葉を濁さない|date=2023-01-24|section=1}} 原爆から発したX線は光速度で熱核材料に達して加熱圧縮するので、中性子の到達までに核融合が始まってしまってリチウムが三重水素に変化する時間がないのではないかという考えがある。加熱圧縮の材料に密度の極めて低いスチレン重合体を使う点に答えがあるかもしれない。あるいは、原爆からの中性子ではなく融合燃料の慣性圧縮から生じる[[核融合エネルギー|D-D反応]]より生成した中性子を元に[[核融合エネルギー|D-T反応]]が誘発されるので、融合燃料の点火自体には三重水素は不要ではないかという意見もあり真相ははっきりしていない。 == 開発 == === 被害 === 水爆が[[戦争]]において使用された例はない。しかし、1952年の[[アイビー作戦]]による実験以降も世界各地で大規模な[[核実験]](水爆実験)が数多く行われ、偶発的に遭遇した第三者や環境への被害が広がった。その代表的な事件として、[[1954年]][[3月1日]]に[[ビキニ環礁]]で行なわれた前述のキャッスルブラボー実験の際に、日本の[[第五福竜丸]]を含む漁船数百隻が[[被曝]]したものがある。 [[1963年]]に調印された[[部分的核実験禁止条約]](PTBT)によって、水爆を含め大気圏・宇宙空間・水中での核実験は禁止されたが、以後もPTBTで禁止されなかった[[地下核実験]]はたびたび行なわれた。[[1996年]]には地下核実験禁止を含む[[包括的核実験禁止条約]](CTBT)が[[国際連合|国連]]で採択されたが、2016年現在も発効しておらず、未批准国などによる核実験も行われている。 === 史上最大のもの === {{Main|ツァーリ・ボンバ}} 歴史上最大の威力の水爆は旧ソビエト連邦のRDS-220「[[ツァーリ・ボンバ]]」と呼ばれるもので50メガトン(Mt;広島型原爆の約3,300倍、第二次世界大戦で使用された全爆薬の10倍)の核出力を誇った(本来の設計上は100Mtを超えていたが、自国の環境に配慮して威力を抑えたといわれている)。この爆弾は長さ8m、直径2m、重さ27tと巨大な物で、専用改修を受けた[[Tu-95 (航空機)|Tu-95爆撃機]]に搭載され、[[1961年]][[10月30日]]に[[ノヴァヤゼムリャ]]島の上空約4,000mで炸裂した。爆発による衝撃波が[[地球]]を3周したことが観測されたということからも、その威力の大きさが窺える。 この爆弾は米ソ間の[[軍備拡張競争|軍拡競争]]の産物であり、実際には量産されなかった。また爆弾自体も大きすぎたために実用的でなく、実戦配備することよりむしろ、西側への威嚇および水爆実験が主な目的であった。 === きれいな水爆 === 原爆を起爆剤に使用しない[[純粋水爆]]、いわゆる「きれいな水爆」の研究が1952年からアメリカ合衆国で行われたが、1992年に米国は純粋水爆の開発を事実上断念し、研究データを公開した。これは起爆に原爆を使用しないため、核分裂反応による[[放射性降下物]](フォールアウト)が生成されず、残留放射能が格段に減るという仕組みである。但し、起爆時の核反応でα, β, γおよび中性子線などの[[放射線]]、核融合やその燃え残りで生じた水素などの[[放射性同位体]]は少なからず放出される。2015年現在、米国[[ローレンス・リバモア国立研究所]]にある実験施設「[[国立点火施設]]」でレーザーによる核融合が、またロシアの核研究施設[[アルザマス16]]では磁場による核融合([[Z-ピンチ方式]])がそれぞれ研究されているが、2016年時点ではこの種の兵器の開発は成功していない。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book | 和書 | author=武谷三男 | title=原水爆実験 | publisher=岩波書店 | series=岩波新書 | year=1957 | ref=武谷(1957) }} * {{Cite book | 和書 | author=長崎正幸 | title=核問題入門 歴史から本質を探る | publisher=勁草書房 | year=1998 | ref=長崎(1998) }} * {{Cite book | 和書 | author=武谷三男 | title=戦争と科学 | year=1968.11 | volume=3 | series=武谷三男著作集 | ref=武谷著作集3 }} == 関連項目 == {{Commonscat|Nuclear weapons}} * [[原子核融合]] * [[ビキニ環礁]] - [[第五福竜丸]] * [[エニウェトク環礁]] * [[閉鎖都市]] * [[純粋水爆]](きれいな水爆)- [[Zピンチ]] * [[ツァーリ・ボンバ]] - [[ブースト型核分裂兵器]] - [[3F爆弾]] - [[中性子爆弾]] * [[ゴジラ (架空の怪獣)|ゴジラ]] - [[ビキニ (水着)|ビキニ]] - [[水爆打線]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{核兵器}} {{核技術}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:すいそはくたん}} [[Category:水素爆弾|*]] [[Category:水素|はくたん]] [[Category:核融合]] [[Category:エドワード・テラー]] [[Category:スタニスワフ・ウラム]]
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核融合反応
核融合反応(、英: nuclear fusion reaction)とは、軽い核種同士が融合してより重い核種になる核反応を言う。単に核融合と呼ばれることも多い。核分裂反応と同じく古くから研究されている。 核融合反応を連続的に発生させエネルギー源として利用する核融合炉も古くから研究されており、フィクション作品にはよく登場するが、現実には技術的な困難を伴うため2023年現在実用化はされていない。 1920年代及び30年代に、ジョン・コッククロフトに代表される粒子加速器の研究に従事していた物理学者たちは、陽子(水素原子核)や他の軽い核に高いエネルギー(数keV)を与え入射粒子として加速し、標的となっている軽い核に当てると、核の電気的反発力や核力によって入射粒子は破壊を伴いながら、標的と融合し大きなエネルギーが解放されること、すなわち核融合反応(nuclear fusion)を発見していた。この大きなエネルギーは、アインシュタインによって主張された関係式 E = mc を満たす形で、融合した核の質量の一部がエネルギーに変換されるため発生する。しかしながら、加速器による核融合反応では、少数の核融合物を作るために大量のエネルギーが必要であり、もし実用に供するような連続的な核融合反応を起こすのであれば摂氏数億度もの高温が必要となることから、以後に発見された核分裂反応ほどには当初は着目されなかった。 上記の摂氏数億度の高温を用いる核融合は特に熱核反応(thermonuclear reaction)と呼ばれるが、熱核反応の燃料としては、原子核の荷電が小さく原子核同士が接近しやすい軽い核種で反応自体も速いといった理由から三重水素や二重水素といった水素の重い同位体が理想的と言われる。 融合の種類によっては融合の結果放出されるエネルギー量が多いことから、水素爆弾などの大量破壊兵器に用いられる。ただし、水素爆弾は核分裂反応を利用して起爆する必要がある。 また平和利用目的として核融合炉によるエネルギー利用も研究されている。核分裂反応に比べて、反応を起こすために必要な技術的なハードルが高く、世界各国において様々な実験装置が建設され、実用化に向けた研究開発が進められている。近年、スタートアップを含む民間による核融合炉の開発も活発になっている。 核融合反応の中でもっとも反応させやすいのが、二重水素(デューテリウム、D)と三重水素(トリチウム、T)を用いた反応である。これは水素爆弾にも利用されている。この反応によって放出されるエネルギーは同じ質量のウランによる核分裂反応のおよそ4.5倍、同質量の石油を燃やして得られるエネルギーの800万倍に達する。また初期の核融合炉で使用される核融合反応として、実用化のための研究が世界各国で進められている。 恒星が生み出す様々なエネルギーは、その中心付近における超高温、超高圧状態における核融合反応によるものがほとんどである。 収縮しつつある原始星の中心温度が約250万 Kを超えると、初めて核融合が起こる。最初に起こるのは、比較的起こりやすい、2つの重水素(D) が反応する重水素核融合(工学ではD-D反応と呼ぶことも多い)である。重水素核融合を起こした天体を褐色矮星と呼ぶ。 中心の温度が約1000万Kを超えると(ちなみに太陽の中心は1500万K)、以下に述べるような水素核融合を起こし、恒星と呼ばれる。 次の、軽水素(陽子、p)どうしが直接反応する水素核融合を、陽子-陽子連鎖反応、p-pチェインなどと呼ぶ。一般に宇宙分野での核融合とはこの反応を指すことが多く、太陽の中心核で主に起こっている核融合反応である。4つの水素原子から1つのヘリウム4が生成される反応では以下の過程を経る。 次の、炭素(C)・窒素(N)・酸素(O) を触媒とした水素核融合を、CNOサイクルと呼ぶ。星の中心温度が約1400万-3000万Kで稼働し、約2000万Kを超えると、p-pチェインよりCNOサイクルのほうが優勢になり、その反応が活発になる。 系の温度が高いと a → b → c {\displaystyle a\rightarrow b\rightarrow c} の順に反応経路が変化し、反応速度が速まるが、基本的には炭素1つと陽子4つが炭素1つとアルファ粒子になる反応である。 また b および c ではNやOがそれぞれベータ崩壊、ガンマ崩壊する前に次の段階へと進む。 恒星の中心核に充分な量のヘリウムが蓄積された場合に起こる反応が、ヘリウム燃焼である。水素原子核の核融合の後に残ったヘリウムは恒星の中心に沈降し、重力により収縮して中心核の温度が上がる。約1億K程度になると3つのヘリウム原子核がトリプルアルファ反応を起こし、炭素が生成され始める。 ヘリウム中心核からの熱により核の周辺部では水素の核融合が継続する。 中心温度が15億 Kを超えると、炭素も核融合を始める(炭素燃焼過程)。さらに恒星が十分な質量を持っていれば、ネオン燃焼過程、酸素燃焼過程、ケイ素燃焼過程を経て安定した鉄56(最も安定な核種はニッケル62。詳細は鉄参照)が作られ、中心での核融合反応は終了する。星は内側から、鉄 ( Fe ) の核、ケイ素 ( Si ) の球殻、酸素 ( O ) の球殻、ネオン ( Ne ) の球殻、炭素 ( C ) の球殻、ヘリウム ( He ) の球殻、水素 ( H ) の 最外層からなる、所謂タマネギ状の構造へと形成され、中心以外の各層で核融合が進行する。 中心温度が100億 Kを超えると、黒体放射の光子のエネルギーが核子の結合エネルギーと同程度になるため、鉄の光分解が起こる。 この吸熱反応により中心の温度が下がり、それにより圧力も下がる。圧力が下がると星は収縮するが、収縮により温度が上がって光分解が進む。この過程が繰り返されることにより恒星は重力崩壊する。中心部に物質が落下し、原子核に電子が取り込まれて陽子がニュートリノを放出して中性子に変化する(電子捕獲)。中心に中性子の塊が出来、自身の縮退圧で支えられるようになると、外層から落下してきた物体は中性子の塊の表面で跳ね返され、超新星爆発を起こす。最近の研究によると鉄より重い元素の約半数は、超新星爆発のときの核融合で作られ、残り半数はS過程で作られる。 なお、この時に残った中性子の塊は中性子星となる。もし中性子の塊が自身の縮退圧で支えられない状況になると、ブラックホールになる。超新星爆発で中性子星が残らない場合の状態を探る研究も行われている。
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核融合反応(かくゆうごうはんのう、とは、軽い核種同士が融合してより重い核種になる核反応を言う。単に核融合と呼ばれることも多い。核分裂反応と同じく古くから研究されている。 核融合反応を連続的に発生させエネルギー源として利用する核融合炉も古くから研究されており、フィクション作品にはよく登場するが、現実には技術的な困難を伴うため2023年現在実用化はされていない。
{{原子核物理学}} {{読み仮名|'''核融合反応'''|かくゆうごうはんのう|{{lang-en-short|nuclear fusion reaction}}}}とは、軽い[[核種]]同士が融合してより重い[[核種]]になる[[原子核反応|核反応]]を言う。単に'''核融合'''と呼ばれることも多い。核分裂反応と同じく古くから研究されている。 核融合反応を連続的に発生させエネルギー源として利用する[[核融合炉]]も古くから研究されており、フィクション作品にはよく登場するが、現実には技術的な困難を伴うため2023年現在[[実用]]化はされていない<ref>{{Cite web|和書|author=ジョナサン・エイモス |date=2022-02-10 |url=https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-60328708.amp |title=核融合実験で画期的な結果、クリーンな発電に期待も=英研究施設 |publisher=[[英国放送協会|BBC]] |accessdate=2022-12-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2022-12-14 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221214/amp/k10013922441000.html |title= “核融合実験 効率よく十分なエネルギー発生に成功” アメリカ |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |accessdate=2022-12-14}}</ref>。 == 解説 == {{See also|核融合エネルギー}}1920年代及び30年代に、[[ジョン・コッククロフト]]に代表される粒子加速器の研究に従事していた物理学者たちは、[[陽子]]([[水素]]原子核)や他の軽い核に高いエネルギー(数keV)を与え入射粒子として加速し、標的となっている軽い核に当てると、核の電気的反発力や核力によって入射粒子は破壊を伴いながら、標的と融合し大きなエネルギーが解放されること、すなわち'''核融合反応'''(nuclear fusion)を発見していた。この大きなエネルギーは、アインシュタインによって主張された関係式 '''''[[E=mc2|E = mc{{sup|2}}]]''''' を満たす形で、融合した核の質量の一部がエネルギーに変換されるため発生する。しかしながら、[[加速器]]による核融合反応では、少数の核融合物を作るために大量のエネルギーが必要であり、もし実用に供するような連続的な核融合反応を起こすのであれば[[セルシウス度|摂氏]]数億度もの高温が必要となることから、以後に発見された[[核分裂反応]]ほどには当初は着目されなかった。 上記の摂氏数億度の高温を用いる核融合は特に'''熱核反応'''(thermonuclear reaction)と呼ばれるが、熱核反応の燃料としては、原子核の荷電が小さく原子核同士が接近しやすい軽い核種で反応自体も速いといった理由から[[三重水素]]や[[二重水素]]といった[[水素]]の重い同位体が理想的と言われる<ref>[[#原水爆|原水爆実験(1957)]] p.194</ref>。 融合の種類によっては融合の結果放出されるエネルギー量が多いことから、[[水素爆弾]]などの[[大量破壊兵器]]に用いられる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toonippo.co.jp/ud/encyclopedia/5a5430a577656172c8190100 |title=原爆と水爆 |accessdate=2022/08/03 |website=Web東奥 |publisher=[[東奥日報]]}}</ref>。ただし、水素爆弾は核分裂反応を利用して起爆する必要がある。 また平和利用目的として[[核融合炉]]によるエネルギー利用も研究されている。[[核分裂反応]]に比べて、反応を起こすために必要な技術的なハードルが高く、世界各国において様々な実験装置が建設され、実用化に向けた研究開発が進められている。近年、スタートアップを含む民間による核融合炉の開発も活発になっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://newspicks.com/news/8534858/body/?ref=user_2241853 |title=【必見】天才たちが賭ける「究極のものづくり」 |access-date=2023-10-06 |publisher=NewsPics}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://newspicks.com/news/8580279/body/?ref=user_2241853 |title=【衝撃】核融合ビジネスが巨額マネーを集める理由。 |access-date=2023-10-06 |publisher=NewsPics}}</ref>。 == 核融合の種類 == ;{{Anchors|熱核融合}}熱核融合 :超高温により起こる核融合。本項で詳説する。 ;{{Anchors|衝突核融合}}衝突核融合 :原子核を直接に衝突させて起こす核融合。原子核の研究において使用される。 ;スピン偏極核融合 :[[陽子]]と[[中性子]]の[[角運動量]]のパラメータ([[スピン角運動量|スピン]])を制御する事により核融合反応を制御する。 ;ピクノ核融合 :非常に高密度の星([[白色矮星]])の内部で起こっていると考えられている核融合反応。電子が原子核の[[クーロン力]]を強く遮断して、低温の状態でも[[零点振動]]による[[量子トンネル効果]]により核融合が起こる。 ;[[ミューオン触媒核融合]] :[[ミュー粒子]](負ミューオン)は[[電子]]と同様にマイナスの[[電荷]]をもつ粒子だが、電子の約200倍の質量を持つので束縛軌道半径が約200分の1である。そのため、電子を負ミューオンに置き換えると原子核同士が接近しやすくなり核融合が起こりやすくなる。負ミューオンは消滅までに何度もこの反応に関与できるのであたかも触媒のように作用する。 ;[[常温核融合]] :室温から摂氏数百度程度の、熱核融合に比べて低い温度で核融合が起こる反応。1989年3月に米ユタ大学の研究者がこの現象を発表した。当時は再現性にばらつきがあったため科学的な議論を呼んだが、その後、ナノ金属加工技術や電子顕微鏡の発展により2010年頃から再現性が高まり、再評価されている<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nikkei.com/article/DGXMZO06252800Z10C16A8000000/ | title = 米で特許 再現成功で「常温核融合」、再評価が加速 | publisher = 日本経済新聞 | accessdate = 2021-11-04 }}</ref>。 == 各種核融合反応 == === D-T反応 === [[ファイル:Deuterium-tritium_fusion.svg|thumb|D-T反応の説明図]] {{詳細記事|[[核融合炉#D-T反応|D-T反応]]}} :<math chem>\ce{D + T -> ^4He + n} \ \mathrm{(14\,MeV)}</math> 核融合反応の中でもっとも反応させやすいのが、[[二重水素]](デューテリウム、D)と[[三重水素]](トリチウム、T)を用いた反応である。これは[[水素爆弾]]にも利用されている。この反応によって放出されるエネルギーは同じ質量のウランによる核分裂反応のおよそ4.5倍、同質量の石油を燃やして得られるエネルギーの800万倍に達する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www8.cao.go.jp/cstp/siryo/haihu13/siryo5-2.pdf |title=総合科学技術会議(第13回)資料5-2「核融合とは何か」 |date=2001/12/25 |accessdate=2022/08/03 |website=[[内閣府]] |format=PDF}}</ref>。また初期の[[核融合炉]]で使用される核融合反応として、実用化のための研究が世界各国で進められている。 === 恒星での反応 === [[恒星]]が生み出す様々なエネルギーは、その中心付近における超高温、超高圧状態における核融合反応によるものがほとんどである。 ==== D-D反応 ==== :<chem>D + D -> T + p</chem> :<chem>D + D -> ^3He + n</chem> 収縮しつつある[[原始星]]の中心温度が約250万 [[ケルビン|K]]を超えると、初めて核融合が起こる。最初に起こるのは、比較的起こりやすい、2つの[[重水素]](D) が反応する[[重水素核融合]](工学ではD-D反応と呼ぶことも多い)である。重水素核融合を起こした天体を[[褐色矮星]]と呼ぶ。 中心の温度が約1000万Kを超えると(ちなみに[[太陽]]の中心は1500万K)、以下に述べるような[[水素核融合]]を起こし、恒星と呼ばれる。 ==== 陽子-陽子連鎖反応 ==== [[ファイル:Fusion in the Sun.svg|サムネイル|太陽より小さいサイズの星では、陽子-陽子連鎖反応が支配的である]] 次の、軽水素(陽子、p)どうしが直接反応する水素核融合を、[[陽子-陽子連鎖反応]]、p-pチェインなどと呼ぶ。一般に宇宙分野での核融合とはこの反応を指すことが多く、太陽の中心核で主に起こっている核融合反応である。4つの水素原子から1つの[[ヘリウム4]]が生成される反応では以下の過程を経る。 #<chem>p{} + p -> ^2_1H{} + \mathit{e+}{} + \nu_e</chem> #: 2つの[[陽子]]が融合して、重水素となり[[陽電子]]と[[ニュートリノ]]が放出される。 # <chem>^2_1H{} + \mathit{p} -> ^3_2He{} + \gamma</chem> #: 重水素と陽子が融合してヘリウム3が生成され、[[ガンマ線]]としてエネルギーが放出される # <chem>^3_2He{} + ^3_2He -> ^4_2He{} + \mathit{p}{} + \mathit{p}</chem> #: ヘリウム3とヘリウム3が融合してヘリウム4が生成され、陽子が放出される。 ==== CNOサイクル ==== [[ファイル:CNO Cycle.svg|サムネイル|太陽より重い星では、CNOサイクルが支配的である]] 次の、[[炭素]](C)・[[窒素]](N)・[[酸素]](O) を[[触媒]]とした水素核融合を、[[CNOサイクル]]と呼ぶ。星の中心温度が約1400万-3000万Kで稼働し、約2000万Kを超えると、p-pチェインよりCNOサイクルのほうが優勢になり、その反応が活発になる。 :(a-1) <chem>^{12}C{} + 4\mathit{p} -> ^{12}C{} + \alpha</chem> :(b-1) <chem>^{12}C{} + \mathit{p} -> ^{13}N</chem> :(b-2) <chem>^{13}N{} + 3\mathit{p} -> ^{12}C{} + \alpha</chem> :(c-1) <chem>^{12}C{} + \mathit{p} -> ^{13}N</chem> :(c-2) <chem>^{13}N{} + \mathit{p} -> ^{14}O</chem> :(c-3) <chem>^{14}O{} + 2\mathit{p} -> ^{12}C{} + \alpha</chem> 系の温度が高いと <math>a \rightarrow b \rightarrow c</math> の順に反応経路が変化し、反応速度が速まるが、基本的には炭素1つと陽子4つが炭素1つと[[アルファ粒子]]になる反応である。 また b および c では<sup>13</sup>Nや<sup>14</sup>Oがそれぞれ[[ベータ崩壊]]、[[ガンマ崩壊]]する前に次の段階へと進む。 ==== ヘリウム燃焼 ==== 恒星の中心核に充分な量のヘリウムが蓄積された場合に起こる反応が、ヘリウム燃焼である。水素原子核の核融合の後に残った[[ヘリウム]]は恒星の中心に沈降し、[[重力]]により収縮して中心核の温度が上がる。約1億K程度になると3つのヘリウム原子核が[[トリプルアルファ反応]]を起こし、[[炭素]]が生成され始める。 : <chem>3^4_2He -> C</chem> ヘリウム中心核からの熱により核の周辺部では水素の核融合が継続する。 ==== 炭素より重い元素の燃焼 ==== [[画像:Evolved star fusion shells.svg|thumb|ケイ素の燃焼まで進行した恒星の断面図]] 中心温度が15億 Kを超えると、炭素も核融合を始める([[炭素燃焼過程]])。さらに恒星が十分な質量を持っていれば、[[ネオン燃焼過程]]、[[酸素燃焼過程]]、[[ケイ素燃焼過程]]を経て安定した[[鉄]]56(最も安定な核種はニッケル62。詳細は[[鉄]]参照)が作られ、中心での核融合反応は終了する。星は内側から、鉄 ( Fe ) の核、ケイ素 ( Si ) の球殻、酸素 ( O ) の球殻、ネオン ( Ne ) の球殻、炭素 ( C ) の球殻、ヘリウム ( He ) の球殻、水素 ( H ) の 最外層からなる、所謂タマネギ状の構造へと形成され、中心以外の各層で核融合が進行する。 ==== 超新星爆発 ==== 中心温度が100億 Kを超えると、黒体放射の光子のエネルギーが核子の結合エネルギーと同程度になるため、[[光崩壊|鉄の光分解]]が起こる。 : {{鉄の光崩壊}} この吸熱反応により中心の温度が下がり、それにより圧力も下がる。圧力が下がると星は収縮するが、収縮により温度が上がって光分解が進む。この過程が繰り返されることにより恒星は[[重力崩壊]]する。中心部に物質が落下し、原子核に電子が取り込まれて陽子がニュートリノを放出して中性子に変化する([[電子捕獲]])。中心に中性子の塊が出来、自身の[[縮退圧]]で支えられるようになると、外層から落下してきた物体は中性子の塊の表面で跳ね返され、[[超新星]]爆発を起こす。最近の研究によると鉄より重い元素の約半数は、超新星爆発のときの核融合で作られ、残り半数は[[S過程]]で作られる。 なお、この時に残った中性子の塊は[[中性子星]]となる。もし中性子の塊が自身の縮退圧で支えられない状況になると、[[ブラックホール]]になる。超新星爆発で中性子星が残らない場合の状態を探る研究も行われている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{cite book | 和書 | author=マリア・G・マイヤー 他 | editor=谷川 安孝, 中村 誠太郎(編・監訳) | title=原子核の世界 | series=現代物理の世界 | publisher=講談社 | year=1973 | ref=原子核の世界 }} * {{cite book | 和書 | author=武谷 三男 | title=原水爆実験 | publisher=岩波書店 | series=岩波新書 | year=1957 | ref=原水爆 }} * {{cite book | 和書 | author=長崎 正幸 | title=核問題入門 | publisher=勁草書房 | year=1998 | ref=核問題 }} == 関連項目 == {{columns-list|colwidth=25em| * [[水素爆弾]] ** [[純粋水爆|きれいな水爆]] - [[汚い爆弾|汚い水爆]] * [[核融合エネルギー]] * [[レーザー核融合]] * [[フィロ・ファーンズワース フューザー]] * [[焦電核融合]] * [[Zピンチ核融合]] * [[元素合成]] * [[恒星進化論]] * [[核融合炉]] * [[磁場閉じ込め方式]] * [[慣性閉じ込め方式]] * [[ITER|国際熱核融合実験炉]] }} == 外部リンク == * [https://www.qst.go.jp/site/naka/ 那珂研究所] * [https://www.nifs.ac.jp/ 核融合科学研究所] * [https://www.iter.org/ International Tokamak Physics Activity ( ITER ) ]{{En icon}}{{Fr icon}} {{核反応}} {{核技術}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:かくゆうこう}} [[Category:核融合|*]] [[Category:原子力]] [[Category:原子核物理学]] [[Category:物理化学の現象]]
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事象の地平面
事象の地平面(、英: event horizon)は、物理学・相対性理論の概念で、情報伝達の境界面である。シュバルツシルト面や事象の地平線()ということもある。 情報は光や電磁波などにより伝達され、その最大速度は光速であるが、光などでも到達できなくなる領域(距離)が存在し、ここより先の情報を我々は知ることができない。この境界を指し「事象の地平面」と呼ぶ。 重力が大きく、光でさえも脱出不可能な天体をブラックホールという。光でさえも抜け出せないが故に、ブラックホールを肉眼で観測する事は出来ない。従って、ブラックホールの存在は、ブラックホールに落ち込む物質が放つ放射や、ブラックホール近傍の天体の運動など、間接的な観測事実に頼ることになる。ブラックホールは、一般相対性理論が予言する産物であるが、現在では複数の候補天体があるとともに、銀河系の中心には大質量ブラックホールが存在すると考えられている。 一般相対性理論において、ブラックホールを厳密に定義すると、「情報の伝達が一方的な事象の地平面が存在し、漸近的に平坦ではない方の時空の領域」ということになる。このように数学的には厳密に定義されても、例えば数値シミュレーションで、事象の地平面を特定するのは難しい。未来永劫にわたって、その領域が外側と因果関係を持たないことを示さなければならないからである。そこで、「見かけの地平面(apparent horizon)」という概念がよく利用される。 簡単にブラックホールの大きさを評価する方法として、シュヴァルツシルトの解が表すシュヴァルツシルト半径がある。球対称・真空でのブラックホール解を表すシュヴァルツシルトの解では、事象の地平面がシュヴァルツシルト半径と一致する。そのため事象の地平面をシュヴァルツシルト面と言うことがある。地球のシュヴァルツシルト半径は約9mmである。また、我々の銀河(天の川銀河)のそれは太陽系の大きさのおよそ30個分である。 天体の持つ質量により、その天体の中心から事象の地平面が形成されるまでの距離は異なる。普通の天体の半径はシュヴァルツシルト半径よりも大きくその天体の情報を得ることが可能である。しかし重力崩壊で収縮すると、その天体の全質量が事象の地平面より小さい領域に押し込まれ、もはや情報を得ることが不可能となる。 宇宙の地平面とは観測可能なもっとも遠い宇宙の空間あるいは宇宙の時空であり、観測上の「宇宙の果て」である。一般的に宇宙は膨張していると考えられており、距離が離れているほど地球からの後退速度(宇宙論的固有距離の変化量を宇宙時間で微分した値)が速く、ある距離(ハッブル距離)以上は光速以上の速さで離れる。地球に向かう光が常に光速以上で遠ざかる空間にとどまるという条件下では、その光は地球には永遠に届かない。このとき光が届く限界の時空面を宇宙の事象的地平面という。事象的地平面は我々が観測できる個々の天体がどの時代の姿まで観測できるかを示している。 現在観測される天体のなかには、光速を超えて地球から遠ざかっているものも存在する。このような天体が観測できるのは、天体から放たれた光が光速以上で遠ざかる空間から抜け出て次第に地球からの後退速度が緩やかな空間に入るからであり、「地球から光速で遠ざかる空間=宇宙の地平面」ではない。赤方偏移Zの値が1.7程度の天体は、今地球で観測される光を放ったときちょうど光速で遠ざかっていたので、これよりも赤方偏移の大きな天体は超光速で地球から遠ざかっていたことになる。そのような天体はすでに1000個程度観測されている。 また、現在地球から観測できる最も古い光が放たれた場所の、現在の位置を光子の粒子的地平面という。現在の光子の粒子的地平面は地球を中心とする半径約450億光年の球の表面となり、この球面の半径は光速の約3.5倍の速さで大きくなり、我々が今観測している光を放ったとき(宇宙の晴れ上がり)には光速の約60倍もの速度で遠ざかっていた。光子以外の粒子による粒子的地平面は光子のそれよりも遠く伸びる場合がある。たとえばニュートリノによる粒子的地平面は光子の粒子的地平面よりも大きいと考えられる。なぜなら光は直進できるようになるまで「宇宙の晴れ上がり」を待たねばならなかったが、ニュートリノはそれ以前に直進していると考えられるからだ。 また、私たちの属する宇宙は光子を含む電磁波の観測によって関与できる空間の限界を示す光子の粒子的地平面を超えて、はるかに広大に広がっていると考えられている。 等価原理により、加速運動する系から見ると重力が発生し、事象の地平線が生じる。1G (9.8 m/s) で加速する系から見れば、後方約1光年に平面状の地平面が発生する。 しかしこの地平面は加速運動による一時的なものであり、加速が止まれば消滅する。
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事象の地平面(じしょうのちへいめん、は、物理学・相対性理論の概念で、情報伝達の境界面である。シュバルツシルト面や事象の地平線ということもある。 情報は光や電磁波などにより伝達され、その最大速度は光速であるが、光などでも到達できなくなる領域が存在し、ここより先の情報を我々は知ることができない。この境界を指し「事象の地平面」と呼ぶ。
{{Redirect|イベントホライゾン|映画作品|イベント・ホライゾン}} {{出典の明記|date=2017-09-13}} [[File:Ergosphere of a rotating black hole.svg|right|250px|thumb|回転しているブラックホール([[カー解]])の周辺には事象の地平面の外側に[[エルゴ球|エルゴ領域]]が生じる。エルゴ領域では慣性系の引きずり効果が生じ、粒子や光は一点にとどまることができない。しかし、事象の地平面とは異なり外部への脱出は可能である。]] {{一般相対性理論}} {{読み仮名|'''事象の地平面'''|じしょうのちへいめん|{{lang-en-short|event horizon}}}}は、[[物理学]]・[[相対性理論]]の概念で、情報伝達の境界面である。'''シュバルツシルト面'''や{{読み仮名|'''事象の地平線'''|じしょうのちへいせん}}ということもある。 情報は[[光]]や[[電磁波]]などにより伝達され、その最大速度は[[光速]]であるが、光などでも到達できなくなる領域(距離)が存在し、ここより先の情報を我々は知ることができない。この境界を指し「事象の地平面」と呼ぶ。 == ブラックホール == [[重力]]が大きく、光でさえも脱出不可能な天体を[[ブラックホール]]という。光でさえも抜け出せないが故に、ブラックホールを肉眼で観測する事は出来ない。従って、ブラックホールの存在は、ブラックホールに落ち込む物質が放つ放射や、ブラックホール近傍の天体の運動など、間接的な観測事実に頼ることになる。ブラックホールは、[[一般相対性理論]]が予言する産物であるが、現在では複数の候補天体があるとともに、銀河系の中心には[[大質量ブラックホール]]が存在すると考えられている。 一般相対性理論において、ブラックホールを厳密に定義すると、「情報の伝達が一方的な事象の地平面が存在し、[[漸近的に平坦な時空|漸近的に平坦]]ではない方の時空の領域」ということになる。このように数学的には厳密に定義されても、例えば数値シミュレーションで、事象の地平面を特定するのは難しい。未来永劫にわたって、その領域が外側と因果関係を持たないことを示さなければならないからである。そこで、「[[見かけの地平面]]([[:en:Apparent horizon|apparent horizon]])」という概念がよく利用される。 簡単にブラックホールの大きさを評価する方法として、[[シュヴァルツシルトの解]]が表す[[シュヴァルツシルト半径]]がある。球対称・真空でのブラックホール解を表す[[シュヴァルツシルトの解]]では、事象の地平面がシュヴァルツシルト半径と一致する。そのため事象の地平面をシュヴァルツシルト面と言うことがある。地球のシュヴァルツシルト半径は約9mmである。また、我々の銀河(天の川銀河)のそれは太陽系の大きさのおよそ30個分である。<!--天の川銀河に存在する全ての星をその程度の大きさの領域に集めた場合には、領域内からは大変強い光が放射される事になるが、領域の大きさがシュヴァルツシルト半径付近になると放射される光の赤方偏移が顕著になり、シュヴァルツシルト半径よりも小さくなると領域内からは光が全く放射されなくなる。この最後の状態がブラックホールである。--><!--ここの部分に関する説明はあらゆるブラックホールに関して同様に言えることであり「天の川銀河に存在する……」から書き始めてこのようなことを書くのは不適切。また、何らかの銀河の全質量が最終的にブラックホールになる、というような進化のモデルは、かなり想像上のものしかないはずであり、やはり不適。--> 天体の持つ[[質量]]により、その天体の中心から事象の地平面が形成されるまでの距離は異なる。普通の天体の半径はシュヴァルツシルト半径よりも大きくその天体の情報を得ることが可能である。しかし[[重力崩壊]]で収縮すると、その天体の全質量が事象の地平面より小さい領域に押し込まれ、もはや情報を得ることが不可能となる。 == 宇宙の地平面 (宇宙の地平線)== 宇宙の地平面とは[[観測可能な宇宙|観測可能なもっとも遠い宇宙の空間あるいは宇宙の時空]]であり、観測上の「宇宙の果て」である。一般的に[[宇宙]]は膨張していると考えられており、距離が離れているほど地球からの後退速度(宇宙論的固有距離の変化量を宇宙時間で微分した値)が速く、ある距離(ハッブル距離)以上は光速以上の速さで離れる<ref group="注">宇宙の膨張は空間そのものの膨張であるため、光速を超えても相対性理論に反しない。空間の膨張は一般相対性理論の範疇であり、物体の運動が光速以上にならないのは特殊相対性理論の範疇における運動においてである。</ref>。地球に向かう光が常に光速以上で遠ざかる空間にとどまるという条件下では、その光は地球には永遠に届かない。このとき光が届く限界の時空面を'''宇宙の事象的地平面'''という。事象的地平面は我々が観測できる個々の天体がどの時代の姿まで観測できるかを示している。 現在[[観測]]される天体のなかには、光速を超えて地球から遠ざかっているものも存在する。このような天体が観測できるのは、天体から放たれた光が光速以上で遠ざかる空間から抜け出て次第に地球からの後退速度が緩やかな空間に入るからであり、「地球から光速で遠ざかる空間=宇宙の地平面」ではない。赤方偏移Zの値が1.7程度の天体は、今地球で観測される光を放ったときちょうど光速で遠ざかっていたので、これよりも赤方偏移の大きな天体は超光速で地球から遠ざかっていたことになる。そのような天体はすでに1000個程度観測されている。 また、現在地球から観測できる最も古い光が放たれた場所の、現在の位置を光子の'''粒子的地平面'''という。現在の光子の粒子的地平面は地球を中心とする半径約450億光年の球の表面となり、この球面の半径は光速の約3.5倍の速さで大きくなり、我々が今観測している光を放ったとき([[宇宙の晴れ上がり]])には光速の約60倍もの速度で遠ざかっていた。光子以外の粒子による粒子的地平面は光子のそれよりも遠く伸びる場合がある。たとえばニュートリノによる粒子的地平面は光子の粒子的地平面よりも大きいと考えられる。なぜなら光は直進できるようになるまで「宇宙の晴れ上がり」を待たねばならなかったが、ニュートリノはそれ以前に直進していると考えられるからだ。 また、私たちの属する宇宙は光子を含む電磁波の観測によって関与できる空間の限界を示す光子の粒子的地平面を超えて、はるかに広大に広がっていると考えられている。 {{seealso|ビッグバン#地平線問題}} ==加速運動== [[等価原理]]により、加速運動する系から見ると重力が発生し、事象の地平線が生じる。1G (9.8 m/s{{sup|2}}) で加速する系から見れば、後方約1[[光年]]に平面状の地平面が発生する。 しかしこの地平面は加速運動による一時的なものであり、加速が止まれば消滅する。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} == 関連項目 == * [[一般相対性理論]] * [[アインシュタイン方程式]] * [[ブラックホール]] * [[見かけの地平面]] * [[宇宙検閲官仮説]] * [[イベントホライズンテレスコープ]] * [[重力の特異点]]                        {{相対性理論}} {{ブラックホール}} {{astro-stub}} {{DEFAULTSORT:ししようのちへいめん}} [[Category:ブラックホール]] [[Category:一般相対性理論]] [[Category:天文学に関する記事]] [[Category:時空]]
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中性子爆弾
中性子爆弾(、英: neutron bomb)は、核兵器の一種。核爆発の際のエネルギー放出において中性子線の割合を高め、生物の殺傷能力を高めたもの。放射線強化弾頭とも呼ばれる。 通常の核爆発の効果と比較して、爆風や熱線などへのエネルギー放出割合が低く、中性子線の放射割合が高い。熱核爆発はビルが数棟破壊される程度の破壊力である一方、中性子線は透過力が強く、薄い鉛などの金属板も透過する。厚いコンクリートや水など遮蔽物に覆われた地下核シェルター等への攻撃能力は小さいものの、地下鉄程度であれば透過するため、都市圏であればほとんど助かる可能性はないと言える。よって建造物などの被害は相対的に減少させることができるが、人間を始めとする生物を放射線障害により死傷させることができ、爆風などの被害半径よりも中性子線による被害半径のほうが大きくなっている。 熱線や爆風に対しては、密閉された戦車や艦船の防御力が予想以上に高いことが証明されており(特に、1946年にビキニ環礁で行われた核実験「クロスロード作戦」で、実験標的となった約70隻の艦船のうち、1発目は空中、2発目は水中での、2回にわたる核爆発で計13隻しか沈没しなかったなど)、中性子線による攻撃は、それらの装甲を貫いて兵員の殺傷を目的にする効果的な核兵器の運用方法でもあった。アメリカ合衆国で開発を主導したのはユダヤ系イギリス人であったサミュエル・T・コーエン(英語版)。 中性子爆弾は、戦術核兵器として使用後の占領時に市街の建造物やインフラ設備を利用できるようにするために爆発力を縮小させており、主として自軍地上部隊の行動を視野に入れた運用が考えられていた。そのため、弾頭威力も核兵器としては小さく、残留放射能も少量になるように設計されている。 通常の核兵器との構造の違いは、中性子反射材にある。通常は、核反応を効率化させるために、弾頭の内殻をウラン238などの中性子反射材で覆う。しかし、中性子爆弾においては、それにクロムやニッケルなど用いて、中性子の吸収・反射を抑えている。そのため、核反応によって発生した中性子線が、周囲に放射されるようになっている。中性子線の発生にあたっては、核分裂よりも核融合の方が効率が良いため、水素爆弾が用いられる。 多量のトリチウムを必要とするが、トリチウムは半減期が12.3年と短く、性能の維持には定期的なトリチウム交換を必要とする。 放射線を強化した核兵器の概念は1958年にローレンス・リバモア国立研究所で考案され、最初の実験は1963年にネバダ核実験場で行われている。1970年代にはスプリント 弾道弾迎撃ミサイル用のW66に中性子弾頭が使用された。これは当初、中性子線による電子機器への障害発生を用いて、弾道ミサイル迎撃に用いる手段として考えられたためである。その後、1kt(キロトン)の弾頭ならば、被害半径を1,000m程度に抑えられることもあって、戦術核兵器としての利用が考えられた。これによりMGM-52ランス 短距離弾道ミサイルのW70-3も1980年代に開発され、W79 核砲弾にも使用された。
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中性子爆弾(ちゅうせいしばくだん、は、核兵器の一種。核爆発の際のエネルギー放出において中性子線の割合を高め、生物の殺傷能力を高めたもの。放射線強化弾頭とも呼ばれる。
{{出典の明記|date=2013年7月}} {{読み仮名|'''中性子爆弾'''|ちゅうせいしばくだん|{{lang-en-short|neutron bomb}}}}は、[[核兵器]]の一種。[[核爆発]]の際のエネルギー放出において[[中性子線]]の割合を高め、生物の殺傷能力を高めたもの。放射線強化弾頭とも呼ばれる<ref>{{cite book |title=A Dictionary of Aviation |first=David W. |last=Wragg |isbn=9780850451634 |edition=first |publisher=Osprey |year=1973 |page=200}}</ref><ref>[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E6%80%A7%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE-97345 百科事典マイペディア「中性子爆弾」]</ref>。 == 概要 == 通常の[[核爆発の効果]]と比較して、[[爆風]]や熱線などへのエネルギー放出割合が低く、中性子線の放射割合が高い。熱核爆発はビルが数棟破壊される程度の破壊力である一方、中性子線は透過力が強く、薄い鉛などの金属板も透過する。厚い[[コンクリート]]や[[水]]など遮蔽物に覆われた地下[[シェルター|核シェルター]]等への攻撃能力は小さいものの、地下鉄程度であれば透過するため{{要出典|date=2021年7月}}、都市圏であればほとんど助かる可能性はないと言える。よって建造物などの被害は相対的に減少させることができるが、人間を始めとする生物を[[放射線障害]]により死傷させることができ、爆風などの被害半径よりも中性子線による被害半径のほうが大きくなっている。 熱線や爆風に対しては、密閉された戦車や艦船の防御力が予想以上に高いことが証明されており(特に、[[1946年]]に[[ビキニ環礁]]で行われた核実験「[[クロスロード作戦]]」で、実験標的となった約70隻の艦船のうち、1発目は空中、2発目は水中での、2回にわたる核爆発で計13隻しか沈没しなかったなど)、中性子線による攻撃は、それらの装甲を貫いて兵員の殺傷を目的にする効果的な核兵器の運用方法でもあった。アメリカ合衆国で開発を主導したのはユダヤ系イギリス人であった{{仮リンク|サミュエル・T・コーエン|en|Samuel T. Cohen}}。<ref>[https://web.archive.org/web/20101219060636/http://www.47news.jp/CN/201012/CN2010120101001017.html サミュエル・コーエン氏死去 中性子爆弾の開発者 共同通信2010年12月1日] 12月4日閲覧</ref> 中性子爆弾は、[[戦術核兵器]]として使用後の占領時に市街の建造物やインフラ設備を利用できるようにするために爆発力を縮小させており、主として自軍地上部隊の行動を視野に入れた運用が考えられていた。そのため、弾頭威力も核兵器としては小さく、残留放射能も少量になるように設計されている。 == 通常の核兵器との違い == 通常の核兵器との構造の違いは、中性子反射材にある。通常は、[[核反応]]を効率化させるために、弾頭の内殻をウラン238などの中性子反射材で覆う。しかし、中性子爆弾においては、それに[[クロム]]や[[ニッケル]]など用いて、中性子の吸収・反射を抑えている。そのため、核反応によって発生した中性子線が、周囲に放射されるようになっている。中性子線の発生にあたっては、核分裂よりも核融合の方が効率が良いため、[[水素爆弾]]が用いられる。 多量の[[三重水素|トリチウム]]を必要とするが、トリチウムは半減期が12.3年と短く、性能の維持には定期的なトリチウム交換を必要とする。 == 開発の経緯 == 放射線を強化した核兵器の概念は1958年に[[ローレンス・リバモア国立研究所]]で考案され、最初の実験は1963年に[[ネバダ核実験場]]で行われている。1970年代には[[スプリント (ミサイル)|スプリント 弾道弾迎撃ミサイル]]用の[[W66 (核弾頭)|W66]]に中性子弾頭が使用された。これは当初、中性子線による電子機器への障害発生を用いて、[[弾道ミサイル]]迎撃に用いる手段として考えられたためである。その後、1kt(キロトン)の弾頭ならば、被害半径を1,000m程度に抑えられることもあって、戦術核兵器としての利用が考えられた。これにより[[MGM-52 (ミサイル)|MGM-52ランス 短距離弾道ミサイル]]の[[W70 (核弾頭) |W70-3]]も1980年代に開発され、[[W79 (核砲弾)|W79 核砲弾]]にも使用された。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == *[[汚い爆弾]] {{核兵器}} {{核技術}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ちゆうせいしはくたん}} [[Category:核爆弾]] [[Category:中性子]] [[de:Kernwaffentechnik#Neutronenwaffe]]
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核の冬
核の冬(、英: nuclear winter)は、大気学者のリチャード・ターコ(英語版)や宇宙物理学者カール・セーガンらにより1983年に提唱された理論で、「核戦争によって地球上に大規模な環境変動が起きて人為的に氷期が発生する」というもの。 この現象は、核兵器の使用に伴う爆発そのものや、広範囲の延焼(火災)によって巻き上げられた灰や煙などの浮遊する微粒子(数時間から数年にわたって大気中を浮遊する)によって日光が遮られた結果、発生するとされる。ほとんどの研究のシミュレーションでは爆発が核兵器によるものであるか否かは考慮されていないので、正確には「核の冬」ではなく「地球規模同時火災による寒冷化現象」である。 最初に提唱された当時は、太陽光が大気透明度の低下で極端に遮断されることから、海洋植物プランクトンを含む植物が光合成を行えずに枯れ、それを食糧とする動物が飢えて死に、また気温も急激に下がることが予想されるなど、人間が生存できないほどの地球環境の悪化を招くとされていた。しかし、後の様々な研究やシミュレーションにより当初の過大性が指摘されて、提唱者本人も誤りを認めている。現在では、爆弾の数が100個程度の場合、数ヶ月から数年程度、1ー3°C程度の地域的な寒冷化と見積もる研究が多い。 しかし、放射能を帯びた死の灰が降り注ぐことによる催畸性の問題、大規模核戦争への恐怖心や核廃絶というイデオロギーもあり、核兵器の危険性を説明するうえで、たびたび過大に見積もられた最初のシミュレーションが検証なく引用されている。 21世紀現在までに核戦争は実際に発生していないが、考古学・地質学による地球各地の化石・地質調査や生物学による人類や他の動植物のDNA解析によって、過去において大規模な火山噴火に伴う「火山の冬」が何度も発生している事が確認されている。 例えば、トバ・カタストロフ理論によれば、7万-7万5000年前にインドネシアのスマトラ島にあるトバ火山が大噴火を起こして気候の寒冷化を引き起こし、当時の人類の人口が1万人にまで減少したとされる。 また有史以降、1816年の「夏のない年」として知られる事例では、1815年にインドネシア中南部、スンバワ島に位置するタンボラ山で発生した過去1600年間で最大規模の噴火の影響でヨーロッパやアジア(中国、日本)に影響を及ぼした記録がある。 他にも、メキシコのエルチチョンが1982年に、フィリピンのピナトゥボ山が1991年に噴火した事例が知られる。 空中の塵による日光遮蔽とそれに伴う危機というほぼ同様の事態として、約6600万年前にメキシコのユカタン半島付近に直径約10kmの巨大隕石(チクシュルーブ衝突体)が落下したことが知られている。この隕石落下が、地球上の全生物の大量絶滅の引き金になったと推定されている「K-Pg境界説(約6500万年前の恐竜をはじめとした大量絶滅シナリオ)」が挙げられる(隕石の冬)。しかし、この隕石によってもたらされた爆発の威力はTNT火薬換算で1億メガトンと推定されており、地球上に存在する全核兵器による爆発エネルギー(TNT火薬換算で30億トン)のおおよそ3万倍である。 この現象は、大気学者のリチャード・ターコ(英語版)博士や宇宙物理学者のカール・セーガン博士らの論文において、共著者の頭文字(Turco・Toon・Ackerman・Pollack・Sagan)を取り、TTAPS理論(TTAPS研究とも)と名付けられたレポート(1983年発表)の中で提唱された。 理論では全面核戦争が引き起こされた場合、世界各地で熱核爆発によって発生した大規模火災を経て数百万トン規模のエアロゾル(浮遊粉塵)が大気中に放出され、これが太陽光線を遮ることにより、数か月に渡って暗雲が地球規模で垂れ込める。その間に植物の死滅・気候の急激な変化が起き、地球全域に渡る生物層(生態系)の壊滅的な破壊) や文明の崩壊を予測している。 さまざまな可能性があり、核使用の規模や状況によっては大規模な核戦争でも何も起こらない可能性から、逆に悪条件が重なり限定使用でも数十年影響を与える可能性がある。 理論的予測では、核戦争の規模によるが、核爆発による浮遊微粒子は、大規模な都市火災によって発生する上昇気流に乗って成層圏にまで到達し、ジェット気流によって世界規模に拡散する。 例えばヨーロッパで限定核戦争が勃発しても、その被害は日本を含むアジアや米国を巻き込むとされ、まして同理論が提唱された冷戦末期の中で米国・ソビエト連邦が核兵器で攻撃しあう事態となれば、間違いなく地球規模の環境破壊が起こると考えられた。 21世紀現在、核兵器が飛び交うような戦争は幸いにして起きていないため、この理論が真実かどうかはコンピュータシミュレーション上の予測値を見るしかない。ラトガース大学のアラン・ロボック(英語版)教授のシミュレーション(2019年)では、インドとパキスタンの2国が核戦争に突入しただけでも、地表温度が2 - 5度は低下するなどの異常気象が最大10年は続き、世界的な食糧危機が訪れるという。また、米ロ間の全面核戦争シナリオにおいては1年後のピーク時の日射量は平年の4割程度まで減少し、平年への回復には約10年要し、その結果、全球平均で2度以上の低下が9年間続き、低下がピークとなる2〜4年後には約9度もの低下し、その結果、3億6千万人の直接被爆死に加え、50億人以上が餓死すると予測されている。 あらゆる不測の可能性が起こりうる核兵器の使用は様々な方面から強く警戒されている。特に2022年のロシアによるウクライナ侵攻以来、ロシアが度々核戦争を仄めかすなどして、冷戦期以来の危機の中にある。 1985年、ジュネーヴでの最初のサミットの後に米ソ両首脳ミハイル・ゴルバチョフとロナルド・レーガンはこう述べた。 双方は、ソ連と米国との間のいかなる紛争も破滅的な結果をもたらし得ることを認識しつつ、 核戦争又は通常戦争の如何を問わず、両国間のいかなる戦争をも防止することの重要性を強調した。 理論上では湾岸戦争時の大規模油田火災でも、地球規模の気温低下が観測されなければならないが、当時の多くの学者の予想に反して気温は全く下がらなかった。 1984年のアメリカ省庁の会合報告書によると、核の冬仮説は科学的に説得力がないとしている。そればかりかソ連がこの問題を取り上げるようになったのは、単に西側の核戦略を妨害することが目的であることを示唆した。1985年10月7日、タイム誌は、アメリカとヨーロッパの反核団体を支援する目的で、ソ連が西側の核の冬理論の研究者に接触した疑惑についてスクープしている。
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核の冬(かくのふゆ、は、大気学者のリチャード・ターコや宇宙物理学者カール・セーガンらにより1983年に提唱された理論で、「核戦争によって地球上に大規模な環境変動が起きて人為的に氷期が発生する」というもの。
[[File:Ivy Mike (Eniwetok-Atoll - 31. Oktober 1952).jpg|thumb|300px|right|[[核実験]]によって発生した巨大な[[キノコ雲]]([[アイビー作戦]])]] {{読み仮名|'''核の冬'''|かくのふゆ|{{lang-en-short|nuclear winter}}}}は、大気学者の{{仮リンク|リチャード・ターコ|en|Richard P. Turco}}や宇宙物理学者[[カール・セーガン]]らにより[[1983年]]に提唱された理論で、「[[核戦争]]によって地球上に大規模な[[環境]]変動が起きて人為的に[[氷期]]が発生する」というもの。 == 概要 == [[File:Nukecloud.png|thumb|300px|right|核兵器の威力ごとの雲の大きさ]] この現象は、[[核兵器]]の使用に伴う[[爆発]]そのものや、広範囲の延焼([[火災]])によって巻き上げられた'''[[灰]]や[[煙]]などの[[浮遊粉塵|浮遊する微粒子]]'''(数時間から数年にわたって大気中を浮遊する)によって[[太陽光|日光]]が遮られた結果、発生するとされる。ほとんどの研究のシミュレーションでは爆発が核兵器によるものであるか否かは考慮されていないので、正確には「核の冬」ではなく「地球規模同時火災による寒冷化現象」である。 最初に提唱された当時は、太陽光が大気透明度の低下で極端に遮断されることから、海洋植物[[プランクトン]]を含む[[植物]]が[[光合成]]を行えずに枯れ、それを[[食糧]]とする[[動物]]が飢えて死に、また気温も急激に下がることが予想されるなど、[[人間]]が生存できないほどの地球環境の悪化を招くとされていた。しかし、後の様々な研究やシミュレーションにより当初の過大性が指摘されて、提唱者本人も誤りを認めている。現在では、爆弾の数が100個程度の場合、数ヶ月から数年程度、1ー3℃程度の地域的な寒冷化と見積もる研究が多い。 しかし、[[放射能]]を帯びた[[放射性降下物|死の灰]]が降り注ぐことによる[[催奇性|催畸性]]の問題、大規模核戦争への恐怖心や核廃絶というイデオロギーもあり、核兵器の危険性を説明するうえで、たびたび過大に見積もられた最初のシミュレーションが検証なく引用されている。 === 火山の冬 === 21世紀現在までに核戦争は実際に発生していないが、[[考古学]]・[[地質学]]による地球各地の[[化石]]・地質調査や[[生物学]]による[[人類]]や他の動植物の[[DNA]][[解析]]によって、過去において[[破局噴火|大規模な火山噴火]]に伴う'''「[[火山の冬]]」'''が何度も発生している事が確認されている。 例えば、[[トバ・カタストロフ理論]]によれば、7万-7万5000年前に[[インドネシア]]の[[スマトラ島]]にある[[トバ火山]]が大噴火を起こして気候の寒冷化を引き起こし、当時の人類の人口が1万人にまで減少したとされる。 また有史以降、[[1816年]]の「[[夏のない年]]」として知られる事例では、[[1815年]]にインドネシア中南部、スンバワ島に位置する[[タンボラ山]]で発生した[[1815年のタンボラ山噴火|過去1600年間で最大規模の噴火]]の影響でヨーロッパやアジア([[清|中国]]、日本)に影響を及ぼした記録がある。 他にも、[[メキシコ]]の[[エルチチョン]]が[[1982年]]に、[[フィリピン]]の[[ピナトゥボ山]]が[[1991年]]に噴火した事例が知られる。 空中の塵による日光遮蔽とそれに伴う危機というほぼ同様の事態として、約6600万年前に[[メキシコ]]の[[ユカタン半島]]付近に直径約10kmの巨大[[隕石]]([[チクシュルーブ衝突体]])が落下したことが知られている。この隕石落下が、地球上の全生物の大量絶滅の引き金になったと推定されている「[[K-Pg境界]]説(約6500万年前の[[恐竜]]をはじめとした[[大量絶滅]]シナリオ)」が挙げられる([[隕石の冬]])。しかし、この隕石によってもたらされた爆発の威力はTNT火薬換算で1億メガトンと推定されており<ref>{{cite news | url =https://wired.jp/2004/05/28/%E6%81%90%E7%AB%9C%E7%B5%B6%E6%BB%85%E3%81%AB%E6%96%B0%E8%AA%AC%E3%80%8C%E5%B0%8F%E6%83%91%E6%98%9F%E8%A1%9D%E7%AA%81%E5%BE%8C%E3%80%81%E6%95%B0%E6%99%82%E9%96%93%E3%81%A7%E5%85%A8%E6%BB%85%E3%80%8D/| title =恐竜絶滅に新説「小惑星衝突後、数時間で全滅」 | publisher = WIRED| date= 2004-5-28| accessdate =2022-8-19}}</ref>、地球上に存在する全核兵器による爆発エネルギー(TNT火薬換算で30億トン)のおおよそ3万倍である<ref>{{cite news | url =https://karapaia.com/archives/52310611.html| title =もしも世界に存在する核兵器を全部同時に爆発させたらどうなるのか? | publisher = カラパイア| date= 2022-3-2| accessdate =2022-8-19}}</ref>。 {{Clear}} == 理論 == [[File:Global temperature changes after nuclear winter.jpg|thumb|300px|核の冬による[[気候変動]]の[[シミュレーション]]([[1984年]])。上段が40日後、下段が243日後。全地球規模で大きな気温低下が想定されている。]] この現象は、大気学者の{{仮リンク|リチャード・ターコ|en|Richard P. Turco}}博士や宇宙物理学者の[[カール・セーガン]]博士らの論文において、共著者の頭文字(Turco・Toon・Ackerman・Pollack・Sagan)を取り、'''TTAPS理論'''('''TTAPS研究'''とも)と名付けられたレポート([[1983年]]発表)の中で提唱された<ref name="ttaps1983"/>。 理論では全面核戦争が引き起こされた場合、世界各地で熱核爆発によって発生した大規模火災を経て数百万トン規模の[[エアロゾル]](浮遊粉塵)が大気中に放出され、これが太陽光線を遮ることにより、数か月に渡って暗雲が地球規模で垂れ込める。その間に植物の死滅・気候の急激な変化が起き、地球全域に渡る生物層([[生態系]])の壊滅的な破壊) <ref>Kaiho, K.: Extinction magnitude of animals in the near future. Sci. Rep. 12, 19593 (2022)</ref>や文明の崩壊を予測している。 == 被害予測・実際の現象 == さまざまな可能性があり、核使用の規模や状況によっては大規模な核戦争でも何も起こらない可能性から、逆に悪条件が重なり限定使用でも数十年影響を与える可能性がある。 理論的予測では、核戦争の規模によるが、[[核爆発]]による浮遊微粒子は、大規模な都市火災によって発生する[[上昇気流]]に乗って[[成層圏]]にまで到達し、[[ジェット気流]]によって世界規模に拡散する。 例えば[[ヨーロッパ]]で限定核戦争が勃発しても、その被害は[[日本]]を含む[[アジア]]や[[アメリカ合衆国|米国]]を巻き込むとされ、まして同理論が提唱された[[冷戦]]末期の中で米国・[[ソビエト連邦]]が核兵器で攻撃しあう事態となれば、間違いなく地球規模の環境破壊が起こると考えられた。 21世紀現在、核兵器が飛び交うような戦争は幸いにして起きていないため、この理論が真実かどうかは[[シミュレーション|コンピュータシミュレーション]]上の予測値を見るしかない。[[ラトガース大学]]の{{仮リンク|アラン・ロボック|en|Alan Robock}}教授のシミュレーション(2019年)では、[[インド]]と[[パキスタン]]の2国が核戦争に突入しただけでも、地表温度が2 - 5度は低下するなどの異常気象が最大10年は続き、世界的な食糧危機が訪れるという<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3247759|title=「印パ核戦争」なら死者1億人に すすが地球寒冷化誘発 研究|website=[[AFP通信]]|date=2019-10-03|accessdate=2019-10-05}}</ref>。また、米ロ間の全面核戦争シナリオにおいては1年後のピーク時の日射量は平年の4割程度まで減少し、平年への回復には約10年要し、その結果、全球平均で2度以上の低下が9年間続き、低下がピークとなる2〜4年後には約9度もの低下し<ref>{{Cite journal|last=Coupe|first=Joshua|last2=Bardeen|first2=Charles G.|last3=Robock|first3=Alan|last4=Toon|first4=Owen B.|date=2019-08-16|title=Nuclear Winter Responses to Nuclear War Between the United States and Russia in the Whole Atmosphere Community Climate Model Version 4 and the Goddard Institute for Space Studies ModelE|url=https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1029/2019JD030509|journal=Journal of Geophysical Research: Atmospheres|volume=124|issue=15|pages=8522–8543|language=en|doi=10.1029/2019JD030509|issn=2169-897X}}</ref>、その結果、3億6千万人の直接被爆死に加え、50億人以上が餓死すると予測されている<ref>Xia, Lili; Robock, Alan; Scherrer, Kim; Harrison, Cheryl S.; Bodirsky, Benjamin Leon; Weindl, Isabelle; Jägermeyr, Jonas; Bardeen, Charles G.; Toon, Owen B.; Heneghan, Ryan (August 15, 2022). "Global food insecurity and famine from reduced crop, marine fishery and livestock production due to climate disruption from nuclear war soot injection". Nature Food. 3 (8): 586–596. doi:10.1038/s43016-022-00573-0. ISSN 2662-1355. {{PMID|37118594}}. S2CID 251601831.</ref>。 あらゆる不測の可能性が起こりうる核兵器の使用は様々な方面から強く警戒されている。特に[[2022年]]の[[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ロシアによるウクライナ侵攻]]以来、ロシアが度々核戦争を仄めかすなどして、冷戦期以来の危機の中にある。 == 政治的影響 == [[1985年]]、[[ジュネーヴ]]での最初の[[主要国首脳会議|サミット]]の後に米ソ両首脳[[ミハイル・ゴルバチョフ]]と[[ロナルド・レーガン]]はこう述べた。 {{Quote |'''核戦争に勝者はなく'''、また核戦争は決して戦われてはならないことにつき意見の一致をみた。 双方は、ソ連と米国との間のいかなる紛争も'''破滅的な結果をもたらし得る'''ことを認識しつつ、 核戦争又は通常戦争の如何を問わず、両国間のいかなる戦争をも防止することの重要性を強調した。 |[[ミハイル・ゴルバチョフ]]、[[ロナルド・レーガン]] |{{Cite conference | title = 米・ソ首脳会談共同発表(仮訳) | publisher = [[日本|日本国]][[外務省]] | date = 1985-11-21 | url = https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1986/s61-shiryou-513.htm | accessdate = 2021-11-29 }} }} {{Clear}} == 懐疑論とソ連によるプロパガンダ疑惑 == 理論上では[[湾岸戦争]]時の大規模油田火災でも、地球規模の気温低下が観測されなければならないが、当時の多くの学者の予想に反して気温は全く下がらなかった<ref>{{Cite web|和書|title=「核の冬」のシナリオは本当か:核戦争→気候大変動→地球の冷却→生物の死滅…|url=https://jp.rbth.com/science/81920-kaku-no-fuyu-no-shinario-ha-hontou-ka|website=jp.rbth.com|date= 2019-04-22 |accessdate=2019-05-12|language=ja-JP|last=オレグ・エゴロフ}}</ref>。 1984年のアメリカ省庁の会合報告書<ref>https://www.cia.gov/readingroom/docs/DOC_0000284025.pdf</ref>によると、核の冬仮説は科学的に説得力がないとしている。そればかりかソ連がこの問題を取り上げるようになったのは、単に西側の核戦略を妨害することが目的であることを示唆した。1985年10月7日、タイム誌は、アメリカとヨーロッパの反核団体を支援する目的で、ソ連が[[西側諸国|西側]]の核の冬理論の研究者に接触した疑惑についてスクープしている<ref>https://web.archive.org/web/20070930040755/http://www.time.com/time/magazine/printout/0,8816,960025,00.html</ref>。 == 核の冬を扱った作品 == * [[NHK特集]]『[[核戦争後の地球]]』(テレビ放送:[[1984年]]、ディレクター:[[相田洋]]) * 『[[ザ・デイ・アフター]]』(ABCネットワークで放送されたアメリカのテレビ映画:[[1983年]]) * 『[[SF核戦争後の未来・スレッズ]]』(BBCで放送されたイギリスのテレビ映画:[[1984年]]) * 『[[マトリックス (映画シリーズ)|マトリックスシリーズ]]』  (アメリカのSF映画シリーズ、映画の史実では人類がロボットとの最終戦争を有利にするため、自ら核の冬を引き起こしロボットの電力源、太陽光を遮った。) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|refs= <ref name="ttaps1983">{{cite journal |first1=R.P. |last1=Turco |first2=O.B. |last2=Toon |first3=T.P. |last3=Ackerman |authorlink4= |first4=J.B. |last4=Pollack |authorlink5= |first5=C. |last5=Sagan |title=Nuclear Winter: Global Consequences of Multiple Nuclear Explosions |journal=Science |volume=222 |issue=4630 |date= 1983-12-23 |doi=10.1126/science.222.4630.1283 |pmid=17773320 |pages=1283–92|bibcode = 1983Sci...222.1283T }}</ref> }} == 関連項目 == * [[スリーマイル島原子力発電所事故]] * [[火山の冬]] == 外部リンク == * {{EoE|Nuclear_winter|Nuclear winter}} {{核兵器}} {{核技術}} {{放射線}} {{大規模火山災害}} {{DEFAULTSORT:かくのふゆ}} [[Category:核戦争]] [[Category:環境問題]] [[Category:気候変動の原因]] [[Category:原子力の環境負荷]] [[Category:大気汚染]] [[Category:カール・セーガン]]
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原子核反応
原子核物理学における原子核反応(、英: nuclear reaction)または核反応とは、入射粒子が標的核(原子核)と衝突して生じる現象の総称を言う。大別して、吸収、核分裂、散乱の三つがあるが、その反応過程は多彩で統一的に記述する理論はまだない。 核反応においては、電荷、質量数、全エネルギー、全運動量が保存される。 核反応は次の様な記号で表される。すなわち、代数的に、原子核 A (標的核)と粒子 a (入射粒子)が衝突して、原子核 B (反跳核または残留核)と粒子 b (放出粒子)が発生するとき、これを と書き (a, b) 反応と呼ぶ。 たとえば、具体的な記述として Li (p, γ) Be というものがあれば、これは という核反応を表しており (p, γ) 反応または陽子−ガンマ反応と呼ぶ、というように用いる。 他にも例えばラザフォードが1919年に発見した窒素14にアルファ線を当てると陽子を放出して酸素17になるという反応は と記述できる。 入射粒子の運動エネルギーが標的核の核子ひとつあたりの平均の相互作用エネルギーよりも小さいとき、入射粒子は標的核である原子核全体と相互作用するものとみなすことができる。この場合、この核反応の仕組みは、複合核モデル(compound-nucleus model)と呼ばれるモデルを用いることで物理的に解釈することができる。この複合核モデルは、ニールス・ボーアによって、またそれと独立にグレゴリー・ブライトとユージン・ウィグナーによって導入された。 このモデルに従う場合、核反応は次の二段階に渡って発生すると考えることになる。
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原子核物理学における原子核反応(げんしかくはんのう、または核反応とは、入射粒子が標的核と衝突して生じる現象の総称を言う。大別して、吸収、核分裂、散乱の三つがあるが、その反応過程は多彩で統一的に記述する理論はまだない。 核反応においては、電荷、質量数、全エネルギー、全運動量が保存される。
[[原子核物理学]]における{{読み仮名|'''原子核反応'''|げんしかくはんのう|{{lang-en-short|nuclear reaction}}}}または'''核反応'''とは、入射粒子<ref>入射粒子としては[[原子核]]、[[核子]]([[陽子]]、[[中性子]])など様々なものがある。</ref>が標的核(原子核)と衝突して生じる現象の総称を言う<ref>ただし、原子核の転換を伴う場合に限定することが多い。<br />[[#用語辞典(1974)| 用語辞典(1974)]] p.52 『核反応』</ref>。大別して、吸収、[[核分裂反応|核分裂]]、散乱<ref>弾性散乱、非弾性散乱の二つに分けられるが、弾性散乱は省かれることもある、といわれる。</ref>の三つがあるが、その反応過程は多彩で統一的に記述する理論はまだない。 核反応においては、電荷、質量数、全エネルギー、全運動量が保存される。 == 核反応を表す式 == 核反応は次の様な記号で表される。すなわち、代数的に、原子核 ''A'' (標的核)と粒子 ''a'' (入射粒子)が衝突して、原子核 ''B'' (反跳核または残留核<ref>核反応によって放出された粒子を放出粒子(ほうしゅつりゅうし、emitted particle)と呼ぶが、放出粒子を放った後に残った原子核で、軽いもので反跳するようなものを反跳核(はんちょうかく、recoil neucleus)、また重いものを残留核(ざんりゅうかく、residual nucleus)と呼ぶ。[[#用語辞典(1974)|用語辞典(1974)]] 該当項目</ref>)と粒子 b (放出粒子)が発生するとき、これを : ''A'' (''a'', ''b'') ''B'' と書き (''a'', ''b'') 反応と呼ぶ。 たとえば、具体的な記述として <sup>7</sup>Li (p, γ) <sup>8</sup>Be というものがあれば、これは : <chem>7Li{} + \mathit{p} -> 8Be{} + \gamma</chem> という核反応を表しており '''(p, γ) 反応'''または'''陽子−ガンマ反応'''と呼ぶ、というように用いる。 他にも例えば[[アーネスト・ラザフォード|ラザフォード]]が1919年に発見した[[窒素]]14に[[アルファ線]]を当てると[[陽子]]を放出して[[酸素]]17になるという反応は : <chem>^{14}N (\alpha,p)\ ^{17}O</chem> と記述できる。 == 複合核モデルによる解釈 == '''入射粒子の運動エネルギーが標的核の核子ひとつあたりの平均の相互作用エネルギーよりも小さいとき'''、入射粒子は標的核である原子核全体と相互作用するものとみなすことができる。この場合、この核反応の仕組みは、'''複合核モデル'''(compound-nucleus model)と呼ばれるモデルを用いることで物理的に解釈することができる。この複合核モデルは、[[ニールス・ボーア]]によって、またそれと独立に[[グレゴリー・ブライト]]と[[ユージン・ウィグナー]]によって導入された<ref>[[#グラストン(1955)|グラストン(1955)]] p.15</ref>。 このモデルに従う場合、核反応は次の二段階に渡って発生すると考えることになる。 : (標的核) + (入射粒子) → (複合核) :複合核を形作る過程 : (複合核) → (反跳核) + (放出粒子) :複合核が壊れる過程 == 原子核反応の応用 == * [[原子力発電]] * [[核兵器]] *[[放射化分析]] *[[放射線療法]] == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * {{cite book | 和書 | author=S.グラストン, M. C. エドランド | title=原子炉の理論 | year=1955 | editor=伏見康治, 大塚 益比古(共訳) | ref=グラストン(1955) }} * {{cite book | 和書 | editor=原子力用語研究会(編) | title=図解 原子力用語辞典 | edition=新版 | publisher=日刊工業新聞社 | year=1974 | ref=用語辞典(1974) }} == 関連項目 == * [[原子核物理学]] - [[原子力]] * [[核分裂反応]] - [[核融合反応]] - [[核破砕反応]] - [[光核反応]] * [[原子エネルギー]] {{核反応}} {{放射線}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:けんしかくはんのう}} [[Category:原子核物理学]]
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核ミサイル
核ミサイル()は、核弾頭(核兵器)を搭載したミサイルのこと。核兵器運搬手段の1つ。多くの場合、誘導装置を持つミサイルだけでは無く、無誘導のロケット弾を分類に含める。 原子爆弾が開発された第二次世界大戦当時、それは航空機から投下する航空爆弾であった。弾道ミサイルは誕生したばかりで、爆撃精度、搭載量共に不足しており、またその技術はナチス・ドイツが独占していたため、他の国が利用することは出来なかった。 戦争の終結と共に技術が拡散し、各国が研究を進める中で最初に大型弾道ミサイル開発に成功したのはソビエト連邦だった。そしてソ連が1949年に原子爆弾を手にすると、両者が組み合わされて最初の大陸間弾道ミサイルであるR-7が開発され、アメリカ合衆国を目標に配備されることになる。 戦後すぐの頃の米国には巨大な航空機開発力とその成果である新鋭航空機、戦争を戦いぬいた強力な空軍部隊の存在があり、当時の核戦力は爆撃機部隊が中心となって担っていた。後にB-36となる巨大爆撃機10-10ボマーの開発はすでに戦争中から行われていたうえ、ドイツの後退翼理論を採用したジェット爆撃機の開発も始まっていた。また当時の重く大きい原子爆弾を運搬出来る大型爆撃機はアメリカとイギリスにしかなかったこともあって、弾道ミサイルの開発は急がれてはいなかった。しかしながらB-29のコピーであるTu-4の存在やR-7配備のニュースが報道されるとアメリカでも弾道ミサイルの開発に拍車がかかり、多種多様な弾道ミサイルが配備されることになる。これらのうち陸軍の長距離ミサイルは、その後に空軍に移管されて運用が一本化され、これと空軍が元々持っていた巡航ミサイルと戦略爆撃機の組み合わせによる核攻撃のミッション、および海軍の潜水艦発射弾道ミサイル搭載の原子力潜水艦を合わせて、いわゆるアメリカの「核の三本柱」が構成されることとなった。その後、国防予算の削減を目的として新型爆撃機XB-70バルキリーの開発が中止されたり、SALTやSTARTなどの軍縮の影響で陸上配備の弾道ミサイルの増加に歯止めがかかると、核戦力の比重がしだいに海軍に移る結果となっている。 結果的に核ミサイルはソ連が先鞭をつけ、その後をアメリカが追いかけ、追いついた形となった。 核ミサイルとは空中を動力飛行して核攻撃を加える無人兵器と考えることができる。誘導装置があればミサイルと呼ばれ、無ければロケット弾と呼ばれる。大気圏外を弾道飛行する弾道ミサイルと、大気圏内を飛行する有翼の巡航ミサイルに大きく分けられる。なお、理論的にはジェットエンジンで飛翔する無誘導の飛翔体も考えられるが、実用例は無い。 小型化や威力の増大、また水素爆弾の開発など核兵器そのものの研究が進むと、核兵器は多様な目標をもち、多様な運搬プラットフォームに搭載されるようになる。核爆弾の強大な破壊力は当時の原始的な誘導装置を補って余りあるものだった。つまり多少狙いがそれても核兵器なら相手に被害を与えることが可能となるのである。 しかしながら戦術的な核攻撃を端緒とする世界規模の核戦争が危惧され始めると各兵器への核弾頭の拡散は次第に低調になり、冷戦が終了するとアメリカやロシアの戦術核ミサイルの多くは退役することとなった。現在ではこれらの国々においては核ミサイルのほとんどが戦略兵器として使用されている。その一方でミサイル技術の拡散とともに新しい弾道ミサイルが各国で開発されており、それらの国々の中には核兵器の開発に成功した国もある。これらの国々では核ミサイルが運用されているものと考えられている。
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核ミサイルは、核弾頭(核兵器)を搭載したミサイルのこと。核兵器運搬手段の1つ。多くの場合、誘導装置を持つミサイルだけでは無く、無誘導のロケット弾を分類に含める。
{{出典の明記|date=2022年8月}} {{読み仮名|'''核ミサイル'''|かくミサイル}}は、[[核弾頭]]([[核兵器]])を搭載した[[ミサイル]]のこと。[[核兵器運搬手段]]の1つ。多くの場合、誘導装置を持つミサイルだけでは無く、無誘導の[[ロケット弾]]を分類に含める。<!--[http://psyco.jp/mizika/flash/msdlast.html]--> == 概要 == [[原子爆弾]]が開発された[[第二次世界大戦]]当時、それは[[航空機]]から投下する航空爆弾であった。[[弾道ミサイル]]は誕生したばかりで、爆撃精度、搭載量共に不足しており、またその技術は[[ナチス・ドイツ]]が独占していたため、他の国が利用することは出来なかった。 戦争の終結と共に技術が拡散し、各国が研究を進める中で最初に大型弾道ミサイル開発に成功したのは[[ソビエト連邦]]だった。そしてソ連が[[1949年]]に[[原子爆弾]]を手にすると、両者が組み合わされて最初の[[大陸間弾道ミサイル]]である[[R-7 (ロケット)|R-7]]が開発され、[[アメリカ合衆国]]を目標に配備されることになる。 [[戦後]]すぐの頃の米国には巨大な航空機開発力とその成果である新鋭航空機、戦争を戦いぬいた強力な[[空軍]]部隊の存在があり、当時の核戦力は[[爆撃機]]部隊が中心となって担っていた。後に[[B-36 (航空機)|B-36]]となる巨大爆撃機10-10ボマーの開発はすでに戦争中から行われていたうえ、ドイツの後退翼理論を採用したジェット爆撃機の開発も始まっていた。また当時の重く大きい[[原子爆弾]]を運搬出来る大型爆撃機はアメリカと[[イギリス]]にしかなかったこともあって、弾道ミサイルの開発は急がれてはいなかった。しかしながら[[B-29 (航空機)|B-29]]のコピーである[[Tu-4 (航空機)|Tu-4]]の存在やR-7配備のニュースが報道されるとアメリカでも弾道ミサイルの開発に拍車がかかり、多種多様な弾道ミサイルが配備されることになる。これらのうち陸軍の長距離ミサイルは、その後に空軍に移管されて運用が一本化され、これと空軍が元々持っていた[[巡航ミサイル]]と[[戦略爆撃機]]の組み合わせによる核攻撃のミッション、および[[海軍]]の[[潜水艦発射弾道ミサイル]]搭載の[[原子力潜水艦]]を合わせて、いわゆるアメリカの「[[核の三本柱]]」が構成されることとなった。その後、国防予算の削減を目的として新型爆撃機[[XB-70 (航空機)|XB-70バルキリー]]の開発が中止されたり、[[第一次戦略兵器制限交渉|SALT]]や[[第一次戦略兵器削減条約|START]]などの軍縮の影響で陸上配備の弾道ミサイルの増加に歯止めがかかると、核戦力の比重がしだいに海軍に移る結果となっている。 結果的に核ミサイルはソ連が先鞭をつけ、その後をアメリカが追いかけ、追いついた形となった。 == 種類 == 核ミサイルとは空中を動力飛行して核攻撃を加える無人兵器と考えることができる。誘導装置があればミサイルと呼ばれ、無ければロケット弾と呼ばれる。大気圏外を弾道飛行する[[弾道ミサイル]]と、大気圏内を飛行する有翼の[[巡航ミサイル]]に大きく分けられる。なお、理論的にはジェットエンジンで飛翔する無誘導の飛翔体も考えられるが、実用例は無い<!--と思う。確認してないけど-->。 小型化や威力の増大、また[[水素爆弾]]の開発など[[核兵器]]そのものの研究が進むと、核兵器は多様な目標をもち、多様な運搬プラットフォームに搭載されるようになる。[[核爆弾]]の強大な破壊力は当時の原始的な誘導装置を補って余りあるものだった。つまり多少狙いがそれても核兵器なら相手に被害を与えることが可能となるのである。 しかしながら戦術的な核攻撃を端緒とする世界規模の[[核戦争]]が危惧され始めると各兵器への[[核弾頭]]の拡散は次第に低調になり、[[冷戦]]が終了するとアメリカや[[ロシア]]の戦術核ミサイルの多くは退役することとなった。現在ではこれらの国々においては核ミサイルのほとんどが戦略兵器として使用されている。その一方でミサイル技術の拡散とともに新しい弾道ミサイルが各国で開発されており、それらの国々の中には核兵器の開発に成功した国もある。これらの国々では核ミサイルが運用されているものと考えられている。 [[Image:Genie Nuclear Unguieded Missile.jpg|thumb|ジーニ核ロケット弾(ホワイト・サンズミサイル射爆場博物館)]] ; [[空対空ミサイル]] : 小型核兵器を用いて、密集して飛んでいる敵爆撃機部隊をまとめて破壊する兵器。 : アメリカでは[[AIR-2 (ミサイル)|空対空核ロケット弾ジーニ]]、空対空核ミサイルである[[AIM-26 (ミサイル)|核ファルコン]]などが実用化された。 {{-}} [[Image:AGM-28 Hound Dog on display at White Sands Missile Museum.jpg|thumb|ハウンド・ドッグ空対地ミサイル(ホワイト・サンズミサイル射爆場博物館)]] ; [[空対地ミサイル]] : [[巡航ミサイル]]を爆撃機に搭載し、敵国深く侵攻して攻撃するアイデアは第二次世界大戦中からあった。戦後は核弾頭を付けて戦略兵器とすることが考えられた。当時は大型弾道ミサイルを開発している真っ最中であり、その将来は不透明であったため、特にアメリカでは有翼の巡航ミサイルのほうが将来の本命と見られていたようだ。 : この方式のミサイルとしてはラスカル、[[AGM-28 (ミサイル)|ハウンド・ドッグ]]、[[SRAM (ミサイル)|SRAM]]、[[ALCM (ミサイル)|ALCM]]などがある。ソ連でも[[Tu-22M (航空機)|バックファイヤー]]や[[Tu-160_(航空機)|ブラックジャック]]といったジェット爆撃機に搭載される各種の巡航ミサイルの存在が知られている。米ソ以外ではイギリスが[[ブルースチール (ミサイル)|ブルースチール]]を運用したし、[[フランス]]が[[ASMP (ミサイル)|ASMP]]を運用している。 {{-}} [[Image:BOMARC.jpg|thumb|ボマーク地対空ミサイル]] ; [[地対空ミサイル]] : ソ連はアメリカの戦略爆撃機部隊の迎撃用に核弾頭を備えた地対空ミサイルを配備していた。 : アメリカもまた[[アメリカ陸軍|陸軍]]の[[MIM-14 (ミサイル)|ナイキ・ハーキュリーズ]]や[[アメリカ空軍|空軍]]の[[ボマーク (ミサイル)|ボマーク]]に核弾頭を用意していた。 {{-}} [[Image:NIKE Zeus.jpg|thumb|ナイキ・ゼウス(当時呼称はジュース)弾道弾迎撃ミサイル]] ; [[弾道弾迎撃ミサイル]] (ABM) : ABMは、運用形態としては地対空ミサイルである。初期のABMは例外無く核弾頭装備であった。これは現在の[[ミサイル防衛|BMD]]でも問題になっているように、相対速度が極めて大きくなる弾道弾迎撃任務ではリアクションタイムが極めて短いため、必中を期して危害半径を大きく取れる核弾頭が採用されたのである。 : アメリカでは高空迎撃用として[[LIM-49 (ミサイル)|ナイキ・ゼウス]](開発中止)、同じく[[LIM-49 (ミサイル)|スパルタン]]、低空用の[[スプリント]]などが開発された。ソ連でもABMが開発されたが、その後の[[弾道弾迎撃ミサイル制限条約|ABM条約]]によってアメリカはミサイルの運用を中止、ソ連は[[モスクワ]]周辺に少数を配備するにとどめた。当時は核爆発に伴う[[電磁パルス]](EMP)擾乱が良く知られておらず、また[[放射性降下物|死の灰]](Fall out)の存在を考えると、自国上空でABMを使用した場合、たとえ迎撃に成功しても自国の被害はかなり大きな物になったと考えられる。 {{-}} [[Image:Minuteman I.jpg|thumb|ミニットマンI型ICBM]] ; 戦略地対地弾道ミサイル : 核弾頭を持つ[[戦略核兵器]]である長射程の弾道ミサイルは各国で開発、運用されている。 :* [[大陸間弾道ミサイル]](ICBM) :* [[中距離弾道ミサイル]](IRBM) :* [[準中距離弾道ミサイル]](MRBM) :* [[潜水艦発射弾道ミサイル]](SLBM) :* [[空中発射弾道ミサイル]](ALBM) : 航空機から発射され、弾道飛行するミサイル。アメリカは[[スカイボルト (ミサイル)|スカイボルト]]というALBMを開発していたが、結局計画はキャンセルされた。この影響でスカイボルトを導入する予定だったイギリスは核戦力体系を見直す羽目になり、[[1962年]]に首脳同士の会談で当時の[[ジョン・F・ケネディ|ケネディ大統領]]が[[ハロルド・マクミラン|マクミラン首相]]に[[ポラリス (ミサイル)|ポラリスSLBM]]の売却を提案し、これを受け入れたイギリスは核戦力の主力を[[イギリス空軍|空軍]]から[[イギリス海軍|海軍]]に移すことになる。 {{-}} [[Image:MACE B.jpg|thumb|[[MGM/CGM-13 (ミサイル)|メイスB]]巡航ミサイル]] ; 戦略地対地巡航ミサイル : この種のミサイルは主に[[アメリカ空軍]]で開発、運用されている。ナバホ、[[MGM-1 (ミサイル)|マタドール]]、[[MGM/CGM-13 (ミサイル)|メイス]]、スナークなどが運用された。返還前の[[沖縄県|沖縄]]には[[中華人民共和国|中国]]国内を目標にメースBが配備されていたし、巨大なスナークは射程8,800[[キロメートル|km]]に達し、[[北アメリカ]]から直接中国やソ連を攻撃することが可能で、空軍では大陸間ミサイル(ICM)と呼んだ。 : また[[アメリカ海軍]]もレギュラスを開発し、[[原子力潜水艦]]に搭載して運用したほか、[[トマホーク (ミサイル)|トマホーク]]を開発して水上艦、潜水艦に搭載した。 {{-}} ; [[部分軌道爆撃システム]] : ソ連は1960年代に部分軌道爆撃システム(FOBS)と呼ばれる核ミサイルを開発した。弾道ミサイルと異なり、核弾頭が衛星軌道を飛行するのが特徴である。 [[Image:PershingI.jpg|thumb|[[MGM-31 (ミサイル)|パーシングI]]短距離弾道ミサイイル([[ホワイトサンズ・ミサイル実験場|ホワイト・サンズミサイル射爆場博物館]])]] ; 戦術地対地弾道ミサイル : [[短距離弾道ミサイル]](SRBM)、及びロケット弾が戦術用途に運用されている。米国では戦術用地対地ミサイルとして[[MGM-18 (ミサイル)|ラクロス]]、[[MGM-5 (ミサイル)|コーポラル]]、[[MGM-29 (ミサイル)|サージェント]]、[[MGM-31 (ミサイル)|パーシングI]]、[[MGM-52 (ミサイル)|ランス]]などがあり、核ロケット弾[[MGR-1 (ロケット)|オネスト・ジョン]]、[[MGR-3 (ロケット)|リトル・ジョン]]と共に陸軍で運用された。ソ連では[[スカッド|R-17(スカッド)]]を始めとする多数の地対地ミサイルが運用されたほか、地対地ロケット弾Luna-M(FROG)シリーズにも核弾頭が搭載されていたといわれる。フランスのプリュトン、[[イスラエル]]のジェリコ、[[パキスタン]]のハトフ、[[シャーヒーン1]]、[[中華人民共和国|中国]]の[[DF-11 (ミサイル)|東風11]]、[[DF-15 (ミサイル)|東風15]]などもこの範疇に入る。 {{-}} ; [[対艦ミサイル]]/[[対潜ミサイル|対潜水艦ミサイル]] : 強力なアメリカ海軍を仮想敵とする[[ロシア海軍#ソ連海軍|ソ連海軍]]には核弾頭を持つ対艦/対潜水艦兵器が多数配備されていた。[[核魚雷]]、[[核爆雷]]、そして対艦/対潜水艦核ミサイルである。これらは水上艦、潜水艦に搭載され、地上配備の海軍爆撃機部隊の空中発射対艦ミサイルと共に、寄せてくるアメリカ艦隊に[[飽和攻撃]]を加える計画だった。 == 関連項目 == {{commonscat|Nuclear delivery}} * [[ミサイル防衛]] * [[イージスシステム]] - [[イージス艦]] * [[パトリオットミサイル]](PAC-3) * [[巡航ミサイル]] {{ミサイルの分類}} {{デフォルトソート:かくみさいる}} [[Category:核兵器]] [[Category:ミサイル]]
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核爆弾
核爆弾(、英: nuclear bomb)は、核兵器の一種で、核分裂連鎖反応や核融合反応を利用した爆弾。現在では、特に航空機から投下される自由落下型核兵器を指して核爆弾の用語が使用される。 ウランやプルトニウムを核分裂させそのエネルギーを使用する核爆弾のことを原子爆弾(核分裂爆弾)、重水素などを核融合させそのエネルギーを使用する核爆弾のことを水素爆弾(核融合爆弾)という。 初期の核兵器はいずれも航空機から投下される航空爆弾として運用された。米国のリトルボーイMk.1、ファットマンとファットマンから派生したMk.3、英国の核爆弾ブルーダニューブMk.1(青きドナウ)、及び水素爆弾イエローサンMk.1(黄色い太陽)といった開発当初の核兵器は、大きくかつ重く、同じく開発されたばかりの弾道ミサイルに搭載して運用するには過大だった。第二次世界大戦が終わってまもなく、各国で核兵器の開発が盛んに行われた1950年代には、有効な核兵器運搬手段としては大型爆撃機しか無く、それゆえ核兵器は航空爆弾として運用されたのである。 人類史上初、かつ2023年現在唯一実戦で核爆弾を使用したのは米国であり、投下先は日本の広島、長崎である。 研究が進み核兵器が小型化され、ロケットの性能が向上すると核兵器の主力は核弾頭を搭載した弾道ミサイルとなった。1960年代になり、米国のMark57のような小型核兵器が開発されると核爆弾は小型の航空機にも搭載できるようになり、単座の戦闘爆撃機による核攻撃ミッションが各国の空軍部隊で採用されるようになった。その後、米国のB61のような威力可変型核爆弾が開発されると戦術用途のみならず戦略任務も課せられるようになる。 航空機投下型核爆弾では、核爆発による自機の被害を避けるため特殊な運用が成される。そのひとつであるトス爆撃方法では、航空機は目標直前で急上昇しつつ核爆弾を切り離し、目標上空へ核爆弾を放り上げる。航空機は核爆弾が上昇から落下に移る時間を利用して核爆発の影響圏内から退避する。また投下後にパラシュートがひらき、落下速度を減じるパラシュート減速爆弾では、核爆弾の落下そのものの時間を利用して退避する。 冷戦期の核保有国の空軍は多数の航空機投下型核爆弾を配備し、核攻撃任務を担っていた。しかしながら冷戦が終了すると軍事予算の削減の影響で、これらの核爆弾は1990年代後半から順次退役し、各国とも核戦力を主要な核兵器に絞り込みつつある。そのなかで巨大で目標になりやすく、かつ攻撃に脆弱な空港という施設から運用される航空機による戦略核攻撃部隊は真っ先に削減対象になり、多くの国々で自由落下型航空核兵器が退役した。また航空機発射型巡航ミサイルを運用する爆撃機部隊も一部の国々を除いて退役が進んでいる。 核拡散防止条約 (NPT) 体制下では、核兵器の保有は一部の国々の特権となっているが、秘密裏に核兵器を開発した国々や、そもそもNPTに加入せずに核兵器を開発した国々もある。 まず核兵器を保有して戦争への抑止力とし、時間を稼ぎつつ運搬手段の開発を進め、核戦力に実行性を持たせるというのが各国の趨勢である。それゆえ国内に発達した原子力産業を運用する技術力を持ち、かつ大型ロケットを開発・運用する国家については、事実上核武装可能であることから、他の国より潜在的には核保有国と見なされる場合もある。
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核爆弾(かくばくだん、は、核兵器の一種で、核分裂連鎖反応や核融合反応を利用した爆弾。現在では、特に航空機から投下される自由落下型核兵器を指して核爆弾の用語が使用される。
{{言葉を濁さない|date=2010年1月}} {{読み仮名|'''核爆弾'''|かくばくだん|{{lang-en-short|nuclear bomb}}}}は、[[核兵器]]の一種で、[[核分裂連鎖反応]]<ref> {{Cite web|和書 | title = 核爆弾 | publisher =RIST(一般財団法人 高度情報科学技術研究機構)旧称・財団法人原子力データセンター(NEDAC) | url =https://atomica.jaea.go.jp/dic/detail/dic_detail_1461.html | accessdate = 2021-07-07}} </ref>や[[核融合反応]]を利用した[[爆弾]]。現在では、特に航空機から投下される[[無誘導爆弾|自由落下型]]核兵器を指して核爆弾の用語が使用される。 [[Image:Model_First_Nuclear_Bomb.jpg|thumb|初期の核爆弾の模型]] ==概要== [[ウラン]]や[[プルトニウム]]を核分裂させそのエネルギーを使用する核爆弾のことを[[原子爆弾]](核分裂爆弾)、[[重水素]]などを核融合させそのエネルギーを使用する核爆弾のことを[[水素爆弾]](核融合爆弾)という。 初期の核兵器はいずれも航空機から投下される航空爆弾として運用された。[[アメリカ合衆国|米国]]の[[リトルボーイ]]Mk.1、[[ファットマン]]とファットマンから派生したMk.3、[[イギリス|英国]]の核爆弾[[ブルーダニューブ (核爆弾)|ブルーダニューブ]]Mk.1(青きドナウ)、及び[[水素爆弾]][[イエローサン]]Mk.1(黄色い太陽)といった開発当初の核兵器は、大きくかつ重く、同じく開発されたばかりの[[弾道ミサイル]]に搭載して運用するには過大だった。[[第二次世界大戦]]が終わってまもなく、各国で核兵器の開発が盛んに行われた[[1950年代]]には、有効な核兵器運搬手段としては大型[[爆撃機]]しか無く、それゆえ核兵器は航空[[爆弾]]として運用されたのである。 人類史上初、かつ2023年現在唯一実戦で核爆弾を使用したのは米国であり、投下先は日本の[[広島市への原子爆弾投下|広島]]、[[長崎市への原子爆弾投下|長崎]]である。 ==運用と退役== 研究が進み核兵器が小型化され、[[ロケット]]の性能が向上すると核兵器の主力は[[核弾頭]]を搭載した弾道ミサイルとなった。[[1960年代]]になり、米国のMark57のような小型核兵器が開発されると核爆弾は小型の航空機にも搭載できるようになり、単座の戦闘爆撃機による核攻撃ミッションが各国の空軍部隊で採用されるようになった。その後、米国の[[B61]]のような威力可変型核爆弾が開発されると戦術用途のみならず戦略任務も課せられるようになる。 [[Image:B-61 bomb (DOE).jpg|thumb|B-61自由落下核爆弾。奥が完成状態、中段が分解状態で、手前下段のマットに乗せられた部品から構成される。核弾頭はマット上の部品の内、中央上方やや右の砲弾型金属ケースの物体]] 航空機投下型核爆弾では、核爆発による自機の被害を避けるため特殊な運用が成される。そのひとつである[[トス爆撃]]方法では、航空機は目標直前で急上昇しつつ核爆弾を切り離し、目標上空へ核爆弾を放り上げる。航空機は核爆弾が上昇から落下に移る時間を利用して核爆発の影響圏内から退避する。また投下後にパラシュートがひらき、落下速度を減じるパラシュート減速爆弾では、核爆弾の落下そのものの時間を利用して退避する。 冷戦期の核保有国の空軍は多数の航空機投下型核爆弾を配備し、核攻撃任務を担っていた。しかしながら冷戦が終了すると軍事予算の削減の影響で、これらの核爆弾は[[1990年代]]後半から順次退役し、各国とも核戦力を主要な核兵器に絞り込みつつある。そのなかで巨大で目標になりやすく、かつ攻撃に脆弱な空港という施設から運用される航空機による戦略核攻撃部隊は真っ先に削減対象になり、多くの国々で自由落下型航空核兵器が退役した。また航空機発射型[[巡航ミサイル]]を運用する爆撃機部隊も一部の国々を除いて退役が進んでいる。 == 拡散 == [[核拡散防止条約]] (NPT) 体制下では、核兵器の保有は一部の国々の特権となっているが、秘密裏に核兵器を開発した国々や、そもそもNPTに加入せずに核兵器を開発した国々もある。 まず核兵器を保有して戦争への抑止力とし、時間を稼ぎつつ運搬手段の開発を進め、核戦力に実行性を持たせるというのが各国の趨勢である。それゆえ国内に発達した[[原子力産業]]を運用する技術力を持ち、かつ大型ロケットを開発・運用する国家については、事実上核武装可能であることから、他の国より潜在的には[[核保有国]]と見なされる場合もある。 == 脚注 == {{reflist}} == 関連項目 == *[[窒素爆弾]] *[[B83 (核爆弾)]] *[[B61 (核爆弾)]] {{核兵器}} {{核技術}} {{weapon-stub}} {{DEFAULTSORT:かくはくたん}} [[Category:核爆弾|*]] [[Category:核兵器]]
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非核三原則
非核三原則()とは、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」の三原則を指すもの。1972(昭和42年)12月に内閣総理大臣の佐藤栄作によって表明された核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という三つの原則からなり、3項目の表現は「持ち込まさず」・「持ち込ませず」の2通りがある。1964年の中国の核武装を受けて、日本の核武装を主張していたはずの佐藤が1968年1月に国際的な核の脅威に対しては、「日米安全保障条約に基づくアメリカの核抑止力に依存する」と答弁している。背景には当時の一部自民党支持層にもアメリカ管轄下として核兵器の持ち込みが自由にされていると考えられたことで、核兵器が配置されたままでの小笠原諸島や沖縄など返還へ反対意見があったからである。沖縄返還を控えた1971年11月には、非核三原則を守るべきとする衆議院決議が採択され、歴代政権は表向きのみ三原則を堅持する立場を取ってきた。ただし、実態は冷戦下の安全保障の実務においては無いものとされ、非核三原則以降も日本へのアメリカの原潜などの寄港・通過・補給が行われてきた。そのため、日本による核兵器の直接的保持・生産はされていないものの、アメリカの核の傘を利用するため、日本政府のスタンスは1971年以降どの政権も「日本独自の核武装や敵の自国国土侵略時に使用可能な戦術核の共有はしない」「非核三原則を守るのか、国民の命を守るのかという厳しい状況になった時、この判断を時の政権がして、議論自体は縛ってはいけない」という具合になっている。 核共有でアメリカから共有される核兵器は爆撃機で投下するような、自国領土内で起爆させる射程の短い戦術用核兵器であるため、戦略核兵器保有国の核兵器のように距離の離れた他国ヘの報復には使用出来ないので、核抑止力を持たない単なる実用兵器との意見もある。理由として核共有とは、冷戦時のヨーロッパにおける旧ソ連との全面戦争を想定し、通常の実用兵器と同感覚で大量に使用する方針であり、核共有した同盟国の領土への攻撃時に、核の発射判断と責任を核保有国に委ねる仕組みとなっていたからである。1968年7月1日のNPTによって、署名時点で核兵器未保有国家独自の核の保持・製造は禁止されているが、同条約は署名国が「条約に基づく核保有国」と核兵器を共有することは違反ではないため、ドイツやイタリアなどNATO加盟国を中心に締結国も「核の傘」だけでなく「核の共有」を行ってきているが、1950年代後半から1960年代前半にかけて議論された、戦略核共有する多角的核戦力構想(MLF:The Multilateral Force)は頓挫している。MLFは多国間で共有する方法なので、類似制度を日米両国の間で運用しても結局日本領土・領海外への攻撃時には単独の意志で使用することは出来ない。そのため、NPTの第10条1項で「自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する」と核武装の禁止の例外を許可していることから、国際法に従った日本独自の核武装論もある。日本政府も2010年の民主党政権(菅直人政権、外務大臣である岡田克也の国会答弁)、2014年の自民党政権時でも、平時には非核三原則を堅持するものの、有事に国家の存立危機となった場合の日本への同盟国の核の持ち込みには反対しないと表明している。 日米安保条約の改定を1960年(昭和35年)に控えた岸内閣の頃から、日本の核政策が議論されるようになった。背景には米ソの冷戦と冷戦時代の核競争による核攻撃の危惧がある。当時も現在も核保有国では、核攻撃に対しては核による反撃能力つまり核抑止力を持つことが国際的に最も有効な回避手段とされており、核武装または核の傘による抑止力を持つことが一般的である。また日米安全保障条約では、アメリカ合衆国に日本防衛の義務は課されているが、アメリカ合衆国は核報復義務条項は存在しない。しかし、後の1964年の中華人民共和国の核武装を受けた、佐藤栄作首相から核武装主張が起きた。日本政府による日本核武装主張を受けて、1965年にアメリカのリンドン・ジョンソン大統領によって、日本防衛のための核の傘提供が約束された。NHKによると、アメリカは佐藤栄作首相の非核三原則表明以降も原潜・核兵器の日本への寄港・配備を要求していた。日本も本音では核兵器を求めていたため、両者同意の下でアメリカの原潜が日本国内で運用されている。。 1954年(昭和29年)、八木秀次議員ほか26名の議員から参議院に原子力国際管理並びに原子兵器禁止に関する決議案が提出された。同年4月5日、同法案は全会一致で可決された。次いで、1955年(昭和30年)12月15日参議院商工委員会での原子力基本法の審議で、中曽根康弘議員が「原子力燃料を人間を殺傷するための武器としては使わない」と答弁して、「核兵器を作らず」の原則について、与野党の合意が形成された。 1957年(昭和32年)2月5日の衆議院本会議で、アメリカ軍の原子力部隊構想への政府の対応を問う質問があり、岸信介内閣総理大臣臨時代理・外務大臣は、 と答弁したが、事前協議にどのように対応するかを明確にしてほしいという質問に、2月8日の衆議院予算委員会で、 と答弁して、「核兵器を持ち込まさず」の原則について初めて明確にした。 1957年(昭和32年)5月7日の参議院予算委員会で、内閣総理大臣岸信介は、 と答弁し、「自衛権の範囲内であれば核保有も可能である」という憲法解釈を示しつつ、政策的には「核兵器を持たず」の原則を答弁した。 1957年(昭和32年)5月15日に政府の統一見解として「原水爆を中心とする核兵器は自衛権の範囲に入らないが、将来開発されるものなどをことごとく憲法違反とするのはいきすぎである」と表明。なお、同日、イギリスがクリスマス島で初の水爆実験に成功している。 中華人民共和国による台湾攻撃 1958年(昭和33年)8月23日、中国人民解放軍は台湾の金門守備隊に対し砲撃を開始(金門砲戦)し、第二次台湾海峡危機が勃発する。中共軍は、44日間に50万発もの砲撃を加えた。中華民国側は9月11日に中国との空中戦に勝利し、廈門駅を破壊するなどの反撃を行った。この武力衝突でアメリカは台湾を支持するが、10月6日には中国共産党が「人道的配慮」から金門・馬祖島の封鎖を解除し、一週間の一方的休戦を宣言し、アメリカとの全面戦争を避け、アメリカもダレス国務長官を通じて台湾に対して金門・馬祖島まで撤収のを条件に、援助すると伝えたところ、蔣介石は10月21日からの三日間の会談で、アメリカの提案を受け入れるが、中国大陸反撃を放棄しない旨もアメリカへ伝えた。この中共による台湾攻撃は、原子力潜水艦関連の技術をソ連から供与してもらうことが目的だったとされる。 こうした緊迫する東アジア情勢をうけて、岸は1959年(昭和34年)3月2日の参議院予算委員会でも「防衛用小型核兵器は合憲である」との判断を明らかにした。翌1960年(昭和35年)には、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新安保条約)が締結されている。 国際情勢は1962年(昭和37年)のキューバ危機を経て、池田内閣の1963年(昭和38年)8月14日に部分的核実験禁止条約に調印、翌1964年(昭和39年)6月15日に批准した。 しかし、中華人民共和国は1964年(昭和39年)6月29日、東風2号Aの発射試験が成功。続いて7月19日、観測ロケットT-7A (S1)の打ち上げと回収に成功。そして1964年10月16日、初の中国核兵器(コードネーム596)が核爆発に成功し、中国の最初の原爆実験となった(596参照)。同10月27日には、核弾頭を装備した東風2号Aミサイルが酒泉より発射され、20キロトンの核弾頭がロプノールの標的上空569mで爆発した。 この中国の核実験の成功を受けて、佐藤栄作は日本の核武装の必要性を認識し、1964年12月29日のライシャワー駐日大使との会談で、日本の核武装論について言及した。翌年の日米首脳会談で、リンドン・ジョンソン大統領は日本の核武装に反対しながらも会談後に発表された日米共同声明では「米国が外部からのいかなる武力攻撃に対しても日本を防衛するという安保条約に基づく誓約を遵守する決意であることを再確認する」と公約された。こうした佐藤総理の交渉について春名幹男は、日本核武装論でアメリカ側を驚かせ、核の傘を得る戦略で成功した、と指摘している。 こうしたなか1967年(昭和42年)12月8日の衆議院本会議で、公明党の竹入義勝議員が「(アメリカ合衆国からの)小笠原の返還にあたって、製造せず、装備せず、持ち込まずの非核三原則を明確にし得るかいなか、見通しを伺いたい」と質問したのが、国会議事録に非核三原則という言葉が載った最初である。 1967年(昭和42年)12月11日の衆議院予算委員会において日本社会党委員長の成田知巳が、アメリカ合衆国から返還の決まった小笠原諸島へ核兵器を再び持ち込むことへの可能性について政府に対して質問した際、佐藤栄作内閣総理大臣が、日本は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を主張するということを示した。 1968年(昭和43年)1月30日の施政方針演説においても佐藤総理は、この三原則を含めた核政策の4本柱を表明(非核三原則、核廃絶・核軍縮、米への核抑止力依存、核エネルギーの平和利用)した。その後、返還後の沖縄においても非核三原則が適用されるのかという問題に関して三木武夫外務大臣は当然適用されると主張したのに対し、返還交渉がこじれる事を危惧した佐藤栄作が三木発言を非難するなどの紆余曲折があった。 なお、当時の世論調査では非核三原則に賛成する意見はほとんど見受けられなかった。 1960年代末から1970年代にかけて米ソデタント(緊張緩和)となる。 1971年(昭和46年)11月24日、佐藤栄作は最終的に非核三原則を沖縄にも適用させるべきと決断し、衆議院で沖縄返還協定の付帯決議として「非核兵器ならびに沖繩米軍基地縮小に関する決議」を議決した。非核三原則を国是とすることにあたり、核の脅威に対してはアメリカの核抑止力に依存すると1972年(昭和47年)10月9日に閣議決定した。 非核三原則を示したことによって1974年(昭和49年)に、佐藤栄作はノーベル平和賞を受賞した。受賞理由と佐藤の実態との乖離から、ノーベル平和委員会が発行した記念誌の執筆者の一人であるオイビン・ステネルセンは「佐藤氏を選んだことはノーベル委員会が犯した最大の誤り」とのちに見解を述べた。 2009年(平成21年)になって沖縄に核兵器が持ち込まれていた事実が明らかになった。 1976年(昭和51年)4月27日に衆議院外務委員会で核拡散防止条約 (NPT) 採決後に、 という項目を含む附帯決議をした。参議院外務委員会においても5月21日に、 という項目を含む附帯決議を同様に決議した。「持ち込まさず」と「持ち込ませず」の2通りの表現が使われている。 1978年(昭和53年)5月23日に衆議院で、第1回国際連合軍縮特別総会に関して、「非核三原則を国是として堅持する我が国」という表現を含む決議を採択した。また、同様の表現を含む国会の決議は、核軍縮に関する衆議院外務委員会決議(1981年6月5日)、第2回国際連合軍縮特別総会に関する衆議院本会議決議(1982年5月27日)及び参議院本会議決議(1982年5月28日)でされている。 「核兵器を持たず、作らず」の日本独自の核兵器の保有・製造に関する2項目については、1955年(昭和30年)に締結された日米原子力協力協定や、それを受けた国内法の原子力基本法および、国際原子力機関(IAEA)、核拡散防止条約(NPT)等の批准で法的に禁止されている。 非核三原則は国会決議ではあるが法律や条約ではないため、非核三原則の一つである「核兵器を持ち込ませず」には法的な拘束力はないとされている。反核団体からは「核兵器を持ち込ませず」についても法制化をすべきと主張されている。 2016年3月31日、アントニオ猪木は参議院外交防衛委員会の質疑で、2015年の安保法見直し議論の中で中谷元防衛大臣が「自衛隊による核兵器の輸送も法文上排除していない」との発言を「日本の非核三原則が軽んじられている」と批判したうえで、非核三原則に核兵器を「運ばず」の条文を加えた「非核四原則」の法整備を政府に求めた。水嶋光一外務大臣官房審議官は、「核兵器を輸送しないとの考えは、非核三原則の趣旨、精神に沿ったもの」との認識を示したが、法整備をしてこなかった理由を以下のように述べ、非核四原則の法整備の考えが安倍内閣に無いとの認識を示した。 佐藤内閣以降の歴代の内閣総理大臣は施政方針演説等において、この三原則を遵守することを表明している。これは非自民首相であった細川護熙、羽田孜、村山富市も三原則の遵守を表明していた。 2002年(平成14年)5月30日、福田康夫内閣官房長官がオフレコとして「非核三原則は、国際情勢が変化したり、国民世論が変化したり、国民世論が核をもつべきだとなれば、変わることがあるかもしれない」「核兵器は理屈から言って持てる」「政策判断として持つのはやめるというのが非核三原則」という日本国防衛上正当とされるが、歴代内閣の流れを覆すかの様な発言をして物議を醸した。このとき石原慎太郎が激励の電話を入れた上で『諸君!』1970年10月号に載せた論評「非核の神話は消えた」の全文コピーを送っている。 2009年(平成21年)9月に鳩山由紀夫内閣は過去の核の持ち込みに関する調査をし、2010年(平成22年)3月に公表した(日米核持ち込み問題)。 安倍内閣施政下の2016年、非核三原則に対する認識を質した民進党の横路孝弘衆議院議員の質問に、大臣就任前に「日本独自の核保有を国家戦略として検討すべきである」との核保有論を主張していた稲田朋美は以下のように答弁した。 日本政府ら国際海洋法による非核三原則適応不可配慮のため、特定海域を5つ設定し、領海の意図的縮小を行っている。領海を12海里とする主張が世界的に優位になったことを受け、日本は1977年(昭和52年)に領海法を制定し、これまでの3海里の幅の領海を12海里に拡張した。この立法趣旨に従えば5海峡(宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡東水道、同西水道、大隅海峡)は領海が12海里になるはずだが、この5海峡にかぎって3海里に留められている。その理由は非核三原則にあるという証言が元外務事務次官により共同通信になされている。仮に、この5海峡の領海幅を3海里から12海里にしてしまうと、5海峡は完全に日本の領海になる。一方、国際法(海洋法条約38条2)では、国際海峡における外国の船舶及び航空機の通過通航権が認められている(それは核兵器を搭載した外国の軍艦あるいは軍用機であっても同じである)。とすると、核兵器を搭載した外国の軍艦が当該海峡を通過する場合、日本は国際法上、軍艦の通過は拒否できず、結果として領海内に核兵器が持ち込まれたこととなり、非核三原則の「持ち込ませず」の原則を堅持できなくなるのである。そこで、海峡上に領海に含まれない海域を残し、核兵器を搭載した軍艦をこの海域上を通航させることによって、こういった事態に対処しようとした。 2021年10月、日本と軍事的に対立関係にある中国やロシアの軍艦が本州と北海道の間にある津軽海峡を堂々と通過した。神戸新聞はこれを疑問に思った人々に対して、津軽海峡は日本政府が非核三原則のために特定海域と設定し、その中央部分を公海としているため、中露海軍の航行は国際法上問題なくなってしまっていると報道している。領海の場合、外国籍の軍艦は安全や秩序を害さない限り、他国の領海を航行することが可能なのだが、公海となっているため有害的な通行も可能になってしまっている。 中・ロシアによる日本周辺での牽制が今後も続くため、日本国民は海洋覇権で想起されがちな南西諸島以南だけでなく、本土周辺にも大きな関心をむけた方が良いと警告している。 ウクライナは、1990年(平成2年)7月16日に最高議会が採決した「ウクライナ主権宣言」の中で「核兵器を受け入れない、作らない、手に入れないという非核三原則 (ウクライナ語: трьох неядерних принципів: не приймати, не виробляти і не набувати ядерної зброї, 英語: three nuclear free principles: to accept, to produce and to purchase no nuclear weapons)」を謳っている(ただし、在ウクライナ日本国大使館では「核兵器を使用せず、生産せず、保有しないという非核三原則」としている)。日本以外で非核三原則を発表した国はウクライナのみである。 当時、ウクライナ国内にはソ連の核兵器が大量に配備されていたが、1991年(平成3年)10月24日の「非核化に関する最高議会声明」、1992年(平成4年)5月23日のSTARTI附属議定書(リスボン議定書)を経て、1996年(平成8年)までにはそれらを全てロシアに移送し非核を実現した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "非核三原則()とは、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」の三原則を指すもの。1972(昭和42年)12月に内閣総理大臣の佐藤栄作によって表明された核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という三つの原則からなり、3項目の表現は「持ち込まさず」・「持ち込ませず」の2通りがある。1964年の中国の核武装を受けて、日本の核武装を主張していたはずの佐藤が1968年1月に国際的な核の脅威に対しては、「日米安全保障条約に基づくアメリカの核抑止力に依存する」と答弁している。背景には当時の一部自民党支持層にもアメリカ管轄下として核兵器の持ち込みが自由にされていると考えられたことで、核兵器が配置されたままでの小笠原諸島や沖縄など返還へ反対意見があったからである。沖縄返還を控えた1971年11月には、非核三原則を守るべきとする衆議院決議が採択され、歴代政権は表向きのみ三原則を堅持する立場を取ってきた。ただし、実態は冷戦下の安全保障の実務においては無いものとされ、非核三原則以降も日本へのアメリカの原潜などの寄港・通過・補給が行われてきた。そのため、日本による核兵器の直接的保持・生産はされていないものの、アメリカの核の傘を利用するため、日本政府のスタンスは1971年以降どの政権も「日本独自の核武装や敵の自国国土侵略時に使用可能な戦術核の共有はしない」「非核三原則を守るのか、国民の命を守るのかという厳しい状況になった時、この判断を時の政権がして、議論自体は縛ってはいけない」という具合になっている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "核共有でアメリカから共有される核兵器は爆撃機で投下するような、自国領土内で起爆させる射程の短い戦術用核兵器であるため、戦略核兵器保有国の核兵器のように距離の離れた他国ヘの報復には使用出来ないので、核抑止力を持たない単なる実用兵器との意見もある。理由として核共有とは、冷戦時のヨーロッパにおける旧ソ連との全面戦争を想定し、通常の実用兵器と同感覚で大量に使用する方針であり、核共有した同盟国の領土への攻撃時に、核の発射判断と責任を核保有国に委ねる仕組みとなっていたからである。1968年7月1日のNPTによって、署名時点で核兵器未保有国家独自の核の保持・製造は禁止されているが、同条約は署名国が「条約に基づく核保有国」と核兵器を共有することは違反ではないため、ドイツやイタリアなどNATO加盟国を中心に締結国も「核の傘」だけでなく「核の共有」を行ってきているが、1950年代後半から1960年代前半にかけて議論された、戦略核共有する多角的核戦力構想(MLF:The Multilateral Force)は頓挫している。MLFは多国間で共有する方法なので、類似制度を日米両国の間で運用しても結局日本領土・領海外への攻撃時には単独の意志で使用することは出来ない。そのため、NPTの第10条1項で「自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する」と核武装の禁止の例外を許可していることから、国際法に従った日本独自の核武装論もある。日本政府も2010年の民主党政権(菅直人政権、外務大臣である岡田克也の国会答弁)、2014年の自民党政権時でも、平時には非核三原則を堅持するものの、有事に国家の存立危機となった場合の日本への同盟国の核の持ち込みには反対しないと表明している。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "日米安保条約の改定を1960年(昭和35年)に控えた岸内閣の頃から、日本の核政策が議論されるようになった。背景には米ソの冷戦と冷戦時代の核競争による核攻撃の危惧がある。当時も現在も核保有国では、核攻撃に対しては核による反撃能力つまり核抑止力を持つことが国際的に最も有効な回避手段とされており、核武装または核の傘による抑止力を持つことが一般的である。また日米安全保障条約では、アメリカ合衆国に日本防衛の義務は課されているが、アメリカ合衆国は核報復義務条項は存在しない。しかし、後の1964年の中華人民共和国の核武装を受けた、佐藤栄作首相から核武装主張が起きた。日本政府による日本核武装主張を受けて、1965年にアメリカのリンドン・ジョンソン大統領によって、日本防衛のための核の傘提供が約束された。NHKによると、アメリカは佐藤栄作首相の非核三原則表明以降も原潜・核兵器の日本への寄港・配備を要求していた。日本も本音では核兵器を求めていたため、両者同意の下でアメリカの原潜が日本国内で運用されている。。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1954年(昭和29年)、八木秀次議員ほか26名の議員から参議院に原子力国際管理並びに原子兵器禁止に関する決議案が提出された。同年4月5日、同法案は全会一致で可決された。次いで、1955年(昭和30年)12月15日参議院商工委員会での原子力基本法の審議で、中曽根康弘議員が「原子力燃料を人間を殺傷するための武器としては使わない」と答弁して、「核兵器を作らず」の原則について、与野党の合意が形成された。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1957年(昭和32年)2月5日の衆議院本会議で、アメリカ軍の原子力部隊構想への政府の対応を問う質問があり、岸信介内閣総理大臣臨時代理・外務大臣は、", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "と答弁したが、事前協議にどのように対応するかを明確にしてほしいという質問に、2月8日の衆議院予算委員会で、", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "と答弁して、「核兵器を持ち込まさず」の原則について初めて明確にした。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1957年(昭和32年)5月7日の参議院予算委員会で、内閣総理大臣岸信介は、", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "と答弁し、「自衛権の範囲内であれば核保有も可能である」という憲法解釈を示しつつ、政策的には「核兵器を持たず」の原則を答弁した。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1957年(昭和32年)5月15日に政府の統一見解として「原水爆を中心とする核兵器は自衛権の範囲に入らないが、将来開発されるものなどをことごとく憲法違反とするのはいきすぎである」と表明。なお、同日、イギリスがクリスマス島で初の水爆実験に成功している。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "中華人民共和国による台湾攻撃", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1958年(昭和33年)8月23日、中国人民解放軍は台湾の金門守備隊に対し砲撃を開始(金門砲戦)し、第二次台湾海峡危機が勃発する。中共軍は、44日間に50万発もの砲撃を加えた。中華民国側は9月11日に中国との空中戦に勝利し、廈門駅を破壊するなどの反撃を行った。この武力衝突でアメリカは台湾を支持するが、10月6日には中国共産党が「人道的配慮」から金門・馬祖島の封鎖を解除し、一週間の一方的休戦を宣言し、アメリカとの全面戦争を避け、アメリカもダレス国務長官を通じて台湾に対して金門・馬祖島まで撤収のを条件に、援助すると伝えたところ、蔣介石は10月21日からの三日間の会談で、アメリカの提案を受け入れるが、中国大陸反撃を放棄しない旨もアメリカへ伝えた。この中共による台湾攻撃は、原子力潜水艦関連の技術をソ連から供与してもらうことが目的だったとされる。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "こうした緊迫する東アジア情勢をうけて、岸は1959年(昭和34年)3月2日の参議院予算委員会でも「防衛用小型核兵器は合憲である」との判断を明らかにした。翌1960年(昭和35年)には、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新安保条約)が締結されている。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "国際情勢は1962年(昭和37年)のキューバ危機を経て、池田内閣の1963年(昭和38年)8月14日に部分的核実験禁止条約に調印、翌1964年(昭和39年)6月15日に批准した。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "しかし、中華人民共和国は1964年(昭和39年)6月29日、東風2号Aの発射試験が成功。続いて7月19日、観測ロケットT-7A (S1)の打ち上げと回収に成功。そして1964年10月16日、初の中国核兵器(コードネーム596)が核爆発に成功し、中国の最初の原爆実験となった(596参照)。同10月27日には、核弾頭を装備した東風2号Aミサイルが酒泉より発射され、20キロトンの核弾頭がロプノールの標的上空569mで爆発した。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "この中国の核実験の成功を受けて、佐藤栄作は日本の核武装の必要性を認識し、1964年12月29日のライシャワー駐日大使との会談で、日本の核武装論について言及した。翌年の日米首脳会談で、リンドン・ジョンソン大統領は日本の核武装に反対しながらも会談後に発表された日米共同声明では「米国が外部からのいかなる武力攻撃に対しても日本を防衛するという安保条約に基づく誓約を遵守する決意であることを再確認する」と公約された。こうした佐藤総理の交渉について春名幹男は、日本核武装論でアメリカ側を驚かせ、核の傘を得る戦略で成功した、と指摘している。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "こうしたなか1967年(昭和42年)12月8日の衆議院本会議で、公明党の竹入義勝議員が「(アメリカ合衆国からの)小笠原の返還にあたって、製造せず、装備せず、持ち込まずの非核三原則を明確にし得るかいなか、見通しを伺いたい」と質問したのが、国会議事録に非核三原則という言葉が載った最初である。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1967年(昭和42年)12月11日の衆議院予算委員会において日本社会党委員長の成田知巳が、アメリカ合衆国から返還の決まった小笠原諸島へ核兵器を再び持ち込むことへの可能性について政府に対して質問した際、佐藤栄作内閣総理大臣が、日本は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を主張するということを示した。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1968年(昭和43年)1月30日の施政方針演説においても佐藤総理は、この三原則を含めた核政策の4本柱を表明(非核三原則、核廃絶・核軍縮、米への核抑止力依存、核エネルギーの平和利用)した。その後、返還後の沖縄においても非核三原則が適用されるのかという問題に関して三木武夫外務大臣は当然適用されると主張したのに対し、返還交渉がこじれる事を危惧した佐藤栄作が三木発言を非難するなどの紆余曲折があった。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "なお、当時の世論調査では非核三原則に賛成する意見はほとんど見受けられなかった。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1960年代末から1970年代にかけて米ソデタント(緊張緩和)となる。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1971年(昭和46年)11月24日、佐藤栄作は最終的に非核三原則を沖縄にも適用させるべきと決断し、衆議院で沖縄返還協定の付帯決議として「非核兵器ならびに沖繩米軍基地縮小に関する決議」を議決した。非核三原則を国是とすることにあたり、核の脅威に対してはアメリカの核抑止力に依存すると1972年(昭和47年)10月9日に閣議決定した。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "非核三原則を示したことによって1974年(昭和49年)に、佐藤栄作はノーベル平和賞を受賞した。受賞理由と佐藤の実態との乖離から、ノーベル平和委員会が発行した記念誌の執筆者の一人であるオイビン・ステネルセンは「佐藤氏を選んだことはノーベル委員会が犯した最大の誤り」とのちに見解を述べた。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "2009年(平成21年)になって沖縄に核兵器が持ち込まれていた事実が明らかになった。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1976年(昭和51年)4月27日に衆議院外務委員会で核拡散防止条約 (NPT) 採決後に、", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "という項目を含む附帯決議をした。参議院外務委員会においても5月21日に、", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "という項目を含む附帯決議を同様に決議した。「持ち込まさず」と「持ち込ませず」の2通りの表現が使われている。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "1978年(昭和53年)5月23日に衆議院で、第1回国際連合軍縮特別総会に関して、「非核三原則を国是として堅持する我が国」という表現を含む決議を採択した。また、同様の表現を含む国会の決議は、核軍縮に関する衆議院外務委員会決議(1981年6月5日)、第2回国際連合軍縮特別総会に関する衆議院本会議決議(1982年5月27日)及び参議院本会議決議(1982年5月28日)でされている。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "「核兵器を持たず、作らず」の日本独自の核兵器の保有・製造に関する2項目については、1955年(昭和30年)に締結された日米原子力協力協定や、それを受けた国内法の原子力基本法および、国際原子力機関(IAEA)、核拡散防止条約(NPT)等の批准で法的に禁止されている。", "title": "法的位置づけ" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "非核三原則は国会決議ではあるが法律や条約ではないため、非核三原則の一つである「核兵器を持ち込ませず」には法的な拘束力はないとされている。反核団体からは「核兵器を持ち込ませず」についても法制化をすべきと主張されている。", "title": "法的位置づけ" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2016年3月31日、アントニオ猪木は参議院外交防衛委員会の質疑で、2015年の安保法見直し議論の中で中谷元防衛大臣が「自衛隊による核兵器の輸送も法文上排除していない」との発言を「日本の非核三原則が軽んじられている」と批判したうえで、非核三原則に核兵器を「運ばず」の条文を加えた「非核四原則」の法整備を政府に求めた。水嶋光一外務大臣官房審議官は、「核兵器を輸送しないとの考えは、非核三原則の趣旨、精神に沿ったもの」との認識を示したが、法整備をしてこなかった理由を以下のように述べ、非核四原則の法整備の考えが安倍内閣に無いとの認識を示した。", "title": "法的位置づけ" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "佐藤内閣以降の歴代の内閣総理大臣は施政方針演説等において、この三原則を遵守することを表明している。これは非自民首相であった細川護熙、羽田孜、村山富市も三原則の遵守を表明していた。", "title": "歴代内閣" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "2002年(平成14年)5月30日、福田康夫内閣官房長官がオフレコとして「非核三原則は、国際情勢が変化したり、国民世論が変化したり、国民世論が核をもつべきだとなれば、変わることがあるかもしれない」「核兵器は理屈から言って持てる」「政策判断として持つのはやめるというのが非核三原則」という日本国防衛上正当とされるが、歴代内閣の流れを覆すかの様な発言をして物議を醸した。このとき石原慎太郎が激励の電話を入れた上で『諸君!』1970年10月号に載せた論評「非核の神話は消えた」の全文コピーを送っている。", "title": "歴代内閣" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "2009年(平成21年)9月に鳩山由紀夫内閣は過去の核の持ち込みに関する調査をし、2010年(平成22年)3月に公表した(日米核持ち込み問題)。", "title": "歴代内閣" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "安倍内閣施政下の2016年、非核三原則に対する認識を質した民進党の横路孝弘衆議院議員の質問に、大臣就任前に「日本独自の核保有を国家戦略として検討すべきである」との核保有論を主張していた稲田朋美は以下のように答弁した。", "title": "歴代内閣" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "日本政府ら国際海洋法による非核三原則適応不可配慮のため、特定海域を5つ設定し、領海の意図的縮小を行っている。領海を12海里とする主張が世界的に優位になったことを受け、日本は1977年(昭和52年)に領海法を制定し、これまでの3海里の幅の領海を12海里に拡張した。この立法趣旨に従えば5海峡(宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡東水道、同西水道、大隅海峡)は領海が12海里になるはずだが、この5海峡にかぎって3海里に留められている。その理由は非核三原則にあるという証言が元外務事務次官により共同通信になされている。仮に、この5海峡の領海幅を3海里から12海里にしてしまうと、5海峡は完全に日本の領海になる。一方、国際法(海洋法条約38条2)では、国際海峡における外国の船舶及び航空機の通過通航権が認められている(それは核兵器を搭載した外国の軍艦あるいは軍用機であっても同じである)。とすると、核兵器を搭載した外国の軍艦が当該海峡を通過する場合、日本は国際法上、軍艦の通過は拒否できず、結果として領海内に核兵器が持ち込まれたこととなり、非核三原則の「持ち込ませず」の原則を堅持できなくなるのである。そこで、海峡上に領海に含まれない海域を残し、核兵器を搭載した軍艦をこの海域上を通航させることによって、こういった事態に対処しようとした。", "title": "特定海域・領海の自己制限" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "2021年10月、日本と軍事的に対立関係にある中国やロシアの軍艦が本州と北海道の間にある津軽海峡を堂々と通過した。神戸新聞はこれを疑問に思った人々に対して、津軽海峡は日本政府が非核三原則のために特定海域と設定し、その中央部分を公海としているため、中露海軍の航行は国際法上問題なくなってしまっていると報道している。領海の場合、外国籍の軍艦は安全や秩序を害さない限り、他国の領海を航行することが可能なのだが、公海となっているため有害的な通行も可能になってしまっている。 中・ロシアによる日本周辺での牽制が今後も続くため、日本国民は海洋覇権で想起されがちな南西諸島以南だけでなく、本土周辺にも大きな関心をむけた方が良いと警告している。", "title": "特定海域・領海の自己制限" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ウクライナは、1990年(平成2年)7月16日に最高議会が採決した「ウクライナ主権宣言」の中で「核兵器を受け入れない、作らない、手に入れないという非核三原則 (ウクライナ語: трьох неядерних принципів: не приймати, не виробляти і не набувати ядерної зброї, 英語: three nuclear free principles: to accept, to produce and to purchase no nuclear weapons)」を謳っている(ただし、在ウクライナ日本国大使館では「核兵器を使用せず、生産せず、保有しないという非核三原則」としている)。日本以外で非核三原則を発表した国はウクライナのみである。", "title": "ウクライナの非核三原則" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "当時、ウクライナ国内にはソ連の核兵器が大量に配備されていたが、1991年(平成3年)10月24日の「非核化に関する最高議会声明」、1992年(平成4年)5月23日のSTARTI附属議定書(リスボン議定書)を経て、1996年(平成8年)までにはそれらを全てロシアに移送し非核を実現した。", "title": "ウクライナの非核三原則" } ]
非核三原則とは、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」の三原則を指すもの。1972(昭和42年)12月に内閣総理大臣の佐藤栄作によって表明された核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という三つの原則からなり、3項目の表現は「持ち込まさず」・「持ち込ませず」の2通りがある。1964年の中国の核武装を受けて、日本の核武装を主張していたはずの佐藤が1968年1月に国際的な核の脅威に対しては、「日米安全保障条約に基づくアメリカの核抑止力に依存する」と答弁している。背景には当時の一部自民党支持層にもアメリカ管轄下として核兵器の持ち込みが自由にされていると考えられたことで、核兵器が配置されたままでの小笠原諸島や沖縄など返還へ反対意見があったからである。沖縄返還を控えた1971年11月には、非核三原則を守るべきとする衆議院決議が採択され、歴代政権は表向きのみ三原則を堅持する立場を取ってきた。ただし、実態は冷戦下の安全保障の実務においては無いものとされ、非核三原則以降も日本へのアメリカの原潜などの寄港・通過・補給が行われてきた。そのため、日本による核兵器の直接的保持・生産はされていないものの、アメリカの核の傘を利用するため、日本政府のスタンスは1971年以降どの政権も「日本独自の核武装や敵の自国国土侵略時に使用可能な戦術核の共有はしない」「非核三原則を守るのか、国民の命を守るのかという厳しい状況になった時、この判断を時の政権がして、議論自体は縛ってはいけない」という具合になっている。 核共有でアメリカから共有される核兵器は爆撃機で投下するような、自国領土内で起爆させる射程の短い戦術用核兵器であるため、戦略核兵器保有国の核兵器のように距離の離れた他国ヘの報復には使用出来ないので、核抑止力を持たない単なる実用兵器との意見もある。理由として核共有とは、冷戦時のヨーロッパにおける旧ソ連との全面戦争を想定し、通常の実用兵器と同感覚で大量に使用する方針であり、核共有した同盟国の領土への攻撃時に、核の発射判断と責任を核保有国に委ねる仕組みとなっていたからである。1968年7月1日のNPTによって、署名時点で核兵器未保有国家独自の核の保持・製造は禁止されているが、同条約は署名国が「条約に基づく核保有国」と核兵器を共有することは違反ではないため、ドイツやイタリアなどNATO加盟国を中心に締結国も「核の傘」だけでなく「核の共有」を行ってきているが、1950年代後半から1960年代前半にかけて議論された、戦略核共有する多角的核戦力構想は頓挫している。MLFは多国間で共有する方法なので、類似制度を日米両国の間で運用しても結局日本領土・領海外への攻撃時には単独の意志で使用することは出来ない。そのため、NPTの第10条1項で「自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する」と核武装の禁止の例外を許可していることから、国際法に従った日本独自の核武装論もある。日本政府も2010年の民主党政権(菅直人政権、外務大臣である岡田克也の国会答弁)、2014年の自民党政権時でも、平時には非核三原則を堅持するものの、有事に国家の存立危機となった場合の日本への同盟国の核の持ち込みには反対しないと表明している。
{{出典の明記|date=2014年9月5日 (金) 19:03 (UTC)}} {{読み仮名|'''非核三原則'''|ひかくさんげんそく}}とは、[[核兵器]]を「'''持たず、作らず、持ち込ませず'''」の三原則を指すもの。[[1967年|1972]]年(昭和42年)12月に[[内閣総理大臣]]の[[佐藤栄作]]によって表明された[[核兵器]]を「持たず、作らず、持ち込ませず」という三つの原則からなり<ref name="ketsugi">外務省「[https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/gensoku/ketsugi.html 非核三原則に関する国会決議]」</ref>、3項目の表現は「持ち込まさず」・「持ち込ませず」の2通りがある。1964年の中国の核武装を受けて、日本の核武装を主張していたはずの佐藤が1968年1月に国際的な核の脅威に対しては、「日米安全保障条約に基づくアメリカの[[核抑止|核抑止力]]に依存する」と答弁している。背景には当時の一部自民党支持層にもアメリカ管轄下として核兵器の持ち込みが自由にされていると考えられたことで、核兵器が配置されたままでの[[小笠原諸島]]や沖縄など返還へ反対意見があったからである。[[沖縄返還]]を控えた1971年11月には、非核三原則を守るべきとする衆議院決議が採択され、歴代政権は表向きのみ三原則を堅持する立場を取ってきた<ref>「核を求めた日本: 被爆国の知られざる真実」p21 ,NHK スペシャル取材班 ,2012 年</ref>。ただし、実態は[[冷戦]]下の安全保障の実務においては無いものとされ、非核三原則以降も日本へのアメリカの[[原潜]]などの寄港・通過・補給が行われてきた。そのため、日本による核兵器の直接的保持・生産はされていないものの、アメリカの核の傘を利用するため、日本政府のスタンスは1971年以降どの政権も「日本独自の核武装や敵の自国国土侵略時に使用可能な[[ニュークリア・シェアリング|戦術核の共有]]はしない」「非核三原則を守るのか、国民の命を守るのかという厳しい状況になった時、この判断を時の政権がして、議論自体は縛ってはいけない」という具合になっている<ref name=":0">「核を求めた日本: 被爆国の知られざる真実」p23 ,NHK スペシャル取材班 ,2012 年  </ref><ref name=":3">{{Cite web|和書|title=高市早苗氏、ウクライナ侵攻は「遠いところの話ではない」 非核三原則「持ち込ませず」は「党内で議論を」(スポニチアネックス) |url=https://news.yahoo.co.jp/articles/0d708bdcdcc6192d51cca3a6d2bd2bd8f2591b3b |website=Yahoo!ニュース |accessdate=2022-03-06 |language=ja}}</ref>。 核共有でアメリカから共有される核兵器は[[爆撃機]]で投下するような、自国領土{{efn2|西ドイツによる東ドイツが侵略してきた際の東独管轄地域への核攻撃を含む}}内で起爆させる射程の短い戦術用核兵器であるため、戦略核兵器保有国の核兵器のように距離の離れた他国ヘの報復には使用出来ないので、[[核抑止力]]を持たない単なる実用兵器との意見もある。理由として核共有とは、冷戦時のヨーロッパにおける旧ソ連との全面戦争を想定し、通常の実用兵器と同感覚で大量に使用する方針であり、核共有した同盟国の領土への攻撃時に、核の発射判断と責任を核保有国に委ねる仕組みとなっていたからである<ref name=":4">{{Cite web|和書|title=核兵器シェアリングへの誤解と幻想(JSF) - 個人 |url=https://news.yahoo.co.jp/byline/obiekt/20181220-00107827 |website=Yahoo!ニュース |accessdate=2022-02-28 |language=ja}}</ref>。1968年7月1日の[[核拡散防止条約|NPT]]によって、署名時点で核兵器未保有国家独自の核の保持・製造は禁止されているが、同条約は署名国が「条約に基づく核保有国」と核兵器を共有することは違反ではないため、ドイツやイタリアなど[[北大西洋条約機構|NATO]]加盟国を中心に締結国も「核の傘」だけでなく「核の共有」を行ってきているが<ref>「核を求めた日本: 被爆国の知られざる真実」p46 ,NHK スペシャル取材班 ,2012 年</ref>、1950年代後半から1960年代前半にかけて議論された、戦略核共有する'''多角的核戦力構想(MLF:The Multilateral Force)'''は頓挫している。MLFは多国間で共有する方法なので、類似制度を日米両国の間で運用しても結局日本領土・領海外への攻撃時には単独の意志で使用することは出来ない<ref name=":4" />。そのため、NPTの第10条1項で「自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する」と核武装の禁止の例外を許可していることから、国際法に従った日本独自の核武装論もある<ref>「サルでもわかる日本核武装論」p24, 田母神俊雄 , 2009 </ref>。日本政府も2010年の[[民主党政権]](菅直人政権、外務大臣である岡田克也の国会答弁)、2014年の自民党政権時でも、平時には非核三原則を堅持するものの、[[有事]]に国家の存立危機となった場合の日本への同盟国の核の持ち込みには反対しないと表明している<ref name=":3" /><ref>{{Cite web |title=日本の「非核三原則」堅持を希望 中国外交部報道官 - 中華人民共和国駐日本国大使館 |url=https://www.mfa.gov.cn/ce/cejp//jpn/fyrth/t1129863.htm |website=www.mfa.gov.cn |accessdate=2022-02-28}}</ref>。 == 概要 == [[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米安保条約]]の改定を[[1960年]]([[昭和]]35年)に控えた[[岸信介|岸]]内閣の頃から、日本の[[核武装|核政策]]が議論されるようになった。背景には米ソの[[冷戦]]と冷戦時代の核競争による核攻撃の危惧がある。当時も現在も核保有国では、核攻撃に対しては核による反撃能力つまり[[核抑止|核抑止力]]を持つことが国際的に最も有効な回避手段とされており、核武装または核の傘による抑止力を持つことが一般的である。また日米安全保障条約では、アメリカ合衆国に日本防衛の義務は課されているが、アメリカ合衆国は核報復義務条項は存在しない。しかし、後の1964年の中華人民共和国の核武装を受けた、佐藤栄作首相から核武装主張が起きた。日本政府による日本核武装主張を受けて、1965年にアメリカの[[リンドン・ジョンソン|リンドン・ジョンソン大統領]]によって、日本防衛のための核の傘提供が約束された。NHKによると、アメリカは佐藤栄作首相の非核三原則表明以降も原潜・核兵器の日本への寄港・配備を要求していた。日本も本音では核兵器を求めていたため、両者同意の下でアメリカの原潜が日本国内で運用されている。<ref name=":0" />。 == 経緯 == [[1954年]](昭和29年)、[[八木秀次]]議員ほか26名の議員から[[参議院]]に[[原子力国際管理並びに原子兵器禁止に関する決議]]案が提出された。同年4月5日、同法案は全会一致で可決された<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=101915254X02919540405 第19回国会本会議第29号議事録]、1954年4月5日 - [[参議院]]議事録情報</ref>。次いで、[[1955年]](昭和30年)[[12月15日]][[参議院]][[商工委員会]]での[[原子力基本法]]の審議で、[[中曽根康弘]]議員が「原子力燃料を人間を殺傷するための武器としては使わない」と答弁して、「核兵器を作らず」の原則について、与野党の合意が形成された<ref name="nozaki">野崎哲「[https://www.ne.jp/asahi/nozaki/peace/data/abefuku_3gensoku.htm 非核三原則の形成過程について(メモ)]」</ref>。 === 岸信介による答弁 === [[1957年]](昭和32年)[[2月5日]]の衆議院本会議で、[[アメリカ軍]]の原子力部隊構想への政府の対応を問う質問があり、[[岸信介]]内閣総理大臣臨時代理・外務大臣は、 {{Quotation| 原子部隊の問題につきましては、これは新聞の誤まった報道がいたく国民の気持ちを刺激したと思いますが、責任ある国務省及び国防省は、これは事実ではないということを言明いたしております。また、そういう場合におきましては、すべて日本政府と話し合いをすることになっております。私どもは、あくまでも、日本国民の考えや、各種の日本の自主的な立場から、この問題に対する日本の態度をきめたいと考えております。}} と答弁した<ref>[[1957年]](昭和32年)[[2月5日]]衆議院本会議 [https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=102605254X00519570205 11国務大臣(岸信介君)]</ref>が、[[事前協議]]にどのように対応するかを明確にしてほしいという質問に、[[2月8日]]の[[衆議院]][[予算委員会]]で、 {{Quotation| なお和田君の御質問のごとく、日本の国民の感情からいい、また防衛の態勢からいって、日本に原子爆弾を持ち込むというような事柄はいかなる意味においてもこれは適当でないというお考えに対しましては、私は全然同感でありまして、また先日来質問がありましたアメリカの原子部隊と称せられるものの日本への進駐の問題については、私はしばしば答弁をいたしましたように、事実は新聞で伝えられているような事実でない、責任ある国防省及び国務省もこれを否定しているし、従ってこの際日本がすぐ抗議を申し込むとかなんとかいう時代ではない、相談がいずれあるから、相談された場合においてわれわれは自主的な立場でこれを考えたいと申しておりますが、しかしお話のごとく、私はこの原子部隊を日本に進駐せしめるというような申し出がありました場合においても、政府としてこれに承諾を与える意思はもっておりませんから、そのことは明瞭に申し上げます。}} と答弁して<ref>[[1957年]](昭和32年)[[2月8日]]衆議院予算委員会 [https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=102605261X00319570208 5国務大臣(岸信介君)]</ref>、「核兵器を持ち込まさず」の原則について初めて明確にした。 1957年(昭和32年)[[5月7日]]の[[参議院]][[予算委員会]]で、[[内閣総理大臣]][[岸信介]]は、 {{Quotation|自衛権を裏づけるに必要な最小限度の実力であれば、私はたとえ核兵器と名がつくものであっても持ち得るということを憲法解釈としては持っております。しかし今私の政策としては、核兵器と名前のつくものは今持つというような、もしくはそれで装備するという考えは絶対にとらぬということで一貫して参りたい。}} と答弁し<ref>[[1957年]](昭和32年)[[5月7日]]参議院予算委員会 [https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=102615261X02419570507 161国務大臣(岸信介君)]</ref>、「自衛権の範囲内であれば核保有も可能である」という憲法解釈を示しつつ、政策的には「核兵器を持たず」の原則を答弁した。 1957年(昭和32年)[[5月15日]]に政府の統一見解として「原水爆を中心とする核兵器は自衛権の範囲に入らないが、将来開発されるものなどをことごとく憲法違反とするのはいきすぎである」と表明。なお、同日、イギリスが[[キリスィマスィ島|クリスマス島]]で初の水爆実験に成功している。 '''中華人民共和国による台湾攻撃''' [[1958年]](昭和33年)[[8月23日]]、[[中国人民解放軍]]は[[台湾]]の金門守備隊に対し砲撃を開始([[金門砲戦]])し、[[第二次台湾海峡危機]]が勃発する。中共軍は、44日間に50万発もの砲撃を加えた。[[中華民国]]側は[[9月11日]]に中国との空中戦に勝利し、[[廈門駅]]を破壊するなどの反撃を行った。この武力衝突でアメリカは台湾を支持するが、10月6日には[[中国共産党]]が「人道的配慮」から金門・馬祖島の封鎖を解除し、一週間の一方的休戦を宣言し、アメリカとの全面戦争を避け、アメリカもダレス国務長官を通じて台湾に対して金門・馬祖島まで撤収のを条件に、援助すると伝えたところ、[[蔣介石]]は10月21日からの三日間の会談で、アメリカの提案を受け入れるが、[[中国大陸]]反撃を放棄しない旨もアメリカへ伝えた。この中共による台湾攻撃は、[[原子力潜水艦]]関連の技術をソ連から供与してもらうことが目的だったとされる<ref>{{Harvnb|チアン|ハリデイ|Ref=MAO|p=148}}</ref>。 こうした緊迫する東アジア情勢をうけて、岸は[[1959年]](昭和34年)[[3月2日]]の参議院予算委員会でも「防衛用小型核兵器は合憲である」との判断を明らかにした。翌[[1960年]](昭和35年)には、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新安保条約)が締結されている。 === 部分的核実験禁止条約批准 === 国際情勢は[[1962年]](昭和37年)の[[キューバ危機]]を経て、池田内閣の[[1963年]](昭和38年)[[8月14日]]に[[部分的核実験禁止条約]]に調印、翌[[1964年]](昭和39年)[[6月15日]]に批准した。 === 中国の核武装開始と日本の核武装構想・アメリカの核の傘獲得 === {{Main|中国の核実験}} しかし、[[中華人民共和国]]は[[1964年]](昭和39年)[[6月29日]]、[[DF-2 (ミサイル)|東風2号A]]の発射試験が成功。続いて[[7月19日]]、観測ロケット[[T-7 (ロケット)|T-7A (S1)]]の打ち上げと回収に成功<ref>{{cite web|url=http://tech.tom.com/1121/1122/2005919-251565.html|title =回收生物返回舱|publisher= 雷霆万钧|date=September 19, 2005|accessdate=July 24, 2008}}{{リンク切れ|date=2013年7月}}</ref>。そして1964年[[10月16日]]、初の中国核兵器(コードネーム[[596 (核実験)|596]])が核爆発に成功し、中国の最初の原爆実験となった([[:en:596 (nuclear test)|596]]参照)。同10月27日には、核弾頭を装備した東風2号Aミサイルが酒泉より発射され、20[[TNT換算|キロトン]]の核弾頭が[[ロプノール]]の標的上空569mで爆発した。 この[[中国の核実験]]の成功を受けて、佐藤栄作は[[日本の核武装論|日本の核武装]]の必要性を認識し、1964年12月29日のライシャワー駐日大使との会談で、[[日本の核武装論]]について言及した<ref name="haruna">[[春名幹男]]「『偽りの平和主義者』佐藤栄作」『[[月刊現代]]』2008年9月号,講談社。</ref>。翌年の日米首脳会談で、[[リンドン・ジョンソン]]大統領は日本の核武装に反対しながらも会談後に発表された日米共同声明では「'''米国が外部からのいかなる武力攻撃に対しても日本を防衛するという安保条約に基づく誓約を遵守する決意であることを再確認する'''」と公約された<ref name="haruna"/>。こうした佐藤総理の交渉について[[春名幹男]]は、日本核武装論でアメリカ側を驚かせ、[[核の傘]]を得る戦略で成功した、と指摘している<ref name="haruna"/>。 === 非核三原則の表明 === こうしたなか[[1967年]](昭和42年)[[12月8日]]の[[衆議院]][[本会議]]で、[[公明党]]の[[竹入義勝]]議員が「(アメリカ合衆国からの)小笠原の返還にあたって、製造せず、装備せず、持ち込まずの非核三原則を明確にし得るかいなか、見通しを伺いたい」と質問したのが、国会議事録に非核三原則という言葉が載った最初である<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/ 国会議事録検索システム]</ref>。 1967年(昭和42年)[[12月11日]]の[[衆議院]][[予算委員会]]において[[日本社会党]]委員長の[[成田知巳]]が、[[アメリカ合衆国]]から返還の決まった[[小笠原諸島]]へ[[核兵器]]を再び持ち込むことへの可能性について政府に対して質問した際、[[佐藤栄作]][[内閣総理大臣]]が、日本は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を主張するということを示した<ref>[[1967年]](昭和42年)[[12月11日]]衆議院予算委員会 [https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=105705261X00219671211 議事録]</ref>。 === 佐藤栄作総理による施政方針演説 === [[1968年]](昭和43年)[[1月30日]]の[[施政方針演説]]においても佐藤総理は、この三原則を含めた核政策の4本柱を表明(非核三原則、[[核廃絶]]・[[核軍縮]]、米への核抑止力依存、[[原子力発電|核エネルギーの平和利用]])<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=105805254X00319680130 1968年1月30日衆議院本会議議事録]</ref>した。その後、返還後の[[沖縄県|沖縄]]においても非核三原則が適用されるのかという問題に関して[[三木武夫]][[外務大臣 (日本)|外務大臣]]は当然適用されると主張したのに対し、返還交渉がこじれる事を危惧した佐藤栄作が三木発言を非難するなどの紆余曲折があった。 なお、当時の世論調査では非核三原則に賛成する意見はほとんど見受けられなかった<ref>1968年2月10日 朝日新聞</ref>。 [[1960年代]]末から1970年代にかけて[[米ソデタント]](緊張緩和)となる。 === 沖縄返還協定の付帯決議 === [[1971年]](昭和46年)[[11月24日]]、佐藤栄作は最終的に非核三原則を沖縄にも適用させるべきと決断し、[[衆議院]]で[[沖縄返還|沖縄返還協定]]の[[付帯決議]]として「[[非核兵器ならびに沖繩米軍基地縮小に関する決議]]」を議決した。非核三原則を国是とすることにあたり、[[核兵器|核の脅威]]に対しては[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の核抑止力に依存すると[[1972年]](昭和47年)[[10月9日]]に[[閣議決定]]した。 非核三原則を示したことによって[[1974年]](昭和49年)に、佐藤栄作は[[ノーベル平和賞]]を受賞した。受賞理由と佐藤の実態との乖離から、ノーベル平和委員会が発行した記念誌の執筆者の一人であるオイビン・ステネルセンは「佐藤氏を選んだことは[[ノーベル委員会]]が犯した最大の誤り」とのちに見解を述べた。 {{Main|佐藤栄作#ノーベル平和賞をめぐって}} [[2009年]]([[平成]]21年)になって沖縄に核兵器が持ち込まれていた事実が明らかになった。 {{Main|日米核持ち込み問題}} === 核拡散防止条約批准の際の附帯決議 === [[1976年]](昭和51年)[[4月27日]]に[[衆議院]][[外務委員会]]で[[核拡散防止条約]] ([[NPT]]) 採決後に、 {{Quotation|(1) 政府は、核兵器(核燃料、核廃棄物)を持たず、作らず、持ち込まさずとの非核三原則が[[国是]]として確立されていることにかんがみ、いかなる場合においても、これを忠実に履行すること。}} という項目を含む[[附帯決議]]をした<ref name="ketsugi"/>。[[参議院]][[外務委員会]]においても[[5月21日]]に、 {{Quotation|(1) 核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずとの非核三原則が国是として確立されていることにかんがみ、いかなる場合においても、これを忠実に遵守すること。}} という項目を含む附帯決議を同様に決議した<ref name="ketsugi"/>。「持ち込まさず」と「持ち込ませず」の2通りの表現が使われている。 === 国是決議 === [[1978年]](昭和53年)[[5月23日]]に[[衆議院]]で、第1回[[国際連合総会|国際連合軍縮特別総会]]に関して、「非核三原則を国是として堅持する我が国」という表現を含む決議を採択した。また、同様の表現を含む国会の決議は、核軍縮に関する衆議院外務委員会決議([[1981年]][[6月5日]])、第2回国際連合軍縮特別総会に関する衆議院本会議決議([[1982年]][[5月27日]])及び参議院本会議決議(1982年[[5月28日]])でされている<ref name="ketsugi"/>。 == 法的位置づけ == 「核兵器を持たず、作らず」の日本独自の核兵器の保有・製造に関する2項目については、[[1955年]](昭和30年)に締結された[[日米原子力協力協定]]や、それを受けた国内法の[[原子力基本法]]および、[[国際原子力機関]](IAEA)、[[核拡散防止条約]](NPT)等の批准で法的に禁止されている。 非核三原則は[[国会決議]]ではあるが[[法律]]や条約ではないため、非核三原則の一つである「核兵器を持ち込ませず」には法的な拘束力はないとされている<ref>{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091226/plc0912261802012-n3.htm |title=【政治部遊軍・高橋昌之のとっておき】佐藤元首相の密約文書(上)当時はやむをえない決断 (3/4ページ) |newspaper=MSN産経ニュース |publisher=産経デジタル |date=2009-12-26 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091229165749/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091226/plc0912261802012-n3.htm |archivedate=2009年12月29日}}</ref>。反核団体からは「核兵器を持ち込ませず」についても法制化をすべきと主張されている<ref>長崎新聞 2010年3月10日</ref>。 === 非核四原則 === 2016年[[3月31日]]、[[アントニオ猪木]]は参議院外交防衛委員会の質疑で、2015年の[[平和安全法制|安保法]]見直し議論の中で[[中谷元]]防衛大臣が「自衛隊による核兵器の輸送も法文上排除していない」との発言を「日本の非核三原則が軽んじられている」と批判したうえで、非核三原則に核兵器を'''「運ばず」'''の条文を加えた「非核四原則」の法整備を政府に求めた。[[水嶋光一]][[外務大臣官房審議官]]は、「核兵器を輸送しないとの考えは、非核三原則の趣旨、精神に沿ったもの」との認識を示したが、法整備をしてこなかった理由を以下のように述べ、非核四原則の法整備の考えが[[第3次安倍内閣 (第1次改造)|安倍内閣]]に無いとの認識を示した<ref name="sangiingaikou190-20160331">{{cite conference |url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detailPDF?minId=119013950X01020160331&page=1&spkNum=0&current=-1 |title=第190回国会参議院外交防衛委員会会議録第10号 |author=参議院事務局 |date=2016-03-31 |conference=外交防衛委員会 |conferenceurl=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=119013950X01020160331 |publisher=参議院 |page=14 |format=PDF |accessdate=2017-05-15 |language=日本語 }}</ref>。 {{Quotation|[[大量破壊兵器]]の拡散防止にも積極的に取り組んでいる我が国が核兵器を輸送することはあり得ないということでございます。また、その高度の秘匿性や安全確保の必要性から、外国が核兵器の輸送を我が国に要請することなどあり得ないことだというふうに承知しております。非核三原則を堅持する我が国としましても、核兵器を輸送するために必要な知見等を有しておらず、輸送することはあり得ないという認識であります。このような我が国は核兵器を輸送しないとの考えは、非核三原則の趣旨、精神に沿ったものであります。なお、非核三原則は内外に十分周知徹底されていることから、改めて法制化する必要はないと考えております。そして、今後の外務省の見解についてでございますけれども、非核三原則については歴代内閣はこれを堅持してきております。政府として、国会等の場を通じてこの方針を累次表明してきておりまして、内外に十分周知徹底されることから、改めて法制化することもないと考えております。|水嶋光一外務大臣官房審議官|2016年3月31日 第190回国会参議院外交防衛委員会会議録第10号}} == 歴代内閣 == 佐藤内閣以降の歴代の[[内閣総理大臣]]は施政方針演説等において、この三原則を遵守することを表明している<ref>[https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/128/touh/t128004.htm 参議院議員立木洋君提出核兵器廃絶に関する質問に対する答弁書] - 参議院</ref>。これは非自民首相であった[[細川護熙]]、[[羽田孜]]、[[村山富市]]も三原則の遵守を表明していた。 [[2002年]](平成14年)[[5月30日]]、[[福田康夫]][[内閣官房長官]]が[[オフレコ]]として「非核三原則は、国際情勢が変化したり、国民世論が変化したり、国民世論が核をもつべきだとなれば、変わることがあるかもしれない」「核兵器は理屈から言って持てる」「政策判断として持つのはやめるというのが非核三原則」という日本国防衛上正当とされるが、歴代内閣の流れを覆すかの様な発言をして物議を醸した。このとき[[石原慎太郎]]が激励の電話を入れた上で『[[諸君!]]』1970年10月号に載せた論評「非核の神話は消えた」の全文コピーを送っている。 2009年(平成21年)[[9月]]に鳩山由紀夫内閣は過去の核の持ち込みに関する調査をし、[[2010年]](平成22年)[[3月]]に公表した([[日米核持ち込み問題]])。 [[第3次安倍内閣 (第2次改造)|安倍内閣]]施政下の[[2016年]]、非核三原則に対する認識を質した[[民進党]]の[[横路孝弘]]衆議院議員の質問に、大臣就任前に「日本独自の核保有を国家戦略として検討すべきである」との核保有論を主張していた[[稲田朋美]]は以下のように答弁した<ref name="syugiinanpo192-20161125">{{cite conference |url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detailPDF?minId=119203815X00420161125&page=1&spkNum=0&current=-1 |title=第192回国会衆議院安全保障委員会会議録第4号 |author=衆議院事務局 |date=2016-11-25 |conference=安全保障委員会 |conferenceurl=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=119203815X00420161125 |publisher=衆議院 |page=12 |format=PDF |accessdate=2017-05-15 |language=日本語 }}</ref>。 {{Quotation|私は今、安倍内閣の防衛大臣として答弁をいたしております。安倍内閣の一員として、防衛大臣として、さらには唯一の被爆国として、今るる委員がおっしゃったことなどを踏まえ、さらには、非核三原則を守り、核なき世界の実現を目指してまいる所存でございます。|稲田朋美国務大臣|2016年11月25日 第192回国会衆議院安全保障委員会会議録第4号}} == 特定海域・領海の自己制限 == 日本政府ら国際海洋法による非核三原則適応不可配慮のため、特定海域を5つ設定し、領海の意図的縮小を行っている<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=中露艦艇が「津軽海峡」を通過!?…日本と対立関係にある国の軍艦が通ってもOKな理由とは |url=https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/omoshiro/202111/0014839063.shtml |website=神戸新聞NEXT |date=2021-11-13 |accessdate=2022-02-28 |language=Japanese}}</ref>。領海を12海里とする主張が世界的に優位になったことを受け、日本は[[1977年]](昭和52年)に[[領海法]]を制定し、これまでの3海里の幅の領海を12海里に拡張した。この立法趣旨に従えば5海峡([[宗谷海峡]]、[[津軽海峡]]、[[対馬海峡]]東水道、同西水道、[[大隅海峡]]<ref name=":1" />)は領海が12海里になるはずだが、この5海峡にかぎって3海里に留められている。その理由は'''非核三原則'''にあるという証言が元外務事務次官により[[共同通信]]になされている<ref name="kyoudou">{{Cite news|url=https://web.archive.org/web/20090628203901/http://www.47news.jp/CN/200906/CN2009062101000321.html|title=核通過優先で5海峡の領海制限 元外務次官証言 |newspaper=47NEWS |agency=共同通信 |publisher=全国新聞ネット |date=2009-06-21|accessdate=2010-03-15}}</ref><ref>{{cite news|title= 核通過見込み5海峡で領海3カイリ 「密約」で政府判断|url= https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=1221|date=2009年6月22日|publisher=[[中国新聞]]ヒロシマ平和メディアセンター}}</ref>。仮に、この5海峡の領海幅を3海里から12海里にしてしまうと、5海峡は完全に日本の領海になる。一方、[[国際法]]([[国連海洋法条約|海洋法条約]]38条2)では、[[国際海峡]]{{efn2|条約では「国際航行に使用されている海峡」について定められている。}}における外国の船舶及び航空機の[[通過通航権]]{{efn2|通過通航権を認める海峡には例外規定がある。}}が認められている(それは[[核兵器]]を搭載した外国の[[軍艦]]あるいは[[軍用機]]であっても同じである)。とすると、核兵器を搭載した外国の軍艦が当該海峡を通過する場合、日本は国際法上、軍艦の通過は拒否できず、結果として領海内に核兵器が持ち込まれたこととなり、非核三原則の「持ち込ませず」の原則を堅持できなくなるのである<ref name="kyoudou" />。そこで、海峡上に領海に含まれない海域を残し、核兵器を搭載した軍艦をこの海域上を通航させることによって、こういった事態に対処しようとした<ref name="kyoudou" />。  2021年10月、日本と軍事的に対立関係にある中国やロシアの軍艦が本州と北海道の間にある津軽海峡を堂々と通過した。[[神戸新聞]]はこれを疑問に思った人々に対して、津軽海峡は日本政府が非核三原則のために特定海域と設定し、その中央部分を公海としているため、中露海軍の航行は国際法上問題なくなってしまっていると報道している。領海の場合、外国籍の軍艦は安全や秩序を害さない限り、他国の領海を航行することが可能なのだが、公海となっているため有害的な通行も可能になってしまっている。 中・ロシアによる日本周辺での牽制が今後も続くため、日本国民は海洋覇権で想起されがちな南西諸島以南だけでなく、本土周辺にも大きな関心をむけた方が良いと警告している<ref name=":1" />。 == 実態・佐藤首相の本音 == * 1967年に非核三原則を表明した佐藤栄作は、[[1969年]](昭和44年)1月14日付で米国政府に送った公電で「非核三原則はナンセンスだ」と発言したことが、アメリカの公文書から明らかになっている<ref name=":2" />。 *「核の持たず、つくらず」は堅持した上で「核の持ち込み」については日本の領土に配置を認めないが、日本の[[領海]]において寄港や通航を認めることを「非核二・五原則」と表現させることがある<ref>{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100319/plc1003192026024-n1.htm |title=外務省が二・五原則化を模索 非核三原則堅持の内閣に重い課題 密約参考人質疑 |newspaper=MSN産経ニュース |publisher=産経デジタル |date=2010-03-19 |accessdate=2010-03-20}}{{リンク切れ|date=2013年7月}}</ref>。 * そもそも「核兵器の持ち込み」の定義については、日米間に相違があり、さまざまな混乱の元であるとされている(詳細は[[日米核持ち込み問題#日米間における定義の違い]]を参照)。 == ウクライナの非核三原則 == [[ウクライナ]]は、[[1990年]](平成2年)[[7月16日]]に[[ヴェルホーヴナ・ラーダ|最高議会]]が採決した「[[ウクライナ主権宣言]]」の中で「核兵器を受け入れない、作らない、手に入れないという非核三原則 ({{lang-uk|трьох неядерних принципів: не приймати, не виробляти і не набувати ядерної зброї}}, {{lang-en|three nuclear free principles: to accept, to produce and to purchase no nuclear weapons}})」を謳っている<ref>[https://web.archive.org/web/20070521041819/http://gska2.rada.gov.ua:7777/site/postanova/declr.htm ウクライナ最高議会「ウクライナ主権宣言」ウクライナ語](2007年5月21日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])・[https://web.archive.org/web/20060325032956/http://gska2.rada.gov.ua:7777/site/postanova_eng/Declaration_of_State_Sovereignty_of_Ukraine_rev1.htm 英語](2006年3月25日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>(ただし、[[在ウクライナ日本国大使館]]では「核兵器を使用せず、生産せず、保有しないという非核三原則」としている<ref>[https://web.archive.org/web/20100527022141/http://www.ua.emb-japan.go.jp/J/About.Ukr/gaikan/6defence.html 在ウクライナ日本国大使館「ウクライナ概観(2010年5月更新)」](2010年5月27日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>)。日本以外で非核三原則を発表した国はウクライナのみである<ref>グレンコ・アンドリー『プーチン幻想 「ロシアの正体」と日本の危機』PHP研究所、2019年、第3章2節</ref>。 当時、ウクライナ国内には[[ソ連]]の核兵器が大量に配備されていたが、[[1991年]](平成3年)[[10月24日]]の「非核化に関する最高議会声明」、[[1992年]](平成4年)[[5月23日]]の[[第一次戦略兵器削減条約|STARTI]]附属議定書([[リスボン議定書]])を経て、[[1996年]](平成8年)までにはそれらを全て[[ロシア]]に移送し非核を実現した。 == 脚注 == === 注釈 === {{reflist|group=注|2}} === 出典 === {{Reflist|2|refs= <ref name=":2">{{Cite web|和書|title=【島人の目】ノーベル平和賞 |url=https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-162536.html |website=琉球新報デジタル |accessdate=2022-02-28 |language=ja}}</ref> }} == 参考文献 == {{参照方法|date=2014年9月5日 (金) 19:03 (UTC)|section=1}} * 中馬清福「密約外交」文春新書.2002年. * [[若泉敬]]『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』文藝春秋社、新装版2011年。 * {{Cite book|title=[[マオ 誰も知らなかった毛沢東]] |author=ユン・チアン| authorlink=ユン・チアン|author2=ジョン・ハリデイ|authorlink2=ジョン・ハリディ|date=2005| |volume=下巻 |translator=土屋京子|publisher=講談社|isbn=978-4062132015|ref=MAO}} == 関連項目 == * [[日米核持ち込み問題]] * [[第五福竜丸]] * [[非核神戸方式]] * [[情報公開]]・[[表現の自由#知る権利とプライバシー権|知る権利]] * [[核兵器禁止条約]] * [[核拡散防止条約]] == 外部リンク == * {{Cite news |url=https://web.archive.org/web/20100124120802/http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009053101000379.html |title=次官経験者の証言要旨 核持ち込み日米密約 |newspaper=47NEWS |agency=共同通信 |publisher=全国新聞ネット |date=2009-05-31 |accessdate=2013-07-03}} * {{Cite news |url=http://www.jcp.or.jp/akahata/keyword/337_inc.html |title=核密約/キーワード |newspaper=しんぶん赤旗 |publisher=日本共産党 |accessdate=2013-07-03}} * {{Kotobank}} {{自由民主党 (日本)}} {{DEFAULTSORT:ひかくさんけんそく}} [[Category:冷戦]] [[Category:日本の防衛政策]] [[Category:戦後日本の政治]] [[Category:戦後日本の外交]] [[Category:日本の外交政策・対外論]] [[Category:国会決議]] [[Category:日本の名数3]] [[Category:核兵器]] [[Category:佐藤栄作]]
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キューバ危機
キューバ危機(きゅーばきき、英語: Cuban Missile Crisis、ロシア語: Карибский кризис、スペイン語: Crisis de los misiles de Cuba)は、1962年10月に冷戦の対立が激化し、核戦争寸前まで危機が高まったがそれを間一髪で回避した事件である。なお、これ以前から国がその仕組みや制度として資本主義を採用するか社会主義を採用するかで激しく対立しており、互いを仮想敵国として意識した軍拡を行っていたが、この事件でその緊張は一気に高まった。 このころの東西冷戦においてはアメリカ合衆国(アメリカ)とソビエト連邦(ソ連)がそれぞれ資本主義国の集まりである西側諸国と社会主義国の集まりである東側諸国の事実上の指導国となっており、世界の二大超大国となっていた。そしてこの両超大国は世界中で新たに脱植民地化した国や革命やクーデターで成立した新政権に対して、自国の思想と同じ国については支援を行い、思想に反する国に対しては対立組織の援助等により政権の転覆を狙い、各陣営への取り込みを図っていた。 このような見えない対立を冷戦と呼ぶが、その頃カリブ海の島国であるキューバはフルヘンシオ・バティスタ率いる独裁国家であった。そしてその事に不満を抱いた革命家のフィデル・カストロらの革命軍はキューバ革命を決行し、キューバは社会主義国となった。 しかし、革命前のキューバは資本主義国であり、アメリカと友好関係を築いて支援を受けていたためアメリカはキューバ新政府を敵視し、何度もカストロ政権の転覆を図った。なお当時のアメリカはキューバ政府の幹部に対しての暗殺や裏工作、反カストロ勢力によるクーデター計画の支援など非合法な手法を取り続けていたが、カストロ政権も共産主義プロパガンダで対外宣伝をしていたため印象は良かったのだが、その陰では自国民の革命に反対する人々を弾圧・虐殺・粛清していたため一概にアメリカだけを悪魔化する事はできない。 キューバにとってはアメリカの軍事力は強大であり、自国のみで立ち向かうことは難しかったため、アメリカによる侵略に対抗すべく自国と同じ社会主義国であり、強大な軍事力を保有するソ連と友好関係を築き、核ミサイル基地の建設を計画した。 核ミサイルがキューバに配備されればアメリカを一瞬で壊滅させることすら可能となる。かくして、ここにアメリカとソ連の非常に危険な対立が始まったのであった。 1962年夏、ソ連とキューバは極秘裏に軍事協定を結び、キューバに密かに核ミサイルや兵員、発射台、ロケット、戦車などを送った。アメリカは偵察飛行で核ミサイル基地の建設を発見、直ちにキューバを海上封鎖し、核ミサイル基地の撤去を迫った。一触即発の危険な状態に陥ったが、当時のケネディ大統領とフルシチョフ第一書記とで書簡をやり取りし、最終的にソ連が核ミサイルを撤去してこの危機は終わった。また、これを機に米ソ間でホットラインの開設がなされ、不測の事態による軍事衝突を防ぐための対策が取られた。 危機の期間に定義があるわけではないが、アメリカ軍が空中偵察でミサイル基地を発見した1962年10月14日、または大統領にその情報が入った10月16日から、フルシチョフがミサイル撤去を伝えた10月28日までとすることが多い。ただし、実際にソ連が核ミサイルをキューバから撤去し、アメリカが封鎖解除したのは11月21日である。 「キューバ・ミサイル危機」とも呼ばれ、またこの1年半前の1961年4月の「ピッグズ湾事件」を「第一次キューバ危機」と呼び、この1962年10月の危機を「第二次キューバ危機」と呼ぶ場合がある。 1959年1月にキューバ革命で親米軍事独裁のフルヘンシオ・バティスタ大統領を打倒し、首相の座に就いたフィデル・カストロは、革命の1ヶ月後にバティスタ派の人々に対する簡易裁判を行い、即時に600人を処刑したことから、彼がアメリカに対してどのような外交姿勢を取るのか懸念されていた。このような懸念に反してカストロは「アメリカ合衆国に対して変わらず友好関係を保つ」と表明し、早くも4月にワシントンD.C.を訪問し、アメリカ政府に対して友好的な態度を見せるとともに、革命政権の承認を求めた。 しかし、カストロからの公式会談申し入れを受け入れたドワイト・D・アイゼンハワー大統領は、CIAより、権力掌握後のカストロが国内でバティスタ派の有力者を処刑したり、親米的な地主からの農地の強制接収による農地改革を推し進めていることを根拠として「カストロは共産主義者である」との報告を受けており、結果「かねてから予定されていたゴルフに行く」との理由で公式会談を欠席した。 さらにアイゼンハワーに代わって会談したリチャード・ニクソン副大統領との会談において、カストロは「アメリカとの友好関係を保つ」と言いながらも、彼から「革命後の共産主義の影響拡大」、「反革命派の処刑」、「自由選挙の未実施」といった点を問い詰められて怒りだす寸前になる始末であった。このようなカストロの態度を受けたニクソンは、アイゼンハワーに「カストロは打倒すべき人物で、キューバ人亡命者部隊を編成してキューバに侵攻すべきである」と進言した。 このような「予想外」の冷遇に反発したカストロ首相は、アメリカとの友好関係の継続と支援を受けることにまだ期待を持ちながらも、帰国後に農地の接収を含む農地改革法の施行を発表した。 当時アメリカ企業であるユナイテッド・フルーツとその関連会社、関係者がキューバの農地の7割以上を所有していたことから、これは事実上アメリカ企業の資産の接収を目的にした法の施行ということになり、アメリカ政府や企業からの大きな反発を受けることとなった。 アメリカとの関係が悪化する中、カストロは全方位外交を掲げることで、第三世界のみならず西側の先進国を含めた世界各国から革命政権の承認を受けることを目論み、革命の同志で国立銀行総裁に就任したエルネスト・チェ・ゲバラを日本やインドネシア、パキスタン、スーダン、ユーゴスラビア、ガーナ、モロッコをはじめとするアジアやアフリカ、東ヨーロッパ諸国に派遣した。 さらにカストロは、弟のラウル・カストロ国防大臣にソビエト連邦の首都のモスクワを訪問させ、ニキータ・フルシチョフ首相から歓迎を受け、アナスタス・ミコヤン第一副首相をハバナに公式訪問として正式に招請するなど、冷戦下でアメリカ合衆国と対峙していたソビエト連邦との接近を開始する。 その後もキューバとアメリカの関係は悪化の一途をたどり、1960年1月にはユナイテッド・フルーツの農地の接収を実施したほか、2月にはソ連のアナスタス・ミコヤン第一副首相のハバナ公式訪問を受け入れ、ソ連との砂糖と石油の事実上のバーター取引や有利な条件での借款の受け入れ、さらにソ連からの重火器類を含む武器調達の取引に調印した。アメリカ合衆国本土の隣国であるキューバがソビエト連邦と手を組む事態を受け、アメリカ合衆国は共産主義国家による軍事的脅威を間近で感じることになった。 同年4月には早くもソ連のタンカーがキューバの港に到着し、さらに6月には、キューバ政府によりユナイテッド・フルーツやチェース・マンハッタン銀行、ファースト・ナショナル・シティ銀行をはじめとする、アメリカの政府や企業、国民が所有する全ての国内資産の完全国有化を開始するとともに、穏健派のルフォ・ロペス財務大臣の更迭(その後アメリカに亡命)など、キューバとアメリカの対立は決定的なものとなった。 さらに9月にアメリカ政府は、国内にあるすべてのキューバ資産を差し押さえるとともに、キューバに経済および軍事援助を行った国に対する制裁を規定する法案を可決した。 同月下旬にカストロは自ら国連本部で開催される国連総会に出席すべくニューヨークを訪問したものの、これに対してアメリカ政府はキューバ代表団のマンハッタン外への移動を禁止し、さらに宿泊予定のシェルボーン・ホテルはキューバ代表団に対して膨大な額の「補償金」の支払いを要求するなど、嫌がらせともいえるような対応を取った。なおその後ハーレムにある安ホテルに移動したカストロは、ホテルを訪問したフルシチョフやエジプトのナーセル大統領、マルコムXなどと会談し、さらに26日には国連総会において4時間29分に渡る長時間の演説を行い、キューバ革命の意義を自画自賛するとともにアメリカを非難した。 アイゼンハワー政権は更なる対抗策として、キューバ最大の産業である砂糖の輸入停止措置を取る形で禁輸措置に踏み切り、1961年1月3日には国交断絶を通告した。この間、大量のキューバからの避難民がフロリダ州マイアミに到達し、その数は10万人に達した。 これに先立つ1960年3月、キューバのソ連への接近を憂慮したアイゼンハワー大統領とCIAは、カストロ政権転覆計画を秘密裏に開始した。キューバ革命で母国を脱出してきた亡命者1,500人を「解放軍」として組織化し、1954年にCIAが主導した「PBSUCCESS作戦」により親米軍事政権が成立していたグアテマラの基地において、ゲリラ戦の訓練を行った。アメリカの軍事援助と資金協力の下でキューバ上陸作戦を敢行させるためであった。 アイゼンハワーはすでに退任間近だったためこのキューバ問題から手を引き、その後はリチャード・ニクソン副大統領とCIAのアレン・ダレス長官らによって作戦計画は進められた。 そして、兵員数と物資で圧倒的に劣勢であった反カストロ軍がキューバ政府軍に勝つためには、アメリカ軍の介入が必要と見たCIAは作戦計画にこれも組み入れていた。表面的には亡命した反カストロ軍が故国キューバの独裁政権を倒しカストロを追放するという目的はそのままであったが、元の計画ではキューバ国内での反政府グループの支援を見込んで、またカストロ体制がまだ盤石ではないと予測していた。 そして1960年11月の大統領選挙で当選し1961年1月20日にジョン・F・ケネディが大統領に就任すると、カストロ政権転覆計画をCIAと軍部から説明を受けた。この時に「あくまでアメリカ軍が直接介入するのではなく、CIAの援助のもとに亡命キューバ人が組織した反カストロ軍が進める作戦」として説明を受けたケネディはその通りに理解し、アメリカ軍の正規軍が直接介入しないことを条件に作戦を許可した。作戦は2つの段階があり、最初の4月15日に、「払い下げ品の」旧型のアメリカ軍の爆撃機を仕立てた亡命キューバ人部隊が、キューバ空軍の飛行場を爆撃し壊滅させて制空権を奪い、4月17日にピッグス湾(コチーノス湾)に艦船の援助を受けて上陸作戦を実行する予定であった。 ところが、4月15日に行われた最初の空爆作戦が失敗、制空権を確保できないまま、4月17日に1400人の亡命キューバ人部隊がピッグス湾に上陸した時に、上陸を予想したキューバ政府軍の反撃に遭い、さらに空からキューバ空軍の攻撃を受け、沖合に待機した艦船が撃沈、弾薬も食糧も欠乏する事態の中で海岸で部隊は孤立してしまった。 ここで当初「正規部隊は介入しない」と軍とCIAはケネディ大統領に説明していたにも拘らず、亡命キューバ人部隊の劣勢を受けて「状況を挽回するために正規軍を介入させたい」と軍が主張するも彼は拒否、結局亡命キューバ人部隊は1189名が捕虜となり、114名が戦死するなどして壊滅、作戦は完敗に終わった。さらに、最初の爆撃にアメリカ軍の正規軍が関わっていることが明らかになって、世界からアメリカに非難が集中した。 この「ピッグズ湾事件」の直後の4月28日に、ケネディは「西半球における共産主義者とは交渉の余地がない」としてキューバに対する経済封鎖の実施を発表した。なおアメリカのこれらの軍事侵攻や経済制裁の実施を受けて、キューバ政府は先の革命が社会主義革命であることを宣言しアメリカの挑発に答えた。1962年初めに米州機構から追放された。 ピッグズ湾事件から2カ月の6月3~4日にオーストリアの首都ウィーンで、ケネディ大統領とフルシチョフ首相は最初で最後の首脳会談に臨んだ。この会談でケネディが持論であった大国同士の『誤算』が戦争を引き起こすことについて話すと、フルシチョフはキューバ問題について「バチスタを支持したことがキューバ国民の怒りがアメリカに向かっている理由です。キューバ上陸作戦はキューバの革命勢力とカストロの地位を強めただけである。わずか600万人のキューバがアメリカにとって脅威ですか?アメリカは他国の国内問題に介入する先例を作ってしまった。この状況は誤算を引き起こすことになる」と語り、ケネディはキューバの状況に関して判断ミスがありピッグス湾事件は誤りであったことを認め、両者は『誤算を生む可能性を排除すること』に同意した。 この時、ケネディは「私は政策判断をする場合に、ソ連が次に世界でどう動くかに基づいて下さなければならない。これはあなたがアメリカの動きに関して判断しなければならない場合と同様である。故にこの会談をこれらの判断により大きな正確さをもたらすのに役立つものとしたい」とフルシチョフに語り、そしてフルシチョフは「危険はアメリカが革命の原因を誤解した時にのみ起こるものだ」と切り返した。 ピッグス湾事件の7カ月後の1961年11月、ケネディは軍事作戦とは別に隠密作戦の検討を始め、その特別グループを編成した。そしてカストロ打倒計画を立てる中心人物としてエドワード・ランスデール空軍少将 を作戦立案者に指名し、政権の総力を挙げてカストロ政権打倒を目指す「マングース作戦」(Operation MONGOOSE)を極秘裏に開始した。ただし軍事訓練を施した亡命キューバ人をキューバ本土に派遣して破壊活動を実施させ、再度のキューバ侵攻作戦の計画立案を進めたのではなく、ランスデールが国防総省で検討を加えたのは破壊工作・経済的妨害・心理戦などからなる計画で隠密行動が主であり、その中にはカストロ暗殺計画もあり、1962年10月までにカストロ政権を転覆させるというものであった。 今日、ケネディ政権がどこまで本気でこのマングース作戦を実行するつもりであったかは不明である。アメリカ軍によるキューバ侵攻作戦という大がかりな計画ではなく隠密にカストロを暗殺するものであったという見解と、一方では当時CIAはすでにカストロ体制が予想以上に強く隠密作戦だけで体制を転覆させられると考える者はなく、大規模な軍事行動が必要であるとの考えから軍事作戦の基本計画を練っていたという見解がある。 「マングース作戦」は徐々に速度を上げて進捗し、キューバでミサイル基地が発見された時の1962年10月15日にも作戦が予定されていたが急遽中止となった。それは奇しくもキューバへのミサイル配備計画とほとんど時期を一にするものであった。 そのような状況下で、キューバとソ連の関係は一層親密化し、カストロはアメリカのキューバ侵攻に備えてソ連に最新鋭のジェット戦闘機や地対空ミサイルなどの供与を要求しはじめた。しかしソ連は1962年夏には、最新兵器の提供の代わりに秘密裏に核ミサイルをキューバ国内に配備するアナディル作戦(ロシア語版) を可決し、キューバ側のカストロもこれを了承した。 キューバへのミサイル配備をフルシチョフが検討を始めたのは1962年4月の終わり頃で、ミコヤン第一副首相との会話の中でミサイル配備が話題となり、その後マリノフスキー国防相とも協議を始めている。ミコヤンは当初懐疑的であった。後にフルシチョフが書いた回顧録によると彼がキューバにミサイルを配備した動機は何よりもキューバの防衛であった。しかしただ防衛だけであったなら、わざわざ隠密に極秘に核ミサイルを運ばなくても堂々とキューバと協定を結んで通常兵器を供与する方がケネディも反対できなかったし、仮にそれが小規模のものであってもアメリカが攻めて来る場合はソ連兵と直接戦闘となるリスクが生じ、歴史上初めてアメリカとソ連が直接武力で戦う覚悟を必要とし、それ故にアメリカのキューバ侵攻の抑止になると考える方が自然である。そう考えなかったフルシチョフにはミサイル配備のバランスでアメリカと均衡させるためにあえて核ミサイルの配備にこだわったと言える。 アナディル作戦の背景には、当時核ミサイルの攻撃能力で大幅な劣勢に立たされていたソ連がその不均衡を挽回する狙いがあった。アメリカは本土にソ連を攻撃可能な大陸間弾道ミサイルを配備し、加えて西ヨーロッパ、そしてトルコにも中距離核ミサイルを配備していた。これに対し、ソ連の大陸間弾道ミサイルはまだ開発段階で、潜水艦と爆撃機による攻撃以外にアメリカ本土を直接攻撃する手段を持たなかったといわれる。また、共産主義国家のリーダーとして台頭する中国への対抗心もあったという。 ソ連がアナディル作戦でキューバへの軍事力の展開をするには事前の発覚を避け、それでいて高性能の戦闘機、地対空ミサイル、それを管理する部隊や大量の装備品、そして約5万人の派兵が必要でそれらの人員や装備品を輸送する船舶がおよそ85隻が必要であり、しかもその船舶は何回も往復しなければならなかった。この時に運んだ人員および装備は以下の通りである。 この他に、海上兵力として潜水艦11隻なども予定していたが、結局キューバには送られなかった。そしてキューバに派遣された人員は4万5234名で、この内海上封鎖が始まった時点で3332名はまだ公海上であった。 なお、これほど大量の物資及び人員を海上輸送する作戦をソビエト軍は実施したことはなく、加えて急遽決定された計画であったため、ミサイル基地の建設は非常に困難を極めるものであった 。 キューバとソ連は、かつてない大胆で広範な軍事協力であったため、7月にラウル・カストロがモスクワを訪問して両国間の権利・義務・責任を確認して「キューバ駐留ソビエト軍に関する協定」を結んだ。この後8月にチェ・ゲバラらが訪ソして再調整し改めて2国間の「軍事協力協定」が結ばれた。その時に公表を求めるキューバに対してフルシチョフは公表する必要はないとして退けている。 フルシチョフは、1962年11月にニューヨークを訪れて国連総会に出席する予定であり、そこでキューバのミサイル基地建設の成功を劇的に公表するつもりであった。そうすれば西側にベルリンからの撤兵を要求するための前奏曲にできると考えていた。遡ること9月にケネディ政権はソ連に対してICBMの数で2対1の割合でアメリカが勝っていることを明らかにしていた。ここでキューバに中距離弾道ミサイル(MRBM)を配備すれば、アメリカ国内の標的を攻撃することができ、米ソ間の核バランスをソ連優位に修正することが出来ると考えていた。 1962年7月から8月にかけて、ソ連やその同盟国の貨物船が集中的にキューバの港に出入りするようになったため、これを不審に思ったアメリカ軍は、キューバ近海の公海上を行き来するソ連やその同盟国の船舶やキューバ国内に対する偵察飛行を強化していた。CIAはソ連船の数が急増していることの意味を検討していた。また亡命キューバ人やキューバと交易のある同盟国(デンマークやトルコ、スペインなど)の情報機関からも情報が入ってきた。8月にCIAは4000~6000人のソ連人がキューバへ入国していると結論づけた。ソ連が戦略ミサイルを配備しようとしているかも知れないがソ連はそれほど愚かだと考える者は事実上皆無であった。 そして8月23日にケネディはマコーンCIA長官にキューバに核ミサイルが存在することは容認しないと述べていたが、この時にソ連が核ミサイルの配備を試みていると考えた者はマコーン以外はいなかった。そしてCIA内部でもソ連は核を運んでいると分析することはなく、9月19日にCIAが政府に提出した報告「特別国家情報評価」の中の「キューバの軍事力増強」でも同じ見方であった。それはソ連の過去の行動パターンにも予測する政策にも合致しないことであった。そして9月にキューバ上空に偵察機を飛ばすことを制限した。 このような動きに対してケネディ大統領は、確かな証拠がまだ手に入っていないがもし配備されていたら容赦はしないとの警告を出す決意をした。8月31日、ニューヨーク州選出上院議員ケネス・キーティング は、ケネディ政権はキューバ問題に対して意図的な怠慢を続けていると非難し、以降ソ連は1000人以上の部隊をキューバに派遣してミサイル基地を建設していると指摘した。他にバリー・ゴールドウオーター、ジョン・タワーらの有力な共和党上院議員からもキューバへの行動に出るように要求が出された。 議員のもとに亡命キューバ人からの情報が入っていた。9月4日、ケネディは議会の代表者と会談し、現時点でソ連軍の大規模な展開はあるが、今までの監視から見て防御的な性格であると説明して、同日に声明を発表し「戦闘部隊が組織だって派遣されている証拠はない。軍事基地を提供している証拠もない」と前置きして「これらの証拠があるとなれば、最も憂慮すべき問題が生じ、きわめて深刻な事態が起きることになるだろう」と警告した。 9月6日にソ連のドブルイニン駐米大使から「中間選挙前にソ連が国際情勢を複雑にしたり米ソ関係の緊張を増したりするような措置は取らない。ただしアメリカがそのような行動に出ないことが条件である。ソ連はキューバで新しいことは何もしておらず、全て防衛的性質のものでアメリカの安全に脅威を与えるものではない」とのコメントがソレンセン大統領顧問を通じて伝えられた。9月7日にケネディは1万5000人の予備役を招集する権限を議会に要求し、さらに9月11日に「いつ如何なる形であれキューバがソ連に軍事基地を提供した場合は、アメリカは自国および同盟国の安全を守るため行わなければならないことは全て行う」と再び声明を出した。 同じ9月11日にソ連は声明を発表しキューバに対する如何なる軍事行動も核戦争を引き起こすであろうと警告していた。しかしその間にもソ連から、通常の工作機器の輸出に巧妙にカモフラージュされたソ連製核ミサイルや、核兵器が搭載可能でアメリカ東海岸の主要都市に達する航続距離を持ったイリユーシンIl-28爆撃機が秘密裏に貨物船でキューバに運ばれた。さらに核兵器の配備に必要な技術者や軍兵士もキューバに送られ、急速に核ミサイルがキューバ国内に配備されはじめた。 しかし当初アメリカ軍の解析班は、これらの貨物船で運ばれている物の多くがアメリカからの経済制裁の発令に伴って供給が止まり、その代わりにソ連から送られるようになったドラム缶に入ったガソリンや木材であると解析した。さらに中央情報局(CIA)による分析では、貨物船でキューバに運ばれたソ連軍兵士の数も実際は4万3000人程度いたところを、その4分の1以下の約1万人と見積もるなど、ケネディの命令により偵察機による撮影が制限されてしまったアメリカの情報チームは、ソ連によって行われた巧妙なカモフラージュを全く見抜くことができなかった。 ようやく9月下旬に入りケネディはキューバ上空の偵察飛行を再開させたものの、この間にキューバにソ連からSS-4核ミサイルとその弾頭99個、さらに核兵器の搭載が可能なイリユーシンIl-28爆撃機が秘密裏に運ばれ、同時期に貨物船の船底にぎゅうぎゅうに詰め込まれて送られた万単位のソ連将兵とともに、キューバ国内への配備が始まっていることには気が付かないままであった。 1962年10月9日、米軍の上空偵察委員会はU-2偵察機によるハバナ南方のサンクリストバル一帯の偵察飛行を提言した。キューバからの人的情報で特に怪しいと見た地域である。ケネディはすぐに許可したがこの任務は悪天候のため何日か延期となり、ようやく10月13日午後11時半にカリフォルニア州エドワーズ空軍基地から飛び立った。そして翌10月14日の朝までにはキューバに達し、キューバ上空で偵察飛行を行い、フロリダに帰着した。 このアメリカ空軍のロッキードU-2偵察機が撮影した写真について、翌15日月曜日の午前にワシントンの国家写真解析センター(NPIC)でフィルムの解析が行われた。オレグ・ペンコフスキー大佐がもたらした技術仕様書や、メーデーの際にクレムリン広場をミサイル搭載車がパレードした際の写真と見比べて解析したアメリカ空軍とCIAの解析班は、アメリカ本土を射程内とするソ連製準中距離弾道ミサイル(MRBM)の存在を発見、さらにその後3つの中距離弾道ミサイル(IRBM)を発見した。 これらの写真は10月16日朝にCIA高官のリチャード・ヘルムズによってホワイトハウスに届けられた。ケネディ大統領は16日午前9時にマクジョージ・バンディ国家安全保障担当補佐官から報告を受けて11時45分から緊急に国家安全保障会議を招集する決定を下した。しかもこの会議にはいつものメンバーに加えて、それ以外の顔ぶれを集めたので後に国家安全保障会議執行委員会(エクスコム)と呼ばれることとなった。 このエクスコムの会議には14〜15人が集まり、主な顔ぶれはジョンソン副大統領、ラスク国務長官、ボール国務次官、マクナマラ国防長官、ギルパトリック国防次官、マコーンCIA長官、ロバート・ケネディ司法長官、ディロン財務長官、スティーヴンソン国連大使、テイラー統合参謀本部議長、バンディ補佐官、オドンネル大統領特別補佐官、ソレンセン大統領顧問、アチソン元国務長官、ラヴェット元国防長官などであった。この席でケネディは直面する危険とこれに対処するあらゆる行動を即時徹底的に調査するように命じた。そして徹底した機密保持も命じた。この10月16日から13日間が歴史に深く刻まれ核戦争の寸前までいったキューバ危機の期間である。 大統領顧問であったソレンセンが1965年に書いた著書「ケネディの道」の中で、この16〜19日までの96時間が午前・午後・夜間を問わず会議の連続であったという。その間に新しい空中写真の分析が進み、近距離用攻撃用ミサイルが配置された地点が6カ所に上り、中距離用ミサイル(IRBM)用の基地にするために掘られた個所が3カ所見つかった。 ここでメンバーがこれから行動に移す可能なコースとして、 の6つの選択肢を挙げた。そして 1.の外交交渉のみと 6.の何もしないは最初から真剣に討議された。18日夜の段階でも外交交渉のみの案を支持するメンバー(主に国務省関係者)もいたが、ケネディは、1.と 6.のどちらも却下した。2.のカストロへのアプローチも相手は、キューバではなくソ連が相手であることで却下となった。そして 5.の軍事侵攻も1人 を除いて積極的な意見は出てこなかった。 ケネディの「侵攻は最後の手であって最初の手ではない」との意見が、ほぼ全体のコンセンサスとなった。残るは 3.の海上封鎖か 4.の空爆で、最初は空爆が有力であった。ソレンセンは少なくとも17日の段階までケネディも空爆に傾いていたと述べている。 マクナマラは、16日夕方の会議で海上封鎖をしてキューバの動きを見守り、その反応によってはソ連と戦うと述べた。ロバート・ケネディは、事前警告無しの空爆は「真珠湾攻撃の裏返し」であり歴史に汚名を残すと述べ、この事前警告をした場合は逆にソ連に反撃のチャンスを与え、かつフルシチョフが反撃に乗り出さざるを得ない状況に追い込んで、却って危険な状況となることが予想された。 テイラー統合参謀本部長は夕方までの間に他の参謀たちと協議して、1回の外科手術的空爆では不十分で、キューバの軍事的な目標全体を対象とした大規模な空爆が必要と認識していた。 17日の会議でアドレー・スティーブンソン国連大使は「平和的解決手段がすべて無駄に終わるまで空爆などはしてはなりません」と大統領に強く主張した。ここで空爆の前に事前警告の必要が議論の焦点となった。統合参謀本部のメンバーはキューバへの空爆を支持していたが、マクナマラやロバート・ケネディは海上封鎖を主張した。マコーンCIA長官は事前通告無しの空爆には反対であった。彼はフルシチョフに24時間の猶予を与えるべきで、この手順を踏んで、しかし最後通牒に応じない場合に攻撃を行うと主張した。アチソン元国務長官はより強気で、発見されたミサイルを早急に破壊するための外科手術的空爆に賛成した。ここでケネディはアイゼンハワー前大統領に電話で意見を聞いているが、前大統領はキューバにある軍事目標全体への空爆を支持した。一方スティーブンソン国連大使は、トルコにあるジュピター・ミサイルとキューバにある核ミサイルとを取り引きすることを検討するよう求めた。 この日までにケネディ大統領はジャクリーン夫人に事態が容易ならざる方向に進んでいることを伝えていた。 ホワイトハウス警護官で大統領夫人担当のクリント・ヒル は緊急事態に備えて大統領夫妻と打ち合わせする必要を感じていた。そしてこの10月17日にジャクリーン夫人と不測の事態が起こった場合の対応について率直に話し合うことにした。それまでにシークレットサービスは大統領の家族および政府の要人を避難させる計画を既に持っていた。そして事態が発生した直後は取り敢えずホワイトハウスの地下の核シェルターに入ることとなっていた。 このことをジャクリーン夫人に伝えようとした時に、逆に大統領夫人は『核シェルターに入らなければならない時、私がどうするか、知らせておくわ』として『もし事態が変化したら、私はキャロラインとジョンJRの手をつなぎ、ホワイトハウスの南庭に行きます。そして勇敢な兵士のようにそこに立ち、全てのアメリカ人と同じく運命に立ち向かいます。』と語った。クリント・ヒルは『そうならないように神に祈りましょう。』と答えるだけであった。 18日の会議でロバート・ケネディは、 の5つの選択肢を提示した。ラスクは 1.に反対し、国防省関係者は 2.に反対した。国務省関係者は 3.に賛成であったが、ただし空爆の前提ではなく監視強化が前提であった。4.と 5.には意見は無かった。 この日にソ連問題担当顧問で、後に駐ソ大使となったリュウェリン・トンプソンが出席して、フルシチョフは何らかの取引を目的にミサイルを配備し、それはベルリン問題で何らかのアメリカの譲歩を引き出すためではないか、と考えてフルシチョフに交渉の機会を与えることが大事だと主張した。いきなり軍事行動では報復を呼ぶだけであり、その後は予測も制御もできないとして、海上封鎖であればソ連は封鎖を突破しないと考えるがミサイル基地の作業の中止および撤去は難しいとの懸念を示した。 前日空爆反対を唱えたスティーブンソン国連大使はこの日ニューヨークに戻る前に大統領に文書を送り、キューバへの攻撃はソ連がトルコやベルリンに報復行動に出る可能性が高く、結果として核戦争になると強調した。 この段階で封鎖と空爆の2つの選択肢が残っていたが、実際は二者択一ではなく、海上封鎖から空爆へという考えと、どちらにせよ最後はキューバ侵攻へという考えで、このエクスコム会議に出席していたメンバーの大半は最後は侵攻する必要があることを理解していた。 そして海上封鎖の場合に、フルシチョフが撤去に応じる代わりに要求してくる要素をさまざまに検討して、トルコのミサイルが浮上してきた。また海上封鎖は厳密には戦争行為であるので、戦争に突入することなく海上封鎖を法的に正当化するためにどうするか、この問題ではラスク国務長官とマーチン国務次官補が1947年に締結したリオ条約(米州相互援助条約)に基づき米州機構(OAS)の承認を得ることを提案し、また18日夜にミーカー国務省法律副顧問から「海上封鎖」を「隔離」と言い換える提案が出された。 ここまで強硬に空爆を主張してきた軍も、最初は封鎖してフルシチョフの出方によっては空爆か軍事侵攻も視野に入れることにその主張を後退させた。そして封鎖の場合に撤去させるのは攻撃用ミサイルだけとすることで、この日にはケネディは海上封鎖の選択に傾いた。 こうしたホワイトハウス内の極秘の動きの中で、この日午後5時にソ連外相アンドレイ・グロムイコがホワイトハウスを訪ねてきた。これはそれ以前から予定されていたもので、国連総会への出席のための訪米に伴う儀礼的な訪問であった。ケネディはこの場では攻撃用核ミサイルを発見したことを一切語らずに、またグロムイコ外相はソ連の対キューバ援助は「キューバの国防能力に寄与する目的を追求したもの」として「防衛兵器の扱いについてソ連専門家がキューバ人を訓練しているのは決して攻撃的ではない」ことで「もしそうでなかったらソ連政府は決してこうした援助を与えないであろう」と述べて、「キューバに配備されたミサイルは防御用の通常兵器である」と9月に述べたことを繰り返し述べた。このホワイトハウスの大統領執務室での会談は、その後冷戦史上に残る最も奇妙で緊張した会談であり、茶番劇でもあった。グロムイコ外相は会談後にモスクワにワシントンの状況は満足のいくものであった、と報告している。ケネディが何かをつかんでいるとは微塵も感じなかったのである。そしてケネディは4日後の声明で、この日のグロムイコ外相とのやりとりを明らかにして、「偽りであった」と非難した。 グロムイコ外相との会談終了後、ケネディは同じホワイトハウスの閣議室に戻った。そしてこの日の夜に急速に海上封鎖が有力な案になった。また国務・国防・司法の各省はその法律専門家に封鎖宣言の根拠について検討作業を始めさせた。 この頃は中間選挙が11月初めに予定されており、その応援演説のため遊説があり、ケネディ大統領はこの日クリーヴランド、イリノイ州スプリングフィールド、そしてシカゴに行く予定であった。それらをキャンセルすると政府内での動きが感づかれる恐れがあったので、いつも通り行っていた。ジョンソン副大統領も同じでジョンソンは結局選挙遊説で会議に出ていないことが多かった。そしてケネディは軍部と朝に会議を行った。 朝、この統合参謀本部のメンバーとの協議の席で、テイラー議長はキューバへの軍事行動はベルリンを危険にし西欧諸国から批判を浴び、アメリカを孤立させかねないとする大統領の立場を認めながら、早急な軍事行動が必要とする意見を曲げなかった。そして参謀総長らが空爆や侵攻を強く主張し、空軍参謀総長のカーチス・ルメイは封鎖は弱腰と判断されるとしてケネディを苛立たせた。この直後、ケネディは「お偉いさん達の意見をその通りにして間違っていたら、間違っていたと言おうにも誰も生きていないことになる」と補佐官のケネス・オドンネルに吐き捨てるように言い残した。 この日午前の会議(大統領は中間選挙遊説で欠席)では2つのグループに分かれて海上封鎖と空爆について最も有力なシナリオを提示することにした。海上封鎖チームにはボール国務次官、アレックス・ジョンソン国務次官補、マクナマラ、ラスク、トンプソン顧問。空爆チームはロバート・ケネディ、アチソン元国務長官、ディロン財務長官、バンディ補佐官であった。午後の会議では全体会議を行い、アチソン元国務長官、ディロン財務長官、マコーンCIA長官、バンディ補佐官が空爆に賛成、ラヴェット元国防長官は封鎖に賛成した。ここでマクナマラの空爆を認めながら海上封鎖を優先させるべきとの意見とロバートの「会議で空爆と結論を出しても大統領は受け入れないだろう」との意見が通り、海上封鎖を実行し事態が進まない場合は空爆実施という折衷案がまとまった。 そしてロバートからの要請を受けてケネディ大統領は「軽い風邪のため」として選挙遊説を早めに切り上げてヘリコプターでワシントンに戻った。 20日午後2時30分からの正式な会議(国家安全保障会議第505回会議) で、ケネディはまずマコーンから新しい航空写真とその他の情報を提出させて、その後で、(1)まず封鎖から始めて必要に応じて行動を強めていくか、(2)まず空爆から始めて最後は侵攻を覚悟するか、という2つの選択肢を基幹としてそれから派生する分枝の問題が提示された。その後にケネディはまず封鎖から着手すべきとして、空爆と侵攻を主張するメンバーにそういう作戦がその後に絶対に採られないことではないと解してよろしいと言葉を続けた。ソレンセンによると、決める前に限定的な空爆がまず出来ないことを重ねて確かめるつもりであったが、結局自分で結論を出した。大統領が下さなければならない決断であり、それが出来るのも大統領だけだからであると著書で書いている。 ケネディはこのとき海上封鎖の実施を決断した。ケネディがその次に打つ手を自由に選べることと、フルシチョフにも選択の余地を残す利点があることで封鎖での力の誇示がソ連に考え直す機会を与えることになることが決め手であった。何よりも悪いのは何もしないことであると述べている。しかしもしミサイル基地の撤去に同意しなかった場合については意見が分かれた。多くのメンバーは空爆を支持したがマクナマラとスティーブンソン国連大使は反対し、スティーブンソンはグアンタナモ米軍基地の撤収まで言及して軍事的衝突は避けるべきであると主張した。この封鎖以外での外交交渉でのカードとしてトルコのミサイル撤去があったが、この時にはケネディは他の欧州諸国にとって関心の無いカリブ海の小国の問題で自国の利益のために欧州の安全を犠牲にするのではないか、という疑惑を裏書きすることで同盟を破壊しかねない譲歩をすべきではないと考えていた。この問題は最後の局面で重要な課題となった。 この後に、ケネディは21日(日曜日)にテレビ・ラジオを通じて国民に演説する意向を示したが、国務省から事前に他の同盟国や中南米諸国に説明する必要があり、日曜日ではなく月曜日にそれらを全て行うため、結局22日(月曜日)午後7時に演説することで同意した。ここで国務省からあった封鎖(Blockade)という言葉が好戦的で戦争行為と解釈されるので以後は隔離(Quarantine)を言葉として使用することも決まった。 会議が終わってから外交ルートで米州機構への申し入れ、国連への安保理開催の申し入れ、各国首脳と西ベルリン市長あての手紙、フルシチョフへの簡単な通告文書の作成にかかった。 21日に、ケネディは空軍のスイーニー司令官と会談した。スイーニーは率直に、一度の攻撃でキューバの全てのミサイルを破壊できる保証はないと伝えた。攻撃しても、結局残ったミサイルで反撃される可能性があったのである。ミサイルの問題は封鎖でも空爆でも、解決できないことをケネディは理解したのである。そしてシュレジンジャー補佐官に「最終的には取引しなければ駄目だろうな」と述べている。この日にマクミラン英国首相に親書を送った。その内容は、 より詳細な内容は、翌日駐英大使より報告があったが、この他に翌日のテレビ演説の直後にも、マクミランと電話で会談をしている。マクミランは、ヨーロッパがもう何年もソ連の核ミサイルの射程圏内に入ったままだと述べて過剰反応を戒め、カストロを忌避するアメリカに懸念を示した。ケネディはマクミランに今回の秘密の動きはベルリンに関係していると述べている。 ケネディの考えの中には、今回のキューバへのミサイル配置はベルリン問題への駆け引きがあると睨んでいた。フルシチョフのキューバ戦略とベルリン戦略は連結していると考えているケネディは、フルシチョフがキューバで揺さぶることで西ベルリンを一挙に解決する(要するにソ連にとっては獲得する)ことを目指したものであると結論を出していた。統合参謀本部のメンバーに「キューバに爆撃を加えたら、それは彼らにベルリンを奪取する口実を与えることになる」「我々がキューバへの状況に耐えるガッツを持たなかったことで、ベルリンを失ったと後で西ドイツ国民から見なされるだろう」「西欧の人からすればベルリンや自国の安全には気にかけるが、キューバなど遠く離れていて気にかけていない」と述べた。 一方ソ連では、モスクワ時間の22日朝から動きがにわかに慌ただしくなった。ケネディが夜遅くにテレビ演説を行うという情報が入って、ソ連軍参謀本部情報総局(GRU)がアメリカ軍の行動がきわめて異常だと報告し始め、国家保安委員会(KGB)はワシントンで何か重大なことが起きようとしているとの気配を察知していた。フルシチョフは共産党中央委員会幹部会を緊急招集した。 フルシチョフはキューバのミサイルが発見されたことをケネディが公表するのだと確信し、マリノフスキー国防相はアメリカがすぐに行動に出ることはないとした。しかし幹部会のメンバーは海上封鎖を宣言して何もしてこないと予測する方よりも、遅くとも数日以内にカリブ海で戦争が起こる可能性が高いとみる方が多かった。この時点でフルシチョフは「最終的には大戦争になるかも知れない」と思った。そしてキューバ駐留ソビエト軍総司令官ブリーエフに出す指示の内容についての議論が始まった。全面的な警戒態勢を取り、如何なる場合も核兵器は政府の明示的な許可がないと使用してはならない旨を伝達することが決まった。しかし包囲された中での防御戦では戦術核兵器を使用しなければ防御は絶望的だとの思いが強まり、もしモスクワからの通信が遮断された場合はブリーエフ司令官に許可することもいったんは決定したが、この部分は事態の進展を待ってということで留保された。マリノフスキーは情報が傍受されて核兵器使用の権限を現地司令官に移譲するなどとアメリカが知ったら、逆に先制攻撃の口実を与えることになることを憂慮したのであった。 アメリカではこの日22日の午前から重要な同盟各国への通知が行われた。トルーマン政権での国務長官だったディーン・アチソンをフランスのシャルル・ド・ゴールのもとに派遣するとともにイギリスのハロルド・マクミラン、西ドイツのコンラート・アデナウアー、カナダのディーフェンベーカーの各首相のもとにも特使を派遣し、NATO主要国である彼らの支持を得た。 この他に西ベルリン市長ブラント、イタリア首相アミントレ・ファンファーニ、インド首相ジャワハルラール・ネルーにも親書を送り、また、OAS諸国には現地のアメリカ大使から政府に事態を知らせた。元大統領のフーヴァー、トルーマン、アイゼンハワーに対してはホワイトハウスから電話でケネディ自身が状況説明を行い、さらに午後5時から議会指導者に対しても自身で状況説明を行った。この議会指導者との会談では多くの議員から反対の声が聞かれ、J・ウィリアム・フルブライト、リチャード・ラッセル・ジュニアの両上院議員は海上封鎖に反対し、キューバ爆撃を主張した。ソ連のドブルイニン大使が国務省に招かれたのが午後6時でほぼ同じ時刻でモスクワでコーラー駐ソ大使がクレムリンに向かった。 そしてケネディ大統領は10月22日午後7時(東部標準時)からテレビ・ラジオを通じてアメリカ国民にキューバにおける新しい事態の説明を始めた。 この演説で、キューバにソ連の攻撃用ミサイルが持ち込まれた事実と米国によるキューバ海上封鎖措置を発表し、ソ連およびキューバ国民に対して攻撃用ミサイルは何の利益にもならないと強調して、この中で以下の7項目の措置を速やかに行うことを明らかにした。 そして最後にこの言葉で結んだ。 この演説は、合衆国海外情報局 (USIA) を通してスペイン語に訳され、中南米諸国に放送された。 ソ連ではケネディの演説の後に、フルシチョフはしばらく猶予が与えられたと考え、ミサイル基地の建設を続けることを決定した。幹部会ではワルシャワ条約機構の兵力に対して低いレベルでの警戒態勢に入るよう命じた。またソ連を出発してまだ日が浅い船舶については引き返すように指示し、キューバに近い船については予定している港でなく一番近い港に全速力で向かうように命じた。この他、国内のR-7やキューバのR-12(英語版)を発射準備に入れ、またハバナ市内をはじめキューバ国内の主要地点に対空砲を構えてアメリカ軍の攻撃に備えた。そしてキューバの工業大臣を務めていたチェ・ゲバラは、サンクリストバルのミサイル基地の近くの洞窟に緊急の指令室を作り、そこで現場の指揮を執った。 アメリカ国内の軍隊をアメリカ南東部に移動させ、空軍戦略航空軍団は警戒レベルを引き上げ、180隻の海軍艦艇をカリブ海に展開させて海上封鎖の準備を整えた。 アメリカ軍全部隊の警戒態勢は、22日の大統領演説中にDEFCON(Defence Condition;デフコン)3となった。これは最高度の警戒レベルであるDEFCON1と平時のDEFCON5の中間にある警戒レベルである。迎撃機が各地に配置され、すでに空軍戦略航空軍団(SAC)は警戒レベルを上げていた。そして戦略爆撃機のうち8分の1は常時上空に待機する(飛行中)体制となった。万が一ソ連が奇襲しても爆撃機が確実に生き残れるようにするためであった。 なおこの日に、アメリカの諜報員にキューバにおけるミサイル発射サイトの計画案をはじめとする核ミサイルの配備状況を伝え、アメリカの偵察機による核ミサイルの発見に多大な貢献をしていたソ連軍参謀本部情報総局の大佐で、ソ連軍参謀本部情報総局長官であったイワン・セーロフや陸軍の兵科総元帥のセルゲイ・ヴァレンツォフと友人だった オレグ・ペンコフスキーがモスクワ市内で逮捕された。 ペンコフスキーの逮捕によって、キューバ国内の核ミサイルの配備状況のみならず、ニキータ・フルシチョフが当初から妥協を模索していたなどのクレムリン内の動向がアメリカ側に伝わらなくなってしまったものの、これまでにアメリカに伝わっていた情報は、アメリカとソ連の間の交渉において大いに役立った。ソ連軍参謀本部情報総局大佐で後に亡命したヴィクトル・スヴォーロフは、「歴史家はGRU大佐オレグ・ペンコフスキーの名前を感謝の念とともに心に留めることになるだろう。彼の計り知れない価値のある情報によってキューバ危機は最後の世界大戦に発展しなかったのだ」と述べている。 10月23日にアメリカの要請を受けて午前に会議を開いた米州機構(OAS)は、キューバのミサイルを取り除くあらゆる措置を認める決議を20対0(棄権3)で採択した。これで今回の海上封鎖《隔離》という措置の適法性が強められて集団的自衛行動となった。 この日エクスコムの会議は午前10時と午後6時に開かれて「キューバへの攻撃用兵器引き渡し差し止め」宣言の内容を討議し、ケネディは戦時国際法を適用解釈して、キューバ海域近辺の公海上に設定された海上封鎖線に向けて航行するソ連の貨物船に対して、アメリカ海軍艦艇が臨検を行うことの命令書に署名した。臨検に従わない貨物船に対しては警告の上で砲撃を行うこと、さらにこれらの貨物船を護衛する潜水艦による攻撃や、アメリカ海軍艦艇や航空機に対する銃撃などの敵対行為を取ってきた場合は即座に撃沈することを併せて指示した。この時に他の議題としてキューバ上空を地対空ミサイル(SAM)の射程圏内となる低空偵察飛行を許可し、もし万一ソ連に撃墜されたらそのミサイル基地を爆撃することも決定した。これは4日後に大きな波乱を呼ぶこととなった。 国連では安保理特別会合が午後に開かれて、スティーブンソン国連大使はソ連のミサイル配備を非難し、ソ連のゾーリン国連大使はキューバにミサイルがあることを認めずそれ以上の質問の回答は一切拒否した。この時はアメリカ側は証拠となる空中写真をまだ公開していない。この時にゾーリン国連大使もドブルイニン駐米大使も本国から何も知らされていなかった。国連事務総長代行ウ・タント は米ソ両国に書簡を送り、自制を求めた。 一方ソ連ではフルシチョフが2通の書簡を送付した。1つはケネディ大統領宛てで「平和への重大な脅威であり、海上封鎖は国際法の重大な違反行為でアメリカは壊滅的結果を招く可能性がある」として激しく非難した。ケネディ宛ての書簡はこれ以降キューバ危機の間に10通以上が届いた。この時代、現在のように米ソ間にホットラインはなく首脳同士が直接対話することは出来なかった。このキューバ危機をきっかけに米ソ間でホットラインが設置されて、初めて両国の首脳による電話での会談がいつでも行えるようになった。 このフルシチョフからのケネディ宛ての書簡に対して、ケネディは返書を送り秘密裡にキューバに攻撃用ミサイルを与えたことで海上「隔離」を行ったことを確認して「理性を持って状況を管理不能な状態にしてはならない」と要望した。この後に大統領はロバートに秘密裡にドブルイニン大使と会ってソ連の行動は間違っていることを伝えさせた。この時ドブルイニンは「隔離は受け入れられない。封鎖は突破する」とロバートに答えたという。 もう1つのフルシチョフ書簡はカストロ宛てで「ソ連は引き下がることはない」と確約した。キューバは最高レベルの警戒態勢に入り、東部にラウル・カストロを、西部にチェ・ゲバラを派遣して防衛準備を仕切らせた。そして3日間で30万人以上のキューバ人が武装し最悪の事態に備えた。 著名な哲学者であったバートランド・ラッセルはケネディに「貴下の行為は無謀で正当化の余地がない」と電報を送り、フルシチョフには「貴下の忍耐こそ我々の希望である」と打電している。 10月24日午前にモスクワでは党中央委員会幹部会の承認を受けてフルシチョフはケネディに書簡を寄せ、「世界核戦争のどん底に突き落とす攻撃的行動」で「海賊行為」であり「封鎖を無視する」とした。この日の夜に再びフルシチョフから書簡が届き、封鎖には従わない、必要なあらゆる手段を取ると記してあった。 この日午前10時に海上封鎖が開始され、アメリカは陸海軍および海兵隊、沿岸警備隊などを総動員した体制を取り、航空機、艦船、潜水艦などで海上封鎖線近辺の警備を強化したほか、ソ連の貨物船が海上封鎖を突破しアメリカ軍がこれを撃沈した場合、即座に全面戦争となる可能性もあったことから、日本や西ドイツ、トルコをはじめとする海外の基地においても総動員体制をかけ、アメリカ軍人のみならず西ドイツ軍なども休暇の兵士を呼び戻した。 この日の朝エクスコムの会議では航空偵察写真の分析結果からR-12、R-14(英語版)両方のミサイル基地建設が進んでいることが分かった。封鎖線にソビエトの船舶が近づいており、会議の雰囲気は緊迫したものだった。しかしフルシチョフは実際には慎重であった。これらの船舶は本国からの指示によりアメリカ海軍により通達された海上封鎖線を突破することはせず、海上封鎖線手前でUターンして引き返した。ソ連の貨物船は、もし公海上での臨検を受け入れた場合はアメリカの「恫喝」に屈服する形になるだけでなく、アメリカ側に様々な軍事機密が流れてしまう恐れがあることから臨検を受けることをよしとせず、また海上封鎖を突破し攻撃を受けた場合は即座に報復合戦となり、さらに全面核戦争になる可能性が高いことから、回避行動に出たのである。 アメリカ軍が実際に初めての臨検を行ったのは26日(金曜日)の午前である。 この日、ウ・タント国連事務総長代行は米ソ両国に、数週間は両国とも対決姿勢を緩める措置をとり、ソ連はキューバへの兵器輸送を一時停止すること、アメリカはキューバへの海上封鎖(隔離)を一時停止することとし、そのうえでミサイル基地建設も停止されればその貢献は大きいとして仲介することを提案した。これに対してフルシチョフは前向きに受け入れたがミサイル基地建設停止は同意しなかった。ケネディはミサイル基地建設を中止するのであれば隔離を停止すると表明した。この国連の仲介の下での予備的交渉には両国も同意した。この停止措置の提案は3日後の劇的展開で実質的なものにはならなかったが、フルシチョフにとっては出口での口実を得たことになった。つまり、アメリカの違法な要求ではなく、国連の要請に応じてということで体面を保つ口実であった。 フルシチョフは、事態が深刻化する中で自らの姿勢を見直すようになっていた。ミサイルや他の兵器をキューバに送ってもカストロ体制の防衛強化にならず、逆に今やアメリカから侵攻される危険が大きくなった。ここでアメリカが今後キューバへの侵攻を行わない確約をする代わりにミサイル基地を撤去することを申し出ることを党中央委員会幹部会に提案した。これであれば当初のアナディル作戦の目標は無となるが、少なくともキューバの安全を確保できて、まずまずの成果であると言えるとして、賛成が多く了承されたが、この取引に応じる用意があるとの合図を送るのはしばらく控えることにした。 10月25日の緊急国連安全保障理事会で、アドレー・スティーブンソン国連大使がそれまで極秘で公開していなかった航空写真を用いてソ連のゾーリン国連大使と対決し、劇的な効果を収めた。スティーブンソンは、ソ連の代表団にミサイルをキューバに設置しているのか尋ね、ゾーリンが「そんなものは存在しない」と否定した後、それを反証する決定的な写真を見せて以下のやり取りとなった。 スティーブンソン「通訳は必要ないでしょう。イエスかノーでお答え下さい( Don't wait for the translation, answer 'yes' or 'no'! )」 ゾーリン「私はアメリカの法廷に立たされているのではない」 スティーブンソン「あなたは今、世界世論の法廷に立たされているのです」 ゾーリン「そんな検事のような質問をされてもお答えすることはできない」 スティーブンソン「地獄が凍りつくまで回答をお待ちしますよ( I am prepared to wait for my answer until Hell freezes over. )」 この駆け引きで、ソ連がキューバにミサイルを配備していることを世界中に知らしめることに成功した。 前日にソ連船のタンカー1隻を停船させたが、何もせず他のタンカーとともに通過させた。東ドイツの客船も何もなく通過させた。そしてこの日の未明にレバノン船籍でパナマ人の船主のソ連がチャーターした貨物船を停船させ、乗船して臨検に及んだ。ケネディは必要になるまでソ連船の航行を妨害させないつもりだったが、アメリカが本気であることを示すためにソ連にチャーターされた中立国の船舶に対して乗船臨検させた。この時は問題なしとして通過を許可した。この間に続々とソ連船がUターンしているとの情報が入ってきた。 毎朝エクスコム会議の冒頭にCIAからの報告があるが、この日ミサイル基地建設がまだ進んでいるとする情報が入り、中距離ミサイル(MRBM)は週末には実戦に使えるようになる見通しになったとのマコーン長官からの説明に、海上封鎖が効果を発揮していないとしてミサイルをどうするかにエクスコムの議論が戻りつつあった。その効果についての疑問の声が増え、25日から26日にかけてケネディと他のメンバーとでソ連への圧力を一歩強化する方策を熟慮検討していたが、軍は空爆か侵攻を主張し、ケネディは猪突猛進に反対していた。大統領は「キューバからミサイルを撤去させるには、侵攻するか、取り引きするしかない」と語っていた。この時、どちらを選択するか、腹の中は決まっていた。 26日正午に国務省報道官が定例の記者会見で今後の行動について不用意に「更なる行動」にコメントしたため憶測を呼んで、空爆か侵攻が迫っているとの情報が流れ、ケネディが激怒する一幕があった。この報道官は大統領執務室に呼ばれ大統領から叱責された。しかし24時間後にケネディはこの報道官の誤りが役に立つ効果を生み出したのかも知れない、と冗談交じりに語ることになった。 10月26日の朝、フルシチョフに、アメリカからの情報として、米空軍戦略航空軍団に史上初めて警戒レベルDEFCON2の防衛準備態勢に入るように命じられたとの報告をKGBから受けた。この時にフルシチョフはもはや待つ余裕はなくなったと腹を決めて、ケネディ宛てに書簡を送ることとした。それはミサイル撤去についての提案であった。 「あなたから10月25日付けの書簡を受け取りました。あなたが事態の進展をある程度理解しており、責任感も備えていると感じました。私はこの点を評価しています。...世界の安全を本当に心配しておられるのであれば私のことを理解してくださるでしょう...私はこれまで2つの戦争に参加しました...至るところ死を広め尽くして初めて戦争は終わるものだということを知っています...ですから政治家としてふさわしい英知をみせようではありませんか...今戦争というロープの結び目を引っ張り合うべきではありません...強く引っ張り合えば結んだ本人さえ解けず...それが何を意味するか申し上げるまでもありません」 この書簡は送信に手間取りこの日の夜、ワシントンに届いた。この時まで実務的に米ソ間でミサイル撤去交渉というものがあったことはない。この時代のこの段階ではおよそ無理な話であって、最高指導者の間でのやり取りで決定せざるを得ないものであった。この意味で10月26日から28日までの間のケネディとフルシチョフとの息詰まるやり取りはこの2人の指導者が冷静に相手の真意を探り合うものであった。 10月26日に届いた書簡は、ミサイルをキューバに置いたのはキューバを侵攻から守るためで、もしアメリカがキューバを攻撃・侵攻しないと約束すれば、国連の監視下でミサイルを撤去するという旨の内容であった。この内容の書簡はウ・タント国連事務総長代行にもゾーリン国連大使から届けられている。 そしてもう一つ非公式なルートでソ連大使館員でKGB担当者でもあるアルクサンドル・ファーミン(フェクリソフ)がABCテレビの特派員であったジョン・スカーリに電話をかけて二人はレストランで会い、昼食を取りながら、ソ連がミサイルを撤去する代わりに、封鎖を解除して、今後キューバへ侵攻しないとの取り決めを行うことにケネディ政権は関心があるだろうか、と尋ねてケネディ政権の意向を探ってほしいと依頼している。スカーリは国務省にすぐに伝え国務省はすぐにエクスコムに伝えた。そしてこの日の夜7時半ごろに二人は再び会い、スカーリは「政府内の最高首脳レベル」 から承認を受けてアメリカはその提案に関心があると伝えるように言われたとファーミン(フェクリソフ)に伝えた。 26日午後10時にDEFCON2 となり準戦時体制が敷かれた。ソ連との全面戦争に備えアメリカ国内のアトラスやタイタン、ソー、ジュピターといった核弾頭搭載の弾道ミサイルを発射準備態勢に置き、ソ連と隣接するアラスカ州などのアメリカ国内の基地のみならず、日本やトルコ、イギリスなどに駐留するアメリカ軍基地も臨戦態勢に置いた。 また、核爆弾を搭載したボーイングB-52戦略爆撃機やポラリス戦略ミサイル原子力潜水艦がソ連国境近くまで進出し、B-52はボーイングKC-135による空中給油を受けながら24時間体制でアラスカや北極近辺のソ連空域近辺を複数機で飛行し続け、戦争勃発と攻撃開始に備えた。 このDEFCON2の発令を受けて「全面核戦争」の可能性をアメリカ中のマスコミが報じたことを受け、アメリカ国民の多くがスーパーマーケットへ、飲料水や食料などを買いに殺到する事態が起きたほか、アメリカやイギリスでは「キューバへのアメリカの介入」を非難する一部左翼団体のデモが行われた。 10月27日は後に「暗黒の土曜日」と呼ばれることになった。10月27日に危機は極限にまで達した。ワシントンD.C.のソ連大使館で、大使館員が書類を焼却する姿が目撃され開戦に備えているとの憶測が飛んだ。そしてキューバの基地建設が進み、海上封鎖の封鎖線にソ連船舶6隻と東側の3隻の船舶が向かっているとの情報が入っていた。 この日の朝、モスクワではフルシチョフはにわかに自信を深めつつあった。封鎖宣言から5日過ぎてもアメリカは攻めてこない、ミサイル撤去の条件にキューバを侵攻しない約束以上の譲歩もアメリカは考えているとの感触を得ていた。当時アメリカで著名な評論家であったウォルター・リップマンが25日の新聞コラムで《キューバのミサイル》と《トルコのミサイル》とを「体面を保ちつつ」取り引きするのはどうかと論じていたのである。リップマンがケネディ政権の意思を代弁していたのかどうかは明らかではないが、フルシチョフはアメリカの柔軟な対応を示唆するものと感じ取った。そして「トルコの米軍基地の清算まで達成できれば我々の勝ちだ」と語った。早速昨日とは著しく内容を異にする書簡を準備し、前日送信に手間取って遅くになったことを考えてモスクワ放送で公表した。 そしてワシントン時間でこの日の午前中に新たなフルシチョフの書簡の内容がラジオを通じてエクスコム会議に入って来た。前日の内容に全く触れずにトルコにあるミサイルの撤去を交換条件として要求してきたのである。これを聞いたワシントンでは前日届いた書簡が柔軟な内容であったのに、朝にラジオで聞いた今回の書簡の内容が強硬であったので戸惑っていた。これは東西対立の厳しい状況の中でヨーロッパでは東欧の共産圏があって、ソ連にとっては東欧が緩衝地帯で直接アメリカの核ミサイルが脅威ではなかった。しかしトルコはソ連と境界を接し、トルコ国内の核ミサイルが直接ソ連領内に向けられているので、この時代のソ連にとってトルコのアメリカ軍のミサイルは脅威であった。 前年のベルリン危機でも、アメリカはトルコがソ連の攻撃目標になることを常に念頭に入れなければならない状況であった。ただし1960年代に入ってトルコに配備しているミサイルはすでに旧型であり、アメリカでは原潜などに移動型ミサイルの配備が進み、さらに米ソ間のミサイルの保有数で圧倒的にアメリカが優位であり、必ずしも核ミサイルの固定基地が絶対必要という時代ではもうなかったが、簡単に撤去を了解するとソ連の圧力に屈したことを印象づけ、他の同盟国との信頼が低下することをケネディは懸念していた。 そしてこの日の昼頃、キューバ上空を偵察飛行していたアメリカ空軍のU-2がソ連軍のS-75(SA-2ガイドライン)地対空ミサイルで撃墜され、操縦していたルドルフ・アンダーソン少佐が死亡する事件が起こった。実は23日の会議で、もし偵察飛行中に米軍機が撃墜されるような事態が生じた場合は、SAM(地対空ミサイル)基地に1回だけ報復攻撃を加え、その後も相手が攻撃を加えて来た場合は全面的に叩き潰す方針を決定していた。従ってこれに対する行動はエクスコムのほぼ全員がSAM基地の破壊で一致した。 しかしケネディはこの決定を引き戻し、キューバに対する攻撃は、ベルリンやアメリカのジュピター・ミサイルが配置されているトルコに対するソ連の攻撃を誘発しかねないとしてきわめて慎重な姿勢を示し、すぐに反撃ではなく1日待つこととした。しかし参謀本部は一気に態度を硬化して即時空爆を主張、10月30日の時点で大規模空爆を仕掛け、即侵攻部隊を送るべきとの意見が強まった。事態の緊張がさらに進み、危機が制御不能な段階までエスカレートしてしまった時の重大な結末をケネディは恐れていた。 さらに悪い事件が起こった。アラスカを飛行中であったU-2が飛行中のミスにより、ソ連領空に深く侵入する事態が生じた。ソ連空軍の戦闘機がスクランブル発進したが幸い発砲はなく、U-2はまもなく針路を取り戻して領空を出た。しかし、ケネディはアメリカが核先制攻撃のための目標を調べているのではないかとフルシチョフに受け取られることを懸念した。結局この事件は余波を招く事はなかったが、後にフルシチョフは戦闘態勢に入っている時に核爆撃機と誤認されかねない危険な事態であった、と述べている。 またソ連海軍の4隻のディーゼル潜水艦 が1962年10月1日ムルマンスクを出港し、キューバのマリエル港へ向かっており、ちょうどキューバ危機の時に、アメリカ海軍が設定した海上封鎖線近くにいた。4隻とも核魚雷を搭載し、もし攻撃を受けたら発射するよう口頭命令を受けていた。 アメリカ海軍はキューバ海域に向かう潜水艦を発見し、これに対してキューバ海域を離れるように警告しても従わない場合、被害のない程度の爆雷を投下して警告することになっていた。 10月27日昼頃、冷戦終結後になって分かったことだが、アメリカ海軍は海上封鎖線上で警告を無視してキューバ海域に向かうソ連海軍のフォックストロット型潜水艦B-59に対し、その艦が核兵器(核魚雷)を搭載しているかどうかも知らずに、爆雷を海中に投下した。攻撃を受けた潜水艦では核魚雷の発射が決定されそうだったが、B-59副艦長ヴァシーリイ・アルヒーポフ の強い反対によって発射を止め、また浮上して交戦の意思がないことを表し、その後海上封鎖線から去ることにより核戦争は回避された。 この日午後の会議で「トルコのミサイルで取り引きすれば、キューバのミサイルを片付けられるのに、苦労して血を流してもキューバ侵攻はうまくいかない。もし後世にそう記録されたら戦争をやってよかったとは言えない」とケネディは呟いていた。しかし会議ではトルコのミサイル撤去に反対が多く、NATO(北大西洋条約機構)が分裂しかねないと懸念する意見もあった。 そこでこの日に届いた書簡(トルコのミサイル撤去)を敢えて無視し、昨日届いた書簡にのみ回答して、その書簡のフルシチョフ提案(キューバを今後攻撃しない)を受け入れる案が出された。そしてケネディは前日に届いた柔軟な内容のフルシチョフの書簡に対してのみ回答する方針を決め、ロバート・ケネディと大統領顧問テッド・ソレンセンにその回答の起草を命じた。そしてスティーブンソン国連大使が推敲して、同日午後8時に公表した。 この回答の中身は『3つの条件』 を提示して、この条件を了解すれば、アメリカは海上封鎖を解き、キューバを攻撃・侵攻しないと確約するものであった。 「私はあなたからの10月26日付けの書簡を大変注意深く読み、この問題への早急な解決を求める熱意が述べられていたことを歓迎します。......書簡で示された線に沿って、解決に向けた取り組みを、この週末に国連事務総長代行の下で作成するように指示しました」 これが送信された後、ロバート・ケネディは大統領の求めで駐米ソ連大使アナトリー・ドブルイニンと夜8時頃に密かに会うこととした。このドブルイニン大使との席でロバートは、この返書は大統領個人のものであり、軍部からの強硬な意見を無視した決断であること、米軍機の撃墜と操縦士の死亡は軍部を強く刺激してもはや平和的な解決を図るには時間が無くなったことを強調した。そして懸案のトルコのミサイル撤去について「キューバのミサイル撤去が確認された段階で必ずトルコから撤去する」として、もしこの約束が漏れたら責任は全てソ連側にあり、この提案全てが反故になると強く告げることを忘れなかった。 10月27日は終日会議に追われた。アメリカ空軍機撃墜で空爆を主張するメンバーが増え、書簡の回答を作り終えて送信した後は、午後8時過ぎにいったん休憩をとり大統領は食事となった。午後9時に再開してしばらくしてから明朝10時に会議を開くことでこの日は終わった。翌日の会議は10月30日に空爆か侵攻を行うかで開かれる予定であった。緊張と疲労がまじった中で、会議に出席した誰もが30日火曜日には戦争が起こると予測していた。マクナマラは後に「あの日見たポトマック川沿いの夕日は美しく、その時この夕日を生きてもう一度眺めることができるのだろうか、と思った」と語っている。 実はこの日の夜、キューバのカストロはフルシチョフに躊躇いが生じているのではないか、と心配し始めていた。米ソ間の取り引きも噂されていて、思い切ってフルシチョフを激励するつもりで書簡を送ることにした。そして駐キューバソ連大使のアレクセイエフを呼んで口述させた書簡をフルシチョフ宛てに送った。この書簡は時差の関係からモスクワの28日朝に着いているが、この書簡がカストロの思いとは全く逆の効果を生じることになった。 この日の朝、モスクワではフルシチョフに悪い情報が入った。前述の米軍偵察機の撃墜があり、ワシントン時間で夕方にケネディ大統領が新たな声明を発表する準備をしているという観測があり、そこへカストロからの書簡が届いた。カストロからはアメリカへの核攻撃を求めていると解釈できる内容でこれはフルシチョフを怒らせた。フルシチョフも事態が制御不能になりつつあることを恐れていた。 モスクワ時間12時に幹部会を招集して、事態が急速に進展する中で、ケネディからの新しい書簡とドブルイニン駐米大使から外務省を通じて指導部に宛てられた報告が届いていた。フルシチョフはこのチャンスを逃すことなくその場で返信を口述した。そしてアメリカにこの返信がすぐに届くように前回と同じくモスクワ放送を通じて早急に読み上げるよう命じた。この声明に関するニュースはまもなく世界に広がった。そしてマリノフスキー国防相はミサイル基地解体をブリーエフ司令官に命じた。 ワシントン時間10月28日午前9時、ニキータ・フルシチョフ首相がモスクワ放送でミサイル撤去の決定を発表し、同時にアメリカでもラジオで放送されて伝わった。フルシチョフはアメリカがキューバに侵攻しないことと引き換えにキューバのミサイルを撤去することに同意したのであった。ソレンセン大統領顧問は自宅で朝のラジオで聞き、夢かと思った。国防総省では前日のケネディ提案が拒否された場合の対応策を協議するために召集されていた。マクナマラは早朝に起きて「侵攻一歩手前の措置」についてリストを作成していた。しかし参謀本部のメンバーはこの放送を疑い、カーチス・ルメイ空軍参謀らは30日に空爆をすべきだとの文書を大統領にあらためて提出した。ジョージ・アンダーソン海軍参謀も不満を露わにして即時侵攻を主張した。しかしホワイトハウスは深い安堵感に包まれていた。 他方ハバナではカストロが激怒していた。フルシチョフから何ら事前の通告もなく、彼はこれを降伏とみなした。キューバを攻撃および侵攻しないという約束のもとで自国に搬入したミサイルを撤去する空手形になるかも知れないものであり、キューバの安全保障を取引の材料にされたカストロは我が耳を疑った。この日フルシチョフからのカストロ宛て書簡が届き、自制を求めるとともにアメリカの攻撃が差し迫っていたというカストロの考えを肯定した上でケネディによるキューバ不侵攻の確約は大きな勝利であり、これによりキューバの安全が確保されたという評価を押し通して協議する時間が無かったのだと主張した。 この書簡には、トルコのミサイルの撤去とキューバのミサイルの撤去とが取り引きされたことには触れなかった。カストロはその後、ミサイル撤去の際に様々な行動をすることになった。後のフルシチョフの回想によれば、アメリカの度重なる偵察と海上封鎖に興奮したカストロはフルシチョフにアメリカを核攻撃するように迫ったとされ、ソ連の方も、核戦争をも厭わない小国の若手革命家と次第に距離を置くようになっていった。 後の歴史学者の間では、当時のソ連第一副首相のアナスタス・ミコヤンからの強い進言がキューバの核ミサイル撤去をフルシチョフに踏み切らせたと考えられている。 ドン・マントンとデイヴィッド・A・ウェルチ共著『キューバ危機』の第5章「その後」の冒頭に「10月28日に世界は安堵したもののキューバ危機はまだ終わっていなかった。...キューバ危機は最初の13日間の物語よりはるかに長く続いた」と述べている。 いずれにしてもフルシチョフはケネディの条件を受け入れ、キューバに建設中だったミサイル基地やミサイルを解体し、早くも11月中には貨物船でソ連に送り返した。ケネディもキューバへの武力侵攻はしないことを約束、その後1963年4月トルコにあるNATO軍のジュピター・ミサイルの撤去を完了した。なおアメリカはマクドネル・エアクラフトRF-101などの偵察機を、ソ連のミサイル撤去声明の直後より公然とキューバ国内や港湾上空に飛行させ、ミサイルが完全に撤去されたか否かを調査し、ソ連軍もこれらのアメリカ空軍の偵察機を撃墜することをソ連軍の現地司令官やキューバ軍に対し行わないように厳命している。 カストロは協力を拒み、ケネディとフルシチョフの間で合意した国連監視下での兵器撤去の査察を妨げた。彼は査察条件について合意する前に自らと協議しなかったことで憤っていた。10月30日にウ・タント事務総長代行との会談で現地査察についての取り組みを拒絶した。フルシチョフはミコヤン第一副首相をハバナに派遣した。ミコヤンがハバナに行く前にカストロはアメリカに、 の5項目の要求を出したが、結局アメリカは無視した。 それどころか、ミコヤンが途中ニューヨークの国際連合本部に寄った際に、スティーブンソン国連大使から新たに攻撃的兵器とみなしキューバから撤去を要求するリストを手渡されて、その中に軽爆撃機「イリューシン」(Il-28)も含まれていて、11月4日にフルシチョフは憤りをもって反対する返信を行っている。 そして、ハバナに滞在してカストロの説得に難渋していたミコヤンも「ソ連はアメリカの新たな要求に応じることはない」とカストロに明言していた。しかし結局11月20日にフルシチョフが軽爆撃機の撤去に同意し、ケネディはその同意をもって海上封鎖の終了を宣言した。国防総省は軍の警戒態勢を解き、キューバ危機は幕を閉じた。 そしてキューバに対するアメリカの介入も減少し、冷戦体制は平和共存へと向かっていくことになる(米ソデタント)。この事件を教訓とし、首脳同士が直接対話するためのホットラインが両国間に引かれた。 カストロは、その後ソ連に2回訪問し、フルシチョフと2人で事件について冷静に振り返っている。カストロは一旦は「自らがアメリカを核攻撃をするようにソ連に迫ったことを記憶していない」としたが、フルシチョフは通訳の速記録まで持ってこさせて、カストロに核攻撃に関する自らの過去の発言を認めさせた。 冷戦終結後にロシアの公開した情報によると、キューバ危機の時点でソ連は既にキューバに核ミサイル(ワシントンD.C.を射程に置く、中距離核弾頭ミサイルR12、R14、上陸軍を叩く戦術短距離核ミサイル「ルナ」)を9月中に42基(核弾頭は150発)配備済みであり、グアンタナモ米軍基地への核攻撃も準備済みであった。さらに、臨検を受けた時には自爆するよう命じられたミサイル(核弾頭を取り外している)搭載の貨物船が、封鎖線を目指していたため、アメリカ軍による臨検は、殆ど効果がなかったことである。 またキューバ軍の兵士の数は、アメリカ側の見積もりの数千人ではなく4万人であった。カーチス・ルメイ空軍参謀総長を始めとするアメリカ軍は、その危険性に気付かず、「圧倒的な兵力」と思い込んでいた軍事力でソ連を屈服させることが可能であると思っていた。 もしフルシチョフの譲歩がなく、カーチス・ルメイの主張通りキューバのミサイル基地を空爆していた場合、残りの数十基の核ミサイルがアメリカ合衆国本土に向けて発射され、核戦争によって、世界は第三次世界大戦に突入していた可能性が非常に高い。 マクナマラ国防長官は後に、キューバ危機から二つの教訓を学んだと述べた。1つは「核兵器で武装された国家間の危機管理は本来的に危険かつ困難であり、また不安定である」。2つは「判断の過ち、情報の誤り、誤算のゆえに核武装した大国間の軍事行動の帰結を自信をもって予知することは不可能である」ということであった。 キューバ危機はその後において国際政治に及ぼした影響は大きい。第一はソ連が核ミサイルの増強に走ったことで、米ソ間のミサイルギャップを埋めるべく核ミサイルの開発競争に走り、この結果、米ソ間での核軍備競争となり、1980年代に入ってやがてソ連経済の衰退を招いた。 第二は米ソ両国が核戦争を回避するための道を模索し始めたことで、この危機を教訓として、2つの国の政府首脳間を結ぶ緊急連絡用の直通電話ホットラインがソ連とアメリカ間に初めて設置された。そして翌年8月に部分的核実験禁止条約が締結されて、やがて危機管理の方法の確立から核不拡散などの共通の利害を共有するとの認識に至り、デタントの流れを形成していった。 第三はこの危機から東西両陣営の内部で同盟国の離反を招いたことで、かねてから「中ソ対立」でソ連と対立していた中華人民共和国は、ソ連の脅威に対抗するためもありやがて核実験を実施して核保有国となる傍ら、ソ連との緊張関係が1980年代に至るまで続いた。また1960年に核保有国となっていたフランスは、アメリカの同盟国に対する姿勢に不信感を持ち、ドゴール大統領は独自の外交を展開する。キューバ危機後米ソ間は次第に好転していくが、反対に中華人民共和国とフランスは部分的核実験禁止条約に反対して、しばらくの間は東西両陣営から距離を取る方針を進めた。また中ソの緊張関係が続く中で、ベトナム戦争の末期にアメリカと中華人民共和国が急接近するなど、キューバ危機の前後に起きた様々な動きの結果、これまでの米ソ二極支配の構造から多極化の構造へと変化していった。 ニクソン政権の時代に国家安全保障担当特別補佐官そして国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャーは著書「外交」の中で、「フルシチョフは自ら作り出した絡み合った罠に自らはまり込んでしまった。彼はソ連のハト派をより対立的な路線に引っ張っていくには弱すぎ、タカ派に妥協するには立場に不安があり、時間稼ぎするしか方法はなく、キューバにミサイルを置くという絶望的な賭けに打って出たのである。」として「冷戦の転換点となった。」と述べている。 キューバ危機は、1963年の米ソ関係の変化につながっていった。核戦争の危機に直面して恐怖を味わったことで、フルシチョフは対米関係の改善を強く求めるようになった。しかし、ソ連内部でフルシチョフの外交上の不手際に対する批判が強まり、1964年10月14日に彼は失脚した。キューバ危機での譲歩がその大きな要因であった。 一方、アメリカでは、このキューバ危機で核戦争一歩手前の危機的状況に直面した際にケネディ大統領の一言が政策を決定したとはいえ、国防総省・国務省・軍部の高官および主要閣僚などが政策決定に与えた影響は大きかった。それまではアイゼンハワーもトルーマンも文民・軍人の官僚からは距離を置き、自身で政策を決定した後に各省庁の部下と協議することがほとんどであった。しかしケネディは政策を決定する前に部下のアドバイスに対してより積極的に耳を傾けた。また議会に対してはアイゼンハワーは議会指導者に外交上の進展について周到に情報提供をしていたが、ケネディは逆に議会に対して時々にしか提供せず、議会の役割は前任者に比べて小さいものでしかなかった。ケネディはアメリカ軍最高司令官としての権力に依存して軍事政策を決定したが、この権力は翌1963年11月22日のケネディ暗殺事件後に昇格したジョンソン大統領によってさらに頻繁に使われるようになっていくことになった。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "キューバ危機(きゅーばきき、英語: Cuban Missile Crisis、ロシア語: Карибский кризис、スペイン語: Crisis de los misiles de Cuba)は、1962年10月に冷戦の対立が激化し、核戦争寸前まで危機が高まったがそれを間一髪で回避した事件である。なお、これ以前から国がその仕組みや制度として資本主義を採用するか社会主義を採用するかで激しく対立しており、互いを仮想敵国として意識した軍拡を行っていたが、この事件でその緊張は一気に高まった。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "このころの東西冷戦においてはアメリカ合衆国(アメリカ)とソビエト連邦(ソ連)がそれぞれ資本主義国の集まりである西側諸国と社会主義国の集まりである東側諸国の事実上の指導国となっており、世界の二大超大国となっていた。そしてこの両超大国は世界中で新たに脱植民地化した国や革命やクーデターで成立した新政権に対して、自国の思想と同じ国については支援を行い、思想に反する国に対しては対立組織の援助等により政権の転覆を狙い、各陣営への取り込みを図っていた。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "このような見えない対立を冷戦と呼ぶが、その頃カリブ海の島国であるキューバはフルヘンシオ・バティスタ率いる独裁国家であった。そしてその事に不満を抱いた革命家のフィデル・カストロらの革命軍はキューバ革命を決行し、キューバは社会主義国となった。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "しかし、革命前のキューバは資本主義国であり、アメリカと友好関係を築いて支援を受けていたためアメリカはキューバ新政府を敵視し、何度もカストロ政権の転覆を図った。なお当時のアメリカはキューバ政府の幹部に対しての暗殺や裏工作、反カストロ勢力によるクーデター計画の支援など非合法な手法を取り続けていたが、カストロ政権も共産主義プロパガンダで対外宣伝をしていたため印象は良かったのだが、その陰では自国民の革命に反対する人々を弾圧・虐殺・粛清していたため一概にアメリカだけを悪魔化する事はできない。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "キューバにとってはアメリカの軍事力は強大であり、自国のみで立ち向かうことは難しかったため、アメリカによる侵略に対抗すべく自国と同じ社会主義国であり、強大な軍事力を保有するソ連と友好関係を築き、核ミサイル基地の建設を計画した。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "核ミサイルがキューバに配備されればアメリカを一瞬で壊滅させることすら可能となる。かくして、ここにアメリカとソ連の非常に危険な対立が始まったのであった。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1962年夏、ソ連とキューバは極秘裏に軍事協定を結び、キューバに密かに核ミサイルや兵員、発射台、ロケット、戦車などを送った。アメリカは偵察飛行で核ミサイル基地の建設を発見、直ちにキューバを海上封鎖し、核ミサイル基地の撤去を迫った。一触即発の危険な状態に陥ったが、当時のケネディ大統領とフルシチョフ第一書記とで書簡をやり取りし、最終的にソ連が核ミサイルを撤去してこの危機は終わった。また、これを機に米ソ間でホットラインの開設がなされ、不測の事態による軍事衝突を防ぐための対策が取られた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "危機の期間に定義があるわけではないが、アメリカ軍が空中偵察でミサイル基地を発見した1962年10月14日、または大統領にその情報が入った10月16日から、フルシチョフがミサイル撤去を伝えた10月28日までとすることが多い。ただし、実際にソ連が核ミサイルをキューバから撤去し、アメリカが封鎖解除したのは11月21日である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "「キューバ・ミサイル危機」とも呼ばれ、またこの1年半前の1961年4月の「ピッグズ湾事件」を「第一次キューバ危機」と呼び、この1962年10月の危機を「第二次キューバ危機」と呼ぶ場合がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1959年1月にキューバ革命で親米軍事独裁のフルヘンシオ・バティスタ大統領を打倒し、首相の座に就いたフィデル・カストロは、革命の1ヶ月後にバティスタ派の人々に対する簡易裁判を行い、即時に600人を処刑したことから、彼がアメリカに対してどのような外交姿勢を取るのか懸念されていた。このような懸念に反してカストロは「アメリカ合衆国に対して変わらず友好関係を保つ」と表明し、早くも4月にワシントンD.C.を訪問し、アメリカ政府に対して友好的な態度を見せるとともに、革命政権の承認を求めた。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "しかし、カストロからの公式会談申し入れを受け入れたドワイト・D・アイゼンハワー大統領は、CIAより、権力掌握後のカストロが国内でバティスタ派の有力者を処刑したり、親米的な地主からの農地の強制接収による農地改革を推し進めていることを根拠として「カストロは共産主義者である」との報告を受けており、結果「かねてから予定されていたゴルフに行く」との理由で公式会談を欠席した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "さらにアイゼンハワーに代わって会談したリチャード・ニクソン副大統領との会談において、カストロは「アメリカとの友好関係を保つ」と言いながらも、彼から「革命後の共産主義の影響拡大」、「反革命派の処刑」、「自由選挙の未実施」といった点を問い詰められて怒りだす寸前になる始末であった。このようなカストロの態度を受けたニクソンは、アイゼンハワーに「カストロは打倒すべき人物で、キューバ人亡命者部隊を編成してキューバに侵攻すべきである」と進言した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "このような「予想外」の冷遇に反発したカストロ首相は、アメリカとの友好関係の継続と支援を受けることにまだ期待を持ちながらも、帰国後に農地の接収を含む農地改革法の施行を発表した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "当時アメリカ企業であるユナイテッド・フルーツとその関連会社、関係者がキューバの農地の7割以上を所有していたことから、これは事実上アメリカ企業の資産の接収を目的にした法の施行ということになり、アメリカ政府や企業からの大きな反発を受けることとなった。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "アメリカとの関係が悪化する中、カストロは全方位外交を掲げることで、第三世界のみならず西側の先進国を含めた世界各国から革命政権の承認を受けることを目論み、革命の同志で国立銀行総裁に就任したエルネスト・チェ・ゲバラを日本やインドネシア、パキスタン、スーダン、ユーゴスラビア、ガーナ、モロッコをはじめとするアジアやアフリカ、東ヨーロッパ諸国に派遣した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "さらにカストロは、弟のラウル・カストロ国防大臣にソビエト連邦の首都のモスクワを訪問させ、ニキータ・フルシチョフ首相から歓迎を受け、アナスタス・ミコヤン第一副首相をハバナに公式訪問として正式に招請するなど、冷戦下でアメリカ合衆国と対峙していたソビエト連邦との接近を開始する。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "その後もキューバとアメリカの関係は悪化の一途をたどり、1960年1月にはユナイテッド・フルーツの農地の接収を実施したほか、2月にはソ連のアナスタス・ミコヤン第一副首相のハバナ公式訪問を受け入れ、ソ連との砂糖と石油の事実上のバーター取引や有利な条件での借款の受け入れ、さらにソ連からの重火器類を含む武器調達の取引に調印した。アメリカ合衆国本土の隣国であるキューバがソビエト連邦と手を組む事態を受け、アメリカ合衆国は共産主義国家による軍事的脅威を間近で感じることになった。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "同年4月には早くもソ連のタンカーがキューバの港に到着し、さらに6月には、キューバ政府によりユナイテッド・フルーツやチェース・マンハッタン銀行、ファースト・ナショナル・シティ銀行をはじめとする、アメリカの政府や企業、国民が所有する全ての国内資産の完全国有化を開始するとともに、穏健派のルフォ・ロペス財務大臣の更迭(その後アメリカに亡命)など、キューバとアメリカの対立は決定的なものとなった。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "さらに9月にアメリカ政府は、国内にあるすべてのキューバ資産を差し押さえるとともに、キューバに経済および軍事援助を行った国に対する制裁を規定する法案を可決した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "同月下旬にカストロは自ら国連本部で開催される国連総会に出席すべくニューヨークを訪問したものの、これに対してアメリカ政府はキューバ代表団のマンハッタン外への移動を禁止し、さらに宿泊予定のシェルボーン・ホテルはキューバ代表団に対して膨大な額の「補償金」の支払いを要求するなど、嫌がらせともいえるような対応を取った。なおその後ハーレムにある安ホテルに移動したカストロは、ホテルを訪問したフルシチョフやエジプトのナーセル大統領、マルコムXなどと会談し、さらに26日には国連総会において4時間29分に渡る長時間の演説を行い、キューバ革命の意義を自画自賛するとともにアメリカを非難した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "アイゼンハワー政権は更なる対抗策として、キューバ最大の産業である砂糖の輸入停止措置を取る形で禁輸措置に踏み切り、1961年1月3日には国交断絶を通告した。この間、大量のキューバからの避難民がフロリダ州マイアミに到達し、その数は10万人に達した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "これに先立つ1960年3月、キューバのソ連への接近を憂慮したアイゼンハワー大統領とCIAは、カストロ政権転覆計画を秘密裏に開始した。キューバ革命で母国を脱出してきた亡命者1,500人を「解放軍」として組織化し、1954年にCIAが主導した「PBSUCCESS作戦」により親米軍事政権が成立していたグアテマラの基地において、ゲリラ戦の訓練を行った。アメリカの軍事援助と資金協力の下でキューバ上陸作戦を敢行させるためであった。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "アイゼンハワーはすでに退任間近だったためこのキューバ問題から手を引き、その後はリチャード・ニクソン副大統領とCIAのアレン・ダレス長官らによって作戦計画は進められた。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "そして、兵員数と物資で圧倒的に劣勢であった反カストロ軍がキューバ政府軍に勝つためには、アメリカ軍の介入が必要と見たCIAは作戦計画にこれも組み入れていた。表面的には亡命した反カストロ軍が故国キューバの独裁政権を倒しカストロを追放するという目的はそのままであったが、元の計画ではキューバ国内での反政府グループの支援を見込んで、またカストロ体制がまだ盤石ではないと予測していた。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "そして1960年11月の大統領選挙で当選し1961年1月20日にジョン・F・ケネディが大統領に就任すると、カストロ政権転覆計画をCIAと軍部から説明を受けた。この時に「あくまでアメリカ軍が直接介入するのではなく、CIAの援助のもとに亡命キューバ人が組織した反カストロ軍が進める作戦」として説明を受けたケネディはその通りに理解し、アメリカ軍の正規軍が直接介入しないことを条件に作戦を許可した。作戦は2つの段階があり、最初の4月15日に、「払い下げ品の」旧型のアメリカ軍の爆撃機を仕立てた亡命キューバ人部隊が、キューバ空軍の飛行場を爆撃し壊滅させて制空権を奪い、4月17日にピッグス湾(コチーノス湾)に艦船の援助を受けて上陸作戦を実行する予定であった。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ところが、4月15日に行われた最初の空爆作戦が失敗、制空権を確保できないまま、4月17日に1400人の亡命キューバ人部隊がピッグス湾に上陸した時に、上陸を予想したキューバ政府軍の反撃に遭い、さらに空からキューバ空軍の攻撃を受け、沖合に待機した艦船が撃沈、弾薬も食糧も欠乏する事態の中で海岸で部隊は孤立してしまった。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ここで当初「正規部隊は介入しない」と軍とCIAはケネディ大統領に説明していたにも拘らず、亡命キューバ人部隊の劣勢を受けて「状況を挽回するために正規軍を介入させたい」と軍が主張するも彼は拒否、結局亡命キューバ人部隊は1189名が捕虜となり、114名が戦死するなどして壊滅、作戦は完敗に終わった。さらに、最初の爆撃にアメリカ軍の正規軍が関わっていることが明らかになって、世界からアメリカに非難が集中した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "この「ピッグズ湾事件」の直後の4月28日に、ケネディは「西半球における共産主義者とは交渉の余地がない」としてキューバに対する経済封鎖の実施を発表した。なおアメリカのこれらの軍事侵攻や経済制裁の実施を受けて、キューバ政府は先の革命が社会主義革命であることを宣言しアメリカの挑発に答えた。1962年初めに米州機構から追放された。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "ピッグズ湾事件から2カ月の6月3~4日にオーストリアの首都ウィーンで、ケネディ大統領とフルシチョフ首相は最初で最後の首脳会談に臨んだ。この会談でケネディが持論であった大国同士の『誤算』が戦争を引き起こすことについて話すと、フルシチョフはキューバ問題について「バチスタを支持したことがキューバ国民の怒りがアメリカに向かっている理由です。キューバ上陸作戦はキューバの革命勢力とカストロの地位を強めただけである。わずか600万人のキューバがアメリカにとって脅威ですか?アメリカは他国の国内問題に介入する先例を作ってしまった。この状況は誤算を引き起こすことになる」と語り、ケネディはキューバの状況に関して判断ミスがありピッグス湾事件は誤りであったことを認め、両者は『誤算を生む可能性を排除すること』に同意した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "この時、ケネディは「私は政策判断をする場合に、ソ連が次に世界でどう動くかに基づいて下さなければならない。これはあなたがアメリカの動きに関して判断しなければならない場合と同様である。故にこの会談をこれらの判断により大きな正確さをもたらすのに役立つものとしたい」とフルシチョフに語り、そしてフルシチョフは「危険はアメリカが革命の原因を誤解した時にのみ起こるものだ」と切り返した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "ピッグス湾事件の7カ月後の1961年11月、ケネディは軍事作戦とは別に隠密作戦の検討を始め、その特別グループを編成した。そしてカストロ打倒計画を立てる中心人物としてエドワード・ランスデール空軍少将 を作戦立案者に指名し、政権の総力を挙げてカストロ政権打倒を目指す「マングース作戦」(Operation MONGOOSE)を極秘裏に開始した。ただし軍事訓練を施した亡命キューバ人をキューバ本土に派遣して破壊活動を実施させ、再度のキューバ侵攻作戦の計画立案を進めたのではなく、ランスデールが国防総省で検討を加えたのは破壊工作・経済的妨害・心理戦などからなる計画で隠密行動が主であり、その中にはカストロ暗殺計画もあり、1962年10月までにカストロ政権を転覆させるというものであった。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "今日、ケネディ政権がどこまで本気でこのマングース作戦を実行するつもりであったかは不明である。アメリカ軍によるキューバ侵攻作戦という大がかりな計画ではなく隠密にカストロを暗殺するものであったという見解と、一方では当時CIAはすでにカストロ体制が予想以上に強く隠密作戦だけで体制を転覆させられると考える者はなく、大規模な軍事行動が必要であるとの考えから軍事作戦の基本計画を練っていたという見解がある。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "「マングース作戦」は徐々に速度を上げて進捗し、キューバでミサイル基地が発見された時の1962年10月15日にも作戦が予定されていたが急遽中止となった。それは奇しくもキューバへのミサイル配備計画とほとんど時期を一にするものであった。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "そのような状況下で、キューバとソ連の関係は一層親密化し、カストロはアメリカのキューバ侵攻に備えてソ連に最新鋭のジェット戦闘機や地対空ミサイルなどの供与を要求しはじめた。しかしソ連は1962年夏には、最新兵器の提供の代わりに秘密裏に核ミサイルをキューバ国内に配備するアナディル作戦(ロシア語版) を可決し、キューバ側のカストロもこれを了承した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "キューバへのミサイル配備をフルシチョフが検討を始めたのは1962年4月の終わり頃で、ミコヤン第一副首相との会話の中でミサイル配備が話題となり、その後マリノフスキー国防相とも協議を始めている。ミコヤンは当初懐疑的であった。後にフルシチョフが書いた回顧録によると彼がキューバにミサイルを配備した動機は何よりもキューバの防衛であった。しかしただ防衛だけであったなら、わざわざ隠密に極秘に核ミサイルを運ばなくても堂々とキューバと協定を結んで通常兵器を供与する方がケネディも反対できなかったし、仮にそれが小規模のものであってもアメリカが攻めて来る場合はソ連兵と直接戦闘となるリスクが生じ、歴史上初めてアメリカとソ連が直接武力で戦う覚悟を必要とし、それ故にアメリカのキューバ侵攻の抑止になると考える方が自然である。そう考えなかったフルシチョフにはミサイル配備のバランスでアメリカと均衡させるためにあえて核ミサイルの配備にこだわったと言える。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "アナディル作戦の背景には、当時核ミサイルの攻撃能力で大幅な劣勢に立たされていたソ連がその不均衡を挽回する狙いがあった。アメリカは本土にソ連を攻撃可能な大陸間弾道ミサイルを配備し、加えて西ヨーロッパ、そしてトルコにも中距離核ミサイルを配備していた。これに対し、ソ連の大陸間弾道ミサイルはまだ開発段階で、潜水艦と爆撃機による攻撃以外にアメリカ本土を直接攻撃する手段を持たなかったといわれる。また、共産主義国家のリーダーとして台頭する中国への対抗心もあったという。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "ソ連がアナディル作戦でキューバへの軍事力の展開をするには事前の発覚を避け、それでいて高性能の戦闘機、地対空ミサイル、それを管理する部隊や大量の装備品、そして約5万人の派兵が必要でそれらの人員や装備品を輸送する船舶がおよそ85隻が必要であり、しかもその船舶は何回も往復しなければならなかった。この時に運んだ人員および装備は以下の通りである。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "この他に、海上兵力として潜水艦11隻なども予定していたが、結局キューバには送られなかった。そしてキューバに派遣された人員は4万5234名で、この内海上封鎖が始まった時点で3332名はまだ公海上であった。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "なお、これほど大量の物資及び人員を海上輸送する作戦をソビエト軍は実施したことはなく、加えて急遽決定された計画であったため、ミサイル基地の建設は非常に困難を極めるものであった 。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "キューバとソ連は、かつてない大胆で広範な軍事協力であったため、7月にラウル・カストロがモスクワを訪問して両国間の権利・義務・責任を確認して「キューバ駐留ソビエト軍に関する協定」を結んだ。この後8月にチェ・ゲバラらが訪ソして再調整し改めて2国間の「軍事協力協定」が結ばれた。その時に公表を求めるキューバに対してフルシチョフは公表する必要はないとして退けている。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "フルシチョフは、1962年11月にニューヨークを訪れて国連総会に出席する予定であり、そこでキューバのミサイル基地建設の成功を劇的に公表するつもりであった。そうすれば西側にベルリンからの撤兵を要求するための前奏曲にできると考えていた。遡ること9月にケネディ政権はソ連に対してICBMの数で2対1の割合でアメリカが勝っていることを明らかにしていた。ここでキューバに中距離弾道ミサイル(MRBM)を配備すれば、アメリカ国内の標的を攻撃することができ、米ソ間の核バランスをソ連優位に修正することが出来ると考えていた。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "1962年7月から8月にかけて、ソ連やその同盟国の貨物船が集中的にキューバの港に出入りするようになったため、これを不審に思ったアメリカ軍は、キューバ近海の公海上を行き来するソ連やその同盟国の船舶やキューバ国内に対する偵察飛行を強化していた。CIAはソ連船の数が急増していることの意味を検討していた。また亡命キューバ人やキューバと交易のある同盟国(デンマークやトルコ、スペインなど)の情報機関からも情報が入ってきた。8月にCIAは4000~6000人のソ連人がキューバへ入国していると結論づけた。ソ連が戦略ミサイルを配備しようとしているかも知れないがソ連はそれほど愚かだと考える者は事実上皆無であった。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "そして8月23日にケネディはマコーンCIA長官にキューバに核ミサイルが存在することは容認しないと述べていたが、この時にソ連が核ミサイルの配備を試みていると考えた者はマコーン以外はいなかった。そしてCIA内部でもソ連は核を運んでいると分析することはなく、9月19日にCIAが政府に提出した報告「特別国家情報評価」の中の「キューバの軍事力増強」でも同じ見方であった。それはソ連の過去の行動パターンにも予測する政策にも合致しないことであった。そして9月にキューバ上空に偵察機を飛ばすことを制限した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "このような動きに対してケネディ大統領は、確かな証拠がまだ手に入っていないがもし配備されていたら容赦はしないとの警告を出す決意をした。8月31日、ニューヨーク州選出上院議員ケネス・キーティング は、ケネディ政権はキューバ問題に対して意図的な怠慢を続けていると非難し、以降ソ連は1000人以上の部隊をキューバに派遣してミサイル基地を建設していると指摘した。他にバリー・ゴールドウオーター、ジョン・タワーらの有力な共和党上院議員からもキューバへの行動に出るように要求が出された。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "議員のもとに亡命キューバ人からの情報が入っていた。9月4日、ケネディは議会の代表者と会談し、現時点でソ連軍の大規模な展開はあるが、今までの監視から見て防御的な性格であると説明して、同日に声明を発表し「戦闘部隊が組織だって派遣されている証拠はない。軍事基地を提供している証拠もない」と前置きして「これらの証拠があるとなれば、最も憂慮すべき問題が生じ、きわめて深刻な事態が起きることになるだろう」と警告した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "9月6日にソ連のドブルイニン駐米大使から「中間選挙前にソ連が国際情勢を複雑にしたり米ソ関係の緊張を増したりするような措置は取らない。ただしアメリカがそのような行動に出ないことが条件である。ソ連はキューバで新しいことは何もしておらず、全て防衛的性質のものでアメリカの安全に脅威を与えるものではない」とのコメントがソレンセン大統領顧問を通じて伝えられた。9月7日にケネディは1万5000人の予備役を招集する権限を議会に要求し、さらに9月11日に「いつ如何なる形であれキューバがソ連に軍事基地を提供した場合は、アメリカは自国および同盟国の安全を守るため行わなければならないことは全て行う」と再び声明を出した。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "同じ9月11日にソ連は声明を発表しキューバに対する如何なる軍事行動も核戦争を引き起こすであろうと警告していた。しかしその間にもソ連から、通常の工作機器の輸出に巧妙にカモフラージュされたソ連製核ミサイルや、核兵器が搭載可能でアメリカ東海岸の主要都市に達する航続距離を持ったイリユーシンIl-28爆撃機が秘密裏に貨物船でキューバに運ばれた。さらに核兵器の配備に必要な技術者や軍兵士もキューバに送られ、急速に核ミサイルがキューバ国内に配備されはじめた。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "しかし当初アメリカ軍の解析班は、これらの貨物船で運ばれている物の多くがアメリカからの経済制裁の発令に伴って供給が止まり、その代わりにソ連から送られるようになったドラム缶に入ったガソリンや木材であると解析した。さらに中央情報局(CIA)による分析では、貨物船でキューバに運ばれたソ連軍兵士の数も実際は4万3000人程度いたところを、その4分の1以下の約1万人と見積もるなど、ケネディの命令により偵察機による撮影が制限されてしまったアメリカの情報チームは、ソ連によって行われた巧妙なカモフラージュを全く見抜くことができなかった。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "ようやく9月下旬に入りケネディはキューバ上空の偵察飛行を再開させたものの、この間にキューバにソ連からSS-4核ミサイルとその弾頭99個、さらに核兵器の搭載が可能なイリユーシンIl-28爆撃機が秘密裏に運ばれ、同時期に貨物船の船底にぎゅうぎゅうに詰め込まれて送られた万単位のソ連将兵とともに、キューバ国内への配備が始まっていることには気が付かないままであった。", "title": "経過" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "1962年10月9日、米軍の上空偵察委員会はU-2偵察機によるハバナ南方のサンクリストバル一帯の偵察飛行を提言した。キューバからの人的情報で特に怪しいと見た地域である。ケネディはすぐに許可したがこの任務は悪天候のため何日か延期となり、ようやく10月13日午後11時半にカリフォルニア州エドワーズ空軍基地から飛び立った。そして翌10月14日の朝までにはキューバに達し、キューバ上空で偵察飛行を行い、フロリダに帰着した。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "このアメリカ空軍のロッキードU-2偵察機が撮影した写真について、翌15日月曜日の午前にワシントンの国家写真解析センター(NPIC)でフィルムの解析が行われた。オレグ・ペンコフスキー大佐がもたらした技術仕様書や、メーデーの際にクレムリン広場をミサイル搭載車がパレードした際の写真と見比べて解析したアメリカ空軍とCIAの解析班は、アメリカ本土を射程内とするソ連製準中距離弾道ミサイル(MRBM)の存在を発見、さらにその後3つの中距離弾道ミサイル(IRBM)を発見した。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "これらの写真は10月16日朝にCIA高官のリチャード・ヘルムズによってホワイトハウスに届けられた。ケネディ大統領は16日午前9時にマクジョージ・バンディ国家安全保障担当補佐官から報告を受けて11時45分から緊急に国家安全保障会議を招集する決定を下した。しかもこの会議にはいつものメンバーに加えて、それ以外の顔ぶれを集めたので後に国家安全保障会議執行委員会(エクスコム)と呼ばれることとなった。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "このエクスコムの会議には14〜15人が集まり、主な顔ぶれはジョンソン副大統領、ラスク国務長官、ボール国務次官、マクナマラ国防長官、ギルパトリック国防次官、マコーンCIA長官、ロバート・ケネディ司法長官、ディロン財務長官、スティーヴンソン国連大使、テイラー統合参謀本部議長、バンディ補佐官、オドンネル大統領特別補佐官、ソレンセン大統領顧問、アチソン元国務長官、ラヴェット元国防長官などであった。この席でケネディは直面する危険とこれに対処するあらゆる行動を即時徹底的に調査するように命じた。そして徹底した機密保持も命じた。この10月16日から13日間が歴史に深く刻まれ核戦争の寸前までいったキューバ危機の期間である。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "大統領顧問であったソレンセンが1965年に書いた著書「ケネディの道」の中で、この16〜19日までの96時間が午前・午後・夜間を問わず会議の連続であったという。その間に新しい空中写真の分析が進み、近距離用攻撃用ミサイルが配置された地点が6カ所に上り、中距離用ミサイル(IRBM)用の基地にするために掘られた個所が3カ所見つかった。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "ここでメンバーがこれから行動に移す可能なコースとして、", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "の6つの選択肢を挙げた。そして 1.の外交交渉のみと 6.の何もしないは最初から真剣に討議された。18日夜の段階でも外交交渉のみの案を支持するメンバー(主に国務省関係者)もいたが、ケネディは、1.と 6.のどちらも却下した。2.のカストロへのアプローチも相手は、キューバではなくソ連が相手であることで却下となった。そして 5.の軍事侵攻も1人 を除いて積極的な意見は出てこなかった。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "ケネディの「侵攻は最後の手であって最初の手ではない」との意見が、ほぼ全体のコンセンサスとなった。残るは 3.の海上封鎖か 4.の空爆で、最初は空爆が有力であった。ソレンセンは少なくとも17日の段階までケネディも空爆に傾いていたと述べている。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "マクナマラは、16日夕方の会議で海上封鎖をしてキューバの動きを見守り、その反応によってはソ連と戦うと述べた。ロバート・ケネディは、事前警告無しの空爆は「真珠湾攻撃の裏返し」であり歴史に汚名を残すと述べ、この事前警告をした場合は逆にソ連に反撃のチャンスを与え、かつフルシチョフが反撃に乗り出さざるを得ない状況に追い込んで、却って危険な状況となることが予想された。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "テイラー統合参謀本部長は夕方までの間に他の参謀たちと協議して、1回の外科手術的空爆では不十分で、キューバの軍事的な目標全体を対象とした大規模な空爆が必要と認識していた。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "17日の会議でアドレー・スティーブンソン国連大使は「平和的解決手段がすべて無駄に終わるまで空爆などはしてはなりません」と大統領に強く主張した。ここで空爆の前に事前警告の必要が議論の焦点となった。統合参謀本部のメンバーはキューバへの空爆を支持していたが、マクナマラやロバート・ケネディは海上封鎖を主張した。マコーンCIA長官は事前通告無しの空爆には反対であった。彼はフルシチョフに24時間の猶予を与えるべきで、この手順を踏んで、しかし最後通牒に応じない場合に攻撃を行うと主張した。アチソン元国務長官はより強気で、発見されたミサイルを早急に破壊するための外科手術的空爆に賛成した。ここでケネディはアイゼンハワー前大統領に電話で意見を聞いているが、前大統領はキューバにある軍事目標全体への空爆を支持した。一方スティーブンソン国連大使は、トルコにあるジュピター・ミサイルとキューバにある核ミサイルとを取り引きすることを検討するよう求めた。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "この日までにケネディ大統領はジャクリーン夫人に事態が容易ならざる方向に進んでいることを伝えていた。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "ホワイトハウス警護官で大統領夫人担当のクリント・ヒル は緊急事態に備えて大統領夫妻と打ち合わせする必要を感じていた。そしてこの10月17日にジャクリーン夫人と不測の事態が起こった場合の対応について率直に話し合うことにした。それまでにシークレットサービスは大統領の家族および政府の要人を避難させる計画を既に持っていた。そして事態が発生した直後は取り敢えずホワイトハウスの地下の核シェルターに入ることとなっていた。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "このことをジャクリーン夫人に伝えようとした時に、逆に大統領夫人は『核シェルターに入らなければならない時、私がどうするか、知らせておくわ』として『もし事態が変化したら、私はキャロラインとジョンJRの手をつなぎ、ホワイトハウスの南庭に行きます。そして勇敢な兵士のようにそこに立ち、全てのアメリカ人と同じく運命に立ち向かいます。』と語った。クリント・ヒルは『そうならないように神に祈りましょう。』と答えるだけであった。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "18日の会議でロバート・ケネディは、", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "の5つの選択肢を提示した。ラスクは 1.に反対し、国防省関係者は 2.に反対した。国務省関係者は 3.に賛成であったが、ただし空爆の前提ではなく監視強化が前提であった。4.と 5.には意見は無かった。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "この日にソ連問題担当顧問で、後に駐ソ大使となったリュウェリン・トンプソンが出席して、フルシチョフは何らかの取引を目的にミサイルを配備し、それはベルリン問題で何らかのアメリカの譲歩を引き出すためではないか、と考えてフルシチョフに交渉の機会を与えることが大事だと主張した。いきなり軍事行動では報復を呼ぶだけであり、その後は予測も制御もできないとして、海上封鎖であればソ連は封鎖を突破しないと考えるがミサイル基地の作業の中止および撤去は難しいとの懸念を示した。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "前日空爆反対を唱えたスティーブンソン国連大使はこの日ニューヨークに戻る前に大統領に文書を送り、キューバへの攻撃はソ連がトルコやベルリンに報復行動に出る可能性が高く、結果として核戦争になると強調した。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "この段階で封鎖と空爆の2つの選択肢が残っていたが、実際は二者択一ではなく、海上封鎖から空爆へという考えと、どちらにせよ最後はキューバ侵攻へという考えで、このエクスコム会議に出席していたメンバーの大半は最後は侵攻する必要があることを理解していた。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "そして海上封鎖の場合に、フルシチョフが撤去に応じる代わりに要求してくる要素をさまざまに検討して、トルコのミサイルが浮上してきた。また海上封鎖は厳密には戦争行為であるので、戦争に突入することなく海上封鎖を法的に正当化するためにどうするか、この問題ではラスク国務長官とマーチン国務次官補が1947年に締結したリオ条約(米州相互援助条約)に基づき米州機構(OAS)の承認を得ることを提案し、また18日夜にミーカー国務省法律副顧問から「海上封鎖」を「隔離」と言い換える提案が出された。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "ここまで強硬に空爆を主張してきた軍も、最初は封鎖してフルシチョフの出方によっては空爆か軍事侵攻も視野に入れることにその主張を後退させた。そして封鎖の場合に撤去させるのは攻撃用ミサイルだけとすることで、この日にはケネディは海上封鎖の選択に傾いた。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "こうしたホワイトハウス内の極秘の動きの中で、この日午後5時にソ連外相アンドレイ・グロムイコがホワイトハウスを訪ねてきた。これはそれ以前から予定されていたもので、国連総会への出席のための訪米に伴う儀礼的な訪問であった。ケネディはこの場では攻撃用核ミサイルを発見したことを一切語らずに、またグロムイコ外相はソ連の対キューバ援助は「キューバの国防能力に寄与する目的を追求したもの」として「防衛兵器の扱いについてソ連専門家がキューバ人を訓練しているのは決して攻撃的ではない」ことで「もしそうでなかったらソ連政府は決してこうした援助を与えないであろう」と述べて、「キューバに配備されたミサイルは防御用の通常兵器である」と9月に述べたことを繰り返し述べた。このホワイトハウスの大統領執務室での会談は、その後冷戦史上に残る最も奇妙で緊張した会談であり、茶番劇でもあった。グロムイコ外相は会談後にモスクワにワシントンの状況は満足のいくものであった、と報告している。ケネディが何かをつかんでいるとは微塵も感じなかったのである。そしてケネディは4日後の声明で、この日のグロムイコ外相とのやりとりを明らかにして、「偽りであった」と非難した。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "グロムイコ外相との会談終了後、ケネディは同じホワイトハウスの閣議室に戻った。そしてこの日の夜に急速に海上封鎖が有力な案になった。また国務・国防・司法の各省はその法律専門家に封鎖宣言の根拠について検討作業を始めさせた。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "この頃は中間選挙が11月初めに予定されており、その応援演説のため遊説があり、ケネディ大統領はこの日クリーヴランド、イリノイ州スプリングフィールド、そしてシカゴに行く予定であった。それらをキャンセルすると政府内での動きが感づかれる恐れがあったので、いつも通り行っていた。ジョンソン副大統領も同じでジョンソンは結局選挙遊説で会議に出ていないことが多かった。そしてケネディは軍部と朝に会議を行った。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "朝、この統合参謀本部のメンバーとの協議の席で、テイラー議長はキューバへの軍事行動はベルリンを危険にし西欧諸国から批判を浴び、アメリカを孤立させかねないとする大統領の立場を認めながら、早急な軍事行動が必要とする意見を曲げなかった。そして参謀総長らが空爆や侵攻を強く主張し、空軍参謀総長のカーチス・ルメイは封鎖は弱腰と判断されるとしてケネディを苛立たせた。この直後、ケネディは「お偉いさん達の意見をその通りにして間違っていたら、間違っていたと言おうにも誰も生きていないことになる」と補佐官のケネス・オドンネルに吐き捨てるように言い残した。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "この日午前の会議(大統領は中間選挙遊説で欠席)では2つのグループに分かれて海上封鎖と空爆について最も有力なシナリオを提示することにした。海上封鎖チームにはボール国務次官、アレックス・ジョンソン国務次官補、マクナマラ、ラスク、トンプソン顧問。空爆チームはロバート・ケネディ、アチソン元国務長官、ディロン財務長官、バンディ補佐官であった。午後の会議では全体会議を行い、アチソン元国務長官、ディロン財務長官、マコーンCIA長官、バンディ補佐官が空爆に賛成、ラヴェット元国防長官は封鎖に賛成した。ここでマクナマラの空爆を認めながら海上封鎖を優先させるべきとの意見とロバートの「会議で空爆と結論を出しても大統領は受け入れないだろう」との意見が通り、海上封鎖を実行し事態が進まない場合は空爆実施という折衷案がまとまった。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "そしてロバートからの要請を受けてケネディ大統領は「軽い風邪のため」として選挙遊説を早めに切り上げてヘリコプターでワシントンに戻った。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "20日午後2時30分からの正式な会議(国家安全保障会議第505回会議) で、ケネディはまずマコーンから新しい航空写真とその他の情報を提出させて、その後で、(1)まず封鎖から始めて必要に応じて行動を強めていくか、(2)まず空爆から始めて最後は侵攻を覚悟するか、という2つの選択肢を基幹としてそれから派生する分枝の問題が提示された。その後にケネディはまず封鎖から着手すべきとして、空爆と侵攻を主張するメンバーにそういう作戦がその後に絶対に採られないことではないと解してよろしいと言葉を続けた。ソレンセンによると、決める前に限定的な空爆がまず出来ないことを重ねて確かめるつもりであったが、結局自分で結論を出した。大統領が下さなければならない決断であり、それが出来るのも大統領だけだからであると著書で書いている。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "ケネディはこのとき海上封鎖の実施を決断した。ケネディがその次に打つ手を自由に選べることと、フルシチョフにも選択の余地を残す利点があることで封鎖での力の誇示がソ連に考え直す機会を与えることになることが決め手であった。何よりも悪いのは何もしないことであると述べている。しかしもしミサイル基地の撤去に同意しなかった場合については意見が分かれた。多くのメンバーは空爆を支持したがマクナマラとスティーブンソン国連大使は反対し、スティーブンソンはグアンタナモ米軍基地の撤収まで言及して軍事的衝突は避けるべきであると主張した。この封鎖以外での外交交渉でのカードとしてトルコのミサイル撤去があったが、この時にはケネディは他の欧州諸国にとって関心の無いカリブ海の小国の問題で自国の利益のために欧州の安全を犠牲にするのではないか、という疑惑を裏書きすることで同盟を破壊しかねない譲歩をすべきではないと考えていた。この問題は最後の局面で重要な課題となった。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "この後に、ケネディは21日(日曜日)にテレビ・ラジオを通じて国民に演説する意向を示したが、国務省から事前に他の同盟国や中南米諸国に説明する必要があり、日曜日ではなく月曜日にそれらを全て行うため、結局22日(月曜日)午後7時に演説することで同意した。ここで国務省からあった封鎖(Blockade)という言葉が好戦的で戦争行為と解釈されるので以後は隔離(Quarantine)を言葉として使用することも決まった。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "会議が終わってから外交ルートで米州機構への申し入れ、国連への安保理開催の申し入れ、各国首脳と西ベルリン市長あての手紙、フルシチョフへの簡単な通告文書の作成にかかった。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "21日に、ケネディは空軍のスイーニー司令官と会談した。スイーニーは率直に、一度の攻撃でキューバの全てのミサイルを破壊できる保証はないと伝えた。攻撃しても、結局残ったミサイルで反撃される可能性があったのである。ミサイルの問題は封鎖でも空爆でも、解決できないことをケネディは理解したのである。そしてシュレジンジャー補佐官に「最終的には取引しなければ駄目だろうな」と述べている。この日にマクミラン英国首相に親書を送った。その内容は、", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "より詳細な内容は、翌日駐英大使より報告があったが、この他に翌日のテレビ演説の直後にも、マクミランと電話で会談をしている。マクミランは、ヨーロッパがもう何年もソ連の核ミサイルの射程圏内に入ったままだと述べて過剰反応を戒め、カストロを忌避するアメリカに懸念を示した。ケネディはマクミランに今回の秘密の動きはベルリンに関係していると述べている。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "ケネディの考えの中には、今回のキューバへのミサイル配置はベルリン問題への駆け引きがあると睨んでいた。フルシチョフのキューバ戦略とベルリン戦略は連結していると考えているケネディは、フルシチョフがキューバで揺さぶることで西ベルリンを一挙に解決する(要するにソ連にとっては獲得する)ことを目指したものであると結論を出していた。統合参謀本部のメンバーに「キューバに爆撃を加えたら、それは彼らにベルリンを奪取する口実を与えることになる」「我々がキューバへの状況に耐えるガッツを持たなかったことで、ベルリンを失ったと後で西ドイツ国民から見なされるだろう」「西欧の人からすればベルリンや自国の安全には気にかけるが、キューバなど遠く離れていて気にかけていない」と述べた。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "一方ソ連では、モスクワ時間の22日朝から動きがにわかに慌ただしくなった。ケネディが夜遅くにテレビ演説を行うという情報が入って、ソ連軍参謀本部情報総局(GRU)がアメリカ軍の行動がきわめて異常だと報告し始め、国家保安委員会(KGB)はワシントンで何か重大なことが起きようとしているとの気配を察知していた。フルシチョフは共産党中央委員会幹部会を緊急招集した。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "フルシチョフはキューバのミサイルが発見されたことをケネディが公表するのだと確信し、マリノフスキー国防相はアメリカがすぐに行動に出ることはないとした。しかし幹部会のメンバーは海上封鎖を宣言して何もしてこないと予測する方よりも、遅くとも数日以内にカリブ海で戦争が起こる可能性が高いとみる方が多かった。この時点でフルシチョフは「最終的には大戦争になるかも知れない」と思った。そしてキューバ駐留ソビエト軍総司令官ブリーエフに出す指示の内容についての議論が始まった。全面的な警戒態勢を取り、如何なる場合も核兵器は政府の明示的な許可がないと使用してはならない旨を伝達することが決まった。しかし包囲された中での防御戦では戦術核兵器を使用しなければ防御は絶望的だとの思いが強まり、もしモスクワからの通信が遮断された場合はブリーエフ司令官に許可することもいったんは決定したが、この部分は事態の進展を待ってということで留保された。マリノフスキーは情報が傍受されて核兵器使用の権限を現地司令官に移譲するなどとアメリカが知ったら、逆に先制攻撃の口実を与えることになることを憂慮したのであった。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "アメリカではこの日22日の午前から重要な同盟各国への通知が行われた。トルーマン政権での国務長官だったディーン・アチソンをフランスのシャルル・ド・ゴールのもとに派遣するとともにイギリスのハロルド・マクミラン、西ドイツのコンラート・アデナウアー、カナダのディーフェンベーカーの各首相のもとにも特使を派遣し、NATO主要国である彼らの支持を得た。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "この他に西ベルリン市長ブラント、イタリア首相アミントレ・ファンファーニ、インド首相ジャワハルラール・ネルーにも親書を送り、また、OAS諸国には現地のアメリカ大使から政府に事態を知らせた。元大統領のフーヴァー、トルーマン、アイゼンハワーに対してはホワイトハウスから電話でケネディ自身が状況説明を行い、さらに午後5時から議会指導者に対しても自身で状況説明を行った。この議会指導者との会談では多くの議員から反対の声が聞かれ、J・ウィリアム・フルブライト、リチャード・ラッセル・ジュニアの両上院議員は海上封鎖に反対し、キューバ爆撃を主張した。ソ連のドブルイニン大使が国務省に招かれたのが午後6時でほぼ同じ時刻でモスクワでコーラー駐ソ大使がクレムリンに向かった。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "そしてケネディ大統領は10月22日午後7時(東部標準時)からテレビ・ラジオを通じてアメリカ国民にキューバにおける新しい事態の説明を始めた。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "この演説で、キューバにソ連の攻撃用ミサイルが持ち込まれた事実と米国によるキューバ海上封鎖措置を発表し、ソ連およびキューバ国民に対して攻撃用ミサイルは何の利益にもならないと強調して、この中で以下の7項目の措置を速やかに行うことを明らかにした。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "そして最後にこの言葉で結んだ。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "この演説は、合衆国海外情報局 (USIA) を通してスペイン語に訳され、中南米諸国に放送された。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "ソ連ではケネディの演説の後に、フルシチョフはしばらく猶予が与えられたと考え、ミサイル基地の建設を続けることを決定した。幹部会ではワルシャワ条約機構の兵力に対して低いレベルでの警戒態勢に入るよう命じた。またソ連を出発してまだ日が浅い船舶については引き返すように指示し、キューバに近い船については予定している港でなく一番近い港に全速力で向かうように命じた。この他、国内のR-7やキューバのR-12(英語版)を発射準備に入れ、またハバナ市内をはじめキューバ国内の主要地点に対空砲を構えてアメリカ軍の攻撃に備えた。そしてキューバの工業大臣を務めていたチェ・ゲバラは、サンクリストバルのミサイル基地の近くの洞窟に緊急の指令室を作り、そこで現場の指揮を執った。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "アメリカ国内の軍隊をアメリカ南東部に移動させ、空軍戦略航空軍団は警戒レベルを引き上げ、180隻の海軍艦艇をカリブ海に展開させて海上封鎖の準備を整えた。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "アメリカ軍全部隊の警戒態勢は、22日の大統領演説中にDEFCON(Defence Condition;デフコン)3となった。これは最高度の警戒レベルであるDEFCON1と平時のDEFCON5の中間にある警戒レベルである。迎撃機が各地に配置され、すでに空軍戦略航空軍団(SAC)は警戒レベルを上げていた。そして戦略爆撃機のうち8分の1は常時上空に待機する(飛行中)体制となった。万が一ソ連が奇襲しても爆撃機が確実に生き残れるようにするためであった。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "なおこの日に、アメリカの諜報員にキューバにおけるミサイル発射サイトの計画案をはじめとする核ミサイルの配備状況を伝え、アメリカの偵察機による核ミサイルの発見に多大な貢献をしていたソ連軍参謀本部情報総局の大佐で、ソ連軍参謀本部情報総局長官であったイワン・セーロフや陸軍の兵科総元帥のセルゲイ・ヴァレンツォフと友人だった オレグ・ペンコフスキーがモスクワ市内で逮捕された。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "ペンコフスキーの逮捕によって、キューバ国内の核ミサイルの配備状況のみならず、ニキータ・フルシチョフが当初から妥協を模索していたなどのクレムリン内の動向がアメリカ側に伝わらなくなってしまったものの、これまでにアメリカに伝わっていた情報は、アメリカとソ連の間の交渉において大いに役立った。ソ連軍参謀本部情報総局大佐で後に亡命したヴィクトル・スヴォーロフは、「歴史家はGRU大佐オレグ・ペンコフスキーの名前を感謝の念とともに心に留めることになるだろう。彼の計り知れない価値のある情報によってキューバ危機は最後の世界大戦に発展しなかったのだ」と述べている。", "title": "核ミサイル基地の発見" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "10月23日にアメリカの要請を受けて午前に会議を開いた米州機構(OAS)は、キューバのミサイルを取り除くあらゆる措置を認める決議を20対0(棄権3)で採択した。これで今回の海上封鎖《隔離》という措置の適法性が強められて集団的自衛行動となった。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "この日エクスコムの会議は午前10時と午後6時に開かれて「キューバへの攻撃用兵器引き渡し差し止め」宣言の内容を討議し、ケネディは戦時国際法を適用解釈して、キューバ海域近辺の公海上に設定された海上封鎖線に向けて航行するソ連の貨物船に対して、アメリカ海軍艦艇が臨検を行うことの命令書に署名した。臨検に従わない貨物船に対しては警告の上で砲撃を行うこと、さらにこれらの貨物船を護衛する潜水艦による攻撃や、アメリカ海軍艦艇や航空機に対する銃撃などの敵対行為を取ってきた場合は即座に撃沈することを併せて指示した。この時に他の議題としてキューバ上空を地対空ミサイル(SAM)の射程圏内となる低空偵察飛行を許可し、もし万一ソ連に撃墜されたらそのミサイル基地を爆撃することも決定した。これは4日後に大きな波乱を呼ぶこととなった。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "国連では安保理特別会合が午後に開かれて、スティーブンソン国連大使はソ連のミサイル配備を非難し、ソ連のゾーリン国連大使はキューバにミサイルがあることを認めずそれ以上の質問の回答は一切拒否した。この時はアメリカ側は証拠となる空中写真をまだ公開していない。この時にゾーリン国連大使もドブルイニン駐米大使も本国から何も知らされていなかった。国連事務総長代行ウ・タント は米ソ両国に書簡を送り、自制を求めた。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "一方ソ連ではフルシチョフが2通の書簡を送付した。1つはケネディ大統領宛てで「平和への重大な脅威であり、海上封鎖は国際法の重大な違反行為でアメリカは壊滅的結果を招く可能性がある」として激しく非難した。ケネディ宛ての書簡はこれ以降キューバ危機の間に10通以上が届いた。この時代、現在のように米ソ間にホットラインはなく首脳同士が直接対話することは出来なかった。このキューバ危機をきっかけに米ソ間でホットラインが設置されて、初めて両国の首脳による電話での会談がいつでも行えるようになった。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "このフルシチョフからのケネディ宛ての書簡に対して、ケネディは返書を送り秘密裡にキューバに攻撃用ミサイルを与えたことで海上「隔離」を行ったことを確認して「理性を持って状況を管理不能な状態にしてはならない」と要望した。この後に大統領はロバートに秘密裡にドブルイニン大使と会ってソ連の行動は間違っていることを伝えさせた。この時ドブルイニンは「隔離は受け入れられない。封鎖は突破する」とロバートに答えたという。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "もう1つのフルシチョフ書簡はカストロ宛てで「ソ連は引き下がることはない」と確約した。キューバは最高レベルの警戒態勢に入り、東部にラウル・カストロを、西部にチェ・ゲバラを派遣して防衛準備を仕切らせた。そして3日間で30万人以上のキューバ人が武装し最悪の事態に備えた。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "著名な哲学者であったバートランド・ラッセルはケネディに「貴下の行為は無謀で正当化の余地がない」と電報を送り、フルシチョフには「貴下の忍耐こそ我々の希望である」と打電している。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "10月24日午前にモスクワでは党中央委員会幹部会の承認を受けてフルシチョフはケネディに書簡を寄せ、「世界核戦争のどん底に突き落とす攻撃的行動」で「海賊行為」であり「封鎖を無視する」とした。この日の夜に再びフルシチョフから書簡が届き、封鎖には従わない、必要なあらゆる手段を取ると記してあった。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "この日午前10時に海上封鎖が開始され、アメリカは陸海軍および海兵隊、沿岸警備隊などを総動員した体制を取り、航空機、艦船、潜水艦などで海上封鎖線近辺の警備を強化したほか、ソ連の貨物船が海上封鎖を突破しアメリカ軍がこれを撃沈した場合、即座に全面戦争となる可能性もあったことから、日本や西ドイツ、トルコをはじめとする海外の基地においても総動員体制をかけ、アメリカ軍人のみならず西ドイツ軍なども休暇の兵士を呼び戻した。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "この日の朝エクスコムの会議では航空偵察写真の分析結果からR-12、R-14(英語版)両方のミサイル基地建設が進んでいることが分かった。封鎖線にソビエトの船舶が近づいており、会議の雰囲気は緊迫したものだった。しかしフルシチョフは実際には慎重であった。これらの船舶は本国からの指示によりアメリカ海軍により通達された海上封鎖線を突破することはせず、海上封鎖線手前でUターンして引き返した。ソ連の貨物船は、もし公海上での臨検を受け入れた場合はアメリカの「恫喝」に屈服する形になるだけでなく、アメリカ側に様々な軍事機密が流れてしまう恐れがあることから臨検を受けることをよしとせず、また海上封鎖を突破し攻撃を受けた場合は即座に報復合戦となり、さらに全面核戦争になる可能性が高いことから、回避行動に出たのである。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "アメリカ軍が実際に初めての臨検を行ったのは26日(金曜日)の午前である。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "この日、ウ・タント国連事務総長代行は米ソ両国に、数週間は両国とも対決姿勢を緩める措置をとり、ソ連はキューバへの兵器輸送を一時停止すること、アメリカはキューバへの海上封鎖(隔離)を一時停止することとし、そのうえでミサイル基地建設も停止されればその貢献は大きいとして仲介することを提案した。これに対してフルシチョフは前向きに受け入れたがミサイル基地建設停止は同意しなかった。ケネディはミサイル基地建設を中止するのであれば隔離を停止すると表明した。この国連の仲介の下での予備的交渉には両国も同意した。この停止措置の提案は3日後の劇的展開で実質的なものにはならなかったが、フルシチョフにとっては出口での口実を得たことになった。つまり、アメリカの違法な要求ではなく、国連の要請に応じてということで体面を保つ口実であった。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "フルシチョフは、事態が深刻化する中で自らの姿勢を見直すようになっていた。ミサイルや他の兵器をキューバに送ってもカストロ体制の防衛強化にならず、逆に今やアメリカから侵攻される危険が大きくなった。ここでアメリカが今後キューバへの侵攻を行わない確約をする代わりにミサイル基地を撤去することを申し出ることを党中央委員会幹部会に提案した。これであれば当初のアナディル作戦の目標は無となるが、少なくともキューバの安全を確保できて、まずまずの成果であると言えるとして、賛成が多く了承されたが、この取引に応じる用意があるとの合図を送るのはしばらく控えることにした。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "10月25日の緊急国連安全保障理事会で、アドレー・スティーブンソン国連大使がそれまで極秘で公開していなかった航空写真を用いてソ連のゾーリン国連大使と対決し、劇的な効果を収めた。スティーブンソンは、ソ連の代表団にミサイルをキューバに設置しているのか尋ね、ゾーリンが「そんなものは存在しない」と否定した後、それを反証する決定的な写真を見せて以下のやり取りとなった。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "スティーブンソン「通訳は必要ないでしょう。イエスかノーでお答え下さい( Don't wait for the translation, answer 'yes' or 'no'! )」", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "ゾーリン「私はアメリカの法廷に立たされているのではない」", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "スティーブンソン「あなたは今、世界世論の法廷に立たされているのです」", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "ゾーリン「そんな検事のような質問をされてもお答えすることはできない」", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "スティーブンソン「地獄が凍りつくまで回答をお待ちしますよ( I am prepared to wait for my answer until Hell freezes over. )」", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "この駆け引きで、ソ連がキューバにミサイルを配備していることを世界中に知らしめることに成功した。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "前日にソ連船のタンカー1隻を停船させたが、何もせず他のタンカーとともに通過させた。東ドイツの客船も何もなく通過させた。そしてこの日の未明にレバノン船籍でパナマ人の船主のソ連がチャーターした貨物船を停船させ、乗船して臨検に及んだ。ケネディは必要になるまでソ連船の航行を妨害させないつもりだったが、アメリカが本気であることを示すためにソ連にチャーターされた中立国の船舶に対して乗船臨検させた。この時は問題なしとして通過を許可した。この間に続々とソ連船がUターンしているとの情報が入ってきた。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "毎朝エクスコム会議の冒頭にCIAからの報告があるが、この日ミサイル基地建設がまだ進んでいるとする情報が入り、中距離ミサイル(MRBM)は週末には実戦に使えるようになる見通しになったとのマコーン長官からの説明に、海上封鎖が効果を発揮していないとしてミサイルをどうするかにエクスコムの議論が戻りつつあった。その効果についての疑問の声が増え、25日から26日にかけてケネディと他のメンバーとでソ連への圧力を一歩強化する方策を熟慮検討していたが、軍は空爆か侵攻を主張し、ケネディは猪突猛進に反対していた。大統領は「キューバからミサイルを撤去させるには、侵攻するか、取り引きするしかない」と語っていた。この時、どちらを選択するか、腹の中は決まっていた。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "26日正午に国務省報道官が定例の記者会見で今後の行動について不用意に「更なる行動」にコメントしたため憶測を呼んで、空爆か侵攻が迫っているとの情報が流れ、ケネディが激怒する一幕があった。この報道官は大統領執務室に呼ばれ大統領から叱責された。しかし24時間後にケネディはこの報道官の誤りが役に立つ効果を生み出したのかも知れない、と冗談交じりに語ることになった。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "10月26日の朝、フルシチョフに、アメリカからの情報として、米空軍戦略航空軍団に史上初めて警戒レベルDEFCON2の防衛準備態勢に入るように命じられたとの報告をKGBから受けた。この時にフルシチョフはもはや待つ余裕はなくなったと腹を決めて、ケネディ宛てに書簡を送ることとした。それはミサイル撤去についての提案であった。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "「あなたから10月25日付けの書簡を受け取りました。あなたが事態の進展をある程度理解しており、責任感も備えていると感じました。私はこの点を評価しています。...世界の安全を本当に心配しておられるのであれば私のことを理解してくださるでしょう...私はこれまで2つの戦争に参加しました...至るところ死を広め尽くして初めて戦争は終わるものだということを知っています...ですから政治家としてふさわしい英知をみせようではありませんか...今戦争というロープの結び目を引っ張り合うべきではありません...強く引っ張り合えば結んだ本人さえ解けず...それが何を意味するか申し上げるまでもありません」", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "この書簡は送信に手間取りこの日の夜、ワシントンに届いた。この時まで実務的に米ソ間でミサイル撤去交渉というものがあったことはない。この時代のこの段階ではおよそ無理な話であって、最高指導者の間でのやり取りで決定せざるを得ないものであった。この意味で10月26日から28日までの間のケネディとフルシチョフとの息詰まるやり取りはこの2人の指導者が冷静に相手の真意を探り合うものであった。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "10月26日に届いた書簡は、ミサイルをキューバに置いたのはキューバを侵攻から守るためで、もしアメリカがキューバを攻撃・侵攻しないと約束すれば、国連の監視下でミサイルを撤去するという旨の内容であった。この内容の書簡はウ・タント国連事務総長代行にもゾーリン国連大使から届けられている。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "そしてもう一つ非公式なルートでソ連大使館員でKGB担当者でもあるアルクサンドル・ファーミン(フェクリソフ)がABCテレビの特派員であったジョン・スカーリに電話をかけて二人はレストランで会い、昼食を取りながら、ソ連がミサイルを撤去する代わりに、封鎖を解除して、今後キューバへ侵攻しないとの取り決めを行うことにケネディ政権は関心があるだろうか、と尋ねてケネディ政権の意向を探ってほしいと依頼している。スカーリは国務省にすぐに伝え国務省はすぐにエクスコムに伝えた。そしてこの日の夜7時半ごろに二人は再び会い、スカーリは「政府内の最高首脳レベル」 から承認を受けてアメリカはその提案に関心があると伝えるように言われたとファーミン(フェクリソフ)に伝えた。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "26日午後10時にDEFCON2 となり準戦時体制が敷かれた。ソ連との全面戦争に備えアメリカ国内のアトラスやタイタン、ソー、ジュピターといった核弾頭搭載の弾道ミサイルを発射準備態勢に置き、ソ連と隣接するアラスカ州などのアメリカ国内の基地のみならず、日本やトルコ、イギリスなどに駐留するアメリカ軍基地も臨戦態勢に置いた。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "また、核爆弾を搭載したボーイングB-52戦略爆撃機やポラリス戦略ミサイル原子力潜水艦がソ連国境近くまで進出し、B-52はボーイングKC-135による空中給油を受けながら24時間体制でアラスカや北極近辺のソ連空域近辺を複数機で飛行し続け、戦争勃発と攻撃開始に備えた。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "このDEFCON2の発令を受けて「全面核戦争」の可能性をアメリカ中のマスコミが報じたことを受け、アメリカ国民の多くがスーパーマーケットへ、飲料水や食料などを買いに殺到する事態が起きたほか、アメリカやイギリスでは「キューバへのアメリカの介入」を非難する一部左翼団体のデモが行われた。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "10月27日は後に「暗黒の土曜日」と呼ばれることになった。10月27日に危機は極限にまで達した。ワシントンD.C.のソ連大使館で、大使館員が書類を焼却する姿が目撃され開戦に備えているとの憶測が飛んだ。そしてキューバの基地建設が進み、海上封鎖の封鎖線にソ連船舶6隻と東側の3隻の船舶が向かっているとの情報が入っていた。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "この日の朝、モスクワではフルシチョフはにわかに自信を深めつつあった。封鎖宣言から5日過ぎてもアメリカは攻めてこない、ミサイル撤去の条件にキューバを侵攻しない約束以上の譲歩もアメリカは考えているとの感触を得ていた。当時アメリカで著名な評論家であったウォルター・リップマンが25日の新聞コラムで《キューバのミサイル》と《トルコのミサイル》とを「体面を保ちつつ」取り引きするのはどうかと論じていたのである。リップマンがケネディ政権の意思を代弁していたのかどうかは明らかではないが、フルシチョフはアメリカの柔軟な対応を示唆するものと感じ取った。そして「トルコの米軍基地の清算まで達成できれば我々の勝ちだ」と語った。早速昨日とは著しく内容を異にする書簡を準備し、前日送信に手間取って遅くになったことを考えてモスクワ放送で公表した。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "そしてワシントン時間でこの日の午前中に新たなフルシチョフの書簡の内容がラジオを通じてエクスコム会議に入って来た。前日の内容に全く触れずにトルコにあるミサイルの撤去を交換条件として要求してきたのである。これを聞いたワシントンでは前日届いた書簡が柔軟な内容であったのに、朝にラジオで聞いた今回の書簡の内容が強硬であったので戸惑っていた。これは東西対立の厳しい状況の中でヨーロッパでは東欧の共産圏があって、ソ連にとっては東欧が緩衝地帯で直接アメリカの核ミサイルが脅威ではなかった。しかしトルコはソ連と境界を接し、トルコ国内の核ミサイルが直接ソ連領内に向けられているので、この時代のソ連にとってトルコのアメリカ軍のミサイルは脅威であった。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "前年のベルリン危機でも、アメリカはトルコがソ連の攻撃目標になることを常に念頭に入れなければならない状況であった。ただし1960年代に入ってトルコに配備しているミサイルはすでに旧型であり、アメリカでは原潜などに移動型ミサイルの配備が進み、さらに米ソ間のミサイルの保有数で圧倒的にアメリカが優位であり、必ずしも核ミサイルの固定基地が絶対必要という時代ではもうなかったが、簡単に撤去を了解するとソ連の圧力に屈したことを印象づけ、他の同盟国との信頼が低下することをケネディは懸念していた。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "そしてこの日の昼頃、キューバ上空を偵察飛行していたアメリカ空軍のU-2がソ連軍のS-75(SA-2ガイドライン)地対空ミサイルで撃墜され、操縦していたルドルフ・アンダーソン少佐が死亡する事件が起こった。実は23日の会議で、もし偵察飛行中に米軍機が撃墜されるような事態が生じた場合は、SAM(地対空ミサイル)基地に1回だけ報復攻撃を加え、その後も相手が攻撃を加えて来た場合は全面的に叩き潰す方針を決定していた。従ってこれに対する行動はエクスコムのほぼ全員がSAM基地の破壊で一致した。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "しかしケネディはこの決定を引き戻し、キューバに対する攻撃は、ベルリンやアメリカのジュピター・ミサイルが配置されているトルコに対するソ連の攻撃を誘発しかねないとしてきわめて慎重な姿勢を示し、すぐに反撃ではなく1日待つこととした。しかし参謀本部は一気に態度を硬化して即時空爆を主張、10月30日の時点で大規模空爆を仕掛け、即侵攻部隊を送るべきとの意見が強まった。事態の緊張がさらに進み、危機が制御不能な段階までエスカレートしてしまった時の重大な結末をケネディは恐れていた。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "さらに悪い事件が起こった。アラスカを飛行中であったU-2が飛行中のミスにより、ソ連領空に深く侵入する事態が生じた。ソ連空軍の戦闘機がスクランブル発進したが幸い発砲はなく、U-2はまもなく針路を取り戻して領空を出た。しかし、ケネディはアメリカが核先制攻撃のための目標を調べているのではないかとフルシチョフに受け取られることを懸念した。結局この事件は余波を招く事はなかったが、後にフルシチョフは戦闘態勢に入っている時に核爆撃機と誤認されかねない危険な事態であった、と述べている。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "またソ連海軍の4隻のディーゼル潜水艦 が1962年10月1日ムルマンスクを出港し、キューバのマリエル港へ向かっており、ちょうどキューバ危機の時に、アメリカ海軍が設定した海上封鎖線近くにいた。4隻とも核魚雷を搭載し、もし攻撃を受けたら発射するよう口頭命令を受けていた。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "アメリカ海軍はキューバ海域に向かう潜水艦を発見し、これに対してキューバ海域を離れるように警告しても従わない場合、被害のない程度の爆雷を投下して警告することになっていた。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "10月27日昼頃、冷戦終結後になって分かったことだが、アメリカ海軍は海上封鎖線上で警告を無視してキューバ海域に向かうソ連海軍のフォックストロット型潜水艦B-59に対し、その艦が核兵器(核魚雷)を搭載しているかどうかも知らずに、爆雷を海中に投下した。攻撃を受けた潜水艦では核魚雷の発射が決定されそうだったが、B-59副艦長ヴァシーリイ・アルヒーポフ の強い反対によって発射を止め、また浮上して交戦の意思がないことを表し、その後海上封鎖線から去ることにより核戦争は回避された。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "この日午後の会議で「トルコのミサイルで取り引きすれば、キューバのミサイルを片付けられるのに、苦労して血を流してもキューバ侵攻はうまくいかない。もし後世にそう記録されたら戦争をやってよかったとは言えない」とケネディは呟いていた。しかし会議ではトルコのミサイル撤去に反対が多く、NATO(北大西洋条約機構)が分裂しかねないと懸念する意見もあった。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "そこでこの日に届いた書簡(トルコのミサイル撤去)を敢えて無視し、昨日届いた書簡にのみ回答して、その書簡のフルシチョフ提案(キューバを今後攻撃しない)を受け入れる案が出された。そしてケネディは前日に届いた柔軟な内容のフルシチョフの書簡に対してのみ回答する方針を決め、ロバート・ケネディと大統領顧問テッド・ソレンセンにその回答の起草を命じた。そしてスティーブンソン国連大使が推敲して、同日午後8時に公表した。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "この回答の中身は『3つの条件』", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "を提示して、この条件を了解すれば、アメリカは海上封鎖を解き、キューバを攻撃・侵攻しないと確約するものであった。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "「私はあなたからの10月26日付けの書簡を大変注意深く読み、この問題への早急な解決を求める熱意が述べられていたことを歓迎します。......書簡で示された線に沿って、解決に向けた取り組みを、この週末に国連事務総長代行の下で作成するように指示しました」", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "これが送信された後、ロバート・ケネディは大統領の求めで駐米ソ連大使アナトリー・ドブルイニンと夜8時頃に密かに会うこととした。このドブルイニン大使との席でロバートは、この返書は大統領個人のものであり、軍部からの強硬な意見を無視した決断であること、米軍機の撃墜と操縦士の死亡は軍部を強く刺激してもはや平和的な解決を図るには時間が無くなったことを強調した。そして懸案のトルコのミサイル撤去について「キューバのミサイル撤去が確認された段階で必ずトルコから撤去する」として、もしこの約束が漏れたら責任は全てソ連側にあり、この提案全てが反故になると強く告げることを忘れなかった。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "10月27日は終日会議に追われた。アメリカ空軍機撃墜で空爆を主張するメンバーが増え、書簡の回答を作り終えて送信した後は、午後8時過ぎにいったん休憩をとり大統領は食事となった。午後9時に再開してしばらくしてから明朝10時に会議を開くことでこの日は終わった。翌日の会議は10月30日に空爆か侵攻を行うかで開かれる予定であった。緊張と疲労がまじった中で、会議に出席した誰もが30日火曜日には戦争が起こると予測していた。マクナマラは後に「あの日見たポトマック川沿いの夕日は美しく、その時この夕日を生きてもう一度眺めることができるのだろうか、と思った」と語っている。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "実はこの日の夜、キューバのカストロはフルシチョフに躊躇いが生じているのではないか、と心配し始めていた。米ソ間の取り引きも噂されていて、思い切ってフルシチョフを激励するつもりで書簡を送ることにした。そして駐キューバソ連大使のアレクセイエフを呼んで口述させた書簡をフルシチョフ宛てに送った。この書簡は時差の関係からモスクワの28日朝に着いているが、この書簡がカストロの思いとは全く逆の効果を生じることになった。", "title": "海上封鎖" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "この日の朝、モスクワではフルシチョフに悪い情報が入った。前述の米軍偵察機の撃墜があり、ワシントン時間で夕方にケネディ大統領が新たな声明を発表する準備をしているという観測があり、そこへカストロからの書簡が届いた。カストロからはアメリカへの核攻撃を求めていると解釈できる内容でこれはフルシチョフを怒らせた。フルシチョフも事態が制御不能になりつつあることを恐れていた。", "title": "ミサイル撤去" }, { "paragraph_id": 146, "tag": "p", "text": "モスクワ時間12時に幹部会を招集して、事態が急速に進展する中で、ケネディからの新しい書簡とドブルイニン駐米大使から外務省を通じて指導部に宛てられた報告が届いていた。フルシチョフはこのチャンスを逃すことなくその場で返信を口述した。そしてアメリカにこの返信がすぐに届くように前回と同じくモスクワ放送を通じて早急に読み上げるよう命じた。この声明に関するニュースはまもなく世界に広がった。そしてマリノフスキー国防相はミサイル基地解体をブリーエフ司令官に命じた。", "title": "ミサイル撤去" }, { "paragraph_id": 147, "tag": "p", "text": "ワシントン時間10月28日午前9時、ニキータ・フルシチョフ首相がモスクワ放送でミサイル撤去の決定を発表し、同時にアメリカでもラジオで放送されて伝わった。フルシチョフはアメリカがキューバに侵攻しないことと引き換えにキューバのミサイルを撤去することに同意したのであった。ソレンセン大統領顧問は自宅で朝のラジオで聞き、夢かと思った。国防総省では前日のケネディ提案が拒否された場合の対応策を協議するために召集されていた。マクナマラは早朝に起きて「侵攻一歩手前の措置」についてリストを作成していた。しかし参謀本部のメンバーはこの放送を疑い、カーチス・ルメイ空軍参謀らは30日に空爆をすべきだとの文書を大統領にあらためて提出した。ジョージ・アンダーソン海軍参謀も不満を露わにして即時侵攻を主張した。しかしホワイトハウスは深い安堵感に包まれていた。", "title": "ミサイル撤去" }, { "paragraph_id": 148, "tag": "p", "text": "他方ハバナではカストロが激怒していた。フルシチョフから何ら事前の通告もなく、彼はこれを降伏とみなした。キューバを攻撃および侵攻しないという約束のもとで自国に搬入したミサイルを撤去する空手形になるかも知れないものであり、キューバの安全保障を取引の材料にされたカストロは我が耳を疑った。この日フルシチョフからのカストロ宛て書簡が届き、自制を求めるとともにアメリカの攻撃が差し迫っていたというカストロの考えを肯定した上でケネディによるキューバ不侵攻の確約は大きな勝利であり、これによりキューバの安全が確保されたという評価を押し通して協議する時間が無かったのだと主張した。", "title": "ミサイル撤去" }, { "paragraph_id": 149, "tag": "p", "text": "この書簡には、トルコのミサイルの撤去とキューバのミサイルの撤去とが取り引きされたことには触れなかった。カストロはその後、ミサイル撤去の際に様々な行動をすることになった。後のフルシチョフの回想によれば、アメリカの度重なる偵察と海上封鎖に興奮したカストロはフルシチョフにアメリカを核攻撃するように迫ったとされ、ソ連の方も、核戦争をも厭わない小国の若手革命家と次第に距離を置くようになっていった。", "title": "ミサイル撤去" }, { "paragraph_id": 150, "tag": "p", "text": "後の歴史学者の間では、当時のソ連第一副首相のアナスタス・ミコヤンからの強い進言がキューバの核ミサイル撤去をフルシチョフに踏み切らせたと考えられている。", "title": "ミサイル撤去" }, { "paragraph_id": 151, "tag": "p", "text": "ドン・マントンとデイヴィッド・A・ウェルチ共著『キューバ危機』の第5章「その後」の冒頭に「10月28日に世界は安堵したもののキューバ危機はまだ終わっていなかった。...キューバ危機は最初の13日間の物語よりはるかに長く続いた」と述べている。", "title": "その後" }, { "paragraph_id": 152, "tag": "p", "text": "いずれにしてもフルシチョフはケネディの条件を受け入れ、キューバに建設中だったミサイル基地やミサイルを解体し、早くも11月中には貨物船でソ連に送り返した。ケネディもキューバへの武力侵攻はしないことを約束、その後1963年4月トルコにあるNATO軍のジュピター・ミサイルの撤去を完了した。なおアメリカはマクドネル・エアクラフトRF-101などの偵察機を、ソ連のミサイル撤去声明の直後より公然とキューバ国内や港湾上空に飛行させ、ミサイルが完全に撤去されたか否かを調査し、ソ連軍もこれらのアメリカ空軍の偵察機を撃墜することをソ連軍の現地司令官やキューバ軍に対し行わないように厳命している。", "title": "その後" }, { "paragraph_id": 153, "tag": "p", "text": "カストロは協力を拒み、ケネディとフルシチョフの間で合意した国連監視下での兵器撤去の査察を妨げた。彼は査察条件について合意する前に自らと協議しなかったことで憤っていた。10月30日にウ・タント事務総長代行との会談で現地査察についての取り組みを拒絶した。フルシチョフはミコヤン第一副首相をハバナに派遣した。ミコヤンがハバナに行く前にカストロはアメリカに、", "title": "その後" }, { "paragraph_id": 154, "tag": "p", "text": "の5項目の要求を出したが、結局アメリカは無視した。", "title": "その後" }, { "paragraph_id": 155, "tag": "p", "text": "それどころか、ミコヤンが途中ニューヨークの国際連合本部に寄った際に、スティーブンソン国連大使から新たに攻撃的兵器とみなしキューバから撤去を要求するリストを手渡されて、その中に軽爆撃機「イリューシン」(Il-28)も含まれていて、11月4日にフルシチョフは憤りをもって反対する返信を行っている。", "title": "その後" }, { "paragraph_id": 156, "tag": "p", "text": "そして、ハバナに滞在してカストロの説得に難渋していたミコヤンも「ソ連はアメリカの新たな要求に応じることはない」とカストロに明言していた。しかし結局11月20日にフルシチョフが軽爆撃機の撤去に同意し、ケネディはその同意をもって海上封鎖の終了を宣言した。国防総省は軍の警戒態勢を解き、キューバ危機は幕を閉じた。", "title": "その後" }, { "paragraph_id": 157, "tag": "p", "text": "そしてキューバに対するアメリカの介入も減少し、冷戦体制は平和共存へと向かっていくことになる(米ソデタント)。この事件を教訓とし、首脳同士が直接対話するためのホットラインが両国間に引かれた。", "title": "その後" }, { "paragraph_id": 158, "tag": "p", "text": "カストロは、その後ソ連に2回訪問し、フルシチョフと2人で事件について冷静に振り返っている。カストロは一旦は「自らがアメリカを核攻撃をするようにソ連に迫ったことを記憶していない」としたが、フルシチョフは通訳の速記録まで持ってこさせて、カストロに核攻撃に関する自らの過去の発言を認めさせた。", "title": "その後" }, { "paragraph_id": 159, "tag": "p", "text": "冷戦終結後にロシアの公開した情報によると、キューバ危機の時点でソ連は既にキューバに核ミサイル(ワシントンD.C.を射程に置く、中距離核弾頭ミサイルR12、R14、上陸軍を叩く戦術短距離核ミサイル「ルナ」)を9月中に42基(核弾頭は150発)配備済みであり、グアンタナモ米軍基地への核攻撃も準備済みであった。さらに、臨検を受けた時には自爆するよう命じられたミサイル(核弾頭を取り外している)搭載の貨物船が、封鎖線を目指していたため、アメリカ軍による臨検は、殆ど効果がなかったことである。", "title": "その後" }, { "paragraph_id": 160, "tag": "p", "text": "またキューバ軍の兵士の数は、アメリカ側の見積もりの数千人ではなく4万人であった。カーチス・ルメイ空軍参謀総長を始めとするアメリカ軍は、その危険性に気付かず、「圧倒的な兵力」と思い込んでいた軍事力でソ連を屈服させることが可能であると思っていた。", "title": "その後" }, { "paragraph_id": 161, "tag": "p", "text": "もしフルシチョフの譲歩がなく、カーチス・ルメイの主張通りキューバのミサイル基地を空爆していた場合、残りの数十基の核ミサイルがアメリカ合衆国本土に向けて発射され、核戦争によって、世界は第三次世界大戦に突入していた可能性が非常に高い。", "title": "その後" }, { "paragraph_id": 162, "tag": "p", "text": "マクナマラ国防長官は後に、キューバ危機から二つの教訓を学んだと述べた。1つは「核兵器で武装された国家間の危機管理は本来的に危険かつ困難であり、また不安定である」。2つは「判断の過ち、情報の誤り、誤算のゆえに核武装した大国間の軍事行動の帰結を自信をもって予知することは不可能である」ということであった。", "title": "危機の教訓" }, { "paragraph_id": 163, "tag": "p", "text": "キューバ危機はその後において国際政治に及ぼした影響は大きい。第一はソ連が核ミサイルの増強に走ったことで、米ソ間のミサイルギャップを埋めるべく核ミサイルの開発競争に走り、この結果、米ソ間での核軍備競争となり、1980年代に入ってやがてソ連経済の衰退を招いた。", "title": "危機の教訓" }, { "paragraph_id": 164, "tag": "p", "text": "第二は米ソ両国が核戦争を回避するための道を模索し始めたことで、この危機を教訓として、2つの国の政府首脳間を結ぶ緊急連絡用の直通電話ホットラインがソ連とアメリカ間に初めて設置された。そして翌年8月に部分的核実験禁止条約が締結されて、やがて危機管理の方法の確立から核不拡散などの共通の利害を共有するとの認識に至り、デタントの流れを形成していった。", "title": "危機の教訓" }, { "paragraph_id": 165, "tag": "p", "text": "第三はこの危機から東西両陣営の内部で同盟国の離反を招いたことで、かねてから「中ソ対立」でソ連と対立していた中華人民共和国は、ソ連の脅威に対抗するためもありやがて核実験を実施して核保有国となる傍ら、ソ連との緊張関係が1980年代に至るまで続いた。また1960年に核保有国となっていたフランスは、アメリカの同盟国に対する姿勢に不信感を持ち、ドゴール大統領は独自の外交を展開する。キューバ危機後米ソ間は次第に好転していくが、反対に中華人民共和国とフランスは部分的核実験禁止条約に反対して、しばらくの間は東西両陣営から距離を取る方針を進めた。また中ソの緊張関係が続く中で、ベトナム戦争の末期にアメリカと中華人民共和国が急接近するなど、キューバ危機の前後に起きた様々な動きの結果、これまでの米ソ二極支配の構造から多極化の構造へと変化していった。", "title": "危機の教訓" }, { "paragraph_id": 166, "tag": "p", "text": "ニクソン政権の時代に国家安全保障担当特別補佐官そして国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャーは著書「外交」の中で、「フルシチョフは自ら作り出した絡み合った罠に自らはまり込んでしまった。彼はソ連のハト派をより対立的な路線に引っ張っていくには弱すぎ、タカ派に妥協するには立場に不安があり、時間稼ぎするしか方法はなく、キューバにミサイルを置くという絶望的な賭けに打って出たのである。」として「冷戦の転換点となった。」と述べている。", "title": "危機後の米ソ" }, { "paragraph_id": 167, "tag": "p", "text": "キューバ危機は、1963年の米ソ関係の変化につながっていった。核戦争の危機に直面して恐怖を味わったことで、フルシチョフは対米関係の改善を強く求めるようになった。しかし、ソ連内部でフルシチョフの外交上の不手際に対する批判が強まり、1964年10月14日に彼は失脚した。キューバ危機での譲歩がその大きな要因であった。", "title": "危機後の米ソ" }, { "paragraph_id": 168, "tag": "p", "text": "一方、アメリカでは、このキューバ危機で核戦争一歩手前の危機的状況に直面した際にケネディ大統領の一言が政策を決定したとはいえ、国防総省・国務省・軍部の高官および主要閣僚などが政策決定に与えた影響は大きかった。それまではアイゼンハワーもトルーマンも文民・軍人の官僚からは距離を置き、自身で政策を決定した後に各省庁の部下と協議することがほとんどであった。しかしケネディは政策を決定する前に部下のアドバイスに対してより積極的に耳を傾けた。また議会に対してはアイゼンハワーは議会指導者に外交上の進展について周到に情報提供をしていたが、ケネディは逆に議会に対して時々にしか提供せず、議会の役割は前任者に比べて小さいものでしかなかった。ケネディはアメリカ軍最高司令官としての権力に依存して軍事政策を決定したが、この権力は翌1963年11月22日のケネディ暗殺事件後に昇格したジョンソン大統領によってさらに頻繁に使われるようになっていくことになった。", "title": "危機後の米ソ" } ]
キューバ危機は、1962年10月に冷戦の対立が激化し、核戦争寸前まで危機が高まったがそれを間一髪で回避した事件である。なお、これ以前から国がその仕組みや制度として資本主義を採用するか社会主義を採用するかで激しく対立しており、互いを仮想敵国として意識した軍拡を行っていたが、この事件でその緊張は一気に高まった。
{{Otheruses|アメリカとソ連・キューバの核ミサイル対立|以前アメリカ軍と亡命キューバ人がキューバに侵攻した事件|ピッグス湾事件}} {{脚注の不足|date=2018年8月}} {{Battlebox | battle_name = キューバ危機 | campaign = 冷戦 | colour_scheme = background:#ffccaa | image = [[File:P-2H Neptune over Soviet ship Oct 1962.jpg|300px]] | caption = キューバ近海でにらみ合うアメリカの[[軍用機]][[P-2 (航空機)|P-2]]とソ連の軍用[[貨物船]]。 | conflict = [[冷戦]] | date = [[1962年]][[10月15日]] 〜 [[10月28日]] | place = [[大西洋]]、キューバ近海 | result = '''[[核戦争]]を寸前で回避'''、米ソ[[ホットライン]]の設置。 | combatant1 = {{USA}} | combatant2 = {{CUB}}<br>'''支援'''<br>{{SSR}} | commander1 = {{Flagicon|USA}} [[ジョン・F・ケネディ]]<br/>{{Flagicon|USA}} [[ロバート・マクナマラ]]<br/>{{Flagicon|USA}} [[マクスウェル・D・テイラー]]<br/>{{Flagicon|USA}} [[カーチス・ルメイ]]<br/>{{Flagicon|USA}} [[ロバート・ケネディ]] | commander2 = {{Flagicon|CUB}} [[フィデル・カストロ]]<br/>{{Flagicon|CUB}} [[ラウル・カストロ]]<br/>{{Flagicon|CUB}} [[チェ・ゲバラ]]<br>{{Flagicon|SSR}}[[ニキータ・フルシチョフ]]<br/>{{Flagicon|SSR}} [[アナスタス・ミコヤン]]<br/>{{Flagicon|SSR}} [[ロディオン・マリノフスキー]]<br/>{{Flagicon|SSR}} [[マトヴェイ・ザハロフ]]<br/>{{Flagicon|SSR}} [[セルゲイ・ビリュゾフ]]<br/>{{Flagicon|SSR}} [[イッサ・プリーエフ]] | strength1 = 各軍、[[スパイ]]等 | strength2 = 各軍、スパイ等 | casualties1 = 一機[[撃墜]]、一人[[戦死]] | casualties2 = 無し }} '''キューバ危機'''(きゅーばきき、{{lang-en|Cuban Missile Crisis}}、{{lang-ru|Карибский кризис}}、{{lang-es|Crisis de los misiles de Cuba}})は、[[1962年]][[10月]]に[[冷戦]]の対立が激化し、[[核戦争]]寸前まで危機が高まったがそれを間一髪で回避した[[事件]]である。なお、これ以前から国がその仕組みや制度として[[資本主義]]を採用するか[[社会主義]]を採用するかで激しく対立しており、互いを[[仮想敵国]]として意識した[[軍拡]]を行っていたが、この事件でその緊張は一気に高まった。 == 背景 == このころの東西冷戦においては[[アメリカ合衆国]](アメリカ)と[[ソビエト連邦]](ソ連)がそれぞれ資本主義国の集まりである[[西側諸国]]と社会主義国の集まりである[[東側諸国]]の事実上の指導国となっており、世界の二大[[超大国]]となっていた。そしてこの両超大国は世界中で新たに[[脱植民地化]]した国や革命やクーデターで成立した新政権に対して、自国の思想と同じ国については支援を行い、思想に反する国に対しては対立組織の援助等により政権の転覆を狙い、各陣営への取り込みを図っていた。 このような見えない対立を冷戦と呼ぶが、その頃[[カリブ海]]の[[島国]]である[[キューバ]]は[[フルヘンシオ・バティスタ]]率いる独裁国家であった。そしてその事に不満を抱いた革命家の[[フィデル・カストロ]]らの革命軍は[[キューバ革命]]を決行し、キューバは社会主義国となった。 しかし、革命前のキューバは資本主義国であり、アメリカと友好関係を築いて支援を受けていたためアメリカはキューバ新政府を敵視し、何度もカストロ政権の転覆を図った。なお当時のアメリカはキューバ政府の幹部に対しての暗殺や裏工作、反カストロ勢力によるクーデター計画の支援など非合法な手法を取り続けていたが、カストロ政権も共産主義プロパガンダで対外宣伝をしていたため印象は良かったのだが、その陰では自国民の革命に反対する人々を弾圧・虐殺・粛清していたため一概にアメリカだけを悪魔化する事はできない。 キューバにとってはアメリカの軍事力は強大であり、自国のみで立ち向かうことは難しかったため、アメリカによる侵略に対抗すべく自国と同じ社会主義国であり、強大な軍事力を保有するソ連と友好関係を築き、核ミサイル基地の建設を計画した。 核ミサイルがキューバに配備されればアメリカを一瞬で壊滅させることすら可能となる。かくして、ここにアメリカとソ連の非常に危険な対立が始まったのであった。 == 概要 == 1962年夏、ソ連とキューバは極秘裏に軍事協定を結び、キューバに密かに核ミサイルや兵員、発射台、ロケット、戦車などを送った。アメリカは偵察飛行で核ミサイル基地の建設を発見、直ちにキューバを海上封鎖し、核ミサイル基地の撤去を迫った<ref group="注">核ミサイル基地の建設を発見したアメリカであったが、この時点では基地建設であって、核ミサイルはまだ持ち込まれていないと考えていた。したがって要求は核ミサイルの撤去ではなく、ミサイル基地の撤去であった。</ref>。一触即発の危険な状態に陥ったが、当時の[[ジョン・F・ケネディ|ケネディ]]大統領と[[ニキータ・フルシチョフ|フルシチョフ]]第一書記とで書簡をやり取りし、最終的にソ連が核ミサイルを撤去してこの危機は終わった。また、これを機に米ソ間で[[ホットライン]]の開設がなされ、不測の事態による軍事衝突を防ぐための対策が取られた。 危機の期間に定義があるわけではないが、アメリカ軍が空中偵察でミサイル基地を発見した[[1962年]][[10月14日]]、または大統領にその情報が入った[[10月16日]]から、フルシチョフがミサイル撤去を伝えた[[10月28日]]までとすることが多い<ref group="注">10月16日から10月28日の13日間をキューバ危機とする解釈で製作された映画が「13 Days」である。</ref>。ただし、実際にソ連が核ミサイルをキューバから撤去し、アメリカが封鎖解除したのは11月21日である。 「キューバ・ミサイル危機」とも呼ばれ、またこの1年半前の1961年4月の「[[ピッグズ湾事件]]」を「第一次キューバ危機」と呼び、この1962年10月の危機を「第二次キューバ危機」と呼ぶ場合がある。 == 経過 == ===キューバ革命=== [[ファイル:Fidel Castro - MATS Terminal Washington 1959.jpg|thumb|[[1959年]]の訪米時のカストロ首相]] [[1959年]][[1月]]に[[キューバ革命]]で親米軍事独裁の[[フルヘンシオ・バティスタ]]大統領を打倒し、首相の座に就いた[[フィデル・カストロ]]は、革命の1ヶ月後にバティスタ派の人々に対する簡易裁判を行い、即時に600人を処刑したことから、彼がアメリカに対してどのような外交姿勢を取るのか懸念されていた。このような懸念に反してカストロは「アメリカ合衆国に対して変わらず友好関係を保つ」と表明し、早くも4月に[[ワシントンD.C.]]を訪問し、アメリカ政府に対して友好的な態度を見せるとともに、革命政権の承認を求めた。 しかし、カストロからの公式会談申し入れを受け入れた[[ドワイト・D・アイゼンハワー]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は、[[中央情報局|CIA]]より、権力掌握後のカストロが国内でバティスタ派の有力者を処刑したり、親米的な地主からの農地の強制接収による農地改革を推し進めていることを根拠として「カストロは共産主義者である」との報告を受けており、結果「かねてから予定されていた[[ゴルフ]]に行く」との理由で公式会談を欠席した。 さらにアイゼンハワーに代わって会談した[[リチャード・ニクソン]]副大統領との会談において、カストロは「アメリカとの友好関係を保つ」と言いながらも、彼から「革命後の共産主義の影響拡大」、「反革命派の処刑」、「自由選挙の未実施」といった点を問い詰められて怒りだす寸前になる始末であった<ref name="井高浩昭 著「チェ・ゲバラ」 99P">井高浩昭 著「チェ・ゲバラ」 99P</ref>。このようなカストロの態度を受けたニクソンは、アイゼンハワーに「カストロは打倒すべき人物で、キューバ人亡命者部隊を編成してキューバに侵攻すべきである」と進言した<ref name="井高浩昭 著「チェ・ゲバラ」 99P"/>。 ===キューバとソ連の接近=== [[File:Beauvoir Sartre - Che Guevara -1960 - Cuba.jpg|thumb|[[ジャン=ポール・サルトル]]と妻の[[シモーヌ・ド・ボーヴォワール]]と話すゲバラ(1960年)]] このような「予想外」の冷遇に反発したカストロ首相は、アメリカとの友好関係の継続と支援を受けることにまだ期待を持ちながらも、帰国後に農地の接収を含む農地改革法の施行を発表した。 当時アメリカ企業である[[ユナイテッド・フルーツ]]とその関連会社、関係者がキューバの農地の7割以上を所有していたことから、これは事実上アメリカ企業の資産の接収を目的にした法の施行ということになり、アメリカ政府や企業からの大きな反発を受けることとなった。 アメリカとの関係が悪化する中、カストロは全方位外交を掲げることで、第三世界のみならず西側の先進国を含めた世界各国から革命政権の承認を受けることを目論み、革命の同志で国立銀行総裁に就任した[[エルネスト・チェ・ゲバラ]]を[[日本]]や[[インドネシア]]、[[パキスタン]]、[[スーダン]]、[[ユーゴスラビア]]、[[ガーナ]]、[[モロッコ]]をはじめとする[[アジア]]や[[アフリカ]]、[[東ヨーロッパ]]諸国に派遣した。 さらにカストロは、弟の[[ラウル・カストロ]]国防大臣に[[ソビエト連邦]]の[[首都]]の[[モスクワ]]を訪問させ、[[ニキータ・フルシチョフ]]首相から歓迎を受け、[[アナスタス・ミコヤン]]第一副首相を[[ハバナ]]に公式訪問として正式に招請するなど、冷戦下でアメリカ合衆国と対峙していたソビエト連邦との接近を開始する。 その後もキューバとアメリカの関係は悪化の一途をたどり、[[1960年]]1月にはユナイテッド・フルーツの農地の接収を実施したほか、2月にはソ連のアナスタス・ミコヤン第一副首相のハバナ公式訪問を受け入れ、ソ連との砂糖と石油の事実上のバーター取引や有利な条件での借款の受け入れ、さらにソ連からの重火器類を含む武器調達の取引に調印した。アメリカ合衆国本土の隣国であるキューバがソビエト連邦と手を組む事態を受け、アメリカ合衆国は[[共産主義]]国家による軍事的脅威を間近で感じることになった。 ===アメリカとの対立=== [[File:Fidel Castro - UN General Assembly 1960.jpg|thumb|[[国連総会]]に出席したカストロ(1960年4月)]] 同年4月には早くもソ連の[[タンカー]]がキューバの港に到着し、さらに[[6月]]には、キューバ政府によりユナイテッド・フルーツや[[チェース・マンハッタン]]銀行、[[シティバンク銀行|ファースト・ナショナル・シティ銀行]]をはじめとする、アメリカの政府や企業、国民が所有する全ての国内資産の完全国有化を開始するとともに、穏健派のルフォ・ロペス財務大臣の更迭(その後アメリカに亡命)など、キューバとアメリカの対立は決定的なものとなった。 さらに9月にアメリカ政府は、国内にあるすべてのキューバ資産を差し押さえるとともに、キューバに経済および軍事援助を行った国に対する制裁を規定する法案を可決した。 同月下旬にカストロは自ら[[国際連合本部ビル|国連本部]]で開催される[[国際連合総会|国連総会]]に出席すべく[[ニューヨーク]]を訪問したものの、これに対してアメリカ政府はキューバ代表団の[[マンハッタン]]外への移動を禁止し、さらに宿泊予定のシェルボーン・ホテルはキューバ代表団に対して膨大な額の「補償金」の支払いを要求するなど、嫌がらせともいえるような対応を取った。なおその後[[ハーレム (ニューヨーク市)|ハーレム]]にある安ホテルに移動したカストロは、ホテルを訪問したフルシチョフや[[エジプト]]の[[ガマール・アブドゥル=ナーセル|ナーセル]]大統領、[[マルコムX]]などと会談し、さらに26日には国連総会において4時間29分に渡る長時間の演説を行い、キューバ革命の意義を自画自賛するとともにアメリカを非難した。 アイゼンハワー政権は更なる対抗策として、キューバ最大の産業である[[砂糖]]の輸入停止措置を取る形で[[米国の対キューバ禁輸措置|禁輸措置]]に踏み切り、[[1961年]][[1月3日]]には国交断絶を通告した。この間、大量のキューバからの避難民が[[フロリダ州]][[マイアミ]]に到達し、その数は10万人に達した。 ===アメリカによるキューバへの軍事侵攻=== ====ピッグス湾事件==== [[File:Museo de la Revolucion-piece of B-26 bomber.jpg|thumb|ピッグス湾事件で撃墜されたアメリカ軍の[[A-26 (航空機)|B-26]]爆撃機の残骸]] [[File:Meeting with President Eisenhower. President Kennedy, President Eisenhower, military aides. Camp David, MD. - NARA - 194198.tif|thumb|アイゼンハワー(右)とケネディ]] これに先立つ[[1960年]][[3月]]、キューバのソ連への接近を憂慮したアイゼンハワー大統領とCIAは、カストロ政権転覆計画を秘密裏に開始した。キューバ革命で母国を脱出してきた[[亡命]]者1,500人を「解放軍」として組織化し、1954年にCIAが主導した「[[PBSUCCESS作戦]]」により親米軍事政権が成立していた[[グアテマラ]]の基地において、ゲリラ戦の訓練を行った。アメリカの軍事援助と資金協力の下でキューバ上陸作戦を敢行させるためであった。 アイゼンハワーはすでに退任間近だったためこのキューバ問題から手を引き、その後は[[リチャード・ニクソン]]副大統領とCIAの[[アレン・ダレス]]長官らによって作戦計画は進められた。 そして、兵員数と物資で圧倒的に劣勢であった反カストロ軍がキューバ政府軍に勝つためには、アメリカ軍の介入が必要と見たCIAは作戦計画にこれも組み入れていた。表面的には亡命した反カストロ軍が故国キューバの独裁政権を倒しカストロを追放するという目的はそのままであったが、元の計画ではキューバ国内での反政府グループの支援を見込んで、またカストロ体制がまだ盤石ではないと予測していた。 そして1960年11月の大統領選挙で当選し[[1961年]][[1月20日]]に[[ジョン・F・ケネディ]]が大統領に就任すると、カストロ政権転覆計画をCIAと軍部から説明を受けた。この時に「あくまでアメリカ軍が直接介入するのではなく、CIAの援助のもとに亡命キューバ人が組織した反カストロ軍が進める作戦」として説明を受けたケネディはその通りに理解し、アメリカ軍の正規軍が直接介入しないことを条件に作戦を許可した。作戦は2つの段階があり、最初の4月15日に、「払い下げ品の」旧型のアメリカ軍の爆撃機を仕立てた亡命キューバ人部隊が、キューバ空軍の飛行場を爆撃し壊滅させて制空権を奪い、4月17日にピッグス湾(コチーノス湾)に艦船の援助を受けて上陸作戦を実行する予定であった。 ところが、[[4月15日]]に行われた最初の空爆作戦が失敗、制空権を確保できないまま、4月17日に1400人の亡命キューバ人部隊がピッグス湾に上陸した時に、上陸を予想したキューバ政府軍の反撃に遭い<ref group="注">当初のカストロ政府軍の人数の読みが甘く、予想以上の反撃であった。これはこの計画の致命的な誤りであった。</ref>、さらに空からキューバ空軍の攻撃を受け、沖合に待機した艦船が撃沈、弾薬も食糧も欠乏する事態の中で海岸で部隊は孤立してしまった。 ここで当初「正規部隊は介入しない」と軍とCIAはケネディ大統領に説明していたにも拘らず、亡命キューバ人部隊の劣勢を受けて「状況を挽回するために正規軍を介入させたい」と軍が主張するも彼は拒否、結局亡命キューバ人部隊は1189名が捕虜となり、114名が戦死するなどして壊滅、作戦は完敗に終わった<ref group="注">正確な死傷者数について通説はない。「キューバ危機」203P参照</ref>。さらに、最初の爆撃にアメリカ軍の正規軍が関わっていることが明らかになって、世界からアメリカに非難が集中した<ref group="注">作戦の失敗の原因は複数あり、計画そのものがずさんで、政府軍の反撃も当初の見積もりが過少すぎる評価であったと言われる。アメリカは1年半後この捕虜となった亡命キューバ人の身柄引き換えの300万ドルと医療器具など5000万ドル相当の物資をキューバ政府に提供した。ギャレス・ジェンキンズ著『ジョン・F・ケネディ フォトバイオグラフィ』184P</ref>。 この「[[ピッグズ湾事件]]」の直後の[[4月28日]]に、ケネディは「西半球における共産主義者とは交渉の余地がない」としてキューバに対する経済封鎖の実施を発表した<ref group="注">キューバ製[[葉巻きたばこ|葉巻]]「[[H.アップマン]]」を愛好していたケネディは、この発表の直前にピエール・サリンジャー報道官に対して至急大量に輸入するように命じ、1,200本を確保したことを確認した後に経済制裁の実施を発表したと伝えられている。「The Rake」Issue 8 P.104 [[2016年]]3月</ref>。なおアメリカのこれらの軍事侵攻や経済制裁の実施を受けて、キューバ政府は先の革命が[[社会主義]]革命であることを宣言しアメリカの挑発に答えた。1962年初めに[[米州機構]]から追放された。 === ウィーン会談 === [[Image:JFK meeting Khrushchev, 3 June 1961.png|thumb|フルシチョフ(左)とケネディ(1961年)]] [[ピッグズ湾事件]]から2カ月の6月3~4日に[[オーストリア]]の首都[[ウィーン]]で、ケネディ大統領とフルシチョフ首相は最初で最後の首脳会談に臨んだ。この会談でケネディが持論であった大国同士の『誤算』が戦争を引き起こすことについて話すと、フルシチョフはキューバ問題について「バチスタを支持したことがキューバ国民の怒りがアメリカに向かっている理由です。キューバ上陸作戦はキューバの革命勢力とカストロの地位を強めただけである。わずか600万人のキューバがアメリカにとって脅威ですか?アメリカは他国の国内問題に介入する先例を作ってしまった。この状況は誤算を引き起こすことになる」と語り、ケネディはキューバの状況に関して判断ミスがありピッグス湾事件は誤りであったことを認め、両者は『誤算を生む可能性を排除すること』に同意した<ref>『ベルリン危機1961』上巻 フレデリック・ケンプ著 317-318P</ref>。 この時、ケネディは「私は政策判断をする場合に、ソ連が次に世界でどう動くかに基づいて下さなければならない。これはあなたがアメリカの動きに関して判断しなければならない場合と同様である。故にこの会談をこれらの判断により大きな正確さをもたらすのに役立つものとしたい」とフルシチョフに語り、そしてフルシチョフは「危険はアメリカが革命の原因を誤解した時にのみ起こるものだ」と切り返した<ref>『ベルリン危機1961』上巻 フレデリック・ケンプ著 316-317P</ref>。 ====マングース作戦==== ピッグス湾事件の7カ月後の1961年11月、ケネディは軍事作戦とは別に隠密作戦の検討を始め、その特別グループを編成した<ref>「キューバ危機」 ドン・マントン デイヴィッド・A・ウエルチ共著 49P</ref>。そしてカストロ打倒計画を立てる中心人物として[[エドワード・ランスデール]]空軍少将<ref group="注">CIA所属。1950年代にフィリピンと南ベトナムで共産軍と戦い、特殊作戦の天才として知られていた。</ref> を作戦立案者に指名し、政権の総力を挙げてカストロ政権打倒を目指す「[[マングース作戦]]」(Operation MONGOOSE)を極秘裏に開始した。ただし軍事訓練を施した亡命キューバ人をキューバ本土に派遣して破壊活動を実施させ、再度のキューバ侵攻作戦の計画立案を進めたのではなく、ランスデールが国防総省で検討を加えたのは破壊工作・経済的妨害・心理戦などからなる計画で隠密行動が主であり、その中にはカストロ暗殺計画もあり、1962年10月までにカストロ政権を転覆させるというものであった。 今日、ケネディ政権がどこまで本気でこのマングース作戦を実行するつもりであったかは不明である<ref group="注">フルシチョフとカストロは作戦をキューバへの本格的な軍事介入の前触れとみていた。しかしソ連とキューバの情報機関は困惑させることが主眼で情報収集を目的とした中途半端な企てとみていた。そしてアメリカではケネディ大統領はこのマングース作戦を大してよいものとは考えていなかったといわれる。実際のところ政府内のタカ派に対してカストロ排除の行動を進めていると映していく程度の結果を余り期待しない程度の作戦であったとも言える。後にマクジョージ・バンディ補佐官がマングース作戦とは「無為を慰める心の薬だった」と語っている。しかし本気で作戦決行を進めるべきと考える人も政権内にいた。ロバート・ケネディもその1人である。「キューバ危機」 ドン・マントン デイヴィッド・A・ウエルチ共著 51P 《マングース作戦はどれくらい本気だったか?》</ref>。アメリカ軍によるキューバ侵攻作戦という大がかりな計画ではなく隠密にカストロを暗殺するものであったという見解と、一方では当時CIAはすでにカストロ体制が予想以上に強く隠密作戦だけで体制を転覆させられると考える者はなく、大規模な軍事行動が必要であるとの考えから軍事作戦の基本計画を練っていたという見解がある<ref>「キューバ危機」 ドン・マントン デイヴィッド・A・ウエルチ共著 52P</ref>。 「マングース作戦」は徐々に速度を上げて進捗し、キューバでミサイル基地が発見された時の[[1962年]][[10月15日]]にも作戦が予定されていたが急遽中止となった<ref group="注">10月20日に作戦は完了する予定であったという説があり、プエルトリコでカストロ暗殺を謀ったという説もあるが、それに向けて軍事行動を準備したという形跡はない。</ref>。それは奇しくもキューバへのミサイル配備計画とほとんど時期を一にするものであった。 === キューバへの核ミサイル配備 === ====アナディル作戦==== [[File:Polski bombowiec IŁ-28 ląduje ze spadochronem hamującym - 1959 r.jpg|thumb|[[S・V・イリユーシン記念航空複合体|イリユーシン]][[Il-28 (航空機)|Il-28]][[爆撃機]]]] [[File:Soviet freighter Krasnograd steams for Cuba in September 1962.jpg|thumb|キューバに向かうソ連の貨物船「クラスノグラード」(9月)]] そのような状況下で、キューバとソ連の関係は一層親密化し、カストロはアメリカのキューバ侵攻に備えてソ連に最新鋭のジェット戦闘機や地対空ミサイルなどの供与を要求しはじめた。しかしソ連は[[1962年]]夏には、最新兵器の提供の代わりに秘密裏に[[核ミサイル]]をキューバ国内に配備する{{仮リンク|アナディル作戦|ru|Операция «Анадырь»}}<ref group="注">アナディルとはシベリアにあるベーリング海に流れる川の名称である。この作戦名にしたのは、万一西側の情報機関に漏れてもカリブ海ではなく北極海での行動作戦であると推測させるために名付けた。また派遣される兵士たちに指揮官は冬用の装備一式を携行するように命じた。行先が暖かい南方ではなく寒い北方であるようにスパイにカムフラージュしたのである。「キューバ危機」 ドン・マントン デイヴィッド・A・ウエルチ共著 72P</ref> を可決し、キューバ側のカストロもこれを了承した。 キューバへのミサイル配備をフルシチョフが検討を始めたのは1962年4月の終わり頃で、ミコヤン第一副首相との会話の中でミサイル配備が話題となり、その後マリノフスキー国防相とも協議を始めている。ミコヤンは当初懐疑的であった。後にフルシチョフが書いた回顧録によると彼がキューバにミサイルを配備した動機は何よりもキューバの防衛であった<ref>「キューバ危機」 ドン・マントン デイヴィッド・A・ウエルチ共著 57P</ref>。しかしただ防衛だけであったなら、わざわざ隠密に極秘に核ミサイルを運ばなくても堂々とキューバと協定を結んで通常兵器を供与する方がケネディも反対できなかったし、仮にそれが小規模のものであってもアメリカが攻めて来る場合はソ連兵と直接戦闘となるリスクが生じ、歴史上初めてアメリカとソ連が直接武力で戦う覚悟を必要とし、それ故にアメリカのキューバ侵攻の抑止になると考える方が自然である。そう考えなかったフルシチョフにはミサイル配備のバランスでアメリカと均衡させるためにあえて核ミサイルの配備にこだわったと言える<ref>「キューバ危機」 ドン・マントン デイヴィッド・A・ウエルチ共著 59P</ref>。 アナディル作戦の背景には、当時核ミサイルの攻撃能力で大幅な劣勢に立たされていたソ連がその不均衡を挽回する狙いがあった。アメリカは本土にソ連を攻撃可能な[[大陸間弾道ミサイル]]を配備し、加えて[[西ヨーロッパ]]、そしてトルコにも中距離核ミサイルを配備していた。これに対し、ソ連の大陸間弾道ミサイルはまだ開発段階で、[[潜水艦]]と爆撃機による攻撃以外にアメリカ本土を直接攻撃する手段を持たなかったといわれる。また、共産主義国家のリーダーとして台頭する中国への対抗心もあったという<ref name="FA">「FOREIGN AFFAIRS MAY/JUNE 2023」44p</ref>。 ソ連がアナディル作戦でキューバへの軍事力の展開をするには事前の発覚を避け、それでいて高性能の戦闘機、地対空ミサイル、それを管理する部隊や大量の装備品、そして約5万人の派兵が必要でそれらの人員や装備品を輸送する船舶がおよそ85隻が必要であり、しかもその船舶は何回も往復しなければならなかった。この時に運んだ人員および装備は以下の通りである<ref>「キューバ危機」78-79P</ref>。 * 戦術核兵器 *: [[中距離弾道ミサイル]](IRBM)24基、[[準中距離弾道ミサイル]](MRBM)36基 * 陸上兵力 *: 4個連隊合せて1万4000名。これらは機甲化されていないが各連隊に戦車、大砲、対戦車ミサイルを装備。そして射程40キロの短距離ロケット36基。 * 航空兵力 *: 軽爆撃機「[[S・V・イリユーシン記念航空複合体|イリューシン]]」([[Il-28 (航空機)|Il-28]])42機、戦闘機([[MiG-21 (航空機)|MiG-21]])40機、その他地対空ミサイル72基。 * 沿岸防衛 *: 巡航ミサイル(KR-1)80基、巡航ミサイル(S-2)32基、巡視艇12隻。 この他に、海上兵力として潜水艦11隻なども予定していたが、結局キューバには送られなかった。そしてキューバに派遣された人員は4万5234名で、この内海上封鎖が始まった時点で3332名はまだ公海上であった<ref>「キューバ危機」80P</ref>。 なお、これほど大量の物資及び人員を海上輸送する作戦をソビエト軍は実施したことはなく、加えて急遽決定された計画であったため、ミサイル基地の建設は非常に困難を極めるものであった<ref name="FA"></ref> 。 * 建設チームはキューバに関する情報(経済状況、天候、取得できる天然資源、地図、地形等)をほとんど持ち合わせておらず、スペイン語を話すキューバ人との会話にも支障をきたす有様であり、積み荷が到着するスケジュールすら知らされていなかった。 * 当初はミサイル基地全体をヤシの木の葉で覆い隠す予定だったが、ヤシの木がまばらにしか生えておらず、急遽緑色のネットを被せて核ミサイルの存在をカモフラージュした。 * 偵察チームは当初決定されたミサイル基地の建設候補地について、より適した場所への移転を本国に進言したが(カストロから情報提供があった)、上層部(フルシチョフ)の決定は絶対であったため、それらの提言はことごとく拒絶された。 * NATO及びアメリカ軍に船舶が臨検を受けた場合は発砲の許可が下りており、秘密を守るために書類や積み荷の破棄が厳命されていた。 * 一部の兵士は客船でキューバに渡ったが、ほとんどの兵士は物資を輸送する船舶に押し込まれたため、長い船旅で体調を崩す者が続出し、海上で死亡した者は水葬の措置が取られた。 * ソビエトの工作機械はヨーロッパの気温が低い乾燥した気候に合わせて作られていたため、高温多湿のキューバでは錆の発生に苦しめられた(現場からの度重なる要望により、9月になり高温多湿の環境でも稼働する工作機械がやっと導入された)。また、工作機械の電圧もソビエトとキューバ(アメリカの規格である120ボルト60ヘルツが使われていた)では異なるため、その調整も一苦労だった。 * 建設工事は昼夜を問わず24時間体制で進められたが、度重なるハリケーンの襲来により工事がたびたび中断し、スケジュールは予定通りには進まなかった。 * 本作戦の最重要機密であるR14ミサイルについてはキューバ政府の一部の高官にしか存在を知らされていなかった。 ====軍事協力協定==== キューバとソ連は、かつてない大胆で広範な軍事協力であったため、7月にラウル・カストロがモスクワを訪問して両国間の権利・義務・責任を確認して「キューバ駐留ソビエト軍に関する協定」を結んだ。この後8月にチェ・ゲバラらが訪ソして再調整し改めて2国間の「軍事協力協定」が結ばれた。その時に公表を求めるキューバに対してフルシチョフは公表する必要はないとして退けている<ref>「キューバ危機」83P</ref><ref group="注">後にこの全く公表しないフルシチョフの決定を間違いであった、とする意見は多い。もし1962年8月の時点で両国は軍事協力協定を結んだと公式に声明を出し正々堂々とミサイルが展開されていたら、それに反対するのは難しかったであろうと、何年か後にケネディ政権の高官は率直に認めている。その意味ではソ連とキューバが核ミサイルの配備で合意していたことは国際法上完全に合法であった。全く秘密裡に進めたことがアメリカに正当な防衛の範囲内という認識を世界が持ったことになる。ただしそれでは堂々と展開していれば成功したかは疑問である。ラテンアメリカ諸国の激しい反発とアメリカ国内での反カストロ勢力や議会の殆どを占める反キューバ派はケネディを突き上げ、カストロ追放の動きに出たかも知れない。フルシチョフはケネディにこの圧力に対して弱いと見て、公表することの利益とリスクを考えリスクが大きいと計算したのかも知れない。しかしその計算が正しかったかどうかは知る由もない。「キューバ危機」~もしミサイル配備を秘密にしていなかったら~ 82P</ref>。 フルシチョフは、1962年11月にニューヨークを訪れて国連総会に出席する予定であり、そこでキューバのミサイル基地建設の成功を劇的に公表するつもりであった。そうすれば西側にベルリンからの撤兵を要求するための前奏曲にできると考えていた。遡ること9月にケネディ政権はソ連に対してICBMの数で2対1の割合でアメリカが勝っていることを明らかにしていた。ここでキューバに中距離弾道ミサイル(MRBM)を配備すれば、アメリカ国内の標的を攻撃することができ、米ソ間の核バランスをソ連優位に修正することが出来ると考えていた<ref>マイケルL・ドックリル マイケルF・ホプキンズ共著「冷戦 1945-1991」118P参照</ref>。 ====偵察飛行==== [[1962年]][[7月]]から8月にかけて、ソ連やその同盟国の貨物船が集中的にキューバの港に出入りするようになったため、これを不審に思ったアメリカ軍は、キューバ近海の公海上を行き来するソ連やその同盟国の船舶やキューバ国内に対する偵察飛行を強化していた。CIAはソ連船の数が急増していることの意味を検討していた。また亡命キューバ人やキューバと交易のある同盟国([[デンマーク]]や[[トルコ]]、[[スペイン]]など)の情報機関からも情報が入ってきた。8月にCIAは4000~6000人のソ連人がキューバへ入国していると結論づけた。ソ連が戦略ミサイルを配備しようとしているかも知れないがソ連はそれほど愚かだと考える者は事実上皆無であった<ref>「キューバ危機」86P</ref>。 そして8月23日にケネディはマコーンCIA長官にキューバに核ミサイルが存在することは容認しないと述べていたが、この時にソ連が核ミサイルの配備を試みていると考えた者はマコーン以外はいなかった。そしてCIA内部でもソ連は核を運んでいると分析することはなく、9月19日にCIAが政府に提出した報告「特別国家情報評価」の中の「キューバの軍事力増強」でも同じ見方であった。それはソ連の過去の行動パターンにも予測する政策にも合致しないことであった<ref>「キューバ危機」93P</ref>。そして9月にキューバ上空に偵察機を飛ばすことを制限した<ref group="注">この時期のカリブ海は荒れ模様でハリケーンの季節であり、偵察機を飛ばして荒天の中で飛行して進路を誤って墜落したり、国内深くに入ってしまって撃墜される危険性が高くなることがあり、そのための偵察制限であって、偵察をもっと早くしとけば発見はもっと早かったとか、政治問題化されることを恐れてということではない。「キューバ危機」87P</ref>。 ====国内の動き==== [[File:Everett Dirksen at the 1964 RNC (cropped1).jpg|thumb|バリー・ゴールドウオーター]] このような動きに対してケネディ大統領は、確かな証拠がまだ手に入っていないがもし配備されていたら容赦はしないとの警告を出す決意をした。8月31日、ニューヨーク州選出上院議員ケネス・キーティング<ref group="注">共和党リベラル派の上院議員。この2年後の1964年秋にケネディ暗殺事件後に司法長官を辞職したロバート・ケネディが上院議員選挙に立候補して、その対抗馬がこのケネス・キーティングであった。敗北したキーティングは政界を引退した。</ref> は、ケネディ政権はキューバ問題に対して意図的な怠慢を続けていると非難し、以降ソ連は1000人以上の部隊をキューバに派遣してミサイル基地を建設していると指摘した。他にバリー・ゴールドウオーター<ref group="注">共和党保守派の重鎮。この当時すでに1964年大統領選挙のケネディの対抗馬と目されていた。南部諸州がゴールドウォーターに取られると予想したケネディは翌年11月に最初の遊説で重点州としてテキサス州を訪ね、そこでダラスの凶弾に倒れた。ゴールドウオーターは結局1964年大統領選挙で共和党候補となったが、リンドン・ジョンソンに敗退する。</ref>、ジョン・タワーらの有力な共和党上院議員からもキューバへの行動に出るように要求が出された。 議員のもとに亡命キューバ人からの情報が入っていた。9月4日、ケネディは議会の代表者と会談し、現時点でソ連軍の大規模な展開はあるが、今までの監視から見て防御的な性格であると説明して、同日に声明を発表し「戦闘部隊が組織だって派遣されている証拠はない。軍事基地を提供している証拠もない」と前置きして「これらの証拠があるとなれば、最も憂慮すべき問題が生じ、きわめて深刻な事態が起きることになるだろう」と警告した。 9月6日にソ連のドブルイニン駐米大使から「中間選挙前にソ連が国際情勢を複雑にしたり米ソ関係の緊張を増したりするような措置は取らない。ただしアメリカがそのような行動に出ないことが条件である。ソ連はキューバで新しいことは何もしておらず、全て防衛的性質のものでアメリカの安全に脅威を与えるものではない」とのコメントがソレンセン大統領顧問を通じて伝えられた。9月7日にケネディは1万5000人の予備役を招集する権限を議会に要求し、さらに9月11日に「いつ如何なる形であれキューバがソ連に軍事基地を提供した場合は、アメリカは自国および同盟国の安全を守るため行わなければならないことは全て行う」と再び声明を出した<ref>「キューバ危機」90-92P</ref>。 同じ9月11日にソ連は声明を発表しキューバに対する如何なる軍事行動も核戦争を引き起こすであろうと警告していた。しかしその間にもソ連から、通常の工作機器の輸出に巧妙にカモフラージュされたソ連製核ミサイルや、核兵器が搭載可能でアメリカ東海岸の主要都市に達する航続距離を持ったイリユーシンIl-28爆撃機が秘密裏に[[貨物船]]でキューバに運ばれた。さらに核兵器の配備に必要な技術者や軍兵士もキューバに送られ、急速に核ミサイルがキューバ国内に配備されはじめた。 しかし当初アメリカ軍の解析班は、これらの貨物船で運ばれている物の多くがアメリカからの経済制裁の発令に伴って供給が止まり、その代わりにソ連から送られるようになった[[ドラム缶]]に入った[[ガソリン]]や木材であると解析した。さらに[[中央情報局]](CIA)による分析では、貨物船でキューバに運ばれたソ連軍兵士の数も実際は4万3000人程度いたところを、その4分の1以下の約1万人と見積もるなど、ケネディの命令により偵察機による撮影が制限されてしまったアメリカの情報チームは、ソ連によって行われた巧妙なカモフラージュを全く見抜くことができなかった。 ようやく9月下旬に入りケネディはキューバ上空の偵察飛行を再開させたものの、この間にキューバにソ連からSS-4核ミサイルとその弾頭99個、さらに核兵器の搭載が可能なイリユーシンIl-28爆撃機が秘密裏に運ばれ、同時期に貨物船の船底にぎゅうぎゅうに詰め込まれて送られた万単位のソ連将兵とともに、キューバ国内への配備が始まっていることには気が付かないままであった<ref>『CIA秘録』(上)ティム・ワイナー著 文春文庫 P.357</ref>。 ==核ミサイル基地の発見== [[File:MRBM Field Launch Site San Cristobal No. 2 14 October 1962 - NARA - 193927.tif|thumb|[[サン・クリストバル]]に配置されたソ連の[[MRBM]](10月14日)]] 1962年10月9日、米軍の上空偵察委員会はU-2偵察機によるハバナ南方のサンクリストバル一帯の偵察飛行を提言した。キューバからの人的情報で特に怪しいと見た地域である。ケネディはすぐに許可したがこの任務は悪天候のため何日か延期となり、ようやく10月13日午後11時半にカリフォルニア州エドワーズ空軍基地から飛び立った。そして翌[[10月14日]]の朝までにはキューバに達し、キューバ上空で偵察飛行を行い、フロリダに帰着した<ref>「キューバ危機」97-98P</ref>。 この[[アメリカ空軍]]の[[ロッキード]][[U-2 (航空機)|U-2偵察機]]が撮影した写真について、翌15日月曜日の午前にワシントンの国家写真解析センター(NPIC)でフィルムの解析が行われた。[[オレグ・ペンコフスキー]][[大佐]]がもたらした技術仕様書や、[[メーデー]]の際に[[クレムリン]]広場をミサイル搭載車がパレードした際の写真と見比べて解析したアメリカ空軍とCIAの解析班は、アメリカ本土を射程内とするソ連製[[準中距離弾道ミサイル]](MRBM)の存在を発見、さらにその後3つの[[中距離弾道ミサイル]](IRBM)を発見した<ref>『CIA秘録』(上)ティム・ワイナー著 文春文庫 P.360</ref>。 === 10月16日(火)=== これらの写真は[[10月16日]]朝にCIA高官のリチャード・ヘルムズによって[[ホワイトハウス]]に届けられた<ref group="注">ドン・マントン デイヴィッド・A・ウエルチ著「キューバ危機」によれば、前日夜遅くにマクジョージ・バンディに届けられていたが、彼は大統領を起こさず翌朝に報告することにした。</ref>。ケネディ大統領は16日午前9時に[[マクジョージ・バンディ]]国家安全保障担当補佐官から報告を受けて11時45分から緊急に国家安全保障会議を招集する決定を下した。しかもこの会議にはいつものメンバーに加えて、それ以外の顔ぶれを集めたので後に[[国家安全保障会議執行委員会]](エクスコム)と呼ばれることとなった。 ====エクスコム==== [[File:EXCOMM meeting, Cuban Missile Crisis, 29 October 1962.jpg|thumb|エクスコムに参加するケネディ大統領(窓際真ん中)やロバート・ケネディ(写真の一番左で、椅子を机から離している)、マクナマラ(大統領の右)など(1962年10月29日)]] このエクスコムの会議には14〜15人が集まり、主な顔ぶれはジョンソン副大統領、ラスク国務長官、ボール国務次官、マクナマラ国防長官、ギルパトリック国防次官、マコーンCIA長官、ロバート・ケネディ司法長官、ディロン財務長官、スティーヴンソン国連大使、テイラー統合参謀本部議長、バンディ補佐官、オドンネル大統領特別補佐官、ソレンセン大統領顧問、アチソン元国務長官、ラヴェット元国防長官などであった<ref>『ケネディー神話と実像』 土田宏 173P</ref>。この席でケネディは直面する危険とこれに対処するあらゆる行動を即時徹底的に調査するように命じた。そして徹底した機密保持も命じた。この10月16日から13日間が歴史に深く刻まれ核戦争の寸前までいったキューバ危機の期間である。 大統領顧問であったソレンセンが1965年に書いた著書「ケネディの道」の中で、この16〜19日までの96時間が午前・午後・夜間を問わず会議の連続であったという。その間に新しい空中写真の分析が進み、近距離用攻撃用ミサイルが配置された地点が6カ所に上り、中距離用ミサイル(IRBM)用の基地にするために掘られた個所が3カ所見つかった。 ====6つの選択肢==== [[File:President meets with Secretary of Defense. President Kennedy, Secretary McNamara. White House, Cabinet Room - NARA - 194244.jpg|thumb|[[ロバート・マクナマラ]]国防長官と話すケネディ(6月)]] ここでメンバーがこれから行動に移す可能なコースとして、 # ソ連に対して外交的圧力と警告および頂上会談(外交交渉のみ) # カストロへの秘密裏のアプローチ # 海上封鎖 # 空爆 # 軍事侵攻 # 何もしない の6つの選択肢を挙げた。そして 1.の外交交渉のみと 6.の何もしないは最初から真剣に討議された。18日夜の段階でも外交交渉のみの案を支持するメンバー(主に国務省関係者)もいたが、ケネディは、1.と 6.のどちらも却下した。2.のカストロへのアプローチも相手は、キューバではなくソ連が相手であることで却下となった。そして 5.の軍事侵攻も1人<ref group="注">空軍参謀総長カーチス・ルメイ。第二次大戦では日本への空襲を指揮し、後にベトナム戦争で北爆を強く主張していた。</ref> を除いて積極的な意見は出てこなかった。 ケネディの「侵攻は最後の手であって最初の手ではない」との意見が、ほぼ全体のコンセンサスとなった。残るは 3.の海上封鎖か 4.の空爆で、最初は空爆が有力であった。ソレンセンは少なくとも17日の段階までケネディも空爆に傾いていたと述べている<ref>「キューバ危機」105-107P</ref><ref group="注">ここで出された6つの選択肢は実際には一から練り上げたものでなく、ここまでの数か月間で普通の会話で交わされていた内容のものであった。空爆と海上封鎖もすでに上院議員が口にし、軍当局も非常の事態に備えるようケネディからすでに指示されていた。</ref>。 マクナマラは、16日夕方の会議で海上封鎖をしてキューバの動きを見守り、その反応によってはソ連と戦うと述べた<ref name="『ケネディー神話と実像』 土田宏 174P">『ケネディー神話と実像』 土田宏 174P</ref>。ロバート・ケネディは、事前警告無しの空爆は「[[真珠湾攻撃]]の裏返し」であり歴史に汚名を残すと述べ、この事前警告をした場合は逆にソ連に反撃のチャンスを与え、かつフルシチョフが反撃に乗り出さざるを得ない状況に追い込んで、却って危険な状況となることが予想された。 テイラー統合参謀本部長は夕方までの間に他の参謀たちと協議して、1回の外科手術的空爆では不十分で、キューバの軍事的な目標全体を対象とした大規模な空爆が必要と認識していた<ref>「キューバ危機」106P</ref>。 ===10月17日(水)=== ====事前警告の問題==== 17日の会議で[[アドレー・スティーブンソン]]国連大使は「平和的解決手段がすべて無駄に終わるまで空爆などはしてはなりません」と大統領に強く主張した<ref> 土田宏 174P</ref>。ここで空爆の前に事前警告の必要が議論の焦点となった。[[統合参謀本部]]のメンバーはキューバへの空爆を支持していたが、マクナマラやロバート・ケネディは[[海上封鎖]]を主張した。マコーンCIA長官は事前通告無しの空爆には反対であった。彼はフルシチョフに24時間の猶予を与えるべきで、この手順を踏んで、しかし最後通牒に応じない場合に攻撃を行うと主張した。アチソン元国務長官はより強気で、発見されたミサイルを早急に破壊するための外科手術的空爆に賛成した。ここでケネディはアイゼンハワー前大統領に電話で意見を聞いているが、前大統領はキューバにある軍事目標全体への空爆を支持した。一方スティーブンソン国連大使は、トルコにあるジュピター・ミサイルとキューバにある核ミサイルとを取り引きすることを検討するよう求めた<ref>「キューバ危機」107-109P</ref>。 ====ジャクリーン夫人の決意==== この日までにケネディ大統領はジャクリーン夫人に事態が容易ならざる方向に進んでいることを伝えていた。 ホワイトハウス警護官で大統領夫人担当のクリント・ヒル<ref group="注">この1年後のダラスでのケネディ大統領暗殺事件の時に、大統領夫妻が乗った車のすぐ後ろの車に乗って、大統領が撃たれた瞬間にすぐに後方から大統領が乗っている車に飛び乗り、トランクの上に乗り出したジャクリーン夫人を後部座席に押しとどめたのがこのクリント・ヒルであった。</ref> は緊急事態に備えて大統領夫妻と打ち合わせする必要を感じていた。そしてこの10月17日にジャクリーン夫人と不測の事態が起こった場合の対応について率直に話し合うことにした。それまでにシークレットサービスは大統領の家族および政府の要人を避難させる計画を既に持っていた。そして事態が発生した直後は取り敢えずホワイトハウスの地下の核シェルターに入ることとなっていた<ref>クリント・ヒル著 白須清美訳「ミセス・ケネディ」246P</ref>。 このことをジャクリーン夫人に伝えようとした時に、逆に大統領夫人は『核シェルターに入らなければならない時、私がどうするか、知らせておくわ』として『もし事態が変化したら、私はキャロラインとジョンJRの手をつなぎ、ホワイトハウスの南庭に行きます。そして勇敢な兵士のようにそこに立ち、全てのアメリカ人と同じく運命に立ち向かいます。』と語った。クリント・ヒルは『そうならないように神に祈りましょう。』と答えるだけであった<ref>クリント・ヒル著 白須清美訳「ミセス・ケネディ」247-248P</ref><ref group="注">ジャクリーン夫人のこの言葉を聞いた時、クリント・ヒルは心の中で、決して許して貰えないと思うがそれでも彼女を抱き上げてシェルターに入らなければならない、彼女を守る責任がある以上、他の事はどうでもいい、と思ったという。クリント・ヒル著 白須清美訳「ミセス・ケネディ」248P</ref>。 ===10月18日(木)=== ====ロバートの5つの試案==== 18日の会議でロバート・ケネディは、 # 1週間の準備と西欧諸国とラテンアメリカ諸国への通告の後に24日にMRBMの施設を爆撃する # フルシチョフへの警告の後にMRBMの施設を爆撃する # ミサイルの存在・今後阻止する決意・戦争の決意・キューバ侵攻の決意をソ連に通告する # 政治的予備会談を実施し失敗の場合に空爆と侵攻を行う # 政治的予備折衝無しに空爆と侵攻を行う の5つの選択肢を提示した<ref name="『ケネディー神話と実像』 土田宏 174P"/>。ラスクは 1.に反対し、国防省関係者は 2.に反対した。国務省関係者は 3.に賛成であったが、ただし空爆の前提ではなく監視強化が前提であった。4.と 5.には意見は無かった<ref>『ケネディー神話と実像』土田宏 174-175P</ref>。 この日にソ連問題担当顧問で、後に駐ソ大使となったリュウェリン・トンプソンが出席して、フルシチョフは何らかの取引を目的にミサイルを配備し、それはベルリン問題で何らかのアメリカの譲歩を引き出すためではないか、と考えてフルシチョフに交渉の機会を与えることが大事だと主張した。いきなり軍事行動では報復を呼ぶだけであり、その後は予測も制御もできないとして、海上封鎖であればソ連は封鎖を突破しないと考えるがミサイル基地の作業の中止および撤去は難しいとの懸念を示した<ref>「キューバ危機」111-112P</ref>。 前日空爆反対を唱えたスティーブンソン国連大使はこの日ニューヨークに戻る前に大統領に文書を送り、キューバへの攻撃はソ連がトルコやベルリンに報復行動に出る可能性が高く、結果として核戦争になると強調した<ref name="『ケネディー神話と実像』 土田宏 174P"/>。 この段階で封鎖と空爆の2つの選択肢が残っていたが、実際は二者択一ではなく、海上封鎖から空爆へという考えと、どちらにせよ最後はキューバ侵攻へという考えで、このエクスコム会議に出席していたメンバーの大半は最後は侵攻する必要があることを理解していた<ref>「キューバ危機」111P</ref>。 そして海上封鎖の場合に、フルシチョフが撤去に応じる代わりに要求してくる要素をさまざまに検討して、トルコのミサイルが浮上してきた。また海上封鎖は厳密には戦争行為であるので、戦争に突入することなく海上封鎖を法的に正当化するためにどうするか、この問題ではラスク国務長官とマーチン国務次官補が1947年に締結した[[米州相互援助条約|リオ条約(米州相互援助条約)]]に基づき[[米州機構]](OAS)の承認を得ることを提案し、また18日夜にミーカー国務省法律副顧問から「海上封鎖」を「隔離」と言い換える提案が出された。 ここまで強硬に空爆を主張してきた軍も、最初は封鎖してフルシチョフの出方によっては空爆か軍事侵攻も視野に入れることにその主張を後退させた。そして封鎖の場合に撤去させるのは攻撃用ミサイルだけとすることで、この日にはケネディは海上封鎖の選択に傾いた。 ====グロムイコ外相訪問==== [[File:Photograph of President John F. Kennedy's Meeting with the Soviet Ambassador and Ministers at the White House - NARA - 194217.tif|thumb|グロムイコ外相(座って左から3番目)らと会談するケネディ大統領(1962年10月18日)]] こうしたホワイトハウス内の極秘の動きの中で、この日午後5時にソ連外相[[アンドレイ・グロムイコ]]がホワイトハウスを訪ねてきた。これはそれ以前から予定されていたもので、国連総会への出席のための訪米に伴う儀礼的な訪問であった。ケネディはこの場では攻撃用核ミサイルを発見したことを一切語らずに、またグロムイコ外相はソ連の対キューバ援助は「キューバの国防能力に寄与する目的を追求したもの」として「防衛兵器の扱いについてソ連専門家がキューバ人を訓練しているのは決して攻撃的ではない」ことで「もしそうでなかったらソ連政府は決してこうした援助を与えないであろう」と述べて、「キューバに配備されたミサイルは防御用の通常兵器である」と9月に述べたことを繰り返し述べた。このホワイトハウスの大統領執務室での会談は、その後冷戦史上に残る最も奇妙で緊張した会談であり、茶番劇でもあった。グロムイコ外相は会談後にモスクワにワシントンの状況は満足のいくものであった、と報告している。ケネディが何かをつかんでいるとは微塵も感じなかったのである<ref>「キューバ危機」113-114P</ref>。そしてケネディは4日後の声明で、この日のグロムイコ外相とのやりとりを明らかにして、「偽りであった」と非難した<ref group="注">この会談の主な議題はベルリン問題であった。前年ウィーン会談での激しいやりとりとベルリンの壁構築で緊張した米ソ間の最大の問題はベルリン問題であり、前年秋にフルシチョフが一旦は延期した東ドイツとの平和条約締結をまた持ち出してきた。次にキューバ問題ではアメリカの内政干渉や就航制限などを国際法違反として苦情をいい、ミサイルについてはモスクワからの「他意はない」との指令を受けていることもグロムイコは明らかにしている。しかし後にセオドア・ソレンセンは著書「ケネディの道」で「グロムイコ外相はシラを切った」と書いている。</ref>。 グロムイコ外相との会談終了後、ケネディは同じホワイトハウスの閣議室に戻った。そしてこの日の夜に急速に[[海上封鎖]]が有力な案になった。また国務・国防・司法の各省はその法律専門家に封鎖宣言の根拠について検討作業を始めさせた。 ===10月19日(金)=== この頃は中間選挙が11月初めに予定されており、その応援演説のため遊説があり、ケネディ大統領はこの日クリーヴランド、イリノイ州スプリングフィールド、そしてシカゴに行く予定であった。それらをキャンセルすると政府内での動きが感づかれる恐れがあったので、いつも通り行っていた。ジョンソン副大統領も同じでジョンソンは結局選挙遊説で会議に出ていないことが多かった。そしてケネディは軍部と朝に会議を行った。 ====統合参謀本部の強行案==== 朝、この統合参謀本部のメンバーとの協議の席で、テイラー議長はキューバへの軍事行動はベルリンを危険にし西欧諸国から批判を浴び、アメリカを孤立させかねないとする大統領の立場を認めながら、早急な軍事行動が必要とする意見を曲げなかった。そして参謀総長らが空爆や侵攻を強く主張し、空軍参謀総長のカーチス・ルメイは封鎖は弱腰と判断されるとしてケネディを苛立たせた。この直後、ケネディは「お偉いさん達の意見をその通りにして間違っていたら、間違っていたと言おうにも誰も生きていないことになる」と補佐官のケネス・オドンネルに吐き捨てるように言い残した<ref>『ケネディー神話と実像』 土田宏、pp176</ref><ref group="注">この時にシャープ海兵隊総司令官が他の参謀総長たちに向かって吐き捨てるように言った言葉がホワイトハウスの録音機に残っている。「キューバまで行ってミサイルを撤去するなどやってられるか。地対空ミサイル基地を探すなど出来っこない。ともかくあっちに行って邪魔者を蹴散らすのだ。」「キューバ危機」115P</ref>。 ====封鎖と空爆==== この日午前の会議(大統領は中間選挙遊説で欠席)では2つのグループに分かれて海上封鎖と空爆について最も有力なシナリオを提示することにした。海上封鎖チームにはボール国務次官、アレックス・ジョンソン国務次官補、マクナマラ、ラスク、トンプソン顧問。空爆チームはロバート・ケネディ、アチソン元国務長官、ディロン財務長官、バンディ補佐官であった。午後の会議では全体会議を行い、アチソン元国務長官、ディロン財務長官、マコーンCIA長官、バンディ補佐官が空爆に賛成、ラヴェット元国防長官は封鎖に賛成した。ここでマクナマラの空爆を認めながら海上封鎖を優先させるべきとの意見とロバートの「会議で空爆と結論を出しても大統領は受け入れないだろう」との意見が通り、海上封鎖を実行し事態が進まない場合は空爆実施という折衷案がまとまった<ref>『ケネディー神話と実像』 土田宏、pp177</ref>。 ===10月20日(土)=== そしてロバートからの要請を受けてケネディ大統領は「軽い風邪のため」として選挙遊説を早めに切り上げてヘリコプターでワシントンに戻った。 ====海上封鎖決定==== 20日午後2時30分からの正式な会議(国家安全保障会議第505回会議)<ref group="注">土田宏 著『ケネディー神話と実像』では午後2時30分からだが、ドン・マントンとデイヴィッド・A・ウエルチ共著『キューバ危機』ではこの日の午前に国家安全保障会議を行ったとしている。しかしソレンセンの『ケネディの道』では大統領のヘリコプターがホワイトハウスの南側芝生に着陸したのが午後1時半と述べているので、当日の午後であることは明確である。</ref> で、ケネディはまずマコーンから新しい航空写真とその他の情報を提出させて、その後で、(1)まず封鎖から始めて必要に応じて行動を強めていくか、(2)まず空爆から始めて最後は侵攻を覚悟するか、という2つの選択肢を基幹としてそれから派生する分枝の問題が提示された。その後にケネディはまず封鎖から着手すべきとして、空爆と侵攻を主張するメンバーにそういう作戦がその後に絶対に採られないことではないと解してよろしいと言葉を続けた。ソレンセンによると、決める前に限定的な空爆がまず出来ないことを重ねて確かめるつもりであったが、結局自分で結論を出した。大統領が下さなければならない決断であり、それが出来るのも大統領だけだからであると著書で書いている。 ケネディはこのとき[[海上封鎖]]の実施を決断した。ケネディがその次に打つ手を自由に選べることと、フルシチョフにも選択の余地を残す利点があることで封鎖での力の誇示がソ連に考え直す機会を与えることになることが決め手であった。何よりも悪いのは何もしないことであると述べている。しかしもしミサイル基地の撤去に同意しなかった場合については意見が分かれた。多くのメンバーは空爆を支持したがマクナマラとスティーブンソン国連大使は反対し、スティーブンソンはグアンタナモ米軍基地の撤収まで言及して軍事的衝突は避けるべきであると主張した<ref>「キューバ危機」116-117P</ref>。この封鎖以外での外交交渉でのカードとしてトルコのミサイル撤去があったが、この時にはケネディは他の欧州諸国にとって関心の無いカリブ海の小国の問題で自国の利益のために欧州の安全を犠牲にするのではないか、という疑惑を裏書きすることで同盟を破壊しかねない譲歩をすべきではないと考えていた。この問題は最後の局面で重要な課題となった<ref group="注">実はエクスコム会議のメンバーはこの時には知らなかったことだが、ケネディはこの前にトルコのミサイル撤去を指示していた。しかしトルコ政府が絶対反対で暗礁に乗り上げたままであった。しかもこのキューバ危機直前に議会の両院合同原子力委員会はトルコとイタリアのミサイル撤去を勧告してこの問題は再び浮上していた。ケネディは危機前の撤去指示を隠したまま、そして全体バランスを見ながらどのように落としどころをつけるかを見計らっていた。</ref>。 この後に、ケネディは21日(日曜日)にテレビ・ラジオを通じて国民に演説する意向を示したが、国務省から事前に他の同盟国や中南米諸国に説明する必要があり、日曜日ではなく月曜日にそれらを全て行うため、結局22日(月曜日)午後7時に演説することで同意した。ここで国務省からあった封鎖(Blockade)という言葉が好戦的で戦争行為と解釈されるので以後は隔離(Quarantine)を言葉として使用することも決まった<ref group="注">日本では当時も現在もこのキューバ危機では封鎖という言葉を使用している。</ref>。 会議が終わってから外交ルートで米州機構への申し入れ、国連への安保理開催の申し入れ、各国首脳と西ベルリン市長あての手紙、フルシチョフへの簡単な通告文書の作成にかかった。 ===10月21日(日)=== ====問題解決の困難さ==== 21日に、ケネディは空軍のスイーニー司令官と会談した。スイーニーは率直に、一度の攻撃でキューバの全てのミサイルを破壊できる保証はないと伝えた。攻撃しても、結局残ったミサイルで反撃される可能性があったのである。ミサイルの問題は封鎖でも空爆でも、解決できないことをケネディは理解したのである<ref>「キューバ危機」118P</ref>。そしてシュレジンジャー補佐官に「最終的には取引しなければ駄目だろうな」と述べている。この日にマクミラン英国首相に親書を送った。その内容は、 {{quotation|フルシチョフの意図がベルリン問題について自分の選択肢を増やすことにあるのは間違いありません。ゆえにカリブ海と同様にベルリンについても十分な役割を果たす用意をすべきです。…もしフルシチョフが、弱さや不決断を当てにして行動しているのなら、それは彼の誤算であると知るべきだということです<ref>フレデリック・ケンプ著「ベルリン危機1961」下巻 273P</ref>。}} より詳細な内容は、翌日駐英大使より報告があったが、この他に翌日のテレビ演説の直後にも、マクミランと電話で会談をしている。マクミランは、ヨーロッパがもう何年もソ連の核ミサイルの射程圏内に入ったままだと述べて過剰反応を戒め、カストロを忌避するアメリカに懸念を示した。ケネディはマクミランに今回の秘密の動きはベルリンに関係していると述べている。 ケネディの考えの中には、今回のキューバへのミサイル配置はベルリン問題への駆け引きがあると睨んでいた。フルシチョフのキューバ戦略とベルリン戦略は連結していると考えているケネディは、フルシチョフがキューバで揺さぶることで西ベルリンを一挙に解決する(要するにソ連にとっては獲得する)ことを目指したものであると結論を出していた。統合参謀本部のメンバーに「キューバに爆撃を加えたら、それは彼らにベルリンを奪取する口実を与えることになる」「我々がキューバへの状況に耐えるガッツを持たなかったことで、ベルリンを失ったと後で西ドイツ国民から見なされるだろう」「西欧の人からすればベルリンや自国の安全には気にかけるが、キューバなど遠く離れていて気にかけていない」と述べた<ref>フレデリック・ケンプ著「ベルリン危機1961」下巻 271-272P</ref>。 ===10月22日(月)=== ====モスクワの事前の動き==== 一方ソ連では、モスクワ時間の22日朝から動きがにわかに慌ただしくなった。ケネディが夜遅くにテレビ演説を行うという情報が入って、ソ連軍参謀本部情報総局(GRU)がアメリカ軍の行動がきわめて異常だと報告し始め、国家保安委員会(KGB)はワシントンで何か重大なことが起きようとしているとの気配を察知していた。フルシチョフは共産党中央委員会幹部会を緊急招集した。 フルシチョフはキューバのミサイルが発見されたことをケネディが公表するのだと確信し、マリノフスキー国防相はアメリカがすぐに行動に出ることはないとした。しかし幹部会のメンバーは海上封鎖を宣言して何もしてこないと予測する方よりも、遅くとも数日以内にカリブ海で戦争が起こる可能性が高いとみる方が多かった。この時点でフルシチョフは「最終的には大戦争になるかも知れない」と思った<ref>「キューバ危機」125-126P</ref>。そしてキューバ駐留ソビエト軍総司令官ブリーエフに出す指示の内容についての議論が始まった。全面的な警戒態勢を取り、如何なる場合も核兵器は政府の明示的な許可がないと使用してはならない旨を伝達することが決まった。しかし包囲された中での防御戦では戦術核兵器を使用しなければ防御は絶望的だとの思いが強まり、もしモスクワからの通信が遮断された場合はブリーエフ司令官に許可することもいったんは決定したが、この部分は事態の進展を待ってということで留保された。マリノフスキーは情報が傍受されて核兵器使用の権限を現地司令官に移譲するなどとアメリカが知ったら、逆に先制攻撃の口実を与えることになることを憂慮したのであった<ref>「キューバ危機」126-127P</ref>。 ====ワシントンの動き==== アメリカではこの日22日の午前から重要な同盟各国への通知が行われた。トルーマン政権での国務長官だった[[ディーン・アチソン]]をフランスの[[シャルル・ド・ゴール]]のもとに派遣するとともにイギリスの[[ハロルド・マクミラン]]、西ドイツの[[コンラート・アデナウアー]]、カナダのディーフェンベーカーの各首相のもとにも特使を派遣し、[[北大西洋条約機構|NATO]]主要国である彼らの支持を得た。 この他に西ベルリン市長ブラント、イタリア首相[[アミントレ・ファンファーニ]]、[[インド]]首相[[ジャワハルラール・ネルー]]にも親書を送り、また、[[米州機構|OAS]]諸国には現地のアメリカ大使から政府に事態を知らせた。元大統領の[[ハーバート・フーヴァー|フーヴァー]]、トルーマン、アイゼンハワーに対しては[[ホワイトハウス]]から電話でケネディ自身が状況説明を行い、さらに午後5時から議会指導者に対しても自身で状況説明を行った。この議会指導者との会談では多くの議員から反対の声が聞かれ、J・ウィリアム・フルブライト、[[リチャード・ラッセル・ジュニア]]の両上院議員は海上封鎖に反対し、キューバ爆撃を主張した。ソ連のドブルイニン大使が国務省に招かれたのが午後6時でほぼ同じ時刻でモスクワでコーラー駐ソ大使がクレムリンに向かった。 ====テレビ演説==== そしてケネディ大統領は[[10月22日]]午後7時(東部標準時)からテレビ・ラジオを通じてアメリカ国民にキューバにおける新しい事態の説明を始めた。 {{quotation|かねてから国民の皆さんに約束した通り、政府はキューバ島におけるソ連の軍事力増強を厳重に監視してきました。過去1週間以内に明白な証拠によって一連の攻撃用ミサイル基地が現在キューバ島に準備されている事実が確認されました。これらの基地の目的は西半球に対する核攻撃力を提供することにほかなりません。……これらは1947年のリオ条約、……国連憲章及びソ連への警告を重大かつ故意に無視した全米州国家の平和と安全に対する明白な脅威である。こうした措置は、ソ連が……キューバへの軍備増強の防衛的性格の維持、他国へのミサイルを配置する必要も願望も持っていないとするとの再三の保証に反するものである。……アメリカは……意図的な欺瞞や攻撃的な脅迫にも容赦するわけにはいきません<ref>『ケネディ大統領演説集』 黒田和雄訳 79-83P</ref>。}} この演説で、キューバにソ連の攻撃用ミサイルが持ち込まれた事実と米国によるキューバ海上封鎖措置を発表し、ソ連およびキューバ国民に対して攻撃用ミサイルは何の利益にもならないと強調して、この中で以下の7項目の措置を速やかに行うことを明らかにした。 # キューバ向け船舶の「海上隔離措置」 # キューバへの空中監視 # 他国へのキューバからのミサイル発射は米国への攻撃とみなすこと # キューバ島内にあるグアンタナモ基地の増強および全部隊に警戒態勢を指示 # 米州機構(OAS)全体会議の招集 # 国連安全保障理事会の緊急招集 # フルシチョフに「世界を壊滅の地獄から引き戻すための歴史的努力」に参加すること<ref>『ケネディー神話と実像』 土田宏、180P  『キューバ危機』 ドン・マントン デイヴィッド・A・ウエルチ共著 127-129P</ref> そして最後にこの言葉で結んだ。 {{quotation| これが我々が着手した困難かつ危険な努力であることは、何人も疑ってはならない……今後どのような経過をたどるか、どれだけ人的損害を招くか正確に予見しうる者はいない。……我々の意志と忍耐が試練にかけられ……我々の直面している危機を常に我々に感知させるだろう……一番大きな危険は何もしないことです。……我々が選んだ道は危険に満ちています。……しかしそれは……我々が世界に負っている責任にもっともふさわしい道です……自由の代価は常に高い、だがアメリカは常に支払ってきた。……自由を犠牲にしての平和ではなく世界における平和と自由である。神が許したもうならばこの目標は達成されるであろう。……<ref>『ケネディ大統領演説集』 黒田和雄訳 97-99P</ref>。}} この演説は、合衆国海外情報局 (USIA) を通してスペイン語に訳され、中南米諸国に放送された。 ====ソ連の対応==== ソ連ではケネディの演説の後に、フルシチョフはしばらく猶予が与えられたと考え、ミサイル基地の建設を続けることを決定した。幹部会ではワルシャワ条約機構の兵力に対して低いレベルでの警戒態勢に入るよう命じた。またソ連を出発してまだ日が浅い船舶については引き返すように指示し、キューバに近い船については予定している港でなく一番近い港に全速力で向かうように命じた。この他、国内の[[R-7 (ロケット)|R-7]]やキューバの{{仮リンク|R-12 (ミサイル)|en|R-12 Dvina|label=R-12}}を発射準備に入れ、また[[ハバナ]]市内をはじめキューバ国内の主要地点に対空砲を構えてアメリカ軍の攻撃に備えた。そしてキューバの工業大臣を務めていたチェ・ゲバラは、サンクリストバルのミサイル基地の近くの洞窟に緊急の指令室を作り、そこで現場の指揮を執った。 ====アメリカ軍の動き==== アメリカ国内の軍隊をアメリカ南東部に移動させ、空軍[[戦略航空軍団]]は[[デフコン|警戒レベル]]を引き上げ、180隻の海軍艦艇をカリブ海に展開させて海上封鎖の準備を整えた<ref group="注">ケネディの封鎖声明後、人口600万人のキューバでは武装した戦闘員が40万人動員され、アメリカは25万人の動員で2000機の戦闘機が万が一のため配置についた。ギャレス・ジェンキンス著『ジョン・F・ケネディ フォト・バイオグラフィ』206P</ref>。 アメリカ軍全部隊の警戒態勢は、22日の大統領演説中に[[デフコン|DEFCON(Defence Condition;デフコン)]]3となった。これは最高度の警戒レベルであるDEFCON1と平時のDEFCON5の中間にある警戒レベルである。迎撃機が各地に配置され、すでに空軍戦略航空軍団(SAC)は警戒レベルを上げていた。そして戦略爆撃機のうち8分の1は常時上空に待機する(飛行中)体制となった。万が一ソ連が奇襲しても爆撃機が確実に生き残れるようにするためであった<ref>「キューバ危機」131-132P</ref>。 ====ペンコフスキー逮捕==== なおこの日に、アメリカの諜報員にキューバにおけるミサイル発射サイトの計画案をはじめとする核ミサイルの配備状況を伝え、アメリカの偵察機による核ミサイルの発見に多大な貢献をしていた[[ソ連軍参謀本部情報総局]]の大佐で、ソ連軍参謀本部情報総局長官であった[[イワン・セーロフ]]や陸軍の[[兵科総元帥]]の[[セルゲイ・ヴァレンツォフ]]と友人だった<ref>[[Oleg Gordievsky]] and [[Christopher Andrew (historian)|Christopher Andrew]] (1990). KGB: The Inside Story. Hodder & Stoughton. ISBN 0-340-48561-2; cited from Russian edition of 1999, pages 476-479</ref> オレグ・ペンコフスキーが[[モスクワ市]]内で逮捕された。 ペンコフスキーの逮捕によって、キューバ国内の核ミサイルの配備状況のみならず、[[ニキータ・フルシチョフ]]が当初から妥協を模索していたなどの[[クレムリン]]内の動向がアメリカ側に伝わらなくなってしまったものの<ref>Aleksandr Fursenko and Timothy Naftali, "Khrushchev's Cold War", 2006. ISBN 978-0-393-05809-3</ref>、これまでにアメリカに伝わっていた情報は、アメリカとソ連の間の交渉において大いに役立った。ソ連軍参謀本部情報総局大佐で後に亡命した[[ヴィクトル・スヴォーロフ]]は、「歴史家はGRU大佐オレグ・ペンコフスキーの名前を感謝の念とともに心に留めることになるだろう。彼の計り知れない価値のある情報によってキューバ危機は[[第三次世界大戦|最後の世界大戦]]に発展しなかったのだ」と述べている<ref>Suvorov, Viktor. Soviet Military Intelligence. Grafton Books, London, 1986, p. 155</ref>。 ==海上封鎖== ===10月23日(火)=== [[File:Signing Cuba Quarantine Proclamation. President Kennedy. White House, Oval Office. - NARA - 194218.tif|thumb|大統領執務室で海上封鎖宣言に署名するケネディ(1962年10月23日)]] [[10月23日]]にアメリカの要請を受けて午前に会議を開いた米州機構(OAS)は、キューバのミサイルを取り除くあらゆる措置を認める決議を20対0(棄権3)で採択した<ref group="注">セオドア・ソレンセンの「ケネディの道」によると、ケネディは3分の2の賛成票の獲得にも懸念していたが結局全会一致であったことで、ラスクとマーチン国務次官補の労を心からねぎらったという。</ref>。これで今回の海上封鎖《隔離》という措置の適法性が強められて集団的自衛行動となった。 ====封鎖宣言==== この日エクスコムの会議は午前10時と午後6時に開かれて「キューバへの攻撃用兵器引き渡し差し止め」宣言の内容を討議し、ケネディは[[戦時国際法]]を適用解釈して、キューバ海域近辺の公海上に設定された[[海上封鎖]]線に向けて航行するソ連の貨物船に対して、アメリカ海軍艦艇が[[臨検]]を行うことの命令書に署名した。臨検に従わない貨物船に対しては警告の上で砲撃を行うこと、さらにこれらの貨物船を護衛する潜水艦による攻撃や、アメリカ海軍艦艇や航空機に対する銃撃などの敵対行為を取ってきた場合は即座に撃沈することを併せて指示した。この時に他の議題としてキューバ上空を地対空ミサイル(SAM)の射程圏内となる低空偵察飛行を許可し、もし万一ソ連に撃墜されたらそのミサイル基地を爆撃することも決定した。これは4日後に大きな波乱を呼ぶこととなった。 ====国連==== 国連では安保理特別会合が午後に開かれて、スティーブンソン国連大使はソ連のミサイル配備を非難し、ソ連のゾーリン国連大使はキューバにミサイルがあることを認めずそれ以上の質問の回答は一切拒否した。この時はアメリカ側は証拠となる空中写真をまだ公開していない<ref>「キューバ危機」133P</ref><ref group="注"> 《またケネディはキューバのミサイル基地の写真を国連用および報道・出版用に公開した。》という言説があるが、写真の公開は25日の安保理以降のことである。</ref>。この時にゾーリン国連大使もドブルイニン駐米大使も本国から何も知らされていなかった。国連事務総長代行[[ウ・タント]]<ref group="注">ウ・タントは[[1961年国連チャーター機墜落事故|飛行機の墜落]]で死亡した[[ダグ・ハマーショルド|ハマーショルド]]事務総長の代理として前年1961年11月3日に選出され、ハマーショルドの残りの任期を務めた後、キューバ危機の1ヵ月後の1962年11月30日に正式に第3代国連事務総長に就任した。</ref> は米ソ両国に書簡を送り、自制を求めた。 ====フルシチョフの書簡==== 一方ソ連ではフルシチョフが2通の書簡を送付した。1つはケネディ大統領宛てで「平和への重大な脅威であり、海上封鎖は国際法の重大な違反行為でアメリカは壊滅的結果を招く可能性がある」として激しく非難した。ケネディ宛ての書簡はこれ以降キューバ危機の間に10通以上が届いた。この時代、現在のように米ソ間に[[ホットライン]]はなく首脳同士が直接対話することは出来なかった。このキューバ危機をきっかけに米ソ間でホットラインが設置されて、初めて両国の首脳による電話での会談がいつでも行えるようになった。 このフルシチョフからのケネディ宛ての書簡に対して、ケネディは返書を送り秘密裡にキューバに攻撃用ミサイルを与えたことで海上「隔離」を行ったことを確認して「理性を持って状況を管理不能な状態にしてはならない」と要望した<ref>土田宏、pp181</ref><ref group="注">海上封鎖後最初の首脳同士のやり取りになるケネディの返書は10月25日にフルシチョフに届いている。</ref>。この後に大統領はロバートに秘密裡にドブルイニン大使と会ってソ連の行動は間違っていることを伝えさせた。この時ドブルイニンは「隔離は受け入れられない。封鎖は突破する」とロバートに答えたという<ref>土田宏、pp182</ref>。 もう1つのフルシチョフ書簡はカストロ宛てで「ソ連は引き下がることはない」と確約した。キューバは最高レベルの警戒態勢に入り、東部にラウル・カストロを、西部にチェ・ゲバラを派遣して防衛準備を仕切らせた。そして3日間で30万人以上のキューバ人が武装し最悪の事態に備えた<ref>「キューバ危機」131P</ref>。 著名な哲学者であった[[バートランド・ラッセル]]はケネディに「貴下の行為は無謀で正当化の余地がない」と電報を送り、フルシチョフには「貴下の忍耐こそ我々の希望である」と打電している。 ===10月24日(水)=== [[File:Armed A-1Hs VA-65 on USS Enterprise (CVAN-65) during Cuban Missile Crisis.JPG|thumb|海上封鎖に参加した空母[[エンタープライズ (CVN-65)|エンタープライズ]]]] [[10月24日]]午前にモスクワでは党中央委員会幹部会の承認を受けてフルシチョフはケネディに書簡を寄せ、「世界核戦争のどん底に突き落とす攻撃的行動」で「海賊行為」であり「封鎖を無視する」とした<ref>「キューバ危機」137P</ref>。この日の夜に再びフルシチョフから書簡が届き、封鎖には従わない、必要なあらゆる手段を取ると記してあった<ref>土田宏、pp184</ref>。 ====封鎖開始==== この日午前10時に海上封鎖が開始され、アメリカは陸海軍および海兵隊、[[沿岸警備隊]]などを総動員した体制を取り、航空機、艦船、潜水艦などで海上封鎖線近辺の警備を強化したほか、ソ連の貨物船が海上封鎖を突破しアメリカ軍がこれを撃沈した場合、即座に全面戦争となる可能性もあったことから、[[日本]]や[[西ドイツ]]、[[トルコ]]をはじめとする海外の基地においても総動員体制をかけ、アメリカ軍人のみならず[[ドイツ連邦軍|西ドイツ軍]]なども休暇の兵士を呼び戻した。 この日の朝エクスコムの会議では航空偵察写真の分析結果からR-12、{{仮リンク|R-14 (ミサイル)|en|R-14 Chusovaya|label=R-14}}両方のミサイル基地建設が進んでいることが分かった。封鎖線にソビエトの船舶が近づいており、会議の雰囲気は緊迫したものだった<ref>「キューバ危機」138P</ref>。しかしフルシチョフは実際には慎重であった。これらの船舶は本国からの指示によりアメリカ海軍により通達された海上封鎖線を突破することはせず、海上封鎖線手前でUターンして引き返した。ソ連の貨物船は、もし公海上での臨検を受け入れた場合はアメリカの「恫喝」に屈服する形になるだけでなく、アメリカ側に様々な軍事機密が流れてしまう恐れがあることから臨検を受けることをよしとせず、また海上封鎖を突破し攻撃を受けた場合は即座に報復合戦となり、さらに全面核戦争になる可能性が高いことから、回避行動に出たのである。 アメリカ軍が実際に初めての臨検を行ったのは26日(金曜日)の午前である。 ====ウ・タントの仲介提案==== この日、ウ・タント国連事務総長代行は米ソ両国に、数週間は両国とも対決姿勢を緩める措置をとり、ソ連はキューバへの兵器輸送を一時停止すること、アメリカはキューバへの海上封鎖(隔離)を一時停止することとし、そのうえでミサイル基地建設も停止されればその貢献は大きいとして仲介することを提案した。これに対してフルシチョフは前向きに受け入れたがミサイル基地建設停止は同意しなかった。ケネディはミサイル基地建設を中止するのであれば隔離を停止すると表明した。この国連の仲介の下での予備的交渉には両国も同意した<ref>「キューバ危機」139-140P</ref>。この停止措置の提案は3日後の劇的展開で実質的なものにはならなかったが、フルシチョフにとっては出口での口実を得たことになった。つまり、アメリカの違法な要求ではなく、国連の要請に応じてということで体面を保つ口実であった。 ===10月25日(木)=== ====フルシチョフの模索==== フルシチョフは、事態が深刻化する中で自らの姿勢を見直すようになっていた。ミサイルや他の兵器をキューバに送ってもカストロ体制の防衛強化にならず、逆に今やアメリカから侵攻される危険が大きくなった。ここでアメリカが今後キューバへの侵攻を行わない確約をする代わりにミサイル基地を撤去することを申し出ることを党中央委員会幹部会に提案した。これであれば当初のアナディル作戦の目標は無となるが、少なくともキューバの安全を確保できて、まずまずの成果であると言えるとして、賛成が多く了承されたが、この取引に応じる用意があるとの合図を送るのはしばらく控えることにした<ref>「キューバ危機」141-142P</ref>。 ====国連安保理での米ソ対決==== [[File:Adlai Stevenson shows missiles to UN Security Council with David Parker standing.jpg|thumb|10月25日の安保理で、キューバのミサイル基地を撮影した写真を解説する[[アドレー・スティーブンソン|スティーブンソン]][[アメリカ合衆国国際連合大使|国連大使]](円卓の写真右から2番目)]] [[File:P-2H Neptune over Soviet ship Oct 1962.jpg|thumb|ソ連の貨物船の上空を飛行するアメリカ軍のロッキード[[P-2 ネプチューン]](10月25日)]] [[10月25日]]の緊急国連[[安全保障理事会]]で、[[アドレー・スティーブンソン]][[アメリカ合衆国国際連合大使|国連大使]]がそれまで極秘で公開していなかった航空写真を用いてソ連の[[ワレリアン・ゾリン|ゾーリン]]国連大使と対決し、劇的な効果を収めた<ref group="注">この時の安保理で厳しくソ連大使を追及するスティーブンソン国連大使の姿は後に「アドレー・スティーブンソンの瞬間」という言葉がアメリカ政界の語録に刻まれ、彼が最も脚光を浴びた瞬間でもあった。ギャレス・ジェンキンス著『ジョン・F・ケネディ フォト・バイオグラフィ』215P</ref>。スティーブンソンは、ソ連の代表団にミサイルをキューバに設置しているのか尋ね、ゾーリンが「そんなものは存在しない」と否定した後、それを反証する決定的な写真を見せて以下のやり取りとなった。 スティーブンソン「通訳は必要ないでしょう。イエスかノーでお答え下さい( {{en|Don't wait for the translation, answer 'yes' or 'no'!}} )」 ゾーリン「私はアメリカの法廷に立たされているのではない」 スティーブンソン「あなたは今、世界世論の法廷に立たされているのです」 ゾーリン「そんな検事のような質問をされてもお答えすることはできない」 スティーブンソン「[[地獄]]が凍りつくまで回答をお待ちしますよ( {{en|I am prepared to wait for my answer until Hell freezes over.}} )」 この駆け引きで、ソ連がキューバにミサイルを配備していることを世界中に知らしめることに成功した<ref group="注">この2日前のやり取りでCIAが証拠写真をねつ造したとゾーリン大使は批判していた。このことでのスティーブンソン大使の逆襲であり、2日前に懸命に否認したことが裏目に出た結果であった。「キューバ危機」134P この国連安保理での模様はテレビ映像で世界に流されて、映像記録として残っている。</ref>。 ===10月26日(金)=== ====封鎖線での乗船臨検==== 前日にソ連船のタンカー1隻を停船させたが、何もせず他のタンカーとともに通過させた。東ドイツの客船も何もなく通過させた。そしてこの日の未明にレバノン船籍でパナマ人の船主のソ連がチャーターした貨物船を停船させ、乗船して臨検に及んだ。ケネディは必要になるまでソ連船の航行を妨害させないつもりだったが、アメリカが本気であることを示すためにソ連にチャーターされた中立国の船舶に対して乗船臨検させた。この時は問題なしとして通過を許可した。この間に続々とソ連船が[[Uターン]]しているとの情報が入ってきた<ref group="注">面白いことに、公海上での摩擦を避けるためにソ連船ではなく、あえて他の中立国のソ連チャーター船を選んで停船させていたことになる。見方を変えれば、問題のなさそうな船を止めて臨検し、問題のある船は自主的に戻るようにさせたとも言える。ソ連の立場からいくと、中身を他国に見られることは屈辱であり、選択肢はUターンしか無かったことになる。</ref>。 ====ミサイル基地建設の動き==== 毎朝エクスコム会議の冒頭にCIAからの報告があるが、この日ミサイル基地建設がまだ進んでいるとする情報が入り、中距離ミサイル(MRBM)は週末には実戦に使えるようになる見通しになったとのマコーン長官からの説明に、海上封鎖が効果を発揮していないとしてミサイルをどうするかにエクスコムの議論が戻りつつあった<ref name="土田宏、pp186">土田宏、pp186</ref>。その効果についての疑問の声が増え、25日から26日にかけてケネディと他のメンバーとでソ連への圧力を一歩強化する方策を熟慮検討していたが、軍は空爆か侵攻を主張し、ケネディは猪突猛進に反対していた。大統領は「キューバからミサイルを撤去させるには、侵攻するか、取り引きするしかない」と語っていた。この時、どちらを選択するか、腹の中は決まっていた<ref>「キューバ危機」144P</ref>。 26日正午に国務省報道官が定例の記者会見で今後の行動について不用意に「更なる行動」にコメントしたため憶測を呼んで、空爆か侵攻が迫っているとの情報が流れ、ケネディが激怒する一幕があった。この報道官は大統領執務室に呼ばれ大統領から叱責された。しかし24時間後にケネディはこの報道官の誤りが役に立つ効果を生み出したのかも知れない、と冗談交じりに語ることになった。 ====フルシチョフの書簡==== 10月26日の朝、フルシチョフに、アメリカからの情報として、米空軍戦略航空軍団に史上初めて警戒レベルDEFCON2の防衛準備態勢に入るように命じられたとの報告をKGBから受けた。この時にフルシチョフはもはや待つ余裕はなくなったと腹を決めて、ケネディ宛てに書簡を送ることとした。それはミサイル撤去についての提案であった。 「あなたから10月25日付けの書簡を受け取りました。あなたが事態の進展をある程度理解しており、責任感も備えていると感じました。私はこの点を評価しています。…世界の安全を本当に心配しておられるのであれば私のことを理解してくださるでしょう…私はこれまで2つの戦争に参加しました…至るところ死を広め尽くして初めて戦争は終わるものだということを知っています…ですから政治家としてふさわしい英知をみせようではありませんか…今戦争というロープの結び目を引っ張り合うべきではありません…強く引っ張り合えば結んだ本人さえ解けず…それが何を意味するか申し上げるまでもありません<ref>「キューバ危機」142-143P</ref>」 この書簡は送信に手間取りこの日の夜、ワシントンに届いた。この時まで実務的に米ソ間でミサイル撤去交渉というものがあったことはない。この時代のこの段階ではおよそ無理な話であって、最高指導者の間でのやり取りで決定せざるを得ないものであった。この意味で10月26日から28日までの間のケネディとフルシチョフとの息詰まるやり取りはこの2人の指導者が冷静に相手の真意を探り合うものであった。 10月26日に届いた書簡は、ミサイルをキューバに置いたのはキューバを侵攻から守るためで、もしアメリカがキューバを攻撃・侵攻しないと約束すれば、国連の監視下でミサイルを撤去するという旨の内容であった。この内容の書簡はウ・タント国連事務総長代行にもゾーリン国連大使から届けられている<ref name="土田宏、pp186"/>。 そしてもう一つ非公式なルートでソ連大使館員でKGB担当者でもあるアルクサンドル・ファーミン(フェクリソフ)がABCテレビの特派員であったジョン・スカーリに電話をかけて二人はレストランで会い<ref group="注">テッド・ソレンセン著『ケネディの道』では、ここでフルシチョフの書簡の写しをスカーリに手交したと述べている。ドン・マントン デイヴィッド・A・ウエルチ共著『キューバ危機』では、書簡ではなく言葉での打診を行ったとしている。</ref>、昼食を取りながら、ソ連がミサイルを撤去する代わりに、封鎖を解除して、今後キューバへ侵攻しないとの取り決めを行うことにケネディ政権は関心があるだろうか、と尋ねてケネディ政権の意向を探ってほしいと依頼している。スカーリは国務省にすぐに伝え国務省はすぐにエクスコムに伝えた。そしてこの日の夜7時半ごろに二人は再び会い、スカーリは「政府内の最高首脳レベル」<ref group="注">ラスク国務長官のことで、ラスクはこの話に乗った。もし本物であれば、突破口になると考えたのであった。「政府内の最も信頼できる筋です」とスカーリはファーミン(フェクリソフ)に伝えた。マイケル・ドブス著『核時計零時1分前』294-296P</ref> から承認を受けてアメリカはその提案に関心があると伝えるように言われたとファーミン(フェクリソフ)に伝えた<ref>「キューバ危機」143-144P</ref>。 ====準戦時体制発令==== [[File:U-2F refueling from KC-135Q.jpg|thumb|ボーイング[[KC-135]]から空中給油を受けるロッキード[[U-2 (航空機)|U-2]]]] [[File:Jupiter emplacement.jpg|thumb|発射準備が進められたジュピター]] 26日午後10時にDEFCON2<ref group="注">これまでデフコン2まで警戒態勢が上昇したのはこのときだけである。[[2001年]]の[[アメリカ同時多発テロ事件]]当時でもデフコン2は発令されなかった</ref> となり準戦時体制が敷かれた。ソ連との全面戦争に備えアメリカ国内の[[アトラス (ミサイル)|アトラス]]や[[タイタン (ロケット)|タイタン]]、[[PGM-17 (ミサイル)|ソー]]、[[ジュピター (ミサイル)|ジュピター]]といった[[核弾頭]]搭載の[[弾道ミサイル]]を発射準備態勢に置き、ソ連と隣接する[[アラスカ州]]などのアメリカ国内の基地のみならず、[[日本]]や[[トルコ]]、[[イギリス]]などに駐留するアメリカ軍基地も臨戦態勢に置いた。 また、核爆弾を搭載した[[ボーイング]][[B-52]][[戦略爆撃機]]や[[ポラリス (ミサイル)|ポラリス]]戦略ミサイル原子力潜水艦がソ連国境近くまで進出し、B-52はボーイング[[KC-135]]による空中給油を受けながら24時間体制で[[アラスカ]]や[[北極]]近辺のソ連空域近辺を複数機で飛行し続け、戦争勃発と攻撃開始に備えた。 このDEFCON2の発令を受けて「全面核戦争」の可能性をアメリカ中の[[マスメディア|マスコミ]]が報じたことを受け、アメリカ国民の多くが[[スーパーマーケット]]へ、[[飲料水]]や[[食料]]などを買いに殺到する事態が起きたほか、アメリカや[[イギリス]]では「キューバへのアメリカの介入」を非難する一部左翼団体のデモが行われた。 ===10月27日(土)=== ====暗黒の土曜日==== [[File:USS Charles P. Cecil (DD-835) and a Martin SP-5B Marlin of VP-45 escort the Soviet submarine B-36 during the Cuban Missile Crisis, in October 1962.jpg|thumb|キューバ近海を航行するソ連海軍の潜水艦を監視するアメリカ軍の航空機と艦艇]] [[File:Bundesarchiv Bild 183-A1128-0053-011, Havanna, MS "Völkerfreundschaft", Kuba-Fahrt.jpg|thumb|キューバ近海を航行する[[東ドイツ]]の貨物船の上空を飛行するアメリカ軍の偵察機(10月17日)]] 10月27日は後に「暗黒の土曜日」と呼ばれることになった。10月27日に危機は極限にまで達した。ワシントンD.C.のソ連大使館で、大使館員が書類を焼却する姿が目撃され開戦に備えているとの憶測が飛んだ。そしてキューバの基地建設が進み、海上封鎖の封鎖線にソ連船舶6隻と東側の3隻の船舶が向かっているとの情報が入っていた。 ====フルシチョフの書簡==== この日の朝、モスクワではフルシチョフはにわかに自信を深めつつあった。封鎖宣言から5日過ぎてもアメリカは攻めてこない、ミサイル撤去の条件にキューバを侵攻しない約束以上の譲歩もアメリカは考えているとの感触を得ていた<ref>「キューバ危機」146P</ref>。当時アメリカで著名な評論家であった[[ウォルター・リップマン]]が25日の新聞コラムで《キューバのミサイル》と《トルコのミサイル》とを「体面を保ちつつ」取り引きするのはどうかと論じていたのである。リップマンがケネディ政権の意思を代弁していたのかどうかは明らかではないが、フルシチョフはアメリカの柔軟な対応を示唆するものと感じ取った<ref group="注">ウォルター・リップマンは当時ワシントンポストの有名なコラムニストで、そのコラムは当時の日本の新聞でも紹介されるほどであった。そしてフルシチョフとはこの前年1961年4月11日に黒海沿岸のソチの近くの別荘をリップマンが訪れて8時間共に過ごしながら語り合った仲であった。またケネディに近い存在としてフルシチョフは見ていた。ただしこの時の二人の話題は殆どがベルリン問題であった。この時のフルシチョフ会見記事で後にピューリッツァー賞をリップマンは受賞している。 フレデリック・ケンペ著『ベルリン危機1961』上巻 226-229P</ref>。そして「トルコの米軍基地の清算まで達成できれば我々の勝ちだ」と語った<ref>「キューバ危機」147P</ref>。早速昨日とは著しく内容を異にする書簡を準備し、前日送信に手間取って遅くになったことを考えてモスクワ放送で公表した。 そしてワシントン時間でこの日の午前中に新たなフルシチョフの書簡の内容がラジオを通じてエクスコム会議に入って来た。前日の内容に全く触れずにトルコにあるミサイルの撤去を交換条件として要求してきたのである。これを聞いたワシントンでは前日届いた書簡が柔軟な内容であったのに、朝にラジオで聞いた今回の書簡の内容が強硬であったので戸惑っていた<ref group="注">これを読んだ政権スタッフの中では、実は27日分が先に書かれ、26日分がその後に書かれていたのではないか、と推測する向きもあった。また26日分はあくまでフルシチョフの個人的な書簡であり、27日分はソ連政府が作成したのではないかという見方もあった。</ref>。これは東西対立の厳しい状況の中でヨーロッパでは東欧の共産圏があって、ソ連にとっては東欧が緩衝地帯で直接アメリカの核ミサイルが脅威ではなかった。しかしトルコはソ連と境界を接し、トルコ国内の核ミサイルが直接ソ連領内に向けられているので、この時代のソ連にとってトルコのアメリカ軍のミサイルは脅威であった。 前年の[[ベルリン危機]]でも、アメリカはトルコがソ連の攻撃目標になることを常に念頭に入れなければならない状況であった。ただし1960年代に入ってトルコに配備しているミサイルはすでに旧型であり、アメリカでは原潜などに移動型ミサイルの配備が進み、さらに米ソ間のミサイルの保有数で圧倒的にアメリカが優位であり<ref group="注">皮肉な話だが2年前の大統領選挙で米ソ間でミサイルギャップがあるとケネディは共和党政権を攻撃する材料に使ったが、実際はアメリカの方が圧倒的に優位であった。</ref>、必ずしも核ミサイルの固定基地が絶対必要という時代ではもうなかったが、簡単に撤去を了解するとソ連の圧力に屈したことを印象づけ、他の同盟国との信頼が低下することをケネディは懸念していた。 ====米軍機の撃墜==== そしてこの日の昼頃、キューバ上空を偵察飛行していた[[アメリカ空軍]]のU-2がソ連軍の[[S-75 (ミサイル)|S-75]](SA-2ガイドライン)[[地対空ミサイル]]で撃墜され、操縦していた[[ルドルフ・アンダーソン]]少佐が死亡する事件が起こった。実は23日の会議で、もし偵察飛行中に米軍機が撃墜されるような事態が生じた場合は、SAM(地対空ミサイル)基地に1回だけ報復攻撃を加え、その後も相手が攻撃を加えて来た場合は全面的に叩き潰す方針を決定していた。従ってこれに対する行動はエクスコムのほぼ全員がSAM基地の破壊で一致した。 しかしケネディはこの決定を引き戻し、キューバに対する攻撃は、ベルリンやアメリカの[[ジュピター (ミサイル)|ジュピター・ミサイル]]が配置されている[[トルコ]]に対するソ連の攻撃を誘発しかねないとしてきわめて慎重な姿勢を示し、すぐに反撃ではなく1日待つこととした。しかし参謀本部は一気に態度を硬化して即時空爆を主張、10月30日の時点で大規模空爆を仕掛け、即侵攻部隊を送るべきとの意見が強まった。事態の緊張がさらに進み、危機が制御不能な段階までエスカレートしてしまった時の重大な結末をケネディは恐れていた<ref>「キューバ危機」149P</ref>。 ====アラスカでの領空侵犯==== さらに悪い事件が起こった。アラスカを飛行中であったU-2が飛行中のミスにより、ソ連領空に深く侵入する事態が生じた。ソ連空軍の戦闘機が[[スクランブル]]発進したが幸い発砲はなく、U-2はまもなく針路を取り戻して領空を出た。しかし、ケネディはアメリカが核先制攻撃のための目標を調べているのではないかとフルシチョフに受け取られることを懸念した。結局この事件は余波を招く事はなかったが、後にフルシチョフは戦闘態勢に入っている時に核爆撃機と誤認されかねない危険な事態であった、と述べている。 ====カリブ海での一触即発==== [[File:Soviet b-59 submarine.jpg|thumb|ソ連海軍のB-59潜水艦とその上空を飛ぶアメリカ海軍のヘリコプター]] またソ連海軍の4隻のディーゼル潜水艦<ref>B-4,B-36,B-59,B-130</ref> が1962年10月1日[[ムルマンスク]]を出港し、キューバの[[マリエル]]港へ向かっており、ちょうどキューバ危機の時に、アメリカ海軍が設定した海上封鎖線近くにいた。4隻とも核魚雷を搭載し、もし攻撃を受けたら発射するよう口頭命令を受けていた。 アメリカ海軍はキューバ海域に向かう潜水艦を発見し、これに対してキューバ海域を離れるように警告しても従わない場合、被害のない程度の爆雷を投下して警告することになっていた<ref>[http://nsarchive.gwu.edu/NSAEBB/NSAEBB399/ The Underwater Cuban Missile Crisis: Soviet Submarines and the Risk of Nuclear War] National Security Archive Electronic Briefing Book No. 399 2012年10月24日</ref>。 10月27日昼頃、冷戦終結後になって分かったことだが、[[アメリカ海軍]]は海上封鎖線上で警告を無視してキューバ海域に向かうソ連海軍の[[フォックストロット型潜水艦]][[:en:Soviet submarine B-59|B-59]]に対し、その艦が核兵器([[核魚雷]])を搭載しているかどうかも知らずに、[[爆雷]]を海中に投下した<ref>[http://www2.gwu.edu/~nsarchiv/nsa/cuba_mis_cri/press3.htm The Cuban Missile Crisis, 1962: Press Release, 11 October 2002, 5:00 pm]. [[ジョージ・ワシントン大学|George Washington University]], National Security Archive. October 11, 2002. Retrieved October 26, 2008.</ref>。攻撃を受けた潜水艦では核魚雷の発射が決定されそうだったが、B-59副艦長[[ヴァシーリイ・アルヒーポフ]]<ref group="注">潜水艦小艦隊の指令でもあり、他の艦の副艦長と異なり核魚雷発射の承認権を持っていた。また前年に[[K-19 (原子力潜水艦)|K-19]]の副艦長として同艦の原子炉事故に遭遇している。</ref> の強い反対によって発射を止め、また浮上して交戦の意思がないことを表し、その後海上封鎖線から去ることにより核戦争は回避された。 ====ケネディの書簡作成==== この日午後の会議で「トルコのミサイルで取り引きすれば、キューバのミサイルを片付けられるのに、苦労して血を流してもキューバ侵攻はうまくいかない。もし後世にそう記録されたら戦争をやってよかったとは言えない」とケネディは呟いていた<ref>「キューバ危機」152-154P</ref>。しかし会議ではトルコのミサイル撤去に反対が多く、NATO(北大西洋条約機構)が分裂しかねないと懸念する意見もあった。 そこでこの日に届いた書簡(トルコのミサイル撤去)を敢えて無視し、昨日届いた書簡にのみ回答して、その書簡のフルシチョフ提案(キューバを今後攻撃しない)を受け入れる案が出された。そしてケネディは前日に届いた柔軟な内容のフルシチョフの書簡に対してのみ回答する方針を決め、ロバート・ケネディと大統領顧問[[テッド・ソレンセン]]にその回答の起草を命じた。そしてスティーブンソン国連大使が推敲して、同日午後8時に公表した。 この回答の中身は『3つの条件』 # キューバのミサイル基地建設の中止 # 攻撃型ミサイルの撤去 # 国際連合の査察団受け入れ を提示して、この条件を了解すれば、アメリカは海上封鎖を解き、キューバを攻撃・侵攻しないと確約するものであった<ref name="土田宏、p188">土田宏、p188</ref>。 「私はあなたからの10月26日付けの書簡を大変注意深く読み、この問題への早急な解決を求める熱意が述べられていたことを歓迎します。……書簡で示された線に沿って、解決に向けた取り組みを、この週末に国連事務総長代行の下で作成するように指示しました<ref>「キューバ危機」151-152P</ref>」 ====ドブルイニン大使との折衝==== [[File:AF Dobrynin 02.png|thumb|アナトリー・ドブルイニン]] これが送信された後、ロバート・ケネディは大統領の求めで駐米ソ連大使[[アナトリー・ドブルイニン]]と夜8時頃に密かに会うこととした<ref group="注">ドブルイニンとの協議はあくまで秘密裡であった。およそ当時の緊迫した状況では公式の会談は不可能であり、しかも内容がトルコに設置しているミサイルの撤去についての密約の話であったので秘密を要するものであった。ただし場所はこの時は司法省となっている。『キューバ危機』155P</ref>。このドブルイニン大使との席でロバートは、この返書は大統領個人のものであり、軍部からの強硬な意見を無視した決断であること、米軍機の撃墜と操縦士の死亡は軍部を強く刺激してもはや平和的な解決を図るには時間が無くなったことを強調した<ref name="土田宏、p188"/>。そして懸案のトルコのミサイル撤去について「キューバのミサイル撤去が確認された段階で必ずトルコから撤去する」として、もしこの約束が漏れたら責任は全てソ連側にあり、この提案全てが反故になると強く告げることを忘れなかった<ref>土田宏、p189</ref>。 ====ホワイトハウスの夜==== 10月27日は終日会議に追われた。アメリカ空軍機撃墜で空爆を主張するメンバーが増え、書簡の回答を作り終えて送信した後は、午後8時過ぎにいったん休憩をとり大統領は食事となった。午後9時に再開してしばらくしてから明朝10時に会議を開くことでこの日は終わった。翌日の会議は10月30日に空爆か侵攻を行うかで開かれる予定であった。緊張と疲労がまじった中で、会議に出席した誰もが30日火曜日には戦争が起こると予測していた。マクナマラは後に「あの日見たポトマック川沿いの夕日は美しく、その時この夕日を生きてもう一度眺めることができるのだろうか、と思った」と語っている<ref>『キューバ危機』157P</ref>。 ====カストロの書簡==== 実はこの日の夜、キューバのカストロはフルシチョフに躊躇いが生じているのではないか、と心配し始めていた。米ソ間の取り引きも噂されていて、思い切ってフルシチョフを激励するつもりで書簡を送ることにした。そして駐キューバソ連大使のアレクセイエフを呼んで口述させた書簡をフルシチョフ宛てに送った。この書簡は時差の関係からモスクワの28日朝に着いているが、この書簡がカストロの思いとは全く逆の効果を生じることになった<ref>『キューバ危機』157-158P</ref>。 ==ミサイル撤去== ===10月28日(日)=== [[File:November.jpg|thumb|キューバ港からミサイルを運び出すソ連の貨物船(アメリカ空軍の偵察機が撮影/1962年11月)]] ====モスクワ放送での回答==== この日の朝、モスクワではフルシチョフに悪い情報が入った。前述の米軍偵察機の撃墜があり、ワシントン時間で夕方にケネディ大統領が新たな声明を発表する準備をしているという観測があり、そこへカストロからの書簡が届いた。カストロからはアメリカへの核攻撃を求めていると解釈できる内容でこれはフルシチョフを怒らせた。フルシチョフも事態が制御不能になりつつあることを恐れていた<ref name="「キューバ危機」158P">「キューバ危機」158P</ref>。 モスクワ時間12時に幹部会を招集して、事態が急速に進展する中で、ケネディからの新しい書簡とドブルイニン駐米大使から外務省を通じて指導部に宛てられた報告が届いていた。フルシチョフはこのチャンスを逃すことなくその場で返信を口述した。そしてアメリカにこの返信がすぐに届くように前回と同じくモスクワ放送を通じて早急に読み上げるよう命じた。この声明に関するニュースはまもなく世界に広がった。そしてマリノフスキー国防相はミサイル基地解体をブリーエフ司令官に命じた<ref name="「キューバ危機」158P"/>。 ====ワシントンの朝==== ワシントン時間[[10月28日]]午前9時、[[ニキータ・フルシチョフ]][[首相]]が[[モスクワ放送]]でミサイル撤去の決定を発表し、同時にアメリカでもラジオで放送されて伝わった。フルシチョフはアメリカがキューバに侵攻しないことと引き換えにキューバのミサイルを撤去することに同意したのであった。ソレンセン大統領顧問は自宅で朝のラジオで聞き、夢かと思った。国防総省では前日のケネディ提案が拒否された場合の対応策を協議するために召集されていた。マクナマラは早朝に起きて「侵攻一歩手前の措置」についてリストを作成していた。しかし参謀本部のメンバーはこの放送を疑い、カーチス・ルメイ空軍参謀らは30日に空爆をすべきだとの文書を大統領にあらためて提出した。ジョージ・アンダーソン海軍参謀も不満を露わにして即時侵攻を主張した<ref>土田宏、p190</ref><ref group="注">その後の東西のデタント(緊張緩和)で、二国間のやり取りは、およそ大使か特別代表が直接指導者に伝えることが普通にはなったが、この東西冷戦の時代にはそのようなチャンネルは存在しなかった。このフルシチョフのミサイル撤去の発表が自国のラジオ放送でアメリカに伝わるということは今日では考えられないことであった。</ref>。しかしホワイトハウスは深い安堵感に包まれていた。 ====カストロの怒り==== 他方ハバナではカストロが激怒していた。フルシチョフから何ら事前の通告もなく、彼はこれを降伏とみなした。キューバを攻撃および侵攻しないという約束のもとで自国に搬入したミサイルを撤去する空手形になるかも知れないものであり、キューバの安全保障を取引の材料にされたカストロは我が耳を疑った。この日フルシチョフからのカストロ宛て書簡が届き、自制を求めるとともにアメリカの攻撃が差し迫っていたというカストロの考えを肯定した上でケネディによるキューバ不侵攻の確約は大きな勝利であり、これによりキューバの安全が確保されたという評価を押し通して協議する時間が無かったのだと主張した<ref>「キューバ危機」160-161P</ref>。 この書簡には、トルコのミサイルの撤去とキューバのミサイルの撤去とが取り引きされたことには触れなかった。カストロはその後、ミサイル撤去の際に様々な行動をすることになった。後のフルシチョフの回想によれば、アメリカの度重なる偵察と海上封鎖に興奮したカストロはフルシチョフにアメリカを核攻撃するように迫ったとされ、ソ連の方も、核戦争をも厭わない[[小国]]の若手[[革命家]]と次第に距離を置くようになっていった。 後の歴史学者の間では、当時のソ連第一副首相の[[アナスタス・ミコヤン]]からの強い進言がキューバの核ミサイル撤去をフルシチョフに踏み切らせたと考えられている。 ==その後== ドン・マントンとデイヴィッド・A・ウェルチ共著『キューバ危機』の第5章「その後」の冒頭に「10月28日に世界は安堵したもののキューバ危機はまだ終わっていなかった。…キューバ危機は最初の13日間の物語よりはるかに長く続いた」と述べている。 いずれにしてもフルシチョフはケネディの条件を受け入れ、キューバに建設中だったミサイル基地やミサイルを解体し、早くも11月中には貨物船でソ連に送り返した。ケネディもキューバへの武力侵攻はしないことを約束、その後[[1963年]]4月[[トルコ]]にあるNATO軍の[[ジュピター (ミサイル)|ジュピター・ミサイル]]の撤去を完了した。なおアメリカは[[マクドネル・エアクラフト]][[F-101 (戦闘機)|RF-101]]などの偵察機を、ソ連のミサイル撤去声明の直後より公然とキューバ国内や港湾上空に飛行させ、ミサイルが完全に撤去されたか否かを調査し、ソ連軍もこれらのアメリカ空軍の偵察機を撃墜することをソ連軍の現地司令官やキューバ軍に対し行わないように厳命している。 カストロは協力を拒み、ケネディとフルシチョフの間で合意した国連監視下での兵器撤去の査察を妨げた。彼は査察条件について合意する前に自らと協議しなかったことで憤っていた。10月30日にウ・タント事務総長代行との会談で現地査察についての取り組みを拒絶した<ref>「キューバ危機」164-165P</ref>。フルシチョフはミコヤン第一副首相をハバナに派遣した。ミコヤンがハバナに行く前にカストロはアメリカに、 # [[領空侵犯]]の全面的停止 # [[海上封鎖]]および[[禁輸]]措置の解除 # 体制転覆活動の停止 # [[海賊]]行為の中止 # [[グァンタナモ米軍基地]]の返還 の5項目の要求を出したが、結局アメリカは無視した。 それどころか、ミコヤンが途中[[ニューヨーク]]の[[国際連合本部]]に寄った際に、スティーブンソン国連大使から新たに攻撃的兵器とみなしキューバから撤去を要求するリストを手渡されて、その中に軽爆撃機「イリューシン」(Il-28)も含まれていて、11月4日にフルシチョフは憤りをもって反対する返信を行っている。 そして、ハバナに滞在してカストロの説得に難渋していたミコヤンも「ソ連はアメリカの新たな要求に応じることはない」とカストロに明言していた<ref>「キューバ危機」168-171P</ref>。しかし結局11月20日にフルシチョフが軽爆撃機の撤去に同意し、ケネディはその同意をもって海上封鎖の終了を宣言した。国防総省は軍の警戒態勢を解き、キューバ危機は幕を閉じた。 そしてキューバに対するアメリカの介入も減少し、冷戦体制は[[平和共存]]へと向かっていくことになる([[米ソデタント]])。この事件を教訓とし、首脳同士が直接対話するための[[ホットライン]]が両国間に引かれた。 カストロは、その後ソ連に2回訪問し、フルシチョフと2人で事件について冷静に振り返っている。カストロは一旦は「自らがアメリカを核攻撃をするようにソ連に迫ったことを記憶していない」としたが、フルシチョフは通訳の速記録まで持ってこさせて、カストロに核攻撃に関する自らの過去の発言を認めさせた。 === 冷戦終結後の情報公開 === {{独自研究|section=1|date=2021年1月}} [[冷戦]]終結後にロシアの公開した情報によると、キューバ危機の時点でソ連は既にキューバに核ミサイル([[ワシントンD.C.]]を射程に置く、中距離核弾頭ミサイルR12、R14、上陸軍を叩く戦術短距離核ミサイル「ルナ」)を9月中に42基(核弾頭は150発)配備済みであり、[[グアンタナモ米軍基地]]への核攻撃も準備済みであった。さらに、臨検を受けた時には自爆するよう命じられたミサイル(核弾頭を取り外している)搭載の[[貨物船]]が、封鎖線を目指していたため、アメリカ軍による[[臨検]]は、殆ど効果がなかったことである。 またキューバ軍の兵士の数は、アメリカ側の見積もりの数千人ではなく4万人であった。[[カーチス・ルメイ]]空軍参謀総長を始めとするアメリカ軍は、その危険性に気付かず、「圧倒的な兵力」と思い込んでいた軍事力でソ連を屈服させることが可能であると思っていた。 もしフルシチョフの譲歩がなく、[[カーチス・ルメイ]]の主張通りキューバのミサイル基地を空爆していた場合、残りの数十基の核ミサイルがアメリカ合衆国本土に向けて発射され、[[核戦争]]によって、世界は[[第三次世界大戦]]に突入していた可能性が非常に高い。 == 解決までの経緯 == [[File:Meeting of the Executive Committee of the National Security Council- Cuba Crisis. President Kennedy, Secretary of... - NARA - 194246.tiff|thumb|エクスコムでラスク(中央)やマクナマラ(右)と話すケネディ大統領(左)(1962年10月29日)]] [[Image:LeMay Cuban Missile Crisis.jpg|thumb|ルメイ空軍参謀総長(左から4番目)らと会談するケネディ大統領。この写真はキューバ上空の偵察飛行をした飛行士2名と空中写真を解析した国防省関係者1名を招いてその労をねぎらったもの(日時不明)]] * この危機が起こる前まで相手がいかに不安で脅威を感じていたかをフルシチョフ、ケネディの両人とも全く分かっていなかった。相手がどんな行動に出て、自分の行動がどんな結果を招くのか、しっかり考えてはいなかった。その挙句に二人とも予期していなかった対立に訳も分からず迷い込んでしまったのである。しかし核戦争の底知れない深みを垣間見ることになった二人は見事に回避した。最初は怒りを覚えた二人であったが、それが収まるとそれまで如何に誤解していたかお互いに気づくことになった。そこで相互理解を深めようとしながら事態が制御不能にならないように努めたことは英雄的であった。ケネディは月曜日に封鎖を発表しながら実際に開始したのは水曜日で、臨検は金曜日で、それも慎重な形で行った。実力行使せず、報復のため実力に訴えるしか選択肢がない状況にフルシチョフを追い込むことは一切しなかった。どちらも国内のタカ派を相手にせねばならない状況で取り返しがつかない行動を取らないように注意していた。やがて危機が頂点に達した時に意を決して瀬戸際から退いたのである<ref>「キューバ危機」183-185P</ref>。 * 実際にフルシチョフは「正直なところ、アメリカが戦争を開始しても、当時の我々にはアメリカに然るべき攻撃を加えられるだけの用意はなかった。とすると、我々はヨーロッパで戦争を始めることを余儀なくされただろう。そうなったら無論、第三次世界大戦が始まっていたに違いない」と後に回想している。その一方、フルシチョフとしては、キューバに対するアメリカの干渉を阻止したことで満足したとも考えられているが、実際にはケネディがトルコからの核ミサイルの撤去を行うことを約束したことがフルシチョフを満足させ、土壇場での両国間の合意を決定づけた<ref group="注">なお当時の両国の核戦力は、ソ連の核爆弾保有数300発に対してアメリカは5000発と、ソ連は圧倒的に不利な状況であり、仮に両国の全面戦争という事態になれば、ソ連は核兵器を用いてアメリカにある程度のダメージは与えられたものの、敗北するのは決定的であった。[[第二次世界大戦]]時に[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]を相手に苦戦した経験を持つフルシチョフは、このことをよく理解しており、アメリカの強い軍事力と強い姿勢に屈服せざるをえなかったのが、国際政治の現実であったと考えられている。</ref>。 * ケネディの側近だった[[セオドア・C・ソレンセン]]の著書「ケネディの道」では、キューバ危機の米ソ対決が沈静化したのは、[[ロバート・ケネディ]]司法長官と[[アナトリー・ドブルイニン]]駐米大使が、深夜のワシントン市内の公園で密かに会って話し合った時であったことが記されている。その会談で、実際にどのようなやり取りがなされたかは、具体的には書かれていない<ref group="注">ソレンセンの著書でABCのスカリー記者がロバート・ケネディとドブルイニン大使との仲介をしたという言説は、正確ではなく、また場所も市内の公園ではなく、司法省の執務室で行われたという資料が多い。ソレンセンの著書にも後述のスカリー記者とKGBファーミンとの接触に関する記述があり、いずれも内容には触れていない。</ref>。しかし、その後1970年に発行されたフルシチョフの回顧録の中で、フルシチョフは書いている。ドブルイニンの報告は10月28日の幹部会でケネディ書簡を検討している時に届いていた。そしてロバート・ケネディからの伝言の内容も詳しく書かれていて、トルコのミサイル撤去の件についての意図と背景にある軍部と大統領との確執がフルシチョフにも伝わったことは明らかである。そして「私はケネディはまだ若い大統領で軍部に対する制御力を失う可能性を我々は恐れていた。彼はそれを今、自身で認めたのだ。…合衆国国内で大統領対軍部の緊迫した関係が確かに危機状態に達していることが我々には感じられた」<ref>落合信彦著「2039年の真実」186-187P参照</ref> 。ここからは最後にケネディ書簡で合意できるとの判断で、すぐにモスクワ放送で伝えたことを見ると、ドブルイニンの報告はフルシチョフの判断に大きく影響を与えたと考える方が自然である。 * [[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]]ネットワークの記者{{仮リンク|ジョン・A・スカーリ|en|John A. Scali}}<ref group="注">その後1973年に国連大使となり1975年まで務めた。</ref> の仲介で、ソ連大使館員でKGB担当者でもあるアルクサンドル・ファーミン(フェクリソフ)が、ソ連がミサイルを撤去する代わりに封鎖を解除して今後キューバへ侵攻しないとの取り決めを行うことにケネディ政権は関心があるだろうかと打診した話は、スカーリが「政府内の最高首脳レベル」(ラスク国務長官)から承認を受けてアメリカはその提案に関心があると伝えるように言われたとファーミン(フェクリソフ)に伝えたが、この動きはフルシチョフとの直接的な繋がりはない。 * スカーリは自分が危機解決のための仲介役を務めているつもりだったが、ソ連側は全くそのようには見ていなかったのである。しかもこれがソ連側からの提案で動いたが、ファーミン(フェクリソフ)はアメリカからの提案として本国に電報を送ろうとした。幹部会への送付はドブルイニン大使の許可が必要で、結局大使は許可を与えなかった。この種の交渉にあたる権限が大使に与えられていないことがその理由であった。そして、ドブルイニン大使は別にロバート・ケネディとの折衝があって、その報告をクレムリンに送ったのである<ref>マイケル・ドブス著『核時計零時1分前』296-298P</ref><ref group="注">この翌日の27日の夜にファーミン(フェクリソフ)とスカーリは再び会っている。フルシチョフからのトルコのミサイル撤去を要求した書簡が届いてからで、スカーリはこの時「卑劣な裏切り行為だ」として激怒していた。</ref>。 == 危機の教訓 == マクナマラ国防長官は後に、キューバ危機から二つの教訓を学んだと述べた。1つは「核兵器で武装された国家間の危機管理は本来的に危険かつ困難であり、また不安定である」。2つは「判断の過ち、情報の誤り、誤算のゆえに核武装した大国間の軍事行動の帰結を自信をもって予知することは不可能である」ということであった<ref>秋元英一・菅英輝 共著「アメリカ20世紀史」226-227P</ref>。 キューバ危機はその後において国際政治に及ぼした影響は大きい。第一はソ連が核ミサイルの増強に走ったことで、米ソ間のミサイルギャップを埋めるべく核ミサイルの開発競争に走り、この結果、米ソ間での核軍備競争となり、1980年代に入ってやがてソ連経済の衰退を招いた<ref name="秋元英一・菅英輝 共著「アメリカ20世紀史」227P">秋元英一・菅英輝 共著「アメリカ20世紀史」227P</ref>。 第二は米ソ両国が核戦争を回避するための道を模索し始めたことで、この危機を教訓として、2つの国の政府首脳間を結ぶ緊急連絡用の直通電話[[ホットライン]]がソ連とアメリカ間に初めて設置された。そして翌年8月に部分的核実験禁止条約が締結されて、やがて危機管理の方法の確立から核不拡散などの共通の利害を共有するとの認識に至り、デタントの流れを形成していった<ref name="秋元英一・菅英輝 共著「アメリカ20世紀史」227P"/>。 第三はこの危機から東西両陣営の内部で同盟国の離反を招いたことで、かねてから「[[中ソ対立]]」でソ連と対立していた[[中華人民共和国]]は、ソ連の脅威に対抗するためもありやがて核実験を実施して核保有国となる傍ら、ソ連との緊張関係が1980年代に至るまで続いた。また1960年に核保有国となっていたフランスは、アメリカの同盟国に対する姿勢に不信感を持ち、ドゴール大統領は独自の外交を展開する。キューバ危機後米ソ間は次第に好転していくが、反対に中華人民共和国とフランスは部分的核実験禁止条約に反対して、しばらくの間は東西両陣営から距離を取る方針を進めた。また中ソの緊張関係が続く中で、ベトナム戦争の末期にアメリカと中華人民共和国が急接近するなど、キューバ危機の前後に起きた様々な動きの結果、これまでの米ソ二極支配の構造から多極化の構造へと変化していった<ref>秋元英一・管英輝 共著「アメリカ20世紀史」228P</ref>。 == 危機後の米ソ == ニクソン政権の時代に国家安全保障担当特別補佐官そして国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャーは著書「外交」の中で、「フルシチョフは自ら作り出した絡み合った罠に自らはまり込んでしまった。彼はソ連のハト派をより対立的な路線に引っ張っていくには弱すぎ、タカ派に妥協するには立場に不安があり、時間稼ぎするしか方法はなく、キューバにミサイルを置くという絶望的な賭けに打って出たのである。」として「冷戦の転換点となった。」と述べている<ref>ヘンリー・キッシンジャー 著 「外交」下巻 209-210P</ref>。 キューバ危機は、1963年の米ソ関係の変化につながっていった。核戦争の危機に直面して恐怖を味わったことで、フルシチョフは対米関係の改善を強く求めるようになった。しかし、ソ連内部でフルシチョフの外交上の不手際に対する批判が強まり、1964年10月14日に彼は失脚した。キューバ危機での譲歩がその大きな要因であった<ref>マイケルL・ドックリル マイケルF・ホプキンズ共著「冷戦 1945-1991」120P参照</ref>。 一方、アメリカでは、このキューバ危機で核戦争一歩手前の危機的状況に直面した際にケネディ大統領の一言が政策を決定したとはいえ、国防総省・国務省・軍部の高官および主要閣僚などが政策決定に与えた影響は大きかった。それまではアイゼンハワーもトルーマンも文民・軍人の官僚からは距離を置き、自身で政策を決定した後に各省庁の部下と協議することがほとんどであった。しかしケネディは政策を決定する前に部下のアドバイスに対してより積極的に耳を傾けた。また議会に対してはアイゼンハワーは議会指導者に外交上の進展について周到に情報提供をしていたが、ケネディは逆に議会に対して時々にしか提供せず、議会の役割は前任者に比べて小さいものでしかなかった。ケネディはアメリカ軍最高司令官としての権力に依存して軍事政策を決定したが、この権力は翌1963年11月22日のケネディ暗殺事件後に昇格したジョンソン大統領によってさらに頻繁に使われるようになっていくことになった<ref>マイケルL・ドックリル マイケルF・ホプキンズ共著「冷戦 1945-1991」120-121P参照</ref>。 == その他 == * ケネディは、[[ジョルジュ・クレマンソー|クレマンソー]]の言葉「将軍たちに任せておくには、戦争は重要すぎる」を頭に置いて外交的解決を目指し、過ちや誤解、伝達ミスが予想外の事態を引き起こし、多くの[[国家]]が結果の予測もつかないうちに[[世界大戦]]に突入した[[第一次世界大戦]]への道筋を描いた「八月の砲声」([[バーバラ・タックマン]])を読み、自分が「十月の砲声を演じる気はない」と言っていたという<ref>『挑発が招く惨事 回避を 第1次大戦の教訓(上)』ローレンス・フリードマン 日本経済新聞2014年7月17日朝刊24面「経済教室」</ref><ref group="注">この本の中でケネディの好きな一節は、二人のドイツの政治家が戦争を振り返り「なぜこんなことになったのですか」という問いに「ああ、それが分かっていればな」と答える場面である。マイケル・ドブス著『核時計零時1分前』396P</ref>。 * なぜフルシチョフが、キューバからの弾道ミサイル撤退を受け入れたかについては様々な説がある。一説に拠れば、ケネディが演説に先立って行った教会での"礼拝"を、歴代アメリカ大統領が開戦を告げる前に行ってきた礼拝と勘違いしたフルシチョフがアメリカが遂に開戦を決意したと勘違いしてミサイル撤退を決意したというものである。 しかし、当時は情報機関の間では様々な不確実な情報が飛び交っており、ソ連の{{仮リンク|アレクサンドル・アレクセーエフ (1913年生の外交官)|en|Alexander Alexeyev|label=アレクサンドル・アレクセーエフ}}駐キューバ[[特命全権大使]]の所には「数時間以内にアメリカが武力侵攻するという確実な情報」が届けられ、これを知って激高したカストロは、フルシチョフにアメリカを核攻撃するように迫った。しかし、老練なフルシチョフは、この情報はアメリカの情報機関がソ連の情報機関に意図的に流した[[噂|デマ]]だとして取り合わなかったという。ケネディが教会で礼拝をするという話を聞いて、フルシチョフがあわててミサイル撤退を決意したなどというのは、ゴシップ誌の報道に過ぎない。むしろ敬虔な[[カトリック教会|カトリック教徒]]であるケネディ<ref group="注">カトリック教徒であるアメリカ合衆国の大統領は、ケネディのほかには2021年に就任した[[ジョー・バイデン]]の2人で、非常に少ない。</ref> が、毎週[[日曜日]]に礼拝を行うのは当然の慣習である。 * 後世「世界が最も核戦争の危機に瀕した日」として語られるこの事件も、当時はその詳細が一般にはほとんど知られておらず、また短期間での出来事だったこともあり、米『[[原子力科学者会報]]』(''Bulletin of the Atomic Scientists'') 誌における「[[世界終末時計]]」には反映されていない。むしろこの事件の反動により米ソが[[部分的核実験禁止条約]]を締結した事を受けて、翌[[1963年]]には分針が7分前から12分前に戻されている。 *経済封鎖のため米国内で良質なキューバ製の[[ボンゴ]]や[[コンガ]]などのラテン打楽器が入手困難になった。{{仮リンク|ラテンパーカッション|en|Latin Percussion (company)|label=LP(Latin Percussion / ラテンパーカッション)}}社の設立はキューバからの輸入に頼らずに国内で良質なボンゴやコンガなどのラテン打楽器を製造、流通させるためである(当初はLP社創立者の個人的な目的のため)。 *[[ロシア]]による[[ウクライナ侵攻 (2022年)|ウクライナ侵攻]]の起こった[[2022年]]には、[[アメリカ大統領]]の[[ジョー・バイデン]]が人類が世界最終戦争の危機にさらされるのは1962年のキューバ危機以来だと述べ、「われわれは[[プーチン]]氏にとっての出口を見極めようとしている。彼はどこに出口を見いだすだろうか?」と語り<ref>{{Cite web|和書|title=冷戦以来初の「世界最終核戦争」の危機に 米大統領 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3427691 |website=www.afpbb.com |access-date=2022-10-26 |language=ja}}</ref>、キューバ危機を想起した。 == 主な関係者 == ; <!-- wikipediaのスタイルに従わない独自のフォーマットで、リンク先を見れば掲載されている情報をわざわざここに記述する必要はありません。当該記述は削除しました。 --> ; アメリカ :* [[ジョン・F・ケネディ]] 大統領 :* [[リンドン・ジョンソン]] 副大統領 :* [[ロバート・マクナマラ]] [[アメリカ合衆国国防長官|国防長官]] :* [[ロバート・F・ケネディ]] 司法長官 :* [[ディーン・ラスク]] [[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]] :* [[マクジョージ・バンディ]] 大統領特別補佐官 :* [[セオドア・ソレンセン]] 大統領特別顧問 :* [[マクスウェル・テイラー]] [[統合参謀本部議長]] :* [[ジョン・マコーン]] CIA長官 :* [[アドレー・スティーブンソン]] 国連大使 :* [[ケネス・オドネル]] 大統領特別補佐官 :* [[カーチス・ルメイ]] 空軍参謀総長 : ; ソ連 :* [[ニキータ・フルシチョフ]] [[ソビエト連邦の首相|首相]]兼[[ソビエト連邦共産党書記長|共産党第一書記]] :* [[アンドレイ・グロムイコ]] 外相 :* [[アナトリー・ドブルイニン]] 駐米大使 :* [[ワレリアン・ゾリン]] 国連大使 :* [[ロディオン・マリノフスキー]] 国防相 :* [[オレグ・ペンコフスキー]] - [[ソ連軍参謀本部情報総局]] (GRU) の職員であり、英国と米国のスパイでもあった。 : ; キューバ :* [[フィデル・カストロ]] [[キューバの首相|首相]]兼[[キューバ共産党|共産党第一書記]] :* [[ラウル・カストロ]] 国防相 == キューバ危機を扱った作品 == === 書籍 === * 戯曲『人類危機の十三日間―キューバをめぐるドラマ』ジョン・サマヴィル(著)、中野好夫(訳) 、岩波新書、1975年 === ドキュメンタリー番組 === *『NHK特集 あの時、世界は… 磯村尚徳戦後史の旅 (7) ケネディ対フルシチョフ 核戦争を賭けた対決』[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]、1979年<ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010795 1978(昭和53)年度 プロジェクト方式の定着と現場の活力/あの時・世界は…] - NHKアーカイブス(番組エピソード)</ref> *『[[NHKスペシャル]] キューバ危機・戦慄の記録 十月の悪夢』NHK総合テレビ、1992年 *『[[映像の世紀 バタフライエフェクト]]キューバ危機 世界が最も核戦争に近づいた日』NHK総合テレビ、2022年6月27日 === 映画その他 === * 映画『[[トパーズ (1969年の映画)|トパーズ]]』 * 映画『[[13デイズ]]』 * 映画『[[マチネー/土曜の午後はキッスで始まる]]』 * 映画『[[JFK (映画)|JFK]]』 * 映画『[[X-MEN:ファースト・ジェネレーション]]』 * 映画『[[エルネスト (映画)|エルネスト]]』 * 映画『[[クーリエ:最高機密の運び屋]]』 * アニメ『[[テレビまんが 昭和物語]]』 * ゲーム『[[メタルギアソリッド3]]』 * 小説『[[遙かなる星]]』([[佐藤大輔]]) * 漫画・アニメ『[[彼方のアストラ]]』 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == *[[秋元英一]]・[[菅英輝]]『アメリカ20世紀史』[[東京大学出版会]]、2003年 *[[土田宏]]『ケネディ - 神話と実像』[[中央公論新社]] <[[中公新書]]>、2007年 *マイケルL・ドックリル、マイケル・F・ホプキンズ(訳:[[伊藤裕子]])『冷戦 1945-1991』[[岩波書店]]、2009年 *[[マイケル・ドブス]]([[:en:Michael Dobbs (American author)|Michael Dobbs]])(訳:[[布施由紀子]])『核時計零時1分前―キューバ危機13日間のカウントダウン』[[NHK出版]]、2010年 *ドン・マントン、デイヴィッド・A・ウエルチ(訳:[[田所昌幸]]・[[林晟一]])『キューバ危機 ミラー・イメージングの罠』[[中央公論新社]]、2015年 == 関連項目 == * [[世界終末時計]] * [[部分的核実験禁止条約]] * [[リスキーシフト]] * [[オレグ・ペンコフスキー]] == 外部リンク == {{Commons|Cuban missile crisis}} === 日本語サイト === * [http://www.maedafamily.com/cuba/index.htm Cuban Missile Crisis] === 英語サイト === * [http://www.gwu.edu/~nsarchiv/nsa/cuba_mis_cri/index.htm Declassified Documents, etc.] - Provided by the National Security Archive. * [http://www.whitehousetapes.org/pages/trans_jfk2.htm Transcripts and Audio of ExComm meetings] - Provided by the [http://www.whitehousetapes.org Miller Center's Presidential Recordings Program, University of Virginia]. * [http://www.armscontrol.org/act/2002_11/cubanmissile.asp#mcnamara Forty Years After 13 Days] - Robert S. McNamara. * [http://www.hpol.org/jfk/cuban/ Tapes of debates between JFK and his advisors during the crisis] * [http://www.latinamericanstudies.org/missile.htm Cuban Missile Crisis Reunion, October 2002] * [http://www.russianspaceweb.com/cuban_missile_crisis.html Cuban missile crisis] * [http://www.jfklibrary.org/cmc_exhibit_2002.html The World On the Brink: John F. Kennedy and the Cuban Missile Crisis] * [http://library.thinkquest.org/11046/ 14 Days in October: The Cuban Missile Crisis] - a site geared toward high-school students * [http://www.nuclearfiles.org/menu/key-issues/nuclear-weapons/history/cold-war/cuban-missile-crisis/ Nuclear Files.org] Introduction, timeline and articles regarding the Cuban Missile Crisis * [http://www.documentary-film.net/search/video-listings.php?e=21 Cuba Havana Documentary] Bye Bye Havana is a documentary revealing what Cubans are thinking about today * [http://alsos.wlu.edu/qsearch.aspx?browse=warfare/Cuban+Missile+Crisis Annotated bibliography on the Cuban Missile Crisis from the Alsos Digital Library.] {{チェ・ゲバラ}} {{フィデル・カストロ}} {{normdaten}} {{デフォルトソート:きゆうはきき}} [[Category:キューバ危機|*]] [[Category:冷戦]] [[Category:1962年のキューバ|きき]] [[Category:キューバ社会主義]] [[Category:キューバ革命]] [[Category:アメリカ合衆国・キューバ関係]] [[Category:1962年のアメリカ合衆国]] [[Category:アメリカ合衆国の国際関係 (1945年-1989年)]] [[Category:アメリカ合衆国の原子力史]] [[Category:1962年のソビエト連邦]] [[Category:ソビエト連邦の国際関係]] [[Category:フィデル・カストロ]] [[Category:ラウル・カストロ]] [[Category:ジョン・F・ケネディ]] [[Category:ロバート・マクナマラ]] [[Category:ニキータ・フルシチョフ]] [[Category:1962年の国際関係]] [[Category:1962年の戦闘]] [[Category:核戦争]] [[Category:封鎖]] [[Category:1962年10月]]
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JIS X 0213
JIS X 0213は、JIS X 0208:1997を拡張した日本語用の符号化文字集合を規定する日本産業規格 (JIS) である。規格名称は「7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合」である。 2000年1月20日に制定、2004年2月20日、2012年2月20日に改正された。2000年に制定されたJIS X 0213:2000は通称「JIS2000」と呼ばれている。2004年に改正されたJIS X 0213:2004は通称「JIS2004」と呼ばれている。 JIS X 0208を拡張した規格で、JIS X 0208が規定する6879字の図形文字の集合に対して、日本語の文字コードで運用する必要性の高い4354字が追加され、計1万1233字の図形文字を規定する。JIS X 0208を拡張する点においてJIS X 0212:1990と同目的であるが、JIS X 0212とJIS X 0213との間に互換性はない。JIS X 0212がJIS X 0208にない文字を集めた文字集合であるのに対し、JIS X 0213はJIS X 0208を包含し更に第三・第四水準漢字などを加えた上位集合である。 JIS X 0212(補助漢字)が頻度調査を中心に追加文字を選定し、典拠用例などは諸橋大漢和への参照情報を付加した程度だったのに対し、JIS X 0213ではJIS X 0208:1997 (JIS97) においてJIS X 0208の収載字体の用例・典拠を徹底して調べ上げ、同定したのと同様の手法で一般に使われる字(狭義の字体。以後「字」は狭義の「字体」を指す)でJIS X 0208に収録されていないものを追加した。そのため、JIS X 0212と同じ字が含まれていることもあるが、JIS X 0212では収録されていてもJIS X 0213では包摂規準を使って特に増やさなかった字がある。 拡張にあたっては、JIS X 0208の1997年改正で保留領域とされた部分に字を増やす方針で行われ、非漢字659字、第三水準として1249字、第四水準として2436字を追加した。実装では、JIS X 0208:1997で保留領域とされた部分に非漢字及び第三水準の文字を入れて第一面とし、その後ろに第四水準の文字を第二面として加えた。さらに2004年の改正で、第三水準に10字が追加され、168字の例示字形が変更された。 第二面は第一面と同じく94区94点で構成されているが、そのうち文字の存在する符号領域は1, 3–5, 8, 12–15, 78–94区に限られる。この奇妙な配置はJIS X 0212補助漢字の存在する場所を避けた結果である。これによりEUCエンコードされた文章でJIS X 0212補助漢字を用いたものとJIS X 0213第二面を用いたものの判別が可能である。さらに両方を用いることも原理的には可能である(ただし、その規格は存在しない)。 しかし、JIS X 0208:1997で保留領域とされた部分は、過去のJIS X 0208で自由領域とされ、実装各社によって外字領域として使用されていた部分であり、実態としては既に使われている領域であった。ここに新たに文字を配置した規格案に対し実装各社側より意見があり、最終審査において各種符号化方式が「参考」(規格本体ではない)とされることになった。その一方で、JIS X 0208の空き領域を規定通り未使用としていたUNIX系ソフトウェアでは対応が比較的容易であり、複数の実装が存在する。 JIS X 0213ではJIS X 0208まで用いられていた「区点」に「面」を加え「面区点」となり、「面-区-点」でコード表記を行う。例えば1面3区33点の「A」は「1-3-33」とあらわす。 符号化方式は、ISO/IEC 2022にそった形のみ「規定」としてあり、ISO-2022-JP-2004、Shift_JIS-2004、EUC-JIS-2004は「参考」として記述がある。これらのコード名は今のところIANAが登録していないので、MIME等では "X-" で始まる私用の名称として用いる必要があることになる。 Shift_JIS-2004は、macOSやJava 7などでは既に実装しているが、Windowsでは従来のシフトJIS(コードページ932)と互換性がないことを理由に実装していないため、広く利用することができない。 JIS X 0213制定当時はいくつかの文字に対応するUnicode符号が存在しなかったが、Unicode 3.1およびUnicode 3.2で追加された。ただし、符号化にあたり注意点がある。 なお、Windows Vista以降やmacOSではこれらに対応している。Windows XPではサロゲートペア(代用対)に対応しており、Service Pack 2以上を適用することによってグリフ置換にも対応する。Windows 2000はサロゲートペアに対応しているものの初期設定では無効化されておりレジストリの設定が必要である(Help:特殊文字#古代文字と人工文字参照)。またグリフ置換には未対応である。 アプリケーション側の対応も必要である。Microsoft OfficeのXP以降のバージョンやWindows Vistaに付属するInternet Explorer 7.0、Windows XP以降に付属するメモ帳やワードパッドなどでは対応済みである。 JIS X 0213の第1面13区には、PC-9801から続く機種依存文字とされてきたNEC特殊文字が、一部を除き同じ面区点番号で登録されている。 このため、これまで典型的な機種依存文字として挙げられてきたNEC特殊文字を使った文書がShift_JIS-2004として解釈できるようになった。 JIS X 0213:2004は、JIS X 0213:2000の例示字形を変更している。変更があったのは表1の通りである。 全部で168字あり、おおむね、拡張新字体から、いわゆる康熙字典体型へ変更されている。「叉」や「釜」などは筆押さえを取っている。また、「蟹」(「解」と「虫」を離した)や「祟」(出を小さくした)などのように違いが分かりにくいものもある。 この変更は、国語審議会の答申「表外漢字字体表」に示されている字体に合わせるものである。ただし、文字コード規格とは文字の符号化表現を定めるものであり、例示字形は何ら規範的な役割を持たないことを謳っていながら、こうした変更を行うことに対して批判的な意見が公開レビューなどで寄せられた。 第3水準に追加された10字は表2の通りである。Unicodeで別の符号が与えられていたために追加されたものである。これらは表の下に示した従来の文字に対する異体字である。 上記対応によりほぼ全てのOSにおいてJIS X 0213:2004の字形が標準で使用可能となった。 JIS X 0213:2004では、JIS X 0213:2004で規定されている全ての文字種が含まれていて、各文字がJIS X 0213:2004での包摂基準に従っており、JIS X 0213:2004で規定されているそれぞれの文字の区別がつけることができる(たとえばJIS X 0213:2004での異体字関係となる「神(片仮名の「ネ」の字形に似た示偏)」と「神(漢字の「示」の字形の示偏)」が違う字形となっている)ことが求められているだけであり、例示字形と完全に同一の字形であることが求められているわけではないので、JIS X 0213:2004の包摂基準範囲内で自由に字形を選択してもJIS X 0213:2004に従った字形(たとえば「辻」が二点之繞でなくてもJIS X 0213に従った字形)ということができる。ただし、一般的にJIS X 0213:2004に従った字形のフォントとして発売されているフォントは、二点之繞や食偏なども含めてJIS X 0213:2004の例示字形に沿った字形を選択しているフォントがほとんどである。 2010年(平成22年)11月30日の常用漢字表改定に対応して、引用例の変更、附属書12の追加がなされた。
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JIS X 0213は、JIS X 0208:1997を拡張した日本語用の符号化文字集合を規定する日本産業規格 (JIS) である。規格名称は「7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合」である。 2000年1月20日に制定、2004年2月20日、2012年2月20日に改正された。2000年に制定されたJIS X 0213:2000は通称「JIS2000」と呼ばれている。2004年に改正されたJIS X 0213:2004は通称「JIS2004」と呼ばれている。 JIS X 0208を拡張した規格で、JIS X 0208が規定する6879字の図形文字の集合に対して、日本語の文字コードで運用する必要性の高い4354字が追加され、計1万1233字の図形文字を規定する。JIS X 0208を拡張する点においてJIS X 0212:1990と同目的であるが、JIS X 0212とJIS X 0213との間に互換性はない。JIS X 0212がJIS X 0208にない文字を集めた文字集合であるのに対し、JIS X 0213はJIS X 0208を包含し更に第三・第四水準漢字などを加えた上位集合である。
{{JIS2004}} [[ファイル:Euler diag for jp charsets.svg|lang=ja|300px|サムネイル|右|[[オイラー図]](JIS X 0208、JIS X 0212、JIS X 0213等の漢字集合)]] '''JIS X 0213'''は、[[JIS X 0208]]:1997を拡張した[[日本語]]用の[[符号化文字集合]]を規定する[[日本産業規格]] (JIS) である。規格名称は「'''7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合'''」である<ref name="jisdb"/>。 2000年1月20日に制定、2004年2月20日、2012年2月20日に改正された<ref name="jisdb">{{Cite web|和書|url=https://webdesk.jsa.or.jp/books/W11M0090/index/?bunsyo_id=JIS+X+0213%3A2000 |title=JIS X 0213:2000 7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合 | 日本規格協会 JSA Group Webdesk |accessdate=2021-01-23}}</ref>。2000年に制定されたJIS X 0213:2000は通称「'''JIS2000'''」と呼ばれている。2004年に改正されたJIS X 0213:2004は通称「'''JIS2004'''」と呼ばれている。 JIS X 0208を拡張した規格で、JIS X 0208が規定する6879字の[[図形文字]]の集合に対して、日本語の文字コードで運用する必要性の高い4354字が追加され、計1万1233字の図形文字を規定する。JIS X 0208を拡張する点において[[JIS X 0212]]:1990と同目的であるが、JIS X 0212とJIS X 0213との間に[[互換性]]はない。JIS X 0212がJIS X 0208にない文字を集めた文字集合であるのに対し、JIS X 0213はJIS X 0208を包含し更に第三・第四水準漢字などを加えた[[上位集合]]である。 == 特徴 == [[JIS X 0212]](補助漢字)が頻度調査を中心に追加文字を選定し、典拠用例などは[[大漢和辞典|諸橋大漢和]]への参照情報を付加した程度だったのに対し、JIS X 0213ではJIS X 0208:1997 (JIS97) においてJIS X 0208の収載字体の用例・典拠を徹底して調べ上げ、同定したのと同様の手法で一般に使われる字(狭義の[[字体]]。以後「字」は狭義の「字体」を指す<!--説明になっていないと思う。必要ならば「狭義」などという言葉を使わず具体的な説明を与えてほしい。-->)でJIS X 0208に収録されていないものを追加した。そのため、JIS X 0212と同じ字が含まれていることもあるが、JIS X 0212では収録されていてもJIS X 0213では[[包摂 (文字コード)|包摂]]規準を使って特に増やさなかった字がある。 拡張にあたっては、JIS X 0208の1997年改正で保留領域とされた部分に字を増やす方針で行われ、非漢字659字、第三水準として1249字、第四水準として2436字を追加した。実装では、JIS X 0208:1997で保留領域とされた部分に非漢字及び第三水準の文字を入れて第一[[符号面|面]]とし、その後ろに第四水準の文字を第二面として加えた。さらに2004年の改正で、第三水準に10字が追加され、168字の例示字形が変更された。 第二面は第一面と同じく94区94点で構成されているが、そのうち文字の存在する符号領域は1, 3–5, 8, 12–15, 78–94区に限られる。この奇妙な配置は[[JIS X 0212]]補助漢字の存在する場所を避けた結果である。これにより[[Extended Unix Code|EUC]]エンコードされた文章でJIS X 0212補助漢字を用いたものとJIS X 0213第二面を用いたものの判別が可能である。さらに両方を用いることも原理的には可能である(ただし、その規格は存在しない)。 しかし、JIS X 0208:1997で保留領域とされた部分は、過去のJIS X 0208で自由領域とされ、実装各社によって外字領域として使用されていた部分であり、実態としては既に使われている領域であった。ここに新たに文字を配置した規格案に対し実装各社側より意見があり、最終審査において各種符号化方式が「参考」(規格本体ではない)とされることになった。その一方で、JIS X 0208の空き領域を規定通り未使用としていた[[UNIX]]系ソフトウェアでは対応が比較的容易であり、複数の実装が存在する。 == JIS X 0208に対して追加された文字の概略 == *非漢字 *:{{Main|JIS X 0213非漢字一覧}} **記述記号 - [[逆疑問符]]、[[ダッシュ (記号)|二分ダーシ]]、[[ダブルハイフン]]等 **音声記号類 - [[セディーユ]] 、[[マクロン]]、[[声調記号]]等(合成可能含む) **[[準仮名]]・漢字 - [[踊り字#〱(くの字点)|くの字点]]、[[踊り字#〻(二の字点)|ゆすり点]]、[[枡記号|ます記号]]等 **括弧記号 - [[引用符|ダブルミニュート]]、[[括弧#二重丸括弧⦅⦆|二重括弧]]、[[括弧#ギュメ « »|ギュメ]]等 **学術記号 - [[空集合]]、アレフ、エイチバー([[プランク定数]])等 **単位記号 - [[ユーロ記号]]、[[リットル]]等 **一般記号 - 著作権表示記号、[[スート|トランプ記号]]、[[ビュレット (記号)|ビュレット]]、[[矢印|斜め矢印]]等 **[[ローマ数字]](大文字・小文字) **分数 **拡張[[ラテン文字]] - [[ダイアクリティカルマーク]]付きラテン文字各種 **[[平仮名]] - [[半濁点]]付きのか行([[鼻濁音]])、「[[ヴ]]」「[[ヵ]]」「[[ヶ]]」に対応する平仮名 **[[片仮名]] - 半濁点付きのカ行(鼻濁音)、[[濁点]]付きのワ行、[[アイヌ語仮名|アイヌ語表記用片仮名]] **[[ギリシア文字]] - ファイナル[[シグマ]]([[語末形]]) **[[丸数字|丸付き数字]]、丸付き英小文字、丸付き片仮名 **歯種記号[[左上、左下、右上、右下、正中過剰歯、上顎、下顎、(波付、波なし)]] **国内実装互換 - [[組文字]]の「[[トン]]」、「[[ドル]]」等 **ラテン1 ([[ISO/IEC 8859-1]]) 互換 - [[ソフトハイフン]]、[[上付き文字|上付き数字]]、[[ノーブレークスペース]] *漢字 *:{{Main|JIS X 0213漢字一覧の1面}} *:{{Main|JIS X 0213漢字一覧の2面}} **第3水準漢字(以下の文字を含む) ***JIS X 0208:1983で字体が大きく変更された29文字 ***[[人名用漢字]]許容字体(現在は人名用漢字に統合されている)・[[常用漢字]]表康熙字典体別掲字 <ref>[http://glyphwiki.org/wiki/Group:%E7%AC%AC3%E6%B0%B4%E6%BA%96%E3%81%AB%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E5%B8%B8%E7%94%A8%E3%83%BB%E4%BA%BA%E5%90%8D%E7%94%A8%E6%BC%A2%E5%AD%97 出典: フリーグリフデータベース『グリフウィキ(GlyphWiki)』 グループ:第3水準に存在する常用・人名用漢字]</ref> ***[[地名]] ***[[部首]] **第4水準漢字 ***第3水準以外で頻繁に使用される漢字 == 文字の表記方法 == JIS X 0213ではJIS X 0208まで用いられていた「区点」に「[[面 (文字コード)|面]]」を加え「面区点」となり、「面-区-点」でコード表記を行う。例えば1面3区33点の「A」は「1-3-33」とあらわす。 == 符号化方式 == === JISベースの文字コード === [[文字符号化方式|符号化方式]]は、[[ISO/IEC 2022]]にそった形のみ「規定」としてあり、[[ISO-2022-JP-2004]]、[[Shift_JIS-2004]]、[[EUC-JIS-2004]]は「参考」として記述がある。これらのコード名は今のところ[[Internet Assigned Numbers Authority|IANA]]が登録していないので、[[Multipurpose Internet Mail Extension|MIME]]等では "X-" で始まる私用の名称として用いる必要があることになる。 Shift_JIS-2004は、[[macOS]]や[[Java|Java 7]]などでは既に実装しているが、Windowsでは従来のシフトJIS([[Microsoftコードページ932|コードページ932]])と互換性がないことを理由に実装していないため、広く利用することができない。 === Unicodeとの対応 === JIS X 0213制定当時はいくつかの文字に対応する[[Unicode]]符号が存在しなかったが、Unicode 3.1およびUnicode 3.2で追加された。ただし、符号化にあたり注意点がある。 ==== サロゲートペア ==== *漢字の内[[CJK互換漢字]]領域に追加されたものを除くと[[基本多言語面]] (BMP) 外のCJK統合漢字 拡張B領域に追加されることとなった。該当する文字は初版に302字、2004年追加分に1字の計303字ある。これらを使用する場合は、[[UTF-8]]では4バイト長コードに、[[UTF-16]]では[[Unicode#サロゲートペア|サロゲートペア(代用対)]]に対応する必要がある。[[UTF-32]]に対応している場合はそのまま使用可能である。 **例えば1面14区2点の点の付いた「{{JIS2004フォント|&#x2000B;}}」はU+2000Bに割り当てられた。 ==== 合成文字 ==== *非漢字の内半濁点付き仮名、アクセント付き[[国際音声記号]]で従来のUnicodeに単独の符号としてないもの、[[声調記号|声調の上昇調、下降調を示す記号]]は二つのUnicode符号を組み合わせて表すこととなった。該当する文字は全部で25字ある。これらを[[OpenType]]で使用するには、オペレーティングシステムやアプリケーションが、OpenTypeのグリフ置換機能に対応する必要がある(この場合グリフ置換のうち、複数の隣り合うグリフをある一つのグリフに置換する機能を使用)。 **例えば1面4区87点の[[半濁点]]付き「{{JIS2004フォント|[[か゜|か゚]]}}」は「か」のU+304Bの後に合成用半濁点のU+309Aを付けて表すこととなった。 **1面11区69点の声調記号上昇調および1面11区70点声調記号下降調はU+02E5とU+02E9の組み合わせで表されるが、これはUnicode BookのChapter 7.8に基づくものである。これによると、U+02E5-U+02E9の5つの記号のうち複数が隣り合うと、上下の声調変化を示す記号ができるというものである。 ::{{fontsize|250%|{{JIS2004フォント|&#x02e9;&#x02e5;}}}}(U+02E9 U+02E5)、{{fontsize|250%|{{JIS2004フォント|&#x02e5;&#x02e9;}}}}(U+02E5 U+02E9) ==== CJK互換漢字の正規化 ==== {{See also|CJK互換漢字#日本語処理における問題点}} * JIS X 0213とUnicodeでは[[包摂 (文字コード)|包摂]]規準が異なる。そこで JIS X 0213 での人名用漢字の字形(字体)を区別するために、一部の文字をUnicodeでは[[CJK互換漢字]]として収録している。CJK互換漢字は、[[Unicode正規化]]によりCJK統合漢字に分解(変換)される。この対応として互換漢字用の[[異体字セレクタ]](SVS)を使用して変換前の情報を維持する必要がある。また、CJK統合漢字と{{仮リンク|字形選択子 (Unicodeのブロック)|en|Variation Selectors (Unicode block)|label=字形選択子}}の組み合わせを1文字として処理する必要もある。SVS対応フォントとしては[[IPAフォント#IPAexフォント|IPAexフォント]]、モリサワのAP版書体などがある。 ** 例えば、[[KS X 1001]]由来のCJK互換漢字が誤って入力された場合に、入力エラーとせずUnicode正規化処理で対処する方式(CJK統合漢字のみに変換)を採用すると、CJK互換漢字に収録されている人名用漢字が入力された場合に意図せず変換されてしまう。<ref name="名前なし-1">[https://nixeneko.hatenablog.com/entry/2019/03/16/214654 Twitterで旧字が化ける? CJK互換漢字という罠]</ref><ref>[https://opcdiary.net/i18n-%e4%bb%a4%e3%81%ae%e5%ad%97%e3%81%abunicode%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%83%89%e3%81%8c2%e3%81%a4%e3%81%82%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%97/ I18N: 令の字にUNICODEのコードが2つあったはなし]</ref> ** 例えば、{{Fontsize|200%|&#xFA19;}}(U+FA19)をUnicode正規化すると{{Fontsize|200%|&#x795E;}}(U+795E)となる。これをSVSを使って {{Fontsize|200%|&#x795E;&#xFE00;}}(U+795E U+FE00)とすることで元のCJK互換漢字(の情報、字形)を維持する(SVSの[[数値文字参照]]に対応しない閲覧環境では表示が異なることに注意が必要<ref name="名前なし-1"/>)。 ==== CJK互換漢字のIVS対応 ==== * CJK互換漢字やCJK統合漢字+SVSを使用せず、CJK統合漢字と{{仮リンク|字形選択子補助|en|Variation Selectors Supplement}}の組み合わせ(IVS/IVD対応)により異体字(Unicodeでは包摂されるが、JIS X 0213として別の字体)を表現する場合、JIS X 0213の文字をこの組み合わせに変換する方法(複数あるため1つの方法を選んで変換)と、組み合わせを処理および表現(IVS対応フォントの導入)する必要がある。[[異体字セレクタ#実装]]も参照。 ** 例えば、IVSとして[[Adobe-Japan1]]コレクションを使用すると<span style="font-family:'源ノ明朝','花園明朝 A','Hiragino Mincho ProN','YuMincho','游明朝'">{{Fontsize|200%|&#xFA19;}}</span>(U+FA19)は<span style="font-family:'源ノ明朝','花園明朝 A','Hiragino Mincho ProN','YuMincho','游明朝'">{{Fontsize|200%|&#x795E;&#xE0100;}}</span>(U+795E U+E0100)となる。([[游書体]]、[[ヒラギノ]]、[[花園フォント]]などのIVS対応フォントが必要である) ** 例えば、IVSとして文字情報基盤整備事業のMoji_Johoコレクションを使用すると<span style="font-family:'花園明朝 A',HanaMinA,'IPAmj明朝'">{{Fontsize|200%|&#xFA19;}}</span>(U+FA19)は<span style="font-family:'花園明朝 A',HanaMinA,'IPAmj明朝'">{{Fontsize|200%|&#x795E;&#xE0103;}}</span>(U+795E U+E0103)となる。([[IPAフォント#IPAmj明朝フォント|IPAmj明朝]]、[[花園フォント]]などのIVS対応フォントが必要である) ==== 各OSでの対応状況 ==== なお、[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]]以降や[[macOS]]ではこれらに対応している。[[Microsoft Windows XP|Windows XP]]ではサロゲートペア(代用対)に対応しており、Service Pack 2以上を適用することによってグリフ置換にも対応する。[[Microsoft Windows 2000|Windows 2000]]はサロゲートペアに対応しているものの初期設定では無効化されておりレジストリの設定が必要である([[Help:特殊文字#古代文字と人工文字]]参照)。またグリフ置換には未対応である。 アプリケーション側の対応も必要である。[[Microsoft Office]]のXP以降のバージョンやWindows Vistaに付属する[[Internet Explorer]] 7.0、Windows XP以降に付属するメモ帳やワードパッドなどでは対応済みである。 === ほかの実装方法 === *JIS X 0213が制定されてすぐのころは、UnicodeにはJIS X 0213が実装されていなかったため、[[外字]]領域に文字を定義して使用することが多く行われていた。いくつかの[[フリーソフトウェア|フリー]]フォントではそのような実装が行われている<ref group="※">[新漢字則 (JIS X 0213:2004)] にあるイオが作成した「Windows 9x/NT を JIS X 0213 対応にするパッチ」はそのような実装が行われている例である。</ref>。 *[[日本のデータ放送]]などで使用される[[ARIB STD-B24]]では、[[ARIB外字|ARIBの文字符号化方法]]の文字セットとしてJIS X 0213が使用可能となっている。「JIS互換漢字1面集合」でJIS X 0213:2004の1面、「JIS互換漢字2面集合」でJIS X 0213:2004の2面が使用される。この符号化方式の中には「国際符号化文字集合」を使用する方法があり、通常のUnicodeのマッピングのほか、「BMPセット」としてUnicodeでの「基本多言語面」で全てを表現できるようにJIS X 0213での「[[追加漢字面]]」の文字を「[[基本多言語面]]」の[[外字]]領域にマッピングしなおした文字セットが別に使用可能とされている。 *JAVA 7では通常のShift_JIS-2004形式の実装(x-SJIS_0213)のほかShift_JIS-2004に[[Microsoftコードページ932]]を上書きした符号化方式(x-MS932_0213)に対応している。 == 先行国内実装との互換性 == JIS X 0213の第1面13区には、[[PC-9801]]から続く[[機種依存文字]]とされてきた[[Microsoftコードページ932#NEC_特殊文字・IBM_拡張文字|NEC特殊文字]]が、一部を除き同じ面区点番号で登録されている。 このため、これまで典型的な[[機種依存文字]]として挙げられてきたNEC特殊文字を使った文書がShift_JIS-2004として解釈できるようになった。 == JIS X 0213:2004の改正 == {| class="wikitable" style="line-height:100%;float:right;text-align:center;white-space:nowrap" |+表1: JIS X 0213:2004 により変更された文字 !変更のあった文字 |-style="background:#FFF;speak:spell-out" |{{JIS90フォント|逢芦飴溢茨鰯淫迂厩噂餌襖迦牙廻恢晦{{Bgcolor|#DD0|蟹}}葛鞄釜翰翫徽<br>祇汲灸笈卿饗僅喰櫛屑粂祁隙倦捲牽鍵諺巷梗{{Bgcolor|#DD0|膏}}鵠甑叉<br>榊薩鯖錆鮫餐杓灼酋楯薯藷哨鞘杖蝕訊逗摺撰煎煽穿箭<br>詮噌遡揃遜腿蛸辿樽歎註瀦捗槌鎚辻挺鄭擢溺兎堵屠賭<br>瀞遁謎灘楢禰牌這秤駁箸叛挽誹樋稗逼謬豹廟瀕斧蔽瞥<br>蔑篇娩鞭庖蓬鱒迄儲餅籾爺鑓愈猷漣煉簾榔}}<span style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro','ヒラギノ角ゴ Pro W3','メイリオ',Meiryo,'A-OTF 新ゴ Pro R','AXIS Std R','小塚ゴシック Pro R','IPAexゴシック','Takaoゴシック','IPA Pゴシック','MS Pゴシック','Arial Unicode MS',Komatuna,'VL ゴシック','東風ゴシック','さざなみゴシック','XANO明朝U32','XANO明朝','和田研中丸ゴシック2004ARIB','和田研中丸ゴシック2004P4','和田研細丸ゴシック2004ARIB','和田研細丸ゴシック2004P4'; background-color:#DD0">屢</span>{{JIS90フォント|冤叟咬嘲<br>囀徘扁{{Bgcolor|#DD0|棘}}橙狡{{Bgcolor|#DD0|甕}}甦疼{{Bgcolor|#DD0|祟}}竈筵篝腱艘芒虔蜃蠅訝{{Bgcolor|#DD0|靄}}靱騙鴉}} |- !style="speak:none"|字体の変更前後の比較 |- |style="speak:none"|[[File:JIS X 0213 2000-2004.gif|JIS X 0213の字体の変更前後の比較|370px]] |} === 例示字形の変更 === JIS X 0213:2004は、JIS X 0213:2000の例示字形を変更している。変更があったのは表1の通りである。 全部で168字あり、おおむね、[[拡張新字体]]から、いわゆる[[康熙字典|康熙字典体]]型へ変更されている。「叉」や「釜」などは筆押さえを取っている。また、「蟹」(「解」と「虫」を離した)や「祟」(出を小さくした)などのように{{Bgcolor|#DD0|違いが分かりにくいもの}}もある。 この変更は、[[国語審議会]]の答申「[[表外漢字字体表]]」に示されている字体に合わせるものである。ただし、文字コード規格とは文字の符号化表現を定めるものであり、例示字形は何ら規範的な役割を持たないことを謳っていながら、こうした変更を行うことに対して批判的な意見が公開レビューなどで寄せられた。 {{-}} === 追加された10文字 === {| class="wikitable" style="line-height:150%;float:right;text-align:center;white-space:nowrap;" |+表2: JIS X 0213:2004 で追加された文字 !追加された10文字 |-style="background:#FFF;font-size:200%;" |{{JIS2004フォント|俱剝&#x20B9F;吞噓姸屛幷瘦繫}} |- !従来の文字 |-style="background:#FFF;font-size:200%;" |{{JIS2004フォント|倶剥叱呑嘘妍屏并痩繋}} |} 第3水準に追加された10字は表2の通りである。Unicodeで別の符号が与えられていたために追加されたものである。これらは表の下に示した従来の文字に対する異体字である。 === フォントの対応 === *[[マイクロソフト]]は[[2007年]]に発売した[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]]から、標準搭載フォント<ref group="※">「[[メイリオ]]」、「[[MS ゴシック]]3書体(MS ゴシック、MS Pゴシック、MS UI Gothic)」および「[[MS 明朝]]2書体(MS 明朝、MS P明朝)」がJIS X 0213:2004対応フォントである。</ref>の字形を旧来のJIS X 0208:1990のものから、JIS X 0213:2004のものに変更した。また、旧来の字形を表示できるフォントパッケージも公開された<ref>「[https://web.archive.org/web/20080504112149/http://www.microsoft.com/japan/windows/products/windowsvista/jp_font/default.mspx Microsoft Windows Vista:JIS X 0213:2004 対応と新日本語フォント「メイリオ」について](2008年5月4日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])」を参照。</ref>。 *[[Apple]]も2007年発売の[[Mac OS X v10.5]]において、例示字形の変更に対応した[[ヒラギノ|ヒラギノ N]]フォントを追加している。 *[[情報処理推進機構]]が[[Linux]]などのOSで使用するための[[フリーフォント]]として公開している[[IPAフォント]]もフォントの字形をJIS X 0213:2004のものに変更した<ref group="※">2007年10月に公開したIPAフォントVer.2からJIS X0213:2004に準拠した。詳細は{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20100307052757/http://www.ipa.go.jp/about/press/pdf/100226Press.pdf IPA フォント新シリーズの公開]}}(2010年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])を参照。</ref>。 上記対応によりほぼ全てのOSにおいてJIS X 0213:2004の字形が標準で使用可能となった。 JIS X 0213:2004では、JIS X 0213:2004で規定されている全ての文字種が含まれていて、各文字がJIS X 0213:2004での包摂基準に従っており、JIS X 0213:2004で規定されているそれぞれの文字の区別がつけることができる(たとえばJIS X 0213:2004での異体字関係となる「神(片仮名の「ネ」の字形に似た[[示部|示偏]])」と「{{JIS2004フォント|&#xFA19;}}(漢字の「示」の字形の示偏)」が違う字形となっている)ことが求められているだけであり、例示字形と完全に同一の字形であることが求められているわけではないので、JIS X 0213:2004の包摂基準範囲内で自由に字形を選択してもJIS X 0213:2004に従った字形(たとえば「辻」が二点之繞でなくてもJIS X 0213に従った字形)ということができる。ただし、一般的にJIS X 0213:2004に従った字形のフォントとして発売されているフォントは、二点之繞や食偏なども含めてJIS X 0213:2004の例示字形に沿った字形を選択しているフォントがほとんどである。 <!-- ただし、一部JIS X 0213:2004のコードポイントが割り当てられているにもかかわらず、同じ字形であるがためにUnicodeのコードポイントの全てに対応していないフォントも少なからず存在する。以下にそのケースを挙げる。 *{{Unicode|[[Ð]]}} - U+00F0([[アイスランド語]]、[[フェロー語]]、[[古英語]]) *{{Unicode|[[Đ]]}} - U+0111([[クロアチア語]]、[[サーミ語]]、[[ベトナム語]]) *{{Unicode|[[Ɖ]]}} - U+0256([[エウェ語|エヴェ語]]) 以上の三つは、JIS X 0213:2004対応のフォントを使用しても、その全ての表示が保証されるわけではない<ref>例えば「[[ヒラギノ|ヒラギノ角ゴ ProN W3]]」では、{{Unicode|Ð}} (U+00F0) 以外に対応していない。</ref>。ただし小文字 ({{Unicode|ð, đ, ɖ}}) に関しては、形状が全て異なるため、JIS X 0213:2004対応フォントで全て表示させることが可能。 Ð(1-09-39)の扱いについては規格票を参照した上でフォントの対応を記述すべきかと。 --> == JIS X 0213:2012の改正 == [[2010年]](平成22年)[[11月30日]]の[[常用漢字表]]改定に対応して、引用例の変更、附属書12の追加がなされた<ref name="jisdb" />。 == 注釈 == {{Reflist|group="※"}} == 出典 == {{Reflist}} == 参考文献 == *{{Cite book|和書|year=2000|month=1|title=JIS X 0213:2000 7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合|publisher=日本規格協会|location=東京}}(2000年1月20日制定) *{{Cite journal|和書|author=芝野耕司|authorlink=芝野耕司|year=2000|month=3|title=JIS X 0213(7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合)の制定|journal=標準化ジャーナル|volume=30|issue=3|pages=pp.3-7|publisher=日本規格協会|location=東京}} *{{Cite journal|和書|author=安岡孝一|authorlink=安岡孝一|coauthors=[[安岡素子]]|year=2000|month=3|title=JIS X 0212とJIS X 0213|journal=京都大学大型計算機センター研究セミナー報告|volume=第64回|pages=pp.19-46|publisher=京都大学大型計算機センター|location=京都}}([[2000年]][[3月24日]]) *{{Cite journal|和書|author=安岡孝一|year=2000|month=4|title=JIS X 0213の符号化表現|journal=人文学と情報処理|issue=26|pages=pp.9-17|publisher=勉誠出版|location=東京}} *{{Cite journal|和書|author=芳賀進|authorlink=芳賀進|year=2000|month=4|title=JIS符号化文字集合の現在——非漢字(記号類)について|journal=人文学と情報処理|issue=26|pages=pp.18-22|publisher=勉誠出版|location=東京}} *{{Cite book|和書|author=芝野耕司(編著)|year=2002|month=5|title=増補改訂 JIS漢字字典|publisher=日本規格協会|isbn=4-542-20129-5}} *{{Cite book|和書|year=2004|month=2|title=JIS X 0213:2004 7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合(追補1)|publisher=日本規格協会|location=東京}}([[2004年]][[2月20日]]改正) *{{Cite journal|和書|author=佐藤敬幸|authorlink=佐藤敬幸|year=2004|month=4|title=JIS X 0213(7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合)の改正について|journal=標準化ジャーナル|volume=34|issue=4|pages=pp.8-12|publisher=日本規格協会|location=東京}} *{{Cite journal|和書|year=2004|month=11|title=人名用漢字の文字符号に関する規格検討会報告|journal=標準化ジャーナル|volume=34|issue=11|pages=pp.10-11|publisher=日本規格協会|location=東京}} == 関連項目 == * [[JIS漢字字典]] == 外部リンク == * {{cite jis|X|0213|2012|name=7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合}} *{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20060212053951/http://www.itscj.ipsj.or.jp/ISO-IR/233.pdf JIS X 0213:2004 第1面の文字表とエスケープシーケンス]}} - [[インターネットアーカイブ|ウェイバックマシン]](2006年2月12日アーカイブ分) *{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20030917173629/http://www.itscj.ipsj.or.jp/ISO-IR/229.pdf JIS X 0213:2000 第2面の文字表とエスケープシーケンス]}} - [[インターネットアーカイブ|ウェイバックマシン]](2003年9月17日アーカイブ分) - 2004年改正では2面には変更なし *{{Wayback |url=http://www.meti.go.jp/kohosys/press/0004964/ |title=JIS漢字コード表の改正について(経済産業省プレス) |date=20110515162601}} *[https://internet.watch.impress.co.jp/www/column/ogata/ 小形克宏の「文字の海、ビットの舟」——文字コードが私たちに問いかけるもの] - INTERNET Watch *{{Wayback|url=http://kosekimoji.moj.go.jp/kosekimojidb/jsp/mojidb/people_help.html |title=JIS2004文字コードについての法務省の説明|date=20070612034533}} *[https://www.aozora.gr.jp/newJIS-Kanji/newJIS1.html 新JIS漢字時代の扉を開こう!] *[https://www.asahi-net.or.jp/~wq6k-yn/code/enc-x0213.html JIS X 0213の代表的な符号化方式] *[https://www.asahi-net.or.jp/~sd5a-ucd/freefonts/XANO-mincho/ XANO明朝フォント JIS X 0213:2004 全グリフを収録した無償TrueTypeフォント] *[https://web.archive.org/web/20140727014853/https://www.ipa.go.jp/osc/ipafont IPAフォント(一般利用者向け許諾にあわせJIS X 0213:2004対応)] - [[インターネットアーカイブ|ウェイバックマシン]](2014年7月27日アーカイブ分) {{文字コード}} [[Category:JIS規格番号|X0213]] [[Category:日本語用の文字コード]]
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ISO-2022-JP
ISO-2022-JPは、インターネット上(特に電子メール)などで使われる日本の文字用の文字符号化方式。ISO/IEC 2022のエスケープシーケンスを利用して文字集合を切り替える7ビットのコードであることを特徴とする (アナウンス機能のエスケープシーケンスは省略される)。俗に「JISコード」と呼ばれることもある。 日本語表記への利用が想定されている文字コードであり、日本語の利用されるネットワークにおいて、日本の規格を応用したものである。また文字集合としては、日本語で用いられる漢字、ひらがな、カタカナはもちろん、ラテン文字、ギリシア文字、キリル文字なども含んでおり、学術や産業の分野での利用も考慮したものとなっている。規格名に、ISOの日本語の言語コードであるjaではなく、国・地域名コードのJPが示されているゆえんである。 文字集合としてJIS X 0211のC0集合(制御文字)、JIS X 0201のラテン文字集合、ISO 646の国際基準版図形文字、JIS X 0208の1978年版 (JIS C 6226-1978) と1983年および1990年版が利用できる。JIS X 0201の片仮名文字集合は利用できない。1986年以降、日本の電子メールで用いられてきたJUNETコードを、村井純、Mark CrispinおよびErik van der Poelが1993年にRFC化したもの (RFC 1468)。後にJIS X 0208:1997の附属書2としてJISに規定された。MIMEにおける文字符号化方式の識別用の名前としてIANAに登録されている。 なお、符号化の仕様についてはISO/IEC 2022#ISO-2022-JPも参照。 「ISO-2022-JP」に類似した符号化方式として以下のようなものがある。なお、一部は MIME で用いる文字符号化方式として IANA が登録している。 「JISコード」(または「ISO-2022-JP」)というコード名の規定下では、その仕様通りの使用が求められる。しかし、Windows OS上では、実際にはCP932コード(マイクロソフトによるShift_JISを拡張した亜種。ISO-2022-JP規定外文字が追加されている。)による独自拡張(の文字)を断りなく使うアプリケーションが多い。この例としてInternet ExplorerやOutlook Expressがある。また、EmEditor、秀丸エディタやThunderbirdのようなマイクロソフト以外のWindowsアプリケーションでも同様の場合がある。この場合、ISO-2022-JPの範囲外の文字を使ってしまうと、異なる製品間では未定義不明文字として認識されるか、もしくは文字化けを起こす原因となる。そのため、Windows用の電子メールクライアントであっても独自拡張の文字を使用すると警告を出したり、あえて使えないように制限しているものも存在する。さらにはISO-2022-JPの範囲内であってもCP932は非標準文字(FULLWIDTH TILDE等)を持つので文字化けの原因になり得る。Javaはバージョン6以降で、通常のISO-2022-JP形式の実装のほか、「x-windows-iso2022jp」というコード名でマイクロソフトCP932ベースの拡張ISO-2022-JPに対応している。 また、符号化方式名をISO-2022-JPとしているのに、文字集合としてはJIS X 0212(補助漢字)やJIS X 0201の片仮名文字集合(いわゆる半角カナ)をも符号化している例があるが、ISO-2022-JPではこれらの文字を許容していない。これらの符号化は独自拡張の実装であり、中にはISO/IEC 2022の仕様に準拠すらしていないものもある。従って受信側の電子メールクライアントがこれらの独自拡張に対応していない場合、その文字あるいはその文字を含む行、時にはテキスト全体が文字化けすることがある。
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ISO-2022-JPは、インターネット上(特に電子メール)などで使われる日本の文字用の文字符号化方式。ISO/IEC 2022のエスケープシーケンスを利用して文字集合を切り替える7ビットのコードであることを特徴とする (アナウンス機能のエスケープシーケンスは省略される)。俗に「JISコード」と呼ばれることもある。
{{参照方法|date=2013年1月5日 (土) 18:39 (UTC)}} {{redirect|JISコード|その他の[[JIS]]で定められている[[コード]]|日本産業規格(情報処理)の一覧}} '''ISO-2022-JP'''は、[[インターネット]]上(特に[[電子メール]])などで使われる日本の文字用の[[文字符号化方式]]。[[ISO/IEC 2022]]の[[エスケープシーケンス]]を利用して[[文字集合]]を切り替える7[[ビット]]のコードであることを特徴とする (アナウンス機能のエスケープシーケンスは省略される)。俗に「'''JISコード'''」と呼ばれることもある。 == 概要 == [[日本語]]表記への利用が想定されている[[文字コード]]であり、日本語の利用されるネットワークにおいて、日本の規格を応用したものである。また文字集合としては、日本語で用いられる[[漢字]]、[[ひらがな]]、[[カタカナ]]はもちろん、[[ラテン文字]]、[[ギリシア文字]]、[[キリル文字]]なども含んでおり、[[学術]]や[[産業]]の分野での利用も考慮したものとなっている。規格名に、ISOの日本語の[[ISO 639#言語コード一覧|言語コード]]である<code>ja</code>ではなく、[[国名コード|国・地域名コード]]の<code>JP</code>が示されているゆえんである。 文字集合として[[JIS X 0211]]のC0集合([[制御文字]])、JIS X 0201のラテン文字集合、[[ISO/IEC 646|ISO 646]]の国際基準版[[図形文字]]、[[JIS X 0208]]の[[1978年]]版 (JIS C 6226-1978) と[[1983年]]および[[1990年]]版が利用できる。JIS X 0201の片仮名文字集合は利用できない。[[1986年]]以降、日本の電子メールで用いられてきた[[JUNET]]コードを、[[村井純]]、[[w:Mark Crispin|Mark Crispin]]および[[Erik van der Poel]]が1993年に[[Request for Comments|RFC]]化したもの ({{IETF RFC|1468}})。後にJIS X 0208:1997の附属書2として[[日本産業規格|JIS]]に規定された。[[Multipurpose Internet Mail Extensions|MIME]]における文字符号化方式の識別用の名前として[[Internet Assigned Numbers Authority|IANA]]に登録されている。 なお、符号化の仕様については[[ISO/IEC 2022#ISO-2022-JP]]も参照。 == 類似の符号化方式 == 「ISO-2022-JP」に類似した符号化方式として以下のようなものがある。なお、一部は MIME で用いる文字符号化方式として IANA が登録している。 ;ISO-2022-JP-1 :{{IETF RFC|2237}}。ISO-2022-JPを拡張し、ISO-2022-JPの文字集合に加え、[[JIS X 0212]]を利用できるようにしたもの。 ;ISO-2022-JP-2 :{{IETF RFC|1554}}。ISO-2022-JPを拡張し、ISO-2022-JPの文字集合に加え、JIS X 0212、[[KS X 1001]]、[[GB 2312]]、[[ISO/IEC 8859-1|ISO 8859-1]]、[[ISO/IEC 8859-7|ISO 8859-7]]を利用できるようにしたもの。 ;ISO-2022-JP-3 :[[JIS X 0213]]:2000の附属書2に記述される符号化表現で、ISO-2022-JPの漢字集合をJIS X 0213に変えるなどしたもの。IANA登録簿への登録が提案されたが、{{IETF RFC|2278}}(当時。{{IETF RFC|2978}}により廃止された)の手続きに従っていない(いっぺんに複数の文字コードを登録する手続きは存在しないのに6つ同時に申請されている)などの理由により却下された<ref>{{cite web | url = http://lists.w3.org/Archives/Public/ietf-charsets/2000AprJun/0033.html | author = Harald Tveit Alvestrand | title = Rejection of registration of new Japanese charsets | work = [email protected] Mailing List | date = Fri, 07 Apr 2000 10:41:39 +0200 | accessdate = 2008-02-02}} - ISO-2022-JP-3登録の却下の経緯。</ref>。 ;[[ISO-2022-JP-2004]] :JIS X 0213:2004の附属書2に記述される符号化表現。ISO-2022-JP-3の漢字をJIS X 0213:2004に改めたもの。IANA登録簿への登録はまだされていない。 == ISO-2022-JPと非標準的拡張使用 == 「JISコード」(または「ISO-2022-JP」)というコード名の規定下では、その仕様通りの使用が求められる。しかし、[[Microsoft Windows|Windows OS]]上では、実際には[[Microsoftコードページ932|CP932]]コード([[マイクロソフト]]による[[Shift_JIS]]を拡張した亜種。ISO-2022-JP規定外文字が追加されている。)による独自拡張(の文字)を断りなく使う[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]が多い。<!--実際に使われているものは、ISO-2022-JPの非標準な拡張で、CP932([[マイクロソフト]]による[[Shift_JIS]]の亜種)と同等の[[機種依存文字]]を追加している場合が多い。この拡張を実装した[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]としては-->この例として[[Internet Explorer]]や[[Outlook Express]]がある。また、[[EmEditor]]、[[秀丸エディタ]]や[[Mozilla Thunderbird|Thunderbird]]のようなマイクロソフト以外のWindowsアプリケーションでも同様の場合がある。この場合、ISO-2022-JPの範囲外の文字を使ってしまうと、異なる製品間では未定義不明文字として認識されるか、もしくは[[文字化け]]を起こす原因となる。そのため、Windows用の[[電子メールクライアント]]であっても独自拡張の文字を使用すると警告を出したり、あえて使えないように制限しているものも存在する。さらにはISO-2022-JPの範囲内であってもCP932は非標準文字(FULLWIDTH TILDE等)を持つので[[文字化け]]の原因になり得る。[[Java]]はバージョン6以降で、通常のISO-2022-JP形式の実装のほか、「x-windows-iso2022jp」というコード名でマイクロソフトCP932ベースの拡張ISO-2022-JPに対応している<ref>{{Cite web|和書|url=https://docs.oracle.com/javase/jp/6/technotes/guides/intl/encoding.doc.html|title=サポートされているエンコーディング|publisher=[[サン・マイクロシステムズ]]|accessdate=2017-05-29}}</ref>。 また、符号化方式名をISO-2022-JPとしているのに、文字集合としてはJIS X 0212(補助漢字)や[[JIS X 0201]]の片仮名文字集合(いわゆる[[半角カナ]])をも符号化している例があるが、ISO-2022-JPではこれらの文字を許容していない。これらの符号化は独自拡張の実装であり、中には[[ISO/IEC 2022]]の仕様に準拠すらしていないものもある<ref>{{Cite web|和書 | url = http://www2d.biglobe.ne.jp/~msyk/charcode/jisx0201kana/index.html | title = JIS X 0201 片仮名 | author = 森山将之 | date = 1997年6月3日 | accessdate = 2008-02-02 }}</ref>。従って受信側の[[電子メールクライアント]]がこれらの独自拡張に対応していない場合、その文字あるいはその文字を含む行、時にはテキスト全体が文字化けすることがある。 == 関連項目 == *[[JIS漢字コード]] *[[日本産業規格(情報処理)の一覧]] *[[国際標準化機構が定める国際標準一覧 (ISO 2000 から ISO 2999 まで)]] == 参考資料 == * {{cite journal|title={{IETF RFC|1468}} Japanese Character Encoding for Internet Messages (『インターネットメッセージのための日本語文字符号化』)|author=J. Murai 他|date=1993年6月}} * {{cite journal|title={{IETF RFC|1554}} ISO-2022-JP-2: Multilingual Extension of ISO-2022-JP (『ISO-2022-JP-2: ISO-2022-JPの多言語拡張』)|author=M. Ohta 他|date=1993年12月}} * {{cite journal|title={{IETF RFC|2237}} Japanese Character Encoding for Internet Messages (『インターネットメッセージのための日本語文字符号化』)|author=K. Tamaru 他|date=1997年11月}} * {{cite journal|title=JIS X 0213:2000 『7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合』 (7-bit and 8-bit double byte coded extended Kanji sets for information interchange) 附属書2「ISO-2022-JP-3符号化表現」|author=日本規格協会|date=2000年}} * {{cite journal|title=JIS X 0213:2000/AMENDMENT 1:2004 『7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合 (追補1)』 (7-bit and 8-bit double byte coded extended Kanji sets for information interchange (Amendment 1)) 附属書2「ISO-2022-JP-2004符号化表現」|author=日本規格協会|date=2004年}} <references/> {{文字コード}} {{DEFAULTSORT:あいえすおー-にせんに-しえーひー}} [[Category:ISO標準|ISO-2022-JP]] [[Category:日本語用の文字コード]] [[Category:RFC|1468]]
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エイズ
「エイズ」(Ayds) は「Ayds Reducing Plan Candy」 (Ayds は"aids"と同じ発音である) の商品名でかつて発売されていたダイエットキャンディ(食欲抑制剤)であり、アメリカでは1970年代から80年代の初頭にかけてよく売れていた。オリジナルの製造元はカーレイ・カンパニー(The Carlay Company)である。 「エイズ」のフレーバーには、チョコレート、チョコミント、バタースコッチ、キャラメルなどがあり、後にピーナッツバターも加わった。オリジナルのパッケージには「Ayds Reducing Plan vitamin and mineral Candy」というロゴがタイプされており、後に「appetite suppressant candy」(食欲抑制キャンディ)というロゴに変更された。サプリとしての有効成分はベンゾカインで、おそらく食欲を抑制するために味覚を感じにくくさせるためであるが、後に(ニューヨーク・タイムズが報じたところでは)キャンディの中身はフェニルプロパノールアミンに変更された。 ただし1944年、連邦取引委員会は、この商品を服用すれば「ダイエットもエクササイズもなしで、5日で10ポンド〔約4.5キログラム〕痩せる」とうたったカーレイ・コーポレーションの広告を問題視している。 「エイズ」は、シカゴのカーレイ・カンパニーが発表した商品である。1937年を使用日(first use in commerce)として1946年に商標が登録された。 カーレイ・カンパニーは後にイリノイ州バタヴィアのカンパーナ・コーポレーション(Campana Corporation)の一部門に吸収される。その後、カンパーナは1956年にカンザスシティのアライドラボラトリーズ(Allied Laboratories)を買収し、さらにそのカンパーナがダウ・ケミカルによって買収される。当時の社長であったアーヴィング・ウィラード・クラルは、ダウ・ケミカルの社長も6か月弱つとめ、その間に1960年代のカンパーナのピュレックス(Purex)への売却を実行している。彼は、ピュレックスの副社長もつとめながら再びカンパーナの社長になり、それによりカンパーナは同社のカンパニーとして機能するようになった。そしてクラルは、「エイズ」のプロモーションのために、ボブ・ホープやその妻ドロレス・ホープ、タイロン・パワーのようなハリウッドや社交界の有名人を人脈として利用した。コスモポリタンの1956年11月の記事によると、この頃すでにクラルはダイエットのための「エイズ」服用をプロモートするために有名人やハリウッドのセレブの友人を大量にスカウトしていた。 1981年、ピュレックスは「エイズ」のネーミングに関する権利をジェフリー・マーティン社に譲渡した。ジェフリー・マーティンおよび同社の生産ライン(エイズのほかに睡眠薬なども手掛けていた)はデップ・コーポレーションに買収された。 1980年代半ばに、後天性免疫不全症候群であるAIDSが社会問題になると、この病気が「エイズ」と同じ発音であることや、AIDSが患者に急激な体重減少をもたらす(悪液質)疾患であるという事実もあいまって、ダイエットキャンディ「エイズ」の悪名が高まった。それでもすぐに売り上げに影響がでたわけではなかった。当時商品を販売していた会社の社長による1985年9月のインタビューでは、AIDSとの連想がうまれてから、売り上げはむしろ伸びたと語られている。1986年の初頭には別の役員が「この商品は発売されて45年近くになる。病気のほうの名前を変えたらいいのでは」という発言した記録が残っている。 1988年、すでに「エイズ」に関連する権利がデップ・コーポレーションに譲渡されている時期に、同社の経営陣から、AIDSに関する社会的な意識が高まったことで売上が50パーセントにまで落ちこんでいるため、新たな商品名を検討中であることがアナウンスされている。
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「エイズ」(Ayds) は「Ayds Reducing Plan Candy」 の商品名でかつて発売されていたダイエットキャンディ(食欲抑制剤)であり、アメリカでは1970年代から80年代の初頭にかけてよく売れていた。オリジナルの製造元はカーレイ・カンパニー(The Carlay Company)である。
{{Otheruses|アメリカ合衆国でかつて販売されていたキャンディ「エイズ」(Ayds)|病気のエイズ(AIDS)|後天性免疫不全症候群}} [[ファイル:Ayds_1952_advertisement.jpg|右|サムネイル|290x290ピクセル|[[ヘディ・ラマー]]を採用した広告(1952年)]] '''「エイズ」'''(Ayds) は「Ayds Reducing Plan Candy」 (Ayds は"aids"と同じ発音である) の商品名でかつて発売されていたダイエットキャンディ(食欲抑制剤)であり、アメリカでは1970年代から80年代の初頭にかけてよく売れていた。オリジナルの製造元はカーレイ・カンパニー(The Carlay Company)である。 == フレーバーと成分 == 「エイズ」のフレーバーには、チョコレート、チョコミント、バタースコッチ、キャラメルなどがあり、後にピーナッツバターも加わった。オリジナルのパッケージには「Ayds Reducing Plan vitamin and mineral Candy」というロゴがタイプされており、後に「appetite suppressant candy」(食欲抑制キャンディ)というロゴに変更された。サプリとしての有効成分は[[アミノ安息香酸エチル|ベンゾカイン]]で<ref>{{Cite book |url=https://books.google.com/books?id=1UH76Uw1RHcC&q=ayds+benzocaine&pg=PA234 |page=234 |title=Handbook of Food-drug Interactions |last=Beverly J. McCabe |last2=Jonathan James Wolfe |last3=Eric H. Frankel |publisher=CRC Press |year=2003 |isbn=9780203490242 |access-date=2011-10-13 |archive-date=2023-04-02 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230402204947/https://books.google.com/books?id=1UH76Uw1RHcC&q=ayds+benzocaine&pg=PA234 |url-status=live}}</ref>、おそらく食欲を抑制するために味覚を感じにくくさせるためであるが、後に([[ニューヨーク・タイムズ]]が報じたところでは)キャンディの中身はフェニルプロパノールアミンに変更された<ref>{{Cite news |url=https://www.nytimes.com/1982/02/13/style/a-controversy-over-widely-sold-diet-pills.html |title=A Controversy Over Widely Sold Diet Pills and not the disease |newspaper=New York Times |last=Lindsey Gruson |date=1982-02-13 |access-date=2011-10-13 |archive-date=2010-08-31 |archive-url=https://web.archive.org/web/20100831100805/http://www.nytimes.com/1982/02/13/style/a-controversy-over-widely-sold-diet-pills.html}}</ref>。 ただし1944年、[[連邦取引委員会]]は、この商品を服用すれば「ダイエットもエクササイズもなしで、5日で10ポンド〔約4.5キログラム〕痩せる」とうたったカーレイ・コーポレーションの広告を問題視している<ref>{{Cite web |url=https://www.nutriwatch.org/09Reg/FTC/weight.html |title=FTC: Advertising Cases Involving Weight-Loss Products and Services 1924-1997 |website=www.nutriwatch.org |date=15 May 2000 |access-date=12 August 2019 |archive-date=12 August 2019 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190812073154/https://www.nutriwatch.org/09Reg/FTC/weight.html |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.ftc.gov/reports/annual-report-1945 |title=Annual Report 1945 |date=June 11, 2013 |website=Federal Trade Commission |access-date=August 12, 2019 |archive-date=August 12, 2019 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190812073203/https://www.ftc.gov/reports/annual-report-1945 |url-status=live}}</ref>。{{Squote|カーレイ社(シカゴ)ほか。いわゆるダイエット製品である「エイズ」は、当委員会の調査では、特定のビタミンとミネラルが添加されたキャラメル・キャンディに過ぎなかった。この製品の販売に関連して当該企業には、この製品を服用し当該企業の提供する減量計画に従えば、食事制限をすることなく過剰な体重を除去することができるという表現をもちいた広告の差し止めを命じる。<ref>{{Cite book |author=Federal Trade Commission|title=ANNUAL REPORT OF THE FEDERAL TRADE COMMISSION FOR THE FISCAL YEAR ENDED JUNE 30 1945 |publisher=Federal Trade Commission |year=1945 |pages=39-40}}</ref>}} == 歴史 == 「エイズ」は、シカゴのカーレイ・カンパニーが発表した商品である。1937年を使用日(first use in commerce)として1946年に商標が登録された<ref>USPTO.gov. [http://tarr.uspto.gov/servlet/tarr?regser=serial&entry=71496694 Latest Status Info: AYDS] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20110830131012/http://tarr.uspto.gov/servlet/tarr?regser=serial&entry=71496694|date=2011-08-30}}. Accessed on June 2, 2009.</ref>。 カーレイ・カンパニーは後にイリノイ州バタヴィアのカンパーナ・コーポレーション(Campana Corporation)の一部門に吸収される。その後、カンパーナは1956年に[[カンザスシティ (ミズーリ州)|カンザスシティ]]のアライドラボラトリーズ(Allied Laboratories)を買収し、さらにそのカンパーナが[[ダウ・ケミカル]]によって買収される。当時の社長であったアーヴィング・ウィラード・クラルは、ダウ・ケミカルの社長も6か月弱つとめ、その間に1960年代のカンパーナのピュレックス(Purex)への売却を実行している。彼は、ピュレックスの副社長もつとめながら再びカンパーナの社長になり、それによりカンパーナは同社のカンパニーとして機能するようになった<ref>{{Cite web |url=http://www.bataviahistoricalsociety.org/industry.htm |title=Batavia Industries<!-- Bot generated title --> |access-date=2006-03-04 |archive-url=https://web.archive.org/web/20060206093412/http://www.bataviahistoricalsociety.org/industry.htm |archive-date=2006-02-06 |url-status=dead}}</ref>。そしてクラルは、「エイズ」のプロモーションのために、[[ボブ・ホープ]]やその妻ドロレス・ホープ、[[タイロン・パワー]]のようなハリウッドや社交界の有名人を人脈として利用した。[[コスモポリタン (雑誌)|コスモポリタン]]の1956年11月の記事によると、この頃すでにクラルはダイエットのための「エイズ」服用をプロモートするために有名人やハリウッドのセレブの友人を大量にスカウトしていた。 1981年、ピュレックスは「エイズ」のネーミングに関する権利をジェフリー・マーティン社に譲渡した。ジェフリー・マーティンおよび同社の生産ライン(エイズのほかに睡眠薬なども手掛けていた)はデップ・コーポレーションに買収された<ref>{{Cite web |url=http://www.fundinguniverse.com/company-histories/dep-corporation-history/ |title=Histor of DEP Corporation - FundingUniverse |access-date=2020-04-18 |archive-date=2017-11-27 |archive-url=https://web.archive.org/web/20171127172718/http://www.fundinguniverse.com/company-histories/dep-corporation-history/ |url-status=live}}</ref>。 == AIDSとの関係 == 1980年代半ばに、[[後天性免疫不全症候群]]であるAIDSが社会問題になると、この病気が「エイズ」と同じ発音であることや、AIDSが患者に急激な体重減少をもたらす([[悪液質]])疾患であるという事実もあいまって、ダイエットキャンディ「エイズ」の悪名が高まった<ref>{{Cite web |url=https://www.cbsnews.com/pictures/epic-embarrassing-product-failures/11/ |title=Ayds - Epic, embarrassing product failures - CBS News |access-date=2020-11-29 |archive-date=2020-12-08 |archive-url=https://web.archive.org/web/20201208093530/https://www.cbsnews.com/pictures/epic-embarrassing-product-failures/11/ |url-status=live}}</ref>。それでもすぐに売り上げに影響がでたわけではなかった。当時商品を販売していた会社の社長による1985年9月のインタビューでは、AIDSとの連想がうまれてから、売り上げはむしろ伸びたと語られている<ref>{{Cite news |date=1985-09-23 |title=AIDS has aided Ayds |pages=58 |newspaper=Tampa Bay Times |url=https://www.newspapers.com/clip/59684999/aids-has-aided-ayds/ |access-date=2020-09-21 |archive-date=2021-06-25 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210625101152/https://www.newspapers.com/clip/59684999/aids-has-aided-ayds/}}</ref>。1986年の初頭には別の役員が「この商品は発売されて45年近くになる。病気のほうの名前を変えたらいいのでは」という発言した記録が残っている<ref>{{Cite news |date=1986-02-04 |title=Ayds name won't be suppressed by AIDS |pages=9 |newspaper=The Central New Jersey Home News |url=https://www.newspapers.com/clip/59685233/ayds-name-wont-be-suppressed-by-aids/ |access-date=2020-09-21 |archive-date=2021-06-25 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210625104900/https://www.newspapers.com/clip/59685233/ayds-name-wont-be-suppressed-by-aids/}}</ref>。 1988年、すでに「エイズ」に関連する権利がデップ・コーポレーションに譲渡されている時期に、同社の経営陣から、AIDSに関する社会的な意識が高まったことで売上が50パーセントにまで落ちこんでいるため、新たな商品名を検討中であることがアナウンスされている<ref>{{Cite news |url=https://www.nytimes.com/1988/03/04/business/diet-candy-seeking-name.html |title=Diet Candy Seeking Name |newspaper=The New York Times |date=March 4, 1988 |access-date=February 5, 2017 |archive-date=August 31, 2016 |archive-url=https://web.archive.org/web/20160831063051/http://www.nytimes.com/1988/03/04/business/diet-candy-seeking-name.html}}</ref>。 == 脚注 == <references /> == 外部リンク == * [http://content.time.com/time/magazine/article/0,9171,926056,00.html Time magazine: Ayds, Not AIDS] (June 1983) * [http://www.museumofhoaxes.com/hoax/weblog/comments/3998/ Ayds Weight-Loss Candy, Status: Real &#x2013; Museum of Hoaxes] * [http://www.theimaginaryworld.com/milto01.jpg Photo] [[Category:菓子の商品名]]
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ヒト免疫不全ウイルス
ヒト免疫不全ウイルス(ヒトめんえきふぜんウイルス、英語: human immunodeficiency virus, HIV)は、ヒトの免疫細胞に感染してこれを破壊し、最終的に後天性免疫不全症候群 (AIDS)を発症させるウイルス。1983年に分離された。日本では1985年に感染者が認知された。 本項では主にHIVに関して解説する。HIVが引き起こす感染症に関しては上記「AIDS」の項を参照。 1983年に、パスツール研究所のリュック・モンタニエとフランソワーズ・バレシヌシらによってエイズ患者より発見され「LAV」と命名された。1984年に、アメリカ国立衛生研究所(NIH)のロバート・ギャロらも分離に成功しており、「HTLV-III」と命名した。続いて、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のレヴィらも分離に成功し、「ARV」と命名した。LAV、HTLV-IIIおよびARVは、のちにいずれも同じウイルスであることが明らかとなりHIV-1と改称され、1985年には、モンタニエらが、エイズ患者から新たな原因ウイルスを分離し、「LAV-2」と命名し、LAV-2はその後HIV-2と改称された。 最初の発見者をめぐって、モンタニエとギャロの仏米の研究チームが長年にわたって対立し、1994年に両者がともに最初であるとして決着したが、長期の対立はエイズ治療薬の特許が絡むもので、治療薬の発売を遅らせないための政治的決着であった。2008年10月6日、フランスのモンタニエとバレシヌシの2人がウイルスの発見者として、2008年のノーベル生理学・医学賞を授与された。 カリフォルニア大学バークレー校教授のピーター・デュースバーグ(英語版)などのようにAIDSの原因がHIVであると認めないエイズ否認主義者もいるが、この考え方は科学界で否定されている。 ウイルスの分類上は、エンベロープを持つプラス鎖の一本鎖RNAウイルスであるレトロウイルス科レンチウイルス属に属する。以下の2つが存在する。 霊長類を自然宿主とするサル免疫不全ウイルス(SIV)が、突然変異によってヒトへの感染性を獲得したと考えられている。ウイルスの塩基配列を比較すると、「HIV-1」はチンパンジーから分離されたSIVcpzに近く、「HIV-2」はマカクやマンガベーなどのサルから分離されたウイルスSIVmacやSIVsmmに近い。以上から、SIVに感染したサルからヒトへと感染し、HIVに進化したと考えられている。「HIV-1」と「HIV-2」の基本的な遺伝子の構造はほぼ同じであるが、塩基配列の類似性は低く60%ほどであり、もっとも大きな遺伝子の相違として、「HIV-1」には vpu が、「HIV-2」には vpx がそれぞれに存在し、この相違はSIVcpzとSIVsmmの間にもみられることから、「HIV-1」と「HIV-2」はそれぞれ独立した祖先から、人間に感染する能力を持ったウイルスに進化したものと考えられている。 HIV-1は、塩基配列により以下の4つのグループに分類される。 HIV-2感染は地域性があり、西アフリカ地域に集中的に認められ、ほかの地域での感染は低く、日本でも報告されている感染者はまだ数名である。A - Gの7のサブタイプに分類される。また構造的にNNRTIに耐性である。 成熟したウイルスの形状は球状の粒子であり、直径は約100 nmである。球形の膜に囲まれた中心に、ウイルス遺伝子RNAとGagタンパク質からなる核様体がある。核様体はGagタンパク質のマトリックス(MA)、カプシド(CA)、ヌクレオカプシド(NC)、2本のRNA、プロテアーゼ(PR)、逆転写酵素(RT)、RNaseH(p15)、インテグラーゼ(IN)などのウイルス酵素群からなる、正二十面体の結晶構造をしている。ウイルスの表面はエンベロープタンパク質(Ev)であるgp120およびgp41と、宿主細胞膜由来の膜タンパク質が主成分である。 非常に変異しやすいウイルスであり、ウイルスの表面抗原がそれぞれ違うといえるほど多種多様な型がある。そのため、ワクチンを作成することは困難である。特定の抗原に対して抗体を作ることができるワクチンを作成することに成功したとしても、すぐに変異ウイルスが出現してしまい、臨床で実用することができない。 ウイルス粒子中のRNAはプラス一本鎖のRNAであるため、宿主内ではmRNAの構造となる。RNAは5'末端にキャップ構造を持ち、3'末端にポリAを持つ。RNA全長はおよそ9000塩基対であり、9個の遺伝子と、両端にウイルスの転写およびその制御を行う配列を持つ。ウイルスRNAは逆転写酵素(RT)によって二本鎖DNAに変換され、インテグラーゼによって宿主DNAに組み込みプロウイルスを形成する。 HIVは、まずヘルパーT細胞に侵入し、逆転写酵素を使ってRNAからHIVのDNAを合成してT細胞のDNAに組み込み、潜伏する。しばらくしてヘルパーT細胞が活性化すると、HIVのDNAが発現し新たなHIVが作られる。その際、ヘルパーT細胞の膜がそのまま新たなHIVの膜に使われるため、ヘルパーT細胞は細胞膜が破壊されて死ぬ(これは免疫力の極端な低下の原因でもある)。 HIVは免疫機能の発動に必要なCD4+T細胞というリンパ球などに感染し、比較的長い潜伏期のあとに活性化してCD4+T細胞を破壊してしまう。HIV感染症は大きく分けて、急性感染期、無症候期、AIDS期の3段階に分かれ、無症候期が10年程度続くが、その間にCD4陽性T細胞数は徐々に減少していき、200/μL 以下になると日和見感染症、日和見腫瘍が発生しAIDSとなる。 HIV感染症では様々な神経症状が報告されている。脳炎、脊髄炎、髄膜炎、脳神経麻痺、神経炎などが知られている。稀であるが小脳性運動失調症も報告されている。 HIV感染症関連の顔面神経麻痺はベル麻痺に似ているという研究がある。 HIV感染者のおける小脳性運動失調症は稀であるが報告されている。原因としてはHIV脳症やHIV感染症に伴う二次性脳症が考えられる。HIV脳症はHIV感染による直接的な脳障害とHIV感染細胞が産出するサイトカインなどによる間接的な障害が関与している。HIV脳症にはHAART療法前に発症するものとHAART療法後に発生するものがある。HAART療法後のHIV脳症で小脳の萎縮や小脳と脳幹の萎縮を示した報告がある。 小脳病変を起こす二次性脳症には進行性多巣性白質脳症(PML)、HSV脳炎、EBV脳炎、CMV脳炎、トキソプラズマ症、クリプトコッカス症、結核症、非定型抗酸菌症、悪性リンパ腫などがあげられる。JCV関連疾患としてはPML以外にJCV顆粒細胞神経障害(JC virus granule cell neuronopathy、GCN)というものがありJCVが小脳顆粒細胞に限局して感染し小脳性運動失調症を示す。 エイズの主要感染経路は、「性行為による感染」「(肛門性交による裂傷原因を含む)血液を介しての感染」「母親から乳児への母子感染」の3つである。血液を介しての感染はかつては血液製剤によるものがあったが、麻薬常習者などでの注射針の打ちまわしによるものが確認されている。件数自体は男女の性交渉での感染割合が多いが、異性愛者の人数が圧倒的に同性愛者・両性愛者数よりも多いからである。男性同性愛者の間だけで感染が止まらない背景には、両性愛者の男性が女性との性行為で移すことが異性愛者の男性に移す通り道になっている。厚生労働省の調査では、男性の場合、男性との性的経験を持たない男性と比較すると、同性愛者や両性愛者で感染している人の割合が高く、HIVで約140倍、エイズで約50倍である。実際にアフリカ全体の調査でも、国ごとの感染率はさまざまだったが、研究されていた国々の大半で、異性愛者よりも同性愛者の男性の感染率が著しく高く、西アフリカの一部の地域では、男性同性愛者の感染率が10倍高かった。両者とも関係を持ったすべての異性が、異性間性交しかしていない場合、エイズ感染の可能性は生まれた際の「母親から乳児への母子感染」によるものであることが多い。ただしすべての性行為相手の全員が、アナルセックスなど出血を伴いやすい性行為をしていないかを確認することは不可能であり、異性間しか性行為しない男性/女性であっても、感染の注意が必要ではある。 同ウイルスの研究や治療、その感染の対策は現在も続けられている。 2019年5月3日、同ウイルスを抑制する抗レトロウイルス療法(ART)により、コンドームを使用しない性交渉でもウイルスが「感染不可能」になることを示した研究結果が英医学誌のランセットに発表されている。研究論文の共同執筆者であるユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンのアリソン・ロジャーは「われわれの研究結果は、抑制的ARTにより男性同性愛者のHIV感染の危険がゼロになるとの決定的証拠だ」と指摘している。 一方で同大学の研究チームはこれにおいていくつかの制約についても指摘しており、その一つとして研究の対象となったHIV陰性の男性の平均年齢が38歳であることを挙げている。また、ARTを受けている人は生涯にわたりほぼ毎日の投薬が必要で、さまざまな理由で治療が中断されがちであるとの問題点も出ている。 2017年12月末、病院の採用面接で人事側にHIVに感染している事実を告げずにソーシャルワーカーの内定を得た社会福祉士の男性が、過去に同病院で受診した診療録にHIV感染の記録があったことから、病院は内定を取り消した。感染の有無を面接で告げる必要がないのに、不法に就職内定を取り消されたとし、また、本来の目的を超えてカルテが使われプライバシーが侵害されたとして、男性は病院を運営する社会福祉法人に対し、慰謝料の支払いを求めた損害賠償請求訴訟を起こした。 2019年9月17日に札幌地方裁判所で判決があり、男性側の主張を全面的に認め「HIVが日常生活によって感染するのは、きわめて例外的だ」と指摘、社会福祉法人に165万円の賠償を命じた。裁判長は、採用の際応募者にHIV感染を確認することは「特段の事情がない限り許されない」とも述べた。
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ヒト免疫不全ウイルスは、ヒトの免疫細胞に感染してこれを破壊し、最終的に後天性免疫不全症候群 (AIDS)を発症させるウイルス。1983年に分離された。日本では1985年に感染者が認知された。 本項では主にHIVに関して解説する。HIVが引き起こす感染症に関しては上記「AIDS」の項を参照。
{{出典の明記|date=2015年1月}} {{生物分類表 | 色 = violet | 名称 = ヒト免疫不全ウイルス | 画像 = [[ファイル:HIV-budding.jpg|200px]] | 画像キャプション = [[リンパ球]]に結合するHIV-1 | レルム = [[リボウィリア]] ''[[:en:Riboviria|Riboviria]]'' | 界 = [[パラルナウイルス界]] ''[[:en:Pararnavirae|Pararnavirae]]'' | 門 = [[アルトウェルウイルス門]] ''[[:en:Artverviricota|Artverviricota]]'' | 綱 = [[レウトラウイルス綱]] ''[[:en:Revtraviricetes|Revtraviricetes]]'' | 目 = [[オルテルウイルス目]] ''[[:en:Ortervirales|Ortervirales]]'' | 科 = [[レトロウイルス科]]<br />''[[:en:Retroviridae|Retroviridae]]'' | 属 = [[レンチウイルス属]]<br />''[[:en:Lentivirus|Lentivirus]]'' | 和名 = | 英名 = | 下位分類名 = 種 | 下位分類 = * '''''HIV-1''''' * '''''HIV-2''''' }} '''ヒト免疫不全ウイルス'''(ヒトめんえきふぜんウイルス、{{lang-en|human immunodeficiency virus}}, '''HIV''')は、ヒトの免疫細胞に感染してこれを破壊し、最終的に[[後天性免疫不全症候群|後天性免疫不全症候群 (AIDS)]]を発症させる[[ウイルス]]。1983年に分離された。[[日本]]では[[1985年]]に感染者が認知された<ref>{{Cite web|和書|url=https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171227-00097206-playboyz-soci |title=知られざるHIV治療の最前線と日本の課題 - 感染に気付いていない人が5千人以上!? |archiveurl=https://web.archive.org/web/20171227122006/https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171227-00097206-playboyz-soci |archivedate=2017-12-27 |deadlinkdate=2018年8月}}</ref>。 本項では主にHIVに関して解説する。HIVが引き起こす感染症に関しては上記「AIDS」の項を参照。 == 歴史 == 1983年に、[[パスツール研究所]]の[[リュック・モンタニエ]]と[[フランソワーズ・バレシヌシ]]らによって[[エイズ]]患者より発見され「LAV」<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|lymphadenopathy-associated virus}}</ref>と命名された。1984年に、[[アメリカ国立衛生研究所]](NIH)の[[ロバート・ギャロ]]らも分離に成功しており、「[[ヒトTリンパ好性ウイルス|HTLV]]-III」<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|human T-lymphotropic virus type III}}</ref>と命名した。続いて、[[カリフォルニア大学サンフランシスコ校]]のレヴィらも分離に成功し、「ARV」<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|AIDS-associated retrovirus}}</ref>と命名した。LAV、HTLV-IIIおよびARVは、のちにいずれも同じウイルスであることが明らかとなり'''HIV-1'''と改称され、[[1985年]]には、モンタニエらが、エイズ患者から新たな原因ウイルスを分離し、「LAV-2」<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|lymphadenopathy-associated virus-2}}</ref>と命名し、LAV-2はその後'''HIV-2'''と改称された。 最初の発見者をめぐって、モンタニエとギャロの仏米の研究チームが長年にわたって対立し、1994年に両者がともに最初であるとして決着したが、長期の対立はエイズ治療薬の[[特許]]が絡むもので、治療薬の発売を遅らせないための政治的決着であった。2008年10月6日、フランスのモンタニエとバレシヌシの2人がウイルスの発見者として、2008年の[[ノーベル生理学・医学賞]]を授与された。 [[カリフォルニア大学バークレー校]]教授の{{仮リンク|ピーター・デュースバーグ|en|Peter Duesberg}}などのようにAIDSの原因がHIVであると認めない[[エイズ否認主義]]者もいるが、この考え方は科学界で否定されている<ref>Cohen, J (1994). "The Duesberg phenomenon". Science 266 (5191): 1642–4.</ref>。 == 起源 == [[Image:HIV Mature and Immature.PNG|thumb|200px|right|ヒト免疫不全ウイルス(模式図)上段:細胞から出芽直後の未成熟 (immature) なウイルス粒子。 下段:出芽後に成熟 (mature) したウイルス粒子。]] [[ウイルスの分類]]上は、[[エンベロープ (ウイルス)|エンベロープ]]を持つプラス鎖の一本鎖[[RNAウイルス]]である[[レトロウイルス科]][[レンチウイルス属]]に属する。以下の2つが存在する。 *'''HIV-1'''<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|human immunodeficiency Virus type1}}</ref> *'''HIV-2'''<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|human immunodeficiency Virus type2}}</ref> [[霊長類]]を[[レゼルボア|自然宿主]]とする[[サル免疫不全ウイルス]](SIV<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|simian immuno-deficiency virus}}</ref>)が、[[突然変異]]によってヒトへの感染性を獲得したと考えられている。ウイルスの塩基配列を比較すると、「HIV-1」は[[チンパンジー]]から分離された[[SIVcpz]]に近く、「HIV-2」は[[マカク]]や[[マンガベー]]などの[[サル]]から分離されたウイルス[[SIVmac]]や[[SIVsmm]]に近い。以上から、[[サル免疫不全ウイルス|SIV]]に感染したサルからヒトへと感染し、HIVに進化したと考えられている。「HIV-1」と「HIV-2」の基本的な遺伝子の構造はほぼ同じであるが、塩基配列の類似性は低く60%ほどであり、もっとも大きな遺伝子の相違として、「HIV-1」には vpu が、「HIV-2」には vpx がそれぞれに存在し、この相違は[[SIVcpz]]と[[SIVsmm]]の間にもみられることから、「HIV-1」と「HIV-2」はそれぞれ独立した祖先から、人間に感染する能力を持ったウイルスに進化したものと考えられている。 == 種類 == === HIV-1 === HIV-1は、塩基配列により以下の4つのグループに分類される。 ;Group M (Major) :世界的に分布しているウイルスの多くがグループMに属し、A、B、C、D、E(のちに組換え体であるCRF01_AEであることが判明。純粋なEは未発見)、F、G、H、J、Kの10のサブタイプ (CRF: circulating recombinant form) が存在し、15種類が確認されている。日本での感染者の主なサブタイプは、サブタイプBとCRF01_AEであり、サブタイプBがおよそ75%、CRF01_AEが20%、残りがその他のサブタイプとなっている。 ;Group O (Outlier) :西アフリカや中央アフリカで主に認められる。 ;Group N (non-M/non-O) :[[1998年]]に[[カメルーン]]での感染者に発見された。 ;Group P (pending) :[[2009年]]、フランス在住のカメルーン人女性に、[[ゴリラ]]由来のHIV-1とみられる新種が発見された。 === HIV-2 === HIV-2感染は地域性があり、西アフリカ地域に集中的に認められ、ほかの地域での感染は低く、日本でも報告されている感染者はまだ数名である。A - Gの7のサブタイプに分類される。また構造的にNNRTIに耐性である。 == 構造 == [[File:HIV-1CPE.jpg|thumb|200px|right|HIV-1に感染し[[細胞変性効果]] (cytopathic effect; CPE) によって多核巨細胞化したT細胞(矢印)]] 成熟したウイルスの形状は球状の粒子であり、直径は約100 [[ナノメートル|nm]]である。球形の膜に囲まれた中心に、ウイルス遺伝子RNAとGagタンパク質からなる核様体がある。核様体はGagタンパク質のマトリックス(MA)、カプシド(CA)、ヌクレオカプシド(NC)、2本のRNA、[[プロテアーゼ]](PR)、[[逆転写酵素]](RT)、[[RNaseH]](p15)、[[インテグラーゼ]](IN)などのウイルス酵素群からなる、正二十面体の結晶構造をしている。ウイルスの表面は[[エンベロープ (ウイルス)|エンベロープ]]タンパク質(Ev)であるgp120およびgp41と、宿主細胞膜由来の膜タンパク質が主成分である。 非常に[[変異]]しやすいウイルスであり、ウイルスの表面抗原がそれぞれ違うといえるほど多種多様な型がある。そのため、[[ワクチン]]を作成することは困難である。特定の抗原に対して抗体を作ることができる[[ワクチン]]を作成することに成功したとしても、すぐに変異ウイルスが出現してしまい、臨床で実用することができない。 == 遺伝子 == [[File:HIV-genome.png|thumb|upright=2.05|HIV-1のRNAゲノム構造]] ウイルス粒子中の[[リボ核酸|RNA]]はプラス一本鎖のRNAであるため、[[宿主]]内では[[mRNA]]の構造となる。RNAは5'末端にキャップ構造を持ち、3'末端にポリAを持つ。RNA全長はおよそ9000[[塩基]]対であり、9個の[[遺伝子]]と、両端にウイルスの[[転写 (生物学)|転写]]およびその制御を行う配列を持つ。ウイルスRNAは[[逆転写酵素]](RT)によって二本鎖DNAに変換され、インテグラーゼによって宿主DNAに組み込み[[プロウイルス]]を形成する。 ;LTR :LTR<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|long terminal repeat}}</ref>はウイルス[[ゲノム]]両端にある、ほぼ同じ塩基配列が繰り返されている領域である。転写制御を行う[[プロモーター]]、[[エンハンサー]]、NRE<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|negative regulatory element}}</ref>を有している。また、ウイルスゲノムを宿主ゲノムに挿入するインテグラーゼの認識配列がある。このように、LTRは核酸の制御を行う配列がまとまっている領域である。 : ;gag :'''''gag'''''<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|group specific antigen}}</ref>は、ウイルスの構造タンパク質をコードしている。[[翻訳 (生物学)|翻訳]]されたタンパク質は、ウイルスのプロテアーゼによって6つのタンパク質とペプチドに切断される。 :* MA - マトリックス<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|matrix}}</ref>の略である。MAは中心部の核様体と[[外套]]部(エンベロープ)をつなげる役割を持つ。タンパク質の質量からHIV-1ではp17、HIV-2ではp16ともいわれる。 :* CA - カプシド (capsid) の略である。CAは核様体の基本骨格であり、正十二面体の構造を形成する。タンパク質の質量からHIV-1ではp24、HIV-2ではp26ともいわれる。 :* p2 - CAとNCの間にある、スペーサー[[ペプチド]]である。 :* NC - ヌクレオカプシド<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|nucleo capsid}}</ref>の略である。ウイルスのゲノムRNAに直接結合し、RNAの凝集および保護を行っている。外側をCAに覆われて核様体を形成する。タンパク質の質量からHIV-1ではp7、HIV-2ではp6ともいわれる。 :* p1 - NCとp6の間にある、スペーサーペプチドである。 :* p6 - 細胞内でGagタンパク質やVprを[[細胞膜]]に集め局在させる[[モチーフ (生物学)|モチーフ]]がある。このモチーフを破壊するとウイルスは[[出芽]]できなくなり、増殖することができない。 :<!-- バグ回避のための行「Help:箇条書き#定義の箇条書き中の箇条書き」参照 --> ;pol :''pol''は''gag''の下流にある、ウイルス酵素群をコードしている遺伝子が結合した領域である。''pol''は[[開始コドン]]を持っておらず、[[リボソーム]]が''gag''のmRNAを-1[[フレームシフト]]することによって翻訳される。したがって、翻訳産物はGag-Polの融合タンパク質となる。そしてフレームシフトの結果、プロテアーゼが翻訳されて自己切断を行い、プロテアーゼは融合タンパク質から切り出される。そしてプロテアーゼは残りのPolタンパク質を切断して、各ウイルス酵素を切り出す。 :* pro - プロテアーゼ<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|protease}}</ref>の略である。翻訳産物は二量体を形成する[[アスパラギン酸プロテアーゼ]]であり、活性中心には[[アスパラギン酸]]、[[トレオニン|スレオニン]]、[[グリシン]]からなるアスパラギン酸プロテアーゼ特有のモチーフを持つ。プロテアーゼは翻訳後、自己切断によって切り出されたあと、ウイルスのタンパク質を切断する。細胞質中での活性は低いが、ウイルスの発芽後にウイルス粒子内の[[水素イオン指数|pH]]が変わり最適な状態になると、Gag、Gag-Polを切断し、成熟<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|mature}}</ref>したウイルス粒子を完成させる。ウイルスの成熟、各種ウイルス酵素の活性化に重要な役割を果たしているため、プロテアーゼ阻害剤による[[化学療法#ウイルスに対する化学療法|化学療法]]のターゲットとなった。 :* RT - 逆転写酵素<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|reverse transcriptase}}</ref>をコードしており、プロテアーゼによって切り出されたあと、完全長のp66と一部プロセスされたp51とが二量体を形成する。レトロウイルス特有の逆転写を行う酵素であるため、逆転写酵素阻害剤による化学療法のターゲットとなった。RTによる逆転写はフィデリティ(正確性)が低いため、しばしば[[突然変異]]を引き起こす。このRTの不正確さがウイルスの変異を早める結果となり、ワクチンの作成を困難にし、更に薬剤耐性ウイルスの出現の要因となっている。 :* RNaseH - 一部プロセスされたRTの残りの部分p15には、RNaseHとしての機能領域がある。RNaseHは、DNAとRNAの[[ハイブリッド]]からRNAだけを特異的に分解する酵素である。逆転写酵素がRNAを鋳型にDNAを合成したあと、鋳型であるRNAを分解することに作用している。 :* IN - インテグラーゼ<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|integrase}}</ref>の略である。インテグラーゼは翻訳後に多量体を形成し、逆転写されて二本鎖DNAになったウイルスゲノムを、[[宿主]]ゲノムに組み入れる働きを持つ酵素である。ウイルス特有の酵素であるため、その阻害剤 ([[ラルテグラビル]]) が開発され、米国で認可された。 :<!-- バグ回避のための行「Help:箇条書き#定義の箇条書き中の箇条書き」参照 --> ;vif :'''Vif'''<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|virion infectivity factor}}</ref>は[[細胞質]]に存在し、ウイルス粒子が感染性を持つようになる因子であると考えられていた。しかしvif変異体の研究では、宿主細胞によって機能がまちまちであり、機能がはっきりしていなかった。近年の研究により、ウイルスRNAから複製されたDNAのマイナス鎖中で、シチジン残基をウラシルに変換し、レトロウイルスゲノムを破壊する細胞内因子[[APOBEC3G]]の抑制に関与することが判明した。詳細な機構は完全に解明されていないが、Vifが細胞自身の[[ユビキチンリガーゼ|ユビキチン-タンパク質リガーゼ]]のいくつかと複合体を形成し、それによってAPOBEC3Gをタンパク質分解酵素の標的にして破壊することで、HIV-1ゲノムへの損傷を回避していると考えられている。 : ;vpr :'''''vpr'''''<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|viral rrotein R}}</ref>にコードされているタンパク質は感染初期に必要であり、ウイルス粒子内に取り込まれる唯一のアクセサリータンパク質である。Vprの機能は多岐にわたり、代表的な機能として[[サイトカイン]]の合成阻害、[[アポトーシス]]の抑制、[[細胞分裂]]を[[G2期|G2]]/[[M期]]で阻止することが挙げられる。そのため、HIV-1の毒性を高める大きな要因となっている遺伝子である。発現はRevに依存して行われる。 : ;vpu :'''''vpu'''''<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|vilal rrotein U}}</ref>はHIV-1だけにみられる遺伝子であり、この遺伝子にコードされるタンパク質はEnvタンパク質を細胞膜に集める役割がある。細胞膜に局在するが、ウイルス粒子内には取り込まれない。 : ;[[Tat (HIV)|tat]] :'''''tat'''''<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|trans activator}}</ref>は転写活性因子をコードする遺伝子である。5'末端のLTR内にあるTAR (Trans Activation Responsive region) に結合し、ウイルス遺伝子の転写を促進させる。遺伝子は[[イントロン]]を持ち、転写後[[スプライシング]]され翻訳される。 : ;rev :'''''rev'''''にコードされている蛋白質はRNAの輸送と分配に作用する。遺伝子はイントロンを持ち、転写後スプライシングされ翻訳される。Revの活性領域に宿主由来の核タンパク質が結合して、RNAを核から細胞質へと輸送する。 : ;env :'''''env'''''はウイルスを覆う殻となるタンパク質をコードしている。エンベロープはまずgp160として翻訳され、宿主細胞由来のプロテアーゼによって切断され、gp120とgp41になる。宿主細胞表面のレセプターに結合し、宿主細胞へウイルスを侵入させる役割を持つ。 :* gp120 :* gp41 :<!-- バグ回避のための行「Help:箇条書き#定義の箇条書き中の箇条書き」参照 --> ;nef :''nef''<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|negative factor}}</ref>にコードされているタンパク質は、宿主の細胞膜に局在し、宿主の細胞表面で[[CD4]]抗原の発現を抑える働きがある。またNefは[[MHC-1]]を抑制することから、ウイルスの[[エピトープ]]が細胞表面に提示されず、感染細胞が[[キラーT細胞]](CTL)によって傷害されなくなる。このことから、[[後天性免疫不全症候群|AIDS]]発症に重要な役割をしていると考えられている。実際にnefを欠損したHIV-1感染者では、病態の進行が遅く、長期にわたってAIDSを発症しないことが確認されている。 == 増殖 == HIVは、まず[[T細胞|ヘルパーT細胞]]に侵入し、逆転写酵素を使ってRNAからHIVのDNAを合成してT細胞のDNAに組み込み、潜伏する。しばらくしてヘルパーT細胞が活性化すると、HIVのDNAが発現し新たなHIVが作られる。その際、ヘルパーT細胞の膜がそのまま新たなHIVの膜に使われるため、ヘルパーT細胞は細胞膜が破壊されて死ぬ(これは免疫力の極端な低下の原因でもある)。 == 臨床像 == {{main|後天性免疫不全症候群#臨床像}} HIVは[[免疫|免疫機能]]の発動に必要な[[CD4]]+[[T細胞]]というリンパ球などに感染し、比較的長い[[潜伏期]]のあとに活性化してCD4+T細胞を破壊してしまう。HIV感染症は大きく分けて、急性感染期、無症候期、AIDS期の3段階に分かれ、無症候期が10年程度続くが、その間にCD4陽性T細胞数は徐々に減少していき、200/[[マイクロリットル|μL]] 以下になると[[日和見感染]]症、日和見腫瘍が発生しAIDSとなる。 === HIV感染症における神経障害 === HIV感染症では様々な神経症状が報告されている。[[脳炎]]、脊髄炎、[[髄膜炎]]、脳神経麻痺、神経炎などが知られている。稀であるが小脳性運動失調症も報告されている。 ;顔面神経麻痺 HIV感染症関連の顔面神経麻痺は[[ベル麻痺]]に似ているという研究がある<ref>Clin Neurol Neurosurg. 2018 Sep;172:124-129. {{PMID|29990960}}</ref>。 ;小脳性運動失調症 HIV感染者のおける小脳性運動失調症は稀であるが報告されている。原因としてはHIV脳症やHIV感染症に伴う二次性脳症が考えられる。HIV脳症はHIV感染による直接的な脳障害とHIV感染細胞が産出する[[サイトカイン]]などによる間接的な障害が関与している<ref>Ann Neurol. 1986 Jun;19(6):517-24. {{PMID|3729308}}</ref><ref>Ann Intern Med. 1988 Feb;108(2):310-1. {{PMID|3341666}}</ref><ref>Acta Neurol Scand. 1990 Feb;81(2):118-20. {{PMID|2327231}}</ref>。HIV脳症にはHAART療法前に発症するものとHAART療法後に発生するものがある<ref>Parkinsonism Relat Disord. 2018 Sep;54:95-98. {{PMID|29643006}}</ref>。HAART療法後のHIV脳症で[[小脳]]の萎縮<ref>Arch Neurol. 2010 May;67(5):634-5. {{PMID|20457966}}</ref>や小脳と[[脳幹]]の萎縮を示した報告がある<ref>J Int Assoc Provid AIDS Care. 2014 Sep-Oct;13(5):409-10. {{PMID|24759449}}</ref>。 小脳病変を起こす二次性脳症には[[進行性多巣性白質脳症]](PML)、HSV脳炎、EBV脳炎、CMV脳炎、トキソプラズマ症、クリプトコッカス症、結核症、非定型抗酸菌症、[[悪性リンパ腫]]などがあげられる。JCV関連疾患としてはPML以外にJCV顆粒細胞神経障害(JC virus granule cell neuronopathy、GCN)というものがありJCVが小脳顆粒細胞に限局して感染し小脳性運動失調症を示す<ref>J Neurol. 2015 Jan;262(1):65-73. {{PMID|25297924}}</ref><ref>Lancet Neurol. 2010 Apr;9(4):425-37. {{PMID|20298966}}</ref><ref>Neurology. 1998 Jan;50(1):244-51. {{PMID|9443487}}</ref><ref>Ann Neurol. 2005 Apr;57(4):576-80. {{PMID|15786466}}</ref>。 == 感染経路 == エイズの主要感染経路は、「性行為による感染」「([[肛門性交]]による裂傷原因を含む)血液を介しての感染」「母親から乳児への母子感染」の3つである<ref>[http://www.jfap.or.jp/aboutHiv/bk04.html 限られた感染経路] エイズ予防財団</ref>。血液を介しての感染はかつては血液製剤によるものがあったが<ref name="yamagawa">出河雅彦「[http://jaids.umin.ac.jp/journal/2013/20131502/20131502091095.pdf 血液製剤とHIV感染]」『The Journal of AIDS Research』2013 Vol.15 No. 2,pp.91-95、日本エイズ学会</ref>、麻薬常習者などでの注射針の打ちまわしによるものが確認されている<ref>[http://www.pref.kyoto.jp/kentai/s-keiro.html HIVの感染経路] 京都府健康福祉部健康対策課</ref><ref name=":0">{{Cite web|和書|title=エイズの経験をコロナに生かす 米LGBTコミュニティー(AFP=時事) |url=https://news.yahoo.co.jp/articles/35ce7d10f12a8547574727b2df9f3e7c4d12f4cf |website=Yahoo!ニュース |accessdate=2022-02-13 |language=ja}}</ref>。件数自体は男女の性交渉での感染割合が多いが、[[異性愛者]]の人数が圧倒的に[[同性愛者]]・[[両性愛者]]数よりも多いからである。男性同性愛者の間だけで感染が止まらない背景には、両性愛者の男性が女性との性行為で移すことが異性愛者の男性に移す通り道になっている。厚生労働省の調査では、男性の場合、男性との性的経験を持たない男性と比較すると、同性愛者や両性愛者で感染している人の割合が高く、HIVで約140倍、エイズで約50倍である。実際にアフリカ全体の調査でも、国ごとの感染率はさまざまだったが、研究されていた国々の大半で、異性愛者よりも同性愛者の男性の感染率が著しく高く、[[西アフリカ]]の一部の地域では、男性同性愛者の感染率が10倍高かった。両者とも関係を持ったすべての異性が、異性間性交しかしていない場合、エイズ感染の可能性は生まれた際の「母親から乳児への母子感染」によるものであることが多い。ただしすべての性行為相手の全員が、[[アナルセックス]]など出血を伴いやすい性行為をしていないかを確認することは不可能であり、異性間しか性行為しない男性/女性であっても、感染の注意が必要ではある<ref>{{Cite web|和書|title=アフリカのエイズ問題:エイズによる経済的社会的被害|url=http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/db-infection/2001ar0103.html|website=www.ajf.gr.jp|accessdate=2020-05-13}}</ref><ref>http://www.hiv-map.net/works/pdf/file.pdf</ref>。 ;日本 :1970年代の後半から1980年代の半ばごろまでは、汚染された非加熱輸入血液製剤による血友病患者の感染が多かった。1980年半ば以降は非加熱輸入血液製剤の危険性が認知されていき、血液製剤による新たな感染は防がれるようになっていった<ref name="yamagawa"/>(詳しくは[[薬害エイズ事件]]を参照)。2017年の第31回日本エイズ学会学術集会・総会会長を務めた生島嗣は、現在では日本国内では感染経路の約8割が男性同士での性交だと説明している。女性へ感染した原因は感染した男性と性接触による感染と述べている<ref>[https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171227-00097206-playboyz-soci 知られざるHIV治療の最前線と日本の課題 - 感染に気付いていない人が5千人以上!?]</ref>。「日本国内のHIV感染者及びエイズ患者の国籍別、性別、感染経路別報告」によると、2017年12月時点で日本国内に日本国籍・外国籍で合計約2万9,000人がHIV感染者およびエイズ患者である。その内訳は男性が約2万6,000人であり、その約1万5,500人の感染経路は男性同士間の性的接触である。男性間の性的接触が感染原因の大半であり、男性間の性的接触にはコンドーム必須との周知など予防策が求められている<ref>{{PDFlink|[http://api-net.jfap.or.jp/status/2018/1803/20180316_HYO-02.pdf HIV感染者及びエイズ患者の国籍別、性別、感染経路別報告数の累計. 診断区分. 感染経路.] エイズ予防情報ネット}}</ref>。 ;韓国 :韓国では2006年12月から2018年1月までの10代の感染者に限れば、93%が同性愛・両性愛での性的接触行為をした者だった<ref>[https://n.news.naver.com/mnews/ranking/article/021/0002350399 「10代の感染者93%は同性・両性性接触」]대한민국 오후를 여는 유일석간 문화일보(2018年4月23日)</ref>。 ;アメリカ合衆国 :1981年に米国で初のエイズ患者が確認された。以降から[[エイズ危機]]は20年にわたって、米国で猛威を振るい、2022年時点も死者が出ている。多かった感染者は、同性愛者の男性やバイセクシャルの男性、アフリカ系男性やヒスパニック系男性、そして[[トランスジェンダー]]女性([[性同一性]]が女性の人)だった。エイズ(AIDS、後天性免疫不全症候群)が広がり始めた時の[[LGBT]]コミュニティの反応について、「誰も真剣に受け止めていませんでした」と語っている<ref name=":0" />。1985年に当時のロナルド・レーガン大統領がエイズ研究を政府の優先事項に掲げたの、1987年にHIV感染はしてもAIDS発症は服薬で抑えられる方法が初開発された。アメリカ政府の統計によると、エイズによる米国の死者は2000年末までに最低でも45万人に上る<ref name=":0" />。アメリカ疾病予防管理センターの2014年の統計によると、ゲイとバイセクシャル、男性と性的関係を持ったことのある男性は全人口の2%に過ぎないが、13歳以上の男性でHIV感染し者の83%が同性愛者や両性愛者であった。13歳から24歳の間でHIVだった人の92%が同性愛者や両性愛者だった<ref>[https://www.cdc.gov/hiv/group/msm/index.html HIV Among Gay and Bisexual Men] CDC(2019年9月9日)</ref>。 {{Main|{{ill|アメリカ合衆国におけるHIV/AIDS|en|HIV/AIDS in the United States}}}} == 治療と感染対策 == 同ウイルスの研究や治療、その感染の対策は現在も続けられている。 {{see also|後天性免疫不全症候群#治療|HAART療法}} [[2019年]]5月3日、同ウイルスを抑制する抗レトロウイルス療法(ART)により、[[コンドーム]]を使用しない性交渉でもウイルスが「感染不可能」になることを示した研究結果が英医学誌の[[ランセット]]に発表されている。研究論文の共同執筆者である[[ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン]]のアリソン・ロジャー<ref group="注釈">{{lang-en|links=no|Alison Rodger}}</ref>は「われわれの研究結果は、抑制的ARTにより男性同性愛者のHIV感染の危険がゼロになるとの決定的証拠だ」と指摘している。<ref>{{Cite journal|last=Rodger|first=Alison J|last2=Cambiano|first2=Valentina|last3=Bruun|first3=Tina|last4=Vernazza|first4=Pietro|last5=Collins|first5=Simon|last6=Degen|first6=Olaf|last7=Corbelli|first7=Giulio Maria|last8=Estrada|first8=Vicente|last9=Geretti|first9=Anna Maria|date=2019-06-15|title=Risk of HIV transmission through condomless sex in serodifferent gay couples with the HIV-positive partner taking suppressive antiretroviral therapy (PARTNER): final results of a multicentre, prospective, observational study|url=https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0140673619304180|journal=The Lancet|volume=393|issue=10189|pages=2428–2438|language=en|doi=10.1016/S0140-6736(19)30418-0|issn=0140-6736}}</ref> 一方で同大学の研究チームはこれにおいていくつかの制約についても指摘しており、その一つとして研究の対象となったHIV陰性の男性の平均年齢が38歳であることを挙げている。また、ARTを受けている人は生涯にわたりほぼ毎日の投薬が必要で、さまざまな理由で治療が中断されがちであるとの問題点も出ている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3223538|title=HIV治療に感染防止効果 コンドーム不使用でも 研究|publisher=[[AFPBB]] News|date=2019-05-04 |accessdate=2019-05-04}}</ref>。 === 医療関係内定者のHIV不告知の是非 === 2017年12月末、病院の採用面接で人事側にHIVに感染している事実を告げずに[[ソーシャルワーカー]]の内定を得た[[社会福祉士]]の男性が、過去に同病院で受診した[[診療録]]にHIV感染の記録があったことから、病院は内定を取り消した。感染の有無を面接で告げる必要がないのに、不法に就職内定を取り消されたとし、また、本来の目的を超えてカルテが使われ[[プライバシー]]が侵害されたとして、男性は病院を運営する[[社会福祉法人]]に対し、慰謝料の支払いを求めた[[損害賠償]]請求訴訟を起こした<ref name="asahi1909">{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASM9K3GRFM9KIIPE00F.html |title=HIV感染者の内定取り消しは違法 雇用主側に賠償命令 |date=2019-09-17 |accessdate=2019-09-17 |work=朝日新聞デジタル}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20190917/k00/00m/040/061000c |title=HIV感染告げなかったことを理由に内定取り消し 社会福祉法人に賠償命令 札幌地裁 |date=2019-09-17 |accessdate=2019-09-17 |work=毎日新聞}}</ref>。 2019年9月17日に[[札幌地方裁判所]]で判決があり、男性側の主張を全面的に認め「HIVが日常生活によって感染するのは、きわめて例外的だ」と指摘、社会福祉法人に165万円の賠償を命じた<ref name="asahi1909" />。裁判長は、採用の際応募者にHIV感染を確認することは「特段の事情がない限り許されない」とも述べた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2019091700160 |title=HIV内定取り消しで賠償命令=「告知義務ない」-札幌地裁 |date=2019-09-17 |accessdate=2019-09-17 |work=時事ドットコム}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Commonscat|HIV}} * [[曝露後予防]] (PEP: Post-Exposure Prophylaxis) * [[後天性免疫不全症候群]] * [[性感染症]] - [[日本性感染症学会認定医]] * [[ウイルス学]] - [[口腔細菌学]] * [[社会的スティグマ#HIV陽性者・AIDS発症者に対するスティグマ|HIV/AIDSに対する社会的スティグマ]] == 外部リンク == * [https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/kekkaku-kansenshou/aids/ HIV/エイズ予防対策] - [[厚生労働省]] * [https://www.hivkensa.com/ HIV検査・相談マップ] * [https://api-net.jfap.or.jp/ エイズ予防情報ネット] * [https://hiv-uujapan.org/ U=U Japan Project] * [https://www.msdmanuals.com/ja-jp/ホーム/16-感染症/ヒト免疫不全ウイルス-(hiv)-感染症/ヒト免疫不全ウイルス-hiv-感染症 ヒト免疫不全ウイルス(HIV)感染症] - [[MSDマニュアル]] * [http://www.hivjp.org/ HIV感染症治療研究会] * [https://www.haart-support.jp/ HIV感染症及びその合併症の課題を克服する研究班] * [https://www.niid.go.jp/niid/ja/from-aids.html エイズ研究センター] - [[国立感染症研究所]] * [https://jaids.jp/ 日本エイズ学会] * [http://jssti.umin.jp/ 日本性感染症学会] * [https://www.jfap.or.jp/ エイズ予防財団] * [https://www.unaids.org/en 国連合同エイズ計画 (UNAIDS)] {{en icon}} {{PLWHA}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひとめんえきふせんういるす}} [[Category:HIV/AIDS|*]] [[Category:レトロウイルス科]]
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離角
離角()とは、位置天文学において、ある点から見た2つの天体のなす角度である。とりわけ「惑星の離角」と言った場合は、地球の中心から見た太陽と惑星のなす角度(地心真角距離)をさす。太陽と惑星の黄経の差と説明されることもあるが正しくない(一致しない)。 天体の位置を、基準点を中心とする天球上の経緯度で表した場合、天体1の経度・緯度を ( λ 1 , β 1 ) {\displaystyle (\lambda _{1},\beta _{1})} とし、天体2の経度・緯度を ( λ 2 , β 2 ) {\displaystyle (\lambda _{2},\beta _{2})} とすると、天体1と天体2の離角 p {\displaystyle p} は p = arccos ( sin β 1 sin β 2 + cos β 1 cos β 2 cos ( λ 1 − λ 2 ) ) {\displaystyle p=\arccos \left(\sin \beta _{1}\sin \beta _{2}+\cos \beta _{1}\cos \beta _{2}\cos \left(\lambda _{1}-\lambda _{2}\right)\right)} で表される。この場合の経緯度は、黄経・黄緯でも、赤経・赤緯でも良い。 天体1と天体2の経度が等しい( λ 1 = λ 2 {\displaystyle \lambda _{1}=\lambda _{2}} )場合、上式の p {\displaystyle p} は緯度の差に等しい。また、天体1と天体2の緯度がともに0度の場合、上式の p {\displaystyle p} は経度の差に等しい。すなわち、太陽と惑星の離角が黄経の差と等しいのは、太陽と惑星がともに黄緯0度の場合に限られる。 2つの天体の地心視黄経の差が容易に0度になるのに比べると、離角が0度になるのは極めて稀である。なぜならば、離角が0度の時は視黄経も視黄緯も(あるいは視赤経も視赤緯も)どちらも厳密にピッタリ一致することが必要だからである。例えば、2012年6月6日の金星の太陽面通過において、金星は太陽との地心視黄経の差が0度になる合を迎えたが、離角の最小値(最小角距離)は約0.153度(約550秒角)でゼロにはならない。 ある惑星から見て、それよりも内側に軌道のある惑星(内惑星)は、太陽とその惑星との離角がある一定の値以上にはならない。これを最大離角といい、太陽よりも内惑星が東側にある場合を東方最大離角、西側にある場合を西方最大離角という。ここでいう「東方」「西方」とは、内惑星が太陽に対して相対的に位置する方角であり、地上から観望できる方位とは関係がない。もし東方最大離角の内惑星を眼視で観望するには、太陽が沈んだ後の西の空に残る内惑星を観望することになる。また、内惑星の離角あるいは最大離角は、地上から観望できる高度とも関係がない(離角が大きいほど、太陽から離れているので、より高い高度で観望できる、という点はあるが)。 水星と金星の太陽からの平均距離(それぞれ0.3871 au、0.7233 au)を用いると、地球から見た水星と金星の最大離角はそれぞれ22.8度、46.3度となる。しかし、地球と内惑星の軌道がともに楕円をなし、また互いの公転面が一致していないために、毎サイクルにおける最大離角は同じではなく、毎回異なる。特に水星は軌道の離心率が約0.2と大きいため、近日点と遠日点の距離に大きな隔たりがあり、最大離角の範囲も約18度~28度と広い(すなわち、水星の最大離角の最大値は、約28度である)。金星の最大離角は、約45度~47度の範囲に収まる。 次表に2013年以降の直近の水星と金星の最大離角を掲げる。 外側に軌道のある惑星(外惑星)の離角は理論的には0度~180度の値をとりうる。最大離角という言葉は、内惑星にのみ用いる。 惑星と太陽が同じ方向にあるときを合(ごう)と言うが、こちらは地心視黄経が等しくなる瞬間であり、必ずしも離角が0度とは限らず(地心視黄緯が等しくないこともあるため)、また地心視黄経が等しいときに離角が最小とも限らない。太陽と惑星が反対の方向にあるときを衝(しょう)と言うが、こちらも地心視黄経の差が180度になる瞬間であって、離角が180度とは限らないので注意が必要である。同様に、矩(く)も、地心視黄経の差が90度・270度になる瞬間(東矩(とうく)・西矩(せいく))であるから、内惑星から見て外惑星が東矩のときに同時に、外惑星からみて内惑星が西方最大離角であるとは限らない(前者が地心視黄経の差で定義するのに対し、後者が地心真角距離で定義するため)。国立天文台『こよみ用語解説』によると、惑星の運行や相対位置を表す用語では、「留」は地心視赤経で、「合」「衝」「矩」は地心視黄経度で、「最大離角」は地心真角距離で定義されているので注意が必要である。
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離角とは、位置天文学において、ある点から見た2つの天体のなす角度である。とりわけ「惑星の離角」と言った場合は、地球の中心から見た太陽と惑星のなす角度(地心真角距離)をさす。太陽と惑星の黄経の差と説明されることもあるが正しくない(一致しない)。 天体の位置を、基準点を中心とする天球上の経緯度で表した場合、天体1の経度・緯度を とし、天体2の経度・緯度を とすると、天体1と天体2の離角 p は p = arccos ⁡ で表される。この場合の経緯度は、黄経・黄緯でも、赤経・赤緯でも良い。 天体1と天体2の経度が等しい場合、上式の p は緯度の差に等しい。また、天体1と天体2の緯度がともに0度の場合、上式の p は経度の差に等しい。すなわち、太陽と惑星の離角が黄経の差と等しいのは、太陽と惑星がともに黄緯0度の場合に限られる。 2つの天体の地心視黄経の差が容易に0度になるのに比べると、離角が0度になるのは極めて稀である。なぜならば、離角が0度の時は視黄経も視黄緯も(あるいは視赤経も視赤緯も)どちらも厳密にピッタリ一致することが必要だからである。例えば、2012年6月6日の金星の太陽面通過において、金星は太陽との地心視黄経の差が0度になる合を迎えたが、離角の最小値(最小角距離)は約0.153度(約550秒角)でゼロにはならない。
[[ファイル:Positional astronomy-ja.png|right|400px|thumb|'''内惑星・外惑星と地球の位置関係''' 図中央が太陽、図中央下が地球である。地球から内惑星に伸びる点線が最大離角を示している。点線は地球から見た内惑星の軌道に対する接線でもある。左上に伸びる点線は東方最大離角、右上に伸びる点線は西方最大離角を現している。内合のほか、外惑星に対する外合、東矩と西矩の位置も記入されている。]] {{読み仮名|'''離角'''|りかく}}とは、[[位置天文学]]において、ある点から見た2つの天体のなす角度である。とりわけ「惑星の離角」と言った場合は、[[地球]]の中心から見た[[太陽]]と[[惑星]]のなす角度(地心真角距離)をさす<ref name='koyomiwakusei'>[https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/faq/phenomena.html 国立天文台 暦計算室『こよみ用語解説』惑星現象]</ref>。太陽と惑星の[[黄経]]の差と説明されることもあるが正しくない(一致しない)。 天体の位置を、基準点を中心とする[[天球]]上の経緯度で表した場合、天体1の[[経度]]・[[緯度]]を <math>(\lambda_1,\beta_1)</math> とし、天体2の経度・緯度を <math>(\lambda_2,\beta_2)</math> とすると、天体1と天体2の離角<math>p</math>は <math>p=\arccos\left(\sin\beta_1\sin\beta_2+\cos\beta_1\cos\beta_2\cos\left(\lambda_1-\lambda_2\right)\right)</math> で表される。この場合の経緯度は、黄経・黄緯でも、赤経・赤緯でも良い。 天体1と天体2の経度が等しい(<math>\lambda_1=\lambda_2</math>)場合、上式の<math>p</math>は緯度の差に等しい。また、天体1と天体2の緯度がともに0度の場合、上式の<math>p</math>は経度の差に等しい。すなわち、太陽と惑星の離角が黄経の差と等しいのは、太陽と惑星がともに黄緯0度の場合に限られる。 2つの天体の地心視黄経の差が容易に0度になるのに比べると、離角が0度になるのは極めて稀である。なぜならば、離角が0度の時は視黄経も視黄緯も(あるいは視赤経も視赤緯も)どちらも厳密にピッタリ一致することが必要だからである。例えば、2012年6月6日の[[金星の太陽面通過]]において、金星は太陽との地心視黄経の差が0度になる[[合 (天文)|合]]を迎えたが、離角の最小値(最小角距離)は約0.153度(約550秒角)でゼロにはならない。 == 最大離角 == ある[[惑星]]から見て、それよりも内側に軌道のある惑星(内惑星)は、太陽とその惑星との離角がある一定の値以上にはならない。これを'''最大離角'''といい、太陽よりも内惑星が東側にある場合を'''東方最大離角'''、西側にある場合を'''西方最大離角'''という。ここでいう「東方」「西方」とは、内惑星が太陽に対して相対的に位置する方角であり、地上から観望できる方位とは関係がない。もし東方最大離角の内惑星を眼視で観望するには、太陽が沈んだ後の西の空に残る内惑星を観望することになる。また、内惑星の離角あるいは最大離角は、地上から観望できる高度とも関係がない(離角が大きいほど、太陽から離れているので、より高い高度で観望できる、という点はあるが)。 [[水星]]と[[金星]]の太陽からの平均距離(それぞれ0.3871 [[天文単位|au]]、0.7233 au)を用いると、[[地球]]から見た水星と金星の最大離角はそれぞれ22.8度、46.3度となる。しかし、地球と内惑星の軌道がともに楕円をなし、また互いの公転面が一致していないために、毎サイクルにおける最大離角は同じではなく、毎回異なる。特に水星は軌道の[[離心率]]が約0.2と大きいため、近日点と遠日点の距離に大きな隔たりがあり、最大離角の範囲も約18度~28度と広い(すなわち、水星の最大離角の最大値は、約28度である)。金星の最大離角は、約45度~47度の範囲に収まる。 次表に2013年以降の直近の水星と金星の最大離角を掲げる。 {| class="wikitable" ! colspan="2" | !! colspan="2" | 東方最大離角 !! colspan="2" | 西方最大離角 |- ! rowspan="9" | 水星 | rowspan="3" | 2013年 | 2月16日 21:35頃 (UTC) || 18.13° || 3月31日 21:50頃 (UTC) || 27.83° |- | 6月12日 16:40頃 (UTC) || 24.28° || 7月30日 8:50頃 (UTC) || 19.63° |- | 10月 9日 10:10頃 (UTC) || 25.34° || 11月18日 2:25頃 (UTC) || 19.48° |- | rowspan="3" | 2014年 | 1月31日 10:05頃 (UTC) || 18.37° || 3月14日 6:30頃 (UTC) || 27.55° |- | 5月25日 7:10頃 (UTC) || 22.68° || 7月12日 18:25頃 (UTC) || 20.91° |- | 9月21日 22:05頃 (UTC) || 26.40° || 11月 1日 12:40頃 (UTC) || 18.66° |- | rowspan="3" | 2015年 | 1月14日 20:30頃 (UTC) || 18.90° || 2月24日 16:20頃 (UTC) || 26.75° |- | 5月 7日 4:50頃 (UTC) || 21.18° || 9月 4日 10:15頃 (UTC) || 27.14° |- | 10月16日 3:15頃 (UTC) || 18.12° || 12月29日 3:10頃 (UTC) || 19.72° |- ! rowspan="4" | 金星 | 2013年 || 11月 1日 7:55頃 (UTC) || 47.07° || style="text-align:center" | (なし) || |- | 2014年 || style="text-align:center" | (なし) || || 3月22日 19:45頃 (UTC) || 46.56° |- | 2015年 || 6月 6日 18:30頃 (UTC) || 45.39° || 10月26日 7:15頃 (UTC) || 46.44° |- | 2016年 || style="text-align:center" | (なし) || || style="text-align:center" | (なし) || |- |} 外側に軌道のある惑星(外惑星)の離角は理論的には0度~180度の値をとりうる。最大離角という言葉は、内惑星にのみ用いる。 == 合・衝・矩・留と最大離角 == 惑星と太陽が同じ方向にあるときを'''[[合 (天文)|合]]'''(ごう)と言うが、こちらは地心視黄経が等しくなる瞬間であり<ref name='koyomiwakusei' />、必ずしも離角が0度とは限らず(地心視黄緯が等しくないこともあるため)、また地心視黄経が等しいときに離角が最小とも限らない。太陽と惑星が反対の方向にあるときを'''[[衝]]'''(しょう)と言うが、こちらも地心視黄経の差が180度になる瞬間であって<ref name='koyomiwakusei' />、離角が180度とは限らないので注意が必要である。同様に、'''矩'''(く)も、地心視黄経の差が90度・270度になる瞬間(東矩(とうく)・西矩(せいく))であるから<ref name='koyomiwakusei' />、内惑星から見て外惑星が東矩のときに同時に、外惑星からみて内惑星が西方最大離角であるとは限らない(前者が地心視黄経の差で定義するのに対し、後者が地心真角距離で定義するため)。国立天文台『こよみ用語解説』<ref name='koyomiwakusei' />によると、惑星の運行や相対位置を表す用語では、「[[留]]」は地心視赤経で、「[[合 (天文)|合]]」「[[衝]]」「矩」は地心視黄経度で、「最大離角」は地心真角距離で定義されているので注意が必要である<ref name='tenmonnenkan'>一方、『天文年鑑』では、観測に都合の良いよう「合」「衝」「矩」「最大離角」は赤道座標系を使っており、「合」は赤経差が0時間(0°)、「衝」は赤経差が12時間(180°)、「矩」は赤経差が6時間(90°)、「最大離角」は内惑星と太陽の赤経差が極大となる時の離角としている(離角そのものの極大時の離角ではない)。軌道傾斜角の大きい天体では、赤経の合・衝の時刻は黄経の合・衝の時刻と数日の差が生じることがある。</ref>。 ==注== <references /> <!-- == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} --> {{Astro-stub}} {{デフォルトソート:りかく}} [[Category:位置天文学]] [[Category:天体力学]]
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筑波大学
筑波大学(つくばだいがく、英語: University of Tsukuba)は、茨城県つくば市にある国立大学である。 設置者である国立大学法人筑波大学は指定国立大学法人で、文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校でもある。広島大学と共に旧二文理大である。 1872年(明治5年)に日本で最初に設立された師範学校を創基とする、東京師範学校(のちの東京教育大学)が前身である。昌平坂学問所(昌平黌、しょうへいこう)を一部引き継ぐ形で設立された経緯もあり、その創立は日本で最も古い大学群の一つとして知られる。キャンパスが狭隘で分散していたため、1963年(昭和38年)8月27日に閣議決定された筑波研究学園都市への移転が議論され始めた。その後、教授会間の意見のずれや学生運動による入試中止等により、ますます大学改革議論が高まりを見せ、1973年(昭和48年)10月に新構想大学として、東京教育大学を母体に発足した。 筑波大学は筑波キャンパスの他に旧東京教育大学の敷地の一部も所管している。東京都文京区大塚の旧東京教育大学の本部敷地には東京キャンパス文京校舎(旧称:大塚地区)として、首都圏にある附属学校を統括する学校教育局と社会人対象の夜間大学院である大学院ビジネス科学研究科、法科大学院や各種研究センターを設置している。 国立科学博物館は1889年(明治22年)から1914年(大正3年)に「東京教育博物館」として再独立するまで、東京高等師範学校の附属機関として存在した。前身の東京教育大学は、4つの学校(東京文理科大学、東京高等師範学校、東京農業教育専門学校、東京体育専門学校)を母体としており、さらに筑波大学になってからも2002年(平成14年)に図書館情報大学と統合するなど、様々な機関の歴史を背景にしている。 「開かれた大学」「柔軟な教育研究組織」「新しい大学の仕組み」を基本理念として、以下の目標を掲げている。 筑波大学のキャンパスは大きく分けて筑波キャンパス、東京キャンパスの2つに分かれている。筑波キャンパスの面積は 2,577,286m と、大学の単一キャンパスとしては国内第2位の大きさである(ちなみに、第1位は九州大学伊都地区、第3位は広島大学東広島キャンパス。総面積では、第1位は北海道大学、第2位は東京大学、第3位は九州大学)。ほとんどの教育・研究活動はここを中心に行われている。東京キャンパスは社会人大学院などのために使われている。 開学以来、「研究」と「教育」を分離していることが一つの特徴となっている。さらに、教育組織としての教養部が存在せず、開学から全学共通の一般教養と学群・学類毎の専門教育を並行して受講するくさび型教育体制を採っている。これは1991年の大学設置基準の大綱化を先取りした形になっている。 特に、医学専門学群は、旧来の2年制進学課程と4年制専門課程の区別を廃した6年一貫教育を日本の医学部で初めて行い、その後、筑波大に追随して6年制一貫教育を実施する新設医科大学も現れ始めている。 大学院には3つの学術院、大学には10個の学群がある。研究施設として複数の全国共同利用施設、学内共同教育研究施設を持つ。 『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』の「THE世界大学ランキング 2019-2020」では、第401-450位、アジア第55位、国内第8位である。 2019年1月24日、軍事利用を目的とする研究は行わないとの基本方針を発表した。国内外の軍事、防衛機関から資金提供を受けて行う研究など、成果が軍事転用される可能性がある場合は、学内で事前審査する。 積極的に産学連携活動を行っており、筑波大学発ベンチャー企業数は平成18年度末で61件(日本の大学で第3位)である。また、平成18年度の大学発ベンチャー新設数は8件(日本の大学で第1位)である。 2008年11月より学生活動支援GPに採択されたつくばアクションプロジェクト (T-ACT) が開始されている。これは学生の主体的な活動を支援する目的で大学・教員・学生の相互的な支援ネットワークを構築し活動のスタートアップサポートを行う組織である。 (沿革節の主要な出典は公式サイト) 本学は1970年(昭和45年)に成立の筑波研究学園都市建設法および1973年(昭和48年)に国立学校設置法等の一部を改正する法律(昭和48年9月29日法律第103号)により改正された国立学校設置法(2004年廃止)により設置された。 大学設置の根拠となった1973年の国立学校設置法については、民主教育をすすめる国民運動(総評、中立労連、日教組などの労働組合、日本科学者会議、日本子どもを守る会など16団体が参加)が撤回を求めて強い反対運動を行った。 なお、本学の前身であった東京教育大学は、1978年(昭和53年)3月末に閉鎖された。 2002年(平成14年)、国立学校設置法の一部を改正する法律(平成14年法律第23号)により図書館情報大学と統合した。 校章や大学名書体、基本色などの規格と使用基準 (VI: Visual Identification System) を定めている。 『紫峰』という名の発行物もあるように紫色は筑波大学のキーワードとなっている。スクールカラーは「筑波紫」(HTML#6600CC) である。体育会所属団体のユニフォームは2012年から「FUTURE BLUE」と称する淡い青色を用いることで統一されている。 筑波大学の校章は「五三の桐葉型」である。この桐章は東京高等師範学校の附属小中学校(のちの筑波大附属小、同附属中・高)で1888年11月に校章として制定されたことに起源を持つ。これは明治天皇の行幸の際、皇室の御紋章である五七の桐章を校章に用いるようご沙汰を頂いたことによる。しかし五七の桐では不敬にわたることがあってはとの理由で五三の桐となった。 その後、母体である東京高師においても1903年に改定された「東京高等師範学校生徒徽章」で制定され、1949年製作の東京教育大学学生バッジにも受け継がれている。「桐紋」と呼ばれる図形は、菊花紋章と並んで日本国の伝統的な紋章として用いられているが、筑波大学の校章は花の部分のみ「蔭」で表現される独特なものである。 平成22年度より開学の理念を象徴するスローガンとして「IMAGINE THE FUTURE.」を使用しており、掲示物に取り入れられているほか、横断幕などが学内の至るところで掲揚されている。考案はOBの一倉宏による。 公式配布物である学生便覧に学生歌『常陸野の』および『筑波のガマ』の歌詞が掲載されていることから、実質上の校歌になっているといえる。『常陸野の』は入学式、卒業式の時に歌われる。入学式には新入生に歌詞が配られ、伴奏のもと校歌練習が行われる。しかし、学生に浸透しているとは言い難く、体育会の学生の間では宣揚歌『桐の葉』がよく歌われている。また、「IMAGINE THE FUTURE」の合唱等している学生も見受けられる。 教育研究上の基本となる組織の一つで、学生(大学院生などを除く)が所属する教育組織である。大学院が部局化されていない多くの大学の学部や学科では教員と大学院生もこの中に含まれるが、学類/学系制では教育組織としての学群・学類と、教員および大学院生が所属する研究組織としての「学系」が異なる体系で存在している(この分類は、筑波大学以外に福島大学、桜美林大学などでも採用されている)。 既存のどの学群にも属さない「総合学域群」を2020年に開設し、翌2021年4月より学生受入を開始した。これは総合選抜入試に合格し入学した1年次生のみが属する学群で、各学群の開設する科目から自身の関心に合致するものを履修しながら、進級先としたい学群を絞り込むことができる。2年次以降は学生自身の希望に基づいて各学群に所属し教育を受ける。また、一部の学類は前期日程での学類独自選抜をとりやめた(推薦入試や後期日程での選抜は継続)。 筑波大学の「学群・学類」制度は、学際性、文理融合などの観点に基づいていた。当時、学類の英訳が「college」であり、ナンバー学群の英訳が「cluster of colleges」であることから、他大学の学部・学科とは異なる観点から区分されていたことが分かる。しかし、受験生や社会一般に対して理解しにくいという評価が長年あったことや、2000年から2001年にかけて行われた大学院の再編などを受け、学群・学類の再編成を行うことになり、2005年7月21日に正式発表された。 主な変更事項は以下の通り: 総定員に変更はない(2007年現在)。平成19年(2007年)度新入生から適用される。なお、2006年度までの学群学類制での入学者(および2008年度までの3年次編入学生)は卒業するまで、所属に関する変更は行わない予定である。 ※2008年度までの3年次編入学生は従前の学群に属することとなる。 2020年度より学位プログラム制へ全面移行する。また、最終的には「大学院の一組織化(一学術院化)」を目指すとしている。 なお、専門職大学院など一部の専攻は研究群には組み込まれない(各学術院の一専攻として教育活動が行われる)。 2020年度入学生については、2019年11月まではいったん現在の専攻のもとで学生募集し、入学試験に合格した者に対しては新しい組織のもとで教育活動が行われる。また、教員の主担当変更に伴う所属の変更や複数学位の一本化などがあるため、新たな組織の研究群・専攻や授与される学位は従前の組織の専攻・学位とは必ずしも対応しない。 それまでの8研究科85専攻は、学生の在学中は新組織と併存する。 筑波大学の社会人大学院は、ビジネス科学研究科 (GSBS) の3課程5専攻と人間総合科学研究科2課程4専攻を有している。 特徴 特徴 大学、または大学院課程で分野を横断する学位プログラム等の実施、運営を行うことを目的として、2011年12月に設置した。 2011年10月から新たな教員組織として10の「系」を設置した。教員は原則として、このいずれかの「系」に属する。 「系」の設置以前は教員研究組織として「学系」が設置されていたが、実際には教員は大学院研究科に所属していた。「学系」の役割は失われており、2012年3月をもって廃止となった。 筑波キャンパスの図書館は中央・体芸・医学・図書館情報学の4館に分かれる。日本の大学図書館としては珍しい全面開架方式を採っており、貴重書などを除いて利用者が本を自由に手に取ることができる。さらに学生・教職員ならば全ての図書館を自由に利用でき、学外者も所定の手続きを取れば利用可能としている。延べ入館者数は年間100万人を超える。 中央図書館の蔵書数は約176万冊で、文理を問わず幅広い分野の本を揃える。体芸・医学・図書館情報学の各図書館は、各分野に特化した蔵書が主であり、蔵書数は各館とも20万冊前後である。 上記4館のほか、東京キャンパスに大塚図書館がある。 附属学校は11校あり、附属学校教育局が統括している。また、前身である東京教育大学閉学の際には、大学本体のみが茨城県つくば市へ移転し、各附属校は元の場所に残された。 附属校も変遷を経ており、東京師範学校の創立直後に日本初の小学校として附属小学校が、その後1888年に旧制中学校として附属中学校・高等学校が創立。戦後の教育改革の流れの中で東京農業教育専門学校の附属校として駒場中学校・高校が創立された他、別の国立学校だった東京盲学校・東京聾唖学校から盲学校とろう学校が、地元自治体により創立され提携関係となっていた坂戸高校が移管。その後都内の身体障害者施設への教員派遣をきっかけに桐が丘養護学校が、明治末期から設置されていた附属小学校と中学校の特殊学級から分割する形で大塚養護学校が創立された。さらに、平成16年4月1日の国立学校設置法などの廃止と国立大学法人法などの施行に伴う法改正で、従来別の国立学校だった久里浜養護学校が筑波大学に移管されて附属校となった。平成19年4月1日の文部科学省令の改正により、附属養護学校は附属特別支援学校となり、特別支援学校に包含された盲学校・ろう学校はそれぞれ「視覚特別支援学校」「聴覚特別支援学校」へと名称を変更した。 なお、筑波大学の同窓会である茗渓会は、茨城県つくば市に茗溪学園中学校・高等学校を運営している。同校は茗渓会設立100周年の記念事業として、また附属校が筑波研究学園都市に移転できなかった事情もあり、同地に創立された。 (この節の主要な出典) (この節の主要な出典) (この節の主要な出典) 採択4件 採択1件 システム情報工学研究科コンピュータサイエンス専攻は、2006年9月に文部科学省の先導的ITスペシャリスト育成推進プログラムの採択を受け、プロジェクト高度IT人材育成のための実践的ソフトウェア開発専修プログラムを発足している。 2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けて、文部科学省が実施する「スポーツ・アカデミー形成支援事業」の委託先大学(Aタイプ)に採択された。オリンピズムの普及とスポーツ医科学研究の推進を図るため、同じく採択を受けた鹿屋体育大学および日本体育大学と連携し、各国の体育・スポーツ系大学とのネットワーク構築を目指している。 システム情報工学研究科は、2006年4月に日本経済団体連合会(経団連)の高度情報通信人材育成部会から「高度情報通信人材育成に係る重点協力拠点」認定を受けている。 大学負担によるアジア太平洋経済協力(APEC)の研究プロジェクトでは、タイのコンケン大学と共同で数学及び科学に関する研究を行っている。 筑波大学には、 という大学公認の学生組織があり、一般的な大学での自治会の代替的組織として学生の大学生活面における諸問題について、大学側と折衝を行っている。 筑波大学には、サークルの登録制度があり、課外活動団体(大学公式サークル)、一般学生団体(大学登録サークル)、その他の団体(大学非登録サークル、草サークル)の3段階に分けられる。 課外活動団体は大学教員を顧問とし、代表および副代表を置き、3系と称される文化系サークル連合会(文サ)・体育会・芸術系サークル連合会(芸サ)の3団体のうち、いずれかの団体の審査を受けて正式加盟していることが、団体として認定される必須条件となっており、紫峰会からの活動援助金支給・大学からの物品支給・サークル活動場所(ミーティングスペースや荷物置き場)の提供・施設予約の優先などの権利が与えられる。 一般学生団体は大学教員を顧問とし、代表及び副代表をおくことが、登録においての必須条件となっている。 体育系の団体は主に体育系サークル館を、文化系・芸術系のサークルは文化系サークル館を中心にスペースを持ち活動している。 4月の入学式後には、新歓祭と呼ばれる、新入生歓迎とサークル勧誘を目的としたイベントが第1エリアを会場として行われている。 旧図書館情報大学のサークルは、統合後の部員減少により、その多くが解散・統合した。残っているサークルは文サ・芸サの所属により課外活動団体としての存続、もしくは一般学生団体として存続するなどしており、今でも春日地区において活動を続けている。 医学系の学生を主な対象とした医学支部も設置されている。 ダンス部は国立大学屈強の一つであり、全日本高校・大学ダンスフェスティバルでは文部科学大臣賞(優勝)を平成13年から平成19年にかけて5度受賞している。剣道部は私立の体育大学と対等に勝負できる実力があり、全国大会の常連であり、優勝経験もある。 筑波大学には、毎年11月の金・土・日に筑波キャンパスの体芸棟から第2・第3エリアまでを使って行われる「雙峰祭」(そうほうさい)という名称の学園祭が存在する。模擬店祭と揶揄されることがあるほどの模擬店数(特に飲食関係)が特徴であるが、2001年より学内の研究成果の公開を目的とした学術研究企画が始まった。中でも、そのきっかけとなった「MRI による骨粗鬆症診断」は、ユニークな企画として大変な人気となっている。なお、学園祭の運営は、全学学類・専門学群代表者会議の下部組織である、学園祭実行委員会によって行われているが、過去には学生側と大学側が衝突する事態も発生し、1980年と1984年の2回、大学側によって中止が決定された。 その他に、「やどかり祭」(宿舎祭)という、毎年5月末の金・土に平砂宿舎地区を使って行われる祭が存在する。各宿舎に入居する学群1年生の多くがクラス毎に模擬店を出すのが慣例となっている。伝統的な企画としては、「ゆかコン」(ゆかたコンテスト)という有志団体による対抗パフォーマンスイベント(第39回までは学群対抗)と、各学群が製作した御輿によるイベントがある。運営は、他の組織とは独立した組織である、宿舎祭実行委員会が行っている。 かつては多数の学類誌が存在したが、2019年現在発行されているのは以下の3誌である(いずれも情報学群)。 筑波大学は大学スポーツ協会 (UNIVAS) には参加していない。 筑波大学のメインキャンパスである。 敷地面積が広大なことから日本の大学としては特異なキャンパス交通システムを構築している。期間有効のパスを購入することによって、学内を交通しているバスが一年間乗り降り自由となっている。 東京キャンパス文京校舎は、以前は大塚キャンパス(後述の秋葉原地区設置後は東京キャンパス大塚地区)と呼ばれていた。かつての東京教育大学の跡地にあり、その一部は文京区の教育の森公園等になっているが、のちに附属小学校が存置されている。また2011年9月に放送大学との合築による文京校舎(地下1階、地上6階)が整備され、生涯学習のための拠点機能を持ったキャンパスとして位置付けられている。 つくばエクスプレス開業に合わせる形で、秋葉原ダイビル内(14・15階)に秋葉原地区が設置されていたが、文京校舎の整備により廃止された。また文京校舎の工事期間(2010年3月より2011年8月まで)には、一時移転先として文京区小日向の旧文京区立第五中学校や、千代田区神田神保町の住友不動産一ツ橋ビルおよび住友神保町ビルの一部を利用していた。 筑波大学には以下の5つの宿舎が存在する。定員は約4000人であり、全て筑波キャンパスにある。 開学当初、民間による学生向け下宿の供給が見込めなかったことから、学生の約6割を収容できる規模で計画された。しかし、開学後に大学周辺における学生向け下宿の供給が進んだことを受け、収容する学生の割合を4割台に減少させる計画変更が行われた。以前は1年生・2年生のほぼ全員が入居したが、のちにほぼ1年生だけになった。団地のような規模であり、開学当初は贅沢すぎる学生寮としてマスコミに批判された。 2017年(平成29年)4月には平砂地区南東部にPFIを導入して、シェアハウス形式の新たな宿舎である「グローバルヴィレッジ」の運用が開始された。 筑波大学においては、大学が認める生協組織はないため、学内の全ての売店・食堂等は、筑波大学厚生会を通じて入居した一般の業者が営業している。 筑波キャンパスには講義棟や学生宿舎共用棟、本部棟などに約20箇所の食堂がある。一般的なカフェテリア以外にも、喫茶店やそば屋、スープレストランなどもある。2007年12月には旧第3エリア名店街がリニューアルし、フードコート形式となった。2008年3月には中央図書館内でスターバックスが営業を開始した。 店舗の数も多く、パン・弁当の出張販売が各エリアで行われているほか書店が6箇所、ATMは常陽銀行は3箇所に、ゆうちょ銀行は2箇所に、三井住友銀行(三菱UFJ銀行との共同利用対象ATM)は1箇所にある。郵便局、画材店、コンビニエンスストア、旅行代理店、大学グッズ専門店、教職員向けの保育所なども存在する。 筑波大学は、1982年の日本の大学教授市場占拠率(常勤講師以上)では、東大、京大、東北大に次ぐ4位だが、1982年の筑波大学自体の教授陣の自給率は18位より下であり、他大学出身の教授たちが多い。そのために教授陣の結束が弱く、筑波移転や東京文理科大学設置などの重要な契機に、内紛が起きた。 本大学総合研究B棟には、コミュニティ放送放送局であるつくばコミュニティ放送の送信所が置かれている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "筑波大学(つくばだいがく、英語: University of Tsukuba)は、茨城県つくば市にある国立大学である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "設置者である国立大学法人筑波大学は指定国立大学法人で、文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校でもある。広島大学と共に旧二文理大である。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1872年(明治5年)に日本で最初に設立された師範学校を創基とする、東京師範学校(のちの東京教育大学)が前身である。昌平坂学問所(昌平黌、しょうへいこう)を一部引き継ぐ形で設立された経緯もあり、その創立は日本で最も古い大学群の一つとして知られる。キャンパスが狭隘で分散していたため、1963年(昭和38年)8月27日に閣議決定された筑波研究学園都市への移転が議論され始めた。その後、教授会間の意見のずれや学生運動による入試中止等により、ますます大学改革議論が高まりを見せ、1973年(昭和48年)10月に新構想大学として、東京教育大学を母体に発足した。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "筑波大学は筑波キャンパスの他に旧東京教育大学の敷地の一部も所管している。東京都文京区大塚の旧東京教育大学の本部敷地には東京キャンパス文京校舎(旧称:大塚地区)として、首都圏にある附属学校を統括する学校教育局と社会人対象の夜間大学院である大学院ビジネス科学研究科、法科大学院や各種研究センターを設置している。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "国立科学博物館は1889年(明治22年)から1914年(大正3年)に「東京教育博物館」として再独立するまで、東京高等師範学校の附属機関として存在した。前身の東京教育大学は、4つの学校(東京文理科大学、東京高等師範学校、東京農業教育専門学校、東京体育専門学校)を母体としており、さらに筑波大学になってからも2002年(平成14年)に図書館情報大学と統合するなど、様々な機関の歴史を背景にしている。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "「開かれた大学」「柔軟な教育研究組織」「新しい大学の仕組み」を基本理念として、以下の目標を掲げている。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "筑波大学のキャンパスは大きく分けて筑波キャンパス、東京キャンパスの2つに分かれている。筑波キャンパスの面積は 2,577,286m と、大学の単一キャンパスとしては国内第2位の大きさである(ちなみに、第1位は九州大学伊都地区、第3位は広島大学東広島キャンパス。総面積では、第1位は北海道大学、第2位は東京大学、第3位は九州大学)。ほとんどの教育・研究活動はここを中心に行われている。東京キャンパスは社会人大学院などのために使われている。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "開学以来、「研究」と「教育」を分離していることが一つの特徴となっている。さらに、教育組織としての教養部が存在せず、開学から全学共通の一般教養と学群・学類毎の専門教育を並行して受講するくさび型教育体制を採っている。これは1991年の大学設置基準の大綱化を先取りした形になっている。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "特に、医学専門学群は、旧来の2年制進学課程と4年制専門課程の区別を廃した6年一貫教育を日本の医学部で初めて行い、その後、筑波大に追随して6年制一貫教育を実施する新設医科大学も現れ始めている。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "大学院には3つの学術院、大学には10個の学群がある。研究施設として複数の全国共同利用施設、学内共同教育研究施設を持つ。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』の「THE世界大学ランキング 2019-2020」では、第401-450位、アジア第55位、国内第8位である。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "2019年1月24日、軍事利用を目的とする研究は行わないとの基本方針を発表した。国内外の軍事、防衛機関から資金提供を受けて行う研究など、成果が軍事転用される可能性がある場合は、学内で事前審査する。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "積極的に産学連携活動を行っており、筑波大学発ベンチャー企業数は平成18年度末で61件(日本の大学で第3位)である。また、平成18年度の大学発ベンチャー新設数は8件(日本の大学で第1位)である。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "2008年11月より学生活動支援GPに採択されたつくばアクションプロジェクト (T-ACT) が開始されている。これは学生の主体的な活動を支援する目的で大学・教員・学生の相互的な支援ネットワークを構築し活動のスタートアップサポートを行う組織である。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "(沿革節の主要な出典は公式サイト)", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "本学は1970年(昭和45年)に成立の筑波研究学園都市建設法および1973年(昭和48年)に国立学校設置法等の一部を改正する法律(昭和48年9月29日法律第103号)により改正された国立学校設置法(2004年廃止)により設置された。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "大学設置の根拠となった1973年の国立学校設置法については、民主教育をすすめる国民運動(総評、中立労連、日教組などの労働組合、日本科学者会議、日本子どもを守る会など16団体が参加)が撤回を求めて強い反対運動を行った。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "なお、本学の前身であった東京教育大学は、1978年(昭和53年)3月末に閉鎖された。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "2002年(平成14年)、国立学校設置法の一部を改正する法律(平成14年法律第23号)により図書館情報大学と統合した。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "校章や大学名書体、基本色などの規格と使用基準 (VI: Visual Identification System) を定めている。", "title": "基礎データ" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "『紫峰』という名の発行物もあるように紫色は筑波大学のキーワードとなっている。スクールカラーは「筑波紫」(HTML#6600CC) である。体育会所属団体のユニフォームは2012年から「FUTURE BLUE」と称する淡い青色を用いることで統一されている。", "title": "基礎データ" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "筑波大学の校章は「五三の桐葉型」である。この桐章は東京高等師範学校の附属小中学校(のちの筑波大附属小、同附属中・高)で1888年11月に校章として制定されたことに起源を持つ。これは明治天皇の行幸の際、皇室の御紋章である五七の桐章を校章に用いるようご沙汰を頂いたことによる。しかし五七の桐では不敬にわたることがあってはとの理由で五三の桐となった。", "title": "基礎データ" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "その後、母体である東京高師においても1903年に改定された「東京高等師範学校生徒徽章」で制定され、1949年製作の東京教育大学学生バッジにも受け継がれている。「桐紋」と呼ばれる図形は、菊花紋章と並んで日本国の伝統的な紋章として用いられているが、筑波大学の校章は花の部分のみ「蔭」で表現される独特なものである。", "title": "基礎データ" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "平成22年度より開学の理念を象徴するスローガンとして「IMAGINE THE FUTURE.」を使用しており、掲示物に取り入れられているほか、横断幕などが学内の至るところで掲揚されている。考案はOBの一倉宏による。", "title": "基礎データ" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "公式配布物である学生便覧に学生歌『常陸野の』および『筑波のガマ』の歌詞が掲載されていることから、実質上の校歌になっているといえる。『常陸野の』は入学式、卒業式の時に歌われる。入学式には新入生に歌詞が配られ、伴奏のもと校歌練習が行われる。しかし、学生に浸透しているとは言い難く、体育会の学生の間では宣揚歌『桐の葉』がよく歌われている。また、「IMAGINE THE FUTURE」の合唱等している学生も見受けられる。", "title": "基礎データ" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "教育研究上の基本となる組織の一つで、学生(大学院生などを除く)が所属する教育組織である。大学院が部局化されていない多くの大学の学部や学科では教員と大学院生もこの中に含まれるが、学類/学系制では教育組織としての学群・学類と、教員および大学院生が所属する研究組織としての「学系」が異なる体系で存在している(この分類は、筑波大学以外に福島大学、桜美林大学などでも採用されている)。", "title": "教育および研究" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "既存のどの学群にも属さない「総合学域群」を2020年に開設し、翌2021年4月より学生受入を開始した。これは総合選抜入試に合格し入学した1年次生のみが属する学群で、各学群の開設する科目から自身の関心に合致するものを履修しながら、進級先としたい学群を絞り込むことができる。2年次以降は学生自身の希望に基づいて各学群に所属し教育を受ける。また、一部の学類は前期日程での学類独自選抜をとりやめた(推薦入試や後期日程での選抜は継続)。", "title": "教育および研究" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "筑波大学の「学群・学類」制度は、学際性、文理融合などの観点に基づいていた。当時、学類の英訳が「college」であり、ナンバー学群の英訳が「cluster of colleges」であることから、他大学の学部・学科とは異なる観点から区分されていたことが分かる。しかし、受験生や社会一般に対して理解しにくいという評価が長年あったことや、2000年から2001年にかけて行われた大学院の再編などを受け、学群・学類の再編成を行うことになり、2005年7月21日に正式発表された。", "title": "教育および研究" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "主な変更事項は以下の通り:", "title": "教育および研究" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "総定員に変更はない(2007年現在)。平成19年(2007年)度新入生から適用される。なお、2006年度までの学群学類制での入学者(および2008年度までの3年次編入学生)は卒業するまで、所属に関する変更は行わない予定である。", "title": "教育および研究" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "※2008年度までの3年次編入学生は従前の学群に属することとなる。", "title": "教育および研究" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "2020年度より学位プログラム制へ全面移行する。また、最終的には「大学院の一組織化(一学術院化)」を目指すとしている。 なお、専門職大学院など一部の専攻は研究群には組み込まれない(各学術院の一専攻として教育活動が行われる)。", "title": "教育および研究" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "2020年度入学生については、2019年11月まではいったん現在の専攻のもとで学生募集し、入学試験に合格した者に対しては新しい組織のもとで教育活動が行われる。また、教員の主担当変更に伴う所属の変更や複数学位の一本化などがあるため、新たな組織の研究群・専攻や授与される学位は従前の組織の専攻・学位とは必ずしも対応しない。", "title": "教育および研究" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "それまでの8研究科85専攻は、学生の在学中は新組織と併存する。", "title": "教育および研究" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "筑波大学の社会人大学院は、ビジネス科学研究科 (GSBS) の3課程5専攻と人間総合科学研究科2課程4専攻を有している。", "title": "教育および研究" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "特徴", "title": "教育および研究" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "特徴", "title": "教育および研究" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "大学、または大学院課程で分野を横断する学位プログラム等の実施、運営を行うことを目的として、2011年12月に設置した。", "title": "教育および研究" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "2011年10月から新たな教員組織として10の「系」を設置した。教員は原則として、このいずれかの「系」に属する。", "title": "教育および研究" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "「系」の設置以前は教員研究組織として「学系」が設置されていたが、実際には教員は大学院研究科に所属していた。「学系」の役割は失われており、2012年3月をもって廃止となった。", "title": "教育および研究" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "筑波キャンパスの図書館は中央・体芸・医学・図書館情報学の4館に分かれる。日本の大学図書館としては珍しい全面開架方式を採っており、貴重書などを除いて利用者が本を自由に手に取ることができる。さらに学生・教職員ならば全ての図書館を自由に利用でき、学外者も所定の手続きを取れば利用可能としている。延べ入館者数は年間100万人を超える。", "title": "附属機関" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "中央図書館の蔵書数は約176万冊で、文理を問わず幅広い分野の本を揃える。体芸・医学・図書館情報学の各図書館は、各分野に特化した蔵書が主であり、蔵書数は各館とも20万冊前後である。", "title": "附属機関" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "上記4館のほか、東京キャンパスに大塚図書館がある。", "title": "附属機関" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "附属学校は11校あり、附属学校教育局が統括している。また、前身である東京教育大学閉学の際には、大学本体のみが茨城県つくば市へ移転し、各附属校は元の場所に残された。", "title": "附属機関" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "附属校も変遷を経ており、東京師範学校の創立直後に日本初の小学校として附属小学校が、その後1888年に旧制中学校として附属中学校・高等学校が創立。戦後の教育改革の流れの中で東京農業教育専門学校の附属校として駒場中学校・高校が創立された他、別の国立学校だった東京盲学校・東京聾唖学校から盲学校とろう学校が、地元自治体により創立され提携関係となっていた坂戸高校が移管。その後都内の身体障害者施設への教員派遣をきっかけに桐が丘養護学校が、明治末期から設置されていた附属小学校と中学校の特殊学級から分割する形で大塚養護学校が創立された。さらに、平成16年4月1日の国立学校設置法などの廃止と国立大学法人法などの施行に伴う法改正で、従来別の国立学校だった久里浜養護学校が筑波大学に移管されて附属校となった。平成19年4月1日の文部科学省令の改正により、附属養護学校は附属特別支援学校となり、特別支援学校に包含された盲学校・ろう学校はそれぞれ「視覚特別支援学校」「聴覚特別支援学校」へと名称を変更した。", "title": "附属機関" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "なお、筑波大学の同窓会である茗渓会は、茨城県つくば市に茗溪学園中学校・高等学校を運営している。同校は茗渓会設立100周年の記念事業として、また附属校が筑波研究学園都市に移転できなかった事情もあり、同地に創立された。", "title": "附属機関" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "(この節の主要な出典)", "title": "附属機関" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "(この節の主要な出典)", "title": "附属機関" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "(この節の主要な出典)", "title": "附属機関" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "採択4件", "title": "研究" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "採択1件", "title": "研究" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "システム情報工学研究科コンピュータサイエンス専攻は、2006年9月に文部科学省の先導的ITスペシャリスト育成推進プログラムの採択を受け、プロジェクト高度IT人材育成のための実践的ソフトウェア開発専修プログラムを発足している。", "title": "研究" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けて、文部科学省が実施する「スポーツ・アカデミー形成支援事業」の委託先大学(Aタイプ)に採択された。オリンピズムの普及とスポーツ医科学研究の推進を図るため、同じく採択を受けた鹿屋体育大学および日本体育大学と連携し、各国の体育・スポーツ系大学とのネットワーク構築を目指している。", "title": "研究" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "システム情報工学研究科は、2006年4月に日本経済団体連合会(経団連)の高度情報通信人材育成部会から「高度情報通信人材育成に係る重点協力拠点」認定を受けている。", "title": "研究" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "大学負担によるアジア太平洋経済協力(APEC)の研究プロジェクトでは、タイのコンケン大学と共同で数学及び科学に関する研究を行っている。", "title": "研究" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "筑波大学には、", "title": "学生生活" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "という大学公認の学生組織があり、一般的な大学での自治会の代替的組織として学生の大学生活面における諸問題について、大学側と折衝を行っている。", "title": "学生生活" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "筑波大学には、サークルの登録制度があり、課外活動団体(大学公式サークル)、一般学生団体(大学登録サークル)、その他の団体(大学非登録サークル、草サークル)の3段階に分けられる。", "title": "学生生活" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "課外活動団体は大学教員を顧問とし、代表および副代表を置き、3系と称される文化系サークル連合会(文サ)・体育会・芸術系サークル連合会(芸サ)の3団体のうち、いずれかの団体の審査を受けて正式加盟していることが、団体として認定される必須条件となっており、紫峰会からの活動援助金支給・大学からの物品支給・サークル活動場所(ミーティングスペースや荷物置き場)の提供・施設予約の優先などの権利が与えられる。", "title": "学生生活" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "一般学生団体は大学教員を顧問とし、代表及び副代表をおくことが、登録においての必須条件となっている。", "title": "学生生活" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "体育系の団体は主に体育系サークル館を、文化系・芸術系のサークルは文化系サークル館を中心にスペースを持ち活動している。", "title": "学生生活" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "4月の入学式後には、新歓祭と呼ばれる、新入生歓迎とサークル勧誘を目的としたイベントが第1エリアを会場として行われている。", "title": "学生生活" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "旧図書館情報大学のサークルは、統合後の部員減少により、その多くが解散・統合した。残っているサークルは文サ・芸サの所属により課外活動団体としての存続、もしくは一般学生団体として存続するなどしており、今でも春日地区において活動を続けている。", "title": "学生生活" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "医学系の学生を主な対象とした医学支部も設置されている。 ダンス部は国立大学屈強の一つであり、全日本高校・大学ダンスフェスティバルでは文部科学大臣賞(優勝)を平成13年から平成19年にかけて5度受賞している。剣道部は私立の体育大学と対等に勝負できる実力があり、全国大会の常連であり、優勝経験もある。", "title": "学生生活" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "筑波大学には、毎年11月の金・土・日に筑波キャンパスの体芸棟から第2・第3エリアまでを使って行われる「雙峰祭」(そうほうさい)という名称の学園祭が存在する。模擬店祭と揶揄されることがあるほどの模擬店数(特に飲食関係)が特徴であるが、2001年より学内の研究成果の公開を目的とした学術研究企画が始まった。中でも、そのきっかけとなった「MRI による骨粗鬆症診断」は、ユニークな企画として大変な人気となっている。なお、学園祭の運営は、全学学類・専門学群代表者会議の下部組織である、学園祭実行委員会によって行われているが、過去には学生側と大学側が衝突する事態も発生し、1980年と1984年の2回、大学側によって中止が決定された。", "title": "学生生活" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "その他に、「やどかり祭」(宿舎祭)という、毎年5月末の金・土に平砂宿舎地区を使って行われる祭が存在する。各宿舎に入居する学群1年生の多くがクラス毎に模擬店を出すのが慣例となっている。伝統的な企画としては、「ゆかコン」(ゆかたコンテスト)という有志団体による対抗パフォーマンスイベント(第39回までは学群対抗)と、各学群が製作した御輿によるイベントがある。運営は、他の組織とは独立した組織である、宿舎祭実行委員会が行っている。", "title": "学生生活" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "かつては多数の学類誌が存在したが、2019年現在発行されているのは以下の3誌である(いずれも情報学群)。", "title": "学生生活" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "筑波大学は大学スポーツ協会 (UNIVAS) には参加していない。", "title": "学生生活" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "筑波大学のメインキャンパスである。", "title": "施設" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "敷地面積が広大なことから日本の大学としては特異なキャンパス交通システムを構築している。期間有効のパスを購入することによって、学内を交通しているバスが一年間乗り降り自由となっている。", "title": "施設" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "東京キャンパス文京校舎は、以前は大塚キャンパス(後述の秋葉原地区設置後は東京キャンパス大塚地区)と呼ばれていた。かつての東京教育大学の跡地にあり、その一部は文京区の教育の森公園等になっているが、のちに附属小学校が存置されている。また2011年9月に放送大学との合築による文京校舎(地下1階、地上6階)が整備され、生涯学習のための拠点機能を持ったキャンパスとして位置付けられている。", "title": "施設" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "つくばエクスプレス開業に合わせる形で、秋葉原ダイビル内(14・15階)に秋葉原地区が設置されていたが、文京校舎の整備により廃止された。また文京校舎の工事期間(2010年3月より2011年8月まで)には、一時移転先として文京区小日向の旧文京区立第五中学校や、千代田区神田神保町の住友不動産一ツ橋ビルおよび住友神保町ビルの一部を利用していた。", "title": "施設" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "筑波大学には以下の5つの宿舎が存在する。定員は約4000人であり、全て筑波キャンパスにある。", "title": "施設" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "開学当初、民間による学生向け下宿の供給が見込めなかったことから、学生の約6割を収容できる規模で計画された。しかし、開学後に大学周辺における学生向け下宿の供給が進んだことを受け、収容する学生の割合を4割台に減少させる計画変更が行われた。以前は1年生・2年生のほぼ全員が入居したが、のちにほぼ1年生だけになった。団地のような規模であり、開学当初は贅沢すぎる学生寮としてマスコミに批判された。", "title": "施設" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "2017年(平成29年)4月には平砂地区南東部にPFIを導入して、シェアハウス形式の新たな宿舎である「グローバルヴィレッジ」の運用が開始された。", "title": "施設" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "筑波大学においては、大学が認める生協組織はないため、学内の全ての売店・食堂等は、筑波大学厚生会を通じて入居した一般の業者が営業している。", "title": "施設" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "筑波キャンパスには講義棟や学生宿舎共用棟、本部棟などに約20箇所の食堂がある。一般的なカフェテリア以外にも、喫茶店やそば屋、スープレストランなどもある。2007年12月には旧第3エリア名店街がリニューアルし、フードコート形式となった。2008年3月には中央図書館内でスターバックスが営業を開始した。 店舗の数も多く、パン・弁当の出張販売が各エリアで行われているほか書店が6箇所、ATMは常陽銀行は3箇所に、ゆうちょ銀行は2箇所に、三井住友銀行(三菱UFJ銀行との共同利用対象ATM)は1箇所にある。郵便局、画材店、コンビニエンスストア、旅行代理店、大学グッズ専門店、教職員向けの保育所なども存在する。", "title": "施設" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "筑波大学は、1982年の日本の大学教授市場占拠率(常勤講師以上)では、東大、京大、東北大に次ぐ4位だが、1982年の筑波大学自体の教授陣の自給率は18位より下であり、他大学出身の教授たちが多い。そのために教授陣の結束が弱く、筑波移転や東京文理科大学設置などの重要な契機に、内紛が起きた。", "title": "大学関係者と組織" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "本大学総合研究B棟には、コミュニティ放送放送局であるつくばコミュニティ放送の送信所が置かれている。", "title": "放送送信設備" } ]
筑波大学は、茨城県つくば市にある国立大学である。 設置者である国立大学法人筑波大学は指定国立大学法人で、文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校でもある。広島大学と共に旧二文理大である。
{{日本の大学 |大学名 = 筑波大学 |ふりがな = つくばだいがく |英称 = University of Tsukuba |国 = 日本 |画像 =Univoftsukuba2006.jpg |ロゴ=[[File:Logo of University of Tsukuba.svg|210px]] |pxl = 250 |画像説明 = 筑波キャンパス |創立年 = 1872年<!--「師範学校」の設立年です--> |大学設置年 = 1973年 |学校種別 = 国立 |設置者 = [[国立大学法人|国立大学法人筑波大学]] |本部所在地 = [[茨城県]][[つくば市]][[天王台 (つくば市)|天王台]]一丁目1-1 |緯度度 = 36|緯度分 = 6|緯度秒 = 41 |経度度 = 140|経度分 = 6|経度秒 = 14 |キャンパス = [[筑波大学筑波キャンパス|筑波]](茨城県つくば市天王台)<br />東京([[東京都]][[文京区]]) |学部 = [[筑波大学人文・文化学群|人文・文化学群]]<br />社会・国際学群<br />人間学群<br />[[筑波大学生命環境学群|生命環境学群]]<br />[[筑波大学理工学群|理工学群]]<br />[[情報学群]]<br />医学群<br />体育専門学群<br />[[筑波大学芸術専門学群|芸術専門学群]]<br />総合学域群 |研究科 = 教育研究科<br >人文社会科学研究科<br />ビジネス科学研究科<br />数理物質科学研究科<br />システム情報工学研究科<br />生命環境科学研究科<br />人間総合科学研究科<br />図書館情報メディア研究科<br />人文社会ビジネス科学学術院<br />理工情報生命学術院<br />人間総合科学学術院 |ウェブサイト = {{official URL}} }} '''筑波大学'''(つくばだいがく、{{Lang-en|University of Tsukuba}})は、[[茨城県]][[つくば市]]にある[[国立大学]]である。 [[学校の設置者|設置者]]である'''国立大学法人筑波大学'''は[[国立大学法人#指定国立大学法人|指定国立大学法人]]で、[[文部科学省]]が実施している[[スーパーグローバル大学]]事業のトップ型指定校でもある。[[広島大学]]と共に[[旧二文理大]]である。 == 概観 == === 大学全体 === [[画像:Tokyo Bunkyo School Building, Univ. of Tsukuba ver.2.jpg|220px|thumb|東京キャンパス文京校舎(2019年)]] [[画像:University of Tsukuba otsuka campus bunkyo 2009.JPG|220px|thumb|東京キャンパス大塚地区(2009年)]] [[1872年]]([[明治5年]])に日本で最初に設立された[[師範学校]]を創基とする、[[東京高等師範学校#東京師範学校|東京師範学校]](のちの[[東京教育大学]])が前身である。[[昌平坂学問所]](昌平黌、しょうへいこう)を一部引き継ぐ形で設立された経緯もあり、その創立は日本で最も古い大学群の一つとして知られる。[[キャンパス]]が狭隘で分散していたため、[[1963年]]([[昭和]]38年)[[8月27日]]に[[閣議 (日本)#閣議の意思決定|閣議決定]]された[[筑波研究学園都市]]への移転が議論され始めた。その後、[[教授会]]間の意見のずれや[[学生運動]]による入試中止等により、ますます大学改革議論が高まりを見せ、[[1973年]](昭和48年)[[10月]]に[[新構想大学]]として、東京教育大学を母体に発足した<ref>『文理科大学新聞 教育大学新聞 縮刷版 1946-1973』pp647-1036</ref>。 筑波大学は[[筑波大学筑波キャンパス|筑波キャンパス]]の他に旧[[東京教育大学]]の敷地の一部も所管している。[[東京都]][[文京区]][[大塚 (文京区)|大塚]]の旧東京教育大学の本部敷地には東京キャンパス文京校舎(旧称:大塚地区)として、[[首都圏 (日本)|首都圏]]にある[[附属学校]]を統括する学校教育局と[[社会人]]対象の[[夜間大学院]]である大学院[[ビジネス科学研究科]]、法科大学院や各種研究センターを設置している。 [[国立科学博物館]]は[[1889年]](明治22年)から[[1914年]]([[大正]]3年)に「東京教育博物館」として再独立するまで、[[東京高等師範学校]]の附属機関として存在した。前身の東京教育大学は、4つの学校([[東京文理科大学 (旧制)|東京文理科大学]]、[[東京高等師範学校]]、[[東京農業教育専門学校 (旧制)|東京農業教育専門学校]]、[[東京体育専門学校 (旧制)|東京体育専門学校]])を母体としており、さらに筑波大学になってからも[[2002年]]([[平成]]14年)に[[図書館情報大学]]と統合するなど、様々な機関の歴史を背景にしている。 === 基本的な目標 === 「開かれた大学」「柔軟な教育研究組織」「新しい大学の仕組み」を基本理念として、以下の目標を掲げている<ref>[http://www.tsukuba.ac.jp/about/concept.html 筑波大学|大学案内|基本的な目標]</ref>。 # 自然と人間、社会と文化に係る幅広い学問分野において、深い専門性を追求すると同時に、既存の学問分野を越えた協同を必要とする領域の開拓に積極的に取り組み、国際的に卓越した研究を実現する。 # 高度で先進的な研究に裏打ちされた学士課程から博士課程までの教育を通じて学生の個性と能力を開花させ、豊かな人間性と創造的な知力を蓄え、自立して国際的に活躍できる人材を育成する。 # 科学技術研究機関が集積する筑波研究学園都市の中核として、教育研究諸機関および産業界との連携に積極的に取り組み、自らの教育研究機能の充実・強化を図るとともに、広く社会の発展に貢献する。 # アジアをはじめ世界の国々や地域に開かれた大学として、国際的通用性のある教育研究活動の展開と連携交流に積極的に取り組み、国際的な信頼性と発信力を有する大学を実現する。 # 教員と職員のそれぞれが個性と多様な能力を発揮しつつ協働することにより、次代における大学のあり方を追求し、新しい仕組みを実現するための大学改革を先導する。<!-- === 大学像 === [[国立大学法人]]化後のめざすべき大学像として「つくばダイアモンド」<ref>{{Wayback |url = http://www.tsukuba.ac.jp/about/diamond.html |title = つくばダイアモンドについて |date = 20090414150434 }}</ref>を標榜している。「つくばダイアモンド」は[[正八面体]]の[[ダイヤモンド]]の結晶の形をしており、その6つの頂点に筑波大学が大切にしようとしている「6つの個性」を配置しているという。 つくばダイアモンド: * Creativity(創造的であること) * Integrity(誠実で期待を裏切らないこと) * Friendliness(親しみやすく親切なこと) * Strength(肉体的・精神的に強く持続力があること) * Enthusiasm(情熱にあふれ集中力が高いこと) * Intelligence(知性に富み体系的な知識をもつこと) 2010年には学長とOB一倉のタッグによってTSUKUBA BRANDING PROJECTが始まった。 これはIMAGINE THE FUTURE.を標語とし、筑波大学を未来構想大学として ブランド化するプロジェクトである。--> === 教育および研究 === 筑波大学のキャンパスは大きく分けて筑波キャンパス、東京キャンパスの2つに分かれている。筑波キャンパスの面積は 2,577,286[[平方メートル|m{{sup|2}}]] と、大学の単一キャンパスとしては国内第2位の大きさである(ちなみに、第1位は[[九州大学伊都地区]]、第3位は[[広島大学]]東広島キャンパス。総面積では、第1位は[[北海道大学]]、第2位は[[東京大学]]、第3位は九州大学)<ref>[https://woman.mynavi.jp/article/130609-012/ 日本で一番キャンパスが広い大学はどこ?1位は北大「日本国土の570分の1」も][[マイナビ]]ウーマン(2013年6月9日)2019年11月25日閲覧</ref>。ほとんどの教育・研究活動はここを中心に行われている。東京キャンパスは[[社会人大学院]]などのために使われている。 開学以来、「研究」と「教育」を分離していることが一つの特徴となっている。さらに、教育組織としての[[教養部]]が存在せず、開学から全学共通の一般教養と学群・学類毎の専門教育を並行して受講する[[教養課程と専門課程#大学設置基準の大綱化|くさび型教育体制]]を採っている。これは[[1991年]]の[[大学設置基準]]の[[大学設置基準の大綱化|大綱化]]を先取りした形になっている。 特に、医学専門学群は、旧来の2年制[[進学課程 (医歯学部)|進学課程]]と4年制専門課程の区別を廃した6年一貫教育を日本の医学部で初めて行い、その後、筑波大に追随して6年制一貫教育を実施する[[医科大学#1970年代|新設医科大学]]も現れ始めている。 大学院には3つの学術院、大学には10個の学群がある。研究施設として複数の全国共同利用施設、学内共同教育研究施設を持つ。 『[[タイムズ・ハイアー・エデュケーション]]』の「[[THE世界大学ランキング]] 2019-2020」では、第401-450位、アジア第55位、国内第8位である。 2019年1月24日、軍事利用を目的とする研究は行わないとの基本方針を発表した。国内外の軍事、防衛機関から資金提供を受けて行う研究など、成果が軍事転用される可能性がある場合は、学内で事前審査する<ref>{{Cite web|和書|url=https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15483286651259 |title=【茨城新聞】筑波大「軍事研究行わない」 基本方針公表 可能性あれば審査 |accessdate=2019-01-28 |date=2019-01-25 |website=ibarakinews.jp |publisher=[[茨城新聞]]クロスアイ}}</ref>。 === 学風および特色 === 積極的に[[産学連携]]活動を行っており、筑波大学発[[ベンチャー企業]]数は平成18年度末で61件(日本の大学で第3位)である。また、平成18年度の大学発ベンチャー新設数は8件(日本の大学で第1位)である<ref>{{Wayback |url=http://www.kanto.meti.go.jp/seisaku/internship/index_UV.html |title=[[経済産業省]] [[関東経済産業局]] 大学発ベンチャーについて |date=20090613043034}}</ref>。 2008年11月より学生活動支援GPに採択されたつくばアクションプロジェクト (T-ACT) が開始されている。これは学生の主体的な活動を支援する目的で大学・教員・学生の相互的な支援ネットワークを構築し活動のスタートアップサポートを行う組織である。 == 沿革 == (沿革節の主要な出典は公式サイト<ref name="enkaku">{{Cite web|和書|url=https://www.tsukuba.ac.jp/about/history.html |title=筑波大学の歴史(沿革) |publisher=筑波大学 |accessdate=2019-06-10}}</ref><!-- 別の出典で記事を追加するには出典をその追加記事の後に脚注を導入して付け加えて下さい。 -->) === 略歴 === 本学は[[1970年]]([[昭和]]45年)に成立の[[筑波研究学園都市建設法]]<ref group="注">{{Egov law|345AC1000000073|筑波研究学園都市建設法}}</ref>および[[1973年]](昭和48年)に国立学校設置法等の一部を改正する法律(昭和48年9月29日法律第103号)<ref>[http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/07119730929103.htm 法律第百三号(昭四八・九・二九)]</ref>により改正された[[国立学校設置法]]<ref group="注">{{Wayback |url=http://law.e-gov.go.jp/haishi/S24HO150.html |title=旧国立学校設置法 |date=2017-09-24}} - 総務省法令データ提供システム・廃止法令</ref>(2004年廃止)により設置された<ref group="注">。筑波大学は、学部組織を持たないなど独自の組織形態であったため、改正後の国立学校設置法には「第二章の二 筑波大学の組織」が特別に規定されていた。</ref>。 大学設置の根拠となった1973年の国立学校設置法については、民主教育をすすめる国民運動([[日本労働組合総評議会|総評]]、[[中立労働組合連絡会議|中立労連]]、[[日本教職員組合|日教組]]などの[[労働組合]]、[[日本科学者会議]]、[[日本子どもを守る会]]など16団体が参加)が撤回を求めて強い反対運動を行った<ref>「十六団体の聯合も反対声明 筑波大学設置法案」『朝日新聞』昭和48年(1973年)2月16日朝刊、13版、3面</ref>。 なお、本学の前身であった[[東京教育大学]]は、[[1978年]](昭和53年)3月末に閉鎖された。 [[2002年]]([[平成]]14年)、国立学校設置法の一部を改正する法律(平成14年法律第23号)<ref>[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/housei/15420020410023.htm 国立学校設置法の一部を改正する法律]</ref>により[[図書館情報大学]]と統合した。 === 年表 === * [[1970年]](昭和45年)10月 - 筑波大学建設事務所を開設。 * [[1973年]](昭和48年)[[10月1日]] - 筑波大学が開学。第一[[学群]](人文学類、社会学類、自然学類)、医学専門学群、体育専門学群、附属図書館を設置。 * [[1975年]](昭和50年)- 第二学群(比較文化学類、人間学類、生物学類、農林学類)、芸術専門学群、大学院修士課程地域研究研究科を設置。 * [[1976年]](昭和51年)- [[筑波大学附属病院]]を開設。 * [[1977年]](昭和52年)- 第三学群設置([[社会工学]]類、情報学類、基礎工学類)。 * [[1978年]](昭和53年)- 東京教育大学が閉学。大学院博士課程社会工学研究科、[[医療技術短期大学]]部を設置。 * [[1980年]](昭和55年)- 大学院博士課程医学研究科を設置。 * [[1981年]](昭和56年)- 大学院博士課程工学研究科を設置。 * [[1983年]](昭和58年)- 第三学群[[国際関係学部|国際関係学類]]設置。 * [[1985年]](昭和60年)- 第二学群日本語・日本文化学類設置。 * [[1989年]]([[平成]]元年)[[4月1日]] ** [[大塚_(文京区)|大塚]]キャンパスに大学院経営・政策科学研究科の1専攻として経営学[[社会人大学院]]「経営システム科学専攻 (GSSM)」を設置。 * [[1990年]](平成2年)- 大塚キャンパスの法学系[[社会人大学院]]として「企業法学専攻」が追加設置される。 * [[1991年]](平成3年)- 第三学群工学システム学類設置。 * [[1994年]](平成6年)- 農林学類を生物資源学類に改称。 * [[1995年]](平成7年)- 国際関係学類を国際総合学類へ改組。 * [[1996年]](平成8年)- 大塚キャンパスの法学系社会人大学院に博士後期課程が追加され、「企業科学専攻」が設置される。 * [[1998年]](平成10年) ** 基礎工学類を工学基礎学類へ改組。 ** 大塚キャンパスの[[社会人大学院]]が経営・政策科学研究科から改組・再編され、独立研究科として「[[ビジネス科学研究科]]」が設置される。 * [[2002年]](平成14年)10月1日 ** 図書館情報大学と統合。 *** [[春日 (つくば市)|春日]]キャンパス(筑波キャンパス春日地区)設置。 *** 図書館情報専門学群および大学院博士課程図書館情報メディア研究科を設置。 ** [[筑波大学医療技術短期大学部|医療技術短期大学部]]の学生募集停止。医学専門学群を改組し、医学類と看護・医療科学類を設置。 * [[2004年]](平成16年) ** 3月 - 図書館情報大学が最後の卒業生を送り出し、閉学。 ** [[4月1日]] - [[国立大学法人]]筑波大学が発足。 * [[2005年]](平成17年) ** 4月1日 - [[秋葉原]]キャンパス(東京キャンパス秋葉原地区)設置。 *** [[専門職大学院]]であるビジネス科学研究科法曹専攻および国際経営プロフェッショナル専攻設置。 *** 大塚キャンパスは東京キャンパス大塚地区に名称変更。 ** [[8月24日]] - 同年[[7月22日]]限りで廃止された筑波キャンパスの「学内バス」(北地区〜春日地区を結ぶ循環路線)の代替として、新たに[[関東鉄道]]による「筑波大学循環」バス([[つくばセンター]]発着)の運行開始。学生・関係者向けに低廉な定期運賃が設定される。 * [[2006年]](平成18年)3月 - 医療技術短期大学部を廃止。 * [[2007年]](平成19年)4月 - 本年度入学の学部一年生より、7学群(内専門学群4)15学類から9学群(内専門学群2)23学類に改組された新しい学群・学類に入学。 * [[2010年]](平成22年)- 12月10日、[[嘉納治五郎]]先生之銅像除幕式([[朝倉文夫]]作)が筑波大学会館前広場で挙行。 * [[2011年]](平成23年) ** [[3月11日]] - [[東日本大震災]]で被災。被害総額は70億円に達した<ref>茨城新聞社(2011):197ページ</ref>。 ** [[9月30日]] - 旧・東京キャンパス大塚地区の再整備が完了したことを受け、東京キャンパス文京校舎の開所式を挙行<ref>{{Cite web|和書 |publisher = 筑波大学 |url= http://www.tsukuba.ac.jp/topics/20111005150649.html |title=筑波大学東京キャンパス文京校舎・放送大学東京文京学習センター合同開所式 |date=2011-09-30 |accessdate = 2015-03-21 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20150321094437/http://www.tsukuba.ac.jp/news/20111005150649.html |archivedate = 2015-03-21 }}</ref>。 * [[2013年]](平成25年)[[9月30日]] - 筑波大学石打研修所を廃止<ref>{{Cite web|和書 |url = https://www.tsukuba.ac.jp/news/20130415143453.html |title = 石打研修所廃止のお知らせ |publisher = 筑波大学 |author = 学生部学生生活課学生支援チーム |date = 2013-04-15 |accessdate = 2015-03-21 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20150321093621/https://www.tsukuba.ac.jp/news/20130415143453.html |archivedate = 2015-03-21 }}</ref>。 * [[2017年]](平成29年)4月 - 山岳科学センターが発足([[菅平高原]]実験センターと各地の[[演習林]]・実験林を統合)<ref name="山岳">[http://www.msc.tsukuba.ac.jp/about/ 山岳科学センター概要]筑波大学山岳科学センター(2019年12月7日閲覧)。</ref>。 * [[2019年]]([[令和]]元年)10月 - 2019年度入学生から必修とした[[データサイエンス]]の授業を開講<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGKKZO51808360V01C19A1TCN000/ 「筑波大、データサイエンス必修」]『[[日本経済新聞]]』朝刊2019年11月6日(大学面)2019年11月25日閲覧</ref>。 * [[2020年]](令和2年) ** [[4月1日]] - 大学院を学位プログラム制(3学術院、6研究群・6専攻)へ移行。従前の研究科・専攻は過年度入学生の在学中は存続する<ref name="grads_2020">{{Cite web|和書|url=http://www.tsukuba.ac.jp/education/pdf/degree-program/dp20190924.pdf |title=大学院課程を学位プログラム制へ全面移行(2020 年 4 月~) |format=PDF |publisher=筑波大学 |date=2019-09-24 |accessdate=2019-10-02}}</ref>。 ** [[10月15日]] - [[国立大学法人#指定国立大学法人|指定国立大学法人]]に指定<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65061040V11C20A0CR8000/ 「指定国立大」9校に 筑波大と東京医科歯科大追加]日本経済新聞2020/10/15 21:32</ref> * [[2021年]](令和3年)4月 - 前年に設置した総合学域群の学生受け入れを開始した。 == 基礎データ == === 所在地 === * 筑波キャンパス(茨城県つくば市[[天王台 (つくば市)|天王台]]一丁目1番地1) * 東京キャンパス(東京都文京区[[大塚 (文京区)|大塚]]三丁目29番1号) === 象徴 === ==== シンボルマーク ==== 校章や大学名書体、基本色などの規格と使用基準 (VI: Visual Identification System) を定めている<ref>[http://www.tsukuba.ac.jp/about/logomark.html 筑波大学のシンボルマーク]</ref>。 ==== スクールカラー ==== 『[[筑波山|紫峰]]』という名の発行物もあるように[[紫|紫色]]は筑波大学のキーワードとなっている。[[スクールカラー]]は「{{color|#6600CC|筑波紫}}」(HTML#6600CC) である。体育会所属団体のユニフォームは[[2012年]]から「FUTURE BLUE」と称する淡い青色を用いることで統一されている。 ==== 校章 ==== 筑波大学の[[校章]]は「[http://www.tsukuba.ac.jp/about/logomark.html 五三の桐葉型]」である。この桐章は[[東京高等師範学校]]の附属小中学校(のちの[[筑波大学附属小学校|筑波大附属小]]、[[筑波大学附属中学校・高等学校|同附属中・高]])で[[1888年]]11月に校章として制定されたことに起源を持つ。これは[[明治天皇]]の行幸の際、[[皇室]]の御紋章である五七の桐章を校章に用いるようご沙汰を頂いたことによる。しかし五七の桐では不敬にわたることがあってはとの理由で[[桐紋|五三の桐]]となった<ref>『創立百年史-筑波大学附属中学校・高等学校』より</ref>。 その後、母体である東京高師においても[[1903年]]に改定された「東京高等師範学校生徒徽章」で制定され、[[1949年]]製作の東京教育大学学生バッジにも受け継がれている。「[[桐紋]]」と呼ばれる図形は、[[菊花紋章]]と並んで日本国の伝統的な紋章として用いられているが、筑波大学の校章は花の部分のみ「蔭」で表現される独特なものである。 ==== スローガン ==== 平成22年度より開学の理念を象徴する[[スローガン]]として「IMAGINE THE FUTURE.」を使用しており、掲示物に取り入れられているほか、横断幕などが学内の至るところで掲揚されている。考案はOBの[[一倉宏]]による<ref>[http://www.tsukuba.ac.jp/about/branding/ 筑波大学のブランディング]</ref>。 ==== 校歌・応援歌 ==== 公式配布物である学生便覧に[[学生歌]]『[[常陸野の]]』<ref group="注">[http://www.shihoukai.gr.jp/~endan/wins/modules/tinyd1/index.php?id=4l 筑波大学学生歌「常陸野の」]</ref>および『[[筑波のガマ]]』<ref group="注">[http://www.shihoukai.gr.jp/~endan/wins/modules/tinyd1/index.php?id=8 筑波大学 学生歌 「筑波のガマ」]</ref>の歌詞が掲載されていることから、実質上の[[校歌]]になっているといえる。『常陸野の』は[[入学式]]、[[卒業式]]の時に歌われる。入学式には新入生に歌詞が配られ、伴奏のもと校歌練習が行われる。しかし、学生に浸透しているとは言い難く、体育会の学生の間では宣揚歌『[[桐の葉]]』<ref group="注">[http://www.shihoukai.gr.jp/~endan/wins/modules/tinyd1/index.php?id=1 筑波大学宣揚歌「桐の葉」]</ref>がよく歌われている。また、「IMAGINE THE FUTURE」の合唱等している学生も見受けられる。 ; 筑波大学学生歌『常陸野の』 : 筑波大学開学間もない昭和50年1月に作られた歌である。東京教育大学から筑波大学への生まれ変わりを描いているとされる。 : 作詞は青木克彦、作曲は飯島睦子。 ; 筑波大学学生歌『筑波のガマ』 : 筑波大学開学直後の時期の男子学生が(筑波大学の男子学生数は女子学生数の3倍にも上っていたため彼女を得たい一心で)学生宿舎の女子棟前で大声で歌っていたという笑い話が聞かれるが、事実ではない。実際には、『筑波のガマ』は少なくとも1980年まではほとんど歌われていない。 : 作詞は小田淳一、作曲は牧和美。 ; 筑波大学宣揚歌『桐の葉』 : [[東京高等師範学校]]時代の[[大正]]8年に大学昇格運動の一環として作成された。一番と二番の歌詞は当時学生であった大和資雄によるもので、三番の歌詞はのちに東京教育大学から筑波大学に改学される際に東京教育大学最後の学長である大山信郎によって加えられたもの。[[慶應義塾大学]]の応援歌が元曲である。 ; メッセージソング『IMAGINE THE FUTURE 〜未来を想え』 : スローガンの制定に伴いメッセージソングとして新たにOBの[[吉川洋一郎]]によって作曲された。作詞はスローガンと同じく一倉宏<ref>[http://www.tsukuba.ac.jp/about/branding/messagesong.html 筑波大学メッセージソング『IMAGINE THE FUTURE 〜未来を想え』]</ref>。最近では入学式・卒業式をはじめとした公式行事で披露されることも多い。 ; 校章『桐の葉』と新大団旗 ; 筑波大学応援歌 * 『立ちて勇姿を』 * 『霊峰仰ぐ』 ; 寮歌『桐花寮の歌』 ; 旧東京教育大学校歌(東京師範学校、東京文理科大学校歌) * 『青雲の空に高く』作詞は[[北原白秋]]、作曲は[[山田耕筰]] == 教育および研究 == [[画像:Tsukuba 5C.jpg|220px|thumb|5C棟<br />主に体育・芸術専門学群の講義で使用される。]] === 学群・学類 === [[教育研究]]上の基本となる組織の一つで、学生([[大学院]]生などを除く)が所属する教育組織である。大学院が部局化されていない多くの大学の[[学部]]や[[学科 (学校)|学科]]では教員と大学院生もこの中に含まれるが、学類/学系制では教育組織としての学群・学類と、教員および大学院生が所属する研究組織としての「学系」が異なる体系で存在している(この分類は、筑波大学以外に[[福島大学]]、[[桜美林大学]]などでも採用されている)。 既存のどの学群にも属さない「総合学域群」<ref>{{Cite web|和書|url=https://scs.tsukuba.ac.jp/ |title=筑波大学 総合学域群 |accessdate=2021-09-06}}</ref>を2020年に開設し、翌2021年4月より学生受入を開始した。これは総合選抜入試<ref group="注">受験生は「文系」「理系Ⅰ」「理系Ⅱ」「理系Ⅲ」の4選抜区分から選択し出願する。</ref>に合格し入学した1年次生のみが属する学群で、各学群の開設する科目から自身の関心に合致するものを履修しながら、進級先としたい学群を絞り込むことができる<ref group="注">体育専門学群は除く。</ref>。2年次以降は学生自身の希望に基づいて<ref group="注">希望する学群の指定する科目を1年次で履修済みであることが必要である。また、各学群の受け入れ人数に上限があるため、受験時に選択した選抜区分や入学後の成績による制約はある。</ref>各学群に所属し教育を受ける。また、一部の学類は前期日程での学類独自選抜をとりやめた(推薦入試や後期日程での選抜は継続)。 ==== 学群学類の再編(2007年度) ==== 筑波大学の「学群・学類」制度は、学際性、文理融合などの観点に基づいていた。当時、学類の英訳が「college」であり、ナンバー学群の英訳が「cluster of colleges」であることから、他大学の学部・学科とは異なる観点から区分されていたことが分かる。しかし、受験生や社会一般に対して理解しにくいという評価が長年あったことや、2000年から2001年にかけて行われた大学院の再編などを受け、学群・学類の再編成を行うことになり、2005年7月21日に正式発表された。 主な変更事項は以下の通り: * ナンバー学群制の廃止、学問内容による学群制の導入 * 人間学類の学群化および主専攻レベルの学類化 * 自然学類の主専攻レベルの学類化 * 情報学類と図書館情報専門学群の「情報学群」化、情報メディア創成学類の新設 * 工学基礎学類の名称変更 * 医学専門学群の名称変更および看護・医療科学類の主専攻レベルの学類化 総定員に変更はない(2007年現在)。平成19年(2007年)度新入生から適用される。なお、2006年度までの学群学類制での入学者(および2008年度までの3年次編入学生)は卒業するまで、所属に関する変更は行わない予定である。 ==== 2007年度入学者からの学群構成 ==== ※2008年度までの3年次編入学生は従前の学群に属することとなる。 : {{small|(学類名の右の△は専攻の学類化や新設された学類であることを表し、カッコ内は2007年の改組以前の組織での学類)}} ; 総合学域群(2020年4月新設) : 2021年4月より学生受入開始したもっとも新しい学群で、総合選抜入試に合格し入学した1年次生のみが属する。2年次以降は学生本人の希望や成績により既存の各学群(体育専門学群を除く)に進級する。 ; [[筑波大学人文・文化学群|人文・文化学群]] {{hidden begin |toggle = right |title = 学類(人文学類、比較文化学類、日本語・日本文化学類) |titlestyle = background:lightgrey }} * 人文学類<ref group="注" name="a">コースへの分属は3年次。</ref>{{small|(第一学群人文学類)}} ** 哲学主専攻 *** 哲学コース *** 倫理学コース *** 宗教学コース ** 史学主専攻 *** 日本史コース *** 東洋史コース **** 中国史サブコース **** アジア史サブコース *** 西洋史コース **** [[オリエント]]史サブコース **** ヨーロッパ・アメリカ史サブコース *** 歴史地理学コース ** 考古学・民俗学主専攻 *** 先史学・考古学コース *** 民俗学・文化人類学コース ** 言語学主専攻 *** 一般言語学コース *** 応用言語学コース *** 日本語学コース *** 中国語学コース *** 英語学コース *** 仏語学コース *** 独語学コース *** 露語学コース * 比較文化学類{{small|(第二学群比較文化学類)}} ** 比較文化主専攻<ref group="注" name="a" /><ref group="注">2013年度に、地域主専攻、思想主専攻、文学主専攻を一本化。領野、領域、コースの構成は、2016年入学生用の入学案内[http://web-pamphlet.jp/tsukuba/2016p/#page=31]による。</ref> *** 地域文化研究領野 **** 日本・アジア領域(日本文学コース、日本研究コース、中国文学コース、アジア研究コース) **** 英米・ヨーロッパ領域(英語圏文学・文化コース、ドイツ語圏文学・文化コース、フランス語圏文学・文化コース、欧米研究コース) **** フィールド文化領域(文化人類学コース、文化地理学コース) *** 超域文化研究領野 **** 表現文化領域(テクスト文化学コース、文化創造論コース) **** 文化科学領域(先端文化学コース、情報文化学コース) **** 思想文化領域(現代思想コース、比較宗教コース) * 日本語・日本文化学類{{small|(第二学群日本語・日本文化学類)}} ** 日本語・日本文化学主専攻 *** 分野<ref name="a">2016年入学生用の入学案内</ref>:日本語分野、文化分野 {{hidden end}} ; 社会・国際学群 {{hidden begin |toggle = right |title = 学類(社会学類、国際総合学類) |titlestyle = background:lightgrey }} * 社会学類<ref group="注" name="b">3年次に主専攻に分属。</ref>{{small|(第一学群社会学類)}} ** 社会学主専攻 ** 法学主専攻 ** 政治学主専攻 ** 経済学主専攻 * 国際総合学類<ref group="注" name="b" /><ref group="注">主専攻間の垣根は低く、両主専攻の科目を幅広く学べるようになっている。2つの主専攻を横断する形で、大まかに国際政治・国際法、経済学、文化・社会開発、情報・環境工学という4つの分野が存在する。</ref>{{small|(第三学群国際総合学類)}} ** 国際関係学主専攻 ** 国際開発学主専攻 {{hidden end}} ; 人間学群 {{hidden begin |toggle = right |title = 学類(教育学類、心理学類、障害科学類) |titlestyle = background:lightgrey }} * 教育学類 △{{small|(第二学群人間学類教育学主専攻)}} ** コース<ref group="注" name="c">コースへの分属は2年次。</ref>:初等教育学コース、教育学コース ** 系列<ref group="注">2016年度入学生用の人間学群教育学類パンフレット[http://www.human.tsukuba.ac.jp/education/wp-content/uploads/dfe3c89c3bebaaa67bb17fea63370ab0.pdf]によると、「初等教育学コース」に所属する学生は、「学校教育開発系列」に含まれる、小学校教員免許状の取得に必要な科目の授業を集中的に学ぶことになる。「教育学コース」に所属する学生は、「人間形成系列」「教育計画・設計系列」「地域・国際教育系列」「学校教育開発系列」という4つの系列の中から、特に関心のある系列を1つ選び、その系列に含まれる授業を集中的に学ぶ。ただ、すべての学生は、4つの系列に含まれる科目を、必ずいくつかは履修しなければならない。</ref>:学校教育開発系列、人間形成系列、教育計画・設計系列、地域・国際教育系列 * 心理学類 △{{small|(第二学群人間学類心理学主専攻)}} ** 研究領域<ref name="a" />:実験心理学、教育心理学、発達心理学、社会心理学、臨床心理学 * 障害科学類 △{{small|(第二学群人間学類心身障害学主専攻)}} ** 履修モデル<ref name="a" />:障害科学履修モデル、特別支援教育学履修モデル、社会福祉学履修モデル {{hidden end}} ;[[筑波大学生命環境学群|生命環境学群]] {{hidden begin |toggle = right |title = 学類(地球学類、生物学類、生物資源学類) |titlestyle = background:lightgrey }} * 生物学類<ref group="注" name="c" />{{small|(第二学群生物学類)}} ** 多様性コース ** 情報コース ** 分子細胞コース ** 応用生物コース ** 人間生物コース * [[筑波大学生物資源学類・生物資源科学関連専攻|生物資源学類]]<ref group="注" name="a" />{{small|(第二学群生物資源学類)}} ** 農林生物学コース ** 応用生命化学コース<ref>サブコースは、2015年度版の生物資源学類のパンフレット[http://www.bres.tsukuba.ac.jp/pdf/2015panf_all.pdf]による。</ref> *** 生物化学工学サブコース *** 生物環境化学サブコース *** 微生物サブコース *** バイオサイエンスサブコース ** 環境工学コース  ** 社会経済学コース * 地球学類<ref group="注" name="b" /><ref group="注">研究分野は、2016年入学生用の入学案内による。</ref>△{{small|(第一学群自然学類地球科学主専攻)}} ** 地球環境学主専攻 **: 研究分野:人文地理、地誌学、地形学、水文科学、大気科学、環境動態解析学 ** 地球進化学主専攻 **: 研究分野:地史・古生物学、地層学、地球変動科学、岩石学、鉱物学、地球資源科学 {{hidden end}} ;[[筑波大学理工学群|理工学群]] {{hidden begin |toggle = right |title = 学類(数学類、物理学類、化学類、応用理工学類、工学システム学類、社会工学類) |titlestyle = background:lightgrey }} * 数学類 △{{small|(第一学群自然学類数学主専攻)}} * 物理学類 △{{small|(第一学群自然学類物理学主専攻)}} * [[化学科|化学類]] △{{small|(第一学群自然学類化学主専攻)}} * 応用理工学類<ref group="注" name="b" />{{small|(第三学群工学基礎学類)}} ** 応用物理主専攻 ** 電子・量子工学主専攻 ** 物性工学主専攻 ** 物質・分子工学主専攻 * [[筑波大学工学システム学類|工学システム学類]]<ref group="注" name="d">2年次に各主専攻に分属。</ref>{{small|(第三学群工学システム学類)}} ** 知的工学システム主専攻 ** 機能工学システム主専攻 ** 環境開発工学主専攻 ** エネルギー工学主専攻 * [[社会工学科|社会工学類]]<ref group="注" name="d" />{{small|(第三学群社会工学類)}} ** 社会経済システム主専攻 ** 経営工学主専攻 ** 都市計画主専攻 {{hidden end}} ; [[情報学群]] {{hidden begin |toggle = right |title = 学類(知識情報・図書館学類、情報メディア創成学類、情報科学類) |titlestyle = background:lightgrey }} * 情報科学類<ref group="注" name="b" />{{small|(第三学群情報学類)}} ** ソフトウェアサイエンス主専攻 ** 情報システム主専攻 ** 知能情報メディア主専攻 * 情報メディア創成学類 △ * 知識情報・図書館学類<ref group="注" name="b" />{{small|(図書館情報専門学群)}} ** 知識科学主専攻 ** 知識情報システム主専攻 ** 情報資源経営主専攻<ref>{{Cite web|和書|quote=情報経営・図書館主専攻の名称を2015年度から変更。| url=http://klis.tsukuba.ac.jp/1006.html |title=「情報経営・図書館主専攻」は「情報資源経営主専攻」という名称になりました|publisher=筑波大学|accessdate=2020-9-27}}</ref> {{hidden end}} ; 医学群 {{hidden begin |toggle = right |title = 学類(医学類、看護学類、医療科学類) |titlestyle = background:lightgrey }} * 医学類 - 6年制{{small|(医学専門学群医学類)}} ** 新医学専攻 - 1年次から「研究室演習」を選択し、指導教員の下で研究生活の実際を体験できるが、その延長で5年次の終わり頃に研究者養成のための「新医学専攻」に進むことができる * 看護学類 △ - 4年制{{small|(医学専門学群看護・医療科学類看護学主専攻)}} * 医療科学類<ref group="注" name="b" />△ - 4年制{{small|(医学専門学群看護・医療科学類医療科学主専攻)}} ** 医療科学主専攻 ** 国際医療科学主専攻 {{hidden end}} ; 体育専門学群 {{hidden begin |toggle = right |title = 専攻(体育学主) |titlestyle = background:lightgrey }} * 体育学主専攻<ref group="注">2013年度に、健康・スポーツ教育主専攻、健康・スポーツマネジメント主専攻、スポーツコーチング主専攻を一本化。</ref> ** 卒業研究領域<ref group="注">分野、領域は、2016年入学生用の入学案内による。3年進級時に選択。</ref> *** 体育学・スポーツ学分野 ***: 体育・スポーツ哲学、体育史・スポーツ人類学、スポーツ社会学、武道学、体育・スポーツ経営学、スポーツ政策学、スポーツ産業学、体育科教育学、アダプテッド体育・スポーツ学、体育心理学 *** コーチング学分野 ***: コーチング論・トレーニング学、スポーツ運動学、種目別コーチング論(体操、体操競技、陸上競技、水泳競技、バレーボール、バスケットボール、ハンドボール、サッカー、ラグビー、ラケットバット、柔道、剣道、弓道、野外運動、舞踊) *** 健康体力学分野 ***: 健康教育学、環境保健学、運動生理学、運動生化学、運動栄養学、スポーツバイオメカニクス、応用解剖学、体力学、健康増進学、体育測定評価学、内科系スポーツ医学、外科系スポーツ医学 {{hidden end}} ; [[筑波大学芸術専門学群|芸術専門学群]]<ref group="注">領域(専攻)は、2016年入学生用の入学案内による。3年次に分属。</ref> {{hidden begin |toggle = right |title = 領域(芸術学、美術、構成、デザイン) |titlestyle = background:lightgrey }} * 芸術学領域 ** 美術史領域 ** 芸術支援領域 * 美術領域 ** 洋画領域 ** 日本画領域 ** 彫塑領域 ** 書領域 * 構成領域 ** 構成領域 ** 版画領域 ** 工芸領域 ** 総合造形領域 ** ビジュアルデザイン領域 * デザイン領域 ** 情報デザイン・プロダクトデザイン領域 ** 環境デザイン領域 ** 建築デザイン領域 {{hidden end}} ; [[国際化拠点整備事業]](グローバル30) * 社会国際学教育プログラム(受け入れは「社会・国際学群(社会学類、国際総合学類)」) * 生命環境学際プログラム(受け入れは「生命環境学群(生物学類、生物資源学類、地球学類)」) * 国際医療科学人養成プログラム(受け入れは「医学群(医療科学類)」) ==== 2006年度入学者までの学群構成 ==== {{hidden begin |toggle = right |title = 学群(第一学群、第二学群、第三学群、医学専門学群、体育専門学群、芸術専門学群、図書館情報専門学群) |titlestyle = background:lightgrey }} {{Multicol}} ; 第一学群 * 人文学類 ** 哲学主専攻 ** 史学主専攻 ** 考古学・民俗学主専攻 ** 言語学主専攻 * 社会学類 ** 社会学主専攻 ** 法学主専攻 ** 政治学主専攻 ** 経済学主専攻 * 自然学類 ** 数学主専攻 ** 物理学主専攻 ** 化学主専攻 ** 地球科学主専攻 ; 第二学群 * 比較文化学類 ** 文学主専攻 ** 地域主専攻 ** 思想主専攻 * 日本語・日本文化学類 ** 日本語・日本文化学主専攻 * 人間学類 ** 教育学主専攻 ** 心理学主専攻 ** 心身障害主専攻 * 生物学類 ** 生物学・基礎主専攻 ** 生物学・応用主専攻 * 生物資源学類 ** 農林生物学コース ** 応用生命化学コース ** 環境工学コース ** 社会経済学コース *** (2004年度以前):生物資源生産科学主専攻、生物資源機能科学主専攻 *** (1993年度以前:農林学類):生物資源生産学主専攻、生物応用化学主専攻、生物環境造成学主専攻、生物生産組織学主専攻 {{Multicol-break}} ; 第三学群 * 社会工学類 ** 社会経済システム主専攻 ** 経営工学主専攻 ** 都市計画主専攻 * 国際総合学類 ** 国際関係学主専攻 ** 国際開発学主専攻 * 情報学類 ** 情報科学主専攻 ** 計算機システム主専攻( - 2004年度) ** 情報システム主専攻(2005年度 - ) ** 知能情報メディア主専攻 * 工学システム学類 ** 知的工学システム主専攻 ** 機能工学システム主専攻 ** 環境開発工学主専攻 ** エネルギー工学主専攻 * 工学基礎学類 ** 応用物理主専攻 ** 電子・量子工学主専攻 ** 物性工学主専攻 ** 物質・分子工学主専攻 ; 医学専門学群<ref group="注">当初は下位に学類は無かったが、看護・医療科学類が新設された際に、それまでの領域は医学類として学類化された。なお、この時点では学群名に変更はない。</ref> * 医学類 * 看護・医療科学類 ** 看護学主専攻 ** 医療科学主専攻 ; 体育専門学群 * 健康・スポーツ教育主専攻 * 健康・スポーツマネジメント主専攻 * スポーツコーチング主専攻 ; 芸術専門学群 * 芸術学主専攻 * 美術主専攻 * 構成主専攻 * デザイン主専攻 ; 図書館情報専門学群(旧 図書館情報大学) * 図書館情報管理主専攻 * 図書館情報処理主専攻 {{Multicol-end}} {{hidden end}} === 研究科 === 2020年度より学位プログラム制へ全面移行する。また、最終的には「大学院の一組織化(一学術院化)」を目指すとしている<ref name="grads_2020" />。 なお、専門職大学院など一部の専攻は研究群には組み込まれない(各学術院の一専攻として教育活動が行われる)。 2020年度入学生については、2019年11月まではいったん現在の専攻のもとで学生募集し、入学試験に合格した者に対しては新しい組織のもとで教育活動が行われる<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.tsukuba.ac.jp/education/pdf/degree-program/dp20190926-01.pdf |title=現専攻→学位プログラム移行に伴う留意点等(受験前に確認ください) |format=PDF |publisher=筑波大学 |accessdate=2019-10-02}}</ref>。また、教員の主担当変更に伴う所属の変更や複数学位の一本化などがあるため、新たな組織の研究群・専攻や授与される学位は従前の組織の専攻・学位とは必ずしも対応しない。 ;人文社会ビジネス科学学術院 * 人文社会科学研究群(3学位プログラム) * ビジネス科学研究群(2学位プログラム) * 専門職大学院 ** [[法曹]]専攻([[法科大学院]]) ** 国際経営プロフェッショナル専攻 ;理工情報生命学術院 * 数理物質科学研究群(5学位プログラム) *[[システム情報工学研究群]](8学位プログラム) *[[生命地球科学研究群]](12学位プログラム) * 国際連携専攻 ** 国際連携持続環境科学専攻 ;人間総合科学学術院 * 人間総合科学研究群(26学位プログラム) * 共同専攻 ** スポーツ国際開発学共同専攻 ** 大学体育スポーツ高度化共同専攻 * 国際連携専攻 ** 国際連携食料健康科学専攻 ==== 2019年度入学生までの組織 ==== それまでの8研究科85専攻は、学生の在学中は新組織と併存する。 ; [[教育学研究科|教育研究科]](修士課程) {{hidden begin |toggle = right |title = 専攻(スクールリーダーシップ開発、教科教育、特別支援教育) |titlestyle = background:lightgrey }} * スクールリーダーシップ開発専攻 * 教科教育専攻 ** 国語教育コース ** 社会科教育コース ** 数学教育コース ** 理科教育コース ** 英語教育コース ** 保健体育教育コース ** 芸術科教育コース * 特別支援教育専攻<ref group="注">平成25年度に人間総合科学研究科障害科学専攻(博士前期課程)と統合し、新たな障害科学専攻として設置</ref> {{hidden end}} ; [[人文社会科学研究科]](特に記さぬ限り、博士前期課程・博士後期課程) {{hidden begin |toggle = right |title = 専攻(哲学・思想、歴史・人類学、文芸・言語、現代語・現代文化、国際公共政策、国際地域研究、国際日本研究) |titlestyle = background:lightgrey }} * 哲学・思想専攻(一貫制博士課程・5年制) ** 分野<ref group="注">2015年度の哲学・思想専攻の履修方法・修了要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_6.pdf]によると、専門科目には、3分野の科目のほか、専攻共通科目などがある。科目学生は、所属分野の科目を一定単位履修しなければならない。</ref>:哲学分野<ref group="注">「大学院スタンダード」[http://www.tsukuba.ac.jp/education/pdf/h27/h27_g_0_0.pdf]によると、授業科目の分野は、哲学、科学哲学、哲学史に区分されている。一方、2016年入学生用の学生募集要項(2月期一般入学)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/hass/integrated/general_february/pdf/research.pdf?20151111]によると、教員の「研究領域」は西洋哲学、現代哲学、中国哲学に分かれている。</ref>、倫理学分野<ref group="注">「大学院スタンダード」によると、授業科目の分野は、倫理学、倫理思想史に区分されている。一方、2016年入学生用の学生募集要項(2月期一般入学)の教員研究分野一覧によると、教員の「研究領域」は西洋倫理学、日本倫理思想に分かれている。</ref>、宗教学・比較思想学分野<ref group="注">「大学院スタンダード」によると、授業科目の分野は、宗教学・宗教史、比較思想学に区分されている。一方、2016年入学生用の学生募集要項(2月期一般入学)の教員研究分野一覧によると、教員の「研究領域」は宗教学、比較思想学に分かれている。</ref> * 歴史・人類学専攻(一貫制博士課程・5年制) ** 分野<ref group="注">2015年度の歴史・人類学専攻の履修方法・修了要件[https://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_7.pdf]によると、専門科目は3分野の科目群からなる。</ref>:歴史学分野<ref group="注">「大学院スタンダード」によると、日本史学、東洋史学、西洋史学、歴史地理学という領域がある。2016年入学生用の学生募集要項(2月期一般入学)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/hass/integrated/general_february/pdf/research.pdf?20151111]によると、教員もこれら4つの「研究領域」に分かれている。</ref>、人類学分野<ref group="注">「大学院スタンダード」によると、先史学・考古学、民俗学・文化人類学という領域がある。2016年入学生用の学生募集要項(2月期一般入学)の教員研究分野一覧によると、教員は先史学・考古学、民俗学、文化人類学という「研究領域」に分かれている。</ref>、複合分野<ref group="注">「大学院スタンダード」によると、3年次編入生が対象で、現代東アジア歴史・民俗研究、地中海・西アジア研究という領域がある。</ref> * 文芸・言語専攻(一貫制博士課程・5年制) ** 分野<ref group="注">2015年度の文芸・言語専攻の履修方法・修了要件[https://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_8.pdf]によると、専門科目は、専攻共通科目のほか、2分野の科目群からなる。</ref>:文学分野<ref group="注">「大学院スタンダード」によると、総合文学、日本文学、イギリス文学、アメリカ文学、フランス文学、ドイツ文学、中国文学という領域がある。2016年入学生用の学生募集要項(2月期一般入学)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/hass/integrated/general_february/pdf/research.pdf?20151111]によると、教員もこれら7つの「研究領域」に分かれている。</ref>、言語学分野<ref group="注">「大学院スタンダード」によると、一般言語学、応用言語学、日本語学、英語学、フランス語学、ドイツ語学という領域がある。2016年入学生用の学生募集要項(2月期一般入学)の教員研究分野一覧によると、教員もこれら6つの「研究領域」に分かれている。</ref> * 現代語・現代文化専攻 ** 分野<ref group="注">2015年度の現代語・現代文化専攻の科目表[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/kamoku/27/h27kamoku_10.pdf]によると、博士前期課程も後期課程も2分野からなっている。2016年入学生用の学生募集要項の教員研究分野一覧(2月期、前期課程[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/hass/first/general_february/pdf/research.pdf?20151111]・後期課程[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/hass/latter/general_february/pdf/research.pdf?20151118])によると、教員の研究分野もこれら2分野に分かれている。</ref>:現代文化分野、言語情報分野 * 国際公共政策専攻 ** 分野<ref group="注">2015年度の国際公共政策専攻の履修方法・修了要件(博士前期課程[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_11.pdf]、後期課程[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_19.pdf])によると、博士前期課程も後期課程も専門科目は2分野に分かれている。2015年入学生用の学生募集要項の教員研究分野一覧(2月期、前期課程[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/hass/first/general_february/pdf/research.pdf?20151111]・後期課程[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/hass/latter/general_february/pdf/research.pdf?20151118])によると、教員の研究分野もこれら2分野に分かれている。なお、「大学院スタンダード」では、政治学、社会学、国際関係学の各専門領域の教員から構成されるとしているが、国際公共政策専攻の履修方法・修了要件(前期課程、後期課程)によると、2014年度から、国際関係学分野と政治学分野のカリキュラムが1分野(国際関係分野)に統合された。</ref>:国際関係分野、社会学分野 * 経済学専攻<ref group="注">講義・指導に使用される言語によって、日本語トラックと英語トラックがあるほか、開発途上国の若手リーダーを対象とした英語による修士プログラム「経済・公共政策マネジメントプログラム」(PEPPM)がある。2015年度から、英語トラックと経済・公共政策マネジメントプログラムが「Master's Program in Economic and Public Policy (PEPP), Course in Economic Policy (CEP)」に改組するのにともない、日本語トラックの募集は停止。</ref>(2015年度に募集停止) * 法学専攻(2015年度に募集停止) * 国際地域研究専攻<ref group="注">2015年入学生用の学生募集要項(10月期)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course/hass/first/general_october/pdf/research.pdf]によると、教員は東アジア、東南アジア、中央ユーラシア、中東・北アフリカ、ヨーロッパ、北アメリカ、ラテンアメリカの7領域のほか、経済・公共政策プログラム、地域研究イノベーション学位プログラムに分かれている。</ref>(修士課程) ** 標準プログラムのコース<ref>http://www.chiiki.tsukuba.ac.jp/programs/standard-programs/</ref>:東アジア研究、東南アジア研究、中央ユーラシア研究、中東・北アフリカ研究、ヨーロッパ研究、北アメリカ研究、ラテンアメリカ研究 ** 英語特別プログラム<ref>http://www.chiiki.tsukuba.ac.jp/programs/special-programs-in-english/</ref>:「国際関係論短期特別プログラム」(1.5年制)、「アフリカの若者のための産業人材育成イニシアティブ」(1.5年制)、「中央アジア国際関係・公共政策プログラム」(1年制)、「人文社会科学に立脚した日本研究・ユーラシア地域研究者育成プログラム」(1+3年制)、経済・公共政策プログラム ** 地域研究イノベーション学位プログラム * 国際日本研究専攻<ref group="注">2015年度に4つの学位プログラムを設けた。2016年入学生用の学生募集要項の教員研究分野一覧(2月期、博士前期課程[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/hass/first/general_february/pdf/research.pdf?20151111]・後期課程[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/hass/latter/general_february/pdf/research.pdf?20151118])によると、教員も国際日本複合研究、国際日本社会科学、国際日本人文科学、日本語教育学という研究分野に分かれている。</ref>(博士前期課程<ref group="注">2015年度に国際地域研究専攻を改組して設置。</ref>・後期課程) ** 国際日本複合研究学位プログラム ** 国際日本社会科学学位プログラム ** 国際日本人文科学学位プログラム ** 日本語教育学学位プログラム {{hidden end}} ; [[数理物質科学研究科]](特に記さぬ限り、博士前期課程・博士後期課程) {{hidden begin |toggle = right |title = 専攻(数学、物理学、化学、電子・物理工学、物性・分子工学、ナノサイエンス・ナノテクノロジー、物質・材料工学) |titlestyle = background:lightgrey }} * 数学専攻<ref group="注">2015年度の数学専攻の履修方法・修了要件(博士前期課程[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_26.pdf]、後期課程[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_31.pdf])によると、専門科目は代数学、幾何学、解析学、情報数学、数理科学、専攻共通科目に分かれている。</ref> ** 教員の研究分野<ref name="b">2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入学)の「数理物質科学研究科教員研究分野一覧(博士前期課程)」[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/pas/first/general_february/pdf/research.pdf?=20151130_02]、「数理物質科学研究科教員研究分野一覧(博士後期課程)」[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/pas/latter/general_february/pdf/research.pdf?=20151130_02]</ref>:代数学、幾何学、解析学、情報数学、数理科学 * 物理学専攻<ref group="注">2015年度の物理学専攻の履修方法・修了要件(博士前期課程[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_27.pdf]、後期課程[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_32.pdf])によると、前期課程の専門科目は、素粒子物理分野、宇宙物理分野、原子核物理分野、物性物理分野、プラズマ分野、宇宙史分野、加速器科学分野、材料物理分野、専攻共通に、後期課程の専門科目は、素粒子物理分野、宇宙物理分野、原子核物理分野、物性物理分野、プラズマ分野、宇宙史分野に分かれている。</ref> ** 3年制博士課程「物質・材料工学専攻」に対応する前期課程の履修コース「物質・材料工学コース」を設置 ** 教員の研究分野<ref name="b" />:素粒子物理学(理論)、素粒子物理学(実験)、宇宙物理学(理論)、宇宙物理学(観測)、原子核物理学(理論)、原子核物理学(実験)、物性物理学(理論)、物性物理学(実験)、生命物理学(理論)、プラズマ物理学(実験)、材料物理分野<ref group="注" name="h">「物質・材料工学コース」の研究分野</ref>、先進学際物理学分野<ref group="注">[[産業技術総合研究所]]、[[日本原子力研究開発機構]]との連携大学院方式による研究分野</ref>、核融合・プラズマ分野<ref group="注">日本原子力研究開発機構との連携大学院方式による研究分野</ref>、物質物理フロンティア分野<ref group="注">[[日本電気]]筑波研究所、[[NTT]]物性科学基礎研究所との連携大学院方式による研究分野。2016年度は前期のみ募集</ref> * 化学専攻<ref group="注">化学専攻の履修方法・修了要件(博士前期課程[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_28.pdf]、後期課程[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_33.pdf])によると、前期課程の専門科目は、専攻共通、無機・物理化学分野、有機化学分野、融合化学分野、物質・材料工学コース(ナノ材料化学分野)、後期課程の専門科目は、専攻共通、無機・物理化学分野、有機化学分野、融合化学分野に分かれている。</ref> ** 3年制博士課程「物質・材料工学専攻」に対応する前期課程の履修コース「物質・材料工学コース」を設置 ** 教員の研究分野<ref name="b" />:無機・分析化学、物理化学、有機化学、境界領域化学、ナノ材料化学<ref group="注" name="h" />、材料無機化学<ref group="注" name="e">産業技術総合研究所との連携大学院方式による研究分野。</ref><ref group="注" name="f">2016年度は前期課程のみ募集</ref>、固体化学<ref group="注" name="e" />、材料有機化学<ref group="注" name="e" />、機能性高分子化学<ref group="注" name="e" />、製薬科学<ref group="注">国際統合睡眠医科学研究機構の分野。</ref> * 電子・物理工学専攻 ** 3年制博士課程「物質・材料工学専攻」に対応する前期課程の履修コース「物質・材料工学コース」を設置 ** 教員の研究分野<ref name="b" />:光量子工学、計測数理工学、量子ビーム・プラズマ工学、[[ナノテクノロジー]]<ref group="注" name="g">産業技術総合研究所との連携大学院方式による研究指導を受けることもできる</ref>、半導体エレクトロニクス(パワーエレクトロニクス)<ref group="注" name="g" />、光・電子素子(パワーエレクトロニクス)<ref group="注" name="g" />、パワーエレクトロニクス<ref group="注" name="g" />、光・電子ナノ材料工学<ref group="注" name="h" /> * 物性・分子工学専攻<ref group="注">2014年度の物性・分子工学専攻の履修方法・修了要件(博士前期課程[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/h26risyu30.pdf]、後期課程[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/h26risyu36.pdf])によると、前期課程の専門科目は、専攻共通、量子物性分野、量子理論分野、材料物性分野、物質化学・バイオ分野、物質・材料工学コース(ナノ組織工学分野)に、後期課程の専門科目は、量子物性分野、量子理論分野、材料物性分野、物質化学・バイオ分野に分かれている。</ref> ** 3年制博士課程「物質・材料工学専攻」に対応する前期課程の履修コース「物質・材料工学コース」を設置 ** 教員の研究分野<ref name="b" />:量子物性、量子理論、材料物性<ref group="注" name="g" />、物質化学・バイオ<ref group="注" name="g" /> * ナノサイエンス・ナノテクノロジー専攻(博士後期課程。2012年に物質創成先端科学専攻を改組) ** 教員の研究分野<ref name="b" />:ナノサイエンス<ref group="注">産業技術総合研究所、または[[NTT]]物性科学基礎研究所、または[[日本電気]]・筑波研究所との連携大学院方式による研究指導を受けることもできる</ref>、ナノテクノロジー * 物質・材料工学専攻(博士後期課程。[[物質・材料研究機構]]と連携して運営) ** 教員の研究分野<ref>2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入学)の「物質・材料工学専攻教員研究分野一覧」[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/pas/three/general_february/pdf/research.pdf?=201511]</ref>:金属・セラミック材料工学、ナノ材料工学、有機・生体材料工学、物理工学、半導体材料工学 {{hidden end}} ; [[システム情報工学研究科]](特に記さぬ限り、博士前期課程・博士後期課程) {{hidden begin |toggle = right |title = 専攻(社会工学、リスク工学、コンピュータサイエンス、知能機能システム、構造エネルギー工学) |titlestyle = background:lightgrey }} * [[社会工学]]専攻(2014年4月に行われた改組以前の社会システム工学専攻(博士前期課程)、経営・政策科学専攻(博士前期課程)、社会システム・マネジメント専攻(博士後期課程)に対応する) ** 社会工学学位プログラム(博士前期課程・後期課程)<ref group="注" name="i">2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入学)の「システム情報工学研究科教員研究分野一覧」(博士前期課程[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course/sie/first/general_february/pdf/research.pdf]、後期課程[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course/sie/latter/general_february/pdf/research.pdf])によると、連携大学院教員として、[[建築研究所]]、[[国立環境研究所]]、[[国土技術政策総合研究所]]所属の研究者がいる</ref> ** サービス工学学位プログラム(博士前期課程) * リスク工学専攻<ref group="注">2015年度のリスク専攻(博士前期課程)の履修方法・修了要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_44.pdf]によると、博士前期課程の専門科目は、トータルリスクマネジメント分野、サイバーリスク分野、都市リスク分野、環境・エネルギーリスク分野、分野共通に分かれている。</ref> ** 教員の研究分野<ref group="注">2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入学)の「システム情報工学研究科教員研究分野一覧」(博士前期課程[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course/sie/first/general_february/pdf/research.pdf]、後期課程[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course/sie/latter/general_february/pdf/research.pdf])</ref>:トータルリスクマネジメント、サイバーリスク、都市リスク、環境・エネルギーリスク * [[コンピュータサイエンス]]専攻<ref group="注">2015年度のコンピュータサイエンス専攻(博士前期課程)の履修方法・修了要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_45.pdf]によると、博士前期課程の専門科目は、必修科目、共通科目、数理情報工学分野、知能ソフトウェア分野、ソフトウェアシステム分野、計算機工学分野、メディア工学分野、知能・情報工学分野、プロジェクト型実践分野に分かれている。</ref> ** 教員の研究分野<ref group="注">2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入学)の「システム情報工学研究科教員研究分野一覧」(博士前期課程、後期課程)による。また、連携大学院教員として、産業技術総合研究所と理化学研究所の研究者がいる。</ref>:数理情報工学、知能ソフトウェア、ソフトウェアシステム、計算機工学、メディア工学、知能・情報工学 * 知能機能システム専攻<ref group="注">2015年度の知能機能システム専攻(博士前期課程)の履修方法・修了要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_48.pdf]によると、博士前期課程の専門科目は、システムデザイン分野、人間・機械・ロボットシステム分野、計測・制御工学分野、コミュニケーションシステム分野、チームプロジェクト(人間・機械系)、チームプロジェクト(センシング・コンピュータ系)、共通分野に分かれている。</ref> ** 教員の研究分野<ref group="注">2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入学)の「システム情報工学研究科教員研究分野一覧」(博士前期課程、後期課程)による。また、連携大学院教員として、産業技術総合研究所の研究者がいる。</ref>:システムデザイン、人間・機械・ロボットシステム、計測・制御工学、コミュニケーションシステム * [[構造エネルギー工学専攻]]<ref group="注">2015年度の構造エネルギー工学専攻の履修方法・修了要件(博士前期課程[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_49.pdf]、後期課程[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_57.pdf])によると、博士前期課程と後期課程の専門科目は、専攻共通科目、構造・防災・信頼性工学分野、個体力学・材料工学分野、流体・環境工学分野、熱流体・エネルギー工学分野、その他に分かれている。</ref> ** 教員の研究分野<ref group="注">2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入学)の「システム情報工学研究科教員研究分野一覧」(博士前期課程、後期課程)による。また、連携大学院教員として日本原子力研究開発機構、産業技術総合研究所、[[宇宙航空研究開発機構]]、[[土木研究所]]の研究者がいる</ref>:固体力学・材料工学、構造・防災・信頼性工学、流体・環境工学、熱流体・エネルギー工学 {{hidden end}} ; [[生命環境科学研究科]] {{hidden begin |toggle = right |title = 専攻(博士前期課程、博士後期課程) |titlestyle = background:lightgrey }} * 博士前期課程 ** 地球科学専攻 *** 地球環境科学領域<ref group="注">2015年度の地球環境科学領域の履修方法・修了要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_59.pdf]によると、専門科目は、人文地理学分野、地誌学分野、地形学分野、水文科学分野、大気科学分野、空間情報科学分野、陸域水循環システム分野、海洋・大気相互システム分野に分かれている。</ref> **** 教員の研究分野<ref name="c">2016年入学生用の学生募集要項(博士前期課程、2月期、一般入試)の「生命環境科学研究科教員研究分野一覧」[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course/les/first-integrated/general_february/pdf/research.pdf]</ref>:人文地理学、地誌学、地形学、水文科学、大気科学、空間情報科学、陸域水循環システム<ref group="注" name="w">[[防災科学技術研究所]]との連携大学院方式による研究分野</ref>、海洋・大気相互システム<ref group="注" name="x">[[気象研究所]]との連携大学院方式による研究分野</ref> *** 地球進化科学領域<ref group="注">2015年度の地球進化科学領域の履修方法・修了要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_60.pdf]によると、専門科目は、生物圏変遷科学分野、地圏変遷科学分野、地球変動科学分野、惑星資源科学分野、岩石学分野、鉱物学分野、地球史解析科学分野に分かれている。</ref> **** 教員の研究分野<ref name="c" />:生物圏変遷科学、地圏変遷科学、地球変動科学、岩石学、惑星資源科学、鉱物学、地球史解析科学<ref group="注" name="l">[[国立科学博物館]]との連携大学院方式による研究分野</ref> ** 生物科学専攻<ref group="注">2015年度の生物科学専攻(博士前期課程)の履修方法・修了要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_61.pdf]によると、専門科目は、系統分類・進化学、生態学、植物発生・生理学、動物発生・生理学、分子細胞生物学、ゲノム情報学、先端細胞生物科学、先端分子生物科学に分かれている。</ref> *** 教員の専攻分野<ref name="c" />:系統分類・進化学、生態学、植物発生・生理学、動物発生・生理学、分子細胞生物学、ゲノム情報学、先端細胞生物学<ref group="注" name="m">[[理化学研究所]]、産業技術総合研究所、[[国立感染症研究所]]、[[東京都医学総合研究所]]との連携大学院方式による研究分野</ref>、先端分子生物科学<ref group="注" name="n">[[理化学研究所]]、[[農業生物資源研究所]]、[[武田薬品工業]]との連携大学院方式による研究分野</ref> ** [[筑波大学生物資源学類・生物資源科学関連専攻|生物資源科学専攻]]<ref group="注">2015年度の生物資源科学専攻(博士前期課程)の履修方法・修了要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_62.pdf]によると、専門科目は、農林生物学領域、農林社会経済学領域、生物環境工学領域、応用生命化学領域に分かれている。</ref> *** 農林生物学領域 **** 教員の研究分野<ref name="c" />:植物育種学、作物生産学、蔬菜・花卉学、果樹生産利用学、動物資源生産学、生物生産システム学、食資源利用科学、植物寄生菌学、応用動物昆虫学、森林生態環境学、地域資源保全学、植物遺伝情報解析学、代謝ネットワーク科学、媒介動物制御学、植物細胞遺伝情報学<ref group="注" name="o">[[農業生物資源研究所]]との連携大学院方式による研究分野</ref>、植物環境応答学<ref group="注" name="q">国際農林水産業研究センターとの連携大学院方式による研究分野</ref>、生産昆虫機能利用学<ref group="注" name="r">農業・食品産技術総合研究機構 畜産草地研究所との連携大学院方式による研究分野</ref>、食資源機能解析学<ref group="注" name="s">農業・食品産技術総合研究機構 食品総合研究所との連携大学院方式による研究分野</ref> *** 農林社会経済学領域 **** 教員の研究分野<ref name="c" />:生物資源経済学、国際資源開発経済学、農業経営学及び関連産業経営学、農村社会・農史学、森林資源経済学、森林資源社会学、国際農林業開発学<ref group="注" name="q" />、地域森林資源開発学<ref group="注" name="p">森林総合研究所との連携大学院方式による研究分野</ref> *** 生物環境工学領域 **** 教員の研究分野<ref name="c" />:先端技術開発学、乾燥地工学、生態構造工学、流域保全工学、水利環境工学、生産基盤システム工学、生物生産機械学、保護地域管理学、農産食品プロセス工学、生物材料化学、生物材料工学、農村環境整備学<ref group="注" name="t">農業・食品産技術総合研究機構 農村工学研究所との連携大学院方式による研究分野</ref>、生物圏情報計測学<ref group="注" name="u">[[農業環境技術研究所]]との連携大学院方式による研究分野</ref>、地域食品開発科学<ref group="注" name="s" />、食品品質評価工学<ref group="注" name="s" />、国際生物資源循環学<ref group="注" name="q" />、地域森林資源開発学<ref group="注" name="p" /> *** 応用生命化学領域 **** 教員の研究分野<ref name="c" />:生体成分化学、ゲノム情報生物学、構造生物化学、微生物育種工学、生物反応工学、微生物機能利用学、細胞機能開発工学、生体模倣化学、分子発生制御学、生体情報制御学、負荷適応微生物学、食品機能化学、食機能探査科学、土壌環境化学、植物環境生化学、分子情報解析学<ref group="注" name="o" />、動物リソース工学<ref group="注" name="l" />、植物機能高分子科学<ref group="注" name="v">農業・食品産技術総合研究機構 作物研究所との連携大学院方式による研究分野</ref>、時間細胞生物学<ref group="注" name="k">産業技術総合研究所との連携大学院方式による研究分野</ref>、共生進化生物学<ref group="注" name="k" />、機能性神経素子工学<ref group="注" name="k" />、複合生物系利用工学<ref group="注" name="k" /> *** バイオシステム学コース **** 教員の研究分野<ref name="c" />:遺伝資源産業科学、バイオ産業科学、生態システム工学、資源開発技術学、資源総合評価工学、環境共生科学 ** 環境科学専攻<ref group="注">国立環境研究所との連携大学院方式による研究指導を受けることもできる</ref> * 博士後期課程 ** 地球環境科学専攻<ref group="注">2015年度の地球環境科学専攻の履修方法・修了要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_69.pdf]によると、専門科目は、人文地理学分野、地誌学分野、地形学分野、水文科学分野、大気科学分野、空間情報科学分野、陸域水循環システム分野、海洋・大気相互システム分野に分かれている。</ref> *** 教員の研究分野<ref name="d">2016年入学生用の学生募集要項(博士後期課程、2月期、一般入試)の「生命環境科学研究科教員研究分野一覧」[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course/les/latter-integrated3-three/general_february/pdf/research.pdf]</ref>:人文地理学、地誌学、地形学、水文科学、大気科学、空間情報科学、陸域水循環システム<ref group="注" name="w" />、海洋・大気相互システム<ref group="注" name="x" /> ** 地球進化科学専攻<ref group="注">2015年度の地球進化科学専攻の履修方法・修了要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_70.pdf]によると、専門科目は、生物圏変遷科学分野、地圏変遷科学分野、地球変動科学分野、惑星資源科学分野、岩石学分野、鉱物学分野、地球史解析科学分野に分かれている。</ref> *** 教員の研究分野<ref name="d" />:生物圏変遷科学、地圏変遷科学、地球変動科学、岩石学、惑星資源科学、鉱物学、地球史解析科学<ref group="注" name="l" /> ** 生物科学専攻<ref group="注">2015年度の生物科学専攻(博士後期課程)の履修方法・修了要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_71.pdf]によると、専門科目は、系統分類・進化学、生態学、植物発生・生理学、動物発生・生理学、分子細胞生物学、ゲノム情報学、先端細胞生物科学、先端分子生物科学に分かれている。</ref> *** 教員の専攻分野<ref name="d" />:系統分類・進化学、生態学、植物発生・生理学、動物発生・生理学、分子細胞生物学、ゲノム情報学、先端細胞生物学<ref group="注" name="m" />、先端分子生物科学<ref group="注" name="n" /> ** [[筑波大学生物資源学類・生物資源科学関連専攻|国際地縁技術開発科学専攻]]<ref group="注">2015年度の国際地縁技術開発科学専攻の履修方法・修了要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_72.pdf]によると、専門科目は、エコリージョン基盤開発学領域(乾燥地工学分野、生態構造工学分野、流域保全工学分野、水利環境工学分野、生物生産機械学分野、生産基盤システム工学分野、保護地域管理学分野、農村環境整備学分野)、食料・バイオマス科学領域(先端技術開発学分野、食機能探査科学分野、生物材料化学分野、生物材料工学分野、農産食品プロセス工学分野、地域食品開発科学分野、食品品質評価工学分野、国際生物資源循環学分野、地域森林資源開発学分野(工学))、地域システム経済学領域(生物資源経済学分野、国際地域開発経済学分野、農業経営学及び関連産業経営学分野、農村社会・農史学分野、森林資源経済学分野、森林資源社会学分野、国際農林業開発学分野、地域森林資源開発学分野(経済))に分かれている。</ref> *** エコリージョン基盤開発学領域 **** 教員の研究分野<ref name="d" />:乾燥地工学、生態構造工学、流域保全工学、水利環境工学、生物生産機械学、生産基盤システム工学、保護地域管理学、農村環境整備学<ref group="注" name="t" />、生物圏情報計測学<ref group="注" name="u" /> *** 食料・バイオマス科学領域 **** 教員の研究分野<ref name="d" />:先端技術開発学、農産食品プロセス工学、食機能探査科学、生物材料化学、生物材料工学、地域食品開発科学<ref group="注" name="s" />、食品品質評価工学<ref group="注" name="s" />、国際生物資源循環学<ref group="注" name="q" />、地域森林資源開発学<ref group="注" name="p" /> *** 地域システム経済学領域 **** 教員の研究分野<ref name="d" />:生物資源経済学、国際資源開発経済学、農業経営学及び関連産業経営学、農村社会・農史学、森林資源経済学、森林資源社会学、国際農林業開発学<ref group="注" name="q" />、地域森林資源開発学<ref group="注" name="p" /> ** [[筑波大学生物資源学類・生物資源科学関連専攻|生物圏資源科学専攻]]<ref group="注">2015年度の生物圏資源科学専攻の履修方法・修了要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_75.pdf]によると、専門科目は、生物資源生産学領域(植物育種学分野、作物生産学分野、蔬菜・花卉学分野、果樹生産利用学分野、動物資源科学分野、生物生産システム学分野、食資源利用科学分野、植物遺伝情報解析学分野、代謝ネットワーク科学分野、媒介動物制御学分野、国際生物資源開発学分野、植物細胞遺伝情報学分野、植物環境応答学分野、食資源機能解析学分野)、生物圏環境学領域(植物寄生菌学分野、応用動物昆虫学分野、土壌環境化学分野、植物環境生化学分野、森林生態環境学分野、地域資源保全学分野、生産昆虫機能利用学分野)に分かれている。</ref> *** 生物資源生産学領域 **** 教員の研究分野<ref name="d" />:植物育種学、作物生産学、蔬菜・花卉学、果樹生産利用学、動物資源生産学、生物生産システム学、食資源利用科学、植物遺伝情報解析学、代謝ネットワーク科学、媒介動物制御学、植物細胞遺伝情報学<ref group="注" name="o" />、国際生物資源開発学<ref group="注" name="q" />、植物環境応答学<ref group="注" name="q" />、食資源機能解析学<ref group="注" name="s" /> *** 生物圏環境学領域 **** 教員の研究分野<ref name="d" />:植物寄生菌学、応用動物昆虫学、土壌環境化学、植物環境生化学、森林生態環境学、地域資源保全学、森林多様性解析学<ref group="注" name="p" />、生産昆虫機能利用学<ref group="注" name="r" /> ** [[筑波大学生物資源学類・生物資源科学関連専攻|生物機能科学専攻]]<ref group="注">2015年度の生物機能科学専攻の履修方法・修了要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_78.pdf]によると、専門科目は、生命機能情報工学領域(生体成分化学分野、ゲノム情報生物学分野、構造生物化学分野、分子発生制御学分野、生体情報制御学分野、微生物育種工学分野、分子情報解析学分野、植物機能高分子科学分野、動物リソース工学分野)、生物機能利用工学領域(生物プロセス工学分野、生物反応工学分野、微生物機能利用学分野、細胞機能開発工学分野、生体模倣化学分野、負荷適応微生物学分野、食品機能化学分野、時間細胞生物学分野、機能性神経素子工学分野、複合生物系利用工学分野、共生進化生物学分野)に分かれている。</ref> *** 生命機能情報工学領域 **** 教員の研究分野<ref name="d" />:生体成分化学、ゲノム情報生物学、微生物育種工学、構造生物化学、分子発生制御学、生体情報制御学、分子情報解析学<ref group="注" name="o" />、動物リソース工学<ref group="注" name="l" />、植物機能高分子科学<ref group="注" name="v" /> *** 生物機能利用工学領域 **** 教員の研究分野<ref name="d" />:生物反応工学、微生物機能利用学、細胞機能開発工学、生体模倣化学、負荷適応微生物学、食品機能化学、時間細胞生物学<ref group="注" name="k" />、共生進化生物学<ref group="注" name="k" />、機能性神経素子工学<ref group="注" name="k" />、複合生物系利用工学<ref group="注" name="k" /> ** 生命産業科学専攻 *** 教員の教育・研究領域:遺伝資源産業科学、バイオ産業科学、生態システム工学、資源開発技術学、資源総合評価工学、環境共生科学 ** 持続環境学専攻 *** 教員の研究分野<ref name="d" />:大気循環環境論、水循環持続論、土壌環境持続論、微生物機能循環論、生物資源持続循環論、有機地球化学、多様性・保全生態学、生態系生態学、予防環境医学、生命倫理学、文化生態共生論、都市環境景観創成学、環境社会経済政策論、生態環境解析評価論、総合流域管理論、土壌環境保全学、文化・社会・生態共生論、食薬資源環境学、植物代謝生理学、環境防災学、地域大気汚染学<ref group="注" name="y">国立環境研究所との連携大学院方式による研究分野</ref>、地域環境保健学<ref group="注" name="y" /> ** 先端農業技術科学専攻(独立連携専攻)<ref group="注">2015年度の持続環境学専攻の履修方法・修了要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_85.pdf]によると、専門科目は、フィールドインフォマティクス学分野、生産・管理システム学分野、家畜生産機能制御学分野、作物ゲノム育種学分野、果樹ゲノム育種学分野、花き新育種資源作出・利用学分野に分かれている。</ref> *** 教員の研究分野<ref name="名前なし-1">2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入試)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course/les/latter-integrated3-three/general_february/pdf/research.pdf]</ref>:フィールドインフォマティクス研究分野<ref group="注">農業・食品産業技術総合研究機構 北海道センター、農業・食品産業技術総合研究機構 中央農業総合研究センターと連携</ref>、生産・管理システム研究分野<ref group="注">農業・食品産業技術総合研究機構 生物系特定産業技術研究支援センター、中央農業総合研究センターと連携</ref>、家畜生産機能制御研究分野<ref group="注">畜産草地研究所と連携</ref>、作物ゲノム育種研究分野<ref group="注">作物研究所と連携</ref>、果樹ゲノム育種研究分野<ref group="注">農業・食品産業技術総合研究機構 果樹研究所と連携</ref>、花き新育種資源作出・利用研究分野<ref group="注">農業・食品産業技術総合研究機構 花き研究所と連携</ref> * 5年一貫制博士課程 ** 環境バイオマス共生学専攻<ref group="注">2015年度の持続環境学専攻の履修方法・修了要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_86.pdf]によると、専門科目は、共通、環境藻類分野、光合成代謝制御分野、環境植物生理分野、環境分子微生物分野、水循環資源分野、水環境分野に分かれている。</ref> *** 教員の研究分野<ref name="名前なし-1"/>:環境藻類、[[光合成]]代謝制御、環境植物生理、環境分子微生物、水循環資源、水環境 {{hidden end}} ; [[人間総合科学研究科]] {{hidden begin |toggle = right |title = 専攻(修士課程、博士前期課程、博士後期課程、3年制博士課程、4年制博士課程) |titlestyle = background:lightgrey }} * 修士課程 ** フロンティア医科学専攻 *** コース **** 医科学コース<ref group="注">2015年度版のフロンティア医科学専攻案内[http://www.md.tsukuba.ac.jp/FrontierSite/file/frontier2015.pdf]によると、医科学プログラム、橋渡し研究プログラム、医学物理学プログラムがある。</ref> **** 公衆衛生学コース<ref group="注">2015年度版のフロンティア医科学専攻案内によると、公衆衛生学プログラムがある。</ref> **** ヒューマン・ケア科学コース<ref group="注">2015年度版のフロンティア医科学専攻案内によると、ヒューマン・ケア科学プログラムがある。</ref> *** 研究指導グループ **** 基礎医学関連<ref group="注">グループは、2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入試)の研究指導グループ一覧表[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/chs/master/general_february_med/pdf/research.pdf]による。2015年度版のフロンティア医科学専攻案内によると、「医科学コース」のグループとされる。</ref> ****: 解剖学・発生学、神経生物学、診断病理学、実験病理学、腎血管病理学、システム神経科学、認知行動神経科学、神経生理学、行動神経科学、生化学・分子細胞生物学、生化学・遺伝子制御学、生理化学、分子神経生物学、分子ウイルス学、免疫学、遺伝医学、実験動物学、再生幹細胞生物学、幹細胞制御学、分子遺伝疫学、医学物理学、放射線生物学、分子生物学、発生遺伝学、発生生物学、生体機能材料学、環境生物学、神経科学、分子発生生物学、微生物学、麻酔科学、睡眠学習学、システムズ睡眠生物学、「[[創薬]]科学、有機化学」、分子遺伝学([[理化学研究所]]と連携)、[[糖鎖]]生物学([[産業技術総合研究所]]と連携)、血管マトリックス生物学 **** 臨床医学関連<ref group="注">グループは、2015年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入試)の研究指導グループ一覧表による。2015年度版のフロンティア医科学専攻案内によると、「医科学コース」のグループとされる。</ref> ****: 呼吸器内科学、呼吸器・感染症学、老年呼吸器病学、消化器・内科学、腎臓内科学、[[代謝]]内分泌学、血液学、「内科学・[[リウマチ]]学、臨床免疫学」、脳神経外科学、神経内科学、「胎児発生学、小児発育学」、消化器外科学、整形外科学、呼吸器外科学、泌尿器科学、聴覚平衡機能制御医学、小児外科学、臨床検査医学、放射線診断学、臨床薬剤学、臨床研究地域イノベーシション学、地域医療教育学、放射線腫瘍学、循環器内科学、顎顔面口腔外科学、眼科学、救急・集中治療学、睡眠医学、スポーツ医学、生体材料・再生医工学([[物質・材料研究機構]]と連携) **** 公衆衛生学、ヒューマン・ケア科学関連<ref group="注">グループは、2015年入学生用の学生募集要項(8月期)の研究指導グループ一覧表による。2015年度版のフロンティア医科学専攻案内によると、公衆衛生学コース/ヒューマン・ケア科学コースのグループとされる。</ref> ****: 疫学、法医学、産業精神医学・宇宙医学、保健医療政策学・医療経済学、社会精神保健学、ヘルスサービスリサーチ、高齢者ケアリング学、国際社会医学、国際発達ケア:エンパワメント科学、生活支援学 ** スポーツ健康システム・マネジメント専攻(夜間開講) *** スポーツプロモーションコース ***: 領域<ref name="e">スポーツ健康システム・マネジメント専攻案内[http://www.office.otsuka.tsukuba.ac.jp/pdf/09sports-management-suisen/supo-annai.pdf#]、大学院課程スタンダード</ref>:スポーツプロモーション領域、スポーツマネジメント領域 *** ヘルスプロモーションコース ***: 領域<ref name="e" />:ヘルスプロモーション領域、ストレスマネジメント領域 * 博士前期課程 ** 教育学専攻 *** 教員の専門研究分野<ref name="f">2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入試)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/chs/first/general_february_hum/pdf/research.pdf?20151125]</ref>:日本教育史、生涯学習・社会教育学、教育制度学、比較・国際教育学、教育行政学、学校経営学、カリキュラム、教育方法学、道徳教育学、キャリア教育学、社会科教育学、人文科教育学、数学教育学、理科教育学、共生教育学(教育社会学)、共生教育学(教育臨床学) ** 心理専攻 *** 心理基礎コース **** 教員の研究分野<ref name="f" />:知覚・認知心理学、教育・発達心理学、社会心理学 *** 心理臨床コース **** 教員の研究分野<ref name="f" />:発達臨床心理学、臨床心理学 ** 障害科学専攻 *** コース<ref>2015年度の障害科学専攻(博士前期課程)の履修方法・修了要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_90.pdf]</ref> **** 特別支援教育学コース **** 障害支援学コース *** 教員の研究分野<ref name="f" /> ***: 視覚障害学、聴覚障害学、知的・発達・行動障害学、運動・健康障害学、音声・言語障害学、障害原理論、障害福祉学、[[理療科|理療]]教育学 ** 生涯発達専攻(夜間開講) *** [[カウンセリング]]コース *** [[リハビリテーション]]コース ** 感性認知脳科学専攻 **: 教員の研究領域<ref name="k">2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入試)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/chs/first/general_february_art/pdf/research.pdf?20151023]</ref>:感性科学<ref group="注" name="z">連携大学院方式により、産業技術総合研究所の教員の指導を受けることもできる</ref>、行動科学、神経科学<ref group="注" name="z" /> ** 看護科学専攻 **: 研究領域<ref>2016年入学生用の学生募集要項(8月期、一般入試)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course/chs/first/general_august/pdf/research.pdf]、2015年度の看護科学専攻(博士前期課程)の履修方法・履修要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_100.pdf]、2015年度版の看護科学専攻の案内[http://www.md.tsukuba.ac.jp/kango-kagaku/weblog/pdf_n/H27_panf.pdf]による。履修方法・履修要件によると、専門科目は専攻共通科目、実践看護学領域、健康システム看護学領域に分かれており、学生は自らの専門研究領域の必修科目を履修することになる。なお、看護科学専攻の案内によると、実践看護学領域には専門看護師養成プログラム(がん看護)、専門看護師養成プログラム(精神看護)、専門看護師養成プログラム(家族看護)、助産師養成プログラム、健康システム看護学領域には専門看護師養成プログラム(慢性看護)を設けている。</ref>:実践看護学、健康システム看護学 ** 体育学専攻 *** コース<ref>2015年度の体育学専攻(博士前期課程)の履修方法・履修要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_92.pdf]</ref> **** スポーツ文化・経営政策コース **** 健康・スポーツ教育コース **** ヘルスフィットネスコース **** アスレティックコンディショニングコース **** コーチングコース *** 研究領域<ref name="h">2015年入学生用の学生募集要項(10月期、一般入試)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course/chs/first/recommend_general_july_art/pdf/research.pdf]</ref><ref group="注">2015年度の体育学専攻(博士前期課程)の履修方法・履修要件によると、学生は所属する領域、コースの科目を一定単位履修しなければならない。</ref> **** 体育・スポーツ学分野 ****: 研究領域:体育スポーツ哲学、体育史・スポーツ人類学、スポーツ社会学、[[武道]]学、体育・スポーツ経営学、スポーツ政策学、スポーツ産業学、体育科教育学、アダプテッド体育・スポーツ学、体育心理学 **** 健康体力学分野 ****: 研究領域:健康教育学、環境保健学、運動[[生理学]]、運動[[生化学]]、運動栄養学、体力学、健康増進学、体育測定評価学、内科系スポーツ医学、外科系スポーツ医学、スポーツバイオメカニクス、応用解剖学 **** コーチング学分野 ****: 研究領域:コーチング論・トレーニング学、スポーツ運動学、体操コーチング論、体操競技コーチング論、陸上競技コーチング論、水泳競技コーチング論、バレーボールコーチング論、バスケットボールコーチング論、ハンドボールコーチング論、サッカーコーチング論、ラグビーコーチング論、ラケットバットスポーツコーチング論、柔道コーチング論、剣道コーチング論、野外運動論、[[舞踊]]論 **** 外国語 ** 芸術専攻<ref group="注">2015年度の芸術専攻(博士前期課程)の履修方法・履修要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_96.pdf]によると、専門科目は、所属する領域の科目を中心に履修することが求められている。各領域には必修科目も定められている。</ref> *** 芸術領域群 ***: 領域<ref name="h" />:美術史、芸術支援、洋画、日本画、彫塑、書 ***デザイン領域群 ***: 領域<ref name="h" />:構成、総合造形、クラフト、ビジュアルデザイン、情報デザイン、プロダクトデザイン、環境デザイン、建築デザイン **[[世界遺産]]専攻 **: 専門分野<ref name="k" /><ref group="注">2015年度の世界遺産専攻(博士前期課程)の履修方法・履修要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_97.pdf]によると、学生は、3分野から一つを選択し、一定単位数を履修することが望ましいとされる。</ref>:国際遺産学、文化遺産の評価と保存、遺産のマネジメントとプランニング * 博士後期課程 ** 教育基礎学専攻<ref group="注">2015年度の教育基礎学専攻(博士後期課程)の履修方法・履修要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_101.pdf]によると、専門科目は、教育哲学、日本教育史、外国教育史、生涯学習・社会教育学、教育制度学、教育行政学、学校経営学、比較・国際教育学の各専門領域に分かれており、学生は、自身の専門領域の必修科目を履修することになる。</ref> **: 教員の研究分野<ref name="i">2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入試)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/chs/latter/general_february_hum/pdf/research.pdf?20151125]</ref>:日本教育史、生涯学習・社会教育学、教育制度学、比較・国際教育学、教育行政学、学校経営学、キャリア教育学、教育組織開発論、教育社会学 ** 学校教育学専攻 *** 教育内容方法学分野 ***: 教員の専門研究領域<ref name="j">2016年入学生用の学生募集要項(10月期、一般入試)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course/chs/latter/general_october_hum/pdf/research.pdf]</ref>:カリキュラム、教育方法学、道徳教育学、キャリア教育学 *** 教科教育学分野 ***: 教員の専門研究領域<ref name="j" />:社会科教育学、人文科教育学、数学教育学、理科教育学 **心理学専攻<ref group="注">2014年度の心理学専攻(博士前期課程)の履修方法・履修要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/h26risyu105.pdf]によると、専門科目は知覚・認知、教育・発達、社会に分かれている。</ref> **: 教員の研究分野<ref name="i" />:知覚・認知心理学、教育・発達心理学、社会心理学 ** 障害科学専攻 **: 教員の研究分野<ref name="i" />:視覚障害学、聴覚障害学、知的・発達・行動障害学、健康・運動障害学、音声・言語障害学、障害原理論、障害福祉学、理療教育学 ** 生涯発達科学専攻(夜間開講) ** 感性認知脳科学専攻 **: 教員の研究分野<ref>2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入試)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/chs/taigei/latter_february/pdf/kansei.pdf]</ref>:感性情報学、感性デザイン学、比較認知科学、行動神経科学、精神機能障害学、システム脳科学、神経分子機能学、感性人間工学<ref group="注" name="k" />、脳型情報処理機構学<ref group="注" name="k" /> ** 看護科学専攻<ref group="注">2015年度版の看護科学専攻の案内、2016年度入学生用の学生募集要項(2月期、一般入試)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/chs/latter/general_february_med/pdf/research.pdf]によると、看護科学領域のみで構成される。</ref> ** 体育科学専攻 **: 研究分野<ref>2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入試)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/chs/taigei/latter_february/pdf/taiiku.pdf]</ref>:体育・スポーツ文化系、スポーツ経営・政策系、体育・スポーツ教育系、運動生命科学系、健康体力系、運動・コーチング科学系 ** 芸術専攻 **: 研究領域<ref>2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入試)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/chs/taigei/latter_february/pdf/geijutsu.pdf]</ref>:芸術学、デザイン学 ** [[文化遺産 (世界遺産)|世界文化遺産]]学専攻 **: 教育研究領域<ref>2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入試)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/chs/taigei/latter_february/pdf/heritage.pdf]</ref>:政策・行政、自然保護、遺産整備、美術、景観、保存科学、観光・計画、保存哲学、建築 * 3年制博士課程 ** ヒューマン・ケア科学専攻<ref group="注">2015年度のヒューマン・ケア科学専攻(博士後期課程)の履修方法・履修要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_105.pdf]によると、専門科目は、共生教育学分野、発達臨床心理学分野、臨床心理学分野、生活支援学分野、高齢者ケアリング学分野、健康社会学・ストレスマネジメント分野、社会精神保健学分野、福祉医療学分野、保健医療政策学分野、ヘルスサービスリサーチ分野に分かれており、関連分野の科目を一定単位履修することになっている。</ref> **: 教員の研究分野<ref>2016年入学生用の学生募集要項(8月期、一般入試)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/chs/taigei/latter_february/pdf/hcs.pdf]</ref>:共生教育学、発達臨床心理学、臨床心理学、生活支援学、高齢者ケアリング学、健康社会学・ストレスマネジメント、社会精神保健学、福祉医療学、保健医療政策学、ヘルスサービスリサーチ ** スポーツ医学専攻 **: 教員の研究分野<ref>2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入試)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/chs/taigei/latter_february/pdf/sportsmed.pdf]</ref>:スポーツ医科学基礎論、生涯スポーツ医学、競技スポーツ医学、健康スポーツ医学 ** コーチング学専攻 *** 一般コーチング学領域 ***: 教育研究分野<ref name="l">2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入試)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/chs/taigei/latter_february/pdf/coaching.pdf]</ref>:コーチング原論、トレーニング学、スポーツ運動学 *** 個別コーチング学領域 ***: 教育研究分野<ref name="l" />:コーチング学I(個人)、コーチング学II(球技)、コーチング学III(武道) * 4年制博士課程 ** 生命システム医学専攻 *** 研究分野<ref name="m">2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入試)の教員研究分野一覧[http://www.ap-graduate.tsukuba.ac.jp/course02/chs/mms/general_february_med/pdf/research.pdf]</ref> **** 分子医科学 ****: 分子細胞生理学、分子生物腫瘍学、生理化学、分子神経生物学、[[解剖学]]・[[発生学]] **** システム統計医学 ****: モデル動物学、実験[[病理学]]、[[悪性腫瘍|がん]]シグナル<ref group="注">2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入試)の教員研究分野一覧によると、担当教官は、「実験病理学」の担当教官と同じグループになっている。</ref>、診断病理学、腎・血管病理学、免疫制御医学、再生医学・幹細胞生物学、感染生物学、[[微生物]]学、[[寄生虫]]分子生物学、神経生理学、認知行動神経科学、医学物理学、放射線生物学、医工学、血管生物学 **** [[ゲノム]]環境医学 ****: 分子遺伝[[疫学]]・社会健康医学、遺伝医学、環境医学、分子発生生物学、法医学 **** 睡眠医科学 ****: 「分子[[薬理学]]、機能神経解剖学」<ref group="注">2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入試)の教員研究分野一覧によると、担当教官は2人いるが、別々のグループとなっている。なお、それぞれが「分子薬理学」と「機能神経解剖学」の両方を担当している。</ref>、「創薬科学、有機化学」、「生化学、ケミカルバイオロジー、行動神経科学」、睡眠学習学、システムズ睡眠生物学、分子睡眠生物学<ref group="注">2016年入学生用の学生募集要項(2月期、一般入試)の教員研究分野一覧によると、担当教官は2人いるが、別々のグループとなっている。</ref> **** 連携大学院方式 ****: ゲノム機能学<ref group="注" name="l" />、国際医療学<ref group="注">[[国際医療研究センター研究所]]との連携大学院方式による研究分野</ref>、医学ウイルス学<ref group="注">[[国立国立感染研究所]]との連携大学院方式による研究分野</ref>、蛋白質代謝学<ref group="注">東京都医学総合研究所との連携大学院方式による研究分野</ref> ** 疾患制御医学専攻 *** 研究分野<ref name="m" /> **** 臨床病態解明学 ****: 放射線診断学、放射線[[腫瘍]]学、精神神経医学、災害精神支援学、麻酔・蘇生学、救急・集中治療医学、臨床薬剤学、地域医療教育学、臨床試験・臨床疫学、臨床研究地域イノベーション学、 **** 臨床外科学 ****: 消化器外科学、心臓血管外科学、整形外科学、呼吸器外科学、小児外科学、腎泌尿器外科学、形成外科学、乳腺内分泌外科学、婦人周産期医学、脳神経外科学、眼科学、耳鼻咽喉科学、顎口腔外科学 **** 臨床内科学 ****: 消化器内科学、循環器内科学、呼吸器内科学、神経内科学、腎臓内科学、血液内科学、膠原病内科学、代謝・内分泌制御医学、臨床検査学、皮膚科学、小児内科学、感染症学、臨床腫瘍学 **** 社会医学 ****: 保健医療政策学・医療経済学、ヘルスサービスリサーチ、社会精神保健学 **** 連携大学院方式 ****: [[創薬]]トランスレーショナルサイエンス<ref group="注">[[アステラス製薬]]との連携大学院方式による研究分野</ref>、生体分子機能学<ref group="注" name="k" />、分子創薬学<ref group="注">[[エーザイ]]との連携大学院方式による研究分野</ref>、生体材料・再生医工学<ref group="注">物質・材料研究機構との連携大学院方式による研究分野</ref>、医薬品・医療機器審査科学<ref group="注">[[医薬品・医療機器総合機構]]との連携大学院方式による研究分野</ref> {{hidden end}} ; [[図書館情報メディア研究科]](博士前期課程・博士後期課程) {{hidden begin |toggle = right |title = 専攻(図書館情報メディア専攻) |titlestyle = background:lightgrey }} * 図書館情報メディア専攻<ref group="注">2015年度の図書館情報メディア専攻(博士後期課程)の履修方法・履修要件(2014年以前の入学者用)[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_129.pdf]によると、学生は、情報メディア社会分野、情報メディアマネージメント分野、情報メディアシステム分野、情報メディア開発分野という4つの教育研究分野のうちの一つに所属することになっているが、2015年入学者用の履修方法・履修要件[http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/pdf/risyu/27/h27risyu_128.pdf]では、教育研究分野の記載がなくなっている。</ref> ** 博士前期課程のプログラム<ref>2015年度版の図書館情報メディア研究科パンフレット[http://www.slis.tsukuba.ac.jp/grad/assets/files/pamphlet/2015/ebook/index.html#page=7]</ref> **** 情報学修士プログラム **** 図書館情報学修士プログラム **** 図書館情報学英語プログラム(留学生を対象に英語で授業を行う) **** 図書館情報学キャリアアッププログラム(社会人を対象) {{hidden end}} ===== 社会人大学院 ===== 筑波大学の[[社会人大学院]]は、[[ビジネス科学研究科]] (GSBS) の3課程5専攻と人間総合科学研究科2課程4専攻を有している。 ; [[ビジネス科学研究科]](夜間開講) {{hidden begin |toggle = right |title = 専攻(博士前期課程、博士後期課程、専門職大学院、法曹専攻(法科大学院)) |titlestyle = background:lightgrey }} * 博士前期課程 ** 経営システム科学専攻【取得学位:修士(経営学 ([[経営学修士|MBA]]) または経営システム科学)】 ** 企業法学専攻【取得学位:修士(法学)】 * 博士後期課程 ** 企業科学専攻 *** システムズ・マネジメントコース【取得学位:博士(経営学)または博士(システムズ・マネジメント)】 *** 企業法コース【取得学位:博士(法学)】 * 専門職大学院 ** 国際経営プロフェッショナル専攻【取得学位:国際経営修士(専門職)】 ** 法曹専攻(法科大学院)【取得学位:法務博士(専門職)】 特徴 * [[ビジネス科学研究科]]の5専攻のうち、[[博士前期課程]]の専攻である、経営システム科学専攻 (GSSM)、企業法学専攻の2専攻と、[[博士後期課程]]の企業科学専攻は、都心に勤務する社会人が仕事を続けながら教育を受けられる夜間開講型の大学院である。これらの専攻では、従来からの[[大学院]]が授与する[[修士]]・[[博士]]の[[学位]]が与えられる。専門職大学院である国際経営プロフェッショナル専攻と法曹専攻(法科大学院)では、2003年の[[学校教育法]]改正で新たに創設された[[専門職学位]](第三の学位)が授与される。 * 経営システム科学専攻は、1989年に設置された[[国立大学]]の社会人[[経営学修士]](MBA)教育の草分け的存在として知られている。関係者の間では同専攻の英語名称の頭文字をとって「GSSM」と呼ばれることが多い。同専攻の修了生には、修了後にベンチャー起業家と大学教授に転身する人が多いという特徴がある。[[日本経済新聞社]]と日経HRが共同で行った「通いたいMBA大学院ランキング」(調査期間:2012年5月28日〜6月5日)では、ビジネス化学研究科 経営システム科学専攻が東日本の部で第10位にランクインしており、高い人気を博している<ref>「通いたいMBA大学院ランキング」  sa http://bizacademy.nikkei.co.jp/feature/article.aspx?id=MMACz2000018072012&page=1</ref>また、実際に学んでいた学生を対象にした「国内MBA学生満足度ランキング」(日経HR調査/調査期間:2009年7月〜8月)では同専攻が第19位にランクイン。長く通用する理論を学ぶ授業の多さ、講師との密なコミュニケーション、適正な学費が高く評価されている<ref>日経キャリアマガジン『MBA、会計、MOTパーフェクトブック 2011年度版』 [http://www.nikkeihr.co.jp/careerm/mook_2010_10/]</ref> {{hidden end}} ; 人間総合科学研究科 {{hidden begin |toggle = right |title = 専攻(修士課程、博士前期課程、博士後期課程、3年制博士課程) |titlestyle = background:lightgrey }} * 博士前期課程 ** 生涯発達専攻 *** カウンセリングコース【取得学位:修士(カウンセリング)】 *** リハビリテーションコース【取得学位:修士(リハビリテーション)】 * 修士課程 ** スポーツ健康システム・マネジメント専攻【取得学位:修士(体育学)または修士(保健学)】 * 博士後期課程 ** 生涯発達科学専攻【取得学位:博士(生涯発達科学)または博士(カウンセリング科学)または博士(リハビリテーション科学)】 * 3年制博士課程 ** スポーツウエルネス学位プログラム(2016年4月より) 特徴 * 人間総合科学研究科生涯発達専攻博士前期課程([http://www.human.tsukuba.ac.jp/counseling/ カウンセリングコース]、リハビリテーションコース)、同研究科生涯発達科学専攻博士後期課程、同研究科スポーツ健康システム・マネジメント専攻修士課程は、研究科としては筑波キャンパスに設置された全日制の大学院であるが、これらの3専攻のみが、夜間開講の社会人大学院として、東京キャンパス大塚地区に設置されている。 {{hidden end}} ===== グローバル教育院 ===== 大学、または大学院課程で分野を横断する学位プログラム等の実施、運営を行うことを目的として、2011年12月に設置した。 * ヒューマンバイオロジー学位プログラム *: 2011年度に、文部科学省の「博士課程教育リーディングプログラム」に採択された。5年一貫の学位プログラムで、「人間生物学」の博士学位を取得できる。教育・研究には、医学医療系、生命環境系、システム情報系、数理物質系の教員があたるほか、企業や海外大学など外部からも教員を招いている。また、入試は[[ボン]]、[[北京]]、[[タシケント]]、[[ホーチミン市]]、[[ダラス]]、[[チュニス]]でも実施している。 * エンパワーメント情報学プログラム *: 2013年度に、「博士課程教育リーディングプログラム」に採択された。「人間情報学」の学位が取得できる。学生の受け入れは2014年4月から。 === 研究組織(教員組織) === 2011年10月から新たな教員組織として10の「系」<ref>http://www.tsukuba.ac.jp/about/faculties.html</ref>を設置した。教員は原則として、このいずれかの「系」に属する。 ==== 系 ==== <div style="float:left;vertical-align:top;white-space:nowrap;margin-right:1em"> * 人文社会系 * ビジネスサイエンス系 * 数理物質系 ** 数学域 ** 物理学域 ** 化学域 ** 物理工学域 ** 物質工学域 * システム情報系 ** 社会工学域 ** 情報工学域 ** 知能機能工学域 ** 構造エネルギー工学域 * 生命環境系 </div><div style="float:left;vertical-align:top;white-space:nowrap;margin-right:1em"> * 人間系 ** 教育学域 ** 心理学域 ** 障害科学域 * 体育系 * 芸術系 * 医学医療系 ** 生命医科学域 ** 臨床医学域 ** 保健医療学域 * 図書館情報メディア系 </div>{{clear|left}} ==== 学系 ==== 「系」の設置以前は教員研究組織として「学系」が設置されていたが、実際には[[教員]]は[[大学院]][[研究科]]に所属していた。「学系」の役割は失われており、2012年3月をもって廃止となった<ref>[http://www.tsukuba.ac.jp/topics/20111205115920.html 教育研究体制の改編により,大学教員の所属が「研究科」から「系」の所属となる]</ref>。 == 附属機関 == === 筑波大学附属病院 === {{See|筑波大学附属病院}} === 附属図書館 === [[画像:Fountain, Univ. of Tsukuba.jpg|220px|thumb|第3エリアから中央図書館を望む]] 筑波キャンパスの図書館は中央・体芸・医学・図書館情報学の4館に分かれる。日本の大学図書館としては珍しい全面開架方式を採っており、貴重書などを除いて利用者が本を自由に手に取ることができる。さらに学生・教職員ならば全ての図書館を自由に利用でき、学外者も所定の手続きを取れば利用可能としている。延べ入館者数は年間100万人を超える。 中央図書館の蔵書数は約176万冊で、文理を問わず幅広い分野の本を揃える。体芸・医学・図書館情報学の各図書館は、各分野に特化した蔵書が主であり、蔵書数は各館とも20万冊前後である。 上記4館のほか、東京キャンパスに大塚図書館がある。 === 附属学校 === [[附属学校]]は11校あり、[http://www.gakko.otsuka.tsukuba.ac.jp/ 附属学校教育局]が統括している。また、前身である[[東京教育大学]]閉学の際には、大学本体のみが茨城県つくば市へ移転し、各附属校は元の場所に残された。 * [[筑波大学附属小学校|附属小学校]](男女共学) - 東京都文京区 * [[筑波大学附属中学校・高等学校|附属中学校・高等学校]](筑附・男女共学) - 東京都文京区 * [[筑波大学附属駒場中学校・高等学校|附属駒場中学校・駒場高等学校]](筑駒・中高一貫男子校) - 東京都[[世田谷区]] * [[筑波大学附属坂戸高等学校|附属坂戸高等学校]](筑坂・男女共学) - [[埼玉県]][[坂戸市]] * [[筑波大学附属視覚特別支援学校|附属視覚特別支援学校]] - 東京都文京区 * [[筑波大学附属聴覚特別支援学校|附属聴覚特別支援学校]] - [[千葉県]][[市川市]] * [[筑波大学附属大塚特別支援学校|附属大塚特別支援学校]]([[知的障害]]) - 東京都文京区 * [[筑波大学附属桐が丘特別支援学校|附属桐が丘特別支援学校]]([[運動障害|肢体不自由]]) - 東京都[[板橋区]] * [[筑波大学附属久里浜特別支援学校|附属久里浜特別支援学校]]([[自閉症]]) - [[神奈川県]][[横須賀市]] 附属校も変遷を経ており、東京師範学校の創立直後に日本初の小学校として附属小学校が、その後1888年に[[旧制中学校]]として附属中学校・高等学校が創立。戦後の教育改革の流れの中で東京農業教育専門学校の附属校として駒場中学校・高校が創立された他、別の国立学校だった[[東京盲唖学校|東京盲学校・東京聾唖学校]]から盲学校とろう学校が、地元自治体により創立され提携関係となっていた坂戸高校が移管。その後都内の身体障害者施設への教員派遣をきっかけに桐が丘養護学校が、明治末期から設置されていた附属小学校と中学校の[[特殊学級]]から分割する形で大塚養護学校が創立された。さらに、平成16年4月1日の[[国立学校設置法]]などの廃止と[[国立大学法人法]]などの施行に伴う法改正で、従来別の国立学校だった久里浜養護学校が筑波大学に移管されて附属校となった。平成19年4月1日の文部科学省令の改正により、附属養護学校は附属特別支援学校となり、特別支援学校に包含された盲学校・ろう学校はそれぞれ「視覚特別支援学校」「聴覚特別支援学校」へと名称を変更した。 なお、筑波大学の同窓会である[[茗渓会]]は、茨城県つくば市に[[茗溪学園中学校・高等学校]]を運営している。同校は茗渓会設立100周年の記念事業として、また附属校が[[筑波研究学園都市]]に移転できなかった事情もあり、同地に創立された。 === 全国共同教育研究施設 === (この節の主要な出典<ref name="n">{{Cite web|和書|url=https://www.tsukuba.ac.jp/public/ho_kisoku/s-01/2004hkt01.pdf |title=国立大学法人筑波大学の組織及び運営の基本に関する規則施行規程 |format=PDF |publisher=筑波大学 |accessdate=2019-06-10}}</ref><!-- 別の出典で記事を追加するには出典をその追加記事の後に脚注を導入して付け加えて下さい。 -->) * [[筑波大学計算科学研究センター|計算科学研究センター]] * [[プラズマ]]研究センター * [[下田市|下田]]臨海実験センター * 遺伝子実験センター === 学内共同教育研究施設 === (この節の主要な出典<ref name="n" /><!-- 別の出典で記事を追加するには出典をその追加記事の後に脚注を導入して付け加えて下さい。 -->) [[画像:University of Tsukuba dsc04769.jpg|220px|thumb|総合研究棟B。教員のオフィスや大学院の研究室などのほかTIMSセンターが所在している。]] [[画像:TERC Experimetal Field.jpg|220px|thumb|アイソトープ環境動態研究センター環境動態予測部門の熱収支・水収支観測圃場。観測されたデータは同部門の公式サイトで公開されている。]] * 先端学際領域研究センター * 外国語センター * 体育センター * 留学生センター * アドミッションセンター * 北アフリカ研究センター<ref group="注">北アフリカ研究センター細則[https://arenatsukuba.files.wordpress.com/2012/04/saisoku1.pdf]によると、バイオサイエンス部門、環境・エネルギー部門、人文・社会科学部門、ICT・イノベーション部門がある。</ref> * 学術情報メディアセンター * 研究基盤総合センター<ref group="注">応用加速器部門、低温部門、分析部門、工作部門、オープンファシリティ推進室がある。[http://www.kkss.tsukuba.ac.jp/#h2-1]</ref> * [[サイバニクス]]研究センター * [[放射性同位体|アイソトープ]]環境動態研究センター<ref group="注">事務部、放射線安全管理部(医学・医療系アイソトープ施設、生命環境系アイソトープ施設)、研究部(アイソトープ基盤研究部門、放射性物質環境移行部門、環境動態予測部門)がある。[http://www.ied.tsukuba.ac.jp/news/kenkyusoshiki/]</ref> * 保健管理センター === 部局附属教育研究施設 === (この節の主要な出典<ref name="n" /><!-- 別の出典で記事を追加するには出典をその追加記事の後に脚注を導入して付け加えて下さい。 -->) * ビジネスサイエンス系 ** 大学研究センター * 数理物質系 ** 学際物質科学研究センター<ref group="注">研究分野には、物質創成分野(ハイブリッド物質コア、ナノ構造物性コア、量子物性コア)、集積物性分野(分子・物質変換コア、強相関機能コア、機能性高分子コア)、ナノグリーン機能分野(機能性カーボンコア、エネルギー変換コア、分子光機能コア)がある。[http://www.tims.tsukuba.ac.jp/index_j.html]</ref> * 生命環境系 ** つくば機能植物イノベーション研究センター(T-PIRC農場。農林技術センターと遺伝子実験センターを2017年度に統合)<ref>[http://www.nourin.tsukuba.ac.jp/ 筑波大学つくば機能植物イノベーション研究センター](2018年8月20日閲覧)。</ref> ** 山岳科学センター(菅平高原実験センターと各演習林・実験林を統合))<ref name="山岳"/> * 人間系 ** 教育開発国際協力研究センター * 医学医療系 ** 生命科学動物資源センター<ref group="注">資源管理分野、資源開発分野、資源解析分野がある。[http://www.md.tsukuba.ac.jp/LabAnimalResCNT/index/sosiki.htm]</ref> ** 次世代医療研究開発・教育統合センター (CREIL) * 図書館情報メディア系 ** 知的コミュニティ基盤研究センター * 附属病院 ** [[陽子線]]医学利用研究センター * 附属学校教育局 ** 特別支援教育研究センター === その他の施設 === [[画像:Meteorological Observation Station at the summit of Mt. Tsukuba,Tsukuba-city,Japan.JPG|200px|thumb|筑波山神社・筑波大学計算科学研究センター共同気象観測所]] * [[筑波大学理療科教員養成施設]] * 心理・心身障害教育相談室(筑波キャンパス) * 心理・発達教育相談室(筑波キャンパス) * ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー * [[技術移転機関|TLO]](株)筑波リエゾン研究所 * [[筑波山神社・筑波大学計算科学研究センター共同気象観測所]] * [[国際統合睡眠医科学研究機構]] * 筑波大学ボンオフィス <ref>[http://www.global.tsukuba.ac.jp/overseas/bonn?language=ja 筑波大学ボンオフィス]</ref> == 研究 == === 21世紀COEプログラム === {{See also|21世紀COEプログラム}} 採択4件 * 2002年度 *; 生命科学 *: 複合生物系応答機構の解析と農学的高度利用 *; 化学・材料科学 *: 未来型機能を創出する学際物質科学の推進 *; 学際・複合・新領域 *: 健康・スポーツ科学研究の推進 * 2003年度 *; 学際・複合・新領域 *: こころを解明する感性科学の推進 === グローバルCOEプログラム === {{See also|グローバルCOEプログラム}} 採択1件 * 2007年度 *; 情報・電気・電子 *: サイバニクス:人・機械・情報系の融合複合 === 文部科学省 先導的ITスペシャリスト育成推進プログラム === ==== 高度IT人材育成のための実践的ソフトウェア開発専修プログラム ==== [[筑波大学大学院 システム情報工学研究科 コンピュータサイエンス専攻|システム情報工学研究科コンピュータサイエンス専攻]]は、2006年9月に文部科学省の[[先導的ITスペシャリスト育成推進プログラム]]<ref>{{Wayback |url = http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/09/06092715/002.htm |title = 先導的ITスペシャリスト育成推進プログラム採択状況 |date = 20110324063456 }}</ref>の採択を受け、プロジェクト[http://www.cs.tsukuba.ac.jp/ITsoft/ 高度IT人材育成のための実践的ソフトウェア開発専修プログラム]を発足している。 === スポーツ・アカデミー形成支援事業 === [[2020年東京オリンピック・パラリンピック]]競技大会に向けて、[[文部科学省]]が実施する「スポーツ・アカデミー形成支援事業」の委託先大学(Aタイプ)に採択された<ref>[http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/05/1348373.htm スポーツ・アカデミー形成支援事業の委託先の選定について]</ref>。オリンピズムの普及とスポーツ医科学研究の推進を図るため、同じく採択を受けた[[鹿屋体育大学]]および[[日本体育大学]]と連携し、各国の体育・スポーツ系大学とのネットワーク構築を目指している。 === 経団連 高度情報通信人材育成に係る重点協力拠点 === [[筑波大学大学院 システム情報工学研究科|システム情報工学研究科]]は、2006年4月に[[日本経済団体連合会]](経団連)の高度情報通信人材育成部会から「[[高度情報通信人材育成に向けた協力拠点|高度情報通信人材育成に係る重点協力拠点]]」認定を受けている。 === APECプロジェクト === 大学負担による[[アジア太平洋経済協力]](APEC)の研究プロジェクトでは、[[タイ王国|タイ]]の[[コンケン大学]]と共同で数学及び科学に関する研究を行っている<ref>APEC, ''[https://www.apec.org/Meeting-Papers/Sectoral-Ministerial-Meetings/Education/2012_education 2012 APEC Education Ministerial Meeting]''(21 May 2012)2019年12月7日閲覧。</ref>。 == 学生生活 == [[画像:Tsukuba Entrance Ceremony 2009.jpg|220px|thumb|2009年度入学式に集う学生]] === 学生自治 === 筑波大学には、 * 全学学類・専門学群・総合学域群代表者会議(通称:全代会、全学レベル) * クラス代表者会議(通称:クラ代会、学群・学類レベル) という大学公認の学生組織があり、一般的な大学での自治会の代替的組織として学生の大学生活面における諸問題について、大学側と折衝を行っている。 === サークル === 筑波大学には、サークルの登録制度があり、課外活動団体(大学公式サークル)、一般学生団体(大学登録サークル)、その他の団体(大学非登録サークル、草サークル)の3段階に分けられる。 課外活動団体は大学教員を顧問とし、代表および副代表を置き、3系と称される文化系サークル連合会(文サ)・体育会・芸術系サークル連合会(芸サ)の3団体のうち、いずれかの団体の審査を受けて正式加盟していることが、団体として認定される必須条件となっており、紫峰会からの活動援助金支給・大学からの物品支給・サークル活動場所(ミーティングスペースや荷物置き場)の提供・施設予約の優先などの権利が与えられる。 一般学生団体は大学教員を顧問とし、代表及び副代表をおくことが、登録においての必須条件となっている。 体育系の団体は主に体育系サークル館を、文化系・芸術系のサークルは文化系サークル館を中心にスペースを持ち活動している。 4月の入学式後には、新歓祭と呼ばれる、新入生歓迎とサークル勧誘を目的としたイベントが第1エリアを会場として行われている。 旧図書館情報大学のサークルは、統合後の部員減少により、その多くが解散・統合した。残っているサークルは文サ・芸サの所属により課外活動団体としての存続、もしくは一般学生団体として存続するなどしており、今でも春日地区において活動を続けている。<!-- 以下の項目は、3系をそれぞれ呼称するときの順(筑波大の課外活動団体紹介誌の紹介順)に従い、文・体・芸の順としたい。--> ==== 課外活動団体 ==== * 文化系サークル連合会(通称:文サ連) * 体育会 ** 蹴球部、[[筑波大学硬式野球部|硬式野球部]]、柔道部、ラグビー部、剣道部、バレーボール部、ソフトボール部など多数の部活から構成される。 医学系の学生を主な対象とした医学支部も設置されている。 ダンス部は国立大学屈強の一つであり、全日本高校・大学ダンスフェスティバルでは文部科学大臣賞(優勝)を平成13年から平成19年にかけて5度受賞している。剣道部は私立の体育大学と対等に勝負できる実力があり、全国大会の常連であり、優勝経験もある。 * 芸術系サークル連合会(通称:芸サ連) ** 定期的に毎年、「つくば芸術祭」というイベントを主催しており、20年以上の歴史がある。 ** [[ア・カペラ|アカペラ]]サークル「Doo-wop」からは [[RAG FAIR]] のボイスパーカッションである奥村政佳(おっくん)を輩出している。 ** [[津軽三味線]]倶楽部「無絃塾」は名取(プロ)を何名も輩出している。学生サークルで唯一愛知万博に参加したサークルであり、台湾など海外への公演も行った。 ** 「THK筑波放送協会」は、[[NHK全国大学放送コンテスト]]で好成績を収めており、卒業生には声優やアナウンサーもいる。 ** [[加藤幹郎]](映画学)は、在学中に映像制作団体TET(のちの [[ViCC]])で映像作品『[[ブリコラージュ]]』を[[監督]]している。 * その他 ** 珍しいサークルとして、[[ダブルダッチ]]サークル「Purplume」(パープルーム)がある。 ** 非公式のeスポーツサークルとして、スプラトゥーンサークル「Tsuquid」がある。 === 学園祭 === [[画像:Sohosai 2009 at Area 1.jpg|220px|thumb|雙峰祭(2009年10月、第1エリア)]] 筑波大学には、毎年11月の[[金曜日|金]]・[[土曜日|土]]・[[日曜日|日]]に筑波キャンパスの体芸棟から第2・第3エリアまでを使って行われる「雙峰祭」(そうほうさい)という名称の学園祭が存在する。模擬店祭と揶揄されることがあるほどの模擬店数(特に飲食関係)が特徴であるが、2001年より学内の研究成果の公開を目的とした学術研究企画が始まった。中でも、そのきっかけとなった「MRI による骨粗鬆症診断」は、ユニークな企画として大変な人気となっている。なお、学園祭の運営は、全学学類・専門学群代表者会議の下部組織である、学園祭実行委員会によって行われているが、過去には学生側と大学側が衝突する事態も発生し、1980年と1984年の2回、大学側によって中止が決定された。 その他に、「やどかり祭」(宿舎祭)という、毎年5月末の金・土に平砂宿舎地区を使って行われる祭が存在する。各宿舎に入居する学群1年生の多くがクラス毎に模擬店を出すのが慣例となっている。伝統的な企画としては、「ゆかコン」(ゆかたコンテスト)という有志団体による対抗パフォーマンスイベント(第39回までは学群対抗)と、各学群が製作した御輿によるイベントがある。運営は、他の組織とは独立した組織である、宿舎祭実行委員会が行っている。 ==== 各学群・学類内における特徴的な活動・イベント ==== * プログラム[[バグ]]慰霊祭(情報科学類) *: 情報科学類において、自ら生み出しそれを滅したということに対する免罪の意味から、プログラムバグ慰霊祭(通称「バグ祭」)というイベントが実施されている。 * 自然学類総合プロジェクト推進委員会[通称SP](自然学類・数学類・物理学類・化学類・地球学類) *: 自然学類のクラス代表者会議から派生した、学類交流のための団体。学園祭の展示は恒例となっている。 ==== 各学群・学類内における刊行誌 ==== かつては多数の学類誌が存在したが、2019年現在発行されているのは以下の3誌である(いずれも情報学群)。 * [https://www.word-ac.net/ WORD](情報科学類) *: 1979年1月26日創刊。2009年に創刊30周年を迎えた[https://www.word-ac.net/?p=167]。 *: タイトルの由来は情報量の[[ワード]]であり、[[Microsoft Word]]からではない。 * [https://magazine.mast.tsukuba.ac.jp/ MAST](情報メディア創成学類) *: タイトルは "Media Arts, Science and Technology" の略。 *: 2009年に新たに創刊。現存{{いつ|date=2019-12}}する学類誌としては唯一のフルカラー誌である。2015年12月からWEB版に移行した。 * [http://klis.tsukuba.ac.jp/klis_milk/ MILK](知識情報・図書館学類) *: タイトルは "Management Information Library Knowledge" の略。 *: 2011年9月創刊[http://klis.tsukuba.ac.jp/klis_milk/#category1]。最も新しく創刊された学類誌。 <!-- 「そうしあ〜る」はどうなった?? * そおしあ〜る(社会・国際学群社会学類) *: 1981年に創刊。2011年、創刊30周年を迎えた。最新号は2012年10月4日初版発行のvol.132。 --> === スポーツ === 筑波大学は[[大学スポーツ協会]] (UNIVAS) には参加していない。 * [[筑波大学蹴球部|蹴球部]]は、[[全日本大学サッカー選手権大会]]4度(東京教育大時代を含め8度)[[総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント]]3度の優勝を記録している。卒業生にはJリーガーも存在している。 * [[筑波大学硬式野球部|硬式野球部]]は、[[首都大学野球]]リーグに所属しており、1987年に秋の[[明治神宮野球大会]]にて国立大学唯一の優勝(大学日本一)を果たす。首都大学野球連盟では東海大学・日本体育大学3番目の快挙である。 * [[筑波大学ラグビー部|ラグビー部]]は[[関東大学ラグビー対抗戦グループ]]に所属し、2012年は念願の対抗戦Aグループ初優勝を果たした。 * [[筑波大学男子バスケットボール部|男子バスケットボール部]]は、前身東京教育大学を含め[[全日本大学バスケットボール選手権大会]](旧全日本学生選手権)に唯一全大会出場しており、国立大学唯一かつ計3回の優勝を果たしている。女子は1969年(昭和44年)に[[日本体育大学]](通算19回優勝)が4連覇を達成して以来の記録と並ぶ4連覇(1984年昭和63年・計10回優勝)をしている強豪校である。また毎年、大学バスケットボール界の[[伝統の一戦]]で有名な日本体育大学との春の定期戦「通称日筑戦-ニッツクセン・NITTUKU BASKETBALL FESTIVAL」が行われる。筑波大学サイドからの呼称も「ツクニチセン」とは云わずポスター通り「日筑戦」である。早慶戦(定期戦)は慶応大学サイドから言えば慶早戦である。呼称において真にスポーツを愛する筑波大生の性格の大らかさが垣間見える事象である。 * [[筑波大学陸上競技部|陸上競技部]]は、[[東京箱根間往復大学駅伝競走]]に62回出場しており、これは歴代8位で国立大学では最多である。[[全日本大学駅伝対校選手権大会]]にも5回出場。女子も[[全日本大学女子駅伝対校選手権大会]]に関東地区代表として[[中央大学]]24回[[日本体育大学]]23回に次ぐ21回の出場で、3度の優勝も経験している。 * 男子バレーボール部は、インカレ9回・東西インカレ4回の全国タイトル計13回を誇り、東海大学と並び史上2位(史上最多は中央大学の23回)である。東日本インカレも7回制している。女子バレーボール部はインカレを6回制している。東日本インカレも4回制している。 * [[柔道]]部は1983年9月21日、[[全日本学生柔道連盟]](学柔連)を脱退し、[[全日本柔道連盟]](全柔連)傘下で親[[講道館]]派、学生柔道界少数派の全日本大学柔道連盟(大学柔連)設立メンバーとなる<ref name=全柔連の歴史>{{Cite web|和書|date= |url=http://www.judo.or.jp/shiru/rekishi |title=全日本柔道連盟50年誌 第四部資料編 日本柔道史年表「全柔連の歴史・国内の柔道界」 |website=全日本柔道連盟|location=日本・東京 |accessdate=2019-10-1 }}</ref>。[[大出俊 (政治家)|大出俊]]は、他の約20の参加校の柔道は強くない、と語っており<ref>国会議事録 [002/003] 104 - 衆議院 - 予算委員会 - 16号 昭和61年02月24日</ref>、筑波大学がリーダー的存在であった。1988年に学柔連と大学柔連は統合している。成績は、全日本女子選手権者を3人(薪谷翠、杉本美香、緒方亜香里)出している。学生では全日本学生優勝大会で女子が2回、男子は1回優勝し、全日本学生体重別団体優勝大会でも男子が3回、女子が2回優勝を果たしている。個人ではオリンピック2連覇を成し遂げた谷本歩実をはじめとして、五輪・世界チャンピオンも含め多数のメダリストがいる。 == 施設 == === キャンパス === ==== 筑波キャンパス ==== 筑波大学のメインキャンパスである。 {{main|筑波大学筑波キャンパス}} 敷地面積が広大なことから日本の大学としては特異なキャンパス交通システムを構築している。期間有効のパスを購入することによって、学内を交通しているバスが一年間乗り降り自由となっている。 {{main|筑波大学キャンパス交通システム}} ==== 東京キャンパス ==== 東京キャンパス文京校舎は、以前は大塚キャンパス(後述の秋葉原地区設置後は東京キャンパス大塚地区)と呼ばれていた。かつての東京教育大学の跡地にあり、その一部は文京区の[[教育の森公園]]等になっているが、のちに[[筑波大学附属小学校|附属小学校]]が存置されている。また2011年9月に[[放送大学]]との合築による文京校舎(地下1階、地上6階)が整備され、[[生涯学習]]のための拠点機能を持ったキャンパスとして位置付けられている。 ; 文京校舎 : 地下鉄[[東京メトロ丸ノ内線|丸ノ内線]][[茗荷谷駅]]より徒歩2分。 * 法科大学院を含む夜間社会人大学院であるビジネス科学研究科をはじめとして、人間総合科学研究科、教育研究科、経営・政策科学研究科、システム情報工学研究群<ref group="注">システム情報工学研究群はリスク・レジリエンス工学学位プログラム博士後期課程に限る。</ref>などの一部の専攻が利用しており、併せて大塚図書館が置かれている。 * 筑波大学の東京における[[サテライトキャンパス]]機能を担っており、また附属学校を管轄する附属学校教育局が存在している。 * 放送大学が総工費のおよそ{{sfrac|1|4}}を負担しており、2階を中心に東京文京学習センター(旧:東京第二学習センター)が置かれている。 [[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]開業に合わせる形で、秋葉原[[ダイビル]]内(14・15階)に秋葉原地区が設置されていたが、文京校舎の整備により廃止された。また文京校舎の工事期間(2010年3月より2011年8月まで)には、一時移転先として文京区[[小日向]]の旧文京区立第五中学校や、[[千代田区]][[神田神保町]]の[[住友不動産]]一ツ橋ビルおよび住友神保町ビルの一部を利用していた。 === 学生宿舎 === [[画像:Oikoshi Residence01.jpg|220px|thumb|追越学生宿舎]] 筑波大学には以下の5つの宿舎が存在する。定員は約4000人であり、全て筑波キャンパスにある。 開学当初、民間による学生向け下宿の供給が見込めなかったことから、学生の約6割を収容できる規模で計画された。しかし、開学後に大学周辺における学生向け下宿の供給が進んだことを受け、収容する学生の割合を4割台に減少させる計画変更が行われた<ref>[http://www.sakura.cc.tsukuba.ac.jp/~sisetubu/tuv/00.html 筑波大学施設部施設環境計画室『筑波大学の施設・環境計画 計画建設の12年間の記録』1982年]</ref>。以前は1年生・2年生のほぼ全員が入居したが、のちにほぼ1年生だけになった。[[団地]]のような規模であり、開学当初は贅沢すぎる学生寮としてマスコミに批判された。 2017年(平成29年)4月には平砂地区南東部にPFIを導入して、シェアハウス形式の新たな宿舎である「グローバルヴィレッジ」の運用が開始された。 {{main|筑波大学筑波キャンパス#学生宿舎}} * 一ノ矢宿舎 * 平砂宿舎 * 追越宿舎 * グローバルヴィレッジ * 春日宿舎(旧図書館情報大学学生宿舎) === 食堂・店舗等 === 筑波大学においては、大学が認める[[大学生協|生協]]組織はないため、学内の全ての売店・食堂等は、筑波大学厚生会を通じて入居した一般の業者が営業している。 筑波キャンパスには講義棟や学生宿舎共用棟、本部棟などに約20箇所の食堂がある。一般的なカフェテリア以外にも、[[喫茶店]]や[[そば屋]]、スープレストランなどもある。2007年12月には旧第3エリア名店街がリニューアルし、フードコート形式となった。2008年3月には中央図書館内で[[スターバックス]]が営業を開始した。 店舗の数も多く、パン・弁当の出張販売が各エリアで行われているほか書店が6箇所、[[現金自動預け払い機|ATM]]は常陽銀行は3箇所に、ゆうちょ銀行は2箇所に、三井住友銀行(三菱UFJ銀行との共同利用対象ATM)は1箇所にある。郵便局、画材店、コンビニエンスストア、旅行代理店、大学グッズ専門店、教職員向けの保育所なども存在する。 == 大学関係者と組織 ==<!-- ※大学関係者と大学関係者で組織される諸組織はここで解説する。--> === 大学関係者組織 ===<!-- ※大学関係者と大学関係者で組織される諸組織はここで解説する。「大学関係者で組織される諸組織」の定義と範囲についてはプロジェクト:大学/大学同窓組織・保護者組織・学生組織の記事独立基準参照。ただし、学生自治会は「学生生活」節で、出版関係組織など大学本部が自ら掌握している組織は「附属機関」節で、それぞれ解説する。なお、この基準で範囲外となっている組織については次節「社会との関わり」において解説するが、その際は「社会との関わり」節の掲載基準に適合していることを条件とする。また、範囲外の組織であり、かつ別記事において解説されている組織に関しては「関連項目」節でリンクを行う。 * ○○大学の同窓会は「××会」と称し… * ○○大学には生活協同組合があるが、この生活協同組合は△△という点で特殊であり… * ○○大学には保護者組織があり…--> * 明治5年の師範学校設立を開祖とする[[茗渓会]]は、その後、様々な学校、大学の統合の下で成立した旧東京教育大学の同窓会となり、今日、筑波大学の同窓会として継承されている。 * 筑波大学には紫峰会という学生後援組織があり、サークル支援のほか、大学グッズを製作・販売するなどしている。 === 筑波大学出身教授と筑波大学教授陣 === 筑波大学は、1982年の日本の大学教授市場占拠率(常勤講師以上)では、東大、京大、東北大に次ぐ4位だが<ref>新堀通也『大学教授職の総合的研究』1984年、多賀出版、54ページ。</ref>、1982年の筑波大学自体の教授陣の自給率は18位より下であり<ref>新堀通也『大学教授職の総合的研究』1984年、多賀出版、62ページ。</ref>、他大学出身の教授たちが多い。そのために教授陣の結束が弱く、筑波移転や東京文理科大学設置などの重要な契機に、内紛が起きた。 === 大学関係者一覧 ===<!-- ※大学関係者の一覧はプロジェクト‐ノート:大学/人物一覧記事についてで協議されたように大学の記事自体には挿入せず別に記事を作成する。ここでは、人物一覧記事へのリンクを列挙する。なお、大学の人物一覧記事に関してはプロジェクト:大学/人物一覧記事についての基準に従うこと。--> {{See|筑波大学の人物一覧}} == 社会との関わり == * つくば市[[北条 (つくば市)|北条]]で、[[北条米]]を生かした地域振興に協力している<ref>[[中小企業庁]]"[https://www.chusho.meti.go.jp/shogyo/shogyo/2009/download/090331ShinShoutengai77SenSelection.pdf 新・がんばる商店街77選 選定事例一覧]"(2012年6月5日閲覧。)</ref>。また、筑波大学の学生は北条米を使った[[アイスクリーム]]「北条米スクリーム」を開発した<ref>北条街づくり振興会"[https://docs.google.com/viewer?a=v&q=cache:w9tFZOs3G2EJ:www.pref.ibaraki.jp/bukyoku/syoukou/shoryu/21gannbaru/04hojo.ppt+%E5%8C%97%E6%9D%A1%E7%B1%B3%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0&hl=ja&gl=jp&pid=bl&srcid=ADGEESjT-JSIZstnl-lCZlRLozSApbgLZoJS8Pkj07oSq72yGY8OZ3o1C_Y1P7wykcC39c8om0nOKJSh7az-MatVY2U4EJotSXOWftoCJjUHSQyFqlK-b23ogfu5GOwVGAPfhXcAKKiT&sig=AHIEtbQRaKIyoPVAH_yypGvOe2LUvUvzEA 平成20年度茨城県がんばる商店街活性化コンペ採択事業 「筑波北条米を活かした街づくり―米(マイ)コミュニティ構想」]"(2012年6月4日閲覧。)</ref>。 * 同大学の医学群医学類の2018年以降の[[入学試験]]の適性検査で、受検者に対し身長や体重などを記入させていることが、[[2020年]][[1月12日]]付の新聞報道で判明し、人権上問題があるとの指摘が出ている。大学側は見直すかどうか検討するとしている<ref>[https://mainichi.jp/articles/20200112/ddm/041/040/046000c 筑波大入試、体重聞く 医学類適性検査に記入欄] 毎日新聞 2020年1月12日</ref>。 == 企業からの評価 == === 人事担当者からの評価 === *2021年[[日本経済新聞社]]と[[日経HR]]が実施した、「企業の人事担当者からみたイメージ調査」<ref name="日経HR">{{Cite web|和書|title=《日経HR》企業の人事担当者から見た大学イメージ調査 『就職力ランキング』|url=https://www.nikkeihr.co.jp/news/2021/0602435.html|accessdate=2021-07-18 |archivedate=2021-06-02|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210602073856/https://www.nikkeihr.co.jp/news/2021/0602435.html|url-status=live}}</ref>(全[[上場企業]]と一部有力未上場企業4,850社の人事担当者を対象に、2019年4月から2021年3月までの間に採用した学生から見た大学のイメージなどを聞いた調査)において、同大学は、「全国総合」で788大学<ref>{{Cite journal|和書|url= http://eic.obunsha.co.jp/resource/viewpoint-pdf/202104.pdf|title=日本の大学数 2021年度は788大学|journal=今月の視点|issue=172|date=2021-04-01|publisher=旺文社 教育情報センター|accessdate=2021-07-18|format=PDF}}</ref>中、第16位<ref name="日経HR" />にランキングされた。 == 放送送信設備 == 本大学総合研究B棟には、[[コミュニティ放送]][[放送局]]である[[つくばコミュニティ放送]]の[[送信所]]が置かれている。 {|class="wikitable" style="text-align:center" !style="white-space:nowrap"|放送局名!!style="white-space:nowrap"|[[識別信号#呼出名称|コールサイン]]!!style="white-space:nowrap"|[[周波数]]!!style="white-space:nowrap"|[[空中線電力]]!!style="white-space:nowrap"|[[実効放射電力|ERP]]!!style="white-space:nowrap"|[[放送#放送対象地域|放送対象地域]]!!style="white-space:nowrap"|[[放送#放送区域|放送区域]]内世帯数!!style="white-space:nowrap"|開局日 |- |[[つくばコミュニティ放送]]<br />(愛称「ラヂオつくば」)||JOZZ3BO-FM||84.2MHz||10W||10.5W||-||3万7910世帯<ref group="注">つくば市全世帯7万8430世帯の47.8%に当たる3万7490世帯と[[土浦市]]全世帯5万4131世帯の0.8%に当たる420世帯が放送区域内世帯数となる。[http://www.soumu.go.jp/soutsu/kanto/if/press/p20/p2008/p200815t.html 茨城県つくば市のコミュニティ放送局に予備免許(総務省関東総合通信局)]</ref>||[[2008年]][[10月10日]] |} * 送信所置局住所は、つくば市天王台1丁目1番地1<ref>{{Cite web|和書|url=http://radio-tsukuba.net/overview/company/ |title=会社概要 - ラヂオつくばについて - FM 84.2MHz ラヂオつくば |publisher=つくばコミュニティ放送 |accessdate=2019-06-10 }}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"|2}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * [[茨城新聞社]]『東日本大震災 茨城全記録』茨城新聞社、2011年7月1日、216pp. ISBN 978-4-87273-264-1 * 筑波大学附属図書館[https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/pub/outline/statistics-2005.pdf 『平成17年度 筑波大学附属図書館業務統計』]2006年 * 筑波大学『学生生活実態調査報告書』1999・2004年 * [http://www.t-anzen.org/ 筑波大学交通安全会ウェブサイト] == Wiki関係他プロジェクトリンク == <!-- ※Wikipedia以外の姉妹プロジェクトへのリンクはここでまとめる。具体的な姉妹プロジェクトはメインページ参照。 --> {{Commonscat|University of Tsukuba}} {{Wikibooks|筑波大対策|筑波大学}} * [[b:メインページ|ウィキブックス (Wikibooks)]] ** [[b:筑波大対策|筑波大対策]] == 関連項目 == <!-- ※大学に関する関連項目は原則として本文中にリンクする。関連項目は原則として使用しない。たとえば何かの説明をするために創立者の出身地を紹介する必要がある場合には必要とする項目へ記載する。本文では説明できないが関連項目として他の記事にリンクをする必要がある場合には事前にノートで理由とともに提案を行い、同意が得られた場合にのみ掲載できる --> {{ウィキプロジェクトリンク|大学}} * [[日本運動生理学会]]事務局 * [[地理空間学会]]事務局 * [[大崎仁]] - 文部省の中枢を歩み、筑波大学を作った学術行政のプロ(加藤寛一朗『「知」の頂点』講談社、1998年) * [[新構想大学]] == 外部リンク == <!-- ※ここには大学の公式サイトのみ入れる。校友会・保護者会・教職員組合・学生自治会などのサイトは入れない。通常、大学公式サイトは1ドメインになっているはずだが、何らかの理由で大学公式サイトが複数のドメインに分かれている場合は、その理由や背景が関係者以外にも判るように明記した上で追加することが可能である。 --> * {{official website}} * {{Facebook|univ.tsukuba.ja|筑波大学|University of Tsukuba}} * {{YouTube|user=univpr2014|University of Tsukuba}} * {{Instagram|university_of_tsukuba}} {{筑波大学}} {{筑波大学の源流・前身諸機関}} {{旧官立大学}} {{Navboxes|title=加盟 |list= <!--全学連携--> {{指定国立大学法人}} {{グローバル30}} {{スーパーグローバル大学}} {{研究大学強化促進事業選定機関}} {{学術研究懇談会}} {{大学学習資源コンソーシアム}} <!--地域連携--> {{いばらき地域づくり大学・高専コンソーシアム}} {{日仏共同博士課程日本コンソーシアム}} {{東アジア研究型大学協会}} {{オーシャンイノベーションコンソーシアム}} {{グローバル・コンパクト・ジャパン・ネットワーク会員}} <!--法学系--> {{法科大学院}} {{日米研究インスティテュート}} <!--工学系--> {{「多能工型」研究支援人材育成コンソーシアム}} {{大学宇宙工学コンソーシアム}} {{原子力人材育成ネットワーク}} {{全国大学附属農場協議会}} <!--医歯薬獣系--> {{医療系産学連携ネットワーク協議会}} {{臨床心理士指定大学院}} {{日本臨床検査学教育協議会}} {{全国保健師教育機関協議会}} {{全国助産師教育協議会}} <!--体育系--> {{日本体育図書館協議会}} {{箱根駅伝優勝校}} <!--芸術系--> {{全国芸術系大学コンソーシアム}} <!--運営形態など--> {{日本の国立大学}} {{共同利用・共同研究拠点}} {{新設医科大学}}}} {{Portal bar|アジア|日本|茨城県|教育}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:つくはたいかく}} [[Category:筑波大学|*]] [[Category:日本の国立大学]] [[Category:茨城県の大学]] [[Category:茨城県の放送送信所]] [[Category:コミュニティFM放送送信所]] [[Category:学校記事]]
2003-04-14T10:12:35Z
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