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7,016 | 利尻山 | 利尻山(りしりざん)は、北海道の利尻島に位置する独立峰で標高1,721m。利尻町、利尻富士町の2町にまたがる成層火山で、利尻礼文サロベツ国立公園内の山域は特別区域に指定され、深田久弥による日本百名山に選定されている、新日本百名山、花の百名山及び新・花の百名山に選定されている。
国土地理院では利尻山(りしりざん)という名称がつけられているほか、「利尻岳」、「利尻富士」、「利尻火山」とも呼ばれる。高山植物が生息し、夏季は多くの登山客が訪れる。
約20万年前から活動を行い、約4万年前頃に現在の形に近い物となった。南山麓で8千~2千年前以前に起きた噴火でマールやスコリア丘を形成して以降、活動を休止し火山活動を示す兆候は無い。活動を休止してからの期間が長いため、山頂部を中心に侵食が著しく進み、火口などの顕著な火山地形は失われている。従って、火山の内部構造を観察できる。
甘露泉水(かんろせんすい)は、利尻登山道の一つの鴛泊コース3合目付近に湧き出る湧水である。水温は通年約5.5度で1985年(昭和60年)環境省により、日本最北端の名水百選に選定された。 登山者の水場や簡易水道の飲料水などとして利用されている。
1890年に紀伊国の修験者天野磯次郎が鴛泊から北峰に登り不動明王を安置したのが最初とされる。翌1891年には水科七三郎と和田雄治が測量のために登攀し、1899年10月10日には陸地測量部の舘潔彦が長官山に登り一等三角点を選点した。 鬼脇コースは1917年に鬼脇の住人斉藤熊蔵、集蔵親子が東陵道を開拓し、1921年に完成を見ている。 冬季は1936年12月30日から1937年1月6日にかけて北海道大学の照井孝太郎ら4人が鴛泊ルートより初登頂に成功し、冬季単独初登頂は1951年2月1日に登歩渓流会の川上晃良が初の登攀者となっている。南稜の初登頂は1952年7月16日に同じ登歩渓流会の山口ら3人が初登頂に成功している。
頂上は北峰(1,719m)と南峰(1,721m)に分かれているが、最高峰の南峰への道は崩壊が進み危険なため、一般登山者は北峰を頂上とみなしている。西壁、東壁、南稜、仙法志稜がロッククライミングの対象となっている。晴れた日には、南北の頂上から利尻島のほとんど全域と、礼文島、稚内市から留萌市付近までの北海道本島の海岸線、道北・道央の山々や、樺太、樺太の南西に位置する海馬島(モネロン島)などが見える。また、理論上、ロシア沿海地方の山脈(シホテアリニ山脈)が見えるとされているが、2013年現在のところ、これを証明する写真等の撮影・公表はなされていない。
登山道は利尻富士町鴛泊の利尻北麓野営場(三合目)より登る鴛泊コース、利尻町沓形の見返台園地(五合目)より登る沓形コース、利尻富士町鬼脇の林道より登る鬼脇コースがある。
鴛泊コースは最も多くの登山者が利用するコースで、登山道の最初には名水百選に選定されている甘露泉水の湧水もありルートも整備されている。沓形コースは五合目まで車で登れるため距離は短いが、背負子投げの難所や崩落地をトラバースする親不知子不知などがあるため上級者向けといえる。鬼脇コースは崩落が激しいため、七合目以上が立入禁止となっている。
コース中にトイレはないが、鴛泊コース・沓形コースには携帯トイレを使用するための専用ブースが設置されている。携帯トイレ自体は各自で持参し、使用後は持ち帰る必要がある。
利尻山は軟弱な火山噴出物からなる山体であることから、近年の登山客の急増に登山道が耐えきれず、場所によっては歩道が浸食され周囲より3mも低下する状況が見られる。利尻山登山道等維持管理連絡協議会は、マナーとして携帯トイレを使う、 ストックにキャップをつける、 植物の上に座らない、踏み込まない。の3点を利尻ルールとして登山客に呼びかけている。 | [
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] | 利尻山(りしりざん)は、北海道の利尻島に位置する独立峰で標高1,721m。利尻町、利尻富士町の2町にまたがる成層火山で、利尻礼文サロベツ国立公園内の山域は特別区域に指定され、深田久弥による日本百名山に選定されている、新日本百名山、花の百名山及び新・花の百名山に選定されている。 | {{Redirect|利尻富士|地方自治体|利尻富士町}}
{{Infobox 山
|名称 = 利尻山
|画像 = [[ファイル:Mt Rishiri(2004).jpg|300px|早秋の利尻山とオタトマリ沼]]
|画像キャプション = 早秋の利尻山とオタトマリ沼
|標高 = 1,721<ref name="chizu">[http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=451043&l=1411431 地図閲覧サービス 2万5千分1地形図名:鴛泊(天塩)]([[国土地理院]]、2010年12月30日閲覧)</ref>
|座標 = {{coord|45|10|43|N|141|14|31|E|region:JP|display=inline,title}}<ref name="hyoko">[https://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/kihonjohochousa41139.html 日本の主な山岳標高:北海道]([[国土地理院]]、2010年12月28日閲覧)</ref>
|所在地 = {{JPN}}<br />[[北海道]][[宗谷総合振興局]][[利尻郡]]<br />[[利尻町]]・[[利尻富士町]]
|山系 = 独立峰
|種類 = [[成層火山]]
|初登頂 =
|地図 = {{Location map|Japan Mapplot|coordinates={{Coord|45.178611|141.241944}}|caption=|width=300}}利尻山の位置{{日本の位置情報|45|10|43|141|14|31|利尻山|nocoord=1}}
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'''利尻山'''(りしりざん)は、[[北海道]]の[[利尻島]]に位置する[[独立峰]]で[[標高]]1,721m。[[利尻町]]、[[利尻富士町]]の2町にまたがる[[成層火山]]で、[[利尻礼文サロベツ国立公園]]内の山域は特別区域に指定され、[[日本百名山|深田久弥による日本百名山]]に選定されている<ref>{{Cite book|和書 |author=深田久弥|authorlink=深田久弥 |year=1982 |title=日本百名山 |publisher=[[朝日新聞社]] |isbn=4-02-260871-4}}</ref>、[[新日本百名山]]<ref>『新日本百名山登山ガイド〈上〉』 [[岩崎元郎]](著)、[[山と溪谷社]]、ISBN 4-635-53046-9</ref>、[[花の百名山]]<ref>『花の百名山』(愛蔵版) [[田中澄江]](著)、[[文春文庫]]、ISBN 4-16-352790-7</ref>及び[[新・花の百名山]]<ref>『新・花の百名山』 田中澄江(著)、文春文庫、ISBN 4-16-731304-9、</ref>に選定されている。
== 概要 ==
[[国土地理院]]では'''利尻山'''(りしりざん)という名称がつけられているほか、「'''利尻岳'''」、「'''利尻富士'''」、「'''利尻火山'''」とも呼ばれる。[[高山植物]]が生息し、夏季は多くの[[登山]]客が訪れる。
約20万年前から活動を行い、約4万年前頃に現在の形に近い物となった。南山麓で8千~2千年前以前に起きた[[噴火]]で[[マール (火山)|マール]]や[[スコリア丘]]を形成して以降、活動を休止し火山活動を示す兆候は無い。活動を休止してからの期間が長いため、山頂部を中心に侵食が著しく進み、[[火口]]などの顕著な火山地形は失われている。従って、火山の内部構造を観察できる。
== 甘露泉水 ==
[[File:甘露泉水.jpg|thumb|最北端の名水百選、甘露泉水]]
'''甘露泉水'''(かんろせんすい)は、利尻登山道の一つの鴛泊[[登山道|コース]]3合目付近に湧き出る湧水である。水温は通年約5.5度で[[1985年]](昭和60年)[[環境省]]により、日本最北端の[[名水百選]]に選定された<ref>[http://www2.env.go.jp/water/mizu-site/meisui/data/index.asp?info=2 甘露泉水](環境省選定 名水百選)</ref>。
登山者の水場や[[簡易水道]]の飲料水などとして利用されている。
== 登山史 ==
[[1890年]]に[[紀伊国]]の[[修験者]]天野磯次郎が鴛泊から北峰に登り不動明王を安置したのが最初とされる<ref name="yasuda1">安田(2010)、pp.183-187</ref>。翌[[1891年]]には水科七三郎と和田雄治が測量のために登攀し、[[1899年]][[10月10日]]には陸地測量部の舘潔彦が長官山に登り[[一等三角点]]を選点した<ref name="yasuda1"/>。
鬼脇コースは[[1917年]]に[[鬼脇村|鬼脇]]の住人斉藤熊蔵、集蔵親子が東陵道を開拓し、[[1921年]]に完成を見ている<ref name="yasuda1"/>。
冬季は[[1936年]][[12月30日]]から[[1937年]][[1月6日]]にかけて[[北海道大学]]の照井孝太郎ら4人が鴛泊ルートより初登頂に成功し、冬季単独初登頂は[[1951年]][[2月1日]]に[[東京登歩渓流会|登歩渓流会]]の川上晃良が初の登攀者となっている<ref name="yasuda1"/>。南稜の初登頂は[[1952年]][[7月16日]]に同じ登歩渓流会の山口ら3人が初登頂に成功している<ref name="yasuda1"/>。
== 登山 ==
頂上は北峰(1,719m)と南峰(1,721m)に分かれているが、最高峰の南峰への道は崩壊が進み危険なため、一般登山者は北峰を頂上とみなしている。西壁、東壁、南稜、仙法志稜が[[ロッククライミング]]の対象となっている。晴れた日には、南北の頂上から[[利尻島]]のほとんど全域と、[[礼文島]]、[[稚内市]]から[[留萌市]]付近までの北海道本島の海岸線、道北・道央の山々や、[[樺太]]、樺太の南西に位置する[[海馬島 (樺太)|海馬島]](モネロン島)などが見える。また、理論上、[[ロシア]][[沿海地方]]の山脈([[シホテアリニ山脈]])が見えるとされているが、2013年現在のところ、これを証明する写真等の撮影・公表はなされていない。
=== 登山道 ===
登山道は[[利尻富士町]]鴛泊の利尻北麓野営場(三合目)より登る鴛泊コース、[[利尻町]]沓形の見返台園地(五合目)より登る沓形コース、利尻富士町鬼脇の林道より登る鬼脇コースがある。
鴛泊コースは最も多くの登山者が利用するコースで、登山道の最初には名水百選に選定されている甘露泉水の[[湧水]]もありルートも整備されている。沓形コースは五合目まで車で登れるため距離は短いが、背負子投げの難所や崩落地をトラバースする親不知子不知などがあるため上級者向けといえる。鬼脇コースは崩落が激しいため、七合目以上が立入禁止となっている。
コース中にトイレはないが、鴛泊コース・沓形コースには携帯トイレを使用するための専用ブースが設置されている。携帯トイレ自体は各自で持参し、使用後は持ち帰る必要がある。
=== 登山道の荒廃 ===
利尻山は軟弱な[[火山噴出物]]からなる山体であることから、近年の登山客の急増に[[登山道]]が耐えきれず、場所によっては歩道が浸食され周囲より3mも低下する状況が見られる。利尻山登山道等維持管理連絡協議会は、<u>マナーとして[[ポータブルトイレ|携帯トイレ]]を使う</u>、 <u>[[ストック (トレッキング)|ストック]]にキャップをつける</u>、 <u>植物の上に座らない、踏み込まない。</u>の3点を'''利尻ルール'''として登山客に呼びかけている<ref>[http://www.yamatoilet.jp/mtclean/rishiri_rule.htm 利尻ルール] - 利尻山登山道等維持管理連絡協議会 - 、2014年10月閲覧</ref>。
== 参考文献 ==
*安田治『北海道の登山史』(北海道新聞社、2010)
== 利尻山の姿 ==
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Rishiriislandairplane.jpg|利尻島および利尻岳
View from Cape Rishirifuji Nosappu, 2006.jpg|[[ノシャップ岬]]から見る初夏の利尻富士
北麓野営場近くの甘露泉水.jpg|北麓野営場近くの甘露泉水
夜明けの鴛泊コース.jpg|夜明けの鴛泊コース
長官山から見た利尻岳山頂2.jpg|八合目・長官山から見た利尻山
九合目の急登.jpg|九合目の急登
利尻山山頂のヤセ尾根.jpg|利尻山山頂のヤセ尾根
山頂の利尻山神社奥宮.jpg|山頂の利尻山神社奥宮
北峰からの南峰とローソク岩.jpg|北峰からの南峰とローソク岩
鴛泊港からの利尻山.jpg|鴛泊港からの利尻山
姫沼からの利尻山.jpg|姫沼からの利尻山
富士野園地からの利尻山.jpg|富士野園地からの利尻山
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{commonscat|Mount Rishiri|利尻山}}
* [[礼文岳]] - 晴れた日には同山頂から利尻山全景が見られる。
* [[日本の山一覧]]
* [[日本百名山]]
* [[郷土富士]]
* [[利尻礼文サロベツ国立公園]]
* [[白い恋人]] - パッケージに利尻山が描かれている
== 外部リンク ==
* [https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sapporo/116_Rishiri/116_index.html 利尻山] - 気象庁
* {{PDFlink|[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/11_Rishirizan.pdf 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版 利尻山]}} - 気象庁
* [https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/C01.html 日本の第四紀火山 利尻山] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
* [https://staff.aist.go.jp/y.ishizuka/rishiri/rishiriindex/rishiriindex.html 利尻火山] - 産業技術総合研究所 石塚吉浩
* [http://www.yamatoilet.jp/mtclean/rishiri_rule.htm 利尻ルール] - 利尻山登山道等維持管理連絡協議会
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[[Category:山岳名目録]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E5%B0%BB%E5%B1%B1 |
7,017 | 羅臼岳 | 羅臼岳(らうすだけ)は、北海道・知床半島にある火山群の主峰及び最高峰で標高1,661m。1964年(昭和39年)6月1日に知床国立公園に指定され、2005年7月にこの山域を含む知床半島が知床 (世界遺産)に正式登録された。深田久弥による日本百名山に掲載されており、新・花の百名山に選定されている山である。
標高は1995年に国土地理院の調査で1,661mに改定されたが、より正確に測定できるGPS調査により、2008年5月1日に1,660m (1,660.36m) に改定。しかし、GNSS測量等の点検・補正調査の結果、2014年4月1日の『日本の山岳標高一覧-1003山-』で1,661mに再び改訂された。
流紋岩質〜安山岩質の溶岩による活動は成層火山を形成したものの、最終的に山頂付近は溶岩円頂丘を形成させているほか、年月を経て地すべり・崩壊地形が多数形成されている。約500年前まで火山活動を続けていた活火山であり、1964年には山麓の羅臼町で100回を超える群発地震や間欠泉の噴出を観測している。
羅臼八景の一つ。1965年(昭和40年)に、『羅臼湖畔から仰ぐ羅臼岳』の知床国立公園の10円切手が発売された。
アイヌ語名ではチャチャヌㇷ゚リ (chacha-nupri) と呼ばれる。これは「親爺・山」の意で、アイヌ語研究者の山田秀三は「知床半島の最高峰なのでそう呼ばれたのだろうか」としている。
知床富士とも呼ばれている。また、漢字表記については良牛岳と記されたこともある。
1990年代に知床硫黄山の噴火史調査が行われた際に、最近の2000年間で複数回の活動が確認され1996年に活火山として指定されたが、19世紀末以降の噴火活動と1996年以降の噴気活動は認められない。山頂付近に存在する溶岩流や溶岩ドームには新鮮な地形が残っており3つの時期に形成された可能性が指摘されている。
最近の2300年間では、2200〜2300年前、1400〜1600年前、500〜700年前の3時期に火山活動が活発であった。
登山口は、羅臼町からは羅臼温泉付近から、斜里町からは岩尾別温泉付近から登山道が整備されている。所要時間は後者の方が短い。知床五湖には遊歩道があり、その山容を望むことができる。登山ルートは傾斜がきつく岩質がもろい状態で、厳しい気象条件下にある。また、ヒグマが頻繁に出没するエリアである。 | [
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] | 羅臼岳(らうすだけ)は、北海道・知床半島にある火山群の主峰及び最高峰で標高1,661m。1964年(昭和39年)6月1日に知床国立公園に指定され、2005年7月にこの山域を含む知床半島が知床 (世界遺産)に正式登録された。深田久弥による日本百名山に掲載されており、新・花の百名山に選定されている山である。 | {{混同|羅臼山}}
{{Infobox 山
|名称 = 羅臼岳
|画像 = [[ファイル:140828 Mount Rausu Shiretoko Hokkaido Japan01s3.jpg|300px]]
|画像キャプション = 北西、岩尾別沖のオホーツク海から望む山体
|標高 = 1,661<ref name="gsi.go.jp/common/000091072"/>
|座標 = {{ウィキ座標2段度分秒|44|04|33|N|145|07|20|E|type:mountain_region:JP-01|display=inline,title}}<ref name="hyoko">[https://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/kihonjohochousa41139.html 日本の主な山岳標高:北海道]([[国土地理院]]、2010年12月28日閲覧)</ref>
|所在地 = {{JPN}}<br />[[北海道]][[目梨郡]][[羅臼町]]・[[斜里郡]][[斜里町]]
|山系 = [[知床半島]]
|種類 = [[成層火山]]([[活火山]]ランクB)
|初登頂 =
|地図 = {{Location map|Japan Mapplot|coordinates={{Coord|44.075833|145.122222}}|caption=|width=300}}羅臼岳の位置{{日本の位置情報|44|04|33|145|07|20|羅臼岳}}
}}
'''羅臼岳'''(らうすだけ)は、[[北海道]]・[[知床半島]]にある[[火山]]群の主峰及び最高峰で[[標高]]1,661m<ref name="gsi.go.jp/common/000091072">{{Cite news|url=https://www.gsi.go.jp/common/000091072.pdf|title=標高値を改定する山岳一覧 資料1|publisher=国土地理院|accessdate=2014-03-26}}</ref><ref group="注釈">GNSS測量等の点検・補正調査による2014年4月1日の国土地理院『日本の山岳標高一覧-1003山-』における改定値。なお、旧版での標高は1,660m。</ref>。1964年(昭和39年)6月1日に[[知床国立公園]]に指定され<ref>[https://www.env.go.jp/park/shiretoko/ 知床国立公園]([[環境省]]、2010年11月30日閲覧)</ref>、[[2005年]]7月にこの山域を含む知床半島が[[知床 (世界遺産)]]に正式登録された。[[日本百名山|深田久弥による日本百名山]]に掲載されており<ref>{{Cite book|和書 |author=深田久弥|authorlink=深田久弥 |year=1982 |title=日本百名山 |publisher=[[朝日新聞社]] |isbn=4-02-260871-4}}</ref>、[[新・花の百名山]]<ref>田中澄江『新・花の百名山』(文春文庫、ISBN 4-16-731304-9)</ref>に選定されている山である。
== 概要 ==
[[File:Rausu-Shiretoko Io Volcano Group Relief Map, SRTM-1.jpg|thumb|right|170px|羅臼・知床硫黄火山群の地形図。羅臼岳は左下端。]]
標高は1995年に[[国土地理院]]の調査で1,661mに改定されたが、より正確に測定できる[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]調査により、2008年5月1日に1,660m (1,660.36m) に改定<ref name="kaitei">報道発表資料「[http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE/2008-0303.html 北海道全域の三角点標高を改定(2008年3月3日)]」([[国土地理院]]、2011年1月1日閲覧)</ref>。しかし、[[GNSS測量]]等の点検・補正調査の結果、2014年4月1日の『日本の山岳標高一覧-1003山-』で1,661mに再び改訂された<ref name="gsi.go.jp/common/000091072"/>。
[[流紋岩]]質〜[[安山岩]]質の[[溶岩]]による活動は[[成層火山]]を形成したものの、最終的に山頂付近は[[溶岩円頂丘]]を形成させているほか、年月を経て地すべり・崩壊地形が多数形成されている<ref>伊藤陽司、[https://doi.org/10.3313/jls1964.33.3_32 北海道東部, 知床半島におけるランドスライド地形の特徴と最近の斜面災害] 地すべり 1996年 33巻 3号 p.32-41_1, {{DOI|10.3313/jls1964.33.3_32}}</ref>。約500年前まで火山活動を続けていた[[活火山]]であり、1964年には山麓の[[羅臼町]]で100回を超える[[群発地震]]や[[間欠泉]]の噴出を観測している<ref name=JMA />。
羅臼八景の一つ<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nemuro.pref.hokkaido.lg.jp/ss/srk/drm/drm14.pdf|title=羅臼八景〜道の始まりを目指せ!ルート |publisher=北海道根室振興局|accessdate=2019-12-29}}</ref>。1965年(昭和40年)に、『羅臼湖畔から仰ぐ羅臼岳』の知床国立公園の10円[[切手]]が発売された<ref>『切手と風景印でたどる百名山』ふくろう舎、2007年、ISBN 978-4-89806-276-0</ref>。
=== 名称について ===
{{Main2|「羅臼」の地名由来|羅臼町}}
[[アイヌ語]]名では'''チャチャヌㇷ゚リ (chacha-nupri) '''と呼ばれる。これは「親爺・山」の意で、アイヌ語研究者の[[山田秀三]]は「知床半島の最高峰なのでそう呼ばれたのだろうか」としている<ref name="Yamada2018">{{Cite book|和書|title=北海道の地名|date=2018-11-30|year=|publisher=草風館|author=山田秀三|authorlink=山田秀三|edition=2|series=アイヌ語地名の研究 別巻|location=[[浦安市]]|isbn=978-4-88323-114-0|pages=228-229}}</ref>。
'''知床富士'''とも呼ばれている<ref>『ふるさとの富士200名山』[[東方出版]]、1996年、ISBN 978-4-885-91499-7</ref>。また、漢字表記については'''良牛岳'''と記されたこともある。
== 噴火活動 ==
1990年代に[[知床硫黄山]]の噴火史調査が行われた際に、最近の2000年間で複数回の活動が確認され1996年に活火山として指定された<ref name=miyaji>宮地直道、中川光弘、吉田真理夫、"[https://doi.org/10.18940/kazan.45.2_75 羅臼岳火山における最近2200年間の噴火史]" 火山 45(2), 75-85, 2000-05-10, {{doi|10.18940/kazan.45.2_75}}, {{naid|110003041183}}</ref>が、19世紀末以降の噴火活動と1996年以降の噴気活動は認められない<ref name=JMA>[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sapporo/102_Rausudake/102_index.html 羅臼岳] 気象庁</ref>。山頂付近に存在する溶岩流や溶岩ドームには新鮮な地形が残っており<ref name=JMA />3つの時期に形成された可能性が指摘されている<ref name=JMA />。
最近の2300年間では、2200〜2300年前、1400〜1600年前、500〜700年前の3時期に火山活動が活発であった<ref name=miyaji /><ref name=hayawaka> [https://doi.org/10.5026/jgeography.108.4_472 過去2,000年間の日本の火山噴火カタログ] 地学雑誌 1999年 108巻 4号 p.472-488, {{doi|10.5026/jgeography.108.4_472}}</ref>。
* 2200〜2300年前の活動 比較的規模の大きな噴火が発生し、降下テフラや火砕流が噴出。
* 1400〜1600年前の活動 プリニー式噴火による降下テフラと火砕流。
* 500〜700年前の活動 降下テフラや火砕流。
{{-}} <!-- 文字回り込みの解除 -->
== 登山 ==
[[ファイル:Kinoshita-goya_(200707).jpg|thumb|200px|岩尾別温泉付近の登山口にある[[木下小屋]]]]
=== 登山ルート ===
登山口は、[[羅臼町]]からは[[羅臼温泉]]付近から、[[斜里町]]からは[[岩尾別温泉]]付近から[[登山道]]が整備されている。所要時間は後者の方が短い。[[知床五湖]]には遊歩道があり、その山容を望むことができる。登山ルートは傾斜がきつく岩質がもろい状態で、厳しい気象条件下にある。また、[[ヒグマ]]が頻繁に出没するエリアである。
=== 周辺の山小屋 ===
* [[木下小屋]]
== 山容 ==
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ファイル:Rausu-dake 02.JPG|[[知床峠]]から望む山頂
ファイル:Mount rausu from road334.jpg|知床峠から望む山頂
ファイル:140829 Ichiko of Shiretoko Goko Lakes Hokkaido Japan03n.jpg|[[知床五湖]]と羅臼岳
ファイル:Shiretoko01.JPG|羅臼岳から望む[[知床半島]]の山並み
秋の知床五湖から羅臼岳.jpg|秋の知床五湖から羅臼岳
羅臼平から羅臼岳.jpg|羅臼平から羅臼岳
岩清水付近から羅臼平.jpg|岩清水付近から羅臼平
羅臼岳最後の登り.jpg|羅臼岳最後の登り
羅臼岳山頂からオホーツク海と知床五胡.jpg|羅臼岳山頂からオホーツク海と知床五胡
羅臼岳から硫黄山やサシルイ岳.jpg|羅臼岳から硫黄山やサシルイ岳
</gallery>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{reflist|2}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{commonscat|Mount Rausu}}
* [[日本の山一覧]]
* [[日本百名山]]
* [[花の百名山]]
* [[新・花の百名山]]
* [[郷土富士]]
* [[知床 (世界遺産)]]
* [[知床半島#知床連峰を構成する山岳の一覧|知床半島]]
* [[木下小屋]]
* [[岩尾別川]]
* [[羅臼川]]
== 外部リンク ==
* [[気象庁]]
** [https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sapporo/102_Rausudake/102_index.html 羅臼岳]
** [https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版] {{PDF|[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/2_Rausudake.pdf 羅臼岳]}}
* [https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/B04.html 日本の第四紀火山 羅臼岳] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
* 防災関連
** {{PDF|[https://vivaweb2.bosai.go.jp/v-hazard/L_read/01-02sire-rau/01-02sire-rau_2h02-L.pdf 防災マップ〈2011年版〉]}} 防災科学技術研究所
** [https://www.town.shari.hokkaido.jp/material/files/group/1/P47-48_kazan.pdf 火山災害危険箇所マップ] 斜里町
{{知床連峰}}
{{日本百名山}}
{{北海道百名山}}
{{北海道の百名山}}
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[[Category:山岳名目録]]
[[Category:北海道の火山]]
[[Category:羅臼町の地理]]
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[[Category:知床]]
[[Category:知床連峰の山]]
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[[Category:成層火山]]
[[Category:1000メートル峰]] | 2003-04-20T08:57:03Z | 2023-11-30T21:12:16Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%85%E8%87%BC%E5%B2%B3 |
7,018 | 斜里岳 | 斜里岳(しゃりだけ)は北海道の知床半島にある火山。標高は1,547m。斜里岳道立自然公園に属し、深田久弥による日本百名山に選定されている。清里町の観光スポットの一つである。
アイヌ語名は「オンネヌプリ(onne-nupuri)」であり「大なる(←年老いたる)・山」を意味する。現在の名称については斜里川の水源に当たることからとされている。オホーツク富士、斜里富士とも呼ばれる。
山頂部は斜里岳、南斜里岳、西峰からなる。二等三角点名は「斜里岳」。
火山の基底は直径約12km、山体比高950m。活動時期は約30万〜25万年前。中央火山は溶岩円頂丘。山頂には6個の爆裂火口がある。
山頂には展望がある。登山道は3つあるが、清里町側から登るルートが一般的で、途中で沢筋の旧道と尾根筋の新道に分岐する。登山口には山小屋「清岳荘」がある。 | [
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] | 斜里岳(しゃりだけ)は北海道の知床半島にある火山。標高は1,547m。斜里岳道立自然公園に属し、深田久弥による日本百名山に選定されている。清里町の観光スポットの一つである。 | {{Infobox 山
|名称 = 斜里岳
|画像 = [[File:140828 Mount Shari Hokkaido Japan01b6s3.jpg|300px]]
|画像キャプション = 北から(斜里町)
|標高 = 1,547<ref name="chizu">[http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=434556&l=1444304 地図閲覧サービス 2万5千分1地形図名:斜里岳(斜里)]([[国土地理院]]、2010年12月30日閲覧)</ref>
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'''斜里岳'''(しゃりだけ)は[[北海道]]の[[知床半島]]にある[[火山]]。[[標高]]は1,547m。[[斜里岳道立自然公園]]に属し、[[日本百名山|深田久弥による日本百名山]]に選定されている<ref>{{Cite book|和書 |author=深田久弥|authorlink=深田久弥 |year=1982 |title=日本百名山 |publisher=[[朝日新聞社]] |isbn=4-02-260871-4}}</ref>。[[清里町]]の観光スポットの一つである。
== 概要 ==
{{Main2|「斜里」の語源|斜里町#町名の由来}}
[[アイヌ語]]名は「オンネヌプリ(onne-nupuri)」であり「大なる(←年老いたる)・山」を意味する<ref name="Yamada20182">{{Cite book|title=北海道の地名|date=2018-11-30|year=|publisher=草風館|author=[[山田秀三]]|edition=2|series=アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻|location=[[浦安市]]|isbn=978-4-88323-114-0|page=219}}</ref><ref name="kiyosatokankou">[http://www.kiyosatokankou.com/sharidake/ 斜里岳登山ガイド 斜里岳 実話・逸話・裏話] - きよさと観光協会]、2014年10月閲覧</ref>。現在の名称については斜里川の水源に当たることからとされている<ref name="Yamada20182" />。オホーツク富士、斜里富士とも呼ばれる。
山頂部は斜里岳、南斜里岳、西峰からなる。[[三角点|二等三角点]]名は「斜里岳」<ref>[https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/top.html 国土地理院 基準点成果等閲覧サービス]([[国土地理院]]、2013年6月28日閲覧)</ref>。
火山の基底は直径約12km<ref name="gsj">[https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/B10.html 日本の第四紀火山 斜里岳] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター、2017年3月閲覧</ref>、山体比高950m<ref name="gsj" />。活動時期は約30万〜25万年前<ref name="gsj" />{{efn|約28~25万年前という記述もある<ref>[http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/skn/environ/parks/syaridake.htm 斜里岳道立自然公園] - 北海道、2014年10月閲覧</ref>。}}。中央火山は溶岩円頂丘<ref name="gsj" />。山頂には6個の爆裂火口がある<ref name="gsj" />。
== 登山 ==
山頂には展望がある。[[登山道]]は3つあるが、[[清里町]]側から登るルートが一般的で、途中で沢筋の旧道と尾根筋の新道に分岐する<ref name="town.kiyosato">[http://www.town.kiyosato.hokkaido.jp/kankou/sharidake/ 観光情報斜里岳] - 清里町、2014年10月閲覧</ref>。登山口には山小屋「清岳荘」がある<ref name="town.kiyosato" />。
== 参考画像 ==
<gallery widths="150" heights="105">
Mount Sharidake Relief Map, SRTM-1.jpg|斜里火山の地形図
Mt Shari.JPG|北西より(清里町)望む
Mt Shari 3.JPG|熊見峠から山頂を望む
沢筋の旧道コース2.jpg|沢筋の旧道コース
山頂直下から摩周湖(左奥)と屈斜路湖(右奥).jpg|山頂直下から[[摩周湖]](左奥)と[[屈斜路湖]](右奥)
新道コース脇にある竜神ノ池2.jpg|新道コース脇にある竜神ノ池
新道コースからの斜里岳2.jpg|新道コースからの斜里岳
新道コースからの清里町.jpg|新道コースからの清里町
</gallery>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist}}
=== 出典 ===
{{reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Mount Shari|斜里岳}}
* [[日本の山一覧]]
* [[日本百名山]]
* [[郷土富士]]
* [[開陽台]]
* [[斜里川]]
* [[斜里岳道立自然公園]]
* [[知床半島#知床連峰を構成する山岳の一覧|知床半島]]
* [[清里町]]
== 外部リンク ==
* [https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/B10.html 日本の第四紀火山 斜里岳] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
* [http://www.town.kiyosato.hokkaido.jp/kankou/sharidake/ 観光情報斜里岳] - 清里町
* [http://www.kiyosatokankou.com/sharidake/ 斜里岳登山ガイド] - きよさと観光協会
* [http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/skn/environ/parks/syaridake.htm 斜里岳道立自然公園] - 北海道
{{知床連峰}}
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7,019 | 雌阿寒岳 | 雌阿寒岳(めあかんだけ)は、北海道東部にある阿寒カルデラの南西部にある8つの火山で構成される成層火山群の総称。主峰はポンマチネシリ(標高1,499m)。雄阿寒岳とともに「阿寒岳」として、深田久弥による日本百名山に掲載されている。
釧路市と足寄町に跨っているだけではなく、振興局も跨いでそびえている。国土地理院の地理院地図における名称は雌阿寒岳だが、一般に阿寒岳というと、この雌阿寒岳を指すことが多いものの、深田久弥による日本百名山で山行紀が書かれたのは近隣の雄阿寒岳である。古くはアイヌ語で「マチネシリ(女山、の意)」と呼ばれ、雄阿寒岳は「ピンネシリ(男山、の意)」と呼ばれた。
雌阿寒岳はポンマチネシリや阿寒富士など8つの火山で構成される。ポンマチネシリは標高1,499mの雌阿寒岳の主峰で、このポンマチネシリ火口(旧火口と赤沼火口)と北東側の中マチネシリ火口では活発な火山活動が続いている。作家で登山家の深田久弥が訪れた1959年や、最近では1998年に小規模な噴火を起こし、周辺では降灰が観測され、登山の禁止と解除が繰り返されている。2006年3月21日にも小規模噴火が起きた。
頂上には1972年に落雷のため登山中に死亡した小学生を悼む石碑が建っている。
阿寒周辺にはこれらの火山から流れ出た溶岩が周辺の川を堰き止めて作った湖が点在していて、マリモで有名な阿寒湖は雄阿寒岳の麓にあるが、多数の遊覧船が湖面を埋め、湖畔の温泉街と共に『観光地化』されている。 雄阿寒岳周辺にはペンケトーとパンケトーという湖もあり、アクセスの悪さから観光開発がされず原始的な雰囲気を残している。雌阿寒岳の麓には静かな原生林に囲まれた雌阿寒温泉(野中温泉)と、かつて秘湖と呼ばれたオンネトーがある。
阿寒周辺は過去に巨大カルデラ噴火があったと考えられ、その結果、阿寒湖が形成されたとも言われているが、まだ詳細は分かっていない。
主峰のポンマチネシリ火口(旧火口と赤沼火口)及び北東側の中マチネシリ火口では噴気活動がみられる。ポンマチネシリ火口の噴火口の底には雨水のたまった小さな沼が存在する。昔は赤沼、青沼、小赤沼と3つの沼があったが、80年代後半から火山活動の活発化による地熱の上昇によって小赤沼は干上がってしまい、現在見られるのは赤沼と青沼だけである。
気象庁の常時観測火山で火山性微動や噴火に伴う空気の振動等を観測するための地震計や空振計が設置されている。2006年12月16日には噴火警戒レベルが導入された。
約13,000年前から火山活動が始まり、以後、3,000~4,000年の間隔で3期にわたって火砕流の流出などが起きた。
西山、北山、ポンマチネシリなどは約3,000~7,000年前の火山活動で主に溶岩によって形成された。また、阿寒富士は約1,000~2,500年前の火山活動により玄武岩溶岩と降下火砕物で形成された。
噴火活動は、主にポンマチネシリ火口及び中マチネシリ火口で行われていて、しばしば噴火が見られるなど活発な活動が知られているが、雌阿寒岳が見える範囲に住民が入植した1900年代初頭以前の活動は知られていない。火山の周辺は無人地帯で集落等は存在せず国道と道道、僅かな宿泊施設が点在するのみであり、かなり大規模な噴火が生じない限り、直接的な被害は生じないものと考えられている。有史以降の噴火は、水蒸気爆発 - マグマ水蒸気爆発による噴火である。
山麓は樹林帯で、エゾマツ、アカエゾマツ、ダケカンバなど北海道の原生林によく見られる樹種が多い。標高900m近くまで上がるとハイマツの林となり、眺望も開けてくる。更に標高1,100mを越えると高山植物帯となる。
この山で見られる高山植物のうち、メアカンキンバイとメアカンフスマの2種にこの山の名前が付けられている。最初に発見されたのがこの山で、現在でも多数がこの山で見られるが、この山の固有種ではない。
標高1,200m以上では大部分は火山性の砂礫地で、所々に高山植物が群生している。以前は登山道の近くでも「高山植物の女王」と呼ばれるコマクサが多数生えていたが、登山者の盗掘によってすっかり少なくなってしまった。
中腹のハイマツ帯では秋にはマツタケが生えるが、雌阿寒岳は阿寒摩周国立公園の中にあるため採取は禁止されている。
登山道はオンネトー国設野営場からのオンネトーコースや雌阿寒温泉からの雌阿寒温泉コース、阿寒湖温泉西側からの阿寒湖畔コースなどがある。
火口から噴煙を上げ、火山活動の影響で草木が生えない雌阿寒岳の姿を見たアイヌ民族は、「山同士の争いに巻き込まれて槍で突かれ、傷口から膿を流している」と解釈し、さまざまな伝説を造り上げてきた。
以下はその例である。 | [
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"text": "釧路市と足寄町に跨っているだけではなく、振興局も跨いでそびえている。国土地理院の地理院地図における名称は雌阿寒岳だが、一般に阿寒岳というと、この雌阿寒岳を指すことが多いものの、深田久弥による日本百名山で山行紀が書かれたのは近隣の雄阿寒岳である。古くはアイヌ語で「マチネシリ(女山、の意)」と呼ばれ、雄阿寒岳は「ピンネシリ(男山、の意)」と呼ばれた。",
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] | 雌阿寒岳(めあかんだけ)は、北海道東部にある阿寒カルデラの南西部にある8つの火山で構成される成層火山群の総称。主峰はポンマチネシリ(標高1,499m)。雄阿寒岳とともに「阿寒岳」として、深田久弥による日本百名山に掲載されている。 | {{Infobox 山
|名称 = 雌阿寒岳
|画像 = [[ファイル:Mount Meakan seen from the NE (2005).jpg|300px]]
|画像キャプション = <small>[[阿寒湖]]上から見た雌阿寒岳</small>
|標高 =1,499<ref name="chizu">[http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=432312&l=1440032 地図閲覧サービス 2万5千分1地形図名:オンネトー(北見)]([[国土地理院]]、2010年12月30日閲覧)</ref>
|座標 ={{ウィキ座標2段度分秒|43|23|12|N|144|00|32|E|type:mountain_region:JP-01|display=inline,title}}<ref name="hyoko">[https://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/kihonjohochousa41139.html 日本の主な山岳標高:北海道]([[国土地理院]]、2010年12月30日閲覧)</ref>
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|地図 = {{Location map|Japan Mapplot|coordinates={{Coord|43.386667|144.008889}}|caption=|width=300}}雌阿寒岳の位置{{日本の位置情報|43|23|12|144|00|32|雌阿寒岳}}
}}
'''雌阿寒岳'''(めあかんだけ)は、[[北海道]]東部にある阿寒カルデラの南西部にある8つの火山で構成される成層火山群の総称<ref name="kushiro2020" />。主峰はポンマチネシリ(標高1,499m)<ref name="env2020" />。[[雄阿寒岳]]とともに「阿寒岳」として、[[日本百名山|深田久弥による日本百名山]]<ref name="名前なし-20230316134416">{{Cite book|和書 |author=深田久弥|authorlink=深田久弥 |year=1982 |title=日本百名山 |publisher=[[朝日新聞社]] |isbn=4-02-260871-4}}</ref>に掲載されている。
== 概要 ==
釧路市と足寄町に跨っているだけではなく、振興局もまたいでそびえている。[[国土地理院]]の[[地理院地図]]における名称は雌阿寒岳だが、一般に[[阿寒岳]]というと、この雌阿寒岳を指すことが多いものの、[[日本百名山|深田久弥による日本百名山]]<ref name="名前なし-20230316134416"/>で山行紀が書かれたのは近隣の[[雄阿寒岳]]である。古くは[[アイヌ語]]で「マチネシリ(女山、の意)」と呼ばれ、雄阿寒岳は「ピンネシリ(男山、の意)」と呼ばれた。
雌阿寒岳はポンマチネシリや[[阿寒富士]]など8つの火山で構成される<ref name="kushiro2020">[https://www.city.kushiro.lg.jp/common/000134536.pdf 雌阿寒岳火山防災計画(雌阿寒岳火山防災協議会)] 釧路市(2020年)2021年1月16日閲覧</ref>。ポンマチネシリは標高1,499mの雌阿寒岳の主峰で、このポンマチネシリ火口(旧火口と赤沼火口)と北東側の中マチネシリ火口では活発な火山活動が続いている<ref name="kushiro2020" /><ref name="env2020">[https://hokkaido.env.go.jp/kushiro/nature/data/meakan_2020jp.pdf 雌阿寒岳・阿寒富士 オンネトートレイルマップ] 北海道地方環境事務所(2020年)2021年1月16日閲覧</ref>。作家で登山家の深田久弥が訪れた1959年や、最近では1998年に小規模な[[噴火]]を起こし、周辺では降灰が観測され、登山の禁止と解除が繰り返されている。2006年3月21日にも小規模噴火が起きた。
頂上には1972年に[[落雷]]のため登山中に死亡した小学生を悼む石碑が建っている。
== 地理 ==
{{Location map many | 100x100
| AlternativeMap = Akan Caldera Relief Map, SRTM.jpg
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| caption = 阿寒カルデラと雌阿寒岳の地形と<br />位置関係。中央右は[[雄阿寒岳]]
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阿寒周辺にはこれらの火山から流れ出た[[溶岩]]が周辺の川を堰き止めて作った湖が点在していて、[[マリモ]]で有名な[[阿寒湖]]は雄阿寒岳の麓にあるが、多数の[[遊覧船]]が湖面を埋め、湖畔の温泉街と共に『観光地化』されている。
雄阿寒岳周辺には[[ペンケトー]]と[[パンケトー]]という湖もあり、アクセスの悪さから観光開発がされず原始的な雰囲気を残している。雌阿寒岳の麓には静かな[[原生林]]に囲まれた[[雌阿寒温泉]](野中温泉)と、かつて秘湖と呼ばれた[[オンネトー]]がある。
阿寒周辺は過去に巨大[[カルデラ]]噴火があったと考えられ、その結果、阿寒湖が形成されたとも言われているが、まだ詳細は分かっていない。
{{-}} <!-- 文字回り込みの解除 -->
== 火山活動 ==
[[ファイル:Mount Meakan02s10.jpg|right|thumb|火口]]
[[ファイル:Mt.Meakan-Akanuma01.jpeg|right|thumb|火口底の赤沼]]
[[ファイル:Mt.Meakan 1.JPG|right|thumb|火口底の青沼]]
主峰のポンマチネシリ火口(旧火口と赤沼火口)及び北東側の中マチネシリ火口では噴気活動がみられる<ref name="kushiro2020" />。ポンマチネシリ火口の[[噴火口]]の底には雨水のたまった小さな沼が存在する。昔は'''赤沼'''、'''青沼'''、'''小赤沼'''と3つの沼があったが、80年代後半から火山活動の活発化による地熱の上昇によって小赤沼は干上がってしまい、現在見られるのは赤沼と青沼だけである。
[[気象庁]]の[[常時観測火山]]で[[火山性微動]]や噴火に伴う空気の振動等を観測するための地震計や空振計が設置されている<ref name="hokkaido-np-2014-10-14">{{Cite news | url =http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki3/568406.html | title = 雌阿寒噴火の危険に備えて 専門家「地震情報周知を」「噴石対策必要」 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2014-10-14 }}</ref>。2006年12月16日には[[噴火警戒レベル]]が導入された。
=== 火山の形成 ===
約13,000年前から火山活動が始まり、以後、3,000~4,000年の間隔で3期にわたって火砕流の流出などが起きた<ref name="kushiro2020" />。
西山、北山、ポンマチネシリなどは約3,000~7,000年前の火山活動で主に溶岩によって形成された<ref name="kushiro2020" /><ref name="env2020" />。また、阿寒富士は約1,000~2,500年前の火山活動により玄武岩溶岩と降下火砕物で形成された<ref name="kushiro2020" /><ref name="env2020" />。
=== 噴火の歴史 ===
[[ファイル:Meakandake funka.jpg|thumb|2006年の小規模噴火後の噴気(3月21日)]]
噴火活動は、主にポンマチネシリ火口及び中マチネシリ火口で行われていて、しばしば噴火が見られるなど活発な活動が知られているが、雌阿寒岳が見える範囲に住民が入植した1900年代初頭以前の活動は知られていない。火山の周辺は無人地帯で集落等は存在せず[[国道]]と[[道道]]、僅かな宿泊施設が点在するのみであり、かなり大規模な噴火が生じない限り、直接的な被害は生じないものと考えられている。有史以降の噴火は、水蒸気爆発 - マグマ水蒸気爆発による噴火である。
* 1951年 7月から1952年 2月にかけて断続的に鳴動が起きる。
* 1952年 3月 [[十勝沖地震]]の直後から数日間鳴動が活発になる<ref>{{Cite journal|和書|author=横山泉 |title=大地震によって誘発された噴火 |journal=北海道大学地球物理学研究報告 |issn=04393503 |publisher=北海道大学理学部地球物理学教室 |year=1971 |month=mar |issue=25 |pages=129-139 |naid=120000961066 |doi=10.14943/gbhu.25.129 |url=https://hdl.handle.net/2115/13994}}</ref>。
* 1954年-1961年 断続的に小噴火、[[火山灰]]が降灰。噴火時の風向きにより北東70kmの[[網走市]]、東40kmの[[弟子屈町]]へ及ぶ。
* 1964年-1966年 断続的に小噴火。
* 1988年1月5日〜6日 小噴火<ref name="kushiro2020" />。
* 1988年1月8日 小噴火があり阿寒湖畔でごく少量の降灰<ref name="kushiro2020" />。
* 1988年2月7日〜8日 小噴火<ref name="kushiro2020" />。
* 1988年2月18日 小噴火があり阿寒湖畔で微量の降灰<ref name="kushiro2020" />。
* 1996年11月21日 小噴火<ref name="kushiro2020" />。
* 1998年11月9日 小噴火<ref name="kushiro2020" />。
* 2006年3月21日 小噴火<ref name="kushiro2020" />。
* 2008年11月18日 小噴火<ref name="kushiro2020" />。
* 2008年11月28日〜29日 小噴火<ref name="kushiro2020" />。
== 植生 ==
山麓は樹林帯で、[[エゾマツ]]、[[アカエゾマツ]]、[[ダケカンバ]]など北海道の[[原生林]]によく見られる樹種が多い。標高900m近くまで上がると[[ハイマツ]]の林となり、眺望も開けてくる。更に標高1,100mを越えると[[高山植物]]帯となる。
この山で見られる[[高山植物]]のうち、[[メアカンキンバイ]]と[[メアカンフスマ]]の2種にこの山の名前が付けられている。最初に発見されたのがこの山で、現在でも多数がこの山で見られるが、この山の[[固有種]]ではない。
標高1,200m以上では大部分は火山性の砂礫地で、所々に[[高山植物]]が群生している。以前は[[登山道]]の近くでも「高山植物の女王」と呼ばれる[[コマクサ]]が多数生えていたが、登山者の盗掘によってすっかり少なくなってしまった。
中腹の[[ハイマツ]]帯では秋には[[マツタケ]]が生えるが、雌阿寒岳は[[阿寒摩周国立公園]]の中にあるため採取は禁止されている。
== 登山 ==
[[登山道]]はオンネトー国設野営場からのオンネトーコースや[[雌阿寒温泉]]からの雌阿寒温泉コース、[[阿寒湖温泉]]西側からの阿寒湖畔コースなどがある<ref name="env2020" />。
== アイヌによる伝承 ==
火口から噴煙を上げ、火山活動の影響で草木が生えない雌阿寒岳の姿を見た[[アイヌ民族]]は、「山同士の争いに巻き込まれて槍で突かれ、傷口から膿を流している」と解釈し、さまざまな伝説を造り上げてきた。
以下はその例である。
*[[雄阿寒岳]]と雌阿寒岳は夫婦の山だったが、雄阿寒岳は[[留辺蘂町|留辺蘂]]の奥にあるポンヌプリ(小さい山)を妾として囲っていた。それを知った魔の神・ニッネカムイが「山のくせに妾を持つのは生意気だ」と、雄阿寒はおろか罪科の無い雌阿寒まで槍で突き刺した。雌阿寒の火口は、その傷跡だという。
*[[大雪山系]]の[[オプタテシケ山]]と雌阿寒岳は夫婦山だった。ところが喧嘩別れして、雌阿寒は実家に帰ってしまった。いつか恨みを晴らしてやろうと機会を窺う雌阿寒は、ある時ついに遠くのオプタテシケ目掛けて槍を投げつけた。それを見た[[十勝]]の[[東ヌプカウシヌプリ|ヌプカウシ山]]が驚いて止めようとして、片方の耳を削られた。騒ぎを知ったオプタテシケは槍を投げ返して雌阿寒に命中させたので、今でも雌阿寒は傷から膿を流しているのだ。なお、槍を止めようと立ち上がったヌプカウシの居場所に水が溜まったのが[[然別湖]]である。
== 雌阿寒岳 ギャラリー ==
<gallery widths="200" heights="140">
Onneto and Akan1 DSCN2488 20060805.JPG|オンネトーから見た雌阿寒岳(左)と阿寒富士(右)
Meakan.JPG|雄阿寒岳五合目より
雄阿寒岳から雌阿寒岳と阿寒湖.jpg|雄阿寒岳から雌阿寒岳と阿寒湖
雄阿寒岳からの雌阿寒岳.jpg|雄阿寒岳からの雌阿寒岳
Mt.Meakan.view-from-the-mountain-summit01.jpeg|山頂から北西(阿寒湖・雄阿寒岳)を望む
</gallery>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Mount Meakan}}
* [[日本の山一覧]]
* [[日本百名山]]
* [[阿寒摩周国立公園]]
* [[オンネトー]]
* [[阿寒湖]]
* [[阿寒川]]
== 外部リンク ==
* [https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sapporo/105_Meakan/105_index.html 雌阿寒岳] -
*[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/open-data/open-data.php?id=105 雌阿寒岳の火山観測データ] 気象庁
**[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/monthly_v-act_doc/monthly_vact_vol.php?id=105 雌阿寒岳の臨時及び過去の詳細月別火山概況・火山活動解説資料] 気象庁
**[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sapporo/open-data/data/eq_num_105.html 雌阿寒岳の最近(2ヶ月間)の日別地震回数表] 気象庁
* {{PDF|[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/7_Meakandake.pdf 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版 雌阿寒岳]}} - 気象庁
* [https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/B25.html 日本の第四紀火山:雌阿寒岳] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
* [http://www.meakandake.org/ 雌阿寒岳の雌阿寒の概要] - 北海道釧路土木現業所
* 防災関連
** [https://vivaweb2.bosai.go.jp/v-hazard/L_read/07meakandake/07meakan_1h01-L.pdf 雌阿寒岳火山防災ガイドブック 保存版 雌阿寒岳火山防災会議協議会版] - 防災科学技術研究所
** [http://www.city.kushiro.lg.jp/common/000033664.pdf 雌阿寒岳ハザードマップ] - 釧路市
{{日本百名山}}
{{北海道百名山}}
{{北海道の百名山}}
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{{Normdaten}}
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[[Category:山岳名目録]]
[[Category:北海道の山]]
[[Category:北海道の火山]]
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[[Category:1000メートル峰]] | 2003-04-20T08:57:25Z | 2023-11-20T22:38:09Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%8C%E9%98%BF%E5%AF%92%E5%B2%B3 |
7,020 | 大雪山 | 大雪山(たいせつざん、だいせつざん)は、北海道中央部にある旭岳などの山々からなる巨大な山塊の名称。大雪山系とも呼ばれ、一帯は大雪山国立公園に指定されている。また、西麓の勇駒別温泉(現旭岳温泉郷)から旭岳、北鎮岳、永山岳などを経て愛山渓温泉へ、翌日に愛山渓温泉から御鉢平を周遊し黒岳から層雲峡温泉に至る山行紀が深田久弥による日本百名山に掲載されている。
北海道中央に位置する標高2,000 m級の峰々を中心に構成される。一つの山ではないことを明確にするため、「大雪山系」という呼称もしばしば使われる。
最高峰の旭岳を中心とする大雪火山群と南方に広がる台地のエリアは「表大雪」と呼ばれている 。「大雪山」は本来この「表大雪」と呼ばれている御鉢平カルデラを中心としたエリアを指す呼称であり、「大雪山系」がそのように使われることもある。先住民アイヌは「ヌタップカウシペ、ヌタプカウシュペ nutap-ka-us-pe」(川がめぐる上の山)もしくは十勝岳連峰と合わせて「オプタテシケ op-ta-tes-ke」と呼んでいた。
大雪山は旭岳を中心とする山々(表大雪)のほか、周囲にニセイカウシュッペ山等の北大雪、ニペソツ山等の東大雪、十勝岳連峰の山群があり巨大な山系を形成している。ただし、環境省の資料などではニセイカウシュッペ山などは表大雪エリアの一部として扱われている。
旭岳などを含む峰々(表大雪)とその周囲の北大雪、東大雪、十勝岳連峰を包含する大雪山国立公園は、面積約23万 haという広大さで、日本最大の国立公園である。
江戸時代後期以降、大雪山に近づいた和人には間宮林蔵、松浦武四郎、松田市太郎らがいる。松田市太郎は1857年3月から4月にかけてアイヌの人たちの案内により石狩川の水源調査を行い、忠別岳などに登頂したほか層雲峡温泉を発見した。明治に入り、1872年には高畑利宣が層雲峡を探検して流星の滝や銀河の滝を発見している。1874年(明治7年)にはアメリカ人鉱山学者でお雇い外国人のベンジャミン・スミス・ライマンが、石狩川から十勝方面へ調査を行った。
一方、大雪山系では、一部の山名や沢のアイヌ語呼称を除けば、大正時代半ばまで地名が確定していなかった。旭川に教諭として赴任し、大雪山系で地質や植生を調べ歩いた小泉秀雄が1918年(大正7年)8月、日本山岳会機関誌『山岳』所載の「北海道中央高地の地学的研究」で、北海道庁作成の20万分の1地図に詳細な地名を記した地図をつけた。古くからのアイヌ語地名が存在する場所はそれを採用し、新たな命名はそれ以外とすることを原則とした。後者の例は、北辺の守りを担う北海道駐屯の第7師団から「北鎮岳」と名付けたほか、北方探検に従事した間宮林蔵、松浦武四郎、松田市太郎の苗字から採った山々もある。小泉は、1926年(大正15年/昭和元年)刊行の同地についての初の本格的ガイドブック『大雪山 登山法及登山案内』添付地図で一部を修正し、地名選定作業を終えた。
アイヌを除けば、大雪山系一帯を網羅的に踏破したのは小泉が初めてとみられる。地名がついたことで全国的に知られるようになり、大町桂月「層雲峡より大雪山」(『中央公論』1923年8月号掲載)、大島亮吉『石狩岳より石狩川に沿うて』といった紀行文に登場してさらに知名度を高めた。1924年(大正13年)には実業家の荒井初一が「大雪山調査会」を設立し、自然の調査や保護、観光開発に取り組んだ。小泉秀雄や大町桂月の大雪山行きは、旭川で植木業を営みながら大雪山系に分け入っていた成田嘉助が案内・同道していた。
大町桂月ら4人は1921年(大正10年)8月22日に塩谷温泉(現在の層雲峡温泉)から入って、同25日に松山温泉(現在の天人峡温泉)へ至る縦走を達成した。この折の紀行文が上記の「層雲峡より大雪山」であり、「富士山に登って、山岳の高さを語れ。大雪山に登って、山岳の大さを語れ。」と大雪山系の奥深さを世に知らしめた。これに刺激されて、北海道庁職員らによる北海道山岳会が1923年(大正12年)、層雲峡から黒岳を経て旭岳石室へ至る登山道と山小屋を整備し、天人峡からの既存登山道とつながった。
なお、北海道史の研究家であった河野常吉が1927年8月、『北海タイムス』(現在の『北海道新聞』)で旭岳を山系の総称とすべきだとする記事を載せ、小泉が同年11月に反論を掲載する一幕があったが、大雪山が定着した。
国の特別天然記念物(天然保護区域)及び国指定大雪山鳥獣保護区(大規模生息地、面積35,534 ha)に指定されている。
狭義の大雪山は、旭岳連峰すなわち以下の山などから成る石狩川と忠別川の上流部に挟まれた山塊を指す。「表大雪」と呼ぶ場合にはトムラウシ山周辺の山々も含む。
御鉢平の底部には、「有毒温泉」と呼ばれる温泉が湧いており、温泉とともに、強力な毒性を持つ硫化水素ガスが噴出しているため、立ち入り禁止となっている。お鉢平の北側の稜線から少し下った所、登山道に沿った渓谷の脇にも高温の湯が湧いている。ここは入湯可能で、中岳温泉と呼ばれて訪れる人が増えている。
石狩川を挟んで北にあるニセイカウシュッペ山(1,883 m)などの山々を北大雪と呼ぶ。ただし、環境省の資料などではニセイカウシュッペ山や平山は表大雪エリアの一部として扱われている。
やや南東にあるニペソツ山などを含む山群を東大雪と呼ぶ。昔は、「裏大雪」とも呼ばれていた。東大雪エリアは十勝川流域にあり、この山域に含まれる石狩連峰の山々は表大雪エリアの山々とは異なり非火山性の山々である。
十勝岳連峰も大雪山の巨大な山系に含められることがある。
大雪山は高山植物の宝庫である。高緯度の北海道にあるため気象条件は日本アルプスの3,000m級の山々とほぼ同じとされている。大雪山はこの高度領域が非常に広く、また山々がなだらかに広がっているため、日本最大の高山帯を形成している。地理的にもカムチャツカ、シベリア、日本の本州からの合流点となっているほか、温帯・寒帯の狭間でもあり、小泉岳 - 緑岳の山岳永久凍土と呼ばれる永久凍土や多くの周氷河地形が残ることから高山植物の種類も豊富である。
その地理や気候風土から、日本国内では最も早く紅葉を見ることができ、9月からウラシマツツジやチングルマなどの紅葉を楽しむことができる。また、例年9月中旬には初雪を観測する。
大雪山系には、やや南にあるトムラウシ山(2,141 m)、忠別岳(1,963 m)も含める。この付近にはアイヌ語で「カムイミンタル(kamuy-mintar)」と言われる場所がある。直訳すると「神々の庭」という意味で、ここでいう「神」とは「キムンカムイ(kimun-kamuy)」(山の神)、つまりヒグマのことであり、ヒグマが多数出現する場所である。
大雪山系の土台となっている基盤岩は海抜1,000 mに達している。その上に更新世初期に多量の火砕流が噴出した後、現在の地形を形作る火山活動が始まった。まず流動性の高い厚い溶岩流が噴出し、南部の高根ヶ原や北西部の沼ノ平などの広い高原が形成された。
その後の噴火では流動性の少ない溶岩に移行し、北鎮岳・黒岳・白雲岳などの溶岩円頂丘ができた。3万年前に大雪山の中心部で大きな噴火があり、大量の火砕流が東側に流出して台地を形成した。この台地を石狩川が浸食してできたのが層雲峡で、両岸の柱状節理はこのときに堆積した溶結凝灰岩である。
約3万8千年前に御鉢平カルデラが形成された。1万年前から西部で繰り返し噴火が起こり、成層火山の旭岳ができた。旭岳は約5,600年前に山体の一部が崩壊する噴火が起こって、現在見られる山容となった。旭岳は現在も盛んな噴気活動を行っている(写真参照)。最新の水蒸気噴火は約250年前以降である。
大雪山の名を初めて著した書物は、1899年(明治32年)発行の『日本名勝地誌』とされる。この書では、「たいせつざん」と振り仮名があった。命名者は小説家の松原二十三階堂(岩五郎)とされる。1912年(明治45年)発行の『帝國地名辭典』には、同じ読みで掲載されている。
国土地理院では「たいせつざん」の呼び名を採用しており、5万分の1地形図の名称は「大雪山(たいせつざん)」となっている。旭川市から網走市へと至る国道39号の通称は大雪国道(たいせつこくどう)であり、同市内にある公共施設の名称は旭川大雪アリーナ(あさひかわたいせつアリーナ)や旭川市大雪クリスタルホール(あさひかわしたいせつクリスタルホール)である。また、上川町の層雲峡温泉には「ホテル大雪(たいせつ)」という名称の大型温泉ホテルがある。札幌駅・旭川駅 - 網走駅間を結ぶ国鉄(JR北海道)の急行列車・特急列車の愛称も「大雪(たいせつ)」となっている。
一方で、1934年(昭和9年)に指定された大雪山国立公園の読みは「だいせつざんこくりつこうえん」とされている。大雪山固有の動植物の和名も「ダイセツ」を付けるものがほとんどであり、主なものにダイセツトリカブト、ダイセツタカネヒカゲ、ダイセツオサムシ、ダイセツタカネフキバッタなどの例があげられる。東亜国内航空では、所有するYS-11の機体ごとに日本各地の地名がニックネームとして使用しており、うち JA8759 が「だいせつ」の名を冠していた。現地の案内板のローマ字表記も「Daisetsu」と「Taisetsu」が入り交じっている。 | [
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"text": "大雪山(たいせつざん、だいせつざん)は、北海道中央部にある旭岳などの山々からなる巨大な山塊の名称。大雪山系とも呼ばれ、一帯は大雪山国立公園に指定されている。また、西麓の勇駒別温泉(現旭岳温泉郷)から旭岳、北鎮岳、永山岳などを経て愛山渓温泉へ、翌日に愛山渓温泉から御鉢平を周遊し黒岳から層雲峡温泉に至る山行紀が深田久弥による日本百名山に掲載されている。",
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"text": "北海道中央に位置する標高2,000 m級の峰々を中心に構成される。一つの山ではないことを明確にするため、「大雪山系」という呼称もしばしば使われる。",
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"text": "最高峰の旭岳を中心とする大雪火山群と南方に広がる台地のエリアは「表大雪」と呼ばれている 。「大雪山」は本来この「表大雪」と呼ばれている御鉢平カルデラを中心としたエリアを指す呼称であり、「大雪山系」がそのように使われることもある。先住民アイヌは「ヌタップカウシペ、ヌタプカウシュペ nutap-ka-us-pe」(川がめぐる上の山)もしくは十勝岳連峰と合わせて「オプタテシケ op-ta-tes-ke」と呼んでいた。",
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"text": "大雪山は旭岳を中心とする山々(表大雪)のほか、周囲にニセイカウシュッペ山等の北大雪、ニペソツ山等の東大雪、十勝岳連峰の山群があり巨大な山系を形成している。ただし、環境省の資料などではニセイカウシュッペ山などは表大雪エリアの一部として扱われている。",
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"text": "旭岳などを含む峰々(表大雪)とその周囲の北大雪、東大雪、十勝岳連峰を包含する大雪山国立公園は、面積約23万 haという広大さで、日本最大の国立公園である。",
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"text": "江戸時代後期以降、大雪山に近づいた和人には間宮林蔵、松浦武四郎、松田市太郎らがいる。松田市太郎は1857年3月から4月にかけてアイヌの人たちの案内により石狩川の水源調査を行い、忠別岳などに登頂したほか層雲峡温泉を発見した。明治に入り、1872年には高畑利宣が層雲峡を探検して流星の滝や銀河の滝を発見している。1874年(明治7年)にはアメリカ人鉱山学者でお雇い外国人のベンジャミン・スミス・ライマンが、石狩川から十勝方面へ調査を行った。",
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"text": "一方、大雪山系では、一部の山名や沢のアイヌ語呼称を除けば、大正時代半ばまで地名が確定していなかった。旭川に教諭として赴任し、大雪山系で地質や植生を調べ歩いた小泉秀雄が1918年(大正7年)8月、日本山岳会機関誌『山岳』所載の「北海道中央高地の地学的研究」で、北海道庁作成の20万分の1地図に詳細な地名を記した地図をつけた。古くからのアイヌ語地名が存在する場所はそれを採用し、新たな命名はそれ以外とすることを原則とした。後者の例は、北辺の守りを担う北海道駐屯の第7師団から「北鎮岳」と名付けたほか、北方探検に従事した間宮林蔵、松浦武四郎、松田市太郎の苗字から採った山々もある。小泉は、1926年(大正15年/昭和元年)刊行の同地についての初の本格的ガイドブック『大雪山 登山法及登山案内』添付地図で一部を修正し、地名選定作業を終えた。",
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"text": "アイヌを除けば、大雪山系一帯を網羅的に踏破したのは小泉が初めてとみられる。地名がついたことで全国的に知られるようになり、大町桂月「層雲峡より大雪山」(『中央公論』1923年8月号掲載)、大島亮吉『石狩岳より石狩川に沿うて』といった紀行文に登場してさらに知名度を高めた。1924年(大正13年)には実業家の荒井初一が「大雪山調査会」を設立し、自然の調査や保護、観光開発に取り組んだ。小泉秀雄や大町桂月の大雪山行きは、旭川で植木業を営みながら大雪山系に分け入っていた成田嘉助が案内・同道していた。",
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"text": "大町桂月ら4人は1921年(大正10年)8月22日に塩谷温泉(現在の層雲峡温泉)から入って、同25日に松山温泉(現在の天人峡温泉)へ至る縦走を達成した。この折の紀行文が上記の「層雲峡より大雪山」であり、「富士山に登って、山岳の高さを語れ。大雪山に登って、山岳の大さを語れ。」と大雪山系の奥深さを世に知らしめた。これに刺激されて、北海道庁職員らによる北海道山岳会が1923年(大正12年)、層雲峡から黒岳を経て旭岳石室へ至る登山道と山小屋を整備し、天人峡からの既存登山道とつながった。",
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"text": "なお、北海道史の研究家であった河野常吉が1927年8月、『北海タイムス』(現在の『北海道新聞』)で旭岳を山系の総称とすべきだとする記事を載せ、小泉が同年11月に反論を掲載する一幕があったが、大雪山が定着した。",
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"text": "国の特別天然記念物(天然保護区域)及び国指定大雪山鳥獣保護区(大規模生息地、面積35,534 ha)に指定されている。",
"title": "概説"
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"text": "狭義の大雪山は、旭岳連峰すなわち以下の山などから成る石狩川と忠別川の上流部に挟まれた山塊を指す。「表大雪」と呼ぶ場合にはトムラウシ山周辺の山々も含む。",
"title": "地域区分"
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"text": "御鉢平の底部には、「有毒温泉」と呼ばれる温泉が湧いており、温泉とともに、強力な毒性を持つ硫化水素ガスが噴出しているため、立ち入り禁止となっている。お鉢平の北側の稜線から少し下った所、登山道に沿った渓谷の脇にも高温の湯が湧いている。ここは入湯可能で、中岳温泉と呼ばれて訪れる人が増えている。",
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"text": "石狩川を挟んで北にあるニセイカウシュッペ山(1,883 m)などの山々を北大雪と呼ぶ。ただし、環境省の資料などではニセイカウシュッペ山や平山は表大雪エリアの一部として扱われている。",
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"text": "やや南東にあるニペソツ山などを含む山群を東大雪と呼ぶ。昔は、「裏大雪」とも呼ばれていた。東大雪エリアは十勝川流域にあり、この山域に含まれる石狩連峰の山々は表大雪エリアの山々とは異なり非火山性の山々である。",
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"text": "十勝岳連峰も大雪山の巨大な山系に含められることがある。",
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"text": "大雪山は高山植物の宝庫である。高緯度の北海道にあるため気象条件は日本アルプスの3,000m級の山々とほぼ同じとされている。大雪山はこの高度領域が非常に広く、また山々がなだらかに広がっているため、日本最大の高山帯を形成している。地理的にもカムチャツカ、シベリア、日本の本州からの合流点となっているほか、温帯・寒帯の狭間でもあり、小泉岳 - 緑岳の山岳永久凍土と呼ばれる永久凍土や多くの周氷河地形が残ることから高山植物の種類も豊富である。",
"title": "自然"
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"text": "その地理や気候風土から、日本国内では最も早く紅葉を見ることができ、9月からウラシマツツジやチングルマなどの紅葉を楽しむことができる。また、例年9月中旬には初雪を観測する。",
"title": "自然"
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"text": "大雪山系には、やや南にあるトムラウシ山(2,141 m)、忠別岳(1,963 m)も含める。この付近にはアイヌ語で「カムイミンタル(kamuy-mintar)」と言われる場所がある。直訳すると「神々の庭」という意味で、ここでいう「神」とは「キムンカムイ(kimun-kamuy)」(山の神)、つまりヒグマのことであり、ヒグマが多数出現する場所である。",
"title": "自然"
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"text": "大雪山系の土台となっている基盤岩は海抜1,000 mに達している。その上に更新世初期に多量の火砕流が噴出した後、現在の地形を形作る火山活動が始まった。まず流動性の高い厚い溶岩流が噴出し、南部の高根ヶ原や北西部の沼ノ平などの広い高原が形成された。",
"title": "地史"
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"text": "その後の噴火では流動性の少ない溶岩に移行し、北鎮岳・黒岳・白雲岳などの溶岩円頂丘ができた。3万年前に大雪山の中心部で大きな噴火があり、大量の火砕流が東側に流出して台地を形成した。この台地を石狩川が浸食してできたのが層雲峡で、両岸の柱状節理はこのときに堆積した溶結凝灰岩である。",
"title": "地史"
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"text": "約3万8千年前に御鉢平カルデラが形成された。1万年前から西部で繰り返し噴火が起こり、成層火山の旭岳ができた。旭岳は約5,600年前に山体の一部が崩壊する噴火が起こって、現在見られる山容となった。旭岳は現在も盛んな噴気活動を行っている(写真参照)。最新の水蒸気噴火は約250年前以降である。",
"title": "地史"
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"text": "大雪山の名を初めて著した書物は、1899年(明治32年)発行の『日本名勝地誌』とされる。この書では、「たいせつざん」と振り仮名があった。命名者は小説家の松原二十三階堂(岩五郎)とされる。1912年(明治45年)発行の『帝國地名辭典』には、同じ読みで掲載されている。",
"title": "読みについて"
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"text": "国土地理院では「たいせつざん」の呼び名を採用しており、5万分の1地形図の名称は「大雪山(たいせつざん)」となっている。旭川市から網走市へと至る国道39号の通称は大雪国道(たいせつこくどう)であり、同市内にある公共施設の名称は旭川大雪アリーナ(あさひかわたいせつアリーナ)や旭川市大雪クリスタルホール(あさひかわしたいせつクリスタルホール)である。また、上川町の層雲峡温泉には「ホテル大雪(たいせつ)」という名称の大型温泉ホテルがある。札幌駅・旭川駅 - 網走駅間を結ぶ国鉄(JR北海道)の急行列車・特急列車の愛称も「大雪(たいせつ)」となっている。",
"title": "読みについて"
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"text": "一方で、1934年(昭和9年)に指定された大雪山国立公園の読みは「だいせつざんこくりつこうえん」とされている。大雪山固有の動植物の和名も「ダイセツ」を付けるものがほとんどであり、主なものにダイセツトリカブト、ダイセツタカネヒカゲ、ダイセツオサムシ、ダイセツタカネフキバッタなどの例があげられる。東亜国内航空では、所有するYS-11の機体ごとに日本各地の地名がニックネームとして使用しており、うち JA8759 が「だいせつ」の名を冠していた。現地の案内板のローマ字表記も「Daisetsu」と「Taisetsu」が入り交じっている。",
"title": "読みについて"
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] | 大雪山(たいせつざん、だいせつざん)は、北海道中央部にある旭岳などの山々からなる巨大な山塊の名称。大雪山系とも呼ばれ、一帯は大雪山国立公園に指定されている。また、西麓の勇駒別温泉(現旭岳温泉郷)から旭岳、北鎮岳、永山岳などを経て愛山渓温泉へ、翌日に愛山渓温泉から御鉢平を周遊し黒岳から層雲峡温泉に至る山行紀が深田久弥による日本百名山に掲載されている。 | {{otheruses|日本の山系|中国の山脈|大雪山脈|台湾の山|大雪山 (台湾)}}
{{Redirect|松田岳|俳優|松田岳 (俳優)}}
{{Infobox 山
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|標高 = [[旭岳]]:2,290.93<ref>[[三角点]]「[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sapporo/107_Taisetusan/107_index.html 瓊多窟(ぬたっく)]」[[気象庁]]/2020年10月28日閲覧</ref><ref name="kijun">{{Cite web|和書|url=https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/top.html|title=基準点成果等閲覧サービス|publisher=[[国土地理院]]|accessdate=2014-07-15|quote=基準点コード TR16542369801}}</ref>
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'''大雪山'''(たいせつざん、だいせつざん)は、[[北海道]]中央部にある[[旭岳]]などの山々からなる巨大な山塊の名称<ref name="太田" />。大雪山系とも呼ばれ、一帯は[[大雪山国立公園]]に指定されている<ref>[https://www.env.go.jp/park/daisetsu/guide/view.html 大雪山国立公園](環境省)2021年3月2日閲覧</ref>。また、西麓の勇駒別温泉(現旭岳温泉郷)から旭岳、北鎮岳、永山岳などを経て愛山渓温泉へ、翌日に愛山渓温泉から御鉢平を周遊し黒岳から層雲峡温泉に至る山行紀が[[日本百名山|深田久弥による日本百名山]]に掲載されている<ref>{{Cite book|和書 |author=深田久弥|authorlink=深田久弥 |year=1982 |title=日本百名山 |publisher=[[朝日新聞社]] |isbn=4-02-260871-4}}</ref>。
== 概説 ==
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北海道中央に位置する[[標高]]2,000 m級の峰々を中心に構成される<ref name="太田">[https://www.gsj.jp/data/gcn/gsj_cn_vol4.no6_178-180.pdf 太田英順「地質で語る百名山 第5回 大雪山」『GSJ 地質ニュース』Vol.4 No.6] [[産業技術総合研究所]]地質調査総合センター(2015年)2021年8月14日閲覧</ref>。一つの山ではないことを明確にするため、「'''大雪山系'''」という呼称もしばしば使われる<ref name="道新20201011">【時を訪ねて 1918】地名の決定(大雪山系)一枚の地図に落とし込む『[[北海道新聞]]』日曜朝刊別刷り2020年10月11日1-2面</ref>。
最高峰の[[旭岳]]を中心とする大雪[[火山]]群と南方に広がる台地のエリアは「表大雪」と呼ばれている<ref name="env03">[https://hokkaido.env.go.jp/nature/mat/park/daisetsu/p03.pdf 大雪山国立公園](環境省)2021年2月19日閲覧</ref> <ref name=“ヤマレコ”>{{Cite web|和書|date= |url= https://www.yamareco.com/modules/yamainfo/ptinfo.php?ptid=6 |title=大雪山(旭岳) 神々が遊ぶほど美しい「北海道の屋根」 |publisher=[[ヤマレコ]] |accessdate=2022-09-19}}</ref>。「大雪山」は本来この「表大雪」と呼ばれている[[御鉢平]][[カルデラ]]を中心としたエリアを指す呼称であり、「大雪山系」がそのように使われることもある。先住民[[アイヌ]]は「ヌタップカウシペ、ヌタプカウシュペ nutap-ka-us-pe」(川がめぐる上の山)もしくは[[十勝岳]]連峰と合わせて「オプタテシケ op-ta-tes-ke」と呼んでいた<ref>{{Cite book|和書|author1=山崎晴雄|authorlink1=山崎晴雄|author2=久保純子|year=2017|title=日本列島100万年史 大地に刻まれた壮大な物語|publisher=[[講談社]][[ブルーバックス]]|page=57|isbn=978-4-06-502000-5}}</ref>。
大雪山は旭岳を中心とする山々(表大雪)のほか、周囲に[[ニセイカウシュッペ山]]等の北大雪、[[ニペソツ山]]等の東大雪、十勝岳連峰の山群があり巨大な山系を形成している<ref name="太田" />。ただし、[[環境省]]の資料などではニセイカウシュッペ山などは表大雪エリアの一部として扱われている<ref name="env03" />。
旭岳などを含む峰々(表大雪)とその周囲の北大雪、東大雪、十勝岳連峰を包含する[[大雪山国立公園]]は、面積約23万 [[ヘクタール|ha]]という広大さで、日本最大の国立公園である<ref name="太田" />。
[[江戸時代]]後期以降、大雪山に近づいた[[和人]]には[[間宮林蔵]]、[[松浦武四郎]]、[[松田市太郎]]らがいる<ref name="太田" />。松田市太郎は[[1857年]]3月から4月にかけてアイヌの人たちの案内により[[石狩川]]の[[源流|水源]]調査を行い、忠別岳などに登頂したほか[[層雲峡温泉]]を発見した<ref name="太田" />。[[明治]]に入り、[[1872年]]には[[高畑利宣]]が層雲峡を[[探検]]して流星の滝や銀河の滝を発見している<ref name="太田" />。[[1874年]](明治7年)には[[アメリカ人]][[鉱山学|鉱山学者]]で[[お雇い外国人]]の[[ベンジャミン・スミス・ライマン]]が、石狩川から[[十勝地方|十勝]]方面へ調査を行った<ref name="太田" />。
一方、大雪山系では、一部の山名や[[沢]]の[[アイヌ語]]呼称を除けば、[[大正]]時代半ばまで[[地名]]が確定していなかった。[[旭川市|旭川]]に教諭として赴任し、大雪山系で[[地質]]や[[植生]]を調べ歩いた[[小泉秀雄]]が[[1918年]](大正7年)8月、[[日本山岳会]]機関誌『山岳』所載の「北海道中央高地の地学的研究」で、北海道庁作成の20万分の1地図に詳細な地名を記した[[地図]]をつけた。古くからのアイヌ語地名が存在する場所はそれを採用し、新たな命名はそれ以外とすることを原則とした。後者の例は、北辺の守りを担う北海道駐屯の[[第7師団 (日本軍)|第7師団]]から「北鎮岳」と名付けたほか、北方探検に従事した間宮林蔵、松浦武四郎、松田市太郎の[[苗字]]から採った山々もある。小泉は、[[1926年]](大正15年/[[昭和]]元年)刊行の同地についての初の本格的ガイドブック『大雪山 登山法及登山案内』添付地図で一部を修正し、地名選定作業を終えた<ref name="道新20201011"/>。
アイヌを除けば、大雪山系一帯を網羅的に踏破したのは小泉が初めてとみられる。地名がついたことで全国的に知られるようになり、[[大町桂月]]「[[層雲峡]]より大雪山」(『[[中央公論]]』1923年8月号掲載)<ref name="道新20210814">『北海道新聞』土曜朝刊サタデーどうしん21-22面「名言生んだ大雪山の旅100年」「四方に広がる絶景ルート」「旅を支えた案内人 成田嘉助」</ref>、[[大島亮吉]]『石狩岳より石狩川に沿うて』といった[[紀行|紀行文]]に登場してさらに知名度を高めた。[[1924年]](大正13年)には実業家の[[荒井建設|荒井初一]]が「大雪山調査会」を設立し、[[自然]]の[[調査]]や[[自然保護|保護]]、[[観光開発]]に取り組んだ<ref name="道新20201011"/>。小泉秀雄や大町桂月の大雪山行きは、旭川で植木業を営みながら大雪山系に分け入っていた成田嘉助が案内・同道していた<ref name="道新20210814"/>。
大町桂月ら4人は[[1921年]](大正10年)8月22日に塩谷温泉(現在の[[層雲峡温泉]])から入って、同25日に松山温泉(現在の[[天人峡温泉]])へ至る縦走を達成した。この折の紀行文が上記の「層雲峡より大雪山」であり、「[[富士山]]に登って、山岳の高さを語れ。大雪山に登って、山岳の大さを語れ。」と大雪山系の奥深さを世に知らしめた。これに刺激されて、[[北海道庁]]職員らによる北海道山岳会が[[1923年]](大正12年)、層雲峡から黒岳を経て旭岳石室へ至る[[登山]]道と[[山小屋]]を整備し、天人峡からの既存登山道とつながった<ref name="道新20210814"/>。
なお、北海道史の研究家であった[[河野常吉]]が1927年8月、『北海タイムス』(現在の『[[北海道新聞]]』)で旭岳を山系の総称とすべきだとする記事を載せ、小泉が同年11月に反論を掲載する一幕があったが、大雪山が定着した<ref name="道新20201011"/>。
国の[[特別天然記念物]]([[天然保護区域]])及び国指定大雪山[[鳥獣保護区]](大規模生息地、面積35,534 ha)に指定されている。
{{-}}
== 地域区分 ==
=== 表大雪 ===
[[ファイル:Ohachidaira caldera 2006-07-13.jpg|thumb|西から見た大雪山のお鉢平カルデラ(ピークは左から北鎮岳、凌雲岳、桂月岳、黒岳)]]
狭義の大雪山は、旭岳連峰すなわち以下の山などから成る[[石狩川]]と[[忠別川]]の上流部に挟まれた山塊を指す。「表大雪」と呼ぶ場合には[[トムラウシ山]]周辺の山々も含む<ref name="env03" />。
* [[旭岳]](2,291 m) - [[各都道府県の最高峰|北海道の最高峰]]
* 北鎮岳(2,244 m)
* 白雲岳(2,230 m)
* [[愛別岳]](2,113 m)
* 北海岳(2,149 m)
* 黒岳(1,984 m) - 5合目に[[大雪山層雲峡・黒岳ロープウェイ]]黒岳駅、レストハウス、'''大雪山黒岳資料館'''
* [[赤岳 (大雪山)|赤岳]](2,078 m)
* [[緑岳 (大雪山)|緑岳]](2,019 m、別名「松浦岳」)
御鉢平の底部には、「[[有毒温泉]]」と呼ばれる[[温泉]]が湧いており、温泉とともに、強力な毒性を持つ[[硫化水素]][[火山ガス|ガス]]が噴出しているため、立ち入り禁止となっている。お鉢平の北側の稜線から少し下った所、登山道に沿った渓谷の脇にも高温の湯が湧いている。ここは入湯可能で、[[中岳温泉]]と呼ばれて訪れる人が増えている。
=== 北大雪 ===
石狩川を挟んで北にある[[ニセイカウシュッペ山]](1,883 m)などの山々を北大雪と呼ぶ<ref name="太田" />。ただし、[[環境省]]の資料などではニセイカウシュッペ山や[[平山 (石狩山地)|平山]]は表大雪エリアの一部として扱われている<ref name="env03" />。
* [[武華岳]](1,758 m)
* [[武利岳]](1,876 m)
* [[平山 (石狩山地)|平山]](1,771 m)
* [[チトカニウシ山]](1,445 m)
* [[屏風岳 (大雪山系)|屏風岳]](1,792 m)
=== 東大雪 ===
やや南東にある[[ニペソツ山]]などを含む山群を東大雪と呼ぶ<ref name="太田" />。昔は、「裏大雪」とも呼ばれていた。東大雪エリアは十勝川流域にあり、この山域に含まれる石狩連峰の山々は表大雪エリアの山々とは異なり非火山性の山々である<ref name="env03" />。
* [[ニペソツ山]](2,013 m)
* [[ウペペサンケ山]](1,848 m)
* [[石狩岳]](1,967 m)
* [[音更山]](1,932 m)
* [[白雲山 (大雪山系)|白雲山]](1,187 m)
* [[天望山 (北海道)|天望山]](1,173 m、 別名「くちびる山」)
=== 十勝岳 ===
十勝岳連峰も大雪山の巨大な山系に含められることがある<ref name="太田" />。
=== ギャラリー ===
<gallery>
Daisetsuzan-asahidake.jpg|[[旭岳]]
Mount Hippu and Mount Hokuchin.jpg|北鎮岳
Mount Niseykauspe and Mount Kuro.jpg|黒岳
緑岳を仰ぐ, Mt. Midori - panoramio.jpg|緑岳
Nipesotsuyama from Tengudake 2005-8-17.jpg|[[ニペソツ山]]
ニセイカウシュッペ山 - panoramio.jpg|[[ニセイカウシュッペ山]]
</gallery>
== 自然 ==
[[ファイル:Flowering meadows of Daisetsu-zan.jpg|thumb|7月中旬の大雪山の花畑(黄色はチングルマ、赤はエゾノツガザクラ)]]
[[ファイル:Kurodake Ishimuro and coloured leaves.jpg|thumb|9月の[[紅葉]]の様子(黒岳石室付近)]]
大雪山は[[高山植物]]の宝庫である。高緯度の北海道にあるため気象条件は[[日本アルプス]]の3,000m級の山々とほぼ同じとされている<ref name="太田" />。大雪山はこの高度領域が非常に広く、また山々がなだらかに広がっているため、日本最大の高山帯を形成している。地理的にも[[カムチャッカ半島|カムチャツカ]]、[[シベリア]]、日本の[[本州]]からの合流点となっているほか、[[温帯]]・[[寒帯]]の狭間でもあり、小泉岳 - 緑岳の山岳永久凍土と呼ばれる[[永久凍土]]や多くの[[周氷河地形]]が残ることから高山植物の種類も豊富である。
その地理や気候風土から、日本国内では最も早く[[紅葉]]を見ることができ、9月から[[ウラシマツツジ]]や[[チングルマ]]などの紅葉を楽しむことができる<ref name="asahi">[http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20170906011650001.html 日本一早い紅葉(上川町)]『[[朝日新聞]]』2017年9月6日(2018年9月8日閲覧)</ref>。また、例年9月中旬には[[初雪]]を観測する<ref name="asahi" />。
大雪山系には、やや南にあるトムラウシ山(2,141 m)、[[忠別岳]](1,963 m)も含める。この付近にはアイヌ語で「カムイミンタル(kamuy-mintar)」と言われる場所がある。直訳すると「神々の庭」という意味で、ここでいう「神」とは「キムンカムイ(kimun-kamuy)」(山の神)、つまり[[ヒグマ]]のことであり、ヒグマが多数出現する場所である。
== 地史 ==
大雪山系の土台となっている[[基盤岩]]は海抜1,000 mに達している。その上に[[更新世]]初期に多量の[[火砕流]]が噴出した後、現在の地形を形作る火山活動が始まった。まず流動性の高い厚い[[溶岩流]]が噴出し、南部の高根ヶ原や北西部の沼ノ平などの広い[[高原]]が形成された。
その後の噴火では流動性の少ない溶岩に移行し、北鎮岳・黒岳・白雲岳などの[[溶岩円頂丘]]ができた。3万年前に大雪山の中心部で大きな噴火があり、大量の火砕流が東側に流出して台地を形成した。この台地を[[石狩川]]が[[浸食]]してできたのが[[層雲峡]]で、両岸の[[柱状節理]]はこのときに堆積した溶結[[凝灰岩]]である。
約3万8千年前に御鉢平カルデラが形成された<ref name="気象庁">[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sapporo/107_Taisetusan/107_index.html 大雪山]([[気象庁]])2017年4月閲覧</ref>。1万年前から西部で繰り返し噴火が起こり、[[成層火山]]の旭岳ができた。旭岳は約5,600年前に[[山体崩壊|山体の一部が崩壊]]する噴火が起こって、現在見られる山容となった。旭岳は現在も盛んな[[噴気]]活動を行っている(写真参照)。最新の水蒸気噴火は約250年前以降である<ref name="気象庁" />。
== 読みについて ==
大雪山の名を初めて著した書物は、[[1899年]]([[明治]]32年)発行の『日本名勝地誌』とされる<ref>{{Cite|和書|author=松原岩五郎|title=日本名勝地誌 第9編 北海道之部|publisher=[[博文館]]|year=1903|edition=4|page=104|ref=harv}}</ref><ref>小泉秀雄「北海道中央高地の地学的研究」『山岳』第12年2・3合併号、日本山岳会、1918年、205-452頁。</ref>。この書では、「たいせつざん」と振り仮名があった。命名者は小説家の[[松原岩五郎|松原二十三階堂(岩五郎)]]とされる。[[1912年]](明治45年)発行の『帝國地名辭典』には、同じ読みで掲載されている<ref>太田爲三郎編『帝國地名辭典 下巻』([[三省堂]]、1912年)896頁</ref>。
[[国土地理院]]では「たいせつざん」の呼び名を採用しており<ref>[https://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/kihonjohochousa41139.html 日本の主な山岳標高]</ref>、5万分の1地形図の名称は「大雪山(たいせつざん)」となっている。旭川市から[[網走市]]へと至る[[国道39号]]の通称は[[大雪国道]](たいせつこくどう)であり、同市内にある公共施設の名称は[[旭川大雪アリーナ]](あさひかわたいせつアリーナ)や[[旭川市大雪クリスタルホール]](あさひかわしたいせつクリスタルホール)である。また、[[上川町]]の[[層雲峡温泉]]には「ホテル大雪(たいせつ)」という名称の大型温泉ホテルがある<ref name="太田" />。[[札幌駅]]・[[旭川駅]] - [[網走駅]]間を結ぶ[[日本国有鉄道|国鉄]]([[北海道旅客鉄道|JR北海道]])の急行列車・特急列車の愛称も「[[オホーツク (列車)|大雪(たいせつ)]]」となっている。
一方で、[[1934年]](昭和9年)に指定された大雪山国立公園の読みは「だいせつざんこくりつこうえん」とされている<ref name="太田" />。大雪山固有の動植物の[[和名]]も「ダイセツ」を付けるものがほとんどであり、主なものにダイセツトリカブト、ダイセツタカネヒカゲ、ダイセツオサムシ、ダイセツタカネフキバッタなどの例があげられる。[[東亜国内航空]]では、所有する[[YS-11]]の機体ごとに日本各地の地名がニックネームとして使用しており、うち JA8759 が「だいせつ」の名を冠していた。現地の案内板の[[ローマ字]]表記も「Daisetsu」と「Taisetsu」が入り交じっている。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 関連項目 ==
* [[日本の秘境100選]]
* [[天然記念物]]
* [[SOS遭難事件]]
* [[日本の山一覧]]
== 外部リンク ==
{{commons&cat|Daisetsu-zan|Daisetsu}}
* [https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sapporo/107_Taisetusan/107_index.html 大雪山] 気象庁
*[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/open-data/open-data.php?id=107 大雪山の火山観測データ] 気象庁
**[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/monthly_v-act_doc/monthly_vact_vol.php?id=107 大雪山の臨時及び過去の詳細月別火山概況・火山活動解説資料] 気象庁
**[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sapporo/open-data/data/eq_num_107.html 大雪山の最近(2ヶ月間)の日別地震回数表] 気象庁
* {{PDF|[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/9_Taisetsuzan.pdf 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版 大雪山]}} 気象庁
* [https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/B39.html 日本の火山 大雪火山群] 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
* {{NHK放送史|D0009040222_00000|NHK特集 大雪山・花紀行〜「神々の庭」の短い夏〜}}
{{大雪山}}
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[[Category:山岳名目録]]
[[Category:大雪山|*]]
[[Category:北海道の火山]]
[[Category:日本百名山]]
[[Category:2000メートル峰]]
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[[Category:国指定鳥獣保護区]]
[[Category:日本の音風景100選]] | 2003-04-20T08:57:51Z | 2023-11-18T03:54:16Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9B%AA%E5%B1%B1 |
7,021 | トムラウシ山 | トムラウシ山(富村牛山、富良牛山)は、北海道中央部、上川管内美瑛町と十勝管内新得町の境にそびえる大雪山系南部の標高2,141 mの山。「大雪の奥座敷」と称される。地元では昔から「カムイミンタラ」(神々の遊ぶ庭)として崇められてきた。深田久弥の『日本百名山』に選定されている。
約30万年前から後期更新世に活動した火山で、山頂付近の溶岩は完新世に噴出した可能性が指摘されている。山頂には南西開きの直径約200 mの火口のほか、周辺には複数の溶岩ドームや噴火口がある。麓の新得町側にはトムラウシ温泉がある。
「トムラウシ」とは、アイヌ語の「トㇺラ・ウㇱ・イ」(緑色の藻の一種が群生するところ)に由来するとされ、本来はこの山を源流とするトムラウシ川を指した地名である。国土地理院の一等三角点の名称は「富良牛山」と記されているが、これは「トムラウシ」に当て字したものである。
奥深い山である故に、広大な花畑や湖沼などの大自然が荒らされることなく残っている。山の上部は森林限界のハイマツ帯で、池塘や沼が点在し高山植物が群生している箇所がある。山腹北面の溶岩台地には大きな岩が積み重なった「ロックガーデン」と呼ばれる一帯があり、ナキウサギの生息地になっている。ロックガーデンの北側も岩が点在する一帯で「日本庭園」と呼ばれており、チングルマやエゾノツガザクラなどの高山植物が見られる。山頂の直下には北側に北沼、南西部に南沼があり、イワヒゲ、エゾコザクラ、コマクサなどの高山植物が見られる。南沼から南に下っていくと「トムラウシ公園」と呼ばれる一帯があり、エゾノハクサンイチゲなどの高山植物が見られる。山域は1934年(昭和5年)に大雪山国立公園の特別保護地区に指定された。
1926年(大正15年)5月に、北海道大学山岳部のパーティーが積雪期の初登頂をした。
登山ルートは、新得町のトムラウシ温泉から、東川町の天人峡温泉から、北より白雲岳・忠別岳を経てくる縦走路などがあるが、奥深い山であるため、最短ルートであるトムラウシ温泉短縮登山口からのコースを用いても山頂まで往復8時間半ほどかかり、山小屋などの設備も少ない。その上、天候が崩れると夏でも体感温度が氷点下まで下がることがあり、これによる気象遭難事故もたびたび起きている。
登山道周辺には、避難小屋とキャンプ指定地がある。最寄りの山小屋は、無人のヒサゴ沼避難小屋で、南のトムラウシ温泉には国民宿舎東大雪荘がある。
夏場でも3件の死亡事故例が報告されている。
大雪山の白雲岳と忠別岳を経て、オプタテシケ山と十勝岳へ延びる稜線上にある。忠別岳との間には、五色岳 (1,868 m) と化雲岳 (1,954 m) があり、オプタテシケ山との間には、ツリガネ山 (1,708 m) とコスマヌプリ (1,626 m) がある。山頂から南東2.3 kmの位置には、前トムラウシ山 (1,649 m) がある。
以下の河川が当山を源流とし、それぞれ石狩湾と太平洋に流れる。 | [
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] | トムラウシ山(富村牛山、富良牛山)は、北海道中央部、上川管内美瑛町と十勝管内新得町の境にそびえる大雪山系南部の標高2,141 mの山。「大雪の奥座敷」と称される。地元では昔から「カムイミンタラ」(神々の遊ぶ庭)として崇められてきた。深田久弥の『日本百名山』に選定されている。 | {{Infobox 山
|名称 = トムラウシ山
|画像 = [[ファイル:Mount Tomuraushi from Kaundaira.jpg|300px]]
|画像キャプション = [[化雲岳|化雲平]]から望むトムラウシ山
|標高 = 2,141.19<ref name="kijun">{{Cite web|和書|url=https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/top.html|title=基準点成果等閲覧サービス|publisher=[[国土地理院]]|accessdate=2011-04-06}}</ref>
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|所在地 = {{JPN}} [[北海道]]<br />[[上川総合振興局]][[上川郡 (石狩国)|上川郡]][[美瑛町]]・<br />[[十勝総合振興局]][[上川郡 (十勝国)|上川郡]][[新得町]]
|山系 = [[大雪山|大雪山系]]([[石狩山地]])
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|地図 = {{Location map|Japan Hokkaido#Japan|relief=1|coordinates={{Coord|43.5272|142.8489}}|caption=|width=300}}トムラウシ山の位置{{日本の位置情報|43|31|38|142|50|56|トムラウシ山(旭川) |43.5272,142.8489|トムラウシ山|nocoord=yes}}
}}
[[ファイル:Tomuraushi-Chubetsu Volcano Group, SRTM-1.jpg|thumb|トムラウシ・忠別火山群の地形図]]
'''トムラウシ山'''(富村牛山、富良牛山)は、[[北海道]]中央部、[[上川総合振興局|上川管内]][[美瑛町]]と[[十勝総合振興局|十勝管内]][[新得町]]の境にそびえる[[大雪山]]系南部の[[標高]]2,141 [[メートル|m]]の[[山]]。「大雪の奥座敷」と称される。地元では昔から「カムイミンタラ」(神々の遊ぶ庭)として崇められてきた<ref name="tomuraushiyamareport">[http://www.jfmga.com/pdf/tomuraushiyamareport.pdf トムラウシ山遭難事故 調査報告書] トムラウシ山遭難事故調査特別委員会]</ref>。[[深田久弥]]の『[[日本百名山]]』に選定されている<ref>{{Cite book|和書|author=深田久弥|authorlink=深田久弥|year=1982|title=日本百名山|publisher=[[朝日新聞社]]|isbn=4-02-260871-4}}</ref>。
== 概要 ==
約30万年前から[[後期更新世]]に活動した火山で、山頂付近の溶岩は[[完新世]]に噴出した可能性が指摘されている<ref>及川輝樹 (2019) 日本火山学会講演予稿集</ref>。山頂には南西開きの直径約200 mの火口のほか、周辺には複数の[[溶岩ドーム]]や[[噴火口]]がある。麓の新得町側には[[トムラウシ温泉]]がある。
「トムラウシ」とは、[[アイヌ語]]の「トㇺラ・ウㇱ・イ」(緑色の藻の一種が群生するところ)に由来するとされ、本来はこの山を源流とするトムラウシ川を指した地名である<ref>{{Cite book|和書|year=2008|month=3|title=アイヌ語地名で旅する北海道|publisher=朝日新聞社|pages=88-94}} [[ASIN]] 4022732032</ref>。[[国土地理院]]の一等[[三角点]]の名称は「'''富良牛山'''」と記されている<ref name="kijun" />が、これは「トムラウシ」に[[当て字]]したものである。
奥深い山である故に、広大な花畑や湖沼などの大自然が荒らされることなく残っている。山の上部は[[森林限界]]の[[ハイマツ]]帯で、[[池塘]]や沼が点在し[[高山植物]]が群生している箇所がある。山腹北面の溶岩台地には大きな岩が積み重なった「ロックガーデン」と呼ばれる一帯があり、[[ナキウサギ]]の生息地になっている。ロックガーデンの北側も岩が点在する一帯で「日本庭園」と呼ばれており、[[チングルマ]]や[[エゾノツガザクラ]]などの高山植物が見られる。山頂の直下には北側に北沼、南西部に南沼があり、[[イワヒゲ]]、[[ハクサンコザクラ|エゾコザクラ]]、[[コマクサ]]などの高山植物が見られる。南沼から南に下っていくと「トムラウシ公園」と呼ばれる一帯があり、[[エゾノハクサンイチゲ]]などの高山植物が見られる。山域は1934年(昭和5年)に[[大雪山国立公園]]の特別保護地区に指定された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.env.go.jp/park/daisetsu/intro/index.html|title=大雪山国立公園紹介|publisher=[[環境省]]自然環境局|accessdate=2011-04-06}}</ref>。
== 登山 ==
[[ファイル:Phyllodoce caerulea001.jpg|thumb|大雪山系で見られる[[エゾノツガザクラ]]]]
[[ファイル:Primula cuneifolia in Midoridake Hokkaido 2006-8-5.jpg|thumb|大雪山系で見られる[[エゾコザクラ]]]]
[[1926年]](大正15年)5月に、[[北海道大学]]山岳部のパーティーが積雪期の初登頂をした<ref name="y1000">{{Cite book|和書|year=1992|month=8|title=日本の山1000|publisher=[[山と溪谷社]]|isbn=4635090256|page=23}}</ref>。
登山ルートは、新得町のトムラウシ温泉から、[[東川町]]の[[天人峡温泉]]から、北より白雲岳・[[忠別岳]]を経てくる縦走路などがあるが、奥深い山であるため、最短ルートであるトムラウシ温泉短縮登山口からのコースを用いても山頂まで往復8時間半ほどかかり<ref name="shintokupolice">{{Cite web|和書|url=http://www.shintoku-syo.police.pref.hokkaido.lg.jp/kakuka/chiiki/tomuraannzennmappu.pdf|title=トムラウシ山安全マップ|publisher=[[新得警察署]]|format=PDF|accessdate=2016-02-06}}</ref>、[[山小屋]]などの設備も少ない。その上、天候が崩れると夏でも[[体感温度]]が[[氷点下]]まで下がることがあり<ref name="shintokupolice" />、これによる[[遭難|気象遭難事故]]もたびたび起きている。
=== 周辺の施設 ===
登山道周辺には、[[山小屋#日本の無人小屋、避難小屋|避難小屋]]と[[キャンプ]]指定地がある<ref>{{Cite book|和書|year=2010|month=12|title=山と溪谷2011年1月号付録(山の便利手帳2011)|publisher=山と溪谷社|pages=74-76}} [[ASIN]] B004DPEH6G</ref>。最寄りの山小屋は、無人の[[ヒサゴ沼避難小屋]]で、南のトムラウシ温泉には[[国民宿舎]]東大雪荘がある。
{| class="wikitable"
|-
!名称
!所在地
![[標高]]<br />(m)
!トムラウシ山からの<br />方角と[[距離]] ([[キロメートル|km]])
!収容<br />人数
!キャンプ<br />指定地
!備考
|-
|白雲岳避難小屋
|白雲岳の南東の肩
|1,990
|{{direction2|N}} 15.5
|<Div Align="right">60</Div>
|[[テント]]80張
|夏期のみ管理人常駐
|-
|忠別岳避難小屋
|忠別岳と五色岳の中間点東
|1,620
|{{direction2|NE}} 6.9
|<Div Align="right">30</Div>
|テント15張
|無人
|-
|ヒサゴ沼避難小屋
|ヒサゴ沼畔
|1,600
|{{direction2|NE}} 3.0
|<Div Align="right">30</Div>
|テント30張
|無人
|-
|南沼キャンプ指定地
|山頂南西直下
|1,950
|{{direction2|SW}} 0.7
|
|テント20張
|
|-
|国民宿舎東大雪荘
|トムラウシ温泉
|650
|{{direction2|S}} 7.6
|<Div Align="right">118</Div>
|
|通年営業、登山口
|-
|トムラウシ自然休養林野営場
|東大雪荘の西
|680
|{{direction2|S}} 7.6
|
|テント150張
|
|}
=== 遭難事故 ===
夏場でも3件の死亡事故例が報告されている。
* [[2002年]]7月11日、4名と8名のパーティー2組が台風6号による[[嵐|暴風雨]]で遭難。山中に足止めされ、2日後に救出されたものの、2名の女性が[[脳梗塞]]と[[低体温症]]で死亡した。事故を発生させたガイドは[[業務上過失致死]]で起訴され、[[2004年]]10月5日に[[旭川地方裁判所]]はガイドに対し、[[禁固]]8か月([[執行猶予]]3年)の判決を下した<ref>{{cite thesis|和書|chapter=|title=ツアー登山の形態と安全性 Style and safety of mountaineering tour|url=http://www.imsar-j.org/images/stories/mizote/mizo7.pdf|author=溝手康史|year=2009|publisher=日本山岳サーチ・アンド・レスキュー研究機構|accessdate=2023-06-18|language=ja}}</ref>。詳しくは[[トムラウシ山遭難事故 (2002年)]] を参照。
* [[2009年]]7月16日、中高年のグループ18人(うちガイド3人)が天候急変による低体温症で遭難し、ガイド1人や他の単独登山者1人と合わせて9名が死亡する遭難事故が発生した<ref>[https://web.archive.org/web/20090720070203/http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/177700.html 大雪山系で遭難、10人死亡]([[北海道新聞]]、2009年7月17日)</ref>。詳しくは[[トムラウシ山遭難事故]]を参照。
* [[2015年]]7月8日、単独で登山していた68歳男性が北沼付近で倒れているのが発見され、収容後に死亡が確認された。凍死とみられている<ref>[https://web.archive.org/web/20150710164352/http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0154483.html 北海道・トムラウシ山、登山の男性死亡 宮城の68歳] 北海道新聞、2015年7月8日</ref>。
== 地理 ==
=== 周辺の山 ===
大雪山の白雲岳と忠別岳を経て、[[オプタテシケ山]]と[[十勝岳]]へ延びる稜線上にある。忠別岳との間には、五色岳 (1,868 m) と[[化雲岳]] (1,954 m) があり、オプタテシケ山との間には、ツリガネ山 (1,708 m) とコスマヌプリ (1,626 m) がある。山頂から南東2.3 kmの位置には、前トムラウシ山 (1,649 m) がある。
{| class="wikitable"
!山容
!山名
!標高<br /> (m)
!三角点等級<br />基準点名<ref name="kijun" />
!トムラウシ山からの<br />方角と距離 (km)
!備考
|-
|[[ファイル:Daisetsuzan-asahidake.jpg|100px|姿見から望む旭岳]]
|[[旭岳]]
|2,290.89
|一等<br />「瓊多窟」
|{{direction2|N}} 15.2
|[[各都道府県の最高峰|北海道の最高峰]]<br />日本百名山
|-
|[[ファイル:Mount Ishikari from Nipesotsu-Maruyama Volcanic Group 2005-08-17.jpg|100px|ニペソツ山から望む石狩岳]]
|[[石狩岳]]
|1,967
|
|{{direction2|E}} 14.2
|[[日本二百名山]]
|-
|[[ファイル:Mount Chubetsu and Chubetsu-numa.jpg|100px|忠別沼北側から望む忠別岳]]
|[[忠別岳]]
|1,962.75
|二等<br />「忠別岳」
|{{direction2|NE}} 8.0
|
|- style="background-color:#ccc"
|[[ファイル:Mount Tomuraushi from Kaundaira.jpg|100px|化雲平から望むトムラウシ山]]
|'''トムラウシ山'''
|2,141.19
|一等<br />「富良牛山」
|{{direction2|O}} 0
|日本百名山
|-
|[[ファイル:Nipesotsuyama from Tengudake 2005-8-17.jpg|100px|天狗岳から望むニペソツ山]]
|[[ニペソツ山]]
|2,012.88
|三等<br />「二塀卒山」
|{{direction2|SE}} 16.8
|日本二百名山
|-
|[[ファイル:Oputateshikeyama and Bieifuji from Bieidake 2005-8-15.jpg|100px|美瑛岳から望むオプタテシケ山と美瑛富士]]
|[[オプタテシケ山]]
|2,012.48
|三等<br />「美瑛岳」
|{{direction2|SW}} 10.1
|[[日本三百名山]]
|-
|[[ファイル:Mount Tokachi from Mount Biei 1998-8-9.jpg|100px|美瑛岳から望む十勝岳]]
|[[十勝岳]]
|2,077
|
|{{direction2|SW}} 17.9
|日本百名山
|}
=== 源流とする河川 ===
以下の[[河川]]が当山を源流とし、それぞれ[[石狩湾]]と[[太平洋]]に流れる。
* クワウンナイ川([[石狩川]]水系[[忠別川]]の[[支流]])
* トムラウシ川、パンケトムラウシ川、カムイサンケナイ川、ユウトウムラウシ川([[十勝川]]の支流)
== ギャラリー ==
<gallery widths="200" heights="140">
ファイル:Tomurausi.jpg|[[美瑛町]]から望むトムラウシ山
ファイル:Tomuraushi and Kitanuma 2006-8-26.jpg|北沼とトムラウシ山
ファイル:Taisetsuzan and Kitanuma from Tomuraushi 2006-8-26.jpg|山頂から望む北沼と大雪山
ファイル:Mount Tomuraushi Rock Garden.jpg|ロックガーデン
ファイル:初雪のトムラウシ公園2.jpg|トムラウシ公園と右奥に十勝岳連峰
ファイル:石狩岳からのトムラウシ山と沼ノ原2.jpg|石狩岳からのトムラウシ山と沼ノ原
ファイル:ニペソツ山からモルゲンロートに染まるトムラウシ山.jpg|ニペソツ山からのトムラウシ山
</gallery>
== テレビ番組 ==
* 『日本百名山 トムラウシ』[[NHK衛星第2テレビジョン]]、1994年9月13日放送<ref>{{Cite web|和書|url=http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10001200999409130130142/?n=7&q=%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B7&o=1&np=100&or=t|title=NHKアーカイブス保存番組詳細 日本百名山 トムラウシ(1994年9月13日放送)|publisher=[[日本放送協会|NHK]]|accessdate=2011-04-06}}</ref>
* 「さわやか自然百景 大雪山系 トムラウシ山」[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]『[[さわやか自然百景]]』、2001年8月12日放送<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nhk.or.jp/sawayaka/tomuraushi.html|title=さわやか自然百景 (2001年8月5日放送)|publisher=NHK|accessdate=2011-04-06}}</ref>
* 『クローズアップ現代 “夏山の惨事”はなぜ起きた (No.2771)』NHK総合テレビ『[[クローズアップ現代]]』、2009年7月23日放送<ref>{{Cite web|和書|url=http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2771&ct=%E5%B1%B1|title=クローズアップ現代 (2009年7月23日放送)|publisher=NHK|accessdate=2011-04-06}}</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|year=2010|month=7|title=トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか|publisher=[[山と渓谷|山と溪谷社]]|isbn=9784635140140}}
* {{Cite book|和書|year=2010|month=2|title=改訂版 北海道の山|series=新・分県登山ガイド・改訂版|publisher=山と溪谷社|pages=52-55|isbn=9784635023504}}
* {{Cite book|和書|year=2011|month=3|title=大雪山 十勝岳・幌尻岳|series=山と高原地図2011年版|publisher=[[昭文社]]|isbn=9784398757432}}
* {{Cite book|和書|year=2008|month=3|title=アイヌ語地名で旅する北海道|publisher=[[朝日新聞社]]|pages=88-94|isbn=4022732032}}
== 関連項目 ==
* [[石狩山地]]
* [[一等三角点百名山]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Mount Tomuraushi}}
* [https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/B40.html 日本の火山 トムラウシ・忠別火山群] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
{{大雪山}}
{{日本百名山}}
{{一等三角点百名山}}
{{北海道百名山}}
{{北海道の百名山}}
{{デフォルトソート:とむらうしやま}}
[[Category:山岳名目録]]
[[Category:北海道の火山]]
[[Category:大雪山の山]]
[[Category:美瑛町の地理]]
[[Category:新得町の地理]]
[[Category:日本百名山]]
[[Category:成層火山]]
[[Category:2000メートル峰]] | 2003-04-20T08:58:06Z | 2023-10-21T13:33:50Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B7%E5%B1%B1 |
7,022 | 十勝岳 | 十勝岳(とかちだけ)は、北海道の中央部の上川管内の美瑛町・上富良野町、十勝管内の新得町にまたがる標高2,077 mの活火山。大雪山国立公園内の十勝岳連峰(十勝火山群)の主峰である。深田久弥による日本百名山に掲載されているほか、花の百名山にも選定されている。山頂の西北西の前十勝にある62-II火口からは盛んに噴煙が上がり、山頂付近は火山灰に覆われている。十勝岳避難小屋と山頂の中間には昭和火口、西の三段山の南には安政火口がある。
十勝川の源流であることが、山名の由来とされている。
十勝火山群は新生代第三紀末に起こった大規模な火山活動による火山岩、さらに第四紀前期、約100万年前ころまでに噴出した流紋岩・デイサイト質溶結凝灰岩などが、約1,200 mの標高で広大な基盤岩を形づくった。
約50万年前から、まず南西部で前富良野岳・富良野岳など苦鉄質安山岩質成層火山が現れた。次いで北東部の美瑛岳・オプタテシケ山・上ホロカメットク山など安山岩質の成層火山が形成されたのち、現在の十勝岳の主体をなす安山岩質の溶岩円頂丘が生じた。
その後十勝火山群は休息期に入ったが、約1万年前に活動を再開した。この新期の活動はまず美瑛富士などの成層火山の形成に始まった。ついで十勝岳に新火口を開いていくことになる。活動最盛期の約3,000年前に溶岩を流出させて生じた山頂北西のグラウンド火口は、約2,200年前には北西山麓の白金温泉にまで到達する大規模な火砕流と溶岩流を発生させた。その後グラウンド火口に生じた中央火口丘や、摺鉢火口・北向火口・焼山火口などの新火口から溶岩流があった。これらの活動の噴出物は苦鉄質安山岩が主であり、十勝岳の北〜北西斜面を覆う形になっている。また、過去2,000年間では、1回/250年の頻度で規模の大きな泥流を発生させている。
冬場に火山活動が活発化した場合、融雪により大規模な泥流、土石流の発生が見込まれる。発生が懸念される泥流規模は極めて大きく、流下を完全に防ぐことは難しいことから、白金温泉の高台には避難所が設置されている。地震計、空震計、GPS観測点などのテレメトリー観測、治山事業、砂防事業、被災範囲や避難経路などを整理したハザードマップの整備が進められている。
1920年(大正9年)3月27日に、北海道大学スキー部が積雪期初登頂した。田中澄江は花の百名山の著書で、この山と登山道に咲く高山植物のイワブクロなどを紹介した。
十勝岳の登山ルートは多様である。望岳台、吹上温泉、十勝岳温泉など比較的高い標高まで舗装道路が整備されており、また山容も比較的なだらかで夏は一般登山者でも容易に登頂することができる。そのため、大雪青少年交流の家で宿泊学習を行う高校生などの集団登山によく利用されている。一方で積雪期の新得町側からの入山や各山からの縦走は難易度が高く、熟練した登山者が挑むにも適した山である。三つの主要な登山道がある。
火口付近の一部は、現在も300度を超える高温となっている。立ち入り規制に従うのは当然のこと、状況に応じて引き返す判断も求められる。
周辺に以下の無人避難小屋がある。
中央火口丘付近からは良質な硫黄が採掘されていた。
1926年の噴火直前には、東京平山硫黄鉱業株式会社が鉱山を運営。3つの鉱区が請負人制度の下で稼働しており、人夫の多くは九州地方から訪れていた。採掘期間は積雪のためおおよそ6月から10月に限られていた。
1962年噴火では再び採掘施設が破壊され、また大正火口の噴気孔の大半が噴石で埋没したことを契機に、廃鉱となっている。
2019年7月、十勝岳噴火に関する美瑛町の2基及び上富良野町の7基の石碑が自然災害伝承碑として国土地理院のウェブ地図に公開された。
以下の源流の河川が、石狩湾と太平洋に流れる。 | [
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"text": "十勝川の源流であることが、山名の由来とされている。",
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"text": "十勝火山群は新生代第三紀末に起こった大規模な火山活動による火山岩、さらに第四紀前期、約100万年前ころまでに噴出した流紋岩・デイサイト質溶結凝灰岩などが、約1,200 mの標高で広大な基盤岩を形づくった。",
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"text": "約50万年前から、まず南西部で前富良野岳・富良野岳など苦鉄質安山岩質成層火山が現れた。次いで北東部の美瑛岳・オプタテシケ山・上ホロカメットク山など安山岩質の成層火山が形成されたのち、現在の十勝岳の主体をなす安山岩質の溶岩円頂丘が生じた。",
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"text": "その後十勝火山群は休息期に入ったが、約1万年前に活動を再開した。この新期の活動はまず美瑛富士などの成層火山の形成に始まった。ついで十勝岳に新火口を開いていくことになる。活動最盛期の約3,000年前に溶岩を流出させて生じた山頂北西のグラウンド火口は、約2,200年前には北西山麓の白金温泉にまで到達する大規模な火砕流と溶岩流を発生させた。その後グラウンド火口に生じた中央火口丘や、摺鉢火口・北向火口・焼山火口などの新火口から溶岩流があった。これらの活動の噴出物は苦鉄質安山岩が主であり、十勝岳の北〜北西斜面を覆う形になっている。また、過去2,000年間では、1回/250年の頻度で規模の大きな泥流を発生させている。",
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"text": "冬場に火山活動が活発化した場合、融雪により大規模な泥流、土石流の発生が見込まれる。発生が懸念される泥流規模は極めて大きく、流下を完全に防ぐことは難しいことから、白金温泉の高台には避難所が設置されている。地震計、空震計、GPS観測点などのテレメトリー観測、治山事業、砂防事業、被災範囲や避難経路などを整理したハザードマップの整備が進められている。",
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"text": "1920年(大正9年)3月27日に、北海道大学スキー部が積雪期初登頂した。田中澄江は花の百名山の著書で、この山と登山道に咲く高山植物のイワブクロなどを紹介した。",
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"text": "火口付近の一部は、現在も300度を超える高温となっている。立ち入り規制に従うのは当然のこと、状況に応じて引き返す判断も求められる。",
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"text": "以下の源流の河川が、石狩湾と太平洋に流れる。",
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}
] | 十勝岳(とかちだけ)は、北海道の中央部の上川管内の美瑛町・上富良野町、十勝管内の新得町にまたがる標高2,077 mの活火山。大雪山国立公園内の十勝岳連峰(十勝火山群)の主峰である。深田久弥による日本百名山に掲載されているほか、花の百名山にも選定されている。山頂の西北西の前十勝にある62-Ⅱ火口からは盛んに噴煙が上がり、山頂付近は火山灰に覆われている。十勝岳避難小屋と山頂の中間には昭和火口、西の三段山の南には安政火口がある。 | {{Otheruses|十勝岳連峰の十勝岳|日高山脈の山|十勝岳 (日高山脈)}}
{{Infobox 山
|名称 = 十勝岳
|画像 = [[ファイル:Mount Tokachi from Mount Biei 1998-8-9.jpg|300px]]
|画像キャプション = 美瑛岳から望む噴煙をあげる十勝岳
|標高 = 2,077<ref name="chizu">[http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=432505&l=1424111 地図閲覧サービス 2万5千分1地形図名:十勝岳(旭川)]([[国土地理院]]、2010年12月11日閲覧)</ref>
|座標 = {{Coord|43|25|05|N|142|41|11|E|type:mountain_region:JP-01|display=inline,title}}<ref name="hyoko">[https://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/kihonjohochousa41139.html 日本の主な山岳標高:北海道]([[国土地理院]]、2010年12月30日閲覧)</ref>
|所在地 = {{JPN}} [[北海道]]<br />[[上川総合振興局]][[美瑛町]]・[[上富良野町]]、<br />[[十勝総合振興局]][[新得町]]
|山系 = [[石狩山地]]([[十勝岳連峰]])
|種類 = [[成層火山]]・[[活火山]](ランクA)・火山群
|初登頂 =
|地図 = {{Location map|Japan Hokkaido#Japan|relief=1|coordinates={{Coord|43.418056|142.686389}}|caption=|width=300}}{{日本の位置情報|43|25|05|142|41|11|十勝岳|43.418056,142.686389|十勝岳|nocoord=yes}}
}}
[[File:Tokachidake Volcano Group Relief Map, SRTM-1.jpg|thumb|十勝岳火山群の地形図]]
'''十勝岳'''(とかちだけ)は、[[北海道]]の中央部の[[上川総合振興局|上川管内]]の[[美瑛町]]・[[上富良野町]]、[[十勝総合振興局|十勝管内]]の[[新得町]]にまたがる[[標高]]2,077 [[メートル|m]]の[[活火山]]。[[大雪山国立公園]]<ref>[https://www.env.go.jp/park/daisetsu/intro/index.html 大雪山国立公園の紹介]、[[1934年]][[12月4日]]に、山域は大雪山国立公園の特別保護地区に指定される([[環境省]]、2010年12月11日閲覧)</ref>内の'''十勝岳連峰'''([[十勝火山群]])の主峰である。[[日本百名山|深田久弥による日本百名山]]に掲載されている<ref>{{Cite book|和書 |author=深田久弥|authorlink=深田久弥 |year=1982 |title=日本百名山 |publisher=[[朝日新聞社]] |isbn=4-02-260871-4}}</ref>ほか、[[花の百名山]]<ref name="hana">[[田中澄江]]の著書『花の百名山』([[文春文庫]]、ISBN 4-16-352790-7)</ref>にも選定されている。山頂の西北西の前十勝にある62-Ⅱ火口からは盛んに[[噴煙]]が上がり、山頂付近は[[火山灰]]に覆われている。十勝岳避難小屋と山頂の中間には昭和火口、西の三段山の南には安政火口がある<ref name="chizu" />。
== 山名の由来 ==
{{See also|十勝国|十勝川}}
[[十勝川]]の源流であることが、山名の由来とされている<ref name="y1000">『日本の山1000』[[山と渓谷社]]、1992年、ISBN 4-635-09025-6</ref>。
== 火山活動 ==
=== 形成過程 ===
[[十勝火山群]]は[[新生代]][[第三紀]]末に起こった大規模な火山活動による[[火山岩]]、さらに[[第四紀]]前期、約100万年前ころまでに噴出した[[流紋岩]]・[[デイサイト]]質溶結凝灰岩などが、約1,200 mの標高で広大な基盤岩を形づくった。
約50万年前から、まず南西部で[[前富良野岳]]・[[富良野岳]]など苦鉄質安山岩質[[成層火山]]が現れた。次いで北東部の[[美瑛岳]]・[[オプタテシケ山]]・[[上ホロカメットク山]]など[[安山岩]]質の[[成層火山]]が形成されたのち、現在の十勝岳の主体をなす安山岩質の[[溶岩円頂丘]]が生じた。
その後十勝火山群は休息期に入ったが、約1万年前に活動を再開した。この新期の活動はまず[[美瑛富士]]などの成層火山の形成に始まった。ついで十勝岳に新火口を開いていくことになる。活動最盛期の約3,000年前に溶岩を流出させて生じた山頂北西のグラウンド火口は、約2,200年前には北西山麓の白金温泉にまで到達する大規模な[[火砕流]]と[[溶岩流]]を発生させた。その後グラウンド火口に生じた[[中央火口丘]]や、摺鉢火口・北向火口・焼山火口などの新火口から溶岩流があった。これらの活動の噴出物は苦鉄質安山岩が主であり、十勝岳の北〜北西斜面を覆う形になっている。また、過去2,000年間では、1回/250年の頻度で規模の大きな泥流を発生させている<ref name=sabo1973.60.5_23>南里智之、槇納智裕、米川康 [https://doi.org/10.11475/sabo1973.60.5_23 十勝岳・富良野川における火山泥流発生履歴に関する研究] 砂防学会誌 60巻 (2007-2008) 5号 p.23-30, {{doi|10.11475/sabo1973.60.5_23}}</ref>。
=== 噴火史 ===
; 安政噴火・明治噴火
: 十勝岳の[[噴火]]活動が[[和人]]の文献記録に初めて登場するのは1857年([[安政]]4年)のことである。この年、松田市太郎なる人物が[[石狩川]]水源踏査の帰途に十勝岳に登頂したとの記録があり、この中で硫気活動についても触れている。[[松浦武四郎]]は6月2日「山半腹にして火脈燃立て黒烟刺上るを見る」と記している。
: 1887年([[明治]]20年)の噴火は黒煙を噴出し、周辺に降灰したと記録されている。
; 大正噴火
{{main|1926年の十勝岳噴火}}
: 1923年、溶融[[硫黄]]の沼を出現させ活動を再開した。 1925年2月頃より小規模な噴火を繰り返していたが次第に活発化し、1926年5月からは小火口を形成するなど大規模な噴火が発生した。中でも5月24日12時ごろにグラウンド火口の中央火口丘西側で発生した[[水蒸気爆発|水蒸気噴火]]では、小規模な[[ラハール|火山泥流]]が発生して現在の望岳台付近まで流下した。5月24日16時18分<ref name=sabo1948.18.3_14>村野義郎、[https://doi.org/10.11475/sabo1948.18.3_14 十勝岳の土石流について] 新砂防 18巻 (1965-1966) 3号 p.14-23, {{doi|10.11475/sabo1948.18.3_14}}</ref>の2回目の大規模な水蒸気噴火により中央火口丘の西半分が崩壊、これにより生じた岩屑なだれは噴火から約3分で火口から2.4 kmの地点にあった硫黄鉱山の平山鉱業所宿舎を推定速度 40 m/sで飲み込み<ref name=sabo1948.18.3_14 />、さらに山頂付近の残雪を融かしてさらに大きな火山泥流を発生させた。この火山泥流は[[美瑛川]]と[[富良野川]]を一気に流下し、20分で約25 km離れた上富良野市街に到達した<ref name=prohe1975.33.361 />。泥流により、死者・行方不明者144人という大被害が出た。このときの噴火を描いた小説として、[[三浦綾子]]の『[[泥流地帯]]』<ref>『泥流地帯』三浦綾子(著)、[[新潮文庫]]、ISBN 4-10-116206-9</ref>及び『[[続・泥流地帯]]』<ref>『続・泥流地帯』三浦綾子(著)、新潮文庫、ISBN 4-10-116207-7</ref>がある。
: 宮本(1989)らの計算<ref name=prohe1975.33.361>宮本邦明、鈴木宏、山下伸太郎、水山高久、[https://doi.org/10.2208/prohe1975.33.361 「十勝岳大正15年 (1926年) 泥流の再現計算」] 水理講演会論文集 33巻 (1989) p.361-366, {{doi|10.2208/prohe1975.33.361}}</ref>によれば、火口壁の崩壊により 2.0 × 10{{sup|6}} m{{sup|3}}の土砂が生じ、融雪水と混合し流下した土砂は 3.1 × 10<sup>6</sup> m{{sup|3}}。それが 3:7(715:2385) の比率で美瑛川と富良野川に流れ込んだ。流下に伴って流域の土砂を巻き込み、美瑛川白金温泉付近で 4.76 × 10{{sup|6}} m{{sup|3}}、富良野川 標高700m 付近で 10.26 × 10{{sup|6}} m{{sup|3}} まで増加し、美瑛市街と上富良野町(5.1 × 10{{sup|6}} m{{sup|3}}を堆積<ref name=sabo1973.60.5_23 />)に被害を与えた<ref name=prohe1975.33.361 />。
[[File:Mount Tokachi 1962 eruption.jpg|thumb|1962年]]
; 1962年噴火
: 1952年頃から摺鉢火口北西側で噴気が活発となっており(52年噴気孔群または昭和火口群)、直前には地震も頻発していた。1962年6月29日22時40分ころ、中央火口丘南側にあった湯沼火口付近で水蒸気爆発が発生。翌30日2時45分には大規模な[[ブルカノ式噴火]]が発生、噴煙は高度12,000 mにも達した。東側の広い範囲に降灰し、千島列島中部でも降灰が観測された。大正火口付近の磯部硫黄鉱業所施設に火山弾が直撃し、作業員の死者・行方不明者5名、気象台の観測員2名を含む負傷者12名を出した<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=161 |isbn=9784816922749}}</ref>。この噴火は同年8月末には終息し、湯沼火口を通って北西-南東方向に伸びる線上に4つの火口(62-0, 62-1, 62-2, 62-3)を残した。最も活発だった62-2火口は中央火口丘とほぼ同じ高さの[[スコリア丘]]を形成している。1968年、1969年の群発地震以降は一連の活動は次第に沈静化していき、1974年5月ころから、62-1火口からの噴気を再開させるが翌年6月には沈静化する。
: 人的被害とは対照的に、1962年噴火では大正噴火をはるかに上回るエネルギーが放出されている(『十勝岳』(北海道防災会議、1971)参照)。
; 1983〜1987年
:群発地震と小噴火を繰り返す。
; 1988〜89年噴火
: 1988年 群発地震を繰り返し、12月62-2火口から小噴火。
: 1989年 小噴火、群発地震の発生を繰り返す。火砕流、火砕サージ(火砕流の先端部で発生する高温ガス流、熱雲)の発生を確認。周辺140 kmにわたり降灰。美瑛町、上富良野町の住民約300名が一時避難。3月以降、群発地震を伴いつつも噴火降活動は沈静化。
: この噴火により1990年(平成2年)まで入山禁止となった。
;1997年以降
: 空振を伴う火山性地震や噴気を観測するが激しい噴火活動は観察されていない。2004年2月と4月には有色噴煙や振幅の小さな火山性微動を観測。2012年8月および2013年6月には大正火口で発光現象が観察されている<ref>北海道・十勝岳山頂付近の火口、青白く発光 読売新聞 6月10日(月)0時31分配信</ref>。
: 2014年12月、気象庁は噴火警戒レベルを1(平常)から2(火口周辺規制)に引き上げた<ref>[https://www.jma.go.jp/jp/volcano/forecast_01_20141216140010.html 噴火警報・予報: 十勝岳]平成26年12月16日14時00分 札幌管区気象台</ref>。
=== 防災 ===
冬場に火山活動が活発化した場合、融雪により大規模な泥流、[[土石流]]の発生が見込まれる。発生が懸念される泥流規模は極めて大きく、流下を完全に防ぐことは難しいことから、白金温泉の高台には避難所が設置されている。[[地震計]]、空震計、[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]観測点などのテレメトリー観測、[[治山]]事業、[[砂防]]事業、被災範囲や避難経路などを整理した[[ハザードマップ]]の整備が進められている。
== 登山 ==
1920年(大正9年)3月27日に、[[北海道大学]]スキー部が積雪期初登頂した<ref>『目で見る日本登山史・日本登山史年表』山と渓谷社、2005年、ISBN 4-635-17814-5</ref>。[[田中澄江]]は[[花の百名山]]の著書で、この山と登山道に咲く[[高山植物]]の[[イワブクロ]]などを紹介した<ref name="hana" />。
=== 登山道 ===
十勝岳の登山ルートは多様である。[[十勝岳望岳台|望岳台]]、[[吹上温泉 (北海道)|吹上温泉]]、[[十勝岳温泉]]など比較的高い標高まで舗装道路が整備されており、また山容も比較的なだらかで夏は一般登山者でも容易に登頂することができる。そのため、[[大雪青少年交流の家]]で宿泊学習を行う高校生などの集団登山によく利用されている。一方で積雪期の新得町側からの入山や各山からの縦走は難易度が高く、熟練した登山者が挑むにも適した山である。三つの主要な[[登山道]]がある<ref>『山と高原地図 大雪山 十勝岳・幌尻岳』[[昭文社]]、2010年、ISBN 978-4-398-75683-1</ref><ref>『アルペンガイド北海道の山』山と渓谷社、2000年、ISBN 4-635-01301-4</ref>。
[[ファイル:Tokachidake.jpg|thumb|240px|望岳台登山口から望む十勝岳]]
; 望岳台コース
: 望岳台登山口より入山、摺鉢火口を通り、前十勝岳を回り込むようにして登る。大正噴火の泥流跡を登ることとなり最も容易。美瑛岳への分岐の直後に十勝岳[[山小屋|避難小屋]]が設置されていたが、2006年春に積雪により破損した。北海道は予算上建て替えを断念し、2006年9月に解体されたが、その後、美瑛町が2008年10月に旧避難小屋の上手、標高1,330 m付近に避難小屋を再建し、現在は利用可能となっている。
; 三段山コース
: 吹上温泉、あるいは十勝岳温泉より三段山(1,748 m)に登頂し、大砲岩から「馬の背」と呼ばれる部分を通って登頂する。現在では危険なため通行禁止となっている。
; 上ホロカメットク山コース
: 十勝岳温泉より入山し、安政火口から上ホロカメットク山へ登頂、「馬の背」と呼ばれる部分を通って十勝岳へ。
火口付近の一部は、現在も300度を超える高温となっている。立ち入り規制に従うのは当然のこと、状況に応じて引き返す判断も求められる。
=== 周辺の山小屋 ===
周辺に以下の無人[[避難小屋]]がある。
* 十勝岳避難小屋
* 上ホロカメットク避難小屋<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASQC73VQJQBPIIPE00S.html |title=「防弾チョッキ」まとった避難小屋が完成 御嶽山噴火の教訓ふまえて |publisher=朝日新聞DIGITAL |date=2022-11-07|accessdate=2023-08-25}}</ref>
* 美瑛富士避難小屋
=== 十勝岳頂上の碑『光顔巍々』 ===
* 1942年8月26日、十勝岳頂上に石碑建立<ref>[http://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/contents/19shiryo/0030nenhyo/html-hyo/1937-1946.htm 上富良野歴史年表 昭和12(1937)〜21(1946)年] - 町の概要 上富良野町。</ref>。石碑には『紀元二千六百年七月建立』(1942年7月)となっているが、石碑本体を人力で山頂まで上げることが叶わず、四角柱の石碑を三角柱へ半分の大きさに削り、翌月に山頂へ登り上げたため<ref name="1215nakamura">[https://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/hp/saguru/1215nakamura.htm 石碑が語る上富の歴史(その11) 十勝岳頂上の碑『光顔巍々』に関わった人々] - かみふらのの郷土をさぐる会</ref>。
* 碑の揮毫者は、[[大谷光照]]([[浄土真宗]][[西本願寺]]第23世[[法主]])。1937年2月から3月にかけて、大谷が北海道をスキー旅行の折、当地に立ち寄り十勝岳に山スキーにて山頂登頂した記念の書を碑に刻む<ref>[https://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/hp/saguru/1111nakamura.htm 石碑が語る上富の歴史(その10) 十勝岳頂上の碑『光顔巍々』と門上浄照師] - かみふらのの郷土をさぐる会</ref>。
** 浄土真宗の『[[無量寿経|一大無量寿経(大経)]]』の巻上にある讃仏偈の冒頭の句が、光顔巍巍の四文字。後年、大谷本人はこの碑文について「『巍巍』は漢和辞典によれば『富貴高顕の貌とあり、ふくよかで高尚なお顔』とでも解すべきでしょうか。」と解している<ref name="1215nakamura"/>。
<gallery widths="200" heights="140">
File:十勝岳のイワブクロ.jpg|十勝岳の[[イワブクロ]]
File:雲ノ平分岐から見た白金模範牧場.jpg|雲ノ平分岐から見た[[白金模範牧場]]
File:十勝岳避難小屋.jpg|十勝岳避難小屋
File:昭和噴火口付近からの十勝岳.jpg|昭和噴火口付近からの十勝岳
File:摺鉢噴火口.jpg|摺鉢噴火口
File:十勝岳山頂からの景色.jpg|十勝岳山頂からの景色
File:トムラウシ山(南沼キャンプ指定地)からの十勝連峰.jpg|[[トムラウシ山]](南沼キャンプ指定地)からの十勝連峰
File:ニペソツ山(天狗平)からの十勝連峰.jpg|[[ニペソツ山]](天狗平)からの十勝連峰
</gallery>
== 硫黄の採掘 ==
中央火口丘付近からは良質な硫黄が採掘されていた。
1926年の噴火直前には、東京平山硫黄鉱業株式会社が鉱山を運営。3つの鉱区が請負人制度の下で稼働しており、人夫の多くは[[九州]]地方から訪れていた。採掘期間は積雪のためおおよそ6月から10月に限られていた<ref>「安否が心配される平山硫黄鉱業社員ら」『東京朝日新聞』1926年5月27日(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.512 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。
1962年噴火では再び採掘施設が破壊され、また大正火口の噴気孔の大半が噴石で埋没したことを契機に、廃鉱となっている。
== 自然災害伝承碑 ==
2019年7月、十勝岳噴火に関する美瑛町の2基及び上富良野町の7基の石碑が[[自然災害伝承碑]]として国土地理院のウェブ地図に公開された<ref name="gsi2019">{{Cite web|和書|url= https://www.gsi.go.jp/common/000216851.pdf |title= 十勝岳噴火に関する「自然災害伝承碑」を地図で発信 |publisher= 国土地理院北海道地方測量部 |accessdate=2020-01-02}}</ref>。
* 十勝岳爆発記念(石碑)(美瑛町)<ref name="gsi2019" />
* 大正大爆発丸谷温泉遭難者慰霊碑(美瑛町)<ref name="gsi2019" />
* 遭難記念碑(上富良野町)<ref name="gsi2019" />
* 追善記念碑(上富良野町)<ref name="gsi2019" />
* 『泥流地帯』三浦綾子文学碑 (上富良野町)<ref name="gsi2019" />
* 十勝岳爆発惨死者碑(上富良野町)<ref name="gsi2019" />
* 新西国三十三所 観世音菩薩 (上富良野町)<ref name="gsi2019" />
* 遭難記念碑(上富良野町)<ref name="gsi2019" />
* 十勝岳爆発横死者血縁塔(上富良野町)<ref name="gsi2019" />
== 地理 ==
=== 周辺の山 ===
* [[オプタテシケ山]](2,012 m)
* [[美瑛岳]](2,052 m)
* [[上ホロカメットク山]](1,920 m)
* [[富良野岳]](1,912 m)
=== 源流の河川 ===
以下の源流の[[河川]]が、[[石狩湾]]と[[太平洋]]に流れる<ref name="chizu" />。
* [[美瑛川]]
* 富良野川([[空知川]]の[[支流]])
* [[十勝川]]
=== 周辺の施設 ===
* 西麓には、[[白金温泉]]、[[吹上温泉 (北海道)|吹上温泉]]、[[十勝岳温泉]]など名温泉が点在する。
* 国設十勝岳スキー場
** 略史<ref name="tsuyuzaki_ski">[http://hosho.ees.hokudai.ac.jp/~tsuyu/top/link-ski-j.html スキー場斜面生態系に関する情報・リンク] - 露崎史朗 (TSUYUZAKI Shiro, 植物生態学・環境保全学) 北海道大学</ref>
*** 1970年12月 - リフト2基設置しスキー場開設<ref>[http://web2.nazca.co.jp/at345fg/page026.html 美瑛町] - 日本観光史</ref>
*** 1988年12月 - 十勝岳噴火により停止
*** 1993年5月 - リフト建替し、同年12月営業再開
*** 1996年12月 - 営業休止
*** 1999年2月 - 自然公園法に基づき廃止承認される
*** 1999年5月 - リフト撤去
* [[十勝岳望岳台|望岳台]]<ref name="tsuyuzaki_ski"/>
** 美瑛市街地から白金温泉を経た道路の終点・十勝岳中腹、標高900メートル地点にある展望所。
** 現在は、国設十勝岳スキー場のスキーリフトが撤去されたため、5月から10月までの期間開設となる。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist|2}}
== 参考文献 ==
* 高橋正樹・小林哲夫 編『フィールドガイド日本の火山3 北海道の火山』築地書館、1998年
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Mount Tokachi}}
* [[火山の一覧 (日本)#火山噴火予知連絡会による火山ランク|火山の一覧 (日本)・ランクAの火山]]
* [[日本の山一覧]]
* [[日本百名山]]
* [[花の百名山]]
* [[大雪山国立公園]]
* [[絲屋銀行]]
* [[富良野]] - 語源の[[アイヌ語]]「フラヌイ」(臭いのする所)は十勝岳の噴煙に由来するといわれる。
== 外部リンク ==
* [[気象庁]]
**[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sapporo/108_Tokachi/108_index.html 十勝岳]
**[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/open-data/open-data.php?id=108 十勝岳の火山観測データ]
***[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/monthly_v-act_doc/monthly_vact_vol.php?id=108 十勝岳の臨時及び過去の詳細月別火山概況・火山活動解説資料]
***[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sapporo/open-data/data/eq_num_108.html 十勝岳の最近(2ヶ月間)の日別地震回数表]
** [https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版] {{PDF|[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/10_Tokachidake.pdf 十勝岳]}}
* [http://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/B41.html 第四紀火山 十勝岳火山群] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
* [https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1926_tokachi_funka/index.html 報告書(1926 十勝岳噴火)] - 内閣府
* [http://www.volcano.si.edu/volcano.cfm?vn=285050 Tokachidake] - Smithsonian Global Volcanism Program
* 防災
** [https://vivaweb2.bosai.go.jp/v-hazard/L_read/10tokachidake/10tokachi_1m01-L.pdf 十勝岳防災対策のあらまし] - 十勝岳火山防災会議協議会
** [http://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/index.php?id=73 上富良野町の防災対策] - 上富良野町
** [http://town.biei.hokkaido.jp/emergency/tokachidake.html 十勝岳について] - 美瑛町
* [http://www.kamifurano.jp/nature 十勝岳] - かみふらの十勝岳観光協会
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%8B%9D%E5%B2%B3 |
7,023 | 幌尻岳 | 幌尻岳(ぽろしりだけ)は、北海道日高振興局の沙流郡平取町と新冠郡新冠町にまたがる標高2,052 mの山。日高山脈の主峰であるが、その主稜線からはやや西側に外れた位置にある。日高山脈襟裳国定公園に含まれ、山頂には二等三角点(点名「幌尻」)がある。
深田久弥による『日本百名山』に選定されている。山名はアイヌ語で「Poro(大きい)sir(山)」を意味する。
1300万年前の造山活動で生じた。山体上部には第四紀の氷期に形成されたカールが認められ、2007年、「幌尻岳の七つ沼カール」として日本の地質百選に選定された。ナキウサギ、クマゲラなどが生息している。
平取町の二風谷地域などでは遠くから目立つ道しるべ的役割を果たしていたため、古くからカムイとして祀られていた。
標高は従来2,052 mとされていたが、2008年(平成20年)、国土地理院により2,053 mに改定。その後、2014年4月1日の国土地理院『日本の山岳標高一覧-1003山-』の改訂で再び2,052 mとなった。
登山道は平取町側からのルートと新冠町側からのルートに加え、日高町からのルートがあるほか、芽室町から伏美岳・ピパイロ岳経由で登ることもできる。
山頂までの道のりが一番短く、風景が変化に富む平取町側ルートが最も一般的に利用されているが、多数の渡渉を繰り返す難易度の高いルートであるため、幌尻岳が「日本百名山の中で最難関の山」といわれることがある。平取町では、上級者以外の登山者も安全に通行できるルートを新たに開くことを検討していたが、2019年に調査を行った結果、渡渉を回避するルートの新設はきわめて困難であることが判明し、計画を断念している。
平取町豊糠地区にある町営宿泊施設「とよぬか山荘」より、同町が運行するシャトルバスを利用し、糠平・幌尻林道の第2ゲートまで移動する。同林道はかつては自家用車でも通行できたが、2010年(平成22年)、日高北部森林管理署が通行止めにしていたチロロ林道を無断通行してヌカビラ岳に入山した登山者が遭難した事故を契機に、糠平・幌尻林道では翌2011年よりシャトルバスの運行が開始され一般車両は乗り入れ不可となった。したがって、当ルートで山頂を目指す場合は、シャトルバスの利用が必須となる。シャトルバスは予約が必要なほか、悪天候などの場合は運行を取り止めることがある。
林道第2ゲートからスタート後、林道終点の北海道電力(北電)取水施設から額平川沿いに遡上する。雪解け水が多い7月頃は腰まで、水量の減る9月でも膝下程度の深さがある幅5 - 10 mの沢を徒渉するところが十数箇所あるため、沢登りの装備が必要。額平川は水を集めやすいすり鉢状の幌尻岳北カールが水源で、かつ上流部は深い渓谷となっていることから、雨になると短時間で増水し、雨が上がった後でも2 - 3日間通行できなくなる場合もある。増水した沢を無理に渡ろうとした登山者が流されて死亡した事故が起きているほか、滑落・転倒して負傷した登山者、また道迷いや行方不明者も発生している。
額平川の途中にある山小屋「幌尻山荘」から尾根に取り付き、稜線上で新冠町側ルートと合流してすぐ山頂に至る。林道第2ゲートから山頂までの一般的な所要時間は8時間50分である。幌尻山荘から分岐して中戸蔦別岳・戸蔦別岳を経由するコースもある。
このルートは日帰りでの往復は困難なため、途中で幌尻山荘に宿泊することが一般的である。山荘は平取町の所有で、木造2階建て、収容人数約45人。管理は平取町山岳会に委託されており、夏季(7月 - 9月)のみ管理人が常駐する。有料で寝具の貸出しを行っているが、食事の提供はない。受け入れ可能な宿泊者数に限度があるため完全予約制となっている。非常時以外の野営は不可。また、山荘トイレの屎尿は同山岳会や町職員の有志が毎年処理しているが、人手の確保が課題となっており、同山岳会では登山者に任意で一定量を担ぎ下ろしてもらう取組みを2019年(令和元年)より開始し、協力を呼びかけている。
新冠町の新冠林道奥にある山小屋「イドンナップ山荘」からスタートし、奥新冠発電所手前で分岐する林道を新冠川沿いに東進、奥新冠ダムを経由して、山小屋「新冠ポロシリ山荘」まで歩く。山荘から登山道に入り、新冠側支流の幌尻沢沿いに北上した後、尾根に取り付いて山頂に至る。イドンナップ山荘から山頂までの一般的な所要時間は9 - 10時間である。
平取町側と違い徒渉箇所が少なく、天候に左右されにくいルートであるが、登山道に入る前にイドンナップ山荘から新冠ポロシリ山荘までの林道を長時間(約19 km, 約5 - 6時間)歩くことになる。この区間は北電の奥新冠ダム管理用道路であり、北電が許可した車両以外は通行できない。登山者の通行も北電の厚意により認められているものであり、自転車やバイクの利用は禁止されている。本ルートは2017年7月8日にプロアドベンチャーレーサー田中陽希により「幌尻岳新冠陽希コース」と命名されたが、田中が2014年に日本百名山を人力で連続踏破した際にこのルートを通行していることから、他の登山者にも自転車などを使わず自分の足で歩くことを呼びかけることが命名の趣旨にある。
新冠ポロシリ山荘とイドンナップ山荘は地元の新冠ポロシリ山岳会が管理している。ともに避難小屋であり、管理人は常駐していない。食事や寝具などの提供もない。新冠ポロシリ山荘を5名以上の団体が利用する場合は同山岳会へ事前申請し、日程を調整の上で利用許可を受ける手順となっている。また個人や4名以下の団体についても、利用人数把握などのため同山岳会は事前連絡を求めている。非常時以外の野営は不可。
日高町の国道274号から分岐するチロロ林道の終点(千呂露川と二岐沢が合流する地点)にある北電取水施設からスタートし、二岐沢沿いに歩いてから二ノ沢に入り、尾根に取り付いてヌカビラ岳から稜線に出る。北戸蔦別岳・戸蔦別岳を経由し、左手に七つ沼カールを見ながら山頂に至る。チロロ林道終点から山頂までのコースタイムは約10時間である。このルートの途中に山小屋はないため、途中で野営するのが一般的であるが、野営に適した場所は少ない。日帰りで登頂するトレイルランナーもいる。
2021年6月には本ルートで山頂を目指していた登山者が遭難死する事故が発生している。 | [
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"text": "幌尻岳(ぽろしりだけ)は、北海道日高振興局の沙流郡平取町と新冠郡新冠町にまたがる標高2,052 mの山。日高山脈の主峰であるが、その主稜線からはやや西側に外れた位置にある。日高山脈襟裳国定公園に含まれ、山頂には二等三角点(点名「幌尻」)がある。",
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] | 幌尻岳(ぽろしりだけ)は、北海道日高振興局の沙流郡平取町と新冠郡新冠町にまたがる標高2,052 mの山。日高山脈の主峰であるが、その主稜線からはやや西側に外れた位置にある。日高山脈襟裳国定公園に含まれ、山頂には二等三角点(点名「幌尻」)がある。 深田久弥による『日本百名山』に選定されている。山名はアイヌ語で「Poro(大きい)sir(山)」を意味する。 | {{otheruses|日高地方の山|十勝地方の山|十勝幌尻岳}}
{{Infobox 山
|名称 = 幌尻岳
|画像 = [[ファイル:Mt.Poroshiridake from Mt.Tottabetsudake.jpg|300px]]
|画像キャプション = 戸蔦別岳から見た幌尻岳
|標高 = 2,052.<small>80</small><ref name="kaitei">報道発表資料「[http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE/2008-0303.html 北海道全域の三角点標高を改定(2008年3月3日)]」([[国土地理院]]、2011年1月1日閲覧)</ref>
|座標 = {{ウィキ座標2段度分秒|42|43|10|N|142|40|58|E|type:mountain_region:JP-01|display=inline,title}}<ref name="hyoko">[https://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/kihonjohochousa41139.html 日本の主な山岳標高:北海道]([[国土地理院]]、2010年12月30日閲覧)</ref>
|所在地 = {{JPN}}<br />[[北海道]][[日高振興局]][[沙流郡]][[平取町]]・<br />[[新冠郡]][[新冠町]]
|山系 = [[日高山脈]]
|種類 = 褶曲山脈
|初登頂 = [[吉野半平]]([[1913年]])
|地図 = {{Location map|Japan Mapplot|coordinates={{Coord|42.7194|142.6828}}|caption=|width=300}}幌尻岳の位置{{日本の位置情報|42|43|10|142|40|58|幌尻岳|42.7194,142.6828|幌尻岳}}
}}
[[ファイル:Mount Poroshiridake Relief Map, SRTM-1.jpg|サムネイル|幌尻岳周辺の地形図。当山は画像の中心]]
'''幌尻岳'''(ぽろしりだけ)は、[[北海道]][[日高振興局]]の[[沙流郡]][[平取町]]と[[新冠郡]][[新冠町]]にまたがる[[標高]]2,052 [[メートル|m]]<ref name="gsi.go.jp/common/000091073">{{Cite web|和書|url=https://www.gsi.go.jp/common/000091073.pdf|title=標高値を改定する山岳一覧 資料2|format=pdf|website=国土地理院|accessdate=2014-03-26}}</ref><ref group="注釈">GNSS測量等の点検・補正調査による2014年4月1日の国土地理院『日本の山岳標高一覧-1003山-』における改定値。なお、旧版での標高は2,053 m.</ref>の[[山]]。[[日高山脈]]の主峰であるが、その主稜線からはやや西側に外れた位置にある。[[日高山脈襟裳国定公園]]に含まれ、山頂には二等[[三角点]](点名「幌尻」)がある<ref>[https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/top.html 国土地理院 基準点成果等閲覧サービス]</ref>。
[[深田久弥]]による『[[日本百名山]]』に選定されている<ref>{{Cite book|和書|author=深田久弥|authorlink=深田久弥|year=1982|title=日本百名山|publisher=[[朝日新聞社]]|isbn=4-02-260871-4}}</ref>。山名は[[アイヌ語]]で「Poro(大きい)sir(山)」を意味する<ref>北道邦彦『アイヌ語地名で旅する北海道』朝日新聞社、2008年、58ページ。</ref>。
== 概要 ==
1300万年前の[[造山活動]]で生じた。山体上部には[[第四紀]]の[[氷期]]に形成された[[圏谷|カール]]が認められ、2007年、「'''幌尻岳の七つ沼カール'''」として[[日本の地質百選]]に選定された。[[ナキウサギ]]、[[クマゲラ]]などが生息している。
平取町の二風谷地域などでは遠くから目立つ道しるべ的役割を果たしていたため、古くから[[カムイ]]として祀られていた。
標高は従来2,052 mとされていたが、[[2008年]]([[平成]]20年)、[[国土地理院]]により2,053 mに改定<ref name="kaitei" />。その後、2014年4月1日の国土地理院『日本の山岳標高一覧-1003山-』の改訂で再び2,052 mとなった<ref name="gsi.go.jp/common/000091073" />。
== 登山 ==
[[登山道]]は平取町側からのルートと新冠町側からのルートに加え、[[日高町 (北海道)|日高町]]からのルートがあるほか、[[芽室町]]から[[伏美岳]]・[[ピパイロ岳]]経由で登ることもできる。
山頂までの道のりが一番短く、風景が変化に富む平取町側ルート<ref>{{cite news|url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/705750/|title=<触れて楽しむ日高山脈・襟裳>難関の幌尻岳、もっと身近に 19年ぶりの登山会に記者同行|newspaper=[[北海道新聞]]|publisher=北海道新聞社|date=2022-07-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220715001003/https://www.hokkaido-np.co.jp/article/705750/|archivedate=2022-07-15|accessdate=2023-01-08}}</ref>が最も一般的に利用されている<ref name="yamaya">{{Cite web|和書|url=https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=446|title=「日本一遠い百名山」、北海道・幌尻岳。チロロ川沿いのルートから遙かなる山頂へ――|website=[[山と渓谷社|ヤマケイオンライン]]|date=2018-08-14|accessdate=2021-06-12}}</ref>が、多数の渡渉を繰り返す難易度の高いルートであるため、幌尻岳が「日本百名山の中で最難関の山」といわれることがある<ref name="yamaya" /><ref name="oshirase">{{Cite web|和書|url=http://www.town.biratori.hokkaido.jp/wp-content/uploads/2020/11/678a18830d619d6691a020ed963d6496.pdf|title=登山者の皆様へ(重要なお知らせ)|format=PDF|website=平取町|accessdate=2021-06-12}}</ref>。平取町では、上級者以外の登山者も安全に通行できるルートを新たに開くことを検討していたが、2019年に調査を行った結果、渡渉を回避するルートの新設はきわめて困難であることが判明し、計画を断念している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.town.biratori.hokkaido.jp/wp-content/uploads/2015/03/95fe1748f111a9d450033277899c12a1-1.pdf|title=令和2年度町政執行方針|format=pdf|publisher=平取町|accessdate=2021-07-11}}</ref>。
=== 平取町側ルート(振内コース) ===
平取町豊糠地区にある町営宿泊施設「とよぬか山荘」<ref>{{Cite web|和書|url=http://houmu.h-chosonkai.gr.jp/~reikidb/data/167/29/reiki_honbun/a175RG00000091.html|title=平取町豊糠体験宿泊施設「とよぬか山荘」設置条例|publisher=平取町|date=2012-03-09|accessdate=2021-07-11}}</ref>より、同町が運行するシャトルバスを利用し、糠平・幌尻林道の第2ゲートまで移動する<ref name="shuttlebus">{{Cite web|和書|url=http://www.town.biratori.hokkaido.jp/wp-content/uploads/2015/03/climb_02.pdf|title=普通林道糠平・幌尻線内のシャトルバスの利用について|format=PDF|website=平取町公式ウェブサイト|accessdate=2021-06-12}}</ref>。同林道はかつては自家用車でも通行できたが、2010年([[平成]]22年)、日高北部森林管理署が通行止めにしていたチロロ林道を無断通行して[[ヌカビラ岳]]に入山した登山者が遭難した事故を契機に、糠平・幌尻林道では翌2011年よりシャトルバスの運行が開始され一般車両は乗り入れ不可となった<ref name="shuttlebus" />。したがって、当ルートで山頂を目指す場合は、シャトルバスの利用が必須となる<ref name="yoyaku">{{Cite web|和書|url=http://toyonuka.chu.jp/?page_id=15|title=ご予約|website=とよぬか山荘|accessdate=2021-06-12}}</ref>。シャトルバスは予約が必要なほか、悪天候などの場合は運行を取り止めることがある<ref name="shuttlebus" />。
林道第2ゲートからスタート後、林道終点の[[北海道電力]](北電)取水施設から[[額平川]]沿いに遡上する。雪解け水が多い7月頃は腰まで、水量の減る9月でも膝下程度の深さがある幅5 - 10 mの沢を徒渉するところが十数箇所ある<ref name="Q&A">{{Cite web|和書|url=http://www.town.biratori.hokkaido.jp/wp-content/uploads/2021/04/0ca137791150f0a4fc2b836a57e9d4bc.pdf|title=幌尻岳登山に関するよくあるご質問|format=PDF|website=平取町公式ウェブサイト|accessdate=2021-06-12}}</ref>ため、[[沢登り]]の装備が必要<ref name="oshirase" />。額平川は水を集めやすいすり鉢状の幌尻岳北カールが水源で、かつ上流部は深い渓谷となっていることから、雨になると短時間で増水し<ref name="oshirase" />、雨が上がった後でも2 - 3日間通行できなくなる場合もある<ref name="Q&A" />。増水した沢を無理に渡ろうとした登山者が流されて死亡した事故が起きている<ref name="minasan">{{Cite web|和書|url=http://www.town.biratori.hokkaido.jp/wp-content/uploads/2021/04/e6152bb49eb918dda0b4cdca12fe38d0.pdf|title=幌尻岳を登山する皆さんへ|format=PDF|website=平取町公式ウェブサイト|accessdate=2021-06-12}}</ref>ほか、滑落・転倒して負傷した登山者、また道迷いや行方不明者も発生している<ref name="oshirase" />。
額平川の途中にある[[山小屋]]「幌尻山荘」から尾根に取り付き、稜線上で新冠町側ルートと合流してすぐ山頂に至る。林道第2ゲートから山頂までの一般的な所要時間は8時間50分である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.town.biratori.hokkaido.jp/wp-content/uploads/2015/03/spot_02_course.pdf|title=幌尻岳登山コース概念図とコースタイム|format=PDF|website=平取町公式ウェブサイト|accessdate=2021-06-12}}</ref>。幌尻山荘から分岐して[[中戸蔦別岳]]・[[戸蔦別岳]]を経由するコースもある。
このルートは日帰りでの往復は困難なため、途中で幌尻山荘に宿泊することが一般的である<ref name="landscape">{{Cite journal|和書|author=中根和之, 愛甲哲也, 浅川昭一郎 |date=2002 |url=https://doi.org/10.14857/landscapeproc.65.0.60.0 |title=北海道における山岳会による山岳地管理の現状と課題 |journal=日本造園学会 全国大会 研究発表論文集 抄録 |publisher=日本造園学会 |volume=65 |page=60 |doi=10.14857/landscapeproc.65.0.60.0 |CRID=1573105978127250176 |accessdate=2023-09-05}}</ref>。山荘は平取町の所有で、木造2階建て、収容人数約45人<ref name="Q&A" />。管理は平取町山岳会に委託されており<ref name="landscape" />、夏季(7月 - 9月)のみ管理人が常駐する。有料で寝具の貸出しを行っているが、食事の提供はない<ref name="minasan" />。受け入れ可能な宿泊者数に限度があるため完全予約制となっている<ref name="yoyaku" />。非常時以外の[[キャンプ|野営]]は不可<ref name="minasan" />。また、山荘トイレの屎尿は同山岳会や町職員の有志が毎年処理しているが、人手の確保が課題となっており、同山岳会では登山者に任意で一定量を担ぎ下ろしてもらう取組みを2019年([[令和]]元年)より開始し、協力を呼びかけている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.town.biratori.hokkaido.jp/wp-content/uploads/2015/03/2653c119075588379255ace14dd5dafd.pdf|title=幌尻山荘を利用される皆様へ|format=PDF|website=平取町山岳会|date=2019-09|accessdate=2021-06-12}}</ref>。
=== 新冠町側ルート(幌尻岳新冠陽希コース) ===
新冠町の新冠林道奥にある山小屋「イドンナップ山荘」からスタートし、奥新冠発電所手前で分岐する林道を[[新冠川]]沿いに東進、[[奥新冠ダム]]を経由して、山小屋「新冠ポロシリ山荘」まで歩く。山荘から登山道に入り、新冠側支流の幌尻沢沿いに北上した後、尾根に取り付いて山頂に至る。イドンナップ山荘から山頂までの一般的な所要時間は9 - 10時間である<ref name="niikappumap">{{Cite web|和書|url=http://poroshiri.info/custom7.html|title=幌尻岳新冠陽希コース コースマップ|website=新冠ポロシリ山岳会|accessdate=2021-06-12}}</ref>。
平取町側と違い徒渉箇所が少なく、天候に左右されにくいルートであるが、登山道に入る前にイドンナップ山荘から新冠ポロシリ山荘までの林道を長時間(約19 km, 約5 - 6時間<ref name="niikappumap" />)歩くことになる。この区間は北電の奥新冠ダム管理用道路であり、北電が許可した車両以外は通行できない。登山者の通行も北電の厚意により認められているものであり、自転車やバイクの利用は禁止されている<ref name="PoroshiriCode">{{Cite web|和書|url=http://poroshiri.info/img/file2.pdf|title=ポロシリ・コード|format=PDF|website=新冠ポロシリ山岳会|accessdate=2021-06-12}}</ref>。本ルートは2017年7月8日にプロアドベンチャーレーサー[[田中陽希]]により「幌尻岳新冠陽希コース」と命名されたが、田中が2014年に日本百名山を人力で連続踏破した際にこのルートを通行していることから、他の登山者にも自転車などを使わず自分の足で歩くことを呼びかけることが命名の趣旨にある<ref>{{Cite web|和書|url=http://poroshiri.info/posts/activity20.html|title=幌尻岳新冠陽希コース命名式&陽希さんとの交流会|website=新冠ポロシリ山岳会|date=2017-07-15|accessdate=2021-06-12}}</ref>。
新冠ポロシリ山荘とイドンナップ山荘は地元の新冠ポロシリ山岳会が管理している。ともに避難小屋であり、管理人は常駐していない。食事や寝具などの提供もない<ref name="PoroshiriCode" />。新冠ポロシリ山荘を5名以上の団体が利用する場合は同山岳会へ事前申請し、日程を調整の上で利用許可を受ける手順となっている。また個人や4名以下の団体についても、利用人数把握などのため同山岳会は事前連絡を求めている<ref>{{Cite web|和書|url=http://poroshiri.info/custom.html|title=避難小屋ポロシリ山荘の利用許可状況|website=新冠ポロシリ山岳会|accessdate=2017-10-28}}</ref>。非常時以外の野営は不可<ref name="niikappumap" />。
=== 日高町側ルート(千呂露川二岐沢コース) ===
日高町の[[国道274号]]から分岐するチロロ林道の終点([[千呂露川]]と二岐沢が合流する地点)にある北電取水施設からスタートし、二岐沢沿いに歩いてから二ノ沢に入り、尾根に取り付いてヌカビラ岳から稜線に出る。[[北戸蔦別岳]]・戸蔦別岳を経由し、左手に七つ沼カールを見ながら山頂に至る。チロロ林道終点から山頂までのコースタイムは約10時間である<ref>{{cite news|url=https://kachimai.jp/article/?no=510574|title=霧の隙間から七つ沼カール 夏山シーズン真っ盛り 日高山脈|author=塩原真|newspaper=[[十勝毎日新聞]]|date=2020-07-25|accessdate=2021-07-11}}</ref>。このルートの途中に山小屋はないため、途中で野営するのが一般的であるが、野営に適した場所は少ない<ref name="kachimai20200713">{{cite news|url=https://kachimai.jp/feature/mountain/article27|title=16年ぶりの2回目の登頂 山頂泊は初 戸蔦別岳(1959m)|newspaper=十勝毎日新聞|date=2020-07-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220516123741/https://kachimai.jp/feature/mountain/article27|archivedate=2022-05-16|accessdate=2023-01-08}}</ref>。日帰りで登頂する[[トレイルランニング|トレイルランナー]]もいる<ref name="kachimai20200713" />。
2021年6月には本ルートで山頂を目指していた登山者が[[遭難]]死する事故が発生している<ref>{{cite news|url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/560399|title=日高山中の遺体、大阪の男性と確認|newspaper=北海道新聞|publisher=北海道新聞社|date=2021-06-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210627094309/https://www.hokkaido-np.co.jp/article/560399|archivedate=2021-06-27|accessdate=2023-01-08}}</ref>。
== ギャラリー ==
{{gallery
|額平川の徒渉3.jpg|額平川の徒渉
|幌尻山荘2.jpg|幌尻山荘
|北電管理道路にて.jpg|新冠町ルートの林道
|Niikappu Poroshiri Sanso.jpg|新冠ポロシリ山荘
|Top of Mount Poroshiri.jpg|山頂
|Mount Poroshiri north cirque.jpg|山頂付近から見た北カール
|戸蔦別岳と七つ沼カール.JPG|幌尻岳の肩から見た戸蔦別岳と七つ沼カール
|カムイエクウチカウシ山からの幌尻岳.jpg|カムイエクウチカウシ山からの幌尻岳
}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[日本の山一覧]]
== 外部リンク ==
{{commonscat}}
* [http://www.town.biratori.hokkaido.jp/kankou/spot/spot2/ 幌尻岳] - 平取町
** [http://horoshiri-biratori.jp/ 幌尻岳施設予約システム<平取(額平)コース>] - 平取町ルート上にある各施設(とよぬか山荘・シャトルバス・幌尻山荘)のオンライン予約サイト
** [http://toyonuka.chu.jp/ とよぬか山荘] - 同山荘公式ウェブサイト
* [http://www.town.hidaka.hokkaido.jp/site/hmc/toizan-poroshiri.html 幌尻山荘について] - 日高町
* [http://www.niikappu.jp/sangyo/kanko/asobu/mitiannai.html 登山の道案内] - 新冠町
* [http://poroshiri.info/ 新冠ポロシリ山岳会]
{{日高山脈}}
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{{北海道の百名山}}
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[[Category:北海道にある国指定の名勝]] | 2003-04-20T08:58:35Z | 2023-11-21T03:10:55Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%8C%E5%B0%BB%E5%B2%B3 |
7,025 | 岩木山 | 岩木山(いわきさん)は、青森県弘前市および西津軽郡鰺ヶ沢町に位置する火山。標高は1,625 mで、青森県の最高峰。日本百名山および新日本百名山に選定されている。その山容から津軽富士とも呼ばれるほか、しばしば「お」をつけて「お岩木(山)」あるいは「お岩木様」とも呼ばれる。
岩木山は円錐形の成層火山で、山頂は三つの峰にわかれており、弘前側からみた右が巌鬼山(岩鬼山)、左が鳥海山とされるが、これらは火山活動により生じた外輪山の一部である。三峰の中心にある岩木山は、鐘状型の中央火口丘であり、山頂に一等三角点が設置されている。もともと山頂にあった直径800mの破壊された火口に溶岩ドームが生じて、現在の三峰のもとになり、それらの溶岩ドームは1万年より新しい。岩木山の西麓や南麓にも3個の側火山があり、他にも山腹に多数の爆裂火口がみられる。また、 山頂から北東にある赤倉沢の馬蹄形火口は大規模な山体崩壊を示しており、北東山麓の岩屑なだれ堆積物には、かつての崩壊の影響による、多数の流れ山地形がみられる。なお、岩木山の地質は安山岩(SiO2 56 - 64%)からなる。
比較的新しい火山のため、高山帯と広葉樹林帯の間に針葉樹林帯が見られず、ダケカンバがそのまま矮小化していく特異な光景が見られる。特産種であるミチノクコザクラ(ハクサンコザクラに近縁種で花がより大型である)と、本州では数少ないエゾノツガザクラなどの高山植物が自生している。
津軽富士とも呼ばれている郷土富士で、太宰治はその山容を「十二単を拡げたようで、透き通るくらいに嬋娟たる美女」と喩えている。富士山と同様に、古くから山岳信仰の対象とされ、山頂には岩木山神社の奥宮が置かれた。江戸時代には弘前藩の鎮守の山とされ、歴代の藩主が岩木山神社に寄進を行ったため、その社殿は荘厳なものとなり、「奥の日光」とも呼ばれた。
山域は1975年(昭和50年3月31日)に、津軽国定公園に指定され、南麓に広がる2,587 haの高原は青森県の岩木高原県立自然公園に指定されている。
西暦1600年以前の活動は不明点が多いが、気象庁によると山頂の溶岩ドームは1万年より新しい。約1万2000年前以降の活動は山頂での噴火が中心である。
岩木山は、古くから山岳信仰の対象とされていて、山頂には岩木山神社奥宮がある。岩木山神社には、五大柱の神である岩木山大神が祀られている。丹後国の郎党大江時廉の陰謀によって滅ぼされた岩城正氏の子、安寿と厨子王丸の伝説が残されており、安寿が岩木山に祀られているため、岩木山の神は丹後国の人を忌み嫌うという言い伝えがあった。丹後国の人が当地に入ると風雨がうち続く悪天候となり、船の出入りができないとして厳しい吟味が行なわれ、入り込んだ丹後国の人は追い出された。安政5年5月24日の布令には「頃日天気不正に付、御領分へ丹後者入込候哉も難計に付右体之者見当候者、早速送返候様、尚亦諸勧進等も吟味仕候様被仰付候間、御家中竝在町寺社共不洩候様、此段被申触候以上。御目付」と書かれた。
山頂の神社奥宮では夏季になると職員が常駐し、お守りや登頂記念の手拭いを購入することができる。岩木山から遠い五所川原市市浦地区には、関東で見られる富士講のように、近隣の三角錐型の小さな山である靄山(標高152m)を岩木山に見立てて参詣する習俗があった。市浦地区の靄山には岩木山神社があり、別名「脇本岩木山」と呼ばれている。
岩木山神社で毎年旧暦8月1日に行われる例大祭「お山参詣」(ヤマカゲともいう)は津軽地方最大の農作祈願祭で、国の重要無形民俗文化財に指定されている。多くの人々が五穀豊穣や家内安全を祈願して、深夜に山頂を集団登拝し御来光を拝む。参詣時に唱える言葉は、修験系のものである。お山参詣がいつから始まったかについては、鎌倉時代の初期からという説もあるが、はっきりしない。現在のような形式となったのは江戸時代中期(1719年)のころとされる。当時は、8月1日に山に入れたのは藩主のみであった。現在のように一般の人々による参詣が主となったのは、明治に入ってからであるとされる。
お山参詣は向山(むかいやま)、宵山(よいやま)、朔日山(ついたちやま)の全3日の行程で行われる。初日の「向山」では、多くの人々が岩木山神社の参道を上って参詣を行う。2日目の「宵山」では、参拝者たちが白装束に身を包み、登山囃子にあわせて「サイギ、サイギ」と叫びながら、黄金色の御幣や多彩な幟を掲げて岩木山神社を目指す。3日目の「朔日山」は旧暦8月1日にあたり、参拝者たちは未明からいっせいに登り始め、山頂付近で御来光を拝む。岩木山神社に登拝の報告をし、バダラ踊りを踊りながら帰宅する。バダラ踊りは、登拝を終えた喜びと、岩木山の神霊の力により、登拝者たちに神通力が宿ったことを表しているとされる。
岩木山神社は廃仏毀釈運動以前は、百沢寺という寺院であった。百沢寺には『岩木山百沢寺旧記』という書が残されており、岩木山の各所のいわれが記録されている。
独立峰のため山頂からは360度の展望が得られる。山麓には嶽温泉、湯段温泉、百沢温泉といった温泉地があり、温泉郷に挟まれて存在する沼や湿地帯は、ミズバショウの大群生地として知られる。岩木山では1985年(昭和60年)からオオヤマザクラの植樹による桜並木づくりが始まり、現在、約6500本が4月下旬から5月上旬にかけて開花し、約20kmに及ぶ並木道を彩っている。また、1905年(明治38年)、岩木山神社の神苑とされる地に植樹された吉野桜2,000本のうち、現在、約1,000本が残っており、桜の名所とされる。東北自然歩道(愛称は「新・奥の細道」)のうち、岩木山周辺にあるのは、12.3kmの「岩木山神社参拝のみち」と、8.9kmの「並木と山の出で湯をめぐるみち」である。
株式会社岩木スカイラインが経営する津軽岩木スカイラインは、調査開始から4年以上の設計・工事を経て、1965年(昭和40年)8月25日に開通したもので、青森県で最初の有料自動車道とされる。4月中旬から11月上旬まで、羽黒温泉郷から岩木山の西側山腹の8合目まで、スカイラインを通じて自動車で行くことができ、弘前バスターミナルからの乗り合いバスも運行されている。69のカーブから成るつづら折れの構成が特徴である。なお、終点から、9合目の鳥海山までリフトが運行されている。
岩木山の7~8合目の津軽岩木スカイラインカーブの52~69番カーブ周辺にカラカの館と言われる城跡がある。空掘の跡や土塁・石塁があった。
北西山腹には青森スプリング・スキーリゾート(旧・鯵ヶ沢スキー場→ナクア白神スキーリゾート)、南東山腹には岩木山百沢スキー場が建設されている。また、南西山腹の8合目までの斜面ではリフトなどの施設はないが、4月中旬頃から5月上旬の春スキーの期間だけ岩木山スカイラインスキー場が営業している。
登山道は、長平登山道、大石赤倉登山道、弥生登山道、百沢登山道、岳登山道があり、百沢登山道は岩木山神社を経るため、お山参詣に利用されている。沿道には岩木山の固有種であるサクラソウ属のミチノクコザクラ(陸奥小桜)のほか、ウコンウツギやハイマツ、ミヤマキンバイなどの高山植物が自生している。鳳鳴避難小屋から百沢登山道に少し下ると種蒔苗代と呼ばれる小さな池があり、周囲ではミチノクコザクラが見られる。 赤倉神社を登山口にする大石赤倉登山道では、一番観音から順に観音があり、十一番観音が伯母石、十九番観音の祠が「鬼の土俵」と呼ぶ場所として有名。
1964年(昭和39年)1月に、秋田県大館鳳鳴高校の山岳部員5人が遭難し、4人が死亡する遭難事故が発生した。当時は高校生だった登山家の根深誠が、この捜索活動に参加していた。
山頂や登山道の途中には3つの避難小屋があり、このうち鳳鳴ヒュッテは大館鳳鳴高校の遭難事故の翌年に建てられた。
岩木山は津軽平野の南西部に立つ独立峰である。南西には白神山地があり、平野部に隔てられた東には八甲田山がある。 岩木川水系の支流である後長根川、大石川、大蜂川、山田川などのほか、中村川水系の支流である徳明川、白沢、赤沢など、鳴沢川水系の本流、鳴沢川が岩木山の山腹を源流としている。 | [
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"text": "独立峰のため山頂からは360度の展望が得られる。山麓には嶽温泉、湯段温泉、百沢温泉といった温泉地があり、温泉郷に挟まれて存在する沼や湿地帯は、ミズバショウの大群生地として知られる。岩木山では1985年(昭和60年)からオオヤマザクラの植樹による桜並木づくりが始まり、現在、約6500本が4月下旬から5月上旬にかけて開花し、約20kmに及ぶ並木道を彩っている。また、1905年(明治38年)、岩木山神社の神苑とされる地に植樹された吉野桜2,000本のうち、現在、約1,000本が残っており、桜の名所とされる。東北自然歩道(愛称は「新・奥の細道」)のうち、岩木山周辺にあるのは、12.3kmの「岩木山神社参拝のみち」と、8.9kmの「並木と山の出で湯をめぐるみち」である。",
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"text": "岩木山は津軽平野の南西部に立つ独立峰である。南西には白神山地があり、平野部に隔てられた東には八甲田山がある。 岩木川水系の支流である後長根川、大石川、大蜂川、山田川などのほか、中村川水系の支流である徳明川、白沢、赤沢など、鳴沢川水系の本流、鳴沢川が岩木山の山腹を源流としている。",
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] | 岩木山(いわきさん)は、青森県弘前市および西津軽郡鰺ヶ沢町に位置する火山。標高は1,625 mで、青森県の最高峰。日本百名山および新日本百名山に選定されている。その山容から津軽富士とも呼ばれるほか、しばしば「お」をつけて「お岩木(山)」あるいは「お岩木様」とも呼ばれる。 | {{otheruses|青森県に位置する火山|その他}}
{{Infobox 山
|名称 = 岩木山
|画像 = [[ファイル:Iwakisan 01.jpg|300px]]
|画像キャプション = 南西から {{fontsize|80%|弘前市松木平付近}}
|標高 = 1,624.<small>62</small><ref name="kijyun">{{Cite web|和書|url=https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/top.html |title=基準点成果等閲覧サービス |publisher=[[国土地理院]] |accessdate=2014/07/12|quote=基準点コード TR16040728401}}</ref><ref name="kokudo">{{Cite web|和書|url=https://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/kihonjohochousa41139.html |title=日本の主な山岳標高(青森県の山) |publisher=国土地理院 |accessdate=2011-06-23}}</ref>
|所在地 = {{JPN}}<br />[[青森県]][[弘前市]]・[[西津軽郡]][[鰺ヶ沢町]]
| 緯度度 = 40 | 緯度分 = 39 | 緯度秒 = 20 | N(北緯)及びS(南緯) = N
| 経度度 = 140 |経度分 = 18 | 経度秒 = 13 | E(東経)及びW(西経) = E
| 地図国コード = JP-02{{!}}name=岩木山
|山系 = [[独立峰]]
|種類 = [[成層火山]]([[活火山]]ランクB)
|最新噴火 = 1863年<ref name="22_Iwakisan"/>
|初登頂 =
|地図 = {{location map
|Japan Aomori Prefecture#Japan
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[[File:Mount Iwaki Relief Map, SRTM.jpg|thumb|岩木火山の山体地形図]]
'''岩木山'''(いわきさん)は、[[青森県]][[弘前市]]および[[西津軽郡]][[鰺ヶ沢町]]に位置する[[火山]]。[[標高]]は1,625 [[メートル|m]]で、[[各都道府県の最高峰|青森県の最高峰]]。[[日本百名山]]<ref name="fukada">{{Cite book|和書 |author=深田久弥|authorlink=深田久弥 |year=1982 |month=7 |title=日本百名山 |publisher=[[朝日新聞社]] |isbn=4-02-260871-4 |pages=47-50}}</ref>および[[新日本百名山]]<ref>{{Cite book|和書 |author=岩崎元郎|authorlink=岩崎元郎 |year=2006 |month=03 |title=決定版 岩崎元郎の新日本百名山登山ガイド〈上〉―礼文岳、秋田駒、天上山など東日本エリア50山 |publisher=[[山と渓谷|山と溪谷社]] |pages=38-40 |isbn=4635530469}}</ref>に選定されている。その山容から津軽富士とも呼ばれるほか、しばしば「お」をつけて「お岩木(山)」あるいは「お岩木様」とも呼ばれる<ref name="kankou">[http://www.iwakisan.com/oyama-sankei/2016/12/9/ 「お山参詣について」岩木山観光協会]</ref>。
== 概要 ==
岩木山は円錐形の[[成層火山]]で<ref name="kisyoutyou">[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sendai/202_Iwakisan/202_index.html 気象庁:岩木山]</ref>、山頂は三つの峰にわかれており、弘前側からみた右が巌鬼山(岩鬼山)、左が鳥海山とされるが、これらは火山活動により生じた外輪山の一部である<ref name="hirosakishi" />。三峰の中心にある岩木山は、鐘状型の中央火口丘であり<ref name="hirosakishi">[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/kanko/shisetsu/iwakisan/ 「弘前市周辺」弘前市公式ホームページ]</ref>、山頂に一等[[三角点]]が設置されている<ref name="kijyun" />。もともと山頂にあった直径800mの破壊された火口に溶岩ドームが生じて、現在の三峰のもとになり<ref name="kisyoutyou" />、それらの溶岩ドームは1万年より新しい<ref name="kisyoutyou" />。岩木山の西麓や南麓にも3個の側火山があり、他にも山腹に多数の爆裂火口がみられる<ref name="kisyoutyou" />。また、 山頂から北東にある赤倉沢の馬蹄形火口は大規模な山体崩壊を示しており、北東山麓の岩屑なだれ堆積物には、かつての崩壊の影響による、多数の流れ山地形がみられる<ref name="kisyoutyou" />。なお、岩木山の地質は[[安山岩]]([[二酸化ケイ素|SiO<sub>2</sub>]] 56 - 64[[パーセント|%]])からなる<ref name="kisyoutyou" />。
比較的新しい火山のため、高山帯と広葉樹林帯の間に[[針葉樹林]]帯が見られず、[[ダケカンバ]]がそのまま矮小化していく特異な光景が見られる。特産種であるミチノクコザクラ([[ハクサンコザクラ]]に近縁種で花がより大型である)と、本州では数少ない[[エゾノツガザクラ]]などの[[高山植物]]が自生している<ref name="hirosakishi" />。
'''津軽富士'''とも呼ばれている[[郷土富士]]で、[[太宰治]]はその山容を「[[十二単]]を拡げたようで、透き通るくらいに嬋娟たる美女」と喩えている<ref>{{Cite book|和書 |author=太宰治 |year=2004 |month=6 |title=津軽 |publisher=[[新潮社]] |isbn=4101006040 |pages=}}</ref>。富士山と同様に、古くから山岳信仰の対象とされ、山頂には岩木山神社の[[奥宮]]が置かれた。江戸時代には弘前藩の鎮守の山とされ、歴代の藩主が岩木山神社に寄進を行ったため、その社殿は荘厳なものとなり、「奥の日光」とも呼ばれた<ref name="hirosakishi" />。
山域は[[1975年]](昭和50年3月31日)に、[[津軽国定公園]]に指定され<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.aomori.lg.jp/nature/nature/kouen_tsugaru.html |title=津軽国定公園 |publisher=青森県 |date=2010-01-05 |accessdate=2011-06-23}}</ref>、南麓に広がる2,587 [[ヘクタール|ha]]の高原は青森県の[[岩木高原県立自然公園]]に指定されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.aomori.lg.jp/nature/nature/kouen_iwaki.html |title=岩木高原県立自然公園 |publisher=青森県 |date=2010-01-08 |accessdate=2011-06-23}}</ref>。
== 火山活動史 ==
西暦1600年以前の活動は不明点が多いが、気象庁によると山頂の溶岩ドームは1万年より新しい<ref name="22_Iwakisan">[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/22_Iwakisan.pdf 日本活火山総覧:岩木山] - 気象庁</ref>。約1万2000年前以降の活動は山頂での噴火が中心である。
* 70万年前 - 山体崩壊<ref name=sabou>{{Cite web|和書|url=http://www.jsece.or.jp/event/conf/abstruct/1995/pdf/1995O018.pdf|format=pdf|title=青森県・岩木山の噴火実績|publisher=社団法人 砂防学会|accessdate=2015-10-26}}</ref>。
* 30万年前から20万年前 - 噴火と山体崩壊(岩屑なだれ)<ref>[https://doi.org/10.5190/tga.47.285 岩木山北麓の火山麓扇状地] 季刊地理学 Vol.47 (1995) No.4 P285-301</ref>を繰り返し山体を形成。
* 20万年前から1万年前 - 山麓に側火山を形成<ref name=sabou/>。
* 約5万年前から - 西法寺森溶岩ドーム、岩木山頂西と鳥海山ドーム、山頂ドームと中央ドームを形成<ref>[https://www.mlit.go.jp/common/001049889.pdf 日本の火山 岩木山、小菅正裕]</ref>。
* 約6000年前 - マグマ噴火(岩木山頂西と鳥海山ドーム)<ref name="22_Iwakisan"/>。
* 約3000年前 - マグマ噴火<ref name="22_Iwakisan"/>。
* 約2000年前 - マグマ噴火。鳥ノ海溶岩ドームを形成<ref name="22_Iwakisan"/>。
* 1600年(慶長5年)2月22日 - 鳥の海火口で水蒸気噴火<ref name="22_Iwakisan"/>。
* 1618年(元和4年)1月31日 - 水蒸気噴火<ref name="22_Iwakisan"/>。
* 1782年(天明2年)11月-1783年(天明3年)6月 - 水蒸気噴火<ref name="22_Iwakisan"/>。[[天明の大飢饉]]の遠因のひとつ。
* 1845年(弘化2)4月4日 - [[噴煙]]、硫黄噴出<ref name="22_Iwakisan"/>。
* 1863年(文久3)3月23日 - 小規模な水蒸気噴火<ref name="22_Iwakisan"/>。
== 山岳信仰 ==
[[ファイル:Iwakiyama Jinja Torii.jpg|thumb|200px|南東麓にある[[岩木山神社]]]]
[[ファイル:岩木山 山頂03.jpg|thumb|200px|山頂にある岩木山神社奥宮]]
岩木山は、古くから[[山岳信仰]]の対象とされていて、山頂には[[岩木山神社]]奥宮がある。岩木山神社には、五大柱の神である岩木山大神が祀られている<ref name="kankou" />。丹後国の郎党大江時廉の陰謀によって滅ぼされた岩城正氏の子、[[安寿と厨子王丸]]の伝説が残されており、安寿が岩木山に祀られているため、岩木山の神は[[丹後国]]の人を忌み嫌うという言い伝えがあった<ref name="kankou" />。丹後国の人が当地に入ると風雨がうち続く悪天候となり、船の出入りができないとして厳しい吟味が行なわれ、入り込んだ丹後国の人は追い出された。[[安政]]5年5月24日の布令には「頃日天気不正に付、御領分へ丹後者入込候哉も難計に付右体之者見当候者、早速送返候様、尚亦諸勧進等も吟味仕候様被仰付候間、御家中竝在町寺社共不洩候様、此段被申触候以上。御目付」と書かれた。
山頂の神社奥宮では夏季になると職員が常駐し、お守りや登頂記念の手拭いを購入することができる。岩木山から遠い[[五所川原市]]市浦地区には、関東で見られる[[富士講]]のように、近隣の三角錐型の小さな山である靄山(標高152m)を岩木山に見立てて参詣する習俗があった。市浦地区の靄山には岩木山神社があり、別名「脇本岩木山」と呼ばれている。
=== お山参詣 ===
岩木山神社で毎年[[8月1日 (旧暦)|旧暦8月1日]]に行われる例大祭「[[お山参詣]]」(ヤマカゲともいう)は津軽地方最大の農作祈願祭で、国の[[重要無形民俗文化財]]に指定されている<ref name="kankou" />。多くの人々が五穀豊穣や家内安全を祈願して、深夜に山頂を集団登拝し御来光を拝む<ref name="kankou" />。参詣時に唱える言葉は、修験系のものである。お山参詣がいつから始まったかについては、鎌倉時代の初期からという説もあるが、はっきりしない<ref name="kankou" />。現在のような形式となったのは江戸時代中期([[1719年]])のころとされる<ref name="kankou" />。当時は、8月1日に山に入れたのは藩主のみであった<ref name="kankou" />。現在のように一般の人々による参詣が主となったのは、明治に入ってからであるとされる<ref name="kankou" />。
お山参詣は向山(むかいやま)、宵山(よいやま)、朔日山(ついたちやま)の全3日の行程で行われる<ref name="kankou" />。初日の「向山」では、多くの人々が岩木山神社の参道を上って参詣を行う<ref name="kankou" />。2日目の「宵山」では、参拝者たちが白装束に身を包み、登山囃子にあわせて「サイギ、サイギ」と叫びながら、黄金色の御幣や多彩な幟を掲げて岩木山神社を目指す<ref name="kankou" />。3日目の「朔日山」は旧暦8月1日にあたり、参拝者たちは未明からいっせいに登り始め、山頂付近で御来光を拝む<ref name="kankou" />。岩木山神社に登拝の報告をし、バダラ踊りを踊りながら帰宅する<ref name="kankou" />。バダラ踊りは、登拝を終えた喜びと、岩木山の神霊の力により、登拝者たちに神通力が宿ったことを表しているとされる<ref name="kankou" />。
* 登山時の唱文
** 懺悔懺悔(サイギサイギ) - 過去に犯した罪を悔い改める<ref name="kankou" />。
** 六根懺悔(ドッコイサイギ) - 目・耳・鼻・舌・身・意の六根の迷いを捨てる<ref name="kankou" />。
** 御山八大(オヤマサハツダイ) - 観音菩薩・弥勒菩薩・文殊菩薩・地蔵観音・普賢菩薩・不動明王・虚空蔵菩薩・金剛夜叉明王を指す<ref name="kankou" />。
** 金剛道者(コウゴウドウサ) - 金剛石のように堅く不動である信仰を指す<ref name="kankou" />。
** 一々礼拝(イーツニナノハイ) - 八大柱の神仏を礼拝する<ref name="kankou" />。
** 南無帰命頂礼(ナムキンミョウチョウライ) - 神仏に帰依しその意に従う<ref name="kankou" />。
* 下山時の唱文
** 跋折羅(バダラ、バサラ) - 極端にはしゃぐこと<ref name="kankou" />。「いい山かげた朔日山かげた。バダラ、バダラ、バダラヨー」といいながらバダラ踊りを踊る<ref name="kankou" />。
=== 岩木山百沢寺旧記<ref>『青森県市資料編 中世3 北奥関係資料』、2012年、p.558-559</ref> ===
岩木山神社は[[廃仏毀釈運動]]以前は、百沢寺という寺院であった。百沢寺には『岩木山百沢寺旧記』という書が残されており、岩木山の各所のいわれが記録されている。
*左の峰 - 岩鬼山 、 中央の峰 - 岩木山 、 右の峰 - 鳥海山
*岩木山は白刃剣に似た峰で、この山の沢に一の滝、二の滝、三の滝がある。
*三つの峰の総称は岩城山という。いつも雪が見える。形は富士山に似ているので、俗称は奥小芙蓉という。
*昔、この山は外ヶ浜から一夜にして湧出したという。
*嶽神園 - 岩鬼山の山頂にある。奇妙な樹木や草、綺麗な岩石がある。めでたい靄が発生し生気に満ちて天女が常に降りてくことを、多くの人が見ている。実に神仙が静養する所で、俗に嶽神園という。
*赤倉 - 岩嶽の背に畳の壁のような赤い岩がそびえている。土地の者は古嶽の仙人がいる所としている。その神は喧嘩を忌み嫌うので、参拝者はそこでは黙っている。その昔騒がしくしたものがいて、暴風雨が起き人を害したという。また、ある言い伝えでは昔90歳の老鬼女がここに住もうとした。嶽の神はこれを最初許さなかったが、老女が眷属になってこの山を守るというので、嶽の神はこれを許した、その時の誓文が石の箱に収められ百沢寺にあるという。
*鳴沢 - 赤倉山からの沢。流れる水が手を打つような音がすることから、この名がついている。
*岩木山の西 - 二神石 2つの奇妙な石が相対するように立っている、胎内潜り 土地の者は、罪がことごとく消滅するので、多くの人がこの穴を潜るという、龍馬場 参詣する者が木の枝に絵をかける所。また龍馬が時に馳せるので名付けられた。
*姥石 - 山麓にある。土地の者は大昔、嶽神の花若の慈母が化身したものだという。女子がこの石に祈ると必ず良い事が起きた。そのため、多くの土地の者がこの石に参詣した。
*風穴 - 嶽の峰の方にある。(種薪苗代から鳳鳴ヒュッテの間にある)四角く穴の深さは測る事ができない。穴の口からは常に生風ににた風が吹いている。土地の者は若く汗をかいている人が嶽を参詣するので、怒って風を起こしている風の穴だという。諸人がここに至りつつしんだ気持ちになるという。またこの穴は男鹿半島に繋がっているとも言う。
*嶽神庫 - 風穴の西にあり、岩が数千尺にわたってそびえている場所。その下は雨露を避け、蔵のようになっている。
*鳥海山 - 右峰。古くはこの山頂に湖水があった。湖水の中に大きな鳥の形をした石があった。そのために名付けられた。慶長5年正月。土砂が湧き湖水は枯れた。今ではただ大きな石がある。
*種蒔苗代 - 岩嶽の上部にある湖水。土地の者は、昔嶽の神が種を蒔いた所だという。嶽に参詣するものは必ずこの湖で祈念をした。神の助けがあるものは浮き、無いものは沈んだという。霊験ありあがめるべし。
*錫杖清水 - 嶽の中央にある。(百沢コース、焼止り避難小屋を過ぎて種薪苗代の間にある)嶽の2仙の満字と錫杖がこの清水の傍らにいるという、そのために名付けられた。または、泉源が御室の下にあり、その形が錫杖に似ているために付けられたとも言う。正しいことを知っているものは誰もいない。参詣する者はここで渇きをいやす最も有益な清水である。
== 観光 ==
独立峰のため山頂からは360度の展望が得られる。山麓には[[嶽温泉]]、[[湯段温泉]]、[[百沢温泉]]といった温泉地があり、温泉郷に挟まれて存在する沼や湿地帯は、[[ミズバショウ]]の大群生地として知られる<ref name="hirosakishi" />。岩木山では1985年(昭和60年)からオオヤマザクラの植樹による桜並木づくりが始まり、現在、約6500本が4月下旬から5月上旬にかけて開花し、約20kmに及ぶ並木道を彩っている<ref name="hirosakishi" />。また、1905年(明治38年)、岩木山神社の神苑とされる地に植樹された吉野桜2,000本のうち、現在、約1,000本が残っており、桜の名所とされる<ref name="hirosakishi" />。東北自然歩道(愛称は「新・奥の細道」)のうち、岩木山周辺にあるのは、12.3kmの「岩木山神社参拝のみち」と、8.9kmの「並木と山の出で湯をめぐるみち」である<ref name="hirosakishi" />。
=== 津軽岩木スカイライン ===
[[File:Tsugaru-Iwaki Skyline toll road Aerial Photograph.jpg|thumb|200px|津軽岩木スカイライン<br />{{fontsize|80%|{{国土航空写真}}}}(1975年撮影)]]
{{main|津軽岩木スカイライン}}
株式会社岩木スカイラインが経営する津軽岩木スカイラインは、調査開始から4年以上の設計・工事を経て、[[1965年]](昭和40年)8月25日に開通したもので、青森県で最初の有料自動車道とされる<ref name=about>{{Cite web|和書|url=http://www.iwaki-skyline.jp/about.html|title=津軽岩木スカイラインとは │ 津軽岩木スカイライン|publisher=株式会社岩木スカイライン|accessdate=2014-08-04}}</ref>。4月中旬から11月上旬まで<ref name=guide>{{Cite web|和書|url=http://www.iwaki-skyline.jp/annai.html|title=営業案内 │ 津軽岩木スカイライン|publisher=株式会社岩木スカイライン|accessdate=2014-08-04}}</ref>、羽黒温泉郷から岩木山の西側山腹の8合目まで、スカイラインを通じて自動車で行くことができ<ref name=about/>、弘前バスターミナルからの乗り合いバスも運行されている<ref name=guide />。69のカーブから成るつづら折れの構成が特徴である<ref name="hirosakishi" />。なお、終点から、9合目の鳥海山まで[[索道|リフト]]が運行されている<ref name=about/>。
岩木山の7~8合目の津軽岩木スカイラインカーブの52~69番カーブ周辺にカラカの館と言われる城跡がある。空掘の跡や土塁・石塁があった<ref>日本城郭大系 2巻、新人物往来社、1980年</ref>。
=== スキー場 ===
[[ファイル:Naqua Shirakami Ski Resort.jpg|thumb|200px|青森スプリング・スキーリゾート<br />奥が岩木山の山頂部]]
北西山腹には[[青森スプリング・スキーリゾート]](旧・鯵ヶ沢スキー場→ナクア白神スキーリゾート)、南東山腹には岩木山百沢スキー場が建設されている。また、南西山腹の8合目までの斜面ではリフトなどの施設はないが、4月中旬頃から5月上旬の春スキーの期間だけ岩木山スカイラインスキー場が営業している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.aptinet.jp/ap_infoski.html|title=平成25年度 青森県内スキー場情報|青森県観光情報アプティネットaptine|publisher=公益社団法人 青森県観光連盟|accessdate=2014-08-07}}</ref>。
=== 登山 ===
[[登山道]]は、長平登山道、大石赤倉登山道、弥生登山道、百沢登山道、岳登山道<ref group="注釈">岳登山道には、「弘前市道常盤野4号線」という路線名が付されている。[http://hirosakimap.geogeo.jp/maps?mode=theme&lid=2&mid=8# 弘前地図情報サイト ひろさき便利マップ(弘前市ホームページ内)] - '''市道認定路線'''を選択した上で、表示される地図を拡大し、岩木山頂へ延びる黒ラインをクリックすると、路線名などが表示される。</ref>があり<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.hirosaki.aomori.jp/kanko/shisetsu/iwakisan/tozan/iwaki-tozan.htm |title=岩木山登山マップ |publisher=弘前市 |accessdate=2011-06-23}}</ref>、百沢登山道は岩木山神社を経るため、お山参詣に利用されている。沿道には岩木山の固有種である[[サクラソウ属]]のミチノクコザクラ(陸奥小桜)のほか、[[ウコンウツギ]]や[[ハイマツ]]、[[ミヤマキンバイ]]などの高山植物が自生している<ref>{{Cite book|和書 |author= |year=2007 |month=05 |title=花の百名山地図帳 |publisher=山と溪谷社 |pages=33-34 |isbn=9784635922463 }}</ref>。鳳鳴避難小屋から百沢登山道に少し下ると種蒔苗代と呼ばれる小さな池があり、周囲ではミチノクコザクラが見られる。
赤倉神社を登山口にする大石赤倉登山道では、一番観音から順に観音があり、十一番観音が伯母石、十九番観音の祠が「鬼の土俵」と呼ぶ場所として有名<ref>岩木山 http://blogs.yahoo.co.jp/yamaji20062001/35719742.html</ref>。
[[1964年]]([[昭和]]39年)1月に、[[秋田県]][[秋田県立大館鳳鳴高等学校|大館鳳鳴高校]]の山岳部員5人が遭難し、4人が死亡する[[遭難#山岳遭難|遭難事故]]が発生した<ref>{{Cite book|和書 |author=田沢拓也 |year=2003 |month=1 |title=空と山のあいだ―岩木山遭難・大館鳳鳴高生の五日間 |publisher=[[角川文庫]] |isbn=4043689012 |pages=}}</ref>。当時は高校生だった登山家の[[根深誠]]が、この捜索活動に参加していた。
[[File:岩木山 登山道03.jpg|thumb|200px|right|鳳鳴ヒュッテと岩場の登山道]]
山頂や登山道の途中には3つの[[山小屋#日本の無人小屋、避難小屋|避難小屋]]があり、このうち鳳鳴ヒュッテは大館鳳鳴高校の遭難事故の翌年に建てられた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.hirosaki.aomori.jp/kanko/shisetsu/iwakisan/tozan/hinangoya.htm |title=岩木山の避難小屋 |publisher=弘前市 |accessdate=2011-06-23}}</ref>。
{| class="wikitable"
|-
!名称
!所在地
![[標高]]<br />([[メートル|m]])
!岩木山からの<br />方角と[[距離]] ([[キロメートル|km]])
!収容<br />人数
!備考
|-
|岩木山頂避難小屋
|山頂
|style="text-align:right;"|1,625
|{{direction|O}} 0
|style="text-align:right;"|10
|1987年設置
|-
|鳳鳴ヒュッテ
|岩木山頂西側の御倉石下部
|style="text-align:right;"|1,490
|{{direction|SW}}南西 0.3
|style="text-align:right;"|4
|1965年設置
|-
|焼止りヒュッテ
|百沢コースの大沢出合手前
|style="text-align:right;"|1,060
|{{direction|SSE}}南南東 1.1
|style="text-align:right;"|10
|1977年設置
|}
== 地理 ==
岩木山は[[津軽平野]]の南西部に立つ[[独立峰]]である。南西には[[白神山地]]があり、平野部に隔てられた東には八甲田山がある。
[[岩木川]]水系の支流である後長根川、大石川、大蜂川、山田川などのほか、[[中村川 (青森県)|中村川]]水系の支流である徳明川、白沢、赤沢など、鳴沢川水系の本流、鳴沢川が岩木山の山腹を源流としている。
== 岩木山の風景 ==
<gallery mode=packed style="font-size:85%">
ファイル:Iwakisan 02.jpg|春のリンゴ畑と岩木山([[弘前市]]小沢付近)
ファイル:岩木山 山頂01.jpg|鐘の付いた山頂標
File:View from Mt Iwaki in Aomori Japan.jpg|山頂付近から東方向
ファイル:Tsugaru hantou from Mt. Iwaki.jpg|山頂付近から津軽半島西岸
ファイル:岩木山スカイライン 巨木の森遊歩道.jpg|巨木の森遊歩道
ファイル:Nanohana Ajigasawa Tateishi jp P5111152 stitch x9.jpg|鰺ヶ沢町建石から見た岩木山(北北東)
ファイル:Mmitinoku kozakura.jpg|百沢コースの雪渓を抜け種蒔苗代の間に咲くミチノクコザクラ
File:岩木山8合目ターミナルにて.jpg|岩木山8合目ターミナルにて
File:森吉山からの岩木山.jpg|[[森吉山]]からの岩木山
</gallery>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{reflist}}
== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2016年3月|section=1}}
* {{Cite book|和書 |author= |year=2010 |month=05 |title=改訂版 青森県の山 |series=新・分県登山ガイド |publisher=[[山と渓谷|山と溪谷社]] |pages=120-122 |isbn=9784635023511}}
* {{Cite book|和書 |author= |year=2010 |month=12 |title=アルペンガイド2 東北の山 |series=ヤマケイ・アルペンガイド |publisher=山と溪谷社 |pages=16-23 |isbn=9784635013635}}
* {{Cite book|和書 |year=2011 |month= 3 |title=八甲田・岩木山 十和田湖 |series=[[山と高原地図]] 2011年版 |publisher=[[昭文社]] |pages= |isbn=9784398757449}}
== 関連項目 ==
{{commonscat|Mount Iwaki|岩木山}}
* [[津軽国定公園]]
* [[各都道府県の最高峰]] - 青森県
* [[郷土富士]] - 津軽富士
* [[日本百名山]]、[[新日本百名山]]、[[東北百名山]]、[[一等三角点百名山]]
* [[青森県の観光地]]
* [[津軽岩木スカイライン]]
* [[岩木山神社]]
* [[岩木山竜太]]
* [[よされ節]]
* [[帰ってこいよ]] - [[松村和子]]の[[デビュー]]・[[シングル]]曲で、歌詞は「お岩木山」と登場
* [[お岩木山]] - [[三山ひろし]]のシングル
* [[岩木山百沢土石流災害]]
== 外部リンク ==
* [https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sendai/202_Iwakisan/202_index.html 岩木山] - 気象庁
*[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/open-data/open-data.php?id=202 岩木山の火山観測データ] 気象庁
**[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/monthly_v-act_doc/monthly_vact_vol.php?id=202 岩木山の臨時及び過去の詳細月別火山概況・火山活動解説資料] 気象庁
**[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sendai/open-data/data/eq_num_202.html 岩木山の最近(2ヶ月間)の日別地震回数表] 気象庁
* [https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版] - 気象庁
* [http://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/D15.html 第四紀火山 岩木山] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
* [http://www.iwakisan.com/ 岩木山観光協会]
* 防災関連
** {{PDF|[https://vivaweb2.bosai.go.jp/v-hazard/L_read/22iwakisan/22iwaki_1h01-L.pdf 岩木山火山ハザードマップ]}} - 防災科学技術研究所
** [http://www.pref.aomori.lg.jp/kotsu/build/iwakisan-kazanfunka-iinkai.html 岩木山火山噴火緊急減災対策砂防計画] - 青森県
** [http://www.city.hirosaki.aomori.jp/kurashi/kinkyu/2015-0203-1315-19.html 岩木山火山ハザードマップ] - 弘前市
* [https://doi.org/10.4200/jjhg1948.49.311 岩木山信仰の空間構造 その信仰圏を中心にして] 人文地理 Vol.49 (1997) No.4 P311-330
{{日本百名山}}
{{一等三角点百名山}}
{{東北百名山}}
{{日本の活火山}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:いわきさん}}
[[Category:山岳名目録]]
[[Category:青森県の山]]
[[Category:青森県の火山]]
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7,026 | 八甲田山 | 八甲田山(はっこうださん)は、青森市の南側にそびえる大岳(標高1,585m)を主峰とする18の山々からなる複数火山の総称。日本百名山の一つ。
「八甲田山」と名がついた単独峰が存在するわけではなく複数の成層火山や溶岩円頂丘で構成される火山群である。青森県のほぼ中央に位置し、約20km南には十和田湖が位置する。東北地方の脊梁奥羽山脈の北端である。
主峰は大岳(八甲田大岳)の標高1,585m。これは青森県の最高峰「岩木山」標高1,625mに次ぐ高さである。
八甲田山周辺は広く十和田八幡平国立公園に指定されている。また、八甲田山周辺は田代平や寒水沢上流の一部を除く広い範囲が国有林や保安林に指定されているほか、大岳周辺から蔦温泉周辺にかけて国指定の鳥獣保護区特別保護地区に指定されている。八甲田山は2016年12月1日より気象庁指定の常時観測火山となっている。
周辺は世界でも有数の豪雪地帯である。明治35年に青森の歩兵第五連隊が雪中行軍の演習中に記録的な寒波に由来する吹雪に遭遇し、210名中199名が遭難死した事件(八甲田雪中行軍遭難事件)が発生、それを基に新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』が書かれ映画化もされている。なお、陸上自衛隊青森駐屯地に駐屯する第5普通科連隊も、(遭難死した青森歩兵5連隊の隊員慰霊も兼ねて)毎年厳冬期に八甲田山系での冬季雪中戦技演習を行なっている。
命名の由来について「新撰陸奥国志」によれば、八の(たくさんの)甲(たて)状の峰と山上に多くの田代(湿原)があるからという。
中道等は、『十和田村史』で菅江真澄の『とわだのうみ』や『いはてのやま』を引いて、1407年(応永14年)の『三国伝記』の「奴可(ぬか)の岳」から、十和田の古称の「糠檀(こうだ)の岳」が発祥したとする説を紹介し、菅江真澄の博識ぶりに感服している。『三国伝記』では、あるとき、女が難蔵に向かって言うことには「この言両(ことわけ)の嶺の西三里に、奴可(ぬか)の嶺という所に池があり、その池に八頭(やまた)の大蛇(おろち)がいる。私を妻として1月のうち上旬の15日は奴可の池に住んで、下旬の15日はこの池に住んでいるので、今はちょうど来る時期です。心してください」という記述がある。これが、南祖坊と八郎太郎が初めて登場するくだりである(三湖伝説)。この奴可が、八甲田山東部の郡の古名、糠部(ぬかのぶ)郡の由来になり、のちに音読され糠檀(こうだ)の岳に変わったと言うのである。これより先に、元禄のはじめに南部藩に逗留した京都の医師の松井道圓の作とされる『吾妻むかし物語』でも、この説は言及されており、菅江真澄は南部藩周遊中にこの本を読んだ可能性がある。
糠檀の文字を最初に記録しているのは1731年(享保16年)の『津軽一統志』の中の1536年(天文5年)の『津軽郡中名字』で「津軽と糠部の境、糠檀ノ嶽に湖水有、地神五代より始まる也。数ヶ年に至て大同二年斗賀の霊験堂の宗徒、南蔵坊と云法師、八竜を追出し十湾の沼に入る。今天文五年まで及八百余歳也。」である。以来、八甲田の呼び方はコウダとハツコウダ(ヤツコウダ)の2つに大別される。1645年(正保2年)の絵地図では八甲田山を津軽藩は「かうたの嶽」、南部藩は「高田嶽」としており、共に公式名はコウダだったことが分かる。
八甲田山系は八甲田大岳を盟主として南北2群の火山よりなり、その中間に睡蓮沼を含む湿原地帯がある。
山系を構成する山々は国道103号・国道394号の重複道路を境に、北部八甲田山系と南部八甲田山系に分かれて、後者の方が地層が古い。
全国的にはさほど高くはない1600mに満たない山地ではあるが、青森県を東西に二分し、それぞれの気候の特徴に大きな影響を与えている。夏季は太平洋から冷たく湿った北東からの季節風「やませ」が吹き込み、青森県の太平洋側は濃霧・冷害に見舞われる。対して八甲田山の西側は優良な稲作地帯で、弥生時代の水田跡が発見されている。冬季は日本海から湿った北西の季節風が吹き、津軽地方に雪をもたらす。一方、八甲田山の東側は晴天率が高く降雪も少ない。夏冬いずれも、八甲田山によるフェーン現象であると考えられている。
高田大岳は登山道がほぼ一直線に頂上までつながっており、八甲田山系の登山道の中で最も厳しいコースとして有名である。
八甲田山は、その南に位置する十和田湖と同じく、カルデラを有する火山群である。広い湿原のある田代平近辺の窪地がカルデラの北半分に相当し、南半分はカルデラ形成後に噴火した八甲田大岳などの火山群が盛り上がっている。櫛ケ峯(1,517m)のある南八甲田は古い先カルデラ火山に相当する。カルデラを形成した巨大噴火は、調査されているだけで過去2回(65万年前と40万年前)発生した。南八甲田は2回目のカルデラ噴火の前に火山活動を終えている。北八甲田はカルデラ南半分を埋める形で16万年前から活動を始め、繰り返し噴火しながら多数の(余り大きくない)成層火山を形成した。歴史時代の記録では溶岩を流出するような大きな噴火は無いが、山群の所々から火山ガスが噴気している。
気象庁や防災科学技術研究所等の地震観測施設により地震の観測が行われている 。
東北地方太平洋沖地震(2011年3月11日)以降、八甲田山周辺を震源とする地震が増加した。また、2013年2月以降、山頂直下を震源とする地震が散発的に発生した。一方、GPS観測により山体が膨張してるように見えるとして2013年6月18日に気象庁が観測機器を新たに設置し、監視を強化したことが報道された。2013年7月からは、東北大学噴火予知研究観測センターらによる広帯域地震観測が実施されている。また、2013年9月には、東京大学地震研究所と東北大学噴火予知研究観測センターらによる12箇所の観測点による重力臨時観測が実施された。
2016年12月1日より気象庁が24時間体制で火山活動を監視する常時観測火山に追加されることとなった。
1997年には訓練中の自衛隊員3名が、窪地から噴出し、そこに滞留していた高濃度の二酸化炭素により窒息死する事故が発生している。また2010年6月には、酸ヶ湯温泉上方の登山道を外れた沢に於いて、山菜採りに訪れていた女子中学生1名が、現場に滞留していたと考えられる火山ガスによって、中毒死する事故が発生している。
八甲田山には、名前の由来の通りにたくさんの高地湿地があるので有名である。八甲田山が他の高山に対して景観上の特異性を持っているのは、この湿原群に負うところが大きい。
八甲田山には湿原が多く、イワイチョウ、 モウセンゴケ、ミズバショウが見られる。山にはアオモリトドマツ(オオシラビソ)の林があり、稜線にはハイマツが茂っている。
大正時代、酸ヶ湯温泉を経営していた郡場直世の妻・フミは、近辺の高山植物を採集してその標本を各地の研究機関に寄贈した。彼女の功績によって早くから八甲田山の植生が研究されており、そのため酸ヶ湯温泉の付近に1929年東北帝国大学の研究施設(東北帝国大学八甲田山植物実験所、東北大学植物園八甲田分園)が作られた。また彼女の息子・郡場寛は植物学者でもあり、京都大学名誉教授・弘前大学学長である。
標高1,584mの大岳のほかに、田茂萢岳(たもやちだけ)、赤倉岳、小岳、高田大岳などの山々がほとんど同じ高さで並んでいる。ロープウェイは田茂萢岳に設置されており、冬はスキー、積雪期以外ならハイキング気分で山歩きが楽しめる。秋には全山紅葉し見事な錦秋模様となる上、登山道沿いにはコケモモやガンコウランがたくさん実をつけており、目と舌の両方を楽しませてくれる。また、冬季には東北地方でも有数の豪雪と強い季節風によりアオモリトドマツに見事な樹氷を楽しむことができる。加えて、山麓に散在する温泉群は、多様の泉質で味わい深い。
日本有数の山岳スキー場としても有名で、6km前後の各コースを約半年にわたり楽しむことが出来る。しかし、毎年のように死者が発生する。正規コースには目印となるポールが立てられているが、吹雪や雲中ではひとつ下のポールさえ見えないことがある。遭難はこうした悪天候の影響よりも、意図的にコースを逸脱したケースが多い。
麓には千人風呂が有名な酸ヶ湯がある。その他にも城ヶ倉温泉、谷地温泉、猿倉温泉、蔦温泉、八甲田温泉、田代平温泉、など山のいで湯があちこちに湧出している。
猿倉温泉から南八甲田を貫き御鼻部山にいたる27kmの山道。登山家には軍用道路として作られたと伝わっている話もあるが、昭和9年から昭和11年までに青森県議会議員の小笠原八十美が青森県に冷害による貧民救済としてとして造らせた自動車道である。南八甲田登山のメインルートとして多くの登山者に利用されている。
猿倉温泉から黄瀬萢の間は健脚向きの歩道状態が確保されているが、長年の植物遷移と洗掘が進んで歩行困難な箇所もある黄瀬萢から御鼻部山に向かうルートは、多くがやぶに覆われ、山慣れた人でないと容易に歩けない状態になっている。
多額の費用を掛けて造られた自動車道だったが、中道等の『十和田村史』では「この道には車が一台も通らなかった」とある。矢櫃橋から松次郎清水の間には現在でも大きな石が沢山放置されており、昭和初期の記録でもこのために自動車の通行は困難であろうとする記述がある。 | [
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] | 八甲田山(はっこうださん)は、青森市の南側にそびえる大岳(標高1,585m)を主峰とする18の山々からなる複数火山の総称。日本百名山の一つ。 | {{Otheruseslist|青森県にある火山群|同名の映画|八甲田山 (映画)|同名のテレビドラマ|八甲田山死の彷徨#テレビドラマ版}}
{{Infobox 山
|名称 = 八甲田山
|画像 = File:Hakkodasan seen from the northwest.jpg
|画像キャプション = 北西から望む北八甲田火山群<br><small>左に前嶽、中央手前が赤倉岳、奥に井戸岳、右に田茂萢岳
|標高 = 大岳: 1,584
|座標 = {{ウィキ座標2段度分秒|40|39|31|N|140|52|38|E|region:JP-02_type:mountain|display=inline,title}} <small>(大岳)</small>
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|山系 = [[奥羽山脈]]
|種類 = [[複成火山]]<ref>[https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/D10.html 日本の火山 北八甲田火山群] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター</ref><ref>[https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/D09.html 日本の火山 南八甲田火山群] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター</ref><br /><small>([[成層火山]]や[[溶岩ドーム]]の火山群)</small><ref>{{PDF|[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/23_Hakkodasan.pdf 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版 八甲田山]}} - 気象庁</ref>
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|地図 = {{Location map|Japan Aomori Prefecture|width=300px|relief =1|mark = Cercle rouge 50%.svg|marksize = 60}}<br />{{日本の位置情報|40|39|31|140|52|38|八甲田山|40.6582,140.8749|八甲田山|nocoord=yes}}
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[[File:Kita Hakkoda Volcano Group & Minami Hakkoda Volcano Group & Hakkoda Caldera SRTM-1.jpg|thumb|300px|八甲田火山の地形図<br />上、'''北八甲田火山群'''(後カルデラ火山)<ref group="注釈">「後カルデラ」とは「カルデラ形成された後に」の意、先カルデラはその逆</ref><br />下、'''南八甲田火山群'''(先カルデラ火山)<br />右上、'''八甲田カルデラ''']]
[[File:Aomori bay 2007 APR cropped.jpg|thumb|300px|北方の青森港から見た八甲田山。中央が北八甲田火山群で右が南八甲田火山群]]
'''八甲田山'''(はっこうださん)は、[[青森市]]の南側にそびえる大岳(標高1,585m)を主峰とする18の山々からなる複数[[火山]]の総称<ref name="cycling">{{Cite web |url=https://aomori-cycling.com/wp-content/themes/cycling/pdf/am_jp.pdf |title=AOMORI MOBILITY |publisher=青森県サイクル・ツーリズム推進協議会 |accessdate=2020-12-16}}</ref>。[[日本百名山]]の一つ<ref name="cycling" />。
== 概要 ==
「八甲田山」と名がついた[[単独峰]]が存在するわけではなく複数の成層火山や溶岩円頂丘で構成される火山群である。青森県のほぼ中央に位置し、約20km南には[[十和田湖]]が位置する。[[東北地方]]の脊梁[[奥羽山脈]]の北端である。
主峰は大岳(八甲田大岳)の標高1,585m<ref name="cycling" />。これは[[各都道府県の最高峰|青森県の最高峰]]「[[岩木山]]」標高1,625[[メートル|m]]に次ぐ高さである。
八甲田山周辺は広く[[十和田八幡平国立公園]]に指定されている<ref name="kiso">{{Cite web|和書|url=https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kendo/kasensabo/files/2-1_hakkoda_kiso.pdf |title=基礎事項編 |publisher=青森県 |accessdate=2020-12-16}}</ref>。また、八甲田山周辺は田代平や寒水沢上流の一部を除く広い範囲が国有林や保安林に指定されているほか、大岳周辺から蔦温泉周辺にかけて国指定の鳥獣保護区特別保護地区に指定されている<ref name="kiso" />。八甲田山は2016年12月1日より気象庁指定の[[常時観測火山]]となっている<ref name="jma2016">{{Cite web|和書|url = https://www.jma.go.jp/jma/press/1611/17a/jojikansoku_20161117.pdf|title = 八甲田山、十和田、弥陀ヶ原を常時観測火山に追加します|publisher = 気象庁|accessdate = 2016-11-18}}</ref>。
周辺は世界でも有数の[[豪雪地帯]]である。[[明治35年]]に青森の[[連隊#日本|歩兵第五連隊]]が雪中行軍の演習中に記録的な寒波に由来する吹雪に遭遇し、210名中199名が遭難死した事件([[八甲田雪中行軍遭難事件]])が発生、それを基に[[新田次郎]]の小説『[[八甲田山死の彷徨]]』が書かれ[[八甲田山 (映画)|映画化]]もされている。なお、[[陸上自衛隊]]青森駐屯地に駐屯する[[第5普通科連隊]]も、(遭難死した青森歩兵5連隊の隊員慰霊も兼ねて)毎年厳冬期に八甲田山系での冬季雪中戦技演習を行なっている。
== 命名の由来 ==
命名の由来について「新撰陸奥国志」によれば、八の(たくさんの)甲(たて)状の峰と山上に多くの田代(湿原)があるからという。
[[中道等]]は、『十和田村史』で[[菅江真澄]]の『とわだのうみ』や『いはてのやま』を引いて、[[1407年]](応永14年)の『[[三国伝記]]』の「奴可(ぬか)の岳」から、十和田の古称の「糠檀(こうだ)の岳」が発祥したとする説を紹介し、菅江真澄の博識ぶりに感服している。『三国伝記』では、あるとき、女が難蔵に向かって言うことには「この言両(ことわけ)の嶺の西三里に、奴可(ぬか)の嶺という所に池があり、その池に八頭(やまた)の大蛇(おろち)がいる。私を妻として1月のうち上旬の15日は奴可の池に住んで、下旬の15日はこの池に住んでいるので、今はちょうど来る時期です。心してください」という記述がある。これが、南祖坊と八郎太郎が初めて登場するくだりである([[三湖伝説]])。この奴可が、八甲田山東部の郡の古名、糠部(ぬかのぶ)郡の由来になり、のちに音読され糠檀(こうだ)の岳に変わったと言うのである。これより先に、[[元禄]]のはじめに南部藩に逗留した京都の医師の[[松井道圓]]の作とされる『吾妻むかし物語』でも、この説は言及されており、菅江真澄は南部藩周遊中にこの本を読んだ可能性がある。
糠檀の文字を最初に記録しているのは[[1731年]](享保16年)の『[[津軽一統志]]』の中の[[1536年]](天文5年)の『津軽郡中名字』で「津軽と糠部の境、糠檀ノ嶽に湖水有、地神五代より始まる也。数ヶ年に至て大同二年斗賀の霊験堂の宗徒、南蔵坊と云法師、八竜を追出し十湾の沼に入る。今天文五年まで及八百余歳也。」である。以来、八甲田の呼び方はコウダとハツコウダ(ヤツコウダ)の2つに大別される。[[1645年]](正保2年)の絵地図では八甲田山を津軽藩は「かうたの嶽」、南部藩は「高田嶽」としており、共に公式名はコウダだったことが分かる<ref>『八甲田の変遷』、岩淵功、「八甲田の変遷」 出版実行委員会、 [[1999年]]、p.20-21</ref>。
== 八甲田山系 ==
[[File:Hakkoudasan (San mei iri).jpg|thumb|300px|南西の[[阿闍羅山]]より見た八甲田山]]
[[File:Hakkōda Mountains in winter.jpg|thumb|大岳(左)と硫黄岳(右)を西から]]
[[ファイル:Hakkoda Mountains 01.jpg|thumb|[[溶岩ドーム]]の雛岳を東北東から望む。雛岳に重なるように高田大岳が左に見えている。右奥で雲の掛かっているのが八甲田大岳。]]
八甲田山系は'''八甲田大岳'''を盟主として南北2群の火山よりなり、その中間に睡蓮沼を含む湿原地帯がある。
'''山系を構成する山々'''は[[国道103号]]・[[国道394号]]の重複道路を境に、北部八甲田山系と南部八甲田山系に分かれて、後者の方が地層が古い。
; 北部八甲田山系
: 北部より前嶽・田茂萢岳 (1,324m) ・赤倉岳 (1,548m) ・井戸岳 (1,550m) ・'''大岳''' (1,584m) ・小岳 (1,478m) ・[[高田大岳]] (1,559m<ref>{{Cite web|和書|title=北八甲田・高田大岳 標高1559メートルに|環境|青森ニュース|Web東奥|url=https://www.toonippo.co.jp/articles/-/314039|website=Web東奥|accessdate=2020-06-26|language=ja}}</ref>) ・雛岳 (1,240m) ・硫黄岳(八甲田) (1,360m) ・石倉岳(1,202m)
; 南部八甲田山系
: 北部より[[逆川岳]] (1,183m)・横岳(1,339m) ・[[猿倉岳 (青森県)|猿倉岳]] (1,354m) ・駒ヶ峯 (1,416m) ・[[櫛ヶ峯]] (1,517m) ・乗鞍岳(八甲田)(1,450m) ・南部赤倉岳(1,290m)
全国的にはさほど高くはない1600mに満たない山地ではあるが、青森県を東西に二分し、それぞれの気候の特徴に大きな影響を与えている。夏季は太平洋から冷たく湿った北東からの季節風「[[やませ]]」が吹き込み、青森県の太平洋側は濃霧・冷害に見舞われる。対して八甲田山の西側は優良な稲作地帯で、弥生時代の水田跡が発見されている。冬季は日本海から湿った北西の季節風が吹き、津軽地方に雪をもたらす。一方、八甲田山の東側は晴天率が高く降雪も少ない。夏冬いずれも、八甲田山による[[フェーン現象]]であると考えられている。
高田大岳は登山道がほぼ一直線に頂上までつながっており、八甲田山系の登山道の中で最も厳しいコースとして有名である。
== 地形と噴火史 ==
八甲田山は、その南に位置する[[十和田湖]]と同じく、[[カルデラ]]を有する火山群である。広い湿原のある[[田代平湿原|田代平]]近辺の窪地がカルデラの北半分に相当し、南半分はカルデラ形成後に噴火した八甲田大岳などの火山群が盛り上がっている。櫛ケ峯(1,517m)のある南八甲田は古い先カルデラ火山に相当する。カルデラを形成した巨大噴火は、調査されているだけで過去2回(65万年前と40万年前)発生した。南八甲田は2回目のカルデラ噴火の前に火山活動を終えている。北八甲田はカルデラ南半分を埋める形で16万年前から活動を始め、繰り返し噴火しながら多数の(余り大きくない)[[成層火山]]を形成した。歴史時代の記録では[[溶岩]]を流出するような大きな噴火は無いが、山群の所々から[[火山ガス]]が噴気している。
=== 観測体制 ===
気象庁や[[防災科学技術研究所]]等の地震観測施設により地震の観測が行われている
<ref name="203_13m05">{{PDFlink|[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/monthly_v-act_doc/sendai/13m05/203_13m05.pdf 八甲田山の火山活動解説資料(平成25年5月)] 気象庁 平成25年(2013年) 月間火山概況}}</ref>。
[[東北地方太平洋沖地震]](2011年3月11日)以降、八甲田山周辺を震源とする地震が増加した。また、[[2013年]]2月以降、山頂直下を震源とする地震が散発的に発生した<ref name="203_13m05"/>。一方、GPS観測により山体が膨張してるように見える<ref>{{PDFlink|[https://www.jma.go.jp/jma/press/1306/18a/yochiren130618-2.pdf 第126回火山噴火予知連絡会 全国の火山活動の評価]}}山噴火予知連絡会</ref>として2013年6月18日に気象庁が観測機器を新たに設置し、監視を強化したことが報道された<ref>[https://www.jma.go.jp/jma/press/1306/18a/yochiren130618-2.pdf 八甲田山の監視強化へ「山が膨らんでるように見える」] 朝日新聞デジタル記事:2013年6月18日</ref>。2013年7月からは、東北大学噴火予知研究観測センターらによる広帯域地震観測が実施されている<ref>{{PDFlink|[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/kaisetsu/CCPVE/shiryo/127/127_no06_1.pdf 第127回火山噴火予知連絡会資料 その6]}} 火山噴火予知連絡会</ref>。また、2013年9月には、東京大学地震研究所と東北大学噴火予知研究観測センターらによる12箇所の観測点による重力臨時観測が実施された<ref>{{PDFlink|[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/kaisetsu/CCPVE/shiryo/127/127_no08.pdf 第127回火山噴火予知連絡会資料 その8]}} 火山噴火予知連絡会</ref>。
2016年12月1日より気象庁が24時間体制で火山活動を監視する[[常時観測火山]]に追加されることとなった<ref name="jma2016"/>。
=== 火山活動に伴う死亡事故 ===
[[1997年]]には訓練中の自衛隊員3名が、窪地から噴出し、そこに滞留していた高濃度の[[二酸化炭素]]により窒息死する事故が発生している<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKA0159_Q0A620C1000000/ |title=97年にも3人死亡の事故 青森・八甲田山 |publisher=日本経済新聞 |date=2023-06-20 |accessdate=2023-11-23}}</ref>。また2010年6月には、酸ヶ湯温泉上方の登山道を外れた沢に於いて、山菜採りに訪れていた女子中学生1名が、現場に滞留していたと考えられる[[火山ガス]]によって、中毒死する事故が発生している。
== 自然 ==
=== 湿原 ===
[[File:仙人岱からの八甲田山(大岳).jpg|thumb|仙人岱からの大岳]]
八甲田山には、名前の由来の通りにたくさんの高地[[湿地]]があるので有名である<ref> [http://www.sizenken.biodic.go.jp/wetland/72/72.html 八甲田の湿地] </ref><ref> いちのへ義孝『青森県の山』(2010年)</ref>。八甲田山が他の高山に対して景観上の特異性を持っているのは、この湿原群に負うところが大きい。
[[File:大岳避難小屋.jpg|thumb|大岳避難小屋]]
[[File:上毛無岱からの下毛無岱.jpg|thumb|上毛無岱からの下毛無岱]]
* 仙人岱
*: 仙人岱(せんにんたい)は[[酸ヶ湯温泉]](@八甲田ビジターセンター)から大岳へ登る途中の比較的頂上近くにあり、「辰五郎」水飲み場がある。またここは[[ヒメワタスゲ]]の分布南限地となっていて、[[ヒナザクラ]]、[[アオノツガザクラ]]、[[モウセンゴケ]]、[[コバイケイソウ]]なども生育している。木道もあるが、以前の登山者による過度の踏みつけにより、荒廃が激しく裸地化している場所が多く、現在植生の復活が図られている。[[モリアオガエル]]、[[ヤマアオガエル]]、[[イモリ]]などの両生類も多く見られる。
[[File:下毛無岱からの赤倉岳、井戸岳、八甲田山(大岳).jpg|thumb|下毛無岱からの赤倉岳、井戸岳、大岳]]
* 毛無岱
*: 毛無岱(けなしたい)は大岳から大岳鞍部避難小屋から別ルートで酸ヶ湯温泉に下る途中にあり、上毛無岱・中毛無岱・下毛無岱の広大な湿地である。中毛無岱からの階段から望む下毛無岱の全景は多くの登山者が足をとめ写真を撮る絶好のポイントとなっている。テラスがあり、そこで風景を見ながら休憩することもできる。
[[File:田茂萢湿原.jpg|thumb|田茂萢湿原]]
* 田茂萢
*: 田茂萢(たもやち、東北地方で萢=谷地=[[谷戸]])は八甲田スキー場の八甲田ロープウェイで登る田茂萢岳(標高1324m)頂上に広がる湿原で、木道が[[ヒョウタン]](英語でgourd=ゴード)のように8の字になっているゴードラインを歩くことができる。晴れていれば赤倉岳・井戸岳・大岳が眼前に見えて、そこへ縦走する山道もあり、毛無岱へ抜ける道もある。[[ミツガシワ]]、[[チングルマ]]、[[ヒナザクラ]]、[[エゾシオガマ]]などが見られる。特に7月下旬から8月中旬の[[キンコウカ]]の群生と、10月上旬の草紅葉は見事である。山頂公園駅には売店やトイレ、食堂などが完備されている。
[[ファイル:Хаккода суйрен нума.jpg|thumb|紅葉の頃の睡蓮沼<br>右が硫黄岳、左が石倉岳]]
* 睡蓮沼
*: 睡蓮沼(すいれんぬま)は[[国道103号]]・[[国道394号]]の睡蓮沼バス停から階段を登ったところにある沼で、アクセスはよい。入り口に小さな木道があるが、沼をめぐる木道はない。睡蓮沼の名前は、沼に生える[[ヒツジグサ]]に由来する。睡蓮沼を含んだ付近一帯の湿地は高田谷地といい、高田大岳の西南部にある。観望デッキやトイレが完備されている。
* [[田代平湿原]](田代萢)
*: 田代平(たしろたい)湿原は[[八甲田温泉]]近くにある湿原。青森市の天然記念物に選ばれている。他の湿原と比較して標高が低いので趣が異なっている。ここに生育するのは、他の沼地に生育するヒツジグサと違い、開拓民が持ち込んだものがそのまま定着した温帯性のスイレンである。八甲田温泉から湿原に入ることができ、湿原の端には青い鳥居が立つ龍神沼がある。湿原内の道路は1周およそ1時間程度である。6月中旬には[[ワタスゲ]]の穂が満開となり一面の海のようになる。同じ頃[[レンゲツツジ]]や[[ヒメシャクナゲ]]、[[ツルコケモモ]]も見ることができる。6月下旬には[[ニッコウキスゲ]]、7月には[[キンコウカ]]、[[カキラン]]、[[モウセンゴケ]]、[[ムラサキミミカキグサ]]、[[タヌキモ]]、[[タチギボウシ]]、[[ネジバナ]]などを見ることができる。8月下旬には[[ウメバチソウ]]、[[サワギキョウ]]、[[ナガボノシロワレモコウ]]、[[タチアザミ]]が咲く頃には秋の気配が漂ってくる。
* 地獄萢
*: 酸ヶ湯温泉付近の地獄沼の東部にある湿原。
* 赤水萢
*: 酸ヶ湯温泉付近の赤水沢の上流部で地獄萢の南部にある湿原。
* 谷地湿原
*: [[谷地温泉]]の東部にある湿原。谷地湿原そのものには立ち入りはできないが、谷地温泉手前の展望台付近や国道の傍らから湿原植物を見ることができる。
* 横沼萢
*: [[逆川岳]]南側の横沼の西に続く湿原。
* 逆川萢
*: 駒ヶ峰、[[櫛ヶ峯]]の北側、逆川上流一帯の湿原の総称。
* 矢櫃萢(矢櫃湿原)
*: [[猿倉温泉]]から通称旧道をたどり、矢櫃橋手前にある小湿原。ワタスゲやチングルマ、キンコウカなどが目立つ。
* 一ノ沢分岐の湿地帯
*: 旧道と乗鞍岳への登山道との分岐地点にある湿地帯。[[シナノキンバイ]]、[[ハクサンチドリ]]、[[コバイケイソウ]]、[[イワイチョウ]]などが咲く。
* 黄瀬沼分岐の湿原(地獄峠)
*: 旧道の黄瀬沼分岐地点にある湿原。旧道から南に分岐すると直ぐに池塘が点在する湿原がある。このほか、一ノ沢分岐から地獄峠の間にも多くの小湿原が点在する。
[[File:Oseyati.JPG|thumb|ヒナザクラが群生する黄瀬萢]]
* 黄瀬萢(黄瀬田形萢)
*: 旧道の[[櫛ヶ峯]]登山道との分岐地点付近にある湿原。年によってはヒナザクラが群生する。チングルマ、ヒツジグサ、ニッコウキスゲ、[[コバイケイソウ]]、[[ミズバショウ]]、[[ツルコケモモ]]、[[ヒメシャクナゲ]]、[[ミズギク]]、[[カワズスゲ]]、[[ヤチスゲ]]、[[ワタスゲ]]、[[キンコウカ]]、[[ウメバチソウ]]、[[ウラジロレンゲツツジ]]、[[イワカガミ]]、[[ショウジョウバカマ]]、[[イワイチョウ]]、[[ヒナザクラ]]、[[シラネニンジン]]も見られる。旧道脇には[[オオタカネバラ]]が咲く。湿原中央部にあるやや大きな池塘にはヒツジグサや[[ミツガシワ]]、北八甲田にはない[[ネムロコウホネ]]が花を咲かせ、水際には[[タニギキョウ]]が生えている。この池塘の近くに生えている[[ヒノキアスナロ]]は、藩政時代に放牧の目印として植えられたものではないかと言われていて論議になっていたが、自生のものと結論づけられた<ref>「南八甲田山地総合学術調査報告書」[[1992年]](駒ヶ峰地区)P.21。花粉分析の結果(持田・山中1981年)</ref>。
* 黄瀬沼萢
*: 乗鞍岳南腹の黄瀬沼付近の湿原。[[ウサギギク]]、ワタスゲの群生が見られる。コバイケイソウや[[トウゲブキ]]、[[ツルコケモモ]]なども咲く。黄瀬沼の湖畔は湿原となっており、木道で南端まで移動することができる。
* 袖ヶ谷地(ソデカ萢)
*: [[御鼻部山]]山頂近くにある御鼻部口から入山し、北に2時間ほど旧道を歩いた所にある湿原。道の左右に湿原が広がっており、ミズギクやタチギボウシ、サワギキョウなどが咲く。標高は860m程度である。袖ヶ谷地の西側湿原を突っ切って踏み跡をたどり、藪を漕いで西へ行くこと5分ぐらいのところにソデカの杉がある。神社の杉木立を思わせるような太い杉の群落がある。通常この地区の杉が育成できる限界は標高700m程度なので、各種の研究所で調査研究が行われている。藩政時代の放牧の目印として植えられたものとも言われている<ref>『青森県山岳風土記』山田耕一郎、1979年</ref>。
[[File:Minamihakkôda Karekinuma.jpg|thumb|枯木沼]]
* 前谷地
*: 袖ヶ谷地からさらに北に30分ほど歩いた所にある湿原。ここまでは明瞭な道が続いている。植生は袖ヶ谷地と似ている。
* 大谷地(大田代)
*: 前谷地から北に50分程度歩いた所にある広大な湿原。滝ノ又沢と黄瀬川との中間にあり、黄瀬萢の南に広がっている。キンコウカの群生が見られるほか、チングルマ、モウセンゴケ、タチギボウシなどが生育している。大谷地を過ぎて北に行くと、枯木沼がある。枯木沼は道路工事によって小沢がせき止められてできたもので、元々湿地だったため周囲にはフイリミズバショウが生えている。フイリミズバショウはここから黄瀬萢まで分布している。
=== 高山植物 ===
八甲田山には湿原が多く、[[イワイチョウ]]、[[ モウセンゴケ]]、[[ミズバショウ]]が見られる。山には[[アオモリトドマツ]](オオシラビソ)の林があり、稜線には[[ハイマツ]]が茂っている。
大正時代、[[酸ヶ湯温泉]]を経営していた郡場直世の妻・フミは、近辺の高山植物を採集してその標本を各地の研究機関に寄贈した。彼女の功績によって早くから八甲田山の植生が研究されており、そのため酸ヶ湯温泉の付近に[[1929年]]東北帝国大学の研究施設(東北帝国大学八甲田山植物実験所、[[東北大学]]植物園八甲田分園)が作られた。また彼女の息子・[[郡場寛]]は植物学者でもあり、京都大学名誉教授・弘前大学学長である。
== レジャー ==
[[File:3 Peaks Hakkōda.jpg|thumb|ロープウェイ山頂付近から見た冬の八甲田山<br>井戸岳(左)と大岳(右奥)を望む。左端に見切れているのが赤倉岳。大岳の右手前が田茂萢岳。]]
[[File:Juhyo of Hakkoda 02.jpg|thumb|八甲田の樹氷(日本三大樹氷)]]
標高1,584mの'''大岳'''のほかに、'''田茂萢岳'''(たもやちだけ)、'''赤倉岳'''、'''小岳'''、'''高田大岳'''などの山々がほとんど同じ高さで並んでいる。ロープウェイは田茂萢岳に設置されており、冬はスキー、積雪期以外ならハイキング気分で山歩きが楽しめる。秋には全山紅葉し見事な錦秋模様となる上、登山道沿いには[[コケモモ]]や[[ガンコウラン]]がたくさん実をつけており、目と舌の両方を楽しませてくれる。また、冬季には東北地方でも有数の豪雪と強い季節風によりアオモリトドマツに見事な[[樹氷]]を楽しむことができる。加えて、山麓に散在する温泉群は、多様の泉質で味わい深い。
[[File:八甲田大岳と酸ヶ湯温泉.JPG|thumb|酸ヶ湯方面から見た八甲田山大岳]]
=== モデルコース ===
* [[酸ヶ湯|酸ヶ湯温泉]]バス停→仙人岱→八甲田大岳→毛無岱→酸ヶ湯温泉バス停・所要時間5時間(標高差700m)
=== 山岳スキー ===
日本有数の山岳スキー場としても有名で、6km前後の各コースを約半年にわたり楽しむことが出来る。しかし、毎年のように死者が発生する。正規コースには目印となるポールが立てられているが、吹雪や雲中ではひとつ下のポールさえ見えないことがある。遭難はこうした悪天候の影響よりも、意図的にコースを逸脱したケースが多い。
=== 行楽 ===
*'''萱野高原・萱野茶屋''':青森市中心部から車で20分から30分程度、[[国道103号]]沿い標高500mほどになだらかな草原が広がる。茶店が3軒あり、「長生の茶」が親しまれている。曰く「一杯で三年、二杯で六年長生き」し、「三杯飲めば死ぬまで長生き」できるという。
*'''田代平'''(タシロダイラまたはタシロタイ):県道40号沿い、赤倉岳・雛岳の北東になだらかな草原が広がる。茶店が3軒あり宿泊営業もあるため、登山の拠点となる。
=== 温泉 ===
麓には千人風呂が有名な[[酸ヶ湯]]がある。その他にも[[城ヶ倉温泉]]、[[谷地温泉]]、[[猿倉温泉]]、[[蔦温泉]]、[[八甲田温泉]]、[[田代平温泉]]、など山のいで湯があちこちに湧出している。
== 南八甲田・旧道(旧県道) ==
[[猿倉温泉]]から南八甲田を貫き[[御鼻部山]]にいたる27kmの山道。登山家には軍用道路として作られたと伝わっている話もあるが、昭和9年から昭和11年までに[[青森県議会]]議員の[[小笠原八十美]]が青森県に[[冷害]]による貧民救済としてとして造らせた自動車道である<ref>『青森110山」、村上義千代、平成11年p.132</ref>。南八甲田登山のメインルートとして多くの登山者に利用されている。
猿倉温泉から黄瀬萢の間は健脚向きの歩道状態が確保されているが、長年の[[植物遷移]]と洗掘が進んで歩行困難な箇所もある黄瀬萢から御鼻部山に向かうルートは、多くがやぶに覆われ、山慣れた人でないと容易に歩けない状態になっている。
多額の費用を掛けて造られた自動車道だったが、[[中道等]]の『十和田村史<ref>中道等『[{{NDLDC|2998386/281}} 十和田村史. 下巻]』、十和田村、[[1955年]]、p.544</ref>』では「この道には車が一台も通らなかった」とある。矢櫃橋から松次郎清水の間には現在でも大きな石が沢山放置されており、昭和初期の記録でもこのために自動車の通行は困難であろうとする記述がある。
*ルートは [[猿倉温泉]] - 猿倉神社跡 - 望甲台 - 矢櫃萢 - 矢櫃橋 - 見返り峠 - 松次郎清水(水場) - 一の沢分岐(乗鞍岳への登山道との分岐) - 地獄峠 - 黄瀬沼への分岐 - 崩落した2つの橋 - 駒ヶ峰分岐 - 黄瀬萢([[櫛ヶ峯]]分岐) - 松森ヘアピンカーブ - 枯木沼 - 大谷地 - 前谷地 - 袖ヶ谷地 - [[御鼻部山]] である。
*[[櫛ヶ峯]]分岐からは南八甲田櫛ヶ峯への登山道が分岐している。この登山道もヤブや洗掘が多い。
*望甲台は矢櫃萢手前にあり西北に視界が展けている場所。登り初めてから初めて視界が広がる場所であった。現在は草木が繁茂して視界が限られている。見返り峠も東に視界が広がっている場所であったが、同様に現在は視界が限られている。
*矢櫃橋は造られた当時はコンクリート橋であったが、1999年に崩壊。2004年に木の橋に作り替えられた。
*矢櫃橋がある場所から、矢櫃川の下流方向約200〜300mの地点の矢櫃萢の傍らに、三本木営林署 (現・[[東北森林管理局|三八上北森林管理署]])が建設した「矢櫃ヒュッテ」が戦前まであり、八甲田ツアースキーに利用されていた。戦前は「矢櫃ヒュッテ」の絵はがきが売り出されるほどだったが、猿倉温泉の建物同様に戦後直ぐの時代には崩壊していた。
*地獄峠は乗鞍岳と駒ヶ峰の中間鞍部にある標高1270mのなだらかな峠である。
*黄瀬萢から大谷地までは、この旧道は非常に深いヤブになっており、わずかに見える踏み跡をやっとたどることになる。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=新田次郎|authorlink=新田次郎|year=1978|date=1978/01|title=[[八甲田山死の彷徨]]|series=[[新潮文庫]]|publisher=文芸春秋|isbn=4101122148|id={{NDLJP|20380415}}|ncid=BN06152550}}
* {{Cite book|和書|author=高木勉|authorlink=高木勉 (ノンフィクション作家)|year=1990|date=1990.2|title=八甲田山から還ってきた男―雪中行軍隊長・福島大尉の生涯|series=[[文春文庫]]|publisher=文芸春秋|isbn=4167482029|ncid=BN07267707|id={{NDLJP|90023512}}}}
* {{Cite book|和書|author=児島襄|authorlink=児島襄|year=1994|date=1994.1|title=日露戦争1|series=[[文春文庫]]|publisher=文芸春秋|isbn=978-4167141462|ncid=BN10761392|id={{NDLJP|94021624}}}}
* {{Cite book|和書|author=日野東、葛西英明|year=2003|date=2003.4|title=北とうほく 花の湿原|series=んだんだブックス|publisher=無明舎|isbn=4-89544-331-0|ncid=BA63563613|id={{NDLJP|20425979}}}}
== 関連項目 ==
{{commonscat|Hakkōda Mountains}}
* [[八甲田山 (映画)]]
* [[十和田八幡平国立公園]]
* [[八甲田雪中行軍遭難事件]]
* [[岩木山]]
* [[日本の秘境100選]]
* [[八甲田トンネル]]
* [[東北大学植物園]]
* [[三浦敬三]]
== 外部リンク ==
* [https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sendai/203_Hakkodasan/203_index.html 八甲田山] - 気象庁
*[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/open-data/open-data.php?id=203 八甲田山の火山観測データ] 気象庁
**[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/monthly_v-act_doc/monthly_vact_vol.php?id=203 八甲田山の臨時及び過去の詳細月別火山概況・火山活動解説資料] 気象庁
**[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sendai/open-data/data/eq_num_203.html 八甲田山の最近(2ヶ月間)の日別地震回数表] 気象庁
* {{PDF|[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/23_Hakkodasan.pdf 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版 八甲田山]}} - 気象庁
* [https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/D10.html 日本の火山 北八甲田火山群] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
* [https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/D09.html 日本の火山 南八甲田火山群] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
* 防災関連
** [http://www.bousai.pref.aomori.jp/DisasterFireDivision/council/index.html 八甲田山火山防災協議会]
** {{PDF|[http://www.bousai.pref.aomori.jp/files/image/council/04_2E585ABE794B2E794B0E5B1B1E381AEE599B4E781ABE5B1.pdf 八甲田山の噴火履歴について]}} - 青森県防災ホームページ
* 観光
** [https://www.city.aomori.aomori.jp/bunka-sports-kanko/kankou/kankou-spot/hakkouda-towada/index.html 八甲田・十和田] 青森市
** [http://www.hakkoda-ropeway.jp/ 八甲田ロープウェイ] 四季を通じた観光情報、山頂の気象情報など
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7,027 | 八幡平 | 八幡平(はちまんたい)は、秋田県と岩手県にまたがる標高1,614 mの山及びその周囲の高原台地。深田久弥の日本百名山に挙げられている。山域は1956年(昭和31年)に十和田八幡平国立公園に指定されている。
およそ100万年前に噴出したいくつかの火山でできている。山頂部のなだらかな様子からかつては楯状火山(アスピーテ)とされていたが、現在では山頂が侵食や爆発により台地状になった成層火山と分類されている(詳しくは火山#地形による分類を参照)。頂上部には9千年前から5千年前に発生した水蒸気爆発により多くの火口ができている。その火口に水がたまった、八幡沼やガマ沼、メガネ沼などの沢山の火口沼がある。
国立公園八幡平地域は40,489haの広さがあり、ほとんどが国有林である。八幡平一帯は北緯40度付近の標高1,400m以上の場所にあり、アオモリトドマツの原生林に覆われ、さまざまな高山植物の群落が発達している。
冬季は北西の季節風の影響により八幡沼などは結氷し、アオモリトドマツなどに付いた樹氷が大きく発達して日本最大級の樹氷群となる。
八幡平山頂には二等三角点がある。あまりに平らで山頂らしくないということで、1962年(昭和37年)に岩手県によって土盛りが行われた。それが崩れてきたので、1986年(昭和61年)に国立公園指定30周年を記念して木造の展望台が作られた。この展望台も老朽化したため2012年(平成24年)に取り壊されたが、降雪による工事中断と工業者の倒産などにより、2年間あまり展望台が無い状態が続いていた。その後2014年(平成26年)10月に新しい展望台が建てられ、10月10日に神事が執り行われた。
伝説によると、桓武天皇の勅命で奥州蝦夷征伐に訪れた坂上田村麻呂は、山賊の残党を追う途中に八幡平にたどり着き、その極楽浄土のような景色に感激した。そこで、戦の神である八幡神宮を奉り戦勝を祈り、残党を討伐後に再度高原の八幡神宮を訪れ、戦勝の報告を行うとともに、この地を「八幡平」と名付けたとされる。ただ、史実では坂上田村麻呂はこの地には至っていない。
八幡平には展望が良い山が3ヶ所あり、「八幡平三大展望地」と言われている。畚岳、源太森、茶臼岳がそれである。
1993年(平成5年)に頂上付近の見返峠の駐車場で料金徴収が開始された。これは、有料道路であった八幡平アスピーテラインが無料化されたことと、松川温泉と藤七温泉を結ぶ樹海ラインの開通により、利用者の急増が見込まれるため、利用者に自然保護の負担を求めることが目的である。駐車料金は、公園施設の維持管理と美化清掃などの費用として使われている。
5月の下旬から6月の上旬にかけて、八幡平頂上付近の鏡沼の雪解け状況がまるで竜の目のように見えることから、「八幡平ドラゴンアイ」と呼ばれている。
コースは基本コースと、八幡沼展望台から分岐する2つのサブコースがある。
八幡平周辺は東北地方でも有数の温泉地帯、特徴のある温泉が多数湧出している。頂上近くの藤七温泉や蒸ノ湯温泉(ふけのゆ)のほかに、少し足を伸ばせば火山地獄が見られる後生掛温泉や、北投石で有名な玉川温泉などの名湯がある。一帯は八幡平温泉郷として、国民保養温泉地にも指定されている。
八幡沼の湖畔に建つのが避難小屋の陵雲荘である。最初に建てられたのが1957年(昭和32年)で、その後4度改築されている。内部には暖炉もあるため、樹氷見物のスキーヤーたちもしばしば利用している。建設当時は「凌雲荘」という字が使われていて「雨雲を凌ぐ荘」だったのだが、いつの間にか「雲の陵(墓)の荘」と字が変わっている。薪は常備されていないので、持参する必要がある。
大正時代に蒸ノ湯温泉を経営していた阿部藤助は、秋田県鹿角郡宮川村の助役を8年、村長を15年無報酬で務めたほか、鹿角郡農会長などを歴任し、電灯会社を興し、観光や農業など郷土の興隆に生涯をささげた人物である。阿部は八幡平までの山道を切り開いている。八幡平山頂から西北西500mにある藤助森(1604m)は彼の功績にちなんで名付けられた。藤助森の地形図への記載は以前は記載されていたが、最近の地形図からは削除されていた。山スキー愛好家で元行政マンの多田均は藤助森が冬季スキーツアーのコースの分岐点にあることから、遭難防止や遭難救助等の面から地形図の整備や指標を設置する必要性に着眼。鹿角、仙北、八幡平各市の山岳会等に呼びかけて2012年6月、児玉一鹿角市長にその旨を陳情。市長が国土地理院に申請し、8月に登載が決まった。新地形図は従来の地形図がなくなり次第発行される。
八幡平三大展望地の一つが源太森である。名前の由来は、坂上田村麻呂の部下で、偵察役の霞源太忠義と、忠春が敵の様子を探った場所であるとする伝説から付けられた。
東西600m、南北200mの大きな沼である。最大水深は22.4mで、複数の火口が連なってできた複合火口湖である。こうした爆裂火口湖はこの付近に18個ほど連なっており、およそ6000年前に水蒸気爆発によって形成された。八幡沼は岩手県で2番目に大きな自然湖である。周囲には八幡沼湿原が広がっており、湿原から浸透してくる水によって涵養される湖水は、泥炭のために淡いコーヒー色に染まった黒い青色をしている。湖畔には避難小屋の陵雲荘があり、八幡沼と陵雲荘を望む場所には休憩広場が造られている。休憩広場は踏みつけにより高山植物が荒らされ、現在は植生回復のために試験が行われている。
伝説では、坂上田村麻呂が岩手山を拠点とする大武丸(大猛丸)を攻撃する時、源太森を物見台として、この八幡沼のほとりに軍を集め、8本の旗を立てて八幡神に戦勝祈願したとされる。八幡平という名もこの八幡沼の伝承が元になっている。
八幡沼近くのガマ沼は2つの爆裂火口が連なってできた沼で「お釜」のような形が名前の由来である。最大水深は9.1m。湖水は周囲の湿原から浸透してきており、その色は硫黄コロイデのために少しにごった青緑色をしている。ガマガエルや植物のガマは生育していない。代わりにサンショウウオは成育している。
山頂近くにある鏡沼(直径約50m)は、5月後半から6月初旬にかけて、雪が溶けると全体が巨大な「目玉」のように見える。雪解けの季節にだけ見られる現象で、「ドラゴンアイ」として宣伝や案内が行われている。見られるのは2週間ほどである。まだかなりの雪が残っている時期なので、実際に見るためにはそれなりの装備が必要である。
八幡平が全国に知られるようになったのは、杉村楚人冠の働きが大きい。 杉村楚人冠は、1934年(昭和9年)7月12日、湯瀬温泉で本社から石井光次郎営業局長、木村通信部長とともに東北三県朝日会(販売店主会議)に出席した後、13日楚人冠は八幡平登山に向かった。一行は車で坂比平まで行き、そこから八頭の馬に分乗してトロコ温泉に着いた。昼食をすませ、蒸の湯を目ざそうとした。石井、木村の両氏はここから下山し十和田湖をまわって帰京の予定だった。いったん彼らと別れを交わして先発した楚人冠は、ほどなく木村部長の声に呼び止められた。思い直し二人も登山することにしたという。心強さをおぼえた楚人冠は、思わず「バンザイ」と叫び、馬をおりようとしたが、その時馬が動き、右足のゴルフ靴のイボがあぶみに深くはまって宙に吊り下げられたかっこうになった。右手をのばし、やっと足をはずしたところで、どしんと落ちた。そこはさいわい、深い草の上だった。本人はさして痛みを感じなかったらしいが、うしろにいた馬子が「ボキッ」とにぶい音をきき、洋服から骨が突き出たのを目撃している。それでも本人は、はじめ骨折には半信半疑だったようだ。石井光次郎は柔道三段で、若いころ神戸で接骨医の家に下宿したこともあって、応急乎当は手なれたものだった。金剛杖を副木に、馬子の豆しぽりの手拭で腕をしばり、戸板の上の人となって下山する。 永田の集落に、8代も続いたセガリ(民間の接骨師)がいて、7代目の老人が名人といわれて健在だった。その老人の治療を受けて、その夜は谷内の阿部村長の家へ一泊、翌日から一週間再び湯瀬ホテルの客となった。腕が不自由ただけで、口もハラも丈夫だから、押しかける見舞い客を相手に、時節はずれのきりたんぽを振舞うやら、馬食会と称して、馬肉はおろか土地の人もめったに食わない馬の肝を五分厚にきって塩焼きにした料理を食べるやら、八幡平での奇禍をかえって楽しい温泉遊山にした。
楚人冠のこの文章がアサヒグラフ9月5日号に出て八幡平が急に全国に知られるようになった。その翌年、関直右衛門や阿部藤助らが提唱し、トロコ温泉の落馬の地に「楚人冠落馬記念碑」を建てる動きになった。除幕式は1周年のあとの8月のある日、楚人冠を迎えて行なわれた。そして、この時に念願の八幡平登山もかない、3日の行程で蒸ノ湯温泉から頂上をきわめ後生掛温泉から焼山越えをし、さらに玉川温泉まで踏破した。帰京後ただちに「八幡平再挙」の一文がアサヒグラフに登場した。蒸ノ湯のオンドル式温泉浴がよほど気にいったものらしく「天下の珍湯」として紹介されている。記念碑は、落馬地点から数歩とへだてない場所に建てられた。高さ180cm、幅48cmの地元産の自然石で、トロコ温泉のすこし手前にあったが、バイパスがここを起点につくられるため、記念碑は土台を新しく石で畳んで移転させられ別の場所にある。(北緯40度00分49.7秒 東経140度48分23.3秒 / 北緯40.013806度 東経140.806472度 / 40.013806; 140.806472)
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{{Infobox 山
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|画像キャプション =[[:ja:畚岳|畚岳]]から北北東に八幡平の平坦面を見る
|標高 = 1,613.<small>50</small><ref name="kijun">[http://sokuservice1.gsi.go.jp/datums/ 基準点成果等閲覧サービス:秋田-八幡平-八幡平] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090609164634/http://sokuservice1.gsi.go.jp/datums/ |date=2009年6月9日 }}([[国土地理院]]、2010年12月31日閲覧)</ref>
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|山系 = [[奥羽山脈]]
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|地図 = {{Location map|Japan#Japan Iwate Prefecture#Japan Akita Prefecture|width=300|relief=1}}<small>八幡平の位置</small>{{日本の位置情報|39|57|28|140|51|15|八幡平|39.957778,140.854167|八幡平|nocoord=yes}}
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[[File:Hachimantai Volcano Group Relief Map, SRTM-1.jpg|thumb|300px|八幡平火山の火山体地形図]]
'''八幡平'''(はちまんたい)は、[[秋田県]]と[[岩手県]]にまたがる[[標高]]1,614 [[メートル|m]]の山及びその周囲の高原台地<ref name="index-227" />。[[深田久弥]]の[[日本百名山]]に挙げられている<ref name="index-227">{{Cite web|和書|url= https://www.rinya.maff.go.jp/tohoku/koho/koho_si/attach/pdf/index-227.pdf |title=みどりの東北 No.58|publisher=東北森林管理局 |accessdate=2020-12-17}}</ref><ref>『日本百名山』[[深田久弥]](著)、[[朝日新聞社]]、1982年、ISBN 4-02-260871-4</ref>。山域は[[1956年]](昭和31年)に[[十和田八幡平国立公園]]に指定されている。
== 特徴 ==
およそ100万年前に噴出したいくつかの火山でできている。山頂部のなだらかな様子からかつては[[楯状火山]](アスピーテ)とされていたが、現在では山頂が侵食や爆発により台地状になった[[成層火山]]<!-- 「コニーデ」は旧分類の用語なので併記しない -->と分類されている(詳しくは[[火山#地形による分類]]を参照)。頂上部には9千年前から5千年前に発生した水蒸気爆発により多くの火口ができている。その火口に水がたまった、八幡沼やガマ沼、メガネ沼などの沢山の火口沼がある。
国立公園八幡平地域は40,489haの広さがあり、ほとんどが国有林である。八幡平一帯は北緯40度付近の標高1,400m以上の場所にあり、[[アオモリトドマツ]]の原生林に覆われ、さまざまな高山植物の群落が発達している<ref name="SLOW">{{Cite web|和書|url= http://www.morioka-hachimantai.jp/pdf/pamph-hachimantai.pdf |title=八幡平 SLOW STAY|publisher=八幡平市 |accessdate=2020-12-17}}</ref>。
冬季は北西の季節風の影響により八幡沼などは結氷し、アオモリトドマツなどに付いた[[樹氷]]が大きく発達して日本最大級の樹氷群となる<ref name="SLOW" />。
八幡平山頂には二等[[三角点]]がある。あまりに平らで山頂らしくないということで、[[1962年]](昭和37年)に岩手県によって土盛りが行われた。それが崩れてきたので、[[1986年]](昭和61年)に国立公園指定30周年を記念して木造の展望台が作られた。この展望台も老朽化したため[[2012年]](平成24年)に取り壊されたが、降雪による工事中断と工業者の倒産などにより、2年間あまり展望台が無い状態が続いていた。その後[[2014年]](平成26年)10月に新しい展望台が建てられ、10月10日に神事が執り行われた。
== 伝承 ==
伝説によると、[[桓武天皇]]の勅命で奥州蝦夷征伐に訪れた[[坂上田村麻呂]]は、山賊の残党を追う途中に八幡平にたどり着き、その極楽浄土のような景色に感激した。そこで、戦の神である八幡神宮を奉り戦勝を祈り、残党を討伐後に再度高原の八幡神宮を訪れ、戦勝の報告を行うとともに、この地を「八幡平」と名付けたとされる。ただ、史実では坂上田村麻呂はこの地には至っていない。
== 観光 ==
八幡平には展望が良い山が3ヶ所あり、「八幡平三大展望地」と言われている。[[畚岳]]、[[源太森]]、[[茶臼岳 (八幡平)|茶臼岳]]がそれである。
[[1993年]](平成5年)に頂上付近の見返峠の駐車場で料金徴収が開始された。これは、有料道路であった八幡平アスピーテラインが無料化されたことと、松川温泉と藤七温泉を結ぶ樹海ラインの開通により、利用者の急増が見込まれるため、利用者に自然保護の負担を求めることが目的である。駐車料金は、公園施設の維持管理と美化清掃などの費用として使われている。
5月の下旬から6月の上旬にかけて、八幡平頂上付近の鏡沼の雪解け状況がまるで竜の目のように見えることから、「八幡平ドラゴンアイ」と呼ばれている。
=== トレッキングコース ===
[[File:八幡平山頂部.jpg|thumb|right|八幡平山頂部]]
コースは基本コースと、八幡沼展望台から分岐する2つのサブコースがある。
* 基本コース:アスピーテライン頂上駐車場(30分)→''八幡沼展望台''(10分)→八幡平頂上(20分)→分岐(10分)→八幡平頂上駐車場〈所要約1時間10分〉
* サブコース(基本コースの八幡沼展望台から分岐):
*# ''八幡沼展望台''→八幡沼一周(40分)→分岐(10分)→八幡平頂上駐車場〈所要約1時間30分〉
*# ''八幡沼展望台''→八幡沼(25分)→源太森(40分)→黒谷地(30分)→茶臼岳(30分)→茶臼口バス停〈所要約2時間45分〉
=== 温泉 ===
八幡平周辺は東北地方でも有数の温泉地帯、特徴のある温泉が多数湧出している。頂上近くの[[藤七温泉]]や[[蒸ノ湯温泉]](ふけのゆ)のほかに、少し足を伸ばせば火山地獄が見られる[[後生掛温泉]]や、[[北投石]]で有名な[[玉川温泉 (秋田県)|玉川温泉]]などの名湯がある。一帯は八幡平温泉郷として、[[国民保養温泉地]]にも指定されている。
=== 陵雲荘 ===
八幡沼の湖畔に建つのが避難小屋の陵雲荘である。最初に建てられたのが[[1957年]](昭和32年)で、その後4度改築されている。内部には暖炉もあるため、樹氷見物のスキーヤーたちもしばしば利用している。建設当時は「凌雲荘」という字が使われていて「雨雲を凌ぐ荘」だったのだが、いつの間にか「雲の陵(墓)の荘」と字が変わっている。薪は常備されていないので、持参する必要がある。
=== 藤助森 ===
大正時代に[[蒸ノ湯温泉]]を経営していた阿部藤助は、秋田県鹿角郡宮川村の助役を8年、村長を15年無報酬で務めたほか、鹿角郡農会長などを歴任し、電灯会社を興し、観光や農業など郷土の興隆に生涯をささげた人物である。阿部は八幡平までの山道を切り開いている。八幡平山頂から西北西500mにある藤助森(1604m)は彼の功績にちなんで名付けられた。藤助森の地形図への記載は以前は記載されていたが、最近の地形図からは削除されていた。山スキー愛好家で元行政マンの多田均は藤助森が冬季スキーツアーのコースの分岐点にあることから、遭難防止や遭難救助等の面から地形図の整備や指標を設置する必要性に着眼。鹿角、仙北、八幡平各市の山岳会等に呼びかけて[[2012年]]6月、児玉一鹿角市長にその旨を陳情。市長が国土地理院に申請し、8月に登載が決まった。新地形図は従来の地形図がなくなり次第発行される。
[[File:源太森からの八幡沼.jpg|thumb|right|源太森からの八幡沼]]
=== 源太森 ===
八幡平三大展望地の一つが源太森である。名前の由来は、坂上田村麻呂の部下で、偵察役の霞源太忠義と、忠春が敵の様子を探った場所であるとする伝説から付けられた。
=== 八幡沼 ===
[[ファイル:Hachimann numa 2008.jpg|thumb|right|八幡沼]]
東西600m、南北200mの大きな沼である。最大水深は22.4mで、複数の火口が連なってできた複合火口湖である。こうした爆裂火口湖はこの付近に18個ほど連なっており、およそ6000年前に水蒸気爆発によって形成された。八幡沼は岩手県で2番目に大きな自然湖である。周囲には八幡沼湿原が広がっており、湿原から浸透してくる水によって涵養される湖水は、泥炭のために淡いコーヒー色に染まった黒い青色をしている。湖畔には避難小屋の陵雲荘があり、八幡沼と陵雲荘を望む場所には休憩広場が造られている。休憩広場は踏みつけにより高山植物が荒らされ、現在は植生回復のために試験が行われている。
伝説では、[[坂上田村麻呂]]が[[岩手山]]を拠点とする大武丸(大猛丸)を攻撃する時、源太森を物見台として、この八幡沼のほとりに軍を集め、8本の旗を立てて[[八幡神]]に戦勝祈願したとされる。八幡平という名もこの八幡沼の伝承が元になっている。
=== ガマ沼 ===
八幡沼近くのガマ沼は2つの爆裂火口が連なってできた沼で「お釜」のような形が名前の由来である。最大水深は9.1m。湖水は周囲の湿原から浸透してきており、その色は硫黄コロイデのために少しにごった青緑色をしている。[[ガマガエル]]や植物の[[ガマ]]は生育していない。代わりに[[サンショウウオ]]は成育している。
=== 鏡沼 ===
山頂近くにある鏡沼(直径約50m)は、5月後半から6月初旬にかけて、雪が溶けると全体が巨大な「目玉」のように見える。雪解けの季節にだけ見られる現象で、「ドラゴンアイ」として宣伝や案内が行われている。見られるのは2週間ほどである。まだかなりの雪が残っている時期なので、実際に見るためにはそれなりの装備が必要である。
== 楚人冠落馬記念碑 ==
[[File:Sozinkan Rakuba Kinenhi.jpg|thumb|right|楚人冠落馬記念碑]]
八幡平が全国に知られるようになったのは、[[杉村楚人冠]]の働きが大きい。
[[杉村楚人冠]]は、[[1934年]](昭和9年)7月12日、[[湯瀬温泉]]で本社から[[石井光次郎]]営業局長、木村通信部長とともに東北三県朝日会(販売店主会議)に出席した後、13日楚人冠は八幡平登山に向かった。一行は車で坂比平まで行き、そこから八頭の馬に分乗してトロコ温泉に着いた。昼食をすませ、蒸の湯を目ざそうとした。石井、木村の両氏はここから下山し十和田湖をまわって帰京の予定だった。いったん彼らと別れを交わして先発した楚人冠は、ほどなく木村部長の声に呼び止められた。思い直し二人も登山することにしたという。心強さをおぼえた楚人冠は、思わず「バンザイ」と叫び、馬をおりようとしたが、その時馬が動き、右足のゴルフ靴のイボがあぶみに深くはまって宙に吊り下げられたかっこうになった。右手をのばし、やっと足をはずしたところで、どしんと落ちた。そこはさいわい、深い草の上だった。本人はさして痛みを感じなかったらしいが、うしろにいた馬子が「ボキッ」とにぶい音をきき、洋服から骨が突き出たのを目撃している。それでも本人は、はじめ骨折には半信半疑だったようだ。石井光次郎は柔道三段で、若いころ神戸で接骨医の家に下宿したこともあって、応急乎当は手なれたものだった。金剛杖を副木に、馬子の豆しぽりの手拭で腕をしばり、戸板の上の人となって下山する。 永田の集落に、8代も続いたセガリ(民間の接骨師)がいて、7代目の老人が名人といわれて健在だった。その老人の治療を受けて、その夜は谷内の阿部村長の家へ一泊、翌日から一週間再び湯瀬ホテルの客となった。腕が不自由ただけで、口もハラも丈夫だから、押しかける見舞い客を相手に、時節はずれの[[きりたんぽ]]を振舞うやら、馬食会と称して、馬肉はおろか土地の人もめったに食わない馬の肝を五分厚にきって塩焼きにした料理を食べるやら、八幡平での奇禍をかえって楽しい温泉遊山にした<ref>楚人冠自身の筆になる「落馬記」([[1936年]](昭和11年)『[{{NDLDC|1256727/93}} と見かう見]』収録 p.153-182)による</ref>。
楚人冠のこの文章が[[アサヒグラフ]]9月5日号に出て八幡平が急に全国に知られるようになった。その翌年、関直右衛門<ref group="注釈">[[湯瀬温泉]]や[[玉川温泉]]の開発者。</ref>や阿部藤助<ref group="注釈">八幡平藤助森に名を残している。[[宮川村 (秋田県)|宮川村]]村長で[[蒸ノ湯温泉]]や[[秋田焼山]]の硫黄鉱山を経営する。</ref>らが提唱し、トロコ温泉の落馬の地に「楚人冠落馬記念碑」を建てる動きになった。除幕式は1周年のあとの8月のある日、楚人冠を迎えて行なわれた。そして、この時に念願の八幡平登山もかない、3日の行程で[[蒸ノ湯温泉]]から頂上をきわめ[[後生掛温泉]]から[[秋田焼山|焼山]]越えをし、さらに[[玉川温泉]]まで踏破した。帰京後ただちに「八幡平再挙<ref>[[1936年]](昭和11年)『[{{NDLDC|1256727/126}} と見かう見]』収録 p.214-248</ref>」の一文がアサヒグラフに登場した。蒸ノ湯のオンドル式温泉浴がよほど気にいったものらしく「天下の珍湯」として紹介されている。記念碑は、落馬地点から数歩とへだてない場所に建てられた。高さ180cm、幅48cmの地元産の自然石で、トロコ温泉のすこし手前にあったが、バイパスがここを起点につくられるため、記念碑は土台を新しく石で畳んで移転させられ別の場所にある<ref>『石の語部』-秋田の史碑散歩-、伊多波英雄、1979年、p.153-159</ref>。({{Coord|40|00|49.7|N|140|48|23.3|E|}})
== 八幡平系の山 ==
* [[秋田焼山]]
* [[畚岳]]
* [[諸桧岳]]
== アクセス ==
=== 自動車 ===
*[[岩手県道・秋田県道23号大更八幡平線]](八幡平アスピーテライン)
=== バス ===
*岩手県側
**[[岩手県北自動車|岩手県北バス]] [[盛岡バスセンター]]~[[盛岡駅バスターミナル|盛岡駅前]]~松尾歴史民俗資料館~八幡平頂上 直通便では2時間2分 ※松尾歴史民俗資料館で乗継となる場合あり
*秋田県側
**[[羽後交通]]・[[秋北バス]](共同運行)[[田沢湖駅|田沢湖駅前]]~[[田沢湖|田沢湖畔]]~[[玉川温泉 (秋田県)|玉川温泉]]~八幡平頂上 2時間16分
**[[秋北バス]] [[鹿角花輪駅|鹿角花輪駅前]]~[[松尾八幡平駅|八幡平駅前]]~八幡平頂上 1時間18分
いずれも季節運行。「八幡平頂上」バス停は見返峠駐車場にある。
== 八幡平にちなむ自治体名 ==
* 秋田県[[鹿角郡]]'''[[八幡平村]]''' ([[1956年]](昭和31年)[[6月15日]] - [[1972年]](昭和47年)[[3月31日]]、現鹿角市)
* 岩手県'''[[八幡平市]]''' ([[2005年]]([[平成]]17年)[[9月1日]] - )
{{Main2|合併と新市名にかかわる経緯は[[八幡平市#沿革]]を}}
== 八幡平 画像ギャラリー ==
<gallery>
File:Hachimantai Onuma 003.jpg|八幡平大沼
File:Lake Kagaminuma in Mt.Hachimantai.jpg|鏡沼
File:Hachimantai Onuma 005.jpg|八幡平大沼の紅葉
File:Mokkodake to tôsitionsen.JPG|畚岳と藤七温泉(野湯)
File:HachimantaiBoardwalk.JPG|八幡平トレッキングコース
File:Hatimantai "Dragon Eye".jpg|鏡沼 "ドラゴンアイ"
八幡沼の展望台.jpg|八幡沼の展望台
蒸ノ湯温泉.jpg|[[蒸ノ湯温泉]]
八幡平アスピーテラインのホンドキツネ.jpg|八幡平アスピーテラインの[[ホンドキツネ]]
岩手山からの畚岳と八幡平.jpg|[[岩手山]]からの畚岳と八幡平
</gallery>
=== 大深沢展望台から南東の山々 ===
{{wide image|大深沢展望台から南東の山々.jpg|940px}}
=== 大深沢展望台から南西の山々 ===
{{wide image|大深沢展望台から南西の山々.jpg|940px}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Mount Hachimantai}}
* [[日本の山一覧]]
* [[日本百名山]]
* [[日本の秘境100選]]
* [[十和田八幡平国立公園]]
* [[岩手県の観光地]]
* [[秋田県の観光地]]
* [[岩手県道・秋田県道23号大更八幡平線]](八幡平アスピーテライン)
* [[八幡平温泉郷]]
* [[八幡平ポーク]]
== 外部リンク ==
* [https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sendai/206_Hachimantai/206_index.html 八幡平] - 気象庁
* {{PDF|[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/26_Hachimantai.pdf 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版 八幡平]}} - 気象庁
* [https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/D22.html 日本の火山 八幡平] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
{{日本百名山}}
{{東北百名山}}
{{日本の活火山}}
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[[Category:山岳名目録]]
[[Category:岩手県の山]]
[[Category:岩手県の火山]]
[[Category:岩手県の自然景勝地]]
[[Category:八幡平市の地理]]
[[Category:秋田県の山]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%B9%B3 |
7,028 | 岩手山 | 岩手山(いわてさん)は、岩手県の北西部にあり、二つの外輪山からなる標高2,038mの成層火山である。青森県から岩手県を経て福島県に連なる奥羽山脈の岩手県域北部に位置する岩手山は、岩手県の最高峰であり、県のシンボルの一つとされている。日本百名山に選定されている。
岩手県八幡平市、滝沢市、雫石町にまたがる。西に姥倉山、大松倉山が続くものの、奥羽山脈の主稜からは離れており、独立峰に近い。東の盛岡側から見る姿は富士山のように長い裾野を引く整った形で、「表岩手」と呼ばれる。南の雫石町や北の八幡平市松尾方面から見ると、外輪山の連なりが凹凸をなし、「裏岩手」と呼ばれる。山域は、1956年(昭和31年)に十和田八幡平国立公園に指定された。山頂には一等三角点『岩手山』(重点整備点)が設置されている。
別名に巌鷲山(がんじゅさん)があるが、本来「いわわしやま」と呼ばれていたものが「岩手」の音読み「がんしゅ」と似ていることから、転訛したものだとも言われる。春、表岩手山には雪解けの形が飛来する鷲の形に見えるため、これが山名の由来になったとも伝えられる。静岡県側から見た富士山に似ており、その片側が削げているように見えることから「南部片富士」とも呼ばれる。古名に「霧山岳」「大勝寺山」。俗称に「お山」。「子富士」とペアで「親富士」と表現することもある(原敬句碑より)。
古来信仰の山で、山頂外輪を取り囲むように石仏、山麓の滝沢市・盛岡市に岩手山神社が祭られる。前九年の役以後、巌鷲山大権現大宮司として伊豆国出身の「栗谷川(厨川、工藤)家」が代々祭事を務めることとされていたが、後に祭祀権をめぐり攻防があった。
約70万年前から約30万年前に活動した綱張火山群を広義の岩手火山として、西岩手火山が活動を開始した約30万年前以降が狭義の岩手火山となっている。岩手火山は、山体の3分の2を占める西岩手火山と、その外輪山の東に寄生火山として覆い被さった東岩手火山が重なってできている。東岩手火山の外輪山の最高点が岩手山の山頂である。
岩手山と西の黒倉山(1,570m)の間に西岩手火山のカルデラがある。このカルデラの成因は不明で、東西に2.5キロメートルの長い楕円をなす。中央火口丘をはさんで大地獄谷と左保沢という二つの小河川が北西に流れ出る。中央火口丘の中に、御釜湖と御苗代湖という火口湖がある。小さな御釜湖はほぼ円形で、明瞭な火口湖である。御苗代湖は南東部が火口湖で、その水があふれ出るようにして西に広がっている。人工地震による観測の結果、山頂下と三ッ石山の下にはマグマ溜まりが存在していると考えられる。約30万年前以降現在までに大規模な山体崩壊を7回発生させており、その都度1-2万年ほどの噴火活動が継続することによって円錐状の山体を再生させ、休止期に入るという活動サイクルを繰り返していると考えられている。最新の山体崩壊は、大規模なものでは約7千年前の平笠岩屑なだれ、小規模なものでは13-16世紀ごろに発生したと推定される一本木原岩屑なだれとなっている。
国の特別天然記念物・焼走り熔岩流があり、周辺には国有林の焼走り自然観察教育林がある。
火山噴火予知連絡会によって火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山に選定されている。1998年に、活動が活発化し気象庁が臨時火山情報を出したことから、火山活動の災害対策が一斉に進められた。国、県、地元自治体が連携して、ハザードマップや防災ガイドラインを取りまとめている。
ものを伝えられない思いに「言わで」を掛けて、「いはての山」が使われた。
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] | 岩手山(いわてさん)は、岩手県の北西部にあり、二つの外輪山からなる標高2,038mの成層火山である。青森県から岩手県を経て福島県に連なる奥羽山脈の岩手県域北部に位置する岩手山は、岩手県の最高峰であり、県のシンボルの一つとされている。日本百名山に選定されている。 | {{Infobox 山
|名称 = 岩手山
|画像 = [[File:Mt. Iwate and Morioka.jpg|300px]]
|画像キャプション = 南東から望む<small>([[盛岡市]]の[[北上川]]護岸から)</small>
|標高 = 2,037.<small>95</small><ref name="kijun">{{Cite web|和書|url=https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/top.html |title=基準点成果等閲覧サービス |publisher=[[国土地理院]] |accessdate=2014/07/12|quote=基準点コード TR15941602001}}</ref><ref name="hyoko">[https://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/kihonjohochousa41139.html 日本の主な山岳標高:岩手県](国土地理院、2010年12月28日閲覧)</ref>
| 緯度度 = 39 | 緯度分 = 51 | 緯度秒 = 0 | N(北緯)及びS(南緯) = N
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|地図 = {{Location map|Japan Iwate Prefecture|width=280|float=center|mark=Montanya.svg|marksize=10|caption=|position=right|relief=1|label=岩手山}}岩手山の位置
}}
'''岩手山'''(いわてさん)は、[[岩手県]]の北西部にあり、二つの外輪山からなる[[標高]]2,038mの[[成層火山]]である。[[青森県]]から[[岩手県]]を経て[[福島県]]に連なる[[奥羽山脈]]の岩手県域北部に位置する岩手山は、岩手県の[[各都道府県の最高峰|最高峰]]であり、県のシンボルの一つとされている<ref>[https://www.thr.mlit.go.jp/iwate/kodomo/iwatesan/CON2/top.html 岩手山調査隊:人間と火山の関係]([[国土交通省]][[東北地方整備局]])</ref>。[[日本百名山]]に選定されている<ref>『日本百名山』[[深田久弥]](著)、[[朝日新聞社]]、1982年、ISBN 4-02-260871-4</ref>。
== 概要 ==
[[岩手県]][[八幡平市]]、[[滝沢市]]、[[雫石町]]にまたがる。西に姥倉山、大松倉山が続くものの、奥羽山脈の主稜からは離れており、独立峰に近い。東の盛岡側から見る姿は[[富士山]]のように長い裾野を引く整った形で、「表岩手」と呼ばれる。南の雫石町や北の八幡平市松尾方面から見ると、外輪山の連なりが凹凸をなし、「裏岩手」と呼ばれる。山域は、1956年(昭和31年)に[[十和田八幡平国立公園]]に指定された<ref name="park">{{Cite web|和書|url=https://www.env.go.jp/park/towada/intro/|title=十和田八幡平国立公園区域の概要 |publisher=[[環境省]] |accessdate=2011-11-14}}</ref>。山頂には一等[[三角点]]『岩手山』(重点整備点)が設置されている<ref name="kijun"/>。
[[File:Mount Iwate Relief Map, SRTM.jpg|thumb|right|180px|地形図]]
別名に'''巌鷲山'''(がんじゅさん)があるが、本来「いわわしやま」と呼ばれていたものが「岩手」の音読み「がんしゅ」と似ていることから、転訛したものだとも言われる。春、表岩手山には雪解けの形が飛来する鷲の形に見えるため、これが山名の由来になったとも伝えられる。静岡県側から見た富士山に似ており、その片側が削げているように見えることから「南部片富士」とも呼ばれる。古名に「霧山岳」「大勝寺山」。俗称に「お山」。「子富士」とペアで「親富士」と表現することもある(原敬句碑より)。
古来信仰の山で、山頂外輪を取り囲むように石仏、山麓の滝沢市・盛岡市に岩手山神社が祭られる。[[前九年の役]]以後、巌鷲山大権現大宮司として[[伊豆国]]出身の「栗谷川(厨川、工藤)家」が代々祭事を務めることとされていたが、後に祭祀権をめぐり攻防があった。
== 地形と地質 ==
[[File:Japan, Iwatesan HigashiIwateyama 1976.jpg|thumb|上空から]]
約70万年前から約30万年前に活動した綱張火山群を広義の岩手火山として、西岩手火山が活動を開始した約30万年前以降が狭義の岩手火山となっている。岩手火山は、山体の3分の2を占める西岩手火山と、その外輪山の東に寄生火山として覆い被さった東岩手火山が重なってできている。東岩手火山の外輪山の最高点が岩手山の山頂である。
[[File:151101 Mt Iwate Japan02bs.jpg|thumb|right|180px|山頂部とカルデラ]]
[[File:Panoramic around the crater of Mount Iwate.jpg|thumb|山頂火口]]
[[File:Yakehashiri_2016-08-13.jpg|thumb|1731年の噴火で生じた[[焼走り熔岩流]]]]
岩手山と西の黒倉山(1,570m)の間に西岩手火山の[[カルデラ]]がある。このカルデラの成因は不明で、東西に2.5キロメートルの長い楕円をなす。[[中央火口丘]]をはさんで大地獄谷と左保沢という二つの小河川が北西に流れ出る。中央火口丘の中に、[[御釜湖]]と[[御苗代湖]]という[[火口湖]]がある。小さな御釜湖はほぼ円形で、明瞭な火口湖である。御苗代湖は南東部が火口湖で、その水があふれ出るようにして西に広がっている<ref>加藤武雄・佐藤五郎「岩手火山の火口湖『御釜湖』、『御苗代湖』に関する湖沼学的研究」206-209頁、[[宮川善造]]編『奥羽山脈の研究』、現代地理学研究会、1988年所収。</ref>。人工地震による観測の結果、山頂下と三ッ石山の下にはマグマ溜まりが存在していると考えられる<ref>{{PDFlink|[http://www2.jpgu.org/meeting/2000/pdf/se/se-012.pdf 千田良道、小菅正裕:1998 年岩手県内陸北部地震(M6.1)の破壊開始点近傍の反射面]}}</ref>。約30万年前以降現在までに大規模な[[山体崩壊]]を7回発生させており、その都度1-2万年ほどの噴火活動が継続することによって円錐状の山体を再生させ、休止期に入るという活動サイクルを繰り返していると考えられている。最新の山体崩壊は、大規模なものでは約7千年前の平笠岩屑なだれ、小規模なものでは13-16世紀ごろに発生したと推定される一本木原岩屑なだれとなっている。
=== 焼走り熔岩流 ===
国の[[特別天然記念物]]・[[焼走り熔岩流]]があり、周辺には[[日本の国有林|国有林]]の焼走り自然観察教育林がある<ref>{{Cite web|和書|title=日本美しの森 お薦め国有林|url=https://www.rinya.maff.go.jp/j/kokuyu_rinya/kokumin_mori/katuyo/attach/pdf/campbook.pdf |website=林野庁|accessdate=2023-03-01 |date=2021-07-15}}</ref>。
=== 火山活動史 ===
* 1686年 - [[噴火]]。[[ベースサージ]]の発生、スコリアの噴出。
* 1731年 - 噴火。北東山麓に[[溶岩流]](国の[[特別天然記念物]]・[[焼走り熔岩流]])が発生。現在の八幡平市の集落の住民が避難。
* 1919年 - 小噴火(水蒸気爆発)。
* 1998-2003年 - 火山性地震、地殻変動が見られた。
* 2011年10月 - 低調な噴気活動状態が継続して、2007年12月1日の噴火予報([[噴火警戒レベル]]1、平常)が継続している<ref name="kazan" />。
== 観測と防災 ==
[[火山噴火予知連絡会]]によって火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山に選定されている<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/47volcanoes.pdf|title = 火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山|publisher = 気象庁|accessdate = 2016-02-25}}</ref>。1998年に、活動が活発化し[[気象庁]]が[[臨時火山情報]]を出したことから、火山活動の災害対策が一斉に進められた。国、県、地元自治体が連携して、[[ハザードマップ]]や防災ガイドラインを取りまとめている。
== 文学 ==
=== 古典文学 ===
ものを伝えられない思いに「言わで」を掛けて、「いはての山」が使われた。
* 思へともいはての山に年をへて くちやはてなん谷のうもれ木 ([[千載和歌集]])
* 人しれぬ涙の川のみなかみは いはての山のたにのしたみづ (千載和歌集)
* 知られじな 絶えず心に かかるとも 岩手の山の 峰の白雪 ([[続古今和歌集]])
=== 近代文学 ===
* ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな ([[石川啄木]])
* 岩手山 秋はふもとの三方の 野に満つる虫を何と聴くらむ (石川啄木)
* 神無月岩手の山の初雪の 眉に迫りし朝を思ひぬ (石川啄木)
* 風さむき岩手の山にわれらいま校歌をうたふ先生もうたふ ([[宮沢賢治]])
* ここにして岩鷲山のひむかしの岩手の国は傾きて見ゆ ([[平福百穂]])
* 岩手山 空の散乱反射のなかに 古ぼけて黒くえぐるもの ひしめく微塵の深みの底に きたなくしろく澱むもの(宮沢賢治)
* 『岩手山の肩』{{efn|昭和23年1月1日の新岩手日報(現・岩手日報)に掲載されている。また、書籍『高村光太郎全集 第三巻』にも収録されている<ref>{{Cite book|和書|author=高村 光太郎|year=1994|title=高村光太郎全集 第三巻|publisher=筑摩書房}}{{要ページ番号|date=2023-10-06}}</ref>。}}([[高村光太郎]])
== 登山 ==
八幡平市、滝沢市、雫石町からの登山ルートが存在する。火山活動の活発化に伴い長らく入山規制が行われてきたが、2004年7月1日に解除された。
== 周辺 ==
* 岩手山の東部には[[盛岡市]]が広がる。人口密度は高く、高速道路、新幹線などの交通機関も密集する。
* 岩手山の西部には、[[地熱]][[発電所]]が2ヶ所(松川地熱発電所、葛根田(かっこんだ)地熱発電所)立地している。
== 関連画像 ==
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File:春子谷地からの岩手山 Mt. Iwate from Haruko-Yachi Marshland - panoramio.jpg|南東から望む<br /><small>春子谷地湿原付近から</small>
File:Iwate-san.JPG|南から望む<br /><small>[[小岩井農場]]から</small>
File:Mt.Iwate from Mt.Akitakoma.jpg|南西から望む<br /><small>[[秋田駒ヶ岳]]から</small>
File:Mt.Iwate from Mt.Mitsuishi.jpg|西から望む<br /><small>[[三ツ石山]]から</small>
File:Mt.Iwate from Mt.Hachimantai.jpg|北西から望む<br /><small>[[八幡平]]から</small>
File:Yakehashiri lava flow Aerial photograph A.jpg|[[焼走り熔岩流]]
File:Iwatesan Kagura.jpg|山頂での[[神楽]]
File:岩手山お鉢巡り.jpg|岩手山お鉢巡り
File:薬師岳から火口内の妙高岳.jpg|薬師岳から火口内の妙高岳
File:岩手山八合目避難小屋.jpg|八合目避難小屋
File:姫神山からの岩手山.jpg|[[姫神山 (岩手県)|姫神山]]からの岩手山
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== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書 |year=2011 |month=2 |title=岩手山・八幡平 秋田駒 |series=[[山と高原地図]] 2011年版 |publisher=[[昭文社]] |pages= |isbn=978-4398757456}}
== 関連項目 ==
{{commonscat|Mount Iwate}}
* [[日本の山一覧]]
* [[各都道府県の最高峰]]
* [[日本百名山]]
* [[十和田八幡平国立公園]]
* [[FCガンジュ岩手]] - 岩手山の別名「岩鷲山(がんじゅさん)」を冠したサッカークラブ。
* [[岩鷲賞]]
== 外部リンク ==
* [https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sendai/207_Iwatesan/207_index.html 岩手山] - 気象庁
* [https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/open-data/open-data.php?id=207 岩手山の火山観測データ] 気象庁
** [https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/monthly_v-act_doc/monthly_vact_vol.php?id=207 岩手山の臨時及び過去の詳細月別火山概況・火山活動解説資料] 気象庁
** [https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sendai/open-data/data/eq_num_207.html 岩手山の最近(2ヶ月間)の日別地震回数及び噴気の高さの表] 気象庁
* {{PDF|[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/27_Iwatesan.pdf 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版 岩手山]}} - 気象庁
* [https://gbank.gsj.jp/volcano/Quat_Vol/volcano_data/D31.html 岩手山] - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
** [https://www.gsj.jp/Muse/100mt/iwatesan/index.html 地質で語る百名山 岩手山]
* [http://www.city.takizawa.iwate.jp/mtiwate 岩手山] - 滝沢市
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7,030 | 循環小数 | 循環小数(じゅんかんしょうすう、英: recurring decimal、repeating decimal)とは、小数点以下のある桁から先で同じ数字の列が無限に繰り返される小数のことである。繰り返される数字の列を循環節という。
循環小数の循環節は上線(0.123)や下線(0.123) などを用いて示される(#表記法を参照)。
循環小数は、基数と共通でない因数を含む分母を持つ整数の分数に対応する。例えば基数を 10 (= 2 × 5) とした場合、1/5 (= 0.2), 7/125 (= 0.056) などは循環小数にならないが、1/7 (= 0.142857...), 1/35 (= 0.0285714...) は循環小数となる。
また循環小数は、対応する分数の分母と基数が互いに素かどうかで分類でき、分母と基数が互いに素なものを純循環小数、それ以外のものを混合循環小数と呼ぶ。また整数分数の分母が基数の素因数の積となる場合、それは循環小数とならず有限小数で表される。
ある循環小数の循環節が小数第一位から始まる場合、それは純循環小数となり、循環節が小数第二位以降で始まる場合、それは混合循環小数となる。混合循環小数は冒頭の循環していない有限小数部分とそれ以降の循環小数の二つに分離して考えることができる。
循環小数の循環節とは、小数部分の周期的な数列の中で最小の長さものである。例えば 1/3 = 0.3333... は、数列 33 や数列 333 が連続して現れる小数と見なせるが、循環節は最小の数列 3 となる。
循環節の末尾は 0 になり得る。例えば、 2/3 = 64/27 = 2.370370... の循環節は 370 となる。
循環節の先頭は小数第二位以降に現れ得る。例えば、十進法の 5/108 = 0.04629629... の循環節は、小数第三位からの 629 となる。
ある数が有限小数で表せるかは基数に依存し、既約分数の分母が基数の冪を割り切れる場合のみ、その数は有限小数として表され得る。したがって、ある既約分数が循環小数で表示されるかもまた基数に依存している。例えば 1/5 は、十進法では有限小数 0.2 で表されるが、二進法では循環小数 0.00110011... で表される。
また有限小数は、末尾の桁の後ろに 0 を無限に並ぶと見なせば、形式的に循環小数と見なせる。同様に、0.999... などの数列を用いて、有限小数を循環小数に書き換えることもできる。
循環小数(無限小数)の循環節が「0」もしくは「9」の場合は、どちらも実質的には有限小数となる。一般に、正の実数について、有限小数は二種類の循環小数で表せ、逆に、二通りに小数表示できるのはその一方が有限小数である場合に限る。
一つには、循環節は 0(0桁という意味でなく、繰り返し単位が「0」)と考えることができる。もう一つは、有限小数の(0 でない)末尾を 1 減らし、それよりあとの位を全て「基数 − 1」にするというものである。
例えば、1 は 1.0000... と表せ、これは循環節が 0 の循環小数である。一方、末尾の 1 を 1 減らして 0 にし、それよりあとを全て 9 にした 0.999... に等しいとも考えられる。これは循環節が 9 の循環小数となる。
0.9999... = 1 は以下のように証明できる。
同じく、十二進法の 1/3 は小数表示が 0.4 であるが、これは 0.4000... ということであり、循環節が 0 の循環小数である。一方、0.3BBB... とも考えられ、これは循環節が B(十一)の循環小数となる。
同様に、二十進法の 1/5 も通常 0.4 と表すが、これは 0.4000... ということであり、循環節が 0 の循環小数である。一方、0.3JJJ... とも考えられ、これは循環節が J(十九)の循環小数となる。
有理数が有限小数表示を持つのは、十進法表示なら、分母の素因数が 2, 5 のみであるときに限る。一般の N進法表示では、分母の素因数が N の素因数になっていることである。例えば、十八進法なら分母の素因数が 2, 3 のみであるときである。
循環小数によって表される数は、整数の分数としても表すことができ、有理数に含まれる。他方、有限でない非循環小数で表される数が存在し、これらは有理数に含まれない。実数のうち有理数に含まれない数を無理数という。無理数の例には2の平方根や円周率が挙げられる。前述の通り有限小数も循環小数で表すことができ、有理数はすべて循環小数で表せるが、反対に循環小数で表せる実数は有理数に限る。
循環節を示す方法として以下の方法がしばしば用いられる:
規約として、循環節は小数部から始まるようにする。例えば 123.123 を 123 とは書かない。
無限小数は、厳密には極限の概念を用いて定義される。特に、循環小数が表す数は無限等比級数、すなわち等比数列の和の極限と見なすことができ、ゆえに有理数である。例えば、
である。
一般には、冒頭の循環していない有限小数部分を分離し a とおき、循環部分の循環節の部分だけ取り出した小数部分を b、循環節の長さを n とすれば
となる。ところで、級数部分の総和は
であるから
となることが分かる。この方法をロバートソン (J.Robertson, 1712-1776) の方法という。
やや厳密さに欠ける説明として、以下のようなものがある。
とおく。両辺を1000倍すると、「1000倍すると小数点は3桁右に移動するから」
辺々引くと「循環部分が打ち消しあって」
となる。よって、x = 269/111 が分かる。「 」の主張が正しいことが曖昧であるが、無限等比級数の値の計算と同等であることからこの計算は正当化される。
自然数の逆数の循環節の長さについて、ある長さとなるような最小の自然数を、循環節の長さを0から小さい順に並べると
1, 3, 11, 27, 101, 41, 7, 239, 73, 81, 451, 21649, 707, 53, 2629, 31, 17, 2071723, 19, 1111111111111111111, 3541, 43, 23, 11111111111111111111111, 511, 21401, 583, 243, 29, 3191, 211, 2791, 353, 67, 103, 71, 1919, 2028119, 909090909090909091, ...
である(オンライン整数列大辞典の数列 A003060)。
2 と 5(一般には、基数の約数たる素数)以外の素数 p の逆数の循環節の長さは、p − 1 の約数である。有限小数の循環節の長さを1とするなら、2 と 5(基数の約数たる素数)もこの条件を満たす。
このことは、1/p の循環節の長さが k であることと、10 ≡ 1 (mod p) が同値であることから、初等的な群論より導かれる。
これがちょうど p − 1 となるような素数 p は、小さな順より(2 と 5 を除いて)
である(オンライン整数列大辞典の数列 A1913)。このような p に対する 1/p の循環節は、巡回数となる。 例えば、1/7 の循環節 142857 や、1/17 の循環節 0588235294117647 は巡回数である。素数を、分母とする数の循環節が奇数のものと偶数のものに分けると、2/3 が偶数、1/3 が奇数である。
N進法表示においてq桁の、レピュニット111...と999...(一般にはN-1)の逆数の形の循環節の長さはq桁である。また有理数を整数倍したり、分母の数に対して基数に含まれる素因数を掛けた場合、循環節の長さが増すことはない。
N進法表示において、1/N − 1 の小数は必ず 0.1111... になる。九進法の場合 1/8 が 0.1111... になり、十進法の場合 1/9 が 0.1111... になる。
循環節の短さは、10 −1 ならびに 10 − 1 を素因数分解した時にどんな数が来るかによって決まる。
最も素朴には、充分な桁数の小数表記を求め、その周期を見つける。同様に、有限小数の桁数も、素因数分解した時の大きい方の冪指数によって決まる。
ただし、同じ数字の並びが現れてもより長い周期の一部かもしれない(たとえば 1212123/9999999 = 0.1212123 の循環節を 12 と求めてしまうかもしれない)ので、循環節の長さの上限を事前に知っておかなければならず、それだけの桁数まで求めて初めて、循環節を求められる。上限としては#一般の有理数にて挙げたものがあるほか、「分母 − 1」が使える。
割り算を筆算で求めれば、余りに同じ数が現れた時点で、繰り返しに入ったことがわかる。例えば、十進法の 1/7 を小数表示する場合、次のような計算を行う。
これ以降は同じ計算の繰り返しとなるので、1/7 = 0.142857 であることが分かる。この例では、1 を 7 で割った商と余りを計算することを繰り返している。
別のN進法でも、筆算によって循環小数が現れる。六進法の 1/41(= 5 = 十進法の 1/25)を筆算で小数表示する場合、次のような計算を行う。
これ以降は同じ計算の繰り返しとなるので、1/41 = 0.01235 であることが分かる。この例では、整数を 41 で割った商と余りを計算することを繰り返している。
被除数が1以外の場合も、同じように筆算で循環小数が現れる。割り切れる例も併載する。例として、被除数を 2、除数を 3とする。
十六進法の 100 ÷ 1B(2 ÷ 3、十進法の場合 256 ÷ 27)
被除数が除数より大きい例だが、整数部分を含めて「97B」が2回現れているので、これ以降は同じ計算の繰り返しとなり、100÷1B = 9.7B425ED09 となり、小数部分は9桁の「7B425ED09」が繰り返されることが分かる。この割り切れない「0.7B425ED09」を分数化すると、十六進法で D/1B、十進法で 13/27 となる。
六進法の 1104 ÷ 43(六進冪指数の場合 2 ÷ 3、十進法の場合 256 ÷ 27)
小数部分が3桁の「252」で終わって、1104÷43 = 13.252 となる。割り切れる小数「0.252」に相当する六進分数 252/1000 は、十六進法で 68/D8、十進法で 104/216 となり、既約分数にすると六進法で 21/43、十六進法で D/1B、十進法で 13/27 となる。
一般に、a を b で割る筆算では、ある整数を b で割った商と余りを計算することを繰り返すが、b で割った余りは 0 から b − 1 の b 通りしかないため、余りが 0 になって計算が終わるのでなければ、必ずどこかで同じ余りが出現して同じ計算の繰り返しとなる。ゆえに、有理数を小数表示すると循環小数になる。この方法では循環節の長さの上限を事前に知っておく必要はないが、「分母 − 1」以下であることがこれによりわかる。
基数に素因数として含まれない素数 p の逆数に対しては、循環節を m 桁とすると 10 - 1 は p で割り切れ、商が循環節となるので、p - 1 の約数それぞれに対し 10 - 1 が p で割り切れるかを試せばよい。m が小さい順に試せば、計算量を節約できる(たとえば 1⁄3 = 0.333... に対しては 3 (m = 1) も 33 (m = 2) もこれを満たすので、小さい順でなければならない)。 | [
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},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "ある数が有限小数で表せるかは基数に依存し、既約分数の分母が基数の冪を割り切れる場合のみ、その数は有限小数として表され得る。したがって、ある既約分数が循環小数で表示されるかもまた基数に依存している。例えば 1/5 は、十進法では有限小数 0.2 で表されるが、二進法では循環小数 0.00110011... で表される。",
"title": "循環節"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "また有限小数は、末尾の桁の後ろに 0 を無限に並ぶと見なせば、形式的に循環小数と見なせる。同様に、0.999... などの数列を用いて、有限小数を循環小数に書き換えることもできる。",
"title": "循環節"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "循環小数(無限小数)の循環節が「0」もしくは「9」の場合は、どちらも実質的には有限小数となる。一般に、正の実数について、有限小数は二種類の循環小数で表せ、逆に、二通りに小数表示できるのはその一方が有限小数である場合に限る。",
"title": "他の小数との比較"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "一つには、循環節は 0(0桁という意味でなく、繰り返し単位が「0」)と考えることができる。もう一つは、有限小数の(0 でない)末尾を 1 減らし、それよりあとの位を全て「基数 − 1」にするというものである。",
"title": "他の小数との比較"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "例えば、1 は 1.0000... と表せ、これは循環節が 0 の循環小数である。一方、末尾の 1 を 1 減らして 0 にし、それよりあとを全て 9 にした 0.999... に等しいとも考えられる。これは循環節が 9 の循環小数となる。",
"title": "他の小数との比較"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "0.9999... = 1 は以下のように証明できる。",
"title": "他の小数との比較"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "同じく、十二進法の 1/3 は小数表示が 0.4 であるが、これは 0.4000... ということであり、循環節が 0 の循環小数である。一方、0.3BBB... とも考えられ、これは循環節が B(十一)の循環小数となる。",
"title": "他の小数との比較"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "同様に、二十進法の 1/5 も通常 0.4 と表すが、これは 0.4000... ということであり、循環節が 0 の循環小数である。一方、0.3JJJ... とも考えられ、これは循環節が J(十九)の循環小数となる。",
"title": "他の小数との比較"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "有理数が有限小数表示を持つのは、十進法表示なら、分母の素因数が 2, 5 のみであるときに限る。一般の N進法表示では、分母の素因数が N の素因数になっていることである。例えば、十八進法なら分母の素因数が 2, 3 のみであるときである。",
"title": "他の小数との比較"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "循環小数によって表される数は、整数の分数としても表すことができ、有理数に含まれる。他方、有限でない非循環小数で表される数が存在し、これらは有理数に含まれない。実数のうち有理数に含まれない数を無理数という。無理数の例には2の平方根や円周率が挙げられる。前述の通り有限小数も循環小数で表すことができ、有理数はすべて循環小数で表せるが、反対に循環小数で表せる実数は有理数に限る。",
"title": "他の小数との比較"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "循環節を示す方法として以下の方法がしばしば用いられる:",
"title": "表記法"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "規約として、循環節は小数部から始まるようにする。例えば 123.123 を 123 とは書かない。",
"title": "表記法"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "無限小数は、厳密には極限の概念を用いて定義される。特に、循環小数が表す数は無限等比級数、すなわち等比数列の和の極限と見なすことができ、ゆえに有理数である。例えば、",
"title": "分数表現との関係"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "である。",
"title": "分数表現との関係"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "一般には、冒頭の循環していない有限小数部分を分離し a とおき、循環部分の循環節の部分だけ取り出した小数部分を b、循環節の長さを n とすれば",
"title": "分数表現との関係"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "となる。ところで、級数部分の総和は",
"title": "分数表現との関係"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "であるから",
"title": "分数表現との関係"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "となることが分かる。この方法をロバートソン (J.Robertson, 1712-1776) の方法という。",
"title": "分数表現との関係"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "やや厳密さに欠ける説明として、以下のようなものがある。",
"title": "分数表現との関係"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "とおく。両辺を1000倍すると、「1000倍すると小数点は3桁右に移動するから」",
"title": "分数表現との関係"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "辺々引くと「循環部分が打ち消しあって」",
"title": "分数表現との関係"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "となる。よって、x = 269/111 が分かる。「 」の主張が正しいことが曖昧であるが、無限等比級数の値の計算と同等であることからこの計算は正当化される。",
"title": "分数表現との関係"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "自然数の逆数の循環節の長さについて、ある長さとなるような最小の自然数を、循環節の長さを0から小さい順に並べると",
"title": "循環節の長さ"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "1, 3, 11, 27, 101, 41, 7, 239, 73, 81, 451, 21649, 707, 53, 2629, 31, 17, 2071723, 19, 1111111111111111111, 3541, 43, 23, 11111111111111111111111, 511, 21401, 583, 243, 29, 3191, 211, 2791, 353, 67, 103, 71, 1919, 2028119, 909090909090909091, ...",
"title": "循環節の長さ"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "である(オンライン整数列大辞典の数列 A003060)。",
"title": "循環節の長さ"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "2 と 5(一般には、基数の約数たる素数)以外の素数 p の逆数の循環節の長さは、p − 1 の約数である。有限小数の循環節の長さを1とするなら、2 と 5(基数の約数たる素数)もこの条件を満たす。",
"title": "循環節の長さ"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "このことは、1/p の循環節の長さが k であることと、10 ≡ 1 (mod p) が同値であることから、初等的な群論より導かれる。",
"title": "循環節の長さ"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "これがちょうど p − 1 となるような素数 p は、小さな順より(2 と 5 を除いて)",
"title": "循環節の長さ"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "である(オンライン整数列大辞典の数列 A1913)。このような p に対する 1/p の循環節は、巡回数となる。 例えば、1/7 の循環節 142857 や、1/17 の循環節 0588235294117647 は巡回数である。素数を、分母とする数の循環節が奇数のものと偶数のものに分けると、2/3 が偶数、1/3 が奇数である。",
"title": "循環節の長さ"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "N進法表示においてq桁の、レピュニット111...と999...(一般にはN-1)の逆数の形の循環節の長さはq桁である。また有理数を整数倍したり、分母の数に対して基数に含まれる素因数を掛けた場合、循環節の長さが増すことはない。",
"title": "循環節の長さ"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "N進法表示において、1/N − 1 の小数は必ず 0.1111... になる。九進法の場合 1/8 が 0.1111... になり、十進法の場合 1/9 が 0.1111... になる。",
"title": "循環節の長さ"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "循環節の短さは、10 −1 ならびに 10 − 1 を素因数分解した時にどんな数が来るかによって決まる。",
"title": "循環節の長さ"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "最も素朴には、充分な桁数の小数表記を求め、その周期を見つける。同様に、有限小数の桁数も、素因数分解した時の大きい方の冪指数によって決まる。",
"title": "循環節の求め方"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "ただし、同じ数字の並びが現れてもより長い周期の一部かもしれない(たとえば 1212123/9999999 = 0.1212123 の循環節を 12 と求めてしまうかもしれない)ので、循環節の長さの上限を事前に知っておかなければならず、それだけの桁数まで求めて初めて、循環節を求められる。上限としては#一般の有理数にて挙げたものがあるほか、「分母 − 1」が使える。",
"title": "循環節の求め方"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "割り算を筆算で求めれば、余りに同じ数が現れた時点で、繰り返しに入ったことがわかる。例えば、十進法の 1/7 を小数表示する場合、次のような計算を行う。",
"title": "循環節の求め方"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "これ以降は同じ計算の繰り返しとなるので、1/7 = 0.142857 であることが分かる。この例では、1 を 7 で割った商と余りを計算することを繰り返している。",
"title": "循環節の求め方"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "別のN進法でも、筆算によって循環小数が現れる。六進法の 1/41(= 5 = 十進法の 1/25)を筆算で小数表示する場合、次のような計算を行う。",
"title": "循環節の求め方"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "これ以降は同じ計算の繰り返しとなるので、1/41 = 0.01235 であることが分かる。この例では、整数を 41 で割った商と余りを計算することを繰り返している。",
"title": "循環節の求め方"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "被除数が1以外の場合も、同じように筆算で循環小数が現れる。割り切れる例も併載する。例として、被除数を 2、除数を 3とする。",
"title": "循環節の求め方"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "十六進法の 100 ÷ 1B(2 ÷ 3、十進法の場合 256 ÷ 27)",
"title": "循環節の求め方"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "被除数が除数より大きい例だが、整数部分を含めて「97B」が2回現れているので、これ以降は同じ計算の繰り返しとなり、100÷1B = 9.7B425ED09 となり、小数部分は9桁の「7B425ED09」が繰り返されることが分かる。この割り切れない「0.7B425ED09」を分数化すると、十六進法で D/1B、十進法で 13/27 となる。",
"title": "循環節の求め方"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "六進法の 1104 ÷ 43(六進冪指数の場合 2 ÷ 3、十進法の場合 256 ÷ 27)",
"title": "循環節の求め方"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "小数部分が3桁の「252」で終わって、1104÷43 = 13.252 となる。割り切れる小数「0.252」に相当する六進分数 252/1000 は、十六進法で 68/D8、十進法で 104/216 となり、既約分数にすると六進法で 21/43、十六進法で D/1B、十進法で 13/27 となる。",
"title": "循環節の求め方"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "一般に、a を b で割る筆算では、ある整数を b で割った商と余りを計算することを繰り返すが、b で割った余りは 0 から b − 1 の b 通りしかないため、余りが 0 になって計算が終わるのでなければ、必ずどこかで同じ余りが出現して同じ計算の繰り返しとなる。ゆえに、有理数を小数表示すると循環小数になる。この方法では循環節の長さの上限を事前に知っておく必要はないが、「分母 − 1」以下であることがこれによりわかる。",
"title": "循環節の求め方"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "基数に素因数として含まれない素数 p の逆数に対しては、循環節を m 桁とすると 10 - 1 は p で割り切れ、商が循環節となるので、p - 1 の約数それぞれに対し 10 - 1 が p で割り切れるかを試せばよい。m が小さい順に試せば、計算量を節約できる(たとえば 1⁄3 = 0.333... に対しては 3 (m = 1) も 33 (m = 2) もこれを満たすので、小さい順でなければならない)。",
"title": "循環節の求め方"
}
] | 循環小数とは、小数点以下のある桁から先で同じ数字の列が無限に繰り返される小数のことである。繰り返される数字の列を循環節という。 循環小数の循環節は上線(0.123)や下線(0.123)
などを用いて示される(#表記法を参照)。 循環小数は、基数と共通でない因数を含む分母を持つ整数の分数に対応する。例えば基数を 10 とした場合、1/5, 7/125 などは循環小数にならないが、1/7, 1/35 は循環小数となる。 また循環小数は、対応する分数の分母と基数が互いに素かどうかで分類でき、分母と基数が互いに素なものを純循環小数、それ以外のものを混合循環小数と呼ぶ。また整数分数の分母が基数の素因数の積となる場合、それは循環小数とならず有限小数で表される。 ある循環小数の循環節が小数第一位から始まる場合、それは純循環小数となり、循環節が小数第二位以降で始まる場合、それは混合循環小数となる。混合循環小数は冒頭の循環していない有限小数部分とそれ以降の循環小数の二つに分離して考えることができる。 | {{注意|本項では[[十進法]]でない[[位取り記数法|記数法]]を使用します(底は必要に応じて明記します)。}}
[[File:Seventh perspective.png|thumb|300px|{{math|1={{sfrac|1|7}}}} の小数表示( {{math|0.142857…}})。{{math|7}} は基数 {{math|10}} の[[約数]]には含まれないため、{{math|1={{sfrac|1|7}}}} は十進法で循環小数となる。]]
{{読み仮名_ruby不使用|'''循環小数'''|じゅんかんしょうすう|{{lang-en-short|recurring decimal}}、{{lang|en|repeating decimal}}}}とは、[[小数点]]以下のある桁から先で同じ[[数字]]の列が無限に繰り返される[[小数]]のことである。繰り返される数字の列を'''循環節'''という。
循環小数の循環節は上線({{math|0.1{{overline|23}}}})や下線({{math|0.1{{underline|23}}}})
などを用いて示される([[#表記法]]を参照)。
循環小数は、[[基数]]と共通でない[[約数|因数]]を含む[[分母]]を持つ[[整数]]の[[分数]]に対応する。例えば基数を {{math|1=10 (= 2 × 5)}} とした場合、{{math|1={{sfrac|1|5}} (= 0.2)}}, {{math|1={{sfrac|7|125}} (= 0.056)}} などは循環小数にならないが、{{math|1={{sfrac|1|7}} (= 0.142857...)}}, {{math|1={{sfrac|1|35}} (= 0.0285714...)}} は循環小数となる。
また循環小数は、対応する分数の分母と基数が[[互いに素 (整数論)|互いに素]]かどうかで分類でき、分母と基数が互いに素なものを'''純循環小数'''{{efn2|{{lang-en-short|pure recurring decimal}}}}、それ以外のものを'''混合循環小数'''{{efn2|{{lang-en-short|mixed recurring decimal}}}}と呼ぶ{{sfn|Hardy|1929|p=784}}。また整数分数の分母が基数の素因数の積となる場合、それは循環小数とならず[[有限小数]]で表される{{sfn|Hardy|1929|p=784}}。
ある循環小数の循環節が小数第一位から始まる場合、それは純循環小数となり、循環節が小数第二位以降で始まる場合、それは混合循環小数となる。混合循環小数は冒頭の循環していない[[有限小数]]部分とそれ以降の循環小数の二つに分離して考えることができる{{sfn|吉田|2010|p=14}}。
== 循環節 ==
循環小数の'''循環節'''とは、小数部分の周期的な数列の中で最小の長さものである。例えば {{math|1={{sfrac|1|3}} = 0.3333…}} は、数列 33 や数列 333 が連続して現れる小数と見なせるが、循環節は最小の数列 3 となる。
循環節の末尾は 0 になり得る。例えば、 {{sfrac|2{{sup|6}}|3{{sup|3}}}} = {{sfrac|64|27}} = 2.370370… の循環節は 370 となる。
循環節の先頭は小数第二位以降に現れ得る。例えば、十進法の {{sfrac|5|108}} = 0.04629629… の循環節は、小数第三位からの 629 となる。
ある数が有限小数で表せるかは基数に依存し、既約分数の分母が基数の[[冪]]を割り切れる場合のみ、その数は有限小数として表され得る。したがって、ある既約分数が循環小数で表示されるかもまた基数に依存している。例えば {{sfrac|1|5}} は、十進法では有限小数 0.2 で表されるが、[[二進法]]では循環小数 0.00110011… で表される。
また有限小数は、末尾の桁の後ろに 0 を無限に並ぶと見なせば、形式的に循環小数と見なせる。同様に、[[0.999...]] などの数列を用いて、有限小数を循環小数に書き換えることもできる。
== 他の小数との比較 ==
=== 有限小数 ===
循環小数(無限小数)の循環節が「0」もしくは「9」の場合は、どちらも実質的には有限小数となる。一般に、正の[[実数]]について、有限小数は二種類の循環小数で表せ、逆に、二通りに小数表示できるのはその一方が有限小数である場合に限る。
一つには、循環節は 0(0桁という意味でなく、繰り返し単位が「0」)と考えることができる。もう一つは、有限小数の(0 でない)末尾を 1 減らし、それよりあとの位を全て「基数 − 1」にするというものである。
例えば、1 は 1.0000… と表せ、これは循環節が 0 の循環小数である。一方、末尾の 1 を 1 減らして 0 にし、それよりあとを全て 9 にした [[0.999...]] に等しいとも考えられる。これは循環節が [[9]] の循環小数となる。
0.9999… = 1 は以下のように証明できる。
:{{math2|1=''x'' = 0.9999…}}とする。
:{{math2|1=10''x'' = 9.9999…}}
:{{math2|1=10''x'' − ''x'' = 9.9999… − 0.9999…}}
:{{math2|1=9''x'' = 9}}
:{{Math|''x'' {{=}} 1}}
同じく、[[十二進法]]の {{sfrac|1|3}} は小数表示が 0.4 であるが、これは 0.4000… ということであり、循環節が 0 の循環小数である。一方、0.3BBB… とも考えられ、これは循環節が [[B]]([[11|十一]])の循環小数となる。
同様に、[[二十進法]]の {{sfrac|1|5}} も通常 0.4 と表すが、これは 0.4000… ということであり、循環節が 0 の循環小数である。一方、0.3JJJ… とも考えられ、これは循環節が [[J]]([[19|十九]])の循環小数となる。
有理数が有限小数表示を持つのは、[[十進法]]表示なら、分母の素因数が [[2]], [[5]] のみであるとき[[同値#必要十分条件|に限る]]。一般の [[位取り記数法|{{mvar|N}}進法]]表示では、分母の素因数が {{mvar|N}} の素因数になっていることである。例えば、十八進法なら分母の素因数が [[2]], [[3]] のみであるときである。
=== 無理数 ===
循環小数によって表される数は、整数の分数としても表すことができ、[[有理数]]に含まれる。他方、有限でない非循環小数で表される数が存在し、これらは有理数に含まれない。[[実数]]のうち有理数に含まれない数を[[無理数]]という{{Sfn|小平|2003|pp=14-15}}。無理数の例には[[2の平方根]]や[[円周率]]が挙げられる。[[#有限小数|前述の通り]]有限小数も循環小数で表すことができ、[[有理数]]はすべて循環小数で表せるが、反対に循環小数で表せる実数は有理数に限る{{Sfn|小平|2003|p=5}}。
== 表記法 ==
循環節を示す方法として以下の方法がしばしば用いられる:
* 循環節の先頭と末尾の数に点をつける(例:{{math|0.12{{dot|3}}4{{dot|5}}}})
* 循環節全体に[[オーバーライン|上線]]をつける(例:{{math|0.12{{overline|345}}}})
* 循環節全体に[[下線]]をつける(例:{{math|0.12{{underline|345}}}})
* 循環節全体を[[括弧]]でくくる(例:{{math|0.12(345)}})
規約として、循環節は小数部から始まるようにする。例えば {{math|1=123.{{overline|123}}}} を {{math|1={{overline|123}}}} とは書かない。
== 分数表現との関係 ==
<!-- 見出しの中で脚注をつけない <ref>小林昭七『[http://www.shokabo.co.jp/mybooks/ISBN978-4-7853-1521-4.htm 微分積分読本 −1変数− Calculus −One Variable−]』裳華房、2000年、5頁。ISBN 978-4-7853-1521-4</ref> -->
無限小数は、厳密には[[極限]]の概念を用いて定義される。特に、循環小数が表す数は無限等比級数、すなわち[[等比数列]]の和の極限と見なすことができ、ゆえに有理数である。例えば、
:<math>2.\dot{4}2\dot{3}=2+\frac{423}{10^3}+\frac{423}{10^6}+\frac{423}{10^9}+\cdots=2+\frac{423}{10^3-1}=2+\frac{47}{111}=\frac{269}{111}</math>
である。
一般には、冒頭の循環していない有限小数部分を分離し {{mvar|a}} とおき、循環部分の循環節の部分だけ取り出した小数部分を {{mvar|b}}、循環節の長さを {{mvar|n}} とすれば
:<math>a+b\left(1+\frac{1}{10^n}+\frac{1}{10^{2n}}+\frac{1}{10^{3n}}+\cdots\right)</math>
となる。ところで、級数部分の総和は
:<math>\frac{1}{1-\frac{1}{10^n}}=\frac{10^n}{10^{n}-1}</math>
であるから
:<math>a+b\left(\frac{10^n}{10^{n}-1}\right)</math>
となることが分かる。この方法をロバートソン (J.Robertson, 1712-1776) の方法という{{sfn|吉田|2010|p=14}}。
やや厳密さに欠ける説明として、以下のようなものがある。
:''x'' = 2.423423423…
とおく。両辺を1000倍すると、「1000倍すると小数点は3桁右に移動するから」
:1000''x'' = 2423.423423…
辺々引くと「循環部分が打ち消しあって」
:999''x'' = 2421
となる。よって、''x'' = {{sfrac|269|111}} が分かる。「 」の主張が正しいことが曖昧であるが、無限等比級数の値の計算と同等であることからこの計算は正当化される。
== 循環節の長さ ==
自然数の逆数の循環節の長さについて、ある長さとなるような最小の自然数を、循環節の長さを0から小さい順に並べると
1, 3, 11, 27, 101, 41, 7, 239, 73, 81, 451, 21649, 707, 53, 2629, 31, 17, 2071723, 19, 1111111111111111111, 3541, 43, 23, 11111111111111111111111, 511, 21401, 583, 243, 29, 3191, 211, 2791, 353, 67, 103, 71, 1919, 2028119, 909090909090909091, …
である({{OEIS|A003060}})。
=== 素数の逆数 ===
2 と 5<ref>[http://math.sakura.ne.jp/?action=common_download_main&upload_id=1377 循環節 県立松戸高等学校 広川久晴]</ref>(一般には、[[位取り記数法#概要|基数]]の約数たる素数)以外の素数 {{mvar|p}} の逆数の循環節の長さは、{{math2|''p'' − 1}} の[[約数]]である。有限小数の循環節の長さを1とするなら、2 と 5(基数の約数たる素数)もこの条件を満たす。
このことは、{{math|{{sfrac|1|''p''}}}} の循環節の長さが {{mvar|k}} であることと、{{math|1=10{{sup|''k''}} ≡ 1 (mod ''p'')}} が[[同値]]であることから、初等的な[[群 (数学)|群論]]より導かれる。
これがちょうど {{math|''p'' − 1}} となるような素数 {{mvar|p}} は、小さな順より(2 と 5 を除いて)
:7, 17, 19, 23, 29, 47, 59, 61, 97, …
である({{OEIS|A1913}})。このような {{mvar|p}} に対する {{math|{{sfrac|1|''p''}}}} の循環節は、[[巡回数]]となる。
例えば、{{math|{{sfrac|1|7}}}} の循環節 [[142857]] や、{{math|{{sfrac|1|17}}}} の循環節 0588235294117647 は巡回数である。素数を、分母とする数の循環節が[[奇数]]のものと[[偶数]]のものに分けると、{{math|{{sfrac|2|3}}}} が偶数、{{math|{{sfrac|1|3}}}} が奇数である。
=== 一般の有理数 ===
[[位取り記数法|{{mvar|N}}進法]]表示においてq桁の、[[レピュニット]]111...と999...(一般にはN<sup>q</sup>-1)の逆数の形の循環節の長さはq桁である。また有理数を整数倍したり、分母の数に対して基数に含まれる[[素因数]]を掛けた場合、循環節の長さが増すことはない。
=== N進法による差異 ===
;必ず循環小数になる例
N進法表示において、{{math|{{sfrac|1|''N'' − 1}}}} の小数は必ず 0.<u>1</u>111… になる。[[九進法]]の場合 [[1/8|{{sfrac|1|8}}]] が 0.<u>1</u>111… になり、[[十進法]]の場合 [[1/9|{{sfrac|1|9}}]] が 0.<u>1</u>111… になる。
* 乗算表の最後に来る (10-1){{sup|2}} の[[逆数]]は、整数第二位に来る数が抜けて、(10-1)桁の循環小数になる。例えば、[[六進法]]の場合「五五・[[25|四六一]]」なので 5{{sup|2}} の逆数は {{sfrac|1|41}} = 0.<u>01235</u>… となり、4が抜けて循環節は5桁になる。九進法の場合「八八・[[64|七九一]]」なので 8{{sup|2}} の逆数は {{sfrac|1|71}} = 0.<u>01234568</u>… となり、7が抜けて循環節は8桁になる。
* 複数桁で一の位が1の数を逆数にすると、循環小数になる。例えば、[[十二進法]]の場合 {{sfrac|1|[[37|31]]}} = 0.<u>03A85232B</u>… になり、[[十六進法]]の場合 {{sfrac|1|[[33|21]]}} = 0.<u>07C1F</u>… になる。
;循環節が短くなる例
循環節の短さは、10 −1 ならびに 10{{sup|''n''}} − 1 を[[素因数分解]]した時にどんな数が来るかによって決まる。
* [[2の冪|2{{sup|−''n''}}]] では九進法 (10 − 1 = 8 = '''2'''{{sup|3}}) が、[[3の冪|3{{sup|−''n''}}]] では十進法(10 − 1 = 9 = '''3'''{{sup|2}})が、5{{sup|−''n''}} では六進法 (10 − 1 = '''5''') が、それぞれ循環節が最も短くなる。
* [[十八進法]]では、100 − 1 = HH = '''[[17|H]]'''×'''[[19|11]]'''、1000-1 = HHH = '''[[7]]'''{{sup|3}}×H、10000 − 1 = HHHH = '''[[5]]'''{{sup|2}}×'''[[13|D]]'''×H×11 となる。従って、5 は2乗までが4桁、7 は3乗までが3桁、D も4桁となり、12 (= 4×5) までの素数のうち、[[11|B]] が十桁になる以外は全て循環節が4桁以下になる。
== 循環節の求め方 ==
=== 定義に則った方法 ===
最も素朴には、充分な桁数の小数表記を求め、その周期を見つける。同様に、有限小数の桁数も、素因数分解した時の大きい方の冪指数によって決まる。
ただし、同じ数字の並びが現れてもより長い周期の一部かもしれない(たとえば {{sfrac|1212123|9999999}} = 0.<u>1212123</u> の循環節を 12 と求めてしまうかもしれない)ので、循環節の長さの上限を事前に知っておかなければならず、それだけの桁数まで求めて初めて、循環節を求められる。上限としては[[#一般の有理数]]にて挙げたものがあるほか、「分母 − 1」が使える。
;例1
:十進数の {{sfrac|1|3456}} の循環節は、素因数分解すると3456 = 2{{sup|7}}×3{{sup|3}} なので、7桁の後に3桁の循環節が来る。よって、{{sfrac|1|3456}} = 0.0002893<u>518</u>… となる。
:一方で、十進数の 3456 は六進数の場合 24000 だが、素因数分解すると 24000 = 2{{sup|11}}×3{{sup|3}} となるので、分子が 3{{sup|4}}で、11{{sub|6}}桁 = 7桁の有限小数になる。よって、{{sfrac|1|24000}} = 0.0000213 となる。
;例2
:十進数の {{sfrac|1|891}} の循環節は、891 = 3{{sup|4}}×11 なので、3{{sup|-4}} と {{sfrac|1|11}} の循環節の長さを掛けたものになる。十進数では 3{{sup|-4}} は 3{{sup|2}} 桁、{{sfrac|1|11}} は2桁の循環節なので、3{{sup|2}}×2 = 18{{sub|10}}桁の循環小数になる。よって {{sfrac|1|891}} = 0.<u>001122334455667789</u>… となる。
:一方で、十進数の 891 は十八進数の場合 2D9 で、素因数分解は 2D9 = 3{{sup|4}}×B となる。10 = 2×3{{sup|2}} なので、{{sfrac|1|B}} の循環節は 10{{sub|10}}桁に対して、3{{sup|−4}} は 4桁ではなく2桁に縮まり、2桁の後に 10{{sub|10}}桁の循環節が来る。よって、{{sfrac|1|2D9}} = 0.00<u>69ED1B834G</u>… となる。
=== 筆算 ===
[[除算|割り算]]を[[筆算]]で求めれば、余りに同じ数が現れた時点で、繰り返しに入ったことがわかる。例えば、[[十進法]]の {{sfrac|1|[[7]]}} を小数表示する場合、次のような計算を行う。
<u> 0.142857</u>
7 ) 1.000000
<u>7</u>
30
<u>28</u>
20
<u>14</u>
60
<u>56</u>
40
<u>35</u>
50
<u>49</u>
'''1'''
これ以降は同じ計算の繰り返しとなるので、{{sfrac|1|7}} = 0.<u>142857</u> であることが分かる。この例では、1 を 7 で割った商と余りを計算することを繰り返している。
別の[[位取り記数法|N進法]]でも、筆算によって循環小数が現れる。[[六進法]]の {{sfrac|1|41}}(= [[5]]{{sup|-2}} = 十進法の {{sfrac|1|[[25]]}})を筆算で小数表示する場合、次のような計算を行う。
<u> 0.01235</u>
41 ) 1.00000
<u>41</u>
150
<u>122</u>
240
<u>203</u>
330
<u>325</u>
'''1'''
これ以降は同じ計算の繰り返しとなるので、{{sfrac|1|41}} = 0.<u>01235</u> であることが分かる。この例では、整数を 41 で割った商と余りを計算することを繰り返している。
被除数が1以外の場合も、同じように筆算で循環小数が現れる。割り切れる例も併載する。例として、被除数を 2{{sup|8}}、除数を 3{{sup|3}}とする。
[[十六進法]]の 100 ÷ 1B(2{{sup|8}} ÷ 3{{sup|3}}、十進法の場合 [[256]] ÷ [[27]])
<u> 9.7B425ED097B</u>
1B ) 100.00000000000
<u>F3</u>
D 0
<u>B D</u>
1 30
<u>1 29</u>
70
<u>6C</u>
40
<u>36</u>
A0
<u>87</u>
190
<u>17A</u>
160
<u>15F</u>
'''100'''
<u>F3</u>
D0
<u>BD</u>
130
<u>129</u>
7
被除数が除数より大きい例だが、整数部分を含めて「97B」が2回現れているので、これ以降は同じ計算の繰り返しとなり、100÷1B = 9.<u>7B425ED09</u> となり、小数部分は9桁の「7B425ED09」が繰り返されることが分かる。この割り切れない「0.7B425ED09」を分数化すると、十六進法で {{sfrac|D|1B}}、十進法で {{sfrac|13|27}} となる。
六進法の 1104 ÷ 43(六進冪指数の場合 2{{sup|12}} ÷ 3{{sup|3}}、十進法の場合 256 ÷ 27)
<u> 13.252</u>
43 ) 1104.000
<u>43</u>
234
<u>213</u>
21 0
<u>13 0</u>
4 00
<u>3 43</u>
130
<u>130</u>
0
小数部分が3桁の「252」で終わって、1104÷43 = 13.252 となる。割り切れる小数「0.252」に相当する六進分数 {{sfrac|252|1000}} は、十六進法で {{sfrac|68|D8}}、十進法で {{sfrac|[[104]]|[[216]]}} となり、既約分数にすると六進法で {{sfrac|21|43}}、十六進法で {{sfrac|D|1B}}、十進法で {{sfrac|13|27}} となる。
一般に、''a'' を ''b'' で割る筆算では、ある整数を ''b'' で割った商と余りを計算することを繰り返すが、''b'' で割った余りは 0 から ''b'' − 1 の ''b'' 通りしかないため、余りが 0 になって計算が終わるのでなければ、必ずどこかで同じ余りが出現して同じ計算の繰り返しとなる。ゆえに、有理数を小数表示すると循環小数になる。この方法では循環節の長さの上限を事前に知っておく必要はないが、「分母 − 1」以下であることがこれによりわかる。
===素数の逆数の場合===
基数に素因数として含まれない素数 ''p'' の逆数に対しては、循環節を ''m'' 桁とすると 10{{sup|''m''}} - 1 は ''p'' で割り切れ、商が循環節となるので、''p'' - 1 の約数それぞれに対し 10{{sup|''m''}} - 1 が ''p'' で割り切れるかを試せばよい。''m'' が小さい順に試せば、計算量を節約できる(たとえば {{分数|3}} = 0.333… に対しては 3 (''m'' = 1) も 33 (''m'' = 2) もこれを満たすので、小さい順でなければならない)。
== 注釈 ==
{{Notelist2}}
== 出典 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書
|last=小平
|first=邦彦
|author1-link=小平邦彦
|date=2003-04-22
|title=軽装版 解析入門Ⅰ
|publisher=[[岩波書店]]
|isbn=4-00-005192-X
|ref=harv
}}
* {{cite book|和書
|last=吉田
|first=武
|author1-link=吉田武
|title=新装版 オイラーの贈物
|publisher=東海大学出版会
|date=2010
|isbn=978-4-486-01863-6
|ref=harv
}}
* {{cite journal
|first=G. H.
|last=Hardy
|journal= Bulletin of the American Mathematical Society
|title=An introduction to the theory of numbers
|volume=35
|year=1929
|publisher=American Mathematical Society
|pages=778-818
|doi=10.1090/S0002-9904-1929-04793-1
|issn=1088-9485
|ref=harv
}}
== 関連項目 ==
* [[0.999...]]
== 外部リンク ==
* {{MathWorld|urlname=RepeatingDecimal|title=Repeating Decimal}}
* {{MathWorld|urlname=FullReptendPrime|title=Full Reptend Prime}}
* {{MathWorld|urlname=CyclicNumber|title=Cyclic Number}}
* {{Kotobank}}
{{DEFAULTSORT:しゆんかんしようすう}}
[[Category:数の表現]]
[[Category:有理数]]
[[Category:初等数学]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%AA%E7%92%B0%E5%B0%8F%E6%95%B0 |
7,032 | 貴金属 | 貴金属(ききんぞく)は、金属のうち化合物をつくりにくく希少性のある金属の総称。
英語ではprecious metalまたはnoble metalといい、precious metalは希少な金属、noble metalはイオン化(酸化)しにくい性質を持つ金属をいう。なお、貴金属の対義語は卑金属である。
化合物をつくりにくく希少性のある金属という条件を満たす元素は、金 (Au)、銀 (Ag)、白金 (Pt)、パラジウム (Pd)、ロジウム (Rh)、イリジウム (Ir)、ルテニウム (Ru)、オスミウム (Os) の8つであり、これらを一般に貴金属元素という。電気化学では銀よりも単極電位の大きい元素のことであり以上の8元素と同じである。
また、貴金属(noble metal)は「標準水素電極と比較して高い正極電位をもつ金属」と定義されることがある。この場合、相対的にイオン化しにくいほうを「貴」といい、例えば亜鉛 (Zn) との比較で銅 (Cu) は貴(貴金属)とされる。イオン化傾向が水素より小さい金属という定義では水銀など上記以外の元素を貴金属に含めることもある。
これらはいずれもDブロック元素に属する。
周期表の金、銀、白金は化学的、物理的、機械的に似た性質を有する。金、銀、白金はいずれも、色が美しく、加工が容易、室温で変色しない(銀を除く)という三要素をもち工芸品や宝飾品に用いられている。
ルテニウム、ロジウム、パラジウム(これら3つをパラジウム類と言うことがある)、オスミウム、イリジウム、白金(これら3つは白金類と言うことがある)の6つの元素を「白金族元素」と言う。
白金族元素はお互い性質が似通っており、融点が高く、白金、パラジウムはアルミニウム並に軟らかく、ルテニウム、イリジウムは硬く、オスミウムは非常に硬く脆い。ロジウムはその中間の硬さである。全体的にくすんだ銀白色を呈した金属である。
また白金類は密度が21から22と非常に高く、物質中最も重い元素になる。重白金族とも言う。パラジウム類は密度は12で、軽白金族とも言う。酸、アルカリなどにも侵されにくい。非常に有用な触媒となるものもある。
白金族元素はどれもかなり希少な金属だが、その中でもロジウム、オスミウム、イリジウムは特に希少な金属である。
レニウム
レニウムは、地球上においても、宇宙空間においても最も希少な金属である。(ビスマス以外のほぼ全ての高度放射性元素を除く)
レニウムは灰白色の非常に硬い金属で、過酷な条件下にも耐えうることから、ロケットエンジンにごく少量添加されたりしている。
密度に関しても、白金の21.45に次いで全元素中第4位の高密度である。
8種の貴金属の中で、金 (Au)、銀 (Ag)、白金 (Pt)、パラジウム (Pd) の4種とその合金を、ISO9202、JIS-H6309、及びCIBJO(国際貴金属宝飾品連盟)は、ジュエリー用貴金属合金として定め、品位区分を設けている。
イリジウム (Ir)、ルテニウム (Ru) は、白金 (Pt)(プラチナ)の割り金として用いられている。
ロジウム (Rh) は、ジュエリーやアクセサリーの表面めっきとして、広く利用されている。
ジュエリーの製造現場では、加工上の性質、用途と色調から、産出量は多いが銅 (Cu) を貴金属の一種と考えることもある。 | [
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] | 貴金属(ききんぞく)は、金属のうち化合物をつくりにくく希少性のある金属の総称。 英語ではprecious metalまたはnoble metalといい、precious metalは希少な金属、noble metalはイオン化(酸化)しにくい性質を持つ金属をいう。なお、貴金属の対義語は卑金属である。 | [[ファイル:Edelmetalle.jpg|thumb|270px|貴金属元素のサンプル]]
'''貴金属'''(ききんぞく)は、[[金属]]のうち[[化合物]]をつくりにくく希少性のある金属の総称<ref name="okada8">{{Cite book |和書 |author=岡田勝蔵 |year=2014 |title=図解よくわかる 貴金属材料 |page=8|publisher=日刊工業新聞社 }}</ref>。
英語ではprecious metalまたはnoble metalといい、precious metalは希少な金属、noble metalは[[イオン化]]([[酸化]])しにくい性質を持つ金属をいう<ref>{{Cite journal|和書|author=高橋正雄 |url=https://doi.org/10.4139/sfj1970.28.240 |title=貴金属系電極材料の現状と将来 |date=1981 |publisher=表面技術協会|journal=実務表面技術 |volume=28|issue=6|doi=10.4139/sfj1970.28.240|pages =240-244 |accessdate=2019-01-22}}</ref>。なお、貴金属の対義語は[[卑金属]]である<ref name="okada8" />。
== 定義 ==
化合物をつくりにくく希少性のある金属という条件を満たす[[元素]]は、[[金]] (Au)、[[銀]] (Ag)、[[白金]] (Pt)、[[パラジウム]] (Pd)、[[ロジウム]] (Rh)、[[イリジウム]] (Ir)、[[ルテニウム]] (Ru)、[[オスミウム]] (Os) の8つであり、これらを一般に貴金属元素という<ref name="okada8" />。電気化学では銀よりも単極電位の大きい元素のことであり以上の8元素と同じである<ref name="okada8" />。
また、貴金属(noble metal)は「標準水素電極と比較して高い正極電位をもつ金属」と定義されることがある<ref name="tri-osaka">{{Cite web|和書|author=大阪府立産業技術総合研究所 |url=http://tri-osaka.jp/c/content/files/archives/Verb1.pdf |title=電気めっき用語 |accessdate=2019-01-22}}</ref>。この場合、相対的に[[イオン化傾向|イオン化]]しにくいほうを「貴」といい、例えば[[亜鉛]] (Zn) との比較で[[銅]] (Cu) は貴(貴金属)とされる<ref name="tri-osaka" />。イオン化傾向が[[水素]]より小さい金属という定義では[[水銀]]など上記以外の元素を貴金属に含めることもある。
これらはいずれも[[Dブロック元素]]に属する。
== 性質 ==
=== 金・銀・白金 ===
[[周期表]]の金、銀、白金は化学的、物理的、機械的に似た性質を有する<ref name="okada8" />。金、銀、白金はいずれも、色が美しく、加工が容易、室温で変色しない(銀を除く)という三要素をもち工芸品や宝飾品に用いられている<ref name="okada8" />。
=== 白金族元素 ===
ルテニウム、ロジウム、パラジウム(これら3つをパラジウム類と言うことがある)、オスミウム、イリジウム、白金(これら3つは白金類と言うことがある)の6つの元素を「[[白金族元素]]」と言う。
白金族元素はお互い性質が似通っており、[[融点]]が高く、白金、パラジウムは[[アルミニウム]]並に軟らかく、ルテニウム、イリジウムは硬く、オスミウムは非常に硬く脆い。ロジウムはその中間の硬さである。全体的にくすんだ銀白色を呈した[[金属]]である。
また白金類は[[密度]]が21から22と非常に高く、物質中最も重い元素になる。重白金族とも言う。パラジウム類は密度は12で、軽白金族とも言う。[[酸]]、[[アルカリ]]などにも侵されにくい。非常に有用な[[触媒]]となるものもある。
白金族元素はどれもかなり希少な金属だが、その中でもロジウム、オスミウム、イリジウムは特に希少な金属である。
'''レニウム'''
レニウムは、地球上においても、宇宙空間においても最も希少な金属である。(ビスマス以外のほぼ全ての高度放射性元素を除く)
レニウムは灰白色の非常に硬い金属で、過酷な条件下にも耐えうることから、ロケットエンジンにごく少量添加されたりしている。
密度に関しても、白金の21.45に次いで全元素中第4位の高密度である。
== ジュエリー用貴金属 ==
8種の貴金属の中で、[[金]] (Au)、[[銀]] (Ag)、[[白金]] (Pt)、[[パラジウム]] (Pd) の4種とその合金を、ISO9202、JIS-H6309、及びCIBJO(国際貴金属宝飾品連盟)は、ジュエリー用貴金属合金として定め、品位区分を設けている。
[[イリジウム]] (Ir)、[[ルテニウム]] (Ru) は、[[白金]] (Pt)(プラチナ)の割り金として用いられている。
[[ロジウム]] (Rh) は、ジュエリーやアクセサリーの表面めっきとして、広く利用されている。
ジュエリーの製造現場では、加工上の性質、用途と色調から、産出量は多いが[[銅]] (Cu) を貴金属の一種と考えることもある。
== 出典 ==
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== 関連項目 ==
* [[卑金属]]
* [[化学]]
* [[物性物理学]]
* [[レアメタル]]
* [[重金属]]
* [[砂金]]
* [[宝石]]
* [[外国為替及び外国貿易法]](外為法)…この法律では6条1項10号で「金」のみが「貴金属」として指定されている。
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7,033 | 九字護身法 | 九字護身法(くじごしんぼう)とは、主に修験道において「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」の九字の呪文と九種類の印によって除災戦勝等を祈る作法である。この行為は九字を切る(くじをきる)、九字切り(くじきり/くじぎり)とも表現される。仏教(密教)で正当に伝えられる作法ではなく、道教の六甲秘呪という九字の作法が修験道に混入し、その他の様々なものが混在した日本独自の作法である。
六甲秘呪は『抱朴子』内篇第四「登渉篇」に晋の葛洪が「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・前・行」と唱えたとある。
日本での九字作法は、独股印を結んで口で「臨」と唱え、順次に大金剛輪印、外獅子印、内獅子印、外縛印、内縛印、智拳印、日輪印、宝瓶印(別称:隠形印)を結び、「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」を唱える。次に刀印を結んで四縦五横の格子状に線を空中に書く。
道教では縦横法と称し、修験道等では俗に「九字を切る」と称する。
修験道では九種類の印にそれぞれ、毘沙門天・十一面観音・如意輪観音・不動明王・愛染明王・聖観音・阿弥陀如来・弥勒菩薩・文殊菩薩を本地仏に配当する説がある。ただし不動明王の印である独股印が毘沙門天、金剛界大日如来である智拳印が阿弥陀如来など、印の形と本地仏とは関連性のない配当がされており根拠は不明である。また外獅子印、内獅子印の二つはインド撰述の密教経典には見られない、日本独自の印である。
そのほかに天照皇大神・八幡大菩薩・春日大明神・加茂大明神・稲荷大明神・住吉大明神・丹生大明神・日天子・摩利支天を配当する説もある。
九字は中世には護身、戦勝の利益があるとして、武人が出陣の際の祝言に用いるようにもなり、やがて忍者の保身の呪術としても使われた。
また日蓮系統の法華行者では、日栄の『修験故事便覧』による法華経序品の「令百由旬内無諸衰患」を九字とする説に基づいて、格子状の九字を切る作法が相承される。
日本には忍者が結ぶ印の基になった、戦場に臨む武士が行う修法「摩利支天の法」(まりしてんのほう)が存在し、摩利支天は武士の守り本尊として鎌倉時代から武士に人気があった。方法は、右手と左手の人差し指と中指をそれぞれ立て、右手を刀、左手を鞘に見立て、右手で空中を切る。空中を切った後、刀に見立てた右手指は、鞘に見立てた左手に納める。
明治以降、大東流合気柔術の創始者武田惣角は、修験道の九字護身法を修行した。九字切り、気合術(気合・合気)、不動金縛り術は関連性がある。 | [
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] | 九字護身法(くじごしんぼう)とは、主に修験道において「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」の九字の呪文と九種類の印によって除災戦勝等を祈る作法である。この行為は九字を切る(くじをきる)、九字切り(くじきり/くじぎり)とも表現される。仏教(密教)で正当に伝えられる作法ではなく、道教の六甲秘呪という九字の作法が修験道に混入し、その他の様々なものが混在した日本独自の作法である。 | {{出典の明記| date = 2022-08}}
{{脚注の不足|date=2022-08}}
'''九字護身法'''(くじごしんぼう)とは、主に[[修験道]]において「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」の[[九字]]の呪文と九種類の印によって除災戦勝等を祈る作法である。この行為は'''九字を切る'''(くじをきる)<ref>[https://kotobank.jp/word/九字を切る-483241 九字を切る] - コトバンク</ref>、'''九字切り'''(くじきり/くじぎり)とも表現される。[[仏教]]([[密教]])で正当に伝えられる作法ではなく、[[道教]]の六甲秘呪という九字の作法が修験道に混入し、その他の様々なものが混在した日本独自の作法である。
== 由来 ==
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六甲秘呪は『[[抱朴子]]』内篇第四「登渉篇」に[[晋 (王朝)|晋]]の[[葛洪]]が「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・前・行」と唱えたとある。
日本での九字作法は、独股印を結んで口で「臨」と唱え、順次に大金剛輪印、外獅子印、内獅子印、外縛印、内縛印、智拳印、日輪印、宝瓶印(別称:隠形印)を結び、「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」を唱える。次に刀印を結んで四縦五横の格子状に線を空中に書く。
道教では縦横法と称し、修験道等では俗に「九字を切る」と称する。
修験道では九種類の印にそれぞれ、[[毘沙門天]]・[[十一面観音]]・[[如意輪観音]]・[[不動明王]]・[[愛染明王]]・[[聖観音]]・[[阿弥陀如来]]・[[弥勒菩薩]]・[[文殊菩薩]]を本地仏に配当する説がある。ただし不動明王の印である独股印が毘沙門天、金剛界大日如来である智拳印が阿弥陀如来など、印の形と本地仏とは関連性のない配当がされており根拠は不明である。また外獅子印、内獅子印の二つはインド撰述の密教経典には見られない、日本独自の印である。
そのほかに[[天照皇大神]]・[[八幡神|八幡大菩薩]]・春日大明神・加茂大明神・[[稲荷大明神]]・[[住吉大明神]]・丹生大明神・[[日天子]]・[[摩利支天]]を配当する説もある。
[[九字]]は中世には護身、戦勝の利益があるとして、武人が出陣の際の祝言に用いるようにもなり、やがて忍者の保身の呪術としても使われた。
また日蓮系統の法華行者では、日栄の『修験故事便覧』による法華経序品の「令百由旬内無諸衰患」を九字とする説に基づいて、格子状の九字を切る作法が相承される。
日本には[[忍者]]が結ぶ印の基になった、戦場に臨む武士が行う修法「摩利支天の法」(まりしてんのほう)が存在し、摩利支天は武士の守り本尊として鎌倉時代から武士に人気があった。方法は、右手と左手の人差し指と中指をそれぞれ立て、右手を刀、左手を鞘に見立て、右手で空中を切る。空中を切った後、刀に見立てた右手指は、鞘に見立てた左手に納める。[[ファイル:Kuji-kiri02.png|thumb|九字(『九字護身法』 博文堂庄左衛門 1881年2月)]][[ファイル:Kuji-kiri01.png|700px]]
{{-}}明治以降、[[大東流合気柔術]]の創始者[[武田惣角]]は、[[修験道]]の九字護身法を修行した。九字切り、気合術(気合・[[合気]])、不動金縛り術は関連性がある。
== 参考文献 ==
{{脚注の不足|section=1|date=2022-08}}
*『密教大辞典』(宝蔵館)
*『密教辞典』(宝蔵館)
*『岩波仏教辞典』(岩波書店)
*『月刊秘伝2』「武田時宗遺稿集」(BABジャパン)2010
*『歴史春秋』「武田惣角は大東流合気柔術の創始者」池月映(会津史学会編・歴史春秋社)2021
== 脚注 ==
<references />
== 関連項目 ==
*[[密教]]
*[[阿字観]]
*[[孔雀王]]
*[[合掌]]
*[[祈り]]
== 外部リンク ==
*[http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/dokusyo/koramu/kuji/kuji.htm 九字] - 熊谷市立江南文化財センター 熊谷デジタルミュージアム
*[http://phantasma.onza.net/fusatsu/in.html 九字護身法印図説]
*[{{NDLDC|819213/1}} 九字護身法 博文堂庄左衛門 1881年(明治14年)2月] - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
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7,034 | パリスの審判 | パリスの審判(パリスのしんぱん)は、ギリシア神話の一挿話で、トロイア戦争の発端とされる事件である。
イリオス(トロイア)王プリアモスの息子パリス(アレクサンドロス)が、神々の女王ヘーラー・知恵の女神アテーナー・愛と美の女神アプロディーテー(ローマ神話においては、ユーノー・ミネルウァ・ウェヌス)という天界での三美神のうちで誰が最も美しいかを判定させられた。
テティスとペーレウスの結婚を祝う宴席には全ての神が招かれたが、不和の女神エリスだけは招かれなかった。(増えすぎた人類を減らすためにゼウスが故意に招かず、エリスに戦争を起こさせようとしたという説もある)エリスは怒り、宴席に「最も美しい女神へ」と書かれた黄金の林檎を投げ入れた。この林檎について、ヘーラー・アテーナー・アプロディーテーが権利を主張した。ゼウスは仲裁するために「イリオス王プリアモスの息子で、現在はイデ山で羊飼いをしているパリス(アレクサンドロス)に判定させる」こととした(パリスの審判)。この時、女神たちは様々な賄賂による約束をしてパリスを買収しようとした。ヘーラーは「アシアの君主の座」、アテーナーは「戦いにおける勝利」を与えることを申し出たが、結局「最も美しい女を与える」としたアプロディーテーが勝ちを得た。「最も美しい女」とはすでにスパルタ王メネラーオスの妻となっていたヘレネーのことで、これがイリオス攻め(トロイア戦争)の原因となった。トロイア戦争の間にパリスを憎むヘーラーとアテーナーとはギリシア側に肩入れした。
なお古い伝承ではパリスがアプロディーテーの加護の下に置かれ、ヘレネーが連れ去られたとするが、後にゼウスの娘であるヘレネーは半神とみなされ、不敬を避けるためパリスが略奪したのは、ヘレネーに似せて作られた雲で出来た像であったとする説ができた。
その他、フランスの比較神話学者ジョルジュ・デュメジルは彼自身の研究による三機能仮説がそれぞれに影響し、ヘーラー「主権」、アテーナー「戦闘」、アプロディーテー「生産」の三つの階級が人間の社会を構成していると考えた。パリスが「生産」の階級を重視しつつ、アプロディーテーを選んで結局はトロイアを滅ぼしたと考えられる。
「パリスの審判」では3人の女神が、美男といわれたパリスの前に並び美を競い合う。この題材は画家の好む主題の1つとなり、様々な画家が『パリスの審判』というタイトルの絵を描いた。
絵画に描かれた個々の人物が誰であるかはアトリビュートによって区別できる。フクロウを従えていたり、武具を身に着けている、あるいはそばに置いている者がアテーナー、エロース(クピードー)を従えている者がアプロディーテー、孔雀を従えていたり、王冠を頭に戴いている者がヘーラーである。また、男が2人描かれている場合、翼の生えた帽子やケーリュケイオンの杖を身に着けている者がヘルメース(メルクリウス)、黄金の林檎を持つ牧人の服装の者がパリスである。 | [
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{{出典の明記|date=2018年6月15日 (金) 03en-Bri-Paris7 (UTC)}}
[[File:Rubens - Judgement of Paris.jpg|thumb|300px| [[ピーテル・パウル・ルーベンス|ルーベンス]]の『[[パリスの審判 (ルーベンス)|パリスの審判]]』。1636年。[[ナショナルギャラリー (ロンドン)|ナショナルギャラリー]]所蔵。パリス(黄金の林檎を持つ男)はアプロディーテー(真ん中の女)を選んだ<ref>{{Cite book|和書 |author=中野京子|authorlink=中野京子 |year = 2011 |title = 名画の謎 中野京子と読み解く ギリシャ神話篇 |publisher = [[文藝春秋]] |page = 40 |isbn = 978-4-16-373850-5}}</ref>。]]
[[File:Botticelli-Juicio-de-Paris.jpg|thumb|300px|[[サンドロ・ボッティチェッリ]]と工房『[[パリスの審判 (ボッティチェッリ)|パリスの審判]]』。1485年から1488年頃。{{ill|チーニ宮殿美術館|it|Galleria di Palazzo Cini}}所蔵。]]
'''パリスの審判'''(パリスのしんぱん)は、[[ギリシア神話]]の一挿話で、[[トロイア戦争]]の発端とされる事件である。
== 内容 ==
[[イリオス]](トロイア)王[[プリアモス]]の息子[[パリス]](アレクサンドロス)が、神々の女王[[ヘーラー]]・知恵の女神[[アテーナー]]・愛と美の女神[[アプロディーテー]]([[ローマ神話]]においては、[[ユーノー]]・[[ミネルウァ]]・[[ウェヌス]]<ref>[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]『[[ファウスト (ゲーテ)|ファウスト]]』など文献資料によってはジュノー、パラス、ヴィーナスの三女神と表記することもある。</ref>)という天界での[[三美神]]のうちで誰が最も美しいかを判定させられた。
[[テティス]]と[[ペーレウス]]の結婚を祝う宴席には全ての神が招かれたが、不和の女神[[エリス (ギリシア神話)|エリス]]だけは招かれなかった<ref name="en-Bri-Eris">{{Cite web|url=https://www.britannica.com/topic/Eris-Greek-and-Roman-mythology#ref152571|title=Eris (Greek mythology)|accessdate=2018-09-06|publisher=Encyclopædia Britannica}}</ref><ref name="en-myth-paris">{{Cite web|url=https://pantheon.org/articles/p/paris.html|title=Paris|accessdate=2018-09-06|publisher=Encyclopedia Mythica}}</ref>。(増えすぎた人類を減らすためにゼウスが故意に招かず、エリスに戦争を起こさせようとしたという説もある)エリスは怒り、宴席に「最も美しい女神へ」と書かれた[[黄金の林檎]]を投げ入れた<ref name="en-Bri-Eris" /><ref name="en-myth-paris" />。この林檎について、ヘーラー・アテーナー・アプロディーテーが権利を主張した<ref name="en-Bri-Eris" /><ref name="en-myth-paris" />。ゼウスは仲裁するために「イリオス王プリアモスの息子で、現在は[[カズ・ダー|イデ山]]で羊飼いをしているパリス(アレクサンドロス)に判定させる」こととした('''パリスの審判''')。この時、女神たちは様々な賄賂による約束をしてパリスを買収しようとした。ヘーラーは「アシアの君主の座」、アテーナーは「戦いにおける勝利」を与えることを申し出たが、結局「最も美しい女を与える」としたアプロディーテーが勝ちを得た<ref name="en-myth-paris" /><ref name="en-Bri-Paris">{{Cite web|url=https://www.britannica.com/topic/Paris-Greek-mythology|title=Paris (Greek mythology)|accessdate=2018-09-06|publisher=Encyclopædia Britannica}}</ref>。「最も美しい女」とはすでに[[スパルタ]]王[[メネラーオス]]の妻となっていた[[ヘレネー]]のことで<ref name="en-myth-paris" />、これがイリオス攻め([[トロイア戦争]])の原因となった<ref name="en-Bri-Paris" />。トロイア戦争の間にパリスを憎むヘーラーとアテーナーとはギリシア側に肩入れした<ref name="en-myth-paris" />。
なお古い伝承ではパリスがアプロディーテーの加護の下に置かれ、ヘレネーが連れ去られたとするが、後にゼウスの娘であるヘレネーは[[半神]]とみなされ、不敬を避けるためパリスが略奪したのは、ヘレネーに似せて作られた[[雲]]で出来た像であったとする説ができた。
その他、フランスの比較神話学者[[ジョルジュ・デュメジル]]は彼自身の研究による[[三機能仮説]]がそれぞれに影響し、ヘーラー「主権」、アテーナー「戦闘」、アプロディーテー「生産」<ref>ペン編集部/編、ペンブックス22 『美の起源、古代ギリシャ・ローマ』 2014年、196頁。 ISBN 978-4-484-14225-8</ref>の三つの階級が人間の社会を構成していると考えた。パリスが「生産」の階級を重視しつつ、アプロディーテーを選んで結局はトロイアを滅ぼしたと考えられる。
== 絵画 ==
「パリスの審判」では3人の女神が、美男といわれたパリスの前に並び美を競い合う。この題材は画家の好む主題の1つとなり<ref name="en-Bri-Paris" />、様々な画家が『パリスの審判』というタイトルの絵を描いた。
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The Judgement of Paris by Lucas Cranach the Elder 1508.jpg|{{small|『[[パリスの審判 (クラナッハ)|パリスの審判]]』 [[ルーカス・クラナッハ]]、1508年 [[大英博物館]]所蔵}}
Lucas Cranach d.Ä. - Das Urteil des Paris (Statens Museum for Kunst).jpg|{{small|『パリスの審判』 ルーカス・クラナッハ、1527年 [[コペンハーゲン国立美術館]]所蔵}}
Lucas Cranach d.Ä. - Das Urteil des Paris.jpg|{{small|『パリスの審判』 ルーカス・クラナッハ、1528年 [[メトロポリタン美術館]]所蔵}}
Lucas Cranach the Elder - Judgment of Paris.jpg|{{small|『パリスの審判』 ルーカス・クラナッハ、1530年 [[セントルイス美術館]]所蔵}}
1979.18 01 p01.jpg|{{small|『パリスの審判』 [[ハンス・フォン・アーヘン]]、1590年 [[バーミングハム美術館]]所蔵}}
Joachim Wtewael - The Judgment of Paris (1615).jpg|{{small|『パリスの審判』 [[ヨアヒム・ウテワール]]、1615年 [[ナショナル・ギャラリー (ロンドン)|ナショナル・ギャラリー]]所蔵}}
Peter Paul Rubens 115.jpg|{{small|『[[パリスの審判 (ルーベンス)|パリスの審判]]』 [[ペーテル・パウル・ルーベンス]]、1638-1639年頃 [[プラド美術館]]所蔵}}
Claude Lorrain (1600 - 1682), The Judgment of Paris, 1645-1646, oil on canvas. National Gallery of Art, Washingto.jpg|{{small|『パリスの審判』 [[クロード・ロラン]]、1645-1646年頃 [[ナショナル・ギャラリー (ワシントン)|ナショナル・ギャラリー]]所蔵}}
Noël-Nicolas Coypel - The Judgement of Paris, 1728.jpg|{{small|『パリスの審判』 [[ノエル=ニコラ・コワペル]]、1728年 [[スウェーデン国立美術館]]所蔵}}
François-Xavier Fabre - The Judgment of Paris.jpg|{{small|『パリスの審判』 [[フランソワ=グザヴィエ・ファーブル]]、1808年 {{仮リンク|ヴァージニア美術館|en|Virginia Museum of Fine Arts}}所蔵}}
The Judgement of Paris by Jean Baptiste Regnault (1820).jpg|{{small|『パリスの審判』 [[ジャン=バプティスト・ルニョー]]、1820年 [[シュトゥットガルト州立美術館]]所蔵}}
Philippe Parrot - Le Jugement De Paris.jpg|{{small|『パリスの審判』 [[フィリップ・パロット]]、1875年 個人蔵}}
Solomon Joseph Solomon - The Judgement of Paris.jpg|{{small|『パリスの審判』 [[ソロモン・ジョセフ・ソロモン]]、1891年 個人蔵}}
Mucha-The Judgement of Paris (calendar)-1895.jpg|{{small|『パリスの審判』 [[アルフォンス・ミュシャ]]、1895年 個人蔵}}
Enrique Simonet - El Juicio de Paris - 1904.jpg|{{small|『{{ill2|パリスの審判 (シモネ)|en|El Juicio de Paris (Simonet)|label =パリスの審判}}』 [[エンリケ・シモネ]]、1904年 {{仮リンク|マラガ美術館|en|Museo de Málaga}}所蔵}}
Walter Crane - The Judgement of Paris, 1909.jpg|{{small|『パリスの審判』 [[ウォルター・クレイン]]、1909年 個人蔵}}
Le Jugement de Pâris, par Pierre-Auguste Renoir.jpg|{{small|『[[パリスの審判 (ルノワール)|パリスの審判]]』 [[ピエール=オーギュスト・ルノワール]]、1913-1914年 [[ひろしま美術館]]所蔵}}
Franz von Stuck - The three goddesses Athena, Hera and Aphrodite, 1923.jpg|{{small|『三女神:アテーナー、ヘーラー、アプロディーテー』 [[フランツ・フォン・シュトゥック]]、1923年 個人蔵}}
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=== アトリビュート ===
絵画に描かれた個々の人物が誰であるかは[[アトリビュート]]によって区別できる。[[フクロウ]]を従えていたり、武具を身に着けている、あるいはそばに置いている者がアテーナー、[[エロース]]([[クピードー]])を従えている者がアプロディーテー、[[クジャク|孔雀]]を従えていたり、王冠を頭に戴いている者がヘーラーである。また、男が2人描かれている場合、翼の生えた帽子や[[ケーリュケイオン]]の杖を身に着けている者が[[ヘルメース]]([[メルクリウス]])、黄金の林檎を持つ牧人の服装の者がパリスである。
== 脚注 ==
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{{reflist}}
== 関連項目 ==
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* [[不和の林檎]]→'''パリスの審判'''→[[トロイア戦争]]
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[[Category:アプロディーテー]]
[[Category:ヘーラー]]
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7,035 | クロード・ロラン | クロード・ロラン(フランス語: Claude Lorrain, 1600年代 - 1682年11月23日)は、本名をクロード・ジュレといい、フランスのバロック・フランス古典主義絵画の画家。ロレーヌ地方の出身なので、「ロラン」と呼ばれ、生涯の大半をローマで送った。プッサンと同時代に活躍した。理想風景を追求する画風で知られ、代表作は『海港 シバの女王の上陸』。日本では、国立西洋美術館、静岡県立美術館、山梨県立美術館、東京富士美術館に収蔵されている。
ロランは1604年または5年にロレーヌ地方、シャマーニュの貧しい家に5人兄弟の一人として生まれた。12歳で孤児になり木彫り職人で兄のジャン・ジュレとフライブルクに移住した。その後、彼は生計を立てるためローマ、さらにナポリへと移住した。1619年から1621年までナポリでゴフレード・ウァルスの許で修行する。1625年の4月ローマに戻りアゴスティーノ・タッシに師事。タッシの許を離れた後、幾多の災難に見舞われながらも、生地ロレーヌ地方の他、イタリア、フランス、ドイツを旅した。ロレーヌ公の宮廷画家カール・ダーバントはロランを1年間助手として雇っており。ナンシーではカルメル会教会の天井に建築物を描いている。
1627年、ロランはローマに戻り、グイード・ベンティボグリオの為に描いた二つの風景画によりウルバヌス8世をパトロンにする。1637年頃からは急速に風景画家、海景画家としての名声を高めていく。同じフランス人のニコラ・プッサンとも交友があり、カンパーニャ・ロマーナを共に旅している。二人共、風景画家と呼ばれているが、プッサンの風景は人物の背景である一方、ロランの絵では人物は片隅に描かれるものの、絵の本当の主題は陸地、海、空である。他の画家に人物の描画をしばしば依頼しており、その中にはジャック・クルトワやフィリッポ・ラウリが含まれる。絵の購入者には、自分は風景を売ったが人物はおまけだと言っていた。
同じ主題の繰り返しを避ける目的と、自分の作品の良質な複製を提供するため、彼は各国に送られた自分のほぼ全ての作品を淡彩入りのドローイングで複製し裏面には購入者の名前を記載した。ドローイングをまとめて本を出し、この本をロランは『真実の書(Liber Veritatis)』と名づけた。この貴重な作品は銅版画に複製出版され、後の風景画家の模範となる。痛風に苦しんだ彼は、1682年の11月21日もしくは23日に亡くなり、トリニタ・アル・モンテ(Trinità al Monte)の頂に葬られた。彼の莫大な遺産は、甥と養子の娘(姪の可能性あり)に残された。
ローマでは17世紀中頃まで風景が真剣に取り組むべき画題と見做されることは無かった。北ヨーロッパではドイツのアダム・エルスハイマーやパウル・ブリルが幾つかの作品で風景を主題とした作品を描いている。他にもレオナルド・ダ・ヴィンチのドローイングやバルダッサーレ・ペルッツィの装飾的フレスコ画で風景が主題となっている。しかし主要なイタリアの画家が本格的な作品で風景を主題とするのはアンニーバレ・カラッチと弟子のドメニキーノを待たなければならない。尤も彼等に於いてもロランと同じように表向きは神話や宗教を主題としていた。主題として風景を扱うことは明らかに非古典的で、ありえないことだった。カラッチの才能は古典の作品を理想としたルネサンス美術とは相容れないものであったし、ドメニキーノの才能も宗教または神話上の主題を高く評価する対抗宗教改革時のローマではサポートを得るのが難しかった。背景には純粋な風景画は静物画や風俗画と同じように、道徳的真剣さに欠けると見做す当時の美学上の視点が有る。17世紀イタリア美術の神学、哲学上の中心地ローマはそのような伝統からの離脱の準備はできていなかった。
ロランは弟子に親切で勤勉であり、非常に鋭い観察眼を持っていたと伝えられている。しかし、生前、彼のことを記録する者はいなかった。ヨアヒム・フォン・ザンドラルト(Joachim von Sandrart)がロランの生涯に関しては権威である(Academia Artis Pictoriae、1683年)。フィリッポ・バルディヌッチ(Filippo Baldinucci)はロランと近しかった数人から情報を得て様々な出来事をまた別の印象で語っている(Notizie dei professoni del disegno)。ジョン・コンスタブルはロランのことを「世界が今まで目にした最も完璧な風景画家」だと述べ、ロランの風景では「全てが美しく-全てが愛らしく-全てが心地よく安らかで心が温まる」と絶賛している。
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'''クロード・ロラン'''({{lang-fr|Claude Lorrain}}, [[1600年代]] - [[1682年]][[11月23日]])は、本名を'''クロード・ジュレ'''といい、[[フランス]]の[[バロック]]・フランス[[古典主義]][[絵画]]の[[画家]]。[[ロレーヌ地域圏|ロレーヌ]]地方の出身なので、「'''ロラン'''」と呼ばれ、生涯の大半を[[ローマ]]で送った。[[ニコラ・プッサン|プッサン]]と同時代に活躍した。理想風景を追求する画風で知られ、代表作は『[[シバの女王の乗船|海港 シバの女王の上陸]]』。日本では、[[国立西洋美術館]]、[[静岡県立美術館]]、[[山梨県立美術館]]、[[東京富士美術館]]に収蔵されている。
== 生涯 ==
=== 初期 ===
ロランは1604年または5年に[[ロレーヌ地方]]、[[シャマーニュ]]の貧しい家に5人兄弟の一人として生まれた。12歳で孤児になり木彫り職人で兄のジャン・ジュレと[[フライブルク・イム・ブライスガウ|フライブルク]]に移住した。その後、彼は生計を立てるためローマ、さらに[[ナポリ]]へと移住した。[[1619年]]から[[1621年]]までナポリで[[ゴフレード・ウァルス]]の許で修行する。[[1625年]]の4月ローマに戻り[[アゴスティーノ・タッシ]]に師事。タッシの許を離れた後、幾多の災難に見舞われながらも、生地ロレーヌ地方の他、[[イタリア]]、[[フランス]]、[[ドイツ]]を旅した。ロレーヌ公の[[宮廷画家]]カール・ダーバントはロランを1年間助手として雇っており。[[ナンシー]]ではカルメル会教会の天井に建築物を描いている。
=== 円熟期 ===
[[Image:Lorrain.seaport.jpg|thumb|left|250px|『海港(メディチ邸)』(1637)]]
[[File:Claude Lorrain 012.jpg|thumb|left|250px|『村祭り』(1639)]]
[[1627年]]、ロランはローマに戻り、グイード・ベンティボグリオの為に描いた二つの[[風景画]]により[[ウルバヌス8世]]をパトロンにする。1637年頃からは急速に風景画家、[[海景画|海景画家]]としての名声を高めていく。同じフランス人の[[ニコラ・プッサン]]とも交友があり、[[カンパーニャ・ロマーナ]]を共に旅している。二人共、風景画家と呼ばれているが、プッサンの風景は人物の背景である一方、ロランの絵では人物は片隅に描かれるものの、絵の本当の主題は陸地、海、空である。他の画家に人物の描画をしばしば依頼しており、その中には[[ジャック・クルトワ]]や[[フィリッポ・ラウリ]]が含まれる。絵の購入者には、自分は風景を売ったが人物はおまけだと言っていた。
同じ主題の繰り返しを避ける目的と、自分の作品の良質な複製を提供するため、彼は各国に送られた自分のほぼ全ての作品を淡彩入りのドローイングで複製し裏面には購入者の名前を記載した。ドローイングをまとめて本を出し、この本をロランは『真実の書(Liber Veritatis)』と名づけた。この貴重な作品は銅版画に複製出版され、後の風景画家の模範となる。[[痛風]]に苦しんだ彼は、[[1682年]]の11月21日もしくは23日に亡くなり、トリニタ・アル・モンテ(Trinità al Monte)の頂に葬られた。彼の莫大な遺産は、甥と養子の娘(姪の可能性あり)に残された。
== 評価と遺産 ==
[[ファイル:Claude Lorrain 008.jpg|250px|thumb|『[[シバの女王の乗船|海港 シバの女王の上陸]]』]]
[[ファイル:Claude Lorrain 014.jpg|thumb|left|250px|『アポロとメルクリウスのいる風景』(1645年)]]{{疑問点範囲|ローマでは17世紀中頃まで風景が真剣に取り組むべき画題と見做されることは無かった。北ヨーロッパではドイツの[[アダム・エルスハイマー]]や[[パウル・ブリル]]が幾つかの作品で風景を主題とした作品を描いている。他にも[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]のドローイング<ref>[http://www.royalcollection.org.uk/eGallery/object.asp?theme=LANDSCAPE&object=912409&row=0 Royal Collection]</ref>や[[バルダッサーレ・ペルッツィ]]の装飾的フレスコ画で風景が主題となっている。しかし主要なイタリアの画家が本格的な作品で風景を主題とするのは[[アンニーバレ・カラッチ]]と弟子の[[ドメニキーノ]]を待たなければならない。尤も彼等に於いてもロランと同じように表向きは神話や宗教を主題としていた。主題として風景を扱うことは明らかに非古典的で、ありえないことだった。カラッチの才能は古典の作品を理想としたルネサンス美術とは相容れないものであったし、ドメニキーノの才能も宗教または神話上の主題を高く評価する対抗宗教改革時のローマではサポートを得るのが難しかった。背景には純粋な風景画は[[静物画]]や[[風俗画]]と同じように、道徳的真剣さに欠けると見做す当時の美学上の視点が有る。17世紀イタリア美術の神学、哲学上の中心地ローマはそのような伝統からの離脱の準備はできていなかった|date=2023年1月|title=ロランとの関連付けが分かりにくい}}{{独自研究?|date=2023年10月}}。
ロランは弟子に親切で勤勉であり、非常に鋭い観察眼を持っていたと伝えられている。しかし、生前、彼のことを記録する者はいなかった。[[ヨアヒム・フォン・ザンドラルト]](Joachim von Sandrart)がロランの生涯に関しては権威である(''Academia Artis Pictoriae''、1683年)。[[フィリッポ・バルディヌッチ]](Filippo Baldinucci)はロランと近しかった数人から情報を得て様々な出来事をまた別の印象で語っている(''Notizie dei professoni del disegno'')。[[ジョン・コンスタブル]]はロランのことを「世界が今まで目にした最も完璧な風景画家」だと述べ、ロランの風景では「全てが美しく-全てが愛らしく-全てが心地よく安らかで心が温まる」と絶賛している<ref>Beckett, Discourses, pp. 52–53; [http://www.nga.gov.au/Exhibition/CONSTABLE/Detail.cfm?IRN=143208]</ref>。
== ギャラリー ==
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Le port de genes vue de la mer.jpg|{{small|『海から見たジェノヴァ港』1627年-1629年 <br/>[[ルーヴル美術館]]所蔵}}
Claude Lorrain - Landscape with a Rock Arch and River - Google Art Project.jpg|{{small|『岩のアーチと川』<br/>1626年-1630年<br/>[[ヒューストン美術館]]所蔵}}
Claude Lorrain - Capriccio with ruins of the Roman Forum - Google Art Project.jpg|{{small|『フォロ・ロマーナの遺跡とカプリス』1634年頃 [[南オーストラリア美術館]]所蔵}}
Claude Lorrain - Matin dans le port (II).jpg|{{small|『朝の港』<br/>1635年-1645年<br/>[[エルミタージュ美術館]]所蔵}}
Vue d'un port avec le Capitole by Gelée Louvre INV4712 n01.jpg|{{small|『国会議事堂のある港の眺め』1636年 ルーヴル美術館所蔵}}
La campiña romana,1639, Claude Lorrain.jpg|{{small|『ローマの田舎』1639年 [[メトロポリタン美術館]]所蔵}}
Paisaje con las tentaciones de San Antonio.jpg|{{small|『[[聖アントニウスの誘惑のある風景 (クロード・ロラン)|聖アントニウスの誘惑のある風景]]』1638年 [[プラド美術館]]所蔵}}
Claude Lorrain - An Artist Studying from Nature - Google Art Project.jpg|{{small|『自然を学ぶ芸術家』1639年 [[シンシナティ美術館]]所蔵}}
Paisaje con el embarco en Ostia de Santa Paula Romana (Gellée).jpg|{{small|『[[オスティアで乗船するローマの聖パウラがいる風景]]』1939年 プラド美術館}}
The Disembarkation of Cleopatra at Tarsus 1642 Claude Lorrain.jpg|{{small|『[[タルソスに上陸するクレオパトラ]]』1642年-1643年 ルーヴル美術館所蔵}}
El vado, Claudio de Lorena.jpg|{{small|『渡渉』1644年<br/>プラド美術館所蔵}}
Ulysse remet Chryséis à son père - 1644 - Claude Gellée dit le Lorrain - Louvre - INV 4718 ; MR 1747.jpg|{{small|『[[クリュセイスを父親のもとへ送り届けるオデュッセウス]]』1644年頃 ルーブル美術館所蔵}}
Claude Lorrain - Côte vue avec Apollon et la Sibylle de Cumes.jpg|{{small|『アポロンとクマエのシビュラ』1645年-1649年 エルミタージュ美術館所蔵}}
Claude Lorrain - Landscape with Dancing Satyrs and Nymphs - Google Art Project.jpg|{{small|『踊るサテュロスとニンフのいる風景』1646年 [[国立西洋美術館]]}}
Claude Lorrain - Landscape with Acis and Galatea - Google Art Project.jpg|{{small|『アキスとガラテイアのいる風景』1657年 [[アルテ・マイスター絵画館]]所蔵}}
Claude Lorrain Jacob Rachel.jpg|{{small|『井戸のそばのヤコブ、ラケル、レアのいる風景』1666年 エルミタージュ美術館所蔵}}
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== 脚注 ==
<references />
== 参考文献 ==
{{commons|Category:Claude Lorrain}}
* 『クロード・ロランと理想風景』[[国立西洋美術館]] 1998年
* {{1911|wstitle=Claude of Lorraine|volume=6|page=463}}
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{{Normdaten}}
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[[Category:17世紀フランスの画家]]
[[Category:フランス・バロックの画家]]
[[Category:ドローイング作家]]
[[Category:フランスの製図家]]
[[Category:フランスのエングレービング作家]]
[[Category:ロレーヌの人物]]
[[Category:1600年代生]]
[[Category:1682年没]] | 2003-04-20T11:27:25Z | 2023-11-04T04:41:22Z | false | false | false | [
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7,038 | ルネサンス (曖昧さ回避) | ルネサンス (Renaissance)は、古典回帰の文化的運動のこと(こちらを参照)。以下はこれに由来する。 | [
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] | ルネサンス (Renaissance)は、古典回帰の文化的運動のこと(こちらを参照)。以下はこれに由来する。 | '''[[ルネサンス]]'''(Renaissance)とは、古典回帰の文化的運動のこと。以下はこれに由来する。
== 文化的運動 ==
* [[カロリング朝ルネサンス]]
* [[マケドニア朝ルネサンス]]
* [[パレオロゴス朝ルネサンス]]
* [[12世紀ルネサンス]]
* [[アフリカ・ルネサンス]]
* [[アメリカ・ルネサンス]]
* [[スコットランド・ルネサンス]]
* [[ハーレム・ルネサンス]]
* [[プロヴァンス・ルネサンス]]
* [[南部ルネサンス]]
== 音楽 ==
* [[RenaiSSance]] - [[De-LAX]]が[[1999年]][[11月20日]]にリリースした通算6枚目となる[[スタジオ・アルバム|オリジナルアルバム]]。
* [[ルネッサンス (バンド)]] - [[イギリス]]の[[ロックバンド]]。
* {{仮リンク|ルネッサンス (ヴァニラ・ファッジのアルバム)|en|Renaissance (Vanilla Fudge album)}} - [[ヴァニラ・ファッジ]]のアルバム。
* [[ルネッサンス (ブランフォード・マルサリスのアルバム)]] - [[ブランフォード・マルサリス]]のアルバム。
* [[ルネッサンス (マーカス・ミラーのアルバム)]] - [[マーカス・ミラー]]のアルバム。
* [[ルネッサンス (ライオネル・リッチーのアルバム)]] - [[ライオネル・リッチー]]のアルバム。
* [[ルネッサンス (ルネッサンスのアルバム)]] - ルネッサンスのアルバム。
* [[THE RENAISSANCE]] - 日本のバンド[[THE ALFEE]]のアルバム。
== その他 ==
* [[ルネサンス (スポーツクラブ)]] - スポーツクラブ運営企業。
* [[ルネッサンス (映画)]] - [[2006年]]にフランス、イギリス、ルクセンブルク合同で製作された映画。原題:Renaissance
* [[ルネサンス高等学校]]
* [[白人至上主義#白人至上主義の例|アメリカン・ルネサンス]] - [[白人至上主義]]を信奉する[[アメリカ合衆国]]の雑誌。
*[[名曲喫茶ルネッサンス]] - [[東京都]][[杉並区]][[高円寺]]にある[[名曲喫茶]]
*Renaissance - [[フランス]]の政党「[[共和国前進]]」の新党名
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[[Category:同名の作品]] | 2003-04-20T11:38:04Z | 2023-10-20T13:29:18Z | true | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9_(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF) |
7,039 | 人類 | 人類(じんるい、英: humanity)とは、個々の人間や民族などの相違点を越える《類》としての人間のこと。この用語には、「生物種としてのヒト」という側面と、「ひとつの《類》として実現すべき共同性」という側面がある。
人類とは、個々の人間や民族などの相違点を越える《類》としての人間のことである。
人に関する説は西欧では様々な変遷や議論を経て来ており、重要な説としては例えば人類単元説、人類多元説、人類性の概念などがある。
(ヨーロッパ世界はキリスト教の世界であったわけであるが)キリスト教世界では、人類はすべてアダムの子孫だ、とする人類単元説や、「神の似姿」としての人間観が説得力を持ち続けていた。だが、ヨーロッパが大航海時代を迎え、ヨーロッパ外の人々に接し、その情報がヨーロッパにもたらされるにつれ、彼らに「人間の変種」あるいは「人種」と見えたものをどう考えるか、ということがひとつの大きな問題として西欧人の間で浮上してきた。こうした問題に関して、ビュフォンほか多くの人々は、人類間の差異というのは風土・食物・習俗の違いから生じているのであり人類はひとつの種だ、とする「人類単元説」を採用したが、それに対してヴォルテールは「人類多元説」を唱え、単元説と多元説の対立は19世紀でも継続し、1859年にパリ人類学会を創設したブローカもそうした問題に言及することになり、人種間の差は動物種間の差よりも大きい、と述べた。
その後、「進化した人種が原始的な人種を支配するのだ」などとする社会ダーウィニズムが登場し、こうした考え方は帝国主義によって好都合のものとして利用されることになった。
ヨーロッパの人々の概念としては、「市民 / 蛮人」という区別や「キリスト教徒 / 異教徒」という区別が基本的にあったが、啓蒙時代になるとそれらの差別を越える「humanity 人類性」という観念が登場し、人類史が「人間の自己完成能力による進歩の歴史」として提示されるようになったが、そうした中で人類という概念は《実現すべき共同性》として強く意識されるようになった。
ディドロ、コント、フォイエルバッハらが、人類性に関して重要な説を唱えた。
生物種としての「人類」というのは、現生種(現在も生きている種)、化石種(すでに化石でしか存在しないもの)の別を問わず「ヒト」という概念に含まれるものの総称だが、どの範囲まで含むかについては多々議論があり、化石種についてもホモ・サピエンス以外のものに関しては現在でも議論が繰り返されている状態にある。共通している特徴としては、直立歩行できること、犬歯の短小化が起きていること、尾が退化していること、などがある。 | [
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] | 人類とは、個々の人間や民族などの相違点を越える《類》としての人間のこと。この用語には、「生物種としてのヒト」という側面と、「ひとつの《類》として実現すべき共同性」という側面がある。 | '''人類'''(じんるい、{{lang-en-short|humanity}})とは、個々の[[人間]]や[[民族]]などの相違点を越える《[[類]]》としての[[人間]]のこと<ref name="philo_sakagami">『岩波 哲学思想事典』p.858 【人類】[[阪上孝]] 執筆</ref>。この用語には、「生物種としての[[ヒト]]」という側面と、「ひとつの《類》として実現すべき共同性」という側面がある<ref name="philo_sakagami" />。
== 概説 ==
人類とは、個々の人間や民族などの相違点を越える《類》としての人間のことである。
人に関する説は西欧では様々な変遷や議論を経て来ており、重要な説としては例えば人類単元説、人類多元説、人類性の概念などがある<ref name="philo_sakagami" />。
=== 単元説と多元説 ===
([[ヨーロッパ世界]]は[[キリスト教]]の[[世界]]であったわけであるが)キリスト教世界では、人類はすべて[[アダム]]の子孫だ、とする人類単元説や、「神の似姿」としての人間観が説得力を持ち続けていた<ref name="philo_sakagami" />。だが、ヨーロッパが[[大航海時代]]を迎え、ヨーロッパ外の人々に接し、その情報がヨーロッパにもたらされるにつれ、彼らに「人間の変種」あるいは「[[人種]]」と見えたものをどう考えるか、ということがひとつの大きな問題として西欧人の間で浮上してきた<ref name="philo_sakagami" />。こうした問題に関して、[[ジョルジュ=ルイ・ルクレール・ド・ビュフォン|ビュフォン]]ほか多くの人々は、人類間の差異というのは[[風土]]・[[食物]]・[[習俗]]の違いから生じているのであり人類はひとつの種だ、とする「人類単元説」を採用したが、それに対して[[ヴォルテール]]は「人類多元説」を唱え<ref name="philo_sakagami" />、単元説と多元説の対立は[[19世紀]]でも継続し、[[1859年]]にパリ人類学会を創設した[[ピエール・ポール・ブローカ|ブローカ]]もそうした問題に言及することになり、人種間の差は動物[[種 (分類学)|種]]間の差よりも大きい、と述べた<ref name="philo_sakagami" />。
その後、「進化した人種が原始的な人種を支配するのだ」などとする[[社会ダーウィニズム]]が登場し、こうした考え方は[[帝国主義]]によって好都合のものとして利用されることになった<ref name="philo_sakagami" />。
=== 《人類性》と共同性の概念 ===
ヨーロッパの人々の概念としては、「[[市民]] / [[野蛮人|蛮人]]」という区別や「[[キリスト教徒]] / [[異教徒]]」という区別が基本的にあったが、[[啓蒙時代]]になるとそれらの[[差別]]を越える「humanity 人類性」という観念が登場し、人類史が「人間の自己完成能力による進歩の歴史」として提示されるようになったが、そうした中で人類という概念は《実現すべき共同性》として強く意識されるようになった<ref name="philo_sakagami" />。
[[ディドロ]]、[[オーギュスト・コント|コント]]、[[ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ|フォイエルバッハ]]らが、人類性に関して重要な説を唱えた<ref name="philo_sakagami" />。
=== 生物種としての人類 ===
生物種としての「人類」というのは、現生種(現在も生きている種)、化石種(すでに化石でしか存在しないもの)の別を問わず「ヒト」という概念に含まれるものの総称<ref name="britan">[[ブリタニカ百科事典]]【人類】</ref>だが、どの範囲まで含むかについては多々議論があり、化石種についても[[ホモ・サピエンス]]以外のものに関しては現在でも議論が繰り返されている状態にある<ref name="britan" />。共通している特徴としては、[[直立歩行]]できること、[[犬歯]]の短小化が起きていること、[[尾]]が退化していること、などがある<ref name="britan" />。
== 脚注 ==
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
* [[人類学]]。[[文化人類学]]、[[社会人類学]]、[[自然人類学]]。
* [[人間性]]
* [[人道]]
* [[ホモサピエンス]]
* [[フィランソロピー]](「愛する + 人類」という組み合わせの表現・概念)
* [[ヒューマニズム]]
* [[人文主義]]
* [[人]]、[[人間]] ([[人間関係|関係性]]に着目した用語。人文科学、社会科学など)、[[ヒト]] (生物学)
* [[人類の進化]]
* [[宇宙船地球号]]
* [[コスモポリタニズム]]、[[地球市民]]、[[地球人]]
* [[ヒューマノイド]]
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
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[[Category:人間|*]]
[[Category:人類学]]
[[Category:人権]] | 2003-04-20T12:11:13Z | 2023-12-20T10:00:00Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%A1%9E |
7,041 | 数え上げ | 数え上げ(かぞえあげ、enumeration)は、数学においては、ある集合に対し、その集合から自然数全体の成す集合への単射を定義することである。また、そのような単射が少なくとも1つ存在するならば数え上げ可能であると言い、1つも存在しないならば数え上げ不可能であると言う。
これは、ある集合の要素数を、要素に番号を付けることによって数え上げるという行為を、集合と写像の概念を用いて数学的に言い表したものである。
数え上げが可能であるという代わりに、可算(かさん)あるいは可付番(かふばん)という語もしばしば用いられる(いずれも英語にすれば "countable" である)。有限であれば必ず可算だが、可算であっても有限とは限らない(自然数全体の成す集合など)。これを可算無限と言い、このように数え上げが可能だが要素数が無限にある集合は可算無限集合という。
実際には、単に "可算" と言ったときには可算無限を指し、可算無限または有限であることを高々可算と呼び習わすことも多い。
なお、可算ではないこと、つまり非可算は数え上げが不可能な無限の意味である(実数全体の成す集合など)。
数え上げには様々な技法がある。詳しくは、数え上げ数学を参照。 | [
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] | 数え上げ(かぞえあげ、enumeration)は、数学においては、ある集合に対し、その集合から自然数全体の成す集合への単射を定義することである。また、そのような単射が少なくとも1つ存在するならば数え上げ可能であると言い、1つも存在しないならば数え上げ不可能であると言う。 | {{出典の明記|date=2023年1月11日 (水) 11:59 (UTC)}}
'''数え上げ'''(かぞえあげ、enumeration)は、[[数学]]においては、ある[[集合]]に対し、その集合から[[自然数]]全体の成す集合への[[単射]]を定義することである。また、そのような単射が少なくとも1つ存在するならば数え上げ可能であると言い、1つも存在しないならば数え上げ不可能であると言う。
== 概説 ==
これは、ある集合の要素数を、要素に番号を付けることによって数え上げるという行為を、[[集合]]と[[写像]]の概念を用いて数学的に言い表したものである。
数え上げが可能であるという代わりに、'''可算'''(かさん)あるいは'''可付番'''(かふばん)という語もしばしば用いられる(いずれも英語にすれば "countable" である)。有限であれば必ず可算だが、可算であっても有限とは限らない(自然数全体の成す集合など)。これを'''可算無限'''と言い、このように数え上げが可能だが要素数が無限にある集合は[[可算無限集合]]という。
実際には、単に "可算" と言ったときには可算無限を指し、可算無限または有限であることを'''高々可算'''と呼び習わすことも多い。
なお、可算ではないこと、つまり'''非可算'''は数え上げが不可能な無限の意味である([[実数]]全体の成す集合など)。
数え上げには様々な技法がある。詳しくは、[[数え上げ数学]]を参照。
== 関連項目 ==
* [[可算集合]]
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[[Category:集合論]]
[[Category:数学に関する記事]] | null | 2023-01-11T12:00:24Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E3%81%88%E4%B8%8A%E3%81%92 |
7,042 | 触媒 | 触媒(しょくばい、英: catalyst)とは、一般に特定の化学反応の反応速度を速める物質で、自身は反応の前後で変化しないものをいう。
化学的には触媒は化学反応を促進させるような物質のことであり、光、放射線、超音波など化学反応を促進させることがあっても化学物質とはいえないものは通常は触媒とは言わない。化学分野では化学反応において反応物よりも少量でそれ自体は化学反応中に変化しないものを触媒ということが多い。他方、触媒は化学だけでなくそれに隣接する物理学や生物学でも用いられる概念であり、生体触媒のRNAのように反応分子と触媒分子が一体となっているものもあることから、より広く定義される場合もある。
「触媒」という用語は明治の化学者が英語の catalyser、ドイツ語の Katalysator を翻訳したものである。今日では、触媒は英語では catalyst、触媒の作用を catalysis という。
今日では反応の種類に応じて多くの種類の触媒が開発されている。特に化学工業や有機化学では欠くことができない。
1823年にドイツの化学者であるヨハン・デーベライナーは、白金のかけらに水素を吹き付けると点火することに気がついた。白金は消耗せず、その存在によって水素と空気中の酸素とを反応させることを明確にした。スウェーデンの化学者であるイェンス・ベルセリウスは、この白金の作用と同じ原因が他の化学反応や生物体の中にも広く存在するとし、καταλυω(私は壊す)から導いて「katalytische Kraft(触媒力)」と名付けた。
触媒は反応の速度を増加させる。適切な触媒を用いれば、通常では反応に参加しないような活性の低い分子(例えば水素分子)を反応させることができる。しかし原系(反応基質側)や生成系(生成物側)の化学ポテンシャルを変化させないため、反応の進行する方向(化学平衡)を変えることはない。すなわち自発的に進行する方向に反応の速度を増加させる働きを持つ。言い換えれば、自発的に起こり得ない方向への反応は触媒を用いても進行しない。例えば、室温において水素と酸素から水が生成する反応は、反応前後でのギブズ自由エネルギー変化 ΔG < 0 であるため自発的に進行し、白金触媒を用いると反応速度を増加させることができる。一方、水が水素と酸素に分解する反応は室温では ΔG > 0 であるため、どのような触媒を用いても自発的には進行しない。 ΔG > 0 となる反応を進行させるには生成物を連続的に系外に排出するか、外部から電気や光などのエネルギーを与える必要があり、場合によっては電極触媒や光触媒を利用して反応速度を向上させる(記事 化学ポテンシャルに詳しい)。
触媒の良否は目的物質の収率や鏡像体過剰率で判断され、これらの率が 100% に近いほど良い触媒とされる。また副生成物の種類や量も重要なファクターになる場合もある。触媒活性と耐久性は、ターンオーバー数(TON)、そして単位時間当たりのTON(= TOF)、そしてその活性を維持した時間や使用回数で評価でき、これらが高い触媒ほど優れている。また、反応設計の良否として、原子効率が高いこと、反応条件が穏和であること、後処理において生成物の分離が容易であること、反応全体の環境負荷が低いこと、なども評価基準となる。
日本では堀内寿郎が先駆者の存在であり、ドイツ・イギリスでの研究を経て、1943年に北海道大学にて触媒研究所が設立され、重要な基礎研究がなされた。
触媒は反応物と反応中間体を形成することで、反応に必要とされる活性化エネルギーの低い別の反応経路を生み出す。例えば水素分子 H2 は強い H−H 結合を持つため反応性に乏しいが、水素化や燃料電池の触媒となる白金の表面では水素分子よりも遥かに反応性の高い H·種を形成する。これにより、触媒が存在しない場合よりも著しく高速に反応が進行する。
また、反応を早くするだけではなく、複数の反応が起こりうる状態において、目的とする物質を選択的に得るために触媒を用いる場合も多い。触媒は特定の反応のみ高速化させるためである。例えば一酸化炭素 (CO) を水素化する場合、用いる触媒により主生成物をメタン(ルテニウム触媒)、エタンなどの直鎖アルカン(コバルト触媒(FT合成))、メタノール(銅触媒)など変化させることができる。また、光学活性体の合成を行う場合には、不斉源となる BINAP やサレン錯体などの触媒を用いることにより立体選択性を発現させる。2001年のノーベル化学賞が金属錯体触媒を用いた不斉合成に授与されたように、その重要性はきわめて高く評価されている。
触媒は、物質表面の特定の部位、あるいは分子上の特定の位置(活性サイト)に、反応させたい物質が吸着・配位することで効果を発揮する。このため、目的とする物質よりも吸着・配位力が強い物質が共存すると、触媒の活性サイトが消失し、効果が著しく弱められる。このような物質を触媒毒という。
触媒とは反対に、存在によってある化学反応を遅らせる物質を、かつては負触媒(逆触媒)と呼んだ。しかし、負触媒自体が化学反応によって構造変化することなど、一般的な触媒の性質とは異なることから、現在では負触媒という用語は推奨されず、単に阻害剤(inhibitor)と呼ばれる。
触媒は、その反応系における種類や量によって反応速度を制御することができ、すなわち効率の制御が可能となることを意味する。例えば反応が一気に進むために生じる反応熱や余剰物質や触媒の変質を、阻害剤を利用して発生や変化を緩和させることができる。複数の反応からなる化学合成系のある逐次反応で、最も遅い素反応(過程)を律速段階とよび、これは化学合成系の最終生成物の生産性にもっとも影響を与える過程であるが、別の触媒を用意できれば反応速度を上げられる。こうして、計画通りの生産性を維持することが可能となる。
なお、触媒反応の多くは、液体あるいは気体が、固体と不均一系を成して行われる界面反応であることが知られている。
触媒は目的の反応によって多くの種類が開発されている。状態での分類としては、溶液に溶かして用いる均一系触媒(homogeneous catalyst)と、固相のままで用いる不均一系触媒(heterogeneous -)に分類される。例えば、洗剤に配合されているタンパク質を分解するための酵素は前者、過酸化水素水を酸素と水へ分解する二酸化マンガンは後者である。均一系触媒は有機合成で比較的多く用いられ、不均一系触媒は化学工業で用いられることが多い。
化学・工業で用いられる触媒はほとんどが人工的に作られた物質であるが、生体内で進行する化学反応を触媒する物質も多く存在し、まとめて生体触媒と呼ぶ。生体触媒で最も重要なものはタンパク質を母体とする酵素であるが、生命の起源においてはRNAの触媒(リボザイム)が極めて重要な役割を果たしていたと言われている。また、抗体を触媒として利用した抗体触媒の研究も、1990年代から盛んに行われている。
均一系触媒には、適当な酸や塩基を触媒(酸触媒、塩基触媒)とするものや、金属錯体を利用するもの(錯体触媒)がある。金属錯体では配位子を替えることなどによって反応性の制御が可能である。例えば、カルボン酸とアルコールのエステル化反応には酸触媒が有効である。酸としては硫酸などの H を放出するブレンステッド酸を用いる場合が多いが、不斉反応などでは金属錯体などのルイス酸を使うことも多い。
また多核金属酸化物(アニオン)であるポリオキソメタレート(ヘテロポリ酸)も構造制御が可能であり、反応性を制御できる。有機金属錯体は一般に酸化雰囲気および熱に弱いが、多くのポリオキソメタレートはそれらに対し高い安定性を有している。
化学工業など、基礎的な化学物質を大量に生産する施設では、気相での固定床もしくは流動床流通式反応装置がしばしば用いられること、液相反応においても生成物の分離回収が容易であること、一般に錯体触媒よりも耐久性が高いなどの理由から、不均一系触媒が多く用いられている。不均一系触媒は、白金やパラジウム、酸化鉄のような単純な物質から、それらを担持したもの(後述)、ゼオライトのような複雑な構造の無機化合物、あるいは金属錯体を固定化したものなど、多種多様である。
多くの場合、反応は不均一系触媒の表面で進行する。したがって、触媒の効率を良くするためには、表面積を大きくすることが重要となる。このため、高価な金属(白金、パラジウムなど)を触媒として用いる場合は、1–100 nm 程度の微粒子にして活性炭やシリカゲルなど(担体という)の表面に分散させ(担持し)て使用する。金属錯体触媒を表面に固定化する場合には、担体の表面官能基をアンカーにして化学結合させる場合が多い。担体は単に活性成分を微粒子化(高表面積化)するだけでなく、触媒活性にも多大な影響を与える場合がある。そのため、適切な担体との組み合わせが必要である。
具体例として、自動車には排気ガスに含まれる炭化水素(hydrocarbon、HC)、一酸化炭素(CO)、窒素酸化物(NOx)を分解・浄化するために白金、パラジウム、ロジウムもしくはイリジウムを主成分とする三元触媒が不均一系触媒として使用されている。
生体中で触媒として機能するタンパク質を酵素という。酵素を使った反応は水中で行えるため有機溶媒の使用を減らすことができ、また室温付近で作用し、しばしば人工的には困難な反応に高い選択性を示すことから、環境負荷の低い触媒として期待されている。実際にブタの肝臓などから得られる酵素は工業的にも生体触媒として利用されている。
「有機分子触媒」を参照。
新しい触媒が開発されると、社会的にも非常に大きな影響を与えることがある。
全ての石油製品は触媒反応により合成されていると言っても過言ではないが、身近なところでは、以下のものが広く利用されている。
商業的に生産される化学製品の90%くらいは、その製造過程のどこかの段階で触媒が関与している。2005年、触媒プロセスは全世界で約9000億ドルの製品を生み出した。
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"text": "触媒とは反対に、存在によってある化学反応を遅らせる物質を、かつては負触媒(逆触媒)と呼んだ。しかし、負触媒自体が化学反応によって構造変化することなど、一般的な触媒の性質とは異なることから、現在では負触媒という用語は推奨されず、単に阻害剤(inhibitor)と呼ばれる。",
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"text": "触媒は、その反応系における種類や量によって反応速度を制御することができ、すなわち効率の制御が可能となることを意味する。例えば反応が一気に進むために生じる反応熱や余剰物質や触媒の変質を、阻害剤を利用して発生や変化を緩和させることができる。複数の反応からなる化学合成系のある逐次反応で、最も遅い素反応(過程)を律速段階とよび、これは化学合成系の最終生成物の生産性にもっとも影響を与える過程であるが、別の触媒を用意できれば反応速度を上げられる。こうして、計画通りの生産性を維持することが可能となる。",
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"text": "なお、触媒反応の多くは、液体あるいは気体が、固体と不均一系を成して行われる界面反応であることが知られている。",
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"text": "触媒は目的の反応によって多くの種類が開発されている。状態での分類としては、溶液に溶かして用いる均一系触媒(homogeneous catalyst)と、固相のままで用いる不均一系触媒(heterogeneous -)に分類される。例えば、洗剤に配合されているタンパク質を分解するための酵素は前者、過酸化水素水を酸素と水へ分解する二酸化マンガンは後者である。均一系触媒は有機合成で比較的多く用いられ、不均一系触媒は化学工業で用いられることが多い。",
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"text": "化学・工業で用いられる触媒はほとんどが人工的に作られた物質であるが、生体内で進行する化学反応を触媒する物質も多く存在し、まとめて生体触媒と呼ぶ。生体触媒で最も重要なものはタンパク質を母体とする酵素であるが、生命の起源においてはRNAの触媒(リボザイム)が極めて重要な役割を果たしていたと言われている。また、抗体を触媒として利用した抗体触媒の研究も、1990年代から盛んに行われている。",
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"text": "均一系触媒には、適当な酸や塩基を触媒(酸触媒、塩基触媒)とするものや、金属錯体を利用するもの(錯体触媒)がある。金属錯体では配位子を替えることなどによって反応性の制御が可能である。例えば、カルボン酸とアルコールのエステル化反応には酸触媒が有効である。酸としては硫酸などの H を放出するブレンステッド酸を用いる場合が多いが、不斉反応などでは金属錯体などのルイス酸を使うことも多い。",
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"text": "また多核金属酸化物(アニオン)であるポリオキソメタレート(ヘテロポリ酸)も構造制御が可能であり、反応性を制御できる。有機金属錯体は一般に酸化雰囲気および熱に弱いが、多くのポリオキソメタレートはそれらに対し高い安定性を有している。",
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"text": "化学工業など、基礎的な化学物質を大量に生産する施設では、気相での固定床もしくは流動床流通式反応装置がしばしば用いられること、液相反応においても生成物の分離回収が容易であること、一般に錯体触媒よりも耐久性が高いなどの理由から、不均一系触媒が多く用いられている。不均一系触媒は、白金やパラジウム、酸化鉄のような単純な物質から、それらを担持したもの(後述)、ゼオライトのような複雑な構造の無機化合物、あるいは金属錯体を固定化したものなど、多種多様である。",
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"text": "多くの場合、反応は不均一系触媒の表面で進行する。したがって、触媒の効率を良くするためには、表面積を大きくすることが重要となる。このため、高価な金属(白金、パラジウムなど)を触媒として用いる場合は、1–100 nm 程度の微粒子にして活性炭やシリカゲルなど(担体という)の表面に分散させ(担持し)て使用する。金属錯体触媒を表面に固定化する場合には、担体の表面官能基をアンカーにして化学結合させる場合が多い。担体は単に活性成分を微粒子化(高表面積化)するだけでなく、触媒活性にも多大な影響を与える場合がある。そのため、適切な担体との組み合わせが必要である。",
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"text": "具体例として、自動車には排気ガスに含まれる炭化水素(hydrocarbon、HC)、一酸化炭素(CO)、窒素酸化物(NOx)を分解・浄化するために白金、パラジウム、ロジウムもしくはイリジウムを主成分とする三元触媒が不均一系触媒として使用されている。",
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"text": "生体中で触媒として機能するタンパク質を酵素という。酵素を使った反応は水中で行えるため有機溶媒の使用を減らすことができ、また室温付近で作用し、しばしば人工的には困難な反応に高い選択性を示すことから、環境負荷の低い触媒として期待されている。実際にブタの肝臓などから得られる酵素は工業的にも生体触媒として利用されている。",
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"text": "「有機分子触媒」を参照。",
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"text": "新しい触媒が開発されると、社会的にも非常に大きな影響を与えることがある。",
"title": "有名な触媒反応"
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"text": "全ての石油製品は触媒反応により合成されていると言っても過言ではないが、身近なところでは、以下のものが広く利用されている。",
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"text": "商業的に生産される化学製品の90%くらいは、その製造過程のどこかの段階で触媒が関与している。2005年、触媒プロセスは全世界で約9000億ドルの製品を生み出した。",
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"text": "触媒作用は非常に広範囲に及んでいるため、小領域を容易に分類することはできない。以下に、特に集中している分野をいくつか挙げる。",
"title": "重要性"
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] | 触媒とは、一般に特定の化学反応の反応速度を速める物質で、自身は反応の前後で変化しないものをいう。 化学的には触媒は化学反応を促進させるような物質のことであり、光、放射線、超音波など化学反応を促進させることがあっても化学物質とはいえないものは通常は触媒とは言わない。化学分野では化学反応において反応物よりも少量でそれ自体は化学反応中に変化しないものを触媒ということが多い。他方、触媒は化学だけでなくそれに隣接する物理学や生物学でも用いられる概念であり、生体触媒のRNAのように反応分子と触媒分子が一体となっているものもあることから、より広く定義される場合もある。 「触媒」という用語は明治の化学者が英語の catalyser、ドイツ語の Katalysator を翻訳したものである。今日では、触媒は英語では catalyst、触媒の作用を catalysis という。 今日では反応の種類に応じて多くの種類の触媒が開発されている。特に化学工業や有機化学では欠くことができない。 | '''触媒'''(しょくばい、{{lang-en-short|catalyst}})とは、一般に特定の[[化学反応]]の[[反応速度]]を速める[[物質]]で、自身は反応の前後で変化しないものをいう<ref name=goldbook1>{{cite book|url=http://goldbook.iupac.org/C00876.html|author=IUPAC|date=2012-03-23|chapter=catalyst|title=Compendium of Chemical Terminology (the Gold Book)|edition=2nd|publisher=Blackwell Scientific Publications|location=Oxford|isbn=0-9678550-9-8|doi=10.1351/goldbook.C00876}}</ref>。
化学的には触媒は化学反応を促進させるような物質のことであり、[[光]]、[[放射線]]、[[超音波]]など化学反応を促進させることがあっても化学物質とはいえないものは通常は触媒とは言わない<ref name="tanaka3">{{Cite book |和書 |author=田中一範|year=2000|title=あなたと私の触媒学|page=3|publisher=裳華房}}</ref>。化学分野では化学反応において反応物よりも少量でそれ自体は化学反応中に変化しないものを触媒ということが多い<ref name="tanaka3" />。他方、触媒は[[化学]]だけでなくそれに隣接する[[物理学]]や[[生物学]]でも用いられる概念であり、生体触媒のRNAのように反応分子と触媒分子が一体となっているものもあることから、より広く定義される場合もある<ref>{{Cite book |和書 |author=田中一範|year=2000|title=あなたと私の触媒学|page=4|publisher=裳華房}}</ref>。
「触媒」という用語は[[明治]]の化学者が英語の catalyser、ドイツ語の Katalysator を翻訳したものである<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.res.titech.ac.jp/~organic/lecture/nadukeoya.htm|title=「触媒」の名付け親は誰か|author=尾崎萃|accessdate=2012-07-12}}</ref>。今日では、触媒は英語では catalyst<ref name=goldbook1 />、触媒の作用を catalysis<ref>{{cite book|url=http://goldbook.iupac.org/C00874.html|author=IUPAC|date=2012-03-23|chapter=catalysis|title=Compendium of Chemical Terminology (the Gold Book)|edition=2nd|publisher=Blackwell Scientific Publications|location=Oxford|isbn=0-9678550-9-8|doi=10.1351/goldbook.C00874}}</ref> という。
今日では反応の種類に応じて多くの種類の触媒が開発されている。特に[[化学工業]]や[[有機化学]]では欠くことができない。
== 解説 ==
1823年に[[ドイツ]]の[[化学者]]である[[ヨハン・デーベライナー]]は、[[白金]]のかけらに[[水素]]を吹き付けると点火することに気がついた。白金は消耗せず、その存在によって水素と[[空気]]中の[[酸素]]とを反応させることを明確にした。[[スウェーデン]]の[[化学者]]である[[イェンス・ベルセリウス]]は、この白金の作用と同じ原因が他の化学反応や生物体の中にも広く存在するとし、καταλυω(私は壊す)から導いて「katalytische Kraft(触媒力)」と名付けた<ref>ベルセリウス著(田中豊助、原田紀子訳)「化学の教科書」p145、内田老鶴圃、ISBN 4-7536-3108-7</ref>。
触媒は反応の速度を増加させる。適切な触媒を用いれば、通常では反応に参加しないような活性の低い分子(例えば水素分子)を反応させることができる。しかし原系(反応基質側)や生成系(生成物側)の化学ポテンシャルを変化させないため、反応の進行する方向([[化学平衡]])を変えることはない。すなわち自発的に進行する方向に反応の速度を増加させる働きを持つ。言い換えれば、自発的に起こり得ない方向への反応は触媒を用いても進行しない。例えば、室温において[[水素]]と[[酸素]]から[[水]]が生成する反応は、反応前後での[[ギブズ自由エネルギー]]変化 Δ''G'' < 0 であるため自発的に進行し、白金触媒を用いると反応速度を増加させることができる。一方、水が水素と酸素に分解する反応は室温では Δ''G'' > 0 であるため、どのような触媒を用いても自発的には進行しない。 Δ''G'' > 0 となる反応を進行させるには生成物を連続的に系外に排出するか、外部から[[電気]]や[[光]]などのエネルギーを与える必要があり、場合によっては[[電極触媒]]や[[光触媒]]を利用して反応速度を向上させる(記事 [[化学ポテンシャル]]に詳しい)。
触媒の良否は目的物質の[[収率]]や[[鏡像体過剰率]]で判断され、これらの率が 100% に近いほど良い触媒とされる。また副生成物の種類や量も重要なファクターになる場合もある。触媒活性と耐久性は、[[ターンオーバー数]](TON)、そして単位時間当たりのTON(= TOF)、そしてその活性を維持した時間や使用回数で評価でき、これらが高い触媒ほど優れている。また、反応設計の良否として、[[アトムエコノミー|原子効率]]が高いこと、反応条件が穏和であること、後処理において生成物の分離が容易であること、反応全体の[[環境負荷]]が低いこと、なども評価基準となる。
日本では[[堀内寿郎]]が先駆者の存在であり、[[ドイツ]]・[[イギリス]]での研究を経て、[[1943年]]に[[北海道大学]]にて触媒研究所が設立され、重要な基礎研究がなされた<ref>「[https://hdl.handle.net/2115/29992 触媒研究所. 一 触媒化学と化学工業. 二 触媒研究所の設置. 三 触媒研究所の概要. 四 触媒研究所拡充期成会. 五 研究内容の概略. 六 研究成果. 七 紀要『触媒』及び『JRIC』の刊行. 八 触媒学会誕生と触媒研究所. 九 研究交流. あとがき. 年表]」『北大百年史』 1980年 p.1251-1309, 北海道大学</ref>。
== 機構 ==
[[Image:Carbonic anhydrase reaction in tissue.svg|thumb|300px|[[炭酸脱水酵素]]が触媒する反応の[[エネルギーダイヤグラム]]。触媒は反応に必要な[[活性化エネルギー]]を減少させる。]]
触媒は反応物と[[反応中間体]]を形成することで、反応に必要とされる[[活性化エネルギー]]の低い別の反応経路を生み出す。例えば水素分子 H<sub>2</sub> は強い H−H 結合を持つため反応性に乏しいが、[[水素化]]や[[燃料電池]]の触媒となる白金の表面では水素分子よりも遥かに反応性の高い H·種を形成する。これにより、触媒が存在しない場合よりも著しく高速に反応が進行する。
また、反応を早くするだけではなく、複数の反応が起こりうる状態において、目的とする物質を選択的に得るために触媒を用いる場合も多い。触媒は特定の反応のみ高速化させるためである。例えば[[一酸化炭素]] (CO) を水素化する場合、用いる触媒により主生成物を[[メタン]]([[ルテニウム]]触媒)、[[エタン]]などの直鎖[[アルカン]]([[コバルト]]触媒([[フィッシャー・トロプシュ法|FT合成]]))、[[メタノール]]([[銅]]触媒)など変化させることができる。また、[[光学活性体]]の合成を行う場合には、不斉源となる [[BINAP]] や[[サレン]]錯体などの触媒を用いることにより立体選択性を発現させる。[[2001年]]の[[ノーベル化学賞]]が金属錯体触媒を用いた不斉合成に授与されたように、その重要性はきわめて高く評価されている。
触媒は、物質表面の特定の部位、あるいは分子上の特定の位置(活性サイト)に、反応させたい物質が吸着・配位することで効果を発揮する。このため、目的とする物質よりも吸着・配位力が強い物質が共存すると、触媒の活性サイトが消失し、効果が著しく弱められる。このような物質を'''触媒毒'''という<ref>{{cite book|url=http://goldbook.iupac.org/P04706.html|author=IUPAC|date=2012-03-23|chapter=poison in catalysis|title=Compendium of Chemical Terminology (the Gold Book)|edition=2nd|publisher=Blackwell Scientific Publications|location=Oxford|isbn=0-9678550-9-8|doi=10.1351/goldbook.P04706}}</ref>。
触媒とは反対に、存在によってある化学反応を遅らせる物質を、かつては'''負触媒'''(逆触媒)と呼んだ。しかし、負触媒自体が化学反応によって構造変化することなど、一般的な触媒の性質とは異なることから、現在では負触媒という用語は推奨されず、単に阻害剤(inhibitor)と呼ばれる<ref>{{cite book|url=http://goldbook.iupac.org/I03035.html|author=IUPAC|date=2012-03-23|chapter=inhibitor|title=Compendium of Chemical Terminology (the Gold Book)|edition=2nd|publisher=Blackwell Scientific Publications|location=Oxford|isbn=0-9678550-9-8|doi=10.1351/goldbook.I03035}}</ref>。
触媒は、その反応系における種類や量によって反応速度を制御することができ、すなわち効率の制御が可能となることを意味する。例えば反応が一気に進むために生じる反応熱や余剰物質や触媒の変質を、阻害剤を利用して発生や変化を緩和させることができる。複数の反応からなる化学合成系のある逐次反応で、最も遅い素反応(過程)を[[反応速度#律速段階|律速段階]]とよび、これは化学合成系の最終生成物の生産性に[[ボトルネック|もっとも影響を与える過程]]であるが、別の触媒を用意できれば反応速度を上げられる。こうして、計画通りの生産性を維持することが可能となる。
なお、触媒反応の多くは、[[液体]]あるいは[[気体]]が、[[固体]]と不均一系を成して行われる[[界面化学|界面反応]]であることが知られている。
== 種類 ==
{{脚注の不足|section=1|date=2021-05-16}}
触媒は目的の反応によって多くの種類が開発されている。状態での分類としては、溶液に溶かして用いる'''均一系触媒'''(homogeneous catalyst)と、固相のままで用いる'''不均一系触媒'''(heterogeneous -)に分類される。例えば、[[洗剤]]に配合されている[[タンパク質]]を分解するための[[酵素]]は前者、[[過酸化水素水]]を[[酸素]]と[[水]]へ分解する[[二酸化マンガン]]は後者である。均一系触媒は[[有機合成]]で比較的多く用いられ、不均一系触媒は[[化学工業]]で用いられることが多い。
化学・工業で用いられる触媒はほとんどが人工的に作られた物質であるが、生体内で進行する化学反応を触媒する物質も多く存在し、まとめて'''生体触媒'''と呼ぶ。生体触媒で最も重要なものは[[タンパク質]]を母体とする[[酵素]]であるが、[[生命の起源]]においては[[リボ核酸|RNA]]の触媒([[リボザイム]])が極めて重要な役割を果たしていたと言われている。また、[[抗体]]を触媒として利用した[[抗体触媒]]の研究も、1990年代から盛んに行われている。
=== 均一系触媒 ===
均一系触媒には、適当な[[酸]]や[[塩基]]を触媒(酸触媒、塩基触媒)とするものや、[[金属錯体]]を利用するもの('''錯体触媒''')がある。金属錯体では[[配位子]]を替えることなどによって反応性の制御が可能である。例えば、カルボン酸とアルコールのエステル化反応には酸触媒が有効である。酸としては[[硫酸]]などの H<sup>+</sup> を放出する[[ブレンステッド酸]]を用いる場合が多いが、[[不斉反応]]などでは金属錯体などの[[ルイス酸]]を使うことも多い。
また多核金属酸化物(アニオン)である[[ポリオキソメタレート]]([[ヘテロポリ酸]])も構造制御が可能であり、反応性を制御できる。有機金属錯体は一般に酸化雰囲気および熱に弱いが、多くのポリオキソメタレートはそれらに対し高い安定性を有している。
=== 不均一系触媒 ===
化学工業など、基礎的な化学物質を大量に生産する施設では、気相での固定床もしくは[[流動床]]流通式反応装置がしばしば用いられること、液相反応においても生成物の分離回収が容易であること、一般に錯体触媒よりも耐久性が高いなどの理由から、不均一系触媒が多く用いられている。不均一系触媒は、[[白金]]や[[パラジウム]]、[[酸化鉄]]のような単純な物質から、それらを担持したもの(後述)、[[ゼオライト]]のような複雑な構造の[[無機化合物]]、あるいは[[金属錯体]]を固定化したものなど、多種多様である。
多くの場合、反応は不均一系触媒の表面で進行する。したがって、触媒の効率を良くするためには、表面積を大きくすることが重要となる。このため、高価な金属(白金、パラジウムなど)を触媒として用いる場合は、1–100 nm 程度の微粒子にして[[活性炭]]や[[シリカゲル]]など([[担体]]という)の表面に分散させ(担持し)て使用する。金属錯体触媒を表面に固定化する場合には、担体の表面官能基をアンカーにして化学結合させる場合が多い。担体は単に活性成分を微粒子化(高表面積化)するだけでなく、触媒活性にも多大な影響を与える場合がある。そのため、適切な担体との組み合わせが必要である。
具体例として、[[自動車]]には[[排気ガス]]に含まれる[[炭化水素]](hydrocarbon、HC)、[[一酸化炭素]](CO)、[[窒素酸化物]](NO<sub>x</sub>)を分解・浄化するために白金、パラジウム、[[ロジウム]]もしくは[[イリジウム]]を主成分とする[[三元触媒]]が不均一系触媒として使用されている。
=== 生体触媒 ===
生体中で触媒として機能する[[タンパク質]]を[[酵素]]という。酵素を使った反応は水中で行えるため[[有機溶媒]]の使用を減らすことができ、また室温付近で作用し、しばしば人工的には困難な反応に高い選択性を示すことから、環境負荷の低い触媒として期待されている。実際にブタの肝臓などから得られる酵素は工業的にも[[生体触媒]]として利用されている。
=== 有機分子触媒 ===
「[[有機分子触媒]]」を参照。
== 有名な触媒反応 ==
新しい触媒が開発されると、社会的にも非常に大きな影響を与えることがある。
*[[ハーバー・ボッシュ法]] - 史上初めて人工的に[[窒素]]を[[アンモニア]]へと変換した反応。二重促進[[鉄]]触媒を用いる。[[1918年]][[ノーベル化学賞]]。
*[[チーグラー・ナッタ触媒]] - [[ポリエチレン]]など、優れた特性を持つ[[高分子]]の生産を可能とした。[[チタン]]錯体を触媒とする。[[1963年]]ノーベル化学賞。
*[[メタセシス反応]] - 有機合成で極めて多用される、2つの[[オレフィン]]の結合を組み替える反応。[[ルテニウム]]を中心とする[[グラブス触媒]]が用いられる。[[2005年]]ノーベル化学賞。
*[[カップリング反応|クロスカップリング反応]] - 炭素-炭素結合を作るうえで欠かせない反応。[[辻二郎]]によるパラジウムを用いた炭素-炭素結合形成反応の発見を契機に、多くの日本人化学者が関与した。[[鈴木・宮浦カップリング]]、[[右田・小杉・スティルカップリング]]、[[根岸カップリング]]など、パラジウム錯体の用例が多い。[[2010年]]ノーベル化学賞。
*[[不斉反応]] - [[対掌体]]の一方のみを選択的に得る。金属錯体を中心に、数々の触媒が開発されている。[[2001年]]ノーベル化学賞。
*[[燃料電池]] - [[水素]]や[[メタノール]]を燃料として[[発電]]する装置。固体高分子型燃料電池 (PEFC) は室温付近の温和な条件で機能するが、2006年現在では、[[電極触媒]]として高価かつ資源量の少ない白金やCO耐性のある白金ルテニウム合金を使用しないと高い電力を取り出すことができず、普及には貴金属使用量の劇的な削減が必要である。
== 身近なところで使用されている触媒反応の例 ==
全ての石油製品は触媒反応により合成されていると言っても過言ではないが、身近なところでは、以下のものが広く利用されている。
* [[ガソリンエンジン]]車の[[三元触媒]] - 先述の不均一系触媒の節を参照。
* [[白金]]を触媒とし、炭化水素燃料との反応熱を利用する[[懐炉#白金触媒式カイロ|カイロ]]。廃棄物を出さない触媒反応カイロは近年見直されつつある。
* [[発酵]] - 微生物は数々の触媒(酵素)反応を組み合わせて、糖からアルコールや乳酸を合成する。
== 重要性 ==
[[ファイル:Verbrennung_eines_Zuckerwürfels.png|サムネイル|左:部分的にカラメル化した角砂糖、右:灰を触媒として燃焼中の角砂糖]]
商業的に生産される化学製品の90%くらいは、その製造過程のどこかの段階で触媒が関与している。2005年、触媒プロセスは全世界で約9000億ドルの製品を生み出した。<ref>{{Cite web |title=Wayback Machine |url=https://web.archive.org/web/20080517071700/http://www.climatetechnology.gov/library/2005/tech-options/tor2005-143.pdf |website=web.archive.org |access-date=2023-07-24}}</ref>
触媒作用は非常に広範囲に及んでいるため、小領域を容易に分類することはできない。以下に、特に集中している分野をいくつか挙げる。
=== エネルギー処理 ===
=== バルク化学製品 ===
=== ファインケミカル ===
=== 食品加工 ===
=== 環境 ===
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
{{Wiktionary|触媒}}
* [[光触媒]]
* [[不斉触媒]]
*[[有機分子触媒]]
* [[クラスター触媒]]
* [[多元触媒]]
* [[触媒化学]]
* [[表面物理学]]
* [[界面化学]]
* [[接触反応]]
* [[大寺触媒]]
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:しよくはい}}
[[Category:触媒|*]]
[[Category:化学反応]]
[[Category:有機反応試剤]]
[[Category:イェンス・ベルセリウス]] | 2003-04-20T12:44:04Z | 2023-12-02T12:12:50Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A6%E5%AA%92 |
7,043 | ヒンドゥスターニー音楽 | ヒンドゥースターニー音楽(ヒンドゥスターニーおんがく、英語: Hindustani classical music)は、北インドのイスラム王朝の宮廷で発展した北インド古典音楽をいう。
その源流は13世紀から15世紀に高い水準の文化を誇った、デカン高原のヴィジャヤナガル王国の古典音楽であり、南インド古典音楽もこれに端を発している。13世紀のイスラム王朝のデリー宮廷では、トルコ人とインド人の混血の宮廷詩人ハザラト・アミール・フスロウなどの記述によれば、ペルシアや中央アジアの音楽も演奏されていた。しかしヒンドゥー教文化の強かったグワーリオールの宮廷ではヴィジャヤナガル王国で確立したプラバンダ様式の古典音楽を演奏していた。
これから新たにドゥルヴァ音楽が生まれ、15世紀、16世紀にはデリー宮廷古典音楽にももたらされた。16世紀にインド全域を統一したアクバル大帝の宮廷には、宮廷音楽を統括する大音楽家ミヤン・ターンセーンが現れ、以後20世紀まで彼の流派が古典音楽の最高位に君臨し続けた。ミヤン・ターンセーンの息子の本家はドゥルヴァ歌曲と中央アジア起源の弦楽器ラバーブを演奏し、娘とグワーリオールの流派に属した夫の分家はドゥルヴァ歌曲と古いインド寺院音楽の弦楽器ヴィーナを演奏した。
一方で北インドの中部と東部には、イスラム王朝の傭兵として帰化していたアフガニスタンの部族が展開していた。また北インドにはイスラーム系スーフィー神秘主義のチシュティ派やスフラワルディ派の修行僧も、西アジア系の音楽を演奏していた。さらに北インドの都市に密かに存在した花柳界や宮廷のハーレムではヒンドゥーの娘、ムスリムの娘、ペルシア人、ジプシーなどの音楽家が叙情詩音楽や舞踊及びその音楽を演奏していた。これらはターンセーン一族の古典音楽から見れば低俗な音楽と見なされていた。
デリー宮廷では、アクバル大帝がヒンドゥー教懐柔策を取ると共に芸術に理解が深く、その伝統は彼の孫まで続くが、その後、アウラングゼーブ帝(1658 - 1707)はイスラーム正派の教えに忠実で、ヒンドゥー教徒と音楽芸術を弾圧した。それによってターンセーンの一族はデリーを逃れ、ラームプル、ラクナウ等の東方へ向かう者、西のラージプート(現ラージャスターン地方)に向かう者が現れ、各地の民衆音楽家と合流した。今日世界的に有名な弦楽器シタール(スィタール)は修行僧や花柳界の簡素な弦楽器であったが、この後、19世紀初頭にラクナウとジャイプルの宮廷で古典音楽に用いられるようになった。
すっかり縮小したデリー宮廷からは、ハーレム音楽家との共演を王に命じられたことで宮廷を飛び出したターンセーンの子孫が Sadarang の芸名で古典音楽の雰囲気をもつ新しい歌曲をハーレムに流行させた。これが後に古典声楽カヤールとなり、その伴奏弓奏楽器サーランギ及び太鼓タブラ・バヤンも宮廷古典音楽のステージで演奏されるようになった。これは19世紀初頭のことである。つまり弦楽器サロードはドゥルヴァ音楽以後で最も古い古典音楽楽器で、当初は古い太鼓パカワージで伴奏されていた。その後50年から80年遅れて、シタールやカヤールがタブラ・バヤンを用いてアンチ・ドゥルヴァ系古典音楽を演奏するようになった。
ドゥルヴァ音楽では、音楽家は声楽と弦楽器を兼ねていた。すなわち同じ音楽を声楽と器楽で演奏した。その声楽は極めて技巧的で、肉声の器楽と呼べるものであった。アンチ・ドゥルパド音楽のルーツ音楽(ハーレムや地方の古典音楽)でも声楽と器楽と舞踊は一体であったが、サロード音楽はドゥルパド器楽とアフガン古典音楽、スーフィー古典音楽が結びついたため、完全な器楽音楽であった。
その後19世紀の末になると更に多くのシタールやサロードの流派が現れた。ランプールのセニ派の弟子からは世界的な演奏家ラヴィ・シャンカルの師匠でサロードを改造してサロッド(シャロッド)を創作したアラー・ウッディーン・カーン、サロードの演奏家アムジャッド・アリー・カーンの父親ハーフィズ・アリー・カーン、グワーリオールのカヤールの家系からはシタール音楽に再び声楽の要素を取り入れたガヤキ(声楽)・アンクで人気を博したイムダド・カーンが現れた。今日これらの流派が北インド古典音楽の中心的な流派である。
ドゥルヴァ音楽は18世紀に復興したダーガル家などが少数ある程度で、ラクナウやジャイプルの器楽シタール、サロードの演奏家は極めて少数である。またサーランギによる器楽、民謡楽器であった竹の横笛バーンスリーによる器楽、カシミールのスーフィー古典音楽楽器であった打弦楽器サントゥールによる器楽も非常に盛んである。しかし、これらはいずれも20世紀になってから古典音楽楽器となったものである。
今日アンチ・ドゥルヴァ音楽が生まれた当時の器楽独自の音楽は消滅しつつあり、声楽・器楽の違いから、古典音楽、花柳界音楽の違いさえ無くした汎北インド古典音楽(ラーガ音楽)という一種類の音楽が中心である。昔の演奏家は、初めの5分でラーガ(数百種ある旋法)が伝わり次の5分で流派のスタイルが伝わり、個人の個性は1時間以上後に初めて表現された。作曲された部分だけでも20分近くは要した。しかし近代の演奏家は、ほんの4小節程の作曲部を弾くとすぐにアドリブに入る。 | [
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] | ヒンドゥースターニー音楽は、北インドのイスラム王朝の宮廷で発展した北インド古典音楽をいう。 | {{出典の明記|date=2018年11月}}
'''ヒンドゥースターニー音楽'''(ヒンドゥスターニーおんがく、{{Lang-en|''Hindustani classical music''}})は、[[北インド]]の[[イスラム]]王朝の[[宮廷]]で発展した北インド古典音楽をいう。
== 概要 ==
その源流は[[13世紀]]から[[15世紀]]に高い水準の文化を誇った、[[デカン高原]]の[[ヴィジャヤナガル王国]]の古典音楽であり、南インド古典音楽もこれに端を発している。13世紀のイスラム王朝の[[デリー]]宮廷では、トルコ人とインド人の混血の宮廷詩人ハザラト・[[アミール・ホスロー|アミール・フスロウ]]などの記述によれば、ペルシアや中央アジアの音楽も演奏されていた。しかしヒンドゥー教文化の強かった[[グワーリオール]]の宮廷ではヴィジャヤナガル王国で確立したプラバンダ様式の古典音楽を演奏していた。
これから新たにドゥルヴァ音楽が生まれ、15世紀、[[16世紀]]にはデリー宮廷古典音楽にももたらされた。16世紀にインド全域を統一した[[アクバル]]大帝の宮廷には、宮廷音楽を統括する大音楽家ミヤン・[[ターンセーン]]が現れ、以後[[20世紀]]まで彼の流派が古典音楽の最高位に君臨し続けた。ミヤン・ターンセーンの息子の本家はドゥルヴァ歌曲と中央アジア起源の弦楽器ラバーブを演奏し、娘とグワーリオールの流派に属した夫の分家はドゥルヴァ歌曲と古いインド寺院音楽の弦楽器ヴィーナを演奏した。
<!-- 前者は Tan-Seni-Rababiya-Gharana、後者は Tan-Seni-Vinkar-Gharana と呼ばれた。 -->
一方で[[北インド]]の中部と東部には、イスラム王朝の傭兵として帰化していた[[アフガニスタン]]の部族が展開していた。また[[北インド]]にはイスラーム系スーフィー神秘主義のチシュティ派やスフラワルディ派の修行僧も、西アジア系の音楽を演奏していた。さらに[[北インド]]の都市に密かに存在した花柳界や宮廷のハーレムではヒンドゥーの娘、[[ムスリム]]の娘、[[ペルシア人]]、[[ジプシー]]などの音楽家が叙情詩音楽や舞踊及びその音楽を演奏していた。これらはターンセーン一族の古典音楽から見れば低俗な音楽と見なされていた。
デリー宮廷では、アクバル大帝が[[ヒンドゥー教]]懐柔策を取ると共に芸術に理解が深く、その伝統は彼の孫まで続くが、その後、[[アウラングゼーブ]]帝(1658 - 1707)はイスラーム正派の教えに忠実で、ヒンドゥー教徒と音楽芸術を弾圧した。それによってターンセーンの一族はデリーを逃れ、[[ラームプル]]、ラクナウ等の東方へ向かう者、西の[[ラージプート]](現ラージャスターン地方)に向かう者が現れ、各地の民衆音楽家と合流した。今日世界的に有名な弦楽器[[シタール]](スィタール)は修行僧や花柳界の簡素な弦楽器であったが、この後、19世紀初頭に[[ラクナウ]]と[[ジャイプル]]の宮廷で古典音楽に用いられるようになった。
<!-- それより早く18世紀には、ラクナウとシャージャハーンプールの宮廷でアフガン古典音楽の演奏家 Madar-Khan (1704 - 1752) と Najaf-Ali-Khan (1705年 - 1760年)及びその息子達が、カーブリー・ラバーブ (Kabuli-Rabab) という弦楽器で凖古典音楽 (Semi-Classic-Music) を演奏していた。彼らの孫 Haqdad-Khan (1755年 - 1806年)と Hasan-Ali-Khan (1752 - 1809)は をインド音楽用に改造しサロード (Sarod) を発明し、ラクナウ宮廷の音楽家 Ghulam-Reza-Khan の音楽などを演奏していた。ターンセンの子孫の Rabaniya の Pyar-Khan, Basat-Khan, Zaffar-Khan がラクナウに移住した後は Haqdad-Khan, Hasan-Ali-Khan の息子達は Rababiyaの弟子 (Shagird) となりドゥルヴァ音楽とアフガン古典音楽を演奏した。 -->
すっかり縮小したデリー宮廷からは、ハーレム音楽家との共演を王に命じられたことで宮廷を飛び出したターンセーンの子孫が Sadarang の芸名で古典音楽の雰囲気をもつ新しい歌曲をハーレムに流行させた。これが後に古典声楽カヤールとなり、その伴奏弓奏楽器サーランギ及び太鼓タブラ・バヤンも宮廷古典音楽のステージで演奏されるようになった。これは19世紀初頭のことである。つまり弦楽器サロードはドゥルヴァ音楽以後で最も古い古典音楽楽器で、当初は古い太鼓パカワージで伴奏されていた。その後50年から80年遅れて、シタールやカヤールがタブラ・バヤンを用いてアンチ・ドゥルヴァ系古典音楽を演奏するようになった。
ドゥルヴァ音楽では、音楽家は声楽と弦楽器を兼ねていた。すなわち同じ音楽を声楽と器楽で演奏した。その声楽は極めて技巧的で、肉声の器楽と呼べるものであった。アンチ・[[ドゥルパド]]音楽のルーツ音楽(ハーレムや地方の古典音楽)でも声楽と器楽と舞踊は一体であったが、サロード音楽はドゥルパド器楽とアフガン古典音楽、スーフィー古典音楽が結びついたため、完全な器楽音楽であった。
<!-- また同じラクナウで生まれたシタールの流派もターンセーンの子孫 Amrit-Sen (1813 - 1893)とその弟子 Mira-Bakhsh-Khan がドゥルヴァ器楽を演奏したため、ラクナウ・カルフィー派の始祖 Yusuf-Ali-Khan は完全な器楽シタールを演奏した。同時にラージャスターンやラームプルでもヴィーナ奏者 Bande-Ali-Khan の門弟から器楽シタールの流派(キラナ派、インドール派)が生まれた。ラクナウ・カルフィー派の器楽シタールのことをヒンドゥー教音楽家は「タントラ・バージ」と呼び讃え、声楽の要素を持つ「マントラ・バージ」と区別した。 -->
その後19世紀の末になると更に多くのシタールやサロードの流派が現れた。ランプールのセニ派の弟子からは世界的な演奏家ラヴィ・シャンカルの師匠でサロードを改造してサロッド(シャロッド)を創作したアラー・ウッディーン・カーン、サロードの演奏家アムジャッド・アリー・カーンの父親ハーフィズ・アリー・カーン、グワーリオールのカヤールの家系からはシタール音楽に再び声楽の要素を取り入れたガヤキ(声楽)・アンクで人気を博したイムダド・カーンが現れた。今日これらの流派が[[北インド]]古典音楽の中心的な流派である。
ドゥルヴァ音楽は18世紀に復興したダーガル家などが少数ある程度で、ラクナウやジャイプルの器楽シタール、サロードの演奏家は極めて少数である。またサーランギによる器楽、民謡楽器であった竹の横笛[[バーンスリー]]による器楽、カシミールのスーフィー古典音楽楽器であった打弦楽器サントゥールによる器楽も非常に盛んである。しかし、これらはいずれも20世紀になってから古典音楽楽器となったものである。
今日アンチ・ドゥルヴァ音楽が生まれた当時の器楽独自の音楽は消滅しつつあり、声楽・器楽の違いから、古典音楽、花柳界音楽の違いさえ無くした汎北インド古典音楽(ラーガ音楽)という一種類の音楽が中心である。昔の演奏家は、初めの5分でラーガ(数百種ある旋法)が伝わり次の5分で流派のスタイルが伝わり、個人の個性は1時間以上後に初めて表現された。作曲された部分だけでも20分近くは要した。しかし近代の演奏家は、ほんの4小節程の作曲部を弾くとすぐにアドリブに入る。
== 関連項目 ==
{{Portal クラシック音楽}}
* [[パキスタン]]
* [[アフガニスタン]]
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[[Category:民族音楽]]
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7,044 | イリオス | イリオス(古代ギリシア語イオニア方言: Ἴλιος, Īlios イーリオス)は、ギリシア神話に登場する都市。イリオン(イオニア方言: Ἴλιον, Īliov イーリオン)、トロイア(アッティカ方言: Τροία, Troia トロイア、イオニア方言: Τροίη, Troiē トロイエー、ドーリス方言: Τρωία, Trōia トローイア)、トロイ(英語: Troy)、トロイアー(古典ラテン語: Troja トロイヤ)などとも呼ばれる。現在のトルコ北西部、ダーダネルス海峡以南(同海峡の東側、アジア側、トルコ語ではトゥルヴァ)にあったとされる。遺跡の入り口には、有名な「トロイの木馬」の複製が建てられている。
一般に、ハインリヒ・シュリーマンによって発掘された遺跡がイリオスに比定されている。神話ではかなりの規模を持った都市国家で、それが事実であった事を示唆する遺構も幾つかは確認されているものの、現在は城塞以外の遺構は殆んど残っていない。ギリシア神話においては、アガメムノーンを頭とするアカイア軍に滅ぼされたとされ、そのあらましはホメロスの『イーリアス』をはじめとする叙事詩環に描かれている。
トロイの古代遺跡については、イリオス遺跡を参照のこと。
かつてイリオスのある地域は、スカマンドロス河とニュンペーのイダイアの子であるテウクロス(英語版)(テラモーンの子テウクロスとは別)が王として治めており、テウクロイと呼ばれていた。そこへアトラースの娘エーレクトラーにゼウスが生ませた子であるダルダノスがサモトラケ島からやってきた。ダルダノスはテウクロスの客となり、彼の娘バティエイアと領地の一部をもらった。彼はそこにダルダノスという都市を築き、テウクロス王の死後、テウクロイの一帯はダルダニア(英語版)と呼ばれるようになった。
ダルダノスの後はエリクトニオスが相続した。エリクトニオスの後はトロースが継いだ。トロースは、自分の名にちなんでダルダニアの地をトロイアと呼ぶことにした。
トロースはスカマンドロス河の娘カリロエーと結婚し、クレオパトラー(プトレマイオス朝の女王クレオパトラ7世とは別人)、イーロス、アッサラコス、ガニュメーデースをもうけた。ガニュメーデースが気に入ったゼウスは、鷲に変身してガニュメーデースをさらい、オリュンポスの給仕係とした。そして、その代償に馬を与えた。なお、アッサラコスの子がカピュスで、カピュスの子がアンキーセース。アンキセスの子がローマの元となった都市を築いた英雄アイネイアースである。
トロースの子イーロスはプリュギアで、その地の王が主催した競技会の相撲の部に優勝。賞品として50人の少年と50人の少女を得た。また王は彼に斑の牛をあたえ、「その牛が横になったところに都市を築けという神託が下ったから、その通りにしなさい」といった。イーロスが牛の後についていくと、牛はアテという丘で横になった。そこでイーロスはそこに都市を築き、イリオスと名づけた。イーロスはアドラーストス(テーバイ攻めの七将の一人のアドラーストスとは別人)の娘エウリュディケと結婚し、ラーオメドーンをもうけた。イーロスの後はラーオメドーンが継いだ。ラーオメドーンの子供には、娘のヘーシオネー、息子ティートーノス、ポダルケースなどが生まれたという。
あるときアポローンとポセイドーンはゼウスに対する反乱をくわだてた。このためゼウスの怒りを買い、人間の姿に身をやつし、イリオス王ラーオメドーンのためにイリオスの城壁を築くという罰を受けた(一説によると、城壁を築いたのはポセイドンだけで、アポローンは羊飼いの役目をしていたという)。 城壁完成の後にアポローンとポセイドーンが報酬を貰おうとすると、ラーオメドーンはそれを拒絶した。アポローンとポセイドーンは怒り、アポローンは疫病で、ポセイドーンは海の怪物でイリオスを悩ませた。
その後、怪物にラーオメドーンの娘ヘーシオネーをささげれば、災いから逃れることができるという神託が下った。そこで、海から来る怪物に見えるように、海岸近くの岩にヘーシオネーを縛り付けた。それを見たヘーラクレースは、ガニュメーデースの代償にゼウスが与えた馬をくれるなら、怪物を倒してヘーシオネーを救おうと申し出た。ラーオメドーンが請合ったので、ヘーラクレースは怪物を倒してヘーシオネーを救った。ヘーラクレースが報酬の馬を貰おうとすると、ラーオメドーンは拒絶した。ヘーラクレースは、いずれイリオスを攻め落としに来るぞ、と捨て台詞を残して去っていった。
ヘーラクレースは参加者を募ってイリオス攻めを行った。18艘の船による軍勢の中にはペーレウス(アキレウスの父)やテラモーン(大アイアース、テウクロスの父)もいた。軍勢は船をおりてイリオスを目指した。イリオス王ラーオメドーンはヘーラクレースらの留守に船を襲ったが、逆にヘーラクレースたちに包囲され、捕虜となった。
ヘーラクレースたちはイリオスを包囲し、テラモーンがイリオスへの一番乗りを果たした。ヘーラクレースは自分よりも優れた者の存在が許せなかったので、テラモーンを殺そうとした。テラモーンは機転をきかせて石を集めるふりをした。不思議に思ったヘーラクレースがテラモーンに尋ねると、テラモーンは勝利者ヘーラクレースにささげる祭壇を築いているのだ、といった。ヘーラクレースは喜び、ラーオメドーンの娘ヘーシオネーを彼に与えた。
戦いの後、ヘーラクレースはヘーシオネーに捕虜のうちから一人だけ連れて行くことを許した。ヘーシオネーはラーオメドーンの息子ポダルケースを選んだ。ヘーラクレースがポダルケースの購いを求めると、ヘーシオネーは代償としてベールを差し出した。このことから、ポダルケースはプリアモス(ギリシャ語の「買う」はプリアマイ)と呼ばれることとなった。この時ポダルケース以外のラーオメドーンの息子はすべて殺された。
イリオスは、プリアモス王の時にギリシア勢に攻め込まれ、滅亡することとなった。
この戦争の発端はゼウスの思慮によるもので、人口調節のためとも神の名声を高めるためとも伝えられる。プリアモス王の后ヘカベーは、息子パリス(アレクサンドロス)を生むとき「自分が燃える木を生み、それが燃え広がってイリオスが焼け落ちる」という夢を見た。この夢の通り、パリスはイリオスにとって災厄の種となった。パリスは、ヘーラー、アテーナー、アプロディーテーの三女神の美の競合、いわゆるパリスの審判によりアプロディーテーからスパルタ王メネラーオスの妻ヘレネーを奪って妻とすることを約された。彼はスパルタからヘレネーを奪ったため、メネラーオスは直ちにトロイアにヘレネーを帰すよう求めた。しかし交渉は決裂、メネラーオスは兄アガメムノーンとともにトロイア攻略を画策した。
アガメムノーンを総大将としたアカイア軍(ギリシア勢)はイリオスに上陸、プリアモス王の王子ヘクトールを事実上の総大将としたイリオス軍と衝突した。多大な犠牲を出しながら戦争は10年間続き、アカイア軍の間には次第に厭戦気分が蔓延しはじめた。しかし、アカイア軍の将オデュッセウスは一計を案じ(一説には女神アテーナーが考えて)、エペイオスに木馬を造らせた。この、トロイアの木馬の詭計によってイリオスは一夜のうちに陥落した。陥落したイリオスから逃げ出すことができたのは、アイネイアースなど少数の者たちだけだった。
ハインリヒ・シュリーマンによって発掘が行われるまで、イリアスは神話上の架空都市にすぎないというのが一般の通念であった。
このような常識に対し、シュリーマンは自著『古代への情熱』で、幼いころにイリアスの子供向けの物語を読み、イリアスは実際に起きた出来事をもとにした物語だと考えて発掘を決意し、資金を集めるために商人になったと述べている。
1868年、シュリーマンはトロイアのあった場所としてダーダネルス海峡西端のチャナッカレ近郊にあるヒッサリクの丘(en)に見当をつけた。アキレウスがヘクトールを追い回すことができるような場所、近くにイリアスに書かれた川(スカマンドロス河)があるような場所が他にないというのが彼の説明である。
1870年、シュリーマンは、私財を投じてトロイアの発掘を開始。この発掘には既に功績を挙げたオリンピア発掘隊もかかわっている。シュリーマンの狙いは正しく、曲輪に囲まれた遺跡を発掘した。ヒッサリクの丘の遺構は複数の層から成っており、シュリーマンは火災の跡があった第II層をトロイアだとした。しかし、後の研究の結果、この層はトロイア戦争があったとされる時代よりも前の時代のものであった。
シュリーマンの発掘が学会で認められるには時間がかかった。当時の常識に反している上に、シュリーマンがまったくの素人だったからである。確かにシュリーマンの間違った推定と発掘により、遺跡の考古学的価値は大きく傷ついていた。しかし、当時は現代的な意味での考古学は未整備な状況であった。
現在までの調査によると、イリオスの遺跡は9層から成り、シュリーマンが『イーリアス』当時のトロイアのものだとした第II層Gは、紀元前2500年から紀元前2200年のものだということがわかった。第I層、すなわち最初の集落は紀元前3000年頃に始まっており、初期青銅器時代に分類される。第II層は、エーゲ海交易によって栄えたと考えられており、トロイア文化ともいうべき独自の文化を持っていた。城壁は切石の下部構造を持ち、入り口は城壁を跨ぐ塔によって防衛されている。しかし、その後の第III層から第V層は繰り返し破壊されており、発展的状況は認められない。
紀元前1800年から紀元前1300年に至る第VI層において、イリオスは再び活発に活動を始めている。遺跡の中心部はシュリーマンの発掘によって大きく削られてしまったため、後の時代の遺構はほとんど何も残っていないが、第二層を取り囲むようにして増築された第六層時代の拡張域は比較的多く残存している。
第六層はイリオスが最も繁栄した時代と考えられているが、拡張された部分を含めてもその城域は直径200m程度で都市と言うには矮小なため、多くの研究者は長い間、実際のイリオスは町というよりもむしろ交易や軍事の拠点と言うべき地であったと見なしてきた。しかし、80年代以降に最新の機器を用いた探査では丘から数百メートル南に離れた地点で第VI層の時代に作られたと思われる壕や門、柵などを含む遺構が確認され、城壁のすぐ外側でも密集した家屋の跡が発掘されたため、この場所がそれまで考えられていたよりも遥かに広大な居住地であった可能性が高まった。この事を踏まえると都市の規模は丘の周辺の約30ヘクタール(直径600メートル程度)、人口はおよそ1万人程度というそれなりの大きさであった事が窺える。したがって、現在ではこの第VI層から第VII層までをホメロスが描いた時代に比定する説が有力である。
この時期に城塞の規模が拡張され、更に丘の外の平野部にまで居住地が広がった事で、後期青銅器時代の主要な都市の一つとして栄えたと考えられている。城外の遺構が少ない事に対する説明としては人家等の重要でない施設は朽ちやすい木造であった可能性が指摘されている(壕や門に関しては防衛設備ではなく放牧の為の囲いであった可能性もある)。
第六層は紀元前1300年頃におそらく地震によって崩壊したがその後すぐに第VIIA層が再建され、城壁など幾つかの古い施設は継続して使用されていた。出土品の様式に文化的な差異が見られない為、住民も第六層の時代と同じ人々で構成されていたと見られている。 しかし、第六層の城塞内には上流階級の邸宅と見られる比較的大きな建物が広い間隔をとって建てられていたのに対し、この時代には数多くの小規模な家屋が隙間なく密集して建てられ、より混雑した空間となっていた。外国由来の品も減少傾向にあるため、何らかの好ましくない変化に直面していたことが窺える。
第VII層Aはすぐに崩壊し、後に貧弱な第VII層Bが続いていた。その後に第VIII層、第IX層が続くが、これらはギリシア人・ローマ人による町の遺構である。
トロイア戦争の時代を、ヘロドトスは紀元前1250年、エラトステネスは紀元前1184年、Dourisは紀元前1334年と推定した。トロイア戦争時代と推定される第VII層の発掘では、陶磁器の様式から、紀元前1275年から紀元前1240年と推定されている。
シュリーマンの発掘した遺跡がトロイア戦争の舞台として登場する古代都市イリオスであるか否かは議論のわかれるところである。ホメロスの『イーリアス』には複数の都市に関する伝承が混合している可能性が指摘されており、その複数の都市の中に、シュリーマンが発掘したこのトロイア遺跡が含まれているということについては概ね合意が得られている。しかし、ホメロスの『イーリアス』それ自体に考古学的事実と符合しない部分があり、また、最も重要な証拠となるべき第VII層の大部分がシュリーマンの発掘によって消失しているので、イリオス遺跡が伝説上のトロイアであるという決定的な証拠はない。ホメロスの伝承が全く架空の伝承とする立場もないわけではない。
とは言え、この遺跡の発掘が考古学の発展に与えた影響は大きく、そういった意味からもユネスコの世界遺産に登録されている。
紀元前13世紀中ごろのヒッタイト王トゥドハリヤ4世時代のヒッタイト語史料に、アナトリア半島西岸アスワ地方の町としてタルウィサが登場する。これはギリシア語史料のトロイアに相当する可能性が示唆されている。また、同史料にウィルサ王アラクサンドゥスが登場する。これもそれぞれギリシア語史料のイリオスとアレクサンドロスに相当する可能性が示唆されている。
トゥトゥハリヤ4世の治世はヒッサリク遺跡の第VII層Aの時代と一致しており、パリスの別名がアレクサンドロスであったことが知られている。このため、この史料の記録はギリシア史料によるトロイア戦争となんらかの関係があるのではないかと推測されている。
イリオスの遺跡は、1998年、「トロイの考古遺跡」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。 | [
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"text": "イリオス(古代ギリシア語イオニア方言: Ἴλιος, Īlios イーリオス)は、ギリシア神話に登場する都市。イリオン(イオニア方言: Ἴλιον, Īliov イーリオン)、トロイア(アッティカ方言: Τροία, Troia トロイア、イオニア方言: Τροίη, Troiē トロイエー、ドーリス方言: Τρωία, Trōia トローイア)、トロイ(英語: Troy)、トロイアー(古典ラテン語: Troja トロイヤ)などとも呼ばれる。現在のトルコ北西部、ダーダネルス海峡以南(同海峡の東側、アジア側、トルコ語ではトゥルヴァ)にあったとされる。遺跡の入り口には、有名な「トロイの木馬」の複製が建てられている。",
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"text": "一般に、ハインリヒ・シュリーマンによって発掘された遺跡がイリオスに比定されている。神話ではかなりの規模を持った都市国家で、それが事実であった事を示唆する遺構も幾つかは確認されているものの、現在は城塞以外の遺構は殆んど残っていない。ギリシア神話においては、アガメムノーンを頭とするアカイア軍に滅ぼされたとされ、そのあらましはホメロスの『イーリアス』をはじめとする叙事詩環に描かれている。",
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"text": "トロイの古代遺跡については、イリオス遺跡を参照のこと。",
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"text": "かつてイリオスのある地域は、スカマンドロス河とニュンペーのイダイアの子であるテウクロス(英語版)(テラモーンの子テウクロスとは別)が王として治めており、テウクロイと呼ばれていた。そこへアトラースの娘エーレクトラーにゼウスが生ませた子であるダルダノスがサモトラケ島からやってきた。ダルダノスはテウクロスの客となり、彼の娘バティエイアと領地の一部をもらった。彼はそこにダルダノスという都市を築き、テウクロス王の死後、テウクロイの一帯はダルダニア(英語版)と呼ばれるようになった。",
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"text": "ダルダノスの後はエリクトニオスが相続した。エリクトニオスの後はトロースが継いだ。トロースは、自分の名にちなんでダルダニアの地をトロイアと呼ぶことにした。",
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"text": "トロースはスカマンドロス河の娘カリロエーと結婚し、クレオパトラー(プトレマイオス朝の女王クレオパトラ7世とは別人)、イーロス、アッサラコス、ガニュメーデースをもうけた。ガニュメーデースが気に入ったゼウスは、鷲に変身してガニュメーデースをさらい、オリュンポスの給仕係とした。そして、その代償に馬を与えた。なお、アッサラコスの子がカピュスで、カピュスの子がアンキーセース。アンキセスの子がローマの元となった都市を築いた英雄アイネイアースである。",
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"text": "トロースの子イーロスはプリュギアで、その地の王が主催した競技会の相撲の部に優勝。賞品として50人の少年と50人の少女を得た。また王は彼に斑の牛をあたえ、「その牛が横になったところに都市を築けという神託が下ったから、その通りにしなさい」といった。イーロスが牛の後についていくと、牛はアテという丘で横になった。そこでイーロスはそこに都市を築き、イリオスと名づけた。イーロスはアドラーストス(テーバイ攻めの七将の一人のアドラーストスとは別人)の娘エウリュディケと結婚し、ラーオメドーンをもうけた。イーロスの後はラーオメドーンが継いだ。ラーオメドーンの子供には、娘のヘーシオネー、息子ティートーノス、ポダルケースなどが生まれたという。",
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"text": "あるときアポローンとポセイドーンはゼウスに対する反乱をくわだてた。このためゼウスの怒りを買い、人間の姿に身をやつし、イリオス王ラーオメドーンのためにイリオスの城壁を築くという罰を受けた(一説によると、城壁を築いたのはポセイドンだけで、アポローンは羊飼いの役目をしていたという)。 城壁完成の後にアポローンとポセイドーンが報酬を貰おうとすると、ラーオメドーンはそれを拒絶した。アポローンとポセイドーンは怒り、アポローンは疫病で、ポセイドーンは海の怪物でイリオスを悩ませた。",
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"text": "その後、怪物にラーオメドーンの娘ヘーシオネーをささげれば、災いから逃れることができるという神託が下った。そこで、海から来る怪物に見えるように、海岸近くの岩にヘーシオネーを縛り付けた。それを見たヘーラクレースは、ガニュメーデースの代償にゼウスが与えた馬をくれるなら、怪物を倒してヘーシオネーを救おうと申し出た。ラーオメドーンが請合ったので、ヘーラクレースは怪物を倒してヘーシオネーを救った。ヘーラクレースが報酬の馬を貰おうとすると、ラーオメドーンは拒絶した。ヘーラクレースは、いずれイリオスを攻め落としに来るぞ、と捨て台詞を残して去っていった。",
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"text": "ヘーラクレースは参加者を募ってイリオス攻めを行った。18艘の船による軍勢の中にはペーレウス(アキレウスの父)やテラモーン(大アイアース、テウクロスの父)もいた。軍勢は船をおりてイリオスを目指した。イリオス王ラーオメドーンはヘーラクレースらの留守に船を襲ったが、逆にヘーラクレースたちに包囲され、捕虜となった。",
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"text": "ヘーラクレースたちはイリオスを包囲し、テラモーンがイリオスへの一番乗りを果たした。ヘーラクレースは自分よりも優れた者の存在が許せなかったので、テラモーンを殺そうとした。テラモーンは機転をきかせて石を集めるふりをした。不思議に思ったヘーラクレースがテラモーンに尋ねると、テラモーンは勝利者ヘーラクレースにささげる祭壇を築いているのだ、といった。ヘーラクレースは喜び、ラーオメドーンの娘ヘーシオネーを彼に与えた。",
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"text": "戦いの後、ヘーラクレースはヘーシオネーに捕虜のうちから一人だけ連れて行くことを許した。ヘーシオネーはラーオメドーンの息子ポダルケースを選んだ。ヘーラクレースがポダルケースの購いを求めると、ヘーシオネーは代償としてベールを差し出した。このことから、ポダルケースはプリアモス(ギリシャ語の「買う」はプリアマイ)と呼ばれることとなった。この時ポダルケース以外のラーオメドーンの息子はすべて殺された。",
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"text": "イリオスは、プリアモス王の時にギリシア勢に攻め込まれ、滅亡することとなった。",
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"text": "この戦争の発端はゼウスの思慮によるもので、人口調節のためとも神の名声を高めるためとも伝えられる。プリアモス王の后ヘカベーは、息子パリス(アレクサンドロス)を生むとき「自分が燃える木を生み、それが燃え広がってイリオスが焼け落ちる」という夢を見た。この夢の通り、パリスはイリオスにとって災厄の種となった。パリスは、ヘーラー、アテーナー、アプロディーテーの三女神の美の競合、いわゆるパリスの審判によりアプロディーテーからスパルタ王メネラーオスの妻ヘレネーを奪って妻とすることを約された。彼はスパルタからヘレネーを奪ったため、メネラーオスは直ちにトロイアにヘレネーを帰すよう求めた。しかし交渉は決裂、メネラーオスは兄アガメムノーンとともにトロイア攻略を画策した。",
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"text": "アガメムノーンを総大将としたアカイア軍(ギリシア勢)はイリオスに上陸、プリアモス王の王子ヘクトールを事実上の総大将としたイリオス軍と衝突した。多大な犠牲を出しながら戦争は10年間続き、アカイア軍の間には次第に厭戦気分が蔓延しはじめた。しかし、アカイア軍の将オデュッセウスは一計を案じ(一説には女神アテーナーが考えて)、エペイオスに木馬を造らせた。この、トロイアの木馬の詭計によってイリオスは一夜のうちに陥落した。陥落したイリオスから逃げ出すことができたのは、アイネイアースなど少数の者たちだけだった。",
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"text": "ハインリヒ・シュリーマンによって発掘が行われるまで、イリアスは神話上の架空都市にすぎないというのが一般の通念であった。",
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"text": "このような常識に対し、シュリーマンは自著『古代への情熱』で、幼いころにイリアスの子供向けの物語を読み、イリアスは実際に起きた出来事をもとにした物語だと考えて発掘を決意し、資金を集めるために商人になったと述べている。",
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"text": "1868年、シュリーマンはトロイアのあった場所としてダーダネルス海峡西端のチャナッカレ近郊にあるヒッサリクの丘(en)に見当をつけた。アキレウスがヘクトールを追い回すことができるような場所、近くにイリアスに書かれた川(スカマンドロス河)があるような場所が他にないというのが彼の説明である。",
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"text": "1870年、シュリーマンは、私財を投じてトロイアの発掘を開始。この発掘には既に功績を挙げたオリンピア発掘隊もかかわっている。シュリーマンの狙いは正しく、曲輪に囲まれた遺跡を発掘した。ヒッサリクの丘の遺構は複数の層から成っており、シュリーマンは火災の跡があった第II層をトロイアだとした。しかし、後の研究の結果、この層はトロイア戦争があったとされる時代よりも前の時代のものであった。",
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"text": "シュリーマンの発掘が学会で認められるには時間がかかった。当時の常識に反している上に、シュリーマンがまったくの素人だったからである。確かにシュリーマンの間違った推定と発掘により、遺跡の考古学的価値は大きく傷ついていた。しかし、当時は現代的な意味での考古学は未整備な状況であった。",
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"text": "現在までの調査によると、イリオスの遺跡は9層から成り、シュリーマンが『イーリアス』当時のトロイアのものだとした第II層Gは、紀元前2500年から紀元前2200年のものだということがわかった。第I層、すなわち最初の集落は紀元前3000年頃に始まっており、初期青銅器時代に分類される。第II層は、エーゲ海交易によって栄えたと考えられており、トロイア文化ともいうべき独自の文化を持っていた。城壁は切石の下部構造を持ち、入り口は城壁を跨ぐ塔によって防衛されている。しかし、その後の第III層から第V層は繰り返し破壊されており、発展的状況は認められない。",
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"text": "紀元前1800年から紀元前1300年に至る第VI層において、イリオスは再び活発に活動を始めている。遺跡の中心部はシュリーマンの発掘によって大きく削られてしまったため、後の時代の遺構はほとんど何も残っていないが、第二層を取り囲むようにして増築された第六層時代の拡張域は比較的多く残存している。",
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"text": "第六層はイリオスが最も繁栄した時代と考えられているが、拡張された部分を含めてもその城域は直径200m程度で都市と言うには矮小なため、多くの研究者は長い間、実際のイリオスは町というよりもむしろ交易や軍事の拠点と言うべき地であったと見なしてきた。しかし、80年代以降に最新の機器を用いた探査では丘から数百メートル南に離れた地点で第VI層の時代に作られたと思われる壕や門、柵などを含む遺構が確認され、城壁のすぐ外側でも密集した家屋の跡が発掘されたため、この場所がそれまで考えられていたよりも遥かに広大な居住地であった可能性が高まった。この事を踏まえると都市の規模は丘の周辺の約30ヘクタール(直径600メートル程度)、人口はおよそ1万人程度というそれなりの大きさであった事が窺える。したがって、現在ではこの第VI層から第VII層までをホメロスが描いた時代に比定する説が有力である。",
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"text": "この時期に城塞の規模が拡張され、更に丘の外の平野部にまで居住地が広がった事で、後期青銅器時代の主要な都市の一つとして栄えたと考えられている。城外の遺構が少ない事に対する説明としては人家等の重要でない施設は朽ちやすい木造であった可能性が指摘されている(壕や門に関しては防衛設備ではなく放牧の為の囲いであった可能性もある)。",
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"text": "第六層は紀元前1300年頃におそらく地震によって崩壊したがその後すぐに第VIIA層が再建され、城壁など幾つかの古い施設は継続して使用されていた。出土品の様式に文化的な差異が見られない為、住民も第六層の時代と同じ人々で構成されていたと見られている。 しかし、第六層の城塞内には上流階級の邸宅と見られる比較的大きな建物が広い間隔をとって建てられていたのに対し、この時代には数多くの小規模な家屋が隙間なく密集して建てられ、より混雑した空間となっていた。外国由来の品も減少傾向にあるため、何らかの好ましくない変化に直面していたことが窺える。",
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"text": "第VII層Aはすぐに崩壊し、後に貧弱な第VII層Bが続いていた。その後に第VIII層、第IX層が続くが、これらはギリシア人・ローマ人による町の遺構である。",
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"text": "トロイア戦争の時代を、ヘロドトスは紀元前1250年、エラトステネスは紀元前1184年、Dourisは紀元前1334年と推定した。トロイア戦争時代と推定される第VII層の発掘では、陶磁器の様式から、紀元前1275年から紀元前1240年と推定されている。",
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"text": "シュリーマンの発掘した遺跡がトロイア戦争の舞台として登場する古代都市イリオスであるか否かは議論のわかれるところである。ホメロスの『イーリアス』には複数の都市に関する伝承が混合している可能性が指摘されており、その複数の都市の中に、シュリーマンが発掘したこのトロイア遺跡が含まれているということについては概ね合意が得られている。しかし、ホメロスの『イーリアス』それ自体に考古学的事実と符合しない部分があり、また、最も重要な証拠となるべき第VII層の大部分がシュリーマンの発掘によって消失しているので、イリオス遺跡が伝説上のトロイアであるという決定的な証拠はない。ホメロスの伝承が全く架空の伝承とする立場もないわけではない。",
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"text": "とは言え、この遺跡の発掘が考古学の発展に与えた影響は大きく、そういった意味からもユネスコの世界遺産に登録されている。",
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"text": "紀元前13世紀中ごろのヒッタイト王トゥドハリヤ4世時代のヒッタイト語史料に、アナトリア半島西岸アスワ地方の町としてタルウィサが登場する。これはギリシア語史料のトロイアに相当する可能性が示唆されている。また、同史料にウィルサ王アラクサンドゥスが登場する。これもそれぞれギリシア語史料のイリオスとアレクサンドロスに相当する可能性が示唆されている。",
"title": "イリオス遺跡"
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"text": "トゥトゥハリヤ4世の治世はヒッサリク遺跡の第VII層Aの時代と一致しており、パリスの別名がアレクサンドロスであったことが知られている。このため、この史料の記録はギリシア史料によるトロイア戦争となんらかの関係があるのではないかと推測されている。",
"title": "イリオス遺跡"
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"text": "イリオスの遺跡は、1998年、「トロイの考古遺跡」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。",
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"text": "この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。",
"title": "世界遺産"
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] | イリオスは、ギリシア神話に登場する都市。イリオン、トロイア、トロイ、トロイアーなどとも呼ばれる。現在のトルコ北西部、ダーダネルス海峡以南(同海峡の東側、アジア側、トルコ語ではトゥルヴァ)にあったとされる。遺跡の入り口には、有名な「トロイの木馬」の複製が建てられている。 一般に、ハインリヒ・シュリーマンによって発掘された遺跡がイリオスに比定されている。神話ではかなりの規模を持った都市国家で、それが事実であった事を示唆する遺構も幾つかは確認されているものの、現在は城塞以外の遺構は殆んど残っていない。ギリシア神話においては、アガメムノーンを頭とするアカイア軍に滅ぼされたとされ、そのあらましはホメロスの『イーリアス』をはじめとする叙事詩環に描かれている。 トロイの古代遺跡については、イリオス遺跡を参照のこと。 | {{Otheruses||その他のイリオス|イリオス (曖昧さ回避)}}
{{Redirect|トロイ|その他のトロイ|トロイ (曖昧さ回避)}}
{{出典の明記|date=2014年6月}}
[[File:Walls_of_Troy_(2).jpg|thumb|right|300px|イリオス(トロイ)のものとされる遺跡。[[城郭都市]]([[紀元前12世紀]])]]
'''イリオス'''(<small>[[古代ギリシア語]][[ギリシア語イオニア方言|イオニア方言]]</small>: {{lang|grc|'''Ἴλιος''', Īlios|イーリオス}})は、[[ギリシア神話]]に登場する都市。'''イリオン'''(<small>イオニア方言</small>: {{lang|grc|Ἴλιον, Īliov|イーリオン}})、'''トロイア'''(<small>[[アッティカ方言]]</small>: {{lang|grc|Τροία, Troia|トロイア}}、<small>イオニア方言</small>: {{lang|grc|Τροίη, Troiē|トロイエー}}、<small>[[ドーリア人|ドーリス]]方言</small>: {{lang|grc|Τρωία, Trōia|トローイア}})、'''トロイ'''(<small>[[英語]]</small>: Troy)、'''トロイアー'''(<small>[[古典ラテン語]]</small>: {{lang|la|Troja|トロイヤ}})などとも呼ばれる。現在の[[トルコ]]北西部、[[ダーダネルス海峡]]以南(同海峡の東側、アジア側、トルコ語ではトゥルヴァ)にあったとされる。遺跡の入り口には、有名な「[[トロイアの木馬|トロイの木馬]]」の複製が建てられている。
一般に、[[ハインリヒ・シュリーマン]]によって発掘された遺跡がイリオスに比定されている。神話ではかなりの規模を持った都市国家で、それが事実であった事を示唆する遺構も幾つかは確認されているものの、現在は城塞以外の遺構は殆んど残っていない。ギリシア神話においては、[[アガメムノーン]]を頭とするアカイア軍に滅ぼされたとされ、そのあらましはホメロスの『[[イーリアス]]』をはじめとする[[叙事詩環]]に描かれている。
トロイの古代遺跡については、[[イリオス#イリオス遺跡|イリオス遺跡]]を参照のこと。
== 伝説上のイリオス ==
[[File:Priam's treasure (r).jpg|thumb|220px|遺跡から発見された[[プリアモスの財宝]]]]
[[File:Tetradrachm from Troy.jpg|thumb|220px|[[テトラドラクマ]]と[[アテーナー]](紀元前165-150)]]
=== イリオスの建設 ===
かつてイリオスのある地域は、[[スカマンドロス]]河と[[ニュンペー]]のイダイアの子である{{仮リンク|テウクロス (イリオス)|en|King Teucer|label=テウクロス}}([[テラモーン]]の子[[テウクロス]]とは別)が王として治めており、'''テウクロイ'''と呼ばれていた。そこへ[[アトラース]]の娘[[エーレクトラー]]に[[ゼウス]]が生ませた子である[[ダルダノス]]が[[サモトラケ島]]からやってきた。ダルダノスはテウクロスの客となり、彼の娘バティエイアと領地の一部をもらった。彼はそこにダルダノスという都市を築き、テウクロス王の死後、テウクロイの一帯は'''{{仮リンク|ダルダニア (ヨーロッパ)|en|Dardania (Europe)|label=ダルダニア}}'''と呼ばれるようになった。
ダルダノスの後は[[エリクトニオス]]が相続した。エリクトニオスの後は[[トロース]]が継いだ。トロースは、自分の名にちなんでダルダニアの地を'''トロイア'''と呼ぶことにした。
トロースはスカマンドロス河の娘[[カリロエー]]と結婚し、[[クレオパトラー]]([[プトレマイオス朝]]の女王[[クレオパトラ7世]]とは別人)、[[イーロス]]、[[アッサラコス]]、[[ガニュメーデース]]をもうけた。ガニュメーデースが気に入ったゼウスは、鷲に変身してガニュメーデースをさらい、[[オリュンポス]]の給仕係とした。そして、その代償に馬を与えた。なお、アッサラコスの子が[[カピュス]]で、カピュスの子が[[アンキーセース]]。アンキセスの子が[[ローマ]]の元となった都市を築いた英雄[[アイネイアース]]である。
トロースの子イーロスは[[フリギア|プリュギア]]で、その地の王が主催した競技会の相撲の部に優勝。賞品として50人の少年と50人の少女を得た。また王は彼に斑の牛をあたえ、「その牛が横になったところに都市を築けという神託が下ったから、その通りにしなさい」といった。イーロスが牛の後についていくと、牛はアテという丘で横になった。そこでイーロスはそこに都市を築き、'''イリオス'''と名づけた。イーロスはアドラーストス([[テーバイ攻めの七将]]の一人の[[アドラーストス]]とは別人)の娘エウリュディケと結婚し、[[ラーオメドーン]]をもうけた。イーロスの後はラーオメドーンが継いだ。ラーオメドーンの子供には、娘の[[ヘーシオネー]]、息子[[ティートーノス]]、ポダルケースなどが生まれたという。
=== アポロンとポセイドンによる城壁の建築 ===
あるとき[[アポローン]]と[[ポセイドーン]]はゼウスに対する反乱をくわだてた。このためゼウスの怒りを買い、人間の姿に身をやつし、イリオス王ラーオメドーンのためにイリオスの城壁を築くという罰を受けた(一説によると、城壁を築いたのはポセイドンだけで、アポローンは羊飼いの役目をしていたという)。
城壁完成の後にアポローンとポセイドーンが報酬を貰おうとすると、ラーオメドーンはそれを拒絶した。アポローンとポセイドーンは怒り、アポローンは疫病で、ポセイドーンは海の怪物でイリオスを悩ませた。
その後、怪物にラーオメドーンの娘ヘーシオネーをささげれば、災いから逃れることができるという神託が下った。そこで、海から来る怪物に見えるように、海岸近くの岩にヘーシオネーを縛り付けた。それを見た[[ヘーラクレース]]は、ガニュメーデースの代償にゼウスが与えた馬をくれるなら、怪物を倒してヘーシオネーを救おうと申し出た。ラーオメドーンが請合ったので、ヘーラクレースは怪物を倒してヘーシオネーを救った。ヘーラクレースが報酬の馬を貰おうとすると、ラーオメドーンは拒絶した。ヘーラクレースは、いずれイリオスを攻め落としに来るぞ、と捨て台詞を残して去っていった。
=== ヘーラクレースによるイリオス攻め ===
ヘーラクレースは参加者を募ってイリオス攻めを行った。18艘の船による軍勢の中には[[ペーレウス]]([[アキレウス]]の父)や[[テラモーン]]([[大アイアース]]、[[テウクロス]]の父)もいた。軍勢は船をおりてイリオスを目指した。イリオス王ラーオメドーンはヘーラクレースらの留守に船を襲ったが、逆にヘーラクレースたちに包囲され、捕虜となった。
ヘーラクレースたちはイリオスを包囲し、テラモーンがイリオスへの一番乗りを果たした。ヘーラクレースは自分よりも優れた者の存在が許せなかったので、テラモーンを殺そうとした。テラモーンは機転をきかせて石を集めるふりをした。不思議に思ったヘーラクレースがテラモーンに尋ねると、テラモーンは勝利者ヘーラクレースにささげる祭壇を築いているのだ、といった。ヘーラクレースは喜び、ラーオメドーンの娘ヘーシオネーを彼に与えた。
戦いの後、ヘーラクレースはヘーシオネーに捕虜のうちから一人だけ連れて行くことを許した。ヘーシオネーはラーオメドーンの息子ポダルケースを選んだ。ヘーラクレースがポダルケースの購いを求めると、ヘーシオネーは代償としてベールを差し出した。このことから、ポダルケースは[[プリアモス]](ギリシャ語の「買う」はプリアマイ)と呼ばれることとなった。この時ポダルケース以外のラーオメドーンの息子はすべて殺された。
=== トロイア戦争 ===
[[Image:J G Trautmann Das brennende Troja.jpg|thumb|right|220px|[[イーリオスの陥落]]]]
{{Main|トロイア戦争}}
イリオスは、プリアモス王の時にギリシア勢に攻め込まれ、滅亡することとなった。
この戦争の発端はゼウスの思慮によるもので、人口調節のためとも神の名声を高めるためとも伝えられる。プリアモス王の后[[ヘカベー]]は、息子[[パリス]](アレクサンドロス)を生むとき「自分が燃える木を生み、それが燃え広がってイリオスが焼け落ちる」という夢を見た。この夢の通り、パリスはイリオスにとって災厄の種となった。パリスは、[[ヘーラー]]、[[アテーナー]]、[[アプロディーテー]]の三女神の美の競合、いわゆる[[パリスの審判]]によりアプロディーテーから[[スパルタ]]王[[メネラーオス]]の妻[[ヘレネー]]を奪って妻とすることを約された。彼はスパルタからヘレネーを奪ったため、メネラーオスは直ちにトロイアにヘレネーを帰すよう求めた。しかし交渉は決裂、メネラーオスは兄[[アガメムノーン]]とともにトロイア攻略を画策した。
アガメムノーンを総大将としたアカイア軍(ギリシア勢)はイリオスに上陸、プリアモス王の王子[[ヘクトール]]を事実上の総大将としたイリオス軍と衝突した。多大な犠牲を出しながら戦争は10年間続き、アカイア軍の間には次第に厭戦気分が蔓延しはじめた。しかし、アカイア軍の将[[オデュッセウス]]は一計を案じ(一説には女神アテーナーが考えて)、[[エペイオス]]に木馬を造らせた。この、[[トロイアの木馬]]の詭計によってイリオスは一夜のうちに陥落した。陥落したイリオスから逃げ出すことができたのは、[[アイネイアース]]など少数の者たちだけだった。
== イリオス遺跡 ==
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=== シュリーマンによる発掘 ===
[[ハインリヒ・シュリーマン]]によって発掘が行われるまで、イリアスは神話上の架空都市にすぎないというのが一般の通念であった。
このような常識に対し、シュリーマンは自著『[[古代への情熱]]』で、幼いころにイリアスの子供向けの物語を読み、イリアスは実際に起きた出来事をもとにした物語だと考えて発掘を決意し、資金を集めるために商人になったと述べている。
[[1868年]]、シュリーマンはトロイアのあった場所として[[ダーダネルス海峡]]西端の[[チャナッカレ]]近郊にあるヒッサリクの丘([[:en:Hisarlik|en]])に見当をつけた。[[アキレウス]]が[[ヘクトール]]を追い回すことができるような場所、近くにイリアスに書かれた川(スカマンドロス河)があるような場所が他にないというのが彼の説明である。
[[1870年]]、シュリーマンは、私財を投じてトロイアの発掘を開始。この発掘には既に功績を挙げたオリンピア発掘隊もかかわっている。シュリーマンの狙いは正しく、[[曲輪]]に囲まれた遺跡を発掘した。ヒッサリクの丘の遺構は複数の層から成っており、シュリーマンは火災の跡があった第II層をトロイアだとした。しかし、後の研究の結果、この層はトロイア戦争があったとされる時代よりも前の時代のものであった。
シュリーマンの発掘が学会で認められるには時間がかかった。当時の常識に反している上に、シュリーマンがまったくの素人だったからである。確かにシュリーマンの間違った推定と発掘により、遺跡の考古学的価値は大きく傷ついていた。しかし、当時は現代的な意味での考古学は未整備な状況であった。
* [[1882年]]から[[ドイツ]]の考古学者[[ウィルヘルム・デルプフェルト]]が発掘に参加。
* 8年後の[[1890年]]、トロイ第7a市、[[メガロン]](ギリシャ建築の宮殿)跡を発掘、第7層がホメロスのトロイと判定した。
* [[1896年]][[2月26日]]、シュリーマン死去、デルプフェルトは仕事を続ける。
* [[1893年]]〜[[1894年|94年]]、デルプフェルトは第7市の[[要塞]]を発掘、ホメーロス『イーリアス』のトロイを確証した。
=== イリオス遺跡の構成 ===
[[ファイル:Troja-Blick-Schliemanngraben.jpg|thumb|left|イリオス遺跡からの眺め]]
[[File:Hadrianic_Odeon_in_Troy_IX_(Ilion).Turkey_(3).jpg|thumb|left|Troy IXでオデオン、紀元前124年]]
==== 第I層-第V層 ====
現在までの調査によると、イリオスの遺跡は9層から成り、シュリーマンが『イーリアス』当時のトロイアのものだとした第II層Gは、[[紀元前2500年]]から[[紀元前2200年]]のものだということがわかった。第I層、すなわち最初の集落は[[紀元前3000年]]頃に始まっており、初期青銅器時代に分類される。第II層は、[[エーゲ海]]交易によって栄えたと考えられており、トロイア文化ともいうべき独自の文化を持っていた。城壁は切石の下部構造を持ち、入り口は城壁を跨ぐ塔によって防衛されている。しかし、その後の第III層から第V層は繰り返し破壊されており、発展的状況は認められない。
==== 第VI層 ====
[[紀元前1800年]]から[[紀元前1300年]]に至る第VI層において、イリオスは再び活発に活動を始めている。遺跡の中心部はシュリーマンの発掘によって大きく削られてしまったため、後の時代の遺構はほとんど何も残っていないが、第二層を取り囲むようにして増築された第六層時代の拡張域は比較的多く残存している。
第六層はイリオスが最も繁栄した時代と考えられているが、拡張された部分を含めてもその城域は直径200m程度で都市と言うには矮小なため、多くの研究者は長い間、実際のイリオスは町というよりもむしろ交易や軍事の拠点と言うべき地であったと見なしてきた。しかし、80年代以降に最新の機器を用いた探査では丘から数百メートル南に離れた地点で第Ⅵ層の時代に作られたと思われる壕や門、柵などを含む遺構が確認され、城壁のすぐ外側でも密集した家屋の跡が発掘されたため、この場所がそれまで考えられていたよりも遥かに広大な居住地であった可能性が高まった。この事を踏まえると都市の規模は丘の周辺の約30ヘクタール(直径600メートル程度)、人口はおよそ1万人程度というそれなりの大きさであった事が窺える。したがって、現在ではこの第Ⅵ層から第Ⅶ層までをホメロスが描いた時代に比定する説が有力である。
この時期に城塞の規模が拡張され、更に丘の外の平野部にまで居住地が広がった事で、後期青銅器時代の主要な都市の一つとして栄えたと考えられている。城外の遺構が少ない事に対する説明としては人家等の重要でない施設は朽ちやすい木造であった可能性が指摘されている(壕や門に関しては防衛設備ではなく放牧の為の囲いであった可能性もある)。
==== 第Ⅶ層以降 ====
第六層は紀元前1300年頃におそらく地震によって崩壊したがその後すぐに第ⅦA層が再建され、城壁など幾つかの古い施設は継続して使用されていた。出土品の様式に文化的な差異が見られない為、住民も第六層の時代と同じ人々で構成されていたと見られている。
しかし、第六層の城塞内には上流階級の邸宅と見られる比較的大きな建物が広い間隔をとって建てられていたのに対し、この時代には数多くの小規模な家屋が隙間なく密集して建てられ、より混雑した空間となっていた。外国由来の品も減少傾向にあるため、何らかの好ましくない変化に直面していたことが窺える。
第VII層Aはすぐに崩壊し、後に貧弱な第VII層Bが続いていた。その後に第VIII層、第IX層が続くが、これらはギリシア人・ローマ人による町の遺構である。
トロイア戦争の時代を、[[ヘロドトス]]は[[紀元前1250年]]、[[エラトステネス]]は[[紀元前1184年]]、Dourisは[[紀元前1334年]]と推定した。トロイア戦争時代と推定される第VII層の発掘では、陶磁器の様式から、[[紀元前1275年]]から[[紀元前1240年]]と推定されている。
=== 備考 ===
シュリーマンの発掘した遺跡が[[トロイア戦争]]の舞台として登場する古代都市イリオスであるか否かは議論のわかれるところである。ホメロスの『イーリアス』には複数の都市に関する伝承が混合している可能性が指摘されており、その複数の都市の中に、シュリーマンが発掘したこのトロイア遺跡が含まれているということについては概ね合意が得られている。しかし、ホメロスの『イーリアス』それ自体に考古学的事実と符合しない部分があり、また、最も重要な証拠となるべき第VII層の大部分がシュリーマンの発掘によって消失しているので、イリオス遺跡が伝説上のトロイアであるという決定的な証拠はない。ホメロスの伝承が全く架空の伝承とする立場もないわけではない。
とは言え、この遺跡の発掘が考古学の発展に与えた影響は大きく、そういった意味からもユネスコの[[世界遺産]]に登録されている。
=== ヒッタイトの記録によるイリオスとトロイア ===
[[File:Plan_Troy-Hisarlik-en.svg|thumb|220px|イーリオス(トロイア)]]
[[File:Troja-Schnitt-Hisarlik.jpg|thumb|220px|断面図]]
[[紀元前13世紀]]中ごろの[[ヒッタイト]]王[[トゥドハリヤ4世]]時代の[[ヒッタイト語]]史料に、[[アナトリア半島]]西岸アスワ地方の町としてタルウィサが登場する。これはギリシア語史料のトロイアに相当する可能性が示唆されている。また、同史料にウィルサ王アラクサンドゥスが登場する。これもそれぞれギリシア語史料のイリオスとアレクサンドロスに相当する可能性が示唆されている。
トゥトゥハリヤ4世の治世はヒッサリク遺跡の第VII層Aの時代と一致しており、パリスの別名が[[アレクサンドロス]]であったことが知られている。このため、この史料の記録はギリシア史料によるトロイア戦争となんらかの関係があるのではないかと推測されている。
=== 20世紀の発掘調査 ===
* [[1932年]]〜[[1938年|38年]] [[シンシナティ大学]]の考古学班が発掘を再開。
* [[1938年]] [[第二次世界大戦]]の為に中断。
* [[1950年]] シンシナティ大学の調査結果発表、46層位が確認された。
* [[1990年]] シンシナティ大学、[[ドイツ]]・[[トルコ]]の考古学者と共に発掘・整備。
== 世界遺産 ==
イリオスの遺跡は、1998年、「'''トロイの考古遺跡'''」として[[ユネスコ]]の[[世界遺産]]([[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]])に登録された。
=== 登録基準 ===
{{世界遺産基準|2|3|6}}
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* Henry George Liddell, Robert Scott, ''Greek-English Lexicon'', new edition, Oxford Univ Pr.
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Troy|トロイ}}
* [[トロイア戦争]]
* [[イーリアス]]
* [[オデュッセイア]]
* [[ハインリヒ・シュリーマン]]
* [[プリアモスの財宝]]
{{ギリシア神話}}
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[[Category:古代ギリシア]]
[[Category:ギリシア神話]]
[[Category:トルコの考古遺跡]]
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[[Category:チャナッカレ県]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%82%B9 |
7,045 | 行列 | 数学の線型代数学周辺分野における行列(ぎょうれつ、英: matrix)は、数や記号や式などを縦と横に矩形状に配列したものである。
横に並んだ一筋を行(row)、縦に並んだ一筋を列(column)と呼ぶ。
例えば、下記のような行列
[ 1 9 − 13 20 5 − 6 ] {\displaystyle {\begin{bmatrix}1&9&-13\\20&5&-6\end{bmatrix}}}
は2つの行と3つの列によって構成されているため、(2,3)型または2×3型の行列と呼ばれる。
書き並べられた要素は行列の成分と呼ばれ、行列の第 i 行目、j 列目の成分を特に行列の (i, j) 成分と言う。行列の (i, j) 成分はふつう ai j のように二つの添字を単に横並びに書くが、誤解を避けるために添字の間にコンマを入れることもある。また略式的に、行列 A の (i, j) 成分を指定するのに Ai j という記法を用いることもある。
行列の和は、行の数と列の数が同じ行列において、成分ごとの計算によって与えられる。
行列の積の計算はもっと複雑で、2つの行列がかけ合わせられるためには、積の左因子の列の数と右因子の行の数が一致していなければならない。
行列の応用として代表的なものは一次変換の表現で、これは f (x) = 4x のような一次関数を一般化したものである。例えば、三次元空間におけるベクトルの回転は一次変換にあたり、R が回転行列で v が空間の点の位置を表す列ベクトル(1 列しかない行列)であるとき、それらの積 Rv は回転後の点の位置を表す列ベクトルを表現している。また 2つの行列の積は、2つの一次変換の合成を表現するものとなる。
また、その他の応用としては、線型方程式系の解法が挙げられる。行列が正方行列であるとき、そのいくつかの性質は、行列式を計算することによって知ることができる。例えば、正方行列において、行列式の値が非零となることは、それが正則であるための必要十分条件である。固有値と固有ベクトルは一次変換の幾何学に対する洞察を与える。
行列の応用は科学的な分野の大半に及ぶ。
特に物理学において行列は、古典力学、光学、電磁気学、量子力学などにおける様々な物理現象のモデル化と研究に利用される。
運動学やロボット工学では座標変換や姿勢制御などに行列が使われる。特に同次座標(英語版)変換のため、2次元の座標変換では3×3行列が、3次元の座標変換では4×4行列が使われることが多い。コンピュータグラフィックスにも応用されている(後述)。
確率論や統計学、確率行列において行列は確率の組を表現するのに用いられ、例えば、これはGoogle検索におけるページランクのアルゴリズムで使われている。
行列の微積分(英語版)は、古典的な解析学における微分や指数関数の概念を高次元へ一般化するものである。
経済学では経済上の関係のシステムを説明するのに行列が用いられる。
行列計算の効率的なアルゴリズムの研究は数値解析における主要な分野であり、これは何世紀にもわたるもので、今日でも研究領域が広がっている。
行列の分解は、理論的にも実用的にも計算を簡単化するもので、そのアルゴリズムは正方行列や対角行列などといった行列の特定の構造に合わせて仕立てられており、有限要素法やそのほかの計算を効率的に処理させる。
惑星運動論や原子論では無限次行列が現れる。
無限次行列の簡単な例としては、関数のテイラー級数に対して作用する微分作用素を表す行列がある。
行列は数または数を表わす文字から成る要素 (英: element) を矩形状に書き並べて、大きな丸括弧(あるいは角括弧)で括った形に書かれる。ここで文字送りの方向(横)の並びを行 (英: row) といい、行送りの方向(縦)の並びを列 (英: column) と呼ぶ。例えば
は 2 つの行と 3 つの列を持つ行列である。行列自身は、ふつうはアルファベットの大文字イタリック(しばしば太字)で表し、その要素は対応する小文字に二つの添字を付けたもので表す(略式的に行列を表す大文字に添字を付けたものを用いることもあるが、その場合小行列の記号と紛らわしい)。つまり一般の m 行 n 列の行列を
のように書く。
書き並べられた要素は行列の成分 (英: entry, component) と呼ばれる。成分が取り得る値は(さまざまな対象を想定できるが)大抵の場合はある体または可換環 K の元であり、このとき K 上の行列 (英: matrix over K) という。特に、K が実数全体の成す体 R であるとき実行列と呼び、複素数全体の成す体 C のとき複素行列と呼ぶ。
一つの成分を特定するには、二つの添字が必要である。行列の第 i 行目、j 列目の成分を特に行列の (i, j) 成分と呼ぶ。例えば上記行列 A の (1, 2) 成分は a1 2 である。行列の (i, j) 成分はふつう ai j のように二つの添字を単に横並びに書くが、誤解を避けるために添字の間にコンマを入れることもある。例えば 1 行 11 列目の成分を a1,11 と書いてよい。また略式的には、行列 A の (i, j) 成分を指定するのに Ai j という記法を用いることがある。この場合、例えば積(後述)A B の (i, j) 成分を (A B)i j と指定したりできるので、これで記述の簡素化を図れる場合もある。
行列に含まれる行の数が m, 列の数が n である時に、その行列を m 行 n 列行列や m × n 行列、m n 行列などと呼ぶ。行列を構成する行の数と列の数の対を型 (英: type) あるいはサイズという。したがって m 行 n 列行列のことを (m, n) 型行列などと呼ぶこともある。K 上の m × n 行列の全体は K, K や Mat(m, n; K), Mm×n(K) などで表される。
1つの列を持つ行列を列ベクトル、1つの行をもつ行列を行ベクトルと呼ぶ。例えば行列
に対して、[a1 1a2 1] , [a1 2a2 2] はその列ベクトル、[a1 1 a1 2], [a2 1 a2 2] はその行ベクトルである。
行と列の数が同じである行列は正方行列と呼ばれる。無限の行または列をもつ行列を無限次行列と呼ぶ。プログラミングにおいて行または列を持たない行列を考えると便利となることがしばしばあるが、このような行列を空行列と呼ぶ。
行列は二重に添字づけられた族であり、添字の各対 (i, j) に成分 aij を割り当てる二変数写像
である。例えば添字の対 (1, 2) には写像の値として a12 が割り当てられる。値 aij は行列の i-行 j-列成分であるといい、m および n はそれぞれ行および列の数を意味する。写像としての行列の定義と行列が表す線型写像とを混同してはならない。
K に成分を持つ m × n 行列の全体は、したがって配置集合
であり、省略形として K(あるいはやや稀だが K)や M(m×n; K) などと書くことの一つの根拠になる。
行の数と列の数が一致するような行列は正方行列と呼ばれる。
ただ一つの列を持つ行列は列ベクトル、ただ一つの行を持つ行列は行ベクトルと呼ばれる。K のベクトルは、文脈によって行ベクトル空間 K または列ベクトル空間 K の元を表すのにも用いられる。
線型方程式の解法における応用に関して、行列は長い歴史を持つ。紀元前10世紀から紀元前2世紀の間に書かれた中国の書物『九章算術』は連立方程式の解法に行列を用いた最初の例であるといわれ、それには行列式の概念が含まれていた。1545年にイタリアの数学者ジェロラモ・カルダーノは『偉大なる術(アルス・マグナ)』を著し、この方法をヨーロッパに持ち込んだ。日本の関孝和は1683年に連立方程式の解法として同様に行列による方法を用いている。ドイツのヨハン・デ・ウィットは1659年の著書 Elements of Curves において行列の変形について説明している。1700年から1710年にかけてドイツのライプニッツは50以上の異なる体系を用いて行列の使い方を発表した。クラメルが有名な公式を生み出すのは1750年のことである。
行列論の初期においては、行列よりも行列式のほうに非常に重きが置かれており、行列式から離れて現代的な行列の概念と同種のものが浮き彫りにされるのは1858年、ケイリーの歴史的論文 Memoir on the theory of matrices(「行列論回想」)においてである。用語 "matrix"(ラテン語で「生み出すもの」の意味の語に由来)はシルベスターが導入した。シルベスターは行列を、(今日小行列式と呼ばれる)もとの行列から一部の行や列を取り除いて得られる小行列の行列式として、たくさんの行列式を生じるものとして理解していた。1851年の論文でシルベスターは
と説明している。 行列式の研究はいくつかの流れから生じてきたものである。数論的な問題はガウスが二次形式(つまり、 x 2 + x y − 2 y 2 {\displaystyle x^{2}+xy-2y^{2}} のような数式)の係数と三次元の線型写像を行列に結び付けたことに始まり、アイゼンシュタインがこれらの概念をさらに進めて、現代的な用語でいえば行列の積が非可換であることなどを指摘した。コーシーは行列 A = ( a i j ) {\displaystyle A=(a_{ij})} の行列式として、多項式
(ここで ∏ は条件を満たす項の総乗を表す)の冪 a jk を ajk で置き換えたものという定義を採用し、それを用いて行列式についての一般的な主張を証明した最初の人である。コーシーは1829年に、対称行列の固有値が全て実数であることも示している。ヤコビは、幾何学的変換の局所的あるいは無限小のレベルでの挙動を記述することができる関数行列式(後にシルベスターが「ヤコビ行列式」と呼んだ)の研究を行った。クロネッカーの Vorlesungen über die Theorie der Determinanten とワイエルシュトラスの Zur Determinantentheorie はともに1903年に出版された。前者は、それまでのコーシーの用いた公式のような具体的な手法とは反対に、行列式を公理的に扱ったものである。これを以って、行列式の概念がきっちりと確立されたと見なされている。
多くの定理は、初めて確立されたときには小さいサイズの行列に限った主張として示された。例えばケーリー=ハミルトンの定理は、ケイリーが先述の回想録において 2 × 2 行列に対して示し、ハミルトンが 4 × 4 行列に対して証明して、その後の1898年にフロベニウスが双線型形式についての研究の過程で任意次元に拡張した。また、19世紀の終わりに、(ガウスの消去法として今日知られるものを特別の場合として含む)ガウス–ジョルダン消去法をジョルダン(英語版)が確立し、20世紀の初頭には行列は線型代数学の中心的役割を果たすようになった。前世紀の超複素数系の分類にも行列の利用が部分的に貢献した。
ハイゼンベルク、ボルン、ジョルダンらによる行列力学の創始は、行または列の数が無限であるような行列の研究へ繋がるものであった。後にフォン・ノイマンは、(大体無限次元のユークリッド空間にあたる)ヒルベルト空間上の線型作用素などの関数解析学的な概念をさらに推し進めることにより、量子力学の数学的基礎を提示した。
二つの行列は、それが同じ型を持つならば互いに加えることができ、この算法を行列の加法、演算の結果を和と言う。異なる型の行列に対しては和は定義されない。つまり、m 行 n 列の行列同士の和を、成分ごとの和
で定める。
例えば
である。
線型代数学において成分はふつう(実数や複素数の全体のような)体であり、この場合の行列の加法は、結合的かつ可換であり、また単位元として零行列
を持つ。一般に、これらの三性質を満たす代数系に成分を持つ(同じ型の)行列の全体は、やはりこれらの性質を満たす。
行列の各成分に一つのスカラーを掛けることにより、任意の行列のスカラー倍
が定義される。例えば、
である。
スカラー乗法が意味を持つためには、スカラー λ と行列の成分が同じ環 (K, +, ·, 0) からとった元であるべきであり、このとき m × n 行列の全体 K は、左 K-加群(K が体ならばベクトル空間)になる。ベクトル空間(あるいは自由加群)としての K は m n 次元数ベクトル空間 K と同型である。
行列の積を初めて定義したのはケイリーである。行列の積は狭い意味での二項演算(即ち、台とする集合 X に対して X × X → X なる写像を定めるもの)ではない。l × m 行列 A と m × n 行列 B の積は l × n 行列となり、C = A B の (i, j) 成分 ci j は、
で与えられる。
例えば、
である。
正方行列に関して行列の乗法は特別な役割を持つ。環 R 上の正方行列全体 R は行列の加法と乗法に関して、ふたたび環を成すのである。環 R が単位的(つまり単位元 1 を持つ)ならば、単位行列
は行列の積に関する単位元となり、環 R もまた単位的となる。しかし、n > 1 のとき、この環は(基礎環 R が可換環であっても)可換環でない。
行列が区分行列に分解されるとき、そのような行列の積は、それらのブロックが適当なサイズならば、ブロック成分ごとに積を計算することができる。例えば
である。ここで E2 は二次の単位行列、右辺の 0 は全ての成分が 0R(基礎環 R の零元)であるような適当なサイズの行列である。
m × n 行列 A = [ai j] の転置とは n × m 行列 A = [aj i], 即ち
である。これはもとの行列の各列を各行に持つ行列であり、主対角成分 a1 1, a2 2, ... に関して折り返したものになっている。
転置行列は以下の計算規則に従う:
n × n 行列 A = [ai j] の行列式とは、
で定義される数である。これは行列の固有値の積と一致し、det(En) = 1, det(A B) = det(A) det(B) などが成り立つ。
行列 A のランクまたは階数とは、この行列の列ベクトルの中で線型独立なものの最大個数であり、また 行ベクトルの中で線型独立なものの最大個数とも等しい。あるいは A の表現する線型写像の像の次元と言っても同じである。階数・退化次数の定理は、行列の核に階数を加えると、その行列の列の数に等しいことを述べるものである。
n × n 行列 A = [ai j] のトレースまたは跡とは、その対角線上にある成分の和
のことである。これは tr(A B) = tr(B A) を満たし、行列のトレースはその固有値の和に等しい。
K-加群としての Mm×n(K) はまた、行列の積 A B のトレース
を内積に持つ。K = R のとき、これはユークリッドノルムを導き、Mm×n(R) は m n-次元ユークリッド空間 K になる。この内積空間において、対称行列全体の成す部分空間と歪対称行列全体の成す部分空間とは互いに直交する。即ち、A が対称, B が歪対称ならば ⟨A, B⟩ = 0 が成り立つ。同様に K = C の場合には、Mm×n(C) は
(ただし、上付きのバーは複素共軛)をエルミート内積として複素ユニタリ空間を成す(この内積をヒルベルト・シュミット内積と呼ぶ)。この内積はフロベニウスノルムを導き、Mm×n(C) はバナッハ空間となる。
任意の行列 B に対し、その成分をそれぞれの成分の加法逆元に全て取り換えた行列を −B と書けば、同じサイズの行列 A, B の和 A + (−B) を A − B と略記して差を定めることができる。より強く、スカラー乗法が定義される場合には、特にスカラー (−1)-倍は (−1)B = −B を満たすのだから、和とスカラー倍を使って差を定義することもできる。
とすればよい.
n × n の正方行列 A に対して行列のべき乗は A (ここで n は実数) と書かれる。
行列 A が対角化可能であれば、A = (PDP) = PDP として容易に計算できる。
v と w を n × 1 の列ベクトルとすると、v と w との間に行列の積は定義されないが、v w および v w は行列の積として定義することができる。前者は 1 × 1 行列であり、これをスカラーと解釈すれば、v と w との標準内積 ⟨v, w⟩ に他ならない。いっぽう後者は、階数 1 の n × n 行列で、v と w との二項積 v w あるいはテンソル積 v ⊗ w と呼ばれる。
可換環 K 上の m × n 行列の全体 Mm×n(K) は加法とスカラー倍について K-加群を成すばかりでなく、その上の三項演算
を定義することができる。これと同様の方法で得られる三重線型な三項系(三項積)の一般論は、ジョルダン環あるいはリー環の理論とかかわりを持つ。
以下のような計算は定義されないため実行してはならない。
行列を2つあるいは3つの行列の積に因数分解するには以下の方法が知られている。
行列とその乗法は、これを一次変換(つまり線型写像)と関連付けるとき、その本質的な特徴が浮き彫りになる。
このとき、行列 A は線型写像 f を表現すると言い、A を f の変換行列または表現行列と呼ぶ。
例えば 2 × 2 行列
は、単位正方形を (0, 0), (a, b), (a + c, b + d), (c, d) を頂点とする平行四辺形に写すものと見做すことができる。この平行四辺形は、単位正方形の頂点を成す四つの(列)ベクトル (00), (10), (11), (01) の各々に A を掛けることによって得られる。
この行列と線型写像との間の一対一対応のもとで、行列の乗法は写像の合成に対応する: 上記の A と f に加えて、k × m 行列 B が別の線型写像 g: R → R を表現するものならば、合成 g ∘ f は行列の積 BA で表現される。実際、
である。最後の等号は行列の積の結合性による。
行列の一般化の方向性はいくつか異なるものが存在する。抽象代数学では行列の成分をもっと一般の(可換とは限らない)体や環としたものを用いるし、線型代数学は線型写像の概念を機軸に行列の性質を体系化したものである。また行や列の数を無限に増やした行列というものを考えることもできる。他の拡張としてテンソルは、(行列が矩形状あるいは二次元の数の配列と見ることができるのに対して)数の配列を高次化したものと見ることもできるし、ベクトルの双対や数列として実現することもできるものである。適当な制約条件を満足する行列の集まりは、行列群あるいは線型代数群などと呼ばれる群を成す。
しばしば実または複素成分の行列に焦点を当てることもあるが、それ以外にももっと一般の種類の成分を持った行列を考えることができる。一般化の最初の段階として任意の体(すなわち四則演算が自由にできる集合、例えば R, C 以外に有理数体 Q や有限体 Fqなど)を成分として考える。例えば符号理論では有限体上の行列を利用する。どの体で考えるとしても、固有値は多項式の根として考えることができて、それは行列の係数体の拡大体の中に存在する。たとえば、実行列の場合は固有値は複素数である。ある行列の成分をより大きな体の元と解釈しなおすことはできる(例えば実行列を全ての成分が実数であるような複素行列とみることができる)から、そのような十分大きな体の中で任意の正方行列についてその固有値全てから成る集合を考えることができる。あるいは最初から、複素数体 C のような代数閉体に成分を持つような行列のみを考えるものとすることもできる。
もっと一般に、抽象代数学では環に成分を持つ行列というものが甚だ有用である。環は除法演算を持たない点において体よりも一般の概念である。この場合も、行列の加法と乗法はそのまままったく同じ物を使うことができる。R 上の n-次正方行列全体の成す集合 M(n, R) は全行列環と呼ばれる環であり、左 R-加群 R の自己準同型環に同型である。環 R が可換環、すなわちその乗法が可換律を満たすならば、全行列環 M(n, R) は(n = 1 でない限り)非可換な R 上の単位的結合多元環となる。可換環 R 上の正方行列の行列式はライプニッツの公式を用いて定義することができて、可換環 R 上の正方行列が可逆であることの必要十分条件をその行列式が R の可逆元であることと述べることができる(これは零元でない任意の元が可逆元であった体の場合の一般化になっている)。超環(英語版)上の行列は超行列(英語版)と呼ばれる。
行列の成分が必ずしもすべて同じ環に属するというわけではない(し、すべてが全く別の環に成分を持つというわけでもない)。一つの特別な、しかしよく用いられる場合として、成分自体が行列となっているような行列と見なすこともできる区分行列が挙げられる。その成分は二次元的な行列である必要はないし、また通常の環の元である必要もないが、その大きさに関しては適当な両立条件を満足するものでなければならない。
線型写像 R → R は既に述べたように m × n 行列と等価である。一般に有限次元ベクトル空間の間の線型写像 f: V → W は(V の次元を n, W の次元を m として) V の基底 v1, ..., vn と W の基底 w1, ..., wm を選べば
を満たす行列 A = (aij) によって記述することができる。言い換えれば、 A の第 j-列は基底ベクトル vj の像を W の基底 {wi} に関して表したものになっている。従ってこのような関係は行列 A の成分から一意的に定まる。注意すべきは線型写像を表す行列は基底の取り方に依存することである。基底の取り方を変えれば別な行列が生じるが、それはもとの行列と同値になる。既に述べた具体的な概念の多くはこの方法を通して解釈しなおすことができる。例えば転置行列 A は A の定める線型写像の転置写像を、双対基底に関して記述するものである。。
より一般に、m × n 行列全体の成す集合は、勝手な単位的環 R に対して自由加群 R および R の間の R-線型写像を表すのに利用することができる。n = m のとき、そのような写像の合成を定義することができて、n-次正方行列全体の成す全行列環が、R の自己準同型環を表現するものとして生じる。
群というのは集合と二項演算(つまり、任意の二つの対象を結合して第三の対象を作る操作)からなる数学的構造で、適当な条件を満たすものである。行列をその元とし、行列の積を群演算とするような群は、行列群または線型代数群と呼ばれる。群の任意の元は可逆であるから、最も一般の行列群は与えられたサイズの可逆行列全体の成す群 GLn であり、一般線型群と呼ばれる。
行列の性質のうちで積と反転に関して保たれるものを用いると、さらに別の行列群を定義することもできる。例えば、与えられたサイズの行列式が 1 であるような行列の全体は、同じサイズの一般線型群に含まれる部分群となり、特殊線型群 SLn と呼ばれる。また、条件
で定まる直交行列の全体は直交群 O(n) を成す。「直交」の名は、対応する R の線型変換が、M を掛ける操作で二つのベクトルの内積を変えない
という意味で角を保つことに由来する。 任意の有限群は何らかの行列群同型である。なんとなれば対称群の正則表現を考えればよい。故に、表現論の意味で、一般の群を比較的よくわかっている行列群を用いて調べることができる。
行または列の数を無限にした行列と呼べるようなものも考えることができるが、そのようなものを陽なかたちに書き記すことはできないので、行を添字付ける集合と列を添字付ける集合を用意して(添字集合は必ずしも自然数から成るものでなくてよい)、それらの各元に対して行列の成分が矛盾無く定義されるという方法で扱うことになる。このとき、和・差、スカラー倍、転置といった基本演算については問題なく定義されるが、行列の乗法に関してはその成分が無限和として与えられることになり、これは(適当な制約条件を抜きにしては)一般には定義されない。
R を任意の単位的環とすれば、右 R-加群としての M = ⨁ i ∈ I R {\displaystyle \textstyle M=\bigoplus _{i\in I}R} の自己準同型環は、I × I で添字付けられ、各列の非零成分の数が有限個であるような列有限行列の環 CFMI(R) に同型である。これと対応するものとして、左 R-加群としての M の自己準同型環を考えれば、同様に各行の非零成分の数が有限な行有限行列の環 RFMI(R) が得られる。
無限次元行列を線型写像を記述するのに用いるならば、次に述べるような理由から、その各列ベクトルが有限個の例外を除いて全ての成分が 0 となるものとならなければ無用である。A が適当な基底に関して線型写像 f: V → W を表現するものとすると、それは定義により、空間の任意のベクトルを基底ベクトルの(有限)線型結合として一意に表すことによって与えられるのであるから、従って(列)ベクトル v の成分 vi で非零となるものは有限個に限られる。また、A の各列は V の各基底ベクトルの f による像を W の基底に関して表したものとなっているから、これが意味を持つのはこれらの列ベクトルの非零成分が有限個である場合に限る。しかし一方で、A の行に関しては何の制約もない。事実、v の非零成分が有限個であるならば、積 Av はその各成分が見かけ上無限和の形で与えられるとしても、実際にはそれは非零の項が有限個しかないから、間違いなく決定することができる。さらに言えば、これは A の実質的に有限個の列の線型結合を成すことになり、また各列の非零成分は有限個だから結果として得られる和も非零成分が有限個になる。(通常は、行と列が同じ集合で添字付けられるような)与えられた型の二つの行列の積は矛盾無く定義できて、もとと同じ型を持ち、線型写像の合成に対応することも確認できる。
R がノルム環ならば、行または列に関する有限性条件を緩めることができる。すなわち、有限和の代わりに、そのノルムに関する絶対収束級数を考えればよい。例えば、列和が絶対収束列となるような行列の全体は環を成す。もちろん同様に、行和が絶対収束列となるような行列の全体も環を成す。
この文脈では、収束して連続的な問題を生じ、適当な制約条件を満たすような無限次行列はヒルベルト空間上の作用素を記述するものとして利用することができる。しかし、このようなやり方は行列としての陽な観点は曖昧になりがちであり、むしろその代わりに関数解析学の抽象的でより強力な手法が利用できる。
空行列は行または列(あるいはその両方)の数が 0 であるような行列をいう。零ベクトル空間を含めて写像を考える場合に、空行列は役に立つ。例えば、A が 3 × 0 行列で B が 0 × 3 行列ならば、積 AB は三次元空間 V からそれ自身への空写像に対応する 3 × 3 零行列である。空行列を表す記号というのは特に定まってはいないが、多くの数式処理システムでは空行列を作成したり空行列に関する計算をしたりすることができる。0 × 0 行列の行列式は 1 と定義される。これは行列式に関するライプニッツの公式(置換に関する和として表す公式)が空積となり、それは通常 1 であることによる。またこのことは、任意の有限次元空間における恒等変換(に対応する行列)の行列式が 1 であるという事実とも整合する。
行列は数学と科学における数多くの場面で応用される。そのうちのいくつかは単に行列における数字の組を簡潔に表現するために利用させる。例えば、ゲーム理論や経済学における利得行列は2人のプレイヤーの利得を符号化する。
複素数は2×2の実行列で
a + i b ↔ [ a − b b a ] {\displaystyle a+ib\leftrightarrow {\begin{bmatrix}a&-b\\b&a\end{bmatrix}}}
のように表現することで複素数と行列における和と積をそれぞれ対応させることが可能となる。例えば2×2の回転行列は絶対値が1である複素数の乗算を表す。これと同じような解釈は一般に四元数やクリフォード代数においても可能である。
運動学やロボット工学の分野では、2次元または3次元空間における物体の位置や姿勢(回転角)を表現するのに行列が用いられ、ベクトルおよびクォータニオン(四元数)とともに姿勢制御に応用されている。任意のオイラー角は回転行列の積で表現できる。また、同次座標(英語版)系での座標変換を導入するために、2次元ベクトルを座標変換する際は同次座標を追加した3次元ベクトルと3×3行列の積が、3次元ベクトルを座標変換する際は同次座標を追加した4次元ベクトルと4×4行列の積が使用される。コンピュータグラフィックスでも、アフィン変換を使って2次元平面上の図形を平行移動・回転・拡大縮小・せん断変形したり、ポリゴンメッシュや自由曲面を使って仮想空間上に物体を表現する際、物体を構成する頂点集合の位置や姿勢を表したり、カメラの画角を表現したり、3次元空間上のモデルを正規化デバイス座標系や2次元のスクリーン座標系に投影したりするのに行列が使われている。
ヒル暗号のような初期の暗号技術においても行列は用いられる。しかし、行列の線型性によって、このような暗号はかなり簡単に突破されてしまう。
多項式環における行列は制御理論を学ぶ際に重要となる。
有限グラフの隣接行列はグラフ理論における基本的な概念である。これは枝によって繋がれたグラフの頂点を表す。また、距離行列は頂点間の距離に関する情報を含む。このような概念はハイパーリンクによって繋がれたウェブサイトや道路で繋がれた都市といった場面で応用することができる。このようなことからネットワーク理論においても行列は用いられることとなる。
微分可能関数ƒ: R → Rのヘッセ行列はƒの二階導関数によって
のようになる。これは関数の局所的な状態に関する情報を符号化したものである。 | [
{
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"text": "数学の線型代数学周辺分野における行列(ぎょうれつ、英: matrix)は、数や記号や式などを縦と横に矩形状に配列したものである。",
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"text": "横に並んだ一筋を行(row)、縦に並んだ一筋を列(column)と呼ぶ。",
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"text": "例えば、下記のような行列",
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"text": "[ 1 9 − 13 20 5 − 6 ] {\\displaystyle {\\begin{bmatrix}1&9&-13\\\\20&5&-6\\end{bmatrix}}}",
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},
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"text": "は2つの行と3つの列によって構成されているため、(2,3)型または2×3型の行列と呼ばれる。",
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"text": "書き並べられた要素は行列の成分と呼ばれ、行列の第 i 行目、j 列目の成分を特に行列の (i, j) 成分と言う。行列の (i, j) 成分はふつう ai j のように二つの添字を単に横並びに書くが、誤解を避けるために添字の間にコンマを入れることもある。また略式的に、行列 A の (i, j) 成分を指定するのに Ai j という記法を用いることもある。",
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},
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"text": "行列の和は、行の数と列の数が同じ行列において、成分ごとの計算によって与えられる。",
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"text": "行列の積の計算はもっと複雑で、2つの行列がかけ合わせられるためには、積の左因子の列の数と右因子の行の数が一致していなければならない。",
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"text": "行列の応用として代表的なものは一次変換の表現で、これは f (x) = 4x のような一次関数を一般化したものである。例えば、三次元空間におけるベクトルの回転は一次変換にあたり、R が回転行列で v が空間の点の位置を表す列ベクトル(1 列しかない行列)であるとき、それらの積 Rv は回転後の点の位置を表す列ベクトルを表現している。また 2つの行列の積は、2つの一次変換の合成を表現するものとなる。",
"title": "概要"
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"text": "また、その他の応用としては、線型方程式系の解法が挙げられる。行列が正方行列であるとき、そのいくつかの性質は、行列式を計算することによって知ることができる。例えば、正方行列において、行列式の値が非零となることは、それが正則であるための必要十分条件である。固有値と固有ベクトルは一次変換の幾何学に対する洞察を与える。",
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"text": "行列の応用は科学的な分野の大半に及ぶ。",
"title": "概要"
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"text": "特に物理学において行列は、古典力学、光学、電磁気学、量子力学などにおける様々な物理現象のモデル化と研究に利用される。",
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},
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"text": "運動学やロボット工学では座標変換や姿勢制御などに行列が使われる。特に同次座標(英語版)変換のため、2次元の座標変換では3×3行列が、3次元の座標変換では4×4行列が使われることが多い。コンピュータグラフィックスにも応用されている(後述)。",
"title": "概要"
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"text": "確率論や統計学、確率行列において行列は確率の組を表現するのに用いられ、例えば、これはGoogle検索におけるページランクのアルゴリズムで使われている。",
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"text": "行列の微積分(英語版)は、古典的な解析学における微分や指数関数の概念を高次元へ一般化するものである。",
"title": "概要"
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"text": "経済学では経済上の関係のシステムを説明するのに行列が用いられる。",
"title": "概要"
},
{
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"text": "行列計算の効率的なアルゴリズムの研究は数値解析における主要な分野であり、これは何世紀にもわたるもので、今日でも研究領域が広がっている。",
"title": "概要"
},
{
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"text": "行列の分解は、理論的にも実用的にも計算を簡単化するもので、そのアルゴリズムは正方行列や対角行列などといった行列の特定の構造に合わせて仕立てられており、有限要素法やそのほかの計算を効率的に処理させる。",
"title": "概要"
},
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"text": "惑星運動論や原子論では無限次行列が現れる。",
"title": "概要"
},
{
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"text": "無限次行列の簡単な例としては、関数のテイラー級数に対して作用する微分作用素を表す行列がある。",
"title": "概要"
},
{
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"text": "行列は数または数を表わす文字から成る要素 (英: element) を矩形状に書き並べて、大きな丸括弧(あるいは角括弧)で括った形に書かれる。ここで文字送りの方向(横)の並びを行 (英: row) といい、行送りの方向(縦)の並びを列 (英: column) と呼ぶ。例えば",
"title": "素朴な定義"
},
{
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"tag": "p",
"text": "は 2 つの行と 3 つの列を持つ行列である。行列自身は、ふつうはアルファベットの大文字イタリック(しばしば太字)で表し、その要素は対応する小文字に二つの添字を付けたもので表す(略式的に行列を表す大文字に添字を付けたものを用いることもあるが、その場合小行列の記号と紛らわしい)。つまり一般の m 行 n 列の行列を",
"title": "素朴な定義"
},
{
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"text": "のように書く。",
"title": "素朴な定義"
},
{
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"text": "書き並べられた要素は行列の成分 (英: entry, component) と呼ばれる。成分が取り得る値は(さまざまな対象を想定できるが)大抵の場合はある体または可換環 K の元であり、このとき K 上の行列 (英: matrix over K) という。特に、K が実数全体の成す体 R であるとき実行列と呼び、複素数全体の成す体 C のとき複素行列と呼ぶ。",
"title": "素朴な定義"
},
{
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"text": "一つの成分を特定するには、二つの添字が必要である。行列の第 i 行目、j 列目の成分を特に行列の (i, j) 成分と呼ぶ。例えば上記行列 A の (1, 2) 成分は a1 2 である。行列の (i, j) 成分はふつう ai j のように二つの添字を単に横並びに書くが、誤解を避けるために添字の間にコンマを入れることもある。例えば 1 行 11 列目の成分を a1,11 と書いてよい。また略式的には、行列 A の (i, j) 成分を指定するのに Ai j という記法を用いることがある。この場合、例えば積(後述)A B の (i, j) 成分を (A B)i j と指定したりできるので、これで記述の簡素化を図れる場合もある。",
"title": "素朴な定義"
},
{
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"text": "行列に含まれる行の数が m, 列の数が n である時に、その行列を m 行 n 列行列や m × n 行列、m n 行列などと呼ぶ。行列を構成する行の数と列の数の対を型 (英: type) あるいはサイズという。したがって m 行 n 列行列のことを (m, n) 型行列などと呼ぶこともある。K 上の m × n 行列の全体は K, K や Mat(m, n; K), Mm×n(K) などで表される。",
"title": "素朴な定義"
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"text": "1つの列を持つ行列を列ベクトル、1つの行をもつ行列を行ベクトルと呼ぶ。例えば行列",
"title": "素朴な定義"
},
{
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"tag": "p",
"text": "に対して、[a1 1a2 1] , [a1 2a2 2] はその列ベクトル、[a1 1 a1 2], [a2 1 a2 2] はその行ベクトルである。",
"title": "素朴な定義"
},
{
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"text": "行と列の数が同じである行列は正方行列と呼ばれる。無限の行または列をもつ行列を無限次行列と呼ぶ。プログラミングにおいて行または列を持たない行列を考えると便利となることがしばしばあるが、このような行列を空行列と呼ぶ。",
"title": "素朴な定義"
},
{
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"text": "行列は二重に添字づけられた族であり、添字の各対 (i, j) に成分 aij を割り当てる二変数写像",
"title": "厳密な定義"
},
{
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"tag": "p",
"text": "である。例えば添字の対 (1, 2) には写像の値として a12 が割り当てられる。値 aij は行列の i-行 j-列成分であるといい、m および n はそれぞれ行および列の数を意味する。写像としての行列の定義と行列が表す線型写像とを混同してはならない。",
"title": "厳密な定義"
},
{
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"tag": "p",
"text": "K に成分を持つ m × n 行列の全体は、したがって配置集合",
"title": "厳密な定義"
},
{
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"tag": "p",
"text": "であり、省略形として K(あるいはやや稀だが K)や M(m×n; K) などと書くことの一つの根拠になる。",
"title": "厳密な定義"
},
{
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"tag": "p",
"text": "行の数と列の数が一致するような行列は正方行列と呼ばれる。",
"title": "厳密な定義"
},
{
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"text": "ただ一つの列を持つ行列は列ベクトル、ただ一つの行を持つ行列は行ベクトルと呼ばれる。K のベクトルは、文脈によって行ベクトル空間 K または列ベクトル空間 K の元を表すのにも用いられる。",
"title": "厳密な定義"
},
{
"paragraph_id": 35,
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"text": "線型方程式の解法における応用に関して、行列は長い歴史を持つ。紀元前10世紀から紀元前2世紀の間に書かれた中国の書物『九章算術』は連立方程式の解法に行列を用いた最初の例であるといわれ、それには行列式の概念が含まれていた。1545年にイタリアの数学者ジェロラモ・カルダーノは『偉大なる術(アルス・マグナ)』を著し、この方法をヨーロッパに持ち込んだ。日本の関孝和は1683年に連立方程式の解法として同様に行列による方法を用いている。ドイツのヨハン・デ・ウィットは1659年の著書 Elements of Curves において行列の変形について説明している。1700年から1710年にかけてドイツのライプニッツは50以上の異なる体系を用いて行列の使い方を発表した。クラメルが有名な公式を生み出すのは1750年のことである。",
"title": "歴史"
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"text": "行列論の初期においては、行列よりも行列式のほうに非常に重きが置かれており、行列式から離れて現代的な行列の概念と同種のものが浮き彫りにされるのは1858年、ケイリーの歴史的論文 Memoir on the theory of matrices(「行列論回想」)においてである。用語 \"matrix\"(ラテン語で「生み出すもの」の意味の語に由来)はシルベスターが導入した。シルベスターは行列を、(今日小行列式と呼ばれる)もとの行列から一部の行や列を取り除いて得られる小行列の行列式として、たくさんの行列式を生じるものとして理解していた。1851年の論文でシルベスターは",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "と説明している。 行列式の研究はいくつかの流れから生じてきたものである。数論的な問題はガウスが二次形式(つまり、 x 2 + x y − 2 y 2 {\\displaystyle x^{2}+xy-2y^{2}} のような数式)の係数と三次元の線型写像を行列に結び付けたことに始まり、アイゼンシュタインがこれらの概念をさらに進めて、現代的な用語でいえば行列の積が非可換であることなどを指摘した。コーシーは行列 A = ( a i j ) {\\displaystyle A=(a_{ij})} の行列式として、多項式",
"title": "歴史"
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"text": "(ここで ∏ は条件を満たす項の総乗を表す)の冪 a jk を ajk で置き換えたものという定義を採用し、それを用いて行列式についての一般的な主張を証明した最初の人である。コーシーは1829年に、対称行列の固有値が全て実数であることも示している。ヤコビは、幾何学的変換の局所的あるいは無限小のレベルでの挙動を記述することができる関数行列式(後にシルベスターが「ヤコビ行列式」と呼んだ)の研究を行った。クロネッカーの Vorlesungen über die Theorie der Determinanten とワイエルシュトラスの Zur Determinantentheorie はともに1903年に出版された。前者は、それまでのコーシーの用いた公式のような具体的な手法とは反対に、行列式を公理的に扱ったものである。これを以って、行列式の概念がきっちりと確立されたと見なされている。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 39,
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"text": "多くの定理は、初めて確立されたときには小さいサイズの行列に限った主張として示された。例えばケーリー=ハミルトンの定理は、ケイリーが先述の回想録において 2 × 2 行列に対して示し、ハミルトンが 4 × 4 行列に対して証明して、その後の1898年にフロベニウスが双線型形式についての研究の過程で任意次元に拡張した。また、19世紀の終わりに、(ガウスの消去法として今日知られるものを特別の場合として含む)ガウス–ジョルダン消去法をジョルダン(英語版)が確立し、20世紀の初頭には行列は線型代数学の中心的役割を果たすようになった。前世紀の超複素数系の分類にも行列の利用が部分的に貢献した。",
"title": "歴史"
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"text": "ハイゼンベルク、ボルン、ジョルダンらによる行列力学の創始は、行または列の数が無限であるような行列の研究へ繋がるものであった。後にフォン・ノイマンは、(大体無限次元のユークリッド空間にあたる)ヒルベルト空間上の線型作用素などの関数解析学的な概念をさらに推し進めることにより、量子力学の数学的基礎を提示した。",
"title": "歴史"
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"text": "二つの行列は、それが同じ型を持つならば互いに加えることができ、この算法を行列の加法、演算の結果を和と言う。異なる型の行列に対しては和は定義されない。つまり、m 行 n 列の行列同士の和を、成分ごとの和",
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"text": "で定める。",
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"text": "例えば",
"title": "行列の演算"
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"text": "である。",
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"text": "線型代数学において成分はふつう(実数や複素数の全体のような)体であり、この場合の行列の加法は、結合的かつ可換であり、また単位元として零行列",
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"text": "を持つ。一般に、これらの三性質を満たす代数系に成分を持つ(同じ型の)行列の全体は、やはりこれらの性質を満たす。",
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"text": "行列の各成分に一つのスカラーを掛けることにより、任意の行列のスカラー倍",
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"text": "が定義される。例えば、",
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},
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"tag": "p",
"text": "である。",
"title": "行列の演算"
},
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"text": "スカラー乗法が意味を持つためには、スカラー λ と行列の成分が同じ環 (K, +, ·, 0) からとった元であるべきであり、このとき m × n 行列の全体 K は、左 K-加群(K が体ならばベクトル空間)になる。ベクトル空間(あるいは自由加群)としての K は m n 次元数ベクトル空間 K と同型である。",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "行列の積を初めて定義したのはケイリーである。行列の積は狭い意味での二項演算(即ち、台とする集合 X に対して X × X → X なる写像を定めるもの)ではない。l × m 行列 A と m × n 行列 B の積は l × n 行列となり、C = A B の (i, j) 成分 ci j は、",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "で与えられる。",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "例えば、",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "である。",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "正方行列に関して行列の乗法は特別な役割を持つ。環 R 上の正方行列全体 R は行列の加法と乗法に関して、ふたたび環を成すのである。環 R が単位的(つまり単位元 1 を持つ)ならば、単位行列",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "は行列の積に関する単位元となり、環 R もまた単位的となる。しかし、n > 1 のとき、この環は(基礎環 R が可換環であっても)可換環でない。",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "行列が区分行列に分解されるとき、そのような行列の積は、それらのブロックが適当なサイズならば、ブロック成分ごとに積を計算することができる。例えば",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "である。ここで E2 は二次の単位行列、右辺の 0 は全ての成分が 0R(基礎環 R の零元)であるような適当なサイズの行列である。",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "m × n 行列 A = [ai j] の転置とは n × m 行列 A = [aj i], 即ち",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "である。これはもとの行列の各列を各行に持つ行列であり、主対角成分 a1 1, a2 2, ... に関して折り返したものになっている。",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "転置行列は以下の計算規則に従う:",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "n × n 行列 A = [ai j] の行列式とは、",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "で定義される数である。これは行列の固有値の積と一致し、det(En) = 1, det(A B) = det(A) det(B) などが成り立つ。",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "行列 A のランクまたは階数とは、この行列の列ベクトルの中で線型独立なものの最大個数であり、また 行ベクトルの中で線型独立なものの最大個数とも等しい。あるいは A の表現する線型写像の像の次元と言っても同じである。階数・退化次数の定理は、行列の核に階数を加えると、その行列の列の数に等しいことを述べるものである。",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "n × n 行列 A = [ai j] のトレースまたは跡とは、その対角線上にある成分の和",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "のことである。これは tr(A B) = tr(B A) を満たし、行列のトレースはその固有値の和に等しい。",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "K-加群としての Mm×n(K) はまた、行列の積 A B のトレース",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "を内積に持つ。K = R のとき、これはユークリッドノルムを導き、Mm×n(R) は m n-次元ユークリッド空間 K になる。この内積空間において、対称行列全体の成す部分空間と歪対称行列全体の成す部分空間とは互いに直交する。即ち、A が対称, B が歪対称ならば ⟨A, B⟩ = 0 が成り立つ。同様に K = C の場合には、Mm×n(C) は",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "(ただし、上付きのバーは複素共軛)をエルミート内積として複素ユニタリ空間を成す(この内積をヒルベルト・シュミット内積と呼ぶ)。この内積はフロベニウスノルムを導き、Mm×n(C) はバナッハ空間となる。",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "任意の行列 B に対し、その成分をそれぞれの成分の加法逆元に全て取り換えた行列を −B と書けば、同じサイズの行列 A, B の和 A + (−B) を A − B と略記して差を定めることができる。より強く、スカラー乗法が定義される場合には、特にスカラー (−1)-倍は (−1)B = −B を満たすのだから、和とスカラー倍を使って差を定義することもできる。",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "とすればよい.",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "n × n の正方行列 A に対して行列のべき乗は A (ここで n は実数) と書かれる。",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "行列 A が対角化可能であれば、A = (PDP) = PDP として容易に計算できる。",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "v と w を n × 1 の列ベクトルとすると、v と w との間に行列の積は定義されないが、v w および v w は行列の積として定義することができる。前者は 1 × 1 行列であり、これをスカラーと解釈すれば、v と w との標準内積 ⟨v, w⟩ に他ならない。いっぽう後者は、階数 1 の n × n 行列で、v と w との二項積 v w あるいはテンソル積 v ⊗ w と呼ばれる。",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "可換環 K 上の m × n 行列の全体 Mm×n(K) は加法とスカラー倍について K-加群を成すばかりでなく、その上の三項演算",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "を定義することができる。これと同様の方法で得られる三重線型な三項系(三項積)の一般論は、ジョルダン環あるいはリー環の理論とかかわりを持つ。",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "以下のような計算は定義されないため実行してはならない。",
"title": "行列の演算"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "行列を2つあるいは3つの行列の積に因数分解するには以下の方法が知られている。",
"title": "行列の分解"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "行列とその乗法は、これを一次変換(つまり線型写像)と関連付けるとき、その本質的な特徴が浮き彫りになる。",
"title": "線型写像"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "このとき、行列 A は線型写像 f を表現すると言い、A を f の変換行列または表現行列と呼ぶ。",
"title": "線型写像"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "例えば 2 × 2 行列",
"title": "線型写像"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "は、単位正方形を (0, 0), (a, b), (a + c, b + d), (c, d) を頂点とする平行四辺形に写すものと見做すことができる。この平行四辺形は、単位正方形の頂点を成す四つの(列)ベクトル (00), (10), (11), (01) の各々に A を掛けることによって得られる。",
"title": "線型写像"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "この行列と線型写像との間の一対一対応のもとで、行列の乗法は写像の合成に対応する: 上記の A と f に加えて、k × m 行列 B が別の線型写像 g: R → R を表現するものならば、合成 g ∘ f は行列の積 BA で表現される。実際、",
"title": "線型写像"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "である。最後の等号は行列の積の結合性による。",
"title": "線型写像"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "行列の一般化の方向性はいくつか異なるものが存在する。抽象代数学では行列の成分をもっと一般の(可換とは限らない)体や環としたものを用いるし、線型代数学は線型写像の概念を機軸に行列の性質を体系化したものである。また行や列の数を無限に増やした行列というものを考えることもできる。他の拡張としてテンソルは、(行列が矩形状あるいは二次元の数の配列と見ることができるのに対して)数の配列を高次化したものと見ることもできるし、ベクトルの双対や数列として実現することもできるものである。適当な制約条件を満足する行列の集まりは、行列群あるいは線型代数群などと呼ばれる群を成す。",
"title": "行列の抽象代数的側面と一般化"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "しばしば実または複素成分の行列に焦点を当てることもあるが、それ以外にももっと一般の種類の成分を持った行列を考えることができる。一般化の最初の段階として任意の体(すなわち四則演算が自由にできる集合、例えば R, C 以外に有理数体 Q や有限体 Fqなど)を成分として考える。例えば符号理論では有限体上の行列を利用する。どの体で考えるとしても、固有値は多項式の根として考えることができて、それは行列の係数体の拡大体の中に存在する。たとえば、実行列の場合は固有値は複素数である。ある行列の成分をより大きな体の元と解釈しなおすことはできる(例えば実行列を全ての成分が実数であるような複素行列とみることができる)から、そのような十分大きな体の中で任意の正方行列についてその固有値全てから成る集合を考えることができる。あるいは最初から、複素数体 C のような代数閉体に成分を持つような行列のみを考えるものとすることもできる。",
"title": "行列の抽象代数的側面と一般化"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "もっと一般に、抽象代数学では環に成分を持つ行列というものが甚だ有用である。環は除法演算を持たない点において体よりも一般の概念である。この場合も、行列の加法と乗法はそのまままったく同じ物を使うことができる。R 上の n-次正方行列全体の成す集合 M(n, R) は全行列環と呼ばれる環であり、左 R-加群 R の自己準同型環に同型である。環 R が可換環、すなわちその乗法が可換律を満たすならば、全行列環 M(n, R) は(n = 1 でない限り)非可換な R 上の単位的結合多元環となる。可換環 R 上の正方行列の行列式はライプニッツの公式を用いて定義することができて、可換環 R 上の正方行列が可逆であることの必要十分条件をその行列式が R の可逆元であることと述べることができる(これは零元でない任意の元が可逆元であった体の場合の一般化になっている)。超環(英語版)上の行列は超行列(英語版)と呼ばれる。",
"title": "行列の抽象代数的側面と一般化"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "行列の成分が必ずしもすべて同じ環に属するというわけではない(し、すべてが全く別の環に成分を持つというわけでもない)。一つの特別な、しかしよく用いられる場合として、成分自体が行列となっているような行列と見なすこともできる区分行列が挙げられる。その成分は二次元的な行列である必要はないし、また通常の環の元である必要もないが、その大きさに関しては適当な両立条件を満足するものでなければならない。",
"title": "行列の抽象代数的側面と一般化"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "線型写像 R → R は既に述べたように m × n 行列と等価である。一般に有限次元ベクトル空間の間の線型写像 f: V → W は(V の次元を n, W の次元を m として) V の基底 v1, ..., vn と W の基底 w1, ..., wm を選べば",
"title": "行列の抽象代数的側面と一般化"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "を満たす行列 A = (aij) によって記述することができる。言い換えれば、 A の第 j-列は基底ベクトル vj の像を W の基底 {wi} に関して表したものになっている。従ってこのような関係は行列 A の成分から一意的に定まる。注意すべきは線型写像を表す行列は基底の取り方に依存することである。基底の取り方を変えれば別な行列が生じるが、それはもとの行列と同値になる。既に述べた具体的な概念の多くはこの方法を通して解釈しなおすことができる。例えば転置行列 A は A の定める線型写像の転置写像を、双対基底に関して記述するものである。。",
"title": "行列の抽象代数的側面と一般化"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "より一般に、m × n 行列全体の成す集合は、勝手な単位的環 R に対して自由加群 R および R の間の R-線型写像を表すのに利用することができる。n = m のとき、そのような写像の合成を定義することができて、n-次正方行列全体の成す全行列環が、R の自己準同型環を表現するものとして生じる。",
"title": "行列の抽象代数的側面と一般化"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "群というのは集合と二項演算(つまり、任意の二つの対象を結合して第三の対象を作る操作)からなる数学的構造で、適当な条件を満たすものである。行列をその元とし、行列の積を群演算とするような群は、行列群または線型代数群と呼ばれる。群の任意の元は可逆であるから、最も一般の行列群は与えられたサイズの可逆行列全体の成す群 GLn であり、一般線型群と呼ばれる。",
"title": "行列の抽象代数的側面と一般化"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "行列の性質のうちで積と反転に関して保たれるものを用いると、さらに別の行列群を定義することもできる。例えば、与えられたサイズの行列式が 1 であるような行列の全体は、同じサイズの一般線型群に含まれる部分群となり、特殊線型群 SLn と呼ばれる。また、条件",
"title": "行列の抽象代数的側面と一般化"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "で定まる直交行列の全体は直交群 O(n) を成す。「直交」の名は、対応する R の線型変換が、M を掛ける操作で二つのベクトルの内積を変えない",
"title": "行列の抽象代数的側面と一般化"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "という意味で角を保つことに由来する。 任意の有限群は何らかの行列群同型である。なんとなれば対称群の正則表現を考えればよい。故に、表現論の意味で、一般の群を比較的よくわかっている行列群を用いて調べることができる。",
"title": "行列の抽象代数的側面と一般化"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "行または列の数を無限にした行列と呼べるようなものも考えることができるが、そのようなものを陽なかたちに書き記すことはできないので、行を添字付ける集合と列を添字付ける集合を用意して(添字集合は必ずしも自然数から成るものでなくてよい)、それらの各元に対して行列の成分が矛盾無く定義されるという方法で扱うことになる。このとき、和・差、スカラー倍、転置といった基本演算については問題なく定義されるが、行列の乗法に関してはその成分が無限和として与えられることになり、これは(適当な制約条件を抜きにしては)一般には定義されない。",
"title": "行列の抽象代数的側面と一般化"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "R を任意の単位的環とすれば、右 R-加群としての M = ⨁ i ∈ I R {\\displaystyle \\textstyle M=\\bigoplus _{i\\in I}R} の自己準同型環は、I × I で添字付けられ、各列の非零成分の数が有限個であるような列有限行列の環 CFMI(R) に同型である。これと対応するものとして、左 R-加群としての M の自己準同型環を考えれば、同様に各行の非零成分の数が有限な行有限行列の環 RFMI(R) が得られる。",
"title": "行列の抽象代数的側面と一般化"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "無限次元行列を線型写像を記述するのに用いるならば、次に述べるような理由から、その各列ベクトルが有限個の例外を除いて全ての成分が 0 となるものとならなければ無用である。A が適当な基底に関して線型写像 f: V → W を表現するものとすると、それは定義により、空間の任意のベクトルを基底ベクトルの(有限)線型結合として一意に表すことによって与えられるのであるから、従って(列)ベクトル v の成分 vi で非零となるものは有限個に限られる。また、A の各列は V の各基底ベクトルの f による像を W の基底に関して表したものとなっているから、これが意味を持つのはこれらの列ベクトルの非零成分が有限個である場合に限る。しかし一方で、A の行に関しては何の制約もない。事実、v の非零成分が有限個であるならば、積 Av はその各成分が見かけ上無限和の形で与えられるとしても、実際にはそれは非零の項が有限個しかないから、間違いなく決定することができる。さらに言えば、これは A の実質的に有限個の列の線型結合を成すことになり、また各列の非零成分は有限個だから結果として得られる和も非零成分が有限個になる。(通常は、行と列が同じ集合で添字付けられるような)与えられた型の二つの行列の積は矛盾無く定義できて、もとと同じ型を持ち、線型写像の合成に対応することも確認できる。",
"title": "行列の抽象代数的側面と一般化"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "R がノルム環ならば、行または列に関する有限性条件を緩めることができる。すなわち、有限和の代わりに、そのノルムに関する絶対収束級数を考えればよい。例えば、列和が絶対収束列となるような行列の全体は環を成す。もちろん同様に、行和が絶対収束列となるような行列の全体も環を成す。",
"title": "行列の抽象代数的側面と一般化"
},
{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "この文脈では、収束して連続的な問題を生じ、適当な制約条件を満たすような無限次行列はヒルベルト空間上の作用素を記述するものとして利用することができる。しかし、このようなやり方は行列としての陽な観点は曖昧になりがちであり、むしろその代わりに関数解析学の抽象的でより強力な手法が利用できる。",
"title": "行列の抽象代数的側面と一般化"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "空行列は行または列(あるいはその両方)の数が 0 であるような行列をいう。零ベクトル空間を含めて写像を考える場合に、空行列は役に立つ。例えば、A が 3 × 0 行列で B が 0 × 3 行列ならば、積 AB は三次元空間 V からそれ自身への空写像に対応する 3 × 3 零行列である。空行列を表す記号というのは特に定まってはいないが、多くの数式処理システムでは空行列を作成したり空行列に関する計算をしたりすることができる。0 × 0 行列の行列式は 1 と定義される。これは行列式に関するライプニッツの公式(置換に関する和として表す公式)が空積となり、それは通常 1 であることによる。またこのことは、任意の有限次元空間における恒等変換(に対応する行列)の行列式が 1 であるという事実とも整合する。",
"title": "行列の抽象代数的側面と一般化"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "行列は数学と科学における数多くの場面で応用される。そのうちのいくつかは単に行列における数字の組を簡潔に表現するために利用させる。例えば、ゲーム理論や経済学における利得行列は2人のプレイヤーの利得を符号化する。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "複素数は2×2の実行列で",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "a + i b ↔ [ a − b b a ] {\\displaystyle a+ib\\leftrightarrow {\\begin{bmatrix}a&-b\\\\b&a\\end{bmatrix}}}",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "のように表現することで複素数と行列における和と積をそれぞれ対応させることが可能となる。例えば2×2の回転行列は絶対値が1である複素数の乗算を表す。これと同じような解釈は一般に四元数やクリフォード代数においても可能である。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "運動学やロボット工学の分野では、2次元または3次元空間における物体の位置や姿勢(回転角)を表現するのに行列が用いられ、ベクトルおよびクォータニオン(四元数)とともに姿勢制御に応用されている。任意のオイラー角は回転行列の積で表現できる。また、同次座標(英語版)系での座標変換を導入するために、2次元ベクトルを座標変換する際は同次座標を追加した3次元ベクトルと3×3行列の積が、3次元ベクトルを座標変換する際は同次座標を追加した4次元ベクトルと4×4行列の積が使用される。コンピュータグラフィックスでも、アフィン変換を使って2次元平面上の図形を平行移動・回転・拡大縮小・せん断変形したり、ポリゴンメッシュや自由曲面を使って仮想空間上に物体を表現する際、物体を構成する頂点集合の位置や姿勢を表したり、カメラの画角を表現したり、3次元空間上のモデルを正規化デバイス座標系や2次元のスクリーン座標系に投影したりするのに行列が使われている。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "ヒル暗号のような初期の暗号技術においても行列は用いられる。しかし、行列の線型性によって、このような暗号はかなり簡単に突破されてしまう。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "多項式環における行列は制御理論を学ぶ際に重要となる。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 109,
"tag": "p",
"text": "有限グラフの隣接行列はグラフ理論における基本的な概念である。これは枝によって繋がれたグラフの頂点を表す。また、距離行列は頂点間の距離に関する情報を含む。このような概念はハイパーリンクによって繋がれたウェブサイトや道路で繋がれた都市といった場面で応用することができる。このようなことからネットワーク理論においても行列は用いられることとなる。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "微分可能関数ƒ: R → Rのヘッセ行列はƒの二階導関数によって",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "のようになる。これは関数の局所的な状態に関する情報を符号化したものである。",
"title": "応用"
}
] | 数学の線型代数学周辺分野における行列は、数や記号や式などを縦と横に矩形状に配列したものである。 | {{代表的なトピック|行列 (数学)}}
{{otheruses}}
[[数学]]の[[線型代数学]]周辺分野における'''行列'''(ぎょうれつ、{{lang-en-short|matrix}})は、数や記号や式などを縦と横に矩形状に配列したものである。
==概要==
===行・列===
横に並んだ一筋を'''行'''(row)、縦に並んだ一筋を'''列'''(column)と呼ぶ。
例えば、下記のような行列
<math>\begin{bmatrix}1 & 9 & -13 \\20 & 5 & -6 \end{bmatrix}</math>
は2つの行と3つの列によって構成されているため、(2,3)型または2×3型の行列と呼ばれる。
===成分===
書き並べられた要素は行列の成分と呼ばれ、行列の第 {{mvar|i}} 行目、{{mvar|j}} 列目の成分を特に行列の {{math|(''i'', ''j'')}} 成分と言う。行列の {{math|(''i'', ''j'')}} 成分はふつう {{mvar|a{{sub|i j}}}} のように二つの添字を単に横並びに書くが、誤解を避けるために添字の間に[[コンマ]]を入れることもある。また略式的に、行列 {{mvar|A}} の {{math|(''i'', ''j'')}} 成分を指定するのに {{mvar|A{{sub|i j}}}} という記法を用いることもある。
===和・積===
行列の和は、行の数と列の数が同じ行列において、成分ごとの計算によって与えられる。
[[行列の積]]の計算はもっと複雑で、2つの行列がかけ合わせられるためには、積の左因子の列の数と右因子の行の数が一致していなければならない。
===行列の応用===
====一次変換====
行列の応用として代表的なものは[[一次変換]]の表現で、これは {{math|''f'' (''x'') {{=}} 4''x''}} のような[[一次関数]]を一般化したものである。例えば、三次元空間における[[空間ベクトル|ベクトル]]の[[回転変換|回転]]は一次変換にあたり、{{mvar|R}} が[[回転行列]]で {{math|'''v'''}} が空間の点の[[位置ベクトル|位置]]を表す[[列ベクトル]](1 列しかない行列)であるとき、それらの積 {{math|''R'''''v'''}} は回転後の点の位置を表す列ベクトルを表現している。また 2つの行列の積は、2つの一次変換の[[写像の合成|合成]]を表現するものとなる。
====線型方程式系====
また、その他の応用としては、[[線型方程式系]]の解法が挙げられる。行列が[[正方行列]]であるとき、そのいくつかの性質は、[[行列式]]を計算することによって知ることができる。例えば、正方行列において、行列式の値が非零となることは、それが[[正則行列|正則]]であるための[[必要十分条件]]である。[[固有値|固有値と固有ベクトル]]は一次変換の[[幾何学]]に対する洞察を与える。
====科学====
行列の応用は科学的な分野の大半に及ぶ。
特に[[物理学]]において行列は、[[古典力学]]、[[光学]]、[[電磁気学]]、[[量子力学]]などにおける様々な物理現象のモデル化と研究に利用される。
[[運動 (物理学)|運動学]]や[[ロボット工学]]では[[座標変換]]や[[姿勢制御]]などに行列が使われる。特に{{仮リンク|同次座標|en|Homogeneous coordinates}}変換のため、2次元の座標変換では3×3行列が、3次元の座標変換では4×4行列が使われることが多い。[[コンピュータグラフィックス]]にも応用されている(後述)。
[[確率論]]や[[統計学]]、[[確率行列]]において行列は[[確率]]の組を表現するのに用いられ、例えば、これは[[Google検索]]における[[ページランク]]の[[アルゴリズム]]で使われている。
{{仮リンク|行列の微積分|en|Matrix calculus}}<!-- 日本語版の「行列解析」はMatrix analysisだが、英語版リンク先はMatrix calculusでMatrix analysisと別記事 -->は、古典的な[[解析学]]における[[微分]]や[[指数関数]]の概念を高次元へ一般化するものである。
[[経済学]]では経済上の関係のシステムを説明するのに行列が用いられる。
====アルゴリズム====
行列計算の効率的なアルゴリズムの研究は[[数値解析]]における主要な分野であり、これは何世紀にもわたるもので、今日でも研究領域が広がっている。
[[行列の分解]]は、理論的にも実用的にも計算を簡単化するもので、そのアルゴリズムは[[正方行列]]や[[対角行列]]などといった行列の特定の構造に合わせて仕立てられており、[[有限要素法]]やそのほかの計算を効率的に処理させる。
惑星運動論や原子論では無限次行列が現れる。
無限次行列の簡単な例としては、関数の[[テイラー級数]]に対して作用する[[微分作用素]]を表す行列がある。
== 素朴な定義 ==
=== 記法 ===
'''行列'''は数または数を表わす文字から成る'''要素''' ({{lang-en-short|element|links=no}}) を矩形状に書き並べて、大きな[[丸括弧]](あるいは[[角括弧]])で括った形に書かれる。ここで文字送りの方向(横)の並びを'''行''' ({{lang-en-short|row|links=no}}) といい、行送りの方向(縦)の並びを'''列''' ({{lang-en-short|column|links=no}}) と呼ぶ<ref name="斎藤2017-21" />。例えば
:<math>\begin{bmatrix}
a_{1 1} & a_{1 2} & a_{1 3}\\
a_{2 1} & a_{2 2} & a_{2 3}
\end{bmatrix},\ \begin{pmatrix}
a_{1 1} & a_{1 2} & a_{1 3}\\
a_{2 1} & a_{2 2} & a_{2 3}
\end{pmatrix},\ \begin{bmatrix}
3 & -4 & 6\\
0 & 1 & -2
\end{bmatrix},\ \begin{pmatrix}
3 & -4 & 6\\
0 & 1 & -2
\end{pmatrix}</math>
は 2 つの行と 3 つの列を持つ行列である。行列自身は、ふつうはアルファベットの大文字イタリック(しばしば太字{{efn|下線や二重下線などを付けることもあるが、これはタイプライター原稿で用いられた太字書体を指示する書式の名残<ref>https://raksul.com/dictionary/underline/</ref>}})で表し、その要素は対応する小文字に二つの添字を付けたもので表す(略式的に行列を表す大文字に添字を付けたものを用いることもあるが、その場合[[小行列]]の記号と紛らわしい)。つまり一般の ''m'' 行 ''n'' 列の行列を
:<math>A=\mathbf{A}=\begin{bmatrix}
a_{1 1} & a_{1 2} & \cdots & a_{1 n}\\
a_{2 1} & a_{2 2} & \cdots & a_{2 n}\\
\vdots & \vdots & \ddots & \vdots\\
a_{m 1} & a_{m 2} & \cdots & a_{m n}
\end{bmatrix}=\begin{pmatrix}
a_{1 1} & a_{1 2} & \cdots & a_{1 n}\\
a_{2 1} & a_{2 2} & \cdots & a_{2 n}\\
\vdots & \vdots & \ddots & \vdots\\
a_{m 1} & a_{m 2} & \cdots & a_{m n}
\end{pmatrix}= [\mathbf{a}_{i j}]_{m \times n , (1\le i\le m\ , 1\le j\le n) }
= (\mathbf{a}_{i j})_{m \times n , (1\le i\le m\ , 1\le j\le n) }</math>
のように書く。
=== 成分 ===
{{main|行列要素}}
書き並べられた要素は行列の'''成分''' ({{lang-en-short|entry, component|links=no}}) と呼ばれる<ref name="斎藤2017-21">[[#斎藤2017|斎藤2017]]、21頁。</ref>。成分が取り得る値は(さまざまな対象を想定できるが)大抵の場合はある[[可換体|体]]または[[可換環]] {{mvar|K}} の元であり、このとき '''{{mvar|K}} 上の行列''' ({{lang-en-short|matrix over {{mvar|K}}|links=no}}) という。特に、{{mvar|K}} が[[実数]]全体の成す体 {{math|'''R'''}} であるとき'''実行列'''と呼び、[[複素数]]全体の成す体 {{mathbf|C}} のとき'''複素行列'''と呼ぶ。
一つの成分を特定するには、二つの添字が必要である。行列の第 {{mvar|i}} 行目、{{mvar|j}} 列目の成分を特に行列の {{math|(''i'', ''j'')}} 成分と呼ぶ<ref name="斎藤2017-21" />。例えば上記行列 {{mvar|A}} の {{math|(1, 2)}} 成分は {{math|''a''{{sub|1 2}}}} である。行列の {{math|(''i'', ''j'')}} 成分はふつう {{mvar|a{{sub|i j}}}} のように二つの添字を単に横並びに書くが、誤解を避けるために添字の間に[[コンマ]]を入れることもある。例えば {{math|1}} 行 {{math|11}} 列目の成分を {{math|''a''{{sub|1,11}}}} と書いてよい。また略式的には、行列 {{mvar|A}} の {{math|(''i'', ''j'')}} 成分を指定するのに {{mvar|A{{sub|i j}}}} という記法を用いることがある。この場合、例えば積(後述){{mvar|A B}} の {{math|(''i'', ''j'')}} 成分を {{math|(''A B''){{sub|''i j''}}}} と指定したりできるので、これで記述の簡素化を図れる場合もある。
=== 型 ===
行列に含まれる行の数が {{mvar|m}}, 列の数が {{mvar|n}} である時に、その行列を {{mvar|m}} 行 {{mvar|n}} 列行列や {{math|''m'' × ''n''}} 行列、{{mvar|m n}} 行列などと呼ぶ<ref name="斎藤2017-21" />。行列を構成する行の数と列の数の対を'''型''' ({{lang-en-short|type|links=no}}) あるいは'''サイズ'''という。したがって {{mvar|m}} 行 {{mvar|n}} 列行列のことを {{math|(''m'', ''n'')}} 型行列などと呼ぶこともある<ref name="斎藤2017-21" />。{{mvar|K}} 上の {{math|''m'' × ''n''}} 行列の全体は {{math|''K''{{sup|''m''×''n''}}}}, {{mvar|K{{sup|m,n}}}} や {{math|Mat(''m'', ''n''; ''K'')}}, {{math|'''M'''{{sub|''m''×''n''}}(''K'')}} などで表される。
1つの列を持つ行列を'''列ベクトル'''、1つの行をもつ行列を'''行ベクトル'''と呼ぶ。例えば行列
:<math>A=\begin{bmatrix} a_{1 1} & a_{1 2}\\ a_{2 1} & a_{2 2}\end{bmatrix}</math>
に対して、{{math|[{{su|p=''a''{{sub|1 1}}|b=''a''{{sub|2 1}}}}] , [{{su|p=''a''{{sub|1 2}}|b=''a''{{sub|2 2}}}}]}} はその列ベクトル、{{math|[''a''{{sub|1 1}} ''a''{{sub|1 2}}], [''a''{{sub|2 1}} ''a''{{sub|2 2}}]}} はその行ベクトルである。
行と列の数が同じである行列は'''[[正方行列]]'''と呼ばれる。無限の行または列をもつ行列を'''無限次行列'''と呼ぶ。[[プログラミング]]において行または列を持たない行列を考えると便利となることがしばしばあるが、このような行列を'''空行列'''と呼ぶ。
{| class="wikitable"
|-
! 名前 !! 型 !! 例 !! 説明
|-
| 行ベクトル || 1 × ''n'' || style="text-align:center;" | <math>\begin{bmatrix}3 & 7 & 2 \end{bmatrix}</math>
| 1つの行を持つ行列。ベクトルを表すのに使われることがある。
|-
| 列ベクトル || ''n'' × 1 || style="text-align:center;" | <math>\begin{bmatrix}4 \\ 1 \\ 8 \end{bmatrix}</math>
| 1つの列を持つ行列。ベクトルを表すのに使われることがある。
|-
| 正方行列 || ''n'' × ''n'' || style="text-align:center;" | <math>\begin{bmatrix}
9 & 13 & 5 \\
1 & 11 & 7 \\
2 & 6 & 3
\end{bmatrix}</math>
| 行と列の数が同じである行列。[[鏡映]]や[[回転 (数学)|回転]]、[[せん断写像|せん断]]のような[[ベクトル空間]]の[[線形変換]]を表すのに使われることがある。
|}
== 厳密な定義 ==
行列は二重に添字づけられた[[族 (数学)|族]]であり、添字の各対 {{math|(''i'', ''j'')}} に成分 {{mvar|a{{sub|ij}}}} を割り当てる二変数写像
:<math>A\colon \{1,\ldots, m\} \times \{1,\dots, n\} \to K; \quad (i,j) \mapsto a_{ij}</math>
である。例えば添字の対 {{math|(1, 2)}} には写像の値として {{math|''a''{{sub|12}}}} が割り当てられる。値 {{mvar|a{{sub|ij}}}} は行列の {{mvar|i}}-行 {{mvar|j}}-列成分であるといい、{{mvar|m}} および {{mvar|n}} はそれぞれ行および列の数を意味する。写像としての行列の定義と行列が表す線型写像とを混同してはならない。
{{mvar|K}} に成分を持つ {{math|''m'' × ''n''}} 行列の全体は、したがって[[配置集合]]
:<math>\operatorname{map}(\{1,\ldots, m\} \times \{1,\ldots, n\}, K) = K^{\{1,\ldots, m\}\times\{1,\ldots n\}}</math>
であり、省略形として {{math|''K''{{sup|''m''×''n''}}}}(あるいはやや稀だが {{mvar|{{sup|m}}K{{sup|n}}}})や {{math|M(''m''×''n''; ''K'')}} などと書くことの一つの根拠になる。
行の数と列の数が一致するような行列は[[正方行列]]と呼ばれる。
ただ一つの列を持つ行列は列ベクトル、ただ一つの行を持つ行列は行ベクトルと呼ばれる。{{mvar|K{{sup|n}}}} のベクトルは、文脈によって[[行ベクトル空間]] {{math|''K''{{sup|1×''n''}}}} または[[列ベクトル空間]] {{math|''K''{{sup|''n''×1}}}} の元を表すのにも用いられる。
== 歴史 ==
[[線型方程式]]の解法における応用に関して、行列は長い歴史を持つ。紀元前10世紀から紀元前2世紀の間に書かれた中国の書物『[[九章算術]]』は[[線型方程式系|連立方程式]]の解法に行列を用いた最初の例であるといわれ<ref>{{harvnb|Shen|Crossley|Lun|1999}} cited by {{harvnb|Bretscher|2005|p=1}}</ref>、それには[[行列式]]の概念が含まれていた。1545年にイタリアの数学者[[ジェロラモ・カルダーノ]]は『偉大なる術(アルス・マグナ)』を著し、この方法をヨーロッパに持ち込んだ。日本の[[関孝和]]は1683年に連立方程式の解法として同様に行列による方法を用いている<ref>{{cite book|last1=Needham|first1=Joseph|authorlink1=Joseph Needham|last2=Wang Ling|authorlink2=Wang Ling (historian)|title=Science and Civilisation in China|url={{google books|id=jfQ9E0u4pLAC|page=117|plainurl=1}}|volume=III|year=1959|publisher=Cambridge University Press|location=Cambridge|isbn=9780521058018|page=117}}</ref>。ドイツの[[ヨハン・デ・ウィット]]は1659年の著書 ''Elements of Curves'' において行列の変形について説明している。1700年から1710年にかけてドイツの[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]は50以上の異なる体系を用いて行列の使い方を発表した。[[ガブリエル・クラメール|クラメル]]が[[クラメルの公式|有名な公式]]を生み出すのは1750年のことである。
行列論の初期においては、行列よりも行列式のほうに非常に重きが置かれており、行列式から離れて現代的な行列の概念と同種のものが浮き彫りにされるのは1858年、[[アーサー・ケイリー|ケイリー]]の歴史的論文 ''Memoir on the theory of matrices''(「行列論回想」)においてである{{sfn|Cayley|1889|loc=vol. II|pp=475–496}}{{sfn|Dieudonné|1978|loc=Vol. 1, Ch. III|p=96}}。用語 "matrix"(ラテン語で「生み出すもの」の意味の語に由来)<ref>{{Citation|url=http://www.merriam-webster.com/dictionary/matrix|title=Merriam–Webster dictionary|accessdate=April 20th 2009|publisher=[[Merriam–Webster]]}}</ref>は[[ジェームス・ジョセフ・シルベスター|シルベスター]]が導入した。シルベスターは行列を、(今日[[小行列式]]と呼ばれる)もとの行列から一部の行や列を取り除いて得られる小行列の行列式として、たくさんの行列式を生じるものとして理解していた{{efn|[[オックスフォード英語大辞典|OED]]によれば、数学用語としての "matrix" の最初の用例は J. J. Sylvester in London, Edinb. & Dublin Philos. Mag. 37 (1850), p. 369: "We ‥commence‥ with an oblong arrangement of terms consisting, suppose, of m lines and n columns. This will not in itself represent a determinant, but is, as it were, a Matrix out of which we may form various systems of determinants by fixing upon a number p, and selecting at will p lines and p columns, the squares corresponding to which may be termed determinants of the pth order.}}。1851年の論文でシルベスターは
{{quotation|I have in previous papers defined a "Matrix" as a rectangular array of terms, out of which different systems of determinants may be engendered as from the womb of a common parent. (以前の論文で、項を矩形状に並べた配列として定義した "Matrix" は、そのうちで異なる行列式の体系を生み出す共通の親としての母体である。)}}
と説明している<ref>The Collected Mathematical Papers of James Joseph Sylvester: 1837–1853, [{{google books|id=5GQPlxWrDiEC|page=247|text=sylvester+matrix+womb|plainurl=1}} Paper 37], p. 247</ref>。
行列式の研究はいくつかの流れから生じてきたものである{{sfn|Knobloch|1994}}。[[数論]]的な問題はガウスが[[二次形式]](つまり、<math> x^2 + xy - 2y^2 </math>のような数式)の係数と三次元の[[線型写像]]を行列に結び付けたことに始まり、[[フェルディナント・ゴットホルト・マックス・アイゼンシュタイン|アイゼンシュタイン]]がこれらの概念をさらに進めて、現代的な用語でいえば[[行列の積]]が[[非可換]]であることなどを指摘した。[[オーギュスタン・ルイ・コーシー|コーシー]]は行列 <math> A=(a_{ij})</math> の行列式として、[[多項式]]
:<math>a_1 a_2 \cdots a_n \prod_{i < j} (a_j - a_i)</math>
(ここで ∏ は条件を満たす項の[[総乗]]を表す)の冪 {{mvar|{{subsup|a|k|j}}}} を {{mvar|a{{msub|jk}}}} で置き換えたものという定義を採用し、それを用いて行列式についての一般的な主張を証明した最初の人である。コーシーは1829年に、対称行列の[[固有値]]が全て実数であることも示している{{sfn|Hawkins|1975}}。[[カール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビ|ヤコビ]]は、幾何学的変換の局所的あるいは無限小のレベルでの挙動を記述することができる[[関数行列|関数行列式]](後にシルベスターが「ヤコビ行列式」と呼んだ)の研究を行った。[[レオポルト・クロネッカー|クロネッカー]]の ''Vorlesungen über die Theorie der Determinanten''{{sfn|Kronecker|1897}} と[[カール・ワイエルシュトラス|ワイエルシュトラス]]の ''Zur Determinantentheorie''{{sfn|Weierstrass|1915|pp=271–286}} はともに1903年に出版された。前者は、それまでのコーシーの用いた公式のような具体的な手法とは反対に、行列式を[[公理論|公理的]]に扱ったものである。これを以って、行列式の概念がきっちりと確立されたと見なされている。
多くの定理は、初めて確立されたときには小さいサイズの行列に限った主張として示された。例えば[[ケーリー=ハミルトンの定理]]は、ケイリーが先述の回想録において 2 × 2 行列に対して示し、[[ウィリアム・ローワン・ハミルトン|ハミルトン]]が 4 × 4 行列に対して証明して、その後の1898年に[[フェルディナント・ゲオルク・フロベニウス|フロベニウス]]が[[双線型形式]]についての研究の過程で任意次元に拡張した。また、19世紀の終わりに、([[ガウスの消去法]]として今日知られるものを特別の場合として含む)[[ガウス–ジョルダン消去法]]を{{仮リンク|ヴィルヘルム・ヨルダン|label=ジョルダン|en|Wilhelm Jordan (geodesist)}}が確立し、20世紀の初頭には行列は線型代数学の中心的役割を果たすようになった{{sfn|Bôcher|2004}}。前世紀の[[多元数|超複素数系]]の分類にも行列の利用が部分的に貢献した。
[[ヴェルナー・ハイゼンベルク|ハイゼンベルク]]、[[マックス・ボルン|ボルン]]、[[パスクアル・ヨルダン|ジョルダン]]らによる[[行列力学]]の創始は、行または列の数が無限であるような行列の研究へ繋がるものであった{{sfn|Mehra|Rechenberg|1987}}。後に[[ジョン・フォン・ノイマン|フォン・ノイマン]]は、(大体無限次元の[[ユークリッド空間]]にあたる)[[ヒルベルト空間]]上の[[線型作用素]]などの[[関数解析学]]的な概念をさらに推し進めることにより、[[量子力学の数学的基礎]]を提示した。
== 行列の演算 ==
=== 基本演算 ===
==== 加法 ====
二つの行列は、それが同じ型を持つならば互いに加えることができ、この算法を行列の'''加法'''、演算の結果を'''和'''と言う<ref name="斎藤2017-23">[[#斎藤2017|斎藤2017]]、23頁。</ref>。異なる型の行列に対しては和は定義されない。つまり、''m'' 行 ''n'' 列の行列同士の和を、成分ごとの和
:<math>A + B: = [a_ {i j} + b_ {i j}]_{i= 1,\ldots, m,\atop j = 1,\ldots, n}</math>
で定める<ref name="斎藤2017-23" />。
例えば
:<math>\begin{bmatrix}
5 & 6 \\
-7 & 8
\end{bmatrix} + \begin{bmatrix}
1 & -2 \\
3 & -4
\end{bmatrix} =\begin{bmatrix}
5 + 1 & 6 + (-2) \\
-7 + 3 & 8 + (-4)
\end{bmatrix}= \begin{bmatrix}
6 & 4 \\
-4 & 4 \\
\end{bmatrix} </math>
である。
線型代数学において成分はふつう([[実数]]や[[複素数]]の全体のような)[[可換体|体]]であり、この場合の行列の加法は、[[結合法則|結合的]]かつ[[交換法則|可換]]であり、また[[加法単位元|単位元]]として[[零行列]]
: <math>0\equiv O:=\begin{bmatrix} 0 & \cdots & 0\\ \vdots & \ddots & \vdots\\ 0 & \cdots & 0\end{bmatrix}</math>
を持つ<ref name="斎藤2017-23" />。一般に、これらの三性質を満たす代数系に成分を持つ(同じ型の)行列の全体は、やはりこれらの性質を満たす。
==== スカラー倍 ====
行列の各成分に一つのスカラーを掛けることにより、任意の行列のスカラー倍
: <math>\lambda A := [\lambda a_{i j}]_{i=1,\ldots, m,\atop j=1,\ldots, n}</math>
が定義される<ref name="斎藤2017-23" />。例えば、
: <math>5 \cdot \begin{bmatrix} 1 & -3 & 2 \\ 1 & 2 & 7 \end{bmatrix} = \begin{bmatrix} 5 \cdot 1 & 5 \cdot (-3) & 5 \cdot 2 \\ 5 \cdot 1 & 5 \cdot 2 & 5 \cdot 7 \end{bmatrix} = \begin{bmatrix} 5 & -15 & 10 \\ 5 & 10 & 35 \end{bmatrix}</math>
である。
スカラー乗法が意味を持つためには、スカラー λ と行列の成分が同じ[[環 (数学)|環]] (''K'', +, ·, 0) からとった元であるべきであり、このとき ''m'' × ''n'' 行列の全体 ''K''<sup>''m''×''n''</sup> は、左 ''K''-[[環上の加群|加群]](''K'' が体ならば[[ベクトル空間]])になる。ベクトル空間(あるいは[[自由加群]])としての ''K''<sup>''m''×''n''</sup> は ''m n'' 次元数ベクトル空間 ''K''<sup>''m n''</sup> と同型である。
==== 乗法 ====
[[ファイル:Matrix multiplication diagram.svg|thumb|right|行列の積の模式図]]
{{main|行列の乗法}}
行列の積を初めて定義したのは[[アーサー・ケーリー|ケイリー]]である。行列の積は狭い意味での[[二項演算]](即ち、台とする集合 ''X'' に対して ''X'' × ''X'' → ''X'' なる写像を定めるもの)ではない。''l'' × ''m'' 行列 ''A'' と ''m'' × ''n'' 行列 ''B'' の積は ''l'' × ''n'' 行列となり、''C'' = ''A B'' の (''i'', ''j'') 成分 ''c''<sub>''i j''</sub> は、
:<math>c_{i j} = \sum_{k=1}^{m}a_{i k}b_{k j}</math>
で与えられる<ref name="斎藤2017-24">[[#斎藤2017|斎藤2017]]、24頁。</ref>。
例えば、
:<math>
\begin{bmatrix}
5 & 6 \\
7 & 8
\end{bmatrix}\begin{bmatrix}
1 & 2 \\
3 & 4
\end{bmatrix} = \begin{bmatrix}
5 \cdot 1 + 6 \cdot 3 & 5 \cdot 2 + 6 \cdot 4 \\
7 \cdot 1 + 8 \cdot 3 & 7 \cdot 2 + 8 \cdot 4 \\
\end{bmatrix}= \begin{bmatrix}
23 & 34 \\
31 & 46
\end{bmatrix}
</math>
である。
; 行列の積は[[交換法則|可換]]でない
: 即ち一般には<div style="margin: 1ex 2em;"><math>
B \cdot A \neq A \cdot B
</math></div>となることが両辺が定義される場合 (''l'' = ''n'') であっても起こり得る。さらに ''m'' = ''n''(= ''l'') のとき、つまり両辺が正方行列同士の積であれば両辺とも定義されるが、その場合でも一般には両者は異なる<ref name="斎藤2017-24" />。
; 行列の積は[[結合法則|結合的]]である
: 即ち、乗法が定義される限りにおいて<div style="margin: 1ex 2em"><math>
(A\cdot B)\cdot C = A\cdot (B\cdot C)
</math></div>が成り立つ<ref name="斎藤2017-25">[[#斎藤2017|斎藤2017]]、25頁。</ref>。
; 行列の乗法は加法の上に[[分配法則|分配的]]である
: 即ち、各項における加法と乗法が定義される限りにおいて<div style="margin: 1ex 2em;"><math>
(A + B)\cdot C = A\cdot C + B\cdot C
</math></div>および<div style="margin: 1ex 2em;"><math>
A\cdot (B + C) = A\cdot B + A\cdot C
</math></div>が成り立つ<ref name="斎藤2017-25" />。
正方行列に関して行列の乗法は特別な役割を持つ。環 ''R'' 上の正方行列全体 ''R''<sup>''n''×''n''</sup> は行列の加法と乗法に関して、ふたたび環を成すのである。環 ''R'' が単位的(つまり単位元 1 を持つ)ならば、単位行列
: <math>E_n = \begin{bmatrix} 1 & 0 & \cdots & 0 \\ 0 & 1 & \cdots & 0 \\ \vdots & \vdots & \ddots & \vdots \\ 0 & 0 & \dots & 1 \end{bmatrix}</math>
は行列の積に関する単位元となり、環 ''R''<sup>''n''×''n''</sup> もまた単位的となる。しかし、''n'' > 1 のとき、この環は(基礎環 ''R'' が可換環であっても)可換環でない。
行列が[[区分行列]]に分解されるとき、そのような行列の積は、それらのブロックが適当なサイズならば、ブロック成分ごとに積を計算することができる。例えば
: <math>\begin{align} \left[\begin{array}{cc|cc} a & b & 0 & 0\\ c & d & 0 & 0\\\hline x & y & 1 & 0\\ z & w & 0 & 1 \end{array}\right] \cdot \left[\begin{array}{c|c} n & 0\\ m & 0\\\hline q & 1\\ p & 0 \end{array}\right] &= \begin{bmatrix} A & 0\\ X & E_2 \end{bmatrix} \cdot \begin{bmatrix} N & 0\\ Q & \left[\begin{smallmatrix}1 \\ 0\end{smallmatrix}\right] \end{bmatrix} \\ &= \begin{bmatrix} AN + 0 & 0 + 0\\ XN + E_2Q & 0 + E_2\left[\begin{smallmatrix}1 \\ 0\end{smallmatrix}\right] \end{bmatrix}\end{align}</math>
である。ここで ''E''<sub>2</sub> は二次の単位行列、右辺の 0 は全ての成分が 0<sub>''R''</sub>(基礎環 ''R'' の[[加法単位元|零元]])であるような適当なサイズの行列である。
==== 転置 ====
{{main|転置行列}}
''m'' × ''n'' 行列 ''A'' = [''a''<sub>''i j''</sub>] の'''転置'''とは ''n'' × ''m'' 行列 <sup>''t''</sup>''A'' = [''a''<sub>''j i''</sub>], 即ち
: <math>A = \begin{bmatrix} a_{1 1} & \dots & a_{1 n} \\ \vdots & \ddots & \vdots \\ a_{m 1} & \dots & a_{m n} \end{bmatrix} \iff {}^tA = \begin{bmatrix} a_{1 1} & \dots & a_{m 1} \\ \vdots & \ddots & \vdots \\ a_{1 n} & \dots & a_{m n} \end{bmatrix}</math>
である<ref name="斎藤2017-31">[[#斎藤2017|斎藤2017]]、31頁。</ref>。これはもとの行列の各列を各行に持つ行列であり、主対角成分 ''a''<sub>1 1</sub>, ''a''<sub>2 2</sub>, … に関して折り返したものになっている。
転置行列は以下の計算規則に従う<ref name="斎藤2017-31" />:
: <math>\begin{align} {}^t(A + B) &= {}^tA + {}^tB \\ {}^t(cA) &= c\,{}^tA \\ {}^t({}^tA) &= A \\ {}^t(A B) &= {}^tB\,{}^tA \\ {}^t(A^{-1}) &= ({}^tA)^{-1} \end{align}</math>
=== 行列式 ===
{{main|行列式}}
''n'' × ''n'' 行列 ''A'' = [''a''<sub>''i j''</sub>] の'''行列式'''とは、
:<math> \det(A) = \sum_{\sigma \in \mathfrak{S}_n} \operatorname{sgn} (\sigma) \prod_{i = 1}^n a_{i \sigma (i)} </math>
で定義される数である<ref name="斎藤2017-89">[[#斎藤2017|斎藤2017]]、89頁。</ref>。これは行列の[[固有値]]の積と一致し、{{math|det(''E<sub>n</sub>'') {{=}} 1}}, {{math|det(''A B'') {{=}} det(''A'') det(''B'')}} などが成り立つ。
=== ランク ===
{{main|行列の階数}}
行列 ''A'' の'''ランク'''または[[行列の階数|'''階数''']]とは、この行列の列ベクトルの中で[[線型独立]]なものの最大個数であり、また
行ベクトルの中で線型独立なものの最大個数とも等しい{{sfn|Brown|1991|loc=Definition II.3.3}}。あるいは ''A'' の表現する線型写像の[[像 (数学)|像]]の[[ハメル次元|次元]]と言っても同じである{{sfn|Greub|1975|loc=Section III.1}}。[[階数・退化次数の定理]]は、行列の[[核 (代数学)|核]]に階数を加えると、その行列の列の数に等しいことを述べるものである{{sfn|Brown|1991|loc=Theorem II.3.22}}。
===トレース ===
{{main|跡 (線型代数学)}}
''n'' × ''n'' 行列 ''A'' = [''a''<sub>''i j''</sub>] の'''トレース'''または'''跡'''とは、その対角線上にある成分の和
: <math>\operatorname{tr}(A) = a_{1 1} + a_{2 2} + \dotsb + a_{n n}</math>
のことである<ref name="斎藤2017-34">[[#斎藤2017|斎藤2017]]、34頁。</ref>。これは {{math|tr(''A B'') {{=}} tr(''B A'')}} を満たし<ref name="斎藤2017-34" />、行列のトレースはその[[固有値]]の和に等しい。
=== 内積とノルム ===
{{main|行列ノルム}}
''K''-加群としての ''M''<sub>''m''×''n''</sub>(''K'') はまた、行列の積 <sup>''t''</sup>A B の[[蹟 (線型代数学)|トレース]]
: <math>\langle A, B \rangle = \operatorname{tr}({}^tA B) = \sum_{i=1}^n \sum_{j=1}^m a_{i j}b_{i j}</math>
を[[内積]]に持つ。''K'' = '''R''' のとき、これは[[ユークリッドノルム]]を導き、''M''<sub>''m''×''n''</sub>('''R''') は ''m n''-次元[[ユークリッド空間]] ''K''<sup>''m n''</sup> になる。この内積空間において、[[対称行列]]全体の成す部分空間と[[歪対称行列]]全体の成す部分空間とは互いに直交する。即ち、''A'' が対称, ''B'' が歪対称ならば ⟨''A'', ''B''⟩ = 0 が成り立つ。同様に ''K'' = '''C''' の場合には、''M''<sub>''m''×''n''</sub>('''C''') は
: <math>\langle A, B\rangle = \operatorname{tr} ({}^t\bar{A}B) = \sum_{i=1}^n \sum_{j=1}^m \bar{a}_ {i j}b_ {i j}</math>
(ただし、上付きのバーは複素共軛)を[[エルミート内積]]として複素[[ユニタリ空間]]を成す(この内積を[[ヒルベルト=シュミット作用素|ヒルベルト・シュミット内積]]と呼ぶ)。この内積は[[フロベニウスノルム]]を導き、''M''<sub>''m''×''n''</sub>('''C''') は[[バナッハ空間]]となる。
=== その他の演算 ===
====差====
任意の行列 {{mvar|B}} に対し、その成分をそれぞれの成分の[[加法逆元]]に全て取り換えた行列を {{math|−''B''}} と書けば、同じサイズの行列 {{mvar|A, B}} の和 {{math|''A'' + (−''B'')}} を {{math|''A'' − ''B''}} と略記して差を定めることができる{{efn|これは与えられた行列の全ての成分が加法逆元を持つ限りにおいて、加法のみから定められることに注意。特にスカラー乗法が(任意のスカラーと任意の行列に対する演算として)定義されている必要はない。従って、同じサイズの任意の行列に対する減法を定めるならば、例えば係数域が加法について[[アーベル群]]であれば十分であるが、通例として行列の係数域は何らかの可換環と仮定するから、それには環の加法群構造を用いればよい}}。より強く、スカラー乗法が定義される場合には、特にスカラー {{math|(−1)}}-倍は {{math|1=(−1)''B'' = −''B''}} を満たすのだから、和とスカラー倍を使って差を定義することもできる。
:<math>\begin{bmatrix}
5 & 6 \\
-7 & 8
\end{bmatrix} -\begin{bmatrix}
1 & -2 \\
3 & -4
\end{bmatrix} =\begin{bmatrix}
5 - 1 & 6 - (-2) \\
-7 - 3 & 8 - (-4)
\end{bmatrix}= \begin{bmatrix}
4 & 8 \\
-10 & 12 \\
\end{bmatrix}</math>
とすればよい.
==== べき乗 ====
{{see also|冪乗#行列および線型作用素の冪}}
''n'' × ''n'' の[[正方行列]] ''A'' に対して行列の[[べき乗]]は ''A<sup>n</sup>'' (ここで ''n'' は実数) と書かれる<ref name="斎藤2017-26">[[#斎藤2017|斎藤2017]]、26頁。</ref>。
行列 ''A'' が[[対角化]]可能であれば、''A<sup>n</sup>'' = (''P''<sup>−1</sup>''DP'')<sup>''n''</sup> = ''P''<sup>−1</sup>''D<sup>n</sup>P'' として容易に計算できる。
==== ベクトルの二項積 ====
''v'' と ''w'' を ''n'' × 1 の列ベクトルとすると、''v'' と ''w'' との間に行列の積は定義されないが、<sup>''t''</sup>''v'' ''w'' および ''v'' <sup>''t''</sup>''w'' は行列の積として定義することができる。前者は 1 × 1 行列であり、これをスカラーと解釈すれば、''v'' と ''w'' との標準内積 ⟨''v'', ''w''⟩ に他ならない。いっぽう後者は、[[行列の階数|階数]] 1 の ''n'' × ''n'' 行列で、''v'' と ''w'' との[[二項積]] ''v w'' あるいは[[直積 (ベクトル)|テンソル積]] ''v'' ⊗ ''w'' と呼ばれる。
==== 行列の三項積 ====
可換環 ''K'' 上の ''m'' × ''n'' 行列の全体 ''M''<sub>''m''×''n''</sub>(''K'') は加法とスカラー倍について ''K''-加群を成すばかりでなく、その上の[[三項演算]]
: <math>M_{m\times n}(K)\times M_{m\times n}(K)\times M_{m\times n}(K)\to M_{m\times n}(K);\quad (X,Y,Z)\mapsto \{X,Y,Z\} := X\,{}^tY\,Z</math>
を定義することができる。これと同様の方法で得られる三重線型な[[三項系]](三項積)の一般論は、[[ジョルダン環]]あるいは[[リー環]]の理論とかかわりを持つ<ref>http://www2.math.kyushu-u.ac.jp/~tnomura/EdAct/2010TKR.pdf </ref>。
=== 定義されない演算 ===
以下のような計算は定義されないため実行してはならない<ref>{{Cite web
| author = Stephen P. Boyd
| title = Crimes against Matrices
| work =
| publisher =
| date =
| url = http://see.stanford.edu/materials/lsoeldsee263/Additional2-matrix_crimes.pdf
| format = pdf
| doi =
| accessdate = 2013年3月2日}}
</ref>。
{{div col}}
* 異なる型の行列同士の和
:<math> \begin{bmatrix} a & b & c \\ d & e & f \end{bmatrix} + \begin{bmatrix} g & h \\ i & j \\ k & l \end{bmatrix} = \cdots </math>
* 正方行列<u>ではない</u>行列の逆行列
:<math>
\begin{bmatrix} a & b \\ c & d \\ e & f \end{bmatrix}^{-1} = \cdots
</math>
* 正方行列<u>ではない</u>行列の行列式{{efn|正方行列でない行列に対して行列式を考える理論も存在する。これは C. E. Cullis により導入された。<ref>中神祥臣・柳井晴夫 著、『[http://pub.maruzen.co.jp/book_magazine/book_data/search/9784621065082.html 矩形行列の行列式]』、丸善、2012年。ISBN 978-4-621-06508-2.</ref>}}
:<math>
\det \begin{bmatrix} a & b & c \\ d & e & f \end{bmatrix} = \cdots
</math>
* 正方行列<u>ではない</u>行列の固有値
:<math> \begin{align}
\begin{bmatrix} a & b \\ c & d \\ e & f \end{bmatrix}\begin{bmatrix} x_1 \\ x_2 \end{bmatrix} = \lambda \, \begin{bmatrix} x_1 \\ x_2 \end{bmatrix} \\
\end{align}</math>
* 正方行列<u>ではない</u>行列のトレース
:<math>
\operatorname{tr} \begin{bmatrix} a & b & c \\ d & e & f \end{bmatrix} = \cdots
</math>
{{div col end}}
== 行列の分解 ==
{{main|行列の分解}}
行列を2つあるいは3つの行列の積に[[因数分解]]するには以下の方法が知られている。
*[[LU分解]] - 正方行列Aを下三角行列と上三角行列の積に分解。 A = LU
*[[コレスキー分解]] - [[行列の定値性|正値]]対称行列(またはエルミート行列)Aを下三角行列と上三角行列の積に分解。 A = U<sup>*</sup>U
*[[QR分解]] - (m,n)行列を直交行列(またはユニタリ行列)Qと上三角行列Rに分解 A = QR
*[[固有値分解]] -
*[[特異値分解]] - (m,n)行列を直交行列(またはユニタリ行列)U,Vと対角行列Dに分解 A = UDV<sup>*</sup>
== 様々な行列 ==
===行列サイズによる分類===
*[[正方行列]]
===行列成分が特別な形の行列===
*[[零行列]]
*[[対角行列]]
*[[三角行列]]
*[[ハンケル行列]]
*[[テプリッツ行列]]
===[[作用素]]による作用を受けた行列===
*[[転置行列]]
*[[随伴行列]]
===対称性がある行列===
*[[対称行列]]
*[[エルミート行列]]
*[[正規行列]] - ユニタリ[[対角化]]可能な行列のクラス
===群を構成する行列===
*[[単位元]] - [[単位行列]]
*[[逆元]] - [[正則行列]] - [[逆行列]]
*[[直交行列]] - [[直交群]]
*[[回転行列]] - [[特殊直交群]]
*[[ユニタリ行列]] - [[ユニタリ群]]
== 線型写像 ==
{{Main|一次変換|{{仮リンク|変換行列|en|Transformation matrix}}}}
[[ファイル:Area parallellogram as determinant.svg|thumb|right|{{math|2 × 2}} 行列は、単位正方形を平行四辺形に変形することに対応する。]]
行列とその乗法は、これを'''一次変換'''(つまり'''線型写像''')と関連付けるとき、その本質的な特徴が浮き彫りになる。
; 線型写像の行列表現{{anchors|linear_maps}}
: {{math|''m'' × ''n''}} 行列 {{mvar|A}} から線型写像 {{math|'''R'''{{sup|''n''}} → '''R'''{{sup|''m''}}}} が各ベクトル {{math|'''x''' ∈ '''R'''{{sup|''n''}}}} を行列としての積 {{math|''A''{{mathbf|x}} ∈ '''R'''{{sup|''m''}}}} へ写すものとして定まる。逆に、各線型写像 {{math|''f'': '''R'''{{sup|''n''}} → '''R'''{{sup|''m''}}}} を生じる {{math|''m'' × ''n''}} 行列 {{mvar|A}} は一意的に決まる。陽に書けば、{{mvar|A}} の {{math|(''i'', ''j'')}}-成分は、{{math|''f''('''e'''{{sub|''j''}})}} の第 ''i''-成分である。ただし {{math|1='''e'''{{sub|''j''}} = (0, …, 0, 1, 0, …, 0)}} は第 {{mvar|j}}-成分だけが {{math|1}} で他が全部 {{math|0}} の[[単位ベクトル]]である。
このとき、行列 {{mvar|A}} は線型写像 {{mvar|f}} を表現すると言い、{{mvar|A}} を {{mvar|f}} の'''変換行列'''または'''表現行列'''と呼ぶ。
例えば {{math|2 × 2}} 行列
:<math>A = \begin{bmatrix} a & c\\b & d \end{bmatrix}</math>
は、[[単位正方形]]を {{math|(0, 0),}} {{math|(''a'', ''b''),}} {{math|(''a'' + ''c'', ''b'' + ''d''),}} {{math|(''c'', ''d'')}} を頂点とする[[平行四辺形]]に写すものと見做すことができる。この平行四辺形は、単位正方形の頂点を成す四つの(列)ベクトル {{math|({{su|p=0|b=0}}), ({{su|p=1|b=0}}), ({{su|p=1|b=1}}), ({{su|p=0|b=1}})}} の各々に {{mvar|A}} を掛けることによって得られる。
この行列と線型写像との間の[[全単射|一対一対応]]のもとで、行列の乗法は[[写像の合成]]に対応する{{sfn|Greub|1975 |loc=Section III.2}}: 上記の {{mvar|A}} と {{mvar|f}} に加えて、{{math|''k'' × ''m''}} 行列 {{mvar|B}} が別の線型写像 {{math|''g'': '''R'''{{sup|''m''}} → '''R'''{{sup|''k''}}}} を表現するものならば、合成 {{math|''g'' ∘ ''f''}} は行列の積 {{mvar|BA}} で表現される。実際、
: {{math|1=(''g'' ∘ ''f'')('''x''') = ''g''(''f''('''x''')) = ''g''(''A''{{mathbf|x}}) = ''B''(''A''{{mathbf|x}}) = (''BA'')'''x'''}}
である。最後の等号は行列の積の結合性による。
== 行列の抽象代数的側面と一般化 ==
行列の一般化の方向性はいくつか異なるものが存在する。[[抽象代数学]]では行列の成分をもっと一般の([[可換体|可換]]とは限らない)[[斜体 (数学)|体]]や[[環 (数学)|環]]としたものを用いるし、線型代数学は線型写像の概念を機軸に行列の性質を体系化したものである。また行や列の数を無限に増やした行列というものを考えることもできる。他の拡張として[[テンソル]]は、(行列が矩形状あるいは二次元の数の配列と見ることができるのに対して)数の配列を高次化したものと見ることもできるし、ベクトルの双対や数列として実現することもできるものである{{sfn|Coburn|1955|loc=Ch. V}}。適当な制約条件を満足する行列の集まりは、行列群あるいは線型代数群などと呼ばれる[[群 (数学)|群]]を成す。
=== より一般の成分を持つ行列 ===
しばしば実または[[複素数|複素]]成分の行列に焦点を当てることもある{{anchors|more_general_entries}}が、それ以外にももっと一般の種類の成分を持った行列を考えることができる。一般化の最初の段階として任意の[[可換体|体]](すなわち[[四則演算]]が自由にできる[[集合]]、例えば '''R''', '''C''' 以外に[[有理数]]体 '''Q''' や[[有限体]] '''F'''<sub>''q''</sub>など)を成分として考える。例えば[[符号理論]]では有限体上の行列を利用する。どの体で考えるとしても、[[固有値]]は多項式の根として考えることができて、それは行列の係数体の拡大体の中に存在する。たとえば、実行列の場合は固有値は複素数である。ある行列の成分をより大きな体の元と解釈しなおすことはできる(例えば実行列を全ての成分が実数であるような複素行列とみることができる)から、そのような十分大きな体の中で任意の正方行列についてその固有値全てから成る集合を考えることができる。あるいは最初から、複素数体 '''C''' のような[[代数閉体]]に成分を持つような行列のみを考えるものとすることもできる。
もっと一般に、抽象代数学では[[環 (数学)|環]]に成分を持つ行列というものが甚だ有用である{{sfn|Lang|2002|loc=Chapter XIII}}。環は除法演算を持たない点において体よりも一般の概念である。この場合も、行列の加法と乗法はそのまままったく同じ物を使うことができる。''R'' 上の ''n''-次正方行列全体の成す集合 M(''n'', ''R'') は[[全行列環]]と呼ばれる環であり、左 ''R''-[[環上の加群|加群]] ''R''<sup>''n''</sup> の[[自己準同型環]]に同型である{{sfn|Lang|2002|loc=XVII.1, p. 643}}。環 ''R'' が[[可換環]]、すなわちその乗法が[[交換法則|可換律]]を満たすならば、全行列環 M(''n'', ''R'') は(''n'' = 1 でない限り)非可換な ''R'' 上の単位的[[結合多元環]]となる。可換環 ''R'' 上の正方行列の[[行列式]]は[[ライプニッツの公式]]を用いて定義することができて、可換環 ''R'' 上の正方行列が可逆であることの[[必要十分条件]]をその行列式が ''R'' の[[可逆元]]であることと述べることができる(これは零元でない任意の元が可逆元であった体の場合の一般化になっている){{sfn|Lang|2002|loc=Proposition XIII.4.16}}。{{仮リンク|超環|en|superalgebra}}上の行列は{{仮リンク|超行列|en|supermatrix}}と呼ばれる{{sfn|Reichl|2004|loc=Section L.2}}。
行列の成分が必ずしもすべて同じ環に属するというわけではない(し、すべてが全く別の環に成分を持つというわけでもない)。一つの特別な、しかしよく用いられる場合として、成分自体が行列となっているような行列と見なすこともできる[[区分行列]]が挙げられる。その成分は二次元的な行列である必要はないし、また通常の[[環 (数学)|環]]の元である必要もないが、その大きさに関しては適当な両立条件を満足するものでなければならない。
=== 線型写像との関係 ===
線型写像 '''R'''<sup>''n''</sup> → '''R'''<sup>''m''</sup> は既に述べたように ''m'' × ''n'' 行列と等価である。一般に有限[[ハメル次元|次元]][[ベクトル空間]]の間の線型写像 ''f'': ''V'' → ''W'' は(''V'' の次元を ''n'', ''W'' の次元を ''m'' として) ''V'' の[[基底 (線型代数学)|基底]] '''v'''<sub>1</sub>, …, '''v'''<sub>''n''</sub> と ''W'' の基底 '''w'''<sub>1</sub>, …, '''w'''<sub>''m''</sub> を選べば
:<math>f(\mathbf{v}_j) = \sum_{i=1}^m a_{i,j} \mathbf{w}_i\quad(j=1,\ldots,n)</math>
を満たす行列 ''A'' = (''a''<sub>''ij''</sub>) によって記述することができる。言い換えれば、
''A'' の第 ''j''-列は基底ベクトル '''v'''<sub>''j''</sub> の像を ''W'' の基底 {'''w'''<sub>''i''</sub>} に関して表したものになっている。従ってこのような関係は行列 ''A'' の成分から一意的に定まる。注意すべきは線型写像を表す行列は基底の取り方に依存することである。基底の取り方を変えれば別な行列が生じるが、それはもとの行列と[[行列の相似|同値]]になる{{sfn|Greub|1975|loc=Section III.3}}。既に述べた具体的な概念の多くはこの方法を通して解釈しなおすことができる。例えば転置行列 ''A''<sup>⊤</sup> は ''A'' の定める線型写像の[[線型写像の転置|転置写像]]を、[[双対空間|双対基底]]に関して記述するものである。{{sfn|Greub|1975|loc=Section III.3.13}}。
より一般に、''m'' × ''n'' 行列全体の成す集合は、勝手な単位的環 ''R'' に対して自由加群 ''R''<sup>''m''</sup> および ''R''<sup>''n''</sup> の間の ''R''-線型写像を表すのに利用することができる。''n'' = ''m'' のとき、そのような写像の合成を定義することができて、''n''-次正方行列全体の成す[[全行列環]]が、''R''<sup>''n''</sup> の[[自己準同型環]]を表現するものとして生じる。
=== 行列群 ===
{{Main|線型代数群}}
[[群 (数学)|群]]というのは集合と[[二項演算]](つまり、任意の二つの対象を結合して第三の対象を作る操作)からなる数学的構造で、適当な条件を満たすものである。行列をその元とし、行列の積を群演算とするような群は、行列群または線型代数群と呼ばれる{{efn|普通はさらに一般線型群の[[閉集合]]となることも要求する。}}{{sfn|Baker|2003|loc=Def. 1.30}}。群の任意の元は可逆であるから、最も一般の行列群は与えられたサイズの可逆行列全体の成す群 ''GL''<sub>''n''</sub> であり、[[一般線型群]]と呼ばれる。
行列の性質のうちで積と反転に関して保たれるものを用いると、さらに別の行列群を定義することもできる。例えば、与えられたサイズの行列式が 1 であるような行列の全体は、同じサイズの一般線型群に含まれる[[部分群]]となり、[[特殊線型群]] ''SL''<sub>''n''</sub> と呼ばれる{{sfn|Baker|2003|loc=Theorem 1.2}}。また、条件
:''M''<sup>⊤</sup>''M'' = ''I''
で定まる[[直交行列]]の全体は[[直交群]] ''O''(''n'') を成す{{sfn|Artin|1991|loc=Chapter 4.5}}。「直交」の名は、対応する '''R'''<sup>''n''</sup> の線型変換が、''M'' を掛ける操作で二つのベクトルの[[点乗積|内積]]を変えない
: ('''Mv''') · ('''Mw''') = '''v''' · '''w'''
という意味で角を保つことに由来する{{sfn|Artin|1991|loc=Theorem 4.5.13}}。
任意の[[有限群]]は何らかの行列群[[同型]]である。なんとなれば[[対称群]]の[[正則表現 (数学)|正則表現]]を考えればよい{{sfn|Rowen|2008|loc=Example 19.2, p. 198}}。故に、[[表現論]]の意味で、一般の群を比較的よくわかっている行列群を用いて調べることができる。
=== 無限次行列 ===
行または列の数を無限にした行列と呼べるようなものも考えることができる{{sfn|Itõ|1987|loc="Matrix"}}が、そのようなものを陽なかたちに書き記すことはできないので、行を添字付ける集合と列を添字付ける集合を用意して(添字集合は必ずしも自然数から成るものでなくてよい)、それらの各元に対して行列の成分が矛盾無く定義されるという方法で扱うことになる。このとき、和・差、スカラー倍、転置といった基本演算については問題なく定義されるが、行列の乗法に関してはその成分が無限和として与えられることになり、これは(適当な制約条件を抜きにしては)一般には定義されない。
''R'' を任意の単位的環とすれば、右 ''R''-加群としての <math>\textstyle M=\bigoplus_{i\in I}R</math> の自己準同型環は、''I'' × ''I'' で添字付けられ、各列の非零成分の数が有限個であるような'''列有限行列'''の環 CFM<sub>''I''</sub>(''R'') に同型である。これと対応するものとして、左 ''R''-加群としての ''M'' の自己準同型環を考えれば、同様に各行の非零成分の数が有限な'''行有限行列'''の環 RFM<sub>''I''</sub>(''R'') が得られる。
無限次元行列を線型写像を記述するのに用いるならば、次に述べるような理由から、その各列ベクトルが有限個の例外を除いて全ての成分が 0 となるものとならなければ無用である。''A'' が適当な基底に関して線型写像 ''f'': ''V'' → ''W'' を表現するものとすると、それは定義により、空間の任意のベクトルを基底ベクトルの(有限)[[線型結合]]として一意に表すことによって与えられるのであるから、従って(列)ベクトル ''v'' の成分 ''v''<sub>''i''</sub> で非零となるものは有限個に限られる。また、''A'' の各列は ''V'' の各基底ベクトルの ''f'' による像を ''W'' の基底に関して表したものとなっているから、これが意味を持つのはこれらの列ベクトルの非零成分が有限個である場合に限る。しかし一方で、''A'' の行に関しては何の制約もない。事実、''v'' の非零成分が有限個であるならば、積 ''Av'' はその各成分が見かけ上無限和の形で与えられるとしても、実際にはそれは非零の項が有限個しかないから、間違いなく決定することができる。さらに言えば、これは ''A'' の実質的に有限個の列の線型結合を成すことになり、また各列の非零成分は有限個だから結果として得られる和も非零成分が有限個になる。(通常は、行と列が同じ集合で添字付けられるような)与えられた型の二つの行列の積は矛盾無く定義できて、もとと同じ型を持ち、線型写像の合成に対応することも確認できる。
''R'' が[[ノルム環]]ならば、行または列に関する有限性条件を緩めることができる。すなわち、有限和の代わりに、そのノルムに関する[[絶対収束級数]]を考えればよい。例えば、列和が絶対収束列となるような行列の全体は環を成す。もちろん同様に、行和が絶対収束列となるような行列の全体も環を成す。
この文脈では、収束して[[連続写像|連続的]]な問題を生じ、適当な制約条件を満たすような無限次行列は[[ヒルベルト空間上の作用素]]を記述するものとして利用することができる。しかし、このようなやり方は行列としての陽な観点は曖昧になりがち{{efn|"Not much of matrix theory carries over to infinite-dimensional spaces, and what does is not so useful, but it sometimes helps." {{sfn|Halmos|1982|p=23|loc=Chapter 5}}}}であり、むしろその代わりに[[関数解析学]]の抽象的でより強力な手法が利用できる。
=== 空行列 ===
'''空行列'''は行または列(あるいはその両方)の数が 0 であるような行列をいう{{efn|"Empty Matrix: A matrix is empty if either its row or column dimension is zero",<ref>[http://www.omatrix.com/manual/glossary.htm Glossary], O-Matrix v6 User Guide.</ref> "A matrix having at least one dimension equal to zero is called an empty matrix", <ref>[http://www.system.nada.kth.se/unix/software/matlab/Release_14.1/techdoc/matlab_prog/ch_dat29.html MATLAB Data Structures]</ref>}}。[[零ベクトル空間]]を含めて写像を考える場合に、空行列は役に立つ。例えば、''A'' が 3 × 0 行列で ''B'' が 0 × 3 行列ならば、積 ''AB'' は三次元空間 ''V'' からそれ自身への空写像に対応する 3 × 3 零行列である。空行列を表す記号というのは特に定まってはいないが、多くの[[数式処理システム]]では空行列を作成したり空行列に関する計算をしたりすることができる。0 × 0 行列の行列式は 1 と定義される。これは行列式に関するライプニッツの公式(置換に関する和として表す公式)が[[空積]]となり、それは通常 1 であることによる。またこのことは、任意の有限次元空間における恒等変換(に対応する行列)の行列式が 1 であるという事実とも整合する。
== 応用 ==
行列は数学と科学における数多くの場面で応用される。そのうちのいくつかは単に行列における数字の組を簡潔に表現するために利用させる。例えば、[[ゲーム理論]]や[[経済学]]における利得行列は2人のプレイヤーの利得を符号化する。
[[複素数]]は2×2の実行列で
<math>a + ib \leftrightarrow \begin{bmatrix}
a & -b \\
b & a \end{bmatrix}</math>
のように表現することで複素数と行列における和と積をそれぞれ対応させることが可能となる。例えば2×2の[[回転行列]]は絶対値が1である複素数の乗算を表す。これと同じような解釈は一般に[[四元数]]や[[クリフォード代数]]においても可能である。
運動学や[[ロボット工学]]の分野では、2次元または3次元空間における物体の位置や姿勢(回転角)を表現するのに行列が用いられ、ベクトルおよび[[クォータニオン]]([[四元数]])とともに[[姿勢制御]]に応用されている。任意の[[オイラー角]]は[[回転行列]]の積で表現できる。また、{{仮リンク|同次座標|en|Homogeneous coordinates}}系での座標変換を導入するために、2次元ベクトルを座標変換する際は同次座標を追加した3次元ベクトルと3×3行列の積が、3次元ベクトルを座標変換する際は同次座標を追加した4次元ベクトルと4×4行列の積が使用される。[[コンピュータグラフィックス]]でも、[[アフィン写像|アフィン変換]]を使って2次元平面上の図形を[[平行移動]]・回転・拡大縮小・[[せん断]]変形したり、[[ポリゴンメッシュ]]や[[自由曲面]]を使って仮想空間上に物体を表現する際、物体を構成する頂点集合の位置や姿勢を表したり、カメラの[[画角]]を表現したり、3次元空間上のモデルを正規化デバイス座標系や2次元のスクリーン座標系に投影したりするのに行列が使われている。
ヒル暗号のような初期の[[暗号理論|暗号技術]]においても行列は用いられる。しかし、行列の線型性によって、このような暗号はかなり簡単に突破されてしまう。
[[多項式環]]における行列は[[制御理論]]を学ぶ際に重要となる。
=== グラフ理論 ===
[[ファイル:Labelled undirected graph.svg|150px|thumb|right|図のような無向グラフの隣接行列は<math>\begin{bmatrix}
1 & 1 & 0 \\
1 & 0 & 1 \\
0 & 1 & 0
\end{bmatrix}</math>である。]]
有限グラフの[[隣接行列]]は[[グラフ理論]]における基本的な概念である。これは枝によって繋がれたグラフの頂点を表す。また、[[距離行列]]は頂点間の距離に関する情報を含む。このような概念は[[ハイパーリンク]]によって繋がれた[[ウェブサイト]]や道路で繋がれた都市といった場面で応用することができる。このようなことから[[ネットワーク理論]]においても行列は用いられることとなる。
=== 解析学と幾何学 ===
[[微分可能関数]]''ƒ'': '''R'''<sup>''n''</sup> → '''R'''の[[ヘッセ行列]]は''ƒ''の二階導関数によって
:<math>H(f) = \left [\frac {\partial^2f}{\partial x_i \, \partial x_j} \right ]</math>
のようになる。これは関数の局所的な状態に関する情報を符号化したものである。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Citation | last1=Arnold | first1=V. I. | author1-link=ウラジーミル・アーノルド | last2=Cooke | first2=Roger | author2-link=ロジャー・クック | title=Ordinary differential equations | publisher=[[シュプリンガー・フェアラーク|Springer-Verlag]] | location=Berlin, New York | isbn=978-3-540-54813-3 | year=1992}}
* {{Citation | last1=Artin | first1=Michael | author1-link=マイケル・アルティン | title=Algebra | publisher=[[プレンティスホール出版|Prentice Hall]] | isbn=978-0-89871-510-1 | year=1991}}
* {{Citation | last1=Association for Computing Machinery | title=Computer Graphics | publisher=Tata McGraw–Hill | isbn=978-0-07-059376-3 | year=1979}}
* {{Citation | last1=Baker | first1=Andrew J. | title=Matrix Groups: An Introduction to Lie Group Theory | publisher=Springer-Verlag | location=Berlin, New York | isbn=978-1-85233-470-3 | year=2003}}
* {{Citation | last1=Bau III | first1=David | last2=Trefethen | first2=Lloyd N. | author2-link=ロイド・ニコラス・トレフェセン | title=Numerical linear algebra | publisher=Society for Industrial and Applied Mathematics | location=Philadelphia | isbn=978-0-89871-361-9 | year=1997}}
* {{Citation | last1=Bretscher | first1=Otto | title=Linear Algebra with Applications | publisher=Prentice Hall | edition=3rd | year=2005}}
* {{Citation | last1=Bronson | first1=Richard | title=Schaum's outline of theory and problems of matrix operations | publisher=[[マグロウヒル|McGraw–Hill]] | location=New York | isbn=978-0-07-007978-6 | year=1989}}
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* {{cite book
|last1 = Horn
|first1 = Roger A.
|last2 = Johnson
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|year = 2013
|title = Matrix analysis
|edition = Second
|url = {{google books|5I5AYeeh0JUC|plainurl=yes}}
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* {{Citation | last1=Press | first1=William H. | last2=Flannery | first2=Brian P. | last3=Teukolsky | first3=Saul A. | author3-link=Saul Teukolsky | last4=Vetterling | first4=William T. | title=Numerical Recipes in FORTRAN: The Art of Scientific Computing | url=http://www.mpi-hd.mpg.de/astrophysik/HEA/internal/Numerical_Recipes/f2-3.pdf | publisher=Cambridge University Press | edition=2nd | year=1992 | chapter=LU Decomposition and Its Applications | pages=34–42}}
* {{Citation | last1=Punnen | first1=Abraham P. | last2=Gutin | first2=Gregory | title=The traveling salesman problem and its variations | publisher=Kluwer Academic Publishers | location=Boston | isbn=978-1-4020-0664-7 | year=2002}}
* {{Citation | last1=Reichl | first1=Linda E. | title=The transition to chaos: conservative classical systems and quantum manifestations | publisher=Springer-Verlag | location=Berlin, New York | isbn=978-0-387-98788-0 | year=2004}}
* {{Citation | last1=Rowen | first1=Louis Halle | title=Graduate Algebra: noncommutative view | publisher=[[アメリカ数学会|American Mathematical Society]] | location=Providence, R.I. | isbn=978-0-8218-4153-2 | year=2008}}
* {{Citation | last1=Šolin | first1=Pavel | title=Partial Differential Equations and the Finite Element Method | publisher=[[ワイリー・インターサイエンス|Wiley-Interscience]] | isbn=978-0-471-76409-0 | year=2005}}
* {{Citation | last1=Stinson | first1=Douglas R. | title=Cryptography | publisher=Chapman & Hall/CRC | series=Discrete Mathematics and Its Applications | isbn=978-1-58488-508-5 | year=2005}}
* {{Citation | last1=Stoer | first1=Josef | last2=Bulirsch | first2=Roland | title=Introduction to Numerical Analysis | publisher=Springer-Verlag | location=Berlin, New York | edition=3rd | isbn=978-0-387-95452-3 | year=2002}}
* {{Citation | last1=Ward | first1=J. P. | title=Quaternions and Cayley numbers | publisher=Kluwer Academic Publishers Group | location=Dordrecht | series=Mathematics and its Applications | isbn=978-0-7923-4513-8 | mr=1458894 | year=1997 | volume=403}}
* {{Citation | last1=Wolfram | first1=Stephen | author1-link=スティーブン・ウルフラム | title=The Mathematica Book | publisher=Wolfram Media | location=Champaign, Ill | edition=5th | isbn=978-1-57955-022-6 | year=2003}}
* Pappur Nagappa Shivakumar、K C Sivakumar、Yang Zhang: "Infinite Matrices and Their Recent Applications", Springer, ISBN 978-3319301792 (2016年5月25日)。
*{{Cite book|和書
|author = [[斎藤正彦]]
|date = 2017-04-10
|title = 線形代数学
|publisher = [[東京図書]]
|edition = 第3版
|isbn = 978-4-489-02179-4
|ref = 斎藤2017
}}
=== 物理学に関するもの ===
* {{Citation|last=Bohm|first=Arno|title=Quantum Mechanics: Foundations and Applications|publisher=Springer|year=2001|isbn=0-387-95330-2}}
* {{Citation|last=Burgess|first=Cliff|last2=Moore|first2=Guy|title=The Standard Model. A Primer|publisher=Cambridge University Press|year=2007|isbn=0-521-86036-9}}
*{{Citation|last=Guenther|first=Robert D.|title=Modern Optics|publisher=John Wiley|year=1990|isbn=0-471-60538-7}}
*{{Citation|last=Itzykson|first=Claude|last2=Zuber|first2=Jean-Bernard|title=Quantum Field Theory|publisher=McGraw–Hill|year=1980|isbn=0-07-032071-3}}
*{{Citation|last=Riley|first=K. F.|last2=Hobson|first2=M. P.|last3=Bence|first3=S. J.|title=Mathematical methods for physics and engineering|publisher=Cambridge University Press|year=1997|isbn=0-521-55506-X}}
*{{Citation|last=Schiff|first=Leonard I.|title=Quantum Mechanics|edition=3rd|publisher=McGraw–Hill|year=1968}}
*{{Citation|last=Weinberg|first=Steven|title=The Quantum Theory of Fields. Volume I: Foundations|publisher=Cambridge University Press|year=1995|isbn=0-521-55001-7}}
* {{Citation|last=Wherrett|first=Brian S.|year=1987|title=Group Theory for Atoms, Molecules and Solids|publisher=Prentice–Hall International|isbn=0-13-365461-3}}
* {{Citation | last1=Zabrodin | first1=Anton | last2=Brezin | first2=Édouard | last3=Kazakov | first3=Vladimir | last4=Serban | first4=Didina | last5=Wiegmann | first5=Paul | title=Applications of Random Matrices in Physics (NATO Science Series II: Mathematics, Physics and Chemistry) | publisher=[[シュプリンガー・フェアラーク|Springer-Verlag]] | location=Berlin, New York | isbn=978-1-4020-4530-1 | year=2006}}
=== 歴史に関するもの ===
* {{Citation | last1=Bôcher | first1=Maxime | author1-link=マキシム・ボッチャー | title=Introduction to higher algebra | publisher=[[Dover Publications]] | location=New York | isbn=978-0-486-49570-5 | year=2004}}, reprint of the 1907 original edition
* {{Citation | last1=Cayley | first1=Arthur | author1-link=アーサー・ケイリー | title=The collected mathematical papers of Arthur Cayley | url=http://www.hti.umich.edu/cgi/t/text/pageviewer-idx?c=umhistmath;cc=umhistmath;rgn=full%20text;idno=ABS3153.0001.001;didno=ABS3153.0001.001;view=image;seq=00000140 | publisher=[[ケンブリッジ大学出版|Cambridge University Press]] | year=1889 | volume=I (1841–1853) | pages=123–126}}
* {{Citation | editor1-last=Dieudonné | editor1-first=Jean | editor1-link=ジャン・デュドネ | title=Abrégé d'histoire des mathématiques 1700-1900 | publisher=Hermann | location=Paris | year=1978}}
* {{Citation | last1=Hawkins | first1=Thomas | title=Cauchy and the spectral theory of matrices | mr=0469635 | year=1975 | journal=[[Historia Mathematica]] | issn=0315-0860 | volume=2 | pages=1–29 | doi=10.1016/0315-0860(75)90032-4}}
* {{Citation | last1=Knobloch | first1=Eberhard | title=The intersection of history and mathematics | publisher=Birkhäuser | location=Basel, Boston, Berlin | series=Sci. Networks Hist. Stud. | mr=1308079 | year=1994 | volume=15 | chapter=From Gauss to Weierstrass: determinant theory and its historical evaluations | pages=51–66}}
* {{Citation | last1=Kronecker | first1=Leopold | author1-link=レオポルト・クロネッカー | editor1-last=Hensel | editor1-first=Kurt | editor1-link=クルト・ヘンゼル | title=Leopold Kronecker's Werke | url=http://name.umdl.umich.edu/AAS8260.0002.001 | publisher=Teubner | year=1897}}
* {{Citation | last1=Mehra | first1=J. | last2=Rechenberg | first2=Helmut | title=The Historical Development of Quantum Theory | publisher=[[シュプリンガー・フェアラーク|Springer-Verlag]] | location=Berlin, New York | edition=1st | isbn=978-0-387-96284-9 | year=1987}}
* {{Citation | last1=Shen | first1=Kangshen | last2=Crossley | first2=John N. | last3=Lun | first3=Anthony Wah-Cheung | title=Nine Chapters of the Mathematical Art, Companion and Commentary | publisher=[[オックスフォード大学出版局|Oxford University Press]] | edition=2nd | isbn=978-0-19-853936-0 | year=1999}}
* {{Citation | last1=Weierstrass | first1=Karl | author1-link=カール・ヴァイエルシュトラス | title=Collected works | url=http://name.umdl.umich.edu/AAN8481.0003.001 | year=1915 | volume=3}}
== 関連項目 ==
* [[線型代数学]]
* [[行列式]]
* [[線型写像]]
* [[変換 (数学)]]
* [[固有値]]
* [[対角化]]
* [[ジョルダン標準形]]
* [[疎行列]]
* [[MATLAB]]
* [[R言語]]
== 外部リンク ==
* [http://www.jimmysie.com/maths/matrix.php Online Matrix Multiplication using AJAX]
* [http://www.jimmysie.com/maths/matrixinv.php Online Inverse Matrix Calculator using AJAX]
*[http://www.stud.feec.vutbr.cz/~xvapen02/vypocty/matreg.php?language=english Online Calculator - Operation with matrices in R (determinant, track, inverse, adjoint, transpose)]
* {{Kotobank}}
; 歴史
*[http://www-groups.dcs.st-and.ac.uk/~history/HistTopics/Matrices_and_determinants.html MacTutor: Matrices and determinants]
*[http://www.economics.soton.ac.uk/staff/aldrich/matrices.htm Matrices and Linear Algebra on the Earliest Uses Pages]
*[http://jeff560.tripod.com/matrices.html Earliest Uses of Symbols for Matrices and Vectors]
; オンライン本
* {{Citation | last1=Kaw | first1=Autar K. | title=Introduction to Matrix Algebra | url=http://autarkaw.com/books/matrixalgebra/index.html | isbn=978-0-615-25126-4}}
* {{Citation | title= The Matrix Cookbook | url=http://matrixcookbook.com | accessdate=2008-12-10}}
* {{Citation | first1=M. | last1=Brookes | title=The Matrix Reference Manual | url=http://www.ee.ic.ac.uk/hp/staff/dmb/matrix/intro.html | publisher=[[Imperial College]] | location=London|year=2005|accessdate=2008-12-10}}
* [https://linesegment.web.fc2.com/books/mathematics/gyouretsuoyobigyouretsushiki/ 『行列および行列式』荒又秀夫著、東海書房、1947年刊]
; オンラインの行列計算器
* {{Citation |title=SuperiorMath (Matrix Calculator)| url=http://www.webalice.it/simoalessia/SuperiorMath/matrix.html }}
* {{Citation |title=Matrix Calculator (DotNumerics )| url=http://www.dotnumerics.com/MatrixCalculator/ }}
* {{Citation | last1=Xiao |first1=Gang |title= Matrix calculator| url=http://wims.unice.fr/wims/wims.cgi?module=tool/linear/matrix.en| accessdate=2008-12-10}}
* {{Citation |title=Online matrix calculator| url=http://www.bluebit.gr/matrix-calculator/ | accessdate=2008-12-10}}
* {{Citation |title=Online matrix calculator(ZK framework)| url=http://matrixcalc.info/MatrixZK/ | accessdate=2009-11-26}}
* {{Citation| title=MacAnova|url=http://www.stat.umn.edu/macanova/macanova.home.html|last1=Oehlert|first1=Gary W. |last2=Bingham|first2= Christopher |publisher=[[University of Minnesota]], School of Statistics|accessdate=2008-12-10}}, a freeware package for matrix algebra and statistics
* {{Citation |title=Online matrix calculator| url=http://www.idomaths.com/matrix.php | accessdate=2009-12-14}}
*[http://www.stud.feec.vutbr.cz/~xvapen02/vypocty/matreg.php?language=english Operation with matrices in R (determinant, track, inverse, adjoint, transpose)]
*[http://oscience.info/math-formulas/matrix-formulas/ Matrix Formulas]
; 関連する学会、学術雑誌等
*[http://mepa.jsiam.org/ 日本応用数理学会「行列・固有値問題の解法とその応用」研究部会]
{{Linear algebra}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:きようれつ}}
[[Category:線型代数学]]
[[Category:行列|*]]
[[Category:初等数学]]
[[Category:数学に関する記事]] | 2003-04-20T13:21:13Z | 2023-12-08T04:54:59Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%88%97 |
7,046 | 正方行列 | 正方行列(せいほうぎょうれつ、英: square matrix)とは、行要素の数と列要素の数が一致する行列である。サイズが n × n つまり、n 行 n 列であるとき、n 次正方行列という。
正方行列に対して定義されているものを以下に示す。
特異値を除くと、通常これらは正方行列でのみ定義されている。 | [
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] | 正方行列とは、行要素の数と列要素の数が一致する行列である。サイズが n × n つまり、n 行 n 列であるとき、n 次正方行列という。 | {{出典の明記|date=2015年7月}}
'''正方行列'''(せいほうぎょうれつ、{{lang-en-short|''square matrix''}})とは、行要素の数と列要素の数が一致する[[行列 (数学)|行列]]である。サイズが ''n'' × ''n'' つまり、''n'' 行 ''n'' 列であるとき、''n'' 次正方行列という。
:<math>\begin{bmatrix}
a_{11} & a_{12} & \cdots & a_{1n} \\
a_{21} & a_{22} & \cdots & a_{2n} \\
\vdots & \vdots & \ddots & \vdots \\
a_{n1} & a_{n2} & \cdots & a_{nn}
\end{bmatrix}</math>
==性質==
* 同じサイズの正方行列の全体には[[加法]]・[[乗法]]が定義可能で、[[環 (数学)|環]]をなす。(これは行列のサイズが ''n'' × ''n'' のとき ''n'' 次の'''全行列環'''と呼ばれる。)
** 可換環上 1 次の場合([[スカラー (数学)|スカラー]])<!--(と零環上の行列環)-->をのぞいて、全行列環は非可換。
** [[実数]][[可換体|体]] '''R''' 上で定義された 2 次の全行列環は複素数体 '''C''' と同型な部分体を含む。
** [[複素数]]体 '''C''' 上定義された 2 次の全行列環あるいは '''R''' 上定義された 4 次の全行列環は、[[四元数]]体 '''H''' に同型な部分斜体を含む。
*可換環上で定義される正方行列には[[行列式]]を定義できる。
*[[単元]]と[[冪等元]]の積として書ける。
==正方行列に対して定義されているもの==
正方行列に対して定義されているものを以下に示す。
*[[逆行列]] - ([[逆元#逆行列・擬逆行列]]、[[可逆元]]参照)
*[[行列式]]
*[[固有値]]
*[[特異値]]
*[[トレース (線型代数学)|トレース]]
[[特異値]]を除くと、通常これらは正方行列でのみ定義されている。
==特殊な正方行列==
* [[三角行列]] - [[対角行列]] - [[単位行列]]
* [[エルミート行列]] - [[対称行列]]
* [[正則行列]] - [[逆行列]]
* [[ユニタリ行列]] - [[直交行列]]
==関連項目==
*[[線型代数学]]
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
{{DEFAULTSORT:せいほうきようれつ}}
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[[Category:行列]]
[[Category:数学に関する記事]] | null | 2021-12-14T22:01:55Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%96%B9%E8%A1%8C%E5%88%97 |
7,047 | 単位行列 | 数学、特に線型代数学において、単位行列(たんいぎょうれつ、英: identity matrix)とは、単位的環上で定義される同じ型の正方行列同士の、積演算における単位元のことである。
単位行列はその対角成分に 1 が並び、他は全て 0 となる。行列要素を ai, j とすると次のように書ける。
ただし、1, 0 は係数環の単位元と零元である。
n次単位行列は En や In と記述されることが多い。混乱の恐れがないときには、単に E や I とも書かれる。
対角行列の記法を用いて In = diag(1, 1, ..., 1) と書ける。
クロネッカーのデルタを用いると、En = (δi,j) と表すことができる。
単位行列をスカラー倍したものをスカラー行列という。スカラーにスカラー行列を対応させる写像が単射ならば、係数環は行列群(線型代数群)あるいは行列環に部分群・部分環として埋め込まれ、係数環の中心は行列群あるいは行列環の中心に入る。特に可換体上の n次全行列環の中心は、埋め込まれた係数体そのもので、これを全行列環は係数体上中心的であるという。 | [
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"text": "単位行列をスカラー倍したものをスカラー行列という。スカラーにスカラー行列を対応させる写像が単射ならば、係数環は行列群(線型代数群)あるいは行列環に部分群・部分環として埋め込まれ、係数環の中心は行列群あるいは行列環の中心に入る。特に可換体上の n次全行列環の中心は、埋め込まれた係数体そのもので、これを全行列環は係数体上中心的であるという。",
"title": "スカラー行列との関連"
}
] | 数学、特に線型代数学において、単位行列とは、単位的環上で定義される同じ型の正方行列同士の、積演算における単位元のことである。 | {{出典の明記|date=2017-05}}
{{distinguish|行列単位}}
[[数学]]、特に[[線型代数学]]において、'''単位行列'''(たんいぎょうれつ、{{lang-en-short|identity matrix}})とは、[[単位的環]]上で定義される同じ[[行列#型|型]]の[[正方行列]]同士の、[[二項演算|積演算]]における[[単位元]]のことである。
== 構成 ==
単位行列はその[[主対角線|対角成分]]に 1 が並び、他は全て 0 となる。行列要素を {{math|''a''{{sub|''i'', ''j''}}}} とすると次のように書ける。
:<math>a_{i,j} = \left\{ \begin{matrix}
1 &(i=j) \\
0 &(i \ne j)
\end{matrix}\right.</math>
ただし、1, 0 は係数環の単位元と[[加法単位元|零元]]である。
:<math>\begin{bmatrix}
1 &0 &\cdots &0 \\
0 &1 &\cdots &0 \\
\vdots &\vdots &\ddots &\vdots \\
0 &0 &\cdots &1
\end{bmatrix}</math>
== 表記法 ==
{{mvar|n}}次単位行列は {{mvar|E{{sub|n}}}} や {{mvar|I{{sub|n}}}} と記述されることが多い。混乱の恐れがないときには、単に {{mvar|E}} や {{mvar|I}} とも書かれる。
対角行列の記法を用いて {{math2|1=''I{{sub|n}}'' = diag(1, 1, …, 1)}} と書ける。
[[クロネッカーのデルタ]]を用いると、{{math2|1=''E{{sub|n}}'' = (δ{{sub|''i'',''j''}})}} と表すことができる。
== 性質 ==
*単位元である ({{math2|1=''AI'' = ''IA'' = ''A''}})
*[[正方行列]]である
*[[対角行列]]である
*[[対称行列]]である
*[[逆行列]]は自分自身である ({{math2|1=''I''{{sup|−1}} = ''I''}})
*[[固有値]]はすべて1
*[[特異値]]はすべて1
*[[行列式]]は1 ({{math2|1=det(''I'') = 1}})
== スカラー行列との関連 ==
単位行列を[[スカラー (数学)|スカラー]]倍したものを{{Visible anchor|'''スカラー行列'''}}という。スカラーにスカラー行列を対応させる[[写像]]が単射ならば、係数環は行列[[群論|群]]([[線型代数群]])あるいは[[行列環]]に[[部分群]]・[[部分環]]として埋め込まれ、係数環の中心は行列群あるいは行列環の中心に入る。特に可換体上の {{mvar|n}}次全行列環の中心は、埋め込まれた係数体そのもので、これを全行列環は係数体上中心的であるという。
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
* {{高校数学の美しい物語|2694|単位行列の意味と性質,1との比較}}
{{DEFAULTSORT:たんいきようれつ}}
[[Category:行列]]
[[Category:初等数学]]
[[Category:数学に関する記事]] | 2003-04-20T13:43:52Z | 2023-08-06T04:36:07Z | false | false | false | [
"Template:出典の明記",
"Template:Math",
"Template:Distinguish",
"Template:Lang-en-short",
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"Template:Kotobank",
"Template:高校数学の美しい物語"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E4%BD%8D%E8%A1%8C%E5%88%97 |
7,048 | 転置行列 | 転置行列(てんちぎょうれつ、英: transpose [of a matrix], transposed matrix)とは、m 行 n 列の行列 A に対して A の (i, j) 要素と (j, i) 要素を入れ替えてできる n 行 m 列の行列のことである。転置行列は A, A, A, A, A′ などと示される。行列の転置行列を与える操作のことを転置(てんち、英: transpose)といい、「A を転置する」などと表現する。
特に正方行列に対しては、転置行列は各成分を対角成分で折り返した行列になる。
m × n行列
の転置行列 A は
で定義される。このとき A は n × m行列である。
A, B は行列、k, l はスカラーとして各演算が定義できる限りにおいて以下のことが成り立つ。
転置により定義される特別な行列として以下がある。
これらの行列はそれぞれ随伴行列(行列のエルミート共役)に対するエルミート行列、歪エルミート行列、ユニタリ行列に相当する。
m × n 行列 A を n 次元ベクトル空間 V から m 次元ベクトル空間 W への線形写像 f : V → W とみなすとき、A の転置行列 A には f の転置写像 f が対応する。これは W の双対空間 W から V の双対空間 V への線形写像 f : W → V で、y ∈ W に対して
によって定義される。この定義は y ∈ W と y ∈ W の自然なペアリングを y(y) = ⟨y, y⟩ と表記すれば、x ∈ V に対して
という関係式によって書き直すこともできる。 | [
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] | 転置行列とは、m 行 n 列の行列 A に対して A の 要素と 要素を入れ替えてできる n 行 m 列の行列のことである。転置行列は tA, AT, A⊤, Atr, A′ などと示される。行列の転置行列を与える操作のことを転置といい、「A を転置する」などと表現する。 特に正方行列に対しては、転置行列は各成分を対角成分で折り返した行列になる。 | [[画像:Matrix transpose.gif|200px|right]]
'''転置行列'''(てんちぎょうれつ、{{lang-en-short|transpose [of a matrix], transposed matrix}})とは、{{mvar|m}} 行 {{mvar|n}} 列の[[行列 (数学)|行列]] {{mvar|A}} に対して {{mvar|A}} の {{math|(''i'', ''j'')}} 要素と {{math|(''j'', ''i'')}} 要素を入れ替えてできる {{mvar|n}} 行 {{mvar|m}} 列の行列のことである<ref name="斎藤2017-31">[[#斎藤2017|斎藤2017]] p.31</ref>。転置行列は {{math2|''{{sup|t}}A'', ''A''{{sup|T}}, ''A''{{mtop|.}}, ''A''{{sup|tr}}, ''A′''}} などと示される。行列の転置行列を与える操作のことを'''転置'''(てんち、{{lang-en-short|transpose}})といい、「{{mvar|A}} を転置する」などと表現する。
特に[[正方行列]]に対しては、転置行列は各成分を対角成分で折り返した行列になる。
== 定義 ==
{{math2|''m'' × ''n''}}行列
:<math>A = \begin{bmatrix}
a_{1,1} &\cdots &a_{1,n} \\
\vdots & \ddots &\vdots \\
a_{m,1} &\cdots &a_{m,n}
\end{bmatrix}</math>
の転置行列 {{mvar|{{sup|t}}A}} は
:<math>{}^t A = \begin{bmatrix}
a_{1,1} &\cdots &a_{m,1} \\
\vdots & \ddots &\vdots \\
a_{1,n} &\cdots &a_{m,n}
\end{bmatrix}</math>
で定義される。このとき {{mvar|{{sup|t}}A}} は {{math|''n'' × ''m''}}行列である。
== 性質 ==
{{math2|''A'', ''B''}} は行列、{{math2|''k'', ''l''}} はスカラーとして各演算が定義できる限りにおいて以下のことが成り立つ。
* 転置の転置は元の行列を与える<ref name="斎藤2017-31" />([[対合]]性):{{math2|1=''{{sup|t t}}A'' = ''A''}}
* 和の転置は転置の和を与える<ref name="斎藤2017-31" />(加法性):{{math2|1={{sup|''t''}}(''A'' + ''B'') = ''{{sup|t}}A'' + ''{{sup|t}}B''}}
* 行列のスカラー倍の転置は転置行列のスカラー倍を与える<ref name="斎藤2017-31" />(斉次性):{{math2|1={{sup|''t''}}(''kA'') = ''k {{sup|t}}A''}}
** 斉次性および加法性から[[線型性]]が成り立つ:{{math2|1={{sup|''t''}}(''kA'' + ''lB'') = ''k {{sup|t}}A'' + ''l {{sup|t}}B}}
* 積の転置は積の左右を入れ替えた転置の積を与える<ref name="斎藤2017-31" />:{{math2|1={{sup|''t''}}(''AB'') = ''{{sup|t}}B {{sup|t}}A''}}
;正方行列の性質
* [[逆行列]]の転置は転置の逆行列を与える<ref>[[#斎藤2017|斎藤2017]] p.32</ref>:{{math2|1={{sup|''t''}}(''A''{{sup|−1}}) = (''{{sup|t}}A''){{sup|−1}}}}
* {{mvar|n}} 次[[正方行列]] {{mvar|A}} の[[跡 (線型代数学)|跡]]を {{math|tr ''A''}} で表すと {{math2|1=tr ''A'' = tr ''{{sup|t}}A''}}
* {{mvar|n}} 次正方行列 {{mvar|A}} の[[行列式]]を {{math|det ''A''}} で表すと {{math2|1=det ''A'' = det ''{{sup|t}}A''}}<ref>[[#斎藤2017|斎藤2017]] p.90</ref>
* {{mvar|n}} 次[[実数|実]]正方行列 {{mvar|A}}, {{mvar|n}} 次ベクトル {{math2|''x'', ''y''}} に対して、標準[[内積]]を {{math2|{{angbr|·, ·}}}} で表すと、{{math2|1={{angbr|''Ax'', ''y''}} = {{angbr|''x'', ''{{sup|t}}Ay''}}}}
== 転置行列により定義される行列 ==
転置により定義される特別な行列として以下がある<ref>[[#斎藤2017|斎藤2017]] p.74</ref>。
*[[対称行列]]:転置が元の行列と等しい ({{math2|1=''{{sup|t}}A'' = ''A''}})
*[[反対称行列]]:転置が元の行列に −1 をかけたものになる({{math2|1=''{{sup|t}}A'' = −''A''}})
*[[直交行列]]:転置が元の行列の[[逆行列]]になる({{math2|1=''{{sup|t}}A'' = ''A''{{sup|−1}}}})
これらの行列はそれぞれ[[随伴行列]](行列のエルミート共役)に対する[[エルミート行列]]、[[歪エルミート行列]]、[[ユニタリ行列]]に相当する。
== 線形写像との関係 ==
{{main|転置写像}}
{{math2|''m'' × ''n''}} 行列 {{mvar|A}} を {{mvar|n}} 次元[[ベクトル空間]] {{mvar|V}} から {{mvar|m}} 次元ベクトル空間 {{mvar|W}} への[[線形写像]] {{math2|''f'' : ''V'' → ''W''}} とみなすとき、{{mvar|A}} の転置行列 {{mvar|{{sup|t}}A}} には {{mvar|f}} の転置写像 {{mvar|{{sup|t}}f}} が対応する。これは {{mvar|W}} の[[双対ベクトル空間|双対空間]] {{math|''W''{{sup|*}}}} から {{mvar|V}} の双対空間 {{math|''V''{{sup|*}}}} への線形写像 {{math2|''{{sup|t}}f'' : ''W''{{sup|*}} → ''V''{{sup|*}}}} で、{{math2|''y''{{sup|*}} ∈ ''W''{{sup|*}}}} に対して
:<math>{}^t f = y^* \circ f</math>
によって定義される{{sfn|Bourbaki|1998|p=234|loc={{google books quote|id=STS9aZ6F204C|page=234|Definition 5}}}}。この定義は {{math2|''y'' ∈ ''W''}} と {{math2|''y''{{sup|*}} ∈ ''W''{{sup|*}}}} の自然なペアリングを {{math2|1=''y''{{sup|*}}(''y'') = {{angbr|''y'', ''y''{{sup|*}}}}}} と表記すれば、{{math2|''x'' ∈ ''V''}} に対して
:<math> \langle f(x), y^* \rangle = \langle x, {}^t f (y^*) \rangle</math>
という関係式によって書き直すこともできる{{sfn|Bourbaki|1998|p={{google books quote|id=STS9aZ6F204C|page=235|235}}}}。
== 脚注 ==
=== 出典 ===
{{reflist}}
== 参考文献 ==
*{{Cite book |author=[[ニコラ・ブルバキ]] |year=1998 |origyear=1970 |title=Algebra I. Chapters 1-3 |series=Elements of Mathematics
|url = {{google books|STS9aZ6F204C|plainurl=yes}} |publisher=Springer-Verlag |isbn=3-540-64243-9 |mr=1727844 |zbl=0904.00001 |ref=harv}}
*{{Cite book|和書 |author=斎藤正彦|authorlink=斎藤正彦 |date=2017-04-10 |title=線形代数学 |publisher=[[東京図書]] |edition=第3版 |isbn=978-4-489-02179-4 |ref=斎藤2017
}}
== 関連項目 ==
* [[対称行列]]
* [[反傾行列]]
* [[随伴行列]]
* [[反対称行列]]
* [[直交行列]]
* [[双対ベクトル空間]]
== 外部リンク ==
* {{高校数学の美しい物語|1046|転置行列の意味・重要な7つの性質と証明}}
{{Linear-algebra-stub}}
{{線形代数}}
{{テンソル}}
{{DEFAULTSORT:てんちきようれつ}}
[[Category:行列]]
[[Category:数学に関する記事]] | null | 2023-05-14T11:07:15Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%A2%E7%BD%AE%E8%A1%8C%E5%88%97 |
7,049 | 表面 | 表面(ひょうめん、英: surface)は、
物性物理学においては、ある相が別の相と接しているとき、その界面を元の相の表面と呼ぶ。
固体と気体の界面を意味することが多いが、他にも、液体と気体、固体と液体、液体と液体、固体と真空などの組合せもある。
一般に物体の表面付近の状態は物体内部の状態と異なっている。例えば物体の表面が物体内部より高いエネルギーを持つと表面張力として観察される。このような性質を記述する表面物理学と呼ばれる分野がある。
表面といえば通常、密でまとまった側を基準とする。たとえば、固体と気体が接している場合、その界面は「固体の表面」とは言うが「気体の表面」とはいわない。水中に油泡がある場合の界面は「油の表面」、油中に水泡がある場合の界面は「水の表面」というのが普通である。
固体の表面は、通常は表側だけから触れることができる。ただし水面のような液体の表面は、表と裏の両方から接触可能である。 | [
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] | 表面は、 物体の内部と外部との境界をなす面。
表裏がある物体について、表側の面。 | {{出典の明記| date = 2022年1月}}
'''表面'''(ひょうめん、{{lang-en-short|[[wikt:surface|surface]]}})は、
*[[物体]]の内部と外部との境界をなす面。
*表裏がある物体について、表側の面。
==物性物理学==
[[物性物理学]]においては、ある[[相 (物質)|相]]が別の相と接しているとき、その[[界面]]を元の相の表面と呼ぶ。
[[固体]]と[[気体]]の界面を意味することが多いが、他にも、[[液体]]と気体、固体と液体、液体と液体、固体と[[真空]]などの組合せもある。
一般に物体の表面付近の状態は物体内部の状態と異なっている。例えば物体の表面が物体内部より高い[[エネルギー]]を持つと[[表面張力]]として観察される。このような性質を記述する[[表面物理学]]と呼ばれる分野がある。
表面といえば通常、密でまとまった側を基準とする。たとえば、固体と気体が接している場合、その界面は「固体の表面」とは言うが「気体の表面」とはいわない。水中に油泡がある場合の界面は「油の表面」、油中に水泡がある場合の界面は「水の表面」というのが普通である。
固体の表面は、通常は表側だけから触れることができる。ただし[[水面]]のような液体の表面は、表と裏の両方から接触可能である。
== 関連項目 ==
* [[表面科学]]
* [[表面積]]
* [[表面波]]
* {{仮リンク|境界表現|en|Boundary representation}}
* [[サーフェスモデル]]
* [[ポリゴンメッシュ]]
* [[張り子]]
*{{Prefix}}
*{{intitle}}
== 外部リンク ==
* {{kotobank}}
{{DEFAULTSORT:ひようめん}}
[[Category:物性物理学]]
[[Category:表面物理学]] | null | 2022-01-18T10:03:03Z | false | false | false | [
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"Template:Lang-en-short",
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"Template:Intitle",
"Template:Kotobank"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E9%9D%A2 |
7,050 | 単位元 | 数学、とくに抽象代数学において、単位元(たんいげん, 英: identity element)あるいは中立元(ちゅうりつげん, 英: neutral element)は、二項演算を備えた集合の特別な元で、ほかのどの元もその二項演算による単位元との結合の影響を受けない。
(M, ∗) を集合 M とその上の二項演算 ∗ のなすマグマとする。
M の元 e が ∗ に関する(両側)単位元であるとは、M の全ての元 a に対して
を満たすときにいう。
さらに細かく、M の任意の元 a に対して、 a ∗ e = a を満たすときに右単位元といい、e ∗ a = a を満たすときに左単位元という。
単位元は左単位元かつ右単位元である。演算が可換であるときには左右の区別はない。単位元を持つマグマ、半群、環などはそれぞれ単位的マグマ、単位的半群(モノイド)、単位的環などと呼ばれる。
環などの加法と乗法の二つの演算を持つような代数系では、どの演算に関する概念であるかを区別するために、加法に関する単位元を加法単位元(しばしば 0 で表す)と呼び、乗法に関する単位元を乗法単位元(しばしば 1 で表す)という。
左単位元および右単位元は一つの代数系に複数存在しうる。しかしマグマ (M, ∗) が左単位元および右単位元を持てば、それらは一致しその代数系のただ一つの(両側)単位元となる。このことは、実際 e1 が左単位元 e2 が右単位元であるならば、
が成立することからわかる。とくに両側単位元は高々一つしか存在しない。
マグマ (S, ∗) が一つも単位元を持たないこともありうる。よく知られた例としては空間ベクトルのクロス積が挙げられる。クロス積に関する単位元が存在しないことは、二つの非零ベクトルのクロス積がもとの二つのベクトルの両方に直交する向きを持つという事実からわかる。単位元を持たない別な例としては(正の)自然数全体のなす加法的半群 (N, +) が挙げられる。 | [
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}
] | 数学、とくに抽象代数学において、単位元あるいは中立元は、二項演算を備えた集合の特別な元で、ほかのどの元もその二項演算による単位元との結合の影響を受けない。 | {{No footnotes|date=2023年9月}}
[[数学]]、とくに[[抽象代数学]]において、'''単位元'''(たんいげん, {{Lang-en-short|''identity element''}})あるいは'''中立元'''(ちゅうりつげん, {{Lang-en-short|''neutral element''}})は、[[二項演算]]を備えた[[集合]]の特別な元で、ほかのどの元もその二項演算による単位元との結合の影響を受けない。
== 定義 ==
(''M'', ∗) を[[集合]] ''M'' とその上の[[二項演算]] ∗ のなす[[マグマ (数学)|マグマ]]とする。
''M'' の元 ''e'' が ∗ に関する(両側)'''単位元'''であるとは、''M'' の全ての[[元_(数学)|元]] ''a'' に対して
:<math> a * e = e * a = a </math>
を満たすときにいう。
さらに細かく、''M'' の任意の元 ''a'' に対して、 ''a'' ∗ ''e'' = ''a'' を満たすときに'''右単位元'''といい、''e'' ∗ ''a'' = ''a'' を満たすときに'''左単位元'''という。
単位元は左単位元かつ右単位元である。[[算法|演算]]が[[交換法則|可換である]]ときには左右の区別はない。単位元を持つマグマ、半群、環などはそれぞれ'''単位的マグマ'''、単位的半群([[モノイド]])、[[単位的環]]などと呼ばれる。
[[環 (数学)|環]]などの加法と乗法の二つの演算を持つような代数系では、どの演算に関する概念であるかを区別するために、加法に関する単位元を[[加法単位元]](しばしば 0 で表す)と呼び、乗法に関する単位元を'''乗法単位元'''(しばしば 1 で表す)という。
== 例 ==
{| class="wikitable" style="margin: 1em auto 1em auto"
|+ 種々の代数系の単位元
! 集合 !! 演算 !! 単位元
|-
| [[実数]]全体 '''R''' || [[加法|和]] + || [[0]]
|-
| 実数全体 '''R''' || [[乗法|積]] • || [[1]]
|-
| 実数全体 '''R''' || [[冪乗]] ''a<sup>b</sup>'' || 右単位元: 1
|-
| 正の整数全体 '''N''' || [[最小公倍数]] LCM || 1
|-
| 非負整数全体 '''Z'''<sub>≥0</sub> || [[最大公約数]] GCD || 0(定義に依存する)
|-
| ''m''-行 ''n''-列[[行列 (数学)|行列]]全体 || 行列の和 + || [[零行列]] ''O''
|-
| ''n''-次[[正方行列]]|| 行列の積 • || ''n''-次[[単位行列]] ''I''<sub>''n''</sub>
|-
| 集合 ''M'' から ''M'' 自身への[[写像]]全体 ''M''<sup>''M''</sup> || 合成 ∘ || [[恒等写像]]
|-
| 集合 ''M'' から ''M'' 自身への写像全体 ''M''<sup>''M''</sup>|| [[畳み込み]] ∗ || [[ディラック・デルタ]] δ
|-
| [[文字列]]全体 || 文字列の結合 || [[空文字列]]
|-
| [[拡大実数]]全体 <span style="text-decoration: overline;">'''R'''</span> || 最小または下限 ∧ || 正の無限大 +∞
|-
| 拡大実数全体 <span style="text-decoration: overline;">'''R'''</span> || 最大または上限 ∨ || 負の無限大 −∞
|-
| 集合 ''M'' の部分集合全体 2<sup>''M''</sup> || [[共通部分 (数学)|交わり]] ∩ || 全体集合 ''M''
|-
| 小さい集合の全体 '''Sets''' || [[合併 (集合論)|結び]] ∪ || [[空集合]] {}
|-
| [[ブール論理]] || [[論理積]] ∧ || 真 ⊤
|-
| ブール論理 || [[論理和]] ∨ || 偽 ⊥
|-
| ブール論理 || [[排他的論理和]] xor || 偽 ⊥
|-
| [[閉曲面]] || 連結和 # || 球面 ''S''<sup>2</sup>
|-
| 二元集合 {''e'', ''f''}
| ∗: <br /> ''e'' ∗ ''e'' = ''f'' ∗ ''e'' = ''e'' <br /> ''f'' ∗ ''f'' = ''e'' ∗ ''f'' = ''f''
| 左単位元: ''e'', ''f''<br />右単位元: なし<br />両側単位元: なし
|}
== 性質 ==
左単位元および右単位元は一つの代数系に複数存在しうる。しかしマグマ (''M'', ∗) が左単位元および右単位元を持てば、それらは一致しその代数系のただ一つの(両側)単位元となる。このことは、実際 ''e''<sub>1</sub> が左単位元 ''e''<sub>2</sub> が右単位元であるならば、
: <math>e_1 = e_1 * e_2 = e_2</math>
が成立することからわかる。とくに両側単位元は[[高々 (数学)|高々]]一つしか存在しない。
マグマ (''S'', ∗) が一つも単位元を持たないこともありうる。よく知られた例としては[[空間ベクトル]]の[[クロス積]]が挙げられる。クロス積に関する単位元が存在しないことは、二つの非零ベクトルのクロス積がもとの二つのベクトルの両方に直交する向きを持つという事実からわかる。単位元を持たない別な例としては(正の)自然数全体のなす加法的半群 ('''N''', +) が挙げられる。
; 単位元の添加
: マグマ (''M'', ∗) が与えられたとき、''M'' に ''M'' のどの元とも異なる新たな元 1 を付け加えた集合 ''M''<sup>1</sup> := ''M'' ∪ {1} で<div style="margin: 1ex auto 1ex 2em">任意の ''a'' ∈ ''M''<sup>1</sup> に対して ''a'' * 1 = 1 * ''a'' = ''a'' </div>と定めて、''M'' の演算 ∗ を ''M''<sup>1</sup> 上に延長することにより、元 1 を ''M''<sup>1</sup> の ∗ に関する単位元とすることができる。この (''M''<sup>1</sup>, ∗) を (''M'', ∗) の '''1-添加'''という。
: もし、''M'' がもともと ∗ に関する単位元 ''e'' を持っていたとしても、''e'' は ''M''<sup>1</sup> 上ではもはや ∗ に関する単位元ではない。
== 参考文献 ==
* {{cite book|和書|author=田村孝行|title=半群論|publisher=共立出版|year=1972|series=共立講座 現代の数学}}
* M. Kilp, U. Knauer, A.V. Mikhalev, ''Monoids, Acts and Categories with Applications to Wreath Products and Graphs'', De Gruyter Expositions in Mathematics vol. 29, Walter de Gruyter, 2000, ISBN 3110152487, p. 14-15
== 関連項目 ==
* [[吸収元]]
* [[逆元]]
* [[加法逆元]]
* [[単位的]]
* [[モノイド]](単位的半群)
== 外部リンク ==
* {{PlanetMath|urlname=IdentityElement|title=identity element}}
* {{PlanetMath|urlname=LeftIdentityAndRightIdentity|title=left identity and right identity}}
* {{MathWorld|urlname=IdentityElement|title=Identity element}}
{{DEFAULTSORT:たんいけん}}
[[Category:代数的構造]]
[[Category:数学に関する記事]]
[[fa:عمل دوتایی#عضو خنثی]] | 2003-04-20T13:58:05Z | 2023-09-10T20:21:50Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E4%BD%8D%E5%85%83 |
7,051 | スピン | スピン(spin)
いずれも英語。 | [
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] | スピン(spin) | '''スピン'''(spin)
== 原義 ==
いずれも[[英語]]。
* 何かを[[回転]]させる、してしまうこと。
** スピン - [[球技]]における[[ボール]]の回転のこと。[[トップスピン]]など。
** [[スピンボタン]] - [[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]におけるコントロールデザインの一種。
* [[自転]]する、してしまうこと。
** スピン - [[量子力学]]における[[スピン角運動量]]の略。
** [[スピン (フィギュアスケート)]] - [[フィギュアスケート]]の技術要素の一つ。その他、演技系のスポーツでも「スピン」という言葉が使われる。
** スピン([[ボディボード]])- [[ボディボード]]で波の面に対し水平に回転する技術。
** スピン - 航空機のきりもみ降下のこと。[[フラットスピン]]など。その他、自動車などの乗り物でも「スピン」という言葉が使われる。
* [[紡績]]。
* [[詭弁]]の技術で、相手の言葉をわざと誤って解釈すること。
** [[スピン (パブリック・リレーションズ)]] - [[パブリック・リレーションズ]]における[[情報操作]]の手法。
== spin ==
* [[spin]] - [[SADS]]のシングル。
* [[オランダ語]]で[[クモ]]の意。
== Spin ==
* [[スピン (雑誌)]] - [[アメリカ合衆国]]の[[音楽雑誌]]。
* {{仮リンク|スピン (オランダのバンド)|nl|Spin (jazzrockgroep)}} - 1976年から1977年にかけて活動した[[オランダ]]の[[ジャズ・ロック]]バンド。上記オランダ語に由来。
* [[スピン群]] - [[数学]]における[[群 (数学)|群]]のひとつ。
* [[フォッカー スピン]] - [[アントニー・フォッカー]]が開発した最初の航空機の名。上記オランダ語に由来。
* [[シボレー・スピン]] - [[ゼネラルモーターズ]]が[[アジア]]、[[南アメリカ|南米]]で生産している[[ミニバン]]。
* Spin - [[ロバート・チャールズ・ウィルスン]]の小説『時間封鎖』の原題。
== SPIN ==
* [[SPINモデルチェッカ]] - [[ソフトウェアツール]]の一種。Simple Promela INterpreterの略。
* [[SPIN (作詞家)]] - 日本の[[作詞家]]。UNITe(ユニト)名義でも活動<ref>[https://www.uta-net.com/user/sakushika/101_200/125.html 言葉の達人/SPINさん] [[歌ネット]]</ref><ref>[https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001121904 SPIN] [[国立国会図書館]]典拠データ検索・提供サービス</ref>。
* SPIN - [[松尾清憲]]のアルバム。
* SPIN - [[Little Glee Monster]]の楽曲。アルバム『[[BRIGHT NEW WORLD]]』収録。
* SPIN - かつて日本エンハンスドシステムが提供していた[[インターネットサービスプロバイダ]]の名称。[[JENS SpinNet]]参照。
* [[THE SPIN]] - [[日本]]のロックバンド。
== スピン ==
* [[スピン (本)]] - [[本]]の背に糊付けされている[[栞|しおり]]用の細い紐(ブックマーク)の日本での呼称。語源不詳。
* [[スピン (小説)]] - [[山田悠介]]の小説。
* [[スピン (スナック菓子)]] - [[森永製菓]]が[[1969年]]に発売開始した[[スナック菓子]]の名称。
* スピン - ゲームソフト『[[星のカービィ 参上! ドロッチェ団]]』に登場する[[キャラクター]]。
== 脚注 ==
{{reflist}}
== 関連項目 ==
* {{prefix|spin}}
* {{prefix}}
* {{intitle|spin}}
* {{intitle}}
* [[スピンオフ]]
* [[スピナー]]
* [[スパイラル]]
* [[ターン]]
{{aimai}}
{{デフォルトソート:すひん}}
[[Category:英語の語句]]
[[Category:オランダ語の語句]]
[[Category:同名の作品]] | null | 2022-12-05T13:14:06Z | true | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%B3 |
7,052 | 対称行列 | 線型代数学における対称行列(たいしょうぎょうれつ、英: symmetric matrix)は、自身の転置行列と一致するような正方行列を言う。記号で書けば、行列 A は
を満たすとき対称であるという。任意の正方行列は対称行列と相似である。
定義により、対称行列の成分は主対角線に関して対称である。即ち、成分に関して行列 A = [ai j] は任意の添字 i j に関して ai j = aj i を満たす。例えば、次の 3 次正方行列
は対称である。任意の正方対角行列は、その非対角成分が 0 であるから、対称である。同様に、歪対称行列(A = −A なる行列)の各対角成分は、自身と符号を変えたものと等しいから、すべて 0 でなければならない。
実対称行列が実内積空間上の適当な正規直交基底に対して定める線形作用素は対称作用素(自己随伴作用素)である。複素内積空間の場合に対応する概念は、複素数を成分に持つエルミート行列(自身の共役転置行列と一致するような複素行列)である。故に、複素数体上の線型代数学においては、対称行列という言葉は行列が実数に成分をとる場合に限って使うことがしばしばある。対称行列は様々な応用の場面に現れ、典型的な数値線型代数ソフトウェアではこれらに特別な便宜をさいている。
有限次元のスペクトル定理によれば、任意の実対称行列は直交行列によって対角化可能である。更に、実正方行列 A が対称であるのは
が実対角行列となる実直交行列 Q が存在するとき、かつそのときに限ることが知られている。従って、任意の対称行列は適当な正規直交基底に関する(同値の違いを除いて)対角行列である。言い換えれば、n 次実正方行列 A が対称となる必要十分条件は、A の固有ベクトルの全体が R の正規直交基底となることである。
任意の実対称行列は、複素行列と見てエルミートであり、従ってその全ての固有値は実数である(コーシー 1829)。実はこれら固有値は、その行列の対角化(上で述べた D)の成分であり、従って D は A によって(成分を並べる順番を除いて)一意に決定される。本質的に、実行列が対称であるという性質は複素行列がエルミートであるという性質に対応する。
複素対称行列Aのジョルダン標準形は対角行列ではないかもしれず、それゆえAが対角化可能であるとは限らない。複素対称行列はユニタリ行列によって「対角化」される。即ち、複素対称行列 A に対しユニタリ行列 U が存在して UAU が対角行列かつ成分が非負実数となるようにすることができる。このことは「オートン高木分解」とも呼ばれ、もとはレオン・オートン (Autonne 1915) と高木貞治 (Takagi 1925) がそれぞれ証明し、その後さまざまな数学者によって異なる証明を以って再発見された。
実際、行列 B = A A はエルミートかつ半正定値であり、ユニタリ行列 V によって非負実数を成分とする対角行列 V BV が得られる。従って、C = VAV は C C = V BV が実行列であるような複素対称行列になる。実対称行列 X, Y を用いて C = X + iY と置けば C C = X + Y + i(XY − YX) となるから、XY = YX を得る。X と Y が可換ゆえ、実直交行列 W が存在して WXW, WYW がともに対角行列となるようにすることができる(同時対角化)。そこで U = WV (これはユニタリ行列)と置けば、行列 UAU は複素対角行列になる。U に左から適当な対角かつユニタリな行列を掛けることにより(これは U のユニタリ性を保存する)対角成分を非負実数にすることができる。複素対角行列は U A U T = diag ( r 1 e i θ 1 , r 2 e i θ 2 , ... , r n e i θ n ) {\displaystyle UAU^{\mathrm {T} }=\operatorname {diag} (r_{1}e^{i\theta _{1}},r_{2}e^{i\theta _{2}},\dots ,r_{n}e^{i\theta _{n}})} と表すことができ、適した行列は D = diag ( e − i θ 1 / 2 , e − i θ 2 / 2 , ... , e − i θ n / 2 ) {\displaystyle D=\operatorname {diag} (e^{-i\theta _{1}/2},e^{-i\theta _{2}/2},\dots ,e^{-i\theta _{n}/2})} で与えられる。明らかに D U A U T D = diag ( r 1 , r 2 , ... , r n ) {\displaystyle DUAU^{\mathrm {T} }D=\operatorname {diag} (r_{1},r_{2},\dots ,r_{n})} は求める行列で、よって U ′ = D U {\displaystyle U'=DU} と置きなおせばいい。
各対角成分の平方は A A の固有値であり、A の特異値と一致する。
二つの対称行列の和と差はやはり対称となるが、積は必ずしもそうではない。対称行列 A, B の積 AB が対称となるのは A と B とが可換 (AB = BA) となるときであり、かつそのときに限る。故に任意の整数 n に対し冪 A は A が対称のとき対称である。A, B が可換な n 次実対称行列ならば A, B 双方の固有ベクトルとなるようなベクトルからなる R の基底が存在する。
逆行列 A が存在するとき、それが対称となることと、A が対称であることとは同値である。
n 次正方行列全体の成す空間を Matn と書くことにする。n 次対称行列は主対角線およびそれよりも上側にある n(n + 1)/2 個のスカラーで決まり、同様に歪対称行列も主対角線よりも上にある n(n − 1)/2 個のスカラーで決定される。n 次対称行列全体の成す空間 Symn およびn 次歪対称行列全体の成す空間 Skewn に対して Matn = Symn + Skewn および Symn ∩ Skewn = {0} が成り立つから、すなわち直和分解
が成立する。実際、X ∈ Matn に対して
と書けば、(1/2)(X + X) ∈ Symn かつ (1/2)(X − X) ∈ Skewn は一意に定まる。このことは標数が 2 でない任意の体に成分をとる任意の正方行列 X について成立する。
R の標準内積を ⟨ , ⟩ と書けば、n 次実正方行列 A が対称となる必要十分条件は行列 A の定める双線型形式が対称であること、つまり
が成り立つことである。この条件は基底の取り方とは無関係であるから、行列の対称性は A の定める線型作用素と内積のみによって決まる性質である。この特徴付けは有用で、例えば微分幾何学において可微分多様体の各接空間の内積からくる計量を持つリーマン多様体においても対称性を考えることができる。あるいはヒルベルト空間においても同様の定式化は利用できる。
ジョルダン標準形を用いると、任意の実正方行列が二つの実対称行列の積として書けることや任意の複素正方行列が二つの複素対称行列の積に書けることが証明できる。
任意の実正則行列は、直交行列と対称正定値行列の積として一意に分解することができ、極分解(英語版)と呼ばれる。特異行列も同様の分解を持つが一意ではない。
コレスキー分解は任意の実正定値対称行列 A が下半三角行列 L とその転置である上半三角行列との積 A = LL に書けることを述べる。行列が不定符号でも(ピボット成分(英語版)から生じる)置換行列 P を用いて PAP = LTL なる形に分解することができる(ただし、T は対称三重対角行列である)。
任意の複素対称行列 A は対角化可能、さらに言えば固有分解が、ユニタリ行列 Q を用いた簡単な形
で成立する。ここで A が実行列ならば Q は(A の固有ベクトルを列ベクトルとする)実直交行列で、Λ は(対角線に A の固有値が並ぶ)実対角行列になる。直交性を見るために、x, y がそれぞれ相異なる固有値 λ1, λ2 に属する固有ベクトルとすれば
ゆえ、⟨x, y⟩ ≠ 0 ならば λ1 = λ2 となり矛盾するから ⟨x, y⟩ = 0 である。
n 次実対称行列は、例えば実 n 変数の二回連続的微分可能な函数のヘッセ行列として現れる。
R 上の任意の二次形式 q は n 次対称行列 A を用いて q(x) = xAx の形に一意的に表される。上述のスペクトル論から、任意の二次形式は R の適当な正規直交基底を選べば、適当な実数 λi に対して
なる形に書くことができる(ラグランジュ 1759)。これにより二次形式の、あるいは円錐曲線の一般化としての等位集合 {x : q(x) = 1} の研究は大幅に簡素化される。
任意の多変数可微分函数の二階の振舞いは、テイラーの定理の帰結
として、その函数のヘッセ行列に付随する二次形式によって記述されるから、二次形式のスペクトル論はこの場合においてもそれなりに重要である。
n 次正方行列 A が対称化可能 (symmetrizable) とは、正則対角行列 D および対称行列 S で A = DS となるものが存在するときに言う。対称化可能行列の転置も対称化可能であることは、(DS) = D(DSD) からわかる。行列 A = (aij) が対称化可能となる必要十分条件は、以下の条件
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"title": "対称行列に関連する行列の各種分解"
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"text": "で成立する。ここで A が実行列ならば Q は(A の固有ベクトルを列ベクトルとする)実直交行列で、Λ は(対角線に A の固有値が並ぶ)実対角行列になる。直交性を見るために、x, y がそれぞれ相異なる固有値 λ1, λ2 に属する固有ベクトルとすれば",
"title": "対称行列に関連する行列の各種分解"
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"text": "ゆえ、⟨x, y⟩ ≠ 0 ならば λ1 = λ2 となり矛盾するから ⟨x, y⟩ = 0 である。",
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"text": "n 次実対称行列は、例えば実 n 変数の二回連続的微分可能な函数のヘッセ行列として現れる。",
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"text": "R 上の任意の二次形式 q は n 次対称行列 A を用いて q(x) = xAx の形に一意的に表される。上述のスペクトル論から、任意の二次形式は R の適当な正規直交基底を選べば、適当な実数 λi に対して",
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"text": "なる形に書くことができる(ラグランジュ 1759)。これにより二次形式の、あるいは円錐曲線の一般化としての等位集合 {x : q(x) = 1} の研究は大幅に簡素化される。",
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"text": "任意の多変数可微分函数の二階の振舞いは、テイラーの定理の帰結",
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"text": "n 次正方行列 A が対称化可能 (symmetrizable) とは、正則対角行列 D および対称行列 S で A = DS となるものが存在するときに言う。対称化可能行列の転置も対称化可能であることは、(DS) = D(DSD) からわかる。行列 A = (aij) が対称化可能となる必要十分条件は、以下の条件",
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"title": "対称化可能行列"
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] | 線型代数学における対称行列は、自身の転置行列と一致するような正方行列を言う。記号で書けば、行列 A は を満たすとき対称であるという。任意の正方行列は対称行列と相似である。 定義により、対称行列の成分は主対角線に関して対称である。即ち、成分に関して行列 A = [ai j] は任意の添字 i j に関して ai j = aj i を満たす。例えば、次の 3 次正方行列 は対称である。任意の正方対角行列は、その非対角成分が 0 であるから、対称である。同様に、歪対称行列の各対角成分は、自身と符号を変えたものと等しいから、すべて 0 でなければならない。 実対称行列が実内積空間上の適当な正規直交基底に対して定める線形作用素は対称作用素(自己随伴作用素)である。複素内積空間の場合に対応する概念は、複素数を成分に持つエルミート行列(自身の共役転置行列と一致するような複素行列)である。故に、複素数体上の線型代数学においては、対称行列という言葉は行列が実数に成分をとる場合に限って使うことがしばしばある。対称行列は様々な応用の場面に現れ、典型的な数値線型代数ソフトウェアではこれらに特別な便宜をさいている。 | [[線型代数学]]における'''対称行列'''(たいしょうぎょうれつ、{{lang-en-short|''symmetric matrix''}})は、自身の[[転置行列]]と一致するような[[正方行列]]を言う{{sfn|Shilov|1974|p={{google books quote|id=FHLCAgAAQBAJ|page=115|115}}}}。記号で書けば、行列 ''A'' は
: <math>A = A^{\top}</math>
を満たすとき対称であるという。任意の正方行列は対称行列と[[行列の相似|相似]]である{{sfn|Horn|Johnson|1985|loc=Theorem 4.4.9|p=209}}。
定義により、対称行列の成分は[[主対角線]]に関して対称である。即ち、成分に関して行列 {{math|''A'' {{=}} [''a''<sub>''i j''</sub>]}} は任意の添字 {{math|''i'' ''j''}} に関して {{math|''a''<sub>''i j''</sub> {{=}} ''a''<sub>''j i''</sub>}} を満たす。例えば、次の {{math|3}} 次正方行列
: <math>\begin{bmatrix}
1 & 7 & 3\\
7 & 4 & -5\\
3 & -5 & 6
\end{bmatrix}</math>
は対称である。任意の正方[[対角行列]]は、その非対角成分が {{math|0}} であるから、対称である。同様に、[[歪対称行列]]({{math|1=<sup>''t''</sup>''A'' = −''A''}} なる行列)の各対角成分は、自身と符号を変えたものと等しいから、すべて {{math|0}} でなければならない。
[[実数|実]]対称行列が実[[内積空間]]上の適当な[[正規直交基底]]に対して定める[[線形作用素]]は対称作用素([[自己随伴作用素]])である{{sfn|Shilov|1974|p={{google books quote|id=FHLCAgAAQBAJ|page=154|154}}}}。[[複素数|複素]]内積空間の場合に対応する概念は、複素数を成分に持つ[[エルミート行列]](自身の[[共役転置行列]]と一致するような複素行列)である。故に、複素数体上の線型代数学においては、対称行列という言葉は行列が実数に成分をとる場合に限って使うことがしばしばある。対称行列は様々な応用の場面に現れ、典型的な数値線型代数ソフトウェアではこれらに特別な便宜をさいている。
== 性質 ==
=== 実対称行列の対角化 ===
有限次元の[[スペクトル定理]]によれば、任意の実対称行列は[[直交行列]]によって[[対角化]]可能である。更に、実正方行列 {{mvar|A}} が対称であるのは
:<math> D = Q^TAQ </math>
が実[[対角行列]]となる実直交行列 {{mvar|Q}} が存在するとき、かつそのときに限ることが知られている{{sfn|Horn|Johnson|1985|loc=Corollary 2.5.14(a)|p=107}}。従って、任意の対称行列は適当な[[正規直交基底]]に関する(同値の[[違いを除いて]])対角行列である。言い換えれば、{{mvar|n}} 次実正方行列 {{mvar|A}} が対称となる必要十分条件は、{{mvar|A}} の[[固有ベクトル]]の全体が {{math|'''R'''<sup>''n''</sup>}} の正規直交基底となることである。
任意の実対称行列は、複素行列と見て[[エルミート行列|エルミート]]であり、従ってその全ての[[固有値]]は実数である([[オーギュスタン=ルイ・コーシー|コーシー]] 1829)。実はこれら固有値は、その行列の対角化(上で述べた {{mvar|D}})の成分であり、従って {{mvar|D}} は {{mvar|A}} によって(成分を並べる順番を除いて)一意に決定される。本質的に、実行列が対称であるという性質は複素行列がエルミートであるという性質に対応する。
=== 複素対称行列のオートン高木分解 ===
複素対称行列{{math|''A''}}のジョルダン標準形は対角行列ではないかもしれず、それゆえ{{math|''A''}}が対角化可能であるとは限らない。複素対称行列は[[ユニタリ行列]]によって「対角化」される。即ち、複素対称行列 {{mvar|A}} に対しユニタリ行列 {{mvar|U}} が存在して {{math|''UAU''<sup>T</sup>}} が対角行列かつ成分が非負実数となるようにすることができる。このことは「オートン高木分解」とも呼ばれ、もとはレオン・オートン {{harv|Autonne|1915}} と[[高木貞治]] {{harv|Takagi|1925}} がそれぞれ証明し、その後さまざまな数学者によって異なる証明を以って再発見された{{sfn|Horn|Johnson|2013|page={{google books quote|id=O7sgAwAAQBAJ|page=278|278}}}}<ref>See:
*{{citation|first=L.|last= Autonne|title= Sur les matrices hypohermitiennes et sur les matrices unitaires|journal= Ann. Univ. Lyon|volume= 38|year=1915|pages= 1–77}}
*{{citation|first=T.|last= Takagi|title= On an algebraic problem related to an analytic theorem of Carathéodory and Fejér and on an allied theorem of Landau|journal= Japan. J. Math.|volume= 1 |year=1925|pages= 83–93}}
*{{citation|title=Symplectic Geometry|first=Carl Ludwig|last= Siegel|journal= Amer. J. Math.|volume= 65|year=1943|pages=1-86|url= http://www.jstor.org/stable/2371774}}, Lemma 1, page 12
*{{citation|first=L.-K.|last= Hua|title= On the theory of automorphic functions of a matrix variable I–geometric basis|journal= Amer. J. Math.|volume= 66 |year=1944|pages= 470–488}}
*{{citation|first=I.|last= Schur|title= Ein Satz über quadratische formen mit komplexen koeffizienten|journal=Amer. J. Math.|volume=67|year=1945|pages=472–480}}
*{{citation|first1=R.|last1= Benedetti|first2=P.|last2= Cragnolini|title=On simultaneous diagonalization of one Hermitian and one symmetric form|journal= Linear Algebra Appl. |volume=57 |year=1984| pages=215–226}}
</ref>。
実際、行列 {{math|''B'' {{=}} ''A''<sup>∗</sup> ''A''}} はエルミートかつ半正定値であり、ユニタリ行列 {{mvar|V}} によって非負実数を成分とする対角行列 {{math|''V''<sup>∗</sup> ''BV''}} が得られる。従って、{{math|''C'' {{=}} ''V''<sup>T</sup>''AV''}} は {{math|''C''<sup>∗</sup> ''C'' {{=}} ''V''<sup>∗</sup> ''BV''}} が実行列であるような複素対称行列になる。実対称行列 {{mvar|X}}, {{mvar|Y}} を用いて {{math|''C'' {{=}} ''X'' + ''iY''}} と置けば {{math|''C''<sup>∗</sup> ''C'' {{=}} ''X''<sup>2</sup> + ''Y''<sup>2</sup> + ''i''(''XY'' − ''YX'')}} となるから、{{math|''XY'' {{=}} ''YX''}} を得る。{{mvar|X}} と {{mvar|Y}} が可換ゆえ、実直交行列 {{mvar|W}} が存在して {{math|''WXW''<sup>T</sup>, ''WYW''<sup>T</sup>}} がともに対角行列となるようにすることができる([[同時対角化]])。そこで {{math|''U'' {{=}} ''WV''<sup>T</sup>}} (これはユニタリ行列)と置けば、行列 {{math|''UAU''<sup>T</sup>}} は複素対角行列になる。{{mvar|U}} に左から適当な対角かつユニタリな行列を掛けることにより(これは {{math|''U''}} のユニタリ性を保存する)対角成分を非負実数にすることができる。複素対角行列は <math>UAU^\mathrm T = \operatorname{diag}(r_1 e^{i\theta_1},r_2 e^{i\theta_2}, \dots, r_n e^{i\theta_n})</math> と表すことができ、適した行列は <math>D = \operatorname{diag}(e^{-i\theta_1/2},e^{-i\theta_2/2}, \dots, e^{-i\theta_n/2})</math> で与えられる。明らかに <math>DUAU^\mathrm TD = \operatorname{diag}(r_1, r_2, \dots, r_n)</math>は求める行列で、よって <math>U' = DU</math> と置きなおせばいい。
各対角成分の平方は {{math|''A''<sup>∗</sup> ''A''}} の固有値であり、{{mvar|A}} の[[特異値]]と一致する。
=== 行列演算と対称性 ===
二つの対称行列の和と差はやはり対称となるが、[[行列の積|積]]は必ずしもそうではない。対称行列 ''A'', ''B'' の積 ''AB'' が対称となるのは ''A'' と ''B'' とが[[交換法則|可換]] ({{math|1=''AB'' = ''BA''}}) となるときであり、かつそのときに限る。故に任意の整数 ''n'' に対し冪 ''A<sup>n</sup>'' は ''A'' が対称のとき対称である。''A'', ''B'' が可換な {{mvar|n}} 次実対称行列ならば ''A'', ''B'' 双方の[[固有ベクトル]]となるようなベクトルからなる {{math|'''R'''<sup>''n''</sup>}} の基底が存在する。
逆行列 ''A''<sup>−1</sup> が存在するとき、それが対称となることと、''A'' が対称であることとは同値である。
=== 対称成分 ===
{{mvar|n}} 次正方行列全体の成す空間を {{math|Mat<sub>''n''</sub>}} と書くことにする。{{mvar|n}} 次対称行列は主対角線およびそれよりも上側にある {{math|''n''(''n'' + 1)/2}} 個のスカラーで決まり、同様に[[歪対称行列]]も主対角線よりも上にある {{math|''n''(''n'' − 1)/2}} 個のスカラーで決定される。{{mvar|n}} 次対称行列全体の成す空間 {{math|Sym<sub>''n''</sub>}} および{{mvar|n}} 次歪対称行列全体の成す空間 {{math|Skew<sub>''n''</sub>}} に対して {{math|1=Mat<sub>''n''</sub> = Sym<sub>''n''</sub> + Skew<sub>''n''</sub>}} および {{math|1=Sym<sub>''n''</sub> ∩ Skew<sub>''n''</sub> = {{mset|0}}}} が成り立つから、すなわち[[加群の直和|直和分解]]
:<math> \mbox{Mat}_n = \mbox{Sym}_n \oplus \mbox{Skew}_n</math>
が成立する。実際、{{math|1=''X'' ∈ Mat<sub>''n''</sub>}} に対して
:<math> X = \frac{1}{2}(X + X^{\top}) + \frac{1}{2}(X - X^{\top})</math>
と書けば、{{math|1= (1/2)(''X'' + ''X''<sup>T</sup>) ∈ Sym<sub>''n''</sub>}} かつ {{math|1= (1/2)(''X'' − ''X''<sup>T</sup>) ∈ Skew<sub>''n''</sub>}} は一意に定まる。このことは[[標数]]が {{math|2}} でない任意の[[可換体|体]]に成分をとる任意の正方行列 ''X'' について成立する。
=== 自己随伴性 ===
{{math|'''R'''<sup>''n''</sup>}} の[[標準内積]]を {{math|⟨ , ⟩}} と書けば、{{mvar|n}} 次実正方行列 ''A'' が対称となる必要十分条件は行列 ''A'' の定める[[双線型形式]]が対称であること、つまり
: <math>\langle Ax,y \rangle = \langle x, Ay\rangle \quad (\forall x,y\in\mathbf{R}^n)</math>
が成り立つことである。この条件は[[基底 (線型代数学)|基底]]の取り方とは無関係であるから、行列の対称性は ''A'' の定める[[線型作用素]]と[[ドット積|内積]]のみによって決まる性質である。この特徴付けは有用で、例えば[[微分幾何学]]において[[可微分多様体]]の各[[接空間]]の内積からくる計量を持つ[[リーマン多様体]]においても対称性を考えることができる。あるいは[[ヒルベルト空間]]においても同様の定式化は利用できる。
=== その他 ===
* 対称行列に[[行列の合同|合同]]な任意の行列はそれ自身対称である。すなわち、''X'' が対称ならば任意の正方行列 ''A'' に対して ''AXA''<sup>T</sup> は対称である。
* 対称行列は[[正規行列]]である。
== 対称行列に関連する行列の各種分解 ==
{{main|[[行列の分解]]}}
[[ジョルダン標準形]]を用いると、任意の実正方行列が二つの実対称行列の積として書けることや任意の複素正方行列が二つの複素対称行列の積に書けることが証明できる<ref>{{cite journal | first=A. J.|last= Bosch | title=The factorization of a square matrix into two symmetric matrices | journal=Amer. Math. Monthly | year=1986 | volume=93 | pages=462–464 | doi=10.2307/2323471 | issue=6 | jstor=2323471}}</ref>。
任意の実[[正則行列]]は、[[直交行列]]と対称[[正定値行列]]の積として一意に分解することができ、{{仮リンク|極分解|en|Polar decomposition}}と呼ばれる。特異行列も同様の分解を持つが一意ではない。
[[コレスキー分解]]は任意の実正定値対称行列 ''A'' が下半三角行列 ''L'' とその転置である上半三角行列との積 {{math|''A'' {{=}} ''LL''<sup>T</sup>}} に書けることを述べる。行列が不定符号でも({{仮リンク|ピボット成分|en|Pivot element}}から生じる)置換行列 ''P'' を用いて {{math| ''PAP''<sup>T</sup> {{=}} ''LTL''<sup>T</sup>}} なる形に分解することができる(ただし、''T'' は対称三重対角行列である){{sfn|Golub|Van Loan|2013|loc=(4.4.1)|p={{google books quote|id=X5YfsuCWpxMC|page=186|186}}}}。
任意の複素対称行列 ''A'' は対角化可能、さらに言えば{{仮リンク|行列の固有分解|en|Eigendecomposition of a matrix#Symmetric_matrices|label=固有分解}}が、ユニタリ行列 ''Q'' を用いた簡単な形
:<math>A = Q \Lambda Q^{\top}</math>
で成立する。ここで ''A'' が実行列ならば ''Q'' は(''A'' の[[固有ベクトル]]を列ベクトルとする)実[[直交行列]]で、Λ は(対角線に ''A'' の固有値が並ぶ)実対角行列になる。直交性を見るために、''x'', ''y'' がそれぞれ相異なる固有値 {{math|λ<sub>1</sub>, λ<sub>2</sub>}} に属する固有ベクトルとすれば
: <math>\lambda_1 \langle x,y \rangle = \langle Ax, y \rangle = \langle x, Ay \rangle = \lambda_2 \langle x, y \rangle</math>
ゆえ、{{math|⟨''x'', ''y''⟩ ≠ 0}} ならば {{math|1= λ<sub>1</sub> = λ<sub>2</sub>}} となり矛盾するから {{math|1= ⟨''x'', ''y''⟩ = 0}} である。
== 二次形式とヘッセ行列 ==
{{main|二次形式|ヘッセ行列}}
{{mvar|n}} 次実対称行列は、例えば実 ''n'' 変数の二回連続的微分可能な函数の[[ヘッセ行列]]として現れる{{sfn|Horn|Johnson|1985|loc=Example 4.0.1|p=167}}。
'''R'''<sup>''n''</sup> 上の任意の[[二次形式]] ''q'' は {{mvar|n}} 次対称行列 ''A'' を用いて {{math|''q''('''x''') {{=}} '''x'''<sup>T</sup>''A'''''x'''}} の形に一意的に表される。上述のスペクトル論から、任意の二次形式は '''R'''<sup>''n''</sup> の適当な正規直交基底を選べば、適当な実数 λ<sub>''i''</sub> に対して
:<math>q(x_1,\ldots,x_n)=\sum_{i=1}^n \lambda_i x_i^2</math>
なる形に書くことができる([[ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ|ラグランジュ]] 1759)。これにより二次形式の、あるいは[[円錐曲線]]の一般化としての[[等位集合]] {'''x''' : ''q''('''x''') = 1} の研究は大幅に簡素化される。
任意の多変数可微分函数の二階の振舞いは、[[テイラーの定理]]の帰結
:<math>f(\mathbf{x}+\Delta\mathbf{x})\approx f(\mathbf{x}) + J(\mathbf{x})\Delta \mathbf{x} +\frac{1}{2} \Delta\mathbf{x}^\mathrm{T} H(\mathbf{x}) \Delta\mathbf{x}</math>
として、その函数のヘッセ行列に付随する二次形式によって記述されるから、二次形式のスペクトル論はこの場合においてもそれなりに重要である。
== 対称化可能行列 ==
{{see also|[[交代行列#歪対称化可能行列|歪対称化可能行列]]}}
{{mvar|n}} 次正方行列 ''A'' が'''対称化可能''' (''symmetrizable'') とは、正則[[対角行列]] ''D'' および対称行列 ''S'' で {{nowrap|1=''A'' = ''DS''}} となるものが存在するときに言う{{sfn|Kac|1990|p=16}}。対称化可能行列の転置も対称化可能であることは、{{nowrap|1=(''DS'')<sup>T</sup> = ''D''<sup>−1</sup>(''DSD'')<sup>T</sup>}} からわかる{{sfn|Kac|1990|p={{google books quote|id=kuEjSb9teJwC|page=41|41}}}}。行列 {{nowrap|1=''A'' = (''a<sub>ij</sub>'')}} が対称化可能となる必要十分条件は、以下の条件
* <math>a_{ij} = 0 \implies a_{ji}=0\qquad (1 \le \forall i \le \forall j \le n)</math>
* <math>a_{i_1i_2} a_{i_2i_3}\dots a_{i_ki_1} = a_{i_2i_1} a_{i_3i_2}\dots a_{i_1i_k}\qquad \forall(i_1, i_2, \dots, i_k)</math>
を共に満たすことである{{sfn|Kac|1990|p={{google books quote|id=kuEjSb9teJwC|page=27|27}}}}。
== 関連項目 ==
; 種々の対称行列および別の種類の対称性を持つ行列
* [[分散共分散行列]]
* [[コクセター行列]]
* [[ハンケル行列]]
* [[ヒルベルト行列]]
* [[交代行列]](歪対称行列、反対称行列)
* [[巡回行列]]
* {{仮リンク|中心対称行列|en|Centrosymmetric matrix}}
* {{仮リンク|逆対角対称行列|en|Persymmetric matrix}}
* [[テープリッツ行列]]
{{see also|{{仮リンク|数学における対称性|en|symmetry in mathematics}}}}
== 注記 ==
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{cite book
|last1 = Golub
|first1 = Gene H.
|last2 = Van Loan
|first2 = Charles F.
|year = 2013
|title = Matrix Computations
|edition = 4th
|url = {{google books|X5YfsuCWpxMC|plainurl=yes}}
|publisher = Johns Hopkins University Press
|isbn =978-1421407944
|mr = 3024913
|ref = harv
}}
* {{cite book
|last1 = Horn
|first1 = Roger A.
|last2 = Johnson
|first2 = Charles R.
|year = 1985
|title = Matrix Analysis
|url = {{google books|PlYQN0ypTwEC|plainurl=yes}}
|publisher = [[Cambridge University Press]]
|isbn = 0-521-30586-1
|mr =
|ref = harv
}}
* {{cite book
|last1 = Horn
|first1 = Roger A.
|last2 = Johnson
|first2 = Charles R.
|year = 2013
|title = Matrix Analysis
|edition = 2nd
|url = {{google books|O7sgAwAAQBAJ|plainurl=yes}}
|publisher = [[Cambridge University Press]]
|isbn = 978-0-521-54823-6
|mr = 2978290
|ref = harv
}}
*{{cite book
|last = Kac
|first = Victor G.
|authorlink = ヴィクトル・カッツ
|title = Infinite Dimensional Lie Algebras
|edition = 3rd
|year = 1990
|publisher = [[Cambridge University Press]]
|url = {{google books|kuEjSb9teJwC|plainurl=yes}}
|isbn = 0-521-37215-1
|ref = harv
}}
*{{cite book
|last1 = Shilov
|first1 = Georgi E.
|translator = Richard A. Silverman
|year = 1974
|title = An Introduction to the Theory of Linear Spaces
|url = {{google books|FHLCAgAAQBAJ|plainurl=yes}}
|publisher = Dover
|isbn = 978-0-486-63070-0
|mr =
|zbl =
|ref = harv
}}
== 外部リンク ==
* {{MathWorld|urlname=SymmetricMatrix|title=Symmetric Matrix}}
* {{PlanetMath|urlname=SymmetricMatrix|title=symmetric matrix}}
* {{SpringerEOM|title=Symmetric matrix|urlname=Symmetric_matrix}}
* [http://farside.ph.utexas.edu/teaching/336k/Newton/node66.html A brief introduction and proof of eigenvalue properties of the real symmetric matrix]
{{Linear algebra}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:たいしようきようれつ}}
[[Category:行列]]
[[Category:数学に関する記事]] | null | 2022-08-13T11:01:46Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E7%A7%B0%E8%A1%8C%E5%88%97 |
7,053 | 電荷 | 電荷(でんか、英語: electric charge)は、粒子や物体が帯びている電気の量であり、また電磁場から受ける作用の大きさを規定する物理量である。 荷電ともいう。計量法体系においては電気量と呼ぶ。電荷の量は電荷量と言い、電荷量のことを単に「電荷」と呼んだり、電荷を持つ粒子のことを電荷と呼ぶこともある。
電荷は、電磁気現象を引き起こす源である。電荷の量によって、ある物体が電磁場や他の電荷から受ける力の大きさが決まる。
電荷量は正または負の値を取りうる。電荷量が正である電荷を正電荷といい、電荷量が負である電荷を負電荷という。陽子は正電荷を持つ。電子は負電荷を持つ。中性子は電荷を持たない。正電荷を持つ粒子のことを単に正電荷と呼んだり、負電荷を持つ粒子のことを単に負電荷と呼ぶこともある。すなわち、陽子は正電荷であり、電子は負電荷である。
電子の研究を進める中で、電荷の素量(電気素量)が発見された。電気素量は記号eで表し、その値は
である。1個の電子や1個の陽子の持つ電荷量の絶対値が電気素量である。したがって、電荷量は電気素量の整数倍として表すことができる。ただし、電気素量は巨視的には非常に小さいため、巨視的な電磁気現象を扱う上で電気素量が意識されることはほとんどない。
なお、これまで電気素量の整数倍以外の電荷量は観測されていない。クォークの電荷量は(-1/3)e、(+2/3)eであると考えられているが、クォーク同士は強い力によって結び付けられているため、単独でクォークが観測されたことはない(クォークの閉じ込め)。
正電荷(を持つ粒子)同士の間には斥力(互いに遠ざけようとする力)が生じる。負電荷(を持つ粒子)同士の間にも斥力が生じる。正電荷(を持つ粒子)と負電荷(を持つ粒子)の間には引力(互いに引き付けようとする力)が働く。これらの力は、各粒子の電荷量に比例し、粒子同士の距離の2乗に反比例する。これをクーロンの法則といい、この力をクーロン力という。
物体や空間において、その中に電荷を持つ粒子が複数存在するとき, 各粒子の持つ電荷量の合計を、その物体や空間の「正味の電荷量」と呼ぶ。正電荷と負電荷が等量だけ存在するときは正味の電荷量はゼロである。この状態を中性という。正味の電荷量がゼロでないとき、つまり正電荷か負電荷のどちらかの方が多いとき、その物体や空間は帯電しているという。
帯電する現象を静電気と呼ぶこともある。静電気現象は放電などを含むため、帯電は静電気現象の一部である。
単位時間当たりにある場所(もしくは面)を通過する電荷量のことを電流という。電流のSI単位はアンペア[A]である。これはSI基本単位である。電流の定義より明らかに、電荷は電流を時間で積分したものである。したがって、電荷のSI組み立て単位はアンペア・秒[A s]である。この単位をクーロン[C]という。すなわち、1[C]=1[A s]である。
電荷素量とは電荷の最小単位である。これを記号eで表すと陽子は+e 、電子は-e 、中性子は0の電荷をそれぞれ持っている。イオンを表すMgやOHなどはそれぞれ+2eや-eだけ帯電していることを示す。例外として素粒子であるクォークは(-1/3)eまたは(+2/3)eの電荷を持っているが、単独で取り出せないため(1/3)eは電荷素量としては扱わない。なお反粒子はその対になる粒子と正負が逆で絶対値が等しい電荷を持つ。たとえば電子の反粒子である陽電子は+eの電荷を持ち、陽子の反粒子である反陽子は-eの電荷を持つ。
単位体積あたりの電荷を電荷密度という。
すべての電荷の総量は保存するという法則。現在確認されているあらゆる反応のうち、これが破られた例はない。この意味で、電荷は素粒子が持つ最も基本的な性質の一つであると言える。 | [
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"text": "単位時間当たりにある場所(もしくは面)を通過する電荷量のことを電流という。電流のSI単位はアンペア[A]である。これはSI基本単位である。電流の定義より明らかに、電荷は電流を時間で積分したものである。したがって、電荷のSI組み立て単位はアンペア・秒[A s]である。この単位をクーロン[C]という。すなわち、1[C]=1[A s]である。",
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"text": "電荷素量とは電荷の最小単位である。これを記号eで表すと陽子は+e 、電子は-e 、中性子は0の電荷をそれぞれ持っている。イオンを表すMgやOHなどはそれぞれ+2eや-eだけ帯電していることを示す。例外として素粒子であるクォークは(-1/3)eまたは(+2/3)eの電荷を持っているが、単独で取り出せないため(1/3)eは電荷素量としては扱わない。なお反粒子はその対になる粒子と正負が逆で絶対値が等しい電荷を持つ。たとえば電子の反粒子である陽電子は+eの電荷を持ち、陽子の反粒子である反陽子は-eの電荷を持つ。",
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] | 電荷は、粒子や物体が帯びている電気の量であり、また電磁場から受ける作用の大きさを規定する物理量である。
荷電ともいう。計量法体系においては電気量と呼ぶ。電荷の量は電荷量と言い、電荷量のことを単に「電荷」と呼んだり、電荷を持つ粒子のことを電荷と呼ぶこともある。 | {{物理量
| 名称 =
| 英語 = electric charge
| 画像 =
| 記号 =''Q''
| 次元 =[[時間|T]] [[電流|I]]
| 階 =スカラー
| SI =[[クーロン|C]]
| CGS =
| MTS =
| FPS =
| MKSG =
| CGSG =
| FPSG =
| プランク =[[プランク電荷]]
| 原子 =[[電気素量]]
}}
{{フレーバー}}
'''電荷'''(でんか、{{lang-en|electric charge}})は、粒子や物体が帯びている[[電気]]の[[量]]であり、また[[電磁場]]から受ける作用の大きさを規定する[[物理量]]である。
'''荷電'''ともいう。[[計量法]]体系においては'''電気量'''と呼ぶ<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=404AC0000000051&keyword=%E8%A8%88%E9%87%8F%E6%B3%95 計量法] 第2条第1項第1号、別表第1「電気量」の欄</ref><ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=404CO0000000357_20190520_501CO0000000006&keyword=%E8%A8%88%E9%87%8F%E5%8D%98%E4%BD%8D%E4%BB%A4 計量単位令] 別表第1、項番34、電気量、クーロン、一秒間に一アンペアの直流の電流によって運ばれる電気量</ref>。電荷の[[量]]は'''電荷量'''と言い、電荷量のことを単に「電荷」と呼んだり、電荷を持つ粒子のことを電荷と呼ぶこともある。
==概要==
電荷は、電磁気現象を引き起こす源である。電荷の量によって、ある物体が電磁場や他の電荷から受ける力の大きさが決まる。
電荷量は正または負の値を取りうる。電荷量が正である電荷を正電荷といい、電荷量が負である電荷を負電荷という。[[陽子]]は正電荷を持つ。[[電子]]は負電荷を持つ。[[中性子]]は電荷を持たない。正電荷を持つ粒子のことを単に正電荷と呼んだり、負電荷を持つ粒子のことを単に負電荷と呼ぶこともある。すなわち、陽子は正電荷であり、電子は負電荷である。
電子の研究を進める中で、電荷の素量([[電気素量]])が発見された。電気素量は記号{{mvar|e}}で表し、その値は
: <math>e = 1.602~176~634 \times 10^{-19}\ \text{C}</math> ([[クーロン]]) (正確に)
: <math>e =4.803~204~673(30) \times10^{-10}\ \text{esu}</math> ([[静電単位]])
である。1個の電子や1個の陽子の持つ電荷量の[[絶対値]]が電気素量である。したがって、電荷量は電気素量の整数倍として表すことができる。ただし、電気素量は[[微視的と巨視的|巨視的]]には非常に小さいため、巨視的な電磁気現象を扱う上で電気素量が意識されることはほとんどない。
なお、これまで電気素量の整数倍以外の電荷量は観測されていない。[[クォーク]]の電荷量は(-1/3){{mvar|e}}、(+2/3){{mvar|e}}であると考えられているが、クォーク同士は[[強い力]]によって結び付けられているため、単独でクォークが観測されたことはない([[クォークの閉じ込め]])。
==物理==
===クーロンの法則===
{{main|クーロンの法則}}
正電荷(を持つ粒子)同士の間には[[斥力]](互いに遠ざけようとする力)が生じる。負電荷(を持つ粒子)同士の間にも斥力が生じる。正電荷(を持つ粒子)と負電荷(を持つ粒子)の間には[[引力]](互いに引き付けようとする力)が働く。これらの力は、各粒子の電荷量に[[比例]]し、粒子同士の[[逆2乗の法則|距離の2乗に反比例]]する。これを[[クーロンの法則]]といい、この力を[[クーロン力]]という。
===帯電===
物体や空間において、その中に電荷を持つ粒子が複数存在するとき, 各粒子の持つ電荷量の合計を、その物体や空間の「正味の電荷量」と呼ぶ。正電荷と負電荷が等量だけ存在するときは正味の電荷量はゼロである。この状態を[[中性]]という。正味の電荷量がゼロでないとき、つまり正電荷か負電荷のどちらかの方が多いとき、その物体や空間は[[帯電]]しているという。
帯電する現象を[[静電気]]と呼ぶこともある。静電気現象は[[放電]]などを含むため、帯電は静電気現象の一部である。
===電流===
単位時間当たりにある場所(もしくは面)を通過する電荷量のことを[[電流]]という。電流の[[SI単位]]はアンペア[A]である。これはSI基本単位である。電流の定義より明らかに、電荷は電流を時間で積分したものである。したがって、電荷のSI組み立て単位はアンペア・秒[A s]である。この単位を[[クーロン]][C]という。すなわち、1[C]=1[A s]である。
===電荷素量===
{{Main|電気素量}}
電荷素量とは電荷の最小単位である。これを記号{{mvar|e}}で表すと陽子は+{{mvar|e}} 、電子は-{{mvar|e}} 、中性子は0の電荷をそれぞれ持っている。[[イオン]]を表すMg<sup>2+</sup>やOH<sup>-</sup>などはそれぞれ+2{{mvar|e}}や-{{mvar|e}}だけ帯電していることを示す。例外として[[素粒子]]である[[クォーク]]は(-1/3){{mvar|e}}または(+2/3){{mvar|e}}の電荷を持っているが、単独で取り出せないため(1/3){{mvar|e}}は電荷素量としては扱わない。なお[[反粒子]]はその対になる粒子と正負が逆で絶対値が等しい電荷を持つ。たとえば電子の反粒子である[[陽電子]]は+{{mvar|e}}の電荷を持ち、陽子の反粒子である[[反陽子]]は-{{mvar|e}}の電荷を持つ。
===電荷密度===
単位体積あたりの電荷を[[電荷密度]]という。
===電荷保存則===
{{Main|電荷保存則}}
すべての電荷の総量は保存するという法則。現在確認されているあらゆる反応のうち、これが破られた例はない。この意味で、電荷は[[素粒子]]が持つ最も基本的な性質の一つであると言える。
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
==関連項目==
{{Wikidata property}}
{{ウィキポータルリンク|化学|[[File:Nuvola apps edu science.svg|32px|ウィキポータル 化学]]}}
{{ウィキプロジェクトリンク|化学|[[File:Nuvola apps edu science.svg|32px|ウィキプロジェクト 化学]]}}
*[[電荷密度]]
*[[電気素量]]
*[[電場|電場(電界)]]
*[[磁荷]]
*[[電荷保存則]]
{{電磁気学}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:てんか}}
[[Category:電磁気学]]
[[Category:電気]]
[[Category:化学]]
[[Category:電気化学]]
[[Category:物理量]] | 2003-04-20T14:16:13Z | 2023-12-26T01:36:22Z | false | false | false | [
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"Template:物理量"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E8%8D%B7 |
7,055 | 旧司法試験 | 旧司法試験(きゅうしほうしけん)は、日本の法曹資格試験である司法試験のうち、司法試験法の2002年(平成14年)改正附則7条2項に基づき、2006年(平成18年)から2011年(平成23年)までの6年間、同改正法による新たな司法試験と並行して行われた従前の司法試験である(同附則7条2項)。これに対し、2006年(平成18年)よりも前に行われた司法試験は、旧法の規定による司法試験と称され、厳密には旧司法試験とは区別される(同附則10条)。しかし、一般的には両者をあわせて旧司法試験とも称するので、以下、そのような俗称としての「旧司法試験」について説明する。
裁判官、検察官、弁護士の法曹三者になろうとする者に、必要な学識とその応用能力を有しているかどうかを判定するための試験であり、合格により司法修習生となる資格を得る。第二次世界大戦以降の日本で実施されてきた司法試験の内容をほぼ継承するものだが、2002年(平成14年)の司法試験法改正により2011年(平成23年)の試験を最終として新司法試験へ移行し、廃止された。司法試験法及び裁判所法の一部を改正する法律(平成14年法律第138号)(以下「改正法」)施行前においては改正法による改正前の司法試験法を根拠として、改正法施行後においては改正法附則7条1項を根拠として、実施されていた。
試験は2次・4段階よりなる。
第一次試験は、幅広い科目からなる教養試験であり、短答式試験および論文式試験からなる。
年齢性別・資格不問だが(高校生が一次試験を通過し話題になったことがある)、短大以外の大学を卒業又は2年以上在学し、一定の単位(具体的には一般教養年次修了。32単位以上)を取得していれば生涯免除される。このため、多くの受験者は二次試験からの受験となる。また、一次試験に一度合格してしまえば、その後は生涯免除となる。
合格者には社会保険労務士試験の受験資格が与えられる。つまり短期大学卒業同等とみなされる。
第二次試験は法律的知識を問うための試験であり、筆記試験(短答式)・筆記試験(論文式)・口述試験の3段階(後述)からなる。一般的に「司法試験(旧司法試験)」というと、この第二次試験のみを指すことが多い。
第二次試験考査委員については下記#外部リンク参照。
短答式試験は例年5月の第2日曜日(母の日)に、憲法、民法、刑法の3科目について、60問(各科目20問ずつ)、3時間30分通して行われる。5肢からの択一式試験でマークシートを用いて行われる試験である。そのため通称択一式試験とも呼ばれる。
一定の点数を獲得したものを合格させるタイプの試験ではなく、論文式試験の受験者を限定する趣旨(それゆえ、1955年までは短答式試験はなく論文式試験からのスタートであった)での競争試験であることから、年によって難易度も大きく異なり、求められる正答率は7割弱から8割程度まで変動する。
短答式試験は、前年度合格したとしても翌年の受験免除等の制度がないため、論文式試験に合格するまでは前年度の短答式試験合格者、合格経験者であっても再度受験の必要があり、前年の短答合格者が落ちることも珍しくない。
なお、後に述べる論文式試験・口述式試験とは異なり、六法等の試験中の参照物は認められない。
短答式試験問題冊子の持ち帰りは、1996年から認められるようになった。
論文式試験は、7月第3月曜日(海の日)と、その前日の二日間にわたり、初日:憲法、民法、商法、二日目:刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法の各科目につき、それぞれ2題ずつ、制限時間は2時間で、文章にて解答する形式で行われる(選択科目が存在した時代は三日間掛けて行われていたが、制度変更に伴い廃止された)。 問題の傾向としては、基本的な知識をダイレクトに問われたり、それをベースとして具体的な事案に則しての応用力が問われたりする。
参照物として、「旧司法試験用法文(2005年以前では司法試験用法文)」とよばれる最小限の条文のみが記載された小型六法が貸与される。不正受験防止のため、この法文の冊子は各科目試験終了ごとに回収されるが、論文式試験の全日程終了後は持ち帰ることが出来る。
過去には、法律選択科目(行政法、破産法、刑事政策、国際公法、国際私法、労働法から1科目選択)や教養選択科目(経済原論、心理学、政治学、社会政策、経済政策、会計学、財政学から1科目選択)も試験科目として存在していた。
口述試験は、論文式試験の合否発表の二週間ほど後である10月下旬の連続した3日間に、千葉県浦安市にある「法務省浦安総合センター」にて、憲法、民事系(民法・民事訴訟法)、刑事系(刑法・刑事訴訟法)の計3科目について面接方式(「主査」・「副査」とよばれる試験官2人に対し回答者1人)で行われる。試験時間は、憲法は15分 - 20分、民事系・刑事系は30分 - 40分が標準的と言われるが、憲法で30分近く、民事系・刑事系で50分近く掛かることも珍しくない。
質問の内容は一般に、まず条文・定義・その他の基本的知識を問うことから始まり、具体的事例を想定してその場面での解釈を問われることが通常である。場合によっては、文献等でこれまでに余り論じられていない内容を問い、その場での柔軟な法的思考を問うような質問に到ることがある。
その場に「司法試験用法文」が用意されているが、許可を得ないと参照することはできず、質問の内容によっては参照を許可されない場合もある。
旧来の司法試験における各試験の受験者は、時代の変化や制度の変更とともに増加し、2005年(平成17年)までは概ね、短答式:3万人 - 4万5千人、論文式:7 - 8千人 (1/7)、口述:1500人 (1/5) であった(新司法試験開始の初年の2006年においては、短答式:約3万5千人、論文式:約4千人弱)。なお、論文式試験に合格した者は、その年の口述試験に合格できなくても、その翌年に限り、筆記試験(短答式・論文式)の免除を受けることができる。
最終合格発表は、例年11月上旬から中旬までの間になされる。合格者は、その翌年以降の4月から、司法修習生として、最高裁判所付属の司法研修所(埼玉県和光市)で3ヶ月間の研修を受けた後、全国に散らばり1年間の実務研修を受ける。実務研修は、民事裁判・刑事裁判・検察・弁護の4ヶ所を約3ヶ月のタームで回る。その後、司法研修所に戻り再度研修を受け、試験(通称「二回試験」)を受けこれに合格すれば法曹となる資格を得る。司法研修制度も改革の中で短縮の方向にあり、以前は1年6ヶ月であった研修期間が2006年度(平成18年度)から1年4ヶ月に短縮された(新司法試験合格者向けの司法修習は1年)。
【旧司法試験合格者数】
1位東京大学(6537人) 2位中央大学(5484人) 3位早稲田大(4205人) 4位京都大学(2938人) 5位慶應義塾大学(2071人)
6位明治大学(1108人) 7位一橋大学(1003人) 8位大阪大学(797人) 9位東北大学(757) 10位九州大学(640人)
11位関西大学(591人) 12位名古屋大(561人) 13位日本大学(521人) 14位同志社大(517人) 15位立命館大(436人)
16位神戸大学(425人) 17位北海道大(413人) 18位大阪市大(351人) 19位上智大学(335人) 20位法政大学(321人)
【司法試験合格者数首位獲得回数】
1位 東京大学 38回(昭和24、25、46、47、49~56、59~63、平成1~16、18~22)
2位 中央大学 22回(昭和26~45、48、57)
3位 早稲田大学 3回(昭和58、平成16、17)
※平成16年は東京大学、早稲田大学が首位タイ
旧司法試験の合格者数・合格率については,法務省ウェブページで公開されている。
・「旧司法試験第二次試験出願者数・合格者数等の推移」(昭和24年度~平成22年度)
・「旧司法試験第二次試験出願者数・合格者数等の推移」(平成元年度~平成22年度) | [
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"text": "旧司法試験(きゅうしほうしけん)は、日本の法曹資格試験である司法試験のうち、司法試験法の2002年(平成14年)改正附則7条2項に基づき、2006年(平成18年)から2011年(平成23年)までの6年間、同改正法による新たな司法試験と並行して行われた従前の司法試験である(同附則7条2項)。これに対し、2006年(平成18年)よりも前に行われた司法試験は、旧法の規定による司法試験と称され、厳密には旧司法試験とは区別される(同附則10条)。しかし、一般的には両者をあわせて旧司法試験とも称するので、以下、そのような俗称としての「旧司法試験」について説明する。",
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"text": "裁判官、検察官、弁護士の法曹三者になろうとする者に、必要な学識とその応用能力を有しているかどうかを判定するための試験であり、合格により司法修習生となる資格を得る。第二次世界大戦以降の日本で実施されてきた司法試験の内容をほぼ継承するものだが、2002年(平成14年)の司法試験法改正により2011年(平成23年)の試験を最終として新司法試験へ移行し、廃止された。司法試験法及び裁判所法の一部を改正する法律(平成14年法律第138号)(以下「改正法」)施行前においては改正法による改正前の司法試験法を根拠として、改正法施行後においては改正法附則7条1項を根拠として、実施されていた。",
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"text": "試験は2次・4段階よりなる。",
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"text": "年齢性別・資格不問だが(高校生が一次試験を通過し話題になったことがある)、短大以外の大学を卒業又は2年以上在学し、一定の単位(具体的には一般教養年次修了。32単位以上)を取得していれば生涯免除される。このため、多くの受験者は二次試験からの受験となる。また、一次試験に一度合格してしまえば、その後は生涯免除となる。",
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"text": "第二次試験は法律的知識を問うための試験であり、筆記試験(短答式)・筆記試験(論文式)・口述試験の3段階(後述)からなる。一般的に「司法試験(旧司法試験)」というと、この第二次試験のみを指すことが多い。",
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"text": "口述試験は、論文式試験の合否発表の二週間ほど後である10月下旬の連続した3日間に、千葉県浦安市にある「法務省浦安総合センター」にて、憲法、民事系(民法・民事訴訟法)、刑事系(刑法・刑事訴訟法)の計3科目について面接方式(「主査」・「副査」とよばれる試験官2人に対し回答者1人)で行われる。試験時間は、憲法は15分 - 20分、民事系・刑事系は30分 - 40分が標準的と言われるが、憲法で30分近く、民事系・刑事系で50分近く掛かることも珍しくない。",
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"text": "質問の内容は一般に、まず条文・定義・その他の基本的知識を問うことから始まり、具体的事例を想定してその場面での解釈を問われることが通常である。場合によっては、文献等でこれまでに余り論じられていない内容を問い、その場での柔軟な法的思考を問うような質問に到ることがある。",
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"text": "その場に「司法試験用法文」が用意されているが、許可を得ないと参照することはできず、質問の内容によっては参照を許可されない場合もある。",
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"text": "旧来の司法試験における各試験の受験者は、時代の変化や制度の変更とともに増加し、2005年(平成17年)までは概ね、短答式:3万人 - 4万5千人、論文式:7 - 8千人 (1/7)、口述:1500人 (1/5) であった(新司法試験開始の初年の2006年においては、短答式:約3万5千人、論文式:約4千人弱)。なお、論文式試験に合格した者は、その年の口述試験に合格できなくても、その翌年に限り、筆記試験(短答式・論文式)の免除を受けることができる。",
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"text": "最終合格発表は、例年11月上旬から中旬までの間になされる。合格者は、その翌年以降の4月から、司法修習生として、最高裁判所付属の司法研修所(埼玉県和光市)で3ヶ月間の研修を受けた後、全国に散らばり1年間の実務研修を受ける。実務研修は、民事裁判・刑事裁判・検察・弁護の4ヶ所を約3ヶ月のタームで回る。その後、司法研修所に戻り再度研修を受け、試験(通称「二回試験」)を受けこれに合格すれば法曹となる資格を得る。司法研修制度も改革の中で短縮の方向にあり、以前は1年6ヶ月であった研修期間が2006年度(平成18年度)から1年4ヶ月に短縮された(新司法試験合格者向けの司法修習は1年)。",
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"text": "【旧司法試験合格者数】",
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"text": "1位東京大学(6537人) 2位中央大学(5484人) 3位早稲田大(4205人) 4位京都大学(2938人) 5位慶應義塾大学(2071人)",
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"text": "6位明治大学(1108人) 7位一橋大学(1003人) 8位大阪大学(797人) 9位東北大学(757) 10位九州大学(640人)",
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"text": "11位関西大学(591人) 12位名古屋大(561人) 13位日本大学(521人) 14位同志社大(517人) 15位立命館大(436人)",
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"text": "16位神戸大学(425人) 17位北海道大(413人) 18位大阪市大(351人) 19位上智大学(335人) 20位法政大学(321人)",
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"text": "【司法試験合格者数首位獲得回数】",
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"text": "1位 東京大学 38回(昭和24、25、46、47、49~56、59~63、平成1~16、18~22)",
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"text": "2位 中央大学 22回(昭和26~45、48、57)",
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"text": "3位 早稲田大学 3回(昭和58、平成16、17)",
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"text": "※平成16年は東京大学、早稲田大学が首位タイ",
"title": "資料・データ"
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"text": "旧司法試験の合格者数・合格率については,法務省ウェブページで公開されている。",
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"text": "・「旧司法試験第二次試験出願者数・合格者数等の推移」(昭和24年度~平成22年度)",
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},
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"text": "・「旧司法試験第二次試験出願者数・合格者数等の推移」(平成元年度~平成22年度)",
"title": "資料・データ"
}
] | 旧司法試験(きゅうしほうしけん)は、日本の法曹資格試験である司法試験のうち、司法試験法の2002年(平成14年)改正附則7条2項に基づき、2006年(平成18年)から2011年(平成23年)までの6年間、同改正法による新たな司法試験と並行して行われた従前の司法試験である(同附則7条2項)。これに対し、2006年(平成18年)よりも前に行われた司法試験は、旧法の規定による司法試験と称され、厳密には旧司法試験とは区別される(同附則10条)。しかし、一般的には両者をあわせて旧司法試験とも称するので、以下、そのような俗称としての「旧司法試験」について説明する。 | '''旧司法試験'''(きゅうしほうしけん)は、日本の法曹資格試験である司法試験のうち、司法試験法の[[2002年]](平成14年)改正附則7条2項に基づき、[[2006年]](平成18年)から[[2011年]](平成23年)までの6年間、同改正法による[[司法試験 (日本)|新たな司法試験]]と並行して行われた従前の司法試験である(同附則7条2項)。これに対し、2006年(平成18年)よりも前に行われた司法試験は、'''旧法の規定による司法試験'''と称され、厳密には'''旧司法試験'''とは区別される(同附則10条)。しかし、一般的には両者をあわせて'''旧司法試験'''とも称するので、以下、そのような俗称としての「旧司法試験」について説明する。
== 概説 ==
[[裁判官]]、[[検察官]]、[[弁護士]]の[[法曹三者]]になろうとする者に、必要な学識とその応用能力を有しているかどうかを判定するための試験であり、合格により[[司法修習生]]となる資格を得る。[[第二次世界大戦]]以降の日本で実施されてきた司法試験の内容をほぼ継承するものだが、[[2002年]](平成14年)の司法試験法改正により[[2011年]](平成23年)の試験を最終として<ref group="注">短答式試験と論文試験は2010年(平成22年)が最終で、2011年は口述試験再受験者に向けて口述試験のみ実施された。</ref>[[司法試験 (日本)|新司法試験]]へ移行し、廃止された。司法試験法及び裁判所法の一部を改正する法律(平成14年法律第138号)(以下「改正法」)施行前においては改正法による改正前の司法試験法を根拠として、改正法施行後においては改正法附則7条1項を根拠として、実施されていた。
== 制度の概要 ==
試験は2次・4段階よりなる。
=== 第一次試験 ===
第一次試験は、幅広い科目からなる教養試験であり、'''短答式試験'''および'''論文式試験'''からなる。
年齢性別・資格不問だが(高校生が一次試験を通過し話題になったことがある)、[[短期大学|短大]]以外の[[大学]]を卒業又は2年以上在学し、一定の単位(具体的には一般教養年次修了。32単位以上)を取得していれば生涯免除される。このため、多くの受験者は二次試験からの受験となる。また、一次試験に一度合格してしまえば、その後は生涯免除となる。
合格者には[[社会保険労務士]]試験の受験資格が与えられる。つまり短期大学卒業同等とみなされる。
=== 第二次試験 ===
第二次試験は法律的知識を問うための試験であり、筆記試験(短答式)・筆記試験(論文式)・口述試験の3段階(後述)からなる。一般的に「司法試験(旧司法試験)」というと、この第二次試験のみを指すことが多い。
第二次試験考査委員については下記[[#外部リンク]]参照。
==== 短答式試験 ====
短答式試験は例年5月の第2日曜日([[母の日]])に、[[憲法]]、[[民法]]、[[刑法]]の3科目について、60問(各科目20問ずつ)、3時間30分通して行われる。5肢からの択一式試験でマークシートを用いて行われる試験である。そのため通称'''択一式試験'''とも呼ばれる。
一定の点数を獲得したものを合格させるタイプの試験ではなく、論文式試験の受験者を限定する趣旨(それゆえ、1955年までは短答式試験はなく論文式試験からのスタートであった)での競争試験であることから、年によって難易度も大きく異なり、求められる正答率は7割弱から8割程度まで変動する。
短答式試験は、前年度合格したとしても翌年の受験免除等の制度がないため、論文式試験に合格するまでは前年度の短答式試験合格者、合格経験者であっても再度受験の必要があり、前年の短答合格者が落ちることも珍しくない。
なお、後に述べる論文式試験・口述式試験とは異なり、[[六法]]等の試験中の参照物は認められない。
短答式試験問題冊子の持ち帰りは、1996年から認められるようになった。<ref>[https://www.moj.go.jp/jinji/shihoushiken/shiken_shiken00.html 法務省トップページ > 資格・採用情報 > 旧司法試験 > 旧司法試験の結果について > 第二次試験試験問題・試験結果等 > 第二次試験短答式試験問題]</ref>
==== 論文式試験 ====
論文式試験は、7月第3月曜日([[海の日]])と、その前日の二日間にわたり、初日:[[憲法]]、[[民法]]、[[商法]]、二日目:[[刑法]]、[[民事訴訟法]]、[[刑事訴訟法]]の各科目につき、それぞれ2題ずつ、制限時間は2時間で、文章にて解答する形式で行われる(選択科目が存在した時代は三日間掛けて行われていたが、制度変更に伴い廃止された)。
問題の傾向としては、基本的な知識をダイレクトに問われたり、それをベースとして具体的な事案に則しての応用力が問われたりする。
参照物として、「'''旧司法試験用法文'''(2005年以前では'''司法試験用法文''')」とよばれる最小限の条文のみが記載された小型六法が貸与される。不正受験防止のため、この法文の冊子は各科目試験終了ごとに回収されるが、論文式試験の全日程終了後は持ち帰ることが出来る。
過去には、法律選択科目([[行政法]]、[[破産法]]、[[刑事政策]]、[[国際公法]]、[[国際私法]]、[[労働法]]から1科目選択)や教養選択科目([[経済原論]]、[[心理学]]、[[政治学]]、[[社会政策]]、[[経済政策]]、[[会計学]]、[[財政学]]から1科目選択)も試験科目として存在していた。
==== 口述試験 ====
{{出典の明記|section=1|date=2008年9月}}
口述試験は、論文式試験の合否発表の二週間ほど後である10月下旬の連続した3日間に、[[千葉県]][[浦安市]]にある「[[法務省]]浦安総合センター」にて、[[憲法]]、民事系([[民法]]・[[民事訴訟法]])、刑事系([[刑法]]・[[刑事訴訟法]])の計3科目について面接方式(「主査」・「副査」とよばれる試験官2人に対し回答者1人)で行われる。試験時間は、憲法は15分 - 20分、民事系・刑事系は30分 - 40分が標準的と言われるが、憲法で30分近く、民事系・刑事系で50分近く掛かることも珍しくない。
質問の内容は一般に、まず条文・定義・その他の基本的知識を問うことから始まり、具体的事例を想定してその場面での解釈を問われることが通常である。場合によっては、文献等でこれまでに余り論じられていない内容を問い、その場での柔軟な法的思考を問うような質問に到ることがある。
その場に「司法試験用法文」が用意されているが、許可を得ないと参照することはできず、質問の内容によっては参照を許可されない場合もある。
==== 受験人数および受験特例制度 ====
旧来の司法試験における各試験の受験者は、時代の変化や制度の変更とともに増加し、[[2005年]]([[平成]]17年)までは概ね、短答式:3万人 - 4万5千人、論文式:7 - 8千人 (1/7)、口述:1500人 (1/5) であった(新司法試験開始の初年の[[2006年]]においては、短答式:約3万5千人、論文式:約4千人弱)。なお、論文式試験に合格した者は、その年の口述試験に合格できなくても、その翌年に限り、筆記試験(短答式・論文式)の免除を受けることができる。
=== 合格発表以降 ===
最終合格発表は、例年11月上旬から中旬までの間になされる。合格者は、その翌年以降の4月から、[[司法修習生]]として、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]付属の[[司法研修所]]([[埼玉県]][[和光市]])で3ヶ月間の研修を受けた後、全国に散らばり1年間の実務研修を受ける。実務研修は、[[民事裁判]]・[[刑事裁判]]・[[検察]]・[[弁護士事務所|弁護]]の4ヶ所を約3ヶ月のタームで回る。その後、司法研修所に戻り再度研修を受け、試験(通称「二回試験」)を受けこれに合格すれば[[法曹]]となる資格を得る。司法研修制度も改革の中で短縮の方向にあり、以前は1年6ヶ月であった研修期間が2006年度(平成18年度)から1年4ヶ月に短縮された(新司法試験合格者向けの司法修習は1年)。
== 司法試験の歴史 ==
<!-- 法令の番号は年号が正式なので、西暦に修正しないでください -->
* 1949年(昭和24年) - 制定当初の司法試験が、1949年(昭和24年)5月31日に[[司法試験法]]が公布され、旧高等試験司法科試験を廃止した上で始まった。初回の合格者数は265人、合格率(対出願数)は10.31%であった。
** 第一次試験 - [[大学]]卒業程度における一般教養科目
** 第二次試験
*** 筆記試験 - すべて論文試験(当時は短答式試験は存在しなかった)
***# [[憲法]]
***# [[民法]]
***# [[刑法]]
***# [[民事訴訟法]]
***# [[刑事訴訟法]]
***# [[商法]]・[[行政法]]のいずれか1科目選択
***# 商法・行政法・[[破産法]]・[[労働法]]・[[国際私法]]・[[刑事政策]]の6科目のうち1科目選択(商法及び行政法については、6で選択しなかった科目に限り選択可能)
*** 口述試験
***# 憲法
***# 民法
***# 刑法
***# 民事訴訟法
***# 刑事訴訟法
* 1954年(昭和29年) - 昭和28年法律第85号による改正法(第1次改正)による試験制度の変更
** 第二次試験の筆記試験・口述試験における商法が必修化されるとともに、筆記試験における行政法が選択科目化される。
* 1956年(昭和31年) - 第二次試験の筆記試験に短答式試験(7科目)を導入
* 1959年(昭和34年) - 昭和33年法律第180号による改正法(第2次改正)による試験制度の変更
** 筆記試験(短答式試験) - 憲法、民法、刑法の3科目に科目削減
** 筆記試験(論文式試験) - 試験科目が以下のように変更
**# 憲法
**# 民法
**# 商法
**# 刑法
**# 民事訴訟法・刑事訴訟法のいずれか1科目選択
**# 法律選択科目 - 民事訴訟法・刑事訴訟法・行政法・破産法・労働法・国際公法・国際私法・刑事政策の8科目から1科目選択(民事訴訟法及び刑事訴訟法は、5において選択しなかった科目に限り、選択可能)
**# 教養選択科目 - 政治学・[[経済原論]]・[[財政学]]・[[会計学]]・[[心理学]]・[[経済政策]]・[[社会政策]]の7科目から1科目選択
** 口述試験の科目は、論述試験科目と同じ
* 1962年(昭和37年) - 合格者数がこのころから500人前後(446~554人)に固定化する
* 1991年(平成3年) - 長らく500人前後に固定化されていた合格者数が、このころから増加し始める
* 1992年(平成4年) - 平成3年法律第34号改正法(第3次改正)による試験制度の変更
** 教養選択科目の廃止
* 1996年(平成8年)-2003年(平成15年) - 平成3年法律第34号改正法により導入された、受験回数から3回以内の受験者を論文式試験で特別枠(約200人)を設けて合格させる通称「丙案」制度が実施された。
* 1999年(平成11年) - 合格者数が1000人に。
* 2000年(平成12年) - 平成10年法律第48号改正法(第4次改正)による試験制度の変更
** 現在の旧司法試験と同じ科目配置になる。 - 法律選択科目の廃止・民事刑事両訴訟法の必修化・商法の口述試験の廃止
* 2006年(平成18年) - 平成14年法律第138号改正(第5次改正)による試験制度の変更
** [[司法試験 (日本)|新司法試験]]の実施開始。旧司法試験は経過措置として5年間(口述試験は2011年(平成23年)まで)実施されることになり、旧司法試験の合格者は減少傾向となる。
* 2010年(平成22年) - 旧司法試験最後の短答式試験および論文式試験を実施。
* 2011年(平成23年) - 最後の旧司法試験(口述試験のみ)を実施(合格者6名<ref>[https://www.moj.go.jp/content/000073033.pdf 平成23年度旧司法試験第二次試験合格者受験番号]</ref>)して、制度廃止。
== 資料・データ ==
=== 大学別合格者数一覧 ===
*昭和24年([[1949年]])~平成22年([[2010年]])における旧司法試験大学別合格者数一覧<ref>{{link|http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/press_h22.html 法務省広報}}</ref><ref>{{link|https://www.moj.go.jp/jinji/shihoushiken/jinji08_00046.html 法務省:旧司法試験の結果について}}</ref>。
【旧司法試験合格者数】
1位東京大学(6537人) 2位中央大学(5484人) 3位早稲田大(4205人) 4位京都大学(2938人) 5位慶應義塾大学(2071人)
6位明治大学(1108人) 7位一橋大学(1003人) 8位大阪大学(797人) 9位東北大学(757) 10位九州大学(640人)
11位関西大学(591人) 12位名古屋大(561人) 13位日本大学(521人) 14位同志社大(517人) 15位立命館大(436人)
16位神戸大学(425人) 17位北海道大(413人) 18位大阪市大(351人) 19位上智大学(335人) 20位法政大学(321人)
【司法試験合格者数首位獲得回数】
1位 東京大学 38回(昭和24、25、46、47、49~56、59~63、平成1~16、18~22)
2位 中央大学 22回(昭和26~45、48、57)
3位 早稲田大学 3回(昭和58、平成16、17)
※平成16年は東京大学、早稲田大学が首位タイ
=== 旧司法試験の合格者数・合格率の推移 ===
旧司法試験の合格者数・合格率については,法務省ウェブページで公開されている。
・[https://www.moj.go.jp/content/000054973.pdf 「旧司法試験第二次試験出願者数・合格者数等の推移」(昭和24年度~平成22年度)]
・[https://www.moj.go.jp/content/000057099.pdf 「旧司法試験第二次試験出願者数・合格者数等の推移」(平成元年度~平成22年度)]
== その他の特筆事項 ==
*'''特別合格枠制度(いわゆる丙案)'''
:2009年度の結果は、合格率(対出願数)0.49%、合格者の平均年齢29.48歳であった(なお、同年度の新司法試験は、合格率(同)21.00%、合格者の平均年齢28.84歳である)。多くの受験生が大学卒業後5年程度を受験勉強のために費やすこととなっている。合格者の若年化を図るため受験回数による特別合格枠(通称「丙案」、受験回数3回までの受験生を優先的に合格させる)などを試みたが、受け控えが増えたため効果は一時的なものだったとされている。なお、合格者数全体を増加する措置が取られたことに伴い、優勢合格枠を定める丙案は2004年以降廃止されている。
*'''新司法試験との併行実施'''
:前述のとおり、法曹養成を目的とした[[法科大学院]]の創設と併せて2006年度より新司法試験が開始されたため、2011年まで(2011年の旧司法試験は、前年の口述試験に不合格であった者のみが対象の口述試験のみ実施)は新司法試験と旧司法試験とが併行して行われることになる。なお、法科大学院生が旧司法試験を受験した場合、修了前2年間の旧司法試験の受験や修了後の旧司法試験の受験も受験回数の制限対象となる。新司法試験と旧司法試験を同じ年度に受験することもできない。新司法試験の受験経験者で新司法試験の受験資格を喪失した者は、旧司法試験の受験資格も喪失する。これらの措置は、あくまで旧司法試験は法科大学院に諸般の事情により進学できない者に対する経過措置であることに由来するものである。
*'''オンライン出願'''
:2006年(平成18年)の第2次試験からは、[[オンライン申請システム]]を利用することにより、[[インターネット]]経由で出願ができた。この場合においては、受験手数料が400円割安となる(通常11,500円→11,100円)。
*新司法試験制度、その他の改革については[https://www.moj.go.jp/ 法務省のウェブサイト]において随時報告される。
*1994年(平成6年)には史上初めて、[[専門学校]]の学生による最終合格があった。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
<references />
==関連項目==
* [[高等文官試験]]
* [[キャリア (国家公務員)]]
== 外部リンク ==
* [https://web.archive.org/web/20130121160914/http://www.moj.go.jp/content/000055131.pdf 旧司法試験第二次試験出願者数・合格者数等の推移(法務省のサイト)]
* [https://www.moj.go.jp/SHIKEN/answer.html 旧司法試験Q&A(法務省のサイト)]
{{法務省所管の資格・試験}}
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[[Category:日本の司法試験]] | null | 2023-06-28T17:07:42Z | false | false | false | [
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"Template:法務省所管の資格・試験"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%8F%B8%E6%B3%95%E8%A9%A6%E9%A8%93 |
7,056 | 憲法 | 憲法()とは、国家の統治権や統治作用に関する根本的な原則を定める基礎法である。国家の自己決定権の根拠となる法体系。
ある国が人民や外国政府等に対して権限を行使する場合の基本原則を示し、この原則が国民の福祉のための課税や歳出の権限などを政府に付与している。また、憲法は十分な理由のない逮捕の禁止や非公開裁判の禁止などの国家権力を制限する機能も持っている。憲法を成文化していない国民国家でも、国民のコンセンサスを得た強制力のある規則で構成される普通法や土地の法律などの慣習法・風習・成文法・判例、または国際規則や国際規範が存在するといえる。
1215年にイギリスで制定された「マグナ・カルタ」が源流で、1789年のフランスで制定された「人間と市民の権利の宣言」では人権と国民主権が宣言され、アメリカ独立戦争以降、国民が憲法で国家権力を制限するものと捉えられる。国家の政治的統一体の構造や組織そのものを指す場合もあり(事実的意味の憲法)、このほか憲法は多義的な概念としても論じられる。
憲法には国家における統治機構や統治者や為政者、国民の義務や権利に加え、前文に「国」の成り立ちや政府樹立の目的、さらには「神」について記載されることもある。
国家の基本法としての現在のような日本語の「憲法」という語彙は、ドイツ語のVerfassungやフランス語及び英語のconstitutionの訳語のうち、1873年(明治6年)頃から使われるようになったものである。604年に制定された十七条憲法の題名にも「憲法」という文字列が含まれるが、これは「おきて」や「のり」一般を意味するもので、本稿で説明する意味では用いられていない。
この「憲法」はふつう文字の表現のとおり法的概念として用いられる。本来のドイツ語のVerfassungや英語のconstitutionという単語は、法的概念としての意味だけではなく、国家の政治的統一体の構造や組織そのもの、事実上の国家体制、国家における実力関係や政治的状態などを意味する場合も多い。このような事実的意味として国家の政治的統一体として形成された国家の構造や組織(国家の具体的な存在状態や時々における政治状態)を指す場合(事実的意味の憲法)は、事実状態そのものであるから、法的意味の憲法と混同すべきでないとされる。特に法的意味の憲法を指す場合には、ドイツ語ではVerfassungsgesetz、英語ではconstitutional lawと表現される。これらは日本語では「憲法律」と訳すことがある。
事実的意味の憲法として、日本語では「国家構造」や「国制」を用いることがある。ウォルター・バジョットのThe English Constitution(1867年)は日本語では『英国の国家構造』と翻訳されている。特に歴史学者は「国制」を用いており、Verfassungsgeschichteやconstitutional historyは「国制史」という場合が多い。
ヘルマン・ヘラー(Hermann Heller)は『国家学』でVerfassungを、1.事実上のもの(国家の政治的存在状態の構造)、2.規範づけられたもの(法的規範もしくは習俗・道徳・宗教によって規律されるもの)、3.成文化されたもの(文書の形式で記録されたもの)の3つに大別している。2の意味には法的規範によって規律されるもののほか習俗・道徳・宗教によって規律されるものも含まれる。
カール・シュミット(Carl Schmitt)は『憲法学』(Verfassungslehre)で、実定的意味のVerfassungと、法的概念としてのVerfassungsgesetz(憲法律)の区別を強調した。また、カール・シュミットは絶対的意味の憲法という概念を認めた。この絶対的意味の憲法は具体的存在面と根本法的規律面にこれを大別され、前者はさらに1.特定の国家の政治的統一及び社会的秩序の具体的な総体的状態、2.政治的及び社会的秩序の特別の様式(支配の形体または国家形体)、3.政治的統一の動態的な生成の原理の3つに分類されるとした。
イギリスの哲学者ジョン・ロックは1689年に著した「統治二論」(市民政府論)において、統治の構造を自然法論の伝統と社会契約の理論により説明している。
そこでは、立法権や行政権などの統治権が、統治者の武力や外圧によってもたらされるのではなく、生命と財産の保障を望む被治者からの「信託」によって成立すると説いている。遡ること47年前の1642年にトマス・ホッブズが「市民論」で持ち出した自然状態での「万人の万人に対する闘争」を避けるために、必然的にコモンウェルス(commonwealth)への移行が要請されることとなる。コモンウェルスの主権としては、立法権・行政権と連合権(外交権)の三権分立が挙げられ、立法権こそが基軸であるとしている。
またロックは、当時主流であった国王が立法権と執行権の両方を握る「絶対王政」を否定して、
といった点を論じているが、他方で行政権を行使する国王は、立法権への拒否権を持ち、刑罰法の執行の緩和・停止の権力を与えられるものと説いている。そのうえで行政権と立法権の双方向のチェックを期待しつつ、人民(people)による「信託」という人民主権の概念を行政府も立法府も侵害した場合に対して、ホッブズが唱えていた「抵抗権」を発展させた「革命権」を提起した。もっとも、統治権の変更を求めるような革命権の行使には相当の条件が必要ともしている。
この後、ロックの論を背景として立憲主義が発展し、「国民の信託に基づいた憲法の制定経緯」「連邦主義」「立法権など三権の分立」「抵抗権に先立つ憲法改正」「統治権者の憲法擁護義務」などを明文化した世界最初の共和政原理に基づいたアメリカ合衆国憲法が1788年に発効されている。
19世紀後半から20世紀にかけゲオルグ・イェリネック(Georg Jellinek)などに代表される法実証主義の公法学者によって、事実的な意味での憲法概念を除く法的意味の憲法は、実質的意味の憲法と形式的意味の憲法に整理されるようになった。実質的な意味の憲法と形式的な意味の憲法の区別はほぼそのまま日本の憲法学に取り入れられた。
形式的意味の憲法とは「憲法」という名前で呼ばれている成文の法典を意味し、実質的意味の憲法とは多くの成文法や不文法の内容として存在する国家の基礎法全体を意味する。諸国にほぼ共通する現象として、実質的意味の憲法のすべてが成文化されているわけではなく、下位の法規範(法律や命令)で規定されたり、判例や憲法慣習によって補充されている。
実質的意味の憲法には含まれないと考えられる事項が当該国家の特殊な事情や憲法制定者の意向のもとで形式的な意味の憲法に盛り込まれることがある。形式的な意味の憲法に含まれるものの実質的な意味の憲法に含まれないものとしては、「出血前に麻酔させることなく動物を殺すこと」を禁止したスイス憲法旧25条の2がしばしば引用されるが、樋口陽一によれば、これはユダヤ教徒の慣行を禁止することを目的とした規定であり、実質的な意味の憲法に含まれる。
固有の意味の憲法とは、国の統治の基本に関する国家の基礎法をいう。国家はいかなる社会経済構造をとる場合でも必ず政治権力とそれを行使する機関を必要とするから固有の意味の憲法は国家が存在するところには必ず存在する。
これに対して1789年のフランス人権宣言16条が「権利の保障が確保されず、権力分立が定められていない社会は、すべて憲法をもつものではない」と述べているように、専断的な権力を制約して権利を保障することこそ最も重要な憲法の目的と考えられるようになり、政治権力を制限する規範体系・規範秩序を内容とする憲法を「立憲的意味の憲法」あるいは「近代的意味の憲法」という。
なお、国の基礎法である憲法は、実定法の体系では公法に属する法である。
樋口陽一によれば、「実質的意味の憲法」とは、いかなる社会でも問題となる基本的な統治制度の構造と作用を定めた法規範の総体を意味する。 そのうち、何らかの一定の形式上の標識を備えた法規範を「形式的意味の憲法」と呼ぶ。さらに、その上で特定の実質内容をそなえた法規範を「近代的または立憲的意味の憲法」と呼ぶ。
制定の主体に着目して憲法を分類することもある。
近代の立憲的憲法は内容面においては人間の権利と自由の保障とそのための国家組織の制度化(具体的には権力分立)によって具体化されるものである。これはグロチウス、ロック、ルソー、モンテスキューなどによる自然権思想や権力分立論などを背景とする。
立憲的憲法は形式面ではほとんどが成文憲法をとっている。その理由は近代合理主義のもとで成文法は慣習法に優ると考えられ、新しい権力関係を樹立するためには新たな政治機構の骨組みを書き留めておく必要があった。また、国家は自由な国民の社会契約によって組織されるという社会契約説のもと、この社会契約を具体化したものこそ根本契約としての憲法であり文書にしておくことが望ましいと考えられたことが成文憲法の発生と普及の大きな要因となった。
また、立憲的憲法は性質面では一般に法律よりも改正が難しい硬性憲法となっている。憲法は権力(特に立法権)を法的に制限することによって不可侵で不可譲の自由を保障する普遍的な実質的価値を内在するものだからである。ただし、フランスの憲法思想ではフランス人権宣言6条が「法は一般意思の表明である」という考え方が強く憲法と法律との区別は徹底されてはいなかった。これに対しアメリカの憲法思想は独立時にイギリス議会や州議会による不当な権利・自由に対する制限への反発が強く、立法権への不信から立法権は制限されるべきと考えられ、憲法と法律との区別がフランスやドイツよりもはるかに明確に現れることとなった。
近代憲法の多くは人権規定と統治機構の両面で構成される。人権規定については、その後、環境権、プライバシー、知る権利など、新しく生まれた概念が盛り込まれた憲法も多い。
憲法が国法秩序の段階構造で最も強い形式的効力をもつ規範であることは通常の法律改正よりも難しい憲法改正手続きが要求される硬性憲法のもとでは当然のことである。そこで憲法の最高法規たる本質は憲法が実質的に法律とは異なる点に求める必要があり、それが次の実質的最高法規性である。
憲法の最高法規性の実質的根拠は、憲法が自由の基礎法として、人間の権利・自由をあらゆる国家権力から不可侵なものとして保障するという理念に基づきその価値を規範化したものという点にある。
憲法の実質的最高法規性を重視する立場では、人権体系を憲法の根本規範と解し、憲法規範には価値序列があることを認める。
なお、一部のイスラム教国ではイスラム教の教典であるクルアーンが憲法と位置づけられている。1992年3月のサウジアラビアでは統治基本規則第1条で「憲法はクルアーンおよびスンナとする」と定められており、イスラム教の教典が不文憲法となっている国である。このため、いかなる手続きをもってしても、絶対に憲法を改正することはできない。
多くの近代国家では法律は憲法の規定を満たす範囲で公布されるため、初等的な法学の教書では「憲法は法律の法律である」等と説明される。より一般的には上述したような歴史的経緯などから、多くの国では、憲法は「国民が国家に守らせる法」であり、法律は「国家が国民に守らせる法」であると捉えられている。このような解釈により、国民主権の国では必然的に憲法は法律よりも優先される法となるため、結果的に法律は憲法に基づくことが必要となる。 | [
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"text": "ある国が人民や外国政府等に対して権限を行使する場合の基本原則を示し、この原則が国民の福祉のための課税や歳出の権限などを政府に付与している。また、憲法は十分な理由のない逮捕の禁止や非公開裁判の禁止などの国家権力を制限する機能も持っている。憲法を成文化していない国民国家でも、国民のコンセンサスを得た強制力のある規則で構成される普通法や土地の法律などの慣習法・風習・成文法・判例、または国際規則や国際規範が存在するといえる。",
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"text": "1215年にイギリスで制定された「マグナ・カルタ」が源流で、1789年のフランスで制定された「人間と市民の権利の宣言」では人権と国民主権が宣言され、アメリカ独立戦争以降、国民が憲法で国家権力を制限するものと捉えられる。国家の政治的統一体の構造や組織そのものを指す場合もあり(事実的意味の憲法)、このほか憲法は多義的な概念としても論じられる。",
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"text": "憲法には国家における統治機構や統治者や為政者、国民の義務や権利に加え、前文に「国」の成り立ちや政府樹立の目的、さらには「神」について記載されることもある。",
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"text": "国家の基本法としての現在のような日本語の「憲法」という語彙は、ドイツ語のVerfassungやフランス語及び英語のconstitutionの訳語のうち、1873年(明治6年)頃から使われるようになったものである。604年に制定された十七条憲法の題名にも「憲法」という文字列が含まれるが、これは「おきて」や「のり」一般を意味するもので、本稿で説明する意味では用いられていない。",
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"text": "この「憲法」はふつう文字の表現のとおり法的概念として用いられる。本来のドイツ語のVerfassungや英語のconstitutionという単語は、法的概念としての意味だけではなく、国家の政治的統一体の構造や組織そのもの、事実上の国家体制、国家における実力関係や政治的状態などを意味する場合も多い。このような事実的意味として国家の政治的統一体として形成された国家の構造や組織(国家の具体的な存在状態や時々における政治状態)を指す場合(事実的意味の憲法)は、事実状態そのものであるから、法的意味の憲法と混同すべきでないとされる。特に法的意味の憲法を指す場合には、ドイツ語ではVerfassungsgesetz、英語ではconstitutional lawと表現される。これらは日本語では「憲法律」と訳すことがある。",
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"text": "事実的意味の憲法として、日本語では「国家構造」や「国制」を用いることがある。ウォルター・バジョットのThe English Constitution(1867年)は日本語では『英国の国家構造』と翻訳されている。特に歴史学者は「国制」を用いており、Verfassungsgeschichteやconstitutional historyは「国制史」という場合が多い。",
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"text": "ヘルマン・ヘラー(Hermann Heller)は『国家学』でVerfassungを、1.事実上のもの(国家の政治的存在状態の構造)、2.規範づけられたもの(法的規範もしくは習俗・道徳・宗教によって規律されるもの)、3.成文化されたもの(文書の形式で記録されたもの)の3つに大別している。2の意味には法的規範によって規律されるもののほか習俗・道徳・宗教によって規律されるものも含まれる。",
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"text": "カール・シュミット(Carl Schmitt)は『憲法学』(Verfassungslehre)で、実定的意味のVerfassungと、法的概念としてのVerfassungsgesetz(憲法律)の区別を強調した。また、カール・シュミットは絶対的意味の憲法という概念を認めた。この絶対的意味の憲法は具体的存在面と根本法的規律面にこれを大別され、前者はさらに1.特定の国家の政治的統一及び社会的秩序の具体的な総体的状態、2.政治的及び社会的秩序の特別の様式(支配の形体または国家形体)、3.政治的統一の動態的な生成の原理の3つに分類されるとした。",
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"text": "イギリスの哲学者ジョン・ロックは1689年に著した「統治二論」(市民政府論)において、統治の構造を自然法論の伝統と社会契約の理論により説明している。",
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"text": "そこでは、立法権や行政権などの統治権が、統治者の武力や外圧によってもたらされるのではなく、生命と財産の保障を望む被治者からの「信託」によって成立すると説いている。遡ること47年前の1642年にトマス・ホッブズが「市民論」で持ち出した自然状態での「万人の万人に対する闘争」を避けるために、必然的にコモンウェルス(commonwealth)への移行が要請されることとなる。コモンウェルスの主権としては、立法権・行政権と連合権(外交権)の三権分立が挙げられ、立法権こそが基軸であるとしている。",
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"text": "といった点を論じているが、他方で行政権を行使する国王は、立法権への拒否権を持ち、刑罰法の執行の緩和・停止の権力を与えられるものと説いている。そのうえで行政権と立法権の双方向のチェックを期待しつつ、人民(people)による「信託」という人民主権の概念を行政府も立法府も侵害した場合に対して、ホッブズが唱えていた「抵抗権」を発展させた「革命権」を提起した。もっとも、統治権の変更を求めるような革命権の行使には相当の条件が必要ともしている。",
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"text": "19世紀後半から20世紀にかけゲオルグ・イェリネック(Georg Jellinek)などに代表される法実証主義の公法学者によって、事実的な意味での憲法概念を除く法的意味の憲法は、実質的意味の憲法と形式的意味の憲法に整理されるようになった。実質的な意味の憲法と形式的な意味の憲法の区別はほぼそのまま日本の憲法学に取り入れられた。",
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"text": "樋口陽一によれば、「実質的意味の憲法」とは、いかなる社会でも問題となる基本的な統治制度の構造と作用を定めた法規範の総体を意味する。 そのうち、何らかの一定の形式上の標識を備えた法規範を「形式的意味の憲法」と呼ぶ。さらに、その上で特定の実質内容をそなえた法規範を「近代的または立憲的意味の憲法」と呼ぶ。",
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"text": "近代の立憲的憲法は内容面においては人間の権利と自由の保障とそのための国家組織の制度化(具体的には権力分立)によって具体化されるものである。これはグロチウス、ロック、ルソー、モンテスキューなどによる自然権思想や権力分立論などを背景とする。",
"title": "近代憲法の特色"
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"text": "立憲的憲法は形式面ではほとんどが成文憲法をとっている。その理由は近代合理主義のもとで成文法は慣習法に優ると考えられ、新しい権力関係を樹立するためには新たな政治機構の骨組みを書き留めておく必要があった。また、国家は自由な国民の社会契約によって組織されるという社会契約説のもと、この社会契約を具体化したものこそ根本契約としての憲法であり文書にしておくことが望ましいと考えられたことが成文憲法の発生と普及の大きな要因となった。",
"title": "近代憲法の特色"
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"text": "また、立憲的憲法は性質面では一般に法律よりも改正が難しい硬性憲法となっている。憲法は権力(特に立法権)を法的に制限することによって不可侵で不可譲の自由を保障する普遍的な実質的価値を内在するものだからである。ただし、フランスの憲法思想ではフランス人権宣言6条が「法は一般意思の表明である」という考え方が強く憲法と法律との区別は徹底されてはいなかった。これに対しアメリカの憲法思想は独立時にイギリス議会や州議会による不当な権利・自由に対する制限への反発が強く、立法権への不信から立法権は制限されるべきと考えられ、憲法と法律との区別がフランスやドイツよりもはるかに明確に現れることとなった。",
"title": "近代憲法の特色"
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"text": "近代憲法の多くは人権規定と統治機構の両面で構成される。人権規定については、その後、環境権、プライバシー、知る権利など、新しく生まれた概念が盛り込まれた憲法も多い。",
"title": "近代憲法の特色"
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"text": "憲法が国法秩序の段階構造で最も強い形式的効力をもつ規範であることは通常の法律改正よりも難しい憲法改正手続きが要求される硬性憲法のもとでは当然のことである。そこで憲法の最高法規たる本質は憲法が実質的に法律とは異なる点に求める必要があり、それが次の実質的最高法規性である。",
"title": "最高法規性と国法秩序"
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"text": "憲法の最高法規性の実質的根拠は、憲法が自由の基礎法として、人間の権利・自由をあらゆる国家権力から不可侵なものとして保障するという理念に基づきその価値を規範化したものという点にある。",
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"text": "憲法の実質的最高法規性を重視する立場では、人権体系を憲法の根本規範と解し、憲法規範には価値序列があることを認める。",
"title": "最高法規性と国法秩序"
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"text": "なお、一部のイスラム教国ではイスラム教の教典であるクルアーンが憲法と位置づけられている。1992年3月のサウジアラビアでは統治基本規則第1条で「憲法はクルアーンおよびスンナとする」と定められており、イスラム教の教典が不文憲法となっている国である。このため、いかなる手続きをもってしても、絶対に憲法を改正することはできない。",
"title": "最高法規性と国法秩序"
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"text": "多くの近代国家では法律は憲法の規定を満たす範囲で公布されるため、初等的な法学の教書では「憲法は法律の法律である」等と説明される。より一般的には上述したような歴史的経緯などから、多くの国では、憲法は「国民が国家に守らせる法」であり、法律は「国家が国民に守らせる法」であると捉えられている。このような解釈により、国民主権の国では必然的に憲法は法律よりも優先される法となるため、結果的に法律は憲法に基づくことが必要となる。",
"title": "法律との関連"
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] | 憲法とは、国家の統治権や統治作用に関する根本的な原則を定める基礎法である。国家の自己決定権の根拠となる法体系。 ある国が人民や外国政府等に対して権限を行使する場合の基本原則を示し、この原則が国民の福祉のための課税や歳出の権限などを政府に付与している。また、憲法は十分な理由のない逮捕の禁止や非公開裁判の禁止などの国家権力を制限する機能も持っている。憲法を成文化していない国民国家でも、国民のコンセンサスを得た強制力のある規則で構成される普通法や土地の法律などの慣習法・風習・成文法・判例、または国際規則や国際規範が存在するといえる。 1215年にイギリスで制定された「マグナ・カルタ」が源流で、1789年のフランスで制定された「人間と市民の権利の宣言」では人権と国民主権が宣言され、アメリカ独立戦争以降、国民が憲法で国家権力を制限するものと捉えられる。国家の政治的統一体の構造や組織そのものを指す場合もあり(事実的意味の憲法)、このほか憲法は多義的な概念としても論じられる。 | {{Otheruses|憲法の体系|憲法の形式|コンスティチューション (法学)|現行の日本の憲法|日本国憲法|その他}}
[[File:DDHC,_1789.png|thumb|[[人間と市民の権利の宣言]]([[フランス革命]])。]]
{{読み仮名|'''憲法'''|けんぽう、{{lang-en|constitutional law}}}}とは、[[国家]]の統治権や統治作用に関する根本的な原則を定める[[法 (法学)|基礎法]]である<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%86%B2%E6%B3%95-61073#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 デジタル大辞泉「憲法」]</ref>。国家の[[オートノミー|自己決定権]]の根拠となる[[法体系]]。
ある[[国]]が人民や外国政府等に対して[[権限]]を行使する場合の基本原則を示し、この原則が国民の[[福祉]]のための[[課税]]や[[歳出]]の権限などを[[政府]]に付与している。また、憲法は十分な理由のない逮捕の禁止や非公開裁判の禁止などの[[国家権力]]を制限する機能も持っている。憲法を成文化していない[[国民国家]]でも、国民の[[コンセンサス]]を得た強制力のある規則で構成される{{Ill|普通法|en|ius commune}}や土地の法律などの[[慣習法]]・[[風習]]・[[成文法]]・[[判例]]、または[[国際法|国際規則や国際規範]]が存在するといえる。
[[1215年]]に[[イギリス]]で制定された「[[マグナ・カルタ]]」が源流で、1789年の[[フランス]]で制定された「[[人間と市民の権利の宣言]]」では[[人権]]と[[国民主権]]が宣言され、[[アメリカ独立戦争]]以降、[[国民]]が憲法で国家権力を制限するものと捉えられる。国家の政治的統一体の構造や組織そのものを指す場合もあり(事実的意味の憲法)<ref name="『憲法』P16-17">佐藤幸治『憲法』青林書院 16~17頁</ref>、このほか憲法は多義的な概念としても論じられる<ref name="kenpougaku P40">{{Cite book|和書|author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜|year=1992|title=憲法学|volume=I 憲法総論|page=40|publisher=[[有斐閣]]}}</ref>。
== 概説 ==
憲法には[[国家]]における[[統治機構]]や[[統治者]]や[[為政者]]、国民の[[義務]]や[[権利]]に加え、前文に「[[国]]」の成り立ちや政府樹立の目的、さらには「[[神]]」について記載されることもある<ref>[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/1830523zenbun-shiryou.pdf/$File/1830523zenbun-shiryou.pdf 衆議院会議録情報 第183回国会メモ]</ref>。
国家の[[基本法]]としての現在のような[[日本語]]の「憲法」という語彙は、[[ドイツ語]]の{{lang|de|Verfassung}}や[[フランス語]]及び[[英語]]の''constitution''の訳語のうち、[[1873年]]([[明治]]6年)頃から使われるようになったものである<ref name="kenpougaku P2">{{Cite book |和書 |author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜 |year=1992 |title=憲法学 |volume = I 憲法総論|page=2 |publisher=有斐閣}}</ref>{{Refnest|group="注釈"|このように元来、日本にはこれに相当する「国家の基本法」という概念がなかった。[[穂積陳重]]の『法窓夜話』によれば、憲法という日本語は、伝統的には単に「法律」の同義語か「厳しい法(いつくしきのり)」「道理」という意味でしかなかった。[[1873年]]([[明治]]6年)に、[[箕作麟祥]]がフランス語の「{{lang|fr|Constitution}}」に「憲法」なる訳語を当てたのが始まりという。その後も「国憲」など別の訳語が当てられるときもあったが、明治17年になって伊藤博文が大日本帝国憲法の編纂に着手した際に「憲法」という語彙が確定したという。なお、1874年(明治7年)には地方の政治に関して「議院憲法」という名称の詔勅が出ている<ref>板垣退助 監修『自由党史(上)』遠山茂樹、佐藤誠朗 校訂、岩波書店(岩波文庫)1992年、148~149頁</ref>。}}。[[604年]]に制定された[[十七条憲法]]{{Refnest|group="注釈"|十七条憲法は、成立時期などについて議論がある。詳細は[[十七条憲法]]を参照}}の題名にも「憲法」という文字列が含まれるが、これは「おきて」や「のり」一般を意味するもので、本稿で説明する意味では用いられていない{{Refnest|group="注釈"|[[小森義峯]]は以下のように述べ、[[十七条憲法]]は「実質的意味の憲法」かつ「固有の意味の憲法」としている<ref name="komori">{{citation| 和書| title = 十七条憲法の憲法学的重要性について| last = 小森 | first = 義峯| journal = 憲法論叢| issue = 1| pages = 1-11| date = 1994-04-15| publisher = 関西法政治研究会| id = {{NAID|110002283598}} }}</ref>。
*[[立憲政体]]ではないが、[[臣]]([[公務員]])が遵守すべき規範を成文で定めていることから国家の根幹法たる性格を有するとして、[[マグナ・カルタ]]が成文憲法であるのと同じような意味で成文憲法といえる。
*[[日本法制史]]を研究した[[牧健二]]の論文を引用し、牧も十七条憲法が国家統治の根本を定めることを主目的としていたことから成文憲法と見ていたとする。}}。
この「憲法」はふつう文字の表現のとおり法的概念として用いられる<ref name="taikei P2">{{Cite book |和書 |author=清宮四郎|authorlink=清宮四郎 |year=1961 |title=日本国憲法体系 |volume = 1 総論 |other=[[清宮四郎]] |page=2 |publisher=有斐閣}}</ref>。本来のドイツ語のVerfassungや英語のconstitutionという単語は、法的概念としての意味だけではなく、国家の政治的統一体の構造や組織そのもの<ref name="『憲法』P16-17" /><ref>ジーニアス英和辞典 第3版</ref>、事実上の国家体制、国家における実力関係や政治的状態などを意味する場合も多い<ref name="taikei P2"/>。このような事実的意味として国家の政治的統一体として形成された国家の構造や組織(国家の具体的な存在状態や時々における政治状態)を指す場合(事実的意味の憲法)は、事実状態そのものであるから、法的意味の憲法と混同すべきでないとされる<ref name="『憲法』P16-17" /><ref name="kenpougaku P2"/>。特に法的意味の憲法を指す場合には、ドイツ語では{{lang|de|Verfassungsgesetz}}、英語では''constitutional law''と表現される<ref name="『憲法』P16-17" />。これらは日本語では「憲法律」と訳すことがある<ref name="kenpougaku P3">{{Cite book |和書 |author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜 |year=1992 |title=憲法学 |volume = I 憲法総論|page=3 |publisher=有斐閣}}</ref>。
事実的意味の憲法として、日本語では「国家構造」や「国制」を用いることがある。[[ウォルター・バジョット]]の''The English Constitution''(1867年)は日本語では『英国の国家構造』と翻訳されている<ref name="kenpougaku P3">{{Cite book |和書 |author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜 |year=1992 |title=憲法学 |volume = I 憲法総論|page=3 |publisher=有斐閣}}</ref>。特に歴史学者は「国制」を用いており、Verfassungsgeschichteやconstitutional historyは「国制史」という場合が多い<ref name="kenpougaku P3"/>。
{{Further|コンスティチューション (法学)}}
[[ヘルマン・ヘラー]](Hermann Heller)は『国家学』でVerfassungを、1.事実上のもの(国家の政治的存在状態の構造)、2.規範づけられたもの(法的規範もしくは習俗・道徳・宗教によって規律されるもの)、3.成文化されたもの(文書の形式で記録されたもの)の3つに大別している<ref name="kenpougaku P2"/><ref name="taikei P5-6">{{Cite book |和書 |author=清宮四郎|authorlink=清宮四郎 |year=1961 |title=日本国憲法体系 |volume = 1 総論 |other=[[清宮四郎]] |pages=5-6 |publisher=有斐閣}}</ref>。2の意味には法的規範によって規律されるもののほか習俗・道徳・宗教によって規律されるものも含まれる<ref name="taikei P6">{{Cite book |和書 |author=清宮四郎|authorlink=清宮四郎 |year=1961 |title=日本国憲法体系 |volume = 1 総論 |other=[[清宮四郎]] |page=6 |publisher=有斐閣}}</ref>。
[[カール・シュミット]](Carl Schmitt)は『憲法学』(''{{lang|de|Verfassungslehre}}'')で、実定的意味のVerfassungと、法的概念としてのVerfassungsgesetz(憲法律)の区別を強調した<ref name="taikei P3">{{Cite book |和書 |author=清宮四郎|authorlink=清宮四郎 |year=1961 |title=日本国憲法体系 |volume = 1 総論 |other=[[清宮四郎]] |page=3 |publisher=有斐閣}}</ref>。また、カール・シュミットは絶対的意味の憲法という概念を認めた<ref name="taikei P3"/>。この絶対的意味の憲法は具体的存在面と根本法的規律面にこれを大別され、前者はさらに1.特定の国家の政治的統一及び社会的秩序の具体的な総体的状態、2.政治的及び社会的秩序の特別の様式(支配の形体または国家形体)、3.政治的統一の動態的な生成の原理の3つに分類されるとした<ref name="taikei P4">{{Cite book |和書 |author=清宮四郎|authorlink=清宮四郎 |year=1961 |title=日本国憲法体系 |volume = 1 総論 |other=[[清宮四郎]] |page=4 |publisher=有斐閣}}</ref>。
== 憲法に基づく統治権の信託と抵抗権 ==
イギリスの哲学者[[ジョン・ロック]]は[[1689年]]に著した「[[統治二論]]」(市民政府論)において、統治の構造を自然法論の伝統と社会契約の理論により説明している<ref>【主権と自由pp207-212(岩波講座政治哲学第1巻)岩波書店】</ref><ref>【「生存権」と国家―西洋国家思想に学ぶpp157-160(関家新助)中央法規出版】</ref><ref>【社会契約論がなぜ大事か知っていますかpp174-175(伊藤宏之)柏書房】</ref>。
そこでは、[[立法権]]や[[行政権]]などの統治権が、統治者の武力や外圧によってもたらされるのではなく、生命と財産の保障を望む被治者からの「[[信託]]」によって成立すると説いている。遡ること47年前の[[1642年]]に[[トマス・ホッブズ]]が「[[市民論]]」で持ち出した[[自然状態]]での「[[万人の万人に対する闘争]]」を避けるために、必然的に[[コモンウェルス]](commonwealth)への移行が要請されることとなる。コモンウェルスの主権としては、立法権・行政権と連合権(外交権)の[[三権分立]]が挙げられ、立法権こそが基軸であるとしている。
またロックは、当時主流であった国王が立法権と執行権の両方を握る「[[絶対王政]]」を否定して、
*議会が立法に携わる必要があり、議員は議会の制定した法に自ら服さなければならない
*統治権者は同意なしに被治者の財産を奪えず、議会が課税同意権を基礎づける
といった点を論じているが、他方で行政権を行使する国王は、立法権への拒否権を持ち、刑罰法の執行の緩和・停止の権力を与えられるものと説いている。そのうえで行政権と立法権の双方向のチェックを期待しつつ、人民(people)による「信託」という人民主権の概念を行政府も立法府も侵害した場合に対して、ホッブズが唱えていた「[[抵抗権]]」を発展させた「革命権」を提起した。もっとも、統治権の変更を求めるような革命権の行使には相当の条件が必要ともしている。
この後、ロックの論を背景として[[立憲主義]]が発展し、「国民の信託に基づいた憲法の制定経緯」「連邦主義」「立法権など三権の分立」「抵抗権に先立つ憲法改正」「統治権者の憲法擁護義務」などを明文化した世界最初の[[共和政]]原理に基づいたアメリカ合衆国憲法が1788年に発効されている。{{see also|アメリカ合衆国憲法#アメリカ合衆国憲法の思想的背景}}
== 法的意味の憲法の多義性 ==
=== 形式的意味の憲法と実質的意味の憲法 ===
19世紀後半から20世紀にかけ[[ゲオルグ・イェリネック]](Georg Jellinek)などに代表される法実証主義の公法学者によって、事実的な意味での憲法概念を除く法的意味の憲法は、実質的意味の憲法と形式的意味の憲法に整理されるようになった<ref name="kenpougaku P5">{{Cite book |和書 |author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜 |year=1992 |title=憲法学 |volume = I 憲法総論|page=5 |publisher=有斐閣}}</ref>。実質的な意味の憲法と形式的な意味の憲法の区別はほぼそのまま日本の憲法学に取り入れられた<ref name="kenpougaku P5"/>。
形式的意味の憲法とは「憲法」という名前で呼ばれている成文の法典を意味し、実質的意味の憲法とは多くの成文法や不文法の内容として存在する国家の基礎法全体を意味する<ref name="miyazawa P13-14">{{Cite book |和書 |author=宮沢俊義|authorlink=宮沢俊義 |year=1973 |title=憲法 |edition= 改訂第5版 |pages=13-14 |publisher=有斐閣}}</ref>。諸国にほぼ共通する現象として、実質的意味の憲法のすべてが成文化されているわけではなく、下位の法規範(法律や命令)で規定されたり、判例や憲法慣習によって補充されている<ref name="kenpougaku P11">{{Cite book |和書 |author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜 |year=1992 |title=憲法学 |volume = I 憲法総論|page=11 |publisher=有斐閣}}</ref>。
実質的意味の憲法には含まれないと考えられる事項が当該国家の特殊な事情や憲法制定者の意向のもとで形式的な意味の憲法に盛り込まれることがある<ref name="kenpougaku P11"/>。形式的な意味の憲法に含まれるものの実質的な意味の憲法に含まれないものとしては、「出血前に麻酔させることなく動物を殺すこと」を禁止した[[スイス]]憲法旧25条の2がしばしば引用されるが、[[樋口陽一]]によれば、これはユダヤ教徒の慣行を禁止することを目的とした規定であり、実質的な意味の憲法に含まれる{{sfn|樋口陽一|1992|p=5-6}}。
=== 固有の意味の憲法と立憲的意味の憲法 ===
固有の意味の憲法とは、国の統治の基本に関する国家の基礎法をいう<ref name="kenpougaku P8">{{Cite book |和書 |author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜 |year=1992 |title=憲法学 |volume = I 憲法総論|page=8 |publisher=有斐閣}}</ref>。国家はいかなる社会経済構造をとる場合でも必ず政治権力とそれを行使する機関を必要とするから固有の意味の憲法は国家が存在するところには必ず存在する<ref name="kenpougaku P9">{{Cite book |和書 |author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜 |year=1992 |title=憲法学 |volume = I 憲法総論|page=9 |publisher=有斐閣}}</ref>。
これに対して1789年のフランス人権宣言16条が「権利の保障が確保されず、権力分立が定められていない社会は、すべて憲法をもつものではない」と述べているように、専断的な権力を制約して権利を保障することこそ最も重要な憲法の目的と考えられるようになり、政治権力を制限する規範体系・規範秩序を内容とする憲法を「立憲的意味の憲法」あるいは「近代的意味の憲法」という<ref name="kenpougaku P9"/>。
なお、国の基礎法である憲法は、実定法の体系では公法に属する法である<ref>{{Cite book |和書 |author=伊藤正己|authorlink=伊藤正己 |year=2005 |title=現代法学入門 |edition =第4版 |page=89 |publisher=有斐閣}}</ref>。
=== 樋口陽一による用法 ===
樋口陽一によれば、「実質的意味の憲法」とは、いかなる社会でも問題となる基本的な統治制度の構造と作用を定めた法規範の総体を意味する。
そのうち、何らかの一定の形式上の標識を備えた法規範を「形式的意味の憲法」と呼ぶ。さらに、その上で特定の実質内容をそなえた法規範を「近代的または立憲的意味の憲法」と呼ぶ{{sfn|樋口陽一|1992|p=3-5}}。
== 憲法の分類 ==
=== 形式による分類 ===
{|class=wikitable style="font-size:small"
!類型!!該当するもの
|-
|style="white-space:nowrap"|成文憲法(成典憲法)
|憲法典として制定された憲法。第二次世界大戦後では、多くの国は成文憲法を有する。
* 憲法の条文数は平均で140少々となっている。多いのは[[ユーゴスラビア]](406箇条)、[[インド]](395箇条)。少ないのは[[インドネシア]](37箇条)などがある<ref name="hourituyougojiten"/>。
* 最短は[[ヴィシー政権]]の憲法「[[1940年7月10日の憲法的法律]]」で、「全権力をペタン将軍に委任する」の1箇条しかなかった。
|-
|style="white-space:nowrap"|不文憲法(不成典憲法)
|憲法典として制定されていない憲法。[[イギリスの憲法|イギリス]]が代表例である。憲法が成文の単一の法典という形式の法規範では存在せず、[[議会法]]などの主要な法律、憲法判例、憲法慣習、憲法習律の総体が実質的意味の憲法である。
|}
=== 改正手続による分類 ===
{{seealso|憲法改正|硬性憲法}}
{|class=wikitable style="font-size:small"
!類型!!該当するもの
|-
|style="white-space:nowrap"|硬性憲法
|憲法改正手続に普通の法律改正以上に厳格な手続を要求する憲法。
|-
|style="white-space:nowrap"|軟性憲法
|憲法改正が普通の法律改正と同様の手続で行いうる憲法。
|}
=== 制定主体による分類 ===
制定の[[主体]]に着目して憲法を分類することもある。
{|class=wikitable style="font-size:small"
!類型!!該当するもの
|-
|style="white-space:nowrap"|欽定憲法
|[[君主]]によって制定された憲法([[大日本帝国憲法]]など)。
|-
|style="white-space:nowrap"|民定憲法
|(直接または間接に)[[人民]]によって制定された憲法。
|-
|style="white-space:nowrap"|協約憲法
|君主と人民により制定された憲法。
|-
|style="white-space:nowrap"|条約憲法
|連邦国家の憲法がその構成主体間の条約によって成立した場合のもの([[ビスマルク憲法]]、[[アメリカ合衆国憲法]]など)
|}
== 近代憲法の特色 ==
近代の立憲的憲法は内容面においては人間の権利と自由の保障とそのための国家組織の制度化(具体的には権力分立)によって具体化されるものである<ref name="kenpougaku P28">{{Cite book |和書 |author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜 |year=1992 |title=憲法学 |volume = I 憲法総論|page=28 |publisher=有斐閣}}</ref>。これはグロチウス、ロック、ルソー、モンテスキューなどによる自然権思想や権力分立論などを背景とする<ref name="kenpougaku P28"/>。
立憲的憲法は形式面ではほとんどが成文憲法をとっている<ref name="kenpougaku P31">{{Cite book |和書 |author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜 |year=1992 |title=憲法学 |volume = I 憲法総論|page=31 |publisher=有斐閣}}</ref>。その理由は近代合理主義のもとで成文法は慣習法に優ると考えられ、新しい権力関係を樹立するためには新たな政治機構の骨組みを書き留めておく必要があった<ref name="kenpougaku P31">{{Cite book |和書 |author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜 |year=1992 |title=憲法学 |volume = I 憲法総論|page=31 |publisher=有斐閣}}</ref>。また、国家は自由な国民の社会契約によって組織されるという社会契約説のもと、この社会契約を具体化したものこそ根本契約としての憲法であり文書にしておくことが望ましいと考えられたことが成文憲法の発生と普及の大きな要因となった<ref name="kenpougaku P31"/>。
また、立憲的憲法は性質面では一般に法律よりも改正が難しい硬性憲法となっている<ref name="kenpougaku P37">{{Cite book |和書 |author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜 |year=1992 |title=憲法学 |volume = I 憲法総論|page=37 |publisher=有斐閣}}</ref>。憲法は権力(特に立法権)を法的に制限することによって不可侵で不可譲の自由を保障する普遍的な実質的価値を内在するものだからである<ref name="kenpougaku P37"/>。ただし、フランスの憲法思想ではフランス人権宣言6条が「法は一般意思の表明である」という考え方が強く憲法と法律との区別は徹底されてはいなかった<ref name="kenpougaku P38">{{Cite book |和書 |author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜 |year=1992 |title=憲法学 |volume = I 憲法総論|page=38 |publisher=有斐閣}}</ref>。これに対しアメリカの憲法思想は独立時にイギリス議会や州議会による不当な権利・自由に対する制限への反発が強く、立法権への不信から立法権は制限されるべきと考えられ、憲法と法律との区別がフランスやドイツよりもはるかに明確に現れることとなった<ref name="kenpougaku P39">{{Cite book |和書 |author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜 |year=1992 |title=憲法学 |volume = I 憲法総論|page=39 |publisher=有斐閣}}</ref>。
近代憲法の多くは人権規定と統治機構の両面で構成される。人権規定については、その後、[[環境権]]、[[プライバシー]]、[[知る権利]]など、新しく生まれた概念が盛り込まれた憲法も多い<ref name="hourituyougojiten">{{Cite book|和書
|title=図解による法律用語辞典
|origdate=2006-02-26
|edition=補訂2版
|publisher=[[自由国民社]]
|isbn=9784426401146
}}</ref>。
== 最高法規性と国法秩序 ==
=== 形式的最高法規性 ===
憲法が国法秩序の段階構造で最も強い形式的効力をもつ規範であることは通常の法律改正よりも難しい憲法改正手続きが要求される硬性憲法のもとでは当然のことである<ref name="kenpougaku P55">{{Cite book |和書 |author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜 |year=1992 |title=憲法学 |volume = I 憲法総論|page=55 |publisher=有斐閣}}</ref>。そこで憲法の最高法規たる本質は憲法が実質的に法律とは異なる点に求める必要があり、それが次の実質的最高法規性である<ref name="kenpougaku P55">{{Cite book |和書 |author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜 |year=1992 |title=憲法学 |volume = I 憲法総論|page=55 |publisher=有斐閣}}</ref>。
=== 実質的最高法規性 ===
憲法の最高法規性の実質的根拠は、憲法が自由の基礎法として、人間の権利・自由をあらゆる国家権力から不可侵なものとして保障するという理念に基づきその価値を規範化したものという点にある<ref name="kenpougaku P56">{{Cite book |和書 |author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜 |year=1992 |title=憲法学 |volume = I 憲法総論|page=56 |publisher=有斐閣}}</ref>。
憲法の実質的最高法規性を重視する立場では、人権体系を憲法の根本規範と解し、憲法規範には価値序列があることを認める<ref name="kenpougaku P59">{{Cite book |和書 |author=芦部信喜|authorlink=芦部信喜 |year=1992 |title=憲法学 |volume = I 憲法総論|page=59 |publisher=有斐閣}}</ref>。
{{see also|堅固に保護された条項}}
なお、一部の[[イスラム世界|イスラム教国]]では[[イスラム教]]の教典である[[クルアーン]]が憲法と位置づけられている。1992年3月の[[サウジアラビア]]では統治基本規則第1条で「憲法はクルアーンおよび[[スンナ]]とする」と定められており、イスラム教の教典が不文憲法となっている国である。このため、いかなる手続きをもってしても、絶対に憲法を改正することはできない。
{{see also|シャリーア}}
== 法律との関連 ==
多くの近代国家では法律は憲法の規定を満たす範囲で公布されるため、初等的な法学の教書では「憲法は法律の法律である」等と説明される。より一般的には上述したような歴史的経緯などから、多くの国では、憲法は「国民が国家に守らせる法」であり、法律は「国家が国民に守らせる法」であると捉えられている。このような解釈により、[[国民主権]]の国では必然的に憲法は法律よりも優先される法となるため、結果的に法律は憲法に基づくことが必要となる<ref>[http://www.jc-constitution.com/%EF%BD%91-%E3%80%8C%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%81%A8%E6%B3%95%E5%BE%8B%E3%80%8D%E3%81%AE%E9%81%95%E3%81%84%EF%BC%9F/ 「憲法と法律」の違い] - 公益社団法人[[日本青年会議所]]{{404|date=2021-02}}</ref><ref>[http://www.nichibenren.or.jp/activity/human/constitution_issue/what.html 憲法って、何だろう?] - [[日本弁護士連合会]]</ref>。{{seealso|立憲主義}}
== 著名な憲法学者 ==
{{main2|日本の著名な憲法学者|日本の法学者一覧#憲法}}
{{seealso|Category:憲法学者}}
* [[ゲオルグ・イェリネック]](ドイツ)
* [[ハンス・ケルゼン]](オーストリア)
* [[カール・シュミット]](ドイツ)
* [[ルドルフ・スメント]](ドイツ)
* [[コンラート・ヘッセ]](ドイツ)
* {{仮リンク|パウル・ラーバント|de|Paul Laband}}
* {{仮リンク|パウル・キルヒホフ (法律)|label=パウル・キルヒホフ|de|Paul Kirchhof}}
* {{仮リンク|ディーター・グリム|de|Dieter Grimm}}
* [[エルンスト=ヴォルフガング・ベッケンフェルデ]](ドイツ)
* [[ローレンツ・フォン・シュタイン]](ドイツ)
* [[クラウス・シュテルン]](ドイツ)
* [[フィリス・シュラフリー]](アメリカ)
* [[アルバート・ヴェン・ダイシー]](イギリス)
* [[ホルスト・エームケ]](ドイツ)
* [[アデマール・エスマン]](フランス)
* [[レオン・デュギー]](フランス)
* [[クリストフ・メラース]](ドイツ)
* [[エルンスト・フォルストホフ]](ドイツ)
* [[フーゴー・プロイス]](ドイツ)
* [[ヘルマン・ヘラー]](ドイツ)
* [[レイモン・カレ・ド・マルベール]](フランス)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書
|author=樋口陽一
|authorlink=樋口陽一
|title=比較憲法
|origdate=1992-02-29
|edition=第3版
|publisher=[[青林書院]]
|series=現代法律学全集
|isbn=4417010757
|volume=36
}}
* {{Cite book |和書
|author = 樋口陽一
|date = 1992-04-15
|title = 憲法
|publisher = 創文社
|ISBN = 4423730537
|ref = harv }}
== 関連項目 ==
{{sisterlinks
| s = Wikisource:憲法
| b = 憲法
| commonscat = Constitutional law
}}
* [[法学]]
* [[コンスティチューション (法学)]]
* [[立憲主義]]
* [[人権]]
* [[憲法裁判所]]
* [[違憲審査制]]
* [[国体]]
* [[憲法改正]]
* [[各国の憲法一覧]]
* {{prefix}}
* {{intitle}}
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
* [https://www.legislationline.org/documents/section/constitutions Constitutions] - LEGISLATIONLINE([[欧州安全保障協力機構|OSCE]])
* [https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=321CONSTITUTION 日本国憲法(昭和二十一年憲法)] - e-Gov法令検索
{{法 (法学)}}
{{法学のテンプレート}}
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{{DEFAULTSORT:けんほう}}
[[Category:憲法|*]]
[[Category:公法]] | 2003-04-20T15:23:14Z | 2023-11-24T23:46:21Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B2%E6%B3%95 |
7,057 | 新千歳空港 | 新千歳空港(しんちとせくうこう、英: New Chitose Airport)は、北海道千歳市と苫小牧市にまたがって所在している空港。2020年6月1日に運営が北海道エアポートに移管(民営化)された。国際航空輸送網又は国内航空輸送網の拠点となる空港として空港法に基づく区分では第4条第1項第6号に該当する空港として政令で定める空港(国管理空港)に区分されている。通称としては「新千歳」または「千歳」。なお、札幌市の丘珠空港への路線が存在する場合を除いて航空便の行先として「札幌」の表記が使用される。
北海道の経済・文化の中心地である札幌市の南東約40kmに位置する国内線の基幹空港。空港法に基づいて国土交通大臣が設置・管理する国管理空港で、国内線や国際線の拠点空港に区分される。空港の利用者数は国内で5番目に多い。また、旅客数では羽田(東京)-新千歳線が世界一位になったこともある。鉄道や高速道路もよく整備されており、それぞれ札幌や道内各地を結んでいる。北海道では最大の空港で、実質的に北海道の空の玄関口となっている。
滑走路は2本あり、いずれも長さは3000mで、南北方向にクロースパラレルに配置されている。滑走路西側には国内線の旅客ターミナルビルがあり、JR千歳線新千歳空港駅が地下に乗り入れている。その西側に、千歳基地に面して国際線の旅客ターミナルビルがあり、2つのターミナルビルは商業施設などが入る連絡施設で結ばれている。滑走路北側には国内貨物ターミナルが、その西側には国際貨物ターミナルが位置する。旅客ターミナルビルと連絡施設、国内貨物ターミナルは、北海道などが出資する第三セクターの北海道空港株式会社が所有・運営していたが、2017年7月1日に、100%子会社の新千歳空港ターミナルビルディング株式会社に承継された。空港整備特別会計の空港別の財務状況で、数少ない黒字の空港である。
西側には航空自衛隊千歳基地が隣接し、誘導路で接続している。千歳基地は、空港法上の共用空港「千歳飛行場」に位置づけられており、両空港の航空管制は航空自衛隊が一体的に運用している。
オープンスポットが国内線ターミナルビルの南側、国際線ターミナルビル北側と国内貨物ターミナルに設けられており、特に冬季は夜間駐機にも使用されている。
2008年7月の北海道洞爺湖サミットの開催に伴い、先進各国の要人用の貴賓室や専用駐機場を新設するなどの工事が行われた。各国のVIP機専用の乗降スポット、貴賓室が新設され、駐機場(6機分)や構内駐車場(500台分)が増設されたほか、各国代表団が構内から直接車で移動できるよう、構内道路の補修などを行った。一部施設はサミット終了後に撤去されたが、駐機場などは、2023年現在も夜間駐機などに使用されている。
2020年からの北海道エアポートによる道内7空港民営化に際しては中核となる「グローバルゲートウェイ」型空港に位置づけられ、他の6空港の遠隔管理を担う「北海道オペレーションセンター」・内際両用の第3ターミナルとホテル・情報提供を担う交通観光センター・ビジネスジェット施設の新設、北海道全域の魅力発信を担う「北海道ショーケース」をコンセプトとしたターミナル改装等が計画されている。
1988年、道は新長期総合計画にて国際航空貨物の拠点を目指して「国際エアカーゴ基地構想」を掲げ、1991年から24時間運用体制の実現に向けて地元と協議を開始した。その結果1994年4月に、深夜時間帯(22時 - 翌朝7時)を、1日につき貨物便6便を限度に運用することで合意。日本の空港で初となる24時間運用は同年6月24日から始まり、30日早朝に1番機が到着した。1998年7月には、深夜発着枠6便の中に旅客便を含める弾力的な運用に変更された。2010年12月時点では、深夜発着枠は国内旅客便(4便)、国内貨物便(2便。運休日あり)によってほぼすべて使用された。
2013年12月、道が地元に深夜発着枠の30便拡大を提案。協議の結果、30便のうち24便は22時から0時と6時から7時の発着、6便は従来通り0時から6時の発着とすること、住宅の防音対策を行うこと、道の駅ウトナイ湖で地域振興策を行うなどの内容で、2015年2月に苫小牧市側 、同年8月には千歳市側の住民と合意。同年10月から運用が開始された。
元のウィキデータクエリを参照してください.
2016年度は下記の通りで、着陸回数は日本の空港で第6位、旅客数は第5位で、北海道の空の玄関口となっている。
千歳飛行場(旧:千歳空港)と新千歳空港は、隣接はしているものの法的には別の飛行場である。しかし、航空自衛隊千歳基地でもある千歳飛行場は現在も共用飛行場となっており、新千歳空港とは誘導路でつながっていて航空機の行き来が可能、管制も一括して航空自衛隊が行っている。日本国政府専用機2機の格納庫、および運用を行う航空自衛隊航空支援集団特別航空輸送隊が置かれている。政府専用機が訓練等で新千歳空港の滑走路を使用することや、冬期の除雪作業などで新千歳空港の滑走路運用が難しい時、アクシデント発生時などには、千歳飛行場で民間航空機の離着陸が行われることもある。
千歳飛行場側には、滑走路は平行に2,700mと3,000mの2本がある。後者は900mの過走帯があり、実質4,000m級である。新千歳と併せて4本の滑走路があり、これらはほぼ並行している。2本ずつ同じ方向に隣接した滑走路は、パイロットからも混同される場合がある。大事には至っていないものの、空港北側からアプローチする場合を中心に、千歳飛行場との滑走路の誤認が、2006年までの3年間に11件発生しており、その対策が課題となっている。
旧千歳空港ターミナルビル建物は1995年3月にオープンした輸入促進商業施設「千歳ワールドマーケット・プレイスNEWS」として再利用されたが、1998年3月に経営悪化のため閉鎖された。その後立地していた場所は空き地となったが、海上保安庁庁舎の隣に日本航空ハンガー、政府専用機のエプロンより南側に、千歳飛行場時代からあるスポットが国土交通省管理のまま残されており、現在も民間機の駐機(通常は夜間駐機用が主体)に使用されている。これらにより、北方圏、アジア・太平洋地域とより利便性の高い輸送体制を確立した。管制業務は千歳飛行場と新千歳空港の両空港で一体運用され、航空自衛隊千歳管制隊が、両飛行場の間にある管制塔およびレーダールームで、航空管制業務を行っている。
1990年代、冬季に新千歳空港で凍結があった際には、千歳飛行場の滑走路を使用して離陸したこともある。
2017年8月、訪日外国人増加に対応するため、千歳基地の東側滑走路の民間利用について検討が行われることとなった。特に中国や韓国などアジア圏の観光客が増加しており、アジア圏の格安航空会社 (LCC) の新千歳空港発着便の増便に備えるため、2018年度以降に千歳基地の民間利用が可能かどうか調査する。千歳基地の民間利用が実現した場合、新千歳空港は千歳基地の滑走路1本を含めた滑走路3本を実質的に使用することとなる。
ほとんどの内外航空会社のシステムでは空港コードにCTSを使用しているが、唯一日本航空のみ札幌の都市コードであるSPKを当空港用に使用していた。現在は、日本航空グループも2017年10月より、CTSに統一している。
前身の千歳空港は軍民共用空港であり、1951年の民間航空再開後、自衛隊機と民間機が共用で使用してきた。しかし、1978年に千歳空港と東京国際空港(羽田空港)間の旅客数が世界最多となるなど旅客数・貨物量が増加。大阪や名古屋、福岡など全国の大都市や、道内各地を結ぶ路線が就航するなど、北海道のハブ空港として機能するようになった。一方で、ソ連機の領空侵犯に対する自衛隊機のスクランブル出動は年間200回にも及び、その間、民間機は地上や周辺空域で待機を余儀なくされ、長い場合は30分にもわたることがあった。そのため、航空機の安全確保と航空需要の拡大に対応するため、新たに新千歳空港が建設されることとなり、1975年(昭和50年)11月20日に着工。1988年(昭和63年)7月20日に、民間専用の空港として開港した。
1916年(大正5年)
1922年(大正11年)
1923年(大正12年)
1925年(大正14年)
1929年(昭和4年)
1933年(昭和8年)
1934年(昭和9年)
1934年(昭和9年)
1935年(昭和10年)
1936年(昭和11年)
1937年(昭和12年)
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1942年(昭和17年)
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1951年(昭和26年)
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1957年(昭和32年)
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1966年(昭和41年)
1967年(昭和42年)
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1988年(昭和63年)
1988年(昭和63年)
1989年(平成元年)
1990年(平成2年)
1992年(平成4年)
1993年(平成5年)
1994年(平成6年)
1995年(平成7年)
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2000年(平成12年)
2001年(平成13年)
2003年(平成15年)
2006年(平成18年)
2007年(平成19年)
2008年(平成20年)
2009年(平成21年)
2010年(平成22年)
2011年(平成23年)
2012年(平成24年)
2013年(平成25年)
2014年(平成26年)
2015年(平成27年)
2016年(平成28年)
2017年(平成29年)
2018年(平成30年)
2019年(令和元年)
2020年(令和2年)
2021年(令和3年)
2022年(令和4年)
2023年(令和5年)
開港時は長さ3000mのA滑走路のみだったが、1996年に長さ3000mのB滑走路が新たに整備された。2本の滑走路はほぼ南北方向に、クロースパラレルに配置されている。
原則として、ターミナルビルに近いA滑走路 (01L/19R) を離陸用、遠いB滑走路(01R/19L)を着陸用に使用している。ILSはカテゴリーIIIbが19Rに、カテゴリーIが01L、01R、19Lに設置されている。滑走路のターミナル側に1本の平行誘導路を有し、滑走路とは高速脱出誘導路で結ばれている。
気圧配置や風向きによって大雪となることもあるが、空港が道内で比較的雪の少ない地域にあることや滑走路を2本有していること、20分程度で滑走路1本を除雪できる国内最大規模の除雪体制があることなどから、滑走路を終日閉鎖することはごく稀である。出発機材の除氷液の効果切れ・再塗布(デアイシング)で遅延が生じないよう、2010年12月、国内線ターミナルと滑走路南端 (01L, 01R) の中間地点に、デアイシング専用スポットを1機分設置し、運用を開始した。しかしターミナルビルから離れた位置で資材や人員をデアイシングスポットへ回す余裕がなく移動時間を考えても効率が悪いことや、日本航空の経営破綻で運用に関して航空各社の協力関係を確立できなかったことから使用が敬遠されている。利用実績は滑走路南端から最も遠いANAグループ機のみで、2014年度までに50回使用されたが、2015年度以降は0回である。最大で2機分想定されていたスポットの整備は1機分にとどまり、離陸待機時に防雪氷剤の有効時間が過ぎて駐機場へ戻り遅延・欠航となるケースが年40-50回以上生じており、民営化後のより一層の防除雪氷策が求められている。
終戦後1951年の民間航空就航時に米軍施設内に設けられた旅客施設を使用し、その後1963年に民間航空専用区域へ建設された千歳空港ターミナルビルに代わる施設として、1992年7月1日に供用を開始した。
滑走路北端西側に位置する地上4階建(一部5階建)、地下1階の鉄骨造一部鉄筋コンクリート造で、延床面積は18万2,517平方メートル。日本空港コンサルタンツ・日建設計・クリエート山本設計室・北海道開発コンサルタントが設計・監理を、東急エージェンシーがコンセッション設計監理を、鹿島建設・地崎工業などの共同企業体が工事を担当。国内線貨物ビル・ケータリング施設・事務棟の新築と合わせ直接工事費714億円、総投資額850億円が費やされた。
建設にあたっては「21世紀に向けて北方圏や北海道を代表する建築であること」「動線が長大なため明快であること」「自然光を考慮した大空間や吹き抜けで空間的余裕・安らぎが得られること」「北海道らしさの特徴付けや演出が得られること」といったデザインの指針が示され、上空から見るとアメリカ合衆国テキサス州のダラス・フォートワース国際空港を模した半円周型をしており、円弧を滑走路側に向けた構造とした。外観は空を映し出す青系のガラスカーテンウォールの壁面で北海道らしさを演出しエプロン側の2階待合室の窓際には傾斜したガラス屋根をあしらい3・4階からの眺望を高めており外構には透明感ある庇やモニュメントを配した。館内は航空会社別に動線を分け動く歩道等の移動設備を削減し維持管理費の節減につなげ中央部にはシンボルとなる吹き抜けのアトリウムを設けチェックインロビーにも自然光を取り入れ変化をもたせる形とし、道路も出発用と到着用で乗降場を分ける形とした。
2010年前半から、国際線ターミナルビルとの接続部付近を中心とした増築工事が行われ、2011年7月15日に第1期施設がオープンし、2012年3月16日に全面オープンした。事業費は約200億円で、増築面積は約2万9,330平方メートル。出発ロビーや商業施設などが拡大し、温浴施設や映画館などが新設された。
就航便数の拡大や旅客数の拡大に伴い、混雑の解消と機能の向上を目指して2015年3月16日から施設整備工事に着手。約200億円をかけて、約4万7,000平方メートルを整備し、2018年8月に再整備を完了。LCCや全日空団体用カウンターを1階から2階への移設のほか、出発ロビー出発口の拡充・再配置、手荷物検査にインライン方式を導入する。(スカイマークを除く)
円弧上に18基のボーディングブリッジが等間隔で並んでおり、その大部分はボーイング777やエアバスA350クラスの大型機も使用可能である。1階が到着ロビー、2階が出発ロビーで、北半分の0 - 10番ゲートを全日空、AIRDO、ピーチが、南半分の11 - 19番ゲートを日本航空、フジドリームエアラインズ、ジェットスター・ジャパン、スプリング・ジャパン、スカイマークが使用している。
空港側1階から水平部分が18.3mもある特徴的なエスカレーターに乗り、地下1階にはJR新千歳空港駅が直結。2階から4階には飲食店や土産物店、ホテルなどが軒を連ねる。天然温泉付温浴施設の「新千歳空港温泉」は、空港ターミナルビルの閉館後を含む午前10時から翌9時まで、23時間営業。宿泊機能もあり、入浴や休息のほか、道内遠隔地からの早朝便の利用や、悪天候などでの夜間の欠航の際に一時待機先として選択できるようになった。ただし、定員を超えるとホテル宿泊者を除く一切の入場は無条件で断られる。ほかにも千歳市内では27年ぶりとなる映画館「新千歳空港シアター」は、大規模な欠航が発生した場合に空港側の判断により乗客に開放されることがある。 また、長野県を中心に展開するゲームセンター「アピナ新千歳空港店」があり、飛行機を待つ時間に暇を潰せるスポットとなっている。
着陸料以外の非航空系の収入では、地方空港の中でトップクラスの収入を記録し続けている。そのため、他の地方空港の関係者による視察が絶えず、中部国際空港も開港時には経営モデルとして参考にしたと言われている。
2018年4月1日より、京成電鉄が成田空港駅又は空港第2ビル駅からのスカイライナーと都内の東京メトロ、都営地下鉄に乗り放題のチケット、「スカイライナーバリューチケット」の自動券売機が、国内線搭乗待合室内に設置された。
国際線は、当初現国内線ターミナルビルのうち北側11,255平米の部分(0 - 2番ゲート)を使用していたが、国際線旅客の急増に加え、航空自衛隊(防衛省)との空域調整により発着便が特定曜日・時間帯に集中し、チェックインカウンターや出発ロビーの混雑が顕在化していた。こうした状況を解消するため、2008年5月に国際線ターミナルビルの建設に着工。2010年2月24日に竣工し、同年3月26日に供用を開始した。
建物は、千歳基地に面した地上4階建、地下1階の鉄骨造一部鉄筋コンクリート造で、延床面積は5万9,155平方メートル。総工費は206億円。日建設計、アラップなどが設計を、荒井建設、鹿島建設などが工事を担当した。
約300 m東側の国内線ターミナルビルとは連絡施設で結ばれ、2階が到着ロビー、3階が出発ロビー、1階はバスやタクシーとのアクセス施設、4階には搭乗客向けのフードコートやラウンジが設けられている。5基のボーディングブリッジを有しており、1時間あたり530人、年間100万人の利用客にも十分対応可能な処理能力を持ち、将来的には1時間あたり730人程度まで対応可能となっている。
供用開始後は台湾や香港、タイなどのアジア圏を中心とした路線が増便され、海外観光客の増加が見られた。また、アジア系LCCの定期便就航・チャーター便運航の動きも活発になっている他、ターミナル内案内表示板にはロシア語が併記され、将来的なロシア路線拡張も見込まれている。2017年夏季からは1時間当たり42便への発着枠拡大に伴い一層の増便が見込まれているが、出発カウンターや保安検査場の不足による特定時間帯の混雑といった課題も生じている。
今後も更なる航空需要の拡大が見込まれることから、2017年11月17日、施設を増築する再整備計画が発表された。増築部分は地上8階建約6万3,000平方メートル、増築後の延床面積は12万4,000平方メートルとなり、出発・到着ロビーや搭乗橋3か所などの増設、ホテルの新設などが予定されている。事業費は650億円。2016年11月13日に着工。
2019年8月30日より旅客設備部の供用を開始し出発ロビーを南側に200m拡張し560m、搭乗カウンターを19増設し74か所とし保安検査場は1レーン増設した6レーンとし最終的に同年10月末までに9レーンとし内7レーンに高性能の「スマートレーン」を設置。また税関部は検査台を13増の24台、入国審査は9増の30ブース、検疫は1増の3ブース、手荷物ターンテーブルを1増の3台、搭乗橋を3基増設とした。その後同年11月に多目的ホールと2020年2月にホテルを開業、3月に延床面積約6万平方メートルの増築部が竣工した。
国内線と国際線のターミナルビルの間に位置する地上4階建、地下1階の鉄骨造一部鉄筋コンクリート造の施設で、延床面積2万1,128平方メートル。国際線ターミナルビルの供用開始に伴い、2010年3月26日に2階の連絡通路部分が先行オープン。2011年7月15日に全面の供用が開始された。
2階と3階で国内線と国際線のターミナルビルを結んでおり、2階はムービングウォークのある通路やぬいぐるみと触れ合えるコーナー、3階はスマイル・ロードと名づけられ、飲食店・土産物店のほか、ドラえもんやハローキティのエンターテインメント施設が設けられている。
北海道空港傘下の碧雲堂ホテル&リゾート(旧・丸瀬布観光公社)が空港敷地内で2軒のホテルを運営しており、国内線ターミナルビル内「エアターミナルホテル」は現国内線ターミナルビルの開業時に三井観光開発(現・グランビスタ ホテル&リゾート)が「三井アーバンホテル新千歳空港」としてオープンし2008年から「ホテルコムズ新千歳空港」に名称を変更、2011年度いっぱいまで営業した後一時閉鎖し、同年4月28日から丸瀬布観光公社が引き継ぎ現在の「エアターミナルホテル」として営業している。また国際線ターミナル内には富裕層向け171室の「ポルトムインターナショナル北海道」が2020年2月より営業を行っている。
空港敷地内の2軒の他、車で10分程度の千歳市内にも複数のホテルがある。近年の空港利用者の急増により宿泊施設の需要も増加し、千歳市内でホテルの建設が進んでいる。
環境と人に優しい「エコエアポート」を目指して、貯蔵した雪を冷房に活用するシステムを2010年3月に整備。同年5月から運用を開始した。世界最大規模となる高さ8 m以上、縦200m、横100mの雪を貯蔵して、5月から9月の間、旅客ターミナルビルや連絡施設などの冷房に活用している。計画では、従来の重油使用量の3割を賄い、将来的には年間2100トンの二酸化炭素削減を目指している。
それぞれ2社ずつハブ空港、焦点都市として運航している。
ハブ空港
焦点都市
※ 航空連合は右記の通り。OW:ワンワールド、SA:スターアライアンス、ST:スカイチーム
※ 語末の★は、格安航空会社 (LCC)
※ COVID-19の影響により、長期運休となっている路線もある。詳細は航空各社のホームページを参照。
道外から北海道に入るには空路が最も効率的な交通手段であることから、季節運航も含め30路線以上の国内線ネットワークを持ち、北海道の空の玄関となっている。とりわけ羽田-新千歳線は羽田-福岡線と並ぶ日本の国内線の二大巨頭であり、日本航空、全日本空輸、スカイマーク、エアドゥの4社が競合し、国内最多の旅客数を記録している。また、Peach Aviationが運航する新千歳-那覇線は国内最長距離路線であり、その片道マイル数は1,397マイル、所要時間は約4時間とこれは国際線における東京(羽田、成田)-ソウル(仁川、金浦)線の758マイル、約2時間30分に比べてはるかに長い。
国内線を運航する全ての格安航空会社 (LCC) が就航しており、成田国際空港や関西国際空港、中部国際空港との国内路線を運航している。なお、札幌市内には丘珠空港があるが、こちらは主に道内路線を中心に運航されている。
チャーター便を含む利用者は2007年に年間80万人、2012年には年間100万人を突破している。またアジア諸国の経済成長を受けた海外旅行者数の増加や、台湾や香港、大韓民国やタイ王国などアジア諸国や、ヨーロッパにおける「北海道ブーム」により、既存路線の増便や新路線開設の動きが活発になっていた。
これにより、ハワイやヨーロッパへの中長距離路線復活や、中華人民共和国、東南アジア各国への新路線開設や新規乗り入れ航空会社の増加など活発な動きを見せている。なお、格安航空会社は2018年9月現在で海外拠点11社が就航している。
しかし、近年軍拡を進める中華人民共和国とロシアの軍用機が日本の防空識別圏を窺っている(東京急行など)ほか、民間機による諜報活動を行っているとみられることもあって、冷戦時代より防衛上の観点から軍事的緊張関係にある国の航空会社の乗り入れ時間帯制限が行われている。このため自由なダイヤが組めないなど課題も多いが、その後2016年10月末からは、中ロの航空会社について従来禁止されていた月曜日と木曜日の発着を一部認め、毎日発着可能とする規制緩和も行われている。
2017年夏季からは1時間当たり42便への発着枠拡大に伴い一層の増便が見込まれているが、出発カウンターや保安検査場の不足により特定時間帯に混雑がみられるといった課題も生じている。また2020年3月からは昼間発着枠が50回に拡大された一方で、人員不足により地上支援業務の態勢が整わない事を理由として運航の継続や増便等を見送る動きも生じている。その後新型コロナウイルスによる旅客便全面運休を経て韓国・台湾・東南アジア方面の路線から再開となった。
東京国際空港、成田国際空港、大阪国際空港、関西国際空港、仙台空港、中部国際空港、福岡空港便などは、コードシェア便として国外航空会社便名が付与される便がある。利用は国際線乗継旅客に限られ、国内区間のみの利用は国内航空会社便名での利用となる。
○は丘珠空港便もあり
航空会社名は休廃止時点
※ 航空会社は休廃止時点
新千歳空港からの路線バス、高速バスの行き先、のりば等の詳細情報は運行会社に関係なく「バスでのアクセス」に記載されている。
札幌市内路線(定山渓温泉行を除く)の紙の乗車券は、共通乗車制度により路線・発行会社に関わらず使用可能。
詳細は、北都交通は事業者記事を、北海道中央バスは千歳線 (北海道中央バス)を参照。
全路線南千歳駅と千歳駅を経由。 | [
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"text": "新千歳空港(しんちとせくうこう、英: New Chitose Airport)は、北海道千歳市と苫小牧市にまたがって所在している空港。2020年6月1日に運営が北海道エアポートに移管(民営化)された。国際航空輸送網又は国内航空輸送網の拠点となる空港として空港法に基づく区分では第4条第1項第6号に該当する空港として政令で定める空港(国管理空港)に区分されている。通称としては「新千歳」または「千歳」。なお、札幌市の丘珠空港への路線が存在する場合を除いて航空便の行先として「札幌」の表記が使用される。",
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"text": "北海道の経済・文化の中心地である札幌市の南東約40kmに位置する国内線の基幹空港。空港法に基づいて国土交通大臣が設置・管理する国管理空港で、国内線や国際線の拠点空港に区分される。空港の利用者数は国内で5番目に多い。また、旅客数では羽田(東京)-新千歳線が世界一位になったこともある。鉄道や高速道路もよく整備されており、それぞれ札幌や道内各地を結んでいる。北海道では最大の空港で、実質的に北海道の空の玄関口となっている。",
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"text": "滑走路は2本あり、いずれも長さは3000mで、南北方向にクロースパラレルに配置されている。滑走路西側には国内線の旅客ターミナルビルがあり、JR千歳線新千歳空港駅が地下に乗り入れている。その西側に、千歳基地に面して国際線の旅客ターミナルビルがあり、2つのターミナルビルは商業施設などが入る連絡施設で結ばれている。滑走路北側には国内貨物ターミナルが、その西側には国際貨物ターミナルが位置する。旅客ターミナルビルと連絡施設、国内貨物ターミナルは、北海道などが出資する第三セクターの北海道空港株式会社が所有・運営していたが、2017年7月1日に、100%子会社の新千歳空港ターミナルビルディング株式会社に承継された。空港整備特別会計の空港別の財務状況で、数少ない黒字の空港である。",
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"text": "西側には航空自衛隊千歳基地が隣接し、誘導路で接続している。千歳基地は、空港法上の共用空港「千歳飛行場」に位置づけられており、両空港の航空管制は航空自衛隊が一体的に運用している。",
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"text": "オープンスポットが国内線ターミナルビルの南側、国際線ターミナルビル北側と国内貨物ターミナルに設けられており、特に冬季は夜間駐機にも使用されている。",
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"text": "2008年7月の北海道洞爺湖サミットの開催に伴い、先進各国の要人用の貴賓室や専用駐機場を新設するなどの工事が行われた。各国のVIP機専用の乗降スポット、貴賓室が新設され、駐機場(6機分)や構内駐車場(500台分)が増設されたほか、各国代表団が構内から直接車で移動できるよう、構内道路の補修などを行った。一部施設はサミット終了後に撤去されたが、駐機場などは、2023年現在も夜間駐機などに使用されている。",
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"text": "2020年からの北海道エアポートによる道内7空港民営化に際しては中核となる「グローバルゲートウェイ」型空港に位置づけられ、他の6空港の遠隔管理を担う「北海道オペレーションセンター」・内際両用の第3ターミナルとホテル・情報提供を担う交通観光センター・ビジネスジェット施設の新設、北海道全域の魅力発信を担う「北海道ショーケース」をコンセプトとしたターミナル改装等が計画されている。",
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"text": "1988年、道は新長期総合計画にて国際航空貨物の拠点を目指して「国際エアカーゴ基地構想」を掲げ、1991年から24時間運用体制の実現に向けて地元と協議を開始した。その結果1994年4月に、深夜時間帯(22時 - 翌朝7時)を、1日につき貨物便6便を限度に運用することで合意。日本の空港で初となる24時間運用は同年6月24日から始まり、30日早朝に1番機が到着した。1998年7月には、深夜発着枠6便の中に旅客便を含める弾力的な運用に変更された。2010年12月時点では、深夜発着枠は国内旅客便(4便)、国内貨物便(2便。運休日あり)によってほぼすべて使用された。",
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"text": "2013年12月、道が地元に深夜発着枠の30便拡大を提案。協議の結果、30便のうち24便は22時から0時と6時から7時の発着、6便は従来通り0時から6時の発着とすること、住宅の防音対策を行うこと、道の駅ウトナイ湖で地域振興策を行うなどの内容で、2015年2月に苫小牧市側 、同年8月には千歳市側の住民と合意。同年10月から運用が開始された。",
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"text": "元のウィキデータクエリを参照してください.",
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"text": "2016年度は下記の通りで、着陸回数は日本の空港で第6位、旅客数は第5位で、北海道の空の玄関口となっている。",
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"text": "千歳飛行場(旧:千歳空港)と新千歳空港は、隣接はしているものの法的には別の飛行場である。しかし、航空自衛隊千歳基地でもある千歳飛行場は現在も共用飛行場となっており、新千歳空港とは誘導路でつながっていて航空機の行き来が可能、管制も一括して航空自衛隊が行っている。日本国政府専用機2機の格納庫、および運用を行う航空自衛隊航空支援集団特別航空輸送隊が置かれている。政府専用機が訓練等で新千歳空港の滑走路を使用することや、冬期の除雪作業などで新千歳空港の滑走路運用が難しい時、アクシデント発生時などには、千歳飛行場で民間航空機の離着陸が行われることもある。",
"title": "千歳飛行場と新千歳空港の関係"
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"text": "千歳飛行場側には、滑走路は平行に2,700mと3,000mの2本がある。後者は900mの過走帯があり、実質4,000m級である。新千歳と併せて4本の滑走路があり、これらはほぼ並行している。2本ずつ同じ方向に隣接した滑走路は、パイロットからも混同される場合がある。大事には至っていないものの、空港北側からアプローチする場合を中心に、千歳飛行場との滑走路の誤認が、2006年までの3年間に11件発生しており、その対策が課題となっている。",
"title": "千歳飛行場と新千歳空港の関係"
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"text": "旧千歳空港ターミナルビル建物は1995年3月にオープンした輸入促進商業施設「千歳ワールドマーケット・プレイスNEWS」として再利用されたが、1998年3月に経営悪化のため閉鎖された。その後立地していた場所は空き地となったが、海上保安庁庁舎の隣に日本航空ハンガー、政府専用機のエプロンより南側に、千歳飛行場時代からあるスポットが国土交通省管理のまま残されており、現在も民間機の駐機(通常は夜間駐機用が主体)に使用されている。これらにより、北方圏、アジア・太平洋地域とより利便性の高い輸送体制を確立した。管制業務は千歳飛行場と新千歳空港の両空港で一体運用され、航空自衛隊千歳管制隊が、両飛行場の間にある管制塔およびレーダールームで、航空管制業務を行っている。",
"title": "千歳飛行場と新千歳空港の関係"
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"text": "1990年代、冬季に新千歳空港で凍結があった際には、千歳飛行場の滑走路を使用して離陸したこともある。",
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"text": "2017年8月、訪日外国人増加に対応するため、千歳基地の東側滑走路の民間利用について検討が行われることとなった。特に中国や韓国などアジア圏の観光客が増加しており、アジア圏の格安航空会社 (LCC) の新千歳空港発着便の増便に備えるため、2018年度以降に千歳基地の民間利用が可能かどうか調査する。千歳基地の民間利用が実現した場合、新千歳空港は千歳基地の滑走路1本を含めた滑走路3本を実質的に使用することとなる。",
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"text": "ほとんどの内外航空会社のシステムでは空港コードにCTSを使用しているが、唯一日本航空のみ札幌の都市コードであるSPKを当空港用に使用していた。現在は、日本航空グループも2017年10月より、CTSに統一している。",
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"text": "前身の千歳空港は軍民共用空港であり、1951年の民間航空再開後、自衛隊機と民間機が共用で使用してきた。しかし、1978年に千歳空港と東京国際空港(羽田空港)間の旅客数が世界最多となるなど旅客数・貨物量が増加。大阪や名古屋、福岡など全国の大都市や、道内各地を結ぶ路線が就航するなど、北海道のハブ空港として機能するようになった。一方で、ソ連機の領空侵犯に対する自衛隊機のスクランブル出動は年間200回にも及び、その間、民間機は地上や周辺空域で待機を余儀なくされ、長い場合は30分にもわたることがあった。そのため、航空機の安全確保と航空需要の拡大に対応するため、新たに新千歳空港が建設されることとなり、1975年(昭和50年)11月20日に着工。1988年(昭和63年)7月20日に、民間専用の空港として開港した。",
"title": "歴史"
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"text": "1916年(大正5年)",
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"text": "1922年(大正11年)",
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"text": "2016年(平成28年)",
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"text": "2018年(平成30年)",
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"text": "2019年(令和元年)",
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"text": "2020年(令和2年)",
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"text": "2022年(令和4年)",
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"text": "2023年(令和5年)",
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"text": "開港時は長さ3000mのA滑走路のみだったが、1996年に長さ3000mのB滑走路が新たに整備された。2本の滑走路はほぼ南北方向に、クロースパラレルに配置されている。",
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"text": "原則として、ターミナルビルに近いA滑走路 (01L/19R) を離陸用、遠いB滑走路(01R/19L)を着陸用に使用している。ILSはカテゴリーIIIbが19Rに、カテゴリーIが01L、01R、19Lに設置されている。滑走路のターミナル側に1本の平行誘導路を有し、滑走路とは高速脱出誘導路で結ばれている。",
"title": "施設"
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"text": "気圧配置や風向きによって大雪となることもあるが、空港が道内で比較的雪の少ない地域にあることや滑走路を2本有していること、20分程度で滑走路1本を除雪できる国内最大規模の除雪体制があることなどから、滑走路を終日閉鎖することはごく稀である。出発機材の除氷液の効果切れ・再塗布(デアイシング)で遅延が生じないよう、2010年12月、国内線ターミナルと滑走路南端 (01L, 01R) の中間地点に、デアイシング専用スポットを1機分設置し、運用を開始した。しかしターミナルビルから離れた位置で資材や人員をデアイシングスポットへ回す余裕がなく移動時間を考えても効率が悪いことや、日本航空の経営破綻で運用に関して航空各社の協力関係を確立できなかったことから使用が敬遠されている。利用実績は滑走路南端から最も遠いANAグループ機のみで、2014年度までに50回使用されたが、2015年度以降は0回である。最大で2機分想定されていたスポットの整備は1機分にとどまり、離陸待機時に防雪氷剤の有効時間が過ぎて駐機場へ戻り遅延・欠航となるケースが年40-50回以上生じており、民営化後のより一層の防除雪氷策が求められている。",
"title": "施設"
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{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "終戦後1951年の民間航空就航時に米軍施設内に設けられた旅客施設を使用し、その後1963年に民間航空専用区域へ建設された千歳空港ターミナルビルに代わる施設として、1992年7月1日に供用を開始した。",
"title": "施設"
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{
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"text": "滑走路北端西側に位置する地上4階建(一部5階建)、地下1階の鉄骨造一部鉄筋コンクリート造で、延床面積は18万2,517平方メートル。日本空港コンサルタンツ・日建設計・クリエート山本設計室・北海道開発コンサルタントが設計・監理を、東急エージェンシーがコンセッション設計監理を、鹿島建設・地崎工業などの共同企業体が工事を担当。国内線貨物ビル・ケータリング施設・事務棟の新築と合わせ直接工事費714億円、総投資額850億円が費やされた。",
"title": "施設"
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"paragraph_id": 99,
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"text": "建設にあたっては「21世紀に向けて北方圏や北海道を代表する建築であること」「動線が長大なため明快であること」「自然光を考慮した大空間や吹き抜けで空間的余裕・安らぎが得られること」「北海道らしさの特徴付けや演出が得られること」といったデザインの指針が示され、上空から見るとアメリカ合衆国テキサス州のダラス・フォートワース国際空港を模した半円周型をしており、円弧を滑走路側に向けた構造とした。外観は空を映し出す青系のガラスカーテンウォールの壁面で北海道らしさを演出しエプロン側の2階待合室の窓際には傾斜したガラス屋根をあしらい3・4階からの眺望を高めており外構には透明感ある庇やモニュメントを配した。館内は航空会社別に動線を分け動く歩道等の移動設備を削減し維持管理費の節減につなげ中央部にはシンボルとなる吹き抜けのアトリウムを設けチェックインロビーにも自然光を取り入れ変化をもたせる形とし、道路も出発用と到着用で乗降場を分ける形とした。",
"title": "施設"
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{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "2010年前半から、国際線ターミナルビルとの接続部付近を中心とした増築工事が行われ、2011年7月15日に第1期施設がオープンし、2012年3月16日に全面オープンした。事業費は約200億円で、増築面積は約2万9,330平方メートル。出発ロビーや商業施設などが拡大し、温浴施設や映画館などが新設された。",
"title": "施設"
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{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "就航便数の拡大や旅客数の拡大に伴い、混雑の解消と機能の向上を目指して2015年3月16日から施設整備工事に着手。約200億円をかけて、約4万7,000平方メートルを整備し、2018年8月に再整備を完了。LCCや全日空団体用カウンターを1階から2階への移設のほか、出発ロビー出発口の拡充・再配置、手荷物検査にインライン方式を導入する。(スカイマークを除く)",
"title": "施設"
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{
"paragraph_id": 102,
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"text": "円弧上に18基のボーディングブリッジが等間隔で並んでおり、その大部分はボーイング777やエアバスA350クラスの大型機も使用可能である。1階が到着ロビー、2階が出発ロビーで、北半分の0 - 10番ゲートを全日空、AIRDO、ピーチが、南半分の11 - 19番ゲートを日本航空、フジドリームエアラインズ、ジェットスター・ジャパン、スプリング・ジャパン、スカイマークが使用している。",
"title": "施設"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "空港側1階から水平部分が18.3mもある特徴的なエスカレーターに乗り、地下1階にはJR新千歳空港駅が直結。2階から4階には飲食店や土産物店、ホテルなどが軒を連ねる。天然温泉付温浴施設の「新千歳空港温泉」は、空港ターミナルビルの閉館後を含む午前10時から翌9時まで、23時間営業。宿泊機能もあり、入浴や休息のほか、道内遠隔地からの早朝便の利用や、悪天候などでの夜間の欠航の際に一時待機先として選択できるようになった。ただし、定員を超えるとホテル宿泊者を除く一切の入場は無条件で断られる。ほかにも千歳市内では27年ぶりとなる映画館「新千歳空港シアター」は、大規模な欠航が発生した場合に空港側の判断により乗客に開放されることがある。 また、長野県を中心に展開するゲームセンター「アピナ新千歳空港店」があり、飛行機を待つ時間に暇を潰せるスポットとなっている。",
"title": "施設"
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{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "着陸料以外の非航空系の収入では、地方空港の中でトップクラスの収入を記録し続けている。そのため、他の地方空港の関係者による視察が絶えず、中部国際空港も開港時には経営モデルとして参考にしたと言われている。",
"title": "施設"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "2018年4月1日より、京成電鉄が成田空港駅又は空港第2ビル駅からのスカイライナーと都内の東京メトロ、都営地下鉄に乗り放題のチケット、「スカイライナーバリューチケット」の自動券売機が、国内線搭乗待合室内に設置された。",
"title": "施設"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "国際線は、当初現国内線ターミナルビルのうち北側11,255平米の部分(0 - 2番ゲート)を使用していたが、国際線旅客の急増に加え、航空自衛隊(防衛省)との空域調整により発着便が特定曜日・時間帯に集中し、チェックインカウンターや出発ロビーの混雑が顕在化していた。こうした状況を解消するため、2008年5月に国際線ターミナルビルの建設に着工。2010年2月24日に竣工し、同年3月26日に供用を開始した。",
"title": "施設"
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{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "建物は、千歳基地に面した地上4階建、地下1階の鉄骨造一部鉄筋コンクリート造で、延床面積は5万9,155平方メートル。総工費は206億円。日建設計、アラップなどが設計を、荒井建設、鹿島建設などが工事を担当した。",
"title": "施設"
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{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "約300 m東側の国内線ターミナルビルとは連絡施設で結ばれ、2階が到着ロビー、3階が出発ロビー、1階はバスやタクシーとのアクセス施設、4階には搭乗客向けのフードコートやラウンジが設けられている。5基のボーディングブリッジを有しており、1時間あたり530人、年間100万人の利用客にも十分対応可能な処理能力を持ち、将来的には1時間あたり730人程度まで対応可能となっている。",
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{
"paragraph_id": 109,
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"text": "供用開始後は台湾や香港、タイなどのアジア圏を中心とした路線が増便され、海外観光客の増加が見られた。また、アジア系LCCの定期便就航・チャーター便運航の動きも活発になっている他、ターミナル内案内表示板にはロシア語が併記され、将来的なロシア路線拡張も見込まれている。2017年夏季からは1時間当たり42便への発着枠拡大に伴い一層の増便が見込まれているが、出発カウンターや保安検査場の不足による特定時間帯の混雑といった課題も生じている。",
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{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "今後も更なる航空需要の拡大が見込まれることから、2017年11月17日、施設を増築する再整備計画が発表された。増築部分は地上8階建約6万3,000平方メートル、増築後の延床面積は12万4,000平方メートルとなり、出発・到着ロビーや搭乗橋3か所などの増設、ホテルの新設などが予定されている。事業費は650億円。2016年11月13日に着工。",
"title": "施設"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "2019年8月30日より旅客設備部の供用を開始し出発ロビーを南側に200m拡張し560m、搭乗カウンターを19増設し74か所とし保安検査場は1レーン増設した6レーンとし最終的に同年10月末までに9レーンとし内7レーンに高性能の「スマートレーン」を設置。また税関部は検査台を13増の24台、入国審査は9増の30ブース、検疫は1増の3ブース、手荷物ターンテーブルを1増の3台、搭乗橋を3基増設とした。その後同年11月に多目的ホールと2020年2月にホテルを開業、3月に延床面積約6万平方メートルの増築部が竣工した。",
"title": "施設"
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{
"paragraph_id": 112,
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"text": "国内線と国際線のターミナルビルの間に位置する地上4階建、地下1階の鉄骨造一部鉄筋コンクリート造の施設で、延床面積2万1,128平方メートル。国際線ターミナルビルの供用開始に伴い、2010年3月26日に2階の連絡通路部分が先行オープン。2011年7月15日に全面の供用が開始された。",
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{
"paragraph_id": 113,
"tag": "p",
"text": "2階と3階で国内線と国際線のターミナルビルを結んでおり、2階はムービングウォークのある通路やぬいぐるみと触れ合えるコーナー、3階はスマイル・ロードと名づけられ、飲食店・土産物店のほか、ドラえもんやハローキティのエンターテインメント施設が設けられている。",
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"paragraph_id": 114,
"tag": "p",
"text": "北海道空港傘下の碧雲堂ホテル&リゾート(旧・丸瀬布観光公社)が空港敷地内で2軒のホテルを運営しており、国内線ターミナルビル内「エアターミナルホテル」は現国内線ターミナルビルの開業時に三井観光開発(現・グランビスタ ホテル&リゾート)が「三井アーバンホテル新千歳空港」としてオープンし2008年から「ホテルコムズ新千歳空港」に名称を変更、2011年度いっぱいまで営業した後一時閉鎖し、同年4月28日から丸瀬布観光公社が引き継ぎ現在の「エアターミナルホテル」として営業している。また国際線ターミナル内には富裕層向け171室の「ポルトムインターナショナル北海道」が2020年2月より営業を行っている。",
"title": "施設"
},
{
"paragraph_id": 115,
"tag": "p",
"text": "空港敷地内の2軒の他、車で10分程度の千歳市内にも複数のホテルがある。近年の空港利用者の急増により宿泊施設の需要も増加し、千歳市内でホテルの建設が進んでいる。",
"title": "施設"
},
{
"paragraph_id": 116,
"tag": "p",
"text": "環境と人に優しい「エコエアポート」を目指して、貯蔵した雪を冷房に活用するシステムを2010年3月に整備。同年5月から運用を開始した。世界最大規模となる高さ8 m以上、縦200m、横100mの雪を貯蔵して、5月から9月の間、旅客ターミナルビルや連絡施設などの冷房に活用している。計画では、従来の重油使用量の3割を賄い、将来的には年間2100トンの二酸化炭素削減を目指している。",
"title": "施設"
},
{
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"tag": "p",
"text": "それぞれ2社ずつハブ空港、焦点都市として運航している。",
"title": "拠点・焦点都市としている航空会社"
},
{
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"tag": "p",
"text": "ハブ空港",
"title": "拠点・焦点都市としている航空会社"
},
{
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"tag": "p",
"text": "焦点都市",
"title": "拠点・焦点都市としている航空会社"
},
{
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"text": "※ 航空連合は右記の通り。OW:ワンワールド、SA:スターアライアンス、ST:スカイチーム",
"title": "就航路線"
},
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"text": "※ 語末の★は、格安航空会社 (LCC)",
"title": "就航路線"
},
{
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"text": "※ COVID-19の影響により、長期運休となっている路線もある。詳細は航空各社のホームページを参照。",
"title": "就航路線"
},
{
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"tag": "p",
"text": "道外から北海道に入るには空路が最も効率的な交通手段であることから、季節運航も含め30路線以上の国内線ネットワークを持ち、北海道の空の玄関となっている。とりわけ羽田-新千歳線は羽田-福岡線と並ぶ日本の国内線の二大巨頭であり、日本航空、全日本空輸、スカイマーク、エアドゥの4社が競合し、国内最多の旅客数を記録している。また、Peach Aviationが運航する新千歳-那覇線は国内最長距離路線であり、その片道マイル数は1,397マイル、所要時間は約4時間とこれは国際線における東京(羽田、成田)-ソウル(仁川、金浦)線の758マイル、約2時間30分に比べてはるかに長い。",
"title": "就航路線"
},
{
"paragraph_id": 124,
"tag": "p",
"text": "国内線を運航する全ての格安航空会社 (LCC) が就航しており、成田国際空港や関西国際空港、中部国際空港との国内路線を運航している。なお、札幌市内には丘珠空港があるが、こちらは主に道内路線を中心に運航されている。",
"title": "就航路線"
},
{
"paragraph_id": 125,
"tag": "p",
"text": "チャーター便を含む利用者は2007年に年間80万人、2012年には年間100万人を突破している。またアジア諸国の経済成長を受けた海外旅行者数の増加や、台湾や香港、大韓民国やタイ王国などアジア諸国や、ヨーロッパにおける「北海道ブーム」により、既存路線の増便や新路線開設の動きが活発になっていた。",
"title": "就航路線"
},
{
"paragraph_id": 126,
"tag": "p",
"text": "これにより、ハワイやヨーロッパへの中長距離路線復活や、中華人民共和国、東南アジア各国への新路線開設や新規乗り入れ航空会社の増加など活発な動きを見せている。なお、格安航空会社は2018年9月現在で海外拠点11社が就航している。",
"title": "就航路線"
},
{
"paragraph_id": 127,
"tag": "p",
"text": "しかし、近年軍拡を進める中華人民共和国とロシアの軍用機が日本の防空識別圏を窺っている(東京急行など)ほか、民間機による諜報活動を行っているとみられることもあって、冷戦時代より防衛上の観点から軍事的緊張関係にある国の航空会社の乗り入れ時間帯制限が行われている。このため自由なダイヤが組めないなど課題も多いが、その後2016年10月末からは、中ロの航空会社について従来禁止されていた月曜日と木曜日の発着を一部認め、毎日発着可能とする規制緩和も行われている。",
"title": "就航路線"
},
{
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"tag": "p",
"text": "2017年夏季からは1時間当たり42便への発着枠拡大に伴い一層の増便が見込まれているが、出発カウンターや保安検査場の不足により特定時間帯に混雑がみられるといった課題も生じている。また2020年3月からは昼間発着枠が50回に拡大された一方で、人員不足により地上支援業務の態勢が整わない事を理由として運航の継続や増便等を見送る動きも生じている。その後新型コロナウイルスによる旅客便全面運休を経て韓国・台湾・東南アジア方面の路線から再開となった。",
"title": "就航路線"
},
{
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"tag": "p",
"text": "",
"title": "就航路線"
},
{
"paragraph_id": 130,
"tag": "p",
"text": "東京国際空港、成田国際空港、大阪国際空港、関西国際空港、仙台空港、中部国際空港、福岡空港便などは、コードシェア便として国外航空会社便名が付与される便がある。利用は国際線乗継旅客に限られ、国内区間のみの利用は国内航空会社便名での利用となる。",
"title": "就航路線"
},
{
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"tag": "p",
"text": "○は丘珠空港便もあり",
"title": "就航路線"
},
{
"paragraph_id": 132,
"tag": "p",
"text": "航空会社名は休廃止時点",
"title": "就航路線"
},
{
"paragraph_id": 133,
"tag": "p",
"text": "※ 航空会社は休廃止時点",
"title": "就航路線"
},
{
"paragraph_id": 134,
"tag": "p",
"text": "新千歳空港からの路線バス、高速バスの行き先、のりば等の詳細情報は運行会社に関係なく「バスでのアクセス」に記載されている。",
"title": "空港へのアクセス"
},
{
"paragraph_id": 135,
"tag": "p",
"text": "札幌市内路線(定山渓温泉行を除く)の紙の乗車券は、共通乗車制度により路線・発行会社に関わらず使用可能。",
"title": "空港へのアクセス"
},
{
"paragraph_id": 136,
"tag": "p",
"text": "詳細は、北都交通は事業者記事を、北海道中央バスは千歳線 (北海道中央バス)を参照。",
"title": "空港へのアクセス"
},
{
"paragraph_id": 137,
"tag": "p",
"text": "全路線南千歳駅と千歳駅を経由。",
"title": "空港へのアクセス"
}
] | 新千歳空港は、北海道千歳市と苫小牧市にまたがって所在している空港。2020年6月1日に運営が北海道エアポートに移管(民営化)された。国際航空輸送網又は国内航空輸送網の拠点となる空港として空港法に基づく区分では第4条第1項第6号に該当する空港として政令で定める空港(国管理空港)に区分されている。通称としては「新千歳」または「千歳」。なお、札幌市の丘珠空港への路線が存在する場合を除いて航空便の行先として「札幌」の表記が使用される。 | {{出典の明記|date= 2016年7月}}
{{Infobox 空港
|空港名 = 新千歳空港
|英語名 = New Chitose Airport
|画像 = [[File:New Chitose Airport.jpg|250px]]<br />[[File:New Chitose Airport 011.jpg|250px]]
|画像サイズ = 250
|画像説明 = 国内線ターミナル(上)<br />国際線ターミナル(下)
|IATA = CTS
|ICAO = RJCC
|国 = {{JPN}}
|所在地 = [[北海道]][[千歳市]]
|母都市 = [[札幌市]]
|種類 = 商業
|所有者 = [[国土交通省]]
|運営者 = [[北海道エアポート]]
|運用時間 = 24時間
|開港 = 1988年7月20日<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cab.mlit.go.jp/tcab/conditions/02.html |title=空港のプロフィール |format= |publisher=国土交通省東京航空局 |accessdate=2018-05-04}}</ref>
|閉鎖 =
|ターミナル数 = 2
|拠点航空会社 =
|敷地面積 ha = 726<ref name="mlit_profile">{{Cite web|和書|url=https://www.cab.mlit.go.jp/tcab/conditions/01_hokkaido/04.Shinchitose.pdf |title=空港のプロフィール-新千歳空港- |format=PDF |publisher=国土交通省東京航空局 |accessdate=2018-05-04}}</ref>
|標高 m = 21.3<ref name="mlit_profile" />
|標高 ft =
|座標 =
|ウェブサイト = [https://www.new-chitose-airport.jp/ja/ 新千歳空港]
|緯度度 = 42 |緯度分 = 46 |緯度秒 = 30 |緯度NS = N
|経度度 = 141 |経度分 = 41 |経度秒 = 32 |経度EW = E
|座標地域 =
|地図名 = Japan Hokkaido#Japan
|地図ラベル =
|地図サイズ =
|地図説明 = 新千歳空港の位置
|滑走路1方向 = 01L/19R
|滑走路1ILS = I/IIIb
|滑走路1長さ m = 3,000
|滑走路1幅 m = 60
|滑走路1表面 = 舗装
|滑走路2方向 = 01R/19L
|滑走路2ILS = I/I
|滑走路2長さ m = 3,000
|滑走路2幅 m = 60
|滑走路2表面 = 舗装
| 統計年 = 2022年度
| 旅客数 = 17,876,335人
| 貨物取扱量 = 126,530[[トン|t]]
| 脚注 = [https://www.mlit.go.jp/koku/15_bf_000185.html 航空:空港管理状況 - 国土交通省]
}}
[[画像:New Chitose airport from the sky.JPG|thumb|上:新千歳空港<br />下:千歳美々ワールド([[公立千歳科学技術大学]]など)|290x290ピクセル]]
'''新千歳空港'''(しんちとせくうこう、{{lang-en-short|New Chitose Airport}})は、[[北海道]][[千歳市]]と[[苫小牧市]]にまたがって所在している[[空港]]。[[2020年]][[6月1日]]に運営が[[北海道エアポート]]に移管(民営化)された<ref name="kyodo2020-06-01">{{Cite news|url=https://this.kiji.is/639841375140463713|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200601030230/https://this.kiji.is/639841375140463713|title=新千歳空港が本格民営化 コロナ禍で早くも視界不良|newspaper=共同通信|date=2020-06-01|accessdate=2020-06-01|archivedate=2020-06-01}}</ref>。国際航空輸送網又は国内航空輸送網の拠点となる空港として[[空港法]]に基づく区分では[[日本の空港#国管理空港|第4条第1項第6号に該当する空港として政令で定める空港(国管理空港)]]に区分されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=331AC0000000080#23 |title=空港法(昭和三十一年法律第八十号)第四条:国際航空輸送網又は国内航空輸送網の拠点となる空港の設置及び管理|website=e-Gov法令検索 |publisher=総務省行政管理局 |date= |quote= |accessdate=2020-06-01}}</ref>。通称としては「'''新千歳'''」または「'''千歳'''」。なお、[[札幌市]]の[[札幌飛行場|丘珠空港]]への路線が存在する場合を除いて航空便の行先として「'''札幌'''」の表記が使用される。
== 概要 ==
北海道の経済・文化の中心地である[[札幌市]]の南東約40kmに位置する国内線の基幹空港。[[空港法]]に基づいて[[国土交通大臣]]が設置・管理する[[日本の空港#国管理空港|国管理空港]]で、国内線や国際線の拠点空港に区分される。空港の利用者数は国内で5番目に多い<ref>{{Cite web|和書|title=全国空港概要 {{!}} OOH AIRPORT MEDIA|url=http://airport.tokyu-agc.co.jp/airport_1_1.html|website=airport.tokyu-agc.co.jp|accessdate=2019-09-27}}</ref>。また、旅客数では[[東京国際空港|羽田(東京)]]-新千歳線が世界一位になったこともある。[[鉄道]]や[[高速道路]]もよく整備されており、それぞれ札幌や道内各地を結んでいる。北海道では最大の空港で、実質的に北海道の空の玄関口となっている。
滑走路は2本あり、いずれも長さは3000mで、南北方向に[[クロースパラレル]]に配置されている。滑走路西側には国内線の[[空港ターミナルビル|旅客ターミナルビル]]があり、[[北海道旅客鉄道|JR]][[千歳線]][[新千歳空港駅]]が地下に乗り入れている。その西側に、千歳基地に面して国際線の旅客ターミナルビルがあり、2つのターミナルビルは商業施設などが入る連絡施設で結ばれている。滑走路北側には国内貨物ターミナルが、その西側には国際貨物ターミナルが位置する。旅客ターミナルビルと連絡施設、国内貨物ターミナルは、北海道などが出資する[[第三セクター]]の[[北海道空港]]株式会社が所有・運営していたが、2017年7月1日に、100%子会社の新千歳空港ターミナルビルディング株式会社に承継された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.new-chitose-airport.jp/ja/corporate/management/pdf/fs56.pdf |title=第56期報告書21ページ |format=PDF |publisher=北海道空港 |accessdate=2018-05-08}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tomamin.co.jp/news/area1/11147/ |title=北海道空港、分社化決める |publisher=苫小牧民報 |accessdate=2018-05-08}}</ref>。[[空港整備特別会計]]の空港別の財務状況で、数少ない黒字の空港である。
西側には[[航空自衛隊]][[千歳基地]]が隣接し、誘導路で接続している。千歳基地は、空港法上の共用空港「千歳飛行場」に位置づけられており、両空港の[[航空交通管制|航空管制]]は航空自衛隊が一体的に運用している。
オープンスポットが国内線ターミナルビルの南側、国際線ターミナルビル北側と国内貨物ターミナルに設けられており、特に冬季は夜間駐機にも使用されている。
2008年7月の[[第34回主要国首脳会議|北海道洞爺湖サミット]]の開催に伴い、先進各国の要人用の貴賓室や専用駐機場を新設するなどの工事が行われた。各国の[[政府専用機|VIP機]]専用の乗降スポット、貴賓室が新設され、駐機場(6機分)や構内駐車場(500台分)が増設されたほか、各国代表団が構内から直接車で移動できるよう、構内道路の補修などを行った。一部施設はサミット終了後に撤去されたが、駐機場などは、2023年現在も夜間駐機などに使用されている。
2020年からの[[北海道エアポート]]による道内7空港民営化に際しては中核となる「グローバルゲートウェイ」型空港に位置づけられ、他の6空港の遠隔管理を担う「北海道オペレーションセンター」・内際両用の第3ターミナルとホテル・情報提供を担う交通観光センター・ビジネスジェット施設の新設、北海道全域の魅力発信を担う「北海道ショーケース」をコンセプトとしたターミナル改装等が計画されている<ref>[https://www.mlit.go.jp/report/press/kouku05_hh_000138.html 北海道内7空港特定運営事業等の優先交渉権者選定に係る客観的評価結果等の公表について] [https://www.mlit.go.jp/common/001302612.pdf 資料2 提案概要(北海道エアポートグループ)] - 国土交通省</ref>。
=== 日本初の24時間運用 ===
1988年、道は新長期総合計画にて国際航空貨物の拠点を目指して「国際エアカーゴ基地構想」を掲げ<ref name="tm180720"/>、1991年から24時間運用体制の実現に向けて地元と協議を開始した。その結果1994年4月に、深夜時間帯(22時 - 翌朝7時)を、1日につき貨物便6便を限度に運用することで合意<ref name="24hour">{{Cite web|和書|url=http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/kkk/syuhen/newchitose-keii.pdf |title=「新千歳空港の24時間運用」等に係る主な経緯 |format=PDF |publisher=北海道 |accessdate=2018-05-08}}</ref>。[[日本の空港]]で初となる24時間運用は同年6月24日から始まり<ref name=":0">{{Cite news |title=千歳航空年表-空港で過ごす {{!}} 新千歳空港ターミナルビル |url=http://www.new-chitose-airport.jp/ja/spend/enjoy/airplane/digital_museum/nenpyo.html |accessdate=2018-06-10 |work=新千歳空港ターミナルビル}}</ref>、30日早朝に1番機が到着した<ref group="注">ただし、当初は定期便ではなく、不定期の24時間運用であった。{{Cite web|和書|url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090441304 |title=フォト北海道 新千歳空港24時間運用*30日の初便は“御祝儀”*2便目以降メド立たず |accessdate=2018-05-08 |publisher=北海道新聞}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090441126 |title=フォト北海道 定期就航に期待*24時間運用「新千歳」に1番機 |publisher=北海道新聞 |accessdate=2018-05-08}}</ref>。1998年7月には、深夜発着枠6便の中に旅客便を含める弾力的な運用に変更された<ref name="24hour" />。2010年12月時点では、深夜発着枠は国内旅客便(4便)、国内貨物便(2便。運休日あり)によってほぼすべて使用された。
2013年12月、道が地元に深夜発着枠の30便拡大を提案<ref>[http://www.tomamin.co.jp/2013128094 深夜早朝枠を「6」から「30」に 新千歳空港運用で道が提案] 苫小牧民報 2013年12月14日付</ref>。協議の結果、30便のうち24便は22時から0時と6時から7時の発着、6便は従来通り0時から6時の発着とすること、住宅の防音対策を行うこと、[[道の駅ウトナイ湖]]で地域振興策を行うなどの内容で、2015年2月に苫小牧市側<ref>[http://www.tomamin.co.jp/20150222371 「発着30」に苫小牧側住民合意 新千歳空港の深夜・早朝枠協議] 苫小牧民報 2015年2月19日付</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2019-03-20 |url=https://www.tomamin.co.jp/news/main/15912/ |title=新たな観光施設、初日からにぎわい 展望台の完成祝う-苫小牧・道の駅ウトナイ湖 |publisher=苫小牧民放 |accessdate=2019-03-31}}</ref>
、同年8月には千歳市側の住民と合意<ref>[http://www.tomamin.co.jp/20150829277 「新千歳の深夜早朝30枠」千歳市地域協で住民合意] 苫小牧民報 2015年8月22日付{{リンク切れ|date=2021年4月}}</ref>。同年10月から運用が開始された。
== 統計 ==
=== 利用者数 ===
{{空港-統計|iata=CTS|début=2000}}
2016年度は下記の通り<ref name="2017data">{{Cite press release|和書|title=平成28年度空港管理状況調書 |publisher=国土交通省航空局 |date=2017-07-26 |url=http://www.mlit.go.jp/common/001198039.pdf |format=PDF |accessdate=2018-05-04 }}</ref>で、着陸回数は日本の空港で第6位、旅客数は第5位で、北海道の空の玄関口となっている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.mlit.go.jp/common/001198041.pdf |title=平成28年度(年度)空港別順位表 |format=pdf |publisher=国土交通省 |accessdate=2018-05-04}}</ref>。
:{|class="wikitable" style="text-align:left;font-size:middle"
!style="width:4em"| ||style="width:8em"|航空機着陸回数||style="width:8em"|航空旅客数||style="width:8em"|航空貨物取扱量
|-
!国内線
|style="text-align:right"|6万5,041回
|style="text-align:right"|1882万4,306人
|style="text-align:right"|19万4,178トン
|-
!国際線
|style="text-align:right"|7,635回
|style="text-align:right"|272万726人
|style="text-align:right"|1万515トン
|-
!合計
|style="text-align:right"|7万2,676回
|style="text-align:right"|2154万5,032人
|style="text-align:right"|20万4,693トン
|}
=== 国内線統計 ===
{| class="wikitable" style="white-space:nowrap"
|+(新千歳空港発)2022年度就航路線別旅客数/順位<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001616890.pdf |title=航空輸送統計年報の概要 令和 4 年度(2022 年度)分 |access-date=2023-09-26}}</ref>
!行き先
!旅客数
!国内線順位
|-
!東京国際空港
|約763万人
|上位{{0}}1位
|-
!成田国際空港
|約182万人
|上位{{0}}6位
|-
!関西国際空港
|約124万人
|上位13位
|-
!大阪国際空港
|約108万人
|上位18位
|-
!仙台空港
|約{{0}}73万人
|上位35位
|-
!福岡空港
|約{{0}}66万人
|上位39位
|-
!神戸空港
|約{{0}}52万人
|上位46位
|}
== 千歳飛行場と新千歳空港の関係 ==
[[画像:Chitose Air Base Aerial photograph.1975.jpg|thumb|1975年の千歳空港。画像右下に新千歳空港が建設された<br />{{small|1975年撮影の16枚を合成作成}}<br />{{国土航空写真}}]]
[[画像:CTS airport diagram.png|thumb|新千歳空港(右)は千歳飛行場の南東に位置する]]
[[千歳基地|千歳飛行場]](旧:千歳空港)と新千歳空港は、隣接はしているものの法的には別の[[飛行場]]である。しかし、[[航空自衛隊]]千歳基地でもある千歳飛行場は現在も共用飛行場となっており、新千歳空港とは[[誘導路]]でつながっていて航空機の行き来が可能、管制も一括して航空自衛隊が行っている。[[日本国政府専用機]]2機の[[格納庫]]、および運用を行う航空自衛隊[[航空支援集団]][[特別航空輸送隊]]が置かれている。政府専用機が[[訓練]]等で新千歳空港の滑走路を使用することや、冬期の除雪作業などで新千歳空港の滑走路運用が難しい時、アクシデント発生時などには、千歳飛行場で[[民間機|民間航空機]]の[[離着陸]]が行われることもある<ref>[https://web.archive.org/web/20180626001446/https://www.tomamin.co.jp/news/area1/5927/ 新千歳B滑走路で工事 深夜便は空自飛行場使用(アーカイブ)](2018年6月26日時点のアーカイブ) [https://www.tomamin.co.jp/news/area1/5927/ 新千歳B滑走路で工事 深夜便は空自飛行場使用]</ref>。
千歳飛行場側には、滑走路は平行に2,700mと3,000mの2本がある。後者は900mの[[過走帯]]があり、実質4,000m級である。新千歳と併せて4本の滑走路があり、これらはほぼ並行している。2本ずつ同じ方向に隣接した滑走路は、パイロットからも混同される場合がある。大事には至っていないものの、空港北側からアプローチする場合を中心に、千歳飛行場との滑走路の誤認が、2006年までの3年間に11件発生しており、その対策が課題となっている。
旧千歳空港ターミナルビル建物は[[1995年]][[3月]]にオープンした輸入促進商業施設「千歳ワールドマーケット・プレイスNEWS」として再利用されたが、[[1998年]][[3月]]に経営悪化のため閉鎖された。その後立地していた場所は空き地となったが、[[海上保安庁]]庁舎の隣に日本航空[[格納庫|ハンガー]]、政府専用機の[[エプロン (飛行場)|エプロン]]より南側に、千歳飛行場時代からある[[地点|スポット]]が[[国土交通省]]管理のまま残されており、現在も民間機の駐機(通常は[[ナイトステイ|夜間駐機]]用が主体)に使用されている。これらにより、北方圏、アジア・太平洋地域とより利便性の高い輸送体制を確立した。管制業務は千歳飛行場と新千歳空港の両空港で一体運用され、航空自衛隊千歳管制隊が、両飛行場の間にある[[管制塔]]および[[進入・ターミナルレーダー管制|レーダールーム]]で、航空管制業務を行っている。
[[1990年代]]、冬季に新千歳空港で[[路面凍結|凍結]]があった際には、千歳飛行場の滑走路を使用して離陸したこともある。
2017年8月、訪日外国人増加に対応するため、千歳基地の東側滑走路の民間利用について検討が行われることとなった。特に中国や韓国などアジア圏の観光客が増加しており、アジア圏の[[格安航空会社]] (LCC) の新千歳空港発着便の増便に備えるため、2018年度以降に千歳基地の民間利用が可能かどうか調査する<ref>[https://mainichi.jp/articles/20170823/k00/00e/040/213000c アジアLCC増便でパンク? 基地活用へ調整] - 毎日新聞社 2017年8月23日</ref>。千歳基地の民間利用が実現した場合、新千歳空港は千歳基地の滑走路1本を含めた滑走路3本を実質的に使用することとなる。
ほとんどの内外航空会社のシステムでは[[空港コード]]にCTSを使用しているが、唯一日本航空のみ札幌の都市コードである'''SPK'''を当空港用に使用していた<ref group="注">運輸省による規制を受けて、長年国内線は[[幹線]]のみの運航であった日本航空は、全日空や東亜国内航空のように、「札幌便」で千歳(現:新千歳)と[[札幌飛行場]](通称:丘珠空港、空港コード'''OKD''')を区別する必要がなかった。</ref>。現在は、日本航空グループも2017年10月より、'''CTS'''に統一している。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jal.co.jp/jalcargo/inter/news/pdf/jcs-170915.pdf |title=新千歳空港3レターコードの「CTS」への統一について(ご案内) |format=PDF |publisher=日本航空株式会社 |date=2017-09-15|accessdate=2021-07-04}}</ref>
<gallery widths="200px">
New Chitose Airport control tower.jpg|管制塔([[千歳基地]])
Japan government 747 (corrected).jpg|新千歳空港での[[日本国政府専用機]](2004年3月)
</gallery>
== 歴史 ==
[[File:New Chitose Airport and Chitose Air Base Aerial photograph.2011.jpg|thumb|2011年10月の新千歳空港(右)と千歳基地(左)の空中写真。<br />{{small|2011年10月9日撮影の6枚と同月14日撮影の24枚の合計30枚を合成作成}}<br />{{国土航空写真}}]]
前身の'''千歳空港'''は軍民共用空港であり、1951年<ref name="cts_nenpyo">{{Cite web|和書|url=http://www.new-chitose-airport.jp/ja/spend/enjoy/airplane/digital_museum/nenpyo.html |title=新千歳航空年表 |publisher=新千歳空港ターミナルビル |accessdate=2018-05-06}}</ref>の民間航空再開後、自衛隊機と民間機が共用で使用してきた。しかし、[[1978年]]に千歳空港と東京国際空港(羽田空港)間の旅客数が世界最多となるなど旅客数・貨物量が増加。[[大阪市|大阪]]や[[名古屋市|名古屋]]、[[福岡市|福岡]]など全国の大都市や、道内各地を結ぶ路線が就航するなど、北海道の[[ハブ空港]]として機能するようになった。一方で、[[ソビエト連邦軍|ソ連機]]の領空侵犯に対する自衛隊機の[[スクランブル]]出動は年間200回にも及び、その間、民間機は地上や周辺空域で待機を余儀なくされ、長い場合は30分にもわたることがあった。そのため、航空機の安全確保と航空需要の拡大に対応するため、新たに'''新千歳空港'''が建設されることとなり、1975年(昭和50年)11月20日<ref name="cts_nenpyo" />に着工。1988年(昭和63年)7月20日に、民間専用の空港として開港した。
===前史===
[[1916年]]([[大正]]5年)
* 渡部栄蔵千歳村議が山田旦千歳村長・中川種次郎郵便局長と市街地南方のサンナシ沢へ盆栽用の赤松苗木を取りに出掛けた際、低生産な火山灰地を用いての飛行場開発を発案する<ref name="newcts44" />。
[[1922年]](大正11年)
* 千歳村が逓信大臣に国設飛行場誘致の請願を行う<ref name="newcts44">[https://www.city.chitose.lg.jp/fs/1/9/4/8/2/6/_/4_4__________________.pdf 新千歳市史通史編上巻 第4編開拓の開始と近代社会の成立 第4章日清・日露戦争から第一次世界大戦] - 千歳市役所</ref>。
[[1923年]](大正12年)
* [[岡田伊太郎]]を紹介議員として千歳村ママチへの飛行場設置が国会で採択される<ref name="newcts44" />。
[[1925年]](大正14年)
* 8月 - 千歳村が小樽新聞社(現:[[北海道新聞社]])の旅行会提案を受け入れ、小樽新聞社が社有航空機の派遣を提案<ref name="newcts44" />。
* 9月下旬 - 小樽新聞社社員が千歳を訪れ航空路直下の地形と着陸地の調査を実施、千歳神社近辺や室蘭街道沿いが不適当と判断された後渡部栄蔵が市街地南方のサンナシ沢火山灰地を提案し視察の後同地約6700坪の着陸場整備を決定<ref name="newcts44" />。
* 10月中旬 - 千歳村民による約2日間の抜根等の労力奉仕により約10[[ヘクタール]]の着陸場の造成を完了<ref name="newcts44" /><ref>[https://www.welcome-to-chitose.jp/archives/tourism/9177.html 「北海」第一号機] - ちとせの観光</ref>。
*10月22日 - 小樽新聞社の旅行会に合わせ酒井憲次郎の操縦による小樽新聞社の社有機である[[一〇式艦上偵察機|三菱R2-2]]「北海1号機」が初めて着陸する<ref name=":0" /><ref name="newctschrono" />。
[[1929年]]([[昭和]]4年)
* 2月 - 千歳への国営飛行場設置案が衆議院で採択<ref name="newcts53" />。
[[1933年]](昭和8年)
* 2月 - 千歳村が陸軍飛行場設置請願書を[[第7師団 (日本軍)|第七師団]]長・北海道庁長官・札幌逓信局長宛に提出、飛行場案を民間用から陸軍用に転換する<ref name="newcts53" />。
[[1934年]](昭和9年)
* 9月15日 - 千歳村陸軍飛行隊設置促成会を設立、飛行場建設を決定<ref name="newcts53" />。
===千歳飛行場===
1934年(昭和9年)
* 9月28日 - 千歳飛行場第一期工事着工、4万5千坪を整備<ref name="newcts53">[https://www.city.chitose.lg.jp/fs/4/9/9/5/4/_/4_5____________.pdf 新千歳市市通史編上巻 第5章日中戦争と海軍航空隊] - 千歳市役所</ref>。
* 10月28日 - 千歳飛行場竣工式が行われる<ref name=":0" />。
[[1935年]](昭和10年)
*1月26日 - 村の協議会で陸軍飛行隊の誘致を議決、その後130町歩の飛行場用地を確保<ref name="newcts53" />。
*3月25日 - 千歳飛行場への陸軍飛行隊設置の請願が採択される<ref name="newcts53" />。
*4月4日 - 第二期工事着工<ref name="newcts53" />。
*6月6日 - 第二期工事竣工、10万3620坪に拡張<ref name="newcts53" />。
*8月17日-23日 - 陸軍航空特別演習を実施<ref name="newcts53" />。
[[1936年]](昭和11年)
*5月10日 - 第三期工事着工<ref name="newcts53" />。
*6月20日 - 第三期工事竣工、17万2千坪に拡張し北海道最大規模の飛行場となる<ref name="newcts53" />。
*10月2日-4日 - 陸軍特別大演習実施<ref name=":0" /><ref name="newcts53" />。
*10月5日 - 初の旅客便として、日本航空輸送の[[ダグラスDC-2]]が羽田飛行場から油川飛行場(青森県)を経由し着陸<ref name=":0" /><ref name="newcts53" /><ref name="cityyoran" />。
[[1937年]](昭和12年)
*4月 - [[大湊海軍航空隊]]の[[檜貝嚢治]]と[[小福田晧文|小福田祖]]が、北海道と青森での飛行場適地調査に着手。その後、石狩川流域・苫小牧・千歳を候補とした上で良好な地質や拡張性の高さから、千歳を適地と判断<ref name="newcts53" />。
*9月 - 海軍省が村有地131ヘクタールの寄付を条件に海軍航空基地の設置を決定<ref name=":0" /><ref name="newcts53" />。
*10月18日 - 海軍航空基地着工<ref name="newcts53" />。
[[1939年]](昭和14年)
* 8月27日 - [[ニッポン (航空機)|ニッポン号]]が羽田空港から本空港を経由し世界一周親善飛行に出発。<ref name=":0" />
* 11月5日 - [[千歳海軍航空隊]]が開庁<ref name=":0" /><ref name="newcts53" />。1200m×80mの直角に交差した滑走路を有し<ref name=":0" />、着陸場は[[大日本帝国海軍]]の飛行場となる。
[[1942年]](昭和17年)
*千歳航空基地から北東に約3.4kmの地点に第2千歳飛行場滑走路(800m)完成、その後1300mに延伸<ref name="newcts6" />。
*11月1日 - 千歳海軍航空隊を第七〇三海軍航空隊に改称<ref name="newcts6">[https://www.city.chitose.lg.jp/fs/4/9/9/5/5/_/4_6_________.pdf 新千歳市市通史編上巻 第6章太平洋戦争開戦] - 千歳市役所</ref>。
[[1943年]](昭和18年)
*3月1日 - [[ガダルカナル島撤収作戦]]終了に伴い、千歳海軍航空隊を解隊<ref name="newctschrono" /><ref name="newcts6" />。
[[1945年]](昭和20年)
* 10月 - 終戦に伴い、[[連合国軍最高司令官総司令部|連合国軍]]が接収。米軍戦闘機駐留部隊が駐留する<ref name=":0" />。
[[1951年]](昭和26年)
* 5月22日 - 日本政府により拠点空港「北海道空港」に指定される<ref name="newctshis5">[https://www.city.chitose.lg.jp/fs/1/9/4/8/3/2/_/_5_.pdf 新千歳市史通史編下巻 第5編戦後の行政]</ref>。
* 9月1日 - 札幌管区気象台千歳航空測候所を設置<ref name="newctshis" />。
* 10月26日 - 民間航空が再開され、[[日本航空]]により千歳 - 東京間に民間航空機が就航する<ref name=":0" /><ref name="newctshis">[https://www.city.chitose.lg.jp/fs/1/9/4/8/3/7/_/_6_5_.pdf 新千歳市史通史編下巻 第6編部門史 第5章交通・通信] - 千歳市役所</ref>。
* 11月16日 - 飛行場西側の米軍基地敷地内に平屋建て120坪の民間航空ターミナルビル竣工<ref name=":0" /><ref name="newctshis" />。
[[1953年]](昭和28年)
* 10月 - 西側滑走路の改良を完了、2700m×45mとする<ref name="ikaros05his">千歳・新千歳空港の80年 新千歳空港沿革1916〜2005 - 日本の空港シリーズ3 新千歳空港(イカロス出版2005年)</ref>。
=== 千歳空港 ===
[[1957年]](昭和32年)
* 8月 - 米軍が三沢飛行場へ移駐し航空自衛隊第二航空団設置、民間と自衛隊の共用飛行場となる<ref name="ikaros05his" />。
[[1959年]](昭和34年)
* 7月20日 - 米軍千歳飛行場地区が、日本国政府([[防衛庁]])に返還される<ref name=":0" /><ref name="newctshis" />。返還に伴い、滑走路東側への民間航空専用地域の建設を決定<ref name="newctshis" />。
[[1960年]](昭和35年)
*7月 - 民間航空ターミナルビル増築<ref name="newctshis" />。
*8月1日 - 全日空が千歳 - 東京間に国内線初のターボプロップ機[[ビッカース バイカウント]]744を就航<ref name="ikaros05his" />。
*8月13日 - 東側滑走路着工<ref name="newctshis" />。
[[1961年]](昭和36年)
* 9月 - 飛行場東側にて民間航空専用地域整備工事を着工<ref name="newctshis" />。
* 9月25日 - 日本航空が千歳 - 東京間に国内線初のジェット旅客機[[コンベア880]]を初就航<ref name=":0" />。
* 10月30日 - 航空事業者や北海道、千歳市、[[フジテレビジョン]](現:[[フジ・メディア・ホールディングス]])等の出資により、ターミナル施設を運営する[[北海道空港]](HKK)が設立される<ref name="newctshis" />。
*12月1日 - 東側滑走路(2700m)完成<ref name="newctshis" />。
* 12月20日 - 航空法に基づき共用飛行場に指定、管制塔が完成<ref name="newctschrono">[https://www.city.chitose.lg.jp/fs/4/9/9/8/4/_/__.pdf 新千歳市市通史編下巻 第7編資料 千歳歴史年表] - 千歳市役所</ref>。
[[1962年]](昭和37年)
*1月1日 - 管制業務が[[アメリカ軍]]から航空自衛隊に移管される<ref name=":0" />。
*4月20日 - 千歳空港ターミナルビル設置認可<ref name="ha25" />。
*4月26日 - 千歳空港ターミナルビル着工<ref name="newctshis" />。
[[1963年]](昭和38年)
*3月29日 - 千歳空港ターミナルビル竣工、鉄筋コンクリート一部二階建て・床面積3416平方メートル<ref name=":0" /><ref name="newctshis" />。一階を旅客施設、二階を官庁施設とした<ref name="ha25">新時代へ 1961→1986北海道空港25年史 - 北海道空港(1985年)</ref>。
*4月1日 - 千歳空港ターミナルビル供用開始<ref name="newctshis" />。
[[1964年]](昭和39年)
* 2月 東側滑走路(2700×45m)供用開始<ref name="ikaros05his" />。
*11月30日 - 民航専用地域第1期整備工事完成<ref name="ikaros05his" />。
[[1966年]](昭和41年)
*6月 - [[川島正次郎]]自民党副総裁が、千歳空港の国際空港化を発言<ref name="newctshis" />。
*7月16日 - [[福田篤泰]]北海道開発長官の札幌周辺での新空港建設計画の発言や、札幌経済協議会の[[石狩町]][[生振]]への空港建設要請に対し、千歳市議会が千歳空港を民間専用の国際空港とすることについての要望意見書を議決<ref name="tm180720">{{Cite web|和書|date=2018-07-20|url=https://www.tomamin.co.jp/feature/ncap/1381/|title=開港30年 新千歳の飛躍(上)官民一体の運動、実り新空港建設 道経済活性化期待集める|publisher=苫小牧民報|accessdate=2019-03-22}}</ref>。
[[1967年]](昭和42年)
*5月30日 - ターミナルビル到着口に手荷物ターンテーブル設置<ref name="ha25" />。
*7月26日 - [[大橋武夫 (政治家)|大橋武夫]]運輸大臣が千歳空港の国際化整備検討の意向を表明<ref name="tm180720" /><ref name="newctshis" />。
*12月14日 - 東側滑走路補強工事完成<ref name="ikaros05his" />。
[[1969年]](昭和44年)
*1月9日 - VOR供用開始<ref name="ikaros05his" />。
* 5月1日 - [[計器着陸装置|ILS]]供用開始<ref name=":0" />。
* 10月1日 - 千歳空港が出入国港に指定される<ref name=":0" />。
[[1970年]](昭和45年)
*6月24日 - 千歳空港近辺での民間専用空港建設の申し合わせを決定<ref name="newctshis" />。
*8月13日 - 28日 - 凶器発見器設置<ref name="ikaros05his" />。
*10月7日 - ターミナルビル増築完成、3階建1万714平米で1階到着・2階出発の発着分離とする<ref name="newctschrono" /><ref name="newctshis" />。また手荷物用クレセントベルトコンベア2機や館内放送設備等を設置<ref name="ha25" />。
*12月 - 東側滑走路を3000mに延長<ref name="ikaros05his" />。
[[1971年]](昭和46年)
*6月 - 新空港建設地を千歳空港東側に決定<ref name="newctshis" />。
*12月15日 - フィンガー増築工事第一期完成、ゲートラウンジ4箇所・ボーディングブリッジ大型機用4基小型機用2基供用開始<ref name="newctschrono" /><ref name="newctshis" /><ref name="ha25" /><ref>[http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090369789 待望のボーディングブリッジも使用開始、面目一新の千歳空港] - フォト北海道(北海道新聞 1971年12月25日)</ref><ref name="ikaros13his" />。ノーズイン駐機を導入<ref name="ha25" />。
[[1972年]](昭和47年)
*[[1月7日]] - [[1972年札幌オリンピック|札幌オリンピック]]開催に伴い臨時CIQを設置。12カ国から25機が飛来<ref name="tm180720" /><ref name=":0" /><ref name="newctshis" />。
* 4月 - 新千歳空港建設促進期成会発足<ref name="tm180720" />。
*12月 - 東側滑走路の幅員を60mに拡張<ref name="ikaros05his" />。
[[1973年]](昭和48年)
*7月1日 - フィンガー第二期増築工事完成、ゲートラウンジ2箇所・ボーディングブリッジ6箇所増設<ref name="ikaros13his">新千歳空港のあゆみ - 日本のエアポート06 北海道の空港(イカロス出版 2013年)</ref>。動く歩道4基設置<ref name="ha25" />。
*9月12日 - 新千歳空港整備基本計画策定<ref name="newctschrono" /><ref name="newctshis" /><ref name="tm180724">{{Cite web|和書|date=2018-07-24|url=https://www.tomamin.co.jp/feature/ncap/1384/|title=開港30年 新千歳の飛躍(下)国際線ビル拡張着実に進む整備 来道500万人時代の玄関に|publisher=苫小牧民報|accessdate=2019-03-22}}</ref>。3000m滑走路2本と年間3600万人対応のターミナルビルを建設し1978年12月に滑走路1本による暫定開業の計画とした<ref name="newctshis" />。
*12月24日 - 新千歳空港設置公示<ref name="newctschrono" />。
[[1974年]](昭和49年)
*2月25日 - ハイジャック対策用金属探知機・手荷物透視検査装置導入<ref name="ikaros13his" />。
* 3月30日 - 空港整備法において第二種空港に指定<ref name="newctshis" />。
* 4月1日 - 千歳 - 東京間に初の[[ワイドボディ機]]として日本航空が[[ボーイング747#B747SR-100|ボーイング747SR]]、全日空が[[ロッキード L-1011 トライスター|ロッキードL-1011]]を就航させる<ref name=":0" /><ref name="newctshis" />。
* 9月30日 - 空港整備法における第二種空港に格付けされる<ref name=":0" />。
*10月31日 - 東亜国内航空の「丘珠空港便移転計画」に伴い、第9ゲートラウンジコンコース延長部を竣工<ref name="ha25" />。
*12月 - VORにDMEを付加、千歳VOR/DME運用開始<ref name="ikaros05his" />。
[[1975年]](昭和50年)
*6月30日 - 米軍千歳基地完全閉鎖<ref name="newctshis5" />。
*7月20日 - ターミナルビル駐車場を全面有料化<ref name="ikaros05his" />。
*9月2日 - 新千歳空港エプロン・誘導路工事を着工<ref name="newctshis" />。
*11月10日 - 新千歳空港起工式を挙行<ref name=":0" />。
[[1976年]](昭和51年)
*4月1日 - 新千歳空港エプロン2バース完成<ref name=":0" />。
*10月15日 - 東側滑走路南方移転工事着工<ref name="ikaros05his" />。
*12月16日 - ターミナルビル南側に第2到着ターミナルビル完成<ref name="newctschrono" /><ref name="newctshis" />、旅客手荷物引渡ベルトコンベア3基を備え日本航空と東亜国内航空が使用<ref name="ha25" />。
[[1977年]](昭和52年)
*4月15日 - 日本航空が保税上屋を開設<ref name="ikaros05his" />。
*8月1日 - フィンガー第三期増築工事完成、大型機用ボーディングブリッジ2基新設・全ゲートラウンジへの冷房を設置<ref name="ha25" /><ref name="ikaros13his" />。
*10月31日 - 有料駐車場内に無料休憩所完成<ref name="ikaros05his" />。
[[1978年]](昭和53年)
*6月1日 - 東側滑走路を移動工事のため閉鎖<ref name=":0" />。
*12月1日 - 東側滑走路移動工事完成、南方へ1000m移動<ref name=":0" /><ref name="newctschrono" />。
*12月12日 - 初の本空港出発の国際チャーター便として全日空[[ニノイ・アキノ国際空港|マニラ]]行「千歳市民号」を運航。
[[1979年]](昭和54年)
*7月1日 - 検疫飛行場に指定、函館検疫所千歳空港出張所開設<ref name="newctshis" />。
*9月28日 - 第9ゲートラウンジ増築完成<ref name="ikaros13his" />、ボーディングブリッジ2基増設<ref name="ha25" />。
*12月11日 - 国鉄千歳空港駅着工<ref name="ikaros05his" />。
[[1980年]](昭和55年)
*2月29日 - ターミナルビル第2別館増築竣工<ref name="newctschrono" />。
*4月1日 - 第6ゲートラウンジ増築竣工、ボーイング747の駐機に対応<ref name="ha25" />。
*5月1日 - 国鉄千歳空港駅ターミナル連絡歩道橋着工<ref name="ikaros05his" />。
*10月1日 - [[日本国有鉄道|国鉄]]千歳空港駅(現:[[南千歳駅]])開業<ref name=":0" />。空港ターミナルビルと連絡。
*12月23日 - ターミナルビル南側の旧日本航空器材庫を改装し国際線ターミナルビル(877平米)を設置<ref name="newctshis" />。
[[1981年]](昭和56年)
* 2月19日 - 防衛庁が、初の国際線となる日本航空新東京国際空港経由ホノルル線の暫定乗り入れを認可<ref name="newctshis" />。
* 3月16日 - 植物・動物検疫飛行場に指定<ref name="cityyoran" /><ref name="newctshis" />。
* 3月20日 - 税関空港に指定<ref name="cityyoran" />。
* 3月23日 - 初の国際定期便として日本航空により[[ホノルル国際空港]]便([[新東京国際空港]]経由)が就航<ref name="cityyoran" />。新東京国際空港で大型機へ乗り継ぐ国際線接続連絡便<ref name="newctshis" />。
* 8月1日 - ターミナルビル本館と第2到着ビルの間に、鉄骨造一部地下1階地上3階一部5階建ての第3ビルを竣工、従来のビルと合わせて[[オートクレーブ養生した軽量気泡コンクリート|ALC]]板で一体化し床面積4万6千平米の一棟とする<ref name="newctshis" /><ref name="ha25" />。
*11月1日 - 千歳空港総合案内システム「CATIS」運用開始、案内放送を自動化<ref name="ikaros13his" />。
[[1982年]](昭和57年)
* 12月27日 - 第3ビル4階部分が完成<ref name="ikaros13his" />、ターミナル増築を終了し床面積4万8023平米となる<ref name="newctshis" />。
[[1983年]](昭和58年)
* 5月 - 新空港滑走路工事着手<ref name="tm180720" />。
[[1985年]](昭和60年)
*2月 - 「北海道新長期総合計画骨子案」にて千歳空港の国際エアカーゴ基地構想が提案される<ref>正念場を迎える新千歳空港国際エアカーゴ基地構想 - Space 1989年3月号(ジャパンプレス社)</ref>。
*11月 - 新空港変更基本計画策定<ref name="tm180720" />。年間2462万人規模の国内拠点空港と国際航空拠点として積雪寒冷地への対応を行い、3期制で第1期はA滑走路と誘導路の整備、第2期は1992年までの新ターミナルビルへの移行、第3期は2000年までのB滑走路等の整備を行うとした<ref name="tm180724" />。
*12月 - ナイトエプロン整備工事完了<ref name="ikaros05his" />
[[1986年]](昭和61年)
*1月31日 - ニューメディア対応型情報サービス施設「HAPIS」(Hokkaido Air-Port Information Service)を設置、レーザーディスクやタッチパネル画面を用いた観光情報案内の提供や大型液晶画面、三面回転式広告、TVモニター12基を配置<ref name="ha25" />。
*3月12日 - 新空港変更基本計画を告示<ref name="newctshis" /><ref name="ikaros05his" />。
*7月15日 - 国際航空貨物の受け入れを目的に「札幌国際エアカーゴターミナル」(SIACT、シアクト<ref>[https://www.tomamin.co.jp/news/area1/14267/ 貨物急増、受け入れ強化 新千歳・SIACTに新保管庫完成] - 苫小牧民報</ref>)設立<ref name="tm180720" /><ref name="newctshis" />。
[[1987年]](昭和62年)
*11月 - 北海道新長期総合計画にて国際エアカーゴ基地構想の拠点に設定<ref name="tm180720" />。
*12月 - 新千歳空港第一期工事完成<ref name="ikaros05his" />。
[[1988年]](昭和63年)
* 6月20日 - 新千歳空港管制塔(高さ70.6m)の供用を開始<ref name="newctshis" />。
===新千歳空港===
1988年(昭和63年)
*7月20日 - 新千歳空港が開港<ref name=":0" /><ref name="cityyoran" />。A滑走路(3,000m×60m)運用開始。国際定期便用正規空港(レギュラーエアポート)に指定。
*10月 - 出発ロビー内に32面マルチビジョン「ハピスマルチビジョン」を設置<ref name="HA35">いまが未来 北海道空港35年史1961-1996(北海道空港1997年)</ref>。
[[1989年]]([[平成]]元年)
*5月30日 - 国際定期便の拡張に対応した臨時便取り扱い施設の増改築を竣工<ref name="HA35" />。
*6月2日 - 初の本格的な国際定期便として[[大韓航空]][[金浦国際空港|ソウル]]線が就航<ref name="CA9209" />。
*7月8日 - 新千歳空港ターミナルビル着工<ref name="cityyoran" /><ref name="newctshis" />。
*8月17日 - [[政府専用機]]の駐機場建設地に決定<ref name="ikaros05his" />。
[[1990年]](平成2年)
* 10月1日 - 税関職員常駐化を開始<ref name="ikaros05his" />。
[[1992年]](平成4年)
*6月30日 - 千歳空港ターミナルビル供用終了、新千歳空港ターミナルビルへの移動作業を5,000人規模の人員を動員して実施<ref name="HA35" />。
*7月1日 - 新千歳空港ターミナルビル(15万3000平米・地上4階一部5階建て)完成<ref name=":0" />、ターミナルビル地下に[[新千歳空港駅]]を開設<ref name="cityyoran" />。
*12月 - 滑走路面監視装置を設置<ref name="ikaros05his" />。
[[1993年]](平成5年)
*3月9日 - 5日に分けて24時間開港テストフライト(第一次)を実施<ref name="cityyoran" />。
*6月 - B滑走路着工<ref name="newctshis" />。
*8月30日 - 第二次24時間開港テストフライトを実施<ref name="cityyoran" />
*9月20日 - 空港内緑地3700平米に公園施設と千歳着陸一号機「北海一号機」ブロンズ像が完成<ref name="newctshis" />。
[[1994年]](平成6年)
*3月11日 - 24時間運用を地元住民と合意<ref name="newctshis" />。
*6月23日 - 24時間開港開始<ref name=":0" />。
*6月30日 - 貨物便を対象に国内初の深夜早朝便受け入れを開始<ref name=":0" /><ref name="newctshis" />。
[[1995年]](平成7年)
* 11月 - 空港緑地の公園施設を「空港公園翼の広場」と命名<ref name="newctshis" />。
[[1996年]](平成8年)
* [[4月26日]] - B滑走路(3,000m×60m)供用開始<ref name=":0" /><ref name="cityyoran" />。
[[1997年]](平成9年)
*2月1日 - 小樽検疫所千歳空港出張所が千歳空港検疫支所に昇格<ref name="newctshis" />。
*5月 - 深夜早朝発着枠の旅客利用が、[[KLMオランダ航空]]便のみ認められる<ref name="newctshis" />。
[[1998年]](平成10年)
* 6月 - 深夜早朝枠の旅客利用が本格的に認められる<ref name="newctshis" />。
[[2000年]](平成12年)
* 10月2日 - 管制塔ドップラーレーダー運用開始<ref name="newctshis" />。
[[2001年]](平成13年)
*3月31日 - ターミナルビル駐車場連絡橋バリアフリー化完成<ref name="ikaros13his" />。
*11月18日 - 第2ターミナルの苫小牧市内への建設を前提に滑走路500m延長案を合意<ref name="newctshis" />。
[[2003年]](平成15年)
*10月24日 - 苫小牧市内への第2ターミナル建設が否決された事に伴い、苫小牧市側が滑走路延長案の合意を撤回<ref name="newctshis" />。
*11月30日 - ターミナルビル喫煙室工事完成、翌日より完全分煙化とする<ref name="ikaros13his" />。
*12月5日 - 全日空が新千歳 - 羽田間で深夜枠貨物便を運航開始<ref name=":0" /><ref name="newctschrono" />。
[[2006年]](平成18年)
* 12月27日 - 東京国際空港線年間旅客数が1000万人を突破<ref name=":0" /><ref name="cityyoran">[https://www.city.chitose.lg.jp/fs/3/7/9/4/9/_/___.pdf 要覧ちとせ 千歳略年表] - 千歳市役所</ref>。
[[2007年]](平成19年)
* 10月31日 - B駐車場立体化完成<ref name="ikaros13his" />。
[[2008年]](平成20年)
*3月26日 - A駐車場立体化完成<ref name="ikaros13his" />。
* 4月24日 - 国際線ターミナル建設に伴う[[千歳アウトレットモール・レラ]]隣接地への空港公園移設工事が完成<ref name="newctshis" />。
* 5月24日 - 国際線ターミナル起工式を挙行<ref name=":0" />。
* 6月18日 - [[空港法]]改正により、4条1項5号に該当する空港として政令で定める空港に区分される。
[[2009年]](平成21年)
* 8月 - 国内線ターミナル増築リニューアル工事着工<ref name="newctshis" />。
[[2010年]](平成22年)
* 2月24日 - 国際線ターミナルビル竣工<ref name="newctshis" />。
* 3月26日 - 国際線ターミナル運用開始<ref name=":0" />、国際線乗降客への旅客取扱施設利用料の徴収を開始。
* 10月17日 - [[エアバス]]社の運航による世界最大の旅客機・[[エアバスA380]]が初飛来([[東京国際空港|羽田]]発)<ref>[https://archive.is/20140107140235/http://www.airbusjapan.com/press-release-details/detail/a380-15/ 環境効率の高いA380は日本の持続可能な成長に貢献] - AIRBUS(archive.isキャッシュ)</ref>。日本の第二種空港では、初めての寄港地となる。
[[2011年]](平成23年)
* 7月15日 - 国内線ターミナルビル リニューアル第1期開業、増築部と連絡施設3階を供用開始<ref name=":0" />。
* 12月15日 - 国内線ターミナルビル リニューアル第2期開業、国内線2階出発ロビー拡張などの改修部を供用開始<ref name=":0" />。
[[2012年]](平成24年)
* 3月16日 - 国内線ターミナルビルリニューアル全面開業<ref>{{Cite web|和書|date=2012-03-15|url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0050101824|title=新千歳に展望フードコート*あすオープン*空港ビル刷新完了 |publisher=フォト北海道(北海道新聞社)|accessdate=2019-03-22}}</ref>。3階フードコート・展望エリアを供用開始<ref name=":0" />。
* 12月9日 - 国際線年間旅客数が100万人を突破<ref name="cityyoran" />。
[[2013年]](平成25年)
* 3月 - [[国際航空運送協会]](IATA)から混雑度レベル2空港に指定される<ref>{{Cite web|和書|date=2012-10-22|url=https://flyteam.jp/news/article/15840|title=新千歳空港、「レベル2」の混雑空港に指定 |publisher=Flyteam|accessdate=2019-03-24}}</ref>
[[2014年]](平成26年)
* 3月30日 - [[ボーイング747-400#747-400D型|ボーイング747-400D]]が同空港国内線発着便においてラストフライト。1974年以来、40年間のボーイング747の運航に終止符が打たれる<ref group="注">本来、展望デッキは封鎖されている時期だが、この日はラストフライトのために特別に開放([[東京国際空港|羽田]]発、運航会社は全日本空輸)</ref>。
[[2015年]](平成27年)
* 3月16日 - 国内線旅客ターミナルの大規模改修工事を開始<ref>[http://www.new-chitose-airport.jp/ja/corporate/press/pdf/pdf-20150316_kouzi.pdf 新千歳空港国内線旅客ターミナルビル 施設整備工事の実施について] 北海道空港 2015年3月16日付</ref>。
* 10月15日 - 深夜早朝発着枠を従来の6枠から30枠に拡大<ref name="cityyoran" /><ref>[http://www.travelvision.jp/news/detail.php?id=69123 新千歳、深夜早朝発着枠を30枠に拡大、10月15日から] トラベルビジョン 2015年9月15日付</ref>。
[[2016年]](平成28年)
* 3月31日 - B滑走路19L側にILS設置<ref>[https://www.tomamin.co.jp/news/area1/8196/ 新千歳B滑走路でILS運用開始 遅延、欠航の減少に期待] - 苫小牧民報2016年4月1日</ref>。
* 10月30日 - 中国・ロシア機の発着制限を緩和、毎日発着可能とする<ref name="tomamin160423">[http://www.tomamin.co.jp/20160437741 新千歳空港の中ロ機発着制限を緩和] 苫小牧民報 2016年4月23日</ref>。
* 11月13日 - 国際線ターミナル周辺の再編事業を着工。ターミナル増築、南側誘導路設置などを予定し2020年3月完成予定<ref>[http://www.tomamin.co.jp/20161144637 新千歳国際線ターミナル地域再編事業で着工記念式] 苫小牧民報 2016年11月14日付</ref>。
[[2017年]](平成29年)
* 3月26日 - 日中時間帯の発着数を1時間32回から42回に拡大<ref name="tomamin160423" /><ref name="NHK170317" /><ref>[http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/economy/economy/1-0383051.html 新千歳―南京、山形線が就航 発着枠 日中42回に拡大] 北海道新聞 2017年3月27日付</ref>。国際線ターミナルに[[全身スキャナー|ボディスキャナー]]を導入<ref>[http://flyteam.jp/news/article/77264 新千歳空港国際線ターミナル、3月26日からボディスキャナーの運用を開始] FlyTeam 2017年3月26日付</ref>。
* 7月1日 - 北海道空港が北海道内7空港民営化に向け、新千歳空港ターミナル事業を子会社「新千歳空港ターミナルビルディング」に移管。
[[2018年]](平成30年)
* 2月1日 - B駐車場P2立体駐車場の供用を開始<ref>[https://www.aeif.or.jp/shinchitose/information/docs/shinchitose_20180117.pdf <新千歳空港B駐車場>新立体駐車場の供用および駐車料金改定のお知らせ] - 空港環境整備協会(2018年1月17日)</ref>。
* 7月 - 札幌国際エアカーゴターミナルが国際貨物荷捌き施設を1.3倍に拡張<ref name="coronashock" />。
* 8月7日 - 国内線旅客ターミナルの大規模改修を終了、出発カウンターの再配置や手荷物自動検査システムの導入やバスラウンジの新設が行われた<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/economy/20180804-OYT1T50030.html 手荷物を自動検査、最新システムを新千歳に導入] - 読売新聞 2018年8月4日付</ref>。
* 9月6日 - [[北海道胆振東部地震]]により停電や設備の破損が発生、開港以来初の施設全面閉鎖となる<ref name="ms181102" />。
* 9月7日 - 国内線の運航を再開<ref>[https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1141990.html 新千歳空港、国内線ターミナルビルを10時からオープン。運航状況については航空会社に確認] - トラベルWATCH 2018年9月7日</ref>。
* 9月8日 - 国際線の運航を再開<ref>[https://flyteam.jp/news/article/99556 新千歳空港、9月8日6時から国際線ターミナルの運用を再開] - FlyTeam 2018年9月8日</ref>。
* 10月28日 - 国内線乗降客からの施設使用料徴収を開始<ref>[https://www.traicy.com/20180818-CTSpsfc 新千歳空港国内線利用者から施設使用料徴収、10月28日から] - Traicy 2018年8月17日付</ref>。
* 11月1日 - 胆振東部地震に伴い休業していた「エアターミナルホテル」「新千歳空港温泉」が営業再開、空港内の商業施設が全て復旧<ref name="ms181102">[https://mainichi.jp/articles/20181102/k00/00e/040/206000c 新千歳空港が復旧完了 ホテル・温泉も再開] - 毎日新聞 2018年11月2日付</ref>。
* 12月20日 - 国際線ターミナル拡張部の駐機スポット3バースをオープンスポットとして暫定供用開始<ref>[https://www.hkd.mlit.go.jp/sp/release/gburoi000000k24c-att/gburoi000000odmf.pdf 新千歳空港国際線ターミナル前エプロン拡張部の暫定供用開始について] - 国土交通省北海道開発局札幌開発建設部(2018年12月20日)</ref>。
[[2019年]]([[令和]]元年)
*5月 - 胆振東部地震を踏まえ、各機関個別の防災計画を改め大地震と大雪に対応したタイムライン方式の[[事業継続計画]]を策定<ref>[https://www.tomamin.co.jp/news/area1/16655/ 新千歳、災害対策進む 72時間以内復旧へ新計画] - 2019年7月2日 苫小牧民報</ref>。
*7月3日 - 国土交通省が本空港を含む道内7空港民営化の優先交渉権者を北海道空港ら17社による「北海道エアポートグループ」に決定<ref name="doshin190703">[https://www.hokkaido-np.co.jp/article/3215647空港運営、HKK連合に 民営化、来年度委託 仏公団連合破る] - 北海道新聞2019年7月3日</ref><ref>[https://www.aviationwire.jp/archives/177399 北海道7空港の民営化、北海道空港連合に優先交渉権] - Aviation Wire</ref>。
*8月30日 - 国際線ターミナル増築部1-4階の旅客取り扱い区域を開業<ref name="tomamin190730">[https://www.tomamin.co.jp/news/area1/16828/ 混雑緩和へ広さ2倍に 新千歳国際線ビル、増築内部初公開-8月30日開業] - 苫小牧民報(2019年7月30日)</ref>。
*11月1日 - 国際線ターミナル内イベントスペース「新千歳ポルトムホール」開業<ref name="tw190422">[https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1181574.html 新千歳空港をMICE拠点に。国際線ターミナル直結の多目的ホール「新千歳空港ポルトムホーム」11月オープン] - トラベルWatch(2019年4月22日)</ref><ref>[https://www.convention.co.jp/news/detail/contents_type=12&id=626 北海道「新千歳空港 ポルトムホール」が、11月1日にオープン!] - [[日本コンベンションサービス]]</ref>。
[[2020年]](令和2年)
* 1月15日 - 北海道エアポートが新千歳を含む道内主要7空港のターミナル民営化運営を開始<ref name="nikkei200115">[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54408420V10C20A1TJ1000/ 北海道内の7空港、民営化スタート] - 日本経済新聞(2020年1月15日)</ref>。
* 1月24日 - 南側誘導路の暫定供用を開始<ref>[https://www.tomamin.co.jp/article/news/area1/11233/ 新千歳 新誘導路 暫定供用始まる 国際線と滑走路南端結ぶ 航空機往来の混雑緩和に期待] - 苫小牧民報2020年1月27日</ref>。
* 2月1日 - 国際線ターミナル内ホテル「ポルトム インターナショナル 北海道」開業<ref name="tw190422" /><ref>[https://www.tomamin.co.jp/article/news/area1/11746/ 新千歳空港に高級ホテル「ポルトム」開業] - 苫小牧民報2020年2月1日</ref>。
* 3月19日 - 国際線ターミナル拡張工事を竣工<ref name="hnl2004">[http://www.hokkaido-nl.jp/article/16752 床面積は2倍に新千歳国際線ビル 拡張工事が完了] - 苫小牧民報2020年4月6日(北海道ニュースリンク)</ref>。
* 3月26日 - 南側誘導路の運用を開始<ref>[https://mainichi.jp/articles/20191213/ddl/k01/020/177000c 「南側誘導路」を来年3月に供用 新千歳空港 /北海道] - 毎日新聞2019年12月13日</ref>、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス]]に伴いハワイアン航空ホノルル線を最後に国際線全定期路線が運休<ref name="coronashock">コロナ・ショック現場は今 新千歳ひっそり 見通せぬ国際線再開 民営化初年はや試練 - 北海道新聞2020年3月29日朝刊</ref>。
* 3月29日 - 日中発着枠を1時間あたり50枠に拡大<ref name="coronashock" /><ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47374330W9A710C1EE8000/ 新千歳空港、発着枠2割増の1時間50回に 20年春から] - 日本経済新聞(2019年7月16日)</ref>。
* 6月1日 - 北海道エアポートによる空港全体の民営化運営を開始<ref name="kyodo2020-06-01" /><ref name="doshin190703" /><ref name="nikkei200115" />。
* 10月1日 - 北海道エアポートが新千歳空港ターミナルビルディングを吸収合併<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hokkaido-airports.co.jp/pdf/gappeikoukoku_200821.pdf |title=合併公告 |accessdate=2022-04-10 |publisher=北海道エアポート株式会社 |date=2020-08-21}}</ref>。
* 12月21日 - 検疫体制を整備の上中国・韓国からの国際線受け入れ再開が認可される<ref>[https://www.hokkaido-np.co.jp/article/494268 新千歳、中韓便再開遠く 検疫態勢整備したが… 運航予定の会社なし] - 北海道新聞 2020年12月22日</ref>。
[[2021年]](令和3年)
* 3月1日 - 北海道エアポートの道内主要7空港完全民営化移行に合わせ地方6空港の遠隔管理を担う「北海道オペレーションセンター」を設置。
* 7月1日 - A・B駐車場サービスを改定。A・Bエリア間相互通行を導入、空港商業施設利用者の無料サービスを拡大、土日祝日・多客期の料金を値上げ<ref>[https://www.hokkaido-airports.co.jp/uploads/2021/06/210607_New-Chitose_parking_renewal.pdf 新千歳空港A、B駐車場リニューアルについて~2021年7月1日より、駐車場のサービス、料金が変更になります~] - 北海道エアポート2021年6月7日</ref>。
*10月1日 - 新千歳飛行援助センター(FSC)を新千歳対空センターに改組。廃止された[[仙台空港|仙台飛行援助センター]]より[[大館能代空港]]、[[庄内空港]]の[[リモート空港|リモート管制]]を業務移管<ref name=":1">{{Cite web|和書|url=https://www.japa.or.jp/wp-content/uploads/2021/02/japa_cab2021_2_2.pdf |title=運航拠点・対空集約実施計画(案) |accessdate=2022-01-16 |publisher=日本航空機操縦士協会 |author=国土交通省航空局交通管制部運用課}}</ref><ref name=":02">{{Cite web|和書|url=https://www.aopa.jp/japanese2007/giryouiji/aopaj_giryouiji_tokutei/web-content/2021-03-29-faq.pdf |title=運航拠点・対空集約実施計画 FAQ |accessdate=2022-01-16 |publisher=日本航空機操縦士協会 |author=国土交通省航空局交通管制部運用課}}</ref>。
* 12月20日 - A・B駐車場への事前予約サービスと専用入庫ゲートを導入<ref>[https://www.hokkaido-airports.co.jp/uploads/2021/12/211201_CTS_Parking_new-service.pdf 新千歳空港A・B駐車場2021年12月20日より、事前予約サービスを開始] - 北海道エアポート2021年12月1日</ref>。
[[2022年]](令和4年)
* 4月1日 - 北海道エアポートが札幌国際エアカーゴターミナルビルを吸収合併<ref name="pr220221">{{Cite web|和書|url=https://www.hokkaido-airports.co.jp/pdf/gappeikoukoku_220221.pdf |title=合併公告 |accessdate=2022-04-10 |publisher=北海道エアポート株式会社 |date=2022-04-01}}</ref>。
* 7月17日 - 大韓航空ソウル線が再開、2年4ヶ月ぶりの国際線定期便となる<ref>[https://www.tokyo-np.co.jp/article/190233 新千歳空港、国際便の運航再開 2年4カ月ぶり、北海道] - 東京新聞2022年7月17日</ref>。
* 10月1日 - [[東京国際空港|東京運航拠点]](FAIB)より、[[三宅島空港]]・[[神津島空港]]・[[新島空港]]・[[八丈島空港]]の[[リモート空港|リモート管制]]を移管<ref name=":1">{{Cite web|和書|url=https://www.japa.or.jp/wp-content/uploads/2021/02/japa_cab2021_2_2.pdf |title=運航拠点・対空集約実施計画(案) |accessdate=2022-01-16 |publisher=日本航空機操縦士協会 |author=国土交通省航空局交通管制部運用課}}</ref><ref name=":02">{{Cite web|和書|url=https://www.aopa.jp/japanese2007/giryouiji/aopaj_giryouiji_tokutei/web-content/2021-03-29-faq.pdf |title=運航拠点・対空集約実施計画 FAQ |accessdate=2022-01-16 |publisher=日本航空機操縦士協会 |author=国土交通省航空局交通管制部運用課}}</ref>。
[[2023年]](令和5年)
*12月8日 - 国際線ターミナル北側にビジネスジェット専用ターミナル「Hokkaido Business Aviation Center」(HBAC)を開設<ref>[https://www.hokkaido-airports.co.jp/uploads/2023/10/23101801_Release_HAP.pdf 新千歳空港ビジネスジェット専用施設2023年12月8日(金)にオープン!] - 北海道エアポート</ref>。
== 施設 ==
=== 滑走路など ===
開港時は長さ3000mのA滑走路のみだったが、1996年に長さ3000mのB滑走路が新たに整備された。2本の滑走路はほぼ南北方向に、[[クロースパラレル]]に配置されている。
原則として、ターミナルビルに近いA滑走路 (01L/19R) を離陸用、遠いB滑走路(01R/19L)を着陸用に使用している。[[計器着陸装置|ILS]]はカテゴリーIIIbが19Rに、カテゴリーIが01L、01R、19Lに設置されている。滑走路のターミナル側に1本の[[誘導路#平行誘導路|平行誘導路]]を有し、滑走路とは高速脱出誘導路で結ばれている。
気圧配置や風向きによって大雪となることもあるが、空港が道内で比較的雪の少ない地域にあることや滑走路を2本有していること、20分程度で滑走路1本を除雪できる国内最大規模の[[除雪]]体制があることなどから、滑走路を終日閉鎖することはごく稀である。出発機材の除氷液の効果切れ・再塗布(デアイシング)で遅延が生じないよう、2010年12月、国内線ターミナルと滑走路南端 (01L, 01R) の中間地点に、デアイシング専用スポットを1機分設置し、運用を開始した<ref name="ika1312">{{Cite book|和書 |editor= |title=空港をゆく |date=2013-12 |publisher=[[イカロス出版]] |series=イカロスMOOK |isbn=978-4863207912}}</ref>。しかしターミナルビルから離れた位置で資材や人員をデアイシングスポットへ回す余裕がなく移動時間を考えても効率が悪いことや、日本航空の経営破綻で運用に関して航空各社の協力関係を確立できなかったことから使用が敬遠されている。利用実績は滑走路南端から最も遠いANAグループ機のみで、2014年度までに50回使用されたが、2015年度以降は0回である。最大で2機分想定されていたスポットの整備は1機分にとどまり、離陸待機時に防雪氷剤の有効時間が過ぎて駐機場へ戻り遅延・欠航となるケースが年40-50回以上生じており、民営化後のより一層の防除雪氷策が求められている<ref>新千歳の防除氷雪作業専用駐機場 15年度以降 利用ゼロ 効率悪く航空会社敬遠 - 北海道新聞2019年4月30日朝刊5面</ref>。
=== 旅客ターミナルビル ===
==== 国内線ターミナルビル ====
[[画像:Hokkaido New Chitose Airport03s5s4272.jpg|thumb|国内線ターミナル2F JAL出発ロビー]]
[[画像:New Chitose Airport 001.JPG|thumb|[[レンタカー]]各社のカウンター<br />(国内線センタービル1F)]]
[[画像:Snow miku snow town around.jpg |thumb|国内線ターミナル4F オアシスパーク入口]]
[[画像:New Chitose Airport Sorachinema Chitose.jpg|thumb|ソラシネマちとせ]]
終戦後1951年の民間航空就航時に米軍施設内に設けられた旅客施設を使用し、その後1963年に民間航空専用区域へ建設された千歳空港ターミナルビルに代わる施設として、1992年7月1日に供用を開始した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.geocities.jp/aero_chitose/07top.html |title=空港の歴史 |publisher=千歳航空協会 |accessdate=2018-05-03}}</ref>。
滑走路北端西側に位置する地上4階建(一部5階建)、地下1階の[[鉄骨造]]一部[[鉄筋コンクリート造]]で、延床面積は18万2,517平方メートル<ref name="ptb_bld">{{Cite web|和書|url=http://www.new-chitose-airport.jp/ja/corporate/facilities/ |title=主な所有施設 |publisher=新千歳空港ターミナルビルディング株式会社 |accessdate=2018-05-03}}</ref>。日本空港コンサルタンツ・[[日建設計]]・クリエート山本設計室・[[ドーコン|北海道開発コンサルタント]]が設計・監理を<ref name="kenchikukai">北海道の空の玄関 新千歳空港ターミナルが完成 最新の機能と快適性を備える - 建設界1992年7月号(建設界通信社)</ref>、東急エージェンシーがコンセッション設計監理を<ref name="kenchikukai"/>、[[鹿島建設]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kajima.co.jp/news/digest/nov_1994/kajima_today/article5-j.html |title=鹿島ダイジェスト-鹿島の主な空港施工実績- |publisher=鹿島建設 |accessdate=2018-05-03}}</ref>・[[地崎工業]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.iwata-gr.co.jp/result/detail/235.html |title=施工実績 |publisher=岩田地崎建設 |accessdate=2018-05-03}}</ref>などの共同企業体が工事を担当。国内線貨物ビル・ケータリング施設・事務棟の新築と合わせ直接工事費714億円、総投資額850億円が費やされた<ref name="CA9209">着々と整備進む新千歳空港 待ち望まれる24時間運用の実現 - Container age 1992年9月号(コンテナエージ社)</ref>。
建設にあたっては「21世紀に向けて北方圏や北海道を代表する建築であること」「動線が長大なため明快であること」「自然光を考慮した大空間や吹き抜けで空間的余裕・安らぎが得られること」「北海道らしさの特徴付けや演出が得られること」といったデザインの指針が示され<ref>新千歳空港ターミナルビル - 港湾1992年10月号(日本港湾協会)</ref>、上空から見ると[[アメリカ合衆国]][[テキサス州]]の[[ダラス・フォートワース国際空港]]を模した半円周型をしており、円弧を滑走路側に向けた構造とした。外観は空を映し出す青系のガラスカーテンウォールの壁面で北海道らしさを演出しエプロン側の2階待合室の窓際には傾斜したガラス屋根をあしらい3・4階からの眺望を高めており外構には透明感ある庇やモニュメントを配した<ref name="kenchikukai"/>。館内は航空会社別に動線を分け動く歩道等の移動設備を削減し維持管理費の節減につなげ中央部にはシンボルとなる吹き抜けのアトリウムを設けチェックインロビーにも自然光を取り入れ変化をもたせる形とし、道路も出発用と到着用で乗降場を分ける形とした<ref name="kenchikukai"/>。
2010年前半から、国際線ターミナルビルとの接続部付近を中心とした増築工事が行われ、2011年7月15日に第1期施設がオープンし、2012年3月16日に全面オープンした。事業費は約200億円で、増築面積は約2万9,330平方メートル。出発ロビーや商業施設などが拡大し、温浴施設や映画館などが新設された<ref name="20110714nk">{{Cite web|和書|url=http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20110714/1036837/ |title=「新千歳空港ターミナルビル」のみどころは? |publisher=日経トレンディ |accessdate=2018-05-03}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://airportnews.jp/headline/578/ |title=新千歳空港国内線ターミナル改修・増築へ |publisher=みんなの空港新聞 |accessdate=2018-05-04}}</ref>。
就航便数の拡大や旅客数の拡大に伴い、混雑の解消と機能の向上を目指して2015年3月16日から施設整備工事に着手。約200億円をかけて、約4万7,000平方メートルを整備し、2018年8月に再整備を完了。LCCや全日空団体用カウンターを1階から2階への移設<ref>[https://www.tomamin.co.jp/news/area1/13010/ 新千歳国内線ビル北側カウンターを刷新 ANA団体とLCC3社移転] 苫小牧民報(2018年1月18日)2018年1月18日閲覧</ref>のほか、出発ロビー出発口の拡充・再配置、手荷物検査にインライン方式を導入する<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.new-chitose-airport.jp/ja/corporate/press/pdf/pdf-20150316_kouzi.pdf |format=PDF |title=新千歳空港国内線旅客ターミナルビル施設整備工事の実施について |publisher=北海道空港株式会社 |accessdate=2018-05-03}}</ref>。([[スカイマーク]]を除く)
円弧上に18基の[[ボーディングブリッジ]]が等間隔で並んでおり、その大部分は[[ボーイング777]]や[[エアバスA350]]クラスの大型機も使用可能である。1階が到着ロビー、2階が出発ロビーで、北半分の0 - 10番ゲートを全日空、AIRDO、ピーチが、南半分の11 - 19番ゲートを日本航空、フジドリームエアラインズ、ジェットスター・ジャパン、スプリング・ジャパン、スカイマークが使用している。
空港側1階から水平部分が18.3mもある特徴的な[[エスカレーター]]<ref>{{Cite web|和書|title=一般社団法人 日本エレベーター協会|おもしろ図鑑|おもしろいエレベーターやエスカレーター |url=https://www.n-elekyo.or.jp/kids/books/books_03.html |website=[[日本エレベーター協会]] |access-date=2023-10-03}}</ref>に乗り、地下1階には[[北海道旅客鉄道|JR]][[新千歳空港駅]]が直結。2階から4階には飲食店や土産物店、[[ホテル]]などが軒を連ねる。天然温泉付温浴施設の「新千歳空港温泉」<ref group="注">2011年7月開業時から2014年4月末までは「新千歳空港温泉 [[万葉の湯]]」の名で営業。</ref>は、[[空港ターミナルビル]]の閉館後を含む午前10時から翌9時まで、23時間営業。宿泊機能もあり、入浴や休息のほか、道内遠隔地からの早朝便の利用や、悪天候などでの夜間の欠航の際に一時待機先として選択できるようになった。ただし、定員を超えるとホテル宿泊者を除く一切の入場は無条件で断られる。ほかにも千歳市内では27年ぶりとなる[[映画館]]「[[新千歳空港シアター]]」は、大規模な欠航が発生した場合に空港側の判断により乗客に開放されることがある。
また、長野県を中心に展開するゲームセンター「アピナ新千歳空港店」があり、飛行機を待つ時間に暇を潰せるスポットとなっている。
着陸料以外の非航空系の収入では、地方空港の中でトップクラスの収入を記録し続けている。そのため、他の地方空港の関係者による視察が絶えず、[[中部国際空港]]も開港時には経営モデルとして参考にしたと言われている。
2018年4月1日より、京成電鉄が成田空港駅又は空港第2ビル駅からのスカイライナーと都内の東京メトロ、都営地下鉄に乗り放題のチケット、「スカイライナーバリューチケット」の[[自動券売機]]が、国内線搭乗待合室内に設置された。
*開館時間: 5:00~23:00(早朝、深夜便運航時は変更することがある。)
==== 国際線ターミナルビル ====
[[画像:New Chitose Airport outside (International).jpg|thumb|国際線ターミナル]]
[[画像:New Chitose Airport inside (International).jpg|thumb|国際線ターミナル内部]]
国際線は、当初現国内線ターミナルビルのうち北側11,255平米の部分<ref name="CA9209"/>(0 - 2番ゲート)を使用していたが、国際線旅客の急増に加え、航空自衛隊(防衛省)との空域調整により発着便が特定曜日・時間帯に集中し、チェックインカウンターや出発ロビーの混雑が顕在化していた。こうした状況を解消するため、2008年5月に国際線ターミナルビルの建設に着工。2010年2月24日に竣工し、同年3月26日に供用を開始した<ref name="int_tmnl">{{Cite web|和書|url=https://pucchi.net/hokkaido/newstopics/201003newchitoseairport.php |title=新千歳空港国際線旅客ターミナルビルオープン! |publisher=北海道ファンマガジン |accessdate=2018-05-03}}</ref>。
建物は、千歳基地に面した地上4階建、地下1階の鉄骨造一部鉄筋コンクリート造で、延床面積は5万9,155平方メートル<ref name="ptb_bld" />。総工費は206億円<ref name="int_tmnl" />。[[日建設計]]、[[アラップ]]など<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikken.co.jp/ja/work/projects/T060747.html |title=プロジェクト |publisher=日建設計 |accessdate=2018-05-03}}</ref>が設計を、[[荒井建設]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.araikensetsu.co.jp/archives/portfolio/%E6%96%B0%E5%8D%83%E6%AD%B3%E7%A9%BA%E6%B8%AF%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%B7%9A%E6%97%85%E5%AE%A2%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AB%E6%96%B0%E7%AF%89 |title=工事実績 |publisher=荒井建設 |accessdate=2018-05-03}}</ref>、[[鹿島建設]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kajima.co.jp/project/works/detail/201001sctsk.html |title=主な実績紹介 |publisher=鹿島建設 |accessdate=2018-05-03}}</ref>などが工事を担当した。
約300 m東側の国内線ターミナルビルとは連絡施設で結ばれ、2階が到着ロビー、3階が出発ロビー、1階はバスやタクシーとのアクセス施設、4階には搭乗客向けのフードコートや[[空港ラウンジ|ラウンジ]]が設けられている。5基のボーディングブリッジを有しており、1時間あたり530人、年間100万人の利用客にも十分対応可能な処理能力を持ち、将来的には1時間あたり730人程度まで対応可能となっている。
供用開始後は台湾や香港、タイなどのアジア圏を中心とした路線が増便され、海外観光客の増加が見られた。また、アジア系LCCの定期便就航・チャーター便運航の動きも活発になっている他、ターミナル内案内表示板には[[ロシア語]]が併記され、将来的な[[ロシア]]路線拡張も見込まれている。2017年夏季からは1時間当たり42便への発着枠拡大に伴い一層の増便が見込まれているが、出発カウンターや保安検査場の不足による特定時間帯の混雑といった課題も生じている<ref name="NHK170317">[https://web.archive.org/web/20170317235442/http://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20170317/4761401.html 新千歳空港 国際便4割増で検討] - NHK NEWS 北海道 (Internet Archive)</ref>。
今後も更なる航空需要の拡大が見込まれることから、2017年11月17日、施設を増築する再整備計画が発表された。増築部分は地上8階建約6万3,000平方メートル、増築後の延床面積は12万4,000平方メートルとなり、出発・到着ロビーや搭乗橋3か所などの増設、ホテルの新設などが予定されている。事業費は650億円。2016年11月13日に着工<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.cab.mlit.go.jp/tcab/img/information/saisin/161108kuukika.pdf |title=新千歳空港国際線旅客ターミナルビル再編事業の着工式を開催 |publisher=国土交通省東京航空局 |accessdate=2018-05-04}}</ref>。
2019年8月30日より旅客設備部の供用を開始し出発ロビーを南側に200m拡張し560m、搭乗カウンターを19増設し74か所とし保安検査場は1レーン増設した6レーンとし最終的に同年10月末までに9レーンとし内7レーンに高性能の「スマートレーン」を設置。また税関部は検査台を13増の24台、入国審査は9増の30ブース、検疫は1増の3ブース、手荷物ターンテーブルを1増の3台、搭乗橋を3基増設とした<ref name="doshin190831">国際線客 流れ改善 新千歳拡張 カウンターや保安検査場、入国審査増設 - 北海道新聞2019年8月31日朝刊9面</ref><ref>新千歳空港国際線ターミナルビルの旅客施設開業 搭乗カウンター74カ所 - 北海道新聞2019年8月30日夕刊</ref>。その後同年11月に多目的ホールと2020年2月にホテルを開業、3月に延床面積約6万平方メートルの増築部が竣工した<ref name="hnl2004"/><ref name="doshin190831"/><ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.new-chitose-airport.jp/ja/corporate/press/pdf/pdf-20171117_re-maintenance.pdf |title=新千歳空港国際線旅客ターミナルビル施設再整備について |publisher=新千歳空港ターミナルビルディング |accessdate=2018-05-03}}</ref>。
*開館時間:5:00~23:00(早朝、深夜便運航時は変更することがある。)
==== 連絡施設 ====
国内線と国際線のターミナルビルの間に位置する地上4階建、地下1階の鉄骨造一部鉄筋コンクリート造の施設で、延床面積2万1,128平方メートル<ref name="ptb_bld" />。国際線ターミナルビルの供用開始に伴い、2010年3月26日に2階の連絡通路部分が先行オープン。2011年7月15日に全面の供用が開始された。
2階と3階で国内線と国際線のターミナルビルを結んでおり、2階はムービングウォークのある通路やぬいぐるみと触れ合えるコーナー、3階はスマイル・ロードと名づけられ、飲食店・土産物店のほか、[[ドラえもん]]や[[ハローキティ]]のエンターテインメント施設が設けられている<ref name="20110714nk" />。
*開館時間:5:00~23:00
==== フロア構成 ====
[[画像:New Chitose Airport inside.jpg|thumb|国内線ターミナル(センタービル)内部]]
:{|class="wikitable" style="text-align:left;font-size:80%"
! |
!colspan="2"|国内線ターミナルビル
! |連絡施設
!colspan="2"|国際線ターミナルビル
|-
! |
! |制限区域
!colspan="3"|一般区域
! |制限区域
|-
! |4階
|style="background-color:#ccc;vertical-align:top"|
|style="vertical-align:top"|
;オアシス・パーク
* 温浴施設
* 映画館
*ゲームセンター
* 展望デッキ
|style="background-color:#ccc;vertical-align:top"|
|style="vertical-align:top"|
;フードコートウイング
* ロイヤルラウンジ
* 物販店、飲食店
* ホテル(-8階)
|style="background-color:#ccc;vertical-align:top"|
|-
!|3階
|style="background-color:#fdd;vertical-align:top"|
* 航空会社ラウンジ
|style="vertical-align:top"|
;グルメ・ワールド
* 物販店、飲食店
* 展示施設
* スーパーラウンジ
* ホテル(-5階)
|style="vertical-align:top"|
;スマイル・ロード
* 物販店
* エンタテインメント施設
|style="vertical-align:top"|
;出発ロビー
* 出発カウンター
* 出発口
* 接遇室
|style="background-color:#ddf;vertical-align:top"|
* 保安検査場
* 出国審査場
* 搭乗待合室
* 免税店
* 搭乗口
|-
!|2階
|style="background-color:#fdd;vertical-align:top"|
* 保安検査場
* 搭乗待合室
* 物販店、飲食店
* 搭乗口
|style="vertical-align:top"|
;出発ロビー
* 出発口
* 出発カウンター
* 会議室
;ショッピング・ワールド
* 物販店
* 郵便局・銀行
|style="vertical-align:top"|
* エンタテインメント施設
|style="vertical-align:top"|
;到着ロビー
* 到着口
* 団体待合室、接遇室
* 礼拝室
* 国際線ツアーデスク
*イベントホール
|style="background-color:#ddf;vertical-align:top"|
* 入国審査場
* 手荷物受取場
* 税関
|-
!rowspan="2"|1階
|style="background-color:#fdd;vertical-align:top"|
* 手荷物受取場
|style="vertical-align:top"|
;到着ロビー
* 到着口
* 物販店、飲食店
* 国内線ツアーデスク
* 派出所
* 診療所、歯科
* 団体待合室、接遇室
* レンタカーカウンター
* バスカウンター
|style="vertical-align:top"|
* A・B駐車場
* 駐車場連絡出入口
|style="vertical-align:top"|
;車寄せロビー
* レンタカーカウンター
* バスカウンター
|style="background-color:#ccc;vertical-align:top"|
|-
|style="background-color:#ccc;vertical-align:top"|
|style="background-color:#fff;vertical-align:top"|
* バス・タクシー乗降場
* 一般車乗降場
|style="background-color:#fff;vertical-align:top"|
* 駐車場連絡口
|style="background-color:#fff;vertical-align:top"|
* バス・タクシー乗降場
|style="background-color:#ccc;vertical-align:top"|
|-
! |
地下
1階
|style="background-color:#ccc;vertical-align:top"|
|style="vertical-align:top"|
* [[北海道旅客鉄道|JR]][[新千歳空港駅]]
|style="background-color:#ccc;vertical-align:top"|
|style="background-color:#ccc;vertical-align:top"|
|style="background-color:#ccc;vertical-align:top"|
|}
==== ラウンジ・接遇室・待合室 ====
[[画像:SAKURA Lounge of New Chitose Airport Domestic01n.jpg|thumb|サクララウンジ]]
[[画像:Super Lounge of New Chitose Airport Domestic01s5.jpg|thumb|スーパーラウンジ]]
; ラウンジ
:* 国内線
:** [[ダイヤモンド・プレミアラウンジ]]/[[サクララウンジ]] - 3F制限区域内、JAL上級会員用ラウンジ
:** [[ANAスイートラウンジ]]/[[ANAラウンジ]] - 3F制限区域内、ANA上級会員用ラウンジ
:** スーパーラウンジ - 3F一般区域、一部[[クレジットカード]]会員および有料ラウンジ
:* 国際線
:** ロイヤルラウンジ - 4F、カード・有料ラウンジ(全28席)、航空会社専用ラウンジ(全108席)
; 接遇室
:* 国内線
:** 接遇室1A - 1F、10席
:* 国際線
:** ハマナス - 2F、8席
:** エゾマツ - 3F、8席
; 団体待合室
:* 国内線
:** 団体待合室1A - 1F、34席
:** 団体待合室2A - 2F、60席
:** 団体待合室2B - 2F、24席
:* 国際線
:** セタナリア - 2F、80席
:** スズラン - 2F、48席
:** ラベンダー - 2F、48席
:** ライラック - 2F、48席
:** イチイ - 3F、42席
:** シラカバ - 3F、42席
<gallery widths="200px">
新千歳空港 - panoramio (6).jpg|国内線ターミナル(センタービル)屋上の展望デッキ(12/1 - 3/31の間は閉鎖)
Hokkaido New Chitose Airport13n4272.jpg|センタービルへのアプローチ、バス乗り場
Hokkaido New Chitose Airport06s5s4272.jpg|国内線エプロン
</gallery>
==== ホテル ====
[[画像:Air_Terminal_Hotel_01.JPG|thumb|エアターミナルホテル正面出入口]]
[[北海道空港]]傘下の碧雲堂ホテル&リゾート(旧・丸瀬布観光公社)が空港敷地内で2軒のホテルを運営しており、国内線ターミナルビル内「エアターミナルホテル」は現国内線ターミナルビルの開業時に三井観光開発(現・[[グランビスタ ホテル&リゾート]])が「三井アーバンホテル新千歳空港」としてオープンし2008年から「ホテルコムズ新千歳空港」に名称を変更、2011年度いっぱいまで営業した後一時閉鎖し<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.granvista.co.jp/news/info/20120120000357.html |title=ホテルコムズ新千歳空港 営業終了のお知らせ |format= |publisher=グランビスタホテル&リゾート |accessdate=2018-05-07}}</ref>、同年4月28日から丸瀬布観光公社が引き継ぎ現在の「エアターミナルホテル」として営業している。また国際線ターミナル内には富裕層向け171室の「ポルトムインターナショナル北海道」が2020年2月より営業を行っている<ref>[https://e-kensin.net/news/102427.html 180室ホテルなど 新千歳空港国際線ターミナル増築詳細] - 北海道建設新聞社(2017年11月17日)</ref><ref>[https://www.hokkaido-np.co.jp/article/293440 新千歳国際線ホテル、随所に日本文化 来年1月開業] - 北海道新聞(2019年4月4日)</ref>。
空港敷地内の2軒の他、車で10分程度の千歳市内にも複数のホテルがある。近年の空港利用者の急増により宿泊施設の需要も増加し、千歳市内でホテルの建設が進んでいる。
;エアターミナルホテル
*4-5階:客室
*3階 - フロント・ロビー・客室・レストラン「シェーンバッサー」(朝食のみ)/ビジネスコーナー
*1-2階 - ターミナルロビー直結エレベーター
;ポルトムインターナショナル北海道
*8階:スイートフロア、バー「THE BAR」/シガーバー「THE CIGAR BAR」
*7階:スイートフロア
*5-6階:スタンダードフロア
*4階:カフェ・ライブラリー「CAFE SKY LIVERARY」、和食「京都 下鴨茶寮 北のはなれ」、フランス料理店「[[吉野建|TATERU YOSHINO]]」、マックススリム エステティック&スパ、大浴場、ジム
*2階:イベントホール「新千歳空港ポルトムホール」
*1階:車寄せ・エントランス
=== 雪冷熱供給システム ===
環境と人に優しい「エコエアポート」を目指して、貯蔵した雪を冷房に活用するシステムを2010年3月に整備。同年5月から運用を開始した。世界最大規模となる高さ8 m以上、縦200m、横100mの雪を貯蔵して、5月から9月の間、旅客ターミナルビルや連絡施設などの冷房に活用している。計画では、従来の重油使用量の3割を賄い、将来的には年間2100トンの[[二酸化炭素]]削減を目指している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikken.co.jp/ja/archives/00178.html |title=新千歳空港のクールプロジェクト |format= |publisher=日建設計 |accessdate=2018-05-04}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cls-web.com/pdf/cls.pdf |title=新千歳空港雪冷熱供給システム |format=PDF |publisher=セントラルリーシングシステム |accessdate=2018-05-07}}</ref>。
== 拠点・焦点都市としている航空会社 ==
それぞれ2社ずつ[[ハブ空港]]、[[焦点都市]]として運航している。
ハブ空港
* [[エアドゥ]]
* [[Peach Aviation]]
焦点都市
* [[日本航空]]
* [[全日本空輸]]
== 就航路線 ==
※ [[航空連合]]は右記の通り。OW:[[ワンワールド]]、SA:[[スターアライアンス]]、ST:[[スカイチーム]]
※ 語末の★は、[[格安航空会社]] (LCC)
※ [[COVID-19]]の影響により、長期運休となっている路線もある。詳細は航空各社のホームページを参照。
=== 国内線 ===
道外から[[北海道]]に入るには空路が最も効率的な交通手段であることから、季節運航も含め30路線以上の国内線ネットワークを持ち、北海道の空の玄関となっている。とりわけ[[東京国際空港|羽田]]-新千歳線は羽田-福岡線と並ぶ日本の国内線の二大巨頭であり、[[日本航空]]、[[全日本空輸]]、[[スカイマーク]]、[[エアドゥ]]の4社が競合し、国内最多の旅客数を記録している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/common/001299161.pdf|title=平成30年度 国内航空輸送実績について|accessdate=2020-11-17|publisher=国土交通省}}</ref>。また、[[Peach Aviation]]が運航する新千歳-[[那覇空港|那覇]]線は国内最長距離路線であり、その片道マイル数は1,397マイル、所要時間は約4時間とこれは国際線における[[東京]](羽田、[[成田国際空港|成田]])-[[ソウル特別市|ソウル]]([[仁川国際空港|仁川]]、[[金浦国際空港|金浦]])線の758マイル、約2時間30分に比べてはるかに長い。
国内線を運航する全ての[[格安航空会社]] (LCC) が就航しており、成田国際空港や関西国際空港、中部国際空港との国内路線を運航している。なお、札幌市内には[[札幌飛行場|丘珠空港]]があるが、こちらは主に道内路線を中心に運航されている。
{|class="wikitable sortable" style="font-size:90%;width:100%"
|-bgcolor=lightgrey
!width="40%"|航空会社
!width="60%", class="unsortable"|目的地
|-
|[[日本航空]] (JAL)(OW)<ref group="注">[[ジェイエア]]の機材・乗務員で運航する便あり</ref>
| [[東京国際空港|東京/羽田]]、[[大阪国際空港|大阪/伊丹]]、[[関西国際空港|大阪/関西]]、[[中部国際空港|名古屋/中部]]、[[女満別空港|女満別]]、[[青森空港|青森]]、[[花巻空港|花巻]]、[[仙台空港|仙台]]、[[新潟空港|新潟]]、[[広島空港|広島]]、[[出雲空港|出雲]](8月限定運航)、[[徳島飛行場|徳島]](8月限定運航)、[[福岡空港|福岡]]
|-
|[[全日本空輸]] (ANA)(SA)<ref group="注">[[ANAウイングス]]の機材・乗務員で運航する便あり</ref>
|東京/羽田、[[成田国際空港|東京/成田]]、大阪/伊丹、大阪/関西、名古屋/中部、[[利尻空港|利尻]](6月〜9月限定運航)、[[稚内空港|稚内]]、[[中標津空港|中標津]]、[[釧路空港|釧路]]、女満別、[[函館空港|函館]]、青森、[[秋田空港|秋田]]、仙台、[[福島空港|福島]]、新潟、[[富山空港|富山]]、[[小松飛行場|小松]]、[[静岡空港|静岡]](繁忙期期間運航)、[[神戸空港|大阪/神戸]]、[[岡山空港|岡山]]、広島、福岡
|-
|[[スカイマーク]] (SKY)
|東京/羽田、名古屋/中部、[[百里飛行場|茨城]]、大阪/神戸、福岡
|-
|[[エアドゥ]] (ADO)<ref group="注">[[全日本空輸]](ANA)とコードシェア</ref>
|東京/羽田、名古屋/中部、大阪/神戸、仙台、福岡
|-
|[[Peach Aviation]] (APJ)★
|東京/成田、大阪/関西、名古屋/中部、仙台、福岡、[[那覇空港|那覇]]
|-
|[[ジェットスター・ジャパン]] (JJP)★<ref group="注">[[日本航空]](JAL)とコードシェア(JAL国際線乗継時のみ)</ref>
|東京/成田、大阪/関西、名古屋/中部
|-
|[[スプリング・ジャパン]] (SJO)★
|東京/成田
|-
|[[フジドリームエアラインズ]] (FDA)<ref group="注">[[日本航空]](JAL)とコードシェア</ref>
|[[山形空港|山形]]、[[松本空港|松本]]、静岡
|-
|[[アイベックスエアラインズ]] (IBX)<ref group="注">仙台線は[[全日本空輸]](ANA)とコードシェア</ref>
|仙台
|}
=== 国際線 ===
チャーター便を含む利用者は2007年に年間80万人、2012年には年間100万人を突破している。また[[アジア]]諸国の経済成長を受けた海外旅行者数の増加や、[[台湾]]や[[香港]]、[[大韓民国]]や[[タイ王国]]などアジア諸国や、[[ヨーロッパ]]における「北海道ブーム」により、既存路線の増便や新路線開設の動きが活発になっていた。
これにより、[[ハワイ]]やヨーロッパへの中長距離路線復活や、[[中華人民共和国]]、[[東南アジア]]各国への新路線開設や新規乗り入れ航空会社の増加など活発な動きを見せている。なお、格安航空会社は2018年9月現在で海外拠点11社が就航している。
しかし、近年軍拡を進める中華人民共和国と[[ロシア]]の軍用機が日本の[[防空識別圏]]を窺っている([[東京急行 (ロシア空軍)|東京急行]]など)ほか、民間機による[[諜報]]活動を行っているとみられることもあって、[[冷戦]]時代より防衛上の観点から軍事的緊張関係にある国の航空会社の乗り入れ時間帯制限が行われている。このため自由なダイヤが組めないなど課題も多いが、その後2016年10月末からは、中ロの航空会社について従来禁止されていた月曜日と木曜日の発着を一部認め、毎日発着可能とする規制緩和も行われている<ref name=tomamin160423/>。
2017年夏季からは1時間当たり42便への発着枠拡大に伴い一層の増便が見込まれているが、出発カウンターや保安検査場の不足により特定時間帯に混雑がみられるといった課題も生じている<ref name="NHK170317"/>。また2020年3月からは昼間発着枠が50回に拡大された一方で、人員不足により地上支援業務の態勢が整わない事を理由として運航の継続や増便等を見送る動きも生じている<ref>フォーカス 発着枠拡大 足りぬ人手 新千歳 地上業務の現場困惑 3年で6割増 官邸主導 - 北海道新聞朝刊 2019年8月29日朝刊3面</ref>。その後新型コロナウイルスによる旅客便全面運休を経て韓国・台湾・東南アジア方面の路線から再開となった<ref>[https://www.hokkaidobank.co.jp/common/dat/2022/1213/16709178311287877391.pdf 調査ニュース12月号 新千歳空港の国際線定期便が続々と再開] - 北海道銀行</ref>。
{|class="wikitable sortable" style="font-size:90%;width:100%"
|-bgcolor=lightgrey
!width="40%"|航空会社
!width="60%", class="unsortable"|目的地
|-
|{{flagicon|TWN}} [[チャイナエアライン]] (CI) (ST)
|[[台湾桃園国際空港|台北/桃園]]
|-
|{{flagicon|TWN}} [[エバー航空]] (BR) (SA)
|台北/桃園
|-
|{{flagicon|TWN}} [[スターラックス航空]] (JX)
|台北/桃園
|-
|{{flagicon|TWN}} [[タイガーエア台湾]] (IT)★
|台北/桃園
|-
|{{flagicon|KOR}} [[大韓航空]] (KE) (ST)
|[[仁川国際空港|ソウル/仁川]]
|-
|{{flagicon|KOR}} [[アシアナ航空]] (OZ) (SA)
|ソウル/仁川
|-
|{{flagicon|KOR}} [[ジンエアー]] (LJ)★
|ソウル/仁川、[[金海国際空港|釜山]]
|-
|{{flagicon|KOR}} [[ティーウェイ航空]] (TW)★
|ソウル/仁川
|-
|{{flagicon|KOR}} [[チェジュ航空]] (7C)★
|ソウル/仁川、[[務安国際空港|務安]]
|-
|{{flagicon|KOR}} [[エアプサン]] (BX)★
|ソウル/仁川、釜山
|-
|{{flagicon|KOR}} [[エアソウル]] (RS)★
|ソウル/仁川
|-
|{{flagicon|CHN}} [[中国国際航空]] (CA) (SA)
|[[北京首都国際空港|北京/首都]]
|-
|{{Flagicon|CHN}} [[中国東方航空]] (MU) (ST)
|[[上海浦東国際空港|上海/浦東]]
|-
|{{Flagicon|CHN}} [[吉祥航空]] (HO) (SA)
|上海/浦東
|-
|{{Flagicon|CHN}} [[深圳航空]] (ZH) (SA)
|[[深圳宝安国際空港|深圳]](2024年1月18日より就航予定)
|-
|{{Flagicon|CHN}} [[海南航空]] (HU)
|[[杭州蕭山国際空港|杭州]]
|-
|{{Flagicon|CHN}} [[天津航空]] (GS)
|[[天津浜海国際空港|天津]]
|-
|{{flagicon|CHN}} [[春秋航空]] (9C)★
|上海/浦東
|-
|{{flagicon|HKG}} [[キャセイパシフィック航空]] (CX) (OW)
|[[香港国際空港|香港]]
|-
|{{flagicon|HKG}} [[香港航空]] (HX)
|香港
|-
|{{flagicon|THA}} [[タイ国際航空]] (TG) (SA)
|[[スワンナプーム国際空港|バンコク/スワンナプーム]]
|-
|{{flagicon|THA}} [[タイ・エアアジア X]] (XJ)★
|バンコク/スワンナプーム(季節運航)
|-
|{{flagicon|THA}} [[タイ・ベトジェットエア]] (VZ)★
|台北/桃園(2024年1月16日より就航予定)、バンコク/スワンナプーム(台北/桃園経由、2024年1月16日より就航予定)
|-
|{{Flagicon|MYS}} [[マレーシア航空]] (MH) (OW)
|[[クアラルンプール国際空港|クアラルンプール]](季節運航)
|-
|{{flagicon|MYS}} [[エアアジア X]] (D7)★
|クアラルンプール(季節運航)
|-
|{{flagicon|MYS}} [[バティック・エア・マレーシア]] (OD)
|台北/桃園(季節運航)、クアラルンプール(台北/桃園経由、季節運航)
|-
|{{flagicon|SIN}} [[シンガポール航空]](SQ) (SA)
|[[シンガポール・チャンギ国際空港|シンガポール]](2024年12月1日より運航再開予定、季節運航)
|-
|{{flagicon|SIN}} [[スクート]] (TR)★
|台北/桃園、シンガポール(台北/桃園経由)
|-
|}
{| class="wikitable"
|+'''現在休止中の路線'''
!航空会社
!目的地
|-
|<s>{{flagicon|JPN}}</s> [[Peach Aviation]] (MM)★
|台北/桃園
|-
|{{flagicon|CHN}} [[中国東方航空]] (MU) (ST)
|[[南京禄口国際空港|南京]]
|-
|{{flagicon|CHN}} [[中国南方航空]] (CZ)
|[[大連周水子国際空港|大連]]
|-
|{{flagicon|CHN}} [[奥凱航空]] (BK)
|天津
|-
|{{flagicon|CHN}} [[吉祥航空]] (HO) (SA)
|南京
|-
|{{flagicon|CHN}} [[深圳航空]] (ZH) (SA)
|[[蘇南碩放国際空港|無錫]]
|-
|{{flagicon|CHN}} [[廈門航空]] (MF) (ST)
|[[福州長楽国際空港|福州]]
|-
|{{flagicon|CHN}} [[山東航空]] (SC)
|[[青島流亭国際空港|青島]]、[[廈門高崎国際空港|厦門]]
|-
|{{flagicon|CHN}} [[四川航空]] (3U)
|[[成都双流国際空港|成都]]
|-
|{{flagicon|PHI}} [[フィリピン航空]] (PR)
|[[ニノイ・アキノ国際空港|マニラ]]
|-
|{{flagicon|FIN}} [[フィンエアー]] (AY) (OW)
|[[ヘルシンキ・ヴァンター国際空港|ヘルシンキ]]
|-
|{{flagicon|AUS}} [[カンタス航空]] (QF) (OW)
|[[シドニー国際空港|シドニー]](季節運航)
|-
|{{flagicon|USA}} [[ハワイアン航空]] (HA)
|[[ダニエル・K・イノウエ国際空港|ホノルル]]
|-
|}
=== 貨物便 ===
{|class="wikitable sortable" style="font-size:90%;width:100%"
|-bgcolor=lightgrey
!width="40%"|航空会社
!width="60%", class="unsortable"|目的地
|-
|{{flagicon|JPN}} [[スプリング・ジャパン]] (IJ) {{efn2|[[ヤマト運輸]]から受託運航}}
|[[成田国際空港|東京/成田]](2024年4月11日より就航予定)
|}
<!--
新千歳空港は、[[アジア]]と[[北アメリカ]]とを結ぶ国際[[航空路]]上にあり、千歳空港時代から[[貨物機]]の給油地として使われていた。航空機の高性能化により、[[旅客機]]は地球の反対側まで無寄港の直行便化が進行しているが、重量物を満載した貨物機が[[東南アジア]]や台湾、中華人民共和国から[[アメリカ合衆国]]に向かう際は今でも途中で着陸して給油を行う必要がある。[[極東]]側では主に新千歳空港や[[ユジノサハリンスク空港]]が、[[アラスカ]]側では[[テッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港]]や[[フェアバンクス国際空港]]が用いられる。
特に、アメリカ国内消費の1/3が集中するといわれる[[クリスマス]]商戦の頃は、「世界の工場」となったアジア各国からアメリカへと向かう貨物機で混雑する。主な乗り入れ会社は日本貨物航空、エアインチョンなど新千歳空港では、大型貨物機の十分な運用のため、滑走路の3,500 m×2本化を計画し、「国際エアカーゴターミナル構想」を目論んでいるが、空港周辺地区住民の、騒音問題による反対により、計画は凍結されている。
-->
=== 統計 ===
{|class="wikitable" style="white-space:nowrap"
|+(新千歳空港発)就航路線別旅客数/順位<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.mlit.go.jp/common/001295990.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191107085109/http://www.mlit.go.jp/common/001295990.pdf|format=PDF|language=日本語|title=航空輸送統計年報の概要 平成30年度分|publisher=国土交通省総合政策局情報政策課交通経済統計調査室|date=2019-06-28|accessdate=2020-03-27|archivedate=2019-11-07}}</ref>
!就航空港!!旅客数!!国内線順位
|-
!東京国際空港
|約906万人||上位{{0}}1位
|-
!成田国際空港
|約188万人||上位{{0}}9位
|-
!中部国際空港
|約151万人||上位12位
|-
!大阪国際空港
|約112万人||上位23位
|-
!関西国際空港
|約109万人||上位24位
|-
!仙台空港
|約{{0}}81万人||上位36位
|-
! 福岡空港
|約{{0}}61万人||上位42位
|}
{|class="wikitable"
|+国際線定期便就航路線別旅客数<ref>http://www.city.chitose.hokkaido.jp/index.cfm/98,91015,c,html/91015/20160121-113247.pdf</ref>
!就航空港!!2015年旅客数!!2015年冬季ダイヤ便数
|-
!台湾桃園国際空港
|551,682人||週7便 (CI)、週7便 (BR)、週7便 (GE)
|-
!仁川国際空港
|488,893人||週13便 (KE)、週7便 (LJ)、週7便 (TW)
|-
!香港国際空港
|358,770人||週5便 (CX)、週5便 (HX)
|-
!スワンナプーム国際空港
|169,783人||週7便 (TG)
|-
!上海浦東国際空港
|144,589人||週5便 (MU)、週5便 (9C)
|-
!高雄国際空港
|103,546人||週5便 (CI)
|-
!北京首都国際空港
|51,977人||週5便 (CA)
|-
!ダニエル・K・イノウエ国際空港<br />(ホノルル国際空港)
|38,381人||週3便 (HA)
|-
!ドンムアン国際空港
|33,792人|| -
|-
!金海国際空港
|28,795人||週3便 (KE)、週3便 (BX)
|-
!クアラルンプール国際空港
|26,269人||週5便 (D7)
|-
!天津浜海国際空港
|26,138人||週2便 (GS)
|-
!グアム国際空港
|16,123人||週2便 (UA)
|-
!ホムトヴォ空港
|8,303人||週2便 (HZ)
|}
=== 国際線乗継専用便 ===
[[東京国際空港]]、[[成田国際空港]]、[[大阪国際空港]]、[[関西国際空港]]、[[仙台空港]]、[[中部国際空港]]、[[福岡空港]]便などは、[[コードシェア便]]として国外航空会社便名が付与される便がある。利用は国際線乗継旅客に限られ、国内区間のみの利用は国内航空会社便名での利用となる。
* [[日本航空]]便
** [[中国東方航空]]、[[キャセイパシフィック航空]]、[[チャイナエアライン]]、[[ハワイアン航空]]、[[アメリカン航空]]、[[ブリティッシュ・エアウェイズ]]、[[バンコク・エアウェイズ]]、[[LATAM ブラジル]]、[[LATAM チリ]]、[[エールフランス]]、[[S7航空]]、[[フィンエアー]]、[[カンタス航空]]、[[ガルーダ・インドネシア航空]]、[[エアタヒチヌイ]]、[[マレーシア航空]]、[[アエロメヒコ航空]]
* [[全日本空輸]]便
**[[中国国際航空]]、[[タイ国際航空]]、[[吉祥航空]]、[[エア・カナダ]]、[[ニュージーランド航空]]、[[ターキッシュエアラインズ]]、[[ベトナム航空]]、[[LOTポーランド航空]]、[[ルフトハンザドイツ航空]]、[[フィリピン航空]]、[[ユナイテッド航空]]、[[シンガポール航空]]、[[スカンジナビア航空]]、[[深圳航空]]、[[マカオ航空]]、[[エティハド航空]]、[[山東航空]]、[[オーストリア航空]]、[[ガルーダ・インドネシア航空]]
=== 就航都市 ===
==== 国内線 ====
* [[北海道|道内]]:[[利尻空港|利尻]]○(6月〜9月のみ運航)、[[稚内空港|稚内]]、[[中標津空港|中標津]]○、[[釧路空港|釧路]]○、[[女満別空港|女満別]]○、[[函館空港|函館]]○
* [[東北地方|東北]]:[[青森空港|青森]]、[[秋田空港|秋田]]○、[[花巻空港|花巻]]、[[仙台空港|仙台]]、[[山形空港|山形]]、[[福島空港|福島]]
* [[関東地方|関東]]:[[東京国際空港|東京/羽田]]、[[成田国際空港|東京/成田]]、[[百里飛行場|茨城]]
* [[北信越地方|北信越]]:[[新潟空港|新潟]]、[[松本空港|松本]]○、[[富山空港|富山]]、[[小松飛行場|小松]]
* [[東海地方|東海]]:[[中部国際空港|名古屋/中部]]、[[静岡空港|静岡]]○
* [[近畿地方|関西]]:[[大阪国際空港|大阪/伊丹]]、[[関西国際空港|大阪/関西]]、[[神戸空港|大阪/神戸]]
* [[中国地方|中国]]・[[四国]]:[[岡山空港|岡山]]、[[広島空港|広島]]、[[出雲空港|出雲]](8月限定運航)、[[徳島飛行場|徳島]](8月限定運航)、[[松山空港|松山]]
* [[九州]]・[[沖縄県|沖縄]]:[[福岡空港|福岡]]、[[那覇空港|沖縄/那覇]]
○は[[札幌飛行場|丘珠空港]]便もあり
==== 国際線 ====
* [[東アジア]]
** {{TWN}}:[[台湾桃園国際空港|台北/桃園]]
** {{KOR}}:[[仁川国際空港|ソウル/仁川]]、[[金海国際空港|釜山]]、[[務安国際空港|務安]]
** {{CHN}}:[[北京首都国際空港|北京/首都]]、[[上海浦東国際空港|上海/浦東]]、[[天津浜海国際空港|天津]]、[[杭州蕭山国際空港|杭州]]、[[深圳宝安国際空港|深圳]](2024年1月18日より就航予定)
** {{HKG}}:[[香港国際空港|香港]]
* [[東南アジア]]
** {{THA}}:[[スワンナプーム空港|バンコク/スワンナプーム]]
** {{MYS}}:[[クアラルンプール国際空港|クアラルンプール]](季節運航、台北/桃園経由または冬季直行便)
** {{SIN}}:[[シンガポール・チャンギ国際空港|シンガポール]](台北/桃園経由または冬季直行便)
=== 休廃止路線 ===
{{出典の明記|date= 2016年7月|section=1}}
==== 国内線 ====
航空会社名は休廃止時点
* [[紋別空港|オホーツク紋別空港]]
** 1990年8月 - 1998年4月、1999年11月 - 2001年3月:エアーニッポン
** 2004年2月:エアーニッポンネットワーク
** 2006年2月、2006年7月 - 2006年11月:[[北海道エアシステム]]
** 2011年10月30日 - 2012年1月31日:全日本空輸
** 2012年10月28日 - 2013年1月31日:全日本空輸
* [[帯広空港|とかち帯広空港]]
** 1966年5月 - 1986年3月:東亜国内航空
** 2005年10月 - 2006年11月:エアトランセ
<!--
* [[函館空港]]
** 1966年5月 - 1994年5月:日本エアシステム
** 1997年3月 - 2003年7月:北海道エアシステム
** 2005年10月 - 2007年1月:エアトランセ
** 2008年12月 - 2011年3月:[[北海道エアシステム]]
** 2010年7月 - 全日本空輸
-->
* [[三沢飛行場|三沢空港]]
** 1968年5月 - 2007年9月:日本航空
* [[大館能代空港]]
** 1998年7月 - 1999年10月:エアーニッポン
<!--
* [[山形空港]]
** 1979年10月 - 2010年10月:日本航空
-->
* [[庄内空港]]
** 1995年6月 - 2007年8月:全日本空輸
* [[広島西飛行場]]
** 2002年5月 - 2003年3月:ジェイエア
* [[山口宇部空港]]
** 1993年5月 - 2002年3月:全日本空輸
<!--
* [[出雲空港|出雲縁結び空港]]
** 1996年7月 - 2010年8月、2014年8月:日本航空
-->
* [[美保飛行場|米子鬼太郎空港]]
** 1996年4月 - 1999年8月:エアーニッポン
** 2014年4月 - 2014年10月:スカイマーク
* [[高松空港]]
** 1990年12月 - 2002年3月、2004年7月 - 2007年9月:全日本空輸
<!--
* [[徳島飛行場]]
** 1996年7月 - 2010年8月 、2014年8月:日本航空
-->
* [[松山空港]]
** 1991年10月 - 2007年10月、2011年3月 - 2011年10月:全日本空輸
** 2018年3月 - 2021年11月:アイベックスエアラインズ<ref>[https://www.ibexair.co.jp/assets/20210824_W21.pdf 2021年冬ダイヤ路線便数計画について] - アイベックスエアラインズ</ref>
* [[高知空港|高知龍馬空港]]
** 1996年4月 - 2001年8月:エアーニッポン
* [[大分空港]]
** 1992年6月<ref name="kotsu19920416">{{Cite news |title=札幌-九州間に4路線新設 日本エアが免許申請 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1992-04-16 |page=1 }}</ref> - 1997年10月:日本エアシステム
* [[熊本空港|阿蘇くまもと空港]]
** 1992年6月<ref name="kotsu19920416"/> - 1997年10月:日本エアシステム
* [[長崎空港]]
** 1992年6月<ref name="kotsu19920416"/> - 2000年3月:日本エアシステム
* [[宮崎空港]]
** 1992年6月<ref name="kotsu19920416"/> - 1997年10月:日本エアシステム
* [[鹿児島空港]]
** 1991年10月 - 2007年10月:全日本空輸
<!--
* [[那覇空港]]
** 1985年1月 - 2007年11月:日本航空
** 1997年11月 - 2001年3月:全日本空輸
-->
; かつて乗り入れていた航空会社
* [[日本ユニバーサル航空]](貨物便 1991年 - 1992年 羽田・名古屋線)
* [[ギャラクシーエアラインズ]](貨物便 2007年4月 - 2008年9月 羽田・関西線)
<!--
* [[アイベックスエアラインズ]](2002年4月 - 2015年3月・2018年3月 - )
-->
==== 国際線 ====
※ 航空会社は休廃止時点
<!--
* {{USA}}・[[ダニエル・K・イノウエ国際空港]](ホノルル)<ref name="newctschrono"/>
** [[1981年]][[3月]] - [[1987年]][[12月]]:日本航空(新東京国際空港(現・成田国際空港)発着乗継専用便)<ref name="newctschrono"/>
** [[1992年]][[2月]] - [[2003年]][[9月]]:[[JALウェイズ]]<ref name="newctschrono"/><ref name="newctshis"/>
-->
* {{KOR}}・[[金浦国際空港]](ソウル)
**[[1989年]]6月 - [[2001年]]3月:大韓航空
* {{MNP}}・[[サイパン国際空港]](サイパン)
** 1990年7月 - 1998年4月:コンチネンタル・ミクロネシア<ref name="ikaros05his"/>(新千歳 - サイパン - グアム<ref>JR時刻表1994年12月号 902頁</ref>)
* {{HKG}}・[[啓徳空港]]
** 1990年 - 1998年:キャセイパシフィック航空
** 1991年5月 - 11月:[[エバーグリーン航空]](香港 - 名古屋 - 新千歳経由 - ニューヨーク 貨物便)<ref name="newctschrono"/>
* {{USA}}・[[ジョン・F・ケネディ国際空港]](ニューヨーク)<ref name="newctschrono"/>
** 1991年5月 - 11月:エバーグリーン航空(香港 - 名古屋 - 新千歳経由 - ニューヨーク 貨物便)<ref name="newctschrono"/>
* {{GUM}}・[[グアム国際空港]](グアム)<ref name="newctschrono"/>
** [[1990年]][[7月]] - [[2001年]]:[[コンチネンタル・ミクロネシア]]
** [[2001年]] - [[2012年]]3月:[[コンチネンタル航空]]
** 2012年3月 - [[2018年]][[1月]]:[[ユナイテッド航空]]
* {{AUS}}・[[ケアンズ国際空港]](ケアンズ)<ref name="newctschrono"/><ref>[http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090596638 新千歳*ケアンズ直航便再開*6年ぶり、来年3月まで] - フォト北海道(北海道新聞 2004年11月4日)</ref>
** 1992年[[10月]]<ref>「新千歳―豪・ケアンズ間 定期便きょう就航」『北海道新聞』1992年(平成4年)10月27日付朝刊3面。</ref> - [[1998年]]3月・2006年12月 - 2007年3月<ref name="qantas19">[https://www.traicy.com/posts/20191217138990/ カンタス航空、札幌就航 シドニー線季節運航、12年ぶり乗り入れ]</ref>:[[カンタス航空]]
** 2004年11月 - 2006年3月:[[オーストラリア航空]](冬季のみ)<ref name="qantas19"/>
* {{NED}}・[[アムステルダム・スキポール空港]](アムステルダム)
** [[1997年]]10月 - [[2002年]][[2月]]:[[KLMオランダ航空]]([[名古屋飛行場|名古屋]] - 新千歳経由 - アムステルダム)<ref name="newctschrono"/><ref name="newctshis"/>
* {{CHN}}・[[瀋陽桃仙国際空港]](瀋陽)
** [[1998年]]6月 - [[2002年]]:[[中国北方航空]]
** [[2002年]] - [[2007年]][[8月]]、[[2010年]]8月 - [[2011年]]10月、[[2012年]]8月 : 中国南方航空
<!--
* {{HKG}}・[[香港国際空港]]
** 1998年・2001年12月 - 2020年3月・2022年12月:キャセイパシフィック航空
** 2008年12月 - 2012年2月:[[香港エクスプレス航空]]<ref name="newctschrono"/>
** 2014年12月 - 2020年3月、2022年11月 - 12月:[[香港航空]]
-->
*{{RUS}}・[[ユジノサハリンスク空港]](ユジノサハリンスク)
** 2001年 - 2013年12月:[[サハリン航空]]
** 2013年12月 - 2020年3月:[[オーロラ (航空会社)|オーロラ]]
<!--
* {{KOR}}・[[仁川国際空港]](ソウル)
**[[2001年]]3月 - 2020年3月・2022年7月 - 8月・12月 -:大韓航空<ref name="hscovid22"/><ref>[https://www.hokkaido-np.co.jp/article/724337 大韓航空、新千歳―仁川運休 再開1カ月、観光客伸び悩む] - 北海道新聞2022年8月31日</ref>
**2011年4月 - 2020年3月:ジンエアー
**2011年5月 - 2012年3月・2017年5月 - 2020年3月:イースター航空
**2013年12月 - 2019年9月・2022年7月 - 9月:ティーウェイ航空<ref name="hscovid22">新千歳国際便続々再開へ - 新型コロナ特集号vol.22(北海道新聞2022年10月15日朝刊別刷り)</ref><ref>{{Twitter status|hap_chitose|1566942869499174912}}</ref>
**2016年7月 - 2020年3月:アシアナ航空
**2018年11月 - 2019年8月:エアソウル
**2019年4月 - 2019年10月︰Peach Aviation
**2019年5月 - 2020年3月:チェジュ航空
-->
<!--
* {{TWN}}・[[台湾桃園国際空港]](台北)
**[[2003年]]3月 - 2020年3月・2022年10月 - :エバー航空
**2006年7月 - 2020年3月・2022年8月 - :チャイナエアライン
**2012年7月 - 2016年11月:[[トランスアジア航空]]<ref name="newctschrono"/>
**2016年10月 - 2020年3月、2020年11月 - :スクート(新千歳 - 台北経由 - シンガポール)
**2017年9月 - 2020年3月:Peach Aviation
**2019年3月 - 7月・2020年1月 - 3月・2023年1月 - :マリンド・エア/バティック・エア・マレーシア(新千歳 - 台北経由 - クアラルンプール)
-->
<!--
* {{CHN}}・[[上海浦東国際空港]](上海)
**2001年8月 - 2003年:中国西北航空
**2003年 - 2020年3月:中国東方航空
**2014年10月 - 2020年3月、2023年7月 - :春秋航空
**2017年4月 - 2020年3月::吉祥航空
-->
* {{AUS}}・[[メルボルン空港 (オーストラリア)|メルボルン空港]]
**2004年10月 - 2006年3月:オーストラリア航空(新千歳 - ケアンズ経由 - メルボルン)
**2006年10月 - 2007年3月:カンタス航空(新千歳 - ケアンズ経由 - メルボルン)<ref name="qantas19"/>
<!--
* {{KOR}}・[[金海国際空港]](釜山)
**2006年6月 - 2020年3月:大韓航空
**2015年12月 - 2020年3月、2022年10月 - :エアプサン
**2017年12月 - 2020年3月:ジンエアー
-->
<!--
* {{CHN}}・[[北京首都国際空港]](北京)
**2007年4月 - 2020年3月、2023年7月 - :中国国際航空
-->
* {{CHN}}・[[大連周水子国際空港]](大連)
** [[2007年]][[5月]] - [[2012年]][[10月]]、[[2019年]][[4月]]<ref name="名前なし-20230316122345">[https://flyteam.jp/news/article/107264 中国南方航空、4月から新千歳/大連線を再開 A320で週3便] FlyTeam 2019年3月12日付</ref>
* {{RUS}}・[[ハバロフスク空港]](ハバロフスク)<ref name="newctschrono"/>
** 2010年12月 - 2011年3月:サハリン航空
<!--
* {{THA}}・[[スワンナプーム国際空港]](バンコク)
** 2012年12月 - 2020年3月:タイ国際航空
-->
* {{CHN}}・[[広州白雲国際空港]](広州)<ref name="newctschrono"/>
** 2014年1月 - 2014年3月:中国南方航空
<!--
* {{CHN}}・[[天津浜海国際空港]](天津)
** 2015年3月 - 2020年3月:天津航空
** 2019年11月 - 2020年3月:奥凱航空
-->
* {{THA}}・[[ドンムアン空港]](バンコク)
** 2015年5月 - 2015年7月・2018年4月 - 2020年3月:[[タイ・エアアジア X]]
** 2019年10月 - 2020年3月:[[ノックスクート]]<ref>[https://www.nna.jp/news/show/1944702 LCCノック、10月末に札幌便を就航]</ref>
<!--
* {{MYS}}・[[クアラルンプール国際空港]](クアラルンプール)
**2015年10月 - 2019年8月・2019年10月 - 2020年3月:[[エアアジア X]]
**2019年3月 - 7月・2020年1月 - 3月:[[マリンド・エア]](台北経由)
-->
<!--
* {{SGP}}・[[シンガポール・チャンギ国際空港]](シンガポール)
**2016年10月 - 2020年3月・2022年11月 - :スクート(台北経由・冬季のみ一部直行便)
**2018年12月 - 2020年1月:シンガポール航空(12・1月のみ)
-->
* {{CHN}}・[[長沙黄花国際空港]](長沙)
** 2017年1月 - 2017年9月:[[海南航空]]
<!--
* {{CHN}}・[[杭州蕭山国際空港]](杭州)
** 2017年1月 - 2020年3月:海南航空
-->
* {{KOR}}・[[大邱国際空港]](大邱)
** 2017年6月 - 2019年8月:[[エアプサン]]
* {{KOR}}・[[清州国際空港]](清州)
** 2017年7月 - 2019年9月:イースター航空
* {{CHN}}・[[南京禄口国際空港]](南京)
** 2017年3月 - 2020年3月:吉祥航空
**2017年3月 - 2020年3月:中国東方航空
* {{PHL}}・[[ニノイ・アキノ国際空港]](マニラ)
**2018年9月 - 2020年3月:フィリピン航空<ref name="flyteam20180417">[http://flyteam.jp/news/article/93273 フィリピン航空、新機材導入で路線拡充へ 新千歳/マニラ線の就航も] FlyTeam 2018年4月17日付</ref><ref name="travelvision20181004">[http://www.travelvision.jp/news/detail.php?id=83243 フィリピン航空、新千歳/マニラ線就航を12月に再延期、訪日減で] Travel vision 2018年10月4日付</ref>
* {{RUS}}・[[ウラジオストク国際空港]](ウラジオストク)<ref name="flyteam20181204">[https://flyteam.jp/airline_route/cts_vvo/news/article/99862 ウラル航空、12月から新千歳/ウラジオストク線に就航 週2便運航へ] FlyTeam 2018年9月14日付</ref>
**2018年12月 - 2019年10月・2019年12月 - 2020年3月:ウラル航空
*{{CHN}}・[[蘇南碩放国際空港]](無錫)
**2019年11月 - 2020年3月:[[深圳航空]]
* {{FIN}}・[[ヘルシンキ・ヴァンター国際空港]](ヘルシンキ)
** 2019年12月 - 2020年3月:[[フィンエアー]]
* {{AUS}}・[[シドニー国際空港]](オーストラリア)
** 2019年12月 - 2020年3月:[[カンタス航空]]
* {{CHN}}・[[福州長楽国際空港]](福州)
** 2020年1月 - 3月:廈門航空
* {{CHN}}・[[青島流亭国際空港]](青島)
** 2020年1月 - 3月:山東航空
* {{CHN}}・[[成都双流国際空港]](成都)
** 2020年1月 - 3月:四川航空
* {{USA}}・[[ダニエル・K・イノウエ国際空港]](ホノルル)
** 1981年3月 - 1987年12月:日本航空(成田国際空港発着乗り継ぎ専用便)
** 1992年2月 - 2003年9月:[[JALウェイズ]]
** 2012年10月 - 2020年3月:[[ハワイアン航空]]
== 空港へのアクセス ==
[[画像:JR Chitose-Line New Chitose Airport Station Gates (20181227).jpg|thumb|[[新千歳空港駅]]]]
[[画像:新千歳空港バスターミナル New Chitose Airport Busstop - panoramio.jpg|thumb|right|国内線ターミナルバス乗り場]]
* 千歳市街まで約6km、札幌まで約45km、苫小牧まで約21km。
* 運行本数・運賃・経路等の詳細は、該当項目や公式サイトにて最新情報を確認されたい。
=== [[空港連絡鉄道|鉄道]] ===
* [[北海道旅客鉄道]](JR北海道)[[千歳線]]
** '''[[新千歳空港駅]]''' – [[札幌駅]]・[[小樽駅]](快速[[エアポート (列車)|エアポート]])
*** [[苫小牧駅|苫小牧]]、[[室蘭駅|室蘭]]、[[函館駅|函館]]方面([[室蘭本線]])、および[[新得駅|新得]]、[[帯広駅|帯広]]、[[釧路駅|釧路]]方面([[石勝線]])は、隣の[[南千歳駅]]で乗換となる。
=== バス ===
新千歳空港からの路線バス、高速バスの行き先、のりば等の詳細情報は運行会社に関係なく'''「[http://www.new-chitose-airport.jp/ja/access/bus/ バスでのアクセス]」'''に記載されている。
==== 札幌市内方面 ====
札幌市内路線(定山渓温泉行を除く)の紙の乗車券は、[[共通乗車制度]]により路線・発行会社に関わらず使用可能<ref>{{Cite web|和書|date= |url=http://www.chuo-bus.co.jp/highway/airport/ticket.php |title=空港連絡バス 乗車券・回数券 |publisher=北海道中央バス |accessdate=2018-04-04}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date= |url=http://www.busnavi-hk.jp/route/airport_bus.html |title=空港連絡バス |publisher=バスNAVI北海道(北都交通) |accessdate=2018-04-04}}</ref>。
詳細は、北都交通は事業者記事を、北海道中央バスは[[千歳線 (北海道中央バス)]]を参照。
* '''[[北都交通 (北海道)|北都交通]]・[[北海道中央バス]]'''
** S 札幌都心行([[札幌ドーム]]・[[福住駅]]([[福住バスターミナル]])・[[すすきの]]・[[札幌駅]]・主要ホテル)
** D 札幌都心行直行便(札幌駅・[[大通公園]]・すすきの・[[中島公園]])
** C [[大谷地駅]]([[大谷地バスターミナル]])行
* '''北都交通'''
** K アパホテル&リゾート札幌行([[三井アウトレットパーク 札幌北広島|三井アウトレットパーク]]・[[札幌大学]]・[[真駒内駅]]経由)
** M [[円山公園駅]]行・[[札幌市中央卸売市場#札幌市中央卸売市場場外市場|場外市場]]行([[南郷18丁目駅]]・[[澄川駅]]・[[啓明バスターミナル|南13条西22丁目]]経由)
** E 北9条西14丁目[[桑園]]行([[白石駅 (札幌市営地下鉄)|地下鉄白石駅]]・[[西線14条停留場|南14条行啓通]]経由):運休中<ref>{{Cite web|和書|date= |url= https://www.hokto.co.jp/souen-chitose/|title= 桑園 - 新千歳空港|publisher= 北都交通|format= |accessdate= 2023-11-30}}</ref>
** 湯ったりライナー [[定山渓温泉]]行([[小金湯温泉]]経由):運休中<ref>{{Cite web|和書|date= |url= https://www.hokto.co.jp/chitose-jyozankei/|title= 定山渓温泉 - 新千歳空港|publisher= 北都交通|format= |accessdate= 2023-11-30}}</ref>
* '''北海道中央バス'''
** A [[北24条駅]]行(北35条西5丁目([[北34条駅]])・[[麻生駅]]([[麻生バスターミナル]])経由)
** Y [[宮の沢駅]]([[宮の沢バスターミナル]])行([[発寒南駅]]経由)
** B [[サッポロガーデンパーク|サッポロビール園]]行([[環状通東駅]]・[[東区役所前駅]]経由)
==== 千歳市方面 ====
全路線[[南千歳駅]]と[[千歳駅 (北海道)|千歳駅]]を経由。
* '''北海道中央バス''' [[北海道中央バス千歳営業所|千歳営業所]]
** 本町2丁目行、新星行(本町2丁目経由)、[[支笏湖]]行(本町2丁目・新星経由)
*'''[[千歳相互観光バス]]'''・'''道南バス'''
** [[長都駅]]行
* '''[[あつまバス]]'''
** 千歳駅行
==== 胆振方面 ====
* '''[[道南バス]]'''
** [[苫小牧駅]]行([[沼ノ端駅]]北口経由)、[[白老町|白老]]緑泉郷行(沼ノ端駅北口・苫小牧駅・[[白老駅]]経由)
** 高速登別温泉エアポート号 [[登別温泉]]行(予約制、直行/[[ウポポイ]]経由)
** 高速はやぶさ号 [[室蘭市|室蘭]]行(予約制、[[登別市|登別]]・[[道南バス東町ターミナル|室蘭東町ターミナル]]経由)
** [[むかわ町]]穂別行(予約制)
* '''あつまバス'''
** [[厚真町|厚真]]行([[早来駅]]経由)
==== F VILLAGE方面 ====
* '''[[北海道バス]]'''
** F VILLAGEシャトルバス - [[エスコンフィールドHOKKAIDO]]開業に伴い運行開始、試合非開催日も運行
==== 予約制長距離高速バス ====
* '''北都交通・[[帯運観光]]'''
** とかちミルキーライナー [[帯広駅]]・[[十勝川温泉]]行
* '''北都交通・[[旭川電気軌道]]'''
** たいせつライナー [[旭川駅]]行<ref>{{Cite web|和書|date= 2018-04-26 |url= https://www.hokkaido-np.co.jp/article/184062 |title=たいせつライナー運行開始 旭川-新千歳空港 高速バス |publisher=北海道新聞 |accessdate=2018-05-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2018-04-13 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO29374830T10C18A4L41000/ |title=旭川-新千歳空港間、25日からバス運行 |publisher=日本経済新聞 |accessdate=2018-05-05}}</ref>
* '''[[網走バス]]'''
** 千歳オホーツクエクスプレス 網走バスターミナル行(北見バスターミナル経由) - [[2019年]](令和元年)12月20日通年運行開始<ref>{{Cite web|和書|date= 2019-09-13|url= https://www.hokkaido-np.co.jp/article/344160|title= 網走-新千歳間高速バス2カ月 目標の通年運行に手応え 利用者1便10人台も|publisher= 北海道新聞|format= |pages= |accessdate= 2019-10-01}}</ref><ref>{{Cite tweet|user= abashiribus|number= 1192608234504278017|title= 運行再開 決定!!|date= 2019-11-08|accessdate=2019-11-17}}</ref>。
==== 定期観光バス・ツアーバス ====
* '''[[加森観光]]'''
** ビッグランズ号 [[ルスツリゾート]]行き(予約制)
===== 夏期 =====
* '''[[ニセコバス]]・北海道中央バス'''
** ひらふウエルカムセンター行(苔の洞門、ルスツ高原、[[ニセコ東急 グラン・ヒラフ]]、ニセコいこいの村経由)
===== 冬期 =====
* '''北海道グラウンドサービス'''
** ホワイトライナー ニセコ行(ヒラフウェルカムセンター、ヒルトンニセコビレッジ、グリーンリーフニセコビレッジ、ノーザンリゾートアンヌプリ、甘露の森経由)
* '''ニセコバス'''
** スキーバス千歳ニセコ号 ニセコいこいの村行(ニセコ東急 グラン・ヒラフ、ニセコビレッジ、ホテルノーザンリゾートアンヌプリ経由)
* '''北海道アクセスネットワーク'''
** 北海道リゾートライナー ニセコグランドホテル行き(ルスツリゾート、ニセコ東急 グラン・ヒラフ、ニセコビレッジ、ホテルノーザンリゾートアンヌプリ、甘露の森経由)
=== 道路 ===
* [[高速自動車国道]]
** [[道央自動車道]] - [[千歳インターチェンジ (北海道)|千歳インターチェンジ]]、[[新千歳空港インターチェンジ]]、[[苫小牧東インターチェンジ]]
** [[道東自動車道]] - [[千歳東インターチェンジ]]
* [[一般国道]]
** [[国道36号]]
** [[国道337号]]([[道央圏連絡道路]]) - 新千歳空港ランプ
* [[主要地方道]]
** [[北海道道130号新千歳空港線]]
== 事故・重大インシデント ==
* [[2006年]][[11月20日]]:ANA72便([[エアーニッポン]]運航、[[ボーイング737 クラシック|ボーイング737-500]]、JA8596)は、新千歳空港に着陸後スポットに向け走行中、補助動力装置に火災が発生したため停止して消火した。原因は補助動力装置の燃焼室を固定するカップリングに繰り返し加重により亀裂が生じ、破断したためである<ref>{{PDFLink|[https://www.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/rep-inci/AI2007-3-2-JA8596.pdf 航空重大インシデント調査報告書 エアーニッポン株式会社所属 JA8596]}}</ref>。
* [[2007年]][[6月27日]]:[[スカイマーク|SKY]]730便([[ボーイング767]]-300、JA767F)は、新千歳空港滑走路19Rから離陸のため滑走を開始したが、同滑走路を[[全日本空輸|ANA]]79便([[ボーイング777]]-200、JA8967)が誘導路B9Nから誘導路A8Sに向け19Rを横断しているのに気づき離陸を中止した。原因は管制官の疲労による誤指示である<ref>{{PDFLink|[https://www.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/rep-inci/AI2008-01-2-JA767F-JA8967.pdf 航空重大インシデント調査報告書 スカイマーク株式会社所属 JA767F 全日本空輸株式会社所属 JA8967]}}</ref>。
* [[2008年]][[2月16日]]:JAL2503便(日本航空インターナショナル運航、[[マクドネル・ダグラス|ダグラス]][[マクドネル・ダグラス MD-90|MD-90]]-30、JA8020)が新千歳空港滑走路01R(B滑走路)に着陸したところ、同じく滑走路01Rで待機していたJAL502便(日本航空インターナショナル運航、ボーイング747-400、JA8904)が、離陸許可がないまま離陸滑走を開始した。管制官はただちに離陸を中止させたが、502便は滑走路を1200 m滑走して停止した。原因は、悪天候と、管制官が管制方式基準に則った「迅速な離陸を予期せよ(EXPECT IMMEDIATE TAKE-OFF)」と指示を送信したのを、502便の機長が「迅速に離陸せよ((CLEARED FOR) IMMEDIATE TAKE-OFF)」と聞き違え、しかも502便の副操縦士(オブザーバー席)と副操縦士昇格訓練中の操縦士(右操縦席)が機長に助言しなかったためである<ref>{{PDFLink|[https://www.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/rep-inci/AI2009-1-2-JA8904-JA8020.pdf 航空重大インシデント調査報告書 株式会社日本航空インターナショナル所属 JA8904 株式会社日本航空インターナショナル所属 JA8020]}}</ref><ref>[http://www.shippai.org/fkd/cf/CZ0200901.html 失敗知識データベース JAL機新千歳無許可滑走]</ref>。
* [[2016年]][[2月23日]]:JAL3512便(ボーイング737-800、JA322J)が新千歳空港駐機場からプッシュバック後誘導路を地上走行の後防除氷作業待機のため停止中、機内から異臭と煙が生じその後第2エンジンに火災が発生したため非常脱出を行い乗客3名が負傷した。原因は急激な降雪でファンブレードと低圧圧縮機に着氷し、エンジンオイルが漏れ霧状になり機内へ流入しテールパイプに溜まったオイルが発火したためである<ref>[https://jtsb.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/detail.php?id=2147 AA2017-9-1 2016年02月23日 新千歳空港 JA322Jボーイング式737-800型 日本航空株式会社 事故 非常脱出時の乗客負傷] - 運輸安全委員会</ref>。
* [[2017年]][[1月19日]]:ANA1831便(ボンバルディアDHC-8-Q400、JA461A)が新千歳空港滑走路01R(B滑走路)に着陸後、オーバーランして滑走路端の草地で停止した。原因は機長による制動開始の遅れ及びパワーレバーがディスク位置にセットされず減速に必要な制動力を得られなかったことにあり、また滑走路端周辺の積雪状態の悪さもオーバーランに関与したと見られている<ref>[https://jtsb.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/detail2.php?id=2170 AI2018-1-3 2017年01月19日 新千歳空港滑走路01R終端付近 JA461Aボンバルディア式DHC-8-402型 ANAウイングス株式会社 オーバーラン] - 運輸安全委員会</ref>。
===トラブル===
* 2016年[[8月5日]]、国内線保安検査場Aにて、エア・ドゥの乗客の女性が保安検査を行わずに搭乗待合室に立ち入ったため、出発前の約1,000名の保安検査をやり直した。この影響で11便が欠航、150便以上で最大3時間の遅れが生じた<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG05HBJ_V00C16A8CC1000/ 新千歳空港、女性客が検査すり抜け 欠航・遅れ相次ぐ] - [[日本経済新聞]]([[共同通信]]) 2016年8月5日23時7分 (JST)掲載、2016年8月6日13時40分 (JST)閲覧</ref><ref name="dd.hokkaido-np/2016-08-10/news/society/society/1-0302850">{{Cite news |author= |url=http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0302852.html |title=新千歳空港すり抜け 女性客「出発が迫り焦ってしまった」|newspaper=[[北海道新聞]] |agency=どうしんウェブ/電子版(社会) |publisher=[[北海道新聞社]] |date=2016-08-10 |accessdate=2016-08-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160810073521/http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0302850.html |archivedate=2016-08-10 |deadlinkdate=2017-10}}</ref><ref name="dd.hokkaido-np/2016-08-10/news/society/society/1-0302852">{{Cite news |author= |url=http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0302852.html |title=新千歳空港すり抜け 混雑時の死角浮き彫り |newspaper=北海道新聞 |agency=どうしんウェブ/電子版(社会) |publisher=北海道新聞社 |date=2016-08-10 |accessdate=2016-08-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160810164550/http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0302852.html |archivedate=2016-08-10 |deadlinkdate=2017-10}}</ref>。
== その他 ==
* 新千歳空港と隣接する千歳飛行場は、千歳市側の[[石狩平野]]と苫小牧市側の[[勇払平野]]、およびその間にある低い丘陵地帯という、全般として平坦な場所に建設されているが、この丘陵地帯が日本列島を[[日本海]]側(石狩平野:[[石狩川]]水系の[[千歳川]]方面)と[[太平洋]](勇払平野:[[安平川]]水系の[[勇払川]]方面)に分けた時の[[分水界#中央分水界|中央分水界]]となる。[[2007年]]、[[日本山岳会]]が中央分水界の完全踏破を行って記録集を出した際、この新千歳空港付近が標高13.7mで、最も低い標高地点であると紹介された<ref>日本山岳会公式サイト内、『[http://jac.or.jp/source/bunsuirei.html 中央分水嶺調査報告書]』資料室内の『創立100周年記念事業 日本列島 中央分水嶺 踏査報告書』より。同サイトから報告書のダウンロードが可能。ウィキペディア日本語版では「中央分水界」だが、同会では「中央分水嶺」の用語を使用している。なお、中央分水界は北海道から九州まで、[[津軽海峡]]と[[関門海峡]]でもつながっているため、全体での最低地点は津軽海峡内の海底部、陸上での最低地点は両海峡に接する海岸となる。</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.jac.or.jp/info/100/bunsuirei/01hok/hok049(H134).pdf JAC創立100周年記念国内登山(中央分水嶺踏査)の山行報告書]}}、2004年4月15日調査。同調査では新千歳空港と千歳飛行場への立ち入りが出来なかったため、この部分を迂回している。</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|New Chitose Airport}}
* [[空港連絡鉄道]]
* [[FM NORTH WAVE]] - ターミナルビルを運営した[[北海道空港]]の子会社であるえんれいしゃがかつての主要株主であり、ターミナル内にサテライトスタジオも置かれていた。
* [[札幌飛行場]](丘珠空港) - 札幌市にある空港。日本語の行き先表示で「札幌/丘珠」と表記される(新千歳空港は「札幌/新千歳」)。
== 外部リンク ==
* [https://www.new-chitose-airport.jp/ja/ 新千歳空港ターミナルビル] {{ja icon}}{{en icon}}{{zh icon}}{{ko icon}}
* [https://www.hkd.mlit.go.jp/sp/kuukou/kluhh4000000dv7e.html 新千歳空港] {{ja icon}} - 国土交通省北海道開発局札幌開発建設部
* [https://www.cab.mlit.go.jp/tcab/newchitose/post_258.html 新千歳空港] {{ja icon}} - [[東京航空局]]
* {{Twitter|Chitose_Info|新千歳空港【公式運用情報】}} {{ja icon}}{{en icon}}
* {{Facebook|newchitoseairport|新千歳空港ターミナルビル}} {{ja icon}}
;ライブカメラ
* [https://www.stv.jp/webcam/shinchitose/index.html ライブカメラ 新千歳空港] {{ja icon}} - 札幌テレビ放送(国内線ターミナル屋上)
* [https://www.stv.jp/webcam/shinchitose2/index.html ライブカメラ 新千歳空港滑走路]{{ja icon}} - 札幌テレビ放送
* [http://www.hbc.co.jp/info-cam/shinchitose.html HBC情報カメラ・いまの新千歳空港]{{ja icon}} - 北海道放送(セイコーエプソン千歳事業所屋上)
;その他
* {{YouTube|oPex_Au_LeU|【国土交通省北海道開発局】世界へ・未来へ 新千歳空港-日本語版-}}
* {{YouTube|YNcyvUnWEes|【朝日新聞×HTB 北海道150年 あなたと選ぶ重大ニュース】新千歳空港が開港。航空自衛隊との滑走路(旧千歳空港)の共同運用が解消される}}
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[[Category:新千歳空港|*]]
[[Category:北海道地方の空港]]
[[Category:千歳市の交通]]
[[Category:千歳市の建築物]]
[[Category:苫小牧市の交通]] | 2003-04-20T16:01:20Z | 2023-12-25T09:16:00Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%8D%83%E6%AD%B3%E7%A9%BA%E6%B8%AF |
7,060 | パリス | パリス(古希: Πάρις, Paris)は、ギリシア神話の英雄である。
イーリオス(トロイア)王プリアモスとヘカベーの息子。出生時の名前アレクサンドロスでも知られる。兄にイーリオスの英雄ヘクトール、姉に悲劇の予言者カッサンドラーを持つ。「パリスの審判」により、イーリオスに戦乱(ひいては滅亡)をもたらしたことで知られる。
アレクサンドロス(後のパリス)を産むとき、ヘカベーは、自分が燃える木を生み出し、それが燃え広がってイーリオスが焼け落ちるという夢を見た。ヘカベーが夢占い師にこの夢のことを告げると、彼は「この子は災厄の種になる」として、殺すことを勧めた。そこで、プリアモスは家来に、アレクサンドロスを連行して殺すように命じた。家来は殺すにしのびず、イーデー山に捨てた。捨てられたアレクサンドロスは、熊の母乳により生き延び、羊飼いに拾われ、彼にパリスと命名されて育てられた。
パリスの生存を王宮は知らず、パリス追悼のための競技会をプリアモスが後に開催する。
成長したパリスはニュンペーのオイノーネーを妻とし、イーデー山で羊飼いをしていた。後にプリアモスの子であることが明らかとなって、王宮に迎えられた。
ある日イーデー山にいたパリスのもとにヘーラー、アテーナー、アプロディーテーがやってきて、誰が一番美しいか判定させようとした(パリスの審判)。
パリスはこの世で一番美しい女を妻として与えると約束したアプロディーテーを、最も美しいとした。
アプロディーテーはパリスに、船を作ってスパルタに赴き、ヘレネーをさらって妻にするようにと命じた。パリスは言われたとおりに実行し、オイノーネーを捨ててヘレネーを妻にした。そこでヘレネーの夫メネラーオス、メネラーオスの兄アガメムノーンらは、ヘレネーを取り返すべく、ギリシア中の英雄を募ってイーリオスに攻め寄せた。これらの英雄のほとんどはヘレネーに結婚を申し込んだ男たちだった。ヘレネーの父テュンダレオースは、彼らの中の誰を結婚相手に選んでも、それ以外の男たちの恨みを買う恐れがあるため、あらかじめ「誰が選ばれるにしても、その男が困難な状況に陥った場合には、全員がその男を助ける」という約束をさせていたのである。
トロイア戦争において、パリスはアポローンの助力のもと、弓でアキレウスを討ち取った。しかし、トロイア陥落の際、ヘーラクレースの矢を持つピロクテーテースに射られ瀕死の重傷を負う。この傷を治せるのは、昔捨てたオイノーネーだけだった。このためパリスはイーデー山に行き、オイノーネーにすがるが拒絶され、イーリオスに戻って死亡した。オイノーネーは後悔し、薬を持ってパリスを追うが、すでに死んでしまった後だったので、自殺して果てたという。 | [
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"text": "アプロディーテーはパリスに、船を作ってスパルタに赴き、ヘレネーをさらって妻にするようにと命じた。パリスは言われたとおりに実行し、オイノーネーを捨ててヘレネーを妻にした。そこでヘレネーの夫メネラーオス、メネラーオスの兄アガメムノーンらは、ヘレネーを取り返すべく、ギリシア中の英雄を募ってイーリオスに攻め寄せた。これらの英雄のほとんどはヘレネーに結婚を申し込んだ男たちだった。ヘレネーの父テュンダレオースは、彼らの中の誰を結婚相手に選んでも、それ以外の男たちの恨みを買う恐れがあるため、あらかじめ「誰が選ばれるにしても、その男が困難な状況に陥った場合には、全員がその男を助ける」という約束をさせていたのである。",
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"text": "トロイア戦争において、パリスはアポローンの助力のもと、弓でアキレウスを討ち取った。しかし、トロイア陥落の際、ヘーラクレースの矢を持つピロクテーテースに射られ瀕死の重傷を負う。この傷を治せるのは、昔捨てたオイノーネーだけだった。このためパリスはイーデー山に行き、オイノーネーにすがるが拒絶され、イーリオスに戻って死亡した。オイノーネーは後悔し、薬を持ってパリスを追うが、すでに死んでしまった後だったので、自殺して果てたという。",
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] | パリスは、ギリシア神話の英雄である。 イーリオス(トロイア)王プリアモスとヘカベーの息子。出生時の名前アレクサンドロスでも知られる。兄にイーリオスの英雄ヘクトール、姉に悲劇の予言者カッサンドラーを持つ。「パリスの審判」により、イーリオスに戦乱(ひいては滅亡)をもたらしたことで知られる。 | {{Otheruses|トロイアの王子|その他のパリス}}
[[File:Bissen,Paris,Glyptoteket.jpg|thumb|180px|[[w:Herman Wilhelm Bissen|Herman Wilhelm Bissen]]作 リンゴを持つパリス ([[ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館]]蔵)]]
'''パリス'''({{lang-grc-short|'''Πάρις''', ''Paris''}})は、[[ギリシア神話]]の[[英雄]]である。
[[イリオス|イーリオス]](トロイア)王[[プリアモス]]と[[ヘカベー]]の息子<ref name="en-myth-Paris">{{Cite web|url=https://pantheon.org/articles/p/paris.html|title=Paris|accessdate=2018-09-06|publisher=Encyclopedia Mythica}}</ref>。出生時の名前'''[[アレクサンドロス]]'''でも知られる。兄にイーリオスの英雄[[ヘクトール]]、姉に悲劇の[[予言者]][[カッサンドラー]]を持つ。「[[パリスの審判]]」により、イーリオスに戦乱(ひいては滅亡)をもたらしたことで知られる。
== 神話 ==
=== 誕生 ===
アレクサンドロス(後のパリス)を産むとき、ヘカベーは、自分が燃える木を生み出し、それが燃え広がって[[イリオス|イーリオス]]が焼け落ちるという夢を見た<ref name="en-myth-Paris" />。ヘカベーが夢占い師にこの夢のことを告げると、彼は「この子は災厄の種になる」として、殺すことを勧めた<ref name="en-myth-Paris" />。そこで、プリアモスは家来に、アレクサンドロスを連行して殺すように命じた。家来は殺すにしのびず、[[カズ・ダー|イーデー山]]に捨てた。捨てられたアレクサンドロスは、熊の母乳により生き延び、羊飼いに拾われ、彼にパリスと命名されて育てられた<ref name="en-myth-Paris" />。
パリスの生存を王宮は知らず、パリス追悼のための競技会をプリアモスが後に開催する。
=== パリスの審判 ===
[[File:The Judgement of Paris by Jean Baptiste Regnault.jpg|thumb|200px|『パリスの審判』 [[ジャン=バプティスト・ルニョー]]作 (1820年頃) [[:en:Staatsgalerie Stuttgart|シュツットガルト州立美術館]]蔵]]
成長したパリスは[[ニュンペー]]の[[オイノーネー]]を妻とし<ref name="en-myth-Paris" />、[[イーデー山|イーデー]]山で羊飼いをしていた。後にプリアモスの子であることが明らかとなって、王宮に迎えられた。
ある日[[イーデー山|イーデー]]山にいたパリスのもとに[[ヘーラー]]、[[アテーナー]]、[[アプロディーテー]]がやってきて、誰が一番美しいか判定させようとした([[パリスの審判]])。
[[ファイル:Cushing Paris.jpg|サムネイル|{{ill2|オソ・クッシング|en|Otho Cushing}}「パリスの審判」(1900s)手にしているのは[[黄金の林檎]]、又は[[不和の林檎]]]]
パリスはこの世で一番美しい女を妻として与えると約束したアプロディーテーを、最も美しいとした<ref name="en-myth-Paris" />。
=== ヘレネー誘拐 ===
アプロディーテーはパリスに、船を作って[[スパルタ]]に赴き、[[ヘレネー]]をさらって妻にするようにと命じた。パリスは言われたとおりに実行し、オイノーネーを捨ててヘレネーを妻にした。そこでヘレネーの夫[[メネラーオス]]、メネラーオスの兄[[アガメムノーン]]らは、ヘレネーを取り返すべく、[[ギリシア]]中の英雄を募ってイーリオスに攻め寄せた。これらの英雄のほとんどはヘレネーに結婚を申し込んだ男たちだった。ヘレネーの父[[テュンダレオース]]は、彼らの中の誰を結婚相手に選んでも、それ以外の男たちの恨みを買う恐れがあるため、あらかじめ「誰が選ばれるにしても、その男が困難な状況に陥った場合には、全員がその男を助ける」という約束をさせていたのである<ref>{{Cite web|url=https://pantheon.org/articles/t/tyndareus.html|title=Tyndareus|accessdate=2018-09-06|publisher=Encyclopedia Mythica}}</ref>。
=== トロイア戦争 ===
[[トロイア戦争]]において、パリスはアポローンの助力のもと、弓で[[アキレウス]]を討ち取った<ref name="en-myth-Paris" />。しかし、トロイア陥落の際、[[ヘーラクレース]]の矢を持つ[[ピロクテーテース]]に射られ瀕死の重傷を負う<ref name="en-myth-Paris" />。この傷を治せるのは、昔捨てた[[オイノーネー]]だけだった。このためパリスはイーデー山に行き、オイノーネーにすがるが拒絶され、イーリオスに戻って死亡した<ref name="en-myth-Oenone">{{Cite web|url=https://pantheon.org/articles/o/oenone.html|title=Oenone|accessdate=2018-09-06|publisher=Encyclopedia Mythica}}</ref>。オイノーネーは後悔し、薬を持ってパリスを追うが、すでに死んでしまった後だったので、自殺して果てたという<ref name="en-myth-Oenone" />。
== 系図 ==
{{トロイアの系図}}
== 脚注 ==
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[[Category:ギリシア神話の人物]]
[[Category:イーリアスの登場人物]]
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[[Category:神話・伝説の弓術家]] | 2003-04-21T00:06:47Z | 2023-10-15T00:57:11Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%82%B9 |
7,065 | 距離空間 | 距離空間(きょりくうかん、metric space)とは、距離関数(きょりかんすう)と呼ばれる非負実数値関数が与えられている集合のことである。
古代より、平面や空間、地上の 2 点間の離れ具合を表す尺度である距離は測量や科学、数学において重要な役割を果たしてきた。1906年にモーリス・フレシェは、様々な集合の上で定義された関数の一様連続性の概念を統一的に研究した論文 Fréchet (1906)において、ユークリッド空間から距離の概念を抽出して用い、距離空間の理論を築いた。
平面 R の上の 2 点 P1 = (x1, y1), P2 = (x2, y2) の間の距離にもマンハッタン距離
やユークリッド距離
などがあり、同じ集合に対して何種類もの異なる距離関数を考える事も少なくないため、集合 X と距離関数 d を組にして (X,d) と書き、距離空間と呼ぶ。
特に距離が与えられることによって、点同士の関係を実数値として定量的に捉えることができるので、極限や連続性の概念が扱いやすくなる。フレシェは位相幾何学の成果のうちで距離に関するものを汲み上げ、一般の距離空間の性質として証明しなおして適用することで汎関数の極限を調べている。
距離空間では、距離を用いて近傍系を定義する事もできるため、位相空間の特殊な例になっている。ユークリッド距離とマンハッタン距離であれば、R 上に同じ近傍系を定めることができるが、異なる近傍系を持つ距離もある。
フェリックス・ハウスドルフは位相空間の重要な性質として距離・近傍系・極限の 3 つを考察し、近傍系を選び位相空間の公理化を行った。そして、極限や連続性などの概念も距離とは無関係に一般化されていった。こういった一般の位相空間から距離は導かれないので距離空間で論じられる空間は一般の位相空間より狭い範囲のものに限られてしまう。しかし、距離空間は一般の位相空間における定理の意味を掴みやすく、また、位相空間論が応用される集合は距離空間として考えることができる空間が多いため、距離空間は今なお重要な概念である。
定義 ― Xを集合とし、
を写像とする。dが以下の3つの条件(距離の公理という)を全て満たすとき、dはX上の距離関数、もしくは単にX上の距離(英: metric)といい、集合XとX上の距離dの組(X,d)の事を距離空間(英: metric space)という。
非退化性
対称性
三角不等式
紛れがなければ距離空間(X,d)の事を単にXとも表記する。
また、非退化性、対称性、三角不等式より導かれる性質として、
非負性
がある。 なお、距離の関連概念として以下のものがある。以下の表で「○」はその条件を課すことを指し、非退化性の欄に
と書いてあるのは非退化性を課す代わりにそれよりも弱い条件である
を課している事を指す。
集合 A と距離空間 (X, d) と単射 f: A → X があるとき、 a1,a2∈A に対して
と定義すれば (A,df) も距離空間になり、fによって誘導された距離空間という。
AがXの部分集合であれば包含写像 id: A ↪ X; a ↦ a によって距離空間(A,did)が誘導される。このようにX の部分集合と包含写像によって定義された距離空間のことを (X, d) の部分距離空間または部分空間という。
距離空間は距離関数の定義を一般化することでその定義を拡張することが出来る。集合 X 上の 2 変数実数値関数 d が、半正定値性、非退化性、対称性を満たし、三角不等式の代わりにさらに強い条件(超距離不等式)
を満たすなら、距離関数 d は非アルキメデス的 (non-Archimedean) あるいは超距離 (ultrametric) であるという。超距離不等式からは三角不等式が導かれるので、超距離は距離でもある。
集合 X 上に定義された2つの距離 d1, d2 は、次の条件を満たす場合、互いに同値と言われる。
つまり、同値な距離とは、同じ位相を誘導する距離である(次項「距離の誘導する位相」参照)。
(X, d) を距離空間、A を X の部分集合とするとき、supx, y ∈ A d(x, y) は A の直径とよばれる。任意の正の実数 ε に対して有限個の直径 ε 以下の部分集合たちで X を覆うことができる場合、X は全有界であると言う。
任意のコーシー列が収束するとき、完備であると言う。
X を距離空間、Aをその部分集合とする。A の点 x について、ある正の数 ε が存在して x を中心とする半径 ε の開球(ε-近傍 , ε-開球)B(x; ε) ≔ {y ∈ X | d(x, y) < ε} (これをU(x; ε)とか N(x; ε)などと書くこともある) が A に含まれる時、x を A の内点 といい、 A を点 x の近傍という。 X における x の近傍の全体 V(x)(近傍は X の部分集合なので V(x) は集合族になる)を x の近傍系という。 このようにして X の各点 x に対しX の部分集合の族 V(x) を対応させる対応は位相空間論における近傍系の公理を満たしており、X を位相空間と見なすことができる。
距離空間に対しては、位相空間論の各概念を点列の収束をもちいて次のように特徴づけられることが知られている。Y を X の部分集合とする。
y ∈ X が Y の内部にあれば、補集合 Y から y に近づく(収束する)事はできないのだから、y は Y の縁ではない中身の部分にあるとみなせる。同様に y ∈ X が Y の外部にあれば、Y から y に近づく事はできないのだから、y は Y の縁ではない外側の部分にあるとみなせる。また y ∈ X が Y の境界にあれば、Y の中からも外からも y に近づけるのだから、y はY の縁にある。
距離空間は位相空間として第一可算性(任意の点が可算の近傍生成基を持つ)、パラコンパクト性、完全正規性やハウスドルフ性など、いくつかの扱いやすいと見なされる性質を持っている。また、距離空間が可算コンパクト性や点列コンパクト性を持つならばその空間が位相空間としてコンパクトであることが導かれる。この距離空間のコンパクト性は距離空間が全有界かつ完備であることと同値になる。さらに距離空間が可分である(稠密な可算部分集合を持つ)ことと第二可算公理を満たす(可算個の開集合によってその位相が生成される)ことは同値になる。
X を距離空間、Uを X×X の部分集合とする。ある正の数 ε が存在して X の対角成分の近傍
が U に含まれるとき、 Uを X の一様近縁という。距離空間の一様近縁全体は一様構造を定める。これを距離から定まる自然な一様構造という。同値な距離からはおなじ一様構造が得られるので、位相構造など一様構造にのみよる概念は同値な距離に対して同じものを与える。
X を距離空間、Uを X×X の部分集合とする。ある正の数 ε が存在して X の対角成分の近傍
が U を含むとき、 Uを X の有界近縁という。距離空間の有界近縁全体は粗構造を定める。これを距離から定まる有界粗構造という。同値な距離からはおなじ粗構造が得られるので、有界性など粗構造にのみよる概念は同値な距離に対して同じものを与える。
一般の一様空間は距離函数の値が小さい時の距離の振る舞いの抽象化であり、また一般の粗空間は距離函数の値が大きい時の距離の振る舞いを抽象化するものである。
距離空間のもっとも自明な例は任意の集合に対して定義できる離散距離構造と呼ばれるものである。集合X の上の2変数関数
d ( x , y ) := { 0 ( x = y ) , 1 ( x ≠ y ) {\displaystyle d(x,y):={\begin{cases}0&(x=y),\\1&(x\neq y)\end{cases}}}
によって定められた距離を離散距離 (discrete metric) といい、距離空間(X,d) を離散距離空間 という。ただしこの距離は議論において何の役にも立たず、距離の定義の緩やかさを示すに過ぎない。
実数全体のなす集合 R に、距離 d を絶対値を用いて d2(x, y) = |x − y| と定めることで、 (R, d) は距離空間になる。
実数全体のなす集合 R の n 個の直積を R と書くとき、 (R, d) の距離関数 d の一般化として次のような 2つの距離関数を考える。
d 1 ( x , y ) := ∑ i = 1 n | x i − y i | {\displaystyle d_{1}(x,y):=\sum _{i=1}^{n}|x_{i}-y_{i}|} d 2 ( x , y ) := ∑ i = 1 n ( x i − y i ) 2 {\displaystyle d_{2}(x,y):={\sqrt {\sum _{i=1}^{n}(x_{i}-y_{i})^{2}}}}
距離d1 は マンハッタン距離 と呼ばれる。一方、距離d2 は n 次元ユークリッド距離とよばれ、距離空間(R, d2)は n 次元ユークリッド空間という。上述の絶対値の例は 1 次元ユークリッド距離になっていることが分かる。教育や自然科学における応用では、多くの場合ユークリッド距離がもちいられる。
また、これの一般化として k-乗平均距離 d k ( x , y ) := ( ∑ i = 1 n | x i − y i | k ) 1 / k {\textstyle d_{k}(x,y):=(\sum _{i=1}^{n}|x_{i}-y_{i}|^{k})^{1/k}} を考えたとき、その極限 d max ( x , y ) := lim k → ∞ d k ( x , y ) = max 1 ≤ i ≤ n | x i − y i | {\displaystyle d_{\text{max}}(x,y):=\lim _{k\to \infty }d_{k}(x,y)=\max _{1\leq i\leq n}|x_{i}-y_{i}|} はチェビシェフ距離と呼ばれる。
このように、同じ集合に対して定めることのできる距離は一つではない。 一般には集合が同じであっても異なる距離関数を与えれば位相空間としても異なるが、ここで定義した d1, d2, dmaxに関しては
dmax(x,y) ≤ d2(x,y) ≤ d1(x,y) ≤ n dmax(x,y)
という関係があり、これら同値な距離はユークリッド空間上に同じ位相構造を定めている。言い換えると、この 3 つの距離はいずれも同じ開集合系を定めるのである。例えば、d1 に関する開集合は必ず d2 に関する開球の和集合に表され、逆に d2 に関する開集合は必ず d1 に関する開球の和集合に表される。dmaxによって定まる位相と d1,d2のそれぞれによって定まる位相との関係についても同じことが言える。
他の例としては球面距離がある。 球面上の2点P1、P2の球面距離は、P1とP2を結ぶ大円弧の長さの事である。ただし、P1とP2を結ぶ大円弧は2つあるが、そのうち短い方の弧長を距離として採用する。もっと直観的に言うと、P1、P2の球面距離は、巻尺をP1始点にしてP2へと球面に巻きつけたときに巻尺に書かれた長さの事である。
球面上には直線距離という別の距離も考えられる。これはP1、P2を結ぶ弦の長さとしてあたえられる。
距離空間 (X, d) と劣加法的な広義単調増加関数 f: R≥0→ R≥0が与えられたとき、f◦d も距離となる。f が原点で 0 を取り連続なとき f◦d は d と同じ位相を定める。特に f(x) = x/(1 + x) は f(0) = 0 となる劣加法的で有界な広義単調増加連続関数なので
は d と位相を同じくする有界な距離を定める。
距離空間 (X, dX), (Y, dY) に対し X × Y 上に距離関数を
によって定めることができる(ただし 0 ≤ p < ∞)。同様に距離
を定めることも出来る。
可算個の原点付き距離空間の族 (Xn, dn, bn)n ∈ Nが与えられたとき、直積集合 ∏n ∈ NXn 上に拡張距離関数を
によって定めることができる(ただし 0 ≤ p ≤ ∞ で ‖ ‖pは数列空間上の l p {\displaystyle \ell ^{p}} ノルム)。特に
上では距離関数となっている。更に Dn を Xn の直径としたとき、‖(Dn)n∈N‖p< ∞ ならばこの距離は ∏n∈NXn 全体で有限となり、その位相はそれぞれの Xnを位相空間と見なしたときの ∏n∈NXn 上の直積位相に一致している。
特に、(Xn, dn) を2点集合に離散距離(の (1/2)倍)を入れたものの場合、えられる直積距離空間 ({0, 1}, d) はカントール集合に実数の差の絶対値から定まる距離を与えたものと同一視できる。
距離空間の族 (Xλ, dλ)λ ∈ Λが与えられたとき、 ∐ λ ∈ Λ X λ {\displaystyle \coprod _{\lambda \in \Lambda }X_{\lambda }} 上に拡張距離を
と定めることが出来る。
距離空間 (X, d) と全射 f: X →Y が与えられたとき、Y 上に擬距離を
と定めることが出来る。この擬距離は f を1-リプシッツにする最大の擬距離である。
この2つの方法を組み合わせることにより距離空間の張り合わせが定義される。
ハミング距離は、2つの文字列の間に定義される距離で、2つの文字列の中に異なる文字何個があるかである。 たとえば「simply」と「sample」は異なる文字が2つ(iとa、yとe)あるので、「simply」と「sample」のハミング距離は2である。
このようなものにも距離を定義すると、抽象的で分かりにくかった対象に図形的に分かりやすい解釈を与える事ができる。 例えばハミング距離は誤り訂正を図形的で分かりやすいものにしてくれる。 誤り訂正とは、データ通信の際に生じる誤りを取り除く方法の事である。例えば「apple」という文章を送ったはずがデータ通信の途中でエラーが入り、 「axple」になってしまったとしよう。 そうしたらデータを受信した人は辞書を引いて、「axple」とハミング距離が一番近い単語を探す事で誤りを訂正できる。 このようにハミング距離は、「誤りを訂正する」という図形的ではないものに、「距離が一番近いものを探す」という図形的な解釈を与えてくれるのである。
別の例としては、グラフ上の距離がある。グラフの2頂点P1、P2の間の距離は P1からP2へ到達するのに最低いくつの辺を通らねばならないかである。この特別な場合として離散群のケイリーグラフとその上の語距離 (word length metric) が挙げられる。これは離散群G上にその生成集合Sによって定まる距離で、Gの元 g, h の間の距離は gh を S の元の積として表すのに必要な項の数の最小数として定められる。有限生成群における、有限集合の範囲での生成集合の取り替えはケイリーグラフ上に互いに同値な距離を与える。
可微分多様体 M と、M上の計量テンソルと呼ばれる(非退化・正定値・対称)2階の共変テンソル g をあわせたものはリーマン多様体と呼ばれる。テンソルgによって Mの各点での接空間に対し接ベクトルの長さを表す正定値の2次形式が与えられ、これをもとにしてM上の曲線の弧長を定義することができる。M上の距離は2点間を結ぶ長さ最小の曲線(測地線)の長さとして定められる。
δ を正の数とする。2点間の測地線が定められるような距離空間 X について、δ-双曲性の概念が以下のように定式化できる。Xの任意の3点a, b, cに対してこれらを頂点とし、それらの間の測地線A, B, Cを辺とするような三角形が考えられることになるが、そのどの一辺もほかの二辺の δ-近傍に含まれているとき、Xはδ-双曲的であるという。有限生成離散群 G のケイリーグラフがあるδについてδ-双曲的となる場合に G は双曲群と呼ばれる。
p を素数としたとき、p-進距離は有理数の(あるいはより一般にp進数の)集合上に定義される距離で、整数 n について有理数 a, b の差 a − b が p の整数倍だが pの整数倍ではないとき、pを a と b の間の p 進距離と定義する。ただし a = b のときは a と b の p 進距離は 0 であると定義する。たとえば 15 − 3 = 12 は 2 の倍数であるが 2 の倍数では無いので、15 と 3 の 2 進距離は 2 = 1/4 である。p 進整数環 Zp は距離空間として離散距離空間 {1, ..., p} の可算個のコピーの直積空間 {1, ..., p} になっている。
実数または複素数体上のノルム空間は、二つの元の間の距離をそれらの差のノルムとして定めると距離空間と見なせる。こうして得られる距離空間のうち完備なものはバナッハ空間と呼ばれ、関数解析学における主要な枠組みの一つとなっている。
ノルムによって位相が定まっているとは限らない位相線型空間のうち、平行移動不変な距離について完備空間となっているものはフレシェ空間と呼ばれる。バナッハ空間のほかに、微分多様体上の滑らかな関数のなす空間や、急減少数列のなす空間などがフレシェ空間の例になっている。
実数の差の絶対値による距離を与えた単位閉区間の可算個の直積 [0, 1] は完備可分距離空間となり、ヒルベルト立方体とよばれる。位相的にはこれはコンパクト空間 [0, 1] の可算個の直積の積位相によって得られるコンパクト空間になっている。可分な(あるいは同値なことだが、第二可算公理を満たす)距離空間 (X, d) は、その稠密な可算部分集合 {an : n ∈ N} をもちいて x ↦ (min(d(x, an), 1))n∈N と定義される写像によりヒルベルトキューブの中に埋め込むことができる。こうして任意の可分距離空間は位相的にはヒルベルト・キューブの部分空間と同一視することができる。
完備な可分距離空間のボレル集合のなすσ代数はきわめて限られたものになっている。実際、そのようなσ代数は
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"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "非退化性",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "対称性",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "三角不等式",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "紛れがなければ距離空間(X,d)の事を単にXとも表記する。",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "また、非退化性、対称性、三角不等式より導かれる性質として、",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "非負性",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "がある。 なお、距離の関連概念として以下のものがある。以下の表で「○」はその条件を課すことを指し、非退化性の欄に",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "と書いてあるのは非退化性を課す代わりにそれよりも弱い条件である",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "を課している事を指す。",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "集合 A と距離空間 (X, d) と単射 f: A → X があるとき、 a1,a2∈A に対して",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "と定義すれば (A,df) も距離空間になり、fによって誘導された距離空間という。",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "AがXの部分集合であれば包含写像 id: A ↪ X; a ↦ a によって距離空間(A,did)が誘導される。このようにX の部分集合と包含写像によって定義された距離空間のことを (X, d) の部分距離空間または部分空間という。",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "距離空間は距離関数の定義を一般化することでその定義を拡張することが出来る。集合 X 上の 2 変数実数値関数 d が、半正定値性、非退化性、対称性を満たし、三角不等式の代わりにさらに強い条件(超距離不等式)",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "を満たすなら、距離関数 d は非アルキメデス的 (non-Archimedean) あるいは超距離 (ultrametric) であるという。超距離不等式からは三角不等式が導かれるので、超距離は距離でもある。",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "集合 X 上に定義された2つの距離 d1, d2 は、次の条件を満たす場合、互いに同値と言われる。",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "つまり、同値な距離とは、同じ位相を誘導する距離である(次項「距離の誘導する位相」参照)。",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "(X, d) を距離空間、A を X の部分集合とするとき、supx, y ∈ A d(x, y) は A の直径とよばれる。任意の正の実数 ε に対して有限個の直径 ε 以下の部分集合たちで X を覆うことができる場合、X は全有界であると言う。",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "任意のコーシー列が収束するとき、完備であると言う。",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "X を距離空間、Aをその部分集合とする。A の点 x について、ある正の数 ε が存在して x を中心とする半径 ε の開球(ε-近傍 , ε-開球)B(x; ε) ≔ {y ∈ X | d(x, y) < ε} (これをU(x; ε)とか N(x; ε)などと書くこともある) が A に含まれる時、x を A の内点 といい、 A を点 x の近傍という。 X における x の近傍の全体 V(x)(近傍は X の部分集合なので V(x) は集合族になる)を x の近傍系という。 このようにして X の各点 x に対しX の部分集合の族 V(x) を対応させる対応は位相空間論における近傍系の公理を満たしており、X を位相空間と見なすことができる。",
"title": "距離の誘導する位相"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "距離空間に対しては、位相空間論の各概念を点列の収束をもちいて次のように特徴づけられることが知られている。Y を X の部分集合とする。",
"title": "距離の誘導する位相"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "y ∈ X が Y の内部にあれば、補集合 Y から y に近づく(収束する)事はできないのだから、y は Y の縁ではない中身の部分にあるとみなせる。同様に y ∈ X が Y の外部にあれば、Y から y に近づく事はできないのだから、y は Y の縁ではない外側の部分にあるとみなせる。また y ∈ X が Y の境界にあれば、Y の中からも外からも y に近づけるのだから、y はY の縁にある。",
"title": "距離の誘導する位相"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "距離空間は位相空間として第一可算性(任意の点が可算の近傍生成基を持つ)、パラコンパクト性、完全正規性やハウスドルフ性など、いくつかの扱いやすいと見なされる性質を持っている。また、距離空間が可算コンパクト性や点列コンパクト性を持つならばその空間が位相空間としてコンパクトであることが導かれる。この距離空間のコンパクト性は距離空間が全有界かつ完備であることと同値になる。さらに距離空間が可分である(稠密な可算部分集合を持つ)ことと第二可算公理を満たす(可算個の開集合によってその位相が生成される)ことは同値になる。",
"title": "距離の誘導する位相"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "X を距離空間、Uを X×X の部分集合とする。ある正の数 ε が存在して X の対角成分の近傍",
"title": "距離の誘導する一様構造・粗構造"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "が U に含まれるとき、 Uを X の一様近縁という。距離空間の一様近縁全体は一様構造を定める。これを距離から定まる自然な一様構造という。同値な距離からはおなじ一様構造が得られるので、位相構造など一様構造にのみよる概念は同値な距離に対して同じものを与える。",
"title": "距離の誘導する一様構造・粗構造"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "X を距離空間、Uを X×X の部分集合とする。ある正の数 ε が存在して X の対角成分の近傍",
"title": "距離の誘導する一様構造・粗構造"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "が U を含むとき、 Uを X の有界近縁という。距離空間の有界近縁全体は粗構造を定める。これを距離から定まる有界粗構造という。同値な距離からはおなじ粗構造が得られるので、有界性など粗構造にのみよる概念は同値な距離に対して同じものを与える。",
"title": "距離の誘導する一様構造・粗構造"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "一般の一様空間は距離函数の値が小さい時の距離の振る舞いの抽象化であり、また一般の粗空間は距離函数の値が大きい時の距離の振る舞いを抽象化するものである。",
"title": "距離の誘導する一様構造・粗構造"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "距離空間のもっとも自明な例は任意の集合に対して定義できる離散距離構造と呼ばれるものである。集合X の上の2変数関数",
"title": "初等的な例"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "d ( x , y ) := { 0 ( x = y ) , 1 ( x ≠ y ) {\\displaystyle d(x,y):={\\begin{cases}0&(x=y),\\\\1&(x\\neq y)\\end{cases}}}",
"title": "初等的な例"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "によって定められた距離を離散距離 (discrete metric) といい、距離空間(X,d) を離散距離空間 という。ただしこの距離は議論において何の役にも立たず、距離の定義の緩やかさを示すに過ぎない。",
"title": "初等的な例"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "実数全体のなす集合 R に、距離 d を絶対値を用いて d2(x, y) = |x − y| と定めることで、 (R, d) は距離空間になる。",
"title": "初等的な例"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "実数全体のなす集合 R の n 個の直積を R と書くとき、 (R, d) の距離関数 d の一般化として次のような 2つの距離関数を考える。",
"title": "初等的な例"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "d 1 ( x , y ) := ∑ i = 1 n | x i − y i | {\\displaystyle d_{1}(x,y):=\\sum _{i=1}^{n}|x_{i}-y_{i}|} d 2 ( x , y ) := ∑ i = 1 n ( x i − y i ) 2 {\\displaystyle d_{2}(x,y):={\\sqrt {\\sum _{i=1}^{n}(x_{i}-y_{i})^{2}}}}",
"title": "初等的な例"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "距離d1 は マンハッタン距離 と呼ばれる。一方、距離d2 は n 次元ユークリッド距離とよばれ、距離空間(R, d2)は n 次元ユークリッド空間という。上述の絶対値の例は 1 次元ユークリッド距離になっていることが分かる。教育や自然科学における応用では、多くの場合ユークリッド距離がもちいられる。",
"title": "初等的な例"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "また、これの一般化として k-乗平均距離 d k ( x , y ) := ( ∑ i = 1 n | x i − y i | k ) 1 / k {\\textstyle d_{k}(x,y):=(\\sum _{i=1}^{n}|x_{i}-y_{i}|^{k})^{1/k}} を考えたとき、その極限 d max ( x , y ) := lim k → ∞ d k ( x , y ) = max 1 ≤ i ≤ n | x i − y i | {\\displaystyle d_{\\text{max}}(x,y):=\\lim _{k\\to \\infty }d_{k}(x,y)=\\max _{1\\leq i\\leq n}|x_{i}-y_{i}|} はチェビシェフ距離と呼ばれる。",
"title": "初等的な例"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "このように、同じ集合に対して定めることのできる距離は一つではない。 一般には集合が同じであっても異なる距離関数を与えれば位相空間としても異なるが、ここで定義した d1, d2, dmaxに関しては",
"title": "初等的な例"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "dmax(x,y) ≤ d2(x,y) ≤ d1(x,y) ≤ n dmax(x,y)",
"title": "初等的な例"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "という関係があり、これら同値な距離はユークリッド空間上に同じ位相構造を定めている。言い換えると、この 3 つの距離はいずれも同じ開集合系を定めるのである。例えば、d1 に関する開集合は必ず d2 に関する開球の和集合に表され、逆に d2 に関する開集合は必ず d1 に関する開球の和集合に表される。dmaxによって定まる位相と d1,d2のそれぞれによって定まる位相との関係についても同じことが言える。",
"title": "初等的な例"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "他の例としては球面距離がある。 球面上の2点P1、P2の球面距離は、P1とP2を結ぶ大円弧の長さの事である。ただし、P1とP2を結ぶ大円弧は2つあるが、そのうち短い方の弧長を距離として採用する。もっと直観的に言うと、P1、P2の球面距離は、巻尺をP1始点にしてP2へと球面に巻きつけたときに巻尺に書かれた長さの事である。",
"title": "初等的な例"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "球面上には直線距離という別の距離も考えられる。これはP1、P2を結ぶ弦の長さとしてあたえられる。",
"title": "初等的な例"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "距離空間 (X, d) と劣加法的な広義単調増加関数 f: R≥0→ R≥0が与えられたとき、f◦d も距離となる。f が原点で 0 を取り連続なとき f◦d は d と同じ位相を定める。特に f(x) = x/(1 + x) は f(0) = 0 となる劣加法的で有界な広義単調増加連続関数なので",
"title": "距離空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "は d と位相を同じくする有界な距離を定める。",
"title": "距離空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "距離空間 (X, dX), (Y, dY) に対し X × Y 上に距離関数を",
"title": "距離空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "によって定めることができる(ただし 0 ≤ p < ∞)。同様に距離",
"title": "距離空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "を定めることも出来る。",
"title": "距離空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "可算個の原点付き距離空間の族 (Xn, dn, bn)n ∈ Nが与えられたとき、直積集合 ∏n ∈ NXn 上に拡張距離関数を",
"title": "距離空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "によって定めることができる(ただし 0 ≤ p ≤ ∞ で ‖ ‖pは数列空間上の l p {\\displaystyle \\ell ^{p}} ノルム)。特に",
"title": "距離空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "上では距離関数となっている。更に Dn を Xn の直径としたとき、‖(Dn)n∈N‖p< ∞ ならばこの距離は ∏n∈NXn 全体で有限となり、その位相はそれぞれの Xnを位相空間と見なしたときの ∏n∈NXn 上の直積位相に一致している。",
"title": "距離空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "特に、(Xn, dn) を2点集合に離散距離(の (1/2)倍)を入れたものの場合、えられる直積距離空間 ({0, 1}, d) はカントール集合に実数の差の絶対値から定まる距離を与えたものと同一視できる。",
"title": "距離空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "距離空間の族 (Xλ, dλ)λ ∈ Λが与えられたとき、 ∐ λ ∈ Λ X λ {\\displaystyle \\coprod _{\\lambda \\in \\Lambda }X_{\\lambda }} 上に拡張距離を",
"title": "距離空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "と定めることが出来る。",
"title": "距離空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "距離空間 (X, d) と全射 f: X →Y が与えられたとき、Y 上に擬距離を",
"title": "距離空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "と定めることが出来る。この擬距離は f を1-リプシッツにする最大の擬距離である。",
"title": "距離空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "この2つの方法を組み合わせることにより距離空間の張り合わせが定義される。",
"title": "距離空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "ハミング距離は、2つの文字列の間に定義される距離で、2つの文字列の中に異なる文字何個があるかである。 たとえば「simply」と「sample」は異なる文字が2つ(iとa、yとe)あるので、「simply」と「sample」のハミング距離は2である。",
"title": "応用数学・組み合わせ論における距離構造"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "このようなものにも距離を定義すると、抽象的で分かりにくかった対象に図形的に分かりやすい解釈を与える事ができる。 例えばハミング距離は誤り訂正を図形的で分かりやすいものにしてくれる。 誤り訂正とは、データ通信の際に生じる誤りを取り除く方法の事である。例えば「apple」という文章を送ったはずがデータ通信の途中でエラーが入り、 「axple」になってしまったとしよう。 そうしたらデータを受信した人は辞書を引いて、「axple」とハミング距離が一番近い単語を探す事で誤りを訂正できる。 このようにハミング距離は、「誤りを訂正する」という図形的ではないものに、「距離が一番近いものを探す」という図形的な解釈を与えてくれるのである。",
"title": "応用数学・組み合わせ論における距離構造"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "別の例としては、グラフ上の距離がある。グラフの2頂点P1、P2の間の距離は P1からP2へ到達するのに最低いくつの辺を通らねばならないかである。この特別な場合として離散群のケイリーグラフとその上の語距離 (word length metric) が挙げられる。これは離散群G上にその生成集合Sによって定まる距離で、Gの元 g, h の間の距離は gh を S の元の積として表すのに必要な項の数の最小数として定められる。有限生成群における、有限集合の範囲での生成集合の取り替えはケイリーグラフ上に互いに同値な距離を与える。",
"title": "応用数学・組み合わせ論における距離構造"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "可微分多様体 M と、M上の計量テンソルと呼ばれる(非退化・正定値・対称)2階の共変テンソル g をあわせたものはリーマン多様体と呼ばれる。テンソルgによって Mの各点での接空間に対し接ベクトルの長さを表す正定値の2次形式が与えられ、これをもとにしてM上の曲線の弧長を定義することができる。M上の距離は2点間を結ぶ長さ最小の曲線(測地線)の長さとして定められる。",
"title": "幾何学における距離構造"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "δ を正の数とする。2点間の測地線が定められるような距離空間 X について、δ-双曲性の概念が以下のように定式化できる。Xの任意の3点a, b, cに対してこれらを頂点とし、それらの間の測地線A, B, Cを辺とするような三角形が考えられることになるが、そのどの一辺もほかの二辺の δ-近傍に含まれているとき、Xはδ-双曲的であるという。有限生成離散群 G のケイリーグラフがあるδについてδ-双曲的となる場合に G は双曲群と呼ばれる。",
"title": "幾何学における距離構造"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "p を素数としたとき、p-進距離は有理数の(あるいはより一般にp進数の)集合上に定義される距離で、整数 n について有理数 a, b の差 a − b が p の整数倍だが pの整数倍ではないとき、pを a と b の間の p 進距離と定義する。ただし a = b のときは a と b の p 進距離は 0 であると定義する。たとえば 15 − 3 = 12 は 2 の倍数であるが 2 の倍数では無いので、15 と 3 の 2 進距離は 2 = 1/4 である。p 進整数環 Zp は距離空間として離散距離空間 {1, ..., p} の可算個のコピーの直積空間 {1, ..., p} になっている。",
"title": "代数学における距離構造"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "実数または複素数体上のノルム空間は、二つの元の間の距離をそれらの差のノルムとして定めると距離空間と見なせる。こうして得られる距離空間のうち完備なものはバナッハ空間と呼ばれ、関数解析学における主要な枠組みの一つとなっている。",
"title": "解析学における距離構造"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "ノルムによって位相が定まっているとは限らない位相線型空間のうち、平行移動不変な距離について完備空間となっているものはフレシェ空間と呼ばれる。バナッハ空間のほかに、微分多様体上の滑らかな関数のなす空間や、急減少数列のなす空間などがフレシェ空間の例になっている。",
"title": "解析学における距離構造"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "実数の差の絶対値による距離を与えた単位閉区間の可算個の直積 [0, 1] は完備可分距離空間となり、ヒルベルト立方体とよばれる。位相的にはこれはコンパクト空間 [0, 1] の可算個の直積の積位相によって得られるコンパクト空間になっている。可分な(あるいは同値なことだが、第二可算公理を満たす)距離空間 (X, d) は、その稠密な可算部分集合 {an : n ∈ N} をもちいて x ↦ (min(d(x, an), 1))n∈N と定義される写像によりヒルベルトキューブの中に埋め込むことができる。こうして任意の可分距離空間は位相的にはヒルベルト・キューブの部分空間と同一視することができる。",
"title": "解析学における距離構造"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "完備な可分距離空間のボレル集合のなすσ代数はきわめて限られたものになっている。実際、そのようなσ代数は",
"title": "解析学における距離構造"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "のボレル集合のなす2種類σ代数の和として表すことができる。",
"title": "解析学における距離構造"
}
] | 距離空間(きょりくうかん、metric space)とは、距離関数(きょりかんすう)と呼ばれる非負実数値関数が与えられている集合のことである。 古代より、平面や空間、地上の 2 点間の離れ具合を表す尺度である距離は測量や科学、数学において重要な役割を果たしてきた。1906年にモーリス・フレシェは、様々な集合の上で定義された関数の一様連続性の概念を統一的に研究した論文 Fréchet (1906)において、ユークリッド空間から距離の概念を抽出して用い、距離空間の理論を築いた。 平面 R2 の上の 2 点 P1 = (x1, y1), P2 = (x2, y2) の間の距離にもマンハッタン距離 やユークリッド距離 などがあり、同じ集合に対して何種類もの異なる距離関数を考える事も少なくないため、集合 X と距離関数 d を組にして (X,d) と書き、距離空間と呼ぶ。 特に距離が与えられることによって、点同士の関係を実数値として定量的に捉えることができるので、極限や連続性の概念が扱いやすくなる。フレシェは位相幾何学の成果のうちで距離に関するものを汲み上げ、一般の距離空間の性質として証明しなおして適用することで汎関数の極限を調べている。 距離空間では、距離を用いて近傍系を定義する事もできるため、位相空間の特殊な例になっている。ユークリッド距離とマンハッタン距離であれば、R2 上に同じ近傍系を定めることができるが、異なる近傍系を持つ距離もある。 フェリックス・ハウスドルフは位相空間の重要な性質として距離・近傍系・極限の 3 つを考察し、近傍系を選び位相空間の公理化を行った。そして、極限や連続性などの概念も距離とは無関係に一般化されていった。こういった一般の位相空間から距離は導かれないので距離空間で論じられる空間は一般の位相空間より狭い範囲のものに限られてしまう。しかし、距離空間は一般の位相空間における定理の意味を掴みやすく、また、位相空間論が応用される集合は距離空間として考えることができる空間が多いため、距離空間は今なお重要な概念である。 | '''距離空間'''(きょりくうかん、''metric space'')とは、'''[[距離函数|距離関数]]'''(きょりかんすう)と呼ばれる[[符号 (数学)|非負]][[関数_(数学)|実数値関数]]が与えられている[[集合]]のことである。
古代より、[[平面]]や[[空間]]、[[地上]]の 2 点間の離れ具合を表す尺度である[[距離]]は[[測量]]や[[科学]]、[[数学]]において重要な役割を果たしてきた。1906年に[[モーリス・フレシェ]]は、様々な集合の上で定義された関数の一様連続性の概念を統一的に研究した論文 {{harvtxt|Fréchet|1906}}{{efn|フレシェは彼の研究の動機として、以下のクラスの関数についての先行研究をあげている:時代とともに発展してきた1つの変数 x に関する関数 y の概念、2つや3つの変数についての関数、あるいはn変数、または無限個<ref>{{citation|first=J.|last=le Roux |url=http://www.numdam.org/item/NAM_1904_4_4__448_0 |title=Les fonctions d'une infinité de variables indépendantes | journal= Nouvelles Annales de Mathematiques, 4{{sup|e}} série | volume=4 |year=1904 |pages=448-458}}</ref>の変数についての関数、{{harvtxt|Volterra|1889}}<ref>{{citation|last=Volterra |first= Vito |title= Sur une genéralisation de la théorie des fonctions d'une variable imaginaire: I{{sup|er}} Mémoire |url=https://projecteuclid.org/euclid.acta/1485881704 |journal= Acta Mathematica |volume=12|year=1889 |pages=233-286|doi=10.1007/BF02592183}}</ref> や {{harvtxt|Arzelà|1889}}<ref>{{citation|last=Arzelà |first= C. |title=Funzioni di linee |journal= Rendiconti della R. Accademia dei Lincei |volume=5 |issue=1 |year=1889 |pages=342-348|publisher = Reale Accademia dei Lincei |location= Rome| issn=0001-4435|zbl = 21.0424.01}}</ref> に始まる曲線の形と位置に関する関数の研究、{{harvtxt|Hadamard|1903}}<ref>{{citation|first=Jacques|last=Hadamard |title=Sur les opérations fonctionnelles |journal= Comptes Rendus de l'Academie des Sciences de Paris |year= 1903 |pages=351-354}}</ref> による関数を変数とするような汎関数の研究など。彼はこれらの研究を統合するために、数や点、関数、線や曲面など任意の種類の集合 (ensemble de nature quelconque) に対して述べることのできる形で距離化可能一様空間や距離空間の公理を定式化し、それらの空間の上に定義された関数の連続性や一様連続性について研究した。}}において、[[ユークリッド空間]]から距離の概念を抽出して用い、距離空間の理論を築いた。
平面 '''R'''<sup>2</sup> の上の 2 点 ''P''<sub>1</sub> = (''x''<sub>1</sub>, ''y''<sub>1</sub>), ''P''<sub>2</sub> = (''x''<sub>2</sub>, ''y''<sub>2</sub>) の間の距離にも[[マンハッタン距離]]
: <math>d_1(P_1, P_2) := |x_1 - x_2| + |y_1 - y_2|</math>
や[[ユークリッド空間|ユークリッド距離]]
: <math>d_2(P_1,P_2) := \sqrt{ (x_1 - x_2)^2 + (y_1 - y_2)^2 }</math>
などがあり、同じ集合に対して何種類もの異なる距離関数を考える事も少なくないため、集合 ''X'' と距離関数 ''d'' を組にして (''X'',''d'') と書き、距離空間と呼ぶ。
特に距離が与えられることによって、点同士の関係を実数値として定量的に捉えることができるので、[[極限]]や[[連続]]性の概念が扱いやすくなる。フレシェは[[位相幾何学]]の成果のうちで距離に関するものを汲み上げ、一般の距離空間の性質として証明しなおして適用することで[[汎関数]]の極限を調べている。
{{efn|一般的な状況で定理を証明し、個々の具体例に適用して証明を簡略化するというのは、現代数学の特徴の 1 つである。}}
距離空間では、距離を用いて[[位相空間|近傍系]]を定義する事もできるため、位相空間の特殊な例になっている。ユークリッド距離とマンハッタン距離であれば、'''R'''<sup>2</sup> 上に同じ近傍系を定めることができるが、異なる近傍系を持つ距離もある。
[[フェリックス・ハウスドルフ]]は位相空間の重要な性質として距離・近傍系・極限の 3 つを考察し、近傍系を選び位相空間の公理化を行った。そして、極限や連続性などの概念も距離とは無関係に一般化されていった。こういった一般の位相空間から距離は導かれないので距離空間で論じられる空間は一般の位相空間より狭い範囲のものに限られてしまう。しかし、距離空間は一般の位相空間における定理の意味を掴みやすく、また、位相空間論が応用される集合は距離空間として考えることができる空間が多いため、距離空間は今なお重要な概念である。
== 定義 ==
{{math theorem|定義|{{mvar|X}}を[[集合]]とし、
: <math>d~:~X\times X \to \mathbb{R}</math>
を写像とする。{{mvar|d}}が以下の3つの条件('''距離の公理'''という)を全て満たすとき、{{mvar|d}}は{{mvar|X}}上の'''距離関数'''、もしくは単に{{mvar|X}}上の'''距離'''({{lang-en-short|metric}})といい、集合{{mvar|X}}と{{mvar|X}}上の距離{{mvar|d}}の組{{math|(''X'',''d'')}}の事を'''距離空間'''({{lang-en-short|metric space}})という。
'''非退化性'''
: <math>\forall x,y\in X~:~d(x,y)=0 \iff x=y</math>
'''対称性'''
: <math>\forall x,y\in X~:~d(x,y)=d(y,x)</math>
'''[[三角不等式]]'''
: <math>\forall x,y,z\in X~:~d(x,y)+d(y,z)\ge d(x,z)</math>
紛れがなければ距離空間{{math|(''X'',''d'')}}の事を単に{{mvar|X}}とも表記する。
}}
また、非退化性、対称性、三角不等式より導かれる性質として、
'''非負性'''
: <math>\forall x,y\in X~:~d(x,y) \ge 0</math>
がある。
なお、距離の関連概念として以下のものがある。以下の表で「○」はその条件を課すことを指し、非退化性の欄に
: <math>\forall x\in X~:~ d(x,x)=0</math>
と書いてあるのは非退化性を課す代わりにそれよりも弱い条件である
: <math>d(x,x)=0</math>
を課している事を指す。
{| class="wikitable"
|+
!
!非負性
!非退化性
!対称性
!三角不等式
|-
|[[擬距離空間|'''擬距離''']]('''{{lang-en-short|pseudometric}}''')
|○
|<math>\forall x\in X~:~ d(x,x)=0</math>
|○
|○
|-
|'''quasi-metric'''<ref name=":0">{{citation|last1=Steen|first1=Lynn Arthur|author-link1=Lynn Arthur Steen|last2=Seebach|first2=J. Arthur Jr.|author-link2=J. Arthur Seebach Jr.|title=Counterexamples in Topology|title-link=Counterexamples in Topology|orig-year=1978|publisher=[[Dover Publications|Dover]]|isbn=978-0-486-68735-3|mr=507446|year=1995|oclc=32311847}}</ref><ref name=":1">{{cite conference|title=Quasi uniformities: reconciling domains with metric spaces|last=Smyth|first=M.|year=1987|pages=236–253|conference=3rd Conference on Mathematical Foundations of Programming Language Semantics|editor=M.Main|editor2=A.Melton|editor3=M.Mislove|editor4=D.Schmidt|publisher=Springer-Verlag, Lecture Notes in Computer Science 298|doi=10.1007/3-540-19020-1_12}}</ref>
|○
|○
|-
|○
|-
|'''quasi-pseudometric'''<ref name=":2">{{Cite web|url=https://web.archive.org/web/20181025000854/https://math.sun.ac.za/cattop/Output/Kunzi/quasiintr.pdf|title=An Introduction to the Theory of Quasi-uniform Spaces|accessdate=2021/04/29|author=Hans-Peter A. Künzi|format=pdf|date=2005/5/7|ref=Peter}} p.2.</ref>
|○
|<math>\forall x\in X~:~ d(x,x)=0</math>
|-
|○
|-
|'''metametric'''<ref name=":3">{{citation|last=Väisälä|first=Jussi|doi=10.1016/j.exmath.2005.01.010|issue=3|journal=Expositiones Mathematicae|mr=2164775|pages=187–231|title=Gromov hyperbolic spaces|url=http://www.helsinki.fi/~jvaisala/grobok.pdf|volume=23|year=2005}}</ref>{{efn|ただし著者によってはこの概念を quasimetric<ref>{{Citation|title=The Geodesic Problem in Quasimetric Spaces|year=2009|author=Xia, Q.|journal=Journal of Geometric Analysis|pages=452–479|volume=19|doi=10.1007/s12220-008-9065-4|issue=2|arxiv=0807.3377|s2cid=17475581}}</ref>、nearmetrics<ref>{{Citation|author1=Qinglan Xia|title=The geodesic problem in nearmetric spaces|year=2008|pages=452–479|volume=19|issue=2|journal=Journal of Geometric Analysis|arxiv=0807.3377|postscript=.|bibcode=2008arXiv0807.3377X}}</ref> inframetric<ref name="inframetrics">* {{cite book|title=2008 IEEE INFOCOM - The 27th Conference on Computer Communications|citeseerx=10.1.1.113.6748|year=2008|journal=IEEE INFOCOM 2008. The 27th Conference on Computer Communications|pages=1085–1093|last1=Fraigniaud|first1=P.|last2=Lebhar|first2=E.|last3=Viennot|first3=L.|doi=10.1109/INFOCOM.2008.163|chapter=The Inframetric Model for the Internet|isbn=978-1-4244-2026-1|s2cid=5733968}}.</ref>と呼んでいる場合がある。また著者によっては何らかの弱い形の三角不等式を課している場合がある}}
|○
|<math>\forall x,y\in X~:~d(x,y)=0\Rightarrow x=y</math>
|○
|○
|-
|'''semimetric'''
|○
|○
|○
|-
|}
集合 ''A'' と距離空間 (''X'', ''d'') と[[単射]]
{{math|''f'': ''A'' → ''X''}}
があるとき、 ''a''<sub>1</sub>,''a''<sub>2</sub>∈''A'' に対して
: {{math|''d''<sub>''f''</sub>(''a''<sub>1</sub>,''a''<sub>2</sub>) {{coloneqq}} ''d''(''f''(''a''<sub>1</sub>),''f''(''a''<sub>2</sub>))}}
と定義すれば (''A'',''d''<sub>''f''</sub>) も距離空間になり、''f''によって'''誘導された距離空間'''という。
''A''が''X''の部分集合であれば[[単射|包含写像]] {{math|id: ''A'' ↪ ''X''; ''a'' {{mapsto}} ''a''}} によって距離空間(''A'',''d''<sub>id</sub>)が誘導される。このように''X'' の部分集合と包含写像によって定義された距離空間のことを (''X'', ''d'') の'''部分距離空間'''または'''部分空間'''という。
=== 関連概念 ===
距離空間は距離関数の定義を[[距離函数#一般化|一般化]]することでその定義を拡張することが出来る。集合 {{mvar|X}} 上の 2 変数実数値関数 {{mvar|d}} が、半正定値性、非退化性、対称性を満たし、三角不等式の代わりにさらに強い条件(超距離不等式)
<math display="block">
\max{\{d(x, y), d(y, z)\}} \ge d(x, z)
</math>
を満たすなら、距離関数 {{mvar|d}} は'''非アルキメデス的''' ({{en|non-Archimedean}}) あるいは'''超距離''' ({{en|ultrametric}}) であるという。超距離不等式からは三角不等式が導かれるので、超距離は距離でもある。
集合 {{mvar|X}} 上に定義された2つの距離 {{math|''d''<sub>1</sub>, ''d''<sub>2</sub>}} は、次の条件を満たす場合、互いに同値と言われる。
* 任意の {{math|''a'' ∈ ''X''}} と正数 {{math|''ε'' > 0}} に対し正数 {{math|''δ'' > 0}} が存在し、任意の {{math|''x'' ∈ ''X''}} について、<math>
\{d_1(x,a) < \delta \implies d_2(x, a) < \epsilon\}
</math> かつ <math>
\{d_2(x, a) < \delta \implies d_1(x, a) < \epsilon\}
</math>
つまり、同値な距離とは、同じ位相を誘導する距離である(次項「[[#距離の誘導する位相|距離の誘導する位相]]」参照)。<ref>松坂和夫「集合・位相入門」p.242,岩波書店(1968).</ref>
{{math|(''X'', ''d'')}} を距離空間、{{mvar|A}} を {{mvar|X}} の部分集合とするとき、{{math|sup<sub>''x'', ''y'' ∈ ''A''</sub> ''d''(''x'', ''y'')}} は {{mvar|A}} の'''[[径|直径]]'''とよばれる。任意の正の実数 {{mvar|ε}} に対して有限個の直径 {{mvar|ε}} 以下の部分集合たちで {{mvar|X}} を覆うことができる場合、{{mvar|X}} は'''[[全有界]]'''であると言う。
任意の[[コーシー列]]が収束するとき、[[完備距離空間|完備]]であると言う。
== 距離の誘導する位相 ==
''X'' を距離空間、''A''をその[[部分集合]]とする。''A'' の[[点 (数学)|点]] ''x'' について、ある正の数 ε が存在して ''x'' を中心とする[[半径]] ε の[[開球]](ε-近傍 , ε-開球){{math|''B''(''x''; ''ε'') {{coloneqq}} {{mset|''y'' ∈ ''X'' | ''d''(''x'', ''y'') < ''ε''}}}} (これを''U''(''x''; ε)とか ''N''(''x''; ε)などと書くこともある) が ''A'' に含まれる時、''x'' を ''A'' の'''[[内部 (位相空間論)|内点]]''' といい、 ''A'' を点 ''x'' の'''[[近傍 (位相空間論)|近傍]]'''という。 ''X'' における ''x'' の近傍の全体 V(''x'')(近傍は ''X'' の部分集合なので V(''x'') は[[集合族]]になる)を ''x'' の'''[[近傍系]]'''という。 このようにして ''X'' の各点 ''x'' に対し''X'' の部分集合の族 V(''x'') を対応させる対応は[[位相空間論]]における近傍系の公理を満たしており、''X'' を位相空間と見なすことができる。
距離空間に対しては、位相空間論の各概念を点列の収束をもちいて次のように特徴づけられることが知られている。''Y'' を ''X'' の部分集合とする。
# 点 ''y'' が ''Y'' の内部にある ⇔ 補集合 ''Y''<sup>c</sup> に含まれる点列で、''y'' に収束するものは存在しない。
# 点 ''y'' が ''Y'' の外部にある ⇔ ''Y'' に含まれる点列で、''y'' に収束するものは存在しない。
# 点 ''y'' が ''Y'' の縁にある ⇔ ''Y'' に含まれる点列で ''y'' に収束するものが存在し、''Y''<sup>c</sup>に含まれる点列で ''y'' に収束するものも存在する。
''y'' ∈ ''X'' が ''Y'' の内部にあれば、補集合 ''Y''<sup>c</sup> から ''y'' に近づく(収束する)事はできないのだから、''y'' は ''Y'' の縁ではない中身の部分にあるとみなせる。同様に ''y'' ∈ ''X'' が ''Y'' の外部にあれば、''Y'' から ''y'' に近づく事はできないのだから、''y'' は ''Y'' の縁ではない外側の部分にあるとみなせる。また ''y'' ∈ ''X'' が ''Y'' の境界にあれば、''Y'' の中からも外からも ''y'' に近づけるのだから、''y'' は''Y'' の縁にある。
距離空間は位相空間として[[第一可算]]性(任意の点が可算の近傍生成基を持つ)、[[パラコンパクト]]性、[[分離公理|完全正規]]性や[[ハウスドルフ空間|ハウスドルフ性]]など、いくつかの扱いやすいと見なされる性質を持っている。また、距離空間が[[可算コンパクト]]性や[[点列コンパクト]]性を持つならばその空間が位相空間として[[コンパクト空間|コンパクト]]であることが導かれる。この距離空間のコンパクト性は距離空間が全有界かつ完備であることと同値になる。さらに距離空間が可分である(稠密な可算部分集合を持つ)ことと第二可算公理を満たす(可算個の開集合によってその位相が生成される)ことは同値になる。
== 距離の誘導する一様構造・粗構造 ==
''X'' を距離空間、''U''を ''X''×''X'' の[[部分集合]]とする。ある正の数 ε が存在して ''X'' の対角成分の近傍
: <math>\Delta_\varepsilon := \{(x,y) \in X\times X\mid d(x, y) < \varepsilon \}</math>
が ''U'' に含まれるとき、 ''U''を ''X'' の一様近縁という。距離空間の一様近縁全体は[[一様空間|一様構造]]を定める。これを距離から定まる自然な一様構造という。同値な距離からはおなじ一様構造が得られるので、位相構造など一様構造にのみよる概念は同値な距離に対して同じものを与える。
''X'' を距離空間、''U''を ''X''×''X'' の[[部分集合]]とする。ある正の数 ε が存在して ''X'' の対角成分の近傍
: <math>\Delta_\varepsilon := \{(x,y) \in X\times X\mid d(x, y) < \varepsilon \}</math>
が ''U'' を含むとき、 ''U''を ''X'' の有界近縁という。距離空間の有界近縁全体は[[粗空間|粗構造]]を定める。これを距離から定まる有界粗構造という。同値な距離からはおなじ粗構造が得られるので、有界性など粗構造にのみよる概念は同値な距離に対して同じものを与える。
一般の[[一様空間]]は距離函数の値が小さい時の距離の振る舞いの抽象化であり、また一般の[[粗空間]]は距離函数の値が大きい時の距離の振る舞いを抽象化するものである。
== 距離空間の間の写像 ==
{{main|距離空間の圏}}
{{節スタブ}}
== 初等的な例 ==
=== 離散距離構造 ===
距離空間のもっとも自明な例は任意の集合に対して定義できる離散距離構造と呼ばれるものである。集合''X'' の上の2変数関数
{{Indent|<math>d(x,y) := \begin{cases}
0 & (x = y),\\
1 & (x \neq y)
\end{cases}</math>}}
によって定められた距離を'''離散距離''' (discrete metric) といい、距離空間(''X'',''d'') を'''離散距離空間''' という。ただしこの距離は議論において何の役にも立たず、距離の定義の緩やかさを示すに過ぎない。
=== 実数の直積集合における距離 ===
[[実数]]全体のなす集合 '''R''' に、距離 ''d'' を[[絶対値]]を用いて ''d''<sub>2</sub>(''x'', ''y'') = |''x'' − ''y''| と定めることで、 ('''R''', ''d'') は距離空間になる。
実数全体のなす集合 '''R''' の ''n'' 個の[[直積集合|直積]]を '''R'''<sup>''n''</sup> と書くとき、 ('''R''', ''d'') の距離関数 ''d'' の一般化として次のような 2つの距離関数を考える。
{{Indent|<math>d_1(x,y) := \sum_{i=1}^n |x_i - y_i|</math><br />
<math>d_2(x,y) := \sqrt{ \sum_{i=1}^n (x_i - y_i)^2 }</math>}}
距離''d''<sub>1</sub> は [[マンハッタン距離]] と呼ばれる。一方、距離''d''<sub>2</sub> は ''n'' 次元'''ユークリッド距離'''とよばれ、距離空間('''R'''<sup>''n''</sup>, ''d''<sub>2</sub>)は ''n'' 次元[[ユークリッド空間]]という。上述の絶対値の例は 1 次元ユークリッド距離になっていることが分かる。教育や自然科学における応用では、多くの場合ユークリッド距離がもちいられる。
また、これの一般化として {{mvar|k}}-乗平均距離
<math display="inline">d_k(x, y) := (\sum_{i=1}^n |x_i - y_i|^k)^{1/k}</math>
を考えたとき、その極限
<math>
d_\text{max}(x, y)
:= \lim_{k \to \infty} d_k (x, y)
= \max_{1 \le i \le n} |x_i - y_i|
</math>
は[[チェビシェフ距離]]と呼ばれる。
このように、同じ集合に対して定めることのできる距離は一つではない。
一般には集合が同じであっても異なる距離関数を与えれば位相空間としても異なるが、ここで定義した ''d''<sub>1</sub>, ''d''<sub>2</sub>, ''d''<sub>max</sub>に関しては
{{Indent|''d''<sub>max</sub>(''x'',''y'') ≤ ''d''<sub>2</sub>(''x'',''y'') ≤ ''d''<sub>1</sub>(''x'',''y'') ≤ n ''d''<sub>max</sub>(''x'',''y'')}}
という関係があり、これら同値な距離はユークリッド空間上に同じ位相構造を定めている。言い換えると、この 3 つの距離はいずれも同じ開集合系を定めるのである。例えば、''d''<sub>1</sub> に関する開集合は必ず ''d''<sub>2</sub> に関する開球の和集合に表され、逆に ''d''<sub>2</sub> に関する開集合は必ず ''d''<sub>1</sub> に関する開球の和集合に表される。''d''<sub>max</sub>によって定まる位相と ''d''<sub>1</sub>,''d''<sub>2</sub>のそれぞれによって定まる位相との関係についても同じことが言える。
=== 球面上の距離 ===
{{main|測地線}}
他の例としては[[球面距離]]がある。
球面上の2点P<sub>1</sub>、P<sub>2</sub>の球面距離は、P<sub>1</sub>とP<sub>2</sub>を結ぶ大円弧の長さの事である。ただし、P<sub>1</sub>とP<sub>2</sub>を結ぶ大円弧は2つあるが、そのうち短い方の[[弧長]]を距離として採用する。もっと直観的に言うと、P<sub>1</sub>、P<sub>2</sub>の球面距離は、巻尺をP<sub>1</sub>始点にしてP<sub>2</sub>へと球面に巻きつけたときに巻尺に書かれた長さの事である。
球面上には[[直線距離]]という別の距離も考えられる。これはP<sub>1</sub>、P<sub>2</sub>を結ぶ弦の長さとしてあたえられる。
== 距離空間の構成 ==
=== 劣加法的関数 ===
距離空間 (''X'', ''d'') と[[劣加法性|劣加法的]]な広義単調増加関数 ''f'': '''R'''<sub>≥0</sub>→ '''R'''<sub>≥0</sub>が与えられたとき、''f''◦''d'' も距離となる。''f'' が原点で 0 を取り連続なとき ''f''◦''d'' は ''d'' と同じ位相を定める。特に ''f''(''x'') = ''x''/(1 + ''x'') は ''f''(0) = 0 となる劣加法的で有界な広義単調増加連続関数なので
: <math>\frac{d(x, y)}{1 + d(x, y)}</math>
は ''d'' と位相を同じくする有界な距離を定める。
=== 有限直積 ===
距離空間 (''X'', ''d''<sub>''X''</sub>), (''Y'', ''d''<sub>''Y''</sub>) に対し ''X'' × ''Y'' 上に距離関数を
:''d''<sup>''p''</sup>((''x''<sub>0</sub>, ''y''<sub>0</sub>),(''x''<sub>1</sub>, ''y''<sub>1</sub>)) := (''d''<sub>''X''</sub>(''x''<sub>0</sub>, ''x''<sub>1</sub>)<sup>''p''</sup>+ ''d''<sub>''Y''</sub>(''y''<sub>0</sub>, ''y''<sub>1</sub>)<sup>''p''</sup>)<sup>1/''p''</sup>
によって定めることができる(ただし 0 ≤ ''p'' < ∞)。同様に距離
:''d''<sub>max</sub>((''x''<sub>0</sub>, ''y''<sub>0</sub>),(''x''<sub>1</sub>, ''y''<sub>1</sub>)) := max{''d''<sub>''X''</sub>(''x''<sub>0</sub>, ''x''<sub>1</sub>), ''d''<sub>''Y''</sub>(''y''<sub>0</sub>, ''y''<sub>1</sub>) }
を定めることも出来る。
=== 無限直積 ===
可算個の原点付き距離空間の族 (''X''<sub>''n''</sub>, ''d''<sub>''n''</sub>, ''b''<sub>''n''</sub>)<sub>''n'' ∈ '''N'''</sub>が与えられたとき、直積集合 {{math|∏<sub>''n'' ∈ '''N'''</sub>''X''<sub>''n''</sub>}} 上に拡張距離関数を
:{{math|''d''<sup>''p''</sup>((''x''<sub>''n''</sub>)<sub>''n'' ∈ '''N'''</sub>, (''y''<sub>''n''</sub>)<sub>''n'' ∈ '''N'''</sub>) {{coloneqq}} {{norm|(''d''<sub>''n''</sub>(''x''<sub>''n''</sub>, ''y''<sub>''n''</sub>))<sub>''n'' ∈ '''N'''</sub>}}<sub>''p''</sub>}}
によって定めることができる(ただし 0 ≤ ''p'' ≤ ∞ で ‖ ‖<sub>''p''</sub>は数列空間上の [[Lp空間|<math>\ell^p</math>ノルム]])。特に
:{{math|{{mset|(''x''<sub>''n''</sub>)<sub>''n'' ∈ '''N'''</sub>∈ ∏<sub>''n''∈'''N'''</sub>''X''<sub>''n''</sub>: ''d''<sup>''p''</sup>((''x''<sub>''n''</sub>)<sub>''n'' ∈ '''N'''</sub>, (''b''<sub>''n''</sub>)<sub>''n'' ∈ '''N'''</sub>) < ∞}}}}
上では距離関数となっている。更に ''D''<sub>''n''</sub> を ''X''<sub>''n''</sub> の直径としたとき、‖(''D''<sub>''n''</sub>)<sub>''n''∈'''N'''</sub>‖<sub>''p''</sub>< ∞ ならばこの距離は {{math|∏<sub>n∈'''N'''</sub>X<sub>n</sub>}} 全体で有限となり、その位相はそれぞれの ''X''<sub>''n''</sub>を位相空間と見なしたときの {{math|∏<sub>''n''∈'''N'''</sub>''X''<sub>''n''</sub>}} 上の[[直積位相]]に一致している。
特に、(''X''<sub>''n''</sub>, ''d''<sub>''n''</sub>) を2点集合に離散距離(の (1/2)<sup>''n''</sup>倍)を入れたものの場合、えられる直積距離空間 ({0, 1}<sup>'''N'''</sup>, ''d'') は[[カントール集合]]に実数の差の絶対値から定まる距離を与えたものと同一視できる。
=== 直和と商空間 ===
距離空間の族 (''X''<sub>''λ''</sub>, ''d''<sub>''λ''</sub>)<sub>''λ'' ∈ Λ</sub>が与えられたとき、<math>\coprod_{\lambda\in\Lambda}X_{\lambda}</math>上に拡張距離を
:<math>d_{\coprod}(x,y) := \begin{cases}
d_{\lambda}(x,y) &(x,y\in X_{\lambda}),\\
\infty & \text{(otherwise)}
\end{cases}</math>
と定めることが出来る。
距離空間 (''X'', ''d'') と全射 ''f'': ''X'' →''Y'' が与えられたとき、''Y'' 上に擬距離を
:<math>d_f(y_0,y_1) := \inf\left\{\sum_{n=0}^N d(x_{2n},x_{2n+1}) : f(x_{2n-1})=f(x_{2n}) \; (0<n<N), y_0=f(x_0), y_1=f(x_{2N+1}) \right\}</math>
と定めることが出来る。この擬距離は ''f'' を1-リプシッツにする最大の擬距離である。
この2つの方法を組み合わせることにより距離空間の張り合わせが定義される。
== 応用数学・組み合わせ論における距離構造 ==
=== ハミング距離 ===
'''ハミング距離'''は、2つの文字列の間に定義される距離で、2つの文字列の中に異なる文字何個があるかである。
たとえば「simply」と「sample」は異なる文字が2つ(iとa、yとe)あるので、「simply」と「sample」のハミング距離は2である。
このようなものにも距離を定義すると、抽象的で分かりにくかった対象に図形的に分かりやすい解釈を与える事ができる。
例えばハミング距離は[[誤り訂正]]を図形的で分かりやすいものにしてくれる。
誤り訂正とは、[[データ通信]]の際に生じる誤りを取り除く方法の事である。例えば「apple」という文章を送ったはずがデータ通信の途中でエラーが入り、
「axple」になってしまったとしよう。
そうしたらデータを受信した人は辞書を引いて、「axple」とハミング距離が一番近い単語を探す事で誤りを訂正できる。
このようにハミング距離は、「誤りを訂正する」という図形的ではないものに、「距離が一番近いものを探す」という図形的な解釈を与えてくれるのである。
=== グラフ距離 ===
別の例としては、[[グラフ理論|グラフ]]上の距離がある。グラフの2頂点P<sub>1</sub>、P<sub>2</sub>の間の距離は P<sub>1</sub>からP<sub>2</sub>へ到達するのに最低いくつの辺を通らねばならないかである。この特別な場合として[[群 (数学)|離散群]]の[[ケイリーグラフ]]とその上の語距離 (word length metric) が挙げられる。これは離散群G上にその生成集合Sによって定まる距離で、Gの元 ''g'', ''h'' の間の距離は ''g''<sup>-1</sup>''h'' を S の元の積として表すのに必要な項の数の最小数として定められる。有限生成群における、有限集合の範囲での生成集合の取り替えはケイリーグラフ上に互いに同値な距離を与える。
== 幾何学における距離構造 ==
=== リーマン多様体 ===
[[可微分多様体]] ''M'' と、''M''上の[[計量テンソル]]と呼ばれる(非退化・正定値・対称)2階の[[テンソル|共変テンソル]] ''g'' をあわせたものは[[リーマン多様体]]と呼ばれる。テンソル''g''によって ''M''の各点での接空間に対し接ベクトルの長さを表す正定値の2次形式が与えられ、これをもとにして''M''上の曲線の弧長を定義することができる。''M''上の距離は2点間を結ぶ長さ最小の曲線([[測地線]])の長さとして定められる。
=== 双曲空間 ===
δ を正の数とする。2点間の測地線が定められるような距離空間 X について、δ-双曲性の概念が以下のように定式化できる。Xの任意の3点a, b, cに対してこれらを頂点とし、それらの間の測地線A, B, Cを辺とするような三角形が考えられることになるが、そのどの一辺もほかの二辺の δ-近傍に含まれているとき、Xはδ-双曲的であるという。有限生成離散群 G のケイリーグラフがあるδについてδ-双曲的となる場合に G は双曲群と呼ばれる。
== 代数学における距離構造 ==
''p'' を素数としたとき、'''[[p進距離|{{mvar|p}}-進距離]]'''は[[有理数]]の(あるいはより一般に[[p進数]]の)集合上に定義される距離で、整数 ''n'' について有理数 ''a'', ''b'' の差 ''a'' − ''b'' が ''p''<sup>''n''</sup> の整数倍だが ''p''<sup>''n'' + 1</sup>の整数倍ではないとき、''p''<sup>−''n''</sup>を ''a'' と ''b'' の間の ''p'' 進距離と定義する。ただし ''a'' = ''b'' のときは ''a'' と ''b'' の ''p'' 進距離は 0 であると定義する。たとえば 15 − 3 = 12 は 2<sup>2</sup> の倍数であるが 2<sup>3</sup> の倍数では無いので、15 と 3 の 2 進距離は 2<sup>−2</sup> = 1/4 である。''p'' 進整数環 '''Z'''<sub>''p''</sub> は距離空間として離散距離空間 {{math|{{mset|1, …, ''p''}}}} の可算個のコピーの直積空間 {{math|{{mset|1, …, ''p''}}<sup>'''N'''</sup>}} <!-- 上の定義 と \sum p^{-n} d(x_n, y_n) は同値でない -->になっている。
== 解析学における距離構造 ==
=== 位相線型空間 ===
実数または複素数体<!-- 「絶対値」のある体のほうがいいか? -->上の[[ノルム空間]]は、二つの元の間の距離をそれらの差のノルムとして定めると距離空間と見なせる。こうして得られる距離空間のうち完備なものは[[バナッハ空間]]と呼ばれ、関数解析学における主要な枠組みの一つとなっている。
ノルムによって位相が定まっているとは限らない[[位相線型空間]]のうち、平行移動不変な距離について完備空間となっているものは[[フレシェ空間]]と呼ばれる。バナッハ空間のほかに、微分多様体上の[[滑らかな関数]]のなす空間や、[[急減少数列]]のなす空間などがフレシェ空間の例になっている。
=== 可分距離空間 ===
実数の差の絶対値による距離を与えた単位閉[[実数|区間]]の[[可算]]個の直積 {{math|{{closed-closed|0, 1}}<sup>'''N'''</sup>}} は完備可分距離空間となり、'''[[ヒルベルト立方体]]'''とよばれる。位相的にはこれはコンパクト空間 [0, 1] の可算個の直積の積位相によって得られるコンパクト空間になっている。可分な(あるいは同値なことだが、第二可算公理を満たす)距離空間 (X, d) は、その稠密な可算部分集合 {{math|{{mset|''a''<sub>''n''</sub> : ''n'' ∈ '''N'''}}}} をもちいて {{math|''x'' {{mapsto}} (min(d(''x'', ''a''<sub>''n''</sub>), 1))<sub>''n''∈'''N'''</sub>}} と定義される写像によりヒルベルトキューブの中に埋め込むことができる。こうして任意の可分距離空間は位相的にはヒルベルト・キューブの部分空間と同一視することができる。
完備な可分距離空間の[[ボレル集合]]のなす[[完全加法族|σ代数]]はきわめて限られたものになっている。実際、そのようなσ代数は
# 高々可算集合の離散距離空間
# 単位閉区間 [0, 1] に、実数の絶対値からきまる距離を付与した距離空間
のボレル集合のなす2種類σ代数の和として表すことができる。
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
* 矢野公一『距離空間と位相構造』共立出版 1997年 ISBN 4-320-01556-8
* {{citation| first= Maurice |last= Fréchet |title= Sur quelques points du calcul fonctionnel | journal= Rendic. Circ. Mat. Palermo |volume= 22 | year= 1906 | pages=1–74|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[マハラノビス距離]]
* [[レーベンシュタイン距離]]
* [[ユークリッド空間]]
* [[F-空間]]
== 外部リンク ==
* {{MathWorld|urlname=MetricSpace|title=Metric Space}}
* {{PlanetMath|urlname=MetricSpace|title=metric space}}
* {{SpringerEOM|urlname=Metric_space|title=Metric space|author=Arkhangel'skii, A.V.}}
* {{nlab|urlname=metric+space|title=metric space}} / {{nlab|id=Met}}
* {{ProofWiki|urlname=Definition:Metric_Space|title=Definition:Metric Space}}
{{Topology}}
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{{DEFAULTSORT:きよりくうかん}}
[[Category:位相幾何学]]
[[Category:距離空間|*]]
[[Category:数学に関する記事]] | 2003-04-21T02:11:19Z | 2023-09-10T20:02:21Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B7%9D%E9%9B%A2%E7%A9%BA%E9%96%93 |
7,066 | 世界保健機関 | 世界保健機関(せかいほけんきかん、英: World Health Organization、仏: Organisation mondiale de la santé、略称: WHO・OMS)は、国際連合の専門機関(国際連合機関)の一つであり、人間の健康を基本的人権の一つと捉え、その達成を目的として設立された機関。
1948年設立。本部はスイス・ジュネーヴ。設立日である4月7日は、世界保健デーになっている。シンボルマークは、世界地図をオリーブの葉が取り巻く国際連合旗の中心に、医療の象徴であるアスクレピオスの杖(蛇の巻き付いた杖)をあしらったものである。
WHOでは「健康」を「身体的、精神的、社会的に完全な良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」(WHO憲章前文)と定義しており、非常に広範な目標を掲げている。そのために、病気の撲滅のための研究、適正な医療・医薬品の普及だけでなく、基本的人間要請(basic human needs、BHN)の達成や健康的なライフスタイルの推進にも力を入れている。
略称は英語式(WHO)と仏語式、スペイン語式、ポルトガル語式(OMS)で異なる。日本をはじめ多くの国では英語略称のWHO(ダブリュー・エイチ・オー)が多用される(以下「WHO」と表記する)。
全世界的な公衆衛生や健康に関する最初の国際的機関は、1907年12月に発足した国際公衆衛生事務局(英語版)である。本部をパリに置いたこの機関は、12カ国が「公衆衛生国際事務局設置に関する千九百七年のローマ協定」に調印することによって発足し、当初はヨーロッパだけを対象としたものだったのが、第一次世界大戦の勃発する1914年までには60カ国が参加するまでになっていた。第一次世界大戦後、発足した国際連盟は国際公衆衛生の専門機関として国際連盟保健機関(League of Nations Health Organization)を発足させたが、国際公衆衛生事務局は原調印国であるアメリカ合衆国が国際連盟に不参加を決めたため、連盟とは別組織のままで存続することとなった。第二次世界大戦後、新たな健康に関する国際機関の設立が提唱され、1946年7月22日に国連経済社会理事会が世界保健機関の憲章を採択。国際連盟保健機関や国際公衆衛生事務局を解散して、1948年4月7日に世界保健機関が設立された。日本は1956年の国際連合加盟に先立つ1951年5月にWHOに加盟した。
WHOの功績の中でももっとも輝かしいものは、天然痘の撲滅に成功したことである。天然痘は非常に高い致死率を持ち世界各地で多大な死者を出した病気であったが、症状が明確に判別できるため対処しやすく、ヒト以外に感染することがないため人間のみの対策で対処でき、さらに種痘による完全な予防法が確立されていたことから、撲滅は原理的には可能であると考えられていた。こうしたことから、1958年に総会でソ連の生物学者ヴィクトル・ジダーノフが提案した「世界天然痘根絶決議」の全会一致の可決で撲滅計画は始まったが、当初は人類すべてへの種痘による撲滅を目指していたため、医療や行政の整っていない発展途上国においては対策が行き届かず、撲滅にはほど遠い状態がつづいていた。そこでよりこの計画を推進するため、1967年には特別予算が組まれるとともに、10年後の1977年までに天然痘を撲滅させることが明確に謳われた。このときに方針が転換され、流行地域において賞金を懸けることで患者を発見し、患者が見つかるとその患者に接触した人物を根こそぎ調べ上げて徹底的にその周囲で種痘を行う、いわゆる封じ込め政策へと移行した。このとき、世界には天然痘の患者が1000万から1500万人いると推定されていた。しかし、この封じ込め政策は功を奏し、患者数は激減していった。1970年代に入ると南アジアと南アメリカで相次いで撲滅が宣言され、1977年にソマリアで発見された患者を最後に天然痘は地球上から姿を消した。そして、患者が発生しなくなってから3年後の1980年、WHO総会は天然痘の撲滅を正式に宣言した。
天然痘を撲滅したWHOが次に撲滅の目標に定めたのは急性灰白髄炎(ポリオ)だった。1988年には「世界ポリオ撲滅計画(Global Polio Eradication Initiative)」が開始され、2000年までのポリオ撲滅が謳われた。しかしその後計画は難航し、2018年6月現在、いまだパキスタン、アフガニスタン、ナイジェリア、コンゴ民主共和国の4か国においてポリオ患者が発生している状態となっている。さらに2018年にはパプアニューギニアでアウトブレイクが起こりプロジェクトが実施されている。このほか、1995年には「アフリカ・オンコセルカ症対策計画(African Programme for Onchocerciasis Control)」が開始され、オンコセルカ症(河川盲目症)の撲滅が進められている。
WHOは2017年2月27日に多剤耐性菌の警戒リストを初めて公開した。このリストによると、最も危険度が高いものとして『アシネトバクター、緑膿菌、エンテロバクター』が挙げられた。その次に危険な物として『ヘリコバクター・ピロリ、サルモネラ』などが挙げられた。WHOは新たな抗生物質の開発を急ぐとともに抗生物質の適切な使用を呼びかけている。
2022年11月21日にパンデミックや感染の集団発生を引き起こす危険性があり優先的に監視すべき病原体の新たなリストを作成すると発表した。また同月28日にはサル痘の英語名称を「mpox(エム痘)」に変更すると発表した。
2019年5月時点で、世界保健機関は保健・医療に関する、人的資源の指標(医師、歯科医師、看護師、薬剤師、メディカル・ソーシャル・ワーカーなど)、物的資源の指標(病院・病床、介護施設・介護床、訪問医療事業者・介護事業者、医療器具、医薬品、上水道・下水道など)、経済財政資源の指標(GDPに対する医療費の比率、医療費の公費負担受益者率、医療費の公費負担率、GDPに対する公費負担医療費率、人口一人当たりの医療費・公費負担医療費)、生命と健康に関する結果指標(年齢別生存率・死亡率(生命表)、病気の種類別の罹病率、死亡原因別の比率、出生時と年齢別の余命(寿命)・健康余命(寿命)など)と、その経年変動に関して、約1,450種類の指標項目を定義し、世界各国の政府と保健医療政策行政機関から報告を受け、世界各国、大陸地域別、世界全体の統計データベースを公開している。指標項目の一部を抜粋して、世界保健公報(World Health Publications)、世界保健統計年次報告書(World Health Statistics)として公開している。
WHOの最高意思決定機関は毎年開催される総会である。総会には加盟国すべてが代表を送ることができる。総会においては3分の2の多数によって条約や協定を制定することができる。この条約は加盟国には強制力はないものの、加盟国はたとえ自国の代表が反対した条約でも18か月以内に国内での採択に向けて何らかのアクションを起こさなければならない。また、総会においては34カ国の委員を3年任期で執行理事会理事に選出し、これによって構成される執行理事会が総会の執行機関となる。また、常設の事務局があり、総会の議決に基づき通常業務を行う。事務局長がWHOのトップとなる。事務局長は総会において選出される。WHO全体の職員数は約8,000人である。
2016年5月現在、194の国と地域が加盟している。
右の図のように、世界にアフリカ・アメリカ・東地中海・ヨーロッパ・東南アジア・西太平洋の6つの地域事務局が置かれ、それぞれに管轄地域が与えられている。また重点区域とされている150か国には国事務所が設置されている。
WHOは付属機関として、フランスのリヨンにある国際がん研究機関(IARC)や、日本の神戸にあるWHO健康開発総合研究センター(WHO神戸センター、WKC)を持つ。
WHOの予算は2年間を会計年度とし、資金は、加盟各国に課され主に事務経費などに使用される分担金と、加盟国や国際機関など各種団体が拠出しWHOの各種プロジェクトに用いられる寄付金によってまかなわれている。寄付金の多くは使用するプロジェクトを指定した上で寄付されるが、使途を指定しない寄付も行われる。2018-2019年度のWHO資金は56億2400万ドルだった。WHO財政の特徴として、分担金はWHO資金のわずか17%を占めるに過ぎず、資金の大半を寄付金が占めることが挙げられる。また、ビル&メリンダ・ゲイツ財団やGAVIアライアンス・国際連合人道問題調整事務所・国際ロータリー・世界銀行といった各種団体の寄付金拠出が大きく、国家の占める割合が相対的に少ないことも特徴である。寄付金のうち、使途指定寄付金はWHO総収入の77%を占めるのに対し、使途の指定されていない寄付金は3%に満たない。
WHOの最大出資者はアメリカ合衆国であり、分担金・寄付金ともに最大である。分担金額は2018-2019年度においてはアメリカ(2億3700万ドル)、日本(9300万ドル)、中国(7600万ドル)の順となっている。これに対し、寄付金額は2018-2019年度においてはアメリカ(6億5600万ドル)、ビル&メリンダ・ゲイツ財団(5億3100万ドル)、イギリス(3億9200万ドル)の順となっている。この両者を総合した出資金額もアメリカ、ビル&メリンダ・ゲイツ財団、イギリスの順となる。中国は分担金額は世界3位となっているが、寄付金額は2018-2019年度で1000万ドルに過ぎないため、総合出資では10位以内に入らない。
一方寄付金の使途としては2018-2019年度においてはポリオ撲滅が9億9000万ドル、26.51%を占めて最も大きい。次いで、基本的な健康・栄養サービスの提供強化が4億5300万ドルで12%、ワクチン関係が3億3500万ドルで8.89%となっている。出資者ごとに重視する事柄は異なり、例えばビル&メリンダ・ゲイツ財団は寄付金のうち約6割をポリオ撲滅に投じているほか、GAVIアライアンスは寄付金の72%をワクチンに投じている。
2009年から10年にかけての新型インフルエンザの世界的流行に際し、WHOのマーガレット・チャン事務局長は「今、すべての人類が脅威にさらされている」として、新型インフルエンザをすべての人類の脅威とする広報を行った。その後、新型インフルエンザが弱毒性である事が発覚するも、顕著な感染や死亡の被害が著しい事態を想定した警告であるフェーズレベル6/6と警告し、パンデミック(世界的大流行)を宣言した。 しかし初の「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」(PHEIC)の対象にまでになった新型インフルエンザは前例のない保健当局と科学者と製薬会社が強力に連携する体制をもたらしたが、実際は他の季節性インフルエンザと大差ないレベルのインフルエンザで被害も小さなものであった。
一連のWHOの誤報への批判が高まり、これを重く見た欧州議会は、パンデミック宣言に至った経緯の調査に踏み出す事態となった。欧州議会のボーダルク(英語版)前保健衛生委員長は、WHOの宣言は偽のパンデミックであったとして問題提起をしている。WHOの意思決定には製薬会社の意向が大きく影響した可能性が高いとしている。製薬会社は研究所などで働く科学者へ大きな影響力を持っており、この事と今回WHOが広く科学者の意見を求めた事がその影響力を強める原因になったと語っている。一方、新型インフルエンザワクチン製造なども行い、世界最大規模の製薬会社であるグラクソ・スミスクライン社(英国)は、製薬会社がWHOのパンデミック宣言に影響を与えているなどの認識は誤りであるとインタビューに応えている。
2010年1月になるとワクチンが世界的に余剰状態となり、キャンセルや転売が相次ぐ事態となっている。
1959年に結んだIAEAとの規定では、「IAEA(原発推進を掲げている)の許可なしに、放射線の影響における科学論文を公表してはならない」となっている。WHO事務局長であった中嶋宏は、この事について「放射線の影響の研究に関しては、WHOはIAEAに従属している。原子力が健康を従えているのだ」と発言している。
2019新型コロナウイルスによる急性呼吸器疾患の対応をめぐり、流行が始まった2019年12月の時点でヒトからヒトへの感染が起きた可能性があるという報告を台湾から受けていたにもかかわらず、台湾によるWHO総会への参加が認められていないことや情報を国際社会に示さなかったことへの批判がある。
2020年4月、アメリカのドナルド・トランプ大統領はCOVID-19をめぐるWHOの一連の対応について「失敗」と評価。また、アメリカから大規模な出資を受けながら「中国中心主義」で、世界に不適切な提言を行っていると批判し、WHOへの拠出金を停止する考えを示した。 同国国務省は「公衆衛生より政治を優先した」と批判した上で「アメリカを含む加盟国はWHOの一連の対応について問題点を検証するべきだ」とした。
WHOは台湾からの通知について、AFP通信の取材に対して「ヒトからヒトへの感染について言及はなかった」と否定した。それを受けて台湾当局は「中国の武漢で非定型の肺炎が少なくとも7例出ていると報道されている。現地当局はSARSとはみられないとしているが、患者は隔離治療を受けている」といった内容が含まれるWHO宛の通知の全文を公開し、「隔離治療がどのような状況で必要となるかは公共衛生の専門家や医師であれば誰でもわかる。これを警告と呼ばず、何を警告と呼ぶのか」と述べ、WHOが台湾の情報を生かしていれば、感染拡大へ早く対処できたと主張した。
トランプ大統領は5月29日のホワイトハウスでの記者会見でWHOが「中国寄り」であることを改めて批判。年間4億5千万ドル規模とされるWHOに対する米国の拠出金を他の保健衛生関連の国際組織に振り向け、WHOとの関係を断絶すると発表し、7月6日には2021年7月6日付でWHOを脱退することを国連に正式通告した。
2021年1月20日にジョー・バイデンが後継の大統領に就任し、その日のうちにWHOからの脱退を撤回する大統領令に署名、また翌21日にはCOVID-19ワクチンを共同購入するための国際的な枠組み(COVAX)への参加を表明するなど、政権交代によってアメリカの姿勢は大きく転換された。
世界保健機関はいくつかの国際デーを制定しているが、なかでも国際公衆保健デーとして、3月24日の世界結核デー、4月7日の世界保健デー、4月14日の世界シャーガス病デー(英語版)、4月25日の世界マラリアデー、4月の最終週に行われる世界予防接種週間(英語版)、5月31日の世界禁煙デー、6月14日の世界献血者デー、7月28日の世界肝炎デー、9月17日の世界患者安全デー、毎年11月18日を含む週に行われる世界抗生物質意識週間(英語版)、12月1日の世界エイズデーを特に重視している。この国際デーは新たに定められることも多く、2019年には世界患者安全デーが、2020年には世界シャーガス病デーが新たに制定された。 | [
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"text": "一方寄付金の使途としては2018-2019年度においてはポリオ撲滅が9億9000万ドル、26.51%を占めて最も大きい。次いで、基本的な健康・栄養サービスの提供強化が4億5300万ドルで12%、ワクチン関係が3億3500万ドルで8.89%となっている。出資者ごとに重視する事柄は異なり、例えばビル&メリンダ・ゲイツ財団は寄付金のうち約6割をポリオ撲滅に投じているほか、GAVIアライアンスは寄付金の72%をワクチンに投じている。",
"title": "財政"
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"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "2009年から10年にかけての新型インフルエンザの世界的流行に際し、WHOのマーガレット・チャン事務局長は「今、すべての人類が脅威にさらされている」として、新型インフルエンザをすべての人類の脅威とする広報を行った。その後、新型インフルエンザが弱毒性である事が発覚するも、顕著な感染や死亡の被害が著しい事態を想定した警告であるフェーズレベル6/6と警告し、パンデミック(世界的大流行)を宣言した。 しかし初の「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」(PHEIC)の対象にまでになった新型インフルエンザは前例のない保健当局と科学者と製薬会社が強力に連携する体制をもたらしたが、実際は他の季節性インフルエンザと大差ないレベルのインフルエンザで被害も小さなものであった。",
"title": "論争となった出来事"
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"text": "一連のWHOの誤報への批判が高まり、これを重く見た欧州議会は、パンデミック宣言に至った経緯の調査に踏み出す事態となった。欧州議会のボーダルク(英語版)前保健衛生委員長は、WHOの宣言は偽のパンデミックであったとして問題提起をしている。WHOの意思決定には製薬会社の意向が大きく影響した可能性が高いとしている。製薬会社は研究所などで働く科学者へ大きな影響力を持っており、この事と今回WHOが広く科学者の意見を求めた事がその影響力を強める原因になったと語っている。一方、新型インフルエンザワクチン製造なども行い、世界最大規模の製薬会社であるグラクソ・スミスクライン社(英国)は、製薬会社がWHOのパンデミック宣言に影響を与えているなどの認識は誤りであるとインタビューに応えている。",
"title": "論争となった出来事"
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"text": "2010年1月になるとワクチンが世界的に余剰状態となり、キャンセルや転売が相次ぐ事態となっている。",
"title": "論争となった出来事"
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"text": "1959年に結んだIAEAとの規定では、「IAEA(原発推進を掲げている)の許可なしに、放射線の影響における科学論文を公表してはならない」となっている。WHO事務局長であった中嶋宏は、この事について「放射線の影響の研究に関しては、WHOはIAEAに従属している。原子力が健康を従えているのだ」と発言している。",
"title": "論争となった出来事"
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"text": "2019新型コロナウイルスによる急性呼吸器疾患の対応をめぐり、流行が始まった2019年12月の時点でヒトからヒトへの感染が起きた可能性があるという報告を台湾から受けていたにもかかわらず、台湾によるWHO総会への参加が認められていないことや情報を国際社会に示さなかったことへの批判がある。",
"title": "論争となった出来事"
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"text": "2020年4月、アメリカのドナルド・トランプ大統領はCOVID-19をめぐるWHOの一連の対応について「失敗」と評価。また、アメリカから大規模な出資を受けながら「中国中心主義」で、世界に不適切な提言を行っていると批判し、WHOへの拠出金を停止する考えを示した。 同国国務省は「公衆衛生より政治を優先した」と批判した上で「アメリカを含む加盟国はWHOの一連の対応について問題点を検証するべきだ」とした。",
"title": "論争となった出来事"
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"text": "WHOは台湾からの通知について、AFP通信の取材に対して「ヒトからヒトへの感染について言及はなかった」と否定した。それを受けて台湾当局は「中国の武漢で非定型の肺炎が少なくとも7例出ていると報道されている。現地当局はSARSとはみられないとしているが、患者は隔離治療を受けている」といった内容が含まれるWHO宛の通知の全文を公開し、「隔離治療がどのような状況で必要となるかは公共衛生の専門家や医師であれば誰でもわかる。これを警告と呼ばず、何を警告と呼ぶのか」と述べ、WHOが台湾の情報を生かしていれば、感染拡大へ早く対処できたと主張した。",
"title": "論争となった出来事"
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"text": "トランプ大統領は5月29日のホワイトハウスでの記者会見でWHOが「中国寄り」であることを改めて批判。年間4億5千万ドル規模とされるWHOに対する米国の拠出金を他の保健衛生関連の国際組織に振り向け、WHOとの関係を断絶すると発表し、7月6日には2021年7月6日付でWHOを脱退することを国連に正式通告した。",
"title": "論争となった出来事"
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"text": "2021年1月20日にジョー・バイデンが後継の大統領に就任し、その日のうちにWHOからの脱退を撤回する大統領令に署名、また翌21日にはCOVID-19ワクチンを共同購入するための国際的な枠組み(COVAX)への参加を表明するなど、政権交代によってアメリカの姿勢は大きく転換された。",
"title": "論争となった出来事"
},
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"tag": "p",
"text": "世界保健機関はいくつかの国際デーを制定しているが、なかでも国際公衆保健デーとして、3月24日の世界結核デー、4月7日の世界保健デー、4月14日の世界シャーガス病デー(英語版)、4月25日の世界マラリアデー、4月の最終週に行われる世界予防接種週間(英語版)、5月31日の世界禁煙デー、6月14日の世界献血者デー、7月28日の世界肝炎デー、9月17日の世界患者安全デー、毎年11月18日を含む週に行われる世界抗生物質意識週間(英語版)、12月1日の世界エイズデーを特に重視している。この国際デーは新たに定められることも多く、2019年には世界患者安全デーが、2020年には世界シャーガス病デーが新たに制定された。",
"title": "世界保健機関の制定した国際デー"
}
] | 世界保健機関は、国際連合の専門機関(国際連合機関)の一つであり、人間の健康を基本的人権の一つと捉え、その達成を目的として設立された機関。 1948年設立。本部はスイス・ジュネーヴ。設立日である4月7日は、世界保健デーになっている。シンボルマークは、世界地図をオリーブの葉が取り巻く国際連合旗の中心に、医療の象徴であるアスクレピオスの杖(蛇の巻き付いた杖)をあしらったものである。 WHOでは「健康」を「身体的、精神的、社会的に完全な良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」(WHO憲章前文)と定義しており、非常に広範な目標を掲げている。そのために、病気の撲滅のための研究、適正な医療・医薬品の普及だけでなく、基本的人間要請の達成や健康的なライフスタイルの推進にも力を入れている。 略称は英語式(WHO)と仏語式、スペイン語式、ポルトガル語式(OMS)で異なる。日本をはじめ多くの国では英語略称のWHO(ダブリュー・エイチ・オー)が多用される(以下「WHO」と表記する)。 | {{Redirect|WHO|その他|Who}}
{{Infobox UN
|name = 世界保健機関
|en name = World Health Organization
|fr name = Organisation Mondiale de la Santé
|zh name = 世界卫生组织
|ru name = Всемирная организация здравоохранения
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|caption2 = 世界保健機関旗
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|acronyms = {{Lang-en|'''WHO'''}}<br/>{{Lang-fr|'''OMS'''}}
|head = [[テドロス・アダノム]]
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|website = [https://extranet.who.int/kobe_centre/ja World Health Organization]{{ja icon}}<br/>[https://www.who.int/en/ World Health Organization]{{en icon}}
|commons = United Nations World Health Organisation
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}}
'''世界保健機関'''(せかいほけんきかん、{{lang-en-short|World Health Organization}}、{{lang-fr-short|Organisation mondiale de la santé}}、[[略称]]: '''WHO'''・'''OMS''')は、[[国際連合]]の[[専門機関]]([[国際連合機関]])の一つであり、人間の[[健康]]を[[人権|基本的人権]]の一つと捉え、その達成を目的として設立された機関。
[[1948年]]設立。本部は[[スイス]]・[[ジュネーヴ]]。設立日である[[4月7日]]は、[[世界保健デー]]になっている<ref name="名前なし-1">https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/kokusai/who/index.html 「日本とWHO」日本国厚生労働省 2020年5月12日閲覧</ref>。シンボルマークは、世界地図を[[オリーブ]]の葉が取り巻く[[国際連合旗]]の中心に、[[医療]]の象徴である[[アスクレピオスの杖]]([[蛇]]の巻き付いた[[杖]])をあしらったものである。
WHOでは「健康」を「身体的、精神的、社会的に完全な良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」(WHO憲章前文)と定義しており、非常に広範な目標を掲げている。そのために、病気の撲滅のための研究、適正な[[医療]]・[[医薬品]]の普及だけでなく、基本的人間要請(basic human needs、BHN)の達成や健康的なライフスタイルの推進にも力を入れている。
略称は英語式(WHO)と仏語式、スペイン語式、ポルトガル語式(OMS)で異なる。日本をはじめ多くの国では英語略称の'''WHO'''(ダブリュー・エイチ・オー)が多用される{{refnest|group="注"|{{lang|en|WHO}} は「'''ダブリュー・エイチ・オー'''」と[[イニシャリズム|イニシャル読み]]するのが正しく、「フー」と[[アクロニム|アクロニム読み]]にはしない。しかし、辞書によっては「フー」という表記も見られる<ref>[https://www.senmon-i.net/yougo/detail_69.html 医師の転職支援「専門医局」サイトの用語集]に「WHO(フー)」として、世界保健機関の記載がある。</ref>。}}(以下「WHO」と表記する)。
== 歴史 ==
全世界的な公衆衛生や健康に関する最初の国際的機関は、[[1907年]]12月に発足した{{仮リンク|国際公衆衛生事務局|en|Office international d'hygiène publique}}である。本部を[[パリ]]に置いたこの機関は、12カ国が「公衆衛生国際事務局設置に関する千九百七年のローマ協定」<ref>{{PDFlink|[https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S38-C1-751.pdf 日本国外務省、公衆衛生国際事務局設置に関する千九百七年のローマ協定]}}</ref>に調印することによって発足し、当初は[[ヨーロッパ]]だけを対象としたものだったのが、[[第一次世界大戦]]の勃発する[[1914年]]までには60カ国が参加するまでになっていた。第一次世界大戦後、発足した[[国際連盟]]は国際公衆衛生の専門機関として[[国際連盟保健機関]](League of Nations Health Organization)を発足させたが、国際公衆衛生事務局は原調印国である[[アメリカ合衆国]]が国際連盟に不参加を決めたため、連盟とは別組織のままで存続することとなった。[[第二次世界大戦]]後、新たな健康に関する国際機関の設立が提唱され、1946年7月22日に[[国連経済社会理事会]]が世界保健機関の憲章を採択。国際連盟保健機関や国際公衆衛生事務局を解散して、1948年4月7日に世界保健機関が設立された<ref>「世界地理大百科事典1 国際連合」p322-323 2000年2月1日初版第1刷 朝倉書店</ref>。日本は1956年の国際連合加盟に先立つ1951年5月にWHOに加盟した<ref name="名前なし-1"/>。
=== 天然痘の撲滅 ===
WHOの功績の中でももっとも輝かしいものは、[[天然痘]]の撲滅に成功したことである。天然痘は非常に高い致死率を持ち世界各地で多大な死者を出した病気であったが、症状が明確に判別できるため対処しやすく、ヒト以外に感染することがないため人間のみの対策で対処でき、さらに[[種痘]]による完全な予防法が確立されていたことから、撲滅は原理的には可能であると考えられていた。こうしたことから、[[1958年]]に総会で[[ソ連]]の生物学者[[:en:Viktor Zhdanov|ヴィクトル・ジダーノフ]]が提案<ref name= Fenner2>{{cite book |author=Fenner, Frank|title=Smallpox and Its Eradication (History of International Public Health, No. 6) |publisher=World Health Organization |location=Geneva|year=1988 |chapter=Development of the Global Smallpox Eradication Programme |chapterurl=http://whqlibdoc.who.int/smallpox/9241561106_chp9.pdf|pages=366-418 |isbn=92-4-156110-6 |format=PDF }}</ref>した「世界天然痘根絶決議」の全会一致の可決で撲滅計画は始まったが、当初は人類すべてへの種痘による撲滅を目指していたため、医療や行政の整っていない発展途上国においては対策が行き届かず、撲滅にはほど遠い状態がつづいていた。そこでよりこの計画を推進するため、[[1967年]]には特別予算が組まれるとともに、10年後の[[1977年]]までに天然痘を撲滅させることが明確に謳われた。このときに方針が転換され、流行地域において賞金を懸けることで患者を発見し、患者が見つかるとその患者に接触した人物を根こそぎ調べ上げて徹底的にその周囲で種痘を行う、いわゆる封じ込め政策へと移行した<ref>「人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を越えて」p24 加藤茂孝 丸善出版 平成25年3月30日発行</ref>。このとき、世界には天然痘の患者が1000万から1500万人いると推定されていた。しかし、この封じ込め政策は功を奏し、患者数は激減していった。[[1970年代]]に入ると[[南アジア]]と[[南アメリカ]]で相次いで撲滅が宣言され、[[1977年]]に[[ソマリア]]で発見された患者を最後に天然痘は地球上から姿を消した。そして、患者が発生しなくなってから3年後の[[1980年]]、WHO総会は天然痘の撲滅を正式に宣言した<ref>「世界地理大百科事典1 国際連合」p330 2000年2月1日初版第1刷 朝倉書店</ref>。
=== ポリオやその他感染症の撲滅計画 ===
天然痘を撲滅したWHOが次に撲滅の目標に定めたのは[[急性灰白髄炎]](ポリオ)だった。[[1988年]]には「世界ポリオ撲滅計画(Global Polio Eradication Initiative)」が開始され、[[2000年]]までのポリオ撲滅が謳われた<ref>http://idsc.nih.go.jp/disease/polio/yobou.html#whoprogram 「ポリオ」感染症情報センター 2020年5月12日閲覧</ref>。しかしその後計画は難航し、[[2018年]]6月現在、いまだ[[パキスタン]]、[[アフガニスタン]]、[[ナイジェリア]]、[[コンゴ民主共和国]]の4か国においてポリオ患者が発生している状態となっている<ref>https://www.forth.go.jp/moreinfo/topics/2018/06191125.html 「ポリオの状況-2018年6月12日現在」日本国厚生労働省検疫所FORTH 2018年 2020年5月12日閲覧</ref>。さらに2018年にはパプアニューギニアでアウトブレイクが起こりプロジェクトが実施されている<ref>https://www.forth.go.jp/topics/201903110002.html 「伝播型ワクチン由来Ⅰ型ポリオウイルス-パプアニューギニア」日本国厚生労働省検疫所FORTH 2019年 2020年5月12日閲覧</ref>。このほか、[[1995年]]には「アフリカ・オンコセルカ症対策計画(African Programme for Onchocerciasis Control)」が開始され、[[オンコセルカ症]](河川盲目症)の撲滅が進められている<ref>https://atm.eisai.co.jp/ntd/onchoserciasis.html 「河川盲目症」エーザイ株式会社 2020年5月12日閲覧</ref>。
=== 多剤耐性菌について ===
WHOは2017年2月27日に多剤耐性菌の警戒リストを初めて公開した。このリストによると、最も危険度が高いものとして『[[アシネトバクター]]、[[緑膿菌]]、[[エンテロバクター]]』が挙げられた。その次に危険な物として『[[ヘリコバクター・ピロリ]]、[[サルモネラ]]』などが挙げられた。WHOは新たな抗生物質の開発を急ぐとともに抗生物質の適切な使用を呼びかけている。[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170228/k10010892431000.html]
=== その他近年の動向 ===
[[2022年]]11月21日に[[パンデミック]]や感染の集団発生を引き起こす危険性があり優先的に監視すべき[[病原体]]の新たなリストを作成すると発表した<ref>{{Cite web|和書|title=世界的流行の恐れある病原体 WHOが新リスト作成へ |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3439845 |website=www.afpbb.com |access-date=2022-12-11 |language=ja}}</ref>。また同月28日にはサル痘の英語名称を「[[エムポックス|mpox]](エム痘)」に変更すると発表した<ref>{{Cite web|和書|title=サル痘を「エム痘」に WHO、名称変更へ |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3440871 |website=www.afpbb.com |access-date=2022-12-11 |language=ja}}</ref>。
== 活動内容 ==
* 世界保健機関憲章第1条「すべての人々が可能な最高の健康水準に到達すること」を目的とする。
* 情報の収集公開や国際基準の設定([[国際疾病分類]](ICD)の作成など)。
* 多国間協力の推進。
* [[災害]]時緊急対策。
* [[感染症]]対策([[痘瘡]]根絶・拡大予防接種対策)。
* 都市に住む人の健康を守り、生活の質を向上させるため、[[WHO健康都市]]に対する取り組みの推進。
== 世界保健機関が定義・統計・公開している指標項目 ==
2019年5月時点で、世界保健機関は保健・医療に関する、人的資源の指標(医師、歯科医師、看護師、薬剤師、メディカル・ソーシャル・ワーカーなど)、物的資源の指標(病院・病床、介護施設・介護床、訪問医療事業者・介護事業者、医療器具、医薬品、上水道・下水道など)、経済財政資源の指標(GDPに対する医療費の比率、医療費の公費負担受益者率、医療費の公費負担率、GDPに対する公費負担医療費率、人口一人当たりの医療費・公費負担医療費)、生命と健康に関する結果指標(年齢別生存率・死亡率(生命表)、病気の種類別の罹病率、死亡原因別の比率、出生時と年齢別の余命(寿命)・健康余命(寿命)など)と、その経年変動に関して、約1,450種類の指標項目を定義し、世界各国の政府と保健医療政策行政機関から報告を受け、世界各国、大陸地域別、世界全体の統計データベースを公開している<ref>[https://apps.who.int/gho/data/node.home World Health Organization > Health Topics > Data>Data Repository > By Theme]</ref><ref>[https://apps.who.int/gho/data/node.imr World Health Organization > Health Topics > Data>Data Repository > By Indicator]</ref><ref>[https://apps.who.int/gho/data/node.main.686?lang=en World Health Organization > Health Topics > Data>Data Repository > By Theme > Mortality and Global Health Estimates]</ref><ref>[https://apps.who.int/gho/data/node.main.MENTALHEALTH?lang=en World Health Organization > Health Topics > Data>Data Repository > By Theme > Mental Health]</ref><ref>[https://apps.who.int/gho/data/node.main.HEALTHFINANCING World Health Organization > Health Topics > Data>Data Repository > By Theme > Health Financing]</ref>。指標項目の一部を抜粋して、世界保健公報(World Health Publications)<ref>[https://www.who.int/publications/en/ World Health Organization > Publications]</ref>、世界保健統計年次報告書(World Health Statistics)として公開している<ref>[https://www.who.int/gho/publications/world_health_statistics/en/ World Health Organization > Publications > World health Statistics]</ref>。
== 組織 ==
[[ファイル:World Health Organisation regional offices.svg|right|400px|thumb|地域事務局の管轄地域と所在地
{{legend|#78aae6|[[アフリカ]]([[コンゴ共和国|コンゴ]]・[[ブラザヴィル]])}}
{{legend|#e67878|[[アメリカ州|アメリカ]]([[アメリカ合衆国]]・[[ワシントンD.C.]])}}
{{legend|#e6e678|東[[地中海]]([[エジプト]]・[[カイロ]])}}
{{legend|#e078e6|[[ヨーロッパ]]([[デンマーク]]・[[コペンハーゲン]])}}
{{legend|#9de678|[[東南アジア]]([[インド]]・[[ニューデリー]])}}
{{legend|#7ae6ce|西[[太平洋]]([[フィリピン]]・[[マニラ]])}}]]
WHOの最高意思決定機関は毎年開催される総会である<ref>https://www.mhlw.go.jp/bunya/kokusaigyomu/who/ 「WHO総会について」日本国厚生労働省 2020年5月12日閲覧</ref>。総会には加盟国すべてが代表を送ることができる。総会においては3分の2の多数によって条約や協定を制定することができる。この条約は加盟国には強制力はないものの、加盟国はたとえ自国の代表が反対した条約でも18か月以内に国内での採択に向けて何らかのアクションを起こさなければならない。また、総会においては34カ国の委員を3年任期で執行理事会理事に選出し、これによって構成される執行理事会が総会の執行機関となる<ref>https://www.mhlw.go.jp/bunya/kokusaigyomu/who/eb.html 「WHO執行理事会について」日本国厚生労働省 2020年5月12日閲覧</ref>。また、常設の事務局があり、総会の議決に基づき通常業務を行う。事務局長がWHOのトップとなる。事務局長は総会において選出される<ref>「世界地理大百科事典1 国際連合」p324-325 2000年2月1日初版第1刷 朝倉書店</ref>。WHO全体の職員数は約8,000人である<ref name="名前なし-2">https://www.unic.or.jp/info/un/unsystem/specialized_agencies/who/ 「世界保健機関」国際連合広報センター 2020年5月16日閲覧</ref>。
2016年5月現在、194の国と地域が加盟している<ref>{{Cite web|url=https://www.who.int/countries/ |title=Countries|accessdate=2016-6-1}}</ref>。
右の図のように、世界にアフリカ・アメリカ・東地中海・ヨーロッパ・東南アジア・西太平洋の6つの地域事務局が置かれ、それぞれに管轄地域が与えられている。また重点区域とされている150か国<ref name="名前なし-2"/>には国事務所が設置されている<ref name="名前なし-3">https://www.japan-who.or.jp/commodity/soshiki.html 「WHOの組織について」公益社団法人日本WHO協会 2020年5月16日閲覧</ref>。
[[File:WHO_HQ_main_building,_Geneva,_from_North.JPG|thumb|right|WHO本部(スイス・ジュネーブ)]]
[[File:World Health Organization Executive Board Room.JPG|thumb|right|WHO本部の大会議室]]
[[File:WHO Kobe Centre For Health Development01s3200.jpg|right|thumb|WHO神戸センター]]
=== 歴代事務局長 ===
{| class="wikitable" style="font-size:90%"
! 代 !! 肖像 !! 氏名 !! 就任日 !! 退任日 !! 出身国/地域
|-
! 1
| [[File:Replace this image JA.svg|60px]] || {{仮リンク|ブロック・チゾム|en|Brock Chisholm}} || 1948年7月21日 || 1953年7月21日 || {{CAN}}
|-
! 2
| [[File:Replace this image JA.svg|60px]] || {{仮リンク|マルコリーノ・ゴメス・カンダウ|en|Marcolino Gomes Candau}} || 1953年7月21日 || 1973年7月21日 || {{BRA}}
|-
! 3
| [[File:Replace this image JA.svg|60px]] || {{仮リンク|ハルフダン・T・マーラー|en|Halfdan T. Mahler}} || 1973年7月21日 || 1988年7月21日 || {{DEN}}
|-
! 4
| [[File:Replace this image JA.svg|60px]] || [[中嶋宏]] || 1988年7月21日 || 1998年7月21日 || {{JPN}}
|-
! 5
| [[File:Gro Harlem Brundtland 2009.jpg|60px]] || [[グロ・ハーレム・ブルントラント]] || 1998年7月21日 || 2003年7月21日 || {{NOR}}
|-
! 6
| [[File:Lee Jong-wook 1-1.jpg|60px]] || [[李鍾郁]] || 2003年7月21日 || 2006年5月22日 || {{KOR}}
|-
! 臨時
| [[File:Replace this image JA.svg|60px]] || {{仮リンク|アンデルス・ノルドストレム|en|Anders Nordström}} || 2006年5月22日 || 2007年1月4日 || {{SWE}}
|-
! 7
| [[File:Margaret Chan 1-1.jpg|60px]] || [[陳馮富珍]](マーガレット・チャン) || 2007年1月4日 || 2017年7月1日 || {{HKG}}
|-
! 8
| [[File:Tedros Adhanom Ghebreyesus - AI for Good Global Summit 2018 (40316994230) (cropped).jpg|60px]] || [[テドロス・アダノム]] || 2017年7月1日 || (現職) || {{ETH}}
|}
=== 付属機関 ===
WHOは付属機関として、フランスの[[リヨン]]にある[[国際がん研究機関]](IARC)や、日本の[[神戸]]にある[[WHO健康開発総合研究センター]](WHO神戸センター、WKC)を持つ<ref name="名前なし-3"/>。
{{-}}
== 財政 ==
WHOの予算は2年間を会計年度とし、資金は、加盟各国に課され主に事務経費などに使用される分担金と、加盟国や国際機関など各種団体が拠出しWHOの各種プロジェクトに用いられる寄付金によってまかなわれている<ref>https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hakusyo/04_hakusho/ODA2004/html/siryo/sr3320012.htm 「政府開発援助(ODA)白書 2004年版 資料編 第3章 第3節12 世界保健機関(WHO:World Health Organization)」日本国外務省 2020年5月11日閲覧</ref>。寄付金の多くは使用するプロジェクトを指定した上で寄付されるが、使途を指定しない寄付も行われる。2018-2019年度のWHO資金は56億2400万ドルだった<ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal|website=open.who.int|accessdate=2020年5月12日}}</ref>。WHO財政の特徴として、分担金はWHO資金のわずか17%を占めるに過ぎず<ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal|website=open.who.int|accessdate=2020年5月12日}}</ref>、資金の大半を寄付金が占めることが挙げられる。また、[[ビル&メリンダ・ゲイツ財団]]や[[GAVIアライアンス]]・[[国際連合人道問題調整事務所]]・[[国際ロータリー]]・[[世界銀行]]といった各種団体の寄付金拠出が大きく、国家の占める割合が相対的に少ないことも特徴である。寄付金のうち、使途指定寄付金はWHO総収入の77%を占めるのに対し、使途の指定されていない寄付金は3%に満たない<ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal|website=open.who.int|accessdate=2020年5月12日}}</ref>。
WHOの最大出資者はアメリカ合衆国であり、分担金・寄付金ともに最大である。分担金額は2018-2019年度においてはアメリカ(2億3700万ドル)<ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=United+States+of+America|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal America|website=open.who.int|accessdate=2020年5月12日}}</ref>、日本(9300万ドル)<ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=Japan|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal Japan|website=open.who.int|accessdate=2020年5月12日}}</ref>、[[中華人民共和国|中国]](7600万ドル)<ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=China|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal China|website=open.who.int|accessdate=2020年5月12日}}</ref>の順となっている。これに対し、寄付金額は2018-2019年度においてはアメリカ(6億5600万ドル)<ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=United+States+of+America|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal America|website=open.who.int|accessdate=2020年5月12日}}</ref>、ビル&メリンダ・ゲイツ財団(5億3100万ドル)<ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=Bill+&+Melinda+Gates+Foundation|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal Bill+&+Melinda+Gates+Foundation|website=open.who.int|accessdate=2020年5月12日}}</ref>、イギリス(3億9200万ドル)の順となっている<ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=United+Kingdom+of+Great+Britain+and+Northern+Ireland|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal United+Kingdom+of+Great+Britain+and+Northern+Ireland|website=open.who.int|accessdate=2020年5月12日}}</ref>。この両者を総合した出資金額もアメリカ、ビル&メリンダ・ゲイツ財団、イギリスの順となる。中国は分担金額は世界3位となっているが、寄付金額は2018-2019年度で1000万ドルに過ぎないため、総合出資では10位以内に入らない<ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=China|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal China|website=open.who.int|accessdate=2020年5月12日}}</ref>。
一方寄付金の使途としては2018-2019年度においてはポリオ撲滅が9億9000万ドル、26.51%を占めて最も大きい。次いで、基本的な健康・栄養サービスの提供強化が4億5300万ドルで12%、ワクチン関係が3億3500万ドルで8.89%となっている<ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal|website=open.who.int|accessdate=2020年5月12日}}</ref>。出資者ごとに重視する事柄は異なり、例えばビル&メリンダ・ゲイツ財団は寄付金のうち約6割をポリオ撲滅に投じている<ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=Bill+&+Melinda+Gates+Foundation|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal Bill+&+Melinda+Gates+Foundation|website=open.who.int|accessdate=2020年5月12日}}</ref>ほか、GAVIアライアンスは寄付金の72%をワクチンに投じている<ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=GAVI+Alliance|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal GAVI+Alliance|website=open.who.int|accessdate=2020年5月12日}}</ref>。
{| class="wikitable" style="text-align:right;"
|+十大出資者(2018-2019年度、2019年第4四半期まで) 単位:100万ドル
!No. !! 出資者 !! 分担金 !! 寄付金<br>(使途指定) !! 寄付金<br>(使途指定なし) !!総計<br>(2年間) !! 割合!! 出典
|-
|1 ||style="text-align:left;"| [[アメリカ合衆国]] || 237 || 656 || || 893 || 15.9% || <ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=United+States+of+America|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal America|website=open.who.int|accessdate=2020年5月11日}}</ref>
|-
|2 ||style="text-align:left;"| [[ビル&メリンダ・ゲイツ財団]] || || 531 || || 531 || 9.4% || <ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=Bill+&+Melinda+Gates+Foundation|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal Bill+&+Melinda+Gates+Foundation|website=open.who.int|accessdate=2020年5月11日}}</ref>
|-
|3 ||style="text-align:left;"| [[イギリス]] || 43 || 335 || 57 || 435 || 7.7% || <ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=United+Kingdom+of+Great+Britain+and+Northern+Ireland|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal United+Kingdom+of+Great+Britain+and+Northern+Ireland|website=open.who.int|accessdate=2020年5月11日}}</ref>
|-
|4 ||style="text-align:left;"| [[GAVIアライアンス]] || || 371 || || 371 || 6.6% || <ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=GAVI+Alliance|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal GAVI+Alliance|website=open.who.int|accessdate=2020年5月11日}}</ref>
|-
|5 ||style="text-align:left;"| [[ドイツ]] || 61 || 231 || || 292 || 5.2% || <ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=Germany|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal Germany|website=open.who.int|accessdate=2020年5月11日}}</ref>
|-
|6 ||style="text-align:left;"| [[日本]] || 93 || 122 || || 214 || 3.8% || <ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=Japan|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal Japan|website=open.who.int|accessdate=2020年5月11日}}</ref>
|-
|7 ||style="text-align:left;"| [[国際連合人道問題調整事務所]] (UNOCHA) || || 192 || || 192 || 3.4% || <ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=United+Nations+Office+for+the+Coordination+of+Humanitarian+Affairs+(UNOCHA)|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal United+Nations+Office+for+the+Coordination+of+Humanitarian+Affairs|website=open.who.int|accessdate=2020年5月11日}}</ref>
|-
|8 ||style="text-align:left;"| [[国際ロータリー]] || || 143 || || 143 || 2.5% || <ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=Rotary+International|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal Rotary+International|website=open.who.int|accessdate=2020年5月11日}}</ref>
|-
|9 ||style="text-align:left;"| [[世界銀行]] || || 133 || || 133 || 2.4% || <ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=World+Bank|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal World+Bank|website=open.who.int|accessdate=2020年5月11日}}</ref>
|-
|10 ||style="text-align:left;"| [[欧州委員会]] || || 131 || || 131 || 2.3% || <ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor?name=European+Commission|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal European+Commission|website=open.who.int|accessdate=2020年5月11日}}</ref>
|-
|colspan="2" style="text-align:center;"| その他出資者 || 524 || 1,484 || 103 || 2,289 || 40.7% ||
|-
!colspan="2" | 総計 || style="text-align:right;"|957 || style="text-align:right;"|4,328 || style="text-align:right;"|161 || style="text-align:right;"|5,624 || 100.0% || <ref>{{Cite web|url=http://open.who.int/2018-19/contributors/contributor|title=WHO {{!}} Programme Budget Web Portal|website=open.who.int|accessdate=2020年5月11日}}</ref>
|}
== 論争となった出来事 ==
=== 新型インフルエンザ、パンデミック誤警告と企業癒着問題 ===
[[2009年]]から[[2010年|10年]]にかけての[[2009年新型インフルエンザの世界的流行|新型インフルエンザの世界的流行]]に際し、WHOのマーガレット・チャン事務局長は「今、すべての人類が脅威にさらされている」として、新型インフルエンザをすべての人類の脅威とする広報を行った。その後、新型インフルエンザが弱毒性である事が発覚するも、顕著な感染や死亡の被害が著しい事態を想定した警告であるフェーズレベル6/6と警告し、[[パンデミック]](世界的大流行)を宣言した。
しかし初の「[[国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態]]」(PHEIC)の対象にまでになった新型インフルエンザは前例のない保健当局と科学者と製薬会社が強力に連携する体制をもたらしたが<ref>{{cite journal | author = Abelina A | year = 2011 | title = Lessons from pandemic influenza A(H1N1) The research-based vaccine industry's perspective | url = http://www.evm-vaccines.org/IMG/pdf/Lessons_from_pandemic_influenza.pdf | format = PDF | journal = Vaccine | volume = 29 | issue = | pages = 1135-1138 | doi = 10.1016/j.vaccine.2010.11.042 | display-authors = etal | pmid = 21115061 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20111009120413/http://www.evm-vaccines.org/IMG/pdf/Lessons_from_pandemic_influenza.pdf | archivedate = 2011年10月9日 | deadlinkdate = 2017年9月 }}</ref>、実際は他の季節性[[インフルエンザ]]と大差ないレベルのインフルエンザで被害も小さなものであった<ref>{{cite news |author= |title=(UPDATE) WHO declares first 21st century flu pandemic / Reuters|url=https://news.abs-cbn.com/world/06/11/09/who-set-declare-first-flu-pandemic-1968 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090612150735/http://www.abs-cbnnews.com/world/06/11/09/who-set-declare-first-flu-pandemic-1968|archivedate=2009-06-12|date=2009-06-11 |newspaper=ABS-CBN News |accessdate=2014-06-25}}</ref>。
一連のWHOの誤報への批判が高まり<ref>[http://health.nbcnews.com/_news/2010/04/12/4148373-who-admits-errors-in-handling-flu-pandemic?threadId=840042&commentId=13535069 WHO admits errors in handling flu pandemic] Posted by NBS</ref>、これを重く見た[[欧州議会]]は、パンデミック宣言に至った経緯の調査に踏み出す事態となった。欧州議会の{{仮リンク|ヴォルフガング・ヴォーダルク|label=ボーダルク|en|Wolfgang Wodarg}}前保健衛生委員長は、WHOの宣言は偽のパンデミックであったとして問題提起をしている。WHOの意思決定には製薬会社の意向が大きく影響した可能性が高いとしている。製薬会社は研究所などで働く科学者へ大きな影響力を持っており、この事と今回WHOが広く科学者の意見を求めた事がその影響力を強める原因になったと語っている。一方、新型インフルエンザワクチン製造なども行い、世界最大規模の製薬会社であるグラクソ・スミスクライン社(英国)は、製薬会社がWHOのパンデミック宣言に影響を与えているなどの認識は誤りであるとインタビューに応えている<ref>{{cite news |author=Alex Newman |title=Europe to Investigate WHO 'False Pandemic' Scandal |url=https://thenewamerican.com/europe-to-investigate-who-false-pandemic-scandal/ |date=05 January 2010 |newspaper=The New American |accessdate=2014-06-25}}</ref>。
2010年1月になるとワクチンが世界的に余剰状態となり、キャンセルや転売が相次ぐ事態となっている。
=== IAEAに従属 ===
1959年に結んだ[[IAEA]]との規定では、「IAEA(原発推進を掲げている)の許可なしに、放射線の影響における科学論文を公表してはならない」となっている<ref name="IPPNW">{{PDFlink|[http://www.ippnw.de/commonFiles/pdfs/Atomenergie/analyse_who_report_fukushima_011012.pdf IPPNW]}} 12p</ref>。WHO事務局長であった中嶋宏は、この事について「放射線の影響の研究に関しては、WHOはIAEAに従属している。原子力が健康を従えているのだ」と発言している<ref>{{PDFlink|[http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/ECRR_2010_recommendations_of_the_european_committee_on_radiation_risk.pdf ECRR 2010年勧告]}} 40p</ref>。
=== COVID-19 をめぐる対応の遅れと政治性の指摘 ===
{{See also|新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)#WHOの対応策|台湾における2019年コロナウイルス感染症の流行状況#WHOと台湾政府の攻防|ドナルド・トランプ#COVID-19関連|米中関係#COVID-19の感染拡大以降}}
[[2019新型コロナウイルスによる急性呼吸器疾患]]の対応をめぐり、流行が始まった2019年12月の時点でヒトからヒトへの感染が起きた可能性があるという報告を台湾から受けていたにもかかわらず、台湾によるWHO総会への参加が認められていないことや情報を国際社会に示さなかったことへの批判がある<ref name="nhk_k10012381681000">{{Cite web|和書|date=2020-04-11 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200411/k10012381681000.html |title=「WHOは公衆衛生より政治を優先」米国務省が検証の考え |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |accessdate=2020-04-11}}</ref>。
2020年4月、アメリカの[[ドナルド・トランプ]]大統領はCOVID-19をめぐるWHOの一連の対応について「失敗」と評価。また、アメリカから大規模な出資を受けながら「中国中心主義」で、世界に不適切な提言を行っていると批判し、WHOへの拠出金を停止する考えを示した<ref>{{Cite news|title=トランプ氏「WHOは中国寄り」、新型コロナ対応で批判 拠出金停止も|url=https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-usa-who-idJPKBN21P2RJ|work=Reuters|date=2020-04-08|accessdate=2020-04-29|language=ja}}</ref>。 同国[[アメリカ合衆国国務省|国務省]]は「公衆衛生より政治を優先した」と批判した上で「アメリカを含む加盟国はWHOの一連の対応について問題点を検証するべきだ」とした<ref name="nhk_k10012381681000" />。
WHOは台湾からの通知について、AFP通信の取材に対して「ヒトからヒトへの感染について言及はなかった」と否定した<ref name="nhk_k10012382351000">{{Cite web|和書|date=2020-04-11 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200411/k10012382351000.html |title=台湾 12月末にWHOに送った文書公表“武漢で非定型肺炎” |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |accessdate=2020-04-11}}</ref>。それを受けて台湾当局は「中国の武漢で非定型の肺炎が少なくとも7例出ていると報道されている。現地当局はSARSとはみられないとしているが、患者は隔離治療を受けている」といった内容が含まれるWHO宛の通知の全文を公開し、「隔離治療がどのような状況で必要となるかは公共衛生の専門家や医師であれば誰でもわかる。これを警告と呼ばず、何を警告と呼ぶのか」と述べ、WHOが台湾の情報を生かしていれば、感染拡大へ早く対処できたと主張した<ref name="nhk_k10012382351000" /><ref>{{Cite web|和書|date=2020-04-11 |url=https://www.asahi.com/articles/ASN4C728CN4CUHBI01P.html |title=台湾が昨年末、WHOに警告「武漢の肺炎で隔離治療」 |publisher=[[朝日新聞]] |accessdate=2020-04-11}}</ref>。
トランプ大統領は5月29日の[[ホワイトハウス]]での記者会見でWHOが「中国寄り」であることを改めて批判。年間4億5千万ドル規模とされるWHOに対する米国の拠出金を他の保健衛生関連の国際組織に振り向け、WHOとの関係を断絶すると発表し<ref>{{Cite web|和書|title=トランプ氏、香港の優遇措置見直し WHOと「断絶」も|url=https://www.sankei.com/world/news/200530/wor2005300002-n1.html|website=産経ニュース|date=2020-05-30|accessdate=2020-05-30|language=ja|first=SANKEI DIGITAL|last=INC}}</ref>、7月6日には2021年7月6日付でWHOを脱退することを国連に正式通告した<ref>{{Cite web|和書|date=2020-07-08 |url=https://r.nikkei.com/article/DGXMZO61273020Y0A700C2MM0000|title=米、WHOを21年7月に脱退へ 国連に正式通告|publisher=[[日本経済新聞]]|accessdate=2020-07-08}}</ref>。
2021年1月20日に[[ジョー・バイデン]]が後継の大統領に就任し、その日のうちにWHOからの脱退を撤回する大統領令に署名<ref>{{Cite news|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210121/k10012825481000.html|title=米 バイデン新大統領 WHO脱退の撤回命じる大統領令に署名|work=NHK NEWSWEB|agency=[[日本放送協会|NHK]]|date=2021-01-21|accessdate=2021-01-23}}</ref>、また翌21日にはCOVID-19ワクチンを共同購入するための国際的な枠組み(COVAX)への参加を表明するなど、政権交代によってアメリカの姿勢は大きく転換された<ref>{{Cite news|url=https://news.ntv.co.jp/category/international/808210|title=米 ワクチン共同購入“国際枠組み”参加へ|work=[[日テレNEWS24]]|agency=[[日本テレビ放送網]]|date=2021-01-22|accessdate=2021-01-23}}</ref>。
== 世界保健機関の制定した国際デー ==
世界保健機関はいくつかの[[国際デー]]を制定しているが、なかでも国際公衆保健デーとして、3月24日の[[世界結核デー]]、4月7日の[[世界保健デー]]、4月14日の{{仮リンク|世界シャーガス病デー|en|World Chagas Disease Day}}、4月25日の[[世界マラリアデー]]、4月の最終週に行われる<ref>https://www.who.int/communicating-for-health/functions/campaigns/en/ 「Health campaigns」世界保健機関 2020年5月16日閲覧</ref>{{仮リンク|世界予防接種週間|en|World Immunization Week}}、5月31日の[[世界禁煙デー]]、6月14日の[[世界献血者デー]]、7月28日の[[世界肝炎デー]]、9月17日の世界患者安全デー、毎年11月18日を含む週に行われる<ref>http://amr.ncgm.go.jp/information/20181024102427.html 「毎年11月は、「薬剤耐性(AMR)対策推進月間」です」AMR臨床リファレンスセンター 2020年1月1日 2020年5月16日閲覧</ref>{{仮リンク|世界抗生物質意識週間|en|World Immunization Week}}、12月1日の[[世界エイズデー]]を特に重視している<ref>https://www.who.int/news-room/campaigns 「WHO global health days」世界保健機関 2020年5月16日閲覧</ref>。この国際デーは新たに定められることも多く、2019年には世界患者安全デーが<ref>https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_06247.html 「9月17日は「世界患者安全の日」です」日本国厚生労働省 2020年5月16日閲覧</ref>、2020年には世界シャーガス病デーが新たに制定された<ref>https://www.who.int/news-room/campaigns/world-chagas-disease-day-2020 「World Chagas Disease Day」世界保健機関 2020年5月16日閲覧</ref>。
== 世界保健機関に対する顕彰 ==
* [[メアリー・ウッダード・ラスカー公益事業賞]](1976年)
* [[アストゥリアス皇太子賞]](2009年)
== 不祥事 ==
* 2018年から2020年にかけ、職員が[[コンゴ民主共和国]]で[[性的虐待]]を行っていた問題が浮上。[[2021年]][[9月28日]]、事務局長が事実を認めて謝罪した。問題となった職員は[[エボラ出血熱]]対策に当たるため、現地採用された職員と各国から派遣されていた職員で、地域住民に仕事を与える見返りとして性交渉を強要するなどの脅しを行っていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3368361?cx_part=top_topstory&cx_position=1 |title=WHO事務局長が謝罪 職員がコンゴで性的虐待 |publisher=AFP |date=2021-09-29 |accessdate=2021-09-28}}</ref>。
== 主な出身者 ==
* [[山本尚子]] - 事務局長補、[[厚生労働省大臣官房]][[総括審議官]]。
* [[梅内拓生]] - ジュネーブ本部感染対策次長、[[東京大学]][[名誉教授]]、[[吉備国際大学]]学長。
* [[根路銘国昭]] - インフルエンザ・呼吸ウイルス協力センター長、生物資源利用研究所所長。
* [[佐原康之]] - ジュネーブ本部シニアアドバイザー、厚生労働省大臣官房総括審議官。
* [[尾身茂]] - 第5代西太平洋地域事務局事務局長、[[名誉事務局長]]。厚生労働省顧問。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
* [[疾病及び関連保健問題の国際統計分類]]
* [[パンデミック]]
* [[アスクレピオスの杖]]
* [[日本WHO協会]]
* [[WHO神戸センター]]
* [[国際医学団体協議会]]
* [[健康都市連合]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|United Nations World Health Organisation}}
* [https://www.who.int/ {{lang|en|World Health Organization}}]{{en icon}} - 世界保健機関(WHO)
** {{YouTube|u=who|World Health Organization (WHO)}}{{en icon}}
** {{Twitter|who|World Health Organization (WHO)}}{{en icon}}
** {{Facebook|WHO|World Health Organization (WHO)}}{{en icon}}
** {{Instagram|who|World Health Organization}}{{en icon}}
* [https://www.japan-who.or.jp/ 公益社団法人 日本WHO協会]
* [https://extranet.who.int/kobe_centre/ja WHO神戸センター]
* [https://www.iarc.fr/ {{lang|en|International Agency for Research on Cancer}}]{{en icon}} - 国際がん研究機関(IARC)
* [https://www.taiwanembassy.org/jp_ja/index.html 台北駐日経済文化代表処]
* [http://www.alliance-healthycities.com/htmls/members/index_members.html#japan WHO西太平洋地域内における健康都市連合日本支部]
* {{Kotobank}}
{{世界保健機関の事務局長}}
{{国際連合}}
{{2019-nCoV}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:せかいほけんきかん}}
[[Category:世界保健機関|*]]
[[Category:国際連合専門機関]]
[[Category:医療関連の組織]]
[[Category:健康都市連合]]
[[Category:健康]]
[[Category:公衆衛生]]
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[[Category:アストゥリアス皇太子賞受賞者]] | 2003-04-21T02:36:29Z | 2023-11-11T15:03:21Z | false | false | false | [
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7,068 | ファストコア | ファストコア(Fastcore)は、ハードコア・パンクのサブジャンルの一つ。
1980年代に誕生した、イギリスのハードコア・パンクバンドたちが用いていたブラストビートのリズムで極限の速さを追求したハードコアの派生ジャンルであり、スラッシュコアとも呼ばれるが、この呼び名はクロスオーバー・スラッシュ等も含めて呼ばれる事も多い。メタルの中の特にデスメタル系、スラッシュメタル系の要素を取り入れた場合はグラインドコアになる。
基本的には騒音のような編曲、叫び散らす歌唱、人間の限界の速さに挑戦する、といった特徴をもつが、ブラストビートの速さの定義は難しく曲の間が短いだけでもファストコアと定義される事もある。 ファストコア、グラインドコア、スラッジなどといった音楽を一括してパワーヴァイオレンスと呼称することもある。 | [
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] | ファストコア(Fastcore)は、ハードコア・パンクのサブジャンルの一つ。 1980年代に誕生した、イギリスのハードコア・パンクバンドたちが用いていたブラストビートのリズムで極限の速さを追求したハードコアの派生ジャンルであり、スラッシュコアとも呼ばれるが、この呼び名はクロスオーバー・スラッシュ等も含めて呼ばれる事も多い。メタルの中の特にデスメタル系、スラッシュメタル系の要素を取り入れた場合はグラインドコアになる。 基本的には騒音のような編曲、叫び散らす歌唱、人間の限界の速さに挑戦する、といった特徴をもつが、ブラストビートの速さの定義は難しく曲の間が短いだけでもファストコアと定義される事もある。
ファストコア、グラインドコア、スラッジなどといった音楽を一括してパワーヴァイオレンスと呼称することもある。 | {{出典の明記|date=2019年1月}}
'''ファストコア'''('''Fastcore''')は、[[ハードコア・パンク]]のサブジャンルの一つ。
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基本的には騒音のような編曲、叫び散らす歌唱、人間の限界の速さに挑戦する、といった特徴をもつが、ブラストビートの速さの定義は難しく曲の間が短いだけでもファストコアと定義される事もある。
'''ファストコア'''、[[グラインドコア]]、[[スラッジ]]などといった音楽を一括して[[パワーヴァイオレンス]]と呼称することもある。
== 主要バンド ==
*[[Hellnation]]
*[[Spazz]]
*[[Dropdead]]
*[[Benumb]]
*[[シージ]]
*[[ブルータル・トゥルース|Brutal Truth]]
*[[BREAKfAST]](Japan)
*[[Romantic Gorilla]](Japan)
*[[Capitalist Casualties]]
*[[Infest]]
*[[Fuck on the Beach]](Japan)
*[[SLIGHT SLAPPERS]](Japan)
*[[:en:The Locust|The Locust]]
*[[:en:Man Is the Bastard|Man Is the Bastard]]
*[[:en:Charles Bronson (band)|Charles Bronson]]
*Magrudergrind
*[[:en:Crossed Out|Crossed Out]]
*Despise You
*Lack of Interest
*Asshole Parade
*Godstomper
*Gasp
*[[:en:Mk Ultra|Mk Ultra]]
*Y
*[[:en:Rupture (band)|Rupture]]
*Plutocracy
*[[:en:Black Army Jacket|Black Army Jacket]]
*Jenny Piccolo
*Ulcer
*Suppression
*Enemy Soil
*Crom
*PALM
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[[Category:ハードコア・パンク|ふあすとこあ]] | null | 2019-09-24T15:08:00Z | false | false | false | [
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"Template:ハードコア・パンク"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B3%E3%82%A2 |
7,069 | 職業一覧 | 職業一覧(しょくぎょういちらん)は、職業の一覧である。
濁音・半濁音および長音は無視し、拗音・促音は直音に変換(ゃ→や、っ→つ)した読みを用いて、さらに同音がある場合には清音→濁音→半濁音の順序で、五十音順あるいはABC順に配列してある。なお、上記の基準で読むと同音異義語となる場合は、総画数の小さい順に配列してある(読みの例:映画プロデューサー→えいかふろてゆさ)。
「*」印の記事はリダイレクト等により、その内容を内含する記事へリンクしている。
なお、世界の職業の種類は細かく分類すると数万種類以上あると言われることもある。日本国内の職種に限っても「1万7000種類以上」とも言われている。
アイドル - アーキビスト - アクチュアリー - アシスタントディレクター - アスレティックトレーナー - アーティスト - アートディレクター - アナウンサー - アニメーター - 海人 - アメリカンフットボール選手 - アレンジャー - あん摩マッサージ指圧師
医師 - 石工 - イタコ - 板前 - 鋳物工 - イラストレーター - 医療監視員 - 医療事務員 - 医療従事者 - 医療保険事務 - 刺青師 - インストラクター - インダストリアルデザイナー - インタープリター (自然) - インテリアコーディネーター - インテリアデザイナー
ウェディングプランナー - ウェブデザイナー - 鵜飼い - 浮世絵師 - 宇宙飛行士 - 占い師 - 運転士 - 運転手 - 運転代行
映画監督 - 映画スタッフ - 映画俳優 - 映画プロデューサー - 営業員 - 衛視 - 衛生検査技師 - 映像作家 - 栄養教諭 - 栄養士 - 駅員 - 駅長 - エクステリアデザイナー - エグゼクティブ・プロデューサー - 絵師 - エステティシャン - エディトリアルデザイナー - 絵本作家 - 演歌歌手 - 園芸家 - エンジニア - 演出家 - 演奏家
オートレース選手 - オプトメトリスト - お笑い芸人 - お笑いタレント - 音楽家 - 音楽評論家 - 音楽プロデューサー - 音楽療法士 - 音響監督 - 音響技術者
海技従事者 - 会計士 - 外交官 - 外航客船パーサー - 介護ヘルパー - 海事代理士 - 会社員 - 海上自衛官 - 海上保安官 - 会長 - 介助犬訓練士 - カイロプラクター - カウンセラー - 画家 - 学芸員 - 科学者 - 学者 - 学長 - 格闘家 - 菓子製造技能士 - 歌手 - 歌人 - カスタマエンジニア - 楽器製作者 - 学校事務職員 - 学校職員 - 学校用務員 - 活動弁士 - 家庭教師 - カーデザイナー - 歌舞伎役者 - カメラマン - カラーコーディネーター - カラーセラピスト - 為替ディーラー - 環境デザイナー - 環境計量士 - 環境コンサルタント - 観光コンサルタント - 看護師 - 看護助手 - 鑑定人 - 監督 - 官房長官 - 管理栄養士 - 官僚
議員 - 機関士 - 戯曲家 - 起業家 - 樵 - 棋士 (囲碁) - 棋士 (将棋) - 記者 - 騎手 - 技術コンサルタント - 技術者 - 気象予報士 - 機長 - キックボクサー - 着付師 - 客室乗務員 - 脚本家 - キャビンアテンダント - キャラクターデザイナー - キャリア (国家公務員) - キャリア・コンサルタント - 救急救命士 - 救急隊員 - きゅう師 - 給仕人 - 厩務員 - キュレーター - 教育関係職員 - 教員 - 行政官 - 行政書士 - 競艇選手 - 教頭 - 教諭 - 銀行員
空間情報コンサルタント - 空間デザイナー - グラウンドキーパー - グラフィックデザイナー - グランドスタッフ - グランドホステス - クリエイティブ・ディレクター - クリーニング師 - クレーン運転士 - 軍事評論家 - 軍人
ケアワーカー(介護士) - 経営コンサルタント - 経営者 - 芸妓 - 経済評論家 - 警察官 - 芸術家 - 芸人 - 芸能人 - 芸能リポーター - 警備員 - 刑務官 - 警務官 - 計量士 - 競輪選手 - 劇作家 - ケースワーカー - ゲームクリエイター - ゲームシナリオライター - ゲームデザイナー - ゲームライター - 検疫官 - 研究員 - 言語聴覚士 - 検察官 - 検察事務官 - 建設コンサルタント - 現像技師 - 建築家 - 建築コンサルタント - 建築士
校閲者 -航海士 - 公共政策コンサルタント - 工業デザイナー - 航空管制官 - 航空機関士 - 皇宮護衛官 - 航空自衛官 - 航空従事者 - 航空整備士 - 工芸家 - 講師 (教育) - 工場長 - 交渉人 - 講談師 - 校長 - 交通指導員 - 高等学校教員 - 公認会計士 - 公務員 - 校務員 - 港湾荷役作業員 - 国際公務員 - 国連職員 - 国税専門官 - 国務大臣 - ゴーストライター - 国会議員 - 国会議員政策担当秘書 - 国会職員 - 国家公務員 - コック -コ・デンタル - コピーライター - コミッショナー - コメディアン - コ・メディカル - コラムニスト - 顧問 - コンサルタント - コンシェルジュ - コンセプター - コンピュータ技術者
再開発プランナー・再開発コンサルタント - 裁判官 - 裁判所職員 - 裁判所調査官 - サウンドクリエイター - 左官 - 作業療法士 - 作詞家 - 撮影監督 - 撮影技師 - 作家 - サッカー選手 - 作曲家 - 茶道家 - サラリーマン - 参議院議員
指圧師 - 自衛官 - シェフ - 歯科医師 - 司会者 - 歯科衛生士 - 歯科技工士 - 歯科助手 - 士官 - 指揮者 - 司書 - 司書教諭 - 詩人 - システムアドミニストレータ - システムエンジニア - 自然保護官 - 質屋 - 市町村長 - 実業家 - 自動車整備士 - 児童文学作家 - シナリオライター - 視能訓練士 - 司法書士 - 事務員 - 社会福祉士 - 社会保険労務士 - 車掌 - 写真家 - 写真ディレクター - 社長 - ジャーナリスト - 写譜屋 - 獣医師 - 衆議院議員 - 臭気判定士 - 柔道整復師 - 守衛 - ジュエリーデザイナー - 塾講師 - 手話通訳士 - 准看護師 - 准教授 - 小学校教員 - 上下水道コンサルタント - 証券アナリスト - 将校 - 小説家 - 消防官 - 照明技師 - 照明技術者 - 照明士 - 照明デザイナー - 書家 - 助教 - 助教授 - 職人 - ショコラティエ - 助手 (教育) - 初生雛鑑別師 - 書道家 - 助産師 - シンガーソングライター - 神職 - 審判員 - 新聞記者 - 新聞配達員 - 心理カウンセラー - 診療放射線技師 - 心理療法士 - 森林コンサルタント - 樹医
随筆家 - 推理作家 - スカウト (勧誘) - スクールカウンセラー - 寿司職人 - スタイリスト - スタジオ・ミュージシャン - スタント・パーソン - スタントマン - スチュワーデス - スチュワード - ストリートミュージシャン - スパイ - スーパーバイザー - スポーツ選手 - スポーツドクター - 摺師
製菓衛生師 - 声楽家 - 税関職員 - 政治家 - 聖職者 - 整体師 - 青年海外協力隊員 - 整備士 - 声優 - 税理士 - セックスワーカー - ゼネラルマネージャー - セラピスト - 船員 - 選挙屋 - 船長 - 戦場カメラマン - 染織家 - 潜水士
造園家/造園コンサルタント - 葬儀屋 - 造形作家 - 相場師 - 操縦士 - 装丁家 - 僧侶 - 測量士・測量技師 - ソーシャルワーカー - 速記士 - ソムリエ - ソムリエール - 村議会議員
大学教員 - 大学教授 - 大学職員 - 大工 - 大臣 - 大道芸人 - 大統領 - ダイバー - 殺陣師 - 旅芸人 - タレント - ダンサー - 探偵
チェリスト - 知事 - 地質コンサルタント - チーフプロデューサー - 地方議会議員 - 地方公務員 - 中学校教員 - 中小企業診断士 - 調教師 - 調香師 - 彫刻家 - 聴導犬訓練士 - 著作家
ツアーコンダクター - 通関士 - 通信士 - 通訳 - 通訳案内士
ディスクジョッキー - ディスパッチャー - ディーラー - ディレクター - テクニカルディレクター (スポーツ) - テクニカルディレクター (テレビ) - テクノクラート - デザイナー - デザインプロデューサー - テニス選手 - テレビディレクター - テレビプロデューサー - 電気工事士 - 電車運転士 - 添乗員 - 電話交換手
陶芸家 - 投資家 - 杜氏 - 動物看護師 - 動物管理官 - 時計師 - 登山家 - 都市計画コンサルタント - 図書館司書 - 鳶職 - トラックメイカー - トリマー - ドリラー - トレジャーハンター - トレーナー
内閣官房長官 - 内閣総理大臣 - 仲居 - ナニー - ナレーター
入国警備官 - 入国審査官 - ニュースキャスター - 庭師
塗師
ネイリスト - ネイルアーティスト - ネットワークエンジニア
農家 - 能楽師 - 納棺師 - 農業土木コンサルタント - ノンフィクション作家
配管工 - 俳人 - バイヤー - 俳優 - パイロット - バスガイド - バスケットボール選手 - パタンナー - 発明家 - パティシエ - バーテンダー - 噺家 - 花火師 - 花屋 - はり師 - バリスタ (コーヒー) - バルーンアーティスト - パン屋
ピアノ調律師 - 美術 (職業) - 美術家 - 美術商 - 秘書 - 筆跡鑑定人 - ビデオジョッキー - ビューロクラート - 美容師 - 評論家 - ビル管理技術者
ファイナンシャル・プランナー - ファシリテーター - ファシリティマネジャー - ファッションデザイナー - ファッションフォトグラファー - ファッションモデル - ファンタジー作家 - ファンドマネージャー - ファンドレイザー - 風俗嬢 - フェロー - 副校長 - 服飾デザイナー - 副操縦士 - 腹話術師 - 舞台演出家 - 舞台監督 - 舞台俳優 - 舞台美術家 - 舞踏家 - 武道家 - 不動産鑑定士 - 不動産屋 - フードコーディネーター - 舞踊家 - フライトアテンダント - フラワーデザイナー - プラントハンター - ブリーダー - 振付師 - フリーライター - プログラマ - プロゴルファー - プロジェクトマネージャ - プロデューサー - プロブロガー - プロボウラー - プロボクサー - プロ野球選手 - プロレスラー - 文芸評論家 - 文筆家 - フライス盤工
ヘアメイクアーティスト - ペスト・コントロール・オペレーター - ベビーシッター - 編曲家 - 弁護士 - 編集者 - 弁理士
保安官 - 保育士 - 冒険家 - 放射線技師 - 宝飾デザイナー - 放送作家 - 法務教官 - 訪問介護員 - 牧師 - 保険計理人 - 保健師 - 保護観察官 - 補償コンサルタント - ホステス - ホスト - ボディーガード - ホームヘルパー - ホラー作家 - 彫師 - 翻訳家
舞妓 - マジシャン (奇術) - マーシャラー - マスタリング・エンジニア - マタギ - マッサージ師 - マニピュレーター - マルチタレント - 漫画家 - 漫画原作者 - 漫才師 - 漫談家
ミキサー - 巫女 - 水先案内人 - 水先人 - 宮大工 - ミュージシャン
無線通信士
メイクアップアーティスト - メイド - メジャーリーガー
盲導犬訓練士 - モデラー (模型) - モデル (職業)
薬剤師 - 役者 - 野菜ソムリエ
郵便配達 - YouTuber
洋菓子職人 - 養護教諭 - 洋裁師 - 養蚕家 - 幼稚園教員 - 養蜂家
ライトノベル作家 - ライフセービング - 落語家 - 酪農家 - ラグビー選手 - ラジオパーソナリティ - ランドスケープアーキテクト(ランドスケーププランナー・ランドスケープデザイナー)ランドスケープコンサルタント
理学療法士 - 力士 - 陸上自衛官 - リポーター - 猟師 - 漁師 - 理容師 - 料理研究家 - 料理人 - 旅行作家 - 林業従事者 - 臨床検査技師 - 臨床工学技士 - 臨床心理士
ルポライター
レコーディング・エンジニア - レーサー - レーシングドライバー - レスキュー隊員 - レポーター - レンジャー
労働基準監督官 - 録音技師
和菓子職人 - 和裁士 - 和紙職人
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(職業教育の入門書。514種の職業を紹介している。) | [
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] | 職業一覧(しょくぎょういちらん)は、職業の一覧である。 濁音・半濁音および長音は無視し、拗音・促音は直音に変換(ゃ→や、っ→つ)した読みを用いて、さらに同音がある場合には清音→濁音→半濁音の順序で、五十音順あるいはABC順に配列してある。なお、上記の基準で読むと同音異義語となる場合は、総画数の小さい順に配列してある。 「*」印の記事はリダイレクト等により、その内容を内含する記事へリンクしている。 なお、世界の職業の種類は細かく分類すると数万種類以上あると言われることもある。日本国内の職種に限っても「1万7000種類以上」とも言われている。 | '''職業一覧'''(しょくぎょういちらん)は、[[職業]]の一覧である。
濁音・半濁音および長音は無視し、拗音・促音は直音に変換(ゃ→や、っ→つ)した読みを用いて、さらに同音がある場合には[[清音]]→濁音→半濁音の順序で、五十音順あるいはABC順に配列してある。なお、上記の基準で読むと[[同音異義語]]となる場合は、総画数の小さい順に配列してある(読みの例:映画プロデューサー→えいかふろてゆさ)。
「*」印の記事はリダイレクト等<!-- パイプ付リンクを含む -->により、その内容を内含する記事へリンクしている。
なお、世界の職業の種類は細かく分類すると数万種類以上あると言われることもある。日本国内の職種に限っても「1万7000種類以上<ref>[https://onsuku.jp/blog/job_002]</ref>」とも言われている。
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== ア行 ==
=== あ ===
[[アイドル]] - [[アーキビスト]] - [[アクチュアリー]] - [[アシスタントディレクター]] - [[アスレティックトレーナー]] - [[アーティスト ]] - [[アートディレクター]] - [[アナウンサー]] - [[アニメーター]] - [[海人]] - [[アメリカンフットボール選手]]<sup>*</sup> - [[アレンジャー]] - [[あん摩マッサージ指圧師]]
=== い ===
[[医師]] - [[石工]] - [[イタコ]] - [[板前]] - [[鋳物]]工 - [[イラストレーター]] - 医療[[監視員]] - [[医療事務員]]<sup>*</sup> - [[医療従事者]] - [[医療保険事務]] - [[刺青師]] - [[インストラクター]] - [[インダストリアルデザイナー]] - [[インタープリター (自然)]] - [[インテリアコーディネーター]]<sup>*</sup> - [[インテリアデザイナー]]
=== う ===
[[ウェディングプランナー]] - [[ウェブデザイナー]] - [[鵜飼い]] - [[浮世絵師]]<sup>*</sup> - [[宇宙飛行士]] - [[占い師]]<sup>*</sup> - [[運転士]] - [[運転手]] - [[運転代行]]
=== え ===
[[映画監督]] - [[映画スタッフ]] - [[映画俳優]]<sup>*</sup> - [[映画プロデューサー]] - [[営業員]]<sup>*</sup> - [[衛視]] - [[衛生検査技師]] - [[映像作家]] - [[栄養教諭]] - [[栄養士]] - [[駅員]] - [[駅長]] - [[エクステリアデザイナー]] - [[エグゼクティブ・プロデューサー]] - [[絵師]] - [[エステティシャン]]<sup>*</sup> - [[エディトリアルデザイナー]] - [[絵本作家]] - [[演歌歌手]] - [[園芸家]] - [[エンジニア]]<sup>*</sup> - [[演出家]] - [[演奏家]]<sup>*</sup>
=== お ===
[[オートレース選手]] - [[オプトメトリスト]] <!-- 検眼師、視力測定医などとも訳される。現状の日本の職業では[[認定眼鏡士]]と眼科医に近い --> - [[お笑い芸人]]<sup>*</sup> - [[お笑いタレント]] - [[音楽家]] - [[音楽評論家]] - [[音楽プロデューサー]] - [[音楽療法士]]<sup>*</sup> - [[音響監督]] - [[音響技術者]]
== カ行 ==
=== か ===
[[海技従事者]] - [[会計士]] - [[外交官]] - [[旅客船|外航客船]]パーサー - [[介護ヘルパー]]<sup>*</sup> - [[海事代理士]] - [[会社員]]<sup>*</sup> - [[海上自衛官]] - [[海上保安官]] - [[会長]] - [[介助犬]]訓練士 - [[カイロプラクター]] - [[カウンセラー]]<sup>*</sup> - [[画家]] - [[学芸員]] - [[科学者]] - [[学者]] - [[学長]]<sup>*</sup> - [[格闘家]]<sup>*</sup> - [[菓子製造技能士]] - [[歌手]] - [[歌人]] - [[カスタマエンジニア]] - [[楽器製作者]]<sup>*</sup> - [[学校事務職員]] - [[学校職員]] - [[学校用務員]] - [[活動弁士]] - [[家庭教師]] - [[カーデザイナー]] - [[歌舞伎役者]]<sup>*</sup> - [[カメラマン]] - [[カラーコーディネーター]] - [[アートセラピー|カラーセラピスト]]<sup>*</sup> - [[為替]]ディーラー - [[環境デザイナー]] - [[環境計量士]] - [[環境コンサルタント]] - [[観光コンサルタント]] - [[看護師]] - [[看護]]助手 - [[鑑定人]] - [[監督]] - [[官房長官]]<sup>*</sup> - [[管理栄養士]] - [[官僚]]
=== き ===
[[議員]] - [[機関士]]<sup>*</sup> - [[戯曲家]]<sup>*</sup> - [[起業家]] - [[樵]] - [[棋士 (囲碁)]] - [[棋士 (将棋)]] - [[記者]] - [[騎手]] - [[技術コンサルタント]] - [[技術者]] - [[気象予報士]] - [[機長]] - [[キックボクサー]] - [[着付]]師 - [[客室乗務員]] - [[脚本家]] - [[キャビンアテンダント]]<sup>*</sup> - [[キャラクターデザイナー]]<sup>*</sup> - [[キャリア (国家公務員)]] - [[キャリア・コンサルタント]] - [[救急救命士]] - [[救急隊員]]<sup>*</sup> - [[きゅう師]] - [[給仕人]]<sup>*</sup> - [[厩務員]] - [[キュレーター]] - [[教育関係職員]] - [[教員]] - [[行政官]] - [[行政書士]] - [[競艇選手]] - [[教頭]] - [[教諭]] - [[銀行員]]<sup>*</sup>
=== く ===
[[空間情報コンサルタント]] - [[空間デザイナー]]<sup>*</sup> - [[グラウンド]]キーパー - [[グラフィックデザイナー]] - [[グランドスタッフ]] - [[グランドホステス]] - [[クリエイティブ・ディレクター]] - [[クリーニング師]] - [[クレーン運転士]] - [[軍事]]評論家 - [[職業軍人|軍人]]<sup>*</sup>
=== け ===
ケアワーカー([[介護士]]) - [[経営コンサルタント]] - [[経営者]] - [[芸妓]] - [[経済評論家]] - [[警察官]] - [[芸術家]] - [[芸人]] - [[芸能人]] - [[芸能リポーター]] - [[警備員]] - [[刑務官]] - [[警務官]] - [[計量士]] - [[競輪選手]] - [[劇作家]] - [[ケースワーカー]]<sup>*</sup> - [[ゲームクリエイター]] - [[ゲームシナリオライター]] - [[ゲームデザイナー]] - [[ゲームライター]] - [[検疫官]] - [[研究員]] - [[言語聴覚士]] - [[検察官]] - [[検察事務官]] - [[建設コンサルタント]] - [[現像技師]] - [[建築家]] - [[建築コンサルタント]] - [[建築士]]
=== こ ===
[[校閲者]]<sup>*</sup> -[[航海士]]<sup>*</sup> - [[公共政策コンサルタント]] - [[工業デザイナー]]<sup>*</sup> - [[航空管制官]] - [[航空機関士]] - [[皇宮護衛官]] - [[航空自衛官]] - [[航空従事者]] - [[航空整備士]] - [[工芸家]] - [[講師 (教育)]] - [[工場長]] - [[交渉人]] - [[講談師]]<sup>*</sup> - [[校長]] - [[交通指導員]] - [[高等学校教員]] - [[公認会計士]] - [[公務員]] - [[校務員]] - 港湾[[荷役]]作業員<sup>*</sup> - [[国際公務員]] - [[国連職員]]<sup>*</sup> - [[国税専門官]] - [[国務大臣]] - [[ゴーストライター]] - [[国会議員]] - [[国会議員政策担当秘書]] - [[国会職員]] - [[国家公務員]] - [[コック]]<sup>*</sup> -[[コ・デンタル]] - [[コピーライター]] - [[コミッショナー]] - [[コメディアン]] - [[コ・メディカル]] - [[コラムニスト]] - [[顧問]] - [[コンサルタント]] - [[コンシェルジュ]] - [[コンセプト|コンセプター]] <!-- 公園、企画などの基本方針を決定する際、コンセプトを決める役割を担う職業。 --> - [[コンピュータ技術者]]
== サ行 ==
=== さ ===
[[再開発プランナー]]・[[再開発コンサルタント]] - [[裁判官]] - [[裁判所職員]] - [[裁判所調査官]] - [[サウンドクリエイター]]<sup>*</sup> - [[左官]] - [[作業療法士]] - [[作詞家]] - [[撮影監督]] - [[撮影技師]] - [[作家]] - [[プロフェッショナル (サッカー)|サッカー選手]]<sup>*</sup> - [[作曲家]] - [[茶道家]]<sup>*</sup> - [[サラリーマン]] - [[日本の国会議員#参議院議員|参議院議員]]<sup>*</sup>
=== し ===
[[指圧師]]<sup>*</sup> - [[自衛官]] - [[シェフ]]<sup>*</sup> - [[歯科医師]] - [[司会者]]<sup>*</sup> - [[歯科衛生士]] - [[歯科技工士]] - [[歯科助手]] - [[士官]] - [[指揮者]] - [[司書]] - [[司書教諭]] - [[詩人]] - [[システムアドミニストレータ]] - [[システムエンジニア]] - [[自然保護官]] - [[質屋]] - [[市町村長]] - [[実業家]] - [[自動車整備士]] - [[児童文学作家]]<sup>*</sup> - [[シナリオライター]] - [[視能訓練士]] - [[司法書士]] - [[事務員]] - [[社会福祉士]] - [[社会保険労務士]] - [[車掌]] - [[写真家]] - [[写真ディレクター]] - [[社長]] - [[ジャーナリスト]] - [[写譜屋]] - [[獣医師]] - [[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]]<sup>*</sup> - [[臭気判定士]] - [[柔道整復師]] - [[守衛]] - [[ジュエリーデザイナー]]<sup>*</sup> - [[塾講師]]<sup>*</sup> - [[手話通訳士]] - [[准看護師]] - [[准教授]] - [[小学校教員]] - [[上下水道コンサルタント]] - [[証券アナリスト]] - [[将校]] - [[小説家]] - [[消防官]]<sup>*</sup> - [[照明技師]] - [[照明技術者]] - [[照明士]] - [[照明デザイナー]] - [[書家]] - [[助教]] - [[助教授]]<sup>*</sup> - [[職人]] - [[ショコラティエ]] - [[助手 (教育)]] - 初生雛鑑別師 - [[書道家]]<sup>*</sup> - [[助産師]] - [[シンガーソングライター]] - [[神職]] - [[審判員]] - [[新聞記者]]<sup>*</sup> - [[新聞配達員]]<sup>*</sup> - [[心理カウンセラー]]<sup>*</sup> - [[診療放射線技師]] - [[心理療法士]]<sup>*</sup> - [[森林コンサルタント]] - [[樹医]]
=== す ===
[[随筆家]] - [[推理作家]] - [[スカウト (勧誘)]] - [[スクールカウンセラー]] - [[寿司職人]]<sup>*</sup> - [[スタイリスト]] - [[スタジオ・ミュージシャン]] - [[スタント・パーソン]] - [[スタントマン]]<sup>*</sup> - [[スチュワーデス]]<sup>*</sup> - [[スチュワード]] - [[ストリートミュージシャン]] - [[スパイ]] - [[スーパーバイザー]] - [[プロフェッショナルスポーツ|スポーツ選手]]<sup>*</sup> - [[スポーツドクター]]<sup>*</sup>
- [[摺師]]
=== せ ===
[[製菓衛生師]] - [[声楽家]]<sup>*</sup> - [[税関職員]] - [[政治家]] - [[聖職者]] - [[整体師]]<sup>*</sup> - [[青年海外協力隊員]]<sup>*</sup> - [[整備士]] - [[声優]] - [[税理士]] - [[セックスワーカー]] - [[ゼネラルマネージャー]] - [[セラピスト]]<sup>*</sup> - [[船員]] - [[選挙屋]] - [[船長]] - [[戦場カメラマン]] - [[染織家]] - [[潜水士]]
=== そ ===
[[造園家]]/[[造園コンサルタント]] - [[葬儀屋]]<sup>*</sup> - [[造形作家]] - [[相場師]] - [[操縦士]] - [[装丁家]]<sup>*</sup> - [[僧侶]] - [[測量士]]・[[測量]][[技師]] - [[ソーシャルワーカー]] - [[速記士]]<sup>*</sup> - [[ソムリエ]] - [[ソムリエール]]<sup>*</sup> - [[村議会議員]]<sup>*</sup>
== タ行 ==
=== た ===
[[大学教員]] - [[大学教授]] - [[大学職員]] - [[大工]] - [[大臣]] - [[大道芸人]]<sup>*</sup> - [[大統領]] - [[ダイバー]] - [[殺陣師]]<sup>*</sup> - [[旅芸人]] - [[タレント]] - [[ダンサー]] - [[探偵]]
=== ち ===
[[チェリスト]] - [[知事]] - [[地質コンサルタント]] - [[チーフプロデューサー]] - [[地方議会議員]]<sup>*</sup> - [[地方公務員]] - [[中学校教員]] - [[中小企業診断士]]<sup>*</sup> - [[調教師]] - [[調香師]] - [[彫刻家]] - [[聴導犬]]訓練士 - [[著作家]]
=== つ ===
[[ツアーコンダクター]]<sup>*</sup> - [[通関士]] - [[通信士]] - [[通訳]] - [[通訳案内士]]
=== て ===
[[ディスクジョッキー]] - [[ディスパッチャー]] - [[ディーラー]] - [[ディレクター]] - [[テクニカルディレクター (スポーツ)]] - [[テクニカルディレクター (テレビ)]] - [[テクノクラート]] - [[デザイナー]] - [[デザインプロデューサー]] - [[テニス選手]]<sup>*</sup> - [[テレビディレクター]]<sup>*</sup> - [[テレビプロデューサー]] - [[電気工事士]] - [[電車運転士]]<sup>*</sup> - [[添乗員]] - [[電話交換手]]<sup>*</sup>
=== と ===
[[陶芸家]] - [[投資家]] - [[杜氏]] - [[動物看護師]] - [[動物管理官]] - [[時計師]] - [[登山家]] - [[都市計画コンサルタント]]<sup>*</sup> - [[図書館司書]]<sup>*</sup> - [[鳶職]] - [[トラックメイカー]] - [[トリマー]] - [[ドリラー]] - [[トレジャーハンター]] - [[トレーナー]]
== ナ行 ==
=== な ===
[[内閣官房長官]] - [[内閣総理大臣]] - [[仲居]] - [[ナニー (イギリス)|ナニー]]<sup>*</sup> - [[ナレーター]]
=== に ===
[[入国警備官]] - [[入国審査官]] - [[ニュースキャスター]] - [[庭師]]
=== ぬ ===
[[塗師]]
=== ね ===
[[ネイリスト]] - [[ネイルアーティスト]] - [[ネットワークエンジニア]]
=== の ===
[[農家]] - [[能楽師]] - [[納棺師]] - [[農業土木コンサルタント]] - [[ノンフィクション作家]]
== ハ行 ==
=== は ===
[[配管工]] - [[俳人]]<sup>*</sup> - [[バイヤー]] - [[俳優]] - [[パイロット]] - [[バスガイド]] - [[バスケットボール選手]]<sup>*</sup> - [[パタンナー]] - [[発明家]] - [[パティシエ]] - [[バーテンダー]] - [[噺家]]<sup>*</sup> - [[花火師]]<sup>*</sup> - [[花屋]] - [[はり師]] - [[バリスタ (コーヒー)]] - [[バルーンアーティスト]]<sup>*</sup> - [[パン屋]]<sup>*</sup>
=== ひ ===
[[ピアノ調律師]] - [[美術 (職業)]] - [[美術家]] - [[美術商]] - [[秘書]] - [[筆跡鑑定]]人 - [[ビデオジョッキー]] - [[ビューロクラート]]<sup>*</sup> - [[美容師]] - [[評論家]] - [[ビル管理技術者]]<sup>*</sup>
=== ふ ===
[[ファイナンシャル・プランナー]] - [[ファシリテーター]] - [[ファシリティマネジャー]] - [[ファッションデザイナー]] - [[ファッションフォトグラファー]]<sup>*</sup> - [[ファッションモデル]] - [[ファンタジー作家]] - [[基金|ファンド]]マネージャー
<sup>*</sup> - [[ファンドレイザー]] - [[風俗嬢]] - [[フェロー]] - [[副校長]] - [[服飾デザイナー]]<sup>*</sup> - [[副操縦士]] - [[腹話術師]]<sup>*</sup> - [[舞台演出家]]<sup>*</sup> - [[舞台監督]] - [[舞台俳優]]<sup>*</sup> - [[舞台美術家]] - [[舞踏家]] - [[武道家]]<sup>*</sup> - [[不動産鑑定士]] - [[不動産屋]]<sup>*</sup> - [[フードコーディネーター]] - [[舞踊家]]<sup>*</sup> - [[フライトアテンダント]]<sup>*</sup> - [[フラワーデザイナー]] - [[プラントハンター]] - [[ブリーダー]] - [[振付師]] - [[フリーライター]]<sup>*</sup> - [[プログラマ]] - [[プロゴルファー]] - [[プロジェクトマネージャ]] - [[プロデューサー]] - プロ[[ブロガー]] - [[プロボウラー]]<sup>*</sup> - [[プロボクサー]] - [[プロ野球選手]] - [[プロレスラー]] - [[文芸評論家]]<sup>*</sup> - [[文筆家]]<sup>*</sup> - [[フライス盤工]]
=== へ ===
[[ヘアメイクアーティスト]] - [[ペスト・コントロール・オペレーター]] - [[ベビーシッター]] - [[編曲家]] - [[弁護士]] - [[編集者]] - [[弁理士]]
=== ほ ===
[[保安官]] - [[保育士]] - [[冒険家]]<sup>*</sup> - [[放射線技師]]<sup>*</sup> - [[宝飾デザイナー]] - [[放送作家]] - [[法務教官]] - [[訪問介護員]] - [[牧師]] - [[保険計理人]] - [[保健師]] - [[保護観察官]] - [[補償コンサルタント]] - [[ホステス]] - [[ホスト (接客業)|ホスト]] - [[ボディーガード]] - [[ホームヘルパー]]<sup>*</sup> - [[ホラー作家]]<sup>*</sup> - [[彫師]] - [[翻訳家]]<sup>*</sup>
== マ行 ==
=== ま ===
[[舞妓]] - [[マジシャン (奇術)]] - [[マーシャラー]] - [[マスタリング・エンジニア]] - [[マタギ]] - [[マッサージ師]]<sup>*</sup> - [[マニピュレーター]] - [[マルチタレント]] - [[漫画家]] - [[漫画原作者]] - [[漫才師]]<sup>*</sup> - [[漫談家]]<sup>*</sup>
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[[レコーディング・エンジニア|ミキサー]] - [[巫女]] - [[水先案内人]]<sup>*</sup> - [[水先人]] - [[宮大工]] - [[ミュージシャン]]<sup>*</sup>
=== む ===
[[無線通信士]]
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[[メイクアップアーティスト]] - [[メイド]] - [[メジャーリーガー]]<sup>*</sup>
=== も ===
[[盲導犬]]訓練士 - [[モデラー (模型)]] - [[モデル (職業)]]
== ヤ行 ==
=== や ===
[[薬剤師]] - [[役者]]<sup>*</sup> - [[野菜ソムリエ]]<sup>*</sup>
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[[郵便配達]]<sup>*</sup> - [[YouTuber]]<sup>*</sup>
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[[洋菓子|洋菓子職人]]<sup>*</sup> - [[養護教諭]] - [[洋裁|洋裁師]]<sup>*</sup> - [[養蚕家]]<sup>*</sup> - [[幼稚園教員]] - [[養蜂家]]<sup>*</sup>
== ラ行 ==
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[[ライトノベル作家]]<sup>*</sup> - [[ライフセービング]] - [[落語家]] - [[酪農家]]<sup>*</sup> - [[ラグビーフットボール|ラグビー選手]]<sup>*</sup> - [[ラジオパーソナリティ]] - [[ランドスケープアーキテクト]](ランドスケーププランナー・ランドスケープデザイナー)[[ランドスケープコンサルタント]]
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[[理学療法士]] - [[力士]] - [[陸上自衛官]] - [[リポーター]] - [[猟師]]<sup>*</sup> - [[漁師]] - [[理容師]] - [[料理研究家]] - [[料理人]]<sup>*</sup> - [[旅行作家]] - [[林業従事者]]<sup>*</sup> - [[臨床検査技師]] - [[臨床工学技士]] - [[臨床心理士]]
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[[ルポライター]]<sup>*</sup>
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[[レコーディング・エンジニア]] - レーサー - [[レーシングドライバー]]<sup>*</sup> - [[レスキュー隊員]]<sup>*</sup> - [[レポーター]]<sup>*</sup> - [[レンジャー (日本の警察)|レンジャー]]
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[[労働基準監督官]] - [[録音技師]]
== ワ行 ==
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[[和菓子|和菓子職人]]<sup>*</sup> - [[和裁|和裁士]]<sup>*</sup> - [[和紙|和紙職人]]<sup>*</sup>
== 英数字 ==
[[A&R]] - [[AV監督]] - [[AV女優]] - [[AV男優]] - [[CMディレクター]] - [[DJ]]<sup>*</sup> - [[ITコーディネータ]] - [[医薬情報担当者|MR]]<sup>*</sup> - [[PAエンジニア]] - [[SF作家]] - [[セキュリティポリス|SP]]<sup>*</sup>
== 関連図書 ==
* [[村上龍]]『[[13歳のハローワーク]]』、幻冬舎 2003年。ISBN 4344004299
(職業教育の入門書。514種の職業を紹介している。)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[国際標準職業分類]]
* [[職業指導]] - [[職業教育]]
* [[専門家]]
* [[資格]] - [[医療資格一覧]]
* [[業種]]
== 外部リンク ==
* [https://www.soumu.go.jp/toukei_toukatsu/index/seido/shokgyou/index.htm 総務省統計局 日本標準職業分類]
* [https://www.jil.go.jp/institute/seika/shokugyo/bunrui/index.html 厚生労働省編職業分類 (平成23年・第4回改定版)]
** [https://www.hellowork.mhlw.go.jp/info/mhlw_job_dictionary.html ハローワーク(公共職業安定所)「職業分類コード一覧」]
* [http://www.13hw.com/home/index.html 13歳のハローワーク 公式サイト]
* [http://careergarden.jp/careerlist/ Career Garden 職業一覧]
* [https://www.nenshuu.net/shoku/index.php 年収ガイド 職業別年収ランキング]
{{-}}
{{就業}}
[[Category:職業|*いちらん]]
[[Category:社会関連の一覧|しよくきよう]] | null | 2023-06-26T01:25:22Z | false | false | false | [
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"Template:-",
"Template:就業",
"Template:脚注ヘルプ"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B7%E6%A5%AD%E4%B8%80%E8%A6%A7 |
7,070 | UK (曖昧さ回避) | UK, Uk, uk
uk
U-K | [
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] | UK, Uk, uk 連合王国
イギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国 United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)
日産・プリメーラUK - 日産自動車の乗用車。2代目プリメーラのバリエーションの一つで、英国で生産され日本に輸入された5ドアハッチバック。
ウッタラーカンド州 - インドの地方行政区画
UK (バンド) - イギリスのロックバンド
U.K. (タレント) - 大阪府出身のディスクジョッキー
世界エスペラント大会
NHK秋田放送局のラジオ第1放送・総合テレビ・FM放送のコールサイン(JOUK/-DTV/-FM) uk .uk - イギリスの国別ドメイン
ウクライナ語のISO 639-1言語コード U-K U-K (漫画家)- 成人向け漫画を描く日本の漫画家。 | '''UK''', '''Uk''', '''uk'''
*[[連合王国]] (United Kingdom)
*[[イギリス]](グレートブリテン及び北アイルランド連合王国 United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)
** [[日産・プリメーラ|日産・プリメーラUK]] - [[日産自動車]]の乗用車。2代目プリメーラのバリエーションの一つで、英国で生産され日本に輸入された5ドア[[ハッチバック]]。
*[[ウッタラーカンド州]] - [[インドの地方行政区画]]
*[[UK (バンド)]] - イギリスの[[ロックバンド]]
*[[U.K. (タレント)]] - [[大阪府]]出身の[[ディスクジョッキー]]
*[[世界エスペラント大会]] (Universala Kongreso de Esperanto)
*[[NHK秋田放送局]]の[[NHKラジオ第1放送|ラジオ第1放送]]・[[NHK総合テレビジョン|総合テレビ]]・[[NHK-FM放送|FM放送]]の[[コールサイン]](JO'''UK'''/-DTV/-FM)
'''uk'''
*[[.uk]] - イギリスの[[国別ドメイン]]([[ISO 3166-1]][[国名コード]]とは異なる)
*[[ウクライナ語]]の[[ISO 639|ISO 639-1言語コード]]
'''U-K'''
*[[U-K (漫画家)]]- 成人向け漫画を描く日本の[[漫画家]]。
== 関連項目 ==
* [[特別:Prefixindex/UK|UKで始まる記事の一覧]]
* [[特別:Prefixindex/Uk|Ukで始まる記事の一覧]]
*{{intitle|UK}}
{{aimai}} | null | 2022-10-18T12:33:06Z | true | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/UK_(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF) |
7,071 | ISO/IEC JTC 1 | ISO/IEC JTC 1とは、国際標準化機構 (ISO) と国際電気標準会議 (IEC) の第一合同技術委員会 (Joint Technical Committee 1) のこと。情報技術 (IT) 分野の標準化を行うための組織である。1987年に設立された。
それ以前には、コンピュータや情報分野を扱う国際標準化組織はISO, IECそれぞれに独立して存在し(ISO/TC 97, IEC/TC 53, IEC/TC 47, IEC/TC 83など)、一種の縄張り争いの様な状況になっていた時期があった。この状況を解消するため、両機関の間で話し合いが持たれ、その結果としてJTC 1が成立した。JTC 1と銘打たれているが、JTC 2は長い間、存在しなかった。2009年、エネルギーの効率化と再利用に関する規格の策定を目指し、ISO/IEC JTC 2が設立された。
ISOやIECと連携してはいるが、基本的にそれらとは独立して運営されている組織であり、組織構成・用語・標準化に関する手続きなどはISOやIECとは微妙に異なる。現在、これらの相違点を擦り合わせして共通化する活動がおこなわれている。
JTC 1総会は毎年10~11月頃に各国持ち回りで開催されている。第一回総会は1987年11月に東京で開催された。2008年時点の幹事国はアメリカである。
分野毎に40個のsubcommittee (SC) に分かれており、現在はそのうち20個のSCが活動中。SCは、さらにworking group (WG), special working group (SWG), study group (SG)に分かれる(WGも活動中の物と活動停止中の物が有り番号には抜けがある)。各SC配下のWGは“ISO/IEC JTC 1/SC 29/WG 11”の様に表記する(空白および"/"記号の入れ方に注意)。SCやWGの国際会議はJTC 1総会と関係なく個別に開催されている。
JTC 1へは、一カ国につき一組織のみの参加が認められている。日本からの参加組織は、日本工業標準調査会 (JISC)。もっとも、JISCは窓口的な役割であり、JISCの委任を受けて実際に規格の審議をおこない国際会議に委員を派遣する審議団体事務局は基本的に情報処理学会情報規格調査会が務める。ただし、SC 17およびSC 28についてはビジネス機械・情報システム産業協会が審議事務局を務める(2009年現在)。
2008年時点での幹事国および代表的な規格も示す。 | [
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] | ISO/IEC JTC 1とは、国際標準化機構 (ISO) と国際電気標準会議 (IEC) の第一合同技術委員会 のこと。情報技術 (IT) 分野の標準化を行うための組織である。1987年に設立された。 それ以前には、コンピュータや情報分野を扱う国際標準化組織はISO, IECそれぞれに独立して存在し、一種の縄張り争いの様な状況になっていた時期があった。この状況を解消するため、両機関の間で話し合いが持たれ、その結果としてJTC 1が成立した。JTC 1と銘打たれているが、JTC 2は長い間、存在しなかった。2009年、エネルギーの効率化と再利用に関する規格の策定を目指し、ISO/IEC JTC 2が設立された。 ISOやIECと連携してはいるが、基本的にそれらとは独立して運営されている組織であり、組織構成・用語・標準化に関する手続きなどはISOやIECとは微妙に異なる。現在、これらの相違点を擦り合わせして共通化する活動がおこなわれている。 JTC 1総会は毎年10~11月頃に各国持ち回りで開催されている。第一回総会は1987年11月に東京で開催された。2008年時点の幹事国はアメリカである。 | '''ISO/IEC JTC 1'''とは、[[国際標準化機構]] (ISO) と[[国際電気標準会議]] (IEC) の第一合同技術委員会 (Joint Technical Committee 1) のこと。情報技術 ([[情報技術|IT]]) 分野の標準化を行うための組織である。1987年に設立された。
それ以前には、[[コンピュータ]]や情報分野を扱う国際標準化組織はISO, IECそれぞれに独立して存在し([[ISO/TC 97]], [[IEC/TC 53]], [[IEC/TC 47]], [[IEC/TC 83]]など)、一種の縄張り争いの様な状況になっていた時期があった。この状況を解消するため、両機関の間で話し合いが持たれ、その結果としてJTC 1が成立した。JTC 1と銘打たれているが、JTC 2は長い間、存在しなかった。2009年、エネルギーの効率化と再利用に関する規格の策定を目指し、[[ISO/IEC JTC 2]]が設立された。
ISOやIECと連携してはいるが、基本的にそれらとは独立して運営されている組織であり、組織構成・用語・標準化に関する手続きなどはISOやIECとは微妙に異なる。現在、これらの相違点を擦り合わせして共通化する活動がおこなわれている。
JTC 1総会は毎年10~11月頃に各国持ち回りで開催されている。第一回総会は1987年11月に東京で開催された。[[2008年]]時点の幹事国はアメリカである。
== 参加国一覧 ==
*Pメンバー(主要メンバー)32カ国
: 主要先進国
*Oメンバー(オブザーバー)44カ国
:
== 組織 ==
分野毎に40個のsubcommittee (SC) に分かれており、現在はそのうち20個のSCが活動中。SCは、さらにworking group (WG), special working group (SWG), study group (SG)に分かれる(WGも活動中の物と活動停止中の物が有り番号には抜けがある)。各SC配下のWGは“ISO/IEC JTC 1/SC 29/WG 11”の様に表記する(空白および"/"記号の入れ方に注意)。SCやWGの国際会議はJTC 1総会と関係なく個別に開催されている。
JTC 1へは、一カ国につき一組織のみの参加が認められている。日本からの参加組織は、[[日本工業標準調査会]] (JISC)。もっとも、JISCは窓口的な役割であり、JISCの委任を受けて実際に規格の審議をおこない国際会議に委員を派遣する審議団体事務局は基本的に[[情報処理学会]]情報規格調査会が務める。ただし、[[ISO/IEC JTC 1/SC 17|SC 17]]および[[ISO/IEC JTC 1/SC 28|SC 28]]については[[ビジネス機械・情報システム産業協会]]が審議事務局を務める(2009年現在)。
2008年時点での幹事国および代表的な規格も示す。
{| class="wikitable" style="font-size:small;"
|-
! 組織名
! width="192" | 作業領域
! width="192" | (英語表記)
! 活動状態
! 幹事国
! 主な規格
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SG 1|SG 1]]
|
| Smart Cities
|
|
|
|-
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|
| Big Data
| align="center" | 解散
|
|
|-
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|
| Accessibility (SWG-A)
| align="center" | 解散
|
|
|-
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|
| Directives
|
|
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SWG 3|SWG 3]]
|
| Planning
|
|
|
|-
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|
| Internet of Things (IoT)
| align="center" | 解散
|
|
|-
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|
| Management
|
|
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/WG 7|WG 7]]
| [[センサネットワーク]]
| Sensor Networks
|
|
|
|-
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|
| Governance of IT
|
|
|
|-
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| [[ビッグデータ]]
| Big Data
|
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|-
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| [[モノのインターネット]]
| Internet of Things (IoT)
|
|
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 1|SC 1]]
| [[情報処理用語規格|用語]]
| Vocabulary
| align="center" | 解散
|
| [[ISO/IEC 2382]]
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 2|SC 2]]
| [[符号化文字集合]]
| Coded character sets
|
| {{Flagicon|JPN}} 日本
| [[ISO/IEC 2022]]<BR>[[ISO/IEC 8859]]<BR>[[ISO/IEC 10646]]<BR>[[ISO/IEC 14651]]
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 3|SC 3]]
|
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| align="center" | 解散
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|-
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|
|
| align="center" | 解散
|
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 5|SC 5]]
|
|
| align="center" | 解散
|
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 6|SC 6]]
| 通信とシステム間の情報交換
| Telecommunications and information exchange between systems
|
| {{Flagicon|USA}} 米国
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 7|SC 7]]
| [[ソフトウェア]]技術
| Software and systems engineering
|
| {{Flagicon|CAN}} カナダ
| [[ISO/IEC 15504]]<BR>[[ISO/IEC 20000]]
|-
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|
|
| align="center" | 解散
|
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|-
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|
|
| align="center" | 解散
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|
|-
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|
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| align="center" | 解散
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|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 11|SC 11]]
| フレキシブル[[磁気媒体]]
|
| align="center" | 解散
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|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 12|SC 12]]
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| align="center" | 解散
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|-
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| align="center" | 解散
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|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 15|SC 15]]
|
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| align="center" | 解散
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|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 16|SC 16]]
|
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| align="center" | 解散
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|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 17|SC 17]]
| [[カード]]と個人識別
| Cards and personal identification
|
| {{Flagicon|GBR}} イギリス
|
|-
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|
|
| align="center" | 解散
|
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 19|SC 19]]
|
|
| align="center" | 解散
|
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 20|SC 20]]
|
|
| align="center" | 解散
|
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 21|SC 21]]
|
|
| align="center" | 解散
|
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 22|SC 22]]
| [[プログラム言語]]、その環境及びシステムソフトウェアインタフェース
| Programming languages, their environments and system software interfaces
|
| {{Flagicon|USA}} 米国
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 23|SC 23]]
| 情報交換用[[光ディスク]]カートリッジ
| Digitally Recorded Media for Information Interchange and Storage
|
| {{Flagicon|JPN}} 日本
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 24|SC 24]]
| [[コンピュータグラフィクス]]及びイメージ処理
| Computer graphics, image processing and environmental data representation
|
| {{Flagicon|GBR}} イギリス
| [[ISO/IEC 15948]]
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 25|SC 25]]
| 情報機器間の相互接続
| Interconnection of information technology equipment
|
| {{Flagicon|GER}} ドイツ
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 26|SC 26]]
|
|
| align="center" | 解散
|
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 27|SC 27]]
| [[情報セキュリティ|セキュリティ]]技術
| IT Security techniques
|
| {{Flagicon|GER}} ドイツ
| [[ISO/IEC 15408]]<BR>[[ISO/IEC 17799]]<BR>[[ISO/IEC 27001]]<BR>[[ISO/IEC 27002]]
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 28|SC 28]]
| オフィス機器
| Office equipment
|
| {{Flagicon|JPN}} 日本
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 29|SC 29]]
| 音声、画像、[[マルチメディア]]、ハイパーメディア情報符号化
| Coding of audio, picture, multimedia and hypermedia information
|
| {{Flagicon|JPN}} 日本
| [[ISO/IEC 10918]]<BR>[[ISO/IEC 11544]]<BR>[[ISO/IEC 11172]]<BR>[[ISO/IEC 13818]]<BR>[[ISO/IEC 14496]]<BR>[[ISO/IEC 15938]]<BR>[[ISO/IEC 21000]]
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 30|SC 30]]
|
|
| align="center" | 解散
|
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|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 31|SC 31]]
| 自動認識及びデータ取得技術
| Automatic identification and data capture techniques
|
| {{Flagicon|USA}} 米国
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 32|SC 32]]
| データ管理及び交換
| Data management and interchange
|
| {{Flagicon|USA}} 米国
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 33|SC 33]]
|
|
| align="center" | 解散
|
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 34|SC 34]]
| 文書の記述と処理の言語
| Document description and processing languages
|
| {{Flagicon|JPN}} 日本
| [[ISO/IEC 15445]]<BR>[[ISO/IEC 26300]]<BR>[[ISO/IEC 29500]]
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 35|SC 35]]
| [[ユーザインタフェース]]
| User interfaces
|
| {{Flagicon|FRA}} フランス
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 36|SC 36]]
| 学習、教育、研修のための情報技術
| Information technology for learning, education and training
|
| {{Flagicon|USA}} 米国
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 37|SC 37]]
| [[バイオメトリクス]]
| Biometrics
|
| {{Flagicon|USA}} 米国
| [[ISO/IEC 19784]]<BR>[[ISO/IEC 19785]]
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 38|SC 38]]
| クラウドコンピューティングおよび分散プラットフォーム
|Cloud Computing and Distributed Platforms
|
|{{Flagicon|USA}} 米国
| ISO/IEC 17788
ISO/IEC 17789
ISO/IEC 19941
ISO/IEC 19944
ISO/IEC 19086
ISO/IEC TS 23167
ISO/IEC TR 23188
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 39|SC 39]]
|
| Sustainability for and by information technology
|
|
|
|-
| align="center" | [[ISO/IEC JTC 1/SC 40|SC 40]]
|
| IT Service Management and IT Governance
|
|
|
|}
== 外部リンク ==
*[http://jtc1.org/ JTC1]
*[http://www.itscj.ipsj.or.jp/ 情報処理学会 情報規格調査会](国内委員会)
[[Category:ISO/IEC JTC 1|*]]
[[Category:標準化団体|ISO/IEC JTC1]] | null | 2023-02-12T08:43:04Z | false | false | false | [
"Template:Flagicon"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/ISO/IEC_JTC_1 |
7,072 | 音楽のジャンル | 音楽のジャンル(おんがくのジャンル、英: Music genre)とは、複数の音楽作品を共通の伝統様式や一連の約束事に当てはまるものとして識別する、慣習的な分類区分である。「楽式(音楽形式)」および「音楽スタイル(音楽様式)」とは区別されて然るべきだが、実際にはこれらの用語が混同して使われることがある。
音楽は、多彩な方法で複数のジャンル(ポピュラー音楽と芸術音楽であったり、宗教音楽と世俗音楽など)に区分可能である。音楽の芸術的性質から、これらの分類がしばしば主観的で物議を醸したり、また一部のジャンル同士が重なっている場合もある。
1965年に、ダグラス・M・グリーンが著書『Form in Tonal Music』にてジャンルと楽式とを区別している。彼は、ルネッサンス期に由来するジャンルの例として、マドリガーレ、モテット、カンツォーナ、リチェルカーレ、ダンスを挙げている。さらにジャンルの意味を明確にするべく「ベートーヴェンの作品61とメンデルスゾーンの作品64は、楽式が異なるとはいえジャンルは同じヴァイオリン協奏曲である。しかし、モーツァルトの作曲したピアノのためのロンドK.511と彼のミサ曲K.317からのアニュス・デイは、ジャンルがまるで異なるのに楽式はそっくりである」とグリーンは記している。
1982年、フランコ・ファブリが現在規範的だと考えられている音楽ジャンルの定義を次のように提唱した。「音楽ジャンルとは、社会的に認められた一連の規則によって進行が統制されている一連の音楽的事象」であり、この場合の音楽的事象とは「音を含むあらゆる種類のイベント界隈で演奏される各種の活動」と定義されている。
音楽のジャンルやサブジャンルは、音楽的技法 (Musical technique) 、文化的背景、テーマの内容や精神性によって定義される場合もある。たまに地理的な起源が音楽ジャンルを特定するために使われたりもするが、一つの地理的カテゴリーが多種多様なサブジャンルを含んでいることも多い。ティモシー・ローリーは1980年代初頭より「ジャンルはポピュラー音楽研究の部分集合から卒業して、音楽の研究対象を構築したり評価するためのほぼ至る所に存在する枠組みとなっている」と論じている。
「ジャンル」という用語は概ね多くの著者や音楽学者によって同じように定義されているのだが、関連する用語の「スタイル(様式)」には異なる解釈と定義がある。ピーター・ヴァン・デル・メルヴェのように、ジャンルとスタイルの用語を同じものとして扱い、ジャンルは複数楽曲が共有する固有のスタイルまたは「基本的な音楽言語」として定義されるべきだと言う人達もいる。片やアラン・F・ムーアなど、ジャンルとスタイルは別々の2つの用語であり、主題などの二次的な特性もまたジャンルを区別しうるものだと述べる人達もいる。
サブジャンルは、ジャンルの下位区分である。音楽用語では、基本的な特性を採用している音楽ジャンルの下位分類であるが、明確な区別を有する独自の特性も備えており、ジャンル内の離れたところに固まっている。またサブジャンルは多くの場合そのジャンルでのスタイル(様式)として言及される。20世紀におけるポピュラー音楽の増殖が、1200を超える定義可能な音楽のサブジャンルを生み出すことに繋がった。
作曲が、親ジャンルの全特性を共有させる複数ジャンルの交差作業に位置づけられる場合がある。そのため各ジャンルに同時に属するものがあって、こうしたサブジャンルは「融合(フュージョン)」として知られている。 融合ジャンルの例としては、ジャズとロック音楽の融合であるジャズフュージョンや、カントリーミュージックとロック音楽の融合であるカントリーロックなどがある。
マイクロジャンルとは規模の小さな(ニッチな)ジャンルで、主要なジャンルやそのサブジャンルの中にある下位区分にあたる。
1970年代末より、ヴィンチェンツォ・カポラレッティは音楽を生み出す「造形媒体」即ちアーティストによって採用される創造のインターフェース(認知環境)に基づいて、音楽ジャンルのより包括的な区分を提唱した。彼によって生み出されたAudiotactile音楽理論と呼ばれる理論は、音楽を以下の三分野に分類している。1)記述音楽、いわゆるクラシック音楽のように視覚的基盤(楽譜の類)を使って創造されたもの。 2)口頭音楽、これは民俗音楽や民族音楽のように録音技術が出現する前のもの。 3)Audiotactile音楽、これは録音技術を中心とした制作および配信プロセスのもの(例えば、ジャズ、ポップ、ロック、ラップなど)
音楽ジャンルの系譜学は、しばしば記述された楽譜の形において、古いジャンルの影響のもと新ジャンルがどのように発展したかを述べている。音楽の新ジャンルは、単に新しい分類の枠組を作ることに加えて、音楽の新たなスタイルの発展を通じて生じる可能性がある。既存ジャンルとは何ら関係のない音楽スタイルを創作することも考えられるが、新しいスタイルは一般的に既存ジャンルの影響を受けて出現する。
音楽学者は、フィリップ・タグの「民俗音楽、芸術音楽、ポピュラー音楽からなる公理三角形」など三分法区分に従って音楽を分類することがある。彼は、これら3つがおのおの特定の基準に従って他と区別可能だと説明している。
データマイニングと共起分析に基づく音楽類似性 (musical similarity) 検出の自動化手法が、電子音楽配信(EDM)用に音楽タイトルを分類する目的で開発された。
Spotify傘下で音楽情報関連を扱うTheEchoNest社は、Every Noise at Onceと呼ばれる 「Spotifyによって5315のジャンル形状区分に関して追跡および分析されたデータを基に、アルゴリズム生成された音楽ジャンル空間の散布図」に基づいた、ジャンルとサブジャンルの分類認識スペクトルを作成した。
このほか、音楽はArousal, Valence, Depthという3次元の変数に分けることもできる。Arousalは刺激と安息(強烈、力強い、研ぎ澄まされた、スリリング vs 穏やか、落ち着いた、まろやか)などの生理学的プロセスを、Valenceは感情と気分(楽しい、幸せ、活気溢れる、熱狂的、楽しい vs 憂鬱、悲しい) を、Depthは認知プロセス(知的、洗練された、刺激的、複雑、詩的、深い、感情的、思慮深い vs パーティー音楽、ダンサブル) を反映するものである。これら3次元の変数は、なぜ多くの人が伝統的に区分された異なるジャンルから似たような曲を好むのかを説明するのに役立っている。
芸術音楽は主にクラシックの伝統を含むもので、現代音楽でも昔のものでもクラシックな楽式を含むものを指す。芸術音楽は世界の様々な地域に存在する。それは技術的かつ詳細な脱構築や批評をもたらしたり、聞く者に傾聴を要求する格調高いスタイルが際立っている。西洋の慣習において、芸術音楽とは主に音楽的伝統が書き留められたものと見なされており、ポピュラー音楽や伝統音楽が一般的には口頭や丸暗記や録音で引き継がれるのに対し、芸術音楽は何らかの形式の楽譜で保存されている。歴史的に、大半の西洋芸術音楽はヨーロッパで考案された標準的な形式の記譜法を用いて書き留められており、ルネッサンス期のだいぶ前から始まってロマン主義時代に成熟した。
芸術音楽の「作品」や「小作品」のアイデンティティは、一般的に特定の演奏よりも記譜された版によって定義され、演奏家というよりも主に作曲家と関連付けられる(とはいえ作曲家が解釈や即興の機会を演奏家に委ねることもある)。これは西洋のクラシック音楽の場合に特に当てはまる。芸術音楽には特定形式のジャズが含まれることがあるが、ジャズは基本的にポピュラー音楽の形式だと感じる人もいる。1960年代には、フリー・ジャズにて前衛的な実験の波が見られた。加えて前衛的なロックアーティストも芸術音楽のアルバムを発表した。
ポピュラー音楽は、一般大衆にとって接触しやすくマスメディアによって広まった音楽スタイルである。 音楽学者でポピュラー音楽の専門家であるフィリップ・タグは、社会文化的および経済的側面に照らしてこの概念を次のように定義した。
ポピュラー音楽は、芸術音楽とは異なり、(1)大規模かつしばしば社会文化的に異質な聞き手集団へと大量流通させるために考案された、(2)書面ではない形式で保管および配布される、(3)それが商品となる産業金融経済においてのみ可能なもので、(4)資本主義社会においては「自由」企業の規範に従いつつ、できる限りの大量販売を理想とするもの。
ポピュラー音楽は、大半の商用および公共ラジオ局、大半の商業音楽小売店およびデパート、そして映画およびテレビのサウンドトラックに見られる。それはビルボードやオリコンなどのヒットチャートに記され、シンガーソングライターや作曲家に加え、他ジャンルが行うよりも音楽プロデューサーを巻き込んでいる。
クラシック音楽とポピュラー音楽の区別は、ミニマル・ミュージックやライト・クラシックのような隣接分野だと曖昧な場合もある。TV番組や映画のバックグラウンドミュージックはしばしば両方の伝統に当てはまる。この点において音楽は小説と似たものがあり、小説も文芸小説と大衆小説との間に区分の線引きがあるとはいえ必ずしも正確ではない。
宗教音楽とは、宗教的な用途または宗教的題材を介して演奏されたり作曲された音楽のこと。ゴスペル、霊歌、 キリスト教音楽が宗教音楽の例である。
伝統音楽と民俗音楽はよく似た分類区分である。伝統音楽は非常に幅広い分類区分で幾つかのジャンルを含めることが可能で、そこに民俗音楽を含めることが広く受け入れられている。国際伝統音楽学会によると、伝統音楽とは長い歳月(通常は数世代)にわたって演奏されてきた歌や曲調のことである。
民俗音楽というジャンルは、ある世代から他の世代へと口頭伝承される音楽として分類される。 一般にアーティストは不明で、同じ曲で幾つかのバージョンがある。このジャンルは、通俗的な曲を歌ったり聞いたり舞い踊ることで受け継がれる。この種のコミュニケーションは、文化がスタイル(音程や拍子)と共にそれが発展した背景をも語り継ぐのを可能にしている 。
文化的に語り継がれる民俗音楽は、それが創作された歴史時期やその中で発展した社会階級に関する豊富な証拠を保っている。民俗音楽のジャンルで幾つかの例を挙げると、イギリスの民俗音楽やトルコ民謡などに見られる。イギリスの民俗音楽は中世より展開され、それが当時から現在まで受け継がれている。 同様に、トルコ民謡はかつてトルコを通過したすべての文明と関わっており、近世初期における東西間の緊張もあって世界的関連性がある。
世界各国、場合によっては各地域や地区やコミュニティが、それぞれ独自の民俗音楽のスタイルを持っている。民俗ジャンルの下位区分は、それぞれの場所や文化的アイデンティティや歴史によって生み出されている。音楽はその土地土地で発展しているので、多くの楽器はその場所とか人口による特徴があるが、どこでも使われる類似したものが幾つかある。ボタンアコーディオンやピアノアコーディオン、異なる型のフルートやトランペット、バンジョーとウクレレなどがその例である。フランスとスコットランドいずれの民俗音楽も、フィドル、ハープ、そして様々なバグパイプなどの関連楽器を使用している。
現代ではより簡単に音楽と接することができる(Spotify、iTunes、YouTube等)ため、より多くの人々がより広範囲なスタイルの音楽を聴くようになった。さらに、社会的アイデンティティも音楽の嗜好に大きな役割を果たしている。人格は音楽選択にとって重要な要因である。自分自身を「反逆的」だと考える人は、ヘビーメタルやハードロックのような重めの音楽スタイルを選ぶ傾向がある一方、自分自身を「おおらかな性格」「呑気な性格」だと考える人は、ジャズやクラシックみたいに軽快な音楽スタイルを選ぶ傾向がある。ジャンルを問わない音楽嗜好の根底にあって、感情的または情緒的な応答を反映するとされる5大要素がある。具体的には次の要素である。
女性はより高音域を指向した音楽を好む一方、男性は重低音の音楽を好んで聴くことが研究で示されている。 重低音の音楽嗜好は、たまに境界性や反社会性と併せて指摘されることがある。
年齢は、音楽的嗜好を左右するもう一つの大きな要因である。年をとるにつれて音楽の好みが変わる可能性があることを示す証拠が出ている。カナダの研究では、思春期の青少年がポップ音楽のアーティストに大きな関心を示す一方、成人や高齢者はロック、オペラ、ジャズなどの古典的なジャンルを好むことが示されている。 | [
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"text": "音楽のジャンル(おんがくのジャンル、英: Music genre)とは、複数の音楽作品を共通の伝統様式や一連の約束事に当てはまるものとして識別する、慣習的な分類区分である。「楽式(音楽形式)」および「音楽スタイル(音楽様式)」とは区別されて然るべきだが、実際にはこれらの用語が混同して使われることがある。",
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"text": "音楽は、多彩な方法で複数のジャンル(ポピュラー音楽と芸術音楽であったり、宗教音楽と世俗音楽など)に区分可能である。音楽の芸術的性質から、これらの分類がしばしば主観的で物議を醸したり、また一部のジャンル同士が重なっている場合もある。",
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"text": "1965年に、ダグラス・M・グリーンが著書『Form in Tonal Music』にてジャンルと楽式とを区別している。彼は、ルネッサンス期に由来するジャンルの例として、マドリガーレ、モテット、カンツォーナ、リチェルカーレ、ダンスを挙げている。さらにジャンルの意味を明確にするべく「ベートーヴェンの作品61とメンデルスゾーンの作品64は、楽式が異なるとはいえジャンルは同じヴァイオリン協奏曲である。しかし、モーツァルトの作曲したピアノのためのロンドK.511と彼のミサ曲K.317からのアニュス・デイは、ジャンルがまるで異なるのに楽式はそっくりである」とグリーンは記している。",
"title": "定義"
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"text": "1982年、フランコ・ファブリが現在規範的だと考えられている音楽ジャンルの定義を次のように提唱した。「音楽ジャンルとは、社会的に認められた一連の規則によって進行が統制されている一連の音楽的事象」であり、この場合の音楽的事象とは「音を含むあらゆる種類のイベント界隈で演奏される各種の活動」と定義されている。",
"title": "定義"
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"text": "音楽のジャンルやサブジャンルは、音楽的技法 (Musical technique) 、文化的背景、テーマの内容や精神性によって定義される場合もある。たまに地理的な起源が音楽ジャンルを特定するために使われたりもするが、一つの地理的カテゴリーが多種多様なサブジャンルを含んでいることも多い。ティモシー・ローリーは1980年代初頭より「ジャンルはポピュラー音楽研究の部分集合から卒業して、音楽の研究対象を構築したり評価するためのほぼ至る所に存在する枠組みとなっている」と論じている。",
"title": "定義"
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"text": "「ジャンル」という用語は概ね多くの著者や音楽学者によって同じように定義されているのだが、関連する用語の「スタイル(様式)」には異なる解釈と定義がある。ピーター・ヴァン・デル・メルヴェのように、ジャンルとスタイルの用語を同じものとして扱い、ジャンルは複数楽曲が共有する固有のスタイルまたは「基本的な音楽言語」として定義されるべきだと言う人達もいる。片やアラン・F・ムーアなど、ジャンルとスタイルは別々の2つの用語であり、主題などの二次的な特性もまたジャンルを区別しうるものだと述べる人達もいる。",
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"text": "サブジャンルは、ジャンルの下位区分である。音楽用語では、基本的な特性を採用している音楽ジャンルの下位分類であるが、明確な区別を有する独自の特性も備えており、ジャンル内の離れたところに固まっている。またサブジャンルは多くの場合そのジャンルでのスタイル(様式)として言及される。20世紀におけるポピュラー音楽の増殖が、1200を超える定義可能な音楽のサブジャンルを生み出すことに繋がった。",
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"text": "作曲が、親ジャンルの全特性を共有させる複数ジャンルの交差作業に位置づけられる場合がある。そのため各ジャンルに同時に属するものがあって、こうしたサブジャンルは「融合(フュージョン)」として知られている。 融合ジャンルの例としては、ジャズとロック音楽の融合であるジャズフュージョンや、カントリーミュージックとロック音楽の融合であるカントリーロックなどがある。",
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"text": "マイクロジャンルとは規模の小さな(ニッチな)ジャンルで、主要なジャンルやそのサブジャンルの中にある下位区分にあたる。",
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"text": "1970年代末より、ヴィンチェンツォ・カポラレッティは音楽を生み出す「造形媒体」即ちアーティストによって採用される創造のインターフェース(認知環境)に基づいて、音楽ジャンルのより包括的な区分を提唱した。彼によって生み出されたAudiotactile音楽理論と呼ばれる理論は、音楽を以下の三分野に分類している。1)記述音楽、いわゆるクラシック音楽のように視覚的基盤(楽譜の類)を使って創造されたもの。 2)口頭音楽、これは民俗音楽や民族音楽のように録音技術が出現する前のもの。 3)Audiotactile音楽、これは録音技術を中心とした制作および配信プロセスのもの(例えば、ジャズ、ポップ、ロック、ラップなど)",
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"text": "音楽ジャンルの系譜学は、しばしば記述された楽譜の形において、古いジャンルの影響のもと新ジャンルがどのように発展したかを述べている。音楽の新ジャンルは、単に新しい分類の枠組を作ることに加えて、音楽の新たなスタイルの発展を通じて生じる可能性がある。既存ジャンルとは何ら関係のない音楽スタイルを創作することも考えられるが、新しいスタイルは一般的に既存ジャンルの影響を受けて出現する。",
"title": "新ジャンルの分類と出現"
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"text": "音楽学者は、フィリップ・タグの「民俗音楽、芸術音楽、ポピュラー音楽からなる公理三角形」など三分法区分に従って音楽を分類することがある。彼は、これら3つがおのおの特定の基準に従って他と区別可能だと説明している。",
"title": "新ジャンルの分類と出現"
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"text": "データマイニングと共起分析に基づく音楽類似性 (musical similarity) 検出の自動化手法が、電子音楽配信(EDM)用に音楽タイトルを分類する目的で開発された。",
"title": "新ジャンルの分類と出現"
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"text": "Spotify傘下で音楽情報関連を扱うTheEchoNest社は、Every Noise at Onceと呼ばれる 「Spotifyによって5315のジャンル形状区分に関して追跡および分析されたデータを基に、アルゴリズム生成された音楽ジャンル空間の散布図」に基づいた、ジャンルとサブジャンルの分類認識スペクトルを作成した。",
"title": "新ジャンルの分類と出現"
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"text": "このほか、音楽はArousal, Valence, Depthという3次元の変数に分けることもできる。Arousalは刺激と安息(強烈、力強い、研ぎ澄まされた、スリリング vs 穏やか、落ち着いた、まろやか)などの生理学的プロセスを、Valenceは感情と気分(楽しい、幸せ、活気溢れる、熱狂的、楽しい vs 憂鬱、悲しい) を、Depthは認知プロセス(知的、洗練された、刺激的、複雑、詩的、深い、感情的、思慮深い vs パーティー音楽、ダンサブル) を反映するものである。これら3次元の変数は、なぜ多くの人が伝統的に区分された異なるジャンルから似たような曲を好むのかを説明するのに役立っている。",
"title": "新ジャンルの分類と出現"
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"text": "芸術音楽は主にクラシックの伝統を含むもので、現代音楽でも昔のものでもクラシックな楽式を含むものを指す。芸術音楽は世界の様々な地域に存在する。それは技術的かつ詳細な脱構築や批評をもたらしたり、聞く者に傾聴を要求する格調高いスタイルが際立っている。西洋の慣習において、芸術音楽とは主に音楽的伝統が書き留められたものと見なされており、ポピュラー音楽や伝統音楽が一般的には口頭や丸暗記や録音で引き継がれるのに対し、芸術音楽は何らかの形式の楽譜で保存されている。歴史的に、大半の西洋芸術音楽はヨーロッパで考案された標準的な形式の記譜法を用いて書き留められており、ルネッサンス期のだいぶ前から始まってロマン主義時代に成熟した。",
"title": "大枠の音楽ジャンル"
},
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"text": "芸術音楽の「作品」や「小作品」のアイデンティティは、一般的に特定の演奏よりも記譜された版によって定義され、演奏家というよりも主に作曲家と関連付けられる(とはいえ作曲家が解釈や即興の機会を演奏家に委ねることもある)。これは西洋のクラシック音楽の場合に特に当てはまる。芸術音楽には特定形式のジャズが含まれることがあるが、ジャズは基本的にポピュラー音楽の形式だと感じる人もいる。1960年代には、フリー・ジャズにて前衛的な実験の波が見られた。加えて前衛的なロックアーティストも芸術音楽のアルバムを発表した。",
"title": "大枠の音楽ジャンル"
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"text": "ポピュラー音楽は、一般大衆にとって接触しやすくマスメディアによって広まった音楽スタイルである。 音楽学者でポピュラー音楽の専門家であるフィリップ・タグは、社会文化的および経済的側面に照らしてこの概念を次のように定義した。",
"title": "大枠の音楽ジャンル"
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"text": "ポピュラー音楽は、芸術音楽とは異なり、(1)大規模かつしばしば社会文化的に異質な聞き手集団へと大量流通させるために考案された、(2)書面ではない形式で保管および配布される、(3)それが商品となる産業金融経済においてのみ可能なもので、(4)資本主義社会においては「自由」企業の規範に従いつつ、できる限りの大量販売を理想とするもの。",
"title": "大枠の音楽ジャンル"
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"text": "ポピュラー音楽は、大半の商用および公共ラジオ局、大半の商業音楽小売店およびデパート、そして映画およびテレビのサウンドトラックに見られる。それはビルボードやオリコンなどのヒットチャートに記され、シンガーソングライターや作曲家に加え、他ジャンルが行うよりも音楽プロデューサーを巻き込んでいる。",
"title": "大枠の音楽ジャンル"
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"text": "クラシック音楽とポピュラー音楽の区別は、ミニマル・ミュージックやライト・クラシックのような隣接分野だと曖昧な場合もある。TV番組や映画のバックグラウンドミュージックはしばしば両方の伝統に当てはまる。この点において音楽は小説と似たものがあり、小説も文芸小説と大衆小説との間に区分の線引きがあるとはいえ必ずしも正確ではない。",
"title": "大枠の音楽ジャンル"
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"text": "宗教音楽とは、宗教的な用途または宗教的題材を介して演奏されたり作曲された音楽のこと。ゴスペル、霊歌、 キリスト教音楽が宗教音楽の例である。",
"title": "大枠の音楽ジャンル"
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"text": "伝統音楽と民俗音楽はよく似た分類区分である。伝統音楽は非常に幅広い分類区分で幾つかのジャンルを含めることが可能で、そこに民俗音楽を含めることが広く受け入れられている。国際伝統音楽学会によると、伝統音楽とは長い歳月(通常は数世代)にわたって演奏されてきた歌や曲調のことである。",
"title": "大枠の音楽ジャンル"
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"text": "民俗音楽というジャンルは、ある世代から他の世代へと口頭伝承される音楽として分類される。 一般にアーティストは不明で、同じ曲で幾つかのバージョンがある。このジャンルは、通俗的な曲を歌ったり聞いたり舞い踊ることで受け継がれる。この種のコミュニケーションは、文化がスタイル(音程や拍子)と共にそれが発展した背景をも語り継ぐのを可能にしている 。",
"title": "大枠の音楽ジャンル"
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"text": "文化的に語り継がれる民俗音楽は、それが創作された歴史時期やその中で発展した社会階級に関する豊富な証拠を保っている。民俗音楽のジャンルで幾つかの例を挙げると、イギリスの民俗音楽やトルコ民謡などに見られる。イギリスの民俗音楽は中世より展開され、それが当時から現在まで受け継がれている。 同様に、トルコ民謡はかつてトルコを通過したすべての文明と関わっており、近世初期における東西間の緊張もあって世界的関連性がある。",
"title": "大枠の音楽ジャンル"
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"text": "世界各国、場合によっては各地域や地区やコミュニティが、それぞれ独自の民俗音楽のスタイルを持っている。民俗ジャンルの下位区分は、それぞれの場所や文化的アイデンティティや歴史によって生み出されている。音楽はその土地土地で発展しているので、多くの楽器はその場所とか人口による特徴があるが、どこでも使われる類似したものが幾つかある。ボタンアコーディオンやピアノアコーディオン、異なる型のフルートやトランペット、バンジョーとウクレレなどがその例である。フランスとスコットランドいずれの民俗音楽も、フィドル、ハープ、そして様々なバグパイプなどの関連楽器を使用している。",
"title": "大枠の音楽ジャンル"
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"text": "現代ではより簡単に音楽と接することができる(Spotify、iTunes、YouTube等)ため、より多くの人々がより広範囲なスタイルの音楽を聴くようになった。さらに、社会的アイデンティティも音楽の嗜好に大きな役割を果たしている。人格は音楽選択にとって重要な要因である。自分自身を「反逆的」だと考える人は、ヘビーメタルやハードロックのような重めの音楽スタイルを選ぶ傾向がある一方、自分自身を「おおらかな性格」「呑気な性格」だと考える人は、ジャズやクラシックみたいに軽快な音楽スタイルを選ぶ傾向がある。ジャンルを問わない音楽嗜好の根底にあって、感情的または情緒的な応答を反映するとされる5大要素がある。具体的には次の要素である。",
"title": "音楽選好の心理学"
},
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"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "女性はより高音域を指向した音楽を好む一方、男性は重低音の音楽を好んで聴くことが研究で示されている。 重低音の音楽嗜好は、たまに境界性や反社会性と併せて指摘されることがある。",
"title": "音楽選好の心理学"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "年齢は、音楽的嗜好を左右するもう一つの大きな要因である。年をとるにつれて音楽の好みが変わる可能性があることを示す証拠が出ている。カナダの研究では、思春期の青少年がポップ音楽のアーティストに大きな関心を示す一方、成人や高齢者はロック、オペラ、ジャズなどの古典的なジャンルを好むことが示されている。",
"title": "音楽選好の心理学"
}
] | 音楽のジャンルとは、複数の音楽作品を共通の伝統様式や一連の約束事に当てはまるものとして識別する、慣習的な分類区分である。「楽式」および「音楽スタイル」とは区別されて然るべきだが、実際にはこれらの用語が混同して使われることがある。 音楽は、多彩な方法で複数のジャンル(ポピュラー音楽と芸術音楽であったり、宗教音楽と世俗音楽など)に区分可能である。音楽の芸術的性質から、これらの分類がしばしば主観的で物議を醸したり、また一部のジャンル同士が重なっている場合もある。 | {{original research|date=August 2014}}
{{about|音楽を分類する慣習的な区分自体|具体的なジャンル名やサブジャンル名|音楽のジャンル一覧}}
'''音楽のジャンル'''(おんがくのジャンル、[[英語|英]]: Music genre)とは、複数の[[音楽]]作品を共通の伝統様式や一連の約束事に当てはまるものとして識別する、慣習的な分類区分である<ref>Samson, Jim. [http://www.oxfordmusiconline.com/subscriber/article/grove/music/40599 "Genre"]. In Grove Music Online. Oxford Music Online. Accessed March 4, 2012.</ref>。「[[楽式]](<!--musical form,-->音楽形式)」および「'''音楽スタイル'''(<!--musical style,-->音楽様式)」とは区別されて然るべきだが、実際にはこれらの用語が混同して使われることがある。
音楽は、多彩な方法で複数のジャンル([[ポピュラー音楽]]と[[芸術音楽]]であったり、[[宗教音楽]]と[[世俗音楽]]など)に区分可能である。音楽の芸術的性質から、これらの分類がしばしば主観的で物議を醸したり、また一部のジャンル同士が重なっている場合もある。
==定義==
1965年に、ダグラス・M・グリーンが著書『Form in Tonal Music』にてジャンルと楽式とを区別している。彼は、[[ルネサンス音楽|ルネッサンス期]]に由来するジャンルの例として、[[マドリガーレ]]、[[モテット]]、[[カンツォーナ]]、[[リチェルカーレ]]、ダンスを挙げている。さらにジャンルの意味を明確にするべく「ベートーヴェンの作品61とメンデルスゾーンの作品64は、楽式が異なるとはいえジャンルは同じ[[ヴァイオリン協奏曲]]である。しかし、モーツァルトの作曲したピアノのためのロンドK.511と彼のミサ曲K.317からのアニュス・デイは、ジャンルがまるで異なるのに楽式はそっくりである」とグリーンは記している<ref>{{cite book|title=Form in Tonal Music|last=Green|first=Douglass M.|year=1965|publisher=Holt, Rinehart, and Winston, Inc|isbn=978-0-03-020286-5|page=1}}</ref>。
1982年、[[フランコ・ファブリ]]が現在規範的だと考えられている音楽ジャンルの定義を次のように提唱した<ref name="Moore" />。「音楽ジャンルとは、社会的に認められた一連の規則によって進行が統制されている一連の音楽的事象<!--(real or possible)-->」であり、この場合の音楽的事象とは「音を含むあらゆる種類のイベント界隈で演奏される各種の活動」と定義されている<ref name=":2">{{Citation|last=Fabbri|first=Franco|title=A Theory of Musical Genres: Two Applications|url=https://www.tagg.org/xpdfs/ffabbri81a.pdf|pages=1|publication-date=1982}}</ref>。
音楽のジャンルやサブジャンルは、音楽的技法{{enlink|Musical technique}}、文化的背景、テーマの内容や精神性によって定義される場合もある。たまに地理的な起源が音楽ジャンルを特定するために使われたりもするが、一つの地理的カテゴリーが多種多様なサブジャンルを含んでいることも多い。ティモシー・ローリーは1980年代初頭より「ジャンルはポピュラー音楽研究の部分集合から卒業して、音楽の研究対象を構築したり評価するためのほぼ至る所に存在する枠組みとなっている」と論じている<ref>{{Cite news | title= Music Genre As Method | first= Timothy | last= Laurie | newspaper= Cultural Studies Review | year= 2014 | url= https://www.academia.edu/9087511}} 20 (2), pp. 283-292.</ref>。
「ジャンル」という用語は概ね多くの著者や音楽学者によって同じように定義されているのだが、関連する用語の「スタイル(様式)」には異なる解釈と定義がある。[[ピーター・ヴァン・デル・メルヴェ]]のように、ジャンルとスタイルの用語を同じものとして扱い、ジャンルは複数楽曲が共有する固有のスタイルまたは「基本的な音楽言語」として定義されるべきだと言う人達もいる<ref name=Pete>{{cite book|title=Origins of the Popular Style: The Antecedents of Twentieth-Century Popular Music|last=van der Merwe|first=Peter|authorlink=Peter van der Merwe (musicologist)|year=1989|publisher=Clarendon Press|location=Oxford|isbn=978-0-19-316121-4|page=3}}</ref>。片やアラン・F・ムーアなど、ジャンルとスタイルは別々の2つの用語であり、主題などの二次的な特性もまたジャンルを区別しうるものだと述べる人達もいる<ref name=Moore>Moore, Allan F.
[https://www.jstor.org/stable/3526163 "Categorical Conventions in Music Discourse: Style and Genre"]. ''Music & Letters'', Vol. 82, No. 3 (Aug. 2001), pp. 432-442.</ref>。
===分類 ===
サブジャンルは、ジャンルの下位区分である<ref>{{cite dictionary |url=http://dictionary.reference.com/browse/subgenre |title=subgenre |dictionary=dictionary.com}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.thefreedictionary.com/subgenre |title=Subgenre |work=The Free Dictionary |publisher=Farlex|accessdate=2021-11-06}}</ref>。音楽用語では、基本的な特性を採用している音楽ジャンルの下位分類であるが、明確な区別を有する独自の特性も備えており、ジャンル内の離れたところに固まっている。またサブジャンルは多くの場合そのジャンルでのスタイル(様式)として言及される<ref>{{Citation|last=Ahrendt|first=Peter|title=Music Genre Classification Systems - A Computational Approach|url=http://www2.imm.dtu.dk/pubdb/edoc/imm4438.pdf|pages=10|publication-date=2006}}</ref><ref>Philip Tagg, 'Towards a Sign Typology of Music', in Secondo convegno europeo di analisi musicale, ed. Rosanna Dalmonte & Mario Baroni, Trent, 1992, pp. 369-78, at p. 376.</ref><ref>{{Cite web|title=Genres and Styles {{!}} Discogs|url=http://blog.discogs.com/en/genres-and-styles/|access-date=2021-04-06|website=Discogs Blog|language=en-US}}</ref>。20世紀におけるポピュラー音楽の増殖が、1200を超える定義可能な音楽のサブジャンルを生み出すことに繋がった。
作曲が、親ジャンルの全特性を共有させる複数ジャンルの交差作業に位置づけられる場合がある。そのため各ジャンルに同時に属するものがあって<ref name=":2" />、こうしたサブジャンルは「融合(フュージョン)」として知られている。 融合ジャンルの例としては、ジャズとロック音楽の融合である[[フュージョン (音楽)|ジャズフュージョン]]や、カントリーミュージックとロック音楽の融合である[[カントリーロック]]などがある。
マイクロジャンルとは規模の小さな([[ニッチ市場|ニッチ]]な)ジャンルで<ref>{{Cite book|editor-last1=Stevens|editor-first1=Anne H.|editor-last2=O'Donnell|editor-first2=Molly C.|url=https://books.google.com/books?id=RkzODwAAQBAJ&pg=PA6|title=The Microgenre: A Quick Look at Small Culture|publisher=Bloomsbury Publishing|year=2020|isbn=978-1-5013-4583-8|pages=1?6}}</ref>、主要なジャンルやそのサブジャンルの中にある下位区分にあたる。
1970年代末より、ヴィンチェンツォ・カポラレッティは音楽を生み出す「造形媒体」即ちアーティストによって採用される創造のインターフェース(認知環境)に基づいて、音楽ジャンルのより包括的な区分を提唱した。彼によって生み出されたAudiotactile音楽理論と呼ばれる理論は、音楽を以下の三分野に分類している。1)記述音楽、いわゆるクラシック音楽のように視覚的基盤(楽譜の類)を使って創造されたもの。 2)口頭音楽、これは民俗音楽や民族音楽のように録音技術が出現する前のもの。 3)Audiotactile音楽、これは録音技術を中心とした制作および配信プロセスのもの(例えば、ジャズ、ポップ、ロック、ラップなど)<ref>{{cite book |title=I processi improvvisativi nella musica|author=Vincenzo Caporaletti|location=Lucca|agency=LIM|year=2005|isbn=88-7096-420-5}}</ref><ref>{{cite book |title=Introduzione alla teoria delle musica audiotattili|author=Vincenzo Caporaletti|location=Roma|agency=Aracne|year=2019|isbn=9788825520910}}</ref>
==新ジャンルの分類と出現 ==
音楽ジャンルの[[系譜学]]は、しばしば記述された楽譜の形において、古いジャンルの影響のもと新ジャンルがどのように発展したかを述べている。音楽の新ジャンルは、単に新しい分類の枠組を作ることに加えて、音楽の新たなスタイルの発展を通じて生じる可能性がある。既存ジャンルとは何ら関係のない音楽スタイルを創作することも考えられるが、新しいスタイルは一般的に既存ジャンルの影響を受けて出現する。
音楽学者は、[[フィリップ・タグ]]の「[[民俗音楽]]、[[芸術音楽]]、[[ポピュラー音楽]]からなる公理三角形」など三分法区分に従って音楽を分類することがある<ref name="Analysing Popular Music 1982, p. 41">Tagg, Philip. "Analysing Popular Music: Theory, Method and Practice". ''Popular Music'' 2 (1982): 41.</ref>。彼は、これら3つがおのおの特定の基準に従って他と区別可能だと説明している<ref name="Analysing Popular Music 1982, p. 41" />。
===ジャンルの自動認識 ===
[[データマイニング]]と[[共起]]分析に基づく音楽類似性{{enlink|musical similarity}}検出の自動化手法が、電子[[音楽配信]](EDM)用に音楽タイトルを分類する目的で開発された<ref>Fran?ois Pachet, Geert Westermann, Damien Laigre. [http://www.csl.sony.fr/downloads/papers/2001/pachet01c.pdf "Musical Data Mining for Electronic Music Distribution"] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20140327024728/http://www.csl.sony.fr/downloads/papers/2001/pachet01c.pdf |date=March 27, 2014 }}. ''Proceedings of the 1st WedelMusic Conference'' sou, pp. 101?106, Firenze, Italy, 2001.</ref><ref>{{cite web|author=Janice Wong|year=2011|title=Visualising Music: The Problems with Genre Classification|url=http://mastersofmedia.hum.uva.nl/2011/04/26/visualising-music-the-problems-with-genre-classification/|accessdate=2021-11-06}}</ref>。
[[Spotify]]傘下で音楽情報関連を扱う[[TheEchoNest]]社<!--の従業員GlennMcDonald-->は、''Every Noise at Once''と呼ばれる 「Spotifyによって5315のジャンル形状区分に関して追跡および分析されたデータを基に、アルゴリズム生成された<!--、可読性の調整がなされた-->音楽ジャンル空間の散布図」に基づいた、ジャンルとサブジャンルの分類認識スペクトルを作成した<ref name="guardian">{{Cite web|url=https://www.theguardian.com/music/2014/sep/04/-sp-from-charred-death-to-deep-filthstep-the-1264-genres-that-make-modern-music|title=From Charred Death to Deep Filthstep: The 1,264 Genres That Make Modern Music|work=[[The Guardian]]|date=September 4, 2014|accessdate=2021-11-06|last=Fitzpatrick|first=Rob}}</ref><ref>{{Cite web|title=Every Noise at Once|url=https://everynoise.com/|access-date=2021-04-06|website=everynoise.com}}</ref>。
===代替アプローチ ===
このほか、音楽はArousal, Valence, Depth{{Refnest|group="注釈"|この属性3次元は、国内論文で特に訳されることなく使用されている<ref>土居裕和、David M Greenberg、篠原一之「[https://www.micenavi.jp/jpa2018/search/detail_program/id:893 日本人における音楽属性への選好と性格特性の関連性]」日本心理学会、2018年9月25日。</ref>。}}という3次元の変数に分けることもできる<ref name="ECON">{{cite web|date=3 August 2016|title=Musical genres are out of date – but this new system explains why you might like both jazz and hip hop|url=http://www.econotimes.com/Musical-genres-are-out-of-date-%E2%80%93-but-this-new-system-explains-why-you-might-like-both-jazz-and-hip-hop-244941|access-date=8 August 2016|publisher=Econotimes}}</ref>。Arousalは刺激と安息(強烈、力強い、研ぎ澄まされた、スリリング vs 穏やか、落ち着いた、まろやか)などの生理学的プロセスを、Valenceは感情と気分(楽しい、幸せ、活気溢れる、熱狂的、楽しい vs 憂鬱、悲しい) を、Depthは認知プロセス(知的、洗練された、刺激的、複雑、詩的、深い、感情的、思慮深い vs パーティー音楽、ダンサブル) を反映するものである<ref name=ECON/>。これら3次元の変数は、なぜ多くの人が伝統的に区分された異なるジャンルから似たような曲を好むのかを説明するのに役立っている<ref name=ECON/>。
==大枠の音楽ジャンル==
===芸術音楽===
{{Main|現代の音楽#芸術音楽}}
芸術音楽は主にクラシックの伝統を含むもので、現代音楽でも昔のものでもクラシックな楽式を含むものを指す。芸術音楽は世界の様々な地域に存在する。それは技術的かつ詳細な[[脱構築#広義の意味|脱構築]]<ref>Siron, Jacques. "Musique Savante (Serious Music)". ''Dictionnaire des mots de la musique'' (Paris: Outre Mesure): 242.</ref>や批評をもたらしたり、聞く者に傾聴を要求する格調高いスタイルが際立っている。西洋の慣習において、芸術音楽とは主に音楽的伝統が書き留められたものと見なされており<ref name="Arnold, Denis">Arnold, Denis: "Art Music, Art Song", in ''The New Oxford Companion to Music, Volume 1: A-J'' (Oxford and New York: Oxford University Press, 1983): 111.</ref>、ポピュラー音楽や伝統音楽が一般的には口頭や丸暗記や録音で引き継がれるのに対し、芸術音楽は何らかの形式の[[楽譜]]で保存されている<ref name="Arnold, Denis"/><ref>Tagg, Philip. "Analysing Popular Music: Theory, Method and Practice". ''Popular Music'' 2 (1982): 37-67, here 41-42.</ref>。歴史的に、大半の西洋芸術音楽はヨーロッパで考案された標準的な形式の[[記譜法]]を用いて書き留められており、[[ルネッサンス]]期のだいぶ前から始まって[[ロマン主義]]時代に成熟した。
芸術音楽の「作品」や「小作品」のアイデンティティは、一般的に特定の演奏よりも記譜された版によって定義され、演奏家というよりも主に作曲家と関連付けられる(とはいえ作曲家が解釈や即興の機会を演奏家に委ねることもある)。これは西洋のクラシック音楽の場合に特に当てはまる。芸術音楽には特定形式のジャズが含まれることがあるが、[[ジャズ]]は基本的にポピュラー音楽の形式だと感じる人もいる。1960年代には、<!--(例証の羅列は好ましくないため保留)[[オーネット・コールマン]]、 [[サン・ラ]]、[[アルバート・アイラー]]、[[アーチー・シェップ]]、 [[ドン・チェリー]]などのアーティストが代表する-->[[フリー・ジャズ]]にて前衛的な実験の波が見られた<ref>Anon. [http://www.allmusic.com/subgenre/avant-garde-jazz-ma0000002438 Avant-Garde Jazz]. AllMusic.com, n.d.</ref>。加えて<!--[[フランク・ザッパ]]、[[キャプテン・ビーフハート]]、[[レジデンツ|ザ・レジデンツ]]などの-->前衛的なロックアーティストも芸術音楽のアルバムを発表した。
===ポピュラー音楽===
{{Main|ポピュラー音楽}}
[[File:Jennifer Lopez - Pop Music Festival (35).jpg|thumb|[[ジェニファー・ロペス]]がポップ・ミュージック・フェスティバルで楽曲を披露している様子]]
ポピュラー音楽は、一般大衆にとって接触しやすく[[マスメディア]]によって広まった音楽スタイルである。 音楽学者でポピュラー音楽の専門家であるフィリップ・タグは、社会文化的および経済的側面に照らしてこの概念を次のように定義した。
<blockquote>
ポピュラー音楽は、芸術音楽とは異なり、(1)大規模かつしばしば社会文化的に異質な聞き手集団へと大量流通させるために考案された、(2)書面ではない形式で保管および配布される、(3)それが商品となる産業金融経済においてのみ可能なもので、(4)資本主義社会においては「自由」企業の規範に従いつつ、できる限りの大量販売を理想とするもの<ref name="Analysing Popular Music 1982, p. 41"/>。
</blockquote>
ポピュラー音楽は、大半の商用および公共ラジオ局、大半の商業音楽小売店およびデパート、そして映画およびテレビのサウンドトラックに見られる。それは[[ビルボード]]や[[オリコン]]などの[[ヒットチャート]]に記され、シンガーソングライターや作曲家に加え、他ジャンルが行うよりも音楽プロデューサーを巻き込んでいる。
クラシック音楽とポピュラー音楽の区別は、[[ミニマル・ミュージック]]やライト・クラシックのような隣接分野だと曖昧な場合もある<ref>Arnold, Denis (1983): "Art Music, Art Song", in ''The New Oxford Companion to Music, Volume 1: A-J'', Oxford University Press, p. 111, {{ISBN2|0-19-311316-3}}.</ref>。TV番組や映画のバックグラウンドミュージックはしばしば両方の伝統に当てはまる。この点において音楽は小説と似たものがあり、小説も文芸小説と大衆小説との間に区分の線引きがあるとはいえ必ずしも正確ではない。
<!--以下英語版ではカントリー、エレクトロなど13の小セクションが(恣意的に)作られているが、ジャンルの各論については「音楽ジャンルの一覧」記事があるため、全て割愛した。-->
===宗教音楽===
{{Main|宗教音楽}}
宗教音楽とは、宗教的な用途または宗教的題材を介して演奏されたり作曲された音楽のこと。[[ゴスペル (音楽)|ゴスペル]]、[[霊歌]]、[[ キリスト教音楽]]が宗教音楽の例である。
===伝統音楽と民俗音楽===
{{Main|伝統音楽|民俗音楽}}
[[ファイル:Gagaku.jpg|thumb|日本における[[雅楽]]の演奏風景(2010年)]]
伝統音楽と民俗音楽はよく似た分類区分である。伝統音楽は非常に幅広い分類区分で幾つかのジャンルを含めることが可能で、そこに民俗音楽を含めることが広く受け入れられている<ref>{{Cite web|url=http://www.traditionalmusic.org/traditionalmusicdefinition.shtml|title=What is Traditional Music? - a broad definition|website=www.traditionalmusic.org|access-date=2019-03-29}}</ref>。[[国際伝統音楽学会]]によると、伝統音楽とは長い歳月(通常は数世代)にわたって演奏されてきた歌や曲調のことである<ref>{{Cite web|url=http://ictmusic.org/|title=Home {{!}} International Council for Traditional Music|website=ictmusic.org|access-date=2019-03-29}}</ref>。
民俗音楽というジャンルは、ある世代から他の世代へと口頭伝承される音楽として分類される。 一般にアーティストは不明で、同じ曲で幾つかのバージョンがある<ref>{{Cite web|url=https://www.earmaster.com/|title=EarMaster - Music Theory & Ear Training on PC, Mac and iPad|website=www.earmaster.com|language=en-US|access-date=2019-03-29}}</ref>。このジャンルは、通俗的な曲を歌ったり聞いたり舞い踊ることで受け継がれる。この種のコミュニケーションは、文化がスタイル(音程や拍子)と共にそれが発展した背景をも語り継ぐのを可能にしている<ref name=":0">{{Cite journal|last=Albrecht|first=Joshua|last2=Shanahan|first2=Daniel|date=2019-02-01|title=Examining the Effect of Oral Transmission on Folksongs|journal=Music Perception: An Interdisciplinary Journal|language=en|volume=36|issue=3|pages=273-288|doi=10.1525/mp.2019.36.3.273|issn=0730-7829}}</ref> 。
文化的に語り継がれる民俗音楽は、それが創作された歴史時期やその中で発展した社会階級に関する豊富な証拠を保っている<ref>{{Cite web|url=https://www.britannica.com/art/folk-music|title=Folk music|website=Encyclopedia Britannica|language=en|access-date=2019-03-29}}</ref>。民俗音楽のジャンルで幾つかの例を挙げると、[[イギリスの音楽#民俗(民族)音楽|イギリスの民俗音楽]]や[[トルコ音楽#民謡、民俗音楽|トルコ民謡]]などに見られる。イギリスの民俗音楽は中世より展開され、それが当時から現在まで受け継がれている。 同様に、トルコ民謡はかつてトルコを通過したすべての文明と関わっており、近世初期における東西間の緊張もあって世界的関連性がある{{要出典|date=2021年10月}}。
<!-- 英語版にある、米国のフォークソングに関する段落は、民俗音楽の説明にそぐわないので全て省略。-->
世界各国、場合によっては各地域や地区やコミュニティが、それぞれ独自の民俗音楽のスタイルを持っている。民俗ジャンルの下位区分は、それぞれの場所や文化的アイデンティティや歴史によって生み出されている<ref>{{Cite web|url=http://www.cabrillo.edu/~mstrunk/Music12/Wk11/European%20Folk%20Music.htm|title=THE GENERAL CHARACTER OF EUROPEAN FOLK MUSIC|website=www.cabrillo.edu|access-date=2019-04-01}}</ref>。音楽はその土地土地で発展しているので、多くの楽器はその場所とか人口による特徴があるが、どこでも使われる類似したものが幾つかある。[[アコーディオン#アコーディオンの種類|ボタンアコーディオンやピアノアコーディオン]]、異なる型の[[フルート]]や[[トランペット]]、[[バンジョー]]と[[ウクレレ]]などがその例である。フランスとスコットランドいずれの民俗音楽も、[[フィドル]]、[[ハープ]]、そして様々な[[バグパイプ]]などの関連楽器を使用している<ref>{{Cite web|url=https://www.scribd.com/document/212113558/what-instruments-are-used-in-typical-french-folk-music|title=what instruments are used in typical french folk music {{!}} Folk Music {{!}} Performing Arts|website=Scribd|language=en|access-date=2019-04-04}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://tv-english.club/articles-en/discover-great-britain-en/scottish-traditional-music/|title=Traditional Scottish Music|date=2015-10-29|website=English Club TV On-the-Go|language=en-US|access-date=2019-04-04}}</ref>。
== 音楽選好の心理学==
{{Main|音楽選好の心理学}}
[[File:Metallica at the O2 Arena, March 28th 2009.jpg|alt=Metallica performing at the O2 Arena, March 28th 2009|thumb|アリーナで演奏するメタリカ、2009年3月28日]]
=== 音楽選択における社会的影響===
現代ではより簡単に音楽と接することができる([[Spotify]]、[[iTunes]]、[[YouTube]]等)ため、より多くの人々がより広範囲なスタイルの音楽を聴くようになった<ref name=":02">{{Cite web|url=http://www.psychologytoday.com/blog/mr-personality/201101/the-psychology-musical-preferences|title=The Psychology of Musical Preferences|last=Chamorro-Premuzic|first=Tomas|date=January 14, 2011|website=Psychology Today|language=en-US|archive-url=|archive-date=|dead-url=|access-date=2019-03-27}}</ref>。さらに、[[社会的アイデンティティ]]{{Refnest|group="注釈"|H・タジフェルらにより提唱された「集団への所属意識」のことで、自分の所属する国・民族・組織を自己アイデンティティと同一化させる概念。母校の大会優勝を誇らしく感じたりするのが、社会的アイデンティティの一例<ref>「[https://kagaku-jiten.com/social-psychology/group/sense-of-belonging.html 所属意識とは]」科学事典(社会心理学カテゴリ)、社会的アイデンティティ理論より。</ref>。}}も音楽の嗜好に大きな役割を果たしている。人格は音楽選択にとって重要な要因である。自分自身を「反逆的」だと考える人は、[[ヘビーメタル]]や[[ハードロック]]のような重めの音楽スタイルを選ぶ傾向がある一方、自分自身を「おおらかな性格」「呑気な性格」だと考える人は、ジャズやクラシックみたいに軽快な音楽スタイルを選ぶ傾向がある<ref name=":02" />。ジャンルを問わない音楽嗜好の根底にあって、感情的または情緒的な応答を反映するとされる5大要素がある<ref name=":1">{{Cite journal|last=Rentfrow|first=Peter J.|last2=Goldberg|first2=Lewis R.|last3=Levitin|first3=Daniel J.|date=2011|title=The structure of musical preferences: A five-factor model.|journal=Journal of Personality and Social Psychology|language=en|volume=100|issue=6|pages=1139-1157|doi=10.1037/a0022406|issn=1939-1315|pmc=3138530|pmid=21299309}}</ref>。具体的には次の要素である。
#メロウ(甘美)な要素、これは滑らかで安穏としたスタイル(ジャズ、クラシックなど)からなる
#アーバン(都会的)な要素、主にリズミカルでパーカッシブな音楽(ラップ、ヒップホップ、ファンクなど)により定義されている
#ソフィスティケイト(洗練)の要素、これは[[オペラ]]系統や[[ワールドミュージック]]などを指す
#インテンシティ(激しさ)の要素、これは力強くて大音量でエネルギッシュな音楽(ロック、メタルなど)により定義されている
#キャンペストラル(田園的)な要素、これはシンガーソングライターのジャンルやカントリーを指す<ref name=":1" />
=== 個性や状況による影響===
女性はより高音域を指向した音楽を好む一方、男性は重低音の音楽を好んで聴くことが研究で示されている。 重低音の音楽嗜好は、たまに[[境界性パーソナリティ障害|境界性]]や[[反社会性パーソナリティ障害|反社会性]]と併せて指摘されることがある<ref>{{Cite journal|last=McCown|first=William|last2=Keiser, Ross|last3=Mulhearn, Shea|last4=Williamson, David|date=October 1997|title=The role of personality and gender in preference for exaggerated bass in music|journal=Personality and Individual Differences|volume=23|issue=4|pages=543?547|doi=10.1016/s0191-8869(97)00085-8}}</ref>。
年齢は、音楽的嗜好を左右するもう一つの大きな要因である。年をとるにつれて音楽の好みが変わる可能性があることを示す証拠が出ている<ref>{{Cite journal|last=Bonneville-Roussy|first=Arielle|last2=Rentfrow|first2=Peter J.|last3=Xu|first3=Man K.|last4=Potter|first4=Jeff|title=Music through the ages: Trends in musical engagement and preferences from adolescence through middle adulthood.|journal=Journal of Personality and Social Psychology|volume=105|issue=4|pages=703-717|doi=10.1037/a0033770|pmid=23895269|year=2013}}</ref>。カナダの研究では、思春期の青少年がポップ音楽のアーティストに大きな関心を示す一方、成人や高齢者はロック、オペラ、ジャズなどの古典的なジャンルを好むことが示されている<ref>{{Cite journal|last=Schwartz|first=Kelly|last2=Fouts|last3=Gregory|year=2003|title=Music preferences, personality style, and developmental issues of adolescents|journal=Journal of Youth and Adolescence|volume=32|issue=3|pages=205-213|doi=10.1023/a:1022547520656}}</ref>。
== 関連項目==
*[[音楽のジャンル一覧]]
*[[ポピュラー音楽のジャンル一覧]]
*[[邦楽のジャンル一覧]]
== 脚注 ==
=== 注釈===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典===
{{Reflist|2}}
{{音楽}}
{{DEFAULTSORT:おんかくのしやんる}}
[[Category:音楽のジャンル|*]]
[[Category:ジャンル]] | null | 2023-02-10T10:00:39Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%AB |
7,073 | 私法 | 私法(しほう、羅: ius privatum、仏: droit privé、英: private law)とは、私人間の関係を規律する法。民事実体法ともいう。
私法は国家等の公権力と私人の関係を規律する法である公法(憲法・行政法・民事手続法・刑法・刑事手続法)に対置される。
具体的には、私法の一般法である民法や、その特別法である商法や知的財産法などだが、労働法や消費者法にも私法に関する特別なルールが置かれる。私法関係における権利を私権という。
なお、私法とは別に、裁判所においていずれの法域の私法上のルールを準拠法として適用すべきかを定める間接規範として、国際私法がある。
なお、ローマ法やフランス法などにおいては、民事法および刑事法を併せて私法といい、公法(憲法・行政法)と対置する。 | [
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] | 私法とは、私人間の関係を規律する法。民事実体法ともいう。 | {{出典の明記|date=2018年8月}}
'''私法'''(しほう、{{lang-la-short|ius privatum}}、{{lang-fr-short|droit privé}}、{{lang-en-short|private law}})とは、[[私人]]間の関係を規律する法。民事実体法ともいう。
==概要==
私法は[[国家]]等の公権力と[[私人]]の関係を規律する法である[[公法]]([[憲法]]・[[行政法]]・[[民事手続法]]・[[刑法]]・[[刑事手続法]])に対置される。
具体的には、私法の一般法である[[民法]]や、その特別法である[[商法]]や[[知的財産権|知的財産法]]などだが、[[労働法]]や[[消費者#消費者に関わる法規|消費者法]]にも私法に関する特別なルールが置かれる。私法関係における権利を[[私権]]という。
なお、私法とは別に、裁判所においていずれの法域の私法上のルールを準拠法として適用すべきかを定める間接規範として、[[国際私法]]がある。
なお、[[ローマ法]]や[[フランス法]]などにおいては、[[民事法]]および[[刑事法]]を併せて私法といい、公法(憲法・行政法)と対置する。
== 関連項目 ==
* [[法学]]
* [[市民法]]
* [[近代私法の三大原則]]
* [[信義誠実の原則]]
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
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[[Category:私法|*]] | null | 2023-06-28T17:06:26Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E6%B3%95 |
7,077 | 労働法 | 労働法(ろうどうほう、独:Arbeitsrecht、仏:droit du travail、英:labor law)は、労働関係および労働者の地位の保護・向上を規整する法の総称である。資本主義における労働の諸関係を、《労働者の生存権》という法理念にもとづいて規律する法体系である。
近代以降の資本主義の展開にともなって、労働者と使用者(経営者、雇用主)の力関係(労使関係)に著しい落差・不平等が生じ、過長な労働時間(過労) 等、劣悪な労働条件の下での労働を強いられ、また(労働者は労働を売ることのみが生きるための手段になっていたにもかかわらず)低賃金しか払われず、ひどく搾取されることになった。
古典的な近代市民法は、自由平等を原則としていて、(世の中の現実を無視して)労働者と使用者が対等平等な状態にいるとみなして、個別的な契約の自由ばかりを固守してしまい、こうした労働者の保護が十分にできなかったため、労働法のほうは、社会における労使の現実を直視して成立した。 別の言い方をすると、労働者の生存を保障するための市民法原理の修正として、社会権思想に基づいた労働法が生まれたのである。最初の労働者保護立法は、イギリスで1802年に制定された工場法である。その後、第一次世界大戦後のワイマール・ドイツにおいて、労働法は独自の法分野として確立した。
国際労働法(International labour law)とは、労働条件の改善など労働者保護に関する国際的協定の総体を指している。国際労働法制定の中心的役割を果たす国際労働機関(ILO)の任務は、勧告・国際労働条約草案の作成であり、国際労働法は条約の形で存在し、各国家によって受諾・批准されることで効力を発揮するようになる。
国際労働機関(ILO)は、強制労働や児童労働の廃絶、婦人労働者の待遇の向上にとどまらず、移民や船員、家庭内労働者も含めたすべての労働者の労働条件、雇用機会における差別の根絶と生活水準向上のために、1919年の組織発足以降180を超える国際労働条約を採択している。同時に補完的に採択されている勧告とともに国際労働基準を構成している。
ILOによって用意された条約の数は190ある。そのうちのどの程度の数を批准しているかで、その国の政府が自国の労働者の諸権利をどれほど尊重しているか、その程度がわかるとも言われているが、ILO自身は、条約や勧告の本当の価値は、批准数だけで判断するべきではないとしている。一加盟国あたりの平均批准条約数は約44、日本が批准しているのは50である。
欧州連合では指令との形で、各国が達成すべき労働法の基準を示している。
スペインの労働法は、労働者保護を重視するものとなっている。労働者の解雇は容易に行うことができず、解雇されても失業保険が整備されている。こうした環境が、外国企業の投資敬遠、外国人労働者の流入といった事態を招いている、という指摘がある。
中国では、長い間企業は国営企業であったため、労使関係は行政府の命令で調整されており、労働法は存在しなかった。その後、1979年の市場開放を機に市場経済が浸透していくに従い、以下のとおり労働法が整備されていった。
労働契約法制定の背景には、20世紀末から外国からの投資が盛んとなり生産能力が増加、「世界の工場」と呼ばれるようになった一方で、試用期間や違約金の濫用により労使間の対立が激しくなったことがある。
インドネシアの労働法は、労働者の解雇にかかるコストが非常に高い。解雇に関して支払う費用は、そのまま雇い続けるよりも高くなると言う。このことは、外国からの資本投入の際にネックとなっている、という指摘がある
インドの労働三法は、世界銀行により世界で最も制約が多い労働法と指摘されており、犯罪行為以外の理由で労働者を解雇することは事実上困難となっている。インド都市開発省所属で意図的な長期欠勤を続けた職員の例では、解雇に22年もの年月を要している。
日本において「労働法」は、法律の名称ではなく、労働事件の最高裁判所裁判例等における法律判断を含めた法体系を指す、主として講学上の用語である。
日本で「労働法」という語が用いられるようになったのは早い。1920年(大正9年)には既に東京帝国大学(現・東京大学)で末弘厳太郎による「労働法制」という講義が行われていた。1924年(大正13年)に「労働法」という名称での講義を日本の高等教育機関で初めて行ったのは、東京商科大学(現・一橋大学)の孫田秀春であり、労働事務次官を務めた富樫総一なども孫田のゼミナールで学んだ。しかし、労働法は労働運動に関するものであると政府当局に危険視されたことや、履修した学生が警戒され企業から採用されなくなったことから、この東京商科大学の労働法講義は名称を変更させられることになった。
日本では、1911年(明治44年)に工場法が制定されたが、内容的には今日から見れば低水準のものであった。日本の労働法の本格的な形成は、第二次世界大戦後に始まり、1945年(昭和20年)に(旧)労働組合法、次いで1946年(昭和21年)には労働関係調整法、そして1947年(昭和22年)に労働基準法・職業安定法・失業保険法が制定され、独自の法分野として確立されるに至った。その後は、これらの法律の内容を拡充したり(労働基準法の規定を独立させた最低賃金法・労働安全衛生法、失業保険法の対象範囲を拡大した雇用保険法等)、裁判所の判例法理等を取り込んで(例えば、男女別定年の否定を取り込んだ男女雇用機会均等法、解雇権濫用法理を取り込んだ労働契約法など)、労働法の体系を整備していった。
労働組合法・労働関係調整法・労働基準法の3法を労働に関する基本法と位置づけ労働三法(ろうどうさんぽう)と呼んでいる。労働三法は労働組合を中心とする集団的労働紛争への対応を念頭に置いているが、これに対し労働組合に依らない個別労働紛争が増加したことへの対応として、平成期に入ってから個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律・労働審判法・労働契約法等が順次施行された。 | [
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"text": "近代以降の資本主義の展開にともなって、労働者と使用者(経営者、雇用主)の力関係(労使関係)に著しい落差・不平等が生じ、過長な労働時間(過労) 等、劣悪な労働条件の下での労働を強いられ、また(労働者は労働を売ることのみが生きるための手段になっていたにもかかわらず)低賃金しか払われず、ひどく搾取されることになった。",
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"text": "古典的な近代市民法は、自由平等を原則としていて、(世の中の現実を無視して)労働者と使用者が対等平等な状態にいるとみなして、個別的な契約の自由ばかりを固守してしまい、こうした労働者の保護が十分にできなかったため、労働法のほうは、社会における労使の現実を直視して成立した。 別の言い方をすると、労働者の生存を保障するための市民法原理の修正として、社会権思想に基づいた労働法が生まれたのである。最初の労働者保護立法は、イギリスで1802年に制定された工場法である。その後、第一次世界大戦後のワイマール・ドイツにおいて、労働法は独自の法分野として確立した。",
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"text": "国際労働法(International labour law)とは、労働条件の改善など労働者保護に関する国際的協定の総体を指している。国際労働法制定の中心的役割を果たす国際労働機関(ILO)の任務は、勧告・国際労働条約草案の作成であり、国際労働法は条約の形で存在し、各国家によって受諾・批准されることで効力を発揮するようになる。",
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"text": "国際労働機関(ILO)は、強制労働や児童労働の廃絶、婦人労働者の待遇の向上にとどまらず、移民や船員、家庭内労働者も含めたすべての労働者の労働条件、雇用機会における差別の根絶と生活水準向上のために、1919年の組織発足以降180を超える国際労働条約を採択している。同時に補完的に採択されている勧告とともに国際労働基準を構成している。",
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"text": "ILOによって用意された条約の数は190ある。そのうちのどの程度の数を批准しているかで、その国の政府が自国の労働者の諸権利をどれほど尊重しているか、その程度がわかるとも言われているが、ILO自身は、条約や勧告の本当の価値は、批准数だけで判断するべきではないとしている。一加盟国あたりの平均批准条約数は約44、日本が批准しているのは50である。",
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"text": "欧州連合では指令との形で、各国が達成すべき労働法の基準を示している。",
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"text": "スペインの労働法は、労働者保護を重視するものとなっている。労働者の解雇は容易に行うことができず、解雇されても失業保険が整備されている。こうした環境が、外国企業の投資敬遠、外国人労働者の流入といった事態を招いている、という指摘がある。",
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"text": "中国では、長い間企業は国営企業であったため、労使関係は行政府の命令で調整されており、労働法は存在しなかった。その後、1979年の市場開放を機に市場経済が浸透していくに従い、以下のとおり労働法が整備されていった。",
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"text": "労働契約法制定の背景には、20世紀末から外国からの投資が盛んとなり生産能力が増加、「世界の工場」と呼ばれるようになった一方で、試用期間や違約金の濫用により労使間の対立が激しくなったことがある。",
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"text": "インドネシアの労働法は、労働者の解雇にかかるコストが非常に高い。解雇に関して支払う費用は、そのまま雇い続けるよりも高くなると言う。このことは、外国からの資本投入の際にネックとなっている、という指摘がある",
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"text": "インドの労働三法は、世界銀行により世界で最も制約が多い労働法と指摘されており、犯罪行為以外の理由で労働者を解雇することは事実上困難となっている。インド都市開発省所属で意図的な長期欠勤を続けた職員の例では、解雇に22年もの年月を要している。",
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"text": "日本において「労働法」は、法律の名称ではなく、労働事件の最高裁判所裁判例等における法律判断を含めた法体系を指す、主として講学上の用語である。",
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"text": "日本で「労働法」という語が用いられるようになったのは早い。1920年(大正9年)には既に東京帝国大学(現・東京大学)で末弘厳太郎による「労働法制」という講義が行われていた。1924年(大正13年)に「労働法」という名称での講義を日本の高等教育機関で初めて行ったのは、東京商科大学(現・一橋大学)の孫田秀春であり、労働事務次官を務めた富樫総一なども孫田のゼミナールで学んだ。しかし、労働法は労働運動に関するものであると政府当局に危険視されたことや、履修した学生が警戒され企業から採用されなくなったことから、この東京商科大学の労働法講義は名称を変更させられることになった。",
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"text": "日本では、1911年(明治44年)に工場法が制定されたが、内容的には今日から見れば低水準のものであった。日本の労働法の本格的な形成は、第二次世界大戦後に始まり、1945年(昭和20年)に(旧)労働組合法、次いで1946年(昭和21年)には労働関係調整法、そして1947年(昭和22年)に労働基準法・職業安定法・失業保険法が制定され、独自の法分野として確立されるに至った。その後は、これらの法律の内容を拡充したり(労働基準法の規定を独立させた最低賃金法・労働安全衛生法、失業保険法の対象範囲を拡大した雇用保険法等)、裁判所の判例法理等を取り込んで(例えば、男女別定年の否定を取り込んだ男女雇用機会均等法、解雇権濫用法理を取り込んだ労働契約法など)、労働法の体系を整備していった。",
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{
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"text": "労働組合法・労働関係調整法・労働基準法の3法を労働に関する基本法と位置づけ労働三法(ろうどうさんぽう)と呼んでいる。労働三法は労働組合を中心とする集団的労働紛争への対応を念頭に置いているが、これに対し労働組合に依らない個別労働紛争が増加したことへの対応として、平成期に入ってから個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律・労働審判法・労働契約法等が順次施行された。",
"title": "アジアの労働法"
}
] | 労働法は、労働関係および労働者の地位の保護・向上を規整する法の総称である。資本主義における労働の諸関係を、《労働者の生存権》という法理念にもとづいて規律する法体系である。 近代以降の資本主義の展開にともなって、労働者と使用者(経営者、雇用主)の力関係(労使関係)に著しい落差・不平等が生じ、過長な労働時間(過労) 等、劣悪な労働条件の下での労働を強いられ、また(労働者は労働を売ることのみが生きるための手段になっていたにもかかわらず)低賃金しか払われず、ひどく搾取されることになった。 古典的な近代市民法は、自由平等を原則としていて、(世の中の現実を無視して)労働者と使用者が対等平等な状態にいるとみなして、個別的な契約の自由ばかりを固守してしまい、こうした労働者の保護が十分にできなかったため、労働法のほうは、社会における労使の現実を直視して成立した。
別の言い方をすると、労働者の生存を保障するための市民法原理の修正として、社会権思想に基づいた労働法が生まれたのである。最初の労働者保護立法は、イギリスで1802年に制定された工場法である。その後、第一次世界大戦後のワイマール・ドイツにおいて、労働法は独自の法分野として確立した。 | {{Labor|労働=https://i1.wp.com/www.inventiva.co.in/wp-content/uploads/2017/11/labour-law.jpeg?fit=615%2C384&ssl=1}}
'''労働法'''(ろうどうほう、[[ドイツ語|独]]:Arbeitsrecht、[[フランス語|仏]]:droit du travail、[[英語|英]]:labor law)は、[[労働]]関係および[[労働者]]の地位の保護・向上を規整する[[法 (法学)|法]]の総称である<ref>大辞林【労働法】</ref>。資本主義における労働の諸関係を、《'''労働者の[[生存権]]'''》という法理念にもとづいて規律する法体系である<ref name="britanica">ブリタニカ百科事典【労働法】</ref>。
近代以降の[[資本主義]]の展開にともなって、労働者と[[使用者]]([[経営者]]、[[雇用主]])の力関係(労使関係)に著しい落差・不平等が生じ<ref name="britanica" />、[[長時間労働|過長な労働時間]]([[過労]]) 等、劣悪な[[労働条件]]の下での労働を強いられ、また(労働者は労働を売ることのみが生きるための手段になっていたにもかかわらず)[[低賃金]]しか払われず、ひどく[[搾取]]されることになった<ref name="britanica" />。
古典的な近代市民法は、自由平等を原則としていて、(世の中の現実を無視して)労働者と使用者が対等平等な状態にいるとみなして、個別的な契約の自由ばかりを固守してしまい<ref name="britanica" />、こうした労働者の保護が十分にできなかったため、労働法のほうは、社会における労使の現実を直視して成立した<ref name="britanica" />。
別の言い方をすると、労働者の生存を保障するための[[近代私法の三大原則|市民法原理]]の修正として、[[社会権]]思想に基づいた労働法が生まれたのである。最初の労働者保護立法は、[[イギリス]]で1802年に制定された[[工場法]]である。その後、[[第一次世界大戦]]後の[[ヴァイマル共和政|ワイマール・ドイツ]]において、労働法は独自の法分野として確立した<ref name="roudouhou">『労働法 第4版』朝倉むつ子・島田陽一・盛誠吾 著、有斐閣、2011年</ref>。
== 国際労働法と国際労働機関 ==
国際労働法([[:en:International labour law|International labour law]])とは、[[労働条件]]の改善など労働者保護に関する国際的協定の総体を指している。国際労働法制定の中心的役割を果たす[[国際労働機関]](ILO)の任務は、勧告・国際労働条約草案の作成であり、国際労働法は条約の形で存在し、各[[国家]]によって[[受諾]]・[[批准]]されることで効力を発揮するようになる<ref>[[ブリタニカ国際百科事典]]【国際労働法】</ref>。
[[国際労働機関]](ILO)は、[[強制労働]]や[[児童労働]]の廃絶、[[婦人労働]]者の待遇の向上にとどまらず、[[移民]]や[[船員]]、[[家庭内労働者]]も含めたすべての労働者の[[労働条件]]、雇用機会における[[差別]]の根絶と[[生活水準]]向上のために、[[1919年]]の組織発足以降180を超える[[国際労働条約]]を採択している。同時に補完的に採択されている勧告とともに国際労働基準を構成している。
ILOによって用意された[[条約]]の数は190ある<ref name="ilo_standards">[http://www.ilo.org/tokyo/standards/lang--ja/index.htm]</ref>。{{独自研究範囲|そのうちのどの程度の数を[[批准]]しているかで、その国の[[政府]]が自国の[[労働者]]の諸[[権利]]をどれほど尊重しているか、その程度がわかるとも言われている|date=2023年5月}}が、ILO自身は、条約や勧告の本当の価値は、批准数だけで判断するべきではないとしている<ref name="ilo_standards" />。一加盟国あたりの平均批准条約数は約44、[[日本]]が批准しているのは50である<ref name="ilo_standards" />。
== 欧州の労働法 ==
[[欧州連合]]では[[指令 (EU)|指令]]との形で、各国が達成すべき労働法の基準を示している。
* [[労働時間指令]](2003/88/EC)
* [[パートタイム労働指令]] (97/81/EC)
* [[有期労働指令]] (99/70/EC)
* [[派遣労働指令]] (2008/104/EC)
=== スペイン ===
[[スペイン]]の労働法は、労働者保護を重視するものとなっている。労働者の[[解雇]]は容易に行うことができず、解雇されても[[失業保険]]が整備されている。こうした環境が、外国企業の投資敬遠、[[外国人労働者]]の流入といった事態を招いている、という指摘がある<ref name="20080403nikkeibo">「スペイン:不動産バブルの崩壊と排他主義」『日経ビジネスオンライン』日経BP社、2008年4月3日付配信</ref>。
== アジアの労働法 ==
=== 中華人民共和国 ===
[[中華人民共和国|中国]]では、長い間企業は国営企業であったため、労使関係は行政府の命令で調整されており、労働法は存在しなかった。その後、1979年の市場開放を機に市場経済が浸透していくに従い、以下のとおり労働法が整備されていった<ref name="200802blt">「中国における労働契約法の制定とその課題」『Business labor Trend』[[独立行政法人]] [[労働政策研究・研修機構]]、2008年2月号</ref>。
* [[1994年]][[7月]]に'''労働法'''公布
* [[2008年]][[6月]]に[[労働契約法 (中華人民共和国)|労働契約法]]公布
労働契約法制定の背景には、[[20世紀]]末から外国からの投資が盛んとなり生産能力が増加、「世界の工場」と呼ばれるようになった一方で、試用期間や違約金の濫用により労使間の対立が激しくなったことがある<ref name="200802blt"/>。
=== インドネシア===
[[インドネシア]]の労働法は、労働者の解雇にかかるコストが非常に高い。解雇に関して支払う費用は、そのまま雇い続けるよりも高くなると言う。このことは、外国からの資本投入の際にネックとなっている、という指摘がある<ref>「インドネシア、急成長への助走 政情安定で成長政策を強化、だが国内外に課題多し」『日経ビジネスオンライン』日経BP社、2007年11月14日付配信</ref>
=== インド ===
[[インド]]の労働三法は、[[世界銀行]]により世界で最も制約が多い労働法と指摘されており、[[犯罪]]行為以外の理由で労働者を解雇することは事実上困難となっている。インド都市開発省所属で意図的な長期欠勤を続けた職員の例では、解雇に22年もの年月を要している<ref>{{Cite news|url=http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPKBN0KI0BU20150109|title=「ずる休み」24年のインド公務員を解雇、最後は大臣介入|work=ロイター|newspaper= ロイター通信社|date=2015-01-09|accessdate=2015-01-10}}</ref>。
=== 日本 ===
{{law|section=1}}
{{労働条件}}
[[日本]]において「労働法」は、法律の名称ではなく、[[労働事件]]の[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]裁判例等における法律判断を含めた法体系を指す、主として講学上の用語である。
日本で「労働法」という語が用いられるようになったのは早い。[[1920年]]([[大正]]9年)には既に東京帝国大学(現・[[東京大学]])で[[末弘厳太郎]]による「労働法制」という講義が行われていた。[[1924年]](大正13年)に「労働法」という名称での[[講義]]を[[日本の高等教育]]機関で初めて行ったのは、[[東京商科大学]](現・[[一橋大学]])の[[孫田秀春]]であり、[[労働事務次官]]を務めた[[富樫総一]]なども孫田の[[ゼミナール]]で学んだ。しかし、労働法は[[労働運動]]に関するものであると政府当局に危険視されたことや、履修した学生が警戒され[[企業]]から採用されなくなったことから、この東京商科大学の労働法講義は名称を変更させられることになった。
日本では、[[1911年]]([[明治]]44年)に[[工場法 (日本)|工場法]]が制定されたが、内容的には今日から見れば低水準のものであった。日本の労働法の本格的な形成は、[[第二次世界大戦]]後に始まり、[[1945年]]([[昭和]]20年)に(旧)[[労働組合法]]、次いで[[1946年]](昭和21年)には[[労働関係調整法]]、そして[[1947年]](昭和22年)に[[労働基準法]]・[[職業安定法]]・[[失業保険法]]が制定され、独自の法分野として確立されるに至った<ref name="roudouhou">『労働法 第4版』朝倉むつ子・島田陽一・盛誠吾 著、有斐閣、2011年</ref>。その後は、これらの法律の内容を拡充したり(労働基準法の規定を独立させた[[最低賃金法]]・[[労働安全衛生法]]、失業保険法の対象範囲を拡大した[[雇用保険法]]等)、[[日本の裁判所|裁判所]]の[[判例]]法理等を取り込んで(例えば、男女別[[定年]]の否定を取り込んだ[[男女雇用機会均等法]]、[[解雇#解雇の制限|解雇権濫用法理]]を取り込んだ[[労働契約法]]など)、労働法の体系を整備していった<ref>ダニエル・H・フット『裁判と社会―司法の「常識」再考』溜箭将之訳 NTT出版 2006年10月</ref>。
==== 労働三法 ====
労働組合法・労働関係調整法・労働基準法の3法を労働に関する基本法と位置づけ'''労働三法'''(ろうどうさんぽう)と呼んでいる。労働三法は[[労働組合]]を中心とする集団的[[労働紛争]]への対応を念頭に置いているが、これに対し労働組合に依らない個別労働紛争が増加したことへの対応として、平成期に入ってから[[個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律]]・[[労働審判法]]・[[労働契約法]]等が順次施行された。
==== 日本の労働に関する主要な法律 ====
{{Main|労働に関する法令の一覧 (日本)}}
*個別的労働関係法:個別的な労働関係、労働契約関係についての法律
**[[労働基準法]]
**[[最低賃金法]]
**[[労働安全衛生法]]
**[[雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律]](男女雇用機会均等法)
**[[育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律]](育児介護休業法)
**[[短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律]](パートタイム労働法)
**[[労働契約法]]
*集団的労働関係法(労使関係法):使用者と[[労働組合]]との関係についての法律
**[[労働組合法]]
**[[労働関係調整法]]
*労働争訟法:個別的[[労働紛争]]の簡易な解決を目指す法律
**[[個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律]]
**[[労働審判法]]
*労働市場法(雇用保障法):[[労働市場]]の規制に関する法律
**[[労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律]](旧・雇用対策法)
**[[職業安定法]]
**[[雇用保険法]]
**[[労働者災害補償保険法]]
**[[労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律]](労働者派遣法)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{reflist|2}}
==関連項目==
* [[労働基本権]]
* [[労働三権]]
* [[労働契約法]]、[[社会保障法]]
* [[社会政策]]
* [[国際労働機関]]
* [[ディーセント・ワーク]]
* [[ワーク・ライフ・バランス]]
==外部リンク==
*[https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudouseisaku/chushoukigyou/roudouhou_shakaihoken.html 基本的な労働法制度・社会保険などについてお調べの方へ] - [[厚生労働省]]
*[https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudouzenpan/roudouhou/index.html 知って役立つ労働法~働くときに必要な基礎知識~] - 厚生労働省
* {{Kotobank}}
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[[Category:労働法|*]]
[[Category:社会法]] | null | 2023-05-28T06:39:16Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E6%B3%95 |
7,078 | イスラエルの失われた10支族 | イスラエルの失われた10支族(イスラエルのうしなわれたじっしぞく、英: Ten Lost Tribes)とは、旧約聖書に記されたイスラエルの12部族(英語版)のうち、行方が知られていない10部族(ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、マナセ族、エフライム族)を指す。
日本語では「失われた10部族」ともいうがどちらが正しいということはない。ただし「失われた10氏族」という表記は誤りである。
『聖書』によると、族長アブラハム(紀元前17世紀?)がメソポタミアのウルの地からカナンの地を目指して出発したことによりイスラエルの歴史がはじまる。孫のヤコブ(ヤアコブ)の時代にエジプトに移住するが、子孫はやがてエジプト人の奴隷となる。奴隷の時代が400年程続いた後にモーセ(モーゼ)が諸部族をエジプトから連れ出し(紀元前13世紀?)、シナイ半島を40年間放浪し定住を始めた。200年程かけて一帯を征服して行く。
ダビデ王(紀元前1004年?‐紀元前965年?)の時代に統一イスラエル王国として12部族がひとつにされる。次のソロモン王(紀元前965年?‐紀元前930年?)は、安定した政治基盤を背景に強権的となり、『列王記』や『歴代誌』によると彼の代で厳しい苦役や重いくびきが強いられたとされる。ソロモンの死後、息子のレハブアムが王位についたとき、民はそれらの軽減を訴えたところレハブアムは断り、さらに厳しくすると答えたため北部の部族は離反し、エジプトに追放されていたソロモンの家来ヤロブアムを呼び戻して王とし、元の王国名を引き継いだ北王国(イスラエル)を立て、シェケムを再興して都とした。都は後にシェケムからティルツァ、サマリアと移り変わった。
これによってイスラエルは北王国と、王を輩出してきたユダ族ならびにダビデの王権樹立に協力したベニヤミン族の南王国(ユダ王国)に分裂した。北王国では南中部のベテルと最北部のダンに、金の子牛の像をおいて王国の祭祀の拠り所としていたとされる。これは子牛を崇拝したのではなくエロヒム(ヤハウェ)の台座として置かれたものであるとされる。一方、南のユダ王国の都は旧王国の都だったエルサレムにあった。
当時のイスラエル民族は、現在のユダヤ人のような一神教的宗教を奉じていなかった。ソロモン王も特に晩年になるほど、『列王記上』11:4-8 にあるアスタルテ、ミルコム、ケモシュ、モロクなどへの信仰を顕わにしたとされている(ただし、列王記にはダビデは熱心な一神教崇拝だったとある)。学問的には北王国のエロヒム信仰のみならず、エルサレムのヤハウェ信仰も多神教の一種(拝一神教、単一神教)だったと考えられている。
北王国は紀元前722年に同じセム語系民族であるアッシリアにより滅ぼされ、10部族のうち指導者層は虜囚としてアッシリアに連行された(アッシリア捕囚)。サルゴン王の碑文によると虜囚の数は2万7290人で、北王国滅亡直前の段階の北王国の全人口の約20分の1程度と推定されているが、その行方が文書に残されていないため、南王国の2支族によって「失われた10支族」と呼ばれた。広義には捕囚とならなかった北王国の住民を含んでいう場合がある。
捕囚とならなかった旧北王国の住民は、統制を失って他の周辺諸民族の中に埋没し、次第に10部族としてのアイデンティティを失ったといわれ、周辺の異民族や、アッシリアによって他地域から逆に旧北王国に強制移住させられてきた異民族と通婚し混血することもあった。サマリアにはゲリジム山を中心に、後世に独自に発達したユダヤ教と一部の祭祀を同じくする古来の信仰が残存し、サマリア人としてユダヤ人と異なる文化とアイデンティティーを保ち続け、現在に至っている。
南王国のユダは、紀元前586年にセム語系民族の新バビロニアに滅ぼされた。指導者層はバビロンなどへ連行され虜囚となったが(バビロン捕囚)、宗教的な繋がりを強め、失ったエルサレムの町と神殿の代わりに律法を心のよりどころとし、宗教的・文化的なアイデンティティを確保するために異民族との通婚を嫌う声も強くなり、異民族と結婚したものをユダヤ人のコミュニティから排除する排他的な純血至上主義が信奉されるようになった。
彼らは新バビロニアを滅ぼしたイラン語系民族のアケメネス朝ペルシアによって解放され、イスラエルに帰還した。解放後、ユダヤ人と解放者であるペルシア帝国は良好な関係を継続し、エルサレム神殿も復興された。ペルシア人はその支配下にあるすべての民族の宗教を平等に扱ったため、同様の恩恵はサマリア人も受けていたと考えられるが、ユダヤ人はその純血主義によってサマリヤ人を異民族との混血と蔑み、北王国の末裔と認めず、祭祀を異にする点からも異教徒として扱う等、南北両王国時代の対立を民族的偏見として引き継ぐ形となった。
ペルシア帝国がアレクサンダー大王によって滅ぼされ、ヘレニズム時代が開幕すると、ユダヤ人はアレクサンダー大王やその後継者であるギリシア人政権と激しく対立していった様子が旧約聖書外典等にみえる。バビロン捕囚時代・ペルシア時代・ヘレニズム時代の3つの時代を通じて、ユダヤ民族としての独自性を保つための基礎が作られ、宗教としてのユダヤ教が確立した。
ハスモン朝の時代にかけてはローマと同盟を結んだこともあり、ユダ王国の領土は拡大し、エドム地方なども含まれるようになり、制圧地域のエドム人もユダヤ教の布教が行われてユダヤ人に同化され、後にそこからヘロデ大王がユダヤの王の座に就くほどまでになったが、彼の死後王位の後継者が定まらず、一度は息子達によって分割統治するも、サマリア・ユダヤ・イドメア地区では領主のヘロデ・アルケオラスが統治を失敗しローマ帝国の直轄支配によるユダヤ属州が置かれた。「ユダヤ」の名はユダ(綴りは英語などではJudaだがラテン語ではIuda)にラテン語の地名としての語尾変化「ea」がつき「ユダエア(Iudaea)」となったもの、同様に「エドム(Edom)→イドメア(Edomea)」となった。
研究者のなかには、2世紀初頭のバル・コクバの乱でローマ帝国によってパレスチナからユダヤ色が一掃された後も、サマリヤ人の大部分とユダヤ人の一部はこの地に残り、のちにイスラム教に改宗し、現在のパレスチナ人の遠祖となったと指摘するものがある。一方、いわゆるシオニズムを支持する学者の一部は、こうした指摘を否定している。ユダヤ人はのちに商人的な性格を強くし、商業を営みつつ世界に広がっていくことになる。
『聖書』の記述では、イスラエル12部族とは、以下の者達を祖とする部族のことである。
以上を合計すると13部族となってしまうが、これについては特に対処せず13部族すべてを数え上げる場合 と、切れの良い12に直すため以下の4通りの処理の仕方がある。
失われた10支族とは、古代イスラエル12部族のうちユダヤ民族の直系の祖のユダ族・ベニヤミン族・レビ族 を除いたものをいう。南王国ユダの2支族とはユダ族・ベニヤミン族で、これにレビ族を加えた3部族がユダヤ民族の直系の祖となったとされる。実際には南王国には2部族でなく3部族が存在したわけだが、上記の通りレビ族は数えないのが慣例であるため「2部族」と呼び習わしている。
ただし『歴代誌』によるとバビロン捕囚から帰還の時点でエフライムやマナッセの各部族は残存しており、エルサレムに住み着いたという。彼らの系譜は書かれていないが、同書の下巻にユダがアサ王統治下の頃、「ユダとベニヤミンのすべて、および彼らとともに住んでいたエフライムとマナセとシメオンの人々」というくだりがあるので、この頃にはすでにユダに上記の2部族とシメオン族もいたということになる。 なお、バビロン捕囚から帰還後は、多数派のユダ族と祭司としての役目を任されたレビ族以外は各部族としてのアイデンティティを失い、ユダ族に同化されたらしく、これ以後は「ユダヤ人」、「レビ人」という言い方は残っているが他の部族の呼称が出てこなくなる。
なお、『列王記』では南北分裂のきっかけになったとされる預言者アヒヤの「あなた(ヤロブアム)に10部族を与えよう。彼は(中略)1つの部族をもつであろう。」「その10部族をあなた(ヤロブアム)に与える。その子には1つの部族を与えて」という説明や、同書の第12章第20行でも「ユダの部族のほかはダビデの家に従う者がなかった」という説明のくだりから、そもそも分裂は「10と2」ではなく「10と1」であったことが分かる。
以下に挙げる4説は伝承または仮説として立てられたもののうち、イスラエル政府によって比較的有望とされた説であるが必ずしも10支族だけを問題とした説ではない。また、いずれも通説には至っていない。
以下に挙げる説は学術的な検証という意味では上記の説以上に問題があるとされるが参考までに列挙する。
1959年、エルサレムのユダヤの丘に教会の建設が決まり、東欧系ユダヤ人のシャガールにステンドグラスの制作が依頼された。シャガールは、イスラエルの12支族をモチーフとして、華麗で静謐なデザインを仕上げ、12のステンドグラスへと表現した。教義で偶像は描けないため、シャガールは、さまざまな動植物や図形を用い、また、色彩の魔術師との異名を存分に発揮し、12支族の魂を表現している。加えて、それぞれに、旧約聖書から引用された言葉が入っている。この作品は、俗に「エルサレム・ウィンドウ」と称され、シャガールの代表的作品の一つとなっている。 | [
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"text": "イスラエルの失われた10支族(イスラエルのうしなわれたじっしぞく、英: Ten Lost Tribes)とは、旧約聖書に記されたイスラエルの12部族(英語版)のうち、行方が知られていない10部族(ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、マナセ族、エフライム族)を指す。",
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"text": "日本語では「失われた10部族」ともいうがどちらが正しいということはない。ただし「失われた10氏族」という表記は誤りである。",
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"text": "『聖書』によると、族長アブラハム(紀元前17世紀?)がメソポタミアのウルの地からカナンの地を目指して出発したことによりイスラエルの歴史がはじまる。孫のヤコブ(ヤアコブ)の時代にエジプトに移住するが、子孫はやがてエジプト人の奴隷となる。奴隷の時代が400年程続いた後にモーセ(モーゼ)が諸部族をエジプトから連れ出し(紀元前13世紀?)、シナイ半島を40年間放浪し定住を始めた。200年程かけて一帯を征服して行く。",
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"text": "ダビデ王(紀元前1004年?‐紀元前965年?)の時代に統一イスラエル王国として12部族がひとつにされる。次のソロモン王(紀元前965年?‐紀元前930年?)は、安定した政治基盤を背景に強権的となり、『列王記』や『歴代誌』によると彼の代で厳しい苦役や重いくびきが強いられたとされる。ソロモンの死後、息子のレハブアムが王位についたとき、民はそれらの軽減を訴えたところレハブアムは断り、さらに厳しくすると答えたため北部の部族は離反し、エジプトに追放されていたソロモンの家来ヤロブアムを呼び戻して王とし、元の王国名を引き継いだ北王国(イスラエル)を立て、シェケムを再興して都とした。都は後にシェケムからティルツァ、サマリアと移り変わった。",
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"text": "これによってイスラエルは北王国と、王を輩出してきたユダ族ならびにダビデの王権樹立に協力したベニヤミン族の南王国(ユダ王国)に分裂した。北王国では南中部のベテルと最北部のダンに、金の子牛の像をおいて王国の祭祀の拠り所としていたとされる。これは子牛を崇拝したのではなくエロヒム(ヤハウェ)の台座として置かれたものであるとされる。一方、南のユダ王国の都は旧王国の都だったエルサレムにあった。",
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"text": "当時のイスラエル民族は、現在のユダヤ人のような一神教的宗教を奉じていなかった。ソロモン王も特に晩年になるほど、『列王記上』11:4-8 にあるアスタルテ、ミルコム、ケモシュ、モロクなどへの信仰を顕わにしたとされている(ただし、列王記にはダビデは熱心な一神教崇拝だったとある)。学問的には北王国のエロヒム信仰のみならず、エルサレムのヤハウェ信仰も多神教の一種(拝一神教、単一神教)だったと考えられている。",
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"text": "北王国は紀元前722年に同じセム語系民族であるアッシリアにより滅ぼされ、10部族のうち指導者層は虜囚としてアッシリアに連行された(アッシリア捕囚)。サルゴン王の碑文によると虜囚の数は2万7290人で、北王国滅亡直前の段階の北王国の全人口の約20分の1程度と推定されているが、その行方が文書に残されていないため、南王国の2支族によって「失われた10支族」と呼ばれた。広義には捕囚とならなかった北王国の住民を含んでいう場合がある。",
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"text": "捕囚とならなかった旧北王国の住民は、統制を失って他の周辺諸民族の中に埋没し、次第に10部族としてのアイデンティティを失ったといわれ、周辺の異民族や、アッシリアによって他地域から逆に旧北王国に強制移住させられてきた異民族と通婚し混血することもあった。サマリアにはゲリジム山を中心に、後世に独自に発達したユダヤ教と一部の祭祀を同じくする古来の信仰が残存し、サマリア人としてユダヤ人と異なる文化とアイデンティティーを保ち続け、現在に至っている。",
"title": "古代イスラエルの歴史"
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"text": "南王国のユダは、紀元前586年にセム語系民族の新バビロニアに滅ぼされた。指導者層はバビロンなどへ連行され虜囚となったが(バビロン捕囚)、宗教的な繋がりを強め、失ったエルサレムの町と神殿の代わりに律法を心のよりどころとし、宗教的・文化的なアイデンティティを確保するために異民族との通婚を嫌う声も強くなり、異民族と結婚したものをユダヤ人のコミュニティから排除する排他的な純血至上主義が信奉されるようになった。",
"title": "古代イスラエルの歴史"
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"text": "彼らは新バビロニアを滅ぼしたイラン語系民族のアケメネス朝ペルシアによって解放され、イスラエルに帰還した。解放後、ユダヤ人と解放者であるペルシア帝国は良好な関係を継続し、エルサレム神殿も復興された。ペルシア人はその支配下にあるすべての民族の宗教を平等に扱ったため、同様の恩恵はサマリア人も受けていたと考えられるが、ユダヤ人はその純血主義によってサマリヤ人を異民族との混血と蔑み、北王国の末裔と認めず、祭祀を異にする点からも異教徒として扱う等、南北両王国時代の対立を民族的偏見として引き継ぐ形となった。",
"title": "古代イスラエルの歴史"
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"text": "ペルシア帝国がアレクサンダー大王によって滅ぼされ、ヘレニズム時代が開幕すると、ユダヤ人はアレクサンダー大王やその後継者であるギリシア人政権と激しく対立していった様子が旧約聖書外典等にみえる。バビロン捕囚時代・ペルシア時代・ヘレニズム時代の3つの時代を通じて、ユダヤ民族としての独自性を保つための基礎が作られ、宗教としてのユダヤ教が確立した。",
"title": "古代イスラエルの歴史"
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"text": "ハスモン朝の時代にかけてはローマと同盟を結んだこともあり、ユダ王国の領土は拡大し、エドム地方なども含まれるようになり、制圧地域のエドム人もユダヤ教の布教が行われてユダヤ人に同化され、後にそこからヘロデ大王がユダヤの王の座に就くほどまでになったが、彼の死後王位の後継者が定まらず、一度は息子達によって分割統治するも、サマリア・ユダヤ・イドメア地区では領主のヘロデ・アルケオラスが統治を失敗しローマ帝国の直轄支配によるユダヤ属州が置かれた。「ユダヤ」の名はユダ(綴りは英語などではJudaだがラテン語ではIuda)にラテン語の地名としての語尾変化「ea」がつき「ユダエア(Iudaea)」となったもの、同様に「エドム(Edom)→イドメア(Edomea)」となった。",
"title": "古代イスラエルの歴史"
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"text": "研究者のなかには、2世紀初頭のバル・コクバの乱でローマ帝国によってパレスチナからユダヤ色が一掃された後も、サマリヤ人の大部分とユダヤ人の一部はこの地に残り、のちにイスラム教に改宗し、現在のパレスチナ人の遠祖となったと指摘するものがある。一方、いわゆるシオニズムを支持する学者の一部は、こうした指摘を否定している。ユダヤ人はのちに商人的な性格を強くし、商業を営みつつ世界に広がっていくことになる。",
"title": "古代イスラエルの歴史"
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"text": "『聖書』の記述では、イスラエル12部族とは、以下の者達を祖とする部族のことである。",
"title": "元祖古代イスラエル12部族"
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"text": "以上を合計すると13部族となってしまうが、これについては特に対処せず13部族すべてを数え上げる場合 と、切れの良い12に直すため以下の4通りの処理の仕方がある。",
"title": "元祖古代イスラエル12部族"
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"text": "失われた10支族とは、古代イスラエル12部族のうちユダヤ民族の直系の祖のユダ族・ベニヤミン族・レビ族 を除いたものをいう。南王国ユダの2支族とはユダ族・ベニヤミン族で、これにレビ族を加えた3部族がユダヤ民族の直系の祖となったとされる。実際には南王国には2部族でなく3部族が存在したわけだが、上記の通りレビ族は数えないのが慣例であるため「2部族」と呼び習わしている。",
"title": "古代イスラエルの失われた10支族"
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"text": "ただし『歴代誌』によるとバビロン捕囚から帰還の時点でエフライムやマナッセの各部族は残存しており、エルサレムに住み着いたという。彼らの系譜は書かれていないが、同書の下巻にユダがアサ王統治下の頃、「ユダとベニヤミンのすべて、および彼らとともに住んでいたエフライムとマナセとシメオンの人々」というくだりがあるので、この頃にはすでにユダに上記の2部族とシメオン族もいたということになる。 なお、バビロン捕囚から帰還後は、多数派のユダ族と祭司としての役目を任されたレビ族以外は各部族としてのアイデンティティを失い、ユダ族に同化されたらしく、これ以後は「ユダヤ人」、「レビ人」という言い方は残っているが他の部族の呼称が出てこなくなる。",
"title": "古代イスラエルの失われた10支族"
},
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"text": "なお、『列王記』では南北分裂のきっかけになったとされる預言者アヒヤの「あなた(ヤロブアム)に10部族を与えよう。彼は(中略)1つの部族をもつであろう。」「その10部族をあなた(ヤロブアム)に与える。その子には1つの部族を与えて」という説明や、同書の第12章第20行でも「ユダの部族のほかはダビデの家に従う者がなかった」という説明のくだりから、そもそも分裂は「10と2」ではなく「10と1」であったことが分かる。",
"title": "古代イスラエルの失われた10支族"
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"text": "以下に挙げる4説は伝承または仮説として立てられたもののうち、イスラエル政府によって比較的有望とされた説であるが必ずしも10支族だけを問題とした説ではない。また、いずれも通説には至っていない。",
"title": "失われた10支族の行方"
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"paragraph_id": 19,
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"text": "以下に挙げる説は学術的な検証という意味では上記の説以上に問題があるとされるが参考までに列挙する。",
"title": "失われた10支族の行方"
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"text": "1959年、エルサレムのユダヤの丘に教会の建設が決まり、東欧系ユダヤ人のシャガールにステンドグラスの制作が依頼された。シャガールは、イスラエルの12支族をモチーフとして、華麗で静謐なデザインを仕上げ、12のステンドグラスへと表現した。教義で偶像は描けないため、シャガールは、さまざまな動植物や図形を用い、また、色彩の魔術師との異名を存分に発揮し、12支族の魂を表現している。加えて、それぞれに、旧約聖書から引用された言葉が入っている。この作品は、俗に「エルサレム・ウィンドウ」と称され、シャガールの代表的作品の一つとなっている。",
"title": "トピック"
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] | イスラエルの失われた10支族とは、旧約聖書に記されたイスラエルの12部族のうち、行方が知られていない10部族(ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、マナセ族、エフライム族)を指す。 日本語では「失われた10部族」ともいうがどちらが正しいということはない。ただし「失われた10氏族」という表記は誤りである。 | '''イスラエルの失われた10支族'''(イスラエルのうしなわれたじっしぞく、{{lang-en-short|Ten Lost Tribes}})とは、[[旧約聖書]]に記された{{ill2|イスラエルの12部族|en|Twelve Tribes of Israel}}のうち、行方が知られていない10部族([[ルベン族]]、[[シメオン族]]、[[ダン族]]、[[ナフタリ族]]、[[ガド族]]、[[アシェル族]]、[[イッサカル族]]、[[ゼブルン族]]、[[マナセ族]]、[[エフライム族]])を指す。
日本語では「失われた'''10部族'''」ともいうがどちらが正しいということはない。ただし「失われた'''10氏族'''」という表記は誤りである<ref>聖書学では「支族」はあまり使われないが誤りではなく{{要出典|date=2013年5月}}、一方「部族」と「氏族」は聖書学では区別された定訳であり、氏族は部族の中の小単位で、氏族が集まって部族を構成している。</ref>。
== 古代イスラエルの歴史 ==
『[[聖書]]』によると、族長[[アブラハム]]([[紀元前17世紀]]?)が[[メソポタミア]]の[[ウル]]の地から[[カナン]]の地を目指して出発したことにより[[イスラエル]]の歴史がはじまる。孫の[[ヤコブ (旧約聖書)|ヤコブ]](ヤアコブ)の時代に[[エジプト]]に移住するが、子孫はやがてエジプト人の[[奴隷]]となる。奴隷の時代が400年程続いた後に[[モーセ]](モーゼ)が諸部族を[[出エジプト記|エジプトから連れ出し]]([[紀元前13世紀]]?)、[[シナイ半島]]を40年間放浪し定住を始めた。200年程かけて一帯を征服して行く。
[[ダビデ]]王([[紀元前1004年]]?‐[[紀元前965年]]?)の時代に統一[[イスラエル王国]]として12部族がひとつにされる。次の[[ソロモン]]王(紀元前965年?‐[[紀元前930年]]?)は、安定した政治基盤を背景に強権的となり、『列王記』や『歴代誌』によると彼の代で厳しい苦役や重いくびきが強いられたとされる。[[ソロモン]]の死後、息子の[[レハブアム]]が王位についたとき、民はそれらの軽減を訴えたところ[[レハブアム]]は断り、さらに厳しくすると答えたため北部の部族は離反し、[[エジプト]]に追放されていたソロモンの家来[[ヤロブアム1世|ヤロブアム]]を呼び戻して王とし、元の王国名を引き継いだ[[イスラエル王国|北王国(イスラエル)]]を立て、[[シェケム]]を再興して都とした。都は後に[[シェケム]]から[[ティルツァ]]、[[サマリア]]と移り変わった<ref>『列王記』上12章、『歴代誌』下10章。</ref>。
これによって[[イスラエル]]は北王国と、王を輩出してきた[[ユダ族]]ならびに[[ダビデ]]の王権樹立に協力した[[ベニヤミン族]]の南王国([[ユダ王国]])に分裂した。北王国では南中部の[[ベテル]]と最北部の[[ダン (聖書)|ダン]]に、[[金の子牛]]の像をおいて王国の[[祭|祭祀]]の拠り所としていたとされる。これは子牛を崇拝したのではなく[[エロヒム]](ヤハウェ)の台座として置かれたものであるとされる<ref>なお、像の形状は異なるが『出エジプト記』37:7-9にもモーセの時代は黄金像を聖所の中枢部左右に置いた記述がある。</ref>。一方、南のユダ王国の都は旧王国の都だった[[エルサレム]]にあった。
当時の[[イスラエル]]民族は、現在の[[ユダヤ人]]のような一神教的宗教を奉じていなかった。ソロモン王も特に晩年になるほど、『列王記上』11:4-8 にある[[アスタルテ]]、[[ミルコム]]、[[ケモシュ]]、[[モロク]]などへの信仰を顕わにしたとされている(ただし、列王記にはダビデは熱心な一神教崇拝だったとある)。学問的には北王国のエロヒム信仰のみならず、エルサレムの[[ヤハウェ]]信仰も多神教の一種([[拝一神教]]、[[単一神教]])だったと考えられている。
北王国は[[紀元前722年]]に同じ[[セム語]]系民族である[[アッシリア]]により滅ぼされ、10部族のうち指導者層は虜囚としてアッシリアに連行された([[アッシリア捕囚]])<ref>ただし、虜囚の拉致連行はかなりの長期間の間に数度にわたって領土を奪われる度に段階的に行われた。最後の前722年の捕囚の段階では北王国は首都サマリアとその周辺をわずかにたもつだけの事実上の都市国家に転落した。</ref>。[[サルゴン2世|サルゴン王]]の碑文によると虜囚の数は2万7290人で、北王国滅亡直前の段階の北王国の全人口の約20分の1程度と推定されているが、その行方が文書に残されていないため、南王国の2支族によって「'''失われた10支族'''」と呼ばれた。広義には捕囚とならなかった北王国の住民を含んでいう場合がある。
捕囚とならなかった旧北王国の住民は、統制を失って他の周辺諸民族の中に埋没し、次第に10部族としてのアイデンティティを失ったといわれ<ref>指導者の一部を連行によって失い、[[アッシリア]]の支配下に置かれても、彼らの部族としての文化や一体感に打撃を与えることはなかったともされる。</ref>、周辺の異民族や、[[アッシリア]]によって他地域から逆に旧北王国に強制移住させられてきた異民族と通婚し混血することもあった<ref>ただし、異民族との混血は王国時代のユダヤ人(南王国人)も同じである。</ref>。[[サマリア]]には[[ゲリジム山]]を中心に、後世に独自に発達した[[ユダヤ教]]と一部の祭祀を同じくする古来の信仰が残存し、[[サマリア人]]としてユダヤ人と異なる文化とアイデンティティーを保ち続け、現在に至っている。
南王国の[[ユダ]]は、[[紀元前586年]]にセム語系民族の[[新バビロニア]]に滅ぼされた。指導者層は[[バビロン]]などへ連行され虜囚となったが([[バビロン捕囚]])、宗教的な繋がりを強め、失ったエルサレムの町と神殿の代わりに律法を心のよりどころとし、宗教的・文化的な[[同一性|アイデンティティ]]を確保するために異民族との通婚を嫌う声も強くなり<ref>例として『ネヘミヤ記』13:23-25にて、異邦人との混血の子の半分がユダヤの言葉が分からないことを嘆き、異民族との婚姻をタブーとする話がある。</ref>、異民族と結婚したものをユダヤ人のコミュニティから排除する排他的な純血至上主義が信奉されるようになった<ref>聖書の一部も原資料はこの頃に書かれたと考えられている。</ref>。
彼らは新バビロニアを滅ぼした[[イラン語]]系民族の[[アケメネス朝]][[ペルシア]]によって解放され、[[イスラエル]]に帰還した<ref>ただし、[[ペルシア]]から[[イスラエル]]に帰還した人々が多数だったのか、ごく一部が帰還しただけで信仰の自由が保証されたペルシアに留まった者が多かったのか、そもそも虜囚とされず[[イスラエル]]に居続けた人々と帰還組との人口比率はどうだったのか等は、聖書学者によって様々な見解がある。</ref>。解放後、ユダヤ人と解放者である[[ペルシア帝国]]は良好な関係を継続し、[[エルサレム神殿]]も復興された<ref>聖書の一部にはペルシアの宗教である[[ゾロアスター教]]の影響がみられるが、それはその原資料の一部がこの頃にかかれたものが含まれるためである。</ref>。ペルシア人はその支配下にあるすべての民族の宗教を平等に扱ったため、同様の恩恵は[[サマリア人]]も受けていたと考えられるが、[[ユダヤ人]]はその純血主義によって[[サマリヤ人]]を異民族との混血と蔑み、北王国の末裔と認めず、祭祀を異にする点からも異教徒として扱う等、南北両王国時代の対立を民族的偏見として引き継ぐ形となった<ref>サマリア人への差別意識は西暦1世紀ごろに[[ローマ帝国]]支配下になっても残っており、1世紀後半に書かれた新約聖書の各福音書や[[フラウィウス・ヨセフス]]の『ユダヤ古代史』にも見られる。</ref>。
ペルシア帝国が[[アレクサンダー大王]]によって滅ぼされ、[[ヘレニズム時代]]が開幕すると、[[ユダヤ人]]は[[アレクサンダー大王]]やその後継者であるギリシア人政権と激しく対立していった様子が旧約聖書[[外典]]等にみえる。[[バビロン捕囚]]時代・ペルシア時代・ヘレニズム時代の3つの時代を通じて、ユダヤ民族としての独自性を保つための基礎が作られ、宗教としての[[ユダヤ教]]が確立した。
[[ハスモン朝]]の時代にかけてはローマと同盟を結んだこともあり、[[ユダ王国]]の領土は拡大し、エドム地方なども含まれるようになり、制圧地域のエドム人もユダヤ教の布教が行われてユダヤ人に同化され<ref>異民族のうちエドム人とエジプト人は『申命記』23:7に「3代目からは主の会衆に加えてよい」と明記されていたため、エドム人の同化は前述の『ネヘミヤ記』や『エズラ記』の厳しい態度とは矛盾しない。</ref>、後にそこから[[ヘロデ大王]]がユダヤの王の座に就くほどまでになったが、彼の死後王位の後継者が定まらず、一度は息子達によって分割統治するも、サマリア・ユダヤ・イドメア地区では領主の[[:en:Herod Archelaus|ヘロデ・アルケオラス]]が統治を失敗し[[ローマ帝国]]の直轄支配による[[ユダヤ属州]]が置かれた。<ref>詳しくはフラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ戦記』の第1 - 2巻に詳しく載っている。</ref>「ユダヤ」の名はユダ(綴りは英語などではJudaだがラテン語ではIuda)にラテン語の地名としての語尾変化「ea」がつき「ユダエア(Iudaea)」となったもの、同様に「エドム(Edom)→イドメア(Edomea)」となった<ref>このユダヤ属州には、かつての旧北王国の本土にあたるサマリアが含まれたが、さらに北部の[[ガリラヤ]]は含まれず(ハスモン朝やヘロデ王時代の領土には含まれる)、東部の[[ギレアド]]もそのほとんどが含まれなかった。</ref>。
研究者のなかには、2世紀初頭の[[バル・コクバの乱]]で[[ローマ帝国]]によって[[パレスチナ]]から[[ユダヤ]]色が一掃された後も、[[サマリア人|サマリヤ人]]の大部分と[[ユダヤ人]]の一部はこの地に残り、のちに[[イスラム教]]に改宗し、現在の[[パレスチナ人]]の遠祖となったと指摘するものがある。一方、いわゆる[[シオニズム]]を支持する学者の一部は、こうした指摘を否定している。[[ユダヤ人]]はのちに商人的な性格を強くし、[[商業]]を営みつつ世界に広がっていくことになる。
== 元祖古代イスラエル12部族 ==
;{{仮リンク|イスラエルの12部族|en|Twelve Tribes of Israel}}に参照。
#'''[[ルベン族]]'''
#'''[[シメオン族]]'''
#[[レビ族]]
#[[ユダ族]]
#'''[[ダン族]]'''
#'''[[ナフタリ族]]'''
#'''[[ガド族]]'''
#'''[[アシェル族]]'''
#'''[[イッサカル族]]'''
#'''[[ゼブルン族]]'''
#[[ヨセフ族]]
##'''[[マナセ族]]'''
##'''[[エフライム族]]'''
#[[ベニヤミン族]]
<!--なにか「日ユ同祖論」にこだわりがあるようですが、「元祖古代イスラエル12部族」の列挙と無関係ですので削除します。 あと『創世記』ではマナセの方がエフライムより兄とされるので順番逆にします-->
『聖書』の記述では、[[イスラエル]]12部族とは、以下の者達を祖とする部族のことである。
*父:[[ヤコブ]]、母:[[レア (旧約聖書)|レア]]([[ラバン]]の娘)から生まれた6子
**長男[[ルベン]]の末裔[[ルベン族]]'''[[ルベン族]]'''
**次男[[シメオン (ヤコブの子)|シメオン]]の末裔[[シメオン族]]'''[[シメオン族]]'''
**三男[[レビ]]の末裔[[レビ族]]
**四男[[ユダ (ヤコブの子)|ユダ]]の末裔[[ユダ族]]
**五男[[イッサカル|イサカル]]の末裔[[イッサカル族|'''イサカル族''']](イッサカル族)
**六男[[ゼブルン]]の末裔[[ゼブルン族]]'''[[ゼブルン族]]'''
*父:[[ヤコブ]]、母:[[ジルパ]](レアの下女)から生まれた2庶子
**兄[[ガド]]の末裔[[ガド族]]'''[[ガド族]]'''
**弟[[アシェル|アセル]]の末裔[[アシェル族|'''アセル族''']](アシェル族)
*父:[[ヤコブ]]、母:[[ラケル]](レアの妹)から生まれた末子
**[[ベニヤミン]] の末裔[[ベニヤミン族]]
*父:[[ヤコブ]]、母:[[ビルハ]]([[ラケル]]の下女)から生まれた2庶子
**兄[[ダン (ヤコブの子)|ダン]]の末裔[[ダン族]]'''[[ダン族]]'''
**弟[[ナフタリ]]の末裔[[ナフタリ族]]'''[[ナフタリ族]]'''
*父:[[ヨセフ (ヤコブの子)|ヨセフ]]([[ヤコブ]]とレアの妹[[ラケル]]の子)、母:[[アセテナ]]([[エジプト]]の祭司[[ポティ・フェラ]]の娘)から生まれた2子
**兄[[マナセ]]の末裔[[マナセ族]]'''[[マナセ族]]'''
**弟[[エフライム]]の末裔[[エフライム族]]'''[[エフライム族]]'''
以上を合計すると13部族となってしまうが、これについては特に対処せず13部族すべてを数え上げる場合<ref>例として『民数記』第2章の宿営の規則では13の部族すべての名前が出てくる。</ref> と、切れの良い12に直すため以下の4通りの処理の仕方がある。
; レビ族を数えない場合
: 一番よく見られる方法で、民数記冒頭の人口調査でも「[[イスラエル]]の各部族の長12人(=部族数は12)は人口調査をした」とした後に「レビ人は調べられなかった」とあり<ref>『民数記』1:44-47</ref>、「各部族」にレビ族が入っていないと分かる。
: [[ヤハウェ]]に仕える[[祭司]]職であるレビ族については領土が無く各地に分散して暮らしていたため、これを数えず他の部族で12とする。
; マナセ族とエフライム族をまとめて「ヨセフ族」と数える場合
: 例として申命記のゲリジム・エバルの両山に祝福と呪いをする際にそれぞれの担当の部族名が列挙されているが、[[エフライム]]も[[マナセ]]も呼ばれず[[ヨセフ (ヤコブの子)|ヨセフ]]の名が呼ばれている<ref>『申命記』27:12-13。列挙順はシメオン・レビ・ユダ・イッサカル・ヨセフ・ベニヤミン・ルベン・ガド・アセル・ゼブルン・ダン・ナフタリ。</ref>。
: 両族はヨシュア記でも「ヨセフの家」とまとめて呼ばれるなど、結びつきが強いものとされた。
: なお、後述のヨハネの黙示録では[[エフライム族]]の事を[[ヨセフ族]]と呼んでいる([[マナセ族]]の名前は別に出てくる)。
; シメオン族を数えない場合
: 申命記最後の各部族へのモーゼの祝福でシメオン族が名前を呼ばれていない<ref>『申命記』第33章。列挙順はルベン・ユダ・レビ・ベニヤミン・ヨセフ([[エフライム]]と[[マナセ]])・ゼブルン・イッサカル・ガド・ダン・ナフタリ・アセル(ヨセフはひとまとめだが、その中でエフライムとマナセの名が出てくる)。</ref>。
: シメオン族は領土自体はあったがユダ族の中で飛び地状態で、次第に[[ユダ族]]に吸収され<ref>例として『ヨシュア記』に「モラダ、ハザル・シュアル、ベエルシバ、エルトラデ、ホルマ、チクラグ、エゼム、アイン、リンモン、エテル、アシャン。」の町が第15章ではユダ族、第19章ではシメオン族の領地と書かれているなど。</ref> 早いうちに消滅したため、これを数えずにレビを入れて12とした。
; ダン族を数えない場合
: [[ヨハネの黙示録]]に見られるもので、「[[イスラエル]]の子らのすべての部族」として列挙される中に[[ダン族]]の名前がない<ref>『ヨハネの黙示録』7:4-8。列挙順はユダ・ルベン・ガド・アセル・ナフタリ・マナセ・シメオン・レビ・イッサカル・ゼブルン・ヨセフ・ベニヤミン。</ref>。
: 理由ははっきりしないが、現在は偽典とされている『十二族長の遺訓』に[[ダン族]]は反キリストを生むものとされていたためという説がある。
== 古代イスラエルの失われた10支族 ==
*[[ルベン族]]
*[[シメオン族]]
*[[ダン族]]
*[[ナフタリ族]]
*[[ガド族]]
*[[アシェル族]]
*[[イッサカル族]]
*[[ゼブルン族]]
*[[ヨセフ族]]
**[[エフライム族]]
**[[マナセ族]]
<!--番号の意味があまりない(特にマナセとエフライムが数え直しになっている)ので番号なしに訂正-->
失われた10支族とは、古代イスラエル12部族のうち[[ユダヤ人|ユダヤ民族]]の直系の祖の[[ユダ族]]・[[ベニヤミン族]]・[[レビ族]]<ref>以上3部族は『歴代誌』下11:13でユダ王のレハブアムに味方したと明記。</ref> を除いたものをいう。南王国ユダの2支族とは[[ユダ族]]・[[ベニヤミン族]]で、これに[[レビ族]]を加えた3部族がユダヤ民族の直系の祖となったとされる。実際には南王国には2部族でなく3部族が存在したわけだが、上記の通り[[レビ族]]は数えないのが慣例であるため「2部族」と呼び習わしている。<!--独自研究が多いのでこの辺大きく削除させてもらいます。まず「[[シメオン族]]は[[ユダ族]]に近いため同化した」という説を取る場合は「[[ユダ王国]]に[[シメオン族]]もいた」ではなく「南北分裂前に[[シメオン族]]が消滅した」になります。(民族というのは文化的なものなので) 次に 「南北王国の境界線が前の方に出てきた部族の縄張りを横切っているから両方にいるはずだ」はと言い切るのは乱暴です。 [[ヨシュア]]記の話から何百年も経過していますから境界の移動があってもおかしくはありませんし、特にダン族は『ヨシュア記』第19章(沿岸部の領土取得後にダンの街を作った)と『士師記』第18章(領土がないので遠征してダンの街を作った)を合わせると早期に沿岸部の領土を喪失し、北部内陸のダンに移ったと考えるのが自然です。-->
ただし『歴代誌』によるとバビロン捕囚から帰還の時点で[[エフライム]]や[[マナッセ]]の各部族は残存しており、[[エルサレム]]に住み着いたという<ref>『歴代誌』上9:3</ref>。彼らの系譜は書かれていないが、同書の下巻にユダが[[アサ (ユダ王)|アサ]]王統治下の頃、「[[ユダ]]と[[ベニヤミン]]のすべて、および彼らとともに住んでいた[[エフライム]]と[[マナセ]]と[[シメオン]]の人々」というくだりがあるので、この頃にはすでに[[ユダ]]に上記の2部族と[[シメオン族]]もいたということになる。<ref>『歴代誌』下15:9</ref> なお、バビロン捕囚から帰還後は、多数派の[[ユダ族]]と祭司としての役目を任された[[レビ族]]以外は各部族としてのアイデンティティを失い、[[ユダ族]]に同化されたらしく、これ以後は「[[ユダヤ人]]」、「レビ人」という言い方は残っているが他の部族の呼称が出てこなくなる。<!-- ここも独自研究が多いので大きく削除します。「アセル族の滅亡後詳細」や「飛び地は別部族というカウント」について乗せたいのなら出典を明記してください -->
なお、『列王記』では南北分裂のきっかけになったとされる預言者アヒヤの「あなた([[ヤロブアム]])に10部族を与えよう。彼は(中略)'''1つ'''の部族をもつであろう<ref>『列王記』上11:31-32</ref>。」「その10部族をあなた([[ヤロブアム]])に与える。その子には'''1つ'''の部族を与えて<ref>『列王記』上11:35-36</ref>」という説明や、同書の第12章第20行でも「[[ユダ]]の部族のほかは[[ダビデ]]の家に従う者がなかった」という説明のくだりから、そもそも分裂は「10と2」ではなく「'''10と1'''」であったことが分かる。
== 失われた10支族の行方 ==
{{独自研究|date=2021-06}}
以下に挙げる4説は伝承または仮説として立てられたもののうち、[[イスラエル]]政府によって比較的有望とされた説であるが必ずしも10支族だけを問題とした説ではない。また、いずれも通説には至っていない。
*一部は'''[[アフガニスタン]]'''に。[[パシュトゥーン人]]には、[[ヨセフ族]]([[エフライム族]]+[[マナセ族]])の末裔という伝承をもつ部族がいる。10支族は[[メディア王国|メディア]](今のイラン)を経由して東に逃れたという説があり、その地は[[スキタイ]]人と同系の[[サカ]]族または[[月氏]]族が居住し、現在の[[アフガニスタン]]の一部を含むものであった<ref>後に[[遊牧]]性を利用して、さらに[[東アジア]]へ向かったと言う説もあり、後述の「[[日ユ同祖論]]」と繋げる説もある。また[[スキタイ人]]と同様の遊牧民である[[カザール族]](トルコ系の遊牧民)は10部族の連合体であった(10部族の連合体という形をとるのは多くの遊牧民に一般的な風習であり特別なことではない)が、そのうちの3部族は、[[ルベン族]]・[[マナセ族]]・[[ガド族]]の末裔だったという。</ref>。
*一部は'''[[エチオピア]]'''に。[[イエメン]]を経由して、[[ヨセフ族]]([[マナセ族]]、[[エフライム族]])が[[アフリカ]]に入ったもの。[[イスラエル]]建国後に[[エチオピア]]から相当数が移住したが、それ以前には多くの[[ユダヤ]]人が居住していた<ref>一説では古代にエチオピアから[[ジンバブエ]]を通過して[[南アフリカ]]にいった一派もあり南アフリカの[[レンバ族]]は[[レビ族]]の末裔という。</ref>。
*一部は'''[[中国]]'''に。[[宋 (王朝)|宋]]代まで[[開封]]には[[ユダヤ人]]の街が存在した。また中国の[[回族]]のうち、かなりの部分が古代[[ユダヤ人]]の末裔が改宗したものではないかという説もあるが、説の域を出ない([[開封のユダヤ人]]参照)。
以下に挙げる説は学術的な検証という意味では上記の説以上に問題があるとされるが参考までに列挙する。
*一部は[[インド]]の[[カシミール]]地方に。カシミール地方に[[キリストの墓]]<ref>[http://bach.ss.sugiyama-u.ac.jp/~yamane/tabi/aomori/aomori.html] キリストが磔にあったのち、救い出されカシミールに逃れて100歳以上まで暮らしたという[[伝説]]がある。</ref> と[[モーセ]]の墓と言われるものがある。
*一部はインド東部に。[[マナセ族]]の末裔と称する「[[ブネイ・メナシェ]]」という人々がいる<ref>{{Cite web|和書|title=2700年前に姿を消した「ユダヤ人」たち ディアスポラ@南アジア(ブネイ・メナシェ編) {{!}} 神と喧噪の南アジアから {{!}} 松井聡 |url=https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20210422/pol/00m/010/012000c |website=毎日新聞「政治プレミア」 |access-date=2022-06-30 |publisher=毎日新聞社 |date=2021-04-25}}</ref>。
*一部は[[ミャンマー]]に。
*一部は[[朝鮮]]<ref>日本に渡った10支族は[[朝鮮半島]]を経由した折りに、[[ダン族]]などの一部支族が定住したと言うものである。</ref> に。
*一部は[[日本]]に。朝廷に協力するなど国造りに大きく貢献した[[物部氏]]、[[倭漢氏]]、[[秦氏]]などが[[古代イスラエル人]]の失われた10支族ではないかという説。一時は国際的にも有名だった説である<ref>ただし、日本人の全部または主流の祖先が[[古代イスラエル人]]の失われた10支族だったという説ではなく、日本に渡来した多くの帰化氏族の中には、[[古代イスラエル]]人の失われた10支族もいたのではないかという説。しかし現代では後述の「日ユ同祖論」の一部に利用されるのが常である。</ref>。失われた10支族のうち、第9族[[エフライム族]]、第5族[[ガド族]]、または第7族[[イッサカル族]]の数人が、日本に移住したという説がある。<br>なお、[[日ユ同祖論]]でいう[[ユダヤ人]]とは、[[有色人種]]としての[[ユダヤ人]]([[セファルディム]])を想定したもので、当時の[[古代イスラエル]]人は[[有色人種]]であったとされ、[[白人]][[ユダヤ人]]([[ヘブライ語]]で[[ドイツ]]を意味する[[アシュケナジム]])は8世紀頃、[[ハザール人]]の[[ユダヤ教]]への改宗によって[[ユダヤ人]]を名乗ったのではないかという説もある。ユダヤ人に多い[[Y染色体ハプログループ]]J系遺伝子は白人にも有色人種にもみられるため、イスラエルの氏族に白人系と有色人系があったのではないかという説もある([[日ユ同祖論]]を参照)。しかし日ユ同祖論はイスラエルの言語学者・懸けはシオン氏が動画内で否定している<ref>https://m.youtube.com/watch?v=34zxhivK6ls&pp=ygUS5oe444GR44Gv44K344Kq44Oz</ref>
*「日ユ同祖論」の一種であるが、[[富山県]]には塩谷(しおんたん=シオンの地)という地名が残されており、周辺住民の顔は日本人よりも彫りが深く目が鋭い人達がそうでないかと言われた(富山では谷を「タン」と読み、「ヤ」と読む場合は屋の字に置き換えられている。県東部にはアイヌや朝鮮・中東の言葉も見受けられる)<ref>上述のように秦氏がユダヤ人ではないかという説があるが、[[ダビデの星]]などのマークが日本古来の籠目紋や麻の葉紋と似ていることなどをその根拠に、秦氏に限らず日本人の民族や文化の主流総体としてユダヤ人及び10部族と結びつける説。秦氏については、秦氏がそのものが主題ではなく、秦氏は日ユ同祖論という議論を補強するための一部として位置付けられる。[[小谷部全一郎]]は「帝(みかど)」という日本語は[[古代ヘブライ語]]で[[ガド族]]の王と云う意味(ミ・ガド)であるとしたが、[[酒井勝軍]]はこれに反論して皇室の祖先は[[エフライム族]]であるとした。</ref>。また、かつて北海道の先住民族アイヌ人は、周囲の諸民族とは異なるヨーロッパ人的な風貌のために、[[古代イスラエル]]人の末裔だと思われていたこともあった。
*一部は[[イギリス]]に。経緯不明の[[ジュート人|ユート人]]は[[エフライム族]]、または[[ダン族]]であると言う説。
*一部は[[新大陸]]([[アメリカ大陸|アメリカ]])に。[[ミシシッピ文化]]を作った民族・[[マウンドビルダー]]は[[アメリカ先住民]]の祖先であることが明らかになっているが、19世紀にはマウンドビルダーの正体は謎であり、アメリカに渡った10支族がこれらの遺跡を築いた[[マウンドビルダー]]なのではないかとする説もあった。[[日ユ同祖論]]と同じ[[ガド族]]である。
== トピック ==
1959年、[[エルサレム]]のユダヤの丘に教会の建設が決まり、東欧系ユダヤ人の[[シャガール]]に[[ステンドグラス]]の制作が依頼された。シャガールは、イスラエルの12支族をモチーフとして、華麗で静謐なデザインを仕上げ、12のステンドグラスへと表現した。教義で偶像は描けないため、シャガールは、さまざまな動植物や図形を用い、また、色彩の魔術師との異名を存分に発揮し、12支族の魂を表現している。加えて、それぞれに、旧約聖書から引用された言葉が入っている。この作品は、俗に「エルサレム・ウィンドウ」と称され、シャガールの代表的作品の一つとなっている。<ref>[https://www.artkaitori.com/staff-blog/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%80%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0%E3%81%AE%E7%AA%93%E3%80%8D/]シャガール「エルサレムの窓」</ref><ref>[https://taranoie.com/ryokou_chozouko/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB12%E9%83%A8%E6%97%8F%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9/]イスラエル12部族のステンドグラス</ref>
== 関連項目 ==
*[[イスラエル]]
*[[ユダヤ人|ユダヤ民族]]
*[[ブネイ・メナシェ]] - 10支族の一つマナセ族の末裔という伝説を持つ
*[[アミシャーブ]] - 失われた10支族に関する調査機関
*[[アングロ・イスラエリズム]]
== 脚注 ==
<references/>
== 外部リンク ==
*[https://embassies.gov.il/tokyo/AboutIsrael/history/Pages/%E8%81%96%E6%9B%B8%E6%99%82%E4%BB%A3.aspx イスラエル大使館 東京 | イスラエルという国 | 歴史 | 聖書時代]
*[http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/tokehon.htm 「日本・ユダヤ封印の古代史」の書評]
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7,079 | 法学者 | 法学者(ほうがくしゃ)は、学問分野で法学として分類される領域で研究をおこなう学者・研究者。
日本においては、大学に所属する研究者のみを指すのが通常である。現役の法学研究者の中にも、同時に実務家(法実務家)として活躍する者もいる。
最高裁判所裁判官の人事においては15人中1人又は2人は大学法学部教授を経験した法学者が起用される慣例となっており、「法学者枠」と呼ばれている。 | [
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'''法学者'''(ほうがくしゃ)は、学問分野で[[法学]]として分類される領域で[[研究]]をおこなう[[学者]]・研究者。
== 概要 ==
[[日本]]においては、[[大学]]に所属する研究者のみを指すのが通常である。現役の法学研究者の中にも、同時に実務家([[法務|法実務]]家)として活躍する者もいる。
[[最高裁判所裁判官]]の人事においては15人中1人又は2人は大学法学部教授を経験した法学者が起用される慣例となっており{{Sfn|長嶺超輝|2007|p=113}}、「法学者枠」と呼ばれている。
== 脚注 ==
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== 関連書籍 ==
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*{{Cite book|和書|author=長嶺超輝|authorlink=長嶺超輝|title=サイコーですか?最高裁!|publisher=光文社|year=2007|page=|isbn=9784334975319|ref=harv}}
== 関連項目 ==
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* [[法学者一覧]]
* [[日本の法学者一覧]]
* [[ウラマー]] - イスラムにおける法学者
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7,084 | 最高裁判所 (日本) | 最高裁判所(さいこうさいばんしょ、Supreme Court of Japan)は、東京都千代田区隼町4番2号にある、日本における司法府の最高機関。日本国憲法で存在が規定され、裁判所法に基づき構成される。略称は、最高裁(さいこうさい)。
最高裁判所は、日本国憲法が施行された1947年5月3日に、日本国憲法および同日に施行された裁判所法に基づき設置された、日本の司法機関における最高機関である。
最高裁判所裁判官は、最高裁判所長官1名と最高裁判所判事14名の15名で構成される。
最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について最高裁判所規則を制定する権限(憲法77条1項)、下級裁判所裁判官を指名する権限(憲法80条1項)、最高裁判所の職員並びに下級裁判所及びその職員を監督する権限を持つ(裁判所法80条1号)。
最高裁判所における司法行政は、全員の裁判官で構成する裁判官会議により行われるとされている(裁判所法第20条)。
最高裁判所は、日本国内の裁判事件の、上告及び訴訟法が定めている抗告について、最終的な判断を下し、法令解釈の統一を図る権限を持つ。さらに、法令の憲法適合性について決定する終審裁判所となる(憲法81条)。このため、最高裁判所は「憲法の番人」と称されることもある。
「最高裁判所」の漢字表記は通例常用漢字を用いるが、最高裁判所庁舎に掲げられている銘板には、「最髙裁判所」と、はしご高で書かれている。
略称は、一般には「最高裁」が通用するが、法曹界ではさらに簡略化し「最高」とも呼ばれる。また、庁舎が三宅坂(みやけざか)に面していることから、所在地より「三宅坂」という通称もある。この他、庁舎の特徴的で威圧的な外観や、行政権力者側に片寄った裁判の運営方針などから、法曹関係者や法律学者からは揶揄的・否定的な意味合いを込めて「奇巌城」「奇岩城」などと呼ばれることもある。
最高裁判所は、最高裁判所長官、大法廷・小法廷からなる裁判部門、また、司法行政部門で構成されている。司法行政部門は、最高裁判所事務総局、司法研修所、裁判所職員総合研修所、最高裁図書館、及び委員会・検討会等で構成されている。
最高裁判所においては書面審理を中心とした法律審が基本のため、証言台が存在しない(ただし、人事官の弾劾裁判は最高裁判所の大法廷で一審制として開かれることになっており、大法廷が国家公務員法に定める弾劾事由があるかどうか証拠調べをする際に証人を呼ぶ必要が生じた場合は、理論上は最高裁判所の法廷で証言台が必要となる)。
最高裁判所長官は、内閣の指名に基づき、天皇によって任命される。
最高裁判所判事は内閣が任命し、天皇がその任免を認証する。最高裁判所裁判官の定年は70歳である(日本国憲法第79条第5項、裁判所法50条)。 裁判部門は、最高裁判所長官および最高裁判所判事全員で構成される大法廷と、最高裁判所の定める員数の最高裁判所裁判官で構成される小法廷があり、上告および訴訟法において特に定める抗告について裁判権を有する(裁判所法第7条)。
また、「当事者の主張に基いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを判断するとき(意見が前に大法廷でした、その法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するとの裁判と同じであるときを除く)」は、「前号の場合を除いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合しないと認めるとき」、「憲法その他の法令の解釈適用について、意見が前に最高裁判所のした裁判に反するとき」については、小法廷では裁判をすることができない(裁判所法10条)(つまり、最高裁判所の先例を変更する場合は最高裁判所判事全員の出席する大法廷で取り扱わねばならない)。
最高裁判所の裁判官は任命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際に最高裁判所裁判官国民審査(国民審査)に付され、審査から10年を経過した後の衆議院議員総選挙の際に再審査に付され、その後も同様とすると定められている(日本国憲法第79条第2項)。
あらゆる事件を扱うために、民事、刑事、行政の各分野に分かれて法廷を補佐する最高裁判所調査官が配置されている。最高裁判所調査官は上告された裁判の記録を読み、最高裁判所判事に答申することを職務とする。最高裁判所は裁判官が15人と少ないため、最高裁判所調査官はその人的リソースを補う効果を有するが、法律によって最高裁判所への上告が制限され、最高裁判所において実質的に審理を行う必要性がないと判断される事件をスクリーニングしていることから、最高裁判所の裁判官ではなく調査官によって上告審の裁判がなされていると批判されることもある。
最高裁判所の司法行政権及び規則制定権は、法律上は、裁判官会議の議決により行使されるが、これを補佐し、最高裁判所の庶務を執行する機関として、最高裁判所事務総局が置かれている。
各委員会の審議に基づき、裁判所における訴訟手続や司法事務処理に関する事項等について、最高裁判所規則を定める権限も有している。ただし規則の公開は、一部分に限られている。
実質的には、日本国内の下級裁判所を統制する司法行政部門である。
法令や最高裁判所規則に基づき、委員会・研究会・検討会・懇談会が設置されている。公開されている限りでは、2015年9月現在、次のとおりの委員会等が存在する。
裁判官・検事・弁護士の法曹三者を養成する機関である。
裁判官以外の裁判所職員の研修を行う機関である。
国立国会図書館の支部図書館であり、国内外の法律関係の書籍を蔵書している。最高裁判所庁舎の4階、5階、及び屋根裏階に位置する。特別利用者(弁護士、法律学を担当する大学教授、裁判所に設置された委員会の委員、司法修習生等)と一般利用者との区別があり、2022年12月現在、一般利用者に許可されているのは閲覧と謄写のみであり、貸出しはされない。利用するには前日までに予約が必要である。
最高裁判所は日本の法令解釈適用について統一をはかる最終審の裁判所として設置されている。裁判所法4条では「上級審の裁判所の裁判における判断は、その事件について下級審裁判所を拘束する」とされているのに、その判決に当該事件を離れて他の事件に対しても判例としての権威が認められるのは、他の事件に対してもその判決がもつ価値体系整合性によるとされる。最高裁判所の判例の拘束力の由来する根拠は、中央集権化された国家により独占されている司法機構には国家の国民に対して存する権威の反映として裁判所の権威が存在するからであり、司法権の独立を強固にするため司法の判断として最高裁判所に対して国民がそれに権威をあたえる(裁判所外の機関の干渉を遮断し三権分立をまもらせる)ためと説明される。最高裁判所の判決が判例としても強力な権威(最高裁の判決の強い「先例としての事実上の拘束性」)を持つことは、判例違背が上告理由とされていたり、最高裁判所は憲法その他の法令解釈適用についての意見が前に最高裁判所のした裁判(先例)に反するときは、大審院当時の司法実務(大審院が以前の判決と異なる判断を下すときは民事総部もしくは刑事総部の連合部で取り扱う...裁判所構成法49条)を踏襲し、最高裁判所判事15人全員の大法廷で取り扱わねばならない(裁判所法10条3号)とするなど、法制上に於いても前提になっている。
最高裁判所の判決文には、判決となった多数意見と別に、裁判官それぞれの個別意見が表示されることがある(裁判所法第11条)。個別意見には一般に、補足意見、意見、反対意見がある。
日本では、判例集の編纂は、最高裁判所自身が判例委員会によって行っている。原則月1回出版されており、最高裁判所民事判例集、最高裁判所刑事判例集等がある。ただし、訴訟法に関する判例集や解説集・索引は、裁判所からも法学会からも殆ど出版されていない。
裁判所公式サイトでは、最高裁判例集、高等裁判所判例集。下級裁判所判例集、行政事件裁判例集、労働事件裁判例集、知的裁判判例集を検索することができる。
裁判所法6条の「東京都にこれを置く」という条文により、所在地が規定されている。現在の立地は、元は米国駐留軍のパレス・ハイツ宿舎の敷地。
1965年(昭和40年)9月に最高裁判所規則により発足した庁舎新営審議会(川島正次郎会長、委員32名)は、欧米各国最高裁判所庁舎の視察調査を行い、1968年4月には公開建築設計競技を開催した。
参加作品217件の中から建築家岡田新一の設計案が採用された。石材には花崗岩が使用され、1974年(昭和49年)に竣工。総工費は約126億円。建物は、日本建築学会賞を受賞している。
大法廷に続くホールには正義の女神ユースティティアのブロンズ像があるが、目隠しがされていないものである。最高裁判所に接する三宅坂交差点の区立三宅坂小公園の《平和の群像》は、日本電報通信社が建立したものである。
庁舎の地下にはコンビニエンスストアがある。
敷地内へは、厳重な警戒により、立ち入れる人は制限されている(地裁や簡裁などの下級裁判所には、現則として自由に入れる)。
戦後は日本国憲法により、裁判官の給与は在任中減額することができないと規定された(第80条2項)。裁判官はかつては公務員の中で最も給与が低い部類に属していたが、1947年の山口良忠判事の餓死を背景に引きあげられた。
最高裁判所は、他国の裁判官や学者などとの交流を盛んに行っている。かねてから、アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国に裁判官などを留学させて他国の法制度を調査・研究させたり、それら国の裁判官などの訪問を受け入れたりしてきたが、近年ではアジア諸国からの訪問も増えている。これは、アジアで最初に近代的な司法制度を確立した日本に学びたいという各国の意向を反映してのことであり、日本による法整備支援活動への協力という枠組みで行われることも少なくない。
また、法整備支援への協力の一環として、現役の裁判官を、法整備支援の長期専門家としてベトナム、カンボジアといった国に年単位で派遣することも行われている。
2010年には、ロシア連邦最高仲裁裁判所の副長官ら6名が、知的財産高等裁判所を訪問した。
なお、アジア太平洋地域の国や地域の最上級裁判所のトップが一堂に会し、司法に関する共通の諸問題を話し合うことを目的とするアジア太平洋最高裁判所長官会議が2年ごとに開催されており、日本の最高裁判所もこの会議に参加している。
2015年には、アメリカ合衆国最高裁判所長官が34年ぶりに来日した。 | [
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"text": "最高裁判所(さいこうさいばんしょ、Supreme Court of Japan)は、東京都千代田区隼町4番2号にある、日本における司法府の最高機関。日本国憲法で存在が規定され、裁判所法に基づき構成される。略称は、最高裁(さいこうさい)。",
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"text": "最高裁判所は、日本国憲法が施行された1947年5月3日に、日本国憲法および同日に施行された裁判所法に基づき設置された、日本の司法機関における最高機関である。",
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"text": "最高裁判所裁判官は、最高裁判所長官1名と最高裁判所判事14名の15名で構成される。",
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"text": "最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について最高裁判所規則を制定する権限(憲法77条1項)、下級裁判所裁判官を指名する権限(憲法80条1項)、最高裁判所の職員並びに下級裁判所及びその職員を監督する権限を持つ(裁判所法80条1号)。",
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"text": "最高裁判所における司法行政は、全員の裁判官で構成する裁判官会議により行われるとされている(裁判所法第20条)。",
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"text": "最高裁判所は、日本国内の裁判事件の、上告及び訴訟法が定めている抗告について、最終的な判断を下し、法令解釈の統一を図る権限を持つ。さらに、法令の憲法適合性について決定する終審裁判所となる(憲法81条)。このため、最高裁判所は「憲法の番人」と称されることもある。",
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"text": "「最高裁判所」の漢字表記は通例常用漢字を用いるが、最高裁判所庁舎に掲げられている銘板には、「最髙裁判所」と、はしご高で書かれている。",
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"text": "略称は、一般には「最高裁」が通用するが、法曹界ではさらに簡略化し「最高」とも呼ばれる。また、庁舎が三宅坂(みやけざか)に面していることから、所在地より「三宅坂」という通称もある。この他、庁舎の特徴的で威圧的な外観や、行政権力者側に片寄った裁判の運営方針などから、法曹関係者や法律学者からは揶揄的・否定的な意味合いを込めて「奇巌城」「奇岩城」などと呼ばれることもある。",
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"text": "最高裁判所は、最高裁判所長官、大法廷・小法廷からなる裁判部門、また、司法行政部門で構成されている。司法行政部門は、最高裁判所事務総局、司法研修所、裁判所職員総合研修所、最高裁図書館、及び委員会・検討会等で構成されている。",
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"text": "最高裁判所においては書面審理を中心とした法律審が基本のため、証言台が存在しない(ただし、人事官の弾劾裁判は最高裁判所の大法廷で一審制として開かれることになっており、大法廷が国家公務員法に定める弾劾事由があるかどうか証拠調べをする際に証人を呼ぶ必要が生じた場合は、理論上は最高裁判所の法廷で証言台が必要となる)。",
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"text": "最高裁判所長官は、内閣の指名に基づき、天皇によって任命される。",
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"text": "最高裁判所判事は内閣が任命し、天皇がその任免を認証する。最高裁判所裁判官の定年は70歳である(日本国憲法第79条第5項、裁判所法50条)。 裁判部門は、最高裁判所長官および最高裁判所判事全員で構成される大法廷と、最高裁判所の定める員数の最高裁判所裁判官で構成される小法廷があり、上告および訴訟法において特に定める抗告について裁判権を有する(裁判所法第7条)。",
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"text": "また、「当事者の主張に基いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを判断するとき(意見が前に大法廷でした、その法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するとの裁判と同じであるときを除く)」は、「前号の場合を除いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合しないと認めるとき」、「憲法その他の法令の解釈適用について、意見が前に最高裁判所のした裁判に反するとき」については、小法廷では裁判をすることができない(裁判所法10条)(つまり、最高裁判所の先例を変更する場合は最高裁判所判事全員の出席する大法廷で取り扱わねばならない)。",
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"text": "最高裁判所の裁判官は任命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際に最高裁判所裁判官国民審査(国民審査)に付され、審査から10年を経過した後の衆議院議員総選挙の際に再審査に付され、その後も同様とすると定められている(日本国憲法第79条第2項)。",
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"text": "あらゆる事件を扱うために、民事、刑事、行政の各分野に分かれて法廷を補佐する最高裁判所調査官が配置されている。最高裁判所調査官は上告された裁判の記録を読み、最高裁判所判事に答申することを職務とする。最高裁判所は裁判官が15人と少ないため、最高裁判所調査官はその人的リソースを補う効果を有するが、法律によって最高裁判所への上告が制限され、最高裁判所において実質的に審理を行う必要性がないと判断される事件をスクリーニングしていることから、最高裁判所の裁判官ではなく調査官によって上告審の裁判がなされていると批判されることもある。",
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"text": "最高裁判所の司法行政権及び規則制定権は、法律上は、裁判官会議の議決により行使されるが、これを補佐し、最高裁判所の庶務を執行する機関として、最高裁判所事務総局が置かれている。",
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"text": "各委員会の審議に基づき、裁判所における訴訟手続や司法事務処理に関する事項等について、最高裁判所規則を定める権限も有している。ただし規則の公開は、一部分に限られている。",
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"text": "実質的には、日本国内の下級裁判所を統制する司法行政部門である。",
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"text": "法令や最高裁判所規則に基づき、委員会・研究会・検討会・懇談会が設置されている。公開されている限りでは、2015年9月現在、次のとおりの委員会等が存在する。",
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"text": "裁判官・検事・弁護士の法曹三者を養成する機関である。",
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"text": "裁判官以外の裁判所職員の研修を行う機関である。",
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"text": "国立国会図書館の支部図書館であり、国内外の法律関係の書籍を蔵書している。最高裁判所庁舎の4階、5階、及び屋根裏階に位置する。特別利用者(弁護士、法律学を担当する大学教授、裁判所に設置された委員会の委員、司法修習生等)と一般利用者との区別があり、2022年12月現在、一般利用者に許可されているのは閲覧と謄写のみであり、貸出しはされない。利用するには前日までに予約が必要である。",
"title": "構成と組織"
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"text": "最高裁判所は日本の法令解釈適用について統一をはかる最終審の裁判所として設置されている。裁判所法4条では「上級審の裁判所の裁判における判断は、その事件について下級審裁判所を拘束する」とされているのに、その判決に当該事件を離れて他の事件に対しても判例としての権威が認められるのは、他の事件に対してもその判決がもつ価値体系整合性によるとされる。最高裁判所の判例の拘束力の由来する根拠は、中央集権化された国家により独占されている司法機構には国家の国民に対して存する権威の反映として裁判所の権威が存在するからであり、司法権の独立を強固にするため司法の判断として最高裁判所に対して国民がそれに権威をあたえる(裁判所外の機関の干渉を遮断し三権分立をまもらせる)ためと説明される。最高裁判所の判決が判例としても強力な権威(最高裁の判決の強い「先例としての事実上の拘束性」)を持つことは、判例違背が上告理由とされていたり、最高裁判所は憲法その他の法令解釈適用についての意見が前に最高裁判所のした裁判(先例)に反するときは、大審院当時の司法実務(大審院が以前の判決と異なる判断を下すときは民事総部もしくは刑事総部の連合部で取り扱う...裁判所構成法49条)を踏襲し、最高裁判所判事15人全員の大法廷で取り扱わねばならない(裁判所法10条3号)とするなど、法制上に於いても前提になっている。",
"title": "判決文・判例の特徴"
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"text": "最高裁判所の判決文には、判決となった多数意見と別に、裁判官それぞれの個別意見が表示されることがある(裁判所法第11条)。個別意見には一般に、補足意見、意見、反対意見がある。",
"title": "判決文・判例の特徴"
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"text": "日本では、判例集の編纂は、最高裁判所自身が判例委員会によって行っている。原則月1回出版されており、最高裁判所民事判例集、最高裁判所刑事判例集等がある。ただし、訴訟法に関する判例集や解説集・索引は、裁判所からも法学会からも殆ど出版されていない。",
"title": "判決文・判例の特徴"
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"text": "裁判所公式サイトでは、最高裁判例集、高等裁判所判例集。下級裁判所判例集、行政事件裁判例集、労働事件裁判例集、知的裁判判例集を検索することができる。",
"title": "判決文・判例の特徴"
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"text": "裁判所法6条の「東京都にこれを置く」という条文により、所在地が規定されている。現在の立地は、元は米国駐留軍のパレス・ハイツ宿舎の敷地。",
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"text": "1965年(昭和40年)9月に最高裁判所規則により発足した庁舎新営審議会(川島正次郎会長、委員32名)は、欧米各国最高裁判所庁舎の視察調査を行い、1968年4月には公開建築設計競技を開催した。",
"title": "庁舎"
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"text": "参加作品217件の中から建築家岡田新一の設計案が採用された。石材には花崗岩が使用され、1974年(昭和49年)に竣工。総工費は約126億円。建物は、日本建築学会賞を受賞している。",
"title": "庁舎"
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"text": "大法廷に続くホールには正義の女神ユースティティアのブロンズ像があるが、目隠しがされていないものである。最高裁判所に接する三宅坂交差点の区立三宅坂小公園の《平和の群像》は、日本電報通信社が建立したものである。",
"title": "庁舎"
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"text": "庁舎の地下にはコンビニエンスストアがある。",
"title": "庁舎"
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"text": "敷地内へは、厳重な警戒により、立ち入れる人は制限されている(地裁や簡裁などの下級裁判所には、現則として自由に入れる)。",
"title": "庁舎"
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"text": "戦後は日本国憲法により、裁判官の給与は在任中減額することができないと規定された(第80条2項)。裁判官はかつては公務員の中で最も給与が低い部類に属していたが、1947年の山口良忠判事の餓死を背景に引きあげられた。",
"title": "報酬"
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"text": "最高裁判所は、他国の裁判官や学者などとの交流を盛んに行っている。かねてから、アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国に裁判官などを留学させて他国の法制度を調査・研究させたり、それら国の裁判官などの訪問を受け入れたりしてきたが、近年ではアジア諸国からの訪問も増えている。これは、アジアで最初に近代的な司法制度を確立した日本に学びたいという各国の意向を反映してのことであり、日本による法整備支援活動への協力という枠組みで行われることも少なくない。",
"title": "交流"
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"text": "また、法整備支援への協力の一環として、現役の裁判官を、法整備支援の長期専門家としてベトナム、カンボジアといった国に年単位で派遣することも行われている。",
"title": "交流"
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"text": "なお、アジア太平洋地域の国や地域の最上級裁判所のトップが一堂に会し、司法に関する共通の諸問題を話し合うことを目的とするアジア太平洋最高裁判所長官会議が2年ごとに開催されており、日本の最高裁判所もこの会議に参加している。",
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"paragraph_id": 37,
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"text": "2015年には、アメリカ合衆国最高裁判所長官が34年ぶりに来日した。",
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] | 最高裁判所は、東京都千代田区隼町4番2号にある、日本における司法府の最高機関。日本国憲法で存在が規定され、裁判所法に基づき構成される。略称は、最高裁(さいこうさい)。 | {{Redirect|最高裁|その他の国の最高裁判所|最高裁判所}}
{{日本の裁判所・検察庁
|正式名称 = 最高裁判所
|画像 = Supreme Court of Japan (10357245203).jpg
|画像説明 = 最高裁判所庁舎
|最高裁長官 = [[戸倉三郎]]
|担当検察庁 = [[最高検察庁]]
|下位裁判所 = [[札幌高等裁判所]]<br/>[[仙台高等裁判所]](本庁、[[仙台高等裁判所秋田支部|秋田支部]])<br/>[[東京高等裁判所]](本庁、[[知的財産高等裁判所]]<ref group="注釈">[[知的財産高等裁判所]]は、[[東京高等裁判所]]の特別の支部。</ref>)<br/>[[名古屋高等裁判所]](本庁、[[名古屋高等裁判所金沢支部|金沢支部]])<br/>[[大阪高等裁判所]]<br/>[[広島高等裁判所]](本庁、[[広島高等裁判所岡山支部|岡山支部]]、[[広島高等裁判所松江支部|松江支部]])<br/>[[高松高等裁判所]]<br/>[[福岡高等裁判所]](本庁、[[福岡高等裁判所宮崎支部|宮崎支部]]、[[福岡高等裁判所那覇支部|那覇支部]])
|都道府県 = [[東京都]]
|市区町村 = [[千代田区]]
|詳細住所 = [[隼町]]4-2
|郵便番号 = 102-0092
|専用郵便番号 = 102-8651
| 緯度度 = 35|緯度分 = 40|緯度秒 = 49.8
| 経度度 = 139|経度分 = 44|経度秒 = 29
|定員 = 15人
|年間予算 =
|会計年度 =
|設置年月日 = [[1947年]]([[昭和]]22年)[[5月3日]]
|改称年月日 =
|前身 = [[大審院]]
|ウェブサイト = https://www.courts.go.jp/saikosai/index.html
|その他 = [[小法廷#小法廷の構成|小法廷の構成]]
}}
__TOC__
== 概要 ==
{{日本の統治機構}}
最高裁判所は、[[日本国憲法]]が施行された1947年5月3日に、日本国憲法および同日に施行された[[裁判所法]]に基づき設置された、日本の[[司法|司法機関]]における最高機関である<ref>[http://hourei.ndl.go.jp/SearchSys/viewShingi.do;jsessionid=D15BE48C2D7906804DE79778C152D515?i=009212019 裁判所法案会議録一覧] - [[国立国会図書館]]、日本法令索引。</ref>。
[[最高裁判所裁判官]]は、[[最高裁判所長官]]1名と最高裁判所判事14名の15名で構成される。
最高裁判所は、[[訴訟]]に関する手続、[[弁護士]]、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について[[最高裁判所規則]]を制定する権限([[日本国憲法第77条|憲法77条]]1項)、[[下級裁判所]]裁判官を指名する権限([[日本国憲法第80条|憲法80条]]1項)、最高裁判所の職員並びに下級裁判所及びその職員を監督する権限を持つ(裁判所法80条1号)。
最高裁判所における[[司法行政権|司法行政]]は、全員の[[裁判官]]で構成する[[裁判官会議]]により行われるとされている(裁判所法第20条)。
最高裁判所は、日本国内の裁判事件の、[[上告]]及び[[訴訟法]]が定めている[[抗告]]について、最終的な判断を下し、[[法解釈|法令解釈]]の統一を図る権限を持つ。さらに、法令の[[違憲審査制|憲法適合性]]について決定する終審裁判所となる([[日本国憲法第81条|憲法81条]])。このため、最高裁判所は「'''憲法の番人'''」と称されることもある。
=== 表記・名称 ===
[[ファイル:Plate of Saikosaibansho.jpg|right|thumb|250px|最高裁判所庁舎の銘板]]
「最高裁判所」の漢字表記は通例[[常用漢字]]を用いるが、最高裁判所庁舎に掲げられている[[銘板]]には、「最'''髙'''裁判所」と、[[高部#字体のデザイン差|はしご高]]で書かれている。
略称は、一般には「最高裁」が通用するが、[[法曹]]界ではさらに簡略化し「最高」とも呼ばれる。また、庁舎が[[三宅坂]](みやけざか)に面していることから、所在地より「三宅坂」という通称もある。この他、庁舎の特徴的で威圧的な外観や、行政権力者側に片寄った裁判の運営方針などから、法曹関係者や法律学者からは揶揄的・否定的な意味合いを込めて「奇巌城」「奇岩城」などと呼ばれることもある<ref name="kingdom5">「奇岩城 無人の法廷で判決(孤高の王国 裁判所100周年の今:5)」『[[朝日新聞]]』1990年10月31日朝刊4面</ref>。
== 沿革 ==
* [[1869年]]([[明治]]2年)- 5月22日、明治新政府が新設した[[太政官制]]に基づき、それまでの刑法官監察司に代わる監察機関として[[弾正台]]が設置された。江戸時代までの法廷は[[お白洲]]であったことから、当時の裁判所は、[[裁判官]]と[[検察官]]が同じ庁舎に勤務しており、判検一体の状態であった。
* [[1871年]](明治4年) - [[刑部省]]と弾正台が統合され'''[[司法省 (日本)|司法省]]'''が設置された(初代[[司法卿]]は[[江藤新平]])。8月23日、東京府庁内に司法二等裁判所が設置され、裁判権が東京府から司法省へ引き渡された。12月26日には[[太政官布告]]第677号「東京裁判所を置く」が公布された<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787951/264 法令全書(明治4年)]、内閣官報局。</ref><ref>{{Cite journal |和書|author=細野耕司 |title=東京裁判所の草創期について~我国の近代司法建築に関する史的研究・その1 |date=2000-06 |publisher=[[日本建築学会]] |journal=日本建築学会計画系論文集 |issue=532 |naid=110004655973 |pages=223-230 |issn=1340-4210 |doi=10.3130/aija.65.223_1 |id={{全国書誌番号|00097107}} |url=https://doi.org/10.3130/aija.65.223_1 |format=PDF |accessdate=2017-11-03 |quote=[https://id.ndl.go.jp/bib/5386066 記事登録ID「5386066」]}}</ref>。
* [[1872年]](明治5年) - 司法省が関東地方から近畿地方にかけて18の裁判所を設置した。また同年から1876年にかけて、東北地方から九州地方までの範囲に裁判所を設置した。
* [[1875年]](明治8年) - 判事と検事が分離され、裁判所には判事のみが所属するものとされた。終審の[[裁判所|司法裁判所]]として、'''[[大審院]]'''が設立された。
* [[1880年]](明治13年) - 近代的な[[治罪法]](刑事訴訟法)が施行された。
* [[1884年]](明治17年) - [[判事検事登用試験|判事登用規則]]が設置され[[司法試験 (日本)#歴史|司法試験]]の前身となる試験制度が発足した。
* [[1885年]](明治18年) - 日本政府が[[太政官#近代の太政官|太政官制]]から[[内閣職権|内閣職権制]]に移行{{efn|明治18年12月22日太政官達第69号抄「内閣総理大臣及宮内、外務、内務、大蔵、陸軍、海軍、司法、文部、農商務、逓信ノ諸大臣ヲ置ク」。}}。
* [[1886年]](明治19年) - 文書や貨幣の[[偽造]]・[[詐欺]]に関する判例を多く制定<ref>[[司法省 (日本)|司法省]]「[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/794772/77 大審院刑事判決録/明治19年]」。</ref>{{efn|当時の司法大臣[[金子堅太郎]]は[[アメリカ・ユニテリアン協会]]との交流があった。}}。
* [[1889年]](明治22年) - 日本政府が内閣職権制から[[内閣官制]]に移行。
* [[1890年]](明治23年) - 2月10日、[[大日本帝国憲法]]より先に[[s:裁判所構成法|裁判所構成法]]が公布(11月1日施行)。大審院以下、[[控訴院]]・[[地方裁判所]]・[[区裁判所]]が、また併せて[[行政裁判所 (日本)|行政裁判所]]や[[軍法会議]]、[[皇室裁判所]]が設置。判事、検事及び裁判所書記は公開法廷での[[法服|制服]]の着用が規定された。治罪法が廃止され[[刑事訴訟法]]が施行された。[[旧民法]]が公布されるも[[お雇い外国人]]らによる[[再閲民法草案#当時の外国人法制顧問の意見|民法典論争]]が発生した。
* [[1894年]](明治27年) - [[法曹三者]]の任意団体である[[法曹会]]が結成され、法令規定の解釈論集として[[法曹会決議]]などの発表を開始した<ref>[{{NDLDC|988116}} 大審院判例・法曹会決議・諸法令対照実用刑法典]、1897年 - [[近代デジタルライブラリー]]。</ref>。
* [[1896年]](明治29年) - [[民法典論争]]が終わり、旧民法が施行されないまま廃止され現行の[[民法]]が施行された。大審院庁舎が完成した。
* [[1902年]](明治35年) - 大審院の[[事実審]]としての役割を廃止して[[法律審]]とし、[[控訴院]]など原審がした事実認定に対する不服の上告を禁じることを[[判例]]で宣言{{efn|判決要旨「請求の原因を正当なりとする[[判決]]は [[上訴]]に関しては終局判決と看做すとは[[民事訴訟法]]第228条に於て明かに規定する所なれば 請求の原因に関する判決の不法は、援て(ひいて)以て 数額に関する判決の上告理由を為すを得ざるものとす。(参照)1890年旧々[[民事訴訟法]]第228条第2項「請求の原因を正当なりとする判決は 上訴に関しては終局判決と看做し 其判決確定に至るまで爾後の手続を中止す。然れども裁判所は[[中立]]に因り其数額に付き辨論を為すべきを命ずることを得」{{sfn|大審院|1902}}。}}。
* [[1909年]](明治42年) - [[大韓帝国]]に[[朝鮮総督府裁判所|統監府裁判所]](後の[[朝鮮総督府裁判所]])を設置した。
* [[1921年]]([[大正]]10年) - 司法省が外国法の研究論文シリーズ「[[司法資料]]」の刊行を開始した。
* [[1922年]](大正11年)- [[起訴便宜主義]]が法制化される。[[調停]]制度も発足し<ref>最高裁判所「[https://web.archive.org/web/20220405030045/https://www.courts.go.jp/saiban/wadai/202204tyoutei100-2/index.html 調停の歴史]」。</ref>、翌年の[[関東大震災]]の借家借地紛争に活用される。
* [[1923年]](大正12年) - [[陪審法]]により、[[刑事事件]]について陪審員が評議を行う[[陪審制]]が定められた(1943年に停止)。
* [[1945年]]([[昭和]]20年) - [[東京大空襲]]により、3月10日、大審院庁舎が外壁のみを残し全て焼け落ち、[[皇居]]大手門内の旧[[枢密院 (日本)|枢密院]]庁舎を仮庁舎として使用しはじめた。
* [[1947年]](昭和22年) - 4月、[[裁判所法]]と[[検察庁法]]が公布。[[5月3日]]、[[日本国憲法]]および裁判所法の施行により司法省と大審院が廃止され、司法省がもっていた[[司法行政権]]と大審院がもっていた[[裁判権]]を併せ持つ国の機関として、'''最高裁判所'''が設立された。大審院が廃止されて最高裁判所が創設される過程の緊急措置<ref group="注釈">
* 大審院係属中の事件は東京高裁によって審理判決される(裁判所法施行令第1条)。
* 日本国憲法により最高裁判所の裁判官が任命されるまでは、裁判所法施行の際現に大審院の長又は判事の職に在る者は、最高裁判所長官又は最高裁判所判事に代り、日本国憲法又は他の法律に定めるその職務に属する事項について、すべての緊急やむを得ない処分をすることができる(裁判所法施行令第12条)。
** 高裁が上告審としてした判決に「判決において法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかについてした判断が不当であることを理由とするとき」に限り、最高裁への再上告ができ、再上告は判決の確定を妨げる効力を有しないが、最高裁は再上告があった時に決定で刑の執行を停止することができた(刑訴応急措置法第17条)。
** 高裁が上告審としてした判決に「判決において法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかについてした判断が不当であることを理由とするとき」に限り、最高裁への再上告ができ、再上告は判決の確定を妨げる効力を有しないが、最高裁は再上告があった時に決定で強制執行を停止することができた(民訴応急措置法第6条)。
* 裁判所法施行の際現に大審院の裁判官の職にある者で最高裁判所裁判官に任命されないものは、判事として東京高等裁判所判事に補せられたものとみなす(裁判所法施行法第3条)。</ref>が規定され、8月に本格的に発足した。[[特別裁判所]]の設置は禁じられた([[日本国憲法第76条|憲法76条]]2項)。最高裁判所の下には、[[高等裁判所]]・[[地方裁判所]]・[[簡易裁判所]]が設置された。9月、東京地方裁判所庁舎(旧民事地方裁判所庁舎)の3〜4階に移転した。
* [[1949年]](昭和24年) - 1月、最高裁判所の下に[[家庭裁判所]]を設置した。旧大審院庁舎の復旧が完了し、本庁舎として移転。また、最高裁判所は、「裁判官の制服に関する規則」を設置し、新しい制服を導入した。
* 1965年(昭和40年) - [[:s:最高裁判所規則制定諮問委員会規則/昭和22年11月13日最高裁判所規則第8号最高裁判所規則制定諮問委員会規則|最高裁規則制定諮問委員会規則]]を改正し、委員会から[[参議院議員]]・[[衆議院議員]]を排除した。
* 1973年(昭和48年)- 尊属([[親族]])の[[不作為]]に対する刑罰を[[尊属殺重罰規定違憲判決|判例]]で緩和。
* [[1974年]](昭和49年) - 3月、新庁舎が竣工。5月23日、「最高裁判所庁舎落成記念」として額面20円の切手が発行された。
* 1977年(昭和52年)- 国が[[神道|神式]]の儀式を主宰しても[[政教分離原則]]には反しないと[[津地鎮祭訴訟|宣言]]。
* 1981年(昭和56年)- 宗教上の価値や教義に関する判断は、裁判所では審理しないことを[[審判権の限界#板まんだら事件|宣言]]。
* 1996年(平成8年) - 裁判所による[[宗教法人]]の検査・監督・解散命令手続を定めた[[宗教法人法]]の条文は合憲であることを[[宗教法人オウム真理教解散命令事件|宣言]]。
* [[1998年]]([[平成]]10年) - [[民事訴訟法]]の改正により、民事事件においては、[[上告|上告制度]]に加え、原判決に判例違反がある民事事件や、法令の解釈に関する重要な事項を含む民事事件について、[[上告受理の申立て|上告受理制度]]を導入。
* [[2000年]](平成12年) - [[文書提出命令]]申立に対する棄却決定は[[一審制|1審]]で確定する規則([[抗告]]を禁じる規則)を[[民事訴訟法]][[判例]]で制定。
* [[2009年]](平成21年) - 内閣の[[司法制度改革審議会|司法制度改革推進本部]]の方針に基づき、特定の[[刑事裁判]]について[[裁判員制度]]を導入<ref>[https://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/index.html 司法改革推進本部] - 首相官邸。</ref>。
* 2010年(平成22年) - [[日本の公務員|公務員]]の[[不作為|告発義務]]([[:b:刑事訴訟法第239条|刑事訴訟法第239条]]2項)を判例で緩和。
*2016年(平成28年) - [[行政不服審査法]]に基づき、[[最高裁判所行政不服審査委員会]]を設置。
== 構成と組織 ==
[[ファイル:最高裁判所機構図.png|thumb|right|400px|最高裁判所の機構図]]
[[Image:The Grand Bench of the Japanese Supreme Court.jpg|thumb|right|250px|最高裁判所[[大法廷]]]]
最高裁判所は、[[最高裁判所長官]]、[[大法廷]]・[[小法廷]]からなる裁判部門、また、司法行政部門で構成されている。司法行政部門は、[[最高裁判所事務総局]]、[[司法研修所]]、[[裁判所職員総合研修所]]、[[最高裁図書館]]、及び委員会・検討会等で構成されている。
最高裁判所においては書面審理を中心とした法律審が基本のため、証言台が存在しない(ただし、人事官の弾劾裁判は最高裁判所の大法廷で一審制として開かれることになっており、大法廷が[[国家公務員法]]に定める弾劾事由があるかどうか証拠調べをする際に証人を呼ぶ必要が生じた場合は、理論上は最高裁判所の法廷で証言台が必要となる){{Sfn|矢口洪一|1993|p=101}}{{Sfn|長嶺超輝|2007|pp=58-59}}。
=== 最高裁判所長官 ===
{{Main|最高裁判所長官}}
最高裁判所長官は、[[内閣 (日本)|内閣]]の指名に基づき、[[天皇]]によって任命される。
=== 最高裁判所裁判官 ===
{{Main|最高裁判所裁判官}}
最高裁判所判事は内閣が任命し、[[天皇]]がその任免を認証する。最高裁判所裁判官の定年は70歳である([[日本国憲法第79条]]第5項、[[裁判所法]]50条)。
裁判部門は、最高裁判所長官および最高裁判所判事全員で構成される[[大法廷]]と、最高裁判所の定める員数の最高裁判所裁判官で構成される[[小法廷]]があり、上告および訴訟法において特に定める[[抗告]]について裁判権を有する(裁判所法第7条)。
また、「当事者の主張に基いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを判断するとき(意見が前に大法廷でした、その法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するとの裁判と同じであるときを除く)」は、「前号の場合を除いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合しないと認めるとき」、「憲法その他の法令の解釈適用について、意見が前に最高裁判所のした裁判に反するとき」については、小法廷では裁判をすることができない(裁判所法10条)<ref>{{Cite book |和書 |author=中野次雄(編) |authorlink=中野次雄 |coauthors=[[佐藤文哉]]、篠田省二、本吉邦夫 |date=1986-08 |title=判例とその読み方 |publisher=有斐閣 |id={{全国書誌番号|86053050}} |isbn=4-641-02660-2}}</ref>(つまり、最高裁判所の先例を変更する場合は最高裁判所判事全員の出席する大法廷で取り扱わねばならない)。
最高裁判所の裁判官は任命後初めて行われる[[衆議院議員総選挙]]の際に[[最高裁判所裁判官国民審査]](国民審査)に付され、審査から10年を経過した後の衆議院議員総選挙の際に再審査に付され、その後も同様とすると定められている([[日本国憲法第79条]]第2項)。
あらゆる事件を扱うために、民事、刑事、行政の各分野に分かれて法廷を補佐する[[最高裁判所調査官]]が配置されている。最高裁判所調査官は上告された裁判の記録を読み、最高裁判所判事に答申することを職務とする。最高裁判所は裁判官が15人と少ないため、最高裁判所調査官はその人的リソースを補う効果を有するが、法律によって最高裁判所への上告が制限され、最高裁判所において実質的に審理を行う必要性がないと判断される事件を[[スクリーニング]]していることから、最高裁判所の裁判官ではなく調査官によって上告審の裁判がなされていると批判されることもある。
=== 最高裁判所事務総局 ===
{{Main|最高裁判所事務総局}}
最高裁判所の[[司法行政権]]及び規則制定権は、法律上は、[[裁判官会議]]の議決により行使されるが、これを補佐し、最高裁判所の庶務を執行する機関として、[[最高裁判所事務総局]]が置かれている。
各委員会の審議に基づき、裁判所における[[訴訟]]手続や司法事務処理に関する事項等について、[[最高裁判所規則]]を定める権限も有している。ただし規則の公開は、一部分に限られている。
実質的には、日本国内の[[下級裁判所]]を統制する[[司法行政権|司法行政]]部門である。
=== 最高裁判所各委員会等 ===
法令や[[最高裁判所規則]]に基づき、委員会・研究会・検討会・懇談会が設置されている。公開されている限りでは、2015年9月現在、次のとおりの委員会等が存在する。
{{div col|2}}
* [[最高裁判所規則|最高裁判所規則制定諮問委員会]]
* 民事規則制定諮問委員会
* 刑事規則制定諮問委員会
* 家庭規則制定諮問委員会
* 一般規則制定諮問委員会
* 裁判所書記官制度調査委員会
* 裁判所経費審査委員会
* 最高裁判所統計委員会
* 最高裁判所図書館委員会
* [[司法修習生考試委員会]]
* 司法修習委員会
* 簡易裁判所判事選考委員会
* 医事関係訴訟委員会
* 建築関係訴訟委員会
* [[下級裁判所裁判官指名諮問委員会]]
* [[判例委員会]]
* [[裁判所書記官等試験委員会]]
* [[家庭裁判所調査官試験委員会]]
* 裁判所職員倫理審査会
* 裁判所職員再就職等監視委員会
* 明日の裁判所を考える懇談会
* 裁判員制度の運用等に関する有識者懇談会
* [[裁判の迅速化に関する法律|裁判の迅速化に係る検証に関する検討会]]
* 裁判官の人事評価の在り方に関する研究会
* 裁判員制度広報企画評価等検討会
* 最高裁判所長官公邸の整備に関する有識者委員会
* 情報公開・個人情報保護審査委員会
{{div col end}}
=== 司法研修所 ===
{{Main|司法研修所}}
裁判官・検事・弁護士の[[法曹三者]]を養成する機関である。
=== 裁判所職員総合研修所 ===
{{Main|裁判所職員総合研修所}}
裁判官以外の裁判所職員の研修を行う機関である。
=== 最高裁判所図書館 ===
{{Main|最高裁判所図書館}}
[[国立国会図書館]]の支部図書館であり、国内外の法律関係の書籍を蔵書している。最高裁判所庁舎の4階、5階、及び屋根裏階に位置する。特別利用者(弁護士、法律学を担当する大学教授、裁判所に設置された委員会の委員、司法修習生等)と一般利用者との区別があり、2022年12月現在、一般利用者に許可されているのは閲覧と謄写のみであり、貸出しはされない。利用するには前日までに予約が必要である。
== 判決文・判例の特徴 ==
=== 判例の権威 ===
最高裁判所は日本の法令解釈適用について統一をはかる最終審の裁判所として設置されている。裁判所法4条では「上級審の裁判所の裁判における判断は、その事件について下級審裁判所を拘束する」とされているのに、その判決に当該事件を離れて他の事件に対しても判例としての権威が認められるのは、他の事件に対してもその判決がもつ価値体系整合性によるとされる。最高裁判所の判例の拘束力の由来する根拠は、[[中央集権|中央集権化]]された国家により独占されている司法機構には国家の国民に対して存する権威の反映として裁判所の権威が存在するからであり、司法権の独立を強固にするため司法の判断として最高裁判所に対して国民がそれに権威をあたえる(裁判所外の機関の干渉を遮断し[[三権分立]]をまもらせる)ためと説明される。最高裁判所の判決が判例としても強力な権威(最高裁の判決の強い「先例としての事実上の拘束性<ref group="注釈">最大決平成25年9月4日の判決文中の表現。</ref>」)を持つことは、判例違背が上告理由とされていたり、最高裁判所は憲法その他の法令解釈適用についての意見が前に最高裁判所のした裁判(先例)に反するときは、大審院当時の司法実務(大審院が以前の判決と異なる判断を下すときは民事総部もしくは刑事総部の連合部で取り扱う…裁判所構成法49条)を踏襲し、最高裁判所判事15人全員の大法廷で取り扱わねばならない(裁判所法10条3号)とするなど、法制上に於いても前提になっている。
=== 個別意見の扱い ===
最高裁判所の[[判決 (日本法)|判決文]]には、判決となった多数意見と別に、裁判官それぞれの個別意見が表示されることがある(裁判所法第11条)。個別意見には一般に、補足意見、意見、反対意見がある。
: ※ '''補足意見'''とは、多数意見に賛成であるが、意見を補足するもの。
: ※ '''意見'''とは、多数意見と結論は同じであるが、理由付けが異なるもの。
: ※ '''反対意見'''とは、多数意見と異なる意見をいう。
: ※ '''追加反対意見'''とは、反対意見にさらに補足するもの。
=== 判例の編纂方法 ===
日本では、[[判例集]]の編纂は、最高裁判所自身が[[判例|判例委員会]]によって行っている。原則月1回出版されており、[[民集|最高裁判所民事判例集]]、[[刑集|最高裁判所刑事判例集]]等がある。ただし、訴訟法に関する判例集や解説集・索引は、裁判所からも[[法学|法学会]]からも殆ど出版されていない{{refnest|group="注釈"|[[口頭弁論]]期日陳述の取扱いが「昭和40年11月10日第一小法廷判決・昭和39(オ)651<ref>{{Cite 判例検索システム |法廷名=最高裁判所第一小法廷 |事件番号=昭和39(オ)651 |事件名=家屋明渡、同反訴、損害賠償請求 |裁判年月日= 昭和41年11月10日 |判例集=集民 第85号43頁 |url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=66355}}</ref>」、[[反訴]]の取扱いが「昭和40年11月10日第一小法廷判決・昭和39(オ)1143<ref>{{Cite 判例検索システム |法廷名=最高裁判所第一小法廷 |事件番号= 昭和39(オ)1143 |事件名=国家賠償請求 |裁判年月日=昭和41年11月10日 |判例集=民集 第20巻9号1733頁|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=53892}}</ref>」などの判例のみで定められており、注意が必要である。}}。
裁判所公式サイトでは、最高裁判例集、高等裁判所判例集。下級裁判所判例集、行政事件裁判例集、労働事件裁判例集、知的裁判判例集を検索することができる<ref>[https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/search3 裁判例情報] - [[裁判所]]。</ref>。
== 庁舎 ==
{{建築物
|名称 = 最高裁判所庁舎
|旧名称 =
|画像 = [[File:Saiko saibansyo.jpg|250px|center|三宅坂交差点より全景]]
|画像説明 = 三宅坂交差点より全景
|用途 = [[裁判所]]
|旧用途 =
|設計者 = [[岡田新一]](岡田新一設計事務所)
|構造設計者 =
|設備設計者 =
|施工 = [[鹿島建設]]
|建築主 =
|事業主体 =
|管理運営 =
|構造形式 = [[鉄筋コンクリート構造]]一部、[[鉄骨鉄筋コンクリート構造|鉄骨鉄筋コンクリート]]及び[[鉄骨構造|鉄骨造]]
|敷地面積= 37427|敷地面積ref= |敷地面積備考=
|建築面積= 9690|建築面積ref= |建築面積備考=
|延床面積= 53994|延床面積ref= |延床面積備考=
|階数 = 地上 5階・地下 2階
|高さ =
|エレベーター数 =
|戸数 =
|駐車台数 =
|着工 =
|竣工 = [[1974年]]([[昭和]]49年)[[3月]]
|開館開所 =
|改築 =
|解体 =
|所在地郵便番号 = 102-0092
|所在地 = 東京都千代田区隼町4-2
|緯度度 = 35 |緯度分 = 40|緯度秒 = 49.8
|経度度 = 139|経度分 = 44|経度秒 = 29.0
|座標右上表示 = No
|位置図種類 = Tokyo city#Japan Tokyo#Japan
|文化財指定 = 東京の建築遺産50選
|指定日 =
|備考 = {{flatlist|;総費用:約126億円(完成当時)}}
}}
=== 大審院 ===
{{Main|大審院}}
=== 戦後 ===
* [[枢密院 (日本)|枢密院]]議事堂
* [[東京地方裁判所]]庁舎内
* [[大審院]]庁舎復旧<ref>[https://web.archive.org/web/20220701000000*/https://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki30/index-j.html ふたつの最高裁判所庁舎]、[[鹿島建設]]。</ref>
=== 現庁舎 ===
[[裁判所法]]6条の「[[東京都]]にこれを置く」という条文により、所在地が規定されている。現在の立地は、元は[[GHQ|米国駐留軍]]のパレス・ハイツ宿舎の敷地。
1965年(昭和40年)9月に[[最高裁判所規則]]により発足した庁舎新営審議会([[川島正次郎]]会長、委員32名{{efn|最高裁判所[[最高裁判所規則|庁舎新営審議会規則]]〔昭和40年最裁規8。昭和41年9月最裁規7号で廃止〕}})は、欧米各国最高裁判所庁舎の視察調査を行い<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/pid/2805640/1/8 法曹]』、[[法曹会]]。1974年6月。</ref>、1968年4月には公開[[建築設計競技]]を開催した。
参加作品217件の中から[[建築家]][[岡田新一]]の設計案が採用された。[[石材]]には[[花崗岩]]が使用され<ref>「[https://www.city.kasama.lg.jp/page/page006752.html 稲田石について]」- [[笠間市]]観光情報</ref>、1974年(昭和49年)に竣工。総工費は約126億円<ref>「[https://web.archive.org/web/20230711114406/https://yamanaka-bengoshi.jp/wp-content/uploads/2019/08/%E8%A6%8B%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%88%E3%81%8F%E5%87%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E8%B3%AA%E5%95%8F%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%EF%BC%88%E6%9C%80%E9%AB%98%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%EF%BC%89.pdf 見学者からよく出される質問について]」、[https://yamanaka-bengoshi.jp/ 弁護士山中理司のブログ]。</ref>。建物は、[[日本建築学会賞]]を受賞している。
大法廷に続くホールには[[正義の女神]][[ユースティティア]]のブロンズ像があるが、目隠しがされていないものである。最高裁判所に接する三宅坂交差点の区立[[三宅坂小公園]]の[[平和の群像 (電通)|《平和の群像》]]は、[[電通|日本電報通信社]]が建立したものである。
庁舎の地下には[[コンビニエンスストア]]がある<ref>[https://www3.nhk.or.jp/news/special/kokuminshinsa/2021/about008.html 重厚な“石の要塞” 中には何が?]</ref>。
敷地内へは、厳重な警戒により、立ち入れる人は制限されて(最高裁職員、検察官、弁護士、傍聴人などのみ)いる([[地裁]]や[[簡裁]]などの[[下級裁判所]]には、原則として自由に入れる)。
== 報酬 ==
{{main|裁判官#報酬|裁判官の報酬等に関する法律}}
戦後は[[日本国憲法]]により、裁判官の給与は在任中減額することができないと規定された([[日本国憲法第80条|第80条]]2項)。裁判官はかつては公務員の中で最も給与が低い部類に属していたが、1947年の[[山口良忠]]判事の[[餓死]]を背景に引きあげられた<ref>山形道文『われ判事の職にあり』(文藝春秋)昭和57年、31頁</ref>。
== 交流 ==
=== 国際交流 ===
最高裁判所は、他国の裁判官や学者などとの交流を盛んに行っている。かねてから、[[アメリカ合衆国]]や[[ヨーロッパ諸国]]に裁判官などを留学させて他国の法制度を調査・研究させたり、それら国の裁判官などの訪問を受け入れたりしてきたが、近年では[[アジア]]諸国からの訪問も増えている<ref>[https://web.archive.org/web/20080914014907/http://www.courts.go.jp/about/sihonomado/syogaikoku50.html 諸外国と最高裁判所] - 最高裁判所(裁判所)Webサイトより《2017年11月3日閲覧;現在は[[インターネットアーカイブ]]内に残存》</ref>。これは、アジアで最初に近代的な司法制度を確立した日本に学びたいという各国の意向を反映してのことであり、日本による[[法整備支援]]活動への協力という枠組みで行われることも少なくない<ref>[https://web.archive.org/web/20110323062648/http://www.courts.go.jp/about/sihonomado/tokusyuu63_02.html 最高裁判所の国際交流] - 最高裁判所(裁判所)Webサイトより《2017年11月3日閲覧;現在はインターネットアーカイブ内に残存》</ref>。
また、法整備支援への協力の一環として、現役の裁判官を、法整備支援の長期専門家として[[ベトナム]]、[[カンボジア]]といった国に年単位で派遣することも行われている<ref>[https://web.archive.org/web/20080614231018/http://www.courts.go.jp/about/kaikaku/kaikaku_suisin.html 裁判所の司法制度改革推進計画要綱の進捗状況(平成15年4月)] - 最高裁判所(裁判所)Webサイトより《2017年11月3日閲覧;現在はインターネットアーカイブ内に残存》</ref><ref>[https://www.moj.go.jp/housouken/houso_houso22.html JICA長期専門家としての日々~途上国で裁判官にできること]</ref>。
2010年には、[[ロシア連邦]]最高仲裁裁判所の副長官ら6名が、[[知的財産高等裁判所]]を訪問した<ref>[[知的高等裁判所]]「[https://web.archive.org/web/20220805144807/https://www.ip.courts.go.jp/documents/thesis/topics/thes_03_topics/topics_100217.html ロシア連邦最高仲裁裁判所副長官が来庁されました]」。平成22年2月17日。</ref>。
なお、アジア太平洋地域の国や地域の最上級裁判所のトップが一堂に会し、司法に関する共通の諸問題を話し合うことを目的とするアジア太平洋最高裁判所長官会議が2年ごとに開催されており、日本の最高裁判所もこの会議に参加している<ref>[https://web.archive.org/web/20110323062616/http://www.courts.go.jp/about/sihonomado/tokusyuu63_01.html 特集・第10回アジア太平洋最高裁判所長官会議] - 最高裁判所(裁判所)Webサイトより《2017年11月3日閲覧;現在はインターネットアーカイブ内に残存》</ref>。
2015年には、[[アメリカ合衆国最高裁判所長官]]が34年ぶりに来日した<ref>[https://web.archive.org/web/20150925105749/http://www.jiji.com/jc/zc?k=201507/2015071000785 「国際間の協力を」=来日中の米最高裁長官] - [[時事通信社|時事通信(時事ドットコム)]]・2015年7月10日付け記事《2017年11月3日閲覧;現在はインターネットアーカイブ内に残存》</ref>。
=== 広告 ===
* 2022年、[[調停]]制度100周年を広報した{{efn|2022年は[[起訴便宜主義]]の100周年にもあたる。}}。
== 不祥事など ==
* [[1963年]]12月17日 - 裁判所がした仮登記仮処分命令のために556名の農家所有の60坪の土地が内密に譲渡される被害があった日本地所造成問題について、[[最高裁判所事務総局]]の[[寺田治郎]]らが[[法務委員会]]において答弁を行った<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=104505206X00419631217 1963年12月17日衆議院議事録第4号] - [https://kokkai.ndl.go.jp/#/ 国会議事録検索システム]。</ref>。
* 裁判員制度の準備期間に新聞社と共同で国民の意見を聴取する「裁判員制度全国フォーラム」を主催したが、国民の意見を装った「やらせ発言」が105回行われていたことや<ref>[[参議院]]「[https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/165/syuh/s165048.htm タウンミーティング調査委員会調査報告書に関する質問主意書]」。2006年12月15日。</ref>、2001年から2005年まで広告代理店などに支払われた費用が19億円6000万円、2005年から2006年にかけて[[政府調達に関する協定|随意契約]]として[[電通]]など14社に21億6000万円が支払われたことなどが問題視された<ref>[[会計検査院]]「[https://report.jbaudit.go.jp/org/h19/ZUIJI6/2007-h19-5533-0.htm 裁判員制度に係る広報業務の実施状況について」(別表1 最高裁判所の14件の企画競争随契)]。</ref>。
* 2019年7月 - 事務総局秘書課の男性[[事務官]](40代)が7月4日、[[総武本線|JR総武本線]][[錦糸町駅]]の[[エスカレーター]]で、かばんの中にあった小型カメラを使い、女性のスカート内を[[盗撮]]した。8月29日、[[東京区検察庁]]は東京都迷惑防止条例違反の罪で、男性事務官を[[略式起訴]]。[[東京簡易裁判所]]は同日、[[罰金]]50万円の[[略式命令]]を出した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/affairs/news/190829/afr1908290031-n1.html|title=最高裁秘書課事務官に罰金 駅で女性スカート内盗撮|accessdate=2020年8月15日|publisher=産経新聞 2019.8.29 19:19}}{{リンク切れ|date=2021年10月}}</ref>。
* 2019年7月 - 事務総局秘書課の男性事務官(36歳)が7月13日午前1時ごろ、[[新宿区]]のマンションで女性(20代)が暮らす部屋に小型カメラを先端につけた棒状のものを差し向け、盗撮した。カメラに気付いた女性が[[110番通報]]した。駆けつけた[[警視庁]][[牛込警察署]]員が近くにいた男性事務官に事情を聴いたところ、盗撮を認めたため、都迷惑防止条例違反容疑で男性事務官を[[逮捕]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/affairs/news/190714/afr1907140012-n1.html|title=最高裁事務官また盗撮容疑で逮捕 今月2人目、同じ秘書課 警視庁|accessdate=2020年8月15日|publisher=産経新聞 2019.7.14 13:55}}{{リンク切れ|date=2021年10月}}</ref>。12月5日、[[東京地方裁判所]]は東京都迷惑防止条例違反と[[住居侵入罪|住居侵入]]の罪に問われた元男性事務官に対し、[[懲役]]1年6月、[[執行猶予]]4年([[求刑]]懲役1年6月)を言い渡した<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20191205070417/https://www.jiji.com/jc/article?k=2019120500154&g=soc|title=元最高裁事務官に有罪 女性宅侵入、盗撮―東京地裁|accessdate=2020年8月15日|publisher=時事通信 2019年12月05日12時01分}}{{リンク切れ|date=2021年2月}}</ref>。
== 裁判記録の廃棄 ==
* 2019年8月 - [[共同通信]]が代表的な[[判例]]集に掲載された[[憲法]]判例137件について調査した結果、86パーセントに当たる118件の事件記録が廃棄されており1件は不明であることが判明した<ref>[[ロイター]]「[https://web.archive.org/web/20220716154253/https://jp.reuters.com/article/idJP2019080401001704 戦後憲法裁判の記録を多数廃棄]」。2019年8月4日。2022年7月16日閲覧。</ref>。歴史的な憲法裁判の審議の検証が永久に不可能となったことで当局は批判を受け、永久保存(特別保存)とする記録につき「主要日刊紙のうち2紙以上に判決などの記事が掲載された事件」という数値基準を示した<ref>[[神戸新聞]]「[https://web.archive.org/web/20221026224307/https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202210/0015738968.shtml 民事記録を大量廃棄、3年前にも問題に 全国の裁判所 少年事件に光当たらず、判断分かれる]」、2022年10月20日。2022年10月26日閲覧。</ref>。
* 2022年10月、最高裁が特別保存(永久保存)とした重大少年事件の記録のうち、1997年の[[神戸連続児童殺傷事件]]や、2004年の[[佐世保女子高生殺害事件]]等の[[刑事事件]]記録が廃棄されていたことが発覚した<ref>日経新聞 '[https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF2521W0V21C22A0000000/ 永久保存の少年事件は15件 最高裁、記録廃棄受け確認]'、2022年10月25日。</ref>。2023年5月に発表した調査報告書で最高裁は「後世に引き継ぐべき記録を失わせた」とし、「国民の皆様におわびする」と謝罪した<ref>{{Cite web|和書|title=「国民の財産」の裁判記録廃棄 最高裁が「おわび」 報告書公表:朝日新聞デジタル |url=https://www.asahi.com/articles/ASR5T4WRRR5RUTIL034.html?iref=ogimage_rek |website=朝日新聞デジタル |date=2023-05-25 |access-date=2023-05-28 |language=ja}}</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Citation|和書| author=大審院|editor=[[中央大学]]| year=1902| url =https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/794861/92| title=大審院判決録| volume-title=民事・刑事 第8輯| publisher=中央大学 | page=145| quote=未払株式公買不足金 遅延利子及入費請求の件/明治25年(オ)第89号/明治35年5月29日第1民事部判決)| ref =harv}}
* {{Cite book|和書|author=山本祐司|authorlink=山本祐司|title=最高裁物語(上)|publisher=講談社+α文庫|year=1997|page=|isbn=9784062561921|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=山本祐司|title=最高裁物語(下)|publisher=講談社+α文庫|year=1997|page=|isbn=9784062561938|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=矢口洪一|authorlink=矢口洪一|title=最高裁判所とともに|publisher=有斐閣|year=1993|page=|isbn=9784641027022|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=長嶺超輝|authorlink=長嶺超輝|title=サイコーですか?最高裁!|publisher=光文社|year=2007|page=|isbn=9784334975319|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=野村二郎|authorlink=野村二郎 (ジャーナリスト)|title=最高裁判所―司法中枢の内側|publisher=講談社現代新書|year=1987|page=|isbn=9784061488427|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=毎日新聞社会部|title=検証・最高裁判所―法服の向こうで|publisher=毎日新聞社|year=1991|page=|isbn=9784620308357|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=市川正人|authorlink=市川正人|title=日本の最高裁判所 判決と人・制度の考察|publisher=日本評論社|year=2015|page=|isbn=9784535520929|ref=harv}}
* 国際連合「[[s:法施行機関職員行動規範|法施行機関職員行動規範]]」、1979年。
== 関連項目 ==
{{div col|2}}
* [[最高裁判所]](各国)
* [[憲法裁判所]](各国)
* [[最高裁判所規則]]
* [[最高裁判所長官]]
* [[最高裁判所裁判官]]
* [[最高裁判所調査官]]
* [[最高裁判所事務総長]]
* [[最高裁判所事務総局]]
* [[裁判所職員総合研修所]]
* [[司法修習所]]
* [[裁判官]]
* [[日本の裁判所]]
* [[権力分立]]
* [[司法行政権]]
* [[最高裁判所図書館]]
* [[大法廷]] - [[小法廷]]
* [[違憲判決]]
* [[司法省 (日本)]]
* [[大審院]]
* [[上告]]
* [[三行判決]] - [[三行決定]]
* [[憲法訴訟]]
* [[違憲審査制]]
* [[砂川事件]]
* [[国際裁判官協会]]
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== 外部リンク ==
{{Commonscat|Supreme Court of Japan}}
* [https://www.courts.go.jp/saikosai/index.html 最高裁判所|裁判所]
* {{Youtube|user=courtsjapan|裁判所(COURTS IN JAPAN)}}
{{最高裁判所 (日本)}}
{{日本の裁判所}}
{{Normdaten}}
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[[Category:最高裁判所 (日本)|* さいこうさいはんしよ]]
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7,085 | 高畑京一郎 | 高畑 京一郎(たかはた きょういちろう、1967年 -)は、日本の小説家。
1967年静岡県生まれ。『クリス・クロス 混沌の魔王』で第1回電撃ゲーム小説大賞金賞を受賞し、作家デビュー。初のシリーズ作品『Hyper Hybrid Organization』は、当初から年にほぼ1冊の刊行というスローペースだったが、2006年以降は続巻が刊行されていない。
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] | 高畑 京一郎は、日本の小説家。 | {{存命人物の出典明記|date=2017年10月}}
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{{読み仮名_ruby不使用|'''高畑 京一郎'''|たかはた きょういちろう|1967年<ref>{{Cite web|和書|url = https://honto.jp/netstore/pd-book_01199341.html |title = タイム・リープ あしたはきのう 高畑京一郎 |publisher = honto |accessdate = 2017-10-14 }}</ref> - }}は、[[日本]]の[[小説家]]。
== 人物 ==
1967年[[静岡県]]生まれ。『[[クリス・クロス 混沌の魔王]]』で第1回[[電撃小説大賞|電撃ゲーム小説大賞]]金賞を受賞し、作家デビュー<ref>{{Cite web|和書|url = http://dengekitaisho.jp/archive/index_01.html |title = 第1回 電撃ゲーム3大賞 入賞作品 |publisher = KADOKAWA |accessdate = 2017-10-14 }}</ref>。初のシリーズ作品『Hyper Hybrid Organization』は、当初から年にほぼ1冊の刊行というスローペースだったが、[[2006年]]以降は続巻が刊行されていない。
2002年度募集の第10回電撃ゲーム小説大賞より、選考委員になっている。
== 作品リスト ==
=== 小説 ===
* [[クリス・クロス 混沌の魔王]](1994年11月 [[メディアワークス]] ISBN 4-07-302221-0 / 1997年2月 [[電撃文庫]] ISBN 4-07-305662-X)
* [[タイム・リープ あしたはきのう]](1995年6月 メディアワークス ISBN 4-07-303060-4 / 1996年12月 電撃文庫【上・下】 ISBN 4-07-305580-1 ISBN 4-07-305596-8 / 2022年10月 [[メディアワークス文庫]]【新装版、上・下】 ISBN 978-4-04-914696-7 ISBN 978-4-04-914697-4)<ref>{{Cite web|和書|url = https://web.archive.org/web/20020202195505/http://www.so-net.ne.jp/SF-Online/no25_19990329/special1-2.html |title = 『タイム・リープ』に至るまで |publisher = [[ソニーネットワークコミュニケーションズ|ソニーコミュニケーションネットワーク株式会社]] |accessdate = 2022-03-09 }}</ref>
* ダブル・キャスト(1999年3月 メディアワークス ISBN 4-07-312024-7 / 2000年2月 電撃文庫【上・下】 ISBN 4-8402-1415-8 ISBN 4-8402-1416-6)
* [[Hyper Hybrid Organization]]シリーズ
** Hyper Hybrid Organization 01-01 運命の日(2001年5月 電撃文庫 ISBN 4-8402-1710-6)
** Hyper Hybrid Organization 01-02 突破(2002年11月 電撃文庫 ISBN 4-8402-2028-X)
** Hyper Hybrid Organization 01-03 通過儀礼(2003年11月 電撃文庫 ISBN 4-8402-2414-5)
** Hyper Hybrid Organization 00-01 訪問者(2004年6月 電撃文庫 ISBN 4-8402-2694-6)
** Hyper Hybrid Organization 00-02 襲撃者(2004年10月 電撃文庫 ISBN 4-8402-2836-1)
** Hyper Hybrid Organization 00-03 組織誕生(2005年11月 電撃文庫 ISBN 4-8402-3208-3)
=== 原作 ===
; ラジオドラマ
* [[クリス・クロス 混沌の魔王]]
* [[タイム・リープ あしたはきのう]]
* ダブル・キャスト
; 映画
* [[タイム・リープ あしたはきのう|タイム・リープ ~あしたはきのう~]](監督:[[今関あきよし]] 1997年)
== 脚注 ==
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[[Category:日本の小説家]]
[[Category:日本のSF作家]]
[[Category:日本のファンタジー作家]]
[[Category:日本のライトノベル作家]]
[[Category:静岡県出身の人物]]
[[Category:1967年生]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%95%91%E4%BA%AC%E4%B8%80%E9%83%8E |
7,086 | クリス・クロス 混沌の魔王 | 『クリス・クロス 混沌の魔王』(クリス・クロス こんとんのまおう)は、高畑京一郎による日本のライトノベル。第1回電撃ゲーム小説大賞金賞受賞作(応募時タイトルは『夢か現か幻か』)。電撃文庫(メディアワークス)より1994年11月に刊行された。
日本初のバーチャルRPGノベルであり、電撃ゲーム小説大賞において唯一そのままゲームを題材とした受賞作品である。ライトノベルにおけるゲーム小説の草分け的な存在といえる。
ラジオドラマ化もされ、メディアワークス提供のラジオ番組「電撃大賞」の第一弾「電撃大賞クリス・クロス」(パーソナリティは三石琴乃)が1994年10月からスタートし、1995年3月まで続いた。また、同時期に「電撃王」誌上にて読者参加型ゲーム化もされた。
世界最大最速の電子頭脳『ギガント』、この最新のコンピュータが、256人が同時接続できるゲーム『ダンジョントライアル』として公開された。この一般試写に集まる人々。しかしこの公開には、限りなくリアリティにこだわる天才学者が関わっていた。彼が求めるリアルとは......。
本作はゲーム中の仮想現実世界『ダンジョントライアル』を主な舞台としているため、登場人物もほぼ全てがゲーム内のキャラクターであり、プレイヤー自身の本名や経歴は一切明かされない(そのため、実はNPCであるという可能性も否定できない)。また、キャラクターの性別や容貌、性格なども事前に自由に設定し演じることができるため、必ずしもプレイヤー本来のものと一致するとは限らない。
日本国内の大手電子機器メーカー数社が協力して作り上げた、容量・速度共に世界最大を誇る超弩級のスーパーコンピューター。コードネームは『ギガント』。発展途上国の追い上げに焦りを抱いた政府のてこ入れもあって予測を遥かに上回るシステムが出来上がり、『ダンジョントライアル』も含めてプロジェクトに関わった博士号取得者は3桁にのぼり、費用は日本円で12桁に達したといわれる。
江崎新一の発案により『ギガント』の一般への初公開のために開発された仮想現実型RPG。世界最高のコンピュータをゲームに使うことに対する批判はあったものの、最先端技術を多くの人々に体感させる手段として『ギガント』開発当初から考えられていた。 一度に参加できるプレイヤーは256人までで、ゲーム参加者は1万人を越えるので、数十組に分けられる。その中で更に4~8人からなるパーティーに分けられる。組が違うキャラクターは、途中で出会ったり仲間に加わったりすることはない。プレイヤーは全方位モニターマスクとヘッドホン、身体各所に電極が取り付けられる。この電極は各部筋肉の動きを感知する入力装置であると同時に、電気的刺激により触覚や痛覚などの擬似感覚をプレイヤーに与える役目も持つ(ただし、ゲームであるため痛覚はかなり制限されたものとなっている)。この擬似感覚によりリアリティーを持たせるため薬品(麻薬に相当するものではないが投与には有資格者の立会いが必要)と催眠術が併用されているが、これによりゲームの参加者はメディカルチェックをクリアした18歳以上に限られる。 また、技術的な問題で『味覚』、『重力や慣性に対する知覚力』、『嗅覚』の3つは再現することができなかった。しかし、それでもなお体験リポートをした記者から『これ以上完璧にされては、現実世界と仮想世界が区別できなくなるおそれがある』と評されるほどのリアリティーを持つ。 ただし、その稼動に多くの人手と多大なコストを要することから一般への公開は後に開催される万国博覧会の半年間と本作の舞台となる一般試写会のみに限られる。
ゲームのシナリオ自体は、迷宮の奥に潜む魔王ギガント(登場人物の項にあるものとは全く別のもので、こちらは竜の姿をしたRPGのラスボスとしては典型的なもの)を倒すという至ってシンプルな内容で、その他のシステムも仮想現実の中でプレイされることを除けば、おおむね一般的なRPGに準ずるものである。プレイヤーは4つの職業からひとつを選び、迷宮の地下1階にランダムで配置され、そこから地下5階にある魔王の間を目指すことになる。 プレイヤーたちはパーティーを組むことが可能で、パーティーを組むとパーティー仲間の攻撃対象から外れ、攻撃の際に巻き込まれてダメージを受けることが無くなる。パーティーはリーダーが承認するか死亡する事によって解消することができる。パーティーの人数には上限がなく極端な話参加者全員256人でパーティーを組むことも可能であるが、魔王の間には6人までしか入ることができない為(ゲームクリアを狙うならば)この人数が基準となる。 なお、このゲームに生き返りは存在せず、死亡はすなわちゲームオーバーを意味する。
『ダンジョントライアル』ではプレイヤーは最初にキャラクターの外見や性別の設定と共に4つの職業から1つを選ぶことになる。また、地下4階にある特別な回復の泉では上級職に転職することができる。それぞれの職業の特徴は一般的なRPGのものに準ずるが下記の通りである。一度職業を決めると4種類の職業から違う種類に途中変更は効かない。地下5階以降の冒険に参加する時は合計12種類の上級クラスからキャラクターを選ぶことができる。 | [
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] | 『クリス・クロス 混沌の魔王』は、高畑京一郎による日本のライトノベル。第1回電撃ゲーム小説大賞金賞受賞作(応募時タイトルは『夢か現か幻か』)。電撃文庫(メディアワークス)より1994年11月に刊行された。 日本初のバーチャルRPGノベルであり、電撃ゲーム小説大賞において唯一そのままゲームを題材とした受賞作品である。ライトノベルにおけるゲーム小説の草分け的な存在といえる。 ラジオドラマ化もされ、メディアワークス提供のラジオ番組「電撃大賞」の第一弾「電撃大賞クリス・クロス」(パーソナリティは三石琴乃)が1994年10月からスタートし、1995年3月まで続いた。また、同時期に「電撃王」誌上にて読者参加型ゲーム化もされた。 | {{Infobox animanga/Header
| タイトル = クリス・クロス 混沌の魔王
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| ウィキプロジェクト = [[プロジェクト:ライトノベル|ライトノベル]]
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『'''クリス・クロス 混沌の魔王'''』(クリス・クロス こんとんのまおう)は、[[高畑京一郎]]による[[日本]]の[[ライトノベル]]。第1回[[電撃小説大賞|電撃ゲーム小説大賞]]金賞受賞作<ref name="榎本2005">{{Cite book |和書 |author=榎本秋 |date=2005年2月10日初版第1刷発行 |title=ライトノベルデータブック 作家&シリーズ/少年系 |publisher=雑草社 |page=8 |isbn=4-921040-08-7}}</ref>(応募時タイトルは『夢か現か幻か』)。[[電撃文庫]]([[メディアワークス]])より1994年11月に刊行された。
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[[ラジオドラマ]]化もされ、[[メディアワークス]]提供のラジオ番組「[[電撃大賞 (ラジオ番組)|電撃大賞]]」の第一弾「電撃大賞クリス・クロス」(パーソナリティは[[三石琴乃]])が1994年10月からスタートし、1995年3月まで続いた。また、同時期に「[[電撃王]]」誌上にて読者参加型ゲーム化もされた。
== ストーリー ==
世界最大最速の電子頭脳『ギガント』、この最新のコンピュータが、256人が同時接続できるゲーム『ダンジョントライアル』として公開された。この一般試写に集まる人々。しかしこの公開には、限りなくリアリティにこだわる天才学者が関わっていた。彼が求めるリアルとは……。
== 登場人物 ==
本作はゲーム中の仮想現実世界『ダンジョントライアル』を主な舞台としているため、登場人物もほぼ全てがゲーム内のキャラクターであり、プレイヤー自身の本名や経歴は一切明かされない(そのため、実は[[ノンプレイヤーキャラクター|NPC]]であるという可能性も否定できない)。また、キャラクターの性別や容貌、性格なども事前に自由に設定し演じることができるため、必ずしもプレイヤー本来のものと一致するとは限らない。
; ゲイル([[声優|声]]:[[難波圭一]])
: 本作主人公。職業は盗賊。普段は我関せずを装いつつもいざと言うときにはしぶしぶながら手助けをするような役回りを好む。その性格と職業からパーティーのリーダーは固辞するも、いざと言うときには優れた洞察力と冷静にパーティーを引っ張るだけのリーダーシップを発揮する。また、盗賊の俊敏さを持ってすれば自分だけ逃げることも可能だが決して仲間を見捨てることはなく、逆に仲間を見捨てたメンバーに対して怒りをあらわにしている。ドラマCDではプレイヤーは大学生と言う設定になっている。
; リリス(声:[[三石琴乃]])
: 「ダンジョントライアル」でゲイルが最初に出会った女戦士。本人は観光気分で仮想現実の世界を満喫するつもりでいたが、ゲイルとシェインに押し切られる形でパーティーのリーダーになってしまう。そういった経緯からか傍目にはリーダーに見えないものの、持ち前の責任感と女性らしい発想で上手くパーティーをまとめ上げる。
; シェイン(声:[[井上和彦 (声優)|井上和彦]])
: ゲイルが最初に出会ったもう一人の戦士。その立ち居振る舞いや言動には風格が漂う為、真っ先にリーダー候補にあがるも、渋い脇役好みを理由にこれを固辞している。時折やけに「ダンジョントライアル」の事情に通じているかのような素振りをみせる。
; ユート(声:[[山口勝平]])
: モンスターに襲われ瀕死のところをリリスたちに助けられそのままパーティーに加わった魔法使いの少年。火と風の魔法が使える。
; ケイン(声:[[関俊彦]])
: 途中で出会ったパーティーのリーダー。職業は戦士。僧侶を引き抜かれそうになりもめていた所をリリスの仲裁により引き抜きを承諾し、自分はリーダーに向かないとそのままリリスたちのパーティーに加わった。直情型で硬派な熱血漢。
; ミナ(声:[[小林優子]])
: ケインのパーティーに所属していた女魔法使い。地と水の魔法が使える。女性同士リリスとは話が合う様子。
; ジャスティ(声:[[平井隆博]])
: 全滅の危機に瀕したリリスたちを助けてくれたパーティーのリーダー。伊達男風の戦士で雷撃の魔法が使える雷神剣を持つ。あまりにも貧弱なリリスたちを見かねてか、戦闘の後もいろいろと便宜を図ってくれる。後に意外な形でリリスたちと再会することになる。
; クラリス(声:[[石村知子|柊美冬]])
: ジャスティのパーティーに所属する僧侶の女性。
; モルツ(声:[[西村朋紘|西村智博]])
: ケインのパーティーに所属していた僧侶の男。妙に間延びした話し方をする。「勝てるパーティーの方がいい」という理由で別のパーティーに移るも、モルツ以外全滅してしまい、結局そこに助けに入ったリリスたちのパーティーに加わることになる。かなり自己中心的な性格で引き抜きの件以外にも、仲間に対してはぎりぎりまで回復魔法を使わないくせに自分に対してはすぐに使ったり、戦闘で役目を放棄して自分だけ安全な場所に逃げ込んだりし、その目に余る行動はメンバーの反感を買う。
; ギガント(声:[[中田譲治]])
: 突如現れた「魔王ギガント」を名乗る謎の声。痛覚とゲームバランスの制限を外しプレイヤーたちを恐怖に陥れる。本人は一応否定しているがその言動から、その正体はほぼ間違いなく『ダンジョントライアル』のプロジェクトの発案者であり中心人物である江崎新一である。
;江崎 新一(えざき しんいち)(声:[[中田譲治]])
:天才の名を恣にする電子工学者で上記の通りプロジェクトの中心人物。ある理想を求めて『ダンジョントライアル』を発案し、中心となってそれを作り上げた。多くの研究者・技術者から敬意を集めていたようだが江崎の狂気は彼らの多くを裏切ることとなる。本作で唯一現実世界での名前と経歴が語られている人物であるが、作中に江崎新一本人が直接登場することはない。<br />なお、江崎新一本人は『[[タイム・リープ あしたはきのう]]』のあとがきがわりに書かれたショートストーリーに登場しており本作後の彼の様子の一部が描かれている。
== 設定 ==
=== MDB9000 ===
日本国内の大手電子機器メーカー数社が協力して作り上げた、容量・速度共に世界最大を誇る超弩級の[[スーパーコンピューター]]。コードネームは『ギガント』。発展途上国の追い上げに焦りを抱いた政府のてこ入れもあって予測を遥かに上回るシステムが出来上がり、『ダンジョントライアル』も含めてプロジェクトに関わった[[博士号]]取得者は3桁にのぼり、費用は[[日本円]]で12桁に達したといわれる。
=== ダンジョントライアル(プロジェクト) ===
江崎新一の発案により『ギガント』の一般への初公開のために開発された仮想現実型[[コンピュータRPG|RPG]]。世界最高のコンピュータをゲームに使うことに対する批判はあったものの、最先端技術を多くの人々に体感させる手段として『ギガント』開発当初から考えられていた。<br />
一度に参加できるプレイヤーは256人までで、ゲーム参加者は1万人を越えるので、数十組に分けられる。その中で更に4~8人からなるパーティーに分けられる。組が違うキャラクターは、途中で出会ったり仲間に加わったりすることはない。<ref name=":0">{{Cite book|和書|title=電撃王 通巻43号 表紙 [[井出薫]]|date=1995年12月1日|year=1995|publisher=メディアワークス|pages=123,124,125,126,127,128,}}</ref>プレイヤーは全方位モニターマスクとヘッドホン、身体各所に電極が取り付けられる。この電極は各部筋肉の動きを感知する入力装置であると同時に、電気的刺激により触覚や痛覚などの擬似感覚をプレイヤーに与える役目も持つ(ただし、ゲームであるため痛覚はかなり制限されたものとなっている)。この擬似感覚によりリアリティーを持たせるため薬品(麻薬に相当するものではないが投与には有資格者の立会いが必要)と催眠術が併用されているが、これによりゲームの参加者はメディカルチェックをクリアした18歳以上に限られる。<br />
また、技術的な問題で『味覚』、『重力や慣性に対する知覚力』、『嗅覚』の3つは再現することができなかった。しかし、それでもなお体験リポートをした記者から『これ以上完璧にされては、現実世界と仮想世界が区別できなくなるおそれがある』と評されるほどのリアリティーを持つ。<br />
ただし、その稼動に多くの人手と多大なコストを要することから一般への公開は後に開催される[[万国博覧会]]の半年間と本作の舞台となる一般試写会のみに限られる。
=== ダンジョントライアル(ゲーム) ===
ゲームのシナリオ自体は、迷宮の奥に潜む魔王ギガント(登場人物の項にあるものとは全く別のもので、こちらは[[竜]]の姿をしたRPGのラスボスとしては典型的なもの)を倒すという至ってシンプルな内容で、その他のシステムも仮想現実の中でプレイされることを除けば、おおむね一般的なRPGに準ずるものである。プレイヤーは4つの職業からひとつを選び、迷宮の地下1階にランダムで配置され、そこから地下5階にある魔王の間を目指すことになる。<br />
プレイヤーたちはパーティーを組むことが可能で、パーティーを組むとパーティー仲間の攻撃対象から外れ、攻撃の際に巻き込まれてダメージを受けることが無くなる。パーティーはリーダーが承認するか死亡する事によって解消することができる。パーティーの人数には上限がなく極端な話参加者全員256人でパーティーを組むことも可能であるが、魔王の間には6人までしか入ることができない為(ゲームクリアを狙うならば)この人数が基準となる。
なお、このゲームに生き返りは存在せず、死亡はすなわちゲームオーバーを意味する。
=== 職業 ===
『ダンジョントライアル』ではプレイヤーは最初にキャラクターの外見や性別の設定と共に4つの職業から1つを選ぶことになる。また、地下4階にある特別な回復の泉では上級職に転職することができる。それぞれの職業の特徴は一般的なRPGのものに準ずるが下記の通りである。一度職業を決めると4種類の職業から違う種類に途中変更は効かない。<ref name=":0" />地下5階以降の冒険に参加する時は合計12種類の上級クラスからキャラクターを選ぶことができる<ref name=":1">{{Cite book|和書|title=電撃王 通巻50号 表紙 [[中山エミリ]]|date=1996年6月1日|year=1996|publisher=主婦の友社|pages=131,132,133,134,135,}}</ref>。
:*戦士
::直接戦闘に特化した職業で攻撃力と体力に優れる。前線で直接戦闘に参加できるだけあって最も人気のある職業である。また、その性質からか作中に登場するパーティーのリーダーはこの職業に就いている。上級職は僧侶魔法の使える『聖戦士』、地水火風のどれか一系統の魔法が使える『魔法戦士』、魔法は使えないが攻撃力と防御力が強化された『騎士』<ref name=":1" />。
:*盗賊
::ダンジョン内での行動をサポートするさまざまな特殊技能を持つ職業。『鑑定』、『罠感知』、『地図』のほかに夜目が利くため接近するものをいち早く感知することができる迷宮探索のプロフェッショナル。生命力は比較的高い。攻撃力は弱く直接戦闘には向かないものの俊敏力に優れるため単独ならばひたすら逃げ回り、パーティーではアイテムなどを使っての後方支援に活かせる。上級職は盗賊の諸能力が強化された『怪盗』、攻撃力が強化された『忍者』、地水火風のどれか一系統の魔法が使える『妖盗』。
:*魔法使い
::「地」「水」「火」「風」の属性のうちどれか二系統の魔法を使うことができる職業。直接戦闘にはまったく向かず、特に体力は極端に低い。上級職は使える魔法の系統や使用回数が1つ増える『魔術士』、4種類すべての属性魔法を操り、邪系以外のモンスターに安定した攻撃ができる<ref name=":1" />『魔道士』、僧侶魔法の使える『賢者』<ref name=":0" />。
:*僧侶
::回復や対アンデッドなど僧侶特有の魔法を使うことができる職業。毒に犯されたり、石化したりなどのステータス異常を治療する事もできる。盗賊同様攻撃力が低いため直接戦闘には向かない。一般試写会ではなり手が少なかったようで、基本職では唯一の回復魔法の使い手ということもあり、非常に希少価値の高い存在となっている様子。最大の威力を持つ僧侶魔法を操るクラスの『僧正』、武器の戦闘能力に長け、強力な僧侶魔法が使える『修道士』、魔法使い魔法の2属性と強力な僧侶魔法を使いこなす『妖術士』<ref name=":0" />。
== 既刊一覧 ==
* 高畑京一郎 『クリス・クロス 混沌の魔王』 メディアワークス、1994年11月10日発売<ref>{{Cite web |url=https://www.kadokawa.co.jp/product/199978302221/ |title=クリス・クロス 混沌の魔王 |publisher=KADOKAWA |accessdate=2023-12-01}}</ref>、{{ISBN2|4-07-302221-0}}
** 「文庫版」1997年2月10日発売<ref>{{Cite web |url=https://www.kadokawa.co.jp/product/199978020566/ |title=クリス・クロス 混沌の魔王(文庫版) |publisher=KADOKAWA |accessdate=2023-12-01}}</ref>、{{ISBN2|4-07-305662-X}}
== 脚注 ==
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7,087 | 独裁政治 | 独裁政治(どくさいせいじ、英: dictatorship)とは、特定の個人・党派・階級・身分などの少数者が国家権力を独占して行う政治体制のこと。独裁政治では、単独の支配者に権力が集中し、議会政治や合議制が否定される。独裁制(どくさいせい)とも呼ばれる。
ローマの共和政において、元老院の合議制を停止して、独裁官に非常大権を与えたのが起源である。独裁政治や独裁制を、国の基本的な原則として重視する国家のことを独裁国家という。近代以降においては社会主義国・共産主義国・全体主義国・国家主義国の中に多発している。
「独裁政治」という単語は、戦争や内乱などの非常事態において法的委任の手続きに基づき、独裁官に支配権を与える古代ローマの統治方法に由来する。個人の自由を広く認めることは、統治体制崩壊への恐れがあるとし、一般に戦時や社会の混乱などの抑圧を行う際に多く出現する。
絶対君主制との違いは世襲を伴わない(後継者は現任者に指名される)ことなどが挙げられる。専制政治では固定的または身分的な支配層が非支配層を支配するが(社会階級)、独裁政治においては支配者と被支配者の身分は基本的に同一である。ただし、広義の独裁体制(権威主義体制)には絶対君主制なども含まれる。
軍事的な手続きであるクーデターや内戦によってそのリーダーが独裁者となる場合が多いが、民主主義的な手続きの結果として独裁者が生まれることもある。ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーは、民主主義、民主憲法であるヴァイマル憲法のもとで独裁化を果たした例である。独裁政治をとる場合において政党は必ずしも不要なものではなく、統治の補助・翼賛機構として支配政党を一つ作り、それ以外の政党を認めない一党制が敷かれることも多い。ナチス党のドイツ、共産党によるソ連のような、他党派の活動が禁止・弾圧され、単一の政党が政治権力を独占的に掌握しているような支配形態や、社会主義時代の東欧諸国における共産主義政党による支配のような、複数政党制のもとでの事実上の一党独裁は、一党独裁制と呼ばれる。一党独裁は、フランス革命における山岳派独裁をローマの独裁政治に対比したのがはじまりである。一党独裁の場合、対立党・候補の存在しない形式的な選挙を行い、この選挙結果をもって人民の支持を得たという外見がとられるため、独裁者や独裁国家が民主主義を称することも珍しくない。マルクス・レーニン主義を掲げる社会主義国の一部では、プロレタリア独裁を根拠に共産党による一党独裁制を採用している。もっとも、世界のほとんどの独裁国は同時に資本主義であることにも見られるように、独裁体制は資本主義体制であってもあり得る。
独裁政治を担う集団は、信条などの自由を求める民衆層による反抗・反乱の結果、悲惨な末路を辿ることが歴史上少なくない。したがって独裁政治の下では、個人の自由を求める民衆の動向に対して、対処法などの研究を入念に行う。その結果、極めて最初期から強圧的に芽を摘むことが少なくない。
非民主主義体制(独裁体制)は、全体主義体制と権威主義体制に二分される。全体主義は多元主義を認めず、唯一のイデオロギーを奉じ、そしてそれに対し市民を積極的に動員することに特徴がある。全体主義体制は20世紀に現われた新しい体制であり、イタリアのファシズムやナチス・ドイツ、スターリン時代のソ連などが代表的な例である。これに対し、政治学者のホアン・リンスはフランシスコ・フランコ時代のスペイン政治の研究の中でより抑圧が少ないが民主的ではない体制を権威主義体制と名付け、一つの類型として独立させた。権威主義体制の特徴は、存在するが限定された多元主義、イデオロギーの弱さと、市民の政治動員を行わず、むしろ政治的無関心を奨励する点にある。権威主義は全体主義と民主主義の中間にある体制と認識されているが、全体主義国家の減少により非民主主義を総称して権威主義と呼ぶことも多くなった。また、非民主主義体制・権威主義体制・独裁体制の3つの語の差はあいまいなもので、互換可能なものとして用いられることが多い。
独裁政治は、その独裁の主体によって絶対君主制・文民独裁・軍事政権の3つに分類される。更に文民独裁は個人独裁と一党独裁とに分けられ、軍事政権についてもクーデター指導者による個人独裁と複数の幹部による集団指導体制(寡頭制)とに分けられる。
絶対君主制は、君主が政治権力を握るものであり、政権は世襲によって継承される。君主および王族によって支配体制が固められていることが多い。4つの分類の中では最も政権維持の期間が長く、安定した体制となっている。なお、君主の権力が憲法により規制されている立憲君主制については独裁政治とみなされない。
軍事政権は、軍がそれまでの政府を打倒し直接政治を執るもので、政権は軍のリーダーやエリートが握る。軍が継続して独裁権を握ることはあまり多くなく、上記の4類型のうちで最も持続期間が短い独裁体制であるが、支配体制を固めて長期化する場合も存在する。
政権奪取時にある個人が他の有力者を粛清して権力を一身に集中させることに成功した場合、個人支配型の独裁体制が成立する。政権内に独裁者を脅かすだけの対抗者が存在しないため政権はかなり安定しているが、独裁者個人が死去した場合は終了する。
一党独裁制は、一つの支配政党が独裁権を握るもので、党内で選出された人物が政権首座につくものである。この場合政権のトップには任期が定められていることも多く、後継者はふたたび党内から選出される。権力継承のシステムが確立されているため、絶対君主制に次いで安定度が高く長期化しやすい。支配政党の他にいくつかの衛星政党が存在を許される場合もあるが、こうした衛星政党は支配政党に異議を唱えることは許されず形式的に存続しているだけのもので、実質的には意義を失っている。こうした形式的複数政党制はヘゲモニー政党制と呼ばれ、中華人民共和国や東ヨーロッパの一部の国など、人民民主主義をとる国ではこうした体制が今なお存続している。但し中国の現行体制では、競合的な選挙が行われず共産党以外の政党がまったく名目的なものにすぎないため、これを一党独裁制に分類する立場も存在する。
この他にシンガポールなどの開発主義国家においても、野党自体は存在し競合的な選挙は行われるものの、選挙制度などによって政権交代が不可能となっている国家が存在する。こうした政体は競合的権威主義と定義され、まったく競合的な選挙の行われない閉鎖的権威主義と区分される。
独裁政治は決して民生に無関心なわけではなく、国民に利益を提供することで支持を「買う」ことは珍しくない。むしろ自らの統治体制の正当性を確保するために経済成長を重視し、治安や市民生活に気を配って体制に忠実な市民の育成を図ることも多い。また石油収入の豊富な独裁国家においては、食料や燃料価格に多額の補助金を支出して価格を低く抑え、国民からの支持を得ようとする。こうした補助金はより貧しい独裁国家においてもしばしば提供され、廃止の動きが起きた場合は暴動となり、革命につながることさえ珍しくないので、できる限り政府はこれを維持しようとする。選挙の際に政治家が利益誘導を行い予算を支持基盤に引っ張ってくることは、民主制のみならず独裁制の形式的選挙においても同様に実施される。また、1990年代以降のアラブ独裁諸国においては、縁故主義に基づく支持層への利権の分配と支持基盤の強化も盛んに行われた。一方で、独裁による統治は安定とある程度の行政能力をもたらすことも多いため、政情不安を嫌う市民から消極的な支持を受ける場合もある。
独裁体制下においては言論の自由や報道の自由が制限され、マスメディアは政府の統制下に置かれ、情報操作、扇動、大衆動員の道具とされることが多い。なかでも全体主義体制下においてはそれが顕著で、ナチス・ドイツでの主にラジオ放送を用いた世論の操作はよく知られている。但し主に国外のマスメディアから容易に情報が手に入れられ、言論統制が形骸化している場合は独裁政治には不利な要因となり、1970年代以降、東欧や中南米で独裁体制が次々と倒れる原因ともなった。2010年から2012年にかけてのアラブの春においては、インターネットがこの役割を果たし、独裁政治を倒す要因のひとつとなった。
独裁的な政治体制の下では体制批判は許されず、個人の自由は著しく制限される。民衆の意思表示は抑圧され、反対派は何らかの形で排除される。また、為政者の権力行使に抑制が効かずに、恣意的な国家運営に堕すこともあり、国家としての方向性を失って行く場合も多い。
このほかの独裁制の欠点として、現代の大国や先進国は中国とシンガポール等を除きすべて程度の差はあれど民主国家であるため、発展途上国の多い独裁国家は外交上不利な状況となることが挙げられる。特に1990年代以降、冷戦の終結とともに先進諸国が独裁国家への民主化を求める動きが非常に強くなり、発展途上国への政府開発援助は民主化を前提とすることが多くなった。なかでも援助に頼る部分の多かったアフリカ諸国において、先進諸国は独裁国家に対する援助の削減や停止を行い、独裁制国家は民主制国家に対し得られる援助額が非常に少ない状態となった。このことは、1990年代前半においてブラックアフリカで急速な民主化をもたらす原因の一つとなった。
一方で、独裁制はトップの意思の伝達がスムーズであり、有能な独裁者がビジョンに基づき独裁をおこなった場合、国家が大幅に発展することも不可能ではない。こういった体制は20世紀後半の東アジアや東南アジアの資本主義国に多く見られ、開発独裁と称された。
普通選挙による議会制民主主義や大統領制などに加えて、権力分立や公職の多選禁止(アメリカが憲法修正22条で定める三選の禁止、憲法条文による韓国・フィリピン・チリにおける再選禁止など)は、政治の独裁化を防ぐ理念に基づくものと考えられている。この考えに基づき、1990年代のアフリカ諸国の民主化においては多くの国家で三選禁止規定が盛り込まれた。しかし90年代末以降、こうして選出された大統領の中で任期制限撤廃の動きを見せるものが相次ぎ、一部の国家では実際に憲法を改正して任期制限を撤廃し、大統領が長期政権を敷くところも現れた。任期制限撤廃の動きはアラブ諸国においても同様に見られた。
こうした任期制限は独裁制国家でも導入されている場合があり、例としては中華人民共和国において、国家主席の任期は連続2期までと定められていた。しかし習近平が国家主席となると権力集中の動きが強まり、2018年には憲法を改正して任期制限を撤廃し、2022年からは実際に3期目を務めることとなった。
各国の民主・独裁の程度を定量的に評価するために、さまざまな民主主義指標が測定・公開されている。政治学において多く用いられる指標には、民主主義-独裁指標(DD指標、Democracy-Dictatorship Index)、ポリティ指標(Polity data series)、フリーダムハウス指標(Freedom in the World)などが存在する。
これらの指標の算出基準はそれぞれ異なっており、そのため指標によってある国家が独裁制に分類されるかどうかにも相違が生ずる。例えばDD指標は選挙の競合性に的を絞った基準であり、民主制と独裁制を明確な基準で二分することができるが、「選挙による政権交代の有無」を条件に加えているため、一党優位政党制などで政権交代が起きたことのない場合、民主的な選挙が行われていても独裁制に分類される。このため、他の指標では民主制と判定されるボツワナや、同じく南アフリカが独裁制と判定されてしまうなどの問題がある。ポリティ指標は選挙の競合性に加え三権分立や政治参加の自由度も基準に含まれる。フリーダムハウス指標は選挙制度のほか市民的自由や法の支配も判定基準に加えており、このためDD指標で民主制に分類されるトルコは非自由国に、フィリピンは半自由国に判定される。
独裁国家の数は、多くの新独立国が誕生しそのかなりの割合が独裁化した1950年代から1960年代にかけて顕著に増加した後、1970年代半ばよりいわゆる民主化の第三の波の発生によってゆるやかな減少に転じ、1980年代後半に急速に減少して民主主義国家の数を下回るようになり、その後も減少傾向が続いている。ただし、個別には2000年代以降ベネズエラやタイなどのように民主制から独裁制・非民主制へと移行する国家もいくつか出現しており、これをもって2000年代以降に「民主主義の後退」や「権威主義の強化」が起こっているとの学説も存在する。
民主制国家が独裁化する場合、クーデターや革命などで民主政府が崩壊する場合と、民主政府が徐々に強権化を進め、民主制が侵食されて独裁制に転ずる場合の、2つのパターンが存在する。このほか、もともと民主制とも独裁制とも呼べない中間的な存在だった政府が権力を強化し、完全な独裁政府となる場合もある。
国際社会から独裁国家に民主化圧力がかけられる場合、民主化の成否は圧力を主導する欧米との政治・経済的関係の深さに左右されやすい。欧米との関係が深い場合は独裁体制が崩壊しやすいのに対し、浅い場合は独裁体制が維持されやすくなる。自国の経済的自立性が高い場合ほど独裁体制は民主化圧力に対抗しやすくなる一方、経済規模が小さくめぼしい資源も存在せず、欧米からの政府開発援助に頼る割合が大きい場合は独裁体制は不安定になる。ただしこの場合、独裁体制が崩壊した場合でも民主化するとは限らず、新たな独裁体制が成立する場合も多い。
自国に豊富な天然資源が存在したり、また政府開発援助や各種施設利用料などによって国内からの徴税に頼らずとも財政を維持することのできる国家をレンティア国家と呼び、こうした国家では独裁政権が維持されやすいとされている。これは、徴税が重要性を持たないため税を負担する国民の政治への発言権が小さくなる一方で、豊富な税外収入をもとに政府が行政サービスを積極的に行い、国民の不満を和らげるためである。
共和政ローマ時代の独裁制に注目したドイツ・ワイマール時代の政治学者カール・シュミットは、独裁制と専制政治の違いを「具体的例外性」にみいだしている。シュミットは、「独裁制は、非常時に現行法規を侵犯するが、それは法秩序を回復するという具体的目的に従属し、したがって独裁は、秩序回復ののちには当然に終了する例外的事態である。独裁がこの具体的例外性をうしなえば、専制政治に転化することになる。」とした。
さらにシュミットは、独裁を「委任的独裁」と「主権的独裁」に分類した。委任的独裁は、現行の憲法秩序が危機に陥った時、憲法秩序を維持するためにその機能を一時的に停止する独裁をいう。憲法の規定に非常大権が定められていれば、この独裁は形式的にも憲法に違反しておらず、「立憲的独裁」とよばれうる。
これに対して主権的独裁とは、現行憲法ではなく将来実現されるべき憲法秩序、政治イデオロギーにもとづいておこなわれる独裁をいう。この場合の独裁は、主権をもつ人民からその権限を委任されているがゆえに許されるとし、現行法秩序をまったく超越して成立する革命権力がこれに相当する。主権的独裁の歴史的事例としては、フランス革命におけるロベスピエール独裁、ロシア革命や文化大革命における共産党独裁があてはまる。
英語の独裁政治(Dictatorship)の語源は、古代ローマの独裁官(dictātor)に由来する。ただし近代以前は共和制の国家そのものが少ないため、独裁と言える例は清教徒革命でのオリバー・クロムウェルやフランス革命でのジャコバン派など、わずかな例にとどまる。
19世紀初頭に次々と独立したラテンアメリカ諸国は、ブラジルを除きすべての国が共和制を採用したものの、それは必ずしも民主主義の定着を意味しなかった。各国ではメキシコのアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナやアルゼンチンのフアン・マヌエル・デ・ロサスなどのようなカウディーリョと呼ばれる政治的ボスが台頭し、しばしば独裁者となった。また西アフリカに建国されたリベリアにおいては競合的選挙は行われていたものの野党勢力が非常に弱く、1900年代から1910年代にかけては選挙に野党からの立候補がないことさえあり、真正ホイッグ党による事実上の一党制が成立していた。
第一次世界大戦を画期として、独裁制の二つの大きな流れが生まれた。まずロシア革命の勝者となったボリシェヴィキはソビエト連邦を建国し、プロレタリア独裁の名の下で一党独裁制を取った。さらにソビエトで1924年にヨシフ・スターリンが政権を握ると、スターリニズムのもとで強圧的な政治が行われた。次いで戦間期に入ると、政情不安に陥った中東欧諸国が次々と独裁制国家となった。イタリアで1922年にベニート・ムッソリーニ率いるファシスト党が政権を握ると、ファシズムが政治的な一大潮流となり、1933年にはドイツでアドルフ・ヒトラーが率いる国家社会主義ドイツ労働者党が政権を握り、ナチス・ドイツと呼ばれる全体主義政権を作り上げた。日本もこれらの国に合わせるように、全体主義的傾向が強くなり第二次世界大戦が引き起こされた。
第二次世界大戦が終結すると、日本・イタリア・ドイツ西半部(西ドイツ)は民主化されたものの、ソ連軍が進駐した東ヨーロッパにおいては次々と共産主義の一党独裁国家が樹立されていった。また戦後にアジア諸国の独立が進められたものの、新独立国の政情は不安定なものであり、しばしば独裁政権が樹立された。1960年代に入るとアフリカ諸国の独立が進められ、当初は民主制を取った国家が多かったものの、政情はアジア諸国以上に不安定なものであり、多くの国家が一党制となっていった。このため、1950年代から1960年代にかけて独裁国家の数は急増した。
一方で、1970年代以降は民主化の第三の波と呼ばれる民主化運動が南ヨーロッパを中心に発生し、これを契機に独裁国家の数は減少に転じた。1989年には東欧革命が起こり、東ヨーロッパの共産主義国家は相次いで民主化した。またこれに続く形で1990年代前半にはアフリカ大陸において民主化ラッシュが起き、多党制国家は1989年の7カ国から1995年の38カ国にまで激増した。この時期はアラブ諸国にも民主化の波が押し寄せたものの、いくつかの民主的制度の採用のみで権威主義体制は継続し、目立った民主化は行われなかった。
1980年代後半に民主国家の数が独裁国家を上回るようになったとはいえ、多くの独裁国家が現存している。
現存する国家のうち、中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国は憲法などで公式に「独裁」を明記している。中国は『中華人民共和国憲法』に「社会主義」、「人民民主主義独裁」(中国語では「人民民主専政」)、「党の領導」を明記しており、また中国共産党規約でも「人民民主主義独裁」を明記している。。北朝鮮もまた、『朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法』(2009年改定)に「社会主義」、「独裁」、「党の領導」を明記している。
これらはマルクス・レーニン主義を掲げる社会主義国で、プロレタリア独裁(階級独裁)の概念を根拠に、共産党が国家や社会全体の指導政党として独裁を堅持している。この独裁に対しては、正統派マルクス主義・トロツキズム・社会民主主義・ユーロコミュニズムなど社会主義の内部からも含め、自由主義や民主主義の立場から、複数の批判がある。特に北朝鮮では金日成→金正日→金正恩という形での権力の世襲が続き、最高指導者が軍を直接指導し、朝鮮労働党の党大会は1980年の第6回党大会(英語版、中国語版、朝鮮語版)以降、2016年の第7回党大会までの36年間に渡って開催されないなどした結果、「朝鮮労働党による独裁」ですらなく、「金一族による独裁」(実質的には王朝、絶対君主制)に変質しており、金(キム)王朝(英語版)とも呼ばれている。
その他の地域においても、さまざまな形の独裁制は残存している。アフリカ大陸では上記の1990年代の民主化ラッシュにおいて多くの国家が複数政党制を導入したものの、エリトリアのようにいまだに一党独裁を維持する国家や、カメルーンや赤道ギニアのように複数政党制がまったく形式的なものにとどまり長期独裁政権が維持されている国家が存在し、また現職大統領が任期制限を撤廃して長期政権への移行を狙うケースが頻発している。世界で最も民主化の進んでいない地域であったアラブ諸国の権威主義体制は2010年から2012年にかけてのアラブの春において深刻な打撃を受けたものの、明確に民主化したのはチュニジアのみであり、他の国家において権威主義体制はその後も継続した。とくにペルシャ湾岸の湾岸協力会議加盟諸国は、豊富な石油資源を背景にレンティア国家となり、国民に利益や行政サービスを与えることによって強固な政権への支持を取り付けるほか、各省の大臣など重要ポストを王家や支配家系によって独占する「王朝君主制」と呼ばれる独特のシステムによって支配層の結束を固め、安定した非民主的政権を維持している。 | [
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"text": "独裁政治(どくさいせいじ、英: dictatorship)とは、特定の個人・党派・階級・身分などの少数者が国家権力を独占して行う政治体制のこと。独裁政治では、単独の支配者に権力が集中し、議会政治や合議制が否定される。独裁制(どくさいせい)とも呼ばれる。",
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"text": "ローマの共和政において、元老院の合議制を停止して、独裁官に非常大権を与えたのが起源である。独裁政治や独裁制を、国の基本的な原則として重視する国家のことを独裁国家という。近代以降においては社会主義国・共産主義国・全体主義国・国家主義国の中に多発している。",
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"text": "「独裁政治」という単語は、戦争や内乱などの非常事態において法的委任の手続きに基づき、独裁官に支配権を与える古代ローマの統治方法に由来する。個人の自由を広く認めることは、統治体制崩壊への恐れがあるとし、一般に戦時や社会の混乱などの抑圧を行う際に多く出現する。",
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"text": "絶対君主制との違いは世襲を伴わない(後継者は現任者に指名される)ことなどが挙げられる。専制政治では固定的または身分的な支配層が非支配層を支配するが(社会階級)、独裁政治においては支配者と被支配者の身分は基本的に同一である。ただし、広義の独裁体制(権威主義体制)には絶対君主制なども含まれる。",
"title": "概要"
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"text": "軍事的な手続きであるクーデターや内戦によってそのリーダーが独裁者となる場合が多いが、民主主義的な手続きの結果として独裁者が生まれることもある。ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーは、民主主義、民主憲法であるヴァイマル憲法のもとで独裁化を果たした例である。独裁政治をとる場合において政党は必ずしも不要なものではなく、統治の補助・翼賛機構として支配政党を一つ作り、それ以外の政党を認めない一党制が敷かれることも多い。ナチス党のドイツ、共産党によるソ連のような、他党派の活動が禁止・弾圧され、単一の政党が政治権力を独占的に掌握しているような支配形態や、社会主義時代の東欧諸国における共産主義政党による支配のような、複数政党制のもとでの事実上の一党独裁は、一党独裁制と呼ばれる。一党独裁は、フランス革命における山岳派独裁をローマの独裁政治に対比したのがはじまりである。一党独裁の場合、対立党・候補の存在しない形式的な選挙を行い、この選挙結果をもって人民の支持を得たという外見がとられるため、独裁者や独裁国家が民主主義を称することも珍しくない。マルクス・レーニン主義を掲げる社会主義国の一部では、プロレタリア独裁を根拠に共産党による一党独裁制を採用している。もっとも、世界のほとんどの独裁国は同時に資本主義であることにも見られるように、独裁体制は資本主義体制であってもあり得る。",
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"text": "独裁政治を担う集団は、信条などの自由を求める民衆層による反抗・反乱の結果、悲惨な末路を辿ることが歴史上少なくない。したがって独裁政治の下では、個人の自由を求める民衆の動向に対して、対処法などの研究を入念に行う。その結果、極めて最初期から強圧的に芽を摘むことが少なくない。",
"title": "概要"
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"text": "非民主主義体制(独裁体制)は、全体主義体制と権威主義体制に二分される。全体主義は多元主義を認めず、唯一のイデオロギーを奉じ、そしてそれに対し市民を積極的に動員することに特徴がある。全体主義体制は20世紀に現われた新しい体制であり、イタリアのファシズムやナチス・ドイツ、スターリン時代のソ連などが代表的な例である。これに対し、政治学者のホアン・リンスはフランシスコ・フランコ時代のスペイン政治の研究の中でより抑圧が少ないが民主的ではない体制を権威主義体制と名付け、一つの類型として独立させた。権威主義体制の特徴は、存在するが限定された多元主義、イデオロギーの弱さと、市民の政治動員を行わず、むしろ政治的無関心を奨励する点にある。権威主義は全体主義と民主主義の中間にある体制と認識されているが、全体主義国家の減少により非民主主義を総称して権威主義と呼ぶことも多くなった。また、非民主主義体制・権威主義体制・独裁体制の3つの語の差はあいまいなもので、互換可能なものとして用いられることが多い。",
"title": "全体主義と権威主義"
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"text": "独裁政治は、その独裁の主体によって絶対君主制・文民独裁・軍事政権の3つに分類される。更に文民独裁は個人独裁と一党独裁とに分けられ、軍事政権についてもクーデター指導者による個人独裁と複数の幹部による集団指導体制(寡頭制)とに分けられる。",
"title": "類型"
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"text": "絶対君主制は、君主が政治権力を握るものであり、政権は世襲によって継承される。君主および王族によって支配体制が固められていることが多い。4つの分類の中では最も政権維持の期間が長く、安定した体制となっている。なお、君主の権力が憲法により規制されている立憲君主制については独裁政治とみなされない。",
"title": "類型"
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"text": "軍事政権は、軍がそれまでの政府を打倒し直接政治を執るもので、政権は軍のリーダーやエリートが握る。軍が継続して独裁権を握ることはあまり多くなく、上記の4類型のうちで最も持続期間が短い独裁体制であるが、支配体制を固めて長期化する場合も存在する。",
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"text": "政権奪取時にある個人が他の有力者を粛清して権力を一身に集中させることに成功した場合、個人支配型の独裁体制が成立する。政権内に独裁者を脅かすだけの対抗者が存在しないため政権はかなり安定しているが、独裁者個人が死去した場合は終了する。",
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"text": "一党独裁制は、一つの支配政党が独裁権を握るもので、党内で選出された人物が政権首座につくものである。この場合政権のトップには任期が定められていることも多く、後継者はふたたび党内から選出される。権力継承のシステムが確立されているため、絶対君主制に次いで安定度が高く長期化しやすい。支配政党の他にいくつかの衛星政党が存在を許される場合もあるが、こうした衛星政党は支配政党に異議を唱えることは許されず形式的に存続しているだけのもので、実質的には意義を失っている。こうした形式的複数政党制はヘゲモニー政党制と呼ばれ、中華人民共和国や東ヨーロッパの一部の国など、人民民主主義をとる国ではこうした体制が今なお存続している。但し中国の現行体制では、競合的な選挙が行われず共産党以外の政党がまったく名目的なものにすぎないため、これを一党独裁制に分類する立場も存在する。",
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"text": "この他にシンガポールなどの開発主義国家においても、野党自体は存在し競合的な選挙は行われるものの、選挙制度などによって政権交代が不可能となっている国家が存在する。こうした政体は競合的権威主義と定義され、まったく競合的な選挙の行われない閉鎖的権威主義と区分される。",
"title": "類型"
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"text": "独裁政治は決して民生に無関心なわけではなく、国民に利益を提供することで支持を「買う」ことは珍しくない。むしろ自らの統治体制の正当性を確保するために経済成長を重視し、治安や市民生活に気を配って体制に忠実な市民の育成を図ることも多い。また石油収入の豊富な独裁国家においては、食料や燃料価格に多額の補助金を支出して価格を低く抑え、国民からの支持を得ようとする。こうした補助金はより貧しい独裁国家においてもしばしば提供され、廃止の動きが起きた場合は暴動となり、革命につながることさえ珍しくないので、できる限り政府はこれを維持しようとする。選挙の際に政治家が利益誘導を行い予算を支持基盤に引っ張ってくることは、民主制のみならず独裁制の形式的選挙においても同様に実施される。また、1990年代以降のアラブ独裁諸国においては、縁故主義に基づく支持層への利権の分配と支持基盤の強化も盛んに行われた。一方で、独裁による統治は安定とある程度の行政能力をもたらすことも多いため、政情不安を嫌う市民から消極的な支持を受ける場合もある。",
"title": "統治"
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"text": "独裁体制下においては言論の自由や報道の自由が制限され、マスメディアは政府の統制下に置かれ、情報操作、扇動、大衆動員の道具とされることが多い。なかでも全体主義体制下においてはそれが顕著で、ナチス・ドイツでの主にラジオ放送を用いた世論の操作はよく知られている。但し主に国外のマスメディアから容易に情報が手に入れられ、言論統制が形骸化している場合は独裁政治には不利な要因となり、1970年代以降、東欧や中南米で独裁体制が次々と倒れる原因ともなった。2010年から2012年にかけてのアラブの春においては、インターネットがこの役割を果たし、独裁政治を倒す要因のひとつとなった。",
"title": "統治"
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"text": "独裁的な政治体制の下では体制批判は許されず、個人の自由は著しく制限される。民衆の意思表示は抑圧され、反対派は何らかの形で排除される。また、為政者の権力行使に抑制が効かずに、恣意的な国家運営に堕すこともあり、国家としての方向性を失って行く場合も多い。",
"title": "短所・長所"
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"text": "このほかの独裁制の欠点として、現代の大国や先進国は中国とシンガポール等を除きすべて程度の差はあれど民主国家であるため、発展途上国の多い独裁国家は外交上不利な状況となることが挙げられる。特に1990年代以降、冷戦の終結とともに先進諸国が独裁国家への民主化を求める動きが非常に強くなり、発展途上国への政府開発援助は民主化を前提とすることが多くなった。なかでも援助に頼る部分の多かったアフリカ諸国において、先進諸国は独裁国家に対する援助の削減や停止を行い、独裁制国家は民主制国家に対し得られる援助額が非常に少ない状態となった。このことは、1990年代前半においてブラックアフリカで急速な民主化をもたらす原因の一つとなった。",
"title": "短所・長所"
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"text": "一方で、独裁制はトップの意思の伝達がスムーズであり、有能な独裁者がビジョンに基づき独裁をおこなった場合、国家が大幅に発展することも不可能ではない。こういった体制は20世紀後半の東アジアや東南アジアの資本主義国に多く見られ、開発独裁と称された。",
"title": "短所・長所"
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"text": "普通選挙による議会制民主主義や大統領制などに加えて、権力分立や公職の多選禁止(アメリカが憲法修正22条で定める三選の禁止、憲法条文による韓国・フィリピン・チリにおける再選禁止など)は、政治の独裁化を防ぐ理念に基づくものと考えられている。この考えに基づき、1990年代のアフリカ諸国の民主化においては多くの国家で三選禁止規定が盛り込まれた。しかし90年代末以降、こうして選出された大統領の中で任期制限撤廃の動きを見せるものが相次ぎ、一部の国家では実際に憲法を改正して任期制限を撤廃し、大統領が長期政権を敷くところも現れた。任期制限撤廃の動きはアラブ諸国においても同様に見られた。",
"title": "防止策"
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"text": "こうした任期制限は独裁制国家でも導入されている場合があり、例としては中華人民共和国において、国家主席の任期は連続2期までと定められていた。しかし習近平が国家主席となると権力集中の動きが強まり、2018年には憲法を改正して任期制限を撤廃し、2022年からは実際に3期目を務めることとなった。",
"title": "防止策"
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"text": "各国の民主・独裁の程度を定量的に評価するために、さまざまな民主主義指標が測定・公開されている。政治学において多く用いられる指標には、民主主義-独裁指標(DD指標、Democracy-Dictatorship Index)、ポリティ指標(Polity data series)、フリーダムハウス指標(Freedom in the World)などが存在する。",
"title": "指標"
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"text": "これらの指標の算出基準はそれぞれ異なっており、そのため指標によってある国家が独裁制に分類されるかどうかにも相違が生ずる。例えばDD指標は選挙の競合性に的を絞った基準であり、民主制と独裁制を明確な基準で二分することができるが、「選挙による政権交代の有無」を条件に加えているため、一党優位政党制などで政権交代が起きたことのない場合、民主的な選挙が行われていても独裁制に分類される。このため、他の指標では民主制と判定されるボツワナや、同じく南アフリカが独裁制と判定されてしまうなどの問題がある。ポリティ指標は選挙の競合性に加え三権分立や政治参加の自由度も基準に含まれる。フリーダムハウス指標は選挙制度のほか市民的自由や法の支配も判定基準に加えており、このためDD指標で民主制に分類されるトルコは非自由国に、フィリピンは半自由国に判定される。",
"title": "指標"
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"text": "独裁国家の数は、多くの新独立国が誕生しそのかなりの割合が独裁化した1950年代から1960年代にかけて顕著に増加した後、1970年代半ばよりいわゆる民主化の第三の波の発生によってゆるやかな減少に転じ、1980年代後半に急速に減少して民主主義国家の数を下回るようになり、その後も減少傾向が続いている。ただし、個別には2000年代以降ベネズエラやタイなどのように民主制から独裁制・非民主制へと移行する国家もいくつか出現しており、これをもって2000年代以降に「民主主義の後退」や「権威主義の強化」が起こっているとの学説も存在する。",
"title": "民主化と独裁化"
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"text": "民主制国家が独裁化する場合、クーデターや革命などで民主政府が崩壊する場合と、民主政府が徐々に強権化を進め、民主制が侵食されて独裁制に転ずる場合の、2つのパターンが存在する。このほか、もともと民主制とも独裁制とも呼べない中間的な存在だった政府が権力を強化し、完全な独裁政府となる場合もある。",
"title": "民主化と独裁化"
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"text": "国際社会から独裁国家に民主化圧力がかけられる場合、民主化の成否は圧力を主導する欧米との政治・経済的関係の深さに左右されやすい。欧米との関係が深い場合は独裁体制が崩壊しやすいのに対し、浅い場合は独裁体制が維持されやすくなる。自国の経済的自立性が高い場合ほど独裁体制は民主化圧力に対抗しやすくなる一方、経済規模が小さくめぼしい資源も存在せず、欧米からの政府開発援助に頼る割合が大きい場合は独裁体制は不安定になる。ただしこの場合、独裁体制が崩壊した場合でも民主化するとは限らず、新たな独裁体制が成立する場合も多い。",
"title": "民主化と独裁化"
},
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"text": "自国に豊富な天然資源が存在したり、また政府開発援助や各種施設利用料などによって国内からの徴税に頼らずとも財政を維持することのできる国家をレンティア国家と呼び、こうした国家では独裁政権が維持されやすいとされている。これは、徴税が重要性を持たないため税を負担する国民の政治への発言権が小さくなる一方で、豊富な税外収入をもとに政府が行政サービスを積極的に行い、国民の不満を和らげるためである。",
"title": "民主化と独裁化"
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"text": "共和政ローマ時代の独裁制に注目したドイツ・ワイマール時代の政治学者カール・シュミットは、独裁制と専制政治の違いを「具体的例外性」にみいだしている。シュミットは、「独裁制は、非常時に現行法規を侵犯するが、それは法秩序を回復するという具体的目的に従属し、したがって独裁は、秩序回復ののちには当然に終了する例外的事態である。独裁がこの具体的例外性をうしなえば、専制政治に転化することになる。」とした。",
"title": "専制政治との違い"
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"text": "さらにシュミットは、独裁を「委任的独裁」と「主権的独裁」に分類した。委任的独裁は、現行の憲法秩序が危機に陥った時、憲法秩序を維持するためにその機能を一時的に停止する独裁をいう。憲法の規定に非常大権が定められていれば、この独裁は形式的にも憲法に違反しておらず、「立憲的独裁」とよばれうる。",
"title": "専制政治との違い"
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"text": "これに対して主権的独裁とは、現行憲法ではなく将来実現されるべき憲法秩序、政治イデオロギーにもとづいておこなわれる独裁をいう。この場合の独裁は、主権をもつ人民からその権限を委任されているがゆえに許されるとし、現行法秩序をまったく超越して成立する革命権力がこれに相当する。主権的独裁の歴史的事例としては、フランス革命におけるロベスピエール独裁、ロシア革命や文化大革命における共産党独裁があてはまる。",
"title": "専制政治との違い"
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{
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"text": "英語の独裁政治(Dictatorship)の語源は、古代ローマの独裁官(dictātor)に由来する。ただし近代以前は共和制の国家そのものが少ないため、独裁と言える例は清教徒革命でのオリバー・クロムウェルやフランス革命でのジャコバン派など、わずかな例にとどまる。",
"title": "歴史"
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"text": "19世紀初頭に次々と独立したラテンアメリカ諸国は、ブラジルを除きすべての国が共和制を採用したものの、それは必ずしも民主主義の定着を意味しなかった。各国ではメキシコのアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナやアルゼンチンのフアン・マヌエル・デ・ロサスなどのようなカウディーリョと呼ばれる政治的ボスが台頭し、しばしば独裁者となった。また西アフリカに建国されたリベリアにおいては競合的選挙は行われていたものの野党勢力が非常に弱く、1900年代から1910年代にかけては選挙に野党からの立候補がないことさえあり、真正ホイッグ党による事実上の一党制が成立していた。",
"title": "歴史"
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"text": "第一次世界大戦を画期として、独裁制の二つの大きな流れが生まれた。まずロシア革命の勝者となったボリシェヴィキはソビエト連邦を建国し、プロレタリア独裁の名の下で一党独裁制を取った。さらにソビエトで1924年にヨシフ・スターリンが政権を握ると、スターリニズムのもとで強圧的な政治が行われた。次いで戦間期に入ると、政情不安に陥った中東欧諸国が次々と独裁制国家となった。イタリアで1922年にベニート・ムッソリーニ率いるファシスト党が政権を握ると、ファシズムが政治的な一大潮流となり、1933年にはドイツでアドルフ・ヒトラーが率いる国家社会主義ドイツ労働者党が政権を握り、ナチス・ドイツと呼ばれる全体主義政権を作り上げた。日本もこれらの国に合わせるように、全体主義的傾向が強くなり第二次世界大戦が引き起こされた。",
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"text": "第二次世界大戦が終結すると、日本・イタリア・ドイツ西半部(西ドイツ)は民主化されたものの、ソ連軍が進駐した東ヨーロッパにおいては次々と共産主義の一党独裁国家が樹立されていった。また戦後にアジア諸国の独立が進められたものの、新独立国の政情は不安定なものであり、しばしば独裁政権が樹立された。1960年代に入るとアフリカ諸国の独立が進められ、当初は民主制を取った国家が多かったものの、政情はアジア諸国以上に不安定なものであり、多くの国家が一党制となっていった。このため、1950年代から1960年代にかけて独裁国家の数は急増した。",
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"text": "一方で、1970年代以降は民主化の第三の波と呼ばれる民主化運動が南ヨーロッパを中心に発生し、これを契機に独裁国家の数は減少に転じた。1989年には東欧革命が起こり、東ヨーロッパの共産主義国家は相次いで民主化した。またこれに続く形で1990年代前半にはアフリカ大陸において民主化ラッシュが起き、多党制国家は1989年の7カ国から1995年の38カ国にまで激増した。この時期はアラブ諸国にも民主化の波が押し寄せたものの、いくつかの民主的制度の採用のみで権威主義体制は継続し、目立った民主化は行われなかった。",
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"text": "1980年代後半に民主国家の数が独裁国家を上回るようになったとはいえ、多くの独裁国家が現存している。",
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"text": "現存する国家のうち、中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国は憲法などで公式に「独裁」を明記している。中国は『中華人民共和国憲法』に「社会主義」、「人民民主主義独裁」(中国語では「人民民主専政」)、「党の領導」を明記しており、また中国共産党規約でも「人民民主主義独裁」を明記している。。北朝鮮もまた、『朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法』(2009年改定)に「社会主義」、「独裁」、「党の領導」を明記している。",
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"text": "これらはマルクス・レーニン主義を掲げる社会主義国で、プロレタリア独裁(階級独裁)の概念を根拠に、共産党が国家や社会全体の指導政党として独裁を堅持している。この独裁に対しては、正統派マルクス主義・トロツキズム・社会民主主義・ユーロコミュニズムなど社会主義の内部からも含め、自由主義や民主主義の立場から、複数の批判がある。特に北朝鮮では金日成→金正日→金正恩という形での権力の世襲が続き、最高指導者が軍を直接指導し、朝鮮労働党の党大会は1980年の第6回党大会(英語版、中国語版、朝鮮語版)以降、2016年の第7回党大会までの36年間に渡って開催されないなどした結果、「朝鮮労働党による独裁」ですらなく、「金一族による独裁」(実質的には王朝、絶対君主制)に変質しており、金(キム)王朝(英語版)とも呼ばれている。",
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"text": "その他の地域においても、さまざまな形の独裁制は残存している。アフリカ大陸では上記の1990年代の民主化ラッシュにおいて多くの国家が複数政党制を導入したものの、エリトリアのようにいまだに一党独裁を維持する国家や、カメルーンや赤道ギニアのように複数政党制がまったく形式的なものにとどまり長期独裁政権が維持されている国家が存在し、また現職大統領が任期制限を撤廃して長期政権への移行を狙うケースが頻発している。世界で最も民主化の進んでいない地域であったアラブ諸国の権威主義体制は2010年から2012年にかけてのアラブの春において深刻な打撃を受けたものの、明確に民主化したのはチュニジアのみであり、他の国家において権威主義体制はその後も継続した。とくにペルシャ湾岸の湾岸協力会議加盟諸国は、豊富な石油資源を背景にレンティア国家となり、国民に利益や行政サービスを与えることによって強固な政権への支持を取り付けるほか、各省の大臣など重要ポストを王家や支配家系によって独占する「王朝君主制」と呼ばれる独特のシステムによって支配層の結束を固め、安定した非民主的政権を維持している。",
"title": "歴史"
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] | 独裁政治とは、特定の個人・党派・階級・身分などの少数者が国家権力を独占して行う政治体制のこと。独裁政治では、単独の支配者に権力が集中し、議会政治や合議制が否定される。独裁制(どくさいせい)とも呼ばれる。 ローマの共和政において、元老院の合議制を停止して、独裁官に非常大権を与えたのが起源である。独裁政治や独裁制を、国の基本的な原則として重視する国家のことを独裁国家という。近代以降においては社会主義国・共産主義国・全体主義国・国家主義国の中に多発している。 | {{統治体制}}
[[ファイル:Democracy Index 2022.svg|サムネイル|433x433ピクセル|<center>[[エコノミスト・インテリジェンス・ユニット|EIU]]による[[民主主義指数]]で区分けされた[[世界地図]](2022年年度版)<ref name=":0">{{Cite web |url=https://www.eiu.com/n/campaigns/democracy-index-2022/ |title=Democracy Index 2022 - Economist Intelligence |website=www.eiu.com |access-date=2023-02-03}}</ref></center>
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'''完全民主主義'''
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'''欠陥民主主義'''
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'''混合政治体制'''
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'''独裁政治体制'''
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'''データなし'''
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'''独裁政治'''(どくさいせいじ、{{lang-en-short|dictatorship}})とは、特定の[[個人]]・[[党派]]・[[階級]]・[[身分]]などの[[少数者]]が[[国家]][[権力]]を独占して行う[[政治体制]]のこと<ref name="kb-d">{{コトバンク|独裁政治}}</ref>。独裁政治では、単独の支配者に権力が集中し、[[議会政治]]や[[合議制]]が否定される<ref name="kb-d"/>。'''独裁制'''(どくさいせい)とも呼ばれる。
[[共和政ローマ|ローマの共和政]]において、[[元老院]]の合議制を停止して、[[独裁官]]に非常大権を与えたのが起源である<ref name="kb-d"/>。独裁政治や独裁制を、国の基本的な原則として重視する[[国家]]のことを'''独裁国家'''という。近代以降においては[[社会主義]]国・[[共産主義]]国・[[全体主義]]国・[[国家主義]]国の中に多発している。
== 概要 ==
「独裁政治」という単語は、[[戦争]]や[[内乱]]などの非常事態において法的委任の手続きに基づき、[[独裁官]]に[[支配権]]を与える[[古代ローマ]]の統治方法に由来する。個人の自由を広く認めることは、統治体制崩壊への恐れがあるとし、一般に[[戦時体制|戦時]]や社会の混乱などの抑圧を行う際に多く出現する。
[[File:Historical totalitarian leaders colourized.jpg|thumb|250px|[[独裁者]]たちの写真。左上から[[ヨシフ・スターリン]]、[[アドルフ・ヒトラー]]、[[毛沢東]]、[[ベニート・ムッソリーニ]]、[[金日成]]。]]
[[絶対君主制]]との違いは[[世襲]]を伴わない(後継者は現任者に指名される)ことなどが挙げられる。[[専制政治]]では固定的または[[身分]]的な支配層が非支配層を支配するが([[社会階級]])、独裁政治においては支配者と被支配者の身分は基本的に同一である。ただし、広義の独裁体制([[権威主義]]体制)には絶対君主制なども含まれる。
[[軍事]]的な手続きである[[クーデター]]や[[内戦]]によってそのリーダーが[[独裁者]]となる場合が多いが、[[民主主義]]的な手続きの結果として独裁者が生まれることもある。[[ナチス・ドイツ]]の[[アドルフ・ヒトラー]]は、民主主義、民主憲法である[[ヴァイマル憲法]]のもとで独裁化を果たした例である。独裁政治をとる場合において[[政党]]は必ずしも不要なものではなく、統治の補助・翼賛機構として支配政党を一つ作り、それ以外の政党を認めない[[一党制]]が敷かれることも多い。[[ナチス党]]の[[ドイツ]]、[[共産党]]による[[ソ連]]のような、他党派の活動が禁止・弾圧され、単一の[[政党]]が政治権力を独占的に掌握しているような支配形態や、[[社会主義]]時代の[[東欧諸国]]における[[共産主義]]政党による支配のような、[[複数政党制]]のもとでの事実上の一党独裁は、[[一党独裁制]]と呼ばれる<ref name="kb-i">{{コトバンク|一党独裁}} </ref>。一党独裁は、[[フランス革命]]における[[ジャコバン派#山岳派独裁|山岳派独裁]]をローマの独裁政治に対比したのがはじまりである<ref name="kb-i"/>。一党独裁の場合、対立党・候補の存在しない形式的な[[選挙]]を行い、この選挙結果をもって人民の支持を得たという外見がとられるため、独裁者や独裁国家が民主主義を称することも珍しくない<ref>「第三版 政治学入門」p118-119 加藤秀治郎 芦書房 2011年4月15日第3版第1刷</ref>。[[マルクス・レーニン主義]]を掲げる[[社会主義国]]の一部では、[[プロレタリア独裁]]を根拠に[[共産党]]による[[一党独裁制]]を採用している。もっとも、世界のほとんどの独裁国は同時に[[資本主義]]であることにも見られるように、独裁体制は資本主義体制であってもあり得る。
独裁政治を担う集団は、[[信条]]などの自由を求める民衆層による反抗・反乱の結果、悲惨な末路を辿ることが歴史上少なくない。したがって独裁政治の下では、個人の自由を求める民衆の動向に対して、対処法などの研究を入念に行う。その結果、極めて最初期から強圧的に芽を摘むことが少なくない。
== 全体主義と権威主義 ==
[[File:Franco0001.PNG|thumb|right|150px|長期独裁政権を敷いたスペイン総統フランシスコ・フランコ。]]
非民主主義体制(独裁体制)は、[[全体主義]]体制と[[権威主義]]体制に二分される。全体主義は[[多元主義]]を認めず、唯一の[[イデオロギー]]を奉じ、そしてそれに対し市民を積極的に動員することに特徴がある<ref name="粕谷祐子P90"/>。[[全体主義体制]]は20世紀に現われた新しい体制であり、[[イタリア王国|イタリア]]の[[ファシズム]]や[[ナチス・ドイツ]]、[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]時代の[[ソビエト連邦|ソ連]]などが代表的な例である。これに対し、政治学者の[[ホアン・リンス]]は[[フランシスコ・フランコ]]時代の[[フランコ体制下のスペイン|スペイン]]政治の研究の中でより抑圧が少ないが民主的ではない体制を権威主義体制と名付け、一つの類型として独立させた<ref name="粕谷祐子P90">「比較政治学」p90 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。権威主義体制の特徴は、存在するが限定された多元主義、イデオロギーの弱さと、市民の政治動員を行わず<ref name="粕谷祐子P90"/>、むしろ政治的無関心を奨励する点にある<ref>「政治学の第一歩」p46-47 砂原庸介・稗田健志・多湖淳著 有斐閣 2015年10月15日初版第1刷</ref>。権威主義は全体主義と民主主義の中間にある体制と認識されているが、全体主義国家の減少により非民主主義を総称して権威主義と呼ぶことも多くなった<ref>「政治学の第一歩」p46 砂原庸介・稗田健志・多湖淳著 有斐閣 2015年10月15日初版第1刷</ref><ref>「比較政治学」p90-91 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。また、非民主主義体制・権威主義体制・独裁体制の3つの語の差はあいまいなもので、互換可能なものとして用いられることが多い<ref>「比較政治学」p91 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref><ref>大澤傑、「[https://hdl.handle.net/11605/90 独裁とはなにか : 現代における使用法とその課題]」 『防衛大学校紀要.社会科学分冊』 2016年 第百十三輯 p.137-159, 防衛大学校, 2019年4月10日閲覧</ref>。
== 類型 ==
[[File:Kim Il-sung and Kim Jong-il statues from Flickr.jpg|サムネイル|[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]にある[[平壌直轄市|平壌]][[万寿台]]。独裁政治が行われる国では、しばしば[[個人崇拝]]が行われる。]]
独裁政治は、その独裁の主体によって絶対君主制・文民独裁・[[軍事政権]]の3つに分類される。更に文民独裁は個人独裁と一党独裁とに分けられ、軍事政権についてもクーデター指導者による個人独裁と複数の幹部による集団指導体制([[寡頭制]])とに分けられる。
絶対君主制は、君主が政治権力を握るものであり、政権は[[世襲]]によって継承される。君主および王族によって支配体制が固められていることが多い。4つの分類の中では最も政権維持の期間が長く、安定した体制となっている<ref name="粕谷祐子P149">「比較政治学」p149 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。なお、君主の権力が[[憲法]]により規制されている[[立憲君主制]]については独裁政治とみなされない。
軍事政権は、[[軍]]がそれまでの政府を打倒し直接政治を執るもので、政権は軍のリーダーやエリートが握る。軍が継続して独裁権を握ることはあまり多くなく、上記の4類型のうちで最も持続期間が短い独裁体制であるが、支配体制を固めて長期化する場合も存在する<ref name="粕谷祐子P148">「比較政治学」p148 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。
政権奪取時にある個人が他の有力者を[[粛清]]して権力を一身に集中させることに成功した場合、個人支配型の独裁体制が成立する。政権内に独裁者を脅かすだけの対抗者が存在しないため政権はかなり安定しているが、独裁者個人が死去した場合は終了する<ref name="粕谷祐子P148"/>。
[[一党独裁制]]は、一つの支配政党が独裁権を握るもので、党内で選出された人物が政権首座につくものである。この場合政権のトップには任期が定められていることも多く、後継者はふたたび党内から選出される。権力継承のシステムが確立されているため、絶対君主制に次いで安定度が高く長期化しやすい<ref name="粕谷祐子P149"/>。支配政党の他にいくつかの[[衛星政党]]が存在を許される場合もあるが、こうした衛星政党は支配政党に異議を唱えることは許されず形式的に存続しているだけのもので、実質的には意義を失っている。こうした形式的[[複数政党制]]は[[ヘゲモニー政党制]]と呼ばれ、中華人民共和国や[[東ヨーロッパ]]の一部の国など、[[人民民主主義]]をとる国ではこうした体制が今なお存続している。但し中国の現行体制では、競合的な選挙が行われず共産党以外の政党がまったく名目的なものにすぎないため、これを一党独裁制に分類する立場も存在する<ref>「比較政治学」p145-146 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。
この他に[[シンガポール]]などの開発主義国家においても、[[野党]]自体は存在し競合的な選挙は行われるものの、選挙制度などによって[[政権交代]]が不可能となっている国家が存在する<ref>「比較政治学」p146 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。こうした政体は競合的権威主義と定義され、まったく競合的な選挙の行われない閉鎖的権威主義と区分される<ref>「比較政治学」p150 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。
== 統治 ==
独裁政治は決して民生に無関心なわけではなく、国民に利益を提供することで支持を「買う」ことは珍しくない。むしろ自らの統治体制の正当性を確保するために経済成長を重視し、治安や市民生活に気を配って体制に忠実な市民の育成を図ることも多い<ref>「中東・北アフリカの体制崩壊と民主化 MENA市民革命のゆくえ」p247-248 福富満久 岩波書店 2011年10月18日第1刷発行</ref>。また[[石油]]収入の豊富な独裁国家においては、食料や燃料価格に多額の[[補助金]]を支出して価格を低く抑え、国民からの支持を得ようとする。こうした補助金はより貧しい独裁国家においてもしばしば提供され、廃止の動きが起きた場合は暴動となり、革命につながることさえ珍しくないので、できる限り政府はこれを維持しようとする<ref>「石油の呪い 国家の発展経路はいかに決定されるか」p102-104 マイケル・L・ロス著 松尾昌樹・浜中新吾訳 吉田書店 2017年2月10日初版第1刷発行</ref>。選挙の際に政治家が[[利益誘導]]を行い予算を支持基盤に引っ張ってくることは、民主制のみならず独裁制の形式的選挙においても同様に実施される<ref>「石油の呪い 国家の発展経路はいかに決定されるか」p88 マイケル・L・ロス著 松尾昌樹・浜中新吾訳 吉田書店 2017年2月10日初版第1刷発行</ref>。また、1990年代以降のアラブ独裁諸国においては、[[縁故主義]]に基づく支持層への利権の分配と支持基盤の強化も盛んに行われた<ref>「アラブ諸国の民主化 2011年政変の課題」(イスラームを知る23)p61-63 松本弘 山川出版社 2015年2月20日1版1刷発行</ref>。一方で、独裁による統治は安定とある程度の行政能力をもたらすことも多いため、政情不安を嫌う市民から消極的な支持を受ける場合もある<ref>「アラブ諸国の民主化 2011年政変の課題」(イスラームを知る23)p64-65 松本弘 山川出版社 2015年2月20日1版1刷発行</ref>。
独裁体制下においては[[言論の自由]]や[[報道の自由]]が制限され、[[マスメディア]]は政府の[[統制]]下に置かれ、[[情報操作]]、[[扇動]]、大衆動員の道具とされることが多い。なかでも[[全体主義]]体制下においてはそれが顕著で、ナチス・ドイツでの主に[[ラジオ放送]]を用いた[[世論]]の操作はよく知られている<ref>「メディアと日本人」p101-102 橋元良明 岩波新書 2011年3月18日第1刷</ref>。但し主に国外のマスメディアから容易に[[情報]]が手に入れられ、[[言論統制]]が形骸化している場合は独裁政治には不利な要因となり、[[1970年代]]以降、東欧や[[ラテンアメリカ|中南米]]で独裁体制が次々と倒れる原因ともなった<ref>「現代政治学 第3版」p52-54 加茂利男・大西仁・石田徹・伊東恭彦著 有斐閣 2007年9月30日第3版第1刷</ref>。2010年から2012年にかけての[[アラブの春]]においては、[[インターネット]]がこの役割を果たし、独裁政治を倒す要因のひとつとなった<ref>「中東・北アフリカの体制崩壊と民主化 MENA市民革命のゆくえ」p242-243 福富満久 岩波書店 2011年10月18日第1刷発行</ref>。
== 短所・長所 ==
独裁的な政治体制の下では体制批判は許されず、個人の自由は著しく制限される。民衆の意思表示は抑圧され、反対派は何らかの形で[[粛清|排除]]される。また、為政者の権力行使に抑制が効かずに、恣意的な国家運営に堕すこともあり、国家としての方向性を失って行く場合も多い。
このほかの独裁制の欠点として、現代の[[大国]]や[[先進国]]は[[中華人民共和国|中国]]とシンガポール等を除きすべて程度の差はあれど民主国家であるため、[[発展途上国]]の多い独裁国家は[[外交]]上不利な状況となることが挙げられる。特に[[1990年代]]以降、[[冷戦]]の終結とともに先進諸国が独裁国家への民主化を求める動きが非常に強くなり、発展途上国への[[政府開発援助]]は民主化を前提とすることが多くなった<ref>「国際政治の基礎知識 増補版」p260-264 加藤秀治郎・渡邊啓貴編 芦書房 2002年5月1日増補版第1刷</ref>。なかでも援助に頼る部分の多かった[[アフリカ]]諸国において、先進諸国は独裁国家に対する援助の削減や停止を行い、独裁制国家は民主制国家に対し得られる援助額が非常に少ない状態となった。このことは、1990年代前半において[[ブラックアフリカ]]で急速な民主化をもたらす原因の一つとなった<ref>「アフリカ経済論」p274 北川勝彦・高橋基樹編著 ミネルヴァ書房 2004年11月25日初版第1刷</ref>。
一方で、独裁制はトップの意思の伝達がスムーズであり、有能な独裁者がビジョンに基づき独裁をおこなった場合、国家が大幅に発展することも不可能ではない。こういった体制は[[20世紀]]後半の[[東アジア]]や[[東南アジア]]の[[資本主義]]国に多く見られ、[[開発独裁]]と称された。
== 防止策 ==
[[普通選挙]]による[[間接民主主義|議会制民主主義]]や[[大統領制]]などに加えて、[[権力分立]]や公職の[[多選]]禁止([[アメリカ合衆国|アメリカ]]が[[アメリカ合衆国憲法修正第22条|憲法修正22条]]で定める三選の禁止<ref group="注釈">3期目を目指すには一度退かなければならない。</ref>、[[憲法]]条文による[[大韓民国|韓国]]・[[フィリピン]]・[[チリ]]における再選禁止など)は、政治の独裁化を防ぐ理念に基づくものと考えられている。この考えに基づき、1990年代のアフリカ諸国の民主化においては多くの国家で三選禁止規定が盛り込まれた。しかし90年代末以降、こうして選出された大統領の中で任期制限撤廃の動きを見せるものが相次ぎ、一部の国家では実際に憲法を改正して任期制限を撤廃し、大統領が長期政権を敷くところも現れた<ref>「新・現代アフリカ入門 人びとが変える大陸」p34 勝俣誠 岩波書店 2013年4月19日第1刷発行</ref>。任期制限撤廃の動きはアラブ諸国においても同様に見られた<ref>「アラブ諸国の民主化 2011年政変の課題」(イスラームを知る23)p61 松本弘 山川出版社 2015年2月20日1版1刷発行</ref>。
こうした任期制限は独裁制国家でも導入されている場合があり、例としては中華人民共和国において、国家主席の任期は連続2期までと定められていた。しかし習近平が国家主席となると権力集中の動きが強まり、2018年には憲法を改正して任期制限を撤廃し、2022年からは実際に3期目を務めることとなった<ref>『「個人化」する権威主義体制 侵攻決断と体制変動の条件』p98-101 大澤傑 明石書店 2023年7月20日初版第1刷発行</ref>。
== 指標 ==
[[ファイル:DD classification 2008 dataset Cheibub visualized hanteng en.png|thumb|350px|2008年度民主主義-独裁指標による独裁傾向の世界地図。黄色:君主独裁制、橙色:文民独裁制、赤色:軍事独裁制の3分類が独裁制であり、青・水色・緑は民主制国家]]
[[File:Polity IV 2017.png|thumb|350px|2017年度ポリティ指標による独裁傾向の世界地図。青:完全な民主主義、緑:民主主義、黄色:開放的混合体制、橙色:閉鎖的混合体制、赤:独裁体制]]
[[File:2020 Freedom House world map.png|thumb|350px|2019年度フリーダムハウス指標による独裁傾向の世界地図<ref name="freedomhouse"/>。<br />{{Center|{{legend inline|#00AB81|自由}} {{legend inline|#E7BA09|半自由}} {{legend inline|#6A71A8|非自由}}}}]]
各国の民主・独裁の程度を定量的に評価するために、さまざまな民主主義指標が測定・公開されている。政治学において多く用いられる指標には、民主主義-独裁指標(DD指標、[[:en:Democracy-Dictatorship Index|Democracy-Dictatorship Index]])、ポリティ指標([[:en:Polity data series|Polity data series]])、フリーダムハウス指標([[:en:Freedom in the World|Freedom in the World]])などが存在する<ref>「比較政治学」p93-96 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。
これらの指標の算出基準はそれぞれ異なっており、そのため指標によってある国家が独裁制に分類されるかどうかにも相違が生ずる<ref>「比較政治学」p96-97 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。例えばDD指標は選挙の競合性に的を絞った基準であり、民主制と独裁制を明確な基準で二分することができるが、「選挙による政権交代の有無」を条件に加えている<ref>「比較政治学」p94 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>ため、[[一党優位政党制]]などで[[政権交代]]が起きたことのない場合、民主的な選挙が行われていても独裁制に分類される。このため、他の指標では民主制と判定される[[ボツワナ]]や<ref name="粕谷祐子P97">「比較政治学」p97 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>、同じく[[南アフリカ]]が独裁制と判定されてしまうなどの問題がある<ref>「後退する民主主義、強化される権威主義 最良の政治制度とは何か」p137-138 川中豪編著 ミネルヴァ書房 2018年7月30日初版第1刷発行</ref>。ポリティ指標は選挙の競合性に加え[[三権分立]]や政治参加の自由度も基準に含まれる。フリーダムハウス指標は選挙制度のほか市民的自由や法の支配も判定基準に加えており、このためDD指標で民主制に分類される<ref name="粕谷祐子P97"/>[[トルコ]]は非自由国に<ref name="freedomhouse">{{Cite web|url=https://freedomhouse.org/explore-the-map?type=fiw&year=2020|title=Freedom in the World Countries {{!}} Freedom House|website=freedomhouse.org|language=en|access-date=2020-10-17}}</ref>、[[フィリピン]]は半自由国に判定される<ref name="粕谷祐子P97"/>。
== 民主化と独裁化 ==
独裁国家の数は、多くの新独立国が誕生しそのかなりの割合が独裁化した[[1950年代]]から[[1960年代]]にかけて顕著に増加した<ref name="名前なし-1">「後退する民主主義、強化される権威主義 最良の政治制度とは何か」p5 川中豪編著 ミネルヴァ書房 2018年7月30日初版第1刷発行</ref>後、[[1970年代]]半ばよりいわゆる[[第三の波 (ハンティントン)|民主化の第三の波]]の発生によってゆるやかな減少に転じ、[[1980年代]]後半に急速に減少して民主主義国家の数を下回るようになり、その後も減少傾向が続いている<ref>「後退する民主主義、強化される権威主義 最良の政治制度とは何か」p21-22 川中豪編著 ミネルヴァ書房 2018年7月30日初版第1刷発行</ref>。ただし、個別には[[2000年代]]以降[[ベネズエラ]]や[[タイ王国|タイ]]などのように民主制から独裁制・非民主制へと移行する国家もいくつか出現しており、これをもって2000年代以降に「民主主義の後退」や「権威主義の強化」が起こっているとの学説も存在する<ref>「後退する民主主義、強化される権威主義 最良の政治制度とは何か」p22-25 川中豪編著 ミネルヴァ書房 2018年7月30日初版第1刷発行</ref>。
民主制国家が独裁化する場合、クーデターや革命などで民主政府が崩壊する場合と、民主政府が徐々に強権化を進め、民主制が侵食されて独裁制に転ずる場合の、2つのパターンが存在する。このほか、もともと民主制とも独裁制とも呼べない中間的な存在だった政府が権力を強化し、完全な独裁政府となる場合もある<ref>「後退する民主主義、強化される権威主義 最良の政治制度とは何か」p29-33 川中豪編著 ミネルヴァ書房 2018年7月30日初版第1刷発行</ref>。
国際社会から独裁国家に民主化圧力がかけられる場合、民主化の成否は圧力を主導する欧米との政治・経済的関係の深さに左右されやすい。欧米との関係が深い場合は独裁体制が崩壊しやすいのに対し、浅い場合は独裁体制が維持されやすくなる。自国の経済的自立性が高い場合ほど独裁体制は民主化圧力に対抗しやすくなる一方、経済規模が小さくめぼしい資源も存在せず、欧米からの政府開発援助に頼る割合が大きい場合は独裁体制は不安定になる。ただしこの場合、独裁体制が崩壊した場合でも民主化するとは限らず、新たな独裁体制が成立する場合も多い<ref>「比較政治学」p151-153 粕谷祐子 ミネルヴァ書房 2014年9月30日初版第1刷</ref>。
自国に豊富な[[天然資源]]が存在したり、また政府開発援助や各種施設利用料などによって国内からの[[徴税]]に頼らずとも[[財政]]を維持することのできる国家を[[レンティア国家]]と呼び、こうした国家では独裁政権が維持されやすいとされている<ref>「湾岸産油国 レンティア国家のゆくえ」p66 松尾昌樹 講談社 2010年8月10日第1刷発行</ref>。これは、徴税が重要性を持たないため税を負担する国民の政治への発言権が小さくなる一方で、豊富な税外収入をもとに政府が行政サービスを積極的に行い、国民の不満を和らげるためである<ref>「湾岸産油国 レンティア国家のゆくえ」p73 松尾昌樹 講談社 2010年8月10日第1刷発行</ref>。
== 専制政治との違い ==
[[共和政ローマ]]時代の[[独裁官|独裁制]]に注目した[[ヴァイマル共和政|ドイツ・ワイマール時代]]の政治学者[[カール・シュミット]]は、独裁制と[[専制政治]]の違いを「具体的例外性」にみいだしている。シュミットは、「独裁制は、非常時に現行法規を侵犯するが、それは[[法秩序]]を回復するという具体的目的に従属し、したがって独裁は、秩序回復ののちには当然に終了する例外的事態である。独裁がこの具体的例外性をうしなえば、専制政治に転化することになる。」とした。
さらにシュミットは、独裁を「委任的独裁」と「主権的独裁」に分類した。委任的独裁は、現行の憲法秩序が危機に陥った時、憲法秩序を維持するためにその機能を一時的に停止する独裁をいう。憲法の規定に非常大権が定められていれば、この独裁は形式的にも憲法に違反しておらず、「立憲的独裁」とよばれうる<ref name="名前なし-2">「第三版 政治学入門」p119 加藤秀治郎 芦書房 2011年4月15日第3版第1刷</ref>。
これに対して主権的独裁とは、現行憲法ではなく将来実現されるべき憲法秩序、政治[[イデオロギー]]にもとづいておこなわれる独裁をいう。この場合の独裁は、[[主権]]をもつ[[人民]]からその権限を委任されているがゆえに許されるとし、現行法秩序をまったく超越して成立する革命権力がこれに相当する<ref name="名前なし-2"/>。主権的独裁の歴史的事例としては、[[フランス革命]]における[[マクシミリアン・ロベスピエール|ロベスピエール]]独裁、[[ロシア革命]]や[[文化大革命]]における[[共産党]]独裁があてはまる。
== 歴史 ==
[[File:15-07-05-Schloß-Caputh-RalfR-N3S 1551.jpg|thumb|right|190px|古代ローマの独裁官[[ガイウス・ユリウス・カエサル|ユリウス・カエサル]](ジュリアス・シーザー)。1619年[[ピーテル・パウル・ルーベンス|ルーベンス]]画。]]
=== 近代以前 ===
英語の独裁政治(Dictatorship)の語源は、[[古代ローマ]]の[[独裁官]](dictātor)に由来する。ただし近代以前は共和制の国家そのものが少ないため、独裁と言える例は[[清教徒革命]]での[[オリバー・クロムウェル]]や[[フランス革命]]での[[ジャコバン派]]など、わずかな例にとどまる。
=== 19世紀 ===
19世紀初頭に次々と独立した[[ラテンアメリカ]]諸国は、[[ブラジル]]を除きすべての国が共和制を採用した<ref>「代議制民主主義」p50-51 待鳥聡史 中公新書 2015年11月25日発行</ref>ものの、それは必ずしも民主主義の定着を意味しなかった。各国ではメキシコの[[アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ]]や[[アルゼンチン]]の[[フアン・マヌエル・デ・ロサス]]などのような[[カウディーリョ]]と呼ばれる政治的ボスが台頭し、しばしば独裁者となった<ref> 「ラテンアメリカを知る事典」p119 平凡社 1999年12月10日新訂増補版第1刷</ref>。また[[西アフリカ]]に建国された[[リベリア]]においては競合的選挙は行われていたものの野党勢力が非常に弱く、1900年代から1910年代にかけては選挙に野党からの立候補がないことさえあり、[[ホイッグ党 (リベリア)|真正ホイッグ党]]による事実上の一党制が成立していた<ref>「ユネスコ・アフリカの歴史 第7巻(下)植民地支配下のアフリカ 1880年から1935年まで」内第28章「エチオピアとリベリア、1914年から1935年まで」M.B.アクパン p1061 1988年10月1日第1版第1刷 同朋舎出版</ref>。
=== 20世紀 ===
[[第一次世界大戦]]を画期として、独裁制の二つの大きな流れが生まれた。まず[[ロシア革命]]の勝者となった[[ボリシェヴィキ]]は[[ソビエト連邦]]を建国し、[[プロレタリア独裁]]の名の下で一党独裁制を取った。さらにソビエトで1924年に[[ヨシフ・スターリン]]が政権を握ると、[[スターリニズム]]のもとで強圧的な政治が行われた。次いで戦間期に入ると、政情不安に陥った中東欧諸国が次々と独裁制国家となった。[[イタリア]]で1922年に[[ベニート・ムッソリーニ]]率いる[[ファシスト党]]が政権を握ると、[[ファシズム]]が政治的な一大潮流となり、1933年には[[ドイツ]]で[[アドルフ・ヒトラー]]が率いる[[国家社会主義ドイツ労働者党]]が政権を握り、[[ナチス・ドイツ]]と呼ばれる[[全体主義]]政権を作り上げた。日本もこれらの国に合わせるように、全体主義的傾向が強くなり[[第二次世界大戦]]が引き起こされた。
第二次世界大戦が終結すると、日本・イタリア・ドイツ西半部([[西ドイツ]])は民主化されたものの、ソ連軍が進駐した[[東ヨーロッパ]]においては次々と共産主義の一党独裁国家が樹立されていった。また戦後にアジア諸国の独立が進められたものの、新独立国の政情は不安定なものであり、しばしば独裁政権が樹立された。1960年代に入るとアフリカ諸国の独立が進められ、当初は民主制を取った国家が多かったものの、政情はアジア諸国以上に不安定なものであり、多くの国家が一党制となっていった<ref>「新書アフリカ史 改訂新版」p570 宮本正興・松田素二編 講談社現代新書 2018年11月20日第1刷</ref>。このため、1950年代から1960年代にかけて独裁国家の数は急増した<ref name="名前なし-1"/>。
一方で、1970年代以降は民主化の第三の波と呼ばれる民主化運動が南ヨーロッパを中心に発生し、これを契機に独裁国家の数は減少に転じた。1989年には[[東欧革命]]が起こり、東ヨーロッパの共産主義国家は相次いで民主化した。またこれに続く形で1990年代前半にはアフリカ大陸において民主化ラッシュが起き、多党制国家は1989年の7カ国から1995年の38カ国にまで激増した<ref>「新書アフリカ史 改訂新版」p564 宮本正興・松田素二編 講談社現代新書 2018年11月20日第1刷</ref>。この時期は[[アラブ諸国]]にも民主化の波が押し寄せたものの、いくつかの民主的制度の採用のみで権威主義体制は継続し、目立った民主化は行われなかった<ref>「アラブ諸国の民主化 2011年政変の課題」(イスラームを知る23)p39 松本弘 山川出版社 2015年2月20日1版1刷発行</ref>。
=== 現在 ===
1980年代後半に民主国家の数が独裁国家を上回るようになったとはいえ、多くの独裁国家が現存している。
現存する国家のうち、[[中華人民共和国]]や[[朝鮮民主主義人民共和国]]は[[憲法]]などで公式に「独裁」を明記している。中国は『[[中華人民共和国憲法]]』に「[[社会主義]]」、「[[プロレタリア独裁|人民民主主義独裁]]」(中国語では「人民民主専政」)<ref>{{Lang|zh-cn|《中华人民共和国宪法》第一条 中华人民共和国是工人阶级领导的、以工农联盟为基础的'''人民民主专政'''的'''社会主义'''国家。社会主义制度是中华人民共和国的根本制度。禁止任何组织或者个人破坏社会主义制度。}}(中華人民共和国は、労働者階級の指導する労農同盟を基礎とした人民民主主義独裁の社会主義国家である。社会主義制度は、中華人民共和国の基本となる制度である。いかなる組織又は個人も、社会主義制度を破壊することは、これを禁止する。)</ref>、「[[党の指導性|党の領導]]」<ref>{{Lang|zh-cn|《中华人民共和国宪法》序言 '''中国共产党领导的'''多党合作和政治协商制度将长期存在和发展。}}(中国共産党指導の下における多党協力及び政治協商制度は長期にわたり存在し、発展するであろう。)</ref>を明記しており<ref>[http://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2006_17126/slides/07/8.html 中華人民共和国憲法を読む(2004年、抜粋)]</ref>、また[[中国共産党]]規約でも「[[人民民主主義]]独裁」を明記している。<ref>{{Cite web |url = https://web.archive.org/web/20170913140117/http://jpn_cpc.people.com.cn/69716/4726318.html|title = 人民民主主義独裁の中華人民共和国|website = jpn_cpc.people.com.cn|publisher = 中国共産党ニュース|date = |accessdate = 2020-02-18}}</ref>。[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]もまた、『[[朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法]]』(2009年改定)に「社会主義」、「独裁」、「党の領導」を明記している<ref>[http://www.geocities.co.jp/WallStreet/3277/09kenpou.html 朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法]</ref>。
これらは[[マルクス・レーニン主義]]を掲げる[[社会主義国]]で、[[プロレタリア独裁]](階級独裁)の概念を根拠に、共産党が国家や社会全体の[[指導政党]]として独裁を堅持している。この独裁に対しては、[[正統派マルクス主義]]・[[トロツキズム]]・[[社会民主主義]]・[[ユーロコミュニズム]]など社会主義の内部からも含め、[[自由主義]]や[[民主主義]]の立場から、複数の批判がある。特に北朝鮮では[[金日成]]→[[金正日]]→[[金正恩]]という形での権力の[[世襲]]が続き、最高指導者が[[朝鮮人民軍|軍]]を直接指導し、[[朝鮮労働党]]の党大会は1980年の{{ill2|朝鮮労働党第6次大会|en|6th Congress of the Workers' Party of Korea|zh|朝鲜劳动党第六次代表大会|ko|조선로동당 제6차대회|label = 第6回党大会}}以降、2016年の[[朝鮮労働党第7次大会|第7回党大会]]までの36年間に渡って開催されないなどした結果、「朝鮮労働党による独裁」ですらなく、「金一族による独裁」(実質的には[[王朝]]、[[絶対君主制]])に変質しており、{{仮リンク|金王朝 (北朝鮮)|en|Kim dynasty (North Korea)|label = 金(キム)王朝}}とも呼ばれている。
その他の地域においても、さまざまな形の独裁制は残存している。アフリカ大陸では上記の1990年代の民主化ラッシュにおいて多くの国家が複数政党制を導入したものの、[[エリトリア]]のようにいまだに一党独裁を維持する国家や、[[カメルーン]]や[[赤道ギニア]]のように複数政党制がまったく形式的なものにとどまり長期独裁政権が維持されている国家が存在し、また現職大統領が任期制限を撤廃して長期政権への移行を狙うケースが頻発している<ref>https://www.sankei.com/article/20201111-SQZ6GWGRSBKE5LHDQ2TQH2SPQA/ 「【アフリカウオッチ】アフリカしぼむ民主主義 任期帳消し、強権化…「中露モデル」拡大」産経新聞 2020.11.11 2021年2月15日閲覧</ref>。世界で最も民主化の進んでいない地域であったアラブ諸国の権威主義体制は2010年から2012年にかけての[[アラブの春]]において深刻な打撃を受けたものの、明確に民主化したのは[[チュニジア]]のみであり、他の国家において権威主義体制はその後も継続した<ref>https://www.sankei.com/article/20201216-TUE73NCPZZJVJGNY25KBUFVPSQ/ 「アラブの春から10年 強権統治や内戦、「冬に変わった」」産経新聞 2020.12.16 2021年2月14日閲覧</ref>。とくにペルシャ湾岸の[[湾岸協力会議]]加盟諸国は、豊富な石油資源を背景にレンティア国家となり、国民に利益や行政サービスを与えることによって強固な政権への支持を取り付けるほか、各省の大臣など重要ポストを王家や支配家系によって独占する「王朝君主制」と呼ばれる独特のシステムによって支配層の結束を固め、安定した非民主的政権を維持している<ref>「湾岸産油国 レンティア国家のゆくえ」p96-97 松尾昌樹 講談社 2010年8月10日第1刷発行</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{lang|de|Schmitt, Carl}}、{{lang|de|Die Diktatur: von den Anfangen des modernen Souveranitatsgedankens bis zum proletarischen Klassenkampf}}({{lang|de|München:Duncker und Humblot}}、1921年).([[カール・シュミット]]著、[[田中浩 (政治学者)|田中浩]]・[[原田武雄]]訳『独裁――近代主権論の起源からプロレタリア階級闘争まで』[[未來社]]、1991年。ただし1964年の原著第三版の邦訳)
* Neumann, Sigmund.,''Permanent revolution; the total state in a world at war''(New York:Harper and brothers, 1942).([[シグマンド・ノイマン]]著、[[岩永健吉郎]]・[[岡義達]]・[[高木誠]]訳『大衆国家と独裁――恒久の革命』[[みすず書房]], 1960年/新装版, 1998年)
* Moore, Barrington Jr., ''Social Origins of Dictatorship and Democracy: Lord and Peasant in the Making of th Modern World''(Boston:Beacon Press, 1966).([[バリントン・ムーア]]著、[[宮崎隆次]]・[[森山茂徳]]・[[高橋直樹 (政治学者)|高橋直樹]]訳『独裁と民主政治の社会的起源――近代世界形成過程における領主と農民(1・2)』[[岩波書店]], 1986年)
* [[猪木正道]]著『独裁の政治思想 [三訂版]』、[[創文社]]、2002年、ISBN 4-423-71053-6
* [[佐野誠]]著『近代啓蒙批判とナチズムの病理――カール・シュミットにおける法・国家・ユダヤ人』、[[創文社]]、2003年、ISBN 4-423-71057-9
== 関連項目 ==
* [[絶対君主制]]([[絶対王政]])
* [[一党独裁制]]
** [[一党制]]
** [[党の指導性]]
** [[ヘゲモニー政党制]]
* [[軍事政権]]
* [[専制政治]]
* [[独裁者]]
* [[権威主義]]
* [[ファシズム]]
* [[プロレタリア独裁]]
* [[マルクス主義批判]]
* [[民主集中制]]
* [[情報操作]]
* [[開発独裁]]
* [[統裁合議制]]
* [[スルタニズム]]
* [[民主主義]]
* [[第三の波 (ハンティントン)]]
* [[執権]]
* [[寡頭制]]
* [[失敗国家]]
{{権威主義体制}}
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E8%A3%81%E6%94%BF%E6%B2%BB |
7,089 | 立法 | 立法(、英: legislation)とは、行政および司法と並ぶ国家作用の一つである。形式的意味においては議会の議決を経て法律を制定することをいうが、実質的意味においては特定の法規範を定立させる国家作用のことである。この国家作用を行う権能を立法権という。
この考え方は、19世紀の議会勢力が弱体であったころの立憲君主制の下で採用された見解である。一般的・抽象的な法規範のうち、国民の利益に最も関係のある「自由と財産」に関する権限だけを君主から奪い議会に留保するという考え方によるものである。大日本帝国憲法下における通説的な見解でもある。この考え方によると、国家組織を定める一般的な法規範などは立法の範疇に入らない。
およそ一般的・抽象的な法規範または命題をすべて含むとする説。
この考え方は、議会制民主主義の発展に伴い、前者の考え方では議会の守備範囲が狭すぎるという問題意識から採用されるに至った見解である。「一般的・抽象的」とは、不特定多数の人・場合・事件に適用される法規範であることを意味する。日本国憲法下で通説化した。
近代以後は、実質的意味における立法については議会の関与を必要とするのが一般的である。
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] | 立法(りっぽう、とは、行政および司法と並ぶ国家作用の一つである。形式的意味においては議会の議決を経て法律を制定することをいうが、実質的意味においては特定の法規範を定立させる国家作用のことである。この国家作用を行う権能を立法権という。 | {{出典の明記|date=2012年1月}}
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== 法規の意義 ==
=== 狭義説 ===
この考え方は、[[19世紀]]の議会勢力が弱体であったころの[[立憲君主制]]の下で採用された見解である。一般的・抽象的な法規範のうち、国民の利益に最も関係のある「[[自由]]と[[財産]]」に関する権限だけを[[君主]]から奪い議会に留保するという考え方によるものである。[[大日本帝国憲法]]下における通説的な見解でもある。この考え方によると、国家組織を定める一般的な法規範などは立法の範疇に入らない。
=== 広義説 ===
およそ一般的・抽象的な法規範または[[命題]]をすべて含むとする説。
この考え方は、[[議会制民主主義]]の発展に伴い、前者の考え方では議会の守備範囲が狭すぎるという問題意識から採用されるに至った見解である。「一般的・抽象的」とは、不特定多数の人・場合・事件に適用される法規範であることを意味する。[[日本国憲法]]下で通説化した。
== 立法権の帰属 ==
近代以後は、実質的意味における立法については議会の関与を必要とするのが一般的である。
日本においても、[[日本国憲法]]下では、[[国会 (日本)|国会]]は唯一の立法機関であるとされている([[日本国憲法第41条|同憲法41条]])。
; 国会中心立法の原則
: 国会による立法以外の実質的意味における立法は、憲法の特別の定めがある場合を除いて許されないという原則。例外として、両議院の規則制定権に基づく[[議院規則]]([[日本国憲法第58条|同憲法58条2項]])、最高裁判所の規則制定権に基づく[[最高裁判所規則]]([[日本国憲法第77条|同憲法77条1項]])、[[内閣]]の[[政令]]([[日本国憲法第73条|同憲法73条6号]])及び[[地方公共団体]]の[[条例]]([[日本国憲法第94条|同憲法94条]])がある。
; 国会単独立法の原則
: 国会による立法は、国会以外の機関の参与を必要としないで成立するという原則。例外として、地方特別法制定のための[[住民投票#日本国憲法の規定に基づく住民投票|住民投票]]([[日本国憲法第95条|同憲法95条]])がある。
== 主な国の立法過程 ==
=== 日本 ===
{{Main|法律#日本における立法過程}}
=== イギリス ===
{{See also|法律#英国における立法過程}}
* 【下院([[庶民院 (イギリス)|庶民院]])先議】第1議会→第2議会→委員会審査(通常は公法案委員会・早急時は全院委員会・特別委員会)→報告段階→第3議会{{Efn|字句修正を除き、修正は認められず、賛否についてのみ討論。}}→上院での審議→[[イギリスの君主|国王]]の裁可→'''成立'''→[[公布]]
* 【上院([[貴族院 (イギリス)|貴族院]])先議】第1議会→第2議会→委員会審査(通常は全院委員会)→報告段階→第3議会{{Efn|修正可。}}→下院での審議→国王の裁可→'''成立'''→公布
=== ドイツ ===
* [[連邦政府 (ドイツ)|政府]]→上院([[連邦参議院]])→政府→下院([[ドイツ連邦議会]])への法案提出→第1議会→委員会審査→第2議会・第3議会→上院での審議
** →同意法案
*** 同意→[[連邦大統領 (ドイツ)|大統領]]の認証→'''公布'''
*** 上院による両院協議会の招集要求→両院協議会
**** 修正→下院→上院→同意→大統領の認証→'''公布'''
**** 修正なし→上院→同意→大統領の認証→'''公布'''
** →異議法案
*** 承認→大統領の認証→'''公布'''
*** 上院による両院協議会の招集要求→両院協議会
**** 修正→下院→上院→承認→大統領の認証→'''公布'''
**** 修正なし→上院
***** 承認→大統領の認証→'''公布'''
***** 異議→下院→異議の却下→大統領の認証→'''公布'''
* 下院議員→下院への法案提出→(以下同じ)
* 上院→政府→下院への法案提出→(以下同じ)
=== アメリカ ===
* 【[[アメリカ合衆国下院|下院]]先議】第1議会に法案提出→(小委員会審査)→委員会審査([[公聴会]]・逐条審議・審査報告){{Efn|重要法案の場合、議事進行に関する特別規則が定められる。}}→本会議での審議(全院委員会〈第2議会〉へ移行→最終評決〈第3議会〉→[[アメリカ合衆国上院|上院]]での審議
** →両院一致→'''[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]の署名'''
*** →署名されれば'''成立'''
*** →[[拒否権]]
**** →廃案
**** →両議院の出席議員の2/3の再議決→成立
** →両院不一致
*** →両院協議会→各院での成案の承認→'''大統領の署名'''→(以下同じ)
*** →両院の往復→'''大統領の署名'''→(以下同じ)
* 【[[アメリカ合衆国上院|上院]]先議】法案提出(第1議会・第2議会)→(小委員会審査)→委員会審査([[公聴会]]・逐条審議・審査報告→本会議での審議(最終評決(第3議会))→下院での審議→(以下同じ)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
===注釈===
{{Notelist}}
== 参考文献 ==
* {{PDFlink|[http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/document/2010/200901b.pdf 主要国の議会制度]}}
== 関連項目 ==
* [[権力分立|三権分立]] - 立法、[[行政]]、[[司法]]
* [[違憲審査制]]
* [[議員立法]]
* [[行政立法]]
* [[立法府]]
* [[国会議事堂]]
* [[地方議会]]
* [[議会制民主主義]]
* [[弾劾裁判]]
{{権力分立}}
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[[Category:立法|*]]
[[gl:Ordenamento xurídico]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%B3%95 |
7,090 | 鉄 | 鉄(てつ、旧字体: 鐵、英: iron、羅: ferrum)は、原子番号26の元素である。元素記号はFe。金属元素のひとつで、遷移元素である。太陽や、ほかの天体にも豊富に存在し、地球の地殻の約5 %を占め、大部分は外核・内核にある。
元素記号のFeは、ラテン語での名称「ferrum」に由来する。日本語では、鈍い黒さから「黒鉄」、広く使用されている金属であることから「真鉄」ともいう。大和言葉で「くろがね」とも呼ばれる。旧字体は「鐵」で、また異体字として「銕」「鉃」がある。
「鉄」の旧字体は「鐵」であり、「金・王・哉」に分解できることから本多光太郎は「鐵は金の王なる哉」と評した。「鉄」は「鐵」の略字という説が有力であるが、使用頻度が高いために失われやすい様を表す会意字という説もある。
「鉄」の文字が「金を失う」を連想させて縁起が悪いとして、製鉄業者・鉄道事業者などでは社名やロゴで、「鉄」の代わりにあえて旧字体の「鐵」を用いたり、本来は矢尻という意味の「鉃」字を用いる例がある。
基本的に、水素とヘリウム以外の元素は恒星内部での核融合等により生成される。鉄の場合、主に漸近巨星分枝星の内部でのs過程か、または質量が太陽の8~11倍以上ある輝巨星や超巨星の終末期でのケイ素燃焼過程やその後の重力崩壊によって生成される(なお鉄の同位体のうち自然界において最も存在比率が高い鉄56は重力崩壊の際にニッケル56がベータ崩壊して生まれたものである。詳しくは超新星元素合成を参照のこと)。また、鉄より重い元素はおおむね、上述のs過程や、中性子星同士の衝突などによるr過程によって生成される。地球に多くの鉄56や金や鉛などの元素が含まれるという事実は、太陽系が、過去の超新星爆発等の影響の下に形成されたことを示している(太陽系の形成過程については太陽系の形成と進化#形成を参照)。
前述のとおり、地球内部には鉄が多く含まれており(約30 %)、火山(特に溶岩や火山弾)やそれに伴う熱水鉱床などにより、地表にも新たな鉄鉱床が湧出することがある。地磁気も、地球の核で溶融した鉄が地球の自転と異なる速度で回転することによって生じるとされている。
地球の地殻には多くの鉄が含有されている(濃度が約5 %と高い)にもかかわらず、それと接している海水中の鉄は比較的濃度が低い。これは地球の海水中では水酸化鉄(III)として鉄が除かれてしまうためである。なお、地球の海水中の鉄の濃度は一定ではなく、観測船や海水採取器などからの鉄の溶出による汚染を避けてジョン・マーチン (海洋学者)が調査した結果、海面近くの表層の海水には少なく、逆に深層の海水には多く含まれる、いわゆる栄養塩型の分布をしていることが判明している。
純粋な鉄は白い金属光沢を放つが、イオン化傾向が高いため、湿った空気中では容易に錆を生じ、時間の経過とともに黒ずんだり褐色へと変色したりする。
固体の純鉄は、フェライト(BCC構造)、オーステナイト(FCC構造)、デルタフェライト(BCC構造)の3つの多形がある。911 °C以下ではフェライト、911–1392 °Cはオーステナイト、1392–1536 °Cはデルタフェライト、1536 °C以上は液体の純鉄となる。常温常圧ではフェライトが安定である。強磁性体であるフェライトがキュリー点を超えたところからオーステナイト領域までの770–911 °Cの純鉄の相は、以前はβ鉄と呼ばれていた。
栄養学の立場からみると、鉄は人(生体)にとって必須の元素である。食事制限などで鉄分を欠く時期が続くと、血液中の赤血球数やヘモグロビン量が低下し、貧血などを引き起こす。腸で吸収される鉄は2価のイオンのみであり、3価の鉄イオンは2価に還元されてから吸収される。鉄分を多く含む食品はホウレンソウやレバー、大豆製品などである。ヘム鉄の方が吸収効率が高い。ただし、過剰に摂取すると鉄過剰症になることもある。
自然の鉄の同位体比率は、5.845 %の安定なFe、91.754 %の安定なFe、2.119 %の安定なFe、0.282 %の安定なFe からなる。Feは不安定で比較的短寿命(半減期150万年)なため、自然の鉄中には存在しない。理論的に予測されるFeの二重β崩壊の検出は未確定である。FeとFeの原子核は非常に安定(核子1つあたりの質量欠損が大きい)であり、すべての原子核の中でそれぞれ2番目と3番目に安定である(もっとも安定な核種はNi)。
しばしばすべての原子核の中でFeがもっとも安定とされることがあるが、これは誤りである。このような誤解が広まった理由として、Feの天然存在比がNiやFeよりもはるかに高いことに加え、核子1つあたりの質量を比較した場合にはFeが全原子核中で最小となることが挙げられる。中性子の方が陽子よりもわずかに重いため、核子1つあたりの質量が最小となる核種と質量欠損が最大になる核種は一致しない。また、下記のように恒星の核融合の最終生成物がFeであることを「鉄がもっとも安定であるため」と便宜的に説明されることがあることも誤解を招いていると考えられる。
Feよりも不安定なFeのほうが存在比が高い理由は、星の元素合成の過程で質量数が4の倍数の核種がおもに作られるためである。炭素より重い元素はHeの融合(アルファ反応)によって作られるため、生成する核種の質量数は4の倍数に偏る。太陽質量の4–8倍の質量を持った恒星ではアルファ反応はNiまで進行するが、次のZnの原子核はNiよりも不安定なため、これ以上は反応が進行しない。Niは2度のβ崩壊を経てFeを生成するため、恒星の核融合の最終生成物はFeになる。鉄より重い核種も超新星爆発などであわせて生成するが、その生成プロセスは明確になっていない。
鉄棒などの鉄製品を手に持つと、手に特有の臭いがつく。これは俗に「金属臭」「鉄の臭い」と呼ばれるが、原因は鉄そのものではない(鉄は常温では揮発しない)。研究により、人体の汗に含まれる皮脂分解物と鉄イオンが反応して生じる炭素数7 - 10の直鎖アルデヒド類や1-オクテン-3-オンなどの有機化合物、そしてメチルホスフィン・ジメチルホスフィンなどのホスフィン類がこの臭いの原因であることが確認されている。
道具を作る用材として、石器時代、青銅器時代に続く鉄器時代を形成し、地球人類の文明の基礎を築いた。現在においてももっとも重要、かつ身近な金属元素のひとつで、産業革命以降、ますますその重要性は増している。さまざまな器具・工具や構造物に使われる。炭素などの合金元素の添加により、より硬い鋼となり構造物を構成する構造用鋼などや、工具鋼などの優れたトライボロジー材料にもなる。
安価で比較的加工しやすく、入手しやすい金属であるため、人類にとってもっとも利用価値のある金属元素である。特に産業革命以後は産業の中核をなす材料であり、「産業の米」などとも呼ばれ、「鉄は国家なり」と呼ばれるほど、鉄鋼の生産量は国力の指標ともなった。このため、鉄鋼産業には政府のテコ入れも大きく、第二次世界大戦後の世界的な経済発展にも大きく影響している。現在においても工業生産されている金属の大半は鉄鋼であり、鉄を含まない金属は非鉄金属と呼ばれる。
鉄は、炭素をはじめとする合金元素を添加することで鋼となり、炭素量や焼入れなどを行うことで硬度を調節できる、きわめて使い勝手のいい素材となる。鋼は古くから刃物の素材として使われ、ほとんどの機械は鉄鋼をおもな素材とする。さらに鉄鋼は、鉄道レールの素材となるほか、鉄筋や鉄骨、鋼矢板などとして建築物や土木構築物の構造用部材に使われ大量に消費されている。
鉄に炭素とさまざまな微量金属を加えることで、多様な優れた特性を持つ合金鋼が生み出される。鉄とクロム・ニッケルの合金であるステンレス鋼は腐食しにくく強度が高く、なおかつ見た目に美しく比較的安価な合金として知られる。このため、ステンレス鋼に加工された鉄は、液体や気体を通すパイプ、液体や粉体を貯蔵するタンクや缶、流し台、建築資材などにも用いられるほか、鍋や包丁などの生活用具、家電製品、鉄道車両、自動車部品、産業ロボットなど、あらゆる分野に利用されている。
工具鋼は固体材料の中でもっとも強度増幅能力が高く、超硬材料と比べても高い曲げ強度を有するため、不変形特性が重要でかつ加工形状の自由度が要求される金型に多用される。金属材料でもっとも熱膨張係数が低いインバー、最強の保磁力を持つ磁性材料(ネオジム磁石)も鉄含有合金である。ほかにも、鉄化合物はインクや絵具などの顔料として、赤色顔料のベンガラや青色顔料のプルシアンブルーなどとして使われる。
鉄は強い磁性を持つため、不燃物からの回収が容易であり、再利用率も高い。屑鉄として回収された鉄は、電気炉で再び鉄として再生される。
西洋占星術や錬金術などの神秘主義哲学では、軍神マルスと関連づけられ、その星である火星を象徴する。これは、古くから鉄が武器の材料として利用されたことや、鉄錆がくすんだ血のような色であることに由来すると思われる。また、妖精は冷たい鉄を嫌うという伝説があり、ファンタジー小説において魔法的なものとの相性が悪いとされる。また前述のような理由から「鉄」は「強固なもの」の代名詞となり「鉄の○○」などといえば「強固で倒しがたいもの」という比喩となる(例:鉄則、鉄の掟、鉄人、鉄の女、鉄十字、鉄のカーテン、鉄板ネタ)。
一方の日本では、鉄は邪悪なものを取り除く力を持つと考えられていた時代もあった。たとえば『遠野物語』では、怪力の河童を鉄の針で退治する、山中で身の危険を感じた猟師が魔除け用に持っていた鉄の弾を撃つというエピソードがある。
鉄はその用途から、機械や人工物を象徴する元素として用いられることも多い。対する人間・生物の象徴としては、有機化合物の主要元素である炭素(元素記号C)が用いられる。
鉄生産の90%を占める縞状鉄鉱床は、先カンブリア時代に光合成で酸素が大量に発生して、海水中に溶存していたイオン化した鉄が酸化鉄として沈殿し堆積したことにより生み出された。
その他の鉱床は、マグマによって生み出されたマグマ成鉱床とカーボナタイト鉱床、熱水鉱脈のスカルン鉱床など、硫酸泉や炭酸泉に含まれる鉄が地表を流れるうちに酸化して沈殿した沈殿褐鉄鉱鉱床(沼鉄鉱(英語版))、風化残留鉱床(ラテライト)、漂砂鉱床(砂鉄)などがある。
鉄鉱石が入手しにくい環境や古代では、世界的に沼鉄鉱が重要な資源であった。コークス高炉の技術が発達すると、それまで使用できなかった石炭と共に採掘される鉄分30%で還元しにくい炭酸鉄鉱(菱鉄鉱)が使用されるようになる。
鉄の製錬はしばしば製鉄と呼ばれる。簡単に言えば、鉄鉱石に含まれるさまざまな酸化鉄から酸素を除去して鉄を残す、一種の還元反応である。アルミニウムやチタンと比べて、化学的に比較的小さなエネルギー量でこの反応が進むことが、現在までの鉄の普及において決定的な役割を果たしている。この工程には比較的高い温度(千数百度)の状態を長時間保持することが必要なため、古代文化における製鉄技術の有無は、その文化の技術水準の指標のひとつとすることができる。
製鉄は2つ、もしくは加工まで加えた3つの工程からなる。鉄鉱石とコークスから炭素分の多い銑鉄を得る製銑、銑鉄などから炭素を取り除き炭素分の少ない鋼を作る製鋼、さらに圧延である。製銑には古くは木炭が使われていたが、中国では、前漢時代に燃料として石炭の利用が進み、さらに石炭を焼いて硫黄などの不純物を取り除いたコークスを発明、コークスを使った製鉄が始められた。文献記録としては4世紀の北魏でコークスを使った製鉄の記録がもっとも早い。以来、華北では時代とともにコークス炉が広まり、北宋初期には大半がコークス炉となった。それから1000年以上経ち、森林が減ったことから1620年ごろにイギリスのダッド・ダドリー(英語版)(Dud Dudley)も当時安価に手に入った石炭を使うことを考えて研究を進めた。石炭には硫黄分が多く、そのままでは鉄に硫黄が混ざり使い物にならなかったため、ダッドは石炭を焼いて硫黄などの不純物を取り除いたコークスを発明し、1621年にコークスを使った製鉄方法の特許を取った。しかし1709年からエイブラハム・ダービー1世(英語版)が大々的にコークスで製鉄することを始めるまでは、コークスを使った製鉄の使用は少数にとどまっていた。
日本では古来からたたら吹き(鑪吹き、踏鞴吹き、鈩吹き)と呼ばれる製鉄技法が伝えられている。現在では島根県安来市の山中奥出雲町などの限られた場所で、日本刀の素材製造を目的として半ば観光資源として存続しているが、それと並存し和鋼の進化の延長上にもある先端的特殊鋼に特化した日立金属安来工場がある。
韮山反射炉などの試行はあったが、鉄鉱石を原料とする日本の近代製鉄は1858年1月15日(旧暦1857年(安政4年)12月1日)に始まったと言われ(橋野高炉跡)、幕末以降欧米から多数の製鉄技術者が招かれ日本の近代製鉄は急速に発展した。現在の日本では、鉄鉱石から鉄を取り出す高炉法とスクラップから鉄を再生する電炉法で大半の鉄鋼製品が製造されている。高炉から転炉や連続鋳造工程を経て最終製品まで、一連の製鉄設備が揃った工場群のことを銑鋼一貫製鉄所(もしくは単に製鉄所)と呼び、臨海部に大規模な製鉄所が多数立地していることが、日本の鉄鋼業の特色となっている。日本では電炉法による製造比率が粗鋼換算で30 %強を占める。鉄が社会を循環する体制が整備されており、鉄のリサイクル性の高さと日本における鉄蓄積量の大きさを示している。鉄スクラップは天然資源に乏しい日本にとって貴重な資源であり、これをどう利用するかが、注目されるべき課題とされている。
なお第二次世界大戦後には高炉内壁の磨耗を調べるため、使用する耐火煉瓦に放射性物質コバルト60を混入し、産出する鉄製品の放射線量を測定する手法が用いられているが、これらの鉄は微量な放射線を測定する現場など放射線の影響を排除したい環境に不向きであるため、戦前に生産された放射能を持たない鉄が求められるケースがある。大戦時に建造された軍艦がおもな供給源であり、日本では陸奥から回収した「陸奥鉄」が有名である。
従来の高炉法の場合、下記の欠点があった。
人類が鉄を発見したのは隕石によってとされており、ニッケルを多く含むものは鍛造が可能であった。古代エジプトで紀元前3000年頃に製作された隕石製とみられる鉄環首飾りが発見されている。メソポタミアでは紀元前3300年から紀元前3000年ごろのウルク遺跡から鉄片が見つかっている。カマン・カレホユック遺跡やアラジャホユック遺跡、紀元前20–18世紀ごろのアッシリア人の遺跡からも当時の鍛鉄が見つかっている。
また、地球上で自然界に存在する鉄は酸化しているため還元する必要があった。紀元前1700年頃のヒッタイトではバッチ式の炉を用いた鉄鉱石の還元とその加熱鍛造という高度な製鉄技術により鉄器文化を築いたとされる。トロイ戦争でのヒッタイトの敗北により製鉄技術はヨーロッパ全土に広がった。
しかし、鉄は錆びて土に還ってしまうため古代の歴史的な遺物で鉄製のものはあまり残っていない。
ヨーロッパでは14世紀になっても鉄の生産は鍛造で行われていた。鉄の鋳造は14世紀以降にようやく行われるようになった。鉄の鋳造技術は中国で発明されたといわれているがヨーロッパに伝わらなかった原因は当時の鉄がチルと呼ばれる硬くて脆い鋳鉄だったためともいわれている。ヨーロッパでは産業革命がある18世紀まで鋳鉄は硬くて脆いものとされていたため鍛造の鉄が重宝された。
鉄を生産しているところでは森林破壊が深刻で、16世紀に鉄の生産が増加したイギリスでは、17世紀には鉄生産のための森林破壊が深刻となって木炭が枯渇し始め、製鉄の中心地だったウィールドでは17世紀末になると生産量が盛時だった17世紀前半の半分以下まで落ち込み、18世紀半ばには10分の1まで減少した。18世紀後半にはダービーでコークスを使った精錬が始まる。コークスは石炭を蒸し焼きにしたもので、不純物が少なく鉄の精錬に使うことができ、火力も強かった。コークスの発明により木材資源の心配がなくなり、鉄の生産量も増加した。
青銅の鋳造技術はメソポタミアにはあったが、鉄の鋳造技術は紀元前7世紀頃の中国で開発された。鉄の鋳造は可能となったものの、それは黒鉛を含有しないチルと呼ばれる硬くて脆い鋳鉄だった。紀元前470年頃にはそれを約900〜1000度の酸化鉄内で3日間加熱して白心可鍛鋳鉄にする技術があったという研究もある(歴史的には1772年にフランスのルネ・レオミュールが発明したとされている)。
チンギス・ハーンらの宮殿や歴代皇帝の霊廟とされるモンゴルのアウラガ遺跡から出土した棒状鉄材の化学分析や顕微鏡観察の結果、硫黄の含有量0.52パーセント、銅のそれ0.45パーセントと非常に高く、中国山東省の金嶺鎮鉱山の鉄鉱石に近いことがわかった。モンゴル内地に鉄産地はほとんどなく、鉄の供給源として重視した可能性があるという。
青銅器と鉄器とは紀元前3世紀ごろ、ほぼ同時期に日本へ伝来し、朝鮮半島より輸入され国内へ広まった。
青銅および青銅器は紀元前1世紀ごろより日本で作られるようになった。
鉄器製作は、弥生時代後期後半(1–3世紀)ごろより開始された(北部九州のカラカミ遺跡(壱岐市)や備後の小丸遺跡(三原市))。朝鮮半島で製鉄した鉄素材を入手し鍛鉄を行ったが、製鉄もこの頃より始まったとする研究もある。
6世紀には、出雲地方や吉備で、製鉄が広く行われるようになった。鞴(ふいご)を使い、製鉄炉の作り方は、朝鮮半島からの導入と推定されている。当初の原料は主に鉄鉱石を採掘した。ただし採掘地は限られ、産量も豊富ではなく、その後も、朝鮮半島から鉄素材の入手を続けた。総社市の千引かなくろ谷遺跡は6世紀後半の製鉄炉跡4基、製鉄窯跡3基が見つかっている。
日本の製鉄法はある時期以降は「たたら」と呼ばれる特徴ある鋼塊炉(bloomery)を用い、砂鉄(国内各地で採れ、鉄の含有量も高い)を原料とする直接製鉄法を用いるようになリ、国内各地で安定して自給生産可能となった。
古代、中世においては露天式の野だたら法が頻繁に行われていたが、16世紀中葉より全天候型で送風量を増加した永代たたら法に発展した。この古代以来の日本独自のたたら製鉄法では、玉鋼や包丁鉄といった複数の鉄が同時に得られるために、それがのちの日本刀を生み出す礎となった。
出雲は古代より一貫して日本全国に鉄を供給し、現在でも出雲地方にその文化の名残が認められ、日立金属などの高級特殊鋼メーカーへと変貌を遂げている。
養老律令の規定では、鉄や銅の採取活動に関しては官による採取が優先されるものの、民間による採取を否定したものではなかった(雑令国内条)。これは中国の唐令の規定をそのまま日本に導入したものと考えられる(ただし、中国では宋に入ると民間による採取を禁じる方針に変更されていくことになる)。また、生産に関しても蝦夷と近接する東辺・北辺での鉄の生産を規制する規定は存在していた(関市令弓箭条)が、他に規制の存在をうかがわせる史料は見つかっていない。また、調として鉄や鍬の貢納が指定されていたり、国司が武器や鉄器の原料として民間との間で鉄の交易を図っていたことを示す正税帳の記述もあり、国家による徴収・再分配・放出とは別に民間における鉄のある程度の生産・流通が存在し、王臣家や中小生産者など幅広い層が担っていた。律令国家においては所謂「官営工房」が生産・流通を支配していたとする「官営工房」論が存在しているが、当時の文献や古記録からは国家による鉄や鉄製品の生産・流通の独占管理が行われていた事を示すものは無く、(価格の問題はあるものの)一般に対価さえ支払えば鉄や鉄器の購入が可能であったと考えるのが適切である。
農具が鉄器で作られるようになると、農地の開拓が進んだ。しかし中世初期は鉄は非常に貴重であり、鉄製の農機具は一般農民には私有できず公の持ちものであり、公の農地を耕し、朝借りてきて夕方には洗って返すことになっていた。私有地の耕作には鉄の農機具を使うことができず、生産量が劣った。すなわち、中世の日本の貴族は鉄の所有権を通して遠隔地にある荘園を管理した。
11世紀ごろより鉄の生産量が増えると、鉄が安価に供給されるようになった。個人が鉄の農機具を持つことができるようになると、新たな農地の開墾が進んだ。
戦国時代にあった日本では、1550年代ごろに銃器の生産が普及した。鉄の技術者は鍛冶師、鋳物師と呼ばれた。また、永代たたらの普及により生産量が爆発的に増加したため、生産性の観点から歩止まりのいい砂鉄が採れる中国地方や九州地方への産地の集中が進むこととなった。
当時、鉄の精錬には木炭が使われた(ただし、宋代以降の中国においては石炭の利用が始まる)。日本の森林は再生能力に優れ、幸いにも森林資源に枯渇することがなかった。豊富な砂鉄にも恵まれており、鉄の生産量と加工技術では世界で抜きん出た存在になった。
中世後期から江戸時代にかけて、刀剣は輸出商品として長崎から輸出された。輸出先は中国やヨーロッパである。今日でもヨーロッパ各地の博物館で当時の貴族たちが収集した日本刀を見ることができる。明は一貫して日本との交易を禁じる政策をとってきたが、鄭若曽の『籌海図編』には倭寇が好んだもの(倭好)として「鉄鍋」が挙げられ、謝杰の『虔台倭纂』には「鉄鍋重大物一鍋価至一両銭、重古者千文価至四両、小鍋曁開元永楽銭二銭、及新銭不尚也」(上巻「倭利」)として記し、日本人が小鍋でも永楽銭2銭を出して手に入れようとしたことが記されている。これについて、太田弘毅は16世紀に西日本、特に倭寇とのつながりが強い瀬戸内海沿岸や九州に新興の日本刀産地が発生していることを指摘し、戦国時代に増大する日本刀需要(軍事的、あるいは密輸出用として)を賄うために中国から鉄鍋などの中古の鉄を獲得したと論じる。また、16世紀の明の人で倭寇事情を調べるために日本を訪れて帰国後に『日本一鑑』を著した鄭舜功によれば、「其鉄既脆不可作、多市暹羅鉄作也、而福建鉄向私市彼、以作此」(巻二「器用」)と述べて日本の鉄砲に使われていた鉄がシャムや福建からの密輸品(収奪を含む)であったことを指摘している。さらに、近年において佐々木稔らによって行われた日本産の鉄砲などに用いられた鉄の化学分析によれば、日本の砂鉄には含まれていない銅やニッケル、コバルトなどの磁鉄鉱由来成分の含有が確認されており、佐々木は近世以前の日本国内において磁鉄鉱の鉱床開発が確認できない以上、国外から輸入された銑鉄などが流通していたと考えざるを得ないと指摘する。
壊れた鉄製品を修復する需要があり、鉄の加工技術は日本各地で一般化していった。鍛接・鋳掛けのほかにも、金属の接合にはろう付け・リベットが使われた。
鋳物業の盛んな富山県高岡市にも鋳物師の伝統である高岡銅器があり、この地域には古い技術がよく伝承されている。現在でもYKK、新日軽といった金属加工関係の大企業の工場が富山県に多くあるのはこの伝統と無縁ではない。江戸幕末には、艦砲を備えた艦隊の武力を背景に開国を迫る西洋に対抗するために、大砲鋳造用の反射炉が各地に建造された(韮山反射炉などが挙げられる)。これらは明治時代になるとより効率のいい高炉にとって代わられた。
鉄の生物学的役割は非常に重要である。赤血球の中に含まれるヘモグロビンは、鉄のイオンを利用して酸素を運搬している。ヘモグロビン1分子には4つの鉄(II)イオンが存在し、それぞれがポルフィリンという有機化合物と錯体を形成した状態で存在する。この錯体はヘムと呼ばれ、ミオグロビン、カタラーゼ、シトクロムなどのタンパク質にも含まれる。ヘモグロビンと酸素分子の結合は弱く、筋肉のような酸素を利用する組織に到着すると容易に酸素を放出することができる。
フェリチンは鉄を貯蔵する機能を持つタンパク質ファミリーである。その核は鉄(III)イオン、酸化物イオン、水酸化物イオン、リン酸イオンからなる巨大なクラスター(オキソヒドロキソリン酸鉄)で、分子あたり4500個もの鉄イオンを含む。
肉や魚のミオグロビンやヘモグロビンに由来するポルフィリンと結合した鉄はヘム鉄(おもに動物性)と呼ばれ、非ヘム鉄(おもに植物性)と比較して2–3倍体内への吸収率が高い。非ヘム鉄はビタミンCと一緒に摂取すると、水溶性の高いFe2+に還元されて体内への吸収が促進されるが、玄米などの全粒穀物に含まれるフィチン酸、お茶や野菜類に含まれるポリフェノールなどは非ヘム鉄の吸収を阻害する。肉に含まれるヘム鉄は発がん性のあるニトロソアミンの生成を促し、さらに加工肉では亜硝酸ナトリウムや硝酸ナトリウムがこれを生成する。
ヘプシジン(英語版)は肝臓で産生される一種のペプチドホルモンであり、鉄代謝の制御を行っている。ヘプシジンは腸からの鉄の過剰な吸収を抑制する作用を有する。ヘプシジン産生障害は鉄過剰症を引き起こす。多くの病原体はその増殖に多量の鉄を要するため、ヘプシジンが血清鉄濃度を低下させることは炎症の原因となる菌の増殖を抑制して抗菌作用も発揮することになる。
ラクトフェリンは、母乳・涙・汗・唾液などの外分泌液中に含まれる鉄結合性の糖タンパク質である。ラクトフェリンは、強力な抗菌活性を持つことが知られている。グラム陽性・グラム陰性に関係なく、多くの細菌は生育に鉄が必要である。トランスフェリンと同様、ラクトフェリンは鉄を奪い去ることで、細菌の増殖を抑制する。
ヒトの場合、ヘモグロビンの原料である体内の鉄分が不足すると、ヘモグロビンが十分に合成できないため酸素の運搬量が不足し、鉄欠乏性貧血を起こすことがある。また鉄不足は疾病リスクの上昇につながることが示唆されてきており、鉄分を充分に補充する必要がある。鉄分は、レバーやホウレンソウなどの食品に多く含まれ、そのほかに鉄分を多く含む食品は、ひじき、海苔、ゴマ、パセリ、アサリ、シジミなどである。これらを摂取することで鉄分の不足が改善される。
また鉄の溶解度が小さい土壌で育てられる植物などでは、鉄吸収が不足することで植物の成長が止まり黄化することがある。この症状は、土壌に水溶性型の鉄肥料を与えるなどすると一時的に改善されるが、植物中に含まれる鉄量が増えるわけではなく、ビタミンAの含有量が増えることが分かっている。したがって、鉄肥料を与えることは植物中の鉄分ではなくビタミンAを増やすことに役立つ。植物の鉄欠乏を長期的に改善するには、土壌に大量の硫黄を投入するなどして、土壌質を変える必要がある。なお陸上植物に限らず、藻類も微量の鉄を必要とする。
一方で、過剰な鉄の摂取は生体にとって有害である。ヒトでは食生活の問題による鉄の蓄積(バンツー血鉄症など)や、度重なる輸血による鉄の蓄積などが知られている。自由な鉄原子は過酸化物と反応しフリーラジカルを生成し、これがDNAやタンパク質、および脂質を破壊するためである。細胞中で鉄を束縛するトランスフェリンの量を超えて鉄を摂取すると、これによって自由な鉄原子が生じ、鉄中毒となる。余剰の鉄はフェリチンやヘモジデリンにも貯蔵隔離される。過剰の鉄はこれらのタンパク質に結合していない自由鉄を生じる。自由鉄がフェントン反応を介してヒドロキシラジカルなどの活性酸素を発生させる。発生した活性酸素は細胞のタンパク質やDNAを損傷させる。活性酸素が各臓器を攻撃し、肝臓には肝炎、肝硬変、肝臓がんを、膵臓には糖尿病、膵臓癌を、心臓には心不全を引き起こす。脂肪肝においては、血清フェリチンの増加がしばしばみられ、脂肪肝の中でも非アルコール性脂肪性肝炎(NASH)を含んだ非アルコール性脂肪性肝疾患では、肝組織内の鉄の過剰が肝障害の増悪因子と考えられている。ヒトの体には鉄を排出する効率的なメカニズムがなく、粘膜や粘液に含まれる1–2 mg/日程度の少量の鉄が排出されるだけであるため、ヒトが吸収できる鉄の量は1–2 mg/日程度と非常に少ない。しかし血中の鉄分が一定限度を超えると、鉄の吸収をコントロールしている消化器官の細胞が破壊される。このため、高濃度の鉄が蓄積すると、ヒトの心臓や肝臓に恒久的な損傷が及ぶことがあり、致死性の中毒症状を発症する。
米国科学アカデミーが公表しているDRI指数によれば、ヒトが1日のうちに許容できる鉄分は、大人で45 mg、14歳以下の子どもは40 mgまでである。摂取量が体重1 kgあたり20 mgを超えると鉄中毒の症状を呈する。鉄の致死量は体重1 kgあたり60 mgである。6歳以下の子どもが鉄中毒で死亡するおもな原因として、硫酸鉄を含んだ大人向けの錠剤の誤飲である。
なお、遺伝的な要因により、鉄の吸収ができない人々もいる。第六染色体のHLA-H遺伝子に欠陥を持つ人は、過剰に鉄を摂取するとヘモクロマトーシスなどの鉄分過剰症になり、肝臓あるいは心臓に異変をきたすことがある。ヘモクロマトーシスを患う人は、白人では全体の0.3–0.8 %と推定されているが、多くの人は自分が鉄過剰症であることに気づいていないため、一般に鉄分補給のための錠剤を摂取する場合は、特に鉄欠乏症でない限り、医師に相談することが望ましい。
鉄の過剰摂取による臓器への鉄の沈着は種々の慢性疾患の発症リスクを高めるため耐容上限量が設定されている。日本で定める耐容上限量は15歳以上の男性が一律に50 mg/日、女性が40 mg/日である。耐容上限量を算出するため、二重盲検試験において、非ヘム鉄(フマル酸鉄)を60 mg/日のグループと、ヘム鉄と非ヘム鉄混合を18 mg/日(豚血液由来 ヘム鉄2 mg/日+フマル酸鉄16 mg/日)グループと、 偽薬投与グループに分けて試験した結果、非ヘム鉄投与グループは他群と比較して便秘や胃腸症状などの健康障害の有訴率が有意に高かった。また、南アフリカのバンツー族で、バンツー鉄沈着症という病気が発生したが、 これは鉄を大量に含むビールの常飲や、鉄鍋由来の鉄により 鉄摂取量が50–100 mg/日となったためだと考えられ、バンツー鉄沈着症は鉄摂取量がおよそ100 mg/日を超えると発生すると推定される。そのことから算出した日本での耐容上限量は、15歳以上男性に対する耐容上限量を一律に50 mg/日とし、女性は体重差を考慮し15歳以上一律に40 mg/日とした。また、アメリカ・カナダの食事摂取基準では、二重盲検試験から算出した耐容上限量で、男女とも成人の鉄の耐容上限量を一律に 45 mg/日としている。また、FAO/WHOは暫定耐容最大1日摂取量(provisional maximal tolerable intake)を0.8 mg/kg 体重/日と定めているが、根拠は不明である。
鉄の同位体の1種であるFeは、鉄動態検査に用いられる。 | [
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"text": "鉄(てつ、旧字体: 鐵、英: iron、羅: ferrum)は、原子番号26の元素である。元素記号はFe。金属元素のひとつで、遷移元素である。太陽や、ほかの天体にも豊富に存在し、地球の地殻の約5 %を占め、大部分は外核・内核にある。",
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"text": "元素記号のFeは、ラテン語での名称「ferrum」に由来する。日本語では、鈍い黒さから「黒鉄」、広く使用されている金属であることから「真鉄」ともいう。大和言葉で「くろがね」とも呼ばれる。旧字体は「鐵」で、また異体字として「銕」「鉃」がある。",
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"text": "「鉄」の旧字体は「鐵」であり、「金・王・哉」に分解できることから本多光太郎は「鐵は金の王なる哉」と評した。「鉄」は「鐵」の略字という説が有力であるが、使用頻度が高いために失われやすい様を表す会意字という説もある。",
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"text": "「鉄」の文字が「金を失う」を連想させて縁起が悪いとして、製鉄業者・鉄道事業者などでは社名やロゴで、「鉄」の代わりにあえて旧字体の「鐵」を用いたり、本来は矢尻という意味の「鉃」字を用いる例がある。",
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"text": "基本的に、水素とヘリウム以外の元素は恒星内部での核融合等により生成される。鉄の場合、主に漸近巨星分枝星の内部でのs過程か、または質量が太陽の8~11倍以上ある輝巨星や超巨星の終末期でのケイ素燃焼過程やその後の重力崩壊によって生成される(なお鉄の同位体のうち自然界において最も存在比率が高い鉄56は重力崩壊の際にニッケル56がベータ崩壊して生まれたものである。詳しくは超新星元素合成を参照のこと)。また、鉄より重い元素はおおむね、上述のs過程や、中性子星同士の衝突などによるr過程によって生成される。地球に多くの鉄56や金や鉛などの元素が含まれるという事実は、太陽系が、過去の超新星爆発等の影響の下に形成されたことを示している(太陽系の形成過程については太陽系の形成と進化#形成を参照)。",
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"text": "前述のとおり、地球内部には鉄が多く含まれており(約30 %)、火山(特に溶岩や火山弾)やそれに伴う熱水鉱床などにより、地表にも新たな鉄鉱床が湧出することがある。地磁気も、地球の核で溶融した鉄が地球の自転と異なる速度で回転することによって生じるとされている。",
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"text": "地球の地殻には多くの鉄が含有されている(濃度が約5 %と高い)にもかかわらず、それと接している海水中の鉄は比較的濃度が低い。これは地球の海水中では水酸化鉄(III)として鉄が除かれてしまうためである。なお、地球の海水中の鉄の濃度は一定ではなく、観測船や海水採取器などからの鉄の溶出による汚染を避けてジョン・マーチン (海洋学者)が調査した結果、海面近くの表層の海水には少なく、逆に深層の海水には多く含まれる、いわゆる栄養塩型の分布をしていることが判明している。",
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"text": "純粋な鉄は白い金属光沢を放つが、イオン化傾向が高いため、湿った空気中では容易に錆を生じ、時間の経過とともに黒ずんだり褐色へと変色したりする。",
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"text": "固体の純鉄は、フェライト(BCC構造)、オーステナイト(FCC構造)、デルタフェライト(BCC構造)の3つの多形がある。911 °C以下ではフェライト、911–1392 °Cはオーステナイト、1392–1536 °Cはデルタフェライト、1536 °C以上は液体の純鉄となる。常温常圧ではフェライトが安定である。強磁性体であるフェライトがキュリー点を超えたところからオーステナイト領域までの770–911 °Cの純鉄の相は、以前はβ鉄と呼ばれていた。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "栄養学の立場からみると、鉄は人(生体)にとって必須の元素である。食事制限などで鉄分を欠く時期が続くと、血液中の赤血球数やヘモグロビン量が低下し、貧血などを引き起こす。腸で吸収される鉄は2価のイオンのみであり、3価の鉄イオンは2価に還元されてから吸収される。鉄分を多く含む食品はホウレンソウやレバー、大豆製品などである。ヘム鉄の方が吸収効率が高い。ただし、過剰に摂取すると鉄過剰症になることもある。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "自然の鉄の同位体比率は、5.845 %の安定なFe、91.754 %の安定なFe、2.119 %の安定なFe、0.282 %の安定なFe からなる。Feは不安定で比較的短寿命(半減期150万年)なため、自然の鉄中には存在しない。理論的に予測されるFeの二重β崩壊の検出は未確定である。FeとFeの原子核は非常に安定(核子1つあたりの質量欠損が大きい)であり、すべての原子核の中でそれぞれ2番目と3番目に安定である(もっとも安定な核種はNi)。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "しばしばすべての原子核の中でFeがもっとも安定とされることがあるが、これは誤りである。このような誤解が広まった理由として、Feの天然存在比がNiやFeよりもはるかに高いことに加え、核子1つあたりの質量を比較した場合にはFeが全原子核中で最小となることが挙げられる。中性子の方が陽子よりもわずかに重いため、核子1つあたりの質量が最小となる核種と質量欠損が最大になる核種は一致しない。また、下記のように恒星の核融合の最終生成物がFeであることを「鉄がもっとも安定であるため」と便宜的に説明されることがあることも誤解を招いていると考えられる。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "Feよりも不安定なFeのほうが存在比が高い理由は、星の元素合成の過程で質量数が4の倍数の核種がおもに作られるためである。炭素より重い元素はHeの融合(アルファ反応)によって作られるため、生成する核種の質量数は4の倍数に偏る。太陽質量の4–8倍の質量を持った恒星ではアルファ反応はNiまで進行するが、次のZnの原子核はNiよりも不安定なため、これ以上は反応が進行しない。Niは2度のβ崩壊を経てFeを生成するため、恒星の核融合の最終生成物はFeになる。鉄より重い核種も超新星爆発などであわせて生成するが、その生成プロセスは明確になっていない。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "鉄棒などの鉄製品を手に持つと、手に特有の臭いがつく。これは俗に「金属臭」「鉄の臭い」と呼ばれるが、原因は鉄そのものではない(鉄は常温では揮発しない)。研究により、人体の汗に含まれる皮脂分解物と鉄イオンが反応して生じる炭素数7 - 10の直鎖アルデヒド類や1-オクテン-3-オンなどの有機化合物、そしてメチルホスフィン・ジメチルホスフィンなどのホスフィン類がこの臭いの原因であることが確認されている。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "道具を作る用材として、石器時代、青銅器時代に続く鉄器時代を形成し、地球人類の文明の基礎を築いた。現在においてももっとも重要、かつ身近な金属元素のひとつで、産業革命以降、ますますその重要性は増している。さまざまな器具・工具や構造物に使われる。炭素などの合金元素の添加により、より硬い鋼となり構造物を構成する構造用鋼などや、工具鋼などの優れたトライボロジー材料にもなる。",
"title": "鉄の利用と文化"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "安価で比較的加工しやすく、入手しやすい金属であるため、人類にとってもっとも利用価値のある金属元素である。特に産業革命以後は産業の中核をなす材料であり、「産業の米」などとも呼ばれ、「鉄は国家なり」と呼ばれるほど、鉄鋼の生産量は国力の指標ともなった。このため、鉄鋼産業には政府のテコ入れも大きく、第二次世界大戦後の世界的な経済発展にも大きく影響している。現在においても工業生産されている金属の大半は鉄鋼であり、鉄を含まない金属は非鉄金属と呼ばれる。",
"title": "鉄の利用と文化"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "鉄は、炭素をはじめとする合金元素を添加することで鋼となり、炭素量や焼入れなどを行うことで硬度を調節できる、きわめて使い勝手のいい素材となる。鋼は古くから刃物の素材として使われ、ほとんどの機械は鉄鋼をおもな素材とする。さらに鉄鋼は、鉄道レールの素材となるほか、鉄筋や鉄骨、鋼矢板などとして建築物や土木構築物の構造用部材に使われ大量に消費されている。",
"title": "鉄の利用と文化"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "鉄に炭素とさまざまな微量金属を加えることで、多様な優れた特性を持つ合金鋼が生み出される。鉄とクロム・ニッケルの合金であるステンレス鋼は腐食しにくく強度が高く、なおかつ見た目に美しく比較的安価な合金として知られる。このため、ステンレス鋼に加工された鉄は、液体や気体を通すパイプ、液体や粉体を貯蔵するタンクや缶、流し台、建築資材などにも用いられるほか、鍋や包丁などの生活用具、家電製品、鉄道車両、自動車部品、産業ロボットなど、あらゆる分野に利用されている。",
"title": "鉄の利用と文化"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "工具鋼は固体材料の中でもっとも強度増幅能力が高く、超硬材料と比べても高い曲げ強度を有するため、不変形特性が重要でかつ加工形状の自由度が要求される金型に多用される。金属材料でもっとも熱膨張係数が低いインバー、最強の保磁力を持つ磁性材料(ネオジム磁石)も鉄含有合金である。ほかにも、鉄化合物はインクや絵具などの顔料として、赤色顔料のベンガラや青色顔料のプルシアンブルーなどとして使われる。",
"title": "鉄の利用と文化"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "鉄は強い磁性を持つため、不燃物からの回収が容易であり、再利用率も高い。屑鉄として回収された鉄は、電気炉で再び鉄として再生される。",
"title": "鉄の利用と文化"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "西洋占星術や錬金術などの神秘主義哲学では、軍神マルスと関連づけられ、その星である火星を象徴する。これは、古くから鉄が武器の材料として利用されたことや、鉄錆がくすんだ血のような色であることに由来すると思われる。また、妖精は冷たい鉄を嫌うという伝説があり、ファンタジー小説において魔法的なものとの相性が悪いとされる。また前述のような理由から「鉄」は「強固なもの」の代名詞となり「鉄の○○」などといえば「強固で倒しがたいもの」という比喩となる(例:鉄則、鉄の掟、鉄人、鉄の女、鉄十字、鉄のカーテン、鉄板ネタ)。",
"title": "鉄の利用と文化"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "一方の日本では、鉄は邪悪なものを取り除く力を持つと考えられていた時代もあった。たとえば『遠野物語』では、怪力の河童を鉄の針で退治する、山中で身の危険を感じた猟師が魔除け用に持っていた鉄の弾を撃つというエピソードがある。",
"title": "鉄の利用と文化"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "鉄はその用途から、機械や人工物を象徴する元素として用いられることも多い。対する人間・生物の象徴としては、有機化合物の主要元素である炭素(元素記号C)が用いられる。",
"title": "鉄の利用と文化"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "鉄生産の90%を占める縞状鉄鉱床は、先カンブリア時代に光合成で酸素が大量に発生して、海水中に溶存していたイオン化した鉄が酸化鉄として沈殿し堆積したことにより生み出された。",
"title": "製法"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "その他の鉱床は、マグマによって生み出されたマグマ成鉱床とカーボナタイト鉱床、熱水鉱脈のスカルン鉱床など、硫酸泉や炭酸泉に含まれる鉄が地表を流れるうちに酸化して沈殿した沈殿褐鉄鉱鉱床(沼鉄鉱(英語版))、風化残留鉱床(ラテライト)、漂砂鉱床(砂鉄)などがある。",
"title": "製法"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "鉄鉱石が入手しにくい環境や古代では、世界的に沼鉄鉱が重要な資源であった。コークス高炉の技術が発達すると、それまで使用できなかった石炭と共に採掘される鉄分30%で還元しにくい炭酸鉄鉱(菱鉄鉱)が使用されるようになる。",
"title": "製法"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "鉄の製錬はしばしば製鉄と呼ばれる。簡単に言えば、鉄鉱石に含まれるさまざまな酸化鉄から酸素を除去して鉄を残す、一種の還元反応である。アルミニウムやチタンと比べて、化学的に比較的小さなエネルギー量でこの反応が進むことが、現在までの鉄の普及において決定的な役割を果たしている。この工程には比較的高い温度(千数百度)の状態を長時間保持することが必要なため、古代文化における製鉄技術の有無は、その文化の技術水準の指標のひとつとすることができる。",
"title": "製法"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "製鉄は2つ、もしくは加工まで加えた3つの工程からなる。鉄鉱石とコークスから炭素分の多い銑鉄を得る製銑、銑鉄などから炭素を取り除き炭素分の少ない鋼を作る製鋼、さらに圧延である。製銑には古くは木炭が使われていたが、中国では、前漢時代に燃料として石炭の利用が進み、さらに石炭を焼いて硫黄などの不純物を取り除いたコークスを発明、コークスを使った製鉄が始められた。文献記録としては4世紀の北魏でコークスを使った製鉄の記録がもっとも早い。以来、華北では時代とともにコークス炉が広まり、北宋初期には大半がコークス炉となった。それから1000年以上経ち、森林が減ったことから1620年ごろにイギリスのダッド・ダドリー(英語版)(Dud Dudley)も当時安価に手に入った石炭を使うことを考えて研究を進めた。石炭には硫黄分が多く、そのままでは鉄に硫黄が混ざり使い物にならなかったため、ダッドは石炭を焼いて硫黄などの不純物を取り除いたコークスを発明し、1621年にコークスを使った製鉄方法の特許を取った。しかし1709年からエイブラハム・ダービー1世(英語版)が大々的にコークスで製鉄することを始めるまでは、コークスを使った製鉄の使用は少数にとどまっていた。",
"title": "製法"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "日本では古来からたたら吹き(鑪吹き、踏鞴吹き、鈩吹き)と呼ばれる製鉄技法が伝えられている。現在では島根県安来市の山中奥出雲町などの限られた場所で、日本刀の素材製造を目的として半ば観光資源として存続しているが、それと並存し和鋼の進化の延長上にもある先端的特殊鋼に特化した日立金属安来工場がある。",
"title": "製法"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "韮山反射炉などの試行はあったが、鉄鉱石を原料とする日本の近代製鉄は1858年1月15日(旧暦1857年(安政4年)12月1日)に始まったと言われ(橋野高炉跡)、幕末以降欧米から多数の製鉄技術者が招かれ日本の近代製鉄は急速に発展した。現在の日本では、鉄鉱石から鉄を取り出す高炉法とスクラップから鉄を再生する電炉法で大半の鉄鋼製品が製造されている。高炉から転炉や連続鋳造工程を経て最終製品まで、一連の製鉄設備が揃った工場群のことを銑鋼一貫製鉄所(もしくは単に製鉄所)と呼び、臨海部に大規模な製鉄所が多数立地していることが、日本の鉄鋼業の特色となっている。日本では電炉法による製造比率が粗鋼換算で30 %強を占める。鉄が社会を循環する体制が整備されており、鉄のリサイクル性の高さと日本における鉄蓄積量の大きさを示している。鉄スクラップは天然資源に乏しい日本にとって貴重な資源であり、これをどう利用するかが、注目されるべき課題とされている。",
"title": "製法"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "なお第二次世界大戦後には高炉内壁の磨耗を調べるため、使用する耐火煉瓦に放射性物質コバルト60を混入し、産出する鉄製品の放射線量を測定する手法が用いられているが、これらの鉄は微量な放射線を測定する現場など放射線の影響を排除したい環境に不向きであるため、戦前に生産された放射能を持たない鉄が求められるケースがある。大戦時に建造された軍艦がおもな供給源であり、日本では陸奥から回収した「陸奥鉄」が有名である。",
"title": "製法"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "従来の高炉法の場合、下記の欠点があった。",
"title": "製法"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "人類が鉄を発見したのは隕石によってとされており、ニッケルを多く含むものは鍛造が可能であった。古代エジプトで紀元前3000年頃に製作された隕石製とみられる鉄環首飾りが発見されている。メソポタミアでは紀元前3300年から紀元前3000年ごろのウルク遺跡から鉄片が見つかっている。カマン・カレホユック遺跡やアラジャホユック遺跡、紀元前20–18世紀ごろのアッシリア人の遺跡からも当時の鍛鉄が見つかっている。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "また、地球上で自然界に存在する鉄は酸化しているため還元する必要があった。紀元前1700年頃のヒッタイトではバッチ式の炉を用いた鉄鉱石の還元とその加熱鍛造という高度な製鉄技術により鉄器文化を築いたとされる。トロイ戦争でのヒッタイトの敗北により製鉄技術はヨーロッパ全土に広がった。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "しかし、鉄は錆びて土に還ってしまうため古代の歴史的な遺物で鉄製のものはあまり残っていない。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "ヨーロッパでは14世紀になっても鉄の生産は鍛造で行われていた。鉄の鋳造は14世紀以降にようやく行われるようになった。鉄の鋳造技術は中国で発明されたといわれているがヨーロッパに伝わらなかった原因は当時の鉄がチルと呼ばれる硬くて脆い鋳鉄だったためともいわれている。ヨーロッパでは産業革命がある18世紀まで鋳鉄は硬くて脆いものとされていたため鍛造の鉄が重宝された。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "鉄を生産しているところでは森林破壊が深刻で、16世紀に鉄の生産が増加したイギリスでは、17世紀には鉄生産のための森林破壊が深刻となって木炭が枯渇し始め、製鉄の中心地だったウィールドでは17世紀末になると生産量が盛時だった17世紀前半の半分以下まで落ち込み、18世紀半ばには10分の1まで減少した。18世紀後半にはダービーでコークスを使った精錬が始まる。コークスは石炭を蒸し焼きにしたもので、不純物が少なく鉄の精錬に使うことができ、火力も強かった。コークスの発明により木材資源の心配がなくなり、鉄の生産量も増加した。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "青銅の鋳造技術はメソポタミアにはあったが、鉄の鋳造技術は紀元前7世紀頃の中国で開発された。鉄の鋳造は可能となったものの、それは黒鉛を含有しないチルと呼ばれる硬くて脆い鋳鉄だった。紀元前470年頃にはそれを約900〜1000度の酸化鉄内で3日間加熱して白心可鍛鋳鉄にする技術があったという研究もある(歴史的には1772年にフランスのルネ・レオミュールが発明したとされている)。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "チンギス・ハーンらの宮殿や歴代皇帝の霊廟とされるモンゴルのアウラガ遺跡から出土した棒状鉄材の化学分析や顕微鏡観察の結果、硫黄の含有量0.52パーセント、銅のそれ0.45パーセントと非常に高く、中国山東省の金嶺鎮鉱山の鉄鉱石に近いことがわかった。モンゴル内地に鉄産地はほとんどなく、鉄の供給源として重視した可能性があるという。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "青銅器と鉄器とは紀元前3世紀ごろ、ほぼ同時期に日本へ伝来し、朝鮮半島より輸入され国内へ広まった。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "青銅および青銅器は紀元前1世紀ごろより日本で作られるようになった。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "鉄器製作は、弥生時代後期後半(1–3世紀)ごろより開始された(北部九州のカラカミ遺跡(壱岐市)や備後の小丸遺跡(三原市))。朝鮮半島で製鉄した鉄素材を入手し鍛鉄を行ったが、製鉄もこの頃より始まったとする研究もある。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "6世紀には、出雲地方や吉備で、製鉄が広く行われるようになった。鞴(ふいご)を使い、製鉄炉の作り方は、朝鮮半島からの導入と推定されている。当初の原料は主に鉄鉱石を採掘した。ただし採掘地は限られ、産量も豊富ではなく、その後も、朝鮮半島から鉄素材の入手を続けた。総社市の千引かなくろ谷遺跡は6世紀後半の製鉄炉跡4基、製鉄窯跡3基が見つかっている。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "日本の製鉄法はある時期以降は「たたら」と呼ばれる特徴ある鋼塊炉(bloomery)を用い、砂鉄(国内各地で採れ、鉄の含有量も高い)を原料とする直接製鉄法を用いるようになリ、国内各地で安定して自給生産可能となった。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "古代、中世においては露天式の野だたら法が頻繁に行われていたが、16世紀中葉より全天候型で送風量を増加した永代たたら法に発展した。この古代以来の日本独自のたたら製鉄法では、玉鋼や包丁鉄といった複数の鉄が同時に得られるために、それがのちの日本刀を生み出す礎となった。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "出雲は古代より一貫して日本全国に鉄を供給し、現在でも出雲地方にその文化の名残が認められ、日立金属などの高級特殊鋼メーカーへと変貌を遂げている。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "養老律令の規定では、鉄や銅の採取活動に関しては官による採取が優先されるものの、民間による採取を否定したものではなかった(雑令国内条)。これは中国の唐令の規定をそのまま日本に導入したものと考えられる(ただし、中国では宋に入ると民間による採取を禁じる方針に変更されていくことになる)。また、生産に関しても蝦夷と近接する東辺・北辺での鉄の生産を規制する規定は存在していた(関市令弓箭条)が、他に規制の存在をうかがわせる史料は見つかっていない。また、調として鉄や鍬の貢納が指定されていたり、国司が武器や鉄器の原料として民間との間で鉄の交易を図っていたことを示す正税帳の記述もあり、国家による徴収・再分配・放出とは別に民間における鉄のある程度の生産・流通が存在し、王臣家や中小生産者など幅広い層が担っていた。律令国家においては所謂「官営工房」が生産・流通を支配していたとする「官営工房」論が存在しているが、当時の文献や古記録からは国家による鉄や鉄製品の生産・流通の独占管理が行われていた事を示すものは無く、(価格の問題はあるものの)一般に対価さえ支払えば鉄や鉄器の購入が可能であったと考えるのが適切である。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "農具が鉄器で作られるようになると、農地の開拓が進んだ。しかし中世初期は鉄は非常に貴重であり、鉄製の農機具は一般農民には私有できず公の持ちものであり、公の農地を耕し、朝借りてきて夕方には洗って返すことになっていた。私有地の耕作には鉄の農機具を使うことができず、生産量が劣った。すなわち、中世の日本の貴族は鉄の所有権を通して遠隔地にある荘園を管理した。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "11世紀ごろより鉄の生産量が増えると、鉄が安価に供給されるようになった。個人が鉄の農機具を持つことができるようになると、新たな農地の開墾が進んだ。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "戦国時代にあった日本では、1550年代ごろに銃器の生産が普及した。鉄の技術者は鍛冶師、鋳物師と呼ばれた。また、永代たたらの普及により生産量が爆発的に増加したため、生産性の観点から歩止まりのいい砂鉄が採れる中国地方や九州地方への産地の集中が進むこととなった。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "当時、鉄の精錬には木炭が使われた(ただし、宋代以降の中国においては石炭の利用が始まる)。日本の森林は再生能力に優れ、幸いにも森林資源に枯渇することがなかった。豊富な砂鉄にも恵まれており、鉄の生産量と加工技術では世界で抜きん出た存在になった。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "中世後期から江戸時代にかけて、刀剣は輸出商品として長崎から輸出された。輸出先は中国やヨーロッパである。今日でもヨーロッパ各地の博物館で当時の貴族たちが収集した日本刀を見ることができる。明は一貫して日本との交易を禁じる政策をとってきたが、鄭若曽の『籌海図編』には倭寇が好んだもの(倭好)として「鉄鍋」が挙げられ、謝杰の『虔台倭纂』には「鉄鍋重大物一鍋価至一両銭、重古者千文価至四両、小鍋曁開元永楽銭二銭、及新銭不尚也」(上巻「倭利」)として記し、日本人が小鍋でも永楽銭2銭を出して手に入れようとしたことが記されている。これについて、太田弘毅は16世紀に西日本、特に倭寇とのつながりが強い瀬戸内海沿岸や九州に新興の日本刀産地が発生していることを指摘し、戦国時代に増大する日本刀需要(軍事的、あるいは密輸出用として)を賄うために中国から鉄鍋などの中古の鉄を獲得したと論じる。また、16世紀の明の人で倭寇事情を調べるために日本を訪れて帰国後に『日本一鑑』を著した鄭舜功によれば、「其鉄既脆不可作、多市暹羅鉄作也、而福建鉄向私市彼、以作此」(巻二「器用」)と述べて日本の鉄砲に使われていた鉄がシャムや福建からの密輸品(収奪を含む)であったことを指摘している。さらに、近年において佐々木稔らによって行われた日本産の鉄砲などに用いられた鉄の化学分析によれば、日本の砂鉄には含まれていない銅やニッケル、コバルトなどの磁鉄鉱由来成分の含有が確認されており、佐々木は近世以前の日本国内において磁鉄鉱の鉱床開発が確認できない以上、国外から輸入された銑鉄などが流通していたと考えざるを得ないと指摘する。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "壊れた鉄製品を修復する需要があり、鉄の加工技術は日本各地で一般化していった。鍛接・鋳掛けのほかにも、金属の接合にはろう付け・リベットが使われた。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "鋳物業の盛んな富山県高岡市にも鋳物師の伝統である高岡銅器があり、この地域には古い技術がよく伝承されている。現在でもYKK、新日軽といった金属加工関係の大企業の工場が富山県に多くあるのはこの伝統と無縁ではない。江戸幕末には、艦砲を備えた艦隊の武力を背景に開国を迫る西洋に対抗するために、大砲鋳造用の反射炉が各地に建造された(韮山反射炉などが挙げられる)。これらは明治時代になるとより効率のいい高炉にとって代わられた。",
"title": "鉄利用の歴史"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "鉄の生物学的役割は非常に重要である。赤血球の中に含まれるヘモグロビンは、鉄のイオンを利用して酸素を運搬している。ヘモグロビン1分子には4つの鉄(II)イオンが存在し、それぞれがポルフィリンという有機化合物と錯体を形成した状態で存在する。この錯体はヘムと呼ばれ、ミオグロビン、カタラーゼ、シトクロムなどのタンパク質にも含まれる。ヘモグロビンと酸素分子の結合は弱く、筋肉のような酸素を利用する組織に到着すると容易に酸素を放出することができる。",
"title": "生体内での利用"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "フェリチンは鉄を貯蔵する機能を持つタンパク質ファミリーである。その核は鉄(III)イオン、酸化物イオン、水酸化物イオン、リン酸イオンからなる巨大なクラスター(オキソヒドロキソリン酸鉄)で、分子あたり4500個もの鉄イオンを含む。",
"title": "生体内での利用"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "肉や魚のミオグロビンやヘモグロビンに由来するポルフィリンと結合した鉄はヘム鉄(おもに動物性)と呼ばれ、非ヘム鉄(おもに植物性)と比較して2–3倍体内への吸収率が高い。非ヘム鉄はビタミンCと一緒に摂取すると、水溶性の高いFe2+に還元されて体内への吸収が促進されるが、玄米などの全粒穀物に含まれるフィチン酸、お茶や野菜類に含まれるポリフェノールなどは非ヘム鉄の吸収を阻害する。肉に含まれるヘム鉄は発がん性のあるニトロソアミンの生成を促し、さらに加工肉では亜硝酸ナトリウムや硝酸ナトリウムがこれを生成する。",
"title": "生体内での利用"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "ヘプシジン(英語版)は肝臓で産生される一種のペプチドホルモンであり、鉄代謝の制御を行っている。ヘプシジンは腸からの鉄の過剰な吸収を抑制する作用を有する。ヘプシジン産生障害は鉄過剰症を引き起こす。多くの病原体はその増殖に多量の鉄を要するため、ヘプシジンが血清鉄濃度を低下させることは炎症の原因となる菌の増殖を抑制して抗菌作用も発揮することになる。",
"title": "生体内での利用"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "ラクトフェリンは、母乳・涙・汗・唾液などの外分泌液中に含まれる鉄結合性の糖タンパク質である。ラクトフェリンは、強力な抗菌活性を持つことが知られている。グラム陽性・グラム陰性に関係なく、多くの細菌は生育に鉄が必要である。トランスフェリンと同様、ラクトフェリンは鉄を奪い去ることで、細菌の増殖を抑制する。",
"title": "生体内での利用"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "ヒトの場合、ヘモグロビンの原料である体内の鉄分が不足すると、ヘモグロビンが十分に合成できないため酸素の運搬量が不足し、鉄欠乏性貧血を起こすことがある。また鉄不足は疾病リスクの上昇につながることが示唆されてきており、鉄分を充分に補充する必要がある。鉄分は、レバーやホウレンソウなどの食品に多く含まれ、そのほかに鉄分を多く含む食品は、ひじき、海苔、ゴマ、パセリ、アサリ、シジミなどである。これらを摂取することで鉄分の不足が改善される。",
"title": "生体内での利用"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "また鉄の溶解度が小さい土壌で育てられる植物などでは、鉄吸収が不足することで植物の成長が止まり黄化することがある。この症状は、土壌に水溶性型の鉄肥料を与えるなどすると一時的に改善されるが、植物中に含まれる鉄量が増えるわけではなく、ビタミンAの含有量が増えることが分かっている。したがって、鉄肥料を与えることは植物中の鉄分ではなくビタミンAを増やすことに役立つ。植物の鉄欠乏を長期的に改善するには、土壌に大量の硫黄を投入するなどして、土壌質を変える必要がある。なお陸上植物に限らず、藻類も微量の鉄を必要とする。",
"title": "生体内での利用"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "一方で、過剰な鉄の摂取は生体にとって有害である。ヒトでは食生活の問題による鉄の蓄積(バンツー血鉄症など)や、度重なる輸血による鉄の蓄積などが知られている。自由な鉄原子は過酸化物と反応しフリーラジカルを生成し、これがDNAやタンパク質、および脂質を破壊するためである。細胞中で鉄を束縛するトランスフェリンの量を超えて鉄を摂取すると、これによって自由な鉄原子が生じ、鉄中毒となる。余剰の鉄はフェリチンやヘモジデリンにも貯蔵隔離される。過剰の鉄はこれらのタンパク質に結合していない自由鉄を生じる。自由鉄がフェントン反応を介してヒドロキシラジカルなどの活性酸素を発生させる。発生した活性酸素は細胞のタンパク質やDNAを損傷させる。活性酸素が各臓器を攻撃し、肝臓には肝炎、肝硬変、肝臓がんを、膵臓には糖尿病、膵臓癌を、心臓には心不全を引き起こす。脂肪肝においては、血清フェリチンの増加がしばしばみられ、脂肪肝の中でも非アルコール性脂肪性肝炎(NASH)を含んだ非アルコール性脂肪性肝疾患では、肝組織内の鉄の過剰が肝障害の増悪因子と考えられている。ヒトの体には鉄を排出する効率的なメカニズムがなく、粘膜や粘液に含まれる1–2 mg/日程度の少量の鉄が排出されるだけであるため、ヒトが吸収できる鉄の量は1–2 mg/日程度と非常に少ない。しかし血中の鉄分が一定限度を超えると、鉄の吸収をコントロールしている消化器官の細胞が破壊される。このため、高濃度の鉄が蓄積すると、ヒトの心臓や肝臓に恒久的な損傷が及ぶことがあり、致死性の中毒症状を発症する。",
"title": "生体内での利用"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "米国科学アカデミーが公表しているDRI指数によれば、ヒトが1日のうちに許容できる鉄分は、大人で45 mg、14歳以下の子どもは40 mgまでである。摂取量が体重1 kgあたり20 mgを超えると鉄中毒の症状を呈する。鉄の致死量は体重1 kgあたり60 mgである。6歳以下の子どもが鉄中毒で死亡するおもな原因として、硫酸鉄を含んだ大人向けの錠剤の誤飲である。",
"title": "生体内での利用"
},
{
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"tag": "p",
"text": "なお、遺伝的な要因により、鉄の吸収ができない人々もいる。第六染色体のHLA-H遺伝子に欠陥を持つ人は、過剰に鉄を摂取するとヘモクロマトーシスなどの鉄分過剰症になり、肝臓あるいは心臓に異変をきたすことがある。ヘモクロマトーシスを患う人は、白人では全体の0.3–0.8 %と推定されているが、多くの人は自分が鉄過剰症であることに気づいていないため、一般に鉄分補給のための錠剤を摂取する場合は、特に鉄欠乏症でない限り、医師に相談することが望ましい。",
"title": "生体内での利用"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "鉄の過剰摂取による臓器への鉄の沈着は種々の慢性疾患の発症リスクを高めるため耐容上限量が設定されている。日本で定める耐容上限量は15歳以上の男性が一律に50 mg/日、女性が40 mg/日である。耐容上限量を算出するため、二重盲検試験において、非ヘム鉄(フマル酸鉄)を60 mg/日のグループと、ヘム鉄と非ヘム鉄混合を18 mg/日(豚血液由来 ヘム鉄2 mg/日+フマル酸鉄16 mg/日)グループと、 偽薬投与グループに分けて試験した結果、非ヘム鉄投与グループは他群と比較して便秘や胃腸症状などの健康障害の有訴率が有意に高かった。また、南アフリカのバンツー族で、バンツー鉄沈着症という病気が発生したが、 これは鉄を大量に含むビールの常飲や、鉄鍋由来の鉄により 鉄摂取量が50–100 mg/日となったためだと考えられ、バンツー鉄沈着症は鉄摂取量がおよそ100 mg/日を超えると発生すると推定される。そのことから算出した日本での耐容上限量は、15歳以上男性に対する耐容上限量を一律に50 mg/日とし、女性は体重差を考慮し15歳以上一律に40 mg/日とした。また、アメリカ・カナダの食事摂取基準では、二重盲検試験から算出した耐容上限量で、男女とも成人の鉄の耐容上限量を一律に 45 mg/日としている。また、FAO/WHOは暫定耐容最大1日摂取量(provisional maximal tolerable intake)を0.8 mg/kg 体重/日と定めているが、根拠は不明である。",
"title": "生体内での利用"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "鉄の同位体の1種であるFeは、鉄動態検査に用いられる。",
"title": "生体内での利用"
}
] | 鉄は、原子番号26の元素である。元素記号はFe。金属元素のひとつで、遷移元素である。太陽や、ほかの天体にも豊富に存在し、地球の地殻の約5 %を占め、大部分は外核・内核にある。 | {{Otheruses}}
{{Elementbox
|name=iron
|japanese name = 鉄
|pronounce = {{IPAc-en|US|aɪ|.|ər|n}}; {{IPAc-en|UK|ˈ|aɪə|n}}
|number = 26
|symbol = Fe
|left = [[マンガン]]
|right = [[コバルト]]
|above= -
|below = [[ルテニウム|Ru]]
|series = 遷移金属
|series comment=
|group = 8
|period = 4
|block = d
|series color=
|phase color=
|appearance = 銀白色
|image name = Iron_electrolytic_and_1cm3_cube.jpg
|image alt = A rough wedge of silvery metal
|image size=
|image name comment=
|image name 2=Iron Spectrum.jpg
|image name 2 comment=鉄のスペクトル線
|atomic mass=55.845
|atomic mass 2=2
|atomic mass comment=
|electron configuration=[[[アルゴン|Ar]]] 3d<sup>6</sup> 4s<sup>2</sup>
|electrons per shell=2, 8, 14, 2
|color=
|phase=固体
|density gpcm3nrt=7.874
|density gpcm3mp=6.98
|melting point K=1811
|melting point C=1538
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|triple point kPa=
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|critical point MPa=
|heat fusion=13.81
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|vapor pressure 1=1728
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|vapor pressure 1 k=2346
|vapor pressure 10 k=2679
|vapor pressure 100 k=3132
|vapor pressure comment=
|crystal structure=body-centered cubic
|japanese crystal structure=[[体心立方]]
|oxidation states=6, 5<ref>{{cite journal|doi=10.1002/zaac.19824910109|title=Recent developments in the field of high oxidation states of transition elements in oxides stabilization of Six-coordinated Iron(V)|year=1982|author=Demazeau, G.|journal=Zeitschrift für anorganische und allgemeine Chemie|volume=491|pages=60|last2=Buffat|first2=B.|last3=Pouchard|first3=M.|last4=Hagenmuller|first4=P.}}</ref>, 4, '''3''', '''2''', 1<ref>{{cite journal|url=http://bernath.uwaterloo.ca/media/266.pdf| author =R. S. Ram and P. F. Bernath| journal=Journal of Molecular Spectroscopy |volume =221| year =2003| page = 261}}</ref>, −1, −2
|oxidation states comment=両性酸化物
|electronegativity=1.83
|number of ionization energies=4
|1st ionization energy=762.5
|2nd ionization energy=1561.9
|3rd ionization energy=2957
|atomic radius=126
|atomic radius calculated=
|covalent radius=132±3 (低スピン), 152±6 (高スピン)
|Van der Waals radius=
|magnetic ordering=[[強磁性]]
|Curie point=1043
|Magnetic saturation at r.t.=1707 T
|electrical resistivity=
|electrical resistivity at 0=
|electrical resistivity at 20=96.1 n
|thermal conductivity=80.4
|thermal conductivity 2=
|thermal diffusivity=
|thermal expansion=
|thermal expansion at 25=11.8
|speed of sound=
|speed of sound rod at 20=
|speed of sound rod at r.t.=(electrolytic) 5120
|Young's modulus=211
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|Bulk modulus=170
|Poisson ratio=0.29
|Mohs hardness=4
|Vickers hardness=608
|Brinell hardness=490
|CAS number=7439-89-6
|isotopes=
{{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[鉄54|54]] | sym=Fe
| na=5.8 % | hl=> 3.1×10<sup>22</sup> y
| dm=[[二重電子捕獲|εε]] |de=? | pn=[[クロム54|54]] | ps=[[クロム|Cr]]}}
{{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[鉄55|55]] | sym=Fe
| na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E7 s|2.73 y]]
| dm=[[電子捕獲|ε]] | de=0.231 | pn=[[マンガン55|55]] | ps=[[マンガン|Mn]]}}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[鉄56|56]] | sym=Fe | na=91.72 % | n=30}}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[鉄57|57]] | sym=Fe | na=2.2 % | n=31}}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[鉄58|58]] | sym=Fe | na=0.28 % | n=32}}
{{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[鉄59|59]] | sym=Fe
| na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E6 s|44.503 d]]
| dm=[[ベータ崩壊|β<sup>−</sup>]] | de=1.565 | pn=[[コバルト59|59]] | ps=[[コバルト|Co]]}}
{{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[鉄60|60]] | sym=Fe
| na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E13 s|2.6×10<sup>6</sup> y]]
| dm=[[ベータ崩壊|β<sup>−</sup>]] | de=3.978 | pn=[[コバルト60|60]] | ps=[[コバルト|Co]]}}
|isotopes comment=
}}
'''鉄'''(てつ、{{旧字体|'''鐵'''}}、{{lang-en-short|[[wikt:iron|iron]]}}、{{lang-la-short|[[wikt:ferrum|ferrum]]}})は、[[原子番号]]26の[[元素]]である。[[元素記号]]は'''Fe'''。[[金属]]元素のひとつで、[[遷移元素]]である。太陽や、ほかの天体にも豊富に存在し、地球の[[地殻]]の約5 %を占め、大部分は外核・内核にある。
== 名称 ==
元素記号のFeは、[[ラテン語]]での名称「''ferrum''」に由来する。[[日本語]]では、鈍い[[黒]]さから「黒鉄」、広く使用されている金属であることから「真鉄」ともいう。[[大和言葉]]で「くろがね」とも呼ばれる。旧字体は「鐵」で、また異体字として「銕」「鉃」がある。
「鉄」の旧字体は「[[wikt:鐵|鐵]]」であり、「金・王・哉」に分解できることから[[本多光太郎]]は「鐵は金の王なる哉」と評した。「鉄」は「鐵」の略字という説が有力であるが、使用頻度が高いために失われやすい様を表す会意字という説もある。
「鉄」の文字が「金を失う」を連想させて縁起が悪いとして、[[:Category:日本の鉄鋼メーカー|製鉄業者]]・[[鉄道事業者]]などでは社名やロゴで、「鉄」の代わりにあえて旧字体の「鐵」を用いたり、本来は[[矢#鏃(矢尻=やじり)|矢尻]]という意味の「[[wikt:鉃|鉃]]」字を用いる例がある。
<gallery>
Shinnittetsu Sumikin logo.gif|「鐵」の字を使う例
Using 鉃 insted of 鉄.jpg|「鉃」の字を使う例
</gallery>
== 存在 ==
基本的に、[[水素]]と[[ヘリウム]]以外の元素は[[恒星]]内部での[[核融合反応|核融合]]等により生成される。鉄の場合、主に[[漸近巨星分枝星]]の内部での[[s過程]]か、または質量が太陽の8~11倍以上ある[[輝巨星]]や[[超巨星]]の終末期での[[ケイ素燃焼過程]]やその後の[[重力崩壊]]によって生成される(なお鉄の同位体のうち自然界において最も存在比率が高い鉄56は重力崩壊の際に[[ニッケル]]56が[[ベータ崩壊]]して生まれたものである。詳しくは[[超新星元素合成]]を参照のこと)。また、鉄より重い元素はおおむね、上述のs過程や、[[中性子星]]同士の衝突などによる[[r過程]]によって生成される。[[地球]]に多くの鉄56や[[金]]や[[鉛]]などの元素が含まれるという事実は、[[太陽系]]が、過去の[[超新星爆発]]等の影響の下に形成されたことを示している(太陽系の形成過程については[[太陽系の形成と進化#形成]]を参照)。
前述のとおり、地球内部には鉄が多く含まれており(約30 %<ref>https://megalodon.jp/ref/2021-1229-2034-44/https://www.nipponsteel.com:443/company/publications/monthly-nsc/pdf/2004_10_142_09_14.pdf</ref>)、[[火山]](特に[[溶岩]]や火山弾)やそれに伴う熱水鉱床などにより、地表にも新たな鉄鉱床が湧出することがある。[[地磁気]]も、地球の核で溶融した鉄が地球の自転と異なる速度で回転することによって生じるとされている。
地球の地殻には多くの鉄が含有されている(濃度が約5 %と高い)にもかかわらず、それと接している海水中の鉄は比較的濃度が低い。これは地球の海水中では[[水酸化鉄(III)]]として鉄が除かれてしまうためである<ref>東京大学海洋研究所 編『海洋のしくみ』 p.133 日本実業出版 1997年9月15日発行 ISBN 4-534-02675-7</ref>。なお、地球の海水中の鉄の濃度は一定ではなく、観測船や海水採取器などからの鉄の溶出による汚染を避けて{{仮リンク|ジョン・マーチン (海洋学者)|en|John Martin (oceanographer)}}が調査した結果、海面近くの表層の海水には少なく、逆に深層の海水には多く含まれる、いわゆる栄養塩型の分布をしていることが判明している<ref>東京大学海洋研究所 編『海洋のしくみ』 p.132 日本実業出版 1997年9月15日発行 ISBN 4-534-02675-7</ref>。
== 性質 ==
純粋な鉄は白い[[金属光沢]]を放つが、[[イオン化傾向]]が高いため、湿った空気中では容易に[[錆]]を生じ、時間の経過とともに黒ずんだり褐色へと変色したりする。
固体の純鉄は、[[フェライト相|フェライト]]([[体心立方格子構造|BCC構造]])、[[オーステナイト]]([[面心立方格子構造|FCC構造]])、[[デルタフェライト]](BCC構造)の3つの[[多形]]がある。911 °C以下ではフェライト、911–1392 °Cはオーステナイト、1392–1536 °Cはデルタフェライト、1536 °C以上は液体の純鉄となる。[[常温]][[常圧]]ではフェライトが安定である。[[強磁性|強磁性体]]であるフェライトが[[キュリー点]]を超えたところからオーステナイト領域までの770–911 °Cの純鉄の相は、以前は[[β鉄]]と呼ばれていた。
栄養学の立場からみると、鉄は[[ヒト|人]](生体)にとって必須の元素である。食事制限などで鉄分を欠く時期が続くと、[[血液]]中の[[赤血球]]数や[[ヘモグロビン]]量が低下し、[[貧血]]などを引き起こす。[[腸]]で吸収される鉄は2価のイオンのみであり、3価の鉄イオンは2価に[[還元]]されてから吸収される。鉄分を多く含む食品は[[ホウレンソウ]]や[[レバー (食材)|レバー]]、大豆製品などである。ヘム鉄<!--ヘム鉄?-->の方が吸収効率が高い。ただし、過剰に摂取すると[[鉄過剰症]]になることもある。
<!--特筆性に疑問
一方、きわめて純度の高い(99.9999 %)鉄は、比較的高いイオン化傾向を有するにもかかわらず、[[塩酸]]や[[王水]]などの[[酸]]に侵されにくくなるうえ、[[液体ヘリウム]]温度(−268.95 °C)でも失われないほどの高い[[可塑性]]を有するようになる<ref name=materia.33.6>高木清一、「[https://doi.org/10.2320/materia.33.6 超高純度鉄の特性]」 『まてりあ』 Vol.33 (1994) No.1 P.6-10, {{doi|10.2320/materia.33.6}}</ref>。この超高純度鉄は[[東北大学]]金属材料研究所の研究グループらが、電解鉄を超高真空中で溶解[[電子銃]]を用いた[[ゾーンメルト法|浮遊帯溶融精製]]で処理することにより1996年に製造に成功し<ref name=materia.33.6 /><ref name=materia.52.259>安彦兼次、[https://doi.org/10.2320/materia.52.259 超高純度金属の実用化への道] 『まてりあ』 Vol.52 (2013) No.6 p.259-265, {{doi|10.2320/materia.52.259}}</ref>、[[2011年]]に日本とドイツの[[標準物質]]データベースに登録された<ref name=materia.52.259 /><ref>「[https://www.nikkei.com/article/DGXDZO21775950W1A110C1TJM000/ 東北大の純鉄、標準物質に 純度99.9996%、日独で登録]」、2011年1月17日、[[日本経済新聞]]</ref>。
-->
=== 同位体 ===
{{main|鉄の同位体}}
自然の鉄の[[同位体]]比率は、5.845 %の安定な<sup>54</sup>Fe、91.754 %の安定な<sup>56</sup>Fe、2.119 %の安定な<sup>57</sup>Fe、0.282 %の安定な<sup>58</sup>Fe からなる。<sup>60</sup>Feは不安定で比較的短寿命(半減期150万年)なため、自然の鉄中には存在しない。理論的に予測される<sup>54</sup>Feの[[二重β崩壊]]の検出は未確定である<ref>Audi, Bersillon, Blachot, Wapstra. [http://amdc.in2p3.fr/web/nubase_en.html The Nubase2003 evaluation of nuclear and decay properties], Nuc. Phys. A 729, pp. 3-128 (2003).</ref>。<sup>58</sup>Feと<sup>56</sup>Feの[[原子核]]は非常に安定([[核子]]1つあたりの[[質量欠損]]が大きい)であり、すべての原子核の中でそれぞれ2番目と3番目に安定である(もっとも安定な核種は<sup>62</sup>Ni)<ref>{{Cite journal
|last=M. P.
|first=Fewell
|year=1995
|month=7
|title=The atomic nuclide with the highest mean binding energy
|journal=American Journal of Physics
|volume=63
|issue=7
|pages=653-658
|doi=10.1119/1.17828
|url=https://ui.adsabs.harvard.edu/abs/1995AmJPh..63..653F/abstract
|accessdate=2008-02-17
}}
</ref><ref>
{{Cite web
|last=R. Nave
|first=Carl
|year=2005
|url=http://hyperphysics.phy-astr.gsu.edu/hbase/nucene/nucbin2.html
|title=The Most Tightly Bound Nuclei
|work=[http://hyperphysics.phy-astr.gsu.edu/hbase/hph.html Hyperphysics]
|publisher=ジョージア州立大学(Georgia State University)
|language=English
|accessdate=2008-02-17
}}</ref>。
しばしばすべての原子核の中で<sup>56</sup>Feがもっとも安定とされることがあるが、これは誤りである。このような誤解が広まった理由として、<sup>56</sup>Feの天然存在比が<sup>62</sup>Niや<sup>58</sup>Feよりもはるかに高いことに加え、核子1つあたりの質量を比較した場合には<sup>56</sup>Feが全原子核中で最小となることが挙げられる。中性子の方が陽子よりもわずかに重いため、核子1つあたりの質量が最小となる核種と質量欠損が最大になる核種は一致しない。また、下記のように恒星の核融合の最終生成物が<sup>56</sup>Feであることを「鉄がもっとも安定であるため」と便宜的に説明されることがあることも誤解を招いていると考えられる。
<sup>58</sup>Feよりも不安定な<sup>56</sup>Feのほうが存在比が高い理由は、星の[[元素合成]]の過程で質量数が4の倍数の核種がおもに作られるためである。[[炭素]]より重い元素は<sup>4</sup>Heの融合([[アルファ反応]])によって作られるため、生成する核種の質量数は4の倍数に偏る。太陽質量の4–8倍の質量を持った恒星ではアルファ反応は<sup>56</sup>Niまで進行するが、次の<sup>60</sup>Znの原子核は<sup>56</sup>Niよりも不安定なため、これ以上は反応が進行しない。<sup>56</sup>Niは2度の[[β崩壊]]を経て<sup>56</sup>Feを生成するため、恒星の核融合の最終生成物は<sup>56</sup>Feになる。鉄より重い核種も[[超新星爆発]]などであわせて生成するが、その生成プロセスは明確になっていない。
{{Main|超新星#Ia型|Ia型超新星}}
=== 鉄の「臭い」 ===
鉄棒などの鉄製品を手に持つと、手に特有の臭いがつく。これは俗に「金属臭」「鉄の臭い」と呼ばれるが、原因は鉄そのものではない(鉄は常温では[[揮発]]しない)。研究により、人体の[[汗]]に含まれる皮脂分解物と鉄イオンが反応して生じる炭素数7 - 10の直鎖[[アルデヒド]]類や[[1-オクテン-3-オン]]などの有機化合物、そして[[メチルホスフィン]]・[[ジメチルホスフィン]]などの[[有機リン化合物#ホスフィン|ホスフィン類]]がこの臭いの原因であることが確認されている<ref>[http://www.nature.com/news/2006/061023/full/news061023-7.html A 'metallic' smell is just body odour] Nature News</ref><ref>[http://blog.livedoor.jp/route408/archives/50674724.html 鉄のにおいの正体]</ref>。
=== 主な化合物 ===
* [[塩化鉄(II)]] ({{chem|FeCl|2}})
* [[塩化鉄(III)]] ({{chem|FeCl|3}})
* [[酸化鉄(II)]] (FeO)
* [[四酸化三鉄]] ({{chem|Fe|3|O|4}})
* [[硫化鉄(II)]] (FeS)
* [[硫酸鉄(II)]] ({{chem|FeSO|4}})
* [[硫酸鉄(III)]] ({{chem|Fe|2|(SO|4|)|3}})
* [[ヘキサシアニド鉄(II)酸カリウム]] ({{chem|K|4|[Fe(CN)|6}}])
* [[ヘキサシアニド鉄(III)酸カリウム]] ({{chem|K|3|[Fe(CN)|6}}])
{{See also|Category:鉄の化合物}}
== 鉄の利用と文化 ==
=== 用途 ===
[[道具]]を作る用材として、[[石器時代]]、[[青銅器時代]]に続く[[鉄器時代]]を形成し、[[地球]][[人類]]の[[文明]]の基礎を築いた。現在においてももっとも重要、かつ身近な[[金属]]元素のひとつで、[[産業革命]]以降、ますますその重要性は増している。さまざまな器具・[[工具]]や構造物に使われる。[[炭素]]などの[[合金]]元素の添加により、より硬い[[鋼]]となり構造物を構成する構造用鋼などや、[[工具鋼]]などの優れた[[トライボロジー]]材料にもなる。
[[画像:Iron Bridge.JPG|thumb|[[セヴァーン川]]にかかる[[アイアンブリッジ (橋)|アイアンブリッジ]]。世界初の[[鋼橋|鉄橋]]とされる]]
安価で比較的加工しやすく、入手しやすい金属であるため、[[人類]]にとってもっとも利用価値のある金属[[元素]]である。特に[[産業革命]]以後は産業の中核をなす材料であり、「[[産業の米]]」などとも呼ばれ、「'''鉄は国家なり'''」と呼ばれるほど、鉄鋼の生産量は[[国力]]の指標ともなった。このため、鉄鋼産業には政府のテコ入れも大きく、[[第二次世界大戦]]後の世界的な[[経済]]発展にも大きく影響している。現在においても工業生産されている金属の大半は鉄鋼であり、鉄を含まない金属は[[非鉄金属]]と呼ばれる。
鉄は、[[炭素]]をはじめとする合金元素を添加することで[[鋼]]となり、炭素量や焼入れなどを行うことで[[硬度]]を調節できる、きわめて使い勝手のいい素材となる。鋼は古くから[[刃物]]の素材として使われ、ほとんどの[[機械]]は鉄鋼をおもな素材とする。さらに鉄鋼は、[[軌条|鉄道レール]]の素材となるほか、[[鉄筋]]や[[鉄骨]]、鋼矢板などとして[[建築物]]や[[土木]]構築物の構造用部材に使われ大量に消費されている。
鉄に炭素とさまざまな微量金属を加えることで、多様な優れた特性を持つ[[合金鋼]]が生み出される。鉄と[[クロム]]・[[ニッケル]]の合金である[[ステンレス鋼]]は腐食しにくく強度が高く、なおかつ見た目に美しく比較的安価な合金として知られる。このため、ステンレス鋼に加工された鉄は、液体や気体を通す[[パイプ]]、液体や粉体を貯蔵する[[容器|タンク]]や[[缶]]、[[流し台]]、建築資材などにも用いられるほか、[[鍋]]や[[包丁]]などの生活用具、家電製品、[[鉄道車両]]、[[自動車]]部品、[[産業ロボット]]など、あらゆる分野に利用されている。
[[工具鋼]]は固体材料の中でもっとも強度増幅能力が高く、超硬材料と比べても高い曲げ強度を有するため、不変形特性が重要でかつ加工形状の自由度が要求される金型に多用される。金属材料でもっとも[[熱膨張係数]]が低い[[インバー]]、最強の保磁力を持つ磁性材料([[ネオジム磁石]])も鉄含有合金である。ほかにも、鉄[[化合物]]は[[インク]]や[[絵具]]などの[[顔料]]として、[[赤|赤色]][[顔料]]の[[弁柄|ベンガラ]]や[[青|青色]]顔料の[[紺青|プルシアンブルー]]などとして使われる。
鉄は強い[[磁性]]を持つため、不燃物からの回収が容易であり、再利用率も高い。[[スクラップ#鉄|屑鉄]]として回収された鉄は、[[電気炉]]で再び鉄として再生される。
=== 文化 ===
[[西洋占星術]]や[[錬金術]]などの神秘主義哲学では、軍神[[マールス|マルス]]と関連づけられ、その星である[[火星]]を象徴する。これは、古くから鉄が武器の材料として利用されたことや、鉄錆がくすんだ血のような色であることに由来すると思われる。また、[[妖精]]は冷たい鉄を嫌うという伝説があり、[[ファンタジー]]小説において[[魔法]]的なものとの相性が悪いとされる。また前述のような理由から「鉄」は「強固なもの」の代名詞となり「鉄の○○」などといえば「強固で倒しがたいもの」という比喩となる(例:鉄則、鉄の掟、[[鉄人]]、[[鉄の女]]、[[鉄十字]]、[[鉄のカーテン]]、[[鉄板#俗語|鉄板ネタ]])。
一方の日本では、鉄は邪悪なものを取り除く力を持つと考えられていた時代もあった。たとえば『[[遠野物語]]』では、怪力の[[河童]]を鉄の針で退治する、山中で身の危険を感じた猟師が魔除け用に持っていた鉄の弾を撃つというエピソードがある{{要出典|date=2008年3月}}<!--現在、手元に本がないので思い出せません。どなたかこの話が出てきた章を書いてください-->。
鉄はその用途から、機械や人工物を象徴する元素として用いられることも多い。対する人間・生物の象徴としては、[[有機化合物]]の主要元素である[[炭素]](元素記号C)が用いられる。
== 製法 ==
[[File:Iron-252608.jpg|thumb|ドイツの[[アーナタール]]近郊のビュール休暇村玄武岩採石場で発見された{{ill2|自然鉄|en|Telluric iron|redirect=1}}。自然鉄は、特殊な玄武岩や隕石([[鉄隕石]])、塩基性鉱物や石炭層の火災などの還元環境などから見つかる<ref>{{cite kotobank|自然鉄}}</ref>。]]
=== 産出 ===
{{main|鉄鉱石|en:Ironstone|en:Telluric iron}}
鉄生産の90%を占める[[縞状鉄鉱床]]は、[[先カンブリア時代]]に[[光合成]]で酸素が大量に発生して、海水中に溶存していた[[イオン化]]した鉄が[[酸化鉄]]として沈殿し堆積したことにより生み出された<ref>{{cite kotobank|縞状鉄鉱層}}</ref>。
その他の鉱床は、マグマによって生み出された[[火成鉱床|マグマ成鉱床]]と[[カーボナタイト]]鉱床、[[熱水鉱脈]]の[[スカルン鉱床]]など、硫酸泉や炭酸泉に含まれる鉄が地表を流れるうちに酸化して沈殿した沈殿褐鉄鉱鉱床({{ill2|沼鉄鉱|en|Bog iron|redirect=1}})、風化残留鉱床([[ラテライト]])、漂砂鉱床(砂鉄)などがある<ref>{{Cite journal |last=寿久禰 |first=武内 |date=1980 |title=鉄鉱石の起源 |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/tetsutohagane1955/66/6/66_6_724/_article/-char/ja/ |journal=鉄と鋼 |volume=66 |issue=6 |pages=724–729 |doi=10.2355/tetsutohagane1955.66.6_724}}</ref>。
鉄鉱石が入手しにくい環境や古代では、世界的に沼鉄鉱が重要な資源であった<ref>{{Cite journal |last=熊彦 |first=長谷川 |date=1968 |title=欧州における古代直接製鉄の復元操業実験 |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/tetsutohagane1955/54/11/54_11_1177/_article/-char/ja/ |journal=鉄と鋼 |volume=54 |issue=11 |pages=1177–1192 |doi=10.2355/tetsutohagane1955.54.11_1177}}</ref><ref name=nipon18>[https://www.nipponsteel.com/company/publications/quarterly-nssmc/pdf/2017_18_14_19.pdf 鉄づくりのDNA] 季刊 新日鉄住金Vol.18 サイト:[[日本製鉄]]</ref>。コークス高炉の技術が発達すると、それまで使用できなかった石炭と共に採掘される鉄分30%で還元しにくい炭酸鉄鉱([[菱鉄鉱]])が使用されるようになる<ref name=nipon18/>。
=== 選鉱 ===
{{リンクのみの節|date=2021年4月30日 (金) 03:59 (UTC)}}
{{main|選鉱}}
=== 製錬 ===
[[画像:Chinese_Fining_and_Blast_Furnace.jpg|300px|right|thumb|[[宋応星]]が著した「[[天工開物]]」の1頁。[[攪拌精錬法]](パドル法)による製鉄方法を解説している。このような方法で得られた鉄は[[錬鉄]]と呼ばれる<ref>『図解入門よくわかる最新「鉄」の基本と仕組み: 性質、技術、歴史、文化の基礎知識』 著:田中和明 発行年:2009 p15</ref>。]]
[[File:Blast_Furnace_Reactions.jpg|thumb|高炉の仕組み。上から鉄鉱石・石炭などの原料を投入し、最終的に溶けだした[[銑鉄]]を生産する。]]
鉄の[[製錬]]はしばしば'''製鉄'''と呼ばれる。簡単に言えば、[[鉄鉱石]]に含まれるさまざまな酸化鉄から酸素を除去して鉄を残す、一種の[[還元反応]]である。[[アルミニウム]]や[[チタン]]と比べて、化学的に比較的小さなエネルギー量でこの反応が進むことが、現在までの鉄の普及において決定的な役割を果たしている。この工程には比較的高い温度(千数百度)の状態を長時間保持することが必要なため、古代文化における製鉄技術の有無は、その文化の技術水準の指標のひとつとすることができる。
製鉄は2つ、もしくは加工まで加えた3つの工程からなる。鉄鉱石と[[コークス]]から炭素分の多い[[銑鉄]]を得る'''製銑'''、銑鉄などから炭素を取り除き炭素分の少ない[[鋼]]を作る'''製鋼'''、さらに'''[[圧延]]'''である<ref>萩原芳彦 監修『ハンディブック 機械 改訂2版』オーム社 2007年3月20日 p.93</ref>。製銑には古くは[[木炭]]が使われていたが、[[中国]]では、[[前漢]]時代に燃料として[[石炭]]の利用が進み、さらに石炭を焼いて[[硫黄]]などの不純物を取り除いたコークスを発明、コークスを使った製鉄が始められた<ref group="注">鄭州古栄鎮遺跡出土鋳造所</ref>。文献記録としては[[4世紀]]の[[北魏]]でコークスを使った製鉄の記録がもっとも早い<ref>翻道安『西域記』</ref>。以来、華北では時代とともにコークス炉が広まり、[[北宋]]初期には大半がコークス炉となった。それから1000年以上経ち、森林が減ったことから[[1620年]]ごろにイギリスの{{仮リンク|ダッド・ダドリー|en|Dud Dudley}}(Dud Dudley)も当時安価に手に入った石炭を使うことを考えて研究を進めた。石炭には硫黄分が多く、そのままでは鉄に硫黄が混ざり使い物にならなかったため、ダッドは石炭を焼いて硫黄などの不純物を取り除いたコークスを発明し、[[1621年]]にコークスを使った製鉄方法の特許を取った。しかし[[1709年]]から{{仮リンク|エイブラハム・ダービー1世|en|Abraham Darby I}}が大々的にコークスで製鉄することを始めるまでは、コークスを使った製鉄の使用は少数にとどまっていた<ref>ロジャー・ブリッジマン『1000の発明・発見図鑑』丸善株式会社 平成15年11月1日 p.89, ISBN 9784621073018</ref>。
[[日本]]では古来から[[たたら吹き]](鑪吹き、踏鞴吹き、鈩吹き)と呼ばれる製鉄技法が伝えられている。現在では島根県[[安来市]]の山中奥出雲町などの限られた場所で、[[日本刀]]の素材製造を目的として半ば観光資源として存続しているが、それと並存し[[和鋼]]の進化の延長上にもある先端的特殊鋼に特化した[[日立金属]]安来工場がある。
[[韮山反射炉]]などの試行はあったが、[[鉄鉱石]]を原料とする日本の近代製鉄は[[1858年]][[1月15日]]([[旧暦]]1857年([[安政]]4年)[[12月1日 (旧暦)|12月1日]])に始まったと言われ<!--2007年12月2日読売新聞1面から-->([[橋野高炉跡]])<ref>[http://iwate-sekaiisan.jp/hashino/history.html 橋野鉄鉱山の歴史(岩手県世界文化遺産関連ポータルサイト)]</ref>、[[幕末]]以降欧米から多数の製鉄技術者が招かれ日本の近代製鉄は急速に発展した。現在の日本では、鉄鉱石から鉄を取り出す[[高炉|高炉法]]と[[スクラップ]]から鉄を再生する[[電気炉|電炉法]]で大半の鉄鋼製品が製造されている。高炉から[[転炉]]や[[連続鋳造]]工程を経て最終製品まで、一連の製鉄設備が揃った工場群のことを銑鋼一貫製鉄所(もしくは単に[[製鉄所]])と呼び、臨海部に大規模な製鉄所が多数立地していることが、日本の鉄鋼業の特色となっている。日本では電炉法による製造比率が粗鋼換算で30 %強を占める。鉄が社会を循環する体制が整備されており、鉄の[[リサイクル]]性の高さと日本における鉄蓄積量の大きさを示している。鉄スクラップは天然資源に乏しい日本にとって貴重な[[資源]]であり、これをどう利用するかが、注目されるべき課題とされている。
なお[[第二次世界大戦]]後には高炉内壁の磨耗を調べるため、使用する[[耐火煉瓦]]に[[放射性物質]][[コバルト60]]を混入し、産出する鉄製品の[[放射線]]量を測定する手法が用いられているが、これらの鉄は微量な放射線を測定する現場など放射線の影響を排除したい環境に不向きであるため<ref>K. Yamak hi & K. Nogami: i ., 134, 519 (1976)</ref>、戦前に生産された放射能を持たない鉄が求められるケースがある。大戦時に建造された[[軍艦]]がおもな供給源であり、日本では[[陸奥 (戦艦)|陸奥]]から回収した「陸奥鉄」が有名である<ref>広瀬妙子, 佐藤純, 佐藤和郎、「[https://doi.org/10.3769/radioisotopes.28.3_194 本邦で生産された新しい鉄材に含まれるガンマ線放射核種]」 『RADIOISOTOPES.』 1979年 28巻 3号 p.194-196, {{doi|10.3769/radioisotopes.28.3_194}}</ref>。
=== 新製鉄法 ===
[[画像:Philipp Jakob Loutherbourg d. J. 002.jpg|thumb|イギリスのコークス炉を用いた製鉄工場の絵。[[フィリップ・ジェイムズ・ド・ラウザーバーグ]]画(1801年)]]
[[画像:Iron Manufacturing industry centenary in Japan.JPG|150px|thumb|製鉄百年記念切手(日本)]]
==== 高炉法の問題点 ====
従来の[[高炉]]法の場合、下記の欠点があった。
* [[銑鉄]]を製造するだけでも[[高炉]]のほかに[[コークス]]炉(石炭を乾留)・[[焼結]]炉が必要であり、また反応速度も8時間かかり、巨大設備投資が必要なわりに生産量が少ない。
* コークスを製造できる[[石炭]]は石炭の中のごく一部である粘結炭(原料炭)だけであり、もともと価格が高かった。近年、資源メジャーによる原料炭鉱山の買い占めのため、単年度で原料炭価格が2倍に上昇するなど大きなコスト上昇要因となっている。高炉法に羽口からの非粘結炭(一般炭)吹き込みを併用しても、価格の安い一般炭の使用比率は全石炭使用量の25–30 %程度が限界である。
* 鉄鉱石価格は塊鉱石が高価で粉鉱石が安価であるが、高炉で粉鉱石を使う場合、焼結炉で塊に焼き固めなければならない。その結果、焼結炉が必要で焼結工程で燃料を消費してコストがかかるのみならず二酸化炭素を発生させてしまう。
* 酸素濃度を多少増やす工夫もされているが、基本は空気を吹き込む製鉄法である。[[反応速度]]が遅いほか、[[C1化学]]の立場からは製鉄排ガスに窒素が混入することが、製鉄排ガスの化学工業的・商業的価値を落とし、製鉄排ガス([[合成ガス]])を原料とした大規模な自動車燃料合成、燃料自給率向上を妨げているとの批判もある。
==== 最近提案・実用化されている製鉄法 ====
; 溶融還元製鉄法
: 溶融還元炉では粉状の一般炭を酸素吹きで燃焼させて高温の[[一酸化炭素]]ガスを発生させ、予備還元した粉鉄鉱石を一気に[[還元]]し溶かして溶けた銑鉄を作る。溶融還元炉を出た一酸化炭素ガスは流動床、回転炉、シャフト炉で鉄鉱石を予備還元する。予備還元炉を出た一酸化炭素ガスは石炭乾燥空気の加熱などを経て、[[発電]]やスラブの再加熱、化学原料などに使用される。
:
:; 利点
::* コークス炉、焼結炉が不要で、[[反応速度]]が速く比較的小さな溶融還元炉で大きな生産能力を持つために[[製鉄所]]新設の設備投資が高炉法より安くつく。
::* 一般炭100 %使用可能なため、資源メジャーの原料炭値上げで大きな損害を出さなくて済む。製鉄だけを目的とするなら、半無煙炭などの炭素含有量の高い石炭を使えば投入原単位を節約できるが、副生ガスを化学工業原料として販売できる立地なら、より安価な高揮発分石炭でガス産出を増やすこともできる。
::* 予備還元炉の一部に[[流動床]]か[[回転炉]]を使えば、安価な粉鉱石も使える。
::* 酸素製鉄の場合、発生する還元ガスである一酸化炭素に[[窒素]]が混入しないため、燃料としても[[カロリー]]が高いばかりでなく、[[C1化学]]の出発原料である[[合成ガス]]として活用できる。日本の製鉄石炭消費は年間1億トンに及び、その排ガスを活用して[[フィッシャー・トロプシュ法]]で[[軽油]]を生産したり、[[メタノール]]を生産した場合数千万トンの自動車燃料を自給できる可能性があると言われている。
::* 鉄ガス併産・化学とのコプロダクション<ref>{{PDFlink|[http://www.lrt.co.jp/abe/NEDO2/sankou_siryou/1904%8F%C8%83G%83l%8BZ%90%ED.pdf 省エネルギー技術戦略2007]}}(資源エネルギー庁)</ref>。
::
:; 課題
::* 日米欧とも上流設備は過剰気味である。日米欧とも鉄鋼需要は大きな成長はない。需要の増大している[[中国]]、[[インド]]では国産鉄鋼の価格が安く、冷延鋼板より上流の製品では日米欧製品は価格が高すぎて売れないため、日本鉄鋼メーカーの設備投資は[[亜鉛]]、[[錫]]メッキ鋼板設備など下流高級用途に集中している。中国では[[熱効率]]が悪く二酸化炭素排出が多い中小高炉が乱立する様相を示しており、地球環境の視点からは、製鉄企業の適正な合併指導と新製鉄法の技術供与が望まれるが、それは中国・インド産鋼鉄の価格競争力を高め、日本産鉄鋼の価格競争力が地盤沈下する[[ブーメラン効果]]の原因ともなりうる。
::* 鉄鋼会社が溶融還元法に転換すると、現在[[コークス]]を鉄鋼企業に納品している企業はコークス炉の経営が立ち行かなくなる。そのため、現在稼動中のコークス炉が40年の寿命を迎える2015年まで溶融還元製鉄の導入は困難と見られていたが、昨今の原料炭価格の急激な上昇、韓国浦項総合製鉄の溶融還元製鉄炉操業開始など、切り替えの前倒しが必要になるかもしれない事象が起きている。
::* 技術的には[[酸化鉄]]による炉壁の溶損の解決が課題のひとつのようである。
::* 酸素製鉄法は膨大な酸素を消費する。[[東京湾]]・[[伊勢湾]]・[[大阪湾]]のような液化[[天然ガス]]の大消費地であれば液化[[天然ガス]]の冷熱利用で低コストに[[酸素]]を量産できる可能性があるが、そうでない場合、空気の[[分留]]によって酸素を製造するのに多大な電力を消費する。
:
; 炭材内装塊の高速自己還元技術
: 粉炭と粉鉱石を加熱成型した塊を高炉に装填した場合、コークスと塊鉱石を交互装填した場合の5倍の速さで還元反応が進む。また同様の混合ペレットを溶融還元炉に使用した場合、炉壁溶損原因となるFeOの溶出が3 %で済む。回転炉によるITmk3法も後述のフロートスメルター法も同技術を使用している。
; フロートスメルター法
: 粉炭に窪みを作り、粉炭と粉鉱石と石灰を混合したものを窪みに充填し、周囲の石炭を燃焼して加熱する。
: 50万トン/年規模の小型プラントに適する。炭素の酸化発熱は炭素>一酸化炭素より一酸化炭素>二酸化炭素の発熱量が大であり、石炭をCO<sub>2</sub>まで酸化することで石炭の使用原単位が減り、CO<sub>2</sub>の半減効果が得られる。ただし、発生するガスは二酸化炭素であるため化学合成には使えない。
; [[電解精錬|電解精製法]]
: 原料を溶解し、電気分解により純鉄を得る方法で、乾式と湿式に分かれる。合金の素材や薬品の原料等、[[鋼鉄]]や[[錬鉄]]、[[鋳鉄]]では代用できない高純度の鉄を得るために行われる。{{Main|高純度鉄|電解鉄}}
=== 鉄鋼生産の規模 ===
<!-- ...1位中国9億トン、2位インド1億トン、3位日本1億トン、4位アメリカ0.9億トン、5位韓国0.7億トン、6位[[ロシア]]0.7億トン、7位ドイツ0.4億トン、8位[[トルコ]]0.4億トン、9位[[ブラジル]]0.3億トン、10位[[イタリア]]0.2億トン。 -->
{| class="sortable wikitable floatright"
|+ 世界の国別粗鋼生産量ベスト10(2017年)
! 順位 !! class="unsortable" | 国 !! 粗鋼生産量(万トン)
|-
| 1 || {{CHN}} || 90000
|-
| 2 || {{JPN}} || 10000
|-
| 2 || {{IND}} || 10000
|-
| 4 || {{USA}} || 8161
|-
| 5 || {{RUS}} || 7134
|-
| 6 || {{ROK}} || 7103
|-
| 7 || {{DEU}} || 4326
|-
| 8 || {{TUR}} || 3752
|-
| 9 || {{BRA}} || 3437
|-
| 10 || {{ITA}} || 2407
|}
* 世界全体では、18.1億トンの粗鋼が生産されている(2018年<ref>『日本の鉄鋼業』(日本鉄鋼連盟、2019年)</ref>)。
* 日本の鉄鋼業における従業者数は19.6万人であり、日本全体では10466万トンの粗鋼が生産されている(2017年)。
* 日本の鉄鋼業は、主原料の[[鉄鉱石]]・原料炭を全量海外から輸入している。また、鉄鋼製品の国内[[物流]](一時輸送量)としては、[[船舶]]による海上輸送が4200万トン、[[貨物自動車|トラック]]および[[鉄道]]による陸上輸送が2200万トンとなっている(2018年)。
{{-}}
== 鉄利用の歴史 ==
[[File:西汉错银青铜环首刀.jpg|thumb|320px|鉄で作られた[[中国]]・[[漢代]]の刀([[環首刀]])、激しく[[錆|腐朽]]している]]
=== 古代 ===
人類が鉄を発見したのは[[隕石]]によってとされており、[[ニッケル]]を多く含むものは[[鍛造]]が可能であった<ref name="Kanno">{{Cite web|和書|author=菅野利猛|url=https://www.kimuragrp.co.jp/company/effort/uploads/nirayama20161117.pdf |title=世界文化遺産、韮山反射炉の10大ミステリーを解く |accessdate=2020-05-15}}</ref>。古代エジプトで紀元前3000年頃に製作された隕石製とみられる鉄環首飾りが発見されている<ref name="Kanno" />。[[メソポタミア]]では[[紀元前3300年]]から[[紀元前3000年]]ごろの[[ウルク (メソポタミア)|ウルク]]遺跡から鉄片が見つかっている。[[カマン・カレホユック遺跡]]や[[アラジャホユック遺跡]]、紀元前20–18世紀ごろのアッシリア人の遺跡からも当時の鍛鉄が見つかっている。
また、地球上で自然界に存在する鉄は酸化しているため還元する必要があった<ref name="Kanno" />。紀元前1700年頃の[[ヒッタイト]]ではバッチ式の炉を用いた鉄鉱石の還元とその加熱鍛造という高度な製鉄技術により[[鉄器時代|鉄器文化]]を築いたとされる<ref name="Kanno" />。[[トロイア戦争|トロイ戦争]]でのヒッタイトの敗北により製鉄技術はヨーロッパ全土に広がった<ref name="Kanno" />。
しかし、鉄は錆びて土に還ってしまうため古代の歴史的な遺物で鉄製のものはあまり残っていない<ref name="Kanno" />。
{{see also|鉄器時代#鉄器の発明と伝播}}
=== ヨーロッパ ===
==== 中世 ====
ヨーロッパでは14世紀になっても鉄の生産は鍛造で行われていた<ref name="Kanno" />。鉄の鋳造は14世紀以降にようやく行われるようになった<ref name="Kanno" />。鉄の鋳造技術は中国で発明されたといわれているがヨーロッパに伝わらなかった原因は当時の鉄がチルと呼ばれる硬くて脆い鋳鉄だったためともいわれている<ref name="Kanno" />。ヨーロッパでは産業革命がある18世紀まで鋳鉄は硬くて脆いものとされていたため鍛造の鉄が重宝された<ref name="Kanno" />。
==== 近世 ====
鉄を生産しているところでは[[森林破壊]]が深刻で、16世紀に鉄の生産が増加した[[イギリス]]では、[[17世紀]]には鉄生産のための森林破壊が深刻となって木炭が枯渇し始め、製鉄の中心地だったウィールドでは17世紀末になると生産量が盛時だった17世紀前半の半分以下まで落ち込み、[[18世紀]]半ばには10分の1まで減少した。18世紀後半には[[ダービー (イギリス)|ダービー]]でコークスを使った精錬が始まる。コークスは石炭を蒸し焼きにしたもので、不純物が少なく鉄の精錬に使うことができ、火力も強かった。コークスの発明により木材資源の心配がなくなり、鉄の生産量も増加した。
=== 中国 ===
青銅の鋳造技術はメソポタミアにはあったが、鉄の鋳造技術は紀元前7世紀頃の中国で開発された<ref name="Kanno" />。鉄の鋳造は可能となったものの、それは黒鉛を含有しないチルと呼ばれる硬くて脆い鋳鉄だった<ref name="Kanno" />。紀元前470年頃にはそれを約900〜1000度の酸化鉄内で3日間加熱して白心可鍛鋳鉄にする技術があったという研究もある(歴史的には1772年にフランスの[[ルネ・レオミュール]]が発明したとされている)<ref name="Kanno" />。
チンギス・ハーンらの宮殿や歴代皇帝の霊廟とされるモンゴルのアウラガ遺跡から出土した棒状鉄材の化学分析や顕微鏡観察の結果、硫黄の含有量0.52パーセント、銅のそれ0.45パーセントと非常に高く、中国山東省の金嶺鎮鉱山の鉄鉱石に近いことがわかった。モンゴル内地に鉄産地はほとんどなく、鉄の供給源として重視した可能性があるという<ref>2005年9月6日『朝日新聞』夕刊 モンゴル帝国強さの秘密 鉄の供給源は中国?</ref>。
=== 日本 ===
==== 古代・中世前期 ====
[[青銅]]器と鉄器とは[[紀元前3世紀]]ごろ、ほぼ同時期に日本へ伝来し、朝鮮半島より輸入され国内へ広まった。
青銅および青銅器は[[紀元前1世紀]]ごろより日本で作られるようになった。
鉄器製作は、[[弥生時代]]後期後半(1–3世紀)ごろより開始された(北部九州の[[カラカミ遺跡]]([[壱岐市]])や[[備後]]の小丸遺跡([[三原市]]))。朝鮮半島で製鉄した鉄素材を入手し鍛鉄を行ったが、製鉄もこの頃より始まったとする研究もある。
6世紀には、[[古代出雲|出雲]]地方や[[吉備国|吉備]]で、製鉄が広く行われるようになった。鞴(ふいご)を使い、製鉄炉の作り方は、朝鮮半島からの導入と推定されている<ref>狩野久「吉備の国づくり」 藤井学・狩野久・竹林栄一・倉地克直・前田昌義『岡山県の歴史』山川出版社 2000年 23-24ページ</ref>。当初の原料は主に[[鉄鉱石]]を採掘した。ただし採掘地は限られ、産量も豊富ではなく<ref>ただし、[[金生山]](岐阜県)には[[赤鉄鉱]]を産し、古代より製鉄が盛んだったとの研究もある。</ref>、その後も、朝鮮半島から鉄素材の入手を続けた。[[総社市]]の千引かなくろ谷遺跡は6世紀後半の製鉄炉跡4基、製鉄窯跡3基が見つかっている。
日本の製鉄法はある時期以降は「たたら」と呼ばれる特徴ある鋼塊炉(bloomery)を用い、[[砂鉄]](国内各地で採れ、鉄の含有量も高い)を原料とする[[直接製鉄法]]<ref>直接製鉄法とは、砂鉄または鉄鉱石を低温で還元し、炭素の含有量がきわめて低い錬鉄を生成するもので、近代の製鉄法が確立する前は(漢代以降の中国などの例外を除いて)広く世界的に見られた方法である。</ref>を用いるようになリ、国内各地で安定して自給生産可能となった。<!--日本の製鉄法の特色は、鉄の含有量が高い砂鉄を原料に用いていることである。-->
古代、中世においては露天式の野だたら法が頻繁に行われていたが、[[16世紀]]中葉より全天候型で送風量を増加した永代たたら法に発展した。この古代以来の日本独自のたたら製鉄法では、[[玉鋼]]や包丁鉄といった複数の鉄が同時に得られるために、それがのちの[[日本刀]]を生み出す礎となった。
[[出雲]]は古代より一貫して日本全国に鉄を供給し、現在でも出雲地方にその文化の名残が認められ、[[日立金属]]などの高級[[特殊鋼]]メーカーへと変貌を遂げている。
養老律令の規定では、鉄や銅の採取活動に関しては官による採取が優先されるものの、民間による採取を否定したものではなかった([[雑令]]国内条)。これは中国の唐令の規定をそのまま日本に導入したものと考えられる(ただし、中国では[[宋 (王朝)|宋]]に入ると民間による採取を禁じる方針に変更されていくことになる)。また、生産に関しても蝦夷と近接する東辺・北辺での鉄の生産を規制する規定は存在していた([[関市令]]弓箭条)が、他に規制の存在をうかがわせる史料は見つかっていない。また、[[調]]として鉄や鍬の貢納が指定されていたり、国司が武器や鉄器の原料として民間との間で鉄の[[交易]]を図っていたことを示す[[正税帳]]の記述もあり、国家による徴収・再分配・放出とは別に民間における鉄のある程度の生産・流通が存在し、王臣家や中小生産者など幅広い層が担っていた。律令国家においては所謂「[[官営工房]]」が生産・流通を支配していたとする「官営工房」論が存在しているが、当時の文献や古記録からは国家による鉄や鉄製品の生産・流通の独占管理が行われていた事を示すものは無く、(価格の問題はあるものの)一般に対価さえ支払えば鉄や鉄器の購入が可能であったと考えるのが適切である<ref>古尾谷知浩「文献史料からみた古代の鉄生産・流通と鉄製品の生産」奈良文化財研究所 編『官衙・集落と鉄』(クバブロ、2011年)、古尾谷『日本古代の手工業生産と建築生産』(塙書房、2020年)第一部第二章に所収(P37-74.)</ref>。
[[農具]]が鉄器で作られるようになると、農地の開拓が進んだ。しかし中世初期は鉄は非常に貴重であり、鉄製の[[農機具]]は一般農民には私有できず[[公]]の持ちものであり、公の農地を耕し、朝借りてきて夕方には洗って返すことになっていた。私有地の耕作には鉄の農機具を使うことができず、生産量が劣った。すなわち、中世の日本の[[貴族]]は鉄の所有権を通して遠隔地にある[[荘園 (日本)|荘園]]を管理した<ref name="鉄の普及">司馬遼太郎「この国のかたち」文春文庫 p.113-120</ref>。
[[11世紀]]ごろより鉄の生産量が増えると、鉄が安価に供給されるようになった。個人が鉄の農機具を持つことができるようになると、新たな農地の開墾が進んだ。
==== 中世後期・近世 ====
[[File:鋳物師の認可状 巻末.JPG|thumb|right|[[暦応]]5年([[1342年]])鋳物師の認可状巻末]]
[[File:Governmental Yawata Iron & Steel Works.JPG|thumb|[[官営八幡製鐵所|官営八幡製鉄所]]]]
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]にあった[[日本]]では、[[1550年代]]ごろに銃器の生産が普及した。鉄の技術者は鍛冶師、鋳物師と呼ばれた。また、永代たたらの普及により生産量が爆発的に増加したため、生産性の観点から歩止まりのいい砂鉄が採れる中国地方や九州地方への産地の集中が進むこととなった。
当時、鉄の精錬には木炭が使われた(ただし、[[宋 (王朝)|宋代]]以降の中国においては石炭の利用が始まる)。日本の森林は再生能力に優れ、幸いにも森林資源に枯渇することがなかった。豊富な[[砂鉄]]にも恵まれており、鉄の生産量と加工技術では世界で抜きん出た存在になった。
中世後期から[[江戸時代]]にかけて、刀剣は輸出商品として長崎から輸出された。輸出先は中国やヨーロッパである。今日でもヨーロッパ各地の博物館で当時の貴族たちが収集した[[日本刀]]を見ることができる。[[明]]は一貫して日本との交易を禁じる政策をとってきたが、[[鄭若曽]]の『[[籌海図編]]』には倭寇が好んだもの([[倭好]])として「鉄鍋」が挙げられ、[[謝杰]]の『[[虔台倭纂]]』には「鉄鍋重大物一鍋価至一両銭、重古者千文価至四両、小鍋曁開元永楽銭二銭、及新銭不尚也」(上巻「倭利」)として記し、日本人が小鍋でも永楽銭2銭を出して手に入れようとしたことが記されている。これについて、[[太田弘毅]]は[[16世紀]]に西日本、特に[[倭寇]]とのつながりが強い瀬戸内海沿岸や九州に新興の日本刀産地が発生していることを指摘し、戦国時代に増大する日本刀需要(軍事的、あるいは密輸出用として)を賄うために中国から鉄鍋などの中古の鉄を獲得したと論じる<ref>太田弘毅「倭寇が運んだ輸入鉄―「鉄鍋」から日本刀製作へ―」(所収:明代史研究会明代史論叢編集委員会 編『山根幸夫教授退休記念明代史論叢』上巻(汲古書院、1990年) P521-538)</ref>。また、16世紀の明の人で倭寇事情を調べるために日本を訪れて帰国後に『[[日本一鑑]]』を著した[[鄭舜功]]によれば、「其鉄既脆不可作、多市暹羅鉄作也、而福建鉄向私市彼、以作此」(巻二「器用」)と述べて日本の鉄砲に使われていた鉄がシャムや福建からの密輸品(収奪を含む)であったことを指摘している。さらに、近年において[[佐々木稔]]らによって行われた日本産の鉄砲などに用いられた鉄の化学分析によれば、日本の砂鉄には含まれていない銅やニッケル、コバルトなどの磁鉄鉱由来成分の含有が確認されており、佐々木は近世以前の日本国内において磁鉄鉱の鉱床開発が確認できない以上、国外から輸入された銑鉄などが流通していたと考えざるを得ないと指摘する<ref>佐々木稔/編『火縄銃の伝来と技術』(吉川弘文館、2003年 ISBN 978-4-642-03383-1)P84-87・191-201ほか。</ref>。
壊れた鉄製品を修復する需要があり、鉄の加工技術は日本各地で一般化していった。鍛接・鋳掛けのほかにも、金属の接合には[[ろう付け]]・[[リベット]]が使われた。
鋳物業の盛んな富山県[[高岡市]]にも鋳物師の伝統である[[高岡銅器]]があり、この地域には古い技術がよく伝承されている。現在でも[[YKK]]、[[新日軽]]といった金属加工関係の大企業の工場が富山県に多くあるのはこの伝統と無縁ではない。江戸幕末には、艦砲を備えた艦隊の武力を背景に開国を迫る西洋に対抗するために、大砲鋳造用の[[反射炉]]が各地に建造された(韮山反射炉などが挙げられる)。これらは[[明治]]時代になるとより効率のいい高炉にとって代わられた<ref name="鉄の本">鉄と生活研究会編『鉄の本』 2008年2月25日初版1刷発行 ISBN 978-4-526-06012-0</ref>。
== 生体内での利用 ==
=== 鉄分の役割 ===
鉄の生物学的役割は非常に重要である。[[赤血球]]の中に含まれる[[ヘモグロビン]]は、鉄の[[イオン]]を利用して[[酸素]]を運搬している<ref name=life1/>。ヘモグロビン1分子には4つの鉄(Ⅱ)イオンが存在し、それぞれが[[ポルフィリン]]という有機化合物と錯体を形成した状態で存在する<ref name=RC/>。この錯体は[[ヘム]]と呼ばれ、[[ミオグロビン]]、[[カタラーゼ]]、[[シトクロム]]などのタンパク質にも含まれる<ref name="life3">八木康一編著『ライフサイエンス系の無機化学』三共出版、p.95、1997年、ISBN 4-7827-0362-7</ref>。ヘモグロビンと酸素分子の結合は弱く、筋肉のような酸素を利用する組織に到着すると容易に酸素を放出することができる<ref name=RC/>。
[[フェリチン]]は鉄を貯蔵する機能を持つ[[タンパク質ファミリー]]である。その核は鉄(Ⅲ)イオン、[[酸化物イオン]]、[[水酸化物イオン]]、[[リン酸イオン]]からなる巨大なクラスター(オキソヒドロキソリン酸鉄)で、分子あたり4500個もの鉄イオンを含む<ref name=RC/>。
{| class="wikitable floatright" style="text-align:center;"
|+おもな鉄含有タンパク質<ref name="RC">Geoff Rayner-Canham, Tina Overton『レイナーキャナム 無機化学(原著第4版)』西原寛・高木繁・森山広思訳、p.355-356、2009年、東京化学同人、ISBN 978-4-8079-0684-0</ref>
!タンパク質名!!1分子中の鉄原子数!!機能
|-
|[[ヘモグロビン]]||4||血液中のO<sub>2</sub>輸送<ref name="life1">八木康一編著『ライフサイエンス系の無機化学』三共出版、p.155-159、1997年、ISBN 4-7827-0362-7</ref>
|-
|[[ミオグロビン]]||1||[[骨格筋]]細胞中のO<sub>2</sub>貯蔵<ref name=life1/>
|-
|[[トランスフェリン]]||2||血液中のFe<sup>3+</sup>輸送<ref name="life2">八木康一編著『ライフサイエンス系の無機化学』三共出版、p.163、1997年、ISBN 4-7827-0362-7</ref>
|-
|[[フェリチン]]||4500以下||[[肝臓]]、[[脾臓]]、[[骨髄]]などの<br>細胞中でのFe<sup>3+</sup>貯蔵<ref name=life2/>
|-
|[[ヘモシデリン]]||10<sup>3</sup> - 10<sup>4</sup>||Feの貯蔵
|-
|[[カタラーゼ]]||4||{{chem|H|2|O|2}}の分解
|-
|[[シトクロムc]]||1||電子移動
|-
|[[鉄硫黄タンパク質|鉄-硫黄タンパク質]]||2 - 8||電子移動
|}
=== 鉄分の吸収 ===
肉や魚の[[ミオグロビン]]や[[ヘモグロビン]]に由来する[[ポルフィリン]]と結合した鉄は[[ヘム]]鉄(おもに動物性)と呼ばれ、非ヘム鉄(おもに植物性)と比較して2–3倍体内への吸収率が高い。非ヘム鉄は[[ビタミンC]]と一緒に摂取すると、水溶性の高いFe2+に還元されて体内への吸収が促進されるが、[[玄米]]などの[[全粒穀物]]に含まれる[[フィチン酸]]、[[お茶]]や[[野菜]]類に含まれる[[ポリフェノール]]などは非ヘム鉄の吸収を阻害する<ref>[http://hfnet.nih.go.jp/contents/detail675.html 「健康食品」の安全性・有効性情報「鉄解説」]</ref><ref>専門領域の最新情報 最新栄養学 第8版:建帛社</ref>。肉に含まれるヘム鉄は発がん性のある[[ニトロソアミン]]の生成を促し、さらに[[赤肉 (栄養学)|加工肉]]では[[亜硝酸ナトリウム]]や[[硝酸ナトリウム]]がこれを生成する<ref name="WHOMeat">{{Cite report |df=ja |author=国際がん研究機関 |authorlink=国際がん研究機関 |date=2015-10-26 |title=IARC Monographs evaluate consumption of red meat and processed meat |url=http://www.iarc.fr/en/media-centre/pr/2015/pdfs/pr240_E.pdf }}{{Cite web |date=2015-11-13 |url=https://www.hsph.harvard.edu/nutritionsource/2015/11/03/report-says-eating-processed-meat-is-carcinogenic-understanding-the-findings/ |title=WHO report says eating processed meat is carcinogenic: Understanding the findings |publisher=[[ハーバード公衆衛生大学院]] |accessdate=2017-05-06}}</ref>。
=== 鉄分の吸収抑制による抗菌作用 ===
{{仮リンク|ヘプシジン|en|Hepcidin}}は[[肝臓]]で産生される一種の[[ペプチドホルモン]]であり、鉄代謝の制御を行っている。ヘプシジンは腸からの鉄の過剰な吸収を抑制する作用を有する。ヘプシジン産生障害は[[鉄過剰症]]を引き起こす。多くの[[病原体]]はその増殖に多量の鉄を要するため、ヘプシジンが[[血清鉄]]濃度を低下させることは[[炎症]]の原因となる菌の増殖を抑制して[[抗菌作用]]も発揮することになる<ref>友杉直久、[https://doi.org/10.2169/naika.99.1180 2.ヘプシジンの発見とその後の発展] 『日本内科学会雑誌』 2010年 99巻 6号 p.1180-1187, {{doi|10.2169/naika.99.1180}}</ref>。
[[ラクトフェリン]]は、[[母乳]]・[[涙]]・[[汗]]・[[唾液]]などの外分泌液中に含まれる鉄結合性の[[糖タンパク質]]である。ラクトフェリンは、強力な抗菌活性を持つことが知られている。[[グラム陽性]]・[[グラム陰性]]に関係なく、多くの細菌は生育に鉄が必要である。[[トランスフェリン]]と同様、ラクトフェリンは鉄を奪い去ることで、細菌の増殖を抑制する<ref name="Shimazaki">{{Cite journal|和書 |author=島崎敬一 |year=2001 |title=ミルクのラクトフェリン |journal=乳業技術 |volume=51 |pages=1-21 |publisher=日本乳業技術協会 |naid=40005107444 |issn=13417878}}</ref><ref name="Kim">{{Cite book|和書 |author=金完燮 |coauthors=島崎敬一|year=2007 |title=ラクトフェリン2007 :ラクトフェリン研究の新たな展望と応用へのメッセージ |publisher=日本医学館|location=東京|editor=第2回ラクトフェリンフォーラム実行委員会編|chapter=ラクトフェリンと微生物の攻防 その多様性 |page=9-17 |isbn=978-4-89044-632-2}}</ref>。
=== 鉄分の不足 ===
ヒトの場合、ヘモグロビンの原料である体内の鉄分が不足すると、ヘモグロビンが十分に合成できないため酸素の運搬量が不足し、[[鉄欠乏性貧血]]を起こすことがある。また鉄不足は疾病リスクの上昇につながることが示唆されてきており<ref>{{cite journal|title=Risk of Cancer in Patients with Iron Deficiency Anemia: A Nationwide Population-Based Study
|journal=PLOS ONE|year=2015|volume=10|issue=3
|doi=10.1371/journal.pone.0119647
}}</ref><ref>{{cite journal|title=Oxidative stress in older patients with iron deficiency anaemia
|journal=The Journal of Nutrition, Health and Aging|year=2009|volume=13|issue=8
|pmid=19657548
}}</ref><ref>{{cite journal|title=Effect of iron supplementation on oxidative stress and antioxidant status in iron-deficiency anemia
|journal=Biological Trace Element Research|year=2003|volume=96|issue=1-3
|pmid=14716090|doi=10.1385/BTER:96:1-3:117
}}</ref>、鉄分を充分に補充する必要がある。鉄分は、[[レバー (食材)|レバー]]や[[ホウレンソウ]]などの食品に多く含まれ、そのほかに鉄分を多く含む食品は、[[ひじき]]、[[海苔]]、[[ゴマ]]、[[パセリ]]、[[アサリ]]、[[シジミ]]などである。これらを摂取することで鉄分の不足が改善される。
また鉄の溶解度が小さい土壌で育てられる[[植物]]などでは、鉄吸収が不足することで植物の成長が止まり黄化することがある。この症状は、土壌に[[水溶性]]型の鉄肥料を与えるなどすると一時的に改善されるが、植物中に含まれる鉄量が増えるわけではなく、[[ビタミンA]]の含有量が増えることが分かっている。したがって、鉄肥料を与えることは植物中の鉄分ではなくビタミンAを増やすことに役立つ。[[鉄欠乏症 (植物)|植物の鉄欠乏]]を長期的に改善するには、土壌に大量の[[硫黄]]を投入するなどして、土壌質を変える必要がある。なお陸上植物に限らず、藻類も微量の鉄を必要とする。
=== 鉄分の過剰 ===
一方で、過剰な鉄の摂取は生体にとって有害である。ヒトでは食生活の問題による鉄の蓄積([[バンツー血鉄症]]など)や、度重なる[[輸血]]による鉄の蓄積などが知られている。自由な鉄原子は[[過酸化物]]と反応し[[フリーラジカル]]を生成し、これが[[デオキシリボ核酸|DNA]]や[[タンパク質]]、および[[脂質]]を破壊するためである。細胞中で鉄を束縛する[[トランスフェリン]]の量を超えて鉄を摂取すると、これによって自由な鉄原子が生じ、[[鉄中毒]]となる。余剰の鉄は[[フェリチン]]や[[ヘモジデリン]]にも貯蔵隔離される。過剰の鉄はこれらの[[タンパク質]]に結合していない自由鉄を生じる。自由鉄が[[フェントン反応]]を介して[[ヒドロキシラジカル]]などの[[活性酸素]]を発生させる。発生した活性酸素は細胞のタンパク質や[[DNA]]を損傷させる。活性酸素が各臓器を攻撃し、[[肝臓]]には[[肝炎]]、[[肝硬変]]、[[肝癌|肝臓がん]]を、[[膵臓]]には[[糖尿病]]、[[膵臓癌]]を、[[心臓]]には[[心不全]]を引き起こす<ref name=jichi>[http://www.jichi.ac.jp/zoketsushogaihan/tetsufinal.pdf 輸血後鉄過剰症の診療ガイド]</ref>。[[脂肪肝]]においては、血清[[フェリチン]]の増加がしばしばみられ、脂肪肝の中でも[[非アルコール性脂肪性肝炎]](NASH)を含んだ非アルコール性脂肪性肝疾患では、肝組織内の[[鉄過剰症|鉄の過剰]]が肝障害の増悪因子と考えられている<ref>船津和夫、山下毅、本間優 ほか、「[https://doi.org/10.11320/ningendock2005.20.32 脂肪肝における血中ヘモグロビン値の検討]」『人間ドック (Ningen Dock)』 2005年 20巻 1号 p.32-37, {{DOI|10.11320/ningendock2005.20.32}}, 日本人間ドック学会</ref>。[[ヒト]]の体には鉄を排出する効率的なメカニズムがなく、粘膜や粘液に含まれる1–2 mg/日程度の少量の鉄が排出されるだけであるため、ヒトが吸収できる鉄の量は1–2 mg/日程度と非常に少ない<ref name=jichi/>。しかし血中の鉄分が一定限度を超えると、鉄の吸収をコントロールしている消化器官の細胞が破壊される。このため、高濃度の鉄が蓄積すると、ヒトの[[心臓]]や[[肝臓]]に恒久的な損傷が及ぶことがあり<ref>高木均, 松崎豊、「[https://hdl.handle.net/10087/4522 肝臓病食における鉄制限 (群馬県肝臓病食懇話会記録]」 2005年 55巻, 北関東医学会</ref>、致死性の中毒症状を発症する。{{main|鉄中毒|鉄過剰症}}
=== 鉄分の許容量 ===
米国科学アカデミーが公表しているDRI指数によれば、ヒトが1日のうちに許容できる鉄分は、大人で45 mg、14歳以下の子どもは40 mgまでである。摂取量が体重1 kgあたり20 mgを超えると鉄中毒の症状を呈する。鉄の致死量は体重1 kgあたり60 mgである。6歳以下の子どもが鉄中毒で死亡するおもな原因として、硫酸鉄を含んだ大人向けの錠剤の誤飲である。
なお、遺伝的な要因により、鉄の吸収ができない人々もいる。第六染色体のHLA-H遺伝子に欠陥を持つ人は、過剰に鉄を摂取すると[[ヘモクロマトーシス]]などの鉄分過剰症になり、肝臓あるいは心臓に異変をきたすことがある。ヘモクロマトーシスを患う人は、白人では全体の0.3–0.8 %と推定されているが、多くの人は自分が[[鉄過剰症]]であることに気づいていないため、一般に鉄分補給のための錠剤を摂取する場合は、特に鉄欠乏症でない限り、医師に相談することが望ましい。
=== 鉄の許容上限摂取量 ===
鉄の過剰摂取による臓器への鉄の沈着は種々の慢性疾患の発症リスクを高めるため耐容上限量が設定されている。日本で定める耐容上限量は15歳以上の男性が一律に50 mg/日、女性が40 mg/日である。耐容上限量を算出するため、二重盲検試験において、非ヘム鉄(フマル酸鉄)を60 mg/日のグループと、ヘム鉄と非ヘム鉄混合を18 mg/日(豚血液由来 ヘム鉄2 mg/日+フマル酸鉄16 mg/日)グループと、 偽薬投与グループに分けて試験した結果、非ヘム鉄投与グループは他群と比較して便秘や胃腸症状などの健康障害の有訴率が有意に高かった。また、南アフリカのバンツー族で、バンツー鉄沈着症という病気が発生したが、 これは鉄を大量に含むビールの常飲や、鉄鍋由来の鉄により 鉄摂取量が50–100 mg/日となったためだと考えられ、バンツー鉄沈着症は鉄摂取量がおよそ100 mg/日を超えると発生すると推定される。そのことから算出した日本での耐容上限量は、15歳以上男性に対する耐容上限量を一律に50 mg/日とし、女性は体重差を考慮し15歳以上一律に40 mg/日とした。また、アメリカ・カナダの食事摂取基準では、二重盲検試験から算出した耐容上限量で、男女とも成人の鉄の耐容上限量を一律に 45 mg/日としている。また、FAO/WHOは暫定耐容最大1日摂取量(provisional maximal tolerable intake)を0.8 mg/kg 体重/日と定めているが、根拠は不明である<ref>{{Cite report ja|author=厚生労働省|authorlink=厚生労働省|title=「日本人の食事摂取基準(2020年版)」策定検討会報告書(2)微量ミネラル|date=2019-12-24|url=https://www.mhlw.go.jp/content/10904750/000586568.pdf}}</ref>。
=== 鉄分の推奨量 ===
{| class="wikitable floatright" style="text-align:right; font-size:smaller"
|+
鉄の食事摂取基準(mg/日)<ref>{{Cite report ja | author = 厚生労働省 | authorlink = 厚生労働省 | title = 日本人の食事摂取基準(2015 年版)の概要 | date = 2016-03-01 | url = https://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-10904750-Kenkoukyoku-Gantaisakukenkouzoushinka/0000041955.pdf }}</ref><ref group="注">過多月経(経血量が 80 m L/回以上)の人は除外した数値</ref>
|-
!性 別 !! colspan="4" | 男 性 !! colspan="6" | 女 性
|-
!rowspan="2" | 年齢等 !! rowspan="2" | 推定平均<br/>必要量 !! rowspan="2" | 推奨量 !! rowspan="2" | 目安量 !! rowspan="2" | 耐容<br/>上限量<ref group="注">過剰摂取による健康障害回避上限量</ref> !! colspan="2" | 月経なし !! colspan="2" | 月経あり !! rowspan="2" | 目安量 !! rowspan="2" | 耐容<br/>上限量
|-
!推定平均<br/>必要量 !! 推奨量 !! 推定平均<br/>必要量 !! 推奨量
|-
|0~5(月) || - || - || 0.5 || - || - || - || - || - || 0.5 || -
|-
|6~11(月) || 3.5 || 5 || - || - || 3.5 || 4.5 || - || - || - || -
|-
|1~2(歳) || 3 || 4.5 || - || 25 || 3 || 4.5 || - || - || - || 20
|-
|3~5(歳) || 4 || 5.5 || - || 25 || 3.5 || 5 || - || - || - || 25
|-
|6~7(歳) || 4.5 || 6.5 || - || 30 || 4.5 || 6.5 || - || - || - || 30
|-
|8~9(歳) || 6 || 8 || - || 35 || 6 || 8.5 || - || - || - || 35
|-
|10~11(歳) || 7 || 10 || - || 35 || 7 || 10 || 10 || 14 || - || 35
|-
|12~14(歳) || 8.5 || 11.5 || - || 50 || 7 || 10 || 10 || 14 || - || 50
|-
|15~17(歳) || 8 || 9.5 || - || 50 || 5.5 || 7 || 8.5 || 10.5 || - || 40
|-
|18~29(歳) || 6 || 7 || - || 50 || 5 || 6 || 8.5 || 10.5 || - || 40
|-
|30~49(歳) || 6.5 || 7.5 || - || 55 || 5.5 || y6.5 || 9 || 10.5 || - || 40
|-
|50~69(歳) || 6 || 7.5 || - || 50 || 5.5 || 6.5 || 9 || 10.5 || - || 40
|-
|70以上(歳) || 6 || 7 || - || 50 || 5 || 6 || - || - || - || 40
|-
!妊婦(付加量)
| rowspan="4" colspan="4" | || || || rowspan="4" colspan="4" |
|-
|初期 || +2 || +2.5
|-
|中期・後期 || +12.5 || +15
|-
|授乳婦(付加量) || +2 || +2.5
|}
{| class="wikitable floatright" style="text-align:right; font-size:smaller"
|+
日本国民の鉄の平均摂取量(mg/日)<ref>{{Cite report ja | author = 厚生労働省 | authorlink = 厚生労働省 | title = 令和元年 国民健康・栄養調査結果の概要| date = 2020-10-27 | url = https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000687163.pdf }}</ref>
|-
!性別年齢 !! 1-6歳 !! 7-14歳 !! 15-19歳 !! 20-29歳 !! 30-39歳 !! 40-49歳 !! 50-59歳 !! 60-69歳 !! 70-79歳 !! 80歳以上
|-
!男性
| 4.5 || 6.7 || 7.9 || 7.4 || 7.2 || 7.6 || 8.1 || 8.8 || 9.2 || 8.3
|-
!女性
| 4.0 || 6.3 || 7.0 || 6.2 || 6.4 || 6.7 || 7.2 || 8.4 || 8.6 || 7.4
|}
* 鉄分の摂取についての必要量、推奨量は、以下の式で表される。
*# 推定平均必要量=基本的鉄損失÷吸収率(0.15)
*# 推定平均推奨量=推定平均必要量×1.2
* 20歳前後の男性の鉄分損失量は0.9 mg/日であるので、必要量は6.0 mg/日、推奨量は7.2 mg/日となる。
* 20歳前後の女性の鉄分損失量は0.76 mg/日であるので、必要量は8.7 mg/日、推奨量は10.5 mg/日となる。
*[[月経]]のある女性の鉄分の必要量は、以下の式で表される。推定平均必要量=(基本的鉄損失+月経血による鉄損失(0.55 mg/日))÷ 吸収率(0.15)
*鉄分の耐用上限量は、0.8 mg/kg体重/日とされる。70 kgの成人で56 mg/日が上限となる<ref>{{PDFlink|[https://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/05/dl/s0529-4ah.pdf 日本人の食事摂取基準(2010年)6.2.微量ミネラル 6.2.1.鉄(Fe)]}}</ref>。
=== その他 ===
鉄の同位体の1種である<sup>59</sup>Feは、[[血液学#鉄動態検査|鉄動態検査]]に用いられる。
{{-}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
== 参考文献 ==
*『メイド・イン・ジャパン-日本製造業変革への指針-』([[ダイヤモンド社]]、1994年)
*『産業技術短期大学大学案内2011』([[産業技術短期大学]]、2010年)
*『産業技術短期大学五十年のあゆみ』(学校法人鉄鋼学園 [[産業技術短期大学]]、2012.4.25)
*『日本の鉄鋼業』([[日本鉄鋼連盟]]、2013年)
*『日本の鉄鋼業』([[日本鉄鋼連盟]]、2015年)
*『産業技術短期大学大学案内2018』([[産業技術短期大学]]、2017年)
*『日本の鉄鋼業』([[日本鉄鋼連盟]]、2017年)
*『産業技術短期大学大学案内2019』([[産業技術短期大学]]、2018年)
*『日本の鉄鋼業』([[日本鉄鋼連盟]]、2018年)
*『日本の鉄鋼業』([[日本鉄鋼連盟]]、2019年)
ほか
== 関連項目 ==
{{Sisterlinks|b=高等学校化学I/金属元素の単体と化合物/遷移金属/鉄|s=no|n=no|v=no|voy=no|d=Q677|species=no}}
* [[隕鉄]]
* [[鋼]]
* [[たたら吹き]]
* [[たたら研究会]]
* [[産業革命]]
* [[溶接]]
* [[鉄バクテリア]]
* [[マルテンサイト]]
* [[人造黒鉛電極]]
* [[KEY to METALS]] - データベース
* [[製鉄所]]
* [[鉄鋼業]]
* [[日本鉄鋼連盟]]-日本の鉄鋼業の業界団体。
* [[産業技術短期大学]]-日本の鉄鋼業界(日本鉄鋼連盟)が設立した大学。
== 外部リンク ==
* {{PaulingInstitute|mic/minerals/iron Iron}}
* {{Hfnet|675|鉄解説}}
* {{Hfnet|38|鉄|nolink=yes}}
* {{Kotobank}}
{{元素周期表}}
{{鉄の化合物}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:てつ}}
[[Category:鉄|*]]
[[Category:元素]]
[[Category:遷移金属]]
[[Category:第8族元素]]
[[Category:第4周期元素]]
[[Category:必須ミネラル]] | 2003-04-21T10:24:58Z | 2023-12-21T12:26:51Z | false | false | false | [
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"Template:RUS",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84 |
7,091 | マズダク教 | マズダク教(マズダクきょう)とは、5世紀末から6世紀にかけてサーサーン朝ペルシア(現在のイラン)に起こった宗教である。当時の主流であったゾロアスター教を批判しつつ禁欲や平等を説いたが、サーサーン朝によって宗教弾圧に遭った。
ザルドシュトはマニ教指導者であり、マズダクの先駆者とされる。詳細は分かっていないが、名前からザラスシュトラと混同され、これがもとで一部資料においてマズダク教がザルドシュト教=ゾロアスター教と誤解される元となった。
サーサーン家のカワード1世(488年 - 496年、498年 - 531年)は優秀な人物であったが、諸王の王に即位したときにはサーサーン朝の国力も諸王の王の権威も低下していた。そのため親政を開始して急進的な改革(女性の共有)を行うが、貴族たちのクーデターにより廃位にされ、隣国エフタルに亡命する。その後、兵力を集めてクテシフォンに凱旋、復権を果たす。
復位したカワードはマズダク教開祖のマズダクを起用した。マズダクは「財産の共有」をスローガンに平民を動員した平等主義的改革を行ったとされている。しかし、このマズダクは同時代資料に一切登場せず、後世のアラビア語資料に登場するのみである。そのため実際は何が行われていたのか分かっていない。いずれにしろカワードの改革は成功し、サーサーン朝の国力は大きく回復した
マズダク教は絶滅したわけではなく、イスラム期に入ってからも、780年頃に中央アジアで勃発したムカンナの反乱(776年-783年)ではイデオロギーとして復活している。
イラン高原北部にマズダク教の流れをくむホッラム教が成立した。彼らは他人を害することを極力控える平和な農民たちであったが、イスラム教シーア派グラートが合流すると、武装集団に変質した。アッバース朝の内乱に伴い、バーバクという人物の指導の下、イラン高原北西部で反乱を起こし、816年 - 837年にわたって独立勢力となった。これはイラン人がイスラム教以外の宗教を旗印に反乱を起こした最後の例となった。
マズダクの教えは、一切の平等を説く社会的抗議運動だったと思われる。そのため一時期、共産主義国の学者によって積極的に研究された。 | [
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] | マズダク教(マズダクきょう)とは、5世紀末から6世紀にかけてサーサーン朝ペルシア(現在のイラン)に起こった宗教である。当時の主流であったゾロアスター教を批判しつつ禁欲や平等を説いたが、サーサーン朝によって宗教弾圧に遭った。 | '''マズダク教'''(マズダクきょう)とは、[[5世紀]]末から[[6世紀]]にかけて[[サーサーン朝]][[ペルシア]](現在の[[イラン]])に起こった[[宗教]]である。当時の主流であった[[ゾロアスター教]]を批判しつつ禁欲や平等を説いたが、サーサーン朝によって[[宗教弾圧]]に遭った。
== 歴史 ==
=== ザルドシュト ===
ザルドシュトは[[マニ教]]指導者であり、マズダクの先駆者とされる。詳細は分かっていないが、名前から[[ザラスシュトラ]]と混同され、これがもとで一部資料においてマズダク教がザルドシュト教=[[ゾロアスター教]]と誤解される元となった<ref name=青木2019p177> [[青木健 (宗教学者)|青木健]]『新ゾロアスター教史』(刀水書房、2019年)177-178ページ。</ref>。
=== マズダク ===
[[Image:The Iranian prophet Mazdak being executed.png|thumb|220px|処刑されるマズダク(『[[シャー・ナーメ]]』の押絵)。{{仮リンク|マズダク|en|Mazdak}}は[[バビロニア]]出身のゾロアスター教[[僧侶]]で、[[マニ教]]の影響も受けていたとされる<ref name=青木2019p177/>。]]
{{see also|カワード1世}}
サーサーン家の[[カワード1世]](488年 - 496年、498年 - 531年)は優秀な人物であったが、[[諸王の王]]に即位したときにはサーサーン朝の国力も諸王の王の権威も低下していた。そのため[[親政]]を開始して急進的な改革を行うが、貴族たちのクーデターにより廃位にされ、隣国[[エフタル]]に亡命する。その後、兵力を集めて[[クテシフォン]]に凱旋、復権を果たす<ref name=青木2020p220> 青木健『ペルシア帝国』(講談社、2020年)220-228ページ。</ref>。
復位したカワードはマズダク教開祖のマズダクを起用した。マズダクは「財産の共有」をスローガンに平民を動員した平等主義的改革を行ったとされている。しかし、このマズダクは同時代資料に一切登場せず、後世のアラビア語資料に登場するのみである。そのため実際は何が行われていたのか分かっていない。いずれにしろカワードの改革は成功し、サーサーン朝の国力は大きく回復した<ref name=青木2020p220/>。
=== ムカンナアの反乱 ===
{{main|ムカンナア}}
マズダク教は絶滅したわけではなく、[[イスラム]]期に入ってからも、[[780年]]頃に[[中央アジア]]で勃発した[[ムカンナア|ムカンナの反乱]](776年-783年)では[[イデオロギー]]として復活している。
=== ホッラム教 ===
[[イラン高原]]北部にマズダク教の流れをくむ[[ホッラム教]]が成立した。彼らは他人を害することを極力控える平和な農民たちであったが、[[イスラム教]][[シーア派]][[グラート (イスラム教)|グラート]]が合流すると、武装集団に変質した。[[アッバース朝]]の内乱に伴い、バーバクという人物の指導の下、イラン高原北西部で反乱を起こし、816年 - 837年にわたって独立勢力となった。これは[[イラン人]]がイスラム教以外の宗教を旗印に反乱を起こした最後の例となった<ref>前掲青木243-245ページ。</ref>。
== 教義 ==
マズダクの教えは、一切の平等を説く社会的抗議運動だったと思われる。そのため一時期、[[共産主義国]]の学者によって積極的に研究された<ref name=青木2019p177/>。
== 脚注 ==
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7,092 | アルクトドロ教 | アルクトドロ教(アルクトドロきょう)は、アルクトドロ、アルク・トドロ、Aluk Todoloなどと表記する。アルクトドロとは「祖先の教え」という意味。
東南アジア、インドネシア、スラウェシ島の中南部の高地に住むトラジャ族(トラジャ人)の伝統宗教あるいは民間信仰。精霊崇拝とも言われる。
天にいる最高神の下、大地や水牛など崇拝対象ごとに神がいる。
例えば「トティボヨン」は大地の神で稲穂に宿るとされる。トラジャ人の農民は、稲神「トティボヨン」の加護をいただくために田植えや収穫の前後に鶏や豚をいけにえにして祈りをささげ、稲が育つ間は「竹木を切らない」「結婚をしない」といった禁忌を守るという。
現在トラジャ社会にはキリスト教が入り込み、ほとんどの住民がプロテスタントに改宗している。しかし彼らの根底にはアルクトドロ教がいまなお生きつづけていると言われる。 | [
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'''アルクトドロ教'''(アルクトドロきょう)は、アルクトドロ、アルク・トドロ、Aluk Todoloなどと表記する。アルクトドロとは「祖先の教え」という意味。
東南アジア、[[インドネシア]]、スラウェシ島の中南部の高地に住む[[トラジャ族]](トラジャ人)の伝統宗教あるいは民間信仰。精霊崇拝とも言われる。
天にいる最高神の下、大地や[[水牛]]など崇拝対象ごとに[[神]]がいる。
例えば「トティボヨン」は大地の[[神]]で稲穂に宿るとされる。トラジャ人の農民は、稲神「トティボヨン」の加護をいただくために田植えや収穫の前後に[[ニワトリ|鶏]]や[[ブタ|豚]]をいけにえにして祈りをささげ、[[イネ|稲]]が育つ間は「竹木を切らない」「[[結婚]]をしない」といった禁忌を守るという。
現在トラジャ社会には[[キリスト教]]が入り込み、ほとんどの住民が[[プロテスタント]]に改宗している。しかし彼らの根底にはアルクトドロ教がいまなお生きつづけていると言われる。
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[[Category:インドネシアの宗教]] | null | 2022-12-31T11:15:46Z | false | false | false | [
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7,093 | 欠陥 | 欠陥(けっかん)とは、理想状態を想定できる物事における理想状態との違いである。
製造物責任法(PL法)第2条・2項の欠陥の定義では、「当該製造物の特性、その通常予見される使用形態、その製造業者等が当該製造物を引き渡した時期その他の当該製造物に係る事情を考慮して、当該製造物が通常有すべき安全性を欠いていること」とされている。 | [
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] | 欠陥(けっかん)とは、理想状態を想定できる物事における理想状態との違いである。 自動車、建築物などの製品においては、設計時の設計ミスや製造時の組み立てミスなどによって組み込まれた不具合・問題点。
参照:リコール (自動車)、リコール (一般製品)、バグ
材料工学、材料力学、材料強度学においてはボイド、気孔、き裂など。
結晶学、物性物理学、固体物理学においては格子欠陥。 | '''欠陥'''(けっかん)とは、理想状態を想定できる物事における理想状態との違いである。
*[[自動車]]、[[建築物]]などの[[製品]]においては、設計時の設計ミスや製造時の組み立てミスなどによって組み込まれた不具合・問題点。
**参照:[[リコール (自動車)]]、[[リコール (一般製品)]]、[[バグ]]
*[[材料工学]]、[[材料力学]]、[[材料強度学]]においては[[ボイド]]、[[気孔 (材料工学)|気孔]]、[[き裂]](クラック<!-- [[クラック]]へのリンクは、ここでは意味がないのでしない。 -->)など。
*[[結晶学]]、[[物性物理学]]、[[固体物理学]]においては[[格子欠陥]]。
==日本==
[[s:製造物責任法#2_2|製造物責任法(PL法)第2条・2項]]の欠陥の定義では、「当該製造物の特性、その通常予見される使用形態、その製造業者等が当該製造物を引き渡した時期その他の当該製造物に係る事情を考慮して、当該製造物が通常有すべき安全性を欠いていること」とされている。
== 関連項目 ==
{{wiktionary}}
*[[不良品]]
*[[瑕疵]]
*[[担保責任]]
*[[故障]]
*[[欠陥住宅]]
{{DEFAULTSORT:けつかん}}
[[Category:品質管理]]
[[Category:設計]]
[[Category:性能]]
[[Category:技術問題]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A0%E9%99%A5 |
7,096 | 固体 | 固体(、英: solid)は、物質の状態の一つ。固体内の原子は互いに強く結合しており、規則的な幾何学的格子状に並ぶ場合(金属や通常の氷などの結晶)と、不規則に並ぶ場合(ガラスなどのアモルファス)がある。
液体や気体と比較して、変形あるいは体積変化が非常に小さい。変形が全く起こらない剛体は理想化された固体の一つである。連続体力学においては、固体は静止状態においてもせん断応力の発生する物体と捉えられる。液体のように容器の形に合わせて流動することがなく、気体のように拡散して容器全体を占めることもない。
固体を扱う物理学は固体物理学と呼ばれ、物性物理学の一分野である。また物質科学はそもそも、強度や相変化といった固体の性質を扱う学問であり、固体物理学と重なる部分が多い。さらに固体化学の領域もこれらの学問と重なるが、特に新しい物質の開発(化学合成)に重点が置かれている。
今まで知られている最も軽い固体はエアロゲルであり、そのうち最も軽いものでは密度は約 1.9 mg/cm と水の密度の530分の1程度である。
固体を構成する原子、分子、イオンは、整然と繰り返すパターンで並ぶ場合と、不規則に並ぶ場合がある。規則的パターンで並んで構成されている物質は結晶と呼ばれる。規則的な配列が大きなスケールで続く場合もあり、例えばダイヤモンドの粒は単結晶である。目に見えて手でつかめる大きさの固体が単結晶ということは滅多になく、無数のクリスタリットと呼ばれる単結晶で構成される多結晶ということが多い。ほとんどの金属や多くのセラミックスは多結晶である。
それら以外の物質には原子の配列に大きな規則性がない。そのような固体をアモルファスと呼び、例えばポリスチレンやガラスなどがある。
固体が結晶となるかアモルファスとなるかは、それが形成されるときの条件に依存する。ゆっくり冷却されて凝固すると結晶になる傾向が強く、急速に冷却されるとアモルファスになる傾向が強い。同様に形成時の要因によってどんな結晶構造をとるかも決まる。
氷や硬貨といった物体は全体が同じ化学組成だが、一般的な素材はいくつかの異なる物質で構成されている。例えば、岩石はいくつかの鉱物や準鉱物でできており、化学組成は一定ではない。有機素材の1つである木材は、セルロース繊維が有機性のリグニンの基質に埋め込まれた形になっている。材料科学では、複数の物質を組み合わせた複合材料で必要な特性の材料を生み出す。
固体の微視的な特性は次のようなものである。
固体における原子間の力には様々なものがある。例えば、塩化ナトリウム(食塩)の結晶はナトリウムと塩素のイオン結合でできている。ダイヤモンドやシリコンは原子間で電子を共有する共有結合でできている。金属では金属結合という形で電子を共有している。有機素材などでは個々の分子において電荷が局在する極性があり、それがファンデルワールス力を産んでいる。固体の種類の相違点は、それらの結合の違いに起因している。
一般に金属は強く稠密で、電気についても熱についても良導体である。周期表においてホウ素からポロニウムに引いた直線から左側にある元素はおおよそ金属である。2つ以上の元素を含み主成分が金属のものを合金という。
先史時代から人々は金属を様々な用途で使ってきた。金属は強度と信頼性が高いことから、建物などの建設や乗り物、道具・管・標識・線路(軌条)などに使われている。このような用途では鉄とアルミニウムが最もよく使われており、これらは地殻に最も豊富に存在する金属と言える。一般に合金の形で使うことが多く、鋼には最大2.1 %の炭素が含まれていて、それによって純粋な鉄よりも硬さが増している代表例が工具鋼である。
金属は電気の良導体でもあるため、電気器具にもよく使われており、電力の長距離伝送にも金属が欠かせない。送電網には金属でできた電線が必須となっている。電気伝導率が高く加工が容易であることから、屋内配線などには銅がよく使われている。また金属の熱伝導率の高さから、調理で火にかける容器の多くは金属製になっている。
金属元素や合金の研究は、固体化学/物理学、材料科学/工学といった学問分野の大きな部分を占めている。
金属の固体は非局在化した電子を共有する「金属結合」でその形を保持している。金属の原子はその最も外側の電子が自由電子となって離れ、陽イオンになっている。自由電子は固体全体に拡散して存在し、その電子の雲と陽イオンとなった金属原子との間の静電相互作用によって強く結合する。自由電子が多数存在するため、金属は電気と熱の伝導率が高くなる。自由電子があるため、金属は可視光線を通さない不透明な物体となり、同時に表面が光沢を帯びることになる。
より進んだ金属の特性のモデルでは、陽イオン核の非局在化した電子群への影響を考慮する。ほとんどの金属が結晶構造であり、陽イオンは格子状に配置されているのが普通である。数学的にはイオン核のポテンシャルは様々なモデルで扱うことができ、最も単純なものとして「ほとんど自由な電子」モデルがある。
鉱物は自然界に存在する固体であり、高圧の地質学的過程によって形成される。真の鉱物に分類されるには、全体に均一な物理特性を持ち、結晶構造になっていなければならない。鉱物の組成としては、純粋な元素や単純な塩といったものから非常に複雑なケイ酸塩まで、数千種類が知られている。これに対して岩石は鉱物や準鉱物が無作為に集合したもので、均一な化学組成にはなっていない。地殻を構成する主な岩石は、石英(結晶質の SiO2)、長石、雲母、緑泥石、カオリナイト、方解石、緑簾石、カンラン石、普通輝石、普通角閃石、磁鉄鉱、赤鉄鉱、褐鉄鉱などの鉱物で構成されている。中でも石英、雲母、長石が最も一般的で、それ以外の鉱物は地球上の限られた場所にしか存在しない。鉱物における最大のグループはケイ酸塩鉱物で(ほとんどの岩石は95%以上がケイ酸塩鉱物でできている)、その主成分はケイ素と酸素であり、そこにアルミニウム、マグネシウム、鉄、カルシウムといった金属が加わっている。
セラミックスは無機化合物でできており、通常酸化物で構成されている。化学的に不活性であり、酸性や腐食性の化学物質にも耐性があることが多い。一般に1,000 °Cから1,600 °Cの高温にも耐えることができる。例外として酸化されていない無機物があり、窒化物、ホウ化物、炭化物などがある。
伝統的な陶磁器の原料はカオリナイトなどの粘土鉱物を含み、最近のセラミックスではアルミニウム酸化物(酸化アルミニウム)などを含む。最近では高機能セラミックスとして炭化ケイ素や炭化タングステンなどもある。これらは耐摩耗性に優れており、例えば鉱山での掘削機の先端部分などに使われている。
酸化アルミニウムやその化合物のようなセラミックスは非常に細かい粉末が原料であり、非常に微細な多結晶マイクロ構造となるため、可視光線を散乱することで不透明になる。しかし最近ではゾルゲル法などの製法で多結晶ながら透明なセラミックスも製造でき、高出力レーザー機器の部品などに使われている。高機能セラミックスは医薬品、電子部品などにも使われている。
セラミック工学は、セラミックスの製造や応用を研究する工学分野であり、それに対応した産業分野が窯業である。セラミックスの生産には熱を使う場合や化学溶液の常温での沈降反応を使う場合がある。原料の精製、関連する化合物の製法などの研究、セラミックスの形成法、その構造・組成・特性の研究などが含まれる。
力学的には、セラミックスは脆く、硬く、圧縮に強いが、切断と引っ張りには弱い。もろい素材であっても、静的な負荷にたいしては強度を発揮することがある。じん性は素材が破壊されるまでにどれだけのエネルギーに耐えられるかを示し、破壊じん性 (KIc) は欠陥(割れ)の成長に抵抗する素材の能力を意味する。素材の破壊じん性が高い場合、破壊力学の基本原則によれば、延性破壊を生じる可能性が高い。セラミックスやガラスセラミックスはぜい性破壊を生じることが多く、一般に KIc は低い。
セラミックスの応用例として、ジルコニアは極めて硬いことからナイフの研磨や産業用切削工具などに使われている。酸化アルミニウム、炭化ホウ素、炭化ケイ素などのセラミックスは、防弾チョッキに使われている。窒化ケイ素はその硬さと耐磨耗性から玉軸受の部品に使われている。一般にセラミックスは化学的な耐腐食性に優れているため、鋼の軸受では酸化する(さびる)ような湿度の高い環境でも利用可能である。
セラミックスの他の応用例として、1980年代初めにトヨタ自動車は約 3,300 °Cで動作するセラミック・エンジンを研究したことがある。セラミック・エンジンは冷却機構が不要なため軽量化でき、燃費が向上することが期待されていた。通常の金属製のエンジンでは融けてしまうのを防ぐために熱を常に放出する必要がある。似たような考え方で、セラミックス製のガスタービンエンジンの部品も開発されている。タービンエンジンをセラミックスで作れば、効率が向上すると考えられた。しかし、セラミックスの部品を十分な精密さと耐久性をもって大量生産することが難しいため、量産には至っていない。セラミックスでできた部品には微視的なヒビが無数に存在し、エンジン部品のような用途ではそれが大きなヒビに成長して故障の原因になりやすい。
ガラスセラミックスは、非晶質のガラスと結晶質のセラミックスの両方の性質をあわせ持っている。まずガラスとして形成し、熱処理することで部分的に結晶化させ、アモルファスと結晶が混在した状態にしたものである。
ガラスセラミックスは耐熱性に優れ透水性が低いことから、調理器具(CorningWare)や調理用上板に使われている。セラミックス相は熱膨張率が負であり、ガラス相の正の熱膨張率と釣り合いがとれ、全体として熱膨張が極めて小さくなる。セラミックス相とガラス相の割合をうまく調整すると(結晶質が約70 %)、全体の熱膨張率はほぼゼロになる。このようなガラスセラミックスは力学的特性も優れており、約1,000 °Cまでの急激かつ反復的な温度変化にも耐えられる。
自然界で砂浜の砂に雷が落ちたとき、石英などの結晶質の粒子によってガラスセラミックスができることがある。落雷による急激な加熱(約2500°C)によって中空の根のような形で形成され、閃電岩と呼ばれる。
有機化学は、炭素と水素を主成分とし、窒素・酸素・ハロゲン(フッ素、塩素、臭素、ヨウ素)を含む化合物の構造・組成・反応・合成などを研究する。リンや硫黄などの元素を含む有機化合物もある。有機固体としては、木材、パラフィン、ナフタレン、様々な重合体やプラスチックなどがある。
木材は天然の有機素材であり、リグニンの基質の中にセルロース繊維が埋め込まれた構造になっている。繊維は引っ張りに強く、リグニン基質は圧縮に強い。そのため木材は古くから建材や船の材料として使われてきた。建築に使われる木材は一般に材木と呼ばれる。建築においては、構造材としてだけでなく、コンクリートの型枠としても使われてきた。
木質材料は段ボールなどの包装資材や紙にもよく使われており、どちらも木材から作られたパルプを原料としている。化学パルプはリグニンを化学物質と熱を使って分離し、繊維だけを取り出したものである。
有機化学における炭素の重要な特性の1つとして、個々の分子が互いに結合して鎖状または網状の化合物を形成できる点が挙げられる。これを重合反応と呼び、単量体を原料として重合体を形成する。重合体は化学的に合成したものと自然界に存在するもの(生体高分子)の2種類に分類される。
単量体には様々な置換基や官能基のものがあり、合成された化合物の化学特性(可溶性、反応性)や物理特性(硬さ、密度、強度、耐摩耗性、耐熱性、透明度、色など)に影響を与える。タンパク質ではそれらの違いが立体構造の違いを生み、生物学的活性の違いを生む。
蝋やシェラックなどの生体高分子物質は古くから人間が利用してきた。これらは熱可塑性の重合体である。植物由来の重合体としてはセルロースがあり、天然繊維やロープなどの引っ張り強度の源泉となっている。また、19世紀初めごろから天然ゴムが広く使われるようになった。重合体はいわゆる合成樹脂(プラスチック)の原料である。プラスチックは1つ以上の重合体に添加物を加えて処理され、形成される。現在よく使われている重合体としては、炭素をベースとするポリエチレン、ポリプロピレン、ポリ塩化ビニル、ポリスチレン、ナイロン、ポリエステル、アクリル樹脂、ポリウレタン、ポリカーボネート、シリコンをベースとするシリコーンがある。
複合材料は2つ以上の微視的相を含む。セラミックスを微粒子や繊維の形で使ったりする。
複合材の用途は、鉄筋コンクリートのような建築要素からNASAのスペースシャトルの外面を覆っている耐熱タイルまで多岐にわたる。例えば 1,510 °Cの熱に耐えられる炭素繊維強化炭素複合材料 (RCC) はスペースシャトルのノーズキャップと翼の前端部分を守っている。RCCはグラファイト・レーヨンの布にフェノール樹脂を吹き付けてラミネート加工したものである。高圧釜内で高温で硬化処理した後、ラミネートを熱分解して樹脂から炭素に変換し、真空室でフルフラール・アルコールを染み込ませ、さらにそれも硬化/熱分解されて炭素となる。酸化への耐性を持たせるため、RCCの外層は炭化ケイ素に変換する。
家庭用品での複合材料の例としては、テレビや携帯電話などのプラスチック製外装がある。それらのプラスチック製外装は一般に熱可塑性のABS樹脂などを基質として、炭酸カルシウム、滑石、ガラス繊維、炭素繊維などを加えて強度を増して静電気対策を施している。
したがって、基質となる材料が補強材を取り囲み、相対的位置を保持する。そうすることで基質の力学的・物理的特性を強化する。そうすることで個々の素材では得られない性質を生み出す。設計者は様々な基質と補強材を選んで最適な組み合わせを得ることができる。
半導体は、金属導体と非金属不導体の中間の電気抵抗(伝導率)を持つ物質である。周期律表においてホウ素から右斜め下の線上にある半金属がほぼ相当する。その左側が電気伝導体(金属)であり、右側が不導体である。
半導体はラジオ、コンピュータ、電話機などの電子機器によく使われている。半導体デバイスとしては、トランジスタ、太陽電池、ダイオード、集積回路などがある。太陽電池パネルは大きな半導体デバイスであり、光を直接電気エネルギーに変換する。
金属導体では電流は電子の流れだが、半導体ではその物質のバンド構造における電子および正孔が電荷担体となる。主な半導体素材としては、シリコン、ゲルマニウム、ヒ化ガリウムがある。
多くの固体はナノメートルレベルにまで小さくなると、通常とは異なる性質を示すようになる。例えばケイ素は通常灰色だが、ナノ粒子になると赤くなる。金のナノ粒子は金塊(融点は 1064 °C)よりもずっと低温(2.5 nm の大きさで 300 °C)で融け始める。金属のナノワイヤは同じ元素の金属の塊よりも強度が優れている。またナノ粒子は体積に対して相対的に表面積が大きいため、エネルギー場の特定用途にとって非常に魅力的である。たとえば白金のナノ粒子は自動車燃料の触媒を改良し、燃料電池のイオン交換膜 (PEM) にも使われている。また、ランタン、セリウム、マンガン、ニッケルのセラミック酸化物は固体酸化物形燃料電池 (SOFC) に使われている。リチウムイオン二次電池では、リチウム、チタン酸リチウム、タンタルなどのナノ粒子を使うものもある。ケイ素のナノ粒子やナノワイヤはリチウムイオン二次電池の寿命を劇的に延ばすことが判明している。ケイ素のナノ粒子は太陽電池にも使われている。薄膜状のケイ素量子ドットを太陽電池の多結晶ケイ素の基板上に置くことで、入射した光に対応してナノ粒子(薄膜)が蛍光を発し、出力電圧が最大で60 %も増強される。ここでもナノ粒子の表面積が大きいことが役立っている。
自然界には特異な力学的特性を持つ生物由来の複雑な化合物が数多く存在する。数億年もの進化によって生まれたそれらの複雑な構造を研究することで、新たな素材が生み出されている。生体材料は、構造的階層性、多機能性、自己回復機能などを特徴とする。自己組織化も生体材料の基本的特徴であり、分子レベルから構造が組み立てられていく。そこで、高機能生体材料の化学合成において自己組織化が新たな戦略として注目されている。
分子自己組織化は生体によく見られ、様々な生体の構造の基礎となっている。例えば、常温常圧で無機素材を結晶化させるといったことが生体内で普通に行われており、極めて精密で複雑な構造を作り上げる。そのような無機素材を成長させる過程を生命がどうやって制御しているのかを理解することで、材料科学が大きく進歩し、ナノスケールの複合材を合成する技法を生み出すきっかけとなった。
生体における構造の基本的な材料は20種類のアミノ酸に始まり、ポリペプチド、多糖、ポリペプチド糖類などがある。これらから基本的なタンパク質が作られ、それが細胞の主要な構成要素になっており、多くのバイオミネラルにも存在する。タンパク質はコラーゲン、キチン質、ケラチン、エラスチンなど1000種類以上ある。硬い生体材料は主に鉱物を使っており、生体内の環境で大きさ・形状・個々の結晶の配置などを制御されて成長していく。生体で重要な鉱物としては、ハイドロキシアパタイト(水酸燐灰石)、シリカ、アラレ石がある。例えば、ハイドロキシアパタイトは骨の主成分である。
よく研究された生体材料として、アワビなどの貝に見られる真珠層の微細構造がある。天然素材としては金属以外では最も力学的強度と破壊じん性が高い。電子顕微鏡による観察で、鉱物でできたタイルが有機素材のシートを挟んで何層も重ねられた微細構造が明らかとなっている。初期の研究で真珠層を構成する有機成分は5%にすぎないことがわかっている。それでも複雑な階層的構造によって、無機の CaCO3 結晶に比較すると3000倍もの力学的強度があることがわかっている。
臭い、色、体積、密度、融点、沸点、比熱容量、常温での物理形状(固体・液体・気体の別、結晶構造など)、硬さ、孔隙率、反射率といった物体の物理特性は、その化学組成や元素を特定する確証を提供する。ここでは固相の物質の物理的性質の一部を解説する。
力学的性質とは、個々の固体素材の強度や変形への耐性といった性質である。例えば、鋼材は強度が高く変形しにくいことから建材としてよく使われている。
力学的性質としては、弾性、塑性、引張強さ、圧縮強さ、せん断強さ、破壊じん性、展延性、押込硬さなどがある。固体力学は様々な固体素材が外力や温度などの外的条件の下でどう振る舞うかを研究する。
固体は液体のような流動性を示さない。元の形から変化することを変形 (deformation) と呼び、原形からの変形の割合をひずみ (strain) と呼ぶ。加えられた応力が十分低ければ、ほとんど全ての固体でひずみと応力は比例する(フックの法則)。その比例係数を弾性率またはヤング率と呼ぶ。フックの法則が成り立つ変形の範囲を「弾性域」と呼ぶ。固体が応力に対してどう反応するかについては、3つのモデルがある。
多くの素材は高温では弱くなる。高温でも高い強度を示す素材を耐火物と呼び、様々な用途に使われている。例えばガラスセラミックスは 1000 °C 程度までの急激な温度変化の繰り返しにも強度を保つ性質がある。航空機や宇宙機の外装には熱衝撃に強い高機能素材が使われている。有機高分子や複合材料でできた合成繊維などがそういった用途向けに設計されている。
固体は熱エネルギーを持っているため、その原子は格子内の平均位置を中心として振動している。結晶質やガラス質のネットワークにおける格子振動のスペクトルは、固体分子運動論の基礎となっている。この運動は原子レベルで起きており、分光法などの非常に専門的な機器でないと観察・検出できない。
固体の熱的性質としては熱伝導率があり、個々の素材の熱伝導能力を示す。また、比熱容量はその素材が熱(格子振動)の形でエネルギーを蓄える能力を示す。
電気的性質としては、電気伝導率、抵抗値、インピーダンス値、静電容量値などがある。金属や合金などの導体もあれば、ガラスやセラミックスなどの絶縁体もある。半導体はそれらの中間の性質を示す。金属の電気伝導性は電子によるものだが、半導体ではそれに加えて正孔も電流を担っている。また、固体電解質では陽イオンも電流を担う。
極低温状態で超伝導を示す物質も多く存在する。スズやアルミニウムなどの金属元素、各種合金、大量にドーピングした半導体、ある種のセラミックスなどが超伝導を示す。多くの導体(金属)の抵抗値は温度を低くすると低下していくが、有限の値を示し続ける。しかし超伝導体では、臨界温度以下になると突然抵抗値がゼロになる。超伝導体の環に電流を流すと、電源なしで無限に電流が流れ続ける。
誘電体や絶縁体は電流に対して大きな抵抗を示す。プラスチックなどの誘電体は電場を印加されるとそれを蓄える性質があり、コンデンサにその性質が使われている。コンデンサは少しだけ隙間を空けた電極間の電場にエネルギーを蓄えるデバイスである。コンデンサに電圧を印加すると、両方の電極に互いに逆の極性の比例した電荷が蓄えられる。コンデンサは電気回路におけるエネルギー蓄積装置として使われるだけでなく、高周波と低周波の信号を区別するフィルタ回路にも使われている。
圧電効果とは、結晶に力学的応力を加えると電位差を発生する現象である。圧電効果を示す結晶に電圧を印加すると、逆に結晶の形が若干変化する。ゴム、羊毛、髪の毛、絹など重合体は電石として振る舞うものが多い。例えばポリフッ化ビニリデン (RDVF) は水晶(SiO2 の結晶)よりも数倍強い圧電性を示す。約0.1%の変形で大きな圧電効果が得られることから、高電圧源、スピーカー、レーザー、各種センサーやトランスデューサーに応用されている。
固体にはガラスのように透明なものと金属のように不透明なものがある。
特定の波長だけを透過させる素材も多い。例えば、窓ガラスは可視光線を透過させるが、紫外線の周波数帯はそれほど透過しない。このような性質は周波数選択性の光学フィルターなどに使われている。
用途によっては、光学的性質と力学的性質の両方が重視される場合もある。例えば、赤外線追尾式(熱探知式)のミサイルでは、赤外線センサのカバーは赤外線を透過させる素材でなければならない。このため現状の赤外線追尾式ミサイルではサファイアの単結晶がその用途に使われている。サファイアは中赤外線帯域(3–5 μm)を全部透過するわけではなく、常温では 4.5 μm より長い波長を透過しない。しかし常温で赤外線を透過する物質の中では最も強度が高く、600 °C 以上になるまで強度が保たれる。このように強度と光学特性を両立させることは長年の課題となっており、透明セラミックスや光学ナノ複合材といった新素材がよりよい性能を示す可能性がある。
導波光伝播では、光ファイバーなどを使って様々な周波数の光で複数の信号を同時に伝播する。光導波路は光集積回路や光通信システムの光伝送媒体として使われている。
太陽電池は光を電気に変換する。基本的には2つの機能が必要である。1つは光を吸収する素材で光から電荷担体(電子と正孔)を生成できることで、もう1つは電極にそれら電荷担体を極性によって分離して移動させて電流を発生させることである。これを光電効果と呼び、太陽電池に関わる研究分野としては光起電力学 (photovoltaics) がある。
太陽電池には様々な用途がある。僻地や宇宙空間など電力網がない場所での電力源として使われており、他にも電卓、腕時計、無線電話、ポンプなどに組み込まれている。最近では住宅などに太陽電池を設置して発電し、その電力を電力網に供給するということも行われている。
光子を吸収することで自由電子を発生させているため、太陽電池には光を吸収する素材が必要とされる。太陽電池の原料には地球の地表に到達する太陽光の波長を吸収する特性のものが優先的に採用されているが、中には大気圏外での発電に最適化された太陽電池もある。 | [
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"text": "固体(、英: solid)は、物質の状態の一つ。固体内の原子は互いに強く結合しており、規則的な幾何学的格子状に並ぶ場合(金属や通常の氷などの結晶)と、不規則に並ぶ場合(ガラスなどのアモルファス)がある。",
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"text": "液体や気体と比較して、変形あるいは体積変化が非常に小さい。変形が全く起こらない剛体は理想化された固体の一つである。連続体力学においては、固体は静止状態においてもせん断応力の発生する物体と捉えられる。液体のように容器の形に合わせて流動することがなく、気体のように拡散して容器全体を占めることもない。",
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"text": "固体を扱う物理学は固体物理学と呼ばれ、物性物理学の一分野である。また物質科学はそもそも、強度や相変化といった固体の性質を扱う学問であり、固体物理学と重なる部分が多い。さらに固体化学の領域もこれらの学問と重なるが、特に新しい物質の開発(化学合成)に重点が置かれている。",
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"text": "今まで知られている最も軽い固体はエアロゲルであり、そのうち最も軽いものでは密度は約 1.9 mg/cm と水の密度の530分の1程度である。",
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"text": "固体を構成する原子、分子、イオンは、整然と繰り返すパターンで並ぶ場合と、不規則に並ぶ場合がある。規則的パターンで並んで構成されている物質は結晶と呼ばれる。規則的な配列が大きなスケールで続く場合もあり、例えばダイヤモンドの粒は単結晶である。目に見えて手でつかめる大きさの固体が単結晶ということは滅多になく、無数のクリスタリットと呼ばれる単結晶で構成される多結晶ということが多い。ほとんどの金属や多くのセラミックスは多結晶である。",
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"text": "それら以外の物質には原子の配列に大きな規則性がない。そのような固体をアモルファスと呼び、例えばポリスチレンやガラスなどがある。",
"title": "微視的特性"
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"text": "固体が結晶となるかアモルファスとなるかは、それが形成されるときの条件に依存する。ゆっくり冷却されて凝固すると結晶になる傾向が強く、急速に冷却されるとアモルファスになる傾向が強い。同様に形成時の要因によってどんな結晶構造をとるかも決まる。",
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"text": "氷や硬貨といった物体は全体が同じ化学組成だが、一般的な素材はいくつかの異なる物質で構成されている。例えば、岩石はいくつかの鉱物や準鉱物でできており、化学組成は一定ではない。有機素材の1つである木材は、セルロース繊維が有機性のリグニンの基質に埋め込まれた形になっている。材料科学では、複数の物質を組み合わせた複合材料で必要な特性の材料を生み出す。",
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"text": "固体の微視的な特性は次のようなものである。",
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"text": "固体における原子間の力には様々なものがある。例えば、塩化ナトリウム(食塩)の結晶はナトリウムと塩素のイオン結合でできている。ダイヤモンドやシリコンは原子間で電子を共有する共有結合でできている。金属では金属結合という形で電子を共有している。有機素材などでは個々の分子において電荷が局在する極性があり、それがファンデルワールス力を産んでいる。固体の種類の相違点は、それらの結合の違いに起因している。",
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"text": "一般に金属は強く稠密で、電気についても熱についても良導体である。周期表においてホウ素からポロニウムに引いた直線から左側にある元素はおおよそ金属である。2つ以上の元素を含み主成分が金属のものを合金という。",
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"text": "先史時代から人々は金属を様々な用途で使ってきた。金属は強度と信頼性が高いことから、建物などの建設や乗り物、道具・管・標識・線路(軌条)などに使われている。このような用途では鉄とアルミニウムが最もよく使われており、これらは地殻に最も豊富に存在する金属と言える。一般に合金の形で使うことが多く、鋼には最大2.1 %の炭素が含まれていて、それによって純粋な鉄よりも硬さが増している代表例が工具鋼である。",
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"text": "金属は電気の良導体でもあるため、電気器具にもよく使われており、電力の長距離伝送にも金属が欠かせない。送電網には金属でできた電線が必須となっている。電気伝導率が高く加工が容易であることから、屋内配線などには銅がよく使われている。また金属の熱伝導率の高さから、調理で火にかける容器の多くは金属製になっている。",
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"text": "金属元素や合金の研究は、固体化学/物理学、材料科学/工学といった学問分野の大きな部分を占めている。",
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"text": "金属の固体は非局在化した電子を共有する「金属結合」でその形を保持している。金属の原子はその最も外側の電子が自由電子となって離れ、陽イオンになっている。自由電子は固体全体に拡散して存在し、その電子の雲と陽イオンとなった金属原子との間の静電相互作用によって強く結合する。自由電子が多数存在するため、金属は電気と熱の伝導率が高くなる。自由電子があるため、金属は可視光線を通さない不透明な物体となり、同時に表面が光沢を帯びることになる。",
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"text": "より進んだ金属の特性のモデルでは、陽イオン核の非局在化した電子群への影響を考慮する。ほとんどの金属が結晶構造であり、陽イオンは格子状に配置されているのが普通である。数学的にはイオン核のポテンシャルは様々なモデルで扱うことができ、最も単純なものとして「ほとんど自由な電子」モデルがある。",
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"text": "鉱物は自然界に存在する固体であり、高圧の地質学的過程によって形成される。真の鉱物に分類されるには、全体に均一な物理特性を持ち、結晶構造になっていなければならない。鉱物の組成としては、純粋な元素や単純な塩といったものから非常に複雑なケイ酸塩まで、数千種類が知られている。これに対して岩石は鉱物や準鉱物が無作為に集合したもので、均一な化学組成にはなっていない。地殻を構成する主な岩石は、石英(結晶質の SiO2)、長石、雲母、緑泥石、カオリナイト、方解石、緑簾石、カンラン石、普通輝石、普通角閃石、磁鉄鉱、赤鉄鉱、褐鉄鉱などの鉱物で構成されている。中でも石英、雲母、長石が最も一般的で、それ以外の鉱物は地球上の限られた場所にしか存在しない。鉱物における最大のグループはケイ酸塩鉱物で(ほとんどの岩石は95%以上がケイ酸塩鉱物でできている)、その主成分はケイ素と酸素であり、そこにアルミニウム、マグネシウム、鉄、カルシウムといった金属が加わっている。",
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"text": "セラミックスは無機化合物でできており、通常酸化物で構成されている。化学的に不活性であり、酸性や腐食性の化学物質にも耐性があることが多い。一般に1,000 °Cから1,600 °Cの高温にも耐えることができる。例外として酸化されていない無機物があり、窒化物、ホウ化物、炭化物などがある。",
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"text": "伝統的な陶磁器の原料はカオリナイトなどの粘土鉱物を含み、最近のセラミックスではアルミニウム酸化物(酸化アルミニウム)などを含む。最近では高機能セラミックスとして炭化ケイ素や炭化タングステンなどもある。これらは耐摩耗性に優れており、例えば鉱山での掘削機の先端部分などに使われている。",
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"text": "酸化アルミニウムやその化合物のようなセラミックスは非常に細かい粉末が原料であり、非常に微細な多結晶マイクロ構造となるため、可視光線を散乱することで不透明になる。しかし最近ではゾルゲル法などの製法で多結晶ながら透明なセラミックスも製造でき、高出力レーザー機器の部品などに使われている。高機能セラミックスは医薬品、電子部品などにも使われている。",
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"text": "セラミック工学は、セラミックスの製造や応用を研究する工学分野であり、それに対応した産業分野が窯業である。セラミックスの生産には熱を使う場合や化学溶液の常温での沈降反応を使う場合がある。原料の精製、関連する化合物の製法などの研究、セラミックスの形成法、その構造・組成・特性の研究などが含まれる。",
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"text": "力学的には、セラミックスは脆く、硬く、圧縮に強いが、切断と引っ張りには弱い。もろい素材であっても、静的な負荷にたいしては強度を発揮することがある。じん性は素材が破壊されるまでにどれだけのエネルギーに耐えられるかを示し、破壊じん性 (KIc) は欠陥(割れ)の成長に抵抗する素材の能力を意味する。素材の破壊じん性が高い場合、破壊力学の基本原則によれば、延性破壊を生じる可能性が高い。セラミックスやガラスセラミックスはぜい性破壊を生じることが多く、一般に KIc は低い。",
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"text": "セラミックスの応用例として、ジルコニアは極めて硬いことからナイフの研磨や産業用切削工具などに使われている。酸化アルミニウム、炭化ホウ素、炭化ケイ素などのセラミックスは、防弾チョッキに使われている。窒化ケイ素はその硬さと耐磨耗性から玉軸受の部品に使われている。一般にセラミックスは化学的な耐腐食性に優れているため、鋼の軸受では酸化する(さびる)ような湿度の高い環境でも利用可能である。",
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"text": "セラミックスの他の応用例として、1980年代初めにトヨタ自動車は約 3,300 °Cで動作するセラミック・エンジンを研究したことがある。セラミック・エンジンは冷却機構が不要なため軽量化でき、燃費が向上することが期待されていた。通常の金属製のエンジンでは融けてしまうのを防ぐために熱を常に放出する必要がある。似たような考え方で、セラミックス製のガスタービンエンジンの部品も開発されている。タービンエンジンをセラミックスで作れば、効率が向上すると考えられた。しかし、セラミックスの部品を十分な精密さと耐久性をもって大量生産することが難しいため、量産には至っていない。セラミックスでできた部品には微視的なヒビが無数に存在し、エンジン部品のような用途ではそれが大きなヒビに成長して故障の原因になりやすい。",
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"text": "ガラスセラミックスは、非晶質のガラスと結晶質のセラミックスの両方の性質をあわせ持っている。まずガラスとして形成し、熱処理することで部分的に結晶化させ、アモルファスと結晶が混在した状態にしたものである。",
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"text": "ガラスセラミックスは耐熱性に優れ透水性が低いことから、調理器具(CorningWare)や調理用上板に使われている。セラミックス相は熱膨張率が負であり、ガラス相の正の熱膨張率と釣り合いがとれ、全体として熱膨張が極めて小さくなる。セラミックス相とガラス相の割合をうまく調整すると(結晶質が約70 %)、全体の熱膨張率はほぼゼロになる。このようなガラスセラミックスは力学的特性も優れており、約1,000 °Cまでの急激かつ反復的な温度変化にも耐えられる。",
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"text": "自然界で砂浜の砂に雷が落ちたとき、石英などの結晶質の粒子によってガラスセラミックスができることがある。落雷による急激な加熱(約2500°C)によって中空の根のような形で形成され、閃電岩と呼ばれる。",
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"text": "有機化学は、炭素と水素を主成分とし、窒素・酸素・ハロゲン(フッ素、塩素、臭素、ヨウ素)を含む化合物の構造・組成・反応・合成などを研究する。リンや硫黄などの元素を含む有機化合物もある。有機固体としては、木材、パラフィン、ナフタレン、様々な重合体やプラスチックなどがある。",
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"text": "木材は天然の有機素材であり、リグニンの基質の中にセルロース繊維が埋め込まれた構造になっている。繊維は引っ張りに強く、リグニン基質は圧縮に強い。そのため木材は古くから建材や船の材料として使われてきた。建築に使われる木材は一般に材木と呼ばれる。建築においては、構造材としてだけでなく、コンクリートの型枠としても使われてきた。",
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"text": "木質材料は段ボールなどの包装資材や紙にもよく使われており、どちらも木材から作られたパルプを原料としている。化学パルプはリグニンを化学物質と熱を使って分離し、繊維だけを取り出したものである。",
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"text": "有機化学における炭素の重要な特性の1つとして、個々の分子が互いに結合して鎖状または網状の化合物を形成できる点が挙げられる。これを重合反応と呼び、単量体を原料として重合体を形成する。重合体は化学的に合成したものと自然界に存在するもの(生体高分子)の2種類に分類される。",
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"text": "単量体には様々な置換基や官能基のものがあり、合成された化合物の化学特性(可溶性、反応性)や物理特性(硬さ、密度、強度、耐摩耗性、耐熱性、透明度、色など)に影響を与える。タンパク質ではそれらの違いが立体構造の違いを生み、生物学的活性の違いを生む。",
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"text": "蝋やシェラックなどの生体高分子物質は古くから人間が利用してきた。これらは熱可塑性の重合体である。植物由来の重合体としてはセルロースがあり、天然繊維やロープなどの引っ張り強度の源泉となっている。また、19世紀初めごろから天然ゴムが広く使われるようになった。重合体はいわゆる合成樹脂(プラスチック)の原料である。プラスチックは1つ以上の重合体に添加物を加えて処理され、形成される。現在よく使われている重合体としては、炭素をベースとするポリエチレン、ポリプロピレン、ポリ塩化ビニル、ポリスチレン、ナイロン、ポリエステル、アクリル樹脂、ポリウレタン、ポリカーボネート、シリコンをベースとするシリコーンがある。",
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"text": "複合材料は2つ以上の微視的相を含む。セラミックスを微粒子や繊維の形で使ったりする。",
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"text": "複合材の用途は、鉄筋コンクリートのような建築要素からNASAのスペースシャトルの外面を覆っている耐熱タイルまで多岐にわたる。例えば 1,510 °Cの熱に耐えられる炭素繊維強化炭素複合材料 (RCC) はスペースシャトルのノーズキャップと翼の前端部分を守っている。RCCはグラファイト・レーヨンの布にフェノール樹脂を吹き付けてラミネート加工したものである。高圧釜内で高温で硬化処理した後、ラミネートを熱分解して樹脂から炭素に変換し、真空室でフルフラール・アルコールを染み込ませ、さらにそれも硬化/熱分解されて炭素となる。酸化への耐性を持たせるため、RCCの外層は炭化ケイ素に変換する。",
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"text": "家庭用品での複合材料の例としては、テレビや携帯電話などのプラスチック製外装がある。それらのプラスチック製外装は一般に熱可塑性のABS樹脂などを基質として、炭酸カルシウム、滑石、ガラス繊維、炭素繊維などを加えて強度を増して静電気対策を施している。",
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"text": "半導体は、金属導体と非金属不導体の中間の電気抵抗(伝導率)を持つ物質である。周期律表においてホウ素から右斜め下の線上にある半金属がほぼ相当する。その左側が電気伝導体(金属)であり、右側が不導体である。",
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"text": "半導体はラジオ、コンピュータ、電話機などの電子機器によく使われている。半導体デバイスとしては、トランジスタ、太陽電池、ダイオード、集積回路などがある。太陽電池パネルは大きな半導体デバイスであり、光を直接電気エネルギーに変換する。",
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"text": "多くの固体はナノメートルレベルにまで小さくなると、通常とは異なる性質を示すようになる。例えばケイ素は通常灰色だが、ナノ粒子になると赤くなる。金のナノ粒子は金塊(融点は 1064 °C)よりもずっと低温(2.5 nm の大きさで 300 °C)で融け始める。金属のナノワイヤは同じ元素の金属の塊よりも強度が優れている。またナノ粒子は体積に対して相対的に表面積が大きいため、エネルギー場の特定用途にとって非常に魅力的である。たとえば白金のナノ粒子は自動車燃料の触媒を改良し、燃料電池のイオン交換膜 (PEM) にも使われている。また、ランタン、セリウム、マンガン、ニッケルのセラミック酸化物は固体酸化物形燃料電池 (SOFC) に使われている。リチウムイオン二次電池では、リチウム、チタン酸リチウム、タンタルなどのナノ粒子を使うものもある。ケイ素のナノ粒子やナノワイヤはリチウムイオン二次電池の寿命を劇的に延ばすことが判明している。ケイ素のナノ粒子は太陽電池にも使われている。薄膜状のケイ素量子ドットを太陽電池の多結晶ケイ素の基板上に置くことで、入射した光に対応してナノ粒子(薄膜)が蛍光を発し、出力電圧が最大で60 %も増強される。ここでもナノ粒子の表面積が大きいことが役立っている。",
"title": "様々な固体"
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"text": "自然界には特異な力学的特性を持つ生物由来の複雑な化合物が数多く存在する。数億年もの進化によって生まれたそれらの複雑な構造を研究することで、新たな素材が生み出されている。生体材料は、構造的階層性、多機能性、自己回復機能などを特徴とする。自己組織化も生体材料の基本的特徴であり、分子レベルから構造が組み立てられていく。そこで、高機能生体材料の化学合成において自己組織化が新たな戦略として注目されている。",
"title": "様々な固体"
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"tag": "p",
"text": "分子自己組織化は生体によく見られ、様々な生体の構造の基礎となっている。例えば、常温常圧で無機素材を結晶化させるといったことが生体内で普通に行われており、極めて精密で複雑な構造を作り上げる。そのような無機素材を成長させる過程を生命がどうやって制御しているのかを理解することで、材料科学が大きく進歩し、ナノスケールの複合材を合成する技法を生み出すきっかけとなった。",
"title": "様々な固体"
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"text": "生体における構造の基本的な材料は20種類のアミノ酸に始まり、ポリペプチド、多糖、ポリペプチド糖類などがある。これらから基本的なタンパク質が作られ、それが細胞の主要な構成要素になっており、多くのバイオミネラルにも存在する。タンパク質はコラーゲン、キチン質、ケラチン、エラスチンなど1000種類以上ある。硬い生体材料は主に鉱物を使っており、生体内の環境で大きさ・形状・個々の結晶の配置などを制御されて成長していく。生体で重要な鉱物としては、ハイドロキシアパタイト(水酸燐灰石)、シリカ、アラレ石がある。例えば、ハイドロキシアパタイトは骨の主成分である。",
"title": "様々な固体"
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"text": "よく研究された生体材料として、アワビなどの貝に見られる真珠層の微細構造がある。天然素材としては金属以外では最も力学的強度と破壊じん性が高い。電子顕微鏡による観察で、鉱物でできたタイルが有機素材のシートを挟んで何層も重ねられた微細構造が明らかとなっている。初期の研究で真珠層を構成する有機成分は5%にすぎないことがわかっている。それでも複雑な階層的構造によって、無機の CaCO3 結晶に比較すると3000倍もの力学的強度があることがわかっている。",
"title": "様々な固体"
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{
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"text": "臭い、色、体積、密度、融点、沸点、比熱容量、常温での物理形状(固体・液体・気体の別、結晶構造など)、硬さ、孔隙率、反射率といった物体の物理特性は、その化学組成や元素を特定する確証を提供する。ここでは固相の物質の物理的性質の一部を解説する。",
"title": "物理的性質"
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"text": "力学的性質とは、個々の固体素材の強度や変形への耐性といった性質である。例えば、鋼材は強度が高く変形しにくいことから建材としてよく使われている。",
"title": "物理的性質"
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"text": "力学的性質としては、弾性、塑性、引張強さ、圧縮強さ、せん断強さ、破壊じん性、展延性、押込硬さなどがある。固体力学は様々な固体素材が外力や温度などの外的条件の下でどう振る舞うかを研究する。",
"title": "物理的性質"
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{
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"tag": "p",
"text": "固体は液体のような流動性を示さない。元の形から変化することを変形 (deformation) と呼び、原形からの変形の割合をひずみ (strain) と呼ぶ。加えられた応力が十分低ければ、ほとんど全ての固体でひずみと応力は比例する(フックの法則)。その比例係数を弾性率またはヤング率と呼ぶ。フックの法則が成り立つ変形の範囲を「弾性域」と呼ぶ。固体が応力に対してどう反応するかについては、3つのモデルがある。",
"title": "物理的性質"
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"text": "多くの素材は高温では弱くなる。高温でも高い強度を示す素材を耐火物と呼び、様々な用途に使われている。例えばガラスセラミックスは 1000 °C 程度までの急激な温度変化の繰り返しにも強度を保つ性質がある。航空機や宇宙機の外装には熱衝撃に強い高機能素材が使われている。有機高分子や複合材料でできた合成繊維などがそういった用途向けに設計されている。",
"title": "物理的性質"
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"text": "固体は熱エネルギーを持っているため、その原子は格子内の平均位置を中心として振動している。結晶質やガラス質のネットワークにおける格子振動のスペクトルは、固体分子運動論の基礎となっている。この運動は原子レベルで起きており、分光法などの非常に専門的な機器でないと観察・検出できない。",
"title": "物理的性質"
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{
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"text": "固体の熱的性質としては熱伝導率があり、個々の素材の熱伝導能力を示す。また、比熱容量はその素材が熱(格子振動)の形でエネルギーを蓄える能力を示す。",
"title": "物理的性質"
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"text": "電気的性質としては、電気伝導率、抵抗値、インピーダンス値、静電容量値などがある。金属や合金などの導体もあれば、ガラスやセラミックスなどの絶縁体もある。半導体はそれらの中間の性質を示す。金属の電気伝導性は電子によるものだが、半導体ではそれに加えて正孔も電流を担っている。また、固体電解質では陽イオンも電流を担う。",
"title": "物理的性質"
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"text": "極低温状態で超伝導を示す物質も多く存在する。スズやアルミニウムなどの金属元素、各種合金、大量にドーピングした半導体、ある種のセラミックスなどが超伝導を示す。多くの導体(金属)の抵抗値は温度を低くすると低下していくが、有限の値を示し続ける。しかし超伝導体では、臨界温度以下になると突然抵抗値がゼロになる。超伝導体の環に電流を流すと、電源なしで無限に電流が流れ続ける。",
"title": "物理的性質"
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"text": "誘電体や絶縁体は電流に対して大きな抵抗を示す。プラスチックなどの誘電体は電場を印加されるとそれを蓄える性質があり、コンデンサにその性質が使われている。コンデンサは少しだけ隙間を空けた電極間の電場にエネルギーを蓄えるデバイスである。コンデンサに電圧を印加すると、両方の電極に互いに逆の極性の比例した電荷が蓄えられる。コンデンサは電気回路におけるエネルギー蓄積装置として使われるだけでなく、高周波と低周波の信号を区別するフィルタ回路にも使われている。",
"title": "物理的性質"
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"text": "圧電効果とは、結晶に力学的応力を加えると電位差を発生する現象である。圧電効果を示す結晶に電圧を印加すると、逆に結晶の形が若干変化する。ゴム、羊毛、髪の毛、絹など重合体は電石として振る舞うものが多い。例えばポリフッ化ビニリデン (RDVF) は水晶(SiO2 の結晶)よりも数倍強い圧電性を示す。約0.1%の変形で大きな圧電効果が得られることから、高電圧源、スピーカー、レーザー、各種センサーやトランスデューサーに応用されている。",
"title": "物理的性質"
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"text": "固体にはガラスのように透明なものと金属のように不透明なものがある。",
"title": "物理的性質"
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"text": "特定の波長だけを透過させる素材も多い。例えば、窓ガラスは可視光線を透過させるが、紫外線の周波数帯はそれほど透過しない。このような性質は周波数選択性の光学フィルターなどに使われている。",
"title": "物理的性質"
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"text": "用途によっては、光学的性質と力学的性質の両方が重視される場合もある。例えば、赤外線追尾式(熱探知式)のミサイルでは、赤外線センサのカバーは赤外線を透過させる素材でなければならない。このため現状の赤外線追尾式ミサイルではサファイアの単結晶がその用途に使われている。サファイアは中赤外線帯域(3–5 μm)を全部透過するわけではなく、常温では 4.5 μm より長い波長を透過しない。しかし常温で赤外線を透過する物質の中では最も強度が高く、600 °C 以上になるまで強度が保たれる。このように強度と光学特性を両立させることは長年の課題となっており、透明セラミックスや光学ナノ複合材といった新素材がよりよい性能を示す可能性がある。",
"title": "物理的性質"
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"text": "導波光伝播では、光ファイバーなどを使って様々な周波数の光で複数の信号を同時に伝播する。光導波路は光集積回路や光通信システムの光伝送媒体として使われている。",
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"text": "太陽電池は光を電気に変換する。基本的には2つの機能が必要である。1つは光を吸収する素材で光から電荷担体(電子と正孔)を生成できることで、もう1つは電極にそれら電荷担体を極性によって分離して移動させて電流を発生させることである。これを光電効果と呼び、太陽電池に関わる研究分野としては光起電力学 (photovoltaics) がある。",
"title": "物理的性質"
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"text": "太陽電池には様々な用途がある。僻地や宇宙空間など電力網がない場所での電力源として使われており、他にも電卓、腕時計、無線電話、ポンプなどに組み込まれている。最近では住宅などに太陽電池を設置して発電し、その電力を電力網に供給するということも行われている。",
"title": "物理的性質"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "光子を吸収することで自由電子を発生させているため、太陽電池には光を吸収する素材が必要とされる。太陽電池の原料には地球の地表に到達する太陽光の波長を吸収する特性のものが優先的に採用されているが、中には大気圏外での発電に最適化された太陽電池もある。",
"title": "物理的性質"
}
] | 固体(こたい、は、物質の状態の一つ。固体内の原子は互いに強く結合しており、規則的な幾何学的格子状に並ぶ場合と、不規則に並ぶ場合がある。 液体や気体と比較して、変形あるいは体積変化が非常に小さい。変形が全く起こらない剛体は理想化された固体の一つである。連続体力学においては、固体は静止状態においてもせん断応力の発生する物体と捉えられる。液体のように容器の形に合わせて流動することがなく、気体のように拡散して容器全体を占めることもない。 固体を扱う物理学は固体物理学と呼ばれ、物性物理学の一分野である。また物質科学はそもそも、強度や相変化といった固体の性質を扱う学問であり、固体物理学と重なる部分が多い。さらに固体化学の領域もこれらの学問と重なるが、特に新しい物質の開発に重点が置かれている。 今まで知られている最も軽い固体はエアロゲルであり、そのうち最も軽いものでは密度は約 1.9 mg/cm3 と水の密度の530分の1程度である。 | {{連続体力学}}
[[ファイル:Insulincrystals.jpg|thumb|300px|固体[[インスリン]]の単結晶形態]]
{{読み仮名|'''固体'''|こたい|{{lang-en-short|solid}}}}は、[[物質の状態]]の一つ。固体内の原子は互いに強く結合しており、規則的な幾何学的格子状に並ぶ場合([[金属]]や通常の[[氷]]などの[[結晶]])と、不規則に並ぶ場合([[ガラス]]などの[[アモルファス]])がある。
[[液体]]や[[気体]]と比較して、[[変形]]あるいは[[体積]]変化が非常に小さい。変形が全く起こらない[[剛体]]は[[モデル (自然科学)|理想化]]された固体の一つである。[[連続体力学]]においては、固体は静止状態においても[[せん断応力]]の発生する物体と捉えられる。[[液体]]のように容器の形に合わせて流動することがなく、[[気体]]のように拡散して容器全体を占めることもない。
固体を扱う物理学は[[固体物理学]]と呼ばれ、[[物性物理学]]の一分野である。また[[物質科学]]はそもそも、[[強度]]や[[相変化]]といった固体の性質を扱う学問であり、固体物理学と重なる部分が多い。さらに[[固体化学]]の領域もこれらの学問と重なるが、特に新しい物質の開発([[化学合成]])に重点が置かれている。
今まで知られている最も軽い固体は[[エアロゲル]]であり、そのうち最も軽いものでは[[密度]]は約 1.9 mg/cm<sup>3</sup> と[[水]]の密度の530分の1程度である。
== 微視的特性 ==
[[ファイル:Fcc_lattice_4.jpg|thumb|結晶質固体における稠密な原子配列の模型]]
固体を構成する[[原子]]、[[分子]]、[[イオン]]は、整然と繰り返すパターンで並ぶ場合と、不規則に並ぶ場合がある。規則的パターンで並んで構成されている物質は[[結晶]]と呼ばれる。規則的な配列が大きなスケールで続く場合もあり、例えば[[ダイヤモンド]]の粒は[[単結晶]]である。目に見えて手でつかめる大きさの固体が単結晶ということは滅多になく、無数の[[クリスタリット]]と呼ばれる単結晶で構成される[[多結晶]]ということが多い。ほとんどの金属や多くの[[セラミックス]]は多結晶である。
それら以外の物質には原子の配列に大きな規則性がない。そのような固体を[[アモルファス]]と呼び、例えば[[ポリスチレン]]や[[ガラス]]などがある。
固体が結晶となるかアモルファスとなるかは、それが形成されるときの条件に依存する。ゆっくり[[冷却]]されて[[凝固]]すると結晶になる傾向が強く、急速に冷却されるとアモルファスになる傾向が強い。同様に形成時の要因によってどんな[[結晶構造]]をとるかも決まる。
[[氷]]や[[硬貨]]といった物体は全体が同じ化学組成だが、一般的な素材はいくつかの異なる物質で構成されている。例えば、[[岩石]]はいくつかの[[鉱物]]や[[準鉱物]]でできており、化学組成は一定ではない。[[有機化合物|有機]]素材の1つである[[木材]]は、[[セルロース]]繊維が有機性の[[リグニン]]の基質に埋め込まれた形になっている。材料科学では、複数の物質を組み合わせた[[複合材料]]で必要な特性の材料を生み出す。
固体の[[微視的]]な特性は次のようなものである。
* 固体を構成する[[原子]]または[[分子]]は、[[熱振動]]([[格子振動]])よりも強い力で結合し、密に詰まっている。
* 原子や分子は相対的な位置関係が空間的に固定されている。これが固い性質の原因となる。[[鉱物学]]や[[結晶学]]的には、固体の中で独特の原子配列を持ったものが[[結晶構造]]と呼ばれる。結晶構造は三次元のユニット単位の周期的な繰り返しである。結晶の構造や対称性は、[[へき開]]や電子的、光学的な性質を決定する。
** 十分に大きな[[力 (物理学)|力]]が加わると、これらの特徴は失われる。
* 固体は[[熱エネルギー]]を持つため、原子は[[振動]]している。しかし、この動きはとても小さく、通常の状態では観測できない。しかし、熱振動が原子間の結合に打ち勝つようになると、[[液体]]、[[気体]]へと[[相転移]]していく。
** 固体が液体に相転移することを[[融解]]と呼び、融解する温度を[[融点]]と呼ぶ。固体から直接気体に変化することもあり、これを[[昇華 (化学)|昇華]]と呼ぶ。逆に液体が固体に変化することを[[凝固]]、その温度を[[凝固点]]という。気体から固体に変化する場合は、固体から気体に変化するのと同様に昇華と呼ばれる。液体から固体に変化する場合通常は体積が減少するが、水のように体積が増加するものも存在し、これを[[異常液体]]と呼ぶ。
== 様々な固体 ==
固体における原子間の力には様々なものがある。例えば、[[塩化ナトリウム]](食塩)の結晶は[[ナトリウム]]と[[塩素]]の[[イオン結合]]でできている。ダイヤモンドや[[ケイ素|シリコン]]は原子間で[[電子]]を共有する[[共有結合]]でできている。金属では[[金属結合]]という形で電子を共有している。有機素材などでは個々の分子において電荷が局在する極性があり、それが[[ファンデルワールス力]]を産んでいる。固体の種類の相違点は、それらの結合の違いに起因している。
=== 金属 ===
[[ファイル:Tachi-p1000626.jpg|サムネイル|[[鉄]]で作られた[[日本刀]]の切先]]{{Main|金属}}
一般に金属は強く稠密で、[[電気伝導|電気]]についても[[熱伝導|熱]]についても良導体である<!-- 例外もあるが、ここでは詳述しない。-->。[[周期表]]において[[ホウ素]]から[[ポロニウム]]に引いた直線から左側にある元素はおおよそ金属である。2つ以上の元素を含み主成分が金属のものを[[合金]]という。
[[先史時代]]から人々は金属を様々な用途で使ってきた。金属は[[材料強度学|強度]]と信頼性が高いことから、[[建物]]などの[[建設]]や[[乗り物]]、[[道具]]・[[管]]・[[標識]]・[[線路 (鉄道)|線路]]([[軌条]])などに使われている。このような用途では[[鉄]]と[[アルミニウム]]が最もよく使われており、これらは[[地殻]]に最も豊富に存在する金属と言える。一般に合金の形で使うことが多く、[[鋼]]には最大2.1 %の[[炭素]]が含まれていて、それによって純粋な鉄よりも硬さが増している代表例が工具鋼である。
金属は[[電気]]の良導体でもあるため、電気器具にもよく使われており、[[電力]]の長距離[[伝送]]にも金属が欠かせない。[[電力系統|送電網]]には金属でできた電線が必須となっている。電気伝導率が高く[[加工]]が容易であることから、屋内[[配線]]などには[[銅]]がよく使われている。また金属の[[熱伝導率]]の高さから、[[調理]]で[[火]]にかける[[容器]]の多くは金属製になっている。
[[金属]]元素や[[合金]]の研究は、固体化学/物理学、材料科学/工学といった学問分野の大きな部分を占めている。
金属の固体は[[非局在化電子|非局在化した電子]]を共有する「[[金属結合]]」でその形を保持している。金属の原子はその最も外側の[[電子]]が[[自由電子]]となって離れ、陽[[イオン]]になっている。自由電子は固体全体に拡散して存在し、その電子の雲と陽イオンとなった金属原子との間の静電相互作用によって強く結合する<ref name="mortimer">{{cite book| author = Mortimer, Charles E.|title = Chemistry: A Conceptual Approach|location = New York:|publisher = D. Van Nostrad Company| edition = 3rd |year= 1975}}</ref>。自由電子が多数存在するため、金属は電気と熱の伝導率が高くなる。自由電子があるため、金属は可視光線を通さない不透明な物体となり、同時に表面が[[光沢]]を帯びることになる。
より進んだ金属の特性の[[モデル (自然科学)|モデル]]では、陽イオン核の非局在化した電子群への影響を考慮する。ほとんどの金属が結晶構造であり、陽イオンは格子状に配置されているのが普通である。数学的にはイオン核のポテンシャルは様々なモデルで扱うことができ、最も単純なものとして「[[ほとんど自由な電子]]」モデルがある。
=== 鉱物 ===
[[ファイル:Different minerals.jpg|thumb|様々な鉱物]]
{{Main|鉱物}}
[[鉱物]]は自然界に存在する固体であり、高圧の[[地質学]]的過程によって形成される。{{独自研究範囲|真の鉱物|date=2023年2月}}に分類されるには、全体に均一な物理特性を持ち、[[結晶構造]]になっていなければならない。鉱物の組成としては、純粋な[[元素]]や単純な[[塩 (化学)|塩]]といったものから非常に複雑な[[ケイ酸塩]]まで、数千種類が知られている。これに対して[[岩石]]は鉱物や[[準鉱物]]が無作為に集合したもので、均一な化学組成にはなっていない。[[地殻]]を構成する主な岩石は、石英(結晶質の SiO<sub>2</sub>)、長石、[[雲母]]、[[緑泥石]]、[[カオリナイト]]、方解石、[[緑簾石]]、[[カンラン石]]、[[普通輝石]]、[[普通角閃石]]、[[磁鉄鉱]]、[[赤鉄鉱]]、[[褐鉄鉱]]などの鉱物で構成されている。中でも[[石英]]、[[雲母]]、[[長石]]が最も一般的で、それ以外の鉱物は地球上の限られた場所にしか存在しない。鉱物における最大のグループは[[ケイ酸塩鉱物]]で(ほとんどの岩石は95%以上がケイ酸塩鉱物でできている)、その主成分は[[ケイ素]]と[[酸素]]であり、そこに[[アルミニウム]]、[[マグネシウム]]、[[鉄]]、[[カルシウム]]といった金属が加わっている。
=== セラミックス ===
[[ファイル:Si3N4bearings.jpg|thumb|Si<sub>3</sub>N<sub>4</sub> セラミックス製ベアリング部品]]
{{Main|セラミックス}}
[[セラミックス]]は無機化合物でできており、通常[[酸化物]]で構成されている。化学的に不活性であり、酸性や腐食性の化学物質にも耐性があることが多い。一般に1,000 [[セルシウス度|℃]]から1,600 ℃の高温にも耐えることができる。例外として酸化されていない無機物があり、[[窒化物]]、[[ホウ化物]]、[[炭化物]]などがある。
伝統的な[[陶磁器]]の原料は[[カオリナイト]]などの[[粘土]]鉱物を含み、最近のセラミックスではアルミニウム酸化物([[酸化アルミニウム]])などを含む。最近では高機能セラミックスとして[[炭化ケイ素]]や[[炭化タングステン]]などもある。これらは耐摩耗性に優れており、例えば[[鉱山]]での掘削機の先端部分などに使われている。
酸化アルミニウムやその化合物のようなセラミックスは非常に細かい粉末が原料であり、非常に微細な[[多結晶]]マイクロ構造となるため、[[可視光線]]を散乱することで不透明になる。しかし最近では[[ゾルゲル法]]などの製法で多結晶ながら[[透明]]なセラミックスも製造でき、高出力レーザー機器の部品などに使われている。高機能セラミックスは医薬品、電子部品などにも使われている。
[[セラミック工学]]は、セラミックスの製造や応用を研究する工学分野であり、それに対応した産業分野が[[窯業]]である。セラミックスの生産には[[熱]]を使う場合や化学溶液の常温での[[沈降反応]]を使う場合がある。原料の精製、関連する化合物の製法などの研究、セラミックスの形成法、その構造・組成・特性の研究などが含まれる。
力学的には、セラミックスは脆く、硬く、圧縮に強いが、切断と[[張力|引っ張り]]には弱い。[[ぜい性|もろい]]素材であっても、静的な負荷にたいしては[[強度]]を発揮することがある。[[じん性]]は素材が破壊されるまでにどれだけのエネルギーに耐えられるかを示し、[[破壊じん性]] (K<sub>Ic</sub>) は欠陥(割れ)の成長に抵抗する素材の能力を意味する。素材の破壊じん性が高い場合、[[破壊力学]]の基本原則によれば、延性破壊を生じる可能性が高い。セラミックスやガラスセラミックスはぜい性破壊を生じることが多く、一般に K<sub>Ic</sub> は低い。
セラミックスの応用例として、[[ジルコニア]]は極めて硬いことからナイフの研磨や産業用切削工具などに使われている。[[酸化アルミニウム]]、[[炭化ホウ素]]、[[炭化ケイ素]]などのセラミックスは、[[防弾チョッキ]]に使われている。[[窒化ケイ素]]はその硬さと耐磨耗性から[[玉軸受]]の部品に使われている。一般にセラミックスは化学的な耐腐食性に優れているため、鋼の[[軸受]]では酸化する([[錆|さびる]])ような[[湿度]]の高い環境でも利用可能である。
セラミックスの他の応用例として、[[1980年代]]初めに[[トヨタ自動車]]は約 3,300 {{℃}}で動作するセラミック・エンジンを研究したことがある。セラミック・エンジンは[[冷却]]機構が不要なため軽量化でき、[[燃費]]が向上することが期待されていた。通常の金属製のエンジンでは融けてしまうのを防ぐために熱を常に放出する必要がある。似たような考え方で、セラミックス製の[[ガスタービンエンジン]]の部品も開発されている。タービンエンジンをセラミックスで作れば、効率が向上すると考えられた。しかし、セラミックスの部品を十分な精密さと耐久性をもって大量生産することが難しいため、量産には至っていない。セラミックスでできた部品には微視的な[[亀裂|ヒビ]]が無数に存在し、エンジン部品のような用途ではそれが大きなヒビに成長して故障の原因になりやすい。
=== ガラスセラミックス ===
[[ファイル:Glass ceramic cooktop.jpg|thumb|[[熱膨張率]]が極めて小さいガラスセラミック製の調理用上板]]
[[ガラスセラミックス]]は、非晶質の[[ガラス]]と[[結晶]]質の[[セラミックス]]の両方の性質をあわせ持っている。まずガラスとして形成し、熱処理することで部分的に結晶化させ、[[アモルファス]]と[[結晶]]が混在した状態にしたものである。
ガラスセラミックスは耐熱性に優れ[[透水性]]が低いことから、調理器具([[:en:CorningWare|CorningWare]])や調理用上板に使われている。セラミックス相は[[熱膨張率]]が負であり、ガラス相の正の熱膨張率と釣り合いがとれ、全体として熱膨張が極めて小さくなる。セラミックス相とガラス相の割合をうまく調整すると(結晶質が約70 %)、全体の熱膨張率はほぼゼロになる。このようなガラスセラミックスは力学的特性も優れており、約1,000 ℃までの急激かつ反復的な温度変化にも耐えられる。
自然界で砂浜の[[砂]]に[[雷]]が落ちたとき、石英などの結晶質の粒子によってガラスセラミックスができることがある。落雷による急激な加熱(約2500℃)によって中空の根のような形で形成され、[[閃電岩]]と呼ばれる。
=== 有機固体 ===
[[ファイル:PaperAutofluorescence.jpg|thumb|直径約10[[マイクロメートル]]の木の繊維]]
{{Main|有機化学}}
有機化学は、[[炭素]]と[[水素]]を主成分とし、[[窒素]]・[[酸素]]・ハロゲン([[フッ素]]、[[塩素]]、[[臭素]]、[[ヨウ素]])を含む化合物の構造・組成・反応・合成などを研究する。[[リン]]や[[硫黄]]などの元素を含む有機化合物もある。有機固体としては、木材、[[パラフィン]]、[[ナフタレン]]、様々な[[重合体]]やプラスチックなどがある。
==== 木材 ====
{{Main|木材}}
[[木材]]は天然の有機素材であり、[[リグニン]]の基質の中に[[セルロース]]繊維が埋め込まれた構造になっている。繊維は引っ張りに強く、リグニン基質は圧縮に強い。そのため木材は古くから建材や船の材料として使われてきた。建築に使われる木材は一般に[[材木]]と呼ばれる。建築においては、構造材としてだけでなく、[[コンクリート]]の[[型枠]]としても使われてきた。
木質材料は[[段ボール]]などの[[包装]]資材や[[紙]]にもよく使われており、どちらも木材から作られた[[パルプ]]を原料としている。化学パルプはリグニンを化学物質と熱を使って分離し、繊維だけを取り出したものである。
==== 重合体 ====
[[ファイル:Selfassembly Organic Semiconductor Trixler LMU.jpg|thumb|[[グラファイト]]上に有機半導体[[キナクリドン]]の分子鎖を成長させたものの[[走査型トンネル顕微鏡|STM]]画像]]
[[ファイル:Plastic household items.jpg|thumb|プラスチック製の様々な家庭用品]]
{{Main|重合体}}
有機化学における炭素の重要な特性の1つとして、個々の分子が互いに結合して鎖状または網状の化合物を形成できる点が挙げられる。これを[[重合反応]]と呼び、[[モノマー|単量体]]を原料として重合体を形成する。重合体は化学的に合成したものと自然界に存在するもの(生体高分子)の2種類に分類される。
単量体には様々な[[置換基]]や[[官能基]]のものがあり、合成された化合物の化学特性(可溶性、反応性)や物理特性(硬さ、密度、強度、耐摩耗性、耐熱性、透明度、色など)に影響を与える。[[タンパク質]]ではそれらの違いが立体構造の違いを生み、生物学的活性の違いを生む。
[[蝋]]や[[シェラック]]などの生体高分子物質は古くから人間が利用してきた。これらは熱可塑性の重合体である。植物由来の重合体としては[[セルロース]]があり、天然繊維やロープなどの引っ張り強度の源泉となっている。また、19世紀初めごろから[[天然ゴム]]が広く使われるようになった。重合体はいわゆる[[合成樹脂]](プラスチック)の原料である。プラスチックは1つ以上の重合体に添加物を加えて処理され、形成される。現在よく使われている重合体としては、炭素をベースとする[[ポリエチレン]]、[[ポリプロピレン]]、[[ポリ塩化ビニル]]、[[ポリスチレン]]、[[ナイロン]]、[[ポリエステル]]、[[アクリル樹脂]]、[[ポリウレタン]]、[[ポリカーボネート]]、シリコンをベースとする[[シリコーン]]がある。
=== 複合材 ===
[[ファイル:Stsheat.jpg|thumb|[[スペースシャトル]]の大気圏再突入のシミュレーション画像。最高1,500 {{℃}} 以上になる]]
[[ファイル:Kohlenstofffasermatte.jpg|thumb|[[炭素繊維]][[フィラメント]]を編んで作った布。[[複合材料]]の一種]]
{{Main|複合材料}}
[[複合材料]]は2つ以上の微視的相を含む。セラミックスを微粒子や繊維の形で使ったりする。
複合材の用途は、鉄筋コンクリートのような建築要素からNASAの[[スペースシャトル]]の外面を覆っている耐熱タイルまで多岐にわたる。例えば 1,510 {{℃}}の熱に耐えられる[[炭素繊維強化炭素複合材料]] (RCC) はスペースシャトルのノーズキャップと[[翼]]の前端部分を守っている。RCCは[[グラファイト]]・[[レーヨン]]の布に[[フェノール樹脂]]を吹き付けて[[ラミネート加工]]したものである。高圧釜内で高温で硬化処理した後、ラミネートを熱分解して樹脂から炭素に変換し、真空室で[[フルフラール]]・アルコールを染み込ませ、さらにそれも硬化/熱分解されて炭素となる。酸化への耐性を持たせるため、RCCの外層は炭化ケイ素に変換する。
家庭用品での複合材料の例としては、テレビや携帯電話などのプラスチック製外装がある。それらのプラスチック製外装は一般に熱可塑性の[[ABS樹脂]]などを基質として、[[炭酸カルシウム]]、[[滑石]]、ガラス繊維、炭素繊維などを加えて強度を増して静電気対策を施している。
したがって、基質となる材料が補強材を取り囲み、相対的位置を保持する。そうすることで基質の力学的・物理的特性を強化する。そうすることで個々の素材では得られない性質を生み出す。設計者は様々な基質と補強材を選んで最適な組み合わせを得ることができる。
=== 半導体 ===
[[ファイル:Siliconchip by shapeshifter.png|thumb|結晶質シリコン基板上の半導体チップ]]
{{Main|半導体}}
[[半導体]]は、金属導体と非金属不導体の中間の電気抵抗(伝導率)を持つ物質である。[[周期律表]]において[[ホウ素]]から右斜め下の線上にある[[半金属]]がほぼ相当する。その左側が電気伝導体(金属)であり、右側が不導体である。
半導体はラジオ、コンピュータ、電話機などの[[電子機器]]によく使われている。半導体デバイスとしては、[[トランジスタ]]、[[太陽電池]]、[[ダイオード]]、[[集積回路]]などがある。太陽電池パネルは大きな半導体デバイスであり、光を直接電気エネルギーに変換する。
金属導体では[[電流]]は電子の流れだが、半導体ではその物質の[[バンド構造]]における電子および[[正孔]]が[[電荷担体]]となる。主な半導体素材としては、シリコン、[[ゲルマニウム]]、[[ヒ化ガリウム]]がある。
=== ナノ素材 ===
[[ファイル:Nano Si 640x480.jpg|thumb|シリコンの塊(左)とシリコンのナノパウダー(右)]]
{{Main|ナノテクノロジー}}
多くの固体は[[ナノメートル]]レベルにまで小さくなると、通常とは異なる性質を示すようになる。例えばケイ素は通常灰色だが、ナノ粒子になると赤くなる。金のナノ粒子は金塊(融点は 1064 {{℃}})よりもずっと低温(2.5 nm の大きさで 300 {{℃}})で融け始める<ref>{{Cite journal|last1 = Buffat|first1 = Ph.|last2 = Burrel|first2 = J.-P. |title = Size effect on the melting temperature of gold particles |journal = Physical Review A|volume = 13|issue = 6|pages = 2287|year = 1976|doi = 10.1103/PhysRevA.13.2287}}</ref>。金属のナノワイヤは同じ元素の金属の塊よりも強度が優れている<ref name=pure>{{cite book |url= https://books.google.co.jp/books?id=-Ll6qjWB-RUC&pg=PA164&redir_esc=y&hl=ja |pages=164–167|title=Handbook of materials and techniques for vacuum devices|author=Walter H. Kohl|publisher=Springer|year=1995|isbn=1563963876}}</ref><ref>{{cite journal|doi=10.1088/1468-6996/10/4/045004|format=free-download pdf|title=Inherent tensile strength of molybdenum nanocrystals|year=2009|last1=Shpak|first1=Anatoly P|first2=Sergiy O|first3=Tatjana I|first4=Igor M|journal=Science and Technology of Advanced Materials|volume=10|pages=045004|last2=Kotrechko|last3=Mazilova|last4=Mikhailovskij}}</ref>。またナノ粒子は体積に対して相対的に表面積が大きいため、エネルギー場の特定用途にとって非常に魅力的である。たとえば白金のナノ粒子は自動車燃料の[[触媒]]を改良し、燃料電池の[[イオン交換膜]] (PEM) にも使われている。また、[[ランタン]]、[[セリウム]]、マンガン、ニッケルのセラミック酸化物は[[燃料電池|固体酸化物形燃料電池]] (SOFC) に使われている。[[リチウムイオン二次電池]]では、リチウム、チタン酸リチウム、[[タンタル]]などのナノ粒子を使うものもある。ケイ素のナノ粒子やナノワイヤはリチウムイオン二次電池の寿命を劇的に延ばすことが判明している。ケイ素のナノ粒子は太陽電池にも使われている。薄膜状のケイ素[[量子ドット]]を太陽電池の多結晶ケイ素の基板上に置くことで、入射した光に対応してナノ粒子(薄膜)が蛍光を発し、出力電圧が最大で60 %も増強される。ここでもナノ粒子の表面積が大きいことが役立っている。
=== 生体材料 ===
[[ファイル:Fibers of Collagen Type I - TEM.jpg|thumb|哺乳類の肺組織の[[コラーゲン]][[繊維]]]]
[[ファイル:NautilusCutawayLogarithmicSpiral.jpg|thumb|[[オウムガイ]]の貝殻の内側には虹色に輝く真珠層がある。]]
自然界には特異な力学的特性を持つ生物由来の複雑な化合物が数多く存在する。数億年もの進化によって生まれたそれらの複雑な構造を研究することで、新たな素材が生み出されている。生体材料は、構造的階層性、多機能性、自己回復機能などを特徴とする。自己組織化も生体材料の基本的特徴であり、分子レベルから構造が組み立てられていく。そこで、高機能生体材料の化学合成において[[自己組織化]]が新たな戦略として注目されている。
分子自己組織化は生体によく見られ、様々な生体の構造の基礎となっている。例えば、常温常圧で無機素材を結晶化させるといったことが生体内で普通に行われており、極めて精密で複雑な構造を作り上げる。そのような無機素材を成長させる過程を生命がどうやって制御しているのかを理解することで、材料科学が大きく進歩し、ナノスケールの複合材を合成する技法を生み出すきっかけとなった。
生体における構造の基本的な材料は20種類の[[アミノ酸]]に始まり、[[ポリペプチド]]、[[多糖]]、ポリペプチド糖類などがある。これらから基本的なタンパク質が作られ、それが細胞の主要な構成要素になっており、多くのバイオミネラルにも存在する。タンパク質は[[コラーゲン]]、[[キチン質]]、[[ケラチン]]、[[エラスチン]]など1000種類以上ある。硬い生体材料は主に鉱物を使っており、生体内の環境で大きさ・形状・個々の結晶の配置などを制御されて成長していく。生体で重要な鉱物としては、[[ハイドロキシアパタイト]](水酸[[燐灰石]])、[[シリカ]]、[[アラレ石]]がある。例えば、ハイドロキシアパタイトは[[骨]]の主成分である。
よく研究された生体材料として、[[アワビ]]などの貝に見られる[[真珠層]]の微細構造がある。天然素材としては金属以外では最も力学的強度と破壊じん性が高い。[[電子顕微鏡]]による観察で、鉱物でできたタイルが有機素材のシートを挟んで何層も重ねられた微細構造が明らかとなっている。初期の研究で真珠層を構成する有機成分は5%にすぎないことがわかっている。それでも複雑な階層的構造によって、無機の CaCO<sub>3</sub> 結晶に比較すると3000倍もの力学的強度があることがわかっている<ref>{{cite journal|first=A.|last=Lin|coauthors=Meyers, M.A.|year=2005|title=Growth and structure in abalone shell|journal=Materials Science and Engineering A|volume=390|page= 27|doi=10.1016/j.msea.2004.06.072}}</ref><ref>{{cite journal|first=G.|last=Mayer|year=2005|doi=10.1126/science.1116994|title=Rigid biological systems as models for synthetic composites|journal=Science|volume=310|page=1144|pmid=16293751|issue=5751}}</ref>。
== 物理的性質 ==
臭い、色、体積、密度、融点、沸点、比熱容量、常温での物理形状(固体・液体・気体の別、結晶構造など)、硬さ、孔隙率、反射率といった物体の物理特性は、その化学組成や元素を特定する確証を提供する。ここでは固相の物質の物理的性質の一部を解説する。
=== 力学的性質 ===
[[ファイル:Torres del Paine, Patagonia (2004).jpg|thumb|300px|[[チリ]]の[[パタゴニア]]にある[[花崗岩]]の頂。多くの[[無機化合物|無機]][[鉱物]]と同様、大気による酸化によって主成分は[[二酸化ケイ素]] SiO<sub>2</sub> と[[酸化アルミニウム]] Al<sub>2</sub>O<sub>3</sub> の[[結晶]]となっている。]]
力学的性質とは、個々の固体素材の[[材料強度学|強度]]や変形への耐性といった性質である。例えば、鋼材は強度が高く変形しにくいことから建材としてよく使われている。
力学的性質としては、[[弾性]]、[[塑性]]、引張[[強度|強さ]]、[[圧縮強さ]]、[[せん断]]強さ、破壊[[じん性]]、[[展延性]]、押込硬さなどがある。[[固体力学]]は様々な固体素材が外力や温度などの外的条件の下でどう振る舞うかを研究する。
固体は液体のような流動性を示さない。元の形から変化することを[[変形]] (deformation) と呼び、原形からの変形の割合を[[ひずみ]] (strain) と呼ぶ。加えられた[[応力]]が十分低ければ、ほとんど全ての固体でひずみと応力は比例する([[フックの法則]])。その比例係数を[[弾性率]]または[[ヤング率]]と呼ぶ。フックの法則が成り立つ変形の範囲を「弾性域」と呼ぶ。固体が応力に対してどう反応するかについては、3つのモデルがある。
* [[弾性]] - 加えられた応力がなくなると、元の形状に戻る。
* [[粘弾性]] - 弾性的に振る舞うが、その際に若干の[[摩擦]]のような時間差がある。加えられた応力がなくなると、ゆっくりと元の形に戻ろうとし、その際に熱が発生する。応力とひずみをグラフに表すと、一種の[[ヒステリシス]]が現れる。また、その力学応答は時間依存性を有する。
* [[可塑性]] - [[降伏 (物理)|降伏]]値より低い応力を加えた場合は弾性を示す。応力が降伏値を超えると可塑性を示し、元の形に戻らなくなる。すなわち降伏によって不可逆な塑性変形を起こし、その状態がずっと続く。
多くの素材は高温では弱くなる。高温でも高い強度を示す素材を[[耐火物]]と呼び、様々な用途に使われている。例えば[[ガラスセラミックス]]は 1000 {{℃}} 程度までの急激な温度変化の繰り返しにも強度を保つ性質がある。航空機や宇宙機の外装には熱衝撃に強い高機能素材が使われている。有機高分子や複合材料でできた合成繊維などがそういった用途向けに設計されている。
=== 熱的性質 ===
[[ファイル:1D normal modes (280 kB).gif|thumb|[[結晶]]質の'''固体'''での原子(分子)の[[固有振動]]]]
固体は[[熱エネルギー]]を持っているため、その原子は格子内の平均位置を中心として振動している。結晶質やガラス質のネットワークにおける格子振動のスペクトルは、[[固体分子運動論]]の基礎となっている。この運動は原子レベルで起きており、[[分光法]]などの非常に専門的な機器でないと観察・検出できない。
固体の熱的性質としては[[熱伝導率]]があり、個々の素材の[[熱伝導]]能力を示す。また、[[比熱容量]]はその素材が熱(格子振動)の形でエネルギーを蓄える能力を示す。
=== 電気的性質 ===
[[ファイル:Flyingsuperconductor.ogv|thumb|[[イットリウム系超伝導体]]の空中浮遊の動画]]
電気的性質としては、[[電気伝導率]]、抵抗値、[[インピーダンス]]値、[[静電容量]]値などがある。金属や合金などの導体もあれば、ガラスやセラミックスなどの絶縁体もある。[[半導体]]はそれらの中間の性質を示す。金属の[[電気伝導]]性は電子によるものだが、半導体ではそれに加えて[[正孔]]も[[電流]]を担っている。また、[[固体電解質]]では陽イオンも電流を担う。
極低温状態で[[超伝導]]を示す物質も多く存在する。スズやアルミニウムなどの金属元素、各種合金、大量に[[ドープ|ドーピング]]した半導体、ある種のセラミックスなどが超伝導を示す。多くの導体(金属)の抵抗値は温度を低くすると低下していくが、有限の値を示し続ける。しかし超伝導体では、臨界温度以下になると突然抵抗値がゼロになる。超伝導体の環に電流を流すと、電源なしで無限に電流が流れ続ける。
[[誘電体]]や[[絶縁体]]は電流に対して大きな抵抗を示す。プラスチックなどの誘電体は電場を印加されるとそれを蓄える性質があり、[[コンデンサ]]にその性質が使われている。コンデンサは少しだけ隙間を空けた電極間の電場にエネルギーを蓄えるデバイスである。コンデンサに電圧を印加すると、両方の電極に互いに逆の極性の比例した電荷が蓄えられる。コンデンサは電気回路におけるエネルギー蓄積装置として使われるだけでなく、高周波と低周波の信号を区別する[[フィルタ回路]]にも使われている。
==== 電気-力学的性質 ====
[[圧電効果]]とは、結晶に力学的応力を加えると電位差を発生する現象である。圧電効果を示す結晶に電圧を印加すると、逆に結晶の形が若干変化する。ゴム、羊毛、髪の毛、絹など重合体は[[電石]]として振る舞うものが多い。例えば[[ポリフッ化ビニリデン]] (RDVF) は水晶(SiO<sub>2</sub> の結晶)よりも数倍強い圧電性を示す。約0.1%の変形で大きな圧電効果が得られることから、高電圧源、スピーカー、レーザー、各種センサーや[[トランスデューサー]]に応用されている。
=== 光学的性質 ===
固体にはガラスのように[[透明]]なものと金属のように不透明なものがある。
特定の波長だけを透過させる素材も多い。例えば、窓ガラスは[[可視光線]]を透過させるが、[[紫外線]]の周波数帯はそれほど透過しない。このような性質は周波数選択性の光学フィルターなどに使われている。
用途によっては、光学的性質と力学的性質の両方が重視される場合もある。例えば、赤外線追尾式(熱探知式)のミサイルでは、[[赤外線]]センサのカバーは赤外線を透過させる素材でなければならない。このため現状の赤外線追尾式ミサイルでは[[サファイア]]の単結晶がその用途に使われている。サファイアは中赤外線帯域(3–5 μm)を全部透過するわけではなく、常温では 4.5 μm より長い波長を透過しない。しかし常温で赤外線を透過する物質の中では最も強度が高く、600 {{℃}} 以上になるまで強度が保たれる。このように強度と光学特性を両立させることは長年の課題となっており、透明セラミックスや光学ナノ複合材といった新素材がよりよい性能を示す可能性がある。
導波光伝播では、[[光ファイバー]]などを使って様々な周波数の光で複数の信号を同時に伝播する。[[光導波路]]は光集積回路や光通信システムの光伝送媒体として使われている。
==== 光-電子工学的性質 ====
{{main|太陽電池}}
太陽電池は光を電気に変換する。基本的には2つの機能が必要である。1つは光を吸収する素材で光から[[電荷担体]](電子と正孔)を生成できることで、もう1つは電極にそれら電荷担体を極性によって分離して移動させて電流を発生させることである。これを[[光電効果]]と呼び、太陽電池に関わる研究分野としては光起電力学 (photovoltaics) がある。
太陽電池には様々な用途がある。僻地や宇宙空間など電力網がない場所での電力源として使われており、他にも電卓、腕時計、無線電話、ポンプなどに組み込まれている。最近では住宅などに太陽電池を設置して発電し、その電力を電力網に供給するということも行われている。
光子を吸収することで自由電子を発生させているため、太陽電池には光を吸収する素材が必要とされる。太陽電池の原料には地球の地表に到達する太陽光の波長を吸収する特性のものが優先的に採用されているが、中には大気圏外での発電に最適化された太陽電池もある。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Wiktionary|固体}}
* [[結晶]] - [[準結晶]] - [[ガラス]] - [[アモルファス]]
* [[相]] - [[液体]] - [[気体]]
* [[相転移]] - [[凝固点]] - [[融点]] - [[沸点]] - [[臨界点]] - [[昇華 (化学)|昇華]]
* [[ガラス転移点]]
* [[融解熱]] - [[気化熱]]
* [[化学]] - [[物理学]] - [[物性物理]] - [[連続体力学]] - [[固体力学]]
== 外部リンク ==
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[[Category:相転移]] | null | 2023-02-18T04:22:45Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BA%E4%BD%93 |
7,099 | 国際民間航空機関 | 国際民間航空機関(こくさいみんかんこうくうきかん、英語: International Civil Aviation Organization, ICAO)は、国際連合経済社会理事会の専門機関の一つ。本部はカナダのモントリオールにある。略称は、日本語では「イカオ」や「アイカオ」と読まれることが多く、英語圏では「アイケイオウ」と読まれることが多いが、英語圏以外では「イカオ」という読みが一般的である。
第二次世界大戦における民間機の発展に伴って1944年に締結された国際民間航空条約(通称シカゴ条約)に基づき、1947年4月4日に発足した。国際民間航空に関する原則と技術を開発・制定し、その健全な発達を目的とする。シカゴ条約批准国は自動的にICAOに加盟することになっており、2008年の時点で加盟国は190ヶ国。日本は、1953年にシカゴ条約を批准するとともに、ICAOへと加盟した。
日本は1956年以降、理事国の一つとして活動を続けている。また、拠出金もアメリカ合衆国,中国についで多い額を払っている。
加えて、ICAOはシカゴ条約を批准する各国の運輸安全当局の準拠となる、航空機事故調査に関する条約を定めている。
ICAOは、署名国の中で国際的な権限を与えられている点が他の国際航空運送組織とは異なる。他の組織には、航空会社を代表する業界団体である国際航空運送協会(IATA)などが挙げられる。
総会、理事会、事務局と、補助機関となる複数の委員会から構成される。
ICAOが定める4桁の空港コードに基づき、空港を分類している。ただし、現在のところI、J、Q、XからはじまるICAO空港コードは存在しない。
A - B - C - D - E - F - G - H - I - J - K (KA - KG - KN) - L - M - N - O - P - Q - R - S - T - U - V - W - X - Y - Z
ICAOの安全監査の基準に満たない国・地域について指定するもので、これに基づきアメリカ連邦航空局(FAA)や欧州連合(EU)は「重要な安全性の懸念」の指定により認定された地域や国への乗り入れや路線の新規開設、増便などを制限している。EU域内乗り入れ禁止航空会社の一覧参照
2008年3月以降、操縦士や管制官等は航空英語能力を証明することが要件となった。語学能力レベルは6段階で表され、実用レベル(レベル4)以上であることが必要である。実用レベル(レベル4)の証明の有効期間は3年である。
航空英語の言葉遣いについては国際民間航空条約第10付属書第2巻、航空業務手続-航空交通管理 (ICAO Doc.4444 PANS-ATM)に規定があり、具体的な手順について Radiotelephony Manual (ICAO Doc.9432)が発行されている。
また、「『Take-off』の語は離陸許可を発出または取り消すときにのみ使う」など、安全な管制のためのマニュアルがある。
航空機を用いる場合に限らず、陸や海も含めどのような手段を用いた場合でも、国外に渡航する際に身分証明書としてパスポートが必須となるが、このパスポートの記載事項・体裁については、ICAOが発行するガイドライン文書に基づいて基本的な仕様が共通化されている。
近年、ICAOは、パスポートに生体認証のためのデータを電子的に埋め込んだバイオメトリック・パスポートの国際的な導入を推進しており、既に日本を含め多くの国で発行が進んでいる。このバイオメトリック・パスポートおよび読み取り装置の電子的仕様に関してもICAOが発行している文書ICAO Doc9303に基づいて仕様が共通化されている。
ICAOが主催した「民軍協調セミナー/ワークショップ」で国土交通省が発表し、その後ICAO北京支部の関連ホームページで公開されていた資料に、日米双方の同意がなければ公開されないとされている日米合同委員会関連文書の内容が推察される情報が含まれており、当該情報は2015年に不開示の処分がなされている。 | [
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] | 国際民間航空機関は、国際連合経済社会理事会の専門機関の一つ。本部はカナダのモントリオールにある。略称は、日本語では「イカオ」や「アイカオ」と読まれることが多く、英語圏では「アイケイオウ」と読まれることが多いが、英語圏以外では「イカオ」という読みが一般的である。 | {{Infobox UN
|name = 国際民間航空機関
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|fr name = Organisation de l'aviation civile internationale
|zh name = 国际民间航空组织
|ru name = Международная организация гражданской авиации
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}}
'''国際民間航空機関'''(こくさいみんかんこうくうきかん、{{lang-en|International Civil Aviation Organization, '''ICAO'''}})は、[[国際連合経済社会理事会]]の[[専門機関]]の一つ<ref name="mofa">[https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/page22_000755.html 日本国外務省: 国際民間航空機関]</ref>。本部は[[カナダ]]の[[モントリオール]]にある。略称は、日本語では「イカオ」や「アイカオ」と読まれることが多く、英語圏では「アイケイオウ」と読まれることが多いが、英語圏以外では「イカオ」という読みが一般的である。
== 概要 ==
[[第二次世界大戦]]における[[民間機]]の発展に伴って[[1944年]]に締結された国際民間航空条約(通称[[シカゴ条約]])に基づき、[[1947年]]4月4日に発足した。国際民間航空に関する原則と技術を開発・制定し、その健全な発達を目的とする。シカゴ条約批准国は自動的にICAOに加盟することになっており、2008年の時点で加盟国は190ヶ国。日本は、[[1953年]]にシカゴ条約を批准するとともに、ICAOへと加盟した<ref name="mofa" />。
日本は[[1956年]]以降、理事国の一つとして活動を続けている。また、拠出金も[[アメリカ合衆国|アメリカ合衆国,中国]]についで多い額を払っている<ref name="mofa" />。
加えて、ICAOはシカゴ条約を批准する各国の運輸安全当局の準拠となる、航空機事故調査に関する条約を定めている。
ICAOは、署名国の中で国際的な権限を与えられている点が他の国際航空運送組織とは異なる。他の組織には、航空会社を代表する業界団体である国際航空運送協会(IATA)などが挙げられる。
== 組織 ==
総会、理事会、事務局と、補助機関となる複数の委員会から構成される。
* 総会(発足当初は毎年開催されていたが、1954年の条約改正より3年ごととなった)
* 理事会(理事会の任期は3年で、総会で選出された33ヶ国の理事国で構成されている)
** 航空委員会
** 航空運送委員会
** 不正妨害委員会
** 財政委員会
** 共同維持委員会
** 技術協力委員会
** 法律委員会
** [[エドワード・ウォーナー]]賞委員会
** 事務局
*** 地域事務所(メキシコ、ペルー、タイ、フランス、エジプト、セネガル、ケニア)
== 標準化・基準 ==
=== ICAO空港コード ===
ICAOが定める4桁の[[空港コード]]に基づき、[[空港]]を分類している。ただし、現在のところI、J、Q、XからはじまるICAO空港コードは存在しない。
; ICAO空港コード
{{Main|ICAO空港コードの一覧}}
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=== ICAO航空会社コード ===
{{Main|ICAO航空会社コード}}
=== ICAO機種コード ===
{{Main|ICAO機種コード一覧}}
=== 「重要な安全性の懸念」の指定 ===
ICAOの安全監査の基準に満たない国・地域について指定するもので、これに基づきアメリカ連邦航空局([[連邦航空局|FAA]])や欧州連合([[欧州連合|EU]])は「重要な安全性の懸念」の指定により認定された地域や国への乗り入れや路線の新規開設、増便などを制限している。[[EU域内乗り入れ禁止航空会社の一覧]]参照
=== ICAO標準航空英語試験 ===
2008年3月以降、操縦士や管制官等は航空英語能力を証明することが要件となった。語学能力レベルは6段階で表され、実用レベル(レベル4)以上であることが必要である。実用レベル(レベル4)の証明の有効期間は3年である。
航空英語の言葉遣いについては国際民間航空条約第10付属書第2巻、航空業務手続-航空交通管理 (ICAO Doc.4444 PANS-ATM)に規定があり、具体的な手順について {{lang|en|Radiotelephony Manual}} (ICAO Doc.9432)が発行されている。
また、「『{{lang|en|Take-off}}』の語は離陸許可を発出または取り消すときにのみ使う」など、安全な管制のためのマニュアルがある。{{refnest|group="注釈"|[[テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故]]のように標準的な管制用語を使わなかったために起こる事故を防ぐため。<ref>{{PDFlink|[http://www.skybrary.aero/bookshelf/books/115.pdf 国際民間航空機関の言葉遣いマニュアル]}}({{lang-en|ICAO Phraseology Reference Guide}})</ref>}}
=== パスポート(旅券) ===
航空機を用いる場合に限らず、陸や海も含めどのような手段を用いた場合でも、国外に渡航する際に[[身分証明書]]として[[パスポート]]が必須となるが、このパスポートの記載事項・体裁については、ICAOが発行するガイドライン文書に基づいて基本的な仕様が共通化されている。
近年、ICAOは、パスポートに生体認証のためのデータを電子的に埋め込んだ[[バイオメトリック・パスポート]]の国際的な導入を推進しており、既に日本を含め多くの国で発行が進んでいる。このバイオメトリック・パスポートおよび読み取り装置の電子的仕様に関してもICAOが発行している文書ICAO Doc9303に基づいて仕様が共通化されている。
== 関連事象 ==
=== 日米合同委員会関連文書 ===
ICAOが主催した「民軍協調セミナー/ワークショップ」で[[国土交通省]]が発表し、その後ICAO北京支部の関連ホームページで公開されていた資料に、日米双方の同意がなければ公開されないとされている[[日米合同委員会]]関連文書の内容が推察される情報が含まれており、当該情報は[[2015年]]に不開示の処分がなされている<ref>[https://www.soumu.go.jp/main_content/000472207.pdf 米軍が横田空域を管理していることの法的根拠等が分かる文書等の不開示決定に関する件] (情報公開・個人情報保護審査会答申書 平成28年度(行情)795)</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
===注釈===
{{Notelist}}
===出典===
<references />
== 関連項目 ==
{{Commonscat|International Civil Aviation Organization}}
* [[国際航空運送協会]](IATA)
* [[国際航空通信共同体]](SITA)
* [[民間機]]
* [[ICAOコード]] ([[IATAコード]])
* [[空港コード]]、[[航空会社コード]]
* [[ICAO機種コード一覧]]
* [[国土交通省]][[運輸安全委員会]](2008年10月に[[航空・鉄道事故調査委員会]]から改組)
* [[連邦航空局]] (FAA)
* [[中国民用航空局]] (CAAC)
* [[航空局]]
* [[国家間航空委員会]]
== 外部リンク ==
*[https://www.icao.int/ ICAO]{{En icon}}
*[https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/page22_000755.html 国際民間航空機関(ICAO)] - 外務省
*[https://www.icao.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/ 国際民間航空機関日本政府代表部]
*{{Kotobank}}
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{{国際連合}}
{{民間航空輸送}}
{{Normdaten}}
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[[Category:国際民間航空機関|*]]
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[[Category:航空に関する組織]]
[[Category:カナダ・国際連合関係]]
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[[Category:Webマップサービス]] | 2003-04-21T16:45:43Z | 2023-11-27T04:56:06Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%B0%91%E9%96%93%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E9%96%A2 |
7,108 | 隠れマルコフモデル | 隠れマルコフモデル(かくれマルコフモデル、英: hidden Markov model; HMM)は、確率モデルのひとつであり、観測されない(隠れた)状態をもつマルコフ過程である。
同じマルコフ過程でも、隠れマルコフモデルより単純なマルコフ連鎖では、状態は直接観測可能であり、そのため、状態の遷移確率のみがパラメータである。一方、隠れマルコフモデルにおいては、状態は直接観測されず、出力(事象)のみが観測される。ただしこの出力は、モデルの状態による確率分布である。従って、ある隠れマルコフモデルによって生成された出力の系列は、内部の状態の系列に関する何らかの情報を与えるものとなる。「隠れ」という語はモデルが遷移した状態系列が外部から直接観測されないことを指しており、モデルのパラメータについてのものではない。たとえパラメータが既知であっても隠れマルコフモデルと呼ばれる。隠れマルコフモデルはごく単純な動的ベイジアンネットワークとして表現することができる。
状態空間が離散の場合は離散型隠れマルコフモデル(discrete hidden Markov model)、連続の場合は連続分布型隠れマルコフモデル(continuous density hidden Markov model)と呼ばれ、連続と離散の混合型もある。
隠れマルコフモデルは、潜在変数(hidden variable, latent variable)が各々独立ではなく、マルコフ過程を通じて関連付けられている混合分布モデル(Mixture Model)を拡張したものとみなすことができる。この潜在変数は、それぞれの観測に対して選択されるように混合要素を制御するものである。近年、隠れマルコフモデルは、より複雑なデータ構造と非定常的なデータの取り扱いが可能なpairwise Markov modelsやtriplet Markov modelsに一般化されている。
隠れマルコフモデルに関する数学的概念はL. E. Baumと彼の同僚らによって1966年に発表された。これは、最初にフォワードバックワードアルゴリズムを発表したR. L. Stratonovichによる非線形フィルタリング問題の最適化についての初期の成果に関連している。
隠れマルコフモデルは、音声認識、バイオインフォマティクス、形態素解析(自然言語処理)、楽譜追跡、部分放電など、時系列パターンの認識に応用されている。連続的かつ伸縮しうる信号列のパターン抽出には適しているが、反面、長い距離をはさんで呼応しているような信号列からのパターン認識には、間の距離の長さに応じて状態数を増やす必要があり、計算量の観点から実用的ではない。また、局所最適に陥りやすいため、対象に応じて適切なパラメータの初期値を設定してやる(適切なモデルトポロジーを導入する)必要がある。
図1は、隠れマルコフモデルの一般的な構成を示している。確率変数 x ( t ) {\displaystyle x(t)} は、時刻 t {\displaystyle t} における潜在変数である。確率変数 y ( t ) {\displaystyle y(t)} は時刻 t {\displaystyle t} における観測値である。矢印は、条件付き確率間の依存関係を表している。
図2は潜在変数の状態数が3 ( x ( t ) ∈ { x 1 , x 2 , x 3 } {\displaystyle x(t)\in \left\{x_{1},x_{2},x_{3}\right\}} )、観測値の状態数が4( y ( t ) ∈ { y 1 , y 2 , y 3 , y 4 } {\displaystyle y(t)\in \{y_{1},y_{2},y_{3},y_{4}\}} )の隠れマルコフモデルを示している。
時刻 t {\displaystyle t} における潜在変数 x ( t ) {\displaystyle x(t)} の条件付き確率分布は、潜在変数 x ( t − 1 ) {\displaystyle x(t-1)} にのみ依存する。 x ( t − 2 ) {\displaystyle x(t-2)} およびそれ以前の状態は影響しない。これを(単純)マルコフ性という。また、観測値 y ( t ) {\displaystyle y(t)} は x ( t ) {\displaystyle x(t)} にのみ依存する(時刻 t {\displaystyle t} が同じであることに注意)。ここで考えるような標準的な隠れマルコフモデルでは、潜在変数 x ( t ) {\displaystyle x(t)} は離散的であり、観測値 y ( t ) {\displaystyle y(t)} は連続的でも離散的でもよい。
隠れマルコフモデルのパラメータは、遷移確率と出力確率の2種類である。遷移確率は、時刻 t − 1 {\displaystyle t-1} での潜在変数から時刻 t {\displaystyle t} での潜在変数への状態遷移を表す。図2において、遷移確率は a i j {\displaystyle a_{ij}} で、出力確率は b i j {\displaystyle b_{ij}} で示されている。
潜在変数の状態空間は N {\displaystyle N} 個の値をとる離散分布である(図2では N = 3 {\displaystyle N=3} )。これは、時刻 t {\displaystyle t} において潜在変数がとりうる N {\displaystyle N} 個の値のそれぞれに対して、時刻 x ( t + 1 ) {\displaystyle x(t+1)} での潜在変数がとりうる N {\displaystyle N} 個の値への遷移確率が存在することを意味する。結果的に、全体で N 2 {\displaystyle N^{2}} の遷移確率がある(図2ではそのうち a 12 , a 21 , a 23 {\displaystyle a_{12},a_{21},a_{23}} のみを示している)。この N × N {\displaystyle N\times N} 行列をマルコフ行列という。確率の公理より、ある特定の状態から他の状態への遷移確率の和は1である。そのため、特定の状態からのある遷移確率はそれ以外の確率がわかれば決まるので、 N × ( N − 1 ) {\displaystyle N\times (N-1)} 個の遷移パラメータがあることになる。
これに加えて、 N {\displaystyle N} 個の状態のそれぞれに、潜在変数の特定の時刻において観測値の分布を支配する出力確率の組がある(図2では M = 4 {\displaystyle M=4} で、 3 × 4 {\displaystyle 3\times 4} の出力確率 b i j {\displaystyle b_{ij}} がある)。たとえば、観測値が離散分布で M {\displaystyle M} 個の値をとるとき、個々の潜在変数に M − 1 {\displaystyle M-1} 個のパラメータがあるから、全体で N × ( M − 1 ) {\displaystyle N\times (M-1)} 個の出力パラメータがある。あるいは、観測値が任意の混合ガウス分布に従う M {\displaystyle M} 次元ベクトルであれば、平均値のために M {\displaystyle M} 個と、共分散行列に M ( M + 1 ) / 2 {\displaystyle M(M+1)/2} 個のパラメータがあるから、合わせて N ( M + M ( M + 1 ) / 2 ) = N M ( M + 3 ) / 2 = O ( N M 2 ) {\displaystyle N(M+M(M+1)/2)=NM(M+3)/2=O(NM^{2})} の出力パラメータがある。
実際には、 M {\displaystyle M} が小さくない限り、観測ベクトルの個々の要素間の共分散の特性に制約を設けることが現実的である。たとえば要素ごとに独立であるとか、もう少し制約を緩めて、隣接するいくつかの要素以外は独立であるなどとすることが考えられる。
隠れマルコフモデルに関して、以下に示すようないくつかの統計的推測問題がある。
モデルのパラメータが既知のとき、特定の出力系列が得られる確率を求める。これは、可能な状態系列についての確率の総和によって得られる。
長さ L {\displaystyle L} の観測値系列
の確率は、潜在状態系列
の確率の総和を用いて次のように与えられる。
動的計画法の原理を適用すると、この問題は前向きアルゴリズムで効率的に扱うことができる。
モデルパラメータと観測系列が与えられたとき、ひとつあるいはそれ以上の潜在変数の確率を求める以下のような問題がある。
この問題は、モデルパラメータと観測系列が与えられたとき、系列の最後における潜在変数の状態の確率分布、つまり P ( x ( t ) | y ( 1 ) , ... , y ( t ) ) {\displaystyle P(x(t)\ |\ y(1),\dots ,y(t))} を求めるものである。この問題は、一般に、潜在変数の系列があるプロセスの背後の状態で、そのプロセスは各時刻の観測値に関してある過程が時刻の系列に従って遷移するものと考えられる場合に用いられる。従って、最後の時点でのプロセスの状態を知ることが自然である。この問題は、フォワードアルゴリズムで効率的に解くことができる。
フィルタリングが系列の最後の状態を求めるのに対して、平滑化 (smoothing) は系列の途中のどこかの時点での潜在変数の確率分布、つまり ある時刻 k < t {\displaystyle k<t} における P ( x ( k ) | y ( 1 ) , ... , y ( t ) ) {\displaystyle P(x(k)\ |\ y(1),\dots ,y(t))} を求めるものである。これはフォワードバックワードアルゴリズムで効率的に解くことができる。
この問題は、前の2つの問題と異なり、特定の観測値系列を生成する潜在変数の系列全体の同時確率を求めるものである。これは一般に、隠れマルコフモデルをフィルタリングや平滑化とは異なる種類の問題に適用する場合に用いられる。
例えば自然言語処理の構文解析における品詞タグ付けは、単語の並びから品詞を推定するものである。品詞を隠れマルコフモデルの潜在変数とし、ある品詞から他の品詞につながる確率を品詞付与コーパスなどから遷移確率として求めておく。また、各状態(品詞)から具体的な単語が出力されると考え、その出現確率もコーパスから求めておく。分析したい単語の並びが観測系列となる。品詞タグ付けは、与えられた単語列から隠れた状態としての品詞列を最尤推定するが、このとき関心があるのは全体の品詞の系列であり、フィルタリングや平滑化が扱うような単一の語の品詞を求めることではない。
この問題は、可能な状態系列の確率の最大値を求めるものであり、ビタビアルゴリズムによって効率的に解くことができる。
上記のいくつかの問題に対して、統計的有意性を知りたい場合がある。帰無仮説が真となる分布から得られた系列が、どのような状態系列の確率をもつか(フォワードアルゴリズムの場合)あるいは状態系列の確率の最大値(ビタビアルゴリズムの場合)で少なくとも特定の出力系列と同じくらい大きなものは何かというようなものである。 隠れマルコフモデルで、特定の出力系列に関する仮説の統計的適切性を評価する場合、その統計的有意性は、出力系列に対して間違って仮説を棄却してしまう擬陽性率 (false positive rate) を示す。
遠くに住んでいる友人のアリスとボブがいて、電話で毎日お互い自分のしたことを話している。ボブは「公園での散歩 (walk)」、「買い物 (shop)」、「部屋の掃除 (clean)」の3つのことにしか関心がない。何をするかは、その日の天気によってのみ決めている。アリスはボブが住んでいる地域の日々の天気については具体的に知らないが、一般的な天候の変化については知っている。ボブが毎日話すことにもとづいて、アリスは天気がどのようになっているかを推測しようとする。
アリスは、天気が離散マルコフ過程として変化すると考える。天気には「雨 (Rainy)」と「晴れ (Sunny)」の2つの状態があるが、アリスはそれを直接知ることができないから「隠れ」た状態である。毎日、ボブは天気に応じて「散歩」「買い物」「掃除」のどれかひとつだけを必ずする。ボブがそれをアリスに話すことが、アリスにとっての観測(ボブからの出力)である。この状況全体が隠れマルコフモデルとなる。
アリスは、ボブのいる地域の一般的な天候の変化(遷移確率)については知っている。また、どの天気のときにボブがどの行動をするか(出力確率)を知っている。つまり隠れマルコフモデルのパラメータが既知である。これは、Pythonで次のように表される。
このコードでstart_probability は、ボブが最初に電話する前の時点で、隠れマルコフモデルがどちらの状態にあるかというアリスの考えである(彼女は平均的には雨の方がやや多いと知っている)。この確率分布は平衡なものではない(遷移確率によれば平衡は {'Rainy': 0.57, 'Sunny': 0.43})。遷移確率 transition_probability はマルコフ連鎖での天気の変化を表す。この例では、今日が雨であれば、明日晴れる確率は30%である。出力確率 emission_probability は、その日にボブが行う行動の確率である。もし雨であれば掃除をする確率は50%で、晴れていれば散歩に行く確率は60%である。
ビタビアルゴリズム(Viterbi algorithm)は、モデルパラメータが既知のとき、与えられた配列を出力した可能性(尤度)が最も高い状態列(最尤状態列)を計算するアルゴリズムで、動的計画法の一種である。ある時点 t での最尤状態遷移列はtまでに観測された情報と、t-1 までで最も確からしい(=尤もらしい)最尤状態遷移列だけに依存すると仮定する。
例えば、出力 'A' と 'B' を確率0.5ずつで出力し、他の状態にまれにしか遷移しない状態 A と、出力 'A' と 'C' を確率0.5ずつで出力し、他の状態にまれにしか遷移しない状態Bがあった場合、時点 t で 'A' が出力され、時点 t-1 で最尤だと推定された状態遷移列からの遷移確率が状態 A の方が高いならば、時点 t では状態 A にいたと推定される。しかし、t+1 以降で 'C' の出力が続いた場合、全体としての尤度は状態 B に遷移していたほうが高くなる。
ビタビアルゴリズムを使用するには、観測可能なイベントは観測不可能な状態遷移と1対1対応していることが求められる。
バウム・ウェルチアルゴリズム(Baum-Welch algorithm)は、モデルが出力した系列からモデルパラメータを推定するアルゴリズムである。前向きアルゴリズム、後ろ向きアルゴリズム、EMアルゴリズムから構成される。前向きアルゴリズムおよび後ろ向きアルゴリズムは動的計画法の一種であり、ある時点で各状態にいる確率を求めるアルゴリズムである。 | [
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"text": "フィルタリングが系列の最後の状態を求めるのに対して、平滑化 (smoothing) は系列の途中のどこかの時点での潜在変数の確率分布、つまり ある時刻 k < t {\\displaystyle k<t} における P ( x ( k ) | y ( 1 ) , ... , y ( t ) ) {\\displaystyle P(x(k)\\ |\\ y(1),\\dots ,y(t))} を求めるものである。これはフォワードバックワードアルゴリズムで効率的に解くことができる。",
"title": "推測"
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"text": "この問題は、前の2つの問題と異なり、特定の観測値系列を生成する潜在変数の系列全体の同時確率を求めるものである。これは一般に、隠れマルコフモデルをフィルタリングや平滑化とは異なる種類の問題に適用する場合に用いられる。",
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"text": "例えば自然言語処理の構文解析における品詞タグ付けは、単語の並びから品詞を推定するものである。品詞を隠れマルコフモデルの潜在変数とし、ある品詞から他の品詞につながる確率を品詞付与コーパスなどから遷移確率として求めておく。また、各状態(品詞)から具体的な単語が出力されると考え、その出現確率もコーパスから求めておく。分析したい単語の並びが観測系列となる。品詞タグ付けは、与えられた単語列から隠れた状態としての品詞列を最尤推定するが、このとき関心があるのは全体の品詞の系列であり、フィルタリングや平滑化が扱うような単一の語の品詞を求めることではない。",
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"text": "遠くに住んでいる友人のアリスとボブがいて、電話で毎日お互い自分のしたことを話している。ボブは「公園での散歩 (walk)」、「買い物 (shop)」、「部屋の掃除 (clean)」の3つのことにしか関心がない。何をするかは、その日の天気によってのみ決めている。アリスはボブが住んでいる地域の日々の天気については具体的に知らないが、一般的な天候の変化については知っている。ボブが毎日話すことにもとづいて、アリスは天気がどのようになっているかを推測しようとする。",
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"text": "アリスは、天気が離散マルコフ過程として変化すると考える。天気には「雨 (Rainy)」と「晴れ (Sunny)」の2つの状態があるが、アリスはそれを直接知ることができないから「隠れ」た状態である。毎日、ボブは天気に応じて「散歩」「買い物」「掃除」のどれかひとつだけを必ずする。ボブがそれをアリスに話すことが、アリスにとっての観測(ボブからの出力)である。この状況全体が隠れマルコフモデルとなる。",
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"text": "アリスは、ボブのいる地域の一般的な天候の変化(遷移確率)については知っている。また、どの天気のときにボブがどの行動をするか(出力確率)を知っている。つまり隠れマルコフモデルのパラメータが既知である。これは、Pythonで次のように表される。",
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"text": "このコードでstart_probability は、ボブが最初に電話する前の時点で、隠れマルコフモデルがどちらの状態にあるかというアリスの考えである(彼女は平均的には雨の方がやや多いと知っている)。この確率分布は平衡なものではない(遷移確率によれば平衡は {'Rainy': 0.57, 'Sunny': 0.43})。遷移確率 transition_probability はマルコフ連鎖での天気の変化を表す。この例では、今日が雨であれば、明日晴れる確率は30%である。出力確率 emission_probability は、その日にボブが行う行動の確率である。もし雨であれば掃除をする確率は50%で、晴れていれば散歩に行く確率は60%である。",
"title": "具体例"
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"text": "ビタビアルゴリズム(Viterbi algorithm)は、モデルパラメータが既知のとき、与えられた配列を出力した可能性(尤度)が最も高い状態列(最尤状態列)を計算するアルゴリズムで、動的計画法の一種である。ある時点 t での最尤状態遷移列はtまでに観測された情報と、t-1 までで最も確からしい(=尤もらしい)最尤状態遷移列だけに依存すると仮定する。",
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"text": "例えば、出力 'A' と 'B' を確率0.5ずつで出力し、他の状態にまれにしか遷移しない状態 A と、出力 'A' と 'C' を確率0.5ずつで出力し、他の状態にまれにしか遷移しない状態Bがあった場合、時点 t で 'A' が出力され、時点 t-1 で最尤だと推定された状態遷移列からの遷移確率が状態 A の方が高いならば、時点 t では状態 A にいたと推定される。しかし、t+1 以降で 'C' の出力が続いた場合、全体としての尤度は状態 B に遷移していたほうが高くなる。",
"title": "ビタビアルゴリズム"
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"text": "ビタビアルゴリズムを使用するには、観測可能なイベントは観測不可能な状態遷移と1対1対応していることが求められる。",
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"text": "バウム・ウェルチアルゴリズム(Baum-Welch algorithm)は、モデルが出力した系列からモデルパラメータを推定するアルゴリズムである。前向きアルゴリズム、後ろ向きアルゴリズム、EMアルゴリズムから構成される。前向きアルゴリズムおよび後ろ向きアルゴリズムは動的計画法の一種であり、ある時点で各状態にいる確率を求めるアルゴリズムである。",
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] | 隠れマルコフモデルは、確率モデルのひとつであり、観測されない(隠れた)状態をもつマルコフ過程である。 | {{Machine learning bar}}
'''隠れマルコフモデル'''(かくれマルコフモデル、{{lang-en-short|hidden Markov model; HMM}})は、[[確率分布|確率モデル]]のひとつであり、観測されない(隠れた)状態をもつ[[マルコフ過程]]である。
== 概要 ==
同じマルコフ過程でも、隠れマルコフモデルより単純な[[マルコフ連鎖]]では、状態は直接観測可能であり、そのため、状態の遷移確率のみがパラメータである。一方、隠れマルコフモデルにおいては、状態は直接観測されず、出力(事象)のみが観測される。ただしこの出力は、モデルの状態による確率分布である。従って、ある隠れマルコフモデルによって生成された出力の系列は、内部の状態の系列に関する何らかの情報を与えるものとなる。「隠れ」という語はモデルが遷移した状態系列が外部から直接観測されないことを指しており、モデルのパラメータについてのものではない。たとえパラメータが既知であっても隠れマルコフモデルと呼ばれる。隠れマルコフモデルはごく単純な動的[[ベイジアンネットワーク]]として表現することができる。
状態空間が離散の場合は'''離散型隠れマルコフモデル'''(discrete hidden Markov model)、連続の場合は'''連続分布型隠れマルコフモデル'''(continuous density hidden Markov model)と呼ばれ、連続と離散の混合型もある。
隠れマルコフモデルは、[[潜在変数]](hidden variable, latent variable)が各々独立ではなく、マルコフ過程を通じて関連付けられている[[混合分布モデル|混合分布モデル(Mixture Model)]]を拡張したものとみなすことができる。この潜在変数は、それぞれの観測に対して選択されるように混合要素を制御するものである。近年、隠れマルコフモデルは、より複雑なデータ構造と非定常的なデータの取り扱いが可能なpairwise Markov modelsやtriplet Markov modelsに一般化されている。
隠れマルコフモデルに関する数学的概念は[[:en:Leonard E. Baum|L. E. Baum]]と彼の同僚らによって[[1966年]]に発表された<ref>{{cite journal
|last=Baum
|first=L. E.
|author2=Petrie, T.
|title=Statistical Inference for Probabilistic Functions of Finite State Markov Chains
|journal=The Annals of Mathematical Statistics |year=1966 |volume=37 |issue=6 |pages=1554–1563
|url=https://www.jstor.org/stable/2238772
|accessdate=2023-04-05 |doi=10.1214/aoms/1177699147
}}</ref><ref>{{Cite journal
|last1=Baum
|first1=L. E.
|last2=Eagon
|first2=J. A.
|doi=10.1090/S0002-9904-1967-11751-8
|title=An inequality with applications to statistical estimation for probabilistic functions of Markov processes and to a model for ecology
|journal=[[Bulletin of the American Mathematical Society]] |volume=73 |issue=3 |pages=360 |year=1967 |zbl=0157.11101 |pmid=
|url=http://projecteuclid.org/euclid.bams/1183528841 |pmc=
}}</ref><ref>{{cite journal
|last=Baum
|first=L. E.
|author2=Sell, G. R.
|title=Growth transformations for functions on manifolds
|journal=Pacific Journal of Mathematics |year=1968 |volume=27 |issue=2 |pages=211–227
|url=https://www.scribd.com/doc/6369908/Growth-Functions-for-Transformations-on-Manifolds |accessdate=28 November 2011 |doi=10.2140/pjm.1968.27.211
}}</ref><ref>{{Cite journal
|last1=Baum |first1=L. E.
|last2=Petrie |first2=T.
|last3=Soules |first3=G.
|last4=Weiss |first4=N.
|title=A Maximization Technique Occurring in the Statistical Analysis of Probabilistic Functions of Markov Chains |doi=10.1214/aoms/1177697196
|journal=[[The Annals of Mathematical Statistics]] |volume=41 |issue=1 |pages=164–171 |year=1970 |jstor=2239727 |zbl=0188.49603 |mr=287613 |pmid= |pmc=
}}</ref><ref>{{cite journal
|last=Baum |first=L.E.
|title=An Inequality and Associated Maximization Technique in Statistical Estimation of Probabilistic Functions of a Markov Process
|journal=Inequalities |year=1972 |volume=3 |pages=1–8
}}</ref>。これは、最初に[[フォワードバックワードアルゴリズム]]を発表した[[:en:Ruslan L. Stratonovich|R. L. Stratonovich]]による非線形[[フィルタリング問題]]の最適化についての初期の成果に関連している。
隠れマルコフモデルは、[[音声認識]]、[[バイオインフォマティクス]]、[[形態素解析]]([[自然言語処理]])、楽譜追跡、部分放電など、時系列パターンの認識に応用されている。連続的かつ伸縮しうる信号列のパターン抽出には適しているが、反面、長い距離をはさんで呼応しているような信号列からのパターン認識には、間の距離の長さに応じて状態数を増やす必要があり、[[計算量]]の観点から実用的ではない。また、局所最適に陥りやすいため、対象に応じて適切なパラメータの初期値を設定してやる(適切なモデルトポロジーを導入する)必要がある。
== 構成 ==
[[ファイル:Hmm temporal bayesian net.svg|thumb|right|400px|
図1. 隠れマルコフモデルの一般的な構成]]
[[ファイル:HiddenMarkovModel.svg|thumb|right|400px|
図2. 隠れマルコフモデルのパラメータ(例)<br />
<math>x</math>: 潜在変数の状態<br />
<math>y</math>: 可能な観測値<br />
<math>a</math>: 状態遷移確率<br />
<math>b</math>: 出力確率]]
図1は、隠れマルコフモデルの一般的な構成を示している。確率変数 <math>x(t)</math> は、時刻 <math>t</math> における潜在変数である。確率変数 <math>y(t)</math> は時刻 <math>t</math> における観測値である。矢印は、条件付き確率間の依存関係を表している。
図2は潜在変数の状態数が3 (<math>x(t)\in\left\{x_1, x_2, x_3\right\}</math>)、観測値の状態数が4(<math>y(t)\in\{y_1, y_2, y_3, y_4\}</math>)の隠れマルコフモデルを示している。
時刻 <math>t</math> における潜在変数 <math>x(t)</math> の条件付き確率分布は、潜在変数 <math>x(t-1)</math> にのみ依存する。<math>x(t-2)</math> およびそれ以前の状態は影響しない。これを(単純)[[マルコフ性]]という。また、観測値 <math>y(t)</math> は <math>x(t)</math> にのみ依存する(時刻 <math>t</math> が同じであることに注意)。ここで考えるような標準的な隠れマルコフモデルでは、潜在変数 <math>x(t)</math> は離散的であり、観測値 <math>y(t)</math> は連続的でも離散的でもよい。
隠れマルコフモデルのパラメータは、'''遷移確率'''と'''出力確率'''の2種類である。遷移確率は、時刻 <math>t-1</math> での潜在変数から時刻 <math>t</math> での潜在変数への状態遷移を表す。図2において、遷移確率は <math>a_{ij}</math> で、出力確率は <math>b_{ij}</math> で示されている。
潜在変数の状態空間は <math>N</math> 個の値をとる離散分布<!-- categorical distribution -->である(図2では<math>N=3</math>)。これは、時刻 <math>t</math> において潜在変数がとりうる <math>N</math> 個の値のそれぞれに対して、時刻 <math>x(t+1)</math> での潜在変数がとりうる <math>N</math> 個の値への遷移確率が存在することを意味する。結果的に、全体で <math>N^2</math> の遷移確率がある(図2ではそのうち<math>a_{12}, a_{21}, a_{23}</math>のみを示している)。この <math>N\times N</math> 行列をマルコフ行列という。確率の公理より、ある特定の状態から他の状態への遷移確率の和は1である。そのため、特定の状態からのある遷移確率はそれ以外の確率がわかれば決まるので、<math>N\times (N-1)</math> 個の遷移パラメータがあることになる。
これに加えて、<math>N</math>個の状態のそれぞれに、潜在変数の特定の時刻において観測値の分布を支配する出力確率の組がある(図2では<math>M=4</math>で、<math>3\times 4</math>の出力確率<math> b_{ij}</math>がある)。たとえば、観測値が離散分布で<math>M</math>個の値をとるとき、個々の潜在変数に<math>M-1</math>個のパラメータがあるから、全体で<math>N\times (M-1)</math>個の出力パラメータがある。あるいは、観測値が任意の混合ガウス分布に従う<math>M</math>次元ベクトルであれば、平均値のために<math>M</math>個と、共分散行列に<math>M(M+1)/2</math>個のパラメータがあるから、合わせて<math>N(M + M(M+1)/2) = NM(M+3)/2 = O(NM^2)</math>の出力パラメータがある。
実際には、<math>M</math>が小さくない限り、観測ベクトルの個々の要素間の共分散の特性に制約を設けることが現実的である。たとえば要素ごとに独立であるとか、もう少し制約を緩めて、隣接するいくつかの要素以外は独立であるなどとすることが考えられる。
==推測==
隠れマルコフモデルに関して、以下に示すようないくつかの統計的推測問題がある。
===観測値系列の確率===
[[ファイル: HMMsequence.svg |thumb|right|400px|
図3. 隠れマルコフモデルの状態遷移と出力確率<br />
点線の下にある出力系列が観測されたとき、これがどのような状態系列によって得られたものかを考えると、図に示された状態遷移と出力確率の矢印から、次の状態系列が候補となる。<br />
5 3 2 5 3 2<br />
4 3 2 5 3 2<br />
3 1 2 5 3 2<br />
それぞれの候補について、状態系列と観測系列の同時確率を求めることによって、最もありそうな(つまり最尤の)状態系列を求めることができる。一般にこのような最尤観測系列の問題はビタビアルゴリズムで効率的に解くことができる。
]]
モデルのパラメータが既知のとき、特定の出力系列が得られる確率を求める。これは、可能な状態系列についての確率の総和によって得られる。
長さ <math>L</math> の観測値系列
: <math>Y=y(0), y(1),\dots,y(L-1)</math>
の確率は、潜在状態系列
: <math>X=x(0), x(1), \dots, x(L-1)</math>
の確率の総和を用いて次のように与えられる。
:<math>P(Y)=\sum_{X}P(Y\mid X)P(X)</math>
[[動的計画法]]の原理を適用すると、この問題は[[前向きアルゴリズム]]で効率的に扱うことができる。
===潜在変数の確率===
モデルパラメータと観測系列が与えられたとき、ひとつあるいはそれ以上の潜在変数の確率を求める以下のような問題がある。
====フィルタリング====
この問題は、モデルパラメータと観測系列が与えられたとき、系列の最後における潜在変数の状態の確率分布、つまり <math>P(x(t)\ |\ y(1),\dots,y(t))</math> を求めるものである。この問題は、一般に、潜在変数の系列があるプロセスの背後の状態で、そのプロセスは各時刻の観測値に関してある過程が時刻の系列に従って遷移するものと考えられる場合に用いられる。従って、最後の時点でのプロセスの状態を知ることが自然である。この問題は、[[フォワードアルゴリズム]]で効率的に解くことができる。
====平滑化====
フィルタリングが系列の最後の状態を求めるのに対して、平滑化 (smoothing) は系列の途中のどこかの時点での潜在変数の確率分布、つまり ある時刻 <math>k < t</math> における <math>P(x(k)\ |\ y(1), \dots, y(t))</math>を求めるものである。これは[[フォワードバックワードアルゴリズムで]]効率的に解くことができる。
====最尤系列推定====
この問題は、前の2つの問題と異なり、特定の観測値系列を生成する潜在変数の系列全体の同時確率を求めるものである。これは一般に、隠れマルコフモデルをフィルタリングや平滑化とは異なる種類の問題に適用する場合に用いられる。
例えば[[自然言語処理]]の[[構文解析]]における品詞タグ付けは、単語の並びから品詞を推定するものである。品詞を隠れマルコフモデルの潜在変数とし、ある品詞から他の品詞につながる確率を品詞付与[[コーパス]]などから遷移確率として求めておく。また、各状態(品詞)から具体的な単語が出力されると考え、その出現確率もコーパスから求めておく。分析したい単語の並びが観測系列となる。品詞タグ付けは、与えられた単語列から隠れた状態としての品詞列を[[最尤法|最尤推定]]するが、このとき関心があるのは全体の品詞の系列であり、フィルタリングや平滑化が扱うような単一の語の品詞を求めることではない。
この問題は、可能な状態系列の確率の最大値を求めるものであり、ビタビアルゴリズムによって効率的に解くことができる。
===統計的有意性===
上記のいくつかの問題に対して、統計的有意性を知りたい場合がある。帰無仮説が真となる分布から得られた系列が、どのような状態系列の確率をもつか(フォワードアルゴリズムの場合)あるいは状態系列の確率の最大値(ビタビアルゴリズムの場合)で少なくとも特定の出力系列と同じくらい大きなものは何かというようなものである。
隠れマルコフモデルで、特定の出力系列に関する仮説の統計的適切性を評価する場合、その統計的有意性は、出力系列に対して間違って仮説を棄却してしまう擬陽性率 (false positive rate) を示す。
==具体例==
[[File:HMMGraph.svg|border|right|400px|図3. Graphical representation of the given HMM]]
遠くに住んでいる友人のアリスとボブがいて、電話で毎日お互い自分のしたことを話している。ボブは「公園での散歩 (walk)」、「買い物 (shop)」、「部屋の掃除 (clean)」の3つのことにしか関心がない。何をするかは、その日の天気によってのみ決めている。アリスはボブが住んでいる地域の日々の天気については具体的に知らないが、一般的な天候の変化については知っている。ボブが毎日話すことにもとづいて、アリスは天気がどのようになっているかを推測しようとする。
アリスは、天気が離散[[マルコフ過程]]として変化すると考える。天気には「雨 (Rainy)」と「晴れ (Sunny)」の2つの状態があるが、アリスはそれを直接知ることができないから「隠れ」た状態である。毎日、ボブは天気に応じて「散歩」「買い物」「掃除」のどれかひとつだけを必ずする。ボブがそれをアリスに話すことが、アリスにとっての観測(ボブからの出力)である。この状況全体が隠れマルコフモデルとなる。
アリスは、ボブのいる地域の一般的な天候の変化(遷移確率)については知っている。また、どの天気のときにボブがどの行動をするか(出力確率)を知っている。つまり隠れマルコフモデルのパラメータが既知である。これは、[[Python]]で次のように表される。
<syntaxhighlight lang="python">
states = ('Rainy', 'Sunny')
observations = ('walk', 'shop', 'clean')
start_probability = {'Rainy': 0.6, 'Sunny': 0.4}
transition_probability = {
'Rainy': {'Rainy': 0.7, 'Sunny': 0.3},
'Sunny': {'Rainy': 0.4, 'Sunny': 0.6},
}
emission_probability = {
'Rainy': {'walk': 0.1, 'shop': 0.4, 'clean': 0.5},
'Sunny': {'walk': 0.6, 'shop': 0.3, 'clean': 0.1},
}
</syntaxhighlight>
このコードで<code>start_probability</code> は、ボブが最初に電話する前の時点で、隠れマルコフモデルがどちらの状態にあるかというアリスの考えである(彼女は平均的には雨の方がやや多いと知っている)。この確率分布は平衡なものではない(遷移確率によれば平衡は <code>{'Rainy': 0.57, 'Sunny': 0.43}</code>)。遷移確率 <code>transition_probability</code> はマルコフ連鎖での天気の変化を表す。この例では、今日が雨であれば、明日晴れる確率は30%である。出力確率 <code>emission_probability</code> は、その日にボブが行う行動の確率である。もし雨であれば掃除をする確率は50%で、晴れていれば散歩に行く確率は60%である。
==ビタビアルゴリズム==
{{Main|ビタビアルゴリズム}}
ビタビアルゴリズム(Viterbi algorithm)は、モデルパラメータが既知のとき、与えられた配列を出力した可能性(尤度)が最も高い状態列(最尤状態列)を計算するアルゴリズムで、[[動的計画法]]の一種である。ある時点 t での最尤状態遷移列はtまでに観測された情報と、t-1 までで最も確からしい(=尤もらしい)最尤状態遷移列だけに依存すると仮定する。
例えば、出力 'A' と 'B' を確率0.5ずつで出力し、他の状態にまれにしか遷移しない状態 A と、出力 'A' と 'C' を確率0.5ずつで出力し、他の状態にまれにしか遷移しない状態Bがあった場合、時点 t で 'A' が出力され、時点 t-1 で最尤だと推定された状態遷移列からの遷移確率が状態 A の方が高いならば、時点 t では状態 A にいたと推定される。しかし、t+1 以降で 'C' の出力が続いた場合、全体としての尤度は状態 B に遷移していたほうが高くなる。
ビタビアルゴリズムを使用するには、観測可能なイベントは観測不可能な状態遷移と1対1対応していることが求められる。
==バウム・ウェルチアルゴリズム==
{{Main|バウム=ウェルチアルゴリズム}}
バウム・ウェルチアルゴリズム(Baum-Welch algorithm)は、モデルが出力した系列からモデルパラメータを推定するアルゴリズムである。前向きアルゴリズム、後ろ向きアルゴリズム、[[期待値最大化法|EMアルゴリズム]]から構成される。前向きアルゴリズムおよび後ろ向きアルゴリズムは動的計画法の一種であり、ある時点で各状態にいる確率を求めるアルゴリズムである。
== 参照 ==
{{reflist}}
{{統計学}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:かくれまるこふもてる}}
[[Category:確率論]]
[[Category:計算機科学]]
[[Category:統計モデル]]
[[Category:ベイジアンネットワーク]]
[[Category:アンドレイ・マルコフ]]
[[Category:数学のエポニム]]
[[Category:数学に関する記事]] | null | 2023-04-05T03:07:22Z | false | false | false | [
"Template:統計学",
"Template:Normdaten",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E3%82%8C%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB |
7,112 | 梵我一如 | 梵我一如(ぼんがいちにょ)とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。
宇宙の全てを司るブラフマンは不滅のものであり、それとアートマンが同一であるのなら、当然にアートマンも不滅のものである。すなわち個人の肉体が死を迎えても、アートマンは永遠に存続するということであり、またアートマンが死後に新しい肉体を得る輪廻の根拠でもある。
仏教では、梵(ブラフマン)が人格をともなって梵天として登場するが、本来のインド思想にあっては、自然そのもの、あるいは遍在する原理、または真理を指していた。我(アートマン)とは、身体の中にあって、他人と区別しうる不変の実体(魂のようなもの)として考えられ、「真我」と漢訳される。
すべての行為、すべての愛欲、すべての香、すべての味、このすべてを包括しているものは、言い表せることなく気づかない。これが心の中の我がアートマンであり、これがブラフマンである。この世を去って後、われはこれと合一すべしと思う者には、実に疑いあることなし。 — チャーンドーギヤ・ウパニシャッド,3,14,4
ヴェーダにおける究極の解脱とは、この個人の実体としての我が、宇宙に遍在する梵と同一であることを悟ることによって、自由になり、あらゆる苦しみから逃れることができるとする。 | [
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] | 梵我一如(ぼんがいちにょ)とは、梵と我が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。 宇宙の全てを司るブラフマンは不滅のものであり、それとアートマンが同一であるのなら、当然にアートマンも不滅のものである。すなわち個人の肉体が死を迎えても、アートマンは永遠に存続するということであり、またアートマンが死後に新しい肉体を得る輪廻の根拠でもある。 | {{Hinduism}}
{{出典の明記|date=2013年5月}}
'''梵我一如'''(ぼんがいちにょ)とは、梵([[ブラフマン]]:宇宙を支配する原理)と我([[アートマン]]:個人を支配する原理)が同一であること<ref name=fukita>{{Cite |和書|title=ブッダとは誰か |author=吹田隆道 |date=2013|isbn=978-4393135686 |pages=41-44}}</ref>、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。[[古代インド]]における[[ヴェーダ]]の究極の[[悟り]]とされる。
宇宙の全てを司る[[ブラフマン]]は不滅のものであり、それとアートマンが同一であるのなら、当然にアートマンも不滅のものである<ref name=fukita />。すなわち個人の肉体が死を迎えても、アートマンは永遠に存続するということであり<ref name=fukita />、またアートマンが死後に新しい肉体を得る'''[[輪廻]]'''の根拠でもある<ref name=fukita />。
== 概略 ==
[[仏教]]では、梵(ブラフマン)が人格をともなって[[梵天]]として登場するが、本来のインド思想にあっては、自然そのもの、あるいは遍在する原理、または真理を指していた。我(アートマン)とは、身体の中にあって、他人と区別しうる不変の実体(魂のようなもの)として考えられ、「真我」と漢訳される。
{{Quotation|
すべての行為、すべての愛欲、すべての香、すべての味、このすべてを包括しているものは、言い表せることなく気づかない。これが心の中の我がアートマンであり、これがブラフマンである。この世を去って後、われはこれと合一すべしと思う者には、実に疑いあることなし。
| [[チャーンドーギヤ・ウパニシャッド]],3,14,4 <ref name=fukita/>
}}
ヴェーダにおける究極の[[解脱]]とは、この個人の実体としての我が、宇宙に遍在する梵と同一であることを悟ることによって、自由になり、あらゆる苦しみから逃れることができるとする。
== 脚注 ==
{{reflist}}
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|author=Books Esoterica |year=1995 |title=ヒンドゥー教の本 |publisher=[[学研ホールディングス|学習研究社]] |isbn=4-05-600871-X}}
*{{Cite book|和書|author1=辛島昇|authorlink1=辛島昇|author2=前田專學|authorlink2=前田專學|author3=江島惠教、他、監修|year=2002 |title=南アジアを知る事典 新訂増補 |publisher=平凡社 |isbn=4-582-12634-0}}
== 関連項目 ==
*[[不二一元論]]
*[[ウッダーラカ・アールニ]]
*[[ヤージュニャヴァルキヤ]]
*[[ウパニシャッド]]
*[[ブラフマン]]
*[[アートマン]]
*[[バラモン教]]
*[[シャンカラ]]
*[[一元論]]
*[[二元論]]
== 外部リンク ==
*{{Wayback|url=http://www.geocities.jp/princegifu/indotetu24.htm |title=インド哲学入門 |date=20160304133811}}(リンク切れ)
*{{Wayback|url=http://www.geocities.jp/princegifu/indotetu25.htm |title=お前はそれである(梵我一如の思想)-「インド思想史略説」 |date=20160304130808}}(リンク切れ)
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7,113 | イマヌエル・カント | イマヌエル・カント(Immanuel Kant ドイツ語: [ɪˈmaːnu̯eːl ˈkant, -nu̯ɛl -]、当て字は「韓圖」、1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、プロイセン(ドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である。
『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらした。
イマヌエル・カントは1724年、東プロイセンの首都ケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)で馬具職人の第四子として生まれた。生涯のほとんどをその地で過ごしそこで没した。両親はルター派の敬虔主義を信仰していた。1732年、敬虔派宿泊施設であるフリードリヒ校に通学し始める。当校ではラテン語教育が重視されたほか、哲学は正規授業としてあり、ヴォルフ派の哲学が教えられていた。1740年にケーニヒスベルク大学に入学する。入学後次第にニュートンの活躍などで発展を遂げつつあった自然学に関心が向かい、哲学教授クヌッツェンの影響のもと、ライプニッツやニュートンの自然学を研究した。
1746年、父の死去にともない大学を去る。学資が続かなくなったのに加えて、最近の研究ではクヌッツェンにその独創性を認められなかったことも大学を去る動機になったと推定されている。この時に哲学部にドイツ語の卒業論文『活力測定考』(1749刊行)を提出している。卒業後の7年間はカントにとっては苦しい時期で、ケーニヒスベルク郊外の2、3の場所で家庭教師をして生計をたてていた。
1755年春、『天界の一般的自然史と理論』を刊行するが、印刷中に出版社が倒産したため、極少数のみが公刊された。この論文でカントは太陽系が星雲から生成されたと主張しており、この学説は1796年にラプラスが唱えた理論と似ていたため、19世紀にはカント・ラプラス理論と呼ばれた。4月にはケーニヒスベルク大学哲学部に哲学修士の学位取得のため、ラテン語論文『火について』を提出し、6月12日に修士学位を取得。9月27日、就職資格論文『形而上学的認識の第一原理の新解明』で公開討議をおこない擁護に成功。冬学期より、同大学の私講師として職業的哲学者の生活に入る。カントの哲学者としての道のりは、『純粋理性批判』出版の以前と以後に区分され、前批判期と批判期と区別される。
1756年、恩師クヌッツェンの逝去(1751)により欠員が出た論理学・形而上学教授職授の地位を得るため、『自然モナド論』を執筆。当時、正教授就任のためには少なくとも3つのラテン語論文を執筆し、公開討論審査で擁護しなければならなかった。4月10日に公開討論会がおこなわれ、擁護に成功する。しかし、プロイセン政府がオーストリアとの七年戦争を開始し、財政的理由のため欠員補充をしない方針を打ち出したため、教授就任の話は白紙となった。
1764年、『美と崇高との感情性に関する観察』出版。直後の自家用本の書き込みによれば、カントは「何も知らない下層民を軽蔑していた」が、「ルソーがその私を正してくれた」。「私は人間性を敬うことを学ぶ」とある。1765年、「1765-66年冬学期講義計画公告」のなかではじめて理性批判のアイデアが公にされる。また同年より始まったランベルトとの書簡の中では、自然哲学と実践哲学の形而上学的原理の構想が開陳され、自らの「あらゆる努力は、主として形而上学の本来的方法を、この方法を通じてまた全哲学の方法を目標としている」と述べられている。1766年には、批判期の到来を予感させる『形而上学の夢によって解明された視霊者の夢』を出版。同書では、スウェーデンの視霊者・神秘主義者スヴェーデンボリが起こしてみせたと主張する超常現象を紹介すると同時に、現在の形而上学の粗野な方法論と来るべき展望について語られている。
1766年にケーニヒスベルク王立図書館副司書官に就任し、また博物美術標本室監督も兼任していたカントだったが、1769年にエアランゲン大学の論理学・形而上学教授に招聘されるが固辞、また1770年にはイェナ大学から哲学教授職への就任を打診されているが、これも辞退、最終的に1770年3月、46歳の時に、ケーニヒスベルク大学の論理学・形而上学正教授に任命された。同年8月11日には正教授就任論文『可感界と可想界の形式と原理』が公開審査にかけられ、遅くとも9月には出版。同書は「この後十年あまりにわたる沈黙と模索の期間をへて公にされることになる『純粋理性批判』に直接間接につながってゆく重要な構想のめばえを多く含むものであり、これを契機に〔...〕人間理性の限界の学としての形而上学という構想は、たんなる漠然とした模索の段階を脱して、着実な実現の緒についたといっても過言ではない」。後にこの時代を振り返ったカントは、1769年に「大きな光」が与えられたと述べており、それは一般的に空間と時間の観念性の発見であると考えられている。
『純粋理性批判』が出版されるまでの十年近い間は、先述のように「沈黙と模索の期間」であった。しかしその間、カントが机の前で沈思黙考し続けたと考えるわけにはいかない。むしろ大学業務は多忙になっていったと言えるだろう。1772年からは人間学講義が開講され、1776年には哲学部長に就任、同年夏学期の授業時間は週16時間にのぼっている。1779年冬学期には二度目の学部長就任、1780年にはケーニヒスベルク大学評議会会員となっている。そして1781年、カントの主著『純粋理性批判』がハレのハルトクノッホ書店より出版されることになった(以下『純理』と略記)。
今でこそ『純理』は近代哲学の基礎と目されることも多いが、この書物がすぐに哲学界を驚愕させ、思考の地平を一変させたと考えることはできない。『純理』はすぐに上梓されたが、反響はほとんどなく、売上も芳しくなかった。同時代の哲学者ハーマンやメンデルスゾーンにはもっぱら不評だったと言われている。そのうえ、1782年に雑誌『ゲッティンゲン学報付録』に出た匿名書評ではカントの思想がバークリの観念論と同一視されてしまっていた。そのためカントは翌1783年に出版した『プロレゴーメナ』や『純理』第2版「観念論反駁」の中で、こうした嫌疑をはらさざるをえなかった。同時代人の第一印象では、カントはバークリやヒュームと同様の懐疑論者とみなされたのである。
批判哲学のプロジェクトは『純理』以降、自然学・実践哲学(道徳論・法論)・美学・歴史哲学・宗教へと多岐にわたって展開される。とりわけ『純理』と『実践理性批判』(1788)、『判断力批判』(1790)を合わせた三つの書物は、慣例として「三批判書」と総称され、それぞれ『第一批判』、『第二批判』、『第三批判』と称されることもある。自然学分野は『自然科学の形而上学的原理』(1786)や『判断力批判』第二部の中で展開され、実践哲学は『人倫の形而上学の基礎づけ』(1785)や『実践理性批判』(1788)、『人倫の形而上学』(1797)が主著となっている。美学については、同時代のバウムガルテンの影響を受けつつ大きく議論を展開させた『判断力批判』第一部が読まれなければならない。
批判期以降、カントは様々な論争に巻き込まれ、また自ら論争に介入していった。特に論争の場として重要だったのは、1783年にゲディケとビースターによって創刊された雑誌『ベルリン月報』である。カントは十数本の論文を『ベルリン月報』に掲載しているが、そのなかには「敢えて賢かれ、自らの悟性を用いる勇気を持て」という言葉が有名な小論「啓蒙とはなにか」(1784)も含まれている。この問いかけもまた、論争の産物だと言ってよい。同時期のプロイセンではフリードリヒ大王のもと、「啓蒙」の有用性とその限界が議論されていたからである。また、1785年にはヘルダーの『人類史の哲学の理念』(1784-91)をめぐって、カントはヘルダーと論争を繰り広げている。他にも、スピノザ主義をめぐってレッシングやヤコービ、メンデルスゾーンらが繰り広げた汎神論論争に加わってもいる(「思考の方向を定めるとはどういうことか」(1786))。
1786年、カントは3月にケーニヒスベルク大学総長に就任した。同年8月にはフリードリヒ大王が崩御し、代わってフリードリヒ・ヴィルヘルム二世が即位する。前代が啓蒙君主と呼ばれるほどフランス啓蒙哲学に通じ、自らの宮殿にヴォルテールやラ・メトリを呼び寄せたほどだったのに対し、この新しい君主は守旧的であり、宗教神秘主義にも傾倒していた。1788年には宗教・文教行政を担っていた法務大臣ヴェルナーが宗教検閲を発布し、1792年にはカントが『ベルリン月報』に発表した「人間の本性における根源悪について」が検閲に引っかかってしまった。この論文は検閲を通過したものの、次の「人間の支配をめぐる善現理と悪原理の戦いについて」は出版不許可の決定を受けた。両論文は1793年には『単なる理性の限界内における宗教』として発表されるが、1794年にはカントの宗教論が有害だという勅令が出され、カントは宗教・神学に関する講述を禁じられてしまう。
カントはこうした検閲や勅令に粛々と従っていたが、他方で1789年に勃発したフランス革命については、それがジャコバン独裁を経て過激化していった時代にもなおそれを称賛していた。国際政治情勢が激動する時代にあって、カントはそれに呼応するかのように、「理論では正しいかもしれないが実践の役には立たないという俗言について」(1793)や『永遠平和のために』(1795)、『人倫の形而上学』「第一部・法論の形而上学的定礎」などで共和制と国際連合について論じた。
カントは晩年、身体の衰弱に加えて思考力の衰えを感じつつも、自然科学の形而上学的原理から物理学への移行という課題に取り組みつづけた。この課題は完成されなかったが、一連の草稿は『オプス・ポストゥムム』として知られている。今で言う老年性認知症が進行する中、1804年2月12日にカントは逝去した。最後の言葉は、ワインを水で薄め砂糖を混ぜたものを口にしたときに発したという「これでよい(Es ist Gut)」であったと伝えられている。2月28日、大学墓地に埋葬される。カントは簡素な葬儀を望んだが、葬儀は二週間以上にわたって続き、多くの参列者が死を悼んだ。
一般にカントの思想はその3つの批判の書(『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』)にちなんで批判哲学と呼ばれる。ただ、カントが批判(Kritik)ということで企図していたのは、真の哲学のための準備・予備学であった。批判哲学が完成し、人間の理性能力の限界が確定された上ではじめて、真の形而上学としての哲学が築かれるべきだからである。
カントの思想は前批判期と批判期以後に大別される。前者は、『純理』刊行(1781)前、初期の自然哲学論考から就職論文『可感界と可想界の形式と原理』(1770)までを指す場合が多い(ただし、カントの批判哲学の着想の時期がいつだったのかについては、論争がある)。後者は、『純理』刊行以降、三批判書を含む著作以降を指す。
初期のカントの関心は自然哲学にむかった。特にニュートンの自然哲学に彼は関心をもち、『引力斥力論』などニュートンの力学(ニュートン力学)や天文学を受容した上でそれを乗り越えようとする論文を書いた。自然哲学においてはことに星雲による太陽系成立について関心を示した(星雲説)。そこでは銀河系が多くの恒星が重力により集まった円盤状の天体であると正しく推論している。また1755年のリスボン大地震から受けた衝撃で、地震の発生メカニズムに関する論文を書いている。そのメカニズム自体はその後誤りとされたが、地震を超自然によるものではなく自然によるものと仮定して考える先駆的な試みと考えられている。
一方で、カントはイギリス経験論を受容し、ことにヒュームの懐疑主義に強い衝撃を受けた。カントは自ら「独断論のまどろみ」と呼んだライプニッツ=ヴォルフ学派の形而上学の影響を脱し、それを経験にもとづかない「形而上学者の夢」とみなすようになる(『視霊者の夢』)。自然科学と幾何学の研究に支えられた経験の重視と、そのような経験が知性の営みとして可能になる構造そのものの探求がなされていく。また、カントはルソーの著作を読み、その肯定的な人間観に影響を受けた。これは彼の道徳哲学や人間論に特に影響を与えた。
こうして、知性にとって対象が与えられるふたつの領域とそこでの人間理性の働きをあつかう『可感界と可想界の形式と原理』(1770)が書かれる。この時点で後年の『純粋理性批判』(1781)の基本的な構想はすでに現れていたが、それが一冊の本にまとまるまでには長い年月を要することになる。
「批判 Kritik」とは、理性・悟性・感性・判断力からなる人間の認識能力の限界と能力を確定し、それぞれに相応しい役割を規定する企てである(「批判」という意味の英単語"critic"の由来となったギリシア語の"krino"は、良い物を選別(=吟味)するという意味)。『純理』においては、人間の認識が感性と悟性の協働によってのみ可能であり、経験的認識において純粋理性は統制的使用のみにその使用が制限される一方、『実践理性批判』では、それと同一の純粋理性が人間の道徳性の根幹をなす能力を持ち、そこにこそ理性の可能性が秘められているということが明らかにされる。また、『判断力批判』では経験(現象界)と理念(叡智界)を媒介する能力として判断力が研究され、第一部では美感的判断力、第二部では目的論的判断力の原理が論じられる。
カントによれば、人間の認識能力は感性と悟性の二つの源泉からなる。感性は直観する能力であり、悟性は思考する能力であるが、それぞれに純粋な形式(直観の形式は空間と時間、思考の形式は12 の純粋悟性概念(カテゴリー、すなわち範疇とも称する))がある。純粋悟性概念は時間限定たる図式(schema)によってのみ感性と関係する。
我々はこの二つの認識源泉の協働によってのみ対象を認識し得る。したがって我々に「直観」として与えられ得ない理性概念は、我々の認識の対象ではあり得ない。理性推理による理念はいわば絶対者にまで拡張された純粋悟性概念である。神あるいは超越者がその代表例であり、これをカントは物自体(Ding[e] an sich selbst)と呼ぶ。
いわゆる二律背反においては定立の側では完全な系列には無制約者が含まれると主張される。これに対し、反定立の側では制約が時間において与えられた系列には被制約者のみが含まれると主張される。このような対立の解決は統制的ではあっても構成的ではない理念に客観的実在性を付与する超越論的すりかえを避けることを必要とする。理念は与えられた現象の制約系列において無制約者に到達することを求めるが、しかし、到達して停滞することは許さない規則である。
なお、『プロレゴメナ』によれば、純粋悟性概念はいわば現象を経験として読み得るように文字にあらわすことに役立つもので、もしも、物自体に関係させられるべきものならば無意義となる。また、経験に先行しこれを可能にする超越論的(transzendental)という概念はかりに上記の概念の使用が経験を超えるならば超越的(transzendent)と呼ばれ、内在的(immanent)すなわち経験内に限られた使用から区別される。
理性概念が(直観を欠くために)理論的には認識されえず、単に思惟の対象にすぎないことが『純粋理性批判』において指摘されたが、これら理性理念と理性がかかわる別の方法が『実践理性批判』において考察されている。『実践理性批判』は、純粋実践理性が存在すること、つまり純粋理性がそれだけで実践的であること、すなわち純粋理性が他のいかなる規定根拠からも独立にそれだけで充分に意志を規定しうることを示すことを目標としている。
カント道徳論の基礎であるこの書において、人間は現象界に属するだけでなく叡智界にも属する人格としても考えられ、現象界を支配する自然の因果性だけでなく、物自体の秩序である叡智界における因果性の法則にも従うべきことが論じられる。カントは、その物自体の叡智的秩序を支配する法則を、人格としての人間が従うべき道徳法則として提出する。
道徳法則は「なんじの意志の格律がつねに同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ(Handle so, daß die Maxime deines Willens jederzeit zugleich als Prinzip einer allgemeinen Gesetzgebung gelten könne.)」という定言命法として定式化される。
カントは純粋理性によって見出されるこの法則に自ら従うこと(意志の自律)において純粋理性が実践的に客観的に実在的であることを主張し、そこから自由の理念もまた実践的に客観的実在性をもちうると論じた。道徳法則に人間が従うことができるということが、叡智界にも属する存在者としての人間が自然的原因以外の別の原因を持ちうる、すなわち自由であるということを示すからである。
また、神・不死の理念は、有徳さに比例した幸福(すなわち最高善)の実現の条件として要請される。
最後にカントは狭義の理性ではないが、人間の認識能力のひとつ判断力について考察を加え、その一種である反省的判断力を「現実をあるカテゴリーの下に包摂する能力」と定式化し、これを美的(直感的)判断力と目的論的判断力の二種に分けて考察を加えた。これが『判断力批判』である。この書は、その後展開される実践論、美学などの基礎として評価されている。またハンナ・アーレント以降、『判断力批判』を政治哲学として読む読み方が提示され、現代哲学においてカントの占める位置は極めて重要であるといえよう。
批判期以降のカント(後批判期)は、ふたたび宗教・倫理学への関心を増した。とくにフランス革命にカントは重大な衝撃を受け、関心をもってその推移を見守っていた。後期著作の道徳論や人間論にはその知見が投影されている。その道徳論は義務論倫理として現在の二大規範倫理学の一方をなしている。
カントは人類の歴史を、人間が己の自然的素質を実現するプロセスとして捉える。人間にとっての自然的素質とは、本能ではなく理性によって幸福や完璧さを目指すことである。
カントの法哲学・政治哲学の最も体系的な著作は『人倫の形而上学』「第一部・法論の形而上学的定礎」(1797)である。『人倫の形而上学』においては人倫の領域中、法と徳が区別され、法は法則と外的行為の一致として定義され、内面の動機と法則との一致は度外視される。「法論」はいわゆる自然法学の系譜に連なるものであり、自然状態における私法と市民状態における公法の二部門から成り立っている。自然法は理性によってア・プリオリに認識されるものであり、自然法が前提とされなければ実定法の権威は打ち立てられない。「法の普遍的原理」は「どのような行為も、その行為が、もしくはその行為の格率にしたがった各人の選択意志の自由が、万人の自由と普遍的法則にしたがって両立することができるならば、正しい」というものである。この原理にしたがって、各人には生得的な権利として、他者の選択意志の強要からの独立という意味での自由が認められる。生得的自由権が内的権利(内的な私のもの)と呼ばれるのに対し、取得を通じて獲得される権利が外的権利(外的な私のもの)と呼ばれ、「法論」の第一部「私法」では物権・債権・物権的債権という権利が論じられている。
カントの議論において特徴的なのは、ホッブズやプーフェンドルフ、ロックらと違って、自然状態を経験的な人間本性の観察から導かず、むしろア・プリオリな理念として考察したところにある。単に国家が存在しない状態における人間相互の関係性を考察し、そこにおける法のあり方を捉えたのだ。その結果、自然状態はア・プリオリに非・法的な状態として記述されることになり、そこからの脱出が義務化される。
「経験から我々は、人間の暴力という格率を知り、そして外的な権力を持つ立法が現れる前には互いに争い合うものだという人間の悪性を知るが、しかしそうした経験があるから、それゆえそうした事実があるから、公的な法則による強制が必然的になるというわけではない。むしろお望み通り人間が善なるもので、法を愛するものだと考えるとしても、次のことはこうした(非・法的な)状態という理性理念の中にア・プリオリに含まれている。すなわち、公的な法則が存在する状態に達する前には、結合した人間や諸国民や諸国家は、決して互いの暴力から安全ではありえず、しかもこれは、自分にとって正しくまた良いと思われることをし、他人の意見に左右されないという各人固有の権利から生じる、ということである」。
自然状態の脱出後に設立されるべき国家は、まさに自然状態のこうした不正を解消するような国家でなければならない。カントはそうした国家がどのようなものであるかを、一切の経験に依存せずに論じている。カントの国家論はこうして理性からア・プリオリに導かれた「理念の国家(Staat in der Idee)」、言い換えれば国家の「規範(Richtschnur, norma)」の役割を果たす。政体論としては、市民が立法権を持ち、立法権・執行権・裁判権が分離した「共和制 Republik」が規範的に優位なものとして展開される。このような理念の国家が可能であるとすれば、それにもやはり起源を考えることができる。カントの社会契約論においては、現実の国家の設立の起源ではなく、純粋に仮説的に考えられた理性起源が問題となっている。カントは社会契約を「根源的契約(ursprünglicher Kontrakt)」と呼ぶが、それは「本来、国家の理念であり、これを基準にしてのみ、国家の適法性を考えうることができる」。
国内の法規範を司る国法に対し、カントはさらに国家間を司る国際法、国家とそれに属さない人々の関係を司る世界市民法を「法論」の中で論じている。人々の間の自然状態が国家設立によって解消されるのと同様に、国家間の自然状態も解消されるべき課題だが、カントはドメスティック・アナロジーに必ずしも従っていない。すなわち、諸国家間において主権を持った世界大の一つの国家を設立することは規範的に否定される。むしろカントは自由な国家の連合を推奨し、それが国際連盟結成のための思想的基盤を用意したとしばしば考えられている。『永遠平和のために』では、当時の中国や江戸日本の鎖国政策が、世界市民法の観点から評価されている。
カントは宗教を、道徳の基礎の上に成り立つべきものであるとしている。神は、幸福と徳の一致である「最高善」を可能にするために要請される。この思想は理性宗教の立場であるが、啓示宗教を排除しようというものではない。
カントはヴォルテールなどと同様に反ユダヤ主義の思想を持っていたことでも知られている。カントは『たんなる理性の限界内の宗教について』において、「ユダヤ教は全人類をその共同体から締め出し、自分たちだけがイェホヴァーに選ばれた民だとして、他のすべての民を敵視したし、その見返りに他のいかなる民からも敵視されたのである」と、ユダヤ教の選民思想について批判している。
また晩年の「実用的見地における人間学」においては、ユダヤ人は「追放以来身につけた高利貸し精神のせいで、彼らのほとんど大部分がそうなのだが、欺瞞的だという、根拠がなくもない世評を被ってきた」として、ユダヤ人は保護を受けている国に対してその国の国民を欺いたり、また自分たち同士をさえ欺いて利益を得ていると非難している。
またカントは『諸学部の争い』で、ユダヤ人がキリスト教を公に受け入れれば、ユダヤ教とキリスト教の区別を消滅させることができて、ユダヤ教は安楽死できると述べている。
カントはメンデルスゾーンなどユダヤ人哲学者と交流していたが、このようにユダヤ教とユダヤ人を否定的に理解していた。オットー・ヴァイニンガーはカントの『人間学』の一節を「世界文学のなかでもっとも反ユダヤ的なテクスト」であると批判している。レオン・ポリアコフはカントは人種差別主義的というより、キリスト教的な反ユダヤ主義であったと論じている。
カントは、哲学には、「わたしは何を知ることができるか」(Was kann ich wissen?)、「わたしは何をなすべきか」(Was soll ich tun?)、「わたしは何を望むことが許されるか」(Was darf ich hoffen?)、「人間とは何か」(Was ist der Mensch?)という4つの問題に対応する4つの分野があるとした上で、最後の問題について研究する学を「人間学」であるとした。高坂正顕は、カント哲学の全体を人間学の大系であるとしている。
カントはケーニヒスベルク大学で1765年から自然地理学の講義を担当し、地理学に科学的地位を与えた。カントは地理学と歴史学の違いを場所的記述を行うのが地理学で、時間的記述を行うのが歴史学であるとした。この見解は後世の地理学者の常識となった。
また、「道徳地理学」(Die moralische Geographie)の講義では、日本とラップランドで親殺しをした子に対する刑罰が異なる、具体的には日本では子の家族もろとも極刑に処されるが、ラップランドでは働けなくなった父を殺すことは母が子を扶養するならば許される、という事例を用いて、地理的環境が異なれば倫理や道徳も異なると説いた。
カントは現代の国際的な自由主義の発展に多大な貢献をしたことでも知られているが、他方で近年は、カントの人種理論(人種学)には白人至上主義などの問題点を指摘されており、科学的人種主義の父祖の一人とみなされている。
カントは1764年の『美と崇高との感情性に関する観察』において、アフリカの黒人と白人種との差異は本質的な差異であると論じている。
ここでカントが引用したデイヴィッド・ヒュームは、奴隷制に反対していた一方で、黒人などの白人以外の文明化されていない人種は、白人種のような独創的な製品、芸術、科学を作り出せないと述べていた。
このほかに、カントはアラビア人については、東洋で最も高貴で「アジアのスペイン人」といってよいが、冒険的なものへ退化した感情を持っているとしたり、ペルシア人は典雅で繊細な趣味を持っており、「アジアのフランス人」といってよいと述べている。日本人は極度の強情にまで退化しており、沈着、勇敢、死の軽視といった点で「アジアのイギリス人」といってよいと述べている。インド人は宗教において異様な趣味を持っており、中国人は太古の無知の時代以来の風習を保持しており、畏怖すべき異様さを持つとする。続けてカントは東洋人は人倫的な美についての観念を持たないと論じる。
さらに、女性は隷属状態にあるという黒人の国についてカントは以下のように述べる。
カントはこのように人種を論じた上で、現在のヨーロッパ人によって「美と崇高の正しい趣味」が花開いたのであり、教育によって古い妄想から解放され、すべての世界市民 (コスモポリタン)の人倫的感情が高まることを望んでいると論じた。
カントはその後も人種について研究を続けて、1777年の「様々な人種について」では人間は共通の祖先を持つとした。ほかに1785年の「人種の概念の規定」など様々な論文を書いている。
他方で、カントは以下に引用するように1756年から1796年まで続けられたケーニヒスベルク大学での講義『自然地理学』において、明確に白色人種の卓越性を論じ続けた。
ここでは、最劣等にアメリカ原住民を置いており、必ずしも黒人だけを最劣等に置いていたわけではないが、白人種を最優とすることについては生涯変化することはなかった。
この他にもカントは、ニグロは生まれた時は白く、陰茎と臍の周囲だけが黒いが、火傷や病気によって白くなるし、熱帯地方に住むヨーロッパ人(白人)は多くの世代を重ねてもニグロにはならないと述べたり、肌の黒さの原因はその地域の熱暑であるとしている。
このようにカントは多くの著作で白人優位主義を述べており、そこにイデオロギー的な意図があったわけではないにせよ、カントは明確に白人優位主義を述べる人種主義者であり、人種差別的な限界があると指摘されている 。
カントの人種学の研究は、ナイジェリア出身でポストコロニアル哲学者のE.C.エゼや、セレクベルハン(Tsenay Serequeberhan)、Mark Larrimore、Robert Bernasconi、ジャマイカ出身の政治哲学者C.W.ミルズ等によって発展してきた。エゼは、カントの政治的人間学は、ヨーロッパ的自己を中心にして、他の非ヨーロッパ人種の人間性を否定するという特殊性を前提として成立する人間の植民地化であり、普遍主義的なヒューマノイド(疑似人間)を抽象化させることによって成り立っていると主張し、カント研究界をドラマティックに切断した。セレクベルハンは、カントは、近代ヨーロッパが他の人間よりも優越しているという理念またはウソを作り上げた最も重要な哲学者の一人であるとした。
他方で、カントの人種論に偏見はなく、到る所で白人の横暴をつき、黒人の肩を持っているという指摘や、カントは人種の文化的生活を文化的な進歩の議論 において捉えており、人種の差異は必ずしも重要な意味を帯びるものではないと指摘されてもいる。クラインゲルドは1790年代にカントは心をいれかえて、人種理論との矛盾が完全に解消されたわけではないが、人種間のヒエラルキーについての観念は後退したとしている。
カントは気象において、1756年4月にケーニヒスベルクで「風の理論の説明に対する新たな注解(Neue Anmerkungen zur Erlauterung der Theorie der Winde)」を発表した。これは、風に関して以下の5つの考えからなっていた 。
カントは、イギリスの気象学者ジョージ・ハドレーによる地球規模の風の考え方を発展させ、極向きの上層の流れが存在しているという結論に達し、この上層の風が地表風と接触するとき、さまざまな現象が起きると考えた 。これが大規模な風同士が接触して顕著な気象が起こることの初めての考えとなった。また、これら大気循環の原因に関する記述を含んだカントの自然地理学に関する教科書や講義ノートは19世紀になって出版され、広く使われた。カントの風に関する考えは、その後19世紀のドイツの気象学者・物理学者ハインリヒ・ドーフェが発展させ、イギリスのロバート・フィッツロイ提督が行ったイギリス気象局での気象予報の根拠の一つとなった。カントの気流同士の接触という考え方は、今日の気象学でいう前線という概念の元の一つとなった。
カントの両親は、彼をエマヌエル(Emanuel)と名づけたが、長じてカントはヘブライ語を知り、その知識からイマヌエル(Immanuel)とみずから改名した(「イマヌエル」עמנואלとはヘブライ語で「神は我らと共にあり」という意味である)。カントの容貌については、弟子の証言によると、青く小さな、しかし輝く瞳をもった小柄な人物であった。身体は骨格、筋力ともにやや貧弱。正装する時には服が身体から滑り落ちるのを防ぐため、いわゆる「留め具」が欠かせなかったという。身体の割に頭は若干大きめだった。体躯は貧弱であったものの、有名な規則正しい生活習慣など健康管理に心を配り、顔色も良く、最晩年まで大きな病気とは無縁であった。
カントは、規則で生徒たちを縛り上げる厳格な教育方針で知られたフリードリヒ学校に入学し、その教育方針を身をもって経験した。しかし、後に彼は、この学校の教育方針について批判を記した。啓蒙の哲学者カントの面目躍如と言える。
カントは生涯独身を通した。彼が哲学の道に入る契機となったニュートンも独身であったが、彼の場合は、仕事に忙殺され恋愛の暇がなかったと言われる。カントの場合は、女性と距離を置き、積極的な求婚をしなかったためだとされる。真相は不明で、カントもまた、ニュートンのように仕事に忙殺されていた可能性も否めない。
カントはケーニヒスベルク大学の哲学教授となったが、その授業の様子を、当時の弟子のひとりであるヘルダーが伝えている。ヘルダーによれば、カントの講義は精彩に富み魅力あるものであった。カントはいきいきと語る熱心な教師であった。カントが旺盛な知的好奇心を持ち、その話題が豊かであったことからも、教師としてのカントの姿が彷彿とされる。
カントは規則正しい生活習慣で知られた。早朝に起床し、少し研究した後、午前中は講義など大学の公務を行った。帰宅して、決まった道筋を決まった時間に散歩した。あまりに時間が正確なので、散歩の通り道にある家では、カントの姿を見て時計の狂いを直したと言われる。これは、カントの性格の一部でもあったようで、素行の悪さの故に従僕ランペを解雇したあと、新しい従僕になじめず、メモに「ランペは忘れ去られるべきである」と書き付けた。
ある日いつもの時間にカント先生が散歩に出てこないので、周囲の人々はなにかあったのかと騒ぎになった。実はその日、カントはジャン=ジャック・ルソーの「エミール」を読みふけってしまい、いつもの散歩を忘れてしまったのであった。カントはルソーに関し、『美と崇高の感情に関する観察』への『覚書』にて「わたしの誤りをルソーが正してくれた。目をくらます優越感は消えうせ、わたしは人間を尊敬することを学ぶ」と述べている。
規則正しい散歩の後、カントは、夕方から友人を集めて会食した。カントの論敵の一人であるヨハン・ゲオルク・ハーマンは、同時に親しい友人でもあり、しばしばこの食事会の客となった。カントは、ウィットに富む談話を好み、世界の最新情報にも通じ、その話題の広さには会食者も感嘆した。しかし、客が哲学の話題に触れると、露骨に嫌な顔をしたと言われる。
近くにいた人物の回想で、ヤハマン『カントの生涯』に、多くの逸話がある。
カントの著作の全集(クリティカル・エディション)として現在最も一般的なものは、王立プロイセン学術アカデミー編集版(Kant's gesammelte Schriften. Hg. von der Königlich Preußischen Akademie der Wissenschaften, Berlin: G. Reimer und de Gruyter, 1910-)である。同版をもとにボン大学が電子版を公開しており、ウェブ上で閲覧できる(https://korpora.zim.uni-duisburg-essen.de/Kant/)。邦訳版全集としては、理想社版(1965-)と岩波書店版(1999-)がある。 | [
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"text": "イマヌエル・カント(Immanuel Kant ドイツ語: [ɪˈmaːnu̯eːl ˈkant, -nu̯ɛl -]、当て字は「韓圖」、1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、プロイセン(ドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である。",
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"text": "『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらした。",
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"text": "イマヌエル・カントは1724年、東プロイセンの首都ケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)で馬具職人の第四子として生まれた。生涯のほとんどをその地で過ごしそこで没した。両親はルター派の敬虔主義を信仰していた。1732年、敬虔派宿泊施設であるフリードリヒ校に通学し始める。当校ではラテン語教育が重視されたほか、哲学は正規授業としてあり、ヴォルフ派の哲学が教えられていた。1740年にケーニヒスベルク大学に入学する。入学後次第にニュートンの活躍などで発展を遂げつつあった自然学に関心が向かい、哲学教授クヌッツェンの影響のもと、ライプニッツやニュートンの自然学を研究した。",
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"text": "1746年、父の死去にともない大学を去る。学資が続かなくなったのに加えて、最近の研究ではクヌッツェンにその独創性を認められなかったことも大学を去る動機になったと推定されている。この時に哲学部にドイツ語の卒業論文『活力測定考』(1749刊行)を提出している。卒業後の7年間はカントにとっては苦しい時期で、ケーニヒスベルク郊外の2、3の場所で家庭教師をして生計をたてていた。",
"title": "生涯[2]"
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"text": "1755年春、『天界の一般的自然史と理論』を刊行するが、印刷中に出版社が倒産したため、極少数のみが公刊された。この論文でカントは太陽系が星雲から生成されたと主張しており、この学説は1796年にラプラスが唱えた理論と似ていたため、19世紀にはカント・ラプラス理論と呼ばれた。4月にはケーニヒスベルク大学哲学部に哲学修士の学位取得のため、ラテン語論文『火について』を提出し、6月12日に修士学位を取得。9月27日、就職資格論文『形而上学的認識の第一原理の新解明』で公開討議をおこない擁護に成功。冬学期より、同大学の私講師として職業的哲学者の生活に入る。カントの哲学者としての道のりは、『純粋理性批判』出版の以前と以後に区分され、前批判期と批判期と区別される。",
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"text": "1756年、恩師クヌッツェンの逝去(1751)により欠員が出た論理学・形而上学教授職授の地位を得るため、『自然モナド論』を執筆。当時、正教授就任のためには少なくとも3つのラテン語論文を執筆し、公開討論審査で擁護しなければならなかった。4月10日に公開討論会がおこなわれ、擁護に成功する。しかし、プロイセン政府がオーストリアとの七年戦争を開始し、財政的理由のため欠員補充をしない方針を打ち出したため、教授就任の話は白紙となった。",
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"text": "1764年、『美と崇高との感情性に関する観察』出版。直後の自家用本の書き込みによれば、カントは「何も知らない下層民を軽蔑していた」が、「ルソーがその私を正してくれた」。「私は人間性を敬うことを学ぶ」とある。1765年、「1765-66年冬学期講義計画公告」のなかではじめて理性批判のアイデアが公にされる。また同年より始まったランベルトとの書簡の中では、自然哲学と実践哲学の形而上学的原理の構想が開陳され、自らの「あらゆる努力は、主として形而上学の本来的方法を、この方法を通じてまた全哲学の方法を目標としている」と述べられている。1766年には、批判期の到来を予感させる『形而上学の夢によって解明された視霊者の夢』を出版。同書では、スウェーデンの視霊者・神秘主義者スヴェーデンボリが起こしてみせたと主張する超常現象を紹介すると同時に、現在の形而上学の粗野な方法論と来るべき展望について語られている。",
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"text": "1766年にケーニヒスベルク王立図書館副司書官に就任し、また博物美術標本室監督も兼任していたカントだったが、1769年にエアランゲン大学の論理学・形而上学教授に招聘されるが固辞、また1770年にはイェナ大学から哲学教授職への就任を打診されているが、これも辞退、最終的に1770年3月、46歳の時に、ケーニヒスベルク大学の論理学・形而上学正教授に任命された。同年8月11日には正教授就任論文『可感界と可想界の形式と原理』が公開審査にかけられ、遅くとも9月には出版。同書は「この後十年あまりにわたる沈黙と模索の期間をへて公にされることになる『純粋理性批判』に直接間接につながってゆく重要な構想のめばえを多く含むものであり、これを契機に〔...〕人間理性の限界の学としての形而上学という構想は、たんなる漠然とした模索の段階を脱して、着実な実現の緒についたといっても過言ではない」。後にこの時代を振り返ったカントは、1769年に「大きな光」が与えられたと述べており、それは一般的に空間と時間の観念性の発見であると考えられている。",
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"text": "『純粋理性批判』が出版されるまでの十年近い間は、先述のように「沈黙と模索の期間」であった。しかしその間、カントが机の前で沈思黙考し続けたと考えるわけにはいかない。むしろ大学業務は多忙になっていったと言えるだろう。1772年からは人間学講義が開講され、1776年には哲学部長に就任、同年夏学期の授業時間は週16時間にのぼっている。1779年冬学期には二度目の学部長就任、1780年にはケーニヒスベルク大学評議会会員となっている。そして1781年、カントの主著『純粋理性批判』がハレのハルトクノッホ書店より出版されることになった(以下『純理』と略記)。",
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"text": "今でこそ『純理』は近代哲学の基礎と目されることも多いが、この書物がすぐに哲学界を驚愕させ、思考の地平を一変させたと考えることはできない。『純理』はすぐに上梓されたが、反響はほとんどなく、売上も芳しくなかった。同時代の哲学者ハーマンやメンデルスゾーンにはもっぱら不評だったと言われている。そのうえ、1782年に雑誌『ゲッティンゲン学報付録』に出た匿名書評ではカントの思想がバークリの観念論と同一視されてしまっていた。そのためカントは翌1783年に出版した『プロレゴーメナ』や『純理』第2版「観念論反駁」の中で、こうした嫌疑をはらさざるをえなかった。同時代人の第一印象では、カントはバークリやヒュームと同様の懐疑論者とみなされたのである。",
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"text": "批判哲学のプロジェクトは『純理』以降、自然学・実践哲学(道徳論・法論)・美学・歴史哲学・宗教へと多岐にわたって展開される。とりわけ『純理』と『実践理性批判』(1788)、『判断力批判』(1790)を合わせた三つの書物は、慣例として「三批判書」と総称され、それぞれ『第一批判』、『第二批判』、『第三批判』と称されることもある。自然学分野は『自然科学の形而上学的原理』(1786)や『判断力批判』第二部の中で展開され、実践哲学は『人倫の形而上学の基礎づけ』(1785)や『実践理性批判』(1788)、『人倫の形而上学』(1797)が主著となっている。美学については、同時代のバウムガルテンの影響を受けつつ大きく議論を展開させた『判断力批判』第一部が読まれなければならない。",
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"text": "批判期以降、カントは様々な論争に巻き込まれ、また自ら論争に介入していった。特に論争の場として重要だったのは、1783年にゲディケとビースターによって創刊された雑誌『ベルリン月報』である。カントは十数本の論文を『ベルリン月報』に掲載しているが、そのなかには「敢えて賢かれ、自らの悟性を用いる勇気を持て」という言葉が有名な小論「啓蒙とはなにか」(1784)も含まれている。この問いかけもまた、論争の産物だと言ってよい。同時期のプロイセンではフリードリヒ大王のもと、「啓蒙」の有用性とその限界が議論されていたからである。また、1785年にはヘルダーの『人類史の哲学の理念』(1784-91)をめぐって、カントはヘルダーと論争を繰り広げている。他にも、スピノザ主義をめぐってレッシングやヤコービ、メンデルスゾーンらが繰り広げた汎神論論争に加わってもいる(「思考の方向を定めるとはどういうことか」(1786))。",
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"text": "1786年、カントは3月にケーニヒスベルク大学総長に就任した。同年8月にはフリードリヒ大王が崩御し、代わってフリードリヒ・ヴィルヘルム二世が即位する。前代が啓蒙君主と呼ばれるほどフランス啓蒙哲学に通じ、自らの宮殿にヴォルテールやラ・メトリを呼び寄せたほどだったのに対し、この新しい君主は守旧的であり、宗教神秘主義にも傾倒していた。1788年には宗教・文教行政を担っていた法務大臣ヴェルナーが宗教検閲を発布し、1792年にはカントが『ベルリン月報』に発表した「人間の本性における根源悪について」が検閲に引っかかってしまった。この論文は検閲を通過したものの、次の「人間の支配をめぐる善現理と悪原理の戦いについて」は出版不許可の決定を受けた。両論文は1793年には『単なる理性の限界内における宗教』として発表されるが、1794年にはカントの宗教論が有害だという勅令が出され、カントは宗教・神学に関する講述を禁じられてしまう。",
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"text": "カントはこうした検閲や勅令に粛々と従っていたが、他方で1789年に勃発したフランス革命については、それがジャコバン独裁を経て過激化していった時代にもなおそれを称賛していた。国際政治情勢が激動する時代にあって、カントはそれに呼応するかのように、「理論では正しいかもしれないが実践の役には立たないという俗言について」(1793)や『永遠平和のために』(1795)、『人倫の形而上学』「第一部・法論の形而上学的定礎」などで共和制と国際連合について論じた。",
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"text": "カントは晩年、身体の衰弱に加えて思考力の衰えを感じつつも、自然科学の形而上学的原理から物理学への移行という課題に取り組みつづけた。この課題は完成されなかったが、一連の草稿は『オプス・ポストゥムム』として知られている。今で言う老年性認知症が進行する中、1804年2月12日にカントは逝去した。最後の言葉は、ワインを水で薄め砂糖を混ぜたものを口にしたときに発したという「これでよい(Es ist Gut)」であったと伝えられている。2月28日、大学墓地に埋葬される。カントは簡素な葬儀を望んだが、葬儀は二週間以上にわたって続き、多くの参列者が死を悼んだ。",
"title": "生涯[2]"
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"text": "一般にカントの思想はその3つの批判の書(『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』)にちなんで批判哲学と呼ばれる。ただ、カントが批判(Kritik)ということで企図していたのは、真の哲学のための準備・予備学であった。批判哲学が完成し、人間の理性能力の限界が確定された上ではじめて、真の形而上学としての哲学が築かれるべきだからである。",
"title": "思想"
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"text": "カントの思想は前批判期と批判期以後に大別される。前者は、『純理』刊行(1781)前、初期の自然哲学論考から就職論文『可感界と可想界の形式と原理』(1770)までを指す場合が多い(ただし、カントの批判哲学の着想の時期がいつだったのかについては、論争がある)。後者は、『純理』刊行以降、三批判書を含む著作以降を指す。",
"title": "思想"
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"text": "初期のカントの関心は自然哲学にむかった。特にニュートンの自然哲学に彼は関心をもち、『引力斥力論』などニュートンの力学(ニュートン力学)や天文学を受容した上でそれを乗り越えようとする論文を書いた。自然哲学においてはことに星雲による太陽系成立について関心を示した(星雲説)。そこでは銀河系が多くの恒星が重力により集まった円盤状の天体であると正しく推論している。また1755年のリスボン大地震から受けた衝撃で、地震の発生メカニズムに関する論文を書いている。そのメカニズム自体はその後誤りとされたが、地震を超自然によるものではなく自然によるものと仮定して考える先駆的な試みと考えられている。",
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"text": "一方で、カントはイギリス経験論を受容し、ことにヒュームの懐疑主義に強い衝撃を受けた。カントは自ら「独断論のまどろみ」と呼んだライプニッツ=ヴォルフ学派の形而上学の影響を脱し、それを経験にもとづかない「形而上学者の夢」とみなすようになる(『視霊者の夢』)。自然科学と幾何学の研究に支えられた経験の重視と、そのような経験が知性の営みとして可能になる構造そのものの探求がなされていく。また、カントはルソーの著作を読み、その肯定的な人間観に影響を受けた。これは彼の道徳哲学や人間論に特に影響を与えた。",
"title": "思想"
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"text": "こうして、知性にとって対象が与えられるふたつの領域とそこでの人間理性の働きをあつかう『可感界と可想界の形式と原理』(1770)が書かれる。この時点で後年の『純粋理性批判』(1781)の基本的な構想はすでに現れていたが、それが一冊の本にまとまるまでには長い年月を要することになる。",
"title": "思想"
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"text": "「批判 Kritik」とは、理性・悟性・感性・判断力からなる人間の認識能力の限界と能力を確定し、それぞれに相応しい役割を規定する企てである(「批判」という意味の英単語\"critic\"の由来となったギリシア語の\"krino\"は、良い物を選別(=吟味)するという意味)。『純理』においては、人間の認識が感性と悟性の協働によってのみ可能であり、経験的認識において純粋理性は統制的使用のみにその使用が制限される一方、『実践理性批判』では、それと同一の純粋理性が人間の道徳性の根幹をなす能力を持ち、そこにこそ理性の可能性が秘められているということが明らかにされる。また、『判断力批判』では経験(現象界)と理念(叡智界)を媒介する能力として判断力が研究され、第一部では美感的判断力、第二部では目的論的判断力の原理が論じられる。",
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"text": "カントによれば、人間の認識能力は感性と悟性の二つの源泉からなる。感性は直観する能力であり、悟性は思考する能力であるが、それぞれに純粋な形式(直観の形式は空間と時間、思考の形式は12 の純粋悟性概念(カテゴリー、すなわち範疇とも称する))がある。純粋悟性概念は時間限定たる図式(schema)によってのみ感性と関係する。",
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"text": "我々はこの二つの認識源泉の協働によってのみ対象を認識し得る。したがって我々に「直観」として与えられ得ない理性概念は、我々の認識の対象ではあり得ない。理性推理による理念はいわば絶対者にまで拡張された純粋悟性概念である。神あるいは超越者がその代表例であり、これをカントは物自体(Ding[e] an sich selbst)と呼ぶ。",
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"text": "いわゆる二律背反においては定立の側では完全な系列には無制約者が含まれると主張される。これに対し、反定立の側では制約が時間において与えられた系列には被制約者のみが含まれると主張される。このような対立の解決は統制的ではあっても構成的ではない理念に客観的実在性を付与する超越論的すりかえを避けることを必要とする。理念は与えられた現象の制約系列において無制約者に到達することを求めるが、しかし、到達して停滞することは許さない規則である。",
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"text": "なお、『プロレゴメナ』によれば、純粋悟性概念はいわば現象を経験として読み得るように文字にあらわすことに役立つもので、もしも、物自体に関係させられるべきものならば無意義となる。また、経験に先行しこれを可能にする超越論的(transzendental)という概念はかりに上記の概念の使用が経験を超えるならば超越的(transzendent)と呼ばれ、内在的(immanent)すなわち経験内に限られた使用から区別される。",
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"text": "理性概念が(直観を欠くために)理論的には認識されえず、単に思惟の対象にすぎないことが『純粋理性批判』において指摘されたが、これら理性理念と理性がかかわる別の方法が『実践理性批判』において考察されている。『実践理性批判』は、純粋実践理性が存在すること、つまり純粋理性がそれだけで実践的であること、すなわち純粋理性が他のいかなる規定根拠からも独立にそれだけで充分に意志を規定しうることを示すことを目標としている。",
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"text": "カント道徳論の基礎であるこの書において、人間は現象界に属するだけでなく叡智界にも属する人格としても考えられ、現象界を支配する自然の因果性だけでなく、物自体の秩序である叡智界における因果性の法則にも従うべきことが論じられる。カントは、その物自体の叡智的秩序を支配する法則を、人格としての人間が従うべき道徳法則として提出する。",
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"text": "道徳法則は「なんじの意志の格律がつねに同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ(Handle so, daß die Maxime deines Willens jederzeit zugleich als Prinzip einer allgemeinen Gesetzgebung gelten könne.)」という定言命法として定式化される。",
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"text": "カントは純粋理性によって見出されるこの法則に自ら従うこと(意志の自律)において純粋理性が実践的に客観的に実在的であることを主張し、そこから自由の理念もまた実践的に客観的実在性をもちうると論じた。道徳法則に人間が従うことができるということが、叡智界にも属する存在者としての人間が自然的原因以外の別の原因を持ちうる、すなわち自由であるということを示すからである。",
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"text": "また、神・不死の理念は、有徳さに比例した幸福(すなわち最高善)の実現の条件として要請される。",
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"text": "最後にカントは狭義の理性ではないが、人間の認識能力のひとつ判断力について考察を加え、その一種である反省的判断力を「現実をあるカテゴリーの下に包摂する能力」と定式化し、これを美的(直感的)判断力と目的論的判断力の二種に分けて考察を加えた。これが『判断力批判』である。この書は、その後展開される実践論、美学などの基礎として評価されている。またハンナ・アーレント以降、『判断力批判』を政治哲学として読む読み方が提示され、現代哲学においてカントの占める位置は極めて重要であるといえよう。",
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"text": "批判期以降のカント(後批判期)は、ふたたび宗教・倫理学への関心を増した。とくにフランス革命にカントは重大な衝撃を受け、関心をもってその推移を見守っていた。後期著作の道徳論や人間論にはその知見が投影されている。その道徳論は義務論倫理として現在の二大規範倫理学の一方をなしている。",
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"text": "カントは人類の歴史を、人間が己の自然的素質を実現するプロセスとして捉える。人間にとっての自然的素質とは、本能ではなく理性によって幸福や完璧さを目指すことである。",
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"paragraph_id": 33,
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"text": "カントの法哲学・政治哲学の最も体系的な著作は『人倫の形而上学』「第一部・法論の形而上学的定礎」(1797)である。『人倫の形而上学』においては人倫の領域中、法と徳が区別され、法は法則と外的行為の一致として定義され、内面の動機と法則との一致は度外視される。「法論」はいわゆる自然法学の系譜に連なるものであり、自然状態における私法と市民状態における公法の二部門から成り立っている。自然法は理性によってア・プリオリに認識されるものであり、自然法が前提とされなければ実定法の権威は打ち立てられない。「法の普遍的原理」は「どのような行為も、その行為が、もしくはその行為の格率にしたがった各人の選択意志の自由が、万人の自由と普遍的法則にしたがって両立することができるならば、正しい」というものである。この原理にしたがって、各人には生得的な権利として、他者の選択意志の強要からの独立という意味での自由が認められる。生得的自由権が内的権利(内的な私のもの)と呼ばれるのに対し、取得を通じて獲得される権利が外的権利(外的な私のもの)と呼ばれ、「法論」の第一部「私法」では物権・債権・物権的債権という権利が論じられている。",
"title": "思想"
},
{
"paragraph_id": 34,
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"text": "カントの議論において特徴的なのは、ホッブズやプーフェンドルフ、ロックらと違って、自然状態を経験的な人間本性の観察から導かず、むしろア・プリオリな理念として考察したところにある。単に国家が存在しない状態における人間相互の関係性を考察し、そこにおける法のあり方を捉えたのだ。その結果、自然状態はア・プリオリに非・法的な状態として記述されることになり、そこからの脱出が義務化される。",
"title": "思想"
},
{
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"text": "「経験から我々は、人間の暴力という格率を知り、そして外的な権力を持つ立法が現れる前には互いに争い合うものだという人間の悪性を知るが、しかしそうした経験があるから、それゆえそうした事実があるから、公的な法則による強制が必然的になるというわけではない。むしろお望み通り人間が善なるもので、法を愛するものだと考えるとしても、次のことはこうした(非・法的な)状態という理性理念の中にア・プリオリに含まれている。すなわち、公的な法則が存在する状態に達する前には、結合した人間や諸国民や諸国家は、決して互いの暴力から安全ではありえず、しかもこれは、自分にとって正しくまた良いと思われることをし、他人の意見に左右されないという各人固有の権利から生じる、ということである」。",
"title": "思想"
},
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"text": "自然状態の脱出後に設立されるべき国家は、まさに自然状態のこうした不正を解消するような国家でなければならない。カントはそうした国家がどのようなものであるかを、一切の経験に依存せずに論じている。カントの国家論はこうして理性からア・プリオリに導かれた「理念の国家(Staat in der Idee)」、言い換えれば国家の「規範(Richtschnur, norma)」の役割を果たす。政体論としては、市民が立法権を持ち、立法権・執行権・裁判権が分離した「共和制 Republik」が規範的に優位なものとして展開される。このような理念の国家が可能であるとすれば、それにもやはり起源を考えることができる。カントの社会契約論においては、現実の国家の設立の起源ではなく、純粋に仮説的に考えられた理性起源が問題となっている。カントは社会契約を「根源的契約(ursprünglicher Kontrakt)」と呼ぶが、それは「本来、国家の理念であり、これを基準にしてのみ、国家の適法性を考えうることができる」。",
"title": "思想"
},
{
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"text": "国内の法規範を司る国法に対し、カントはさらに国家間を司る国際法、国家とそれに属さない人々の関係を司る世界市民法を「法論」の中で論じている。人々の間の自然状態が国家設立によって解消されるのと同様に、国家間の自然状態も解消されるべき課題だが、カントはドメスティック・アナロジーに必ずしも従っていない。すなわち、諸国家間において主権を持った世界大の一つの国家を設立することは規範的に否定される。むしろカントは自由な国家の連合を推奨し、それが国際連盟結成のための思想的基盤を用意したとしばしば考えられている。『永遠平和のために』では、当時の中国や江戸日本の鎖国政策が、世界市民法の観点から評価されている。",
"title": "思想"
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"text": "カントは宗教を、道徳の基礎の上に成り立つべきものであるとしている。神は、幸福と徳の一致である「最高善」を可能にするために要請される。この思想は理性宗教の立場であるが、啓示宗教を排除しようというものではない。",
"title": "思想"
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"text": "カントはヴォルテールなどと同様に反ユダヤ主義の思想を持っていたことでも知られている。カントは『たんなる理性の限界内の宗教について』において、「ユダヤ教は全人類をその共同体から締め出し、自分たちだけがイェホヴァーに選ばれた民だとして、他のすべての民を敵視したし、その見返りに他のいかなる民からも敵視されたのである」と、ユダヤ教の選民思想について批判している。",
"title": "思想"
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"text": "また晩年の「実用的見地における人間学」においては、ユダヤ人は「追放以来身につけた高利貸し精神のせいで、彼らのほとんど大部分がそうなのだが、欺瞞的だという、根拠がなくもない世評を被ってきた」として、ユダヤ人は保護を受けている国に対してその国の国民を欺いたり、また自分たち同士をさえ欺いて利益を得ていると非難している。",
"title": "思想"
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"text": "またカントは『諸学部の争い』で、ユダヤ人がキリスト教を公に受け入れれば、ユダヤ教とキリスト教の区別を消滅させることができて、ユダヤ教は安楽死できると述べている。",
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"text": "カントはメンデルスゾーンなどユダヤ人哲学者と交流していたが、このようにユダヤ教とユダヤ人を否定的に理解していた。オットー・ヴァイニンガーはカントの『人間学』の一節を「世界文学のなかでもっとも反ユダヤ的なテクスト」であると批判している。レオン・ポリアコフはカントは人種差別主義的というより、キリスト教的な反ユダヤ主義であったと論じている。",
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"text": "カントは、哲学には、「わたしは何を知ることができるか」(Was kann ich wissen?)、「わたしは何をなすべきか」(Was soll ich tun?)、「わたしは何を望むことが許されるか」(Was darf ich hoffen?)、「人間とは何か」(Was ist der Mensch?)という4つの問題に対応する4つの分野があるとした上で、最後の問題について研究する学を「人間学」であるとした。高坂正顕は、カント哲学の全体を人間学の大系であるとしている。",
"title": "思想"
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"paragraph_id": 44,
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"text": "カントはケーニヒスベルク大学で1765年から自然地理学の講義を担当し、地理学に科学的地位を与えた。カントは地理学と歴史学の違いを場所的記述を行うのが地理学で、時間的記述を行うのが歴史学であるとした。この見解は後世の地理学者の常識となった。",
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"text": "また、「道徳地理学」(Die moralische Geographie)の講義では、日本とラップランドで親殺しをした子に対する刑罰が異なる、具体的には日本では子の家族もろとも極刑に処されるが、ラップランドでは働けなくなった父を殺すことは母が子を扶養するならば許される、という事例を用いて、地理的環境が異なれば倫理や道徳も異なると説いた。",
"title": "思想"
},
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"paragraph_id": 46,
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"text": "カントは現代の国際的な自由主義の発展に多大な貢献をしたことでも知られているが、他方で近年は、カントの人種理論(人種学)には白人至上主義などの問題点を指摘されており、科学的人種主義の父祖の一人とみなされている。",
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{
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"text": "カントは1764年の『美と崇高との感情性に関する観察』において、アフリカの黒人と白人種との差異は本質的な差異であると論じている。",
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"text": "ここでカントが引用したデイヴィッド・ヒュームは、奴隷制に反対していた一方で、黒人などの白人以外の文明化されていない人種は、白人種のような独創的な製品、芸術、科学を作り出せないと述べていた。",
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"paragraph_id": 49,
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"text": "このほかに、カントはアラビア人については、東洋で最も高貴で「アジアのスペイン人」といってよいが、冒険的なものへ退化した感情を持っているとしたり、ペルシア人は典雅で繊細な趣味を持っており、「アジアのフランス人」といってよいと述べている。日本人は極度の強情にまで退化しており、沈着、勇敢、死の軽視といった点で「アジアのイギリス人」といってよいと述べている。インド人は宗教において異様な趣味を持っており、中国人は太古の無知の時代以来の風習を保持しており、畏怖すべき異様さを持つとする。続けてカントは東洋人は人倫的な美についての観念を持たないと論じる。",
"title": "思想"
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"text": "さらに、女性は隷属状態にあるという黒人の国についてカントは以下のように述べる。",
"title": "思想"
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{
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"text": "カントはこのように人種を論じた上で、現在のヨーロッパ人によって「美と崇高の正しい趣味」が花開いたのであり、教育によって古い妄想から解放され、すべての世界市民 (コスモポリタン)の人倫的感情が高まることを望んでいると論じた。",
"title": "思想"
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{
"paragraph_id": 52,
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"text": "カントはその後も人種について研究を続けて、1777年の「様々な人種について」では人間は共通の祖先を持つとした。ほかに1785年の「人種の概念の規定」など様々な論文を書いている。",
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},
{
"paragraph_id": 53,
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"text": "他方で、カントは以下に引用するように1756年から1796年まで続けられたケーニヒスベルク大学での講義『自然地理学』において、明確に白色人種の卓越性を論じ続けた。",
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},
{
"paragraph_id": 54,
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"text": "ここでは、最劣等にアメリカ原住民を置いており、必ずしも黒人だけを最劣等に置いていたわけではないが、白人種を最優とすることについては生涯変化することはなかった。",
"title": "思想"
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"paragraph_id": 55,
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"text": "この他にもカントは、ニグロは生まれた時は白く、陰茎と臍の周囲だけが黒いが、火傷や病気によって白くなるし、熱帯地方に住むヨーロッパ人(白人)は多くの世代を重ねてもニグロにはならないと述べたり、肌の黒さの原因はその地域の熱暑であるとしている。",
"title": "思想"
},
{
"paragraph_id": 56,
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"text": "このようにカントは多くの著作で白人優位主義を述べており、そこにイデオロギー的な意図があったわけではないにせよ、カントは明確に白人優位主義を述べる人種主義者であり、人種差別的な限界があると指摘されている 。",
"title": "思想"
},
{
"paragraph_id": 57,
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"text": "カントの人種学の研究は、ナイジェリア出身でポストコロニアル哲学者のE.C.エゼや、セレクベルハン(Tsenay Serequeberhan)、Mark Larrimore、Robert Bernasconi、ジャマイカ出身の政治哲学者C.W.ミルズ等によって発展してきた。エゼは、カントの政治的人間学は、ヨーロッパ的自己を中心にして、他の非ヨーロッパ人種の人間性を否定するという特殊性を前提として成立する人間の植民地化であり、普遍主義的なヒューマノイド(疑似人間)を抽象化させることによって成り立っていると主張し、カント研究界をドラマティックに切断した。セレクベルハンは、カントは、近代ヨーロッパが他の人間よりも優越しているという理念またはウソを作り上げた最も重要な哲学者の一人であるとした。",
"title": "思想"
},
{
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"text": "他方で、カントの人種論に偏見はなく、到る所で白人の横暴をつき、黒人の肩を持っているという指摘や、カントは人種の文化的生活を文化的な進歩の議論 において捉えており、人種の差異は必ずしも重要な意味を帯びるものではないと指摘されてもいる。クラインゲルドは1790年代にカントは心をいれかえて、人種理論との矛盾が完全に解消されたわけではないが、人種間のヒエラルキーについての観念は後退したとしている。",
"title": "思想"
},
{
"paragraph_id": 59,
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"text": "カントは気象において、1756年4月にケーニヒスベルクで「風の理論の説明に対する新たな注解(Neue Anmerkungen zur Erlauterung der Theorie der Winde)」を発表した。これは、風に関して以下の5つの考えからなっていた 。",
"title": "思想"
},
{
"paragraph_id": 60,
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"text": "カントは、イギリスの気象学者ジョージ・ハドレーによる地球規模の風の考え方を発展させ、極向きの上層の流れが存在しているという結論に達し、この上層の風が地表風と接触するとき、さまざまな現象が起きると考えた 。これが大規模な風同士が接触して顕著な気象が起こることの初めての考えとなった。また、これら大気循環の原因に関する記述を含んだカントの自然地理学に関する教科書や講義ノートは19世紀になって出版され、広く使われた。カントの風に関する考えは、その後19世紀のドイツの気象学者・物理学者ハインリヒ・ドーフェが発展させ、イギリスのロバート・フィッツロイ提督が行ったイギリス気象局での気象予報の根拠の一つとなった。カントの気流同士の接触という考え方は、今日の気象学でいう前線という概念の元の一つとなった。",
"title": "思想"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "カントの両親は、彼をエマヌエル(Emanuel)と名づけたが、長じてカントはヘブライ語を知り、その知識からイマヌエル(Immanuel)とみずから改名した(「イマヌエル」עמנואלとはヘブライ語で「神は我らと共にあり」という意味である)。カントの容貌については、弟子の証言によると、青く小さな、しかし輝く瞳をもった小柄な人物であった。身体は骨格、筋力ともにやや貧弱。正装する時には服が身体から滑り落ちるのを防ぐため、いわゆる「留め具」が欠かせなかったという。身体の割に頭は若干大きめだった。体躯は貧弱であったものの、有名な規則正しい生活習慣など健康管理に心を配り、顔色も良く、最晩年まで大きな病気とは無縁であった。",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 62,
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"text": "カントは、規則で生徒たちを縛り上げる厳格な教育方針で知られたフリードリヒ学校に入学し、その教育方針を身をもって経験した。しかし、後に彼は、この学校の教育方針について批判を記した。啓蒙の哲学者カントの面目躍如と言える。",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 63,
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"text": "カントは生涯独身を通した。彼が哲学の道に入る契機となったニュートンも独身であったが、彼の場合は、仕事に忙殺され恋愛の暇がなかったと言われる。カントの場合は、女性と距離を置き、積極的な求婚をしなかったためだとされる。真相は不明で、カントもまた、ニュートンのように仕事に忙殺されていた可能性も否めない。",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "カントはケーニヒスベルク大学の哲学教授となったが、その授業の様子を、当時の弟子のひとりであるヘルダーが伝えている。ヘルダーによれば、カントの講義は精彩に富み魅力あるものであった。カントはいきいきと語る熱心な教師であった。カントが旺盛な知的好奇心を持ち、その話題が豊かであったことからも、教師としてのカントの姿が彷彿とされる。",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "カントは規則正しい生活習慣で知られた。早朝に起床し、少し研究した後、午前中は講義など大学の公務を行った。帰宅して、決まった道筋を決まった時間に散歩した。あまりに時間が正確なので、散歩の通り道にある家では、カントの姿を見て時計の狂いを直したと言われる。これは、カントの性格の一部でもあったようで、素行の悪さの故に従僕ランペを解雇したあと、新しい従僕になじめず、メモに「ランペは忘れ去られるべきである」と書き付けた。",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "ある日いつもの時間にカント先生が散歩に出てこないので、周囲の人々はなにかあったのかと騒ぎになった。実はその日、カントはジャン=ジャック・ルソーの「エミール」を読みふけってしまい、いつもの散歩を忘れてしまったのであった。カントはルソーに関し、『美と崇高の感情に関する観察』への『覚書』にて「わたしの誤りをルソーが正してくれた。目をくらます優越感は消えうせ、わたしは人間を尊敬することを学ぶ」と述べている。",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "規則正しい散歩の後、カントは、夕方から友人を集めて会食した。カントの論敵の一人であるヨハン・ゲオルク・ハーマンは、同時に親しい友人でもあり、しばしばこの食事会の客となった。カントは、ウィットに富む談話を好み、世界の最新情報にも通じ、その話題の広さには会食者も感嘆した。しかし、客が哲学の話題に触れると、露骨に嫌な顔をしたと言われる。",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "近くにいた人物の回想で、ヤハマン『カントの生涯』に、多くの逸話がある。",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "カントの著作の全集(クリティカル・エディション)として現在最も一般的なものは、王立プロイセン学術アカデミー編集版(Kant's gesammelte Schriften. Hg. von der Königlich Preußischen Akademie der Wissenschaften, Berlin: G. Reimer und de Gruyter, 1910-)である。同版をもとにボン大学が電子版を公開しており、ウェブ上で閲覧できる(https://korpora.zim.uni-duisburg-essen.de/Kant/)。邦訳版全集としては、理想社版(1965-)と岩波書店版(1999-)がある。",
"title": "著作・論文・講義"
}
] | イマヌエル・カントは、プロイセン(ドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である。 『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらした。 | {{redirect|カント}}
{{Infobox 哲学者
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| era = [[18世紀の哲学]]、[[19世紀の哲学]]
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| image_caption = イマヌエル・カントの肖像
| name = イマヌエル・カント<br />Immanuel Kant
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| school_tradition= カント主義Kantianismus、[[啓蒙思想]]([[啓蒙時代]]の哲学)
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| influences = [[クリスティアン・ヴォルフ]]、[[アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン]]、[[プラトン]]、[[アリストテレス]]、[[セクストス・エンペイリコス]]、[[デイヴィッド・ヒューム]]、[[アダム・スミス]]、[[ルネ・デカルト]]、[[バールーフ・デ・スピノザ]]、[[ゴットフリート・ライプニッツ]]、[[マルティン・クヌッツェン]]、[[ジョン・ロック]]、[[ジャン=ジャック・ルソー]]、[[アイザック・ニュートン]]、[[ヨハン・ニコラウス・テーテンス]]、[[エマヌエル・スヴェーデンボリ]]、[[エウクレイデス]](ユークリッド)、[[エピクロス]]など
| influenced = 事実上、以降の[[西洋哲学]]全体に影響がある。とりわけ、[[新カント派]]、[[ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ]]、[[フリードリヒ・シェリング]]、[[フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ]]、[[ヤーコプ・ジギスムント・ベック]]、[[クリスチャン・ヤーコプ・クラウス]]、[[ザーロモン・マイモン]]、[[カール・レオンハルト・ラインホルト]]、[[フリードリヒ・シュレーゲル]]、[[アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル]]、[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル]]、[[アルトゥル・ショーペンハウアー]]、[[フリードリヒ・ニーチェ]]、[[チャールズ・サンダース・パース]]、[[エトムント・フッサール]]、[[マルティン・ハイデッガー]]、[[エルンスト・カッシーラー]]、[[ユルゲン・ハーバーマス]]、[[ジョン・ロールズ]]、[[ノーム・チョムスキー]]、[[ジャン・ピアジェ]]、[[セーレン・キェルケゴール]]、[[テオドール・アドルノ]]、[[ダフィット・ヒルベルト]]、[[ミシェル・フーコー]]、[[マックス・ヴェーバー]]、[[ピーター・フレデリック・ストローソン]]、[[レオ・シュトラウス]]、[[ジョン・マクダウェル]]、[[ゲオルク・ジンメル]]、[[ホセ・アスルメンディ]]、[[ポール・ガイヤー]]、{{仮リンク|Thomas Kaehao Seung|en|T. K. Seung}}、[[トマス・ポッゲ]]、[[牟宗三]]、[[ロバート・ノージック]]、[[村上春樹]]、[[柄谷行人]]など
| signature = Immanuel Kant signature.svg
| signature_alt =
| website = <!-- {{URL|example.com}} -->
}}
'''イマヌエル・カント'''(Immanuel Kant {{IPA-de|ɪˈmaːnu̯eːl ˈkant, -nu̯ɛl -|lang}}、当て字は「韓圖」<ref>{{Cite web|和書|title=井上円了『哲学要領 前編』哲学書院、1887年、96頁|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/752980/56|website=哲学要領. 前編|date=2022-01-30|accessdate=2022-01-30}}</ref>、[[1724年]][[4月22日]] - [[1804年]][[2月12日]])は、[[プロイセン王国|プロイセン]]([[ドイツ人|ドイツ]])の[[哲学者]]であり、[[アルベルトゥス大学ケーニヒスベルク|ケーニヒスベルク大学]]の[[哲学]][[教授]]である。
『[[純粋理性批判]]』、『[[実践理性批判]]』、『[[判断力批判]]』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、[[認識論]]における、いわゆる「[[コペルニクス的転回]]」をもたらした。
== 生涯<ref>以下は、Manfred Kuehn, ''Kant. A Biography''. Cambridge: Cambridge University Press, 2001. また菅沢龍文・小谷英生「カント年譜:物語風に」牧野英二編『新・カント読本』法政大学出版局、2018年、348-68頁を参考にしている(というかすべきである)。とりわけ「カント年譜」は簡便である。以下では煩雑を避けるため、引用以外は注として記さない。</ref>==
[[ファイル:Kant doerstling2.jpg|right|300px|"Immanuel Kant and Guests" Emil Doerstling (1892/93)]]
=== 前批判期 ===
イマヌエル・カントは1724年、[[東プロイセン]]の首都[[ケーニヒスベルク (プロイセン)|ケーニヒスベルク]](現ロシア領[[カリーニングラード]])で馬具職人の第四子として生まれた。生涯のほとんどをその地で過ごしそこで没した。両親は[[ルーテル教会|ルター派]]の[[敬虔主義]]を信仰していた。1732年、敬虔派宿泊施設であるフリードリヒ校に通学し始める。当校では[[ラテン語]]教育が重視されたほか、哲学は正規授業としてあり、[[クリスティアン・ヴォルフ|ヴォルフ]]派の哲学が教えられていた。1740年に[[アルベルトゥス大学ケーニヒスベルク|ケーニヒスベルク大学]]に入学する。入学後次第に[[アイザック・ニュートン|ニュートン]]の活躍などで発展を遂げつつあった[[自然哲学|自然学]]に関心が向かい、哲学教授[[:de:Martin_Knutzen|クヌッツェン]]の影響のもと、[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]やニュートンの自然学を研究した。
1746年、父の死去にともない大学を去る。学資が続かなくなったのに加えて、最近の研究ではクヌッツェンにその[[独創性]]を認められなかったことも大学を去る動機になったと推定されている。この時に哲学部に[[ドイツ語]]の卒業論文『活力測定考』(1749刊行)を提出している。卒業後の7年間はカントにとっては苦しい時期で、ケーニヒスベルク郊外の2、3の場所で家庭教師をして生計をたてていた。
1755年春、『天界の一般的自然史と理論』を刊行するが、印刷中に出版社が倒産したため、極少数のみが公刊された。この論文でカントは[[太陽系]]が[[星雲]]から生成されたと主張しており、この学説は1796年に[[ピエール=シモン・ラプラス|ラプラス]]が唱えた理論と似ていたため、19世紀には[[星雲説|カント・ラプラス理論]]と呼ばれた。4月にはケーニヒスベルク大学哲学部に哲学修士の学位取得のため、ラテン語論文『火について』を提出し、6月12日に修士学位を取得。9月27日、就職資格論文『形而上学的認識の第一原理の新解明』で公開討議をおこない擁護に成功。冬学期より、同大学の私講師として職業的哲学者の生活に入る。カントの哲学者としての道のりは、『純粋理性批判』出版の以前と以後に区分され、前批判期と批判期と区別される。
1756年、恩師クヌッツェンの逝去(1751)により欠員が出た[[論理学]]・[[形而上学]]教授職授の地位を得るため、『自然[[モナド (哲学)|モナド]]論』を執筆。当時、正教授就任のためには少なくとも3つのラテン語論文を執筆し、公開討論審査で擁護しなければならなかった。4月10日に公開討論会がおこなわれ、擁護に成功する。しかし、プロイセン政府が[[オーストリア]]との[[七年戦争]]を開始し、財政的理由のため欠員補充をしない方針を打ち出したため、教授就任の話は白紙となった。
1764年、『美と崇高との感情性に関する観察』出版。直後の自家用本の書き込みによれば、カントは「何も知らない下層民を軽蔑していた」が、「[[ジャン=ジャック・ルソー|ルソー]]がその私を正してくれた」。「私は人間性を敬うことを学ぶ」とある<ref name="名前なし-1">アカデミー版全集20:44。</ref>。1765年、「1765-66年冬学期講義計画公告」のなかではじめて理性批判のアイデアが公にされる。また同年より始まった[[ヨハン・ハインリヒ・ランベルト|ランベルト]]との書簡の中では、自然哲学と[[実践哲学]]の形而上学的原理の構想が開陳され、自らの「あらゆる努力は、主として形而上学の本来的方法を、この方法を通じてまた全哲学の方法を目標としている」と述べられている<ref>アカデミー版全集10:56。</ref>。1766年には、批判期の到来を予感させる『形而上学の夢によって解明された視霊者の夢』を出版。同書では、[[スウェーデン]]の[[霊視|視霊者]]・[[神秘主義]]者[[エマヌエル・スヴェーデンボリ|スヴェーデンボリ]]が起こしてみせたと主張する超常現象を紹介すると同時に、現在の形而上学の粗野な方法論と来るべき展望について語られている。
1766年にケーニヒスベルク王立図書館副司書官に就任し、また博物美術標本室監督も兼任していたカントだったが、1769年に[[エアランゲン]]大学の論理学・形而上学教授に招聘されるが固辞、また1770年には[[フリードリヒ・シラー大学イェーナ|イェナ大学]]から哲学教授職への就任を打診されているが、これも辞退、最終的に1770年3月、46歳の時に、ケーニヒスベルク大学の論理学・形而上学正教授に任命された。同年8月11日には正教授就任論文『[[現象界|可感界]]と可想界の形式と原理』が公開審査にかけられ、遅くとも9月には出版。同書は「この後十年あまりにわたる沈黙と模索の期間をへて公にされることになる『[[純粋理性批判]]』に直接間接につながってゆく重要な構想のめばえを多く含むものであり、これを契機に〔…〕人間理性の限界の学としての形而上学という構想は、たんなる漠然とした模索の段階を脱して、着実な実現の緒についたといっても過言ではない」<ref>坂部恵『カント』講談社学術文庫、2001年、152-3頁。</ref>。後にこの時代を振り返ったカントは、1769年に「大きな光」が与えられたと述べており<ref>アカデミー版全集18:69。</ref>、それは一般的に空間と時間の観念性の発見であると考えられている。
『純粋理性批判』が出版されるまでの十年近い間は、先述のように「沈黙と模索の期間」であった。しかしその間、カントが机の前で沈思黙考し続けたと考えるわけにはいかない。むしろ大学業務は多忙になっていったと言えるだろう。1772年からは[[人間学]]講義が開講され、1776年には哲学部長に就任、同年夏学期の授業時間は週16時間にのぼっている。1779年冬学期には二度目の学部長就任、1780年にはケーニヒスベルク大学評議会会員となっている。そして1781年、カントの主著『純粋理性批判』が[[ハレ (ザーレ)|ハレ]]のハルトクノッホ書店より出版されることになった(以下『純理』と略記)。
=== 批判期 ===
[[ファイル:Kant gemaelde 3.jpg|right|300px|"Immanuel Kant and Guests" Emil Doerstling (1892/93)]]
今でこそ『純理』は[[近世哲学|近代哲学]]の基礎と目されることも多いが、この書物がすぐに哲学界を驚愕させ、思考の地平を一変させたと考えることはできない。『純理』はすぐに上梓されたが、反響はほとんどなく、売上も芳しくなかった。同時代の哲学者[[ヨハン・ゲオルク・ハーマン|ハーマン]]や[[モーゼス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]にはもっぱら不評だったと言われている。そのうえ、1782年に雑誌『[[:de:Göttingische_Gelehrte_Anzeigen|ゲッティンゲン学報付録]]』に出た匿名書評ではカントの思想が[[ジョージ・バークリー|バークリ]]の[[観念論]]と同一視されてしまっていた<ref group="注釈">この書評は[[:de:Christian_Garve|クリスティアン・ガルヴェ]]の元原稿に[[:de:Johann_Georg_Heinrich_Feder|ヨハン・ゲオルク・ハインリッヒ・フェーダー]]が手を加えたものであり、「ゲッティンゲン書評」や「ガルヴェ・フェーダー書評」と呼ばれ、『純理』の受容過程を見るために重要である。同書評については、小谷英生「隠された友情 : 『ゲッティンゲン書評』をめぐるカント‐ガルヴェ往復書簡について」『群馬大学教育学部紀要:人文・社会科学編』第63号、2014年、55-68頁。</ref>。そのためカントは翌1783年に出版した『プロレゴーメナ』や『純理』第2版「観念論反駁」の中で、こうした嫌疑をはらさざるをえなかった。同時代人の第一印象では、カントはバークリや[[デイヴィッド・ヒューム|ヒューム]]と同様の[[懐疑主義|懐疑論]]者とみなされたのである。
批判哲学のプロジェクトは『純理』以降、自然学・実践哲学(道徳論・[[法論]])・[[美学]]・[[歴史哲学]]・宗教へと多岐にわたって展開される。とりわけ『純理』と『[[実践理性批判]]』(1788)、『[[判断力批判]]』(1790)を合わせた三つの書物は、慣例として「三批判書」と総称され、それぞれ『第一批判』、『第二批判』、『第三批判』と称されることもある。自然学分野は『自然科学の形而上学的原理』(1786)や『判断力批判』第二部の中で展開され、実践哲学は『人倫の形而上学の基礎づけ』(1785)や『実践理性批判』(1788)、『人倫の形而上学』(1797)が主著となっている。美学については、同時代の[[:de:Alexander_Gottlieb_Baumgarten|バウムガルテン]]の影響を受けつつ大きく議論を展開させた『判断力批判』第一部が読まれなければならない。
批判期以降、カントは様々な論争に巻き込まれ、また自ら論争に介入していった。特に論争の場として重要だったのは、1783年に[[:de:Friedrich_Gedike|ゲディケ]]と[[:de:Johann_Erich_Biester|ビースター]]によって創刊された雑誌『[[:de:Berlinische_Monatsschrift|ベルリン月報]]』である。カントは十数本の論文を『ベルリン月報』に掲載しているが、そのなかには「敢えて賢かれ、自らの悟性を用いる勇気を持て」<ref>アカデミー版全集8:35。</ref>という言葉が有名な小論「[[啓蒙思想|啓蒙]]とはなにか」(1784)も含まれている。この問いかけもまた、論争の産物だと言ってよい。同時期のプロイセンでは[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ大王]]のもと、「啓蒙」の有用性とその限界が議論されていたからである<ref group="注釈">「啓蒙とはなにか」という問いに対しては、メンデルスゾーンを含め、様々な著述家が解答を与えようとしていた。そうした議論のきっかけの一つとなったのは、フリードリヒ大王がベルリン王立アカデミーに出させたという懸賞課題であった。Hans Adler (Hg.), ''Nützt es dem Volke, betrogen zu werden? Est-il utile au Peuple d'être trompé?'' 2 Bände. Stuttgart: Frommann-Holzboog, 2007. </ref>。また、1785年には[[ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー|ヘルダー]]の『人類史の哲学の理念』(1784-91)をめぐって、カントはヘルダーと論争を繰り広げている。他にも、[[バールーフ・デ・スピノザ|スピノザ]]主義をめぐって[[ゴットホルト・エフライム・レッシング|レッシング]]や[[フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ|ヤコービ]]、メンデルスゾーンらが繰り広げた[[汎神論論争]]に加わってもいる(「思考の方向を定めるとはどういうことか」(1786))。
1786年、カントは3月にケーニヒスベルク大学総長に就任した。同年8月にはフリードリヒ大王が崩御し、代わって[[フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム二世]]が即位する。前代が啓蒙君主と呼ばれるほどフランス啓蒙哲学に通じ、[[サンスーシ宮殿|自らの宮殿]]に[[ヴォルテール]]や[[ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリー|ラ・メトリ]]を呼び寄せたほどだったのに対し、この新しい君主は守旧的であり、[[薔薇十字団|宗教神秘主義]]にも傾倒していた。1788年には宗教・文教行政を担っていた法務大臣[[:de:Johann_Christoph_von_Woellner|ヴェルナー]]が宗教[[検閲]]を発布し、1792年にはカントが『ベルリン月報』に発表した「人間の本性における根源悪について」が検閲に引っかかってしまった。この論文は検閲を通過したものの、次の「人間の支配をめぐる善現理と悪原理の戦いについて」は出版不許可の決定を受けた。両論文は1793年には『単なる理性の限界内における宗教』として発表されるが、1794年にはカントの宗教論が有害だという勅令が出され、カントは宗教・神学に関する講述を禁じられてしまう。
カントはこうした検閲や勅令に粛々と従っていたが、他方で1789年に勃発した[[フランス革命]]については、それが[[ジャコバン派|ジャコバン]]独裁を経て過激化していった時代にもなおそれを称賛していた。国際政治情勢が激動する時代にあって、カントはそれに呼応するかのように、「理論では正しいかもしれないが実践の役には立たないという俗言について」(1793)や『[[永遠平和のために]]』(1795)、『[[人倫の形而上学]]』「第一部・法論の形而上学的定礎」などで共和制と国際連合について論じた。
カントは晩年、身体の衰弱に加えて思考力の衰えを感じつつも、自然科学の形而上学的原理から物理学への移行という課題に取り組みつづけた。この課題は完成されなかったが、一連の草稿は『オプス・ポストゥムム』として知られている。今で言う老年性認知症が進行する中、1804年2月12日にカントは逝去した。最後の言葉は、ワインを水で薄め砂糖を混ぜたものを口にしたときに発したという「これでよい(Es ist Gut)」であったと伝えられている。[[2月28日]]、大学墓地に埋葬される。カントは簡素な葬儀を望んだが、葬儀は二週間以上にわたって続き、多くの参列者が死を悼んだ。
== 思想 ==
[[ファイル:Kant_Kaliningrad.jpg|200px|thumb|[[ロシア]]の[[カリーニングラード]]にあるカント像]]
=== 概説 ===
一般にカントの思想はその3つの批判の書(『[[純粋理性批判]]』『[[実践理性批判]]』『[[判断力批判]]』)にちなんで''批判哲学''と呼ばれる。ただ、カントが批判(Kritik)ということで企図していたのは、真の哲学のための準備・予備学であった。批判哲学が完成し、人間の理性能力の限界が確定された上ではじめて、真の形而上学としての哲学が築かれるべきだからである。
カントの思想は前批判期と批判期以後に大別される。前者は、『純理』刊行(1781)前、初期の自然哲学論考から就職論文『可感界と可想界の形式と原理』(1770)までを指す場合が多い(ただし、カントの[[批判哲学]]の着想の時期がいつだったのかについては、論争がある<ref>例えば[[坂部恵]]『理性の不安:カント哲学の生成と構造』([[勁草書房]]、1976)は、『視霊者の夢』(1766)にその一契機を見る。</ref>)。後者は、『純理』刊行以降、三批判書を含む著作以降を指す。
=== 前批判期の仕事 ===
初期のカントの関心は[[自然哲学]]にむかった。特に[[アイザック・ニュートン|ニュートン]]の自然哲学に彼は関心をもち、『引力斥力論』などニュートンの[[力学]]([[ニュートン力学]])や[[天文学]]を受容した上でそれを乗り越えようとする論文を書いた。自然哲学においてはことに[[星雲]]による[[太陽系]]成立について関心を示した([[星雲説]])。そこでは[[銀河系]]が多くの恒星が重力により集まった円盤状の天体であると正しく推論している。また1755年の[[1755年リスボン地震|リスボン大地震]]から受けた衝撃で、地震の発生メカニズムに関する論文を書いている。そのメカニズム自体はその後誤りとされたが、地震を超自然によるものではなく自然によるものと仮定して考える先駆的な試みと考えられている。
一方で、カントは[[イギリス経験論]]を受容し、ことに[[デイヴィッド・ヒューム|ヒューム]]の[[懐疑主義]]に強い衝撃を受けた。カントは自ら「独断論のまどろみ」と呼んだ[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]=[[クリスティアン・ヴォルフ|ヴォルフ]]学派の[[形而上学]]の影響を脱し、それを経験にもとづかない「形而上学者の夢」とみなすようになる(『視霊者の夢』)。自然科学と幾何学の研究に支えられた経験の重視と、そのような経験が知性の営みとして可能になる構造そのものの探求がなされていく。また、カントは[[ジャン=ジャック・ルソー|ルソー]]の著作を読み、その肯定的な人間観に影響を受けた。これは彼の道徳哲学や人間論に特に影響を与えた。
こうして、知性にとって対象が与えられるふたつの領域とそこでの人間理性の働きをあつかう『可感界と可想界の形式と原理』(1770)が書かれる。この時点で後年の『純粋理性批判』(1781)の基本的な構想はすでに現れていたが、それが一冊の本にまとまるまでには長い年月を要することになる。
=== 批判哲学 ===
「批判 Kritik」とは、理性・悟性・感性・判断力からなる人間の認識能力の限界と能力を確定し、それぞれに相応しい役割を規定する企てである(「批判」という意味の英単語"critic"の由来となったギリシア語の"krino"は、良い物を選別(=吟味)するという意味)。『純理』においては、人間の認識が感性と悟性の協働によってのみ可能であり、経験的認識において純粋理性は統制的使用のみにその使用が制限される一方、『実践理性批判』では、それと同一の純粋理性が人間の道徳性の根幹をなす能力を持ち、そこにこそ理性の可能性が秘められているということが明らかにされる。また、『判断力批判』では経験(現象界)と理念(叡智界)を媒介する能力として判断力が研究され、第一部では美感的判断力、第二部では目的論的判断力の原理が論じられる。
==== 認識論 ====
カントによれば、人間の認識能力は[[感性]]と[[悟性]]の二つの源泉からなる。感性は直観する能力であり、悟性は思考する能力であるが、それぞれに純粋な形式(直観の形式は[[空間]]と[[時間]]、思考の形式は12 の純粋悟性概念(カテゴリー、すなわち[[範疇]]とも称する))がある。純粋悟性概念は時間限定たる図式(schema)によってのみ感性と関係する。
我々はこの二つの認識源泉の協働によってのみ対象を[[認識]]し得る。したがって我々に「直観」として与えられ得ない理性概念は、我々の認識の対象ではあり得ない。理性推理による理念はいわば絶対者にまで拡張された純粋悟性概念である<!--心・自由・神という理念は、定言的推理による実体性・仮言的推理による原因性・選言的推理による相互性という純粋悟性概念とおのおの対応する-->。[[神]]あるいは[[超越者]]がその代表例であり、これをカントは[[物自体]](Ding[e] an sich selbst)と呼ぶ。
いわゆる[[二律背反]]においては定立の側では<!--全ての制約が与えられた-->完全な系列には無制約者が含まれると主張される。これに対し、反定立の側では制約が時間において与えられた系列には被制約者のみが含まれると主張される。このような対立の解決は統制的ではあっても構成的ではない理念に客観的実在性を付与する超越論的すりかえを避けることを必要とする。理念は与えられた現象の制約系列において無制約者に到達することを求めるが、しかし、到達して停滞することは許さない規則である。
なお、『[[プロレゴメナ]]』によれば、純粋悟性概念はいわば現象を経験として読み得るように文字にあらわすことに役立つもので、もしも、物自体に関係させられるべきものならば無意義となる。また、経験に先行しこれを可能にする超越論的(transzendental)という概念はかりに上記の概念の使用が経験を超えるならば超越的(transzendent)と呼ばれ、内在的(immanent)すなわち経験内に限られた使用から区別される。
==== 倫理学 ====
理性概念が(直観を欠くために)理論的には認識されえず、単に思惟の対象にすぎないことが『純粋理性批判』において指摘されたが、これら理性理念と理性がかかわる別の方法が『[[実践理性批判]]』において考察されている。『実践理性批判』は、純粋実践理性が存在すること、つまり純粋理性がそれだけで実践的であること、すなわち純粋理性が他のいかなる規定根拠からも独立にそれだけで充分に意志を規定しうることを示すことを目標としている。
カント道徳論の基礎であるこの書において、人間は[[現象]]界に属するだけでなく[[叡智]]界にも属する[[人格]]としても考えられ、現象界を支配する自然の因果性だけでなく、物自体の秩序である叡智界における因果性の法則にも従うべきことが論じられる。カントは、その物自体の叡智的秩序を支配する法則を、[[人格]]としての人間が従うべき道徳法則として提出する。
道徳法則は「なんじの意志の格律がつねに同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ(''Handle so, daß die Maxime deines Willens jederzeit zugleich als Prinzip einer allgemeinen Gesetzgebung gelten könne.'')」という[[定言命法]]として定式化される。
カントは純粋理性によって見出されるこの法則に自ら従うこと(意志の自律)において純粋理性が実践的に客観的に実在的であることを主張し、そこから自由の理念もまた実践的に客観的実在性をもちうると論じた。道徳法則に人間が従うことができるということが、叡智界にも属する存在者としての人間が自然的原因以外の別の原因を持ちうる、すなわち自由であるということを示すからである。
また、神・[[不死]]の理念は、有徳さに比例した幸福(すなわち[[最高善]])の実現の条件として要請される。<!--なお定言命法は[[当為]]あるいは「[[自由]]の格律」とも呼ばれる。(当為sollenという言葉、は道徳的行為のみならず熟練や怜悧においても使用されるはずです。また、「自由の格律」も『基礎付け』に一箇所見られるだけで一般にそう呼びならされているのかは分かりません。)-->
==== 美学・目的論 ====
最後にカントは狭義の理性ではないが、人間の認識能力のひとつ判断力について考察を加え、その一種である反省的判断力を「現実をあるカテゴリーの下に包摂する能力」と定式化し、これを美的(直感的)判断力と目的論的判断力の二種に分けて考察を加えた。これが『判断力批判』である。この書は、その後展開される実践論、美学などの基礎として評価されている。また[[ハンナ・アーレント]]以降、『[[判断力批判]]』を政治哲学として読む読み方が提示され、現代哲学においてカントの占める位置は極めて重要であるといえよう。
批判期以降のカント(後批判期)は、ふたたび宗教・[[倫理学]]への関心を増した。とくに[[フランス革命]]にカントは重大な衝撃を受け、関心をもってその推移を見守っていた。後期著作の道徳論や人間論にはその知見が投影されている。その道徳論は[[義務論]]倫理として現在の二大[[規範倫理学]]の一方をなしている。
=== 歴史哲学 ===
カントは人類の歴史を、人間が己の自然的素質を実現するプロセスとして捉える。人間にとっての自然的素質とは、本能ではなく理性によって幸福や完璧さを目指すことである。
=== 法哲学・政治哲学 ===
カントの[[法哲学]]・[[政治哲学]]の最も体系的な著作は『[[人倫の形而上学]]』「第一部・法論の形而上学的定礎」(1797)である。『人倫の形而上学』においては人倫の領域中、法と徳が区別され、法は法則と外的行為の一致として定義され、内面の動機と法則との一致は度外視される。「[[法学|法論]]」はいわゆる[[自然法論|自然法]]学の系譜に連なるものであり、自然状態における私法と市民状態における公法の二部門から成り立っている。自然法は理性によってア・プリオリに認識されるものであり、自然法が前提とされなければ[[実定法]]の権威は打ち立てられない<ref>アカデミー版全集6:224。</ref>。「法の普遍的原理」は「どのような行為も、その行為が、もしくはその行為の格率にしたがった各人の選択意志の自由が、万人の自由と普遍的法則にしたがって両立することができるならば、正しい」というものである<ref>アカデミー版全集6:230。</ref>。この原理にしたがって、各人には生得的な権利として、他者の選択意志の強要からの独立という意味での自由が認められる<ref>アカデミー版全集6:237。</ref>。生得的自由権が内的権利(内的な私のもの)と呼ばれるのに対し、取得を通じて獲得される権利が外的権利(外的な私のもの)と呼ばれ、「法論」の第一部「私法」では物権・債権・物権的債権という権利が論じられている。
カントの議論において特徴的なのは、[[トマス・ホッブズ|ホッブズ]]や[[ザミュエル・フォン・プーフェンドルフ|プーフェンドルフ]]、[[ジョン・ロック|ロック]]らと違って、自然状態を経験的な人間本性の観察から導かず、むしろア・プリオリな理念として考察したところにある。単に国家が存在しない状態における人間相互の関係性を考察し、そこにおける法のあり方を捉えたのだ。その結果、自然状態はア・プリオリに非・法的な状態として記述されることになり、そこからの脱出が義務化される。<blockquote>「経験から我々は、人間の暴力という格率を知り、そして外的な権力を持つ立法が現れる前には互いに争い合うものだという人間の悪性を知るが、しかしそうした経験があるから、それゆえそうした事実があるから、公的な法則による強制が必然的になるというわけではない。むしろお望み通り人間が善なるもので、法を愛するものだと考えるとしても、次のことはこうした(非・法的な)状態という理性理念の中にア・プリオリに含まれている。すなわち、公的な法則が存在する状態に達する前には、結合した人間や諸国民や諸国家は、決して互いの暴力から安全ではありえず、しかもこれは、自分にとって正しくまた良いと思われることをし、他人の意見に左右されないという各人固有の権利から生じる、ということである」<ref>アカデミー版全集6:312。</ref>。</blockquote>自然状態の脱出後に設立されるべき国家は、まさに自然状態のこうした不正を解消するような国家でなければならない。カントはそうした国家がどのようなものであるかを、一切の経験に依存せずに論じている。カントの国家論はこうして理性からア・プリオリに導かれた「理念の国家(Staat in der Idee)」、言い換えれば国家の「規範(Richtschnur, norma)」の役割を果たす<ref>アカデミー版全集6:313。</ref>。政体論としては、市民が立法権を持ち、立法権・執行権・裁判権が分離した「共和制 Republik」が規範的に優位なものとして展開される。このような理念の国家が可能であるとすれば、それにもやはり起源を考えることができる。カントの[[社会契約論]]においては、現実の国家の設立の起源ではなく、純粋に仮説的に考えられた理性起源が問題となっている。カントは社会契約を「根源的契約(ursprünglicher Kontrakt)」と呼ぶが、それは「本来、国家の理念であり、これを基準にしてのみ、国家の適法性を考えうることができる」<ref>アカデミー版全集6:315。</ref>。
国内の法規範を司る国法に対し、カントはさらに国家間を司る[[国際法]]、国家とそれに属さない人々の関係を司る[[コスモポリタニズム|世界市民法]]を「法論」の中で論じている。人々の間の自然状態が国家設立によって解消されるのと同様に、国家間の自然状態も解消されるべき課題だが、カントは[[:en:Domestic_analogy|ドメスティック・アナロジー]]に必ずしも従っていない。すなわち、諸国家間において主権を持った世界大の一つの国家を設立することは規範的に否定される。むしろカントは自由な国家の連合を推奨し<ref>アカデミー版全集6:330、また『永遠平和のために』「第二確定条項」を参照。</ref>、それが国際連盟結成のための思想的基盤を用意したとしばしば考えられている。『[[永遠平和のために]]』では、当時の中国や江戸日本の鎖国政策が、世界市民法の観点から評価されている<ref>「だから中国と日本が、そのような(極悪非道な)客人たちを試した上で、以下の措置を取ったことは賢明であった。すなわち中国は来航は許したが入国は許さなかった、日本はそれどころか来航さえもオランダ人というただ一つのヨーロッパ民族にしか許容しなかったし、しかも日本人はそのオランダ人さえ捕虜のように扱い、自国民との共同関係から排除しているのである」 {{Cite journal |和書|author=平子友長 |title=カント『永遠平和のために』のアクチュアリティ : ヨーロッパ帝国主義批判の書として |journal=唯物論 : 東京唯物論研究会会報 |publisher=東京唯物論研究会 |year=2005 |issue=79 |pages=27-42 |naid=120001009884 |https://hdl.handle.net/10086/16393 }}</ref>。
=== 宗教哲学 ===
カントは宗教を、道徳の基礎の上に成り立つべきものであるとしている。神は、幸福と徳の一致である「[[最高善]]」を可能にするために要請される。この思想は理性宗教の立場であるが、啓示宗教を排除しようというものではない。
====反ユダヤ主義====
カントは[[ヴォルテール]]などと同様に[[反ユダヤ主義]]の思想を持っていたことでも知られている<ref name="poli250">[[#ポリアコフ III]],p.248-251.</ref><ref>[[#下村 1972|下村 1972]], p.111-112.</ref>。カントは『たんなる理性の限界内の宗教について』において、「ユダヤ教は全人類をその共同体から締め出し、自分たちだけが[[ヤハウェ|イェホヴァー]]に選ばれた民だとして、他のすべての民を敵視したし、その見返りに他のいかなる民からも敵視されたのである」と、[[ユダヤ教]]の[[選民思想]]について批判している<ref>[[#ポリアコフ III]],p.249. カント「たんなる理性の限界内の宗教について」カント全集10巻、岩波書店、p168-169.</ref>。
また晩年の「実用的見地における人間学」においては、ユダヤ人は「追放以来身につけた高利貸し精神のせいで、彼らのほとんど大部分がそうなのだが、欺瞞的だという、根拠がなくもない世評を被ってきた」として、ユダヤ人は保護を受けている国に対してその国の国民を欺いたり、また自分たち同士をさえ欺いて利益を得ていると非難している<ref group="注釈">カント「実用的見地における人類学」カント全集15、p138-139.カントはユダヤ人を「パレスティナ人」と表記している。</ref><ref>[[#ポリアコフ III]],p.249-250. </ref>。
またカントは『諸学部の争い』で、ユダヤ人がキリスト教を公に受け入れれば、ユダヤ教とキリスト教の区別を消滅させることができて、ユダヤ教は[[安楽死]]できると述べている<ref name="poli250" /><ref>カント全集18巻、岩波書店、p.73-74.</ref>。
カントは[[モーゼス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]などユダヤ人哲学者と交流していたが、このようにユダヤ教とユダヤ人を否定的に理解していた。[[オットー・ヴァイニンガー]]はカントの『人間学』の一節を「世界文学のなかでもっとも反ユダヤ的なテクスト」であると批判している<ref name="poli250" />。レオン・ポリアコフはカントは[[人種差別主義]]的というより、[[反ユダヤ主義|キリスト教的な反ユダヤ主義]]であったと論じている<ref name="poli250" />。
=== 人間学 ===
カントは、哲学には、「わたしは何を知ることができるか」(Was kann ich wissen?)、「わたしは何をなすべきか」(Was soll ich tun?)、「わたしは何を望むことが許されるか」(Was darf ich hoffen?)、「人間とは何か」(Was ist der Mensch?)という4つの問題に対応する4つの分野があるとした上で、最後の問題について研究する学を「[[人間学]]」であるとした。[[高坂正顕]]は、カント哲学の全体を人間学の大系であるとしている。
=== 地理学 ===
カントはケーニヒスベルク大学で1765年から[[自然地理学]]の講義を担当し、[[地理学]]に科学的地位を与えた<ref name="jimbun">青野(1970):4ページ</ref>。カントは地理学と[[歴史学]]の違いを場所的記述を行うのが地理学で、時間的記述を行うのが歴史学であるとした<ref name="jimbun" />。この見解は後世の地理学者の[[常識]]となった<ref name="jimbun" />。
また、「道徳地理学」(Die moralische Geographie)の講義では、日本と[[ラップランド]]で親殺しをした子に対する刑罰が異なる、具体的には日本では子の家族もろとも極刑に処されるが、ラップランドでは働けなくなった父を殺すことは母が子を扶養するならば許される、という事例を用いて、地理的環境が異なれば倫理や道徳も異なると説いた<ref>青野(1970):246ページ</ref>。
==== 人種論 ====
カントは現代の国際的な自由主義の発展に多大な貢献をしたことでも知られているが、他方で近年は、カントの[[人種]]理論(人種学)には[[白人至上主義]]などの問題点を指摘されており、[[人種主義|科学的人種主義]]の父祖の一人とみなされている{{Sfn|Jon M. Mikkelsen|2013| p=3}}{{Sfn|Charles W. Mills|2017|p=716}}{{Sfn|Julie K. Ward|2016|p=}}。
カントは1764年の『美と崇高との感情性に関する観察』において、アフリカの黒人と白人種との差異は本質的な差異であると論じている<ref name="beobach" />{{Sfn|Pauline Kleningeld|2007|p=}}。
{{Quotation|アフリカの黒人は、本性上、子供っぽさを超えるいかなる感情も持っていない。ヒューム氏は、どの人に対しても、黒人が才能を示したただ一つの実例でも述べてほしいと求め、彼らの土地からよそへ連れて行かれた十万の黒人の中で、そのうちの非常に多くのものがまた自由になったにもかかわらず、学芸や、その他なんらかの称賛すべき性質のどれかにおいて、偉大なことを示したただの一人もかつて見られたことはないが、白人の間には、最下層の民衆から高く昇り、優れた才能によって声望を獲得する人々が絶えず見られると主張している。それほどこの二つの人種の間の差異は本質的で、心の能力に関しても肌色の差異と同じほど大きいように思われる。|イマヌエル・カント『美と崇高との感情性に関する観察』第4章<ref name="beobach">Beobachtungen über das Gefühl des Schönen und Erhabenen, Ch,4-III.久保光志訳「美と崇高の感情にかんする観察」第4章、[[#カント 2000]],p.378-380。</ref>}}
ここでカントが引用した[[デイヴィッド・ヒューム]]は、奴隷制に反対していた一方で、黒人などの白人以外の文明化されていない人種は、白人種のような独創的な製品、芸術、科学を作り出せないと述べていた{{Sfn|高田紘二| 2002 | pp=91-92}}{{Sfn|Aaron Garrett|2004|pp=130-132}}{{Sfn|Aaron Garrett|2000|pp=171-177}}{{Sfn|Andrew Vallis|2005|pp=132-139}}{{Sfn|Charles W. Mills|2017|p=716}}。
このほかに、カントは[[アラビア人]]については、東洋で最も高貴で「アジアのスペイン人」といってよいが、冒険的なものへ退化した感情を持っているとしたり、[[ペルシア人]]は典雅で繊細な趣味を持っており、「アジアのフランス人」といってよいと述べている<ref name="beobach" />。[[日本人]]は極度の強情にまで退化しており、沈着、勇敢、死の軽視といった点で「アジアのイギリス人」といってよいと述べている<ref name="beobach" />。[[インド人]]は宗教において異様な趣味を持っており、[[中国人]]は太古の無知の時代以来の風習を保持しており、畏怖すべき異様さを持つとする<ref name="beobach" />。続けてカントは東洋人は人倫的な美についての観念を持たないと論じる<ref name="カント381-382" />。
{{Quotation|ひとえにヨーロッパ人だけが強力な傾向性の感性的な魅力を多くの花で飾り、多くの道徳的なものと編み合わせ、この魅力の快適さを高めるばかりでなく、大いに品の良いものとする秘訣を見出したことが分かる。東洋の住民はこの点では非常に誤った趣味を持っている。|イマヌエル・カント『美と崇高との感情性に関する観察』第4章<ref name="カント381-382">[[#カント 2000]],p.381-382.</ref>}}
さらに、女性は隷属状態にあるという黒人の国についてカントは以下のように述べる。
{{Quotation|ラバ師の報告によれば、黒人の大工に、彼の妻女たちに対する高慢な仕打ちを非難したとき、彼は次のように答えた。「あなたたち、白人はほんとに馬鹿だ。というのは、最初あなたたちは女たちに多くのことを許容し、その後、彼女たちがあなたたちの頭を狂乱させたときに不平をいうのだから。」これには、おそらく考慮するに値するものがあるかのようであるが、要するにこいつは頭の先から足の先まで黒かったのであり、それは彼の言ったことが愚かであった明らかな証明となる。|イマヌエル・カント『美と崇高との感情性に関する観察』第4章<ref name="カント381-382"/>}}
カントはこのように人種を論じた上で、現在のヨーロッパ人によって「[[美]]と[[崇高]]の正しい[[趣味]]」が花開いたのであり、教育によって古い妄想から解放され、すべての[[コスモポリタニズム|世界市民 (コスモポリタン)]]の人倫的感情が高まることを望んでいると論じた<ref>[[#カント 2000]],p.383.</ref>。
カントはその後も人種について研究を続けて、1777年の「様々な人種について」では人間は共通の祖先を持つとした<ref>Von den verschiedenen Racen der Menschen 1777(福田喜一郎訳「様々な人種について」『カント全集 第3巻』岩波書店 2001年</ref>{{Sfn|Pauline Kleningeld|2007|p=}}。ほかに1785年の「人種の概念の規定」など様々な論文を書いている<ref>Bestimmung des Begriffs einer Menschenrace 1785.(望月俊孝訳「人種概念の規定」『カント全集 14』岩波書店 2000年)</ref>{{Sfn|Pauline Kleningeld|2007|p=}}。
他方で、カントは以下に引用するように1756年から1796年まで続けられたケーニヒスベルク大学での講義『自然地理学』において、明確に白色人種の卓越性を論じ続けた。
{{Quotation|暑い国々の人間はあらゆる点で成熟が早めではあるが、温帯の人間のような完全性にまで到達することはない。人類がその最大の完全性に到達するのは白色人種によってなのである。すでに黄色のインド人であっても、才能はもっと劣っている。ニグロははるかに低くて、最も低いのはアメリカ原住民の一部である。|イマヌエル・カント『自然地理学』第2部第1編第4節 「その他の生得的な特性に即した地球全体の人間に関する考察」<ref>[[#カント自然地理学]],p.227.</ref>}}
ここでは、最劣等にアメリカ原住民を置いており、必ずしも黒人だけを最劣等に置いていたわけではないが、白人種を最優とすることについては生涯変化することはなかった{{Sfn|Jon M. Mikkelsen|2013| p=}}{{Sfn|Charles W. Mills|2017|p=}}{{Sfn|Julie K. Ward|2016|p=}}。
この他にもカントは、ニグロは生まれた時は白く、[[陰茎]]と[[臍]]の周囲だけが黒いが、[[火傷]]や[[病気]]によって白くなるし、熱帯地方に住むヨーロッパ人(白人)は多くの世代を重ねてもニグロにはならないと述べたり<ref>「人間の黒い色に関するいくつかの注目すべき点」(自然地理学 第2部第1編第2節)、[[#カント自然地理学]]、p.223.</ref>、肌の黒さの原因はその地域の熱暑であるとしている<ref>「この色の原因についての考察」(自然地理学第2部第1編第3節)、[[#カント自然地理学]]、p.225.</ref>。
このようにカントは多くの著作で白人優位主義を述べており、そこにイデオロギー的な意図があったわけではないにせよ、カントは明確に白人優位主義を述べる[[人種主義|人種主義者]]であり、[[人種差別]]的な限界があると指摘されている{{Sfn|Jon M. Mikkelsen|2013| p=3}}{{Sfn|Charles W. Mills|2017|p=716}}{{Sfn|Todd Hedrick|2008|p=263}}
{{Sfn|Pauline Kleningeld | 2007|p=}}。
カントの人種学の研究は、[[ナイジェリア]]出身で[[ポストコロニアル理論|ポストコロニアル哲学者]]の[[:en:Emmanuel Chukwudi Eze|E.C.エゼ]]や、セレクベルハン(Tsenay Serequeberhan)、Mark Larrimore、Robert Bernasconi、[[ジャマイカ]]出身の政治哲学者[[:en:Charles W. Mills|C.W.ミルズ]]等によって発展してきた{{Sfn|Jon M. Mikkelsen|2013| pp=4-5}}{{Sfn|Charles W. Mills|2017|p=716}}。エゼは、カントの政治的人間学は、ヨーロッパ的自己を中心にして、他の非ヨーロッパ人種の人間性を否定するという特殊性を前提として成立する人間の植民地化であり、普遍主義的な[[ヒューマノイド]](疑似人間)を抽象化させることによって成り立っていると主張し、カント研究界をドラマティックに切断した{{Sfn|Emmanuel Chukwudi Eze|1997|p=}}{{Sfn|Jon M. Mikkelsen|2013| pp=4-5}}。セレクベルハンは、カントは、近代ヨーロッパが他の人間よりも優越しているという理念またはウソを作り上げた最も重要な哲学者の一人であるとした{{Sfn|Tsenay Serequeberhan|1996|p=}}{{Sfn|Jon M. Mikkelsen|2013| p=6}}。
他方で、カントの人種論に偏見はなく、到る所で白人の横暴をつき、黒人の肩を持っているという指摘{{Sfn|加藤将之|1957|p=27}}や、カントは人種の文化的生活を文化的な進歩の議論 において捉えており、人種の差異は必ずしも重要な意味を帯びるものではないと指摘されてもいる{{Sfn|広瀬悠三|2010|p=71}}。クラインゲルドは1790年代にカントは心をいれかえて、人種理論との矛盾が完全に解消されたわけではないが、人種間のヒエラルキーについての観念は後退したとしている{{Sfn|Pauline Kleningeld|2007|p=}}。
=== 気象学 ===
カントは気象において、1756年4月にケーニヒスベルクで「風の理論の説明に対する新たな注解(Neue Anmerkungen zur Erlauterung der Theorie der Winde)」を発表した。これは、風に関して以下の5つの考えからなっていた<ref name=":0">{{Cite journal|author=Persson Anders|year=2006|title=Hadley's Principle: Understanding and Misunderstanding the Trade Winds.|journal=History of Meteorology|volume=3|page=|publisher=International Commission on the History of Meteorology}}</ref> 。
# 加熱が持続する限り、場所による加熱の違いは風を引き起こす。
# 暖かい空気は、冷たい空気に置き換わる。
# 赤道から極への風は、地球の自転により次第に西風になる。
# 東風の貿易風も、同様に地球の自転による。
# モンスーンは、3.の原因によっても説明される。
カントは、イギリスの気象学者[[:en:George_Hadley|ジョージ・ハドレー]]による地球規模の風の考え方<ref>{{Cite web|和書|title=気象学と気象予報の発達史: 気象予測の考え方の主な変遷(4)大航海時代と科学革命|url=https://korechi1.blogspot.com/2020/04/4.html|website=気象学と気象予報の発達史|date=2020-04-08|accessdate=2020-10-07}}</ref>を発展させ、極向きの上層の流れが存在しているという結論に達し、この上層の風が地表風と接触するとき、さまざまな現象が起きると考えた<ref name=":0" /> 。これが大規模な風同士が接触して顕著な気象が起こることの初めての考えとなった。また、これら大気循環の原因に関する記述を含んだカントの自然地理学に関する教科書や講義ノートは19世紀になって出版され、広く使われた。カントの風に関する考えは、その後19世紀のドイツの気象学者・物理学者[[ハインリッヒ・ウィルヘルム・ドーヴェ|ハインリヒ・ドーフェ]]が発展させ、イギリスの[[ロバート・フィッツロイ]]提督が行ったイギリス気象局での気象予報の根拠の一つとなった。カントの気流同士の接触という考え方は、今日の気象学でいう[[前線 (気象)|前線]]という概念の元の一つとなった<ref>{{Cite book|title=気象学と気象予報の発達史 初期の風の力学理論|url=https://www.maruzen-publishing.co.jp/item/?book_no=302957|publisher=丸善出版|date=2018|isbn=978-4-621-30335-1|oclc=1061226259|last=堤之智.|year=}}</ref>。
== エピソード ==
=== 名と姿 ===
カントの両親は、彼をエマヌエル(Emanuel)と名づけたが、長じてカントは[[ヘブライ語]]を知り、その知識からイマヌエル(Immanuel)とみずから改名した(「[[インマヌエル|イマヌエル]]」עמנואלとはヘブライ語で「神は我らと共にあり」という意味である)。カントの容貌については、弟子の証言によると、青く小さな、しかし輝く瞳をもった小柄な人物であった。身体は骨格、筋力ともにやや貧弱。正装する時には服が身体から滑り落ちるのを防ぐため、いわゆる「留め具」が欠かせなかったという。身体の割に頭は若干大きめだった。体躯は貧弱であったものの、有名な規則正しい生活習慣など健康管理に心を配り、顔色も良く、最晩年まで大きな病気とは無縁であった。
=== 青少年教育批判 ===
カントは、規則で生徒たちを縛り上げる厳格な教育方針で知られたフリードリヒ学校に入学し、その教育方針を身をもって経験した。しかし、後に彼は、この学校の教育方針について批判を記した。啓蒙の哲学者カントの面目躍如と言える。
=== 独身主義者カント ===
カントは生涯独身を通した。彼が哲学の道に入る契機となったニュートンも独身であったが、彼の場合は、仕事に忙殺され恋愛の暇がなかったと言われる。カントの場合は、女性と距離を置き、積極的な求婚をしなかったためだとされる。真相は不明で、カントもまた、ニュートンのように仕事に忙殺されていた可能性も否めない。
=== 教育者カント ===
カントはケーニヒスベルク大学の哲学教授となったが、その授業の様子を、当時の弟子のひとりであるヘルダーが伝えている。ヘルダーによれば、カントの講義は精彩に富み魅力あるものであった。カントはいきいきと語る熱心な教師であった。カントが旺盛な知的好奇心を持ち、その話題が豊かであったことからも、教師としてのカントの姿が彷彿とされる。
=== 規則正しい人カント ===
カントは規則正しい生活習慣で知られた。早朝に起床し、少し研究した後、午前中は講義など大学の公務を行った。帰宅して、決まった道筋を決まった時間に散歩した。あまりに時間が正確なので、散歩の通り道にある家では、カントの姿を見て[[時計]]の狂いを直したと言われる。これは、カントの性格の一部でもあったようで、素行の悪さの故に従僕ランペを解雇したあと、新しい従僕になじめず、メモに「ランペは忘れ去られるべきである」と書き付けた。
ある日いつもの時間にカント先生が散歩に出てこないので、周囲の人々はなにかあったのかと騒ぎになった。実はその日、カントは[[ジャン=ジャック・ルソー]]の「[[エミール (ルソー)|エミール]]」を読みふけってしまい、いつもの散歩を忘れてしまったのであった。カントはルソーに関し、『美と崇高の感情に関する観察』への『覚書』にて「わたしの誤りを[[ジャン=ジャック・ルソー|ルソー]]が正してくれた。目をくらます優越感は消えうせ、わたしは人間を尊敬することを学ぶ」と述べている<ref name="名前なし-1"/>。
<!--だが若い頃には夜中まで友達と飲み歩くようなこともあったという。-->
=== 趣味人カントの食卓 ===
規則正しい散歩の後、カントは、夕方から友人を集めて会食した。カントの論敵の一人である[[ヨハン・ゲオルク・ハーマン]]は、同時に親しい友人でもあり、しばしばこの食事会の客となった。カントは、ウィットに富む談話を好み、世界の最新情報にも通じ、その話題の広さには会食者も感嘆した。しかし、客が哲学の話題に触れると、露骨に嫌な顔をしたと言われる。
近くにいた人物の回想で、ヤハマン『カントの生涯』<ref>ヤハマン『カントの生涯』(木場深定訳、[[弘文堂]]、1947年/[[角川文庫]]、1953年/[[理想社]](改版)、1978年)</ref>に、多くの逸話がある。
== 著作・論文・講義 ==
カントの著作の全集(クリティカル・エディション)として現在最も一般的なものは、王立プロイセン学術アカデミー編集版(Kant's gesammelte Schriften. Hg. von der Königlich Preußischen Akademie der Wissenschaften, Berlin: G. Reimer und de Gruyter, 1910-)である。同版をもとにボン大学が電子版を公開しており、ウェブ上で閲覧できる(https://korpora.zim.uni-duisburg-essen.de/Kant/<nowiki/>)。邦訳版全集としては、理想社版(1965-)と岩波書店版(1999-)がある。
*1747年04月22日 - 『活力測定考』Gedanken von der wahren Schätzung der lebendigen Kräfte
*1754年06月 - 「地球が自転作用によって受けた変化の研究」
*1754年09月 - 「地球は老化するか、物理学的考察」Die Frage, ob die Erde veralte, physikalisch erwogen
*1755年03月 - 『天界の一般的自然史と理論』Allgemeine Naturgeschichte und Theorie des Himmels
*1755年04月 - 学位論文「火に関する若干の考察の略述」
*1755年09月 - 就職論文「形而上学的認識の第一原理の新しい解釈」Principiorum primorum cognitionis metaphysicae nova dilucidatio
*1756年01月 - 「地震原因論」Von den Ursachen der Erdenschütterungen bei Gelegenheit des Unglücks, Welches die westliche Länder von Europa gegen das Ende des vorigen Jahres betroffen hat
*1756年 - 「地震におけるきわめて注目すべき出来事について」
*1756年 - 「続地震論」
*1756年04月 - 「物理的単子論」Metaphysicae cum geometria iunctae usus in philosohia naturali, cuius specimen I. continet monadologiam physicam
*1756年04月 - 「風の理論の説明のための新たな註解」
*1757年04月 - 「自然地理学講義草案および予告」Entwurf und Ankündigung eines collegii der physischen Geographie nebst dem Anhange einer kurzen Betrachtung über die Frage: ob die Westwinde in unsern Gegenden darum feucht seinen, weil sie über ein großes Meer streichen.
*1758年04月 - 「運動および静止の新説」
*1758年10月 - 「オプティミズム試論」
*1762年 - 「三段論法の四つの格」
*1763年 - 『[[神]]の存在証明の唯一の可能な証明根拠』Der mögliche Beweisgrund zu einer Demonstration des Daseins Gottes
*1763年 - 「負量の概念を哲学に導入する試み」Versuch den Begriff der negativen Größen in die Weltweisheit einzuführen
*1764年 - 『[[美]]と崇高の感情に関する観察』Beobachtungen über das Gefühl des Schönen und Erhabenen
*1764年 - 「頭脳の[[病気]]に関する試論」Versuch über die Krankheiten des Kopfes
*1764年 - 『自然神学と[[道徳]]の原則の判明性』Untersuchung über die Deutlichkeit der Grundsätze der natürlichen Theologie und der Moral
*1766年 - 『[[形而上学]]の[[夢]]によって解明された視霊者の夢』Träume eines Geistersehers, erläutert durch Träume der Metaphysik
*1768年 - 「空間における方位の区別の第一根拠」Von dem ersten Grunde des Unterschiedes der Gegenden im Raum
*1770年 - 『可感界と可想界の形式と原理』De mundi sensibilis atque intelligibilis forma et principiis
*1781年 - 『[[純粋理性批判]]』第一版 1. Auflage der Kritik der reinen Vernunft
*1783年 - 『[[学として現れるであろうあらゆる将来の形而上学のためのプロレゴメナ|学として現れるであろうあらゆる将来の形而上学のための序論(プロレゴメナ)]]』 Prolegomena zu einer jeden künftigen Metaphysik, die als Wissenschaft wird auftreten können
*1784年 - 『[[啓蒙主義|啓蒙]]とは何か』Beantwortung der Frage: Was ist Aufklärung
*1784年 - 「世界市民的見地における一般史の構想」Idee zu einer allgemeinen Geschichte in weltbürgerlicher Absicht
*1785年 - 『[[人倫の形而上学の基礎づけ|人倫の形而上学の基礎づけ(道徳形而上学原論)]]』Grundlegung zur Metaphysik der Sitten
*1786年 - 『自然科学の形而上学的原理』
*1786年 - 『人類史の憶測的起源』Mutmaßlicher Anfang der Menschengeschichte
*1787年 - 『純粋理性批判』第二版 2. Auflage der Kritik der reinen Vernunft
*1788年 - 『[[実践理性批判]]』 Kritik der praktischen Vernunft
*1790年 - 『[[判断力批判]]』 Kritik der Urteilskraft
*1791年09月 - 『弁神論の哲学的試みの失敗について』
*1792年04月 - 「根本悪について」
*1793年04月 - 『単なる[[理性]]の限界内での[[宗教]]』 Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft
*1793年09月 - 「理論と実践に関する俗言について」
*1794年05月 - 「天候に及ぼす月の影響」
*1794年06月 - 「万物の終焉」Das Ende aller Dinge
*1795年 - 『[[永遠平和のために]]』 Zum ewigen Frieden. Ein philosophischer Entwurf
*1797年 - 『[[人倫の形而上学]]』 Die Metaphysik der Sitten
*1798年 - 『[[諸学部の争い]]』Der Streit der Fakultäten
*1798年 - 『実用的見地における人間学』
*1800年9月 - 『論理学』 Logik
*1802年 - 『自然地理学』
*1803年 - 『教育学』 Über Pädagogik
*1804年 - 「オプス・ポストムム」Opus Postumum 遺稿
== 文献案内 ==
=== 入門書 ===
*{{Cite book|和書||author=石川文康|authorlink=石川文康|title=カント入門|year=1995|publisher=筑摩書房|series=ちくま新書|isbn=9784480056290}}
*{{Cite book|和書||author=石川文康|title=カントはこう考えた-人はなぜ「なぜ」と問うのか|year=2009|publisher=筑摩書房|series=ちくま学芸文庫|isbn=9784480092144}}
*{{Cite book|和書||author1=坂部恵|authorlink1=坂部恵|author2=牧野英二|authorlink2=牧野英二|author3=有福孝岳|authorlink3=有福孝岳|title=カント哲学案内-カント全集別巻|year=2006|publisher=岩波書店|isbn=9784000923637}}
*{{Cite book|和書||author=坂部恵|title=カント|year=2001|publisher=講談社|series=講談社学術文庫|isbn=9784061595156}}
*{{Cite book|和書||author=中島義道|authorlink=中島義道|title=カントの読み方|year=2008|publisher=筑摩書房|series=ちくま新書|isbn=9784480064271}}
*{{Cite book|和書||author=牧野英二編|title=新・カント読本|year=2018|publisher=法政大学出版局|isbn=9784588150890}}
=== 法哲学・政治哲学 ===
*{{Cite book|和書||author=網谷壮介|title=カント政治哲学入門:政治における理念とは何か|year=2018|publisher=白澤社|isbn=9784768479698}}
*{{Cite book|和書||author=木原淳|title=境界と自由 : カント理性法論における主権の成立と政治的なるもの|year=2012|publisher=成文堂|isbn=9784792305291}}
*{{Cite book|和書||author=金慧|title=カントの政治哲学:自律・言論・移行|year=2017|publisher=勁草書房|isbn=9784326102648}}
*{{Cite book|和書||author=ケアスティング、ヴォルフガング、舟場保之・寺田俊郎監訳|title=自由の秩序:カントの法および国家の哲学|year=2013|publisher=ミネルヴァ書房|isbn=9784623064366}}
*{{Cite book|和書||author=ヘッフェ、オトフリート、北尾宏之・平石隆敏・[[望月俊孝_(哲学者)|望月俊孝]]訳|title=政治的正義:法と国家に関する批判哲学の基礎づけ|year=1994|publisher=法政大学出版局|isbn=4588004476}}
*{{Cite book|和書||author=マウス、インゲボルク、浜田義文・牧野英二監訳|title=啓蒙の民主制理論:カントとのつながりで|year=1999|publisher=法政大学出版局|isbn=4588006487}}
*{{Cite book|和書||author=三島淑臣|title=理性法思想の成立:カント法哲学とその周辺|year=1998|publisher=成文堂|isbn=4792302838}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
=== 和書 ===
*{{Cite book |和書 |author= イマヌエル・カント| title= 美と崇高との感情性に関する観察 |volume = カント全集2 |translator=久保光志 | year=2000 | publisher = 岩波書店|ref= カント 2000}}
*{{Cite book |和書 |author= イマヌエル・カント| title= 自然地理学 |volume = カント全集16 |translator=宮島光志 | year=2001 | publisher = 岩波書店|ref= カント自然地理学}}
*{{Cite book|和書||author=青野壽郎|title=大学教養-人文地理学|edition=再訂版|year=1970|publisher=森北出版|page=297}}
*{{Cite book|和書||author=加藤尚武編|title=哲学の歴史 7 理性の劇場-18-19世紀カントとドイツ観念論|year=2007|publisher=中央公論新社|isbn=9784124035247}}
* {{Cite journal |和書|author=加藤将之 |title=カント地理学における批判の様態 |journal=哲学 |issn=0387-3358 |publisher=日本哲学会 |year=1957 |volume=1957 |issue=7 |pages=23-31 |naid=130003446783 |doi=10.11439/philosophy1952.1957.23 |url=https://doi.org/10.11439/philosophy1952.1957.23 |ref = harv }}
* {{Cite journal |和書|author=下村由一 |title=ドイツにおける近代反セム主義成立の諸前提-1- |journal=駒澤大学外国語部紀要 |issn=03899845 |publisher=駒澤大学 |year=1972 |issue=1 |pages=98-117 |naid=110007015802 |url=http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/23223/ |ref = 下村 1972 }}
*"* {{Cite journal |和書|author=高田紘二 |title=ヒュームと人種主義思想 (地域創造学部開設記念号) |journal=奈良県立大学研究季報 |issn=13465775 |publisher=奈良県立大学 |year=2002 |volume=12 |issue=3 |pages=89-94 |naid=110000587550 |url=http://id.nii.ac.jp/1447/00000585/ |ref = harv }}
*{{Cite journal |和書|author =広瀬悠三 |authorlink = |title =限界に立ち向かう世界市民 : カントの世界市民 的教育論構築への助走 |url=https://hdl.handle.net/2433/197094 |date = 2010 |publisher = 京都大学大学院教育学研究科 |journal = 臨床教育人間学 |volume = 10 |issue = |naid = 120005588019 |pages=63-71 |ref = harv }}
*{{Cite book |和書 |author = レオン・ポリアコフ | others = 菅野賢治 |title = 反ユダヤ主義の歴史 第III巻 ヴォルテールからヴァーグナーまで |date= 2005-11-25 |publisher = 筑摩書房 |isbn= 978-4480861238 |ref = ポリアコフ III}}
=== 洋書 ===
*{{Cite book | author = Robert Bernasconi | year= 2001 | chapter = Who Invented the Concept of Race? Kant’s Role in the Enlightenment Construction of Race | title = Race | editor = Robert Bernasconi | publisher = Blackwell Publishing, Oxford |pages = 11-36|ref = harv }}
*{{Cite book | author = Robert Bernasconi | year= 2006 | chapter = Kant and Blumenbach’s Polyps: A Neglected Chapter in the History of Race | title = The German Invention of Race |editor = Sara Figal and Mark J. Larrimore | publisher = State University of New York Press|pages = 73-90 |ref = harv }}
*{{Cite book | author = Emmanuel Chukwudi Eze | year= 1997 | chapter = The Color of Reason: The Idea of ‘Race’ in Kant’s Anthropology | title = Post-Colonial Africa |editor = E. C. Eze | publisher = Blackwell Publishing |pages = 103-40 |ref = harv }}
*{{Cite journal | author =Aaron Garrett | title =Hume’s Revised Racism Revised | journal =Hume Studies | volume = 26 | year = 2000 | pages = 171-177 | publisher = The Hume Society|ref = harv }}
*{{Cite journal | author =Aaron Garrett | title = Hume's "Original Difference": Race, National Character and the Human Sciences | journal =Eighteenth-Century Thought | volume = 2 | year =2004 | publisher = University of Pennsylvania Press|ref = harv }}
*{{Cite journal |author = Todd Hedrick |authorlink = |title = Race, Difference, and Anthropology in Kant's Cosmopolitanism |date = 2008 |publisher = The Johns Hopkins University Press |journal = Journal of the History of Philosophy |volume = 46|issue = 2 |naid = |pages = 245-268 |ref = harv }}
*{{Cite journal |author = Pauline Kleningeld |title = Kant's Second Thoughts on Race |date = 2007 |publisher = Blackwell Publishing |journal = Philosophical Quarterly |volume = 57|issue = 229 |naid = |pages = 573-592 |ref = harv }}
*{{Cite book |last= |first= |author= Jon M. Mikkelsen|chapter= Translator’s Introduction : Recent Work on Kant’s Race Theory , The Texts , The Translations |year= 2013 |month=8 |editor= Jon M. Mikkelsen |title= Kant and the Concept of Race: Late Eighteenth-Century Writings | publisher= State University of New York Press |page= 1- 20 |id= |isbn= 978-1438443614 |ref= harv}}
*{{Cite book |author= Charles W. Mills |authorlink= | chapter=Kant's Untermenschen |year=2005 |title= Race and Racism in Modern Philosophy |publisher= Cornell University Press | editor=Andrew Valls | page= 169-193 |id= |isbn= |ref= harv}}
**Charles W. Mills , Black Rights/White Wrongs: The Critique of Racial Liberalism, Oxford University Press,2017年収載。
*{{Cite book |author=Charles W. Mills | chaper=Critical Philosophy of Race | title=The Oxford Handbook of Philosophical Methodology | Oxford University Press| editor=Herman Cappelen,Tamar Szabo Gendler,John Hawthorn |page= 709-732 |year= 2016 |month= 7 |isbn= 978-0199668779|ref= harv}}
*{{Cite journal |author = Tsenay Serequeberhan | title= Eurocentrism in Philosophy: The Case of Immanuel Kant | year = 1996 |publisher = |journal = The Philosophical Forum |volume = 27|issue = 4| Summer 1996 | ref= harv }}
*{{Cite book |author=Andrew Vallis| chapter= A lousy Empirical Scientist | title= Race and Racism in Modern Philosophy | publisher= Cornell University Press |page= 127- 149 |year= 2005 |month=9 |editor= Andrew Vallis| id= |isbn= 978-0801472749 |ref= harv}}
*{{Cite book | editor = Julie K. Ward and Tommy Lott | title= Philosophers on Race : Critical Essays | year = 2002 | publisher= Oxford: Blackwell Publishing |ref= harv}}
*{{Cite web |author = Julie K. Ward | url = http://www.thecritique.com/articles/the-roots-of-modern-racism/ |title = The Roots Of Modern Racism |date = 2016-09-13 |publisher = The Critique. |volume = |accessdate=2017-09-2 |ref = harv}}
== 関連項目 ==
{{wikisourcelang|de|Immanuel Kant|イマヌエル・カント}}
{{Wikiquote|イマヌエル・カント}}
{{commons|Immanuel Kant}}
*[[アプリオリ]]
*[[新カント派]]
*[[不可知論]]
*[[人格主義]]
=== 日本のカント学者(故人) ===
*[[桑木厳翼]]
*[[天野貞祐]]
*[[山崎正一]]
*[[岩崎武雄]]
*[[高坂正顕]]
*[[高峯一愚]]
*[[原佑]]
*[[小倉貞秀]]
*[[浜田義文]]
*[[石川文康]]
*[[宇都宮芳明]]
*[[坂部恵]]
== 外部リンク ==
*[https://korpora.zim.uni-duisburg-essen.de/Kant/ ボン大学によるアカデミー版カント全集]
*[[坂部恵]]、秋間実「[http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88%EF%BC%88Immanuel%20Kant%EF%BC%89/ カント]」({{Wayback|url=http://100.yahoo.co.jp/ |title=Yahoo!百科事典 |date=20081211095721}})
*[http://www.fuchu.or.jp/~d-logic/jp/books/kant.html 『カント全集 第十巻 自然の形而上学』] - [[理想社]]版『カント全集』第10巻の解説
*{{青空文庫著作者|902|カント イマヌエル}}
*{{Wayback|url=http://www.geocities.co.jp/hgonzaemon/ |title=『純粋理性批判』の部分訳:「感性論」「概念の分析論」のみ |date=20090204101125}} 世界の古典つまみぐい
*{{SEP|kant|Immanuel Kant}}
* {{Kotobank|カント(Immanuel Kant)}}
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[[Category:イマヌエル・カント|*]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88 |
7,114 | アリアン | アリアン(Ariane、アリアーヌ)は、欧州宇宙機関 (ESA) が開発した人工衛星打ち上げ用ロケットシリーズである。アリアンの名前はギリシア神話に登場するクレタ島の王ミノスの王女で、テセウスを迷宮から助けたアリアドネのフランス語読みからとられた。
ESAの前身の欧州ロケット開発機構(ELDO)が開発したヨーロッパロケットの後継ロケットシリーズにあたり、アリアンはその構成から大きく分けてアリアン1から4までの第1世代と、アリアン5からの第2世代とに分かれる。
ESAは最初のアリアン1の開発と打ち上げを1979年12月に成功させ、以後、アリアン2、アリアン3、アリアン4、アリアン5と大型化したロケットを次々と開発してきた。打ち上げは新たに設立したアリアンスペースに委託しており、アリアンロケットはおそらく商用打ち上げとしてもっとも成功したロケットということができる。打上げはフランス領ギアナに設けられたフランス国立宇宙センター (CNES) のクールー宇宙センターから行われるが、ここは北緯6度と赤道に近く静止軌道に打上げを行うには極めて適した場所である。
3段式ロケットで、各段の概要は次の通り:
アリアン1は静止トランスファ軌道への投入質量は1,850kgで、全長50m、全質量207,200kg。
アリアン2はアリアン1の1,2段目の推力を増強し、3段目の推力と燃料搭載量を増したもので、静止トランスファ軌道への投入質量は2,175kg。全長52m、全質量248,300kg。
アリアン3はアリアン2に固体ブースター(PAP)を付加したもので、静止トランスファ軌道への投入質量は2,580kg。
アリアン4は、さらに1段目と3段目の燃料搭載量を増しており、液体および固体ブースターを2本ずつ合わせて4本まで付加可能な構成で、ペイロードに応じて経済的な利用が可能。最強のアリアン44Lでは、液体ブースター(ヴァイキング5C)を4本搭載し、静止トランスファ軌道への投入質量は4,947kgもある。全長58.4m、全質量240,000~470,00kg。
アリアン5は、アリアン4までとは異なり、全く新規に開発された大型ロケット。 フランス及びESAの有人宇宙船計画「エルメス」に用いる予定であったが、ESAが資金難となったことからキャンセルされた。このため商用衛星打ち上げ専用となり、その巨大な打ち上げ能力を生かして大型衛星を複数個同時に打ち上げられることを特徴とする。
最初の打ち上げは1996年6月4日の試験機V88で、これは一段目エンジンの制御ソフトウェアの欠陥のため失敗に終わったが、翌1997年10月30日の試験機V101で成功した。最初14回中のうち2回失敗、2回の部分的な成功と不安定であったが、その後、2006年12月8日現在まで16回連続で、合計30回中28回成功(そのうち部分的な成功2回含む)となっている。アメリカのアトラスVとデルタIV、ファルコン9、ロシアのプロトン、中国の長征3号、日本のH-IIAなどと宇宙ビジネスを争う大型使い捨てロケット(ELV)である。
1段目は全長30m重量はおよそ190トンでその中で液体水素と液体酸素が175トンを占め、でヴァルカンIIの推力はおよそ1.4kNである。離陸時の推力は両側の固体燃料補助ロケットでそれぞれの重量は277トン、推力は7.1 kNでかつては飛行後の調査のために回収されていたが、近年では打ち上げ後海底に沈む。
上記基本構成(アリアン 5G)の場合の仕様は、全長52m、直径5.4m、打上時質量710,000kg、静止トランスファ軌道への投入能力は5,970kg(後に6,200kgまで引き上げ)である。5Gは、2003年9月に最後の打ち上げを行い、5G+に引き継がれた。
アリアンGSは2002年のアリアンECAの最初の飛行の失敗後に製造された。アリアン5GSはコアを改良したアリアン5ECAを基に製造された。これらの改良により、重量が増加したため、静止トランスファ軌道への投入能力は単一の打ち上げ時には6.6トンに、複数機の打ち上げ時に5.8トンに減った。
アリアン5 ECA (Evolution Cryotechnique type A)は第4で現行のアリアン5で2005年に最初に打ち上げに成功した。動力は改良型のヴァルカンIIで2段目には極低温上段を備える。さらに補助ロケットの重量が低減され、これらによりアリアン5ECAは静止トランスファ軌道(GTO)への打ち上げ能力が単一の機体で9.6トン、2機打ち上げ時には9.1トンへ向上した。
第5の機種のアリアン5 ES (Evolution Storable)は低軌道特化型で21トンの打ち上げ能力を有し、2008年以降欧州補給機(ATV)の高度260kmの円軌道への打ち上げに5回使用される。
2012年11月20日から21日に欧州宇宙機関の首脳会合で既存のアリアン5 ECAとアリアン5 ESを置き換えるためにアリアン5の第6の機種のアリアン5 ME (Midlife Evolution)の開発が審議された。予定ではアリアン5MEは既存の1段目と固体燃料補助ロケットを引き続き使用して現在開発中のヴィンチエンジンを搭載した上段を備える予定だった。それによりアリアン5MEの静止トランスファ軌道への2機の打ち上げ時の投入能力は12トンになり、2018年に初飛行の予定だった。ドイツとフランスの長期間の協議後、フランスの支持を得られず、2014年12月に中止された。MEは開発に着手して2年経っていたにもかかわらず、(フランス企業が主導権を握る)アリアン6を進めるエアバス・ディフェンス・アンド・スペースとサフランにより中止に至った。 アリアン5MEは現行のアリアン5ECAよりも費用がかかる事が予想され、一応、民間企業であるアリアンスペース社の帳尻を合わせるためには毎年ESAからおよそ1億ユーロの拠出を継続する必要があると予想された。フランス側としてはアリアン5MEに投じる予算を2022年頃に就役するために新型のアリアン6に投資する方が望ましいと主張していた。この時点でのアリアン6の設計案では2機の固体推進剤の段の上に極低温上段を備えるという案で商業市場とロケットの製造で(固体推進剤の製造から外れる)ドイツの産業界からの批判を受けていた。 2014年9月時点でのアリアン6の設計では1段目が固体、2段目と3段目が極低温段で複数の固体推進剤の補助ロケットを備える。欧州宇宙機関のヴェガロケットを含む打ち上げ機の費用は年間8億ユーロを超えるべきではなく、アリアン5MEとアリアン6の両方の計画を並行して進める事はできず、どちらかを遅らせるか中止しなければならなかった。アリアン5MEの支持者達は打ち上げ費用を10%低減可能で現在の政府からの支援内で採算が取れる主張した。アリアン6の懐疑論者達はアリアン6の初期の設計の段階で年間10機の打ち上げで1機毎の費用を7000万ユーロに抑える事を目標にしていたが既に8000万ユーロを超えると予想していた。
1段目と2段目が液体燃料ロケットで1段目にはアリアン5で使用されている現行のヴァルカンII、2段目にはアリアン5MEのために開発中だったヴィンチエンジンを搭載する極低温上段を使用する。固体燃料補助ロケットはヴェガCロケットと共用する予定。 | [
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] | アリアン(Ariane、アリアーヌ)は、欧州宇宙機関 (ESA) が開発した人工衛星打ち上げ用ロケットシリーズである。アリアンの名前はギリシア神話に登場するクレタ島の王ミノスの王女で、テセウスを迷宮から助けたアリアドネのフランス語読みからとられた。 ESAの前身の欧州ロケット開発機構(ELDO)が開発したヨーロッパロケットの後継ロケットシリーズにあたり、アリアンはその構成から大きく分けてアリアン1から4までの第1世代と、アリアン5からの第2世代とに分かれる。 ESAは最初のアリアン1の開発と打ち上げを1979年12月に成功させ、以後、アリアン2、アリアン3、アリアン4、アリアン5と大型化したロケットを次々と開発してきた。打ち上げは新たに設立したアリアンスペースに委託しており、アリアンロケットはおそらく商用打ち上げとしてもっとも成功したロケットということができる。打上げはフランス領ギアナに設けられたフランス国立宇宙センター (CNES) のクールー宇宙センターから行われるが、ここは北緯6度と赤道に近く静止軌道に打上げを行うには極めて適した場所である。 | [[File:Ariane 5, Musee de l'Air et de l'Espace, Le Bourget, Paris. (8208975545).jpg|300px|thumb|アリアン5]]
'''アリアン'''(Ariane、アリアーヌ)は、[[欧州宇宙機関]] (ESA) が開発した[[人工衛星]]打ち上げ用[[ロケット]]シリーズである。アリアンの名前は[[ギリシア神話]]に登場する[[クレタ島]]の王[[ミーノース|ミノス]]の王女で、[[テーセウス|テセウス]]を迷宮から助けた[[アリアドネー|アリアドネ]]のフランス語読みからとられた。
ESAの前身の[[欧州ロケット開発機構]](ELDO)が開発した[[ヨーロッパ (ロケット)|ヨーロッパロケット]]の後継ロケットシリーズにあたり、アリアンはその構成から大きく分けてアリアン1から4までの第1世代と、アリアン5からの第2世代とに分かれる。
ESAは最初の[[アリアン1]]の開発と打ち上げを[[1979年]]12月に成功させ、以後、[[アリアン2]]、[[アリアン3]]、[[アリアン4]]、[[アリアン5]]と大型化したロケットを次々と開発してきた。打ち上げは新たに設立した[[アリアンスペース]]に委託しており、アリアンロケットはおそらく商用打ち上げとしてもっとも成功したロケットということができる。打上げは[[フランス領ギアナ]]に設けられた[[フランス国立宇宙センター]] (CNES) の[[クールー宇宙センター]]から行われるが、ここは北緯6度と[[赤道]]に近く[[静止軌道]]に打上げを行うには極めて適した場所である。
== アリアン1~4 ==
[[Image:Ariane-44lp.gif|thumb|300px|right|アリアン-44lp]]
[[Image:Ariane EPS 5 Oberstufe.JPG|300px|thumb|アリアン EPS 5 ]]
3段式ロケットで、各段の概要は次の通り:
; 第1段:ヴァイキングV×4基
: [[非対称ジメチルヒドラジン]](UDMH)と[[四酸化二窒素]](N2O4)を用いた液体ロケットエンジン
; 第2段:ヴァイキングIV
: 燃料は2型と同じ
; 第3段:HM7-A・HM7-B(アリアン2~4)
: [[液体酸素]](LOX)と[[液体水素]](LH2)を用いた液体ロケットエンジン
[[アリアン1]]は[[静止トランスファ軌道]]への投入質量は1,850kgで、全長50m、全質量207,200kg。
[[アリアン2]]はアリアン1の1,2段目の推力を増強し、3段目の推力と燃料搭載量を増したもので、静止トランスファ軌道への投入質量は2,175kg。全長52m、全質量248,300kg。
[[アリアン3]]はアリアン2に[[固体ロケットブースタ|固体ブースター]](PAP)を付加したもので、静止トランスファ軌道への投入質量は2,580kg。
[[アリアン4]]は、さらに1段目と3段目の燃料搭載量を増しており、液体および固体ブースターを2本ずつ合わせて4本まで付加可能な構成で、ペイロードに応じて経済的な利用が可能。<br/>最強のアリアン44Lでは、液体ブースター(ヴァイキング5C)を4本搭載し、静止トランスファ軌道への投入質量は4,947kgもある。全長58.4m、全質量240,000~470,00kg。
{| class="wikitable" style="font-size:90%;"
|+'''アリアン4ロケットの構成と打上げ能力'''
|-
! 形式 !! PAP !! PAL !! 最大ペイロード(kg) !! 打上回数(成功数)
|-
! アリアン40
| 0
| 0
| 2,800(*1)
| 7(7)
|-
! アリアン42P
| 2
| 0
| 2,960
| 15(14)
|-
! アリアン42L
| 0
| 2
| 3,490
| 13(13)
|-
! アリアン44P
| 4
| 0
| 3,460
| 15(15)
|-
! アリアン44L
| 0
| 4
| 4,900
| 40(39)
|-
! アリアン44LP
| 2
| 2
| 4,330
| 26(25)
|}
* PAPは固体燃料ブースター、PALは液体燃料ブースター
* ペイロードは[[静止トランスファ軌道]](GTO)への投入質量
* (*1)但しAriane40は[[低軌道]](LEO)の能力(GTOの打上げ実績なし)
== アリアン5 ==
[[Image:Ariane5.jpg|thumb|120px|right|アリアン5の模型]]
{{main|アリアン5}}
アリアン5は、アリアン4までとは異なり、全く新規に開発された大型ロケット。<br/>
フランス及びESAの有人宇宙船計画「[[エルメス (宇宙船)|エルメス]]」に用いる予定であったが、ESAが資金難となったことからキャンセルされた。このため商用衛星打ち上げ専用となり、その巨大な打ち上げ能力を生かして大型衛星を複数個同時に打ち上げられることを特徴とする。
最初の打ち上げは[[1996年]][[6月4日]]の試験機V88で、これは一段目エンジンの制御ソフトウェアの欠陥のため失敗に終わったが、翌[[1997年]][[10月30日]]の試験機V101で成功した。最初14回中のうち2回失敗、2回の部分的な成功と不安定であったが、その後、2006年12月8日現在まで16回連続で、合計30回中28回成功(そのうち部分的な成功2回含む)となっている<ref>[[2001年]][[7月12日]]に打ち上げたV142(アリアン5型の10号機)は第2段ロケットの推力不足から二つの衛星の静止トランスファ軌道への投入に失敗した。ESAの[[ARTEMIS]]は運用寿命と引き換えに最終軌道への投入に成功したが、日本の(株)[[放送衛星システム]]のデジタル放送衛星BSAT-2bは静止軌道への投入ができないため放棄された。一応成功にはカウントしているが、部分的な成功とすべきか。</ref><ref>[[2002年]][[12月11日]]、能力向上型アリアン5 ECAの最初の打上げ(V157)は1段目のヴァルカン2型エンジンの不具合で失敗に終わった。</ref>。アメリカの[[アトラスV]]と[[デルタIV]]、[[ファルコン9]]、[[ロシア]]の[[プロトン (ロケット)|プロトン]]、[[中華人民共和国|中国]]の[[長征 (ロケット)|長征]]3号、日本の[[H-IIAロケット|H-IIA]]などと宇宙ビジネスを争う大型使い捨てロケット(ELV)である。
; 第1段:[[ヴァルカンエンジン|ヴァルカン]] × 1基
: [[液体酸素]](LOX)と[[液体水素]](LH2)を用いた液体ロケットエンジン。直径5.4m、全長31.6m、推力113,600kgf。
; ブースター:P230 × 2基
: [[固体ロケットブースタ|固体燃料ブースター]]で、直径3.1m、全長31.6mで、推力は各660,000kgf。
; 第2段:[[エスタス (ロケットエンジン)|エスタス]]
: [[モノメチルヒドラジン]](MMH)と[[四酸化二窒素]](N<sub>2</sub>O<sub>4</sub>)による液体燃料ロケット。
1段目は全長30m重量はおよそ190トンでその中で液体水素と液体酸素が175トンを占め、でヴァルカンIIの推力はおよそ1.4kNである。離陸時の推力は両側の固体燃料補助ロケットでそれぞれの重量は277トン、推力は7.1 kNでかつては飛行後の調査のために回収されていたが、近年では打ち上げ後海底に沈む<ref name="Past and Current Ariane Launchers" />。
上記基本構成(アリアン 5G)の場合の仕様は、全長52m、直径5.4m、打上時質量710,000kg、[[静止トランスファ軌道]]への投入能力は5,970kg(後に6,200kgまで引き上げ)である。5Gは、2003年9月に最後の打ち上げを行い、5G+に引き継がれた。
アリアンGSは2002年のアリアンECAの最初の飛行の失敗後に製造された。アリアン5GSはコアを改良したアリアン5ECAを基に製造された。これらの改良により、重量が増加したため、[[静止トランスファ軌道]]への投入能力は単一の打ち上げ時には6.6トンに、複数機の打ち上げ時に5.8トンに減った<ref name="Past and Current Ariane Launchers">[http://www.spacesafetymagazine.com/aerospace-engineering/rocketry/past-current-ariane-5-launchers/ Past and Current Ariane Launchers]</ref>。
アリアン5 ECA (Evolution Cryotechnique type A)は第4で現行のアリアン5で2005年に最初に打ち上げに成功した。動力は改良型のヴァルカンIIで2段目には極低温上段を備える。さらに補助ロケットの重量が低減され、これらによりアリアン5ECAは静止トランスファ軌道(GTO)への打ち上げ能力が単一の機体で9.6トン、2機打ち上げ時には9.1トンへ向上した<ref name="Past and Current Ariane Launchers" />。
第5の機種のアリアン5 ES (Evolution Storable)は低軌道特化型で21トンの打ち上げ能力を有し、2008年以降[[欧州補給機]](ATV)の高度260kmの円軌道への打ち上げに5回使用される<ref name="Past and Current Ariane Launchers" />。
2012年11月20日から21日に[[欧州宇宙機関]]の首脳会合で既存のアリアン5 ECAとアリアン5 ESを置き換えるためにアリアン5の第6の機種のアリアン5 ME (Midlife Evolution)の開発が審議された<ref>[http://www.safran-group.com/media/20121128_safrans-role-upcoming-ariane-5-me-and-ariane-6-launchers Safran's role on the upcoming Ariane 5 ME and Ariane 6 launchers ]</ref>。予定ではアリアン5MEは既存の1段目と固体燃料補助ロケットを引き続き使用して現在開発中の[[Vinci (ロケットエンジン)|ヴィンチ]]エンジンを搭載した上段を備える予定だった<ref>[http://www.usinenouvelle.com/article/une-ariane-6-des-2019-et-pas-d-ariane-5me.N284638 Une Ariane 6 dès 2019 et pas d'Ariane 5ME]</ref>。それによりアリアン5MEの静止トランスファ軌道への2機の打ち上げ時の投入能力は12トンになり、2018年に初飛行の予定だった。ドイツとフランスの長期間の協議後、フランスの支持を得られず、2014年12月に中止された。MEは開発に着手して2年経っていたにもかかわらず、(フランス企業が主導権を握る)[[アリアン6]]を進める[[エアバス・ディフェンス・アンド・スペース]]と[[サフラングループ|サフラン]]により中止に至った<ref name="Past and Current Ariane Launchers" />。
アリアン5MEは現行のアリアン5ECAよりも費用がかかる事が予想され、一応、民間企業である[[アリアンスペース]]社の帳尻を合わせるためには毎年ESAからおよそ1億ユーロの拠出を継続する必要があると予想された<ref name="spacenews" />。フランス側としてはアリアン5MEに投じる予算を2022年頃に就役するために新型のアリアン6に投資する方が望ましいと主張していた。この時点でのアリアン6の設計案では2機の固体推進剤の段の上に極低温上段を備えるという案で商業市場とロケットの製造で(固体推進剤の製造から外れる)ドイツの産業界からの批判を受けていた<ref name="spacenews" />。
2014年9月時点でのアリアン6の設計では1段目が固体、2段目と3段目が極低温段で複数の固体推進剤の補助ロケットを備える。欧州宇宙機関の[[ヴェガロケット]]を含む打ち上げ機の費用は年間8億ユーロを超えるべきではなく、アリアン5MEとアリアン6の両方の計画を並行して進める事はできず、どちらかを遅らせるか中止しなければならなかった<ref name="spacenews" />。アリアン5MEの支持者達は打ち上げ費用を10%低減可能で現在の政府からの支援内で採算が取れる主張した。アリアン6の懐疑論者達はアリアン6の初期の設計の段階で年間10機の打ち上げで1機毎の費用を7000万ユーロに抑える事を目標にしていたが既に8000万ユーロを超えると予想していた<ref name="spacenews">[http://spacenews.com/41770esa-ministerial-in-doubt-as-france-germany-remain-far-apart-on-future/ #sthash.LqwUn4lO.dpuf ESA Ministerial in Doubt as France, Germany Remain Far Apart on Future Launcher]</ref>。
{{main|アリアン5}}
; アリアン5Gの改良型
:* アリアン5G+: 2004年に3機のみ飛行した2段目を改良したタイプで静止トランスファ軌道への投入能力は6,950kgであったが、以後は、5GSとECAに引き継がれた。
:* アリアン5GS: 2005年8月に初飛行し。静止トランスファ軌道への投入能力は6,800kg。2009年までに6機が飛行した。
:* アリアンESC: 2002年11月に初飛行に失敗し、2005年2月に初めて飛行に成功。1段([[ヴァルカンエンジン#ヴァルカン2|ヴァルカンII]]エンジン)、2段(アリアン4で使用していた液体酸素と液体水素を使うHM-7Bエンジン)、固体ロケットブースタ(P241)を全て改良し、静止トランスファ軌道への投入能力を10,500kgにまで大幅に強化した。
:* アリアン5 ES-ATV: 2008年3月に初飛行。[[国際宇宙ステーション]]への物資補給を行うATV([[欧州補給機]])打ち上げ専用。低軌道へ21トンの投入能力を有する<ref name="Past and Current Ariane Launchers" />。
:* アリアン5 ME:アリアンESCとアリアン5 ESを置き換える目的で従来の1段目と固体燃料補助ロケットを流用して新たに開発中だった複数回の始動が可能な[[Vinci (ロケットエンジン)|ヴィンチ]]エンジンを搭載する極低温上段を搭載する予定だった。開発に着手して2年が経過していたが[[アリアン6]]の開発に注力するために中止された。
== アリアン6 ==
{{main|アリアン6}}
[[File:Ariane 62 and 64.svg|200px|thumb|左:アリアン62 右:アリアン64]]
1段目と2段目が液体燃料ロケットで1段目にはアリアン5で使用されている現行の[[ヴァルカンエンジン#ヴァルカン2|ヴァルカンII]]、2段目にはアリアン5MEのために開発中だった[[Vinci (ロケットエンジン)|ヴィンチ]]エンジンを搭載する極低温上段を使用する。固体燃料補助ロケットは[[ヴェガロケット#ヴェガC|ヴェガCロケット]]と共用する予定<ref>[http://seradata.com/SSI/2014/11/ariane-5-me-midlife-evolution-is-dead-long-live-ariane-6/ Ariane 5 ME (Midlife Evolution) is dead: Long live Ariane 6]</ref>。
== 関連項目 ==
* [[宇宙開発]]
* [[ロケット]]
* [[欧州宇宙機関]] ESA
* [[フランス国立宇宙センター]] CNES
* [[アリアンスペース]]
* [[クールー宇宙センター]]
* [[アリアン1-4の打ち上げ履歴]]
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
{{Commons|Ariane (rocket)}}
* [http://www.esa.int/export/esaCP/index.html ESA]
* [http://www.cnes.fr/WEB_UK/index.htm CNES(英語版)]
* [http://www.arianespace.com/ Arianespace社]
* [http://www.sorae.jp/030806/ アリアン | sorae.jp]
* [http://www.safran-group.com/space サフラン]
{{European launch systems}}
{{Expendable launch systems}}
{{Rocket families}}
[[Category:ロケット|ありあん]]
[[Category:欧州宇宙機関|ありあん]] | 2003-04-22T08:46:12Z | 2023-10-11T01:06:53Z | false | false | false | [
"Template:Reflist",
"Template:Commons",
"Template:European launch systems",
"Template:Expendable launch systems",
"Template:Rocket families",
"Template:Main"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3 |
7,117 | EPWING | EPWING(イーピーウィング)は、電子辞書の標準形式。EPWINGのサブセット(V1相当)がJIS X 4081「日本語電子出版検索データ構造」として制定されている。
1986年(昭和61年)、富士通、岩波書店、ソニー、大日本印刷の4社が広辞苑第三版CD-ROM版(ワープロ専用機の富士通オアシス用ドライブに特化した製品で、1987年発売)のために共同で制作し、この仕様を「WING」と名づけた。この時の富士通の開発担当者は片岡正弘。
1988年(昭和63年)にCD-ROMの論理フォーマットであるISO 9660が制定されると、各社はWINGをISO 9660上に移し、より汎用性を持たせたEPWING規約(Electronic Publishing-WING:電子出版WING規格)第1版(V1)を制定。同時に、電子出版物を共通フォーマットで推進することを目的に、それらを制作する企業で構成されるEPWINGコンソーシアム を1991年に結成した。この時に参加した企業は 岩波書店、大日本印刷、凸版印刷、富士通、ソニー である。 電子ブック (EB)も、WING規格をもとにして拡張されたものである。
EPWINGは、続々と拡張され、計6仕様とEPWING STがある(「バージョン情報」)。EPWING STを除けば、それ以前の仕様は内包している。もちろん、新しくなるほど高機能なわけだが、古い仕様であれば、対応している検索ソフトも多い。
EPWINGのCD-ROMの基本構成(V1)を以下に示す。ルートディレクトリにはCATALOGSというファイルが1つあり、CD-ROMに含まれる辞書(複数の辞書・付録等)とその構成を示す。単一の辞書毎にサブディレクトリが(複数)あり、その下にDATAとGAIJIというサブディレクトリがある。DATAの下のHONMONには、本文データ(図版・音声)や検索インデックスが含まれる。GAIJIの下には、外字データ(ビットマップ)ファイルが置かれる。外字データファイルのファイル名は製品毎に異なる。
規格が進むにつれ(V2~)、ファイル構造も変化し、HONMON2(圧縮), HONMONG(グラフィックス:図版), HONMONS(サウンド:音声)などになっている場合がある。「JIS X 4081」では、理論上は1ファイル約190GBまでの書籍が構築可能である。
EPWINGの主要な検索方法は以下のとおり。ワイルドカードや正規表現は、基本的には使えない(検索ソフトによっては、ある程度対応している場合がある。(「機能紹介」)。
電子ブック(規格)と違い、ワープロ専用機や汎用のコンピュータで使用することを前提にしており、読みだけでなく、漢字でも検索できる。
初期のタイトルでは、音声がCD-DAで収録されているため、汎用のファイルシステムで扱うことができないが、まれである。
これまでにEPWINGで出版された主要タイトルを示す。(現在販売終了のものも含む 「ラインナップ」)
EPWINGは電子出版の共通フォーマットであり、さまざまな機種やOS用に検索ソフトが開発されている(「検索ソフト」)。ただしソフトウェアによってはEPWINGの上位規格(V2~V6・ST)の全てに対応していないことがある。また、古いソフトは、大容量(honmonサイズが、2GB/4GB を超える)辞書に対応していない場合や、ユーザー側が開発した独自仕様である ebzip形式で圧縮された辞書(honmon.ebz)に対応していないものが多くある。
後継・派生規格については仕様はオープンにはなっていない。
ONESWINGはEPWINGの後継規格とされるものである。これはマルチプラットフォーム展開、圧縮&暗号化&認証機能、高速な全文検索をうたっているものの、最近はスマートフォンアプリとしてのリリースが多く、デスクトップ向けの商品は少ない。
ロゴヴィスタ・電子辞典シリーズ(旧システムソフト電子辞典シリーズ)で採用されている辞書データの形式は、同社がJIS X 4081形式を基本仕様として改良・発展させていったフォーマット。最新版(『漢字源改訂第四版』、2008年12月現在)では独自の拡張方式(既存の未使用の「表の表示タグ」を転用すること)によりユニコード(JIS第三水準、第四水準、補助漢字)の表示にも対応した。
株式会社電子辞典 は、株式会社システムソフトをスピンアウトした開発スタッフが2002年に設立した会社だが、同社の辞典シリーズ(DDViewer)は、EPWING形式でも派生仕様でもないAtom形式なので注意が必要である。
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"text": "ONESWINGはEPWINGの後継規格とされるものである。これはマルチプラットフォーム展開、圧縮&暗号化&認証機能、高速な全文検索をうたっているものの、最近はスマートフォンアプリとしてのリリースが多く、デスクトップ向けの商品は少ない。",
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"text": "ロゴヴィスタ・電子辞典シリーズ(旧システムソフト電子辞典シリーズ)で採用されている辞書データの形式は、同社がJIS X 4081形式を基本仕様として改良・発展させていったフォーマット。最新版(『漢字源改訂第四版』、2008年12月現在)では独自の拡張方式(既存の未使用の「表の表示タグ」を転用すること)によりユニコード(JIS第三水準、第四水準、補助漢字)の表示にも対応した。",
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"text": "株式会社電子辞典 は、株式会社システムソフトをスピンアウトした開発スタッフが2002年に設立した会社だが、同社の辞典シリーズ(DDViewer)は、EPWING形式でも派生仕様でもないAtom形式なので注意が必要である。",
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] | EPWING(イーピーウィング)は、電子辞書の標準形式。EPWINGのサブセット(V1相当)がJIS X 4081「日本語電子出版検索データ構造」として制定されている。 | {{出典の明記|date=2023年11月}}
'''EPWING'''(イーピーウィング)は、[[電子辞書]]の標準形式。EPWINGのサブセット(V1相当)が[[JIS X 4081]]「日本語電子出版検索データ構造」として制定されている。
== 成立の経緯 ==
[[1986年]](昭和61年)、[[富士通]]、[[岩波書店]]、[[ソニー]]、[[大日本印刷]]の4社が[[広辞苑]]第三版[[CD-ROM]]版(ワープロ専用機の富士通オアシス用ドライブに特化した製品で、[[1987年]]発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nttcom.co.jp/comzine/no042/long_seller/index.html |title=岩波書店 広辞苑 ニッポン・ロングセラー考|website=COMZINE|publisher=NTTコムウェア |language=ja |date=2006-11 |accessdate=2023-03-05}}</ref>)のために共同で制作し、この仕様を「'''WING'''」と名づけた<ref name="jishogojiten">{{Cite book |和書 |author1= 見坊行徳|author2=稲川智樹 |title=辞書語辞典 |publisher=誠文堂新光社 |year=2021 |page=10 |isbn=9784416521137}}</ref>。この時の富士通の開発担当者は[[片岡正弘]]{{要出典|date=2023年3月}}。
[[1988年]](昭和63年)にCD-ROMの論理フォーマットである[[ISO 9660]]が制定されると、各社はWINGをISO 9660上に移し、より汎用性を持たせた'''EPWING'''規約('''E'''lectronic '''P'''ublishing-'''WING''':''電子出版WING規格'')第1版(V1)を制定。同時に、電子出版物を共通フォーマットで推進することを目的に、それらを制作する企業で構成される[http://www.epwing.or.jp/member/member.html EPWINGコンソーシアム]{{リンク切れ|date=2013年3月|archiveurl=https://web.archive.org/web/20060901221844/http://www.epwing.or.jp/}} を1991年に結成した。この時に参加した企業は [[岩波書店]]、[[大日本印刷]]、[[凸版印刷]]、[[富士通]]、[[ソニー]] である。
[[電子ブック (規格)|電子ブック (EB)]]も、WING規格をもとにして拡張されたものである。
== 仕様 ==
=== Version ===
EPWINGは、続々と拡張され、計6仕様とEPWING STがある([http://www.epwing.or.jp/lineup/version.html 「バージョン情報」]{{リンク切れ|date=2013年3月|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110815193904/http://www.epwing.or.jp/lineup/version.html}})。EPWING STを除けば、それ以前の仕様は内包している。もちろん、新しくなるほど高機能なわけだが、古い仕様であれば、対応している検索ソフトも多い。
;EPWING V1
:文字、白黒画像、音声([[CD-DA]])
;EPWING V2
:カラー画像、圧縮音声([[WAV]])
;EPWING V3
:動画([[MPEG-1]])
;EPWING V4
:データ圧縮、ハードディスクへのインストール
;EPWING V5
:[[JPEG]]などマルチメディア機能、数式など、表示機能の拡張
;EPWING V6
:ひらがな・カタカナインデックスの共通化と[[データ圧縮]]によるサイズ縮小
;EPWING ST
:対話型コンテンツ再生機能(デモンストレーションや学習用途)
=== ファイル構造 ===
EPWINGのCD-ROMの基本構成(V1)を以下に示す。ルートディレクトリにはCATALOGSというファイルが1つあり、CD-ROMに含まれる辞書(複数の辞書・付録等)とその構成を示す。単一の辞書毎にサブディレクトリが(複数)あり、その下にDATAとGAIJIというサブディレクトリがある。DATAの下のHONMONには、本文データ(図版・音声)や検索インデックスが含まれる。GAIJIの下には、[[外字]]データ(ビットマップ)ファイルが置かれる。外字データファイルのファイル名は製品毎に異なる。
[[ファイル:EPWING_DIR.jpg]]
規格が進むにつれ(V2~)、ファイル構造も変化し、HONMON2(圧縮), HONMONG(グラフィックス:図版), HONMONS(サウンド:音声)などになっている場合がある。「JIS X 4081」では、理論上は1ファイル約190GBまでの書籍が構築可能である。
== 検索方法 ==
EPWINGの主要な検索方法は以下のとおり。ワイルドカードや正規表現は、基本的には使えない(検索ソフトによっては、ある程度対応している場合がある。([http://www.epwing.or.jp/about/function.html 「機能紹介」]{{リンク切れ|date=2013年3月|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110815172543/http://www.epwing.or.jp/about/function.html}})。
;前方一致検索
:見出し語の前方に一致する部分だけを入力して、それを構成要素とすることばを検索する。"前方"や"ぜんぽう"で検索すると、"前方"自体だけでなく、"前方不注意"や、"ぜんぽうこうえんふん【前方後円墳】"なども見つかる。
;後方一致検索
:見出し語の後方に一致する部分だけを入力して、それを構成要素とすることばを検索する。"方向"や"ほうこう"で検索すると、"方向"自体だけでなく、"双方向"や、"はやしほうこう【林鳳岡】"なども見つかる。
;クロス検索・クロス条件検索 (見出し語中の語句の条件検索・[http://www.epwing.or.jp/about/function.html 見出語条件検索]{{リンク切れ|date=2012年12月|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110714134051/http://www.epwing.or.jp/about/function.html}})
:見出し語中の複合語を構成する各構成語(英字・数字・漢字・かな・カナ等)で検索する。
;[http://www.epwing.or.jp/about/function_03.html 条件検索]{{リンク切れ|date=2013年3月|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110815130638/http://www.epwing.or.jp/about/function_03.html}} (本文中のキーワード検索)
:本文中のキーワードを指定して、その言葉のふくまれる項目を検索することができる。見出し語ではなく、語釈中(本文)の単語を検索する。ただし、そのタイトル辞書の制作時に特別に切り出した特定の単語に対してインデックスを付与した場合にのみしかマッチしないので、実際に使用した場合には、語釈中に存在する任意の単語が見つからない場合もある。また、そもそもこのインデックス自体を最初から持っていない(インデックスサイズが膨大になり辞書自体のサイズが肥大化する、また、インデックス作業が非常に煩雑になるなどのために省いた)辞書も多くある。
;複合検索 ([http://www.epwing.or.jp/about/function_04.html ジャンル別検索]{{リンク切れ|date=2012年12月|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110714134112/http://www.epwing.or.jp/about/function_04.html}})
:そのタイトルの分野別・カテゴリー別検索方法。例えば漢和辞典であれば、読み・部首・画数のそれぞれを指定して検索する。(製品によっては、ジャンル別検索と呼称することがある)
;メニュー検索
:本の目次から本文の該当箇所を引くように、階層化されたメニューからその項目を選択することができる。
;カラーメニュー
:ビジュアルな画面の該当箇所を選択することで、その項目を検索できる。(例:「[[広辞苑]]第5版・第6版」)
[[電子ブック_(規格)|電子ブック(規格)]]と違い、ワープロ専用機や汎用のコンピュータで使用することを前提にしており、読みだけでなく、漢字でも検索できる。
初期のタイトルでは、音声が[[CD-DA]]で収録されているため、汎用のファイルシステムで扱うことができないが、まれである。
== 主要タイトル ==
これまでにEPWINGで出版された主要タイトルを示す。(現在販売終了のものも含む [http://www.epwing.or.jp/lineup/lineup.html 「ラインナップ」]{{リンク切れ|date=2013年3月|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110810192410/http://www.epwing.or.jp/lineup/lineup.html}})
===統合辞書===
:
*スーパー統合辞書2006 富士通 『広辞苑第五版』(23万語)/『リーダーズ英和辞典第2版』(27万語)/『新和英中辞典第5版』/『漢字源』/『現代用語の基礎知識2006年版』/『四字熟語辞典』/『カタカナ新語辞典』
*岩波日本語表現辞典 岩波書店 『岩波国語辞典第六版』(6万3千語)/『岩波新漢語辞典第二版』/『類語情報』(4万7千語)
*旺文社版マルチ辞書 旺文社 『ニューサンライズ英和・和英辞典』(4万3千語/3万3千語)/『旺文社国語辞典第八版』(7万7千語)/『カタカナ語新辞典第四版』(1万1千語)/『早引きワープロ辞典』※販売終了
*三省堂辞典館 三省堂 『新辞林』(15万項目)/『三省堂現代国語辞典』(6万語)/『コンサイス外来語』(3万3千語)/『ニューセンチュリー英和辞典』(4万語)/『新クラウン和英辞典』(3万1千語)/『デイリーコンサイス英和辞典第5版・和英辞典第4版』/『必携故事ことわざ・慣用句・類語実用・用字用語・手紙実用文辞典』/『ワープロ漢字辞典』 ※販売終了
*辞典盤97 アスキー 『岩波国語辞典』/『研究社新英和・和英中辞典』/『知恵蔵』/『マイペディア』 ※販売終了
*辞典盤Pro アスキー 『広辞苑第四版』/『リーダーズ英和辞典』 ※販売終了
===国語・漢字・類語===
:
*広辞苑第六版[DVD] 岩波書店『広辞苑第六版』 (24万語)
*広辞苑第五版 富士通/岩波書店/インターチャネル 『広辞苑第五版』 (23万語)
*三省堂スーパー大辞林第2版 三省堂 『大辞林第二版』(23万3千語)/『デイリーコンサイス英和辞典第5版・和英辞典第4版』(5万7千語/6万3千語)/漢字辞典※販売終了
*学研現代新国語辞典・漢字源 富士通 『学研現代新国語辞典』(6万5千語)/『漢字源』
*岩波国語辞典 岩波書店 『岩波国語辞典第六版』
*岩波新漢語辞典第二版 岩波書店 『岩波新漢語辞典第二版』
*研究社類義語使い分け辞典 研究社 『研究社類義語使い分け辞典』
*日本語語彙大系 岩波書店 『岩波日本語語彙大系』
===現代用語===
:
*現代用語の基礎知識 自由国民社/富士通 『現代用語の基礎知識』 ※毎年改訂版が出版される
===英語===
:
*新英和大辞典第6版 研究社 『新英和大辞典第6版』(26万語)
*新和英大辞典第5版 研究社 『新和英大辞典第5版』(23万語/25万用例)
*新英和・和英中辞典 富士通 『新英和中辞典第7版』(10万語)/『新和英中辞典第5版』(9万7千語)
*新英和・和英中辞典 研究社/富士通 『新英和中辞典第6版』(9万語)/『新和英中辞典第4版』(7万語)※販売終了
*新編英和活用大辞典 研究社/富士通 『新編英和活用大辞典』(38万用例)
*研究社ビジネス英語スーパーパック 研究社 『ビジネス英和辞典』(3万4千項目)/『総合ビジネス英語文例事典』(7千文例)/『リーダーズ英和辞典初版』(26万語) ※販売終了
*リーダーズ+プラスV2 研究社/富士通 『リーダーズ英和辞典第2版』(27万語)/『リーダーズ・プラス』(19万語)
*新英和中辞典 ソースネクスト 『研究社新英和中辞典第7版』(10万語)
*新和英中辞典 ソースネクスト 『研究社新和英中辞典第5版』(9万7千語)
*新リトル英和・和英辞典 ソースネクスト 『研究社新リトル英和辞典第6版』(6万2千語)/『新リトル和英辞典』(6万3千語)/英和コンピュータ用語辞典(4千2百語)
*CD-科学技術45万語対訳辞典 英和・和英 日外アソシエーツ 『科学技術45万語対訳辞典 英和・和英』(45万語)
*CD-180万語対訳大辞典英和・和英 日外アソシエーツ 『180万語対訳大辞典英和・和英』
*新グローバル&ニューセンチュリー英和・和英辞典 三省堂 『新グローバル英和辞典』(9万3千語)/『ニューセンチュリー和英辞典』(4万1千語) ※販売終了
*ジーニアス英和大辞典 大修館書店 『ジーニアス英和大辞典』(25万5千語)
*ジーニアス英和(第4版)・和英辞典(第2版)[DVD] 大修館書店 『ジーニアス英和辞典第4版』(9万6千語)/『ジーニアス和英第2版』(8万2千語)
*ジーニアス英和(第3版)・和英辞典 大修館書店 『ジーニアス英和辞典第3版』(9万5千語)/『ジーニアス和英辞典』(8万語) ※販売終了
*新・実用英語ハンドブック 大修館書店 『実用英語ハンドブック 』
*CD-NEW斎藤和英大辞典 日外アソシエーツ 『斎藤和英大辞典』(5万語/15万文例)
*学研ニューアンカー英和・和英辞典 富士通 『ニューアンカー英和・和英辞典』(5万1千語/2万5千語)
*『ビジネス技術実用英語大辞典V6 英和・和英』 プロジェクトポトス (英和2万4千語/和英2万7千語/用例11万9千件)
===外国語===
:
*クラウン独和辞典 三省堂 『クラウン独和辞典』(5万2千語)/『デイリーコンサイス英和辞典第5版』 ※販売終了
*クラウン仏和辞典 三省堂 『クラウン仏和辞典』(4万4千語)/『デイリーコンサイス英和辞典第5版』 ※販売終了
===専門===
:
*岩波理化学辞典 岩波書店/富士通 『岩波理化学辞典第5版』
*岩波生物学辞典 岩波書店 『岩波生物学辞典第4版』
*岩波日本史辞典 岩波書店 『岩波日本史辞典』
*岩波=ケンブリッジ世界人名辞典 岩波書店 『岩波=ケンブリッジ世界人名辞典』
*法律用語辞典 富士通 『自由国民社 法律用語辞典』
*研究社理化学英和辞典 研究社 『研究社理化学英和辞典』
*研究社医学英和辞典 研究社 『研究社医学英和辞典』
*研究社シェイクスピア辞典 研究社 『研究社シェイクスピア辞典』
*三省堂模範六法 三省堂 『三省堂模範六法2002年版』※販売終了
*心理学辞典 有斐閣 『有斐閣心理学辞典』
== 検索ソフトウェア ==
EPWINGは電子出版の共通フォーマットであり、さまざまな機種やOS用に検索ソフトが開発されている([http://www.epwing.or.jp/lineup/view/index.html 「検索ソフト」]{{リンク切れ|date=2013年3月|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110815172155/http://www.epwing.or.jp/lineup/view/index.html}})。ただしソフトウェアによってはEPWINGの上位規格(V2~V6・ST)の全てに対応していないことがある。また、古いソフトは、大容量(honmonサイズが、2GB/4GB を超える)辞書に対応していない場合や、ユーザー側が開発した独自仕様である ebzip形式で圧縮された辞書(honmon.ebz)に対応していないものが多くある。
===市販EPWING検索ソフトウェア===
*CDView (OASYS/Japanistに付属) - [[富士通]](株)
*ロボワード/訳しマウス! - (株)テクノクラフト
*[http://www.est.co.jp/products/viewing/ ViewIng/インターネットViewIng] - イースト(株)
*ViewIng Light (Freeware) - イースト(株)/ソニー(株)
*ことといLight (Bundle) - 岩波書店/大日本印刷(株)
*こととい (95Reader 読み上げ対応) - (株)SSCT
*電子辞典ビューア (EGBRIDGE に付属) - (株)[[エルゴソフト]]
*CD-ROM検索ソフトウェア - [[NECインターチャネル]](株)
*[http://www.kgc.co.jp/denjiman.html 電辞萬] (販売終了) - 計測技研(株)
*CAT'S EYE 翻訳 - ロジカルテック(株)
*WordOnSight (Shareware) - [[NEC情報システムズ]](株)
*Dr.eye EPWING Viewer (Freeware) - INVENTEC Co.
*CD検索アクセサリ (VJE-Delta に付属) - (株)バックス
*MyDic (マイディック) (PC-Talkerなどが必要) - (株)高知システム開発
*JammingLight (Jammingのライト版) - 今井あさと
*[[対訳君]] (JammingLight搭載) - (株)MCL
*The翻訳プロフェッショナル/スーパー - [[東芝デジタルソリューションズ]](株)
*[[超漢字]]統合辞書 (OS: BTRON3/超漢字4) - パーソナルメディア(株)
*本格翻訳5 シリーズ - [[ソースネクスト]](株)
*PC-Transer 翻訳スタジオ - (株)[[クロスランゲージ]]
*CROSSROAD - [[日本電気]](株)
===オンラインソフトウェア (Free/Share/Paid)===
*[[Microsoft Windows]] - [http://homepage2.nifty.com/ddwin DDwin], Jamming for Windows(Shareware), [http://ebview.sourceforge.net EBView], [http://ebstudio.info/manual/EBWin4/EBWin4.html EBWin4], PDIC(Shareware), EPWING QuickViewer, ALTAIR for Windows, digdic, Dicregate
*[[Mac OS]](X) - [http://www.afternooncafe.jp/kotonoko/ コトノコ], Logophile, Jamming for Macintosh(Shareware), CeDar(PPC), 書見台(68K|PPC), かものす, mc (matrix calculator), CalendarMemo, oDictionary, ものしりフクロウ(68K|PPC), PDIC Viewer, qolibri, [http://www.fiveflavors.com/sebastopol/ Sebastopol EB] (「EB4Jライブラリ」使用), [http://ebstudio.info/manual/EBMac/ EBMac]
*[[iOS]]([[iPhone]]/[[iPad]]) - [http://ebstudio.info/manual/EBPocket_iPhone/ EBPocket] (Professional/Basic), [http://bigskyflier.com/iDic.aspx iDic]{{リンク切れ|date=2017年3月}} (paid), [https://sites.google.com/site/idictplus/home iDictPlus] (paid)
*[[MS-DOS]]/[[UNIX]] - CD-ROM検索ソフト2, Dic, EB, ALTAIR
*[[Pocket PC]]/[[Windows CE]] - [http://ebstudio.info/home/EBPocket.html EBPocket] (Share/Free), Buckingham EB Player(Charityware)
*[[Zaurus]]/[[Linux]] - qtjiten, Zten, zten改(ztenv), JustReader+
*[[PalmOS]] - WordSeeker(Shareware), Buckingham EB Player(Charityware)
*[[HP200LX]] - [http://homepage2.nifty.com/egweb/eguyan/ebr-up.htm EBR].exm
*[[Mobile Gear]] - Dicmg
*[[Linux]]/[[FreeBSD]] (with GTK) - EBView, gxdic
*[[UNIX]] - eblook, Forest, [http://sourceforge.net/projects/lookup Lookup]
*[[KDE]] - KEBook
*EPOC - pB
*[[BTRON]] - 海老 (EBI)
*BeOS/Intel - EBook Viewer
*[[Tcl]]/[[Tk (ツールキット)|Tk]] - BookView
*[[X Window System]] - xyaku(英和・和英翻訳ツール), xpopdic
*Web Application - let me see..., adict
*[[Android (オペレーティングシステム)|Android]] - DroidWing (free/paid) ([http://jp.androlib.com/android.developer.aokabi-com-jAmi.aspx aokabi.com]), [http://jp.androlib.com/android.application.com-nesnet-android-eb-AFAA.aspx EBAndrioid] (free)(「EB4Jライブラリ」使用), [http://ebstudio.info/manual/EBPocket_android/ EBPocket for Android] (Pro/Free)
*[[BlackBerry]] - [http://cloudhunter.cocolog-nifty.com/blog/ebberry.html EBBerry] (「EB4Jライブラリ」使用)
=== EPWING対応 ===
*[https://chrome.google.com/webstore/detail/yomichan/ogmnaimimemjmbakcfefmnahgdfhfami Yomichan] - A browser extension
*[https://sourceforge.net/projects/rikaisama Rikaisama] - A Japanese-English popup dictionary
*[https://sourceforge.net/projects/goldendict GoldenDict] - Support of multiple dictionary file formats
*[https://github.com/eb4j/ebviewer EBViewer] - Simple dictionary search app supports EPWING, Stardict, and Lingvo DSL on macOS, windows, linux and Unix. (Java,「EB4Jライブラリv2」使用)
*[[OmegaT]] - [https://omegat.org] コンピュータ[[翻訳支援]]ツール([https://github.com/miurahr/omegat-plugin-epwing EPWINGプラグイン] 「EB4Jライブラリv2」使用)
====電子辞書検索ソフト・電子辞書ビューアーの一覧====
* [http://maximilk.web.fc2.com/viewers.htm '''EPWING Viewers''']
== 後継・派生規格 ==
後継・派生規格については仕様はオープンにはなっていない。
[[ONESWING]]はEPWINGの後継規格とされるものである。これはマルチプラットフォーム展開、圧縮&暗号化&認証機能、高速な全文検索をうたっている<ref>{{Cite web|和書| url=http://www.jepa.or.jp/news/keyperson.php?id=143 | title=キーパーソンズ・メッセージ「ONESWINGは省資源・高性能な最先端テクノロジー」| publisher=[[日本電子出版協会]] | accessdate=2021年9月}}{{リンク切れ|date=2021年9月|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121028073250/http://www.jepa.or.jp/news/keyperson.php?id=143}}</ref>ものの、最近は[[スマートフォン]]アプリとしてのリリースが多く、デスクトップ向けの商品は少ない。
[[ロゴヴィスタ]]・[http://www.logovista.co.jp/ 電子辞典シリーズ](旧[[システムソフト]]電子辞典シリーズ)で採用されている辞書データの形式は、同社が[[JIS X 4081]]形式を基本仕様として改良・発展させていったフォーマット。最新版([http://www.gakken.jp/jiten/data/detail/1051203/ 『漢字源改訂第四版』]、2008年12月現在)では独自の拡張方式(既存の未使用の「表の表示タグ」を転用すること)により[[ユニコード]]([[JIS X 0213|JIS第三水準]]、第四水準、[[補助漢字]])の表示にも対応した。
[http://www.densijiten.co.jp/ 株式会社電子辞典]{{リンク切れ|date=2012年12月}} は、株式会社システムソフトを[[スピンアウト]]した開発スタッフが2002年に設立した会社だが、同社の辞典シリーズ(DDViewer)は、EPWING形式でも派生仕様でもないAtom形式なので注意が必要である。
[[2010年]]頃からEPWING準拠のソフトは作られなくなり、市場から消えている<ref name="jishogojiten"></ref>。
== 外部リンク ==
*[http://www.epwing.or.jp/about/about.html EPWINGコンソーシアム]{{リンク切れ|date=2012年3月}}, [https://web.archive.org/web/20110722120757/http://www.epwing.or.jp/about/about.html EPWINGとは?] - [[Internet Archive]]
*[http://software.fujitsu.com/jp/epwing/ 富士通 EPWING]{{リンク切れ|date=2022年10月}}, JIS規格「日本語電子出版検索データ構造([[JIS X 4081]])」準拠の電子辞書です
*[http://hp.vector.co.jp/authors/VA000022/unixdic/ UNIXで電子辞書をしゃぶりつくそう] 「辞書システムの上手な使い方」
*[http://www.sra.co.jp/people/m-kasahr/eb/index.html EB Library]{{リンク切れ|date=2022年10月}} CD-ROM(EB, EBG, EBXA, EBXA-C, S-EBXA および EPWING 形式)書籍にアクセスするための C のライブラリ。EPWING辞書の圧縮・伸長を行う ebzip コマンド等を含む。
*[http://ebstudio.info/home/ EB series support page] 個人で電子書籍・電子辞書を作成するためのツール集。
*[http://www.nabeta.tk/ 鍋田辞書] EPWINGと[[ユニコード]]データ辞書の同時検索が可能な辞書ソフト。
*[http://hp.vector.co.jp/authors/VA037273/ Maximilk] フリーEPWING電子辞書(EDICT2, WordNet2.0, Webster's 1913, CEDICT, Wadoku, etc.) - [[ベクター (企業)|Vector]]
*[http://www.sra.co.jp/people/m-kasahr/freepwing/ FreePWING]{{リンク切れ|date=2022年10月}} [[JIS X 4081]] 形式の書籍データを生成を行うソフトウェア([[Unix]], [[Linux]], [[Cygwin]])
*[http://ikazuhiro.s206.xrea.com/staticpages/index.php/wikipedia-fpw wikipedia-fpw] [[ウィキペディア日本語版]](や、その他の言語版)のダンプデータ([http://download.wikimedia.org/jawiki/ ダウンロードサイト])をFreePWINGを利用して[[JIS X 4081]]形式に変換するツール
*[https://sites.google.com/site/boookends/ Boookends] 「FreePWING/Wikipedia-fpw」で変換した、オフライン版「[[ウィキペディア日本語版]]」(EPWING/[[JIS X 4081]])や、多言語版(ユニコード対応)を配布<ref>[https://osdn.net/projects/boookends/releases/ OSDN.net]</ref>。
*[http://eb4j.github.io/ EB4J v2] 「EBライブラリ」を元に、100% Pure Java実装した電子辞書関連クラスライブラリ及びユーティリティ ([http://eb4j.sourceforge.jp/ EB4J v1版])
== 脚注 ==
<references />
{{デフォルトソート:いいひいういんく}}
[[Category:電子書籍]]
[[Category:ファイルフォーマット]]
[[Category:コンピュータのデータ]]
[[Category:教育ソフトウェア]] | 2003-04-22T09:47:15Z | 2023-11-24T02:16:32Z | false | false | false | [
"Template:要出典",
"Template:リンク切れ",
"Template:Cite web",
"Template:Cite book"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/EPWING |
7,118 | 松浪健四郎 | 松浪 健四郎(まつなみ けんしろう、1946年10月14日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、外務大臣政務官(第1次小泉内閣)、自由民主党副幹事長、文部科学副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)を歴任。大阪府立佐野高等学校、日本体育大学体育学部、日本大学大学院文学研究科修了。元レスリング選手で、現在は日本レスリング協会副会長、日本アフガニスタン協会理事長、学校法人日本体育大学理事長を務めている。株式会社クオレ・ア・ドマーニ所属。
前衆議院議員で大阪府議会議員の松浪健太は実甥。また、実兄の松浪啓一も大阪府議会議員であった。
大阪府泉佐野市出身。実兄の松浪啓一は日本サンボ協会常任理事、大阪体育大学レスリング部コーチや泉佐野市議会議員を務めるなど、松浪健四郎に大きな影響を与えた。 大阪府立佐野高等学校で学ぶ。
1965年、日本体育大学体育学部武道学科(第一期生)に入学する。大学でレスリングを始める。1968年メキシコシティオリンピックのレスリング種目の候補選手に選出されたが、最終予選で敗退した。
その後、日本体育大学を休学し、東ミシガン大学に留学した。日本体育大学に復学後、1970年に卒業する。
レスリング選手を続けながら勉強できるという理由から、日本大学大学院文学研究科に進学した。1975年に同研究科博士課程を単位取得退学。
1975年、国際交流基金の支援により、アフガニスタンのカーブル大学にレスリングおよび体育の指導者として派遣される。3年間にわたり、レスリングの指導とスポーツ文化の研究を行った。
帰国後の1979年、専修大学社会体育研究所に専任講師として採用される。大学ではレスリングの指導にあたり、馳浩を発掘・指導した。1988年から専修大学教授を務める。
自由民主党の公認を希望したが、党大阪府連に「中山太郎元外相の地盤だからなあ」と断られてしまい、新進党の公募を経て立候補、1996年に衆議院議員に初当選したが、新進党は小沢一郎党首の党運営が強引だという不満から内部で対立し、97年末に解党。小沢の目指す政治が最善だとの思いから自由党結成に参加した。その後自由党が分裂すると、松浪は関西国際空港の第2滑走路建設といった焦眉の急といえる課題があり、野党では地元に貢献できないとの理由で政権に残り、自由党内で私を含む若手数人が野田毅や運輸大臣の二階らと会合を開き、「与党にとどまって次の衆院選に臨むべきだ」と訴え、野田らも同意。江崎鉄磨とともに小沢に「私たちは二階先生と行動を共にします」と伝え、小沢は「あ、そうか。選挙頑張れよ」と答えた。自民党との連立継続組は2000年4月、扇千景を党首とする保守党を結成。
2000年11月20日、加藤の乱で揺れていた森内閣不信任決議案で保守党を代表して反対討論を行っている最中、民主党の議員から「扇千景と何回やった」と野次られたことに怒り、同党に属する永田寿康に目掛けて、国会の壇上からコップの水を浴びせた。水かけの直後、抗議する野党議員が一斉に演壇に押しかけ大騒ぎとなり、あまりの音量に、松浪は耳をふさぎながら早口で草稿を読み上げ、演壇から降りた。衆議院議長の綿貫民輔は副議長の渡部恒三と相談の上、松浪に本会議場からの退場処分を命じた。退場は52年ぶりの事だったという。
この行為は、当時大きな話題となり、懲罰動議が可決され、後日懲罰委員会より25日間の登院停止の懲戒を受けた。
2002年、保守党から改称した保守新党にそのまま参加。
2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙で落選。
2004年3月30日、前年の選挙での公職選挙法違反の疑いで当時の私設秘書3名と共に書類送検された(下記参照)。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では再び髷(まげ)を結い直し、自民党の公認と公明党の支援を受けて小選挙区と比例代表区に重複立候補した結果、小選挙区では前職の長安豊に及ばず落選したが、比例近畿ブロックで当選し、国政に復帰した。派閥は二階グループに所属し、自民党副幹事長を務めた。
2007年8月29日、文部科学副大臣に任命される。
2008年8月から、自民党外交部会長に就任。
2008年11月、泉佐野市内に貼られていた松浪の選挙用ポスターに落書きをしていた82歳の男を松浪自身が羽交い絞めにして、泉佐野署員に引き渡したと報じられた。男は6年間、選挙区内で松浪のポスターに差別的な落書きを繰り返していた。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に自民党の公認と公明党の推薦を受けて小選挙区と比例代表区に重複立候補した結果、小選挙区では前職の長安豊に惨敗し、さらに惜敗率も低かったために比例代表区でも落選、議席を失った。
2010年7月11日に行われた第22回参議院議員通常選挙に自民党の比例区から出馬するも落選。
2011年6月8日、学校法人日本体育大学理事長に就任。
2012年11月、日本体育大学の北朝鮮スポーツ交流の団長となり、北朝鮮に渡航。
2013年11月、再度スポーツ交流団の団長として北朝鮮に渡航。北朝鮮の張成沢国家体育指導委員会委員長らと会談した。張は12月12日死刑となり、松浪は同時期に訪朝したアントニオ猪木と共に、生前に張と公的に接触した最後の日本人の一人となった。張とは2012年にも会談しており、処刑の報を聞いて「温厚なやさしい人だった。日本に好感を持っていただき、お互いスポーツ交流を進めていただけに残念です。今後、張氏に代わる(日朝の交流を進められる)人が出てくるのか。今の時点では全く分かりません」と言った。
2016年11月、旭日重光章を受章。
2018年、前立腺がん・悪性リンパ腫・膵臓がんが転移ではなく、ほぼ同時期に相次いで見つかり、膵臓がんは11月中旬に切除し、11月末に職務復帰。その前に見つかったリンパ腫にはR-CHOPという抗がん剤治療で対処し、その治療のために髪の毛が一気に抜け医療用かつらを着けている。
2019年、一般社団法人大学スポーツ協会顧問に就任。
2020年7月、二階俊博と1990年代から2000年代に政治活動を共にした現元国会議員らで構成される「二階氏を囲む会」を結成し、発起人を務めた。
2010年6月26日、毎日新聞の参院選候補者アンケートでは「選択的夫婦別姓制度」に対し「反対」と回答した。
自著によれば、アフガニスタンのカブール大学で学生を指導する際に、「私はヘタクソな現地語で注意しても効き目のないことを知った時点より、ビシビシ体罰をもってのぞむことにした」「訛りのある私の英語も通じにくいので、イザというここ一番のときは体罰にたよらざるをえない。はずかしい話だけれど」と体罰を用いたことを告白している。
また、この体罰について学生が反発し、自著によれば「ある日、学生たちが直談判にやってきて、『先生はすぐにヒステリックになって、学生に手をかけます。これでは囚人と同じ扱いですから改めて欲しいのです』と抗議を受けたが、『囚人扱いを受けるのも君たちの経験です。誰が君たちにこの貴重な経験をさせてくれるかねえ、ヒステリーを起こさせるのは君たちの責任だ。私に情熱があって、君たちに情熱がなければ、ヒステリーを起こして当然だろう。だが、講義の時間には私は手を出したことはないはずだ』と抗議を跳ね除けた」としている。
1997年から1998年の11ヶ月間、暴力団組員が会長として実質的に経営する大阪府貝塚市の建設会社に、松浪が私設秘書の給与275万円を肩代わりさせていたとして問題になった(しんぶん赤旗、毎日新聞では献金額は250万円となっている)。秘書給与の供与が始まった経緯について、松浪は「応援してほしいと言われ甘えてしまった」、会長は「秘書一人面倒を見てほしいと頼まれた」としている。
この問題について松浪は、会長が暴力団関係者とは知らなかったと主張している。しかし、会長が暴力団組員だと認識した後も2ヶ月間給与を肩代わりさせていた事実や、その後も、1998年3月に府営住宅解体工事を巡る談合容疑で会長が逮捕された直後まで、暴力団関係者と認識しながら関係が続いていた事実が判明している。
また、この秘書給与は政治資金規正法上「寄付」として届けなければならないが、松浪は届け出の義務を知りながら、会長との間に公表しないという約束があったので届け出なかったと説明している。更に、秘書給与275万円の他に、この建設会社などの呼びかけで開かれた地元業界団体の当選祝賀会で200万円の寄付を受け取っており、この寄付も秘書給与同様、政治資金収支報告書へ記載していなかった。
この問題は大きく報道され、松浪に辞職を求める声が高まった。これに対し、トレードマークの後ろ髪を切り、オールバックにすることで責任を果たした事をアピールしたが、辞職については拒否した。
この問題について、松浪はのちに自身のホームページで「元暴力団員が人間でないかのような報道ぶりは人権問題」「元暴力団員の妻だった人(注・大平光代)が大阪市助役に就任すると賛辞を贈るのに、自分への献金は犯罪行為のように扱う」と怒りをあらわにしている。
2003年の衆議院選挙で、選挙区内の有権者に線香を贈ったとして、松浪と私設秘書ら計4人が公職選挙法違反容疑(寄付行為の禁止)で書類送検された。 | [
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"text": "大阪府泉佐野市出身。実兄の松浪啓一は日本サンボ協会常任理事、大阪体育大学レスリング部コーチや泉佐野市議会議員を務めるなど、松浪健四郎に大きな影響を与えた。 大阪府立佐野高等学校で学ぶ。",
"title": "経歴"
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"text": "1965年、日本体育大学体育学部武道学科(第一期生)に入学する。大学でレスリングを始める。1968年メキシコシティオリンピックのレスリング種目の候補選手に選出されたが、最終予選で敗退した。",
"title": "経歴"
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"text": "その後、日本体育大学を休学し、東ミシガン大学に留学した。日本体育大学に復学後、1970年に卒業する。",
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"text": "レスリング選手を続けながら勉強できるという理由から、日本大学大学院文学研究科に進学した。1975年に同研究科博士課程を単位取得退学。",
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"text": "1975年、国際交流基金の支援により、アフガニスタンのカーブル大学にレスリングおよび体育の指導者として派遣される。3年間にわたり、レスリングの指導とスポーツ文化の研究を行った。",
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"text": "帰国後の1979年、専修大学社会体育研究所に専任講師として採用される。大学ではレスリングの指導にあたり、馳浩を発掘・指導した。1988年から専修大学教授を務める。",
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"text": "自由民主党の公認を希望したが、党大阪府連に「中山太郎元外相の地盤だからなあ」と断られてしまい、新進党の公募を経て立候補、1996年に衆議院議員に初当選したが、新進党は小沢一郎党首の党運営が強引だという不満から内部で対立し、97年末に解党。小沢の目指す政治が最善だとの思いから自由党結成に参加した。その後自由党が分裂すると、松浪は関西国際空港の第2滑走路建設といった焦眉の急といえる課題があり、野党では地元に貢献できないとの理由で政権に残り、自由党内で私を含む若手数人が野田毅や運輸大臣の二階らと会合を開き、「与党にとどまって次の衆院選に臨むべきだ」と訴え、野田らも同意。江崎鉄磨とともに小沢に「私たちは二階先生と行動を共にします」と伝え、小沢は「あ、そうか。選挙頑張れよ」と答えた。自民党との連立継続組は2000年4月、扇千景を党首とする保守党を結成。",
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"text": "2000年11月20日、加藤の乱で揺れていた森内閣不信任決議案で保守党を代表して反対討論を行っている最中、民主党の議員から「扇千景と何回やった」と野次られたことに怒り、同党に属する永田寿康に目掛けて、国会の壇上からコップの水を浴びせた。水かけの直後、抗議する野党議員が一斉に演壇に押しかけ大騒ぎとなり、あまりの音量に、松浪は耳をふさぎながら早口で草稿を読み上げ、演壇から降りた。衆議院議長の綿貫民輔は副議長の渡部恒三と相談の上、松浪に本会議場からの退場処分を命じた。退場は52年ぶりの事だったという。",
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"text": "この行為は、当時大きな話題となり、懲罰動議が可決され、後日懲罰委員会より25日間の登院停止の懲戒を受けた。",
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"text": "2002年、保守党から改称した保守新党にそのまま参加。",
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"text": "2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙で落選。",
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"text": "2004年3月30日、前年の選挙での公職選挙法違反の疑いで当時の私設秘書3名と共に書類送検された(下記参照)。",
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"text": "2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では再び髷(まげ)を結い直し、自民党の公認と公明党の支援を受けて小選挙区と比例代表区に重複立候補した結果、小選挙区では前職の長安豊に及ばず落選したが、比例近畿ブロックで当選し、国政に復帰した。派閥は二階グループに所属し、自民党副幹事長を務めた。",
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"text": "2007年8月29日、文部科学副大臣に任命される。",
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"text": "2008年8月から、自民党外交部会長に就任。",
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"text": "2008年11月、泉佐野市内に貼られていた松浪の選挙用ポスターに落書きをしていた82歳の男を松浪自身が羽交い絞めにして、泉佐野署員に引き渡したと報じられた。男は6年間、選挙区内で松浪のポスターに差別的な落書きを繰り返していた。",
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"text": "2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に自民党の公認と公明党の推薦を受けて小選挙区と比例代表区に重複立候補した結果、小選挙区では前職の長安豊に惨敗し、さらに惜敗率も低かったために比例代表区でも落選、議席を失った。",
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"text": "2010年7月11日に行われた第22回参議院議員通常選挙に自民党の比例区から出馬するも落選。",
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"text": "2011年6月8日、学校法人日本体育大学理事長に就任。",
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"text": "2012年11月、日本体育大学の北朝鮮スポーツ交流の団長となり、北朝鮮に渡航。",
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"text": "2013年11月、再度スポーツ交流団の団長として北朝鮮に渡航。北朝鮮の張成沢国家体育指導委員会委員長らと会談した。張は12月12日死刑となり、松浪は同時期に訪朝したアントニオ猪木と共に、生前に張と公的に接触した最後の日本人の一人となった。張とは2012年にも会談しており、処刑の報を聞いて「温厚なやさしい人だった。日本に好感を持っていただき、お互いスポーツ交流を進めていただけに残念です。今後、張氏に代わる(日朝の交流を進められる)人が出てくるのか。今の時点では全く分かりません」と言った。",
"title": "経歴"
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"text": "2016年11月、旭日重光章を受章。",
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"text": "2018年、前立腺がん・悪性リンパ腫・膵臓がんが転移ではなく、ほぼ同時期に相次いで見つかり、膵臓がんは11月中旬に切除し、11月末に職務復帰。その前に見つかったリンパ腫にはR-CHOPという抗がん剤治療で対処し、その治療のために髪の毛が一気に抜け医療用かつらを着けている。",
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"text": "2019年、一般社団法人大学スポーツ協会顧問に就任。",
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"text": "2020年7月、二階俊博と1990年代から2000年代に政治活動を共にした現元国会議員らで構成される「二階氏を囲む会」を結成し、発起人を務めた。",
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"text": "2010年6月26日、毎日新聞の参院選候補者アンケートでは「選択的夫婦別姓制度」に対し「反対」と回答した。",
"title": "政策"
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"text": "自著によれば、アフガニスタンのカブール大学で学生を指導する際に、「私はヘタクソな現地語で注意しても効き目のないことを知った時点より、ビシビシ体罰をもってのぞむことにした」「訛りのある私の英語も通じにくいので、イザというここ一番のときは体罰にたよらざるをえない。はずかしい話だけれど」と体罰を用いたことを告白している。",
"title": "教育方針"
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"text": "また、この体罰について学生が反発し、自著によれば「ある日、学生たちが直談判にやってきて、『先生はすぐにヒステリックになって、学生に手をかけます。これでは囚人と同じ扱いですから改めて欲しいのです』と抗議を受けたが、『囚人扱いを受けるのも君たちの経験です。誰が君たちにこの貴重な経験をさせてくれるかねえ、ヒステリーを起こさせるのは君たちの責任だ。私に情熱があって、君たちに情熱がなければ、ヒステリーを起こして当然だろう。だが、講義の時間には私は手を出したことはないはずだ』と抗議を跳ね除けた」としている。",
"title": "教育方針"
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"text": "1997年から1998年の11ヶ月間、暴力団組員が会長として実質的に経営する大阪府貝塚市の建設会社に、松浪が私設秘書の給与275万円を肩代わりさせていたとして問題になった(しんぶん赤旗、毎日新聞では献金額は250万円となっている)。秘書給与の供与が始まった経緯について、松浪は「応援してほしいと言われ甘えてしまった」、会長は「秘書一人面倒を見てほしいと頼まれた」としている。",
"title": "不祥事"
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"text": "この問題について松浪は、会長が暴力団関係者とは知らなかったと主張している。しかし、会長が暴力団組員だと認識した後も2ヶ月間給与を肩代わりさせていた事実や、その後も、1998年3月に府営住宅解体工事を巡る談合容疑で会長が逮捕された直後まで、暴力団関係者と認識しながら関係が続いていた事実が判明している。",
"title": "不祥事"
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"text": "また、この秘書給与は政治資金規正法上「寄付」として届けなければならないが、松浪は届け出の義務を知りながら、会長との間に公表しないという約束があったので届け出なかったと説明している。更に、秘書給与275万円の他に、この建設会社などの呼びかけで開かれた地元業界団体の当選祝賀会で200万円の寄付を受け取っており、この寄付も秘書給与同様、政治資金収支報告書へ記載していなかった。",
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"text": "この問題は大きく報道され、松浪に辞職を求める声が高まった。これに対し、トレードマークの後ろ髪を切り、オールバックにすることで責任を果たした事をアピールしたが、辞職については拒否した。",
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},
{
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"text": "この問題について、松浪はのちに自身のホームページで「元暴力団員が人間でないかのような報道ぶりは人権問題」「元暴力団員の妻だった人(注・大平光代)が大阪市助役に就任すると賛辞を贈るのに、自分への献金は犯罪行為のように扱う」と怒りをあらわにしている。",
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},
{
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"text": "2003年の衆議院選挙で、選挙区内の有権者に線香を贈ったとして、松浪と私設秘書ら計4人が公職選挙法違反容疑(寄付行為の禁止)で書類送検された。",
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}
] | 松浪 健四郎は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、外務大臣政務官(第1次小泉内閣)、自由民主党副幹事長、文部科学副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)を歴任。大阪府立佐野高等学校、日本体育大学体育学部、日本大学大学院文学研究科修了。元レスリング選手で、現在は日本レスリング協会副会長、日本アフガニスタン協会理事長、学校法人日本体育大学理事長を務めている。株式会社クオレ・ア・ドマーニ所属。 前衆議院議員で大阪府議会議員の松浪健太は実甥。また、実兄の松浪啓一も大阪府議会議員であった。 | {{政治家
|人名 = 松浪 健四郎
|各国語表記 = まつなみ けんしろう
|画像 = Kenshiro Matsunami-20061120.jpg|200px
|画像説明 = 2006年11月20日撮影
|国略称 = {{JPN}}
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1946|10|14}}
|出生地 ={{JPN}} [[大阪府]][[泉佐野市]]
|没年月日 =
|死没地 =
|出身校 = [[日本体育大学]][[体育学部]]<br />[[日本大学文理学部・大学院文学研究科及び総合基礎科学研究科|日本大学大学院文学研究科]]
|前職 = [[専修大学]]教授<ref name="専修大学社会体育研究所報2011年度版">{{Harvtxt|専修大学社会体育研究所報2011年度版|2012|pp=3}}</ref>
|現職 = 日本大学客員教授<br />[[明治大学]]講師<br />[[麻布大学]]講師<br />日本体育大学大学院講師<br />日本レスリング協会副会長<br />日本アフガニスタン協会理事長<BR/>学校法人日本体育大学理事長
|所属政党 = ([[新進党]]→)<br />([[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]→)<br />(保守党→)<br />([[保守新党]]→)<br />[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]([[新しい波 (派閥)|二階G]])
|称号・勲章 = 教育学[[修士]]([[日本大学]])<br />[[旭日重光章]]
|親族(政治家) = 兄・松浪啓一(元[[大阪府議会|大阪府議会議員]])<br/>甥・[[松浪健太]](元衆議院議員・前大阪府議会議員)
|国旗 = JPN
|職名 = [[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]]
|選挙区 = ([[大阪府第19区|大阪19区]]→)<br/>[[比例近畿ブロック]]
|当選回数 = 3回
|就任日 = [[1996年]][[10月21日]] - [[2003年]][[10月10日]]<br/>[[2005年]][[9月12日]]
|退任日 = [[2009年]][[7月21日]]
}}
'''松浪 健四郎'''(まつなみ けんしろう、[[1946年]][[10月14日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]](3期)、[[外務大臣政務官]]([[第1次小泉内閣]])、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]副幹事長、[[文部科学副大臣]]([[第1次安倍内閣 (改造)|第1次安倍改造内閣]]・[[福田康夫内閣]])を歴任。[[大阪府立佐野高等学校]]、[[日本体育大学]][[体育学部]]、[[日本大学文理学部・大学院文学研究科及び総合基礎科学研究科|日本大学大学院文学研究科]]修了。元[[アマチュアレスリング|レスリング]]選手<ref name="日本体育大学の底力pp=60">{{Harvtxt|日本体育大学の底力|2014|pp=60}}</ref>で、現在は日本レスリング協会副会長、日本アフガニスタン協会理事長、学校法人日本体育大学理事長<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gaku-nittai.ac.jp/corporation/|title=理事長挨拶|publisher=学校法人日本体育大学|language=|accessdate=2021-01-07}}</ref>を務めている。株式会社クオレ・ア・ドマーニ所属。
前衆議院議員で[[大阪府議会|大阪府議会議員]]の[[松浪健太]]は実甥。また、実兄の松浪啓一も大阪府議会議員であった{{efn|[[賄賂罪|収賄]]事件により辞職している<ref>毎日新聞 2000年11月14日</ref>}}。
== 経歴 ==
=== 生い立ち ===
大阪府[[泉佐野市]]出身。実兄の松浪啓一は日本[[サンボ (格闘技)|サンボ]]協会常任理事、[[大阪体育大学]]レスリング部コーチや泉佐野市議会議員を務めるなど<ref>松浪啓一『出身県別 現代人物事典 西日本版』p1004 サン・データ・システム 1980年</ref>、松浪健四郎に大きな影響を与えた。
[[大阪府立佐野高等学校]]で学ぶ{{efn|高校時代には柔道選手であった<ref name="日本体育大学の底力pp=60"/>}}。
[[1965年]]、[[日本体育大学]][[体育学部]][[武道学科]](第一期生)に入学する。大学でレスリングを始める<ref name="日本体育大学の底力pp=60"/>{{efn|東京オリンピックでレスリング競技の日本選手が活躍する姿をみて、レスリングを始めることを決意した<ref name="日本体育大学の底力pp=60"/>}}。[[1968年メキシコシティオリンピック]]のレスリング種目の候補選手に選出されたが<ref name="日本体育大学の底力pp=60"/>、最終予選で敗退した<ref name="日本体育大学の底力pp=60"/>。
その後、日本体育大学を休学し、[[東ミシガン大学]]に留学した<ref name="日本体育大学の底力pp=60"/>。日本体育大学に復学後、[[1970年]]に卒業する<ref name="日本体育大学の底力pp=60"/>。
レスリング選手を続けながら勉強できるという理由から、日本大学大学院文学研究科に進学した<ref name="日本体育大学の底力pp=61">{{Harvtxt|日本体育大学の底力|2014|pp=61}}</ref>。<!-- 大学院では[[浜田靖一]]に従事し<ref name="アフガン褐色の日々pp=44"/>、-->[[1975年]]に同研究科博士課程を単位取得退学<ref name="アフガン褐色の日々pp=44">{{Harvtxt|アフガン褐色の日々|1983|pp=44}}</ref>。
=== レスリング指導者・教育者時代 ===
1975年、[[国際交流基金]]の支援により、[[アフガニスタン]]の[[カーブル大学]]にレスリングおよび体育の指導者として派遣される<ref name="アフガン褐色の日々pp=45">{{Harvtxt|アフガン褐色の日々|1983|pp=45}}</ref>。3年間にわたり、レスリングの指導とスポーツ文化の研究を行った<ref name="日本体育大学の底力pp=61"/>。
帰国後の1979年、[[専修大学]]社会体育研究所に専任講師として採用される<ref name="専修大学社会体育研究所報2011年度版">{{Harvtxt|専修大学社会体育研究所報2011年度版|2012|pp=3}}</ref>。大学ではレスリングの指導にあたり<ref name="日本体育大学の底力pp=61"/>、[[馳浩]]を発掘・指導した<ref name="日本体育大学の底力pp=61"/>。[[1988年]]から専修大学教授を務める<ref name="専修大学社会体育研究所報2011年度版"/><ref name="日本体育大学の底力pp=61"/>。
=== 政治家時代 ===
{{出典の明記|date=2015年11月|section=1}}
[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の公認を希望したが、党大阪府連に「[[中山太郎]]元[[外務大臣 (日本)|外相]]の地盤だからなあ」と断られてしまい、新進党の公募を経て立候補<ref name="話の肖像画】日本体育大理事長・松浪健四郎(72)(6)">[https://www.sankei.com/article/20190128-5EG5OFTT25PRNO7U5YU65VGIVY/ 【話の肖像画】日本体育大理事長・松浪健四郎(72)(6)念願の政治家になった] 2019.1.28 10:00 産経新聞。</ref>、[[1996年]]に衆議院議員に初当選したが<ref name="話の肖像画】日本体育大理事長・松浪健四郎(72)(6)"/>、新進党は[[小沢一郎]]党首の党運営が強引だという不満から内部で対立し、97年末に解党<ref name="話の肖像画】日本体育大理事長・松浪健四郎(72)(6)"/>。小沢の目指す政治が最善だとの思いから[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]結成に参加した。その後自由党が分裂すると、松浪は[[関西国際空港]]の第2滑走路建設といった焦眉の急といえる課題があり、[[野党]]では地元に貢献できないとの理由で政権に残り、自由党内で私を含む若手数人が[[野田毅]]や[[運輸大臣]]の二階らと会合を開き、「[[与党]]にとどまって次の衆院選に臨むべきだ」と訴え、野田らも同意。[[江崎鉄磨]]とともに小沢に「私たちは二階先生と行動を共にします」と伝え、小沢は「あ、そうか。選挙頑張れよ」と答えた。自民党との連立継続組は2000年4月、[[扇千景]]を党首とする保守党を結成<ref name="話の肖像画】日本体育大理事長・松浪健四郎(72)(6)"/>。
[[2000年]]11月20日、[[加藤の乱]]で揺れていた[[第2次森内閣|森内閣]][[内閣不信任決議|不信任決議案]]で保守党を代表して反対討論を行っている最中、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]の議員から「扇千景と何回やった」と[[野次]]られたことに怒り、同党に属する[[永田寿康]]に目掛けて、[[国会議事堂|国会]]の壇上からコップの水を浴びせた<ref>[https://www.sankei.com/article/20190129-GOACPKANZ5K3LO6NNY7S2AOHPE/ 日本体育大理事長・松浪健四郎(72)(7)]</ref>。水かけの直後、抗議する野党議員が一斉に演壇に押しかけ大騒ぎとなり、あまりの音量に、松浪は耳をふさぎながら早口で草稿を読み上げ、演壇から降りた。[[衆議院議長]]の[[綿貫民輔]]は副議長の[[渡部恒三]]と相談の上、松浪に[[本会議]]場からの退場処分を命じた。退場は52年ぶりの事だったという<ref>[https://www.sankei.com/article/20170628-KXIT6HSJ75LHXO27BEV6M7YM34/2/ 元衆院議長・綿貫民輔(3) 小渕首相との最後の電話]2017年6月28日 [[産経新聞]]</ref>。
この行為は、当時大きな話題となり、[[懲罰事犯|懲罰動議]]が可決され、後日[[懲罰委員会]]より25日間の登院停止の懲戒を受けた。
[[2002年]]、保守党から改称した[[保守新党]]にそのまま参加。
2003年[[11月9日]]の[[第43回衆議院議員総選挙]]で落選。
2004年3月30日、前年の選挙での[[公職選挙法]]違反の疑いで当時の私設秘書3名と共に[[書類送検]]された(下記参照)。
[[2005年]][[9月11日]]の[[第44回衆議院議員総選挙]]では再び髷(まげ)を結い直し、自民党の公認と[[公明党]]の支援を受けて[[小選挙区制|小選挙区]]と比例代表区に[[重複立候補制度|重複立候補]]した結果、小選挙区では前職の[[長安豊]]に及ばず落選したが、[[比例近畿ブロック]]で当選し、国政に復帰した。派閥は[[新しい波 (派閥)|二階グループ]]に所属し、自民党副幹事長を務めた。
2007年[[8月29日]]、[[文部科学副大臣]]に任命される。
2008年8月から、自民党外交部会長に就任{{要出典|date=2015年2月}}。
[[2008年]]11月、[[泉佐野市]]内に貼られていた松浪の選挙用ポスターに落書きをしていた82歳の男を松浪自身が羽交い絞めにして、[[泉佐野警察署|泉佐野署]]員に引き渡したと報じられた<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081108-OYT1T00213.htm 82歳に得意の関節技、松浪議員がポスター落書き男“御用”] 2008年11月8日、読売新聞</ref>。男は6年間、選挙区内で松浪のポスターに差別的な落書きを繰り返していた。
2009年8月30日の[[第45回衆議院議員総選挙]]に自民党の公認と公明党の推薦を受けて<ref>比例貢献が基準?公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分 読売新聞)</ref>小選挙区と比例代表区に重複立候補した結果、小選挙区では前職の長安豊に惨敗し、さらに[[惜敗率]]も低かったために比例代表区でも落選、議席を失った。
2010年7月11日に行われた[[第22回参議院議員通常選挙]]に自民党の[[参議院比例区|比例区]]から出馬するも落選。
2011年6月8日、[[学校法人日本体育大学]]理事長に就任。
2012年11月、[[学校法人日本体育大学|日本体育大学]]の[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]スポーツ交流の団長となり、北朝鮮に渡航<ref>[https://news.ntv.co.jp/category/sports/217441]</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20121117-1048185.html]</ref>。
2013年11月、再度スポーツ交流団の団長として北朝鮮に渡航。北朝鮮の[[張成沢]]国家体育指導委員会委員長らと会談した<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201311/2013110600992 (2013/11/06-22:39)] - [[時事通信社]]</ref>。張は[[12月12日]][[北朝鮮における死刑|死刑]]となり、松浪は同時期に訪朝した[[アントニオ猪木]]と共に、生前に張と公的に接触した最後の[[日本人]]の一人となった。張とは2012年にも会談しており、処刑の報を聞いて「温厚なやさしい人だった。日本に好感を持っていただき、お互いスポーツ交流を進めていただけに残念です。今後、張氏に代わる(日朝の交流を進められる)人が出てくるのか。今の時点では全く分かりません」と言った<ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20131214-OHT1T00016.htm (2013年12月14日06時03分 スポーツ報知)] - 『[[スポーツ報知]]』</ref>。
[[2016年]]11月、[[旭日章|旭日重光章]]を受章<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankeibiz.jp/compliance/news/161103/cpd1611030500002-n1.htm|title=秋の叙勲 野間口元三菱電機社長に旭日大綬章 (1/2ページ)|accessdate=2023-01-29|publisher=[[SankeiBiz]]|date =2016/11/3|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180808140157/https://www.sankeibiz.jp/compliance/news/161103/cpd1611030500002-n1.htm|archivedate=2018年8月8日|deadlinkdate=2023年1月}}</ref>。
[[2018年]]、前立腺がん・悪性リンパ腫・膵臓がんが転移ではなく、ほぼ同時期に相次いで見つかり、膵臓がんは11月中旬に切除し、11月末に職務復帰。その前に見つかったリンパ腫にはR-CHOPという抗がん剤治療で対処し、その治療のために髪の毛が一気に抜け医療用かつらを着けている<ref>[https://www.sankei.com/article/20190121-EWS7VSRE5NNZFCHCLYEI2PLEBU/ 【話の肖像画】日本体育大理事長・松浪健四郎(72)(1)]2019.1.21 [[産経新聞]]</ref>。
[[2019年]]、[[一般社団法人]][[大学スポーツ協会]]顧問に就任<ref>[https://www.mext.go.jp/prev_sports/comp/a_menu/sports/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/02/25/1410363_007.pdf 設立時役員等候補の選任について]</ref>。
[[2020年]]7月、二階俊博と1990年代から2000年代に政治活動を共にした現元国会議員らで構成される「二階氏を囲む会」を結成し、発起人を務めた<ref>{{Cite news |title=二階氏を「囲む会」結成 現元国会議員らと懇談|newspaper=サンスポ|date=2020-07-13|url=https://www.sanspo.com/article/20200713-YH6S6JRR4JKPZPXFMFZ2MZDEMQ/|accessdate=2020-07-14}}</ref>。
== 政策 ==
2010年6月26日、毎日新聞の参院選候補者アンケートでは「選択的[[夫婦別姓]]制度」に対し「反対」と回答した<ref>「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。</ref>。
== 人物 ==
*長髪を後ろで結ったヘアスタイルが特徴で、マスメディアではこのヘアスタイルを「[[ちょんまげ]]」と呼んでいる。TV出演時や議員時代もこのヘアスタイルであったが、断髪したこともあった。
*柔道の段位は四段。
*専門分野はスポーツ人類学、体育、スポーツ史、教育学、体育学、スポーツ全般、イスラム民俗学、シルクロード。
*フジテレビで放送されたドラマ『[[あすなろ白書]]』に出演したこともあり、松浪の大学での講義風景からドラマが始まる。出番は1分程だったが撮影に丸1日もかかり、監督から続けて出演して欲しいと言われたが断っていたという。
*[[日本ペンクラブ]]会員。
== 教育方針 ==
=== 体罰 ===
自著によれば、アフガニスタンのカブール大学で学生を指導する際に、「私はヘタクソな現地語で注意しても効き目のないことを知った時点より、ビシビシ[[体罰]]をもってのぞむことにした<ref name="アフガン褐色の日々pp=46">{{Harvtxt|アフガン褐色の日々|1983|pp=46}}</ref>」「訛りのある私の[[英語]]も通じにくいので、イザというここ一番のときは体罰にたよらざるをえない。はずかしい話だけれど<ref name="アフガン褐色の日々pp=48">{{Harvtxt|アフガン褐色の日々|1983|pp=48}}</ref>」と体罰を用いたことを告白している。
また、この体罰について学生が反発し、自著によれば「ある日、学生たちが直談判にやってきて、『先生はすぐにヒステリックになって、学生に手をかけます。これでは囚人と同じ扱いですから改めて欲しいのです』<ref name="アフガン褐色の日々pp=49">{{Harvtxt|アフガン褐色の日々|1983|pp=49}}</ref>と抗議を受けたが、『囚人扱いを受けるのも君たちの経験です。誰が君たちにこの貴重な経験をさせてくれるかねえ、[[ヒステリー]]を起こさせるのは君たちの責任だ。私に情熱があって、君たちに情熱がなければ、ヒステリーを起こして当然だろう。だが、講義の時間には私は手を出したことはないはずだ<ref name="アフガン褐色の日々pp=49"/>』と抗議を跳ね除けた」としている。
== 不祥事 ==
=== 秘書給与肩代わり問題 ===
1997年から1998年の11ヶ月間、[[暴力団]]組員が会長として実質的に経営する大阪府[[貝塚市]]の[[建設会社]]に、松浪が私設秘書の[[給与]]275万円を肩代わりさせていたとして問題になった<ref name = "yomi01">2003.04.15読売新聞朝刊一面</ref>(しんぶん赤旗、毎日新聞では献金額は250万円となっている)。秘書給与の供与が始まった経緯について、松浪は「応援してほしいと言われ甘えてしまった」、会長は「秘書一人面倒を見てほしいと頼まれた」としている<ref name = "yomi01">2003.04.15読売新聞朝刊一面</ref>。
この問題について松浪は、会長が暴力団関係者とは知らなかったと主張している。しかし、会長が暴力団組員だと認識した後も2ヶ月間給与を肩代わりさせていた事実<ref name = "yomi01">2003.04.15読売新聞朝刊一面</ref>や、その後も、1998年3月に府営住宅解体工事を巡る[[公務の執行を妨害する罪#談合罪|談合]]容疑で会長が[[逮捕 (日本法)|逮捕]]された直後まで、暴力団関係者と認識しながら関係が続いていた事実<ref name = "yomi01">2003.04.15読売新聞朝刊一面</ref>が判明している。
また、この秘書給与は[[政治資金規正法]]上「寄付」として届けなければならないが、松浪は届け出の義務を知りながら、会長との間に公表しないという約束があったので届け出なかったと説明している<ref name = "yomi35">2003.04.16読売東京朝刊35頁</ref>。更に、秘書給与275万円の他に、この建設会社などの呼びかけで開かれた地元業界団体の当選祝賀会で200万円の寄付を受け取っており、この寄付も秘書給与同様、[[政治資金収支報告書]]へ記載していなかった<ref name = "yomi39">2003.04.15読売新聞朝刊39頁</ref>。
この問題は大きく報道され、松浪に辞職を求める声が高まった。これに対し、トレードマークの後ろ髪を切り、オールバックにすることで責任を果たした事をアピールしたが、辞職については拒否した。
この問題について、松浪はのちに自身のホームページで「元暴力団員が人間でないかのような報道ぶりは[[人権]]問題」「元暴力団員の妻だった人(注・[[大平光代]])が[[大阪市]]助役に就任すると賛辞を贈るのに、自分への献金は犯罪行為のように扱う」と怒りをあらわにしている。
* 松浪は、1997年末頃に知人を通じてこの会長が暴力団関係者だと認識したとしている<ref name = "yomi01">2003.04.15読売新聞朝刊一面</ref>。
* この会長は、1998年7月まで[[指定暴力団]][[酒梅組]]系組員。1998年3月、府営住宅解体工事を巡る談合容疑で逮捕され、有罪となっている<ref name = "yomi01">2003.04.15読売新聞朝刊一面</ref>。
=== 公職選挙法違反 ===
2003年の衆議院選挙で、選挙区内の[[有権者]]に線香を贈ったとして、松浪と私設秘書ら計4人が[[公職選挙法]]違反容疑(寄付行為の禁止)で[[書類送検]]された<ref>読売新聞、2004年3月30日</ref>。
== 主な所属団体・議員連盟 ==
* [[北京オリンピックを支援する議員の会]]
== 著書 ==
* 学術関係
** 『格闘技の文化史』 [[ベースボール・マガジン社]] 1993年 ISBN 4583030398
** 『スポーツ・フィールドノート』 [[大修館書店]] 1995年9月 ISBN 4469263176
** 『折々の人類学』 [[専修大学出版局]] 2005年4月 ISBN 9784881251584
* その他
** 『もっと「ワル」になれ―やりたいこともやれないで男といえるか』 [[ごま書房]] 1992年10月 ISBN 4341015281
** 『「ワル」は女でデカくなる―男なら、死ぬ気になって女のケツを追ってみろ』 ごま書房 1992年12月 ISBN 4341015362
** 『「ワル」の行動学―おまえたち、何もできないブタのままで終わっていいのか』 ごま書房 1993年5月 ISBN 4341015656
** 『冒険しなけりゃ「ワル」じゃない―人と違った道を歩くのが「ワル」流男の鍛え方だ』 ごま書房 1994年11月 ISBN 4341016393
** 『松浪健四郎先生のワルの法則―彼女や上役に一目おかれる“強い男”への道標』 ごま書房 1997年2月 ISBN 4341160478
** 『アフガン褐色の日々』 [[中央公論新社]]・改版版 2001年5月 ISBN 4122038359
** 『私の肖像画 ~いろいろありました』 [[産経新聞出版]] 2019年9月 {{ISBN2|486306148X}}
* 共著
** 松浪健四郎・荒木祐次著『身体観の研究 美しい身体と健康(新版)』 専修大学出版局 1995年7月 ISBN 4881250744
== 出演 ==
=== バラエティ ===
* [[ビートたけしのTVタックル]]([[テレビ朝日]])
* [[朝まで生テレビ!]](テレビ朝日)
* [[特捜!芸能ポリスくん]]([[TBSテレビ|TBS]])
* [[新春かくし芸大会]](1995年1月2日、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - 審査員
=== テレビドラマ ===
* [[あすなろ白書]] 第1話(1993年10月11日、フジテレビ) - 大学教授役
* [[土曜ワイド劇場]]「[[温泉 (秘) 大作戦]]PART6」(2008年8月16日、[[朝日放送テレビ|朝日放送]]) - 農夫役・友情出演
=== ラジオ番組 ===
* 高嶋秀武・松浪健四郎のオジサンたちの血が騒ぐ!(TBSラジオ)1993年10月 - 1994年3月
=== 映画 ===
* 修羅の抗争 極道はクリスチャン(2000年 [[哀川翔]]主演・[[小澤啓一]]監督) - 洋服店主役
=== CM ===
* [[エバラ食品工業]]
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|title = 日本体育大学の底力|author = 手束 仁|date = 2014-01|publisher=日刊スポーツ出版社|isbn= 978-481720315-1 |ref = {{Harvid|日本体育大学の底力|2014}} }}
* {{Cite book|和書|title = アフガン褐色の日々|author = 松浪 健四郎|date = 1983-11|publisher=[[中央公論社]] |isbn= 978-4122010765 |ref = {{Harvid|アフガン褐色の日々|1983}} }}
* {{Cite journal|和書|journal=専修大学社会体育研究所報 |author=松浪健四郎 |title=恩人前嶋孝教授を想う。「私の座標軸」 |date=2012-03-31 |volume=59 |pages=3-4 |publisher=専修大学社会体育研究所 |ISSN=0288-4135 |url=http://id.nii.ac.jp/1682/00003127/ |ref = {{Harvid|専修大学社会体育研究所報2011年度版|2012}} }}
== 関連項目 ==
* [[八田一朗]]
== 外部リンク ==
* [http://www.gaku-nittai.ac.jp/corporation/ 学校法人日本体育大学](理事長挨拶)
*{{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20210411043906/https://cuore-a-domani.com/talent_list/matsunami_kenshirou.html |date=July 27, 2001 |title=株式会社クオレ・ア・ドマーニ 所属タレント 松浪健四郎 }}
* [https://www.kasumigasekikai.or.jp/%e3%82%a2%e3%83%95%e3%82%ac%e3%83%8b%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%b3%e3%81%ae%e6%b0%b4%e4%ba%8b%e6%83%85%ef%bd%9e%e7%a0%82%e6%bc%a0%e3%81%ae%e5%9b%bd%e3%81%ae%e8%be%b2%e6%a5%ad/ アフガニスタンの水事情~砂漠の国の農業] - 2022年4月27日
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| title = {{flagicon|JPN}} [[文部科学副大臣]]<br />[[池坊保子]]と共同
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7,120 | 鈴木嘉和 | 鈴木 嘉和(すずき よしかず、1940年〈昭和15年〉8月21日 - 1992年〈平成4年〉11月25日失踪)は、風船おじさんとして知られたピアノ調律師、経営者。自称冒険者。戸籍名、石塚 嘉和(いしづか よしかず)、旧姓:鈴木。消息不明の人物。
1989年に「横浜博覧会立て籠もり事件」、1992年4月に多摩川河川敷から風船をつけた椅子で飛び立って不時着する「ヘリウム風船不時着事件」と、ニュースになる騒ぎを2度起こした。同年11月に風船をつけたゴンドラでアメリカを目指して太平洋横断に挑戦したが、出発から2日後に連絡が途絶え、その後に消息不明となった。最後の「ファンタジー号事件」がワイドショーを中心にマスコミで報じられたことで「風船おじさん」の名で知られることになった
東京都でピアノ調律師の一家に生まれる。国立音楽大学附属高等学校を卒業後、ヤマハの契約社員となり、東京都小金井市でピアノ調律業を営む。
1984年、44歳のときに音楽教材販売会社ミュージック・アンサンブルを起業して、ピアノ音楽教材として使われているバイエル、ブルグミュラーなどの曲に編曲したオーケストラパートをつけたピアノ向けの教材を製作、販売を開始。1985年7月に日比谷公会堂で音楽会を主催し、最後に風船を飛ばす演出を行った。その後も音楽イベントを開催するとフィナーレには風船を飛ばした。
1986年に銀座では音楽サロン「あんさんぶる」を開店。さらに麻雀荘やコーヒーサロンやパブレストランなどを経営していたが、いずれもうまくはいかず、1990年にミュージック・アンサンブルが4億円から5億円の負債を抱えて倒産。20人以上の債権者がおり借金苦に陥る。債権者に対し、ビニール風船26個を付けたゴンドラ(飛行船)「ファンタジー号」による太平洋横断で借金を返済すると語っていたという。
国立音楽大学のピアノ科講師で高校時代に1学年上だったピアニストの石塚由紀子と音楽教材の仕事をともにするようになり、やがてファンタジー号で飛び立つ半年前の1992年5月に結婚。鈴木にとっては3度目、石塚にとっては2度目の結婚だった。鈴木は石塚由紀子と結婚した際に姓を石塚としたが、旧姓の鈴木を通称として使い続けた。
妻の石塚は2000年に著書『風船おじさんの調律』(未來社、ISBN 4624501292)を出版、後述の失踪宣告確定による婚姻関係の消滅から15年が経過した2016年夏にはポルトガル人の男性と3度目の結婚をした。2017年初めに胆管癌であることが判明し、同年4月に死去した。
2003年6月に、継子の石塚富美子がヴァイオリン奏者「fumiko」としてデビューした。2004年にはNHKのドラマ『火消し屋小町』で女優としてもデビューした。
石塚には富美子の他に娘2人がおり、1991年に3姉妹で結成した「Triolet」はソニー・ミュージック・エンタテインメントのTHE NEW ARTIST AUDITIONで最優秀アーティスト賞を受賞。1994年には母娘4人でクラシック音楽を中心にした音楽グループ「ファミローザ・ハーモニー」を結成、ディナーショーを開催したり日本国外でも活動した。なお、全員が音楽大学を卒業している娘3人は石塚の前夫との間の娘であり、鈴木との血縁関係はない。
鈴木は、石塚の3人の娘からは結婚後の姓の「石塚」のいしづかのづと「嘉和」のよしかずのずから「ズー」の愛称で呼ばれていた。本人は「カズ君」と呼ばれるのが希望だったという。
鈴木は最初の妻との間に娘をもうけており、鈴木がファンタジー号で行方不明になった後にその娘がTBSから取材を受けている。
1989年3月25日から横浜市で開催された横浜博覧会にテナントを出店したが、会場内での店舗立地が悪いことや、博覧会自体の集客が順調でないことから経営は不振だった。そこで客集めとして、手塚治虫がデザインした横浜博のマスコット「ブルアちゃん」の着ぐるみを自作し、中に自分が入って撮影会やサイン会を実施していた。
しかし10月の閉幕が迫っているにもかかわらず横浜博覧会協会が対策を取らないとして、これに抗議して同年7月30日、早朝の4時から高さ30メートルの鉄塔コロネードにブルアちゃんの着ぐるみを持って足場伝いによじ登り、7時間ほど籠城する騒ぎを起こした。塔からは「団体バス駐車場を開放してね」という垂れ幕を垂らそうとしたが、風に煽られてうまくいかず、午前10時頃に博覧会関係者が異変を発見して119番通報した。横浜市消防局のレスキュー隊員がはしご車で頂上まで行き説得するが、ブルアちゃんの着ぐるみに入った鈴木はイヤイヤポーズをするなど拒否。20分後の11時45分頃に説得に応じてはしご車で地上に引き降ろされるまで1時間近く鉄塔上を歩き回った。
出店にあたって博覧会協会側から1日10万人の入場者があると説明されていたが実際は3万から4万人、1日100万円の売上げ見込みが3分の1、ときには10万円未満の日もある一方で、権利金や店の内装で出店には3,000万円を要していた。博覧会そのものの集客の少なさに加えて、鈴木が出店した店は22店舗あるブルアちゃんモールの一角で高島町ゲート前だったが、直近の駐車場が業務用の団体バス駐車場だったため、マイカー利用者からの集客が期待できず、夏休みになると団体バスの利用数が半減していたことも「ガラ空きの業務用駐車場を開放して」と鈴木が訴える原因となった。事件後に協会事務局長は鈴木に厳重注意した。
鈴木が出店した店は、『読売新聞』は郷土料理店、『朝日新聞』は飲食店、『毎日新聞』は土産もの店と報じている。
この抗議の後、協会と交渉の末に許可を取り、独自の客寄せとしてヘリウム風船の浮力でロープで係留されたゴンドラが高さ10メートルから20メートルに浮かぶ「空中散歩」を自費で博覧会場に設置。9月1日から閉幕する10月1日までこれを実施し、約2500人がゴンドラに乗って空中散歩を楽しんだ。最終日となった10月1日、鈴木はブルアちゃんの着ぐるみの中に入ったままゴンドラに乗り、ロープを外して場外まで飛んで行くと言い出したが、「皆に迷惑をかけてしまうから」と最終的には断念した。
経営する銀座のパブに出資してもらったことから、1991年7月から歌手のグラシェラ・スサーナのマネージャー業をしていたが、1992年になって契約を解消。
1992年4月17日には、風船で飛び立ち、民家の屋根に不時着する事故を起こした。府中署防犯課の警察官の制止を聞かずに東京都府中市是政橋付近の多摩川河川敷から千葉県の九十九里浜を目指して午前12時45分にヘリウム風船で飛び立った。自分が座った椅子に5メートルと2.5メートルの風船各2個を直接くくりつけて飛行していたが、おもりの15kgの砂袋2個がはずれて急上昇し、予定の高度400メートルが5,600メートルの高度に到達したため、当日購入していた100円ライターであぶって5メートルの風船を切り離した。この後に高度が下がり、午後1時40分頃に出発地点から24キロメートル離れた東京都大田区大森西七丁目の民家の屋根に不時着した。しかし左手に怪我をした程度で済み、駆けつけた蒲田署員に謝罪しつつも、次はハワイをめざす予定だったと語り、改めて再挑戦することを誓っていた。
一方、不時着された民家は瓦が壊れ、テレビアンテナが曲がる被害を受けたが、鈴木からの弁償も挨拶もなかったという。
この初飛行の後、NHKのラジオ番組にゲスト出演し、その際に風船による太平洋横断計画について語っている。しかし、この実験飛行の大失敗によってマスコミ各社は鈴木と距離を置くようになり、また風船のヘリウムガスを売ってもらえなくなった。
1992年11月23日、当時52歳だった鈴木は、ヘリウム入りの風船を多数つけたゴンドラ「ファンタジー号」の試験飛行を琵琶湖畔で行うとした。前日の22日夜から風船を守るため、琵琶湖畔で野宿していた。
試験飛行の場には、電話で呼び出された当時同志社大学教授の三輪茂雄と学生7人、朝日新聞の近江八幡通信局長、前日から密着していたフジテレビのワイドショー『おはよう!ナイスデイ』取材班、そして鈴木の支持者らが集まった。
この日の名目はあくまで200メートルあるいは300メートルの上昇実験ということだった。運輸省(現・国土交通省)は装備の不足を理由に安全性に疑問があることから飛行許可は申請を受理しておらず、あくまで地上に係留したままの試験飛行という条件で受理していた。しかし実際には「僕がもし、太平洋横断を決行したら、マスコミが大騒ぎして家に押しかけてくると思う」と家族にホテルに宿泊するよう事前に手配しており、鈴木は密かにアメリカまでの飛行を強行しようと考えていた。ホテルには12月3日頃まで待っていればいいとも言っていたという。鈴木は3人の娘にはアメリカ土産に何がいいかと聞いて、希望の品を書いたメモをポケットに入れて旅立っている。
120メートルまで上昇して一旦は地上に降りたものの、16時20分頃「行ってきます」と言ってファンタジー号を係留していたロープをはずした。「どこへ行くんだ」という三輪に「アメリカですよ」との言葉を返し、重りの焼酎の瓶を地上に落とし周囲の制止を振り切って、アメリカネバダ州サンド・マウンテンをめざして出発した。見物人たちは呆れて、誰も鈴木に手を振らなかった。
飛び立った直後にテレビ局が鈴木に携帯電話で連絡すると「ヘリウムが少し漏れているが、大丈夫だ」との回答を得た。ホテルにいる家族へは夜10時から携帯電話で連絡があり、その後も1時間ごとに電話がかかってきた。風船の様子がおかしいこと、思ったより高度が上がらないこと、海に出たこと、煙草を吸ったことなどを家族に語った。鈴木がテレビ局に電話しても繋がらなかったという。翌朝6時に「スバラシイ朝焼けだ! きれいだよ」と妻に伝え、その次の「行けるところまで、行くから心配しないでネ!」が最後の電話になった。以後、携帯電話は不通となった。
24日深夜からイーパブからのSOS信号が発信され、25日の8時半に海上保安庁第三管区海上保安本部の捜索機ファルコン900が宮城県金華山沖の東約800km海上で飛行中のファンタジー号を確認した。しかし鈴木は捜索機に向かって手を振ったり座りこんだりして、SOS信号をやめた。ファンタジー号の高度は2,500メートルで、高いときには4,000メートルに達した。約3時間監視したが、手を振っていたこと、ゴンドラの中の物を落下させて高度を上げたこと、遭難信号も消えたことから、飛行継続の意思があると判断して11時半に捜索機は追跡を打ち切った。要請があれば救助したとしている。残された妻は「ああ、よかった」と繰り返し、3人の娘は「もうとっくにアメリカまで行っていると思ったのに、なんだまだ宮城県沖なの」と笑い合ったが、その後は消息が途絶えたことで心配を募らせたと語っている。
以後、SOS信号は確認されておらず、家族から捜索願が出されたことを受け、12月2日に海上保安庁はファンタジー号が到着する可能性のあるアメリカとカナダとロシアに救難要請を出した。
鈴木の計算では、ファンタジー号は高度1万メートルに達すれば、ジェット気流に乗って40時間でアメリカに到着するはずだった。飛行中にも携帯電話で取材した「朝日新聞」に対し、4、5日後にはアメリカに到着する予定だと見通しを語っていたが、捜索機の追跡打ち切り以降の消息は不明である。当時の気象大学校の教頭である池田学は、『朝日新聞』の取材に対し「生存は難しいだろう」と答えている。ファンタジー号のビニール風船の素材が塩化ビニールならば、1日に約10%の割合でガスが抜け、海に着水している可能性が指摘されている。
最後にファンタジー号が目撃されたとき、ファンタジー号は金華山沖800kmで高度2500m、時速70kmで北東へ向かっており、気象庁幹部も航空評論家の青木謙知も共にロシアのカムチャツカ半島あたりまでは達したのではないかと推測した。風船については日本気球連盟が2つの予測をしている。前述の池田学と同様に1日10%ずつガスが抜けてしぼんでいくというものと、もう1つの可能性としては高空で外気圧が低くなって風船は膨らむが低気温に晒されて柔軟性がなくなっているために割れるというものである。実際に捜索機が見たときには既に風船はしぼんでおり、発見されて24時間から48時間以内には着水するだろうと考えられた。出発時に4つあった主力風船も2つのみになっていた。着水した後については、海洋学者で東京水産大学の教授を務めた三好寿が、宮城県沖で着水すればアラスカの方向へ、アリューシャン列島付近の着水ならオホーツク海で親潮に載って日本の沿岸へたどり着くとの見解を示した。残された家族は行方不明直後の1992年の取材で、無人島に漂着したのではないかと思っていると語った。
冒険の動機は、三輪の鳴き砂保護に賛同して、鳴き砂保護を訴えるためだったと言われる。鳴き砂の海岸がある島根県邇摩郡仁摩町(現・大田市)の町長に2度の接触を持ち、経済援助を要請していた。その際「2億円の生命保険をかけている」と説明したという。生命保険については、債権者に5,000万円の保険に加入したと語っていたという情報もある。この債権者には、成功すればCM料で借金が返済できるとも説明していた。
しかし仁摩町からの太平洋横断飛行出発には、4月の東京での飛行の失敗のために日本の運輸省の許可もアメリカの連邦航空局の許可も下りず、仁摩町は文書で正式に要請を断った。なお、仁摩町では鈴木が高校時代に見て以来好きだったというフランス映画『赤い風船』をビデオで見せていたという。
三輪には会うたびに異なった計画を説明し、「断食の訓練をしたから食事はいらない」「アメリカから帰ったら有名になれる。俺は冒険家だ」とも語っていた。そんな鈴木に三輪は無線免許を取ることと、鳴き砂のある仁摩町から飛ばなければ意味がないとさとしていたが、それにもかかわらず、琵琶湖湖畔から旅立たれ、裏切られた思いだとマスコミに感想を述べている。鈴木は三輪に対しても「実戦さながらの300メートル上昇浮力テスト」と偽っており、騙し討ちを受けた格好の三輪は「バカモン。上昇しないといったじゃないか。ウソツキ」「成功すれば冒険家だが、失敗すればバカモンだ。俺は知らんぞ」と飛び立った鈴木に言い放ったと手記に記している。
直径6mの主力となるビニール風船を4個、直径3mの補助風船を若干個装備。ゴンドラの外形寸法は約2m四方・深さ約1mで、海上に着水した時の事を考慮し、浮力の高い檜を使用していた。ゴンドラ製作を依頼されたのは桶職人で、桶造りでは東京江戸川区の名人と言われた吉原誠一。吉原は江戸川区指定無形文化財・工芸技術の指定を受けた人物ではあるが、木風呂の技術者であって、飛行船のゴンドラは専門でない。吉原は鈴木からゴンドラの製作を10月30日頃に依頼されていた。風船のガスが徐々に抜けて浮力が落ちるため、飛行時に徐々に捨て機体の浮上を安定させる重り(バラスト)を用意していた。重りの中身は、厳寒でも凍らない沖縄焼酎のどなんを使用していた。
積載物は、48時間分の酸素ボンベとマスク、1週間分の食料、緯度経度測定器、高度計、速度計、海難救助信号機、パラシュート、レーダー反射板、携帯電話、地図、成層圏の零下60度以下の気温に耐えるための魚の冷凍庫内で試した防寒服、ヘルメットに紫外線防止サングラス等であった。
出発時の防寒具は、スキーウェアと毛布5枚。無線免許は持っていなかったため、無線機は積まれていなかった。搭載していた高度計についても、使い方を理解していなかったという。食糧については、鈴木は絶食の訓練をしていたと称しており、スナック菓子のみだった。さらにテレビカメラと無線緊急発信装置も搭載されていた。
本来の計画では主力風船が6個に補助風船26個の予定で揚力800kgとの計算だったが、実際には主力風船は4個に補助風船は若干個に減っていた。その上、破れてヘリウムガスが抜ける風船があったため、鈴木は出発の前に粘着テープでこれを応急修理し、作業を手伝っていた学生には「これでok. 君は人にいうな」と口止めして、破れた風船を使っていた。このためファンタジー号は浮力が不足したため上昇せず、バラストとして用意していた焼酎は200本全てが下ろされた。さらに酸素ボンベも下ろしたことでやっと上昇を始めた。
ファンタジー号のビニール風船については、制作したアド・ニッポー社は、もともと人を乗せるものではないし、零下何十度にも達する高空に耐える保証もないことを取材に答えている。日本気球連盟の今村純夫も、上空で気圧が下がると、球形の風船では膨らんで弾ける可能性を指摘。4月の不時着事故でこれまでの会社がヘリウムガスを売ってくれなくなったため、別の会社から調達。計280万円分のヘリウムボンベはトラック3台で運搬された。
ファンタジー号での冒険にあたっては、鈴木は金を募ったが、寄付された金額は不明。ゴンドラの制作のために多額の借金を負い、支援者の1人が1,300万円を肩代わりしたという。別の取材では支援者の経営コンサルタントの男性は1,500万円の支払いがあったと語っており、1993年時点で750万円までは払ったという。
ファンタジー号の出発直後から、民放テレビ局のワイドショー番組では、貴乃花と宮沢りえの婚約報道とともにトップニュース扱いで毎日のように報道。「風船おじさん」のニックネームが定着するきっかけを作った。新聞のテレビ欄では、11月26日にフジテレビ『タイム3』が「無謀な冒険 風船で米国へ」、TBSの『モーニングEye』が「無謀・風船男太平洋横断決行」、『スーパーワイド』が「風船おじさんを大追跡」と取り上げているのが確認できる。12月1日には『モーニングEye』が「風船男飛んで1週間消息徹底追跡」、『タイム3』が「追跡風船男米空軍も調査」。密着取材していたフジテレビの『おはよう!ナイスデイ』は12月2日に「風船男の安否」、12月3日に「風船おじさん 遂に身内捜索願」と取り上げた。
しかし、1992年12月6日以後は、オーストラリアで新婚旅行中の日本人妻が失踪する事件が発生し、マスメディアの関心がそちらに移ったこと、ファンタジー号自体の話題が尽きたこともあり、『スーパーワイド』が12月6日「風船男SOS」、12月8日に「風船男SOS検証」と取り上げているのがテレビ欄で確認できる最後であり、ファンタジー号に関する報道は沈静化した。
週刊誌では、同年12月17日号の『週刊文春』が、密着して出発時の映像も撮影していたフジテレビの姿勢を「鈴木を煽ったのではないか」と取り上げ、同時に計画を無謀だと指摘した。12月24日・31日合併号の『週刊新潮』は過去のプライバシーを明かす記事を掲載した。見出しには、『週刊文春』が「風船男」、『週刊新潮』は「風船おじさん」を使っている。
フジテレビは『週刊文春』の取材に対し鈴木とタイアップしておらず、また鈴木は無線免許を取得して4月以降に出発すると語っていたため、11月23日に飛んでしまうとは思わなかったと回答している。前述のように鈴木はアメリカへ旅立つことを前提に家族を匿うホテルを自ら用意していた。出発前に取材に訪れたマスコミはあまりにも無謀だと反対する人も多かったが、鈴木はあえて自発的に旅立ったとジャーナリストの大林高士は『週刊現代』で記している。
鈴木が消息不明となった後に残された妻は会社の共同経営者で、家が1億円の抵当に入っていることもあり、借金は残された妻が払い続けていた(2006年時点)。鈴木が飛び立ってから、早朝に無言電話がかかってくることがあり、妻は生存する鈴木からの電話かと期待をかけていたが、その電話も3年ほどで途絶えた。1999年の取材によれば、2年に1度の捜索願を家族が更新しており、鈴木は戸籍上は生きていることになっていたが、その時点で失踪宣告の手続をしようかと思うようになったとも語っている。鈴木が消息を絶ってから7年余り経った2000年、妻からの鈴木に対する「失踪に関する届出の催促」が官報に公告され、2001年2月1日付で失踪宣告が確定した。前述のとおり、妻は2016年に再婚し、翌2017年に死去した。
「風船おじさん」については、その後も話題になることがある。例えば、タレント・映画監督のビートたけしは、2001年に野球選手のイチローが国民栄誉賞を辞退した際に、冒険家だった風船おじさんに国民栄誉賞をあげればいいと語ったことがある。たけしは日本で空からオタマジャクシが降ってきたと騒動になった2009年にもこの騒動と風船おじさんをひっかけてギャグにした。
1994年には筋肉少女帯が、アルバム『レティクル座妄想』収録の「飼い犬が手を噛むので」という曲で風船おじさんに言及している。
1995年にはレピッシュがアルバム『ポルノポルノ』に「風船おじさん」と題する曲を収録。ドン・キホーテ的生き方を敬意とともに肯定する内容となっている。
1997年4月には、劇作家の山崎哲の作・演出により、鈴木をモデルにした舞台『風船おじさん』が新宿のシアタートップスで上演された。蟹江敬三の一人芝居である。同じく劇作家の宮沢章夫は、中原昌也との『キネマ旬報』誌での対談で映画化したい人物として「風船おじさん」を挙げた。
1998年11月22日の20時からは文化放送が鈴木の妻や周辺に取材して、『ファンタジー号に乗って~あれから6年 消えない響き』というドキュメンタリーのラジオ番組を放送した。
2022年には風船おじさんをモチーフとした小説『孤島の飛来人』(山野辺太郎著)が出版された。
遺体がアラスカで発見されたというニュースがネット上に存在するが、事実無根のデマである。 | [
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"text": "鈴木 嘉和(すずき よしかず、1940年〈昭和15年〉8月21日 - 1992年〈平成4年〉11月25日失踪)は、風船おじさんとして知られたピアノ調律師、経営者。自称冒険者。戸籍名、石塚 嘉和(いしづか よしかず)、旧姓:鈴木。消息不明の人物。",
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"text": "1989年に「横浜博覧会立て籠もり事件」、1992年4月に多摩川河川敷から風船をつけた椅子で飛び立って不時着する「ヘリウム風船不時着事件」と、ニュースになる騒ぎを2度起こした。同年11月に風船をつけたゴンドラでアメリカを目指して太平洋横断に挑戦したが、出発から2日後に連絡が途絶え、その後に消息不明となった。最後の「ファンタジー号事件」がワイドショーを中心にマスコミで報じられたことで「風船おじさん」の名で知られることになった",
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"text": "東京都でピアノ調律師の一家に生まれる。国立音楽大学附属高等学校を卒業後、ヤマハの契約社員となり、東京都小金井市でピアノ調律業を営む。",
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"text": "1984年、44歳のときに音楽教材販売会社ミュージック・アンサンブルを起業して、ピアノ音楽教材として使われているバイエル、ブルグミュラーなどの曲に編曲したオーケストラパートをつけたピアノ向けの教材を製作、販売を開始。1985年7月に日比谷公会堂で音楽会を主催し、最後に風船を飛ばす演出を行った。その後も音楽イベントを開催するとフィナーレには風船を飛ばした。",
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"text": "1986年に銀座では音楽サロン「あんさんぶる」を開店。さらに麻雀荘やコーヒーサロンやパブレストランなどを経営していたが、いずれもうまくはいかず、1990年にミュージック・アンサンブルが4億円から5億円の負債を抱えて倒産。20人以上の債権者がおり借金苦に陥る。債権者に対し、ビニール風船26個を付けたゴンドラ(飛行船)「ファンタジー号」による太平洋横断で借金を返済すると語っていたという。",
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"text": "国立音楽大学のピアノ科講師で高校時代に1学年上だったピアニストの石塚由紀子と音楽教材の仕事をともにするようになり、やがてファンタジー号で飛び立つ半年前の1992年5月に結婚。鈴木にとっては3度目、石塚にとっては2度目の結婚だった。鈴木は石塚由紀子と結婚した際に姓を石塚としたが、旧姓の鈴木を通称として使い続けた。",
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"text": "妻の石塚は2000年に著書『風船おじさんの調律』(未來社、ISBN 4624501292)を出版、後述の失踪宣告確定による婚姻関係の消滅から15年が経過した2016年夏にはポルトガル人の男性と3度目の結婚をした。2017年初めに胆管癌であることが判明し、同年4月に死去した。",
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"text": "2003年6月に、継子の石塚富美子がヴァイオリン奏者「fumiko」としてデビューした。2004年にはNHKのドラマ『火消し屋小町』で女優としてもデビューした。",
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"text": "石塚には富美子の他に娘2人がおり、1991年に3姉妹で結成した「Triolet」はソニー・ミュージック・エンタテインメントのTHE NEW ARTIST AUDITIONで最優秀アーティスト賞を受賞。1994年には母娘4人でクラシック音楽を中心にした音楽グループ「ファミローザ・ハーモニー」を結成、ディナーショーを開催したり日本国外でも活動した。なお、全員が音楽大学を卒業している娘3人は石塚の前夫との間の娘であり、鈴木との血縁関係はない。",
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"text": "鈴木は、石塚の3人の娘からは結婚後の姓の「石塚」のいしづかのづと「嘉和」のよしかずのずから「ズー」の愛称で呼ばれていた。本人は「カズ君」と呼ばれるのが希望だったという。",
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"text": "鈴木は最初の妻との間に娘をもうけており、鈴木がファンタジー号で行方不明になった後にその娘がTBSから取材を受けている。",
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"text": "1989年3月25日から横浜市で開催された横浜博覧会にテナントを出店したが、会場内での店舗立地が悪いことや、博覧会自体の集客が順調でないことから経営は不振だった。そこで客集めとして、手塚治虫がデザインした横浜博のマスコット「ブルアちゃん」の着ぐるみを自作し、中に自分が入って撮影会やサイン会を実施していた。",
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"text": "しかし10月の閉幕が迫っているにもかかわらず横浜博覧会協会が対策を取らないとして、これに抗議して同年7月30日、早朝の4時から高さ30メートルの鉄塔コロネードにブルアちゃんの着ぐるみを持って足場伝いによじ登り、7時間ほど籠城する騒ぎを起こした。塔からは「団体バス駐車場を開放してね」という垂れ幕を垂らそうとしたが、風に煽られてうまくいかず、午前10時頃に博覧会関係者が異変を発見して119番通報した。横浜市消防局のレスキュー隊員がはしご車で頂上まで行き説得するが、ブルアちゃんの着ぐるみに入った鈴木はイヤイヤポーズをするなど拒否。20分後の11時45分頃に説得に応じてはしご車で地上に引き降ろされるまで1時間近く鉄塔上を歩き回った。",
"title": "横浜博覧会立て籠もり事件"
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"text": "出店にあたって博覧会協会側から1日10万人の入場者があると説明されていたが実際は3万から4万人、1日100万円の売上げ見込みが3分の1、ときには10万円未満の日もある一方で、権利金や店の内装で出店には3,000万円を要していた。博覧会そのものの集客の少なさに加えて、鈴木が出店した店は22店舗あるブルアちゃんモールの一角で高島町ゲート前だったが、直近の駐車場が業務用の団体バス駐車場だったため、マイカー利用者からの集客が期待できず、夏休みになると団体バスの利用数が半減していたことも「ガラ空きの業務用駐車場を開放して」と鈴木が訴える原因となった。事件後に協会事務局長は鈴木に厳重注意した。",
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"text": "鈴木が出店した店は、『読売新聞』は郷土料理店、『朝日新聞』は飲食店、『毎日新聞』は土産もの店と報じている。",
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"text": "この抗議の後、協会と交渉の末に許可を取り、独自の客寄せとしてヘリウム風船の浮力でロープで係留されたゴンドラが高さ10メートルから20メートルに浮かぶ「空中散歩」を自費で博覧会場に設置。9月1日から閉幕する10月1日までこれを実施し、約2500人がゴンドラに乗って空中散歩を楽しんだ。最終日となった10月1日、鈴木はブルアちゃんの着ぐるみの中に入ったままゴンドラに乗り、ロープを外して場外まで飛んで行くと言い出したが、「皆に迷惑をかけてしまうから」と最終的には断念した。",
"title": "横浜博覧会立て籠もり事件"
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"text": "経営する銀座のパブに出資してもらったことから、1991年7月から歌手のグラシェラ・スサーナのマネージャー業をしていたが、1992年になって契約を解消。",
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"text": "1992年4月17日には、風船で飛び立ち、民家の屋根に不時着する事故を起こした。府中署防犯課の警察官の制止を聞かずに東京都府中市是政橋付近の多摩川河川敷から千葉県の九十九里浜を目指して午前12時45分にヘリウム風船で飛び立った。自分が座った椅子に5メートルと2.5メートルの風船各2個を直接くくりつけて飛行していたが、おもりの15kgの砂袋2個がはずれて急上昇し、予定の高度400メートルが5,600メートルの高度に到達したため、当日購入していた100円ライターであぶって5メートルの風船を切り離した。この後に高度が下がり、午後1時40分頃に出発地点から24キロメートル離れた東京都大田区大森西七丁目の民家の屋根に不時着した。しかし左手に怪我をした程度で済み、駆けつけた蒲田署員に謝罪しつつも、次はハワイをめざす予定だったと語り、改めて再挑戦することを誓っていた。",
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"text": "一方、不時着された民家は瓦が壊れ、テレビアンテナが曲がる被害を受けたが、鈴木からの弁償も挨拶もなかったという。",
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"text": "この初飛行の後、NHKのラジオ番組にゲスト出演し、その際に風船による太平洋横断計画について語っている。しかし、この実験飛行の大失敗によってマスコミ各社は鈴木と距離を置くようになり、また風船のヘリウムガスを売ってもらえなくなった。",
"title": "ヘリウム風船不時着事件"
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"text": "1992年11月23日、当時52歳だった鈴木は、ヘリウム入りの風船を多数つけたゴンドラ「ファンタジー号」の試験飛行を琵琶湖畔で行うとした。前日の22日夜から風船を守るため、琵琶湖畔で野宿していた。",
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"text": "試験飛行の場には、電話で呼び出された当時同志社大学教授の三輪茂雄と学生7人、朝日新聞の近江八幡通信局長、前日から密着していたフジテレビのワイドショー『おはよう!ナイスデイ』取材班、そして鈴木の支持者らが集まった。",
"title": "ファンタジー号事件"
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"text": "この日の名目はあくまで200メートルあるいは300メートルの上昇実験ということだった。運輸省(現・国土交通省)は装備の不足を理由に安全性に疑問があることから飛行許可は申請を受理しておらず、あくまで地上に係留したままの試験飛行という条件で受理していた。しかし実際には「僕がもし、太平洋横断を決行したら、マスコミが大騒ぎして家に押しかけてくると思う」と家族にホテルに宿泊するよう事前に手配しており、鈴木は密かにアメリカまでの飛行を強行しようと考えていた。ホテルには12月3日頃まで待っていればいいとも言っていたという。鈴木は3人の娘にはアメリカ土産に何がいいかと聞いて、希望の品を書いたメモをポケットに入れて旅立っている。",
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"text": "120メートルまで上昇して一旦は地上に降りたものの、16時20分頃「行ってきます」と言ってファンタジー号を係留していたロープをはずした。「どこへ行くんだ」という三輪に「アメリカですよ」との言葉を返し、重りの焼酎の瓶を地上に落とし周囲の制止を振り切って、アメリカネバダ州サンド・マウンテンをめざして出発した。見物人たちは呆れて、誰も鈴木に手を振らなかった。",
"title": "ファンタジー号事件"
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"text": "飛び立った直後にテレビ局が鈴木に携帯電話で連絡すると「ヘリウムが少し漏れているが、大丈夫だ」との回答を得た。ホテルにいる家族へは夜10時から携帯電話で連絡があり、その後も1時間ごとに電話がかかってきた。風船の様子がおかしいこと、思ったより高度が上がらないこと、海に出たこと、煙草を吸ったことなどを家族に語った。鈴木がテレビ局に電話しても繋がらなかったという。翌朝6時に「スバラシイ朝焼けだ! きれいだよ」と妻に伝え、その次の「行けるところまで、行くから心配しないでネ!」が最後の電話になった。以後、携帯電話は不通となった。",
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"text": "24日深夜からイーパブからのSOS信号が発信され、25日の8時半に海上保安庁第三管区海上保安本部の捜索機ファルコン900が宮城県金華山沖の東約800km海上で飛行中のファンタジー号を確認した。しかし鈴木は捜索機に向かって手を振ったり座りこんだりして、SOS信号をやめた。ファンタジー号の高度は2,500メートルで、高いときには4,000メートルに達した。約3時間監視したが、手を振っていたこと、ゴンドラの中の物を落下させて高度を上げたこと、遭難信号も消えたことから、飛行継続の意思があると判断して11時半に捜索機は追跡を打ち切った。要請があれば救助したとしている。残された妻は「ああ、よかった」と繰り返し、3人の娘は「もうとっくにアメリカまで行っていると思ったのに、なんだまだ宮城県沖なの」と笑い合ったが、その後は消息が途絶えたことで心配を募らせたと語っている。",
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"text": "直径6mの主力となるビニール風船を4個、直径3mの補助風船を若干個装備。ゴンドラの外形寸法は約2m四方・深さ約1mで、海上に着水した時の事を考慮し、浮力の高い檜を使用していた。ゴンドラ製作を依頼されたのは桶職人で、桶造りでは東京江戸川区の名人と言われた吉原誠一。吉原は江戸川区指定無形文化財・工芸技術の指定を受けた人物ではあるが、木風呂の技術者であって、飛行船のゴンドラは専門でない。吉原は鈴木からゴンドラの製作を10月30日頃に依頼されていた。風船のガスが徐々に抜けて浮力が落ちるため、飛行時に徐々に捨て機体の浮上を安定させる重り(バラスト)を用意していた。重りの中身は、厳寒でも凍らない沖縄焼酎のどなんを使用していた。",
"title": "ファンタジー号事件"
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"text": "積載物は、48時間分の酸素ボンベとマスク、1週間分の食料、緯度経度測定器、高度計、速度計、海難救助信号機、パラシュート、レーダー反射板、携帯電話、地図、成層圏の零下60度以下の気温に耐えるための魚の冷凍庫内で試した防寒服、ヘルメットに紫外線防止サングラス等であった。",
"title": "ファンタジー号事件"
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"text": "出発時の防寒具は、スキーウェアと毛布5枚。無線免許は持っていなかったため、無線機は積まれていなかった。搭載していた高度計についても、使い方を理解していなかったという。食糧については、鈴木は絶食の訓練をしていたと称しており、スナック菓子のみだった。さらにテレビカメラと無線緊急発信装置も搭載されていた。",
"title": "ファンタジー号事件"
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"text": "本来の計画では主力風船が6個に補助風船26個の予定で揚力800kgとの計算だったが、実際には主力風船は4個に補助風船は若干個に減っていた。その上、破れてヘリウムガスが抜ける風船があったため、鈴木は出発の前に粘着テープでこれを応急修理し、作業を手伝っていた学生には「これでok. 君は人にいうな」と口止めして、破れた風船を使っていた。このためファンタジー号は浮力が不足したため上昇せず、バラストとして用意していた焼酎は200本全てが下ろされた。さらに酸素ボンベも下ろしたことでやっと上昇を始めた。",
"title": "ファンタジー号事件"
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"text": "ファンタジー号のビニール風船については、制作したアド・ニッポー社は、もともと人を乗せるものではないし、零下何十度にも達する高空に耐える保証もないことを取材に答えている。日本気球連盟の今村純夫も、上空で気圧が下がると、球形の風船では膨らんで弾ける可能性を指摘。4月の不時着事故でこれまでの会社がヘリウムガスを売ってくれなくなったため、別の会社から調達。計280万円分のヘリウムボンベはトラック3台で運搬された。",
"title": "ファンタジー号事件"
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"text": "ファンタジー号での冒険にあたっては、鈴木は金を募ったが、寄付された金額は不明。ゴンドラの制作のために多額の借金を負い、支援者の1人が1,300万円を肩代わりしたという。別の取材では支援者の経営コンサルタントの男性は1,500万円の支払いがあったと語っており、1993年時点で750万円までは払ったという。",
"title": "ファンタジー号事件"
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"text": "ファンタジー号の出発直後から、民放テレビ局のワイドショー番組では、貴乃花と宮沢りえの婚約報道とともにトップニュース扱いで毎日のように報道。「風船おじさん」のニックネームが定着するきっかけを作った。新聞のテレビ欄では、11月26日にフジテレビ『タイム3』が「無謀な冒険 風船で米国へ」、TBSの『モーニングEye』が「無謀・風船男太平洋横断決行」、『スーパーワイド』が「風船おじさんを大追跡」と取り上げているのが確認できる。12月1日には『モーニングEye』が「風船男飛んで1週間消息徹底追跡」、『タイム3』が「追跡風船男米空軍も調査」。密着取材していたフジテレビの『おはよう!ナイスデイ』は12月2日に「風船男の安否」、12月3日に「風船おじさん 遂に身内捜索願」と取り上げた。",
"title": "ファンタジー号事件"
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"text": "しかし、1992年12月6日以後は、オーストラリアで新婚旅行中の日本人妻が失踪する事件が発生し、マスメディアの関心がそちらに移ったこと、ファンタジー号自体の話題が尽きたこともあり、『スーパーワイド』が12月6日「風船男SOS」、12月8日に「風船男SOS検証」と取り上げているのがテレビ欄で確認できる最後であり、ファンタジー号に関する報道は沈静化した。",
"title": "ファンタジー号事件"
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"text": "週刊誌では、同年12月17日号の『週刊文春』が、密着して出発時の映像も撮影していたフジテレビの姿勢を「鈴木を煽ったのではないか」と取り上げ、同時に計画を無謀だと指摘した。12月24日・31日合併号の『週刊新潮』は過去のプライバシーを明かす記事を掲載した。見出しには、『週刊文春』が「風船男」、『週刊新潮』は「風船おじさん」を使っている。",
"title": "ファンタジー号事件"
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"text": "フジテレビは『週刊文春』の取材に対し鈴木とタイアップしておらず、また鈴木は無線免許を取得して4月以降に出発すると語っていたため、11月23日に飛んでしまうとは思わなかったと回答している。前述のように鈴木はアメリカへ旅立つことを前提に家族を匿うホテルを自ら用意していた。出発前に取材に訪れたマスコミはあまりにも無謀だと反対する人も多かったが、鈴木はあえて自発的に旅立ったとジャーナリストの大林高士は『週刊現代』で記している。",
"title": "ファンタジー号事件"
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"text": "鈴木が消息不明となった後に残された妻は会社の共同経営者で、家が1億円の抵当に入っていることもあり、借金は残された妻が払い続けていた(2006年時点)。鈴木が飛び立ってから、早朝に無言電話がかかってくることがあり、妻は生存する鈴木からの電話かと期待をかけていたが、その電話も3年ほどで途絶えた。1999年の取材によれば、2年に1度の捜索願を家族が更新しており、鈴木は戸籍上は生きていることになっていたが、その時点で失踪宣告の手続をしようかと思うようになったとも語っている。鈴木が消息を絶ってから7年余り経った2000年、妻からの鈴木に対する「失踪に関する届出の催促」が官報に公告され、2001年2月1日付で失踪宣告が確定した。前述のとおり、妻は2016年に再婚し、翌2017年に死去した。",
"title": "その後"
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"text": "「風船おじさん」については、その後も話題になることがある。例えば、タレント・映画監督のビートたけしは、2001年に野球選手のイチローが国民栄誉賞を辞退した際に、冒険家だった風船おじさんに国民栄誉賞をあげればいいと語ったことがある。たけしは日本で空からオタマジャクシが降ってきたと騒動になった2009年にもこの騒動と風船おじさんをひっかけてギャグにした。",
"title": "その後"
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"text": "1994年には筋肉少女帯が、アルバム『レティクル座妄想』収録の「飼い犬が手を噛むので」という曲で風船おじさんに言及している。",
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"text": "1995年にはレピッシュがアルバム『ポルノポルノ』に「風船おじさん」と題する曲を収録。ドン・キホーテ的生き方を敬意とともに肯定する内容となっている。",
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"text": "1997年4月には、劇作家の山崎哲の作・演出により、鈴木をモデルにした舞台『風船おじさん』が新宿のシアタートップスで上演された。蟹江敬三の一人芝居である。同じく劇作家の宮沢章夫は、中原昌也との『キネマ旬報』誌での対談で映画化したい人物として「風船おじさん」を挙げた。",
"title": "その後"
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"text": "1998年11月22日の20時からは文化放送が鈴木の妻や周辺に取材して、『ファンタジー号に乗って~あれから6年 消えない響き』というドキュメンタリーのラジオ番組を放送した。",
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"text": "2022年には風船おじさんをモチーフとした小説『孤島の飛来人』(山野辺太郎著)が出版された。",
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"text": "遺体がアラスカで発見されたというニュースがネット上に存在するが、事実無根のデマである。",
"title": "その後"
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] | 鈴木 嘉和は、風船おじさんとして知られたピアノ調律師、経営者。自称冒険者。戸籍名、石塚 嘉和、旧姓:鈴木。消息不明の人物。 1989年に「横浜博覧会立て籠もり事件」、1992年4月に多摩川河川敷から風船をつけた椅子で飛び立って不時着する「ヘリウム風船不時着事件」と、ニュースになる騒ぎを2度起こした。同年11月に風船をつけたゴンドラでアメリカを目指して太平洋横断に挑戦したが、出発から2日後に連絡が途絶え、その後に消息不明となった。最後の「ファンタジー号事件」がワイドショーを中心にマスコミで報じられたことで「風船おじさん」の名で知られることになった | {{Infobox 人物
| 氏名 = 鈴木 嘉和
| ふりがな = すずき よしかず
| 出生名 =
| 生年月日 = [[1940年]][[8月21日]]
| 生誕地 = {{JPN}} [[東京都]]
| 失踪年月日 = [[1992年]][[11月25日]]
| 国籍 =
| 出身校 = [[国立音楽大学附属中学校・高等学校|国立音楽大学附属高等学校]]
| 職業 = [[ピアノ調律師]]}}
'''鈴木 嘉和'''(すずき よしかず、[[1940年]]〈[[昭和]]15年〉[[8月21日]]<ref name="kampo2000-04-20">{{Cite news|和書|newspaper=官報|issue=2854|date=2000-04-20|publisher=大蔵省印刷局|page=18}}</ref> - [[1992年]]〈[[平成]]4年〉[[11月25日]]失踪)は、'''風船おじさん'''として知られた[[ピアノ調律師]]、[[経営者]]。自称[[冒険者]]。戸籍名、'''石塚 嘉和'''(いしづか よしかず)<ref name="obayashi1">大林高士「美人3姉妹が初めて明かした“風船おじさん”の素顔」『週刊現代』2012年12月26日号、p.42</ref>、旧姓:'''鈴木'''<ref name="obayashi1" />。消息不明の人物。
[[1989年]]に「[[横浜博覧会]]立て籠もり事件」、[[1992年]]4月に[[多摩川]][[河川敷]]から[[風船]]をつけた椅子で飛び立って不時着する「[[鈴木嘉和#ヘリウム風船不時着事件|ヘリウム風船不時着事件]]」と、ニュースになる騒ぎを2度起こした。同年11月に風船をつけた[[ゴンドラ]]で[[アメリカ合衆国|アメリカ]]を目指して[[太平洋]]横断に挑戦したが、出発から2日後に連絡が途絶え、その後に消息不明となった。最後の「ファンタジー号事件」が[[ワイドショー]]を中心にマスコミで報じられたことで「風船おじさん」の名で知られることになった
== 略歴 ==
東京都でピアノ調律師の一家に生まれる<ref>石塚由紀子『風船おじさんの調律』未来社、2000年、p.125</ref>。[[国立音楽大学附属中学校・高等学校|国立音楽大学附属高等学校]]を卒業後、[[ヤマハ]]の契約社員となり、[[東京都]][[小金井市]]で[[ピアノ調律]]業を営む。
[[1984年]]、44歳のときに音楽教材販売会社ミュージック・アンサンブルを起業して、ピアノ音楽教材として使われているバイエル、ブルグミュラーなどの曲に編曲したオーケストラパートをつけたピアノ向けの教材を製作、販売を開始<ref name="調律p163">石塚由紀子『風船おじさんの調律』未来社、2000年、p.163</ref>。1985年7月に[[日比谷公会堂]]で音楽会を主催し、最後に風船を飛ばす演出を行った。その後も音楽イベントを開催するとフィナーレには風船を飛ばした<ref name="obayashi2">大林高士「美人3姉妹が初めて明かした“風船おじさん”の素顔」『週刊現代』2012年12月26日号、p.43</ref>。
[[1986年]]に[[銀座]]では音楽サロン「あんさんぶる」を開店<ref name="調律p163" />。さらに[[麻雀]]荘やコーヒーサロンやパブレストランなどを経営していたが<ref>石塚由紀子『風船おじさんの調律』未来社、2000年、p.167</ref>、いずれもうまくはいかず、[[1990年]]にミュージック・アンサンブルが4億円から5億円の負債を抱えて倒産<ref name="sincho">『週刊新潮』1992年12月24日・31日合併号</ref><ref name="bunshun010104">「風船おじさんが遺した意外な発明品」『週刊文春』2001年1月4日・11日合併号、p.56。</ref>。20人以上の債権者がおり<ref name="sincho930325" />借金苦に陥る。債権者に対し、ビニール風船26個を付けた[[ゴンドラ]]([[飛行船]])「ファンタジー号」による[[太平洋]]横断で借金を返済すると語っていたという<ref name="sincho" /><ref name="bunshun010104" />。
=== 家族 ===
[[国立音楽大学]]のピアノ科講師で高校時代に1学年上だったピアニストの石塚由紀子と音楽教材の仕事をともにするようになり、やがてファンタジー号で飛び立つ半年前の1992年5月に結婚。鈴木にとっては3度目、石塚にとっては2度目の結婚だった<ref name="obayashi1" /><ref name="sincho" /><ref>石塚由紀子『風船おじさんの調律』未来社、2000年、p.119,131</ref>。鈴木は石塚由紀子と結婚した際に姓を石塚としたが、旧姓の鈴木を通称として使い続けた<ref name="obayashi1" />。
妻の石塚は[[2000年]]に著書『風船おじさんの調律』([[未來社]]、ISBN 4624501292)を出版<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/feature/sanko/news/20080124org00m040023000c.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080126100740/mainichi.jp/feature/sanko/news/20080124org00m040023000c.html|archivedate=2008-01-26|title=『風船おじさん』今どこに? 妻が思いつづった本出版|publisher=毎日新聞|date=2000-12-12|accessdate=2023-09-15}}</ref>、後述の[[失踪宣告]]確定による婚姻関係の消滅から15年が経過した[[2016年]]夏には[[ポルトガル人]]の男性と3度目の結婚をした。[[2017年]]初めに[[胆管癌]]であることが判明し、同年4月に死去した<ref name="mai20170911">「人模様 『ファミローザの母』空へ 石塚由紀子さん」『毎日新聞』2017年9月11日付東京夕刊</ref>。
[[2003年]]6月に、継子の石塚富美子が[[ヴァイオリン]]奏者「fumiko」としてデビューした<ref>「消えた風船オジサン三女がCDデビュー! バイオリニストfumiko」 ZAKZAK 2003年4月14日</ref>。[[2004年]]にはNHKのドラマ『[[火消し屋小町]]』で女優としてもデビューした<ref>「『風船おじさん』の娘、fumikoが女優デビュー」『東京中日スポーツ』 2004年6月5日付</ref>。
石塚には富美子の他に娘2人がおり、1991年に3姉妹で結成した「Triolet」は[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージック・エンタテインメント]]のTHE NEW ARTIST AUDITIONで最優秀アーティスト賞を受賞<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.famirosa.com/biography.htm|title=Biography コンサート|publisher=ファミローザ・ハーモニー Official Website|accessdate=2023-09-15}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://rosamusic.net/teacher|title=講師プロフィール 石塚恵美子|publisher=ローザ芸術学院|accessdate=2023-09-15}}</ref>。1994年には母娘4人で[[クラシック音楽]]を中心にした音楽グループ「ファミローザ・ハーモニー」を結成、[[ディナーショー]]を開催したり日本国外でも活動した。なお、全員が音楽大学を卒業している娘3人は石塚の前夫との間の娘であり、鈴木との血縁関係はない<ref name="sincho990506">「今も帰りを待ち続ける『風船おじさん』の妻」『週刊新潮』1999年5月6日・5月13日合併号、p.26。</ref><ref name="sincho200701">「『風船おじさん』妻と娘が2万円「Xマスディナーショー」」『週刊新潮』2007年1月4日・11日合併号</ref><ref>「『風船おじさん』出発から十年、家族はディナーショーで音楽活動」『週刊文春』2003年1月2日・1月9日合併号、p.44。</ref>。
鈴木は、石塚の3人の娘からは結婚後の姓の「石塚」の'''いしづか'''の'''づ'''と「嘉和」の'''よしかず'''の'''ず'''から「ズー」の愛称で呼ばれていた。本人は「カズ君」と呼ばれるのが希望だったという<ref name="obayashi1" />。
鈴木は最初の妻との間に娘をもうけており<ref>石塚由紀子『風船おじさんの調律』未来社、2000年、p.126</ref>、鈴木がファンタジー号で行方不明になった後にその娘が[[TBSテレビ|TBS]]から取材を受けている<ref name="obayashi1" />。
== 横浜博覧会立て籠もり事件 ==
[[1989年]]3月25日から[[横浜市]]で開催された[[横浜博覧会]]にテナントを出店したが、会場内での店舗立地が悪いことや、博覧会自体の集客が順調でないことから経営は不振だった。そこで客集めとして、[[手塚治虫]]がデザインした横浜博のマスコット「ブルアちゃん」の[[着ぐるみ]]を自作し、中に自分が入って撮影会やサイン会を実施していた<ref>石塚由紀子『風船おじさんの調律』未来社、2000年、pp.79-80</ref>。
しかし10月の閉幕が迫っているにもかかわらず横浜博覧会協会が対策を取らないとして、これに抗議して同年7月30日、早朝の4時から高さ30メートルの鉄塔コロネードにブルアちゃんの着ぐるみを持って足場伝いによじ登り、7時間ほど籠城する騒ぎを起こした。塔からは「団体バス駐車場を開放してね」という垂れ幕を垂らそうとしたが、風に煽られてうまくいかず、午前10時頃に博覧会関係者が異変を発見して[[119番]]通報した。[[横浜市消防局]]の[[特別救助隊|レスキュー隊員]]が[[日本の消防車|はしご車]]で頂上まで行き説得するが、ブルアちゃんの着ぐるみに入った鈴木はイヤイヤポーズをするなど拒否。20分後の11時45分頃に説得に応じてはしご車で地上に引き降ろされるまで1時間近く鉄塔上を歩き回った<ref name=":1">「『客入らぬ』と鉄塔ろう城 横浜博会 マスコット着て、土産もの店社長」『毎日新聞』1989年7月31日付</ref><ref name=":2">「怒り鉄塔に昇る 横浜博で営業不振の出店業者 地上30メートル 独演1時間」『読売新聞』1989年7月31日付</ref><ref name=":3">「青鉛筆」『朝日新聞』1989年7月31日付</ref>。
出店にあたって博覧会協会側から1日10万人の入場者があると説明されていたが実際は3万から4万人、1日100万円の売上げ見込みが3分の1、ときには10万円未満の日もある一方で、権利金や店の内装で出店には3,000万円を要していた。博覧会そのものの集客の少なさに加えて、鈴木が出店した店は22店舗あるブルアちゃんモールの一角で高島町ゲート前だったが、直近の[[駐車場]]が業務用の[[バス (交通機関)|団体バス]]駐車場だったため、[[自家用自動車|マイカー]]利用者からの集客が期待できず、[[夏休み]]になると団体バスの利用数が半減していたことも「ガラ空きの業務用駐車場を開放して」と鈴木が訴える原因となった。事件後に協会事務局長は鈴木に厳重注意した<ref>「通風筒」『中日新聞』1989年7月31日付。</ref><ref>石塚由紀子『風船おじさんの調律』未来社、2000年、p.81</ref><ref name=":1" /><ref name=":2" /><ref name=":3" />。
鈴木が出店した店は、『読売新聞』は郷土料理店、『朝日新聞』は飲食店、『毎日新聞』は土産もの店と報じている<ref name=":1" /><ref name=":2" /><ref name=":3" />。
この抗議の後、協会と交渉の末に許可を取り、独自の客寄せとしてヘリウム風船の浮力でロープで係留されたゴンドラが高さ10メートルから20メートルに浮かぶ「空中散歩」を自費で博覧会場に設置。9月1日から閉幕する10月1日までこれを実施し、約2500人がゴンドラに乗って空中散歩を楽しんだ<ref>石塚由紀子『風船おじさんの調律』未来社、2000年、pp.81-82</ref>。最終日となった10月1日、鈴木はブルアちゃんの着ぐるみの中に入ったままゴンドラに乗り、ロープを外して場外まで飛んで行くと言い出したが、「皆に迷惑をかけてしまうから」と最終的には断念した<ref>石塚由紀子『風船おじさんの調律』未来社、2000年、p.83</ref>。
== ヘリウム風船不時着事件 ==
経営する銀座のパブに[[出資]]してもらったことから<ref name="sincho" />、[[1991年]]7月から歌手の[[グラシェラ・スサーナ]]の[[マネージャー]]業をしていたが、1992年になって契約を解消<ref name="bunshun">『週刊文春』1992年12月17日号</ref><ref name="asahi">『週刊朝日』1992年12月25日号</ref>。
[[1992年]]4月17日には、風船で飛び立ち、民家の屋根に不時着する事故を起こした。[[府中警察署 (東京都)|府中署]]防犯課の[[日本の警察官|警察官]]の制止を聞かずに東京都[[府中市 (東京都)|府中市]][[是政橋]]付近の[[多摩川]][[河川敷]]から<ref>{{Cite web|和書|title=中国偵察気球より「風船おじさん」を思い出せ! 平成初期・太平洋横断への飽くなき情熱、冷めた令和人こそ再注目だ |url=https://merkmal-biz.jp/post/34117 |website=Merkmal |access-date=2023-09-15|date=2023-02-25 |language=ja-JP}}</ref>[[千葉県]]の[[九十九里浜]]を目指して午前12時45分にヘリウム風船で飛び立った。自分が座った椅子に5メートルと2.5メートルの風船各2個を直接くくりつけて飛行していたが、おもりの15kgの砂袋2個がはずれて急上昇し、予定の高度400メートルが5,600メートルの高度に到達したため、当日購入していた100円[[ライター]]であぶって5メートルの風船を切り離した。この後に高度が下がり、午後1時40分頃に出発地点から24キロメートル離れた東京都[[大田区]][[大森西]]七丁目の民家の屋根に不時着した。しかし左手に怪我をした程度で済み、駆けつけた[[蒲田警察署|蒲田署]]員に謝罪しつつも、次は[[ハワイ州|ハワイ]]をめざす予定だったと語り、改めて再挑戦することを誓っていた<ref name="asahi" /><ref>「冒険風船あえなく不時着」『読売新聞』1992年4月18日付</ref><ref>「風船で空中散歩 落下し男性けが」『中日新聞』1992年4月18日付</ref><ref>「20キロ先の民家に不時着、瓦割る 風船の冒険男性」『毎日新聞』1992年4月18日付</ref><ref>「青鉛筆」『朝日新聞』1992年4月18日付</ref><ref>石塚由紀子『風船おじさんの調律』 未来社、2000年、p.90</ref>。
一方、不時着された民家は[[瓦]]が壊れ、テレビアンテナが曲がる被害を受けたが、鈴木からの弁償も挨拶もなかったという<ref name="bunshun" />。
この初飛行の後、[[日本放送協会|NHK]]のラジオ番組にゲスト出演し、その際に風船による太平洋横断計画について語っている。しかし、この実験飛行の大失敗によってマスコミ各社は鈴木と距離を置くようになり<ref name="bunshun" />、また風船の[[ヘリウムガス]]を売ってもらえなくなった<ref name="miwa">{{Cite web|和書|website=Musical Sound 三輪茂雄|url=http://www.bigai.ne.jp/~miwa/miwa/fusenstart.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20011128164009/http://www.bigai.ne.jp/~miwa/miwa/fusenstart.html|archivedate=2001-11-28|title=彼の出発状況|accessdate=2023-09-15}}</ref>。
== ファンタジー号事件 ==
=== 事件の概要 ===
[[1992年]][[11月23日]]、当時52歳だった鈴木は、[[ヘリウム]]入りの[[風船]]を多数つけたゴンドラ「[[#ファンタジー号|ファンタジー号]]」の試験飛行を[[琵琶湖]]畔で行うとした。前日の22日夜から風船を守るため、琵琶湖畔で野宿していた<ref name="obayashi2" />。
試験飛行の場には、電話で呼び出された当時[[同志社大学]]教授の[[三輪茂雄]]と学生7人、[[朝日新聞]]の近江八幡通信局長、前日から密着していた[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の[[ワイドショー]]『[[おはよう!ナイスデイ]]』取材班、そして鈴木の支持者らが集まった<ref name="bunshun" />。
この日の名目はあくまで200メートルあるいは300メートルの上昇実験ということだった<ref name="sincho" /><ref name="miwa" />。[[運輸省]](現・[[国土交通省]])は装備の不足を理由に<ref name="朝日921124">「風船で浮かび太平洋横断へ 小金井市の調律師」『朝日新聞』1992年11月24日付</ref>安全性に疑問があることから飛行許可は申請を受理しておらず<ref>「風船ゴンドラ試験飛行中 一転、米へ向かう 小金井の鈴木さん」『読売新聞』1992年11月24日付</ref>、あくまで地上に係留したままの試験飛行という条件で受理していた。しかし実際には「僕がもし、太平洋横断を決行したら、マスコミが大騒ぎして家に押しかけてくると思う」と家族にホテルに宿泊するよう事前に手配しており、鈴木は密かにアメリカまでの飛行を強行しようと考えていた<ref>石塚由紀子『風船おじさんの調律』未来社、2000年、pp.28-29</ref>。ホテルには12月3日頃まで待っていればいいとも言っていたという<ref name="obayashi1" />。鈴木は3人の娘にはアメリカ土産に何がいいかと聞いて、希望の品を書いたメモをポケットに入れて旅立っている<ref name="obayashi2" />。
120メートルまで上昇して一旦は地上に降りたものの、16時20分頃「行ってきます」と言ってファンタジー号を係留していたロープをはずした。「どこへ行くんだ」という三輪に「アメリカですよ」との言葉を返し、重りの焼酎の瓶を地上に落とし周囲の制止を振り切って、[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[ネバダ州]]サンド・マウンテンをめざして出発した<ref name="miwa" />。見物人たちは呆れて、誰も鈴木に手を振らなかった<ref name="miwa" />。
飛び立った直後にテレビ局が鈴木に携帯電話で連絡すると「ヘリウムが少し漏れているが、大丈夫だ」との回答を得た<ref name="石塚31-34">石塚由紀子『風船おじさんの調律』未来社、2000年、pp.31-34</ref>。ホテルにいる家族へは夜10時から携帯電話で連絡があり、その後も1時間ごとに電話がかかってきた。風船の様子がおかしいこと、思ったより高度が上がらないこと、海に出たこと、煙草を吸ったことなどを家族に語った。鈴木がテレビ局に電話しても繋がらなかったという。翌朝6時に「スバラシイ朝焼けだ! きれいだよ」と妻に伝え<ref name="石塚31-34" /><ref name="asahi001215">「風船おじさん 原点は仏映画『赤い風船』だった」『週刊朝日』2000年12月15日号、p.167.</ref>、その次の「行けるところまで、行くから心配しないでネ!」が最後の電話になった<ref name="石塚31-34" /><!-- 「スバラシイ」「心配しないでネ!」は石塚の著書からの引用でこの表現は石塚の原文ママ。これを改変することは同一性保持権の侵害であり、引用のルールと著作権法に反する -->。以後、携帯電話は不通となった<ref name="朝日921124" /><ref name="石塚31-34" /><ref name="asahi001215" />。
24日深夜から[[非常用位置指示無線標識装置|イーパブ]]からの[[SOS]]信号が発信され<ref name="sincho930325" />、25日の8時半に[[海上保安庁]][[第三管区海上保安本部]]の捜索機[[ダッソー ファルコン 900|ファルコン900]]が[[宮城県]][[金華山 (宮城県)|金華山]]沖の東約800km海上で飛行中のファンタジー号を確認した。しかし鈴木は捜索機に向かって手を振ったり座りこんだりして、SOS信号をやめた。ファンタジー号の高度は2,500メートルで、高いときには4,000メートルに達した。約3時間監視したが、手を振っていたこと、ゴンドラの中の物を落下させて高度を上げたこと、遭難信号も消えたことから、飛行継続の意思があると判断して11時半に捜索機は追跡を打ち切った。要請があれば救助したとしている<ref name="sincho" />。残された妻は「ああ、よかった」と繰り返し、3人の娘は「もうとっくにアメリカまで行っていると思ったのに、なんだまだ宮城県沖なの」と笑い合ったが、その後は消息が途絶えたことで心配を募らせたと語っている<ref name="obayashi3">大林高士「美人3姉妹が初めて明かした“風船おじさん”の素顔」『週刊現代』2012年12月26日号、p.44</ref>。
以後、SOS信号は確認されておらず、家族から捜索願が出されたことを受け、12月2日に海上保安庁はファンタジー号が到着する可能性のあるアメリカと[[カナダ]]と[[ロシア]]に救難要請を出した<ref name="asahi1213">「風船旅行鈴木嘉和さん、消息途絶え絶望か」『[[朝日新聞]]』1992年[[12月13日]]付。</ref>。
鈴木の計算では、ファンタジー号は高度1万メートルに達すれば、[[ジェット気流]]に乗って40時間でアメリカに到着するはずだった<ref name="bunshun" />。飛行中にも携帯電話で取材した「朝日新聞」に対し、4、5日後にはアメリカに到着する予定だと見通しを語っていたが<ref name="朝日921124" />、捜索機の追跡打ち切り以降の消息は不明である。当時の[[気象大学校]]の教頭である池田学は、『朝日新聞』の取材に対し「生存は難しいだろう」と答えている<ref name="asahi1213" />。ファンタジー号のビニール風船の素材が[[塩化ビニール]]ならば、1日に約10%の割合でガスが抜け、海に着水している可能性が指摘されている<ref>「不明1ヵ月、情報ゼロ 米へ飛行 風船おじさん」『中日新聞』1992年12月28日付</ref>。
最後にファンタジー号が目撃されたとき、ファンタジー号は金華山沖800kmで高度2500m、時速70kmで北東へ向かっており、[[気象庁]]幹部も航空評論家の[[青木謙知]]も共にロシアの[[カムチャツカ半島]]あたりまでは達したのではないかと推測した。風船については[[日本気球連盟]]が2つの予測をしている。前述の池田学と同様に1日10%ずつガスが抜けてしぼんでいくというものと、もう1つの可能性としては高空で外気圧が低くなって風船は膨らむが低気温に晒されて柔軟性がなくなっているために割れるというものである<ref name="wpost">「航空評論家・気象庁予報部が予測 風船おじさんはカムチャッカにいる?」『週刊ポスト』1994年1月1日・7日合併号、pp.51-52</ref>。実際に捜索機が見たときには既に風船はしぼんでおり、発見されて24時間から48時間以内には着水するだろうと考えられた<ref name="sincho" />。出発時に4つあった主力風船も2つのみになっていた<ref name="miwa" />。着水した後については、[[海洋学|海洋学者]]で[[東京海洋大学|東京水産大学]]の教授を務めた三好寿が、宮城県沖で着水すれば[[アラスカ州|アラスカ]]の方向へ、[[アリューシャン列島]]付近の着水ならオホーツク海で親潮に載って日本の沿岸へたどり着くとの見解を示した<ref name="wpost" />。残された家族は行方不明直後の1992年の取材で、[[無人島]]に漂着したのではないかと思っていると語った<ref name="obayashi3" />。
冒険の動機は、三輪の[[鳴き砂]]保護に賛同して、鳴き砂保護を訴えるためだったと言われる。鳴き砂の海岸がある[[島根県]][[邇摩郡]][[仁摩町]](現・[[大田市]])の町長に2度の接触を持ち、経済援助を要請していた。その際「2億円の[[生命保険]]をかけている」と説明したという<ref name="asahi" />。生命保険については、債権者に5,000万円の保険に加入したと語っていたという情報もある<ref name="sincho" /><ref name="sincho930325" />。この債権者には、成功すればCM料で借金が返済できるとも説明していた<ref name="sincho" />。
しかし仁摩町からの太平洋横断飛行出発には、4月の東京での飛行の失敗のために日本の運輸省の許可もアメリカの[[連邦航空局]]の許可も下りず、仁摩町は文書で正式に要請を断った<ref name="bunshun" /><ref name="sincho" />。なお、仁摩町では鈴木が高校時代に見て以来好きだったというフランス映画『[[赤い風船 (映画)|赤い風船]]』をビデオで見せていたという<ref name="asahi001215" /><ref name="bunshun010104" /><ref name="miwa" />。
三輪には会うたびに異なった計画を説明し、「断食の訓練をしたから食事はいらない」「アメリカから帰ったら有名になれる。俺は冒険家だ」とも語っていた<ref name="asahi" />。そんな鈴木に三輪は無線免許を取ることと、鳴き砂のある仁摩町から飛ばなければ意味がないとさとしていた<ref>[[堀江謙一]]や[[植村直己]]の例に見られるように、冒険家は世界中どこでも連絡の取れる[[アマチュア無線]]を保有・使用するのが定石である。</ref>が、それにもかかわらず、琵琶湖湖畔から旅立たれ、裏切られた思いだとマスコミに感想を述べている<ref name="bunshun" />。鈴木は三輪に対しても「実戦さながらの300メートル上昇浮力テスト」と偽っており、騙し討ちを受けた格好の三輪は「バカモン。上昇しないといったじゃないか。ウソツキ」「成功すれば冒険家だが、失敗すればバカモンだ。俺は知らんぞ」と飛び立った鈴木に言い放ったと手記に記している<ref name="miwa" />。
=== ファンタジー号 ===
直径6mの主力となるビニール風船を4個、直径3mの補助風船を若干個装備<ref name="miwa" />。ゴンドラの外形寸法は約2m四方・深さ約1mで、海上に着水した時の事を考慮し、浮力の高い[[檜]]を使用していた。ゴンドラ製作を依頼されたのは桶職人で、桶造りでは東京[[江戸川区]]の名人と言われた吉原誠一<ref name="obayashi3" />。吉原は江戸川区指定無形文化財・工芸技術の指定を受けた人物ではあるが<ref>{{Cite web|和書|url=https://adeac.jp/edogawa-lib/text-list/d100110/ht000070|title=手の技・心のわざ 木風呂|website=江戸川区立図書館/デジタルアーカイブ 手の技・心のわざ|accessdate=2023-09-15}}</ref>、木風呂の技術者であって、飛行船のゴンドラは専門でない。吉原は鈴木からゴンドラの製作を10月30日頃に依頼されていた<ref name="obayashi3" />。風船のガスが徐々に抜けて浮力が落ちるため、飛行時に徐々に捨て機体の浮上を安定させる重り([[バラスト]])を用意していた。重りの中身は、厳寒でも凍らない[[焼酎|沖縄焼酎]]の'''どなん'''を使用していた<ref name="obayashi2" />。
積載物は、48時間分の[[酸素]]ボンベ<ref name="obayashi2" />と[[マスク]]、1週間分の食料、緯度経度測定器、[[高度計]]、[[速度計]]、海難救助信号機、[[パラシュート]]、レーダー反射板、[[携帯電話]]、地図、[[成層圏]]の零下60度以下の気温に耐えるための魚の冷凍庫内で試した防寒服<ref name="obayashi3" />、[[ヘルメット]]に[[紫外線]]防止[[サングラス]]等であった。
出発時の防寒具は、スキーウェアと[[毛布]]5枚<ref name="obayashi2" />。無線免許は持っていなかったため、[[無線機]]は積まれていなかった。搭載していた高度計についても、使い方を理解していなかったという。食糧については、鈴木は[[絶食]]の訓練をしていたと称しており、[[スナック菓子]]のみだった<ref name="bunshun" />。さらにテレビカメラと無線緊急発信装置も搭載されていた<ref name="miwa" />。
本来の計画では主力風船が6個に補助風船26個の予定で揚力800kgとの計算だったが、実際には主力風船は4個に補助風船は若干個に減っていた。その上、破れてヘリウムガスが抜ける風船があったため、鈴木は出発の前に粘着テープでこれを応急修理し、作業を手伝っていた学生には「これでok. 君は人にいうな」と口止めして、破れた風船を使っていた。このためファンタジー号は浮力が不足したため上昇せず、バラストとして用意していた焼酎は200本全てが下ろされた。さらに酸素ボンベも下ろしたことでやっと上昇を始めた<ref name="miwa" />。
ファンタジー号のビニール風船については、制作したアド・ニッポー社は、もともと人を乗せるものではないし、零下何十度にも達する高空に耐える保証もないことを取材に答えている。日本気球連盟の今村純夫も、上空で気圧が下がると、球形の風船では膨らんで弾ける可能性を指摘<ref name="bunshun" />。4月の不時着事故でこれまでの会社がヘリウムガスを売ってくれなくなったため、別の会社から調達。計280万円分のヘリウムボンベはトラック3台で運搬された<ref name="miwa" />。
ファンタジー号での冒険にあたっては、鈴木は金を募ったが、寄付された金額は不明。ゴンドラの制作のために多額の借金を負い、支援者の1人が1,300万円を肩代わりしたという<ref name="sincho" />。別の取材では支援者の経営コンサルタントの男性は1,500万円の支払いがあったと語っており、1993年時点で750万円までは払ったという<ref name="sincho930325">「消えた『風船おじさん』の多額の負債と生命保険」『週刊新潮』1993年3月25日号、pp.70-72</ref>。
=== マスメディアの反応 ===
ファンタジー号の出発直後から、民放テレビ局の[[ワイドショー]]番組では、[[貴乃花光司|貴乃花]]と[[宮沢りえ]]の婚約報道とともにトップニュース扱いで毎日のように報道。「風船おじさん」のニックネームが定着するきっかけを作った。新聞のテレビ欄では、11月26日にフジテレビ『[[タイム3]]』が「無謀な冒険 風船で米国へ」、TBSの『[[モーニングEye]]』が「無謀・風船男太平洋横断決行」、『[[スーパーワイド]]』が「風船おじさんを大追跡」と取り上げているのが確認できる。12月1日には『モーニングEye』が「風船男飛んで1週間消息徹底追跡」、『タイム3』が「追跡風船男米空軍も調査」。密着取材していたフジテレビの『おはよう!ナイスデイ』は12月2日に「風船男の安否」、12月3日に「風船おじさん 遂に身内捜索願」と取り上げた。
しかし、[[1992年]][[12月6日]]以後は、[[オーストラリア花嫁失踪騒ぎ|オーストラリアで新婚旅行中の日本人妻が失踪する事件]]が発生し、マスメディアの関心がそちらに移ったこと、ファンタジー号自体の話題が尽きたこともあり、『スーパーワイド』が12月6日「風船男SOS」、12月8日に「風船男SOS検証」と取り上げているのがテレビ欄で確認できる最後であり、ファンタジー号に関する報道は沈静化した。
[[週刊誌]]では、同年12月17日号の『[[週刊文春]]』が、密着して出発時の映像も撮影していた[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の姿勢を「鈴木を煽ったのではないか」と取り上げ、同時に計画を無謀だと指摘した。12月24日・31日合併号の『[[週刊新潮]]』は過去のプライバシーを明かす記事を掲載した。見出しには、『週刊文春』が「風船男」、『週刊新潮』は「風船おじさん」を使っている。
フジテレビは『週刊文春』の取材に対し鈴木とタイアップしておらず、また鈴木は無線免許を取得して4月以降に出発すると語っていたため、11月23日に飛んでしまうとは思わなかったと回答している<ref name="bunshun" />。前述のように鈴木はアメリカへ旅立つことを前提に家族を匿うホテルを自ら用意していた。出発前に取材に訪れたマスコミはあまりにも無謀だと反対する人も多かったが、鈴木はあえて自発的に旅立ったとジャーナリストの大林高士は『[[週刊現代]]』で記している<ref>大林高士「美人3姉妹が初めて明かした“風船おじさん”の素顔」『週刊現代』2012年12月26日号、p.45</ref>。
== その後 ==
鈴木が消息不明となった後に残された妻は会社の共同経営者で、家が1億円の[[抵当]]に入っていることもあり<ref name="sincho930325" /><ref name="sincho990506" />、借金は残された妻が払い続けていた(2006年時点)<ref name="sincho200701" />。鈴木が飛び立ってから、早朝に無言電話がかかってくることがあり、妻は生存する鈴木からの電話かと期待をかけていたが、その電話も3年ほどで途絶えた<ref name="sincho200701" />。1999年の取材によれば、2年に1度の捜索願を家族が更新しており、鈴木は戸籍上は生きていることになっていたが、その時点で失踪宣告の手続をしようかと思うようになったとも語っている<ref name="sincho990506" />。鈴木が消息を絶ってから7年余り経った2000年、妻からの鈴木に対する「失踪に関する届出の催促」が[[官報]]に公告され<ref name="kampo2000-04-20"/>、[[2001年]]2月1日付で失踪宣告が確定した<ref name="kampo2001-02-22">{{Cite news|和書|newspaper=官報|issue=3060|date=2001-02-22|publisher=財務省印刷局|page=16}}</ref>。前述のとおり、妻は2016年に再婚し、翌2017年に死去した<ref name="mai20170911" />。
「風船おじさん」については、その後も話題になることがある。例えば、[[タレント]]・[[映画監督]]の[[ビートたけし]]は、2001年に野球選手の[[イチロー]]が[[国民栄誉賞]]を辞退した際に、冒険家だった風船おじさんに国民栄誉賞をあげればいいと語ったことがある<ref>「ビートたけしの21世紀毒談 国民栄誉賞はイチローじゃなく"風船おじさん"にあげろっての」『週刊ポスト』2001年11月23日号、p.216。</ref>。たけしは[[オタマジャクシ騒動|日本で空からオタマジャクシが降ってきたと騒動になった2009年]]にもこの騒動と風船おじさんをひっかけてギャグにした<ref>「ビートたけしの21世毒談(第988回)空からオタマジャクシどころか『風船おじさん』が降ってくりゃそれこそファンタジーだっての!」『週刊ポスト』2009年7月20日号、p.129</ref>。
[[1994年]]には[[筋肉少女帯]]が、アルバム『[[レティクル座妄想]]』収録の「飼い犬が手を噛むので」という曲で風船おじさんに言及している。
[[1995年]]には[[レピッシュ]]がアルバム『ポルノポルノ』に「風船おじさん」と題する曲を収録。[[ドン・キホーテ]]的生き方を敬意とともに肯定する内容となっている。
[[1997年]]4月には、[[劇作家]]の[[山崎哲]]の作・演出により、鈴木をモデルにした舞台『風船おじさん』が[[新宿]]の[[シアタートップス]]で上演された。[[蟹江敬三]]の一人芝居である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tomproject.com/past/oneman/post-121.html|title=風船おじさん - 一人芝居|web site=Tom Project|accessdate=2023-09-15}}</ref><ref>「蟹江の演技が熱気 トム・プロジェクト『風船おじさん』」『朝日新聞』1997年4月8日夕刊。</ref>。同じく劇作家の[[宮沢章夫]]は、[[中原昌也]]との『[[キネマ旬報]]』誌での対談で映画化したい人物として「風船おじさん」を挙げた<ref>塚原泉構成・文「対談 宮沢章夫と中原昌也の勝手に見せろ/映画的人生」『キネマ旬報』2013年11月上旬号、p.39</ref>。
[[1998年]][[11月22日]]の20時からは[[文化放送]]が鈴木の妻や周辺に取材して、『ファンタジー号に乗って~あれから6年 消えない響き』という[[ドキュメンタリー]]のラジオ番組を放送した<ref>山家誠一「ラジオ交差点 風船おじさんの『夢』」『朝日新聞』1998年[[11月16日]]夕刊。</ref><ref>「『風船おじさん』のドキュメンタリー 22日・文化放送」『東京新聞』1998年11月18日付</ref>。
[[2022年]]には風船おじさんをモチーフとした小説『孤島の飛来人』(山野辺太郎著)が出版された<ref>{{Cite web|和書|url=https://naniyomo.com/?p=8475|title=小説のなかだったら、いまも人々の暮らす北硫黄島を描けるのではないか――山野辺太郎さんインタビュー|web site=ナニヨモ|date=2022-08-19|accessdate=2023-09-15}}</ref>。
遺体が[[アラスカ]]で発見されたというニュースがネット上に存在するが、事実無根の[[デマ]]である<ref>「消えたあの23人を大追跡! アラスカで風船おじさん発見!?」『[[女性セブン]]』2002年1月17日・24日号。</ref>。
== 脚注 ==
{{Reflist|2|refs=
<ref name="asahi">『週刊朝日』1992年12月25日号</ref>
<ref name="bunshun">『週刊文春』1992年12月17日号</ref>
<ref name="sincho">『週刊新潮』1992年12月24日・31日合併号</ref>
<ref name="bunshun010104">「風船おじさんが遺した意外な発明品」『週刊文春』2001年1月4日・11日合併号、p.56。</ref>
}}
== 参考文献 ==
* 「風船おじさん 一発逆転飛行の動機と結末」『[[週刊朝日]]』1992年12月25日号
* 「フジTVが舞い上らせた風船男」『[[週刊文春]]』1992年12月17日号
* 「行方不明『風船おじさん』の『女』と『金』のペテン人生」『[[週刊新潮]]』1992年12月24日・31日合併号
* 宝泉薫編著「おじさんはいかに生きるか クシャおじさん、風船おじさんほか」『芸能界一発屋外伝』[[彩流社]]、1999年、pp.164-p165。
== 関連事項 ==
* [[横浜博覧会]]
* フィクション
** [[赤い風船 (映画)]] - 少年が風船で空へ舞い上がるシーンで知られるフランス映画。鈴木が影響を受けたとされる(本文参照)。
** [[宇宙のファンタジー]] - [[アース・ウィンド・アンド・ファイアー]]が1977年に発表したヒット曲。「ファンタジー号に乗って空に飛び立とう」という歌詞。
** [[カールじいさんの空飛ぶ家]] - 老人が家に風船を付けて旅に出るアニメーション映画。
* 人物
** {{ill|アデリール・アントニオ・デ・カルリ|en|Adelir Antonio de Carli}} - [[ブラジル]]の[[カトリック教会]][[司祭]]。[[2008年]]4月にヘリウム風船による飛行を試みたが、風に流されて失踪。3ヵ月後に海上に墜落して死亡しているのが発見された。同年度の[[ダーウィン賞]]を受賞。
** [[神田道夫]] - 日本の[[冒険家]]。2008年1月、[[熱気球]]での太平洋横断中に失踪。
** [[ドナルド・クローハースト]] - [[イギリス]]の実業家。1968年10月、借金返済のために無謀な計画で[[ヨット]]の世界一周レースに参加し、翌年7月、航路を偽造した航海日誌を船に残して消息を絶った。
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7,121 | アージーヴィカ教 | アージーヴィカ教(アージーヴィカきょう、アージーヴァカ教とも)は、古代インドの宗教の一つであり、インド哲学異端派に位置付けられる。マウリヤ朝のアショーカ王碑文に仏教、バラモン教、ジャイナ教と並んで「アージーヴィカ」の名前が出ている。仏教やジャイナ教と同時期に生まれた宗教である。
マッカリ・ゴーサーラが主張した「運命がすべてを決定している」という運命決定論、運命論、宿命論を奉じていた。さらに意志に基づく行為や、修行による解脱をも否定した。エローラにあるローマス・リシ窟(前3世紀の石窟寺院)はアージーヴィカ教徒のためのものであったらしい。
一時期はバラモン教やジャイナ教、仏教などと並ぶ一大宗教であった。南インドにおいて13世紀までアージヴィカ教の信徒がいたことが、碑文によって実証されているが、その後全く姿を消し現在信徒はいない。
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'''アージーヴィカ教'''(アージーヴィカきょう、'''アージーヴァカ教'''とも)は、古代[[インド]]の[[宗教]]の一つであり、[[インド哲学]]異端派に位置付けられる。[[マウリヤ朝]]の[[アショーカ王碑文]]に[[仏教]]、[[バラモン教]]、[[ジャイナ教]]と並んで「アージーヴィカ」の名前が出ている。仏教やジャイナ教と同時期に生まれた[[宗教]]である。
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一時期はバラモン教やジャイナ教、仏教などと並ぶ一大宗教であった。[[南インド]]において[[13世紀]]までアージヴィカ教の信徒がいたことが、[[碑文]]によって実証されているが、その後全く姿を消し現在信徒はいない。
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7,122 | 静止軌道 | 静止軌道(せいしきどう、geostationary orbit)は、対地同期軌道 (geosynchronous orbit) の一種で、(赤道面を基準面として)軌道傾斜角0度、離心率ゼロ(真円)、自身の公転周期と母星の自転周期が等しい軌道である。この軌道を回る衛星は惑星の赤道上を自転と同期して移動し、地上からは天空の一点に止まっているように見えるため、通信衛星や放送衛星や気象衛星によく用いられている。GEOと略されることもある。静止軌道の(人工の)衛星を静止衛星という。
地球では、赤道上の高度35,786キロメートルの円軌道であり、軌道周期は23時間56分4秒となる。この軌道は地球の自転に同期しているため、赤道上の上空に見かけ上静止しているように見える。そのため対地速度はゼロとなるが、その高度に地球半径を足した、半径42,164kmの軌道を24時間かけて1周する移動速度は11,032km/hとなる。見かけ上の静止点の経度と観測地の緯度・経度が定まれば衛星の見かけの方向が一意に定まる。
通信衛星や放送衛星に用いると、地上・衛星双方のアンテナを固定しておくことができ、都合が良いためこの軌道が選ばれることが多い。また、空気抵抗による減速もほぼ無いので、軌道維持のための加速が不要となる。ただし高緯度の地域では、アンテナの仰角が低くなるため、山や建物の陰になりやすいという欠点もある。また、地表から遠いぶん軌道投入までのエネルギーを多く必要とする上に、一度打ち上げられた衛星へ修理や改良を行うなどの物理的接触は困難である。
同期軌道(GSO: geosynchronous orbit)の一種で、軌道傾斜角をほぼ0度にしたものが静止軌道である。同期軌道で軌道傾斜角を0度以外にする場合が少ないため、同期軌道のことを静止軌道と呼ぶこともあるが、厳密には異なる概念である。
静止軌道は、高度2,000km以下の低軌道と比べ高度が高く、さらには要求される軌道速度も速いため、軌道への投入には大きなエネルギーが必要になる。通常は、ロケットにより近地点数百km、遠地点約36,000km(すなわち静止軌道の高度と同じ)の楕円軌道である静止トランスファ軌道に投入し、次に衛星に内蔵する比較的小型のロケットエンジンで円軌道に遷移する。この種の軌道遷移用のロケットエンジンをアポジキックモーターという。また、このような方法でより高度の高い軌道に遷移するための楕円軌道をホーマン軌道という。
なお、トランスファ軌道の軌道傾斜角は、発射点の緯度に依存するため、ゼロとは限らない。この場合軌道面の変換、すなわち軌道傾斜角をゼロに調整するための操作も必要である。このため、静止軌道への投入には、発射点が出来るだけ赤道に近いほうが有利である。欧州宇宙機関でギアナ宇宙センターが選ばれた理由のひとつは、人工衛星の燃料消費節約と、静止衛星に投入できる人工衛星のロケット搭載量増大である。
静止軌道内で、変更しうるパラメータは静止点直下の経度のみである。
軌道上から、経済活動の活発な需要の多い地域にサービスを提供しようとすれば、おのずと軌道のポジションは限られるため、同経度の他国や企業との競合が生じる。さらに、衛星と地上との通信には電波を利用するので、周波数利用の競合も起こる。衛星を静止軌道上で運用することは、有限な資源である周波数・軌道ポジションを占有することを意味する。
したがって、静止衛星軌道の利用には国際的な取り決めと調整が必須となる。現在は、ITUによって軌道ポジションと周波数の国際管理・調整がなされている。衛星通信は現代の社会基盤の一部を担っており、国際的に決められたルールの下で正しく運用されなければならない。現在、静止衛星軌道上には、運用中の商業用通信衛星に限っても239機の衛星が存在している。
世界の人口や経済活動が地球表面に一様に分布していないように、静止衛星軌道上の衛星も偏った分布をしている。静止衛星軌道上の衛星増加にともない、狭い範囲に複数の衛星が共存している場所も存在する。かつて憂慮されていた、軌道上のポジションと利用周波数帯の高密度化が現実となってきている。特に、ヨーロッパ・アフリカ上空にあたる東経15~20度、アメリカ大陸上空の西経90~100度、そして、日本および東南アジア地域の東経110度周辺ではその程度が著しい | [
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] | 静止軌道は、対地同期軌道 の一種で、(赤道面を基準面として)軌道傾斜角0度、離心率ゼロ(真円)、自身の公転周期と母星の自転周期が等しい軌道である。この軌道を回る衛星は惑星の赤道上を自転と同期して移動し、地上からは天空の一点に止まっているように見えるため、通信衛星や放送衛星や気象衛星によく用いられている。GEOと略されることもある。静止軌道の(人工の)衛星を静止衛星という。 | {{出典の明記|date=2016年7月7日 (木) 11:58 (UTC)}}
[[画像:Geostat.gif|thumb|'''静止軌道''']]
'''静止軌道'''(せいしきどう、{{lang|en|geostationary orbit}})は、[[対地同期軌道]] ({{Lang|en|geosynchronous orbit}}) の一種で、([[赤道]]面を基準面として)[[軌道傾斜角]]0度、[[離心率]]ゼロ(真円)、自身の公転周期と母星の自転周期<ref group="注釈">[[地球]]とその衛星の場合、23時間56分4秒。</ref>が等しい[[軌道 (力学)|軌道]]である。この軌道を回る衛星は惑星の赤道上を[[自転]]と同期して移動し、地上からは天空の一点に止まっているように見えるため、[[通信衛星]]や[[放送衛星]]や[[気象衛星]]によく用いられている。'''GEO'''<ref group="注釈">{{Lang|en|geosynchronous equatorial orbit}}(対地同期赤道上軌道)、また地球のそれの場合は{{Lang|en|geostationary earth orbit}}(対地静止軌道)</ref>と略されることもある。静止軌道の[[人工衛星|(人工の)衛星]]を[[静止衛星]]という。
== 概要 ==
[[地球]]では、[[赤道]]上の高度35,786[[キロメートル]]の[[円軌道]]であり、軌道周期は23時間56分4秒となる。この軌道は[[地球]]の[[自転]]に同期しているため、赤道上の上空に見かけ上静止しているように見える。そのため対地速度はゼロとなるが、その高度に地球半径を足した、半径42,164kmの軌道を24時間かけて1周する移動速度は11,032km/hとなる<ref group="注釈">地球赤道上での地表自転速度はおよそ1,700km/hである。</ref>。見かけ上の静止点の経度と観測地の[[緯度]]・[[経度]]が定まれば衛星の見かけの方向が一意に定まる。
=== メリットとデメリット ===
[[通信衛星]]や[[放送衛星]]に用いると、地上・衛星双方の[[アンテナ]]を固定しておくことができ、都合が良いためこの軌道が選ばれることが多い。また、空気抵抗による減速もほぼ無いので、軌道維持のための加速が不要となる。<br>ただし高緯度の地域では、アンテナの仰角が低くなるため、山や建物の陰になりやすいという欠点もある<ref group="注釈">この欠点を補う手法として、[[準天頂衛星]]軌道を使う手法がある。</ref>。また、地表から遠いぶん軌道投入までのエネルギーを多く必要とする上に、<!--静止軌道に人類が訪れた経験はないほど、-->一度打ち上げられた衛星へ修理や改良を行うなどの物理的接触は困難である。
[[同期軌道]](GSO: {{Lang|en|geosynchronous orbit}})の一種で、軌道傾斜角をほぼ0度にしたものが静止軌道である。同期軌道で軌道傾斜角を0度以外にする場合が少ないため、同期軌道のことを静止軌道と呼ぶこともあるが、厳密には異なる概念である。
== 軌道投入 ==
静止軌道は、高度2,000km以下の[[低軌道]]と比べ高度が高く、さらには要求される軌道速度も速いため、軌道への投入には大きなエネルギーが必要になる。通常は、[[ロケット]]により[[近地点]]数百km、[[遠地点]]約36,000km(すなわち静止軌道の高度と同じ)の[[楕円軌道]]である[[静止トランスファ軌道]]に投入し、次に衛星に内蔵する比較的小型のロケットエンジンで円軌道に遷移する。この種の軌道遷移用のロケットエンジンを[[アポジキックモーター]]という<ref group="注釈">遠地点(Apogee, アポジ)で推力を出す(キックする)エンジン(モーター)の意。</ref>。また、このような方法でより高度の高い軌道に遷移するための楕円軌道を[[ホーマン軌道]]という。<ref>https://yomoriki.com/celestial-mechanics/1530/</ref>
なお、トランスファ軌道の軌道傾斜角は、発射点の緯度に依存するため、ゼロとは限らない。この場合[[軌道面]]の変換、すなわち軌道傾斜角をゼロに調整するための操作も必要である。このため、静止軌道への投入には、発射点が出来るだけ[[赤道]]に近いほうが有利である。[[欧州宇宙機関]]で[[ギアナ宇宙センター]]が選ばれた理由のひとつは、人工衛星の燃料消費節約と、静止衛星に投入できる人工衛星の[[ロケット]]搭載量増大である。
静止軌道内で、変更しうるパラメータは静止点直下の経度のみである。<ref>https://qzss.go.jp/overview/column/orbit_151027.html</ref>
== 軌道ポジション ==
軌道上から、経済活動の活発な需要の多い地域にサービスを提供しようとすれば、おのずと軌道のポジションは限られるため、同経度の他国や企業との競合が生じる。さらに、衛星と地上との通信には電波を利用するので、周波数利用の競合も起こる。衛星を静止軌道上で運用することは、有限な資源である周波数・軌道ポジションを占有することを意味する。
したがって、静止衛星軌道の利用には国際的な取り決めと調整が必須となる。現在は、[[国際電気通信連合|ITU]]によって軌道ポジションと周波数の国際管理・調整がなされている。衛星通信は現代の社会基盤の一部を担っており、国際的に決められたルールの下で正しく運用されなければならない。現在、静止衛星軌道上には、運用中の商業用通信衛星に限っても239機の衛星が存在している<ref>{{Cite web|url=http://www.boeing.com/defense-space/space/bss/launch/980031_001.pdf|format=PDF|title=Commercial Communications Satellites Geosynchronous Orbit|publisher=Boeing|accessdate=2019-10-22|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070127172259/http://www.boeing.com/defense-space/space/bss/launch/980031_001.pdf|archivedate=2007-01-27|date=2006-06-30}}</ref>。
世界の人口や経済活動が地球表面に一様に分布していないように、静止衛星軌道上の衛星も偏った分布をしている。静止衛星軌道上の衛星増加にともない、狭い範囲に複数の衛星が共存している場所も存在する。かつて憂慮されていた、軌道上のポジションと利用周波数帯の高密度化が現実となってきている。特に、ヨーロッパ・アフリカ上空にあたる東経15~20度、アメリカ大陸上空の西経90~100度、そして、日本および東南アジア地域の東経110度周辺ではその程度が著しい<ref>https://www.nict.go.jp/publication/NICT-News/0507/p02.html</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[静止衛星]]
* [[準天頂衛星]]
* [[衛星放送]]
* [[電波の窓]]
{{軌道}}
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[[Category:静止衛星|*せいしきとう]]
[[Category:人工衛星の軌道]]
[[de:Geosynchrone Umlaufbahn#Geostationäre Umlaufbahn]] | null | 2023-07-24T06:42:08Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E6%AD%A2%E8%BB%8C%E9%81%93 |
7,124 | 熱振動 | 熱振動(ねつしんどう、Thermal vibration)は、原子の振動のこと。分子や固体中の原子は運動エネルギーを持っていて、基準となる位置を中心に振動をしている。結晶格子上の原子の熱振動は特に格子振動とよばれる。
温度が高くなるほど振動の振幅は大きくなる。絶対零度であっても、不確定性原理から原子の振動は止まっていない(零点振動)。
なお、類似した言葉に熱運動(thermal motion) がある。こちらは微小な粒子がするランダムな運動で、ブラウン運動の原因ともなる。熱運動については熱の記事を参照。 | [
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] | 熱振動。 なお、類似した言葉に熱運動(thermal motion) がある。こちらは微小な粒子がするランダムな運動で、ブラウン運動の原因ともなる。熱運動については熱の記事を参照。 | {{複数の問題
| 出典の明記 = 2011-03
| 特筆性 = 2021-07
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'''熱振動'''(ねつしんどう、'''Thermal vibration''')は、[[原子]]の[[振動]]のこと。[[分子]]や[[固体]]中の原子は運動エネルギーを持っていて、基準となる位置を中心に振動をしている。[[結晶]]格子上の原子の熱振動は特に[[格子振動]]とよばれる。
[[温度]]が高くなるほど振動の[[振幅]]は大きくなる。[[絶対零度]]であっても、[[不確定性原理]]から原子の振動は止まっていない([[零点振動]])。
なお、類似した言葉に'''熱運動'''('''thermal motion''') がある。こちらは微小な粒子がするランダムな運動で、[[ブラウン運動]]の原因ともなる。熱運動については[[熱]]の記事を参照。
==熱振動に関する現象==
*固体中の原子の振動を理想的な[[調和振動子]]で近似し、統計力学の方法で[[比熱]]を求めたところ、実験結果とよくあった。(→[[デバイの比熱式]])
*原子核の熱振動が電子の電導を妨げ、[[電気抵抗]]の原因となっている。
==関連項目==
*[[ノイズ]]
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[[Category:熱力学]]
[[Category:固体物理学]]
[[Category:物理化学の現象]]
[[Category:振動と波動|ねつしんとう]] | null | 2021-07-01T15:38:56Z | false | false | false | [
"Template:複数の問題"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E6%8C%AF%E5%8B%95 |
7,126 | 不純物 | 不純物(ふじゅんぶつ)とは、ある物質に、それ以外の物質が僅かに含まれている場合、その本来の物質以外の別の物質のことを指す。不純物は欠陥の一種である。一般には、不純物の存在は、本来の物質の性質を損なうことになる場合が多く、通常は不純物をいかに取り除くかに多くの努力が費やされる。ただ、一方では逆に不純物を利用して、本来その物質が持っていなかった新しい性質を引き出し、産業上有用な物質となる場合もある。
シリコンのような半導体においては、不純物を人工的に混ぜることにより、p型半導体、n型半導体を作ることができる。鉄がより強度の高い鋼になるのも不純物の効果による。また、不純物は物質の色(あるいは発光)に影響を及ぼすことがある。たとえば宝石において、主成分は同じ酸化アルミニウム(Al2O3, コランダム)だが、不純物の違いにより、サファイア(不純物:鉄、チタン)やルビー(不純物:クロム)となるのがこの場合である。 | [
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] | 不純物(ふじゅんぶつ)とは、ある物質に、それ以外の物質が僅かに含まれている場合、その本来の物質以外の別の物質のことを指す。不純物は欠陥の一種である。一般には、不純物の存在は、本来の物質の性質を損なうことになる場合が多く、通常は不純物をいかに取り除くかに多くの努力が費やされる。ただ、一方では逆に不純物を利用して、本来その物質が持っていなかった新しい性質を引き出し、産業上有用な物質となる場合もある。 | {{出典の明記|date=2013年2月}}
'''不純物'''(ふじゅんぶつ)とは、ある[[物質]]に、それ以外の物質が僅かに含まれている場合、その本来の物質以外の別の物質のことを指す。不純物は[[欠陥]]の一種である。一般には、不純物の存在は、本来の物質の性質を損なうことになる場合が多く、通常は不純物をいかに取り除くかに多くの努力が費やされる。ただ、一方では逆に不純物を利用して、本来その物質が持っていなかった新しい性質を引き出し、[[産業]]上有用な物質となる場合もある。
== 利用例 ==
[[シリコン]]のような[[半導体]]においては、不純物を人工的に混ぜることにより、[[p型半導体]]、[[n型半導体]]を作ることができる。[[鉄]]がより[[強度]]の高い[[鋼]]になるのも不純物の効果による。また、不純物は物質の[[色]](あるいは[[発光]])に影響を及ぼすことがある。たとえば[[宝石]]において、主成分は同じ[[酸化アルミニウム]](Al<sub>2</sub>O<sub>3</sub>, コランダム)だが、不純物の違いにより、[[サファイア]](不純物:鉄、[[チタン]])や[[ルビー]](不純物:[[クロム]])となるのがこの場合である。
== 関連項目 ==
*[[不純物準位]]
*[[物性物理学]]
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[[Category:化学]]
[[Category:半導体製造]]
[[Category:物質]] | 2003-04-22T12:26:58Z | 2023-08-24T09:07:23Z | false | false | false | [
"Template:出典の明記"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E7%B4%94%E7%89%A9 |
7,127 | 陽電子 | 陽電子(ようでんし、ポジトロン、英語: positron)は、電子の反粒子。絶対量が電子と等しいプラスの電荷を持ち、その他の電子と等しいあらゆる特徴(質量やスピン角運動量 (1/2))を持つ。
陽電子は陽子過多により不安定な原子核のβ崩壊により生成される。もしくは、1.022 MeV以上のエネルギーの電磁波と電磁場の相互作用により対生成される。
陽電子は物質内に侵入すると、物質内の原子の核外電子(特に価電子、伝導電子)と対消滅し、数本のγ線となる。また、対消滅が起こる前に準安定状態の電子-陽電子対(ポジトロニウム)を作る場合がある。これは一種の水素様原子(元素記号はPs)である。電子と陽電子のスピンが反平行な一重項状態をパラポジトロニウム (p-Ps) といい、スピンが平行な三重項状態をオルソポジトロニウム (o-Ps) という。
電子と陽電子の対消滅により放出されたγ線のエネルギー分布の観測から、単結晶中の電子の運動量密度分布を求めることができる。これは二光子消滅のγ線が本来511.0 keVであるところ、ドップラー効果によりエネルギーが増減するためである。また、物質中に陽電子が入射してから電子と対消滅するまでの時間スペクトルの時定数を陽電子寿命と呼び、これを調べることにより物質中の空孔型欠陥等を極めて高感度に調べることができる。これは陽電子の消滅率が電子密度に依存するためである。
1928年、ポール・ディラックがディラックの海という空間にできる穴の形で、初めて正電荷を持つ電子、いわゆる反電子の存在の仮説を立てた。
1932年にカール・デイヴィッド・アンダーソンが、鉛板を入れた霧箱を用いてそのような性質を持つ粒子の観測に成功し、プラスの電荷を持っていることから「陽電子」(positron) と命名した。アンダーソンは、ポジトロンと対にするため、電子の正式な名称をエレクトロンからネガトロン (negatron) に変更する運動を起こしたが、失敗に終わっている。
医療分野として、ポジトロン断層法を用いたがんの発見などに利用される。これは陽電子放出核種でラベルされた生体分子の分布や代謝を、放射能の空間分布やその時間変化を通してイメージングする手法である。日本ではがん診療への利用のみならず、がん検診としても利用されているが、これには賛否両論がある。
材料分野においては、半導体の空孔型欠陥の検知(密度や種類の測定)や、ポリマーの自由体積の測定などにも利用できることが知られているが、主に研究室レベルで用いられており、産業利用の裾野が十分に開拓されていない。これはデータの解釈に専門的な知識が必要であることや、容易に入手できる市販装置が存在しないことなどが原因である。 | [
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] | 陽電子は、電子の反粒子。絶対量が電子と等しいプラスの電荷を持ち、その他の電子と等しいあらゆる特徴(質量やスピン角運動量 )を持つ。 | {{出典の明記|date=2016年1月}}
{{Infobox particle
| 背景色 =
| 名前 = 陽電子(ポジトロン)
| 画像 =
| 説明 =
| 型数 =
| 分類 =
| 組成 = [[素粒子]]
| 統計 = [[フェルミ粒子]]
| グループ = [[レプトン (素粒子)|レプトン]]
| 世代 = 第一世代
| 相互作用 = [[弱い相互作用]]<br />[[電磁相互作用]]<br />[[重力相互作用]]
| 粒子 =
| 反粒子 = [[電子]] ({{粒子の記号|link=yes|e}})
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| 記号 = {{粒子の記号|link=yes|反e}}
| 質量 = {{val|9.10938291|(40)|e=-31|u=kg}}
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| 崩壊粒子 =
| 電荷 = +[[素電荷|e]]<br />+{{val|1.602176565|(35)|e=-19|u=C}}
| 荷電半径 =
| 電気双極子モーメント =
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| Gパリティ =
| Cパリティ =
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}}
'''陽電子'''(ようでんし、'''ポジトロン'''、{{lang-en|positron}})は、[[電子]]の[[反粒子]]。絶対量が電子と等しいプラスの[[電荷]]を持ち、その他の電子と等しいあらゆる特徴([[質量]]や[[スピン角運動量]] (1/2))を持つ。
== 性質 ==
陽電子は陽子過多により不安定な原子核の[[ベータ崩壊#β+崩壊|β<sup>+</sup>崩壊]]により生成される。もしくは、1.022 MeV以上のエネルギーの電磁波と電磁場の相互作用により[[対生成]]される。
陽電子は[[物質]]内に侵入すると、物質内の[[原子]]の[[核外電子]](特に[[価電子]]、[[伝導電子]])と[[対消滅]]し、数本の[[γ線]]となる。また、対消滅が起こる前に[[準安定状態]]の電子-陽電子対([[ポジトロニウム]])を作る場合がある。これは一種の水素様原子(元素記号はPs)である。電子と陽電子のスピンが反平行な一重項状態をパラポジトロニウム (p-Ps) といい、スピンが平行な三重項状態をオルソポジトロニウム (o-Ps) という。
電子と陽電子の対消滅により放出されたγ線のエネルギー分布の観測から、単結晶中の電子の[[運動量密度]]分布を求めることができる。これは二光子消滅のγ線が本来511.0 keVであるところ、[[ドップラー効果]]によりエネルギーが増減するためである。また、物質中に陽電子が入射してから電子と対消滅するまでの時間スペクトルの時定数を陽電子寿命と呼び、これを調べることにより物質中の空孔型欠陥等を極めて高感度に調べることができる。これは陽電子の消滅率が電子密度に依存するためである。
== 発見 ==
[[1928年]]、[[ポール・ディラック]]が[[ディラックの海]]という空間にできる穴の形で、初めて正電荷を持つ電子、いわゆる反電子の存在の[[仮説]]を立てた。
[[1932年]]に[[カール・デイヴィッド・アンダーソン]]が、鉛板を入れた霧箱を用いてそのような性質を持つ粒子の観測に成功し、プラスの電荷を持っていることから「陽電子」(positron) と命名した。アンダーソンは、ポジトロンと対にするため、電子の正式な名称をエレクトロンから'''ネガトロン''' (negatron) に変更する運動を起こしたが、失敗に終わっている。
== 陽電子の利用 ==
医療分野として、[[ポジトロン断層法]]を用いた[[悪性腫瘍|がん]]の発見などに利用される。これは陽電子放出核種でラベルされた生体分子の分布や代謝を、放射能の空間分布やその時間変化を通してイメージングする手法である。日本ではがん診療への利用のみならず、がん検診としても利用されているが、これには賛否両論がある。
材料分野においては、半導体の空孔型欠陥の検知(密度や種類の測定)や、ポリマーの自由体積の測定などにも利用できることが知られているが、主に研究室レベルで用いられており、産業利用の裾野が十分に開拓されていない。これはデータの解釈に専門的な知識が必要であることや、容易に入手できる市販装置が存在しないことなどが原因である。
== 関連項目 ==
* [[物理学]]
* [[物性物理学]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Positrons}}
* [http://positron-science.org/ 日本陽電子科学会]
{{粒子の一覧}}
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[[Category:素粒子]]
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[[Category:反物質]] | null | 2021-04-27T05:37:51Z | false | false | false | [
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"Template:Infobox particle",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%BD%E9%9B%BB%E5%AD%90 |
7,128 | Advanced Technology Attachment | Advanced Technology Attachment(アドバンスド テクノロジー アタッチメント、略号: ATA)は、パーソナルコンピュータ (PC) とハードディスク (HDD) 間のインタフェースのひとつである。1989年に制定され、1990年代に主流となっていた。
本節での容量の単位は、一般的な1024をキロ (KBytes) としているので、1000をキロ (KB) とするHDDメーカー(すなわちHDD単体に貼られたラベルの表記)と異なることに注意されたい。
PC/ATのハードディスクインタフェースは、当初ST-506、次いでST-506を高速化したESDIやSCSI等が使用されていたが、次第にST-506をインテリジェント化(ドライブとコントローラを統合)した1986年にコンパックとコナー・ペリフェラルが開発したIDE (Integrated Drive Electronics) が大勢を占めるようになった。
その後、各社独自の拡張が行われ、互換性に問題が出てきたため、1989年に各HDDメーカが共通仕様であるATA (AT Attachment interface) を制定し、1994年にANSIでATA-1として規格化された。
IDE HDDには、504Mバイト(512×1024×16×63 = 528,482,304バイト)を超える容量が認識されないという問題があった。これは「504MBの壁」といわれ、1993年頃までに発売されたPCではこの問題がある。HDD側のパラメータとPC/ATのBIOS (INT 13H API) のパラメータのミスマッチに起因する。ただし、504MBの壁は、あくまでIDE HDDとPCのBIOSの組み合わせにより生じる問題であり、HDD側ではもっと大きな容量(理論上の最大値は128GB)のアドレッシングが可能である。すなわち、一般には「504MBを境にEIDE HDDとIDE HDDが分かれる」と思われている場合があるが、実はHDD側にはそのような区別はない。
EIDE (Enhanced IDE) とは、一般にIDE HDDの504MBの壁を超えるための規格として認識されているが、実際は以下のようなさまざまな拡張規格の総称である。ウェスタン・デジタルが提唱した。
504MBの壁は、BIOSのCHS (Cylinder, Head, Sector) をIDEのCHSに直結させていることが原因なので、途中でうまく変換してやることにより回避できる。その手段として、LBAとCHSトランスレーションが導入された。
なお、LBAはHDD側でCHSレジスタを読み替えることで実現されており、アドレッシング可能な範囲はほとんど変わっていない(28ビット)。すなわち、HDD側ではLBAに対応することでとくに容量上限を増やせるわけではない(厳密には、セクタ番号レジスタに0を指定できるようになるため、若干増える)。
ATA Packet Interfaceの略。 HDDなどの非ATAPIのATAデバイスでの通信のデータに相当する部分にSCSIと同等のパケット形式のコマンドを発行することにより、ATAコマンドより多くのコマンド種が必要なCD-ROMのようなHDD以外のデバイスの接続を可能とした規格。一般には、CD-ROM等をサポートしたIDEとして認識されている。当初SFF-8020という規格だったが、ATA/ATAPI-4でATA規格に統合された。
従来の28ビットLBAを48ビットに拡張し、128ペビバイト(140,737,488,355,328KiB)までの容量を扱えるようにした規格。ATA/ATAPI-6で採用された。BigDriveはMaxtor社(当時)が発表したATAの拡張規格につけた名前で、ATA規格では48bitLBAと呼ばれる。
HDDをリセットした直後は従来モード (28ビットLBA) で動作し、ホストよりコマンドで48bitLBAモードに切り替える。切り替えた後はアドレスレジスタの意味が変わり2度書き込むことで1つのアドレスと解釈されるようになる。
この規格に対応したHDDを未対応(28ビットLBA)の機器およびOSに接続すると、切り替えが発生しないため128GiBのドライブとして動作する(127GiBの壁、おおよそ2002年以前に発売されたPCでこの壁がある)。
規格上、従来の28bitLBAのパラレルATAコントローラでも48BitLBAは使えるように考慮されているため、動作するオペレーティングシステム並びにデバイスドライバが対応していれば、全領域利用可能である。ただし、ブートデバイスとして利用する場合にはBIOS側が対応する必要があり、非対応の場合はブートストラップローダに加工するか、起動に必要なシステム/データがBIOSが管理できる領域に入っている必要がある。
ATA/ATAPIの規格概要を以下に示す。
シリアルATAが登場して以降、旧来のパラレル通信を行うATA規格を区別するレトロニムであり、正規の規格名称ではない。しかし本節および本節の下層節では可読性向上の便宜を図るため、シリアルATA登場以前の規格を含めて「パラレルATA」と表記する。シリアルATA登場以前の規格は単にATAと称されていたが、それらをここではパラレルATAと記述していることに留意が必要。
パラレルATAでは、ケーブル1本あたり、最大2台の機器が接続可能(マスタースレーブ接続)である。リセット時などにマスター側の機器がスレーブ側の機器を制御するタイミングがあるが、基本的にはホストから独立して制御できる。
パラレルATAは規格制定当初40芯、Ultra DMA 66 (UDMA4) 以降は80芯40pinコネクターのフラットケーブル(またはリボンケーブル)を用いて接続し、ケーブル長は最大18インチ (45.7cm) と規定されている。80芯フラットケーブルを用いたものであってもコネクタのコンタクト(電気接点)の数は従前同様40である(上位互換)。
80芯ケーブルは、信号線とグラウンド線を交互に配置し、40芯ケーブルの伝送特性を改良したものである。使われるコネクタには、GND信号が偶数ピンまたは奇数ピンに割り当てられる二つの仕様があり、それぞれコネクタに刻印されている ODD GND または EVEN GND の文字列で区別することが出来る。多くの市販ケーブルや、製品としてPCに組み込まれているコネクタはODD GNDの物である。柔軟な配線取り回しや筐体内の気流改善を目的として使われるスマートケーブルは、シールド付き40芯(丸)ケーブルを使うため、「Ultra DMA 66 対応」を謳うものであっても80芯フラットケーブルの特性を保持できないことがあり障害の原因になることがある。80芯ケーブルではケーブル部はすべてフラットケーブルであり、40芯ケーブルの一部に見られたリボンケーブルを用いたものはリボンケーブル用80芯コネクタが製造されなかったことからケーブルアセンブリとしても製造されていない。
コネクタには色分けがあり、デバイス側から見た場合、全40Pinのコンタクトにおいて下記の違いがある。なお、20Pinは逆差し防止の為のピンであり、埋められていたり、接点が無いこともある。
80芯ケーブルには、ケーブルへの接続位置でマスタースレーブを設定するケーブルセレクトという機能が実装されている(40芯ケーブルではオプション扱いであった)。
ケーブルセレクト対応の40芯ケーブルは実装手法が2種類あり、80芯ケーブル同様にスレーブデバイス用のコネクタから28Pinコンタクトを除去する方法と、フラットケーブルの途中でライン28を切断(切り欠く)手法があった。28Pinコンタクトを除去する方法は80芯ケーブル登場以降そのコネクタを流用したものであり、40芯ケーブルが主流であった頃の実装はケーブルのライン28を切断加工する方法がほとんどであった。このため残存する40芯ケーブルがケーブルセレクト対応であるか否かを判別する方法にケーブル外観から切断(欠損)部分を見つける方法が紹介される場合があるが、確実な判別方法ではない。また、後者のケーブルセレクト対応40芯ケーブルの場合、80芯ケーブルと異なりデバイス側ケーブル端がスレーブとなるので機器接続の際には注意が必要である。
パラレルATAはその長い歴史を反映して数々の転送モードが存在する。
PIO (Programmed Input / Output) 転送モードは、CPUが直接IDEコントローラI/Oポートを経由してデータの送受信を行う。
5種類のモードが存在するが、基準となるクロック周波数が異なるだけである。全てのATA機器は機器転送速度、転送モードのネゴシエートの為、PIO Mode 0をサポートする。
今日でも、速度を必要としない機器はこのモードのみをサポートする。
Singleword DMAモードは、IBM PC本体に搭載されていた8ビットのDMA転送が可能なDMAコントローラを用いて転送を行うことを想定したモードである。これはATA/ATAPI-3規格において廃止されている。
Multiword DMAモードは、PC/ATで拡張された16ビットのDMA転送が可能なDMAコントローラを用いて転送を行うことを想定したモードである。ハードディスクではUltra DMA規格化後はあまり使用されていないが、光ディスクドライブでは前述したATAPIの転送モードとして用いられることが多い。
Ultra DMA転送モードは、ATA/ATAPI-4以降で追加されたチップセットやUIDEコントローラカードに搭載された、専用の高速なDMAコントローラを使用して転送を行うモード。転送時のデータにCRCを付加し、信頼性を向上させている。
UDMA 6において、32ビット 33MHzのPCIと同じ、最大133Mbytes/secでの転送が可能となっているが、これは、あくまでもバスの転送帯域である。HDDに搭載されているキャッシュメモリからのデータを転送する時にのみ、額面通りの性能が発揮できるが、ほとんどの場合はハードディスクの読み出し速度が追従できない。また、SCSIでは普通に用いられている、コマンド投入からデータ転送開始までの間、バスの開放を行い、バスの使用効率を上げる仕組み (Disconnect / Reconnect) は、ATA / ATAPI-6以降で規格化されているものの、実装されている機器はほとんど存在しないため、複数デバイスがある場合のスループットは数値から期待されるほどは高くないのが普通。 | [
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}
] | Advanced Technology Attachmentは、パーソナルコンピュータ (PC) とハードディスク (HDD) 間のインタフェースのひとつである。1989年に制定され、1990年代に主流となっていた。 | {{出典の明記|date=2018年8月}}
'''Advanced Technology Attachment'''(アドバンスド テクノロジー アタッチメント、略号: '''ATA''')は、[[パーソナルコンピュータ]] (PC) と[[ハードディスクドライブ|ハードディスク]] (HDD) 間の[[インタフェース (情報技術)|インタフェース]]のひとつである。[[1989年]]に制定され、[[1990年代]]に主流となっていた。
== 歴史 ==
{{see also|容量の壁}}
本節での容量の単位は、一般的な1024をキロ (KBytes) としているので、1000をキロ (KB) とするHDDメーカー(すなわちHDD単体に貼られたラベルの表記)と異なることに注意されたい。
=== IDE ===
[[PC/AT]]のハードディスクインタフェースは、当初[[ST-506]]、次いでST-506を高速化した[[Enhanced Small Disk Interface|ESDI]]や[[Small Computer System Interface|SCSI]]等が使用されていたが、次第にST-506をインテリジェント化(ドライブとコントローラを統合)した[[1986年]]に[[コンパック]]と[[コナー・ペリフェラル]]が開発した'''IDE''' (Integrated Drive Electronics) が大勢を占めるようになった。
<!--ハードディスク以外のデバイスを接続するなど、-->
その後、各社独自の拡張が行われ、互換性に問題が出てきたため、[[1989年]]に各HDDメーカが共通仕様である'''ATA''' (AT Attachment interface) を制定し、[[1994年]]に[[米国国家規格協会|ANSI]]でATA-1として規格化された。
{| class="wikitable floatright" style="font-size:small;"
|+ IDE HDDのパラメータの制約
!
!HDD側
!BIOS側
!小さい方
|-
!シリンダ番号 (C)
|0 - 65535
|0 - '''1023'''
|0 - 1023
|-
!ヘッド番号 (H)
|0 - '''15'''
|0 - 254
|0 - 15
|-
!セクタ番号 (S)
|1 - 255
|1 - '''63'''
|1 - 63
|-
!最大容量
|128GB
|7.8GB
|'''504MB'''
|}
IDE HDDには、504Mバイト(512×1024×16×63 = 528,482,304バイト)を超える容量が認識されないという問題があった。これは「'''504MBの壁'''」といわれ、1993年頃までに発売されたPCではこの問題がある。HDD側のパラメータとPC/ATの[[Basic Input/Output System|BIOS]] (INT 13H API) のパラメータのミスマッチに起因する。ただし、504MBの壁は、あくまでIDE HDDとPCのBIOSの組み合わせにより生じる問題であり、HDD側ではもっと大きな容量(理論上の最大値は128GB)のアドレッシングが可能である。すなわち、一般には「504MBを境にEIDE HDDとIDE HDDが分かれる」と思われている場合があるが、実はHDD側にはそのような区別はない。
=== EIDE ===
'''EIDE''' (Enhanced IDE) とは、一般にIDE HDDの504MBの壁を超えるための規格として認識されているが、実際は以下のようなさまざまな拡張規格の総称である。[[ウェスタン・デジタル]]が提唱した。
* 504MBの壁を超えるための拡張
** [[Logical Block Addressing]] (LBA) の導入
** CHSトランスレーション(いわゆるLARGEモード)の導入
* ATAPIによる[[CD-ROM]]やリムーバブルディスクのサポート
* 転送モードの追加による高速化
* プライマリ/セカンダリポートの標準化による最大4台のデバイスのサポート
504MBの壁は、BIOSのCHS (Cylinder, Head, Sector) をIDEのCHSに直結させていることが原因なので、途中でうまく変換してやることにより回避できる。その手段として、LBAとCHSトランスレーションが導入された。
* LBAは、BIOSからHDDに対するアドレッシングをCHSでなく単一の連番で行う(HDDが対応している必要がある)。
* CHSトランスレーションは、BIOS内部でCHSの変換(たとえばHを2で割るかわりにCを2倍するなど)を行い、CHSの範囲を有効活用する(HDD側で対応することはない)。
なお、LBAはHDD側でCHSレジスタを読み替えることで実現されており、アドレッシング可能な範囲はほとんど変わっていない(28ビット)。すなわち、HDD側ではLBAに対応することでとくに容量上限を増やせるわけではない(厳密には、セクタ番号レジスタに0を指定できるようになるため、若干増える)。
=== ATAPI ===
ATA Packet Interfaceの略。
HDDなどの非ATAPIのATAデバイスでの通信のデータに相当する部分にSCSIと同等のパケット形式のコマンドを発行することにより、ATAコマンドより多くのコマンド種が必要なCD-ROMのようなHDD以外のデバイスの接続を可能とした規格。一般には、CD-ROM等をサポートしたIDEとして認識されている。当初SFF-8020という規格だったが、ATA/ATAPI-4でATA規格に統合された。
=== 48bit LBA(BigDrive) ===
従来の28ビットLBAを[[48ビット]]に拡張し、128[[ペビバイト]](140,737,488,355,328[[キビバイト|KiB]])までの容量を扱えるようにした規格。ATA/ATAPI-6で採用された。BigDriveはMaxtor社(当時)が発表したATAの拡張規格につけた名前で、ATA規格では48bitLBAと呼ばれる。
HDDをリセットした直後は従来モード (28ビットLBA) で動作し、ホストよりコマンドで48bitLBAモードに切り替える。切り替えた後はアドレスレジスタの意味が変わり2度書き込むことで1つのアドレスと解釈されるようになる。
この規格に対応したHDDを未対応(28ビットLBA)の機器およびOSに接続すると、切り替えが発生しないため128[[ギビバイト|GiB]]のドライブとして動作する('''127GiBの壁'''、おおよそ2002年以前に発売されたPCでこの壁がある)。
規格上、従来の28bitLBAのパラレルATAコントローラでも48BitLBAは使えるように考慮されているため、動作する[[オペレーティングシステム]]並びに[[デバイスドライバ]]が対応していれば、全領域利用可能である。ただし、ブートデバイスとして利用する場合にはBIOS側が対応する必要があり、非対応の場合はブートストラップローダに加工するか、起動に必要なシステム/データがBIOSが管理できる領域に入っている必要がある。
=== 規格のあゆみ ===
ATA/ATAPIの規格概要を以下に示す。
; ATA-1([[1994年]]、[http://www.t13.org/Documents/UploadedDocuments/project/d0791r4c-ATA-1.pdf ANSI 旧規格 X3.221-1994])
: IDEの規格化
; ATA-2([[1996年]]、[http://www.t13.org/Documents/UploadedDocuments/project/d0948r4c-ATA-2.pdf ANSI 旧規格 X3.279-1996])
: PIO 3,4 Multiword DMA 1,2追加による高速化
; ATA-3([[1997年]]、[http://www.t13.org/Documents/UploadedDocuments/project/d2008r7b-ATA-3.pdf ANSI 旧規格 X3.298-1997])
: Singleword DMAの削除、リムーバブルメディアのサポート、[[Self-Monitoring, Analysis and Reporting Technology|S.M.A.R.T.]]対応。2.5インチHDD向け44ピンコネクタ規格制定
; ATA/ATAPI-4([[1998年]]、[http://www.t13.org/Documents/UploadedDocuments/project/d1153r18-ATA-ATAPI-4.pdf ANSI INCITS 317-1998])
: ATAPIの統合。スキャナ、プリンタ、メディアチェンジャー等SCSI準拠の多種デバイスのサポート。UltraDMA 0, 1, 2のサポート。[[コンパクトフラッシュ]]向けコマンドのサポート
; ATA/ATAPI-5([[2000年]]、[http://www.t13.org/Documents/UploadedDocuments/project/d1321r3-ATA-ATAPI-5.pdf ANSI INCITS 340-2000])
: UltraDMA 3, 4のサポート。80ピンケーブルの規格制定
; ATA/ATAPI-6([[2002年]]、[http://www.t13.org/Documents/UploadedDocuments/project/d1410r3b-ATA-ATAPI-6.pdf ANSI INCITS 361-2002])
: UltraDMA 5、48bit LBA (Big Drive)のサポート
; ATA/ATAPI-7([[2005年]]、ANSI INCITS 397-2005 [http://www.t13.org/Documents/UploadedDocuments/docs2007/D1532v1r4b-AT_Attachment_with_Packet_Interface_-_7_Volume_1.pdf Vol 1] [http://www.t13.org/Documents/UploadedDocuments/docs2007/D1532v2r4b-AT_Attachment_with_Packet_Interface_-_7_Volume_2.pdf Vol 2] [http://www.t13.org/Documents/UploadedDocuments/docs2007/D1532v3r4b-AT_Attachment_with_Packet_Interface_-_7_Volume_3.pdf Vol 3])
: UltraDMA 6のサポート。1.8、2.5インチHDDの3.3V規格定義。ストリーミング向けコマンドのサポート。シリアルATA1.0の仕様が追加。
; ATA/ATAPI-8 コマンドセット([[2008年]]、[http://www.t13.org/Documents/UploadedDocuments/docs2008/D1699r6a-ATA8-ACS.pdf ANSI INCITS 452-2008])
: ベリファイ付きWriteコマンド、疑似エラー発生コマンドのサポート。[[ハイブリッドHDD]]([[フラッシュメモリ]]などの不揮発性キャッシュを搭載)向けコマンドのサポート
; ATA-8
: 伝送規格は審議中
== パラレルATA ==
=== パラレルATAとは ===
[[シリアルATA]]が登場して以降、旧来の[[パラレル通信]]を行うATA規格を区別する[[レトロニム]]であり、'''正規の規格名称ではない'''。しかし本節および本節の下層節では可読性向上の便宜を図るため、シリアルATA登場以前の規格を含めて「パラレルATA」と表記する。シリアルATA登場以前の規格は単にATAと称されていたが、それらをここではパラレルATAと記述していることに留意が必要。
[[ファイル:ATA on mainboard.jpg|200px|thumb|[[マザーボード]]上にあるパラレルATAの接続端子(最も下側)]]
パラレルATAでは、ケーブル1本あたり、最大2台の機器が接続可能([[マスタースレーブ]]接続)である。リセット時などにマスター側の機器がスレーブ側の機器を制御するタイミングがあるが、基本的にはホストから独立して制御できる。
<!--en:には↓と書いてあるけどDraftsには記載が無い。要調査。
なお、規格上は3台の接続も可能となっているが、この場合、1台は読み込み専用としてのみ動作する。-->
=== ケーブル ===
[[ファイル:ATA cables.jpg|thumb|right|350px|上:40芯パラレルATAケーブル<br/>下:80芯パラレルATAケーブル]]
パラレルATAは規格制定当初40芯、Ultra DMA 66 (UDMA4) 以降は80芯40pinコネクターのフラットケーブル(またはリボンケーブル)を用いて接続し、ケーブル長は最大18インチ (45.7cm) と規定されている。80芯フラットケーブルを用いたものであってもコネクタのコンタクト(電気接点)の数は従前同様40である([[上位互換]])。
==== 80芯ケーブル ====
80芯ケーブルは、信号線とグラウンド線を交互に配置し、40芯ケーブルの伝送特性を改良したものである。使われるコネクタには、GND信号が偶数ピンまたは奇数ピンに割り当てられる二つの仕様があり、それぞれコネクタに刻印されている ODD GND または EVEN GND の文字列で区別することが出来る。多くの市販ケーブルや、製品としてPCに組み込まれているコネクタはODD GNDの物である。柔軟な配線取り回しや筐体内の気流改善を目的として使われるスマートケーブルは、シールド付き40芯(丸)ケーブルを使うため、「Ultra DMA 66 対応」を謳うものであっても80芯フラットケーブルの特性を保持できないことがあり障害の原因になることがある。80芯ケーブルではケーブル部はすべてフラットケーブルであり、40芯ケーブルの一部に見られたリボンケーブルを用いたものはリボンケーブル用80芯コネクタが製造されなかったことからケーブルアセンブリとしても製造されていない。
コネクタには色分けがあり、デバイス側から見た場合、全40Pinのコンタクトにおいて下記の違いがある。なお、20Pinは逆差し防止の為のピンであり、埋められていたり、接点が無いこともある。
* 黒(マスター):全ピンある。
* 青(ホスト):40芯ケーブルとの識別の為、34PinがケーブルではなくGNDに接続される。
* 灰(スレーブ):ケーブルセレクトの為、28Pinが存在しない。デバイス側ケーブル端から見て2番目に配される。製品に組み込み済みのものなどでは、全ピン結線の黒コネクタや青コネクタを用い、適宜ピンを抜いてケーブルセレクトを実装している製品もある。
==== ケーブルセレクト ====
80芯ケーブルには、ケーブルへの接続位置でマスタースレーブを設定するケーブルセレクトという機能が実装されている(40芯ケーブルではオプション扱いであった)。
; 40芯ケーブルのケーブルセレクト
ケーブルセレクト対応の40芯ケーブルは実装手法が2種類あり、80芯ケーブル同様にスレーブデバイス用のコネクタから28Pinコンタクトを除去する方法と、フラットケーブルの途中でライン28を切断(切り欠く)手法があった。28Pinコンタクトを除去する方法は80芯ケーブル登場以降そのコネクタを流用したものであり、40芯ケーブルが主流であった頃の実装はケーブルのライン28を切断加工する方法がほとんどであった。このため残存する40芯ケーブルがケーブルセレクト対応であるか否かを判別する方法にケーブル外観から切断(欠損)部分を見つける方法が紹介される場合があるが、確実な判別方法ではない。また、後者のケーブルセレクト対応40芯ケーブルの場合、80芯ケーブルと異なりデバイス側ケーブル端がスレーブとなるので機器接続の際には注意が必要である。
=== 転送モード ===
パラレルATAはその長い歴史を反映して数々の転送モードが存在する。
==== PIO転送モード ====
{| class="wikitable floatright" style="font-size:small;"
|+ PIO モード一覧
|-
!モード!!最大転送速度<br/>(MB/s)!!制定された<br/>規格
|-
|Mode 0||3.3|| rowspan="3" |ATA
|-
|Mode 1||5.2
|-
|Mode 2||8.3
|-
|Mode 3||11.1|| rowspan="2" |ATA-2
|-
|Mode 4||16.7
|}
PIO (Programmed Input / Output) 転送モードは、CPUが直接IDEコントローラI/Oポートを経由してデータの送受信を行う。
5種類のモードが存在するが、基準となるクロック周波数が異なるだけである。全てのATA機器は機器転送速度、転送モードのネゴシエートの為、PIO Mode 0をサポートする。
今日でも、速度を必要としない機器はこのモードのみをサポートする。
{{clear|right}}
==== Singleword DMA転送モード ====
{| class="wikitable floatright" style="font-size:small;"
|+ Singleword DMAモード一覧
|-
!モード!!最大転送速度<br/>(MB/s)!!制定された<br/>規格
|-
|Mode 0||2.1|| rowspan="3" |ATA
|-
|Mode 1||4.2
|-
|Mode 2||8.3
|}
Singleword DMAモードは、[[IBM PC]]本体に搭載されていた[[8ビット]]の[[Direct Memory Access|DMA]]転送が可能なDMAコントローラを用いて転送を行うことを想定したモードである。これはATA/ATAPI-3規格において廃止されている。
{{clear|right}}
==== Multiword DMA転送モード ====
{| class="wikitable floatright" style="font-size:small;"
|+ Multiword DMAモード一覧
|-
!モード!!最大転送速度<br/>(MB/s)!!制定された<br/>規格
|-
|Mode 0||4.16||ATA
|-
|Mode 1||13.3|| rowspan="2" |ATA-2
|-
|Mode 2||16.6
|}
Multiword DMAモードは、PC/ATで拡張された[[16ビット]]のDMA転送が可能なDMAコントローラを用いて転送を行うことを想定したモードである。ハードディスクではUltra DMA規格化後はあまり使用されていないが、[[光ディスク]]ドライブでは前述した[[#ATAPI|ATAPI]]の転送モードとして用いられることが多い。
{{clear|right}}
==== Ultra DMA転送モード ====
{| class="wikitable floatright" style="font-size:small;"
|+ UDMA モード一覧
|-
!モード!!最大転送速度<br/>(MB/s)!!制定された<br/>規格
|-
|UDMA 0||16.7|| rowspan="3" |ATA-4
|-
|UDMA 1||25.0
|-
|UDMA 2||33.3
|-
|UDMA 3||44.4|| rowspan="2" |ATA-5
|-
|UDMA 4||66.6
|-
|UDMA 5||100.0||ATA-6
|-
|UDMA 6||133.3||ATA-7
|-
|UDMA 7||166.6||
|}
Ultra DMA転送モードは、ATA/ATAPI-4以降で追加されたチップセットやUIDEコントローラカードに搭載された、専用の高速なDMAコントローラを使用して転送を行うモード。転送時のデータに[[巡回冗長検査|CRC]]を付加し、信頼性を向上させている。
=== その他 ===
UDMA 6において、[[32ビット]] 33MHzの[[Peripheral Component Interconnect|PCI]]と同じ、最大133Mbytes/secでの転送が可能となっているが、これは、あくまでもバスの転送帯域である。HDDに搭載されているキャッシュメモリからのデータを転送する時にのみ、額面通りの性能が発揮できるが、ほとんどの場合はハードディスクの読み出し速度が追従できない。また、SCSIでは普通に用いられている、コマンド投入からデータ転送開始までの間、バスの開放を行い、バスの使用効率を上げる仕組み (Disconnect / Reconnect) は、ATA / ATAPI-6以降で規格化されているものの、実装されている機器はほとんど存在しないため、複数デバイスがある場合のスループットは数値から期待されるほどは高くないのが普通。
== シリアルATA ==
{{main|シリアルATA}}
== 関連項目 ==
* [[SASI]]
* [[Small Computer System Interface|SCSI (Small Computer System Interface)]]
* [[ST-506]]
* [[Enhanced Small Disk Interface|ESDI]]
* [[シリアルATA]]
* [[RAID]]
* [[ATA over Ethernet]]
* [[転送速度]]
== 外部リンク ==
{{Commons|Category:ATA|ATA}}
=== パラレルATA ===
* [http://www.pcguide.com/ref/hdd/if/ide/over-c.html Overview and History of the IDE/ATA Interface]
* [http://www.faqs.org/faqs/pc-hardware-faq/enhanced-IDE/part1/ Enhanced IDE/Fast-ATA/ATA-2 FAQ]
* [http://www.dewassoc.com/kbase/hard_drives/hard_drive_size_barriers.htm Hard Drive Size Barriers]
* [http://www.t13.org/ T13 Technical Standards Group]
* [http://pinouts.ws/ata-ide-pinout.html ATA IDE pinout]
=== シリアルATA ===
* [http://www.serialata.org/ Serial ATA Working Group]
* [http://www6.tomshardware.com/storage/20030204/index.html Tom's Hardware controller tests]
{{コンピュータバス}}
{{Normdaten}}
[[Category:インタフェース規格]] | null | 2023-06-12T12:26:34Z | false | false | false | [
"Template:出典の明記",
"Template:See also",
"Template:Clear",
"Template:Main",
"Template:Commons",
"Template:コンピュータバス",
"Template:Normdaten"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/Advanced_Technology_Attachment |
7,129 | タロット図解 | 『タロット図解』(タロットずかい、The Pictorial Key to the Tarot)とは、イギリスで1911年において、ウェイト版のデッキカードと共に出版されたアーサー・エドワード・ウェイトのタロット占いの解説書である。
ウェイトはオカルティストであるが、デッキカードに含まれるシンボルに関心を持ち、カードの持つ背景の伝統、解釈、歴史に多くの調査を行った。
この本は、ウェイト自身がモノグラフと名づけた3つの章から構成されている。 | [
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"text": "この本は、ウェイト自身がモノグラフと名づけた3つの章から構成されている。",
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] | 『タロット図解』とは、イギリスで1911年において、ウェイト版のデッキカードと共に出版されたアーサー・エドワード・ウェイトのタロット占いの解説書である。 | [[画像:RWS_Tarot_01_Magician.jpg|thumb|140px|ウェイト版の魔術師]]
'''『タロット図解』'''(タロットずかい、''The Pictorial Key to the Tarot'')とは、[[イギリス]]で[[1911年]]において、[[ウェイト版タロット|ウェイト版]]のデッキカードと共に出版された[[アーサー・エドワード・ウェイト]]の[[タロット]]占いの解説書である。
==概要==
ウェイトはオカルティストであるが、デッキカードに含まれるシンボルに関心を持ち、カードの持つ背景の伝統、解釈、歴史に多くの調査を行った。
この本は、ウェイト自身が'''[[モノグラフ]]'''と名づけた3つの章から構成されている。
[[画像:RWS_Tarot_07_Chariot.jpg|thumb|140px|ウェイト版の戦車]]
;パートI「ベイルとシンボル」
:これは、タロットの歴史に基づいた、各カードに関連付けられている伝統的なシンボルの簡単な概要である。 ウェイトは、タロットが[[エジプト]]に起源を持つという根拠の無い通説を退け、15世紀においてカードは存在しないと指摘している。
;パートII「ベイルの教義」
:ウェイト版デッキの78枚の黒と白のプレートの内容および各カードに選ばれた独特のシンボルの議論。ウェイトは、初期のフランスのオカルティストである[[エリファス・レヴィ]]が、「[[戦車 (タロット)|戦車]]」を曳く伝統的な二頭の[[スフィンクス|スフィンクス(獅子女)]]を誤解に基づいて、勝手に[[馬]]に変更してしまったと同定している。
;パートIII「オラクルのアウターメソッド」
:本書が普及に貢献する有名なケルトクロス式タロット占いのレイアウトの説明および、このカードを使用した占いの注意事項。
==その他==
{{wikisourcelang|en|The Pictorial Key to the Tarot}}
*1918年、アメリカのLWデローレンスは、ウェイトに無断で、「The Illustrated Key to the Tarot: The Veil of Divination」というタイトルで、この本の内容とウェイト版の大小アルカナのイラストを丸写しして出版している。
== 出典 ==
* [http://www.sacred-texts.com/tarot/ HTML version of the 1910 text, with images]
==関連項目==
*[[黄金の夜明け団]]
{{DEFAULTSORT:たろつとすかい}}
[[Category:タロット]]
[[Category:オカルトの書籍]]
[[Category:イギリスの書籍]]
[[Category:1910年代の書籍]] | null | 2015-06-21T08:44:47Z | false | false | false | [
"Template:Wikisourcelang"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88%E5%9B%B3%E8%A7%A3 |
7,130 | ザ・グレート・サスケ | ザ・グレート・サスケ(The Great Sasuke、1969年7月18日 - )は、日本の覆面レスラー、元政治家、元岩手県議会議員(1期)。本名:村川 政徳(むらかわ まさのり)。岩手県盛岡市出身。血液型O型。
ウルティモ・ドラゴン、スペル・デルフィンと並びジャパニーズ・ルチャの立役者の1人。
歌舞伎の隈取りをモチーフとしたマスクを着用しており、普段は赤い隈取りだがヒール転向時は青い隈取りのマスクを着用しSASUKEと名乗る。自ら所属レスラーとして精力的にリングに上ると同時に、みちのくプロレス株式会社代表取締役社長を2003年まで務め、岩手県議選当選後に取締役会長に退いたが、2009年8月に社長へ復帰。本人の発言によれば、経営者としての職務中も(外出時もスーツにマスク姿である)、入浴など私生活においても一切覆面は外さない。
1990年代には難易度の高い空中技を次々にこなす世界レベルのルチャドールであったが、近年は自虐的とも言える行為の目立つ、自爆を試合の目玉にする独特のファイトスタイルを展開している。バラモン・シュウ曰く「サスケにラダーを与えておけば勝手に自爆する」という言葉通り、ラダーにアトミコを自爆したり、2階席にあがろうとしてラダーごと倒されたりする。
東北楽天ゴールデンイーグルスのファンクラブ名誉会員(会員No.6)。
既婚者。メキシコ修行中に知り合った妻との国際結婚である。家族間ではスペイン語で話しているが、子供には幼少時から家庭外では日本語を使うように指導してきたとのこと。
元プロキックボクサーのファイヤー原田が自身のファンであり、2010年4月に原田へ応援メッセージビデオを送り、原田はこのビデオを観て号泣した。
2012年3月には仙台市宮城野区に、自身が経営するつけ麺の専門店「麺道THE匠サスケ(メンドウザグレートサスケ)」を開店した。2012年4月13日にミヤギテレビ『OH!バンデス』における特集コーナー「バンデス記者が行く!」にて同店が取り上げられた際には、実際にサスケ本人が登場して同店の看板メニューの紹介を行った。しかし、同店は同年10月に閉店している。
新日本プロレス学校で修業したが、新日本のプロテストには不合格。その後、本名・村川政徳で1990年3月1日、ユニバーサル・プロレスリングから後楽園ホールのモンキーマジック・ワキタ戦でデビュー。その後、リングネームをMASAみちのくとする。
デビュー当時は素顔で、縞の合羽に三度笠を被り入場し、上半身裸でロングタイツを着用するといった現在とは違うスタイルだったが(海外遠征する直前には、入場コスチュームを、白い学ランの応援団スタイルに変更している)、その後メキシコへ遠征した際に覆面レスラーとなった。リングネームはニンジャ・サスケ、覆面とコスチュームのデザインは現在とほぼ同じだが、頭にちょんまげが付いていた。
1992年3月、謎のマスクマン“スペル・ニーニョ”として一時帰国。シリーズ最終戦で巌鉄魁(現・ディック東郷)に『マスク取れ! お前みちのくだろう!』と暴露されてマスクを脱ぎ、MASAみちのくであることをカミングアウトした。その後再びメキシコに遠征していたが、8月の帰国を機にザ・グレート・サスケを名乗る。10月、ユニバーサル後楽園大会でブルドッグKT(現:外道)と初のメインを張り、勝利。試合後にマイクで東北六県にプロレスを根付かせることを目標とした地域密着型プロレス団体「みちのくプロレス」の設立を宣言。退団の背景にはユニバーサルからまったくギャラが支払われなかったという事情があり、ユニバーサルの代表である新間寿恒には「ユニバーサルの東北支部として地方大会プロモートを目的としたい」という話をしていたが、実質的には採算を見込んだ動きであった。
みちのくプロレスは11月の岩手産業文化センターでのプレ旗揚げ戦を経て、1993年3月16日に岩手・矢巾町民体育館で旗揚げ戦を行う。旗揚げ当初はスペル・デルフィンが率いるデルフィン軍団との対戦が主な対戦カードであった。
1993年7月、岩手・マッハランドで団体初のビッグマッチを行い、サスケは引退をかけてスペル・デルフィンと対戦。勝利し、興行的にも成功を収める。
1994年、新日本プロレス主催で行われた第1回「スーパーJカップ」に出場。当時は30団体以上あったインディー団体のうちのひとつでしかなく、試合を東北に限定していた「みちのくプロレス」での活動が中心だったサスケは多くのプロレスファンにまだその存在を知られていなかったが、2回戦で当時新日本プロレス所属だったエル・サムライに勝利し、続く準決勝では獣神サンダー・ライガーからフォールを奪う。決勝戦ではワイルド・ペガサスに敗れたものの、当時ジュニアの頂点に立っていたライガーに勝ち、準優勝したサスケは一躍全国区の人気を得、トップレスラーとなった。このスーパーJカップはテレビ朝日系列「ワールドプロレスリング」内で全国中継されたこともあって、サスケ、そしてみちのくプロレスの存在を全国のプロレスファンに知らしめる大きな契機となった。
4月29日、東京・大田区体育館にてこの大会で『"真"八十八番札所』として新崎人生と対戦。みちのくプロレス旗揚げ以来、後輩選手にシングルマッチで初めてのフォール負けを喫する。
7月、WAR両国大会でウルティモ・ドラゴンと対戦。当時、両者ともに入場テーマ曲にルイス・ミゲルの「セパラドス」を使用していたが敗れたサスケはこの試合を最後に「セパラドス」の使用を放棄した。以降は「みちのくプロレスのテーマ」を入場曲に使用する。
10月30日には翌年5月での引退を発表していた大仁田厚と岩手・滝沢村で電流爆破デスマッチで対戦。大仁田がFMW以外の団体で、また東京・大阪など首都圏以外の地域で電流爆破デスマッチを行ったのはこれが初めてのことであった。なおこの試合で敗れたサスケを介抱したのは当時リング上で敵対関係にあった新崎人生であった(この2,3ヶ月前から人生は後の海援隊メンバーに絶縁宣言されたサスケに駆け寄る、サスケの試合を会場後方から観戦するなど伏線的な行動は見せていた)。
1995年7月、自らが提唱とプロデュースした「覆面ワールドリーグ戦(後に「ふく面ワールドリーグ戦」に改称)」第一回大会を開催。決勝戦でドス・カラスに敗れる。この試合でドスの放った場外へのパワーボムでサスケは失神。この試合以降、サスケとドスの間に因縁が生まれ、現在まで引き継がれている。
1996年4月29日、新日本プロレス東京ドーム大会にてライガーを再び破ってIWGPジュニアヘビー級王座を獲得。以後5回の防衛に成功した。なお、2回目の防衛戦となった7月の獅龍戦はみちのくプロレス矢巾大会で行われた。IWGPの選手権がみちのくプロレス所属選手同士で争われた試合はこの一試合のみである。
8月、新日本プロレス両国大会にて行われた各団体代表によるジュニア8冠統一トーナメント (J-CROWN) において、決勝でウルティモ・ドラゴンを破って初代ジュニア8冠王者に輝き、日本ジュニアマット界の頂点を極めた。しかしこの試合で場外に攻撃(鉄柱越えトペ・コンヒーロを仕掛けたが、膝の負傷で足の踏ん張りが利かず不完全な体勢で飛んだ為、結果的には鉄柱越えの浴びせ蹴りの様な形になり、自身は後頭部から床に転落)を仕掛けた際、頭蓋骨骨折の重傷を負い、長期欠場に追い込まれる。
10月10日、団体初の両国国技館大会で強行復帰。初代タイガーマスク、ミル・マスカラスとタッグを組み、ダイナマイト・キッド、ドス・カラス、小林邦昭組と戦った。
1997年、WWF(現:WWE)からサスケに参戦オファーが届く。しかし交渉の結果、白紙に終わる。理由は団体トップであり最大のスターであるサスケが不在にする間のみちのくプロレスへの補償問題と言われている。サスケとの交渉が不調に終わったWWFはTAKAみちのくと契約する。両者は1997年10月に行われた二度目の両国大会のメインで闘い、勝ったサスケに敗れたTAKAが「サスケ、みちのく潰すなよ」とヒールとしては異例のマイクを残す。
1998年、怪我によりたびたび欠場を繰り返していたサスケは経営難を理由に団体の活動休止を発表する。しかし、スペル・デルフィンら選手会がこれに反発。選手会側は主催興業という形でシリーズを行う。サスケとデルフィンは団体の運営をめぐって対立。以降、サスケは青マスクの「SASUKE」となってヒールに転向。折原昌夫扮するサスケ・ザ・グレート、小野武志、クレイジーMAX、望月成晃、茂木正淑らとルード軍「SASUKE組」を結成し、デルフィンが率いる、みちのく正規軍と抗争を展開する。だがここでSASUKEはデルフィンのプライベートな部分を観客の前で暴露するなど暴走を繰り返し、デルフィンは1999年1月にみちのくプロレス離脱を発表。多くの中堅・若手選手がデルフィンに同調し追随していったため、みちのくプロレスは存亡の危機に見舞われる。この一件を機にSASUKEは改心して元のザ・グレート・サスケに戻った。
1999年2月、闘龍門JAPAN横浜大会での1DAYトーナメント決勝でマグナムTOKYOに勝利しNWA世界ミドル級王座を獲得。このベルトは2003年5月にウルティモ・ドラゴンに敗れるまで28回の防衛に成功した。
4月、ライガーと組んでIWGPジュニアタッグ王座を獲得。初防衛戦で大谷晋二郎・高岩竜一組に敗れる。
7月、第2回ふく面ワールドリーグに出場。優勝したタイガーマスク、準優勝のドス・カラス(予選シード)に続く3位に終わる。
2000年、みちのくプロレス主催で開催された第三回スーパーJカップに出場。1回戦でかつての獅龍、WCW帰りのカズ・ハヤシと対戦し勝利を収めるも2回戦で佐野なおきに敗れる。
10月、プロレスリング・ノアの丸藤正道と対戦、勝利する。大晦日には「猪木ボンバイエ」に参戦。松井大二郎(高田道場)と組んで、宇野薫、小路晃組と対戦した。
2001年、この年からみちのくプロレスに復帰したディック東郷率いるFECと抗争を展開。
2月、FMW後楽園ホール大会にて互いに相手を裸にした方が勝利となる試合形式「ネイキッド・マッチ」で黒田哲広と戦うが、あまりの下品さに大顰蹙を買い、週刊プロレスは試合を掲載拒否した。
2002年5月、WEW川崎球場大会に出場。大仁田厚と組んで橋本真也・大谷晋二郎組と対戦。
2003年3月、岩手県議会議員選挙の盛岡選挙区に出馬を表明。トップ当選する。当選後は、議会での覆面の着用を巡って全国レベルの話題になった。同年5月、議員活動を理由にみちのくプロレス社長を辞任することを発表。新崎人生に社長を譲り、自身は会長職となる。
8月、「第3回ふく面ワールドリーグ戦」に参加するも死国衛門三郎戦で負傷、以後リーグ戦を欠場する。
9月、安比高原にて大仁田厚と二度目の電流爆破デスマッチを行う。この試合で場外に転落した際、爆風をモロに浴びて肩に穴が開くという大怪我を負いながら大仁田に勝利。なお、この当時大仁田は自民党所属の国会議員であり、この試合は「史上初の議員レスラー対決」として宣伝された。
11月2日、有明コロシアムで行われたみちのくプロレス創立10周年記念大会「メモリー」でスペル・デルフィンと対戦。サスケは離脱以降デルフィンのことを「絶対に許さない」と公言しており、当初この対戦カードにも強い難色を示していたが大会直前の仙台大会で新崎人生社長とファンの説得を受け、受託した。試合はデルフィンが勝利したものの、両者の緊張関係は解消されることなく終わった。
2004年3月、アトランティスを破り第三代東北ジュニアヘビー王座に。翌年2月にTAKAみちのくに奪われるまで保持した。
同年からハッスルに出場。9月にはハッスルとのコラボレーション大会「ケッパレ1」を開催、小川直也とタッグを結成した。
2005年7月、ディック東郷と組んで第三代東北タッグ選手権王者となった。
9月、佐藤秀、佐藤恵の佐藤兄弟とニューセーラーボーイズを結成し、「キープオンジャーニー」を熱唱する。
12月、後楽園大会で10人タッグマッチで闘ったGammaに場外で自転車に轢かれる。この試合が「宇宙大戦争」の契機になったと言われる。
2006年2月、後楽園大会で佐藤兄弟と対戦(パートナーは東郷)。ここからサスケと佐藤兄弟は闘うたびにハチャメチャな試合を繰り返すようになり、やがてそれは「宇宙大戦争」と呼ばれる特異なブランドに昇華した(ネーミングの由来は佐藤兄弟がサスケについて「あいつは宇宙人だろ!!」と主張していたことによる)。これ以降、サスケと佐藤兄弟の試合はサスケが不安定な脚立などに昇り、落ちて自爆するなどの意味不明な内容が名物となる。
11月、岩手大会でこの年5月に東北ジュニアヘビー王座になったスペル・デルフィンと対戦しベルトを奪回する。試合後、両者はリング上で握手。サスケは依然として「デルフィンは許さない」と主張するものの、離脱以来続いてきた両者の緊張状態に一定の緩和が見られた。
2007年3月、岩手県知事選挙に出馬を表明。しかし選挙結果は民主党推薦の前衆院議員、達増拓也に及ばず落選。その後しばらくリングを離れていたが、8月の第4回ふく面ワールドリーグ戦にて復帰。山籠り特訓を行い、復帰戦ではウルティモ・ドラゴンを相手に敗れたものの飛びまくるサスケを見せ付けた。
また、ZERO1-MAXにも準レギュラー参戦し、かつての同胞である藤田ミノルと抗争を展開。試合終了後はサスケが藤田に手をさしのべ、それに藤田が答えハッピーエンドになると思いきや藤田のサスケ騙し(変則DDT)により、サスケは騙されるといった内容が名物化した。
12月には、その藤田ミノル扮するザ・グレート・フジタミノルとのタッグで佐藤兄弟との宇宙大戦争が開戦。この試合で初めて和桶が使用される。
2008年、折原昌夫率いるメビウス主催興行の第1回トーナメント戦にて初優勝を飾る。
12月、みちのく後楽園大会にて、恒例となった「宇宙大戦争」にて佐藤兄弟に拉致されたウルトラマンロビンを救出するべく、サバイバル飛田とのタッグを結成。「宇宙大戦争・最終決戦」と名付けられたこの試合でサスケはバットマンに扮して登場するが、南野武にバイクで轢かれるなど例年以上に散々な試合を展開する。
2009年6月、「グレート・サスケデビュー20周年突入ツアー」開幕戦の後楽園大会でフジタ"Jr"ハヤトの保持する東北ジュニアヘビー選手権に挑戦するも敗退。 8月には2年連続で「鉄人」に出場。このシリーズよりレスラーのランディ "ザ・ラム" ロビンソンのオマージュキャラクターを演じ、ランディのコスチュームで試合に出場するようになる(上半身裸で試合をするのはサスケ名義では初めて)。映画のランディが食品スーパーで働くのと同様に「みちのくに自分の居場所が無い」として盛岡市内の中華料理店でアルバイトを始めた。
8月31日、みちのくプロレス社長に復帰。
12月には年末の風物詩となった「宇宙大戦争・最終決戦〜ウルトラマンロビン救出大作戦〜」に獣神サンダー・ライガーと組んで出場。佐藤兄弟が連れてきた「鉄腕くん」に苦しみながらも勝利。
2010年4月に自身のファンである元プロキックボクサーのファイヤー原田へ応援メッセージビデオを送り、原田はこのビデオを観て号泣した。
2010年6月、デビュー20周年記念興行で映画『アンヴィル』に影響を受けたコスチュームで登場。試合でもディック東郷をパートナーにTAKAみちのく&FUNAKIの「夢狩人」に勝利した。
11月7日、岩手県営体育館で行われた「ザ・グレート・サスケ20周年記念試合〜東北編最終章」で拳王を破り第13代東北ジュニアヘビー級王座に返り咲いた。
12月16日、後楽園ホールにてリング解体マッチとして行われた「宇宙大戦争〜ホントに最終決戦〜ザ・音楽(ロック)ウォーズ」ではKen45 ゚、リッキー・フジと組んで、佐藤兄弟、野橋太郎(野橋はこの試合を宇宙人として戦った)組に勝利。試合後、「クレイジークルー」と称したロックバンドを編成しホール北側ステージで熱唱した。
2011年5月8日、岩手・矢巾町民総合体育館で行われた東北ジュニアヘビー級王座初防衛戦で日向寺塁に敗れベルトを失う。なお、この防衛戦は当初3月12日に同所にて予定されていたが、前日(3月11日)に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響を受け中止、5月に延期となっていた。
6月、新日本プロレスで開催されたジュニアリーグ戦「BEST OF THE SUPER Jr.XVIII」に初出場。勝敗以上にその内容が注目された。9選手がエントリーされたBブロックで得点10(5勝3敗)を挙げ同率2位の成績を残すが、「同点の場合は直接対決の勝者が決勝リーグに進出」というルールのため決勝トーナメント進出はならなかった(決勝進出は田口隆祐)。
7月3日、ユニオンプロレス新木場大会でリッキー・フジとのタッグで高木三四郎&澤宗紀組から大中華統一中原タッグ選手権を奪取。しかし7月24日DDT両国国技館大会におけるダークマッチ(国技館全域を使用したエニウェアフォール形式)で奪回された。
年末恒例の宇宙大戦争では大仁田厚とタッグを結成、佐藤兄弟と対戦。敗者追放マッチというルールで勝利を収め、佐藤兄弟を岩手県追放とする(以後佐藤兄弟はみちのくマットでも「バラモン兄弟」を名乗って参戦)。
2012年8月、第5回ふく面ワールドリーグ戦にエントリー。一回戦でビジャーノIV、二回戦でヒート、準決勝でウルティモ・ドラゴン、決勝戦で獣神サンダー・ライガーに勝利し、第5回にして悲願の初優勝を飾る。
11月、全日本プロレスの「世界最強タッグ決定リーグ戦」にKENSOと組んでエントリーするも、11月20日の愛媛大会での試合中に左肩甲を骨折し、以後長期欠場となる。しかし年末の宇宙大戦争だけは左腕を吊った状態で参加し、パートナーのヤッペーマン1号、ヤッペーマン2号、ヤッペーマン3号、超人関本の奮闘にも支えられ勝利を奪った。
2013年11月4日、盛岡で行われたみちのくプロレス20周年記念大会で1年ぶりの復帰戦を行う。新崎人生と組み、拳王とフジタ“Jr”ハヤト組と戦った。この試合はファンの投票によって決定された。
2016年1月1日、地球防衛軍結成に関しては 「そうですね、やはり宇宙大戦争、10年まずは一区切りつきました。もう私自身が率先して他の星に行って闘うという事も、ちょっとお休みしようかなと。もう一度地球上での闘い、言ってみれば地上戦。地上戦をね、もう一度見なおして見ようと思います。今年の私のテーマは地上戦。地球上で、地球を守ります。はい!」 ●敵は一体何になるんでしょう? 「ええ、もちろん!邪悪な異星人です!」2016年1月14日 ザ・グレート・サスケ
12月の宇宙大戦争では男性ストリッパーを主人公にした映画『マジック・マイク』の影響を受け、パートナーたちと共にリング上でセクシーなダンスを披露。しかしこの試合で宇宙大戦争開戦以来初めてバラモン兄弟に敗れ、「来年からの地球の危機に対して、力を合わせよう」と、バラモン兄弟に合体を要求。
2023年3月1日開催の『ジュニア夢の祭典 〜ALL STAR Jr. FESTIVAL 2023〜』では第4試合6人タッグマッチに出場。
2014年からは新ユニット「ムーの太陽」を結成し布教活動と称し試合を行っている。
メキシコ修行時代に養った、自身の危険を顧みない無謀かつ高度な空中殺法を使いこなす。近年では体重の増加からか全盛期ほどは複雑な飛び技を多用することは無くなったが、奇天烈な言動とともに自爆すら得意とする独自の世界観を作りだしている。
以下は初代ジュニア8冠王座として戴冠。
東北UFOフォーラムのゲストとして招かれるなど、UFO研究家としても有名。イオンド大学からUFOに関する名誉教授就任のオファーが届いており、スポーツ報知によると「書類に名前を書いて提出する」ということであったが、週刊新潮によると「株式会社から名誉教授をもらっても仕方がないので、辞退するよう言っておきました」とのことである。
週刊新潮によると、イオンド大学は米国の大学を自称しているが、学校法人ではなく、東京に本社を置く株式会社である。株式会社から授与された学位は正式な学位ではないため、使用した場合は軽犯罪法の称号詐称に問われる可能性が強い。そのため、前述のようなコメントとなったのである。なお、イオンド大学は、いわゆるディプロマミルのひとつとしてアメリカ合衆国内で認識されているパシフィック・ウエスタン大学と同様、オレゴン州やミシガン州などで公的な使用が禁じられている学位の発行元の一つとしてリストに掲載されている。日本国外の大学であるからと言って、日本国内で学位が通用しないという訳ではない。
2000年年末の後楽園大会の試合後、リング上で「21世紀(ミレニアム)に起こること」を予言した。これがきっかけとなり毎年年末になると「来年の予言」をリング上や週刊プロレス誌上、週プロモバイルなどで行うようになり、以降「サスケの大予言」として名物化した。
内容は世界情勢、国内の動向、プロレス界の流れ、今後ブレイクするレスラー、引退するレスラーなど多岐に渡る。年に一回のトークイベントとして行われていて2015年に最終回。アイスリボンの希月あおいが登場し2016年ブレイクすることを予言して終了した。
サスケはスキャンダルに見舞われた著名人の救済活動を標榜している。2016年12月15日の後楽園ホール大会では、佐村河内守の曲をエレクトーンで演奏しながら入場。試合後、成宮寛貴を救済するという趣旨のコメントを行った。
2017年8月24日の後楽園ホール大会では、自身をTLCマッチで破った高橋奈七永に対して真木よう子の救済を頼み、低視聴率で話題になったフジテレビ系「セシルのもくろみ」を全話見ることを自身とタッグを組む条件とした。 | [
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"text": "ザ・グレート・サスケ(The Great Sasuke、1969年7月18日 - )は、日本の覆面レスラー、元政治家、元岩手県議会議員(1期)。本名:村川 政徳(むらかわ まさのり)。岩手県盛岡市出身。血液型O型。",
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"text": "ウルティモ・ドラゴン、スペル・デルフィンと並びジャパニーズ・ルチャの立役者の1人。",
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"text": "歌舞伎の隈取りをモチーフとしたマスクを着用しており、普段は赤い隈取りだがヒール転向時は青い隈取りのマスクを着用しSASUKEと名乗る。自ら所属レスラーとして精力的にリングに上ると同時に、みちのくプロレス株式会社代表取締役社長を2003年まで務め、岩手県議選当選後に取締役会長に退いたが、2009年8月に社長へ復帰。本人の発言によれば、経営者としての職務中も(外出時もスーツにマスク姿である)、入浴など私生活においても一切覆面は外さない。",
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"text": "1990年代には難易度の高い空中技を次々にこなす世界レベルのルチャドールであったが、近年は自虐的とも言える行為の目立つ、自爆を試合の目玉にする独特のファイトスタイルを展開している。バラモン・シュウ曰く「サスケにラダーを与えておけば勝手に自爆する」という言葉通り、ラダーにアトミコを自爆したり、2階席にあがろうとしてラダーごと倒されたりする。",
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"text": "東北楽天ゴールデンイーグルスのファンクラブ名誉会員(会員No.6)。",
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"text": "既婚者。メキシコ修行中に知り合った妻との国際結婚である。家族間ではスペイン語で話しているが、子供には幼少時から家庭外では日本語を使うように指導してきたとのこと。",
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"text": "元プロキックボクサーのファイヤー原田が自身のファンであり、2010年4月に原田へ応援メッセージビデオを送り、原田はこのビデオを観て号泣した。",
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"text": "2012年3月には仙台市宮城野区に、自身が経営するつけ麺の専門店「麺道THE匠サスケ(メンドウザグレートサスケ)」を開店した。2012年4月13日にミヤギテレビ『OH!バンデス』における特集コーナー「バンデス記者が行く!」にて同店が取り上げられた際には、実際にサスケ本人が登場して同店の看板メニューの紹介を行った。しかし、同店は同年10月に閉店している。",
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"text": "新日本プロレス学校で修業したが、新日本のプロテストには不合格。その後、本名・村川政徳で1990年3月1日、ユニバーサル・プロレスリングから後楽園ホールのモンキーマジック・ワキタ戦でデビュー。その後、リングネームをMASAみちのくとする。",
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"text": "デビュー当時は素顔で、縞の合羽に三度笠を被り入場し、上半身裸でロングタイツを着用するといった現在とは違うスタイルだったが(海外遠征する直前には、入場コスチュームを、白い学ランの応援団スタイルに変更している)、その後メキシコへ遠征した際に覆面レスラーとなった。リングネームはニンジャ・サスケ、覆面とコスチュームのデザインは現在とほぼ同じだが、頭にちょんまげが付いていた。",
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"text": "1992年3月、謎のマスクマン“スペル・ニーニョ”として一時帰国。シリーズ最終戦で巌鉄魁(現・ディック東郷)に『マスク取れ! お前みちのくだろう!』と暴露されてマスクを脱ぎ、MASAみちのくであることをカミングアウトした。その後再びメキシコに遠征していたが、8月の帰国を機にザ・グレート・サスケを名乗る。10月、ユニバーサル後楽園大会でブルドッグKT(現:外道)と初のメインを張り、勝利。試合後にマイクで東北六県にプロレスを根付かせることを目標とした地域密着型プロレス団体「みちのくプロレス」の設立を宣言。退団の背景にはユニバーサルからまったくギャラが支払われなかったという事情があり、ユニバーサルの代表である新間寿恒には「ユニバーサルの東北支部として地方大会プロモートを目的としたい」という話をしていたが、実質的には採算を見込んだ動きであった。",
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"text": "みちのくプロレスは11月の岩手産業文化センターでのプレ旗揚げ戦を経て、1993年3月16日に岩手・矢巾町民体育館で旗揚げ戦を行う。旗揚げ当初はスペル・デルフィンが率いるデルフィン軍団との対戦が主な対戦カードであった。",
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"text": "1993年7月、岩手・マッハランドで団体初のビッグマッチを行い、サスケは引退をかけてスペル・デルフィンと対戦。勝利し、興行的にも成功を収める。",
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"text": "1994年、新日本プロレス主催で行われた第1回「スーパーJカップ」に出場。当時は30団体以上あったインディー団体のうちのひとつでしかなく、試合を東北に限定していた「みちのくプロレス」での活動が中心だったサスケは多くのプロレスファンにまだその存在を知られていなかったが、2回戦で当時新日本プロレス所属だったエル・サムライに勝利し、続く準決勝では獣神サンダー・ライガーからフォールを奪う。決勝戦ではワイルド・ペガサスに敗れたものの、当時ジュニアの頂点に立っていたライガーに勝ち、準優勝したサスケは一躍全国区の人気を得、トップレスラーとなった。このスーパーJカップはテレビ朝日系列「ワールドプロレスリング」内で全国中継されたこともあって、サスケ、そしてみちのくプロレスの存在を全国のプロレスファンに知らしめる大きな契機となった。",
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"text": "4月29日、東京・大田区体育館にてこの大会で『\"真\"八十八番札所』として新崎人生と対戦。みちのくプロレス旗揚げ以来、後輩選手にシングルマッチで初めてのフォール負けを喫する。",
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"text": "7月、WAR両国大会でウルティモ・ドラゴンと対戦。当時、両者ともに入場テーマ曲にルイス・ミゲルの「セパラドス」を使用していたが敗れたサスケはこの試合を最後に「セパラドス」の使用を放棄した。以降は「みちのくプロレスのテーマ」を入場曲に使用する。",
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"text": "10月30日には翌年5月での引退を発表していた大仁田厚と岩手・滝沢村で電流爆破デスマッチで対戦。大仁田がFMW以外の団体で、また東京・大阪など首都圏以外の地域で電流爆破デスマッチを行ったのはこれが初めてのことであった。なおこの試合で敗れたサスケを介抱したのは当時リング上で敵対関係にあった新崎人生であった(この2,3ヶ月前から人生は後の海援隊メンバーに絶縁宣言されたサスケに駆け寄る、サスケの試合を会場後方から観戦するなど伏線的な行動は見せていた)。",
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"text": "1995年7月、自らが提唱とプロデュースした「覆面ワールドリーグ戦(後に「ふく面ワールドリーグ戦」に改称)」第一回大会を開催。決勝戦でドス・カラスに敗れる。この試合でドスの放った場外へのパワーボムでサスケは失神。この試合以降、サスケとドスの間に因縁が生まれ、現在まで引き継がれている。",
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"text": "1996年4月29日、新日本プロレス東京ドーム大会にてライガーを再び破ってIWGPジュニアヘビー級王座を獲得。以後5回の防衛に成功した。なお、2回目の防衛戦となった7月の獅龍戦はみちのくプロレス矢巾大会で行われた。IWGPの選手権がみちのくプロレス所属選手同士で争われた試合はこの一試合のみである。",
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"text": "8月、新日本プロレス両国大会にて行われた各団体代表によるジュニア8冠統一トーナメント (J-CROWN) において、決勝でウルティモ・ドラゴンを破って初代ジュニア8冠王者に輝き、日本ジュニアマット界の頂点を極めた。しかしこの試合で場外に攻撃(鉄柱越えトペ・コンヒーロを仕掛けたが、膝の負傷で足の踏ん張りが利かず不完全な体勢で飛んだ為、結果的には鉄柱越えの浴びせ蹴りの様な形になり、自身は後頭部から床に転落)を仕掛けた際、頭蓋骨骨折の重傷を負い、長期欠場に追い込まれる。",
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"text": "2003年3月、岩手県議会議員選挙の盛岡選挙区に出馬を表明。トップ当選する。当選後は、議会での覆面の着用を巡って全国レベルの話題になった。同年5月、議員活動を理由にみちのくプロレス社長を辞任することを発表。新崎人生に社長を譲り、自身は会長職となる。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
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{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "8月、「第3回ふく面ワールドリーグ戦」に参加するも死国衛門三郎戦で負傷、以後リーグ戦を欠場する。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
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{
"paragraph_id": 33,
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"text": "9月、安比高原にて大仁田厚と二度目の電流爆破デスマッチを行う。この試合で場外に転落した際、爆風をモロに浴びて肩に穴が開くという大怪我を負いながら大仁田に勝利。なお、この当時大仁田は自民党所属の国会議員であり、この試合は「史上初の議員レスラー対決」として宣伝された。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
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"text": "11月2日、有明コロシアムで行われたみちのくプロレス創立10周年記念大会「メモリー」でスペル・デルフィンと対戦。サスケは離脱以降デルフィンのことを「絶対に許さない」と公言しており、当初この対戦カードにも強い難色を示していたが大会直前の仙台大会で新崎人生社長とファンの説得を受け、受託した。試合はデルフィンが勝利したものの、両者の緊張関係は解消されることなく終わった。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
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"text": "2004年3月、アトランティスを破り第三代東北ジュニアヘビー王座に。翌年2月にTAKAみちのくに奪われるまで保持した。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
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"text": "同年からハッスルに出場。9月にはハッスルとのコラボレーション大会「ケッパレ1」を開催、小川直也とタッグを結成した。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
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"text": "2005年7月、ディック東郷と組んで第三代東北タッグ選手権王者となった。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
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"text": "9月、佐藤秀、佐藤恵の佐藤兄弟とニューセーラーボーイズを結成し、「キープオンジャーニー」を熱唱する。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
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{
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"text": "12月、後楽園大会で10人タッグマッチで闘ったGammaに場外で自転車に轢かれる。この試合が「宇宙大戦争」の契機になったと言われる。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
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"text": "2006年2月、後楽園大会で佐藤兄弟と対戦(パートナーは東郷)。ここからサスケと佐藤兄弟は闘うたびにハチャメチャな試合を繰り返すようになり、やがてそれは「宇宙大戦争」と呼ばれる特異なブランドに昇華した(ネーミングの由来は佐藤兄弟がサスケについて「あいつは宇宙人だろ!!」と主張していたことによる)。これ以降、サスケと佐藤兄弟の試合はサスケが不安定な脚立などに昇り、落ちて自爆するなどの意味不明な内容が名物となる。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
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"tag": "p",
"text": "11月、岩手大会でこの年5月に東北ジュニアヘビー王座になったスペル・デルフィンと対戦しベルトを奪回する。試合後、両者はリング上で握手。サスケは依然として「デルフィンは許さない」と主張するものの、離脱以来続いてきた両者の緊張状態に一定の緩和が見られた。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "2007年3月、岩手県知事選挙に出馬を表明。しかし選挙結果は民主党推薦の前衆院議員、達増拓也に及ばず落選。その後しばらくリングを離れていたが、8月の第4回ふく面ワールドリーグ戦にて復帰。山籠り特訓を行い、復帰戦ではウルティモ・ドラゴンを相手に敗れたものの飛びまくるサスケを見せ付けた。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
"paragraph_id": 43,
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"text": "また、ZERO1-MAXにも準レギュラー参戦し、かつての同胞である藤田ミノルと抗争を展開。試合終了後はサスケが藤田に手をさしのべ、それに藤田が答えハッピーエンドになると思いきや藤田のサスケ騙し(変則DDT)により、サスケは騙されるといった内容が名物化した。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
"paragraph_id": 44,
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"text": "12月には、その藤田ミノル扮するザ・グレート・フジタミノルとのタッグで佐藤兄弟との宇宙大戦争が開戦。この試合で初めて和桶が使用される。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
"paragraph_id": 45,
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"text": "2008年、折原昌夫率いるメビウス主催興行の第1回トーナメント戦にて初優勝を飾る。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
"paragraph_id": 46,
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"text": "12月、みちのく後楽園大会にて、恒例となった「宇宙大戦争」にて佐藤兄弟に拉致されたウルトラマンロビンを救出するべく、サバイバル飛田とのタッグを結成。「宇宙大戦争・最終決戦」と名付けられたこの試合でサスケはバットマンに扮して登場するが、南野武にバイクで轢かれるなど例年以上に散々な試合を展開する。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "2009年6月、「グレート・サスケデビュー20周年突入ツアー」開幕戦の後楽園大会でフジタ\"Jr\"ハヤトの保持する東北ジュニアヘビー選手権に挑戦するも敗退。 8月には2年連続で「鉄人」に出場。このシリーズよりレスラーのランディ \"ザ・ラム\" ロビンソンのオマージュキャラクターを演じ、ランディのコスチュームで試合に出場するようになる(上半身裸で試合をするのはサスケ名義では初めて)。映画のランディが食品スーパーで働くのと同様に「みちのくに自分の居場所が無い」として盛岡市内の中華料理店でアルバイトを始めた。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
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"text": "8月31日、みちのくプロレス社長に復帰。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
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"paragraph_id": 49,
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"text": "12月には年末の風物詩となった「宇宙大戦争・最終決戦〜ウルトラマンロビン救出大作戦〜」に獣神サンダー・ライガーと組んで出場。佐藤兄弟が連れてきた「鉄腕くん」に苦しみながらも勝利。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
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"text": "2010年4月に自身のファンである元プロキックボクサーのファイヤー原田へ応援メッセージビデオを送り、原田はこのビデオを観て号泣した。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
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"paragraph_id": 51,
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"text": "2010年6月、デビュー20周年記念興行で映画『アンヴィル』に影響を受けたコスチュームで登場。試合でもディック東郷をパートナーにTAKAみちのく&FUNAKIの「夢狩人」に勝利した。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
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"text": "11月7日、岩手県営体育館で行われた「ザ・グレート・サスケ20周年記念試合〜東北編最終章」で拳王を破り第13代東北ジュニアヘビー級王座に返り咲いた。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
"paragraph_id": 53,
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"text": "12月16日、後楽園ホールにてリング解体マッチとして行われた「宇宙大戦争〜ホントに最終決戦〜ザ・音楽(ロック)ウォーズ」ではKen45 ゚、リッキー・フジと組んで、佐藤兄弟、野橋太郎(野橋はこの試合を宇宙人として戦った)組に勝利。試合後、「クレイジークルー」と称したロックバンドを編成しホール北側ステージで熱唱した。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
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{
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"text": "2011年5月8日、岩手・矢巾町民総合体育館で行われた東北ジュニアヘビー級王座初防衛戦で日向寺塁に敗れベルトを失う。なお、この防衛戦は当初3月12日に同所にて予定されていたが、前日(3月11日)に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響を受け中止、5月に延期となっていた。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
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"text": "6月、新日本プロレスで開催されたジュニアリーグ戦「BEST OF THE SUPER Jr.XVIII」に初出場。勝敗以上にその内容が注目された。9選手がエントリーされたBブロックで得点10(5勝3敗)を挙げ同率2位の成績を残すが、「同点の場合は直接対決の勝者が決勝リーグに進出」というルールのため決勝トーナメント進出はならなかった(決勝進出は田口隆祐)。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
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"text": "7月3日、ユニオンプロレス新木場大会でリッキー・フジとのタッグで高木三四郎&澤宗紀組から大中華統一中原タッグ選手権を奪取。しかし7月24日DDT両国国技館大会におけるダークマッチ(国技館全域を使用したエニウェアフォール形式)で奪回された。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
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{
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"text": "年末恒例の宇宙大戦争では大仁田厚とタッグを結成、佐藤兄弟と対戦。敗者追放マッチというルールで勝利を収め、佐藤兄弟を岩手県追放とする(以後佐藤兄弟はみちのくマットでも「バラモン兄弟」を名乗って参戦)。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
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"text": "2012年8月、第5回ふく面ワールドリーグ戦にエントリー。一回戦でビジャーノIV、二回戦でヒート、準決勝でウルティモ・ドラゴン、決勝戦で獣神サンダー・ライガーに勝利し、第5回にして悲願の初優勝を飾る。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
"paragraph_id": 59,
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"text": "11月、全日本プロレスの「世界最強タッグ決定リーグ戦」にKENSOと組んでエントリーするも、11月20日の愛媛大会での試合中に左肩甲を骨折し、以後長期欠場となる。しかし年末の宇宙大戦争だけは左腕を吊った状態で参加し、パートナーのヤッペーマン1号、ヤッペーマン2号、ヤッペーマン3号、超人関本の奮闘にも支えられ勝利を奪った。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
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"text": "2013年11月4日、盛岡で行われたみちのくプロレス20周年記念大会で1年ぶりの復帰戦を行う。新崎人生と組み、拳王とフジタ“Jr”ハヤト組と戦った。この試合はファンの投票によって決定された。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "2016年1月1日、地球防衛軍結成に関しては 「そうですね、やはり宇宙大戦争、10年まずは一区切りつきました。もう私自身が率先して他の星に行って闘うという事も、ちょっとお休みしようかなと。もう一度地球上での闘い、言ってみれば地上戦。地上戦をね、もう一度見なおして見ようと思います。今年の私のテーマは地上戦。地球上で、地球を守ります。はい!」 ●敵は一体何になるんでしょう? 「ええ、もちろん!邪悪な異星人です!」2016年1月14日 ザ・グレート・サスケ",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
"paragraph_id": 62,
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"text": "12月の宇宙大戦争では男性ストリッパーを主人公にした映画『マジック・マイク』の影響を受け、パートナーたちと共にリング上でセクシーなダンスを披露。しかしこの試合で宇宙大戦争開戦以来初めてバラモン兄弟に敗れ、「来年からの地球の危機に対して、力を合わせよう」と、バラモン兄弟に合体を要求。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "2023年3月1日開催の『ジュニア夢の祭典 〜ALL STAR Jr. FESTIVAL 2023〜』では第4試合6人タッグマッチに出場。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "2014年からは新ユニット「ムーの太陽」を結成し布教活動と称し試合を行っている。",
"title": "プロレスラーとしての経歴"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "メキシコ修行時代に養った、自身の危険を顧みない無謀かつ高度な空中殺法を使いこなす。近年では体重の増加からか全盛期ほどは複雑な飛び技を多用することは無くなったが、奇天烈な言動とともに自爆すら得意とする独自の世界観を作りだしている。",
"title": "得意技"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "以下は初代ジュニア8冠王座として戴冠。",
"title": "タイトル歴"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "東北UFOフォーラムのゲストとして招かれるなど、UFO研究家としても有名。イオンド大学からUFOに関する名誉教授就任のオファーが届いており、スポーツ報知によると「書類に名前を書いて提出する」ということであったが、週刊新潮によると「株式会社から名誉教授をもらっても仕方がないので、辞退するよう言っておきました」とのことである。",
"title": "UFO研究家としての動向"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "週刊新潮によると、イオンド大学は米国の大学を自称しているが、学校法人ではなく、東京に本社を置く株式会社である。株式会社から授与された学位は正式な学位ではないため、使用した場合は軽犯罪法の称号詐称に問われる可能性が強い。そのため、前述のようなコメントとなったのである。なお、イオンド大学は、いわゆるディプロマミルのひとつとしてアメリカ合衆国内で認識されているパシフィック・ウエスタン大学と同様、オレゴン州やミシガン州などで公的な使用が禁じられている学位の発行元の一つとしてリストに掲載されている。日本国外の大学であるからと言って、日本国内で学位が通用しないという訳ではない。",
"title": "UFO研究家としての動向"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "2000年年末の後楽園大会の試合後、リング上で「21世紀(ミレニアム)に起こること」を予言した。これがきっかけとなり毎年年末になると「来年の予言」をリング上や週刊プロレス誌上、週プロモバイルなどで行うようになり、以降「サスケの大予言」として名物化した。",
"title": "大予言"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "内容は世界情勢、国内の動向、プロレス界の流れ、今後ブレイクするレスラー、引退するレスラーなど多岐に渡る。年に一回のトークイベントとして行われていて2015年に最終回。アイスリボンの希月あおいが登場し2016年ブレイクすることを予言して終了した。",
"title": "大予言"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "サスケはスキャンダルに見舞われた著名人の救済活動を標榜している。2016年12月15日の後楽園ホール大会では、佐村河内守の曲をエレクトーンで演奏しながら入場。試合後、成宮寛貴を救済するという趣旨のコメントを行った。",
"title": "救済活動"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "2017年8月24日の後楽園ホール大会では、自身をTLCマッチで破った高橋奈七永に対して真木よう子の救済を頼み、低視聴率で話題になったフジテレビ系「セシルのもくろみ」を全話見ることを自身とタッグを組む条件とした。",
"title": "救済活動"
}
] | ザ・グレート・サスケは、日本の覆面レスラー、元政治家、元岩手県議会議員(1期)。本名:村川 政徳。岩手県盛岡市出身。血液型O型。 ウルティモ・ドラゴン、スペル・デルフィンと並びジャパニーズ・ルチャの立役者の1人。 | {{出典の明記|date = 2018年8月}}
{{Infobox プロレスラー
| 名前 = ザ・グレート・サスケ
| 画像 = ザ・グレート・サスケ マスター.jpg
| リングネーム = '''ザ・グレート・サスケ'''<br />SASUKE<br />ニンジャ・サスケ<br />MASAみちのく<br />スペル・ニーニョ
| 本名 = 村川 政徳
| ニックネーム = 東北の英雄<br />マスター
| 身長 = 173cm
| 体重 = 82kg
| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1969|7|18}}
| 死亡日 =
| 出身地 = [[岩手県]][[盛岡市]]
| 所属 = [[みちのくプロレス]]<br />アルファ・ジャパンプロモーション
| スポーツ歴 = [[体操競技|器械体操]]
| トレーナー = [[山本小鉄]]<br />[[グラン浜田]]
| デビュー = [[1990年]][[3月1日]]
| 引退 =
}}
'''ザ・グレート・サスケ'''(''The Great Sasuke''、[[1969年]][[7月18日]] - )は、[[日本]]の[[覆面レスラー]]、元[[政治家]]、元[[岩手県議会]][[議員]](1期)。本名:'''村川 政徳'''(むらかわ まさのり)。[[岩手県]][[盛岡市]]出身。[[血液型]]O型<ref>[http://www.alpha-japan.com/talent/the_gureat_sasuke/ タレント一覧] ALPHA JAPAN PROMOTION </ref>。
[[ウルティモ・ドラゴン]]、[[スペル・デルフィン]]と並びジャパニーズ・ルチャの立役者の1人。
== 人物 ==
{{出典の明記|section = 1|date = 2018年8月}}
[[歌舞伎]]の隈取りをモチーフとしたマスクを着用しており、普段は赤い隈取りだが[[ヒール (プロレス)|ヒール]]転向時は青い隈取りのマスクを着用し'''SASUKE'''と名乗る。自ら所属レスラーとして精力的にリングに上ると同時に、みちのくプロレス株式会社代表取締役社長を2003年まで務め、岩手県議選当選後に取締役会長に退いたが、2009年8月に社長へ復帰。本人の発言によれば、経営者としての職務中も(外出時もスーツにマスク姿である)、入浴など私生活においても一切覆面は外さない。
1990年代には難易度の高い空中技を次々にこなす世界レベルのルチャドールであったが、近年は自虐的とも言える行為の目立つ、自爆を試合の目玉にする独特のファイトスタイルを展開している。[[佐藤秀|バラモン・シュウ]]曰く「サスケにラダーを与えておけば勝手に自爆する」という言葉通り、ラダーにアトミコを自爆したり、2階席にあがろうとしてラダーごと倒されたりする。
[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]のファンクラブ名誉会員(会員No.6)。
既婚者。メキシコ修行中に知り合った妻との国際結婚である。家族間では[[スペイン語]]で話しているが、子供には幼少時から家庭外では[[日本語]]を使うように指導してきたとのこと。
元プロキックボクサーの[[ファイヤー原田]]が自身のファンであり、2010年4月に原田へ応援メッセージビデオを送り、原田はこのビデオを観て号泣した<ref name=":0">{{Citation|title=Special Message: The Great Sasuke to Fire Harada - May.2 MAX -63kg|url=https://www.youtube.com/watch?v=_j3YFpuLcvk|language=ja-JP|access-date=2023-04-13}}</ref><ref name=":1">{{Cite web|和書|title=ファイヤー原田がザ・グレート・サスケのメッセージに号泣 | ブラックアイ2 |url=http://beye2.com/item_24550_catid_59.html |website=beye2.com |access-date=2023-04-13}}</ref>。
2012年3月には[[仙台市]][[宮城野区]]に、自身が経営する[[つけ麺]]の専門店「麺道THE匠サスケ(メンドウザグレートサスケ)」を開店した。2012年4月13日に[[ミヤギテレビ]]『[[OH!バンデス]]』における特集コーナー「バンデス記者が行く!」にて同店が取り上げられた際には、実際にサスケ本人が登場して同店の看板メニューの紹介を行った。しかし、同店は同年10月に閉店している。
== プロレスラーとしての経歴 ==
{{出典の明記|section = 1|date = 2018年8月}}
[[新日本プロレス学校]]で修業したが、新日本のプロテストには不合格。その後、本名・'''村川政徳'''で[[1990年]]3月1日、[[ユニバーサル・プロレスリング]]から[[後楽園ホール]]の[[スペル・デルフィン|モンキーマジック・ワキタ]]戦でデビュー。その後、[[リングネーム]]を'''MASAみちのく'''とする。
デビュー当時は素顔で、縞の[[合羽]]に[[三度笠]]を被り入場し、上半身裸でロングタイツを着用するといった現在とは違うスタイルだったが(海外遠征する直前には、入場コスチュームを、白い[[学生服#変形学生服|学ラン]]の[[応援団]]スタイルに変更している)、その後メキシコへ遠征した際に覆面レスラーとなった。リングネームは'''ニンジャ・サスケ'''、覆面とコスチュームのデザインは現在とほぼ同じだが、頭にちょんまげが付いていた。
1992年3月、謎のマスクマン“スペル・ニーニョ”として一時帰国。シリーズ最終戦で巌鉄魁(現・[[ディック東郷]])に『マスク取れ! お前みちのくだろう!』と暴露されてマスクを脱ぎ、MASAみちのくであることをカミングアウトした。その後再びメキシコに遠征していたが、8月の帰国を機に'''ザ・グレート・サスケ'''を名乗る。10月、ユニバーサル後楽園大会でブルドッグKT(現:[[外道 (プロレスラー)|外道]])と初のメインを張り、勝利。試合後にマイクで東北六県にプロレスを根付かせることを目標とした地域密着型プロレス団体「[[みちのくプロレス]]」の設立を宣言。退団の背景にはユニバーサルからまったくギャラが支払われなかったという事情があり、ユニバーサルの代表である新間寿恒には「ユニバーサルの東北支部として地方大会プロモートを目的としたい」という話をしていたが、実質的には採算を見込んだ動きであった。
みちのくプロレスは11月の[[岩手産業文化センター]]でのプレ旗揚げ戦を経て、1993年3月16日に岩手・矢巾町民体育館で旗揚げ戦を行う。旗揚げ当初は[[スペル・デルフィン]]が率いるデルフィン軍団との対戦が主な対戦カードであった。
1993年7月、岩手・マッハランドで団体初のビッグマッチを行い、サスケは引退をかけてスペル・デルフィンと対戦。勝利し、興行的にも成功を収める。
[[1994年]]、[[新日本プロレス]]主催で行われた第1回「[[スーパーJカップ]]」に出場。当時は30団体以上あったインディー団体のうちのひとつでしかなく、試合を東北に限定していた「みちのくプロレス」での活動が中心だったサスケは多くのプロレスファンにまだその存在を知られていなかったが、2回戦で当時新日本プロレス所属だった[[エル・サムライ]]に勝利し、続く準決勝では[[獣神サンダー・ライガー]]からフォールを奪う。決勝戦では[[クリス・ベノワ|ワイルド・ペガサス]]に敗れたものの、当時ジュニアの頂点に立っていたライガーに勝ち、準優勝したサスケは一躍全国区の人気を得、トップレスラーとなった。このスーパーJカップはテレビ朝日系列「[[ワールドプロレスリング]]」内で全国中継されたこともあって、サスケ、そしてみちのくプロレスの存在を全国のプロレスファンに知らしめる大きな契機となった。
4月29日、東京・大田区体育館にてこの大会で『"真"八十八番札所』として[[新崎人生]]と対戦。みちのくプロレス旗揚げ以来、後輩選手にシングルマッチで初めてのフォール負けを喫する。
7月、[[WAR (プロレス)|WAR]]両国大会で[[ウルティモ・ドラゴン]]と対戦。当時、両者ともに入場テーマ曲に[[ルイス・ミゲル]]の「セパラドス」を使用していたが敗れたサスケはこの試合を最後に「セパラドス」の使用を放棄した。以降は「みちのくプロレスのテーマ」を入場曲に使用する。
10月30日には翌年5月での引退を発表していた[[大仁田厚]]と岩手・[[滝沢市|滝沢村]]で電流爆破デスマッチで対戦。大仁田がFMW以外の団体で、また東京・大阪など首都圏以外の地域で電流爆破デスマッチを行ったのはこれが初めてのことであった。なおこの試合で敗れたサスケを介抱したのは当時リング上で敵対関係にあった新崎人生であった(この2,3ヶ月前から人生は後の海援隊メンバーに絶縁宣言されたサスケに駆け寄る、サスケの試合を会場後方から観戦するなど伏線的な行動は見せていた)。
[[1995年]]7月、自らが提唱とプロデュースした「[[ふく面ワールドリーグ戦|覆面ワールドリーグ戦]](後に「ふく面ワールドリーグ戦」に改称)」第一回大会を開催。決勝戦で[[ドス・カラス]]に敗れる。この試合でドスの放った場外へのパワーボムでサスケは失神。この試合以降、サスケとドスの間に因縁が生まれ、現在まで引き継がれている。
[[1996年]]4月29日、新日本プロレス東京ドーム大会にてライガーを再び破って[[IWGPジュニアヘビー級王座]]を獲得。以後5回の防衛に成功した。なお、2回目の防衛戦となった7月の[[カズ・ハヤシ|獅龍]]戦はみちのくプロレス矢巾大会で行われた。IWGPの選手権がみちのくプロレス所属選手同士で争われた試合はこの一試合のみである。
8月、新日本プロレス両国大会にて行われた各団体代表による[[ジュニア8冠王座|ジュニア8冠]]統一トーナメント (J-CROWN) において、決勝で[[ウルティモ・ドラゴン]]を破って初代ジュニア8冠王者に輝き、日本ジュニアマット界の頂点を極めた。しかしこの試合で場外に攻撃(鉄柱越えトペ・コンヒーロを仕掛けたが、膝の負傷で足の踏ん張りが利かず不完全な体勢で飛んだ為、結果的には鉄柱越えの浴びせ蹴りの様な形になり、自身は後頭部から床に転落)を仕掛けた際、[[頭蓋骨骨折]]の重傷を負い、長期欠場に追い込まれる。
10月10日、団体初の両国国技館大会で強行復帰。[[佐山聡|初代タイガーマスク]]、[[ミル・マスカラス]]とタッグを組み、[[ダイナマイト・キッド]]、[[ドス・カラス]]、[[小林邦昭]]組と戦った。
[[1997年]]、WWF(現:[[WWE]])からサスケに参戦オファーが届く。しかし交渉の結果、白紙に終わる。理由は団体トップであり最大のスターであるサスケが不在にする間のみちのくプロレスへの補償問題と言われている。サスケとの交渉が不調に終わったWWFは[[TAKAみちのく]]と契約する。両者は1997年10月に行われた二度目の両国大会のメインで闘い、勝ったサスケに敗れたTAKAが「サスケ、みちのく潰すなよ」とヒールとしては異例のマイクを残す。
[[1998年]]、怪我によりたびたび欠場を繰り返していたサスケは経営難を理由に団体の活動休止を発表する。しかし、スペル・デルフィンら選手会がこれに反発。選手会側は主催興業という形でシリーズを行う。サスケとデルフィンは団体の運営をめぐって対立。以降、サスケは青マスクの「'''SASUKE'''」となってヒールに転向。[[折原昌夫]]扮するサスケ・ザ・グレート、[[小野武志]]、[[CRAZY-MAX|クレイジーMAX]]、[[望月成晃]]、[[茂木正淑]]らと[[ヒール (プロレス)|ルード]]軍「'''[[SASUKE組]]'''」を結成し、デルフィンが率いる、みちのく正規軍と抗争を展開する。だがここでSASUKEはデルフィンのプライベートな部分を観客の前で暴露するなど暴走を繰り返し、デルフィンは1999年1月にみちのくプロレス離脱を発表。多くの中堅・若手選手がデルフィンに同調し追随していったため、みちのくプロレスは存亡の危機に見舞われる。この一件を機にSASUKEは改心して元のザ・グレート・サスケに戻った。
[[1999年]]2月、[[DRAGON GATE|闘龍門JAPAN]]横浜大会での1DAYトーナメント決勝で[[黒木克昌|マグナムTOKYO]]に勝利しNWA世界ミドル級王座を獲得。このベルトは2003年5月にウルティモ・ドラゴンに敗れるまで28回の防衛に成功した。
4月、ライガーと組んで[[IWGPジュニアタッグ王座]]を獲得。初防衛戦で[[大谷晋二郎]]・[[高岩竜一]]組に敗れる。
7月、第2回ふく面ワールドリーグに出場。優勝した[[タイガーマスク (4代目)|タイガーマスク]]、準優勝のドス・カラス(予選シード)に続く3位に終わる。
[[2000年]]、みちのくプロレス主催で開催された第三回スーパーJカップに出場。1回戦でかつての獅龍、WCW帰りの[[カズ・ハヤシ]]と対戦し勝利を収めるも2回戦で[[佐野直喜|佐野なおき]]に敗れる。
10月、[[プロレスリング・ノア]]の[[丸藤正道]]と対戦、勝利する。大晦日には「猪木ボンバイエ」に参戦。[[松井大二郎]](高田道場)と組んで、[[宇野薫]]、[[小路晃]]組と対戦した。
[[2001年]]、この年からみちのくプロレスに復帰した[[ディック東郷]]率いるFECと抗争を展開。
2月、[[フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング|FMW]]後楽園ホール大会にて互いに相手を裸にした方が勝利となる試合形式「ネイキッド・マッチ」で[[黒田哲広]]と戦うが、あまりの下品さに大顰蹙を買い、[[週刊プロレス]]は試合を掲載拒否した。
[[2002年]]5月、[[WEW]]川崎球場大会に出場。大仁田厚と組んで[[橋本真也]]・大谷晋二郎組と対戦。
[[2003年]]3月、岩手県議会議員選挙の盛岡選挙区に出馬を表明。トップ当選する。当選後は、議会での覆面の着用を巡って全国レベルの話題になった。同年5月、議員活動を理由にみちのくプロレス社長を辞任することを発表。新崎人生に社長を譲り、自身は会長職となる。
8月、「第3回ふく面ワールドリーグ戦」に参加するも死国衛門三郎戦で負傷、以後リーグ戦を欠場する。
9月、安比高原にて大仁田厚と二度目の電流爆破デスマッチを行う。この試合で場外に転落した際、爆風をモロに浴びて肩に穴が開くという大怪我を負いながら大仁田に勝利。なお、この当時大仁田は自民党所属の国会議員であり、この試合は「史上初の議員レスラー対決」として宣伝された。
11月2日、有明コロシアムで行われたみちのくプロレス創立10周年記念大会「メモリー」でスペル・デルフィンと対戦。サスケは離脱以降デルフィンのことを「絶対に許さない」と公言しており、当初この対戦カードにも強い難色を示していたが大会直前の仙台大会で新崎人生社長とファンの説得を受け、受託した。試合はデルフィンが勝利したものの、両者の緊張関係は解消されることなく終わった。
[[2004年]]3月、[[アトランティス (プロレスラー)|アトランティス]]を破り第三代東北ジュニアヘビー王座に。翌年2月にTAKAみちのくに奪われるまで保持した。
同年から[[ハッスル (プロレス)|ハッスル]]に出場。9月にはハッスルとのコラボレーション大会「ケッパレ1」を開催、[[小川直也]]とタッグを結成した。
[[2005年]]7月、ディック東郷と組んで第三代東北タッグ選手権王者となった。
9月、[[バラモン・シュウ|佐藤秀]]、[[バラモン・ケイ|佐藤恵]]の[[バラモン兄弟|佐藤兄弟]]とニューセーラーボーイズを結成し、「キープオンジャーニー」を熱唱する。
12月、後楽園大会で10人タッグマッチで闘った[[Gamma]]に場外で自転車に轢かれる。この試合が「宇宙大戦争」の契機になったと言われる。
[[2006年]]2月、後楽園大会で佐藤兄弟と対戦(パートナーは東郷)。ここからサスケと佐藤兄弟は闘うたびにハチャメチャな試合を繰り返すようになり、やがてそれは「[[宇宙大戦争 (プロレス興行)|宇宙大戦争]]」と呼ばれる特異なブランドに昇華した(ネーミングの由来は佐藤兄弟がサスケについて「あいつは宇宙人だろ!!」と主張していたことによる)。これ以降、サスケと佐藤兄弟の試合はサスケが不安定な脚立などに昇り、落ちて自爆するなどの意味不明な内容が名物となる。
11月、岩手大会でこの年5月に東北ジュニアヘビー王座になったスペル・デルフィンと対戦しベルトを奪回する。試合後、両者はリング上で握手。サスケは依然として「デルフィンは許さない」と主張するものの、離脱以来続いてきた両者の緊張状態に一定の緩和が見られた。
2007年3月、岩手県知事選挙に出馬を表明。しかし選挙結果は民主党推薦の前衆院議員、[[達増拓也]]に及ばず落選。その後しばらくリングを離れていたが、8月の第4回[[ふく面ワールドリーグ戦]]にて復帰。山籠り特訓を行い、復帰戦ではウルティモ・ドラゴンを相手に敗れたものの飛びまくるサスケを見せ付けた。
また、[[ZERO1|ZERO1-MAX]]にも準レギュラー参戦し、かつての同胞である[[藤田ミノル]]と抗争を展開。試合終了後はサスケが藤田に手をさしのべ、それに藤田が答えハッピーエンドになると思いきや藤田のサスケ騙し(変則DDT)により、サスケは騙されるといった内容が名物化した。
12月には、その藤田ミノル扮するザ・グレート・フジタミノルとのタッグで佐藤兄弟との宇宙大戦争が開戦。この試合で初めて和桶が使用される。
[[2008年]]、[[折原昌夫]]率いるメビウス主催興行の第1回トーナメント戦にて初優勝を飾る。
12月、みちのく後楽園大会にて、恒例となった「宇宙大戦争」にて佐藤兄弟に拉致された[[ウルトラマンロビン]]を救出するべく、[[サバイバル飛田]]とのタッグを結成。「宇宙大戦争・最終決戦」と名付けられたこの試合でサスケは[[バットマン]]に扮して登場するが、[[南野タケシ|南野武]]にバイクで轢かれるなど例年以上に散々な試合を展開する。
[[2009年]]6月、「グレート・サスケデビュー20周年突入ツアー」開幕戦の後楽園大会で[[フジタ"Jr"ハヤト]]の保持する東北ジュニアヘビー選手権に挑戦するも敗退。
8月には2年連続で「鉄人」に出場。このシリーズより[[レスラー (映画)|レスラー]]のランディ "ザ・ラム" ロビンソンのオマージュキャラクターを演じ、ランディのコスチュームで試合に出場するようになる(上半身裸で試合をするのはサスケ名義では初めて)。映画のランディが食品スーパーで働くのと同様に「みちのくに自分の居場所が無い」として盛岡市内の中華料理店でアルバイトを始めた。
8月31日、みちのくプロレス社長に復帰。
12月には年末の風物詩となった「宇宙大戦争・最終決戦〜ウルトラマンロビン救出大作戦〜」に獣神サンダー・ライガーと組んで出場。佐藤兄弟が連れてきた「鉄腕くん」に苦しみながらも勝利。
2010年4月に自身のファンである元プロキックボクサーの[[ファイヤー原田]]へ応援メッセージビデオを送り、原田はこのビデオを観て号泣した<ref name=":0" /><ref name=":1" />。
[[2010年]]6月、デビュー20周年記念興行で映画『[[アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち|アンヴィル]]』に影響を受けたコスチュームで登場。試合でも[[ディック東郷]]をパートナーにTAKAみちのく&[[船木勝一|FUNAKI]]の「夢狩人」に勝利した。
11月7日、岩手県営体育館で行われた「ザ・グレート・サスケ20周年記念試合〜東北編最終章」で[[拳王 (プロレスラー)|拳王]]を破り第13代[[東北ジュニアヘビー級王座]]に返り咲いた。
12月16日、後楽園ホールにてリング解体マッチとして行われた「宇宙大戦争〜ホントに最終決戦〜ザ・音楽(ロック)ウォーズ」では[[Ken45゜]]、[[リッキー・フジ]]と組んで、佐藤兄弟、[[野橋太郎]](野橋はこの試合を宇宙人として戦った)組に勝利。試合後、「クレイジークルー」と称したロックバンドを編成しホール北側ステージで熱唱した。
[[2011年]][[5月8日]]、岩手・矢巾町民総合体育館で行われた[[東北ジュニアヘビー級王座]]初防衛戦で[[日向寺塁]]に敗れベルトを失う。なお、この防衛戦は当初[[3月12日]]に同所にて予定されていたが、前日([[3月11日]])に発生した[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])の影響を受け中止、5月に延期となっていた。
6月、[[新日本プロレス]]で開催されたジュニアリーグ戦「BEST OF THE SUPER Jr.XVIII」に初出場。勝敗以上にその内容が注目された。9選手がエントリーされたBブロックで得点10(5勝3敗)を挙げ同率2位の成績を残すが、「同点の場合は直接対決の勝者が決勝リーグに進出」というルールのため決勝トーナメント進出はならなかった(決勝進出は[[田口隆祐]])。
7月3日、[[ユニオンプロレス]]新木場大会で[[リッキー・フジ]]とのタッグで[[高木三四郎]]&[[澤宗紀]]組から大中華統一中原タッグ選手権を奪取。しかし7月24日DDT[[両国国技館]]大会におけるダークマッチ(国技館全域を使用したエニウェアフォール形式)で奪回された。
年末恒例の宇宙大戦争では大仁田厚とタッグを結成、佐藤兄弟と対戦。敗者追放マッチというルールで勝利を収め、佐藤兄弟を岩手県追放とする(以後佐藤兄弟はみちのくマットでも「[[バラモン兄弟]]」を名乗って参戦)。
[[2012年]]8月、第5回ふく面ワールドリーグ戦にエントリー。一回戦で[[ビジャノ4号|ビジャーノIV]]、二回戦で[[田中稔 (プロレスラー)|ヒート]]、準決勝でウルティモ・ドラゴン、決勝戦で獣神サンダー・ライガーに勝利し、第5回にして悲願の初優勝を飾る。
11月、[[全日本プロレス]]の「世界最強タッグ決定リーグ戦」に[[KENSO]]と組んでエントリーするも、11月20日の愛媛大会での試合中に左肩甲を骨折し、以後長期欠場となる。しかし年末の宇宙大戦争だけは左腕を吊った状態で参加し、パートナーの[[ヘラクレス千賀|ヤッペーマン1号]]、[[ツトム・オースギ|ヤッペーマン2号]]、[[大畠美咲|ヤッペーマン3号]]、[[関本大介|超人関本]]の奮闘にも支えられ勝利を奪った。
[[2013年]]11月4日、盛岡で行われたみちのくプロレス20周年記念大会で1年ぶりの復帰戦を行う。[[新崎人生]]と組み、[[拳王]]と[[フジタ"Jr"ハヤト|フジタ“Jr”ハヤト]]組と戦った。この試合はファンの投票によって決定された。
[[2016年]]1月1日、地球防衛軍結成に関しては 「そうですね、やはり宇宙大戦争、10年まずは一区切りつきました。もう私自身が率先して他の星に行って闘うという事も、ちょっとお休みしようかなと。もう一度地球上での闘い、言ってみれば地上戦。地上戦をね、もう一度見なおして見ようと思います。今年の私のテーマは地上戦。地球上で、地球を守ります。はい!」 ●敵は一体何になるんでしょう? 「ええ、もちろん!邪悪な異星人です!」2016年1月14日 ザ・グレート・サスケ
12月の宇宙大戦争では男性ストリッパーを主人公にした映画『[[マジック・マイク]]』の影響を受け、パートナーたちと共にリング上でセクシーなダンスを披露。しかしこの試合で宇宙大戦争開戦以来初めて[[バラモン兄弟]]に敗れ、「来年からの地球の危機に対して、力を合わせよう」と、[[バラモン兄弟]]に合体を要求。
2023年3月1日開催の『[[ジュニア夢の祭典|ジュニア夢の祭典 〜ALL STAR Jr. FESTIVAL 2023〜]]』では第4試合6人タッグマッチに出場<ref>{{Cite web|和書|title=3/1 ALL STAR Jr. FESTIVAL-夢の顔合わせ続出のジュニアの祭典は大成功。メインを任されたワト「ジュニアの未来はオレたちに任せてください」 レック Presents ジュニア夢の祭典 ~ALL STAR Jr. FESTIVAL 2023~ |url=https://wp.bbm-mobile.com/sp2/Result/ResultShow.asp?s=056324 |website=週刊プロレスモバイルプレミアム |access-date=2023-03-05 |publisher=ベーボールマガジン社 |date=2023年3月1日}}</ref>。
[[File:布教活動中.jpg|thumb|布教活動中]]
[[2014年]]からは新ユニット「[[ムーの太陽 (みちのくプロレス)|ムーの太陽]]」を結成し布教活動と称し試合を行っている。
== 得意技 ==
{{出典の明記|section = 1|date = 2018年8月}}
[[ファイル:鉄柱越えトペ・コン・ヒーロ.jpg|thumb|トペ・コンヒーロ]]
[[ファイル:ラ・ケブラーダ.jpg|thumb|ラ・ケブラーダ]]
[[ファイル:卍固め.jpg|thumb|卍固め]]
[[ファイル:メシア降臨.jpg|thumb|メシア降臨]]
メキシコ修行時代に養った、自身の危険を顧みない無謀かつ高度な空中殺法を使いこなす。近年では体重の増加からか全盛期ほどは複雑な飛び技を多用することは無くなったが、奇天烈な言動とともに自爆すら得意とする独自の世界観を作りだしている。
; トペ・コンヒーロ
: 基本的に場外で立っている相手に対し、リング上から、自ら相手がいるリング下と逆の方向のロープに飛び、その反動を利用して走り込んでロープをジャンプして一回転しながら飛び越えぶち当たる技(コーナーから場外に鉄柱越えで放つ場合もある)。サスケのそれはフォーム(滞空時に背中を反らした状態になるのが特徴)の美しさや滞空時間の長さから他の追随を許さず、特にロープを飛び越える際に一切ロープに触れないものは'''ノータッチ・トペ・コンヒーロ'''とも呼ばれる。
: しかし、ジュニア8冠統一トーナメント決勝戦 (J-CROWN) においてウルティモ・ドラゴンに対し、コーナーポストの最上段からリング下に立っているドラゴンに無謀にもこの技(先述のような鉄柱越えバージョン)を試みた。ドラゴンはサスケの頭部の直撃を避け、体ごとリング下にサスケを叩きつけるかっこうとなったが、サスケからしてみれば、リング下に断崖式のパワーボムを受けたのと何ら変わりないことであり、実際この行為により頭蓋骨亀裂骨折及び脳挫傷の重傷を負ってしまった(本人曰く「三途の川が見えた」)。
; [[ムーンサルトプレス#ラ・ケブラーダ|ラ・ケブラーダ]]
: 場外へ向かっての[[ムーンサルトプレス|ムーンサルト・アタック]]。全盛時のサスケの代名詞的な技であり、ほぼ毎試合使用していた。使用前に相手に後ろ蹴りを放ち少し距離を空けてから行うのが特徴。また、みちのくプロレス旗揚げ直後に宣伝で各団体を回っていた際には背広姿で使用した事もある。
; ラ・ブファドーラ
: ロープに振られた際、セカンドロープに足をかけてカウンターのムーンサルト・アタックを浴びせていく飛び技。
; [[ライダーキック]]
: 場外に向かって片足式ミサイルキック。
; サスケ・スペシャル
: 相手を場外へ落とし、逆側のロープで反動をつけ、ロンダート(半捻り側方倒立回転)で相手のいるロープの前に背中を向けて立ち、その勢いのままトップロープを背面飛びで飛び越えて回転しながら場外の相手にぶつかっていく変形のケブラーダ。[[佐山聡|初代タイガーマスク]]が対ウルトラマン戦で披露した'''スペース・フライング・タイガー・ドロップ'''を更に高度にした技。
; サスケ・スペシャルII
: サスケ・スペシャルと同じようにロンダートでロープの前に背中を向けて立ち、その勢いでロープを飛び越える際に体を捻って前方宙返りのように回転しながら相手にぶつかっていく変形のトペ・コンヒーロ。飛ぶ瞬間の踏み切りは後ろだが捻りを加える為一応の目標は確認できる。しかし最後はトップロープを越えて高角度から背中から落ちていくため、相手の当たり所が浅いと自らが[[パワーボム]]状態で頭から落ちることになり、受身に自信があってもなかなかマネは出来ない技である。
; サスケ・スペシャルVer.2.5
: エプロン上の相手に対して放つセントーン・アトミコ(下記参照)。大概自爆する。
; サスケ・スペシャルVer.2.5.5
: エプロンと場外に設置したイスの間にラダーを設置し、その上に寝かせた相手に対してトップロープからトペ・コンヒーロを放つ。これも自爆率が高い。
; サスケ・スペシャルVer.2.7
: 場外に設置した机の上に寝かせた相手に対して放つノータッチ・トペ・コンヒーロ。
; サスケ・スペシャルVer.2.7.5
: 机ではなくイスを使用したサスケスペシャルVer.2.7。
; サスケ・スペシャルVer.2.8
: 通称「'''逆トペ'''」。トペ・スイシーダの逆向き、つまりドロップキックをトップロープとセカンドロープの間(またはセカンドロープとサードロープの間)をくぐりつつ、場外にいる相手に行う。
; サスケ・スペシャルX
: [[雪崩式]]で放つ[[DDT (プロレス技)|DDT]]。
; サスケ・スペシャルX ver10.2 セグウェイ(物まね禁止)
: コーナーポストからダウンした相手の肩へ急降下式ミサイルキック。下記のジンジャーの改良完成技。現在のフィニッシュムーブ(フィニッシュ・ホールド)。名前とは裏腹に義経にモノマネされている。
; ジンジャー
: 四つん這い状態になっている相手への急降下式顔面ミサイルキック。
; セントーン・アトミコ
: コーナーポストの上に立ち、両手をリングの中央に寝てる相手に向かって突き出し、その後前方に回転しながら背面部から相手のボディー目掛けて落ちていく飛び技。決まった時の形から[[ジェフ・ハーディー]]や[[DDTプロレスリング]]の[[MIKAMI]]が使う前方回転式セントーンである'''スワントーン・ボム'''と混同されがちだが、サスケの場合は頭頂部から落ちるのが本来の形。しかしかわされ易く成功率が低いため、自らの安全のため受身がとりやすいように背中から落ちる現在の形に落ち着いた。第4回ふく面ワールドリーグにて久々に成功し、成功した本人が一番驚いたとのこと。
; セントーン・レベルサ
: コーナーポストの上に後ろ向きに立ち、リングの中央に寝てる相手に向かって、後ろ向きに450度回転しながら背中から落ちていく飛び技。成功率が非常に低く、これで後頭部を打って試合中に失神し何度もピンチに陥ったことがある。
; おやじ
: フェニックス・スプラッシュからさらに半回転し、セントーンの形で落ちて行く技でいわゆるフェニックス式セントーンと呼ばれる技と同型。
; [[パワーボム#サンダーファイヤー・パワーボム|サンダーファイヤー・パワーボム]]
: 相手を[[バックブリーカー#カナディアン・バックブリーカー|カナディアン・バックブリーカー]]の体勢で肩の高さまでリフトアップして相手の右脇を左手で左脇を右手で、それぞれ掴み直して自身の両腕を上方向へと伸ばして相手の体をリフトアップして前のめりに倒れ込み、両膝をつきながら投げ捨てた相手の背中を叩きつけて[[フォール技#エビ固め|エビ固め]]の形で丸まった相手の体を押さえ込んでフォールを奪う。
; ピースな愛のバイブス
: 逆トペを放った後、ロープを掴んだまま逆上がりの要領でリング内に戻り、トペ・コンヒーロを見舞う連携技。
; [[キャプチュード#どよまんスープレックス|どよまんスープレックス]]
: [[みちのくプロレス]]山形大会限定で使用している。たまに山形大会以外でも使用している。
; マッハ!!!!
: 内出血が凝固したことによって硬質化したエルボー攻撃。まさに肉体凶器である。技名はサスケが見た映画が由来。
; ラムジャム
: 映画『[[レスラー (映画)|レスラー]]』で主演の[[ミッキー・ローク]]演じるランディ"ザ・ラム"ロビンソンのフィニッシュ・ホールド。通常のものと違い正面を向いて放つダイビング・エルボー・ドロップ。アンヴィルスタイルに変身後も何食わぬ顔で使用する。
; イリュージョンキック
: 後頭部へのスピンキック。
; XPW
: シャリマティーと同型。
; サルディーニャ・クラッチ
: デルフィン・クラッチと同型。SASUKE時にデルフィンを挑発する意味で使用していた。そのときの名前は鰯(いわし)固め。
; [[卍固め]]
; メシア降臨
: 2014年より使用している技。まず[[バラモン兄弟]]の2人もしくはタトゥーの信者がサスケを抱え上げてそこからサスケを落とし決める雷電ドロップのような技。バラモンの2人は「持ち上げてはいない、マスターが浮いているのだ」と言っている。
== タイトル歴 ==
; [[みちのくプロレス]]
* 第3代、第8代、第13代[[東北ジュニアヘビー級王座]]
* 第4代、第11代、第21代[[東北タッグ王座]](パートナーは[[ディック東郷]]→[[SUGI|義経]]→[[バラモン・ケイ]])
* 第5代[[インターコンチネンタルタッグ王座|UWA&UWFインターコンチネンタルタッグ王座]](パートナーは[[グラン浜田]])
* 第3代、第8代英連邦ジュニアヘビー級王座
* みちのくふたり旅優勝(パートナーは[[カト・クン・リー]]→[[スペル・デルフィン]])
* みちのくトリオリーグ戦優勝(パートナーは[[新崎人生]]、[[気仙沼二郎]])
* みちのくトリオトーナメント戦優勝(パートナーは[[バラモン・シュウ]]、[[バラモン・ケイ]])
* [[ふく面ワールドリーグ戦|ふく面ワールドリーグ戦〜決勝トーナメント〜]]優勝
; [[フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング|FMW]]
* 初代[[インディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座|インディペンデントワールド世界ジュニアヘビー級王座]]
; [[ユニバーサル・レスリング・アソシエーション|UWA]]
* 第18代[[UWA世界ウェルター級王座]]
; [[ワールド・レスリング・アソシエーション (ティフアナ)|WWA]]
* 第9代WWA世界ミドル級王座
; [[ユニバーサル・レスリング・アソシエーション|UWA]]
* 第26代、第28代[[WWF・ライトヘビー級王座|WWFライトヘビー級王座]]
; [[CMLL]]
* 第79代NWA世界ミドル級王座:1回
; [[新日本プロレス]]
* 第27代[[IWGPジュニアヘビー級王座]]
* 第3代[[IWGPジュニアタッグ王座]](パートナーは[[獣神サンダー・ライガー]])
; [[大阪プロレス]]
* 第21代[[大阪プロレスタッグ王座]](パートナーは[[空牙 (プロレスラー)|アジアン・クーガー]])
; [[SGP (プロレス)|SGP]]
* 初代SGP認定グローバルジュニアヘビー級タッグ王座(パートナーは[[ウルトラマンロビン]])
; FU☆CK!
* 初代FUCK!認定UNIVERSAL宇宙タッグ王座(パートナーはウルトラマンロビン)
; [[DDTプロレスリング]]
* 第20代大中華統一中原タッグ王座(パートナーは[[リッキー・フジ]])
; MOBIUS
* 初代EL Mejor de Mascarad王座
* 初代APEX OF TRIANGLE王座(パートナーはグラン浜田、[[タイガーマスク (4代目)|タイガーマスク]])
; [[KAIENTAI DOJO|2AW]]
* 第11代、第13代[[千葉6人タッグ王座]](パートナーはバラモン・シュウ、バラモン・ケイ)
; 博愛プロレス
* 初代男気!!王座
以下は初代[[ジュニア8冠王座]]として戴冠。
* 第27代[[IWGPジュニアヘビー級王座]]
* 第6代[[インターナショナルジュニアヘビー級王座]]
* 第84代[[NWA世界ジュニアヘビー級王座]]
* 第37代[[NWA世界ウェルター級王座]]
* 第28代[[WWF・ライトヘビー級王座|WWFライトヘビー級王座]]
* 第29代[[UWA世界ジュニアライトヘビー級王座]]
* 第8代WWA世界ジュニアライトヘビー級王座
* 第8代英連邦ジュニアヘビー級王座
; [[プロレス大賞]]
* 話題賞(1993年)
; [[日本インディー大賞]]
* MVP(2008年)
* ベストユニット賞(2014年)
== 入場曲 ==
* [[みちのくひとり旅]]([[山本譲二]]) - MASAみちのく時代
* [[巨人の星 (アニメ)#主題歌・挿入歌|ゆけゆけ飛雄馬]]([[アンサンブル・ボッカ]]) - MASAみちのく時代
* Separados([[ルイス・ミゲル]]の同名曲のカバー。サスケ本人が歌い、オープニングに『[[さくらさくら]]』を挿入する等アレンジを施している)
* みちのくプロレスのテーマ インテグラル・ハード([[柴田直人]])
* NOT FOR SALE([[横道坊主]])- SASUKE時代
* [[スウィート・チャイルド・オブ・マイン|Sweet Child O' Mine]]([[ガンズ・アンド・ローゼズ|Guns N' Roses]])
* Metal on Metal([[アンヴィル]])
* Beat of Tomorrow(セイント・エマ)
== 岩手県政の政治家としての動向 ==
{{出典の明記|section = 1|date = 2018年8月}}
{{政治家
| 人名 = ザ・グレート・サスケ
| 各国語表記 = 村川 政徳
| 画像 = Great Sasuke 3.jpg
| 国略称 = {{JPN}}
| 生年月日 =
| 出生地 =
| 没年月日 =
| 死没地 =
| 出身校 =
| 前職 =
| 現職 =
| 所属政党 = 無所属
| 称号・勲章 =
| 親族(政治家) =
| 配偶者 =
| サイン =
| ウェブサイト =
| サイトタイトル =
| 国旗 = 岩手県
| 職名 = [[岩手県議会]][[議員]]
| 内閣 =
| 選挙区 = [[盛岡市|盛岡選挙区]]
| 当選回数 = 1回
| 就任日 = [[2003年]]4月
| 退任日 = [[2007年]]4月
| 所属委員会 =
| 議員会館 =
| 元首職 =
| 元首 =
<!--↓省略可↓-->
| 国旗2 =
| 職名2 =
| 内閣2 =
| 選挙区2 =
| 当選回数2 =
| 就任日2 =
| 退任日2 =
| 元首職2 =
| 元首2 =
}}
; 県議としての覆面着用問題
: 2003年に[[岩手県議会議員]]選挙に出馬、ザ・グレート・サスケの登録名、かつ覆面姿で選挙活動を行い、[[4月13日]]にトップ当選した。本人は覆面をつけたまま議会に出席することを公約した上での当選であったが、自由民主党・公明党の県議団が「覆面を外して活動するべき」と主張(サスケは政党には無所属であるものの当時の自由党から選挙活動において助言を受けるなど岩手県議会において自由民主党・公明党と勢力を二分する自由党系会派に所属することがほぼ確実な状態であり政党間の対立も絡んでいた。)、翌14日に[[増田寛也]]岩手県知事(当時)がそれに関して発言した際に全国メディアで「覆面を外すべき」との発言をしたと報道された(実際には「個人が判断する事だが、もし私が同じ立場だったら覆面を脱ぐ」と発言。地元メディアは発言全体を報道したが全国メディアは発言の一部のみを報道したため誤解が生じた。なお、サスケ側は「覆面着用禁止ならば選挙出馬時点で注意されると思った」とコメントしている。)ため、[[ニューヨーク・タイムズ]]が写真付きで報じるなど、大きな話題となった。増田知事は覆面着用の問題点として「顔が隠れるため表情を有権者が読みとれず、政治家としての活動について評価することができない」点を挙げたため、サスケはそれまで着用していたマスクに比べ大幅に顔の露出部分を増やした特注品を作成し、対応した。
: 報道が過熱する一方で増田知事はこの対応を受け入れ(サスケは「新しいマスクができたら着用した姿を最初に知事に見せたい」と発言、実行した)、覆面での登院を容認した。しかし、岩手県議会では自由民主党・公明党の県議団が覆面着用は「議会の品位を損なう」ものだとして問題視し、「議場での覆面着用禁止の会議規則改正案」を提出した。2か月に渡って状況は混乱したが、2003年[[6月25日]]、県会議で同議案は記名投票で可否同数となり、[[藤原良信]]議長による[[議長決裁]]で否決(岩手県議会での議長決裁は55年ぶり)、覆面着用が容認されることになった。
: 当選後は県議会[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]会派「民主・県民会議」に所属した。覆面問題に関連して、議員証の会社写真において、素顔にするか覆面にするかでも問題も発生。議員証では素顔写真とすることとなったが、この素顔写真の議員証は議員個人が所持しておくもので素顔写真を公開する必要はない。
; 政務調査費私用疑惑
: 2005年7月には、前年10月、公務とは関係のない興行先のプロレス会場までの新幹線運賃に、議員に交付される[[政務活動費|政務調査費]]を当てた疑惑が浮上した。当人は新幹線の混み具合を調査する公務であると主張したが、[[TBSテレビ|TBS]]がこの公務の調査について実証し、[[インターネット]]でわずか数分で同様の公務が完了できることが判明した。こうした問題を受け、市民団体がサスケに対して支給された政務調査を返還するよう知事に求める住民訴訟を提起、政務調査費を返還させるよう県に命じる判決が2013年7月、仙台高裁で確定した。これを受け、岩手県はサスケに政務調査費の返還を求める訴訟を提起、同年12月13日に盛岡地裁で第一回口頭弁論が行われたが、サスケ側は出廷せず、答弁書も出さなかったため、サスケに対して政務調査費276万円を返還するよう求める判決を同日言い渡した<ref>{{cite news |title= サスケ氏に政務調査費276万円返還命令 盛岡地裁|author= |newspaper= [[朝日新聞]]|date= 2013-12-13|url= http://www.asahi.com/articles/TKY201312130272.html|accessdate=2014-4-15}}</ref>。判決を受け、県は2014年1月中の返還を求め、サスケ側に催告状を送ったが、期限内に納付されなかったため、財産の差し押さえも検討されたが、同年2月27日にサスケ側が276万円全額を県に返還した<ref>{{cite news |title= ザ・グレート・サスケ氏が政調費返還 県議時代の276万円|author= |newspaper= [[サンスポ]]|date= 2014-2-28|url= http://www.sanspo.com/geino/news/20140228/sot14022812160007-n1.html|accessdate=2014-4-15}}</ref><ref>{{cite news |title= 岩手)サスケ氏、政務調査委費を返還|author= |newspaper= 朝日新聞|date= 2014-2-28|url= http://www.asahi.com/articles/ASG2W6V0GG2WUJUB00N.html|accessdate=2014-4-15}}</ref>。
; 競馬融資案採決への対応
: 2007年3月15日、県議会において県競馬組合への330億円の融資案の採決では賛成票を投じた(結果は賛否同数で議長採決で否決)。しかし、同3月19日に賛成派議員が提出した修正案の採決を前に、県知事選挙出馬のために議員辞職したため賛成派議員から批判を浴びる事態となった。競馬融資案へ賛成票を投じ、さらに県知事選挙の公約のひとつに「岩手競馬存続」を揚げるサスケが、前回、一票差(議長も含め)で否決されサスケの票が重要な意味を持つ修正案の投票を前に議員辞職し、自ら修正案への投票権を放棄するという軽率な行動を取ったためである。
; UFOに関する質問
: 2005年6月28日の県議会で未確認飛行物体 ([[未確認飛行物体|UFO]]) について「県内で目撃情報が相次いでいるが、県はどう認識しているのか」と質問した。
; 辞職して県知事選立候補
: 2007年4月に、[[都道府県知事|県知事]][[選挙]]に出馬するため、県議を辞職し、2007年4月8日投開票の岩手[[都道府県知事|県知事]]選挙に出馬。「打倒小沢王国」などと訴えて選挙戦を戦い'''61,922票'''を獲得したが、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]推薦で'''454,135票'''を獲得した[[達増拓也]]に大敗、供託金を没収された。票数は5人中3位の多さだった。<ref>{{Cite web|和書
|url=http://www.pref.iwate.jp/view.rbz?nd=2712&of=1&ik=3&pnp=17&pnp=87&pnp=1920&pnp=2712&cd=1087
|title=投開票結果(平成14年~平成20年までの各選挙)
|publisher=岩手県選挙管理委員会
|accessdate=2011-09-11
}}</ref>
; 県議選に再出馬
: 2011年4月に投開票予定だった[[2011年岩手県議会議員選挙|岩手県議会議員選挙]]に盛岡選挙区(定数10人)から再度出馬<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20110202-OYT1T00477.htm サスケさん、県議選再出馬へ : 地方選 : 選挙 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)]</ref>。[[東日本大震災]]の影響により9月11日に投票が延期となり、'''4,035票'''<ref>{{Cite web|和書
|url=http://www.pref.iwate.jp/~hp0736/23touitukekka/linktop.html
|title=岩手県議会議員選挙 投開票結果速報発表
|publisher=岩手県選挙管理委員会
|accessdate=2011-09-11
}}</ref>で16人中14位にとどまり落選した<ref>{{Cite news
|url=http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20110911-OYT1T00577.htm
|title=サスケ氏が落選…岩手県議選、16人中14位
|work=YOMIURI ONLINE
|newspaper=[[読売新聞]]
|date=2011-09-11
|accessdate=2011-09-11
}}</ref>。
== UFO研究家としての動向 ==
東北[[未確認飛行物体|UFO]]フォーラムのゲストとして招かれる<ref>[http://www.mixpink.com/ufo/sasuke.html 東北UFOフォーラム] 福島県観光情報ページ</ref>など、UFO研究家としても有名。[[イオンド大学]]からUFOに関する名誉教授就任のオファーが届いており、[[スポーツ報知]]によると「書類に名前を書いて提出する」<ref>[https://web.archive.org/web/20070417062018/http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20070410-OHT1T00078.htm サスケ氏明言「政界復帰なし」]</ref>ということであったが、[[週刊新潮]]によると「株式会社から名誉教授をもらっても仕方がないので、辞退するよう言っておきました」<ref>週刊新潮2007年4月26日号『サスケに「名誉教授」を打診した米大学の正体はラーメンチェーン』</ref>とのことである。
週刊新潮によると、イオンド大学は米国の大学を自称しているが、[[学校法人]]ではなく、東京に本社を置く株式会社である。株式会社から授与された学位は正式な[[学位]]ではないため、使用した場合は[[軽犯罪法]]の称号詐称に問われる可能性が強い。そのため、前述のようなコメントとなったのである。なお、イオンド大学は、いわゆる[[ディプロマミル]]のひとつとしてアメリカ合衆国内で認識されている[[パシフィック・ウエスタン大学]]と同様、オレゴン州やミシガン州などで公的な使用が禁じられている学位の発行元の一つとしてリストに掲載されている。日本国外の大学であるからと言って、日本国内で学位が通用しないという訳ではない。
== 大予言 ==
2000年年末の後楽園大会の試合後、リング上で「21世紀(ミレニアム)に起こること」を[[予言]]した。これがきっかけとなり毎年年末になると「来年の予言」をリング上や週刊プロレス誌上、週プロモバイルなどで行うようになり、以降「サスケの大予言」として名物化した。
内容は世界情勢、国内の動向、プロレス界の流れ、今後ブレイクするレスラー、引退するレスラーなど多岐に渡る。年に一回のトークイベントとして行われていて2015年に最終回。アイスリボンの[[希月あおい]]が登場し2016年ブレイクすることを予言して終了した。
== 救済活動 ==
サスケはスキャンダルに見舞われた著名人の救済活動を標榜している。2016年12月15日の後楽園ホール大会では、[[佐村河内守]]の曲をエレクトーンで演奏しながら入場。試合後、[[成宮寛貴]]を救済するという趣旨のコメントを行った。
2017年8月24日の後楽園ホール大会では、自身をTLCマッチで破った[[高橋奈七永]]に対して[[真木よう子]]の救済を頼み、低視聴率で話題になったフジテレビ系「[[セシルのもくろみ]]」を全話見ることを自身とタッグを組む条件とした<ref>週刊プロレス2017年9月13日号p.117-119</ref>。
== 著書 ==
* 『サスケが翔ぶ』(1996年5月、[[市井社]])ISBN 978-4882080350
* 『岩手発、未来へ―覆面議員サスケ参上』(2003年10月24日、[[風塵社]])ISBN 978-4776300076
* 『ザ・グレート・サスケの飛ぶ教室』(2010年4月2日、[[エンターブレイン]]、編集:[[マッスル坂井]])ISBN 978-4047264847
=== 関連書籍 ===
* [[伊藤健史]]『みちのく夢伝説―ザ・グレート・サスケと愉快な仲間』(1995年2月、大栄出版)ISBN 978-4886824851
== メディア出演 ==
=== テレビ ===
* [[テツワン探偵ロボタック]](1998年、[[テレビ朝日]]、[[東映]])
: 第36話「消えた覆面レスラー」([[スペル・デルフィン]]と共演)
* [[天才!ヒポカンパス]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])
* やっぺし!みちプロ(2008年、[[IBC岩手放送]])[[みちのくプロレス]]の番組
* 地元の人が教える!2泊3日の旅([[旅チャンネル]])
: 第19話「平泉・座敷わらし伝説・三陸海岸を巡るザ・グレート・サスケ みちのく岩手の旅」
* 旅ちゃんガイド(旅チャンネル)
: 第37話、ゲスト出演。
=== ラジオ ===
* そうよ!サスケのSEXYボム!([[東北放送|TBC]]ラジオ)
=== アダルトビデオ ===
* サスケのジュニアはヘビー級チャンピオン!!(1999年、[[アトラスにじゅういち#主要新作レーベルと活動期間|SAURS]])※監督
=== 映画 ===
* [[傷だらけの天使 (映画)|傷だらけの天使]](1997年) - プロレスラー役<ref>{{Cite web|和書|title=傷だらけの天使(1997)|url=https://moviewalker.jp/mv29501/|website=映画-Movie Walker|accessdate=2019-2-24|language=ja-jp}}</ref>
* そして天使は歌う ぼ・ぼ・僕らは正義の味方(1997年) - 正義の味方の思い出を語る人々役<ref>{{Cite web|和書|title=そして天使は歌う ぼ・ぼ・僕らは正義の味方|url=https://moviewalker.jp/mv45962/|website=映画-Movie Walker|accessdate=2019-02-24|language=ja-jp}}</ref>
* 風雲児 長者番付に挑んだ男(2006年) - 音楽をプロデュース<ref>{{Cite web|和書|title=風雲児 長者番付に挑んだ男|url=https://moviewalker.jp/mv35870/|website=映画-Movie Walker|accessdate=2019-02-24|language=ja-jp}}</ref>
* [[アテルイ (アニメ映画)|アテルイ]](2002年) - 朴葉の仮面の男役<ref>{{Cite web|和書| url =http://www.cinema-tohoku.co.jp/movie/aterui/c_prf.html | title = 「アテルイ」主な登場人物紹介| publisher = シネマとうほく| accessdate = 2016-06-21}}</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[マッハ隼人]] - マッハ隼人が被っていた歌舞伎の隈取をモチーフにしたマスクを継承している。
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Great Sasuke}}
{{ウィキプロジェクトリンク|プロレスラー|[[File:Logo Projet Catch (2).png|39px]]}}
* [http://www.michipro.jp/profile/sasuke.html みちのくプロレス公式サイト プロフィール]
* [https://ameblo.jp/thegreatsasuke/ ザ・グレート・サスケオフィシャルブログ]
* {{Wayback|url=http://gree.jp/the_great_sasuke/ |title=ザ・グレート・サスケ公式ブログ |date=20210618093933}}
* {{Twitter|the_greatsasuke}}
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7,132 | 中松義郎 | 中松 義郎(なかまつ よしろう、通称:ドクター・中松、英語表記:Dr. NakaMats 1928年〈昭和3年〉6月26日 - )は、日本の発明家、実業家、政治活動家。「ドクター・中松創研」代表取締役、日本文化振興会第10代会長、現副総裁、「国際発明協会」および「世界天才会議」の主宰者。東京都知事選挙に繰り返し出馬するなどのパフォーマンスで注目を集め、タレントとしてテレビに出演するようになった。
東京府(現:東京都渋谷区)出身。中松家は直参の旗本で、父は横浜正金銀行行員、母・芳野は東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)を卒業した教師だった。学校は、初め麹町小学校に越境通学した後、東京・原宿の自宅から至近の青山師範学校附属小学校(現:東京学芸大学附属世田谷小学校)に4年生から編入した。
その後は旧制麻布中学校、海軍機関学校、旧制成城高等学校理科甲類を経て、1953年(昭和28年)に東京大学工学部を卒業した。その後トーク番組「面白スタジアム」では東大法学部に学士入学して卒業したと主張しているが、真偽は定かではない。卒業後は三井物産に就職した。
1959年(昭和34年)、イ・アイ・イに入社、専務、副社長を歴任した。1971年(昭和46年)、同社社長との対立から独立した中松はナコー(現在のドクター・中松創研)を設立、自らの研究開発の拠点とした。
妻・滋里(1966年1月結婚)との間に義樹(2019年12月に長男・義瑛誕生。中松の初孫)、義成(ミュージシャン)、娘の2男1女を授かる。座右の銘は「撰難楽」(“せんなんらく”。愚か者は楽な道を、天才は困難な道を選ぶという意味)。趣味・特技はカメラ、ピアノ、ダンス。
尊敬する人は101歳で死去した母・芳野であり、東京都知事選への出馬を促したのも母だったという。
野球などのスポーツに造詣が深く、1990年(平成2年)には日本人として初めてメジャーリーグ球団ピッツバーグ・パイレーツの始球式を行っている。
「君が代」をコンピュータで行進曲調にアレンジし、歌詞は原曲の通りに自身で吹き込んだシングルCDを発売したことがある。
20歳の頃にセックスをすると頭が悪くなるとも主張しており、自身も24歳までセックスをしていなかったという。
一時期南青山のマンションに事務所を構えていた際、そのマンションには柴田亜美が居住していた。
努力と粘り強さをモットーとしている。海軍機関学校の出身であるが、入学試験時の身体測定時に、胸囲測定において意地悪な水兵に腹に近い部分を測定され基準以下となり不合格となりそうになるも、試験場でたまたま出会った将校に検査の顛末と自分がいかに勉強と身体鍛錬を重ねたかを訴えた結果、再測定が叶い、合格した。
「ドクター・中松」という通称で知られているが、中松が保有するとされる博士号(ドクター)の存在は確認されていない。
1991年東京都知事選挙に無所属で立候補、“21世紀の地球都市を発明する”の基本政策を掲げ、自作のジャンピングシューズ(ピョンピョンシューズ又はフライングシューズ)を履いたパフォーマンスを行った。結果はわずか2万7,145票で惨敗ではあったが、一方でバラエティー番組に「奇抜な発明家」として登場する機会も増えた。
翌1992年(平成4年)の参院選には比例区に政党「発明政治」を率いて出馬したが落選した。
また、1995年東京都知事選挙に立候補を表明するも、告示前に断念し、上田哲候補の応援に回っている。
2003年(平成15年)の都知事選では、会見で「ドクター・中松ディフェンス (DND)」という発明品で、「ミサイル攻撃を防止できる装置の発明で、首都を、そして都民をこのミサイル攻撃から救う」「北朝鮮のミサイルをUターンさせられる」などと発表した。
2005年(平成17年)のインタビューで「元来、政治家は国のために働くもの。『国のため』という気概をどの程度が持っているかが重要なポイントだ」と政治家には愛国心が必要であると主張した。
2007年(平成19年)、第21回参議院選挙に立候補した際に発表した「ドクター・中松ドクトリン」には、「私にしか出来ない最先端の発明が日本のためになる」「官僚はよく働く者のみなし数を1/2にする」「現行憲法は存在しない。現行憲法の名称は大日本帝国憲法の昭和二十一年改正であるべきである」等記載されていた。2013年(平成25年)に「真の近現代史観」懸賞論文で佳作を受賞した論文「日本は負けていない」でも同様の主張を行っている。
2011年(平成23年)の都知事選に無所属で出馬した時には記者会見で、当選しない場合はあと10回以上選挙に挑戦し続けると宣言した。また80代の年齢で都知事の激務に耐えられるかを尋ねられ、筋トレで身体を鍛えているため80歳時点で50トンの重り(キログラムの誤記ではない)を持ち上げることができ、体力に問題はないと答えた。
2012年(平成24年)の都知事選では、届け出名をそれまでの「ドクター」から本名に変えたが、これは橋下徹が「『カタカナ名前はふざけている』と言ったらしい」というのが理由であるという。
2013年(平成25年)、第23回参議院選挙を前に小林興起が設立した政治団体つばさ日本の最高顧問に就任し、公認候補として比例区から出馬すると発表。しかしその後つばさ日本が候補者の選定などに難航し、同選挙への候補者擁立見送りを発表すると、無所属で東京都選挙区から立候補すると発表した。届け出名については前回に続き本名の「中松義郎」で届け出るとしており、理由については「偽物の博士が多くなった。一緒にされては困る。」と語った。
2009年(平成21年)7月、宗教法人幸福の科学を母体とする幸福実現党に招聘されて同党特別代表に就任し同直前就任した新風講師団を離脱、2011年(平成23年)2月28日の退任まで務めた。中松は幸福の科学の会員ではないものの、第45回衆議院議員総選挙(2009年)には同党の比例代表東京ブロックに立候補して落選している。第22回参議院議員通常選挙(2010年)も同党から立候補するも落選。その後は同党と一線を画し、無所属で立候補している。
1971年にアラン・シュガートらがIBMで開発したフロッピーディスクを、中松は1985年頃から、自分の発明であると主張している。中松が1985年(昭和60年)に配付したとされる資料では、1947年(昭和22年)の東大在学中に「シートに面積型に記録する媒体」とその再生を行うドライブの着想を抱き、1948年(昭和23年)に特許を出願し、1950年(昭和25年)に完成させ、1952年(昭和27年)に特許が認められ、その製品化で1956年(昭和31年)に三井物産の株が上がったとしている。また中松は1979年(昭和54年)にパテント契約をIBMと締結したとして、フロッピーディスクは中松の発明によるものだとしている。
実際にはIBMの特許は日米ともに審査を経て認められており、中松が1983年に改良型フロッピーディスクを出願した際にも、審査でIBMの特許が参照されている。中松の主張に対しIBMの担当者は、「IBMはいくつかの特許使用契約を中松から得たことがあるが、それはフロッピーディスクのものではなく、フロッピーディスクはIBMが独自に開発したものである」と述べている。
中松はフロッピーディスクのパテントを主張する一方で具体的な特許番号を明かしていないが、中松の主張にある「1948年(昭和23年)に特許出願して、1952年(昭和27年)に登録されたフロッピー媒体」と時期が重なる特許に「重色レコード」(特公昭27-001322)および「積紙式完全自動連奏蓄音器」(特公昭27-002166)の2つがある。重色レコードは音の波形が段状に記録(印刷)された紙であり、積紙式完全自動連奏蓄音器は重色レコードの波形を光学的に読み取って音を再生するので(オプティカル・サウンド参照)「シートに面積型に記録再生する媒体とドライブ」ではあるが、フロッピーディスクの特許に抵触する様な内容ではない。磁性体に円弧形に音声を記録する、よりフロッピーディスクに近いものは星野愷が開発して「シンクロリーダー」としてキヤノンから1958年に製品化されており、その際に中松の特許が注目されたことで当時中松が勤務しており、後の三井物産となる第一物産の株価が急騰したと見られている。なお重色レコードの特許は料金未納で既に権利が消滅していた事が後日判明している。その後シンクロリーダーの機能を簡略化した「シンクロファクス」をリコーが開発して1959年に製品化し、そのシンクロファクスに類似した「万能シートレコーダー」が「ナカビゾン」の別名で日本コロムビアから1961年に製品化された。ナカビゾンは中松が開発したとされる。
中松の主張は変遷しており、1992年の著書では、中松はナカビゾン等の”フロッピー媒体”に代わってフロッピーディスクそのものを完成させ、コンピュータ用として日本の各社に売り込むも相手にされなかったところを、IBM副社長が権利を求めて来日したという話になっている。2017年現在でも中松のウェブサイトでは「フロッピーディスクの発明者、ドクター・中松」としてサイン入りのフロッピーディスクを販売しているが、このサイトで販売されている「フロッピーディスク」は重色レコードや磁気シートではない、パソコンの5.25インチドライブで扱う本物のフロッピーディスクである。
中松が1991年に完成させたという原動機(画像)。同名の燃料電池と区別して「ドクター・中松エンジンII」とも呼ばれる。同年9月に出版された著書では「宇宙エネルギエンジン」とだけ記述されていたが、10月の著書では、原理を明かさないまま「人類の夢であった永久機関」であるとした。1992年2月の著書では「宇宙エネルギー」なるものをアンテナで取り込む事によって無接触で回転すると説明されたが、その宇宙エネルギーについての説明では、「原子核と電子の間に存在する『宇宙エネルギー』」、「宇宙にある赤外線、可視光線、紫外線、エックス線、ガンマー線など」と、同じ本の中で記述が異なっている。
本人は、この装置を熱力学第二法則に反さない永久機関であるとしているが、外部から何らかのエネルギーを供給されている以上、永久機関の条件を満たしていない。機械的に接触せずに回転するので、摩擦抵抗が無く一度回り出したら永久に回るともしているが、藤倉珊によると、手で光を遮ると回転は止まったという。以後の中松の著書ではあまり取り上げられることもなくなり、取り上げられる際にも「仮想永久エンジン」と書かれるようになった。
中松は1983年1月に「光や熱の放射エネルギを直接回転力等にする装置」の名で、同一原理と見られる装置の特許を出願しているが、アメリカでベル研究所が1955年に出願した特許と同じであるとして異議が申し立てられ、1989年に拒絶の審判が下されている。この装置は太陽電池とブラシレスモータの組み合わせであり当然永久機関ではなかったが、「宇宙からの(太陽光という)エネルギーで(発電して)無接触で(ブラシレスモータが)回転する装置」ではあった。
1995年にはこれを応用した太陽光発電装置を「高効率発電装置」の名で再度出願し、請求の範囲を狭めることで特許を取得した。この特許公報では「宇宙エネルギ」という語も説明無しで使われている。1997年の著書では、これと同一と見られるものが、宇宙エネルギから直接交流を発電する「ドクター・中松ジェネレータ」として言及されている。
中松は食事を二食、一食と減らして自身の体調の変化を観察したところ、一食の時に調子が良かったことから、「リボディ」という健康法を思いついた。その中身とは、一日一食主義をはじめとして、体に良い五十五品目の摂取、ビタミンBやC、D、亜鉛といった栄養素の重要性、調理器具の正しい選択、強い精神の鍛錬、心地よい睡眠などであり、実践すれば144歳まで生きられるとしている。
しかし、自身の86歳の誕生日となった2014年(平成26年)6月26日、彼自身は治療不可能の前立腺がんに侵されており2015年(平成27年)末までの余命と医師から宣告されたことを公表した。彼は会見の場において、今後は残された時間を使って新しい「がん治療ロボット」の開発に取り組むことを宣言した。
その後、宣告されたという余命直前の2015年12月24日、東京都千代田区の外国人特派員協会で記者会見を開き、自身の治療法の発明について「2年間全力で発明し、ギリギリで完成させた」と明かした。
さらに、90歳を越えた2018年9月21日、東京都内で「イグ・ノーベル賞の世界展」オープニングセレモニーに登場し、食事と血液の研究により前立腺導管がんを克服したと明かした。
特許以外にも数多くの流行語の商標登録出願を行い、「元祖平成維新」や「新・民主党」、「知本主義」などの商標出願を行っている。
一方で、中松の商標登録は度々却下ないし取消しの処分を受けることが多い。「がんばれ日本(にっぽん)」はJOCから不使用取消審判が請求され、審決取消訴訟を経て、中松の商標登録取消が確定した。
2011年(平成23年)12月16日、中松は「日本維新の会」「東京維新の会」の名称を商標登録するため特許庁に出願した。中松は1989年(平成元年)より著書や講演活動などで「平成維新」の言葉を使用していると主張、同日に「東京都維新の会」、「平成維新の会」についても出願されているが、こちらは登録が認められている。2010年に「大阪維新の会」を結成しており、2012年9月8日に「日本維新の会」を設立した大阪市長橋下徹らは「日本維新の会」の商標登録を行う予定であり、「粛々と手続きをすすめる」としていた。2012年8月16日に中松の申請は商標法第4条第1項第7号の「公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがある商標」として却下され、中松側の不服申し立ても2014年2月25日に再び却下された。中松側は審決取消訴訟を行ったが、9月17日に知的財産高等裁判所は却下は妥当であるという判決を下した。この間、「元祖 日本維新の会」、「本家 日本維新の会」、「元祖 維新の会」の出願も行っている。「日本維新の会」の商標は2012年11月22日に日本維新の会によって出願、登録され、現在は「おおさか維新の会」を前身として結成された日本維新の会が権利を保有している。
また「新・民主党」(登録第2459663号。平成24年9月30日存続期間満了)の商標も登録しており、2008年に民主党が「民主党」の商標登録を行った際には、特許庁は出願を商標法第4条第1項第11号の規定により拒絶するよう求めたが却下された。2012年には「新・民主党」の存続期間が満了したことを受けて再出願を行ったが、これは商標法第4条第1項第6号の「公益に関する団体であって営利を目的としないものを表示する標章であって著名なものと類似の商標」と判断され、却下された。中松側はこれを不当として拒絶査定不服審判を起こしたが、2015年に査定は正当であったとして却下されている。中松は2016年の民主党解党時に、自らが1989年に出願した「新民主党」の商標を提供したいというコメントを発しているが、当時該当する商標を中松が保持していたことは確認されていない。
中松によると、これまでの発明件数は3,000件以上であり、トーマス・エジソンの1,093件を上回り世界一だとしている。しかし、エジソンの発明が1,093件というのはアメリカ国内で取得した特許の件数であるが、中松による日本国内での特許取得件数は1991年時点で193件であり、中松の「3000件以上」という数字には特許を取得出来ていないなどの「発明」が多数含まれている。中松がマスコミに登場する際には、しばしば「発明件数」が「特許件数」と誤って紹介されるのみならず、本人の著書でも、著者紹介で誤って書かれている場合がある。95歳になる2023年までに取得した特許の件数は594件とされ、まだ申請中のものもあるという。
1980年(昭和55年)から1993年(平成5年)にかけては「発明件数2,360件」と主張していたが、『宝島30』1993年(平成5年)11月号に掲載された記事『「ドクター・中松」という珍発明』(松沢呉一)において発明件数が10年以上も全く変化していないことを指摘されて以降は、「3,000件以上」へと変わった。
なお、特許取得件数のギネス世界記録では工学博士の山崎舜平が2004年に3,245件の特許を取得したとして世界一に認定。2016年には11,353件で再認定されており、中松の「発明件数」をも大きく上回っている。媒体によっては中松もギネス記録保持者として紹介されることがあるが、2004年のギネス日本語版には「発明」の項があるものの中松の名は載っておらず、代わりに「もっとも多く特許を取得した人物」としてエジソンが挙げられている。
1989年(平成元年)、ニューズウィーク誌に掲載された『Who Said Talk Was Cheap?』(言うは易しなんて誰が言ったの?)という短い記事において、講演料が高額な人物11人の中で元大統領ロナルド・レーガン、超音速機パイロット・チャック・イェーガー、アメフトチーム監督マイク・ディトカ (Mike Ditka)、タイタニック号の発見者ロバート・バラード (Robert Ballard) と並んで唯一の日本人、フロッピーディスクを発明した「日本のエジソン」として講演料1万ドルと紹介された。記事のソースは講演斡旋会社とされており、編集部が評価したものではなく、中松は12人の中で最も低額であった。中松はこれを引用して「ニューズウィーク誌で世界で最も価値ある12人に選ばれた」と称している。
発明家としてメディアに露出していることで日本での知名度は高く、2006年(平成18年)に日本のインターネット世論調査会社が会員に対して行った調査で、「この人のおかげで今がある」とされる発明家として、6,088票中の129票と、1位のトーマス・エジソンの4%弱ながらも2位となった。また別の日本語サイトで2016年に行われた特許数世界一の人物を問うアンケートでは、正解の山崎舜平や元世界一のエジソンを引き離し、13,961票中6,493票を得て1位となった。
2010年(平成22年)、インド・デリーの寺院でチベット仏教ゲルク派のトップ(教主)である第102代ガンデン・ティパ(第3世セ・リンポチェ)から「金剛大阿闍梨」に認定されたという。一方、問い合わせを受けたガンデン・ティパは、中松に金剛大阿闍梨の地位を授けたことはなく、そもそもガンデン座主にそのような権限や風習がない、とその事実を否定した。
アメリカ合衆国の11の州で名誉市民となっているほか、いくつかの場所では「ドクター・中松デー」という記念日が制定されている。ただし、アメリカでは名誉市民賞や記念日は市に対して本人が寄付を行えば授与されるケースが多く、一般的な顕彰とは位置付けが違っている。また、世界発明コンテストに11年連続でグランプリ受賞したとしているが、そのコンテストの主催者である国際発明協会(社団法人「発明協会」とは無関係の組織)の会長は中松自身である。
2005年(平成17年)、「35年間に渡り自分の食事を毎回撮影し、食べた物が脳の働きや体調に与える影響を分析し続けたこと」に対して、ノーベル賞のパロディであるイグノーベル賞(栄養学賞)が贈られた。中松は42歳のときから食べた食事の記録、血圧や体重などの情報を集めるようになり、撮影した食事の写真は1万枚以上に上る。中松はこの受賞は、自ら提唱した健康理論であるリボディ理論が認められたためであるとしている。
また受賞以来、政見放送や自サイトなどでこの受賞に触れる場合には、「IG(アイジー)ノーベル賞受賞」と表記、または発音している。さらに中松自サイトや商品の販売では「IGノーベル賞」は「ノーベル賞の上のノーベル賞」であるとして、受賞者はノーベル賞受賞者が選ぶなどと説明している。しかし、2016年(平成28年)の自著『私は死んでる暇がない』では「イグノーベル賞」「Ig(イグ)ノーベル賞」と表記している。日本ではこの受賞を積極的に宣伝しており、ウェブサイトでの自己紹介でも一番に書かれているが、英語版の自己紹介では全く触れられていない。
2014年(平成26年)のイグノーベル賞授賞式では、日本人初となる基調講演に抜擢され、当日は車いす姿で「がん撲滅食を発明した」と発表し、喝采を浴びた。
中松はその他、リンカーン記念平和財団総裁、世界宗教連合会総裁、世界宗教法王庁第二代法王、国際学士院大学総長、日本文化振興会第十代会長、世界婦人平和促進財団最高顧問などの肩書きを称している。
2014年(平成26年)5月に、全米がん撲滅協会の会長に就任し、がん撲滅の発明をすることを明言していたが、6月に自らも末期がんであることを公表。2015年(平成27年)4月18日にがん撲滅ソング「ガンの顔つき悪くても」(2015年6月24日発売)で歌手デビューを果たす。
イグノーベル賞の他、中松の主張によれば、米国国会表彰、アメリカ大統領賞、米国発明会議最高賞、世界名誉賞、ミズーリ大学総長賞、米国ナショナル大学世界指導者賞、シカゴハイテク研究所天才賞、国際著名人名誉殿堂入り、韓国文化勲章、世界平和大賞、米国発明協会最高賞、ミレニアム賞、韓国蒋英実化学文化賞などの顕彰を受けている。1982年(昭和57年)に全人類に最も貢献した世界一の発明家賞、1983年(昭和58年)に発明大賞科学技術庁長官賞科学技術振興功績者表彰、1985年(昭和60年)社会貢献者特別功労者賞、1987年(昭和62年)に国際照明フェア最優秀賞天才賞、ビジティングスカラー大賞、1988年(昭和63年)にはアメリカ発明会議ライフタイム・アチーブメント賞などを受けたともしている。うち、日本の公的な賞である科学技術庁長官賞は、磁気テープドロップアウト除去装置の開発育成を評して1983年に実際に授与されており、その年の園遊会にて中松が参列しているという写真が残されている。
「ブッシュ大統領親書」も受賞一覧に挙がっており、著書「政治を発明する」(1990年)にて「アメリカ合衆国大統領 ジョージ・ブッシュ」によるものとされる手紙が掲載されているが、英文を見るとInternational Inventors Exposition(国際発明家博覧会)の主催者として受け取ったものである上、手紙の日付にある1988年4月当時のジョージ・H・W・ブッシュは、大統領選挙前の副大統領である。
この他、2007年にアメリカの映画会社が企画していた、燃料電池を扱ったドキュメンタリーに関し、中松も取材を受けていた。 | [
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"text": "中松 義郎(なかまつ よしろう、通称:ドクター・中松、英語表記:Dr. NakaMats 1928年〈昭和3年〉6月26日 - )は、日本の発明家、実業家、政治活動家。「ドクター・中松創研」代表取締役、日本文化振興会第10代会長、現副総裁、「国際発明協会」および「世界天才会議」の主宰者。東京都知事選挙に繰り返し出馬するなどのパフォーマンスで注目を集め、タレントとしてテレビに出演するようになった。",
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"text": "東京府(現:東京都渋谷区)出身。中松家は直参の旗本で、父は横浜正金銀行行員、母・芳野は東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)を卒業した教師だった。学校は、初め麹町小学校に越境通学した後、東京・原宿の自宅から至近の青山師範学校附属小学校(現:東京学芸大学附属世田谷小学校)に4年生から編入した。",
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"text": "その後は旧制麻布中学校、海軍機関学校、旧制成城高等学校理科甲類を経て、1953年(昭和28年)に東京大学工学部を卒業した。その後トーク番組「面白スタジアム」では東大法学部に学士入学して卒業したと主張しているが、真偽は定かではない。卒業後は三井物産に就職した。",
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"text": "1959年(昭和34年)、イ・アイ・イに入社、専務、副社長を歴任した。1971年(昭和46年)、同社社長との対立から独立した中松はナコー(現在のドクター・中松創研)を設立、自らの研究開発の拠点とした。",
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"text": "妻・滋里(1966年1月結婚)との間に義樹(2019年12月に長男・義瑛誕生。中松の初孫)、義成(ミュージシャン)、娘の2男1女を授かる。座右の銘は「撰難楽」(“せんなんらく”。愚か者は楽な道を、天才は困難な道を選ぶという意味)。趣味・特技はカメラ、ピアノ、ダンス。",
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"text": "尊敬する人は101歳で死去した母・芳野であり、東京都知事選への出馬を促したのも母だったという。",
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"text": "野球などのスポーツに造詣が深く、1990年(平成2年)には日本人として初めてメジャーリーグ球団ピッツバーグ・パイレーツの始球式を行っている。",
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"text": "「君が代」をコンピュータで行進曲調にアレンジし、歌詞は原曲の通りに自身で吹き込んだシングルCDを発売したことがある。",
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"text": "20歳の頃にセックスをすると頭が悪くなるとも主張しており、自身も24歳までセックスをしていなかったという。",
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"text": "一時期南青山のマンションに事務所を構えていた際、そのマンションには柴田亜美が居住していた。",
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"text": "努力と粘り強さをモットーとしている。海軍機関学校の出身であるが、入学試験時の身体測定時に、胸囲測定において意地悪な水兵に腹に近い部分を測定され基準以下となり不合格となりそうになるも、試験場でたまたま出会った将校に検査の顛末と自分がいかに勉強と身体鍛錬を重ねたかを訴えた結果、再測定が叶い、合格した。",
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"text": "「ドクター・中松」という通称で知られているが、中松が保有するとされる博士号(ドクター)の存在は確認されていない。",
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"text": "1991年東京都知事選挙に無所属で立候補、“21世紀の地球都市を発明する”の基本政策を掲げ、自作のジャンピングシューズ(ピョンピョンシューズ又はフライングシューズ)を履いたパフォーマンスを行った。結果はわずか2万7,145票で惨敗ではあったが、一方でバラエティー番組に「奇抜な発明家」として登場する機会も増えた。",
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"text": "翌1992年(平成4年)の参院選には比例区に政党「発明政治」を率いて出馬したが落選した。",
"title": "政治活動"
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"text": "また、1995年東京都知事選挙に立候補を表明するも、告示前に断念し、上田哲候補の応援に回っている。",
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"text": "2003年(平成15年)の都知事選では、会見で「ドクター・中松ディフェンス (DND)」という発明品で、「ミサイル攻撃を防止できる装置の発明で、首都を、そして都民をこのミサイル攻撃から救う」「北朝鮮のミサイルをUターンさせられる」などと発表した。",
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"text": "2005年(平成17年)のインタビューで「元来、政治家は国のために働くもの。『国のため』という気概をどの程度が持っているかが重要なポイントだ」と政治家には愛国心が必要であると主張した。",
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"text": "2007年(平成19年)、第21回参議院選挙に立候補した際に発表した「ドクター・中松ドクトリン」には、「私にしか出来ない最先端の発明が日本のためになる」「官僚はよく働く者のみなし数を1/2にする」「現行憲法は存在しない。現行憲法の名称は大日本帝国憲法の昭和二十一年改正であるべきである」等記載されていた。2013年(平成25年)に「真の近現代史観」懸賞論文で佳作を受賞した論文「日本は負けていない」でも同様の主張を行っている。",
"title": "政治活動"
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"text": "2011年(平成23年)の都知事選に無所属で出馬した時には記者会見で、当選しない場合はあと10回以上選挙に挑戦し続けると宣言した。また80代の年齢で都知事の激務に耐えられるかを尋ねられ、筋トレで身体を鍛えているため80歳時点で50トンの重り(キログラムの誤記ではない)を持ち上げることができ、体力に問題はないと答えた。",
"title": "政治活動"
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"text": "2012年(平成24年)の都知事選では、届け出名をそれまでの「ドクター」から本名に変えたが、これは橋下徹が「『カタカナ名前はふざけている』と言ったらしい」というのが理由であるという。",
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"text": "2013年(平成25年)、第23回参議院選挙を前に小林興起が設立した政治団体つばさ日本の最高顧問に就任し、公認候補として比例区から出馬すると発表。しかしその後つばさ日本が候補者の選定などに難航し、同選挙への候補者擁立見送りを発表すると、無所属で東京都選挙区から立候補すると発表した。届け出名については前回に続き本名の「中松義郎」で届け出るとしており、理由については「偽物の博士が多くなった。一緒にされては困る。」と語った。",
"title": "政治活動"
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"text": "2009年(平成21年)7月、宗教法人幸福の科学を母体とする幸福実現党に招聘されて同党特別代表に就任し同直前就任した新風講師団を離脱、2011年(平成23年)2月28日の退任まで務めた。中松は幸福の科学の会員ではないものの、第45回衆議院議員総選挙(2009年)には同党の比例代表東京ブロックに立候補して落選している。第22回参議院議員通常選挙(2010年)も同党から立候補するも落選。その後は同党と一線を画し、無所属で立候補している。",
"title": "政治活動"
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"text": "1971年にアラン・シュガートらがIBMで開発したフロッピーディスクを、中松は1985年頃から、自分の発明であると主張している。中松が1985年(昭和60年)に配付したとされる資料では、1947年(昭和22年)の東大在学中に「シートに面積型に記録する媒体」とその再生を行うドライブの着想を抱き、1948年(昭和23年)に特許を出願し、1950年(昭和25年)に完成させ、1952年(昭和27年)に特許が認められ、その製品化で1956年(昭和31年)に三井物産の株が上がったとしている。また中松は1979年(昭和54年)にパテント契約をIBMと締結したとして、フロッピーディスクは中松の発明によるものだとしている。",
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"text": "実際にはIBMの特許は日米ともに審査を経て認められており、中松が1983年に改良型フロッピーディスクを出願した際にも、審査でIBMの特許が参照されている。中松の主張に対しIBMの担当者は、「IBMはいくつかの特許使用契約を中松から得たことがあるが、それはフロッピーディスクのものではなく、フロッピーディスクはIBMが独自に開発したものである」と述べている。",
"title": "発明品"
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"text": "中松はフロッピーディスクのパテントを主張する一方で具体的な特許番号を明かしていないが、中松の主張にある「1948年(昭和23年)に特許出願して、1952年(昭和27年)に登録されたフロッピー媒体」と時期が重なる特許に「重色レコード」(特公昭27-001322)および「積紙式完全自動連奏蓄音器」(特公昭27-002166)の2つがある。重色レコードは音の波形が段状に記録(印刷)された紙であり、積紙式完全自動連奏蓄音器は重色レコードの波形を光学的に読み取って音を再生するので(オプティカル・サウンド参照)「シートに面積型に記録再生する媒体とドライブ」ではあるが、フロッピーディスクの特許に抵触する様な内容ではない。磁性体に円弧形に音声を記録する、よりフロッピーディスクに近いものは星野愷が開発して「シンクロリーダー」としてキヤノンから1958年に製品化されており、その際に中松の特許が注目されたことで当時中松が勤務しており、後の三井物産となる第一物産の株価が急騰したと見られている。なお重色レコードの特許は料金未納で既に権利が消滅していた事が後日判明している。その後シンクロリーダーの機能を簡略化した「シンクロファクス」をリコーが開発して1959年に製品化し、そのシンクロファクスに類似した「万能シートレコーダー」が「ナカビゾン」の別名で日本コロムビアから1961年に製品化された。ナカビゾンは中松が開発したとされる。",
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"text": "中松の主張は変遷しており、1992年の著書では、中松はナカビゾン等の”フロッピー媒体”に代わってフロッピーディスクそのものを完成させ、コンピュータ用として日本の各社に売り込むも相手にされなかったところを、IBM副社長が権利を求めて来日したという話になっている。2017年現在でも中松のウェブサイトでは「フロッピーディスクの発明者、ドクター・中松」としてサイン入りのフロッピーディスクを販売しているが、このサイトで販売されている「フロッピーディスク」は重色レコードや磁気シートではない、パソコンの5.25インチドライブで扱う本物のフロッピーディスクである。",
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"text": "中松が1991年に完成させたという原動機(画像)。同名の燃料電池と区別して「ドクター・中松エンジンII」とも呼ばれる。同年9月に出版された著書では「宇宙エネルギエンジン」とだけ記述されていたが、10月の著書では、原理を明かさないまま「人類の夢であった永久機関」であるとした。1992年2月の著書では「宇宙エネルギー」なるものをアンテナで取り込む事によって無接触で回転すると説明されたが、その宇宙エネルギーについての説明では、「原子核と電子の間に存在する『宇宙エネルギー』」、「宇宙にある赤外線、可視光線、紫外線、エックス線、ガンマー線など」と、同じ本の中で記述が異なっている。",
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"text": "本人は、この装置を熱力学第二法則に反さない永久機関であるとしているが、外部から何らかのエネルギーを供給されている以上、永久機関の条件を満たしていない。機械的に接触せずに回転するので、摩擦抵抗が無く一度回り出したら永久に回るともしているが、藤倉珊によると、手で光を遮ると回転は止まったという。以後の中松の著書ではあまり取り上げられることもなくなり、取り上げられる際にも「仮想永久エンジン」と書かれるようになった。",
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"text": "中松は1983年1月に「光や熱の放射エネルギを直接回転力等にする装置」の名で、同一原理と見られる装置の特許を出願しているが、アメリカでベル研究所が1955年に出願した特許と同じであるとして異議が申し立てられ、1989年に拒絶の審判が下されている。この装置は太陽電池とブラシレスモータの組み合わせであり当然永久機関ではなかったが、「宇宙からの(太陽光という)エネルギーで(発電して)無接触で(ブラシレスモータが)回転する装置」ではあった。",
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"text": "1995年にはこれを応用した太陽光発電装置を「高効率発電装置」の名で再度出願し、請求の範囲を狭めることで特許を取得した。この特許公報では「宇宙エネルギ」という語も説明無しで使われている。1997年の著書では、これと同一と見られるものが、宇宙エネルギから直接交流を発電する「ドクター・中松ジェネレータ」として言及されている。",
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"text": "中松は食事を二食、一食と減らして自身の体調の変化を観察したところ、一食の時に調子が良かったことから、「リボディ」という健康法を思いついた。その中身とは、一日一食主義をはじめとして、体に良い五十五品目の摂取、ビタミンBやC、D、亜鉛といった栄養素の重要性、調理器具の正しい選択、強い精神の鍛錬、心地よい睡眠などであり、実践すれば144歳まで生きられるとしている。",
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"text": "しかし、自身の86歳の誕生日となった2014年(平成26年)6月26日、彼自身は治療不可能の前立腺がんに侵されており2015年(平成27年)末までの余命と医師から宣告されたことを公表した。彼は会見の場において、今後は残された時間を使って新しい「がん治療ロボット」の開発に取り組むことを宣言した。",
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"text": "その後、宣告されたという余命直前の2015年12月24日、東京都千代田区の外国人特派員協会で記者会見を開き、自身の治療法の発明について「2年間全力で発明し、ギリギリで完成させた」と明かした。",
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"text": "さらに、90歳を越えた2018年9月21日、東京都内で「イグ・ノーベル賞の世界展」オープニングセレモニーに登場し、食事と血液の研究により前立腺導管がんを克服したと明かした。",
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"text": "特許以外にも数多くの流行語の商標登録出願を行い、「元祖平成維新」や「新・民主党」、「知本主義」などの商標出願を行っている。",
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"text": "一方で、中松の商標登録は度々却下ないし取消しの処分を受けることが多い。「がんばれ日本(にっぽん)」はJOCから不使用取消審判が請求され、審決取消訴訟を経て、中松の商標登録取消が確定した。",
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"text": "また「新・民主党」(登録第2459663号。平成24年9月30日存続期間満了)の商標も登録しており、2008年に民主党が「民主党」の商標登録を行った際には、特許庁は出願を商標法第4条第1項第11号の規定により拒絶するよう求めたが却下された。2012年には「新・民主党」の存続期間が満了したことを受けて再出願を行ったが、これは商標法第4条第1項第6号の「公益に関する団体であって営利を目的としないものを表示する標章であって著名なものと類似の商標」と判断され、却下された。中松側はこれを不当として拒絶査定不服審判を起こしたが、2015年に査定は正当であったとして却下されている。中松は2016年の民主党解党時に、自らが1989年に出願した「新民主党」の商標を提供したいというコメントを発しているが、当時該当する商標を中松が保持していたことは確認されていない。",
"title": "発明品"
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"text": "中松によると、これまでの発明件数は3,000件以上であり、トーマス・エジソンの1,093件を上回り世界一だとしている。しかし、エジソンの発明が1,093件というのはアメリカ国内で取得した特許の件数であるが、中松による日本国内での特許取得件数は1991年時点で193件であり、中松の「3000件以上」という数字には特許を取得出来ていないなどの「発明」が多数含まれている。中松がマスコミに登場する際には、しばしば「発明件数」が「特許件数」と誤って紹介されるのみならず、本人の著書でも、著者紹介で誤って書かれている場合がある。95歳になる2023年までに取得した特許の件数は594件とされ、まだ申請中のものもあるという。",
"title": "発明件数"
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"text": "1980年(昭和55年)から1993年(平成5年)にかけては「発明件数2,360件」と主張していたが、『宝島30』1993年(平成5年)11月号に掲載された記事『「ドクター・中松」という珍発明』(松沢呉一)において発明件数が10年以上も全く変化していないことを指摘されて以降は、「3,000件以上」へと変わった。",
"title": "発明件数"
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"text": "なお、特許取得件数のギネス世界記録では工学博士の山崎舜平が2004年に3,245件の特許を取得したとして世界一に認定。2016年には11,353件で再認定されており、中松の「発明件数」をも大きく上回っている。媒体によっては中松もギネス記録保持者として紹介されることがあるが、2004年のギネス日本語版には「発明」の項があるものの中松の名は載っておらず、代わりに「もっとも多く特許を取得した人物」としてエジソンが挙げられている。",
"title": "発明件数"
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"paragraph_id": 41,
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"text": "1989年(平成元年)、ニューズウィーク誌に掲載された『Who Said Talk Was Cheap?』(言うは易しなんて誰が言ったの?)という短い記事において、講演料が高額な人物11人の中で元大統領ロナルド・レーガン、超音速機パイロット・チャック・イェーガー、アメフトチーム監督マイク・ディトカ (Mike Ditka)、タイタニック号の発見者ロバート・バラード (Robert Ballard) と並んで唯一の日本人、フロッピーディスクを発明した「日本のエジソン」として講演料1万ドルと紹介された。記事のソースは講演斡旋会社とされており、編集部が評価したものではなく、中松は12人の中で最も低額であった。中松はこれを引用して「ニューズウィーク誌で世界で最も価値ある12人に選ばれた」と称している。",
"title": "評価"
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"text": "発明家としてメディアに露出していることで日本での知名度は高く、2006年(平成18年)に日本のインターネット世論調査会社が会員に対して行った調査で、「この人のおかげで今がある」とされる発明家として、6,088票中の129票と、1位のトーマス・エジソンの4%弱ながらも2位となった。また別の日本語サイトで2016年に行われた特許数世界一の人物を問うアンケートでは、正解の山崎舜平や元世界一のエジソンを引き離し、13,961票中6,493票を得て1位となった。",
"title": "評価"
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"paragraph_id": 43,
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"text": "2010年(平成22年)、インド・デリーの寺院でチベット仏教ゲルク派のトップ(教主)である第102代ガンデン・ティパ(第3世セ・リンポチェ)から「金剛大阿闍梨」に認定されたという。一方、問い合わせを受けたガンデン・ティパは、中松に金剛大阿闍梨の地位を授けたことはなく、そもそもガンデン座主にそのような権限や風習がない、とその事実を否定した。",
"title": "評価"
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"text": "アメリカ合衆国の11の州で名誉市民となっているほか、いくつかの場所では「ドクター・中松デー」という記念日が制定されている。ただし、アメリカでは名誉市民賞や記念日は市に対して本人が寄付を行えば授与されるケースが多く、一般的な顕彰とは位置付けが違っている。また、世界発明コンテストに11年連続でグランプリ受賞したとしているが、そのコンテストの主催者である国際発明協会(社団法人「発明協会」とは無関係の組織)の会長は中松自身である。",
"title": "評価"
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"text": "2005年(平成17年)、「35年間に渡り自分の食事を毎回撮影し、食べた物が脳の働きや体調に与える影響を分析し続けたこと」に対して、ノーベル賞のパロディであるイグノーベル賞(栄養学賞)が贈られた。中松は42歳のときから食べた食事の記録、血圧や体重などの情報を集めるようになり、撮影した食事の写真は1万枚以上に上る。中松はこの受賞は、自ら提唱した健康理論であるリボディ理論が認められたためであるとしている。",
"title": "評価"
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"text": "また受賞以来、政見放送や自サイトなどでこの受賞に触れる場合には、「IG(アイジー)ノーベル賞受賞」と表記、または発音している。さらに中松自サイトや商品の販売では「IGノーベル賞」は「ノーベル賞の上のノーベル賞」であるとして、受賞者はノーベル賞受賞者が選ぶなどと説明している。しかし、2016年(平成28年)の自著『私は死んでる暇がない』では「イグノーベル賞」「Ig(イグ)ノーベル賞」と表記している。日本ではこの受賞を積極的に宣伝しており、ウェブサイトでの自己紹介でも一番に書かれているが、英語版の自己紹介では全く触れられていない。",
"title": "評価"
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"text": "2014年(平成26年)のイグノーベル賞授賞式では、日本人初となる基調講演に抜擢され、当日は車いす姿で「がん撲滅食を発明した」と発表し、喝采を浴びた。",
"title": "評価"
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"text": "中松はその他、リンカーン記念平和財団総裁、世界宗教連合会総裁、世界宗教法王庁第二代法王、国際学士院大学総長、日本文化振興会第十代会長、世界婦人平和促進財団最高顧問などの肩書きを称している。",
"title": "その他の肩書き"
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"text": "2014年(平成26年)5月に、全米がん撲滅協会の会長に就任し、がん撲滅の発明をすることを明言していたが、6月に自らも末期がんであることを公表。2015年(平成27年)4月18日にがん撲滅ソング「ガンの顔つき悪くても」(2015年6月24日発売)で歌手デビューを果たす。",
"title": "その他の肩書き"
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"text": "イグノーベル賞の他、中松の主張によれば、米国国会表彰、アメリカ大統領賞、米国発明会議最高賞、世界名誉賞、ミズーリ大学総長賞、米国ナショナル大学世界指導者賞、シカゴハイテク研究所天才賞、国際著名人名誉殿堂入り、韓国文化勲章、世界平和大賞、米国発明協会最高賞、ミレニアム賞、韓国蒋英実化学文化賞などの顕彰を受けている。1982年(昭和57年)に全人類に最も貢献した世界一の発明家賞、1983年(昭和58年)に発明大賞科学技術庁長官賞科学技術振興功績者表彰、1985年(昭和60年)社会貢献者特別功労者賞、1987年(昭和62年)に国際照明フェア最優秀賞天才賞、ビジティングスカラー大賞、1988年(昭和63年)にはアメリカ発明会議ライフタイム・アチーブメント賞などを受けたともしている。うち、日本の公的な賞である科学技術庁長官賞は、磁気テープドロップアウト除去装置の開発育成を評して1983年に実際に授与されており、その年の園遊会にて中松が参列しているという写真が残されている。",
"title": "受賞"
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"text": "「ブッシュ大統領親書」も受賞一覧に挙がっており、著書「政治を発明する」(1990年)にて「アメリカ合衆国大統領 ジョージ・ブッシュ」によるものとされる手紙が掲載されているが、英文を見るとInternational Inventors Exposition(国際発明家博覧会)の主催者として受け取ったものである上、手紙の日付にある1988年4月当時のジョージ・H・W・ブッシュは、大統領選挙前の副大統領である。",
"title": "受賞"
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"text": "この他、2007年にアメリカの映画会社が企画していた、燃料電池を扱ったドキュメンタリーに関し、中松も取材を受けていた。",
"title": "出演"
}
] | 中松 義郎は、日本の発明家、実業家、政治活動家。「ドクター・中松創研」代表取締役、日本文化振興会第10代会長、現副総裁、「国際発明協会」および「世界天才会議」の主宰者。東京都知事選挙に繰り返し出馬するなどのパフォーマンスで注目を集め、タレントとしてテレビに出演するようになった。 | {{Infobox Engineer
|氏名 = 中松 義郎<br />{{small|なかまつ よしろう}}
|画像 = Nakamatsu.jpg
|画像のサイズ = 200px
|画像の説明 = 中松 義郎(2010年5月)
|別名 = ドクター・中松
|国籍 = {{JPN}}
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1928|6|26}}
|生誕地 = {{JPN}} [[東京都]]
|最終学歴 = [[学士(工学)|工学士]]([[東京大学]])<ref>1991年 [[東京都知事選挙]] 選挙公報誌 東京都選挙管理委員会発行</ref>
|職業 = 発明家
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|専門分野 = 発明
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|受賞歴 = [[イグノーベル賞]](栄養学賞)(2005年)
|署名 =
|公式サイト = http://dr.nakamats.com/
|補足 =
}}
'''中松 義郎'''(なかまつ よしろう、通称:'''ドクター・中松'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202207220001843.html |title=ドクター・中松氏、猛暑と節電の両方を実現する「二刀流」新発明発表…ポイントは手のひら |publisher=日刊スポーツ |date=2022-07-23 |accessdate=2022-07-23}}</ref>、英語表記:'''Dr. NakaMats''' [[1928年]]〈[[昭和]]3年〉[[6月26日]]<ref name="official"/><ref name="yomiuri07">「[訴える人・07都知事選](5)ドクター・中松さん78」『[[読売新聞]]東京本社版』2007年3月30日付朝刊、32面。</ref> - )は、[[日本]]の[[発明家]]、[[実業家]]、[[政治活動家]]。「ドクター・中松創研」代表取締役、[[日本文化振興会]]第10代会長、現副総裁<ref group='注'>2010年12月就任</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2010-12-06 |url=http://www.keiten.info/ph/20101206/shinkokai.htm |title=日本文化振興会新会長就任披露 世界婦人平和促進財団台湾総支部十周年記念行事 |publisher=[[敬天新聞社]] |accessdate=2011-01-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120312192354/http://www.keiten.info/ph/20101206/shinkokai.htm |archivedate=2012-03-12}}</ref>、「国際発明協会」<ref group='注'>[[発明協会]]は一切無関係。</ref>および「世界天才会議」の主宰者<ref>[http://dr-nakamats.com/genius/ 世界天才会議]</ref>。[[東京都知事選挙]]に繰り返し出馬するなどのパフォーマンスで注目を集め、タレントとしてテレビに出演するようになった<ref name="berita"/>。
== プロフィール==
=== 略歴 ===
[[画像:Yoshiro Nakamatsu in 1950s.jpg|200px|thumb|「送電線架設装置」を発明した中松義郎(1950年代)]]
[[東京府]](現:[[東京都]][[渋谷区]])出身<ref>{{Cite web|和書|year=2011 |url=http://www.yomiuri.co.jp/election/local/2011/profile/yf13001004.htm |title=ドクター・ 中松 : プロフィル |publisher=[[YOMIURI ONLINE]] |accessdate=2015-11-08}}</ref>。中松家は直参の[[旗本]]で、父は[[横浜正金銀行]]行員、母・芳野は[[東京女子高等師範学校]](現:[[お茶の水女子大学]])を卒業した教師だった<ref name="ojuken">{{Cite web|和書|author=中松義郎 |url=http://o-jyuken.com/dr/2.html |title=母流のユニークな学校選択 |work=頭の良い子を育てる環境・運動・食事〜ドクター中松のブレイン<脳>・エクササイズ |publisher=お受験どっとこむ |accessdate=2011-05-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070211143945/http://www.o-jyuken.com/dr/2.html |archivedate=2007-02-11}}</ref>。学校は、初め[[麹町小学校]]に[[越境通学]]した後、東京・[[原宿]]の自宅から至近の[[東京府青山師範学校|青山師範学校]]附属小学校(現:[[東京学芸大学附属世田谷小学校]])に4年生から編入した<ref name="ojuken"/>。
その後は旧制[[麻布中学校・高等学校|麻布中学校]]、[[海軍機関学校]]<ref>海軍兵学校出身者(生徒)名簿 (1978)</ref>、旧制[[成城高等学校 (旧制)|成城高等学校]]理科甲類を経て、[[1953年]](昭和28年)<ref>学士会会員氏名録 (2014)</ref>に[[東京大学大学院工学系研究科・工学部|東京大学工学部]]を卒業した<ref name="yomiuri07"/><ref name="yomiuri12">{{Cite news |title=万葉集で日本語の美…発明家 ドクター・中松さん |date=2012-05-10 |accessdate=2013-03-12 |url=http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/interview/teacher/20130222-OYT8T00922.htm |author=小寺以作 |publisher=[[読売新聞]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140222044823/http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/interview/teacher/20130222-OYT8T00922.htm |archivedate=2014-02-22}}</ref>。その後[[トーク番組]]「[[面白スタジアム]]」では[[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|東大法学部]]に[[学士入学]]して卒業したと主張しているが、真偽は定かではない。卒業後は[[三井物産]]に就職した<ref name="yomiuri07"/><ref name="yomiuri12"/>。
[[1959年]](昭和34年)、[[イ・アイ・イ・インターナショナル|イ・アイ・イ]]に入社、[[役員 (会社)#専務、常務、執行役、執行役員|専務]]、[[副社長]]を歴任した。[[1971年]](昭和46年)、同社[[社長]]との対立から独立した中松はナコー(現在のドクター・中松創研)を設立、自らの研究開発の拠点とした。
=== 私生活 ===
妻・滋里(1966年1月結婚)との間に義樹(2019年12月に長男・義瑛誕生。中松の初孫)、義成([[音楽家|ミュージシャン]])、娘の2男1女を授かる。座右の銘は「撰難楽」(“せんなんらく”。愚か者は楽な道を、天才は困難な道を選ぶという意味)。趣味・特技はカメラ、ピアノ、ダンス<ref>{{Cite news |title=都知事選 主要候補の横顔(下)=東京 |date=2012-12-02 |newspaper=[[読売新聞]]}}</ref>。
尊敬する人は101歳で死去した母・芳野であり、東京都知事選への出馬を促したのも母だったという<ref>{{Cite news |title=都知事選告示 過去最多の19人名乗り “首都の顔”どの顔に? |date=1999-03-25 |newspaper=[[産経新聞]]}}</ref><ref>{{Cite news |title=【訃報】中松芳野さん |date=1999-12-28 |newspaper=[[産経新聞]]}}</ref>。
野球などのスポーツに造詣が深く、1990年(平成2年)には日本人として初めて[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]球団[[ピッツバーグ・パイレーツ]]の始球式を行っている<ref>[https://npn.co.jp/article/detail/28854653/ ドクター・中松氏大リーグ始球式で怪気炎!「鳩山くん、大先輩に挨拶がないぞ」]([[内外タイムス|リアルライブ]]、2009年9月26日)</ref>。
「[[君が代]]」をコンピュータで行進曲調にアレンジし、歌詞は原曲の通りに自身で吹き込んだシングルCDを発売したことがある<ref>{{Cite news |title=ドクター・中松氏が「君が代」編曲しCD |newspaper=[[産経新聞]] |date=1999-09-15}}</ref>。
20歳の頃に[[性行為|セックス]]をすると頭が悪くなるとも主張しており、自身も24歳までセックスをしていなかったという<ref>{{Harv|立花|東京大学教養学部立花隆ゼミ|1998}}</ref>。
一時期[[南青山]]のマンションに事務所を構えていた際、そのマンションには[[柴田亜美]]が居住していた<ref>{{Cite web|和書|title=『ドクター高松。』 |url=https://ameblo.jp/mangakanoinutachi/entry-12654818790.html |website=『漫画家の犬』 |work=柴田亜美 |publisher=[[アメーバブログ]] |date=2021-02-05 |accessdate=2021-02-06}}</ref><ref>ジャングル少年ジャン番外編ドッキンばぐばぐアニマル1巻</ref><ref>G線上のアーミン56話</ref>。
==人物 ==
努力と粘り強さをモットーとしている。海軍機関学校の出身であるが<ref> 海軍兵学校出身者(生徒)名簿 (1978)</ref>、入学試験時の身体測定時に、胸囲測定において意地悪な水兵に腹に近い部分を測定され基準以下となり不合格となりそうになるも、試験場でたまたま出会った将校に検査の顛末と自分がいかに勉強と身体鍛錬を重ねたかを訴えた結果、再測定が叶い、合格した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/life/news/120407/bdy12040707000002-n1.htm 「発明家のドクター・中松さん 諦めないから失敗しない「人を喜ばせたい」80年近い創造の支えに」飯塚友子]</ref>。
=== 呼称 ===
「ドクター・中松」という通称で知られているが、中松が保有するとされる博士号(ドクター)の存在は確認されていない<ref>[https://web.archive.org/web/20081019223534/http://222.146.204.251/~mame/doc/nakamatsu/gakureki.html 学歴] - 大豆生田利章ウェブサイト([[インターネットアーカイブ]])</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20080226210805/http://222.146.204.251/~mame/doc/nakamatsu/zuno1.html 「頭脳革命」について] - 大豆生田利章ウェブサイト(インターネットアーカイブ)</ref>。
== 政治活動 ==
[[1991年東京都知事選挙]]に無所属で立候補、“21世紀の地球都市を発明する”の基本政策を掲げ、自作のジャンピングシューズ(ピョンピョンシューズ又はフライングシューズ)を履いたパフォーマンスを行った<ref name="berita"/>。結果はわずか2万7,145票で惨敗ではあったが、一方でバラエティー番組に「奇抜な発明家」として登場する機会も増えた<ref name="berita"/>。
翌1992年(平成4年)の[[第16回参議院議員通常選挙|参院選]]には比例区に政党「発明政治」を率いて出馬したが落選した<ref name="berita">{{Cite web|和書|title=Dr. 中松氏が「ハイブリッド政治」打ち出す 参院選に再び挑戦 |date=2007-06-08 |publisher=[[日刊ベリタ]] |author=及川健二 |url=http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200706080059125 |accessdate=2013-03-12}}</ref>。
また、[[1995年東京都知事選挙]]に立候補を表明するも<ref>「発明家・中松義郎氏が出馬表明 都知事選、2度目」『[[読売新聞]]東京本社版』1995年3月9日付朝刊、34面。</ref>、告示前に断念し<ref>「発明家の中松氏、都知事選出馬を断念」『[[読売新聞]]東京本社版』1995年3月21日付朝刊、34面。</ref>、[[上田哲]]候補の応援に回っている<ref>「都知事選きょう投開票 有力6候補密着ドキュメント」『[[読売新聞]]東京本社版』1995年4月9日付朝刊、30面。</ref>。
[[2003年]](平成15年)の[[2003年東京都知事選挙|都知事選]]では、会見で「ドクター・中松ディフェンス (DND)」という発明品で、「ミサイル攻撃を防止できる装置の発明で、首都を、そして都民をこのミサイル攻撃から救う」「北朝鮮のミサイルをUターンさせられる」などと発表した<ref name="berita"/>。
[[2005年]](平成17年)のインタビューで「元来、政治家は国のために働くもの。『国のため』という気概をどの程度が持っているかが重要なポイントだ」と政治家には[[愛国心]]が必要であると主張した<ref>{{Cite news |title=【東京 フォーカス・オン】10月のテーマ 国政にひとこと |newspaper=[[産経新聞]] |date=2005-10-23}}</ref>。
[[2007年]](平成19年)、第21回参議院選挙に立候補した際に発表した「ドクター・中松ドクトリン」には、「私にしか出来ない最先端の発明が日本のためになる」「官僚はよく働く者のみなし数を1/2にする」「現行憲法は存在しない。現行憲法の名称は[[大日本帝国憲法]]の昭和二十一年改正であるべきである」等記載されていた。2013年(平成25年)に[[「真の近現代史観」懸賞論文]]で佳作を受賞した論文「日本は負けていない」でも同様の主張を行っている<ref>[http://www.apa.co.jp/book_ronbun/vol4/yushu2011japan.html アパグループ 第4回「真の近現代史観」懸賞論文受賞者発表:優秀賞作品(社会人部門)]</ref>。
[[2011年]](平成23年)の都知事選に無所属で出馬した時には記者会見で、当選しない場合はあと10回以上選挙に挑戦し続けると宣言した<ref>[http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20110304-744086.html 中松氏5度目の出馬「当選するまで」 - 政治ニュース : nikkansports.com]</ref>。また80代の年齢で都知事の激務に耐えられるかを尋ねられ、筋トレで身体を鍛えているため80歳時点で50トンの重り(キログラムの誤記ではない)を持ち上げることができ、体力に問題はないと答えた<ref>[http://www.sanspo.com/shakai/news/110304/sha1103040121000-n2.htm 50トン持ち上げる!?ドクター・中松出馬]([[サンケイスポーツ|SANSPO.COM]]、2011年3月4日)</ref>。
[[2012年]](平成24年)の[[2012年東京都知事選挙|都知事選]]では、届け出名をそれまでの「ドクター」から本名に変えたが、これは[[橋下徹]]が「『カタカナ名前はふざけている』と言ったらしい」というのが理由であるという<ref>{{Cite web|和書|title=知事選:主な候補者の横顔/下 /東京 |url=http://senkyo.mainichi.jp/news/20121202ddlk13010142000c.html |publisher=[[毎日新聞]] |date=2012-12-02 |accessdate=2013-03-12 |archiveurl=https://archive.is/20130501153717/http://senkyo.mainichi.jp/news/20121202ddlk13010142000c.html |archivedate=2013-05-01 |deadlinkdate=2017-09}}</ref>。
[[2013年]](平成25年)、第23回参議院選挙を前に[[小林興起]]が設立した政治団体[[つばさ日本]]の最高顧問に就任し、公認候補として比例区から出馬すると発表<ref>{{Cite web|和書|title=朝日新聞デジタル:ドクター・中松氏、参院選立候補へ つばさ日本の公認で - 政治 |url=http://www.asahi.com/politics/update/0515/TKY201305150545.html |publisher=[[朝日新聞]] |date=2013-05-15 |accessdate=2013-07-02}}</ref>。しかしその後つばさ日本が候補者の選定などに難航し、同選挙への候補者擁立見送りを発表する<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tsubasa-nippon.jp/report/index.html |title=活動報告|つばさ日本 |publisher=つばさ日本 |accessdate=2013-07-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130715031549/http://www.tsubasa-nippon.jp/report/index.html |archivedate=2013-07-15}}</ref>と、無所属で東京都選挙区から立候補すると発表した<ref>{{Cite web|和書|title=ドクター・中松氏 参院東京選挙区3回目の出馬へ |url=http://sankei.jp.msn.com/region/news/130701/tky13070122470009-n1.htm |publisher=[[産経新聞|MSN産経ニュース]] |date=2013-07-01 |accessdate=2013-07-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131010051404/http://sankei.jp.msn.com/region/news/130701/tky13070122470009-n1.htm |archivedate=2013-10-10}}</ref>。届け出名については前回に続き本名の「中松義郎」で届け出るとしており、理由については「偽物の博士が多くなった。一緒にされては困る。」と語った<ref>{{Cite web|和書|title=中松義郎氏“ドクター”封印で出馬!「偽物の博士が多くなった」 - スポニチ Sponichi Annex 社会 |url=http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/07/02/kiji/K20130702006130260.html |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=2013-07-02 |accessdate=2013-07-02}}</ref>。
{|class="wikitable" frame=box
|-bgcolor=azure
!年!!選挙!!選挙区!!政党!!得票!!惜敗率!!順位!![[供託金]]!!名義
|-
|1991年||[[1991年東京都知事選挙|東京都知事選]]|| -||無所属||style="text-align:right"|27,145||style="text-align:right"|1.18%||7/16||没収||中松義郎
|-
|1992年||[[第16回参議院議員通常選挙|第16回参院選]]||[[参議院比例区|比例区]]||発明政治||style="text-align:right"|139,728<ref group='注'>「発明政治」全体の得票数</ref>||style="text-align:right"| -|| -||没収||中松義郎<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.kamo.niigata.jp/section/senkyo/senkyo.data/sangi/H04.07.26.htm |title=平成4年7月26日執行(第16回) |publisher=[[加茂市]] |accessdate=2015-11-08}}</ref>
|-
|1993年||[[第40回衆議院議員総選挙|第40回衆院選]]||[[東京都第3区 (中選挙区)|旧東京3区]]||新自民党||style="text-align:right"|13,965||style="text-align:right"|21.66%||8/10||没収||中松義郎
|-
|1995年||[[第17回参議院議員通常選挙|第17回参院選]]||[[東京都選挙区]]||無所属||style="text-align:right"|101,547||style="text-align:right"|23.30%||8/72||没収||中松義郎
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|1999年||[[1999年東京都知事選挙|東京都知事選]]|| -||無所属||style="text-align:right"|100,123||style="text-align:right"|6.01%||7/19||没収||ドクター・中松<ref>東京都選挙管理委員会「[http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/data/data01_04_01.html 平成11年都知事選挙 開票結果]」</ref>
|-
|2001年||[[第19回参議院議員通常選挙|第19回参院選]]||比例区||[[自由連合 (日本)|自由連合]]||style="text-align:right"|36,076||style="text-align:right"| -|| -||没収||ドクター・中松<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/sangiin19/sangiin19_3_11_10.html |title=比例代表都道府県別党派別名簿登載者別得票数 自由連合 |work=第19回参議院議員通常選挙結果 |publisher=[[総務省]] |accessdate=2015-11-08}}</ref>
|-
|2003年||[[2003年東京都知事選挙|東京都知事選]]|| -||無所属||style="text-align:right"|109,091||style="text-align:right"|3.53%||4/5||没収||ドクター・中松<ref>東京都選挙管理委員会「[http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/data/data01_07_02.html 平成15年都知事選挙 開票結果] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20060908121344/http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/data/data01_07_02.html |date=2006年9月8日}}」</ref>
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|2007年||[[2007年東京都知事選挙|東京都知事選]]|| -||無所属||style="text-align:right"|85,946||style="text-align:right"|3.06%||5/14||没収||ドクター・中松<ref>東京都選挙管理委員会「[http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/h19tijisen/tiji_kekka/h19chi_kai.html 平成19年 東京都知事選挙 開票結果] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20140115143338/http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/h19tijisen/tiji_kekka/h19chi_kai.html |date=2014年1月15日}}」</ref>
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|2007年||[[第21回参議院議員通常選挙|第21回参院選]]||東京都選挙区||無所属||style="text-align:right"|92,512||style="text-align:right"|13.53%||10/20||没収||ドクター・中松<ref>[[総務省]][[自治行政局]]『{{PDFlink|1=[http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020103.do?_pdfDownload_&fileId=000005182270&releaseCount=6 平成19年7月29日執行 参議院議員通常選挙結果調]}}』総務省自治行政局選挙部、2008年、361-362頁。{{全国書誌番号|21475958}}</ref>
|-
|2009年||[[第45回衆議院議員総選挙|第45回衆院選]]||[[比例東京ブロック]]||[[幸福実現党]]||style="text-align:right"|35,667<ref group='注'>幸福実現党に対しての得票。比例順位2位。</ref>||style="text-align:right"| -||7/9||没収||ドクター・中松<ref>総務省自治行政局『{{PDFlink|1=[http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020103.do?_pdfDownload_&fileId=000003886546&releaseCount=4 平成21年8月30日執行 衆議院議員総選挙最高裁判所裁判官国民審査結果調]}}』総務省自治行政局選挙部、2010年、518頁。{{全国書誌番号|21738662}}</ref>
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|2010年||[[第22回参議院議員通常選挙|第22回参院選]]||比例区||[[幸福実現党]]||style="text-align:right"|38,242||style="text-align:right"| -|| -||没収||ドクター・中松<ref name="22san">総務省自治行政局『{{PDFlink|1=[http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020103.do?_pdfDownload_&fileId=000005201548&releaseCount=3 平成22年7月11日執行 参議院議員通常選挙結果調]}}』総務省自治行政局選挙部、2011年、308頁。{{全国書誌番号|21948439}}</ref>
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|2011年||[[2011年東京都知事選挙|東京都知事選]]|| -||無所属||style="text-align:right"|48,672||style="text-align:right"|1.86%||5/11||没収||ドクター・中松<ref>東京都選挙管理委員会「[http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/sokuho/h23chi_kai.html 平成23年 東京都知事選挙 開票結果] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20131229224208/http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/sokuho/h23chi_kai.html |date=2013年12月29日}}」</ref>
|-
|2012年||[[2012年東京都知事選挙|東京都知事選]]|| -||無所属||style="text-align:right"|129,406||style="text-align:right"|2.98%||5/9||没収||中松義郎<ref>東京都選挙管理委員会「[http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/h24sokuho/h24chi_kai.html 平成24年 東京都知事選挙 開票結果] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20140212164951/http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/h24sokuho/h24chi_kai.html |date=2014年2月12日}}」</ref>
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|2013年||[[第23回参議院議員通常選挙|第23回参院選]]||東京都選挙区||無所属||style="text-align:right"|48,362||style="text-align:right"|7.90%||12/20||没収||中松義郎<ref>総務省自治行政局『{{PDFlink|1=[http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020103.do?_pdfDownload_&fileId=000007381216&releaseCount=2 平成25年7月21日執行 参議院議員通常選挙結果調]}}』総務省自治行政局選挙部、2014年、382頁。{{全国書誌番号|22557789}}</ref>
|-
|2014年||[[2014年東京都知事選挙|東京都知事選]]|| -||無所属||style="text-align:right"|64,774||style="text-align:right"|3.07%||6/16||没収||ドクター・中松<ref>東京都選挙管理委員会「[http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/h26chijisokuho/h26chi_kai.html 平成26年 東京都知事選挙 開票結果]」</ref>
|-
|2014年||[[第47回衆議院議員総選挙|第47回衆院選]]||[[東京都第5区|東京5区]]||無所属||style="text-align:right"|12,777||style="text-align:right"|12.47%||5/5||没収||ドクター・中松<ref>「{{PDFlink|[https://www.soumu.go.jp/main_content/000328960.pdf 平成26年12月14日執行 衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査結果調]}}」総務省自治行政局選挙部、2014年。</ref>
|}
=== 政策 ===
* 外国人参政権に反対<ref>{{Twitter status2|Dr_NakaMats|430636973695332352|2014年2月4日18時40分}}</ref>。
* 2003年のアンケートでは、選択的[[夫婦別姓]]制度導入に賛同していた<ref>mネット・民法改正情報ネットワーク「[https://www.ne.jp/asahi/m/net/anc.web030430.htm 2003年民法改正に関する政策アンケート]」</ref>。一方2014年の朝日新聞のアンケートでは反対としている<ref>朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。</ref>。
=== 幸福実現党からの出馬 ===
[[2009年]](平成21年)[[7月]]、宗教法人[[幸福の科学]]を母体とする[[幸福実現党]]に招聘されて同党特別代表に就任し同直前就任した[[新風]]講師団を離脱、[[2011年]](平成23年)[[2月28日]]の退任まで務めた。中松は幸福の科学の会員ではないものの<ref>「[http://www.zakzak.co.jp/top/200907/t2009072910_all.html ドクター・中松、幸福実現党から出馬…本人直撃!]」[[夕刊フジ|ZAKZAK]]、2009年7月29日</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2009-08-16 |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090816/elc0908161301003-n1.htm |title=【伝説の候補者列伝】(2)ドクター・中松氏 「今回の選挙にも秘策の発明ある」 |publisher=[[産経新聞|MSN産経ニュース]] |page=1 |accessdate=2010-03-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090819131419/http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090816/elc0908161301003-n1.htm |archivedate=2009-08-19}}</ref>、[[第45回衆議院議員総選挙]](2009年)には同党の比例代表東京ブロックに立候補して落選している<ref>「ドクター中松氏が幸福実現党から出馬」[[スポーツ報知]]2009年7月30日</ref>。[[第22回参議院議員通常選挙]](2010年)も同党から立候補するも落選<ref name="22san"/>。その後は同党と一線を画し、無所属で立候補している。
== 発明品 ==
;[[石油ポンプ|灯油ポンプ]]
:中松は1942年(昭和17年)の中学生時代に、[[一升瓶]]に入った[[醤油]]を苦労して醤油差しに移し替える母親を見て「醤油チュルチュル」という手動ポンプを考案し、これが後の灯油ポンプになったと主張している。1947年にこれを「サイフォン」の名で[[実用新案]]に出願し、1949年に登録された<ref>[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/PU/JPZ_368325/EF0BE919C0ED12BD8BC32B87BAE9FECF 実公昭24-006552]</ref>。ゴム球を使った手動ポンプ自体は1907年(明治40年)に「生花水吸取器」として出願されて既に登録されていたが<ref>[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/PU/JPC_13297/32C3AFD79E2C501286620128E3E84445 特明13297]</ref>、中松の「サイフォン」は現在の灯油ポンプとほぼ同じ形状をしており、逆止弁を設け、[[サイフォン]]の原理によりポンプを止めても移動を続ける点も現在のものと共通する。
;頭に良い物質を適当に配合したことを特徴とする食品
:特許出願では、「頭が良くなる根拠が不明である」との理由で不採用となっている。その他「頭に良い〜」シリーズの「発明」は膨大ながら、特許を得ているものはない。
;原子力除雪装置
:除雪車に搭載された[[原子炉]]の炉心に直接雪を送り込み、その熱で雪を溶かして一次冷却水にするというもの。1982年に特許出願しているが、[[放射性物質]]に汚染された排水の処理の仕方が明記されていないとの理由から拒絶されている<ref>[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/PU/JPA_S58120906/2E1D9CAD33369D29EFC26A6FA1A5EA95 特許公開出願番号S58-120906]</ref>。
;ハイドロジェン・オン・デマンド (HOD)
:[[燃料電池]]用の[[水素]]の精製法の一つで、[[水]]に[[水素化ホウ素ナトリウム]]を混ぜて金属触媒によって水素を取り出す技術。[[2006年]](平成18年)に中松が発明して特許を取得したとされるが、該当する特許は確認できない。この技術自体は以前から各所で研究されており、「HYDROGEN ON DEMAND」という名称もアメリカで2004年に登録されたMillennium Cell, Inc.の[[商標]](登録2900094)。
:この発明に、環境技術に関する映画を企画していた米国の製作会社「ダークホース・エンターテインメント」が注目、中松を主題とした[[ドキュメンタリー]]映画「マスター・オブ・イノベーション〜ドクター・ナカマツ・ストーリー」の制作を2007年1月に発表した。制作発表ではこれは日本人として史上初の「個人」が扱われる[[ハリウッド映画]]であり、年内に米国と日本で公開するとしていた<ref>[http://dr-nakamats.com/nakamats_g/n_topics_2.html#01 ドクター中松ショップ・オンライン ドクター中松の話題]</ref>。
;フライングシューズ(ピョンピョンシューズ)
:底が[[板バネ]]になっており、ピョンピョンと高くジャンプできる靴。「翔ッ靴」の名で1989年に出願して日本の特許を取得しているが<ref>[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/PU/JPB_H07079724/AEEE892F6E328179E9714D5F140687A1 特許2119228]</ref>、同種のものは1972年に他者からも出願されている<ref>[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/PU/JPA_S48092126/9DD33AAE51E3574247B16D346DA5D0E1 特願昭47-023437]</ref>。中松の代名詞的発明であり、テレビ出演時にこれを履いて登場することが多い。このまま旅客機に乗り込もうとして、ピョンピョン跳ねた勢いで天井に頭をぶつけてしまい「頭が悪くなったらどうしてくれる!」と怒鳴ったというエピソードを持つ。
;ラブジェット
:中松が発明した「セックス方程式」に基づいて開発された性感度が3倍になるとされる香水。男女共用で若返り効果もあるとしている。
;ドクター・中松パター
:[[ゴルフクラブ]]のパター。一般的なクラブよりグリップが太く短く、普通は右利き用の場合で右手の方がヘッドに近い位置を握るのに対し、両手で同じ位置を握る。
;スマ手 (Smarte)
:[[スマートフォン]]を固定できるポケットが付いた左手用グローブで、常に左手甲にスマートフォンを固定することで、使用時に取り出す手間が省け、置き忘れ防止効果があるとしている。2012年(平成24年)6月に84歳記念の発明品として発表し、ドクター・中松公式サイトで市販を開始。国内スマートフォンユーザーの8割を販売目標としている<ref>[http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/19886/ ドクター・中松氏の新発明は「スマ手」]([[東京スポーツ|東スポweb]]、2012年6月30日)</ref>。
;ウデンワ
:なお、中松は2003年(平成15年)にも既存の携帯電話を左手にベルトで固定する「ウデンワ」という類似の発明を発表している。
=== フロッピーディスク ===
1971年に[[アラン・シュガート]]らが[[IBM]]で開発した[[フロッピーディスク]]を<ref>イアン・カステロ=コルテス/編 『ギネスブック 2000』(きこ書房、2000年)p.34</ref>、中松は1985年頃から<ref group='注'>1982年3月発行の「日本機械学会誌」第85巻第760号に掲載された中松の手記『シート記録再生システム「ナカビゾン」開発記 : ねばり・ひらめき・ビフテキ』ではフロッピーディスクについて、「ナカビゾンのあとから'''IBMで開発された'''ディスケットは、ナカビゾンとほぼ同じ技術思想である」(p.271) としか言及されておらず、この時点ではまだ自分の発明とはしていない。</ref>、自分の発明であると主張している<ref>[https://www.city.suginami.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/013/422/h15_04_touitsu_2.pdf 平成15年度東京都知事選挙資料] p.76 杉並区</ref>。中松が1985年(昭和60年)に配付したとされる資料では<ref>[https://web.archive.org/web/20170301172135/http://dr.nakamats.com/index.html Dr.NakaMats.com](アーカイブ)</ref>、1947年(昭和22年)の東大在学中に「シートに面積型に記録する媒体」とその再生を行うドライブの着想を抱き、1948年(昭和23年)に特許を出願し、1950年(昭和25年)に完成させ、1952年(昭和27年)に特許が認められ、その製品化で1956年(昭和31年)に三井物産の株が上がったとしている<ref name="FD">1985年に中松側が配布した資料 [http://dr.nakamats.com/who_is_the_inventor_of_floppy.pdf 「WHO? is the inventor of Floppy」] より。</ref>。また中松は1979年(昭和54年)にパテント契約をIBMと締結したとして、フロッピーディスクは中松の発明によるものだとしている<ref name="FD"/>。
実際にはIBMの特許は日米ともに審査を経て認められており<ref>[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/PU/JPB_S48034162/D44038CDC2D084921CDC095A03403595 特許0727930], [https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/PU/JPB_S51041334/24B04443E3C3690921E85EB0F75FBA9D 特許0866356], [https://www.google.com/patents/US3668658 Patent US3668658 - Magnetic record disk cover - Google Patents], [https://www.google.com/patents/US3678481 Patent US3678481 - Data storage apparatus employing a single magnetic disk - Google Patents]</ref>、中松が1983年に改良型フロッピーディスクを出願した際にも、審査でIBMの特許が参照されている<ref>[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/PU/JPA_S52058510/F85F2FE3D576D318B04D5E2F5ABB6C0E 特公昭58-056170]</ref>。中松の主張に対しIBMの担当者は、「IBMはいくつかの特許使用契約を中松から得たことがあるが、それは'''フロッピーディスクのものではなく'''、フロッピーディスクはIBMが独自に開発したものである」と述べている<ref>[http://www.nytimes.com/1990/11/29/nyregion/what-a-stroke-of-um-ingenuity-anyhow.html What a Stroke of . . . Um, Ingenuity, Anyhow - New York Times]</ref>。
[[画像:Juusyokurecord(s27-001322).gif|thumb|”フロッピー(ぺらぺら)媒体”である重色レコードの動作図。色分けされた二つの波形が記録されているので、往路と復路で異なる音声を再生することができる。]]
中松はフロッピーディスクのパテントを主張する一方で具体的な特許番号を明かしていないが、中松の主張にある「[[1948年]](昭和23年)に特許出願して、[[1952年]](昭和27年)に登録されたフロッピー媒体」<ref name="FD"/>と時期が重なる特許に「'''重色レコード'''」(特公昭27-001322)<ref>[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/PU/JPB_S27001322/550E270DD470275E9AD57305FB90BE6B 特許・実用新案照会(固定アドレス)(結果一覧)|J-PlatPat]</ref>および「'''積紙式完全自動連奏蓄音器'''」(特公昭27-002166)<ref>[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/PU/JPB_S27002166/550E270DD470275E11DD8EC2B32D4FD3 特許・実用新案照会(固定アドレス)(結果一覧)|J-PlatPat]</ref>の2つがある。重色レコードは音の波形が段状に記録(印刷)された紙であり、積紙式完全自動連奏蓄音器は重色レコードの波形を光学的に読み取って音を再生するので([[オプティカル・サウンド]]参照)「'''シートに面積型に記録再生する媒体とドライブ'''」ではあるが、フロッピーディスクの特許に抵触する様な内容ではない。磁性体に円弧形に音声を記録する、よりフロッピーディスクに近いものは[[星野愷]]が開発して「[[シンクロリーダー]]」として[[キヤノン]]から1958年に製品化されており、その際に中松の特許が注目されたことで当時中松が勤務しており、後の三井物産となる[[第一物産]]の株価が急騰したと見られている<ref>日本経済新聞 縮刷版 1958.02.27</ref><ref group='注'>シンクロリーダー絡みの株価急騰が日経新聞で報じられたのは昭和33年(1958年)2月27日。中松がフロッピーディスク発明の主張を始める以前の1977年の著書でもこの件に関する問い合わせが来た日を昭和33年2月27日としているが(「三倍の人生」p.112)、後の著書では昭和'''31'''年2月27日に変更されている(「ドクター・中松の発明ノート」p.242)。</ref>。なお重色レコードの特許は料金未納で'''既に権利が消滅していた'''事が後日判明している<ref>日本経済新聞 縮刷版 1958.03.01</ref>。その後シンクロリーダーの機能を簡略化した「[[シンクロファクス]]」を[[リコー]]が開発して1959年に製品化し<ref>日本経済新聞 縮刷版 1959.09.16、記事では「シンクロファックス」</ref>、そのシンクロファクスに類似した「万能シートレコーダー」が「'''[[ナカビゾン]]'''」の別名で[[日本コロムビア]]から1961年に製品化された<ref>日本経済新聞 縮刷版 1961.11.28、記事では「ナカビソーン」もしくは「ナカビゾーン」</ref>。ナカビゾンは中松が開発したとされる。
中松の主張は変遷しており、1992年の著書では、中松はナカビゾン等の”フロッピー媒体”に代わってフロッピーディスクそのものを完成させ、コンピュータ用として日本の各社に売り込むも相手にされなかったところを、IBM副社長が権利を求めて来日したという話になっている<ref>『ドクター中松の0からの創造』p.140</ref>。2017年現在でも中松のウェブサイトでは「フロッピーディスクの発明者、ドクター・中松」としてサイン入りのフロッピーディスクを販売しているが<ref>[http://www.nakamats.net/user_data/floppy.php ドクター中松サイン入り フロッピーディスク (5.25) / ドクター中松オンライン]</ref>、このサイトで販売されている「フロッピーディスク」は重色レコードや磁気シートではない、パソコンの5.25インチドライブで扱う本物のフロッピーディスクである。
=== ドクター・中松エンジン ===
中松が1991年に完成させたという[[原動機]]<ref>『ドクター中松の0からの創造』(1992.2) p.142</ref>([http://www.dr-nakamats-shop.co.jp/dr/nakama3.jpg 画像])。同名の燃料電池と区別して「ドクター・中松エンジンII」とも呼ばれる。同年9月に出版された著書では「宇宙エネルギエンジン」とだけ記述されていたが<ref>『「スジ・ピカ・イキ」で考えろ』(1991.9) p.12</ref>、10月の著書では、原理を明かさないまま「人類の夢であった[[永久機関]]」であるとした<ref>『ドクター中松の常識やぶりバンザイ!』(1991.10) p.181</ref>。1992年2月の著書では「宇宙エネルギー」なるものをアンテナで取り込む事によって無接触で回転すると説明されたが、その宇宙エネルギーについての説明では、''「原子核と電子の間に存在する『宇宙エネルギー』」''<ref>『ドクター中松の0からの創造』(1992.2) p.31</ref>、''「宇宙にある赤外線、可視光線、紫外線、エックス線、ガンマー線など」''<ref>『ドクター中松の0からの創造』(1992.2) p.148</ref>と、同じ本の中で記述が異なっている。
本人は、この装置を[[熱力学第二法則]]に反さない永久機関であるとしているが<ref>『ドクター中松の常識やぶりバンザイ!』(1991.10) p.185</ref>、外部から何らかのエネルギーを供給されている以上、'''永久機関の条件を満たしていない'''。機械的に接触せずに回転するので、[[摩擦抵抗]]が無く一度回り出したら永久に回るともしているが<ref>『ドクター中松の0からの創造』(1992.2) pp.31-32</ref>、[[藤倉珊]]によると、手で光を遮ると回転は止まったという<ref>と学会『トンデモ本の世界』(洋泉社、1995.5)p.262</ref>。以後の中松の著書ではあまり取り上げられることもなくなり、取り上げられる際にも「仮想永久エンジン」と書かれるようになった<ref>『発明ノート』(2007.11) p.316</ref>。
中松は1983年1月に「光や熱の放射エネルギを直接回転力等にする装置」の名で、同一原理と見られる装置の特許を出願しているが<ref>[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/PU/JPA_S59129591/3E9BEF14AAB6F497CBE93FC82E9E3C99 特開昭59-129591]</ref>、アメリカで[[ベル研究所]]が1955年に出願した特許と同じであるとして異議が申し立てられ<ref>[https://www.google.com/patents/US2919358 Patent US2919358 - Apparatus for converting radiant energy to electromechanical energy - Google Patents]</ref>、1989年に拒絶の審判が下されている<ref>[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/PU/JPA_S59129591/3E9BEF14AAB6F497CBE93FC82E9E3C99 審判平01-021075]</ref>。この装置は[[太陽電池]]と[[ブラシレスモータ]]の組み合わせであり当然永久機関ではなかったが、「宇宙からの([[太陽光]]という)エネルギーで(発電して)無接触で(ブラシレスモータが)回転する装置」ではあった。
1995年にはこれを応用した太陽光発電装置を「高効率発電装置」の名で再度出願し、請求の範囲を狭めることで特許を取得した。この特許公報では「宇宙エネルギ」という語も説明無しで使われている<ref>[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/PU/JPA_H09019174/A74C0B28BBB18170B609946FD1C70C3C 特許2743259]</ref>。1997年の著書では、これと同一と見られるものが、宇宙エネルギから直接交流を発電する「ドクター・中松ジェネレータ」として言及されている<ref>『創造学講義』(1997) p.127</ref>。
=== リボディ理論 ===
中松は食事を二食、一食と減らして自身の体調の変化を観察したところ、一食の時に調子が良かったことから、「リボディ」という健康法を思いついた。その中身とは、一日一食主義をはじめとして、体に良い五十五品目の摂取、[[ビタミンB]]や[[ビタミンC|C]]、[[ビタミンD|D]]、[[亜鉛]]といった栄養素の重要性、調理器具の正しい選択、強い精神の鍛錬、心地よい睡眠などであり、実践すれば144歳まで生きられるとしている<ref name="sankei">{{Cite news |title=ドクター・中松さん 1万杯の食事記録にイグ・ノーベル賞 |newspaper=[[産経新聞]] |date=2005-11-23 |author=舛田奈津子}}</ref>。
しかし、自身の86歳の誕生日となった2014年(平成26年)6月26日、彼自身は治療不可能の[[前立腺癌|前立腺がん]]に侵されており2015年(平成27年)末までの余命と医師から宣告されたことを公表した。彼は会見の場において、今後は残された時間を使って新しい「がん治療ロボット」の開発に取り組むことを宣言した<ref>{{Cite news |title=ドクター・中松氏、前立腺がん 余命1年半と公表 |newspaper=[[スポーツ報知]] |date=2014-06-27 |url=http://www.hochi.co.jp/topics/20140627-OHT1T50033.html |accessdate=2015-11-08 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140627172714/http://www.hochi.co.jp/topics/20140627-OHT1T50033.html |archivedate=2014-06-27}}</ref>。
その後、宣告されたという余命直前の2015年12月24日、東京都千代田区の外国人特派員協会で記者会見を開き、自身の治療法の発明について「2年間全力で発明し、ギリギリで完成させた」と明かした<ref>{{Cite news |title=ドクター・中松氏、がん治療法「全部発明できた」 でも効果は不明… |newspaper=[[ウィズニュース]] |date=2015-12-24 |url=https://withnews.jp/article/f0151224001qq000000000000000W02j0401qq000012872A.htm |accessdate=2019-04-24}}</ref>。
さらに、90歳を越えた2018年9月21日、東京都内で「イグ・ノーベル賞の世界展」オープニングセレモニーに登場し、食事と血液の研究により前立腺導管がんを克服したと明かした<ref>{{Cite news |title=ドクター中松氏が告白「ガン克服しました」 |newspaper=[[スポーツ報知]] |date=2018-09-21 |url=https://hochi.news/articles/20180921-OHT1T50064.html |accessdate=2019-04-24}}</ref>。
=== 商標登録 ===
特許以外にも数多くの流行語の[[商標]]登録出願を行い、「元祖平成維新」や「新・民主党」<ref name="hochi121004">{{Cite news |title=ドクター中松氏「日本維新の会」商標登録も却下 |newspaper=[[スポーツ報知]] |date=2012-10-04 |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20121004-OHT1T00022.htm |accessdate=2015-11-08 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121004014529/http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20121004-OHT1T00022.htm |archivedate=2012-10-04}}</ref>、「知本主義」などの商標出願を行っている。
一方で、中松の商標登録は度々却下ないし取消しの処分を受けることが多い。「がんばれ日本(にっぽん)」は[[日本オリンピック委員会|JOC]]から不使用取消審判が請求され、審決取消訴訟を経て、中松の商標登録取消が確定した<ref>[[共同通信社|共同通信]]「[https://web.archive.org/web/20130425105451/http://www.47news.jp/CN/200504/CN2005041201002716.html ドクター中松氏敗訴確定 『がんばれ日本』商標]」[[47NEWS]]、2005年4月12日。</ref><ref>「発明家『ドクター・中松』氏、敗訴確定 『がんばれ日本』の商標登録問題」『[[読売新聞]]東京本社版』2005年4月13日付朝刊、33面。</ref>。
[[2011年]](平成23年)12月16日、中松は「[[日本維新の会]]」「東京維新の会」の名称を[[商標登録]]するため[[特許庁]]に出願した<ref name="otomo2014">{{Cite journal |author=大友信秀 |publisher=ウエストロー・ジャパン |year=2014 |title=維新は誰のもの?(商標権と公益と特許庁と裁判所)~「日本維新の会」商標出願と「東京維新の会」商標出願の審決取消訴訟判決1~ |url=http://www.westlawjapan.com/pdf/column_law/20141110.pdf}}</ref>。中松は[[1989年]]([[平成]]元年)より著書や講演活動などで「平成維新」の言葉を使用していると主張、同日に「東京都維新の会」<ref group="注">商願2011-090948、登録5503113</ref>、「平成維新の会」<ref group="注">商願2011-090949、登録5503114</ref>についても出願されているが、こちらは登録が認められている。2010年に「[[大阪維新の会]]」を結成しており、2012年9月8日に「[[日本維新の会 (2012-2014)|日本維新の会]]」を設立した大阪市長[[橋下徹]]らは「日本維新の会」の商標登録を行う予定であり、「粛々と手続きをすすめる」としていた<ref>{{Cite web|和書|date=2012-10-04 |url=http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121004/waf12100422170037-n2.htm |title=「日本維新の会」の商標登録、審判の場へ ドクター・中松氏譲らず |page=2 |publisher=MSN産経ニュース |accessdate=2012-10-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121117135354/http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121004/waf12100422170037-n2.htm |archivedate=2012-11-17}}</ref>。2012年8月16日に中松の申請は[[商標法]]第4条第1項第7号の「公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがある商標」として却下され<ref name="hochi121004"/><ref name="otomo2014"/>、中松側の不服申し立ても2014年2月25日に再び却下された<ref group="注">この時点で、日本維新の会の団体である「東京維新の会」は消滅しており、「日本維新の会」についても解体が確実視されていた情勢であった。7月31日、日本維新の会は解散し、同じく解散した[[結いの党]]とともに[[維新の党]]を結成している。</ref>。中松側は審決取消訴訟を行ったが、9月17日に[[知的財産高等裁判所]]は却下は妥当であるという判決を下した<ref name="otomo2014"/>。この間、「元祖 日本維新の会<ref group="注">商願 2012-85150</ref>」、「本家 日本維新の会<ref group="注">商願 2012-85158</ref>」、「元祖 維新の会<ref group="注">商願 2012-85165</ref>」の出願も行っている<ref name="otomo2014"/>。「日本維新の会」の商標は2012年11月22日に日本維新の会によって出願、登録され<ref group="注">商願2012-094884、登録5896379</ref>、現在は「おおさか維新の会」を前身として結成された[[日本維新の会 (2016-)|日本維新の会]]が権利を保有している。
また「新・民主党」(登録第2459663号。平成24年9月30日存続期間満了)の商標も登録しており、2008年に[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]が「民主党」の商標登録を行った際には、特許庁は出願を商標法第4条第1項第11号の規定により拒絶するよう求めたが却下された。2012年には「新・民主党」の存続期間が満了したことを受けて再出願を行ったが、これは商標法第4条第1項第6号の「公益に関する団体であって営利を目的としないものを表示する標章であって著名なものと類似の商標」と判断され、却下された。中松側はこれを不当として拒絶査定不服審判を起こしたが、2015年に査定は正当であったとして却下されている<ref>{{Cite web|和書|title=拒絶査定不服の審決|不服2014-17760 - 商標審決データベース |url=https://shohyo.shinketsu.jp/decision/tm/view/ViewDecision.do?number=1307412 |accessdate=2022-10-10}}</ref>。中松は2016年の民主党解党時に、自らが1989年に出願した「新民主党」の商標を提供したいというコメントを発しているが<ref>{{Cite web|和書|title=ドクター・中松氏、民主&維新の新党名を提唱?|url=https://www.sanspo.com/article/20160307-CDXOT32UUNPJZEBQ5FBVEUHGIY/ |website=サンスポ |date=2016-03-07 |accessdate=2022-10-10 |ref=サンスポ20160307}}</ref>、当時該当する商標を中松が保持していたことは確認されていない<ref>{{Cite web|和書|title=「新・民主党」の商標登録は可能なのか?(栗原潔)-個人-Yahoo!ニュース |url=https://news.yahoo.co.jp/byline/kuriharakiyoshi/20160309-00055206 |date=2016-03-09 |website=Yahoo!ニュース |accessdate=2022-10-10 |ref=harv}}</ref>。
== 発明件数 ==
中松によると、これまでの発明件数は3,000件以上であり、[[トーマス・エジソン]]の1,093件を上回り世界一だとしている<ref name="official">{{Cite web|和書|url=http://dr.nakamats.com/nakamatsuprofile.html |title=ドクター中松プロフィール |publisher=Dr_NakaMats_com |accessdate=2013-03-12 |year=2008}}</ref>。しかし、エジソンの発明が1,093件というのはアメリカ国内で取得した'''[[特許]]'''の件数であるが、中松による日本国内での特許取得件数は1991年時点で193件であり、中松の「3000件以上」という数字には特許を取得出来ていないなどの「発明」が多数含まれている<ref name="tondemo"/>。中松が[[マスメディア|マスコミ]]に登場する際には、しばしば「発明件数」が「特許件数」と誤って紹介されるのみならず<ref>[[読売新聞]]1989年7月1日夕刊</ref><ref>[http://www.nytimes.com/1988/10/02/business/what-s-new-in-inventions-getting-smart-by-sitting-down.html WHAT'S NEW IN INVENTIONS - Getting Smart by Sitting Down - NYTimes.com] (1988)</ref><ref>[http://www.zdnet.com/article/meet-dr-nakamats-worlds-most-prolific-innovator/ Meet Dr. Nakamats, world's most prolific innovator | ZDNet] (2012)</ref>、本人の著書でも、著者紹介で誤って書かれている場合がある<ref>「2360件余の特許を持つ」(『ドクター中松義郎の発明百科』カバー折り返し)、「エジソンの約2倍以上の特許を保有」(『「スジ・ピカ・イキ」で考えろ』カバー折り返し)</ref>。95歳になる2023年までに取得した特許の件数は594件とされ、まだ申請中のものもあるという<ref>{{Cite news|url=https://friday.kodansha.co.jp/article/313314?page=1|title=6月で95歳!ドクター・中松が吠える!「僕は死ぬまで発明家です!!」|work=[[FRIDAY (雑誌)|FRIDAYデジタル]]|publisher=[[講談社]]|date=2023-06-03|accessdate=2023-06-04|quote=「今までに取得した特許は594件。他にまだ申請中のものもあります。」}}</ref><ref group="注">ただし、2023年時点で[[特許情報プラットフォーム]]で確認できる発明は582件、そのうち特許を取得している発明は180件に留まっている、</ref>。
1980年(昭和55年)から1993年(平成5年)にかけては「発明件数2,360件」と主張していたが、『[[宝島30]]』1993年(平成5年)11月号に掲載された記事『「ドクター・中松」という珍発明』([[松沢呉一]])において発明件数が10年以上も全く変化していないことを指摘<ref>{{harv|松沢|1993}}</ref>されて以降は、「3,000件以上」へと変わった<ref name="tondemo"/>。
なお、特許取得件数の[[ギネス世界記録]]では工学博士の[[山崎舜平]]が2004年に3,245件の特許を取得したとして世界一に認定。2016年には11,353件で再認定されており<ref>[https://guinnessworldrecords.jp/world-records/most-patents-held-by-a-person Most patents credited as inventor | Guinness World Records]</ref>、中松の「発明件数」をも大きく上回っている。媒体によっては中松もギネス記録保持者として紹介されることがあるが<ref>[https://www.skeptic.org.uk/mail/mail.cgi/archive/digest/20080906112849/ Mailing lists - The Skeptic] (2008)</ref><ref>[http://nybiz.nyc/gachi/3907/ インタビュー サー中松博士 | ニューヨークビズ] (2016)</ref>、2004年のギネス日本語版には「発明」の項があるものの中松の名は載っておらず、代わりに「もっとも多く特許を取得した人物」としてエジソンが挙げられている<ref>クレア・フォルカード/編『ギネス世界記録2004』(ポプラ社、2004)p.145</ref>。
== 評価 ==
1989年(平成元年)、[[ニューズウィーク]]誌に掲載された『Who Said Talk Was Cheap?』(言うは易しなんて誰が言ったの?)という短い記事において、講演料が高額な人物11人の中で元大統領[[ロナルド・レーガン]]、[[超音速機]]パイロット・[[チャック・イェーガー]]、アメフトチーム監督[[マイク・ディトカ]] ([[:en:Mike Ditka|Mike Ditka]])、[[タイタニック (客船)|タイタニック号]]の発見者[[ロバート・バラード]] ([[:en:Robert Ballard|Robert Ballard]]) と並んで唯一の日本人、[[フロッピーディスク]]を発明した「日本のエジソン」として講演料1万ドルと紹介された<ref>{{Cite journal |title=Who Said Talk Was Cheap? |journal=[[Newsweek]] |first=Joshua |last=Hammer |date=1989-03-06 |page=6}}</ref>{{Citation needed|title=ニューズウィークの版を指定して下さい。太平洋版には見当たりませんでした|date=2017-07}}。記事のソースは講演斡旋会社とされており、編集部が評価したものではなく、中松は12人の中で最も低額であった<ref name="tondemo">{{Harv|藤倉|1995|pp=260-268}}</ref>。中松はこれを引用して「ニューズウィーク誌で世界で最も価値ある12人に選ばれた」と称している<ref name="jca">[http://www.nihonbunka.jp/page-about.html#nakamatsu 日本文化振興会とは? - 一般社団法人日本文化振興会]</ref>。
発明家としてメディアに露出していることで日本での知名度は高く、2006年(平成18年)に日本のインターネット世論調査会社が会員に対して行った調査で、「この人のおかげで今がある」とされる発明家として、6,088票中の129票と、1位の[[トーマス・エジソン]]の4%弱ながらも2位となった<ref group='注'>中松は129票を獲得(総数6,088票中)。1位のエジソンは3,383票。3位は[[グラハム・ベル]]、4位[[ライト兄弟]]、5位[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]、6位[[アルベルト・アインシュタイン]]であった。</ref><ref>「[http://www.dims.ne.jp/rankingresearch/51_100/091/001.html 第91回 アンケート結果『この人のおかげで今がある』と思う発明家を教えてください。]」DIMSDRIVE、2006年</ref>。また別の日本語サイトで2016年に行われた特許数世界一の人物を問うアンケートでは、正解の[[山崎舜平]]や元世界一のエジソンを引き離し、13,961票中6,493票を得て1位となった<ref>[http://vote.smt.docomo.ne.jp/knowledge/trivia/result/25236 特許取得件数、世界一は誰? | みんなの声]</ref>。
2010年(平成22年)、[[インド]]・デリーの寺院で[[チベット仏教]][[ゲルク派]]のトップ(教主)である第102代[[ガンデン・ティパ]]([[第3世セ・リンポチェ]])から「金剛大阿闍梨」に認定されたという<ref name="jca"/><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20100310-604443.html |title=Dr中松、いきなりチベット仏教最高位に - 社会ニュース |publisher=[[日刊スポーツ|nikkansports.com]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100622091655/http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20100310-604443.html |archivedate=2010-06-22 |accessdate=2010-06-20 |date=2010-03-10 |deadlinkdate=2017-09}}</ref>。一方、問い合わせを受けたガンデン・ティパは、中松に金剛大阿闍梨の地位を授けたことはなく、そもそもガンデン座主にそのような権限や風習がない、とその事実を否定した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tibethouse.jp/news_release/2010/100730_gaden.html |title=チベット仏教ゲルク派・ガンデン座主からのお知らせ |date=2010-07-30 |accessdate=2013-03-12 |publisher=[[ダライ・ラマ]]法王日本代表部事務所}}</ref>。
[[アメリカ合衆国]]の11の州で名誉市民となっているほか、いくつかの場所では「ドクター・中松デー」という記念日が制定されている<ref>[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0404/16/news062.html 米国デンバーに「ドクター・中松の日」が制定] -IT メディア 2004年04月16日</ref>。ただし、アメリカでは名誉市民賞や記念日は市に対して本人が寄付を行えば授与されるケースが多く、一般的な[[顕彰]]とは位置付けが違っている<ref name="tondemo"/>。また、世界発明コンテストに11年連続でグランプリ受賞したとしているが、そのコンテストの主催者である国際発明協会(社団法人「[[発明協会]]」とは無関係の組織)の会長は中松自身である<ref name="tondemo"/>。
=== イグノーベル賞 ===
{{See also|イグノーベル賞}}
2005年(平成17年)、「35年間に渡り自分の食事を毎回撮影し、食べた物が脳の働きや体調に与える影響を分析し続けたこと」に対して、ノーベル賞のパロディである[[イグノーベル賞]](栄養学賞)が贈られた<ref>[http://www.improb.com/ig/ig-pastwinners.html#ig2005 >Improbable Research] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20110225074430/http://www.improb.com/ig/ig-pastwinners.html |date=2011年2月25日}}-イグノーベル賞公式</ref><ref name="IGノーベル賞中松">[http://www.dr-nakamats-shop.co.jp/nobel.html 本年度 IGノーベル賞 中松義郎博士が受賞]</ref>。中松は42歳のときから食べた食事の記録、血圧や体重などの情報を集めるようになり、撮影した食事の写真は1万枚以上に上る<ref name="sankei"/>。中松はこの受賞は、自ら提唱した健康理論であるリボディ理論が認められたためであるとしている<ref name="IGノーベル賞中松"/><ref name="ふりかけ">[http://dr-nakamats.com/rebody/ ふりかけ]-ドクター中松オンラインショップ</ref>。
また受賞以来、[[政見放送]]や自サイトなどでこの受賞に触れる場合には、「IG(アイジー)ノーベル賞受賞」と表記、または発音している<ref name="IGノーベル賞中松"/><ref>[http://apa-appletown.com/bigtalk/703 ビッグトーク第251号 セントルイス大学教授 サー中松義郎博士 x APA GROUP代表 元谷外志雄] アパグループ</ref>。さらに中松自サイトや商品の販売では「IGノーベル賞」は「ノーベル賞の上のノーベル賞」であるとして、受賞者はノーベル賞受賞者が選ぶなどと説明している<ref name="IGノーベル賞中松"/><ref name="ふりかけ"/>。しかし、2016年(平成28年)の自著『私は死んでる暇がない』では「イグノーベル賞」「Ig(イグ)ノーベル賞」と表記している<ref>{{Harv|中松|2016|p=215}}。</ref>。日本ではこの受賞を積極的に宣伝しており、ウェブサイトでの自己紹介でも一番に書かれているが、英語版の自己紹介では全く触れられていない<ref>[http://dr.nakamats.com/nakamatsuprofile.html Dr.NakaMats.com / Dr.nakamatsuprofile]</ref>。
2014年(平成26年)のイグノーベル賞授賞式では、日本人初となる基調講演に抜擢され<ref>{{Cite web|和書|author=牛尾梓 |date=2014-09-16 |url=http://www.asahi.com/articles/ASG9D5RWBG9DUTIL02X.html |title=ドクター中松氏、イグ・ノーベル賞式典で講演 新発明も |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |accessdate=2015-11-08 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140916033203/http://www.asahi.com/articles/ASG9D5RWBG9DUTIL02X.html |archivedate=2014-09-16}}</ref>、当日は車いす姿で「がん撲滅食を発明した」と発表し、喝采を浴びた<ref>{{Cite web|和書|date=2014-09-19 |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014091900673 |title=ドクター・中松さん、命懸けの発明=イグ・ノーベル授賞式で喝采-米 |publisher=[[時事通信社]] |accessdate=2014-09-22 |archiveurl=https://archive.is/20140920105640/http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014091900673 |archivedate=2014-09-20 |deadlinkdate=2017-09}}</ref><ref>[http://www.improbable.com/ig/2014/ The 2014 Ig® Nobel Prize Ceremony & Lectures]</ref>。
== その他の肩書き ==
中松はその他、リンカーン記念平和財団総裁、世界宗教連合会総裁、世界宗教法王庁第二代法王、[[国際学士院大学]]総長、[[日本文化振興会]]第十代会長、世界婦人平和促進財団最高顧問などの肩書きを称している<ref name="jca"/>。
2014年(平成26年)5月に、全米がん撲滅協会の会長に就任し、がん撲滅の発明をすることを明言していたが、6月に自らも末期がんであることを公表。2015年(平成27年)4月18日にがん撲滅ソング「ガンの顔つき悪くても」(2015年6月24日発売)で歌手デビューを果たす<ref name="cd">{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2051610/full/ |title=がん闘病中のドクター・中松、“発明の日”に歌手デビュー 治療法発明に決意新た |publisher=[[オリコン|ORICON]] |date=2015-04-15 |accessdate=2015-04-21}}</ref>。
== 受賞 ==
イグノーベル賞の他、中松の主張によれば、米国国会表彰、アメリカ大統領賞、米国発明会議最高賞、世界名誉賞、ミズーリ大学総長賞、米国ナショナル大学世界指導者賞、シカゴハイテク研究所天才賞、国際著名人名誉殿堂入り、韓国[[文化勲章 (韓国)|文化勲章]]、世界平和大賞、米国発明協会最高賞、ミレニアム賞、韓国蒋英実化学文化賞<ref>[http://www.wowkorea.jp/news/korea/2007/0416/10024300.html 蒋英実記念事業会、ドクター中松氏に科学技術文化賞│韓国IT・科学│韓国ドラマ・韓流ドラマ 韓国芸能ならワウコリア]</ref>などの顕彰を受けている<ref name="jca"/>。1982年(昭和57年)に全人類に最も貢献した世界一の発明家賞、1983年(昭和58年)に発明大賞科学技術庁長官賞科学技術振興功績者表彰、1985年(昭和60年)社会貢献者特別功労者賞、1987年(昭和62年)に国際照明フェア最優秀賞天才賞、ビジティングスカラー大賞、1988年(昭和63年)にはアメリカ発明会議ライフタイム・アチーブメント賞などを受けたともしている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sbrain.co.jp/theme/T-18916.htm |title=中松義郎|0からの創造 |publisher=システムブレーン |accessdate=2014-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141015130027/http://www.sbrain.co.jp/theme/T-18916.htm|archivedate=2014-10-15}}</ref>。うち、日本の公的な賞である[[科学技術庁]]長官賞は、磁気テープドロップアウト除去装置の開発育成を評して1983年に実際に授与されており<ref>[http://www.jsai.org/kikan1105tokusyu.pdf 「発明と生活」 第552号] p.10(益財団法人 日本発明振興協会、2011年)</ref>、その年の[[園遊会]]にて中松が参列しているという写真が残されている<ref name="FD"/>。
「ブッシュ大統領親書」も受賞一覧に挙がっており<ref name="official"/>、著書「政治を発明する」(1990年)にて「[[アメリカ合衆国大統領]] ジョージ・ブッシュ」によるものとされる手紙が掲載されているが、英文を見るとInternational Inventors Exposition(国際発明家博覧会)の主催者として受け取ったものである上<ref>「政治を発明する」 P.3</ref>、手紙の日付にある1988年4月当時の[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]は、大統領選挙前の'''[[副大統領]]'''である。
== 作品 ==
=== 図書 ===
*{{Cite book|和書|title=三倍の人生|date=1977-05-02|publisher=[[学習研究社]]|id={{全国書誌番号|77012803}}{{NDLJP|12191776}}、{{NCID|BA46467216}}|ref={{Harvid|中松|1977}}}}
**{{Cite book|和書|title=三倍の人生 脳細胞を三倍活用した人間ドキュメント|edition=新2版|date=1985-11|publisher=[[シーピー]]|isbn=4-915637-00-X|ref={{Harvid|中松|1985}}}} - 奥付の書名:発明サスペンス3×の人生。
*{{Cite book|和書|title=独創力の秘密 画期的アイデアはどこから生まれるか 着想のヒント・成功への秘訣|date=1981-09|publisher=[[PHP研究所]]|series=PHP business library|isbn=4-569-20636-0|ref={{Harvid|中松|1981}}}}
*{{Cite book|和書|title=人間関係方程式 人生を数式で開拓するバイブル|date=1983-09|publisher=[[現代史出版会]]|series=Tokuma books|isbn=4-19-502799-3|ref={{Harvid|中松|1983a}}}} - 発売:[[徳間書店]]。
*{{Cite book|和書|title=中松義郎式新頭脳革命 ベンチャービジネスのパイオニア|date=1983-09|publisher=[[山手書房]]|id={{全国書誌番号|84029598}}、{{NCID|BN14052493}}|ref={{Harvid|中松|1983b}}}} - 背の書名:新頭脳革命。
*{{Cite book|和書|title=中松義郎式新創造革命 技術タダ乗りを叱る|date=1983-11|publisher=山手書房|id={{全国書誌番号|84030061}}、{{NCID|BN10899844}}|ref={{Harvid|中松|1983c}}}} - 背の書名:新創造革命。
*{{Cite book|和書|title=子どもの頭をよくする生活習慣|date=1986-02-10|publisher=[[牧羊社]]|series=ぼくようぶっくす|isbn=4-8333-1560-2|id={{NDLJP|12107352}}|ref={{Harvid|中松|1986b}}}}
**{{Cite book|和書|title=子どもの頭をよくする生活習慣|date=1992-11|publisher=牧羊社|series=ぼくようぶっくす|isbn=4-8333-1560-2|ref={{Harvid|中松|1992c}}}}
*{{Cite book|和書|title=異学発想のすすめ|date=1986-04|publisher=[[講談社]]|isbn=4-06-202606-6|ref={{Harvid|中松|1986a}}}}
*{{Cite book|和書|title=中松義郎のゴロ寝してスーパーマンになる法 1%の汗と99%の超並イキスピレーション|date=1987-04|publisher=[[マネジメント社]]|isbn=4-8378-0198-6|volume=上|ref={{Harvid|中松|1987}}}}
*{{Cite book|和書|title=中松義郎のゴロ寝してスーパーマンになる法 1%の汗と99%の超並イキスピレーション|date=1988-04|publisher=マネジメント社|isbn=4-8378-0217-6|volume=下|ref={{Harvid|中松|1988a}}}}
*{{Cite book|和書|title=ドクター中松義郎の発明百科|date=1988-06|publisher=[[成美堂出版]]|isbn=4-415-07365-4|ref={{Harvid|中松|1988b}}}} - 著者の肖像あり。
*{{Cite book|和書|title=ドクター中松平成日本を診断する 天気晴朗ならず波高し|date=1989-05|publisher=[[ビジネス社]]|isbn=4-8284-0391-4|ref={{Harvid|中松|1989}}}}
*{{Cite book|和書|title=政治を発明する =Invention of politics 21世紀を拓く新発想|date=1990-05|publisher=山手書房新社|isbn=4-8413-0007-4|ref={{Harvid|中松|1990}}}}
*{{Cite book|和書|title=「スジ・ピカ・イキ」で考えろ|date=1991-09|publisher=[[情報センター出版局]]|series=Joho business|isbn=4-7958-0135-5|ref={{Harvid|中松|1991}}}}
*{{Cite book|和書|title=ドクター中松の常識やぶりバンザイ! 世界最強の仰天科学者 1%の汗で成功する方法|date=1991-10|publisher=[[ベストセラーズ]]|series=ワニの本. ベストセラーシリーズ|isbn=4-584-00774-8|ref={{Harvid|中松|1991}}}}
*{{Cite book|和書|title=ドクター中松の頭をもっと良くする101の方法 「バカは死んでもなおらない」というウソ|date=1992-04|publisher=ベストセラーズ|series=ワニの本. ベストセラーシリーズ|isbn=4-584-00795-0|ref={{Harvid|中松|1992a}}}}
*{{Cite book|和書|title=ドクター中松の0からの創造 知本主義の時代を生きろ|date=1992-07|publisher=[[広済堂出版]]|isbn=4-331-50357-7|ref={{Harvid|中松|1992b}}}} - 奥付の書名:0からの創造。
*{{Cite book|和書|title=ドクター中松のスーパー育児術 頭の良い子を育てる|date=1993-01|publisher=[[自由国民社]]|isbn=4-426-83101-6|ref={{Harvid|中松|1993}}}}
*{{Cite book|和書|title=頭の良い子を育てる環境・運動・食事 何歳からでも遅くない! ドクター中松のブレイン〈脳〉・エクササイズ|date=1994-02|publisher=ベストセラーズ|series=ワニの本. ベストセラーシリーズ|isbn=4-584-00890-6|ref={{Harvid|中松|1994a}}}}
**{{Cite book|和書|author=ドクター・中松|title=頭の良い子を育てる環境・運動・食事 何歳からでも遅くない! ドクター・中松のブレイン〈脳〉・エクササイズ|edition=新装版|date=2002-06|publisher=シーピー|isbn=4-915637-01-8|ref={{Harvid|ドクター中松|2002a}}}}
*{{Cite book|和書|title=ドクター中松超常現象裏のウラ|date=1994-07|publisher=[[DHC|ディーエイチシー]]|isbn=4-88724-013-9|ref={{Harvid|中松|1994b}}}} - 引用参考文献一覧:pp.291-292。
*{{Cite book|和書|title=日本劣頭改造論|date=1994-08|publisher=[[創現社出版]]|series=Go!books|isbn=4-88245-107-7|ref={{Harvid|中松|1994c}}}}
*{{Cite book|和書|title=宇宙と地震のメカニズム 的中!!阪神大震災を唯一予知ドクター中松の|date=1995-03|publisher=[[泰流社]]|isbn=4-8121-0110-7|ref={{Harvid|中松|1995}}}} - 中松義郎プロフィール:pp.213-223。
*{{Cite book|和書|title=ドクター中松の超パソコン発想入門 脱マニュアルへの道|date=1996-03|publisher=[[青春出版社]]|series=プレイブックス|isbn=4-413-01662-9|ref={{Harvid|中松|1996a}}}}
*{{Cite book|和書|title=頭脳革命 脳外エネルギーで人生を変えろ!|date=1996-11|publisher=[[WAVE出版]]|isbn=4-900528-75-7|ref={{Harvid|中松|1996b}}}}
*{{Cite book|和書|title=ドクター中松の超創造力 頭脳こそ21世紀の究極資源|date=1996-12|publisher=廣済堂出版|isbn=4-331-50561-8|ref={{Harvid|中松|1996c}}}}
*{{Cite book|和書|title=東大キャンパスにおける創造学講義|date=2002-01|publisher=ビジネス社|isbn=4-915637-02-6|ref={{Harvid|中松|2002}}}}
**{{Cite book|和書|author=ドクター・中松|title=東大キャンパスにおける創造学講義|edition=新装版|date=2002-06|publisher=シーピー|isbn=4-915637-02-6|ref={{Harvid|ドクター中松|2002b}}}}
*{{Cite book|和書|title=ドクター中松の独創思考|date=1997-03|publisher=[[日本能率協会マネジメントセンター]]|isbn=4-8207-1251-9|ref={{Harvid|中松|1997b}}}}
*{{Cite book|和書|title=ドクター中松のここちよいリボディ|date=1998-02|publisher=成星出版|isbn=4-916008-52-9|ref={{Harvid|中松|1998}}}}
**{{Cite book|和書|author=ドクター・中松|title=ドクター・中松のリボデイ 144才健康法|edition=新装版|date=2002-06|publisher=シーピー|isbn=4-915637-03-4|ref={{Harvid|ドクター中松|2002c}}}} - 背のタイトル:リボデイ。
*{{Cite book|和書|author=ドクター・中松|title=ドクター・中松ドクトリン 日本再生世直し発明|date=2003-01|publisher=シーピー|isbn=4-915637-04-2|ref={{Harvid|ドクター中松|2003a}}}} - [[フロッピー]]発明50周年記念出版。
*{{Cite book|和書|author=ドクター・中松|title=ドクター・中松の発明伝説 スリル・サスペンスとロマン|date=2003-09|publisher=シーピー|isbn=4-915637-05-0|ref={{Harvid|ドクター中松|2003b}}}} - 英文併記。
*{{Cite book|和書|author=ドクター・中松|title=ドクター・中松の発明ノート エジソンを超えた男|date=2007-11|publisher=PHP研究所|isbn=978-4-569-69298-2|ref={{Harvid|ドクター中松|2007}}}} - 年表あり。
*{{Cite book|和書|author=ドクター・中松|title=バカと天才は紙二重 「ミサイルUターン」発想法|date=2008-05|publisher=ベストセラーズ|series=ベスト新書|isbn=978-4-584-12187-0|ref={{Harvid|ドクター中松|2008a}}}}
*{{Cite book|和書|author=ドクター・中松|title=お母様|date=2008-11|publisher=[[ミヤオビパブリッシング]](出版) [[宮帯出版社]](発売)|isbn=978-4-900833-48-7|ref={{Harvid|ドクター中松|2008b}}}}
*{{Cite book|和書|author=ドクター・中松|title=クリエイティブパワー 創造の心で宇宙は進化する|date=2010-06|publisher=[[幸福の科学出版]]|isbn=978-4-86395-051-1|ref={{Harvid|ドクター中松|2010}}}}
*{{Cite book|和書|title=日本は負けたのではない 超経験者しか知らない大東亜戦争の真実|date=2013-05|publisher=[[文芸社]]|isbn=978-4-286-13911-1|ref={{Harvid|中松|2013}}}}
*{{Cite book|和書|title=打ち破る力 ドクター・中松の最終講義|date=2015-07|publisher=[[世界文化社]]|isbn=978-4-418-15510-1|ref={{Harvid|中松|2015}}}} - 年譜あり。
*{{Cite book|和書|author=ドクター・中松|title=私は死んでる暇がない サムライスピリッツで正々堂々とガンと闘う! 23の頭脳を持つ超発明家からのメッセージ|date=2016-07|publisher=[[ヒカルランド]]|isbn=978-4-86471-394-8|ref={{Harvid|中松|2016}}}}
=== 共著 ===
*{{Cite book|和書|author=サー・ドクター中松|editor=NHK『わたしの藤沢周平』制作班|editor-link=日本放送協会|others=[[遠藤崇寿]]・[[遠藤展子]] 監修|title=わたしの藤沢周平|chapter=孤立剣残月|date=2009-01|publisher=[[宝島社]]|isbn=978-4-7966-5995-6|ref={{Harvid|遠藤ほか|2009}}}}
**{{Cite book|和書|author=サー・ドクター中松|editor=NHK『わたしの藤沢周平』制作班|others=遠藤崇寿・遠藤展子 監修|title=わたしの藤沢周平|chapter=孤立剣残月|date=2012-10|publisher=[[文藝春秋]]|series=文春文庫 ふ1-92|isbn=978-4-16-783827-0|ref={{Harvid|遠藤ほか|2012}}}} - [[#CITEREF遠藤ほか2009|宝島社2009年刊]]の再刊。
*{{Cite book|和書|author=中松義郎|title=誇れる国、日本 謀略に!翻弄された近現代|chapter=日本は負けていない|date=2011-12|publisher=[[アパグループ]]|volume=4|ref={{Harvid||2011}}}} - 「4」のタイトル関連情報:第四回[[「真の近現代史観」懸賞論文]]受賞作品集。
*{{Cite book|和書|author=中松義郎|title=誇れる国、日本 謀略に!翻弄された近現代|chapter=「違法輸入」の「麻薬憲法」論|date=2013-12|publisher=アパグループ|volume=6|ref={{Harvid||2013}}}} - 「6」のタイトル関連情報:第六回[[「真の近現代史観」懸賞論文]]受賞作品集。
=== 翻訳 ===
*{{Citation|author=中松义郎|others=张羽静|title=独创力的秘密|date=1989-06|publisher=上海科学普及出版社|isbn=7-5427-0172-X|ref={{Harvid|中松|张|1989}}}}
=== CD ===
==== シングル ====
*「ガンの顔つき悪くても」(2015年6月24日発売、[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]、[[規格品番]] UICY-5128)<ref name="cd"/><ref>{{Cite web|和書|year=2015 |url=https://www.oricon.co.jp/prof/507227/products/1128870/1/ |title=ガンの顔つき悪くても ドクター・中松 |publisher=[[オリコン|ORICON STYLE]] |accessdate=2015-11-08}}</ref>
**英語バージョン「Even Cancer Face Very Bad」は、2015年4月18日に配信先行発売<ref name="cd"/>
== 出演 ==
=== 映画 ===
*[[シベリア超特急|シベリア超特急3]](2003年)<ref>KINENOTE「[http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=52309 シベリア超特急3]」</ref>
*[[ヅラ刑事]](2006年)<ref>KINENOTE「[http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=37795 ヅラ刑事 THE RUG COP]」</ref>
*The Invention of Dr. Nakamats(2009年、[[デンマーク映画|デンマーク]]の[[ドキュメンタリー]])<ref>[[インターネット・ムービー・データベース]]「[https://www.imdb.com/title/tt1708535/ The Invention of Dr. Nakamats (2009)]{{en icon}}」</ref><ref>デンマーク映画協会「[http://www.dfi.dk/faktaomfilm/film/en/63225.aspx?id=63225 Opfindelsen af Dr. Nakamats / The Invention of Dr. Nakamats]{{en icon}}」</ref>
この他、2007年にアメリカの映画会社が企画していた、燃料電池を扱ったドキュメンタリーに関し、中松も取材を受けていた<ref>[https://pesn.com/archive/2007/03/11/9500461_ChrisPatton_waterfuel/index.html Hollywood Producer Announces Water Fuel Film in Production] PESN.com</ref>。
=== テレビ番組 ===
*[[ビートたけしのお笑いウルトラクイズ]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系)
*[[良かれと思って!]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系、2017年7月26日)<ref>{{Cite news |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/07/27/kiji/20170727s00041000150000c.html |title=ドクター・中松氏 現在の超莫大な収入源はあの発明「ひとりでにお金が入る」 |publisher=スポーツニッポン |date=2017-07-27 |accessdate=2017-07-28}}</ref>
=== CM ===
*[[アイリスオーヤマ]]<ref>「[CM界]負け惜しみは発明の母? 不敵に笑うドクター中松」『[[読売新聞]]東京本社版』1997年6月23日付夕刊、16面。</ref>
*[[五ツ木書房]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|author=唐沢俊一|authorlink=唐沢俊一|coauthors=[[と学会]]|date=1999-01|title=トンデモ本1999 このベストセラーがトンデモない!!|chapter=どのビート板を使うのがいいか? 凡人には「創造学」の理解は遠い|publisher=[[光文社]]|pages=93-98|isbn=4-334-97204-7|ref={{Harvid|唐沢|1999}}}}
*{{Cite book|和書|author=立花隆|authorlink=立花隆|coauthors=東京大学教養学部立花隆ゼミ|date=1998-12|title=二十歳のころ 立花ゼミ『調べて書く』共同製作|publisher=新潮社|isbn=4-10-395503-1|ref={{Harvid|立花|東京大学教養学部立花隆ゼミ|1998}}}}
*{{Cite book|和書|author=藤倉珊|authorlink=藤倉珊|editor=と学会|date=1995-05|title=トンデモ本の世界|chapter=ドクター中松(中松義郎)――発明世界一とフロッピー伝説の真相|publisher=[[洋泉社]]|pages=260-268|isbn=4-89691-166-0|ref={{Harvid|藤倉|1995}}}}
*{{Cite journal|和書|author=松沢呉一|date=1993-11|title=「ドクター中松」という珍発明|journal=宝島30|issue=1993年11月号|publisher=宝島社|ref={{harvid|松沢|1993}}}}
== 関連項目 ==<!--項目の50音順-->
{{Div col}}
*[[イグノーベル賞]]
*[[幸福実現党]]
* [[将校志望を断念した日本の人物の一覧]]
*[[ナカビゾン]]
*[[フロッピーディスク]]
{{Div col end}}
== 外部リンク ==
*{{Official website}}
*{{Twitter|dr_nakamats|Dr. NakaMats ドクター・中松}}
*{{YouTube|channel = UCvoCoLcpfEbwomHiYx28ZHA|Dr. NakaMats / ドクター・中松【Official】}}
*[http://dr-nakamats.seesaa.net/ ドクター・中松の発明BLOG]
*{{Wayback |url=http://gree.jp/dr_nakamatsu |title=ドクター・中松 公式ブログ |date=20210623223726}}
*[https://web.archive.org/web/19990221083227/http://netcity.or.jp/NakaMats/p_career.htm ドクター中松の経歴]
*[https://www.universal-music.co.jp/sir-dr-nakamats/ ドクター・中松 Sir Dr. NakaMats - UNIVERSAL MUSIC JAPAN]
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:なかまつ よしろう}}
[[Category:イグノーベル賞受賞者]]
[[Category:幸福実現党の人物]]
[[Category:維新政党・新風]]
[[Category:自由連合の人物]]
[[Category:三井物産の人物]]
[[Category:麻布中学校・高等学校出身の人物]]
[[Category:成城中学校・高等学校出身の人物]]
[[Category:東京大学出身の人物]]
[[Category:東京都区部出身の人物]]
[[Category:東京都知事選挙の立候補経験者]]
[[Category:衆議院議員総選挙の立候補経験者]]
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[[Category:日本の工学者]]
[[Category:20世紀日本の実業家]]
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[[Category:日本の政治運動家]]
[[Category:日本の発明家]]
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[[Category:マハトマ・ガンディー世界平和賞の受賞者]]
[[Category:1928年生]]
[[Category:存命人物]] | 2003-04-22T15:31:37Z | 2023-12-31T22:50:56Z | false | false | false | [
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] | 特撮テレビ番組一覧(とくさつテレビばんぐみいちらん)は、特殊撮影を主体としたテレビ番組の一覧。SFテレビ番組、変身ヒーローもの、怪獣ものなどが含まれる。 | {{複数の問題
| 出典の明記 = 2015年1月
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'''特撮テレビ番組一覧'''(とくさつテレビばんぐみいちらん)は、[[特撮|特殊撮影]]を主体とした[[テレビ番組]]の一覧。[[SFドラマ|SFテレビ番組]]、変身ヒーローもの、[[怪獣]]ものなどが含まれる。
== 日本国内で製作された特撮番組 ==
=== 年代別 ===
* [[日本の特撮テレビ番組一覧]]
** [[日本の特撮テレビ番組一覧 (1950年代-1960年代)]]
** [[日本の特撮テレビ番組一覧 (1970年代)]]
** [[日本の特撮テレビ番組一覧 (1980年代)]]
** [[日本の特撮テレビ番組一覧 (1990年代)]]
** [[日本の特撮テレビ番組一覧 (2000年代)]]
** [[日本の特撮テレビ番組一覧 (2010年代)]]
** [[日本の特撮テレビ番組一覧 (2020年代)]]
=== シリーズ別 ===
* [[ウルトラシリーズ]]<ref name="ohshima">{{Cite book |title=Hero : 大島康嗣の仕事 |NCID=BC17871405 |publisher=講談社 |date=2022 |language=ja |author=大島康嗣 撮影|quote=『ウルトラマン』『仮面ライダー』などの特撮ヒーロー番組の撮影現場で55年間活躍したスチルカメラマンの集大成。「BOOKデータベース」 より }}</ref>
* [[仮面ライダーシリーズ]]<ref name="ohshima" />
* [[スーパー戦隊シリーズ]]
* [[メタルヒーローシリーズ]]
* [[東映不思議コメディーシリーズ]]
* [[怪奇大作戦]]シリーズ
* [[円谷恐竜三部作]]シリーズ
* [[スケバン刑事#実写化作品|スケバン刑事シリーズ]]
* [[電エース]]シリーズ
* [[牙狼-GARO-]]シリーズ
* [[超星神シリーズ]]
* [[トミカヒーローシリーズ]]
* [[琉神マブヤーシリーズ]]
* [[鉄神ガンライザー シリーズ]]
* [[環境超人エコガインダー]]シリーズ
* [[ガールズ×戦士シリーズ]]
* [[ドゲンジャーズ]]シリーズ
=== ジャンル別 ===
==== 宇宙 ====
* [[宇宙Gメン]]
* [[キャプテンウルトラ]]
* [[冒険ファミリー ここは惑星0番地]]
* [[宇宙からのメッセージ・銀河大戦]]
* [[スターウルフ]] - 宇宙の勇者スターウルフ
* [[Xボンバー]]
* [[宇宙犬作戦]]
==== メカ・SF ====
* [[少年発明王]]
* [[マイティジャック]] - 戦え! マイティジャック
* [[科学冒険隊タンサー5]]
* [[SFドラマ 猿の軍団]]
* [[日本沈没]]
* [[緊急指令10-4・10-10]]
* [[ねらわれた学園]]([[未来からの挑戦]] - NHK[[少年ドラマシリーズ]])
* [[時をかける少女]]([[タイム・トラベラー]] - [[続 タイム・トラベラー]] - NHK[[少年ドラマシリーズ]])
* [[七瀬ふたたび]](NHK[[少年ドラマシリーズ]])
* [[俺はご先祖さま]]
* [[もしも、学校が…!?]]
* [[NIGHT HEAD]]
* [[BLACK OUT]]
* [[いとしの未来ちゃん]]
* [[Sh15uya]]
* [[ケータイ捜査官7]]
* [[ケイゾク]]
* [[SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜]]
* [[Q10]]
* [[O-PARTS〜オーパーツ〜]]
* [[甲殻不動戦記 ロボサン]]
* [[ROAD TO EDEN]]
* [[ガールガンレディ]]
* [[親愛なる僕へ殺意をこめて]]
==== 妖怪・ホラー ====
* [[恐怖のミイラ]]
* [[悪魔くん]]
* [[河童の三平 妖怪大作戦]]
* [[恐怖劇場アンバランス]]
* [[バンパイヤ]]
* [[ギミア・ぶれいく]](『インスマスを覆う影』、『オカルト勘平』など)
* [[ファンタズマ〜呪いの館〜]]
* [[MMR未確認飛行物体]]
* [[ムーンスパイラル]]
* [[RHプラス]]
* [[地獄少女 (テレビドラマ)|地獄少女]]
* [[百鬼夜行抄#テレビドラマ|百鬼夜行抄]]
* [[大魔神カノン]]
* [[妖怪人間ベム (テレビドラマ)|妖怪人間ベム]]
* [[悪夢ちゃん]]
* [[WARASHI]]
* [[地獄先生ぬ〜べ〜#テレビドラマ|地獄先生ぬ〜べ〜]]
==== 時代劇・忍者 ====
* [[忍者部隊月光]] - 新忍者部隊月光
* [[忍者ハットリくん]] - 忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ
* [[妖術武芸帳]]
* [[風小僧]]
* [[白馬童子]]
* [[白鳥の騎士]]
* [[魔人ハンター ミツルギ]]
* [[仮面の忍者 赤影]]
* [[変身忍者 嵐]]
* [[快傑ライオン丸]] - [[風雲ライオン丸]]
* [[白獅子仮面]]
* [[行け! 牛若小太郎]]
* [[参上! 天空剣士]]
* [[服部半蔵 影の軍団]]
* [[猿飛佐助 (1980年のテレビドラマ)|猿飛佐助]]
* [[風魔の小次郎]]
* [[戦国★男士]]
* [[戦国BASARA#テレビドラマ|戦国BASARA-MOONLIGHT PARTY-]]
* [[猿飛三世]]
* [[荒神 (宮部みゆきの小説)#テレビドラマ|荒神]]
==== 等身大ヒーロー ====
* [[月光仮面]]
* [[鉄腕アトム (実写版)]]
* [[鉄人28号#実写版テレビドラマ|鉄人28号(実写版)]]
* [[豹の眼]]
* [[遊星王子]]
* [[七色仮面]]
* [[海底人8823]]
* [[快傑ハリマオ]]
* [[アラーの使者]]
* [[ナショナルキッド]]
* [[アタック拳]]
* [[光速エスパー]]
* [[スパイキャッチャーJ3]]
* [[超人バロム・1]]<!-- * [[変身忍者 嵐]]
* [[快傑ライオン丸 ]] - [[風雲ライオン丸]] -->
* [[突撃! ヒューマン!!]]
* [[人造人間キカイダー]] - [[キカイダー01]]
* [[愛の戦士レインボーマン]]
* [[イナズマン]] - [[イナズマンF]]
* [[ロボット刑事]]
* [[鉄人タイガーセブン]]
* [[電人ザボーガー]] - 電人ザボーガー対恐竜軍団シリーズ
* [[ダイヤモンド・アイ]]
* [[正義のシンボル コンドールマン]]
* [[快傑ズバット]]
* [[プロレスの星 アステカイザー]]<!-- * [[行け! グリーンマン]] -->
* [[小さなスーパーマン ガンバロン]]
* [[UFO大戦争 戦え! レッドタイガー]]
* [[スパイダーマン (東映)|スパイダーマン]](東映版)
* [[星雲仮面マシンマン]]
* [[超光戦士シャンゼリオン]]
* [[七星闘神ガイファード]]
* [[行け!レインボー仮面対ホームレス怪人軍団]]
* [[オモチャキッド]]
* [[魔弾戦記リュウケンドー]]
* [[ライオン丸G]]
* [[神話戦士ギガゼウス]]
* [[薩摩剣士隼人]]
* [[ファイヤーレオン]]<!-- * [[衝撃ゴウライガン!!]] -->
* [[炎の天狐 トチオンガーセブン]]
* [[超速パラヒーロー ガンディーン]]
==== 集団ヒーロー ====
* [[ワイルド7]]
* [[電撃!! ストラダ5]]
* [[トリプルファイター]]<!-- * [[流星人間ゾーン]] -->
* [[アクマイザー3]] - [[超神ビビューン]]
* [[宇宙鉄人キョーダイン]]
* [[ザ・カゲスター]]
* [[忍者キャプター]]
* [[円盤戦争バンキッド]]
* [[バトルホーク]]
* [[兄弟拳バイクロッサー]]
* [[電脳警察サイバーコップ]]
* [[ボイスラッガー]]
* [[衝撃ゴウライガン!!]]
* [[ザ・ハイスクール ヒーローズ]]
* [[特捜最前線]]{{要出典|date=2015年1月}}
* [[大激闘マッドポリス'80]]{{要出典|date=2015年1月}} - [[特命刑事]]{{要出典|date=2015年1月}}
* [[ザ・ボディガード]]{{要出典|date=2015年1月}}
* [[ザ★ゴリラ7]]{{要出典|date=2015年1月}}
==== 巨大ヒーロー・怪獣 ====
* [[怪獣マリンコング]]
* [[幻の大怪獣 アゴン]]
* [[マグマ大使 (テレビドラマ)|マグマ大使]]
* [[怪獣王子]]
* [[ジャイアントロボ]]
* [[魔神バンダー]]
* [[ジャングルプリンス]]
* [[スペクトルマン]](宇宙猿人ゴリ・宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン)
* [[ファイヤーマン]]
* [[ミラーマン]] - [[ミラーファイト]]
* [[レッドマン]]
* [[行け!ゴッドマン]] - [[行け! グリーンマン]]
* [[シルバー仮面]]
* [[アイアンキング]]
* [[サンダーマスク]]
* [[ジャンボーグA]]
* [[スーパーロボット レッドバロン]] - [[スーパーロボット マッハバロン]]
* [[大鉄人17]]
* [[流星人間ゾーン]]
* [[炎の超人メガロマン]]
* [[電光超人グリッドマン]]
* [[セーラーファイト!]]
* [[鉄甲機ミカヅキ]]
* [[生物彗星WoO]]
* [[MM9#テレビドラマ|MM9-MONSTER MAGNITUDE-]]
* [[20世紀未来ロボット防衛隊テデロス]]
* [[TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇]]
==== スーパーヒロイン ====
* [[好き! すき!! 魔女先生]]
* [[少女コマンドーIZUMI]]
* [[美少女戦士セーラームーン (テレビドラマ)|美少女戦士セーラームーン]](CBC・TBS系)
* [[仮面天使ロゼッタ]]
* [[千年王国III銃士ヴァニーナイツ]]
* [[サイバー美少女テロメア]]
* [[美少女戦麗舞パンシャーヌ 奥様はスーパーヒロイン!]]
* [[虹色定期便]](97年度)
* [[陰陽少女]]
* [[エコエコアザラク|エコエコアザラク〜眼〜]]
* [[キューティーハニー THE LIVE]]
* [[エスパー魔美]](NHK[[ドラマ愛の詩]])
* [[Kawaii! JeNny]]
* [[時空警察ヴェッカーD-02]] - [[時空警察ヴェッカーシグナ]]
* [[デビルシャドー]]
* [[古代少女ドグちゃん]] - 古代少女隊ドグーンV
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==== ファンタジー・エブリデイマジック ====
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* [[勇者ヨシヒコと魔王の城]] - [[勇者ヨシヒコと悪霊の鍵]]
* [[ドラゴン青年団]]
* [[ど根性ガエル (テレビドラマ)|ど根性ガエル]]
* [[中年スーパーマン左江内氏|スーパーサラリーマン左江内氏]]
==== 少年探偵もの ====
* [[少年探偵団]]
* [[少年探偵団 (BD7)]]
* [[怪人二十面相 (1977年のテレビドラマ)|怪人二十面相(1977年、フジテレビ)]]
* [[まぼろし探偵]]
* [[少年ジェット]] - 新・少年ジェット
* [[ぼくら野球探偵団]]
* [[怪人二十面相と少年探偵団]] - 怪人二十面相と少年探偵団II
* [[左目探偵EYE]]
* [[金田一少年の事件簿 (テレビドラマ)|金田一少年の事件簿]]
==== その他 ====
* [[西遊記 (1978年のテレビドラマ)|西遊記]] - [[西遊記II]]
* [[黄土の嵐]]
* [[アストロ球団 (テレビドラマ)|アストロ球団]]
* [[赤いシュート]]
* [[はずめ!イエローボール]]
* [[FNS地球特捜隊ダイバスター]]
* [[赤いバッシュ !]]
* [[美味學院]]
* [[モブサイコ100]]
* [[STAND UP!ヴァンガード]]
* [[アイカツプラネット!]]
* [[ガンダムビルドリアル]]
* [[リズスタ -Top of Artists!-]]
== 日本国外で製作され、日本に輸入された作品 ==
=== 欧米 ===
* [[アウター・リミッツ (1963年)|アウター・リミッツ]]
* [[アトランティスから来た男]]
* [[アメリカン・ヒーロー]]
* [[ARROW/アロー]]
* [[インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険]]
* [[インベーダー (テレビドラマ)|インベーダー]]([[:en:The Invaders]])
* [[宇宙家族ロビンソン]]([[:en:Lost in Space]])
* [[宇宙空母ギャラクチカ]]([[:en:Battlestar Galactica]])
* [[宇宙船XL-5]](谷啓の宇宙冒険、[[:en:Fireball XL5]])
* [[宇宙船レッド・ドワーフ号]]([[:en:Red Dwarf]])
* [[スタートレック|宇宙大作戦]](スター・トレック 宇宙大作戦、宇宙パトロール)
* 宇宙パトロール(西ドイツ)
* [[Xファイル]]
* [[奥さまは魔女 (テレビドラマ)|奥さまは魔女]]
* [[オデッセイファイブ]]
* [[海底大戦争 スティングレイ]](トニー谷の海底大戦争、[[:en:Stingray (TV series)]])
* [[KAMEN RIDER DRAGON KNIGHT]]
* [[かわいい魔女ジニー]]([[:en:I Dream of Jeannie]])
* [[きかんしゃトーマス]]([[:en:Thomas and Friends]])(第12シーズンまで)
* [[キャプテン・スカーレット]]([[:en:Captain Scarlet and The Mysterons]])
* [[キャプテン・ナイス]]
* [[キャプテンパワー]]([[:en:Captain Power]])
* キャプテン・ロジャース(25世紀の宇宙戦士 バック・ロジャース、スペース・レイダース、[[:en:Buck Rogers in the 25th Century (TV series)]])
* [[GALACTICA/ギャラクティカ]]([[バトルスター ギャラクティカ サイロンの攻撃]]、[[:en:Battlestar Galactica (2004 TV series)]])
* [[驚異のスーパー・バイク ストリートホーク]](ストリートホーク、[[:en:Street Hawk]])
* [[巨人の惑星]]([[:en:Land of the Giants]])
* [[原子力潜水艦シービュー号]](原潜シービュー号 海底科学作戦、[[:en:Voyage to the Bottom of the Sea]])
* [[猿の惑星 (テレビドラマ)|猿の惑星]](TV版)
* [[サンダーバード (テレビ番組)|サンダーバード]]([[:en:Thunderbirds (TV series)]])
* [[シークエスト]]([[:en:SeaQuest DSV]])
* [[事件記者コルチャック]]
* [[ジョー90]]([[:en:Joe 90]])
* [[新宇宙空母ギャラクティカ]]([[新宇宙空母ギャラクティカ 地球征服]]、[[:en:Galactica 1980]])
* [[新スタートレック|新スター・トレック]](スター・トレック'88 新・宇宙大作戦)
* [[人造人間クエスター]]([[:en:The Questor Tapes]])
* [[スーパーナチュラル]]
* [[スーパーマン]]
* [[スターゲイト SG-1]]
* [[スターゲイト アトランティス]]
* [[スタートレック:ディープ・スペース・ナイン|スター・トレック ディープ・スペース・ナイン]]
* スターマン
* [[スパイダーマン]]
* [[スパイダーマン2 ドラゴンの挑戦]]
* [[スペース1999]]([[:en:Space: 1999]])
* [[7デイズ 時空大作戦]]([[:en:Seven Days]])
* [[ダークエンジェル (テレビドラマ)|ダーク・エンジェル]]
* [[タイムトンネル]]
* [[地球防衛軍テラホークス]]([[:en:Terrahawks]])
* [[地上最強の美女バイオニック・ジェミー]]([[:en:The_Bionic_Woman]])
* [[超音速攻撃ヘリ・エアーウルフ|超音速攻撃ヘリ エアーウルフ]](エアウルフ)
* [[ザ・フラッシュ|超音速ヒーロー ザ・フラッシュ]]
* [[超人ハルク (テレビドラマ)|超人ハルク]]([[:en:The Incredible Hulk (TV series)]])
* [[ドクター・フー]]([[:en:Doctor Who]])
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* [[ナイトライダー]]
* [[謎の円盤UFO]] ([[:en:UFO (TV series)]])
* [[ハイテク武装車バイパー]]([[犯罪壊滅装甲兵器バイパー]]、[[:en:Viper (TV series)]])
* [[バビロン5]]([[:en:Babylon 5]])
* [[マイティ・モーフィン・パワーレンジャー|パワーレンジャー]]
* [[HEROES (テレビドラマ)|HEROES]]
* [[ヒューマノイド・プロテクター]]
* [[V (テレビドラマ)|V]]([[:en:V (TV series)]])
* [[V.I.P. (テレビドラマ)|vip]]
* [[4400 未知からの生還者]]
* [[プリズナーNo.6]]([[:en:The Prisoner]])
* [[ブレイクス7]]
* [[冒険野郎マクガイバー]]
* [[マスクド・ライダー]]
* [[ミステリーゾーン]]([[トワイライトゾーン]])
* [[ミュータントX]]([[:en:Mutant X (TV series)]])
* [[メガ・ミンディ]]([[:en:Mega Mindy]])
* [[ヤング・スーパーマン]]([[:en:Smallville (TV series)]])
* [[アメリカン・ヒーロー|UFO時代のときめき飛行 アメリカン★ヒーロー]]
* [[レイジータウン]]
* [[ロズウェル - 星の恋人たち]]
* [[600万ドルの男]]([[:en:The_Six_Million_Dollar_Man]])
* [[ロボコップ#テレビシリーズ|ロボコップ (テレビドラマ)]]
* [[ロボコップ プライム・ディレクティヴ]]
* [[ロンドン指令X]]([[:en:The Secret Service]])
* [[ワンダーウーマン (テレビドラマ)|ワンダーウーマン]]([[:en:Wonder Woman (television series)]])
=== アジア ===
* アーリャマーン ([[:en:Aryamaan – Brahmaand Ka Yodha]]) - インド
* [[EREXION]] ([[:ko:이레자이온]]) - 韓国
* [[鎧甲勇士]] - 中国
* [[ガルーダの戦士ビマ]] (Bima Satria Garuda) - インドネシア
* [[ガルーダの戦士ビマX]] (Satria Garuda Bima-X) - インドネシア
* 花郎戦士マル ([[:ko:화랑전사 마루]]) - 韓国
* 環境守備隊ワイルドフォース ([[:ko:환경수비대 와일드포스]]) - 韓国
* [[環境戦隊ゼンタフォース]] ([[:ko:환경전사 젠터포스]]) - 韓国
* キャプテンバーベル ([[:en:Captain_Barbell]]) - フィリピン
* 巨神戦撃隊 ([[:zh:巨神戰擊隊]]) - 中国
* [[金甲戦士]] - 中国
* クリスタルナイツ (คริสตัล ไนท์) - タイ
* ZAIDO ([[:en:Zaido: Pulis Pangkalawakan]]) - フィリピン
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* シャクティーマーン ([[:en:Shaktimaan]]) - インド
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* [[スポーツレンジャー]] ([[:th:ขบวนการสปอร์ตเรนเจอร์]]) - タイ
* 戦闘王EX (战斗王EX) - 中国
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* ダルナ ([[:en:Darna]]) - フィリピン
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* 超装备小子K-BOY - 中国
* 天火伝説 (天火传说) - 中国
* [[巴拉拉小魔仙]] - 中国
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* ラスティックマン ([[:en:Lastikman (TV series)|en:Lastikman]]) - フィリピン
* [[レジェンドヒーロー三国伝]] ([[:ko:레전드히어로 삼국전]]) - 韓国
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7,137 | サンダーバード (テレビ番組) | 『サンダーバード』(Thunderbirds)は、1965年から1966年にイギリスで放送されていた人形劇による1時間枠の特撮テレビ番組。
1966年に『サンダーバード 劇場版』、1968年に『サンダーバード6号』が劇場公開された。2004年にはアメリカ合衆国で制作された実写版映画が公開され、2015年から2020年にかけてリブート版『サンダーバード ARE GO』が放送された。
世界各地で発生した事故や災害で絶体絶命の危機に瀕した人々を、「国際救助隊」(IR―International Rescue)と名乗る秘密組織がスーパーメカを駆使して救助する活躍を描く物語である。
21世紀が舞台。放送当時に制作された設定では西暦2065年が舞台とされており、当時のメディア展開は全てこの設定を元に記述されている。だが、映像上では第31話の中に出てきたカレンダーに2026年と記されており、1970年代から1990年代には、この2026年を基準とする「新設定」が台頭した。現在、公式の設定年代は再び西暦2065年に戻されている。
本作は1963年『海底大戦争 スティングレイ』の後番組を構想中のジェリー・アンダーソンが、ドイツのマチルド鉱山で起きた、129人が生き埋めになった浸水落盤事故で、29人が死亡したが懸命な救助の結果100人が救出されたこと(レンゲデの奇跡(Wunder von Lengede)) を知り「国際的な協力で、科学的な設備を持って救助すれば被害は食い止められる」と思いつき、企画初期段階のタイトルは、『国際救助隊(原題「International Rescue」)』だった。
ITCのルー・グレイド(英語版)が本企画を承認し、ポルトガルのアルブフェリア村の貸別荘でシルヴィア・アンダーソンに口述筆記させ完成させた。最初のエピソード「SOS原子旅客機」("Trapped in the sky")は、ジェリーが従軍していた頃にマンストン基地(英語版)で目撃した胴体着陸事故に基づく。企画成立直前に、ジェリーは第二次世界大戦中に行方不明(後に戦死と認定)となった兄ライオネル空軍軍曹からの手紙に記された、映画『大空の戦士 サンダーバード(英語版)』(1942年)に兄がエキストラとして参加しジーン・ティアニーやプレストン・フォスターと「共演」したエピソードを思い出し、ここから企画タイトルを「Thunderbirds(サンダーバーズ)」とし、それまで「レスキュー」と呼ばれていた国際救助隊の5台のメカも「サンダーバード」1号~5号に改めた。
本作は前作『海底大戦争 スティングレイ』と同様に「スーパーマリオネーション」と呼ばれる技法で撮影されている。この技法の最大の特徴は、事前に録音された台詞の録音テープの音声に連動して人形の唇を動かす電磁石でできた装置が、人形の頭部に内蔵されている点である。この装置は唇を動かす装置や回路類を含め「リップ・シンクロ・システム」と呼ばれた。また、メインキャラクターには4種類の表情を持った顔が用意され、場面ごとに人形の表情に変化をもたせている。さらに人形では表現しにくい「ボタンを押す手」「歩行時の脚」等の部分に関しては、実写映像が挿入された。
制作は操り人形を用いた特撮映画やテレビシリーズを多く制作していた、ジェリー・アンダーソン率いるAPフィルムズで、配給会社はインコーポレーテッド・テレビジョン・カンパニー(英語版)であった。
ジェリー・アンダーソンは、当初CM込みの30分1話(25分尺)の作品を想定して制作が進められていた本作が1時間番組になった経緯を以下のように話している。放送局であるATVのプロデューサーのルー・グレイドに完成した第1話を見せたところ、その完成度の高さに驚き、「これはテレビ番組じゃない、映画だ! 映画なら1時間の尺にしないと」と判断。 しかしシルヴィア・アンダーソンは「これはテレビ番組じゃない、映画だ!」は『スペース1999』のときのことだとしている。シルヴィアによれば1時間番組となった経緯は以下の通りである。『サンダーバード』製作初期の段階にルー・グレイドが電話でペネロープが上流階級すぎる人物にならないか心配していると言ってきた。シルヴィアはそれを否定し、ルーも他の話を見ることでその心配はなくなったが、その時にシルヴィアが30分番組だと人物を掘り下げることが難しいと話し、冗談交じりに「1時間番組なら展開を早くできる」と言ったところグレイドから許可が出たというものである。 経緯がどちらのものであったにせよ、30分番組として作られていた9話分と既に脚本が書かれていたものに関しては追加撮影を行い、残りは最初から1時間番組として脚本が書かれた。
50分尺になったことで制作費も増額され、1話あたり当時の価格で4万ポンド(約2000万円)となり、30分番組の予定を1時間枠に拡大した。放送開始と共に、全国紙で特集が組まれるほどの社会現象を引き起こし、子供番組史上まれに見る人気作品となった。
人形劇でありながら、細部にまでこだわった造形や洗練されたデザインの模型、ロケット噴射や車両走行中の土ぼこりの描写などリアリティを追求した特撮技術は当時としては驚異的なクオリティであり、その後の特撮作品への多大な影響を及ぼした。
登場人物のコスチュームも当時の最先端のモードを積極的に取り入れ、メインターゲットの男子児童だけではなく女子児童の関心もつかんだ。当時、番組に登場した人形をベースにしたファッション情報誌も制作されたほどである。
ストーリーは子供でも理解できる単純な筋書きであるが、「人命救助」というスリリングながら前向きで健全なイメージを徹底したことで親世代からの反発もなかった。
バリー・グレイによる音楽は躍動感のあるオーケストラサウンドを基本に、長い映像でも飽きさせない多彩な曲が使用された。また音楽が始まると台詞が止まるため、劇伴に多い人間の声を邪魔しない曲 ではなく、様々な帯域を使用できたことで楽曲単体でも完成度が高いとされる。テーマ曲は運動会の入場行進にも使用される事がある。
これら全てが明確な世界観によりイギリスでは放送開始から大好評を博し、最後の6本は後から追加制作(第2シーズン)されることとなった。既に『キャプテン・スカーレット』が作られていたため、人形もその技術を使い、ギミックの一部が顔から胸に移されたので、プロポーションがやや改善されている。他にもセットが若干変更されているが、いずれも言われないとわからないほどの違いである。しかし、本作最大の目的だったアメリカ三大ネットワークへのセールスは失敗した。これは、1時間番組という枠が子供番組に不向きだった、グレイドがイギリスでの人気を背景に放送権料を吊り上げすぎたなど様々な説がある。メインキャラクターの1人がノブレス・オブリージュに基づいて行動するアメリカ人にもかかわらず今日でもアメリカでSF人形劇と言えば『宇宙船XL-5』が最も有名であり、『サンダーバード』の知名度は低い。なお日本ではアメリカと異なり人気シリーズとなっており、強い影響を受けた樋口真嗣はメカに対する思い入れがあるイギリス人や日本人には合うが、アメリカの国民性に合わなかったのではないかと発言している。
これら3作については、個別の記事も参照。
本作の設定年代(特に人物の生年)は、主に2バージョン存在する。1970-90年代には設定年代が2026年となっており、登場人物の生年月日やバイオグラフィーはこの年を基準に設定、バージルが次男、ジョンが三男だった。日本では、『劇場版』のパンフレット以降バージルが次男、ジョンが三男、アランが四男、ゴードンが五男とする設定がしばらく流布した。その後に1980年発行の『ロマンアルバム増刊 サンダーバード Complete Visual Guidebook』より2026年設定が日本国内でも広がった。90年代には、年齢が数歳上のものである設定も流布した。しかし、21世紀に入った後、版権元であるカールトン・インターナショナルによって年代設定が制作当時の公式設定だった2065年に改訂され、各人物のバイオグラフィーも本来のものに戻された。同じくアンダーソン制作で、設定年代が2068年の『キャプテン・スカーレット』や2065年の『海底大戦争 スティングレイ』の設定とのクロスオーバー的な記述が多々見られるのは、放送当時の設定年代が地続きだったからである。
特記がない限り、本稿の内容は2065年基準のものとする。トレーシー兄弟の名前は、マーキュリー計画の宇宙飛行士(マーキュリー・セブン)に因んだものである。
タイトルである「サンダーバード」とは、ナンバリングされた主要な救助用メカニックの事である。デレク・メディングスがデザインしたオリジナルのスケッチはブレインズのラボの壁に貼られていて、機体の表記も「TB1」や「T2」等ではなく、初期案の「レスキュー」を略した「R1」や「R2」となっている。詳細はそれぞれの個別項目を参照。
サンダーバード2号のポッドにより輸送される、各種専門救助装備。吹替版では原語版の名称「ポッド」やプラモデルの説明書等で使用される「コンテナ」の名称は使われず、一貫して「装備」と呼ばれている。
後にハリウッドで活躍することになる有能な人材が、作品を支えた。
オリジナル版では、バリー・グレイ作曲によるメインテーマ(インストゥルメンタル)が使用された。
1966年のNHK本放送版(日本での初放送)でもオリジナル版同様に、バリー・グレイによるメインテーマ(インストゥルメンタル)が使用された。
1967年のTBSでの放送から、メインテーマに日本語の歌詞(作詞・滝田順)をつけた日本オリジナルのボーカル曲として、ロイヤル・ナイツとビクター少年合唱隊による「サンダーバードの歌」(日本ビクター)が使用された。メインテーマはオリジナルに使用されている部分がAメロで、ボーカルの部分がBメロとCメロに当たり、"A-B-C-B-A"という曲構成からなる。このうち、"B-C-B"のいわゆる、日本語ボーカルパートのみを録音した楽曲は『センチュリー21マーチ』というタイトルが後に付けられている。後の実写版や『~ARE GO』ではAメロのみが主にフィーチャーされている。なお、このバージョンはテープの劣化などからCD化は絶望視されていたが、2014年、デジタルリマスター版がiTunesなどで配信開始された。
1967年には、ハニー・ナイツによるカバーが発売された(東芝EMI)が、これはテレビ放送では使用されていない。
1980年・TBSの日本語版再放送では、松山祐士編曲、ミュージッククリエイションと杉並児童合唱団歌唱によるカバー(東芝レコード)が使用された。この主題歌レコードには、TV版音声の再編集によるオーディオドラマ(ロケット太陽号のエピソード)が併録されている。
1992年・テレビ東京の日本語版再放送では、バンダイミュージックシンガーズによるカバー(アポロン)が使用された。シングルとして市販されたものには、NHK版のオープニングもボーナストラックとして収録された(ただし、音源のソノシートの状態が悪く、一部音質の悪い部分があった)。
オープニング曲のみならず、本作を含めたバリー・グレイによる「サウンドトラック(劇伴)」用スコアはマスターテープと共に長らく行方不明になってしまっていたため 、厳密な意味でのオリジナル版に準拠した演奏ができなくなっていたが、近年マスターテープとスコアが揃って発見。以後、これを管理するバリー・グレイ協会からスコアが貸し出しされればオリジナル完全準拠の演奏が可能となった。
また、同時に発見されたグレイのマスターテープを利用したオリジナル・サウンドトラックCDが1998年の『スーパーカー (人形劇)』と『宇宙船XL-5』のセット、『スペース1999』第1シリーズのものを歯切りとして、発売されている。本作の一般向けCDは2003年に1種類、2004年に2種類、2020年に1種類、それぞれシルヴァ・スクリーン・レコードから発売されている他、ファンダーソン会員限定の4枚組CDが2015年に発売されている。詳細は本項のCD節を参照のこと。
2015年には、テーマ曲(オリジナル・日本語版の両方)を含めサウンドトラックから抜粋した代表的な楽曲を、前述したオリジナルスコアに準拠した形で演奏。(演奏:東京ガーデン・オーケストラ 日本語版カバー IL DEVU / TOKYO-FM少年合唱団)翌2016年4月13日にこれら代表曲を収録したCDが日本コロムビアから世界初のオリジナルスコアによる最新録音盤としてリリースされ(演奏:東京ガーデン・オーケストラ、指揮:広上淳一)、2016年4月16日にはCD発売を記念した演奏が同オケにより行われた(ファンタジー・フィルム・スペクタキュラー2016、指揮:榊真由)。
全てはバンダイビジュアル(現:バンダイナムコフィルムワークス)から発売された。
”ITCメモリアルボックス”に全4巻に分けてバンダイビジュアルから発売された。各ボックスアートは開田裕治のイラストを使用。
英シルヴァ・スクリーンから大きく分類し四組が一般向けに、アンダーソン夫妻のファンクラブファンダーソンから会員限定のもの一組のサウンドトラックCDが発売されている。
1992年にドラマCD「サンダーバード秘密基地セット」が5枚組(ドラマCD3枚+サウンドトラック1枚+CDビデオ1枚)発売された。いずれもテレビシリーズのエピソードの再演で、「SOS原子旅客機」、「ニューヨークの恐怖」、「秘密作戦命令」の3話(いずれもNHK邦題)が選ばれている。国際救助隊の声優陣には可能な限りテレビシリーズと同じキャストを集めているが、一部は変更されている。また音楽も前述の通りオリジナル音源がマスターテープ紛失のため使えず新たに録音されたものが使用されている。
「秘密作戦命令」のディスクにはボーナストラックとして収録に参加したオリジナルキャスト(小沢、中田、宗近、大泉、里見)が『サンダーバード』出演当時を振り返る「出演者による思い出のエピソード」が収録。
キャスティング協力 - 81プロデュース
本作は以降の日本のSF作品へも大きな影響を及ぼした。その範囲は、非営利の民間組織が救助活動を行うという作品設定に始まり、メカニックの役割分担(色分け)や「秘密基地」のコンセプト、発進シーンに代表されるミニチュアワーク、人形の操演技術、BGMの使い方のセンス等々、多岐にわたる。例えば『ウルトラセブン』においても、企画書の段階から本作の名を挙げて、防衛チームの基地やメカニックをより魅力的に見せるよう謳っている記述がある。以下にはパロディー等も含めて、サンダーバードの影響が顕著と見られるものを挙げる。アニメ・特撮・人形劇については、他のアンダーソン作品の影響も受けたものが多いため「ジェリー・アンダーソン」の項も併せて参照のこと。 | [
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"text": "『サンダーバード』(Thunderbirds)は、1965年から1966年にイギリスで放送されていた人形劇による1時間枠の特撮テレビ番組。",
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"text": "1966年に『サンダーバード 劇場版』、1968年に『サンダーバード6号』が劇場公開された。2004年にはアメリカ合衆国で制作された実写版映画が公開され、2015年から2020年にかけてリブート版『サンダーバード ARE GO』が放送された。",
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"text": "世界各地で発生した事故や災害で絶体絶命の危機に瀕した人々を、「国際救助隊」(IR―International Rescue)と名乗る秘密組織がスーパーメカを駆使して救助する活躍を描く物語である。",
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"text": "21世紀が舞台。放送当時に制作された設定では西暦2065年が舞台とされており、当時のメディア展開は全てこの設定を元に記述されている。だが、映像上では第31話の中に出てきたカレンダーに2026年と記されており、1970年代から1990年代には、この2026年を基準とする「新設定」が台頭した。現在、公式の設定年代は再び西暦2065年に戻されている。",
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"text": "本作は1963年『海底大戦争 スティングレイ』の後番組を構想中のジェリー・アンダーソンが、ドイツのマチルド鉱山で起きた、129人が生き埋めになった浸水落盤事故で、29人が死亡したが懸命な救助の結果100人が救出されたこと(レンゲデの奇跡(Wunder von Lengede)) を知り「国際的な協力で、科学的な設備を持って救助すれば被害は食い止められる」と思いつき、企画初期段階のタイトルは、『国際救助隊(原題「International Rescue」)』だった。",
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"text": "ITCのルー・グレイド(英語版)が本企画を承認し、ポルトガルのアルブフェリア村の貸別荘でシルヴィア・アンダーソンに口述筆記させ完成させた。最初のエピソード「SOS原子旅客機」(\"Trapped in the sky\")は、ジェリーが従軍していた頃にマンストン基地(英語版)で目撃した胴体着陸事故に基づく。企画成立直前に、ジェリーは第二次世界大戦中に行方不明(後に戦死と認定)となった兄ライオネル空軍軍曹からの手紙に記された、映画『大空の戦士 サンダーバード(英語版)』(1942年)に兄がエキストラとして参加しジーン・ティアニーやプレストン・フォスターと「共演」したエピソードを思い出し、ここから企画タイトルを「Thunderbirds(サンダーバーズ)」とし、それまで「レスキュー」と呼ばれていた国際救助隊の5台のメカも「サンダーバード」1号~5号に改めた。",
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"text": "本作は前作『海底大戦争 スティングレイ』と同様に「スーパーマリオネーション」と呼ばれる技法で撮影されている。この技法の最大の特徴は、事前に録音された台詞の録音テープの音声に連動して人形の唇を動かす電磁石でできた装置が、人形の頭部に内蔵されている点である。この装置は唇を動かす装置や回路類を含め「リップ・シンクロ・システム」と呼ばれた。また、メインキャラクターには4種類の表情を持った顔が用意され、場面ごとに人形の表情に変化をもたせている。さらに人形では表現しにくい「ボタンを押す手」「歩行時の脚」等の部分に関しては、実写映像が挿入された。",
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"text": "制作は操り人形を用いた特撮映画やテレビシリーズを多く制作していた、ジェリー・アンダーソン率いるAPフィルムズで、配給会社はインコーポレーテッド・テレビジョン・カンパニー(英語版)であった。",
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"text": "ジェリー・アンダーソンは、当初CM込みの30分1話(25分尺)の作品を想定して制作が進められていた本作が1時間番組になった経緯を以下のように話している。放送局であるATVのプロデューサーのルー・グレイドに完成した第1話を見せたところ、その完成度の高さに驚き、「これはテレビ番組じゃない、映画だ! 映画なら1時間の尺にしないと」と判断。 しかしシルヴィア・アンダーソンは「これはテレビ番組じゃない、映画だ!」は『スペース1999』のときのことだとしている。シルヴィアによれば1時間番組となった経緯は以下の通りである。『サンダーバード』製作初期の段階にルー・グレイドが電話でペネロープが上流階級すぎる人物にならないか心配していると言ってきた。シルヴィアはそれを否定し、ルーも他の話を見ることでその心配はなくなったが、その時にシルヴィアが30分番組だと人物を掘り下げることが難しいと話し、冗談交じりに「1時間番組なら展開を早くできる」と言ったところグレイドから許可が出たというものである。 経緯がどちらのものであったにせよ、30分番組として作られていた9話分と既に脚本が書かれていたものに関しては追加撮影を行い、残りは最初から1時間番組として脚本が書かれた。",
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"text": "50分尺になったことで制作費も増額され、1話あたり当時の価格で4万ポンド(約2000万円)となり、30分番組の予定を1時間枠に拡大した。放送開始と共に、全国紙で特集が組まれるほどの社会現象を引き起こし、子供番組史上まれに見る人気作品となった。",
"title": "概要"
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"text": "人形劇でありながら、細部にまでこだわった造形や洗練されたデザインの模型、ロケット噴射や車両走行中の土ぼこりの描写などリアリティを追求した特撮技術は当時としては驚異的なクオリティであり、その後の特撮作品への多大な影響を及ぼした。",
"title": "概要"
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"text": "登場人物のコスチュームも当時の最先端のモードを積極的に取り入れ、メインターゲットの男子児童だけではなく女子児童の関心もつかんだ。当時、番組に登場した人形をベースにしたファッション情報誌も制作されたほどである。",
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"text": "ストーリーは子供でも理解できる単純な筋書きであるが、「人命救助」というスリリングながら前向きで健全なイメージを徹底したことで親世代からの反発もなかった。",
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"text": "バリー・グレイによる音楽は躍動感のあるオーケストラサウンドを基本に、長い映像でも飽きさせない多彩な曲が使用された。また音楽が始まると台詞が止まるため、劇伴に多い人間の声を邪魔しない曲 ではなく、様々な帯域を使用できたことで楽曲単体でも完成度が高いとされる。テーマ曲は運動会の入場行進にも使用される事がある。",
"title": "概要"
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"text": "これら全てが明確な世界観によりイギリスでは放送開始から大好評を博し、最後の6本は後から追加制作(第2シーズン)されることとなった。既に『キャプテン・スカーレット』が作られていたため、人形もその技術を使い、ギミックの一部が顔から胸に移されたので、プロポーションがやや改善されている。他にもセットが若干変更されているが、いずれも言われないとわからないほどの違いである。しかし、本作最大の目的だったアメリカ三大ネットワークへのセールスは失敗した。これは、1時間番組という枠が子供番組に不向きだった、グレイドがイギリスでの人気を背景に放送権料を吊り上げすぎたなど様々な説がある。メインキャラクターの1人がノブレス・オブリージュに基づいて行動するアメリカ人にもかかわらず今日でもアメリカでSF人形劇と言えば『宇宙船XL-5』が最も有名であり、『サンダーバード』の知名度は低い。なお日本ではアメリカと異なり人気シリーズとなっており、強い影響を受けた樋口真嗣はメカに対する思い入れがあるイギリス人や日本人には合うが、アメリカの国民性に合わなかったのではないかと発言している。",
"title": "概要"
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"text": "これら3作については、個別の記事も参照。",
"title": "概要"
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"text": "本作の設定年代(特に人物の生年)は、主に2バージョン存在する。1970-90年代には設定年代が2026年となっており、登場人物の生年月日やバイオグラフィーはこの年を基準に設定、バージルが次男、ジョンが三男だった。日本では、『劇場版』のパンフレット以降バージルが次男、ジョンが三男、アランが四男、ゴードンが五男とする設定がしばらく流布した。その後に1980年発行の『ロマンアルバム増刊 サンダーバード Complete Visual Guidebook』より2026年設定が日本国内でも広がった。90年代には、年齢が数歳上のものである設定も流布した。しかし、21世紀に入った後、版権元であるカールトン・インターナショナルによって年代設定が制作当時の公式設定だった2065年に改訂され、各人物のバイオグラフィーも本来のものに戻された。同じくアンダーソン制作で、設定年代が2068年の『キャプテン・スカーレット』や2065年の『海底大戦争 スティングレイ』の設定とのクロスオーバー的な記述が多々見られるのは、放送当時の設定年代が地続きだったからである。",
"title": "登場人物"
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"text": "特記がない限り、本稿の内容は2065年基準のものとする。トレーシー兄弟の名前は、マーキュリー計画の宇宙飛行士(マーキュリー・セブン)に因んだものである。",
"title": "登場人物"
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"text": "タイトルである「サンダーバード」とは、ナンバリングされた主要な救助用メカニックの事である。デレク・メディングスがデザインしたオリジナルのスケッチはブレインズのラボの壁に貼られていて、機体の表記も「TB1」や「T2」等ではなく、初期案の「レスキュー」を略した「R1」や「R2」となっている。詳細はそれぞれの個別項目を参照。",
"title": "登場する主要なメカ"
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"text": "サンダーバード2号のポッドにより輸送される、各種専門救助装備。吹替版では原語版の名称「ポッド」やプラモデルの説明書等で使用される「コンテナ」の名称は使われず、一貫して「装備」と呼ばれている。",
"title": "登場する主要なメカ"
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"text": "後にハリウッドで活躍することになる有能な人材が、作品を支えた。",
"title": "スタッフ"
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"text": "オリジナル版では、バリー・グレイ作曲によるメインテーマ(インストゥルメンタル)が使用された。",
"title": "音楽"
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"text": "1966年のNHK本放送版(日本での初放送)でもオリジナル版同様に、バリー・グレイによるメインテーマ(インストゥルメンタル)が使用された。",
"title": "音楽"
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"text": "1967年のTBSでの放送から、メインテーマに日本語の歌詞(作詞・滝田順)をつけた日本オリジナルのボーカル曲として、ロイヤル・ナイツとビクター少年合唱隊による「サンダーバードの歌」(日本ビクター)が使用された。メインテーマはオリジナルに使用されている部分がAメロで、ボーカルの部分がBメロとCメロに当たり、\"A-B-C-B-A\"という曲構成からなる。このうち、\"B-C-B\"のいわゆる、日本語ボーカルパートのみを録音した楽曲は『センチュリー21マーチ』というタイトルが後に付けられている。後の実写版や『~ARE GO』ではAメロのみが主にフィーチャーされている。なお、このバージョンはテープの劣化などからCD化は絶望視されていたが、2014年、デジタルリマスター版がiTunesなどで配信開始された。",
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"text": "1967年には、ハニー・ナイツによるカバーが発売された(東芝EMI)が、これはテレビ放送では使用されていない。",
"title": "音楽"
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"text": "1980年・TBSの日本語版再放送では、松山祐士編曲、ミュージッククリエイションと杉並児童合唱団歌唱によるカバー(東芝レコード)が使用された。この主題歌レコードには、TV版音声の再編集によるオーディオドラマ(ロケット太陽号のエピソード)が併録されている。",
"title": "音楽"
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"text": "1992年・テレビ東京の日本語版再放送では、バンダイミュージックシンガーズによるカバー(アポロン)が使用された。シングルとして市販されたものには、NHK版のオープニングもボーナストラックとして収録された(ただし、音源のソノシートの状態が悪く、一部音質の悪い部分があった)。",
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"text": "オープニング曲のみならず、本作を含めたバリー・グレイによる「サウンドトラック(劇伴)」用スコアはマスターテープと共に長らく行方不明になってしまっていたため 、厳密な意味でのオリジナル版に準拠した演奏ができなくなっていたが、近年マスターテープとスコアが揃って発見。以後、これを管理するバリー・グレイ協会からスコアが貸し出しされればオリジナル完全準拠の演奏が可能となった。",
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"text": "また、同時に発見されたグレイのマスターテープを利用したオリジナル・サウンドトラックCDが1998年の『スーパーカー (人形劇)』と『宇宙船XL-5』のセット、『スペース1999』第1シリーズのものを歯切りとして、発売されている。本作の一般向けCDは2003年に1種類、2004年に2種類、2020年に1種類、それぞれシルヴァ・スクリーン・レコードから発売されている他、ファンダーソン会員限定の4枚組CDが2015年に発売されている。詳細は本項のCD節を参照のこと。",
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"text": "2015年には、テーマ曲(オリジナル・日本語版の両方)を含めサウンドトラックから抜粋した代表的な楽曲を、前述したオリジナルスコアに準拠した形で演奏。(演奏:東京ガーデン・オーケストラ 日本語版カバー IL DEVU / TOKYO-FM少年合唱団)翌2016年4月13日にこれら代表曲を収録したCDが日本コロムビアから世界初のオリジナルスコアによる最新録音盤としてリリースされ(演奏:東京ガーデン・オーケストラ、指揮:広上淳一)、2016年4月16日にはCD発売を記念した演奏が同オケにより行われた(ファンタジー・フィルム・スペクタキュラー2016、指揮:榊真由)。",
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"text": "全てはバンダイビジュアル(現:バンダイナムコフィルムワークス)から発売された。",
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"text": "”ITCメモリアルボックス”に全4巻に分けてバンダイビジュアルから発売された。各ボックスアートは開田裕治のイラストを使用。",
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"title": "ソフト"
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"text": "1992年にドラマCD「サンダーバード秘密基地セット」が5枚組(ドラマCD3枚+サウンドトラック1枚+CDビデオ1枚)発売された。いずれもテレビシリーズのエピソードの再演で、「SOS原子旅客機」、「ニューヨークの恐怖」、「秘密作戦命令」の3話(いずれもNHK邦題)が選ばれている。国際救助隊の声優陣には可能な限りテレビシリーズと同じキャストを集めているが、一部は変更されている。また音楽も前述の通りオリジナル音源がマスターテープ紛失のため使えず新たに録音されたものが使用されている。",
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"text": "本作は以降の日本のSF作品へも大きな影響を及ぼした。その範囲は、非営利の民間組織が救助活動を行うという作品設定に始まり、メカニックの役割分担(色分け)や「秘密基地」のコンセプト、発進シーンに代表されるミニチュアワーク、人形の操演技術、BGMの使い方のセンス等々、多岐にわたる。例えば『ウルトラセブン』においても、企画書の段階から本作の名を挙げて、防衛チームの基地やメカニックをより魅力的に見せるよう謳っている記述がある。以下にはパロディー等も含めて、サンダーバードの影響が顕著と見られるものを挙げる。アニメ・特撮・人形劇については、他のアンダーソン作品の影響も受けたものが多いため「ジェリー・アンダーソン」の項も併せて参照のこと。",
"title": "サンダーバードの影響を受けた人物・事物"
}
] | 『サンダーバード』(Thunderbirds)は、1965年から1966年にイギリスで放送されていた人形劇による1時間枠の特撮テレビ番組。 1966年に『サンダーバード 劇場版』、1968年に『サンダーバード6号』が劇場公開された。2004年にはアメリカ合衆国で制作された実写版映画が公開され、2015年から2020年にかけてリブート版『サンダーバード ARE GO』が放送された。 | {{Infobox television
| name = サンダーバード<br />Thunderbirds
| genre = {{ubl |サイエンス・フィクション |アクション |冒険 |家族<ref>{{Cite web|url=https://www.allmovie.com/movie/thunderbirds-tv-series-v175415|title=''Thunderbirds'' <nowiki>[</nowiki>TV Series<nowiki>]</nowiki> (1965)|date=2015|website=[[AllMovie]]|archive-url=https://web.archive.org/web/20150726212907/http://www.allmovie.com/movie/thunderbirds-tv-series-v175415|archive-date=26 July 2015|url-status=live|access-date=26 July 2015}}</ref>{{Sfn|Sangster|Condon|2005|p=758-760}}}}
| creator = ジェリー&シルヴィア・アンダーソン夫妻
| voices = {{ubl |シルヴィア・アンダーソン |レイ・バレット |ピーター・ダイネリー |クリスティーン・フィン |デイヴィッド・グレアム |デイヴィッド・ホリデイ |シェイン・リマー |ジェレミー・ウィルキン |マット・ジマーマン |ポール・マックスウェル |ジョン・テイト |チャールズ・ティングウェル}}
| composer = [[バリー・グレイ]]
| country = 英国
| language = 英語
| num_series = 2
| num_episodes = 32
| executive_producer = {{Nowrap|ジェリー・アンダーソン(第2期)}}
| producer = {{ubl |ジェリー・アンダーソン(第1期)|レッジ・ヒル(第2期)}}
| cinematography = ジョン・リード
| runtime = 50分
| company = APフィルムズ(第1期)<br>センチュリー21プロダクション(第2期)
| distributor = ITCエンターテインメント
| network = [[ITV (イギリス)|ITV]]
| picture_format = 35 mm フィルム
| audio_format = [[モノラル]]
| first_aired = {{Start date|1965|9|30|df=yes}}
| last_aired = {{End date|1966|12|25|df=yes}}
| preceded_by = ''[[海底大戦争 スティングレイ]]''
| followed_by = ''[[キャプテン・スカーレット]]''
| related = {{ubl |''[[科学救助隊テクノボイジャー]]'' |''[[サンダーバード ARE GO]]''}}
| website =
}}
『'''サンダーバード'''』({{lang|en|''Thunderbirds''}})は、[[1965年]]から[[1966年]]に[[イギリス]]で放送されていた[[人形劇]]による1時間枠の[[特撮]]テレビ番組。
[[1966年]]に『[[サンダーバード 劇場版]]』、[[1968年]]に『[[サンダーバード6号]]』が劇場公開された。[[2004年]]には[[アメリカ合衆国]]で制作された[[サンダーバード (2004年の映画)|実写版映画]]が公開され、[[2015年]]から[[2020年]]にかけてリブート版『[[サンダーバード ARE GO]]』が放送された。
== 概要 ==
{{Notice|section=1|以下本文中に記す話数は日本初回放映時のものに準じています。}}
=== ストーリー ===
[[世界]]各地で発生した[[事故]]や[[災害]]で絶体絶命の危機に瀕した人々を、「国際救助隊」(IR―International Rescue)と名乗る秘密組織がスーパーメカを駆使して救助する活躍を描く物語である。
=== 時代設定 ===
[[21世紀]]が舞台。放送当時に制作された設定では[[西暦]][[2065年]]が舞台とされており、当時のメディア展開は全てこの設定を元に記述されている<ref group="注">例えば当時発売されたテレビ番組を音声ドラマ化したレコードの一つ「Sun Probe」の冒頭でナレーターのアランが「[...] I’ve been watching a video show recalling the news highlights of '''2065'''.」と言っている。</ref>。だが、映像上では第31話の中に出てきた[[カレンダー]]に[[2026年]]と記されており、[[1970年代]]から[[1990年代]]には、この2026年を基準とする「新設定」が台頭した。現在、公式の設定年代は再び西暦2065年に戻されている。
=== 制作前・制作時 ===
本作は[[1963年]]『[[海底大戦争 スティングレイ]]』の後番組を構想中の[[ジェリー・アンダーソン]]が、ドイツのマチルド鉱山で起きた、129人が生き埋めになった浸水落盤事故で、29人が死亡したが懸命な救助の結果100人が救出されたこと([[レンゲデの奇跡]]([[:en:Wunder von Lengede|Wunder von Lengede]]))<ref group="注">この事件は[[2003年]]に『ダーク・プレイス』としてテレビ映画化された。</ref> を知り「国際的な協力で、科学的な設備を持って救助すれば被害は食い止められる」と思いつき、企画初期段階のタイトルは、『国際救助隊(原題「International Rescue」)』だった。
ITCの{{仮リンク|ルー・グレイド|en|Lew Grade}}が本企画を承認し、[[ポルトガル]]のアルブフェリア村の貸別荘で[[シルヴィア・アンダーソン]]に口述筆記させ完成させた。最初のエピソード「SOS原子旅客機」("[[:en:Trapped in the sky|Trapped in the sky]]")は、ジェリーが従軍していた頃に{{仮リンク|マンストン基地|en|RAF Manston}}で目撃した[[胴体着陸]]事故に基づく。企画成立直前に、ジェリーは第二次世界大戦中に行方不明(後に戦死と認定)となった兄ライオネル空軍軍曹からの手紙に記された、映画『{{仮リンク|大空の戦士 サンダーバード|en|Thunder_Birds_(1942_film)}}』(1942年)に兄がエキストラとして参加し[[ジーン・ティアニー]]や[[プレストン・フォスター]]と「共演」したエピソードを思い出し、ここから企画タイトルを「Thunderbirds(サンダーバーズ)」とし、それまで「レスキュー」と呼ばれていた国際救助隊の5台のメカも「サンダーバード」1号~5号に改めた<ref name="Lionel"></ref>{{Refnest|group="注"|ライオネルが米国で訓練飛行を行った[[アリゾナ州]]にあった[[アメリカ陸軍航空軍]]の飛行場名が「Thunderbird」であることを由来とする説もあるが、この基地がその名前で呼ばれるようになったのは戦後のことであり、当時の名前は「ファルコン飛行場」である。彼の手紙にも「ファルコン基地」の名前で記されていた<ref name="Lionel">{{Cite web|url=http://gerryanderson.wpengine.com/whats-in-a-name/|title=Thunderbirds – What’s In A Name?|accessdate=2021-07-11|publisher=The Official Gerry Anderson Website}}</ref>。なお、第二次大戦終結後に廃止され、跡地は[[サンダーバード国際経営大学院]]になっている。}}{{Refnest|group="注"|この手紙の写しは雑誌『Pen』340号(2013年7月)28頁にも掲載されている。その8行目から10行目には「The film they are making will be called “Thunderbird” and Gene Tierney and Preston Foster are in it.」と記されているにもかかわらず、手紙画像の上部の本文の記述には誤った内容が記載されている<ref name="Lionel"></ref>。}}。
本作は前作『海底大戦争 スティングレイ』と同様に「[[スーパーマリオネーション]]」と呼ばれる技法で撮影されている。この技法の最大の特徴は、事前に録音された台詞の録音テープの音声に連動して人形の唇を動かす電磁石でできた装置が、人形の頭部に内蔵されている点である{{Refnest|group="注"|原理的には動くが、絶妙な調整が必要であり時に腹話術で話す人形や、口を開けたまま話す人形が登場することになってしまった<ref group="注">『海底大戦争 スティングレイ』「深海の人質」でアトランタにいたずらをした後のトロイ艦長や、本作「世界一のビルの大火災」のトンプソン・ビル管理主任がスコットに表に車を回した旨を伝える場面など。</ref>{{Sfn|La Rivière|2014|p=58}}。本作の舞台裏の映像を見ると、台詞に合わせて手動でスイッチを操作しているスタッフがいるのを見ることができる<ref>{{Cite web|url=https://www.youtube.com/watch?v=AhdJdqr1NG|title=Thunderbirds: Original Series Behind the Scenes|accessdate=2021-07-17}}</ref>。}}。この装置は唇を動かす装置や回路類を含め「リップ・シンクロ・システム」と呼ばれた。また、メインキャラクターには4種類の表情を持った顔<ref group="注">通常、微笑み、しかめっ面、瞬きの4種類に通常の顔をもう1つ用意された。</ref>が用意され、場面ごとに人形の表情に変化をもたせている。さらに人形では表現しにくい「ボタンを押す手」「歩行時の脚」等の部分に関しては、実写映像が挿入された。
制作は操り人形を用いた特撮映画やテレビシリーズを多く制作していた、[[ジェリー・アンダーソン]]率いるAPフィルムズで、配給会社は{{仮リンク|インコーポレーテッド・テレビジョン・カンパニー|en|ITC Entertainment}}であった。
ジェリー・アンダーソンは、当初CM込みの30分1話(25分尺)の作品を想定して制作が進められていた本作が1時間番組になった経緯を以下のように話している{{Sfn|La Rivière|2014|p=180}}。放送局である[[ITV (イギリス)|ATV]]のプロデューサーのルー・グレイドに完成した第1話を見せたところ、その完成度の高さに驚き、「'''これはテレビ番組じゃない、映画だ! 映画なら1時間の尺にしないと'''」と判断。
しかしシルヴィア・アンダーソンは「これはテレビ番組じゃない、映画だ!」は『[[スペース1999]]』のときのことだとしている{{Refnest|group="注"|第1話「人類の危機! 宇宙基地大爆発」は当初は2時間もの長さがあったが、追加撮影を第3話「黒い太陽ブラック・ホール」の後に行いデイヴィッド・レインが再編集をすることで放送枠に収めることができた{{Sfn|Bentley|2022|p=13}}。}}。シルヴィアによれば1時間番組となった経緯は以下の通りである。『サンダーバード』製作初期の段階にルー・グレイドが電話でペネロープが上流階級すぎる人物にならないか心配していると言ってきた。シルヴィアはそれを否定し、ルーも他の話を見ることでその心配はなくなったが、その時にシルヴィアが30分番組だと人物を掘り下げることが難しいと話し、冗談交じりに「1時間番組なら展開を早くできる」と言ったところグレイドから許可が出たというものである<ref>{{Cite web |url=https://www.sylviaanderson.co.uk/anything-can-happen-next-hour/ |title=ANYTHING CAN HAPPEN IN THE NEXT HOUR - SYLVIA ANDERSON |accessdate=2022-04-02}}</ref>。
経緯がどちらのものであったにせよ、30分番組として作られていた9話分と既に脚本が書かれていたものに関しては追加撮影を行い、残りは最初から1時間番組として脚本が書かれた{{Sfn|La Rivière|2014|p=183}}。
50分尺になったことで制作費も増額され、1話あたり当時の価格で4万[[スターリング・ポンド|ポンド]](約2000万円)となり、30分番組の予定を1時間枠に拡大した。放送開始と共に、全国紙で特集が組まれるほどの社会現象を引き起こし、子供番組史上まれに見る人気作品となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_2_66c784cf-ad99-4afc-8e7f-517b29196308.html?detail=true|title=タイトルの由来は? 1話当たりの制作費は? 『サンダーバード55 / GOGO』公開を前にシリーズの豆知識を紹介|accessdate=2021-12-31}}</ref>。
=== 放送時・放送後 ===
人形劇でありながら、細部にまでこだわった造形や洗練されたデザインの模型、ロケット噴射や車両走行中の土ぼこりの描写などリアリティを追求した特撮技術は当時としては驚異的なクオリティであり、その後の特撮作品への多大な影響を及ぼした<ref name="cinra">[https://www.cinra.net/article/interview-201604-thunderbirds?page=2 特撮の申し子・樋口真嗣監督に訊く、『サンダーバード』の衝撃 - インタビュー : CINRA.NET]</ref>。
登場人物のコスチュームも当時の最先端のモードを積極的に取り入れ、メインターゲットの男子児童だけではなく女子児童の関心もつかんだ。当時、番組に登場した人形をベースにしたファッション情報誌も制作されたほどである。
ストーリーは子供でも理解できる単純な筋書きであるが、「人命救助」というスリリングながら前向きで健全なイメージを徹底したことで親世代からの反発もなかった。
[[バリー・グレイ]]による音楽は躍動感のあるオーケストラサウンドを基本に、長い映像でも飽きさせない多彩な曲が使用された<ref name="cinra" />。また音楽が始まると台詞が止まるため、[[劇伴]]に多い人間の声を邪魔しない曲<ref name="cinra" /> ではなく、様々な帯域を使用できたことで楽曲単体でも完成度が高いとされる<ref name="cinra" />。テーマ曲は[[運動会]]の入場行進にも使用される事がある。
これら全てが明確な世界観によりイギリスでは放送開始から大好評を博し、最後の6本は後から追加制作(第2シーズン)されることとなった。既に『[[キャプテン・スカーレット]]』が作られていたため、人形もその技術を使い、ギミックの一部が顔から胸に移されたので、プロポーションがやや改善されている。他にもセットが若干変更されているが、いずれも言われないとわからないほどの違いである。しかし、本作最大の目的だったアメリカ[[三大ネットワーク]]へのセールスは失敗した。これは、1時間番組という枠が子供番組に不向きだった、グレイドがイギリスでの人気を背景に放送権料を吊り上げすぎたなど様々な説がある。メインキャラクターの1人が[[ノブレス・オブリージュ]]に基づいて行動するアメリカ人にもかかわらず今日でもアメリカでSF人形劇と言えば『[[宇宙船XL-5]]』が最も有名であり、『サンダーバード』の知名度は低い。なお日本ではアメリカと異なり人気シリーズとなっており、強い影響を受けた[[樋口真嗣]]はメカに対する思い入れがあるイギリス人や日本人には合うが、アメリカの国民性に合わなかったのではないかと発言している<ref name="cinra" />。
=== 劇場版 ===
; [[サンダーバード 劇場版]](''{{lang|en|Thunderbirds are Go}}'')・[[1966年]]
: 本記事では区別のため「劇場版」と呼ぶ。
; [[サンダーバード6号]](''{{lang|en|Thunderbird 6}}'')・[[1968年]]
: 本記事では「6号」と呼ぶ。「劇場版」「6号」はテレビシリーズの延長線上で発生した大事件の話で、基本設定も全く同じである。
; [[サンダーバード (2004年の映画)|サンダーバード]](''{{lang|en|Thunderbirds}}'')・[[2004年]]
: 本記事では「実写版」と呼ぶ。人間の俳優による[[リメイク]]で、基本設定以外のスタッフ・キャストは別物である。
これら3作については、個別の記事も参照。
=== 再編集版 ===
; サンダーバード([[スーパースペースシアター]]版)
: 日本では[[バンダイビジュアル|エモーション]]よりビデオソフトとして発売された。2話を1話に再編集し、音楽は別の物が追加されている。各105分。全3話。字幕版のみ。[[スーパー!ドラマTV]]でも放送された。
; [[ターボチャージド・サンダーバード]](''TURBO CHARGED THUNDERBIRDS'')
: 生きた人形達が地球以上の知的文明を築き上げ、そこで日夜発生する災害に対処し続ける国際救助隊共々、その惑星の存在に気付いた地球人の少年少女(人形ではなく、普通の人間の俳優が演じている)が「ハッカーズ」という国際救助隊サポートチームを結成し、恒星間通信を通じて地球に居ながらにして協力し、間接的に活躍する様を描くテレビシリーズ。前述の通り、オリジナル版とはいろいろと設定が異なる。[[1994年]]作品。全13話。日本ではスーパー!ドラマTVで[[2009年]]に初放送。字幕版のみ。
; [[サンダーバード ARE GO]]
: サンダーバードのリブート版。日本では、NHKで第1シリーズが2015年8月から先行放送、10月から一年かけて本放送、第2シリーズ以降はスーパー!ドラマTVで2019年から順次放送された。CGによる制作が多いが、ミニチュアも使用されている。時代は、2060年と設定<ref>第1話でバージルが言及。</ref>されている。
; [[サンダーバード55/GoGo]](サンダーバード50周年記念エピソード)
: 2015年にスティーブン・ラリビエーらによって50周年記念に当時の音声ドラマの為に作られた3本のエピソード「Introducing Thunderbirds」「The Abominable Snowman」「The Stately Home Robberies」に映像をつけることが発表され、[[Kickstarter]]で資金集めが行われ制作が行われた<ref>{{Cite web|url=https://www.kickstarter.com/projects/1558089494/thunderbirds-1965-new-episodes-from-1960s-recordin/description|title=Thunderbirds 1965: New Episode from 1960s Recordings|accessdate=2020-08-21}}</ref>。それぞれ音声ドラマにあるシーンの他にも肉付けを行うことで30分強のエピソードとなっている。DVDやBlu-Rayの商業販売は行われていないが、Thunderbirds Dayでの一時的な配信を経て、2020年8月20日から英国の配信サービスBritBoxで恒常的な配信が行われている<ref>{{Cite web|url=https://www.gerryanderson.co.uk/thunderbirds-and-more-on-britbox-uk/|title=Thunderbirds and More on BritBox UK!|accessdate=2020-08-21}}</ref>。2021年3月現在吹替版の制作に関する情報はないが、上記の商品に日本語字幕がつけられている。2021年12月に『サンダーバード1965』として劇場公開が予定されていたが<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.advertimes.com/20210401/article343155/|title=コラボ企業を募集中!「サンダーバード」で商品の魅力、企業姿勢を伝える|accessdate=2021-04-04}}</ref><ref>{{Cite tweet|user=Thunderbirds65|number=1377625831116316682|title=Accidental deletion of the previous tweet (by The Hood?) Japan to celebrate 55th anniversary of Thunderbirds with special release of the 3 new anniversary episodes.|accessdate=2021-04-04}}</ref>、2022年1月7日に劇場で、翌8日にオンラインで『'''サンダーバード55/GOGO'''』として劇場公開・配信されることが2021年9月30日に発表された<ref>{{Cite web|和書|url=https://screenonline.jp/_ct/17485078|title=『サンダーバード55/GOGO』公開日は2022年1月7日(金)に決定! 本ビジュアルポスター&メイキング映像解禁!|accessdate=2021-09-30}}</ref>。詳細は当該記事参照。
== 登場人物 ==
本作の設定年代(特に人物の生年)は、主に2バージョン存在する。1970-90年代には設定年代が[[2026年]]となっており、登場人物の生年月日やバイオグラフィーはこの年を基準に設定、バージルが次男、ジョンが三男だった。日本では、『劇場版』のパンフレット以降バージルが次男、ジョンが三男、アランが四男、ゴードンが五男<ref>『サンダーバード 劇場版』パンフレット、2-3頁。</ref>とする設定がしばらく流布した<ref name=brothers-order>{{Cite web|和書|url=https://anderson-jpinfo.wixsite.com/anderson-jpinfo/tracybrothers-order|title=日本の文献におけるトレイシー五兄弟の順番|accessdate=2021-07-17}}</ref>。その後に1980年発行の『ロマンアルバム増刊 サンダーバード Complete Visual Guidebook』より2026年設定が日本国内でも広がった<ref name=brothers-order />。90年代には、年齢が数歳上のものである設定も流布した<ref name=brothers-order />。しかし、21世紀に入った後、版権元である[[カールトン・インターナショナル]]によって年代設定が制作当時の公式設定だった[[2065年]]に改訂され、各人物のバイオグラフィーも本来のものに戻された。同じくアンダーソン制作で、設定年代が2068年の『キャプテン・スカーレット』や2065年の『海底大戦争 スティングレイ』の設定とのクロスオーバー的な記述が多々見られるのは、放送当時の設定年代が地続きだったからである。
特記がない限り、本稿の内容は2065年基準のものとする。トレーシー兄弟の名前は、[[マーキュリー計画]]の宇宙飛行士([[マーキュリー・セブン]])に因んだものである。
=== メインキャラクター ===
; ジェフ・トレーシー([[:en:Jeff Tracy|Jeff Tracy]])
: [[声優|声]] - [[:en:Peter Dyneley|ピーター・ダイネリー]]/[[小沢重雄]]
: [[2009年]](舞台を2026年とした新設定では[[1970年]])[[1月2日]]、[[カンザス州]]の農園生まれ、56歳。国際救助隊総司令。[[アメリカ空軍]]に入隊。数理的才能を買われ宇宙局事業団に参加し、宇宙飛行士として月面に立った経験を持つ。そのため、宇宙開発事業には強い関心を持っている。妻であるルシルの死をきっかけに軍及び宇宙局を退役。なお退役する直前の階級は大佐。退役後は土木建設事業を起こし、事業及び彼やブレインズの特許によって巨万の富を得る。その資本を元に、多くの人間の協力を得て国際救助隊を設立。地球上のあらゆる災害から人命を救助している。
: 冷静沈着で、経験に裏付けられた指揮は秀逸。人命こそが何よりも優先されるとの信条を強く持つ。一部組織の利益や財産、施設の保護を念頭に置いてしまうと、人命の優先度が低くされる事を懸念しているため、国際救助隊の存在は徹底的に秘匿されており、不必要な消火活動(第26話「海上ステーションの危機」)や緊急性を要しない出動を咎め、逆に人命救助や二次災害防止のためには重要施設であろうと必要最低限の破壊を厭わない姿勢を持つ。また、フッドのように救助隊の秘密を探ろうとするものには容赦せず攻撃・抹殺を行う。一方で慈善活動や子供の夢のためには出動を許可(第31話「すばらしいクリスマス・プレゼント」)しており、幅の広い見識や柔軟性も持ち合わせているようだ。仕事に自信と誇りを持っているが故に自慢話をせずにいられない性分であり、これは息子達にも強く影響されている。
: 初期設定では「彼が人類初の[[月面着陸]]を果たした」ことになっていた。これは、サンダーバードが制作された[[1965年]]の段階では「人類が月面に到達するのは、はるか遠い未来になるだろう」と考えられていたため、彼が月面に到達したのは21世紀のことという設定にされたものと推測される。現実の歴史では、彼の生まれる1年前([[1969年]])に[[アポロ11号]]の[[ニール・アームストロング]]と[[バズ・オルドリン]]によって月面着陸が成し遂げられたことで史実とそぐわなくなったため、後に「人類初の月面着陸を果たした」という設定は廃止された。代わりに、「人類で初めて、月への[[宇宙旅行]]をした人物」という設定になっている。モデルは『[[ボナンザ (テレビドラマ)|ボナンザ]]』や『[[宇宙空母ギャラクティカ]]』の[[ローン・グリーン]]である。オープニングの「5・4・3・2・1」の声はジェフの声優[[:en:Peter Dyneley|ピーター・ダイネリー]]。
; スコット・トレーシー([[:en:Scott Tracy|Scott Tracy]])
: 声 - [[:en:Shane Rimmer|シェーン・リマー]]/[[中田浩二 (俳優)|中田浩二]]
: [[2039年]](舞台を2026年とした新設定では[[2000年]])[[4月4日]]生まれ(26歳){{Refnest|group="注"|誕生日を4月14日とする文献{{Sfn|マリオット|1992|p=20}}も存在する<ref name=brothers-order />。}}、長男。[[サンダーバード1号|サンダーバード(TB)1号]]担当。[[サッシュ]]は青色。主に救助現場での指揮にあたる。休暇中のジェフに代わって総司令代理を担当した事もあり、1度は不要の出動を命じたとして叱責されたものの、すぐに救助隊の必要案件か否かを冷静に分析し、ジェフの帰投前に救助活動を成功に導いてみせた。[[イェール大学|エール大学]]と[[オックスフォード大学]]卒。救助隊創設前はアメリカ空軍に所属し、多くの功績を上げていた。モデルは初代[[ジェームズ・ボンド]]の[[ショーン・コネリー]]である。名前の由来となった宇宙飛行士は、[[スコット・カーペンター]]。トレーシー兄弟の中で、敵対キャラクターを殺害した描写がある3人の内の1人。(「ピラミッドの怪」にてZ団の団員を射殺、またガス爆発を誘引してピラミッドを爆発させ、Z団を爆殺)
; ジョン・トレーシー([[:en:John Tracy (Thunderbirds)|John Tracy]])
: 声 - [[:en:Ray Barrett|レイ・バレット]]/[[桜井英一]]
: [[2040年]](舞台を2026年とした新設定では[[2001年]])[[10月8日]]生まれ(25歳)、次男。サッシュは紫色。[[天文学|天文学者]]で、専門書を執筆するほど。基本的に宇宙ステーション・[[サンダーバード5号|TB5号]]に滞在し、地上からの救助要請を受信し、救助隊本部へ伝達する役割を担っている。[[ハーバード大学]]で学位を取得。救助活動に参加した描写は、日本版第16話「オーシャンパイオニア号の危機」でのみ見られる<ref group="注">ただしこの事件までに10件程度の救助活動に参加していることになっている。</ref>。モデルは『[[十戒 (映画)|十戒]]』や『[[ベン・ハー (1959年の映画)|ベン・ハー]]』の[[チャールトン・ヘストン]]とイギリスの歌手、アダム・フェイスである。名前の由来となった宇宙飛行士は[[ジョン・ハーシェル・グレン|ジョン・グレン]]。
; バージル・トレーシー([[:en:Virgil Tracy|Virgil Tracy]])
: 声 - [[:en:David Holliday|デイヴィド・ホリディ]]→[[:en:Jeremy Wilkin|ジェレミィ・ウィルキン]]/[[宗近晴見]]
: [[2041年]](舞台を2026年とした新設定では[[2002年]])[[8月15日]]生まれ(24歳)、三男。[[左利き]]。[[サンダーバード2号|TB2号]]担当。サッシュは黄色。また各種救助装備の操作を行う。[[ピアノ]]の腕は玄人並で、[[絵画]]も嗜むなど芸術肌の一面を持つ。高等科学技術のデンバー・スクール卒業。名前の由来となった宇宙飛行士は[[ガス・グリソム|バージル・グリソム]]。
; ゴードン・トレーシー([[:en:Gordon Tracy|Gordon Tracy]])
: 声 - [[:en:David Graham (actor)|デイヴィド・グレアム]]/[[和田恵秀|和田一壮]]
: [[2043年]](舞台を2026年とした新設定では[[2004年]])[[2月14日]]生まれ(22歳)、四男。[[サンダーバード4号|TB4号]]担当。サッシュはオレンジ色。水泳に天賦の才があり[[夏季オリンピック|オリンピック]]の[[バタフライ]]で金メダリストになったほどの腕を持つ。TB2号の助手を務める場合もある。救助隊創設前は「[[海底大戦争 スティングレイ]]」の汎海洋救難・防衛組織「WASP」に所属していた。名前の由来となった宇宙飛行士は[[ゴードン・クーパー]]。トレーシー兄弟の中で、敵対キャラクターを殺害した描写がある3人の内の1人。(「原子力機・ファイアーフラッシュ号の危機」にて、ファイヤーフラッシュ号の機器室に潜んでいた国際スパイ団の団員を銃撃戦の上、射殺)
; アラン・トレーシー([[:en:Alan Tracy|Alan Tracy]])
: 声 - [[:en:Matt Zimmerman (actor)|マット・ジマーマン]](第1話のみレイ・バレット)/[[剣持伴紀]]
: [[2044年]][[3月12日]]生まれ(21歳)、五男。[[サンダーバード3号|TB3号]]担当。サッシュは白色。ジョンの交代要員としてTB5号に滞在する事や、スコットに変わってTB1号に乗ることもある。[[モータースポーツ|カーレース]]のチャンピオンドライバー。[[コロラド大学]]で学位を取得。アシスタントとして救助活動に参加する頻度が高い。居心地が悪いとすぐに機嫌を損ねたり、恋人のティンティンが他の男性に気を奪われているとやきもちを焼くなど精神的に幼いところがあり、上の兄弟達もそうした性格を見抜いてか故意にからかう描写がある。モデルはアメリカの俳優、ロバート・リードである。名前の由来となった宇宙飛行士は[[アラン・シェパード]]。トレーシー兄弟の中で、敵対キャラクターを殺害した描写がある3人の内の1人。(「サンダーバード6号」にて偽物のスカイ・シップ号の搭乗員を射殺)
; ブレインズ(Brains)
: 声 - デイヴィド・グレアム/[[大泉滉]]
: [[2040年]](舞台を2026年とした新設定では[[2001年]])[[11月14日]]生まれ(25歳)。サンダーバード機および全救助メカを開発した天才科学者。本名はホラチオ・ハッケンバッカー(Horatio Hackenbacker)。テレビシリーズでの制服着用シーンは無いが、劇場版([[サンダーバード6号]])では制服を着用して救助活動をするシーンがある。その際のサッシュは茶色。幼少の頃にハリケーンで両親を亡くしており、[[ケンブリッジ大学]]の教授に引き取られジェフによる経済支援を受けて育った経緯を持つ。ハイラム・K・ハッケンバッカー(Hiram K Hackenbacker)という通名で最新旅客機の設計等の対外活動をしている。救助活動では科学的なアドバイスを隊員に送るほか、救助に直接参加することもある。英語版では頭の回転が速過ぎるために言葉が追いつかず、[[吃音症|吃音]] という設定になっている。開発及び発明分野は得意中の得意だが、点検・整備は結構雑なようでティンティンがトレーシー島に向かう前の第1話では、高速エレベーターカーが幾度となく故障している<ref group="注">ティンティンが整備士として赴任してからは、そういった不測の事態は一切なくなっている。</ref>。モデルは『[[サイコ (1960年の映画)|サイコ]]』の[[アンソニー・パーキンス]]である。
; ペネロープ・クレイトン=ワード([[:en:Lady Penelope Creighton-Ward|Lady Penelope Creighton-Ward]])
: 声 - [[:en:Sylvia Anderson|シルヴィア・アンダーソン]]/[[黒柳徹子]]
: [[2039年]](舞台を2026年とした新設定では[[2000年]])[[12月24日]]生まれ(26歳)。通称レディ・ペネロープ。ファッション誌([[:en:Chic (magazine)|Chic]])の表紙やショーのモデルもこなすほどの美貌の持ち主。愛称・短縮名のペニーやペネロピと呼ばれ、パーカーからはミレディ"Yus, M'Lady"と呼ばれる(お嬢様という解釈であり、パーカーは強いコックニー訛りの英語を話す)。貴族のヒュー・クレイトン=ワード卿とその妻アメリアとの間に生まれる。元々は有能なスパイで、ジェフからスカウトされ国際救助隊の理念に共感し、専属諜報員として協力している。[[イングランド]]南部の田舎町フォックスレイヒースにある彼女の邸宅が、国際救助隊のロンドン支部である。犬に詳しい。ねずみが嫌い。ティーポットやコンパクトが無線機になっている。基本的にFAB-1はパーカーが運転するが、自身で運転する場合もある。彼女のヘルメットや寝具には「P」の文字が刻まれている。ジェフの反対を押し切り、TB2号に同席し現場へ出向いたこともある。モデルは原作の声も担当しているシルヴィア・アンダーソンである(フランスの女優[[ブリジット・バルドー]]という説もあり)。
; アロイシャス・パーカー([[:en:Aloysius Parker|Aloysius Parker]])
: 声 - デイヴィド・グレアム/[[今橋恒]]
: [[2013年]](舞台を2026年とした新設定では[[1974年]])[[5月30日]]生まれ(52歳)。ワード家(ペネロープ)の[[バトラー]]で[[:en:FAB 1|FAB-1]]の運転手。元は金庫破りで、ペネロープに逮捕された。この縁で、出所後に彼女の執事となった。執事としての誇りはかなり高い。裏社会では赤い鼻が印象的で『ノージー(鼻)』と呼ばれていた。金庫破りの技術はヘアピン一つでどんな鍵でも開けられる程高く、他にも射撃の腕前やその筋の情報にも通じており、時折、ペネロープから冗談交じりに感心される面もしばしば。常に金庫破りの[[七つ道具]]を持ち歩いている。ロンドン出身<ref group="注">吹き替えを担当するデイヴィド・グレアムもロンドン出身</ref> で強い[[コックニー]]訛りを話す。[[シチュー]]が大好物。一説では、クレイトン=ワード家(ペネロープ)の料理人リルと夫婦であるとされている。モデルはイギリスのコメディアン、ベン・ウォリス、ジミー・ジュエルらである。
; ザ・フッド(The Hood)
: 声 - レイ・バレット/[[西田昭市]]
: [[2018年]](舞台を2026年とした新設定では[[1979年]])[[7月17日]]生まれ。シリーズを通してサンダーバードの秘密を狙う[[死の商人]]であり、作中における数少ない悪人。世界各国の最新技術を盗み出し、これを世界征服を企てている悪の組織や、武器商人や、軍事スパイなどに売りつけることを企んでいる。国際救助隊をおびき寄せるために度々テロ・破壊工作を行っている。特定の部下は持たず、主に単独で国際救助隊の秘密を探るが、大抵は失敗に終わっている。変装が得意な事に加え、あらゆる機械の操縦ができる。非常に強力な[[催眠|催眠術]]と思しき呪術を会得しており、この所作の際に両眼が光る。東南アジアの山中と思しき場所の寺院を改造した私邸に住む。通常なら即死レベルの事故でも生存していたり、飛行機の燃料切れで依頼人のX将軍の家に墜落して煤まみれになるシーンがオチになるなど、コミックリリーフ的な演出がなされることがある。
; キラノ(Kyrano)
: 声 - デイヴィド・グレアム/[[篠田節夫]]
: 生年月日は不明。トレーシー家の執事。ブレインズの助手兼整備士であるティンティンの父親である。かつて[[宇宙食]]の研究・改良に従事していた事が縁でジェフに見出された。また、パリのヒルトンホテルでコックをしていた事もある。彼自身は善良な性格だが、実はフッドの異母兄弟(資料の年代によって、どちらが兄であるか、弟であるかの記述が異なる)で、そのためかしばしばフッドの呪術により操られてしまう。また、ジェフに対する忠誠心が非常に強く、「私たち親子(キラノとティンティン)の命はトレーシー様のものでございます」と言い切るほど。
; ティンティン<ref group="注">原語(英語)での発音は「テンテン」に近い。</ref>(日本語版では「ミンミン」)(Tin-Tin)
: 声 - クリスティーヌ・フィン/[[里見京子]]
: [[2043年]](舞台を2026年とした新設定では[[2004年]])[[6月20日]]生まれ(22歳)。キラノの娘。ブレインズの助手として、各サンダーバードの整備を担う(整備士としての活動は「火星人の来襲」で見ることができる)。アランとは恋仲である。アメリカの大学を首席で卒業した才色兼備の女性。淑やかな容姿だが、ジェフの反対を押し切って国際救助隊の一員として前線へ出向く勇敢な一面もある。救助活動の助手として同行する際は制服を着用するが、男性隊員とは異なりサッシュは着用しない。(なお、本編で制服を着用した姿は「ロケット“太陽号”の危機」と「ピラミッドの怪」で見られる)
; グランマ(日本語版では「おばあちゃん」)(Grandma Tracy)
: 声 - クリスティーヌ・フィン/[[川路夏子]]
: ジェフの母親で、トレーシー兄弟の祖母にあたる。[[ニューメキシコ州|ニューメキシコ]]で一人暮らしをしていたが、現在ではトレーシー島に暮らしている。料理は見事な腕を持つ。
=== ゲストキャラクター ===
; ノーマン所長
: 声 - ピーター・ダイネリー/[[小林清志]]
: ロンドンタワーの所長。原語版台本がなかった当初、日本では「ロント・ローラー所長」と名づけられていた{{Sfn|伊藤|2006b|p=37}}。ファイヤーフラッシュの墜落事故が続いた際、国際航空大臣招集の関係者会議に出席するなど、単なる管制官以上の強い権限を有しているようである。
; ハンソン機長
: 声 - デイヴィド・グレアム/[[岡部政明]]
: ファイヤーフラッシュ号の機長。スコットとは、ファイヤーフラッシュ号のテスト飛行に臨んだ事もある間柄。劇中にファイヤーフラッシュ号が出てくると、大抵は彼が操縦している。
; ピーター将軍
: 声 - デイヴィド・グレアム/[[真木恭介]]
: アメリカ陸軍の将軍。最新鋭機ゴングのテスト中に事故が起きてしまい、救助隊に助けを求めた。非常に部下思いの指揮官である。スコット達の活躍を見て、「あの若者達をわが軍に欲しい」と言った。
; ウィルソンとリンゼイ
: 声 - レイ・バレット/[[内海賢二]](ウィルソン)、マット・ジマーマン/[[国坂伸]](リンゼイ)
: 「カマニデスの消えたピラミッド」を探している探検家。砂漠に墜落した1号に乗っていたスコットを助けた。
; カーター一家
: 声 - レイ・バレット/[[千葉耕市]](父ジョー)、シルヴィア・アンダーソン/[[園田昌子]](母ブランチ)、シルヴィア・アンダーソン/[[森川正太|新井和夫]](息子トミー)
: トンプソンビルにやってきた親子三人。ビル火災の際に誤って地下室に閉じ込められたが、国際救助隊に無事救助された。
; エディ・ハウスマン
: 声 - レイ・バレット/[[北町史郎]]
: 「グレイ&ハウスマン建設会社」の社長。ミンミンの旧友。工事の納期を優先するあまり、暴風雨の中グレイの反対を押し切って現場に出場し、落盤事故に巻き込まれた。
; ボブ・グレイ
: 声 - デイヴィド・グレアム/[[和田文夫]]
: エディと共同経営の開発会社を管理する。暴風雨の中での作業を巡ってエディと対立、「破産してもいい。死ぬよりはマシだ」と説得したが、結局エディは深夜に出場を強行してしまった。
; ジェレミー・ホッジ卿
: 声 - ピーター・ダイネリー/[[中村正 (声優)|中村正]]
: 国際救助隊の創設に関わった人物。新しい技術に興味を持ち、太陽号の成功にも関わっている。ペネロープと事件に巻き込まれた事がある。
; ボレンダー博士
: 声 - デイヴィド・グレアム/[[原孝之]]<ref name="NHKクロニクル">{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A196606121800001300100|title=NHKクロニクル|accessdate=2020年5月27日|publisher=NHK}}</ref>
: ジェレミー卿の協力により、海水を燃料とした新しいロケット燃料を開発した博士。
; ゴッドバー博士
: 声 - レイ・バレット/[[森山周一郎]]
: ボレンダー博士を誘拐し、新開発の技術を横取りしようとしたが、国際救助隊に阻止された。
; ネッド・クックとジョー
: 声 - マット・ジマーマン/[[宮田光]](ネッド)、デイヴィド・グレアム/[[富山敬]](ジョー)
: NTBSテレビキャスターとカメラマン。国際救助隊の事を報道しようとした。その後、エンパイア・ステートビルの事故に巻き込まれる。
; ブロン将軍
: 声 - デイヴィド・グレアム/[[平野元]]
: フッドにレッドアロー計画を破壊するように依頼したが、失敗するとあっさり彼を見捨てた。
; ティム・ケーシー大佐
: 声 - デイヴィド・グレアム/[[池田忠夫]]
: かつてジェフと一緒に宇宙旅行をした人物。レッドアロー計画の責任からジェット研究所の所長を更迭されたが、後に復職した模様。
; シルトン卿
: 声 - ピーター・ダイネリー/不明
: イギリス銀行頭取。大金庫の取替を政府に認めさせるため、ペネロープとパーカーに金庫を破るよう依頼した。
; ランバート
: 声 - デイヴィド・グレアム/不明<ref group="注">ランバートの吹替声優が[[矢田耕司]]とする文献があるが、矢田が吹き替えたのは銀行の重役ラブグローブである。</ref>
: イギリス銀行の職員。とても仕事熱心な性格だが、そのせいで大金庫室に閉じ込められ、危うく窒息死しかけた。
; “ライト・フィンガー”・フレッド
: 声 - デイヴィド・グレアム/[[雨森雅司]]
: パーカーと刑務所が一緒だった金庫破り。イギリス銀行を襲うため脱獄を図った。職人気質で、救助活動後に金庫の扉が開き、瓦礫が散乱している状態の大金庫を見て「こんなところじゃ盗む気にもなれねぇや」と盗む意欲を失った。
; ゴールドハイマー
: 声 - レイ・バレット/[[保科三良]]
: [[映画監督]]。これまで4本もの映画に失敗している。事件解決後、記念としてサンダーバード1号をカメラで撮ったがカメラ探知機が鳴らなかった。これによりスコットはカメラ探知機が壊されていたのに気づく。
; X将軍
: 声 - マット・ジマーマン/[[文部おさむ]]
: 国際救助隊の活動を映画フィルムに撮影するようフッドに依頼した人物。潜伏先の別荘に、フッドに飛行機で突っ込まれた。「将軍」とは言うが、彼のセリフによると、さらに上の人物が存在するようである。顔は一切出てきていない。
; オーチャード博士
: 声 - レイ・バレット/[[高塔正康]]
: 動植物研究者。セドニカス・アメリカナスという植物から「サーミン」というエキスが得られることを発見した。薬による突然変異で巨大化したワニに襲われ、国際救助隊に連絡した。
; ヘクター・ミクギル
: 声 - マット・ジマーマン/[[井上和行]]
: オーチャード博士の助手。
; ブラックマー
: 声 - [[:en:John Tate (actor)|ジョン・テイト]]/[[館敬介]]
: 製薬会社社員。オーチャード博士達と共にワニに襲われた。
; ミス・ファイルズ
: 声 - シルヴィア・アンダーソン/[[藤野節子]]
: オーチャード博士の屋敷の使用人。国際救助隊を呼ぶことを提案した人物。
; カルプ
: 声 - デイヴィド・グレアム/[[加藤精三 (声優)|加藤精三]]
: 製薬会社のスパイで、「サーミン」を狙っていた。誤って「サーミン」を排水管に流してしまい、ワニが巨大化する原因を作った。
; トーマス・プレスコット
: 声 - マット・ジマーマン/[[野田圭一]]
: ハドソンビル記録課の職員。ヒッチハイクで乗せた犯罪組織のある男(声 - [[桑原毅]])に腕輪型爆弾を取り付けられ、その男の命令通りにその爆弾をハドソンビルの引き出しに入れるが、その爆発に巻き込まれ、救出された後、ビルを放火したと疑いをかけられてしまう。
; サウザン
: 声 - レイ・バレット/[[家弓家正]]
: 英国情報部員。スコットランドの原子力貯蔵庫の爆破計画を阻止しようとするが、貯蔵庫に閉じ込められてしまった。このキャラクターは[[帽子掛け]]に帽子を投げかけたり、上司から秘密の小道具を提供されたりすることからもわかるとおり、当時、世界的人気を誇り、本作にも多大な影響を与えた『[[007]]』をイメージしたキャラクター。顔のモデルは当時、同じITC作品『[[セイント 天国野郎]]』で主人公、サイモン・テンプラ―役を務め、当時からポスト・コネリーと目されていた、後の3代目ジェームズ・ボンド、[[ロジャー・ムーア]]である<ref group="注">ブルーレイのブックレットには第25話「情報員MI. 5」のジェームズ・ボンソンのモデルがムーアとされているが、これは誤りである。</ref>。彼をモデルにした人形は「劇場版」など、その他のエピソードにも登場する。コネリーの顔は主人公スコットの顔のモデルになっていたためこのような措置が採られた。
; X(エックス)<ref group="注">原語版ではThe Leaderと呼ばれている。</ref>
: 声 - デイヴィド・グレアム/[[中島元]]
: スコットランドの原子力貯蔵庫の爆破をサウザンらに実行させようとしたが、失敗した上、ペネロープに撃墜された。
; チップ
: 声 - シルヴィア・アンダーソン/[[喜多道枝]]
: 国際救助隊に憧れる少年。自宅の近くで救助作業があった際、2号のコンテナに勝手に潜り込んで、基地まで来てしまった。
; ビクター・ゴメス
: 声 - デイヴィド・グレアム/[[椎原邦彦]]
: カーレーサーで、かつてのアランのライバル。アランを時限爆弾を仕掛けたサン・ミゲル橋に誘い出した。
; ブレークリー教授
: 声 - ピーター・ダイネリー/[[河村弘二]]
: 考古学の教授。ブレインズとミンミンと共にアナスタ湖に沈む古代遺跡を調査する。
; ジェレマイア・タトル
: 声 - ピーター・ダイネリー/[[槐柳二]]
: 国際救助隊の「秘密隊員47号」。ジェフの軍隊時代の友人で、救助隊創設当初から在籍しているようである。普段はアメリカで母親(声 - [[沼波輝枝]])と農業をしている。日本語吹替版では強い訛口調で話す。とんでもないスピードを出す旧型の車や、豆缶型の手投げ爆弾など、のどかな雰囲気に似合わない道具を持つところはやはり国際救助隊の秘密隊員である。
; ロイストン公爵夫人
: 声 - レイ・バレット/[[遠藤晴]]
: ペネロープの旧友。ファーストネームは「デボラ」(ペネロープは原語版で夫人をこのファーストネームで呼んでいる)。かなりのギャンブル好きであり、それが祟って悪徳カジノで騙され、住居まで差し押さえられることになってしまった。パーカーとの会話から競馬も行っているようであり、ギャンブル全般が好きなようである。[[キュウリサンドイッチ|キュウリのサンドウィッチ]]が好物。
; ウィルバー・ダンドリッジ3世
: 声 - デイヴィド・グレアム/[[高城淳一]]
: ガゼル商事の社長で、ジェフの旧友。かなりのカモシカ好きで、会社のシンボルに使うため、ロイストン公爵夫人からカモシカの絵を賃借した。
; ワレン・グラフトン
: 声 - デイヴィド・グレアム/[[勝田久]]
: 太平洋モノレールの会長だがその会社の裏は悪徳集団である。開発した太平洋モノレールに事故が起こり、政府の調査の挙句、社員全員と共に刑務所送りになった。
; ジミー・ボンソン<ref group="注">ジミーがジェームズの愛称であることやボンソンの綴がBondsonであることから分かる通り、名前の由来は[[ジェームズ・ボンド]]である。</ref>
: 声 - レイ・バレット/[[原田一夫]]
: 英国諜報員。核装備に関する設計図を盗まれ、国際救助隊に取り戻すよう依頼する。
; フランク・フーパー
: 声 - ジョン・テイト/[[納谷悟朗]]
: 海上採掘ステーションの所長。ステーションの周囲に火柱が発生し、救助隊に2度助けられる。
; サンチョス
: 声 - デイヴィド・グレアム/[[二見忠男]]
: 肉料理屋の店主。クラブロッガー作業部のメンバーに特別料理をふるまったが、[[ネズミ]]が徘徊するような厨房の衛生状態の悪さが災いし、食中毒を引き起こした。
; カス・カーナビー
: 声 - レイ・バレット/不明
: パラダイス・ピーク・ホテルで演奏をしている有名バンド「カス・カーナビー・クインテット」のリーダー。
; フランソワ・ラメア
: 声 - レイ・バレット/[[桑原毅]]
: フランスの有名なファッションデザイナー。自分の開発した新しい服の素材(ペネロン)にペネロープの名前を使った。
; ラングレン教授
: 声 - ピーター・ダイネリー/[[吉沢久嘉]]
: 太陽エネルギー利用の研究者。太陽反射鏡を開発した。
; ニッキー
: 声 - シルヴィア・アンダーソン/[[白川澄子]]
: クリスマスプレゼントの幸運なる当選者である少年。国際救助隊本部に招かれた。
; リック・オシェー
: 声 - レイ・バレット/[[近石真介]]
: [[海賊放送|無許可の宇宙放送局]]KLAのDJ。放送電波を使って救助隊に助けを求めたが、高所恐怖症のため脱出を拒んだ。結果、アランに殴り倒され、左目に青あざができた。放送で名前を言う時、名と姓の間に銃声の効果音を入れている。
== 登場する主要なメカ ==
=== サンダーバード機 ===
タイトルである「サンダーバード」とは、ナンバリングされた主要な救助用メカニックの事である。デレク・メディングスがデザインしたオリジナルのスケッチはブレインズのラボの壁に貼られていて、機体の表記も「TB1」や「T2」等ではなく、初期案の「レスキュー」を略した「R1」や「R2」となっている。詳細はそれぞれの個別項目を参照。
* [[サンダーバード1号]]
* [[サンダーバード2号]]
* [[サンダーバード3号]]
* [[サンダーバード4号]]
* [[サンダーバード5号]]
* [[サンダーバード6号#メカニック|サンダーバード6号]]
=== ポッド(コンテナ)メカ ===
サンダーバード2号のポッドにより輸送される、各種専門救助装備。吹替版では原語版の名称「ポッド」やプラモデルの説明書等で使用される「コンテナ」の名称は使われず、一貫して「装備」と呼ばれている<ref group="注">例えば「ジェット“モグラ号”の活躍」でスコットが5号との通信の後に本部に指示を出す際には「5番装備」と言っている。</ref>。
; 高速エレベーター・カー({{lang|en|The High-Speed Elevator Cars}})
: 航空機の外部着陸脚車両。マスター・エレベーター・カー(1号車)は有人で、遠隔操縦によって無線操縦車<ref group="注">車体にはRadio Controlled Elevatorと記されている</ref>(2号車〜4号車)を同時に2台コントロールすることができる。本来は1号車から3号車までの3台で活動するが劇中では3号車が無線機の故障により暴走し、駐機していた旅客機に突っ込んで大破・炎上したため代わりに4号車を使用して、1・2・4号車の3台で救助活動を行っている。Pod 3に搭載。
; ジェット・モグラ({{lang|en|The Mole}})
: 地底を進む地底戦車。救助活動に参加する頻度が高い。巨大な掘削ドリルを備えた円筒状の本体と、掘削開始位置まで移動するための[[無限軌道]]付き架台とで構成される。ジェット・モグラは玩具での名称であり、本来の英語版では“The Mole”、則ち単なる「モグラ」と呼ばれる。番組の日本語訳でも直訳である「モグラー」としか呼ばれていない<ref group="注">初登場した第2話の日本語版邦題「ジェット“モグラ号”の活躍」では「“モグラ号”」と括弧に括られ、「ジェット」とは区別されている。</ref>。Pod 3または5に搭載。
; 磁力牽引車({{lang|en|The Recovery Vehicles}})<ref group="注">吹替版では「牽引車」と呼ばれた。</ref>
: 二つの巻き取り電磁石砲を装備した汎用牽引車。マスター・カーの1号車と、無線操縦車の2号車がある。Pod 5に搭載。
; 電波発信車({{lang|en|The Radio Beam Transmitter Truck}})
: 強力な誘導コントロール電波を宇宙空間にまで放射する特殊車両である。基本出力はサンダーバード3号に搭載されている物を上回り、膨大な演算結果に基づく周波数の設定次第では地球上から太陽付近まで放射する事が可能。Pod 6に搭載。
; ジェット・ブルドーザー({{lang|en|The Firefly}})
: 火災救助装備。大規模な爆発現場などで、がれきを押しのけながら救出作業を行う、耐熱ブルドーザー。また、消火効果を持つ、ニトロ弾を発射できる。Pod 3または6に搭載。
; 磁力運搬機(The Magnetic Grabs)
: Pod 2に搭載されている{{efn2|本編中で2番装備に搭載されていることがわかる場面は存在しないが、正面のタラップから救助装備が登場していないことから同装備に搭載されていると考えることができる。この推測に則って2番装備と記されている文献がある{{Sfn|伊藤|2006b|p=90}}一方で、Podの床面の下に折りたたまれて収納されているとする文献も存在する{{Sfn|ブレスマン|2002|p=8,40}}。}}、4本足の大型クレーン。爆破トラクター、太平洋モノレールの救助に用いられた。なお、Pod 2の底から出るクレーンなので、分化はできない。
; トンネル探索車({{lang|en|The Monobrake}})<ref group="注" name="no-name-jp">吹替版ではいかなる名前でも呼ばれなかった。</ref>
: モノレールのトンネル内に残された人々を捜索するための車高が低い車両。Pod 1または6に搭載。
; 救助物資運送砲車({{lang|en|The Rescue Pack Vehicle, The Boost Mortar}})<ref group="注">吹替版では「ブースター・ガン」と呼ばれた。</ref>
: 高い建物の中で救助を待つ人を救出する装置を内蔵したカプセルを発射するビークルである。Pod 3に搭載。
; 鉄の爪タンク({{lang|en|The Drilling and Cutting Excavator}})<ref group="注" name="no-name-jp" />
: 回転ドラムについた鉄の爪で岩を崩す掘削作業車である。削岩車、掘削機とも呼ばれている。Pod 5に搭載。
; 防火エレベーター(Dicetylene Cage)
: ビル火災の救助で使用された[[エレベーター]]型メカ。消火剤(ダイセチレン)をまきながら、火災で故障したエレベーターを牽引するメカ。Pod 1に搭載{{efn2|本編中で1番装備に搭載されていることがわかる場面は存在しないが、1番装備に搭載されているとする文献は存在する{{Sfn|伊藤|2006b|p=90}}。}}。
; レーザー切断車({{lang|en|The Laser Beam Cutter, The Thunderizer, The Laser Cutter Vehicle}})<ref group="注" name="no-name">本編中ではいかなる名前でも呼ばれなかった。</ref>
: レーザー光線で厚い扉を溶断し、ジェット気流発生装置で切断した扉を吹き飛ばすことができる、一人乗りのコンパクトなビークル・メカ。キャタピラやコックピットの構造は救助物資運送砲車とほぼ同じである。Pod 5に搭載。
; 消防車(Fire Truck)<ref group="注" name="no-name" />
: 化学消火車両。Pod 1に搭載。
; サンバーバード・カー(BR2 Lightning 505)<ref group="注" name="no-name" />
: 第19話「オートレーサー・アランの危機」に登場。アランがレースに使用したマシン。ブレインズの開発した新型[[エンジン]]を搭載している。資料によっては、「ジェット・カー」や「ジェットパトロール車」などと記述されている事もある。Pod 5で輸送。
; 超音波中和機({{lang|en|The Bomb Neutralizer}})<ref group="注" name="no-name" />
: 耳に聞こえない超音波などを除去する機械。Pod 1に搭載。
; 風圧クッション車({{lang|en|The Hover Bed}})<ref group="注" name="no-name" />
: 後方の風圧クッションで落下する人間を受け止めるための車両。Pod 1に搭載。
; アナスタ湖探検車
: アナスタ湖を探検するための装備をつんだ[[トレーラー]]。サンドジープと2台のトレーラー(宿泊施設と研究室)で構成されている。
; 吸着ハンド車({{lang|en|The Domo, Restraining Unit}})<ref group="注" name="no-name" />
: 強力な3本の吸着ハンドで崩れる建物の壁を支える特殊作業車である。Pod 3に搭載。
; ジェット・クレーン車({{lang|en|The Mobile Crane}})<ref group="注" name="no-name" />
: 高い位置の場所に救助隊員を上げるクレーンを装備し、高速走行も可能な大型12輪車両である。Pod 3に搭載。(よく太いタイヤの6輪車両と勘違いされるが、実は12輪である。)
=== その他 ===
; FAB-1
: ロンドンエージェント、レディ・ペネロープの用いる、ピンク色の6輪乗用車。FABとは一説には彼女が国際救助隊に参加する前に所属していた、欧州諜報組織(FEDERAL AGENT BUREAU)のこととされている。また、1960年代の英国での流行語「'''Fab'''ulous(イカす!)」の略とも。なお彼女が所有する大型[[クルーザー]]の名称はFAB-2である。[[ボンドカー]]ばりに外見からは判らない特殊装備を複数持つ。水陸両用。彼女の邸宅にはリモートコントロール装置もある。また、車体下部に[[スキー]]も収納されている(映画「サンダーバード6号」に登場)。さらには、使用された事はないが、ホイールキャップに[[ドリル (工具)|ドリル]]が仕込まれているという設定も存在する。2500ポンドで製作された。その名称、[[フロントグリル]]及び[[スピリット・オブ・エクスタシー]](フロントグリル上の天女像、アメリカで''フライングレディ''と称される)の使用については、[[ロールス・ロイス]]社から「略称を用いない」「単に『車』と呼ばず『ロールス・ロイス』と呼ぶ」などの条件下で許可を得ており、''ロールス・ロイス''以外の呼称は実は許されていない。日本のメディアや玩具では''ペネロープ号''、「劇場版」では''スーパーロイス''と呼ばれていた。「実写版」ではロールスロイスから使用許可が得られなかった代わりに[[フォード・モーター]]の2004年型[[フォード・サンダーバード]]がベースとなり、水陸空対応となった。劇場版「サンダーバード6号」ではスカイシップの格納庫に収納されて世界旅行をしていたが、物語終盤のスカイシップがミサイル基地に墜落した際に格納庫に収納されていたため破壊されたとされる。
; ブレイマン(声・[[関登美雄]])
: ブレインズが計算機を使わずに開発したロボット。第3話「ロケット“太陽号”の危機」で太陽に衝突しそうになったサンダーバード3号を救出するために、ブレインズをもって最低2週間はかかる電波の周波数の計算を僅か1分弱で導いてみせた。(本当は電子計算機を持ってくるはずが、バージルとブレインズが箱を間違えてしまった)他の話に同型のロボットが登場しているところから、恐らくは、市販されていたものを改造したようである。初めはシステムが不完全ゆえブレインズの問いかけに対する反応速度が遅かったが、波長を改善したことでコミュニケーション能力が向上し、最後は彼をチェスで負かせるほどになった。その後度々、ブレインズのラボにいるのが、映し出されている。本国の放映順に見ると、寝そべっていたり、立っていたりと、太陽号のエピソードまでに完成していくさまがさりげなく描かれていくのがわかる。
=== プラモデル版オリジナルメカ ===
{{節スタブ}}
; エックスカー({{lang|en|X-car}})
: イギリスで出版された『Thunderbirds Annual』1967年号のコミック「The Hood Makes a Strike!」<ref>{{Cite book |title=Thunderbirds Annual |publisher=City Magazines Ltd. |year=1967 |pages=62-69}}</ref>に出てきたメカで、テレビ版・劇場版にも登場せず、また写真撮影等のため実際に模型が作られたわけではない。日本では今井科学よりプラモデルになっていたため知名度は高い。二本の腕で障害物を車体中央に飲み込む。車体色はブルー。このコミック本編では「The Excavating Equipment」(掘削用装備)<ref>64頁、ジェフがバージルに指示を出すイラストの吹き出し。</ref>や「The Excavator」(掘削機)<ref>67頁左下のスコットの台詞。</ref>などと呼ばれている。これに対して「火星人の来襲」に登場するいわゆる鉄の爪タンクは「Drilling and Cutting Excavator」と本編上では呼ばれている<ref>バージルがスコットにあと5分半で到着する旨を伝えた後のスコットの台詞。</ref>。「[[油圧ショベル|エクスカベータ―]]」は本来掘削機の意味。なお同Annualのコミック「Ring of Fire」<ref>{{Cite book |title=Thunderbirds Annual |publisher=City Magazines Ltd. |year=1967 |pages=5-8}}</ref>には、同じくプラモデル版オリジナルメカとして知られる人命救助車と化学消防車のもととなったイラストが登場する。
; [[サンダーバード7号]]
: 日本の今井科学が勝手にサンダーバードシリーズの名を付けたオリジナルのプラモデルキット。今井科学のオリジナルメカのためTV等には出てこない。オレンジ色の円筒形のボディにキャタピラがついており、ボディ上部が左右に開いて中からロケット状のものを発射するデザインとなっている。元になったのは『Project Sword Annual』1968年号に出てくる「The Beetle」という耐熱のメカ<ref>{{Cite book |title=Project Sword Annual |publisher=Century 21 Publishing |year=1968 |page=12}}</ref>。
=== 劇中に登場したメカ(救助隊以外) ===
: 一部のメカは塗装を変更して使い回されている。名称が不明なものや放送された国によっては変更されたメカもある。
; ファイヤーフラッシュ号({{lang|en|Fire Flash}})
: 第1話・7話・21話・22話に登場した原子力[[超音速旅客機]]。正式名称「ファイヤーフラッシュ・アトミック・エアライナー・マーク5」。英語版および一部の国内版エンドロールにおいてはサンダーバードロケットやモグラ号などと肩を並べて登場する。
: ストーリーによって設定が異なるが、全長は115mとも言われ、普通の飛行機を遥かに凌ぐ全長とされている。最高速度マッハ6で亜成層圏を飛行し、東京 - ロンドン間を約2時間で結ぶほどの速さを誇る。機体材質はチタニウム合金で、窓には硬質ガラスを使用。操縦席が尾翼の根元に位置する点が最大の特徴で、胴体上段にファーストクラス、下段にエコノミークラスの客室を備えるほか、主翼内部にもラウンジ・バーが設けられており、乗員乗客総数は600名に達する。その他、機体下部に乗用車10台を収納する事も可能。しかし、水平尾翼上部に六発が搭載されている原子力ターボジェットエンジンは、6週間連続して運転できるが、2時間10分おきに安全カバーを交換しないと放射能漏れを起こし、乗客全員が死亡してしまうというとんでもないリスクを持ち合わせている<ref>アオシマ「1/350 原子力旅客機ファイヤーフラッシュ号」組み立て説明書より。</ref>。
: なお、実際にシリーズが制作された1960年代には米ソ両国によって[[原子力飛行機]]の研究・開発が行われていたが、安全性の問題から開発は中止されている。
; 標的運搬機TX-204({{lang|en|TX-204}})
: 第1話・6話に登場した空軍機。機体後部から、円錐状の演習用ダミー([[標的機]])を射出・曳航する事ができる。劇中では「標的1号(Target 1)」と呼ばれている。第1話では、このダミーに兵士をしがみつかせたままファイヤーフラッシュ号の脚部至近まで曳航、兵士が脚部に飛びつくという荒芸で移乗をはかるが、結局失敗している。
; 英国空軍迎撃機({{lang|en|Interceptor 1}})
: 第1話に登場した[[英国空軍]]所属の単座双発[[迎撃機]]。機体の下部に巨大なエンジン2基を搭載する独特のスタイルを誇る。ファイヤーフラッシュ号の爆弾設置事件が発生した際、上述のTX-204「標的1号」と共にロンドン空港付近で実弾演習を行っていた。日本国内においては本放送時に一連の登場シーンがカットされてしまったため、長らくの間その姿を見る事は出来なかった。なお、劇中では「'''攻撃'''1号」と呼ばれている。
; ゴング({{lang|en|Side Winder}}){{Refnest|group="注"|原語版では「サイド・ワインダー」の作戦上のコードネーム「ジャングル・キャット」号として呼ばれていたが<ref group="注">なお、これに対して監視ヘリコプターは「コプター・ウォッチ・ドッグ」のコードネームが与えられている。</ref>、演出の加藤敏から重量感のある名前への変更を要望され、翻訳の木原たけしが提唱した名称が「ゴング」であった{{Sfn|ラリビエー|2019|p=53}}。}}
: 第2話に登場した、[[アメリカ陸軍]]が開発した大型戦闘車両。[[キャタピラ]]ではなく4本の脚で歩行し、2本の[[マニピュレーター]]で障害物を除去することができる[[多脚戦車]]。全長200mという大きさが仇になり、転落事故に巻き込まれた。
; ヘリジェット
: ホバージェットで高速飛行できる、[[ヘリコプター]]に類すると思われる一種の[[垂直離着陸機]]。第2話(陸軍機)・5話(テレビ中継機)、8話(建設会社)、12話、20話(救急)に塗装を変えて再登場している。
; 太陽号({{lang|en|Sun Probe}})
: 第3話「ロケット“太陽号”の危機」に登場した有人宇宙ロケット。「太陽計画」によって打ち上げられた物で、太陽の成分採取を目的としている。乗員は3名で、先端部を一時的に切り離し、[[コロナ]]に突入させて成分を採取する。先端部を回収した直後に、太陽エネルギーにシステムを狂わされて逆噴射が不可能になり、太陽に正面衝突しそうになった。その後、第9話「ペネロープの危機」で改良された太陽号が打ち上げに成功した。本国の放映順では第9話の方が先に放映されており、第3話の冒頭の発射シーンは録画放送という設定のため、第9話の後日譚ということになり、太陽号も1機しか存在しないという設定である。
; マイティ・アトム({{lang|en|The Mighty Atom}})
: 第6話「原子炉の危機」に登場した、スパイ道具。ネズミの姿をしており、忍び込んだ先で、対象物を写真に収める事ができる。人間の顔を追って写真を撮る構造になっている。変装したフッドによって開発元の政府研究ユニットから奪われ、サンダーバード2号の秘密を得る目的などで用いられたが、人間の顔を追うという構造が災いし、たまたま機内で留守番していたペネロープが本物のネズミだと思い込んで悲鳴をあげる様だけを撮影してしまい、激昂したフッドによって叩き壊された。
; 大型V-TOL機(EJ-2型)({{lang|en|Thr Vtol Aircraft EJ2}})
: 第7話に登場した、大型の垂直離着陸機。国際[[スパイ]]団が使用し、墜落機から脱出した仲間のスパイを収容するために用いられた。第21話では、にせ国際救助隊のメカとして再登場。その際は、2号そっくりの塗装がなされていた。
; 爆破トラクター({{lang|en|Explosive Tracter}})
: 建設会社のメカとして、第8話に登場。道路建設のための山を切り開くために、ミサイルランチャーを後部に装備している。トラクター部分はヘリジェット同様、再登場する回数が多い。(例:国際救助隊の電波放射器、科学消防車など)
; 大型道路建設マシーン({{lang|en|The Building Roads Machine}})<ref group="注" name="no-name" />
: 第8話に登場。走りながら、一度に数車線ある道路を作ることができ、障害物を爆破する大砲も備えている。上記の爆破トラクターを収容でき、住居施設も兼ねている。
; 舗装道路敷設用大型トラクター({{lang|en|The Road-Building Machine}})<ref group="注" name="no-name" />
: 26話に登場した原子力大型トラクター。上記マシーンを塗装替え(赤→黄)したもの。
; 大陸横断高速モノレール({{lang|en|Transcontinental Rocket}})<ref group="注">吹替版では「モノレール」としか呼ばれていないが、ペネロープ達が乗車した列車の先頭車や、ゴッドバー博士のセリフにはTranscontinental Rocketの名称が出てくる。</ref>
: 第9話に登場した懸垂式[[モノレール]]で、かなりの速度で走る。普通車に加え、食堂車や寝台車も揃えている。第23話で、太平洋モノレールとして再登場した際には7両編成から5両編成へと短くなっている。この時は、手動操縦が出来ない事が仇になった。
; センチネル号({{lang|en|The Sentinel}})
: 第10話に登場した、[[アメリカ海軍]]の最新鋭[[ミサイル巡洋艦]]。前部甲板に多数のミサイル発射台を備え、200ノットで航行可能。応答せず急に進路を変更したサンダーバード2号を敵機と誤解し[[艦対空ミサイル]]で攻撃した。後に救助で[[ニューヨーク]]へ向かう4号の輸送に協力。
; レッドアロー({{lang|en|Red Arrow}})
: 第11話「超音ジェット機レッドアロー」に登場した高性能戦闘機。1号機・2号機が作られたが、いずれもフッドの陰謀で墜落した。両翼の下にロケットを抱えている。
; 火星ロケット({{lang|en|Martian Probe}})
: 第14話に登場した大型ロケット。発射台のある基地へ向けて運ばれていたが、輸送中に、あまりの重量ゆえにアーリントン橋が崩落し川に落ちてしまう。
; オーシャンパイオニア号({{lang|en|Ocean Pioneer}})
: 第16話に登場した新型原子力[[タンカー]]。50万トンクラスの巨体だが、最新鋭の操縦システムによって僅か3人の乗組員で操縦することができる。1世・2世の2隻が建造されたが、2隻とも液体燃料「アルステリン」を満載して[[地中海]]を航行中、地中海で犬の餌の原料として培養することを目的に人工的に散布されていた物質「OD 60」とアルステリンが化学反応を起こし、いずれも爆発・沈没してしまった。
; AL-4
: 第21話に名称のみ登場した、[[超光速]]で飛行できると言われている飛行機。にせ救助隊の二人組みによって、設計図が盗まれてしまう。
; アトランティック号({{lang|en|Atlantic}})
: 第21話・26話に登場した、国連海軍の大型[[航空母艦]]。国際救助隊を捜索するために出動した。劇場版にも、海難救助のために登場。
; クラブロッガー1号({{lang|en|Crablogger I}})
: 第27話に登場した大型[[パルプ]]工場。本体とトレーラー部分で構成される。森林を移動しながら、本体前面の[[マニピュレーター]]と[[チェーンソー]]で木々を切断して取り込み、製造したパルプをトレーラー部分へ移す。動力は[[原子力]]とスーパーガス。日本語吹替版では「クラッブロガー」と発音している。
; RTL-2大型輸送機({{lang|en|RTL 2 Transporter}})
: 第28話に登場した、[[アメリカ空軍]]の大型[[輸送機]]。秘密兵器『ポセイドン』を輸送する任務を帯びていたが、正体不明の戦闘機に3度にわたり撃墜されてしまう。
; チャム・チャム({{lang|en|The Cham-Cham}})
: 第28話に登場した機械。[[ピアノ]]を模した形をしている。楽曲の中に混ぜた暗号文を解読するために、カス・カーナビー・クインテットの編曲者オルセンが使用した。また逆に、暗号を楽曲に混ぜるのにも使用された。しかしブレインズによると、分析できれば、暗号の解読は容易なものらしい。
; 戦闘機
: 第28話に登場した、某国の戦闘機。赤い輪を3つ繋げたような紋章を付けている。3度にわたりアメリカ空軍の輸送機RTL-2を撃墜したが、4回目にブレインズが暗号を変更した事により位置を間違えて、マシュー空軍基地の真上に誘導された<ref group="注">恐らく3機とも撃墜されたと考えられるが、この飛行場のシーンはカットされている事が多く、意外に知られていない。そもそも1号が、マシュー空軍基地へ出動した事さえ分からなかった視聴者も多かったと考えられる。</ref>。
; スカイトラスト号({{lang|en|The Skythrust Airliner}})<ref group="注">原語版音声ではSkytrustではなくSkythrust(スカイスラスト)と呼ばれている。</ref>
: 第29話に登場した最新鋭の旅客機。フォルムの特徴としては、機体後部が大きく膨らんでおり、駐車スペースとして用いられている。最大の特徴は、胴体着陸の際に尾翼と同化している燃料タンクがパージされ、上空まで飛行して自爆するシステムである。この仕組みを開発したのがブレインズである。
; [[太陽熱発電|太陽反射鏡]]
: 第30話に登場した、発電用施設。太陽電池とは違い、本体の凹面鏡で太陽光を取り込み、電気エネルギーに変換する機械である。山の上に設置されていたので、雷を引きつけて倒壊。そのはずみで凹面鏡が街を向いてしまい、あわや大惨事になりかけた。
; クリスマス・ロケット
: 第31話に登場したコンテナ搭載型のロケットで、玩具会社がコラルビル子供病院の子供たちのプレゼントを運ぶために使用した。銀行に忍び込んだ泥棒が誤ってコンテナに乗ってしまい、そのまま病院まで飛行した。
; [[放送衛星|宇宙放送局]]KLA
: 第32話に登場した、[[海賊放送|海賊宇宙放送局]]KLAの有人[[宇宙船]]。二人乗り。無許可で活動していたので、位置が把握されずに無人ロケットの爆発に巻き込まれ、地球への落下軌道に入ってしまった。
=== 劇中に登場した、重要な場所 ===
; ロンドン空港
: 第1話・7話・11話・29話などに登場。ロンドンタワー([[管制塔]])がある。[[ヒースロー空港]]がモデルとされている<ref group="注">第1話に登場した攻撃訓練の地図に示された場所がロンドン空港の場所であるとすれば、ヒースロー空港とは反対側、ロンドンの東側・[[テムズ川]]の河口近くに位置するようである。</ref>。ファイヤーフラッシュ号などの旅客機はもちろん、レッドアローのような軍用機のテスト飛行も行える、巨大な空港である。
; [[ケープ・カナベラル|ケープケネディ]]太陽開発センター
: 第3話に登場。太陽号の打ち上げ場所となったロケット基地。
; [[ピラミッド]]
: 第4話に登場。カマニデス王のピラミッドとされていたが、実は内部にZ団の秘密基地があった。この周辺では高性能の[[天然ガス]]が採れ、戦闘機の燃料に使われる。銃撃戦の末に、大爆発を起こして消滅した。
; トンプソン・ビル
: 第5話に登場。高さ3,000mの[[ハイパービルディング]]。ホテル、デパートなど、あらゆる施設があり、「[[アーコロジー|1つの大きな町]]」と劇中で例えられている。地下駐車場には車1万台が収容できる。駐車場と本施設が6kmも離れているためモノレールで結ばれている。地下駐車場での大火災により、焼け落ちてしまった。管制室はビルのすぐ近くにある。
; 灌漑用原子ステーション
: 第6話に登場。オーストラリア、アフリカに建設された動力に原子力を使用する灌漑施設。海水を取り込み、真水に変えて砂漠に流す事により、緑化させる事が目的である。
; [[エンパイア・ステート・ビル]]
: 第10話に登場。実在の建物。作中では、立地場所を500m移動させる工事の対象となる。工事の様子を伝えるテレビ実況中継の最中に、地盤沈下により倒壊。
; イギリス銀行
: 第12話に登場。従来のアナログ式の金庫から、金庫を真空状態にする最新システムを導入した金庫に変更したが、(救助活動において)パーカーにヘアピン1本で開けられてしまう。
; アーリントン橋
: 第14話に登場。火星ロケット運搬トレーラーの走行の際、前日の嵐で緩んでいたこととロケットの重量が重なって、崩壊した。
; ハドソン・ビル
: 第17話に登場。米政府の建物。テロ行為により爆破される。
; サン・ミゲル橋
: 第19話に登場。カーレースでアランに負けたレーサーが腹いせにアランを呼び出し、爆弾を仕掛けた。
; アナスタ湖
: 第20話に登場。湖底に沈んでいる神殿に財宝が眠るという伝説がある。フッドの攻撃で、神殿部分の大半が破壊されてしまった。
; ガゼル商事
: 第23話に登場。ジェフの友人である、ウィルバー=ダンドリッジIII世が社長を務めている会社で、[[ガゼル]]を会社のマークとしている。[[ニューヨーク]]に会社がある。会社のあらゆる設備がオートメーション化されているのが特徴で、「わが社は何でも自動」がモットー。
; 海上石油採掘ステーション
: 第26話に登場した、海底の石油をボーリングして採掘する[[石油プラットフォーム]]。海軍のミサイルが周辺の海底のガス層を破壊してしまい、そこから火柱が発生した。
; パラダイス・ピーク・ホテル
: 第28話に登場。スイスの山頂にある豪華ホテル。険しい山にあるので、ロープウェイでしか行けない。人気バンドのカス・カーナビー・クインテットもここでコンサートをしている。
== スタッフ ==
後にハリウッドで活躍することになる有能な人材が、作品を支えた。
* 制作:[[ジェリー・アンダーソン]]
* 監督:ブライアン・バージェス、デイヴィッド・エリオット、デイヴィッド・レイン、デスモンド・サンダース、アラン・パティロ
* 制作補:レッジ・ヒル
* 撮影監督:ジョン・リード
* キャラクター原案:シルヴィア・アンダーソン
* 美術監督:ボブ・ベル
* 特殊効果監督:[[デレク・メディングス]]
* 人形操作監督:クリスティーン・グランヴィル、メアリー・ターナー
* 音楽指揮:[[バリー・グレイ]]
* 特殊効果/照明:マイケル・ウィルソン、ハリー・オークス
* カメラ操作:ジミー・エリオット、アラン・ペリー、ジェフ・メルドラム、ノエル・ローランド、ゲーリー・コックスオール、テッド・カトラック
* 人形操作:イヴォンヌ・ハンター、ワンダ・ウェブ、キャロリン・ターナー、ジュディス・シャット、アーネスト・シャット
* 人形製作:ジョン・ブラウン、ジョン・ブランドール
* 衣装:エリザベス・コールマン
* 美術監督助手:グレンヴィル・ノット
* 脚本編集:アラン・パティロ
* 映像編集:レン・ウォルター、デイヴィッド・レーン、ピーター・エリオット、ハリー・マクドナルド、ハリー・レジャー
* 音響監修:ジョン・ペヴェリル
* 脚本監修:ジェリー&シルヴィア・アンダーソン
* 脚本:ジェリー&シルヴィア・アンダーソン、トニー・バーウィック、マーティン・クランプ、アラン・フェネル、アラン・パティロ、ドナルド・ロバートソン、デニス・スプーナー
; 第2特撮スタッフ
* 監督:[[ブライアン・ジョンソン (特殊効果)|ブライアン・ジョンコック]]、イアン・スクーネス、ジミー・エリオット、ショーン・ウィッテカー=クック
* 照明:ハリー・オークス
* カメラ操作:ジョン・フォーリー、ゲーリー・コックスオール
* 音響編集:ブライアン・ヒッキン、ジョン・ビートン、トニー・レニー、ノーマン・コール、ピーター・ペネル
* 音声編集:ロイ・ラフベリー
* 小道具:アーサー・クリップス
* 音響:モーリス・アスキュー、ジョン・テイラー、ケン・スクリヴェナー
* 制作:APフィルムズ テレビジョン・プロダクション
* 提携:アソシエーテッド・テレビジョン(ATV)
* 配給:インコーポレーテッド・テレビジョン・カンパニー(ITC)
; 日本語吹替版制作スタッフ
* 演出:[[加藤敏 (音響監督)|加藤敏]]
* 翻訳:[[木原たけし]]
* 制作:[[東北新社]]
== 日本での放送 ==
{| class="wikitable"
|+地上波での放送(関東基準)
!放送期間
!放送局
!放送時間
!放送回
!放送形態
|-
|1966年{{0}}4月10日 - 1967年{{0}}4月{{0}}2日
|[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]
|日曜 18:00-18:50
|50分×48回
|全32話+16回の再放送
|-
|1967年{{0}}7月15日 - 1968年10月{{0}}5日
|[[TBSテレビ|TBS]]
|土曜 16:30-17:30
|60分×61回
|1-29話→主題歌変更で全32話
|-
|1970年{{0}}1月{{0}}5日 - 1971年{{0}}1月31日
| rowspan="3" |東京12チャンネル<br />(現・[[テレビ東京]])
|土曜 19:00-19:56
|56分×54回
|全32話+22回の再放送
|-
|1974年{{0}}7月{{0}}4日 - 1974年{{0}}9月27日
|金曜 17:00-17:30
| rowspan="2" |30分×65回
| rowspan="2" |全32話(前後編)+再編集最終回
|-
|1974年10月{{0}}4日 - 1975年{{0}}9月26日
|金曜 16:55-17:25
|-
|1980年{{0}}3月{{0}}1日 - 1981年{{0}}4月11日
|TBS
|土曜 {{0}}7:00-{{0}}7:30
|30分×58回
|1-29話(前後編)
|-
|1987年10月{{0}}6日 - 1988年{{0}}3月29日
|[[フジテレビジョン|フジテレビ]]
|火曜 25:05-26:00
|55分×24回
|
|-
|1992年{{0}}4月{{0}}2日 - 1993年{{0}}9月30日
|テレビ東京
|木曜 18:30-19:00
|30分×64回
|全32話(前後編)
|-
|2003年{{0}}4月13日 - 2004年{{0}}3月28日
| rowspan="3" |[[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]]
|日曜 19:00-19:25
| rowspan="2" |25分×64回
| rowspan="3" |全32話(前後編)
|-
|2004年{{0}}4月{{0}}8日 - 2004年{{0}}7月{{0}}8日
|木曜 24:25-24:50
|-
|2004年10月18日 - 2005年{{0}}3月21日{{Refnest|group="注"|ただし毎週の放送ではなく、実際に放送されたのは10月18日、11月22日、12月6日、12月20日、1月17日、2月21日、3月7日、3月21日の8回<ref>{{Cite web|和書|url=https://www2.nhk.or.jp/archives/chronicle/pg/page010-01.cgi?recId=&hitCount=&sort=&programPage=&cornerPage=&keyword=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89&op=AND&keyword_not=&op_not=OR&analog_education=02&year_1=2004&month_1=10&day_1=18&year_2=2005&month_2=03&day_2=21&from_hour=&from_minute=&to_hour=&to_minute=&lgenre1=&lgenre2=&lgenre3=&genre_op=AND&rec_count=50&cal_edit=|title=NHKクロニクル|accessdate=2021-07-17}}</ref>。}}
|月曜 01:00-04:24
|25分x8回x8回
|-
|2015年{{0}}8月20日 - {{0}}{{0}}{{0}}{{0}}{{0}}{{0}}{{0}}8月21日
| rowspan="4" |NHK総合テレビ
|木金 00:10-01:02
|約50分x2回
| rowspan="4" |吹替残存箇所のみを<br />50分ほどで放送
|-
|2015年{{0}}8月29日
|土曜 16:20-17:11
|約50分x1回
|-
|2015年{{0}}9月21日 - {{0}}{{0}}{{0}}{{0}}{{0}}{{0}}{{0}}9月23日
|月-木 14:00-14:50頃
|約50分x3回
|-
|2016年{{0}}3月{{0}}3日 - {{0}}{{0}}{{0}}{{0}}{{0}}{{0}}{{0}}3月31日
|木曜 深夜
|50分弱x4回
|-
|2021年12月30日 - 2022年{{0}}1月18日
|[[TOKYO MX]]
|火曜 19:00-20:00
|60分x6回
|吹替+字幕の完全版
|}
* [[1966年]]に[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]で50分番組として初放送された。
* TBSテレビ(当時[[TBSホールディングス|東京放送]])での[[1967年]]の最初の放送時は、当時、当作品の[[プラモデル]]の[[ライセンス]]生産を行っていた[[今井科学]]株式会社の[[一社提供|1社協賛]]で放送されていた。
* その後[[1970年]]から[[1981年]]にかけて、民放で[[再放送]]が繰り返される<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tbjapan.com/intro/history/index.html|title=サンダーバードの歴史|publisher=サンダーバード日本オフィシャルサイト([[東北新社]])|accessdate=2014-06-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100324113614/http://www.tbjapan.com/intro/history/index.html|archivedate=2010-03-24}}</ref> が、初放送時と異なる点が散見される。
** 30分番組用に1つの話を前後編に分ける。
** エピソード名を変更。
* 1980年代以降も[[スーパー!ドラマTV|スーパーチャンネル(現:スーパー!ドラマTV)]] 等で再放送されて、1999年には「サンダーバード完全版」として(スーパーチャンネル時代に)一挙放送も行われた<ref group="注">「サンダーバード完全版」のスーパーチャンネル版(及び、スーパー!ドラマTV)はノーカット版で、日本語吹き替えが制作されたなかった部分、30分前後編版放送時にカット処分された部分、いわゆる放送禁止用語によって無音処理されたものの一部には字幕スーパーでの日本語訳字幕が挿入され放送されている。</ref>。
* [[1987年]][[10月]]から[[1988年]][[3月]]には[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の深夜枠の「[[JOCX-TV2]]」での『レトロTV I』において「SKOAL 青春劇場」(提供は、「[[サンスター]]」)で放送された(放送時間は、放送日の番組編成により、変動していた)。放送順はオリジナル、NHK総合での初回放送順とは異なり、日本語のエピソード名も若干異なる。本編放送前に「Club25」と題し、-25度の冷凍倉庫内に造ったスタジオセット内で収録の[[小倉久寛]]、田村麻実 他 出演の、ミニコーナーを放送。(スポンサーのサンスターの口臭防止剤「SKOAL」のCMの表現方法を模したもので、「サンダーバード」とは何も関係ないもの)(第1回目放送のオープニング、エンディングは「英語版(Copyright 1980)」と、エンディングには「日本語版」の主題歌でのオープニングの途中迄を放送。その後の放送回では、オープニングは「日本語版」、エンディングには「英語版(Copyright 1980)」が途中迄放送された)
* [[1992年]][[4月]]から[[1993年]][[9月]]までには[[テレビ東京]]で30分番組として放送されたが、この時のオープニングは映像を変えた他、主題歌の編曲が異なる(「オープニング」の項参照)。またエピソード名も一部変更した。
* [[2003年]]には、イギリスでDVD用にデジタルリマスターされた映像を用いた放送がNHK教育テレビで行われた。オープニングのカウントダウンの前には5秒ほど日本語のロゴが表示される映像が表示されたほか、その最後の爆発の場面では中田浩二によるナレーションが追加された。オープニングの登場人物紹介では海外用のフィルム<ref group="注">オリジナルに比べてボケ具合が違うほか、ブレインズが試験管を持つ手が左手となっている。</ref>が使用され、全て日本語で登場人物名、役割、および吹替声優のテロップが挿入された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=BQvF0GOj85I|title=サンダーバード(2003年再放送版)|accessdate=2021-10-09}}</ref>。さらに25分の2分割の放送であったため後編の冒頭に前編のあらすじが挿入され、こちらもナレーションは中田浩二が担当した。エンディングはオリジナルの1号から5号までが早回し気味で使用され、内容も1号:レギュラーキャストのオープニングに登場しない人物の吹替声優、2号:ゲストの吹替声優、3号、オリジナル・スタッフ、4号:日本語版スタッフ、5号:オープニングの冒頭と同じ「サンダーバード」と「終」となっていた。
* [[2013年]][[1月26日]]からは、新たに[[HDリマスター|HDスキャン]]と上下カット処理による16:9サイズ化を施した英国版ブルーレイの映像を用いた「サンダーバード完全版 HDリマスター版」がスーパー!ドラマTVで放送された。同じマスターを使用したものは2015年秋に[[スター・チャンネル|スターチャンネル]]でも放送されている。
* [[2015年]]夏には『[[サンダーバード ARE GO|サンダーバード Are Go]]』放送前の特番「サンダーバード 選」としてNHKデジタル総合で「ジェット“モグラ号”の活躍」「宇宙放送局の危機」「海上ステーションの危機」「湖底の秘宝」「ピラミッドの怪」「超音ジェット機レッドアロー」の6本が放送された。この放送枠の前後にはそれぞれ解説が付けられていた(ナレーション:[[星野健一 (声優)|星野健一]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www2.nhk.or.jp/archives/chronicle/pg/page010-01.cgi?recId=&hitCount=&sort=&programPage=&cornerPage=&keyword=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89&op=AND&keyword_not=Are&op_not=OR&digital_synthesis1=21&year_1=2015&month_1=08&day_1=20&year_2=2015&month_2=09&day_2=23&from_hour=&from_minute=&to_hour=&to_minute=&lgenre1=&lgenre2=&lgenre3=&genre_op=AND&rec_count=50&cal_edit=|title=NHKクロニクル|accessdate=2021-10-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/anime-blog/0010/223257.html|title=8月は総合テレビで「サンダーバード特集」!|accessdate=2021-10-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150720222420/https://www.nhk.or.jp/anime-blog/0010/223257.html|archivedate=2015-07-20}}</ref>。またこの放送では地上波では初めて16:9版の映像が用いられた。後に2016年3月には毎週木曜の午前0時・1時代に「宇宙放送局の危機」「海上ステーションの危機」「超音ジェット機レッドアロー」「ジェット“モグラ号”の活躍」の4本がセレクション放送された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www2.nhk.or.jp/archives/chronicle/pg/page010-01.cgi?recId=0001000000000000%400000000000000000000000-72-192E00000000000000000000&cornerPage=1&cornerCount=&keyword=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89%E3%80%80%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3&op=AND&keyword_not=&op_not=OR&digital_synthesis1=21&year_1=2015&month_1=08&day_1=20&year_2=2020&month_2=08&day_2=20&from_hour=&from_minute=&to_hour=&to_minute=&lgenre1=&lgenre2=&lgenre3=&genre_op=AND&rec_count=50¶ms=&cornerPage=&cal_edit=|title=NHKクロニクル|accessdate=2021-10-16}}</ref>。
* [[2017年]]に日本版ブルーレイと同じオリジナル画面比率4:3の映像を使った放送がスーパー!ドラマTVで初めて行われた。まず3月4日と5日の「「[[スーパー!ドラマ クラシック|スーパー!ドラマ クラシック]]」サービス開始記念! 第1話見せますSP」での「SOS原子旅客機」が放送され、3月19日から全話が放送された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.superdramatv.com/news/oa/2017/01/post_467.html|title=2017年3月ラインナップ:「スーパーナチュラル シーズン10」「セレブリティ・ファイル 早世の天才たち」「リミットレス キャッチアップ」ほか|accessdate=2021-10-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170620132741/http://www.superdramatv.com/news/oa/2017/01/post_467.html|archivedate=2017-07-20}}</ref>。それ以降の同局での放送は二ヶ国語版・字幕版ともにこの映像が用いられていたが、2022年9月13日からの放送では再び16:9版が使用されている<ref>{{Cite tweet|title=CS「サンダーバード」、「スカーレット」「ジョー90」と前回放送にはなかった要素を付加しているのでこちらは?と思ったら、前回の4:3と違い16:9版だった。オリジナルは4:3だからこれはどうも… ただ16:9版の画質はフィルムの生の感じに近い気もするし、見えてる部分はより細かく見える。|access-date=2022-09-14|number=1569833624987668480|user=kakitama|date=2022-09-14|archive-date=2022-09-14|archive-url=https://archive.ph/fTuAi}}</ref>。
* [[2021年]]に4:3版の映像の放送が『サンダーバード55/GoGo』に伴う2021年秋からの長期特集でスターチャンネルでも初めて行われた<ref>{{Cite web|url=https://www.star-ch.jp/onlineguide/pdf/onlineguide_2110.pdf|title=Star Channel First Guide: 2021 October|accessdate=2021-10-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210918044828/https://www.star-ch.jp/onlineguide/pdf/onlineguide_2110.pdf|archivedate=2021-09-18}}</ref>。
* [[2021年]]末から翌月にかけて、TOKYO MXにて「SOS原子旅客機」「ニューヨークの恐怖」「死の谷」「原子力機・ファイアーフラッシュ号の危機」「情報員MI.5」「すばらしいクリスマス・プレゼント」の6本が放送された。最初の三回は不定期放送<ref>{{Cite web|和書|url=https://s.mxtv.jp/anime/thunderbirds_selection/episode.html |title=「サンダーバード55/GOGO」公開記念「サンダーバード」ベストセレクション! |accessdate=2022-01-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220115131056/https://s.mxtv.jp/anime/thunderbirds_selection/episode.html |archivedate=2022-01-15}}</ref>。16:9版の映像で、吹替が存在しない箇所は原語音声+日本語字幕となるノーカット完全版での放映となり、またCMもオープニング直後の1回のみでそれ以外は全く入らなかった。エンディング後に[[西川貴教]]が『サンダーバード55/GoGo』を宣伝するスポット映像が流された<ref>{{Cite web|和書|url=https://togetter.com/t/%E3%80%8E%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89%E3%80%8F%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%28TokyoMX%29 |title=『サンダーバード』ベストセレクション(TokyoMX)に関連する6件のまとめ - Togetter |accessdate=2022-01-15}}</ref>。
{{前後番組|放送局=[[NHK総合]]系|放送枠=日曜18:00枠|番組名=サンダーバード<br />(1966年4月10日 - 1967年4月30日)|前番組=[[少年映画劇場]]|次番組=少年映画劇場<br />[[森林警備隊]]}}
{{前後番組|放送局=[[テレビ東京]]系|放送枠=木曜18:30枠|番組名=サンダーバード<br />(1992年4月2日 - 1993年9月30日)|前番組=[[ジャンケンマン]]|次番組=[[楽しいウイロータウン]]}}
{{前後番組|放送局=[[NHK教育]]系|放送枠=日曜19:00枠|番組名=サンダーバード<br />(2003年4月13日 - 2004年3月28日)|前番組=[[すくすくネットワーク]]|次番組=[[トップランナー]]}}
{{前後番組|放送局=[[NHK教育]]系|放送枠=木曜0:00枠|番組名=[[十二国記]]<br>0:00 - 0:25<hr>サンダーバード<br>0:25 - 0:50<br />(2004年4月8日 - 2004年7月8日)|前番組=[[ロズウェル_-_星の恋人たち|ロズウェル・星の恋人たち]]|次番組=十二国記<br>0:00 - 0:25<hr>[[プラネテス]]<br>0:25 - 0:50}}
{{前後番組|放送局=[[TOKYO-MX]]1系|放送枠=火曜19:00枠|番組名=サンダーバード<br>(2022年1月4日 - 2022年1月18日)|前番組=[[闘神機ジーズフレーム]]<br>19:00 - 19:30<hr>[[空手バカ一代]]<br>19:00-20:00|次番組=[[トムとジェリー]]}}
== 音楽 ==
=== オープニング ===
オリジナル版では、[[バリー・グレイ]]作曲によるメインテーマ(インストゥルメンタル)が使用された。
1966年のNHK本放送版(日本での初放送)でもオリジナル版同様に、バリー・グレイによるメインテーマ(インストゥルメンタル)が使用された。
1967年のTBSでの放送から、メインテーマに日本語の歌詞(作詞・滝田順)をつけた日本オリジナルのボーカル曲として、[[ロイヤルナイツ (ボーカルグループ)|ロイヤル・ナイツ]]とビクター少年合唱隊による「サンダーバードの歌」([[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|日本ビクター]])が使用された。メインテーマはオリジナルに使用されている部分がAメロで、ボーカルの部分がBメロとCメロに当たり、"A-B-C-B-A"という曲構成からなる。このうち、"B-C-B"のいわゆる、日本語ボーカルパートのみを録音した楽曲は『センチュリー21マーチ』というタイトルが後に付けられている。後の実写版や『~ARE GO』ではAメロのみが主にフィーチャーされている。なお、このバージョンはテープの劣化などからCD化は絶望視されていたが、2014年、デジタルリマスター版がiTunesなどで配信開始された。
1967年には、[[ハニー・ナイツ]]によるカバーが発売された([[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]])が、これはテレビ放送では使用されていない。
1980年・TBSの日本語版再放送では、[[松山祐士]]編曲、ミュージッククリエイションと[[杉並児童合唱団]]歌唱によるカバー([[EMIミュージック・ジャパン|東芝レコード]])が使用された。この主題歌レコードには、TV版音声の再編集によるオーディオドラマ(ロケット太陽号のエピソード)が併録されている。
1992年・テレビ東京の日本語版再放送では、バンダイミュージックシンガーズによるカバー([[バンダイ・ミュージックエンタテインメント|アポロン]])が使用された。シングルとして市販されたものには、NHK版のオープニングもボーナストラックとして収録された(ただし、音源のソノシートの状態が悪く、一部音質の悪い部分があった)。
=== 劇伴 ===
オープニング曲のみならず、本作を含めた[[バリー・グレイ]]による「サウンドトラック(劇伴)」用スコアはマスターテープと共に長らく行方不明になってしまっていたため<ref name="original_score_CD">{{Cite web|和書|date=2016-03-23|url=https://columbia.jp/thunderbirds/|title=サンダーバード音楽集~オリジナル・スコアによる~特設サイト|publisher=日本コロムビア|accessdate=2016-03-25}}</ref> 、厳密な意味でのオリジナル版に準拠した演奏ができなくなっていたが{{Refnest|group="注"|マスターテープが発見される前の1985年、[[庵野秀明]]が監修を手掛けた『ザ・コンプリート・サンダーバード』では本編中の劇伴にMEテープを編集して使用、また1992年に『サンダーバード秘密基地セット』として「SOS原子旅客機」「ニューヨークの恐怖」「秘密作戦命令」の3話を[[ドラマCD]]で再現する企画が組まれた際も、[[湯川徹]]がサウンドトラックを[[耳コピー]]で採譜・新録する必要が生じるなどといった出来事があった(ライナーノーツでは権利上の問題とされた)。なお、庵野が手掛けた『ザ・コンプリート・サンダーバード』は後年のHDリマスター化の際に劇伴をオリジナル音源に差し替える処理が行われた<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20211019dog00m200046000c.html|title=庵野秀明監督:「シン・コンプリート・サンダーバード」2022年放送 1985年編集の作品が“復活”|accessdate=2021-10-20}}</ref>。}}、近年{{Refnest|group="注"|93年頃から約10年かけて見つけ出した<ref name="original_score_CD" /> とあるが、バリー・グレイ協会のラルフ・ティタートンがサウンドトラックCDのブックレットに寄せたコメントでは、1993年に発見し、そこから4年かけて整理等を行い、98年に初のCD発売となったとしている{{Sfn|Titterton|2003}}。}}マスターテープとスコアが揃って発見。以後、これを管理するバリー・グレイ協会からスコアが貸し出しされればオリジナル完全準拠の演奏が可能となった。
また、同時に発見されたグレイのマスターテープを利用したオリジナル・サウンドトラックCDが1998年の『[[スーパーカー (人形劇)]]』と『[[宇宙船XL-5]]』のセット、『[[スペース1999]]』第1シリーズのもの<ref group="注">ただしこれらはファンクラブ[[ファンダーソン]]の会員限定であった。</ref>を歯切りとして、発売されている。本作の一般向けCDは2003年に1種類、2004年に2種類、2020年に1種類、それぞれシルヴァ・スクリーン・レコードから発売されている他、ファンダーソン会員限定の4枚組CDが2015年に発売されている<ref>{{Cite web|url=http://www.barrygray.co.uk/discography/BarryGrayDiscography.pdf|title=Barry Gray discography|accessdate=2021-07-17}}</ref>。詳細は[[サンダーバード (テレビ番組)#CD|本項のCD]]節を参照のこと。
2015年には、テーマ曲(オリジナル・日本語版の両方)を含めサウンドトラックから抜粋した代表的な楽曲を、前述したオリジナルスコアに準拠した形で演奏<ref name="original_score_CD" />。(演奏:東京ガーデン・オーケストラ 日本語版カバー IL DEVU / [[エフエム東京|TOKYO-FM]]少年合唱団)翌2016年4月13日にこれら代表曲を収録したCDが[[日本コロムビア]]から世界初のオリジナルスコアによる最新録音盤としてリリースされ(演奏:東京ガーデン・オーケストラ、指揮:[[広上淳一]])、2016年4月16日にはCD発売を記念した演奏が同オケにより行われた(ファンタジー・フィルム・スペクタキュラー2016、指揮:榊真由)。
== 放送リスト ==
* 日本の放送日はNHK初回分、再放送邦題はTBS初回分、英国の放送日は初回分。
* [[スーパー!ドラマTV]]『サンダーバード完全版 HDリマスター版』でのエピソード名はNHK版と同じだが、放送順は英国と同じである<ref>[http://www.superdramatv.com/line/tb/episode/detail1-1.html 海外ドラマ専門チャンネル スーパー!ドラマTV サンダーバード HD版 各話あらすじ]</ref>。
{| class="wikitable sortable" style="font-size:small"
!制作<br />番号
!英国初回<br />放送話数
!英国版<br />DVD話数
!NHK<br />話数
!TBS<br />話数
!NHK邦題
!再放送邦題
!原題
!英国初回<br />放送日
!日本初回<br />放送日
!監督
!脚本
!ゲスト声優{{Refnest|特記のない限り伊藤(2006a-f){{Sfn|伊藤|2006a}}{{Sfn|伊藤|2006b}}{{Sfn|伊藤|2006c}}{{Sfn|伊藤|2006d}}{{Sfn|伊藤|2006e}}{{Sfn|伊藤|2006f}}とブルーレイのブックレットによる。}}
|-
|1.01
|1.01
|1.01
|1
|1
|SOS原子旅客機
|国際救助隊出動
|Trapped in the Sky
|65年9月30日
|66年4月10日
|アラン・パティロ
|ジェリー&シルヴィア・<br />アンダーソン
|[[岡部政明]]、[[肝付兼太]]、[[小林清志]]、<br />[[北村弘一]]、[[若尾義昭]]、[[寺島幹夫]]<br />[[塚田正昭]]、[[中山輝夫]]、[[佳川紘子|菊地宏子]]<br />[[起田志郎]]
|-
|1.02
|1.02
|1.02
|2
|2
|ジェット“モグラ号”の活躍
|ジェット“モグラ号”の活躍
|Pit of Peril
|65年10月7日
|66年4月24日
|デスモンド・サンダース
| rowspan="4" |アラン・フェネル
|[[真木恭介]]、岡部政明、[[杉浦宏策]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A196604241800001300100|title=NHKクロニクル|accessdate=2020年5月27日|publisher=NHK}}</ref>、<br />[[嶋俊介]]、[[堀勝之祐]]、[[飯塚昭三]]、他
|-
|1.04
|1.11
|1.04
|3
|3
|ロケット“太陽号”の危機
|ロケット“太陽号”を救え
|Sun Probe
|65年12月9日
|66年5月1日
|デイヴィッド・レイン
|[[国坂伸]]、[[原田一夫]]、[[多田幸雄]]<br />[[関登美雄]]、[[村松康雄]]、[[納谷六朗]]<br />高橋英夫
|-
|1.05
|1.10
|1.05
|4
|27
|ピラミッドの怪
|ピラミッド爆破作戦
|The Uninvited
|65年12月2日
|66年5月8日
|デスモンド・サンダース
|[[内海賢二]]、[[国坂伸]]
|-
|1.03
|1.15
|1.03
|5
|12
|世界一のビルの大火災
|炎の海から救出せよ
|City of Fire
|66年1月6日
|66年5月15日
|デイヴィッド・エリオット
|[[千葉耕市]]、園田昌子、[[森川正太]]<br />[[伊藤克]]、[[野田圭一]]、成瀬麗子<br />[[富山敬]]、[[作間功]]
|-
|1.06
|1.14
|1.06
|6
|21
|原子炉の危機
|放射能の恐怖
|The Mighty Atom
|65年12月30日
|66年5月22日
|デイヴィッド・レイン
|デニス・スプーナー
|[[水鳥鐵夫]]、[[井上真樹夫]]、[[大宮悌二]]<br />[[文部おさむ]]、[[八奈見乗児]]、[[明石一]]、他
|-
|1.08
|1.12
|1.08
|7
|14
|原子力機・<br />ファイアーフラッシュ号の危機
|SOS原子旅客機
|Operation Crash-Dive
|65年12月16日
|66年5月29日
|デスモンド・サンダース
|マーティン・クランプ
|小林清志、[[大矢兼臣]]、[[村瀬正彦]]<br />[[城山堅]]、村松康雄、野田圭一<br />岡部政明、[[中曽根雅夫]]、高橋英夫
|-
|1.14
|1.09
|1.14
|8
|17
|死の谷
|死の谷
|End of the Road
|65年11月25日
|66年6月5日
|デイヴィッド・レイン
|デニス・スプーナー
|[[北町嘉朗]]、[[和田文夫]]、[[青野武]]<br />[[仲木隆司]]、[[肥土尚弘]]
|-
|1.12
|1.03
|1.12
|9
|15
|ペネロープの危機
|ペネロープ危機一髪
|The Perils of Penelope
|65年10月14日
|66年6月12日
|アラン・パティロ & <br />デスモンド・サンダース
|アラン・パティロ
|[[中村正 (声優)|中村正]]、[[原孝之]]<ref name="NHKクロニクル" />、[[森山周一郎]]、他
|-
|1.13
|1.04
|1.13
|10
|16
|ニューヨークの恐怖
|恐怖のニューヨーク
|Terror in New York City
|65年10月21日
|66年6月19日
|デイヴィッド・エリオット & <br />デイヴィッド・レイン
|アラン・フェネル
|[[宮田光]]、富山敬、[[富田耕吉]]<br />[[石森達幸]]、高橋英夫、[[安田隆 (俳優)|安田隆]]<br />[[篠原大作]]、平野昇
|-
|1.16
|1.05
|1.16
|11
|4
|超音ジェット機<br />レッドアロー
|超音ジェット機<br />“レッドアロー”
|Edge of Impact
|65年10月28日
|66年7月3日
|デスモンド・サンダース
|ドナルド・ロバートソン
|[[池田忠夫]]、村瀬正彦、堀勝之祐<br />[[平野元]]、[[宮部昭夫]]、納谷六朗<br />北村弘一、富山敬、平山淑子
|-
|1.07
|1.13
|1.07
|12
|5
|死の大金庫
|死の大金庫を破壊せよ
|Vault of Death
|65年12月23日
|66年7月10日
|デイヴィッド・エリオット
|デニス・スプーナー
|[[矢田耕司]]、[[雨森雅司]]、他
|-
|1.10
|1.24
|1.10
|13
|6
|火星人の来襲
|救助隊の秘密を守れ
|Martian Invasion
|66年3月17日
|66年7月17日
| rowspan="2" |デイヴィッド・エリオット
|アラン・フェネル
|[[槐柳二]]、[[保科三良]]、[[村越伊知郎]]<br />[[山田康雄]]、[[仲村秀生]]、木谷省三<br />井上真樹夫、泉千恵子、[[小関一]]<br />[[たてかべ和也]]、文部おさむ
|-
|1.15
|1.06
|1.15
|14
|18
|火星ロケットの危機
|4号ミサイルを発射せよ
|Day of Disaster
|65年11月4日
|66年7月24日
|デニス・スプーナー
|寺島幹夫、[[市川治]]、[[仁内達之]]<br />仲村秀生、高橋英夫、村松康雄<br />仲木隆司、[[長浜藤夫]]
|-
|1.24
|1.23
|1.24
|15
|7
|大ワニの襲撃
|大ワニを倒せ
|Attack of the Alligators!
|66年3月10日
|66年7月31日
|デイヴィッド・レイン
|アラン・パティロ
|[[高塔正翁]]、[[館敬介]]、[[藤野節子]]<br />[[井上和行]]、[[加藤精三 (声優)|加藤精三]]
|-
|1.22
|1.19
|1.22
|16
|22
|オーシャンパイオニア号の危機
|地中海の怪電波
|Danger at Ocean Deep
|66年2月3日
|66年8月7日
|デスモンド・サンダース
|ドナルド・ロバートソン
|[[千葉順二]]、[[緑川稔]]、[[藤本譲]]<br />[[阪脩]]、[[松岡文雄]]、[[永井玄哉]]<br />[[朝戸鉄也]]、[[根本好章]]、香山裕<br />明石一
|-
|1.18
|1.07
|1.18
|17
|23
|スパイにねらわれた原爆
|ねらわれた原爆
|30 Minutes after Noon
|65年11月11日
|66年8月14日
|デイヴィッド・エリオット
|アラン・フェネル
|[[家弓家正]]、内海賢二、安田隆久<br />[[塩見竜介]]、野田圭一、[[桑原たけし]]<br />中島元、[[丸山詠二]]、[[鹿島信哉]]<br />[[市村昌治]]、[[鈴木泰明]]、[[二見忠男]]<br />[[花形恵子]]、田端明彦
|-
|1.26
|1.26
|1.26
|18
|9
|秘密作戦命令
|小さな侵入者
|Security Hazard
|66年3月31日
|66年8月28日
|デスモンド・サンダース
| rowspan="2" |アラン・パティロ
|[[筈見純]]、[[喜多道枝]]、北町史郎<br />和田文夫、青野武、仲木隆司<br />国坂伸、原田一夫、多田幸雄<br />古井敏郎、小林清志、市川浩<br />北村弘一、宝達晃一、仲村秀生<br />寺島幹夫、市川治
|-
|1.09
|1.20
|1.09
|19
|24
|オートレーサー・アランの危機
|レーサー・アラン危うし
|Move–and You’re Dead
|66年2月10日
|66年9月4日
|アラン・パティロ
|[[小林修 (声優)|小林修]]、[[椎原邦彦]]、飯塚昭三<br />[[野沢那智]]、桑原毅、[[沢田敏子]]
|-
|1.17
|1.08
|1.17
|20
|8
|湖底の秘宝
|アナスタ湖の秘宝
|Desperate Intruder
|65年11月18日
|66年9月11日
|デイヴィッド・レイン
|ドナルド・ロバートソン
|[[河村弘二]]、中曽根雅夫
|-
|1.19
|1.16
|1.19
|21
|29
|にせ者にご注意
|秘密隊員の活躍
|The Impostors
|66年1月13日
|66年9月18日
|デスモンド・サンダース
|デニス・スプーナー
|[[外山高士]]、[[細井重之]]、槐柳二<br />[[沼波輝枝]]、他
|-
|1.23
|1.21
|1.23
|22
|19
|公爵夫人の危機
|公爵夫人を救え
|The Duchess Assignment
|66年2月17日
|66年9月25日
|デイヴィッド・エリオット
|マーティン・クランプ
|[[遠藤晴]]、[[高城淳一]]、[[西桂太]]<br />[[今西正男]]、安田隆久、石森達幸<br />矢田耕司、仲木隆司、[[諏訪孝二]]<br />大森正代、柴山さと子<br />岡部政明、肝付兼太
|-
|1.11
|1.22
|1.11
|23
|26
|恐怖のモノレール
|死のモノレール
|Brink of Disaster
|66年2月24日
|66年10月2日
|デイヴィッド・レイン
|アラン・フェネル
|[[勝田久]]、[[大塚周夫]]、山田康雄、他
|-
|1.21
|1.18
|1.21
|24
|13
|危険な遊び
|スパイ衛星の謎
|Cry Wolf
|66年1月27日
|66年10月9日
|デイヴィッド・エリオット
|デニス・スプーナー
|小山契、橋本隆之、村瀬正彦<br />[[吉沢久嘉]]、阪脩、富山敬
|-
|1.20
|1.17
|1.20
|25
|10
|情報員MI.5
|秘密諜報員MI・5
|The Man from MI.5
|66年1月20日
|66年10月16日
|デイヴィッド・レイン
| rowspan="2" |アラン・フェネル
|椎原邦彦、[[伊海田弘]]、村越伊知郎<br />原田一夫、北村弘一、沢田敏子
|-
|2.01
|2.01
|2.01
|26
|28
|海上ステーションの危機
|隊長ただ今休暇中
|Atlantic Inferno
|66年10月2日
|66年10月23日
|デスモンド・サンダース
|[[納谷悟朗]]、北町史郎、内海賢二<br />矢田耕司、岡部政明、丸山詠二<br />朝戸鉄也、他
|-
|2.02
|2.02
|2.02
|27
|25
|クラップロガーの<br />暴走<ref group="注">原語の発音に合わせ「クラブロッガーの暴走」と表記されることもある。</ref>
|大暴走
|Path of Destruction
|66年10月9日
|66年10月30日
|デイヴィッド・エリオット
|ドナルド・ロバートソン
|寺島幹夫、嶋俊介、富山敬<br />塚田正昭、水鳥鐵夫、二見忠男<br />中原郁江、筈見純、[[上田敏也]]
|-
|1.25
|1.25
|1.25
|28
|31
|魅惑のメロディ
|危険なメロディ
|The Cham-Cham
|66年3月24日
|66年11月6日
|アラン・パティロ
| rowspan="2" |アラン・パティロ
|小林清志、[[羽佐間道夫]]、中曽根雅夫<br />[[島宇志夫]]、千葉耕市、城山堅<br />高橋英夫、他
|-
|2.03
|2.03
|2.03
|29
|30
|恐怖の空中ファッションショー
|ファッションモデル・ペネロープ
|Alias Mr. Hackenbacker
|66年10月16日
|66年11月13日
|デスモンド・サンダース
|桑原毅、村松康雄、[[森ひろ子]]<br />青野武、八奈見乗児<br />小林清志、緑川稔、他
|-
|2.04
|2.04
|2.04
|30
|32
|太陽反射鏡の恐怖
|太陽反射鏡の恐怖
|Lord Parker’s ’Oliday
|66年10月23日
|66年11月20日
|ブライアン・バージェス
|トニー・バーウィック
|吉沢久嘉、納谷六朗、[[神山卓三]]<br />[[宮内幸平]]、他
|-
|2.06
|2.06
|2.06
|31
|20
|すばらしい<br />クリスマス・プレゼント
|すてきな<br />クリスマス・プレゼント
|Give or Take a Million
|66年12月25日
|66年11月27日
|デスモンド・サンダース
|アラン・パティロ
|[[白川澄子]]、小林清志、堀勝之祐<br />[[野村道子]]、[[穂積隆信]]、作間功<br />富山敬、大塚周夫、高橋英夫、他
|-
|2.05
|2.05
|2.05
|32
|11
|宇宙放送局の危機
|宇宙放送局KLA
|Ricochet
|66年11月6日
|66年12月4日
|ブライアン・バージェス
|トニー・バーウィック
|[[近石真介]]、肝付兼太、小関一<br />[[翠準子]]、村越伊知郎、文部おさむ
|}
; 50周年記念エピソード
{| class="wikitable sortable" style="font-size:small"
!制作順{{sfn|ラリビエー|2019|p=156-158}}
!話数
!邦題<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.star-ch.jp/news/detail.php?id=358|title=9月30日(木)『サンダーバード(66)[吹]NHK版』無料放送! 同日20:30~「サンダーバード 劇場版」同時視聴祭り開催!|accessdate=2021-09-28|archiveurl=|archivedate=}}</ref>
!原題
!監督
!脚本
|-
|2
|1
|サンダーバード登場
|Introducing Thunderbirds
|ジャスティン・T・リー
|アラン・フェネル
|-
|1
|2
|雪男の恐怖
|The Abominable Snowman
|スティーブン・ラリビエー
|デスモンド・サンダース & デイヴィッド・グレアム
|-
|3
|3
|大豪邸、襲撃
|The Stately Homes Robberies
|デイヴィッド・エリオット
|アラン・フェネル & ジム・ワトソン
|}
== ソフト ==
=== LD ===
全ては[[バンダイビジュアル]](現:[[バンダイナムコフィルムワークス]])から発売された。
* サンダーバード ITCメモリアルボックス Part 1、発売日:1990年12月17日
* サンダーバード ITCメモリアルボックス Part 2、発売日:1991年6月27日
”ITCメモリアルボックス”に全4巻に分けてバンダイビジュアルから発売された。各ボックスアートは[[開田裕治]]のイラストを使用。
* サンダーバード IRボックス Part 1、Part 2、発売日:1992年10月22日
* サンダーバード IRボックス Part 3、Part 4、発売日:1992年11月21日
=== DVD ===
* 【DVD】サンダーバード メモリアルボックス Part 1、発売日:1998年5月25日
* 【DVD】サンダーバード メモリアルボックス Part 2、発売日:1998年5月25日
* サンダーバード コンプリートボックス PARTI [DVD]、発売日:2002年3月28日
* サンダーバード コンプリートボックス PART2 [DVD]、発売日:2002年6月27日
* サンダーバード [DVD] 単体 15巻、発売日:2004年-2005年
* サンダーバード DVD-BOX、発売日:2016年5月11日
=== Blu-ray ===
* サンダーバード ブルーレイ・コレクターズBOX(初回生産限定)[Blu-ray]、発売日:2013年2月27日
* サンダーバード Blu-ray BOX、発売日:2016年5月11日
=== CD ===
英シルヴァ・スクリーンから大きく分類し四組が一般向けに、アンダーソン夫妻のファンクラブ[[ファンダーソン]]から会員限定のもの一組のサウンドトラックCDが発売されている。
; シルヴァ・スクリーン
<div class="NavFrame" style="border:0;"><div class="NavHead">Thunderbirds (2003)</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
{{Infobox Album
| Name = Thunderbirds
| Cover =
| Type = サウンドトラック
| Artist = [[バリー・グレイ]]
| Released = 2003
| Recorded =
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| Length = 61分26秒
| Label =
| Producer = [[シルヴァ・スクリーン]]
| Reviews =
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| This album =
| Next album =
| Misc =
| EAN = {{EAN|0738572060626}}
| Tracklist = FilmCD606
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{{tracklist
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|title4=Monorail to Disaster |note4=The Perils of Penelope |extra4=モノレール・トゥ・ディザスター |length4=02:10
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<div class="NavFrame" style="border:0;"><div class="NavHead">Thunderbirds 2 (2004)</div>
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{{Infobox Album
| Name = Thunderbirds 2
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| Type = サウンドトラック
| Artist = [[バリー・グレイ]]
| Released = 2004
| Recorded =
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| Length = 59分47秒
| Label =
| Producer = [[シルヴァ・スクリーン]]
| Reviews =
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| Tracklist = FilmCD609
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<div class="NavFrame" style="border:0;"><div class="NavHead">40th Anniversary The Best of Thunderbirds (2004)</div>
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{{Infobox Album
| Name = 40th Anniversary The Best of Thunderbirds
| Cover =
| Type = サウンドトラック
| Artist = [[バリー・グレイ]]
| Released = 2004
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| Length = 93分30秒{{efn-la|name=fn1|このほかにプロモーション素材などのPDFデータを収録。}}
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| Producer = [[シルヴァ・スクリーン]]
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| Tracklist = FilmCD1195a
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{{tracklist
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|title15=Standby for Lift-Off |note15=Sun Probe (The Perils of Penelope) |extra15=ロケット“太陽号”の危機 |length15=01:59
|title16=Penelope in France |note16=The Perils of Penelope & Alias Mr. Hackenbacker |extra16=フランスのペネロープ |length16=04:04
|title17=San Martino |note17=Path of Destruction |extra17=サン・マルチノ |length17=02:48
|title18=Drama on the South-East Asia Pass |note18=End of the Road |extra18=東南アジアのドラマ |length18=05:22
|title19=Taking a Desperate Chance |note19=End of the Road |extra19=窮余の運にまかせ |length19=03:25
|title20=Thunderbirds to the Rescue |note20=End of the Road |extra20=サンダーバード、救助へ |length20=02:39
|title21=Jazz Atlantica |note21=Atlantic Inferno ('''Stingray''' - Tune of Danger) |extra21=ジャズ・アトランティカ |length21=01:01
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|title23=The Red Arrow |note23=Edge of Impact |extra23=レッド・アロー号 |length23=03:18
|title24=Voyage of Ocean Pioneer I |note24=Danger at Ocean Deep ('''Stingray''' - The Big Gun) |extra24=オーシャンパイオニア号の危機 |length24=02:17
|title25=Espionage on the French Riviera |note25=The Man from MI.5 |extra25=オーシャンパイオニア号の危機 |length25=02:49
|title26=The Fate of Sidewinder (Pit Of Peril) |note26=Pit of Peril |extra26=ゴングの宿命 |length26=02:00
|title27=Pit of Peril |note27=Pit of Peril |extra27=ジェット“モグラ号”の活躍 |length27=02:49
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<div class="NavFrame" style="border:0;"><div class="NavHead">Thunderbirds (2019)</div>
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{{Infobox Album
| Name = Thunderbirds
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| Type = サウンドトラック
| Artist = [[バリー・グレイ]]
| Released = 2019
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| Length = 72分29秒
| Label =
| Producer = [[シルヴァ・スクリーン]]
| Reviews =
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| Tracklist = SILCD1622
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| all_lyrics = [[バリー・グレイ]]
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|title1=Thunderbirds Main Titles |note1= |extra1=サンダーバード メイン・タイトル |length1=01:30
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|title7=International Rescue to the Rescue |note7=The Perils of Penelope |extra7=国際救助隊、出撃! |length7=01:26
|title8=Monorail Drama |note8=The Perils of Penelope |extra8=モノレールでの出来事 |length8=02:23
|title9=Espionage on the French Riviera |note9=The Man from MI.5 |extra9=リビエラでスパイ活動 |length9=02:24
|title10=Sidewinder |note10=Pit of Peril |extra10=新兵器ゴング |length10=01:32
|title11=The Pit |note11=Pit of Peril |extra11=危険な陥没穴 |length11=01:20
|title12=Recovery |note12=Pit of Peril |extra12=修復作業 |length12=01:21
|title13=A Night in Spoke City |note13=30 Minutes After Noon |extra13=スポーク・シティの夜 |length13=01:37
|title14=Expedition |note14=Desperate Intruder |extra14=探検 |length14=03:55
|title15=The Hood vs International Rescue |note15=Desperate Intruder |extra15=フッド VS 国際救助隊 |length15=02:14
|title16=Evil Plan |note16=Edge of Impact |extra16=悪魔の計画 |length16=01:50
|title17=Tower of Terror |note17=Edge of Impact |extra17=恐怖の塔 |length17=01:09
|title18=Avalanche |note18=End of the Road |extra18=崖崩れ |length18=02:24
|title19=Eddie on Tracy Island |note19=End of the Road |extra19=トレーシー・アイランドのエディ |length19=02:59
|title20=The Rescue |note20=End of the Road |extra20=救助開始 |length20=03:24
|title21=Christmas with the Tracy Family |note21=Give or Take a Million |extra21=トレーシー・ファミリーのクリスマス |length21=01:52
|title22=San Miguel Bridge |note22=Move – and You’re Dead |extra22=サン・ミゲル橋 |length22=01:21
|title23=Finding the Fireflash |note23=Operation Crash-Dive |extra23=ファイアーフラッシュ号を探せ |length23=01:56
|title24=KLA Collision |note24=Ricochet |extra24=人工衛星KLA衝突 |length24=01:28
|title25=The Launch |note25=Sub Probe |extra25=太陽号発射 |length25=01:12
|title26=Heading for the Sun |note26=Sub Probe |extra26=太陽へ向けて |length26=00:57
|title27=The Cass Carnaby Set |note27=The Cham-Cham |extra27=カス・カーナビー・クインテットの演奏 |length27=01:35
|title28=Dangerous Game |note28=The Cham-Cham |extra28=危険な賭け |length28=01:49
|title29=Jeremiah |note29=The Impostors |extra29=秘密隊員ジェレマイア |length29=01:21
|title30=The Pyramid of Khamandides |note30=The Uninvited |extra30=カマニデス王のピラミッド |length30=00:52
|title31=The Vault |note31=Vault of Death |extra31=密室{{efn-la|name=fn1|「金庫室」の誤訳。}} |length31=02:32
|title32=Light-Fingered Fred |note32=Vault of Death |extra32=伝説の金庫破りフレッド |length32=00:59
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</div></div>
; ファンダーソン
<div class="NavFrame" style="border:0;"><div class="NavHead">Thunderbirds 50 Years (2015)</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left;">
{{Infobox Album
| Name = Thunderbirds 50 Years
| Cover =
| Type = サウンドトラック
| Artist = [[バリー・グレイ]]
| Released = 2015
| Recorded =
| Genre =
| Length = 258分37秒
| Label =
| Producer = [[ファンダーソン]]
| Reviews =
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| Last album =
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| Tracklist = FABTB19-1
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{{tracklist
| id = FABTB19-1
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| headline = Disc 1
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| total_length = 78:27
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| all_writing = [[バリー・グレイ]]
| all_lyrics = [[バリー・グレイ]]
| all_music = [[バリー・グレイ]]
| all_arrangements = [[バリー・グレイ]]
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|title1=Thunderbirds Main Titles- Trapped in the Sky Version |note1=Trapped in the Sky |length1=01:33
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|title3=The First Rescue Mission |note3=Trapped in the Sky |length3=04:37
|title4=The Elevator Cars |note4=Trapped in the Sky |length4=06:47
|title5=The Radiation Cloud |note5=The Mighty Atom |length5=03:03
|title6=The Power of the Atom |note6=The Mighty Atom |length6=01:57
|title7=Paris in the Springtime |note7=The Perils of Penelope |length7=07:24
|title8=The Road to Anderbad |note8=The Perils of Penelope |length8=01:28
|title9=The Anderbad Tunnel |note9=The Perils of Penelope |length9=03:26
|title10=Let the Fireworks Begin |note10=The Perils of Penelope |length10=05:33
|title11=Driving Home |note11=30 Minutes After Noon |length11=02:29
|title12=Room 1972 |note12=30 Minutes After Noon |length12=01:59
|title13=Chasing the News |note13=Terror in New York City |length13=03:33
|title14=The Fall of the Empire State |note14=Terror in New York City |length14=05:00
|title15=Voyage to New York |note15=Terror in New York City |length15=01:39
|title16=Swim for Your Life |note16=Terror in New York City |length16=06:37
|title17=San Martino |note17=Path of Destruction |length17=02:49
|title18=The Ocean Pioneer |note18=Danger at Ocean Deep |length18=04:23
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|title2=Jungle Invader |note2=Pit of Peril |length2=05:36
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|title4=The Danger Zone |note4=Pit of Peril |length4=04:07
|title5=The Recovery Vehicles |note5=Pit of Peril |length5=05:45
|title6=Cops and Robbers |note6=City of Fire |length6=00:40
|title7=Bang on Schedule |note7=End of the Road |length7=06:15
|title8=Eddie’s Monsoon |note8=End of the Road |length8=04:32
|title9=On the Edge |note9=End of the Road |length9=03:54
|title10=Roadside Recovery |note10=End of the Road |length10=05:56
|title11=Monte Bianco |note11=Lord Parker’s ’Oliday |length11=02:03
|title12=Thunderbirds Are Go |note12=Lord Parker’s ’Oliday |length12=02:34
|title13=The Red Arrow |note13=Edge of Impact |length13=05:29
|title14=Collision Course |note14=Edge of Impact |length14=02:06
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|title16=Down to Earth |note16=Edge of Impact |length16=03:14
|title17=Braquasso’s Blue Period |note17=The Duchess Assignment |length17=00:44
|title18=Caravan to Anasta |note18=Desperate Intruder |length18=04:49
|title19=The Lost Temple of Anasta |note19=Desperate Intruder |length19=04:28
|title20=Commercial Break |note20= |length20=00:06
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|title2=The Bank Job |note2=Vault of Death |length2=07:01
|title3=The Road to Nowhere |note3=Vault of Death |length3=03:11
|title4=Thunderbirds Launch |note4=Vault of Death |length4=04:40
|title5=Going Underground |note5=Vault of Death |length5=07:11
|title6=The Pyramid of Khamandides |note6=The Uninvited |length6=02:51
|title7=Countdown |note7=Sun Probe |length7=02:13
|title8=Heading for the Sun |note8=Sun Probe |length8=01:42
|title9=The Safety Beam |note9=Sun Probe |length9=02:36
|title10=The Wrong Box |note10=Sun Probe |length10=01:07
|title11=The Test Crew |note11=Operation Crash-Dive |length11=05:25
|title12=Under the Wing |note12=Operation Crash-Dive |length12=01:37
|title13=Christmas Preparations |note13=Give or Take a Million |length13=01:47
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|title15=Agent 47 |note15=The Impostors |length15=04:20
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|title17=Forward Thrust |note17=The Impostors |length17=04:52
|title18=Back in Business |note18=The Impostors |length18=05:48
|title19=Rogue Gyropedo |note19=Atlantic Inferno |length19=02:05
|title20=The Monte Carlo Affair |note20=The Man from MI.5 |length20=05:43
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|title1=Thunderbirds Main Titles - Music Only |note1= |length1=01:23
|title2=The Bridge of San Miguel |note2=Move – and You’re Dead |length2=02:36
|title3=Parola Sands |note3=Move – and You’re Dead |length3=00:43
|title4=Target: Alan Tracy |note4=Move – and You’re Dead |length4=01:19
|title5=Holding On |note5=Move – and You’re Dead |length5=02:01
|title6=The Jewel Thieves |note6=Brink of Disaster |length6=00:51
|title7=The Boatman and the Swamp Monsters |note7=Attack of the Alligators! |length7=02:51
|title8=Invaders from Mars |note8=Martian Invasion |length8=02:27
|title9=Flight of the Hood |note9=Martian Invasion |length9=01:04
|title10=Live from Paradise Peaks |note10=The Cham-Cham |length10=05:58
|title11=Dangerous Liaisons |note11=The Cham-Cham |length11=06:05
|title12=Happy Skiing |note12=The Cham-Cham |length12=02:01
|title13=Dangerous Game |note13=The Cham-Cham |length13=06:38
|title14=Penelope’s Secret |note14=Alias Mr. Hackenbacker |length14=01:33
|title15=After a Fashion |note15=Alias Mr. Hackenbacker |length15=02:45
|title16=The Penelon Collection |note16=Alias Mr. Hackenbacker |length16=03:34
|title17=A Revolutionary Invention |note17=Alias Mr. Hackenbacker |length17=01:29
|title18=All the Way with KLA |note18=Ricochet |length18=02:38
|title19=March of the Probe Rocket |note19=Day Of Disaster |length19=10:14
|title20=Brains to the Rescue |note20=Day Of Disaster |length20=00:36
|title21=The Dock Cranes |note21=Day Of Disaster |length21=03:59
|title22=Cutting It Fine |note22=Day Of Disaster |length22=06:17
|title23=Bedtime for Chip |note23=Security Hazard |length23=01:07
|title24=Thunderbirds End Titles |note24= |length24=01:20
}}
</div></div>
== 漫画 ==
* [[小学館の幼稚園|幼稚園]]([[小学館]])
** 1966年9月号・10月号(作画:[[行山諄]])
** 1966年11月号(作画:[[太田かおる]])
** 1966年12月号 - 1967年3月号(作画:[[西田幸司]])
* [[小学一年生]](小学館、1966年9月号 - 1967年3月号、作画:[[井上英沖]])
* [[小学二年生]] 1966年12月号「これがサンダーバードひみつきち」(松永教治)
* [[小学四年生]](小学館、1967年11月号 - 1968年2月号、作画:井上英沖)
** 1967年10月号「カラー図解 これがサンダーバードだ」(文:[[大伴昌司]]、絵:渡辺正美)
** 1968年9月号「これがサンダーバード6号だ!!」(文:[[豊田有恒]]、絵:渡辺正美)
* [[よいこ (雑誌)|よいこ]](小学館)
** 1967年10月号(作画:岡崎甫雄、飯野勝美)
** 1967年10月号 - 1968年1月号(作画:[[宮坂栄一]])
* 小学館の絵文庫コミックシリーズ サンダーバード1(小学館、1966年、文:高橋克雄、絵:渡辺正美)
* 増刊TBSコミックス(梅田プロデュースセンター)
** 1968年4月号「白い恐怖」、「サンダーバード危うし」(作画:井上英沖)
** 1968年5月号「古城の秘密」(作画:井上英沖)
** 1968年8月号「湖底の神殿」(作画:井上英沖)
== ドラマCD ==
[[1992年]]にドラマCD「サンダーバード秘密基地セット」が5枚組(ドラマCD3枚+サウンドトラック1枚+[[CDビデオ]]1枚)発売された。いずれもテレビシリーズのエピソードの再演で、「SOS原子旅客機」、「ニューヨークの恐怖」、「秘密作戦命令」の3話(いずれもNHK邦題)が選ばれている。国際救助隊の声優陣には可能な限りテレビシリーズと同じキャストを集めているが、一部は変更されている。また音楽も前述の通りオリジナル音源がマスターテープ紛失のため使えず新たに録音されたものが使用されている。
「秘密作戦命令」のディスクにはボーナストラックとして収録に参加したオリジナルキャスト(小沢、中田、宗近、大泉、里見)が『サンダーバード』出演当時を振り返る「出演者による思い出のエピソード」が収録。
; キャスト
{{Colbegin|2}}
* ジェフ・トレーシー - [[小沢重雄]]
* スコット・トレーシー - [[中田浩二 (俳優)|中田浩二]]
* バージル・トレーシー - [[宗近晴見]]
* ブレインズ - [[大泉滉]]
* ミンミン - [[里見京子]]
* ジョン・トレーシー - [[堀川りょう|堀川亮]]
* ゴードン・トレーシー - [[中村大樹]]
* アラン・トレーシー - [[関俊彦]]
* キラノ - [[嶋俊介]]
* ペネロープ - [[高島雅羅]]
* パーカー - [[鈴木清信]]
* フッド - [[大塚明夫]]
* ロンドンタワー所長 - [[原田一夫]]
* ファイアー・フラッシュ号機長 - [[大塚芳忠]]
* ファイアー・フラッシュ号副機長 - [[荒川太朗|荒川太郎]]
* ロンドンタワー管制官A - [[梅津秀行]]
* ロンドンタワー管制官B - [[梁田清之]]
* メディングス中尉 - [[金丸淳一]]
* ロンドンタワー場内アナウンス - [[安藤ありさ]]
* スチュワーデス - [[白石文子]]
* ネッド・コック - [[玄田哲章]]
* ジョー - [[桜井敏治]]
* センチネル号艦長 - [[川久保潔]]
* センチネル号士官 - 梁田清之
* 係官A - [[三木眞一郎]]
* アナウンサー - 梅津秀行
* チップ - [[高山みなみ]]
* モリソン - [[秋元羊介]]
{{Colend}}
キャスティング協力 - [[81プロデュース]]
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
; 制作スタッフ
* プロデューサー - 峰松毅([[バンダイビジュアル]])、鈴木敏充([[アートミック]])
* 監修 - [[柿沼秀樹]](ダーツ)
* 脚本 - 柿沼秀樹(SOS原子旅客機)、神崎潤(ニューヨークの恐怖)、川守田游(秘密作戦命令)
* 音響プロデューサー - [[なかのとおる|中野徹]]
* 音響監督 - [[岩浪美和]]
* 音楽 - 湯川徹
* 音響効果 - 佐々木純一([[アニメサウンドプロダクション]])
* 録音調整 - 名倉靖([[早稲田奉仕園#アバコ(AVACO)|アバコクリエイティブスタジオ]])、石高幹士(神保町スタジオ)
* 録音スタジオ - (A/R)アバコクリエイティブスタジオ、(D/B)神保町スタジオ
* 音響制作 - [[HALF H・P STUDIO|HALF H・P]]
* 制作協力 - [[東北新社]]
* 共同制作 - [[アートミック|ARTMIC]]、DARTS
{{Col-2}}
; BGMレコーディングスタッフ
* 編曲・コンダクター - 湯川徹
* エンジニア - 田村雅典(ビクターST.)
* アシスタントエンジニア - 中川直彦(アバコST.)、古川建司(アバコST.)、武田幸治(アバコST.)、山口靖(アバコST.)
* マスターリングエンジニア - 三好玲子(スタジオ東急ファン)
{{Col-end}}
== サンダーバードの影響を受けた人物・事物 ==
本作は以降の日本のSF作品へも大きな影響を及ぼした。その範囲は、非営利の民間組織が救助活動を行うという作品設定に始まり、メカニックの役割分担(色分け)や「秘密基地」のコンセプト、発進シーンに代表されるミニチュアワーク、人形の操演技術、BGMの使い方のセンス等々、多岐にわたる。例えば『[[ウルトラセブン]]』においても、企画書の段階から本作の名を挙げて、防衛チームの基地やメカニックをより魅力的に見せるよう謳っている記述がある。以下にはパロディー等も含めて、サンダーバードの影響が顕著と見られるものを挙げる。アニメ・特撮・人形劇については、他のアンダーソン作品の影響も受けたものが多いため「[[ジェリー・アンダーソン]]」の項も併せて参照のこと。
=== 玩具など ===
* [[今井科学]] - 初回放送当時、爆発的人気となったサンダーバード各機や秘密基地の[[プラモデル]]の発売元。
* [[小松崎茂]] - 今井科学のプラモデルのボックスアート(箱絵)を多数手がけた画家・イラストレーター。プラモデルは箱絵も含めて、本作の人気を大きく後押しした。
* [[有馬玩具博物館]] - オリジナルのパーカー人形を展示。
* [[青島文化教材社]](アオシマ) - プラモデルの発売元。旧イマイ製の金型を受け継ぎ再発売している。箱絵は小松崎茂のイラストを使用している。
* 坂本健二 - 人形造形師、サンダーバード人形レプリカ作家。2001年12月にスコット・トレーシーのレプリカ人形を限定75体で発売。以降、多くの展示会、CMなどに作品を提供。近年では、2012年4月の[[協和発酵キリン]]のサンダーバードキャンペーン、2012年5月のサンダーバード・カフェ(東京都千代田区)などにも利用されている。2020年12月にはスコット・トレーシーとバージル・トレーシーのレプリカ人形を各15体ずつ発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://bluearrow.p-kit.com/|title=サンダーバード55周年 サンダーバードレプリカ人形が限定数量で遂に発売!|accessdate=2021-07-17}}</ref><ref>{{Cite tweet|title=ありがとうございます。 サンダーバードファンの皆さん、やっとスタートラインに立てました。ベストを尽くします。よろしくお願い致します。|access-date=2021-07-17|number=1337007086157217805|user=bluearrow2010}}</ref>。
=== 映像作品 ===
* [[アイドル防衛隊ハミングバード]] - [[吉岡平]]の[[ライトノベル]]。グループ名やキャラクターの名字、専用搭乗機の名称は全て本作に由来する。
* [[ウルトラシリーズ]] - 前述の様に地球防衛チームの設定・演出に多大な影響が見られる。特に[[ウルトラセブン]]からは、前作[[ウルトラマン]]にはなかった、地球防衛チームの基地内での戦闘機の精密な描写がされるようになった。
* [[Xボンバー]] - 日本製の特撮人形劇。日本の人形劇ではパペットが主流な中、本作と同様にマリオネットを使用した数少ない作品。
* [[科学救助隊テクノボイジャー]] - 本作のアニメ版として企画されたアニメーション作品。
* [[空中都市008]] - [[小松左京]]原作で、NHK制作の連続人形劇。和製サンダーバードと云われ、エアカー、HSST、ウルトラHSST、アイオノクラフトなどのメカが登場した。
* [[刑事モース]] - 第6期第2話(Case 25)にSF特撮人形劇シリーズ『ムーン・レンジャーズ』を撮影するスタジオが登場する。使用した人形の一つはメアリー・ターナーが彫っている。
* [[ゼロテスター]] - 本作の作品設定を強く意識したアニメーション作品。
* [[太陽の勇者ファイバード]] - [[勇者シリーズ]]の第2作。発進シークエンスなどが酷似している。
* [[ネビュラ・75]] - [[2020年]]から[[2021年]]にかけて[[イギリスにおける2019年コロナウイルス感染症の流行状況|都市封鎖中のイギリス]]で制作されたサンダーバードと同じ頭身の人形を使った[[スーパーマリオネーション]]作品。
* [[マイティジャック]] - 完全メカニックの特撮作品。
* [[勇者特急マイトガイン]] - 勇者シリーズの第4作。監督の[[高松信司]]は、作品のコンセプトは本作とたまたまテレビで見た『銀河旋風児』を見て、印象に残った[[小林旭]]主演の日活無国籍アクションを合わせたものと語っている。要約すると『'''大富豪が道楽でサンダーバードをやっている'''』とのこと。
* [[愛の戦士レインボーマン]] - 川内康範原作の特撮TV番組。作中に「地底戦車モグラート」と名付けられた、「サンダーバード」のジェットモグラに酷似したメカが登場する。
* [[ガールズ&パンツァー 劇場版]] - 大洗女子学園の戦車を空輸するべく飛来したサンダース大学附属高校の[[C-5 (航空機)|C-5M]]に描かれている「サンダース大学航空輸送課」のロゴマークが「サンダーバード」のロゴに酷似している。
=== パロディ ===
* サンバーダード - 『[[とんねるずのみなさんのおかげです]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系)内のコーナー。[[とんねるず]]、[[清水アキラ]]、[[鳥塚しげき]]らが人形風のメイクで出演したパロディで、精巧なミニチュアセットなども使用されていた。石橋がバージル、木梨がゴードン、清水がアラン役、鳥塚がパーカー役で、それ以外はエキストラの欧米人が演じた。主題歌は[[ハニー・ナイツ]]のカバー版を使用。オープニングは本家のかなり正確な再現だが、サンバーダード1号が発進に失敗し、倒れて爆発する。
* ヨンダーバード - 『[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]』(フジテレビ系)内のコーナー。各種ランキングの1位から4位の順位を当てるゲーム。正しい順位であればサンダーバード2号を模した機体(CG)が発射台から無事に離陸するが、間違いであれば発射台から転げ落ち、解答者が頭上にセットされたスリッパで叩かれる。
* サンデーバード(SUNDAYBIRDS) - 『[[プロ野球ニュース]]』(フジテレビ系)日曜日のサブタイトル(1993年4月 - 1994年3月)。[[野球]]、[[サッカー]]などの[[背番号]]や[[競走馬]]、[[フォーミュラ1|F1]]マシンなどの番号を5、4、3、2、1の順に映し出すオープニングも本家を意識した内容だった。当時の日曜日出演者は[[森脇健児]]、[[八木亜希子]](フジテレビアナウンサー、当時)、[[関根潤三]]([[野球解説者]])。
* [[SUNDAY BIRDS -遊びの天才-|SUNDAY BIRDS-遊びの天才-]] - [[2011年]][[4月3日]]から[[エフエムナックファイブ|NACK5]]で放送されている番組。テーマ曲は、サンダーバードのテーマ曲の替え歌であり、日本の5人組男性ヴォーカルグループ[[AJI]]が『サンデーバーズのテーマ』として歌っている。
* モーレツバード - [[エフエム福岡|FM福岡]]『[[夜はモーレツ]]』内のコーナー。
* [[2005年]][[12月31日]]に[[TBSテレビ|TBS]]系列で放送された『[[COUNT DOWN TV]]』年越しスペシャルでは、年明け10秒前(23:59:50)に本作の音楽が鳴り出すと、5秒前から「5、4、3、2、1」と冒頭のカウントダウンが短めに鳴り、年明けと同時に主題曲が流れるといった演出で行った。
* [[trf]]「raving zone」の冒頭に、本作のカウントダウンの部分が引用されている。
* [[水樹奈々]]「[[NANA MIZUKI LIVE FLIGHT×FLIGHT+|NANA MIZUKI LIVE FLIGHT 2014]]」 - バックバンド「Cherry Boys」紹介パート演出映像『チェリボウイングTake off!!』にて、本作のテーマ曲を意識した曲調やバンドメンバーを隊員に例え人形劇的な動きを行うといったパロディが行われた。
* [[ポケットモンスター ベストウイッシュ|ポケットモンスター ベストウイッシュ シーズン2]] - イッシュリーグ前に登場する'''バージル'''がポケモン救助隊の隊員で'''2号機のパイロット'''である。兄弟で判明しているのは兄のみ。また、救助隊は人助けの好きな'''父親が私財を投げ打って設立した'''事が語られている。差異も大きいが本作で登場する各種の救助隊組織の中ではもっともオリジナルのサンダーバードの影響が色濃く出ている組織である。パロディと言うよりオマージュに限りなく近い。
* [[スクールガールストライカーズ]]([[スクウェア・エニックス]])の2017年度以降の新作水着コスチュームによる攻撃モーションが、途中からではあるがサンダーバード1号の発射シーンによく似ている。ただし、プールの下から出てくるのは航空機ではなく、大量の花火を搭載したロケットミサイルである。全メンバーが同一のミサイルを使用しているが、このミサイルの正式名称は不明である。
=== CMへの起用 ===
* [[1995年]]に[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]の特急「[[サンダーバード (列車)|サンダーバード]]」のCMキャラクターに起用された。また、同形式を使用した[[北越急行]]の特急「[[はくたか]]」のCMにも起用された
* 3代目[[スバル・フォレスター]]のCMはサンダーバード機の発進シークエンスをモチーフとしている。CM曲もサンダーバードのテーマ曲が使われている。
* 4代目[[トヨタ・ターセル]]のCMもオープニングテーマを意識したものになっている。
* [[NEC8番街]]のサイトに、サンダーバードをパロディにした新製品PRのための[[ティザー]]が開設されている。BGMは、当企画のオリジナル曲。
* [[2011年]]5月には[[協和発酵キリン]]の「はじめての最先端医療プロジェクト」のキャンペーンサイトである「THUNDERBIRDS Lab.<ref name="kyowa-hakko">「協和発酵キリン presents THUNDERBIRDS Lab.」http://www.kktblab.jp/</ref>」が公開されている。
* [[2012年]]6月に、前年の「THUNDERBIRDS Lab.」に続く[[協和発酵キリン]]のキャンペーンサイトとして、サンダーバードによる会社設立というコンセプトの「サンダーバード・コーポレーション<ref name="kyowa-hakko" />」が公開された。
* [[キリンビール]]のいわゆる[[第三のビール]]「のどごし生」のCM曲にも使用された。
* 京阪電車の車内広告に、「マイホーム活用応援隊」の名で使われている。(勿論、タスキに書いてある『IR』はそのままである。)
* [[2018年]]10月より、[[ヤマザキマザック|ヤマザキマザック株式会社]]の広告イメージキャラクターに起用<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mazak.jp/news-events/press-releases/collaboration/|title=『THUNDERBIRDS(サンダーバード)』とコラボレーションした 広告・プロモーションを開始|accessdate=2021-04-25}}</ref>。
=== その他の人物・事柄 ===
* 有名なテーマ曲は、[[バラエティ番組|バラエティ]]作品を中心に今なお様々なテレビ番組で耳にする機会が多く、また純粋な行進曲としての他に、発進シーンへの連想からか、機械仕掛けのものが動き始めるといった場面でBGMに使われることがある。
* 『[[愛国戦隊大日本]]』や『[[帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令]]』等を制作した[[DAICON FILM]]は実写版のサンダーバードとして『共産戦隊ダイロシアン』と共に制作する予定だったが、実現には至らなかった。
* 『[[プラモ狂四郎]]』の単行本の3巻に収録されたエピソードにおいてジェットモグラが登場して主役級の活躍を見せた事から、ある一定の世代(いわゆるファースト[[ガンプラ]]世代)には印象深いメカとして知られている。後にキャタピラの部分を[[ガンタンク]]のBパーツ(下半身)に換装した宇宙用のスペースモグラという独自のバリエーションも出現している。
* 平成23年度小学校1年生用音楽教科書「おんがくのおくりもの 1」([[教育出版]])に、観賞用教材としてテーマ曲が採用された。教材CDに収録されているテーマ曲(1'24")の演奏は[[湯川徹]]とオーケストラ。
* [[Mobage]]において利用者のアバターの着せ替えアイテムをランダムで入手できるコインガチャにサンダーバードが登場していた。
* [[早稲田大学]][[法学部]][[教授]]の[[水島朝穂]]等をはじめとする[[憲法学者]]のグループは、[[PKO協力法]]の成立が議論になった[[1992年]]に、『君はサンダーバードを知っているか』を[[日本評論社]]から刊行し、[[自衛隊海外派遣|自衛隊の海外派兵]]を批判し、非武装中立の日本国際救助隊の創設を主張した。
* 第4話「ピラミッドの怪」で[[サンダーバード1号]]が正体不明の戦闘機に攻撃されサハラ砂漠に不時着する場面があるが、[[スーパー!ドラマTV]]で放送された「サンダーバード完全版」の原語版では、サンダーバード1号は[[東京]]での火災現場からの帰路途中というセリフがある。
* 『[[シン・ゴジラ]]』で共同制作した[[樋口真嗣]]と[[庵野秀明]]は、本作のファンであることを公言している。
== ゲーム ==
* サンダーバード([[ファミリーコンピュータ]]、[[1989年]][[9月29日]]・[[パック・イン・ビデオ]])
* サンダーバード([[ゲームボーイ]]、[[1993年]][[2月12日]]・ビーアイ)
* サンダーバード 国際救助隊出動せよ!([[スーパーファミコン]]、[[1993年]][[9月10日]]・コブラチーム)
== パチンコ ==
* [[CR機|CR]]サンダーバード([[2000年]]・[[藤商事]])
* CRサンダーバードII([[2003年]]・藤商事)
* CRサンダーバードIII([[2006年]]・藤商事)
* CRAサンダーバードウイング([[2007年]]・藤商事)
* CRサンダーバード国際救助隊([[2009年]]・藤商事)
== パチスロ ==
* サンダーバードIII(2003年・藤商事)
* サンダーバードNEO(2006年・藤商事)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注 ===
{{Reflist|group="注"|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|3}}
=== 参考文献 ===
;和書(邦訳を含む)
:* {{Cite book|和書|title=ロマンアルバム増刊 サンダーバード Complete Visual Guidebook|last=池田|first=憲章|publisher=徳間書店|year=1980|asin=B00J8GI2OS|ref=harv}}
:* {{Cite book|和書|title=サンダーバード オフィシャルエディション|last=マリオット|first=ジョン|publisher=株式会社バンダイ|year=1992|isbn=978-4891892333|ref=harv}}
:* {{Cite book|和書|title=サンダーバード・クロスセクション 日本語版|last=ブレスマン|first=グラハム|publisher=メディアワークス|year=2002|isbn=978-4840219884|ref=harv}}
:* {{Cite book|和書|title=公式ガイドサンダーバード大百科|last1=アンダーソン|first1=ジェリー|last2=ベントレー|first2=クリス|publisher=宝島社|year=2003|isbn=978-4796636117|ref=harv}}
:* {{Cite book|和書|title=完全版 サンダーバード全記録集1|last=伊藤|first=秀明|publisher=集英社|year=2006a|isbn=978-4087813616|ref=harv}}
:* {{Cite book|和書|title=完全版 サンダーバード全記録集2|last=伊藤|first=秀明|publisher=集英社|year=2006b|isbn=978-4087813623|ref=harv}}
:* {{Cite book|和書|title=完全版 サンダーバード全記録集3|last=伊藤|first=秀明|publisher=集英社|year=2006c|isbn=978-4087813630|ref=harv}}
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:* {{Cite book|和書|title=別冊映画秘宝 海外TVドラマ・マニアックスVol.5 最新検証! 21世紀サンダーバード読本|last=ラリビエー|first=スティーブン|publisher=洋泉社|year=2012|isbn=978-4862487155|ref=harv}}
:* {{Cite book|和書|title=月刊Pen 2013年7月15日号, あの名作を知っているか? サンダーバード完全読本。|publisher=阪急コミュニケーションズ|year=2013|ASIN=B00I9CSNNC|ref=harv}}
:* {{Cite book|和書|last1=ハーン|first1=マーカス|title=サンダーバード完全記録|publisher=[[ボーンデジタル]]|location=東京,日本|year=2015|isbn=978-4-86246-290-9|ref=harv}}
:* {{Cite book|和書|title=サンダーバード完全写真資料集成|publisher=洋泉社|year=2019|ref=harv|last=ラリビエー|first=スティーブン|isbn=978-4800316073}}
; 洋書
:* {{Cite book|title=A personal reflection on Barry Gray|last=Titterton|first=Ralph|publisher=Silva Screen|year=2003|asin=B000083GP9|ref=harv}}
:* {{Cite book|title=Collins Telly Guide|last1=Sangster|first1=Jim |last2=Condon|fist2=Paul |year=2005|publisher=[[HarperCollins]]|location=London, UK|isbn=978-0-00-719099-7|pages=758–760|ref=harv}}
:* {{Cite book|title=Filmed in Supermarionation|first1=Stephen|last1=La Rivière |author1-link=スティーブン・ラリビエー|year=2014|edition=2nd|orig-year=2009|publisher=Network Distributing|location=London, UK|isbn=978-0-992-9766-0-6|ref=harv}}
:* {{Cite book|title=Space: 1999 The Vault|first1=Chris|last1=Bentley |year=2022|publisher=Signum Books|location=Cambridge, UK|isbn=978-0-995519145|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* {{Commons category-inline|Thunderbirds|''Thunderbirds''}}
* [[王立救命艇協会]] - 1824年に創設されたイギリス及びアイルランド周辺の沿岸や海における救命活動を行なうボランティア組織。
* [[サンダーバーズ]] - 1953年に結成された[[アメリカ空軍]]の[[曲技飛行隊]]
* [[レッドアローズ]] - 1965年に結成された[[イギリス空軍]]の[[曲技飛行隊]]
* [[ノブレス・オブリージュ]]
== 外部リンク ==
* {{IMDb title|0057790|Thunderbirds (TV Series 1965–1966)}}
* [https://www.tbjapan.com/ 日本語公式ページ]
* {{Twitter|thunderbirds_jp|サンダーバード【公式】}}
* {{NHK放送史|D0009042699_00000|サンダーバード}}
* [http://www.superdramatv.com/line/tb/ 「サンダーバード HD版」] - スーパー!ドラマTV 公式サイト{{Ja icon}}
* [https://www.star-ch.jp/drama/thunderbirds/sid=1/p=t/ サンダーバード[HD完全版]] - スターチャンネル 公式サイト {{Ja icon}}
* {{Allcinema title|84070|サンダーバード}}
{{サンダーバード (テレビ番組)}}
{{ITC配給作品}}
{{ジェリー・アンダーソン}}
{{スーパーマリオネーション}}
{{黒柳徹子}}
{{DEFAULTSORT:さんたあはあと}}
[[Category:1965年のテレビ番組 (日本)]]
[[Category:サンダーバード|*]]
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[[Category:黒柳徹子]]<!--声の出演--> | 2003-04-22T17:03:19Z | 2023-11-16T12:26:48Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E7%95%AA%E7%B5%84) |
7,138 | ウルトラマン一覧 | ウルトラマン一覧(ウルトラマンいちらん)は、ウルトラシリーズに登場するウルトラマンの一覧である。
以下、作品別に記述するほか、複数の作品に登場するウルトラマンは初登場作品に記述する。
M78星雲光の国(ウルトラの星)をはじめとして様々な惑星から地球を訪れ(ガイアやアグルなどのように地球出身のウルトラマンも存在する)、その多くは地球のために怪獣や異星人などの侵略者と戦う。そのこともあり、媒体によってはウルトラマンたちに共通する呼称として、ウルトラ戦士(ウルトラせんし)という表記も散見される。
なお、ウルトラマンによっては身長の設定に大きな差異がある。例を挙げると、初代ウルトラマンは40メートル、ウルトラマングレートは60メートルと、20メートルもの差異があるが、後年の作品などで並び立つ際にはこの設定が無視され、どのウルトラマンもほぼ同様の身長として描かれることが多い。
多くの作品では、『帰ってきたウルトラマン』から『ウルトラマン80』、『ウルトラマンメビウス』が同一の世界と設定されるが、それとは別の設定の作品もあるため、節に分けておく。
多くの作品では、『帰ってきたウルトラマン』から『80』、『メビウス』が同一の世界と設定されるが、それとは別の設定の作品もあるため、節に分けておく。本作品と関係の深い『平成ウルトラセブン』と『ULTRASEVEN X』についても含む。
『帰ってきたウルトラマン』で『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』が同一の世界とされた。その後、『ウルトラマン80』までが同一の世界とされている。ただし、『ウルトラマン80』ではウルトラ兄弟は登場しない。
本項目のウルトラマンは同一人物である。
宇宙警備隊候補生や光の国の一般市民たち。体色で示すレッド族とブルー族、シルバー族で構成される。
ウルトラマンジョーニアスは、アニメ作品だけではなく1979年の映画『ウルトラマン怪獣大決戦』、2002年の映画『新世紀ウルトラマン伝説』、『ウルトラギャラクシーファイト』に実写で登場し、他のウルトラ兄弟と並んで出演している。他プロダクション(日本サンライズ)との共同制作。
光の国シリーズの外伝的作品。他プロダクション(ハンナ・バーベラ・プロダクション)との共同制作。実写では2002年の映画『新世紀ウルトラマン伝説』、2022年の特撮Webドラマ『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』で他のウルトラ兄弟や平成ウルトラマンと並んで出演している。
マレーシアの3DCGテレビアニメ『ウピンとイピン』で初登場した円谷プロ公認のウルトラマン。
雑誌展開と帯番組から成る外伝的作品。
ウルフェスなどで人気を集めていた「怪獣人形劇・ウルトラP」の映像版。P78星雲ウルトラPの星にあるウルトラマンランドに住む怪獣たちを描いた作品。イベントで上演される「怪獣人形劇・ウルトラP」も併記する。
出光興産とのタイアップで制作されたパロディ的作品。
出光興産とのタイアップで誕生したウルトラマン。
バンダイのコマーシャル専用のウルトラマン。
バンダイのコマーシャル用のウルトラマン。
2015年7月17日に円谷プロがYouTubeにて公開した短編動画『ULTRAMAN n/a』に登場するウルトラマン。
渋谷の地下から現れた謎の怪獣のもとへ現れ、肉弾戦を展開する。フルCGで描かれる筋肉質の全身が初代ウルトラマン(Aタイプ)に酷似していること以外、出身や必殺技、変身者などの詳細は一切不明。
制作はデジタル・フロンティアが担当した。
偽物や悪のウルトラマンは「偽物、悪のウルトラマン」を参照。
一般市民や宇宙警備隊員としてオリジナルのウルトラマンが多数登場するが、名前がある物のみ記載する。漫画作品に登場する偽物や悪のウルトラマンは「偽物、悪のウルトラマン」を参照。
作:みやぞえ郁雄
作:内山まもる
作:内山まもる
作:かたおか徹治
作:かたおか徹治
作:制野秀一
作:制野秀一
作:坂丘のぼる
作:池原しげと
作:シュガー佐藤
作:居村眞二
作:居村眞二
作:居村眞二
作:宮田淳一
原作:瑳川竜、作画:栗原仁
作:真船一雄
原作:清水栄一、作画:下口智裕
著:よしながこうたく
著:足木淳一郎、イラスト:後藤正行
著:小林雄次 、イラスト:水瀬凛
著:三島浩司
著:小林泰三
現在は円谷プロダクション非公認となっており、存在そのものが扱われていない。
円谷プロダクションが公認しているのはウルトラマンロビンのみである。
上記のウルトラマンと同族(超古代の巨人やM78星雲出身者)または、洗脳された戦士など。
詳細については、該当する宇宙人の記事を参照。
カオスヘッダーを参照。
詳細については、該当する宇宙人の記事を参照。
あくまでもまがい物やそれに近い存在であり、厳密にはウルトラマンではない。
ウルトラマンとは違う存在ながら、同様の能力などを持って仲間や味方になり、もしくは敵として戦う戦士たち。
ウルトラマンゼロと共闘する宇宙警備隊の仲間たち。ミラーナイト、グレンファイヤーは人間体(変身前の姿)は登場せず、ジャンボット、ジャンナインはロボットのため人間体は存在しない。
M78星雲・光の国の侵略を目論む黄金の究極生命体たち。いずれも人間体(変身前の姿)は登場しない。
精霊・コスモビーストと契約することで、コスモ幻獣拳を振るう闘士たち。 | [
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"text": "宇宙警備隊候補生や光の国の一般市民たち。体色で示すレッド族とブルー族、シルバー族で構成される。",
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"text": "ウルトラマンジョーニアスは、アニメ作品だけではなく1979年の映画『ウルトラマン怪獣大決戦』、2002年の映画『新世紀ウルトラマン伝説』、『ウルトラギャラクシーファイト』に実写で登場し、他のウルトラ兄弟と並んで出演している。他プロダクション(日本サンライズ)との共同制作。",
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"text": "光の国シリーズの外伝的作品。他プロダクション(ハンナ・バーベラ・プロダクション)との共同制作。実写では2002年の映画『新世紀ウルトラマン伝説』、2022年の特撮Webドラマ『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』で他のウルトラ兄弟や平成ウルトラマンと並んで出演している。",
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"text": "ウルフェスなどで人気を集めていた「怪獣人形劇・ウルトラP」の映像版。P78星雲ウルトラPの星にあるウルトラマンランドに住む怪獣たちを描いた作品。イベントで上演される「怪獣人形劇・ウルトラP」も併記する。",
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"text": "円谷プロダクションが公認しているのはウルトラマンロビンのみである。",
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"text": "カオスヘッダーを参照。",
"title": "偽物、悪のウルトラマン"
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"text": "詳細については、該当する宇宙人の記事を参照。",
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"text": "ウルトラマンゼロと共闘する宇宙警備隊の仲間たち。ミラーナイト、グレンファイヤーは人間体(変身前の姿)は登場せず、ジャンボット、ジャンナインはロボットのため人間体は存在しない。",
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] | ウルトラマン一覧(ウルトラマンいちらん)は、ウルトラシリーズに登場するウルトラマンの一覧である。 以下、作品別に記述するほか、複数の作品に登場するウルトラマンは初登場作品に記述する。 M78星雲光の国(ウルトラの星)をはじめとして様々な惑星から地球を訪れ(ガイアやアグルなどのように地球出身のウルトラマンも存在する)、その多くは地球のために怪獣や異星人などの侵略者と戦う。そのこともあり、媒体によってはウルトラマンたちに共通する呼称として、ウルトラ戦士(ウルトラせんし)という表記も散見される。 なお、ウルトラマンによっては身長の設定に大きな差異がある。例を挙げると、初代ウルトラマンは40メートル、ウルトラマングレートは60メートルと、20メートルもの差異があるが、後年の作品などで並び立つ際にはこの設定が無視され、どのウルトラマンもほぼ同様の身長として描かれることが多い。 | {{Pathnav|frame=1|ウルトラシリーズ}}
'''ウルトラマン一覧'''(ウルトラマンいちらん)は、[[ウルトラシリーズ]]に登場する'''ウルトラマン'''の一覧である。
以下、作品別に記述するほか、複数の作品に登場するウルトラマンは初登場作品に記述する。
[[M78星雲]]光の国(ウルトラの星)をはじめとして様々な惑星から地球を訪れ(ガイアやアグルなどのように地球出身のウルトラマンも存在する)、その多くは地球のために怪獣や異星人などの侵略者と戦う。そのこともあり、媒体によってはウルトラマンたちに共通する呼称として、'''ウルトラ戦士'''(ウルトラせんし)という表記も散見される。
なお、ウルトラマンによっては身長の設定に大きな差異がある。例を挙げると、[[ウルトラマン#ウルトラマン|初代ウルトラマン]]は40メートル、[[ウルトラマンG#ウルトラマングレート|ウルトラマングレート]]は60メートルと、20メートルもの差異があるが、後年の作品などで並び立つ際にはこの設定が無視され、どのウルトラマンもほぼ同様の身長として描かれることが多い。
== ウルトラマン ==
多くの作品では、『帰ってきたウルトラマン』から『ウルトラマン80』、『ウルトラマンメビウス』が同一の世界と設定されるが、それとは別の設定の作品もあるため、節に分けておく。
* '''太字'''は作品の主人公。
* リンクのあるキャラクターは、個別記事のあるキャラクター。
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
!ウルトラマン名 !! 出身 !! 使用武器・道具 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 憑依した人間 !! 変身した人間 !! 備考
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|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマン]]』
|-
|'''ウルトラマン'''<br />(初代ウルトラマン / 初代マン){{efn|ウルトラマンジャック(帰ってきたウルトラマン)およびほかのウルトラマンとの区別のため、このように呼ばれる。}} || M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星) ||ウルトラマント(ブラザーズマント)|| スペシウム光線<br />ウルトラスラッシュ(八つ裂き光輪)<br />ウルトラアタック光線<br />スラッシュ光線<br />ウルトラ水流<br />ウルトラスペリオル<br />スペリオルマイスフラッシャー<br />エクセレント・リフレクション<br />(以下3点は8兄弟合体技)|| ベーターカプセル{{efn|「'''フラッシュビーム'''」とされる場合があるが、これは誤り。フラッシュビームとは、ベーターカプセルから放射されるエネルギー光の呼称である。}} ||ハヤタ・シン(早田 進)<br />(本人)<br />荒恒 修平{{efn|name="Tarou"}}<br />男子バレーボール部員 {{efn|name="Tarou"}}||ハヤタ・シン(早田 進)<br />(本人)<br />ハヤタ・シン(早田 進)<br />(擬態){{efn|[[ゼットン]]に倒されて帰還する時に本物のハヤタ・シンと分離したが、以降も地球を訪れた時はハヤタ・シンの姿に擬態している。劇場版『[[大決戦!超ウルトラ8兄弟]]』では、ウルトラマン本編と異なるパラレルワールドのハヤタ・シン本人が登場する。}}||{{efn|『ウルトラマンティガ』では円谷英二が召喚した別世界のウルトラマン(人間体:なし)が登場する。}}{{efn|name="8kyoudai"}}
|-
|ノアの神 ||colspan="6"|不明 || {{efn|5000年前にバラージの町に出現し、青い石を持つ石像が残されていたウルトラマン。ウルトラマンに似た姿をしている。初めて地球に飛来したウルトラマンであるゾフィー、ウルトラマン本人、ウルトラマンの先輩、(他にもウルトラマンマックス、ウルトラマンノア)といった説がある。なお、漫画『[[ウルトラマンSTORY 0]]』には古代のバラージにゾフィーが飛来し、アントラーを撃退している。}}
|-
|[[ゾフィー (ウルトラシリーズ)|ゾフィー]]{{efn|「'''ゾフィ'''」、「'''ウルトラゾフィー'''」、「'''ウルトラマンゾフィー'''」などと表記されたこともある。}} || M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星)||ウルトラコンバーター<br />ウルトラマジックレイ<br />ウルトラマント(ブラザーズマント)||M87光線<br />Z光線<br />ウルトラフロスト|| なし ||大谷博士{{efn|『[[ウルトラマンタロウ]]』第33・34話。この回では初代マン、セブン、ジャック、エース、タロウもZAT隊員や男子バレーボール部員の体を借りている。}}<br />男子バレーボール部員 {{efn|name="Tarou"}}<br />サコミズ・シンゴ{{efn|『[[ウルトラマンメビウス]]』第50話(最終回)。}} || なし ||
|}
== ウルトラセブン / 平成ウルトラセブン / ULTRASEVEN X ==
多くの作品では、『帰ってきたウルトラマン』から『80』、『メビウス』が同一の世界と設定されるが、それとは別の設定の作品もあるため、節に分けておく。本作品と関係の深い『平成ウルトラセブン』と『ULTRASEVEN X』についても含む。
* '''太字'''は作品の主人公。
* リンクのあるキャラクターは、個別記事のあるキャラクター。
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
!ウルトラマン名 !! 出身 !! 使用武器・道具 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 憑依した人間 !! 変身した人間(変身者) !! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラセブン]]』
|-
|'''[[ウルトラセブン (キャラクター)|ウルトラセブン]]''' || rowspan="2"|M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星)|| アイスラッガー<br />カプセル怪獣(ウインダム、ミクラス、アギラ)<br />怪獣ボール(セブンガー)<br />ウルトラマント(ブラザーズマント)||エメリウム光線<br />ワイドショット<br />ウルトラスペリオル<br />スペリオルマイスフラッシャー<br />エクセレント・リフレクション<br />(以下3点は8兄弟合体技) || ウルトラアイ ||北島 哲也 {{efn|name="Tarou"}}<br />男子バレーボール部員 {{efn|name="Tarou"}}||モロボシ・ダン(諸星 弾){{efn|地球人・'''薩摩 次郎'''をモデルに、セブンが自ら姿を変えた。}}|| {{efn|name="8kyoudai"}}
|-
|セブン上司 || || 不明 ||colspan="3"| なし ||{{efn|『ウルトラセブン』第48・49話(最終回)で、セブンに忠告をしたウルトラマン。セブンとほとんど同じ外見をしている。『怪獣・怪人大事典』をはじめとした昔の児童誌では、「'''大セブン'''」と呼ばれていた。}}
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[平成ウルトラセブン]]』
|-
|'''[[ウルトラセブン (キャラクター)|ウルトラセブン]]''' || M78星雲・光の国 ||アイスラッガー<br />カプセル怪獣(ウインダム、ミクラス) || エメリウム光線<br />ワイドショット<br />ネオワイドショット<br />リュウ弾ショット || ウルトラアイ || カザモリ・マサキ<br />(本人) || モロボシ・ダン(諸星 弾)<br />カザモリ・マサキ<br />(擬態) ||
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ULTRASEVEN X]]』
|-
|'''[[ウルトラセブン (キャラクター)|ULTRASEVEN X]]'''|| 『SEVEN X』で描かれる世界とは違う世界にあるM78星雲・光の国 || アイスラッガー || ワイドショット<br />エメリウム光線<br />ウルトラインパルス<br />ウルトラエルボー|| ウルトラアイ || ジン || モロボシ・ダン(諸星 弾) ||
|}
== 帰ってきたウルトラマン - ウルトラマン80 ==
『[[帰ってきたウルトラマン]]』で『[[ウルトラマン]]』と『[[ウルトラセブン]]』が同一の世界とされた。その後、『[[ウルトラマン80]]』までが同一の世界とされている。ただし、『ウルトラマン80』ではウルトラ兄弟は登場しない。
* '''太字'''は作品の主人公。
* リンクのあるキャラクターは、個別記事のあるキャラクター。
* 『ウルトラマン』に登場した作品は、[[#ウルトラマン]]を参照。
* 『ウルトラセブン』に登場した作品は、[[#ウルトラセブン / 平成ウルトラセブン / ULTRASEVEN X]]を参照。
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
!ウルトラマン名 !! 出身 !! 使用武器・道具 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 憑依した人間 !! 変身した人間(変身者) !! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[帰ってきたウルトラマン]]』
|-
|'''ウルトラマンジャック'''<br />(帰ってきたウルトラマン)<br />(新ウルトラマン)<br />(ウルトラマン2世){{efn|劇中では「'''ウルトラマン'''」としか呼ばれていないため、区別のために長らく「'''新マン'''('''新ウルトラマン''')」、「'''帰りマン'''」、「'''帰マン'''」などの通称で呼ばれた。また、『ウルトラマンA』第14話に登場した時は「'''ウルトラマン2世'''」と呼ばれていた。}} || M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星) ||ウルトラブレスレット<br />ウルトラマント(ブラザーズマント)|| スペシウム光線<br />シネラマショット<br />流星キック<br />ウルトラスパーク<br />ウルトラランス<br />ウルトラスペリオル<br />スペリオルマイスフラッシャー<br />エクセレント・リフレクション<br />(以下3点は8兄弟合体技)||なし||郷 秀樹<br />(本人)<br />南原 忠男{{efn|name="Tarou"}}<br />男子バレーボール部員 {{efn|name="Tarou"}}||郷 秀樹<br />(本人)|| {{efn|name="8kyoudai"}}
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンA]]』
|-
|'''ウルトラマンA'''<br />(ウルトラマンエース) || rowspan="2"|M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星)||ウルトラコンバーター<br />ウルトラマント(ブラザーズマント) || メタリウム光線<br />ウルトラギロチン<br />ヴァーチカルギロチン<br />スペースQ<br />ウルトラナイフ<br />ウルトラスペリオル<br />スペリオルマイスフラッシャー<br />エクセレント・リフレクション<br />(以下3点は8兄弟合体技) || ウルトラリング || 北斗 星司<br />(本人)<br />&<br />南 夕子{{efn|北斗と南に分離憑依。南が月星人の仲間の元に去った(第28話)後は、北斗の単独変身となる。}}<br />上野 孝{{efn|name="Tarou"}}<br />男子バレーボール部員 {{efn|name="Tarou"}}|| 北斗 星司<br />(本人) || {{efn|name="8kyoudai"}}
|-
|[[ウルトラの父]]<br />(ウルトラマンケン)||ウルトラアレイ<br />ウルトラフェザー<br />ウルトラクラウン<br />ウルティメイトブレード<br />ウルトラマント || ファザーショット<br />クレセントショット ||colspan="2"| なし|| [[サンタクロース]] ||
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンタロウ]]』
|-
|'''ウルトラマンタロウ''' || rowspan="2"|M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星)|| タロウブレスレット<br />キングブレスレット<br />ウルトラマント(ブラザーズマント)|| ストリウム光線<br />ウルトラダイナマイト<br />アトミックパンチ<br />コスモミラクル光線<br />(スーパーウルトラマンの技) || ウルトラバッジ || 東 光太郎<br />(本人)<br />男子バレーボール部員 {{efn|name="Tarou"}} || 東 光太郎<br /> (本人)<br />||{{efn|ウルトラマン、ゾフィー、セブン、ジャック、エースの5兄弟と合体してスーパーウルトラマンに変身できる。}}
|-
|[[ウルトラの母]]<br />(ウルトラウーマンマリー)||ウルトラマント || マザー破壊光線<br />マザー光線<br />マザーシャワー<br />銀十字光線<br />マミー光線 ||colspan="2"| なし || 緑のおばさん{{efn|光太郎の亡母に瓜二つの容姿をしている。}}||
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンレオ]]』
|-
|'''ウルトラマンレオ''' ||rowspan="2"| 獅子座L77星 ||レオヌンチャク<br />ウルトラマント<br />レオブレラ(ウルトラマントが変形したもの)<br />ウルトラキー|| レオキック<br />シューティングビーム<br />ウルトラダブルフラッシャー<br />(アストラとの合体技)<br />幻獣覇王拳<br />(アストラ、レグロスとの合体技)||レオリング{{efn|『レオ』のオープニングテーマの歌詞に倣って「'''獅子の瞳'''」と称される場合があるが、これは誤り。獅子の瞳とは、レオリングにはめ込まれた宇宙鉱石の呼称である。}} || なし || おゝとり ゲン<br />(おおとり ゲン) ||
|-
|アストラ ||ウルトラキー|| アストラキック<br />ウルトラリダクション<br />ウルトラダブルフラッシャー<br />(レオとの合体技)<br />幻獣覇王拳<br />(レオ、レグロスとの合体技) ||rowspan="2" colspan="3"| なし ||
|-
|[[ウルトラマンキング]]||M78星雲・キング星||キングハンマー<br />ウルトラマント||キングフラッシャー<br />洗礼光線||
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマン80]]』
|-
|'''ウルトラマン80''' || M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星)|| || サクシウム光線<br />バックルビーム<br />ムーンサルトキック<br />ガッツパワー光線 || ブライトスティック<br />(ウルトラブライトスティック) ||なし|| 矢的 猛 ||
|-
|光の巨人 || colspan="6"|不明 ||{{efn|3000年前に出現したというウルトラマン。ウルトラマン80に似たシルエットをしており、スーツは80のスーツにスコッチライトテープを貼り付けたもの。劇中で80{{=}}矢的猛が「'''先祖かもしれない」'''と発言しているが、80の年齢は8000歳と設定されており、この発言には矛盾が生じる。1994年に開催されたイベント「[[ウルトラマンスタジアム]]」では、銀色に全身を塗られた80のスーツが光の巨人として展示されていた。}}
|-
|ユリアン || M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星) ||メディカルガン ||プリンセスレイ<br />ウルトラフラッシュ<br />ダブルパワー<br />(80との合体技) || ブライトブレスレット ||なし|| 星 涼子 ||
|}
== ウルトラマンG / ウルトラマンパワード ==
* '''太字'''は主人公。2者とも劇中では「ウルトラマン」と呼称されて、「グレート」や「パワード」とは呼ばれない。
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
!ウルトラマン名 !! 出身 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 憑依した人間 !! 備考
|-
|colspan="6" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンG]]』
|-
|'''[[ウルトラマンG|ウルトラマングレート]]''' || M78星雲・ウルトラの星 || バーニングプラズマ<br />グレートスライサー<br />ディゾルバー{{efn|あくまで代表的な技であり、劇中における決め技としての必殺技は毎回異なる。}} || デルタプラズマー || ジャック・シンドー ||
|-
|colspan="6" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンパワード]]』
|-
|'''[[ウルトラマンパワード]]''' || M78星雲・ウルトラの星 || メガ・スペシウム光線<br />パワードスラッシュ || フラッシュプリズム || ケンイチ・カイ ||
|-
|エルドラの神 ||rowspan="2" colspan="4"|不詳 || {{efn|古代のアメリカに出現し、隕石からパワードテレスドンを操る地底人の「太陽の民」を救ったと言われるウルトラマン。詳細は不明。}}
|-
|M78星雲人 || {{efn|パワードを迎えに2体が飛来した。赤い球体の姿のままであり、詳細は不明。}}
|}
== ウルトラマンネオス ==
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
!ウルトラマン名 !! 出身 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 憑依した人間 !! 変身した人間 !! 備考
|-
|colspan="7" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンネオス]]』
|-
|'''[[ウルトラマンネオス]]''' || M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星) || マグニウム光線<br />ネオマグニウム光線<br />ネオ・スラッシュ<br />ウルトラ・エディビーム || エストレーラー || 神楽 元気<br />(カグラ・ゲンキ)|| 神楽 元気<br />(カグラ・ゲンキ)||
|-
|'''[[ウルトラマンネオス#ウルトラセブン21|ウルトラセブン21]]''' ||M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星) || レジアショット<br />アドリウム光線<br />ヴェルザード || なし<br />(企画:アコライザー) ||なし||少女<br />剣持 慎也<br />ショーン・アンクル<br />宇佐美 将人<br />(特定の人間体はなく、劇中では彼・彼女らに変身している)||
|}
== ウルトラマンティガ ==
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
!ウルトラマン名 !! タイプ !! 出身 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 変身者 !! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンティガ]]』
|-
|rowspan="8"|'''ウルトラマンティガ''' || [[ウルトラマンティガ#マルチ|マルチタイプ]] || rowspan="8"| 不詳<br />(超古代文明) || ゼペリオン光線<br />ティガスライサー<br />TDスペシャル<br />(ダイナフラッシュタイプとの合体技) ||rowspan="5"| スパークレンス<br />青銅のスパークレンス<br />(青銅の神器)<br />(ビデオ版) ||rowspan="3"| マドカ・ダイゴ<br />マドカ・ツバサ{{efn|name="tiga-ov"}}<br />アムイ{{efn|name="tiga-ov"}}<br />ススムのソフビ人形{{efn|劇場版『[[ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち]]』で、人々の奇跡(希望)の光によって実体化した。}}<br />玉城 ユウト{{efn|『[[ウルトラマンX#映画|劇場版 ウルトラマンX きたぞ!われらのウルトラマン]]』にて登場。ウルトラマンティガ(ティガダークなどの形態時にも)は超古代にも変身者がいたが、未登場のために詳細は不明。}}||
|-
|[[ウルトラマンティガ#スカイ|スカイタイプ]] || ランバルト光弾<br />ティガフリーザー ||
|-
|[[ウルトラマンティガ#パワー|パワータイプ]] || デラシウム光流<br />ウルトラヘッドクラッシャー ||
|-
|[[ウルトラマンティガ#グリッター|グリッターティガ]] ||グリッターゼペリオン光線<br />タイマーフラッシュスペシャル<br />ゼラデスビーム ||rowspan="5"| マドカ・ダイゴ||{{efn|最終回では邪神ガダノゾーアの手で石像となったティガにヤナセ・レナとウクライナの少女カチュアなど世界中の子供たち(主に日本人)が光となってティガになり、復活した瞬間だけ金色に輝いているが、戦闘時は120メートルというサイズ以外はマルチタイプとまったく同じ外見である。劇場版『[[ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY]]』では闇黒魔超獣デモンゾーアに敗れ、力尽きたティガが超古代の巨人たちの光で復活し、全身が常に金色に輝いている。}}
|-
|グリッターバージョン||ウルトラスペリオル<br />スペリオルマイスフラッシャー<br />エクセレント・リフレクション<br />(以下3点は8兄弟合体技)|| {{efn|name="8kyoudai"}}
|-
|[[ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY#ティガダーク|ティガダーク]] || ダークナックル<br />ダークキック<br />ダークパンチ ||rowspan="3"| ブラックスパークレンス<br />(劇場版)||
|-
|[[ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY#ティガトルネード|ティガトルネード]] || トルネードキック<br />デラシウム光流 ||
|-
|[[ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY#ティガブラスト|ティガブラスト]] || スカイチョップ<br />ブラストキック<br />ランバルト光弾 ||
|-
|ティガのピラミッドの巨人 ||colspan="5"| 不詳 || {{efn|ウルトラマンティガと共にティガのピラミッドで眠っていた2体の巨人。巨人像の姿のままで破壊されたため、詳細不明。ティガがタイプチェンジ能力を持ったのはこの2体の巨人の力が宿ったためとされる。彼らの残骸である砂塵「アーク」は研究資料としてTPCに回収され、後にマサキ・ケイゴ(イーヴィルティガ)の研究やF計画(人造ウルトラマン計画)で重要な役割を果たした。}}
|-
|ルルイエの遺跡の巨人たち ||colspan="5"| 不詳 || {{efn|互いに争い合い滅んだ超古代の巨人たち。スーツはすべてダイナ3タイプの顔や身体に手を加えたもので、ティガのプロテクターを肩や脇腹、腰に張り付けて差別化している。劇場版『ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY』で一度は力が尽きかけたティガに光を与えた(崩壊した石像にはグレート、パワード、アグル、アストラ、ウルトラの母、テラノイド、Aなどに似た石像がある)。}}
|}
== ウルトラマンダイナ ==
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
!ウルトラマン名 !! タイプ !! 出身 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 変身者 !! 備考
|-
|colspan="7" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンダイナ]]』
|-
|rowspan="4"| '''ウルトラマンダイナ''' || [[ウルトラマンダイナ#タイプチェンジ|フラッシュタイプ]] || rowspan="8"| ネオフロンティアスペース・地球<br />(ウルトラマンへ進化した元地球人){{efn|小説『ウルトラマンダイナ 未来へのゼロドライブ』にて、ダイナの正体はアスカ・カズマがウルトラマンに進化した存在であることが判明した。}}|| ソルジェント光線<br />フラッシュサイクラー<br />TDスペシャル<br />(ティガマルチタイプとの合体技) ||rowspan="4"| リーフラッシャー ||rowspan="4"| アスカ・シン ||
|-
|[[ウルトラマンダイナ#タイプチェンジ|ミラクルタイプ]] || レボリウムウェーブ ||
|-
|[[ウルトラマンダイナ#タイプチェンジ|ストロングタイプ]] || ガルネイトボンバー<br />バルカンスウィング ||
|-
|グリッターバージョン||ウルトラスペリオル<br />スペリオルマイスフラッシャー<br />エクセレント・リフレクション<br />(以下3点は8兄弟合体技)|| {{efn|name="8kyoudai"}}
|}
== ウルトラマンガイア ==
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
!ウルトラマン名 !! 形態 !! 出身 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 変身者 !! 備考
|-
|colspan="7" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンガイア]]』
|-
|rowspan="5"|'''[[ウルトラマンガイア#ウルトラマンガイア|ウルトラマンガイア]]''' || || rowspan="8"| 地球<br />(ただし、両者とも宇宙が起源)|| フォトンエッジ<br />クァンタムストリーム ||rowspan="5"| エスプレンダー<br />光電管カートリッジ<br />(第1・2話)<br />||rowspan="5"| 高山 我夢||
|-
|[[ウルトラマンガイア#ウルトラマンガイアV2|V2]] || 旧ガイア・旧アグルの技は全て使用可能||
|-
|[[ウルトラマンガイア#ウルトラマンガイアSV(スプリーム・ヴァージョン)|SV(スプリーム・ヴァージョン)]] || フォトンストリーム<br />シャイニングブレード<br />バーストストリーム<br />(アグルV2との合体技) ||
|-
|グリッターバージョン||ウルトラスペリオル<br />スペリオルマイスフラッシャー<br />エクセレント・リフレクション<br />(以下3点は8兄弟合体技) ||{{efn|name="8kyoudai"}}
|-
|SSV(スーパー・スプリーム・ヴァージョン) || || {{efn|『ウルトラヒーローズEXPO2023 サマーフェスティバル』に登場。ウルトラマンガイアSVとウルトラマンアグルSVが一体化した姿。}}
|-
|rowspan="3"|'''[[ウルトラマンガイア#ウルトラマンアグル|ウルトラマンアグル]]'''|| || フォトンクラッシャー<br />リキデイター<br />アグルブレード||rowspan="3"|アグレイター||rowspan="3"|藤宮 博也 ||
|-
|[[ウルトラマンガイア#ウルトラマンアグルV2|V2]] ||アグルセイバー<br />フォトンスクリュー<br />アグルストリーム<br />バーストストリーム<br />(ガイアSVとの合体技)||
|-
|SV(スプリーム・ヴァージョン) || || {{efn|『ウルトラヒーローズEXPO2021 サマーフェスティバル』に登場。}}
|}
== ウルトラマンコスモス ==
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
!ウルトラマン名 !! 形態 !! 出身 !! 主な必殺技(得意技) !! 変身器具 !! 憑依した人間 !! 変身した人間 !! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンコスモス]]』
|-
|rowspan="7"|'''[[ウルトラマンコスモス]]''' || [[ウルトラマンコスモス#ルナモード|ルナモード]] || rowspan="9"| 不詳<br />(宇宙) || フルムーンレクト<br />ルナエキストラクト<br />ルナストラック(ルナストライク) ||rowspan="5"| コスモプラック<br />(輝石が変化したもの)<br />輝石<br />(劇場版2・3)||rowspan="5"| 春野 ムサシ<br />(旧姓名:五十畑 ムサシ)||rowspan="6"|春野 ムサシ<br />(旧姓名:五十畑 ムサシ)||
|-
|[[ウルトラマンコスモス#コロナモード|コロナモード]]|| ブレージングウェーブ<br />ネイバスター光線 ||
|-
|[[ウルトラマンコスモス#エクリプスモード|エクリプスモード]]||コズミューム光線<br />エクリプスブレード||
|-
|[[ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE#フューチャーモード|フューチャーモード]]||コスモストライク<br />クロスパーフェクション<br />(ジャスティスクラッシャーモードとの合体技)||
|-
|[[ウルトラマンコスモス#ミラクルナモード|ミラクルナモード]]||ルナファイナル{{efn|name="switch"}}||
|-
|[[ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET#スペースコロナモード|スペースコロナモード]]||オーバーループ光線<br />スペースコロナパンチ||rowspan="2"|なし||rowspan="2"|なし||
|-
|[[ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET#スケルトンコロナモード|スケルトンコロナモード]]<br />(ファントムコスモス)||スケルトンキック<br />スケルトンパンチ<br />スケルトンスピンキック|| なし||{{efn|劇場版『[[ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET]]』で春野ムサシが見た、ウルトラマンコスモスの実在しない幻影。}}
|-
|rowspan="2"|'''[[ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET#ウルトラマンジャスティス|ウルトラマンジャスティス]]'''||[[ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET#スタンダードモード|スタンダードモード]]||ビクトリューム光線<br />ライトエフェクター||rowspan="2"|ジャストランサー||rowspan="2"|なし||rowspan="2"|ジュリ||
|-
|[[ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET#本作品以降に登場する形態|クラッシャーモード]]||ダグリューム光線<br />クロスパーフェクション<br />(コスモスフューチャーモードとの合体技)||
|-
|'''[[ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE#ウルトラマンレジェンド|ウルトラマンレジェンド]]'''|| ||なし||スパークレジェンド<br />オーロラルパワー||なし||春野 ムサシ<br />(旧姓名:五十畑 ムサシ)<br />&<br />ジュリ||なし||{{efn|ウルトラマンコスモスとウルトラマンジャスティスが一体化した姿。}}
|}
== ULTRA N PROJECT ==
本項目のウルトラマンは同一人物である。
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
! ウルトラマン名 !! 形態 !! 出身 !! 使用武器・道具 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! デュナミスト(適能者) !! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンネクサス]]』
|-
|rowspan="3"| '''[[ウルトラマンネクサス#ウルトラマンネクサス|ウルトラマンネクサス]]''' || アンファンス|| rowspan="3"| 不詳<br />(宇宙) ||rowspan="3"| ブラストショット<br />ストーンフリューゲル<br />(デュナミスト(適能者)専用)|| クロスレイ・シュトローム<br />セービングビュート<br />パーティクル・フェザー ||rowspan="3"| エボルトラスター || 姫矢 准<br />↓<br />千樹 憐<br />↓<br />西条 凪<br />↓<br />孤門 一輝<br />橘 さゆり {{efn|name="UltramanX"}} ||{{efn|西条凪だけは、「ジュネッス」が不明である(石堀光彦に光を奪われる直前しか変身していないため)。なお、凪に関してはピクトリアルにおいて「闇に取り込まれ、ダークザギ(その時点では脚本上の設定が異なる模様)に変身する」という旧設定が存在することが記されている。}}
|-
| ジュネッス || オーバーレイ・シュトローム<br />コアインパルス<br />フェーズシフトウエーブ(メタフィールド) || 姫矢 准<br />↓<br />孤門 一輝<br />橘 さゆり {{efn|name="UltramanX"}} ||
|-
| ジュネッスブルー || アローレイ・シュトローム<br />シュトロームソード<br />オーバーアローレイ・シュトローム<br />フェーズシフトウエーブ(メタフィールド)|| 千樹 憐<br />↓<br />孤門 一輝 ||
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンノア]]』
|-
| '''[[ウルトラマンノア]]''' || || 不詳<br />(宇宙) || || ライトニング・ノア<br />ノア・インフェルノ<br />ノア・ザ・ファイナル<br />ディメンション・ノア<br />ウルティメイト・ノア || エボルトラスター<br />(テレビ版) || 孤門 一輝<br />&<br />西条 凪(小説版){{efn|小説『再臨 -ドリームス-』では孤門一輝と西条凪が合体変身する設定。}}||{{efn|雑誌展開と異なり、テレビではウルトラマンネクサスの最終形態となっている。雑誌展開ではデュナミスト(適能者)が登場していない。}}
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ULTRAMAN (映画)|ULTRAMAN]]』
|-
|rowspan="2"| '''[[ULTRAMAN (映画)#ウルトラマン・ザ・ネクスト|ウルトラマン・ザ・ネクスト]]''' || アンファンス || rowspan="2"| 不詳<br />(宇宙) ||rowspan="2"| || エルボーカッター<br />カッター光線 ||rowspan="2"| なし ||rowspan="2"| 真木 舜一||
|-
| ジュネッス || ラムダ・スラッシャー<br />エボルレイ・シュトローム||
|}
== ウルトラマンマックス ==
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
!ウルトラマン名 !! 出身 !! 使用武器・道具 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 憑依した人間 !! 変身した人間 !! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンマックス]]』
|-
|'''[[ウルトラマンマックス]]''' || M78星雲・ウルトラの星 ||マックスギャラクシー ||マクシウムカノン<br />マクシウムソード<br />ギャラクシーカノン<br />ギャラクシーソード<br />(以下2点はマックスギャラクシーでの技) || マックススパーク || トウマ・カイト<br />(本人)<br />蓮沼 征夫{{efn|『ウルトラマンマックス』第22話。}} || トウマ・カイト<br />(擬態){{efn|『ウルトラマンX』第8話。}} ||
|-
|'''[[ウルトラマンマックス#ウルトラマンゼノン|ウルトラマンゼノン]]''' || M78星雲・ウルトラの星 ||マックスギャラクシー{{efn|name="tdc"}}||ゼノニウムカノン<br />ゼノンパンチ<br />ゼノンキック || なし || なし ||なし||
|-
|ノアの神 ||colspan="6"|不明 || {{efn|4000年前に滅びた中央アジアの王国「バラージ」の遺跡で眠っていた「バラージの青い石」を持つ石像に残されたウルトラマン。姿は初代ウルトラマンではなくウルトラマンマックスに似た姿である。}}
|}
== ウルトラマンメビウス ==
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
!ウルトラマン名 !! 形態 !! 出身 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 憑依した人間 !! 変身した人間 !! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンメビウス]]』
|-
|rowspan="6"|'''[[ウルトラマンメビウス]]''' || || rowspan="8"| M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星) || メビュームシュート<br />メビュームブレード<br />ライトニングカウンター・ゼロ ||メビウスブレス||rowspan="6"|なし||rowspan="6"|ヒビノ・ミライ{{efn|メビウス自身が地球人'''バン・ヒロト'''をモデルに変身した。}} ||
|-
|[[ウルトラマンメビウス#メビウスブレイブ|メビウスブレイブ]]|| メビュームナイトブレード<br />ブレードオーバーロード ||ナイトメビウスブレス{{efn|メビウスブレスとナイトブレスを合体させた変身器具。}}||
|-
|[[ウルトラマンメビウス#メビウスバーニングブレイブ|メビウスバーニングブレイブ]]||メビュームバースト<br />バーニングメビュームダイナマイト||rowspan="4"| メビウスブレス||
|-
|[[ウルトラマンメビウス#メビウスフェニックスブレイブ|メビウスフェニックスブレイブ]]||メビュームナイトシュート<br />メビュームフェニックス||{{efn|メビウスとヒカリとCREW GUYS隊員(アイハラ・リュウ、カザマ・マリナ、イカルガ・ジョージ、アマガイ・コノミ、クゼ・テッペイ)が合体した姿。}}
|-
|[[ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟#メビウスインフィニティー|メビウスインフィニティー]]||コスモミラクルアタック||{{efn|メビウスとウルトラ6兄弟([[ゾフィー (ウルトラシリーズ)|ゾフィー]]、[[ウルトラマン#ウルトラマン|ウルトラマン]]、[[ウルトラセブン (キャラクター)|セブン]]、[[帰ってきたウルトラマン#帰ってきたウルトラマン(ウルトラマンジャック)|ジャック]]、[[ウルトラマンA#ウルトラマンA|エース]]、[[ウルトラマンタロウ#ウルトラマンタロウ|タロウ]])が合体した姿。}}
|-
|グリッターバージョン||ウルトラスペリオル<br />スペリオルマイスフラッシャー<br />エクセレント・リフレクション<br />(以下3点は8兄弟合体技)|| {{efn|name="8kyoudai"}}
|-
|rowspan="2"|'''[[ウルトラマンメビウス#ウルトラマンヒカリ / ハンターナイトツルギ|ウルトラマンヒカリ]]'''||||rowspan="2"|ナイトシュート<br />ナイトビームブレード<br />ホットロードシュート||rowspan="2"|ナイトブレス<br />+<br />ナイトブレード||rowspan="2"|セリザワ・カズヤ<br />アイハラ・リュウ ||rowspan="2"|なし||
|-
|[[ウルトラマンメビウス#ウルトラマンヒカリ / ハンターナイトツルギ|ハンターナイトツルギ]]||
|}
== ウルトラマンゼロ ==
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
! ウルトラマン名 !! 形態 !! 出身 !! 使用武器・道具 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 憑依した人間 !! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンゼロ]]』
|-
|rowspan="14"| '''ウルトラマンゼロ''' || || rowspan="14"| M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星) || ゼロスラッガー<br />ゼロツインソード(ゼロスラッガーを合体させた物)<br />ウルトラゼロブレスレット<br />ウルティメイトブレスレット<br />ウルトラゼロマント<br />ウルトラゼットライザー|| ゼロスラッガーアタック<br />エメリウムスラッシュ<br />ワイドゼロショット<br />ゼロツインシュート<br />ウルトラゼロランス(ウルトラゼロブレスレット、ウルティメイトブレスレットでの技) ||rowspan="9"| ウルトラゼロアイ<br />ウルトラゼロアイNEO ||rowspan="14"| ラン{{efn|『[[ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国]]』にて登場。}}<br />タイガ・ノゾム{{efn|『ウルトラマンサーガ』にて登場。}}<br />伊賀栗 レイト<br />(伊賀栗 令人){{efn|『[[ウルトラマンジード]]』にて登場。}}<br />モロボシ・シン<br />(同名の3人の別人物){{efn|『[[ウルトラマンプレミアステージ#2011年|ウルトラマンプレミア2011]]』にて同名の3人の違う姿の変身者がいる。}}||
|-
| ウルトラマンゼロ#ウルティメイトゼロ|ウルティメイトゼロ ||ウルティメイトイージス(バラージの盾が変形した鎧)→ウルティメイトブレスレット|| ウルティメイトゼロソード<br />ファイナルウルティメイトゼロ<br />ファイナルウルティメイトゼロ・トリニティ(ダイナ、コスモスとの合体技) ||
|-
| ウルティメイトゼロ(ストロングコロナ) ||colspan="2" rowspan="4" |なし ||{{efn|『ウルトラヒーローバトル劇場 第18弾』にて、ストロングコロナの状態でウルティメイトゼロになった姿。}}
|-
| [[ウルトラマンゼロ#テクターギア・ゼロ|テクターギア・ゼロ]]||
|-
| [[ウルトラマンゼロ#テクターギア・ヘイトリッド|テクターギア・ヘイトリッド]]||{{efn|『ウルトラゼロファイト 第1部「新たなる力」』にて、触角宇宙人バット星人グラシエによって恨みのテクターギアを装着させられた姿。}}
|-
|テクターギアブラック||{{efn|『ウルトラヒーローバトル劇場 第15弾』にて、ベリアルによってテクターギアブラックを装着させられた姿。}}
|-
| [[ウルトラマンゼロ#ストロングコロナゼロ|ストロングコロナゼロ]]||rowspan="3" | ||ガルネイドバスター<br />ウルトラハリケーン||
|-
| [[ウルトラマンゼロ#ルナミラクルゼロ|ルナミラクルゼロ]]||ミラクルゼロスラッガー<br />フルムーンフェーブ<br />レボリウムスマッシュ<br />パーティクルナミラクル||
|-
| [[ウルトラマンゼロ#シャイニングウルトラマンゼロ|シャイニングウルトラマンゼロ]]||シャイニングエメリウムスラッシュ<br />シャイニングワイドゼロショット<br />シャイニングスタードライブ||
|-
| [[ウルトラマンゼロ#ウルトラマンゼロ ビヨンド|ウルトラマンゼロ ビヨンド]]||rowspan="2" | クワトロスラッガー<br />ビヨンドツインエッジ||rowspan="2"|バルキーコーラス<br />ワイドビヨンドショット<br />ツインギガブレイク||rowspan="2" | ウルトラゼロアイNEO<br />+<br />ジードライザー<br />+<br />ニュージェネレーションカプセルα・β||
|-
| [[ウルトラマンゼロ#ウルトラマンゼロ ビヨンド(ギャラクシーグリッター)|ウルトラマンゼロ ビヨンド(ギャラクシーグリッター)]]||{{efn|ギンガ、ビクトリー、エックス、オーブのエネルギーが直接供給されたニュージェネレーションカプセルでネオ・フュージョンライズした姿。}}
|-
| [[ウルトラマンゼロ#グランセイバードゼロ|グランセイバードゼロ]]||||ディファレーションカッター||ウルトラゼットライザー<br />+<br />ウルトラアクセスカード レイトVer.<br />+<br />ウルトラマンメダル<br />+<br />セブンメダル<br />+<br />エースメダル||{{efn|name="dcd"}}
|-
| [[ウルトラマンゼロ#ウルティメイトシャイニングウルトラマンゼロ|ウルティメイトシャイニングウルトラマンゼロ]] ||ウルティメイトイージス||USワイドゼロショット||||
|-
| [[ウルトラマンゼロ#ワイルドバースト|ワイルドバースト]] ||||||||
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンサーガ]]』
|-
| '''[[ウルトラマンサーガ#ウルトラマンサーガ|ウルトラマンサーガ]]''' ||なし||なし||サーガブレス{{efn|ウルティメイトブレスレットが変形した姿。}} || サーガマキシマム<br />サーガプラズマー || サーガブレス ||タイガ・ノゾム<br />&<br />春野 ムサシ<br />(旧姓名:五十畑 ムサシ)<br />&<br />アスカ・シン||{{efn|ウルトラマンゼロとウルトラマンダイナとウルトラマンコスモスが一体化した姿。}}
|}
== 大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE ==
宇宙警備隊候補生や光の国の一般市民たち。体色で示すレッド族とブルー族、シルバー族で構成される。
{|class="wikitable"
!ウルトラマン名 !! 出身 !! 使用武器・道具 !! 主な必殺技 !! 備考
|-
|宇宙警備隊隊員・候補生 ||rowspan="3"| M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星)||ウルトラブレスレット ||ウルトラランス ||
|-
|光の国の市民 || || ||
|-
|ウルトラベビー || || ||
|}
== ウルトラマンギンガ ==
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
! ウルトラマン名 !! 形態 !! 出身 !! 使用武器・道具 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 変身者 !! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンギンガ]]』
|-
| rowspan="2" | '''[[ウルトラマンギンガ#ウルトラマンギンガ|ウルトラマンギンガ]]''' || || rowspan="2"|未来の時間を持つ世界<br />(ただし、ビクトリーと共に宇宙が起源) || ギンガスパークランス || ギンガクロスシュート<br />ギンガサンダーボルト<br />ギンガファイヤーボール<br />ギンガセイバー<br />ギンガコンフォート<br />ギンガスラッシュ<br />ギンガサンシャイン<br />ギンガエスペシャリー || ギンガスパーク{{efn|この変身器具はスパークドールズ化した怪獣や魂を持たないウルトラ戦士にも変身可能である。}}/ライブパッド<br />+<br />スパークドールズ「ウルトラマンギンガ」||rowspan="2"| 礼堂 ヒカル{{efn|スーパーグランドキング(SD)に変身(ダークライブ)した石動美鈴を救出する際、彼女がヒカルと共に一体化している。}}||
|-
| [[ウルトラマンギンガS#ウルトラマンギンガストリウム|ギンガストリウム]] ||ストリウムブレス{{efn|ウルトラマンギンガではなく、変身者の礼堂ヒカルが使用する。ウルトラマンタロウ(SD)が変化したアイテム。}}|| コスモミラクルエスペシャリー<br />コスモミラクル光線<br />ウルトラ6兄弟(ゾフィー〜タロウ)の代表的な光線技{{efn|ストリウム光線、M87光線、スペシウム光線、ワイドショット、ウルトラショット、メタリウム光線など。}} || ギンガスパーク<br />+<br />ストリウムブレス||
|-
| ウルトラマンタロウ<br />(SD)<br />(SDI) || ||M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星)||なし ||ストリウム光線 || ライブパッド(SDI)<br />+<br />スパークドールズ「ウルトラマンタロウ」 || 石動 美鈴<br />(SDIのみ) ||{{efn|ウルトラマンタロウ(SD)は魂を持つので変身者はなく、降星小学校の卒業生たちが生み出した複数のギンガライトスパークの力で実体化した姿。}}
|-
| ウルトラマンティガ<br />(SD)<br />(SDI)|| マルチタイプ ||不詳<br />(超古代文明)||なし || ゼペリオン光線|| ギンガライトスパーク(健太) / ギンガスパーク(ヒカル) / ライブパッド(SDI)<br />+<br />スパークドールズ「ウルトラマンティガ」 ||渡会 健太<br />礼堂 ヒカル<br />(ヒカルはSDのみ)||
|-
| ウルトラマン<br />(SD)<br />(SDI)|| ||M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星)||なし || スペシウム光線|| ギンガライトスパーク(SD) / ライブパッド(SDI)<br />+<br />スパークドールズ「ウルトラマン」
||久野 千草||
|-
| ウルトラセブン<br />(SD)<br />(SDI)|| ||M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星)||アイスラッガー || エメリウム光線<br />ワイドショット|| ギンガライトスパーク(SD) / ライブパッド(SDI)<br />+<br />スパークドールズ「ウルトラセブン」 ||石動 誠一郎<br />(SD)<br />一条寺 友也<br />(SDI) ||
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンギンガS]]』
|-
|rowspan="2"| '''[[ウルトラマンギンガS#ウルトラマンビクトリー|ウルトラマンビクトリー]]''' || || rowspan="2"|地底<br />(ただし、ギンガと共に宇宙が起源) || EXレッドキングナックル<br />エレキングテイル<br />キングジョーランチャー<br />グドンウィップ<br />サドラシザーズ<br />シェパードンセイバー<br />ハイパーゼットンシザーズ<br >タッコングファイヤーボール<br />バルタンセンジュカノン || ビクトリウムシュート<br />ビクトリウムスラッシュ<br />ビクトリウムエスペシャリー<br />ビクトリウムバーン ||ビクトリーランサー{{efn|この変身器具は怪獣のスパークドールズをライブすると「ウルトランス」という怪獣の一部を模した武器になる。}}<br />+<br />スパークドールズ「ウルトラマンビクトリー」||rowspan="2"| ショウ||
|-
| [[劇場版 ウルトラマンギンガS 決戦!ウルトラ10勇士!!#ウルトラマンビクトリーナイト|ビクトリーナイト]] ||ナイトティンバー|| ナイトビクトリウムフラッシュ<br />ナイトビクトリウムブレイク<br />ナイトビクトリウムシュート ||ビクトリーランサー<br />+<br />ナイトティンバー||
|-
| '''[[劇場版 ウルトラマンギンガS 決戦!ウルトラ10勇士!!#ウルトラマンギンガビクトリー|ウルトラマンギンガビクトリー]]'''|| || ||ウルトラフュージョンブレス{{efn|ウルトラマンギンガビクトリーではなく、変身者の礼堂ヒカル、ショウが使用する。}}<br />ハイパーゼットンシザーズ<br />シェパードンセイバー||ウルトラフュージョンシュート<br />ティガ、ダイナ、ガイア、コスモス、ネクサス、マックス、メビウス、ゼロの代表的な光線技{{efn|ゼペリオン光線、ソルジェント光線、フォトンエッジ、メビュームシュート、ワイドゼロショットなど。}}||ウルトラフュージョンブレス<br />+<br />ビクトリーランサー||礼堂 ヒカル<br />&<br />ショウ||{{efn|ヒカルとショウの心が一つになった時に誕生する新たなウルトラマン。ウルトラマンギンガとウルトラマンビクトリーが一体化した姿である。}}
|}
== ウルトラマンX ==
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
! ウルトラマン名 !! 形態 !! 出身 !! 使用武器・道具 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 憑依した人間/変身者!! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンX]]』
|-
|rowspan="11"| '''ウルトラマンエックス''' || || rowspan="11"| 不詳<br />(宇宙) || マックスギャラクシー{{efn|ウルトラマンマックスから与えられたサイバーカードによる疑似召喚。}}<br />アームドネクサス{{efn|ウルトラヒーロー クリスマスファミリーブッフェ 2015ではウルトラマンネクサスのサイバーカードを使って装備している。}}|| ザナディウム光線<br />ピュリファイウェーブ<br />Xスラッシュ
アタッカーX<br />Xダブルスラッシュ<br />ギャラクシーカノン(マックスギャラクシーの技
| エクスデバイザー{{efn|この変身器具はサイバーカードで怪獣やウルトラマンの鎧を纏うモンスアーマー、サイバーアーマーの能力がある。}}<br />+<br />スパークドールズ「ウルトラマンエックス」|| rowspan="11" | 大空 大地||
|-
| ゴモラアーマー ||rowspan="7"| || ゴモラ振動波 || エクスデバイザー<br />+<br />サイバーカード「サイバーゴモラ」||
|-
| エレキングアーマー|| エレキング電撃波 || エクスデバイザー<br />+<br />サイバーカード「サイバーエレキング」||
|-
| ウルトラマンゼロアーマー|| ソードレイ・クロス・ゼロ<br />ファイナルウルティメイトゼロ || エクスデバイザー<br />+<br />サイバーカード「ウルティメイトゼロ」||
|-
| ベムスターアーマー|| ベムスタースパウト || エクスデバイザー<br />+<br />サイバーカード「サイバーベムスター」||
|-
| ゼットンアーマー|| ゼットントルネード<br />ゼットン火炎弾 || エクスデバイザー<br />+<br />サイバーカード「サイバーゼットン」||
|-
| スケドンアーマー|| ブレードスペシャルビーム || エクスデバイザー<br />+<br />サイバーカード「サイバースケドン」||rowspan="2"|{{efn|『ウルトラマンフェスティバル2015』に登場。 }}
|-
| デンパゴンアーマー|| サンダークラッシュ|| エクスデバイザー<br />+<br />サイバーカード「サイバーデンパゴン」
|-
| ハイブリッドアーマー ||rowspan="2"| エクスラッガー || ウルティメイトザナディウム || エクスデバイザー<br />+<br />サイバーカード「サイバーゴモラ」<br />+<br />サイバーカード「サイバーエレキング」<br />+<br />サイバーカード「サイバーベムスター」<br />+<br />サイバーカード「サイバーゼットン」||
|-
| [[ウルトラマンX#ウルトラマンエクシードX|エクシードX]]|| エクシードエクスラッシュ<br />エクシードスラッシュ<br />エクシードイリュージョン<br />エクスラッガーショット || エクスデバイザー<br />+<br />スパークドールズ「ウルトラマンエクシードエックス」<br />↓<br />エクスラッガー ||
|-
| エクシードX ベータスパークアーマー||ベータスパーク(ソードモード)<br />ベータスパーク(アローモード) ||ベータスパークソード<br />ベータスパークアロー<br />ベータスパークブラスター || エクスデバイザー<br />+<br />サイバーカード「ウルトラマン」<br />+<br />サイバーカード「ウルトラマンティガ」<br />↓<br />ベータスパーク<br />(エクスベータカプセル+エクスパークレンス)||
|}
== ウルトラマンオーブ ==
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
! ウルトラマン名 !! 形態 !! 出身 !! 使用武器・道具 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 変身した人間/変身者!! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンオーブ]]』
|-
|rowspan="25"| '''ウルトラマンオーブ''' || オリジン・ザ・ファースト || rowspan="25"| 惑星O-50 ||rowspan="2"| オーブカリバー || オリジウム光線 || オーブカリバー || rowspan="25"|クレナイ・ガイ<br />(ガイ)||
|-
| オーブオリジン || オーブスプリームカリバー<br />オーブグランドカリバー<br />オーブフレイムカリバー<br />オーブウォーターカリバー<br />オーブウインドカリバー<br />オリジウム光線 || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンオーブオリジン」<br />↓<br />オーブリング<br />+<br />オーブカリバー ||
|-
| スペシウムゼペリオン || || スペリオン光線<br />スペリオン光輪<br />スペリオンスラッシュ<br />オーブ水流 || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマン」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンティガ(マルチタイプ)」 ||
|-
| バーンマイト || || ストビュームダイナマイト<br />ストビュームバースト<br />ストビューム光線 || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンメビウス」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンタロウ」 ||
|-
| ハリケーンスラッシュ || オーブスラッガーランス || オーブランサーシュート<br />ビッグバンスラスト<br />トライデントスラッシュ<br />オーブスラッガーショット || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンジャック」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンゼロ」 ||
|-
| サンダーブレスター || || ゼットシウム光線<br />ゼットシウム光輪 || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ゾフィー」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンベリアル」 ||
|-
| オーブトリニティ || オーブスラッシャー <br /> EXレッドキングナックル <br /> ゴモラアーマー ||トリニティウムシュート<br />トリニティウムブレイク<br />トリニティウム光輪 || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンギンガ」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンビクトリー」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンX」<br />↓<br />オーブスラッシャー ||
|-
| ライトニングアタッカー || || アタッカーギンガエックス || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンギンガ」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンX」||rowspan="2"|{{efn|初出は『ウルトラマン フュージョンファイト!』。}}
|-
| エメリウムスラッガー || || ワイドスラッガーショット<br />オーブスラッガーショット<br />超ウルトラノック戦法(ハイパーウルトラノック戦法)<br />トリプルエメリウム光線<br />ESスペシウム(エメリウムスラッガースペシウム) || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラセブン」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンゼロ」
|-
| フォトンビクトリウム || || フォトリウムナックル || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンガイア(V2)」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンビクトリー」 ||rowspan="14"|{{efn|name="dcd"}}
|-
| フルムーンザナディウム || || フルディウム光線 || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンコスモス(ルナモード)」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンX」
|-
| スカイダッシュマックス || マックストール || マクバルトアタック || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンティガ(スカイタイプ)」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンマックス」
|-
| ゼペリオンソルジェント || || マルチフラッシュスライサー|| オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンティガ(マルチタイプ)」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンダイナ(フラッシュタイプ)」
|-
| レオゼロナックル || || ナックルクロスビーム || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンレオ」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンゼロ」
|-
| サンダーミラクル || || サンダーミラクルアタック || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンベリアル」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンダイナ(ミラクルタイプ)」
|-
| スラッガーエース || バーチカルスラッガー || スラッガーエーススライサー || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラセブン」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンA」
|-
| ナイトリキデイター || ナイトアグルブレード || クラッシャーナイトリキデイター || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンアグル(V2)」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンヒカリ」
|-
| スペシウムシュトローム || || ウルトラフルバースト || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマン」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンネクサス(ジュネッス)」
|-
| パワーストロング || || ガルラシウムボンバー || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンティガ(パワータイプ)」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンダイナ(ストロングタイプ)」
|-
| サンダーストリーム || ギガトライデント || サンダーストリームネプチューン || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンアグル」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンベリアル」
|-
| メビュームエスペシャリー || || メビュースペシャリーブレード || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンメビウス」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンギンガ」
|-
| ブレスターナイト || || ナイト87シュート || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ゾフィー」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンヒカリ」
|-
| ストリウムギャラクシー || || ストキシムカノン || オーブリング<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンタロウ」<br />+<br />ウルトラフュージョンカード「ウルトラマンマックス」
|}
== ウルトラマンジード ==
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
! ウルトラマン名 !! 形態 !! 出身 !! 使用武器・道具 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 変身した人間/変身者!! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンジード]]』
|-
|rowspan="19"| '''ウルトラマンジード''' || ジード初期変身形態 ||rowspan="19"| サイドアース || || || ジードライザー || rowspan="19"|朝倉 リク<br />(朝倉 陸)|| {{efn|ジードライザーから放出されるエネルギーで初期変身を遂げた素体となる姿。カラータイマーの形状以外にウルトラマンベリアル(アーリースタイル)とほぼ差異はない。}}
|-
| プリミティブ || ジードクロー || レッキングバースト<br />クローカッティング<br />コークスクリュージャミング<br />ディフュージョンシャワー || ジードライザー<br />+<br />ウルトラマンカプセル<br />+<br />ベリアルカプセル ||
|-
| ソリッドバーニング || ジードスラッガー<br />ジードクロー ||ストライクブースト || ジードライザー<br />+<br />セブンカプセル<br />+<br />レオカプセル ||
|-
| アクロスマッシャー || ジードクロー ||アトモスインパクト || ジードライザー<br />+<br />コスモスカプセル<br />+<br />ヒカリカプセル ||
|-
| マグニフィセント ||ジードクロー || ビッグバスタウェイ || ジードライザー<br />+<br />ゼロカプセル<br />+<br />ウルトラの父カプセル ||
|-
| ロイヤルメガマスター || キングソード<br />ジードクロー<br />幻界魔剣ベリアロク{{efn|name="tdc"}}||バルカンスパークル<br />スウィングスパークル <br />ロイヤルエンド || ジードライザー<br />+<br />ベリアルカプセル<br />+<br />キングカプセル<br />↓<br />キングソード ||
|-
| ウルティメイトファイナル || ギガファイナライザー || ギガスラスト<br />ライザーレイビーム<br />クレセントファイナルジード<br />レッキングノバ || ジードライザー<br />+<br />ギガファイナライザー<br />+<br />エボリューションカプセル ||
|-
| シャイニングミスティック || || スペシウムスタードライヴ || ジードライザー<br />+<br />ウルトラマンカプセル<br />+<br />シャイニングウルトラマンゼロカプセル ||rowspan="10"|{{efn|name="dcd"}}
|-
| トライスラッガー || || リフレクトスラッガー || ジードライザー<br />+<br />オーブ エメリウムスラッガーカプセル<br />+<br />ベリアルカプセル
|-
| ムゲンクロッサー || ゼロツインソード・ネオ || マジカルトライデントスラッシュ || ジードライザー<br />+<br />ティガカプセル<br />+<br />ルナミラクルゼロカプセル
|-
| ブレイブチャレンジャー || || メビュームギガ光輪 || ジードライザー<br />+<br />メビウスカプセル<br />+<br />オーブ スペシウムゼベリオンカプセル
|-
| ファイヤーリーダー || || バーニングフロスト || ジードライザー<br />+<br />メビウスカプセル<br />+<br />ゾフィーカプセル
|-
| リーオーバーフィスト || || バーニングオーバーキック || ジードライザー<br />+<br />レオカプセル<br />+<br />アストラカプセル
|-
| マイティトレッカー || || フレイムコンプレッションウェーブ || ジードライザー<br />+<br />ダイナカプセル<br />+<br />コスモスカプセル
|-
| フォトンナイト || || ナイトストリーム || ジードライザー<br />+<br />ガイア(V2)カプセル<br />+<br />ヒカリカプセル
|-
| ダンディットトゥルース || || ブレイザーバニシング || ジードライザー<br />+<br />ウルトラの父カプセル<br />+<br />ベリアルカプセル
|-
| ノアクティブサクシード || ウルティメイトゼロソード || ソードレイ・オーバードライヴ || ジードライザー<br />+<br />ウルティメイトゼロカプセル<br />+<br />ネクサス ジュネッスカプセル
|-
| ギャラクシーライジング || ウルトラゼットライザー || レッキングフェニックス<br />ギャラクシーバースト || ウルトラゼットライザー<br />+<br />ウルトラアクセスカード リクVer.<br />+<br />ギンガメダル<br />+<br />エックスメダル<br />+<br />オーブメダル ||
|-
| テトライトクロス || ウルトラゼットライザー || ギガフィールドプレッシャー || ウルトラゼットライザー<br />+<br />ウルトラアクセスカード リクVer.<br />+<br />ジャックメダル<br />+<br />コスモスメダル<br />+<br />ネクサスメダル || {{efn|name="dcd"}}
|}
== ウルトラマンR/B(ルーブ) ==
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
! ウルトラマン名 !! 形態 !! 出身 !! 使用武器・道具 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 変身者!! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンR/B]]』
|-
|rowspan="4"| '''ウルトラマンロッソ''' || フレイム ||rowspan="11"| 惑星O-50 || rowspan="4" |ルーブスラッガーロッソ || フレイムスフィアシュート<br />クロススラッガー<br />フレイムアクアハイブリッドシュート<br />トリプルオリジウム光線<br />(クロススラッガー以降はブルアクアとの合体技) || ルーブジャイロ<br />+<br />タロウクリスタル || rowspan="4"|湊 カツミ<br />(湊 活海)<br />{{efn|name="R/B"}} || rowspan="4"|
|-
| アクア || スプラッシュ・ボム || ルーブジャイロ<br />+<br />ギンガクリスタル
|-
| ウインド || ハリケーンバレット<br />ファイヤートルネード(ブルフレイムとの合体技) || ルーブジャイロ<br />+<br />ティガクリスタル
|-
| グランド || グランドエクスプロージュン<br />|| ルーブジャイロ<br />+<br />ビクトリークリスタル
|-
|rowspan="4"| '''ウルトラマンブル''' || アクア || rowspan="4"|ルーブスラッガーブル || アクアストリューム<br />クロススラッガー<br />フレイムアクアハイブリッドシュート<br />トリプルオリジウム光線<br />(クロススラッガー以降はロッソフレイムとの合体技) || ルーブジャイロ<br />+<br />ギンガクリスタル || rowspan="4"|湊 イサミ<br />(湊 勇海)<br />{{efn|name="R/B"}}|| rowspan="4"|
|-
| フレイム || フレイムエクリクス<br />ファイヤートルネード(ロッソウインドとの合体技) || ルーブジャイロ<br />+<br />タロウクリスタル
|-
| ウインド || ストームシューティング || ルーブジャイロ<br />+<br />ティガクリスタル
|-
| グランド || アースブリンガー || ルーブジャイロ<br />+<br />ビクトリークリスタル
|-
| '''ウルトラマンルーブ'''|| || ルーブコウリン || ルーブボルテックバスター<br />ルーブコウリンショット<br />ルービウム光線 || ルーブジャイロ<br />+<br />キワミクリスタル || 湊 カツミ<br />(湊 活海) <br /> & <br /> 湊 イサミ<br /> (湊 勇海)||{{efn|ウルトラマンロッソとウルトラマンブルが一体化した姿。}}
|-
| ウルトラウーマングリージョ|| || || グリージョショット || ルーブジャイロ(美剣サキ(美剣沙姫)仕様) || 湊 アサヒ<br />(湊 朝陽){{efn|マコトクリスタルが人間として変化した存在。}}||{{efn|初変身時はグルジオレギーナから脱皮する形で誕生した。}}
|-
| '''ウルトラマングルーブ'''|| || ルーブコウリン || グルービング光線<br />グルーブボルテックバスター<br />グルーブコウリンショット || ルーブジャイロ<br />+<br />マコトクリスタル || 湊 カツミ<br />(湊 活海) <br /> & <br /> 湊 イサミ<br /> (湊 勇海)<br /> & <br />湊 アサヒ<br />(湊 朝陽)||{{efn|ウルトラマンロッソとウルトラマンブルとウルトラウーマングリージョが一体化した姿。}}
|}
== ウルトラマンタイガ ==
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
! ウルトラマン名 !! 形態 !! 出身 !! 使用武器・道具 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 憑依した人間/変身者!! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンタイガ]]』
|-
|rowspan="4"|'''ウルトラマンタイガ''' || ||rowspan="4"| M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星)||オーブレット<br />ロッソレット<br />ブルレット<br />{{efn|ウルトラマンタイガではなく、変身者の工藤ヒロユキ(工藤優幸)が使用する。}} || ストリウムブラスター ||タイガスパーク<br />+<br />タイガキーホルダー||rowspan="3"|工藤 ヒロユキ<br />(工藤 優幸) ||
|-
| フォトンアース || || オーラムストリウム || タイガスパーク<br />+<br />フォトンアースキーホルダー||
|-
| トライストリウム ||rowspan="2"| タイガトライブレード || トライストリウムバースト<br />クワトロスクワッドブラスター{{efn|タイガ、タイタス、フーマが工藤ヒロユキ(工藤優幸)に憑依していないと使用不可能。}} <br />タイガブラストアタック<br />タイタスバーニングハンマー<br />風真烈火斬 || タイガトライブレード||rowspan="2"|{{efn|タイガ、タイタス、フーマが合体した姿。}}
|-
| トライストリウムレインボー || レインボーストリウムバースト || ||
|-
|'''ウルトラマンタイタス''' || || ウルトラの星・U40 ||ジードレット<br />エックスレット<br />{{efn|ウルトラマンタイタスではなく、変身者の工藤ヒロユキ(工藤優幸)が使用する。}} || プラニウムバスター ||タイガスパーク<br />+<br />タイタスキーホルダー||rowspan="3"|工藤 ヒロユキ<br />(工藤 優幸) ||
|-
|'''ウルトラマンフーマ''' || || 惑星O-50 ||ギンガレット<br />ビクトリーレット<br />{{efn|ウルトラマンフーマではなく、変身者の工藤ヒロユキ(工藤優幸)が使用する。}} || 極星光波手裏剣 ||タイガスパーク<br />+<br />フーマキーホルダー||
|-
|'''ウルトラマンレイガ''' || || なし || ニュージェネレーションレット<br />{{efn|ウルトラマンレイガではなく、変身者の工藤ヒロユキ(工藤優幸)が使用する。}} || レイガ・アルティメットブラスター<br />レイガフォトンブロー<br />レイガプロテクション ||ニュージェネレーションアイ||{{efn|タイガ トライストリウム(タイガ、タイタス、フーマ)、ギンガビクトリー(ギンガ、ビクトリー)、X、オーブ、ジード、グルーブ(ロッソ、ブル、グリージョ)の計11人が一体化した姿。}}
|-
|フィリス || || M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星)||colspan="4" rowspan="4"| 不詳 ||rowspan="5"| {{efn|『トライスクワッド ボイスドラマ』に登場。}}
|-
|マティア || ||rowspan="3"| ウルトラの星・U40
|-
|グリゴレオス ||
|-
|ニックス ||
|-
|アンドロアレス |||| 不詳 || コスモマグナム || コスモノヴァ||colspan="2"| なし
|}
== ウルトラマンZ ==
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
! ウルトラマン名 !! 形態 !! 出身 !! 使用武器・道具 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 憑依した人間/変身者 !! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンZ]]』
|-
|rowspan="8"|'''ウルトラマンゼット''' ||オリジナル||rowspan="8"| M78星雲・光の国<br />(ウルトラの星)||rowspan="4"|ウルトラゼットライザー<br />ゼットランスアロー || ゼスティウム光線<br />ゼットスラッガー ||ウルトラゼットライザー<br />+<br />ウルトラアクセスカード ハルキVer.<br />GUTSスパークレンス<br />+<br />ウルトラマンゼット オリジナルキー||rowspan="6"|ナツカワ ハルキ<br />(夏川 遥輝)||
|-
| アルファエッジ || ゼスティウムメーザー || ウルトラゼットライザー<br />+<br />ウルトラアクセスカード ハルキVer.<br />+<br />ゼロメダル<br />+<br />セブンメダル<br />+<br />レオメダル<br />GUTSスパークレンス<br />+<br />ウルトラマンゼット アルファエッジキー||
|-
| ベータスマッシュ || ゼスティウムアッパー || ウルトラゼットライザー<br />+<br />ウルトラアクセスカード ハルキVer.<br />+<br />ウルトラマンメダル<br />+<br />エースメダル<br />+<br />タロウメダル<br />GUTSスパークレンス<br />+<br />ウルトラマンゼット ベータスマッシュキー ||
|-
| ガンマフューチャー || ゼスティウムドライブ || ウルトラゼットライザー<br />+<br />ウルトラアクセスカード ハルキVer.<br />+<br />ティガメダル<br />+<br />ダイナメダル<br />+<br />ガイアメダル<br />GUTSスパークレンス<br />+<br />ウルトラマンゼット ガンマフューチャーキー ||
|-
| デルタライズクロー ||幻界魔剣ベリアロク|| デスシウムクロー<br />デスシウムファング<br />デスシウムスラッシュ<br />ゼスティウム光輪 || ウルトラゼットライザー<br />+<br />ウルトラアクセスカード ハルキVer.<br />+<br />ゼロビヨンドライズメダル<br />+<br />ジードライズメダル<br />+<br />ベリアルアトロシアスライズメダル<br />GUTSスパークレンス<br />+<br />ウルトラマンゼット デルタライズクローキー ||
|-
| シグマブレスター || ||ゼスティウムレイバースト || ウルトラゼットライザー<br />+<br />ウルトラアクセスカード ハルキVer.<br />+<br />ゾフィーメダル<br />+<br />ティガメダル<br />+<br />メビウスメダル ||{{efn|name="dcd"}}
|-
| レッドダメージ || || ||ウルトラゼットライザー<br />+<br />ウルトラアクセスカード ハルキVer.||ナツカワ ハルキ<br />(夏川 遥輝)<br />(セレブロ寄生)||
|-
| デスシウムライズクロー ||幻界魔剣ベリアロク||ゼスティウムデスバースト||||||
|}
== ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA ==
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
! ウルトラマン名 !! 形態 !! 出身 !! 使用武器・道具 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 変身した人間/変身者 !! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA]]』
|-
| rowspan="5" |'''ウルトラマントリガー''' ||マルチタイプ|| rowspan="5" |不明|| サークルアームズ マルチソード<br />ウルトラデュアルソード トリガーモード || ゼペリオン光線<br />ゼペリオンソードフィニッシュ ||GUTSスパークレンス<br />+<br />ウルトラマントリガー マルチタイプキー||rowspan="5"|マナカ ケンゴ{{efn|トリガーの光の一部が人間として変化した存在である。}}||
|-
| パワータイプ || サークルアームズ パワークロー<br />ウルトラデュアルソード トリガーモード || デラシウム光流<br />デラシウムクローインパクト ||GUTSスパークレンス<br />+<br />ウルトラマントリガー パワータイプキー||
|-
| スカイタイプ || サークルアームズ スカイアロー<br />ウルトラデュアルソード トリガーモード || ランバルト光弾<br />ランバルトアローストライク ||GUTSスパークレンス<br />+<br />ウルトラマントリガー スカイタイプキー||
|-
| グリッタートリガーエタニティ || グリッターブレード || グリッターゼペリオン光線<br />エタニティゼラデス<br />エタニティボンバー<br />エタニティバニッシュ ||GUTSスパークレンス<br />+<br />グリッタートリガーエタニティキー||
|-
| トリガートゥルース || - || トゥルーゼペリオン光線<br />トゥルータイマーフラッシュ<br />トゥルーボンバーストライク ||GUTSスパークレンス<br />+<br />トリガートゥルースキー||
|}
== ウルトラマンデッカー ==
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
! ウルトラマン名 !! 形態 !! 出身 !! 使用武器・道具 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 変身した人間/変身者 !! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンデッカー]]』
|-
| rowspan="4" | '''ウルトラマンデッカー''' ||フラッシュタイプ|| rowspan="5" |なし{{efn|ウルトラマンダイナから与えられた光が変化したもの。}}|| rowspan="3" | ディメンションカード怪獣(ミクラス、アギラ、ウインダム)<br />ウルトラデュアルソード デッカーモード|| セルジェンド光線<br />スライサーショット ||ウルトラDフラッシャー<br />+<br />ウルトラディメンションカード(フラッシュタイプ)|| rowspan="3" |アスミ カナタ<br />デッカー・アスミ{{efn|『ウルトラマンデッカー』第14話。}}||
|-
| ストロングタイプ || ドルネイドブレイカー ||ウルトラDフラッシャー<br />+<br />ウルトラディメンションカード(ストロングタイプ)||
|-
| ミラクルタイプ || レアリュードウェーブ ||ウルトラDフラッシャー<br />+<br />ウルトラディメンションカード(ミラクルタイプ)||
|-
| ダイナミックタイプ || デッカーシールドカリバー<br />ウルトラデュアルソード デッカーモード || ダイミュード光線 ||ウルトラDフラッシャー<br />+<br />ウルトラディメンションカード(ダイナミックタイプ)|| アスミ カナタ ||
|-
| ウルトラマンディナス || || || ディナライズサンダー<br />ディナライズバーン ||ウルトラDフラッシャー<br />+<br />ウルトラディメンションカード(ウルトラマンディナス)|| ディナス ||
|}
== ウルトラマンブレーザー ==
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
! ウルトラマン名 !! 形態 !! 出身 !! 使用武器・道具 !! 主な必殺技 !! 変身器具 !! 憑依した人間/変身者 !! 備考
|-
|colspan="8" bgcolor="#ccffdd"|『[[ウルトラマンブレーザー]]』
|-
| rowspan="2" | '''ウルトラマンブレーザー''' || || rowspan="2" | M421 || チルソナイトソード || スパイラルバレード<br />レインボー光輪<br />イナズマラッシュ<br />ライデンズフィニッシュ<br />オーバーロード雷鳴斬 || ブレーザーブレス<br />+<br />ブレーザーストーン || rowspan="2" | ヒルマ ゲント<br />(比留間 弦人) ||
|-
| ファードランアーマー || チルソファードランサー || チルソファード炎竜ウェイブ<br />チルソファード炎竜射<br />チルソファード炎雷斬 || ブレーザーブレス<br />+<br />ファードランストーン ||
|}
== アニメ ==
=== ザ☆ウルトラマン ===
ウルトラマンジョーニアスは、アニメ作品だけではなく1979年の映画『[[ウルトラマン怪獣大決戦]]』、2002年の映画『[[新世紀ウルトラマン伝説]]』、『[[ウルトラギャラクシーファイト]]』に実写で登場し、他のウルトラ兄弟と並んで出演している。他プロダクション([[サンライズ (アニメ制作会社)|日本サンライズ]])との共同制作。
; [[ザ☆ウルトラマン#ウルトラマンジョーニアス|ウルトラマンジョーニアス]]
: 商品展開では「ウルトラマンJ(ウルトラマンジョー)」とも呼ばれる。劇中人物は「ウルトラマン」、U40側では「ジョーニアス」と呼称。
:* 出身:ウルトラの星・U40
:* 主な必殺技:プラニウム光線、アストロビーム、ロッキングスパーク
:* 変身器具:ビームフラッシャー
:* 人間体:(憑依)ヒカリ 超一郎、(変身)ジョーニアス
; [[ザ☆ウルトラマン#U40|ロト]]
:* 出身:ウルトラの星・U40
:* 主な必殺技:ロトラリア光線
:* 変身器具:なし
:* 人間体(変身):ロト
; [[ザ☆ウルトラマン#U40|エレク]]
:* 出身:ウルトラの星・U40
:* 主な必殺技:エレクリウムビーム
:* 変身器具:なし
:* 人間体(変身):エレク
; [[ザ☆ウルトラマン#U40|アミア]]
:* 出身:ウルトラの星・U40
:* 主な必殺技:アミアッシャー
:* 変身器具:なし
:* 人間体(変身):アミア
; [[ザ☆ウルトラマン#U40|U40 5大戦士]](メレグ、ノア、ミゲル他)
:* 出身:ウルトラの星・U40
=== ウルトラマンUSA ===
光の国シリーズの外伝的作品。他プロダクション(ハンナ・バーベラ・プロダクション)との共同制作。実写では2002年の映画『[[新世紀ウルトラマン伝説]]』、2022年の特撮Webドラマ『[[ウルトラギャラクシーファイト#『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』|ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突]]』で他のウルトラ兄弟や平成ウルトラマンと並んで出演している。
; [[ウルトラマンUSA#ウルトラマンスコット|ウルトラマンスコット]] (ULTRAMAN SCOTT)
:* 出身:M78星雲・アルタラ星
:* 必殺技:グラニウム光線、ウルトラスライサー、ウルトラ・シンクロビーム(チャック、ウーマンベスとの合体技)
:* 変身器具:なし
:* 人間体(憑依):スコット・マスターソン
; [[ウルトラマンUSA#ウルトラウーマンベス|ウルトラウーマンベス]] (ULTRAWOMAN BETH)
:* 出身:M78星雲・アルタラ星
:* 必殺技:グラニウム光線、ウルトラ・スパウト
:* 変身器具:なし
:* 人間体(憑依):ベス・オブライエン
; [[ウルトラマンUSA#ウルトラマンチャック|ウルトラマンチャック]] (ULTRAMAN CHUCK)
:* 出身:M78星雲・アルタラ星
:* 必殺技:グラニウム光線、ウルトラ・バブル・ビーム
:* 変身器具:なし
:* 人間体(憑依):チャック・ギャビン
=== ウルトラマンキッズ ===
; マー
:* 出身:M78星雲・キッズ星(M7.8星)
; セブ
:* 出身:M78星雲・キッズ星(M7.8星)
; ター
:* 出身:M78星雲・キッズ星(M7.8星)
; エス
:* 出身:M78星雲・キッズ星(M7.8星)
; ピコ
:* 出身:M78星雲・キッズ星(M7.8星)
; ルーキィ
:* 出身:M78星雲・キッズ星(M7.8星)
; ルート
:* 出身:M78星雲・キッズ星(M7.8星)
; ノージィ
:* 出身:M78星雲・キッズ星(M7.8星)
=== ウルトラマングラフィティ ===
; ウルトラマックン
:* 出身:M78星雲・光の国
: ウルトラマンの息子。
; ウルトラメル
:* 出身:M78星雲・光の国
: ウルトラマンの娘。
; ウルトラメグ
:* 出身:M78星雲・光の国
: ウルトラマンの妻。
; ウルトラブーン
:* 出身:M78星雲・光の国
: ウルトラセブンの息子。
; ウルトラセラ
:* 出身:M78星雲・光の国
: ウルトラセブンの娘。
; ウルトラセリア
:* 出身:M78星雲・光の国
: ウルトラセブンの妻。
=== ウルトラマンカンパニー ===
; ウルトラくん
: ウルトラマンカンパニーの会社員。
; セブン社長
: ウルトラマンカンパニーの社長。
=== ウルトラニャン ===
; [[ウルトラニャン]]
:* 出身:猫座・フェリス星
:* 必殺技:マネキウム光線、ニャン・チャン・フォム
:* 変身器具:フェリス・ニャンリング(尻尾ニャンテールの道具)
:* 変身前:ニャン(宇宙猫)
=== Upin & Ipin ===
[[マレーシア]]の3DCGテレビアニメ『[[ウピンとイピン]]』で初登場した円谷プロ公認のウルトラマン。
:{{キャラスペック|名称=ウルトラマンリブット|英字表記=Ultraman Ribut|身長=40{{nbsp}}[[メートル|m]]{{R|超ファイル88|タイガ超全集68|U17485|F28763|UYB22}}|体重=4万{{nbsp}}[[トン|t]]{{R|超ファイル88|タイガ超全集68|U17485|F28763|UYB22}}}}
; {{Anchors|ウルトラマンリブット}}ウルトラマンリブット<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nhk.or.jp/ultraman50/history/index4.html|title=年表 祝ウルトラマン50 乱入LIVE!怪獣大感謝祭|publisher=NHK|accessdate=2021-10-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160924180615/http://www.nhk.or.jp:80/ultraman50/history/index4.html|archivedate=2016-09-24}}</ref> (Ultraman Ribut)
: [[宇宙警備隊#ギャラクシーレスキューフォース|ギャラクシーレスキューフォース]]所属のウルトラ戦士{{R|超ファイル88|タイガ超全集68}}。手足に配した光の結晶体'''Gクリスタル'''に貯蔵された神秘の宇宙物質'''ギャラクシウム'''がエネルギー源となっている{{R|超ファイル88|タイガ超全集68}}。左腕に装備した'''リブットブロッカー'''からはバリヤー'''ブロッカーエフェクト'''を展開させる{{R|超ファイル88|タイガ超全集68}}。さらに、後述の『[[ウルトラギャラクシーファイト#『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』|ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀]]』Chapter.1では左腕にリブットブロッカー、右腕に光の長棍'''スプレッダーロッド'''をそれぞれ初めて装備すると共に、入手経緯が明かされる。
: 「リブット」は[[マレー語]]で「嵐」を意味するほか、アクションには東南アジアの伝統武術[[シラット]]が取り入れられている<ref>{{Cite news|url=http://www.47news.jp/EN/201609/EN2016090101001203.html|title=沖縄からアジアへ響くメッセージ イスラムの国のウルトラマン|newspaper=47NEWS|publisher=全国新聞ネット|date=2016-09-02|accessdate=2021-10-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171201035103/http://www.47news.jp/EN/201609/EN2016090101001203.html|archivedate=2017-12-01}}</ref>。
:* 活動時間:3分{{R|超ファイル88}}
:* 必殺技:ギャラクシウムブラスター{{R|超ファイル88|タイガ超全集68|Z完全超全集3|UYB22}}、リブットキックG{{R|タイガ超全集68}}、リモートカッター{{R|タイガ超全集68|Z完全超全集3}}、ストロングネット{{R|タイガ超全集68|Z完全超全集3}}
:* 使用武器・道具:ギャラクシウム{{R|超ファイル88|タイガ超全集68}}、リブットロッド、スプレッダーロッド{{Sfn|フィギュア王273|2020|p=19|loc=「これが仮面の下のトレギアの素顔だ! ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀」}}{{R|UYB21|Z完全超全集3|UYB22}}
:* 変身器具:Gフラッシュ(『Upin & Ipin』){{R|超ファイル88}}、GUTSスパークレンス+ウルトラマンリブットキー(『[[ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA]]』)<ref name="crank-in_94483">{{Cite news|url=https://www.crank-in.net/news/94483/1|title=土屋神葉、『ウルトラマントリガー』ウルトラマンリブット変身キャストで参戦|newspaper=クランクイン!|publisher=ブロードメディア|date=2021-09-28|accessdate=2021-09-29}}</ref>{{R|U17485|F28763}}
:* 人間体:テラサワ(『Upin & Ipin』)、青年リブット(『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』){{R|crank-in_94483|U17485|F28763|UYB22}}
:* アニメ本編の3DCGとアトラクション用スーツではデザインが若干異なり、前者の身体の各所に細く引かれている(アップ時に確認できる)黒いラインは後者では省略されているため、より初代ウルトラマンに似た姿となっている。
:; その他の作品
::; 『[[ウルトラマン列伝|新ウルトラマン列伝]]』
::: 最終回(第155話)のウルトラマン50周年記念映像で立ち並ぶ他のウルトラ戦士たちに混じって登場。
::; 『[[ウルトラギャラクシーファイト#『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』|ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ]]』
::: 2019年に[[YouTube]]にて独占配信されたオリジナル短編作品<ref>{{Cite web|和書|url=https://m-78.jp/galaxy-fight/ngh/ja/character.php|title=キャラクター ウルトラヒーローズ|website=『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』公式サイト|publisher=円谷プロダクション|accessdate=2021-10-30}}</ref>。実写作品の本編への登場はこれが初である。
::: ギャラクシーレスキューフォースとして活動中、ウルトラマンタロウからウルトラサインを介して協力を要請され、エタルガーによるロッソとブルの窮地に駆けつける。タロウからはウルトラダークキラー復活の原因に関する捜査も依頼されており、まもなく黒幕がウルトラマントレギアであることを突き止める。足止めとして召喚された[[レッドキング#『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』に登場するレッドキング|レッドキング]]2体を倒すもトレギアには逃げられてしまい、ニュージェネレーションヒーローズに後を託す。
:::* 声:[[駒田航]]
:::** 駒田によればリブット役はオーディションではなく直接のオファーであった。海外発であるリブットの出自に10年ほどの海外滞在経験を持つ自分の背景を捉えて指名されたと聞いているが、その当時はリブットがマレーシアで人気だったことについては知らなかったという<ref>{{Cite news|author=阿部雄一郎|url=https://animageplus.jp/articles/detail/34822|title=渾身の「ゼアッ!」は魂を込めています! 駒田航インタビュー|newspaper=アニメージュプラス|publisher=徳間書店|date=2021-01-03|accessdate=2021-01-30}}</ref>。
:::* 容姿はアトラクション用スーツに準拠しており、リブットブロッカーも防具として用いている{{R|タイガ超全集68|Z完全超全集3}}。
:::* リブットブロッカーは、初代ウルトラマンとの見分けがつかなかったことから追加された{{R|U17274}}。プロップは新規造形であり、左腕のアームカバーを外した状態で裏側に斜めに渡された[[面ファスナー|ベルクロ]]留めのベルトとグリップにより、固定される{{R|U17274}}。また、左右非対称でサイドの張り出しが内側に来る方が長くなっており、エッジ断面や裏面にはデザイン画にないモールドが施されている{{R|U17274}}。
::; 『[[ウルトラギャラクシーファイト#『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』|ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀]]』
::: 前作の続編<ref>{{Cite web|和書|url=https://m-78.jp/galaxy-fight/tac/|title=『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』公式サイト|publisher=円谷プロダクション|accessdate=2021-10-30}}</ref>。
::: Chapter.1『動き出す陰謀 -The Beginning-』では実質的な主人公であり、ギャラクシーレスキューフォースの参加以前に光の国の文明監視員だった時代が描かれる{{R|UYB21|Z完全超全集3}}。ウルトラマンマックスと共に訪れた惑星ミカリトにてマガオロチの卵を発見し、それを育てていたスラン星人の罠に落ちたマックスの指示で光の国へ退却する。その後、タロウの指示でK76星に出向き、ウルトラマングレートとウルトラマンパワードによる特訓で潜在能力を解放して覚醒させると、両者からリブットブロッカーとスプレッダーロッドを授かり{{R|U17274|UYB21|Z完全超全集3}}、3人でマックスの救出へ向かう。ゴーデス細胞によって暴走したマックスをソラから託された抗体で元に戻し、駆けつけたウルトラマンゼノンによる助力もあってマガオロチたちの撃破に成功する。光の国へ帰還した後、タロウやウルトラマンヒカリの指示でソラと共に光の国の代表としてギャラクシーレスキューフォースに参加する{{R|Z完全超全集3}}。
::: 以上の経緯ゆえ、覚醒前の容姿は左腕のアームカバーが外れてGクリスタルが露出している。また、かつてタロウの教え子の1人だったこともギャラクシーレスキューフォースへ派遣される際の会話で明かされている。
:::* 声:駒田航
:::* マスクは『メビウス』に登場した初代ウルトラマンの改造で、スーツも同様の手法で製作されているが、手足はスーツの内側にグローブとブーツが来るティガ以降のスタイルが踏襲された{{R|U17274}}。目も初代ウルトラマンと同様の形状だが、覗き穴は内側の輪郭に沿ったスリットに変更された{{R|U17274}}。カラータイマーも初代ウルトラマンと同様の型から抜かれたもので、ディテールを左右に追加している{{R|U17274}}。デザイン画では細かいパネルラインが体表に描かれていたが、本作品で使用されたスーツではオミットされた{{R|U17274}}。
::; 『[[ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA]]』
::: 『ウルトラギャラクシーファイト』での設定を引き継ぎ、ギャラクシーレスキューフォースの一員として登場する。本作品では青年の姿をした人間態を披露し、Gフラッシュではなくシズマユナから光を開放するアイテムとして借り受けたGUTSスパークレンスとゴモラキーに光を込めて自ら生成したウルトラマンリブットキーで変身する姿も見せる{{R|U17485|F28763}}。変身時の口上は、「命を救う銀河の光!」{{R|UYB22}}。
::: ウルトラマントリガーに宿ったエタニティコアをレスキューするため、アブソリュートディアボロを追って本作品の世界に現れる{{R|crank-in_94483}}。ディアボロに追い詰められたトリガーを救助した後はグリッタートリガーエタニティの制御に苦心するマナカケンゴにユナとともに心を無にして本能にタップする特訓を施して、力をコントロールする術を身につけさせる{{R|UYB22}}。そしてトリガーやナースデッセイ号とともにディアボロを倒し、ギャラクシーレスキューフォースへ帰還する。
:::* 演(青年):[[土屋神葉]]{{R|crank-in_94483|U17485|UYB22}}、声:駒田航{{R|U17485|UYB22}}
:::* スーツアクター:[[石川真之介]]{{R|UYB22}}
== その他の映像作品展開 ==
; [[ウルトラマンキヨタカ]]
:* 出身:ハワイ
: [[杉山清貴]]の曲『夜明け前』がきっかけで誕生した唯一の個人専属ウルトラマン。
=== アンドロメロス ===
雑誌展開と帯番組から成る外伝的作品。
; [[アンドロメロス]]{{efn|初代がセザル、2代目がゾフィー、3代目の現アンドロメロスがセザルの息子ブノワである。}}
:* 主な必殺技:アンドロビーム、グレートスパークレイランサー、スパークハイパー、グランビーム、グランフリーズ
:* 使用武器・道具:ダブルサーベル(強力ダブルサーベル)、ダブルランサー(強力ダブルランサー)、コスモクロス、グランテクター、キングサーベル
; [[アンドロメロス#アンドロウルフ|アンドロウルフ]]{{efn|雑誌グラビアで登場当初はアンドロメロスIIという名前だった。}}
:* 主な必殺技:Uブーメラン、ダブルU、アンドロビーム
:* 使用武器・道具:スオードU、コスモクロス
; [[アンドロメロス#アンドロマルス|アンドロマルス]]
:* 主な必殺技:コスモバズーカ、アンドロビームコスモオーラ(マルスオーラ)
:* 使用武器・道具:コスモクロス、反重力ネット
; [[アンドロメロス#アンドロフロル|アンドロフロル]]
:* 主な必殺技:フロルスパーク、アンドロビーム、レーザーショット・グランファイナル(アンドロ超戦士の合体技)
:* 使用武器・道具:フロルウィング、フロルカッター
=== ウルトラマンM730 ウルトラマンランド ===
ウルフェスなどで人気を集めていた「怪獣人形劇・ウルトラP」の映像版。P78星雲ウルトラPの星にあるウルトラマンランドに住む怪獣たちを描いた作品。イベントで上演される「怪獣人形劇・ウルトラP」も併記する。
; [[ウルトラマン80の登場怪獣#惑星調査員 アルマ|アルマ]]
:* 80の幼馴染。
; ウルトラマンロボッチ
:* ウルトラPに登場。セブンガーの弟で怪獣ボールRから変形、または登場する。
=== ウルトラマンゼアス ===
[[出光興産]]とのタイアップで制作された[[パロディ]]的作品。
; [[ウルトラマンゼアス]]
:* 出身:Z95星雲“ピカリの国”
:* 使用武器・道具:Zカプセル光獣(ミラクロン)
:* 必殺技:スペシュッシュラ光線、ウルトラかかと落とし(ゼアス・ヒールクラッシュ)、クロス・スペシュッシュラ光線
:* 変身器具:ピカリブラッシャー→ピカリブラッシャー2
:* 人間体(変身):朝日 勝人
; ゼアスの父
:* 出身:Z95星雲“ピカリの国”
: ウルトラサインで勝人を励まし、カプセル怪獣を彼に与えた。超全集ではウルトラの父のような角を持っていることが分かるシルエットが描かれている。
=== ウルトラ出光人 ===
[[出光興産]]とのタイアップで誕生したウルトラマン。
; [[ウルトラ出光人|ウルトラマンHotto]]
:* 出身:Z95星雲
:* 必殺技:ホット光線
: [[ウルトラ出光人]]の一人。
; [[ウルトラ出光人|ウルトラマンMotto]]
:* 出身:Z95星雲
:* 必殺技:モット光線
: ウルトラ出光人の一人。
; [[ウルトラ出光人|ウルトラマンKitto]]
:* 出身:Z95星雲
:* 必殺技:キット光線
: ウルトラ出光人の一人。
=== ウルトラマンナイス ===
[[バンダイ]]の[[コマーシャル]]専用のウルトラマン。
; [[ウルトラマンナイス]]
:* 出身:TOY1番星
:* 必殺技:ミレニアムクロス、ベリーナイス光線、ミレニアムショット
:* 変身器具:ナイスドリーマー(厳密にはその内部に収納されているチョコボール、シークレット・チョコ)(企画:ドリームスター)
:* 人間体:夢星 銀河
=== ウルバラM78 ===
; ウルトラマンピクト
:* 出身:M78星雲・光の国(ウルトラの星)
: M78星雲の子供ウルトラマンの一人。宿題を忘れたため、地球で勉強することになる。『ウルころ』ではボーイの先輩として紹介される。
:* 初稿では決定稿となったもののベースとなった初稿1のほか、トリプルファイターやAnotherティガをベースにデザインされたものも存在する。スーツアクターが入ることを想定して描かれていなかったが、初稿1をベースとしてスーツアクターが入ることを前提にデザインしたものが決定稿となった{{R|デザイン画集246}}。
=== 新世紀2003ウルトラマン伝説 THE KING'S JUBILEE ===
; ゼアス・ファンキーグループ
: ウルトラマンゼアスの同族。
; B-BOY・ゼアスJr.
: ウルトラマンゼアスの息子。
; セブン・シャッフル
: ウルトラセブンの同族。
; エース・ギャラクシーステップ
: ウルトラマンAの同族。
; 80・スーパークール
: ウルトラマン80の同族。
; ティガ・スピニング
: ウルトラマンティガの同族。
; ダイナ・ロックステディ
: ウルトラマンダイナの同族。
; ガイア・エレクトリック
: ウルトラマンガイアの同族。
; アグル・ブギーダウン
: ウルトラマンアグルの同族。
; コスモス・エアー
: ウルトラマンコスモスの同族。
; ジャスティス・ポインター
: ウルトラマンジャスティスの同族。
=== ウルトラマンボーイのウルころ ===
; [[ウルトラマンボーイのウルころ#ウルトラマンボーイ|ウルトラマンボーイ]]
:* 出身:M78星雲・光の国(ウルトラの星)
:* 必殺技:ピカット光線
: M78星雲のウルトラマンの子供の一人。ウルトラの星立ウルトラ小学校にてティガ・ダイナ・ガイア・アグルなどに指導を受け、勉強している。
=== ウルトラエッグ ===
[[バンダイ]]の[[コマーシャル]]用のウルトラマン。
; Dr.エッグ
: ウルトラマンナイスによく似た容姿のサングラスと白衣を着たウルトラエッグの研究者。
=== 激闘バトル!ウルトラマンタカミー ===
; [[高見沢俊彦|ウルトラマンタカミー]]<ref>[https://natalie.mu/music/news/130924 「ウルトラマンタカミー」1月発売、必殺技はタカミウム光線 - 音楽ナタリー]</ref>
:* 必殺技:タカミウム光線
: 「高見沢俊彦 プロデュース ウルトラヒーローソング列伝」のショートムービー「激闘バトル!ウルトラマンタカミー」に登場。
: 姿はブラザーズマントを纏った高見沢俊彦そのもの。サングラスの重さは1万トンあり、外すとエネルギーが放出される。
=== ULTRAMAN n/a ===
2015年7月17日に円谷プロが[[YouTube]]にて公開した短編動画『ULTRAMAN n/a』に登場するウルトラマン<ref>[https://gigazine.net/news/20150717-ultraman-na/ 渋谷に超巨大怪獣が突如出現して超絶リアルなウルトラマンが街を大破壊しながら戦う円谷公式ムービー「ULTRAMAN_n/a」がすごすぎ - GIGAZINE]</ref>。
[[渋谷]]の地下から現れた謎の怪獣のもとへ現れ、肉弾戦を展開する。フルCGで描かれる筋肉質の全身が初代ウルトラマン(Aタイプ)に酷似していること以外、出身や必殺技、変身者などの詳細は一切不明。
制作は[[デジタル・フロンティア]]が担当した<ref>[https://www.dfx.co.jp/previous_works/w134/ デジタル・フロンティア WORKS ULTRAMAN_n/a]</ref>。
=== ウルトラギャラクシーファイト ===
; [[ウルトラギャラクシーファイト#ヒーロー (TDC)|ウルトラマンレグロス]]
:* 出身:不明
:* 必殺技(得意技):赤龍白虎拳<ref>{{Cite web|和書|url=https://m-78.jp/character/regulos|title=ウルトラマンレグロス - キャラクター|website=円谷ステーション|publisher=円谷プロダクション|accessdate=2022-06-25}}</ref>、閃光烈破弾、白虎赤龍弾、幻獣覇王拳{{efn|レオやアストラとの合体技。}}、精鶴水蛇拳、無影赤龍白虎脚、閃光裂破弾
:; 『[[ウルトラギャラクシーファイト#『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』|ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突]]』
:: 声:[[仲村宗悟]]
:: アブソリューティアンに囚われていた、謎のウルトラマン。惑星D60での修業で宇宙最強と呼ばれるコスモ幻獣拳の流派・赤龍白虎拳を体得しており、右腕の紋章に電撃白虎拳、左腕の紋章に火炎赤龍拳の力をそれぞれ象徴している{{R|m-78_6231|U176}}。
:: 厳密には過去から連行されてきた並行同位体であり(『運命の衝突』で救出された後、光の国にて告白している)、現在における本人の生死については不明。
:; ウルトラマンレグロス(アーリースタイル){{R|m-78_6458}}
::* 登場作品:『ウルトラマンレグロス』
:: 幻獣闘士に拾われ、コスモ幻獣拳を会得する前の状態。
=== シン・ウルトラマン ===
; ウルトラマン(リピアー{{efn|映画『[[シン・ウルトラマン]]』のキャンペーン「#私の好きなセリフです」総選挙の際に表記されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://shin-ultraman.jp/campaign3/|title=キャンペーン 映画『シン・ウルトラマン』 #私の好きなセリフです 総選挙|website=映画『シン・ウルトラマン』公式サイト|publisher=「シン・ウルトラマン」製作委員会 / 円谷プロ|accessdate=2023-01-28}}</ref>。}})
:* 出身:光の星
:* 必殺技:光波熱線(スペシウム光線)
:* 変身器具:ベーターカプセル
:* 人間体(憑依):神永 新二
; [[ゾフィー (ウルトラシリーズ)#ゾーフィ|ゾーフィ]]
:* 出身:光の星
== ステージ ==
偽物や悪のウルトラマンは「[[#偽物、悪のウルトラマン|偽物、悪のウルトラマン]]」を参照。
=== ウルトラマンフェスティバル2005ライブステージ ===
; ウルトラマンアンドロイド
:* 出身:地球、UDF池袋サンシャイン支部
: [[ダダ (ウルトラ怪獣)#『ウルトラマンフェスティバル』|ダダ少年]]の家に執事として務めるアンドロイド。
=== ウルトラマンフェスティバル2011ふれあいステージ ===
; ララ
:* 出身:M78星雲・光の国
: 光の国のアイドル。
=== 2011ウルトラマンレジェンドステージ ===
; ゾラ<ref>[http://blog.m-78.jp/legend/?m=201107 2011ウルトラマンレジェンドステージ]</ref>
:* 出身:M78星雲・光の国
: ウルトラマンの親友。
=== ウルトラファミリー大集合2012ライブステージ ===
; ボイス<ref>[http://blog.m-78.jp/2012/04/16/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E9%A0%88%E8%B3%80%E5%B7%9D%E5%B8%82%E3%80%8C%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%A4%A7%E9%9B%86%E5%90%88%E3%80%8D/ 福島県須賀川市ウルトラファミリー大集合]</ref>
:* 出身:M78星雲・光の国
: 光の国の音楽の先生、ウルトラマンゼロの幼馴染。
=== ウルトラマンフェスティバル2016ライブステージ ===
; マーリエ、ハルカ、エリー
:* 出身:M78星雲・光の国
:* 人間体(変身):[[ウルトラMCガールズ]]のおねえさん
: 宇宙警備隊女性隊員。
=== ウルトラファミリー大集合 IN すかがわ2016ライブステージ ===
; ピアニー<ref>[https://m78-sukagawa.jp/jm/residents/nickname.php 「すかがわ市M78光の町」観光課のおねえさんの愛称を募集]</ref><ref>[http://m-78.jp/ulfami/2016/ ウルトラファミリー大集合2016]</ref>
: 出身:M78星雲・光の国
: 仮想都市「すかがわ市M78光の町」観光課のおねえさん
=== ウルトラマンフェスティバル2018ライブステージ ===
; ソラ
:* 出身:M78星雲・光の国
: 光の国の少女。
:; 『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』、『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』
::* 声:[[潘めぐみ]]
:: 第一章に登場。本作品ではウルトラマンリブットの幼馴染やウルトラ族の女性科学者であることが判明しているほか、'''シールド・フルール'''と呼ばれる花弁状に展開するバリアを胸の'''フラワーテクター'''から展開する能力を持つ{{R|UYB21|Z完全超全集3}}。ユリアンの補佐で惑星カノンを訪れた際にルーゴサイトに襲撃されるが、80によって助けられる。光の国へ帰還した後はヒカリとともにゴーデス細胞の抗体を製造し、マックスの救助に貢献する{{R|UYB21|Z完全超全集3}}。その後はその功績を認められリブットとともにギャラクシーレスキューフォースへ派遣される{{R|UYB21|Z完全超全集3}}。
== 漫画、小説、絵本 ==
一般市民や宇宙警備隊員としてオリジナルのウルトラマンが多数登場するが、名前がある物のみ記載する。漫画作品に登場する偽物や悪のウルトラマンは「[[#偽物、悪のウルトラマン|偽物、悪のウルトラマン]]」を参照。
=== ウルトラマンタロウ 小学三年生 ===
作:[[みやぞえ郁雄]]
{{main|ウルトラマンタロウ#漫画連載}}
* ウルトラウルフ
=== ザ・ウルトラマン ===
作:[[内山まもる]]
{{main|ザ・ウルトラマン (漫画)}}
* ウルトラマンメロス
* ファイタス
* ゾルビー
* エルフ
=== ウルトラマンメビウス外伝 アーマードダークネス ジャッカル軍団大逆襲!! ===
作:内山まもる
* アウラ
=== ウルトラ兄弟物語 ===
作:[[かたおか徹治]]
{{main|ウルトラ兄弟物語}}
* ウルトラマンジャック(ウルトラの父の兄。[[帰ってきたウルトラマン]]とは別人)
* ジュピター
* 大セブン
* ウォーリアン
* ウルトラマンレッド
* シーザー
* レッドファイター
* モル
=== ウルトラマン80物語 試練の旅立ち(ウルトラマン80大百科) ===
作:かたおか徹治
* テッド
=== なくな!ゾフィー ===
作:[[制野秀一]]
* サニー
=== ゾフィー死の決戦 ===
作:制野秀一
* ジャガー
=== ウルトラ兄弟物語 ウルトラさいごの戦い ===
作:[[坂丘のぼる]]
* ビッグウルトラ
** ウルトラ兄弟が合体して新たなウルトラマンになった存在。
=== ウルトラマン80 テレビマガジン ===
作:[[池原しげと]]
* ドルフィ
* ゾラ(2011ウルトラマンレジェンドステージに登場した初代ウルトラマンの親友とは別人)
=== ウルトラマン80 バックルビーム物語 ===
作:[[シュガー佐藤 (漫画家)|シュガー佐藤]]
* ファイタス(漫画『ザ・ウルトラマン』に登場したウルトラ戦士とは別人)
=== ウルトラマン80 宇宙大戦争 ===
作:[[居村眞二]]
* ユタ
=== ウルトラ超伝説 ===
作:居村眞二
{{main|ウルトラ超伝説}}
* プロメテウス
* トラン
=== 決戦!ウルトラ兄弟 ===
作:居村眞二
{{main|決戦!ウルトラ兄弟}}
* クルス
=== ウルトラマンひみつ大百科 ===
作:[[宮田淳一]]
* クロード
** ウルトラの父の指令で初代ウルトラマンと共にベムラーを捕獲しようとしたが敗死、その際初代ウルトラマンにベーターカプセルを渡した。ハヤタと初代マンが出会う前の物語となっている。
=== ウルトラマン超闘士激伝 ===
原作:[[三条陸|瑳川竜]]、作画:[[栗原仁]]
{{main|ウルトラマン超闘士激伝}}
* 闘士ウルトラマン/超闘士ウルトラマン
* 闘士ウルトラセブン/守護闘士ウルトラセブン
* 闘士ウルトラマンジャック
* 闘士ウルトラマンエース/守護闘士ウルトラマンエース
* 闘士ウルトラマンタロウ/超闘士ウルトラマンタロウ/守護闘士ウルトラマンタロウ
* 闘士ウルトラマンレオ
* 闘士アストラ
* 闘士ウルトラマンジョーニアス
* 闘士ウルトラマン80
* 守護闘士ウルトラマンG
* 闘士ウルトラマンネオス
* 闘士ウルトラセブン21
* 闘士ウルトラマンメビウス/メビウスバーニングブレイブ/メビウスブレイブ/メビウスインフィニティ
* 闘士ウルトラマンヒカリ/ブレイブモード
* 闘士ウルトラマンコスモス ルナモード/コロナモード/エクリプスモード
* 闘士ゾフィー
=== ウルトラマンSTORY 0 ===
作:[[真船一雄]]
{{main|ウルトラマンSTORY 0}}
* ゴライアン
* ザージ
* ドリュー
* カラレス
* フレア
* ルティア
* アルフォンヌ
* アルス
* アキュラ
=== ULTRAMAN ===
原作:[[清水栄一]]、作画:[[下口智裕]]
{{main|ULTRAMAN (漫画)}}
* PROTOTYPE SUIT(装着者:早田進)
* ULTRAMAN SUIT(装着者:早田進次郎)
* ULTRAMAN SUIT Ver.7(装着者:諸星弾)
* ULTRAMAN SUIT A(装着者:北斗星司)
* ULTRAMAN SUIT JACK(装着者:ジャック)
* ULTRAMAN SUIT ZOFFY(装着者:早田進)
* ULTRAMAN SUIT TARO(装着者:東光太郎)
* MARIE SUIT(装着者:佐山レナ)
=== ぼくだってウルトラマン ===
著:よしながこうたく
* ウルトラマンユウキ
** 出身:M78星雲
** 身長:11メートル
=== Another Genesis ===
著:足木淳一郎、イラスト:後藤正行
{{main|Another Genesis}}
* ブラスト(人間体:ブラスト)
* [[ウルトラマンベリアル]]
* [[ウルトラマン#ウルトラマン|ウルトラマン]]
* [[ウルトラセブン (キャラクター)|ウルトラセブン]]
* [[帰ってきたウルトラマン#帰ってきたウルトラマン(ウルトラマンジャック)|<武を司る神>ジャック]]
* [[ウルトラマンA#ウルトラマンA|<月の女神>エース]]
* [[ウルトラマンタロウ#ウルトラマンタロウ|<荒ぶる闘神>タロウ]]
* [[ウルトラマンコスモス#ウルトラマンコスモス|<青白い巨人>、<赤黒い巨人>]]
* [[ウルトラマンティガ#ウルトラマンティガ|ティガ]]
* [[ウルトラの父|無頼の漢<父>]]
* [[ウルトラマンレオ#ウルトラマンレオ|獅子<レオ>]]
* [[ウルトラマンキング|王]]
=== ウルトラマン妹 ===
著:[[小林雄次]] 、イラスト:[[水瀬凛]]
{{main|ウルトラマン妹}}
* ジャンヌ(人間体(憑依):月島 あかり)
* アムール(人間体(変身):如月 ユキ)
=== ウルトラマンデュアル - ウルトラマンデュアル2 ===
著:[[三島浩司]]
==== 地球人 ====
* ウルトラマンデュアル/シラヌイ(人間体:片蔵正平)
* ウルトラマンデュアルII/シラヌイ(人間体:二柳日々輝)
* ウルトラウーマンメザニン(人間体:栗村円)
* ウルトラウーマンタマキ(人間体:一ノ瀬環)
* ウルトラウーマンデュアル(人間体:栗村円&一ノ瀬環)
** ウルトラウーマンメザニンとウルトラウーマンタマキが合体した姿。
* ウルトラ・オペレーションを施された人間たち
==== 光の国 ====
* ウルトラセイントティア
* ブリッジ
* バゴ
* ベク
* ベセタ
* 地平を見張る者
* 青史をしおる者
* ミュゼ
* グミール
* ロクソ
* ルルノ
* ダンリ
==== その他 ====
* ナヴィガーレ/ウンリュウ(人間体(融合):友利三矢)
** ウルトラ・オペレーションを施された左道に生きる6番星人。
* リッコ
** ウルトラ・オペレーションを施されたヴェンダリスタ星の小動物。ヴェンダリスタ星人キップが憑依。
* 堕落の翼/不落の翼
** 光の国が宇宙警備隊を引き継ぐ以前の初代宇宙警備隊。
=== ウルトラマンF ===
著:[[小林泰三]]
* 巨人兵士F (装着者:富士明子)
* ウルトラマンF (人間体:富士明子)
== チャイヨー・プロダクション製作 ==
現在は円谷プロダクション非公認となっており、存在そのものが扱われていない。
{{main|チャイヨー・プロダクション|ウルトラマン訴訟}}
* [[ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団#白猿ハヌマーン|ハヌマーン]](人間体:コチャン)
** ウルトラの母(ウルトラウーマンマリー)に蘇生せられたが、厳密にはウルトラマンではない。
* ウルトラマンミレニアム
* ダークウルトラマン
* ウルトラマンエリート
== プロレスラー ==
円谷プロダクションが公認しているのはウルトラマンロビンのみである。
* [[ウルトラマンロビン]]
* [[ウルトラマン (プロレスラー)|ウルトラマン(プロレスラー)]]
* [[高杉正彦|ウルトラセブン(プロレスラー)]]
* ウルトラマン・ジュニア
* アミーゴ・ウルトラ
* ウルトラタロー
== 偽物、悪のウルトラマン ==
=== 上記のウルトラマンと同族 ===
上記のウルトラマンと同族(超古代の巨人やM78星雲出身者)または、洗脳された戦士など。
; [[ウルトラマンティガの登場怪獣#イーヴィルティガ|イーヴィルティガ]]
:* 登場作品:『[[ウルトラマンティガ]]』
:* 出身:不明(サイテックビル地下神殿)(超古代文明)
:* 主な必殺技(得意技):イーヴィルショット、イーヴィルビーム
:* 人間体:マサキ・ケイゴ(超古代では未登場で不明)、イーヴィル(DARKNESS HEELS)
:* 変身器具:スパークレンス(マドカ・ダイゴから強奪したもの)+光電子コンバーター(ウルトラマンティガ)、ブラックスパークレンス(DARKNESS HEELS)
: 超古代の地球の平和を護っていた光の巨人の石像にマサキ・ケイゴが邪な心を持ったまま同化したため、巨人の力を制御できなくなって暴走したもの。
: 存在としてはティガ同様光の巨人(ウルトラマン)であり、シリーズ中でも異色の存在。
; ティガダーク
:* 登場作品:『[[ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY]]』
:* 出身:不明(超古代文明)
:* 人間体:マドカ・ダイゴ (超古代では未登場で不明)
:* 変身器具:ブラックスパークレンス
: 超古代において、ティガが闇の巨人として変化した時の姿。下記のカミーラ、ダーラム、ヒュドラもティガダーク同様に光の巨人から変化したものである{{要出典|date=2018年6月}}。
; [[ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY#愛憎戦士 カミーラ|愛憎戦士 カミーラ]]
:* 登場作品:『ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY』
:* 出身:超古代遺跡ルルイエ(超古代文明)
:* 人間体:カミーラ
:* 得意技:カミーラウィップ、アイゾード、デモニックチェンジ(闇黒魔超獣デモンゾーアに変貌)
:* 変身器具:闇のスパークレンス(金色のスパークレンス)
; [[ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY#剛力戦士 ダーラム|剛力戦士 ダーラム]]
:* 登場作品:『ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY』
:* 必殺技(得意技):ファイアマグナム、スクイッダー
:* 人間体:ダーラム
:* 出身:超古代遺跡ルルイエ(超古代文明)
:* 変身器具:闇のスパークレンス(企画){{efn|name="Yaminokyojin"}}
; [[ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY#俊敏戦士 ヒュドラ|俊敏戦士 ヒュドラ]]
:* 登場作品:『ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY』
:* 人間体:ヒュドラ
:* 出身:超古代遺跡ルルイエ(超古代文明)
:* 必殺技(得意技):ヒューガスト、空中殺法、バルテスター、ルマージョン
:* 変身器具:闇のスパークレンス(企画){{efn|name="Yaminokyojin"}}
; [[ウルトラマンベリアル]]
:* 登場作品:『[[大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE]]』
:* 人間体(憑依):石刈アリエ(ウルトラマンジード)
:* 人間体:ベリアル(DARKNESS HEELS)
:* 出身:M78星雲・光の国(ウルトラの星)
:* 主な必殺技(得意技):ベリアルジェノサンダー、ベリアルショット、百体モンスロード(百体怪獣召喚)
:* 使用武器、道具:ギガバトルナイザー
:* 変身器具:なし(DARKNESS HEELS)
: 光の国の反逆者。かつてはウルトラの父の戦友にして後述のアーリースタイルであったが、光の国を追放された際にレイブラッド星人と融合し、禍々しいこの姿への変貌を遂げた。
:; ウルトラマンベリアル アーリースタイル
:: 元々M78星雲のウルトラ戦士のころの姿。
::* 登場作品:『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』、『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』
::* 必殺技(得意技):デスシウム光線、ベリアルフラッシュ、ベリアルクロー、ベリアルサンダー
::* 使用武器:幻界魔剣ベリアロク{{efn|name="tdc"}}
:; [[ウルトラマンベリアル#銀河皇帝 カイザーベリアル|銀河皇帝 カイザーベリアル]]
::* 登場作品:『[[ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国]]』
::* 主な必殺技(得意技):デスシウム光線、カイザーベリアルクロー
::* 使用武器、道具:ベリアルマント
:: ベリアル銀河帝国の皇帝となった新たな姿。右目の傷と分厚いベリアルマントが特徴。
:; [[ウルトラマンベリアル#暗黒大皇帝 カイザーダークネス|暗黒大皇帝 カイザーダークネス]]
::* 登場作品:『[[ウルトラゼロファイト#第二部「輝きのゼロ」|ウルトラゼロファイト 第2部「輝きのゼロ」]]』([[ウルトラマン列伝]])
::* 必殺技(得意技):レゾリューム光線
::* 使用武器、道具:ダークネストライデント、ダークネスブロード
:: 一度は死んだベリアルの魂が、[[エンペラ星人#暗黒魔鎧装 アーマードダークネス|アーマードダークネス]]と一体化して蘇った姿。
:; [[ウルトラマンベリアル#ウルトラマンベリアル アトロシアス|ウルトラマンベリアル アトロシアス]]
::* 登場作品:『[[ウルトラマンジード]]』
::* 必殺技:アトロスバースト、アトロスヘルクロー
::* 使用武器、道具:ギガバトルナイザー
:: ベリアルがダークルギエルとエンペラ星人の怪獣カプセルでデモニックフュージョン・アンリーシュした究極形態。
:; [[ウルトラマンベリアル#ゼロダークネス|ゼロダークネス]]
::* 登場作品:『[[ウルトラゼロファイト#第二部「輝きのゼロ」|ウルトラゼロファイト 第2部「輝きのゼロ」]]』([[ウルトラマン列伝]])
::* 必殺技:デスシウムショット、ダークゼロツインシュート
::* 使用武器・道具:ゼロスラッガー
:: ベリアルの魂が、ゼロの身体に乗り移った姿。
; ウルトラマンオーブダーク(ウルトラマンオーブダークノワールブラックシュバルツ)
:* 出身:地球
:* 人間体:愛染マコト(愛染誠)(憑依生命体チェレーザ憑依)
:* 登場作品:『[[ウルトラマンR/B]]』
:* 必殺技:ダークオリジウム光線、ダークストビュームダイナマイト、オーブダークロックカリバー、オーブダークインフェルノカリバー、オーブダークアイスカリバー
:* 使用武器・道具:オーブダークカリバー
:* 変身器具:オーブリングNEO
; [[ウルトラマントレギア]]
:* 出身:M78星雲・光の国(ウルトラの星)
:* 人間体:霧崎
:* 登場作品:『[[ウルトラマンR/B#映画|劇場版 ウルトラマンR/B セレクト! 絆のクリスタル]]』 、『ウルトラマンタイガ』、『劇場版 ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』
:* 必殺技:トレラアルティガイザー、トレラケイルポス、イスキュロス・イーバ、オプトダクリス、トレラ・スラー、ギアギダージ、イスキュロス・ダイナミス、トレラアルディガ、トレラ・パンタスマ、トレラテムノー
:* 変身器具:トレギアアイ
:; ウルトラマントレギア アーリースタイル
::* 登場作品:『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』、『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』
::* 必殺技:トレラシウム光線
:: 元々M78星雲のウルトラ戦士のころの姿。
; [[ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA#妖麗戦士 カルミラ|妖麗戦士 カルミラ]]
:* 登場作品:『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』、『ウルトラマンデッカー』
:* 人間体:カルミラ
:* 使用武器・道具:カルミラバトン
:* 得意技:カルミラウィップ、カルミラフィンガースパーク
:* 変身器具:なし
; [[ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA#剛力闘士 ダーゴン|剛力闘士 ダーゴン]]
:* 登場作品:『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』
:* 必殺技(得意技):ファイアビートクラッシャー、ダーゴメッタ、ダーゴキック
; [[ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA#俊敏策士 ヒュドラム|俊敏策士 ヒュドラム]]
:* 登場作品:『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』
:* 使用武器・道具:ダガーヒュドラム
:* 必殺技(得意技):ヒュドラスト、ヒュドエルボー
; [[ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA#闇黒勇士 トリガーダーク|闇黒勇士 トリガーダーク]]
:* 人間体:イグニス
:* 登場作品:『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』
:* 必殺技(得意技):ダークゼペリオン光線、ザイゴーグソードフィニッシュ
:* 使用武器・道具:サークルアームズ マルチソード(トリガーのものを強奪)
:* 変身器具:ブラックスパークレンス+トリガーダークキー(イグニスが変身する際に使用する)
; [[ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA#イーヴィルトリガー|イーヴィルトリガー]]
:* 人間体:ザビル(偽名:トキオカ リュウイチ)
:* 登場作品:『ウルトラマントリガー エピソードZ』
:* 必殺技(得意技):イーヴィルシュート、イーヴィルスラッシュ、イーヴィルシールド、イーヴィルジャイガンザー
:* 変身器具:エンシェントスパークレンス
; アブソリュートダイナ
:* 人間体:平行世界のアスカ・シン
:* 登場作品:『TDG THE LIVE ウルトラマンダイナ編 in 博品館劇場』
:* 必殺技(得意技):ソルジェント光線
: アブソリュートタルタロスが平行世界のダイナにアブソリュート粒子を投入した存在。
; ウルトラキラー
:* 登場作品:ゲーム『[[コンパチヒーローシリーズ]]』
: ウルトラマンのライバルとして生まれたオリジナルキャラクター。『[[ガイアセイバー ヒーロー最大の作戦]]』ではゾフィーが改造され、敵となった姿。
; 暴走ゾフィー
:* 登場作品:ゲーム『[[ウルトラマン Fighting Evolution 0]]』
: 隠しストーリーに登場する、ヤプールにさらわれたゾフィーが洗脳された姿。ヤプールの最強の切り札とされM78光線を連続で発射できるなどプレイヤーを圧倒する。同じくヤプールに暴走させられた暴走ババルウ星人、暴走バルタン星人、超テンペラー星人と同じように、目とカラータイマーが水色、紫、黄緑に輝いている。
; サンダーアロー
:* 登場作品:漫画『[[ウルトラマン80]]』小学四年生版(単行本『[[ウルトラ兄弟物語]]』収録)
: 5万年前、反逆罪でウルトラの国から追放されてブラックホールへ落とされたが、抜け出して怪獣軍団を率い、ウルトラ族へ復讐しようとした。
; ウルトラマンG(ゴーデス)/仮面騎士
:* 登場作品:漫画『[[ウルトラマン超闘士激伝]]』
: ゴーデスハンターであるウルトラマンG(グレート)がゴーデスに戦いを挑んだ際、ゴーデスに身体を乗っ取られた姿。鎧で身を隠し、ウルトラ戦士として仮面騎士の姿で第3回銀河最強武闘会に参加するが、正体が露呈した際にはウルトラマンゴーデスと名乗った。必殺技は暗黒バーニング・プラズマ。
; 暗黒闘士ウルトラセブン21
:* 登場作品:漫画『[[ウルトラマン超闘士激伝]]』
: 暗黒司祭ジェロニモンと共謀した闘士ブラック指令に罠にはめられ、付けた相手を自在に操る力を持つデストホーンを頭にはめられたセブン21。デストホーンの暗黒エネルギーで威力が強化されたウルトラキーを連続発射することが可能。
; 改造光の戦士
:* 登場作品:漫画『[[ウルトラマンSTORY 0]]』
: 宇宙忍者バルタン星人に改造された光の国の戦士たち。
=== 敵の変身 ===
詳細については、該当する宇宙人の記事を参照。
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
! 変身時の名称 !! 主な必殺技 !! 登場作品 !! 備考
|-
|colspan="3" bgcolor="#ccffdd"|[[ザラブ星人]]の変身 || {{efn|目やつま先が尖っており、身体に黒いラインが入っているのが特徴。}}
|-
| にせウルトラマン || || 『[[ウルトラマン]]』『[[ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY]]』『[[大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE]]』『[[ウルトラマングラフィティ おいでよ!ウルトラの国]]』 ||
|-
| ニセウルトラマンメビウス || || 『[[ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟]]』 ||
|-
| にせゾフィー || || 漫画『[[ウルトラマンSTORY 0]]』 ||
|-
|colspan="3" bgcolor="#ccffdd"| [[ババルウ星人]]の変身 ||
|-
| にせアストラ ||ウルトラキー(武器)|| 『[[ウルトラマンレオ]]』 ||
|-
| にせウルトラマンエース || || 漫画『ウルトラマンレオ』小学二年生連載版 ||
|-
| にせゾフィー || ||rowspan="4"| ゲーム『ウルトラマン Fighting Evolution 0』 ||
|-
| にせウルトラセブン || ||
|-
| にせウルトラマンエース || ||
|-
| にせウルトラマンタロウ || ||
|-
| ニセウルトラマンメビウス || ||rowspan="2"| 『ウルトラマンメビウス』 ||
|-
| ニセハンターナイトツルギ || ||
|-
| にせウルトラマンオーブ || || 『[[ウルトラマンオーブ]]』 ||
|-
| にせウルトラマンナイス || ||rowspan="2"|『ウルトラヒーローバトル劇場 第7弾』||
|-
| ウルトラマン邪ナイス || ||{{efn|このババルウ星人はただの田舎者で善人だったが、雇い主のザゴン星人にどんな善人でも邪な心を宿す「邪」と書かれた「ヨコシマフラー」を巻かれている。掛け声は「ジャァー」。}}
|-
| ニセウルトラマンレオ || || 『ウルトラヒーローバトル劇場 第16弾』||
|-
| ニセウルトラマンゼロ || || 『[[ウルトラマンゼロの作品一覧#ウルトラマンゼロ&ウルトラヒーロー 超決戦DVD|ウルトラマンゼロ&ウルトラヒーロー 超決戦DVD]]』 ||
|-
| にせウルトラの父 || || 漫画『[[ウルトラマンSTORY 0]]』||
|-
|colspan="3" bgcolor="#ccffdd"| [[ウルトラマンダイナの登場怪獣#宇宙格闘士 グレゴール人|グレゴール人]]の変身 ||{{efn|モンスアーガーIIを倒す際にはフラッシュタイプ、本物ダイナと戦う際にはミラクルタイプに化けた。目の下に黒い隈のような縁取りがあり、フラッシュタイプは爪先がとがっていること以外はまったく同じであるが、ミラクルタイプには身体に黒と金のラインが追加されている。}}
|-
| ニセウルトラマンダイナ || || 『[[ウルトラマンダイナ]]』 ||
|-
|colspan="3" bgcolor="#ccffdd"| [[ウルトラマンガイアの登場怪獣#金属生命体 ミーモス|ミーモス]]の変身 ||
|-
| ニセウルトラマンガイア || || 『[[ウルトラマンガイア]]』 ||
|-
|colspan="3" bgcolor="#ccffdd"| [[ウルトラマンガイアの登場怪獣#金属生命体 アルギュロス|アルギュロス]]の変身 ||
|-
| ニセウルトラマンアグル || || 『[[ウルトラマンガイア]]』 ||{{efn|スーツはアグルのリペイント。目がピンクがかった色で、黒いラインがガンメタルになっている。}}
|-
| ニセウルトラマン80 || || 『[[ウルトラマンボーイのウルころ]]』 ||{{efn|目の下に大きな隈があるのが特徴。}}
|-
| ニセゾフィー|| || 『[[ウルトラマンボーイのウルころ]]』 ||
|-
|colspan="3" bgcolor="#ccffdd"| [[ウルトラマンコスモスの登場怪獣#変幻生命体 ゲルワーム|ゲルワーム]]の変身 ||{{efn|外見はルナモードとまったく同じで運動能力も同等であるが、光線技は使えない。}}
|-
| ニセウルトラマンコスモス || ||『[[ウルトラマンコスモス]]』 ||
|-
|colspan="3" bgcolor="#ccffdd"| [[ヒッポリト星人#ヒッポリト星人・地獄のジャタール|ヒッポリト星人・地獄のジャタール]]の変身 ||{{efn|変身するウルトラの母と全く同じ姿へと変身する。ウルトラマントを着用している。}}
|-
| にせウルトラの母 || || 『[[ウルトラゼロファイト#第二部「輝きのゼロ」|ウルトラゼロファイト 第2部「輝きのゼロ」]]』(『[[ウルトラマン列伝]]』) ||
|-
|colspan="3" bgcolor="#ccffdd"| 外星人ザラブの変身 ||
|-
| にせウルトラマン || || 『[[シン・ウルトラマン]]』 ||
|-
|colspan="3" bgcolor="#ccffdd"| [[ウルトラマンAの登場怪獣#変身怪人 アンチラ星人|アンチラ星人]]の変身 ||
|-
| ニセ闘士ウルトラマンジャック || || 漫画『[[ウルトラマン超闘士激伝]]』 ||{{efn|ザラブ星人の変身と特徴が似ているが、黒いラインはない。}}
|-
|colspan="3" bgcolor="#ccffdd"| [[ウルトラマンタロウの登場怪獣#宇宙怪人 カーン星人|カーン星人]]の変身 ||
|-
| にせウルトラマンレオ || || 漫画『[[ウルトラマンメビウス#ウルトラマンメビウス外伝 超銀河大戦|ウルトラマンメビウス外伝 超銀河大戦]]』 ||
|-
|colspan="3" bgcolor="#ccffdd"| [[ウルトラマンレオの登場怪獣#変身怪人 アトランタ星人|アトランタ星人]]の変身 ||
|-
| にせウルトラマン80 || || 漫画『ウルトラマンメビウス外伝 超銀河大戦』 ||
|-
|colspan="3" bgcolor="#ccffdd"|ゴラス星人の変身||
|-
| にせウルトラマンタロウ || || 漫画『決闘タロウvsタロウ』 ||
|}
=== カオスヘッダー / カオスロイド ===
[[ウルトラマンコスモスの登場怪獣#カオスヘッダー|カオスヘッダー]]を参照。
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
! 名称 !! 主な必殺技 !! 備考
|-
|colspan="3" bgcolor="#ccffdd"| 『[[ウルトラマンコスモス]]』
|-
| カオスウルトラマン ||ダーキングショット<br />インベーディングウェーブ<br />ダークネスウィール ||
|-
| カオスウルトラマンカラミティ ||ブレイキングスマッシュ<br />カラミュームショット<br />カラミティブレード ||{{efn|エクリプスモードと同等の能力。}}
|-
|colspan="3" bgcolor="#ccffdd"| ゲーム『[[ウルトラマン Fighting Evolution#ウルトラマン Fighting Evolution Rebirth|ウルトラマン Fighting Evolution Rebirth]]』{{efn|それぞれウルトラマン、セブン、タロウを元にしている。}}
|-
| カオスロイドU ||カオススラッシュ<br />カオススペシウム光線 ||
|-
| カオスロイドS ||カオスラッガー<br />ウルトラキー(武器)||
|-
| カオスロイドT ||カオスダイナマイト<br />カオスストリウム光線 ||
|}
=== テラノイド / ゼルガノイド ===
; [[ウルトラマンダイナの登場怪獣#人造ウルトラマン テラノイド|テラノイド]]
:* 登場作品:『[[ウルトラマンダイナ]]』
: TPCのゴンドウ・キハチ参謀の指揮によりダイナのストロングタイプをモデルに製作された人造ウルトラマン。ティガの地の巨人像の残骸である「アーク」と称される砂塵を分析して作られた。劇中、テラノイドという呼称で呼ばれることはなく「人造ウルトラマン」、「人類最強の防衛兵器ウルトラマン」などと呼ばれていた。アスカ・シンより変身エネルギーを奪って巨人像に照射することで誕生する。
; [[ウルトラマンダイナの登場怪獣#超合成獣人 ゼルガノイド|ゼルガノイド]]
:* 登場作品:『ウルトラマンダイナ』
: テラノイドがスフィアに取り込まれて怪獣化した姿。ソルジェント光線、ビームスライサーに加えフラッシュサイクラーも使用可能。
=== 闇の巨人ウルティノイド ===
; [[ULTRA N PROJECT#ダークザギ|ダークザギ]]
:* 登場作品:『[[ウルトラマンネクサス]]』(『[[ウルトラマンノア]]』で先行登場)
:* 出身:不詳(M80蠍座球状星団)
:* 変身器具:なし
:* 必殺技(得意技):ライトニング・ザギ、グラビティ・ザギ、ダークフィールドG、ザギ・ザ・ファイナル
:* 人間体(暗黒適能者):石堀 光彦(本名:山岡 一)
:* 人間体:ザギ(DARKNESS HEELS)
: 仮に“来訪者”と呼ばれる異星人がウルトラマンノアをモデルに作った人造超人ウルティノイドが自我を持って暴走したもの。別名『暗黒破壊神』。かつて、ノアに敗れ肉体を失ったため地球に降り立ち来訪者研究チームの一員である山岡一の体を乗っ取り、復活のために暗躍する。なお、初期の設定では「デュナミストが闇に堕ちた姿」であり、いわばティガダーク、あるいはイーヴィルティガのようなウルトラマンノアの暗黒面のような存在であり、黒幕ではなかった{{要出典|date=2018年6月}}。
; [[ULTRA N PROJECT#ダークファウスト|ダークファウスト]]
:* 登場作品:『ウルトラマンネクサス』
:* 出身:地球
:* 変身器具:なし
:* 必殺技(得意技):ダークレイ・ジャビローム、ダーククラスター、ダークフィールド
:* 人間体(暗黒適能者):斎田 リコ{{efn|実は孤門一輝と初めて会話したその晩に家族をノスフェルに、自身も溝呂木眞也に殺害されていたうえに自覚もないまま、溝呂木眞也の傀儡(操り人形)としてネクサスやナイトレイダーと死闘を繰り広げていたことが第11・12話で判明する。}}、鬱鬱(小説版){{efn|name="UltamanF"}}
: 石堀光彦がザギへの完全覚醒を遂げるための道具として作り出した一人目の暗黒戦士。別名『赤き死の巨人』。二本の角と尖った足先が特徴。
; [[ULTRA N PROJECT#ダークメフィスト|ダークメフィスト]]
:* 登場作品:『ウルトラマンネクサス』
:* 出身:地球
:* 変身器具:ダークエボルバー
:* 使用武器・道具:メフィストクロー
:* 必殺技(得意技):ダークレイ・シュトローム、ダークシフトウェーブ(ダークフィールド)、メフィストショット
:* 人間体(暗黒適能者):溝呂木 眞也、躁躁(小説版){{efn|name="UltamanF"}}
: 石堀光彦がザギへの完全覚醒を遂げるための道具として作り出した2人目の暗黒戦士。別名は'''黒い悪魔'''。終盤では溝呂木眞也が闇の力ではなく光の力で変身した、「もう一人のウルトラマン」とでもいうべきダークメフィストが登場する。
; [[ULTRA N PROJECT#ダークメフィスト(ツヴァイ)|ダークメフィストツヴァイ]]
:* 登場作品:『ウルトラマンネクサス』
:* 出身:地球
:* 変身器具:ダークエボルバー
:* 使用武器・道具:メフィストクロー
:* 必殺技(得意技):ダークファランクス、バーストクラスター、メフィストショット
:* 人間体(暗黒適能者):三沢 広之
: 石堀光彦がザギへの完全覚醒を遂げるための道具として作り出した三人目の暗黒戦士。別名『黒い悪魔』。上記のダークメフィストと同じ姿をしているが、感情が高ぶると目が赤く発光する。
; [[ULTRA N PROJECT#ダークルシフェル|ダークルシフェル]]
:* 登場作品:『ウルトラマンネクサス』DVD-BOX付属小説『再臨 -ドリームス-』
:* 出身:不詳(宇宙)
:* 変身器具:メモレイサー(厳密にはそこに闇を貯め込んでいただけ)
:* 必殺技(得意技):不明
:* 人間体(暗黒適能者):黒服の男
: 当初、石堀光彦の正体として黒幕を予定されていた存在。放送短縮に伴い設定が変更され、ダークザギにその座を明け渡すが、後にDVD-BOX付属冊子に掲載された小説『再臨 -ドリームス-』にて登場する。「背に突起物を生やした三面の悪のウルトラマン」という、極めて珍しい外見を持っている。また、『ウルトラマンサーガ』では企画当初ラスボスとしての登場を考えられていたが、その案は廃案となっている{{要出典|date=2018年6月}}。
=== ロボット ===
詳細については、該当する宇宙人の記事を参照。
{|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; width:90%;"
!名称 !! 主な必殺技 !! 登場作品 !! 備考
|-
|colspan="4" bgcolor="#ccffdd"| [[ウルトラセブンの登場怪獣#侵略星人 サロメ星人|サロメ星人]]の制作したロボット
|-
| にせウルトラセブン(ニセウルトラセブン(SR)) ||アイスラッガー<br />エメリウム光線<br />ワイドショット ||『[[ウルトラセブン]]』、『[[ウルトラ銀河伝説外伝 ウルトラマンゼロVSダークロプスゼロ]]』 || {{efn|SRはサロメロボを意味する。このタイプのウルトラ兄弟(セブン、マン、ゾフィー、ジャック、エース、レオ)は、量産化されている。}}
|-
| 再生にせウルトラセブン || ||ゲーム『[[PDウルトラマンバトルコレクション64]]』 ||
|-
| ニセウルトラマン(SR) ||スペシウム光線<br />ウルトラスラッシュ<br />ウルトラアタック光線 ||rowspan="4"|『ウルトラ銀河伝説外伝 ウルトラマンゼロVSダークロプスゼロ』 ||
|-
| ニセゾフィー(SR) ||M87光線<br />Z光線||
|-
| ニセウルトラマンジャック(SR) ||スペシウム光線<br />シネラマショット<br />ウルトラブレスレット(武器) ||
|-
| ニセウルトラマンエース (ニセウルトラマンA)(SR) ||メタリウム光線<br />ウルトラギロチン ||
|-
| ニセウルトラマンレオ(SR) ||レオキック<br />シューティングビーム || 『[[ウルトラマンプレミアステージ#2011年|ウルトラマンプレミア2011]]』 ||
|-
|colspan="4" bgcolor="#ccffdd"| [[ヤプール人|ヤプール]]の制作したロボット
|-
| エースロボット ||メタリウム光線<br />ウルトラギロチン || 『[[ウルトラマンA]]』 || {{efn|ゴルゴダ星での異次元超人[[エースキラー (ウルトラ怪獣)|エースキラー]]の性能テストに使用。}}
|-
|colspan="4" bgcolor="#ccffdd"| [[ザ☆ウルトラマンの登場怪獣#宇宙兵士 ギロ星人|ギロ星人]]の制作したロボット
|-
| ウルトラマンX<br />(にせウルトラマンジョーニアス) || プラニウム光線<br />アストロビーム<br />ロッキングスパーク|| 『[[ザ☆ウルトラマン]]』 ||
|-
|colspan="4" bgcolor="#ccffdd"| [[ウルトラマンゼアス#妖艶宇宙女王 レディベンゼン星人|レディベンゼン星人]]が製作したロボット
|-
| ウルトラマンシャドー ||シャドリウム光線<br />マインドコントロールビーム(マイコンビーム) || 『[[ウルトラマンゼアス|ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影]]』 ||
|-
|colspan="4" bgcolor="#ccffdd"| [[ウルトラマンベリアル#銀河皇帝 カイザーベリアル|カイザーベリアル]]が製作したロボット
|-
| ダークロプスゼロ<br />(テクターギアブラック) ||ダークロプスゼロスラッガー<br />ダークロプスゼロショット<br />ダークロプスゼロスラッシュ<br />ダークロプスメイザー<br />ディメンジョンストーム<br />ダークロプスゼロチェンジャー|| 『[[ウルトラ銀河伝説外伝 ウルトラマンゼロVSダークロプスゼロ]]』 ||{{efn|ダークロプスのプロトタイプ。ゼロと違い、赤の一つ目を有する。鎧を装着していた時のテクターギアブラックはテクターギア・ゼロに似ているが、鎧の色と発光した目の色が異なる。}}
|-
| ダークロプス ||ダークロプスゼロスラッガー<br />ダークロプスゼロショット<br />ダークロプスゼロスラッシュ || 『[[ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国]]』 || {{efn|ダークロプスゼロの量産型タイプ。}}
|-
|colspan="4" bgcolor="#ccffdd"| [[ザラブ星人]]が製作したロボット
|-
| メカゾフィー|| || 漫画『[[決戦!ウルトラ兄弟]]』 ||
|-
|colspan="4" bgcolor="#ccffdd"| [[メフィラス星人]]が製作したロボット
|-
| 人造光の戦士|| || 漫画『[[ウルトラマンSTORY 0]]』 ||
|-
|colspan="4" bgcolor="#ccffdd"| [[ウルトラマンティガの登場怪獣#誘拐宇宙人 レイビーク星人|レイビーク星人]]が製作したロボット
|-
| ロボメビウス|| || 『ウルトラマンスタジアム作ろうウルトラマンメビウス』 ||
|}
=== スパークドールズ ===
; ウルトラマンダーク(SD)
; ウルトラセブンダーク(SD)
:* 登場作品:『[[ウルトラマンギンガ]]』
: 変身器具:ダークダミースパーク+スパークドールズ「ウルトラマン」または「ウルトラセブン」
: 人間体:石動 誠一郎
: 通常のウルトラマン(SD)とウルトラセブン(SD)が変身(ダークライブ)により変化した姿{{efn|スーツは、本作品より前には公演の銀座博品館劇場『ウルトラヒーローバトル劇場 第5弾』・『ウルトラヒーローバトル劇場 第10弾』・『ウルトラヒーローバトル劇場 第12弾』において登場した[[#怨念|セブンガイストやウルトラマンガイスト]]として使用されている。}}。それぞれウルトラマンとウルトラセブンと同じ必殺技(光線の色が異なる)を使用する。
; ティガダーク(SD)
:* 登場作品:『ウルトラマンギンガ』
; ダークザギ(SD)
:* 登場作品:『ウルトラマンギンガ 劇場スペシャル』
: 上記2体はダークスパークによって実体化(ダークライブ)したものであり、変身者は存在しない。ティガダーク(SD)のみ、通常のウルトラマンティガ(SD)が変化したものである。
; カオスロイドU(バグレー)
; カオスロイドS(バグレー)
; イーヴィルティガ(バグレー)
; カオスロイドT(バグレー)
; カオスウルトラマン(バグレー)
:* 登場作品:『ウルトラマンギンガ 劇場スペシャル ウルトラ怪獣☆ヒーロー大乱戦!』
: ウルトライブシミュレーションのプログラムのバグによって出現した悪のウルトラ戦士たち。
; ウルトラマンレオダーク
; アストラダーク
:* 登場作品:ウルトラマンレジェンドステージ2014
: ナックル星人グレイがダークダミースパークの力で召喚した、暗黒のレオ兄弟。グレイ曰く、「テレビにも劇場スペシャルにも出てこなかった私のオリジナル」。本物のレオ兄弟と同等の能力を持ち、ゼロを苦しめた。本物と外見的差違はほとんど無いが、赤く光る目が唯一異なる{{R|ギンガS超全集}}。
=== 特空機 ===
; 特空機4号 ウルトロイドゼロ
:* 出身:地球
:* 登場作品:『[[ウルトラマンZ]]』、『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』
:* 必殺技(得意技):D4レイ、マグネリュームガトリング、マグネリュームブレード、マグネリュームシールド、マグネリュームスラッシャー、マグネリュームメーザー
: 操縦者:ナカジマ ヨウコ
: セレブロに寄生されたクリヤマ サブローの主導で、地球防衛軍日本支部が製作した対怪獣用ロボット(対怪獣特殊空挺機甲)。人造ウルトラマンに等しい存在であるが、テラノイドと同様、「悪のウルトラマン」や「偽物のウルトラマン」とは呼べない部分もある。ベリアルメダルをはじめとする大量の怪獣メダルや世界中に眠る怪獣を吸収し、殲滅機甲獣デストルドスに変貌する。
=== 幻影 ===
; 幻影ウルトラマンアグル(テレビ版)
:* 登場作品:『[[ウルトラマンガイア]]』
: 超空間波動怪獣[[ウルトラマンガイアの登場怪獣#超空間波動怪獣 クインメザード|クインメザード]]が作り出した実体を持つ幻影。外見はアグルV1と同一。
; [[ブルトン (ウルトラ怪獣)#幻影ウルトラマンアグル|幻影ウルトラマンアグル]](ゲーム版)
:* 登場作品:ゲーム『[[ウルトラマン Fighting Evolution#ウルトラマン Fighting Evolution Rebirth|ウルトラマン Fighting Evolution Rebirth]]』
: ウルトラマンガイアに登場した幻影アグルとは別物で、四次元怪獣[[ブルトン (ウルトラ怪獣)|ブルトン]]が作り出したもの。こちらの幻影アグルはV1ではなくV2の姿であり、目の色が紫色になっている。
; 幻影ウルトラマンゼロ
:* 登場作品:『[[ウルトラゼロファイト#第一部「新たなる力」|ウルトラゼロファイト 第1部「新たなる力」]]』([[ウルトラマン列伝]])
: 触角宇宙人[[帰ってきたウルトラマンの登場怪獣#バット星人グラシエ|バット星人グラシエ]]の配下・地獄の四獣士[[スペースビースト#『ウルトラゼロファイト』に登場するガルベロス|ガルベロス]]が作り出した幻影。ガルベロスに似た鳴き声を出す。ストロングコロナゼロ、ルナミラクルゼロの姿で2体出現した。
; ダークメフィスト(エタルダミー)
; ウルトラマンベリアル(エタルダミー)
:* 登場作品:『劇場版 ウルトラマンギンガS 決戦!ウルトラ10勇士!!』
: 超時空魔神エタルガーが呼び出す実体のある幻覚。オリジナルに近い能力を持つ。
=== 怨念 ===
; [[ウルトラマン80の登場怪獣#妄想ウルトラセブン|妄想ウルトラセブン]]
:* 登場作品:『[[ウルトラマン80]]』
: 交通事故の被害者である田島直人少年の怨念がウルトラセブンのソフトビニール人形に乗り移って実体化した者。
: 『[[ウルトラスーパーファイト]]』ではウルトラマンに倒された怪獣の邪念で復活する。
; セブンガイスト
:* 登場作品:『ウルトラヒーローバトル劇場 第5弾』、『ウルトラヒーローバトル劇場 第10弾』、『ウルトラヒーローバトル劇場 第12弾』
: [[博品館|銀座博品館]]のライブステージ『ウルトラヒーローバトル劇場』に登場。黒い全身のうち、ラインや目、ビームランプが赤色になっているなど、ウルトラセブンに酷似した戦士。セブンによって倒された怪獣の怨念が凝縮して現れた姿、またはセブンのデータを解析して造られたと言われている。『ウルトラヒーローバトル劇場 第14弾』には、身体の左半分が通常のセブンと同じ色をしたセブンガイスト(ハーフボディ)も登場する。
; ウルトラマンガイスト
:* 登場作品:『ウルトラヒーローバトル劇場 第12弾』
: 初代ウルトラマンに酷似した黒いウルトラ戦士。こちらもセブンガイストと同様のカラーリングとなっている。
:{{キャラスペック|名称=ウルトラダークキラー|身長=66{{nbsp}}m{{R|タイガ超全集70}}|体重=6万6千{{nbsp}}t{{R|タイガ超全集70}}}}
; {{Anchors|ウルトラダークキラー}}ウルトラダークキラー
:* 登場作品:『CRぱちんこウルトラマンタロウ〜戦え!!ウルトラ6兄弟〜』、『ぱちんこウルトラマンタロウ 暗黒の逆襲』、『ぱちんこウルトラバトル烈伝 戦えゼロ!若き最強戦士』、『[[ウルトラギャラクシーファイト#『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』|ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ]]』
: ウルトラ兄弟に倒された怪獣や宇宙人たちの怨念が生み出した闇の超人。タロウの宿敵であり、闇の力「キラープラズマ」を用いて地球を暗黒に閉ざそうと目論む。
: 「カラータイマー」、「アイスラッガー」、「ウルトラホーン」、「プロテクター」などウルトラ兄弟のそれぞれの身体的特徴を取り入れたようなデザインをしており、それが肥大化して歪んだ外骨格として暗黒の身体を内包している。カラータイマーと額のビームランプの色は紫。アイスラッガーは両腕に2本装着されており、形状もオーラの色(青と赤)も左右で異なっている。
: ウルトラ兄弟の持つ技を自らも身に付けており、「ダークキラーシュート」、「デススラッガー」、「キラークラスター」、「ダークキラーダイナマイト」といった必殺技を持っている。
: 何度倒しても蘇る凄まじい再生能力などウルトラマンを超える能力を誇るが、ウルトラ5兄弟と合身したタロウの「ウルトラダイナマイト」に敗れた。その時はタロウに攻撃して抵抗するも、「自らの身を犠牲にして戦うタロウを前に、新たな感情が芽生えるのを感じた」と憎しみ以外の感情を知ったように、死に際に赤い目が青色に変化した。
: 『戦え!!ウルトラ6兄弟』には描かれていないが、『暗黒の逆襲』ではウルトラ兄弟との戦いによって強化された怨念の力で「ウルトラダークキラーブラザーズ」を生み出した。『ぱちんこウルトラバトル烈伝 戦えゼロ!若き最強戦士』にて復活を遂げ、異次元空間にてウルトラマンゼロを待ち構えている。なお、この作品では後述の強化形態もみせている。
: 『ウルトラギャラクシーファイト』においても怨念が集合して生まれた闇の巨人であり、かつてウルトラ5兄弟の力を受けたタロウの「スーパーウルトラダイナマイト」によって倒されたが、復活してニュージェネレーションヒーローズやウルトラマンゼロから光のエネルギーを奪い、キラープラズマと融合させて闇の巨人「ダークネス」を生み出した。
:; ダークキラーマイト
::* 登場作品:『ぱちんこウルトラバトル烈伝 戦えゼロ!若き最強戦士』
:: ウルトラダークキラーの第二形態で、パワータイプの形態。全身が赤く染まっており、筋肉質で大型化しているのが特徴。肉体を生かした技の他、右腕から赤い破壊光線を発射する。シャドーと共に2体同時に登場する。
:; ダークキラーシャドー
::* 登場作品:『ぱちんこウルトラバトル烈伝 戦えゼロ!若き最強戦士』
:: ウルトラダークキラーの第二形態で、スピードタイプの形態。ダークキラーマイトとは打って変わって全身が銀色で体型は細身。スピード技を多用してゼロを翻弄する。マイトと共に2体同時に登場する。
:; ダークキラーデルタ
::* 登場作品:『ぱちんこウルトラバトル烈伝 戦えゼロ!若き最強戦士』
:: ウルトラダークキラーの最終形態。金色に輝く目やカラータイマーを持つ。マイトよりも大型化しており、アーマー状の外骨格、背に羽のような「アイスラッガー」を無数に持つ。戦闘能力も格段に向上しており、手から光球を放つ、バリアで攻撃を防ぐ、ゼロのエメリウムスラッシュを弾く、ゼロスラッガーアタックを両手で打ち破る、カラータイマーからファイナルウルティメイトゼロと同威力の光線を発射するといった能力を有する。
; ウルトラダークキラーブラザーズ
:* 登場作品:『ぱちんこウルトラマンタロウ 暗黒の逆襲』
: ウルトラダークキラーが自らの身体から怨念の力で分裂させた5つの「キラープラズマ」からウルトラ5兄弟を模して生み出した、闇の超人。
: ウルトラ兄弟のボディの赤色にあたる部分が黒く染まり、目やカラータイマーなどの発光器官は赤く輝いている。さらに、全身に邪悪なオーラをまとっているのが特徴。
:; ダークキラーゾフィー
:: ゾフィーの姿をした闇の超人。必殺技は「キラープラズマM87ショット」。
:; ダークキラーファースト
:: ウルトラマンの姿をした闇の超人。必殺技は「キラープラズマスペシウム」、「キラープラズマスラッシュ」。
:; ダークキラーセブン
:: ウルトラセブンの姿をした闇の超人。必殺技は「キラープラズマエメリウム」、「キラープラズマスラッガー」。
:; ダークキラージャック
:: ウルトラマンジャックの姿をした闇の超人。必殺技は「キラープラズマスペシウム」、「キラープラズマブレス」{{efn|ジャックのウルトラブレスレットのように「キラープラズマランス」、「キラープラズマディフェンダー」などに変形できる万能武器。}}。
:; ダークキラーエース
:: ウルトラマンエースの姿をした闇の超人。必殺技は「キラープラズマメタリウム」、「キラープラズマプラズアロー」。
; ダークネス
:* 登場作品:『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』
: ウルトラダークキラーがニュージェネレーションヒーローズやウルトラマンゼロから奪った光のエネルギーをキラープラズマと融合させて生み出した、闇の巨人。
:; ウルトラマンジードダークネス
:; ウルトラマンエックスダークネス
::; ウルトラマンエックスダークネス ダークネスゴモラアーマー
:; ウルトラマンオーブダークネス
:; ウルトラマンゼロダークネス
; ウルトラウーマングリージョダークネス
:* 登場作品:『ウルトラヒーローズEXPO2021 ニューイヤーフェスティバル』『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』
: ウルトラウーマングリージョの姿をした闇の巨人。必殺技は「ダークグリージョショット」。
: 『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』では'''グリージョダークネス'''という名称に変更となっている。
; カイザージードダークネス
:* 登場作品:『ウルトラヒーローズEXPO THE LIVE ウルトラマンZ』
: ジードの光のベリアル細胞とデビルスプリンターで誕生した闇の巨人。
=== 偽者 ===
あくまでもまがい物やそれに近い存在であり、厳密にはウルトラマンではない。
; 霊体ウルトラマンアグル
:* 登場作品:『[[ウルトラマンボーイのウルころ]]』
: 凶悪宇宙人[[ザラブ星人]]が催眠術で作り出した。外見はアグルと同一。
; アーデス
:* 登場作品:ゲーム『[[PDウルトラマンバトルコレクション64]]』
: 最初は惑星バーンを侵略するが最後に改心する。
; アーバス
:* 登場作品:ゲーム『PDウルトラマンバトルコレクション64』
: アーデントの兄。
; アーデント
:* 登場作品:ゲーム『PDウルトラマンバトルコレクション64』
: 上記の二人の弟で兄たちを止めてほしいとプレイヤーとウルトラの父に依頼する。
; ウルトラキング
:* 登場作品:漫画『かがやけウルトラの星』
: 作者は[[内山まもる]]。正体はメフィラス星人。
; ウルトラ・シャドウ
:* 登場作品:漫画『ウルトラ戦士最後の決戦』
: 作者は[[制野秀一]]。影のウルトラ戦士たち。
; W87星人
:* 登場作品:漫画『[[ウルトラ兄弟物語]]』
: M78星のウルトラ族そっくりの姿をした宇宙人。
; ダーク・ゴッド
:* 登場作品:漫画『[[決戦!ウルトラ兄弟]]』
: ウルトラセブンを初めとしたウルトラマンを恨み、宇宙を支配しようとした。常に鎧をまとっているがウルトラ兄弟の攻撃でマスクが外れた際、ウルトラセブンに酷似した素顔が現れたが正体は謎。
; ブルーウルトラマン
:* 登場作品:漫画『[[ウルトラマンG#漫画|Nemesis Comics]]』
: 94年に発行された[[ウルトラマンG#漫画|ウルトラマングレート]]のアメコミ『Nemesis Comics』に登場したウルトラマン。邪悪生命体ゴーデスがゴーデス細胞と悪人の心を反応させて生み出した悪のウルトラマンで、体のラインはグレートのそれと同じだが青色になっており、カラータイマーも付いていない。
; ウルトラマンジード
:* 登場作品:『[[ウルトラマンジード]]』
: 伏井出ケイ(ストルム星人)が、ウルトラマンベリアルの遺伝子を元に作り出した生命体。ウルトラマンの模造品であり、ウルトラカプセルを2つ使用することでウルトラマンの姿に変身できる。
: 模造品と呼ばれてはいるが、肉体的には完全なウルトラ族であり、厳密には偽物ではなく「人造ウルトラマン」というべき存在。
== ウルトラマンと類似した存在、戦士 ==
ウルトラマンとは違う存在ながら、同様の能力などを持って仲間や味方になり、もしくは敵として戦う戦士たち。
; レイモン
:* 登場作品:『[[ウルトラギャラクシー大怪獣バトル]]』、『[[ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY]]』、『[[大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE]]』、『[[ウルトラ銀河伝説外伝 ウルトラマンゼロVSダークロプスゼロ]]』、『[[ウルトラマンゼロ外伝 キラー ザ ビートスター]]』
:* 出身:地球
: 使用武器・道具:バトルナイザー→ネオバトルナイザー、アイスラッガー(ウルトラセブンから借用)
: 変身器具:なし
: 人間体:レイ、別次元のレイ{{efn|オリジナルビデオ『ウルトラマンゼロVSダークロプスゼロ』にてレイモン (バーストモード)で登場。}}
: 形態:レイモン (バーストモード)
: 必殺技(得意技):トドメだ!ゴモラ、今だ!リトラ、行け!ミクラス、超振動メビュームシュート(ウルトラマンメビウスとの合体技)、バーストレイモンスロード(バーストモード時) (アーケードゲーム版のみ)
: レイブラッド星人が自ら後継者とすべく作り出したレイオニクスで、レイブラッド星人の遺伝子情報(血液)を持つ地球人。巨大化はできないが、等身大の戦闘は可能。[[ゴモラ (ウルトラ怪獣)|古代怪獣ゴモラ]]と[[リトラ (ウルトラ怪獣)|原始怪鳥リトラ(S)(ファイヤーリトラに進化)]]、[[エレキング|宇宙怪獣エレキング]]をバトルナイザーやネオバトルナイザーを使用して怪獣カードで召喚し、巨大化できない自分の代わりに戦わせる。怒りで暴走するとレイブラッド星人の闘争本能でレイモン (バーストモード)に変わり、敵味方関係なく襲い掛かる欠点がある。この時、ゴモラはEXゴモラにパワーアップする。
; 戦神(いくさがみ)
:* 登場作品:『[[ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA]]』、『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』
:* 出身:王立惑星カノン
: 変身器具:なし
: 人間体:アマテ(ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA)、イザナ女王(ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀)
: 王立惑星カノンの女王に流れる王家の血を持つ者が、「大いなる樹木の聖霊よ。神秘なる命の源よ。今こそ目覚め、我が肉を食らい、我が血を飲み干し、我を、同化せしめよ!」の呪文で変身する巨人。額や腕から強力な光線を放ち、両腕の盾は刃を展開して投げつけることができる他、街全体を覆うほどのバリアを展開することができる。
; 無幻魔人ジャグラスジャグラー 魔人態
:* 登場作品:『[[ウルトラマンオーブ]]』、『[[ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA]]』、『[[劇場版 ウルトラマンオーブ 絆の力、おかりします!]]』、『[[ウルトラマンジード#映画|劇場版 ウルトラマンジード つなぐぜ! 願い!!]]』、『[[ウルトラマンZ]]』
:* 出身:不明
: 使用武器・道具:蛇心剣、ダークリング、ダークゼットライザー
: 変身器具:なし
: 人間体:ジャグラスジャグラー(ヘビクラショウタ(蛇倉正太))
: 必殺技(得意技):蛇心剣 抜刀斬、蛇心剣・新月斬波
: クレナイガイの好敵手であるジャグラスジャグラーが力を求めたことで獲得した姿。道具(ダークリング、ダークゼットライザー)を使い怪獣に変身したりする。
: 魔人態へ変化後は巨大化能力を所持していたが、『ウルトラマンZ』の時点では本人曰く「昔はできたんだけどな」とのことから、巨大化能力は喪失した模様。
; リリ・アーカイヴ(変身態)
:* 登場作品:『[[DARKNESS HEELS#漫画|DARKNESS HEELS -Lili-]]』
:* 出身:惑星フース
: 変身器具:ブイレス
: 人間体:リリ・アーカイヴ
: 惑星フースの住民であるリリ・アーカイヴがブイレスで変身した姿。ブイレスでの変身可能時間は短く、本来なら巨人化したら寿命は大幅に削られてしまうが、母親のアーリ・アーカイヴがM78星雲・光の国のウルトラマンと一体化した際に残ったウルトラマン因子がリリに遺伝したため、削られることはない。
=== ウルティメイトフォースゼロ ===
ウルトラマンゼロと共闘する[[宇宙警備隊]]の仲間たち。ミラーナイト、グレンファイヤーは人間体(変身前の姿)は登場せず、ジャンボット、ジャンナインはロボットのため人間体は存在しない。
; ミラーナイト
:* 登場作品:『[[ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国]]』、『ウルトラマンゼロ外伝 キラー ザ ビートスター』、『[[ウルトラゼロファイト]]』、『[[ウルトラマン列伝]]』、『[[ウルトラマン列伝|新ウルトラマン列伝]]』
:* 出身:鏡の星
: 必殺技(得意技):ナイトムーバー、ミラーナイフ、シルバークロス、ディフェンスミラー、ミラーパンチ、ミラーキック、ミラーハレーション、ディフェンスミラーゼロ(ウルトラマンゼロとの合体技)
: 形態:ミラーナイト(レッドアイ)
: 二次元人の父とエスメラルダ人の母に生まれた鏡の星出身の鏡の騎士。惑星エスメラルダの王家の守護を使命とする。カイザーベリアルのベリアルウイルスによりベリアルの闇に冒された姿がミラーナイト(レッドアイ)。
: 原典は同じ円谷プロの特撮ヒーロー番組のキャラクター『[[ミラーマン]]』。
; グレンファイヤー
:* 登場作品:『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』、『ウルトラマンゼロ外伝 キラー ザ ビートスター』、『ウルトラゼロファイト』、『ウルトラマン列伝』、『新ウルトラマン列伝』
:* 出身:炎の星
: 使用武器・道具:ファイヤースティック
: 必殺技(得意技):グレンファイヤーパンチ、グレンファイヤーキック、グレンドライバー、グレンスパーク、ファイヤーフラッシュ、ファイヤーダッシュ
: 燃えるマグマの魂を持つ炎の戦士。炎の海賊の用心棒。
: 原典は同じ円谷プロの特撮ヒーロー番組のキャラクター『[[ファイヤーマン]]』。
; ジャンボット
:* 登場作品:『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』、『ウルトラマンゼロ外伝 キラー ザ ビートスター』、『ウルトラゼロファイト』、『ウルトラマン列伝』、『新ウルトラマン列伝』
:* 出身:惑星エスメラルダ
: 操縦者:ナオ
: 搭乗者:エメラナ・ルルド・エスメラルダ、ラン、ナオなど
: 使用武器・道具:ジャンブレード、バトルアックス
: 必殺技(得意技):ジャンミサイル、必殺風車、ビームエメラルド、ジャンナックル、ダブルジャンナックル(ジャンボットとの合体技)
: 形態:スターコルベット・ジャンバード
: 惑星エスメラルダに代々伝わる、伝説の宇宙船=スターコルベット・ジャンバードが変形する巨大ロボットで、自称・鋼鉄の武人。超高性能な人工頭脳・「ジャン」を持ち、人間と会話が可能。エメラナ・ルルド・エスメラルダ姫を守護している。『ウルトラマンゼロ THE MOVIE』では、ランの弟、ナオの「ジャンファイト!」という叫びによって変形し、彼が操縦する。操縦者なしでも稼働できる。
: 原典は同じ円谷プロの特撮ヒーロー番組のキャラクター『[[ジャンボーグA]]』。
; ジャンナイン(ジャンキラー)
:* 登場作品:『ウルトラマンゼロ外伝 キラー ザ ビートスター』、『ウルトラゼロファイト』、『ウルトラマン列伝』、『新ウルトラマン列伝』、『[[ウルトラマンギンガ]]』
:* 出身:ビートスター天球
: 操縦者・搭乗者:一条寺友也(『ウルトラマンギンガ』)
: 形態:ジャンスター(『ウルトラマンギンガ』)
: 必殺技(得意技):ジャンバスター、ジャンフラッシャー、ジャンアタック、ジャンキャノン、ジャンサンダー、ジャンレザー、ジャンナックル、ジャンスターダスト、ダブルジャンナックル(ジャンボットとの合体技)
: ビートスター天球がコピーしたジャンボットの人工知能や戦力・能力に、様々なロボットの特性を融合して生み出したロボット。異名は宇宙最強のロボットや究極のメカロボット。天球ガーディアンビートスターの命令で敵対するが、エメラナ姫、ウルティメイトフォースゼロ、レイ、ヒュウガ(日向浩)らの説得で後に味方になった。
: 『ウルトラマンギンガ』では、一条寺友也が専用アイテム・ガンパッドを使って操縦する。こちらでは空陸戦闘メカ・ジャンスターに変形できる。
: 原典は同じ円谷プロの特撮ヒーロー番組『ジャンボーグA』に登場するキャラクター・ジャンボーグ9。
=== アブソリューティアン ===
M78星雲・光の国の侵略を目論む黄金の究極生命体たち。いずれも人間体(変身前の姿)は登場しない。
; アブソリュートタルタロス
:* 登場作品:『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』、『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』、『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』、『ウルトラマンレグロス』
: 必殺技(得意技):アブソリュートディストラクション
; アブソリュートディアボロ
:* 登場作品:『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』、『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』、『ウルトラマンレグロス』
: 必殺技(得意技):剛力破牛拳{{efn|マスターアルーデを殺害し、その力を強奪したもの。}}
:; ディアス
::* 登場作品:『ウルトラマンレグロス』
:: マスターアルーデから剛力破牛拳を奪うために変装した姿。
; アブソリュートティターン
:* 登場作品:『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』
: 必殺技(得意技):シックルソード
: 使用武器・道具:剣、頭部カッター
=== 幻獣闘士 ===
精霊・コスモビーストと契約することで、コスモ幻獣拳を振るう闘士たち{{R|m-78_6458}}。
; マスターアルーデ
:* 登場作品:『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』、『ウルトラマンレグロス』
: 必殺技(得意技):剛力破牛拳
; インストラクターフォロス
:* 登場作品:『ウルトラマンレグロス』
: 必殺技(得意技):電撃白虎拳
; トゥバーン
:* 登場作品:『ウルトラマンレグロス』
: 必殺技(得意技):火炎赤龍拳
; スピカ
:* 登場作品:『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』、『ウルトラマンレグロス』
: 必殺技(得意技):高速凍豹拳
; アルビオ
:* 登場作品:『ウルトラマンレグロス』
: 必殺技(得意技):飛翔精鶴拳
; ファルード
:* 登場作品:『ウルトラマンレグロス』
: 必殺技(得意技):幻影水蛇拳
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist|30em
|refs=
{{efn|name="Tarou"|『[[ウルトラマンタロウ]]』第33・34話。}}
{{efn|name="8kyoudai"|劇場版『[[大決戦!超ウルトラ8兄弟]]』ではグリッターバージョンに変身する。}}
{{efn|name="switch"|ミラクルナモードを経て力を取り戻し、ルナモードに戻ったコスモスが最後に使用した技なので、厳密にはルナモードの必殺技である。}}
{{efn|name="UltramanX"|『[[ウルトラマンX]]』第20話。}}
{{efn|name="dcd"|『ウルトラマン フュージョンファイト!』に登場。}}
{{efn|name="R/B"|1300年前にも変身者がいたが未登場のため、詳細は不明。}}
{{efn|name="Yaminokyojin"|設定では存在する。}}
{{efn|name="UltamanF"|小説『ウルトラマンF』で登場。}}
{{efn|name="tiga-ov"|『[[ウルトラマンティガ外伝 古代に蘇る巨人]]』にて登場。}}
{{efn|name="tdc"|『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』で使用。}}
}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em
|refs=
<ref name="m-78_6231">{{Cite web|和書|url=https://m-78.jp/news/post-6231/|title=『ウルトラギャラクシーファイト 運命の衝突』謎のヒーロー「ウルトラマンレグロス」声の出演に仲村宗悟さん決定!コスモ幻獣拳が炸裂するキャラPV公開!|work=円谷ステーション|publisher=円谷プロダクション|date=2022-02-19|accessdate=2022-02-19}}</ref>
<ref name="m-78_6458">{{Cite web|和書|url=https://m-78.jp/news/post-6458/|title=『ウルトラマンレグロス』TSUBURAYA IMAGINATIONで国内独占 配信決定!特報PVや主題歌などの最新情報発表!|work=円谷ステーション|publisher=円谷プロダクション|date=2022-08-22|accessdate=2022-08-23}}</ref>
<ref name="ギンガS超全集">{{Cite book |和書 |chapter=ウルトライベント2013 - 2015 |editor = 吉田伸浩 |title =ウルトラマンギンガS超全集 |series=てれびくんデラックス 愛蔵版 |date = 2015-02-03 |page = 69 |publisher = 小学館 |isbn = 978-4-09-105148-6}}</ref>
<ref name="超ファイル88">{{Harvnb|超ファイル|2017|pp=88-89|loc=「ウルトラマンリブット」}}</ref>
<ref name="デザイン画集246">{{Harvnb|デザイン画集|2018|p=246|loc=「丸山浩デザイン解説 ウルトラマンピクトほか」}}</ref>
<ref name="タイガ超全集68">{{Harvnb|タイガ超全集|2020|p=68|loc=「ウルトラギャラクシーファイトのヒーロー」}}</ref>
<ref name="タイガ超全集70">{{Harvnb|タイガ超全集|2020|p=70|loc=「ウルトラギャラクシーファイトの敵」}}</ref>
<ref name="Z完全超全集3">{{Harvnb|Z完全超全集|2021|pp=3-18|loc=「ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀 超全集」}}</ref>
<ref name="U17274">{{Harvnb|宇宙船172|2021|pp=74-75|loc=「DETAIL OF ULTRAMAN ウルトラマンリブット」}}</ref>
<ref name="UYB21">{{Harvnb|宇宙船YB2021|2021|pp=28,30|loc=「ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀」}}</ref>
<ref name="U17485">{{Harvnb|宇宙船174|2021|pp=85-86|loc=「ウルトラマントリガー NEW GENARATION TIGA」}}</ref>
<ref name="UYB22">{{Harvnb|宇宙船YB2022|2022|p=23|loc=「ウルトラマントリガー」}}</ref>
<ref name="U176">{{Harvnb|宇宙船176|2022|p=88|loc=「ウルトラギャラクシーファイト 運命の激突」}}</ref>
<ref name="F28763">{{Harvnb|フィギュア王287|2022|p=63|loc=「ウルトラマントリガー怪獣大図鑑」}}</ref>
}}
== 参考文献 ==
* {{cite book|和書|title = ウルトラマン全戦士超ファイル(増補改訂版)|publisher = [[小学館]]|series = [[てれびくん]]デラックス愛蔵版|date = 2017-12-05|origyear = 2012|isbn = 978-4-09-105159-2|ref = {{SfnRef|超ファイル|2017}}}}
* {{Cite book|和書|title = 丸山浩ウルトラデザイン画集|publisher = 洋泉社|date = 2018-11-22|isbn = 978-4-8003-1596-0|ref = {{SfnRef|デザイン画集|2018}}}}
* {{Cite book|和書|others = 構成・間宮尚彦 執筆・大石真司|title = [[ウルトラマンタイガ]]超全集|series = てれびくんデラックス 愛蔵版|publisher = 小学館|date = 2020-03-30|isbn = 978-4-09-105167-7|ref = {{SfnRef|タイガ超全集|2020}}}}
* {{Cite book|和書|others=構成・間宮尚彦 執筆・大石真司|title=[[ウルトラマンZ]]完全超全集|series=てれびくんデラックス 愛蔵版|date=2021-07-06|publisher=小学館|isbn=978-4-09-105171-4|ref={{SfnRef|Z完全超全集|2021}} }}※『ウルトラマンZ完全超全集 ストレイジBOX』所収
* {{Cite journal|和書|date=2020-11-30<!--奥付表記-->|journal=[[フィギュア王]]|volume=No.273|publisher=[[ワールドフォトプレス]]|isbn=978-4-8465-3235-2|ref={{SfnRef|フィギュア王273|2020}}}}
* {{Cite journal|和書|date = 2021-04-01|journal=宇宙船|volume=vol.172|issue=(SPRING 2021.春)|publisher=ホビージャパン |isbn=978-4-7986-2470-9|ref={{SfnRef|宇宙船172|2021}}}}
* {{Cite journal|和書|date = 2021-04-01|title=宇宙船vol.172特別付録 宇宙船YEARBOOK 2021|journal = 宇宙船|volume = vol.172 |issue =(SPRING 2021.春)|publisher = ホビージャパン |isbn = 978-4-7986-2470-9|ref={{SfnRef|宇宙船YB2021|2021}}}}
* {{Cite journal|和書|date = 2021-10-01|journal=宇宙船|volume=vol.174|issue=(AUTUMN 2021.秋)|publisher=ホビージャパン |isbn=978-4-7986-2612-3|ref={{SfnRef|宇宙船174|2021}}}}
* {{Cite journal|和書|date=2022-01-30<!--奥付表記-->|journal=フィギュア王|volume=No.287|publisher=ワールドフォトプレス|isbn=978-4-8465-3263-5|ref={{SfnRef|フィギュア王287|2022}}}}
* {{Cite journal|和書|date = 2022-04-01|title=宇宙船vol.176特別付録 宇宙船YEARBOOK 2022|journal = 宇宙船|volume = vol.176 |issue =(SPRING 2022.春)|publisher = ホビージャパン |isbn = 978-4-7986-2796-0|ref={{SfnRef|宇宙船YB2022|2022}}}}
== 関連項目 ==
* [[ウルトラシリーズの作品一覧]]
{{ウルトラシリーズ}}
{{デフォルトソート:うるとらまんいちらん}}
[[Category:ウルトラシリーズの登場キャラクター|*]]
[[Category:テレビドラマの登場人物の一覧]]
[[Category:フィクションの巨人]] | 2003-04-22T17:13:18Z | 2023-12-02T06:08:45Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%B8%80%E8%A6%A7 |
7,139 | 常用漢字一覧 | 常用漢字一覧(じょうようかんじいちらん)
備考欄に注記された読み方のうち、次のいずれかに該当するものを下表に示した。 | [
{
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"tag": "p",
"text": "常用漢字一覧(じょうようかんじいちらん)",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "備考欄に注記された読み方のうち、次のいずれかに該当するものを下表に示した。",
"title": "一覧"
}
] | 常用漢字一覧(じょうようかんじいちらん) 常用漢字は2136字。下表の配列は常用漢字表(平成22年内閣告示第2号)に準じる。
学年の数字は、小学校学習指導要領(2017年3月告示)の学年別漢字配当表において配当されている学年を示す。Sは中学校以降で習うことを意味する。
音訓は、常用漢字表に掲げられた音訓を示す。片仮名は音読み、平仮名は訓読みである。括弧でくくられた音訓は「特別なものか、又は用法のごく狭いもの」として、1字下げで示されたものである。ハイフンは送り仮名の付け方(昭和48年内閣告示第2号)による送り仮名の区切りである。音訓および付表の語の学校段階(小学校・中学校・高等学校)ごとの割り振りについては、音訓の小・中・高等学校段階別割り振り表(2017年3月)を参照。
通用字体は、常用漢字表に掲げられた「印刷文字における現代の通用字体」を示した。手書き文字(筆写の楷書)の字形と印刷文字の字形に関しては、常用漢字表の字体・字形に関する指針 (PDF) (文化審議会国語分科会報告)を参照。
旧字体は、『新潮日本語漢字辞典』(新潮社、2007年)の「旧字」を示した。常用漢字表に掲げられた「いわゆる康熙字典体」とは必ずしも一致しない。なお、表外漢字字体表の簡易慣用字体が通用字体として採用されたものについては、印刷標準字体を旧字体として示した。
部首は康熙字典(214部)に従った。康熙字典にない字についても、康熙字典に倣って部首を示した。その際、当用漢字表を参考にした。
画数の数え方が問題となるものは、以下の通りとした。 | {{特殊文字}}
'''常用漢字一覧'''(じょうようかんじいちらん)
* [[常用漢字]]は2136字。下表の配列は[https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/kanji/index.html 常用漢字表](平成22年内閣告示第2号)に準じる。
* [[学年]]の数字は、[[小学校学習指導要領]](2017年3月告示)の[[学年別漢字配当表]]において配当されている学年を示す。S<!-- secondary school -->は[[中学校]]以降で習うことを意味する。
* [[日本における漢字#読み|音訓]]は、常用漢字表に掲げられた音訓を示す。[[片仮名]]は[[音読み]]、[[平仮名]]は[[訓読み]]である。括弧でくくられた音訓は「特別なものか、又は用法のごく狭いもの」として、1字下げで示されたものである。ハイフンは[https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/okurikana/index.html 送り仮名の付け方](昭和48年内閣告示第2号<ref>昭和56年内閣告示第3号、[https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/okurikana/kaisetu01.html 平成22年内閣告示第3号]により一部が改正された。</ref>)による[[送り仮名]]の区切りである。音訓および付表の語の学校段階([[小学校]]・中学校・[[高等学校]])ごとの割り振りについては、[https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/1385768.htm 音訓の小・中・高等学校段階別割り振り表](2017年3月)を参照。
* [[新字体|通用字体]]は、常用漢字表に掲げられた「印刷文字における現代の通用字体」を示した<ref>通用字体にデザイン差と位置付けられた別字形があり、それらが[[JIS X 0213]]:2004で互いに別の[[符号点|面区点位置]]として区別されている場合は、ハイフンで結んで併記した。</ref>。手書き文字([[楷書体|筆写の楷書]])の字形と印刷文字の字形に関しては、{{PDFlink|[https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/jitai_jikei_shishin.pdf 常用漢字表の字体・字形に関する指針]}}(文化審議会国語分科会報告)を参照。
* [[旧字体]]は、『新潮日本語漢字辞典』(新潮社、2007年)の「旧字」を示した<ref>旧字体は (1) 通用字体と[[JIS X 0213]]:2004で[[包摂 (文字コード)|包摂]]されていない場合 (2) 通用字体と[[Unicode]]で[[CJK統合漢字|統合]]されていない場合 (3) [[IBM拡張文字]]に含まれる場合のいずれかに該当する場合に掲げた。ただし、「慨」は『新潮日本語漢字辞典』の「[https://glyphwiki.org/wiki/u6168-ue0109 旧字]」がJIS X 0213:2004では1-19-20に包摂され、(2)・(3)にも該当しないが、旧字体として「{{JIS2004フォント|慨}}」を掲げた。なお、通用字体が別字と同じ字体になったもの(「余」など)や{{PDFlink|1=[https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/sisaku/enkaku/pdf/12_big_05.pdf#page=34 活字として従来2種以上の形のあった中から一を採ったもの]}}(「冊」など)について、旧字体の一つとして通用字体を掲げることはしていない。</ref>。常用漢字表に掲げられた「いわゆる康熙字典体」とは必ずしも一致しない<ref name="I">「既・効・挿・痴・勅・闘・覇・並・{{JIS2004フォント|餅}}・褒・翻」の常用漢字表に掲げられた「いわゆる康熙字典体」は、「{{JIS2004フォント|既}}・效・插・癡・敕・{{JIS2004フォント|鬭}}・霸・竝・餠・襃・飜」である。なお、「飲・羽・鋭・益・悦・閲・館・顔・教・戸・呉・娯・告・歳・冊・産・飼・舎・尚・青・清・晴・精・税・説・絶・脱・内・飯・姫・舗・没」には「いわゆる康熙字典体」が示されていない。</ref>。なお、[[表外漢字字体表]]の[[表外漢字字体表|簡易慣用字体]]が通用字体として採用されたものについては、[[表外漢字字体表|印刷標準字体]]を旧字体として示した。
* [[部首]]は[[康熙字典]](214部)に従った。康熙字典にない字についても、康熙字典に倣って部首を示した。その際、[[当用漢字|当用漢字表]]を参考にした。
* [[画数]]の数え方が問題となるものは、以下の通りとした。
{{columns-list|colwidth=10em|
* 「牙」……4画<ref name="C"/>
* 「{{JIS2004フォント|捗}}」……10画<ref name="A"/>
* 「衷」……10画<ref>{{PDFlink|[https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/jitai_jikei_shishin.pdf 常用漢字表の字体・字形に関する指針]}}(文化審議会国語分科会報告)「第3章 字体・字形に関するQ&A」の「{{PDFlink|1=[https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/jitai_jikei_shishin.pdf#page=96 Q52 画数の変わる書き方(「衷」)]}}」を参照。</ref>
* 「{{JIS2004フォント|葛}}」……12画<ref name="A"/>
* 「{{JIS2004フォント|僅}}」……13画<ref name="A"/>
* 「嗅」……13画<ref name="A"/>
* 「{{JIS2004フォント|塡}}」……13画<ref name="A"/>
* 「箋」……14画<ref name="A"/>
* 「{{JIS2004フォント|遜}}」……14画<ref name="H"/>
* 「{{JIS2004フォント|遡}}」……14画<ref name="H"/>
* 「稽」……15画<ref name="A"/>
* 「{{JIS2004フォント|箸}}」……15画<ref name="A"/>
* 「{{JIS2004フォント|餅}}」……15画<ref name="A"/>
* 「{{JIS2004フォント|餌}}」……15画<ref name="A"/>
* 「{{JIS2004フォント|賭}}」……16画<ref name="A"/>
* 「{{JIS2004フォント|頰}}」……16画<ref name="A"/>
* 「{{JIS2004フォント|謎}}」……17画<ref name="H"/>
* 「韓」……18画<ref name="C"/>
}}
== 一覧 ==
=== 本表 ===
{{Legend|#dddddd|は、削除された漢字}}
{| class="sortable wikitable" style="font-family:'游ゴシック体','YuGothic','游ゴシック Medium','Yu Gothic Medium','游ゴシック','Yu Gothic','ヒラギノ角ゴ ProN W3','Hiragino Kaku Gothic ProN W3','ヒラギノ角ゴ ProN','Hiragino Kaku Gothic ProN','源ノ角ゴシック JP Normal','Source Han Sans JP Normal','Noto Sans CJK JP DemiLight','源ノ角ゴシック JP','Source Han Sans JP','Noto Sans CJK JP','メイリオ','Meiryo','MS Pゴシック','MS PGothic';"
|- style="line-height:1.4em"
! <br />
! style="white-space:nowrap" | [[新字体|通用字体]]<br />
! style="white-space:nowrap" | [[旧字体]]<br />
! style="white-space:nowrap" | [[部首]]<br />
! style="white-space:nowrap" | [[画数|総画]]<br />
! style="white-space:nowrap" | [[学年別漢字配当表|学年]]<br />
! style="white-space:nowrap" | 追加年<br />
! style="white-space:nowrap" | 削除年<br />
! [[日本における漢字#読み|音訓]]<br />
|-
| {{0|000}}1 || style="font-size:180%" | [[wikt:亜|亜]] || style="font-size:180%" | [[wikt:亞|亞]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">007</span>[[二部|二]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ア
|-
| {{0|000}}2 || style="font-size:180%" | [[wikt:哀|哀]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || アイ、あわ-れ、あわ-れむ
|-
| {{0|000}}3 || style="font-size:180%" | [[wikt:挨|挨]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || アイ
|-
| {{0|000}}4 || style="font-size:180%" | [[wikt:愛|愛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 13 || 4 || || || アイ
|-
| {{0|000}}5 || style="font-size:180%" | [[wikt:曖|曖]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || アイ
|-
| {{0|000}}6 || style="font-size:180%" | [[wikt:悪|悪]] || style="font-size:180%" | [[wikt:惡|惡]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 11 || 3 || || || アク、オ、わる-い
|-
| {{0|000}}7 || style="font-size:180%" | [[wikt:握|握]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || アク、にぎ-る
|-
| {{0|000}}8 || style="font-size:180%" | [[wikt:圧|圧]] || style="font-size:180%" | [[wikt:壓|壓]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 5 || 5 || || || アツ
|-
| {{0|000}}9 || style="font-size:180%" | [[wikt:扱|扱]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || あつか-う
|-
| {{0|00}}10 || style="font-size:180%" | [[wikt:宛|宛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || あ-てる
|-
| {{0|00}}11 || style="font-size:180%" | [[wikt:嵐|嵐]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">046</span>[[山部|山]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || あらし
|-
| {{0|00}}12 || style="font-size:180%" | [[wikt:安|安]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 6 || 3 || || || アン、やす-い
|-
| {{0|00}}13 || style="font-size:180%" | [[wikt:案|案]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 10 || 4 || || || アン
|-
| {{0|00}}14 || style="font-size:180%" | [[wikt:暗|暗]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 13 || 3 || || || アン、くら-い
|-
| {{0|00}}15 || style="font-size:180%" | [[wikt:以|以]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 5 || 4 || || || イ
|-
| {{0|00}}16 || style="font-size:180%" | [[wikt:衣|衣]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 6 || 4 || || || イ、ころも
|-
| {{0|00}}17 || style="font-size:180%" | [[wikt:位|位]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 7 || 4 || || || イ、くらい
|-
| {{0|00}}18 || style="font-size:180%" | [[wikt:囲|囲]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「囲」は示さない(注3参照) -->[[wikt:圍|圍]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">031</span>[[囗部|囗]] || 7 || 5 || || || イ、かこ-む、かこ-う
|-
| {{0|00}}19 || style="font-size:180%" | [[wikt:医|医]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「医」は示さない(注3参照) -->[[wikt:醫|醫]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">164</span>[[酉部|酉]] || 7 || 3 || || || イ
|-
| {{0|00}}20 || style="font-size:180%" | [[wikt:依|依]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || イ、(エ)
|-
| {{0|00}}21 || style="font-size:180%" | [[wikt:委|委]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 8 || 3 || || || イ、ゆだ-ねる
|-
| {{0|00}}22 || style="font-size:180%" | [[wikt:威|威]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || イ
|-
| {{0|00}}23 || style="font-size:180%" | [[wikt:為|為]] || style="font-size:180%" | [[wikt:爲|爲]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">087</span>[[爪部|爪]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || イ
|-
| {{0|00}}24 || style="font-size:180%" | [[wikt:畏|畏]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || イ、おそ-れる
|-
| {{0|00}}25 || style="font-size:180%" | [[wikt:胃|胃]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 9 || 6 || || || イ
|-
| {{0|00}}26 || style="font-size:180%" | [[wikt:尉|尉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">041</span>[[寸部|寸]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || イ
|-
| {{0|00}}27 || style="font-size:180%" | [[wikt:異|異]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 11 || 6 || || || イ、こと
|-
| {{0|00}}28 || style="font-size:180%" | [[wikt:移|移]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 11 || 5 || || || イ、うつ-る、うつ-す
|-
| {{0|00}}29 || style="font-size:180%" | [[wikt:萎|萎]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || イ、な-える
|-
| {{0|00}}30 || style="font-size:180%" | [[wikt:偉|偉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || イ、えら-い
|-
| {{0|00}}31 || style="font-size:180%" | [[wikt:椅|椅]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || イ
|-
| {{0|00}}32 || style="font-size:180%" | [[wikt:彙|彙]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A">「彙・{{JIS2004フォント|淫}}・{{JIS2004フォント|葛}}・嗅・{{JIS2004フォント|僅}}・惧・稽・恣・{{JIS2004フォント|餌}}・{{JIS2004フォント|煎}}・{{JIS2004フォント|詮}}・箋・{{JIS2004フォント|遡}}・{{JIS2004フォント|遜}}・{{JIS2004フォント|嘲}}・{{JIS2004フォント|捗}}・{{JIS2004フォント|溺}}・{{JIS2004フォント|塡}}・{{JIS2004フォント|賭}}・{{JIS2004フォント|謎}}・{{JIS2004フォント|剝}}・{{JIS2004フォント|箸}}・{{JIS2004フォント|蔽}}・{{JIS2004フォント|餅}}・{{JIS2004フォント|頰}}・<span style="font-family:'ヒラギノ角ゴ ProN W3','Hiragino Kaku Gothic ProN W3','ヒラギノ角ゴ ProN','Hiragino Kaku Gothic ProN','源ノ角ゴシック JP Normal','Source Han Sans JP Normal','Noto Sans CJK JP DemiLight','源ノ角ゴシック JP','Source Han Sans JP','Noto Sans CJK JP','メイリオ','Meiryo';">喩</span>」の26字は、備考欄に「*」が付されている。このうち「{{JIS2004フォント|遡}}・{{JIS2004フォント|遜}}・{{JIS2004フォント|謎}}」の3字については、「(付)字体についての解説」「第2 明朝体と筆写の楷書との関係について」の「{{PDFlink|1=[https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/pdf/joyokanjihyo_20101130.pdf#page=7 1 明朝体に特徴的な表現の仕方があるもの]}}」の中に「[https://glyphwiki.org/wiki/u8fb6-ue0101 {{JIS2004フォント|辶}}]・[https://glyphwiki.org/wiki/u8fb6-ue0100 {{JIS2004フォント|辶}}]-[[ファイル:U+8FB6 regular.svg|16px]]」が示されている。残る23字については、「{{PDFlink|1=[https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/pdf/joyokanjihyo_20101130.pdf#page=9 3 筆写の楷書字形と印刷文字字形の違いが、字体の違いに及ぶもの]}}」の中に参照すべき具体例がある。この23字に「隙」を加えた24字について、{{PDFlink|[https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/jitai_jikei_shishin.pdf 常用漢字表の字体・字形に関する指針]}}(文化審議会国語分科会報告)「第2章 明朝体と手書き(筆写)の楷書との関係」の「{{PDFlink|1=[https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/jitai_jikei_shishin.pdf#page=59 5 手書き(筆写)の楷書字形と印刷文字字形の違いが、字体の違いに及ぶもの]}}」を参照。</ref></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">058</span>[[彐部|彐]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || イ
|-
| {{0|00}}33 || style="font-size:180%" | [[wikt:意|意]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 13 || 3 || || || イ
|-
| {{0|00}}34 || style="font-size:180%" | [[wikt:違|違]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || イ、ちが-う、ちが-える
|-
| {{0|00}}35 || style="font-size:180%" | [[wikt:維|維]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || イ
|-
| {{0|00}}36 || style="font-size:180%" | [[wikt:慰|慰]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || イ、なぐさ-める、なぐさ-む
|-
| {{0|00}}37 || style="font-size:180%" | [[wikt:遺|遺]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 15 || 6 || || || イ、(ユイ)
|-
| {{0|00}}38 || style="font-size:180%" | [[wikt:緯|緯]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || イ
|-
| {{0|00}}39 || style="font-size:180%" | [[wikt:域|域]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 11 || 6 || || || イキ
|-
| {{0|00}}40 || style="font-size:180%" | [[wikt:育|育]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 8 || 3 || || || イク、そだ-つ、そだ-てる、はぐく-む
|-
| {{0|00}}41 || style="font-size:180%" | [[wikt:一|一]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">001</span>[[一部 (部首)|一]] || 1 || 1 || || || イチ、イツ、ひと、ひと-つ
|-
| {{0|00}}42 || style="font-size:180%" | [[wikt:壱|壱]] || style="font-size:180%" | [[wikt:壹|壹]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">033</span>[[士部|士]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || イチ
|-
| {{0|00}}43 || style="font-size:180%" | [[wikt:逸|逸]] || style="font-size:180%" | [[wikt:逸|逸]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B">[[Unicode]]の[[CJK統合漢字]]では、これらの通用字体と旧字体が統合されている。旧字体は[[CJK互換漢字]]に割り当てられているため、[[Unicode正規化|正規化]]によって通用字体と旧字体の区別が表現できなくなる場合がある。</ref></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || イツ
|-
| {{0|00}}44 || style="font-size:180%" | [[wikt:茨|茨]]<span style="font-size:72%"> <ref name="C">「茨・牙・韓・{{JIS2004フォント|𠮟}}・栃」の5字には「{{PDFlink|1=[https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/pdf/joyokanjihyo_20101130.pdf#page=6 特定の字種に適用されるデザイン差]}}」が認められている。例えば、「[https://glyphwiki.org/wiki/u20b9f-ue0100 {{JIS2004フォント|𠮟}}]」と「[https://glyphwiki.org/wiki/u53f1-ue0100 叱]」はいずれも通用字体である。</ref></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 9 || 4 || 2010 || || (いばら)<ref name="D">これらの音訓は、1字下げで示され、備考欄に都道府県名が注記されている。これは、原則として、当該の都道府県名にのみ用いる音訓であることを示す。</ref>
|-
| {{0|00}}45 || style="font-size:180%" | [[wikt:芋|芋]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || いも
|-
| {{0|00}}46 || style="font-size:180%" | [[wikt:引|引]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">057</span>[[弓部|弓]] || 4 || 2 || || || イン、ひ-く、ひ-ける
|-
| {{0|00}}47 || style="font-size:180%" | [[wikt:印|印]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">026</span>[[卩部|卩]] || 6 || 4 || || || イン、しるし
|-
| {{0|00}}48 || style="font-size:180%" | [[wikt:因|因]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">031</span>[[囗部|囗]] || 6 || 5 || || || イン、よ-る
|-
| {{0|00}}49 || style="font-size:180%" | [[wikt:咽|咽]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || イン
|-
| {{0|00}}50 || style="font-size:180%" | [[wikt:姻|姻]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || イン
|-
| {{0|00}}51 || style="font-size:180%" | [[wikt:員|員]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 10 || 3 || || || イン
|-
| {{0|00}}52 || style="font-size:180%" | [[wikt:院|院]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 10 || 3 || || || イン
|-
| {{0|00}}53 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:淫|淫]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="E">「情報機器に搭載されている印刷文字字体の関係で、本表の通用字体とは異なる字体(通用字体の「{{JIS2004フォント|頰}}・[https://glyphwiki.org/wiki/u8ced-ue0101 {{JIS2004フォント|賭}}]・{{JIS2004フォント|剝}}」に対する「頬・[https://glyphwiki.org/wiki/u8ced-ue0100 {{JIS90フォント|賭}}]・剥」など)を使用することは差し支えない」とされている。通用字体と[[JIS X 0208]]:1990の例示字体が異なるものは19字あるが、「字体の許容」が適用される「{{JIS2004フォント|餌}}・{{JIS2004フォント|遡}}・{{JIS2004フォント|遜}}・{{JIS2004フォント|謎}}・{{JIS2004フォント|餅}}」の5字を除くと、「{{JIS2004フォント|淫}}・{{JIS2004フォント|葛}}・{{JIS2004フォント|僅}}・{{JIS2004フォント|煎}}・{{JIS2004フォント|詮}}・{{JIS2004フォント|嘲}}・{{JIS2004フォント|捗}}・{{JIS2004フォント|溺}}・{{JIS2004フォント|塡}}・{{JIS2004フォント|賭}}・{{JIS2004フォント|剝}}・{{JIS2004フォント|箸}}・{{JIS2004フォント|蔽}}・{{JIS2004フォント|頰}}」の14字となる(JIS X 0208:2012 附属書12「この規格と常用漢字表との対応」の注を参照)。このうち両者が[[JIS X 0213]]:2004で互いに別の[[符号点|面区点位置]]として区別されているのは、「{{JIS2004フォント|塡}}(填)・{{JIS2004フォント|剝}}(剥)・{{JIS2004フォント|頰}}(頬)」の3字(丸括弧内は通用字体ではない)。</ref></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || イン、みだ-ら
|-
| {{0|00}}54 || style="font-size:180%" | [[wikt:陰|陰]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || イン、かげ、かげ-る
|-
| {{0|00}}55 || style="font-size:180%" | [[wikt:飲|飲]] || style="font-size:180%" | [[wikt:飮|飮]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">184</span>[[食部|食]] || 12 || 3 || || || イン、の-む
|-
| {{0|00}}56 || style="font-size:180%" | [[wikt:隠|隠]] || style="font-size:180%" | [[wikt:隱|隱]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || イン、かく-す、かく-れる
|-
| {{0|00}}57 || style="font-size:180%" | [[wikt:韻|韻]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">180</span>[[音部|音]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || || || イン
|-
| {{0|00}}58 || style="font-size:180%" | [[wikt:右|右]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 5 || 1 || || || ウ、ユウ、みぎ
|-
| {{0|00}}59 || style="font-size:180%" | [[wikt:宇|宇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 6 || 6 || || || ウ
|-
| {{0|00}}60 || style="font-size:180%" | [[wikt:羽|羽]] || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:羽|羽]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/><ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">124</span>[[羽部|羽]] || 6 || 2 || || || ウ、は、はね
|-
| {{0|00}}61 || style="font-size:180%" | [[wikt:雨|雨]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">173</span>[[雨部|雨]] || 8 || 1 || || || ウ、あめ、(あま)
|-
| {{0|00}}62 || style="font-size:180%" | [[wikt:唄|唄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || (うた)
|-
| {{0|00}}63 || style="font-size:180%" | [[wikt:鬱|鬱]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">192</span>[[鬯部|鬯]] || 29 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ウツ
|-
| {{0|00}}64 || style="font-size:180%" | [[wikt:畝|畝]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || うね
|-
| {{0|00}}65 || style="font-size:180%" | [[wikt:浦|浦]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || うら
|-
| {{0|00}}66 || style="font-size:180%" | [[wikt:運|運]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 12 || 3 || || || ウン、はこ-ぶ
|-
| {{0|00}}67 || style="font-size:180%" | [[wikt:雲|雲]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">173</span>[[雨部|雨]] || 12 || 2 || || || ウン、くも
|-
| {{0|00}}68 || style="font-size:180%" | [[wikt:永|永]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 5 || 5 || || || エイ、なが-い
|-
| {{0|00}}69 || style="font-size:180%" | [[wikt:泳|泳]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 8 || 3 || || || エイ、およ-ぐ
|-
| {{0|00}}70 || style="font-size:180%" | [[wikt:英|英]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 8 || 4 || || || エイ
|-
| {{0|00}}71 || style="font-size:180%" | [[wikt:映|映]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 9 || 6 || || || エイ、うつ-る、うつ-す、は-える
|-
| {{0|00}}72 || style="font-size:180%" | [[wikt:栄|栄]] || style="font-size:180%" | [[wikt:榮|榮]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 9 || 4 || || || エイ、さか-える、は-え、は-える
|-
| {{0|00}}73 || style="font-size:180%" | [[wikt:営|営]] || style="font-size:180%" | [[wikt:營|營]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 12 || 5 || || || エイ、いとな-む
|-
| {{0|00}}74 || style="font-size:180%" | [[wikt:詠|詠]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || エイ、よ-む
|-
| {{0|00}}75 || style="font-size:180%" | [[wikt:影|影]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">059</span>[[彡部|彡]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || エイ、かげ
|-
| {{0|00}}76 || style="font-size:180%" | [[wikt:鋭|鋭]] || style="font-size:180%" | [[wikt:銳|銳]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || エイ、するど-い
|-
| {{0|00}}77 || style="font-size:180%" | [[wikt:衛|衛]] || style="font-size:180%" | [[wikt:衞|衞]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">144</span>[[行部|行]] || 16 || 5 || || || エイ
|-
| {{0|00}}78 || style="font-size:180%" | [[wikt:易|易]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 8 || 5 || || || エキ、イ、やさ-しい
|-
| {{0|00}}79 || style="font-size:180%" | [[wikt:疫|疫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">104</span>[[疒部|疒]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || エキ、(ヤク)
|-
| {{0|00}}80 || style="font-size:180%" | [[wikt:益|益]] || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:益|益]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/><ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">108</span>[[皿部|皿]] || 10 || 5 || || || エキ、(ヤク)
|-
| {{0|00}}81 || style="font-size:180%" | [[wikt:液|液]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 11 || 5 || || || エキ
|-
| {{0|00}}82 || style="font-size:180%" | [[wikt:駅|駅]] || style="font-size:180%" | [[wikt:驛|驛]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">187</span>[[馬部|馬]] || 14 || 3 || || || エキ
|-
| {{0|00}}83 || style="font-size:180%" | [[wikt:悦|悦]] || style="font-size:180%" | [[wikt:悅|悅]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || エツ
|-
| {{0|00}}84 || style="font-size:180%" | [[wikt:越|越]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">156</span>[[走部|走]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || エツ、こ-す、こ-える
|-
| {{0|00}}85 || style="font-size:180%" | [[wikt:謁|謁]] || style="font-size:180%" | [[wikt:謁|謁]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || エツ
|-
| {{0|00}}86 || style="font-size:180%" | [[wikt:閲|閲]] || style="font-size:180%" | [[wikt:閱|閱]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">169</span>[[門部|門]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || エツ
|-
| {{0|00}}87 || style="font-size:180%" | [[wikt:円|円]] || style="font-size:180%" | [[wikt:圓|圓]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">031</span>[[囗部|囗]] || 4 || 1 || || || エン、まる-い
|-
| {{0|00}}88 || style="font-size:180%" | [[wikt:延|延]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">054</span>[[廴部|廴]] || 8 || 6 || || || エン、の-びる、の-べる、の-ばす
|-
| {{0|00}}89 || style="font-size:180%" | [[wikt:沿|沿]] || <!-- U+2F8FCは『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 8 || 6 || || || エン、そ-う
|-
| {{0|00}}90 || style="font-size:180%" | [[wikt:炎|炎]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || エン、ほのお
|-
| {{0|00}}91 || style="font-size:180%" | [[wikt:怨|怨]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || エン、オン
|-
| {{0|00}}92 || style="font-size:180%" | [[wikt:宴|宴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || エン
|-
| {{0|00}}93 || style="font-size:180%" | [[wikt:媛|媛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 12 || 4 || 2010 || || エン
|-
| {{0|00}}94 || style="font-size:180%" | [[wikt:援|援]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || エン
|-
| {{0|00}}95 || style="font-size:180%" | [[wikt:園|園]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">031</span>[[囗部|囗]] || 13 || 2 || || || エン、その
|-
| {{0|00}}96 || style="font-size:180%" | [[wikt:煙|煙]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || エン、けむ-る、けむり、けむ-い
|-
| {{0|00}}97 || style="font-size:180%" | [[wikt:猿|猿]] || <!-- 「猨」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">094</span>[[犬部|犬]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || エン、さる
|-
| {{0|00}}98 || style="font-size:180%" | [[wikt:遠|遠]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 13 || 2 || || || エン、(オン)、とお-い
|-
| {{0|00}}99 || style="font-size:180%" | [[wikt:鉛|鉛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || エン、なまり
|-
| {{0}}100 || style="font-size:180%" | [[wikt:塩|塩]] || style="font-size:180%" | [[wikt:鹽|鹽]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">197</span>[[鹵部|鹵]] || 13 || 4 || || || エン、しお
|-
| {{0}}101 || style="font-size:180%" | [[wikt:演|演]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 14 || 5 || || || エン
|-
| {{0}}102 || style="font-size:180%" | [[wikt:縁|縁]] || style="font-size:180%" | [[wikt:緣|緣]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || エン、ふち
|-
| {{0}}103 || style="font-size:180%" | [[wikt:艶|艶]] || style="font-size:180%" | [[wikt:艷|艷]]<!-- 「豓・豔」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">139</span>[[色部|色]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || エン、つや
|-
| {{0}}104 || style="font-size:180%" | [[wikt:汚|汚]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || オ、けが-す、けが-れる、けが-らわしい、よご-す、よご-れる、きたな-い
|-
| {{0}}105 || style="font-size:180%" | [[wikt:王|王]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">096</span>[[玉部|玉]] || 4 || 1 || || || オウ
|-
| {{0}}106 || style="font-size:180%" | [[wikt:凹|凹]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">017</span>[[凵部|凵]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || オウ
|-
| {{0}}107 || style="font-size:180%" | [[wikt:央|央]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">037</span>[[大部|大]] || 5 || 3 || || || オウ
|-
| {{0}}108 || style="font-size:180%" | [[wikt:応|応]] || style="font-size:180%" | [[wikt:應|應]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 7 || 5 || || || オウ、こた-える
|-
| {{0}}109 || style="font-size:180%" | [[wikt:往|往]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 8 || 5 || || || オウ
|-
| {{0}}110 || style="font-size:180%" | [[wikt:押|押]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || オウ、お-す、お-さえる
|-
| {{0}}111 || style="font-size:180%" | [[wikt:旺|旺]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || オウ
|-
| {{0}}112 || style="font-size:180%" | [[wikt:欧|欧]] || style="font-size:180%" | [[wikt:歐|歐]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">076</span>[[欠部|欠]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || オウ
|-
| {{0}}113 || style="font-size:180%" | [[wikt:殴|殴]] || style="font-size:180%" | [[wikt:毆|毆]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">079</span>[[殳部|殳]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || オウ、なぐ-る
|-
| {{0}}114 || style="font-size:180%" | [[wikt:桜|桜]] || style="font-size:180%" | [[wikt:櫻|櫻]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 10 || 5 || || || オウ、さくら
|-
| {{0}}115 || style="font-size:180%" | [[wikt:翁|翁]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">124</span>[[羽部|羽]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || オウ
|-
| {{0}}116 || style="font-size:180%" | [[wikt:奥|奥]] || style="font-size:180%" | [[wikt:奧|奧]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">037</span>[[大部|大]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || オウ、おく
|-
| {{0}}117 || style="font-size:180%" | [[wikt:横|横]] || style="font-size:180%" | [[wikt:橫|橫]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 15 || 3 || || || オウ、よこ
|-
| {{0}}118 || style="font-size:180%" | [[wikt:岡|岡]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">046</span>[[山部|山]] || 8 || 4 || 2010 || || (おか)<ref name="D"/>
|-
| {{0}}119 || style="font-size:180%" | [[wikt:屋|屋]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">044</span>[[尸部|尸]] || 9 || 3 || || || オク、や
|-
| {{0}}120 || style="font-size:180%" | [[wikt:億|億]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 15 || 4 || || || オク
|-
| {{0}}121 || style="font-size:180%" | [[wikt:憶|憶]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || オク
|-
| {{0}}122 || style="font-size:180%" | [[wikt:臆|臆]]<span style="font-size:72%"> <ref name="F">「臆・骸・惧・稽・柵・恣・{{JIS2004フォント|煎}}・{{JIS2004フォント|嘲}}・諦・汎・闇・籠」の12字は[[表外漢字字体表]]の「III 参考」「[https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/22/tosin03/25.html 1 表外漢字における字体の違いとデザインの違い]」で「漢字使用の実態への配慮から、字体の差と考えなくてもよいと判断」された字形差が、常用漢字表ではデザインの差ではなく字体の差とされる。例えば、「柵」は表外漢字字体表では「[https://glyphwiki.org/wiki/u67f5-ue0100 柵]」「[https://glyphwiki.org/wiki/u6805-ue0100 <span style="font-family:'ヒラギノ角ゴ ProN W3','Hiragino Kaku Gothic ProN W3','ヒラギノ角ゴ ProN','Hiragino Kaku Gothic ProN','源ノ角ゴシック JP Normal','Source Han Sans JP Normal','Noto Sans CJK JP DemiLight','源ノ角ゴシック JP','Source Han Sans JP','Noto Sans CJK JP','メイリオ','Meiryo';">栅</span>]」いずれも印刷標準字体であったが、常用漢字表では「[https://glyphwiki.org/wiki/u67f5-ue0100 柵]」のみが通用字体となった。</ref></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || オク
|-
| {{0}}123 || style="font-size:180%" | [[wikt:虞|虞]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">141</span>[[虍部|虍]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || おそれ
|-
| {{0}}124 || style="font-size:180%" | [[wikt:乙|乙]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">005</span>[[乙部|乙]] || 1 || <span style="display:none">7</span>S || || || オツ
|-
| {{0}}125 || style="font-size:180%" | [[wikt:俺|俺]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || おれ
|-
| {{0}}126 || style="font-size:180%" | [[wikt:卸|卸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">026</span>[[卩部|卩]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || おろ-す、おろし
|-
| {{0}}127 || style="font-size:180%" | [[wikt:音|音]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">180</span>[[音部|音]] || 9 || 1 || || || オン、イン、おと、ね
|-
| {{0}}128 || style="font-size:180%" | [[wikt:恩|恩]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 10 || 6 || || || オン
|-
| {{0}}129 || style="font-size:180%" | [[wikt:温|温]] || style="font-size:180%" | [[wikt:溫|溫]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 12 || 3 || || || オン、あたた-か、あたた-かい、あたた-まる、あたた-める
|-
| {{0}}130 || style="font-size:180%" | [[wikt:穏|穏]] || style="font-size:180%" | [[wikt:穩|穩]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || オン、おだ-やか
|-
| {{0}}131 || style="font-size:180%" | [[wikt:下|下]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">001</span>[[一部 (部首)|一]] || 3 || 1 || || || カ、ゲ、した、しも、もと、さ-げる、さ-がる、くだ-る、くだ-す、くだ-さる、お-ろす、お-りる
|-
| {{0}}132 || style="font-size:180%" | [[wikt:化|化]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">021</span><!-- MS Pゴシックを指定しない -->[[匕部|<span style="font-family:'游ゴシック体','YuGothic','游ゴシック Medium','Yu Gothic Medium','游ゴシック','Yu Gothic','ヒラギノ角ゴ ProN W3','Hiragino Kaku Gothic ProN W3','ヒラギノ角ゴ ProN','Hiragino Kaku Gothic ProN','源ノ角ゴシック JP Normal','Source Han Sans JP Normal','Noto Sans CJK JP DemiLight','源ノ角ゴシック JP','Source Han Sans JP','Noto Sans CJK JP','メイリオ','Meiryo';">匕</span>]] || 4 || 3 || || || カ、ケ、ば-ける、ば-かす
|-
| {{0}}133 || style="font-size:180%" | [[wikt:火|火]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 4 || 1 || || || カ、ひ、(ほ)
|-
| {{0}}134 || style="font-size:180%" | [[wikt:加|加]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 5 || 4 || || || カ、くわ-える、くわ-わる
|-
| {{0}}135 || style="font-size:180%" | [[wikt:可|可]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 5 || 5 || || || カ
|-
| {{0}}136 || style="font-size:180%" | [[wikt:仮|仮]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「仮」は示さない(注3参照) -->[[wikt:假|假]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 6 || 5 || || || カ、(ケ)、かり
|-
| {{0}}137 || style="font-size:180%" | [[wikt:何|何]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 7 || 2 || || || カ、なに、(なん)
|-
| {{0}}138 || style="font-size:180%" | [[wikt:花|花]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 7 || 1 || || || カ、はな
|-
| {{0}}139 || style="font-size:180%" | [[wikt:佳|佳]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || カ
|-
| {{0}}140 || style="font-size:180%" | [[wikt:価|価]] || style="font-size:180%" | [[wikt:價|價]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 8 || 5 || || || カ、あたい
|-
| {{0}}141 || style="font-size:180%" | [[wikt:果|果]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 8 || 4 || || || カ、は-たす、は-てる、は-て
|-
| {{0}}142 || style="font-size:180%" | [[wikt:河|河]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 8 || 5 || || || カ、かわ
|-
| {{0}}143 || style="font-size:180%" | [[wikt:苛|苛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || カ
|-
| {{0}}144 || style="font-size:180%" | [[wikt:科|科]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 9 || 2 || || || カ
|-
| {{0}}145 || style="font-size:180%" | [[wikt:架|架]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || カ、か-ける、か-かる
|-
| {{0}}146 || style="font-size:180%" | [[wikt:夏|夏]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">035</span>[[夊部|夊]] || 10 || 2 || || || カ、(ゲ)、なつ
|-
| {{0}}147 || style="font-size:180%" | [[wikt:家|家]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 10 || 2 || || || カ、ケ、いえ、や
|-
| {{0}}148 || style="font-size:180%" | [[wikt:荷|荷]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 10 || 3 || || || カ、に
|-
| {{0}}149 || style="font-size:180%" | [[wikt:華|華]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || カ、(ケ)、はな
|-
| {{0}}150 || style="font-size:180%" | [[wikt:菓|菓]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || カ
|-
| {{0}}151 || style="font-size:180%" | [[wikt:貨|貨]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 11 || 4 || || || カ
|-
| {{0}}152 || style="font-size:180%" | [[wikt:渦|渦]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || カ、うず
|-
| {{0}}153 || style="font-size:180%" | [[wikt:過|過]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 12 || 5 || || || カ、す-ぎる、す-ごす、あやま-つ、あやま-ち
|-
| {{0}}154 || style="font-size:180%" | [[wikt:嫁|嫁]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || カ、よめ、とつ-ぐ
|-
| {{0}}155 || style="font-size:180%" | [[wikt:暇|暇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || カ、ひま
|-
| {{0}}156 || style="font-size:180%" | [[wikt:禍|禍]] || style="font-size:180%" | [[wikt:禍|禍]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">113</span>[[示部|示]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || カ
|-
| {{0}}157 || style="font-size:180%" | [[wikt:靴|靴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">177</span>[[革部|革]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || カ、くつ
|-
| {{0}}158 || style="font-size:180%" | [[wikt:寡|寡]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || カ
|-
| {{0}}159 || style="font-size:180%" | [[wikt:歌|歌]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">076</span>[[欠部|欠]] || 14 || 2 || || || カ、うた、うた-う
|-
| {{0}}160 || style="font-size:180%" | [[wikt:箇|箇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || カ
|-
| {{0}}161 || style="font-size:180%" | [[wikt:稼|稼]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || カ、かせ-ぐ
|-
| {{0}}162 || style="font-size:180%" | [[wikt:課|課]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 15 || 4 || || || カ
|-
| {{0}}163 || style="font-size:180%" | [[wikt:蚊|蚊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">142</span>[[虫部|虫]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || か
|-
| {{0}}164 || style="font-size:180%" | [[wikt:牙|牙]]<span style="font-size:72%"> <ref name="C"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">092</span>[[牙部|牙]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ガ、(ゲ)、きば
|-
| {{0}}165 || style="font-size:180%" | [[wikt:瓦|瓦]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">098</span>[[瓦部|瓦]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ガ、かわら
|-
| {{0}}166 || style="font-size:180%" | [[wikt:我|我]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">062</span>[[戈部|戈]] || 7 || 6 || || || ガ、われ、わ
|-
| {{0}}167 || style="font-size:180%" | [[wikt:画|画]] || style="font-size:180%" | [[wikt:畫|畫]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 8 || 2 || || || ガ、カク
|-
| {{0}}168 || style="font-size:180%" | [[wikt:芽|芽]] || <!-- U+2F995は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 8 || 4 || || || ガ、め
|-
| {{0}}169 || style="font-size:180%" | [[wikt:賀|賀]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 12 || 4 || || || ガ
|-
| {{0}}170 || style="font-size:180%" | [[wikt:雅|雅]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">172</span>[[隹部|隹]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ガ
|-
| {{0}}171 || style="font-size:180%" | [[wikt:餓|餓]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">184</span>[[食部|食]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ガ
|-
| {{0}}172 || style="font-size:180%" | [[wikt:介|介]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || || || カイ
|-
| {{0}}173 || style="font-size:180%" | [[wikt:回|回]] || <!-- 「囘」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">031</span>[[囗部|囗]] || 6 || 2 || || || カイ、(エ)、まわ-る、まわ-す
|-
| {{0}}174 || style="font-size:180%" | [[wikt:灰|灰]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 6 || 6 || || || カイ、はい
|-
| {{0}}175 || style="font-size:180%" | [[wikt:会|会]] || style="font-size:180%" | [[wikt:會|會]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">073</span>[[曰部|曰]] || 6 || 2 || || || カイ、エ、あ-う
|-
| {{0}}176 || style="font-size:180%" | [[wikt:快|快]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 7 || 5 || || || カイ、こころよ-い
|-
| {{0}}177 || style="font-size:180%" | [[wikt:戒|戒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">062</span>[[戈部|戈]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || カイ、いまし-める
|-
| {{0}}178 || style="font-size:180%" | [[wikt:改|改]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 7 || 4 || || || カイ、あらた-める、あらた-まる
|-
| {{0}}179 || style="font-size:180%" | [[wikt:怪|怪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || カイ、あや-しい、あや-しむ
|-
| {{0}}180 || style="font-size:180%" | [[wikt:拐|拐]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || カイ
|-
| {{0}}181 || style="font-size:180%" | [[wikt:悔|悔]] || style="font-size:180%" | [[wikt:悔|悔]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || カイ、く-いる、く-やむ、くや-しい
|-
| {{0}}182 || style="font-size:180%" | [[wikt:海|海]] || style="font-size:180%" | [[wikt:海|海]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 9 || 2 || || || カイ、うみ
|-
| {{0}}183 || style="font-size:180%" | [[wikt:界|界]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 9 || 3 || || || カイ
|-
| {{0}}184 || style="font-size:180%" | [[wikt:皆|皆]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">106</span>[[白部|白]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || カイ、みな
|-
| {{0}}185 || style="font-size:180%" | [[wikt:械|械]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 11 || 4 || || || カイ
|-
| {{0}}186 || style="font-size:180%" | [[wikt:絵|絵]] || style="font-size:180%" | [[wikt:繪|繪]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 12 || 2 || || || カイ、エ
|-
| {{0}}187 || style="font-size:180%" | [[wikt:開|開]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">169</span>[[門部|門]] || 12 || 3 || || || カイ、ひら-く、ひら-ける、あ-く、あ-ける
|-
| {{0}}188 || style="font-size:180%" | [[wikt:階|階]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 12 || 3 || || || カイ
|-
| {{0}}189 || style="font-size:180%" | [[wikt:塊|塊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || カイ、かたまり
|-
| {{0}}190 || style="font-size:180%" | [[wikt:楷|楷]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || カイ
|-
| {{0}}191 || style="font-size:180%" | [[wikt:解|解]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">148</span>[[角部|角]] || 13 || 5 || || || カイ、ゲ、と-く、と-かす、と-ける
|-
| {{0}}192 || style="font-size:180%" | [[wikt:潰|潰]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || カイ、つぶ-す、つぶ-れる
|-
| {{0}}193 || style="font-size:180%" | [[wikt:壊|壊]] || style="font-size:180%" | [[wikt:壞|壞]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || カイ、こわ-す、こわ-れる
|-
| {{0}}194 || style="font-size:180%" | [[wikt:懐|懐]] || style="font-size:180%" | [[wikt:懷|懷]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || カイ、ふところ、なつ-かしい、なつ-かしむ、なつ-く、なつ-ける
|-
| {{0}}195 || style="font-size:180%" | [[wikt:諧|諧]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || カイ
|-
| {{0}}196 || style="font-size:180%" | [[wikt:貝|貝]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 7 || 1 || || || かい
|-
| {{0}}197 || style="font-size:180%" | [[wikt:外|外]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">036</span>[[夕部|夕]] || 5 || 2 || || || ガイ、ゲ、そと、ほか、はず-す、はず-れる
|-
| {{0}}198 || style="font-size:180%" | [[wikt:劾|劾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ガイ
|-
| {{0}}199 || style="font-size:180%" | [[wikt:害|害]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 10 || 4 || || || ガイ
|-
| {{0}}200 || style="font-size:180%" | [[wikt:崖|崖]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">046</span>[[山部|山]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ガイ、がけ
|-
| {{0}}201 || style="font-size:180%" | [[wikt:涯|涯]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ガイ
|-
| {{0}}202 || style="font-size:180%" | [[wikt:街|街]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">144</span>[[行部|行]] || 12 || 4 || || || ガイ、(カイ)、まち
|-
| {{0}}203 || style="font-size:180%" | [[wikt:慨|慨]] || style="font-size:180%" | [[wikt:慨|慨]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ガイ
|-
| {{0}}204 || style="font-size:180%" | [[wikt:蓋|蓋]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ガイ、ふた
|-
| {{0}}205 || style="font-size:180%" | [[wikt:該|該]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ガイ
|-
| {{0}}206 || style="font-size:180%" | [[wikt:概|概]] || style="font-size:180%" | [[wikt:槪|槪]]<!-- U+2F8EAは『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ガイ
|-
| {{0}}207 || style="font-size:180%" | [[wikt:骸|骸]]<span style="font-size:72%"> <ref name="F"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">188</span>[[骨部|骨]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ガイ
|-
| {{0}}208 || style="font-size:180%" | [[wikt:垣|垣]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || かき
|-
| {{0}}209 || style="font-size:180%" | [[wikt:柿|柿]] || <!-- 「柹」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || かき
|-
| {{0}}210 || style="font-size:180%" | [[wikt:各|各]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 6 || 4 || || || カク、おのおの
|-
| {{0}}211 || style="font-size:180%" | [[wikt:角|角]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">148</span>[[角部|角]] || 7 || 2 || || || カク、かど、つの
|-
| {{0}}212 || style="font-size:180%" | [[wikt:拡|拡]] || style="font-size:180%" | [[wikt:擴|擴]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || 6 || || || カク
|-
| {{0}}213 || style="font-size:180%" | [[wikt:革|革]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">177</span>[[革部|革]] || 9 || 6 || || || カク、かわ
|-
| {{0}}214 || style="font-size:180%" | [[wikt:格|格]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 10 || 5 || || || カク、(コウ)
|-
| {{0}}215 || style="font-size:180%" | [[wikt:核|核]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || カク
|-
| {{0}}216 || style="font-size:180%" | [[wikt:殻|殻]] || style="font-size:180%" | [[wikt:殼|殼]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">079</span>[[殳部|殳]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || カク、から
|-
| {{0}}217 || style="font-size:180%" | [[wikt:郭|郭]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">163</span>[[邑部|邑]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || カク
|-
| {{0}}218 || style="font-size:180%" | [[wikt:覚|覚]] || style="font-size:180%" | [[wikt:覺|覺]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">147</span>[[見部|見]] || 12 || 4 || || || カク、おぼ-える、さ-ます、さ-める
|-
| {{0}}219 || style="font-size:180%" | [[wikt:較|較]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">159</span>[[車部|車]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || カク
|-
| {{0}}220 || style="font-size:180%" | [[wikt:隔|隔]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || カク、へだ-てる、へだ-たる
|-
| {{0}}221 || style="font-size:180%" | [[wikt:閣|閣]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">169</span>[[門部|門]] || 14 || 6 || || || カク
|-
| {{0}}222 || style="font-size:180%" | [[wikt:確|確]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">112</span>[[石部|石]] || 15 || 5 || || || カク、たし-か、たし-かめる
|-
| {{0}}223 || style="font-size:180%" | [[wikt:獲|獲]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">094</span>[[犬部|犬]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || カク、え-る
|-
| {{0}}224 || style="font-size:180%" | [[wikt:嚇|嚇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || カク
|-
| {{0}}225 || style="font-size:180%" | [[wikt:穫|穫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || カク
|-
| {{0}}226 || style="font-size:180%" | [[wikt:学|学]] || style="font-size:180%" | [[wikt:學|學]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">039</span>[[子部|子]] || 8 || 1 || || || ガク、まな-ぶ
|-
| {{0}}227 || style="font-size:180%" | [[wikt:岳|岳]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「岳」は示さない(注3参照) -->[[wikt:嶽|嶽]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">046</span>[[山部|山]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ガク、たけ
|-
| {{0}}228 || style="font-size:180%" | [[wikt:楽|楽]] || style="font-size:180%" | [[wikt:樂|樂]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 13 || 2 || || || ガク、ラク、たの-しい、たの-しむ
|-
| {{0}}229 || style="font-size:180%" | [[wikt:額|額]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 18 || 5 || || || ガク、ひたい
|-
| {{0}}230 || style="font-size:180%" | [[wikt:顎|顎]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ガク、あご
|-
| {{0}}231 || style="font-size:180%" | [[wikt:掛|掛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || か-ける、か-かる、かかり
|-
| {{0}}232 || style="font-size:180%" | [[wikt:潟|潟]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 15 || 4 || 1981 || || かた
|-
| {{0}}233 || style="font-size:180%" | [[wikt:括|括]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || カツ
|-
| {{0}}234 || style="font-size:180%" | [[wikt:活|活]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 9 || 2 || || || カツ
|-
| {{0}}235 || style="font-size:180%" | [[wikt:喝|喝]] || style="font-size:180%" | [[wikt:喝|喝]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || カツ
|-
| {{0}}236 || style="font-size:180%" | [[wikt:渇|渇]] || style="font-size:180%" | [[wikt:渴|渴]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || カツ、かわ-く
|-
| {{0}}237 || style="font-size:180%" | [[wikt:割|割]] || <!-- 旧字体としてU+2F822は示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 12 || 6 || || || カツ、わ-る、わり、わ-れる、さ-く
|-
| {{0}}238 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:葛|葛]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="E"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || カツ、くず
|-
| {{0}}239 || style="font-size:180%" | [[wikt:滑|滑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || カツ、コツ、すべ-る、なめ-らか
|-
| {{0}}240 || style="font-size:180%" | [[wikt:褐|褐]] || style="font-size:180%" | [[wikt:褐|褐]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || カツ
|-
| {{0}}241 || style="font-size:180%" | [[wikt:轄|轄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">159</span>[[車部|車]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || カツ
|-
| {{0}}242 || style="font-size:180%" | [[wikt:且|且]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">001</span>[[一部 (部首)|一]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || || || か-つ
|-
| {{0}}243 || style="font-size:180%" | [[wikt:株|株]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 10 || 6 || || || かぶ
|-
| {{0}}244 || style="font-size:180%" | [[wikt:釜|釜]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || かま
|-
| {{0}}245 || style="font-size:180%" | [[wikt:鎌|鎌]] || <!-- 「鐮」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || かま
|-
| {{0}}246 || style="font-size:180%" | [[wikt:刈|刈]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || || || か-る
|-
| {{0}}247 || style="font-size:180%" | [[wikt:干|干]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">051</span>[[干部|干]] || 3 || 6 || || || カン、ほ-す、ひ-る
|-
| {{0}}248 || style="font-size:180%" | [[wikt:刊|刊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 5 || 5 || || || カン
|-
| {{0}}249 || style="font-size:180%" | [[wikt:甘|甘]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">099</span>[[甘部|甘]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン、あま-い、あま-える、あま-やかす
|-
| {{0}}250 || style="font-size:180%" | [[wikt:汗|汗]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン、あせ
|-
| {{0}}251 || style="font-size:180%" | [[wikt:缶|缶]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「缶」は示さない(注3参照) -->[[wikt:罐|罐]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">121</span>[[缶部|缶]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || カン
|-
| {{0}}252 || style="font-size:180%" | [[wikt:完|完]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 7 || 4 || || || カン
|-
| {{0}}253 || style="font-size:180%" | [[wikt:肝|肝]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン、きも
|-
| {{0}}254 || style="font-size:180%" | [[wikt:官|官]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 8 || 4 || || || カン
|-
| {{0}}255 || style="font-size:180%" | [[wikt:冠|冠]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">014</span>[[冖部|冖]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン、かんむり
|-
| {{0}}256 || style="font-size:180%" | [[wikt:巻|巻]] || style="font-size:180%" | [[wikt:卷|卷]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">026</span>[[卩部|卩]] || 9 || 6 || || || カン、ま-く、まき
|-
| {{0}}257 || style="font-size:180%" | [[wikt:看|看]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 9 || 6 || || || カン
|-
| {{0}}258 || style="font-size:180%" | [[wikt:陥|陥]] || style="font-size:180%" | [[wikt:陷|陷]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン、おちい-る、おとしい-れる
|-
| {{0}}259 || style="font-size:180%" | [[wikt:乾|乾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">005</span>[[乙部|乙]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン、かわ-く、かわ-かす
|-
| {{0}}260 || style="font-size:180%" | [[wikt:勘|勘]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン
|-
| {{0}}261 || style="font-size:180%" | [[wikt:患|患]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン、わずら-う
|-
| {{0}}262 || style="font-size:180%" | [[wikt:貫|貫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン、つらぬ-く
|-
| {{0}}263 || style="font-size:180%" | [[wikt:寒|寒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 12 || 3 || || || カン、さむ-い
|-
| {{0}}264 || style="font-size:180%" | [[wikt:喚|喚]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン
|-
| {{0}}265 || style="font-size:180%" | [[wikt:堪|堪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン、た-える
|-
| {{0}}266 || style="font-size:180%" | [[wikt:換|換]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン、か-える、か-わる
|-
| {{0}}267 || style="font-size:180%" | [[wikt:敢|敢]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン
|-
| {{0}}268 || style="font-size:180%" | [[wikt:棺|棺]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン
|-
| {{0}}269 || style="font-size:180%" | [[wikt:款|款]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">076</span>[[欠部|欠]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン
|-
| {{0}}270 || style="font-size:180%" | [[wikt:間|間]] || <!-- 「閒」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">169</span>[[門部|門]] || 12 || 2 || || || カン、ケン、あいだ、ま
|-
| {{0}}271 || style="font-size:180%" | [[wikt:閑|閑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">169</span>[[門部|門]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン
|-
| {{0}}272 || style="font-size:180%" | [[wikt:勧|勧]] || style="font-size:180%" | [[wikt:勸|勸]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン、すす-める
|-
| {{0}}273 || style="font-size:180%" | [[wikt:寛|寛]] || style="font-size:180%" | [[wikt:寬|寬]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン
|-
| {{0}}274 || style="font-size:180%" | [[wikt:幹|幹]] || <!-- 「榦」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">051</span>[[干部|干]] || 13 || 5 || || || カン、みき
|-
| {{0}}275 || style="font-size:180%" | [[wikt:感|感]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 13 || 3 || || || カン
|-
| {{0}}276 || style="font-size:180%" | [[wikt:漢|漢]] || style="font-size:180%" | [[wikt:漢|漢]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 13 || 3 || || || カン
|-
| {{0}}277 || style="font-size:180%" | [[wikt:慣|慣]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 14 || 5 || || || カン、な-れる、な-らす
|-
| {{0}}278 || style="font-size:180%" | [[wikt:管|管]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 14 || 4 || || || カン、くだ
|-
| {{0}}279 || style="font-size:180%" | [[wikt:関|関]] || style="font-size:180%" | [[wikt:關|關]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">169</span>[[門部|門]] || 14 || 4 || || || カン、せき、かか-わる
|-
| {{0}}280 || style="font-size:180%" | [[wikt:歓|歓]] || style="font-size:180%" | [[wikt:歡|歡]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">076</span>[[欠部|欠]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン
|-
| {{0}}281 || style="font-size:180%" | [[wikt:監|監]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">108</span>[[皿部|皿]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン
|-
| {{0}}282 || style="font-size:180%" | [[wikt:緩|緩]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン、ゆる-い、ゆる-やか、ゆる-む、ゆる-める
|-
| {{0}}283 || style="font-size:180%" | [[wikt:憾|憾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン
|-
| {{0}}284 || style="font-size:180%" | [[wikt:還|還]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン
|-
| {{0}}285 || style="font-size:180%" | [[wikt:館|館]] || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:館|館]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/><ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">184</span>[[食部|食]] || 16 || 3 || || || カン、やかた
|-
| {{0}}286 || style="font-size:180%" | [[wikt:環|環]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">096</span>[[玉部|玉]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン
|-
| {{0}}287 || style="font-size:180%" | [[wikt:簡|簡]] || <!-- 「𥳑」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 18 || 6 || || || カン
|-
| {{0}}288 || style="font-size:180%" | [[wikt:観|観]] || style="font-size:180%" | [[wikt:觀|觀]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">147</span>[[見部|見]] || 18 || 4 || || || カン
|-
| {{0}}289 || style="font-size:180%" | [[wikt:韓|韓]]<span style="font-size:72%"> <ref name="C"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">178</span>[[韋部|韋]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || カン
|-
| {{0}}290 || style="font-size:180%" | [[wikt:艦|艦]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">137</span>[[舟部|舟]] || 21 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン
|-
| {{0}}291 || style="font-size:180%" | [[wikt:鑑|鑑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 23 || <span style="display:none">7</span>S || || || カン、かんが-みる
|-
| {{0}}292 || style="font-size:180%" | [[wikt:丸|丸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">003</span>[[丶部|丶]] || 3 || 2 || || || ガン、まる、まる-い、まる-める
|-
| {{0}}293 || style="font-size:180%" | [[wikt:含|含]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ガン、ふく-む、ふく-める
|-
| {{0}}294 || style="font-size:180%" | [[wikt:岸|岸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">046</span>[[山部|山]] || 8 || 3 || || || ガン、きし
|-
| {{0}}295 || style="font-size:180%" | [[wikt:岩|岩]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">046</span>[[山部|山]] || 8 || 2 || || || ガン、いわ
|-
| {{0}}296 || style="font-size:180%" | [[wikt:玩|玩]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">096</span>[[玉部|玉]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ガン
|-
| {{0}}297 || style="font-size:180%" | [[wikt:眼|眼]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 11 || 5 || || || ガン、(ゲン)、まなこ
|-
| {{0}}298 || style="font-size:180%" | [[wikt:頑|頑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ガン
|-
| {{0}}299 || style="font-size:180%" | [[wikt:顔|顔]] || style="font-size:180%" | [[wikt:顏|顏]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 18 || 2 || || || ガン、かお
|-
| {{0}}300 || style="font-size:180%" | [[wikt:願|願]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 19 || 4 || || || ガン、ねが-う
|-
| {{0}}301 || style="font-size:180%" | [[wikt:企|企]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || キ、くわだ-てる
|-
| {{0}}302 || style="font-size:180%" | [[wikt:伎|伎]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || キ
|-
| {{0}}303 || style="font-size:180%" | [[wikt:危|危]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">026</span>[[卩部|卩]] || 6 || 6 || || || キ、あぶ-ない、あや-うい、あや-ぶむ
|-
| {{0}}304 || style="font-size:180%" | [[wikt:机|机]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 6 || 6 || || || キ、つくえ
|-
| {{0}}305 || style="font-size:180%" | [[wikt:気|気]] || style="font-size:180%" | [[wikt:氣|氣]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">084</span>[[气部|气]] || 6 || 1 || || || キ、ケ
|-
| {{0}}306 || style="font-size:180%" | [[wikt:岐|岐]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">046</span>[[山部|山]] || 7 || 4 || || || キ
|-
| {{0}}307 || style="font-size:180%" | [[wikt:希|希]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">050</span>[[巾部|巾]] || 7 || 4 || || || キ
|-
| {{0}}308 || style="font-size:180%" | [[wikt:忌|忌]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || キ、い-む、い-まわしい
|-
| {{0}}309 || style="font-size:180%" | [[wikt:汽|汽]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 7 || 2 || || || キ
|-
| {{0}}310 || style="font-size:180%" | [[wikt:奇|奇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">037</span>[[大部|大]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || キ
|-
| {{0}}311 || style="font-size:180%" | [[wikt:祈|祈]] || style="font-size:180%" | [[wikt:祈|祈]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">113</span>[[示部|示]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || キ、いの-る
|-
| {{0}}312 || style="font-size:180%" | [[wikt:季|季]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">039</span>[[子部|子]] || 8 || 4 || || || キ
|-
| {{0}}313 || style="font-size:180%" | [[wikt:紀|紀]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 9 || 5 || || || キ
|-
| {{0}}314 || style="font-size:180%" | [[wikt:軌|軌]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">159</span>[[車部|車]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || キ
|-
| {{0}}315 || style="font-size:180%" | [[wikt:既|既]] || style="font-size:180%" | [[wikt:旣|旣]]<!-- U+FA42は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --><span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">071</span>[[无部|无]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || キ、すで-に
|-
| {{0}}316 || style="font-size:180%" | [[wikt:記|記]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 10 || 2 || || || キ、しる-す
|-
| {{0}}317 || style="font-size:180%" | [[wikt:起|起]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">156</span>[[走部|走]] || 10 || 3 || || || キ、お-きる、お-こる、お-こす
|-
| {{0}}318 || style="font-size:180%" | [[wikt:飢|飢]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">184</span>[[食部|食]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || キ、う-える
|-
| {{0}}319 || style="font-size:180%" | [[wikt:鬼|鬼]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">194</span>[[鬼部|鬼]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || キ、おに
|-
| {{0}}320 || style="font-size:180%" | [[wikt:帰|帰]] || style="font-size:180%" | [[wikt:歸|歸]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">077</span>[[止部|止]] || 10 || 2 || || || キ、かえ-る、かえ-す
|-
| {{0}}321 || style="font-size:180%" | [[wikt:基|基]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 11 || 5 || || || キ、もと、もとい
|-
| {{0}}322 || style="font-size:180%" | [[wikt:寄|寄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 11 || 5 || || || キ、よ-る、よ-せる
|-
| {{0}}323 || style="font-size:180%" | [[wikt:規|規]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">147</span>[[見部|見]] || 11 || 5 || || || キ
|-
| {{0}}324 || style="font-size:180%" | [[wikt:亀|亀]] || style="font-size:180%" | [[wikt:龜|龜]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">213</span>[[亀部|龜]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || キ、かめ
|-
| {{0}}325 || style="font-size:180%" | [[wikt:喜|喜]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 12 || 5 || || || キ、よろこ-ぶ
|-
| {{0}}326 || style="font-size:180%" | [[wikt:幾|幾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">052</span>[[幺部|幺]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || キ、いく
|-
| {{0}}327 || style="font-size:180%" | [[wikt:揮|揮]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 12 || 6 || || || キ
|-
| {{0}}328 || style="font-size:180%" | [[wikt:期|期]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">074</span>[[月部|月]] || 12 || 3 || || || キ、(ゴ)
|-
| {{0}}329 || style="font-size:180%" | [[wikt:棋|棋]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || キ
|-
| {{0}}330 || style="font-size:180%" | [[wikt:貴|貴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 12 || 6 || || || キ、たっと-い、とうと-い、たっと-ぶ、とうと-ぶ
|-
| {{0}}331 || style="font-size:180%" | [[wikt:棄|棄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || キ
|-
| {{0}}332 || style="font-size:180%" | [[wikt:毀|毀]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">079</span>[[殳部|殳]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || キ
|-
| {{0}}333 || style="font-size:180%" | [[wikt:旗|旗]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">070</span>[[方部|方]] || 14 || 4 || || || キ、はた
|-
| {{0}}334 || style="font-size:180%" | [[wikt:器|器]] || style="font-size:180%" | [[wikt:器|器]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 15 || 4 || || || キ、うつわ
|-
| {{0}}335 || style="font-size:180%" | [[wikt:畿|畿]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || キ
|-
| {{0}}336 || style="font-size:180%" | [[wikt:輝|輝]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">159</span>[[車部|車]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || キ、かがや-く
|-
| {{0}}337 || style="font-size:180%" | [[wikt:機|機]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 16 || 4 || || || キ、はた
|-
| {{0}}338 || style="font-size:180%" | [[wikt:騎|騎]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">187</span>[[馬部|馬]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || キ
|-
| {{0}}339 || style="font-size:180%" | [[wikt:技|技]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 7 || 5 || || || ギ、わざ
|-
| {{0}}340 || style="font-size:180%" | [[wikt:宜|宜]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ギ
|-
| {{0}}341 || style="font-size:180%" | [[wikt:偽|偽]] || style="font-size:180%" | [[wikt:僞|僞]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ギ、いつわ-る、にせ
|-
| {{0}}342 || style="font-size:180%" | [[wikt:欺|欺]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">076</span>[[欠部|欠]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ギ、あざむ-く
|-
| {{0}}343 || style="font-size:180%" | [[wikt:義|義]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">123</span>[[羊部|羊]] || 13 || 5 || || || ギ
|-
| {{0}}344 || style="font-size:180%" | [[wikt:疑|疑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">103</span>[[疋部|疋]] || 14 || 6 || || || ギ、うたが-う
|-
| {{0}}345 || style="font-size:180%" | [[wikt:儀|儀]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ギ
|-
| {{0}}346 || style="font-size:180%" | [[wikt:戯|戯]] || style="font-size:180%" | [[wikt:戲|戲]]<!-- 「戱」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">062</span>[[戈部|戈]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ギ、たわむ-れる
|-
| {{0}}347 || style="font-size:180%" | [[wikt:擬|擬]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || ギ
|-
| {{0}}348 || style="font-size:180%" | [[wikt:犠|犠]] || style="font-size:180%" | [[wikt:犧|犧]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">093</span>[[牛部|牛]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || ギ
|-
| {{0}}349 || style="font-size:180%" | [[wikt:議|議]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 20 || 4 || || || ギ
|-
| {{0}}350 || style="font-size:180%" | [[wikt:菊|菊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || キク
|-
| {{0}}351 || style="font-size:180%" | [[wikt:吉|吉]] || <!-- 「𠮷」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || キチ、キツ
|-
| {{0}}352 || style="font-size:180%" | [[wikt:喫|喫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || キツ
|-
| {{0}}353 || style="font-size:180%" | [[wikt:詰|詰]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || キツ、つ-める、つ-まる、つ-む
|-
| {{0}}354 || style="font-size:180%" | [[wikt:却|却]] || <!-- 「卻」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">026</span>[[卩部|卩]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || キャク
|-
| {{0}}355 || style="font-size:180%" | [[wikt:客|客]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 9 || 3 || || || キャク、カク
|-
| {{0}}356 || style="font-size:180%" | [[wikt:脚|脚]] || <!-- 「腳」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || キャク、(キャ)、あし
|-
| {{0}}357 || style="font-size:180%" | [[wikt:逆|逆]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 9 || 5 || || || ギャク、さか、さか-らう
|-
| {{0}}358 || style="font-size:180%" | [[wikt:虐|虐]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">141</span>[[虍部|虍]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ギャク、しいた-げる
|-
| {{0}}359 || style="font-size:180%" | [[wikt:九|九]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">005</span>[[乙部|乙]] || 2 || 1 || || || キュウ、ク、ここの、ここの-つ
|-
| {{0}}360 || style="font-size:180%" | [[wikt:久|久]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">004</span>[[丿部|丿]] || 3 || 5 || || || キュウ、(ク)、ひさ-しい
|-
| {{0}}361 || style="font-size:180%" | [[wikt:及|及]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">029</span>[[又部|又]] || 3 || <span style="display:none">7</span>S || || || キュウ、およ-ぶ、およ-び、およ-ぼす
|-
| {{0}}362 || style="font-size:180%" | [[wikt:弓|弓]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">057</span>[[弓部|弓]] || 3 || 2 || || || キュウ、ゆみ
|-
| {{0}}363 || style="font-size:180%" | [[wikt:丘|丘]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">001</span>[[一部 (部首)|一]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || || || キュウ、おか
|-
| {{0}}364 || style="font-size:180%" | [[wikt:旧|旧]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「旧」は示さない(注3参照) -->[[wikt:舊|舊]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">134</span>[[臼部|臼]] || 5 || 5 || || || キュウ
|-
| {{0}}365 || style="font-size:180%" | [[wikt:休|休]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 6 || 1 || || || キュウ、やす-む、やす-まる、やす-める
|-
| {{0}}366 || style="font-size:180%" | [[wikt:吸|吸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 6 || 6 || || || キュウ、す-う
|-
| {{0}}367 || style="font-size:180%" | [[wikt:朽|朽]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || キュウ、く-ちる
|-
| {{0}}368 || style="font-size:180%" | [[wikt:臼|臼]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">134</span>[[臼部|臼]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || キュウ、うす
|-
| {{0}}369 || style="font-size:180%" | [[wikt:求|求]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 7 || 4 || || || キュウ、もと-める
|-
| {{0}}370 || style="font-size:180%" | [[wikt:究|究]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">116</span>[[穴部|穴]] || 7 || 3 || || || キュウ、きわ-める
|-
| {{0}}371 || style="font-size:180%" | [[wikt:泣|泣]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 8 || 4 || || || キュウ、な-く
|-
| {{0}}372 || style="font-size:180%" | [[wikt:急|急]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 9 || 3 || || || キュウ、いそ-ぐ
|-
| {{0}}373 || style="font-size:180%" | [[wikt:級|級]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 9 || 3 || || || キュウ
|-
| {{0}}374 || style="font-size:180%" | [[wikt:糾|糾]] || <!-- 「糺」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || キュウ
|-
| {{0}}375 || style="font-size:180%" | [[wikt:宮|宮]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 10 || 3 || || || キュウ、グウ、(ク)、みや
|-
| {{0}}376 || style="font-size:180%" | [[wikt:救|救]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 11 || 5 || || || キュウ、すく-う
|-
| {{0}}377 || style="font-size:180%" | [[wikt:球|球]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">096</span>[[玉部|玉]] || 11 || 3 || || || キュウ、たま
|-
| {{0}}378 || style="font-size:180%" | [[wikt:給|給]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 12 || 4 || || || キュウ
|-
| {{0}}379 || style="font-size:180%" | [[wikt:嗅|嗅]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/></span> || <!-- 「齅」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || キュウ、か-ぐ
|-
| {{0}}380 || style="font-size:180%" | [[wikt:窮|窮]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">116</span>[[穴部|穴]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || キュウ、きわ-める、きわ-まる
|-
| {{0}}381 || style="font-size:180%" | [[wikt:牛|牛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">093</span>[[牛部|牛]] || 4 || 2 || || || ギュウ、うし
|-
| {{0}}382 || style="font-size:180%" | [[wikt:去|去]] || <!-- 「厺」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">028</span>[[厶部|厶]] || 5 || 3 || || || キョ、コ、さ-る
|-
| {{0}}383 || style="font-size:180%" | [[wikt:巨|巨]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">048</span>[[工部|工]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || || || キョ
|-
| {{0}}384 || style="font-size:180%" | [[wikt:居|居]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">044</span>[[尸部|尸]] || 8 || 5 || || || キョ、い-る
|-
| {{0}}385 || style="font-size:180%" | [[wikt:拒|拒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || キョ、こば-む
|-
| {{0}}386 || style="font-size:180%" | [[wikt:拠|拠]] || style="font-size:180%" | [[wikt:據|據]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || キョ、コ
|-
| {{0}}387 || style="font-size:180%" | [[wikt:挙|挙]] || style="font-size:180%" | [[wikt:擧|擧]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 10 || 4 || || || キョ、あ-げる、あ-がる
|-
| {{0}}388 || style="font-size:180%" | [[wikt:虚|虚]] || style="font-size:180%" | [[wikt:虛|虛]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">141</span>[[虍部|虍]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || キョ、(コ)
|-
| {{0}}389 || style="font-size:180%" | [[wikt:許|許]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 11 || 5 || || || キョ、ゆる-す
|-
| {{0}}390 || style="font-size:180%" | [[wikt:距|距]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">157</span>[[足部|足]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || キョ
|-
| {{0}}391 || style="font-size:180%" | [[wikt:魚|魚]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">195</span>[[魚部|魚]] || 11 || 2 || || || ギョ、うお、さかな
|-
| {{0}}392 || style="font-size:180%" | [[wikt:御|御]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ギョ、ゴ、おん
|-
| {{0}}393 || style="font-size:180%" | [[wikt:漁|漁]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 14 || 4 || || || ギョ、リョウ
|-
| {{0}}394 || style="font-size:180%" | [[wikt:凶|凶]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">017</span>[[凵部|凵]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || || || キョウ
|-
| {{0}}395 || style="font-size:180%" | [[wikt:共|共]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">012</span>[[八部|八]] || 6 || 4 || || || キョウ、とも
|-
| {{0}}396 || style="font-size:180%" | [[wikt:叫|叫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || キョウ、さけ-ぶ
|-
| {{0}}397 || style="font-size:180%" | [[wikt:狂|狂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">094</span>[[犬部|犬]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || キョウ、くる-う、くる-おしい
|-
| {{0}}398 || style="font-size:180%" | [[wikt:京|京]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">008</span>[[亠部|亠]] || 8 || 2 || || || キョウ、ケイ
|-
| {{0}}399 || style="font-size:180%" | [[wikt:享|享]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">008</span>[[亠部|亠]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || キョウ
|-
| {{0}}400 || style="font-size:180%" | [[wikt:供|供]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 8 || 6 || || || キョウ、(ク)、そな-える、とも
|-
| {{0}}401 || style="font-size:180%" | [[wikt:協|協]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">024</span>[[十部|十]] || 8 || 4 || || || キョウ
|-
| {{0}}402 || style="font-size:180%" | [[wikt:況|況]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || キョウ
|-
| {{0}}403 || style="font-size:180%" | [[wikt:峡|峡]] || style="font-size:180%" | [[wikt:峽|峽]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">046</span>[[山部|山]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || キョウ
|-
| {{0}}404 || style="font-size:180%" | [[wikt:挟|挟]] || style="font-size:180%" | [[wikt:挾|挾]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || キョウ、はさ-む、はさ-まる
|-
| {{0}}405 || style="font-size:180%" | [[wikt:狭|狭]] || style="font-size:180%" | [[wikt:狹|狹]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">094</span>[[犬部|犬]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || キョウ、せま-い、せば-める、せば-まる
|-
| {{0}}406 || style="font-size:180%" | [[wikt:恐|恐]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || キョウ、おそ-れる、おそ-ろしい
|-
| {{0}}407 || style="font-size:180%" | [[wikt:恭|恭]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || キョウ、うやうや-しい
|-
| {{0}}408 || style="font-size:180%" | [[wikt:胸|胸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 10 || 6 || || || キョウ、むね、(むな)
|-
| {{0}}409 || style="font-size:180%" | [[wikt:脅|脅]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || キョウ、おびや-かす、おど-す、おど-かす
|-
| {{0}}410 || style="font-size:180%" | [[wikt:強|強]] || <!-- 「强」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">057</span>[[弓部|弓]] || 11 || 2 || || || キョウ、ゴウ、つよ-い、つよ-まる、つよ-める、し-いる
|-
| {{0}}411 || style="font-size:180%" | [[wikt:教|教]] || style="font-size:180%" | [[wikt:敎|敎]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 11 || 2 || || || キョウ、おし-える、おそ-わる
|-
| {{0}}412 || style="font-size:180%" | [[wikt:郷|郷]] || style="font-size:180%" | [[wikt:鄕|鄕]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">163</span>[[邑部|邑]] || 11 || 6 || || || キョウ、ゴウ
|-
| {{0}}413 || style="font-size:180%" | [[wikt:境|境]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 14 || 5 || || || キョウ、(ケイ)、さかい
|-
| {{0}}414 || style="font-size:180%" | [[wikt:橋|橋]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 16 || 3 || || || キョウ、はし
|-
| {{0}}415 || style="font-size:180%" | [[wikt:矯|矯]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">111</span>[[矢部|矢]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || キョウ、た-める
|-
| {{0}}416 || style="font-size:180%" | [[wikt:鏡|鏡]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 19 || 4 || || || キョウ、かがみ
|-
| {{0}}417 || style="font-size:180%" | [[wikt:競|競]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">117</span>[[立部|立]] || 20 || 4 || || || キョウ、ケイ、きそ-う、せ-る
|-
| {{0}}418 || style="font-size:180%" | [[wikt:響|響]] || style="font-size:180%" | [[wikt:響|響]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">180</span>[[音部|音]] || 20 || <span style="display:none">7</span>S || || || キョウ、ひび-く
|-
| {{0}}419 || style="font-size:180%" | [[wikt:驚|驚]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">187</span>[[馬部|馬]] || 22 || <span style="display:none">7</span>S || || || キョウ、おどろ-く、おどろ-かす
|-
| {{0}}420 || style="font-size:180%" | [[wikt:仰|仰]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || ギョウ、(コウ)、あお-ぐ、おお-せ
|-
| {{0}}421 || style="font-size:180%" | [[wikt:暁|暁]] || style="font-size:180%" | [[wikt:曉|曉]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ギョウ、あかつき
|-
| {{0}}422 || style="font-size:180%" | [[wikt:業|業]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 13 || 3 || || || ギョウ、ゴウ、わざ
|-
| {{0}}423 || style="font-size:180%" | [[wikt:凝|凝]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">015</span>[[冫部|冫]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ギョウ、こ-る、こ-らす
|-
| {{0}}424 || style="font-size:180%" | [[wikt:曲|曲]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">073</span>[[曰部|曰]] || 6 || 3 || || || キョク、ま-がる、ま-げる
|-
| {{0}}425 || style="font-size:180%" | [[wikt:局|局]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">044</span>[[尸部|尸]] || 7 || 3 || || || キョク
|-
| {{0}}426 || style="font-size:180%" | [[wikt:極|極]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 12 || 4 || || || キョク、ゴク、きわ-める、きわ-まる、きわ-み
|-
| {{0}}427 || style="font-size:180%" | [[wikt:玉|玉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">096</span>[[玉部|玉]] || 5 || 1 || || || ギョク、たま
|-
| {{0}}428 || style="font-size:180%" | [[wikt:巾|巾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">050</span>[[巾部|巾]] || 3 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || キン
|-
| {{0}}429 || style="font-size:180%" | [[wikt:斤|斤]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">069</span>[[斤部|斤]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || || || キン
|-
| {{0}}430 || style="font-size:180%" | [[wikt:均|均]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 7 || 5 || || || キン
|-
| {{0}}431 || style="font-size:180%" | [[wikt:近|近]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 7 || 2 || || || キン、ちか-い
|-
| {{0}}432 || style="font-size:180%" | [[wikt:金|金]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 8 || 1 || || || キン、コン、かね、(かな)
|-
| {{0}}433 || style="font-size:180%" | [[wikt:菌|菌]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || キン
|-
| {{0}}434 || style="font-size:180%" | [[wikt:勤|勤]] || style="font-size:180%" | [[wikt:勤|勤]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 12 || 6 || || || キン、(ゴン)、つと-める、つと-まる
|-
| {{0}}435 || style="font-size:180%" | [[wikt:琴|琴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">096</span>[[玉部|玉]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || キン、こと
|-
| {{0}}436 || style="font-size:180%" | [[wikt:筋|筋]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 12 || 6 || || || キン、すじ
|-
| {{0}}437 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:僅|僅]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="E"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || キン、わず-か
|-
| {{0}}438 || style="font-size:180%" | [[wikt:禁|禁]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">113</span>[[示部|示]] || 13 || 5 || || || キン
|-
| {{0}}439 || style="font-size:180%" | [[wikt:緊|緊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || キン
|-
| {{0}}440 || style="font-size:180%" | [[wikt:錦|錦]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || キン、にしき
|-
| {{0}}441 || style="font-size:180%" | [[wikt:謹|謹]] || style="font-size:180%" | [[wikt:謹|謹]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || キン、つつし-む
|-
| {{0}}442 || style="font-size:180%" | [[wikt:襟|襟]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || キン、えり
|-
| {{0}}443 || style="font-size:180%" | [[wikt:吟|吟]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ギン
|-
| {{0}}444 || style="font-size:180%" | [[wikt:銀|銀]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 14 || 3 || || || ギン
|-
| {{0}}445 || style="font-size:180%" | [[wikt:区|区]] || style="font-size:180%" | [[wikt:區|區]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">023</span>[[匸部|匸]] || 4 || 3 || || || ク
|-
| {{0}}446 || style="font-size:180%" | [[wikt:句|句]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 5 || 5 || || || ク
|-
| {{0}}447 || style="font-size:180%" | [[wikt:苦|苦]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 8 || 3 || || || ク、くる-しい、くる-しむ、くる-しめる、にが-い、にが-る
|-
| {{0}}448 || style="font-size:180%" | [[wikt:駆|駆]] || style="font-size:180%" | [[wikt:驅|驅]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">187</span>[[馬部|馬]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ク、か-ける、か-る
|-
| {{0}}449 || style="font-size:180%" | [[wikt:具|具]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">012</span>[[八部|八]] || 8 || 3 || || || グ
|-
| {{0}}450 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:惧|惧]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="F"/></span> || <!-- 「懼」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || グ
|-
| {{0}}451 || style="font-size:180%" | [[wikt:愚|愚]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || グ、おろ-か
|-
| {{0}}452 || style="font-size:180%" | [[wikt:空|空]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">116</span>[[穴部|穴]] || 8 || 1 || || || クウ、そら、あ-く、あ-ける、から
|-
| {{0}}453 || style="font-size:180%" | [[wikt:偶|偶]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || グウ
|-
| {{0}}454 || style="font-size:180%" | [[wikt:遇|遇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || グウ
|-
| {{0}}455 || style="font-size:180%" | [[wikt:隅|隅]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || グウ、すみ
|-
| {{0}}456 || style="font-size:180%" | [[wikt:串|串]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">002</span>[[丨部|丨]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || くし
|-
| {{0}}457 || style="font-size:180%" | [[wikt:屈|屈]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">044</span>[[尸部|尸]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || クツ
|-
| {{0}}458 || style="font-size:180%" | [[wikt:掘|掘]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || クツ、ほ-る
|-
| {{0}}459 || style="font-size:180%" | [[wikt:窟|窟]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">116</span>[[穴部|穴]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || クツ
|-
| {{0}}460 || style="font-size:180%" | [[wikt:熊|熊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 14 || 4 || 2010 || || くま
|-
| {{0}}461 || style="font-size:180%" | [[wikt:繰|繰]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || || || く-る
|-
| {{0}}462 || style="font-size:180%" | [[wikt:君|君]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 7 || 3 || || || クン、きみ
|-
| {{0}}463 || style="font-size:180%" | [[wikt:訓|訓]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 10 || 4 || || || クン
|-
| {{0}}464 || style="font-size:180%" | [[wikt:勲|勲]] || style="font-size:180%" | [[wikt:勳|勳]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || クン
|-
| {{0}}465 || style="font-size:180%" | [[wikt:薫|薫]] || style="font-size:180%" | [[wikt:薰|薰]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || クン、かお-る
|-
| {{0}}466 || style="font-size:180%" | [[wikt:軍|軍]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">159</span>[[車部|車]] || 9 || 4 || || || グン
|-
| {{0}}467 || style="font-size:180%" | [[wikt:郡|郡]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">163</span>[[邑部|邑]] || 10 || 4 || || || グン
|-
| {{0}}468 || style="font-size:180%" | [[wikt:群|群]] || <!-- 「羣」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">123</span>[[羊部|羊]] || 13 || 4 || || || グン、む-れる、む-れ、(むら)
|-
| {{0}}469 || style="font-size:180%" | [[wikt:兄|兄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">010</span>[[儿部|儿]] || 5 || 2 || || || ケイ、(キョウ)、あに
|-
| {{0}}470 || style="font-size:180%" | [[wikt:刑|刑]] || <!-- 「𠛬」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケイ
|-
| {{0}}471 || style="font-size:180%" | [[wikt:形|形]] || <!-- U+2F899は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">059</span>[[彡部|彡]] || 7 || 2 || || || ケイ、ギョウ、かた、かたち
|-
| {{0}}472 || style="font-size:180%" | [[wikt:系|系]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 7 || 6 || || || ケイ
|-
| {{0}}473 || style="font-size:180%" | [[wikt:径|径]] || style="font-size:180%" | [[wikt:徑|徑]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 8 || 4 || || || ケイ
|-
| {{0}}474 || style="font-size:180%" | [[wikt:茎|茎]] || style="font-size:180%" | [[wikt:莖|莖]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケイ、くき
|-
| {{0}}475 || style="font-size:180%" | [[wikt:係|係]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 9 || 3 || || || ケイ、かか-る、かかり
|-
| {{0}}476 || style="font-size:180%" | [[wikt:型|型]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 9 || 5 || || || ケイ、かた
|-
| {{0}}477 || style="font-size:180%" | [[wikt:契|契]] || <!-- 旧字体としてU+F909は示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">037</span>[[大部|大]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケイ、ちぎ-る
|-
| {{0}}478 || style="font-size:180%" | [[wikt:計|計]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 9 || 2 || || || ケイ、はか-る、はか-らう
|-
| {{0}}479 || style="font-size:180%" | [[wikt:恵|恵]] || style="font-size:180%" | [[wikt:惠|惠]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケイ、エ、めぐ-む
|-
| {{0}}480 || style="font-size:180%" | [[wikt:啓|啓]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケイ
|-
| {{0}}481 || style="font-size:180%" | [[wikt:掲|掲]] || style="font-size:180%" | [[wikt:揭|揭]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケイ、かか-げる
|-
| {{0}}482 || style="font-size:180%" | [[wikt:渓|渓]] || style="font-size:180%" | [[wikt:溪|溪]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ケイ
|-
| {{0}}483 || style="font-size:180%" | [[wikt:経|経]] || style="font-size:180%" | [[wikt:經|經]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 11 || 5 || || || ケイ、キョウ、へ-る
|-
| {{0}}484 || style="font-size:180%" | [[wikt:蛍|蛍]] || style="font-size:180%" | [[wikt:螢|螢]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">142</span>[[虫部|虫]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ケイ、ほたる
|-
| {{0}}485 || style="font-size:180%" | [[wikt:敬|敬]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 12 || 6 || || || ケイ、うやま-う
|-
| {{0}}486 || style="font-size:180%" | [[wikt:景|景]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 12 || 4 || || || ケイ
|-
| {{0}}487 || style="font-size:180%" | [[wikt:軽|軽]] || style="font-size:180%" | [[wikt:輕|輕]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">159</span>[[車部|車]] || 12 || 3 || || || ケイ、かる-い、かろ-やか
|-
| {{0}}488 || style="font-size:180%" | [[wikt:傾|傾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケイ、かたむ-く、かたむ-ける
|-
| {{0}}489 || style="font-size:180%" | [[wikt:携|携]] || <!-- 「攜・擕」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケイ、たずさ-える、たずさ-わる
|-
| {{0}}490 || style="font-size:180%" | [[wikt:継|継]] || style="font-size:180%" | [[wikt:繼|繼]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケイ、つ-ぐ
|-
| {{0}}491 || style="font-size:180%" | [[wikt:詣|詣]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ケイ、もう-でる
|-
| {{0}}492 || style="font-size:180%" | [[wikt:慶|慶]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケイ
|-
| {{0}}493 || style="font-size:180%" | [[wikt:憬|憬]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ケイ
|-
| {{0}}494 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:稽|稽]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="F"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ケイ
|-
| {{0}}495 || style="font-size:180%" | [[wikt:憩|憩]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケイ、いこ-い、いこ-う
|-
| {{0}}496 || style="font-size:180%" | [[wikt:警|警]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 19 || 6 || || || ケイ
|-
| {{0}}497 || style="font-size:180%" | [[wikt:鶏|鶏]] || style="font-size:180%" | [[wikt:鷄|鷄]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">196</span>[[鳥部|鳥]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケイ、にわとり
|-
| {{0}}498 || style="font-size:180%" | [[wikt:芸|芸]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「芸」は示さない(注3参照) -->[[wikt:藝|藝]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 7 || 4 || || || ゲイ
|-
| {{0}}499 || style="font-size:180%" | [[wikt:迎|迎]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゲイ、むか-える
|-
| {{0}}500 || style="font-size:180%" | [[wikt:鯨|鯨]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">195</span>[[魚部|魚]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゲイ、くじら
|-
| {{0}}501 || style="font-size:180%" | [[wikt:隙|隙]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ゲキ、すき
|-
| {{0}}502 || style="font-size:180%" | [[wikt:劇|劇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 15 || 6 || || || ゲキ
|-
| {{0}}503 || style="font-size:180%" | [[wikt:撃|撃]] || style="font-size:180%" | [[wikt:擊|擊]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゲキ、う-つ
|-
| {{0}}504 || style="font-size:180%" | [[wikt:激|激]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 16 || 6 || || || ゲキ、はげ-しい
|-
| {{0}}505 || style="font-size:180%" | [[wikt:桁|桁]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || けた
|-
| {{0}}506 || style="font-size:180%" | [[wikt:欠|欠]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「欠」は示さない(注3参照) -->[[wikt:缺|缺]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">121</span>[[缶部|缶]] || 4 || 4 || || || ケツ、か-ける、か-く
|-
| {{0}}507 || style="font-size:180%" | [[wikt:穴|穴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">116</span>[[穴部|穴]] || 5 || 6 || || || ケツ、あな
|-
| {{0}}508 || style="font-size:180%" | [[wikt:血|血]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">143</span>[[血部|血]] || 6 || 3 || || || ケツ、ち
|-
| {{0}}509 || style="font-size:180%" | [[wikt:決|決]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 7 || 3 || || || ケツ、き-める、き-まる
|-
| {{0}}510 || style="font-size:180%" | [[wikt:結|結]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 12 || 4 || || || ケツ、むす-ぶ、ゆ-う、ゆ-わえる
|-
| {{0}}511 || style="font-size:180%" | [[wikt:傑|傑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケツ
|-
| {{0}}512 || style="font-size:180%" | [[wikt:潔|潔]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 15 || 5 || || || ケツ、いさぎよ-い
|-
| {{0}}513 || style="font-size:180%" | [[wikt:月|月]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">074</span>[[月部|月]] || 4 || 1 || || || ゲツ、ガツ、つき
|-
| {{0}}514 || style="font-size:180%" | [[wikt:犬|犬]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">094</span>[[犬部|犬]] || 4 || 1 || || || ケン、いぬ
|-
| {{0}}515 || style="font-size:180%" | [[wikt:件|件]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 6 || 5 || || || ケン
|-
| {{0}}516 || style="font-size:180%" | [[wikt:見|見]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">147</span>[[見部|見]] || 7 || 1 || || || ケン、み-る、み-える、み-せる
|-
| {{0}}517 || style="font-size:180%" | [[wikt:券|券]] || <!-- 「劵」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 8 || 6 || || || ケン
|-
| {{0}}518 || style="font-size:180%" | [[wikt:肩|肩]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケン、かた
|-
| {{0}}519 || style="font-size:180%" | [[wikt:建|建]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">054</span>[[廴部|廴]] || 9 || 4 || || || ケン、(コン)、た-てる、た-つ
|-
| {{0}}520 || style="font-size:180%" | [[wikt:研|研]] || style="font-size:180%" | [[wikt:硏|硏]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">112</span>[[石部|石]] || 9 || 3 || || || ケン、と-ぐ
|-
| {{0}}521 || style="font-size:180%" | [[wikt:県|県]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「県」は示さない(注3参照) -->[[wikt:縣|縣]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 9 || 3 || || || ケン
|-
| {{0}}522 || style="font-size:180%" | [[wikt:倹|倹]] || style="font-size:180%" | [[wikt:儉|儉]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケン
|-
| {{0}}523 || style="font-size:180%" | [[wikt:兼|兼]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">012</span>[[八部|八]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケン、か-ねる
|-
| {{0}}524 || style="font-size:180%" | [[wikt:剣|剣]] || style="font-size:180%" | [[wikt:劍|劍]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケン、つるぎ
|-
| {{0}}525 || style="font-size:180%" | [[wikt:拳|拳]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ケン、こぶし
|-
| {{0}}526 || style="font-size:180%" | [[wikt:軒|軒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">159</span>[[車部|車]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケン、のき
|-
| {{0}}527 || style="font-size:180%" | [[wikt:健|健]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 11 || 4 || || || ケン、すこ-やか
|-
| {{0}}528 || style="font-size:180%" | [[wikt:険|険]] || style="font-size:180%" | [[wikt:險|險]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 11 || 5 || || || ケン、けわ-しい
|-
| {{0}}529 || style="font-size:180%" | [[wikt:圏|圏]] || style="font-size:180%" | [[wikt:圈|圈]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">031</span>[[囗部|囗]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケン
|-
| {{0}}530 || style="font-size:180%" | [[wikt:堅|堅]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケン、かた-い
|-
| {{0}}531 || style="font-size:180%" | [[wikt:検|検]] || style="font-size:180%" | [[wikt:檢|檢]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 12 || 5 || || || ケン
|-
| {{0}}532 || style="font-size:180%" | [[wikt:嫌|嫌]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ケン、(ゲン)、きら-う、いや
|-
| {{0}}533 || style="font-size:180%" | [[wikt:献|献]] || style="font-size:180%" | [[wikt:獻|獻]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">094</span>[[犬部|犬]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケン、(コン)
|-
| {{0}}534 || style="font-size:180%" | [[wikt:絹|絹]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 13 || 6 || || || ケン、きぬ
|-
| {{0}}535 || style="font-size:180%" | [[wikt:遣|遣]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケン、つか-う、つか-わす
|-
| {{0}}536 || style="font-size:180%" | [[wikt:権|権]] || style="font-size:180%" | [[wikt:權|權]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 15 || 6 || || || ケン、(ゴン)
|-
| {{0}}537 || style="font-size:180%" | [[wikt:憲|憲]] || <!-- 旧字体としてU+2F8ACは示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 16 || 6 || || || ケン
|-
| {{0}}538 || style="font-size:180%" | [[wikt:賢|賢]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケン、かしこ-い
|-
| {{0}}539 || style="font-size:180%" | [[wikt:謙|謙]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケン
|-
| {{0}}540 || style="font-size:180%" | [[wikt:鍵|鍵]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ケン、かぎ
|-
| {{0}}541 || style="font-size:180%" | [[wikt:繭|繭]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケン、まゆ
|-
| {{0}}542 || style="font-size:180%" | [[wikt:顕|顕]] || style="font-size:180%" | [[wikt:顯|顯]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケン
|-
| {{0}}543 || style="font-size:180%" | [[wikt:験|験]] || style="font-size:180%" | [[wikt:驗|驗]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">187</span>[[馬部|馬]] || 18 || 4 || || || ケン、(ゲン)
|-
| {{0}}544 || style="font-size:180%" | [[wikt:懸|懸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 20 || <span style="display:none">7</span>S || || || ケン、(ケ)、か-ける、か-かる
|-
| {{0}}545 || style="font-size:180%" | [[wikt:元|元]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">010</span>[[儿部|儿]] || 4 || 2 || || || ゲン、ガン、もと
|-
| {{0}}546 || style="font-size:180%" | [[wikt:幻|幻]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">052</span>[[幺部|幺]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゲン、まぼろし
|-
| {{0}}547 || style="font-size:180%" | [[wikt:玄|玄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">095</span>[[玄部|玄]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゲン
|-
| {{0}}548 || style="font-size:180%" | [[wikt:言|言]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 7 || 2 || || || ゲン、ゴン、い-う、こと
|-
| {{0}}549 || style="font-size:180%" | [[wikt:弦|弦]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">057</span>[[弓部|弓]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゲン、つる
|-
| {{0}}550 || style="font-size:180%" | [[wikt:限|限]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 9 || 5 || || || ゲン、かぎ-る
|-
| {{0}}551 || style="font-size:180%" | [[wikt:原|原]] || <!-- 「厡」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">027</span>[[厂部|厂]] || 10 || 2 || || || ゲン、はら
|-
| {{0}}552 || style="font-size:180%" | [[wikt:現|現]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">096</span>[[玉部|玉]] || 11 || 5 || || || ゲン、あらわ-れる、あらわ-す
|-
| {{0}}553 || style="font-size:180%" | [[wikt:舷|舷]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">137</span>[[舟部|舟]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ゲン
|-
| {{0}}554 || style="font-size:180%" | [[wikt:減|減]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 12 || 5 || || || ゲン、へ-る、へ-らす
|-
| {{0}}555 || style="font-size:180%" | [[wikt:源|源]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 13 || 6 || || || ゲン、みなもと
|-
| {{0}}556 || style="font-size:180%" | [[wikt:厳|厳]] || style="font-size:180%" | [[wikt:嚴|嚴]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 17 || 6 || || || ゲン、(ゴン)、おごそ-か、きび-しい
|-
| {{0}}557 || style="font-size:180%" | [[wikt:己|己]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">049</span>[[己部|己]] || 3 || 6 || || || コ、キ、おのれ
|-
| {{0}}558 || style="font-size:180%" | [[wikt:戸|戸]] || style="font-size:180%" | [[wikt:戶|戶]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">063</span>[[戸部 (部首)|戶]] || 4 || 2 || || || コ、と
|-
| {{0}}559 || style="font-size:180%" | [[wikt:古|古]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 5 || 2 || || || コ、ふる-い、ふる-す
|-
| {{0}}560 || style="font-size:180%" | [[wikt:呼|呼]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 8 || 6 || || || コ、よ-ぶ
|-
| {{0}}561 || style="font-size:180%" | [[wikt:固|固]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">031</span>[[囗部|囗]] || 8 || 4 || || || コ、かた-める、かた-まる、かた-い
|-
| {{0}}562 || style="font-size:180%" | [[wikt:股|股]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || コ、また
|-
| {{0}}563 || style="font-size:180%" | [[wikt:虎|虎]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">141</span>[[虍部|虍]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || コ、とら
|-
| {{0}}564 || style="font-size:180%" | [[wikt:孤|孤]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">039</span>[[子部|子]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || コ
|-
| {{0}}565 || style="font-size:180%" | [[wikt:弧|弧]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">057</span>[[弓部|弓]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || コ
|-
| {{0}}566 || style="font-size:180%" | [[wikt:故|故]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 9 || 5 || || || コ、ゆえ
|-
| {{0}}567 || style="font-size:180%" | [[wikt:枯|枯]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || コ、か-れる、か-らす
|-
| {{0}}568 || style="font-size:180%" | [[wikt:個|個]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 10 || 5 || || || コ
|-
| {{0}}569 || style="font-size:180%" | [[wikt:庫|庫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">053</span>[[广部|广]] || 10 || 3 || || || コ、(ク)
|-
| {{0}}570 || style="font-size:180%" | [[wikt:湖|湖]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 12 || 3 || || || コ、みずうみ
|-
| {{0}}571 || style="font-size:180%" | [[wikt:雇|雇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">172</span>[[隹部|隹]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || コ、やと-う
|-
| {{0}}572 || style="font-size:180%" | [[wikt:誇|誇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || コ、ほこ-る
|-
| {{0}}573 || style="font-size:180%" | [[wikt:鼓|鼓]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">207</span>[[鼓部|鼓]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || コ、つづみ
|-
| {{0}}574 || style="font-size:180%" | [[wikt:錮|錮]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || コ
|-
| {{0}}575 || style="font-size:180%" | [[wikt:顧|顧]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 21 || <span style="display:none">7</span>S || || || コ、かえり-みる
|-
| {{0}}576 || style="font-size:180%" | [[wikt:五|五]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">007</span>[[二部|二]] || 4 || 1 || || || ゴ、いつ、いつ-つ
|-
| {{0}}577 || style="font-size:180%" | [[wikt:互|互]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">007</span>[[二部|二]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゴ、たが-い
|-
| {{0}}578 || style="font-size:180%" | [[wikt:午|午]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">024</span>[[十部|十]] || 4 || 2 || || || ゴ
|-
| {{0}}579 || style="font-size:180%" | [[wikt:呉|呉]] || style="font-size:180%" | [[wikt:吳|吳]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゴ
|-
| {{0}}580 || style="font-size:180%" | [[wikt:後|後]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 9 || 2 || || || ゴ、コウ、のち、うし-ろ、あと、おく-れる
|-
| {{0}}581 || style="font-size:180%" | [[wikt:娯|娯]] || style="font-size:180%" | [[wikt:娛|娛]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゴ
|-
| {{0}}582 || style="font-size:180%" | [[wikt:悟|悟]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゴ、さと-る
|-
| {{0}}583 || style="font-size:180%" | [[wikt:碁|碁]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">112</span>[[石部|石]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゴ
|-
| {{0}}584 || style="font-size:180%" | [[wikt:語|語]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 14 || 2 || || || ゴ、かた-る、かた-らう
|-
| {{0}}585 || style="font-size:180%" | [[wikt:誤|誤]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 14 || 6 || || || ゴ、あやま-る
|-
| {{0}}586 || style="font-size:180%" | [[wikt:護|護]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 20 || 5 || || || ゴ
|-
| {{0}}587 || style="font-size:180%" | [[wikt:口|口]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 3 || 1 || || || コウ、ク、くち
|-
| {{0}}588 || style="font-size:180%" | [[wikt:工|工]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">048</span>[[工部|工]] || 3 || 2 || || || コウ、ク
|-
| {{0}}589 || style="font-size:180%" | [[wikt:公|公]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">012</span>[[八部|八]] || 4 || 2 || || || コウ、おおやけ
|-
| {{0}}590 || style="font-size:180%" | [[wikt:勾|勾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">020</span>[[勹部|勹]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || コウ
|-
| {{0}}591 || style="font-size:180%" | [[wikt:孔|孔]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">039</span>[[子部|子]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ
|-
| {{0}}592 || style="font-size:180%" | [[wikt:功|功]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 5 || 4 || || || コウ、(ク)
|-
| {{0}}593 || style="font-size:180%" | [[wikt:巧|巧]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">048</span>[[工部|工]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ、たく-み
|-
| {{0}}594 || style="font-size:180%" | [[wikt:広|広]] || style="font-size:180%" | [[wikt:廣|廣]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">053</span>[[广部|广]] || 5 || 2 || || || コウ、ひろ-い、ひろ-まる、ひろ-める、ひろ-がる、ひろ-げる
|-
| {{0}}595 || style="font-size:180%" | [[wikt:甲|甲]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ、カン
|-
| {{0}}596 || style="font-size:180%" | [[wikt:交|交]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">008</span>[[亠部|亠]] || 6 || 2 || || || コウ、まじ-わる、まじ-える、ま-じる、ま-ざる、ま-ぜる、か-う、か-わす
|-
| {{0}}597 || style="font-size:180%" | [[wikt:光|光]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">010</span>[[儿部|儿]] || 6 || 2 || || || コウ、ひか-る、ひかり
|-
| {{0}}598 || style="font-size:180%" | [[wikt:向|向]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 6 || 3 || || || コウ、む-く、む-ける、む-かう、む-こう
|-
| {{0}}599 || style="font-size:180%" | [[wikt:后|后]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 6 || 6 || || || コウ
|-
| {{0}}600 || style="font-size:180%" | [[wikt:好|好]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 6 || 4 || || || コウ、この-む、す-く
|-
| {{0}}601 || style="font-size:180%" | [[wikt:江|江]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ、え
|-
| {{0}}602 || style="font-size:180%" | [[wikt:考|考]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">125</span>[[老部|老]] || 6 || 2 || || || コウ、かんが-える
|-
| {{0}}603 || style="font-size:180%" | [[wikt:行|行]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">144</span>[[行部|行]] || 6 || 2 || || || コウ、ギョウ、(アン)、い-く、ゆ-く、おこな-う
|-
| {{0}}604 || style="font-size:180%" | [[wikt:坑|坑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ
|-
| {{0}}605 || style="font-size:180%" | [[wikt:孝|孝]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">039</span>[[子部|子]] || 7 || 6 || || || コウ
|-
| {{0}}606 || style="font-size:180%" | [[wikt:抗|抗]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ
|-
| {{0}}607 || style="font-size:180%" | [[wikt:攻|攻]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ、せ-める
|-
| {{0}}608 || style="font-size:180%" | [[wikt:更|更]] || <!-- 「㪅」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">073</span>[[曰部|曰]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ、さら、ふ-ける、ふ-かす
|-
| {{0}}609 || style="font-size:180%" | [[wikt:効|効]] || <!-- 「效」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --><ref name="I"/> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 8 || 5 || || || コウ、き-く
|-
| {{0}}610 || style="font-size:180%" | [[wikt:幸|幸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">051</span>[[干部|干]] || 8 || 3 || || || コウ、さいわ-い、さち、しあわ-せ
|-
| {{0}}611 || style="font-size:180%" | [[wikt:拘|拘]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ
|-
| {{0}}612 || style="font-size:180%" | [[wikt:肯|肯]] || <!-- 「肎」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ
|-
| {{0}}613 || style="font-size:180%" | [[wikt:侯|侯]] || <!-- 「矦」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ
|-
| {{0}}614 || style="font-size:180%" | [[wikt:厚|厚]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">027</span>[[厂部|厂]] || 9 || 5 || || || コウ、あつ-い
|-
| {{0}}615 || style="font-size:180%" | [[wikt:恒|恒]] || style="font-size:180%" | [[wikt:恆|恆]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ
|-
| {{0}}616 || style="font-size:180%" | [[wikt:洪|洪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || コウ
|-
| {{0}}617 || style="font-size:180%" | [[wikt:皇|皇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">106</span>[[白部|白]] || 9 || 6 || || || コウ、オウ
|-
| {{0}}618 || style="font-size:180%" | [[wikt:紅|紅]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 9 || 6 || || || コウ、(ク)、べに、くれない
|-
| {{0}}619 || style="font-size:180%" | [[wikt:荒|荒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ、あら-い、あ-れる、あ-らす
|-
| {{0}}620 || style="font-size:180%" | [[wikt:郊|郊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">163</span>[[邑部|邑]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ
|-
| {{0}}621 || style="font-size:180%" | [[wikt:香|香]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">186</span>[[香部|香]] || 9 || 4 || || || コウ、(キョウ)、か、かお-り、かお-る
|-
| {{0}}622 || style="font-size:180%" | [[wikt:候|候]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 10 || 4 || || || コウ、そうろう
|-
| {{0}}623 || style="font-size:180%" | [[wikt:校|校]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 10 || 1 || || || コウ
|-
| {{0}}624 || style="font-size:180%" | [[wikt:耕|耕]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">127</span>[[耒部|耒]] || 10 || 5 || || || コウ、たがや-す
|-
| {{0}}625 || style="font-size:180%" | [[wikt:航|航]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">137</span>[[舟部|舟]] || 10 || 5 || || || コウ
|-
| {{0}}626 || style="font-size:180%" | [[wikt:貢|貢]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ、(ク)、みつ-ぐ
|-
| {{0}}627 || style="font-size:180%" | [[wikt:降|降]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 10 || 6 || || || コウ、お-りる、お-ろす、ふ-る
|-
| {{0}}628 || style="font-size:180%" | [[wikt:高|高]] || <!-- 「髙」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">189</span>[[高部|高]] || 10 || 2 || || || コウ、たか-い、たか、たか-まる、たか-める
|-
| {{0}}629 || style="font-size:180%" | [[wikt:康|康]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">053</span>[[广部|广]] || 11 || 4 || || || コウ
|-
| {{0}}630 || style="font-size:180%" | [[wikt:控|控]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ、ひか-える
|-
| {{0}}631 || style="font-size:180%" | [[wikt:梗|梗]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || コウ
|-
| {{0}}632 || style="font-size:180%" | [[wikt:黄|黄]] || style="font-size:180%" | [[wikt:黃|黃]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">201</span>[[黄部|黃]] || 11 || 2 || || || コウ、オウ、き、(こ)
|-
| {{0}}633 || style="font-size:180%" | [[wikt:喉|喉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || コウ、のど
|-
| {{0}}634 || style="font-size:180%" | [[wikt:慌|慌]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ、あわ-てる、あわ-ただしい
|-
| {{0}}635 || style="font-size:180%" | [[wikt:港|港]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 12 || 3 || || || コウ、みなと
|-
| {{0}}636 || style="font-size:180%" | [[wikt:硬|硬]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">112</span>[[石部|石]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ、かた-い
|-
| {{0}}637 || style="font-size:180%" | [[wikt:絞|絞]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ、しぼ-る、し-める、し-まる
|-
| {{0}}638 || style="font-size:180%" | [[wikt:項|項]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ
|-
| {{0}}639 || style="font-size:180%" | [[wikt:溝|溝]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || コウ、みぞ
|-
| {{0}}640 || style="font-size:180%" | [[wikt:鉱|鉱]] || style="font-size:180%" | [[wikt:鑛|鑛]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 13 || 5 || || || コウ
|-
| {{0}}641 || style="font-size:180%" | [[wikt:構|構]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 14 || 5 || || || コウ、かま-える、かま-う
|-
| {{0}}642 || style="font-size:180%" | [[wikt:綱|綱]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ、つな
|-
| {{0}}643 || style="font-size:180%" | [[wikt:酵|酵]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">164</span>[[酉部|酉]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ
|-
| {{0}}644 || style="font-size:180%" | [[wikt:稿|稿]] || <!-- 「稾」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ
|-
| {{0}}645 || style="font-size:180%" | [[wikt:興|興]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">134</span>[[臼部|臼]] || 16 || 5 || || || コウ、キョウ、おこ-る、おこ-す
|-
| {{0}}646 || style="font-size:180%" | [[wikt:衡|衡]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">144</span>[[行部|行]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ
|-
| {{0}}647 || style="font-size:180%" | [[wikt:鋼|鋼]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 16 || 6 || || || コウ、はがね
|-
| {{0}}648 || style="font-size:180%" | [[wikt:講|講]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 17 || 5 || || || コウ
|-
| {{0}}649 || style="font-size:180%" | [[wikt:購|購]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || コウ
|-
| {{0}}650 || style="font-size:180%" | [[wikt:乞|乞]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">005</span>[[乙部|乙]] || 3 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || こ-う
|-
| {{0}}651 || style="font-size:180%" | [[wikt:号|号]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「号」は示さない(注3参照) -->[[wikt:號|號]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">141</span>[[虍部|虍]] || 5 || 3 || || || ゴウ
|-
| {{0}}652 || style="font-size:180%" | [[wikt:合|合]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 6 || 2 || || || ゴウ、ガッ、(カッ)、あ-う、あ-わす、あ-わせる
|-
| {{0}}653 || style="font-size:180%" | [[wikt:拷|拷]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゴウ
|-
| {{0}}654 || style="font-size:180%" | [[wikt:剛|剛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゴウ
|-
| {{0}}655 || style="font-size:180%" | [[wikt:傲|傲]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ゴウ
|-
| {{0}}656 || style="font-size:180%" | [[wikt:豪|豪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">152</span>[[豕部|豕]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゴウ
|-
| {{0}}657 || style="font-size:180%" | [[wikt:克|克]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">010</span>[[儿部|儿]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || コク
|-
| {{0}}658 || style="font-size:180%" | [[wikt:告|告]] || style="font-size:180%" | [[wikt:吿|吿]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 7 || 5 || || || コク、つ-げる
|-
| {{0}}659 || style="font-size:180%" | [[wikt:谷|谷]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">150</span>[[谷部|谷]] || 7 || 2 || || || コク、たに
|-
| {{0}}660 || style="font-size:180%" | [[wikt:刻|刻]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 8 || 6 || || || コク、きざ-む
|-
| {{0}}661 || style="font-size:180%" | [[wikt:国|国]] || style="font-size:180%" | [[wikt:國|國]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">031</span>[[囗部|囗]] || 8 || 2 || || || コク、くに
|-
| {{0}}662 || style="font-size:180%" | [[wikt:黒|黒]] || style="font-size:180%" | [[wikt:黑|黑]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">203</span>[[黒部|黑]] || 11 || 2 || || || コク、くろ、くろ-い
|-
| {{0}}663 || style="font-size:180%" | [[wikt:穀|穀]] || style="font-size:180%" | [[wikt:穀|穀]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 14 || 6 || || || コク
|-
| {{0}}664 || style="font-size:180%" | [[wikt:酷|酷]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">164</span>[[酉部|酉]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || コク
|-
| {{0}}665 || style="font-size:180%" | [[wikt:獄|獄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">094</span>[[犬部|犬]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゴク
|-
| {{0}}666 || style="font-size:180%" | [[wikt:骨|骨]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">188</span>[[骨部|骨]] || 10 || 6 || || || コツ、ほね
|-
| {{0}}667 || style="font-size:180%" | [[wikt:駒|駒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">187</span>[[馬部|馬]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || こま
|-
| {{0}}668 || style="font-size:180%" | [[wikt:込|込]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || || || こ-む、こ-める
|-
| {{0}}669 || style="font-size:180%" | [[wikt:頃|頃]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ころ
|-
| {{0}}670 || style="font-size:180%" | [[wikt:今|今]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 4 || 2 || || || コン、キン、いま
|-
| {{0}}671 || style="font-size:180%" | [[wikt:困|困]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">031</span>[[囗部|囗]] || 7 || 6 || || || コン、こま-る
|-
| {{0}}672 || style="font-size:180%" | [[wikt:昆|昆]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || コン
|-
| {{0}}673 || style="font-size:180%" | [[wikt:恨|恨]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || コン、うら-む、うら-めしい
|-
| {{0}}674 || style="font-size:180%" | [[wikt:根|根]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 10 || 3 || || || コン、ね
|-
| {{0}}675 || style="font-size:180%" | [[wikt:婚|婚]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || コン
|-
| {{0}}676 || style="font-size:180%" | [[wikt:混|混]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 11 || 5 || || || コン、ま-じる、ま-ざる、ま-ぜる、こ-む
|-
| {{0}}677 || style="font-size:180%" | [[wikt:痕|痕]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">104</span>[[疒部|疒]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || コン、あと
|-
| {{0}}678 || style="font-size:180%" | [[wikt:紺|紺]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || コン
|-
| {{0}}679 || style="font-size:180%" | [[wikt:魂|魂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">194</span>[[鬼部|鬼]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || コン、たましい
|-
| {{0}}680 || style="font-size:180%" | [[wikt:墾|墾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || コン
|-
| {{0}}681 || style="font-size:180%" | [[wikt:懇|懇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || コン、ねんご-ろ
|-
| {{0}}682 || style="font-size:180%" | [[wikt:左|左]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">048</span>[[工部|工]] || 5 || 1 || || || サ、ひだり
|-
| {{0}}683 || style="font-size:180%" | [[wikt:佐|佐]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 7 || 4 || || || サ
|-
| {{0}}684 || style="font-size:180%" | [[wikt:沙|沙]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || サ
|-
| {{0}}685 || style="font-size:180%" | [[wikt:査|査]] || <!-- 「查」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 9 || 5 || || || サ
|-
| {{0}}686 || style="font-size:180%" | [[wikt:砂|砂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">112</span>[[石部|石]] || 9 || 6 || || || サ、シャ、すな
|-
| {{0}}687 || style="font-size:180%" | [[wikt:唆|唆]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || サ、そそのか-す
|-
| {{0}}688 || style="font-size:180%" | [[wikt:差|差]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">048</span>[[工部|工]] || 10 || 4 || || || サ、さ-す
|-
| {{0}}689 || style="font-size:180%" | [[wikt:詐|詐]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || サ
|-
| {{0}}690 || style="font-size:180%" | [[wikt:鎖|鎖]] || <!-- 「鎻」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || サ、くさり
|-
| {{0}}691 || style="font-size:180%" | [[wikt:座|座]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">053</span>[[广部|广]] || 10 || 6 || || || ザ、すわ-る
|-
| {{0}}692 || style="font-size:180%" | [[wikt:挫|挫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ザ
|-
| {{0}}693 || style="font-size:180%" | [[wikt:才|才]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 3 || 2 || || || サイ
|-
| {{0}}694 || style="font-size:180%" | [[wikt:再|再]] || <!-- U+2F815は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">013</span>[[冂部|冂]] || 6 || 5 || || || サイ、(サ)、ふたた-び
|-
| {{0}}695 || style="font-size:180%" | [[wikt:災|災]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 7 || 5 || || || サイ、わざわ-い
|-
| {{0}}696 || style="font-size:180%" | [[wikt:妻|妻]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 8 || 5 || || || サイ、つま
|-
| {{0}}697 || style="font-size:180%" | [[wikt:采|采]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">165</span>[[釆部|釆]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || サイ
|-
| {{0}}698 || style="font-size:180%" | [[wikt:砕|砕]] || style="font-size:180%" | [[wikt:碎|碎]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">112</span>[[石部|石]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || サイ、くだ-く、くだ-ける
|-
| {{0}}699 || style="font-size:180%" | [[wikt:宰|宰]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || サイ
|-
| {{0}}700 || style="font-size:180%" | [[wikt:栽|栽]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || サイ
|-
| {{0}}701 || style="font-size:180%" | [[wikt:彩|彩]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">059</span>[[彡部|彡]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || サイ、いろど-る
|-
| {{0}}702 || style="font-size:180%" | [[wikt:採|採]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 11 || 5 || || || サイ、と-る
|-
| {{0}}703 || style="font-size:180%" | [[wikt:済|済]] || style="font-size:180%" | [[wikt:濟|濟]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 11 || 6 || || || サイ、す-む、す-ます
|-
| {{0}}704 || style="font-size:180%" | [[wikt:祭|祭]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">113</span>[[示部|示]] || 11 || 3 || || || サイ、まつ-る、まつ-り
|-
| {{0}}705 || style="font-size:180%" | [[wikt:斎|斎]] || style="font-size:180%" | <!-- Windows搭載の游ゴシックを指定しない -->[[wikt:齋|<span style="font-family:'游ゴシック体','YuGothic','ヒラギノ角ゴ ProN W3','Hiragino Kaku Gothic ProN W3','ヒラギノ角ゴ ProN','Hiragino Kaku Gothic ProN','源ノ角ゴシック JP Normal','Source Han Sans JP Normal','Noto Sans CJK JP DemiLight','源ノ角ゴシック JP','Source Han Sans JP','Noto Sans CJK JP','メイリオ','Meiryo','MS Pゴシック','MS PGothic';">齋</span>]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">210</span>[[斉部|齊]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || サイ
|-
| {{0}}706 || style="font-size:180%" | [[wikt:細|細]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 11 || 2 || || || サイ、ほそ-い、ほそ-る、こま-か、こま-かい
|-
| {{0}}707 || style="font-size:180%" | [[wikt:菜|菜]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 11 || 4 || || || サイ、な
|-
| {{0}}708 || style="font-size:180%" | [[wikt:最|最]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">073</span>[[曰部|曰]] || 12 || 4 || || || サイ、もっと-も
|-
| {{0}}709 || style="font-size:180%" | [[wikt:裁|裁]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 12 || 6 || || || サイ、た-つ、さば-く
|-
| {{0}}710 || style="font-size:180%" | [[wikt:債|債]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || サイ
|-
| {{0}}711 || style="font-size:180%" | [[wikt:催|催]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || サイ、もよお-す
|-
| {{0}}712 || style="font-size:180%" | [[wikt:塞|塞]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || サイ、ソク、ふさ-ぐ、ふさ-がる
|-
| {{0}}713 || style="font-size:180%" | [[wikt:歳|歳]] || style="font-size:180%" | [[wikt:歲|歲]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">077</span>[[止部|止]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || サイ、(セイ)
|-
| {{0}}714 || style="font-size:180%" | [[wikt:載|載]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">159</span>[[車部|車]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || サイ、の-せる、の-る
|-
| {{0}}715 || style="font-size:180%" | [[wikt:際|際]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 14 || 5 || || || サイ、きわ
|-
| {{0}}716 || style="font-size:180%" | [[wikt:埼|埼]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 11 || 4 || 2010 || || (さい)<ref name="D"/>
|-
| {{0}}717 || style="font-size:180%" | [[wikt:在|在]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 6 || 5 || || || ザイ、あ-る
|-
| {{0}}718 || style="font-size:180%" | [[wikt:材|材]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 7 || 4 || || || ザイ
|-
| {{0}}719 || style="font-size:180%" | [[wikt:剤|剤]] || style="font-size:180%" | [[wikt:劑|劑]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ザイ
|-
| {{0}}720 || style="font-size:180%" | [[wikt:財|財]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 10 || 5 || || || ザイ、(サイ)
|-
| {{0}}721 || style="font-size:180%" | [[wikt:罪|罪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">122</span>[[网部|网]] || 13 || 5 || || || ザイ、つみ
|-
| {{0}}722 || style="font-size:180%" | [[wikt:崎|崎]] || <!-- 「﨑」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">046</span>[[山部|山]] || 11 || 4 || 1981 || || さき
|-
| {{0}}723 || style="font-size:180%" | [[wikt:作|作]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 7 || 2 || || || サク、サ、つく-る
|-
| {{0}}724 || style="font-size:180%" | [[wikt:削|削]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || サク、けず-る
|-
| {{0}}725 || style="font-size:180%" | [[wikt:昨|昨]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 9 || 4 || || || サク
|-
| {{0}}726 || style="font-size:180%" | [[wikt:柵|柵]]<span style="font-size:72%"> <ref name="F"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || サク
|-
| {{0}}727 || style="font-size:180%" | [[wikt:索|索]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || サク
|-
| {{0}}728 || style="font-size:180%" | [[wikt:策|策]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 12 || 6 || || || サク
|-
| {{0}}729 || style="font-size:180%" | [[wikt:酢|酢]] || <!-- 「醋」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">164</span>[[酉部|酉]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || サク、す
|-
| {{0}}730 || style="font-size:180%" | [[wikt:搾|搾]] || <!-- 「榨」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || サク、しぼ-る
|-
| {{0}}731 || style="font-size:180%" | [[wikt:錯|錯]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || サク
|-
| {{0}}732 || style="font-size:180%" | [[wikt:咲|咲]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || さ-く
|-
| {{0}}733 || style="font-size:180%" | [[wikt:冊|冊]] || style="font-size:180%" | [[wikt:册|册]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">013</span>[[冂部|冂]] || 5 || 6 || || || サツ、サク
|-
| {{0}}734 || style="font-size:180%" | [[wikt:札|札]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 5 || 4 || || || サツ、ふだ
|-
| {{0}}735 || style="font-size:180%" | [[wikt:刷|刷]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 8 || 4 || || || サツ、す-る
|-
| {{0}}736 || style="font-size:180%" | [[wikt:刹|刹]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || サツ、セツ
|-
| {{0}}737 || style="font-size:180%" | [[wikt:拶|拶]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || サツ
|-
| {{0}}738 || style="font-size:180%" | [[wikt:殺|殺]] || style="font-size:180%" | [[wikt:殺|殺]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">079</span>[[殳部|殳]] || 10 || 5 || || || サツ、(サイ)、(セツ)、ころ-す
|-
| {{0}}739 || style="font-size:180%" | [[wikt:察|察]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 14 || 4 || || || サツ
|-
| {{0}}740 || style="font-size:180%" | [[wikt:撮|撮]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || サツ、と-る
|-
| {{0}}741 || style="font-size:180%" | [[wikt:擦|擦]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || サツ、す-る、す-れる
|-
| {{0}}742 || style="font-size:180%" | [[wikt:雑|雑]] || style="font-size:180%" | [[wikt:雜|雜]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">172</span>[[隹部|隹]] || 14 || 5 || || || ザツ、ゾウ
|-
| {{0}}743 || style="font-size:180%" | [[wikt:皿|皿]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">108</span>[[皿部|皿]] || 5 || 3 || 1981 || || さら
|-
| {{0}}744 || style="font-size:180%" | [[wikt:三|三]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">001</span>[[一部 (部首)|一]] || 3 || 1 || || || サン、み、み-つ、みっ-つ
|-
| {{0}}745 || style="font-size:180%" | [[wikt:山|山]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">046</span>[[山部|山]] || 3 || 1 || || || サン、やま
|-
| {{0}}746 || style="font-size:180%" | [[wikt:参|参]] || style="font-size:180%" | [[wikt:參|參]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">028</span>[[厶部|厶]] || 8 || 4 || || || サン、まい-る
|-
| {{0}}747 || style="font-size:180%" | [[wikt:桟|桟]] || style="font-size:180%" | [[wikt:棧|棧]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || サン
|-
| {{0}}748 || style="font-size:180%" | [[wikt:蚕|蚕]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「蚕」は示さない(注3参照) -->[[wikt:蠶|蠶]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">142</span>[[虫部|虫]] || 10 || 6 || || || サン、かいこ
|-
| {{0}}749 || style="font-size:180%" | [[wikt:惨|惨]] || style="font-size:180%" | [[wikt:慘|慘]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || サン、ザン、みじ-め
|-
| {{0}}750 || style="font-size:180%" | [[wikt:産|産]] || style="font-size:180%" | [[wikt:產|產]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">100</span>[[生部|生]] || 11 || 4 || || || サン、う-む、う-まれる、うぶ
|-
| {{0}}751 || style="font-size:180%" | [[wikt:傘|傘]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || サン、かさ
|-
| {{0}}752 || style="font-size:180%" | [[wikt:散|散]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 12 || 4 || || || サン、ち-る、ち-らす、ち-らかす、ち-らかる
|-
| {{0}}753 || style="font-size:180%" | [[wikt:算|算]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 14 || 2 || || || サン
|-
| {{0}}754 || style="font-size:180%" | [[wikt:酸|酸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">164</span>[[酉部|酉]] || 14 || 5 || || || サン、す-い
|-
| {{0}}755 || style="font-size:180%" | [[wikt:賛|賛]] || style="font-size:180%" | [[wikt:贊|贊]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 15 || 5 || || || サン
|-
| {{0}}756 || style="font-size:180%" | [[wikt:残|残]] || style="font-size:180%" | [[wikt:殘|殘]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">078</span>[[歹部|歹]] || 10 || 4 || || || ザン、のこ-る、のこ-す
|-
| {{0}}757 || style="font-size:180%" | [[wikt:斬|斬]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">069</span>[[斤部|斤]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ザン、き-る
|-
| {{0}}758 || style="font-size:180%" | [[wikt:暫|暫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ザン
|-
| {{0}}759 || style="font-size:180%" | [[wikt:士|士]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">033</span>[[士部|士]] || 3 || 5 || || || シ
|-
| {{0}}760 || style="font-size:180%" | [[wikt:子|子]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">039</span>[[子部|子]] || 3 || 1 || || || シ、ス、こ
|-
| {{0}}761 || style="font-size:180%" | [[wikt:支|支]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">065</span>[[支部 (部首)|支]] || 4 || 5 || || || シ、ささ-える
|-
| {{0}}762 || style="font-size:180%" | [[wikt:止|止]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">077</span>[[止部|止]] || 4 || 2 || || || シ、と-まる、と-める
|-
| {{0}}763 || style="font-size:180%" | [[wikt:氏|氏]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">083</span>[[氏部|氏]] || 4 || 4 || || || シ、うじ
|-
| {{0}}764 || style="font-size:180%" | [[wikt:仕|仕]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 5 || 3 || || || シ、(ジ)、つか-える
|-
| {{0}}765 || style="font-size:180%" | [[wikt:史|史]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 5 || 5 || || || シ
|-
| {{0}}766 || style="font-size:180%" | [[wikt:司|司]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 5 || 4 || || || シ
|-
| {{0}}767 || style="font-size:180%" | [[wikt:四|四]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">031</span>[[囗部|囗]] || 5 || 1 || || || シ、よ、よ-つ、よっ-つ、よん
|-
| {{0}}768 || style="font-size:180%" | [[wikt:市|市]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">050</span>[[巾部|巾]] || 5 || 2 || || || シ、いち
|-
| {{0}}769 || style="font-size:180%" | [[wikt:矢|矢]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">111</span>[[矢部|矢]] || 5 || 2 || || || シ、や
|-
| {{0}}770 || style="font-size:180%" | [[wikt:旨|旨]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || シ、むね
|-
| {{0}}771 || style="font-size:180%" | [[wikt:死|死]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">078</span>[[歹部|歹]] || 6 || 3 || || || シ、し-ぬ
|-
| {{0}}772 || style="font-size:180%" | [[wikt:糸|糸]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「糸」は示さない(注3参照) -->[[wikt:絲|絲]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 6 || 1 || || || シ、いと
|-
| {{0}}773 || style="font-size:180%" | [[wikt:至|至]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">133</span>[[至部|至]] || 6 || 6 || || || シ、いた-る
|-
| {{0}}774 || style="font-size:180%" | [[wikt:伺|伺]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || シ、うかが-う
|-
| {{0}}775 || style="font-size:180%" | [[wikt:志|志]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 7 || 5 || || || シ、こころざ-す、こころざし
|-
| {{0}}776 || style="font-size:180%" | [[wikt:私|私]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 7 || 6 || || || シ、わたくし、わたし
|-
| {{0}}777 || style="font-size:180%" | [[wikt:使|使]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 8 || 3 || || || シ、つか-う
|-
| {{0}}778 || style="font-size:180%" | [[wikt:刺|刺]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || シ、さ-す、さ-さる
|-
| {{0}}779 || style="font-size:180%" | [[wikt:始|始]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 8 || 3 || || || シ、はじ-める、はじ-まる
|-
| {{0}}780 || style="font-size:180%" | [[wikt:姉|姉]] || <!-- 「姊」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 8 || 2 || || || シ、あね
|-
| {{0}}781 || style="font-size:180%" | [[wikt:枝|枝]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 8 || 5 || || || シ、えだ
|-
| {{0}}782 || style="font-size:180%" | [[wikt:祉|祉]] || style="font-size:180%" | [[wikt:祉|祉]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">113</span>[[示部|示]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || シ
|-
| {{0}}783 || style="font-size:180%" | [[wikt:肢|肢]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || シ
|-
| {{0}}784 || style="font-size:180%" | [[wikt:姿|姿]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 9 || 6 || || || シ、すがた
|-
| {{0}}785 || style="font-size:180%" | [[wikt:思|思]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 9 || 2 || || || シ、おも-う
|-
| {{0}}786 || style="font-size:180%" | [[wikt:指|指]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 9 || 3 || || || シ、ゆび、さ-す
|-
| {{0}}787 || style="font-size:180%" | [[wikt:施|施]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">070</span>[[方部|方]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || シ、セ、ほどこ-す
|-
| {{0}}788 || style="font-size:180%" | [[wikt:師|師]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">050</span>[[巾部|巾]] || 10 || 5 || || || シ
|-
| {{0}}789 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:恣|恣]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="F"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || シ
|-
| {{0}}790 || style="font-size:180%" | [[wikt:紙|紙]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 10 || 2 || || || シ、かみ
|-
| {{0}}791 || style="font-size:180%" | [[wikt:脂|脂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || シ、あぶら
|-
| {{0}}792 || style="font-size:180%" | [[wikt:視|視]] || style="font-size:180%" | [[wikt:視|視]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">147</span>[[見部|見]] || 11 || 6 || || || シ
|-
| {{0}}793 || style="font-size:180%" | [[wikt:紫|紫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || シ、むらさき
|-
| {{0}}794 || style="font-size:180%" | [[wikt:詞|詞]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 12 || 6 || || || シ
|-
| {{0}}795 || style="font-size:180%" | [[wikt:歯|歯]] || style="font-size:180%" | [[wikt:齒|齒]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">211</span>[[歯部|齒]] || 12 || 3 || || || シ、は
|-
| {{0}}796 || style="font-size:180%" | [[wikt:嗣|嗣]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || シ
|-
| {{0}}797 || style="font-size:180%" | [[wikt:試|試]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 13 || 4 || || || シ、こころ-みる、ため-す
|-
| {{0}}798 || style="font-size:180%" | [[wikt:詩|詩]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 13 || 3 || || || シ
|-
| {{0}}799 || style="font-size:180%" | [[wikt:資|資]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 13 || 5 || || || シ
|-
| {{0}}800 || style="font-size:180%" | [[wikt:飼|飼]] || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:飼|飼]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/><ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">184</span>[[食部|食]] || 13 || 5 || || || シ、か-う
|-
| {{0}}801 || style="font-size:180%" | [[wikt:誌|誌]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 14 || 6 || || || シ
|-
| {{0}}802 || style="font-size:180%" | [[wikt:雌|雌]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">172</span>[[隹部|隹]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || シ、め、めす
|-
| {{0}}803 || style="font-size:180%" | [[wikt:摯|摯]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || シ
|-
| {{0}}804 || style="font-size:180%" | [[wikt:賜|賜]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || シ、たまわ-る
|-
| {{0}}805 || style="font-size:180%" | [[wikt:諮|諮]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || シ、はか-る
|-
| {{0}}806 || style="font-size:180%" | [[wikt:示|示]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">113</span>[[示部|示]] || 5 || 5 || || || ジ、シ、しめ-す
|-
| {{0}}807 || style="font-size:180%" | [[wikt:字|字]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">039</span>[[子部|子]] || 6 || 1 || || || ジ、あざ
|-
| {{0}}808 || style="font-size:180%" | [[wikt:寺|寺]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">041</span>[[寸部|寸]] || 6 || 2 || || || ジ、てら
|-
| {{0}}809 || style="font-size:180%" | [[wikt:次|次]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">076</span>[[欠部|欠]] || 6 || 3 || || || ジ、シ、つ-ぐ、つぎ
|-
| {{0}}810 || style="font-size:180%" | [[wikt:耳|耳]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">128</span>[[耳部|耳]] || 6 || 1 || || || ジ、みみ
|-
| {{0}}811 || style="font-size:180%" | [[wikt:自|自]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">132</span>[[自部|自]] || 6 || 2 || || || ジ、シ、みずか-ら
|-
| {{0}}812 || style="font-size:180%" | [[wikt:似|似]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 7 || 5 || || || ジ、に-る
|-
| {{0}}813 || style="font-size:180%" | [[wikt:児|児]] || style="font-size:180%" | [[wikt:兒|兒]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">010</span>[[儿部|儿]] || 7 || 4 || || || ジ、(ニ)
|-
| {{0}}814 || style="font-size:180%" | [[wikt:事|事]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">006</span>[[亅部|亅]] || 8 || 3 || || || ジ、(ズ)、こと
|-
| {{0}}815 || style="font-size:180%" | [[wikt:侍|侍]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジ、さむらい
|-
| {{0}}816 || style="font-size:180%" | [[wikt:治|治]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 8 || 4 || || || ジ、チ、おさ-める、おさ-まる、なお-る、なお-す
|-
| {{0}}817 || style="font-size:180%" | [[wikt:持|持]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 9 || 3 || || || ジ、も-つ
|-
| {{0}}818 || style="font-size:180%" | [[wikt:時|時]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 10 || 2 || || || ジ、とき
|-
| {{0}}819 || style="font-size:180%" | [[wikt:滋|滋]] || <!-- U+2F90Bは『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 12 || 4 || || || ジ
|-
| {{0}}820 || style="font-size:180%" | [[wikt:慈|慈]] || <!-- U+2F8A6は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジ、いつく-しむ
|-
| {{0}}821 || style="font-size:180%" | [[wikt:辞|辞]] || style="font-size:180%" | [[wikt:辭|辭]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">160</span>[[辛部|辛]] || 13 || 4 || || || ジ、や-める
|-
| {{0}}822 || style="font-size:180%" | [[wikt:磁|磁]] || <!-- 「𥔵」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">112</span>[[石部|石]] || 14 || 6 || || || ジ
|-
| {{0}}823 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:餌|餌]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="G">「{{JIS2004フォント|餌}}・{{JIS2004フォント|遡}}・{{JIS2004フォント|遜}}・{{JIS2004フォント|謎}}・{{JIS2004フォント|餅}}」の5字には「「[[辵部|しんにゅう]]/[[食部|しょくへん]]」に関係する字のうち、「[https://glyphwiki.org/wiki/u8fb6-ue0100 {{JIS2004フォント|辶}}]/[https://glyphwiki.org/wiki/u2967f-ue0100 {{JIS2004フォント|𩙿}}]」の字形が通用字体である字については、「[https://glyphwiki.org/wiki/u8fb6-ue0101 {{JIS2004フォント|辶}}]/[https://glyphwiki.org/wiki/u98e0-ue0100 {{JIS2004フォント|飠}}]」の字形を角括弧に入れて許容字体として併せ示した。当該の字に関して、現に印刷文字として許容字体を用いている場合、通用字体である「[https://glyphwiki.org/wiki/u8fb6-ue0100 {{JIS2004フォント|辶}}]/[https://glyphwiki.org/wiki/u2967f-ue0100 {{JIS2004フォント|𩙿}}]」の字形に改める必要はない。」という「字体の許容」が適用される。</ref></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">184</span>[[食部|食]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ジ、えさ、え
|-
| {{0}}824 || style="font-size:180%" | [[wikt:璽|璽]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">096</span>[[玉部|玉]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジ
|-
| {{0}}825 || style="font-size:180%" | [[wikt:鹿|鹿]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">198</span>[[鹿部|鹿]] || 11 || 4 || 2010 || || しか、(か)
|-
| {{0}}826 || style="font-size:180%" | [[wikt:式|式]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">056</span>[[弋部|弋]] || 6 || 3 || || || シキ
|-
| {{0}}827 || style="font-size:180%" | [[wikt:識|識]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 19 || 5 || || || シキ
|-
| {{0}}828 || style="font-size:180%" | [[wikt:軸|軸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">159</span>[[車部|車]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジク
|-
| {{0}}829 || style="font-size:180%" | [[wikt:七|七]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">001</span>[[一部 (部首)|一]] || 2 || 1 || || || シチ、なな、なな-つ、(なの)
|-
| {{0}}830 || style="font-size:180%" | [[wikt:𠮟|𠮟]]-[[wikt:叱|叱]]<span style="font-size:72%"> <ref name="C"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || シツ、しか-る
|-
| {{0}}831 || style="font-size:180%" | [[wikt:失|失]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">037</span>[[大部|大]] || 5 || 4 || || || シツ、うしな-う
|-
| {{0}}832 || style="font-size:180%" | [[wikt:室|室]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 9 || 2 || || || シツ、むろ
|-
| {{0}}833 || style="font-size:180%" | [[wikt:疾|疾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">104</span>[[疒部|疒]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || シツ
|-
| {{0}}834 || style="font-size:180%" | [[wikt:執|執]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || シツ、シュウ、と-る
|-
| {{0}}835 || style="font-size:180%" | [[wikt:湿|湿]] || style="font-size:180%" | [[wikt:濕|濕]]<!-- 「溼」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || シツ、しめ-る、しめ-す
|-
| {{0}}836 || style="font-size:180%" | [[wikt:嫉|嫉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || シツ
|-
| {{0}}837 || style="font-size:180%" | [[wikt:漆|漆]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || シツ、うるし
|-
| {{0}}838 || style="font-size:180%" | [[wikt:質|質]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 15 || 5 || || || シツ、シチ、(チ)
|-
| {{0}}839 || style="font-size:180%" | [[wikt:実|実]] || style="font-size:180%" | [[wikt:實|實]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 8 || 3 || || || ジツ、み、みの-る
|-
| {{0}}840 || style="font-size:180%" | [[wikt:芝|芝]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || しば
|-
| {{0}}841 || style="font-size:180%" | [[wikt:写|写]] || style="font-size:180%" | [[wikt:寫|寫]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 5 || 3 || || || シャ、うつ-す、うつ-る
|-
| {{0}}842 || style="font-size:180%" | [[wikt:社|社]] || style="font-size:180%" | [[wikt:社|社]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">113</span>[[示部|示]] || 7 || 2 || || || シャ、やしろ
|-
| {{0}}843 || style="font-size:180%" | [[wikt:車|車]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">159</span>[[車部|車]] || 7 || 1 || || || シャ、くるま
|-
| {{0}}844 || style="font-size:180%" | [[wikt:舎|舎]] || style="font-size:180%" | [[wikt:舍|舍]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">135</span>[[舌部|舌]] || 8 || 5 || || || シャ
|-
| {{0}}845 || style="font-size:180%" | [[wikt:者|者]] || style="font-size:180%" | [[wikt:者|者]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">125</span>[[老部|老]] || 8 || 3 || || || シャ、もの
|-
| {{0}}846 || style="font-size:180%" | [[wikt:射|射]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">041</span>[[寸部|寸]] || 10 || 6 || || || シャ、い-る
|-
| {{0}}847 || style="font-size:180%" | [[wikt:捨|捨]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 11 || 6 || || || シャ、す-てる
|-
| {{0}}848 || style="font-size:180%" | [[wikt:赦|赦]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">155</span>[[赤部|赤]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || シャ
|-
| {{0}}849 || style="font-size:180%" | [[wikt:斜|斜]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">068</span>[[斗部|斗]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || シャ、なな-め
|-
| {{0}}850 || style="font-size:180%" | [[wikt:煮|煮]] || style="font-size:180%" | [[wikt:煮|煮]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || シャ、に-る、に-える、に-やす
|-
| {{0}}851 || style="font-size:180%" | [[wikt:遮|遮]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || シャ、さえぎ-る
|-
| {{0}}852 || style="font-size:180%" | [[wikt:謝|謝]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 17 || 5 || || || シャ、あやま-る
|-
| {{0}}853 || style="font-size:180%" | [[wikt:邪|邪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">163</span>[[邑部|邑]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジャ
|-
| {{0}}854 || style="font-size:180%" | [[wikt:蛇|蛇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">142</span>[[虫部|虫]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ジャ、ダ、へび
|- style="background-color:#dddddd; color:black"
| {{0}} || style="font-size:180%" | [[wikt:勺|勺]] || <!-- U+2F828は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">020</span>[[勹部|勹]] || 3 || <span style="display:none">8</span> || || 2010 || シャク
|-
| {{0}}855 || style="font-size:180%" | [[wikt:尺|尺]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">044</span>[[尸部|尸]] || 4 || 6 || || || シャク
|-
| {{0}}856 || style="font-size:180%" | [[wikt:借|借]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 10 || 4 || || || シャク、か-りる
|-
| {{0}}857 || style="font-size:180%" | [[wikt:酌|酌]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">164</span>[[酉部|酉]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || シャク、く-む
|-
| {{0}}858 || style="font-size:180%" | [[wikt:釈|釈]] || style="font-size:180%" | [[wikt:釋|釋]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">165</span>[[釆部|釆]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || シャク
|-
| {{0}}859 || style="font-size:180%" | [[wikt:爵|爵]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">087</span>[[爪部|爪]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || シャク
|-
| {{0}}860 || style="font-size:180%" | [[wikt:若|若]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 8 || 6 || || || ジャク、(ニャク)、わか-い、も-しくは
|-
| {{0}}861 || style="font-size:180%" | [[wikt:弱|弱]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">057</span>[[弓部|弓]] || 10 || 2 || || || ジャク、よわ-い、よわ-る、よわ-まる、よわ-める
|-
| {{0}}862 || style="font-size:180%" | [[wikt:寂|寂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジャク、(セキ)、さび、さび-しい、さび-れる
|-
| {{0}}863 || style="font-size:180%" | [[wikt:手|手]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 4 || 1 || || || シュ、て、(た)
|-
| {{0}}864 || style="font-size:180%" | [[wikt:主|主]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">003</span>[[丶部|丶]] || 5 || 3 || || || シュ、(ス)、ぬし、おも
|-
| {{0}}865 || style="font-size:180%" | [[wikt:守|守]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 6 || 3 || || || シュ、(ス)、まも-る、も-り
|-
| {{0}}866 || style="font-size:180%" | [[wikt:朱|朱]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュ
|-
| {{0}}867 || style="font-size:180%" | [[wikt:取|取]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">029</span>[[又部|又]] || 8 || 3 || || || シュ、と-る
|-
| {{0}}868 || style="font-size:180%" | [[wikt:狩|狩]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">094</span>[[犬部|犬]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュ、か-る、か-り
|-
| {{0}}869 || style="font-size:180%" | [[wikt:首|首]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">185</span>[[首部|首]] || 9 || 2 || || || シュ、くび
|-
| {{0}}870 || style="font-size:180%" | [[wikt:殊|殊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">078</span>[[歹部|歹]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュ、こと
|-
| {{0}}871 || style="font-size:180%" | [[wikt:珠|珠]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">096</span>[[玉部|玉]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュ
|-
| {{0}}872 || style="font-size:180%" | [[wikt:酒|酒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">164</span>[[酉部|酉]] || 10 || 3 || || || シュ、さけ、(さか)
|-
| {{0}}873 || style="font-size:180%" | [[wikt:腫|腫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || シュ、は-れる、は-らす
|-
| {{0}}874 || style="font-size:180%" | [[wikt:種|種]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 14 || 4 || || || シュ、たね
|-
| {{0}}875 || style="font-size:180%" | [[wikt:趣|趣]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">156</span>[[走部|走]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュ、おもむき
|-
| {{0}}876 || style="font-size:180%" | [[wikt:寿|寿]] || style="font-size:180%" | [[wikt:壽|壽]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">033</span>[[士部|士]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジュ、ことぶき
|-
| {{0}}877 || style="font-size:180%" | [[wikt:受|受]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">029</span>[[又部|又]] || 8 || 3 || || || ジュ、う-ける、う-かる
|-
| {{0}}878 || style="font-size:180%" | [[wikt:呪|呪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ジュ、のろ-う
|-
| {{0}}879 || style="font-size:180%" | [[wikt:授|授]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 11 || 5 || || || ジュ、さず-ける、さず-かる
|-
| {{0}}880 || style="font-size:180%" | [[wikt:需|需]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">173</span>[[雨部|雨]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジュ
|-
| {{0}}881 || style="font-size:180%" | [[wikt:儒|儒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジュ
|-
| {{0}}882 || style="font-size:180%" | [[wikt:樹|樹]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 16 || 6 || || || ジュ
|-
| {{0}}883 || style="font-size:180%" | [[wikt:収|収]] || style="font-size:180%" | [[wikt:收|收]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 4 || 6 || || || シュウ、おさ-める、おさ-まる
|-
| {{0}}884 || style="font-size:180%" | [[wikt:囚|囚]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">031</span>[[囗部|囗]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュウ
|-
| {{0}}885 || style="font-size:180%" | [[wikt:州|州]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">047</span>[[巛部|巛]] || 6 || 3 || || || シュウ、す
|-
| {{0}}886 || style="font-size:180%" | [[wikt:舟|舟]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">137</span>[[舟部|舟]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュウ、ふね、(ふな)
|-
| {{0}}887 || style="font-size:180%" | [[wikt:秀|秀]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュウ、ひい-でる
|-
| {{0}}888 || style="font-size:180%" | [[wikt:周|周]] || <!-- 旧字体としてU+2F83Fは示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 8 || 4 || || || シュウ、まわ-り
|-
| {{0}}889 || style="font-size:180%" | [[wikt:宗|宗]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 8 || 6 || || || シュウ、ソウ
|-
| {{0}}890 || style="font-size:180%" | [[wikt:拾|拾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 9 || 3 || || || シュウ、ジュウ、ひろ-う
|-
| {{0}}891 || style="font-size:180%" | [[wikt:秋|秋]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 9 || 2 || || || シュウ、あき
|-
| {{0}}892 || style="font-size:180%" | [[wikt:臭|臭]] || style="font-size:180%" | [[wikt:臭|臭]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">132</span>[[自部|自]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュウ、くさ-い、にお-う
|-
| {{0}}893 || style="font-size:180%" | [[wikt:修|修]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 10 || 5 || || || シュウ、(シュ)、おさ-める、おさ-まる
|-
| {{0}}894 || style="font-size:180%" | [[wikt:袖|袖]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || シュウ、そで
|-
| {{0}}895 || style="font-size:180%" | [[wikt:終|終]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 11 || 3 || || || シュウ、お-わる、お-える
|-
| {{0}}896 || style="font-size:180%" | [[wikt:羞|羞]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">123</span>[[羊部|羊]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || シュウ
|-
| {{0}}897 || style="font-size:180%" | [[wikt:習|習]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">124</span>[[羽部|羽]] || 11 || 3 || || || シュウ、なら-う
|-
| {{0}}898 || style="font-size:180%" | [[wikt:週|週]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 11 || 2 || || || シュウ
|-
| {{0}}899 || style="font-size:180%" | [[wikt:就|就]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">043</span>[[尢部|尢]] || 12 || 6 || || || シュウ、(ジュ)、つ-く、つ-ける
|-
| {{0}}900 || style="font-size:180%" | [[wikt:衆|衆]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">143</span>[[血部|血]] || 12 || 6 || || || シュウ、(シュ)
|-
| {{0}}901 || style="font-size:180%" | [[wikt:集|集]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">172</span>[[隹部|隹]] || 12 || 3 || || || シュウ、あつ-まる、あつ-める、つど-う
|-
| {{0}}902 || style="font-size:180%" | [[wikt:愁|愁]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュウ、うれ-える、うれ-い
|-
| {{0}}903 || style="font-size:180%" | [[wikt:酬|酬]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">164</span>[[酉部|酉]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュウ
|-
| {{0}}904 || style="font-size:180%" | [[wikt:醜|醜]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">164</span>[[酉部|酉]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュウ、みにく-い
|-
| {{0}}905 || style="font-size:180%" | [[wikt:蹴|蹴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">157</span>[[足部|足]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || シュウ、け-る
|-
| {{0}}906 || style="font-size:180%" | [[wikt:襲|襲]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 22 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュウ、おそ-う
|-
| {{0}}907 || style="font-size:180%" | [[wikt:十|十]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">024</span>[[十部|十]] || 2 || 1 || || || ジュウ、ジッ、とお、と
|-
| {{0}}908 || style="font-size:180%" | [[wikt:汁|汁]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ジュウ、しる
|-
| {{0}}909 || style="font-size:180%" | [[wikt:充|充]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">010</span>[[儿部|儿]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジュウ、あ-てる
|-
| {{0}}910 || style="font-size:180%" | [[wikt:住|住]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 7 || 3 || || || ジュウ、す-む、す-まう
|-
| {{0}}911 || style="font-size:180%" | [[wikt:柔|柔]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジュウ、ニュウ、やわ-らか、やわ-らかい
|-
| {{0}}912 || style="font-size:180%" | [[wikt:重|重]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">166</span>[[里部|里]] || 9 || 3 || || || ジュウ、チョウ、え、おも-い、かさ-ねる、かさ-なる
|-
| {{0}}913 || style="font-size:180%" | [[wikt:従|従]] || style="font-size:180%" | [[wikt:從|從]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 10 || 6 || || || ジュウ、(ショウ)、(ジュ)、したが-う、したが-える
|-
| {{0}}914 || style="font-size:180%" | [[wikt:渋|渋]] || style="font-size:180%" | [[wikt:澁|澁]]<!-- 「澀」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジュウ、しぶ、しぶ-い、しぶ-る
|-
| {{0}}915 || style="font-size:180%" | [[wikt:銃|銃]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジュウ
|-
| {{0}}916 || style="font-size:180%" | [[wikt:獣|獣]] || style="font-size:180%" | [[wikt:獸|獸]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">094</span>[[犬部|犬]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジュウ、けもの
|-
| {{0}}917 || style="font-size:180%" | [[wikt:縦|縦]] || style="font-size:180%" | [[wikt:縱|縱]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 16 || 6 || || || ジュウ、たて
|-
| {{0}}918 || style="font-size:180%" | [[wikt:叔|叔]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">029</span>[[又部|又]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュク
|-
| {{0}}919 || style="font-size:180%" | [[wikt:祝|祝]] || style="font-size:180%" | [[wikt:祝|祝]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">113</span>[[示部|示]] || 9 || 4 || || || シュク、(シュウ)、いわ-う
|-
| {{0}}920 || style="font-size:180%" | [[wikt:宿|宿]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 11 || 3 || || || シュク、やど、やど-る、やど-す
|-
| {{0}}921 || style="font-size:180%" | [[wikt:淑|淑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュク
|-
| {{0}}922 || style="font-size:180%" | [[wikt:粛|粛]] || style="font-size:180%" | [[wikt:肅|肅]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">129</span>[[聿部|聿]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュク
|-
| {{0}}923 || style="font-size:180%" | [[wikt:縮|縮]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 17 || 6 || || || シュク、ちぢ-む、ちぢ-まる、ちぢ-める、ちぢ-れる、ちぢ-らす
|-
| {{0}}924 || style="font-size:180%" | [[wikt:塾|塾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ジュク
|-
| {{0}}925 || style="font-size:180%" | [[wikt:熟|熟]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 15 || 6 || || || ジュク、う-れる
|-
| {{0}}926 || style="font-size:180%" | [[wikt:出|出]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">017</span>[[凵部|凵]] || 5 || 1 || || || シュツ、(スイ)、で-る、だ-す
|-
| {{0}}927 || style="font-size:180%" | [[wikt:述|述]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 8 || 5 || || || ジュツ、の-べる
|-
| {{0}}928 || style="font-size:180%" | [[wikt:術|術]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">144</span>[[行部|行]] || 11 || 5 || || || ジュツ
|-
| {{0}}929 || style="font-size:180%" | [[wikt:俊|俊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュン
|-
| {{0}}930 || style="font-size:180%" | [[wikt:春|春]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 9 || 2 || || || シュン、はる
|-
| {{0}}931 || style="font-size:180%" | [[wikt:瞬|瞬]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || シュン、またた-く
|-
| {{0}}932 || style="font-size:180%" | [[wikt:旬|旬]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジュン、(シュン)
|-
| {{0}}933 || style="font-size:180%" | [[wikt:巡|巡]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">047</span>[[巛部|巛]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジュン、めぐ-る
|-
| {{0}}934 || style="font-size:180%" | [[wikt:盾|盾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジュン、たて
|-
| {{0}}935 || style="font-size:180%" | [[wikt:准|准]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">015</span>[[冫部|冫]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジュン
|-
| {{0}}936 || style="font-size:180%" | [[wikt:殉|殉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">078</span>[[歹部|歹]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジュン
|-
| {{0}}937 || style="font-size:180%" | [[wikt:純|純]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 10 || 6 || || || ジュン
|-
| {{0}}938 || style="font-size:180%" | [[wikt:循|循]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジュン
|-
| {{0}}939 || style="font-size:180%" | [[wikt:順|順]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 12 || 4 || || || ジュン
|-
| {{0}}940 || style="font-size:180%" | [[wikt:準|準]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 13 || 5 || || || ジュン
|-
| {{0}}941 || style="font-size:180%" | [[wikt:潤|潤]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジュン、うるお-う、うるお-す、うる-む
|-
| {{0}}942 || style="font-size:180%" | [[wikt:遵|遵]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジュン
|-
| {{0}}943 || style="font-size:180%" | [[wikt:処|処]] || style="font-size:180%" | [[wikt:處|處]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">141</span>[[虍部|虍]] || 5 || 6 || || || ショ
|-
| {{0}}944 || style="font-size:180%" | [[wikt:初|初]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 7 || 4 || || || ショ、はじ-め、はじ-めて、はつ、うい、そ-める
|-
| {{0}}945 || style="font-size:180%" | [[wikt:所|所]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">063</span>[[戸部 (部首)|戶]] || 8 || 3 || || || ショ、ところ
|-
| {{0}}946 || style="font-size:180%" | [[wikt:書|書]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">073</span>[[曰部|曰]] || 10 || 2 || || || ショ、か-く
|-
| {{0}}947 || style="font-size:180%" | [[wikt:庶|庶]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">053</span>[[广部|广]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショ
|-
| {{0}}948 || style="font-size:180%" | [[wikt:暑|暑]] || style="font-size:180%" | [[wikt:暑|暑]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 12 || 3 || || || ショ、あつ-い
|-
| {{0}}949 || style="font-size:180%" | [[wikt:署|署]] || style="font-size:180%" | [[wikt:署|署]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">122</span>[[网部|网]] || 13 || 6 || || || ショ
|-
| {{0}}950 || style="font-size:180%" | [[wikt:緒|緒]] || style="font-size:180%" | [[wikt:緖|緖]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショ、(チョ)、お
|-
| {{0}}951 || style="font-size:180%" | [[wikt:諸|諸]] || style="font-size:180%" | [[wikt:諸|諸]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 15 || 6 || || || ショ
|-
| {{0}}952 || style="font-size:180%" | [[wikt:女|女]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 3 || 1 || || || ジョ、ニョ、(ニョウ)、おんな、め
|-
| {{0}}953 || style="font-size:180%" | [[wikt:如|如]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジョ、ニョ
|-
| {{0}}954 || style="font-size:180%" | [[wikt:助|助]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 7 || 3 || || || ジョ、たす-ける、たす-かる、すけ
|-
| {{0}}955 || style="font-size:180%" | [[wikt:序|序]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">053</span>[[广部|广]] || 7 || 5 || || || ジョ
|-
| {{0}}956 || style="font-size:180%" | [[wikt:叙|叙]] || style="font-size:180%" | [[wikt:敍|敍]]<!-- 「敘」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジョ
|-
| {{0}}957 || style="font-size:180%" | [[wikt:徐|徐]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジョ
|-
| {{0}}958 || style="font-size:180%" | [[wikt:除|除]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 10 || 6 || || || ジョ、(ジ)、のぞ-く
|-
| {{0}}959 || style="font-size:180%" | [[wikt:小|小]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">042</span>[[小部|小]] || 3 || 1 || || || ショウ、ちい-さい、こ、お
|-
| {{0}}960 || style="font-size:180%" | [[wikt:升|升]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">024</span>[[十部|十]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ、ます
|-
| {{0}}961 || style="font-size:180%" | [[wikt:少|少]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">042</span>[[小部|小]] || 4 || 2 || || || ショウ、すく-ない、すこ-し
|-
| {{0}}962 || style="font-size:180%" | [[wikt:召|召]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ、め-す
|-
| {{0}}963 || style="font-size:180%" | [[wikt:匠|匠]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">022</span>[[匚部|匚]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ
|-
| {{0}}964 || style="font-size:180%" | [[wikt:床|床]] || <!-- 「牀」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">053</span>[[广部|广]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ、とこ、ゆか
|-
| {{0}}965 || style="font-size:180%" | [[wikt:抄|抄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ
|-
| {{0}}966 || style="font-size:180%" | [[wikt:肖|肖]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ
|-
| {{0}}967 || style="font-size:180%" | [[wikt:尚|尚]] || style="font-size:180%" | [[wikt:尙|尙]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">042</span>[[小部|小]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ショウ
|-
| {{0}}968 || style="font-size:180%" | [[wikt:招|招]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || 5 || || || ショウ、まね-く
|-
| {{0}}969 || style="font-size:180%" | [[wikt:承|承]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || 6 || || || ショウ、うけたまわ-る
|-
| {{0}}970 || style="font-size:180%" | [[wikt:昇|昇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ、のぼ-る
|-
| {{0}}971 || style="font-size:180%" | [[wikt:松|松]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 8 || 4 || || || ショウ、まつ
|-
| {{0}}972 || style="font-size:180%" | [[wikt:沼|沼]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ、ぬま
|-
| {{0}}973 || style="font-size:180%" | [[wikt:昭|昭]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 9 || 3 || || || ショウ
|-
| {{0}}974 || style="font-size:180%" | [[wikt:宵|宵]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ショウ、よい
|-
| {{0}}975 || style="font-size:180%" | [[wikt:将|将]] || style="font-size:180%" | [[wikt:將|將]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">041</span>[[寸部|寸]] || 10 || 6 || || || ショウ
|-
| {{0}}976 || style="font-size:180%" | [[wikt:消|消]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 10 || 3 || || || ショウ、き-える、け-す
|-
| {{0}}977 || style="font-size:180%" | [[wikt:症|症]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">104</span>[[疒部|疒]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ
|-
| {{0}}978 || style="font-size:180%" | [[wikt:祥|祥]] || style="font-size:180%" | [[wikt:祥|祥]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">113</span>[[示部|示]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ
|-
| {{0}}979 || style="font-size:180%" | [[wikt:称|称]] || style="font-size:180%" | [[wikt:稱|稱]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ
|-
| {{0}}980 || style="font-size:180%" | [[wikt:笑|笑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 10 || 4 || || || ショウ、わら-う、え-む
|-
| {{0}}981 || style="font-size:180%" | [[wikt:唱|唱]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 11 || 4 || || || ショウ、とな-える
|-
| {{0}}982 || style="font-size:180%" | [[wikt:商|商]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 11 || 3 || || || ショウ、あきな-う
|-
| {{0}}983 || style="font-size:180%" | [[wikt:渉|渉]] || style="font-size:180%" | [[wikt:涉|涉]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ
|-
| {{0}}984 || style="font-size:180%" | [[wikt:章|章]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">117</span>[[立部|立]] || 11 || 3 || || || ショウ
|-
| {{0}}985 || style="font-size:180%" | [[wikt:紹|紹]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ
|-
| {{0}}986 || style="font-size:180%" | [[wikt:訟|訟]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ
|-
| {{0}}987 || style="font-size:180%" | [[wikt:勝|勝]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 12 || 3 || || || ショウ、か-つ、まさ-る
|-
| {{0}}988 || style="font-size:180%" | [[wikt:掌|掌]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ
|-
| {{0}}989 || style="font-size:180%" | [[wikt:晶|晶]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ
|-
| {{0}}990 || style="font-size:180%" | [[wikt:焼|焼]] || style="font-size:180%" | [[wikt:燒|燒]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 12 || 4 || || || ショウ、や-く、や-ける
|-
| {{0}}991 || style="font-size:180%" | [[wikt:焦|焦]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ、こ-げる、こ-がす、こ-がれる、あせ-る
|-
| {{0}}992 || style="font-size:180%" | [[wikt:硝|硝]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">112</span>[[石部|石]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ
|-
| {{0}}993 || style="font-size:180%" | [[wikt:粧|粧]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">119</span>[[米部|米]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ
|-
| {{0}}994 || style="font-size:180%" | [[wikt:詔|詔]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ、みことのり
|-
| {{0}}995 || style="font-size:180%" | [[wikt:証|証]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「証」は示さない(注3参照) -->[[wikt:證|證]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 12 || 5 || || || ショウ
|-
| {{0}}996 || style="font-size:180%" | [[wikt:象|象]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">152</span>[[豕部|豕]] || 12 || 5 || || || ショウ、ゾウ
|-
| {{0}}997 || style="font-size:180%" | [[wikt:傷|傷]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 13 || 6 || || || ショウ、きず、いた-む、いた-める
|-
| {{0}}998 || style="font-size:180%" | [[wikt:奨|奨]] || style="font-size:180%" | [[wikt:奬|奬]]<!-- 「獎」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">037</span>[[大部|大]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ
|-
| {{0}}999 || style="font-size:180%" | [[wikt:照|照]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 13 || 4 || || || ショウ、て-る、て-らす、て-れる
|-
| 1000 || style="font-size:180%" | [[wikt:詳|詳]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ、くわ-しい
|-
| 1001 || style="font-size:180%" | [[wikt:彰|彰]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">059</span>[[彡部|彡]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ
|-
| 1002 || style="font-size:180%" | [[wikt:障|障]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 14 || 6 || || || ショウ、さわ-る
|-
| 1003 || style="font-size:180%" | [[wikt:憧|憧]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ショウ、あこが-れる
|-
| 1004 || style="font-size:180%" | [[wikt:衝|衝]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">144</span>[[行部|行]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ
|-
| 1005 || style="font-size:180%" | [[wikt:賞|賞]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 15 || 5 || || || ショウ
|-
| 1006 || style="font-size:180%" | [[wikt:償|償]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ、つぐな-う
|-
| 1007 || style="font-size:180%" | [[wikt:礁|礁]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">112</span>[[石部|石]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ
|-
| 1008 || style="font-size:180%" | [[wikt:鐘|鐘]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 20 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショウ、かね
|-
| 1009 || style="font-size:180%" | [[wikt:上|上]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">001</span>[[一部 (部首)|一]] || 3 || 1 || || || ジョウ、(ショウ)、うえ、(うわ)、かみ、あ-げる、あ-がる、のぼ-る、のぼ-せる、のぼ-す
|-
| 1010 || style="font-size:180%" | [[wikt:丈|丈]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">001</span>[[一部 (部首)|一]] || 3 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジョウ、たけ
|-
| 1011 || style="font-size:180%" | [[wikt:冗|冗]] || <!-- 「宂」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">014</span>[[冖部|冖]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジョウ
|-
| 1012 || style="font-size:180%" | [[wikt:条|条]] || style="font-size:180%" | [[wikt:條|條]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 7 || 5 || || || ジョウ
|-
| 1013 || style="font-size:180%" | [[wikt:状|状]] || style="font-size:180%" | [[wikt:狀|狀]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">094</span>[[犬部|犬]] || 7 || 5 || || || ジョウ
|-
| 1014 || style="font-size:180%" | [[wikt:乗|乗]] || style="font-size:180%" | [[wikt:乘|乘]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">004</span>[[丿部|丿]] || 9 || 3 || || || ジョウ、の-る、の-せる
|-
| 1015 || style="font-size:180%" | [[wikt:城|城]] || <!-- 旧字体としてU+2F852は示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 9 || 4 || || || ジョウ、しろ
|-
| 1016 || style="font-size:180%" | [[wikt:浄|浄]] || style="font-size:180%" | [[wikt:淨|淨]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジョウ
|-
| 1017 || style="font-size:180%" | [[wikt:剰|剰]] || style="font-size:180%" | [[wikt:剩|剩]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジョウ
|-
| 1018 || style="font-size:180%" | [[wikt:常|常]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">050</span>[[巾部|巾]] || 11 || 5 || || || ジョウ、つね、とこ
|-
| 1019 || style="font-size:180%" | [[wikt:情|情]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 11 || 5 || || || ジョウ、(セイ)、なさ-け
|-
| 1020 || style="font-size:180%" | [[wikt:場|場]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 12 || 2 || || || ジョウ、ば
|-
| 1021 || style="font-size:180%" | [[wikt:畳|畳]] || style="font-size:180%" | [[wikt:疊|疊]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジョウ、たた-む、たたみ
|-
| 1022 || style="font-size:180%" | [[wikt:蒸|蒸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 13 || 6 || || || ジョウ、む-す、む-れる、む-らす
|-
| 1023 || style="font-size:180%" | [[wikt:縄|縄]] || style="font-size:180%" | [[wikt:繩|繩]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 15 || 4 || 1981 || || ジョウ、なわ
|-
| 1024 || style="font-size:180%" | [[wikt:壌|壌]] || style="font-size:180%" | [[wikt:壤|壤]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ジョウ
|-
| 1025 || style="font-size:180%" | [[wikt:嬢|嬢]] || style="font-size:180%" | [[wikt:孃|孃]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジョウ
|-
| 1026 || style="font-size:180%" | [[wikt:錠|錠]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジョウ
|-
| 1027 || style="font-size:180%" | [[wikt:譲|譲]] || style="font-size:180%" | [[wikt:讓|讓]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 20 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジョウ、ゆず-る
|-
| 1028 || style="font-size:180%" | [[wikt:醸|醸]] || style="font-size:180%" | [[wikt:釀|釀]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">164</span>[[酉部|酉]] || 20 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジョウ、かも-す
|-
| 1029 || style="font-size:180%" | [[wikt:色|色]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">139</span>[[色部|色]] || 6 || 2 || || || ショク、シキ、いろ
|-
| 1030 || style="font-size:180%" | [[wikt:拭|拭]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ショク、ふ-く、ぬぐ-う
|-
| 1031 || style="font-size:180%" | [[wikt:食|食]] || <!-- 旧字体として「⻝(U+2EDD)」は示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">184</span>[[食部|食]] || 9 || 2 || || || ショク、(ジキ)、く-う、く-らう、た-べる
|-
| 1032 || style="font-size:180%" | [[wikt:植|植]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 12 || 3 || || || ショク、う-える、う-わる
|-
| 1033 || style="font-size:180%" | [[wikt:殖|殖]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">078</span>[[歹部|歹]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショク、ふ-える、ふ-やす
|-
| 1034 || style="font-size:180%" | [[wikt:飾|飾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">184</span>[[食部|食]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショク、かざ-る
|-
| 1035 || style="font-size:180%" | [[wikt:触|触]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「触」は示さない(注3参照) -->[[wikt:觸|觸]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">148</span>[[角部|角]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショク、ふ-れる、さわ-る
|-
| 1036 || style="font-size:180%" | [[wikt:嘱|嘱]] || style="font-size:180%" | [[wikt:囑|囑]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ショク
|-
| 1037 || style="font-size:180%" | [[wikt:織|織]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 18 || 5 || || || ショク、シキ、お-る
|-
| 1038 || style="font-size:180%" | [[wikt:職|職]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">128</span>[[耳部|耳]] || 18 || 5 || || || ショク
|-
| 1039 || style="font-size:180%" | [[wikt:辱|辱]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">161</span>[[辰部|辰]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジョク、はずかし-める
|-
| 1040 || style="font-size:180%" | [[wikt:尻|尻]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">044</span>[[尸部|尸]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || しり
|-
| 1041 || style="font-size:180%" | [[wikt:心|心]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 4 || 2 || || || シン、こころ
|-
| 1042 || style="font-size:180%" | [[wikt:申|申]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 5 || 3 || || || シン、もう-す
|-
| 1043 || style="font-size:180%" | [[wikt:伸|伸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || シン、の-びる、の-ばす、の-べる
|-
| 1044 || style="font-size:180%" | [[wikt:臣|臣]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">131</span>[[臣部|臣]] || 7 || 4 || || || シン、ジン
|-
| 1045 || style="font-size:180%" | [[wikt:芯|芯]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || シン
|-
| 1046 || style="font-size:180%" | [[wikt:身|身]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">158</span>[[身部|身]] || 7 || 3 || || || シン、み
|-
| 1047 || style="font-size:180%" | [[wikt:辛|辛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">160</span>[[辛部|辛]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || シン、から-い
|-
| 1048 || style="font-size:180%" | [[wikt:侵|侵]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || シン、おか-す
|-
| 1049 || style="font-size:180%" | [[wikt:信|信]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 9 || 4 || || || シン
|-
| 1050 || style="font-size:180%" | [[wikt:津|津]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || シン、つ
|-
| 1051 || style="font-size:180%" | [[wikt:神|神]] || style="font-size:180%" | [[wikt:神|神]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">113</span>[[示部|示]] || 9 || 3 || || || シン、ジン、かみ、(かん)、(こう)
|-
| 1052 || style="font-size:180%" | [[wikt:唇|唇]] || <!-- 「脣」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || シン、くちびる
|-
| 1053 || style="font-size:180%" | [[wikt:娠|娠]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || シン
|-
| 1054 || style="font-size:180%" | [[wikt:振|振]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || シン、ふ-る、ふ-るう、ふ-れる
|-
| 1055 || style="font-size:180%" | [[wikt:浸|浸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || シン、ひた-す、ひた-る
|-
| 1056 || style="font-size:180%" | [[wikt:真|真]] || style="font-size:180%" | [[wikt:眞|眞]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 10 || 3 || || || シン、ま
|-
| 1057 || style="font-size:180%" | [[wikt:針|針]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 10 || 6 || || || シン、はり
|-
| 1058 || style="font-size:180%" | [[wikt:深|深]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 11 || 3 || || || シン、ふか-い、ふか-まる、ふか-める
|-
| 1059 || style="font-size:180%" | [[wikt:紳|紳]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || シン
|-
| 1060 || style="font-size:180%" | [[wikt:進|進]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 11 || 3 || || || シン、すす-む、すす-める
|-
| 1061 || style="font-size:180%" | [[wikt:森|森]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 12 || 1 || || || シン、もり
|-
| 1062 || style="font-size:180%" | [[wikt:診|診]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || シン、み-る
|-
| 1063 || style="font-size:180%" | [[wikt:寝|寝]] || style="font-size:180%" | [[wikt:寢|寢]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || シン、ね-る、ね-かす
|-
| 1064 || style="font-size:180%" | [[wikt:慎|慎]] || style="font-size:180%" | [[wikt:愼|愼]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || シン、つつし-む
|-
| 1065 || style="font-size:180%" | [[wikt:新|新]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">069</span>[[斤部|斤]] || 13 || 2 || || || シン、あたら-しい、あら-た、にい
|-
| 1066 || style="font-size:180%" | [[wikt:審|審]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || シン
|-
| 1067 || style="font-size:180%" | [[wikt:震|震]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">173</span>[[雨部|雨]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || シン、ふる-う、ふる-える
|-
| 1068 || style="font-size:180%" | [[wikt:薪|薪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || シン、たきぎ
|-
| 1069 || style="font-size:180%" | [[wikt:親|親]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">147</span>[[見部|見]] || 16 || 2 || || || シン、おや、した-しい、した-しむ
|-
| 1070 || style="font-size:180%" | [[wikt:人|人]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 2 || 1 || || || ジン、ニン、ひと
|-
| 1071 || style="font-size:180%" | [[wikt:刃|刃]] || <!-- 「刄」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 3 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジン、は
|-
| 1072 || style="font-size:180%" | [[wikt:仁|仁]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 4 || 6 || || || ジン、(ニ)
|-
| 1073 || style="font-size:180%" | [[wikt:尽|尽]] || style="font-size:180%" | [[wikt:盡|盡]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">108</span>[[皿部|皿]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジン、つ-くす、つ-きる、つ-かす
|-
| 1074 || style="font-size:180%" | [[wikt:迅|迅]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジン
|-
| 1075 || style="font-size:180%" | [[wikt:甚|甚]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">099</span>[[甘部|甘]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ジン、はなは-だ、はなは-だしい
|-
| 1076 || style="font-size:180%" | [[wikt:陣|陣]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジン
|-
| 1077 || style="font-size:180%" | [[wikt:尋|尋]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">041</span>[[寸部|寸]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ジン、たず-ねる
|-
| 1078 || style="font-size:180%" | [[wikt:腎|腎]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ジン
|-
| 1079 || style="font-size:180%" | [[wikt:須|須]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ス
|-
| 1080 || style="font-size:180%" | [[wikt:図|図]] || style="font-size:180%" | [[wikt:圖|圖]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">031</span>[[囗部|囗]] || 7 || 2 || || || ズ、ト、はか-る
|-
| 1081 || style="font-size:180%" | [[wikt:水|水]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 4 || 1 || || || スイ、みず
|-
| 1082 || style="font-size:180%" | [[wikt:吹|吹]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || スイ、ふ-く
|-
| 1083 || style="font-size:180%" | [[wikt:垂|垂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 8 || 6 || || || スイ、た-れる、た-らす
|-
| 1084 || style="font-size:180%" | [[wikt:炊|炊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || スイ、た-く
|-
| 1085 || style="font-size:180%" | [[wikt:帥|帥]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">050</span>[[巾部|巾]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || スイ
|-
| 1086 || style="font-size:180%" | [[wikt:粋|粋]] || style="font-size:180%" | [[wikt:粹|粹]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">119</span>[[米部|米]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || スイ、いき
|-
| 1087 || style="font-size:180%" | [[wikt:衰|衰]] || <!-- 「𮕩」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || スイ、おとろ-える
|-
| 1088 || style="font-size:180%" | [[wikt:推|推]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 11 || 6 || || || スイ、お-す
|-
| 1089 || style="font-size:180%" | [[wikt:酔|酔]] || style="font-size:180%" | [[wikt:醉|醉]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">164</span>[[酉部|酉]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || スイ、よ-う
|-
| 1090 || style="font-size:180%" | [[wikt:遂|遂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || スイ、と-げる
|-
| 1091 || style="font-size:180%" | [[wikt:睡|睡]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || スイ
|-
| 1092 || style="font-size:180%" | [[wikt:穂|穂]] || style="font-size:180%" | [[wikt:穗|穗]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || スイ、ほ
|- style="background-color:#dddddd; color:black"
| {{0}} || style="font-size:180%" | [[wikt:錘|錘]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 16 || <span style="display:none">8</span> || || 2010 || スイ、つむ
|-
| 1093 || style="font-size:180%" | [[wikt:随|随]] || style="font-size:180%" | [[wikt:隨|隨]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ズイ
|-
| 1094 || style="font-size:180%" | [[wikt:髄|髄]] || style="font-size:180%" | [[wikt:髓|髓]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">188</span>[[骨部|骨]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || || || ズイ
|-
| 1095 || style="font-size:180%" | [[wikt:枢|枢]] || style="font-size:180%" | [[wikt:樞|樞]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || スウ
|-
| 1096 || style="font-size:180%" | [[wikt:崇|崇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">046</span>[[山部|山]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || スウ
|-
| 1097 || style="font-size:180%" | [[wikt:数|数]] || style="font-size:180%" | [[wikt:數|數]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 13 || 2 || || || スウ、(ス)、かず、かぞ-える
|-
| 1098 || style="font-size:180%" | [[wikt:据|据]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || す-える、す-わる
|-
| 1099 || style="font-size:180%" | [[wikt:杉|杉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || すぎ
|-
| 1100 || style="font-size:180%" | [[wikt:裾|裾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || すそ
|-
| 1101 || style="font-size:180%" | [[wikt:寸|寸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">041</span>[[寸部|寸]] || 3 || 6 || || || スン
|-
| 1102 || style="font-size:180%" | [[wikt:瀬|瀬]] || style="font-size:180%" | [[wikt:瀨|瀨]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || || || せ
|-
| 1103 || style="font-size:180%" | [[wikt:是|是]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゼ
|-
| 1104 || style="font-size:180%" | [[wikt:井|井]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">007</span>[[二部|二]] || 4 || 4 || || || セイ、(ショウ)、い
|-
| 1105 || style="font-size:180%" | [[wikt:世|世]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">001</span>[[一部 (部首)|一]] || 5 || 3 || || || セイ、セ、よ
|-
| 1106 || style="font-size:180%" | [[wikt:正|正]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">077</span>[[止部|止]] || 5 || 1 || || || セイ、ショウ、ただ-しい、ただ-す、まさ
|-
| 1107 || style="font-size:180%" | [[wikt:生|生]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">100</span>[[生部|生]] || 5 || 1 || || || セイ、ショウ、い-きる、い-かす、い-ける、う-まれる、う-む、お-う、は-える、は-やす、き、なま
|-
| 1108 || style="font-size:180%" | [[wikt:成|成]] || <!-- 旧字体としてU+2F8B2は示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">062</span>[[戈部|戈]] || 6 || 4 || || || セイ、(ジョウ)、な-る、な-す
|-
| 1109 || style="font-size:180%" | [[wikt:西|西]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">146</span>[[襾部|襾]] || 6 || 2 || || || セイ、サイ、にし
|-
| 1110 || style="font-size:180%" | [[wikt:声|声]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「声」は示さない(注3参照) -->[[wikt:聲|聲]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">128</span>[[耳部|耳]] || 7 || 2 || || || セイ、(ショウ)、こえ、(こわ)
|-
| 1111 || style="font-size:180%" | [[wikt:制|制]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 8 || 5 || || || セイ
|-
| 1112 || style="font-size:180%" | [[wikt:姓|姓]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || セイ、ショウ
|-
| 1113 || style="font-size:180%" | [[wikt:征|征]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || セイ
|-
| 1114 || style="font-size:180%" | [[wikt:性|性]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 8 || 5 || || || セイ、ショウ
|-
| 1115 || style="font-size:180%" | [[wikt:青|青]] || style="font-size:180%" | [[wikt:靑|靑]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">174</span>[[青部|靑]] || 8 || 1 || || || セイ、(ショウ)、あお、あお-い
|-
| 1116 || style="font-size:180%" | [[wikt:斉|斉]] || style="font-size:180%" | [[wikt:齊|齊]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">210</span>[[斉部|齊]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || セイ
|-
| 1117 || style="font-size:180%" | [[wikt:政|政]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 9 || 5 || || || セイ、(ショウ)、まつりごと
|-
| 1118 || style="font-size:180%" | [[wikt:星|星]] || <!-- 「曐」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 9 || 2 || || || セイ、(ショウ)、ほし
|-
| 1119 || style="font-size:180%" | [[wikt:牲|牲]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">093</span>[[牛部|牛]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || セイ
|-
| 1120 || style="font-size:180%" | [[wikt:省|省]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 9 || 4 || || || セイ、ショウ、かえり-みる、はぶ-く
|-
| 1121 || style="font-size:180%" | [[wikt:凄|凄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">015</span>[[冫部|冫]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || セイ
|-
| 1122 || style="font-size:180%" | [[wikt:逝|逝]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || セイ、ゆ-く、い-く
|-
| 1123 || style="font-size:180%" | [[wikt:清|清]] || style="font-size:180%" | [[wikt:淸|淸]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 11 || 4 || || || セイ、(ショウ)、きよ-い、きよ-まる、きよ-める
|-
| 1124 || style="font-size:180%" | [[wikt:盛|盛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">108</span>[[皿部|皿]] || 11 || 6 || || || セイ、(ジョウ)、も-る、さか-る、さか-ん
|-
| 1125 || style="font-size:180%" | [[wikt:婿|婿]] || <!-- 「壻」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || セイ、むこ
|-
| 1126 || style="font-size:180%" | [[wikt:晴|晴]] || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:晴|晴]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/><ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 12 || 2 || || || セイ、は-れる、は-らす
|-
| 1127 || style="font-size:180%" | [[wikt:勢|勢]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 13 || 5 || || || セイ、いきお-い
|-
| 1128 || style="font-size:180%" | [[wikt:聖|聖]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">128</span>[[耳部|耳]] || 13 || 6 || || || セイ
|-
| 1129 || style="font-size:180%" | [[wikt:誠|誠]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 13 || 6 || || || セイ、まこと
|-
| 1130 || style="font-size:180%" | [[wikt:精|精]] || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:精|精]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/><ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">119</span>[[米部|米]] || 14 || 5 || || || セイ、(ショウ)
|-
| 1131 || style="font-size:180%" | [[wikt:製|製]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 14 || 5 || || || セイ
|-
| 1132 || style="font-size:180%" | [[wikt:誓|誓]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || セイ、ちか-う
|-
| 1133 || style="font-size:180%" | [[wikt:静|静]] || style="font-size:180%" | [[wikt:靜|靜]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">174</span>[[青部|靑]] || 14 || 4 || || || セイ、(ジョウ)、しず、しず-か、しず-まる、しず-める
|-
| 1134 || style="font-size:180%" | [[wikt:請|請]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || セイ、(シン)、こ-う、う-ける
|-
| 1135 || style="font-size:180%" | [[wikt:整|整]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 16 || 3 || || || セイ、ととの-える、ととの-う
|-
| 1136 || style="font-size:180%" | [[wikt:醒|醒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">164</span>[[酉部|酉]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || セイ
|-
| 1137 || style="font-size:180%" | [[wikt:税|税]] || style="font-size:180%" | [[wikt:稅|稅]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 12 || 5 || || || ゼイ
|-
| 1138 || style="font-size:180%" | [[wikt:夕|夕]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">036</span>[[夕部|夕]] || 3 || 1 || || || セキ、ゆう
|-
| 1139 || style="font-size:180%" | [[wikt:斥|斥]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">069</span>[[斤部|斤]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || || || セキ
|-
| 1140 || style="font-size:180%" | [[wikt:石|石]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">112</span>[[石部|石]] || 5 || 1 || || || セキ、(シャク)、(コク)、いし
|-
| 1141 || style="font-size:180%" | [[wikt:赤|赤]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">155</span>[[赤部|赤]] || 7 || 1 || || || セキ、(シャク)、あか、あか-い、あか-らむ、あか-らめる
|-
| 1142 || style="font-size:180%" | [[wikt:昔|昔]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 8 || 3 || || || セキ、(シャク)、むかし
|-
| 1143 || style="font-size:180%" | [[wikt:析|析]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || セキ
|-
| 1144 || style="font-size:180%" | [[wikt:席|席]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">050</span>[[巾部|巾]] || 10 || 4 || || || セキ
|-
| 1145 || style="font-size:180%" | [[wikt:脊|脊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || セキ
|-
| 1146 || style="font-size:180%" | [[wikt:隻|隻]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">172</span>[[隹部|隹]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || セキ
|-
| 1147 || style="font-size:180%" | [[wikt:惜|惜]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || セキ、お-しい、お-しむ
|-
| 1148 || style="font-size:180%" | [[wikt:戚|戚]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">062</span>[[戈部|戈]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || セキ
|-
| 1149 || style="font-size:180%" | [[wikt:責|責]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 11 || 5 || || || セキ、せ-める
|-
| 1150 || style="font-size:180%" | [[wikt:跡|跡]] || <!-- 「蹟」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">157</span>[[足部|足]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || セキ、あと
|-
| 1151 || style="font-size:180%" | [[wikt:積|積]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 16 || 4 || || || セキ、つ-む、つ-もる
|-
| 1152 || style="font-size:180%" | [[wikt:績|績]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 17 || 5 || || || セキ
|-
| 1153 || style="font-size:180%" | [[wikt:籍|籍]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 20 || <span style="display:none">7</span>S || || || セキ
|-
| 1154 || style="font-size:180%" | [[wikt:切|切]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 4 || 2 || || || セツ、(サイ)、き-る、き-れる
|-
| 1155 || style="font-size:180%" | [[wikt:折|折]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 7 || 4 || || || セツ、お-る、おり、お-れる
|-
| 1156 || style="font-size:180%" | [[wikt:拙|拙]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || セツ、つたな-い
|-
| 1157 || style="font-size:180%" | [[wikt:窃|窃]] || style="font-size:180%" | [[wikt:竊|竊]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">116</span>[[穴部|穴]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || セツ
|-
| 1158 || style="font-size:180%" | [[wikt:接|接]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 11 || 5 || || || セツ、つ-ぐ
|-
| 1159 || style="font-size:180%" | [[wikt:設|設]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 11 || 5 || || || セツ、もう-ける
|-
| 1160 || style="font-size:180%" | [[wikt:雪|雪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">173</span>[[雨部|雨]] || 11 || 2 || || || セツ、ゆき
|-
| 1161 || style="font-size:180%" | [[wikt:摂|摂]] || style="font-size:180%" | [[wikt:攝|攝]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || セツ
|-
| 1162 || style="font-size:180%" | [[wikt:節|節]] || style="font-size:180%" | [[wikt:節|節]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 13 || 4 || || || セツ、(セチ)、ふし
|-
| 1163 || style="font-size:180%" | [[wikt:説|説]] || style="font-size:180%" | [[wikt:說|說]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 14 || 4 || || || セツ、(ゼイ)、と-く
|-
| 1164 || style="font-size:180%" | [[wikt:舌|舌]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">135</span>[[舌部|舌]] || 6 || 6 || || || ゼツ、した
|-
| 1165 || style="font-size:180%" | [[wikt:絶|絶]] || style="font-size:180%" | [[wikt:絕|絕]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 12 || 5 || || || ゼツ、た-える、た-やす、た-つ
|-
| 1166 || style="font-size:180%" | [[wikt:千|千]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">024</span>[[十部|十]] || 3 || 1 || || || セン、ち
|-
| 1167 || style="font-size:180%" | [[wikt:川|川]] || <!-- 「巛」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">047</span>[[巛部|巛]] || 3 || 1 || || || セン、かわ
|-
| 1168 || style="font-size:180%" | [[wikt:仙|仙]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || セン
|-
| 1169 || style="font-size:180%" | [[wikt:占|占]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">025</span>[[卜部|卜]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || || || セン、し-める、うらな-う
|-
| 1170 || style="font-size:180%" | [[wikt:先|先]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">010</span>[[儿部|儿]] || 6 || 1 || || || セン、さき
|-
| 1171 || style="font-size:180%" | [[wikt:宣|宣]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 9 || 6 || || || セン
|-
| 1172 || style="font-size:180%" | [[wikt:専|専]] || style="font-size:180%" | [[wikt:專|專]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">041</span>[[寸部|寸]] || 9 || 6 || || || セン、もっぱ-ら
|-
| 1173 || style="font-size:180%" | [[wikt:泉|泉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 9 || 6 || || || セン、いずみ
|-
| 1174 || style="font-size:180%" | [[wikt:浅|浅]] || style="font-size:180%" | [[wikt:淺|淺]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 9 || 4 || || || セン、あさ-い
|-
| 1175 || style="font-size:180%" | [[wikt:洗|洗]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 9 || 6 || || || セン、あら-う
|-
| 1176 || style="font-size:180%" | [[wikt:染|染]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 9 || 6 || || || セン、そ-める、そ-まる、し-みる、し-み
|-
| 1177 || style="font-size:180%" | [[wikt:扇|扇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">063</span>[[戸部 (部首)|戶]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || セン、おうぎ
|-
| 1178 || style="font-size:180%" | [[wikt:栓|栓]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || セン
|-
| 1179 || style="font-size:180%" | [[wikt:旋|旋]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">070</span>[[方部|方]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || セン
|-
| 1180 || style="font-size:180%" | [[wikt:船|船]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">137</span>[[舟部|舟]] || 11 || 2 || || || セン、ふね、(ふな)
|-
| 1181 || style="font-size:180%" | [[wikt:戦|戦]] || style="font-size:180%" | [[wikt:戰|戰]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">062</span>[[戈部|戈]] || 13 || 4 || || || セン、いくさ、たたか-う
|-
| 1182 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:煎|煎]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="E"/><ref name="F"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || セン、い-る
|-
| 1183 || style="font-size:180%" | [[wikt:羨|羨]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">123</span>[[羊部|羊]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || セン、うらや-む、うらや-ましい
|-
| 1184 || style="font-size:180%" | [[wikt:腺|腺]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || セン
|-
| 1185 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:詮|詮]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="E"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || セン
|-
| 1186 || style="font-size:180%" | [[wikt:践|践]] || style="font-size:180%" | [[wikt:踐|踐]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">157</span>[[足部|足]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || セン
|-
| 1187 || style="font-size:180%" | [[wikt:箋|箋]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || セン
|-
| 1188 || style="font-size:180%" | [[wikt:銭|銭]] || style="font-size:180%" | [[wikt:錢|錢]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 14 || 6 || || || セン、ぜに
|- style="background-color:#dddddd; color:black"
| {{0}} || style="font-size:180%" | [[wikt:銑|銑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 14 || <span style="display:none">8</span> || || 2010 || セン
|-
| 1189 || style="font-size:180%" | [[wikt:潜|潜]] || style="font-size:180%" | [[wikt:潛|潛]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || セン、ひそ-む、もぐ-る
|-
| 1190 || style="font-size:180%" | [[wikt:線|線]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 15 || 2 || || || セン
|-
| 1191 || style="font-size:180%" | [[wikt:遷|遷]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || セン
|-
| 1192 || style="font-size:180%" | [[wikt:選|選]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 15 || 4 || || || セン、えら-ぶ
|-
| 1193 || style="font-size:180%" | [[wikt:薦|薦]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || セン、すす-める
|-
| 1194 || style="font-size:180%" | [[wikt:繊|繊]] || style="font-size:180%" | [[wikt:纖|纖]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || セン
|-
| 1195 || style="font-size:180%" | [[wikt:鮮|鮮]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">195</span>[[魚部|魚]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || セン、あざ-やか
|-
| 1196 || style="font-size:180%" | [[wikt:全|全]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">011</span>[[入部 (部首)|入]] || 6 || 3 || || || ゼン、まった-く、すべ-て
|-
| 1197 || style="font-size:180%" | [[wikt:前|前]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 9 || 2 || || || ゼン、まえ
|-
| 1198 || style="font-size:180%" | [[wikt:善|善]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 12 || 6 || || || ゼン、よ-い
|-
| 1199 || style="font-size:180%" | [[wikt:然|然]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 12 || 4 || || || ゼン、ネン
|-
| 1200 || style="font-size:180%" | [[wikt:禅|禅]] || style="font-size:180%" | [[wikt:禪|禪]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">113</span>[[示部|示]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゼン
|-
| 1201 || style="font-size:180%" | [[wikt:漸|漸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゼン
|-
| 1202 || style="font-size:180%" | [[wikt:膳|膳]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ゼン
|-
| 1203 || style="font-size:180%" | [[wikt:繕|繕]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゼン、つくろ-う
|-
| 1204 || style="font-size:180%" | [[wikt:狙|狙]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">094</span>[[犬部|犬]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ソ、ねら-う
|-
| 1205 || style="font-size:180%" | [[wikt:阻|阻]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソ、はば-む
|-
| 1206 || style="font-size:180%" | [[wikt:祖|祖]] || style="font-size:180%" | [[wikt:祖|祖]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">113</span>[[示部|示]] || 9 || 5 || || || ソ
|-
| 1207 || style="font-size:180%" | [[wikt:租|租]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソ
|-
| 1208 || style="font-size:180%" | [[wikt:素|素]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 10 || 5 || || || ソ、ス
|-
| 1209 || style="font-size:180%" | [[wikt:措|措]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソ
|-
| 1210 || style="font-size:180%" | [[wikt:粗|粗]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">119</span>[[米部|米]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソ、あら-い
|-
| 1211 || style="font-size:180%" | [[wikt:組|組]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 11 || 2 || || || ソ、く-む、くみ
|-
| 1212 || style="font-size:180%" | [[wikt:疎|疎]] || <!-- 「疏」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">103</span>[[疋部|疋]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソ、うと-い、うと-む
|-
| 1213 || style="font-size:180%" | [[wikt:訴|訴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソ、うった-える
|-
| 1214 || style="font-size:180%" | [[wikt:塑|塑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソ
|-
| 1215 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:遡|遡]]<span style="font-size:72%"> <ref name="H">常用漢字表の「{{PDFlink|1=[https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/pdf/joyokanjihyo_20101130.pdf#page=3 表の見方及び使い方]}}」に「「[https://glyphwiki.org/wiki/u8fb6-ue0100 {{JIS2004フォント|辶}}]」も筆写では「[https://glyphwiki.org/wiki/u8fb6-ue0101 {{JIS2004フォント|辶}}]」と同様に「[[ファイル:U+8FB6 regular.svg|16px]]」と書く」とある。さらに、{{PDFlink|1=[https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/kaitei_kanji_toshin.pdf#page=21 改定常用漢字表]}}(文化審議会答申)では「「[[辵部|しんにゅう]]」の印刷文字字形である「[https://glyphwiki.org/wiki/u8fb6-ue0101 {{JIS2004フォント|辶}}]/[https://glyphwiki.org/wiki/u8fb6-ue0100 {{JIS2004フォント|辶}}]」に関して付言すれば、どちらの印刷文字字形であっても、手書き字形としては同じ「[[ファイル:U+8FB6 regular.svg|16px]]」の形で書くことが一般的である、という認識を社会全般に普及していく必要がある」と述べられている。</ref><ref name="G"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ソ、さかのぼ-る
|-
| 1216 || style="font-size:180%" | [[wikt:礎|礎]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">112</span>[[石部|石]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソ、いしずえ
|-
| 1217 || style="font-size:180%" | [[wikt:双|双]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「双」は示さない(注3参照) -->[[wikt:雙|雙]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">172</span>[[隹部|隹]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソウ、ふた
|-
| 1218 || style="font-size:180%" | [[wikt:壮|壮]] || style="font-size:180%" | [[wikt:壯|壯]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">033</span>[[士部|士]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソウ
|-
| 1219 || style="font-size:180%" | [[wikt:早|早]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 6 || 1 || || || ソウ、(サッ)、はや-い、はや-まる、はや-める
|-
| 1220 || style="font-size:180%" | [[wikt:争|争]] || style="font-size:180%" | [[wikt:爭|爭]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">087</span>[[爪部|爪]] || 6 || 4 || || || ソウ、あらそ-う
|-
| 1221 || style="font-size:180%" | [[wikt:走|走]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">156</span>[[走部|走]] || 7 || 2 || || || ソウ、はし-る
|-
| 1222 || style="font-size:180%" | [[wikt:奏|奏]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">037</span>[[大部|大]] || 9 || 6 || || || ソウ、かな-でる
|-
| 1223 || style="font-size:180%" | [[wikt:相|相]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 9 || 3 || || || ソウ、ショウ、あい
|-
| 1224 || style="font-size:180%" | [[wikt:荘|荘]] || style="font-size:180%" | [[wikt:莊|莊]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソウ
|-
| 1225 || style="font-size:180%" | [[wikt:草|草]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 9 || 1 || || || ソウ、くさ
|-
| 1226 || style="font-size:180%" | [[wikt:送|送]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 9 || 3 || || || ソウ、おく-る
|-
| 1227 || style="font-size:180%" | [[wikt:倉|倉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 10 || 4 || || || ソウ、くら
|-
| 1228 || style="font-size:180%" | [[wikt:捜|捜]] || style="font-size:180%" | [[wikt:搜|搜]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソウ、さが-す
|-
| 1229 || style="font-size:180%" | [[wikt:挿|挿]] || style="font-size:180%" | [[wikt:揷|揷]]<!-- 「插」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --><span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ソウ、さ-す
|-
| 1230 || style="font-size:180%" | [[wikt:桑|桑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソウ、くわ
|-
| 1231 || style="font-size:180%" | [[wikt:巣|巣]] || style="font-size:180%" | [[wikt:巢|巢]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">047</span>[[巛部|巛]] || 11 || 4 || || || ソウ、す
|-
| 1232 || style="font-size:180%" | [[wikt:掃|掃]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソウ、は-く
|-
| 1233 || style="font-size:180%" | [[wikt:曹|曹]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">073</span>[[曰部|曰]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ソウ
|-
| 1234 || style="font-size:180%" | [[wikt:曽|曽]] || style="font-size:180%" | [[wikt:曾|曾]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">073</span>[[曰部|曰]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ソウ、(ゾ)
|-
| 1235 || style="font-size:180%" | [[wikt:爽|爽]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">089</span>[[爻部|爻]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ソウ、さわ-やか
|-
| 1236 || style="font-size:180%" | [[wikt:窓|窓]] || <!-- 「囱・窗・窻」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">116</span>[[穴部|穴]] || 11 || 6 || || || ソウ、まど
|-
| 1237 || style="font-size:180%" | [[wikt:創|創]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 12 || 6 || || || ソウ、つく-る
|-
| 1238 || style="font-size:180%" | [[wikt:喪|喪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソウ、も
|-
| 1239 || style="font-size:180%" | [[wikt:痩|痩]] || style="font-size:180%" | [[wikt:瘦|瘦]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">104</span>[[疒部|疒]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ソウ、や-せる
|-
| 1240 || style="font-size:180%" | [[wikt:葬|葬]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソウ、ほうむ-る
|-
| 1241 || style="font-size:180%" | [[wikt:装|装]] || style="font-size:180%" | [[wikt:裝|裝]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 12 || 6 || || || ソウ、ショウ、よそお-う
|-
| 1242 || style="font-size:180%" | [[wikt:僧|僧]] || style="font-size:180%" | [[wikt:僧|僧]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソウ
|-
| 1243 || style="font-size:180%" | [[wikt:想|想]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 13 || 3 || || || ソウ、(ソ)
|-
| 1244 || style="font-size:180%" | [[wikt:層|層]] || style="font-size:180%" | [[wikt:層|層]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">044</span>[[尸部|尸]] || 14 || 6 || || || ソウ
|-
| 1245 || style="font-size:180%" | [[wikt:総|総]] || style="font-size:180%" | [[wikt:總|總]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 14 || 5 || || || ソウ
|-
| 1246 || style="font-size:180%" | [[wikt:遭|遭]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソウ、あ-う
|-
| 1247 || style="font-size:180%" | [[wikt:槽|槽]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ソウ
|-
| 1248 || style="font-size:180%" | [[wikt:踪|踪]] || <!-- 「蹤」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">157</span>[[足部|足]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ソウ
|-
| 1249 || style="font-size:180%" | [[wikt:操|操]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 16 || 6 || || || ソウ、みさお、あやつ-る
|-
| 1250 || style="font-size:180%" | [[wikt:燥|燥]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソウ
|-
| 1251 || style="font-size:180%" | [[wikt:霜|霜]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">173</span>[[雨部|雨]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソウ、しも
|-
| 1252 || style="font-size:180%" | [[wikt:騒|騒]] || style="font-size:180%" | [[wikt:騷|騷]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">187</span>[[馬部|馬]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソウ、さわ-ぐ
|-
| 1253 || style="font-size:180%" | [[wikt:藻|藻]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ソウ、も
|-
| 1254 || style="font-size:180%" | [[wikt:造|造]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 10 || 5 || || || ゾウ、つく-る
|-
| 1255 || style="font-size:180%" | [[wikt:像|像]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 14 || 5 || || || ゾウ
|-
| 1256 || style="font-size:180%" | [[wikt:増|増]] || style="font-size:180%" | [[wikt:增|增]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 14 || 5 || || || ゾウ、ま-す、ふ-える、ふ-やす
|-
| 1257 || style="font-size:180%" | [[wikt:憎|憎]] || style="font-size:180%" | [[wikt:憎|憎]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゾウ、にく-む、にく-い、にく-らしい、にく-しみ
|-
| 1258 || style="font-size:180%" | [[wikt:蔵|蔵]] || style="font-size:180%" | [[wikt:藏|藏]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 15 || 6 || || || ゾウ、くら
|-
| 1259 || style="font-size:180%" | [[wikt:贈|贈]] || style="font-size:180%" | [[wikt:贈|贈]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゾウ、(ソウ)、おく-る
|-
| 1260 || style="font-size:180%" | [[wikt:臓|臓]] || style="font-size:180%" | [[wikt:臟|臟]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 19 || 6 || || || ゾウ
|-
| 1261 || style="font-size:180%" | [[wikt:即|即]] || style="font-size:180%" | [[wikt:卽|卽]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">026</span>[[卩部|卩]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソク
|-
| 1262 || style="font-size:180%" | [[wikt:束|束]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 7 || 4 || || || ソク、たば
|-
| 1263 || style="font-size:180%" | [[wikt:足|足]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">157</span>[[足部|足]] || 7 || 1 || || || ソク、あし、た-りる、た-る、た-す
|-
| 1264 || style="font-size:180%" | [[wikt:促|促]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ソク、うなが-す
|-
| 1265 || style="font-size:180%" | [[wikt:則|則]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 9 || 5 || || || ソク
|-
| 1266 || style="font-size:180%" | [[wikt:息|息]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 10 || 3 || || || ソク、いき
|-
| 1267 || style="font-size:180%" | [[wikt:捉|捉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ソク、とら-える
|-
| 1268 || style="font-size:180%" | [[wikt:速|速]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 10 || 3 || || || ソク、はや-い、はや-める、はや-まる、すみ-やか
|-
| 1269 || style="font-size:180%" | [[wikt:側|側]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 11 || 4 || || || ソク、がわ
|-
| 1270 || style="font-size:180%" | [[wikt:測|測]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 12 || 5 || || || ソク、はか-る
|-
| 1271 || style="font-size:180%" | [[wikt:俗|俗]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゾク
|-
| 1272 || style="font-size:180%" | [[wikt:族|族]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">070</span>[[方部|方]] || 11 || 3 || || || ゾク
|-
| 1273 || style="font-size:180%" | [[wikt:属|属]] || style="font-size:180%" | [[wikt:屬|屬]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">044</span>[[尸部|尸]] || 12 || 5 || || || ゾク
|-
| 1274 || style="font-size:180%" | [[wikt:賊|賊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ゾク
|-
| 1275 || style="font-size:180%" | [[wikt:続|続]] || style="font-size:180%" | [[wikt:續|續]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 13 || 4 || || || ゾク、つづ-く、つづ-ける
|-
| 1276 || style="font-size:180%" | [[wikt:卒|卒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">024</span>[[十部|十]] || 8 || 4 || || || ソツ
|-
| 1277 || style="font-size:180%" | [[wikt:率|率]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">095</span>[[玄部|玄]] || 11 || 5 || || || ソツ、リツ、ひき-いる
|-
| 1278 || style="font-size:180%" | [[wikt:存|存]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">039</span>[[子部|子]] || 6 || 6 || || || ソン、ゾン
|-
| 1279 || style="font-size:180%" | [[wikt:村|村]] || <!-- 「邨」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 7 || 1 || || || ソン、むら
|-
| 1280 || style="font-size:180%" | [[wikt:孫|孫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">039</span>[[子部|子]] || 10 || 4 || || || ソン、まご
|-
| 1281 || style="font-size:180%" | [[wikt:尊|尊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">041</span>[[寸部|寸]] || 12 || 6 || || || ソン、たっと-い、とうと-い、たっと-ぶ、とうと-ぶ
|-
| 1282 || style="font-size:180%" | [[wikt:損|損]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 13 || 5 || || || ソン、そこ-なう、そこ-ねる
|-
| 1283 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:遜|遜]]<span style="font-size:72%"> <ref name="H"/><ref name="G"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ソン
|-
| 1284 || style="font-size:180%" | [[wikt:他|他]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 5 || 3 || || || タ、ほか
|-
| 1285 || style="font-size:180%" | [[wikt:多|多]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">036</span>[[夕部|夕]] || 6 || 2 || || || タ、おお-い
|-
| 1286 || style="font-size:180%" | [[wikt:汰|汰]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || タ
|-
| 1287 || style="font-size:180%" | [[wikt:打|打]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 5 || 3 || || || ダ、う-つ
|-
| 1288 || style="font-size:180%" | [[wikt:妥|妥]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ダ
|-
| 1289 || style="font-size:180%" | [[wikt:唾|唾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ダ、つば
|-
| 1290 || style="font-size:180%" | [[wikt:堕|堕]] || style="font-size:180%" | [[wikt:墮|墮]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ダ
|-
| 1291 || style="font-size:180%" | [[wikt:惰|惰]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ダ
|-
| 1292 || style="font-size:180%" | [[wikt:駄|駄]] || <!-- 「馱」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">187</span>[[馬部|馬]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ダ
|-
| 1293 || style="font-size:180%" | [[wikt:太|太]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">037</span>[[大部|大]] || 4 || 2 || || || タイ、タ、ふと-い、ふと-る
|-
| 1294 || style="font-size:180%" | [[wikt:対|対]] || style="font-size:180%" | [[wikt:對|對]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">041</span>[[寸部|寸]] || 7 || 3 || || || タイ、ツイ
|-
| 1295 || style="font-size:180%" | [[wikt:体|体]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「体」は示さない(注3参照) -->[[wikt:體|體]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">188</span>[[骨部|骨]] || 7 || 2 || || || タイ、テイ、からだ
|-
| 1296 || style="font-size:180%" | [[wikt:耐|耐]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">126</span>[[而部|而]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || タイ、た-える
|-
| 1297 || style="font-size:180%" | [[wikt:待|待]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 9 || 3 || || || タイ、ま-つ
|-
| 1298 || style="font-size:180%" | [[wikt:怠|怠]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || タイ、おこた-る、なま-ける
|-
| 1299 || style="font-size:180%" | [[wikt:胎|胎]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || タイ
|-
| 1300 || style="font-size:180%" | [[wikt:退|退]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 9 || 6 || || || タイ、しりぞ-く、しりぞ-ける
|-
| 1301 || style="font-size:180%" | [[wikt:帯|帯]] || style="font-size:180%" | [[wikt:帶|帶]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">050</span>[[巾部|巾]] || 10 || 4 || || || タイ、お-びる、おび
|-
| 1302 || style="font-size:180%" | [[wikt:泰|泰]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || タイ
|-
| 1303 || style="font-size:180%" | [[wikt:堆|堆]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || タイ
|-
| 1304 || style="font-size:180%" | [[wikt:袋|袋]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || タイ、ふくろ
|-
| 1305 || style="font-size:180%" | [[wikt:逮|逮]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || タイ
|-
| 1306 || style="font-size:180%" | [[wikt:替|替]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">073</span>[[曰部|曰]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || タイ、か-える、か-わる
|-
| 1307 || style="font-size:180%" | [[wikt:貸|貸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 12 || 5 || || || タイ、か-す
|-
| 1308 || style="font-size:180%" | [[wikt:隊|隊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 12 || 4 || || || タイ
|-
| 1309 || style="font-size:180%" | [[wikt:滞|滞]] || style="font-size:180%" | [[wikt:滯|滯]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || タイ、とどこお-る
|-
| 1310 || style="font-size:180%" | [[wikt:態|態]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 14 || 5 || || || タイ
|-
| 1311 || style="font-size:180%" | [[wikt:戴|戴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">062</span>[[戈部|戈]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || タイ
|-
| 1312 || style="font-size:180%" | [[wikt:大|大]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">037</span>[[大部|大]] || 3 || 1 || || || ダイ、タイ、おお、おお-きい、おお-いに
|-
| 1313 || style="font-size:180%" | [[wikt:代|代]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 5 || 3 || || || ダイ、タイ、か-わる、か-える、よ、しろ
|-
| 1314 || style="font-size:180%" | [[wikt:台|台]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「台」は示さない(注3参照) -->[[wikt:臺|臺]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">133</span>[[至部|至]] || 5 || 2 || || || ダイ、タイ
|-
| 1315 || style="font-size:180%" | [[wikt:第|第]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 11 || 3 || || || ダイ
|-
| 1316 || style="font-size:180%" | [[wikt:題|題]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 18 || 3 || || || ダイ
|-
| 1317 || style="font-size:180%" | [[wikt:滝|滝]] || style="font-size:180%" | [[wikt:瀧|瀧]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || たき
|-
| 1318 || style="font-size:180%" | [[wikt:宅|宅]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 6 || 6 || || || タク
|-
| 1319 || style="font-size:180%" | [[wikt:択|択]] || style="font-size:180%" | [[wikt:擇|擇]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || タク
|-
| 1320 || style="font-size:180%" | [[wikt:沢|沢]] || style="font-size:180%" | [[wikt:澤|澤]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || タク、さわ
|-
| 1321 || style="font-size:180%" | [[wikt:卓|卓]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">024</span>[[十部|十]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || タク
|-
| 1322 || style="font-size:180%" | [[wikt:拓|拓]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || タク
|-
| 1323 || style="font-size:180%" | [[wikt:託|託]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || タク
|-
| 1324 || style="font-size:180%" | [[wikt:濯|濯]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || タク
|-
| 1325 || style="font-size:180%" | [[wikt:諾|諾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ダク
|-
| 1326 || style="font-size:180%" | [[wikt:濁|濁]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ダク、にご-る、にご-す
|-
| 1327 || style="font-size:180%" | [[wikt:但|但]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ただ-し
|-
| 1328 || style="font-size:180%" | [[wikt:達|達]] || <!-- 「逹」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 12 || 4 || || || タツ
|-
| 1329 || style="font-size:180%" | [[wikt:脱|脱]] || style="font-size:180%" | [[wikt:脫|脫]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ダツ、ぬ-ぐ、ぬ-げる
|-
| 1330 || style="font-size:180%" | [[wikt:奪|奪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">037</span>[[大部|大]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ダツ、うば-う
|-
| 1331 || style="font-size:180%" | [[wikt:棚|棚]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || たな
|-
| 1332 || style="font-size:180%" | [[wikt:誰|誰]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || だれ
|-
| 1333 || style="font-size:180%" | [[wikt:丹|丹]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">003</span>[[丶部|丶]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || || || タン
|-
| 1334 || style="font-size:180%" | [[wikt:旦|旦]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || タン、ダン
|-
| 1335 || style="font-size:180%" | [[wikt:担|担]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「担」は示さない(注3参照) -->[[wikt:擔|擔]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || 6 || || || タン、かつ-ぐ、にな-う
|-
| 1336 || style="font-size:180%" | [[wikt:単|単]] || style="font-size:180%" | [[wikt:單|單]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 9 || 4 || || || タン
|-
| 1337 || style="font-size:180%" | [[wikt:炭|炭]] || <!-- 旧字体としてU+2F91Aは示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 9 || 3 || || || タン、すみ
|-
| 1338 || style="font-size:180%" | [[wikt:胆|胆]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「胆」は示さない(注3参照) -->[[wikt:膽|膽]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || タン
|-
| 1339 || style="font-size:180%" | [[wikt:探|探]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 11 || 6 || || || タン、さぐ-る、さが-す
|-
| 1340 || style="font-size:180%" | [[wikt:淡|淡]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || タン、あわ-い
|-
| 1341 || style="font-size:180%" | [[wikt:短|短]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">111</span>[[矢部|矢]] || 12 || 3 || || || タン、みじか-い
|-
| 1342 || style="font-size:180%" | [[wikt:嘆|嘆]] || style="font-size:180%" | [[wikt:嘆|嘆]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || タン、なげ-く、なげ-かわしい
|-
| 1343 || style="font-size:180%" | [[wikt:端|端]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">117</span>[[立部|立]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || タン、はし、は、はた
|-
| 1344 || style="font-size:180%" | [[wikt:綻|綻]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || タン、ほころ-びる
|-
| 1345 || style="font-size:180%" | [[wikt:誕|誕]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 15 || 6 || || || タン
|-
| 1346 || style="font-size:180%" | [[wikt:鍛|鍛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || タン、きた-える
|-
| 1347 || style="font-size:180%" | [[wikt:団|団]] || style="font-size:180%" | [[wikt:團|團]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">031</span>[[囗部|囗]] || 6 || 5 || || || ダン、(トン)
|-
| 1348 || style="font-size:180%" | [[wikt:男|男]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 7 || 1 || || || ダン、ナン、おとこ
|-
| 1349 || style="font-size:180%" | [[wikt:段|段]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">079</span>[[殳部|殳]] || 9 || 6 || || || ダン
|-
| 1350 || style="font-size:180%" | [[wikt:断|断]] || style="font-size:180%" | [[wikt:斷|斷]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">069</span>[[斤部|斤]] || 11 || 5 || || || ダン、た-つ、ことわ-る
|-
| 1351 || style="font-size:180%" | [[wikt:弾|弾]] || style="font-size:180%" | [[wikt:彈|彈]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">057</span>[[弓部|弓]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ダン、ひ-く、はず-む、たま
|-
| 1352 || style="font-size:180%" | [[wikt:暖|暖]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 13 || 6 || || || ダン、あたた-か、あたた-かい、あたた-まる、あたた-める
|-
| 1353 || style="font-size:180%" | [[wikt:談|談]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 15 || 3 || || || ダン
|-
| 1354 || style="font-size:180%" | [[wikt:壇|壇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ダン、(タン)
|-
| 1355 || style="font-size:180%" | [[wikt:地|地]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 6 || 2 || || || チ、ジ
|-
| 1356 || style="font-size:180%" | [[wikt:池|池]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 6 || 2 || || || チ、いけ
|-
| 1357 || style="font-size:180%" | [[wikt:知|知]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">111</span>[[矢部|矢]] || 8 || 2 || || || チ、し-る
|-
| 1358 || style="font-size:180%" | [[wikt:値|値]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 10 || 6 || || || チ、ね、あたい
|-
| 1359 || style="font-size:180%" | [[wikt:恥|恥]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || チ、は-じる、はじ、は-じらう、は-ずかしい
|-
| 1360 || style="font-size:180%" | [[wikt:致|致]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">133</span>[[至部|至]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || チ、いた-す
|-
| 1361 || style="font-size:180%" | [[wikt:遅|遅]] || style="font-size:180%" | [[wikt:遲|遲]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || チ、おく-れる、おく-らす、おそ-い
|-
| 1362 || style="font-size:180%" | [[wikt:痴|痴]] || <!-- 「癡」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --><ref name="I"/> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">104</span>[[疒部|疒]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || チ
|-
| 1363 || style="font-size:180%" | [[wikt:稚|稚]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || チ
|-
| 1364 || style="font-size:180%" | [[wikt:置|置]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">122</span>[[网部|网]] || 13 || 4 || || || チ、お-く
|-
| 1365 || style="font-size:180%" | [[wikt:緻|緻]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || チ
|-
| 1366 || style="font-size:180%" | [[wikt:竹|竹]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 6 || 1 || || || チク、たけ
|-
| 1367 || style="font-size:180%" | [[wikt:畜|畜]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || チク
|-
| 1368 || style="font-size:180%" | [[wikt:逐|逐]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || チク
|-
| 1369 || style="font-size:180%" | [[wikt:蓄|蓄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || チク、たくわ-える
|-
| 1370 || style="font-size:180%" | [[wikt:築|築]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 16 || 5 || || || チク、きず-く
|-
| 1371 || style="font-size:180%" | [[wikt:秩|秩]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || チツ
|-
| 1372 || style="font-size:180%" | [[wikt:窒|窒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">116</span>[[穴部|穴]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || チツ
|-
| 1373 || style="font-size:180%" | [[wikt:茶|茶]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 9 || 2 || || || チャ、サ
|-
| 1374 || style="font-size:180%" | [[wikt:着|着]] || <!-- 『新潮日本語漢字辞典』は「著」・U+FA5Fを「着」の「旧字」としていない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">123</span>[[羊部|羊]]<!-- 部首を「目」としない。当用漢字表参照。 --> || 12 || 3 || || || チャク、(ジャク)、き-る、き-せる、つ-く、つ-ける
|-
| 1375 || style="font-size:180%" | [[wikt:嫡|嫡]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || チャク
|-
| 1376 || style="font-size:180%" | [[wikt:中|中]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">002</span>[[丨部|丨]] || 4 || 1 || || || チュウ、(ジュウ)、なか
|-
| 1377 || style="font-size:180%" | [[wikt:仲|仲]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 6 || 4 || || || チュウ、なか
|-
| 1378 || style="font-size:180%" | [[wikt:虫|虫]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「虫」は示さない(注3参照) -->[[wikt:蟲|蟲]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">142</span>[[虫部|虫]] || 6 || 1 || || || チュウ、むし
|-
| 1379 || style="font-size:180%" | [[wikt:沖|沖]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 7 || 4 || || || チュウ、おき
|-
| 1380 || style="font-size:180%" | [[wikt:宙|宙]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 8 || 6 || || || チュウ
|-
| 1381 || style="font-size:180%" | [[wikt:忠|忠]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 8 || 6 || || || チュウ
|-
| 1382 || style="font-size:180%" | [[wikt:抽|抽]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || チュウ
|-
| 1383 || style="font-size:180%" | [[wikt:注|注]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 8 || 3 || || || チュウ、そそ-ぐ
|-
| 1384 || style="font-size:180%" | [[wikt:昼|昼]] || style="font-size:180%" | [[wikt:晝|晝]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 9 || 2 || || || チュウ、ひる
|-
| 1385 || style="font-size:180%" | [[wikt:柱|柱]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 9 || 3 || || || チュウ、はしら
|-
| 1386 || style="font-size:180%" | [[wikt:衷|衷]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 10<!-- 9画としない。冒頭「画数の数え方が問題となるもの」参照。 --> || <span style="display:none">7</span>S || || || チュウ
|-
| 1387 || style="font-size:180%" | [[wikt:酎|酎]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">164</span>[[酉部|酉]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || チュウ
|-
| 1388 || style="font-size:180%" | [[wikt:鋳|鋳]] || style="font-size:180%" | [[wikt:鑄|鑄]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || チュウ、い-る
|-
| 1389 || style="font-size:180%" | [[wikt:駐|駐]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">187</span>[[馬部|馬]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || チュウ
|-
| 1390 || style="font-size:180%" | [[wikt:著|著]] || style="font-size:180%" | [[wikt:著|著]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 11 || 6 || || || チョ、あらわ-す、いちじる-しい
|-
| 1391 || style="font-size:180%" | [[wikt:貯|貯]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 12 || 5 || || || チョ
|-
| 1392 || style="font-size:180%" | [[wikt:丁|丁]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">001</span>[[一部 (部首)|一]] || 2 || 3 || || || チョウ、テイ
|-
| 1393 || style="font-size:180%" | [[wikt:弔|弔]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">057</span>[[弓部|弓]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || || || チョウ、とむら-う
|-
| 1394 || style="font-size:180%" | [[wikt:庁|庁]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「庁」は示さない(注3参照) -->[[wikt:廳|廳]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">053</span>[[广部|广]] || 5 || 6 || || || チョウ
|-
| 1395 || style="font-size:180%" | [[wikt:兆|兆]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">010</span>[[儿部|儿]] || 6 || 4 || || || チョウ、きざ-す、きざ-し
|-
| 1396 || style="font-size:180%" | [[wikt:町|町]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 7 || 1 || || || チョウ、まち
|-
| 1397 || style="font-size:180%" | [[wikt:長|長]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">168</span>[[長部|長]] || 8 || 2 || || || チョウ、なが-い
|-
| 1398 || style="font-size:180%" | [[wikt:挑|挑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || チョウ、いど-む
|-
| 1399 || style="font-size:180%" | [[wikt:帳|帳]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">050</span>[[巾部|巾]] || 11 || 3 || || || チョウ
|-
| 1400 || style="font-size:180%" | [[wikt:張|張]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">057</span>[[弓部|弓]] || 11 || 5 || || || チョウ、は-る
|-
| 1401 || style="font-size:180%" | [[wikt:彫|彫]] || <!-- 旧字体としてU+2F89Aは示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">059</span>[[彡部|彡]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || チョウ、ほ-る
|-
| 1402 || style="font-size:180%" | [[wikt:眺|眺]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || チョウ、なが-める
|-
| 1403 || style="font-size:180%" | [[wikt:釣|釣]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || チョウ、つ-る
|-
| 1404 || style="font-size:180%" | [[wikt:頂|頂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 11 || 6 || || || チョウ、いただ-く、いただき
|-
| 1405 || style="font-size:180%" | [[wikt:鳥|鳥]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">196</span>[[鳥部|鳥]] || 11 || 2 || || || チョウ、とり
|-
| 1406 || style="font-size:180%" | [[wikt:朝|朝]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">074</span>[[月部|月]] || 12 || 2 || || || チョウ、あさ
|- style="background-color:#dddddd; color:black"
| {{0}} || style="font-size:180%" | [[wikt:脹|脹]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 12 || <span style="display:none">8</span> || || 2010 || チョウ
|-
| 1407 || style="font-size:180%" | [[wikt:貼|貼]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || チョウ、は-る
|-
| 1408 || style="font-size:180%" | [[wikt:超|超]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">156</span>[[走部|走]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || チョウ、こ-える、こ-す
|-
| 1409 || style="font-size:180%" | [[wikt:腸|腸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 13 || 6 || || || チョウ
|-
| 1410 || style="font-size:180%" | [[wikt:跳|跳]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">157</span>[[足部|足]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || チョウ、は-ねる、と-ぶ
|-
| 1411 || style="font-size:180%" | [[wikt:徴|徴]] || style="font-size:180%" | [[wikt:徵|徵]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || チョウ
|-
| 1412 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:嘲|嘲]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="E"/><ref name="F"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || チョウ、あざけ-る
|-
| 1413 || style="font-size:180%" | [[wikt:潮|潮]] || <!-- 旧字体としてU+2F90Fは示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 15 || 6 || || || チョウ、しお
|-
| 1414 || style="font-size:180%" | [[wikt:澄|澄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || チョウ、す-む、す-ます
|-
| 1415 || style="font-size:180%" | [[wikt:調|調]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 15 || 3 || || || チョウ、しら-べる、ととの-う、ととの-える
|-
| 1416 || style="font-size:180%" | [[wikt:聴|聴]] || style="font-size:180%" | [[wikt:聽|聽]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">128</span>[[耳部|耳]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || チョウ、き-く
|-
| 1417 || style="font-size:180%" | [[wikt:懲|懲]] || style="font-size:180%" | [[wikt:懲|懲]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || チョウ、こ-りる、こ-らす、こ-らしめる
|-
| 1418 || style="font-size:180%" | [[wikt:直|直]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 8 || 2 || || || チョク、ジキ、ただ-ちに、なお-す、なお-る
|-
| 1419 || style="font-size:180%" | [[wikt:勅|勅]] || <!-- 「敕」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --><ref name="I"/> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || チョク
|-
| 1420 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:捗|捗]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="E"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || チョク
|-
| 1421 || style="font-size:180%" | [[wikt:沈|沈]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || チン、しず-む、しず-める
|-
| 1422 || style="font-size:180%" | [[wikt:珍|珍]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">096</span>[[玉部|玉]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || チン、めずら-しい
|-
| 1423 || style="font-size:180%" | [[wikt:朕|朕]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">074</span>[[月部|月]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || チン
|-
| 1424 || style="font-size:180%" | [[wikt:陳|陳]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || チン
|-
| 1425 || style="font-size:180%" | [[wikt:賃|賃]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 13 || 6 || || || チン
|-
| 1426 || style="font-size:180%" | [[wikt:鎮|鎮]] || style="font-size:180%" | [[wikt:鎭|鎭]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || チン、しず-める、しず-まる
|-
| 1427 || style="font-size:180%" | [[wikt:追|追]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 9 || 3 || || || ツイ、お-う
|-
| 1428 || style="font-size:180%" | [[wikt:椎|椎]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ツイ
|-
| 1429 || style="font-size:180%" | [[wikt:墜|墜]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ツイ
|-
| 1430 || style="font-size:180%" | [[wikt:通|通]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 10 || 2 || || || ツウ、(ツ)、とお-る、とお-す、かよ-う
|-
| 1431 || style="font-size:180%" | [[wikt:痛|痛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">104</span>[[疒部|疒]] || 12 || 6 || || || ツウ、いた-い、いた-む、いた-める
|-
| 1432 || style="font-size:180%" | [[wikt:塚|塚]] || style="font-size:180%" | [[wikt:塚|塚]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || つか
|-
| 1433 || style="font-size:180%" | [[wikt:漬|漬]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || つ-ける、つ-かる
|-
| 1434 || style="font-size:180%" | [[wikt:坪|坪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || つぼ
|-
| 1435 || style="font-size:180%" | [[wikt:爪|爪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">087</span>[[爪部|爪]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || つめ、(つま)
|-
| 1436 || style="font-size:180%" | [[wikt:鶴|鶴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">196</span>[[鳥部|鳥]] || 21 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || つる
|-
| 1437 || style="font-size:180%" | [[wikt:低|低]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 7 || 4 || || || テイ、ひく-い、ひく-める、ひく-まる
|-
| 1438 || style="font-size:180%" | [[wikt:呈|呈]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || テイ
|-
| 1439 || style="font-size:180%" | [[wikt:廷|廷]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">054</span>[[廴部|廴]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || テイ
|-
| 1440 || style="font-size:180%" | [[wikt:弟|弟]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">057</span>[[弓部|弓]] || 7 || 2 || || || テイ、(ダイ)、(デ)、おとうと
|-
| 1441 || style="font-size:180%" | [[wikt:定|定]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 8 || 3 || || || テイ、ジョウ、さだ-める、さだ-まる、さだ-か
|-
| 1442 || style="font-size:180%" | [[wikt:底|底]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">053</span>[[广部|广]] || 8 || 4 || || || テイ、そこ
|-
| 1443 || style="font-size:180%" | [[wikt:抵|抵]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || テイ
|-
| 1444 || style="font-size:180%" | [[wikt:邸|邸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">163</span>[[邑部|邑]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || テイ
|-
| 1445 || style="font-size:180%" | [[wikt:亭|亭]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">008</span>[[亠部|亠]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || テイ
|-
| 1446 || style="font-size:180%" | [[wikt:貞|貞]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || テイ
|-
| 1447 || style="font-size:180%" | [[wikt:帝|帝]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">050</span>[[巾部|巾]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || テイ
|-
| 1448 || style="font-size:180%" | [[wikt:訂|訂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || テイ
|-
| 1449 || style="font-size:180%" | [[wikt:庭|庭]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">053</span>[[广部|广]] || 10 || 3 || || || テイ、にわ
|-
| 1450 || style="font-size:180%" | [[wikt:逓|逓]] || style="font-size:180%" | [[wikt:遞|遞]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || テイ
|-
| 1451 || style="font-size:180%" | [[wikt:停|停]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 11 || 5 || || || テイ
|-
| 1452 || style="font-size:180%" | [[wikt:偵|偵]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || テイ
|-
| 1453 || style="font-size:180%" | [[wikt:堤|堤]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || テイ、つつみ
|-
| 1454 || style="font-size:180%" | [[wikt:提|提]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 12 || 5 || || || テイ、さ-げる
|-
| 1455 || style="font-size:180%" | [[wikt:程|程]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 12 || 5 || || || テイ、ほど
|-
| 1456 || style="font-size:180%" | [[wikt:艇|艇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">137</span>[[舟部|舟]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || テイ
|-
| 1457 || style="font-size:180%" | [[wikt:締|締]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || テイ、し-まる、し-める
|-
| 1458 || style="font-size:180%" | [[wikt:諦|諦]]<span style="font-size:72%"> <ref name="F"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || テイ、あきら-める
|-
| 1459 || style="font-size:180%" | [[wikt:泥|泥]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || デイ、どろ
|-
| 1460 || style="font-size:180%" | [[wikt:的|的]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">106</span>[[白部|白]] || 8 || 4 || || || テキ、まと
|-
| 1461 || style="font-size:180%" | [[wikt:笛|笛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 11 || 3 || || || テキ、ふえ
|-
| 1462 || style="font-size:180%" | [[wikt:摘|摘]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || テキ、つ-む
|-
| 1463 || style="font-size:180%" | [[wikt:滴|滴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || テキ、しずく、したた-る
|-
| 1464 || style="font-size:180%" | [[wikt:適|適]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 14 || 5 || || || テキ
|-
| 1465 || style="font-size:180%" | [[wikt:敵|敵]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 15 || 6 || || || テキ、かたき
|-
| 1466 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:溺|溺]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="E"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || デキ、おぼ-れる
|-
| 1467 || style="font-size:180%" | [[wikt:迭|迭]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || テツ
|-
| 1468 || style="font-size:180%" | [[wikt:哲|哲]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || テツ
|-
| 1469 || style="font-size:180%" | [[wikt:鉄|鉄]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「鉄」は示さない(注3参照) -->[[wikt:鐵|鐵]]<!-- 「銕」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 13 || 3 || || || テツ
|-
| 1470 || style="font-size:180%" | [[wikt:徹|徹]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || テツ
|-
| 1471 || style="font-size:180%" | [[wikt:撤|撤]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || テツ
|-
| 1472 || style="font-size:180%" | [[wikt:天|天]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">037</span>[[大部|大]] || 4 || 1 || || || テン、あめ、(あま)
|-
| 1473 || style="font-size:180%" | [[wikt:典|典]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">012</span>[[八部|八]] || 8 || 4 || || || テン
|-
| 1474 || style="font-size:180%" | [[wikt:店|店]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">053</span>[[广部|广]] || 8 || 2 || || || テン、みせ
|-
| 1475 || style="font-size:180%" | [[wikt:点|点]] || style="font-size:180%" | [[wikt:點|點]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">203</span>[[黒部|黑]] || 9 || 2 || || || テン
|-
| 1476 || style="font-size:180%" | [[wikt:展|展]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">044</span>[[尸部|尸]] || 10 || 6 || || || テン
|-
| 1477 || style="font-size:180%" | [[wikt:添|添]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || テン、そ-える、そ-う
|-
| 1478 || style="font-size:180%" | [[wikt:転|転]] || style="font-size:180%" | [[wikt:轉|轉]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">159</span>[[車部|車]] || 11 || 3 || || || テン、ころ-がる、ころ-げる、ころ-がす、ころ-ぶ
|-
| 1479 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:塡|塡]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="E"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || テン
|-
| 1480 || style="font-size:180%" | [[wikt:田|田]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 5 || 1 || || || デン、た
|-
| 1481 || style="font-size:180%" | [[wikt:伝|伝]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「伝」は示さない(注3参照) -->[[wikt:傳|傳]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 6 || 4 || || || デン、つた-わる、つた-える、つた-う
|-
| 1482 || style="font-size:180%" | [[wikt:殿|殿]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">079</span>[[殳部|殳]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || デン、テン、との、どの
|-
| 1483 || style="font-size:180%" | [[wikt:電|電]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">173</span>[[雨部|雨]] || 13 || 2 || || || デン
|-
| 1484 || style="font-size:180%" | [[wikt:斗|斗]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">068</span>[[斗部|斗]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || || || ト
|-
| 1485 || style="font-size:180%" | [[wikt:吐|吐]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || ト、は-く
|-
| 1486 || style="font-size:180%" | [[wikt:妬|妬]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ト、ねた-む
|-
| 1487 || style="font-size:180%" | [[wikt:徒|徒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 10 || 4 || || || ト
|-
| 1488 || style="font-size:180%" | [[wikt:途|途]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ト
|-
| 1489 || style="font-size:180%" | [[wikt:都|都]] || style="font-size:180%" | [[wikt:都|都]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">163</span>[[邑部|邑]] || 11 || 3 || || || ト、ツ、みやこ
|-
| 1490 || style="font-size:180%" | [[wikt:渡|渡]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ト、わた-る、わた-す
|-
| 1491 || style="font-size:180%" | [[wikt:塗|塗]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ト、ぬ-る
|-
| 1492 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:賭|賭]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="E"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ト、か-ける
|-
| 1493 || style="font-size:180%" | [[wikt:土|土]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 3 || 1 || || || ド、ト、つち
|-
| 1494 || style="font-size:180%" | [[wikt:奴|奴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || || || ド
|-
| 1495 || style="font-size:180%" | [[wikt:努|努]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 7 || 4 || || || ド、つと-める
|-
| 1496 || style="font-size:180%" | [[wikt:度|度]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">053</span>[[广部|广]] || 9 || 3 || || || ド、(ト)、(タク)、たび
|-
| 1497 || style="font-size:180%" | [[wikt:怒|怒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ド、いか-る、おこ-る
|-
| 1498 || style="font-size:180%" | [[wikt:刀|刀]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 2 || 2 || || || トウ、かたな
|-
| 1499 || style="font-size:180%" | [[wikt:冬|冬]] || <!-- 旧字体としてU+2F81Aは示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">015</span>[[冫部|冫]] || 5 || 2 || || || トウ、ふゆ
|-
| 1500 || style="font-size:180%" | [[wikt:灯|灯]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「灯」は示さない(注3参照) -->[[wikt:燈|燈]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 6 || 4 || || || トウ、ひ
|-
| 1501 || style="font-size:180%" | [[wikt:当|当]] || style="font-size:180%" | [[wikt:當|當]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 6 || 2 || || || トウ、あ-たる、あ-てる
|-
| 1502 || style="font-size:180%" | [[wikt:投|投]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 7 || 3 || || || トウ、な-げる
|-
| 1503 || style="font-size:180%" | [[wikt:豆|豆]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">151</span>[[豆部|豆]] || 7 || 3 || || || トウ、(ズ)、まめ
|-
| 1504 || style="font-size:180%" | [[wikt:東|東]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 8 || 2 || || || トウ、ひがし
|-
| 1505 || style="font-size:180%" | [[wikt:到|到]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ
|-
| 1506 || style="font-size:180%" | [[wikt:逃|逃]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ、に-げる、に-がす、のが-す、のが-れる
|-
| 1507 || style="font-size:180%" | [[wikt:倒|倒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ、たお-れる、たお-す
|-
| 1508 || style="font-size:180%" | [[wikt:凍|凍]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">015</span>[[冫部|冫]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ、こお-る、こご-える
|-
| 1509 || style="font-size:180%" | [[wikt:唐|唐]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ、から
|-
| 1510 || style="font-size:180%" | [[wikt:島|島]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">046</span>[[山部|山]] || 10 || 3 || || || トウ、しま
|-
| 1511 || style="font-size:180%" | [[wikt:桃|桃]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ、もも
|-
| 1512 || style="font-size:180%" | [[wikt:討|討]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 10 || 6 || || || トウ、う-つ
|-
| 1513 || style="font-size:180%" | [[wikt:透|透]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ、す-く、す-かす、す-ける
|-
| 1514 || style="font-size:180%" | [[wikt:党|党]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「党」は示さない(注3参照) -->[[wikt:黨|黨]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">203</span>[[黒部|黑]] || 10 || 6 || || || トウ
|-
| 1515 || style="font-size:180%" | [[wikt:悼|悼]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ、いた-む
|-
| 1516 || style="font-size:180%" | [[wikt:盗|盗]] || style="font-size:180%" | [[wikt:盜|盜]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">108</span>[[皿部|皿]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ、ぬす-む
|-
| 1517 || style="font-size:180%" | [[wikt:陶|陶]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ
|-
| 1518 || style="font-size:180%" | [[wikt:塔|塔]] || <!-- 「墖」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ
|-
| 1519 || style="font-size:180%" | [[wikt:搭|搭]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || トウ
|-
| 1520 || style="font-size:180%" | [[wikt:棟|棟]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || トウ、むね、(むな)
|-
| 1521 || style="font-size:180%" | [[wikt:湯|湯]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 12 || 3 || || || トウ、ゆ
|-
| 1522 || style="font-size:180%" | [[wikt:痘|痘]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">104</span>[[疒部|疒]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ
|-
| 1523 || style="font-size:180%" | [[wikt:登|登]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">105</span>[[癶部|癶]] || 12 || 3 || || || トウ、ト、のぼ-る
|-
| 1524 || style="font-size:180%" | [[wikt:答|答]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 12 || 2 || || || トウ、こた-える、こた-え
|-
| 1525 || style="font-size:180%" | [[wikt:等|等]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 12 || 3 || || || トウ、ひと-しい
|-
| 1526 || style="font-size:180%" | [[wikt:筒|筒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ、つつ
|-
| 1527 || style="font-size:180%" | [[wikt:統|統]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 12 || 5 || || || トウ、す-べる
|-
| 1528 || style="font-size:180%" | [[wikt:稲|稲]] || style="font-size:180%" | [[wikt:稻|稻]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ、いね、(いな)
|-
| 1529 || style="font-size:180%" | [[wikt:踏|踏]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">157</span>[[足部|足]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ、ふ-む、ふ-まえる
|-
| 1530 || style="font-size:180%" | [[wikt:糖|糖]] || <!-- 旧字体としてU+FA03は示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">119</span>[[米部|米]] || 16 || 6 || || || トウ
|-
| 1531 || style="font-size:180%" | [[wikt:頭|頭]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 16 || 2 || || || トウ、ズ、(ト)、あたま、かしら
|-
| 1532 || style="font-size:180%" | [[wikt:謄|謄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ
|-
| 1533 || style="font-size:180%" | [[wikt:藤|藤]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || トウ、ふじ
|-
| 1534 || style="font-size:180%" | [[wikt:闘|闘]] || style="font-size:180%" | [[wikt:鬪|鬪]]<!-- 「鬭」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --><span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">191</span>[[鬥部|鬥]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ、たたか-う
|-
| 1535 || style="font-size:180%" | [[wikt:騰|騰]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">187</span>[[馬部|馬]] || 20 || <span style="display:none">7</span>S || || || トウ
|-
| 1536 || style="font-size:180%" | [[wikt:同|同]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 6 || 2 || || || ドウ、おな-じ
|-
| 1537 || style="font-size:180%" | [[wikt:洞|洞]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ドウ、ほら
|-
| 1538 || style="font-size:180%" | [[wikt:胴|胴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ドウ
|-
| 1539 || style="font-size:180%" | [[wikt:動|動]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 11 || 3 || || || ドウ、うご-く、うご-かす
|-
| 1540 || style="font-size:180%" | [[wikt:堂|堂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 11 || 5 || || || ドウ
|-
| 1541 || style="font-size:180%" | [[wikt:童|童]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">117</span>[[立部|立]] || 12 || 3 || || || ドウ、わらべ
|-
| 1542 || style="font-size:180%" | [[wikt:道|道]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 12 || 2 || || || ドウ、(トウ)、みち
|-
| 1543 || style="font-size:180%" | [[wikt:働|働]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 13 || 4 || || || ドウ、はたら-く
|-
| 1544 || style="font-size:180%" | [[wikt:銅|銅]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 14 || 5 || || || ドウ
|-
| 1545 || style="font-size:180%" | [[wikt:導|導]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">041</span>[[寸部|寸]] || 15 || 5 || || || ドウ、みちび-く
|-
| 1546 || style="font-size:180%" | [[wikt:瞳|瞳]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ドウ、ひとみ
|-
| 1547 || style="font-size:180%" | [[wikt:峠|峠]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">046</span>[[山部|山]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || とうげ
|-
| 1548 || style="font-size:180%" | [[wikt:匿|匿]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">023</span>[[匸部|匸]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || トク
|-
| 1549 || style="font-size:180%" | [[wikt:特|特]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">093</span>[[牛部|牛]] || 10 || 4 || || || トク
|-
| 1550 || style="font-size:180%" | [[wikt:得|得]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 11 || 5 || || || トク、え-る、う-る
|-
| 1551 || style="font-size:180%" | [[wikt:督|督]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || トク
|-
| 1552 || style="font-size:180%" | [[wikt:徳|徳]] || style="font-size:180%" | [[wikt:德|德]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 14 || 4 || || || トク
|-
| 1553 || style="font-size:180%" | [[wikt:篤|篤]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || トク
|-
| 1554 || style="font-size:180%" | [[wikt:毒|毒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">080</span>[[毋部|毋]] || 8 || 5 || || || ドク
|-
| 1555 || style="font-size:180%" | [[wikt:独|独]] || style="font-size:180%" | [[wikt:獨|獨]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">094</span>[[犬部|犬]] || 9 || 5 || || || ドク、ひと-り
|-
| 1556 || style="font-size:180%" | [[wikt:読|読]] || style="font-size:180%" | [[wikt:讀|讀]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 14 || 2 || || || ドク、トク、(トウ)、よ-む
|-
| 1557 || style="font-size:180%" | [[wikt:栃|栃]]<span style="font-size:72%"> <ref name="C"/></span> || <!-- 「杤」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 9 || 4 || 2010 || || (とち)<ref name="D"/>
|-
| 1558 || style="font-size:180%" | [[wikt:凸|凸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">017</span>[[凵部|凵]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || トツ
|-
| 1559 || style="font-size:180%" | [[wikt:突|突]] || style="font-size:180%" | [[wikt:突|突]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">116</span>[[穴部|穴]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || トツ、つ-く
|-
| 1560 || style="font-size:180%" | [[wikt:届|届]] || style="font-size:180%" | [[wikt:屆|屆]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">044</span>[[尸部|尸]] || 8 || 6 || || || とど-ける、とど-く
|-
| 1561 || style="font-size:180%" | [[wikt:屯|屯]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">045</span>[[屮部|屮]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || トン
|-
| 1562 || style="font-size:180%" | [[wikt:豚|豚]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">152</span>[[豕部|豕]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || トン、ぶた
|-
| 1563 || style="font-size:180%" | [[wikt:頓|頓]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || トン
|-
| 1564 || style="font-size:180%" | [[wikt:貪|貪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ドン、むさぼ-る
|-
| 1565 || style="font-size:180%" | [[wikt:鈍|鈍]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ドン、にぶ-い、にぶ-る
|-
| 1566 || style="font-size:180%" | [[wikt:曇|曇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ドン、くも-る
|-
| 1567 || style="font-size:180%" | [[wikt:丼|丼]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">003</span>[[丶部|丶]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || どんぶり、(どん)
|-
| 1568 || style="font-size:180%" | [[wikt:那|那]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">163</span>[[邑部|邑]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ナ
|-
| 1569 || style="font-size:180%" | [[wikt:奈|奈]] || <!-- 「柰」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">037</span>[[大部|大]] || 8 || 4 || 2010 || || ナ
|-
| 1570 || style="font-size:180%" | [[wikt:内|内]] || style="font-size:180%" | [[wikt:內|內]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">011</span>[[入部 (部首)|入]] || 4 || 2 || || || ナイ、(ダイ)、うち
|-
| 1571 || style="font-size:180%" | [[wikt:梨|梨]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 11 || 4 || 2010 || || なし
|-
| 1572 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:謎|謎]]<span style="font-size:72%"> <ref name="H"/><ref name="G"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || なぞ
|-
| 1573 || style="font-size:180%" | [[wikt:鍋|鍋]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || なべ
|-
| 1574 || style="font-size:180%" | [[wikt:南|南]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">024</span>[[十部|十]] || 9 || 2 || || || ナン、(ナ)、みなみ
|-
| 1575 || style="font-size:180%" | [[wikt:軟|軟]] || <!-- 「輭」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">159</span>[[車部|車]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ナン、やわ-らか、やわ-らかい
|-
| 1576 || style="font-size:180%" | [[wikt:難|難]] || style="font-size:180%" | [[wikt:難|難]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">172</span>[[隹部|隹]] || 18 || 6 || || || ナン、かた-い、むずか-しい
|-
| 1577 || style="font-size:180%" | [[wikt:二|二]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">007</span>[[二部|二]] || 2 || 1 || || || ニ、ふた、ふた-つ
|-
| 1578 || style="font-size:180%" | [[wikt:尼|尼]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">044</span>[[尸部|尸]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || || || ニ、あま
|-
| 1579 || style="font-size:180%" | [[wikt:弐|弐]] || style="font-size:180%" | [[wikt:貳|貳]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || ニ
|-
| 1580 || style="font-size:180%" | [[wikt:匂|匂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">020</span>[[勹部|勹]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || にお-う
|-
| 1581 || style="font-size:180%" | [[wikt:肉|肉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 6 || 2 || || || ニク
|-
| 1582 || style="font-size:180%" | [[wikt:虹|虹]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">142</span>[[虫部|虫]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || にじ
|-
| 1583 || style="font-size:180%" | [[wikt:日|日]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 4 || 1 || || || ニチ、ジツ、ひ、か
|-
| 1584 || style="font-size:180%" | [[wikt:入|入]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">011</span>[[入部 (部首)|入]] || 2 || 1 || || || ニュウ、い-る、い-れる、はい-る
|-
| 1585 || style="font-size:180%" | [[wikt:乳|乳]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">005</span>[[乙部|乙]] || 8 || 6 || || || ニュウ、ちち、ち
|-
| 1586 || style="font-size:180%" | [[wikt:尿|尿]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">044</span>[[尸部|尸]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ニョウ
|-
| 1587 || style="font-size:180%" | [[wikt:任|任]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 6 || 5 || || || ニン、まか-せる、まか-す
|-
| 1588 || style="font-size:180%" | [[wikt:妊|妊]] || <!-- 「姙」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ニン
|-
| 1589 || style="font-size:180%" | [[wikt:忍|忍]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ニン、しの-ぶ、しの-ばせる
|-
| 1590 || style="font-size:180%" | [[wikt:認|認]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 14 || 6 || || || ニン、みと-める
|-
| 1591 || style="font-size:180%" | [[wikt:寧|寧]] || <!-- 旧字体としてU+F95Fは示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ネイ
|-
| 1592 || style="font-size:180%" | [[wikt:熱|熱]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 15 || 4 || || || ネツ、あつ-い
|-
| 1593 || style="font-size:180%" | [[wikt:年|年]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">051</span>[[干部|干]] || 6 || 1 || || || ネン、とし
|-
| 1594 || style="font-size:180%" | [[wikt:念|念]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 8 || 4 || || || ネン
|-
| 1595 || style="font-size:180%" | [[wikt:捻|捻]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ネン
|-
| 1596 || style="font-size:180%" | [[wikt:粘|粘]] || <!-- 「黏」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">119</span>[[米部|米]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ネン、ねば-る
|-
| 1597 || style="font-size:180%" | [[wikt:燃|燃]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 16 || 5 || || || ネン、も-える、も-やす、も-す
|-
| 1598 || style="font-size:180%" | [[wikt:悩|悩]] || style="font-size:180%" | [[wikt:惱|惱]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ノウ、なや-む、なや-ます
|-
| 1599 || style="font-size:180%" | [[wikt:納|納]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 10 || 6 || || || ノウ、(ナッ)、(ナ)、(ナン)、(トウ)、おさ-める、おさ-まる
|-
| 1600 || style="font-size:180%" | [[wikt:能|能]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 10 || 5 || || || ノウ
|-
| 1601 || style="font-size:180%" | [[wikt:脳|脳]] || style="font-size:180%" | [[wikt:腦|腦]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 11 || 6 || || || ノウ
|-
| 1602 || style="font-size:180%" | [[wikt:農|農]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">161</span>[[辰部|辰]] || 13 || 3 || || || ノウ
|-
| 1603 || style="font-size:180%" | [[wikt:濃|濃]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ノウ、こ-い
|-
| 1604 || style="font-size:180%" | [[wikt:把|把]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ハ
|-
| 1605 || style="font-size:180%" | [[wikt:波|波]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 8 || 3 || || || ハ、なみ
|-
| 1606 || style="font-size:180%" | [[wikt:派|派]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 9 || 6 || || || ハ
|-
| 1607 || style="font-size:180%" | [[wikt:破|破]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">112</span>[[石部|石]] || 10 || 5 || || || ハ、やぶ-る、やぶ-れる
|-
| 1608 || style="font-size:180%" | [[wikt:覇|覇]] || <!-- 「霸」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --><ref name="I"/> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">146</span>[[襾部|襾]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ハ
|-
| 1609 || style="font-size:180%" | [[wikt:馬|馬]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">187</span>[[馬部|馬]] || 10 || 2 || || || バ、うま、(ま)
|-
| 1610 || style="font-size:180%" | [[wikt:婆|婆]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || バ
|-
| 1611 || style="font-size:180%" | [[wikt:罵|罵]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">122</span>[[网部|网]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || バ、ののし-る
|-
| 1612 || style="font-size:180%" | [[wikt:拝|拝]] || style="font-size:180%" | [[wikt:拜|拜]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || 6 || || || ハイ、おが-む
|-
| 1613 || style="font-size:180%" | [[wikt:杯|杯]] || <!-- 「桮」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハイ、さかずき
|-
| 1614 || style="font-size:180%" | [[wikt:背|背]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 9 || 6 || || || ハイ、せ、せい、そむ-く、そむ-ける
|-
| 1615 || style="font-size:180%" | [[wikt:肺|肺]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 9 || 6 || || || ハイ
|-
| 1616 || style="font-size:180%" | [[wikt:俳|俳]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 10 || 6 || || || ハイ
|-
| 1617 || style="font-size:180%" | [[wikt:配|配]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">164</span>[[酉部|酉]] || 10 || 3 || || || ハイ、くば-る
|-
| 1618 || style="font-size:180%" | [[wikt:排|排]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハイ
|-
| 1619 || style="font-size:180%" | [[wikt:敗|敗]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 11 || 4 || || || ハイ、やぶ-れる
|-
| 1620 || style="font-size:180%" | [[wikt:廃|廃]] || style="font-size:180%" | [[wikt:廢|廢]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">053</span>[[广部|广]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハイ、すた-れる、すた-る
|-
| 1621 || style="font-size:180%" | [[wikt:輩|輩]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">159</span>[[車部|車]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハイ
|-
| 1622 || style="font-size:180%" | [[wikt:売|売]] || style="font-size:180%" | [[wikt:賣|賣]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 7 || 2 || || || バイ、う-る、う-れる
|-
| 1623 || style="font-size:180%" | [[wikt:倍|倍]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 10 || 3 || || || バイ
|-
| 1624 || style="font-size:180%" | [[wikt:梅|梅]] || style="font-size:180%" | [[wikt:梅|梅]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 10 || 4 || || || バイ、うめ
|-
| 1625 || style="font-size:180%" | [[wikt:培|培]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || バイ、つちか-う
|-
| 1626 || style="font-size:180%" | [[wikt:陪|陪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || バイ
|-
| 1627 || style="font-size:180%" | [[wikt:媒|媒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || バイ
|-
| 1628 || style="font-size:180%" | [[wikt:買|買]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 12 || 2 || || || バイ、か-う
|-
| 1629 || style="font-size:180%" | [[wikt:賠|賠]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || バイ
|-
| 1630 || style="font-size:180%" | [[wikt:白|白]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">106</span>[[白部|白]] || 5 || 1 || || || ハク、ビャク、しろ、(しら)、しろ-い
|-
| 1631 || style="font-size:180%" | [[wikt:伯|伯]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハク
|-
| 1632 || style="font-size:180%" | [[wikt:拍|拍]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハク、(ヒョウ)
|-
| 1633 || style="font-size:180%" | [[wikt:泊|泊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハク、と-まる、と-める
|-
| 1634 || style="font-size:180%" | [[wikt:迫|迫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハク、せま-る
|-
| 1635 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:剝|剝]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="E"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ハク、は-がす、は-ぐ、は-がれる、は-げる
|-
| 1636 || style="font-size:180%" | [[wikt:舶|舶]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">137</span>[[舟部|舟]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハク
|-
| 1637 || style="font-size:180%" | [[wikt:博|博]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">024</span>[[十部|十]] || 12 || 4 || || || ハク、(バク)
|-
| 1638 || style="font-size:180%" | [[wikt:薄|薄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハク、うす-い、うす-める、うす-まる、うす-らぐ、うす-れる
|-
| 1639 || style="font-size:180%" | [[wikt:麦|麦]] || style="font-size:180%" | [[wikt:麥|麥]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">199</span>[[麦部|麥]] || 7 || 2 || || || バク、むぎ
|-
| 1640 || style="font-size:180%" | [[wikt:漠|漠]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || バク
|-
| 1641 || style="font-size:180%" | [[wikt:縛|縛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || バク、しば-る
|-
| 1642 || style="font-size:180%" | [[wikt:爆|爆]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || || || バク
|-
| 1643 || style="font-size:180%" | [[wikt:箱|箱]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 15 || 3 || || || はこ
|-
| 1644 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:箸|箸]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="E"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || はし
|-
| 1645 || style="font-size:180%" | [[wikt:畑|畑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 9 || 3 || || || はた、はたけ
|-
| 1646 || style="font-size:180%" | [[wikt:肌|肌]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || はだ
|-
| 1647 || style="font-size:180%" | [[wikt:八|八]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">012</span>[[八部|八]] || 2 || 1 || || || ハチ、や、や-つ、やっ-つ、(よう)
|-
| 1648 || style="font-size:180%" | [[wikt:鉢|鉢]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ハチ、(ハツ)
|-
| 1649 || style="font-size:180%" | [[wikt:発|発]] || style="font-size:180%" | [[wikt:發|發]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">105</span>[[癶部|癶]] || 9 || 3 || || || ハツ、ホツ
|-
| 1650 || style="font-size:180%" | [[wikt:髪|髪]] || style="font-size:180%" | [[wikt:髮|髮]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">190</span>[[髟部|髟]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハツ、かみ
|-
| 1651 || style="font-size:180%" | [[wikt:伐|伐]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || バツ
|-
| 1652 || style="font-size:180%" | [[wikt:抜|抜]] || style="font-size:180%" | [[wikt:拔|拔]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || バツ、ぬ-く、ぬ-ける、ぬ-かす、ぬ-かる
|-
| 1653 || style="font-size:180%" | [[wikt:罰|罰]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">122</span>[[网部|网]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || バツ、バチ
|-
| 1654 || style="font-size:180%" | [[wikt:閥|閥]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">169</span>[[門部|門]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || バツ
|-
| 1655 || style="font-size:180%" | [[wikt:反|反]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">029</span>[[又部|又]] || 4 || 3 || || || ハン、(ホン)、(タン)、そ-る、そ-らす
|-
| 1656 || style="font-size:180%" | [[wikt:半|半]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">024</span>[[十部|十]] || 5 || 2 || || || ハン、なか-ば
|-
| 1657 || style="font-size:180%" | [[wikt:氾|氾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ハン
|-
| 1658 || style="font-size:180%" | [[wikt:犯|犯]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">094</span>[[犬部|犬]] || 5 || 5 || || || ハン、おか-す
|-
| 1659 || style="font-size:180%" | [[wikt:帆|帆]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">050</span>[[巾部|巾]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハン、ほ
|-
| 1660 || style="font-size:180%" | [[wikt:汎|汎]]<span style="font-size:72%"> <ref name="F"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ハン
|-
| 1661 || style="font-size:180%" | [[wikt:伴|伴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハン、バン、ともな-う
|-
| 1662 || style="font-size:180%" | [[wikt:判|判]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 7 || 5 || || || ハン、バン
|-
| 1663 || style="font-size:180%" | [[wikt:坂|坂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 7 || 3 || || || ハン、さか
|-
| 1664 || style="font-size:180%" | [[wikt:阪|阪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 7 || 4 || 2010 || || ハン
|-
| 1665 || style="font-size:180%" | [[wikt:板|板]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 8 || 3 || || || ハン、バン、いた
|-
| 1666 || style="font-size:180%" | [[wikt:版|版]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">091</span>[[片部|片]] || 8 || 5 || || || ハン
|-
| 1667 || style="font-size:180%" | [[wikt:班|班]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">096</span>[[玉部|玉]] || 10 || 6 || || || ハン
|-
| 1668 || style="font-size:180%" | [[wikt:畔|畔]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハン
|-
| 1669 || style="font-size:180%" | [[wikt:般|般]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">137</span>[[舟部|舟]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハン
|-
| 1670 || style="font-size:180%" | [[wikt:販|販]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハン
|-
| 1671 || style="font-size:180%" | [[wikt:斑|斑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">067</span>[[文部|文]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ハン
|-
| 1672 || style="font-size:180%" | [[wikt:飯|飯]] || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:飯|飯]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/><ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">184</span>[[食部|食]] || 12 || 4 || || || ハン、めし
|-
| 1673 || style="font-size:180%" | [[wikt:搬|搬]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハン
|-
| 1674 || style="font-size:180%" | [[wikt:煩|煩]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハン、(ボン)、わずら-う、わずら-わす
|-
| 1675 || style="font-size:180%" | [[wikt:頒|頒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハン
|-
| 1676 || style="font-size:180%" | [[wikt:範|範]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハン
|-
| 1677 || style="font-size:180%" | [[wikt:繁|繁]] || style="font-size:180%" | [[wikt:繁|繁]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハン
|-
| 1678 || style="font-size:180%" | [[wikt:藩|藩]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || ハン
|-
| 1679 || style="font-size:180%" | [[wikt:晩|晩]] || style="font-size:180%" | [[wikt:晚|晚]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 12 || 6 || || || バン
|-
| 1680 || style="font-size:180%" | [[wikt:番|番]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 12 || 2 || || || バン
|-
| 1681 || style="font-size:180%" | [[wikt:蛮|蛮]] || style="font-size:180%" | [[wikt:蠻|蠻]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">142</span>[[虫部|虫]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || バン
|-
| 1682 || style="font-size:180%" | [[wikt:盤|盤]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">108</span>[[皿部|皿]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || バン
|-
| 1683 || style="font-size:180%" | [[wikt:比|比]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">081</span>[[比部|比]] || 4 || 5 || || || ヒ、くら-べる
|-
| 1684 || style="font-size:180%" | [[wikt:皮|皮]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">107</span>[[皮部|皮]] || 5 || 3 || || || ヒ、かわ
|-
| 1685 || style="font-size:180%" | [[wikt:妃|妃]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヒ
|-
| 1686 || style="font-size:180%" | [[wikt:否|否]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 7 || 6 || || || ヒ、いな
|-
| 1687 || style="font-size:180%" | [[wikt:批|批]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 7 || 6 || || || ヒ
|-
| 1688 || style="font-size:180%" | [[wikt:彼|彼]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヒ、かれ、(かの)
|-
| 1689 || style="font-size:180%" | [[wikt:披|披]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ヒ
|-
| 1690 || style="font-size:180%" | [[wikt:肥|肥]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 8 || 5 || || || ヒ、こ-える、こえ、こ-やす、こ-やし
|-
| 1691 || style="font-size:180%" | [[wikt:非|非]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">175</span>[[非部|非]] || 8 || 5 || || || ヒ
|-
| 1692 || style="font-size:180%" | [[wikt:卑|卑]] || style="font-size:180%" | [[wikt:卑|卑]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">024</span>[[十部|十]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヒ、いや-しい、いや-しむ、いや-しめる
|-
| 1693 || style="font-size:180%" | [[wikt:飛|飛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">183</span>[[飛部|飛]] || 9 || 4 || || || ヒ、と-ぶ、と-ばす
|-
| 1694 || style="font-size:180%" | [[wikt:疲|疲]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">104</span>[[疒部|疒]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヒ、つか-れる
|-
| 1695 || style="font-size:180%" | [[wikt:秘|秘]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「秘」は示さない(注3参照) -->[[wikt:祕|祕]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">113</span>[[示部|示]] || 10 || 6 || || || ヒ、ひ-める
|-
| 1696 || style="font-size:180%" | [[wikt:被|被]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヒ、こうむ-る
|-
| 1697 || style="font-size:180%" | [[wikt:悲|悲]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 12 || 3 || || || ヒ、かな-しい、かな-しむ
|-
| 1698 || style="font-size:180%" | [[wikt:扉|扉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">063</span>[[戸部 (部首)|戶]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ヒ、とびら
|-
| 1699 || style="font-size:180%" | [[wikt:費|費]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 12 || 5 || || || ヒ、つい-やす、つい-える
|-
| 1700 || style="font-size:180%" | [[wikt:碑|碑]] || style="font-size:180%" | [[wikt:碑|碑]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">112</span>[[石部|石]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヒ
|-
| 1701 || style="font-size:180%" | [[wikt:罷|罷]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">122</span>[[网部|网]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヒ
|-
| 1702 || style="font-size:180%" | [[wikt:避|避]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヒ、さ-ける
|-
| 1703 || style="font-size:180%" | [[wikt:尾|尾]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">044</span>[[尸部|尸]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ビ、お
|-
| 1704 || style="font-size:180%" | [[wikt:眉|眉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ビ、(ミ)、まゆ
|-
| 1705 || style="font-size:180%" | [[wikt:美|美]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">123</span>[[羊部|羊]] || 9 || 3 || || || ビ、うつく-しい
|-
| 1706 || style="font-size:180%" | [[wikt:備|備]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 12 || 5 || || || ビ、そな-える、そな-わる
|-
| 1707 || style="font-size:180%" | [[wikt:微|微]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ビ
|-
| 1708 || style="font-size:180%" | [[wikt:鼻|鼻]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">209</span>[[鼻部|鼻]] || 14 || 3 || || || ビ、はな
|-
| 1709 || style="font-size:180%" | [[wikt:膝|膝]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ひざ
|-
| 1710 || style="font-size:180%" | [[wikt:肘|肘]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ひじ
|-
| 1711 || style="font-size:180%" | [[wikt:匹|匹]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">023</span>[[匸部|匸]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヒツ、ひき
|-
| 1712 || style="font-size:180%" | [[wikt:必|必]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 5 || 4 || || || ヒツ、かなら-ず
|-
| 1713 || style="font-size:180%" | [[wikt:泌|泌]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヒツ、ヒ
|-
| 1714 || style="font-size:180%" | [[wikt:筆|筆]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 12 || 3 || || || ヒツ、ふで
|-
| 1715 || style="font-size:180%" | [[wikt:姫|姫]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「姫」は示さない(注3参照) -->[[wikt:姬|姬]]<!-- U+2F862は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --><span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ひめ
|-
| 1716 || style="font-size:180%" | [[wikt:百|百]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">106</span>[[白部|白]] || 6 || 1 || || || ヒャク
|-
| 1717 || style="font-size:180%" | [[wikt:氷|氷]] || <!-- 「冰」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 5 || 3 || || || ヒョウ、こおり、ひ
|-
| 1718 || style="font-size:180%" | [[wikt:表|表]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 8 || 3 || || || ヒョウ、おもて、あらわ-す、あらわ-れる
|-
| 1719 || style="font-size:180%" | [[wikt:俵|俵]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 10 || 6 || || || ヒョウ、たわら
|-
| 1720 || style="font-size:180%" | [[wikt:票|票]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">113</span>[[示部|示]] || 11 || 4 || || || ヒョウ
|-
| 1721 || style="font-size:180%" | [[wikt:評|評]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 12 || 5 || || || ヒョウ
|-
| 1722 || style="font-size:180%" | [[wikt:漂|漂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヒョウ、ただよ-う
|-
| 1723 || style="font-size:180%" | [[wikt:標|標]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 15 || 4 || || || ヒョウ
|-
| 1724 || style="font-size:180%" | [[wikt:苗|苗]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ビョウ、なえ、(なわ)
|-
| 1725 || style="font-size:180%" | [[wikt:秒|秒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">115</span>[[禾部|禾]] || 9 || 3 || || || ビョウ
|-
| 1726 || style="font-size:180%" | [[wikt:病|病]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">104</span>[[疒部|疒]] || 10 || 3 || || || ビョウ、(ヘイ)、や-む、やまい
|-
| 1727 || style="font-size:180%" | [[wikt:描|描]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ビョウ、えが-く、か-く
|-
| 1728 || style="font-size:180%" | [[wikt:猫|猫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">094</span>[[犬部|犬]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ビョウ、ねこ
|-
| 1729 || style="font-size:180%" | [[wikt:品|品]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 9 || 3 || || || ヒン、しな
|-
| 1730 || style="font-size:180%" | [[wikt:浜|浜]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「浜」は示さない(注3参照) -->[[wikt:濱|濱]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヒン、はま
|-
| 1731 || style="font-size:180%" | [[wikt:貧|貧]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 11 || 5 || || || ヒン、ビン、まず-しい
|-
| 1732 || style="font-size:180%" | [[wikt:賓|賓]] || style="font-size:180%" | [[wikt:賓|賓]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヒン
|-
| 1733 || style="font-size:180%" | [[wikt:頻|頻]] || style="font-size:180%" | [[wikt:頻|頻]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ヒン
|-
| 1734 || style="font-size:180%" | [[wikt:敏|敏]] || style="font-size:180%" | [[wikt:敏|敏]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ビン
|-
| 1735 || style="font-size:180%" | [[wikt:瓶|瓶]] || style="font-size:180%" | [[wikt:甁|甁]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">098</span>[[瓦部|瓦]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ビン
|-
| 1736 || style="font-size:180%" | [[wikt:不|不]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">001</span>[[一部 (部首)|一]] || 4 || 4 || || || フ、ブ
|-
| 1737 || style="font-size:180%" | [[wikt:夫|夫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">037</span>[[大部|大]] || 4 || 4 || || || フ、(フウ)、おっと
|-
| 1738 || style="font-size:180%" | [[wikt:父|父]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">088</span>[[父部|父]] || 4 || 2 || || || フ、ちち
|-
| 1739 || style="font-size:180%" | [[wikt:付|付]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 5 || 4 || || || フ、つ-ける、つ-く
|-
| 1740 || style="font-size:180%" | [[wikt:布|布]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">050</span>[[巾部|巾]] || 5 || 5 || || || フ、ぬの
|-
| 1741 || style="font-size:180%" | [[wikt:扶|扶]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || フ
|-
| 1742 || style="font-size:180%" | [[wikt:府|府]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">053</span>[[广部|广]] || 8 || 4 || || || フ
|-
| 1743 || style="font-size:180%" | [[wikt:怖|怖]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || フ、こわ-い
|-
| 1744 || style="font-size:180%" | [[wikt:阜|阜]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 8 || 4 || 2010 || || (フ)<ref name="D"/>
|-
| 1745 || style="font-size:180%" | [[wikt:附|附]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || フ
|-
| 1746 || style="font-size:180%" | [[wikt:訃|訃]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || フ
|-
| 1747 || style="font-size:180%" | [[wikt:負|負]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 9 || 3 || || || フ、ま-ける、ま-かす、お-う
|-
| 1748 || style="font-size:180%" | [[wikt:赴|赴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">156</span>[[走部|走]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || フ、おもむ-く
|-
| 1749 || style="font-size:180%" | [[wikt:浮|浮]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || フ、う-く、う-かれる、う-かぶ、う-かべる
|-
| 1750 || style="font-size:180%" | [[wikt:婦|婦]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 11 || 5 || || || フ
|-
| 1751 || style="font-size:180%" | [[wikt:符|符]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || フ
|-
| 1752 || style="font-size:180%" | [[wikt:富|富]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 12 || 4 || || || フ、(フウ)、と-む、とみ
|-
| 1753 || style="font-size:180%" | [[wikt:普|普]] || <!-- 「暜」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || フ
|-
| 1754 || style="font-size:180%" | [[wikt:腐|腐]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || フ、くさ-る、くさ-れる、くさ-らす
|-
| 1755 || style="font-size:180%" | [[wikt:敷|敷]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || フ、し-く
|-
| 1756 || style="font-size:180%" | [[wikt:膚|膚]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || フ
|-
| 1757 || style="font-size:180%" | [[wikt:賦|賦]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || フ
|-
| 1758 || style="font-size:180%" | [[wikt:譜|譜]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || || || フ
|-
| 1759 || style="font-size:180%" | [[wikt:侮|侮]] || style="font-size:180%" | [[wikt:侮|侮]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ブ、あなど-る
|-
| 1760 || style="font-size:180%" | [[wikt:武|武]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">077</span>[[止部|止]] || 8 || 5 || || || ブ、ム
|-
| 1761 || style="font-size:180%" | [[wikt:部|部]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">163</span>[[邑部|邑]] || 11 || 3 || || || ブ
|-
| 1762 || style="font-size:180%" | [[wikt:舞|舞]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">136</span>[[舛部|舛]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ブ、ま-う、まい
|-
| 1763 || style="font-size:180%" | [[wikt:封|封]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">041</span>[[寸部|寸]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || フウ、ホウ
|-
| 1764 || style="font-size:180%" | [[wikt:風|風]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">182</span>[[風部|風]] || 9 || 2 || || || フウ、(フ)、かぜ、(かざ)
|-
| 1765 || style="font-size:180%" | [[wikt:伏|伏]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || フク、ふ-せる、ふ-す
|-
| 1766 || style="font-size:180%" | [[wikt:服|服]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">074</span>[[月部|月]] || 8 || 3 || || || フク
|-
| 1767 || style="font-size:180%" | [[wikt:副|副]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 11 || 4 || || || フク
|-
| 1768 || style="font-size:180%" | [[wikt:幅|幅]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">050</span>[[巾部|巾]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || フク、はば
|-
| 1769 || style="font-size:180%" | [[wikt:復|復]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 12 || 5 || || || フク
|-
| 1770 || style="font-size:180%" | [[wikt:福|福]] || style="font-size:180%" | [[wikt:福|福]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">113</span>[[示部|示]] || 13 || 3 || || || フク
|-
| 1771 || style="font-size:180%" | [[wikt:腹|腹]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 13 || 6 || || || フク、はら
|-
| 1772 || style="font-size:180%" | [[wikt:複|複]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 14 || 5 || || || フク
|-
| 1773 || style="font-size:180%" | [[wikt:覆|覆]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">146</span>[[襾部|襾]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || フク、おお-う、くつがえ-す、くつがえ-る
|-
| 1774 || style="font-size:180%" | [[wikt:払|払]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「払」は示さない(注3参照) -->[[wikt:拂|拂]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || || || フツ、はら-う
|-
| 1775 || style="font-size:180%" | [[wikt:沸|沸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || フツ、わ-く、わ-かす
|-
| 1776 || style="font-size:180%" | [[wikt:仏|仏]] || style="font-size:180%" | [[wikt:佛|佛]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 4 || 5 || || || ブツ、ほとけ
|-
| 1777 || style="font-size:180%" | [[wikt:物|物]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">093</span>[[牛部|牛]] || 8 || 3 || || || ブツ、モツ、もの
|-
| 1778 || style="font-size:180%" | [[wikt:粉|粉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">119</span>[[米部|米]] || 10 || 5 || || || フン、こ、こな
|-
| 1779 || style="font-size:180%" | [[wikt:紛|紛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || フン、まぎ-れる、まぎ-らす、まぎ-らわす、まぎ-らわしい
|-
| 1780 || style="font-size:180%" | [[wikt:雰|雰]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">173</span>[[雨部|雨]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || フン
|-
| 1781 || style="font-size:180%" | [[wikt:噴|噴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || フン、ふ-く
|-
| 1782 || style="font-size:180%" | [[wikt:墳|墳]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || フン
|-
| 1783 || style="font-size:180%" | [[wikt:憤|憤]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || フン、いきどお-る
|-
| 1784 || style="font-size:180%" | [[wikt:奮|奮]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">037</span>[[大部|大]] || 16 || 6 || || || フン、ふる-う
|-
| 1785 || style="font-size:180%" | [[wikt:分|分]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 4 || 2 || || || ブン、フン、ブ、わ-ける、わ-かれる、わ-かる、わ-かつ
|-
| 1786 || style="font-size:180%" | [[wikt:文|文]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">067</span>[[文部|文]] || 4 || 1 || || || ブン、モン、ふみ
|-
| 1787 || style="font-size:180%" | [[wikt:聞|聞]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">128</span>[[耳部|耳]] || 14 || 2 || || || ブン、モン、き-く、き-こえる
|-
| 1788 || style="font-size:180%" | [[wikt:丙|丙]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">001</span>[[一部 (部首)|一]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヘイ
|-
| 1789 || style="font-size:180%" | [[wikt:平|平]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">051</span>[[干部|干]] || 5 || 3 || || || ヘイ、ビョウ、たい-ら、ひら
|-
| 1790 || style="font-size:180%" | [[wikt:兵|兵]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">012</span>[[八部|八]] || 7 || 4 || || || ヘイ、ヒョウ
|-
| 1791 || style="font-size:180%" | [[wikt:併|併]] || style="font-size:180%" | [[wikt:倂|倂]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヘイ、あわ-せる
|-
| 1792 || style="font-size:180%" | [[wikt:並|並]] || <!-- 「竝」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --><ref name="I"/> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">001</span>[[一部 (部首)|一]] || 8 || 6 || || || ヘイ、なみ、なら-べる、なら-ぶ、なら-びに
|-
| 1793 || style="font-size:180%" | [[wikt:柄|柄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヘイ、がら、え
|-
| 1794 || style="font-size:180%" | [[wikt:陛|陛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 10 || 6 || || || ヘイ
|-
| 1795 || style="font-size:180%" | [[wikt:閉|閉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">169</span>[[門部|門]] || 11 || 6 || || || ヘイ、と-じる、と-ざす、し-める、し-まる
|-
| 1796 || style="font-size:180%" | [[wikt:塀|塀]] || style="font-size:180%" | [[wikt:塀|塀]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ヘイ
|-
| 1797 || style="font-size:180%" | [[wikt:幣|幣]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">050</span>[[巾部|巾]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヘイ
|-
| 1798 || style="font-size:180%" | [[wikt:弊|弊]] || <!-- 「獘」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">055</span>[[廾部|廾]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヘイ
|-
| 1799 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:蔽|蔽]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="E"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ヘイ
|-
| 1800 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:餅|餅]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="G"/></span> || <!-- 「餠」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --><ref name="I"/> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">184</span>[[食部|食]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ヘイ、もち
|-
| 1801 || style="font-size:180%" | [[wikt:米|米]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">119</span>[[米部|米]] || 6 || 2 || || || ベイ、マイ、こめ
|-
| 1802 || style="font-size:180%" | [[wikt:壁|壁]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヘキ、かべ
|-
| 1803 || style="font-size:180%" | [[wikt:璧|璧]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">096</span>[[玉部|玉]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ヘキ
|-
| 1804 || style="font-size:180%" | [[wikt:癖|癖]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">104</span>[[疒部|疒]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヘキ、くせ
|-
| 1805 || style="font-size:180%" | [[wikt:別|別]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 7 || 4 || || || ベツ、わか-れる
|-
| 1806 || style="font-size:180%" | [[wikt:蔑|蔑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ベツ、さげす-む
|-
| 1807 || style="font-size:180%" | [[wikt:片|片]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">091</span>[[片部|片]] || 4 || 6 || || || ヘン、かた
|-
| 1808 || style="font-size:180%" | [[wikt:辺|辺]] || style="font-size:180%" | [[wikt:邊|邊]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 5 || 4 || || || ヘン、あた-り、べ
|-
| 1809 || style="font-size:180%" | [[wikt:返|返]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 7 || 3 || || || ヘン、かえ-す、かえ-る
|-
| 1810 || style="font-size:180%" | [[wikt:変|変]] || style="font-size:180%" | <!-- メイリオを指定しない -->[[wikt:變|<span style="font-family:'游ゴシック体','YuGothic','游ゴシック Medium','Yu Gothic Medium','游ゴシック','Yu Gothic','ヒラギノ角ゴ ProN W3','Hiragino Kaku Gothic ProN W3','ヒラギノ角ゴ ProN','Hiragino Kaku Gothic ProN','源ノ角ゴシック JP Normal','Source Han Sans JP Normal','Noto Sans CJK JP DemiLight','源ノ角ゴシック JP','Source Han Sans JP','Noto Sans CJK JP','MS Pゴシック','MS PGothic';">變</span>]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 9 || 4 || || || ヘン、か-わる、か-える
|-
| 1811 || style="font-size:180%" | [[wikt:偏|偏]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヘン、かたよ-る
|-
| 1812 || style="font-size:180%" | [[wikt:遍|遍]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヘン
|-
| 1813 || style="font-size:180%" | [[wikt:編|編]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 15 || 5 || || || ヘン、あ-む
|-
| 1814 || style="font-size:180%" | [[wikt:弁|弁]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「弁」は示さない(注3参照) -->[[wikt:辨|辨]]<!-- 「辧」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --><br />[[wikt:瓣|瓣]]<br />[[wikt:辯|辯]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">160</span>[[辛部|辛]]<br />[[瓜部|瓜]]<br />[[辛部|辛]] || 5 || 5 || || || ベン
|-
| 1815 || style="font-size:180%" | [[wikt:便|便]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 9 || 4 || || || ベン、ビン、たよ-り
|-
| 1816 || style="font-size:180%" | [[wikt:勉|勉]] || style="font-size:180%" | [[wikt:勉|勉]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 10 || 3 || || || ベン
|-
| 1817 || style="font-size:180%" | [[wikt:歩|歩]] || style="font-size:180%" | [[wikt:步|步]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">077</span>[[止部|止]] || 8 || 2 || || || ホ、ブ、(フ)、ある-く、あゆ-む
|-
| 1818 || style="font-size:180%" | [[wikt:保|保]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 9 || 5 || || || ホ、たも-つ
|-
| 1819 || style="font-size:180%" | [[wikt:哺|哺]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ホ
|-
| 1820 || style="font-size:180%" | [[wikt:捕|捕]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ホ、と-らえる、と-らわれる、と-る、つか-まえる、つか-まる
|-
| 1821 || style="font-size:180%" | [[wikt:補|補]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 12 || 6 || || || ホ、おぎな-う
|-
| 1822 || style="font-size:180%" | [[wikt:舗|舗]] || style="font-size:180%" | [[wikt:舖|舖]]<!-- 「鋪」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --><span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">135</span>[[舌部|舌]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ホ
|-
| 1823 || style="font-size:180%" | [[wikt:母|母]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">080</span>[[毋部|毋]] || 5 || 2 || || || ボ、はは
|-
| 1824 || style="font-size:180%" | [[wikt:募|募]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボ、つの-る
|-
| 1825 || style="font-size:180%" | [[wikt:墓|墓]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 13 || 5 || || || ボ、はか
|-
| 1826 || style="font-size:180%" | [[wikt:慕|慕]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボ、した-う
|-
| 1827 || style="font-size:180%" | [[wikt:暮|暮]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 14 || 6 || || || ボ、く-れる、く-らす
|-
| 1828 || style="font-size:180%" | [[wikt:簿|簿]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボ
|-
| 1829 || style="font-size:180%" | [[wikt:方|方]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">070</span>[[方部|方]] || 4 || 2 || || || ホウ、かた
|-
| 1830 || style="font-size:180%" | [[wikt:包|包]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">020</span>[[勹部|勹]] || 5 || 4 || || || ホウ、つつ-む
|-
| 1831 || style="font-size:180%" | [[wikt:芳|芳]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ホウ、かんば-しい
|-
| 1832 || style="font-size:180%" | [[wikt:邦|邦]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">163</span>[[邑部|邑]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ホウ
|-
| 1833 || style="font-size:180%" | [[wikt:奉|奉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">037</span>[[大部|大]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ホウ、(ブ)、たてまつ-る
|-
| 1834 || style="font-size:180%" | [[wikt:宝|宝]] || style="font-size:180%" | [[wikt:寶|寶]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 8 || 6 || || || ホウ、たから
|-
| 1835 || style="font-size:180%" | [[wikt:抱|抱]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ホウ、だ-く、いだ-く、かか-える
|-
| 1836 || style="font-size:180%" | [[wikt:放|放]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">066</span>[[攴部|攴]] || 8 || 3 || || || ホウ、はな-す、はな-つ、はな-れる、ほう-る
|-
| 1837 || style="font-size:180%" | [[wikt:法|法]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 8 || 4 || || || ホウ、(ハッ)、(ホッ)
|-
| 1838 || style="font-size:180%" | [[wikt:泡|泡]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ホウ、あわ
|-
| 1839 || style="font-size:180%" | [[wikt:胞|胞]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ホウ
|-
| 1840 || style="font-size:180%" | [[wikt:俸|俸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ホウ
|-
| 1841 || style="font-size:180%" | [[wikt:倣|倣]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ホウ、なら-う
|-
| 1842 || style="font-size:180%" | [[wikt:峰|峰]] || <!-- 「峯」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">046</span>[[山部|山]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ホウ、みね
|-
| 1843 || style="font-size:180%" | [[wikt:砲|砲]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">112</span>[[石部|石]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ホウ
|-
| 1844 || style="font-size:180%" | [[wikt:崩|崩]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">046</span>[[山部|山]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ホウ、くず-れる、くず-す
|-
| 1845 || style="font-size:180%" | [[wikt:訪|訪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 11 || 6 || || || ホウ、おとず-れる、たず-ねる
|-
| 1846 || style="font-size:180%" | [[wikt:報|報]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 12 || 5 || || || ホウ、むく-いる
|-
| 1847 || style="font-size:180%" | [[wikt:蜂|蜂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">142</span>[[虫部|虫]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ホウ、はち
|-
| 1848 || style="font-size:180%" | [[wikt:豊|豊]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「豊」は示さない(注3参照) -->[[wikt:豐|豐]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">151</span>[[豆部|豆]] || 13 || 5 || || || ホウ、ゆた-か
|-
| 1849 || style="font-size:180%" | [[wikt:飽|飽]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">184</span>[[食部|食]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ホウ、あ-きる、あ-かす
|-
| 1850 || style="font-size:180%" | [[wikt:褒|褒]] || <!-- 「襃」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --><ref name="I"/> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ホウ、ほ-める
|-
| 1851 || style="font-size:180%" | [[wikt:縫|縫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ホウ、ぬ-う
|-
| 1852 || style="font-size:180%" | [[wikt:亡|亡]] || <!-- 「兦」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">008</span>[[亠部|亠]] || 3 || 6 || || || ボウ、(モウ)、な-い
|-
| 1853 || style="font-size:180%" | [[wikt:乏|乏]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">004</span>[[丿部|丿]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボウ、とぼ-しい
|-
| 1854 || style="font-size:180%" | [[wikt:忙|忙]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボウ、いそが-しい
|-
| 1855 || style="font-size:180%" | [[wikt:坊|坊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボウ、(ボッ)
|-
| 1856 || style="font-size:180%" | [[wikt:妨|妨]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボウ、さまた-げる
|-
| 1857 || style="font-size:180%" | [[wikt:忘|忘]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 7 || 6 || || || ボウ、わす-れる
|-
| 1858 || style="font-size:180%" | [[wikt:防|防]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 7 || 5 || || || ボウ、ふせ-ぐ
|-
| 1859 || style="font-size:180%" | [[wikt:房|房]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">063</span>[[戸部 (部首)|戶]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボウ、ふさ
|-
| 1860 || style="font-size:180%" | [[wikt:肪|肪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボウ
|-
| 1861 || style="font-size:180%" | [[wikt:某|某]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボウ
|-
| 1862 || style="font-size:180%" | [[wikt:冒|冒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">013</span>[[冂部|冂]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボウ、おか-す
|-
| 1863 || style="font-size:180%" | [[wikt:剖|剖]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボウ
|-
| 1864 || style="font-size:180%" | [[wikt:紡|紡]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボウ、つむ-ぐ
|-
| 1865 || style="font-size:180%" | [[wikt:望|望]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">074</span>[[月部|月]] || 11 || 4 || || || ボウ、モウ、のぞ-む
|-
| 1866 || style="font-size:180%" | [[wikt:傍|傍]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボウ、かたわ-ら
|-
| 1867 || style="font-size:180%" | [[wikt:帽|帽]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">050</span>[[巾部|巾]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボウ
|-
| 1868 || style="font-size:180%" | [[wikt:棒|棒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 12 || 6 || || || ボウ
|-
| 1869 || style="font-size:180%" | [[wikt:貿|貿]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 12 || 5 || || || ボウ
|-
| 1870 || style="font-size:180%" | [[wikt:貌|貌]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">153</span>[[豸部|豸]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ボウ
|-
| 1871 || style="font-size:180%" | [[wikt:暴|暴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 15 || 5 || || || ボウ、(バク)、あば-く、あば-れる
|-
| 1872 || style="font-size:180%" | [[wikt:膨|膨]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボウ、ふく-らむ、ふく-れる
|-
| 1873 || style="font-size:180%" | [[wikt:謀|謀]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボウ、(ム)、はか-る
|-
| 1874 || style="white-space:nowrap; font-size:180%" | [[wikt:頰|頰]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/><ref name="E"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ほお
|-
| 1875 || style="font-size:180%" | [[wikt:北|北]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">021</span><!-- MS Pゴシックを指定しない -->[[匕部|<span style="font-family:'游ゴシック体','YuGothic','游ゴシック Medium','Yu Gothic Medium','游ゴシック','Yu Gothic','ヒラギノ角ゴ ProN W3','Hiragino Kaku Gothic ProN W3','ヒラギノ角ゴ ProN','Hiragino Kaku Gothic ProN','源ノ角ゴシック JP Normal','Source Han Sans JP Normal','Noto Sans CJK JP DemiLight','源ノ角ゴシック JP','Source Han Sans JP','Noto Sans CJK JP','メイリオ','Meiryo';">匕</span>]] || 5 || 2 || || || ホク、きた
|-
| 1876 || style="font-size:180%" | [[wikt:木|木]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 4 || 1 || || || ボク、モク、き、(こ)
|-
| 1877 || style="font-size:180%" | [[wikt:朴|朴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ボク
|-
| 1878 || style="font-size:180%" | [[wikt:牧|牧]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">093</span>[[牛部|牛]] || 8 || 4 || || || ボク、まき
|-
| 1879 || style="font-size:180%" | [[wikt:睦|睦]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ボク
|-
| 1880 || style="font-size:180%" | [[wikt:僕|僕]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ボク
|-
| 1881 || style="font-size:180%" | [[wikt:墨|墨]] || style="font-size:180%" | [[wikt:墨|墨]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボク、すみ
|-
| 1882 || style="font-size:180%" | [[wikt:撲|撲]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボク
|-
| 1883 || style="font-size:180%" | [[wikt:没|没]] || style="font-size:180%" | [[wikt:沒|沒]]<span style="font-size:72%"> <ref name="I"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボツ
|-
| 1884 || style="font-size:180%" | [[wikt:勃|勃]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ボツ
|-
| 1885 || style="font-size:180%" | [[wikt:堀|堀]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ほり
|-
| 1886 || style="font-size:180%" | [[wikt:本|本]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 5 || 1 || || || ホン、もと
|-
| 1887 || style="font-size:180%" | [[wikt:奔|奔]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">037</span>[[大部|大]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ホン
|-
| 1888 || style="font-size:180%" | [[wikt:翻|翻]] || <!-- 「飜」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --><ref name="I"/> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">124</span>[[羽部|羽]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || ホン、ひるがえ-る、ひるがえ-す
|-
| 1889 || style="font-size:180%" | [[wikt:凡|凡]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">016</span>[[几部|几]] || 3 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボン、(ハン)
|-
| 1890 || style="font-size:180%" | [[wikt:盆|盆]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">108</span>[[皿部|皿]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ボン
|-
| 1891 || style="font-size:180%" | [[wikt:麻|麻]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">200</span>[[麻部|麻]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || マ、あさ
|-
| 1892 || style="font-size:180%" | [[wikt:摩|摩]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || マ
|-
| 1893 || style="font-size:180%" | [[wikt:磨|磨]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">112</span>[[石部|石]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || マ、みが-く
|-
| 1894 || style="font-size:180%" | [[wikt:魔|魔]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">194</span>[[鬼部|鬼]] || 21 || <span style="display:none">7</span>S || || || マ
|-
| 1895 || style="font-size:180%" | [[wikt:毎|毎]] || style="font-size:180%" | [[wikt:每|每]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">080</span>[[毋部|毋]] || 6 || 2 || || || マイ
|-
| 1896 || style="font-size:180%" | [[wikt:妹|妹]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 8 || 2 || || || マイ、いもうと
|-
| 1897 || style="font-size:180%" | [[wikt:枚|枚]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 8 || 6 || || || マイ
|-
| 1898 || style="font-size:180%" | [[wikt:昧|昧]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || マイ
|-
| 1899 || style="font-size:180%" | [[wikt:埋|埋]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || マイ、う-める、う-まる、う-もれる
|-
| 1900 || style="font-size:180%" | [[wikt:幕|幕]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">050</span>[[巾部|巾]] || 13 || 6 || || || マク、バク
|-
| 1901 || style="font-size:180%" | [[wikt:膜|膜]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || マク
|-
| 1902 || style="font-size:180%" | [[wikt:枕|枕]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || まくら
|-
| 1903 || style="font-size:180%" | [[wikt:又|又]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">029</span>[[又部|又]] || 2 || <span style="display:none">7</span>S || || || また
|-
| 1904 || style="font-size:180%" | [[wikt:末|末]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 5 || 4 || || || マツ、バツ、すえ
|-
| 1905 || style="font-size:180%" | [[wikt:抹|抹]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || マツ
|-
| 1906 || style="font-size:180%" | [[wikt:万|万]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「万」は示さない(注3参照) -->[[wikt:萬|萬]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 3 || 2 || || || マン、バン
|-
| 1907 || style="font-size:180%" | [[wikt:満|満]] || style="font-size:180%" | [[wikt:滿|滿]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 12 || 4 || || || マン、み-ちる、み-たす
|-
| 1908 || style="font-size:180%" | [[wikt:慢|慢]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || マン
|-
| 1909 || style="font-size:180%" | [[wikt:漫|漫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || マン
|-
| 1910 || style="font-size:180%" | [[wikt:未|未]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 5 || 4 || || || ミ
|-
| 1911 || style="font-size:180%" | [[wikt:味|味]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 8 || 3 || || || ミ、あじ、あじ-わう
|-
| 1912 || style="font-size:180%" | [[wikt:魅|魅]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">194</span>[[鬼部|鬼]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ミ
|-
| 1913 || style="font-size:180%" | [[wikt:岬|岬]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">046</span>[[山部|山]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || みさき
|-
| 1914 || style="font-size:180%" | [[wikt:密|密]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 11 || 6 || || || ミツ
|-
| 1915 || style="font-size:180%" | [[wikt:蜜|蜜]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">142</span>[[虫部|虫]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ミツ
|-
| 1916 || style="font-size:180%" | [[wikt:脈|脈]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 10 || 5 || || || ミャク
|-
| 1917 || style="font-size:180%" | [[wikt:妙|妙]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ミョウ
|-
| 1918 || style="font-size:180%" | [[wikt:民|民]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">083</span>[[氏部|氏]] || 5 || 4 || || || ミン、たみ
|-
| 1919 || style="font-size:180%" | [[wikt:眠|眠]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ミン、ねむ-る、ねむ-い
|-
| 1920 || style="font-size:180%" | [[wikt:矛|矛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">110</span>[[矛部|矛]] || 5 || <span style="display:none">7</span>S || || || ム、ほこ
|-
| 1921 || style="font-size:180%" | [[wikt:務|務]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 11 || 5 || || || ム、つと-める、つと-まる
|-
| 1922 || style="font-size:180%" | [[wikt:無|無]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 12 || 4 || || || ム、ブ、な-い
|-
| 1923 || style="font-size:180%" | [[wikt:夢|夢]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">036</span>[[夕部|夕]] || 13 || 5 || || || ム、ゆめ
|-
| 1924 || style="font-size:180%" | [[wikt:霧|霧]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">173</span>[[雨部|雨]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || || || ム、きり
|-
| 1925 || style="font-size:180%" | [[wikt:娘|娘]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || むすめ
|-
| 1926 || style="font-size:180%" | [[wikt:名|名]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 6 || 1 || || || メイ、ミョウ、な
|-
| 1927 || style="font-size:180%" | [[wikt:命|命]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 8 || 3 || || || メイ、ミョウ、いのち
|-
| 1928 || style="font-size:180%" | [[wikt:明|明]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 8 || 2 || || || メイ、ミョウ、あ-かり、あか-るい、あか-るむ、あか-らむ、あき-らか、あ-ける、あ-く、あ-くる、あ-かす
|-
| 1929 || style="font-size:180%" | [[wikt:迷|迷]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 9 || 5 || || || メイ、まよ-う
|-
| 1930 || style="font-size:180%" | [[wikt:冥|冥]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">014</span>[[冖部|冖]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || メイ、ミョウ
|-
| 1931 || style="font-size:180%" | [[wikt:盟|盟]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">108</span>[[皿部|皿]] || 13 || 6 || || || メイ
|-
| 1932 || style="font-size:180%" | [[wikt:銘|銘]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || メイ
|-
| 1933 || style="font-size:180%" | [[wikt:鳴|鳴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">196</span>[[鳥部|鳥]] || 14 || 2 || || || メイ、な-く、な-る、な-らす
|-
| 1934 || style="font-size:180%" | [[wikt:滅|滅]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || メツ、ほろ-びる、ほろ-ぼす
|-
| 1935 || style="font-size:180%" | [[wikt:免|免]] || style="font-size:180%" | [[wikt:免|免]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">010</span>[[儿部|儿]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || メン、まぬか-れる
|-
| 1936 || style="font-size:180%" | [[wikt:面|面]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">176</span>[[面部|面]] || 9 || 3 || || || メン、おも、おもて、つら
|-
| 1937 || style="font-size:180%" | [[wikt:綿|綿]] || <!-- 「緜」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 14 || 5 || || || メン、わた
|-
| 1938 || style="font-size:180%" | [[wikt:麺|麺]] || style="font-size:180%" | [[wikt:麵|麵]]<!-- 「麪」は表外漢字字体表の印刷標準字体ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">199</span>[[麦部|麥]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || メン
|-
| 1939 || style="font-size:180%" | [[wikt:茂|茂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || モ、しげ-る
|-
| 1940 || style="font-size:180%" | [[wikt:模|模]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 14 || 6 || || || モ、ボ
|-
| 1941 || style="font-size:180%" | [[wikt:毛|毛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">082</span>[[毛部|毛]] || 4 || 2 || || || モウ、け
|-
| 1942 || style="font-size:180%" | [[wikt:妄|妄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || モウ、ボウ
|-
| 1943 || style="font-size:180%" | [[wikt:盲|盲]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || モウ
|-
| 1944 || style="font-size:180%" | [[wikt:耗|耗]] || <!-- 「秏」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">127</span>[[耒部|耒]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || モウ、(コウ)
|-
| 1945 || style="font-size:180%" | [[wikt:猛|猛]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">094</span>[[犬部|犬]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || モウ
|-
| 1946 || style="font-size:180%" | [[wikt:網|網]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || モウ、あみ
|-
| 1947 || style="font-size:180%" | [[wikt:目|目]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 5 || 1 || || || モク、(ボク)、め、(ま)
|-
| 1948 || style="font-size:180%" | [[wikt:黙|黙]] || style="font-size:180%" | [[wikt:默|默]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">203</span>[[黒部|黑]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || モク、だま-る
|-
| 1949 || style="font-size:180%" | [[wikt:門|門]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">169</span>[[門部|門]] || 8 || 2 || || || モン、かど
|-
| 1950 || style="font-size:180%" | [[wikt:紋|紋]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || モン
|-
| 1951 || style="font-size:180%" | [[wikt:問|問]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 11 || 3 || || || モン、と-う、と-い、(とん)
|- style="background-color:#dddddd; color:black"
| {{0}} || style="font-size:180%" | [[wikt:匁|匁]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">020</span>[[勹部|勹]] || 4 || <span style="display:none">8</span> || || 2010 || もんめ
|-
| 1952 || style="font-size:180%" | [[wikt:冶|冶]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">015</span>[[冫部|冫]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ヤ
|-
| 1953 || style="font-size:180%" | [[wikt:夜|夜]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">036</span>[[夕部|夕]] || 8 || 2 || || || ヤ、よ、よる
|-
| 1954 || style="font-size:180%" | [[wikt:野|野]] || <!-- 「埜」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">166</span>[[里部|里]] || 11 || 2 || || || ヤ、の
|-
| 1955 || style="font-size:180%" | [[wikt:弥|弥]] || style="font-size:180%" | [[wikt:彌|彌]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">057</span>[[弓部|弓]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || や
|-
| 1956 || style="font-size:180%" | [[wikt:厄|厄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">027</span>[[厂部|厂]] || 4 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ヤク
|-
| 1957 || style="font-size:180%" | [[wikt:役|役]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 7 || 3 || || || ヤク、エキ
|-
| 1958 || style="font-size:180%" | [[wikt:約|約]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 9 || 4 || || || ヤク
|-
| 1959 || style="font-size:180%" | [[wikt:訳|訳]] || style="font-size:180%" | [[wikt:譯|譯]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 11 || 6 || || || ヤク、わけ
|-
| 1960 || style="font-size:180%" | [[wikt:薬|薬]] || style="font-size:180%" | [[wikt:藥|藥]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 16 || 3 || || || ヤク、くすり
|-
| 1961 || style="font-size:180%" | [[wikt:躍|躍]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">157</span>[[足部|足]] || 21 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヤク、おど-る
|-
| 1962 || style="font-size:180%" | [[wikt:闇|闇]]<span style="font-size:72%"> <ref name="F"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">169</span>[[門部|門]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || やみ
|-
| 1963 || style="font-size:180%" | [[wikt:由|由]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 5 || 3 || || || ユ、ユウ、(ユイ)、よし
|-
| 1964 || style="font-size:180%" | [[wikt:油|油]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 8 || 3 || || || ユ、あぶら
|-
| 1965 || style="font-size:180%" | [[wikt:喩|喩]]<span style="font-size:72%"> <ref name="A"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ユ
|-
| 1966 || style="font-size:180%" | [[wikt:愉|愉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ユ
|-
| 1967 || style="font-size:180%" | [[wikt:諭|諭]] || <!-- 旧字体としてU+2F9D0は示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ユ、さと-す
|-
| 1968 || style="font-size:180%" | [[wikt:輸|輸]] || <!-- 旧字体としてU+2F9DFは示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">159</span>[[車部|車]] || 16 || 5 || || || ユ
|-
| 1969 || style="font-size:180%" | [[wikt:癒|癒]] || <!-- 「瘉」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">104</span>[[疒部|疒]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ユ、い-える、い-やす
|-
| 1970 || style="font-size:180%" | [[wikt:唯|唯]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ユイ、(イ)
|-
| 1971 || style="font-size:180%" | [[wikt:友|友]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">029</span>[[又部|又]] || 4 || 2 || || || ユウ、とも
|-
| 1972 || style="font-size:180%" | [[wikt:有|有]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">074</span>[[月部|月]] || 6 || 3 || || || ユウ、ウ、あ-る
|-
| 1973 || style="font-size:180%" | [[wikt:勇|勇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 9 || 4 || || || ユウ、いさ-む
|-
| 1974 || style="font-size:180%" | [[wikt:幽|幽]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">052</span>[[幺部|幺]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ユウ
|-
| 1975 || style="font-size:180%" | [[wikt:悠|悠]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ユウ
|-
| 1976 || style="font-size:180%" | [[wikt:郵|郵]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">163</span>[[邑部|邑]] || 11 || 6 || || || ユウ
|-
| 1977 || style="font-size:180%" | [[wikt:湧|湧]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ユウ、わ-く
|-
| 1978 || style="font-size:180%" | <!-- Windows搭載の游ゴシック Regularを指定しない -->[[wikt:猶|<span style="font-family:'游ゴシック体','YuGothic','游ゴシック Medium','Yu Gothic Medium','ヒラギノ角ゴ ProN W3','Hiragino Kaku Gothic ProN W3','ヒラギノ角ゴ ProN','Hiragino Kaku Gothic ProN','源ノ角ゴシック JP Normal','Source Han Sans JP Normal','Noto Sans CJK JP DemiLight','源ノ角ゴシック JP','Source Han Sans JP','Noto Sans CJK JP','メイリオ','Meiryo','MS Pゴシック','MS PGothic';">猶</span>]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">094</span>[[犬部|犬]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ユウ
|-
| 1979 || style="font-size:180%" | [[wikt:裕|裕]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ユウ
|-
| 1980 || style="font-size:180%" | [[wikt:遊|遊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 12 || 3 || || || ユウ、(ユ)、あそ-ぶ
|-
| 1981 || style="font-size:180%" | [[wikt:雄|雄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">172</span>[[隹部|隹]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ユウ、お、おす
|-
| 1982 || style="font-size:180%" | [[wikt:誘|誘]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ユウ、さそ-う
|-
| 1983 || style="font-size:180%" | [[wikt:憂|憂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ユウ、うれ-える、うれ-い、う-い
|-
| 1984 || style="font-size:180%" | [[wikt:融|融]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">142</span>[[虫部|虫]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ユウ
|-
| 1985 || style="font-size:180%" | [[wikt:優|優]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 17 || 6 || || || ユウ、やさ-しい、すぐ-れる
|-
| 1986 || style="font-size:180%" | [[wikt:与|与]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「与」は示さない(注3参照) -->[[wikt:與|與]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">134</span>[[臼部|臼]] || 3 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヨ、あた-える
|-
| 1987 || style="font-size:180%" | [[wikt:予|予]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「予」は示さない(注3参照) -->[[wikt:豫|豫]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">152</span>[[豕部|豕]] || 4 || 3 || || || ヨ
|-
| 1988 || style="font-size:180%" | [[wikt:余|余]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「余」は示さない(注3参照) -->[[wikt:餘|餘]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">184</span>[[食部|食]] || 7 || 5 || || || ヨ、あま-る、あま-す
|-
| 1989 || style="font-size:180%" | [[wikt:誉|誉]] || style="font-size:180%" | [[wikt:譽|譽]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヨ、ほま-れ
|-
| 1990 || style="font-size:180%" | [[wikt:預|預]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 13 || 6 || || || ヨ、あず-ける、あず-かる
|-
| 1991 || style="font-size:180%" | [[wikt:幼|幼]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">052</span>[[幺部|幺]] || 5 || 6 || || || ヨウ、おさな-い
|-
| 1992 || style="font-size:180%" | [[wikt:用|用]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">101</span>[[用部|用]] || 5 || 2 || || || ヨウ、もち-いる
|-
| 1993 || style="font-size:180%" | [[wikt:羊|羊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">123</span>[[羊部|羊]] || 6 || 3 || || || ヨウ、ひつじ
|-
| 1994 || style="font-size:180%" | [[wikt:妖|妖]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">038</span>[[女部|女]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ヨウ、あや-しい
|-
| 1995 || style="font-size:180%" | [[wikt:洋|洋]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 9 || 3 || || || ヨウ
|-
| 1996 || style="font-size:180%" | [[wikt:要|要]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">146</span>[[襾部|襾]] || 9 || 4 || || || ヨウ、かなめ、い-る
|-
| 1997 || style="font-size:180%" | [[wikt:容|容]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 10 || 5 || || || ヨウ
|-
| 1998 || style="font-size:180%" | [[wikt:庸|庸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">053</span>[[广部|广]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヨウ
|-
| 1999 || style="font-size:180%" | [[wikt:揚|揚]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヨウ、あ-げる、あ-がる
|-
| 2000 || style="font-size:180%" | [[wikt:揺|揺]] || style="font-size:180%" | [[wikt:搖|搖]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヨウ、ゆ-れる、ゆ-る、ゆ-らぐ、ゆ-るぐ、ゆ-する、ゆ-さぶる、ゆ-すぶる
|-
| 2001 || style="font-size:180%" | [[wikt:葉|葉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 12 || 3 || || || ヨウ、は
|-
| 2002 || style="font-size:180%" | [[wikt:陽|陽]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 12 || 3 || || || ヨウ
|-
| 2003 || style="font-size:180%" | [[wikt:溶|溶]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヨウ、と-ける、と-かす、と-く
|-
| 2004 || style="font-size:180%" | [[wikt:腰|腰]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヨウ、こし
|-
| 2005 || style="font-size:180%" | [[wikt:様|様]] || style="font-size:180%" | [[wikt:樣|樣]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 14 || 3 || || || ヨウ、さま
|-
| 2006 || style="font-size:180%" | [[wikt:瘍|瘍]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">104</span>[[疒部|疒]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ヨウ
|-
| 2007 || style="font-size:180%" | [[wikt:踊|踊]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">157</span>[[足部|足]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヨウ、おど-る、おど-り
|-
| 2008 || style="font-size:180%" | [[wikt:窯|窯]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">116</span>[[穴部|穴]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヨウ、かま
|-
| 2009 || style="font-size:180%" | [[wikt:養|養]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">184</span>[[食部|食]] || 15 || 4 || || || ヨウ、やしな-う
|-
| 2010 || style="font-size:180%" | [[wikt:擁|擁]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヨウ
|-
| 2011 || style="font-size:180%" | [[wikt:謡|謡]] || style="font-size:180%" | [[wikt:謠|謠]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヨウ、うたい、うた-う
|-
| 2012 || style="font-size:180%" | [[wikt:曜|曜]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 18 || 2 || || || ヨウ
|-
| 2013 || style="font-size:180%" | [[wikt:抑|抑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヨク、おさ-える
|-
| 2014 || style="font-size:180%" | [[wikt:沃|沃]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ヨク
|-
| 2015 || style="font-size:180%" | [[wikt:浴|浴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 10 || 4 || || || ヨク、あ-びる、あ-びせる
|-
| 2016 || style="font-size:180%" | [[wikt:欲|欲]] || <!-- 「慾」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">076</span>[[欠部|欠]] || 11 || 6 || || || ヨク、ほっ-する、ほ-しい
|-
| 2017 || style="font-size:180%" | [[wikt:翌|翌]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">124</span>[[羽部|羽]] || 11 || 6 || || || ヨク
|-
| 2018 || style="font-size:180%" | [[wikt:翼|翼]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">124</span>[[羽部|羽]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || ヨク、つばさ
|-
| 2019 || style="font-size:180%" | [[wikt:拉|拉]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">064</span>[[手部|手]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ラ
|-
| 2020 || style="font-size:180%" | [[wikt:裸|裸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ラ、はだか
|-
| 2021 || style="font-size:180%" | [[wikt:羅|羅]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">122</span>[[网部|网]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || ラ
|-
| 2022 || style="font-size:180%" | [[wikt:来|来]] || style="font-size:180%" | [[wikt:來|來]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 7 || 2 || || || ライ、く-る、きた-る、きた-す
|-
| 2023 || style="font-size:180%" | [[wikt:雷|雷]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">173</span>[[雨部|雨]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ライ、かみなり
|-
| 2024 || style="font-size:180%" | [[wikt:頼|頼]] || style="font-size:180%" | [[wikt:賴|賴]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || ライ、たの-む、たの-もしい、たよ-る
|-
| 2025 || style="font-size:180%" | [[wikt:絡|絡]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ラク、から-む、から-まる、から-める
|-
| 2026 || style="font-size:180%" | [[wikt:落|落]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 12 || 3 || || || ラク、お-ちる、お-とす
|-
| 2027 || style="font-size:180%" | [[wikt:酪|酪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">164</span>[[酉部|酉]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ラク
|-
| 2028 || style="font-size:180%" | [[wikt:辣|辣]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">160</span>[[辛部|辛]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ラツ
|-
| 2029 || style="font-size:180%" | [[wikt:乱|乱]] || style="font-size:180%" | [[wikt:亂|亂]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">005</span>[[乙部|乙]] || 7 || 6 || || || ラン、みだ-れる、みだ-す
|-
| 2030 || style="font-size:180%" | [[wikt:卵|卵]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">026</span>[[卩部|卩]] || 7 || 6 || || || ラン、たまご
|-
| 2031 || style="font-size:180%" | [[wikt:覧|覧]] || style="font-size:180%" | [[wikt:覽|覽]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">147</span>[[見部|見]] || 17 || 6 || || || ラン
|-
| 2032 || style="font-size:180%" | [[wikt:濫|濫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || ラン
|-
| 2033 || style="font-size:180%" | [[wikt:藍|藍]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">140</span>[[艸部|艸]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ラン、あい
|-
| 2034 || style="font-size:180%" | [[wikt:欄|欄]] || style="font-size:180%" | [[wikt:欄|欄]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 20 || <span style="display:none">7</span>S || || || ラン
|-
| 2035 || style="font-size:180%" | [[wikt:吏|吏]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || リ
|-
| 2036 || style="font-size:180%" | [[wikt:利|利]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 7 || 4 || || || リ、き-く
|-
| 2037 || style="font-size:180%" | [[wikt:里|里]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">166</span>[[里部|里]] || 7 || 2 || || || リ、さと
|-
| 2038 || style="font-size:180%" | [[wikt:理|理]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">096</span>[[玉部|玉]] || 11 || 2 || || || リ
|-
| 2039 || style="font-size:180%" | [[wikt:痢|痢]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">104</span>[[疒部|疒]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || リ
|-
| 2040 || style="font-size:180%" | [[wikt:裏|裏]] || <!-- 「裡」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 13 || 6 || || || リ、うら
|-
| 2041 || style="font-size:180%" | [[wikt:履|履]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">044</span>[[尸部|尸]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || リ、は-く
|-
| 2042 || style="font-size:180%" | [[wikt:璃|璃]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">096</span>[[玉部|玉]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || リ
|-
| 2043 || style="font-size:180%" | [[wikt:離|離]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">172</span>[[隹部|隹]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || || || リ、はな-れる、はな-す
|-
| 2044 || style="font-size:180%" | [[wikt:陸|陸]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 11 || 4 || || || リク
|-
| 2045 || style="font-size:180%" | [[wikt:立|立]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">117</span>[[立部|立]] || 5 || 1 || || || リツ、(リュウ)、た-つ、た-てる
|-
| 2046 || style="font-size:180%" | [[wikt:律|律]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">060</span>[[彳部|彳]] || 9 || 6 || || || リツ、(リチ)
|-
| 2047 || style="font-size:180%" | [[wikt:慄|慄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || リツ
|-
| 2048 || style="font-size:180%" | [[wikt:略|略]] || <!-- 「畧」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 11 || 5 || || || リャク
|-
| 2049 || style="font-size:180%" | [[wikt:柳|柳]] || <!-- 「桺」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || リュウ、やなぎ
|-
| 2050 || style="font-size:180%" | [[wikt:流|流]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 10 || 3 || || || リュウ、(ル)、なが-れる、なが-す
|-
| 2051 || style="font-size:180%" | [[wikt:留|留]] || <!-- 「畱」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">102</span>[[田部 (部首)|田]] || 10 || 5 || || || リュウ、(ル)、と-める、と-まる
|-
| 2052 || style="font-size:180%" | [[wikt:竜|竜]] || style="font-size:180%" | [[wikt:龍|龍]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">212</span>[[竜部|龍]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || リュウ、たつ
|-
| 2053 || style="font-size:180%" | [[wikt:粒|粒]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">119</span>[[米部|米]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || リュウ、つぶ
|-
| 2054 || style="font-size:180%" | [[wikt:隆|隆]] || style="font-size:180%" | [[wikt:隆|隆]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || リュウ
|-
| 2055 || style="font-size:180%" | [[wikt:硫|硫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">112</span>[[石部|石]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || リュウ
|-
| 2056 || style="font-size:180%" | [[wikt:侶|侶]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || リョ
|-
| 2057 || style="font-size:180%" | [[wikt:旅|旅]] || <!-- 旧字体としてU+F983は示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">070</span>[[方部|方]] || 10 || 3 || || || リョ、たび
|-
| 2058 || style="font-size:180%" | [[wikt:虜|虜]] || style="font-size:180%" | [[wikt:虜|虜]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">141</span>[[虍部|虍]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || リョ
|-
| 2059 || style="font-size:180%" | [[wikt:慮|慮]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || リョ
|-
| 2060 || style="font-size:180%" | [[wikt:了|了]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">006</span>[[亅部|亅]] || 2 || <span style="display:none">7</span>S || || || リョウ
|-
| 2061 || style="font-size:180%" | [[wikt:両|両]] || style="font-size:180%" | [[wikt:兩|兩]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">011</span>[[入部 (部首)|入]] || 6 || 3 || || || リョウ
|-
| 2062 || style="font-size:180%" | [[wikt:良|良]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">138</span>[[艮部|艮]] || 7 || 4 || || || リョウ、よ-い
|-
| 2063 || style="font-size:180%" | [[wikt:料|料]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">068</span>[[斗部|斗]] || 10 || 4 || || || リョウ
|-
| 2064 || style="font-size:180%" | [[wikt:涼|涼]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || リョウ、すず-しい、すず-む
|-
| 2065 || style="font-size:180%" | [[wikt:猟|猟]] || style="font-size:180%" | [[wikt:獵|獵]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">094</span>[[犬部|犬]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || リョウ
|-
| 2066 || style="font-size:180%" | [[wikt:陵|陵]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || リョウ、みささぎ
|-
| 2067 || style="font-size:180%" | [[wikt:量|量]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">166</span>[[里部|里]] || 12 || 4 || || || リョウ、はか-る
|-
| 2068 || style="font-size:180%" | [[wikt:僚|僚]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || リョウ
|-
| 2069 || style="font-size:180%" | [[wikt:領|領]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 14 || 5 || || || リョウ
|-
| 2070 || style="font-size:180%" | [[wikt:寮|寮]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">040</span>[[宀部|宀]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || リョウ
|-
| 2071 || style="font-size:180%" | [[wikt:療|療]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">104</span>[[疒部|疒]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || リョウ
|-
| 2072 || style="font-size:180%" | [[wikt:瞭|瞭]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">109</span>[[目部|目]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || リョウ
|-
| 2073 || style="font-size:180%" | [[wikt:糧|糧]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">119</span>[[米部|米]] || 18 || <span style="display:none">7</span>S || || || リョウ、(ロウ)、かて
|-
| 2074 || style="font-size:180%" | [[wikt:力|力]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 2 || 1 || || || リョク、リキ、ちから
|-
| 2075 || style="font-size:180%" | [[wikt:緑|緑]] || style="font-size:180%" | [[wikt:綠|綠]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 14 || 3 || || || リョク、(ロク)、みどり
|-
| 2076 || style="font-size:180%" | [[wikt:林|林]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 8 || 1 || || || リン、はやし
|-
| 2077 || style="font-size:180%" | [[wikt:厘|厘]] || <!-- 「釐・廛」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">027</span>[[厂部|厂]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || リン
|-
| 2078 || style="font-size:180%" | [[wikt:倫|倫]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || リン
|-
| 2079 || style="font-size:180%" | [[wikt:輪|輪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">159</span>[[車部|車]] || 15 || 4 || || || リン、わ
|-
| 2080 || style="font-size:180%" | [[wikt:隣|隣]] || <!-- 「鄰」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">170</span>[[阜部|阜]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || リン、とな-る、となり
|-
| 2081 || style="font-size:180%" | [[wikt:臨|臨]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">131</span>[[臣部|臣]] || 18 || 6 || || || リン、のぞ-む
|-
| 2082 || style="font-size:180%" | [[wikt:瑠|瑠]] || <!-- 「璢」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">096</span>[[玉部|玉]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ル
|-
| 2083 || style="font-size:180%" | [[wikt:涙|涙]] || style="font-size:180%" | [[wikt:淚|淚]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ルイ、なみだ
|-
| 2084 || style="font-size:180%" | [[wikt:累|累]] || <!-- 「纍」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 11 || <span style="display:none">7</span>S || || || ルイ
|-
| 2085 || style="font-size:180%" | [[wikt:塁|塁]] || style="font-size:180%" | [[wikt:壘|壘]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">032</span>[[土部|土]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ルイ
|-
| 2086 || style="font-size:180%" | [[wikt:類|類]] || style="font-size:180%" | [[wikt:類|類]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">181</span>[[頁部|頁]] || 18 || 4 || || || ルイ、たぐ-い
|-
| 2087 || style="font-size:180%" | [[wikt:令|令]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 5 || 4 || || || レイ
|-
| 2088 || style="font-size:180%" | [[wikt:礼|礼]] || style="font-size:180%" | <!-- U+FA18は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない -->[[wikt:禮|禮]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">113</span>[[示部|示]] || 5 || 3 || || || レイ、ライ
|-
| 2089 || style="font-size:180%" | [[wikt:冷|冷]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">015</span>[[冫部|冫]] || 7 || 4 || || || レイ、つめ-たい、ひ-える、ひ-や、ひ-やす、ひ-やかす、さ-める、さ-ます
|-
| 2090 || style="font-size:180%" | [[wikt:励|励]] || style="font-size:180%" | [[wikt:勵|勵]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || || || レイ、はげ-む、はげ-ます
|-
| 2091 || style="font-size:180%" | [[wikt:戻|戻]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「戻」は示さない(注3参照) -->[[wikt:戾|戾]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">063</span>[[戸部 (部首)|戶]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || レイ、もど-す、もど-る
|-
| 2092 || style="font-size:180%" | [[wikt:例|例]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">009</span>[[人部|人]] || 8 || 4 || || || レイ、たと-える
|-
| 2093 || style="font-size:180%" | [[wikt:鈴|鈴]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || レイ、リン、すず
|-
| 2094 || style="font-size:180%" | [[wikt:零|零]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">173</span>[[雨部|雨]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || レイ
|-
| 2095 || style="font-size:180%" | [[wikt:霊|霊]] || style="font-size:180%" | [[wikt:靈|靈]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">173</span>[[雨部|雨]] || 15 || <span style="display:none">7</span>S || || || レイ、リョウ、たま
|-
| 2096 || style="font-size:180%" | [[wikt:隷|隷]] || <!-- 「隸」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">171</span>[[隶部|隶]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || レイ
|-
| 2097 || style="font-size:180%" | [[wikt:齢|齢]] || style="font-size:180%" | [[wikt:齡|齡]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">211</span>[[歯部|齒]] || 17 || <span style="display:none">7</span>S || || || レイ
|-
| 2098 || style="font-size:180%" | [[wikt:麗|麗]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">198</span>[[鹿部|鹿]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || || || レイ、うるわ-しい
|-
| 2099 || style="font-size:180%" | [[wikt:暦|暦]] || style="font-size:180%" | [[wikt:曆|曆]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">072</span>[[日部|日]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || レキ、こよみ
|-
| 2100 || style="font-size:180%" | [[wikt:歴|歴]] || style="font-size:180%" | [[wikt:歷|歷]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">077</span>[[止部|止]] || 14 || 5 || || || レキ
|-
| 2101 || style="font-size:180%" | [[wikt:列|列]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">018</span>[[刀部|刀]] || 6 || 3 || || || レツ
|-
| 2102 || style="font-size:180%" | [[wikt:劣|劣]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 6 || <span style="display:none">7</span>S || || || レツ、おと-る
|-
| 2103 || style="font-size:180%" | [[wikt:烈|烈]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || レツ
|-
| 2104 || style="font-size:180%" | [[wikt:裂|裂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">145</span>[[衣部|衣]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || レツ、さ-く、さ-ける
|-
| 2105 || style="font-size:180%" | [[wikt:恋|恋]] || style="font-size:180%" | [[wikt:戀|戀]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || レン、こ-う、こい、こい-しい
|-
| 2106 || style="font-size:180%" | [[wikt:連|連]] || <!-- 旧字体としてU+F99Aは示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">162</span>[[辵部|辵]] || 10 || 4 || || || レン、つら-なる、つら-ねる、つ-れる
|-
| 2107 || style="font-size:180%" | [[wikt:廉|廉]] || <!-- 旧字体としてU+F9A2は示さない(注3参照) --> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">053</span>[[广部|广]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || レン
|-
| 2108 || style="font-size:180%" | [[wikt:練|練]] || style="font-size:180%" | [[wikt:練|練]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">120</span>[[糸部|糸]] || 14 || 3 || || || レン、ね-る
|-
| 2109 || style="font-size:180%" | [[wikt:錬|錬]] || style="font-size:180%" | <!-- 旧字体として「錬」は示さない(注3参照) -->[[wikt:鍊|鍊]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 16 || <span style="display:none">7</span>S || || || レン
|-
| 2110 || style="font-size:180%" | [[wikt:呂|呂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ロ
|-
| 2111 || style="font-size:180%" | [[wikt:炉|炉]] || style="font-size:180%" | [[wikt:爐|爐]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">086</span>[[火部|火]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || || || ロ
|-
| 2112 || style="font-size:180%" | [[wikt:賂|賂]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ロ
|-
| 2113 || style="font-size:180%" | [[wikt:路|路]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">157</span>[[足部|足]] || 13 || 3 || || || ロ、じ
|-
| 2114 || style="font-size:180%" | [[wikt:露|露]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">173</span>[[雨部|雨]] || 21 || <span style="display:none">7</span>S || || || ロ、(ロウ)、つゆ
|-
| 2115 || style="font-size:180%" | [[wikt:老|老]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">125</span>[[老部|老]] || 6 || 4 || || || ロウ、お-いる、ふ-ける
|-
| 2116 || style="font-size:180%" | [[wikt:労|労]] || style="font-size:180%" | [[wikt:勞|勞]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">019</span>[[力部|力]] || 7 || 4 || || || ロウ
|-
| 2117 || style="font-size:180%" | [[wikt:弄|弄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">055</span>[[廾部|廾]] || 7 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ロウ、もてあそ-ぶ
|-
| 2118 || style="font-size:180%" | [[wikt:郎|郎]] || style="font-size:180%" | [[wikt:郞|郞]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">163</span>[[邑部|邑]] || 9 || <span style="display:none">7</span>S || || || ロウ
|-
| 2119 || style="font-size:180%" | [[wikt:朗|朗]] || style="font-size:180%" | [[wikt:朗|朗]]<!-- 「朖」は『新潮日本語漢字辞典』の「旧字」ではない --><span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">074</span>[[月部|月]] || 10 || 6 || || || ロウ、ほが-らか
|-
| 2120 || style="font-size:180%" | [[wikt:浪|浪]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || || || ロウ
|-
| 2121 || style="font-size:180%" | [[wikt:廊|廊]] || style="font-size:180%" | [[wikt:廊|廊]]<span style="font-size:72%"> <ref name="B"/></span> || style="font-size:180%" | <span style="display:none">053</span>[[广部|广]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ロウ
|-
| 2122 || style="font-size:180%" | [[wikt:楼|楼]] || style="font-size:180%" | [[wikt:樓|樓]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ロウ
|-
| 2123 || style="font-size:180%" | [[wikt:漏|漏]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 14 || <span style="display:none">7</span>S || || || ロウ、も-る、も-れる、も-らす
|-
| 2124 || style="font-size:180%" | [[wikt:籠|籠]]<span style="font-size:72%"> <ref name="F"/></span> || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">118</span>[[竹部|竹]] || 22 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ロウ、かご、こ-もる
|-
| 2125 || style="font-size:180%" | [[wikt:六|六]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">012</span>[[八部|八]] || 4 || 1 || || || ロク、む、む-つ、むっ-つ、(むい)
|-
| 2126 || style="font-size:180%" | [[wikt:録|録]] || style="font-size:180%" | [[wikt:錄|錄]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">167</span>[[金部|金]] || 16 || 4 || || || ロク
|-
| 2127 || style="font-size:180%" | [[wikt:麓|麓]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">198</span>[[鹿部|鹿]] || 19 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || ロク、ふもと
|-
| 2128 || style="font-size:180%" | [[wikt:論|論]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 15 || 6 || || || ロン
|-
| 2129 || style="font-size:180%" | [[wikt:和|和]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">030</span>[[口部|口]] || 8 || 3 || || || ワ、(オ)、やわ-らぐ、やわ-らげる、なご-む、なご-やか
|-
| 2130 || style="font-size:180%" | [[wikt:話|話]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">149</span>[[言部|言]] || 13 || 2 || || || ワ、はな-す、はなし
|-
| 2131 || style="font-size:180%" | [[wikt:賄|賄]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">154</span>[[貝部|貝]] || 13 || <span style="display:none">7</span>S || || || ワイ、まかな-う
|-
| 2132 || style="font-size:180%" | [[wikt:脇|脇]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 10 || <span style="display:none">7</span>S || 2010 || || わき
|-
| 2133 || style="font-size:180%" | [[wikt:惑|惑]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">061</span>[[心部|心]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ワク、まど-う
|-
| 2134 || style="font-size:180%" | [[wikt:枠|枠]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">075</span>[[木部 (部首)|木]] || 8 || <span style="display:none">7</span>S || 1981 || || わく
|-
| 2135 || style="font-size:180%" | [[wikt:湾|湾]] || style="font-size:180%" | [[wikt:灣|灣]] || style="font-size:180%" | <span style="display:none">085</span>[[水部|水]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ワン
|-
| 2136 || style="font-size:180%" | [[wikt:腕|腕]] || || style="font-size:180%" | <span style="display:none">130</span>[[肉部|肉]] || 12 || <span style="display:none">7</span>S || || || ワン、うで
|}
=== 付表 ===
{| class="sortable wikitable"
|- style="line-height:1.4em"
! <br />
! 読み<br />
! 語<br />
! {{Nowrap|追加年}}<br />
! 備考<br />
|-
| {{0|00}}1 || あす || 明日 || ||
|-
| {{0|00}}2 || あずき || 小豆 || ||
|-
| {{0|00}}3 || あま || 海女<br />海士 || || 2010年の常用漢字表で「海女」(あま)から「海女・海士」(あま)へ変更
|-
| {{0|00}}4 || いおう || 硫黄 || ||
|-
| {{0|00}}5 || いくじ || 意気地 || ||
|-
| {{0|00}}6 || いなか || 田舎 || ||
|-
| {{0|00}}7 || いぶき || 息吹 || ||
|-
| {{0|00}}8 || うなばら || 海原 || ||
|-
| {{0|00}}9 || うば || 乳母 || ||
|-
| {{0}}10 || うわき || 浮気 || ||
|-
| {{0}}11 || うわつく || 浮つく || ||
|-
| {{0}}12 || えがお || 笑顔 || ||
|-
| {{0}}13 || おじ || 叔父<br />伯父 || 1981 ||
|-
| {{0}}14 || おとな || 大人 || ||
|-
| {{0}}15 || おとめ || 乙女 || ||
|-
| {{0}}16 || おば || 叔母<br />伯母 || 1981 ||
|-
| {{0}}17 || {{Nowrap|おまわりさん}} || {{Nowrap|お巡りさん}} || ||
|-
| {{0}}18 || おみき || お神酒 || ||
|-
| {{0}}19 || おもや || 母屋<br />母家 || ||
|-
| {{0}}20 || かあさん || 母さん || || 2010年の常用漢字表で「お母さん」(おかあさん)から「母さん」(かあさん)へ変更
|-
| {{0}}21 || かぐら || 神楽 || ||
|-
| {{0}}22 || かし || 河岸 || ||
|-
| {{0}}23 || かじ || 鍛冶 || 2010 ||
|-
| {{0}}24 || かぜ || 風邪 || ||
|-
| {{0}}25 || かたず || 固唾 || 2010 ||
|-
| {{0}}26 || かな || 仮名 || ||
|-
| {{0}}27 || かや || 蚊帳 || ||
|-
| {{0}}28 || かわせ || 為替 || ||
|-
| {{0}}29 || かわら || 河原<br />川原 || ||
|-
| {{0}}30 || きのう || 昨日 || ||
|-
| {{0}}31 || きょう || 今日 || ||
|-
| {{0}}32 || くだもの || 果物 || ||
|-
| {{0}}33 || くろうと || 玄人 || ||
|-
| {{0}}34 || けさ || 今朝 || ||
|-
| {{0}}35 || けしき || 景色 || ||
|-
| {{0}}36 || ここち || 心地 || ||
|-
| {{0}}37 || こじ || 居士 || || 2010年の常用漢字表で「一言居士」(いちげんこじ)から「居士」(こじ)へ変更
|-
| {{0}}38 || ことし || 今年 || ||
|-
| {{0}}39 || さおとめ || 早乙女 || ||
|-
| {{0}}40 || ざこ || 雑魚 || ||
|-
| {{0}}41 || さじき || 桟敷 || 1981 ||
|-
| {{0}}42 || {{Nowrap|さしつかえる}} || {{Nowrap|差し支える}} || ||
|-
| {{0}}43 || さつき || 五月 || || 2010年の常用漢字表で「五月晴れ」(さつきばれ)から「五月」(さつき)へ変更
|-
| {{0}}44 || さなえ || 早苗 || ||
|-
| {{0}}45 || さみだれ || 五月雨 || ||
|-
| {{0}}46 || しぐれ || 時雨 || ||
|-
| {{0}}47 || しっぽ || 尻尾 || 2010 ||
|-
| {{0}}48 || しない || 竹刀 || ||
|-
| {{0}}49 || しにせ || 老舗 || 2010 ||
|-
| {{0}}50 || しばふ || 芝生 || ||
|-
| {{0}}51 || しみず || 清水 || ||
|-
| {{0}}52 || しゃみせん || 三味線 || ||
|-
| {{0}}53 || じゃり || 砂利 || ||
|-
| {{0}}54 || じゅず || 数珠 || ||
|-
| {{0}}55 || じょうず || 上手 || ||
|-
| {{0}}56 || しらが || 白髪 || ||
|-
| {{0}}57 || しろうと || 素人 || ||
|-
| {{0}}58 || しわす<br />しはす || 師走 || ||
|-
| {{0}}59 || すきや || 数寄屋<br />数奇屋 || ||
|-
| {{0}}60 || すもう || 相撲 || ||
|-
| {{0}}61 || ぞうり || 草履 || ||
|-
| {{0}}62 || だし || 山車 || ||
|-
| {{0}}63 || たち || 太刀 || ||
|-
| {{0}}64 || たちのく || 立ち退く || ||
|-
| {{0}}65 || たなばた || 七夕 || ||
|-
| {{0}}66 || たび || 足袋 || ||
|-
| {{0}}67 || ちご || 稚児 || ||
|-
| {{0}}68 || ついたち || 一日 || ||
|-
| {{0}}69 || つきやま || 築山 || ||
|-
| {{0}}70 || つゆ || 梅雨 || ||
|-
| {{0}}71 || でこぼこ || 凸凹 || 1981 ||
|-
| {{0}}72 || てつだう || 手伝う || ||
|-
| {{0}}73 || てんません || 伝馬船 || ||
|-
| {{0}}74 || とあみ || 投網 || ||
|-
| {{0}}75 || とうさん || 父さん || || 2010年の常用漢字表で「お父さん」(おとうさん)から「父さん」(とうさん)へ変更
|-
| {{0}}76 || とえはたえ || {{Nowrap|十重二十重}} || ||
|-
| {{0}}77 || どきょう || 読経 || ||
|-
| {{0}}78 || とけい || 時計 || ||
|-
| {{0}}79 || ともだち || 友達 || ||
|-
| {{0}}80 || なこうど || 仲人 || ||
|-
| {{0}}81 || なごり || 名残 || ||
|-
| {{0}}82 || なだれ || 雪崩 || ||
|-
| {{0}}83 || にいさん || 兄さん || ||
|-
| {{0}}84 || ねえさん || 姉さん || ||
|-
| {{0}}85 || のら || 野良 || ||
|-
| {{0}}86 || のりと || 祝詞 || ||
|-
| {{0}}87 || はかせ || 博士 || ||
|-
| {{0}}88 || はたち || 二十<br />二十歳 || ||
|-
| {{0}}89 || はつか || 二十日 || ||
|-
| {{0}}90 || はとば || 波止場 || ||
|-
| {{0}}91 || ひとり || 一人 || ||
|-
| {{0}}92 || ひより || 日和 || ||
|-
| {{0}}93 || ふたり || 二人 || ||
|-
| {{0}}94 || ふつか || 二日 || ||
|-
| {{0}}95 || ふぶき || 吹雪 || ||
|-
| {{0}}96 || へた || 下手 || ||
|-
| {{0}}97 || へや || 部屋 || ||
|-
| {{0}}98 || まいご || 迷子 || ||
|-
| {{0}}99 || まじめ || 真面目 || 2010 ||
|-
| 100 || まっか || 真っ赤 || ||
|-
| 101 || まっさお || 真っ青 || ||
|-
| 102 || みやげ || 土産 || ||
|-
| 103 || むすこ || 息子 || ||
|-
| 104 || めがね || 眼鏡 || ||
|-
| 105 || もさ || 猛者 || ||
|-
| 106 || もみじ || 紅葉 || ||
|-
| 107 || もめん || 木綿 || ||
|-
| 108 || もより || 最寄り || ||
|-
| 109 || やおちょう || 八百長 || ||
|-
| 110 || やおや || 八百屋 || ||
|-
| 111 || やまと || 大和 || ||
|-
| 112 || やよい || 弥生 || 2010 ||
|-
| 113 || ゆかた || 浴衣 || ||
|-
| 114 || ゆくえ || 行方 || ||
|-
| 115 || よせ || 寄席 || ||
|-
| 116 || わこうど || 若人 || ||
|}
=== 備考欄 ===
備考欄に注記された読み方のうち、次のいずれかに該当するものを下表に示した。
* 「……とも」の形で備考欄に注記されている読み方で、音訓欄にないもの
* 都道府県名に用いられる漢字の読み方が音訓欄にない場合に、備考欄に注記された都道府県の読み方
{| class="sortable wikitable"
|- style="line-height:1.4em"
! <br />
! 表記<br />
! {{Nowrap|音訓欄}}<br />
! {{Nowrap|備考欄}}<br />
! {{Nowrap|追加年}}<br />
! 備考<br />
|-
| {{0}}1 || 愛媛 || || えひめ || 2010 || 都道府県名
|-
| {{0}}2 || 堪能 || かんのう || たんのう || 2010 ||
|-
| {{0}}3 || 岐阜 || || ぎふ || 2010 || 都道府県名
|-
| {{0}}4 || 合点 || がってん || がてん || ||
|-
| {{0}}5 || 昆布 || こんぶ || こぶ || 1981 ||
|-
| {{0}}6 || 紺屋 || こんや || こうや || ||
|-
| {{0}}7 || 詩歌 || しか || しいか || ||
|-
| {{0}}8 || {{Nowrap|鹿児島}} || || かごしま || 2010 || 都道府県名
|-
| {{0}}9 || 滋賀 || || しが || 2010 || 都道府県名
|-
| 10 || 七日 || なのか || なぬか || ||
|-
| 11 || 十 || じっ || じゅっ || 2010 ||
|-
| 12 || 憧憬 || {{Nowrap|しょうけい}} || どうけい || 2010 ||
|-
| 13 || 茨城 || || いばらき || 2010 || 都道府県名
|-
| 14 || 宮城 || || みやぎ || 2010 || 都道府県名
|-
| 15 || {{Nowrap|神奈川}} || || かながわ || 2010 || 都道府県名
|-
| 16 || 側 || がわ || かわ || <!-- 備考欄の「かわ」は2010年の常用漢字表で初めて認められた読み方ではないので、追加年を「2010」としない --> || 2010年の常用漢字表で「側」の訓「かわ」が「がわ」に変更
|-
| 17 || 唾 || つば || つばき || 2010 ||
|-
| 18 || 鳥取 || || とっとり || 2010 || 都道府県名
|-
| 19 || 貼付 || ちょうふ || てんぷ || 2010 ||
|-
| 20 || {{Nowrap|難しい}} || {{Nowrap|むずかしい}} || {{Nowrap|むつかしい}} || ||
|-
| 21 || 大阪 || || おおさか || 2010 || 都道府県名
|-
| 22 || 富山 || || とやま || 2010 || 都道府県名
|-
| 23 || 富貴 || ふうき || ふっき || ||
|-
| 24 || 大分 || || おおいた || 2010 || 都道府県名
|-
| 25 || 文字 || もんじ || もじ || ||
|-
| 26 || {{JIS2004フォント|頰}} || ほお || ほほ || 2010 ||
|-
| 27 || {{Nowrap|免れる}} || {{Nowrap|まぬかれる}} || {{Nowrap|まぬがれる}} || ||
|-
| 28 || 奈良 || || なら || 2010 || 都道府県名
|}
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Wiktionary|付録:常用漢字の一覧}}
* [[常用漢字]]
* [[表外漢字字体表]]
* [[表外漢字字体表の漢字一覧]]
* [[人名用漢字]]
* [[人名用漢字一覧]]
== 外部リンク ==
* [https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/kanji/index.html 常用漢字表](平成22年内閣告示第2号)([[文化庁]])
* [https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/kanji/joyokanjisakuin/index.html 常用漢字表の音訓索引](文化庁)
* {{PDFlink|[https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/kaitei_kanji_toshin.pdf 改定常用漢字表]}}(2010年6月7日[[文化審議会]]答申)(文化庁)
* {{PDFlink|[https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/ijidokun_140221.pdf 「異字同訓」の漢字の使い分け例]}}(2014年2月21日文化審議会国語分科会報告)(文化庁)
* {{PDFlink|[https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/jitai_jikei_shishin.pdf 常用漢字表の字体・字形に関する指針]}}(2016年2月29日文化審議会国語分科会報告)(文化庁)
* [https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/kokugo_shisaku/joyokanjihyo_sakuin/index.html 「常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)」の代表音訓索引](文化庁)
* [https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/sanko/hyogai/index.html 表外漢字字体表](2000年12月8日[[国語審議会]]答申)(文化庁)
{{DEFAULTSORT:しようようかんしいちらん}}
[[Category:日本の漢字]]
[[Category:日本の教育関連一覧]]
[[Category:文字の一覧]] | null | 2022-09-16T03:16:03Z | false | false | false | [
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"Template:Legend",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E7%94%A8%E6%BC%A2%E5%AD%97%E4%B8%80%E8%A6%A7 |
7,140 | 相撲界 | 相撲界(すもうかい)は、相撲に関する社会領域。角界(かくかい、かっかい)ともいう。
狭義には、現在大相撲を興行している日本相撲協会の体制を指す。日本相撲協会は文部科学省所管の財団法人で、その評議員である年寄、その年寄が育成する力士・力士養成員、各部屋に所属する行司や呼出、床山、若者頭、世話人を含む。身内の者以外を「余方(よかた)」という場合もある。
広義には、狭義の角界に、相撲茶屋、好角家(相撲愛好家)、総体としての一般相撲ファン、大相撲や国技館に関連した事業にある者などで構成される、ひとつのコミュニティーを指す。 | [
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"text": "相撲界(すもうかい)は、相撲に関する社会領域。角界(かくかい、かっかい)ともいう。",
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] | 相撲界(すもうかい)は、相撲に関する社会領域。角界(かくかい、かっかい)ともいう。 狭義には、現在大相撲を興行している日本相撲協会の体制を指す。日本相撲協会は文部科学省所管の財団法人で、その評議員である年寄、その年寄が育成する力士・力士養成員、各部屋に所属する行司や呼出、床山、若者頭、世話人を含む。身内の者以外を「余方(よかた)」という場合もある。 広義には、狭義の角界に、相撲茶屋、好角家(相撲愛好家)、総体としての一般相撲ファン、大相撲や国技館に関連した事業にある者などで構成される、ひとつのコミュニティーを指す。 | {{otheruses}}{{出典の明記| date = 2021年9月}}
'''相撲界'''(すもうかい)は、[[相撲]]に関する社会領域。'''角界'''(かくかい、かっかい)ともいう。
狭義には、現在[[大相撲]]を興行している[[日本相撲協会]]の体制を指す。日本相撲協会は[[文部科学省]]所管の[[財団法人]]で、その評議員である[[年寄]]、その年寄が育成する[[力士]]・[[力士養成員]]、各[[相撲部屋|部屋]]に所属する[[行司]]や[[呼出]]、[[床山]]、[[若者頭]]、[[世話人]]を含む。身内の者以外を「余方(よかた)」という場合もある。
広義には、狭義の角界に、[[相撲茶屋]]<!--(東京なら[[国技館サービス]]) → ちょっとちがいます-->、<!--取り巻くアマチュア → ?、-->[[好角家]](相撲愛好家)、総体としての一般相撲ファン、大相撲や国技館に関連した事業にある者などで構成される、ひとつの[[コミュニティー]]を指す。
{{相撲}}
[[Category:大相撲|すもうかい]]
{{Sumo-stub}} | null | 2022-01-16T12:20:38Z | false | false | false | [
"Template:Otheruses",
"Template:出典の明記",
"Template:相撲",
"Template:Sumo-stub"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%92%B2%E7%95%8C |
7,141 | チーズ | チーズ(英語: cheese)とは、乳蛋白質であるカゼインの凝固によって、さまざまな風味、食感、形状で製造される乳製品である。 牛・水牛・羊・山羊・ヤクなど鯨偶蹄目の反芻をする家畜から得られる乳からの蛋白質と脂質で構成されている。通常、乳酸発酵で酸乳化し、酵素(レンネットまたは同様の活性を持つ細菌性酵素のいずれか)が添加され、できた凝乳(カード)から液体成分(ホエー)を分離してさらにプレスし脱水して完成したチーズとなる。酸乳化後固形分を濾しとる方法や、加熱(低温殺菌の温度まで)しクエン酸や食酢や柑橘果汁を添加し出来た固形分を濾しとる方法もある。
チーズは伝統的に乳脂肪を分離したバターと並んで、家畜の乳からつくる保存食として牧畜文化圏で重要な位置を占めてきた。日本語や中国語での漢語表記は、北魏時代に編纂された『斉民要術』に記されているモンゴル高原型の乳製品加工の記述を出典とする乾酪(かんらく)である。
チーズがどのようにして発見されたのかは正確には定かではないが、「アラブの商人が羊の胃袋を干して作った水筒に山羊のミルクを入れて砂漠を旅していた途中に、砂漠の疲れとのどの渇きを癒そうと水筒を開けたところ、中からミルクではなく澄んだ水(乳清)と柔らかい白い塊(カード)がでてきた」というのが最初のチーズの発見であるという説が有力だとされていた。
ところが、2012年になって紀元前5000年頃の世界最古のチーズ製造の痕跡(粘土製のチーズを濾すためのザル)がポーランドのクヤヴィ(英語版)で発見された。このスウィデリアン文化(英語版)の道具はメソポタミア文明よりも古く、チーズ製造が中東ではなくポーランドあたりの中央ヨーロッパで始まった可能性を示唆している。この人類最古のチーズの原料はヤギの乳であり、また現在のポーランドでも、多くの種類の山羊乳チーズ(いわゆるシェーブルチーズ)が存在する。
いずれにせよ、チーズは近東からヨーロッパにかけての地域に広まり、メソポタミア文明を築いたシュメール人をはじめ、古代ギリシアやローマ帝国においても広く食用とされた。ホメロスの『オデッセイア』にはフェタチーズへの言及があり、プリニウスの『博物誌』やアリストテレスの著作にもチーズについての記述がある。ローマ帝国崩壊後もヨーロッパでのチーズ利用が衰退することはなく、逆に各地で特徴あるチーズが多数生産されるようになっていった。ヨーロッパでは特に、各地の荘園や修道院において特色あるチーズが生産されることが多かった。中世ヨーロッパにおいては、チーズは脂肪分の多いものが珍重されており、そのため15世紀頃にブルターニュやオランダ、フランドル、イギリスなどでバターの生産が盛んとなると、チーズの質では山岳地帯産のチーズのほうが名声を得るようになった。
ただし、チーズの利用はヨーロッパや中近東においては非常に盛んであったが、インドでは古代インドの讃歌集『リグ・ヴェーダ』にチーズを勧める歌があり、パニールなどのフレッシュチーズは盛んに使用製造されたもののレンネット使用の熟成チーズはついに登場しなかった。日本や中国など東アジア地域においては鮮卑系の支配者など北アジアの遊牧民系の勢力によって度々導入されたものの安定して定着することはなかった。こうしたチーズ利用のない地域にチーズが普及するのは、ヨーロッパ勢力が各地に勢力を広げていく19世紀以降のこととなる。
19世紀半ばに入ると、工業的にナチュラルチーズが大量生産できるようになり、ヨーロッパやアメリカ大陸にチーズ工場が建設されるようになった。1874年にはデンマークでレンネットが工業的に量産できるようになり、1904年にはアメリカでプロセスチーズが開発され量産されるようになった。
日本においては東アジア全般の例にもれず、チーズ利用はほとんど存在しなかった。飛鳥時代の645年頃から乳牛の伝来と飼育が始まり、チーズの一種と考えられる蘇()または酥(そ)、および醍醐が製造されていた。700年11月には朝廷が諸国に酥の製造を命じ、8世紀から10世紀にかけては酥の製造が継続したとされるが、平安時代末期頃から廃れた。明治時代以後も、チーズの独特の風味はあまり日本人に好まれず、普及にはさらに多くの時間がかかった。日本において初めてチーズが製造されたのは、1875年に北海道開拓使においてであった。1933年には北海道の遠浅に日本における初めてのチーズ工場が設立された。チーズが本格的に普及するのは第二次世界大戦の終結後のことである。ただしこのチーズのほとんどは1951年頃に製造が始まったプロセスチーズである。ナチュラルチーズは生産も消費もほとんどなかった。プロセスチーズの消費量は食生活の洋風化とともに急増を続けた。この急増には1970年代に普及が始まったピザや、1980年代に普及したチーズケーキなどのブームによる。こうして初めてナチュラルチーズが受け入れられるようになった。
チーズの主な原料は乳の中にあるタンパク質の一種カゼインである。カゼインには分子中に親水性の部分と疎水性の部分があり、これがミセル状となって液体中に浮遊するために乳は白く見える。この乳に乳酸菌を加えてpHを酸性に変え、さらにレンネット(凝乳酵素)を投入してカゼイン分子の親水性の部分を加水分解により切り離すと、カゼイン分子は繊維状に連鎖して集合して沈殿し始める。これを凝乳と言う。凝乳には上記の乳酸発酵とタンパク質分解酵素によるもののほか、酸性化を食酢やレモン汁などといった酸の直接添加、沈殿生成を加熱による変性によっても同じことができ、この乳酸発酵、酸の添加、タンパク質分解酵素添加、加熱の組み合わせが主要な凝乳生成手段となっている。
凝乳したカゼインは繊維状の集合体が熱運動によって収縮することで水及び水溶性成分と分離して沈殿し、乳はホエイ(乳清)という液体部分とカードという沈殿物とに分かれる。このカード部分を取り出したものがチーズの原形(フレッシュチーズ)となる。フレッシュチーズとして販売される場合はここで製造は完了であるが、それ以外のチーズにおいてはこの後、加塩や微生物による熟成工程を経て様々な種類のチーズが作られることとなる。
カード部分は必要に応じて切ってさらにホエイを排出させた後、型や枠に入れて固め、塩をすり込んだり塩水に漬けたりして加塩したのち、冷暗所において熟成させる。チーズの種類はこの熟成工程で決まる。フレッシュチーズ内にある乳酸菌の活動によって、乳糖は乳酸に、タンパク質はアミノ酸に、脂肪は脂肪酸などに分解され、そこからさらに様々な成分が生成される。ここにプロピオン酸菌属などの細菌やカビなどを添加して多様な作用を生じさせる事で各種のチーズがつくられる。この加工時に加温・加圧などの工程を加えて保存性を高めるなどの工夫が凝らされている。
チーズの原料には様々な種類の乳が使用できるが、主な原料となるのはウシ(牛乳)、ヒツジ、ヤギの3種の動物の乳である。なかでも最も広く使用されるのはウシの乳であり、市中に出回っているチーズの原料は特に指定がない限りほとんどの場合は牛乳である。ヒツジの乳は脂肪分が多いため濃厚な味わいが特徴とされる。また、ヤギの乳は特有の臭いがあるものの、これも広く好まれるチーズの一つである。このほかにもスイギュウやヤクなどからチーズが作ることができる。また、ラクダの乳は脂肪の構造がウシなどとは異なるためチーズを作ることは困難ではあるが可能ではあり、その希少性ゆえにラクダチーズは高級品として高く評価されていた。アラブ首長国連邦のドバイでは世界で初めて商業的にラクダチーズを生産販売する会社が現れ、世界各地への売り込みを図っている
原料や加工法によってチーズは細かく分類され、1000種類以上あるとされる。
チーズは基本的に、ナチュラルチーズとプロセスチーズの二つに区分できる。ナチュラルチーズは牛乳から直接作られる。これに対し、プロセスチーズはいったん生成されたナチュラルチーズを溶かし、それを再び乳化剤を添加して固めて作られる。プロセスチーズは溶解時に加熱殺菌されているため発酵が止まっており、長期保存が可能である。
ナチュラルチーズの分類にはいくつもの方法があるが、一般的なものとしてはフレッシュチーズ、白かびチーズ、ウォッシュチーズ、シェーブルチーズ(山羊乳チーズ)、ブルーチーズ、半硬質チーズ、硬質チーズ(ハードチーズ)、超硬質チーズの8種類に区分できる。これは外観や硬さによる分類である。シェーブルチーズが独立した分類となっているのは、ウシやヒツジの乳とは異なり、ヤギの乳の成分は、レンネットでは凝固できない。よって、シェーブルチーズはあまり大きくすることができず、小さなものが多い。
フレッシュチーズは基本的に熟成させないが、軽く熟成させるタイプも存在する。フレッシュチーズは生鮮食品であり、できたてが最もおいしく、数日以内に食されるものである。味は熟成工程を経ないために原料であるミルクの味が強く、酸味が強いものが多いのが特徴である。白かびチーズ(ホワイトチーズ)は外皮に白カビを植え付けて熟成させたもので、軟らかく、クリーミーな味わいが特徴である。また、チーズの表面に塩水を吹き付けるタイプのチーズがウォッシュチーズである。青カビチーズ(ブルーチーズ)は白カビチーズとは逆に、内部に青かびを植え付けて熟成させるもので、そのため内部にも青かびの菌糸が入り込んでいるのが特徴である。味としては刺激があり、また塩分の強いものが多い。半硬質・硬質・超硬質チーズはいずれもプレスしてホエイをよく抜いた後熟成させるのが特徴であり、そのため大型で保存性もよい。
また、こうしたチーズの分類とは別に、完成したチーズに様々なフレーバーを添加することも広く行われ、フレーバーチーズという一つの区分となっている。フレーバーチーズの中で最もよく知られるものはスモークチーズである。これは生成されたチーズを燻製の製法と同様に燻したものであり、ナチュラルチーズでもプロセスチーズでも作られる。このほかに、素材であるカードそのものにフレーバーを添加して作るもの、生成したチーズの外側にフレーバーをかけたりつけたりするもの、生成したチーズをほぐしてフレーバーを混ぜ込み、再び成形するものがある。フレーバーとして添加されるものは各種ハーブやスパイス、ニンニク、ナッツ類、ドライフルーツなどがある。添加されたフレーバーによって様々な場面で使用され、特にナッツやドライフルーツを添加されたものはデザートとして多用される。
以下は比較的よく消費されているチーズの主要産地別一覧である。さらに詳細なリストはチーズの一覧を参照のこと。
直接食用とする。ヨーロッパのフランス料理やイタリア料理では、レストランのみならず、各家庭の日常の食事においても、チーズは主菜の後とデザートの前の間の口直しとして供される。ワインを共に味わう場合、チーズによってそれまでの主菜と比べてワインの口当たりの変化が楽しめる。前菜として出て来る場合はサラダの素材として供される。ただしイタリア料理の場合、モッツァレラチーズはそのまま前菜(アンチパスト)として供することもある。また居酒屋(仏ブラッスリー、伊トラットリア)などではチーズ盛り合わせ(チーズプラター)といった単品メニューのみをオーダーすることもできる。
イタリア料理(パルミジャーノ・レッジャーノチーズやモッツァレラチーズ)やテクス・メクス料理(チェダーチーズ、モントレー・ジャック)など、チーズが欠かせない料理もある。
インドでは、菜食主義者の割合が多く、菜食主義者は動物の殺生の回避を目的としているため鶏卵も食べない。そのため多くの人が乳製品からタンパク質を補給する。フレッシュチーズのパニールを使った料理が豊富である。インド料理の菜食のメニューの半数程はパニールかダヒ(ヨーグルト)を使っている。
ナチュラルチーズは熱を加えるとカゼインのアミノ酸の鎖が絡まることで溶けた状態になる。溶けたチーズをかけるラクレットはスイスやフランスの、溶かしたチーズを具につけて食べるチーズフォンデュはスイスの名物である。プロセスチーズのように一度溶けたチーズは鎖が切れるためそれ以上溶けなくなる。
中国にも、チベットのヤクのチーズや、料理に用いられるルーシャンや大良牛乳などの特殊なチーズがある。
日本においてはちくわやかまぼこなどにも練り込まれることがある。和菓子とも相性はよく、煎餅などによく使用される。チーズ類を使った煎餅類はメーカーによっては「チーズおかき」と呼ばれる場合もある。
そのほか、パンにそのまま練り込まれたり、サンドイッチの具やピザ、ハンバーグ(チーズトッピングとチーズインがある)に使われたりもされる。パスタにも粉チーズを食前に適量振りかけたり、またカルボナーラパスタ等のようなチーズを利用したりしたパスタ料理が多数存在する。そのほかチーズ使用料理は非常に多数にのぼる。チーズをそのまま使用するだけでなく、スプレー缶に封入されて食品に吹き付けて使うイージーチーズなどもある。菓子としても、チーズケーキをはじめとするケーキや、クッキー、クラッカー等にも使用され、クラッカーはクリームチーズ等を載せて食することもある。
厳密にはチーズを名乗れないが、チーズの乳脂肪を植物性脂肪に、乳たんぱくを大豆たんぱくなどに一部もしくは全部を置き換えたコピー食品としてアナログチーズ(代替チーズ)がある。乳製品を一切含まないものもある。原料コストを抑えられ、ドイツでは年間10万トンが生産されている。日本でも2007-2008年の原料乳価格高騰で注目された。本来のチーズと比べてコレステロールが低い、種類によっては牛乳アレルギー患者やヴィーガン(動物性食品を全く摂取しないベジタリアン)でも食べられるなどの利点がある。
2011年に世界で最もチーズを生産していた国はアメリカ合衆国であり、次いでドイツ、フランス、イタリア、オランダ、ポーランド、エジプト、ロシア、アルゼンチン、カナダの順となっている。
一方、チーズの輸出においてはアメリカの順位はかなり後退する。輸出額ベースにおけるチーズ最大輸出国はドイツであり、以下フランス、オランダ、イタリア、デンマーク、ニュージーランド、ベルギー、アイルランド、アメリカ、オーストラリアの順となる。また、輸出量ベースにおいてもドイツが一位となり、以下オランダ、フランス、ニュージーランド、イタリア、デンマーク、サウジアラビア、アイルランド、アメリカ、ベルギーの順となっている。
チーズの輸入においても、ドイツは質量ともに一位を占めている。輸入額ベースにおいてはドイツ、イタリア、イギリス、フランス、ロシア、ベルギー、スペイン、アメリカ、日本、オランダの順となっている。また、輸入量ベースにおいてはドイツ、イタリア、イギリス、ロシア、フランス、ベルギー、スペイン、オランダ、日本、アメリカの順となる。
チーズ貿易においてはドイツは輸出入ともに世界最大であり、イタリアやベルギーも輸出入ともに多い。フランスは輸入も多いが、輸出はそれ以上に多い。オランダはその傾向がさらに顕著で、チーズ生産は輸出にかなり軸足を置いたものとなっている。デンマークやニュージーランド、アイルランドもチーズ輸出がチーズ生産のかなりの割合を示す。こうした国々に対し、チーズのかなりを輸入に頼っているのはイギリスである。ロシアやスペイン、日本もチーズ貿易においては輸入を主とする。
一人あたりのチーズ消費量は、チーズを利用する文化が古くから根付いていたヨーロッパ諸国や地中海諸国、およびそこから分派した新大陸の諸国がランキングの上位を占めている。2011年において最も一人当たり年間チーズ消費量が多かった国はフランスであり、一人当たり1年間に26.3kgのチーズを消費していた。これに次ぐのがアイスランド、次いでギリシャであり、以下ドイツ、フィンランド、イタリア、スイス、オーストリア、オランダ、トルコ、スウェーデン、ノルウェー、チェコ、イスラエル、アメリカ、カナダ、オーストラリア、アルゼンチン、ポーランド、ハンガリー、イギリスの順となっている。
日本においては、1970年代末から、生産過剰となっていた牛乳の需要拡大策として、農林水産省が国産チーズ振興政策に取り組み始めた。よつ葉乳業など大手乳製品メーカーが工場を建設したほか、少量生産の工房が開業するようになった。ナチュラルチーズも39,000トン(2005年)ほど生産されているが、生産量は国内消費量の15%弱に過ぎず、大半は輸入に頼っている。毎年多くのナチュラルチーズが輸入され、国内でプロセスチーズに加工されたり、そのまま消費される。2018年のナチュラルチーズの最大輸入相手国はオーストラリアであり、82,935トンが輸入されている。ついでニュージーランドが62,214トンである。3位はアメリカの32,944トンである。以下はドイツ、イタリア、オランダ、デンマーク、アルゼンチン、フランスの順となっている。2019年2月に発効した日本・EU経済連携協定(日欧EPA)ではソフトチーズの輸入枠拡大と関税引き下げが実施された。
日本のチーズ消費量は第二次世界大戦後から2000年頃までは急増を続け、その後は増減を繰り返しつつ微増傾向となった。2013年の日本のチーズ総消費量は295,000トンだった。かつて1968年には一人当たり年間消費量は130グラムと1 kgにも満たなかったものが、2010年には一人当たり2.0 kgとなり、2012年の一人当たりチーズ消費量も2.4 kgまで増加した。
チーズの消費促進に取り組む業界団体としてはチーズ普及協議会と日本輸入チーズ普及協議会がある。
日本で高品質の国産チーズづくりをめざす動きも広がっている。国内のチーズ工房は2018年で319ヵ所に増え、国際コンテスト「ワールドチーズアワード」で上位入賞するチーズ職人も現れている。国内では中央酪農会議が国産ナチュラルチーズ全国審査会を2年に1回開いており、2019年の第12回は過去最高の86工房200種類超の応募があった。生産者側の団体として、チーズプロフェッショナル協会がある。2019年11月には一般社団法人日本チーズ協会(JCA、「日本チーズ生産者の会」後継団体)が発足した。
チーズは腸と全体的な健康に寄与する可能性のある善玉菌であるプロバイオティクスの健康的な供給源である。通常、プロバイオティクスは、熟成されたがその後加熱されていないチーズに含まれている。これには、スイス、プロヴォローネ、ゴーダ、チェダー、エダム、グリュイエール、カッテージチーズなどのソフトチーズとハードチーズの両方が含まれる。専門家は、善玉菌はアレルギー、気分障害、関節炎などの多くの症状の改善に関連している可能性があると考えている。 チーズなどのプロバイオティクスを含む食品を食べると、この自然なバランスを取り戻すのに役立つ。チーズに関して唯一の注意は、それをやり過ぎないことである。チーズはカロリー、飽和脂肪、ナトリウムが多い傾向がある。
アンドリュー・ドルビー『チーズの歴史』(ブルース・インターアクションズ、2011年)ISBN 978-4-86020-426-6 | [
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"text": "チーズ(英語: cheese)とは、乳蛋白質であるカゼインの凝固によって、さまざまな風味、食感、形状で製造される乳製品である。 牛・水牛・羊・山羊・ヤクなど鯨偶蹄目の反芻をする家畜から得られる乳からの蛋白質と脂質で構成されている。通常、乳酸発酵で酸乳化し、酵素(レンネットまたは同様の活性を持つ細菌性酵素のいずれか)が添加され、できた凝乳(カード)から液体成分(ホエー)を分離してさらにプレスし脱水して完成したチーズとなる。酸乳化後固形分を濾しとる方法や、加熱(低温殺菌の温度まで)しクエン酸や食酢や柑橘果汁を添加し出来た固形分を濾しとる方法もある。",
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"text": "チーズは伝統的に乳脂肪を分離したバターと並んで、家畜の乳からつくる保存食として牧畜文化圏で重要な位置を占めてきた。日本語や中国語での漢語表記は、北魏時代に編纂された『斉民要術』に記されているモンゴル高原型の乳製品加工の記述を出典とする乾酪(かんらく)である。",
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"text": "チーズがどのようにして発見されたのかは正確には定かではないが、「アラブの商人が羊の胃袋を干して作った水筒に山羊のミルクを入れて砂漠を旅していた途中に、砂漠の疲れとのどの渇きを癒そうと水筒を開けたところ、中からミルクではなく澄んだ水(乳清)と柔らかい白い塊(カード)がでてきた」というのが最初のチーズの発見であるという説が有力だとされていた。",
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"text": "ところが、2012年になって紀元前5000年頃の世界最古のチーズ製造の痕跡(粘土製のチーズを濾すためのザル)がポーランドのクヤヴィ(英語版)で発見された。このスウィデリアン文化(英語版)の道具はメソポタミア文明よりも古く、チーズ製造が中東ではなくポーランドあたりの中央ヨーロッパで始まった可能性を示唆している。この人類最古のチーズの原料はヤギの乳であり、また現在のポーランドでも、多くの種類の山羊乳チーズ(いわゆるシェーブルチーズ)が存在する。",
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"text": "いずれにせよ、チーズは近東からヨーロッパにかけての地域に広まり、メソポタミア文明を築いたシュメール人をはじめ、古代ギリシアやローマ帝国においても広く食用とされた。ホメロスの『オデッセイア』にはフェタチーズへの言及があり、プリニウスの『博物誌』やアリストテレスの著作にもチーズについての記述がある。ローマ帝国崩壊後もヨーロッパでのチーズ利用が衰退することはなく、逆に各地で特徴あるチーズが多数生産されるようになっていった。ヨーロッパでは特に、各地の荘園や修道院において特色あるチーズが生産されることが多かった。中世ヨーロッパにおいては、チーズは脂肪分の多いものが珍重されており、そのため15世紀頃にブルターニュやオランダ、フランドル、イギリスなどでバターの生産が盛んとなると、チーズの質では山岳地帯産のチーズのほうが名声を得るようになった。",
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"text": "チーズの輸入においても、ドイツは質量ともに一位を占めている。輸入額ベースにおいてはドイツ、イタリア、イギリス、フランス、ロシア、ベルギー、スペイン、アメリカ、日本、オランダの順となっている。また、輸入量ベースにおいてはドイツ、イタリア、イギリス、ロシア、フランス、ベルギー、スペイン、オランダ、日本、アメリカの順となる。",
"title": "世界の生産と消費"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "チーズ貿易においてはドイツは輸出入ともに世界最大であり、イタリアやベルギーも輸出入ともに多い。フランスは輸入も多いが、輸出はそれ以上に多い。オランダはその傾向がさらに顕著で、チーズ生産は輸出にかなり軸足を置いたものとなっている。デンマークやニュージーランド、アイルランドもチーズ輸出がチーズ生産のかなりの割合を示す。こうした国々に対し、チーズのかなりを輸入に頼っているのはイギリスである。ロシアやスペイン、日本もチーズ貿易においては輸入を主とする。",
"title": "世界の生産と消費"
},
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"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "一人あたりのチーズ消費量は、チーズを利用する文化が古くから根付いていたヨーロッパ諸国や地中海諸国、およびそこから分派した新大陸の諸国がランキングの上位を占めている。2011年において最も一人当たり年間チーズ消費量が多かった国はフランスであり、一人当たり1年間に26.3kgのチーズを消費していた。これに次ぐのがアイスランド、次いでギリシャであり、以下ドイツ、フィンランド、イタリア、スイス、オーストリア、オランダ、トルコ、スウェーデン、ノルウェー、チェコ、イスラエル、アメリカ、カナダ、オーストラリア、アルゼンチン、ポーランド、ハンガリー、イギリスの順となっている。",
"title": "世界の生産と消費"
},
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"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "日本においては、1970年代末から、生産過剰となっていた牛乳の需要拡大策として、農林水産省が国産チーズ振興政策に取り組み始めた。よつ葉乳業など大手乳製品メーカーが工場を建設したほか、少量生産の工房が開業するようになった。ナチュラルチーズも39,000トン(2005年)ほど生産されているが、生産量は国内消費量の15%弱に過ぎず、大半は輸入に頼っている。毎年多くのナチュラルチーズが輸入され、国内でプロセスチーズに加工されたり、そのまま消費される。2018年のナチュラルチーズの最大輸入相手国はオーストラリアであり、82,935トンが輸入されている。ついでニュージーランドが62,214トンである。3位はアメリカの32,944トンである。以下はドイツ、イタリア、オランダ、デンマーク、アルゼンチン、フランスの順となっている。2019年2月に発効した日本・EU経済連携協定(日欧EPA)ではソフトチーズの輸入枠拡大と関税引き下げが実施された。",
"title": "世界の生産と消費"
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"text": "日本のチーズ消費量は第二次世界大戦後から2000年頃までは急増を続け、その後は増減を繰り返しつつ微増傾向となった。2013年の日本のチーズ総消費量は295,000トンだった。かつて1968年には一人当たり年間消費量は130グラムと1 kgにも満たなかったものが、2010年には一人当たり2.0 kgとなり、2012年の一人当たりチーズ消費量も2.4 kgまで増加した。",
"title": "世界の生産と消費"
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"text": "チーズの消費促進に取り組む業界団体としてはチーズ普及協議会と日本輸入チーズ普及協議会がある。",
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"text": "日本で高品質の国産チーズづくりをめざす動きも広がっている。国内のチーズ工房は2018年で319ヵ所に増え、国際コンテスト「ワールドチーズアワード」で上位入賞するチーズ職人も現れている。国内では中央酪農会議が国産ナチュラルチーズ全国審査会を2年に1回開いており、2019年の第12回は過去最高の86工房200種類超の応募があった。生産者側の団体として、チーズプロフェッショナル協会がある。2019年11月には一般社団法人日本チーズ協会(JCA、「日本チーズ生産者の会」後継団体)が発足した。",
"title": "世界の生産と消費"
},
{
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"text": "チーズは腸と全体的な健康に寄与する可能性のある善玉菌であるプロバイオティクスの健康的な供給源である。通常、プロバイオティクスは、熟成されたがその後加熱されていないチーズに含まれている。これには、スイス、プロヴォローネ、ゴーダ、チェダー、エダム、グリュイエール、カッテージチーズなどのソフトチーズとハードチーズの両方が含まれる。専門家は、善玉菌はアレルギー、気分障害、関節炎などの多くの症状の改善に関連している可能性があると考えている。 チーズなどのプロバイオティクスを含む食品を食べると、この自然なバランスを取り戻すのに役立つ。チーズに関して唯一の注意は、それをやり過ぎないことである。チーズはカロリー、飽和脂肪、ナトリウムが多い傾向がある。",
"title": "健康"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "アンドリュー・ドルビー『チーズの歴史』(ブルース・インターアクションズ、2011年)ISBN 978-4-86020-426-6",
"title": "文献"
}
] | チーズとは、乳蛋白質であるカゼインの凝固によって、さまざまな風味、食感、形状で製造される乳製品である。 牛・水牛・羊・山羊・ヤクなど鯨偶蹄目の反芻をする家畜から得られる乳からの蛋白質と脂質で構成されている。通常、乳酸発酵で酸乳化し、酵素(レンネットまたは同様の活性を持つ細菌性酵素のいずれか)が添加され、できた凝乳(カード)から液体成分(ホエー)を分離してさらにプレスし脱水して完成したチーズとなる。酸乳化後固形分を濾しとる方法や、加熱(低温殺菌の温度まで)しクエン酸や食酢や柑橘果汁を添加し出来た固形分を濾しとる方法もある。 | {{otheruses}}
{{redirect|フロマージュ|その他|フロマージュ (曖昧さ回避)}}
[[File:Camembert.jpg|thumb|[[カマンベールチーズ]]]]
{{食事}}
{{栄養価/ナトリウム量未確認
| name=チーズ({{lang|en|pasteurized process, American, without added vitamin D}})
| water =39.61 g
| kJ =1553
| protein =18.13 g
| fat =31.79 g
| carbs =3.7 g
| fiber =0 g
| sugars =2.26 g
| calcium_mg =1045
| iron_mg =0.63
| magnesium_mg =26
| phosphorus_mg =641
| potassium_mg =132
| sodium_mg =1671
| zinc_mg =2.49
| manganese_mg =0.041
| selenium_μg =20.2
| vitC_mg =0
| thiamin_mg =0.015
| riboflavin_mg =0.234
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| folate_ug =8
| choline_mg =36.2
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| betacarotene_ug =80
| lutein_ug =0
| vitE_mg =0.8
| vitD_iu =23
| vitK_ug =2.6
| satfat =18.057 g
| monofat =8.236 g
| polyfat =1.286 g
| opt2n = [[コレステロール]]
| opt2v = 100 mg
| tryptophan =0.232 g
| threonine =0.772 g
| isoleucine =0.938 g
| leucine =1.716 g
| lysine =1.516 g
| methionine =0.475 g
| cystine =0.11 g
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| tyrosine =0.916 g
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| arginine =0.518 g
| histidine =0.546 g
| alanine =0.613 g
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| glutamic acid =4.073 g
| glycine =0.359 g
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| right=1
| source_usda=1
}}
'''チーズ'''({{Lang-en|cheese}})とは、乳蛋白質である[[カゼイン]]の凝固によって、さまざまな風味、食感、形状で製造される[[乳製品]]である。 [[ウシ|牛]]・[[スイギュウ|水牛]]・[[ヒツジ|羊]]・[[ヤギ|山羊]]・[[ヤク]]など[[鯨偶蹄目]]の[[反芻]]をする[[家畜]]から得られる[[乳]]からの蛋白質と脂質で構成されている。通常、[[乳酸発酵]]で酸乳化し、[[酵素]]([[レンネット]]または同様の活性を持つ細菌性酵素のいずれか)が添加され、できた[[カード (食品)|凝乳]]([[カード_(食品)|カード]])から液体成分([[ホエー]])を分離してさらにプレスし脱水して完成したチーズとなる<ref>{{cite web|title=Fankhauser's Cheese Page |first=David B. |last=Fankhauser |year=2007 |access-date=September 23, 2007 |url=http://biology.clc.uc.edu/fankhauser/Cheese/CHEESE.HTML |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20070925001225/http://biology.clc.uc.edu/Fankhauser/Cheese/CHEESE.HTML |archive-date=September 25, 2007 }}</ref>。酸乳化後固形分を濾しとる方法や、加熱(低温殺菌の温度まで)しクエン酸や食酢や[[柑橘]]果汁を添加し出来た固形分を濾しとる方法もある。
== 歴史 ==
{{main|チーズの歴史}}
チーズは伝統的に[[乳脂肪]]を分離した[[バター]]と並んで、家畜の乳からつくる[[保存食]]として[[牧畜]]文化圏で重要な位置を占めてきた。[[日本語]]や[[中国語]]での[[漢語]]表記は、[[北魏]]時代に編纂された『[[斉民要術]]』に記されている[[モンゴル高原]]型の乳製品加工の記述を出典とする'''乾酪'''(かんらく)である。
チーズがどのようにして発見されたのかは正確には定かではないが、「[[アラブ世界|アラブ]]の商人が[[羊]]の[[胃]]袋を干して作った[[水筒]]に山羊のミルクを入れて[[砂漠]]を旅していた途中に、砂漠の疲れとのどの渇きを癒そうと水筒を開けたところ、中からミルクではなく澄んだ水(乳清)と柔らかい白い塊(カード)がでてきた」というのが最初のチーズの発見であるという説が有力だとされていた<ref>[http://www.katsunuma-winery.com/soft_cheese_001.html No,001- チーズの歴史] - 勝沼醸造株式会社</ref><ref>[http://www.order-cheese.com/ais/os2/12.html チーズの歴史って?] - オーダーチーズ・ドットコム</ref>。
ところが、[[2012年]]になって紀元前5000年頃の世界最古のチーズ製造の痕跡(粘土製のチーズを濾すためのザル)が[[ポーランド]]の{{ill2|クヤヴィ|en|Kujawien}}で発見された<ref>{{Cite journal |last=Salque |first=Mélanie |last2=Bogucki |first2=Peter I. |last3=Pyzel |first3=Joanna |last4=Sobkowiak-Tabaka |first4=Iwona |last5=Grygiel |first5=Ryszard |last6=Szmyt |first6=Marzena |last7=Evershed |first7=Richard P. |date=2013-01 |title=Earliest evidence for cheese making in the sixth millennium bc in northern Europe |url=https://www.nature.com/articles/nature11698 |journal=Nature |volume=493 |issue=7433 |pages=522–525 |language=en |doi=10.1038/nature11698 |issn=0028-0836}}</ref><ref>[http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2916512/9989394?ctm_campaign=txt_topics 「7000年前にチーズ作り、土器に証拠発見] [[ネイチャー]][[フランス通信社|AFPBB]](2012年12月13日)2015年12月20日閲覧</ref><ref>[https://archive.is/20130112081050/mainichi.jp/feature/news/20121213reu00m030007000c.html 世界の雑記帳:7500年前にチーズ製造の証拠、土器から発見=研究][[ロイター]]/[[毎日新聞]](2012年12月13日)2019年11月11日閲覧</ref>。この{{ill2|スウィデリアン文化|en|Swiderian culture}}の道具は[[メソポタミア|メソポタミア文明]]よりも古く、チーズ製造が[[中東]]ではなくポーランドあたりの[[中央ヨーロッパ]]で始まった可能性を示唆している。この人類最古のチーズの原料は[[ヤギ]]の乳であり、また現在のポーランドでも、多くの種類の山羊乳チーズ(いわゆる[[シェーブルチーズ]])が存在する。
いずれにせよ、チーズは近東からヨーロッパにかけての地域に広まり、[[メソポタミア]]文明を築いた[[シュメール人]]をはじめ、[[古代ギリシア]]や[[ローマ帝国]]においても広く食用とされた。[[ホメロス]]の『[[オデュッセイア|オデッセイア]]』には[[フェタチーズ]]への言及があり、[[ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|プリニウス]]の『[[博物誌]]』や[[アリストテレス]]の著作にもチーズについての記述がある。ローマ帝国崩壊後もヨーロッパでのチーズ利用が衰退することはなく、逆に各地で特徴あるチーズが多数生産されるようになっていった。ヨーロッパでは特に、各地の[[荘園]]や[[修道院]]において特色あるチーズが生産されることが多かった。[[中世#ヨーロッパ|中世ヨーロッパ]]においては、チーズは脂肪分の多いものが珍重されており、そのため15世紀頃に[[ブルターニュ]]や[[オランダ]]、[[フランドル]]、[[イギリス]]などでバターの生産が盛んとなると、チーズの質では山岳地帯産のチーズのほうが名声を得るようになった<ref>ブリュノ・ロリウー著『中世ヨーロッパ 食の生活史』pp82-83 吉田春美訳 原書房 2003年10月4日第1刷</ref>。
ただし、チーズの利用はヨーロッパや中近東においては非常に盛んであったが、インドでは[[古代インド]]の讃歌集『[[リグ・ヴェーダ]]』にチーズを勧める歌があり、[[パニール]]などのフレッシュチーズは盛んに使用製造されたもののレンネット使用の熟成チーズはついに登場しなかった<ref>『チーズと文明』p61 ポール・キンステッド [[築地書館]] 2013年6月10日初版発行</ref>。日本や中国など[[東アジア]]地域においては[[鮮卑]]系の支配者など[[北アジア]]の[[遊牧民]]系の勢力によって度々導入されたものの安定して定着することはなかった。こうしたチーズ利用のない地域にチーズが普及するのは、ヨーロッパ勢力が各地に勢力を広げていく19世紀以降のこととなる。
19世紀半ばに入ると、工業的にナチュラルチーズが大量生産できるようになり、ヨーロッパや[[アメリカ大陸]]にチーズ工場が建設されるようになった。[[1874年]]には[[デンマーク]]でレンネットが工業的に量産できるようになり<ref>林弘通『20世紀乳加工技術史』p12 幸書房 2001年10月30日初版第1刷発行</ref>、[[1904年]]にはアメリカでプロセスチーズが開発され量産されるようになった<ref>林弘通『20世紀乳加工技術史』p161 幸書房 2001年10月30日初版第1刷発行</ref>。
日本においては東アジア全般の例にもれず、チーズ利用はほとんど存在しなかった。[[飛鳥時代]]の[[645年]]頃から[[乳牛]]の伝来と飼育が始まり、チーズの一種と考えられる[[蘇|{{読み仮名|蘇|そ}}]]または酥(そ)、および[[醍醐]]が製造されていた<ref name=広報>{{Cite web|和書|url=https://www.alic.go.jp/koho/kikaku03_000559.html|title=【業務関連情報】日本人とチーズ|publisher=独立行政法人[[農畜産業振興機構]]|accessdate=2015年12月23日}}</ref>。700年11月には朝廷が諸国に酥の製造を命じ、[[8世紀]]から[[10世紀]]にかけては酥の製造が継続したとされるが、[[平安時代]]末期頃から廃れた<ref>[http://www.j-milk.jp/kiso/rekishi/8d863s000003cfdw.html 「日本チーズ物語」]一般社団法人Jミルク(2015年12月20日閲覧)</ref>。[[明治時代]]以後も、チーズの独特の風味はあまり日本人に好まれず、普及にはさらに多くの時間がかかった。日本において初めてチーズが製造されたのは、[[1875年]]に[[北海道]][[開拓使]]においてであった。[[1933年]]には北海道の遠浅に日本における初めてのチーズ工場が設立された<ref>林弘通『20世紀乳加工技術史』p156 幸書房 2001年10月30日初版第1刷発行</ref>。チーズが本格的に普及するのは[[第二次世界大戦]]の終結後のことである。ただしこのチーズのほとんどは[[1951年]]頃に製造が始まった[[プロセスチーズ]]である。ナチュラルチーズは生産も消費もほとんどなかった。プロセスチーズの消費量は食生活の洋風化とともに急増を続けた。この急増には[[1970年代]]に普及が始まった[[ピザ]]や、[[1980年代]]に普及した[[チーズケーキ]]などのブームによる<ref name=広報/>。こうして初めてナチュラルチーズが受け入れられるようになった。
== 製法 ==
チーズの主な原料は乳の中にある[[タンパク質]]の一種[[カゼイン]]である。カゼインには[[分子]]中に[[親水性]]の部分と[[疎水性]]の部分があり、これが[[ミセル]]状となって[[液体]]中に浮遊するために乳は白く見える。この乳に[[乳酸菌]]を加えて[[水素イオン指数|pH]]を[[酸性]]に変え、さらに[[レンネット|レンネット(凝乳酵素)]]を投入してカゼイン分子の親水性の部分を[[加水分解]]により切り離すと、カゼイン分子は繊維状に連鎖して集合して[[沈殿]]し始める。これを[[凝乳]]と言う<ref name=NEWTONPRESS2013-1>{{Cite journal|和書|author = |year = 2013|month = 1|title = 【チーズ】味や香りのちがいとは?どうやってつくられる?|journal = [[ニュートン (雑誌)|ニュートン]]|publisher = 株式会社ニュートンプレス|volume = 33|number = 1|pages = 120-121}}</ref>。凝乳には上記の[[乳酸発酵]]と[[タンパク質分解酵素]]によるもののほか、酸性化を[[酢|食酢]]や[[レモン]]汁などといった[[酸]]の直接添加、沈殿生成を加熱による[[変性]]によっても同じことができ、この乳酸発酵、酸の添加、タンパク質分解[[酵素]]添加、加熱の組み合わせが主要な凝乳生成手段となっている。
凝乳したカゼインは繊維状の集合体が熱運動によって収縮することで水及び水溶性成分と分離して[[沈殿]]し、乳は[[乳清|ホエイ(乳清)]]という液体部分と[[カード (食品)|カード]]という沈殿物とに分かれる。このカード部分を取り出したものがチーズの原形([[フレッシュチーズ]])となる<ref name=NEWTONPRESS2013-1 />。フレッシュチーズとして販売される場合はここで製造は完了であるが、それ以外のチーズにおいてはこの後、加塩や微生物による[[熟成]]工程を経て様々な種類のチーズが作られることとなる<ref name=NEWTONPRESS2013-1 />。
カード部分は必要に応じて切ってさらにホエイを排出させた後、型や枠に入れて固め、塩をすり込んだり塩水に漬けたりして加塩したのち、冷暗所において熟成させる。チーズの種類はこの熟成工程で決まる。フレッシュチーズ内にある乳酸菌の活動によって、[[乳糖]]は[[乳酸]]に、タンパク質は[[アミノ酸]]に、[[脂肪]]は[[脂肪酸]]などに[[分解]]され、そこからさらに様々な成分が生成される。ここに[[プロピオン酸菌属]]などの[[細菌]]や[[カビ]]などを添加して多様な作用を生じさせる事で各種のチーズがつくられる<ref name=NEWTONPRESS2013-1 />。この加工時に加温・加圧などの工程を加えて保存性を高めるなどの工夫が凝らされている。
== 種類 ==
チーズの原料には様々な種類の乳が使用できるが、主な原料となるのは[[ウシ]](牛乳)、[[ヒツジ]]、[[ヤギ]]の3種の動物の乳である<ref>木村則生『プロフェッショナル・チーズ読本 プロが教えるチーズの基本知識から扱い方まで』p38 誠文堂新光社 2011年11月30日発行</ref>。なかでも最も広く使用されるのはウシの乳であり、市中に出回っているチーズの原料は特に指定がない限りほとんどの場合は牛乳である。ヒツジの乳は脂肪分が多いため濃厚な味わいが特徴とされる。また、ヤギの乳は特有の臭いがあるものの、これも広く好まれるチーズの一つである。このほかにも[[スイギュウ]]や[[ヤク]]などからチーズが作ることができる。また、[[ラクダ]]の乳は脂肪の構造がウシなどとは異なるためチーズを作ることは困難ではあるが可能ではあり、その希少性ゆえにラクダチーズは高級品として高く評価されていた<ref>「アラブ世界のラクダ乳文化」p74 堀内勝/『乳利用の民族誌』所収 雪印乳業株式会社健康生活研究所編 石毛直道・和仁皓明編著 [[中央法規出版]] 1992年3月10日初版発行</ref>。[[アラブ首長国連邦]]の[[ドバイ]]では世界で初めて商業的にラクダチーズを生産販売する会社が現れ、世界各地への売り込みを図っている<ref>[http://www.cnn.co.jp/business/35056198.html 話題の「ラクダ」食品、世界に売り込み][[CNN (アメリカの放送局)|CNN]](2014年11月6日)2015年10月30日閲覧</ref>
=== チーズの分類 ===
原料や加工法によってチーズは細かく分類され<ref>[http://www.j-milk.jp/tool/kiso/berohe0000004ak6.html 牛乳・乳製品の知識 第3章 乳製品のはなし(日本酪農乳業協会)]</ref>、1000種類以上あるとされる<ref name=NEWTONPRESS2013-1 />。
チーズは基本的に、[[ナチュラルチーズ]]と[[プロセスチーズ]]の二つに区分できる。ナチュラルチーズは牛乳から直接作られる。これに対し、プロセスチーズはいったん生成されたナチュラルチーズを溶かし、それを再び乳化剤を添加して固めて作られる。プロセスチーズは溶解時に加熱殺菌されているため発酵が止まっており、長期保存が可能である<ref>[https://www.meg-snow.com/cheeseclub/knowledge/jiten/shurui/p-cheese/ プロセスチーズ][[雪印メグミルク]](2015年12月20日閲覧)</ref>。
ナチュラルチーズの分類にはいくつもの方法があるが、一般的なものとしては[[フレッシュチーズ]]、[[白かびチーズ]]、[[ウォッシュチーズ]]、[[シェーブルチーズ]](山羊乳チーズ)、[[ブルーチーズ]]、[[半硬質チーズ]]、硬質チーズ([[ハードチーズ]])、[[超硬質チーズ]]の8種類に区分できる。これは外観や硬さによる分類である。シェーブルチーズが独立した分類となっているのは、ウシやヒツジの乳とは異なり、ヤギの乳の成分は、レンネットでは凝固できない。よって、シェーブルチーズはあまり大きくすることができず、小さなものが多い。
フレッシュチーズは基本的に熟成させないが、軽く熟成させるタイプも存在する。フレッシュチーズは生鮮食品であり、できたてが最もおいしく、数日以内に食されるものである。味は熟成工程を経ないために原料であるミルクの味が強く、酸味が強いものが多いのが特徴である。白かびチーズ(ホワイトチーズ)は外皮に白[[カビ]]を植え付けて熟成させたもので、軟らかく、クリーミーな味わいが特徴である。また、チーズの表面に塩水を吹き付けるタイプのチーズがウォッシュチーズである。青カビチーズ(ブルーチーズ)は白カビチーズとは逆に、内部に青かびを植え付けて熟成させるもので、そのため内部にも青かびの菌糸が入り込んでいるのが特徴である。味としては刺激があり、また塩分の強いものが多い。半硬質・硬質・超硬質チーズはいずれもプレスしてホエイをよく抜いた後熟成させるのが特徴であり、そのため大型で保存性もよい<ref>松成容子編『チーズポケットブック 2007~2008年版』p126 旭屋出版 2006年11月22日初版発行</ref>。
また、こうしたチーズの分類とは別に、完成したチーズに様々なフレーバーを添加することも広く行われ、フレーバーチーズという一つの区分となっている。フレーバーチーズの中で最もよく知られるものは[[スモークチーズ]]である。これは生成されたチーズを[[燻製]]の製法と同様に燻したものであり、ナチュラルチーズでもプロセスチーズでも作られる。このほかに、素材であるカードそのものにフレーバーを添加して作るもの、生成したチーズの外側にフレーバーをかけたりつけたりするもの、生成したチーズをほぐしてフレーバーを混ぜ込み、再び成形するものがある。フレーバーとして添加されるものは各種[[ハーブ]]や[[香辛料|スパイス]]、[[ニンニク]]、[[ナッツ]]類、[[ドライフルーツ]]などがある<ref>ジュリエット・ハーバット監修『世界チーズ大図鑑』p22-23 柴田書店 2011年1月25日初版発行</ref>。添加されたフレーバーによって様々な場面で使用され、特にナッツやドライフルーツを添加されたものは[[デザート]]として多用される。
{| class="wikitable"
|+チーズの分類
!colspan="4"|分類 !! 特徴と主な種類
|-
!rowspan="9" nowrap|[[ナチュラルチーズ]]<br/>(加熱処理されていないもの)
|rowspan="4"|軟質チーズ||rowspan="2"|[[フレッシュチーズ]]||熟成させない||[[モッツァレラチーズ]]([[イタリア]])、[[クリームチーズ]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]])など。
|-
|軽く熟成させる||{{Flatlist|class=hlist-comma|*[[トゥファルクチーズ]]({{Lang|pl|Twaróg}}、ポーランド)
* [[クワルク]]({{Lang|de|Quark}}、[[ドイツ]])}}など。
|-
|rowspan="3" nowrap|(熟成させるチーズ)||[[白かびチーズ]]<br/>(ホワイトチーズ)||表面に白かびを植えつけて熟成させるもの。<br/>[[カマンベールチーズ]]([[フランス]])など。
|-
|[[ウォッシュチーズ]]||表面に菌を植え付けて熟成させ、同時にそれを[[ワイン]]や塩水などで洗い流す過程を経たもの。
|-
|nowrap|[[シェーブルチーズ]]<br/>(山羊乳チーズ)||山羊の乳を原料とするもの。||
* {{仮リンク|ブリンザチーズ|en|Bryndza}} ({{Lang|ro|Bryndza}})
* {{仮リンク|オスツィペックチーズ|en|Oscypek}} ({{Lang|pl|Oscypek}})
* {{仮リンク|オシュチペックチーズ|en|Oscypek}} ({{Lang|pl|Oszczypek}})
* {{仮リンク|ゴウカチーズ|en|Gołka}} ({{Lang|pl|Gołka}})
* {{仮リンク|レディコウカチーズ|en|Redykołka}} ({{Lang|pl|Redykołka}})
* {{仮リンク|ブンツチーズ|en|Bundz}} ({{Lang|pl|Bundz}})
など。いずれもポーランド。
|-
|colspan="2" rowspan="2"| 半硬質チーズ(セミハードチーズ)||[[ブルーチーズ]]<br/>(青かびチーズ)||内部に青かびを植えつけて熟成させるもの。
|-
|(その他菌による熟成)||[[ゴーダチーズ]]([[オランダ]])など。
|-
|colspan="3"|硬質チーズ([[ハードチーズ]])||[[チェダーチーズ]]([[イギリス]])など。
|-
|colspan="3"|超硬質チーズ||[[パルミジャーノ・レッジャーノ]]など。
|-
!colspan="4"|[[プロセスチーズ]]
|加熱・溶解させることで[[発酵]]を止め、長期保存に適した状態にしたもの。
|}
=== おもなチーズ ===
以下は比較的よく消費されているチーズの主要産地別一覧である。さらに詳細なリストは[[チーズの一覧]]を参照のこと。
; [[アイスランド]]({{lang-is|ostur}})
:* [[スキール]](フレッシュ)
; [[アイルランド]]
:* [[ポーター (チーズ)|ポーター]](ハード)
:
;[[アメリカ合衆国]]({{lang-en-short|cheese}})
:* [[カッテージチーズ]](フレッシュ)
:
:*[[チーズカード]](フレッシュ)
:* [[クリームチーズ]](フレッシュ)
:* [[コルビーチーズ]](セミハード)
:* [[チェダーチーズ]](セミハード)
:* [[モントレー・ジャック]](セミハード)
:* [[プロセスチーズ|アメリカンチーズ]](プロセス)
:
;[[イギリス]]({{lang-en-short|cheese}})
:* [[チェダーチーズ]](セミハード)
:* [[カッテージチーズ]](フレッシュ)
:* [[スティルトン|スティルトンチーズ]](ブルー)
:
;[[イタリア]]({{lang-it-short|formaggio}})
: [[ファイル:Formaggi.JPG|thumb|right|200px|イタリアの市場で撮影]]{{Main|イタリアのチーズ}}
:* [[ロマーノチーズ]](ハード)
:* [[モッツァレッラ]](フレッシュ)
:* [[パルミジャーノ・レッジャーノ]](ハード)
:* [[ゴルゴンゾーラ]](ブルー)
:* [[リコッタ]](フレッシュ)
:* [[プロヴォローネ|プロボローネ]](セミハード)
:* [[ペコリーノ]](ハード)
:* [[マスカルポーネ]](フレッシュ)
:* [[カース・マルツゥ]](フレッシュ)
:* [[ストラッキーノ]]
:
;[[インド]]({{lang-hi|पनीर}})
:* [[パニール]]/チェーナー(フレッシュ)
:
;[[オランダ]]({{lang-nl-short|kaas}})
:* [[ゴーダチーズ]](セミハード)
:* [[エダムチーズ]](セミハード)
:
;[[ギリシャ]]({{lang-el-short|Τυρί}})
:* [[フェタチーズ]](フレッシュ)
:
;[[スイス]]({{lang-fr-short|fromage}})
: [[ファイル:Cheese market Basel.jpg|thumb|200px|スイスの[[バーゼル]]のチーズマーケットで撮影]]
:* [[エメンタールチーズ]](セミハード)
:* [[グリュイエールチーズ]](セミハード)
:* [[ラクレット]](ハード)
:
;[[スペイン]]({{lang-es-short|queso}})
:* [[ケソ・マンチェゴ]]
:
;[[中華人民共和国]]({{lang-zh-short|奶酪}}、{{lang|zh|乾酪}}、{{lang|zh|干酪}})
:* [[ルーシャン]]
:
;[[デンマーク]]({{lang-da-short|ost}})
:* [[ダナブルー]](ブルー)
:
;[[ドイツ]]({{lang-de-short|Käse}})
:* [[クワルク]](フレッシュ)
:
;[[ブラジル]]({{lang-pt-short|queijo}})
:* [[カトゥピリ]](ソフト)
:
;[[フランス]]({{lang-fr-short|fromage}})
: [[ファイル:Cormeilles Market 9 Artlibre jnl.jpg|right|200px|thumb|フランスの市場での販売風景]]{{Main|フランスのチーズ}}
:* [[コンテチーズ|コンテ]](ハード)
:* [[カマンベールチーズ]](白カビ)
:* [[ブリーチーズ]](白カビ)
:* [[ロックフォール (チーズ)|ロックフォール]](ブルー)
:* [[ポン・レヴェック (チーズ)|ポン・レヴェック]](ウォッシュ)
:* [[モン・ドール]](ウォッシュ)
:* [[ヴァランセ (チーズ)|ヴァランセ]](シェーブル)
:
;[[ルーマニア]]({{lang-ro|brânză}})
:* [[ウルダ (食品)|ウルダ]](フレッシュ)
:
;その他
:* [[蘇]]
:* [[ストリングチーズ]]
<gallery>
File:Twarog.jpg|トゥファルクチーズ
File:Camembert.jpg|カマンベール
File:Emmentaler.jpg|[[エメンタールチーズ|エメンタール]]([[スイス]]の穴あきチーズ)
File:Washed-rind cheese.jpg|ウォッシュチーズ
File:Chleb z bryndza.jpg|ブリンザチーズ
File:Oscypki.jpg|オスツィペックチーズ
File:Gołka.jpg|ゴウカチーズ
File:ポーター(cheese).jpg|ポーター
</gallery>
== 用途 ==
直接食用とする。ヨーロッパの[[フランス料理]]や[[イタリア料理]]では、[[レストラン]]のみならず、各家庭の日常の食事においても、チーズは主菜の後と[[デザート]]の前の間の口直しとして供される。[[ワイン]]を共に味わう場合、チーズによってそれまでの主菜と比べてワインの口当たりの変化が楽しめる。前菜として出て来る場合は[[サラダ]]の素材として供される。ただしイタリア料理の場合、[[モッツァレラ]]チーズはそのまま前菜(アンチパスト)として供することもある。また居酒屋(仏[[ブラッスリー]]、伊トラットリア)などではチーズ盛り合わせ(チーズプラター)といった単品メニューのみをオーダーすることもできる。
[[イタリア料理]]([[パルミジャーノ・レッジャーノ|パルミジャーノ・レッジャーノチーズ]]や[[モッツァレッラ|モッツァレラチーズ]])や[[テクス・メクス料理]]([[チェダーチーズ]]、[[モントレー・ジャック]])など、チーズが欠かせない料理もある。
[[インド]]では、[[菜食主義|菜食主義者]]の割合が多く、[[菜食主義]]者は動物の殺生の回避を目的としているため[[鶏卵]]も食べない。そのため多くの人が[[乳製品]]から[[タンパク質]]を補給する。フレッシュチーズの[[パニール]]を使った料理が豊富である。[[インド料理]]の菜食のメニューの半数程はパニールか[[ダヒ]]([[ヨーグルト]])を使っている。
ナチュラルチーズは熱を加えると[[カゼイン]]のアミノ酸の鎖が絡まることで溶けた状態になる。溶けたチーズをかける[[ラクレット]]は[[スイス]]や[[フランス]]の、溶かしたチーズを具につけて食べる[[チーズフォンデュ]]は[[スイス]]の名物である。プロセスチーズのように一度溶けたチーズは鎖が切れるためそれ以上溶けなくなる<ref>{{Cite web|和書|title=チーズ {{!}} 食育レシピ|meiji - Meiji Co., Ltd.|url=https://www.meiji.co.jp/meiji-shokuiku/shokuikurecipe/iroha/advance/dairy/05/|website=明治の食育|株式会社 明治 - Meiji Co., Ltd.|accessdate=2020-08-25|language=ja}}</ref>。
[[中華人民共和国|中国]]にも、[[チベット]]の[[ヤク]]のチーズや、料理に用いられる[[ルーシャン]]や[[大良牛乳]]などの特殊なチーズがある。
日本においては[[竹輪|ちくわ]]や[[蒲鉾|かまぼこ]]などにも練り込まれることがある。[[和菓子]]とも相性はよく、[[煎餅]]などによく使用される。チーズ類を使った煎餅類はメーカーによっては「チーズおかき」と呼ばれる場合もある。
そのほか、[[パン]]にそのまま練り込まれたり、[[サンドイッチ]]の具や[[ピザ]]、[[ハンバーグ]](チーズトッピングとチーズインがある)に使われたりもされる。[[パスタ]]にも[[粉チーズ]]を食前に適量振りかけたり、また[[カルボナーラ]]パスタ等のようなチーズを利用したりした[[パスタ]]料理が多数存在する。そのほかチーズ使用[[料理]]は非常に多数にのぼる。チーズをそのまま使用するだけでなく、スプレー缶に封入されて食品に吹き付けて使う[[イージーチーズ]]などもある。[[菓子]]としても、[[チーズケーキ]]をはじめとする[[ケーキ]]や、[[ビスケット|クッキー]]、[[クラッカー (食品)|クラッカー]]等にも使用され、クラッカーは[[クリームチーズ]]等を載せて食することもある。
== アナログチーズ ==
厳密にはチーズを名乗れないが、チーズの乳脂肪を植物性脂肪に、乳[[タンパク質|たんぱく]]を[[ダイズ|大豆]]たんぱくなどに一部もしくは全部を置き換えた[[コピー食品]]として[[アナログチーズ]](代替チーズ)がある。乳製品を一切含まないものもある。原料コストを抑えられ、[[ドイツ]]では年間10万トンが生産されている。日本でも2007-2008年の原料乳価格高騰で注目された。本来のチーズと比べて[[コレステロール]]が低い、種類によっては[[牛乳]][[アレルギー]]患者や[[ヴィーガニズム|ヴィーガン]](動物性食品を全く摂取しないベジタリアン)でも食べられるなどの利点がある。
== 世界の生産と消費 ==
{{Start col-float|width=31em}}
{|class="wikitable" style="width:30em;"
|+ 2011年のチーズ10大生産国 (トン)<ref name="faostat3.fao.org">[[UN Food & Agriculture Organisation]] ([[国際連合食糧農業機関|FAO]])''[http://faostat3.fao.org/home/index.html#SEARCH_DATA]</ref>
|-
| 世界総計 || style="text-align:right;" |
|-
| {{USA}} || style="text-align:right;"| 5,162,730
|-
| {{GER}} || style="text-align:right;"| 2,046,250
|-
| {{FRA}} || style="text-align:right;"| 1,941,750
|-
| {{ITA}} || style="text-align:right;"| 1,132,010
|-
| {{NED}} || style="text-align:right;"| 745,984
|-
| {{POL}} || style="text-align:right;"| 650,055
|-
| {{EGY}} || style="text-align:right;"| 644,500
|-
| {{RUS}}|| style="text-align:right;"| 604,000
|-
| {{ARG}} || style="text-align:right;"| 580,300
|-
| {{CAN}} || style="text-align:right;"| 408,520
|}
{{Col-float-break|width=31em}}
{|class="wikitable" style="width:30em;"
|-
|+ 2010年のチーズ10大輸出国 (USドル)<ref name="faostat3.fao.org"/>
|-
| 世界総計 || style="text-align:right;"| 25,207,664
|-
| {{GER}} || style="text-align:right;"| 3,995,010
|-
| {{FRA}} || style="text-align:right;"| 3,534,620
|-
| {{NED}} || style="text-align:right;"| 3,239,085
|-
| {{ITA}} || style="text-align:right;"| 2,201,038
|-
| {{DEN}} || style="text-align:right;"| 1,350,514
|-
| {{NZL}}|| style="text-align:right;"| 1,041,534
|-
| {{BEL}} || style="text-align:right;"| 792,887
|-
| {{IRL}} || style="text-align:right;"| 743,818
|-
| {{USA}} || style="text-align:right;"| 701,854
|-
| {{AUS}} || style="text-align:right;"| 682,834
|}
{{Col-float-break|width=31em}}
{|class="wikitable" style="width:30em;"
|-
|+ 2010年のチーズ10大輸出国 (トン)<ref name="faostat3.fao.org"/>
|-
| 世界総計 || style="text-align:right;"| 5,442,982
|-
| {{GER}} || style="text-align:right;"| 1,008,991
|-
| {{NED}} || style="text-align:right;"| 681,522
|-
| {{FRA}} || style="text-align:right;"| 639,047
|-
| {{NZL}}|| style="text-align:right;"| 277,758
|-
| {{ITA}} || style="text-align:right;"| 272,281
|-
| {{DEN}} || style="text-align:right;"| 262,989
|-
| {{KSA}} || style="text-align:right;"| 237,237
|-
| {{IRL}} || style="text-align:right;"| 178,095
|-
| {{USA}} || style="text-align:right;"| 175,216
|-
| {{BEL}} || style="text-align:right;"| 162,268
|}
{{Col-float-break|width=31em}}
{|class="wikitable" style="width:30em;"
|-
|+ 2010年のチーズ10大輸入国 (USドル)<ref name="faostat3.fao.org"/>
|-
| 世界総計 || style="text-align:right;"| 24,281,661
|-
| {{GER}} || style="text-align:right;"| 3,451,310
|-
| {{ITA}} || style="text-align:right;"| 1,997,236
|-
| {{UK}} || style="text-align:right;"| 1,909,123
|-
| {{FRA}} || style="text-align:right;"| 1,399,401
|-
| {{RUS}} || style="text-align:right;"| 1,319,892
|-
| {{BEL}} || style="text-align:right;"| 1,298,907
|-
| {{SPA}} || style="text-align:right;"| 1,101,922
|-
| {{USA}} || style="text-align:right;"| 1,003,147
|-
| {{JPN}} || style="text-align:right;"| 935,562
|-
| {{NED}} || style="text-align:right;"| 864,789
|-
|}
{{Col-float-break|width=31em}}
{|class="wikitable" style="width:30em;"
|-
|+ 2010年のチーズ10大輸入国 (トン)<ref name="faostat3.fao.org"/>
|-
| 世界総計 || style="text-align:right;"| 5,084,705
|-
| {{GER}} || style="text-align:right;"| 608,220
|-
| {{ITA}} || style="text-align:right;"| 472,155
|-
| {{UK}} || style="text-align:right;"| 439,497
|-
| {{RUS}} || style="text-align:right;"| 294,183
|-
| {{FRA}} || style="text-align:right;"| 275,464
|-
| {{BEL}} || style="text-align:right;"| 274,424
|-
| {{SPA}} || style="text-align:right;"| 242,652
|-
| {{NED}} || style="text-align:right;"| 216,408
|-
| {{JPN}} || style="text-align:right;"| 199,080
|-
| {{USA}} || style="text-align:right;"| 138,326
|-
|}
{{Col-float-break|width=31em}}
{|class="wikitable sortable" style="width:30em;"
|+ 年間一人当たりの総チーズ消費量の多い国(2011年)<ref>{{cite web|url=http://www.dairyinfo.gc.ca/index_e.php?s1=dff-fcil&s2=cons&s3=consglo&page=tc-ft|title=Total and Retail Cheese Consumption – Kilograms per Capita|publisher=Canadian Dairy Information Centre|accessdate=May 20, 2013}}</ref>
|-
!国
! kg
|-
| {{FRA}} || 26.3
|-
| {{flag|Iceland}} ||24.1
|-
| {{GRE}} || 23.4
|-
| {{GER}} ||22.9
|-
| {{FIN}} || 22.5
|-
| {{ITA}} || 21.8
|-
| {{SUI}} || | 20.8<ref>Switzerland Cheese Marketing AG, [http://www.switzerland-cheese.ch/fr/mediasimages/communiques-de-presse/news-detail/news/unveraendert-hoher-pro-kopf-konsum-von-kaese/154.html Consommation de fromage par habitant en 2012]</ref>
|-
| {{AUT}} ||19.9
|-
| {{NED}} || 19.4
|-
| {{TUR}} || | 19.2<ref>USDA, Food and Agricultural Organization, [http://www.statisticbrain.com/cheese-statistics/ Cheese Statistics]</ref>
|-
| {{SWE}} || 19.1
|-
| {{NOR}} ||17.4
|-
| {{flag|Czech Republic}} || 16.3
|-
| {{ISR}} || 16.1
|-
| {{USA}} || 15.1
|-
| {{CAN}} || 12.3
|-
| {{AUS}} || 11.7
|-
| {{ARG}} || 11.5
|-
| {{POL}} || 11.4
|-
| {{HUN}} || 11.0
|-
| {{UK}} || 10.9
|}
{{Col-float-end}}
2011年に世界で最もチーズを生産していた国は[[アメリカ合衆国]]であり、次いで[[ドイツ]]、[[フランス]]、[[イタリア]]、[[オランダ]]、[[ポーランド]]、[[エジプト]]、[[ロシア]]、[[アルゼンチン]]、[[カナダ]]の順となっている。
一方、チーズの輸出においてはアメリカの順位はかなり後退する。輸出額ベースにおけるチーズ最大輸出国はドイツであり、以下フランス、オランダ、イタリア、[[デンマーク]]、[[ニュージーランド]]、[[ベルギー]]、[[アイルランド]]、アメリカ、[[オーストラリア]]の順となる。また、輸出量ベースにおいてもドイツが一位となり、以下オランダ、フランス、ニュージーランド、イタリア、デンマーク、[[サウジアラビア]]、アイルランド、アメリカ、ベルギーの順となっている。
チーズの輸入においても、ドイツは質量ともに一位を占めている。輸入額ベースにおいてはドイツ、イタリア、[[イギリス]]、フランス、[[ロシア]]、ベルギー、[[スペイン]]、アメリカ、[[日本]]、オランダの順となっている。また、輸入量ベースにおいてはドイツ、イタリア、イギリス、ロシア、フランス、ベルギー、スペイン、オランダ、日本、アメリカの順となる。
チーズ貿易においてはドイツは輸出入ともに世界最大であり、イタリアやベルギーも輸出入ともに多い。フランスは輸入も多いが、輸出はそれ以上に多い。オランダはその傾向がさらに顕著で、チーズ生産は輸出にかなり軸足を置いたものとなっている。デンマークやニュージーランド、アイルランドもチーズ輸出がチーズ生産のかなりの割合を示す。こうした国々に対し、チーズのかなりを輸入に頼っているのはイギリスである。ロシアやスペイン、日本もチーズ貿易においては輸入を主とする。
一人あたりのチーズ消費量は、チーズを利用する文化が古くから根付いていたヨーロッパ諸国や[[地中海世界|地中海諸国]]、および[[ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化|そこから分派した]][[新大陸]]の諸国がランキングの上位を占めている。2011年において最も一人当たり年間チーズ消費量が多かった国はフランスであり、一人当たり1年間に26.3kgのチーズを消費していた。これに次ぐのが[[アイスランド]]、次いで[[ギリシャ]]であり、以下ドイツ、[[フィンランド]]、イタリア、[[スイス]]、[[オーストリア]]、オランダ、[[トルコ]]、[[スウェーデン]]、[[ノルウェー]]、[[チェコ]]、[[イスラエル]]、アメリカ、[[カナダ]]、[[オーストラリア]]、アルゼンチン、ポーランド、[[ハンガリー]]、イギリスの順となっている。
=== 日本 ===
日本においては、1970年代末から、生産過剰となっていた牛乳の需要拡大策として、[[農林水産省]]が国産チーズ振興政策に取り組み始めた。[[よつ葉乳業]]など大手乳製品メーカーが工場を建設したほか、少量生産の[[工房]]が開業するようになった<ref name="農業新聞論説">【論説】国産チーズ新局面 需要創造と所得支援を『[[日本農業新聞]]』2019年11月15日(3面)</ref>。ナチュラルチーズも39,000トン(2005年)ほど生産されているが、生産量は国内消費量の15%弱に過ぎず、大半は輸入に頼っている<ref>松成容子編『チーズポケットブック 2007~2008年版』p25 旭屋出版 2006年11月22日初版発行</ref>。毎年多くのナチュラルチーズが輸入され、国内でプロセスチーズに加工されたり、そのまま消費される。[[2018年]]のナチュラルチーズの最大輸入相手国はオーストラリアであり、82,935トンが輸入されている。ついでニュージーランドが62,214トンである。3位はアメリカの32,944トンである。以下はドイツ、イタリア、オランダ、デンマーク、アルゼンチン、フランスの順となっている<ref name=普及>{{Cite web|和書|url=http://www.jic.gr.jp/data.html|title=チーズの統計|publisher=日本輸入チーズ普及協会|accessdate=2015年12月23日}}</ref>。2019年2月に発効した[[日本・EU経済連携協定]](日欧EPA)ではソフトチーズの輸入枠拡大と[[関税]]引き下げが実施された<ref>[https://www.agrinews.co.jp/p48342.html 「日欧EPA半年 国内市場に浸透 チーズ、ワイン2割超増」]『日本農業新聞』2019年8月1日(2019年11月20日閲覧)</ref>。
日本のチーズ消費量は[[第二次世界大戦]]後から[[2000年]]頃までは急増を続け、その後は増減を繰り返しつつ微増傾向となった<ref name=普及/>。2013年の日本のチーズ総消費量は295,000トンだった<ref name=普及/>。かつて1968年には一人当たり年間消費量は130グラムと1 kgにも満たなかったものが<ref>林弘通『20世紀乳加工技術史』p31 幸書房 2001年10月30日初版第1刷発行</ref>、2010年には一人当たり2.0 kgとなり<ref name=広報/>、2012年の一人当たりチーズ消費量も2.4 kgまで増加した<ref name=普及/>。
チーズの消費促進に取り組む[[業界団体]]としてはチーズ普及協議会と日本輸入チーズ普及協議会がある<ref>「国産消費もっと 東京でチーズフェスタ」『日本農業新聞』2019年11月12日(7面)</ref>。
日本で高品質の国産チーズづくりをめざす動きも広がっている。国内のチーズ工房は2018年で319ヵ所に増え、国際コンテスト「ワールドチーズアワード」で上位入賞するチーズ職人も現れている。国内では[[中央酪農会議]]が国産ナチュラルチーズ全国審査会を2年に1回開いており、2019年の第12回は過去最高の86工房200種類超の応募があった<ref name="農業新聞論説"/>。生産者側の団体として、[[チーズプロフェッショナル協会]]がある<ref>「国産チーズ 世界へ飛躍/国際コンテストに初の本格出品◀栃木の工房、ベスト16に◀東京からも参加/全国の作り手、5年で1.3倍」『[[日経MJ]]』2019年11月10日(12面)</ref>。2019年11月には[[一般社団法人]]日本チーズ協会(JCA、「日本チーズ生産者の会」後継団体)が発足した<ref>[https://www.agrinews.co.jp/p49126.html 「日本チーズ協会発足へ 認証事業で国産身近に/輸入攻勢 品質で対抗」]『日本農業新聞』2019年10月31日(2面)2019年11月11日閲覧</ref>。
== 健康 ==
{{main|善玉菌|プロバイオティクス}}チーズは[[腸内細菌|腸]]と全体的な[[健康]]に寄与する可能性のある[[善玉菌]]である[[プロバイオティクス]]の健康的な供給源である。通常、プロバイオティクスは、熟成されたが'''その後[[加熱殺菌|加熱]]されていない'''チーズに含まれている。これには、[[スイスチーズ|スイス]]、[[プロヴォローネ]]、[[ゴーダチーズ|ゴーダ]]、[[チェダーチーズ|チェダー]]、[[エダムチーズ|エダム]]、[[グリュイエールチーズ|グリュイエール]]、[[カッテージチーズ]]などのソフトチーズと[[ハードチーズ]]の両方が含まれる。専門家は、善玉菌はアレルギー、気分障害、関節炎などの多くの症状の改善に関連している可能性があると考えている。 チーズなどのプロバイオティクスを含む食品を食べると、この自然なバランスを取り戻すのに役立つ。チーズに関して唯一の注意は、それをやり過ぎないことである。チーズは[[カロリー]]、[[飽和脂肪酸|飽和脂肪]]、[[塩|ナトリウム]]が多い傾向がある<ref>{{Cite web|title=Is cheese a healthy source of probiotics?|url=https://www.health.harvard.edu/staying-healthy/is-cheese-a-healthy-source-of-probiotics|website=Harvard Health|accessdate=2021-01-22|first=Harvard Health|last=Publishing}}</ref>。
== チーズに関連する道具 ==
{{seealso|チーズナイフ}}
<gallery>
Image:Kaesemesser weißer Griff-2.jpg|[[チーズナイフ]]
File:Cheese planes.jpg|チーズスライサー
File:Tagliagrana.jpg|堅いチーズ用のパルメザンナイフ
File:Girolle 7910.jpg|ジロール(Girolle)
File:Kaesehobel 01 09.jpg|Cheese plane
ファイル:Cheese Grater.jpg|チーズグレーター
File:Zester.jpg|チーズグレーター
</gallery>
== 表彰 ==
*[[ギネス世界記録]]
**現存する最古のチーズは、エジプトにある紀元前13世紀の{{ill2|プタハメスの墓|en|Tomb of Ptahmes}}から発掘されたものとしている<ref>{{Cite web |url=https://www.guinnessworldrecords.com/world-records/538955-oldest-cheese |title=Oldest cheese |access-date=2023-06-17 |website=Guinness World Records |language=en-gb}}</ref>。科学ジャーナルAnalytical Chemistryで著者は、「これまでに発見された考古学的な残留物のなかで、おそらくもっとも古い固形のチーズ」と評している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gizmodo.jp/2018/08/3200-year-old-cheese.html |title=3200年モノのチーズ、危険な細菌まみれだった |access-date=2023-06-17 |last=Inc |first=mediagene |date=2018-08-28 |website=www.gizmodo.jp |language=ja}}</ref>。
**最大展示数は、2016年9月23日のフランスのナンシーで行われた展示会で730種類<ref>{{Cite web |url=https://www.guinnessworldrecords.com/world-records/396491-largest-display-of-cheese-varieties |title=Largest display of cheese varieties |access-date=2023-06-17 |date=2016-09-23 |website=Guinness World Records |language=en-gb}}</ref>。
*{{ill2|インターナショナル・チーズ・アワード|en|International Cheese Awards}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 文献 ==
アンドリュー・ドルビー『チーズの歴史』(ブルース・インターアクションズ、2011年){{ISBN2|978-4-86020-426-6}}
== 関連項目 ==
{{Commons|Cheese}}
* 各国のチーズ
** [[イタリアのチーズ]]
** [[フランスのチーズ]]
* [[バター]]
* [[ヨーグルト]]
* [[食物アレルギー]]
* {{ill2|ヴィーガンチーズ|en|Vegan cheese}} - 大豆などを使った植物素材から作られたチーズ代用品
* {{仮リンク|ガバメントチーズ|en|Government cheese}} - アメリカ政府が第二次世界大戦後以降に余った牛乳から作り、保管・配布・売却しているチーズ。
* [[保護原産地呼称]]、[[原産地名称保護制度]]、{{ill2|伝統特産品保証|en|Traditional speciality guaranteed}}
== 外部リンク ==
* {{サイエンスチャンネル
|番組番号=B980601
|動画番号=b090601273
|動画タイトル=チーズができるまで
|中身の概要=財団法人蔵王酪農センター、六甲バター株式会社に取材し、チーズの製造工程を紹介
|時間=14分
|製作年度=2009年
}}
* 『[http://www.kagakueizo.org/create/other/471/ チーズ~その魅力とロマン]』 - NPO法人・科学映像館Webサイトより
: [[1983年]]、[[雪印乳業]](現・[[雪印メグミルク]])の企画の下で[[電通]]と[[電通映画社]]が制作した短編映画《現在、上記サイト内に於いて無料公開中》。ヨーロッパ各地のチーズの紹介のほか、いわゆる「プロセスチーズ」の説明も盛り込まれている。
* [https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10813704_po_ART0001428113.pdf?contentNo=1&alternativeNo= 婦人雑誌におけるチーズ料理 : 『婦人之友』と『主婦の友』との比較研究]橋場浩子 (日本調理科学会, 1997-05-20) 『日本調理科学会誌』30(2)
* {{Kotobank}}
{{乳}}
{{料理}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ちいす}}
[[Category:チーズ|*]]
[[Category:発酵食品]] | 2003-04-22T21:55:48Z | 2023-10-20T12:15:41Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%BC%E3%82%BA |
7,151 | MIT (曖昧さ回避) | MIT, Mit | [
{
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"text": "MIT, Mit",
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}
] | MIT, Mit マサチューセッツ工科大学
MIT (小惑星) - 1981年に発見され、上記大学に因んで命名された小惑星。小惑星番号は4523。
MIT License
マサチューセッツ・インベスターズ・トラスト、アメリカ初のミューチュアル・ファンド
室蘭工業大学
武蔵工業大学
前橋工科大学
マルチメディア インテリジェンス トランスファー
魔法先生ネギま!に登場する架空の大学、麻帆良工科大学
ドイツ語の前置詞。英語の"with"にあたる。
岩手めんこいテレビ
トルコ国家情報機構
広島のソフトウェア開発・システムエンジニアリング会社。モルテン・日本IBM系。
護衛艦付き立ち入り検査隊(Maritime Interception Team)
メロディックイントネーションセラピー(Melodic Intonation Therapy) 節回しやリズムといった音楽的要素を用いて失語症の発話の改善をはかるリハビリ方法のこと。言語聴覚士の関啓子氏が日本語版の開発に携わった。
台湾製経済部工業局が認証した、台湾で製造された家電製品に付けられる「MIT微笑マーク」品質認証制度のこと。 | '''MIT''', '''Mit'''
*[[マサチューセッツ工科大学]](''Massachusetts Institute of Technology'')
** [[MIT (小惑星)]] - [[1981年]]に発見され、上記大学に因んで命名された[[小惑星]]。[[小惑星番号]]は[[小惑星の一覧 (4001-5000)|4523]]<ref>{{cite web|url=https://minorplanetcenter.net/db_search/show_object?object_id=4523|title=(4523) MIT = 1979 YR3 = 1981 DM1|publisher=MPC|accessdate=2021-10-09}}</ref>。
** [[MIT License]]
*マサチューセッツ・インベスターズ・トラスト(''Massachusetts Investors Trust '')、[[アメリカ]]初の[[ミューチュアル・ファンド]]
*[[室蘭工業大学]] (''Muroran Institute of Technology'')
*武蔵工業大学(''Musashi Institute of Technology''、現[[東京都市大学]])
*[[前橋工科大学]] (''Maebashi Institute of Technology'')
*[[マルチメディア インテリジェンス トランスファー]] (''Multimedia Intelligence Transfer'')
*[[魔法先生ネギま!]]に登場する架空の大学、麻帆良工科大学(''Mahora Institute of Technology'')
*[[ドイツ語]]の[[前置詞]]。[[英語]]の"with"にあたる。
*[[岩手めんこいテレビ]]('''m'''enkoi '''i'''wate '''t'''elevision)
*[[トルコ国家情報機構]]({{lang|tr|''Milli İstihbarat Teşkilatı''}})
*[[広島県|広島]]のソフトウェア開発・システムエンジニアリング会社。[[モルテン]]・[[日本アイ・ビー・エム|日本IBM]]系。
*[[護衛艦付き立入検査隊|護衛艦付き立ち入り検査隊]](Maritime Interception Team)
*[https://japan-mit.com/ メロディックイントネーションセラピー](Melodic Intonation Therapy) 節回しやリズムといった音楽的要素を用いて失語症の発話の改善をはかるリハビリ方法のこと。言語聴覚士の[[関啓子 (言語聴覚士)|関啓子]]氏が日本語版の開発に携わった。
*[[台湾|台湾製]](Made In Taiwan)[[経済部]]工業局が認証した、台湾で製造された家電製品に付けられる「MIT微笑マーク」品質認証制度のこと。
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7,152 | マサチューセッツ工科大学 | マサチューセッツ工科大学(マサチューセッツこうかだいがく、英語: Massachusetts Institute of Technology、MIT)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジに本部を置く私立工科大学である。1865年に設置された。
MITは全米屈指のエリート名門校の1つとされ、ノーベル賞受賞者はこれまで96人で、スタンフォード大学よりも多く、工科大学としては世界トップの受賞数となっている。最も古く権威ある世界大学評価機関の英国Quacquarelli Symonds (QS) による世界大学ランキングでは、2013年版以来2024年版まで、ハーバード大学やケンブリッジ大学等を抑えて12年連続で世界第一位という記録的な偉業を達成している。特にMIT工学部(SoE)、MITコンピュータ科学・人工知能研究所(CSAIL)およびMITメディアラボ(MIT Media Lab)を擁する情報工学・コンピュータ科学分野では、スタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレー校と共に世界最高峰の1つである。また、MITスローン経営大学院(MIT Sloan)は世界トップクラス(工科大学では世界トップ)のビジネススクールであり、MBA提供校としても名高い(M7の参加校)。
ケンブリッジ大学、オックスフォード大学、ハーバード大学、スタンフォード大学と共に世界トップ5大学として知られる。
同じくケンブリッジ市にあるハーバード大学とはライバル校であるが、学生達がそれぞれの学校の授業を卒業単位に組み込める単位互換制度 (Cross-registration system) が確立されている。このため、ケンブリッジ市は「世界最高の学びのテーマパーク」とさえも称されている。物理学や生物学などの共同研究組織を立ち上げるなど、ハーバード大学との共同研究も盛んである。また、大学新聞としてThe Techが発行されている。
MITはランドグラント大学でもある。他の科学的および古典的研究を排除し、軍事戦術を含むことなく、農業および機械工芸に関連する学問の分野を、州の立法府がそれぞれ規定するような方法で教え、生活におけるいくつかの追求と職業における産業階級の自由で実践的な教育を促進することを目的として設立された。1865年から1900年の間に約19万4千ドル(これは2008年時点の生活水準でいうところの380万ドルに相当)のグラントを得、また同時期にマサチューセッツ州から更なる約36万ドル(2008年時点の生活水準で換算して700万ドルに相当)の資金を獲得している。
アメリカにおいて、シリコンバレーなどと並ぶ先端技術産業の集積地であるボストンのルート128地域においても、中核的な役割を果たす機関である。MITメディアラボは情報技術関連の先端を走る研究所としてマスメディアなどでも頻繁に取り上げられる。特筆すべきは、同研究所で開発された情報処理システム(アテネプロジェクト)がキャンパスネットワークの根幹を占めること、なおかつそのプロジェクトの研究成果が、アメリカ以外の大学院大学などでも活用され、成果を挙げていることである。
MITは、ボストン近郊所在の他大学(ハーバード大学、ウェルズリー大学、マサチューセッツ大学)との間で、学生や研究者同士の交流も推進している。近年、大学の全授業をweb上で公開する試み(オープンコースウェア)がなされており、遠隔教育関係者や教育関係者一般から広く注目を集めている。現在、日本人建築家の槇文彦によってキャンパスの増築がなされている。
MITは自然哲学者ウィリアム・バートン・ロジャース(ウィリアム・アンド・メアリー大学卒業)によってボストンの地にボストン技術学校の名で設立され、1865年にマサチューセッツ工科大学に改称し開学した。
創立当初は一部の学生を除き、多くのMITの学生は一人前の大人(社会人)で、建設業者や熟練工、工事監督、熟練機械工、見習い工、熟練エンジニアなど既に一定の技能を身につけた人々だった。このため、明確な目的意識があり、必要と思われる講座のみを選択し受講しに来る者が多く、キャンパス・ライフは存在しなかった。MITには学生寮もなく、礼拝堂もなく、1867年まで食堂すら存在せず、学生はただ講義を聞くためだけに学校に来た。最初のうちは学生は男子のみだったが、1870年代になって初めて女子の入学を受け入れはじめた。
ヨーロッパでは歴史的に技術系の職業が低く見られ、近代半ばまで大学での「工学系学部」の位置づけも明確でなく、工学部設置も日本に先を越された。この状況はアメリカでも強く、理工系専門の教育機関として創設されたMITも人々から偏見の目で見られた。
20世紀初頭にボストンでは開発ブームが起こり、不動産の高騰などによってMITは、これまでいたコプリー・スクェアの地を立ち退かなければならない事態となった。皮肉なことに、この開発ブームに拍車をかけたのは1865年以来、MITが送り出してきた数千人に及ぶ卒業生たちであった。MITは研究室ごとに高騰したボストン各地の不動産市場に散りぢりとなり、大学移転のために次の候補地を探したが、調達資金などの面から難航した。
1909年、資金調達能力を有するリチャード・マクローリンがMITの新学長に就任したことによって事態は収拾に向かい、MITの新キャンパスの候補地としてケンブリッジとボストンの境界を流れるチャールズ川の埋立地(ケンブリッジ側)が検討されるようになった。
だが、移転に際していくつか問題があった。第一に土壌が埋め立てたばかりで軟弱であったこと、第二にケンブリッジを縄張りとしていたハーバードとの政治的・歴史的問題である。特にハーバードとの問題は深刻で、MITのほとんどの卒業生が、このとき文科系人種をはじめとするボストンの人々からいわれのない偏見を受け、罵声を絶え間なく浴びせられたという。この状況について関係者は「肘で誰かを押しのけて食事をするようなものだ」と語っている。
さらにMITがケンブリッジにキャンパスを移転してからは、ハーバードとの対抗は激しくなり、人々の中にはMITを「職業訓練学校」と侮辱する者もいた。例えばボストンのある名士が、ハーバードで教えるかわりにMITへの奉職を考慮していた甥に対し、次のような手紙を書いている。
「この国では、常に金と鉄道と発明の嵐が吹き荒れてる。公立学校だの、高校だの、職業専門学校(MITのこと)だのと言ったものは、どんな学校にも作れるが、ケンブリッジ(ハーバードのこと)のようなところだけが、学問にふさわしい雰囲気と歴史と思っている。大学とは、そうでなければならないのだ。大いなるハーモニーを学べるところでなくては」。
1940年、MITは軍事技術の研究開発にかかわるようになった。当時、アメリカ軍はイギリス海軍が開発したレーダーに関心を持っており、研究プロジェクトを行う上で、設備やその運営実績があったMITに注目した。その一年後、太平洋戦争がはじまるとMITのキャンパス北端に「放射線研究所」(Radiation Lab・ラドラブ)と称する軍事研究所が設置され、MITはカリフォルニア工科大学などとともに戦争の一翼を担った。さらにMITは新兵器開発のために必要な資金や物資をアメリカ政府から得ることに成功するとともに、MITの学生の徴兵猶予の権利を勝ちとった。この経験はマサチューセッツ工科大学の名を世界で高めるきっかけとなった。 「彼らは2万5800もの会社を設立し、300万人の雇用を生み出していた」ことが分かったという。これには、シリコンバレーの雇用の約4分の1を含む。「もしMITが国家だとすると、世界で11番目のGDPを有することになる」
2014年までの間、MITが公式発表したノーベル賞受賞者は81名であり、この数はハーバード大学の公式発表受賞者48名を上回っている。ハーバード大学は、英国のオックスフォードやケンブリッジをモデルに上流階級用の古典教育にこだわり、ラテン語やギリシャ語に力を入れていた。
これに対してMITは、研究と実践的な実験による学習というドイツ的なシステムを採用した。「知識は重要だが、有用でなければならない」という考え方がMITの伝統で、米国の主要大学としては非常に規模が小さく学生数は約1万人、教員数は約1000人に過ぎない。日本の東大や早慶に比べても小さく、東京工業大学と同じ規模である。
スタッフの約40%が米国以外の生まれで、すぐに役には立ちそうにないことでも取り組むことが許される、財政的・精神的余裕を持っている。
MITは教育・研究機関として潤沢な資金を保有し、それを積極的に資産運用している。2017年現在のMITの運用資産額は148億ドル(約1兆6000億円)に達している。また、MITの投資運用会社は寄付金と退職金、運転資金(合計233億ドル)を管理・運用し、2016年7月から2017年6月末までの1年間でMITの基金の運用資産額は12.1%増加した。ブルームバーグの集計データによると、MITの寄付基金(Endowment Funds)の規模はアメリカの高等教育機関の中で6位となっている。
MITには、5つのスクール (School) と1つのカレッジ (College)がある。スクールとカレッジには、34の学部 (Department)、学科 (Division)、大学院・研究科・専攻 (Degree-granting program) などがおかれている。さらには、教育研究プログラムとしてWHOIとのジョイントプログラムも実施している。
51の研究機関がある。ここでは、メディアなどで著名な研究機関を掲げる。
各企業からの派遣研究員受け入れや受託研究を行う、寄附講座や記念講座が設置されている。
「事の本質に注目し、要素還元し、難解さを避け明解な解説をこころがける」・・・それがMITで学んだスタイルだとクルーグマンは述べる。
MITには伝統的に「ハック」(詳細はハッカーを参照)と呼ばれるゲリラ活動的なイタズラ (MITにおけるハック(英語版))が存在する。単なるイタズラというよりも、日頃研究したさまざまな技術を駆使することから、時に超常現象かと見紛うばかりのものまであるとされる。
近くのハーバード橋の長さを測るために仲間の身長からスムートという新単位を作り、橋に印を書いたり(1958年)、学び舎のシンボルであるグレートドーム(冒頭写真)頂上にパトロールカーが設置されたり(1994年)、巨大なR2-D2に改装されたり(1999年)、『ゼルダの伝説シリーズ』のトライフォースが設置されたり(2006年)といったスケールの大きいものから、校内の碑文をこっそり自分たちのメッセージにすり替えたり(1994年)、学長室の入り口を何ヶ月も前から掲示板があったかのようにしてしまったり(1990年)といったものまで報告されている。
これらのイタズラはあくまでも洒落の範疇に収めることが重要とされており、物や施設を汚損したり、誰かを傷つけたりするようなことは行われないとされる。1999年のR2-D2“ハック”では、同校の安全対策室に、取り付けられたパネルなどの片付け方を記したメモが届けられている。
以下、人名はすべて苗字の五十音順に並ぶ。
日本国内においては、1911年に三井財閥の大番頭 團琢磨を初代会長として設立された、大学出身者で作る「日本マサチューセッツ工科大学会(日本MIT会)」が存在する。同様の組織として日本ハーバード会、日本ケンブリッジ会、日本オックスフォード会などがあるが、日本MIT会以外のこれらは、第二次大戦後設立された日本フルブライト会(会合は、在日米国大使館や六本木の東京アメリカンクラブなどで開かれる)から分かれて、大学別の同窓会(親睦会)として開かれているものである。各会員は1期から始まり、現在は各大学卒業ごとに開かれている。 | [
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"title": "出身者"
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] | マサチューセッツ工科大学は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジに本部を置く私立工科大学である。1865年に設置された。 MITは全米屈指のエリート名門校の1つとされ、ノーベル賞受賞者はこれまで96人で、スタンフォード大学よりも多く、工科大学としては世界トップの受賞数となっている。最も古く権威ある世界大学評価機関の英国Quacquarelli Symonds (QS) による世界大学ランキングでは、2013年版以来2024年版まで、ハーバード大学やケンブリッジ大学等を抑えて12年連続で世界第一位という記録的な偉業を達成している。特にMIT工学部(SoE)、MITコンピュータ科学・人工知能研究所(CSAIL)およびMITメディアラボ(MIT Media Lab)を擁する情報工学・コンピュータ科学分野では、スタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレー校と共に世界最高峰の1つである。また、MITスローン経営大学院(MIT Sloan)は世界トップクラス(工科大学では世界トップ)のビジネススクールであり、MBA提供校としても名高い(M7の参加校)。 ケンブリッジ大学、オックスフォード大学、ハーバード大学、スタンフォード大学と共に世界トップ5大学として知られる。 同じくケンブリッジ市にあるハーバード大学とはライバル校であるが、学生達がそれぞれの学校の授業を卒業単位に組み込める単位互換制度 が確立されている。このため、ケンブリッジ市は「世界最高の学びのテーマパーク」とさえも称されている。物理学や生物学などの共同研究組織を立ち上げるなど、ハーバード大学との共同研究も盛んである。また、大学新聞としてThe Techが発行されている。 MITはランドグラント大学でもある。他の科学的および古典的研究を排除し、軍事戦術を含むことなく、農業および機械工芸に関連する学問の分野を、州の立法府がそれぞれ規定するような方法で教え、生活におけるいくつかの追求と職業における産業階級の自由で実践的な教育を促進することを目的として設立された。1865年から1900年の間に約19万4千ドル(これは2008年時点の生活水準でいうところの380万ドルに相当)のグラントを得、また同時期にマサチューセッツ州から更なる約36万ドル(2008年時点の生活水準で換算して700万ドルに相当)の資金を獲得している。 アメリカにおいて、シリコンバレーなどと並ぶ先端技術産業の集積地であるボストンのルート128地域においても、中核的な役割を果たす機関である。MITメディアラボは情報技術関連の先端を走る研究所としてマスメディアなどでも頻繁に取り上げられる。特筆すべきは、同研究所で開発された情報処理システム(アテネプロジェクト)がキャンパスネットワークの根幹を占めること、なおかつそのプロジェクトの研究成果が、アメリカ以外の大学院大学などでも活用され、成果を挙げていることである。 MITは、ボストン近郊所在の他大学(ハーバード大学、ウェルズリー大学、マサチューセッツ大学)との間で、学生や研究者同士の交流も推進している。近年、大学の全授業をweb上で公開する試み(オープンコースウェア)がなされており、遠隔教育関係者や教育関係者一般から広く注目を集めている。現在、日本人建築家の槇文彦によってキャンパスの増築がなされている。 | {{redirect|MIT}}
{{混同|マサチューセッツ大学}}
{{Infobox university
| name = マサチューセッツ工科大学<br />Massachusetts Institute of Technology
| image = [[File:MIT Building 10 and the Great Dome, Cambridge MA.jpg|250px]]
| motto = ''Mens et Manus'' ([[ラテン語]])
| mottoeng = Mind and Hand<ref name="seal">{{cite web| title = Symbols: Seal | work = MIT Graphic Identity | publisher = MIT | url = http://web.mit.edu/graphicidentity/symbols/seal.html | accessdate =September 8, 2010}}</ref>
| established = 1861年 (1865年設置)
| type = [[私立大学]]<br />[[ランドグラント大学]] 4–1–4期制
| president = [[L・ラファエル・ライフ]]
| chancellor = Melissa Nobles
| provost = Martin A. Schmidt
| city = [[ケンブリッジ (マサチューセッツ州)|ケンブリッジ]]
| state = 米国[[マサチューセッツ州]]
| country =
| students = 11,301人<ref name="Enrollment Statistics">{{cite web | title = Enrollment Statistics |publisher= MIT Registrar | url = http://web.mit.edu/registrar/stats/yrpts/index.html | accessdate =September 13, 2014}}</ref>
| undergrad = 4,528人<ref name="Enrollment Statistics"/>
| postgrad = 6,510人
| faculty = 1,030人<ref name=MITFactFacStaff>{{cite web|title=Faculty and Staff|url=http://web.mit.edu/facts/faculty.html|work=MIT Facts|publisher=MIT|accessdate=2014-03-11}}</ref>
| campus = 都市型, {{convert|168|acre|ha|1}}<ref name="Campus">{{cite web|title=The Campus|url=http://web.mit.edu/facts/campus.html|publisher=MIT Facts 2012|accessdate=May 31, 2012}}</ref>
| nickname = Engineers<ref>{{Cite web|url=https://mitathletics.com/ |title=The Official Site of MIT Intercollegiate Athletics - MIT<!-- Bot generated title --> |accessdate=2015-09-06}}</ref>
| mascot = Tim the Beaver<ref>{{cite web| title = Symbols: Mascot | work = MIT Graphic Identity | publisher = MIT | url =http://web.mit.edu/graphicidentity/symbols/mascot.html | accessdate =September 8, 2010}}</ref>
| athletics = [[全米大学体育協会|NCAA]] [[:en:Division III (NCAA)|Division III]] – [[:en:New England Women's and Men's Athletic Conference|NEWMAC]], [[:en:New England Football Conference|NEFC]], [[:en:Pilgrim Lacrosse League|Pilgrim League]]<br />[[:en:Division I (NCAA)|Division I]] – [[:en:Eastern Association of Rowing Colleges|EARC]] & [[:en:Eastern Association of Women's Rowing Colleges|EAWRC]] {{small|(rowing)}}
| sports = 31 [[varsity team]]s
| free_label = [[ノーベル賞]]受賞者数
| free = 96
| website = {{URL|https://web.mit.edu/|MIT.edu}}
| colors = {{Hlist|{{colorbox|#A31F34}}赤|{{colorbox|#8A8B8C}}グレー|{{colorbox|#C2C0BF}}ライトグレー}}<ref>{{cite web|title=Colors - MIT Graphic Identity|url=http://web.mit.edu/graphicidentity/colors.html|publisher=Massachusetts Institute of Technology|accessdate=26 September 2014}}</ref>
| endowment = 124億ドル(2014年)<ref>{{cite web | title = MIT releases endowment figures for 2014 |publisher= MIT News | url = https://newsoffice.mit.edu/2014/institute-endowment-figures-0912 | accessdate =September 13, 2014}}</ref>
| logo = [[File:MIT logo.svg|center|100px|]]
| affiliations = {{Flatlist|*[[アメリカ大学協会|AAU]]
*[[:en:Association of Independent Colleges and Universities in Massachusetts|AICUM]]
*[[:en:Association of Independent Technological Universities|AITU]]
*[[:en:Association of Public and Land-Grant Universities|APLU]]
*[[:en:The Consortium on Financing Higher Education|COFHE]]
*[[:en:National Association of Independent Colleges and Universities|NAICU]]<ref>[http://www.naicu.edu/member_center/members.asp NAICU – Member Directory] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20151109231238/http://www.naicu.edu/member_center/members.asp |date=2015年11月9日 }}</ref>
*[[:en:Universities Research Association|URA]]
*[[:en:568 Group|568 Group]]}}
}}
[[File:Simmons Hall, MIT, Cambridge, Massachusetts.JPG|right|thumb|250px|Simmons Hall]]
[[File:MIT Kresge Auditorium.jpg|right|thumb|250px|Kresge Auditorium]]
[[File:MIT Building 1, Pierce Engineering Laboratory, Cambridge MA.jpg|right|thumb|250px|MIT工学部(SoE: School of Engineering)]]
[[File:Stata Center1.jpg|right|thumb|250px|MITコンピュータ科学・人工知能研究所(CSAIL: Computer Science and Artificial Intelligence Laboratory)]]
[[File:MIT Media Lab.jpg|right|thumb|250px|MITメディアラボ(MIT Media Lab)]]
[[File:MITSloanE62.jpg|right|thumb|250px|MITスローン経営大学院(MIT Sloan)]]
'''マサチューセッツ工科大学'''(マサチューセッツこうかだいがく、{{lang-en|Massachusetts Institute of Technology}}、'''MIT{{Efn|「ミット」は[[誤用]]で、主に日本、欧州の極めて一部で用いられる。}}<ref>{{Cite book|和書|title=日本MIT会七十五年の歩み|editor=藤崎博也|publisher=日本MIT会|date=1986年10月31日|location=東京|page={{要ページ番号|date=2020-12-05}}}}</ref>''')は、[[アメリカ合衆国]][[マサチューセッツ州]][[ケンブリッジ (マサチューセッツ州)|ケンブリッジ]]に本部を置く私立[[工科大学]]である。[[1865年]]に設置された。
MITは全米屈指の[[エリート]][[名門|名門校]]の1つとされ、[[ノーベル賞]]受賞者はこれまで96人で、[[スタンフォード大学]]よりも多く、工科大学としては世界トップの受賞数となっている{{Efn|[[w: List_of_Nobel_laureates_by_university_affiliation|List of Nobel laureates by university affiliation]]}}。最も古く権威ある世界大学評価機関の英国Quacquarelli Symonds (QS) による世界大学ランキングでは、2013年版以来2024年版まで、[[ハーバード大学]]や[[ケンブリッジ大学]]等を抑えて12年連続で世界第一位という記録的な偉業を達成している。特に[[:EN:Massachusetts Institute of Technology School of Engineering|MIT工学部]]('''SoE''')、[[MITコンピュータ科学・人工知能研究所]]('''CSAIL''')および[[MITメディアラボ]]('''MIT Media Lab''')を擁する[[情報工学]]・[[コンピュータ科学]]分野では、[[スタンフォード大学]]、[[カリフォルニア大学バークレー校]]と共に世界最高峰の1つである。また、[[:EN:MIT Sloan School of Management|MITスローン経営大学院]]('''MIT Sloan''')は世界トップクラス(工科大学では世界トップ)の[[ビジネススクール]]であり、[[MBA]]提供校としても名高い([[M7 (大学)|M7]]の参加校)。
[[ケンブリッジ大学]]、[[オックスフォード大学]]、[[ハーバード大学]]、[[スタンフォード大学]]と共に'''世界トップ5大学'''として知られる。
同じくケンブリッジ市にある[[ハーバード大学]]とはライバル校であるが、学生達がそれぞれの学校の授業を卒業単位に組み込める単位互換制度 (Cross-registration system) が確立されている。このため、ケンブリッジ市は「世界最高の学びのテーマパーク」とさえも称されている。物理学や生物学などの共同研究組織を立ち上げるなど、ハーバード大学との共同研究も盛んである。また、大学新聞として''[[:en:The Tech (newspaper)|The Tech]]''が発行されている。
MITは[[ランドグラント大学]]でもある。他の科学的および古典的研究を排除し、軍事戦術を含むことなく、農業および機械工芸に関連する学問の分野を、州の立法府がそれぞれ規定するような方法で教え、生活におけるいくつかの追求と職業における産業階級の自由で実践的な教育を促進することを目的として設立された。1865年から1900年の間に約19万4千ドル(これは2008年時点の生活水準でいうところの380万ドルに相当)のグラントを得、また同時期にマサチューセッツ州から更なる約36万ドル(2008年時点の生活水準で換算して700万ドルに相当)の資金を獲得している<ref name=LGM1865>{{Cite book|author=D. Kaiser |title=Becoming MIT |publisher=MIT Press |year=2010 |isbn=9780262113236 |page={{要ページ番号|date=2020-12-05}}}}</ref>。
アメリカにおいて、[[シリコンバレー]]などと並ぶ先端技術産業の集積地である[[ボストン]]のルート128地域においても、中核的な役割を果たす機関である。[[MITメディアラボ]]は情報技術関連の先端を走る研究所として[[マスメディア]]などでも頻繁に取り上げられる。特筆すべきは、同研究所で開発された情報処理システム([[Project Athena|アテネプロジェクト]])がキャンパスネットワークの根幹を占めること、なおかつそのプロジェクトの研究成果が、アメリカ以外の大学院大学などでも活用され、成果を挙げていることである。
MITは、ボストン近郊所在の他大学([[ハーバード大学]]、[[ウェルズリー大学]]、[[マサチューセッツ大学]])との間で、学生や研究者同士の交流も推進している。近年、[[大学]]の全授業を[[World Wide Web|web]]上で公開する試み([[オープンコースウェア]])がなされており、遠隔教育関係者や教育関係者一般から広く注目を集めている。現在、[[日本人]][[建築家]]の[[槇文彦]]によってキャンパスの増築がなされている。
== 歴史 ==
MITは自然哲学者[[ウィリアム・バートン・ロジャース]]([[ウィリアム・アンド・メアリー大学]]卒業)によって[[ボストン]]の地に'''ボストン技術学校'''の名で設立され、[[1865年]]に'''マサチューセッツ工科大学'''に改称し開学した。
創立当初は一部の学生を除き、多くのMITの学生は一人前の大人([[社会人]])で、[[建設業者]]や[[熟練工]]、[[工事監督]]、[[熟練機械工]]、[[見習い工]]、[[熟練エンジニア]]など既に一定の技能を身につけた人々だった。このため、明確な目的意識があり、必要と思われる講座のみを選択し受講しに来る者が多く、[[キャンパス]]・ライフは存在しなかった。MITには[[学生寮]]もなく、[[礼拝堂]]もなく、[[1867年]]まで[[食堂]]すら存在せず、学生はただ講義を聞くためだけに学校に来た{{Efn|この状況についてMITのある校長は「ここ (MIT) は子供が遊ぶ場ではなく、大人が学ぶための場所である」とその特徴について語っている。}}。最初のうちは学生は男子のみだったが、1870年代になって初めて女子の入学を受け入れはじめた。
[[ヨーロッパ]]では歴史的に技術系の職業が低く見られ、近代半ばまで大学での「工学系学部」の位置づけも明確でなく、[[工学部]]設置も日本に先を越された。この状況はアメリカでも強く、理工系専門の教育機関として創設されたMITも人々から偏見の目で見られた。
20世紀初頭にボストンでは開発ブームが起こり、不動産の高騰などによってMITは、これまでいたコプリー・スクェアの地を立ち退かなければならない事態となった。皮肉なことに、この開発ブームに拍車をかけたのは1865年以来、MITが送り出してきた数千人に及ぶ卒業生たちであった。MITは研究室ごとに高騰したボストン各地の不動産市場に散りぢりとなり、大学移転のために次の候補地を探したが、調達資金などの面から難航した。
1909年、資金調達能力を有する[[リチャード・マクローリン]]がMITの新学長に就任したことによって事態は収拾に向かい、MITの新キャンパスの候補地としてケンブリッジとボストンの境界を流れる[[チャールズ川]]の埋立地(ケンブリッジ側)が検討されるようになった。
だが、移転に際していくつか問題があった。第一に土壌が埋め立てたばかりで軟弱であったこと、第二にケンブリッジを縄張りとしていた[[ハーバード大学|ハーバード]]との政治的・歴史的問題である。特に[[ハーバード大学|ハーバード]]との問題は深刻で、MITのほとんどの卒業生が、このとき文科系人種をはじめとするボストンの人々からいわれのない偏見を受け、罵声を絶え間なく浴びせられたという{{Efn|なかには思い上がった者がボールボーイなどと中傷する者もいた。}}。この状況について関係者は「肘で誰かを押しのけて食事をするようなものだ」と語っている。
さらにMITが[[ケンブリッジ (マサチューセッツ州)|ケンブリッジ]]に[[キャンパス]]を移転してからは、[[ハーバード大学|ハーバード]]との対抗は激しくなり、人々の中にはMITを「職業訓練学校」と侮辱する者もいた。例えばボストンのある名士が、ハーバードで教えるかわりにMITへの奉職を考慮していた甥に対し、次のような手紙を書いている。
「この国では、常に金と鉄道と発明の嵐が吹き荒れてる。公立学校だの、高校だの、職業専門学校(MITのこと)だのと言ったものは、どんな学校にも作れるが、ケンブリッジ(ハーバードのこと)のようなところだけが、学問にふさわしい雰囲気と歴史と思っている。大学とは、そうでなければならないのだ。大いなるハーモニーを学べるところでなくては」<ref>{{Cite book|和書|author=フレッド・ハプグッド |translator=鶴岡雄二 |title=マサチューセッツ工科大学 |date=1995年9月25日 |publisher=新潮社 |isbn=9784105315016 |page={{要ページ番号|date=2020-12-05}}}}</ref>。
== 軍事・経済的な貢献 ==
[[1940年]]、MITは[[軍事技術]]の研究開発にかかわるようになった。当時、[[アメリカ軍]]は[[イギリス海軍]]が開発した[[レーダー]]に関心を持っており、研究プロジェクトを行う上で、設備{{Efn|MITには[[鉄道]]の引き込み線なども存在した}}やその運営実績があったMITに注目した{{Efn|正確には「ボストン地区にあった他の候補に比べて」という意味であり、ほかの大学は実践経験が乏しい理論派学校か美術学校ばかりで軍の基準に合致しなかったためである。実際にプロジェクトを行う上で、政府は[[ロチェスター大学]]の[[リー・ドゥブリッジ]]を指導者として招いた。}}。その一年後、[[太平洋戦争]]がはじまるとMITのキャンパス北端に「放射線研究所」(Radiation Lab・ラドラブ)と称する軍事研究所が設置され、MITは[[カリフォルニア工科大学]]などとともに戦争の一翼を担った。さらにMITは新兵器開発のために必要な資金や物資をアメリカ政府から得ることに成功するとともに、MITの学生の[[徴兵猶予]]の権利を勝ちとった。この経験はマサチューセッツ工科大学の名を世界で高めるきっかけとなった。
「彼らは2万5800もの会社を設立し、300万人の雇用を生み出していた」ことが分かったという。これには、シリコンバレーの雇用の約4分の1を含む。「もしMITが国家だとすると、世界で11番目のGDPを有することになる」
2014年までの間、MITが公式発表したノーベル賞受賞者は81名であり、この数は[[ハーバード大学]]の公式発表受賞者48名を上回っている。[[ハーバード大学]]は、英国のオックスフォードやケンブリッジをモデルに上流階級用の古典教育にこだわり、ラテン語やギリシャ語に力を入れていた。
これに対してMITは、研究と実践的な実験による学習というドイツ的なシステムを採用した。「知識は重要だが、有用でなければならない」という考え方がMITの伝統で、米国の主要大学としては非常に規模が小さく学生数は約1万人、教員数は約1000人に過ぎない。日本の東大や早慶に比べても小さく、東京工業大学と同じ規模である。
スタッフの約40%が米国以外の生まれで、すぐに役には立ちそうにないことでも取り組むことが許される、財政的・精神的余裕を持っている。
== MITの大学基金 ==
MITは教育・研究機関として潤沢な資金を保有し、それを積極的に資産運用している。2017年現在のMITの運用資産額は148億ドル(約1兆6000億円)に達している。また、MITの投資運用会社は寄付金と退職金、運転資金(合計233億ドル)を管理・運用し、2016年7月から2017年6月末までの1年間でMITの基金の運用資産額は12.1%増加した。ブルームバーグの集計データによると、MITの寄付基金(Endowment Funds)の規模はアメリカの高等教育機関の中で6位となっている。<ref>{{Cite web|和書|title=【電子版】米MIT、寄付基金資産 約1.6兆円に |url=https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00442528 |website=日刊工業新聞電子版 |access-date=2022-05-01 |first=NIKKAN KOGYO |last=SHIMBUN,LTD}}</ref>
== 大学組織 ==
MITには、5つの[[スクール]] (School) と1つの[[カレッジ]] (College)がある{{Efn|これらが日本の大学における「[[学部]]」・「[[研究科]]」に相当する。}}。スクールとカレッジには、34の[[学部]] (Department)、[[学科 (学校)|学科]] (Division)、[[大学院]]・[[研究科]]・[[専攻]] (Degree-granting program) などがおかれている。さらには、[[教育研究プログラム]]として[[WHOI]]との[[ジョイントプログラム]]も実施している。
* 学部: 経営学部、工学部、人文・社会科学部、理学部、建築・計画学部
* 研究科: 医科大学院、経営大学院、工科大学院、人文社会科学大学院、自然科学大学院、建築・計画大学院
=== スクールおよびカレッジ ===
* School of Architecture and Planning([[建築]]および[[都市計画]]・[[地域計画]])
* School of Engineering([[工学]])
* School of Humanities, Arts, and Social Sciences([[人文科学]]・[[社会科学]])
* '''Sloan School of Management'''('''[[:EN:MIT Sloan School of Management|MITスローン経営大学院]]'''、通称'''MIT Sloan'''もしくは'''Sloan'''、[[経営]]・[[ビジネススクール]])
* School of Science([[理学]])
* Whitaker College of Health Sciences and Technology(健康科学・[[健康]][[技術]])
=== 研究機関 ===
51の研究機関がある。ここでは、メディアなどで著名な研究機関を掲げる。
* [[リンカーン研究所]]
* [[ホワイトヘッド研究所]]
* [[MITメディアラボ]]
* [[MITコンピュータ科学・人工知能研究所]]
=== その他 ===
各企業からの派遣研究員受け入れや受託研究を行う、寄附講座や記念講座が設置されている。
== 教育 ==
* MITでは大学側は学生に多くの課題を要求する<ref name="guardian2012sep13M">{{Cite news|url=https://www.theguardian.com/education/2012/sep/13/whats-it-like-to-study-at-mit |title=What's it like to study at MIT? |author=Lu-Hai Liang |newspaper=theguardian, |date=13 Sep 2012 |accessdate=2014-09-13}}</ref>。例えば数学科の学生なら学期の初めから4つの課題演習セットと20分間のプレゼンをこなし、次週までに[[カール・バーンスタイン]]のAll the President's Menを読んでくるなどである<ref name="guardian2012sep13M" />。
* 2008年にノーベル経済学賞を受賞した[[ポール・クルーグマン]]は[[ニューヨーク・タイムズ]]のコラムニストでもあり、経済学を平易な言葉で説明するというアプローチを用いている<ref name="mitNews2014aug19PK">{{Cite web|url=https://www.technologyreview.com/2014/08/19/171697/paul-krugman-phd-77/ |title=Paul Krugman, PhD ’77 |work=MIT News Magazine |website=MIT Technology Review |date=19 Aug 2014 |accessdate=2014-09-13}}</ref>。
「事の本質に注目し、要素還元し、難解さを避け明解な解説をこころがける」・・・それがMITで学んだスタイルだとクルーグマンは述べる<ref name="mitNews2014aug19PK" />。
* MITでは、卒業に必要な単位のおよそ4分の1が、人文学・芸術・社会科学部の科目になっている<ref>{{Cite web|和書|title=理系の世界的な名門・MITで、なぜ音楽の授業が人気?:日経xwoman |url=https://woman.nikkei.com/atcl/aria/column/19/122700245/122700001/ |website=woman.nikkei.com |access-date=2023-01-10 |language=ja |last=日経BP}}</ref>。
* MITでは、音楽科目が学生の間で人気があり、毎年、全学部生約4000人のうち約1500人が音楽科目を履修している<ref>{{Cite web|和書|title=理系の世界的な名門・MITで、なぜ音楽の授業が人気?:日経xwoman |url=https://woman.nikkei.com/atcl/aria/column/19/122700245/122700001/ |website=woman.nikkei.com |access-date=2023-01-10 |language=ja |last=日経BP}}</ref>。さらに、音楽を主専攻の一つとして学ぶことも可能である。
== 「ハック」 ==
MITには伝統的に「ハック」(詳細は[[ハッカー]]を参照)と呼ばれるゲリラ活動的なイタズラ<ref>{{Cite web|url=http://hacks.mit.edu/ |title=IHTFP Hack Gallery |accessdate=2005-06-02}}</ref> ({{仮リンク|MITにおけるハック|en|Hacks at the Massachusetts Institute of Technology}})が存在する。単なる[[イタズラ]]というよりも、日頃研究したさまざまな技術を駆使することから、時に[[超常現象]]かと見紛うばかりのものまであるとされる。
近くの[[ハーバード橋]]の長さを測るために仲間の身長から[[スムート]]という新単位を作り、橋に印を書いたり(1958年)、学び舎のシンボルであるグレートドーム(冒頭写真)頂上に[[パトロールカー]]が設置されたり(1994年)、巨大な[[R2-D2]]に改装されたり(1999年)、『[[ゼルダの伝説シリーズ]]』の[[トライフォース]]が設置されたり(2006年)といったスケールの大きいものから、校内の[[碑文]]をこっそり自分たちのメッセージにすり替えたり(1994年)、学長室の入り口を何ヶ月も前から掲示板があったかのようにしてしまったり(1990年)といったものまで報告されている。
これらのイタズラはあくまでも洒落の範疇に収めることが重要とされており、物や施設を汚損したり、誰かを傷つけたりするようなことは行われないとされる。1999年のR2-D2“ハック”では、同校の安全対策室に、取り付けられたパネルなどの片付け方を記したメモが届けられている。
== 著名な教員 ==
以下、人名はすべて苗字の五十音順に並ぶ。
*[[ティリー・オルセン]] - 作家、クリエイティブ・ライティング、[[女性学]]。
*[[イアン・コンドリー]] - [[文化人類学者]]。日本の[[ヒップホップ]]や[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]の研究。
* [[ポール・サミュエルソン]] - [[経済学者]]
* [[ロバート・ソロー]] - 経済学者、[[ノーベル経済学賞]]受賞
* [[リチャード・シュロック]] - 化学科教授、2005年[[ノーベル化学賞]]受賞
* [[イサドール・シンガー]] - [[アーベル賞]]
* [[ジョン・ダワー]] - 歴史学者、1990年『敗北を抱きしめて―第二次大戦後の日本人 』で[[ピューリッツァー賞|ピュリツァー賞]]受賞
* [[ノーム・チョムスキー]] - [[哲学者]]、[[言語学者]]、認知科学者、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[メディア (媒体)|メディア]]と外交政策の批評家としても知られる
* [[サミュエル・ティン]] - [[物理学者]]、[[ノーベル物理学賞]]
* [[アイセ・ヨハン・デ・ヨング]] - [[コール賞]]
* [[アマー・G・ボーズ]] - 名誉教授。[[ボーズ (企業)|BOSE]]社の創設者。
* [[ジョージ・ホワイトサイズ]] - [[材料工学|材料科学]]者、[[ナノマシン|ナノ]]・[[マイクロマシン]]&加工、[[自己組織化]]の世界的権威
* [[ジョン・マッカーシー]] - [[計算機科学|コンピュータ科学]]者、 [[人工知能]]の提唱者
* [[マービン・ミンスキー]] - コンピュータ科学者、[[認知科学]]者
* [[ロバート・ランガー]] - [[生体工学|生体工学者]]
* [[ジョージ・ルスティック]] - [[コール賞]]
* [[ジェローム・レトビン]] - 神経[[生理学]]者
=== 日本人 ===
* [[石井裕 (コンピューター研究者)|石井裕]] - [[タンジブルユーザインタフェース|タンジブル・ビット]]考案者、メディアアーツ&サイエンス
* [[伊藤穰一]] - [[MITメディアラボ]]所長、[[ベンチャーキャピタル|ベンチャーキャピタリスト]]、実業家
* [[神田駿]] - [[建築家]]・都市計画家
* [[利根川進]] - [[免疫]]研究、[[脳科学]]研究、[[ノーベル生理学・医学賞]]
* [[増渕興一]] - [[機械工学]]科名誉教授
* [[宮川繁]] - 言語学者
== 出身者 ==
=== あ行 ===
*[[コフィー・アナン]] - 二代前の[[国際連合事務総長]]、[[ノーベル平和賞]]
*[[ジェームズ・ウッズ]] - 俳優(中退)
*[[ピエルマリア・オッドーネ]] - 物理学者
*[[ロバート・オーマン]] - 経済学者
*[[バズ・オルドリン]] - [[アポロ11号]]に搭乗した[[宇宙飛行士]]
=== か行 ===
*[[レイ・カーツワイル]] - [[光学文字認識]]の第一人者
*[[ケビン・カラン]] - [[ゲームクリエイター]]。「[[ミサイルコマンド]]」「[[パックマン]]」の改良版を製作。
*[[ジョン・W・キャンベル]] - SF編集者、SF作家
*[[デービッド・ダナ・クラーク]] - コンピューター学者
*[[フェルナンド・J・コルバト]] - 情報工学者
*[[ゲイリー・クライン]] - 自転車車体設計・製造
*[[ブリュースター・ケール]] - インターネット起業家
*[[マレー・ゲルマン]] - 物理学者、[[ノーベル物理学賞]]受賞
=== さ行 ===
*[[アイバン・サザランド]] - コンピュータ科学者
*[[ローレンス・サマーズ]] - 政治家・経済学者
*[[ルイス・サリヴァン]] - 建築家
*トム・ショルツ - ロック・バンド[[ボストン (バンド)|ボストン]]のリーダー
*[[ジョージ・シュルツ]] - 政治家
*[[ウィリアム・ショックレー]] - 物理学者
*[[リチャード・ストールマン]] - [[ハッカー]]。[[フリーソフトウェア財団]]設立者
*[[ジョージ・スムート]] - 物理学者
*[[銭学森]] - 航空力学研究者。中国宇宙開発の父
=== た行 ===
*[[アンドリュー・タネンバウム]] - コンピュータ科学者
*[[アフマド・チャラビ]] - イラクの政治家
*[[ホイットフィールド・ディフィー]] - 暗号学者
*[[ゲイリー・タナカ]] - [[馬主]]
*[[ダニエル・M・タニ]] - 宇宙飛行士
*[[ジミー・ドーリットル]] - 軍人
*[[キム・エリック・ドレクスラー]] - ナノテクノロジーエンジニア
=== な行 ===
*[[ニコラス・ネグロポンテ]] - MITメディアラボの創設者
*[[ベンヤミン・ネタニヤフ]] - イスラエルの政治家
=== は行 ===
*[[ベン・バーナンキ]] - 経済学者(第14代[[連邦準備制度|FRB]]議長)
*ヨウヘイ:フローレス
*[[アラン・パリス]] - 計算機科学者
*[[アンドリュー・ビタビ]] - [[クアルコム]]の創設者、計算機科学者
*[[ウィリアム・ヒューレット]] - [[ヒューレット・パッカード]]の創設者
*[[アンドリュー・ファイアー]] - 生物学者
*[[リチャード・P・ファインマン]] - 物理学者、ノーベル物理学賞(1965年)
*[[ホセ・フィゲレス・フェレール]] - コスタリカの政治家
*[[ディラン・ブルーノ]] - 俳優
*[[ウィリアム・クレイ・フォード・ジュニア]] - 実業家
*[[マヌエル・ブラム]] - 計算機科学者
*[[ジョージ・ヘール]] - 天文学者
*[[イオ・ミン・ペイ]] - 建築家
*[[サム・バンクマン=フリード]] - 企業家、投資家、[[FTX (企業)|FTX]]の創業者
=== ま行 ===
*[[ダグ・マクレー]] - 前述したケビン・カランの相棒
*[[グレゴリー・マンキュー]] - 経済学者
*[[マーヴィン・ミンスキー]] - [[人工知能]]の権威
*[[ロバート・メトカーフ]] - コンピュータ技術者
=== ら行 ===
*[[スティーブ・ラッセル]] - 世界で初めて不特定多数の人に楽しまれたTVゲーム『[[スペースウォー!]]』を製作。
*[[ドルフ・ラングレン]] - 『ロッキー4/炎の友情』、『ユニバーサルソルジャー』シリーズなどで知られる俳優。
*[[劉培森]] - 台湾の建築家。
*[[ラリー・ローゼンタール]] - コンピュータ技術者。[[アーケードゲーム]]用の[[ベクタースキャン]]技術を開発。
*[[ヒュー・ロフティング]] - 『[[ドリトル先生シリーズ|ドリトル先生]]』シリーズで知られる[[児童文学]]作家(中退)
=== 日本人出身者 ===
* [[青島矢一]] - [[一橋大学イノベーション研究センター]]教授
* [[浅子和美]] - 経済学者、マクロ分析経済学理論、日本経済の実証分析、[[一橋大学]]経済研究所教授
* [[安達保]] - [[カーライルグループ]] 日本代表
* [[荒川實]] - Nintendo of America([[任天堂]]の米国法人)・社長
* [[鮎川弥一]] - [[スウェーデン王立科学アカデミー]]外国人メンバー
* [[鮎川純太]] - テクノベンチャー社長
* [[飯田雅明]] - [[三井製糖]]社長、精糖工業会会長
* [[池原止戈夫]] - [[東京工業大学]]教授、数学者
* [[板倉宏昭]] - [[香川大学]]教授、[[経営学]]
* [[市村英彦]] - アリゾナ大学兼東京大学教授、[[経済学]]
* [[稲垣久生]] - 駐[[トンガ]][[特命全権大使]]
* [[猪口孝]] - [[中央大学]]教授、[[東京大学]]教授
* [[岩井克人]] - [[東京大学]]教授、[[経済学者]]
* [[植田和男]] - 東京大学名誉教授、第32代[[日本銀行]]総裁
* [[江端貴子]] - [[東京大学]]特任准教授、[[アステラス製薬]]社外取締役
* [[遠藤謙]] - [[ソニーコンピュータサイエンス研究所]]研究員、株式会社 Xiborg [[代表取締役]]
* [[大島まり]] - [[東京大学生産技術研究所]]教授、[[日本機械学会]]会長
* [[太田泰彦]] - [[日本経済新聞]][[論説委員]]兼[[編集委員]]、[[ボーン・上田記念国際記者賞]]
* [[大橋和彦]] - 一橋大学教授、日本ファイナンス学会会長
* [[大前研一]] - [[経営コンサルタント]]・[[マッキンゼー・アンド・カンパニー|マッキンゼー]]東京支社長
* [[小川進]] - [[神戸大学]]大学院経営学研究科教授
* [[尾崎敏]] - 物理学者
* [[加藤壹康]] - [[キリンホールディングス]]・社長
* 織畠潤一 - シーメンス・ジャパン代表取締役社長
* [[加藤勇次郎]] - [[熊本バンド]]、[[同志社英学校]]教員
* [[金井壽宏]] - [[神戸大学]][[大学院]]経営学研究科教授
* [[北澤宏一]] - [[科学技術振興機構]]・理事長
* [[桐生隆司]] - [[スクウェア・エニックス・ホールディングス]]社長
* [[合田圭介]] - [[東京大学大学院理学系研究科]]教授
* [[畔柳信雄]] - [[三菱UFJフィナンシャル・グループ]]・社長
* [[小美野広行]] - [[関西学院大学]]教授、[[エスエス製薬]]代表取締役、[[日本ベーリンガーインゲルハイム]]代表取締役
* [[齊藤誠 (経済学者)|齊藤誠]] - [[名古屋大学大学院経済学研究科]]教授
* [[塩谷さやか]] - [[桜美林大学]]准教授
* [[下條信輔]] - 認知心理学者、[[カリフォルニア工科大学]]教授
* [[菅裕明]] - [[東京大学大学院理学系研究科]]教授、[[ペプチドリーム]]創業者
* [[杉山知之]] - [[デジタルハリウッド]]学長
* [[TAKA (ヒップホップ・ミュージシャン)]] - ラッパー・心理学者
* [[高橋義仁]] - [[専修大学]]商学部教授
* [[武石彰]] - [[京都大学]][[大学院]]経済学研究科教授
* 武田真彦 - [[一橋大学]]大学院経済学研究科教授
* [[立川敬二]] - [[NTTドコモ|NTT DoCoMo]]社長、[[JAXA]]理事長
* [[田中明彦]] - [[東京大学東洋文化研究所]]教授
* [[團琢磨]] - [[三井合名会社]]理事長
* [[代野照幸]] - [[メルシャン]]社長
* [[辻村清行]] - [[NTTドコモ]]副社長、[[東京工業大学]]特定教授
* [[土佐尚子]] - アーティスト、[[京都大学]]特定教授
* [[成田悠輔]] - 経済学者、[[イェール大学]][[アシスタント・プロフェッサー]]、[[半熟仮想]]株式会社代表取締役社長
* [[西崎文平]] - [[経済企画庁]]・[[内閣府]]官僚、内閣府[[政策統括官]](経済財政分析担当)、[[経済社会総合研究所]]長
* [[延岡健太郎]] - [[一橋大学イノベーション研究センター]]教授
* [[畑山浩昭]] - [[桜美林大学]]学長・教授
* [[濱野力]] - [[海軍少将]]
*波部玲子(レイコ・ハベ-エバンス) - 都市・地域計画学学者、国際開発コンサルタント、『都市開発を考える:アメリカと日本』岩波新書
*[[樋口清司]] - [[宇宙航空研究開発機構]]副理事長、[[国際宇宙航行連盟]]会長
* [[平山嵩]] - [[東京大学]]教授、[[建築家]]
* [[星岳雄]] - [[東京大学]]大学院経済学研究科教授
* [[堀新太郎]] - [[ベインキャピタル|ベインキャピタル・ジャパン]]最高顧問
* [[堀内敬三]] - [[音楽評論家]]・[[作詞家]]・[[作曲家]]
* 舛重正一 - [[東京農業大学]]生物応用化学科・バイオサイエンス学科名誉教授、[[東京聖栄大学]]教授
* [[松尾博文 (経営学者)|松尾博文]] - [[神戸大学]]教授
* [[御手洗肇]] - [[キヤノン]]社長
* 三井高修 - [[三井化学]]会長
* [[薬師寺泰蔵]] - [[慶應義塾大学]]客員教授、[[内閣府]][[総合科学技術会議]]議員
* [[山影進]] - [[東京大学大学院総合文化研究科・教養学部|東京大学大学院総合文化研究科]]長・[[東京大学大学院総合文化研究科・教養学部|教養学部]]長
* [[山形浩生]] - [[野村総合研究所]]研究員
* [[山田哲]] - [[タイトー]]社長、[[フェニックスリゾート]]社長
* [[横山禎徳]] - 社会システムデザイナー、[[マッキンゼー・アンド・カンパニー|マッキンゼー]]東京支社長
* [[吉田文紀]] - [[アムジェン]]日本法人社長、[[シンバイオ製薬]]創業者・社長兼CEO
* [[和才博美]] - [[NTTコミュニケーションズ]]社長、スローンスクールMBA
* [[米澤明憲]] - [[東京大学]]理学部教授、計算機科学者
日本国内においては、1911年に[[三井財閥]]の大番頭 [[團琢磨]]を初代会長として設立された、大学出身者で作る「日本マサチューセッツ工科大学会(日本MIT会)」が存在する。同様の組織として日本ハーバード会、日本ケンブリッジ会、日本オックスフォード会などがあるが、日本MIT会以外のこれらは、第二次大戦後設立された日本フルブライト会(会合は、在日米国大使館や六本木の東京アメリカンクラブなどで開かれる)から分かれて、大学別の同窓会(親睦会)として開かれているものである。各会員は1期から始まり、現在は各大学卒業ごとに開かれている。
== 連携大学 ==
=== 日本 ===
*[[東京工科大学]](提携)
*[[金沢工業大学]](連携)
*[[名古屋商科大学大学院]](Sloan School of Managementへの留学制度)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[スムート]]
*[[カリフォルニア工科大学]]
*[[ハーヴィー・マッド大学]]
* [[MIT License]]
* [[工業大学]]
* [[MITテクノロジーレビュー]]
== 外部リンク ==
{{commons|Massachusetts Institute of Technology}}
* {{Official|https://web.mit.edu/}}{{En icon}}
* [https://alum.mit.edu/ MIT Alumni Association]{{En icon}} - マサチューセッツ工科大学大学同窓会
* [https://ocw.mit.edu/index.htm OpenCourseWare]{{En icon}}
* [http://www-tech.mit.edu/ MIT Tech]{{En icon}} - 学生新聞
* [https://mitpress.mit.edu/ MIT Press]{{En icon}}
* [http://hacks.mit.edu/ IHTFP Hack Gallery]{{En icon}}
* [https://mitsloan.mit.edu/ MIT Sloan School of Management]{{En icon}}
* [http://web.mit.edu/sloanjapan/ MIT Sloan Japan Club]{{En icon}}
* [https://www.mit-j.org/ja/homepage.htm 日本MIT会]
* [https://web.mit.edu/jam/www/ Japanese Association of MIT (JAM)] - MIT日本人会
* [https://www.technologyreview.com/ MIT Technology Review]
* [https://www.technologyreview.jp/ MITテクノロジーレビュー]
{{coord|42|21|35|N|71|5|32|W|type:landmark_region:US|display=title}}
{{アメリカ大学協会|まさちゆせつつこうかたいかく}}
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[[Category:マサチューセッツ工科大学|*]]
[[Category:アメリカ合衆国の工業系高等教育機関]]
[[Category:ケンブリッジ (マサチューセッツ州)]]
[[Category:マサチューセッツ州の大学]] | 2003-04-23T04:41:21Z | 2023-11-29T01:11:22Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%84%E5%B7%A5%E7%A7%91%E5%A4%A7%E5%AD%A6 |
7,153 | 天文学者 | 天文学者(てんもんがくしゃ、英: astronomer)とは、惑星、恒星、銀河等の天体を研究する学者や科学者である。
アル=フワーリズミーのZīj al-Sindhind (アラビア語: زيج )は、約37章からなる文献で、正弦の値の表とともに暦や天文学、占星術に関する116の表が掲載されている。sindhindとして知られるインド天文学の方法を基にし、その後に多く書かれたアラビア語の天文学書の最初のものである。表の中には、太陽、月、当時から知られていた5つの惑星の運動に関するものある。この本はイスラム天文学の転換点になった。ムスリムの天文学者Hithertoは最初にこの分野の研究方法を導入し、専門書を翻訳し、既に知られていた知識を学んだ。フワーリズミーの著書は非伝統的な研究法、計算法の最初のものとなった 。
820年頃に書かれたアラビア語の原版は失われているが、1000年頃にスペインの天文学者Maslamah Ibn Ahmad al-Majritiが書いた版は、おそらくAdelard of Bathによるラテン語の翻訳で残っている)。現存するラテン語の4冊は、シャルトルのBibliothèque publique、パリのBibliothèque Mazarine、マドリードのBibliothèque Mazarine、オックスフォードのボドリアン図書館に保存されている。
ガリレオ・ガリレイ(1564-1642年)は望遠鏡なるものの特許申請がオランダでされたと聞きつけ天体観測にそれを使うことを思いつき1609年に自作し観測を開始。天体観測に革新をもたらした。それまでの落体の実験を行い、それまでの定性的な物理学に数値的な分析を導入(これが後にニュートン力学へとつながってゆく)。ただしガリレオは当時の学問的常識「ものは地上(「月下界」)では地上らしい(不完全な)動き方をし、月以遠は神の世界なので完全な原理、つまり円運動を基本として動く」といった考え方を(特に疑問視することもなく)受け入れていたので、宇宙空間の物理学、天体の物理学の開拓には到らなかった。
アイザック・ニュートン(1642-1727年)は反射望遠鏡(ニュートン式望遠鏡)を発明し1668年に第一号を完成させた。ニュートンは、ガリレオの実験の落体に働いた引力が実は宇宙空間全体でも作用している、それによって惑星は(横方向に慣性運動をしつつも)ある意味「落ち続ける」ことで楕円運動をし、公転している、と見抜き、「万有引力」を原理のひとつに据えつつ、ニュートン力学を構築。それをまとめた『自然哲学の数学的諸原理』を執筆・出版。天体の軌道の計算を可能にし、現代の天体力学へとつながる道を切り開いた。
国によって制度が若干異なるなるので一般化は難しいが、現代のプロの天文学者は高い教育を受け、通常 大学・大学院(修士コース・博士コース)においてたとえば天文学や 物理学の中の宇宙物理学(天体物理学)などを専攻し博士号を取得した後に、たとえば研究所や大学などに雇用されている。 多くの時間を研究に費やすが、教育、施設の建設、天文台の運営の補助等にも携わっている。
国際天文学連合には、博士課程以上の学生を含めて89カ国から9259人が所属している。
アメリカ合衆国の天文学者に関しては、アメリカ天文学会があり、これは北米最大の天文学者の組織であり、7,700人が所属している。なおこの7,700という数字には、物理学、地球科学(地学)、工学等の別分野出身で天文学に関心を持ち、深く関わっている人々も含まれているので、純粋な天文学者はこの数よりずっと少ない。
現代のプロの天文学者は望遠鏡を直接目で覗くことは非常に稀であり、CCDイメージセンサを用いて長露光で撮影することが一般的である。最近の天文学者は望遠鏡の前にいることは1年間に数週間程度と比較的少なく、多くの時間をデータの整理や分析に費やす。完全に自動化された超大型干渉電波望遠鏡群等の電波望遠鏡を使う天文学者もいる。
大学や研究機関に勤める天文学者は、学生や院生の教育も行う。また多くの大学や天文台では、望遠鏡の一般公開やプラネタリウムの上映等のアウトリーチ活動も行い、研究分野や成果の広報を行い、一般市民の理解を得たり、将来に新たな天文学者生まれるきっかけを作っている。
ところでアマチュア天文学者という人々もいる。太平洋天文協会(英語版)は、70カ国以上からプロやアマチュアの天文学者、教育者が参加する世界最大の組織である。多くの市に、定期的に会合を開催しているアマチュア天文学者のクラブがある。「アマチュア天文学者」には、いわゆる「アームチェア天文学者」と呼ばれる人々から、自身の天体望遠鏡を所持して野望を持ち、新しい発見をしたりプロの天文学者の研究を助けたりする者まで、様々なタイプがいる。「アマチュア天文家」の多くが、月に数時間を天体観測や最新の研究成果の文献を読むことに費やす。 | [
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] | 天文学者とは、惑星、恒星、銀河等の天体を研究する学者や科学者である。 | {{Otheruses||フェルメールの絵画|天文学者 (フェルメールの絵画)|}}
'''天文学者'''(てんもんがくしゃ、{{Lang-en-short|astronomer}})とは、[[惑星]]、[[恒星]]、[[銀河]]等の[[天体]]を研究する[[学者]]や[[科学者]]である。
== 古代 ==
{{節スタブ}}
<Gallery>
File:Ptolemy_Astrology_1564.jpg|[[四分儀]]を用いて星の高度を測定する[[クラウディオス・プトレマイオス]]
</Gallery>
== 中世アラビアの天文学者 ==
[[ファイル:Corpus Christ College MS 283 (1).png|thumb|Corpus Christi College MS 283]]
[[フワーリズミー|アル=フワーリズミー]]の{{unicode|''Zīj al-Sindhind''}}<ref name="toomer">{{harvnb|Toomer|1990}}</ref> (アラビア語: زيج )は、約37章からなる文献で、[[正弦]]の値の表とともに[[暦]]や天文学、[[占星術]]に関する116の表が掲載されている。''sindhind''として知られるインド天文学の方法を基にし<ref>{{harvnb|Kennedy|1956|pp= 26–9}}</ref>、その後に多く書かれたアラビア語の天文学書の最初のものである。表の中には、太陽、月、当時から知られていた5つの惑星の運動に関するものある。この本はイスラム天文学の転換点になった。ムスリムの天文学者Hithertoは最初にこの分野の研究方法を導入し、専門書を翻訳し、既に知られていた知識を学んだ。フワーリズミーの著書は非伝統的な研究法、計算法の最初のものとなった<ref>{{harvnb|Dallal|1999|p=163}}</ref>
。
820年頃に書かれたアラビア語の原版は失われているが、1000年頃にスペインの天文学者Maslamah Ibn Ahmad al-Majritiが書いた版は、おそらくAdelard of Bathによるラテン語の翻訳で残っている)<ref>{{harvnb|Kennedy|1956|p= 128}}</ref>。現存するラテン語の4冊は、[[シャルトル]]のBibliothèque publique、[[パリ]]のBibliothèque Mazarine、[[マドリード]]のBibliothèque Mazarine、[[オックスフォード]]の[[ボドリアン図書館]]に保存されている。
<!--<Gallery>
</Gallery>-->
== ヨーロッパ中世~18世紀の天文学者 ==
{{節スタブ}}
[[ファイル:Galileo_Galilei_2.jpg|thumb|right|120px|[[ガリレオ・ガリレイ]]。(望遠鏡を自作したころの年齢の肖像)。]]
ガリレオ・ガリレイ(1564-1642年)は[[望遠鏡]]なるものの特許申請がオランダでされたと聞きつけ天体観測にそれを使うことを思いつき1609年に自作し観測を開始。天体観測に革新をもたらした。それまでの落体の実験を行い、それまでの定性的な物理学に数値的な分析を導入(これが後にニュートン力学へとつながってゆく)。ただしガリレオは当時の学問的常識「ものは地上(「月下界」)では地上らしい(不完全な)動き方をし、月以遠は神の世界なので完全な原理、つまり円運動を基本として動く」といった考え方を(特に疑問視することもなく)受け入れていたので、宇宙空間の物理学、天体の物理学の開拓には到らなかった。
[[File:StatueOfIsaacNewton.jpg|thumb|left|120px|[[アイザック・ニュートン]]。トリニティカレッジのルーカス教授をつとめ『[[自然哲学の数学的諸原理]]』を刊行したころのイメージの像。]]
[[アイザック・ニュートン]](1642-1727年)は[[反射望遠鏡]]([[ニュートン式望遠鏡]])を発明し1668年に第一号を完成させた。ニュートンは、ガリレオの実験の落体に働いた引力が実は宇宙空間全体でも作用している、それによって惑星は(横方向に慣性運動をしつつも)ある意味「落ち続ける」ことで楕円運動をし、[[公転]]している、と見抜き、「[[万有引力]]」を[[原理]]のひとつに据えつつ、[[ニュートン力学]]を構築。それをまとめた『[[自然哲学の数学的諸原理]]』を執筆・出版。天体の[[軌道 (力学)|軌道]]の計算を可能にし、現代の[[天体力学]]へとつながる道を切り開いた。
<Gallery>
File:Nikolaus_Kopernikus.jpg|[[ニコラウス・コペルニクス]](1473年 - 1543年)。De revolutionibus orbium coelestium (邦題『[[天球の回転について]]』)1543年刊、を執筆。太陽中心説を提唱。
File:Portrait Confused With Johannes Kepler 1610.jpg|[[ヨハネス・ケプラー]]
</Gallery>
== 現代の天文学者 ==
<!--{{要出典|date=2019年10月}}{{要検証|date=2019年10月}}歴史的に、astronomy では天空で起きる現象の分類や記述に重点を置き、astroplane ではこれらの現象の説明やそれらの間の差異を物理法則を使って説明することを試みてきた。今日では、2つの差はほとんどなくなっている。-->
国によって制度が若干異なるなるので一般化は難しいが、現代のプロの天文学者は高い教育を受け、通常 大学・[[大学院]](修士コース・博士コース)においてたとえば[[天文学]]や 物理学の中の[[宇宙物理学]](天体物理学)などを専攻し[[博士号]]を取得した後に、たとえば研究所や大学などに[[雇用]]されている。
<!--<ref>{{citation|url=http://www.noao.edu/education/astfaq.html |title=Frequently Asked Questions About Becoming an Astronomer |accessdate=29 March 2009 |work= |publisher=NOAO}}</ref>。-->多くの時間を研究に費やすが、教育、施設の建設、[[天文台]]の運営の補助等にも携わっている。
[[国際天文学連合]]には、[[大学院#博士後期課程・後期3年博士課程|博士課程]]以上の学生を含めて89カ国から9259人が所属している<ref>{{citation|url=http://www.iau.org/about/ |title=About IAU |accessdate=14 August 2009 |work= |publisher=IAU}}</ref>。
アメリカ合衆国の天文学者に関しては、[[アメリカ天文学会]]があり、これは北米最大の天文学者の組織であり、7,700人が所属している。なおこの7,700という数字には、物理学、[[地球科学|地球科学(地学)]]、[[工学]]等の別分野出身で天文学に関心を持ち、深く関わっている人々も含まれているので、純粋な天文学者はこの数よりずっと少ない<ref>{{citation|url=http://aas.org/ |title=American Astronomical Society Home |accessdate=14 August 2009 |work= |publisher=AAS}}</ref>。
現代のプロの天文学者は[[望遠鏡]]を直接目で覗くことは非常に稀であり、[[CCDイメージセンサ]]を用いて長露光で撮影することが一般的である。最近の天文学者は望遠鏡の前にいることは1年間に数週間程度と比較的少なく、多くの時間をデータの整理や分析に費やす。完全に自動化された[[超大型干渉電波望遠鏡群]]等の[[電波望遠鏡]]を使う天文学者もいる。
大学や研究機関に勤める天文学者は、学生や院生の[[教育]]も行う。また多くの大学や天文台では、望遠鏡の一般公開や[[プラネタリウム]]の上映等のアウトリーチ活動も行い、研究分野や成果の広報を行い、一般市民の理解を得たり、将来に新たな天文学者生まれるきっかけを作っている。
ところで[[アマチュア天文学|アマチュア天文学者]]という人々もいる。{{仮リンク|太平洋天文協会|en|Astronomical Society of the Pacific}}は、70カ国以上からプロやアマチュアの天文学者、教育者が参加する世界最大の組織である<ref>{{citation|url=http://www.astrosociety.org/about.html |title=About Us |accessdate=29 March 2009 |work= |publisher=Astronomical Society of the Pacific}}</ref>。多くの市に、定期的に会合を開催しているアマチュア天文学者のクラブがある。「アマチュア天文学者」には、いわゆる「アームチェア天文学者」と呼ばれる人々から、自身の[[天体望遠鏡]]を所持して野望を持ち、新しい発見をしたりプロの天文学者の研究を助けたりする者まで、様々なタイプがいる。「アマチュア天文家」の多くが、月に数時間を[[天体観測]]や最新の研究成果の文献を読むことに費やす。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 出典 ==
* {{citation|last=Dallal |first=Ahmad |contribution=Science, Medicine and Technology |editor-last=Esposito |editor-first=John |title=The Oxford History of Islam |year=1999 |publisher=Oxford University Press, New York|ref=harv|postscript=<!--None--> }}
* {{citation|last=Kennedy|first=E.S.|title=A Survey of Islamic Astronomical Tables; Transactions of the American Philosophical Society| year=1956|location=[[Philadelphia]]| publisher=American Philosophical Society|volume=46|issue=2|ref=harv|postscript=<!--None-->}}
* {{Cite encyclopedia
| last = Toomer
| first = Gerald
| title = Al-Khwārizmī, Abu Jaʿfar Muḥammad ibn Mūsā
| encyclopedia = Dictionary of Scientific Biography
| volume = 7
| editor = Gillispie, Charles Coulston
| publisher = Charles Scribner's Sons
| location = New York
| date = 1990
| isbn = 0-684-16962-2
}}
== 関連項目 ==
* [[天文学者の一覧]]
** [[日本の天文学者の一覧]]
* [[現代宇宙論]]
== 外部リンク ==
* [http://www.aas.org American Astronomical Society]
* [http://www.iau.org International Astronomical Union]
* [http://www.astrosociety.org Astronomical Society of the Pacific]
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:てんもんかくしや}}
[[Category:天文学者|*]]
[[Category:天文学に関連する人物|*てんもんかくしや]]
[[Category:天文学に関する記事]]
[[Category:科学関連の職業]] | 2003-04-23T05:46:21Z | 2023-11-26T15:47:35Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%80%85 |
7,155 | 西 | 西(にし)とは、四方位の一つ。日が去るの方向の意味の「去にし」が「にし」に転じた。極地以外では太陽が沈む方位。地球の自転とは反対の方向。
南北が絶対的な位置関係にあるのに対して東西は相対な位置関係にある。 | [
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] | 西(にし)とは、四方位の一つ。日が去るの方向の意味の「去にし」が「にし」に転じた。極地以外では太陽が沈む方位。地球の自転とは反対の方向。 南北が絶対的な位置関係にあるのに対して東西は相対な位置関係にある。 | {{Otheruses}}
{{方位}}
'''西'''(にし)とは、[[方位|四方位]]の一つ。日が去るの方向の意味の「去にし」が「にし」に転じた。極地以外では[[太陽]]が沈む[[方位]]。[[地球]]の[[自転]]とは反対の方向。
南北が絶対的な位置関係にあるのに対して東西は相対な位置関係にある。
== 西に関する項目 ==
* [[西洋]]を[[オクシデント]](Occident)というが、本来は「日が沈む地」を意味する。
* [[西側諸国]]:[[西洋]]でも、特に[[西ヨーロッパ|西欧]]と[[北米]]を指す。米ソ[[冷戦]]時代には、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に与する陣営として強調された。
* [[太陽|日]]が沈む[[方位]]である点から、西は「衰退」に例えられる事がある。
* 同じく日没の方位から「[[死]]」の象徴ともされる。
* 西は、[[角度]]においては270°を表し([[北]]を0°=360°として、時計回りに測る)、[[時刻]]においては日暮れ(夕方)を表す。
* [[地図]]においては、[[左]]を西とする事が多い。
* 西を表す[[色]]は、[[五行思想]]では[[白]]であり[[四神|守護神]]は[[白虎]]である。しかし、風水では[[黄色]]である事が多い。
* [[西半球]]:南北[[アメリカ大陸]]が属する。
* [[西日本]]、西国:一般的には[[近畿地方]]を指し(例:[[西国三十三所]])、近年は[[中国地方]]、[[四国]]、[[九州地方]]を指す事もある(例:[[西日本鉄道]])。
* [[スペイン]](西班牙)に当てられた[[漢字]]1文字による表記。
* [[大相撲]]の[[番付]]で同地位では、西が東より格下である。
<!--
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist|2}}-->
== 関連項目 ==
{{Wiktionary|にし|西}}
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* [[東]] / [[南]] / [[北]]
* {{Prefix}}
*{{intitle}}
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7,159 | GIS | GIS、Gis | [
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] | GIS、Gis | '''GIS'''、'''Gis'''
== GIS ==
* [[地理情報システム]] ({{en|geographic information system}})。
* [[地理情報科学]] ({{en|geographic information science}})。
* [[ガス遮断器#ガス絶縁開閉装置|ガス絶縁開閉装置]] ({{interlang|de|Gasisolierte Schaltanlage|{{en|gas insulated switch[-gear]}}}}) - 開閉器・電線路類をガス絶縁した密閉容器。
* 官公庁
** [[特殊介入部隊 (カラビニエリ)]] ({{it|Gruppo d’Intervento Speciale}}) - イタリアの特殊部隊。
** [[特殊介入部隊 (アルジェリア)]] ({{interlang|fr|Groupement d'intervention spécial}}) - アルジェリアの特殊部隊。
** [[総合情報局]] ({{interlang|en|Egyptian General Intelligence Service|General Intelligence Service}}) - エジプトの情報機関。
* 地理
** [[ギズボーン (ニュージーランド)]] ({{en|Gisborne}}; IATA: GIS) - ニュージーランドの都市。
** [[ギズボーン空港]] ({{interlang|en|Gisborne Airport}}; IATA: GIS) - ギズボーンの空港。
** [[グリーンランド氷床]] ({{interlang|en|Greenland ice sheet}})
* 作品タイトル
** [[GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊]] - 1995年の日本のアニメ映画。
** [[G.I.S 特殊介入部隊 56HOURS]] (''{{interlang|it|Le ultime 56 ore}}'') - 2010年のイタリア映画。
* [[グリーン投資スキーム]] ({{en|Green Investment Scheme}})。[[京都議定書#排出量取引|排出量取引]]の1制度。
* [[国際教養学部|グローバル教養学部]] ({{en|Faculty of Global and Interdisciplinary Studies}}) - [[法政大学]]の学部。
* [[ゼネラル・ミルズ]] ({{interlang|en|General Mills}}; {{NYSE|GIS}}) - アメリカの食品会社。
* [[全地球的情報システム]] ({{interlang|En|global information system}})
== Gis ==
* [[嬰ト]] - 音名。[[ト (音名)|G]]シャープ。
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/GIS |
7,165 | ライダーキック | ライダーキックは、仮面ライダーシリーズで仮面ライダーが使う必殺技である。
仮面ライダーの必殺技の代表格。基本的には高いジャンプから放つ跳び蹴りであり、戦闘における決め技として用いられる。受けた敵(改造人間や怪人など)は耐えられず、ひとたまりもなく爆発(もしくは死亡か消滅など)してしまうほどの威力をもつ。特撮作品では円谷プロダクションのウルトラマンが用いるスペシウム光線と並ぶ、有名な必殺技である。
第1作『仮面ライダー』では第1話から登場しており、主題歌のタイトルにもなっている。元来は初代の仮面ライダー1号・2号がバッタの能力を持つことから、その脚力や跳躍力を表現する技として設定されたものであるが、後続の作品でも必殺技として取り入れられ、多様な形態をとりながら継承されていった。
ただし、すべての仮面ライダーがキックを使用するわけではなく、仮面ライダーアマゾンや仮面ライダーBLACK RXのようにキックが主たる必殺技ではない者のほか、仮面ライダーシンや仮面ライダー響鬼などのように必殺技としてのキック技を本編では使用しなかった者も少なくない。
中にはキックの衝撃だけではなく、脚を通じて相手に何らかのエネルギーや物質を流し込むことで破壊力を増しているタイプも多いほか、キックの前にポーズをつけたりワンアクションを入れたりする場合も多いが、平成シリーズではキックの前に「ベルトのボタンを押す」「キック用のアイテムをベルトなどにスキャンさせる」「足にキック用装備を装着する」など、各作品の放送期間に合わせて発売される玩具との連動性が強くなっている。
『仮面ライダー』の本放送時には、子供たち視聴者にライダーキックを真似て負傷する者が出て社会問題となり、劇中ではライダーキックを真似る少年ライダー隊の子供たちに本郷猛と滝和也が注意を呼びかける場面が挿入された(仮面ライダー1号#必殺技も参照)。
作中では、真上にジャンプして最頂点に達した後に斜め下に向かってキックを放つという流れであるため、「現実で完璧に再現することは物理的に不可能である」と指摘されることもあるが、その動きの多くは初期の作品で見られるものであり、昭和後期や平成期の作品では前方に向かってジャンプする、何らかの外的要因により前方への推進力を得るといった描写が多く見られるため、この指摘は不適当になりつつある(そもそもライダーキックのすべてが跳び蹴りとは限らない)。
ザ・グレート・サスケなど一部のプロレスラーにおいて、変形のミサイルキックを「ライダーキック」と称して使用する選手や、漫画・アニメ・ゲームにも似た技を繰り出す登場人物が存在する。 | [
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] | ライダーキックは、仮面ライダーシリーズで仮面ライダーが使う必殺技である。 | {{Otheruses|'''仮面ライダー'''の必殺技|'''プロレス技'''|ドロップキック#ミサイルキック}}
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[[File:Rider Kick 2022-07-07.png|250px|thumb|right|ライダーキックの基本的なフォーム]]
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== 概要 ==
仮面ライダーの必殺技の代表格。基本的には高いジャンプから放つ[[跳び蹴り]]であり、戦闘における決め技として用いられる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kamen-rider-official.com/zukan/forms/586|title=仮面ライダー1号|website=仮面ライダー図鑑|publisher=東映|accessdate=2022-08-31}}</ref>。受けた敵(改造人間や怪人など)は耐えられず、ひとたまりもなく爆発(もしくは死亡か消滅など)してしまうほどの威力をもつ。特撮作品では[[円谷プロダクション]]の[[ウルトラマン]]が用いる[[ウルトラマン#ウルトラマンの能力|スペシウム光線]]と並ぶ、有名な必殺技である。
第1作『[[仮面ライダー]]』では第1話から登場しており、主題歌のタイトルにもなっている。元来は初代の[[仮面ライダー1号]]・[[仮面ライダー2号|2号]]が[[バッタ]]の能力を持つことから、その脚力や跳躍力を表現する技として設定されたものであるが、後続の作品でも必殺技として取り入れられ、多様な形態をとりながら継承されていった。
ただし、すべての仮面ライダーがキックを使用するわけではなく、[[仮面ライダーアマゾン]]や[[仮面ライダーBLACK RX]]のようにキックが主たる必殺技ではない者のほか、[[真・仮面ライダー 序章|仮面ライダーシン]]や[[仮面ライダー響鬼]]などのように必殺技としてのキック技を本編では使用しなかった者{{efn|シンも響鬼も、『[[劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー]]』では他の仮面ライダーたちと共同という形で、ライダーキックを放っている。}}も少なくない。
中にはキックの衝撃だけではなく、脚を通じて相手に何らかのエネルギーや物質を流し込むことで破壊力を増しているタイプも多いほか、キックの前にポーズをつけたりワンアクションを入れたりする場合も多いが、平成シリーズではキックの前に「ベルトのボタンを押す」「キック用のアイテムをベルトなどにスキャンさせる」「足にキック用装備を装着する」など、各作品の放送期間に合わせて発売される[[玩具]]との連動性が強くなっている。
『仮面ライダー』の本放送時には、子供たち視聴者にライダーキックを真似て負傷する者が出て社会問題となり、劇中ではライダーキックを真似る少年ライダー隊の子供たちに本郷猛と滝和也が注意を呼びかける場面が挿入された([[仮面ライダー1号#必殺技]]も参照)。
作中では、真上にジャンプして最頂点に達した後に斜め下に向かってキックを放つという流れであるため、「現実で完璧に再現することは物理的に不可能である」と指摘されることもある{{R|空想科学読本2}}が、その動きの多くは初期の作品で見られるものであり、昭和後期や平成期の作品では前方に向かってジャンプする、何らかの外的要因により前方への推進力を得るといった描写が多く見られるため、この指摘は不適当になりつつある(そもそもライダーキックのすべてが跳び蹴りとは限らない)。
[[ザ・グレート・サスケ]]など一部の[[プロレスラー]]において、変形の[[ドロップキック#ミサイルキック|ミサイルキック]]を「ライダーキック」と称して使用する選手や、漫画・アニメ・ゲームにも似た技を繰り出す登場人物が存在する。
== 脚注 ==
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7,169 | ザ・ウルトラマン | ザ・ウルトラマン ウルトラシリーズの一作を指すが、以下の二作品が存在する。いずれも円谷プロによる公式の作品である。 | [
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] | ザ・ウルトラマン
ウルトラシリーズの一作を指すが、以下の二作品が存在する。いずれも円谷プロによる公式の作品である。 ザ☆ウルトラマン - 日本サンライズ製作のアニメーション作品。
ザ・ウルトラマン (漫画) - 小学館の学年誌やコロコロコミック、てれびくんに掲載された内山まもるによる漫画作品。 | '''ザ・ウルトラマン'''
ウルトラシリーズの一作を指すが、以下の二作品が存在する。いずれも[[円谷プロダクション|円谷プロ]]による公式の作品である。
* [[ザ☆ウルトラマン]] - [[日本サンライズ]]製作の[[アニメーション]]作品。
* [[ザ・ウルトラマン (漫画)]] - 小学館の[[学年誌]]や[[コロコロコミック]]、[[てれびくん]]に掲載された[[内山まもる]]による[[漫画]]作品。
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7,171 | 平安京 | 平安京(へいあんきょう/たいらのみやこ)または平安城(へいあんじょう)は、日本における古代最後の宮都。794年(延暦13年)から1869年(明治2年)までの日本の首都。
桓武天皇により、長岡京に代わる都として山背国(山城国)愛宕・葛野の両郡にまたがる地が選ばれ、中国の洛陽城や長安城を模して793年(延暦12年)から建設された。翌794年(延暦13年)に遷都。北部中央に宮城・平安宮(大内裏)が建設され、以降歴代の皇居が置かれた。
遷都以来、平清盛により断行された福原遷都(1180年)の期間を除いて、東京奠都まで1100年近くに亘って都であり、形式的には1869年(明治2年)まで続いた。今日の京都市街が形成されるに至る。
新都建設地の選定にひそかに入った桓武天皇は、792年(延暦11年)1月そして5月、狩猟をよそおって、候補地のひとつ山背国葛野郡宇太村を訪れた。 さらに翌793年(延暦12年)には、大納言の藤原小黒麻呂や左大弁の紀古佐美らも派遣し同地を確認・検討させた。その結果ここが建設地と決まり、新都市建設計画、遷都計画が動き出し、と同時に長岡京の取り壊しが始まった。
当時の山背国葛野・愛宕両郡にまたがる地(結果として現在の京都市街となった地)に東西4.5 km、南北5.2 kmの長方形の都城として計画された。
平安京の計画の大枠(平面計画)は基本的に中国の隋・唐の洛陽城や長安城を手本としたものであり、またやはり長安を模した日本の平城京・長岡京を踏襲したものでもある。都市全体が四角形で、左右対称で、街路が「碁盤の目」状に整然と直交するように設けられ、市街の中心に朱雀大路を南北方向に配置し、政治の中心となる大内裏は朱雀大路の北、都の北辺に設けられた(「北闕型」)。朱雀大路によって分けられた京域の東西をそれぞれ左京・右京と呼んだ(「左・右」はあくまで内裏側から見ての左右である)。また後には大内裏の南を東西に走る二条大路の北を「上辺」(かみのわたり)、南を「下辺」(しものわたり)、さらには「上京」(かみぎょう)、南を「下京」(しもぎょう)と呼ぶようになり、これが地形も相俟って現代の京都で北に行くことを「上ル」、南に行くことを「下ル」と呼ぶことに繋がる。手本となった長安城は羅城(=都市を囲む城壁)で囲まれていたのに対して、平安京では京域南辺の入り口である羅城門の左右の短い部分を除き羅城は造られなかったと考えられている。
平安京は,中国の洛陽城や長安城を模して建設された。しかし,その後,長安城になぞらえた右京が早くに衰退,洛陽城になぞらえた左京のみが人口も増えて発展したため,洛陽が平安京の代名詞となった。京都が「京洛」と呼ばれ,「上洛」などと言うようになったのは,そういう事情による。
この地の選定は中国から伝わった陰陽道(風水)に基づく四神相応の考え方を元に行われたという説もある。この四神とは北・玄武、東・青龍、西・白虎、南・朱雀の霊獣をいうが、これを「山」「川」「道」「澤」に当てはめ、それぞれ船岡山、鴨川、山陰道、巨椋池に擬する考えがあるが、現在ではこれを否定する研究者も少なくない。 平安京の範囲は、現代の京都市街より小さく、北限の一条大路は現在の今出川通と丸太町通の中間にある一条通、南限の九条大路は現在のJR京都駅南方、東寺の南側を通る九条通、東限の東京極大路は現在の寺町通にあたる。西限の西京極大路の推定地はJR嵯峨野線花園駅や阪急京都線西京極駅を南北に結んだ線である。
京内は東西南北に走る大路・小路によって40丈(約120メートル)四方の「町」に分けられていた。東西方向に並ぶ町を4列集めたもの(北辺の2列は除く)を「条」、南北方向の列を4つ集めたものを「坊」と呼び、同じ条・坊に属する16の町にはそれぞれ番号が付けられていた(『条坊制』。これによりそれぞれの町は「右京五条三坊十四町」のように呼ばれた。これら街区は、平城京では街路の中心線を基準としていたため、街路の幅の違いによって宅地面積の広狭差が生まれたが、平安京では街路の幅を除いて形成されたため、場所による宅地の広狭が生まれることはなかった。
道幅は小路でも4丈(約12メートル)、大路では8丈(約24メートル)以上あった。朱雀大路に至っては28丈(約84メートル)もの幅であったが、一方で東京極・西京極大路は大路であっても造営当初から10メートル前後と小路より狭い幅であった。また、堀川小路と西堀川小路では中央に川(堀川、西堀川)が流れていた。
平安京の北部中央には、天皇が身を置き、まつりごとが行なわれる施設群となる宮城(大内裏)の平安宮が建造された。大内裏には天皇の御所として内裏、即位礼など国家行事を挙行する八省院(「朝堂院」、朝堂院の正殿が「大極殿」)、大規模な饗宴が行われた豊楽院、神事を行う中和院や仏事に関わる真言院、その他二官八省の政庁、衛府などが並び立った。
なおそれらは、平安京の衰微とともに、太政官庁など大内霊場(おおうちれいじょう)と呼ばれた4つの建物を残して荒廃し、後にこれらも倒壊して遂に当時の大内裏を偲ばせるものはすべて無くなってしまった。ただし、新たな内裏である京都御所が建設されるとこれを平安宮と称するなど、その名が完全に忘れ去られることはなかった。
平安京は、延暦13年10月22日(西暦794年11月22日)から、一説には明治2年(1869年)まで日本の首都であったとされ、明治2年(1869年)に政府(太政官)が東京(旧江戸)に移転して首都機能を失っている。
その始めは桓武天皇の長岡京遷都まで遡る。桓武天皇は延暦3年(784年)に平城京から長岡京を造営して遷都したが、これは天武天皇系の政権を支えてきた貴族や寺院の勢力が集まる大和国から脱して、新たな天智天皇系の都を造る意図があったといわれる。しかしそれからわずか9年後の延暦12年(793年)1月、和気清麻呂の建議もあり、桓武天皇は再遷都を宣言する(理由は長岡京を参照)。場所は、長岡京の北東10 km、2つの川に挟まれた山背国北部の葛野郡および愛宕郡の地であった。事前に桓武天皇は現在の京都市東山区にある将軍塚から見渡し、都に相応しいか否か確かめたと云われている。『日本紀略』には「葛野の地は山や川が麗しく四方の国の人が集まるのに交通や水運の便が良いところだ」という桓武天皇の勅語が残っている。
平安京の造営はまず宮城(大内裏)から始められ、続いて京(市街)の造営を進めたと考えられる。都の中央を貫く朱雀大路の一番北に、皇居と官庁街を含む大内裏が設けられて、その中央には大極殿が作られた。その後方の東側には天皇の住まいである内裏が設けられた。
都の東西を流れる鴨川や桂川沿いには、淀津や大井津などの港を整備、これらの港を全国から物資を集める中継基地にして、そこから都に物資を運び込んだ。運ばれた物資は都の中にある大きな2つの市(東市・西市)に送り、人々の生活を支えた。このように食料や物資を安定供給できる仕組みを整え、人口増加に対応できるようにした。また、長岡京で住民を苦しめた洪水への対策も講じ、都の中に自然の川がない代わりに東西にそれぞれ「堀川」(現在の堀川と西堀川)を始めとする河川をいくつも整備し、水運の便に供するとともに生活廃水路とした。そして長岡京で認めなかったように、ここでも官寺である東寺と西寺を除き、新たな仏教寺院の建立を認めなかった(この他平安遷都以前からの寺院として京域内には六角堂があったとされるが、平安遷都後の創建説もある。また、広隆寺はこの時に太秦に移転されたとされ、京域外の北野上白梅町からは移転以前の同寺跡とみられる「北野廃寺跡」が見つかっている)。 なお、建都に当ってはそれまで上賀茂付近から真南に流れていた賀茂川(鴨川の出町以北の通称)を現在の南東流に、また出町付近から南西方向に左京域を斜行していた高野川を現在の南流に変え鴨川としたとの説が塚本常雄によって唱えられ多くの歴史学者に支持された(「鴨川つけかえ説」)。これに対して後に横山卓雄によって否定説が提出され、歴史学者も一転してこの説に従うようになり、現在は「鴨川・賀茂川つけかえはなかった」とするのが有力となっている。ところが、最近になって横山説に疑問を呈する研究者が現れ、塚本の鴨川つけかえ説に対する再評価の動きが活発になりつつある。
延暦13年(794年)10月22日に桓武天皇は新京に遷り、翌11月8日には山背国を山城国に改名すると詔を下した。
「此の国は山河襟帯(さんがきんたい)し、自然(おのづから)に城をなす。此の勝(形勝 けいしょう)によりて、新号を制(さだ)むべし。よろしく山背国を改めて、山城国と為すべし。また子来(しらい)の民、謳歌(おうか)の輩(ともがら)、異口同辞(いくどうじ)に、号して平安京と曰(い)ふ」(此の国は山河が周りを取り囲み、自然に城の形をなしている。この景勝に因んで、新しい名前を付けよう。「山背国」を改めて「山城国」と書き表すことにしよう。また新京が出来たことを喜んで集まった人々や、喜びの歌を歌う人々が、異口同音に「平安の都」と呼んでいるから、この都を「平安京」と名付けることとする)。ここに言う「謳歌」とは、遷都の翌延暦14年(795年)正月16日に宮中で催された宴でも歌われた踏歌の囃し言葉「新京楽、平安楽土、万年春(しんきょうがく、びょうあんがくつ、まんねんしゅん)」を言うのであろう。
弘仁元年(810年)、桓武天皇亡き後の皇位を巡る対立で平城上皇とその一派から平城京に都を戻そうという動きが起こるが、平城上皇の弟の嵯峨天皇は平安京を残すことこそ国の安定と考え、平城上皇らのこの動きを退け、側近の藤原仲成・薬子兄妹を討伐し上皇を出家させた(薬子の変)。そして平安宮を「万代宮(よろずよのみや)」と定める(永遠の皇居という意)。
京域が広すぎたためか、規則正しく配置された条坊が人家で埋まることはついになく、特に右京の南方の地では桂川の形作る湿地帯にあたるため9世紀に入っても宅地化が進まず、律令制がほとんど形骸化した10世紀には荒廃して本来京内では禁じられている農地へと転用されることすらあった。980年(天元3年)には朱雀大路の南端にある羅城門(俗に「羅生門」という)が倒壊し、以後再建されることはなかった。また朱雀大路を始めとして広かった大路小路も次第に宅地に侵食され狭められた。
貴族の住む宅地は大内裏に近い右京北部を除いて左京に設けられ、藤原氏のような上流貴族の宅地が左京北部へ集中する一方、貧しい人々は京内南東部に密集して住み、さらには平安京の東限を越えて鴨川の川べりに住み始めた。また、鴨川東岸には寺院や別荘が建設されて、平安京の本来の範囲より東(左京)に偏った市街地が形成されていった。
政庁を平安京外に置いた院政の出現は、平安京の都市構造の変化をもたらし、また天皇中心の都という形態を損なうことで、結果として平安京という定められた都市規範を崩壊させる大きな引き金となった。
平安時代の末期に至って京内で戦が頻発し、荒廃が進行した。政情不安もあって治承4年(1180年)、平清盛は安徳天皇を奉じて福原に遷都(福原京)したが、公家たちの反対に遭い、わずか半年で京都に還都した。
平安末期から「平安京」に代わる言葉として「京都」という語が用いられ始め、鎌倉期初頭にかけてその使用の頻度が増す。また、平安京を擬えた「洛陽」から採られた、中世・近世の京都市中を示す「洛中」という言葉も、鎌倉時代から使われ始める。
鎌倉幕府により京都を冠した最初の役職となる「京都守護」(六波羅探題の設置により消滅)が設置される。鎌倉が武家政権の本拠となる一方、京都は貴族や寺社権門の中心となった。天皇の住まいである内裏は度重なる災害により転々とし、室町時代に鴨川寄りの里内裏「土御門東洞院殿」が修造を経て正式な内裏となり、以降はこの場所で築造が繰り返され、現在の「京都御所」の原形となった。
室町時代から戦国時代にかけての時期は、応仁の乱にて市街地の過半を焼失し、衰退した。その後、京都の市街地は、上京と下京に分かれて小規模なものとなっていた。これが再度一体の市街として復興に向かうのは安土桃山時代であり、織田信長の上洛後のことである。豊臣秀吉は大内裏の跡地である内野に政庁である聚楽第を設け、また京を取り囲む延長20 km余りの惣構である「御土居」を建設した。秀吉は、関白位を甥の秀次に譲ると伏見の指月に隠居した。間もなく秀次が失脚して聚楽第が破却され秀吉が伏見城を建設すると、政治の中心は京都から離れて完全に伏見に移ることとなった。
そして関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康も伏見城に入城し、伏見城で征夷大将軍の宣下を受ける。家康は洛中に二条城を建設したが、これは政庁としての城ではなくもっぱら儀礼的な役割を担うものであったから、このことによって京都が政都に復することはなく、以後三代徳川家光まで伏見城で将軍宣下式を行っている。江戸時代には、国政の中心地は江戸、商業の中心地は大坂に移ったものの、京都には江戸幕府の機関である京都所司代が置かれて朝廷との交渉や京都市政を担った。各藩も藩邸を置いて対朝廷および各藩間の外交を行ったため、京都は独特の地位を有したが、幕府はこのことを好まず、例えば西国大名が参勤交代の際、京都に入ることを禁じた。幕末には京での政情不安に鑑み京都守護職を新たに置き、一層支配を強めようとした。
明治維新の際には、明治天皇の東京行幸で留守の都となり、留守官が置かれた(明治4年廃止)。江戸を東京と改名する詔勅は下されたものの、京都に残る公家らの反発が大きかったため、「遷都」という言葉は避けられた(→東京奠都)。以後も天皇の京都行幸はたびたび行われ、その際には、勅旨で保存された京都御所または仙洞御所(京都大宮御所)に宿泊することが慣例となった。なお、天皇の玉座である高御座も、京都御所の紫宸殿に据え置かれている。
平安京はふつう音読みで「へいあんきょう」と読むが、ときに「たいらのみやこ」と訓読みした。古来、都の名はその地名を冠することが一般的であり、本来ならば葛野京となるはずであったが、藤原の都を「新益京(あらますのみやこ)」と称したように、ここでも「平安京」と命名された。唐の都「長安」に倣っての命名であることは容易に理解できるが、長岡京での騒動が原因のひとつとして、再び遷都されたため、新京では悪いことが起こらず、「平らかで安らかな都」、「平安」(訓読みは「たいら」)であって欲しいという願いも込められたと考えられている。また平安時代の漢詩文には、文学上の雅称として「洛陽」「長安」と呼ぶ例が見られる。この「洛陽」から後に「洛中」「入洛」「上洛」などの言葉が生まれる。
注意:図に描かれているもの以外にも、複数の町にまたがる邸宅などにより小路が途切れていることがある。 | [
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"text": "平安京(へいあんきょう/たいらのみやこ)または平安城(へいあんじょう)は、日本における古代最後の宮都。794年(延暦13年)から1869年(明治2年)までの日本の首都。",
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"text": "桓武天皇により、長岡京に代わる都として山背国(山城国)愛宕・葛野の両郡にまたがる地が選ばれ、中国の洛陽城や長安城を模して793年(延暦12年)から建設された。翌794年(延暦13年)に遷都。北部中央に宮城・平安宮(大内裏)が建設され、以降歴代の皇居が置かれた。",
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"text": "遷都以来、平清盛により断行された福原遷都(1180年)の期間を除いて、東京奠都まで1100年近くに亘って都であり、形式的には1869年(明治2年)まで続いた。今日の京都市街が形成されるに至る。",
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"text": "新都建設地の選定にひそかに入った桓武天皇は、792年(延暦11年)1月そして5月、狩猟をよそおって、候補地のひとつ山背国葛野郡宇太村を訪れた。 さらに翌793年(延暦12年)には、大納言の藤原小黒麻呂や左大弁の紀古佐美らも派遣し同地を確認・検討させた。その結果ここが建設地と決まり、新都市建設計画、遷都計画が動き出し、と同時に長岡京の取り壊しが始まった。",
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"text": "当時の山背国葛野・愛宕両郡にまたがる地(結果として現在の京都市街となった地)に東西4.5 km、南北5.2 kmの長方形の都城として計画された。",
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"text": "平安京の計画の大枠(平面計画)は基本的に中国の隋・唐の洛陽城や長安城を手本としたものであり、またやはり長安を模した日本の平城京・長岡京を踏襲したものでもある。都市全体が四角形で、左右対称で、街路が「碁盤の目」状に整然と直交するように設けられ、市街の中心に朱雀大路を南北方向に配置し、政治の中心となる大内裏は朱雀大路の北、都の北辺に設けられた(「北闕型」)。朱雀大路によって分けられた京域の東西をそれぞれ左京・右京と呼んだ(「左・右」はあくまで内裏側から見ての左右である)。また後には大内裏の南を東西に走る二条大路の北を「上辺」(かみのわたり)、南を「下辺」(しものわたり)、さらには「上京」(かみぎょう)、南を「下京」(しもぎょう)と呼ぶようになり、これが地形も相俟って現代の京都で北に行くことを「上ル」、南に行くことを「下ル」と呼ぶことに繋がる。手本となった長安城は羅城(=都市を囲む城壁)で囲まれていたのに対して、平安京では京域南辺の入り口である羅城門の左右の短い部分を除き羅城は造られなかったと考えられている。",
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"text": "平安京は,中国の洛陽城や長安城を模して建設された。しかし,その後,長安城になぞらえた右京が早くに衰退,洛陽城になぞらえた左京のみが人口も増えて発展したため,洛陽が平安京の代名詞となった。京都が「京洛」と呼ばれ,「上洛」などと言うようになったのは,そういう事情による。",
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"text": "この地の選定は中国から伝わった陰陽道(風水)に基づく四神相応の考え方を元に行われたという説もある。この四神とは北・玄武、東・青龍、西・白虎、南・朱雀の霊獣をいうが、これを「山」「川」「道」「澤」に当てはめ、それぞれ船岡山、鴨川、山陰道、巨椋池に擬する考えがあるが、現在ではこれを否定する研究者も少なくない。 平安京の範囲は、現代の京都市街より小さく、北限の一条大路は現在の今出川通と丸太町通の中間にある一条通、南限の九条大路は現在のJR京都駅南方、東寺の南側を通る九条通、東限の東京極大路は現在の寺町通にあたる。西限の西京極大路の推定地はJR嵯峨野線花園駅や阪急京都線西京極駅を南北に結んだ線である。",
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"text": "京内は東西南北に走る大路・小路によって40丈(約120メートル)四方の「町」に分けられていた。東西方向に並ぶ町を4列集めたもの(北辺の2列は除く)を「条」、南北方向の列を4つ集めたものを「坊」と呼び、同じ条・坊に属する16の町にはそれぞれ番号が付けられていた(『条坊制』。これによりそれぞれの町は「右京五条三坊十四町」のように呼ばれた。これら街区は、平城京では街路の中心線を基準としていたため、街路の幅の違いによって宅地面積の広狭差が生まれたが、平安京では街路の幅を除いて形成されたため、場所による宅地の広狭が生まれることはなかった。",
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"text": "道幅は小路でも4丈(約12メートル)、大路では8丈(約24メートル)以上あった。朱雀大路に至っては28丈(約84メートル)もの幅であったが、一方で東京極・西京極大路は大路であっても造営当初から10メートル前後と小路より狭い幅であった。また、堀川小路と西堀川小路では中央に川(堀川、西堀川)が流れていた。",
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"text": "平安京の北部中央には、天皇が身を置き、まつりごとが行なわれる施設群となる宮城(大内裏)の平安宮が建造された。大内裏には天皇の御所として内裏、即位礼など国家行事を挙行する八省院(「朝堂院」、朝堂院の正殿が「大極殿」)、大規模な饗宴が行われた豊楽院、神事を行う中和院や仏事に関わる真言院、その他二官八省の政庁、衛府などが並び立った。",
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"text": "なおそれらは、平安京の衰微とともに、太政官庁など大内霊場(おおうちれいじょう)と呼ばれた4つの建物を残して荒廃し、後にこれらも倒壊して遂に当時の大内裏を偲ばせるものはすべて無くなってしまった。ただし、新たな内裏である京都御所が建設されるとこれを平安宮と称するなど、その名が完全に忘れ去られることはなかった。",
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"text": "平安京は、延暦13年10月22日(西暦794年11月22日)から、一説には明治2年(1869年)まで日本の首都であったとされ、明治2年(1869年)に政府(太政官)が東京(旧江戸)に移転して首都機能を失っている。",
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"text": "都の東西を流れる鴨川や桂川沿いには、淀津や大井津などの港を整備、これらの港を全国から物資を集める中継基地にして、そこから都に物資を運び込んだ。運ばれた物資は都の中にある大きな2つの市(東市・西市)に送り、人々の生活を支えた。このように食料や物資を安定供給できる仕組みを整え、人口増加に対応できるようにした。また、長岡京で住民を苦しめた洪水への対策も講じ、都の中に自然の川がない代わりに東西にそれぞれ「堀川」(現在の堀川と西堀川)を始めとする河川をいくつも整備し、水運の便に供するとともに生活廃水路とした。そして長岡京で認めなかったように、ここでも官寺である東寺と西寺を除き、新たな仏教寺院の建立を認めなかった(この他平安遷都以前からの寺院として京域内には六角堂があったとされるが、平安遷都後の創建説もある。また、広隆寺はこの時に太秦に移転されたとされ、京域外の北野上白梅町からは移転以前の同寺跡とみられる「北野廃寺跡」が見つかっている)。 なお、建都に当ってはそれまで上賀茂付近から真南に流れていた賀茂川(鴨川の出町以北の通称)を現在の南東流に、また出町付近から南西方向に左京域を斜行していた高野川を現在の南流に変え鴨川としたとの説が塚本常雄によって唱えられ多くの歴史学者に支持された(「鴨川つけかえ説」)。これに対して後に横山卓雄によって否定説が提出され、歴史学者も一転してこの説に従うようになり、現在は「鴨川・賀茂川つけかえはなかった」とするのが有力となっている。ところが、最近になって横山説に疑問を呈する研究者が現れ、塚本の鴨川つけかえ説に対する再評価の動きが活発になりつつある。",
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"title": "平安京全体図"
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] | 平安京(へいあんきょう/たいらのみやこ)または平安城(へいあんじょう)は、日本における古代最後の宮都。794年(延暦13年)から1869年(明治2年)までの日本の首都。 桓武天皇により、長岡京に代わる都として山背国(山城国)愛宕・葛野の両郡にまたがる地が選ばれ、中国の洛陽城や長安城を模して793年(延暦12年)から建設された。翌794年(延暦13年)に遷都。北部中央に宮城・平安宮(大内裏)が建設され、以降歴代の皇居が置かれた。 遷都以来、平清盛により断行された福原遷都(1180年)の期間を除いて、東京奠都まで1100年近くに亘って都であり、形式的には1869年(明治2年)まで続いた。今日の京都市街が形成されるに至る。 | {{出典の明記|date=2018年12月}}
[[ファイル:Heiankyo overall model.jpg|thumb|350px|平安京の復元模型([[京都市平安京創生館|平安京創生館]]の展示物)<br/>正面側から見た平安京。[[条坊制]]を採用しており、街路が直交する]]
[[ファイル:Heiankyouhukugenmokei.jpg|thumb|350px|平安京の北東方向を写す。東側(写真右奥)は[[東山 (京都府)|東山]]]]
'''平安京'''(へいあんきょう/たいらのみやこ)または'''平安城'''(へいあんじょう)は、[[日本]]における[[古代#日本史|古代]]最後の[[宮都]]<ref>{{Cite|和書|author=京都市|title=史料 京都の歴史|volume=第4巻 市街・生業|year=1980|page=4}}</ref>。[[794年]]([[延暦]]13年)から[[1869年]]([[明治]]2年)までの[[日本]]の[[日本の首都|首都]]{{Efn|ただし後述の通り福原京へ遷都した一時期を除く。}}。
[[桓武天皇]]により、[[長岡京]]に代わる都として[[山背国]]([[山城国]])[[愛宕郡|愛宕]]・[[葛野郡|葛野]]の両[[郡]]にまたがる地が選ばれ、[[中国]]の[[洛陽市|洛陽城]]や[[長安城]]を模して[[793年]]([[延暦]]12年)から建設された<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=京都市上京区役所:上京区の成立|url=https://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/page/0000012280.html|website=www.city.kyoto.lg.jp|accessdate=2020-01-09}}</ref>。翌[[794年]]([[延暦]]13年)に[[遷都]]。北部中央に宮城・[[平安宮]]([[大内裏]])が建設され、以降歴代の[[皇居]]が置かれた。
遷都以来、[[平清盛]]により断行された[[福原遷都]]([[1180年]])の期間を除いて、[[東京奠都]]まで1100年近くに亘って都<ref>世界大百科事典 第二版「平安京」</ref>であり、形式的には1869年(明治2年)まで続いた<ref name="nipponica">日本大百科全書「平安京」</ref>。今日の[[京都]][[都市|市街]]が形成されるに至る。
== 概要 ==
[[ファイル:Heiankyo_landsat.jpg|thumb|200px|平安京と現在の[[京都]]の大きさや位置の関係。赤枠が平安京。([[ランドサット]]衛星写真)]]
;建造地の選定、範囲、都市計画
新都建設地の選定にひそかに入った桓武天皇は、792年(延暦11年)1月そして5月、[[狩猟]]をよそおって、候補地のひとつ[[山背国]][[葛野郡]]宇太村を訪れた。
さらに翌793年(延暦12年)には、大納言の[[藤原小黒麻呂]]や左大弁の[[紀古佐美]]らも派遣し同地を確認・検討させた。その結果ここが建設地と決まり、新都市建設計画、遷都計画が動き出し、と同時に長岡京の取り壊しが始まった。
当時の[[山城国|山背国]][[葛野郡|葛野]]・[[愛宕郡|愛宕]]両郡にまたがる地(結果として現在の京都市街となった地)に東西4.5 [[キロメートル|km]]、南北5.2 kmの[[長方形]]の[[都城]]として計画された。
平安京の計画の大枠(平面計画)は基本的に中国の[[隋]]・[[唐]]の洛陽城や[[長安|長安城]]を手本としたものであり、またやはり長安を模した日本の[[平城京]]・[[長岡京]]を踏襲したものでもある。都市全体が[[四角形]]で、左右[[対称]]で、街路が「[[碁盤]]の目」状に整然と[[直交]]するように設けられ、市街の中心に[[朱雀大路]]を南北方向に配置し、政治の中心となる[[大内裏]]は朱雀大路の北、都の北辺に設けられた(「北闕型」)。朱雀大路によって分けられた京域の東西をそれぞれ[[左京]]・[[右京]]と呼んだ(「左・右」はあくまで内裏側から見ての左右である)。また後には大内裏の南を東西に走る二条大路の北を「上辺」(かみのわたり)、南を「下辺」(しものわたり)、さらには「[[上京区|上京]]」(かみぎょう)、南を「[[下京]]」(しもぎょう)と呼ぶようになり、これが地形も相俟って現代の京都で北に行くことを「上ル」、南に行くことを「下ル」と呼ぶことに繋がる。手本となった長安城は羅城(=都市を囲む[[城壁]])で囲まれていたのに対して、平安京では京域南辺の入り口である[[羅城門]]の左右の短い部分を除き羅城は造られなかったと考えられている。
平安京は,中国の洛陽城や長安城を模して建設された。しかし,その後,長安城になぞらえた右京が早くに衰退,洛陽城になぞらえた左京のみが人口も増えて発展したため,洛陽が平安京の代名詞となった。京都が「京洛」と呼ばれ,「上洛」などと言うようになったのは,そういう事情による。<ref name=":0" />
この地の選定は中国から伝わった[[陰陽道]]([[風水]])に基づく[[四神相応]]の考え方を元に行われたという説もある{{Efn|四神相応説は今のところ[[鎌倉時代]]成立の『[[平家物語]]』が初出。}}。この四神とは北・玄武、東・青龍、西・白虎、南・朱雀の霊獣をいうが、これを「山」「川」「道」「澤」に当てはめ{{Efn|四神を山川道沢とするのは宅地風水に見られる考え方で、都の占地の都市風水とは別のものとの批判がある。Wikipedia「[[四神相応]]」の項参照。}}、それぞれ船岡山、鴨川、山陰道、巨椋池に擬する考えがあるが{{Efn|四神を鴨川など具体的地名に当てはめるのは昭和40年代に初出。}}、現在ではこれを否定する研究者も少なくない。
平安京の範囲は、現代の京都市街より小さく、北限の一条大路は現在の[[今出川通]]と[[丸太町通]]の中間にある[[一条通]]、南限の九条大路は現在の[[JR]][[京都駅]]南方、東寺の南側を通る[[九条通]]、東限の東京極大路は現在の[[寺町通]]にあたる。西限の西京極大路の推定地は[[西日本旅客鉄道|JR]][[山陰本線|嵯峨野線]][[花園駅 (京都府)|花園駅]]や[[阪急電鉄|阪急]][[阪急京都本線|京都線]][[西京極駅]]を南北に結んだ線である。
京内は東西南北に走る大路・小路によって40[[丈]](約120メートル)四方の「町」に分けられていた。東西方向に並ぶ町を4列集めたもの(北辺の2列は除く)を「条」、南北方向の列を4つ集めたものを「坊」と呼び、同じ条・坊に属する16の町にはそれぞれ番号が付けられていた(『[[条坊制]]』。これによりそれぞれの町は「右京五条三坊十四町」のように呼ばれた。これら街区は、平城京では街路の中心線を基準としていたため、街路の幅の違いによって宅地面積の広狭差が生まれたが、平安京では街路の幅を除いて形成されたため、場所による宅地の広狭が生まれることはなかった。
道幅は小路でも4丈(約12メートル)、大路では8丈(約24メートル)以上あった。朱雀大路に至っては28丈(約84メートル)もの幅であったが、一方で東京極・西京極大路は大路であっても造営当初から10メートル前後と小路より狭い幅であった<ref>[http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20160126000069 "「大路」名ばかり、「小路」より狭く 平安京東端の道"](京都新聞、2016年1月26日記事)。</ref>。また、堀川小路と西堀川小路では中央に川([[堀川 (京都府)|堀川]]、西堀川{{Efn|当時の「西堀川」は現在の「紙屋川(天神川)」である。西堀川小路は現在の西土居通に該当する。}})が流れていた<ref>[http://www.kyoto-arc.or.jp/gensetsu/158horikawa.pdf 平安京右京六条二坊・西堀川跡 現地説明会資料]</ref>。
[[画像:Daidairi of Heiankyo.jpg|thumb|300px|平安宮(大内裏)付近。[[朝堂院]](八省院)や[[豊楽院]]、[[内裏]]などの宮殿や各官衙が並ぶ]]
;宮城の平安宮
平安京の北部中央には、天皇が身を置き、まつりごとが行なわれる施設群となる宮城([[大内裏]])の'''平安宮'''が建造された。大内裏には天皇の御所として[[内裏]]、即位礼など国家行事を挙行する[[八省院]](「朝堂院」、朝堂院の正殿が「[[大極殿]]」)、大規模な饗宴が行われた[[豊楽院]]、神事を行う[[中和院]]や仏事に関わる真言院、その他[[二官八省]]の政庁、衛府などが並び立った。
なおそれらは、平安京の衰微とともに、太政官庁など大内霊場(おおうちれいじょう)と呼ばれた4つの建物を残して荒廃し、後にこれらも倒壊して遂に当時の大内裏を偲ばせるものはすべて無くなってしまった。ただし、新たな内裏である[[京都御所]]が建設されるとこれを平安宮と称するなど、その名が完全に忘れ去られることはなかった。
== 歴史 ==
平安京は、[[延暦]]13年[[10月22日 (旧暦)|10月22日]]([[西暦]][[794年]][[11月22日]])から、一説には[[明治]]2年([[1869年]])まで日本の首都であったとされ、[[明治]]2年([[1869年]])に政府([[太政官]])が[[東京府|東京]](旧[[江戸]])に移転して首都機能を失っている<ref>京都市編『京都の歴史』第7巻 維新の激動 學藝書林</ref>。
その始めは桓武天皇の長岡京遷都まで遡る。桓武天皇は延暦3年([[784年]])に[[平城京]]から[[長岡京]]を造営して[[遷都]]したが、これは[[天武天皇]]系の政権を支えてきた[[貴族]]や[[寺院]]の勢力が集まる[[大和国]]から脱して、新たな[[天智天皇]]系の都を造る意図があったといわれる。しかしそれからわずか9年後の延暦12年([[793年]])1月、[[和気清麻呂]]の建議{{Efn|清麻呂の建議以前の791年(延暦10年)頃には長岡京の廃止と新たな都の候補地探しが始まっていたとする見方もある<ref>網伸也「平安京造営過程に関する総合的考察」『平安京造営と古代律令国家』(塙書房、2011年) ISBN 978-4-8273-12447</ref>。}}もあり、桓武天皇は再遷都を宣言する(理由は長岡京を参照)。場所は、長岡京の北東10 km、2つの川に挟まれた山背国北部の[[葛野郡]]および[[愛宕郡]]の地であった。事前に桓武天皇は現在の京都市[[東山区]]にある将軍塚から見渡し、都に相応しいか否か確かめたと云われている。『[[日本紀略]]』には「葛野の地は[[山]]や川が麗しく四方の[[国]]の[[人]]が集まるのに[[交通]]や水運の便が良いところだ」という桓武天皇の勅語が残っている。
[[File:Daigokuden-ato (Heian Palace)-4.jpg|thumb|200px|{{center|大極殿遺阯碑<br />([[千本通|千本]][[丸太町通|丸太町]]北西)}}]]
平安京の造営はまず宮城([[大内裏]])から始められ、続いて京(市街)の造営を進めたと考えられる。都の中央を貫く朱雀大路の一番北に、皇居と官庁街を含む大内裏が設けられて、その中央には[[大極殿#長岡京・平安京の大極殿|大極殿]]が作られた。その後方の東側には[[天皇]]の住まいである内裏が設けられた。
都の東西を流れる鴨川や桂川沿いには、淀津や大井津などの港を整備、これらの港を全国から物資を集める中継基地にして、そこから都に物資を運び込んだ。運ばれた物資は都の中にある大きな2つの市(東市・西市)に送り、人々の生活を支えた。このように食料や物資を安定供給できる仕組みを整え、人口増加に対応できるようにした。また、長岡京で住民を苦しめた洪水への対策も講じ、都の中に自然の川がない代わりに東西にそれぞれ「堀川」(現在の[[堀川 (京都府)|堀川]]と西堀川)を始めとする河川をいくつも整備し、水運の便に供するとともに生活廃水路とした。そして長岡京で認めなかったように、ここでも官寺である[[東寺]]と[[西寺]]を除き、新たな仏教寺院の建立を認めなかった(この他平安遷都以前からの寺院として京域内には[[頂法寺|六角堂]]があったとされるが、平安遷都後の創建説もある。また、[[広隆寺]]はこの時に太秦に移転されたとされ、京域外の北野上白梅町からは移転以前の同寺跡とみられる「北野廃寺跡」が見つかっている)<!--[[愛宕念仏寺|愛宕寺]]があった。(!!愛宕寺とも京域外!!)-->。
なお、建都に当ってはそれまで上賀茂付近から真南に流れていた賀茂川([[鴨川 (淀川水系)|鴨川]]の出町以北の通称)を現在の南東流に、また出町付近から南西方向に左京域を斜行していた[[高野川]]を現在の南流に変え鴨川としたとの説が塚本常雄によって唱えられ多くの歴史学者に支持された<ref>塚本常雄「京都市域の変遷と其地理学的考察」1926</ref>(「[[鴨川 (淀川水系)#鴨川つけかえ説|鴨川つけかえ説]]」)。これに対して後に横山卓雄<ref>横山卓雄「平安遷都と鴨川つけかえ」1988</ref>によって否定説が提出され、歴史学者も一転してこの説に従うようになり、現在は「鴨川・賀茂川つけかえはなかった」とするのが有力となっている。ところが、最近になって横山説に疑問を呈する研究者が現れ、塚本の鴨川つけかえ説に対する再評価の動きが活発になりつつある<ref>高橋学「近世における京都鴨川・桂川の水害」2011『京都の歴史災害』(思文閣出版)所収。</ref><ref>小谷愼二郎『水から見た京都:都市形成の歴史と生活文化』2007(法政大学大学院エコ地域デザイン研究所歴史プロジェクト)。</ref><ref>加藤繁生「「鴨川つけかえ説」再び―横山卓雄「鴨川非つけかえ説」の不審―」2021『史迹と美術』(史迹美術同攷会)912・913・914号所収。</ref>。<!-- 現況を俯瞰すれば、「鴨川つけかえ」は、平安京史において今なお決着していない問題としなければならない。←独自研究 -->
延暦13年(794年)10月22日に桓武天皇は新京に遷り、翌11月8日には山背国を山城国に改名すると詔を下した。
{{Quotation|辛酉。車駕遷于新京。<br/>同十三年十月廿三日。天皇自南京、遷北京。<br/>(略)<br/>丁丑。詔。云々。山勢実合前聞。云々。此国山河襟帯、自然作城。因斯勝、可制新号。宜改山背国、為山城国。又子来之民、謳歌之輩、異口同辞、号曰平安京。又近江国滋賀郡古津者、先帝旧都、今接輦下。可追昔号改称大津。云々。|『日本後紀』卷第三逸文、延暦13年10月及び11月の条。}}
「此の国は山河襟帯(さんがきんたい)し、自然(おのづから)に城をなす。此の勝(形勝 けいしょう)によりて、新号を制(さだ)むべし。よろしく山背国を改めて、山城国と為すべし。また子来(しらい)の民、謳歌(おうか)の輩(ともがら)、異口同辞(いくどうじ)に、号して平安京と曰(い)ふ」(此の国は山河が周りを取り囲み、自然に城の形をなしている。この景勝に因んで、新しい名前を付けよう。「山背国」を改めて「山城国」と書き表すことにしよう。また新京が出来たことを喜んで集まった人々や、喜びの歌を歌う人々が、異口同音に「平安の都」と呼んでいるから、この都を「平安京」と名付けることとする)。ここに言う「謳歌」とは、遷都の翌延暦14年([[795年]])正月16日に宮中で催された宴でも歌われた[[踏歌]]の囃し言葉「新京楽、'''平安'''楽土、万年春(しんきょうがく、びょうあんがくつ、まんねんしゅん)」を言うのであろう。
弘仁元年([[810年]])、桓武天皇亡き後の皇位を巡る対立で[[平城天皇|平城上皇]]とその一派から平城京に都を戻そうという動きが起こるが、平城上皇の弟の[[嵯峨天皇]]は平安京を残すことこそ国の安定と考え、平城上皇らのこの動きを退け、側近の[[藤原仲成]]・[[藤原薬子|薬子]]兄妹を討伐し上皇を出家させた([[薬子の変]])。そして平安宮を「万代宮(よろずよのみや)」と定める(永遠の皇居という意)。
京域が広すぎたためか、規則正しく配置された条坊が人家で埋まることはついになく、特に右京の南方の地では[[桂川 (淀川水系)|桂川]]の形作る湿地帯にあたるため[[9世紀]]に入っても宅地化が進まず{{Efn|この説は[[慶滋保胤]](? - 1002年)が『[[池亭記]]』に書いて以来信じられてきたが、最近の発掘調査の結果{{要出典|date=2023年8月}}からは、必ずしも右京に貴族の邸宅が建てられなかったとは言えない。}}、[[律令制]]がほとんど形骸化した[[10世紀]]には荒廃して本来京内では禁じられている農地へと転用されることすらあった。[[980年]](天元3年)には朱雀大路の南端にある[[羅城門]](俗に「羅生門」という)が倒壊し、以後再建されることはなかった。また朱雀大路を始めとして広かった大路小路も次第に宅地に侵食され狭められた。
貴族の住む宅地は大内裏に近い右京北部を除いて左京に設けられ、[[藤原氏]]のような上流貴族の宅地が左京北部へ集中する一方、貧しい人々は京内南東部に密集して住み、さらには平安京の東限を越えて[[鴨川 (淀川水系)|鴨川]]の川べりに住み始めた。また、鴨川東岸には寺院や別荘が建設されて、平安京の本来の範囲より東(左京)に偏った市街地が形成されていった。
政庁を平安京外に置いた[[院政]]の出現は、平安京の都市構造の変化をもたらし、また天皇中心の都という形態を損なうことで、結果として平安京という定められた都市規範を崩壊させる大きな引き金となった<ref name="kadokawa">{{Cite|和書|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会|title=[[角川日本地名大辞典]] 26 京都府|volume=上巻|publisher=[[角川書店]]|year=1982|isbn=4-040-01261-5|page=34}}</ref>。
平安時代の末期に至って京内で戦が頻発し、荒廃が進行した。政情不安もあって[[治承]]4年([[1180年]])、[[平清盛]]は[[安徳天皇]]を奉じて[[福原 (神戸市)|福原]]に遷都([[福原京]])したが、公家たちの反対に遭い、わずか半年で京都に還都した。
平安末期から「平安京」に代わる言葉として「京都」という語が用いられ始め、鎌倉期初頭にかけてその使用の頻度が増す<ref name="kadokawa"/>。また、平安京を擬えた「洛陽」から採られた、[[中世]]・[[近世]]の京都市中を示す「[[洛中]]」という言葉も、鎌倉時代から使われ始める。
[[鎌倉幕府]]により京都を冠した最初の役職となる「[[京都守護]]」([[六波羅探題]]の設置により消滅)が設置される。[[鎌倉]]が武家政権の本拠となる一方、京都は貴族や寺社権門の中心となった<ref>{{cite|和書|last=山田|first=邦和|chapter=京・鎌倉時代の京都の都市構造|title=変貌する中世都市京都|page=83}}</ref>。天皇の住まいである内裏は度重なる災害により転々とし、[[室町時代]]に鴨川寄りの里内裏「[[土御門東洞院殿]]」が修造を経て正式な内裏となり、以降はこの場所で築造が繰り返され、現在の「[[京都御所]]」の原形となった<ref>{{cite|和書|last=山田|first=邦和|chapter=南北朝動乱から室町政権へ|title=変貌する中世都市京都|page=159}}</ref>。
室町時代から[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]にかけての時期は、[[応仁の乱]]にて市街地の過半を焼失し、衰退した。その後、京都の市街地は、上京と下京に分かれて小規模なものとなっていた。これが再度一体の市街として復興に向かうのは[[安土桃山時代]]であり、[[織田信長]]の上洛後のことである。[[豊臣秀吉]]は[[大内裏]]の跡地である内野に政庁である[[聚楽第]]を設け、また京を取り囲む延長20 km余りの惣構である「[[御土居]]」を建設した。秀吉は、関白位を甥の秀次に譲ると[[伏見]]の[[指月 (山城国)|指月]]に隠居した。間もなく秀次が失脚して聚楽第が破却され秀吉が[[伏見城]]を建設すると、政治の中心は京都から離れて完全に伏見に移ることとなった。
そして[[関ヶ原の戦い]]で勝利した[[徳川家康]]も伏見城に入城し、伏見城で[[征夷大将軍]]の宣下を受ける。家康は洛中に[[二条城]]を建設したが、これは政庁としての城ではなくもっぱら儀礼的な役割を担うものであったから、このことによって京都が政都に復することはなく、以後三代[[徳川家光]]まで伏見城で[[将軍宣下]]式を行っている。[[江戸時代]]には、国政の中心地は[[江戸]]、商業の中心地は[[大坂]]に移ったものの、京都には[[江戸幕府]]の機関である[[京都所司代]]が置かれて朝廷との交渉や京都市政を担った。各藩も藩邸を置いて対朝廷および各藩間の外交を行ったため、京都は独特の地位を有したが、幕府はこのことを好まず、例えば西国大名が[[参勤交代]]の際、京都に入ることを禁じた。幕末には京での政情不安に鑑み[[京都守護職]]を新たに置き、一層支配を強めようとした。
[[明治維新]]の際には、[[明治天皇]]の[[東京行幸]]で留守の都となり、[[留守官]]が置かれた(明治4年廃止)。[[江戸]]を[[東京]]と改名する詔勅は下されたものの、京都に残る公家らの反発が大きかったため、「遷都」という言葉は避けられた(→[[東京奠都]])。以後も天皇の京都行幸はたびたび行われ、その際には、勅旨で保存された[[京都御所]]または[[仙洞御所]]([[大宮御所|京都大宮御所]])に宿泊することが慣例となった。なお、天皇の[[玉座]]である[[高御座]]も、京都御所の紫宸殿に据え置かれている。
== 名称 ==
平安京はふつう[[音読み]]で「へいあんきょう」と読むが、ときに「たいらのみやこ」と[[訓読み]]した。古来、都の名はその地名を冠することが一般的であり、本来ならば葛野京{{Efn|平安京が葛野の地に置かれたというのは史書などによる伝統的な認識であり、実際は[[葛野郡]]と[[愛宕郡]]にまたがる地に置かれている。}}となるはずであったが、藤原の都を「新益京(あらますのみやこ)」と称したように、ここでも「平安京」と命名された。唐の都「長安」に倣っての命名であることは容易に理解できるが、[[長岡京]]での騒動が原因のひとつとして、再び[[遷都]]されたため、新京では悪いことが起こらず、「平らかで安らかな都」、「平安」(訓読みは「たいら」)であって欲しいという願いも込められたと考えられている。また平安時代の漢詩文には、文学上の雅称として「洛陽」「長安」と呼ぶ例が見られる。この「洛陽」から後に「[[洛中]]」「入洛」「[[上洛]]」などの言葉が生まれる。
== 平安京全体図 ==
[[ファイル:HeiankyouMapJapanese.svg|800px]]
注意:図に描かれているもの以外にも、複数の町にまたがる邸宅などにより小路が途切れていることがある。
== 平安遷都記念事業 ==
; 1100年記念事業
:* [[平安神宮]]の建設(1895年(明治28年))
:* [[時代祭]]の開催(1895年(明治28年))
:* 第4回[[内国勧業博覧会]]の開催(1895年(明治28年))
:
; 1200年記念事業
:* [[京都駅]]の改修(1997年(平成9年))
:* [[京都市営地下鉄東西線]]・[[二条駅]]~[[醍醐駅 (京都府)|醍醐駅]]間の開業(1997年(平成9年))
:* [[京都国際映画祭]]の開催(1997年(平成9年))
:* [[京都市勧業館]]の建設(1996年(平成8年))
:* [[京都コンサートホール]]の建設(1995年(平成7年))
:* [[梅小路公園]]の整備(1995年(平成7年))
:* [[けいはんな記念公園]]の整備(1995年(平成7年))
:* [[世界遺産]]に「[[古都京都の文化財]]」として登録(1994年(平成6年))
:* [[京都迎賓館]]の建設(1994年(平成6年))
:* 小町の舎を建設(1994年(平成6年))
:* [[世界歴史都市連盟|第4回世界歴史都市会議]]の開催(1994年(平成6年))
:* [[全国都市緑化フェア]]「緑いきいきKYOTO'94」の開催(1994年(平成6年))
:* [[祇園祭]]後祭(花笠巡行)に全国祇園祭山笠巡行の開催(1994年(平成6年))
:* [[伏見港|伏見開港]]400年祭の開催(1994年(平成6年))
:* [[京都シティハーフマラソン]]の開催(1994年(平成6年))
:* 「大唐長安展」展の開催(1994年(平成6年))
:*「甦る平安京」展の開催(1994年(平成6年))
:*「京都に伝わる朝鮮陶磁」展の開催(1994年(平成6年))
:*「古都の心にふれた西欧のひとたち」展の開催(1994年(平成6年))
:*「にっぽんと遊ぼう」の開催(1994年(平成6年))
:* The Big Eve SHUKUTEN1200/[[平安神宮]]サウンドスペクタクル[[藤井フミヤ]]・スーパーライブの開催(1994年(平成6年))
:* [[ドイツ|ドイツ連邦共和国]][[フランクフルト]]市市政1200年記念事業への参加(1994年(平成6年))
:* [[メキシコ合衆国]][[グアダラハラ (メキシコ)|グアダラハラ]]に[[日本庭園]]を建設(1994年(平成6年))
:* [[酒米]]「[[祝 (米)|祝]]」を使用した[[清酒]]を製造(1994年(平成6年))
:* 世界人権問題研究センターの設立(1994年(平成6年))
:* [[京都市営バス|市バス]]専用一日乗車券カードの発売(1994年(平成6年))
:* [[三条大橋#鴨川・花の回廊|「京の川づくり」事業]]の実施(1992年(平成4年))
:* [[京都市国際交流会館]]の建設(1989年(平成元年))
:* [[京都文化博物館]]の開館(1988年(昭和63年))
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{脚注ヘルプ}}
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Heian-kyō}}
* [[平安仏教]]
* [[四神相応]]
* [[条坊制]]
* [[大内裏]]
* [[内裏]]
* [[京都]]
* [[京都市]]
* [[京都市内の通り]]
* [[京都市平安京創生館]]
* [[四堺]]
* [[日本の首都]]
== 外部リンク ==
* [http://web.kyoto-inet.or.jp/org/asny1/about/institution/honkan/heian3.html 京都市 平安京創生館] - 平安京復元模型(1/1000)を展示。豊楽殿復元模型(1/20)、豊楽殿鴟尾実物大模型の他、平安時代の出土品を多数展示している。
* [https://www.kyoto-arc.or.jp/index.html 京都市埋蔵文化財研究所(京都市考古資料館を含む)] - 平安京の遺跡の調査。京都市考古資料館では平安京出土遺物を展示。
* 山田邦和, 「[https://hdl.handle.net/10935/2739 平安京の条坊制]」『都城制研究(1)』 Vol.16 2007年 p.80-94,
* {{PDFlink|[http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/geo/assoc/journal/17117128mori.pdf 井戸遺構からみた平安時代の地下水環境と洪水]}}
* {{Cite web|和書
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| title = 上京区の成立
| publisher = 京都市上京区役所
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7,173 | 東 | 東(ひがし)は、四方位の一つで、極地以外でおおよそ太陽が昇る方位であり、地球の自転する方位である。反対の方位は西。
南北が絶対的な位置関係にあるのに対して東西は相対的な位置関係にある。
角度では、東は90°となり(北を0°=360°として、時計回りに測る)、時刻では、東は夜明けを表す。
地図では、右側を東とする事が多い。ただし、星図では逆に左側を東とする。
語源は太陽が登る方角という意味の「日向かし」(ヒムカシ、日向か風[ヒムカシ]説もあり)。なお沖縄方言では太陽が上がる方角という意味で「アガリ」と言う。
「東」(east) という語は、特定地域内で東寄りの地域を指す。地球上ではアジアの漢字圏を、東洋、極東地域などとして、東方と解釈されている。東洋、特に中近東はオリエント(Orient)と呼ばれたが、元来は「日が昇る地」を意味する。
ヨーロッパでは、米ソ冷戦時代にソ連に与した国々が東欧に集まっていた事から、これらの国々を「東側諸国(Eastern Bloc)」と呼んだ。
日本国内においては、平安時代に、京都(畿内)の貴族は、関東を「あづま(現代仮名遣い:あずま)」(東)と称した。一般に、東国は関東を指し、東日本は関東や東北を指す。
「あずま」の語源は、日本武尊が東征に赴いている中、関東に行く際に海を渡り、その時に海が荒れたために日本武尊の妻、弟橘媛が海に身を投げて海神を鎮めた。そして日本武尊が碓氷峠に辿り着いた時、関東の方を見て「吾嬬(あずま)はや」つまり「わが妻はもういないのか」と言ったのが語源であるとの伝説がある。また、太陽が昇り明るくなっていく方向として、「明け端(アケツマ)」を語源とする説もある。 | [
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] | 東(ひがし)は、四方位の一つで、極地以外でおおよそ太陽が昇る方位であり、地球の自転する方位である。反対の方位は西。 南北が絶対的な位置関係にあるのに対して東西は相対的な位置関係にある。 角度では、東は90°となり(北を0°=360°として、時計回りに測る)、時刻では、東は夜明けを表す。 地図では、右側を東とする事が多い。ただし、星図では逆に左側を東とする。 語源は太陽が登る方角という意味の「日向かし」(ヒムカシ、日向か風[ヒムカシ]説もあり)。なお沖縄方言では太陽が上がる方角という意味で「アガリ」と言う。 | {{Otheruses}}
{{方位}}
'''東'''(ひがし)は、[[方位|四方位]]の一つで、極地以外でおおよそ[[太陽]]が昇る方位であり、[[地球]]の[[自転]]する方位である。反対の方位は西。
南北が絶対的な位置関係にあるのに対して東西は相対的な位置関係にある。
[[角度]]では、東は90[[度 (角度)|°]]となり(北を0°=360°として、時計回りに測る)、[[時刻]]では、東は夜明けを表す。
[[地図]]では、[[右]]側を東とする事が多い。ただし、[[星図]]では逆に[[左]]側を東とする。
語源は太陽が登る方角という意味の「日向かし」(ヒムカシ、日向か風[ヒムカシ]説もあり)。なお[[沖縄方言]]では太陽が上がる方角という意味で「アガリ」と言う。
== 呼称 ==
「東」(east) という語は、特定地域内で東寄りの地域を指す。地球上では[[アジア]]の漢字圏を、[[東洋]]、[[極東]]地域などとして、東方と解釈されている。東洋、特に[[中近東]]は[[オリエント]](Orient)と呼ばれたが、元来は「日が昇る地」を意味する。
[[ヨーロッパ]]では、米ソ[[冷戦]]時代に[[ソビエト連邦|ソ連]]に与した国々が[[東ヨーロッパ|東欧]]に集まっていた事から、これらの国々を「[[東側諸国]](Eastern Bloc)」と呼んだ。
[[日本]]国内においては、[[平安時代]]に、京都([[畿内]])の貴族は、[[関東]]を「あづま(現代仮名遣い:あずま)」(東)と称した。一般に、東国は関東を指し、[[東日本]]は関東や[[東北地方|東北]]を指す。
「あずま」の語源は、[[ヤマトタケル|日本武尊]]が東征に赴いている中、関東に行く際に海を渡り、その時に海が荒れたために日本武尊の妻、[[弟橘媛]]が海に身を投げて海神を鎮めた。そして日本武尊が[[碓氷峠]]に辿り着いた時、関東の方を見て「吾嬬(あずま)はや」つまり「わが妻はもういないのか」と言ったのが語源であるとの伝説がある。また、太陽が昇り明るくなっていく方向として、「明け端(アケツマ)」を語源とする説もある<ref>笹原宏之ら</ref>{{Full citation needed|date=2017年4月}}。
== 東に関する項目 ==
*「'''東'''」という漢字の解字は、[[説文解字]]など伝統的な解釈では、木の間から[[太陽|日]]が出る様子を示した[[会意文字]]とされてきた。しかし、近年の[[金石学]]以降の研究においては、上下を縛った袋に棒を通した形とされ、袋から棒が突き抜けるように、日が[[地平線]]から突き出る様を表したものという解釈が有力になっている。
* 日が昇る方位である点から、東は「成長」や「繁盛」に例えられることがある。[[部屋]]の[[間取り]]でも、東向きは[[南]]向きとともに好まれる。
* 日の出の方位から「生」または「復活」を象徴し、西(日没)の象徴「[[死]]」と対照的に用いられることが多い。[[死と再生の神]]も参照。
* [[色]]では、東は[[緑]]で表されることが多い。例えば、[[相撲]]の[[土俵]]では、東には緑の房を付ける。[[五行思想]]でも、東は緑で表され、東の[[四神|守護神]]は[[青竜]](green dragon)である。
* [[高速道路]]の名前の後にある文字。[[京都東インターチェンジ]]など。
* [[鉄道]]の[[鉄道駅|駅名]]では名前の後に方位を付けるのは少数派([[堺東駅]]、[[中野東駅]]など)であり、ほとんどは名前の前に付ける([[東浦和駅]]、[[東静岡駅]]など)。
* [[日本]]の[[皇室]]では、皇居の東側に居所を置く習慣があったので、[[皇太子]]を「東宮」という。
* [[麻雀牌]]の字牌に「東」がある。読みは「ひがし」または「トン」。
* 旧[[ソビエト連邦|ソ連]]による世界初の有人[[宇宙船]]「[[ボストーク|ヴォストーク]]({{lang-ru-short|Восток}})」は、「東」を意味する[[ロシア語]]の普通[[名詞]]。
* [[大相撲]]の[[番付]]で同地位では、東が西より格上である。
* 東から吹く風は古語では「東風(こち)」。[[菅原道真]]「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花…」
* 名字にも多く使われ、「あずま」または「ひがし」と読まれる。
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
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{{Wikiquote|東}}
* [[西]] / [[南]] / [[北]]
* {{Prefix}}
*{{intitle}}
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7,175 | Firebird (データベース) | Firebird(ファイアバード)は、InterBaseから派生したオープンソースの関係データベース管理システム (RDBMS)。オープンソースで開発されており、Mozilla Public Licenseを元にしたIPL(InterBase Public License)と IDPL (Initial Developer's Public License)(商用・非商用問わず利用できるが、オリジナル〈ここではFirebirdを指す〉のソースコードを改変したプログラムを利用する場合は、その変更箇所のコードを公開しなくてはならない)によってライセンスされている。
PostgreSQLやMySQL(InnoDB)のMVCC(多版同時実行制御)と同様のMGA(マルチ・ジェネレーション・アーキテクチャー)による高度なトランザクション管理機能を有する。ストアドプロシージャや、トリガー、UDF(ユーザー定義関数)等の商用データベースに通常備わっている機能を網羅している。ただしオブジェクトの命名則が厳しい(Firebird 4.0で拡張)、プライマリキーのAUTO INCREMENTが用意されていない(Firebird3.0で導入)など、やや旧式な仕様もある。なおPHPなどアプリケーションからの接続には、InterBase対応の関数・ライブラリを流用できる。
2007年6月に開催された「オープンソースカンファレンス2007.DB」で行われた公開ベンチマークテストでは高評価を得ているが、解説書籍の出版が少ない、レンタルサーバではサポートされていないなど日本国内での認知度はまだまだ低い。
特筆すべき機能として、有償ではあるが米IBフェニックス社の「IBPレプリケータ」を導入し、GUI上から設定することにより、IPネットワークで接続された複数のFirebird同士で同期処理を行なうことが可能となる。これはトリガーの機能を応用したもので、更新された箇所を同期処理用のテーブルに蓄積し、蓄積内容を設定された別のFirebirdに対し定期的に送信すると言うものである。この他にも、Firebirdのレプリケーションソフトは多数存在する。 Firebird 4.0からビルトインのレプリケーションが実装された。 また、RDBMS側からクライアントへのコールバックを実現する、イベントアラータはFirebirdの初期開発者であるJim Starkeyの発案によるものである。
Firebirdは一般的なC/S(Client Server)のデータベースとしての利用のほか、データベースライブラリとしても利用でき、生成されるデータベースファイルも一つのOSファイルであるため、アプリケーションへの組み込みが容易である。組み込んだ例としてはLibreOffice Baseの4.2以降でFirebird Embeddedが利用できる。
Windows版には専用のインストーラが用意されている。Linux版もダウンロードパッケージに含まれる「install.sh」を実行すれば自動的に「/opt」以下にインストールされる。ただしisqlコマンドを使う場合、実行環境(Fedoraなど)によっては同名の全く別のプログラムが起動してしまうので、「isql2」など重複しない別名のシンボリックリンクを作成しておく必要がある。
2000年6月25日、ボーランドから InterBase 6.0のソースコードが公開され、それから1週間のうちにSourceForgeにFirebirdプロジェクトが登録された。
2002年3月11日、Firebird 1.0が Linux、Windows、Mac OS X向けにリリースされた。それから2ヵ月後には、Solaris、FreeBSD 4、HP-UXへも移植された。
Mozilla Foundationの新ブラウザが登場した際、一時期 "Mozilla Firebird" の名称を使用したため多少の混乱があったが、2004年2月10日にmozilla.orgがブラウザの名称をMozilla Firefoxに変更したことで決着した。
2004年2月23日、Firebird 1.5がリリースされた。ポーティングのため2000年よりソースコードをC言語からC++へ変更する開発が行われてきたが、このリリースは初めてC++コードベースを使った安定版である。クエリ最適化の改良、SQL92準拠の式、SQL:1999準拠のSAVEPOINT、明示的なロックが追加された。
2006年11月12日、Firebird 2.0がリリースされた。64ビットアーキテクチャのサポート、FROM句での入れ子テーブル、ロック時のタイムアウトでの式の利用が追加された。さらに、バージョン 2.1にて、データベーストリガ、再帰クエリ、SQL:2003準拠のMERGE文が追加された。
2010年10月4日、Firebird 2.5がリリースされた。これまでスレッドモデルで実装されたSuper Serverと、プロセスモデルで実装されたClassic Serverの2つのサーバーモデルを並行して開発してきたが、バージョン2.5では新たにSuper Classicと称するサーバーモデルが追加される。Super Classic版では、Super Server版のボトルネックとなっていた統合型キャッシュを見直し、スレッド毎にキャッシュバッファを実装することで、これまで弱点とされてきたSMPへの対応を強化し、スケーラビリティが向上する予定である。その他に、正規表現や外部データベースへの接続が追加された。
2016年04月19日、Firebird 3.0がリリースされた。これまでスレッドモデルで実装されたSuper Serverと、プロセスモデルで実装された Classic Serverの2つのサーバーモデルを並行して開発し、バージョン 2.5では新たにSuper Classicと称するサーバーモデルが追加されたがFirebird 3.0実行形式ファイルの単一化が施された(デフォルトはSuper Server)。さらにウィンドウ関数や統計関数がサポートされ、各種制限の緩和、データベースごとのコンフィグレーション、スクローラブルカーソル、パッケージなどが追加された。
2021年06月01日、Firebird 4.0がリリースされた。アーキテクチャや操作に根本的な変更を加えることなく、メタデータ識別子の長さの拡張(63文字まで)、10進浮動小数点(DECFLOAT)、NUMERICおよびDECIMALの最大精度を38桁に向上、INT128(128ビット整数)の導入、暗号化および暗号ハッシュのための組み込み関数など、新しいデータ型や多くの改良が導入された。 | [
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] | Firebird(ファイアバード)は、InterBaseから派生したオープンソースの関係データベース管理システム (RDBMS)。オープンソースで開発されており、Mozilla Public Licenseを元にしたIPL(InterBase Public License)と IDPL(商用・非商用問わず利用できるが、オリジナル〈ここではFirebirdを指す〉のソースコードを改変したプログラムを利用する場合は、その変更箇所のコードを公開しなくてはならない)によってライセンスされている。 | {{Infobox Software
| 名称 = Firebird
| ロゴ =
| 説明文 =
| 開発元 =
| 最新評価版 =
| 最新評価版発表日 =
| 対応OS = Win32, Win64, Linux x86, Linux AMD64, Android
| 対応プラットフォーム =
| 種別 = [[関係データベース管理システム|RDBMS]]
| ライセンス = [http://www.firebirdsql.org/index.php?op=doc&id=ipl IPL], [http://www.firebirdsql.org/index.php?op=doc&id=idpl IDPL]
| 公式サイト = https://www.firebirdsql.org/
| screenshot = [[File:Turbobird screenshot.png|300px]]
| latest release version = 4.0.2
| latest release date = {{Start date and age|df=yes|2022|08|11}}
}}
'''Firebird'''('''ファイアバード''')は、[[InterBase]]から派生した[[オープンソース]]の[[関係データベース管理システム]] (RDBMS)。[[オープンソース]]で開発されており、[[Mozilla Public License]]を元にしたIPL([[InterBase Public License]])と IDPL ([[Initial Developer's Public License]])(商用・非商用問わず利用できるが、オリジナル〈ここではFirebirdを指す〉のソースコードを改変したプログラムを利用する場合は、その変更箇所のコードを公開しなくてはならない)によってライセンスされている。
== 特徴 ==
[[PostgreSQL]]や[[MySQL|MySQL(InnoDB)]]の[[MultiVersion Concurrency Control|MVCC]](多版同時実行制御)と同様の[[InterBase#マルチ・ジェネレーション・アーキテクチャー|MGA]](マルチ・ジェネレーション・アーキテクチャー)による高度なトランザクション管理機能を有する。[[ストアドプロシージャ]]や、[[データベーストリガ|トリガー]]、UDF([[ユーザー定義関数]])等の商用データベースに通常備わっている機能を網羅している。ただしオブジェクトの命名則が厳しい(Firebird 4.0で拡張)、プライマリキーのAUTO INCREMENTが用意されていない(Firebird3.0で導入)など、やや旧式な仕様もある。なお[[PHP (プログラミング言語)|PHP]]などアプリケーションからの接続には、InterBase対応の関数・ライブラリを流用できる。
2007年6月に開催された「[[オープンソースカンファレンス]]2007.DB」で行われた公開ベンチマークテストでは高評価を得ているが<ref>https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20070624/275673/</ref>、解説書籍の出版が少ない、[[ホスティングサーバ|レンタルサーバ]]ではサポートされていないなど日本国内での認知度はまだまだ低い。
特筆すべき機能として、有償ではあるが米IBフェニックス社の「IBPレプリケータ」を導入し、[[グラフィカルユーザインターフェース|GUI]]上から設定することにより、[[IPネットワーク]]で接続された複数のFirebird同士で同期処理を行なうことが可能となる。これはトリガーの機能を応用したもので、更新された箇所を同期処理用のテーブルに蓄積し、蓄積内容を設定された別のFirebirdに対し定期的に送信すると言うものである。この他にも、Firebirdのレプリケーションソフトは多数存在する。
Firebird 4.0からビルトインのレプリケーションが実装された。
また、RDBMS側からクライアントへのコールバックを実現する、イベントアラータはFirebirdの初期開発者である[[Jim Starkey]]の発案によるものである。
Firebirdは一般的なC/S(Client Server)のデータベースとしての利用のほか、データベースライブラリとしても利用でき、生成されるデータベースファイルも一つのOSファイルであるため、アプリケーションへの組み込みが容易である。組み込んだ例としてはLibreOffice Baseの4.2以降でFirebird Embeddedが利用できる。
== インストール ==
[[Microsoft Windows|Windows]]版には専用のインストーラが用意されている。[[Linux]]版もダウンロードパッケージに含まれる「install.sh」を実行すれば自動的に「/opt」以下にインストールされる。ただしisqlコマンドを使う場合、実行環境(Fedoraなど)によっては同名の全く別のプログラムが起動してしまうので、「isql2」など重複しない別名のシンボリックリンクを作成しておく必要がある。
== 歴史 ==
2000年6月25日、[[ボーランド]]から [[InterBase]] 6.0のソースコードが公開され<ref>{{cite news | title=Inprise/Borland Introduces InterBase 6.0 Now Free and Open Source on Linux, Windows, and Solaris | date=2000-07-16 | url=http://www.borland.com/news/press_releases/2000/07_16_00_ib6.html | archiveurl=https://web.archive.org/web/20041206174134/www.borland.com/news/press_releases/2000/07_16_00_ib6.html | archivedate=2004-12-06 | accessdate=29 January 2009}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.linuxtoday.com/news_story.php3?ltsn=2000-07-25-004-06-PR-SV-SW |title=Borland.com: Inprise/Borland Introduces Interbase 6.0 Now Free and Open Source on Linux |accessdate=2009-01-29 |publisher=Linux Today}}</ref>、それから1週間のうちに[[ソースフォージ|SourceForge]]にFirebirdプロジェクトが登録された<ref>{{cite web |url=http://www.firebirdsql.org/index.php?op=history&id=firebird |title=Firebird History |accessdate=2009-01-31}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.prototypical.co.uk/pdf/Interbase.pdf |title=What's happening to InterBase |accessdate=2009-01-29 |publisher=Borland User Group |author=Paul Reeves |pages=2}}</ref>。
2002年3月11日、Firebird 1.0が Linux、Windows、[[macOS|Mac OS X]]向けにリリースされた<ref>{{cite web |url=http://www.ibphoenix.com/main.nfs?a=ibphoenix&page=ibp_old_news&next=Y&skip=2029 |title=IBPhoenix Community News Archive |accessdate=2009-01-29 |date=2000-03-11}}</ref>。それから2ヵ月後には、[[Solaris]]、[[FreeBSD]] 4、[[HP-UX]]へも移植された<ref>{{cite web |url=http://www.ibphoenix.com/main.nfs?a=ibphoenix&page=ibp_old_news&next=Y&skip=2015 |title=IBPhoenix Community News Archive |date=2000-04-11 |accessdate=2009-01-29}}</ref>。
[[Mozilla Foundation]]の新ブラウザが登場した際、一時期 "Mozilla Firebird" の名称を使用したため多少の混乱があったが、2004年2月10日にmozilla.orgがブラウザの名称を[[Mozilla Firefox]]に変更したことで決着した。[http://www.mozilla-japan.org/projects/firefox/firefox-name-faq.html]
2004年2月23日、Firebird 1.5がリリースされた<ref>{{cite news |url=http://developers.slashdot.org/article.pl?sid=04/02/23/201230 |title=Firebird Relational Database 1.5 Final Out |accessdate=31 January 2009 |publisher=Slashdot |date=23rd February 2004}}</ref>。ポーティングのため2000年よりソースコードを[[C言語]]から[[C++]]へ変更する開発が行われてきたが、このリリースは初めてC++コードベースを使った安定版である。[[クエリ最適化]]の改良、[[SQL]]92準拠の式、[[SQL:1999]]準拠の[[SAVEPOINT (SQL)|SAVEPOINT]]、明示的なロックが追加された<ref>{{cite web |url=http://www.firebirdsql.org/rlsnotes/Firebird-1.5.5-ReleaseNotes.pdf |title=Firebird 1.5.5 Release Notes |author=Helen Borrie |accessdate=2009-01-31 |publisher=Firebird Project |date=2007-11-30}}</ref>。
2006年11月12日、Firebird 2.0がリリースされた<ref>{{cite web |url=http://www.firebirdsql.org/index.php?op=devjournal&id=djarchive&no_rss=1#00022.jnl |title=Firebird 2.0 Final Release Launches in Prague |author=Dmitry Yemanov |accessdate=2009-02-05}}</ref>。[[64ビット]]アーキテクチャのサポート、FROM句での入れ子テーブル、ロック時のタイムアウトでの式の利用が追加された<ref>{{cite web |url=http://www.firebirdsql.org/devel/doc/rlsnotes/pdf/Firebird-2.0.5-ReleaseNotes.pdf |title=Firebird 2.0.5 Release Notes |author=Helen Borrie |date=2009-01-22 |accessdate=2009-02-05}}</ref>。さらに、バージョン 2.1にて、[[データベーストリガ]]、[[再帰クエリ]]、[[SQL:2003]]準拠の[[MERGE (SQL)|MERGE]]文が追加された<ref>{{cite web |url=http://www.firebirdsql.org/devel/doc/rlsnotes/html/rlsnotes210.html#rnfb210-new-feat |title=Firebird 2.1 Release Notes |author=Helen Borrie |date=2008-07-15 |accessdate=2009-02-07}}</ref>。
2010年10月4日、Firebird 2.5がリリースされた<ref>{{cite web |url=http://www.firebirdsql.org/pop/pop_pressRelease25.html |title=Firebird 2.5 Introduces New Audit Features and Improved Scalability |author=Alexey Kovyazin |accessdate=2010-10-06}}</ref>。これまでスレッドモデルで実装されたSuper Serverと、プロセスモデルで実装されたClassic Serverの2つのサーバーモデルを並行して開発してきたが、バージョン2.5では新たにSuper Classicと称するサーバーモデルが追加される。Super Classic版では、Super Server版のボトルネックとなっていた統合型キャッシュを見直し、スレッド毎にキャッシュバッファを実装することで、これまで弱点とされてきたSMPへの対応を強化し、スケーラビリティが向上する予定である。その他に、[[正規表現]]や外部データベースへの接続が追加された<ref>{{cite web |url=http://www.firebirdsql.org/rlsnotesh/rlsnotes25.html |title=Firebird 2.5 Release Notes |author=Helen Borrie|date=2008-07-02 |accessdate=2009-02-09}}</ref>。
2016年04月19日、Firebird 3.0がリリースされた<ref>{{cite web |url=http://www.firebirdsql.org/en/news/firebird-3-0-is-released/ |title=Firebird 3.0 is released |author=Alexey Kovyazin |accessdate=2016-05-07}}</ref>。これまでスレッドモデルで実装されたSuper Serverと、プロセスモデルで実装された Classic Serverの2つのサーバーモデルを並行して開発し、バージョン 2.5では新たにSuper Classicと称するサーバーモデルが追加されたがFirebird 3.0実行形式ファイルの単一化が施された(デフォルトはSuper Server)。さらにウィンドウ関数や統計関数がサポートされ、各種制限の緩和、データベースごとのコンフィグレーション、スクローラブルカーソル、パッケージなどが追加された<ref>{{cite web |url=http://www.firebirdsql.org/file/documentation/release_notes/html/en/3_0/rlsnotes30.html |title=Firebird 3.0 Release Notes |author=Helen Borrie|date=2016-04-28 |accessdate=2016-05-07}}</ref>。
2021年06月01日、Firebird 4.0がリリースされた。アーキテクチャや操作に根本的な変更を加えることなく、メタデータ識別子の長さの拡張(63文字まで)、10進浮動小数点(DECFLOAT)、NUMERICおよびDECIMALの最大精度を38桁に向上、INT128(128ビット整数)の導入、暗号化および暗号ハッシュのための組み込み関数など、新しいデータ型や多くの改良が導入された。<ref>{{Cite web|url=https://firebirdsql.org/file/documentation/release_notes/html/en/4_0/rlsnotes40.html|title=Firebird 4.0 Release Notes|accessdate=2021-12-16|author=Helen Borrie,Dmitry Yemanov (2021年6月1日)}}</ref>
== 管理ツール ==
* [http://www.flamerobin.org/ FlameRobin]
* [http://www.nucleonsoftware.com Database Master]
* [http://sourceforge.net/projects/ibwebadmin/ ibWebAdmin]
== 受賞 ==
* 2009. SourceForge Community Choice Award: Best Project for enterprise. Finalist on Best Project and Best Project for Government.
* 2007. SourceForge Community Choice Award: Best Project for enterprise, Best user support.
== 脚注 ==
<references/>
== 外部リンク ==
{{Portal|FLOSS|[[ファイル:FLOSS logo.svg|41px]]}}
* [http://www.firebirdsql.org/ Firebirdプロジェクトホーム]
* [http://tech.firebird.gr.jp/firebird/index.php Firebird日本ユーザー会]
* [http://firebird.sourceforge.net/ff/foundation/ FirebirdSQL Foundation]
* [http://firebird.00i.org/wiki/FrontPage 有志によるFirebird SQLリファレンス] {{リンク切れ|date=2011年10月}}
* [http://firebirdwiki.jp/ FIREBIRD WIKI]
[[Category:フリーデータベース管理システム]]
[[Category:オープンソースソフトウェア]] | 2003-04-23T15:17:13Z | 2023-11-07T21:58:01Z | false | false | false | [
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"Template:Cite web",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/Firebird_(%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9) |
7,176 | エージェント | エージェント (Agent)とは、本人から委任あるいは授権された代理権限の範囲内で、本人に代わって取引、契約など法律行為をなす者である。日本語では代理人のことを示す。なお、組織や法人として活動しているものをエージェンシー(agency)という。 | [
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] | エージェント (Agent)とは、本人から委任あるいは授権された代理権限の範囲内で、本人に代わって取引、契約など法律行為をなす者である。日本語では代理人のことを示す。なお、組織や法人として活動しているものをエージェンシー(agency)という。 作家や著作権者などの代わりになって出版社などと交渉する者 → 著作権エージェント。
企業に代わって有能な人材に転職の話を持ちかける個人や組織、および転職希望者に代わって企業と交渉する個人や組織。「転職エージェント」「転職エージェンシー」 → 人材紹介会社。
FBIやNCISなどの捜査機関などから認められ、その一員として活動する者 → 特別捜査官。
CIAやFSBなどの情報機関から採用され、その機関(外国)の為に活動する者 → スパイ(シークレット・エージェント)、工作員、アセット。
外国のエージェント 外国の利益の為に働くロビイスト。米「外国代理人登録法」。
コンピューター用語
ユーザーや他のソフトウェアの代理・仲介を果たすソフトウェア → ソフトウェアエージェント。
ユーザーの代わりに動くソフトウェア → ユーザーエージェント。
エージェント指向プログラミング。
(何かの外にありながら)他の何かに影響を与えると考えられる何か → 力。
化学物質、特に化学兵器。
旅行者の代わりに旅行の段取りをつける業者。「旅行エージェンシー」 → 旅行会社。
ロックスター・ゲームスから発売予定だったゲーム → エージェント (コンピュータゲーム)。
映画『マトリックス』シリーズに登場する、マトリックスの監視組織の一員 → エージェント (マトリックス)。
スポーツ・芸能など
プロスポーツ界(プロ野球、プロサッカー、競馬など)で選手本人に代わって契約の交渉を行う者 → スポーツエージェント。
サッカー選手の代わりにサッカー・チームと交渉する者 → サッカー代理人一覧。
『ザ・エージェント』は、1996年に製作されたトム・クルーズ主演のアメリカ映画。
競馬の騎手の代わりに交渉する者 → 騎乗依頼仲介者。
芸能界においてタレントに代わって(出演の)交渉をする者 → タレント・エージェント。
動画投稿者(YouTuber)のマネジメントや制作をサポートする組織 → マルチチャンネルネットワーク。
アイドル事務所WACKとavexの共同プロデュース「EMPiRE」のファンの呼称。 | {{Wiktionary|エージェント}}
'''エージェント''' (''{{lang|en|Agent}}'')とは、本人から[[委任]]あるいは授権された代理権限の範囲内で、本人に代わって[[取引]]、[[契約]]など[[法律]]行為をなす者である。[[日本語]]では[[代理人]]のことを示す。なお、組織や法人として活動しているものを[[エージェンシー]](agency)という。
* [[作家]]や[[著作権|著作権者]]などの代わりになって出版社などと交渉する者 → [[著作権エージェント]]。
* [[企業]]に代わって有能な[[人材]]に[[転職]]の話を持ちかける個人や組織、および転職希望者に代わって企業と交渉する個人や組織。「転職エージェント」「転職エージェンシー」 → [[職業紹介事業|人材紹介会社]]。
* [[FBI]]や[[NCIS]]などの捜査機関などから認められ、その一員として活動する者 → [[特別捜査官]]。
* CIAやFSBなどの[[情報機関]]から採用され、その機関(外国)の為に活動する者 → [[スパイ|スパイ(シークレット・エージェント)]]、工作員、[[アセット]]。
* [[外国のエージェント]] 外国の利益の為に働くロビイスト。米「[[外国代理人登録法]]」。
* [[コンピュータ|コンピューター]]用語
**[[ユーザー]]や他の[[ソフトウェア]]の代理・仲介を果たすソフトウェア → [[ソフトウェアエージェント]]。
** ユーザーの代わりに動くソフトウェア → [[ユーザーエージェント]]。
** {{仮リンク|エージェント指向プログラミング|en|Agent-oriented programming}}<ref>英語版の記事[[:en:Agent-oriented programming]]を参照のこと。
: [[オブジェクト指向]]にわずかな自律性を加えたソフトウエア部品ではなく、[[宗教]]観や[[政治]]観、経営者の[[経営]]戦略、[[投資]]戦略、科学者の[[研究]]戦略のような高度で、再利用可能な種類のことをそう呼ぶべきという意見がある。さらに1985年ごろには別の見方が有力であり今でもその見方は一部で引き継がれていると思われる([[マービン・ミンスキー]]、[[安西祐一郎]]参照)</ref>。
* (何かの外にありながら)他の何かに影響を与えると考えられる何か → [[力]]。
* [[化学物質]]、特に[[化学兵器]](chemical agent)。
* 旅行者の代わりに[[旅行]]の段取りをつける業者。「旅行エージェンシー」 → [[旅行会社]]。
* [[ロックスター・ゲームス]]から発売予定だったゲーム → [[エージェント (コンピュータゲーム)]]。
* 映画『[[マトリックス (映画)|マトリックス]]』シリーズに登場する、マトリックスの監視組織の一員 → [[エージェント (マトリックス)]]。
*[[スポーツ]]・[[芸能]]など
** プロスポーツ界(プロ野球、プロサッカー、競馬など)で選手本人に代わって契約の交渉を行う者 → '''[[スポーツエージェント]]。'''
*** サッカー選手の代わりにサッカー・チームと交渉する者 → [[サッカー代理人一覧]]。
*** 『'''[[ザ・エージェント]]'''』(原題: ''Jerry Maguire'')は、[[1996年の映画|1996年]]に製作された[[トム・クルーズ]]主演の[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]。
*** 競馬の騎手の代わりに交渉する者 → [[騎乗依頼仲介者]]。
** 芸能界においてタレントに代わって(出演の)交渉をする者 → [[タレント・エージェント]]。
**動画投稿者([[YouTuber]])のマネジメントや制作をサポートする組織 → [[マルチチャンネルネットワーク]]。
**アイドル事務所WACKとavexの共同プロデュース「EMPiRE」のファンの呼称。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[:en:Special agent]]
* [[ミッション]](使命、任務)
{{Aimai}}
{{デフォルトソート:ええしえんと}}
[[Category:エージェント業|*]] | null | 2023-04-30T20:03:37Z | true | false | false | [
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"Template:Lang",
"Template:仮リンク",
"Template:Reflist",
"Template:Aimai"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%88 |
7,177 | データベース管理システム | データベース管理システム(データベースかんりシステム、DBMS; 英: database management system)は、コンピュータのデータベースを構築するために必要なデータベース運用、管理のためのシステム、およびそのソフトウェアのことである。データベースマネジメントシステムとも呼ばれる。
かつては、CODASYLが提唱したネットワーク型データモデルのDBMSや、階層型データモデルのDBMS、あるいは初期の非力なパーソナルコンピュータなどではカード型データモデルのDBMS(いわゆる簡易データベースソフト)などが幅広く利用されていたが、近年では関係モデル(関係データモデル)を扱う関係データベース管理システム (RDBMS) が主流である。
また、関係データベース管理システムに、利用者が独自のデータ型や関数を拡張可能なオブジェクト関係データベース (ORDBMS) や、オブジェクト指向プログラミング言語との親和性が高いオブジェクトデータベース (ODBMS)、データモデルにXMLを採用したXMLデータベース (XML DB) などが開発され、利用が広まっている。
ネットワーク型データモデルのDBMSや、階層型データモデルのDBMSは実装の軽量性の利から早くから広まっていたが、アプリケーションソフトウェア、データの論理的構造、データの物理的構造の三者が密接に結びつき、柔軟性に欠けるという欠点があった。また、最適化の方法論がクエリ(検索質問)を作るプログラマの力量に依存することもアプリケーションの開発効率を低下させる一因となった。
関係モデルの最大の功績は、アプリケーション、データの論理的構造、データの物理的構造を三階層に分け(三階層アーキテクチャ)、論理データ独立性と物理データ独立性を実現した点にある。
現在では、主に以下のデータベースが広く使われている。
以下に DBMSの、主な機能を示す。 | [
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"text": "現在では、主に以下のデータベースが広く使われている。",
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"text": "以下に DBMSの、主な機能を示す。",
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] | データベース管理システムは、コンピュータのデータベースを構築するために必要なデータベース運用、管理のためのシステム、およびそのソフトウェアのことである。データベースマネジメントシステムとも呼ばれる。 | {{出典の明記|date=2023年3月}}
[[ファイル:Emp Tables (Database).PNG|right]]
'''データベース管理システム'''(データベースかんりシステム、'''DBMS'''; {{Lang-en-short|database management system}})は、[[コンピュータ]]の[[データベース]]を構築するために必要なデータベース運用、管理のための[[システム]]、およびその[[ソフトウェア]]のことである。'''データベースマネジメントシステム'''とも呼ばれる。
== 概要 ==
かつては、[[CODASYL]]が提唱した[[ネットワーク型データモデル]]のDBMSや、[[階層型データモデル]]のDBMS、あるいは初期の非力な[[パーソナルコンピュータ]]などでは[[カード型データモデル]]のDBMS(いわゆる簡易データベースソフト)などが幅広く利用されていたが、近年では[[関係モデル]](関係データモデル)を扱う[[関係データベース管理システム]] (RDBMS) が主流である。
また、関係データベース管理システムに、利用者が独自の[[データ型]]や[[関数 (プログラミング)|関数]]を拡張可能な[[オブジェクト関係データベース]] (ORDBMS) や、[[オブジェクト指向プログラミング]]言語との親和性が高い[[オブジェクトデータベース]] (ODBMS)、データモデルに[[Extensible Markup Language|XML]]を採用した[[XMLデータベース]] (XML DB) などが開発され、利用が広まっている。
ネットワーク型データモデルのDBMSや、階層型データモデルのDBMSは実装の軽量性の利から早くから広まっていたが、[[アプリケーションソフトウェア]]、データの論理的構造、データの物理的構造の三者が密接に結びつき、柔軟性に欠けるという欠点があった。また、最適化の方法論がクエリ(検索質問)を作る[[プログラマ]]の力量に依存することもアプリケーションの開発効率を低下させる一因となった。
関係モデルの最大の功績は、アプリケーション、データの論理的構造、データの物理的構造を三階層に分け([[三階層アーキテクチャ]])、[[論理データ独立性]]と[[物理データ独立性]]を実現した点にある。
=== 種類 ===
現在では、主に以下のデータベースが広く使われている。
* [[関係データベース]]、[[オブジェクト関係データベース]] - スキーマがしっかり決まっていて、トランザクションが利用できる
* [[オブジェクトデータベース]]
* {{仮リンク|列指向データベース管理システム|en|Column-oriented DBMS|preserve=1}} - [[NoSQL]]系の一部で称される「列(カラム)指向データモデル」とは異なり、同一列のデータを物理的に近い領域に集約して格納されるもの。列データ集計処理などでは、行指向データベースよりも優位。
* [[カード型データベース]]
* NoSQL ("Not only SQL") 系
** {{仮リンク|ドキュメント指向データベース|en|Document-oriented database|preserve=1}} - [[XML]] (Extensible Markup Language) や[[JavaScript Object Notation|JSON]]を利用した、スキーマレスなもの。
** {{仮リンク|キー・バリュー・ストア|en|Key-value database|preserve=1}}
** {{仮リンク|グラフ指向データベース|en|Graph database|preserve=1}}
==== 補足 ====
*三階層アーキテクチャは、古くからの階層型、ネットワーク型DBMSにおいて実装されている。さらに、[[三階層アーキテクチャ]]は、階層型、ネットワーク型データベースの国際標準規格である構造型データベース(CODASYL NDL)において、最初に規定された。
*アプリケーションはビュー経由で操作し、レコード型(実表)の定義変更があっても、変更箇所を操作しないアプリケーションには影響しない。
*データベースの物理的な格納場所の変更も、アプリケーションや論理的な定義の変更は必要としない。
*階層型、ネットワーク型とリレーショナル型DBMSの共通点、差異は、次の点にある。
**<共通>
**#レコード型(実表)に対し、特定の構成要素(フィールド、列)をビューとして定義し、アプリケーションから限定して操作させる。
**#ビューで定義された構成要素(フィールド、列)以外の定義変更は、アプリケーションには影響しない。
**<差異>
**#ビューでは、列の特定だけでなく、列が特定の値を持つ行のみを対象にできる。
**#ビューを経由しなくても、特定の列だけ、さらには特定の列の値を持つ行だけを操作対象にできる。
== DBMSの機能 ==
以下に DBMSの、主な機能を示す。
; データベース言語
: [[データベース言語]]は、DBMS に対してさまざまな指示を伝えるための言語である。概念的には、データ定義言語 (DDL)、データ操作言語 (DML)、データ制御言語 (DCL) の構成要素からなる。[[データ定義言語]] (DDL) は[[データベース]]の構造を定義する。[[データ操作言語]] (DML) はデータベースに対する検索や更新などの操作を行う。[[データ制御言語]] (DCL) はデータに対する[[アクセス制御]]を行う。DBMS ではその[[データベースモデル]]に基づいたデータベース言語を備えている。例えば[[関係データベース管理システム]] (RDBMS) とされるシステムの多くは、関係データベース言語 [[SQL]] を備えている。
; 物理的データ独立性
: データベースを格納する[[記憶装置]]を変更する際、それに伴って DBMS にアクセスする方法を変更する必要はない (もしくは変更する労力が少なくて済む) 。DBMS にアクセスする利用者や[[アプリケーションソフトウェア]]に対して、DBMS は記憶装置の変更をある程度隠蔽することができる。
; 論理的データ独立性
: いくつかの種類の DBMS では論理的データ独立性を支援する。例えばRDBMSでは[[ビュー (データベース)|ビュー]]を使うことができる。
; [[データ完全性]]
: 不正なデータが登録されることや、不正なデータに更新されることを、防ぐ。例えばRDBMSでは、[[定義域 (データベース)|定義域]]・[[データ型]]・[[一意性制約|一意性(ユニーク)制約]]・[[参照整合性|参照整合性制約]]・[[CHECK制約|一般制約]]・[[データベーストリガ|トリガ]] などの機能を備えている。
; トランザクション処理
: [[ACID (コンピュータ科学)|ACID特性]]に基づいた[[トランザクション処理]]を行う。複数のユーザが同時に同一のデータを参照・更新した場合でも、不整合がなく正常に処理をこなす、又は異常を通知する(例:二人のユーザが口座から引き出しをした場合、確実に二人分の引き出しが処理される)。
; セキュリティ
: 多くの DBMS では[[コンピュータセキュリティ|セキュリティ]] (機密保護) に関して[[任意アクセス制御]]もしくは[[強制アクセス制御]]を提供し、さらに一部の DBMS ではデータの[[暗号|暗号化]]機能も提供する。任意アクセス制御を採用している DBMS が多い。データ暗号化機能では、DBMS を迂回した不正なデータアクセスに対する対策として、DBMS で管理・送受信するデータを暗号化する。
:
:DBMSの暗号化ソリューションの方式は暗号化および復号を行う位置によって大きく3通り、アプリケーション方式、DB Plug-In方式、TDE方式と分類する。 <br />アプリケーション方式(Application Programming Interface 、API)はアプリケーションのロジックでデータを暗号化及び復号を行う。そのためデータベースに負荷がかかる問題なく、性能劣化を最小限に抑えられる。 <br />DB Plug-In方式はデータベース(DB)上で暗号化および復号のモジュールを実装する暗号化方式である。APIとは違ってアプリケーションから独立しているため、データベースを修正することだけで簡単に導入できる。そのためアプリケーションに対する修正はほぼ必要ない。また、全ての作業がGUI基盤で行われるため、管理の利便性を向上し、暗号化カラムに対する一致検索、範囲検索、インデックス支援に容易になる。 <br />TDE方式(Transparent Data Encryptio、TDE)はDBエンジンの内部にて暗号化および復号を行う。ソフトウェア基盤の暗号化モジュールがDBエンジンに直接設置されるため、アプリケーションの修正なくDB内部から暗号化および復号する。そのため、他の方式と比べ暗号化・復号の速度が上がる。また、必要なデータのみ暗号化することができるためシステムにかかる負荷を最小化する。
; 障害復旧
: トランザクション障害、システム障害、記憶媒体の障害からの復旧を行う。
; 最適化
: 高水準な[[データベースモデル]]を採用する DBMS では、高水準なデータベース言語で記述されたデータ処理要求を、低水準な手続きに[[クエリ最適化|最適化]]して実行する。
; 分散データベース
: [[分散データベース]]は、[[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]で接続された複数のコンピュータを使い、それぞれのコンピュータ上で DBMS のプロセスを協調させて動かし、全体として仮想的に一つの DBMS を実現する技術である。複数のコンピュータを使うため、[[可用性]]や[[性能|処理性能]]を向上させることができる。[[クライアント・サーバ]]のデータベースは、分散データベースの簡単で特殊な形態と位置づけることができる。
== オープンソースソフトウェアのDBMS ==
{|class="wikitable"
|-
!名称
!データ<br />モデル
!ライセンス
!開発者
!動作環境
|-
|[[Apache Derby]]
|RDBMS
|Apache License Version 2.0
|Apache DB プロジェクト([[Apacheソフトウェア財団]])
|Pure Java
|-
|[[Berkeley DB]]
|RDBMS
|[[GNU General Public License|GPL]]
|Sleepycat Software<ref group="注">2006年に[[オラクル (企業)|Oracle Corporation]]に買収された。</ref>
|[[Unix系]], Windows, Pure Java
|-
|[[Firebird (データベース)|Firebird]]
|RDBMS
|InterBase Public License
|Firebird Project
|Unix系, Windows
|-
|[[H2 Database]]
|RDBMS
|H2 License 1.0
|Thomas Mueller
|Pure Java
|-
|[[HSQLDB]]
|RDBMS
|BSDライセンス
|
|Pure Java
|-
|[[LibreOffice Base]]
|RDBMS
|LGPL
|[[The Document Foundation]]
|Unix系, Windows
|-
|[[MariaDB]]
|RDBMS
|GPL v2
|Maria developers
|Linux, Windows, Solaris
|-
|[[MaxDB]]
|
|GPLまたは[[GNU Lesser General Public License|LGPL]]
|MySQL AB
|Unix系, Windows
|-
|[[MongoDB]]
|[[NoSQL]]
|GNU [[AGPL]] v3.0
|10gen
|Linux, Windows, macOS, Solaris
|-
|[[mSQL]]
|RDBMS
|商用ライセンス(教育、非商用の機関に限りフリー)
|Minerva Network Management Environment
|
|-
|[[MySQL]]
|RDBMS
|GPLまたは商用ライセンス
|[[MySQL AB]]
|Unix系, Windows
|-
|[[OpenOffice.org|OpenOffice.org Base]]
|RDBMS
|LGPL
|[[サン・マイクロシステムズ]]、Apacheソフトウェア財団
|Unix系, Windows
|-
|[[PostgreSQL]]
|ORDBMS
|[[BSDライセンス]]
|PostgreSQL Global Development Group
|Unix系, Windows
|-
|[[SQLite]]
|RDBMS
|[[パブリックドメイン]]
|D. Richard Hipp
|
|-
|[[VoltDB]]
|RDBMS
|GPL v3
|Michael Stonebraker
|
|-
|[[Xindice]]
|[[ネイティブXMLデータベース|XML DB]]
|Apache License Version 2.0
|[[Apache XML]]プロジェクト
|
|}
== 非オープンソースソフトウェアのDBMS ==
{|class="wikitable"
|-
!名称
!データモデル(特徴)
!開発元
!主な動作環境
|-
|[[4th Dimension]]
|RDBMS
|
|Macintosh,Windows
|-
|[[ADABAS]]
|RDBMS
|[[ソフトウェアAG]]
|Windows、各種UNIX、[[Linux]]、[[メインフレーム]] ([[z/OS]], [[z/VM]],[[z/VSE]], [[OSIV/MSP]], BS2000)
|-
|[[ADBS]]
|[[ネットワーク型データモデル|ネットワーク型]]
|[[日本電気]]
|メインフレーム ([[ACOS-4]], [[ACOS-2]])
|-
|[[Advanced Information Manager|AIM]]
|[[ネットワーク型データモデル|ネットワーク型]]
|[[富士通]]
|メインフレーム ([[OSIV/MSP]], [[OSIV/XSP]])
|-
|[[ALTIBASE]]
|ハイブリッドメモリ型RDBMS
|ALTIBASE Corporation
|Windows、Linux、各種UNIX
|-
|[[Bento]]
|カード型
|[[クラリス (企業)|クラリス]]
|[[macOS]]
|-
|[[Cache (データベース管理システム)|Caché]]
|多次元
|[[インターシステムズ]]
|Windows、各種UNIX、[[macOS]]、[[OpenVMS]]
|-
|[[DayDa.Laboo]]
|インメモリ型RDBMS
|[[ターボデータラボラトリー]]
|Windows、各種UNIX
|-
|[[DB2]]
|ORDBMS
|[[IBM]]
|Windows、各種UNIX,Linux、[[OS/400]]、メインフレーム (z/OS)
|-
|[[DBMaker]]
|
|
|
|-
|[[DL/I]] [[VSE]]
|[[階層型データモデル|階層型]] ([[DL/I]])
|[[IBM]]
|[[メインフレーム]] ([[z/VSE]])
|-
|[[FileMaker]]
|カード型、RDBMS
|[[クラリス (企業)|クラリス]]
|
|-
|[[GemStone]]
|ODBMS
|
|
|-
|[[HiRDB]]
|RDBMS
|日立製作所
|Windows、Linux、各種UNIX
|-
|[[IMS]] DB
|[[階層型データモデル|階層型]] ([[DL/I]])
|[[IBM]]
|[[メインフレーム]] ([[z/OS]])
|-
|[[Informix Dynamic Server]]
|ORDBMS
|[[IBM]](旧[[Informix]])
|Windows、Linux、各種UNIX
|-
|[[Ingres]]
|RDBMS
|[[Ingres Corporation]]
|
|-
|[[InterBase]]
|RDBMS
|[[コードギア]]
|
|-
|Jasmine
|
|
|
|-
|{{仮リンク|Linter|en|Linter SQL RDBMS}}
|RDBMS
|
|組み込み機器(T-Engine等)
|-
|[[Microsoft Access]]
|RDBMS
|[[マイクロソフト]]
|Windows
|-
|[[Microsoft SQL Server]]
|RDBMS
|マイクロソフト
|Windows
|-
|[[MRDB]]
|RDBMS
|[[TDCソフト]]
|
|-
|[[NeoCore XMS]]
|[[ネイティブXMLデータベース|XML DB]]
|
|
|-
|[[Objectivity/DB]]
|[[オブジェクトデータベース|ODBMS]]
|
|
|-
|[[ObjectStore]]
|[[オブジェクトデータベース|ODBMS]]
|
|
|-
|[[Oracle Database]]
|RDBMS
|[[オラクル (企業)|オラクル]]
|Windows。Linux、各種UNIX、[[z/OS]]、macOS
|-
|[[Oracle Times Ten In-memory Database]]
|インメモリ型RDBMS
|オラクル
|Windows、Linux、各種UNIX
|-
|[[PERCIO]]
|
|
|
|-
|[[Pervasive.SQL]](旧称「[[Btrieve]]」)
|RDBMS
|Pervasive
|Windows, Linux
|-
|[[PointBase]]
|
|
|
|-
|[[RedBrick]]
|
|IBM
|Windows、各種UNIX
|-
|[[SAP IQ]](旧称「Sybase IQ」)
|RDBMS
|[[SAP (企業)|SAP]]
|Windows、Linux、商用UNIX(各32ビット/64ビット)
|-
|[[SAP HANA]]
|インメモリ型RDBMS
|[[SAP (企業)|SAP]]
|Linux
|-
|SAP Sybase Adaptive Server Enterprise(旧称「[[Adaptive Server Enterprise|Sybase Adaptive Server Enterprise]]」)
|RDBMS
|[[SAP (企業)|SAP]]
|Windows、Linux、各種UNIX
|-
|[[SAS Scalable Performance Data Server]]
|
|
|
|-
|[[solidDB]]
|インメモリ型RDBMS
|IBM
|Windows、Linux、各種UNIX
|-
|[[Sonic XIS]]
|
|
|
|-
|[[Sybase SQL Anywhere]]
|RDBMS
|[[Sybase iAnywhere]]
|Windows、Linux、各種UNIX、macOS、iOS、Windows CE
|-
|[[SQLBase]]
|RDBMS
|
|
|-
|[[SUPRA]]
|
|
|
|-
|[[Symfoware Server]]
|RDBMS
|[[富士通]]
|Windows、[[Solaris]]、[[Linux]]、富士通メインフレーム
|-
|[[Tamino]]
|
|
|
|-
|[[Teradata]]
|RDBMS
|[[Teradata]]
|[[Linux]], Windows
|-
|[[UniSQL]]
|ORDBMS
|
|
|-
|[[VERSANT]]
|
|
|
|-
|[[XDM (データベース)|XDM]]/SD
|[[構造型データモデル|構造型]] ([[NDL]])
|[[日立製作所]]
|[[メインフレーム]] ([[VOS3]])
|-
|-
|[[XDM (データベース)|XDM]]/RD
|RDBMS
|日立製作所
|メインフレーム ([[VOS3]])
|-
|[[Yggdrasill]]
|
|
|
|-
|[[桐 (データベース)|桐]]
|RDBMS
|[[管理工学研究所]]
|MS-DOS, Windows
|-
|[[高速機関]]
|インメモリ型RDBMS
|[[高速屋]]
|Windows
|-
|[[五郎]]
|RDBMS
|[[ジャストシステム]]
|MS-DOS, Windows
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
==関連項目==
*[[データ管理システム]]
*[[バージョン管理システム]]
*[[パッケージ管理システム]]
*[[データストリーム管理システム]]
*[[ACID (コンピュータ科学)]]
*[[排他制御]]
*[[デッドロック]]
*[[コミットメント]]
*[[ロールバック]]
{{Database}}
{{Database models}}
{{DEFAULTSORT:てえたへえすかんりしすてむ}}
[[Category:データベース管理システム|*]] | 2003-04-23T15:41:03Z | 2023-11-27T06:05:45Z | false | false | false | [
"Template:出典の明記",
"Template:Lang-en-short",
"Template:仮リンク",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Notelist2",
"Template:Database",
"Template:Database models"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E7%AE%A1%E7%90%86%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0 |
7,179 | エドガー・F・コッド | エドガー・フランク・コッド(Edgar Frank "Ted" Codd, 1923年8月23日 - 2003年4月18日)は、イングランド生まれの計算機科学者。関係データベースの理論的基盤であるデータベース管理の関係モデルを発明した。他にも計算機科学に数々の貢献をしているが、関係モデルはデータ管理の一般理論として大きな影響を与え、彼にとっては人生最大の業績と言われている。
イングランドのドーセット州ポートランド島で生まれた。オックスフォード大学エクセター・カレッジで数学と化学を専攻する。第二次世界大戦ではイギリス空軍のパイロットとして参戦した。1948年、アメリカ合衆国ニューヨーク州に移住し、IBMでプログラマとして就職した。1953年、上院議員ジョセフ・マッカーシーの怒りを買い、カナダのオタワに移住する。10年後アメリカ合衆国に戻り、アナーバーのミシガン大学で計算機科学の博士号を取得した。テネシー大学数学科の講師を務めた後、サンノゼ に移りIBMのアルマーデン研究所に勤務し、1980年代までそこで働き続けた。1990年代になると病気がちとなり、徐々に仕事から引退していった。
1981年、コッドはチューリング賞を受賞。1994年には Association for Computing Machinery (ACM) のフェローに選ばれた。
2003年4月18日、フロリダ州ウィリアムズ・アイランドの自宅にて心不全で亡くなった。79歳。
コッドはミシガン大学アナーバー校で1965年に博士号を取得した。博士論文のテーマはセル・オートマトンの自己複製についてであり、フォン・ノイマンの成果を発展させ、8状態で十分自己複製可能なセル・オートマトンを示した。コッドのセル・オートマトンによる自己複製コンピュータが実装されたのは2009年のことである。
1960年代から1970年代、コッドはデータ配置に関する理論を構築し、1970年 "A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks" (大規模共有データバンクのデータ関係モデル)という論文を発表した(IBM内ではその1年前に公表している)。しかし、IBMはライバルがそれを実装し始めるまで彼の提案を実行に移そうとせず、コッドは失望した。
当初、IBMはIMS/DBの収益を守るため、関係モデルを実装することを拒んだ。コッドはIBMの顧客に自身のモデルを実装した場合の可能性を提示し、顧客からIBMに圧力をかけさせた。そこでIBMは関係モデルの実装を開発する System R プロジェクトを Future Systems プロジェクトに含める形で立ち上げたが、その開発チームとコッドは分離され、しかもコッドの理論に精通した者はチーム内にいなかった。結果として彼らはコッドの Alpha 言語を使わずにリレーショナルでないSEQUEL言語を開発した。とはいえ SEQUEL は以前のシステムより優れていた。ラリー・エリソンは SEQUEL 完成前に発表された論文に基づいて Oracle を完成させ、先に発売している。IBMは、SQL/DS を発売した。なお、SEQUEL という名前は既に他で使われていたので、SQL に改称した。
コッドはクリス・デイトと共同で関係モデルの拡張と開発を続けた。関係の正規化 (正規形) の一種であるボイス・コッド正規形には彼の名が刻まれている。
関係モデルにおけるコッドの研究から導き出された結果をコッドの定理(英語版)とも呼び、関係代数と関係論理の表現能力が等しい(さらに基本的には一階述語論理とも等しい)ことを示したものである。
関係モデルは1980年代に隆盛期を迎え、コッドはしばしば古いデータベースに関係モデルをちょっとだけ導入したような悪質なベンダーと戦うキャンペーンを展開しなければならなくなった。そのキャンペーンの一環でコッドの12の規則を公表し、関係データベースを定義した。彼のキャンペーンはSQL言語にもおよび、コッドはこれを彼の理論の間違った実装であるとした。このためコッドのIBM内の立場は難しいものとなり、コッドはクリス・デイトらと新たなコンサルティング会社を設立した。
1993年には Providing OLAP to User-Analysts:An IT Mandate を発表。データウェアハウスやデータマイニングの隆盛に影響を及ぼした。OLAP という用語はコッドが作ったもので、Online Analytical Processing に関する12の法則も公表した。しかし、そのホワイトペーパーについて、あるソフトウェアベンダーが資金提供していたことが明らかになると、法則は業界から疑問視されることになった。そのため最後の著書 The Relational Model for Database Management, version 2 もあまり評価されなかった。一方で彼は関係モデルをデータベース設計にまで拡張した RM/T (Relational Model/Tasmania) を発表し、こちらは重要視されている。
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] | エドガー・フランク・コッドは、イングランド生まれの計算機科学者。関係データベースの理論的基盤であるデータベース管理の関係モデルを発明した。他にも計算機科学に数々の貢献をしているが、関係モデルはデータ管理の一般理論として大きな影響を与え、彼にとっては人生最大の業績と言われている。 | {{Infobox Scientist
| name = エドガー・フランク・コッド
| birth_date = {{生年月日と年齢|1923|8|23|no}}
| birth_place = {{GBR}} [[イングランド]] ポートランド島
| death_date = {{死亡年月日と没年齢|1923|8|23|2003|4|18}}
| death_place = {{USA}} [[フロリダ州]] ウィリアムズ・アイランド
| field = [[計算機科学]]
| work_institution = [[IBM]]
| alma_mater = [[オックスフォード大学]]エクセター・カレッジ<br/>[[ミシガン大学]]
| known_for = [[関係モデル]]<br/>[[OLAP]]
| prizes = [[チューリング賞]]
}}
'''エドガー・フランク・コッド'''(Edgar Frank "Ted" Codd, [[1923年]][[8月23日]] - [[2003年]][[4月18日]])は、[[イングランド人|イングランド]]生まれの[[計算機科学]]者。[[関係データベース]]の理論的基盤である[[データベース]]管理の[[関係モデル]]を発明した。他にも計算機科学に数々の貢献をしているが、関係モデルは[[データ管理]]の一般理論として大きな影響を与え、彼にとっては人生最大の業績と言われている。
== 生涯 ==
[[イングランド]]の[[ドーセット]]州ポートランド島で生まれた。[[オックスフォード大学]]エクセター・カレッジで[[数学]]と[[化学]]を専攻する。[[第二次世界大戦]]では[[イギリス空軍]]の[[パイロット (航空)|パイロット]]として参戦した。[[1948年]]、[[アメリカ合衆国]][[ニューヨーク州]]に移住し、[[IBM]]で[[プログラマ]]として就職した。[[1953年]]、[[アメリカ合衆国上院|上院議員]][[ジョセフ・マッカーシー]]の怒りを買い、[[カナダ]]の[[オタワ]]に移住する。10年後[[アメリカ合衆国]]に戻り、[[アナーバー]]の[[ミシガン大学]]で[[計算機科学]]の[[博士号]]を取得した。[[テネシー大学]]数学科の講師を務めた後、[[サンノゼ]] に移り[[IBM]]のアルマーデン研究所に勤務し、1980年代までそこで働き続けた<ref name="ACM Turing">{{Cite web| url= http://awards.acm.org/citation.cfm?id=1000892&aw=140&ao=AMTURING&yr=1981 | title=Turing Award citation | publisher=[[Association for Computing Machinery]] | accessdate=2011-02-06}}</ref><ref>Rubenstein, Steve. "Edgar F. Codd -- computer pioneer in databases." San Francisco Chronicle 24 Apr. 2003: A21. Gale Biography In Context. Web. 1 Dec. 2011.</ref>。1990年代になると病気がちとなり、徐々に仕事から引退していった<ref name="Independent" />。
[[1981年]]、コッドは[[チューリング賞]]を受賞<ref name="ACM Turing" />。1994年には [[Association for Computing Machinery]] (ACM) のフェローに選ばれた<ref>[http://fellows.acm.org/homepage.cfm?alpha=C&srt=alpha ACM Fellows]</ref>。
[[2003年]][[4月18日]]、[[フロリダ州]]ウィリアムズ・アイランドの自宅にて[[心不全]]で亡くなった<ref name = "IBM">[http://www.research.ibm.com/resources/news/20030423_edgarpassaway.shtml Edgar F Codd Passes Away], IBM Research, 2003 Apr 23.</ref>。79歳。
== 業績 ==
コッドはミシガン大学アナーバー校で1965年に博士号を取得した<ref name="Independent">{{Cite news|title = Edgar Codd |author = Martin Campbell-Kelly |url= http://www.independent.co.uk/news/obituaries/edgar-codd-730256.html |newspaper=The Independent |date=1 May 2003 |accessdate=2011-10-24}}{{リンク切れ|date=2012年8月}}</ref>。博士論文のテーマは[[セル・オートマトン]]の[[自己複製]]についてであり、[[ジョン・フォン・ノイマン|フォン・ノイマン]]の成果を発展させ、8状態で十分自己複製可能なセル・オートマトンを示した<ref>{{Cite book|author = Codd, Edgar F.|title=Cellular Automata|publisher=Academic Press, New York|year=1968}}</ref>。[[コッドのセル・オートマトン]]による自己複製コンピュータが実装されたのは2009年のことである<ref name=Hutton2010>{{cite journal |doi=10.1162/artl.2010.16.2.16200 |journal=Artificial Life |volume=16 |issue=2 |pages=99–117 |author=Hutton, Tim J. |year=2010 |url= http://www.sq3.org.uk/papers/Hutton_CoddsSelfReplicatingComputer_2010.pdf|title=Codd's self-replicating computer |pmid=20067401}}</ref>。
[[1960年代]]から[[1970年代]]、コッドはデータ配置に関する理論を構築し、[[1970年]] "A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks" (大規模共有データバンクのデータ関係モデル)という論文を発表した(IBM内ではその1年前に公表している)<ref>Michael Owens. The Definitive Guide to SQLite, p.47. New York: Apress (Springer-Verlag) 2006. ISBN 978-1-59059-673-9.</ref>。しかし、IBMはライバルがそれを実装し始めるまで彼の提案を実行に移そうとせず、コッドは失望した。
当初、IBMは[[IMS|IMS/DB]]の収益を守るため、[[関係モデル]]を実装することを拒んだ。コッドはIBMの顧客に自身のモデルを実装した場合の可能性を提示し、顧客からIBMに圧力をかけさせた。そこでIBMは関係モデルの実装を開発する [[System R]] プロジェクトを [[Future Systems プロジェクト|Future Systems]] プロジェクトに含める形で立ち上げたが、その開発チームとコッドは分離され、しかもコッドの理論に精通した者はチーム内にいなかった。結果として彼らはコッドの Alpha 言語を使わずにリレーショナルでない[[SQL|SEQUEL]]言語を開発した。とはいえ SEQUEL は以前のシステムより優れていた。[[ラリー・エリソン]]は SEQUEL 完成前に発表された論文に基づいて [[Oracle Database|Oracle]] を完成させ、先に発売している。IBMは、[[SQL/DS]] を発売した。なお、SEQUEL という名前は既に他で使われていたので、[[SQL]] に改称した。
コッドは[[クリス・デイト]]と共同で関係モデルの拡張と開発を続けた。[[関係の正規化]] (正規形) の一種である[[関係の正規化#ボイス・コッド正規形|ボイス・コッド正規形]]には彼の名が刻まれている。
関係モデルにおけるコッドの研究から導き出された結果を{{仮リンク|コッドの定理|en|Codd's theorem}}とも呼び、[[関係代数 (関係モデル)|関係代数]]と[[関係論理]]の表現能力が等しい(さらに基本的には[[一階述語論理]]とも等しい)ことを示したものである。
関係モデルは[[1980年代]]に隆盛期を迎え、コッドはしばしば古いデータベースに関係モデルをちょっとだけ導入したような悪質なベンダーと戦うキャンペーンを展開しなければならなくなった。そのキャンペーンの一環で[[コッドの12の規則]]を公表し、[[関係データベース]]を定義した。彼のキャンペーンは[[SQL]]言語にもおよび、コッドはこれを彼の理論の間違った実装であるとした。このためコッドの[[IBM]]内の立場は難しいものとなり、コッドはクリス・デイトらと新たな[[コンサルティング]]会社を設立した。
[[1993年]]には ''Providing [[OLAP]] to User-Analysts:An IT Mandate'' を発表<ref>Providing OLAP to User-Analysts: An IT Mandate by E F Codd, S B Codd and C T Salley, ComputerWorld, July 26, 1993.</ref>。[[データウェアハウス]]や[[データマイニング]]の隆盛に影響を及ぼした。''[[OLAP]]'' という用語はコッドが作ったもので、Online Analytical Processing に関する12の法則も公表した。しかし、そのホワイトペーパーについて、ある[[ソフトウェア]]ベンダーが資金提供していたことが明らかになると、法則は業界から疑問視されることになった<ref>{{Cite web |author=Mark Whitehorn |title=OLAP and the need for speed |url= http://www.theregister.co.uk/2007/01/26/olap_speed/ |accessdate=2012-5-16}}</ref>。そのため最後の著書 ''The Relational Model for Database Management, version 2'' もあまり評価されなかった{{要出典|date=2008年4月}}。一方で彼は[[関係モデル]]を[[データベース設計]]にまで拡張した RM/T (Relational Model/Tasmania) を発表し、こちらは重要視されている{{要出典|date=2008年4月}}。
2004年、[[Special Interest Group on Management of Data|SIGMOD]]はコッドの栄誉を称え、同団体の最高の賞を{{仮リンク|SIGMODエドガー・F・コッド革新賞|en|SIGMOD Edgar F. Codd Innovations Award}}と改称した。
== 著作 ==
* (1970). “A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks”<ref group="※">http://www.seas.upenn.edu/~zives/03f/cis550/codd.pdf</ref>. Communications of the ACM '''13''' (6): 377–387.<ref group="※">{{doi|10.1145/362384.362685}}</ref>
* (1970). “Relational Completeness of Data Base Sublanguages”. Database Systems: 65–98.
* (1990). The Relational Model for Database Management (Version 2 ed.). Addison Wesley Publishing Company. ISBN 0-201-14192-2
* Codd S.B. と Salley C.T. との共著 (1993年). “Providing OLAP to User-Analysts: An IT Mandate”<ref group="※">http://www.minet.uni-jena.de/dbis/lehre/ss2005/sem_dwh/lit/Cod93.pdf</ref>.
* (1981年11月9日). “1981 Turing Award Lecture - Relational Database: A Practical Foundation for Productivity”<ref group="※">http://awards.acm.org/images/awards/140/articles/2485527.pdf</ref>.
== 注釈 ==
{{Reflist|group="※"}}
== 出典 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|last=National Academy of Sciences|year=1999|chapter=Chapt. 6: The Rise of Relational Databases|title=Funding a Revolution: Government Support for Computing Research|url= http://www.nap.edu/readingroom/books/far/|publisher=National Academy Press|location=Washington DC, USA}}
* {{Cite book|authorlink=クリス・デイト|last=Date|first=C.J.|year=2000|title=The Database Relational Model: A Retrospective Review and Analysis: A Historical Account and Assessment of E. F. Codd's Contribution to the Field of Database Technology|publisher=Addison Wesley Longman|isbn=0-201-61294-1}}
== 関連項目 ==
* [[コッドの12の規則]]
* [[コッドのセル・オートマトン]]
* [[関係の正規化]]
* [[クリス・デイト]]
* [[ヒュー・ダーウェン]]
{{チューリング賞}}
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{{DEFAULTSORT:こつと えとかあ}}
[[Category:エドガー・F・コッド|*]]
[[Category:イギリスの計算機科学者]]
[[Category:データベース研究者]]
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[[Category:チューリング賞受賞者]]<!-- 1981年 -->
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[[Category:セル・オートマトン関連の人物]]
[[Category:ミシガン大学出身の人物]]
[[Category:ウェイマス出身の人物]]
[[Category:1923年生]]
[[Category:2003年没]] | null | 2022-11-05T13:52:21Z | false | false | false | [
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7,181 | X86 | x86(エックスはちろく)は、Intel 8086およびその命令セットアーキテクチャ、およびそれと互換性を備えた命令セットを持つマイクロプロセッサ群の総称。広義にはインテル以外のメーカー(AMDなど)の互換プロセッサも含む。広義にはx86と互換性を保ちつつAMDによって64ビットに拡張されそれにインテルが追随し世に普及したx64(x86-64)アーキテクチャも含む。
初期は純粋なスカラープロセッサであったが、1997年にマルチメディア等のデータ処理のためにベクトル計算の機能を取り込んだ以降はハイブリッドなプロセッサとして進化を続けている。
この命令セットアーキテクチャをもつプロセッサの型番が、最初の段階で「8086」、「80186」、「80286」、「80386」、「80486」と続いたため、総称して「80x86」、更に型番の下2桁が共通するところから「x86」(エックスはちろく、ペケはちろく)や「86系」などと呼ばれるようになった。これらは初期の8086から80286までの16ビットのプロセッサの通称として始まって主にユーザーや互換チップメーカーによって使用された。同時期のモトローラのライバル的MPU「MC68000」とそのファミリーがやはり型番から「68系」と呼ばれたので、それと対比するためにも使われるようになった。
最初である8086は、1978年にインテルがリリースした16ビットのものであった。その8086、およびそれを多少改良したIntel 8088が、1980年代前半にIBM PCなどに採用された。これにより、パソコンなど小型コンピュータのデファクトスタンダードとして広く普及した。1985年リリースの80386 (i386) は32ビットに拡張した。さらに2000年には、AMDが64ビットへ拡張する計画を発表し、2003年に発売した。インテルもそれに追随し、''x64'' (x86-64) が普及した。
なお、x86-64あるいは単にx64が登場した直後の移行期は、移行の必要性を訴えたり、移行作業を行ったりする都合上、なかんずくx64という用語は、主にx86と対比し、区別するために用いられた。つまり、32ビットのものと64ビットのものを対比し、区別するために使われていた。その後、64ビットのものが普及するにつれて、「x86」でx86-64まで含めた総称として使うような語法も見られる様になった。その結果「x86」という場合、16ビットから64ビットまで、ともかく最初の8086の命令セットアーキテクチャと互換性を備えた命令セットを持つプロセッサ群を広く指す総称として使用されるようになっている。AMDやVIAなどの互換プロセッサも含まれ、さまざまなメーカーによってさまざまなブランド、型番のものが販売されてきた。
パーソナルコンピュータ (PC) からスーパーコンピュータ、サーバ、組み込みシステムまで広く使われていることから、従来は「PCサーバ」や「IAサーバ」と呼んでいたカテゴリーも「x86サーバ」や「x86システム」と呼ぶベンダーが増えている。
32ビットアーキテクチャに範囲を限れば、「x86」と「IA-32」はほぼ同義である。
なお、インテルのItanium(アイテニアム)プロセッサで使われているIA-64は、x86とは互換性のない、別の設計の64ビットアーキテクチャであるので区別するのが望ましい。Itaniumプロセッサは、「x86エミュレーションモード」を備えてはいるがx64によるLongモードという名称の互換モードでのネイティブ実行と比較すると低速である。
インテルによって1971年に発表された世界最初のマイクロプロセッサ4004や、1974年に発表された8ビットの8080は前史に当たる。
x86自体の歴史は、1978年に発売された16ビットマイクロプロセッサ8086から始まった。 8086は、8080とのバイナリ互換は無く、大幅に拡張されたものの、アセンブリ言語によるソースコードは大幅な書き換えなしで移植できるよう配慮されていた。同時にx86には、さらに過去からの影響が残った。「セグメント」と称された変則的なアドレッシング機構を備えてプログラミング上は不便ではあるものの、1MiBと当時としては広大なメインメモリ空間をサポートし、それとは別にI/O空間も設けられた。1979年には、外部データバスを8ビットとし、当時普及していた8ビット用の周辺ICを使いやすくした8088を発表した。
1982年、IBMからIBM PCが発売されたが、これに8088が採用されたことが、以後のx86の運命を決定した。IBM PCの後継となったIBM PC/ATの互換機(PC/AT互換機)は後年には単にPCと呼ばれるようになり、x86はPCの為のプロセッサと認知されているが、IBM PCの設計の時点では、1年間で開発を完了するために、安定して入手可能で周辺回路も既存品を使用できること、OSを含むソフトウェアが調達可能であること、などから選定されたに過ぎない。
80186と80286が1982年に発表された。80286は1984年から出荷され、プロテクトモードや24ビット (16MiB) のアドレス空間を持つなどしていたが、パーソナルコンピュータではリアルモードで稼動するi8086向けのPC-DOS(MS-DOS)とそのアプリケーションを搭載し、「単に高速な8086」としての用法が主だった。
1985年には32ビットに拡張された80386が発表された。後にIA-32と呼ばれることになるアーキテクチャの誕生である。
32ビット化にあたって、16ビット時代のマイクロコントローラ的な部分(特にその傾向が強かったのは80186)を見直し、メインフレームと渡り合えるような、という意味でコンピュータとして再設計された。
80386は、8086ほぼそのままのリアルモードと、32ビットのプロテクトモードを持つ。さらにプロテクトモード中の仮想86モードにより、従来の8086のプログラムを仮想化して実行できる。
後にIA-64の登場に際し、32ビットx86アーキテクチャにはIA-32の名称が与えられた。なお、16ビットアーキテクチャに対しては公式の名称は付与されていない。
80386を搭載したPCを最初にリリースしたのは、本家IBMではなく、互換機メーカーのコンパックであった。
その後、486、Pentiumと続き、MMX Pentiumからベクトル計算機能を搭載し始め、64ビット化では紆余曲折を経て最終的に他社の制定したx64アーキテクチャを採用し今日に至る。互換性を維持し、後付で機能拡張が繰り返されたため、レガシーな命令が残されていたり、全体として命令体系が整っておらず非効率的という問題も生じている。
インテル自身は、80386より古くから計画された「マイクロメインフレーム」iAPX 432、90年代にはRISCのi860とi960、2000年代にはVLIWを改良したEPICアーキテクチャと称するIA-64といった、革新的アーキテクチャによりx86を置き換えようとしたが、ことごとく不成功に終わっている。結果としてx86は後付けの拡張を続け、64ビット化では互換CPUメーカーのAMDが定義した拡張を逆輸入までして、今日までインテルの主力アーキテクチャとして延命している。
x86が採用されたマイクロプロセッサは多岐にわたり、世代も多く存在している。インテルは普及を目的とし、自社のみで需要をまかないきれないリスク、IBM-PCにi8088を採用するにあたりIBMが他社とセカンドソース契約を結ぶよう要求したなどの事情から、セカンドソースを推奨していたため、各社より互換製品やクローン製品が発売された。
一方で独自に互換機能を実装したNEC V30などの製品に対し、著作権を侵害しているとして訴訟を起こしたこともあった。
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"text": "インテル自身は、80386より古くから計画された「マイクロメインフレーム」iAPX 432、90年代にはRISCのi860とi960、2000年代にはVLIWを改良したEPICアーキテクチャと称するIA-64といった、革新的アーキテクチャによりx86を置き換えようとしたが、ことごとく不成功に終わっている。結果としてx86は後付けの拡張を続け、64ビット化では互換CPUメーカーのAMDが定義した拡張を逆輸入までして、今日までインテルの主力アーキテクチャとして延命している。",
"title": "歴史"
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"text": "x86が採用されたマイクロプロセッサは多岐にわたり、世代も多く存在している。インテルは普及を目的とし、自社のみで需要をまかないきれないリスク、IBM-PCにi8088を採用するにあたりIBMが他社とセカンドソース契約を結ぶよう要求したなどの事情から、セカンドソースを推奨していたため、各社より互換製品やクローン製品が発売された。",
"title": "製品群と世代"
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"text": "一方で独自に互換機能を実装したNEC V30などの製品に対し、著作権を侵害しているとして訴訟を起こしたこともあった。",
"title": "製品群と世代"
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"text": "ソフトウェア的な環境は、80386から下位互換性を保ちながら拡張されてきた。これらはユーザが使用可能な拡張については486以降のCPUではCPUID命令を発行することにより、どの拡張が有効であるかを知ることができる。",
"title": "主な拡張"
}
] | x86(エックスはちろく)は、Intel 8086およびその命令セットアーキテクチャ、およびそれと互換性を備えた命令セットを持つマイクロプロセッサ群の総称。広義にはインテル以外のメーカー(AMDなど)の互換プロセッサも含む。広義にはx86と互換性を保ちつつAMDによって64ビットに拡張されそれにインテルが追随し世に普及したx64(x86-64)アーキテクチャも含む。 初期は純粋なスカラープロセッサであったが、1997年にマルチメディア等のデータ処理のためにベクトル計算の機能を取り込んだ以降はハイブリッドなプロセッサとして進化を続けている。 | {{小文字}}
{{出典の明記|date=2018年10月}}
{{Infobox CPU architecture
| name = x86 (80x86)
| designer = [[インテル]]<br >[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]
| bits = [[16ビット]], [[32ビット]], [[64ビット]]
| introduced = [[1978年]]
| version =
| design = CISC
| type = Register-Memory
| encoding = Variable (1 to 15 bytes)
| branching = Condition code
| endianness = Little
| page size = 386:4KB<br>Pentium:4MB<br>x64:1GB
| extensions = [[Intel 8087|x87]], [[IA-32]], [[MMX]], [[ストリーミングSIMD拡張命令|SSE]], [[SSE2]], [[x64]], [[SSE3]], [[SSSE3]], [[SSE4]], [[ストリーミングSIMD拡張命令|AVX]], [[AES-NI|AES]], [[VT-x]], [[VT-d]], [[SVM]]
| open = 非公開
| gpr = <strong>16 bit</strong>: 6<small> semi-dedicated registers</small> + bp and sp;<br/> <strong>32 bit</strong>: 6<small> GPRs</small> + bp and sp;<br/><strong>64 bit</strong>: 14<small> GPRs</small> + bp and sp.
}}
'''x86'''(エックスはちろく<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%AF%E3%81%A1%E3%82%8D%E3%81%8F-445242#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 x86 - デジタル大辞林]</ref>)は、[[Intel 8086]]およびその[[命令セットアーキテクチャ]]、およびそれと[[互換性]]を備えた[[命令セット]]を持つ[[マイクロプロセッサ]]群の総称。広義にはインテル以外のメーカー([[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]など)の互換プロセッサも含む。広義にはx86と互換性を保ちつつAMDによって[[64ビット]]に拡張されそれにインテルが追随し世に普及した[[x64]](x86-64)アーキテクチャも含む。
初期は純粋な[[スカラー計算機|スカラー]]プロセッサであったが、[[1997年]]にマルチメディア等のデータ処理のために[[ベクトル計算機|ベクトル計算]]の機能を取り込んだ以降はハイブリッドなプロセッサとして進化を続けている<ref group="注">[[SIMD]]命令としては[[1997年]]に初めて[[MMX]]が追加され、以降も[[ストリーミングSIMD拡張命令|SSE]]や[[ストリーミングSIMD拡張命令|AVX]]などといったより強力な命令が追加されている。</ref>。
== 概要 ==
この[[命令セット]]アーキテクチャをもつ[[プロセッサ]]の型番が、最初の段階で「[[Intel 8086|'''8086''']]」、「[[Intel 80186|'''80'''1'''86''']]」、「[[Intel 80286|'''80'''2'''86''']]」、「[[Intel 80386|'''80'''3'''86''']]」、「[[Intel 486|'''80'''4'''86''']]」と続いたため、総称して「'''80x86'''」、更に型番の下2桁が共通するところから「'''x86'''」(エックスはちろく、ペケはちろく)や「86系」などと呼ばれるようになった。これらは初期の8086から80286までの[[16ビット]]のプロセッサの[[通称]]として始まって主にユーザーや互換チップメーカーによって使用された。同時期の[[モトローラ]]のライバル的[[マイクロプロセッサ|MPU]]「[[MC68000]]」とそのファミリーがやはり型番から「68系」と呼ばれたので、それと対比するためにも使われるようになった。
最初である8086は、[[1978年]]に[[インテル]]がリリースした16ビットのものであった。その8086、およびそれを多少改良した[[Intel 8088]]が、[[1980年代]]前半に[[IBM PC]]などに採用された。これにより、[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]など小型コンピュータの[[デファクトスタンダード]]として広く普及した<ref name="e-words">IT用語辞典【x86, x86系】</ref>。[[1985年]]リリースの[[Intel 80386|80386]] (i386) は[[32ビット]]に拡張した。さらに[[2000年]]には、[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]が[[64ビット]]へ拡張する計画を発表し、[[2003年]]に発売した。インテルもそれに追随し、[[X64|<nowiki>''x64''</nowiki>]] (x86-64) が普及した。
{{関連記事|#歴史}}
なお、'''x86-64'''あるいは単に'''x64'''が登場した直後の移行期は、移行の必要性を訴えたり、移行作業を行ったりする都合上、なかんずく'''x64'''という用語は、主に'''x86'''と対比し、区別するために用いられた。つまり、32ビットのものと64ビットのものを対比し、区別するために使われていた。その後、64ビットのものが普及するにつれて、「x86」でx86-64まで含めた総称として使うような[[文法|語法]]も見られる様になった。その結果「x86」という場合、16ビットから64ビットまで、ともかく最初の8086の[[命令セットアーキテクチャ]]と[[互換性]]を備えた命令セットを持つプロセッサ群を広く指す総称として使用されるようになっている。[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]や[[VIA Technologies|VIA]]などの互換プロセッサも含まれ、さまざまなメーカーによってさまざまなブランド、型番のものが販売されてきた。
{{関連記事|#製品群と世代}}
[[パーソナルコンピュータ]] (PC) から[[スーパーコンピュータ]]、[[サーバ]]、[[組み込みシステム]]まで広く使われていることから、従来は「[[PCサーバ]]」や「IAサーバ」と呼んでいたカテゴリーも「x86サーバ」や「x86システム」と呼ぶ[[ベンダー]]が増えている。
32ビットアーキテクチャに範囲を限れば、「x86」と「[[IA-32]]」はほぼ同義である。{{Efn2|一方、64ビットに限れば、「x86」は「[[x86-64]]」とほぼ同義ということになる。}}
なお、[[インテル]]の[[Itanium]](アイテニアム)プロセッサで使われている[[IA-64]]は、x86とは互換性のない、別の設計の64ビットアーキテクチャであるので区別するのが望ましい。Itaniumプロセッサは、「x86[[エミュレーション]]モード」を備えてはいるがx64による'''Longモード'''という名称の[[互換モード]]でのネイティブ実行と比較すると低速である<ref>[https://ascii.jp/elem/000/000/480/480200/ ASCII.jp:32bitアプリを64bit Windows 7で動かす「WOW64」 (1/3)|あなたの知らないWindows]</ref>。
== 歴史 ==
[[Image:KL Intel D8086.jpg|thumb|Intel 8086]]
;前史
インテルによって1971年に発表された世界最初のマイクロプロセッサ[[Intel 4004|4004]]や、1974年に発表された[[8ビット]]の[[Intel 8080|8080]]は前史に当たる。
;歴史
x86自体の歴史は、1978年に発売された16ビットマイクロプロセッサ[[Intel 8086|8086]]から始まった。
8086は、8080とのバイナリ互換は無く、大幅に拡張されたものの、[[アセンブリ言語]]による[[ソースコード]]は大幅な書き換えなしで移植できるよう配慮されていた。同時にx86には、さらに過去からの影響が残った。「セグメント」と称された変則的なアドレッシング機構を備えてプログラミング上は不便ではあるものの、1[[メビバイト|MiB]]と当時としては広大な[[アドレス空間|メインメモリ空間]]をサポートし、それとは別に[[入出力|I/O]]空間も設けられた。1979年には、外部データバスを8ビットとし、当時普及していた8ビット用の周辺ICを使いやすくした[[Intel 8088|8088]]を発表した。
1982年、[[IBM]]から[[IBM PC]]が発売されたが、これに8088が採用されたことが、以後のx86の運命を決定した。IBM PCの後継となった[[PC/AT|IBM PC/AT]]の互換機([[PC/AT互換機]])は後年には単にPCと呼ばれるようになり、x86はPCの為のプロセッサと認知されているが、IBM PCの設計の時点では、1年間で開発を完了するために、安定して入手可能で周辺回路も既存品を使用できること、OSを含むソフトウェアが調達可能であること、などから選定されたに過ぎない。
[[Intel 80186|80186]]と[[Intel 80286|80286]]が1982年に発表された。80286は1984年から出荷され、[[プロテクトモード]]や24ビット (16MiB) のアドレス空間を持つなどしていたが、パーソナルコンピュータでは[[リアルモード]]で稼動するi8086向けの[[IBM PC DOS|PC-DOS]]([[MS-DOS]])とそのアプリケーションを搭載し、「単に高速な8086」としての用法が主だった。
1985年には32ビットに拡張された[[Intel 80386|80386]]が発表された。後に[[IA-32]]と呼ばれることになるアーキテクチャの誕生である。
32ビット化にあたって、16ビット時代の[[マイクロコントローラ]]的な部分(特にその傾向が強かったのは80186)を見直し、[[メインフレーム]]と渡り合えるような、という意味で[[コンピュータ]]として再設計された。
80386は、8086ほぼそのままの[[リアルモード]]と、32ビットの[[プロテクトモード]]を持つ。さらにプロテクトモード中の[[仮想86モード]]により、従来の8086のプログラムを[[仮想化]]して実行できる。
後に[[IA-64]]の登場に際し、32ビットx86アーキテクチャには[[IA-32]]の名称が与えられた。なお、16ビットアーキテクチャに対しては公式の名称は付与されていない。
80386を搭載したPCを最初にリリースしたのは、本家IBMではなく、互換機メーカーの[[コンパック]]であった。
その後、[[Intel486|486]]、[[Pentium]]と続き、[[Intel Pentium (1993年)|MMX Pentium]]から[[ベクトル計算機|ベクトル計算]]機能を搭載し始め、64ビット化では紆余曲折を経て最終的に他社の制定した[[x64]]アーキテクチャを採用し今日に至る。互換性を維持し、後付で機能拡張が繰り返されたため、レガシーな命令が残されていたり、全体として命令体系が整っておらず非効率的という問題も生じている。
インテル自身は、80386より古くから計画された「マイクロメインフレーム」[[Intel iAPX 432|iAPX 432]]、90年代にはRISCの[[Intel i860|i860]]と[[Intel i960|i960]]、2000年代には[[VLIW]]を改良した[[EPICアーキテクチャ|EPIC]]アーキテクチャと称する[[IA-64]]といった、革新的アーキテクチャによりx86を置き換えようとしたが、ことごとく不成功に終わっている。結果としてx86は後付けの拡張を続け、64ビット化では互換CPUメーカーのAMDが定義した拡張を逆輸入までして、今日までインテルの主力アーキテクチャとして延命している。
== 製品群と世代 ==
x86が採用されたマイクロプロセッサは多岐にわたり、世代も多く存在している。インテルは普及を目的とし、自社のみで需要をまかないきれないリスク、[[IBM PC|IBM-PC]]にi8088を採用するにあたり[[IBM]]が他社と[[セカンドソース]]契約を結ぶよう要求したなどの事情から、[[セカンドソース]]を推奨していたため、各社より互換製品やクローン製品が発売された。
一方で独自に互換機能を実装した[[日本電気|NEC]] [[NEC Vシリーズ#V30|V30]]などの製品に対し、著作権を侵害しているとして訴訟を起こしたこともあった。
*第1世代 - [[Intel 8086|8086]]およびその派生。後に複数の互換製品が登場した。
*改訂第1世代 - [[Intel 80186|80186]]およびその派生。後に複数の互換製品が登場した。
*第2世代 - [[Intel 80286|80286]]。 後に複数の互換製品が登場した。この頃より、製造を拡充したインテルは、セカンドソースも認めない方針に転換した。しかし既得権として各社は引き続き製造を続行し、それに留まらず独自改良を行うメーカーも現われた。
*第3世代 - [[Intel 80386|80386]]およびその派生。後に複数の互換製品が登場した。
*第4世代 - [[Intel486|486]]およびその派生。後に複数の互換製品が登場した。
*第5世代 ("P5") - [[Intel Pentium (1993年)|Pentium]]および[[MMX]] Pentium。後に複数の互換製品が登場した。互換製品メーカーに対してインテルが訴訟を起こしており、以後、各社はそれ以前のインテル製品に改良を行った製品か、逆に独自に開発を行うようになった。インテルとの[[クロスライセンス]]を利用して合法的に互換のある製品も存在する。AMDは訴訟の和解条件として、命令互換性を維持しつつ独自に製品を設計する様になった。
*インテル
**第6世代 ("P6") - [[P6マイクロアーキテクチャ]]系。80x86固有の命令をRISC風命令 (μOPS) に分解して実行する。[[Pentium Pro]]およびその派生である[[Pentium II]]、[[Pentium III]]と、それらをベースとした[[Celeron]]や[[Xeon]]。
**第7世代 ("P7") - [[Itanium]]開発のため、P7マイクロアーキテクチャ開発はキャンセルされた。
**第8世代 - [[Pentium 4]]などの[[NetBurstマイクロアーキテクチャ]]系。
**第9世代 - Nehalemと仮称されている製品が予定されていたが、マイクロアーキテクチャの方向性が変わったため中止。名前は第12世代プロセッサに付された。
**第10世代 - [[Pentium M|Pentium Mマイクロアーキテクチャ]]。
**第11世代 - [[Intel Core 2|Coreマイクロアーキテクチャ]]。
**第12世代 - [[Nehalemマイクロアーキテクチャ]]。[[Intel Core i7]]シリーズなど。
**第13世代 - Nehalemの後継である[[Sandy Bridgeマイクロアーキテクチャ]]。[[ストリーミングSIMD拡張命令#Intel AVX|Advanced Vector Extensions]] (AVX) という新しいSIMD命令フォーマットが導入され、今後はこの命令フォーマットによりx86命令セットを置き換えていく予定。
**第14世代 - [[Haswellマイクロアーキテクチャ]]
**上述の「世代」に属さない製品
*** [[Intel Atom]] - [[インテル#LPIA|LPIA]]専用設計の最初の[[マイクロアーキテクチャ]]、[[アウト・オブ・オーダー実行|インオーダ実行]]、[[同時マルチスレッディング]]実装。2008年発表。
*** [[Larrabee]] - x86から派生した命令セットをシェーダーコアに採用した[[Graphics Processing Unit|GPU]]、インオーダー実行。<ref>{{Cite web
|title=Intel Corporation's Multicore Architecture Briefing
|url=http://www.intel.com/pressroom/archive/releases/20080317fact.htm
|author=[[インテル]]
|date=2008-03-17
|accessdate=2008年4月16日
}}</ref>
*AMD
**第4世代 - [[Am4x86]]の他に[[Am5x86]]が発売された。
**第5世代 ("K5") - [[AMD K5]]
**第6世代 ("K6") - [[AMD K6]]、[[AMD K6-2]]、[[AMD K6-III]]。
**第7世代 ("K7") - [[Athlon]]、[[Duron]]。
**第8世代 ("K8") - [[Opteron]]および[[Athlon 64]]系。
**第9世代 ("K9") - 犬 (canine)と同じ発音である事から、Houndと呼ばれていた系統だと推定される。インテルと同様に方向性の失敗によりキャンセル。
**第10世代 ("K10") - [[AMD_Phenom|Phenom]]や[[AMD_Athlon_II|Athlon II]]、K10に基づく[[Opteron]]、[[Sempron]]など。
**第11世代 ("K11") - [[AMD FX|FX]]シリーズ、また[[Bulldozer (マイクロアーキテクチャ)|Bulldozer]]に基づくFusionAPUなど。
*[[NexGen]]
**第5世代 - [[Nx586]]。バスやチップセットなどインテルと互換性がなく普及しなかった。
**第6世代 - [[Nx686]]。開発途中でAMDに買収される。AMDは開発中のK6を中止し、Nx686を改良した製品をK6として発売した。
*[[Rise Technology]]
**第5世代 - [[mP6]]。インテルの第五世代の[[マザーボード]]が使用できる。数字が6なのは、インテルなど他社が第六世代に突入していたためと思われる。
**第6世代 - RiSE Tiger370。mP6に競争力が無く、今世代は製品化されていない。[[SiS]]にライセンス供与してRiSEは撤退した。
*[[サイリックス]]
**第4世代 - [[Cyrix Cx486SLC|Cx486SLC]]、[[Cyrix Cx486DLC|Cx486DLC]]。386用のI/Oバスを持った第四世代のCPU。
**第5世代 - M1およびそれの派生コア、M2コアを採用した[[Cyrix Cx5x86|5x86]]、[[Cyrix 6x86|6x86]]、6x86MX、MII。
*[[IDT|Integrated Device Technology (IDT)]]
**第6世代 - IDT-C6を開発。商品名は[[WinChip]]。技術的にはIntelのP5の世代。
*[[VIA Technologies|VIA]]
**第6世代 - 買収した[[Centaur Technology]]のWinChip4を[[VIA_C3#Cyrix_III|Cyrix III]]と改称・設計変更して商品化。その後、[[VIA C3]]に名称変更。その後、インテルとのライセンス切れによりC3を置き換える[[VIA C7|C7]]を発売。
**第7世代 - インテルとのライセンス切れにより、そのライセンスに拠らないV4バスを採用したC7を発売。基本的にはC3と特段の違いはない。
**第8世代 - VIA製CPUとして初めてアウト・オブ・オーダー実行およびスーパースケーラ命令パイプラインを搭載した[[VIA Nano]]を発売。
*[[トランスメタ]]
**第6世代 - 命令セットのみx86を採用した[[VLIW]]型CPUを開発。世代は全く関係なくここでの表記上の便宜的なもの。最初の製品として[[Crusoe]]を発売。低消費電力の先鞭を付けた。
**第7世代 - 後継の[[Crusoe#Efficeon|Efficeon]]を発売。しかし財務的に思わしくなく、チップ開発販売ではなくライセンス販売に転じた。
== 基本的な仕様 ==
{{節スタブ|section=1|date=2023年3月|x86の命令セットアーキテクチャ、その他 基本的な特徴など。}}
== 主な拡張 ==
[[ソフトウェア]]的な環境は、80386から下位互換性を保ちながら拡張されてきた。これらはユーザが使用可能な拡張については486以降のCPUでは[[CPUID]]命令を発行することにより、どの拡張が有効であるかを知ることができる。
=== プロセッサ全体 ===
* [[システムマネジメントモード]]:386SL以降
* プロセッサ内[[APIC]]:Pentium以降
* メモリタイプ範囲レジスタ (MTRR):Pentium Pro以降
* [[ハイパースレッディング・テクノロジー]]:Pentium 4 HTの一部と、Nehalemの一部以降
* CMOV命令:Pentium Pro以降
* デバッグレジスタ
* [[x64|64ビット拡張]]:[[Pentium 4]] Prescott E0・[[Athlon 64]]
* マルチダイ・マルチコア:[[Pentium D]]
* シングルダイ・マルチコア:[[Intel Core]]・[[Intel Core 2|Core 2]]・[[Athlon 64 X2]]
* プロセッサ内[[キャッシュメモリ]]:i486以降
* [[スーパースケーラ]]:Pentium以降
* [[対称型マルチプロセッシング]]:Pentium以降
* [[コントロールストア|ライタブルコントロールストア]]:Pentium Pro以降
* [[フロントサイドバス|デュアルインディペンデントバス]]:Pentium Pro以降
=== プロテクトモードに関する拡張 ===
* [[物理アドレス拡張]](PAE):Pentium Pro以降
* ページサイズ拡張(PSE):Pentium以降
* 36ビットPSE(PSE36):DeschutesコアのPentium II/Pentium II Xeon以降
* 40ビット物理アドレス拡張:Xeon MP
=== 仮想86モードに関する拡張 ===
* 仮想モード拡張(VME):Pentium以降
=== 仮想マシンに関する拡張 ===
* 仮想マシン支援([[x86仮想化]]):[[Intel VT]] - Pentium D以降
=== 数値演算に関する拡張 ===
* [[浮動小数点数|浮動小数点]]演算機能 ([[x87]] [[FPU]]) の統合: 486以降
* 高速な浮動小数点演算コンテクストのセーブ
* [[SIMD]]命令セット
** [[MMX]]: MMX Pentium以降
** [[ストリーミングSIMD拡張命令|SSE]]: Pentium III以降
** [[3DNow!]]: AMD独自のSIMD拡張命令
** SSE2: Pentium 4以降
** SSE3: Pentium 4、[[Pentium 4#Prescott(プレスコット)|Prescottコア]]以降
** SSSE3: Xeon 5100, Core 2 以降
** SSE4.1: Xeon 5400, Core 2 Penrynコア 以降
** SSE4.2: Core i7 以降
** SSE5: AMD Bulldozerコア 以降。SSEで初のAMD独自命令。
** AVX: MMX/SSEの後継となるSIMD命令セット。[[Sandy Bridgeマイクロアーキテクチャ|Sandy Bridge]]以降。
** AVX2: [[Haswellマイクロアーキテクチャ|Haswell]]以降。
** AVX-512: [[Xeon Phi]]、[[Skylakeマイクロアーキテクチャ|Skylake]]以降の[[Xeon]]
=== 省電力に関する拡張 ===
* [[Intel SpeedStep テクノロジ]]: Pentium III-Mから搭載
* [[Cool'n'Quiet]]: AMDによる省電力機能実装
* [[PowerNow!]]: AMDによるモバイル向け省電力機能実装
=== その他 ===
* [[インテル ターボ・ブースト・テクノロジー]]: [[Intel Core i5|Core i5]]、[[Intel Core i7|Core i7]]の一部。熱容量、電力容量の許容範囲内で、CPUクロックを規定より上げる。
* [[AES-NI]] (AES instruction set): [[Advanced Encryption Standard|AES]]の高速化。Westmereの一部以降で対応
* [[Trusted Execution Technology]]:[[Trusted Platform Module]]対応
* [[Pentium FDIV バグ]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
<references />
=== 注釈 ===
<references group="注"/>
== 関連項目 ==
*[[IA-32]]
*[[x64]]
== 外部リンク ==
*[https://ascii.jp/elem/000/000/466/466739/ x86 CPUの進化を拡張命令のロードマップでひもとく]
*[https://japan.cnet.com/article/20346995/ CNET - 30周年を控えるx86アーキテクチャ--「愛され続ける」その理由]
{{Processor architectures}}
{{Normdaten}}
[[Category:X86アーキテクチャ|*]]
[[Category:命令セットアーキテクチャ]]
[[Category:インテルのマイクロプロセッサ]] | 2003-04-23T18:45:35Z | 2023-12-22T10:16:22Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/X86 |
7,182 | VRAM | VRAM (ブイラム, Video RAM)は、コンピュータなどにおける、ディスプレイに対するビデオ(動画像)表示部分のメモリ(記憶装置)として使われるRAM。グラフィックスメモリまたはビデオメモリとも呼ばれる。専用のデュアルポートのものもあれば、メインメモリと同じDRAMやSRAMを利用したものもある。かつて、グラフィックス用フレームバッファ(Framebuffer)のために用意したメモリをG-RAMと表記していた時期もあるが、意味としては等価である。GPU上で汎用計算を行なうGPGPUが普及してからは、グラフィックス用途に限らないデータの処理用途にも転用されている。
通常のDRAMをVRAMとして使用する場合、グラフィックコントローラ (CRTC、VDPなど) とCPUが同時にVRAMにアクセスすることによる競合を避ける必要がある。この解決策としてグラフィックコントローラがバスの空きをチェックして競合を避けるサイクルスチールという技法が使われた。また、CPUとグラフィックコントローラで同時にアクセス可能なデュアルポートRAMと呼ばれるメモリがVRAMとして使われることもあった。このデュアルポートRAMがVRAMとして広く使われた時代があったためか、本来の言葉の意味からすると誤用ではあるが、動画像処理用途ではなくともデュアルポートRAMのことをVRAMと呼ぶ用例が過去には多くみられた。広義のデュアルポートRAMとしては1995年にサムスン電子が開発したWRAM (Window RAM) がある。WRAMはデュアルポート構成なだけでなく、チップ上に描画向けの簡単な演算機能を持っており、描画の高速化に一役買っていた。WRAMはMatrox MillenniumやMillennium IIで採用されたが、それ以後はデュアルポートRAMは主流ではなくなっている。
2000年台以降ではVRAMの高速化が進み、GDDRと呼ばれる高速処理専用のメモリ規格が登場。3次元コンピュータグラフィックス描画における莫大なデータの高速転送を実現している。主な規格として、GDDR3、GDDR4、GDDR5などがビデオカードに搭載されている。GDDR系統とは別に、根本的なブレイクスルーとなるTB/secの帯域幅を実現するメモリ規格であるHBM (High Bandwidth Memory) が考案され、2015年6月にリリースされたAMD Radeon R9 Fury XにHBM第1世代が世界で初めて搭載された。一方で、GDDR5の後継規格として、技術的に従来の延長線上にあるGDDR5Xや、GDDR6も考案されている。コストパフォーマンスの観点から、オフィス用途ではDDR3などのDDR系統が、ゲーム用途ではGDDR系統が主に用いられている一方、高性能だが高価なHBMはプロフェッショナルグラフィックス用途やHPC用途(特に人工知能の研究開発で顕著)を中心に利用されている。
その主な用途はレンダリングした画面を走査するまでのバッファであるが、レンダリングに際して用いる頂点データやテクスチャなどの素材をバッファリングしたりするなど、中間の処理にも用いられる。これらの構成は各機種のアーキテクチャによって大きく異なる。
VRAMを用いたシステムのメモリ空間は、主記憶装置と同じアドレス空間を持つ場合と、グラフィックコントローラが独立したアドレス空間を持つ場合がある。
VRAMにカラーピクセル(画素)を配置する方法としては、カラーコードのビットごとに配置するプレーンドアクセス方式(フレームアクセス方式/水平型VRAM)、カラーコードのバイトごとに配置するパックドピクセル方式(ビットマップ方式/垂直型VRAM)、キャラクタ単位で配置するキャラクタグラフィック、プログラマブル・キャラクタ・ジェネレータなどがある。
VRAMの用途のひとつに、レンダリングに用いる素材のバッファリングがある。設計や用途にも依存するが、レンダリングに際してはグラフィックコントローラーからこれら素材に対して頻繁にアクセスする場合が多く、VRAMの重要な用途のひとつとなっている。なお、近代的なグラフィックスデバイスでは必ずしも用途(メモリタイプ)ごとに専用のハードウェアメモリ領域があるというわけではなく、後述するレンダリングバッファ・ランダムアクセスバッファを含め、物理的には均等なハードウェアメモリ領域を必要に応じて切り出して、ドライバーレベルで用途別(読み取り専用/書き込み専用/読み書き両用)に最適化したアクセス方法がなされることになる。
コンピュータにおけるRAMの容量が小さかった時代では、文字のグリフのような高度なグラフィックスデータをそのまま保持しておくことは困難だった。そこで初期のコンピュータでは、キャラクタ(文字)のみの描写に特化したテキスト(文章)画面を持っていた。これは画面上に表示する文字のキャラクタコードのみをVRAMに記憶し、走査時にCRTコントローラがVRAMの値を元にあらかじめキャラクタジェネレータROM内に用意されたフォントデータを文字として展開するものである。
国産機種の場合、CG-ROM内には、ASCIIコードに含まれる英数字の他、空き部分には、カタカナ、記号等が割り当てられ、記号は機種によって異なったほか、平仮名のフォントを持っている機種も存在した。通常、書き込む値は、ASCIIコードと一致していたが、MZ-80シリーズと、その後継機はディスプレイコードという特殊な並びのデータを書き込むようになっており、テキストモードしか持たない同機では、キャラクタコードの一部を4×4のピクセルに見立て、その組み合わせである空白を除いた15個のパターンを割り当て、80×50ピクセルのビットマップパターンとして見立てる様になっており、擬似的に超低解像度のビットマップを実現していた。広告では「セミグラフィック」と記述されている。
テキストVRAMには、その文字の属性、色等を示すアトリビュートエリアが文字そのもの以外の領域として多くの機種が持っていた。グラフィックスプレーンを兼用する場合は、その場所のデータをどう扱うかというものや、純粋にテキスト用のエリアであっても、複数の文字単位ないし、文字単位で、文字色、背景色、ブリンク、キャラクタテーブルの指定等を行えるようになっていた。これらの構造は、ハードウェア的にキャラクタディスプレイの機能を持たない機種であっても、サブプロセッサ領域内に相当する領域が設けられており、少ないデータによって文字列を処理することを可能にしていた。
また、キャラクタジェネレータROMは、単色、256パターンのフォントを書き込まれたROMであることが多かったが、この部分をRAMにし、物によっては、カラーでデータを持てるようにしたものが、PCGである。ワープロや、一部機種の外字、ゲーム機のBG画面のパターン等も同様の機能と利便性を提供する。
これらの実装では、1文字に付き、文字種の指定が1バイトとなっており、空白を含め、256種しか取り扱えず、英語圏では有用ではあったものの、日本語の文字情報を取り扱うには仕様として不足していた。そこで、テキストVRAMのテキストを取り扱う部分自体を拡張した、漢字テキストVRAMをハードウェア的に持つようになった機種も生まれた。8ビット機では、X1turbo、MZ-2500。16ビット機ではPC-9801シリーズがこれらの仕組みを持っており、グラフィックスプレーンにソフトウェア的に処理するよりも格段に早く、快適な日本語のテキスト処理を可能としていた。
その後、ハードウェアの進化に伴い、日本語処理もソフトウェア的に処理するDOS/Vや、文字の座標が不定であるGUIなど、速度的に問題がなくなったり、ハードウェアによって表示座標や文字種、フォントが固定されることが問題になる実装が出てくると、ハードウェアによるテキスト処理は見られなくなっていった。ゲーム機などにおけるタイルパターン等の実装も、ポリゴンとテクスチャマッピングを基準とした構造のハードウェアが増えるにつれ、前述のような構成・機能を持つことは無くなった。
2019年5月現在のPCでもPOST画面等、最低限のシステムで文字情報が表示できるよう、同じ手順で文字を表示する仕組みを備えている。
ポリゴンにテクスチャマッピングを施す際、その素材となるテクスチャのデータを格納するための領域である。
画像の高精細化にともない、テクスチャのデータも大容量化の傾向にあるため、近年のGPUなどはテクスチャバッファに対してデータを自動的に圧縮格納してVRAMを節約する機能を持っていることが多い(例:S3TCやASTC(英語版)など)。
画面上へポリゴンを重ね合わせる際に、その優先順位を決定するための深度情報およびその格納領域がZバッファである。概念についての詳細は該当項目を参照のこと。
初期のポリゴン描画システムでは、Zソートという簡易的な方式を用いていた。これはポリゴン1枚ごとに深度情報(Zインデックス)を持たせるものだが、ポリゴン同士が絡み合うように配置された場合には描画結果が意図されたような重ね合わせにならない場合があった。Zバッファはこれを改め、ピクセルごとに深度情報を持たせたものである。比較的正確な表示が可能になった一方、情報量や処理負荷は増大したため、GPUの近傍にデータの格納領域が必要となった。
その他、マスク情報を格納するステンシルバッファがあり、ステンシルバッファを活用することで描画領域のクリッピングなどを行なうことができる。Zバッファとステンシルバッファは1つの領域にまとめて格納・管理されることもある 。
ポリゴンの各頂点の位置情報や色情報などを配列形式でビデオメモリに格納しておき、レンダリングする際に高速参照できるようにするのが頂点バッファである。
また、レンダリングの際に頂点バッファ(頂点配列)中の特定のインデックスを指定して、プリミティブを構成するためのデータを参照することがしばしば行なわれるが、そのインデックス配列を格納するのがインデックスバッファである。
さらに、ワールド座標空間で定義されたポリゴンを画面座標に変換する際に必要となる変換行列、ポリゴン単位やメッシュオブジェクト単位の材質情報、あるいは光源(ライト)の色や減衰係数といった特性情報を格納するのが定数バッファ(定数レジスタ)である。プログラマブルシェーダーが導入されたDirectX 8以降では、定数バッファ(定数レジスタ)の用途やレイアウトはアプリケーションプログラマーが明示的に制御する。DirectX 9.0cまでは、頂点シェーダーの定数レジスタ数が256あるいはそれ以上、ピクセルシェーダーの定数レジスタ数が最大224と制限されていたが、DirectX 10以降では定数バッファ(定数レジスタ)が14スロット×4096ベクトルに拡張されるなど、制限が大幅に緩和されている。なお、DirectX 11.1以降ではさらに定数バッファのサイズ制限が緩和されている 。
レンダリングにかかる時間は、描画の内容やハードウェアの構成によって大きく異なる一方、画面の走査は特定のタイミングでおこなわれる。レンダリングされた画像(レンダリングの過程も含まれる場合がある)を走査するまでの間保持しておくメモリがレンダリングバッファである。
小容量の時代であっても高度なグラフィックスを描く方法が工夫されていた。それは走査線1本分のみのグラフィックデータを保持するラインバッファである。これは低価格のハードウェアで高速に描画する必要のあったゲーム機などに多用された。スプライト、スクロール面、BG面などの画面情報を読み出し、それをVDPが走査線ごとにレンダリングしていた。
走査線1本分のみのデータなので容量が少なくても済む一方、レンダリングのタイミングが厳しく、処理が間に合わないとスプライトなどの表示が欠けてしまう場合がしばしば見られた。
これもRAMの大容量化にともない消えていった。
画面の1フレーム分をまるごとバッファリングするもの。
汎用性の求められるコンピュータでは、画面の表示欠けが許されないとされる場合が多かった。これを解決するために、画面1フレームをまるごとバッファリングすることのできるフレームバッファが多くの機種で採用された。描画処理の時間や順序に多少の融通ができるため、レンダリング処理が間に合わない事態を防ぐ効果がある。ただし能力の限界を超えて描画しようとすると、ラインバッファと同様に表示欠けを生じたり、見た目のフレームレートが低下(いわゆる処理落ち)したりする。
初期のパソコンでも中級機以上のものはフレームバッファに似たグラフィックVRAMを保有していた。現代から見れば色数が少なかったもののVRAMの使用量は比較的多く、それらがゲーム機やホビーパソコンなどに比べて非常に高価な理由のひとつとなった。
ゲーム機でも、RAMの容量価格比が増大するとフレームバッファが使われるようになり、本格的な3D描画が可能となった。
高いフレームレートでちらつきのない高度なレンダリングをおこなうため、しばしばダブルバッファという方式が採られる。これはフレームバッファを2フレーム分用意し、片方がレンダリングの結果を出力している間、もう片方にレンダリングを重ねていくものである。原理上表示欠けは発生しないが、レンダリングに時間がかかると処理落ちを生じてしまう。高度なグラフィックスをリアルタイムで動かすゲームのCGにとって重要な技術だが、VRAMを大量に消費するためゲーム機では容量が不足しやすいといったジレンマがある。PlayStation 2ではこの対策として、インターレース画面の1フレームを2フィールドに分け、片方のフィールドを走査する間にもう片方のフィールドにレンダリングするという、簡易的なダブルバッファを用いることが多い。この場合プログレッシブ走査が不可能となり、そのためPS2ではプログレッシブ走査に対応したソフトが少ない。
レンダリング結果を画面に表示することなく一時的に保存して、同一フレーム内で素材として再利用する場合、書き込み可能な一時テクスチャバッファ(レンダーターゲット)へのレンダリングを行なうといった手法が従来から採用されてきた。DirectX 9では、同一フォーマットの複数レンダーターゲットに対して同時にレンダリングを行なう、マルチレンダーターゲットが標準化された。
しかし、GPUを汎用計算に利用するGPGPUでは、出力先には制限・制約の多いテクスチャではなく、ランダムアクセス(任意インデックスによる読み書き)が可能なバッファのほうが都合がよい。GPGPUのためのAPIとして開発・策定された、NVIDIA CUDA、OpenCL、DirectComputeでは、それぞれランダムアクセス可能なバッファが標準化されている。
VRAMはその用途から高速性が求められるため、しばしば通常のRAMとは異なる工夫がなされる。
VRAMの主用途はバッファであるため、入力用のバスと出力用のバスを独立させることによってスループットを改善させたものである。半導体素子が持つ能力の割に高速な処理が可能となるが、I/O回路が複雑となるため通常のRAMよりも割高である。
かつてはVRAMといえばデュアルポートRAMが主流だったが、低コストの機種ではデュアルポートRAMを採用しないものも多かった。近年SDRAMなどシングルポートRAMの高速化技術が発展するとデュアルポートRAMの衰退は顕著となり、現在ではGDDR3、GDDR4、GDDR5といった高速シングルポートRAMにとって代わられている。
描画を走査に間に合わせる必要があることから、VRAMは通常のワークRAM(メインメモリ)よりも高速なものを用いることが多いが、その分素子が高価となる。しかし全てのシステムが高速な描画を要求されているわけではなく、PCのオンチップグラフィックスなど安価で描画能力を重視しないシステムでは、専用のVRAMを持たずにメインメモリから間借りする場合が多い。このように、メインメモリの領域から他用途のメモリを間借りすることをUMA(ユニファイドメモリアーキテクチャ)という。
またUMAには、高速処理が必要な部分だけに高価な素子を用い、比較的低速でも構わない部分はメインメモリに間借りするといった方法もある。その代表例としてAGPが挙げられる。これは高速性を求められるフレームバッファのみをビデオカードに実装し、その他のメモリをCPUのワークエリアから間借りして、GPUとの間を専用のバスで繋ぐものである。
逆に、描画密度の割に画素数の少ないシステムでは、テクスチャバッファなどへ専用VRAMを充当しつつ、フレームバッファのほうをUMAでまかなってしまうといった場合も存在する。
なお、Xbox 360のように、システムメモリとビデオメモリはUMAとして共有するものの、フレームバッファ専用に小容量だが高速なeDRAMを備えるアーキテクチャも存在する。
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"text": "通常のDRAMをVRAMとして使用する場合、グラフィックコントローラ (CRTC、VDPなど) とCPUが同時にVRAMにアクセスすることによる競合を避ける必要がある。この解決策としてグラフィックコントローラがバスの空きをチェックして競合を避けるサイクルスチールという技法が使われた。また、CPUとグラフィックコントローラで同時にアクセス可能なデュアルポートRAMと呼ばれるメモリがVRAMとして使われることもあった。このデュアルポートRAMがVRAMとして広く使われた時代があったためか、本来の言葉の意味からすると誤用ではあるが、動画像処理用途ではなくともデュアルポートRAMのことをVRAMと呼ぶ用例が過去には多くみられた。広義のデュアルポートRAMとしては1995年にサムスン電子が開発したWRAM (Window RAM) がある。WRAMはデュアルポート構成なだけでなく、チップ上に描画向けの簡単な演算機能を持っており、描画の高速化に一役買っていた。WRAMはMatrox MillenniumやMillennium IIで採用されたが、それ以後はデュアルポートRAMは主流ではなくなっている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "2000年台以降ではVRAMの高速化が進み、GDDRと呼ばれる高速処理専用のメモリ規格が登場。3次元コンピュータグラフィックス描画における莫大なデータの高速転送を実現している。主な規格として、GDDR3、GDDR4、GDDR5などがビデオカードに搭載されている。GDDR系統とは別に、根本的なブレイクスルーとなるTB/secの帯域幅を実現するメモリ規格であるHBM (High Bandwidth Memory) が考案され、2015年6月にリリースされたAMD Radeon R9 Fury XにHBM第1世代が世界で初めて搭載された。一方で、GDDR5の後継規格として、技術的に従来の延長線上にあるGDDR5Xや、GDDR6も考案されている。コストパフォーマンスの観点から、オフィス用途ではDDR3などのDDR系統が、ゲーム用途ではGDDR系統が主に用いられている一方、高性能だが高価なHBMはプロフェッショナルグラフィックス用途やHPC用途(特に人工知能の研究開発で顕著)を中心に利用されている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "その主な用途はレンダリングした画面を走査するまでのバッファであるが、レンダリングに際して用いる頂点データやテクスチャなどの素材をバッファリングしたりするなど、中間の処理にも用いられる。これらの構成は各機種のアーキテクチャによって大きく異なる。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "VRAMを用いたシステムのメモリ空間は、主記憶装置と同じアドレス空間を持つ場合と、グラフィックコントローラが独立したアドレス空間を持つ場合がある。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "VRAMにカラーピクセル(画素)を配置する方法としては、カラーコードのビットごとに配置するプレーンドアクセス方式(フレームアクセス方式/水平型VRAM)、カラーコードのバイトごとに配置するパックドピクセル方式(ビットマップ方式/垂直型VRAM)、キャラクタ単位で配置するキャラクタグラフィック、プログラマブル・キャラクタ・ジェネレータなどがある。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "VRAMの用途のひとつに、レンダリングに用いる素材のバッファリングがある。設計や用途にも依存するが、レンダリングに際してはグラフィックコントローラーからこれら素材に対して頻繁にアクセスする場合が多く、VRAMの重要な用途のひとつとなっている。なお、近代的なグラフィックスデバイスでは必ずしも用途(メモリタイプ)ごとに専用のハードウェアメモリ領域があるというわけではなく、後述するレンダリングバッファ・ランダムアクセスバッファを含め、物理的には均等なハードウェアメモリ領域を必要に応じて切り出して、ドライバーレベルで用途別(読み取り専用/書き込み専用/読み書き両用)に最適化したアクセス方法がなされることになる。",
"title": "素材のバッファ"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "コンピュータにおけるRAMの容量が小さかった時代では、文字のグリフのような高度なグラフィックスデータをそのまま保持しておくことは困難だった。そこで初期のコンピュータでは、キャラクタ(文字)のみの描写に特化したテキスト(文章)画面を持っていた。これは画面上に表示する文字のキャラクタコードのみをVRAMに記憶し、走査時にCRTコントローラがVRAMの値を元にあらかじめキャラクタジェネレータROM内に用意されたフォントデータを文字として展開するものである。",
"title": "素材のバッファ"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "国産機種の場合、CG-ROM内には、ASCIIコードに含まれる英数字の他、空き部分には、カタカナ、記号等が割り当てられ、記号は機種によって異なったほか、平仮名のフォントを持っている機種も存在した。通常、書き込む値は、ASCIIコードと一致していたが、MZ-80シリーズと、その後継機はディスプレイコードという特殊な並びのデータを書き込むようになっており、テキストモードしか持たない同機では、キャラクタコードの一部を4×4のピクセルに見立て、その組み合わせである空白を除いた15個のパターンを割り当て、80×50ピクセルのビットマップパターンとして見立てる様になっており、擬似的に超低解像度のビットマップを実現していた。広告では「セミグラフィック」と記述されている。",
"title": "素材のバッファ"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "テキストVRAMには、その文字の属性、色等を示すアトリビュートエリアが文字そのもの以外の領域として多くの機種が持っていた。グラフィックスプレーンを兼用する場合は、その場所のデータをどう扱うかというものや、純粋にテキスト用のエリアであっても、複数の文字単位ないし、文字単位で、文字色、背景色、ブリンク、キャラクタテーブルの指定等を行えるようになっていた。これらの構造は、ハードウェア的にキャラクタディスプレイの機能を持たない機種であっても、サブプロセッサ領域内に相当する領域が設けられており、少ないデータによって文字列を処理することを可能にしていた。",
"title": "素材のバッファ"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "また、キャラクタジェネレータROMは、単色、256パターンのフォントを書き込まれたROMであることが多かったが、この部分をRAMにし、物によっては、カラーでデータを持てるようにしたものが、PCGである。ワープロや、一部機種の外字、ゲーム機のBG画面のパターン等も同様の機能と利便性を提供する。",
"title": "素材のバッファ"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "これらの実装では、1文字に付き、文字種の指定が1バイトとなっており、空白を含め、256種しか取り扱えず、英語圏では有用ではあったものの、日本語の文字情報を取り扱うには仕様として不足していた。そこで、テキストVRAMのテキストを取り扱う部分自体を拡張した、漢字テキストVRAMをハードウェア的に持つようになった機種も生まれた。8ビット機では、X1turbo、MZ-2500。16ビット機ではPC-9801シリーズがこれらの仕組みを持っており、グラフィックスプレーンにソフトウェア的に処理するよりも格段に早く、快適な日本語のテキスト処理を可能としていた。",
"title": "素材のバッファ"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "その後、ハードウェアの進化に伴い、日本語処理もソフトウェア的に処理するDOS/Vや、文字の座標が不定であるGUIなど、速度的に問題がなくなったり、ハードウェアによって表示座標や文字種、フォントが固定されることが問題になる実装が出てくると、ハードウェアによるテキスト処理は見られなくなっていった。ゲーム機などにおけるタイルパターン等の実装も、ポリゴンとテクスチャマッピングを基準とした構造のハードウェアが増えるにつれ、前述のような構成・機能を持つことは無くなった。",
"title": "素材のバッファ"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "2019年5月現在のPCでもPOST画面等、最低限のシステムで文字情報が表示できるよう、同じ手順で文字を表示する仕組みを備えている。",
"title": "素材のバッファ"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "ポリゴンにテクスチャマッピングを施す際、その素材となるテクスチャのデータを格納するための領域である。",
"title": "素材のバッファ"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "画像の高精細化にともない、テクスチャのデータも大容量化の傾向にあるため、近年のGPUなどはテクスチャバッファに対してデータを自動的に圧縮格納してVRAMを節約する機能を持っていることが多い(例:S3TCやASTC(英語版)など)。",
"title": "素材のバッファ"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "画面上へポリゴンを重ね合わせる際に、その優先順位を決定するための深度情報およびその格納領域がZバッファである。概念についての詳細は該当項目を参照のこと。",
"title": "素材のバッファ"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "初期のポリゴン描画システムでは、Zソートという簡易的な方式を用いていた。これはポリゴン1枚ごとに深度情報(Zインデックス)を持たせるものだが、ポリゴン同士が絡み合うように配置された場合には描画結果が意図されたような重ね合わせにならない場合があった。Zバッファはこれを改め、ピクセルごとに深度情報を持たせたものである。比較的正確な表示が可能になった一方、情報量や処理負荷は増大したため、GPUの近傍にデータの格納領域が必要となった。",
"title": "素材のバッファ"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "その他、マスク情報を格納するステンシルバッファがあり、ステンシルバッファを活用することで描画領域のクリッピングなどを行なうことができる。Zバッファとステンシルバッファは1つの領域にまとめて格納・管理されることもある 。",
"title": "素材のバッファ"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "ポリゴンの各頂点の位置情報や色情報などを配列形式でビデオメモリに格納しておき、レンダリングする際に高速参照できるようにするのが頂点バッファである。",
"title": "素材のバッファ"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "また、レンダリングの際に頂点バッファ(頂点配列)中の特定のインデックスを指定して、プリミティブを構成するためのデータを参照することがしばしば行なわれるが、そのインデックス配列を格納するのがインデックスバッファである。",
"title": "素材のバッファ"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "さらに、ワールド座標空間で定義されたポリゴンを画面座標に変換する際に必要となる変換行列、ポリゴン単位やメッシュオブジェクト単位の材質情報、あるいは光源(ライト)の色や減衰係数といった特性情報を格納するのが定数バッファ(定数レジスタ)である。プログラマブルシェーダーが導入されたDirectX 8以降では、定数バッファ(定数レジスタ)の用途やレイアウトはアプリケーションプログラマーが明示的に制御する。DirectX 9.0cまでは、頂点シェーダーの定数レジスタ数が256あるいはそれ以上、ピクセルシェーダーの定数レジスタ数が最大224と制限されていたが、DirectX 10以降では定数バッファ(定数レジスタ)が14スロット×4096ベクトルに拡張されるなど、制限が大幅に緩和されている。なお、DirectX 11.1以降ではさらに定数バッファのサイズ制限が緩和されている 。",
"title": "素材のバッファ"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "レンダリングにかかる時間は、描画の内容やハードウェアの構成によって大きく異なる一方、画面の走査は特定のタイミングでおこなわれる。レンダリングされた画像(レンダリングの過程も含まれる場合がある)を走査するまでの間保持しておくメモリがレンダリングバッファである。",
"title": "レンダリングバッファ"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "小容量の時代であっても高度なグラフィックスを描く方法が工夫されていた。それは走査線1本分のみのグラフィックデータを保持するラインバッファである。これは低価格のハードウェアで高速に描画する必要のあったゲーム機などに多用された。スプライト、スクロール面、BG面などの画面情報を読み出し、それをVDPが走査線ごとにレンダリングしていた。",
"title": "レンダリングバッファ"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "走査線1本分のみのデータなので容量が少なくても済む一方、レンダリングのタイミングが厳しく、処理が間に合わないとスプライトなどの表示が欠けてしまう場合がしばしば見られた。",
"title": "レンダリングバッファ"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "これもRAMの大容量化にともない消えていった。",
"title": "レンダリングバッファ"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "画面の1フレーム分をまるごとバッファリングするもの。",
"title": "レンダリングバッファ"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "汎用性の求められるコンピュータでは、画面の表示欠けが許されないとされる場合が多かった。これを解決するために、画面1フレームをまるごとバッファリングすることのできるフレームバッファが多くの機種で採用された。描画処理の時間や順序に多少の融通ができるため、レンダリング処理が間に合わない事態を防ぐ効果がある。ただし能力の限界を超えて描画しようとすると、ラインバッファと同様に表示欠けを生じたり、見た目のフレームレートが低下(いわゆる処理落ち)したりする。",
"title": "レンダリングバッファ"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "初期のパソコンでも中級機以上のものはフレームバッファに似たグラフィックVRAMを保有していた。現代から見れば色数が少なかったもののVRAMの使用量は比較的多く、それらがゲーム機やホビーパソコンなどに比べて非常に高価な理由のひとつとなった。",
"title": "レンダリングバッファ"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "ゲーム機でも、RAMの容量価格比が増大するとフレームバッファが使われるようになり、本格的な3D描画が可能となった。",
"title": "レンダリングバッファ"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "高いフレームレートでちらつきのない高度なレンダリングをおこなうため、しばしばダブルバッファという方式が採られる。これはフレームバッファを2フレーム分用意し、片方がレンダリングの結果を出力している間、もう片方にレンダリングを重ねていくものである。原理上表示欠けは発生しないが、レンダリングに時間がかかると処理落ちを生じてしまう。高度なグラフィックスをリアルタイムで動かすゲームのCGにとって重要な技術だが、VRAMを大量に消費するためゲーム機では容量が不足しやすいといったジレンマがある。PlayStation 2ではこの対策として、インターレース画面の1フレームを2フィールドに分け、片方のフィールドを走査する間にもう片方のフィールドにレンダリングするという、簡易的なダブルバッファを用いることが多い。この場合プログレッシブ走査が不可能となり、そのためPS2ではプログレッシブ走査に対応したソフトが少ない。",
"title": "レンダリングバッファ"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "レンダリング結果を画面に表示することなく一時的に保存して、同一フレーム内で素材として再利用する場合、書き込み可能な一時テクスチャバッファ(レンダーターゲット)へのレンダリングを行なうといった手法が従来から採用されてきた。DirectX 9では、同一フォーマットの複数レンダーターゲットに対して同時にレンダリングを行なう、マルチレンダーターゲットが標準化された。",
"title": "ランダムアクセスバッファ"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "しかし、GPUを汎用計算に利用するGPGPUでは、出力先には制限・制約の多いテクスチャではなく、ランダムアクセス(任意インデックスによる読み書き)が可能なバッファのほうが都合がよい。GPGPUのためのAPIとして開発・策定された、NVIDIA CUDA、OpenCL、DirectComputeでは、それぞれランダムアクセス可能なバッファが標準化されている。",
"title": "ランダムアクセスバッファ"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "VRAMはその用途から高速性が求められるため、しばしば通常のRAMとは異なる工夫がなされる。",
"title": "VRAMのバスアーキテクチャ"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "VRAMの主用途はバッファであるため、入力用のバスと出力用のバスを独立させることによってスループットを改善させたものである。半導体素子が持つ能力の割に高速な処理が可能となるが、I/O回路が複雑となるため通常のRAMよりも割高である。",
"title": "VRAMのバスアーキテクチャ"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "かつてはVRAMといえばデュアルポートRAMが主流だったが、低コストの機種ではデュアルポートRAMを採用しないものも多かった。近年SDRAMなどシングルポートRAMの高速化技術が発展するとデュアルポートRAMの衰退は顕著となり、現在ではGDDR3、GDDR4、GDDR5といった高速シングルポートRAMにとって代わられている。",
"title": "VRAMのバスアーキテクチャ"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "描画を走査に間に合わせる必要があることから、VRAMは通常のワークRAM(メインメモリ)よりも高速なものを用いることが多いが、その分素子が高価となる。しかし全てのシステムが高速な描画を要求されているわけではなく、PCのオンチップグラフィックスなど安価で描画能力を重視しないシステムでは、専用のVRAMを持たずにメインメモリから間借りする場合が多い。このように、メインメモリの領域から他用途のメモリを間借りすることをUMA(ユニファイドメモリアーキテクチャ)という。",
"title": "VRAMのバスアーキテクチャ"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "またUMAには、高速処理が必要な部分だけに高価な素子を用い、比較的低速でも構わない部分はメインメモリに間借りするといった方法もある。その代表例としてAGPが挙げられる。これは高速性を求められるフレームバッファのみをビデオカードに実装し、その他のメモリをCPUのワークエリアから間借りして、GPUとの間を専用のバスで繋ぐものである。",
"title": "VRAMのバスアーキテクチャ"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "逆に、描画密度の割に画素数の少ないシステムでは、テクスチャバッファなどへ専用VRAMを充当しつつ、フレームバッファのほうをUMAでまかなってしまうといった場合も存在する。",
"title": "VRAMのバスアーキテクチャ"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "なお、Xbox 360のように、システムメモリとビデオメモリはUMAとして共有するものの、フレームバッファ専用に小容量だが高速なeDRAMを備えるアーキテクチャも存在する。",
"title": "VRAMのバスアーキテクチャ"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "近年ではPlayStation 4に見られるようにhUMAとして、CPUとGPUでメモリマップを統合させている例もある。",
"title": "VRAMのバスアーキテクチャ"
}
] | VRAM は、コンピュータなどにおける、ディスプレイに対するビデオ(動画像)表示部分のメモリ(記憶装置)として使われるRAM。グラフィックスメモリまたはビデオメモリとも呼ばれる。専用のデュアルポートのものもあれば、メインメモリと同じDRAMやSRAMを利用したものもある。かつて、グラフィックス用フレームバッファ(Framebuffer)のために用意したメモリをG-RAMと表記していた時期もあるが、意味としては等価である。GPU上で汎用計算を行なうGPGPUが普及してからは、グラフィックス用途に限らないデータの処理用途にも転用されている。 | {{出典の明記|date=2015年3月}}
'''VRAM '''(ブイラム, '''Video RAM''')は、[[コンピュータ]]などにおける、ディスプレイに対するビデオ(動画像)表示部分のメモリ([[記憶装置]])として使われる[[Random Access Memory|RAM]]。'''グラフィックスメモリ'''または'''ビデオメモリ'''<ref>[http://e-words.jp/w/%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%AA.html ビデオメモリとは 【 VRAM 】 〔 グラフィックスメモリ 〕 - 意味/解説/説明/定義 : IT用語辞典]</ref>とも呼ばれる。専用の[[デュアルポート]]のものもあれば、[[メインメモリ]]と同じ[[Dynamic Random Access Memory|DRAM]]や[[Static Random Access Memory|SRAM]]を利用したものもある。かつて、グラフィックス用フレームバッファ([[:en:Framebuffer|Framebuffer]])のために用意したメモリをG-RAMと表記していた時期もあるが、意味としては等価である。[[Graphics Processing Unit|GPU]]上で汎用計算を行なう[[GPGPU]]が普及してからは、グラフィックス用途に限らないデータの処理用途にも転用されている。
== 概要 ==
通常のDRAMをVRAMとして使用する場合、[[グラフィックコントローラ]] ([[CRTC_(LSI)|CRTC]]、[[VDP]]など) と[[CPU]]が同時にVRAMにアクセスすることによる[[競合状態|競合]]を避ける必要がある。この解決策としてグラフィックコントローラがバスの空きをチェックして競合を避ける[[サイクルスチール]]という技法が使われた。また、CPUとグラフィックコントローラで同時にアクセス可能な[[デュアルポートRAM]]と呼ばれるメモリがVRAMとして使われることもあった<ref name="ascii_vram1"/>。{{独自研究範囲|date=2019-05|このデュアルポートRAMがVRAMとして広く使われた時代があったためか}}<!-- 当該表現は依然として推測の域を出ていない。「そのせいか」「そのためか」といった、論拠を推論するような表現(事実ではなく意見)は避けるべき。 -->、{{要出典範囲|本来の言葉の意味からすると誤用ではあるが、動画像処理用途ではなくともデュアルポートRAMのことをVRAMと呼ぶ用例が過去には多くみられた|date=2022-4}}。広義のデュアルポートRAMとしては1995年に[[サムスン電子]]が開発したWRAM (Window RAM) がある。WRAMはデュアルポート構成なだけでなく、チップ上に描画向けの簡単な演算機能を持っており、描画の高速化に一役買っていた。WRAMは[[Matrox Millennium]]やMillennium IIで採用されたが、それ以後はデュアルポートRAMは主流ではなくなっている。
2000年台以降ではVRAMの高速化が進み、[[GDDR]]と呼ばれる高速処理専用のメモリ規格が登場<ref name="ascii_vram1">[https://ascii.jp/elem/000/000/607/607606/ ASCII.jp:グラフィック専用メモリーの進化と不透明な今後 (1/3)|ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情]</ref>。[[3次元コンピュータグラフィックス]]描画における莫大なデータの高速転送を実現している。主な規格として、[[GDDR3]]、[[GDDR4]]、[[GDDR5]]などが[[ビデオカード]]に搭載されている。GDDR系統とは別に、根本的なブレイクスルーとなるTB/secの[[帯域幅]]を実現するメモリ規格であるHBM ([[High Bandwidth Memory]]) が考案され、2015年6月にリリースされた[[AMD Radeon]] R9 Fury XにHBM第1世代が世界で初めて搭載された<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/topic/review/709424.html 【レビュー】初のHBM搭載ビデオカード「Radeon R9 Fury X」を試す - PC Watch]</ref>。一方で、GDDR5の後継規格として、技術的に従来の延長線上にある[[GDDR5X]]や、[[GDDR6 SDRAM|GDDR6]]も考案されている。[[コストパフォーマンス]]の観点から、オフィス用途では[[DDR3 SDRAM|DDR3]]などの[[DDR SDRAM|DDR]]系統が、ゲーム用途ではGDDR系統が主に用いられている一方、高性能だが高価なHBMはプロフェッショナルグラフィックス用途や[[高性能計算|HPC]]用途(特に人工知能の研究開発で顕著)を中心に利用されている。<!-- 以前の版には「HPCでは青天井の計算性能が必要になる」という記述があったが、それは正しいものの見方ではない。ゲーム用途でも描画品質を要求するならば性能はいくらでも必要となるが、単に費用対効果の面で見合わない(扱いたくても扱えない)というだけの話。 -->
その主な用途は[[レンダリング (コンピュータ)|レンダリング]]した画面を[[走査]]するまでの[[バッファ]]であるが、レンダリングに際して用いる頂点データや[[テクスチャ]]などの素材をバッファリングしたりするなど、中間の処理にも用いられる。これらの構成は各機種の[[コンピュータ・アーキテクチャ|アーキテクチャ]]によって大きく異なる。
VRAMを用いたシステムの[[メモリ空間]]は、[[主記憶装置]]と同じ[[アドレス空間]]を持つ場合と、[[グラフィックコントローラ]]が独立したアドレス空間を持つ場合がある。
VRAMにカラー[[ピクセル]](画素)を配置する方法としては、カラーコードのビットごとに配置するプレーンドアクセス方式(フレームアクセス方式/水平型VRAM)、カラーコードのバイトごとに配置するパックドピクセル方式([[ビットマップ]]方式/垂直型VRAM)、キャラクタ単位で配置する[[キャラクタ (コンピュータ)|キャラクタグラフィック]]、プログラマブル・キャラクタ・ジェネレータなどがある。
== 素材のバッファ ==
VRAMの用途のひとつに、レンダリングに用いる素材のバッファリングがある。設計や用途にも依存するが、レンダリングに際してはグラフィックコントローラーからこれら素材に対して頻繁にアクセスする場合が多く、VRAMの重要な用途のひとつとなっている。なお、近代的なグラフィックスデバイスでは必ずしも用途(メモリタイプ)ごとに専用のハードウェアメモリ領域があるというわけではなく、後述するレンダリングバッファ・ランダムアクセスバッファを含め、物理的には均等なハードウェアメモリ領域を必要に応じて切り出して、ドライバーレベルで用途別(読み取り専用/書き込み専用/読み書き両用)に最適化したアクセス方法がなされることになる。
=== テキストVRAM ===
{{See also|キャラクタ (コンピュータ)#キャラクタディスプレイ}}
コンピュータにおけるRAMの容量が小さかった時代では、文字のグリフのような高度なグラフィックスデータをそのまま保持しておくことは困難だった。そこで初期のコンピュータでは、キャラクタ(文字)のみの描写に特化したテキスト(文章)画面を持っていた。これは画面上に表示する文字のキャラクタコードのみをVRAMに記憶し、走査時にCRTコントローラがVRAMの値を元にあらかじめキャラクタジェネレータROM内に用意された[[フォント]]データを文字として展開するものである。
国産機種の場合、CG-ROM内には、ASCIIコードに含まれる英数字の他、空き部分には、カタカナ、記号等が割り当てられ、記号は機種によって異なったほか、平仮名のフォントを持っている機種も存在した。通常、書き込む値は、ASCIIコードと一致していたが、[[MZ-80]]シリーズと、その後継機はディスプレイコードという特殊な並びのデータを書き込むようになっており、テキストモードしか持たない同機では、キャラクタコードの一部を4×4のピクセルに見立て、その組み合わせである空白を除いた15個のパターンを割り当て、80×50ピクセルのビットマップパターンとして見立てる様になっており、擬似的に超低解像度のビットマップを実現していた。広告では「セミグラフィック」と記述されている。
テキストVRAMには、その文字の属性、色等を示すアトリビュートエリアが文字そのもの以外の領域として多くの機種が持っていた。グラフィックスプレーンを兼用する場合は、その場所のデータをどう扱うかというものや、純粋にテキスト用のエリアであっても、複数の文字単位ないし、文字単位で、文字色、背景色、ブリンク、キャラクタテーブルの指定等を行えるようになっていた。これらの構造は、ハードウェア的にキャラクタディスプレイの機能を持たない機種であっても、サブプロセッサ領域内に相当する領域が設けられており、少ないデータによって文字列を処理することを可能にしていた。
また、キャラクタジェネレータROMは、単色、256パターンのフォントを書き込まれたROMであることが多かったが、この部分をRAMにし、物によっては、カラーでデータを持てるようにしたものが、[[キャラクタ (コンピュータ)#PCG|PCG]]である。ワープロや、一部機種の外字、ゲーム機のBG画面のパターン等も同様の機能と利便性を提供する。
これらの実装では、1文字に付き、文字種の指定が1バイトとなっており、空白を含め、256種しか取り扱えず、英語圏では有用ではあったものの、日本語の文字情報を取り扱うには仕様として不足していた。そこで、テキストVRAMのテキストを取り扱う部分自体を拡張した、漢字テキストVRAMをハードウェア的に持つようになった機種も生まれた。8ビット機では、[[X1turbo]]、[[MZ-2500]]。16ビット機では[[PC-9801]]シリーズがこれらの仕組みを持っており、グラフィックスプレーンにソフトウェア的に処理するよりも格段に早く、快適な日本語のテキスト処理を可能としていた。
その後、ハードウェアの進化に伴い、日本語処理もソフトウェア的に処理する[[DOS/V]]や、文字の座標が不定である[[GUI]]など、速度的に問題がなくなったり、ハードウェアによって表示座標や文字種、フォントが固定されることが問題になる実装が出てくると、ハードウェアによるテキスト処理は見られなくなっていった。ゲーム機などにおけるタイルパターン等の実装も、[[ポリゴン]]と[[テクスチャマッピング]]を基準とした構造のハードウェアが増えるにつれ、前述のような構成・機能を持つことは無くなった。
2019年5月現在の[[パーソナルコンピュータ|PC]]でもPOST画面等、最低限のシステムで文字情報が表示できるよう、同じ手順で文字を表示する仕組みを備えている。
=== テクスチャバッファ ===
[[ポリゴン]]に[[テクスチャマッピング]]を施す際、その素材となるテクスチャのデータを格納するための領域である。
画像の高精細化にともない、テクスチャのデータも大容量化の傾向にあるため、{{いつ範囲|近年|date=2015年3月}}の[[Graphics Processing Unit|GPU]]などはテクスチャバッファに対してデータを自動的に圧縮格納してVRAMを節約する機能を持っていることが多い(例:[[S3TC]]や{{仮リンク|Adaptive Scalable Texture Compression|label=ASTC|en|Adaptive Scalable Texture Compression}}など)。<!--余談だが、[[PlayStation 2]]のGraphics Synthesizerチップは、VRAMの容量がきわめて少ない(4MB)にもかかわらず、このテクスチャ圧縮機能を持っていないことが大きな欠点として指摘されている。-->
=== Zバッファ・ステンシルバッファ ===
画面上へポリゴンを重ね合わせる際に、その優先順位を決定するための深度情報およびその格納領域が[[Zバッファ]]である。概念についての詳細は該当項目を参照のこと。
初期のポリゴン描画システムでは、'''[[Zソート]]'''という簡易的な方式を用いていた。これはポリゴン1枚ごとに深度情報([[Zインデックス]])を持たせるものだが、ポリゴン同士が絡み合うように配置された場合には描画結果が意図されたような重ね合わせにならない場合があった。Zバッファはこれを改め、[[ピクセル]]ごとに深度情報を持たせたものである。比較的正確な表示が可能になった一方、情報量や処理負荷は増大したため、GPUの近傍にデータの格納領域が必要となった。
その他、マスク情報を格納する[[ステンシルバッファ]]があり、ステンシルバッファを活用することで描画領域のクリッピングなどを行なうことができる。Zバッファとステンシルバッファは1つの領域にまとめて格納・管理されることもある<ref>[https://www.khronos.org/registry/OpenGL-Refpages/gl4/html/glTexImage2D.xhtml glTexImage2D - OpenGL 4 Reference Pages]</ref> <ref>[https://docs.microsoft.com/en-us/windows/desktop/direct3d9/d3dformat D3DFORMAT - Windows applications | Microsoft Docs]</ref>。
=== 頂点バッファ・インデックスバッファ・定数バッファ ===
ポリゴンの各頂点の位置情報や色情報などを配列形式でビデオメモリに格納しておき、レンダリングする際に高速参照できるようにするのが頂点バッファである。
また、レンダリングの際に頂点バッファ(頂点配列)中の特定のインデックスを指定して、プリミティブを構成するためのデータを参照することがしばしば行なわれるが、そのインデックス配列を格納するのがインデックスバッファである。
さらに、ワールド座標空間で定義されたポリゴンを画面座標に変換する際に必要となる変換行列、ポリゴン単位やメッシュオブジェクト単位の材質情報、あるいは光源(ライト)の色や減衰係数といった特性情報を格納するのが定数バッファ(定数レジスタ)である。[[プログラマブルシェーダー]]が導入された[[DirectX]] 8以降では、定数バッファ(定数レジスタ)の用途やレイアウトはアプリケーションプログラマーが明示的に制御する。DirectX 9.0cまでは、[[頂点シェーダー]]の定数レジスタ数が256あるいはそれ以上、[[ピクセルシェーダー]]の定数レジスタ数が最大224と制限されていた<ref>[ftp://download.nvidia.com/developer/presentations/2004/GPU_Jackpot/Shader_Model_3.pdf Shader Model 3.0; Ashu Rege, NVIDIA Developer Technology Group]</ref>が、DirectX 10以降では定数バッファ(定数レジスタ)が14スロット×4096ベクトルに拡張されるなど、制限が大幅に緩和されている<ref>[https://msdn.microsoft.com/ja-jp/library/Ee418283.aspx シェーダー定数 (DirectX HLSL)]</ref>。なお、DirectX 11.1以降ではさらに定数バッファのサイズ制限が緩和されている<ref>[https://docs.microsoft.com/en-us/windows/desktop/direct3d11/direct3d-11-1-features Direct3D 11.1 Features - Windows applications | Microsoft Docs]</ref> <ref>[https://docs.microsoft.com/en-us/windows/desktop/direct3d12/hardware-support Hardware Tiers - Windows applications | Microsoft Docs]</ref>。
== レンダリングバッファ ==
レンダリングにかかる時間は、描画の内容やハードウェアの構成によって大きく異なる一方、画面の走査は特定のタイミングでおこなわれる。レンダリングされた画像(レンダリングの過程も含まれる場合がある)を走査するまでの間保持しておくメモリがレンダリングバッファである。
=== ラインバッファ ===
小容量の時代であっても高度なグラフィックスを描く方法が工夫されていた。それは[[走査|走査線]]1本分のみのグラフィックデータを保持するラインバッファである。これは低価格のハードウェアで高速に描画する必要のあった[[ゲーム機]]などに多用された。[[スプライト (映像技術)|スプライト]]、[[スクロール]]面、BG面などの画面情報を読み出し、それをVDPが走査線ごとにレンダリングしていた。
走査線1本分のみのデータなので容量が少なくても済む一方、レンダリングのタイミングが厳しく、処理が間に合わないとスプライトなどの表示が欠けてしまう場合がしばしば見られた。
これもRAMの大容量化にともない消えていった。
=== フレームバッファ ===
画面の1[[コマ (映画・漫画)|フレーム]]分をまるごとバッファリングするもの。
汎用性の求められるコンピュータでは、画面の表示欠けが許されないとされる場合が多かった。これを解決するために、画面1フレームをまるごとバッファリングすることのできるフレームバッファが多くの機種で採用された。描画処理の時間や順序に多少の融通ができるため、レンダリング処理が間に合わない事態を防ぐ効果がある。ただし能力の限界を超えて描画しようとすると、ラインバッファと同様に表示欠けを生じたり、見た目の[[フレームレート]]が低下(いわゆる[[処理落ち]])したりする。
初期のパソコンでも中級機以上のものはフレームバッファに似た'''グラフィックVRAM'''を保有していた。現代から見れば色数が少なかったもののVRAMの使用量は比較的多く、それらがゲーム機や[[ホビーパソコン]]などに比べて非常に高価な理由のひとつとなった。
ゲーム機でも、RAMの容量価格比が増大するとフレームバッファが使われるようになり、本格的な3D描画が可能となった。
高いフレームレートでちらつきのない高度なレンダリングをおこなうため、しばしば'''ダブルバッファ'''という方式が採られる。これはフレームバッファを2フレーム分用意し、片方がレンダリングの結果を出力している間、もう片方にレンダリングを重ねていくものである。原理上表示欠けは発生しないが、レンダリングに時間がかかると処理落ちを生じてしまう。高度なグラフィックスをリアルタイムで動かすゲームのCGにとって重要な技術だが、VRAMを大量に消費するためゲーム機では容量が不足しやすいといったジレンマがある。PlayStation 2ではこの対策として、[[走査#インターレース方式とプログレッシブ方式|インターレース]]画面の1フレームを2フィールドに分け、片方のフィールドを[[走査]]する間にもう片方のフィールドにレンダリングするという、簡易的なダブルバッファを用いることが多い。この場合プログレッシブ走査が不可能となり、そのためPS2ではプログレッシブ走査に対応したソフトが少ない。
== ランダムアクセスバッファ ==
レンダリング結果を画面に表示することなく一時的に保存して、同一フレーム内で素材として再利用する場合、書き込み可能な一時テクスチャバッファ(レンダーターゲット)へのレンダリングを行なうといった手法が従来から採用されてきた。DirectX 9では、同一フォーマットの複数レンダーターゲットに対して同時にレンダリングを行なう、マルチレンダーターゲットが標準化された<ref>[https://docs.microsoft.com/en-us/windows/desktop/direct3d9/multiple-render-targets Multiple Render Targets (Direct3D 9) - Windows applications | Microsoft Docs]</ref>。
しかし、GPUを汎用計算に利用する[[GPGPU]]では、出力先には制限・制約の多いテクスチャではなく、[[ランダムアクセス]](任意インデックスによる読み書き)が可能なバッファのほうが都合がよい。GPGPUのための[[Application Programming Interface|API]]として開発・策定された、[[NVIDIA CUDA]]、[[OpenCL]]、[[DirectCompute]]では、それぞれランダムアクセス可能なバッファが標準化されている。
== VRAMのバスアーキテクチャ ==
VRAMはその用途から高速性が求められるため、しばしば通常のRAMとは異なる工夫がなされる。
=== デュアルポートRAM ===
VRAMの主用途はバッファであるため、入力用の[[バス (コンピュータ)|バス]]と出力用のバスを独立させることによって[[スループット]]を改善させたものである。[[半導体素子]]が持つ能力の割に高速な処理が可能となるが、[[入出力ポート|I/O回路]]が複雑となるため通常のRAMよりも割高である。
かつてはVRAMといえばデュアルポートRAMが主流だったが、低コストの機種ではデュアルポートRAMを採用しないものも多かった。{{いつ範囲|近年|date=2016年3月}}[[SDRAM]]などシングルポートRAMの高速化技術が発展するとデュアルポートRAMの衰退は顕著となり、{{いつ範囲|現在|date=2016年3月}}では[[GDDR3]]、[[GDDR4]]、[[GDDR5]]といった高速シングルポートRAMにとって代わられている。
=== UMA ===
描画を走査に間に合わせる必要があることから、VRAMは通常のワークRAM(メインメモリ)よりも高速なものを用いることが多いが、その分素子が高価となる。しかし全てのシステムが高速な描画を要求されているわけではなく、PCの[[オンボードグラフィック|オンチップグラフィックス]]など安価で描画能力を重視しないシステムでは、専用のVRAMを持たずにメインメモリから間借りする場合が多い。このように、メインメモリの領域から他用途のメモリを間借りすることをUMA([[ユニファイドメモリアーキテクチャ]])という。
またUMAには、高速処理が必要な部分だけに高価な素子を用い、比較的低速でも構わない部分はメインメモリに間借りするといった方法もある。その代表例として[[Accelerated Graphics Port|AGP]]が挙げられる。これは高速性を求められるフレームバッファのみをビデオカードに実装し、その他のメモリを[[CPU]]のワークエリアから間借りして、[[Graphics Processing Unit|GPU]]との間を専用のバスで繋ぐものである。
逆に、描画密度の割に画素数の少ないシステムでは、テクスチャバッファなどへ専用VRAMを充当しつつ、フレームバッファのほうをUMAでまかなってしまうといった場合も存在する。
なお、[[Xbox 360]]のように、システムメモリとビデオメモリはUMAとして共有するものの、フレームバッファ専用に小容量だが高速な[[eDRAM]]を備えるアーキテクチャも存在する<ref>[http://news.mynavi.jp/articles/2005/09/09/cedec1/004.html CEDEC2005 - Xbox 360ハードウェアの詳細が明らかに (5) Xbox 360-GPUの仕組み(3) - eDRAMがXbox 360グラフィックスのキモとなる | マイナビニュース]</ref>。
{{いつ範囲|近年|date=2015年3月}}では{{疑問点範囲|[[PlayStation 4]]に見られるように|date=2015年3月}}[[ユニファイドメモリアーキテクチャ#hUMA|hUMA]]として、CPUとGPUでメモリマップを統合させている例もある。
{{main|ユニファイドメモリアーキテクチャ}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
== 関連項目 ==
* [[主記憶装置]]
* [[Graphics Processing Unit|GPU]]
* [[GPGPU]]
* [[GDDR3]]
* [[GDDR4]]
* [[GDDR5]]
* [[High Bandwidth Memory]]
* [[eDRAM]]
[[category:記憶装置]]
[[Category:ハードウェア]] | 2003-04-23T18:58:13Z | 2023-08-25T05:26:48Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/VRAM |
7,184 | 西森博之 | 西森 博之(にしもり ひろゆき、1963年11月23日 - )は、日本の漫画家、小説家、漫画原作者。千葉県出身。血液型はO型。2012年6月時点の著書累計発行部数は5000万部を超える。
西森の大ファンであるという遠藤達哉によると、「みんな根底にさりげない優しさ、意地を貫く強さ、憎めない人間臭さを持っている」キャラクターを描く。 | [
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] | 西森 博之は、日本の漫画家、小説家、漫画原作者。千葉県出身。血液型はO型。2012年6月時点の著書累計発行部数は5000万部を超える。 | {{存命人物の出典明記|date=2016年12月}}
{{Infobox 漫画家
| 名前 = 西森 博之
| ふりがな = にしもり ひろゆき
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| 脚注 =
| 本名 =
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| 受賞 = 第46回[[小学館漫画賞]]少年部門<br />(『[[天使な小生意気]]』)
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'''西森 博之'''(にしもり ひろゆき、[[1963年]][[11月23日]]<ref name="mangapedia">{{Cite web|和書|url=https://mangapedia.com/西森博之-kuh704g21|title=西森 博之(漫画家)|website=マンガペディア|accessdate=2022-07-15}}</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]{{R|mangapedia}}、[[小説家]]{{R|mangapedia}}、[[漫画原作者]]{{R|mangapedia}}。[[千葉県]]出身{{R|mangapedia}}。[[ABO式血液型|血液型]]はO型。2012年6月時点の著書累計発行部数は5000万部を超える<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20120612dog00m200077000c.html |title=西森博之:「今日俺」作者が小説家デビュー |accessdate=2017-3-15 |date=2012-6-13 |work=[[まんたんウェブ]] }}</ref>。
== 人物 ==
* [[1987年]]、『[[増刊少年サンデー]]』([[小学館]])掲載の『プー太郎』でデビュー。以後、主に『[[週刊少年サンデー]]』(小学館)で活躍。代表作に『[[今日から俺は!!]]』『[[天使な小生意気]]』など。
* 絵はシンプルで、ストーリーテリングとキャラクターの面白みで見せる作家で、ヤンキーが出てくる作品を得意としている。
* 『天使な小生意気』で[[2000年]]度第46回[[小学館漫画賞]]受賞。
* 作品の舞台や登場人物の名前に[[千葉県]](主に内房)の名称が使われることが多い。
* 『[[鋼鉄の華っ柱]]』の連載が終了してからは、小説の執筆活動を開始。小説を書きたいという希望は『お茶にごす。』執筆前後から担当編集者には伝えていたが、当時は黙殺されていたと語っている。2014年現在は漫画作品でも、原作を担当するようになっている。
* [[飯沼ゆうき]]が作画担当で、『[[何もないけど空は青い]]』を[[2014年]]16号から[[2015年]]38号まで連載。
* [[2016年]]に3年ぶりの少年漫画となる『[[柊様は自分を探している。]]』を連載。
== 作風 ==
西森の大ファンであるという[[遠藤達哉]]によると、「みんな根底にさりげない優しさ、意地を貫く強さ、憎めない人間臭さを持っている」キャラクターを描く<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/485639|title=カナカナ4巻、西森博之ファンの遠藤達哉が佳奈花に「アーニャの友達になってほしい」|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-07-15|accessdate=2022-07-15}}</ref>。
== 作品リスト ==
=== 連載 ===
* [[今日から俺は!!]] - 『増刊少年サンデー』(1988年9月号 - 1990年8月号)、『週刊少年サンデー』(1990年40号 - 1997年47号、全38巻、ワイド版全19巻、MyFirstWIDE版全14巻、文庫版全18巻)
*: [[1994年]]映画化。『今日から俺は!!』([[東映]])。
*: [[1993年]] - [[1997年]]OVA化。『今日から俺は!!』
*: [[2018年]]、テレビドラマ化。主演は[[賀来賢人]]。
*: その他、東映Vシネマ作品、アニメ、多数。
* [[甘く危険なナンパ刑事]] - 『週刊少年サンデー』(1990年12号 - 1990年37号、全2巻、ワイド版全1巻)
* [[スピンナウト]] - 『週刊少年サンデー』(1998年35号 - 1999年24号、[[春風邪三太]]との共作、全4巻)
* [[天使な小生意気]] - 『週刊少年サンデー』(1999年25号 - 2003年36・37合併号、全20巻、ワイド版全10巻)
*: [[2002年]]アニメ化。『天使な小生意気』([[テレビ東京]])。
*: 同年ゲーム化。『天使な小生意気』([[PlayStation (ゲーム機)|PS]]、[[バンダイ]])。
* [[道士郎でござる]] - 『週刊少年サンデー』(2004年22・23合併号 - 2006年5・6合併号、全8巻)
* [[お茶にごす。]] - 『週刊少年サンデー』(2007年18号 - 2009年35号、全11巻)
*: [[2021年]]、テレビドラマ化。主演は[[鈴木伸之]]。
* [[いつか空から]] - 『[[ゲッサン]]』(2010年8月号 - 2010年9月号)※シリーズ連載。
* [[鋼鉄の華っ柱]] - 『週刊少年サンデー』(2010年44号 - 2012年41号、全9巻)
* [[何もないけど空は青い]] - 『週刊少年サンデー』(2014年16号 - 2015年38号、原作担当、作画:[[飯沼ゆうき]]、全7巻)
* [[柊様は自分を探している。]] - 『週刊少年サンデー』(2016年10号 - 2018年5・6合併号、全8巻)
* [[満天の星と青い空]] - 『[[月刊サンデージェネックス|月刊サンデーGX]]』(2018年9月号 - 2019年11月号、原作担当、作画:[[飯沼ゆうき]]、全3巻)
* [[今日から俺は!!|今日から俺は!! 〜勇者サガワとあの二人編〜]] - 『週刊少年サンデーS』(2019年1月号 - 4月号、全1巻)
* [[カナカナ (漫画)|カナカナ]] - 『[[週刊少年サンデーS]]』(2020年8月号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/384851|title=西森博之の新連載がサンデーSで、孤独な少女×伝説の元ヤンによるホームコメディ|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2020-06-25|accessdate=2023-09-25}}</ref> - 2023年11月号<ref name="sss202311">{{Cite journal|和書|date = 2023-09-25|journal =週刊少年サンデーS|volume=2023年11月号|publisher = 小学館|asin = B0CHN145KM}}表紙より。</ref>、既刊5巻)※第一部完{{R|sss202311}}
*: [[2022年]]、テレビドラマ化。主演は[[眞栄田郷敦]]。
=== 短編集 ===
* [[西森博之短編集 最初で最後!!]]
** プー太郎 - 『[[週刊少年サンデーS|少年サンデー増刊号]]』(1988年1月号、デビュー作)
** ツッパリ社会に出る - 『[[週刊ヤングサンデー]]』(1990年23号)
** もしも願いがかなうなら - 『ビッグコミックスピリッツ増刊』(1992年7月増刊号)
** 軟派 NANPA - 『[[少年サンデー特別増刊R|少年サンデーSUMMERオープン大増刊]]』(1992年8月25日、デビュー前作品)
** 軟派の高橋 - 『[[少年サンデー特別増刊R|少年サンデー特別増刊 NEW YEAR SPECIAL]]』(1993年1月、デビュー前作品)
** 番長屋
** 事務員A子シリーズ - 『週刊ヤングサンデー』(2006年14号 - 2007年35号、全5編を不定期で発表。)
*** 事務員A子
*** 宿題女子高生A子
*** アルバイトティッシュ配りA子
*** 事務員A子-カツ丼編-
*** ケーキ屋A子
** 魔がさす - 『[[ビッグコミックスピリッツ]]』(2006年40号)
** Super CHARGER(雑誌未掲載)
=== 小説 ===
* [[満天の星と青い空]](2012年 小学館)
* [[俺の心臓は彼女にしか撃ち抜けない]](2014年 小学館)
== アシスタント ==
* [[春風邪三太]]
* [[鈴木けい一]]
* [[紅林直]]<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/artist/1938|title=紅林直|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|accessdate=2021-08-15}}</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [https://websunday.net/author/668/ まんが家バックステージ 西森博之]{{Ja icon}}
* [http://gekkansunday.net/rensai/sorakara/100712.html 小学館コミック -ゲッサンWEB-:作品紹介 いつか空から]{{Ja icon}}
{{Normdaten}}
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{{DEFAULTSORT:にしもり ひろゆき}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:日本の小説家]]
[[Category:千葉県出身の人物]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%A3%AE%E5%8D%9A%E4%B9%8B |
7,186 | 大名行列 | 大名行列(だいみょうぎょうれつ)は、大名が公用のために随員を引き連れて外出する際に取る行列のこと。参勤交代における江戸と領地との往来が典型的な形態である。その様相は、各大名家の石高や格によって幕府が定めた規定があり、また大名家独自の慣習も見られた。
大名行列は本来、戦時の行軍に準じた臨戦的・軍事的な移動形態(帯刀する刀の長さも通常の長さより大きなものでもよいなど)であったが、江戸時代の太平が続くと次第に大名の権威と格式を誇示するための大規模で華美なものに変容した。その背景には、徳川幕府が大名行列のために出費を強いることで諸大名が経済的実力を持つことを抑制しようとする政治的意図もあったという説もあるが、本来の目的は将軍への服従を示す儀式であり、大名側で忠誠心や藩の力、権威を誇示するために行列を大規模にする傾向が見られた。従って参勤交代などの幕府の公用のために行なう大名行列は幕府によって人数が定められており、時代によって多少異なるが、1721年(享保6年)の規定によれば、10万石の大名では騎馬の武士10騎、足軽80人、中間(人足)140人から150人とされた。そして諸大名は、自らの体面を守り、藩の権勢を誇示するため、幕府に義務付けられた以上の供を引き連れ、行列の服装も贅を凝らしたものとなる傾向があった。102万石の加賀藩では最盛期に4,000人に及んだ。
このように、長大かつ華美に走った大名行列は、大名家にとっては実際に財政的な負担となり、次第に藩の財政を圧迫していった。各藩が財政的に破綻して軍役を果たせなくなっては、参勤交代の目的として本末転倒であるため、幕府は逆に大名行列の制限に乗り出した。
随員には騎馬・徒歩の武士の他、鉄砲、弓などの足軽、道具箱や槍持ちなどの中間や人足、草履取や医師などの大名身辺に仕える者たちが連なる。所持品として楽器、鷹狩りの鷹、日傘、茶、弁当、椅子なども携行した。限られた大名にのみ許可された所持品もあり、幕府との服属関係をも示していた。服装にも気を遣い、とくに江戸入、また御国入の際は特別な礼服に着替えて入国した。また、行列の人数が大名の威光を表すことから、少なくとも元禄時代までは随員の数が競われた。
行列の速度については、宿場等では伝馬等、荷の積み替えの調整、兼ね合いで威儀を正し、ゆっくりと行進した。 旅人が12日から13日程度かかる道のりであれば、それより2日程度早くたどり着く速さであった。街中では伝馬の調整の為長時間をかけて進み、それ以外は経費節約のため出来るだけ行程を短縮する狙いがあったものと考えられている。これの極端な例として、1643年(寛永20年)に前田家4代目の光高が約120里(約480km)の行程で、普通に行けば12泊13日で終える道程を6泊7日で移動したという記録がある。大名行列の行進は、 平均すると1日10里(40km)を歩き、中間の呼び声、また錫杖の音以外、大きな音のない非常に静かな行列だった。
大名行列は、遠くから見ただけでもどこの家中かわかるよう、毛槍や馬印などに特徴があり、それらは江戸時代を通じて発行された『武鑑』に記され、民衆にも判別できた。参勤交代の行列は、出立の際や宿場町に入る時、国入りの際などには、毛槍を持たせた中間達は家毎に独特の所作を取り、人々を注目させた。これが各地の祭礼行列、神幸行列などに取り入れられ、民俗芸能の奴振りとして全国に残っている。
時代劇等では、大名行列が往来を通り過ぎるときには必ず先導の旗持ちの「下にー、下にー」との声にあわせ百姓・町人などは脇に寄り平伏しているシーンが登場するが、実際にはこの掛け声を使えるのは徳川御三家の尾張・紀州藩(水戸藩は例外で江戸常勤であるため参勤交代はなかった)だけで、ほかの大名家は「片寄れー、片寄れー」又は「よけろー、よけろー」という掛け声を用い、一般民衆は脇に避けて道を譲るだけでよかった。後述の生麦事件が起こる直前、アメリカ商人ヴァン・リードは同じ薩摩藩主の行列に対して下馬し、馬を道の端に寄せて行列に道を譲り、脱帽して礼を示したことで事なきを得ている。土下座をする者も行列の中の本陣(大名が乗った籠)が通る際のみであった。そのほか、盛り砂を立てたり、水を振りまいたり、水桶を置いたり、露払いをするなどの振る舞いをする庶民もいた。
むしろ庶民に取っては、華美な大名行列を見物する事は一種の娯楽であり、各藩もそれがために大名行列を一層華美にしたのであり、平伏を強いられる状況ではそれが成り立たない。もちろん、道を譲るのも、御三家の行列に対して平伏するのも、道の脇にいる場合だけで、大名行列が通過する間は自宅や食事処に入ったり、前触れの声を聞いて脇道に入るなどすると、一切の規制がなかった。平伏が必要な御三家等の行列も、遠目でなら規制なく見物できたため、幕末に日本を訪れたジェームス・カーティス・ヘボンが、丘の上からオペラグラスで尾張藩の大名行列を見物したという記録もある。
大名行列の前を横切ったり(供先(ともさき)を切る、と言う)、列を乱すような行為は非常に無礼な行ないとされ、場合によってはその場での「無礼討ち」も認められていた。幕末に発生した生麦事件が有名である。ただし、実際には事前に警告を行うため、無礼討ちにまで至るのは稀である。生麦事件も、言葉が分からなかった事もあり、度重なる要請や警告を無視する結果になったために起こっている。特例として飛脚、出産の取上げに向かっている産婆(現在の助産師)は行列を乱さない限りにおいて、前を横切る事を許されていた。
江戸時代には、祭りに際して大名行列(祭礼警護の武士を中心とする行列)が伴うことがある一方で、また見世物として庶民によって大名行列が演じられることもあり、その日だけは庶民が侍を真似することが許されていた。明治時代になってからも、1897年には東京で奠都三十年を祝う祝賀会の際に見世物として行なわれ、俳優、芸妓、旦那衆、画家、芸人、噺家、たいこもち、金に糸目をつけない一流の人たちが華美な衣装を身にまとって主な役柄に扮し、市中を練り歩いた。1906年(明治39年)にイギリス王のエドワード7世から明治天皇へ勲章を贈呈する使節団が来日した際、一行を歓待するために、明治政府によって大名行列が再演された。
その後も、大名行列を再現する行事は日本各地で行なわれている(奴振りの項を参照のこと)。
江戸時代における大名行列の様子から転じて、組織の幹部を必要以上に大勢の部下が取り囲んで移動するさまをも「大名行列」と揶揄していうことがある。例として『白い巨塔』・『ブラック・ジャック』で有名になった、大学病院における教授の総回診や、大物国会議員が新人議員を従えている様子など。また、要人の車列についても良く例えられる。他に、高速道路などで除雪車や極端な低速で走る車の後方に出来る車列をこう呼ぶことがある。 | [
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"text": "大名行列は本来、戦時の行軍に準じた臨戦的・軍事的な移動形態(帯刀する刀の長さも通常の長さより大きなものでもよいなど)であったが、江戸時代の太平が続くと次第に大名の権威と格式を誇示するための大規模で華美なものに変容した。その背景には、徳川幕府が大名行列のために出費を強いることで諸大名が経済的実力を持つことを抑制しようとする政治的意図もあったという説もあるが、本来の目的は将軍への服従を示す儀式であり、大名側で忠誠心や藩の力、権威を誇示するために行列を大規模にする傾向が見られた。従って参勤交代などの幕府の公用のために行なう大名行列は幕府によって人数が定められており、時代によって多少異なるが、1721年(享保6年)の規定によれば、10万石の大名では騎馬の武士10騎、足軽80人、中間(人足)140人から150人とされた。そして諸大名は、自らの体面を守り、藩の権勢を誇示するため、幕府に義務付けられた以上の供を引き連れ、行列の服装も贅を凝らしたものとなる傾向があった。102万石の加賀藩では最盛期に4,000人に及んだ。",
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"text": "このように、長大かつ華美に走った大名行列は、大名家にとっては実際に財政的な負担となり、次第に藩の財政を圧迫していった。各藩が財政的に破綻して軍役を果たせなくなっては、参勤交代の目的として本末転倒であるため、幕府は逆に大名行列の制限に乗り出した。",
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"text": "随員には騎馬・徒歩の武士の他、鉄砲、弓などの足軽、道具箱や槍持ちなどの中間や人足、草履取や医師などの大名身辺に仕える者たちが連なる。所持品として楽器、鷹狩りの鷹、日傘、茶、弁当、椅子なども携行した。限られた大名にのみ許可された所持品もあり、幕府との服属関係をも示していた。服装にも気を遣い、とくに江戸入、また御国入の際は特別な礼服に着替えて入国した。また、行列の人数が大名の威光を表すことから、少なくとも元禄時代までは随員の数が競われた。",
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"text": "行列の速度については、宿場等では伝馬等、荷の積み替えの調整、兼ね合いで威儀を正し、ゆっくりと行進した。 旅人が12日から13日程度かかる道のりであれば、それより2日程度早くたどり着く速さであった。街中では伝馬の調整の為長時間をかけて進み、それ以外は経費節約のため出来るだけ行程を短縮する狙いがあったものと考えられている。これの極端な例として、1643年(寛永20年)に前田家4代目の光高が約120里(約480km)の行程で、普通に行けば12泊13日で終える道程を6泊7日で移動したという記録がある。大名行列の行進は、 平均すると1日10里(40km)を歩き、中間の呼び声、また錫杖の音以外、大きな音のない非常に静かな行列だった。",
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"text": "大名行列は、遠くから見ただけでもどこの家中かわかるよう、毛槍や馬印などに特徴があり、それらは江戸時代を通じて発行された『武鑑』に記され、民衆にも判別できた。参勤交代の行列は、出立の際や宿場町に入る時、国入りの際などには、毛槍を持たせた中間達は家毎に独特の所作を取り、人々を注目させた。これが各地の祭礼行列、神幸行列などに取り入れられ、民俗芸能の奴振りとして全国に残っている。",
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"text": "時代劇等では、大名行列が往来を通り過ぎるときには必ず先導の旗持ちの「下にー、下にー」との声にあわせ百姓・町人などは脇に寄り平伏しているシーンが登場するが、実際にはこの掛け声を使えるのは徳川御三家の尾張・紀州藩(水戸藩は例外で江戸常勤であるため参勤交代はなかった)だけで、ほかの大名家は「片寄れー、片寄れー」又は「よけろー、よけろー」という掛け声を用い、一般民衆は脇に避けて道を譲るだけでよかった。後述の生麦事件が起こる直前、アメリカ商人ヴァン・リードは同じ薩摩藩主の行列に対して下馬し、馬を道の端に寄せて行列に道を譲り、脱帽して礼を示したことで事なきを得ている。土下座をする者も行列の中の本陣(大名が乗った籠)が通る際のみであった。そのほか、盛り砂を立てたり、水を振りまいたり、水桶を置いたり、露払いをするなどの振る舞いをする庶民もいた。",
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"text": "むしろ庶民に取っては、華美な大名行列を見物する事は一種の娯楽であり、各藩もそれがために大名行列を一層華美にしたのであり、平伏を強いられる状況ではそれが成り立たない。もちろん、道を譲るのも、御三家の行列に対して平伏するのも、道の脇にいる場合だけで、大名行列が通過する間は自宅や食事処に入ったり、前触れの声を聞いて脇道に入るなどすると、一切の規制がなかった。平伏が必要な御三家等の行列も、遠目でなら規制なく見物できたため、幕末に日本を訪れたジェームス・カーティス・ヘボンが、丘の上からオペラグラスで尾張藩の大名行列を見物したという記録もある。",
"title": "民衆への規制"
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"text": "大名行列の前を横切ったり(供先(ともさき)を切る、と言う)、列を乱すような行為は非常に無礼な行ないとされ、場合によってはその場での「無礼討ち」も認められていた。幕末に発生した生麦事件が有名である。ただし、実際には事前に警告を行うため、無礼討ちにまで至るのは稀である。生麦事件も、言葉が分からなかった事もあり、度重なる要請や警告を無視する結果になったために起こっている。特例として飛脚、出産の取上げに向かっている産婆(現在の助産師)は行列を乱さない限りにおいて、前を横切る事を許されていた。",
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"text": "江戸時代には、祭りに際して大名行列(祭礼警護の武士を中心とする行列)が伴うことがある一方で、また見世物として庶民によって大名行列が演じられることもあり、その日だけは庶民が侍を真似することが許されていた。明治時代になってからも、1897年には東京で奠都三十年を祝う祝賀会の際に見世物として行なわれ、俳優、芸妓、旦那衆、画家、芸人、噺家、たいこもち、金に糸目をつけない一流の人たちが華美な衣装を身にまとって主な役柄に扮し、市中を練り歩いた。1906年(明治39年)にイギリス王のエドワード7世から明治天皇へ勲章を贈呈する使節団が来日した際、一行を歓待するために、明治政府によって大名行列が再演された。",
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"text": "その後も、大名行列を再現する行事は日本各地で行なわれている(奴振りの項を参照のこと)。",
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"text": "江戸時代における大名行列の様子から転じて、組織の幹部を必要以上に大勢の部下が取り囲んで移動するさまをも「大名行列」と揶揄していうことがある。例として『白い巨塔』・『ブラック・ジャック』で有名になった、大学病院における教授の総回診や、大物国会議員が新人議員を従えている様子など。また、要人の車列についても良く例えられる。他に、高速道路などで除雪車や極端な低速で走る車の後方に出来る車列をこう呼ぶことがある。",
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] | 大名行列(だいみょうぎょうれつ)は、大名が公用のために随員を引き連れて外出する際に取る行列のこと。参勤交代における江戸と領地との往来が典型的な形態である。その様相は、各大名家の石高や格によって幕府が定めた規定があり、また大名家独自の慣習も見られた。 | {{Otheruseslist|[[参勤交代]]における[[江戸]]と[[領地]]との往来|[[祭|祭り]]の大名行列|時代行列|「[[みんなのうた]]」で放送された楽曲|大名ぎょうれつ}}
'''大名行列'''(だいみょうぎょうれつ)は、[[大名]]が公用のために随員を引き連れて外出する際に取る[[行列]]のこと。[[参勤交代]]における[[江戸]]と[[領地]]との往来が典型的な形態である。その様相は、各大名家の石高や格によって幕府が定めた規定があり、また大名家独自の慣習も見られた。
== 歴史 ==
[[File:Pic ushikuhandaimyou gyouretu2.jpg|right|thumb|400px|牛久藩の大名行列の図。]]
大名行列は本来、戦時の[[行軍]]に準じた臨戦的・[[軍事]]的な移動形態([[帯刀]]する刀の長さも通常の長さより大きなものでもよいなど)であったが、[[江戸時代]]の太平が続くと次第に大名の権威と格式を誇示するための大規模で華美なものに変容した。その背景には、[[江戸幕府|徳川幕府]]が大名行列のために出費を強いることで諸大名が経済的実力を持つことを抑制しようとする政治的意図もあったという説もあるが、本来の目的は[[将軍]]への服従を示す儀式であり、大名側で忠誠心や藩の力、権威を誇示するために行列を大規模にする傾向が見られた<ref>{{Cite journal|和書
| author = 早川明夫
| title = 参勤交代のねらいは?:「参勤交代」の授業における留意点
| journal = 教育研究所紀要
| volume = 16
| pages = 111 - 119
| publisher = [[文教大学]]
| date = 2007-12-01
| url = https://irdb.nii.ac.jp/01454/0002030282
| jstor =
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| id =
| naid = 120006419012
| accessdate = 2020-07-28 }}</ref>。従って参勤交代などの幕府の公用のために行なう大名行列は幕府によって人数が定められており、時代によって多少異なるが、[[1721年]]([[享保]]6年)の規定によれば、10万石の大名では[[騎馬]]の[[武士]]10騎、[[足軽]]80人、[[武家奉公人#種類|中間]](人足)140人から150人とされた。そして諸大名は、自らの体面を守り、藩の権勢を誇示するため、幕府に義務付けられた以上の供を引き連れ、行列の服装も贅を凝らしたものとなる傾向があった。102万石の[[加賀藩]]では最盛期に4,000人に及んだ。
このように、長大かつ華美に走った大名行列は、大名家にとっては実際に財政的な負担となり、次第に藩の財政を圧迫していった。各藩が財政的に破綻して軍役を果たせなくなっては、参勤交代の目的として本末転倒であるため、幕府は逆に大名行列の制限に乗り出した。
== 様相 ==
{{出典の明記| date = 2023年12月| section = 1}}
藩主は[[駕籠]]に乗っているのが通例である。駕籠に乗り疲れた場合は馬にも乗った<ref>{{Cite web |title=「江戸出張はあまりにブラックだった」大名の参勤交代で部下たちが運んだ"ヤバい荷物" 豪華絢爛な大名行列の舞台裏 (5ページ目) |url=https://president.jp/articles/-/53155 |website=PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) |date=2022-01-02 |access-date=2023-12-08 |language=ja}}</ref>。自ら道中を歩くこともあった<ref>{{Cite web |title=「本気でキツい参勤交代」の知られざる裏側 |url=https://toyokeizai.net/articles/-/213671 |website=東洋経済オンライン |date=2018-03-29 |access-date=2023-12-08 |language=ja}}</ref>。随員には騎馬・徒歩の武士の他、[[火縄銃|鉄砲]]、[[弓 (武器)|弓]]などの足軽、道具箱や槍持ちなどの中間や人足、草履取や[[医師]]などの大名身辺に仕える者たちが連なる。所持品として楽器、鷹狩りの鷹、日傘、茶、弁当、椅子なども携行した。限られた大名にのみ許可された所持品もあり、幕府との服属関係をも示していた<ref name="repo1" />。服装にも気を遣い、とくに江戸入、また御国入の際は特別な礼服に着替えて入国した<ref name="repo1" />。また、行列の人数が大名の威光を表すことから、少なくとも元禄時代までは随員の数が競われた<ref name="repo1" />。
行列の速度については、宿場等では伝馬等、荷の積み替えの調整、兼ね合いで威儀を正し、ゆっくりと行進した。<ref name="repo1"/>
旅人が12日から13日程度かかる道のりであれば、それより2日程度早くたどり着く速さであった。街中では伝馬の調整の為長時間をかけて進み、それ以外は経費節約のため出来るだけ行程を短縮する狙いがあったものと考えられている。これの極端な例として、[[1643年]]([[寛永]]20年)に前田家4代目の光高が約120里(約480km)の行程で、普通に行けば12泊13日で終える道程を6泊7日で移動したという記録がある。大名行列の行進は、 平均すると1日10里(40km)を歩き、中間の呼び声、また錫杖の音以外、大きな音のない非常に静かな行列だった<ref name="repo1"/>。
大名行列は、遠くから見ただけでもどこの家中かわかるよう、毛槍や馬印などに特徴があり、それらは江戸時代を通じて発行された『[[武鑑]]』に記され、民衆にも判別できた。参勤交代の行列は、出立の際や宿場町に入る時、国入りの際などには、毛槍を持たせた中間達は家毎に独特の所作を取り、人々を注目させた。これが各地の祭礼行列、神幸行列などに取り入れられ、民俗芸能の[[奴振り]]として全国に残っている。
[[ファイル:Sankiko01.jpg|thumb|600px|none|[[園部藩]]参勤交代行列図(1) ([[南丹市]]文化博物館蔵)]]
[[ファイル:Sankiko02.jpg|thumb|600px|none|園部藩参勤交代行列図(2) (南丹市文化博物館蔵)]]
[[ファイル:Sankiko03.jpg|thumb|600px|none|園部藩参勤交代行列図(3) (南丹市文化博物館蔵)]]
== 民衆への規制 ==
[[File:Kisokaido53 Kano.jpg|thumb|脇に避けて道を譲る人々]]{{出典の明記| date = 2023年12月| section = 1}}
[[時代劇]]等では、大名行列が往来を通り過ぎるときには必ず先導の旗持ちの「'''下にー、下にー'''」との声にあわせ[[百姓]]・町人などは脇に寄り平伏しているシーンが登場するが、実際にはこの掛け声を使えるのは[[徳川御三家]]の[[尾張藩|尾張]]・[[紀州藩]]([[水戸藩]]は例外で[[定府|江戸常勤]]であるため参勤交代はなかった)だけで、ほかの大名家は「'''片寄れー、片寄れー'''」又は「'''よけろー、よけろー'''」という掛け声を用い、一般民衆は脇に避けて道を譲るだけでよかった。後述の生麦事件が起こる直前、アメリカ商人[[ユージン・ヴァン・リード|ヴァン・リード]]は同じ薩摩藩主の行列に対して下馬し、馬を道の端に寄せて行列に道を譲り、脱帽して礼を示したことで事なきを得ている。[[土下座]]をする者も行列の中の本陣(大名が乗った籠)が通る際のみであった<ref name="repo1" />。そのほか、盛り砂を立てたり、水を振りまいたり、水桶を置いたり、露払いをするなどの振る舞いをする庶民もいた<ref name="repo1" />。
むしろ庶民に取っては、華美な大名行列を見物する事は一種の娯楽であり、各藩もそれがために大名行列を一層華美にしたのであり、平伏を強いられる状況ではそれが成り立たない。もちろん、道を譲るのも、御三家の行列に対して平伏するのも、道の脇にいる場合だけで、大名行列が通過する間は自宅や食事処に入ったり、前触れの声を聞いて脇道に入るなどすると、一切の規制がなかった。平伏が必要な御三家等の行列も、遠目でなら規制なく見物できたため、幕末に日本を訪れた[[ジェームス・カーティス・ヘボン]]が、丘の上から[[オペラグラス]]で尾張藩の大名行列を見物したという記録もある。
大名行列の前を横切ったり(供先(ともさき)を切る、と言う)、列を乱すような行為は非常に無礼な行ないとされ、場合によってはその場での「[[切捨御免|無礼討ち]]」も認められていた。幕末に発生した[[生麦事件]]が有名である。ただし、実際には事前に警告を行うため、無礼討ちにまで至るのは稀である。生麦事件も、言葉が分からなかった事もあり、度重なる要請や警告を無視する結果になったために起こっている。特例として[[飛脚]]、[[出産]]の取上げに向かっている[[産婆]](現在の[[助産師]])は行列を乱さない限りにおいて、前を横切る事を許されていた。
== 大名行列に類似するもの ==
; [[宇治採茶使]]
: [[京都府]][[宇治市]]の[[宇治茶]]を徳川将軍家に献上するための茶壷を運ぶ行列のこと。俗にいう'''御茶壷道中'''。
== 大名行列の再現 ==
江戸時代には、祭りに際して大名行列(祭礼警護の武士を中心とする行列)が伴うことがある一方で、また見世物として庶民によって大名行列が演じられることもあり、その日だけは庶民が侍を真似することが許されていた<ref name="repo1"/>。[[明治]]時代になってからも、1897年には東京で奠都三十年を祝う祝賀会の際に見世物として行なわれ、俳優、芸妓、旦那衆、画家、芸人、噺家、たいこもち、金に糸目をつけない一流の人たちが華美な衣装を身にまとって主な役柄に扮し、市中を練り歩いた<ref>[https://www.aozora.gr.jp/cards/000726/files/45975_26596.html 一世お鯉]長谷川時雨、青空文庫</ref>。[[1906年]](明治39年)に[[イギリス]]王の[[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]から[[明治天皇]]へ勲章<ref>{{Lang-en-short|Order of the Garter}}</ref>を贈呈する使節団が来日した際、一行を歓待するために、[[明治政府]]によって大名行列が再演された<ref name="repo1">{{Cite web|和書|url=http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/forum/text/fn169.html|title=参勤交代と日本の文化 日文研フォーラム、第169回|accessdate=2021-05-08|publisher=国際日本文化研究センター|author=コンスタンティン・ノミコス・ヴァポリス(メリーランド大学準教授)|year=2004|month=10|pages=1-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140714233323/https://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/forum/text/fn169.html|archivedate=2014-07-14}}</ref>。
その後も、大名行列を再現する行事は日本各地で行なわれている([[奴振り]]の項を参照のこと)。
* [[長野県]][[飯田市]]([[お練り祭り]])
* [[京都府]][[与謝野町]](岩滝大名行列)
* [[静岡県]][[島田市]](島田大祭)
* [[愛知県]]西尾市(西尾祇園祭)
* 愛知県[[豊橋市]](二川宿本陣まつり)
* [[岡山県]][[矢掛町]](矢掛の宿場まつり<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.okayama-kanko.jp/modules/kankouinfo/pub_event_detail.php?eid=7319&dt=2014-11-09|title=第39回矢掛の宿場まつり大名行列|accessdate=2021-05-08|publisher=岡山県観光連盟|website=岡山県観光総合サイト おかやま旅ネット|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140714143629/https://www.okayama-kanko.jp/modules/kankouinfo/pub_event_detail.php?eid=7319&dt=2014-11-09|archivedate=2014-07-14}}</ref>)
* 岡山県[[新見市]]([[御神幸武器行列]]、俗称 土下座まつり)
* [[山口県]][[玖珂町]](鞍掛城まつり。「いきりこ」と呼ばれる子供大名行列<ref>[https://web.archive.org/web/20140714210316/http://www.city.iwakuni.lg.jp/www/contents/1278314793195/index.html 伝承行事] 岩国市役所本庁</ref>)
* [[神奈川県]][[松田町]](松田大名行列)
* 神奈川県[[箱根町]](箱根大名行列)
* [[山梨県]][[都留市]](八朔祭)
* [[熊本県]][[南小国町]](黒川温泉感謝祭)
* [[大分県]][[大分市]]([[賀来神社]]賀来の市・卯酉の大名行列)
== 比喩としての「大名行列」 ==
{{出典の明記| date = 2023年12月| section = 1}}
江戸時代における大名行列の様子から転じて、組織の幹部を必要以上に大勢の部下が取り囲んで移動するさまをも「大名行列」と揶揄していうことがある。例として『[[白い巨塔]]』・『[[ブラック・ジャック]]』で有名になった、[[大学病院]]における[[教授]]の総[[回診]]や、大物国会議員が新人議員を従えている様子など。また、[[要人]]の車列についても良く例えられる。他に、高速道路などで除雪車や極端な低速で走る車の後方に出来る車列をこう呼ぶことがある。
== 参考文献 ==
* 原色現代新百科事典第5巻 学習研究社 [[1968年]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
== 外部リンク ==
{{Commonscat}}
* [http://www.hakoneyumoto.com/pr/daimyogyoretu/index.html 箱根大名行列](箱根湯本観光協会)
* [https://www.youtube.com/watch?v=EBy4ujDtlIk 岩滝大名行列]
* [{{NDLDC|1876448/110}} ケンペルが見た17世紀末の参勤交代大名行列]『ケンプェル江戸参府紀行』
{{DEFAULTSORT:たいみようきようれつ}}
[[Category:江戸時代の交通]]
[[Category:武士]] | 2003-04-24T02:24:12Z | 2023-12-08T11:51:37Z | false | false | false | [
"Template:Cite web",
"Template:Lang-en-short",
"Template:Commonscat",
"Template:Otheruseslist",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite journal"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%90%8D%E8%A1%8C%E5%88%97 |
7,187 | 参勤交代 | 参勤交代(さんきんこうたい)とは、江戸時代において各藩の主である大名や交代寄合を交替で江戸に出仕させる制度。参勤交替、参覲交代、参覲交替などとも書く。
欧米列強が日本に対して開国を迫ることになる。200年以上も鎖国を続けていた徳川幕府はその体制を守るために、文久2年(1862年)8月に参勤交代の頻度を3年に1回(100日)とし、大名の在国中は江戸屋敷の家来を減少するように命じた。また、大名の嫡子・妻子についても帰国を認め、大名・家来の妻子の帰国についても幕府役人の書状を不必要とし、一般旅行者の関所改めも簡略化するなど、文久の改革と呼ばれる規制緩和を行なった。これは日本全体としての軍備増強と全国の海岸警備を目的としていたが、結果として徳川幕府の力を弱めることとなってしまった。
この幕府の発言力低下を背景に元治元年(1864年)8月、京都で禁門の変と呼ばれる長州藩と江戸幕府・薩摩藩との武力衝突が起きる。これを機に翌月の9月に制度を元に戻そうとしたが、すでに幕府の威信は大きく損なわれており、従わない藩も多く存在したため、幕府の決定的求心力低下が露見することとなった。こうして慶応3年(1867年)、大政奉還と共にこの制度は姿を消した。
参勤交代に関する資料は多数存在するが、特に加賀藩の家老である横山政寛が書き残した『御道中日記』には、その詳しい日付だけでなく、掛かった日数や費用、苦労話などが事細かに記載されている。
また、他家の行列や幕府の役人、勅使などと鉢合わせにならないように各藩それぞれ入念な準備をしていたが、それでも鉢合わせる事態が発生した場合は各々の大名が籠から降り、相互に頭を下げて非礼を詫び合うこともあったという。
民衆は自国以外の大名に対しても下馬の義務や道を譲る義務を課されていたが、自国と徳川御三家の行列以外には土下座する必要はなかった。
西国の大名の多くは整備の進んだ東海道を通ったが、橋がなくしばしば川止めとなる大きな河川が複数あり、日程の変更および経費の増大に見舞われた。そのため、幕府の許可を得て、整備は進んでいないが川止めの可能性がない中山道に変更する大名もみられた。
本陣と呼ばれる大名と関係者専用の宿泊施設に宿泊する。大名は宿泊中に命を狙われる可能性が最も高いので、護衛の者が常に付いており就寝時も武器は手放さなかった。本陣は敵に攻められても対応しやすいような構造をしており、就寝中も小姓が一晩中枕元で本を朗読し、襲撃者に寝込みを襲われないよう用心した。
宿主にとっては大名一行の宿泊は大口の収入源であったが、大名側が旅の途中にトラブルに巻き込まれ、宿泊を急遽キャンセルしなければならないこともあり、宿泊準備費用を巡ってトラブルが絶えなかったという。
幕府に対する謀反の意思がないと証明するため、関所を通過する際には大名の籠の窓を開けた上で関所の役人に顔を見せて通過した。その際、役人達は行列の人数や槍・弓などの装備をチェックし、その内容を幕府に報告をした。
江戸の庶民にも同じように自国の威厳を見せつけるため、下屋敷に到着すると立派な服装に着替え、予め雇っておいた人足と合流し、華美な行列を再び仕立て直した。江戸城に到着すると大名は将軍に拝謁し、次の下国までの在府生活が始まる事となる。
基本的にはおよそ一年あまりを江戸で過ごすよう定められた大名が多かったが、関東の多くの大名は半年ごとに国元、江戸を往復するよう定められていた。また長崎警護の任を与えられた福岡藩および佐賀藩は2年のうち約100日を、交代で江戸で過ごすよう定められていた。遠国の対馬藩は3年に4か月、松前藩は5年に4か月のみ江戸で過ごすことになっていた。
『御道中日記』のように、移動日数や費用について記録が多数残されている。
江戸からの距離によって異なるが、参勤交代の費用は藩収入の5%から20%、江戸藩邸の費用を含めれば50%から75%があてられた。
また、この他に、庄内藩酒井氏の場合は、元禄15年(1702年)から宝永3年(1706年)までの歳出のうち、約82%が江戸で消費されていた。
岸和田藩岡部氏の場合は、安永5年(1776年)の江戸での費用は全体の84%に達し、中小の藩においては、参勤交代に要する費用が藩の歳出の大部分を占めていた藩もあった。
大名が定期的に領国と江戸を行き来することで、室町時代のように領国か京に留まり続けることにより、幕府の統制を無視したり、逆に領国の管理を任せた守護代に下剋上される事態が未然に防げるようになった。また参勤交代という行為自体が、大名に将軍との主従関係を再確認させた。更には江戸に大名が集まり大名間の社交が行われた結果、情報の集約と伝播が行われ、通信技術が未だ未発達な近世で重要な役割を果たした。
交通手段が発達していない時代に道路や橋が整備されていない中、台風や洪水などの不可抗力下においても決められた期日までに国元から江戸にまで到着しなければならなかったことから、加賀藩が黒部川にかけた愛本橋(明治時代半ばに消滅)などに代表される参勤交代用の橋や道路が建設されたり、宿場町の発展をもたらしたりするなど後世に残る都市や交通を大いに発達させる事となる。
これらの街道の整備費用に始まり、道中の宿泊費や移動費、国元の居城と江戸藩邸の両方の維持費などにより、その経済効果は非常に大きいものであった。
ただし、その反面、諸藩の財政難の原因として参勤交代制を挙げる学者が江戸時代にも出ており、江戸期を通して熊沢蕃山・室鳩巣・中井竹山などによって参勤交代制度に対する批判がなされ、実際に、室鳩巣を重用した徳川吉宗の頃には、一時期、参勤交代による江戸の在府期間が半年に短縮されるなどした。
大量の大名の随員が地方と江戸を往来したために、彼らを媒介して江戸の文化が全国に広まる効果を果たすことにもなった。また、逆に、18世紀の江戸の人口の4分の1、約25万人は参勤交代で地方から来た者達であったため、地方の言語・文化・風俗などが江戸に流入し、そうしたものが相互に影響し、変質して江戸や各地域に伝播し、環流した面もあった。
参勤交代のシステムは、江戸時代を通して社会秩序の安定と文化の繁栄に繋がることになった。また、参勤交代する事で江戸に単身赴任する各藩の家臣はかなりの数に上り、この結果、江戸の人口の約半数が武士が占めると共に遊郭が繁栄することとなった。江戸の人口が女性に比して男性の人口が極端に多いのは参勤交代の影響である。 | [
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"text": "参勤交代(さんきんこうたい)とは、江戸時代において各藩の主である大名や交代寄合を交替で江戸に出仕させる制度。参勤交替、参覲交代、参覲交替などとも書く。",
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"text": "欧米列強が日本に対して開国を迫ることになる。200年以上も鎖国を続けていた徳川幕府はその体制を守るために、文久2年(1862年)8月に参勤交代の頻度を3年に1回(100日)とし、大名の在国中は江戸屋敷の家来を減少するように命じた。また、大名の嫡子・妻子についても帰国を認め、大名・家来の妻子の帰国についても幕府役人の書状を不必要とし、一般旅行者の関所改めも簡略化するなど、文久の改革と呼ばれる規制緩和を行なった。これは日本全体としての軍備増強と全国の海岸警備を目的としていたが、結果として徳川幕府の力を弱めることとなってしまった。",
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"text": "この幕府の発言力低下を背景に元治元年(1864年)8月、京都で禁門の変と呼ばれる長州藩と江戸幕府・薩摩藩との武力衝突が起きる。これを機に翌月の9月に制度を元に戻そうとしたが、すでに幕府の威信は大きく損なわれており、従わない藩も多く存在したため、幕府の決定的求心力低下が露見することとなった。こうして慶応3年(1867年)、大政奉還と共にこの制度は姿を消した。",
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"text": "参勤交代に関する資料は多数存在するが、特に加賀藩の家老である横山政寛が書き残した『御道中日記』には、その詳しい日付だけでなく、掛かった日数や費用、苦労話などが事細かに記載されている。",
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"text": "また、他家の行列や幕府の役人、勅使などと鉢合わせにならないように各藩それぞれ入念な準備をしていたが、それでも鉢合わせる事態が発生した場合は各々の大名が籠から降り、相互に頭を下げて非礼を詫び合うこともあったという。",
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"text": "民衆は自国以外の大名に対しても下馬の義務や道を譲る義務を課されていたが、自国と徳川御三家の行列以外には土下座する必要はなかった。",
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"text": "西国の大名の多くは整備の進んだ東海道を通ったが、橋がなくしばしば川止めとなる大きな河川が複数あり、日程の変更および経費の増大に見舞われた。そのため、幕府の許可を得て、整備は進んでいないが川止めの可能性がない中山道に変更する大名もみられた。",
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"text": "本陣と呼ばれる大名と関係者専用の宿泊施設に宿泊する。大名は宿泊中に命を狙われる可能性が最も高いので、護衛の者が常に付いており就寝時も武器は手放さなかった。本陣は敵に攻められても対応しやすいような構造をしており、就寝中も小姓が一晩中枕元で本を朗読し、襲撃者に寝込みを襲われないよう用心した。",
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"text": "宿主にとっては大名一行の宿泊は大口の収入源であったが、大名側が旅の途中にトラブルに巻き込まれ、宿泊を急遽キャンセルしなければならないこともあり、宿泊準備費用を巡ってトラブルが絶えなかったという。",
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"text": "幕府に対する謀反の意思がないと証明するため、関所を通過する際には大名の籠の窓を開けた上で関所の役人に顔を見せて通過した。その際、役人達は行列の人数や槍・弓などの装備をチェックし、その内容を幕府に報告をした。",
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"text": "江戸の庶民にも同じように自国の威厳を見せつけるため、下屋敷に到着すると立派な服装に着替え、予め雇っておいた人足と合流し、華美な行列を再び仕立て直した。江戸城に到着すると大名は将軍に拝謁し、次の下国までの在府生活が始まる事となる。",
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"text": "基本的にはおよそ一年あまりを江戸で過ごすよう定められた大名が多かったが、関東の多くの大名は半年ごとに国元、江戸を往復するよう定められていた。また長崎警護の任を与えられた福岡藩および佐賀藩は2年のうち約100日を、交代で江戸で過ごすよう定められていた。遠国の対馬藩は3年に4か月、松前藩は5年に4か月のみ江戸で過ごすことになっていた。",
"title": "参勤交代の流れ"
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"text": "『御道中日記』のように、移動日数や費用について記録が多数残されている。",
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"text": "江戸からの距離によって異なるが、参勤交代の費用は藩収入の5%から20%、江戸藩邸の費用を含めれば50%から75%があてられた。",
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"text": "また、この他に、庄内藩酒井氏の場合は、元禄15年(1702年)から宝永3年(1706年)までの歳出のうち、約82%が江戸で消費されていた。",
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"text": "岸和田藩岡部氏の場合は、安永5年(1776年)の江戸での費用は全体の84%に達し、中小の藩においては、参勤交代に要する費用が藩の歳出の大部分を占めていた藩もあった。",
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"text": "大名が定期的に領国と江戸を行き来することで、室町時代のように領国か京に留まり続けることにより、幕府の統制を無視したり、逆に領国の管理を任せた守護代に下剋上される事態が未然に防げるようになった。また参勤交代という行為自体が、大名に将軍との主従関係を再確認させた。更には江戸に大名が集まり大名間の社交が行われた結果、情報の集約と伝播が行われ、通信技術が未だ未発達な近世で重要な役割を果たした。",
"title": "影響"
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"text": "交通手段が発達していない時代に道路や橋が整備されていない中、台風や洪水などの不可抗力下においても決められた期日までに国元から江戸にまで到着しなければならなかったことから、加賀藩が黒部川にかけた愛本橋(明治時代半ばに消滅)などに代表される参勤交代用の橋や道路が建設されたり、宿場町の発展をもたらしたりするなど後世に残る都市や交通を大いに発達させる事となる。",
"title": "影響"
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"text": "これらの街道の整備費用に始まり、道中の宿泊費や移動費、国元の居城と江戸藩邸の両方の維持費などにより、その経済効果は非常に大きいものであった。",
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"text": "ただし、その反面、諸藩の財政難の原因として参勤交代制を挙げる学者が江戸時代にも出ており、江戸期を通して熊沢蕃山・室鳩巣・中井竹山などによって参勤交代制度に対する批判がなされ、実際に、室鳩巣を重用した徳川吉宗の頃には、一時期、参勤交代による江戸の在府期間が半年に短縮されるなどした。",
"title": "影響"
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"text": "大量の大名の随員が地方と江戸を往来したために、彼らを媒介して江戸の文化が全国に広まる効果を果たすことにもなった。また、逆に、18世紀の江戸の人口の4分の1、約25万人は参勤交代で地方から来た者達であったため、地方の言語・文化・風俗などが江戸に流入し、そうしたものが相互に影響し、変質して江戸や各地域に伝播し、環流した面もあった。",
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"text": "参勤交代のシステムは、江戸時代を通して社会秩序の安定と文化の繁栄に繋がることになった。また、参勤交代する事で江戸に単身赴任する各藩の家臣はかなりの数に上り、この結果、江戸の人口の約半数が武士が占めると共に遊郭が繁栄することとなった。江戸の人口が女性に比して男性の人口が極端に多いのは参勤交代の影響である。",
"title": "影響"
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] | 参勤交代(さんきんこうたい)とは、江戸時代において各藩の主である大名や交代寄合を交替で江戸に出仕させる制度。参勤交替、参覲交代、参覲交替などとも書く。 欧米列強が日本に対して開国を迫ることになる。200年以上も鎖国を続けていた徳川幕府はその体制を守るために、文久2年(1862年)8月に参勤交代の頻度を3年に1回(100日)とし、大名の在国中は江戸屋敷の家来を減少するように命じた。また、大名の嫡子・妻子についても帰国を認め、大名・家来の妻子の帰国についても幕府役人の書状を不必要とし、一般旅行者の関所改めも簡略化するなど、文久の改革と呼ばれる規制緩和を行なった。これは日本全体としての軍備増強と全国の海岸警備を目的としていたが、結果として徳川幕府の力を弱めることとなってしまった。 この幕府の発言力低下を背景に元治元年(1864年)8月、京都で禁門の変と呼ばれる長州藩と江戸幕府・薩摩藩との武力衝突が起きる。これを機に翌月の9月に制度を元に戻そうとしたが、すでに幕府の威信は大きく損なわれており、従わない藩も多く存在したため、幕府の決定的求心力低下が露見することとなった。こうして慶応3年(1867年)、大政奉還と共にこの制度は姿を消した。 | '''参勤交代'''(さんきんこうたい)とは、[[江戸時代]]において[[藩|各藩]]の主である[[大名]]や[[交代寄合]]を交替で[[江戸]]に出仕させる制度。'''参勤交替'''、'''参覲交代'''、'''参覲交替'''などとも書く。
[[ファイル:Toudou Takatora2.jpg|thumb|700px|藤堂様御国入行列附版画/伊賀文化産業協会蔵]]
==概要==
全国250以上ある大名家が2年ごとに江戸に参覲し、1年経ったら自分の[[領地]]へ引き上げる交代を行う制度である{{sfn|武部健一|2015|p=119}}。[[鎌倉時代]]にみられた[[御家人]]の[[鎌倉]]への出仕が起源とされる。将軍に対する大名の服属儀礼として始まったが、[[寛永]]12年([[1635年]])に[[徳川家光]]によって徳川将軍家に対する軍役奉仕を目的に制度化された。この制度では諸大名は一年おきに江戸と自分の領地を行き来しなければならず、江戸を離れる場合でも正室と世継ぎは江戸に常住しなければならなかった{{sfn|武部健一|2015|p=119}}。側室および世継ぎ以外の子にはそのような義務はなかった。自分の領地から江戸までの旅費だけでなく江戸の滞在費までも大名に負担させていたため、各藩に財政的負担を掛けると共に人質をも取る形となり、諸藩の軍事力を低下させる役割を果たした{{sfn|武部健一|2015|p=119}}。もっとも、『御触書寛保集成』によると「従来の員数近来甚だ多し。且つは国郡の費、且つは人民の労なり。向後その相応を以てこれを減少すべし。」とあり、大名の過度な弱体化を防ぐため、幕府は参覲交代の際の支出を節減するように求めている。
参覲交代は、こうした政治的統制の面だけでなく、江戸と国元の定期的な交流により文化・経済の交流にも大きな役割を果たした{{sfn|武部健一|2015|p=119}}。
なお、高野山(金剛峯寺)のように大名並みの領地を所有している寺社にも参勤交代に相当する「江戸在番」の制度があった<ref name="wakayama">{{Cite web|和書|url=http://www.manabi.wakayama-c.ed.jp/wakayama_hakken/pdf/section/02/02/122.pdf|title=木食応其と高野山|publisher=和歌山県教育センター学びの丘|accessdate=2021-09-21}}</ref>{{efn|近世の高野山寺領は2万1,300石で、1649年に高野山の学侶方と行人方の双方に江戸在番が命じられた<ref name="wakayama" />。}}。
== 名称 ==
「参勤」とは自分の領地から江戸へ赴く旅、「交代」または「就封(しゅうほう)」とは自分の領地に帰還する旅のことである{{sfn|武部健一|2015|p=119}}。参勤は一定期間主君のもとに出仕し、任期が満了すると暇を与えられて自分の領地に帰り政務を執ることを意味する。「参っ」て「覲(まみ)える(=目上の人に会う)」ことであるから正しくは「参'''覲'''交代」と表記するが、役人が「参勤交代」と誤って記録に記述してしまって以来、このように書くのが一般的になった。
参勤交代を規定した『[[武家諸法度]]』の条文には
{{Quotation|
大名小名在江戸'''交替'''所相定也毎歳夏四月中可致'''参勤'''従者之員数……
}}
とあり、交代は「交替」とも書かれる。{{efn|当時の文書は当然手書きであり、「参」の字は[[康煕字典]]体の「參 ({{スペル|ムムム人彡}})」ではなく、異体字「({{スペル|ムニニ人水}})」となっている。}}
== 内容 ==
=== 原文 ===
参勤交代を制度化したのは[[江戸幕府]]三代将軍の[[徳川家光]]であり、武家諸法度の寛永令にあたる条文より読み取ることができる。
{{Quotation|
一、大名・小名在江戸交替相定ムル所ナリ。毎歳夏四月中、参覲致スベシ。従者ノ員数近来甚ダ多シ、且ハ国郡ノ費、且ハ人民ノ労ナリ。向後ソノ相応ヲ以テコレヲ減少スベシ。但シ上洛ノ節ハ、教令ニ任セ、公役ハ分限ニ随フベキ事。
}}
現代語に翻訳すると『大名や[[小名]]は自分の領地と江戸との交代勤務を定める。毎年4月に参勤すること。供の数が最近非常に多く、領地や領民の負担である。今後はふさわしい人数に減らすこと。ただし[[上洛]]の際は定めの通り、役目は身分にふさわしいものにすること。』という意味になる。
=== 目的 ===
この制度の目的は、過大な費用負担により諸大名の財政を弱体化させることで勢力を削ぎ謀反などを抑える効果、あるいは大名の後継ぎが制度上全員が江戸育ちとなることから精神的に領地と結びつきにくくする効果があったともいわれる<ref>『江戸三〇〇年「普通の武士」はこう生きた』著・八幡和郎、臼井喜法</ref>が、これらは結果論でしかなく、当初幕府にそういった意図はなかったという説が現在では有力である<ref name=hayakawa/>。ちなみに、諸大名への金銭的負担をさせる目的ならば[[手伝普請]]などより効果的な手法も取り得たし、そもそも各藩の財政が破綻して軍役が不可能となっては本末転倒であることから「[[大名行列]]は身分相応に行うべき」と通達を行なっていることも、当時の幕府の文書から読み取れる<ref>{{Cite web |title=江戸幕府が改訂した「武家諸法度」(寛文令)21ヶ条を発布し、キリスト教の厳禁及び不孝者の処罰を追加、商船の500石制限を撤廃する(新暦6月29日) |url=http://gauss0.livedoor.blog/archives/14696447.html |website=ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事) |date=2022-05-23 |access-date=2023-11-29 |language=ja |quote=大名、小名在江戸交替之儀、毎年守所相定時節、可致参勤、從者之員数彌不可及繁多、以其相応、可減少之、但公役者任教令、可隨分限事}}</ref>。
== 沿革 ==
=== 制度前 ===
{{see also|大名証人制度}}
[[鎌倉時代]]には[[御家人]]が[[鎌倉]]に参勤する制度があり、三年に一度の参勤が行われていた。また、[[和田氏|和田]]・[[畠山氏|畠山]]・[[三浦氏|三浦]]・[[佐々木氏|佐々木]]などの旧功譜代の家は鎌倉に定住し、時おり、領地に戻るという生活を送った。[[室町時代]]には、[[細川氏|細川]]・畠山などは在京し、その他の大名は京都に参勤した<ref name="kodamasa"/>。ただし、[[鎌倉府]]管轄の[[関東地方|関東]](後に[[東北地方|東北]]も含まれる)の大名は[[鎌倉]]に定住していた([[在鎌倉制]])。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]を経て、一部の[[戦国大名]]は服属した[[武士]]を城下に集めるようになり、[[織田信長]]は[[安土城]]で支配下に服した大名に屋敷を与えた。その後、[[豊臣秀吉]]が[[大坂城]]・[[聚楽第]]・[[伏見城]]で屋敷に妻子をも住まわせたことから全国的な参勤制度の原形ができあがった<ref>山本博文『参勤交代』第一章 参勤交代の歴史 1 参勤交代の源流 丸山雍成説より p28〜29。</ref>。
[[慶長]]5年([[1600年]])に[[関ヶ原の戦い]]で[[徳川家康]]が勝利して覇権を確立すると、諸大名は[[徳川氏]]の歓心を買うため[[江戸]]に参勤するようになった。家康は秀吉の例に倣って[[江戸城]]下に[[江戸藩邸|屋敷]]を与えた。大名は忠誠を示すため、妻([[正室]])と子(男子であれば跡継ぎ)、有力家臣の子弟を人質として江戸に住まわせるようになった。寛永11年([[1635年]])8月に幕府は、[[譜代大名]]で妻子を領地に置いている者に、江戸に移させるよう命じている。
当初、参勤自体は自発的なものであったが次第に制度として定着していった。[[元和 (日本)|元和]]3年(1617年)以降には東国と西国の大名がほぼ隔年で参勤している状態となっていた{{sfn|吉村豊雄|1989|p=35}}。
寛永12年([[1635年]])三代[[徳川将軍家|将軍]]徳川家光の時代に『武家諸法度』が改定され(寛永令)、第二条で「大名小名在江戸交替相定也、毎歳夏四月中可参勤」と規定されたことによって、制度としての参勤交代が明文化された{{sfn|吉村豊雄|1989|p=28}}。
=== 制定後 ===
制定後、諸大名は一年おきに江戸と国元を往復することが義務となり、街道の整備費用に始まり、道中の宿泊費や移動費、国元の[[居城]]と[[江戸藩邸]]の両方の維持費などにより大きな負担を強いられた。なお、[[水戸藩]]などのように参勤交代を行わない江戸[[定府]]の藩も存在した。
{{main|[[定府]]}}
また、参勤の間隔が長く在府の期間が短い藩も存在した(詳細は「[[参勤交代#在府生活|在府生活]]」を参照)。
[[足利尊氏]]の後裔を藩主とする[[喜連川藩]]は、参勤交代義務の免除および妻子の在国許可を得ていた。ただし、毎年12月に自主的に参府していた<ref>『喜連川公方実記』</ref>。
寛文5年([[1665年]])には大名証人制度が廃止され、人質として有力家臣の子弟が在府する必要はなくなったが、大名妻子の江戸在住は継続されている。
延宝元年(1673年)、[[讃岐高松藩]]主[[松平頼重]]が[[致仕]]した際、時の将軍[[徳川家綱|家綱]]に、参勤交代の簡素化を上申した{{Sfn|工藤|2009|p=314}}。
'''享保の改革'''
享保7年(1722年)に[[上米の制]]と呼ばれる石高1万石に対し100石の米を上納させる代わり、江戸滞在期間を半年とする例外的措置をとったことがある。この措置には幕府内に反対意見もあったようではあるが、幕府の財政難を背景に制定されたということもあり、結局享保15年(1730年)まで続けられた。
=== 制度廃止 ===
嘉永6年([[1853年]])に[[マシュー・ペリー]]が来航し、その圧倒的な武力を背景に欧米列強が日本に対して開国を迫ることになる。200年以上も[[鎖国]]を続けていた徳川幕府はその体制を守るために、[[文久]]2年([[1862年]])8月に参勤交代の頻度を3年に1回(100日)とし、大名の在国中は江戸屋敷の家来を減少するように命じた。また、大名の嫡子・妻子についても帰国を認め、大名・家来の妻子の帰国についても幕府役人の書状を不必要とし、一般旅行者の関所改めも簡略化するなど、[[文久の改革]]と呼ばれる[[規制緩和]]を行なった<ref name="kodamasa">児玉幸多「参勤交代制度の意義」『日本学士院紀要』52巻3号、1998年</ref>。これは日本全体としての軍備増強と全国の海岸警備を目的としていたが、結果として徳川幕府の力を弱めることとなってしまった。
この幕府の発言力低下を背景に[[元治]]元年([[1864年]])8月、[[京都]]で[[禁門の変]]と呼ばれる[[長州藩]]と江戸幕府・薩摩藩との武力衝突が起きる。これを機に翌月の9月に制度を元に戻そうとしたが、すでに幕府の威信は大きく損なわれており、従わない藩も多く存在したため、幕府の決定的求心力低下が露見することとなった。こうして[[慶応]]3年([[1867年]])、[[大政奉還]]と共にこの制度は姿を消した{{sfn|山本博文|1998|p=210-212}}。
== 参勤交代の流れ ==
=== 準備 ===
参勤交代に関する資料は多数存在するが、特に[[加賀藩]]の[[家老]]である[[横山政寛]]が書き残した『[[御道中日記]]』には、その詳しい日付だけでなく、掛かった日数や費用、苦労話などが事細かに記載されている。
それによると参勤交代は毎年四月に行なわれるが、その準備は半年以上も前から行なわれ、予算の調達に始まり、他大名との間に宿場の重複がないか偵察の者を出すことから始まる。徳川御三家や幕府の役人や[[勅使]]、他の大名行列などに気を遣い、なるべくすれ違わないように旅行程の調整だけでなく宿代の交渉等々、その準備作業は多岐にわたる。「金沢板橋間駅々里程表」という資料<ref>{{Cite web|和書|url=http://jmapps.ne.jp/amhr/det.html?data_id=11799 |title= 金沢板橋間駅々里程表 所蔵文書データベース |publisher=[[金沢市立玉川図書館|金沢市立玉川図書館近世史料館]] |accessdate=2021-08-08}}</ref>では、[[石川県]]の[[金沢市]]と[[東京都]]の[[板橋宿|板橋]]間に宿泊の可能性がある全ての宿場までの距離が[[ダイヤグラム]]のように記されており、そのような状況下でいかに限りある予算と労力で江戸にたどり着けるかと知恵を絞りぬいた苦労が見て取れる。
そもそも予め幕府へ届出を出した期日までに江戸に到着しなければならなかっただけでなく、遅延が一日発生するだけで現代の貨幣価値にして数千万円から数億円相当の損失に繋がるため、いかなる理由があろうとも決められた日付までに江戸に到着しなければならない事情があった。橋や道路の整備がままならない場所もあり、そのような場合はあらかじめ橋や道路を建設した。それでも通行が難しい場合は近隣住民を大量に雇い、人が盾となって川や海の流れを鎮めたという。加賀藩が[[親不知]]を超える際、波を鎮める為に近隣から住民を700人雇ったと記録されており、[[紀州藩]]の場合は藩士が数箇月も前から下準備のために来宿したともあり、準備には入念に入念を重ねて行われたものと推測できる。
=== 期日と期間 ===
参勤交代を行う大名は偶数年に江戸に来るグループと奇数年に来るグループに分けられた。隣国同士の大名は意図的に異なるグループに分けられたが、これは在国中あるいは江戸において談合などが出来ないようにしたものだと考えられる。各大名は4月、6月、8月、12月など国元を出発する月、および2月、8月など江戸を出発する月が定められていた<ref>{{Cite book|和書|author1=永原慶二|author2=青木和夫|author3=佐々木潤之介|title=百姓・町人と大名|series=日本の歴史 ジュニア版 第3巻|publisher=読売新聞社|year=1987|page=134}}</ref>。
=== 出発 ===
{{Main|大名行列}}
軍役である以上、大名は保有兵力である配下の武士を随員として大量に引き連れただけでなく、道中に大名が暇を覚えたり、江戸での暮らしに不自由しないようにかかりつけの[[医師]]、[[茶道|茶の湯]]の家元や[[鷹匠]]までもが同行した上、大名専用の[[風呂釜]]などを含む多数の手回り品までも持ち運んだ<ref>『加賀藩大名行列図屏風』加賀藩の大名行列を記した屏風より。</ref>とされ、「大名行列」という大掛かりな行進が行なわれた。その人数は禄高によって大きく変わり、加賀百万石と称される[[加賀藩]]の場合で2500人から3000人、多いときで4000人に達したという{{sfn|武部健一|2015|p=120}}。[[天保]]12年([[1841年]])に行なわれた[[紀州徳川家]]の参勤交代では、武士1639人、人足2337人、馬103頭を擁したという記録も残されており、[[徳川御三家|御三家]]紀州侯の大名行列などは多くの農民が見物に訪れるほど格式と威光が感じられる大行列であったといわれている。
移動時間ならびに移動速度は各大名によりまちまちであるが、自国城下町などを除き、費用節約のために急ぎ足での移動が行われることも多々見られた。一日平均で6〜9時間を掛けて約30〜40[[キロメートル]] (km) 移動したが{{sfn|武部健一|2015|p=120}}、旅行程に遅れが生じた場合は移動距離が50 km近くに伸びることもあった。
多くの大名が同時期に参勤交代をしたため、街道および宿場はしばしば混雑した。当初西国には出来るだけ長い海路で大坂まで旅をする大名が多かったが、天候による日程の遅延を避けるために、次第に陸路を増やす傾向があった<ref>{{Cite book|和書|author=コンスタンチン・ヴァポリス |title=日本人と参勤交代 |year=2010 |publisher=[[柏書房]] |isbn=978-4760138210}}
</ref>。
[[ファイル:Sankiko01.jpg|none|600px|thumb|[[園部藩]]参勤交代行列図(1) ([[南丹市]]文化博物館蔵)]]
[[ファイル:Sankiko02.jpg|none|600px|thumb|園部藩参勤交代行列図(2) (南丹市文化博物館蔵)]]
[[ファイル:Sankiko03.jpg|none|600px|thumb|園部藩参勤交代行列図(3) (南丹市文化博物館蔵)]]
=== 自国領内 ===
自国の民衆に威厳を見せつけるために立派な服装を身に纏い、人を大量に雇った上で実際に必要な人数より多く見せることがよくみられた。これは城下町を離れるまで続けられ、町はずれに出ると雇われた人々の任務は完了となり、人数は約半数程度に減る。それ以外の従者たちは旅行に適した服装に着替え<ref>石川県の金沢市にある大樋松門跡の立札には『通行旅行ノ武士ハ(中略)松門ヲ出レバ行装ヲ崩ス慣例ナリキ』(引用)とある。</ref>、宿泊予定のある[[宿場町]]を目指すこととなる。
移動手段は陸路がほとんどであるが、島津藩のように船と陸路を併用して行う場合もあった。陸路の場合、庶民は行列が進んでくると、道を譲らなければならず、馬に乗っていた場合は必ず下馬しなければならなかった。また、自国の大名行列であれば[[土下座]]を行った。飛脚や出産の取上げに向かっている[[産婆]]を除いて、行列の前を横切ったり、列を乱したりする行為は特に無礼な行為とされ、当時の国内法である[[公事方御定書]](71条追加条)によってその場で「[[切捨御免]]」も認められていた。このため、大声で行列の到来を知らせるために[[徳川御三家]]の場合は「下に、下に」と叫び、それ以外の諸藩は「片寄れー、片寄れー」、または「よけろー、よけろー」という掛け声を用いて道を譲らせた。制度をよく理解していない外国人がトラブルに巻き込まれるケースもあり、1862年には[[島津久光]]の行列を妨害したとしてイギリス人が殺傷される[[生麦事件]]が発生し、[[薩英戦争]]の引き金となっている。
=== 自国領外 ===
参勤交代の行列は他家の領地を通過することになるが、通られる側の大名は使者を遣わして贈り物などを供し、場合によっては道の清掃・整備や渡し舟の貸出なども行なっていた{{sfn|山本博文|1998|p=93-104}}。また通る方も遣わされた使者に対して返礼の品を送るなどしており{{sfn|山本博文|1998|p=98-99}}、両者とも互いに気を遣い合っていた。
また、他家の行列や幕府の役人、[[勅使]]などと鉢合わせにならないように各藩それぞれ入念な準備をしていたが、それでも鉢合わせる事態が発生した場合は各々の大名が籠から降り、相互に頭を下げて非礼を詫び合うこともあったという{{sfn|山本博文|1998|p=141-142}}。
民衆は自国以外の大名に対しても下馬の義務や道を譲る義務を課されていたが、自国と[[徳川御三家]]の行列以外には土下座する必要はなかった。
西国の大名の多くは整備の進んだ[[東海道]]を通ったが、橋がなくしばしば川止めとなる大きな河川が複数あり、日程の変更および経費の増大に見舞われた。そのため、幕府の許可を得て、整備は進んでいないが川止めの可能性がない[[中山道]]に変更する大名もみられた。
=== 宿泊 ===
[[ファイル:Kusatsujuku-honjin Kusatsu Shiga Pref01s3s4500.jpg|thumb|本陣の例(東海道 草津宿)]]
{{Main|本陣}}
[[本陣]]と呼ばれる大名と関係者専用の宿泊施設に宿泊する。大名は宿泊中に命を狙われる可能性が最も高いので、護衛の者が常に付いており就寝時も武器は手放さなかった。本陣は敵に攻められても対応しやすいような構造をしており、就寝中も[[小姓]]が一晩中枕元で本を朗読し、襲撃者に寝込みを襲われないよう用心した。
宿主にとっては大名一行の宿泊は大口の収入源であったが、大名側が旅の途中にトラブルに巻き込まれ、宿泊を急遽キャンセルしなければならないこともあり、宿泊準備費用を巡ってトラブルが絶えなかったという<ref>御道中日記</ref>。
=== 関所 ===
[[File:Hyugazaka_Mita_Minato_Tokyo_0191.jpg|thumb|下屋敷の例([[佐土原藩]])]]
幕府に対する謀反の意思がないと証明するため、[[関所]]を通過する際には大名の籠の窓を開けた上で関所の役人に顔を見せて通過した。その際、役人達は行列の人数や槍・弓などの装備をチェックし、その内容を幕府に報告をした。
江戸の庶民にも同じように自国の威厳を見せつけるため、[[下屋敷]]に到着すると立派な服装に着替え、予め雇っておいた人足と合流し、華美な行列を再び仕立て直した。[[江戸城]]に到着すると大名は将軍に拝謁し、次の下国までの在府生活が始まる事となる。
=== 在府生活 ===
{{see also|江戸屋敷}}
基本的にはおよそ一年あまりを江戸で過ごすよう定められた大名が多かったが、関東の多くの大名は半年ごとに国元、江戸を往復するよう定められていた。また長崎警護の任を与えられた[[福岡藩]]および[[佐賀藩]]は2年のうち約100日を、交代で江戸で過ごすよう定められていた。遠国の[[対馬藩]]は3年に4か月、[[松前藩]]は5年に4か月のみ江戸で過ごすことになっていた。
== 日数と費用 ==
『御道中日記』のように、移動日数や費用について記録が多数残されている。
{|class="wikitable sortable" style="text-align:left;font-size:small"
|+各地方の主な藩の江戸までのおおよその道程・日数・大名行列の諸表<ref>{{PDFlink|[http://www.city.uwajima.ehime.jp/www/contents/1150209642062/html/common/other/4e570333030.pdf 宇和島伊達家の参勤交代]}}(第19回 宇和島市民歴史文化講座「そこ・どこや」 [[2011年]][[1月16日]])。</ref>
!class=unsortable|現在の地方!!藩!![[石高]]!!class=unsortable|藩庁!!道程!!日数!!行列規模!!経費
|-
|[[東北地方]]||[[伊達氏|伊達家]]・[[仙台藩]]||{{0}}63万石||[[仙台城]]({{Coord|38|15|11.5|N|140|51|24.3|E|region:JP|name=仙台城:伊達家・仙台藩63万石(実高99万石)}})||{{0}}92[[里 (尺貫法)|里]]({{0}}368[[キロメートル|km]])||{{0}}8-9日||2000-3000人||{{0}}3000-5000[[両]]
|-
|[[北陸地方]]||[[前田氏|前田家]]・[[加賀藩]]||103万石||[[金沢城]]({{Coord|36|33|51.4|N|136|39|33.2|E|region:JP|name=金沢城:前田家・加賀藩103万石(実高134万石)}})||119里({{0}}480km)||13日||2000-4000人||{{0}}5333両
|-
|[[山陰地方]]||[[池田氏|池田家]]・[[鳥取藩]]||{{0}}33万石||[[鳥取城]]({{Coord|35|30|26.6|N|134|14|23.9|E|region:JP|name=鳥取城:池田家・鳥取藩33万石}})||180里({{0}}720km)||22日||{{0}}700人||{{0}}5500両
|-
|[[四国地方]]||伊達家・[[宇和島藩]]||{{0}}10万石||[[宇和島城]]({{Coord|33|13|10|N|132|33|54.8|E|region:JP|name=宇和島城:伊達家・宇和島藩10万石}})||255里(1020km)||30日||{{0}}300-500人||{{0}}{{0}}986両
|-
|[[九州地方]]||[[島津氏|島津家]]・[[薩摩藩]]||{{0}}77万石||[[鹿児島城]]({{Coord|31|35|53.6|N|130|33|15.8|E|region:JP|name=鹿児島城:島津家・薩摩藩77万石(実高75万石)}})||440里(1700km)||40-60日||1880人||17000両
|}
{{座標一覧}}
*石高は[[表高]]で、千の位で[[四捨五入]]。
*行列規模や経費は代表的な数値を記載した。江戸時代を通じて記載された数値が一定して続いていたわけではない。
江戸からの距離によって異なるが、参勤交代の費用は藩収入の5%から20%、江戸藩邸の費用を含めれば50%から75%があてられた。
また、この他に、[[庄内藩]][[酒井]]氏の場合は、[[元禄]]15年([[1702年]])から[[宝永]]3年([[1706年]])までの歳出のうち、約82%が江戸で消費されていた<ref name="kodamasa"/>。
[[岸和田藩]][[岡部氏]]の場合は、安永5年([[1776年]])の江戸での費用は全体の84%に達し、中小の藩においては、参勤交代に要する費用が藩の歳出の大部分を占めていた藩もあった<ref name="kodamasa"/>。
== 影響 ==
=== 政治 ===
大名が定期的に領国と江戸を行き来することで、室町時代のように領国か京に留まり続けることにより、幕府の統制を無視したり、逆に領国の管理を任せた守護代に下剋上される事態が未然に防げるようになった。また参勤交代という行為自体が、大名に将軍との主従関係を再確認させた。更には江戸に大名が集まり大名間の社交が行われた結果、情報の集約と伝播が行われ、通信技術が未だ未発達な近世で重要な役割を果たした。
=== 経済 ===
交通手段が発達していない時代に道路や橋が整備されていない中、[[台風]]や[[洪水]]などの不可抗力下においても決められた期日までに国元から江戸にまで到着しなければならなかったことから、加賀藩が[[黒部川]]にかけた[[愛本橋]]([[明治]]時代半ばに消滅)などに代表される参勤交代用の橋や道路が建設されたり、[[宿場町]]の発展をもたらしたりするなど後世に残る都市や交通を大いに発達させる事となる<ref name=hayakawa>[http://jairo.nii.ac.jp/0107/00005670 参勤交代のねらいは>:「参勤交代」の授業における留意点] 早川明夫、『教育研究所紀要』16号、 pp. 111 - 119、2007-12、文教大学。</ref><ref name="constantine">[http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/forum/text/fn169.html 参勤交代と日本の文化] コンスタンティン・ノミコス・ヴァポリス(メリーランド大学準教授)日文研フォーラム、第169回 pp. 1 - 29、2004-10、国際日本文化研究センター。</ref>。
これらの街道の整備費用に始まり、道中の宿泊費や移動費、国元の[[居城]]と[[江戸藩邸]]の両方の維持費などにより、その経済効果は非常に大きいものであった。
ただし、その反面、諸藩の財政難の原因として参勤交代制を挙げる学者が江戸時代にも出ており、江戸期を通して[[熊沢蕃山]]{{efn|熊沢蕃山は著書の「大学或問」で、鎌倉時代の如く、諸大名は三年に一度の参勤、在府五十日か六十日に定めたならば、三十万石の大名でも米五千石で余りがあろう。当代は、江戸に諸大名の母儀・奥方・子たちが居るので、將軍家が気遣う人はいない。公儀から在府を短かくすれば、御恩恵となって辱く思われて心服の本となろう。諸侯が財政難となって参府が出来ず、下から願って許されるのでは悪いであろう。世間に多い善政中でも江戸詰を許されるのが仁政の大本である、と述べている<ref name="kodamasa"/>。}}・[[室鳩巣]]{{efn|室鳩巣は八代將軍吉宗の諮問に答えたものとして「献可録」を残しているが、その中で、古代中国の諸国の例を挙げて、周の時代には五年に一度の朝観とあり、いずれの国でも諸侯が都に逗留するのは僅かであるとしている。鎌倉時代に、和田・畠山・三浦・佐々木などの旧功譜代の家は鎌倉に居て、折ふし領地に行ったが、遠国外様の大名はいずれも在国していた。室町幕府の時も細川・畠山などは在京し、その他の大名は京都へ参勤したが、これも隔年に交代したことはない。江戸中には四方から大勢の人馬が入りこみ、諸物が払底している。大名の参勤が今の通りでは、諸大名も大分の費用がかかり、却て江戸が困窮する。そこで先年の上米の制度の時の如く、在府半年、在国一年半とすれば、在府の大名も半分となり、江戸中も人が少なく物静かになるであろうと述べている<ref name="kodamasa"/>。}}・[[中井竹山]]{{efn|中井竹山の「草茅危言」は、老中松平定信が大坂に赴いた折に、竹山を召して経義を講じさせ、また、当世の事務を諮問した時に奉呈したものという。それには、今の参勤の制は領地の遠近に拘らず一様である。最も遠い薩摩からは海陸四百里に及び、四、五十里の諸侯と同じでは余りに労逸の差がある。帰国はいつも夏のことであるから、大勢の供廻りの者の中には病人が出て、途中で死ぬ者も年々何人となくある。九州の諸大名は同じ苦痛をしている。そこで、江戸より五十里以内の大名は毎年参勤して在府五十日、百里以内は二年に一度参勤して在府百日、二百里以内は四年に一度で在府三百日、三百里以上は五年に一度、在府一年とし、妻子はすべて帰国させる。こうすれば諸侯の窮乏を救い、天下の民をゆるめ、上下洋々として太平の化に浴するであろう、と述べている<ref name="kodamasa"/>。}}などによって参勤交代制度に対する批判がなされ、実際に、室鳩巣を重用した[[徳川吉宗]]の頃には、一時期、参勤交代による江戸の在府期間が半年に短縮されるなどした<ref name="kodamasa"/>。
=== 風俗 ===
大量の大名の随員が地方と江戸を往来したために、彼らを媒介して江戸の[[文化_(代表的なトピック)|文化]]が全国に広まる効果を果たすことにもなった{{sfn|武部健一|2015|p=119}}<ref>渡邊容子「[https://ci.nii.ac.jp/naid/110001192274/ 参勤交代について]」 [[華頂短期大学]]『華頂博物館学研究』Vol.5、[[1998年]][[12月]] ISSN 0919-7702 p. 27 - 44。</ref>。また、逆に、18世紀の江戸の人口の4分の1、約25万人は参勤交代で地方から来た者達であったため、地方の言語・文化・風俗などが江戸に流入し、そうしたものが相互に影響し、変質して江戸や各地域に伝播し、環流した面もあった<ref name="constantine"/>。
参勤交代のシステムは、江戸時代を通して社会秩序の安定と文化の繁栄に繋がることになった。また、参勤交代する事で江戸に[[単身赴任]]する各藩の家臣はかなりの数に上り、この結果、江戸の[[人口]]の約半数が武士が占めると共に遊郭が繁栄することとなった。江戸の人口が女性に比して男性の人口が極端に多いのは参勤交代の影響である。
== 関連作品 ==
;小説
* [[土橋章宏]]『[[超高速!参勤交代]]』 - 参勤交代を題材にした小説。のちに映画化された。
* [[浅田次郎]]『[[一路]]』 - のちにテレビドラマ化された。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=武部健一 |title=道路の日本史 |date=2015-05-25 |publisher=[[中央公論新社]] |series=中公新書 |isbn=978-4-12-102321-6 |ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=忠田敏男 |title=参勤交代道中記 加賀藩史料を読む |year=2003 |publisher=[[平凡社]] |series=平凡社ライブラリー |isbn=4-582-76463-0}}
* {{Cite book|和書|author=丸山雍成 |title=参勤交代 |year=2007 |publisher=[[吉川弘文館]] |series=日本歴史叢書 |isbn=978-4-642-06664-8}}
* {{Cite book|和書|author=山本博文 |authorlink=山本博文 |title=参勤交代 |year=1998 |publisher=[[講談社]] |series=講談社現代新書 |isbn=4-06-149394-9}}
* {{Cite journal|和書|author=吉村豊雄|title=参勤交代の制度化についての一考察-寛永武家諸法度と細川氏-|publisher= 熊本大学|journal=文学部論叢|volume=29|date=1989|issn= 0388-7073|naid=110000330102|pages=28-49|ref=harv}}
*久住祐一郎『三河吉田藩・お国入り道中記』集英社インターナショナル 〈インターナショナル新書〉、2019年4月5日。ISBN 978-4-7976-8036-2。
*{{Citation|和書|title=徳川・松平一族の事典|publisher=東京堂出版|last=工藤|first=寛正編|date=2009/08/11|isbn=9784490107647}}
== 関連項目 ==
* [[天下普請]]
== 外部リンク ==
* {{NHK for School clip|D0005310086_00000|参勤交代}}
* {{NHK for School clip|D0005403043_00000|参勤交代}}
* {{Kotobank}}
{{Normdaten}}
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[[Category:江戸時代の政治]]
[[Category:江戸時代の交通]]
[[Category:徳川家光]]
[[Category:歴史上の人間の移動]] | 2003-04-24T02:28:51Z | 2023-12-07T00:50:12Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%82%E5%8B%A4%E4%BA%A4%E4%BB%A3 |
7,188 | VRML | Virtual Reality Modeling Language (仮想現実モデリング言語、VRML) は、3次元の物体に関する情報を記述するためのファイルフォーマット。WWW上で利用されることを前提に設計された。
ファイル形式はテキストファイル(コンパイルが不要)であり、ヘッダ、コメント、ノード(フィールド)、プロトタイプ、ルートの5つの要素から構成される。 3Dポリゴンの頂点および辺の座標、面の色、UVマッピングされたテクスチャ、光沢、透明度などを指定できる。 また、URL指定によってインターネット上の別の場所にある画像やVRMLファイルを指定できる。 アニメーションや光源、視点の設定などといったインタラクティブな効果も設定でき、一種の仮想空間を構築できる。 さらに、Scriptノードを使って、Java・JavaScriptなどのプログラミング言語と連携させた動作を行うことも可能である。
VRMLファイルは「ワールド」とも呼ばれ、.wrl という拡張子が付く(たとえば bird.wrl)。VRMLファイルを閲覧するVRMLブラウザには、Cortona VRML Client 、blaxxun Contact 、PivoronPlayer などがある。 また、VRMLファイル自体はテキスト形式だが、座標値などの3Dデータを多く含み、ファイル容量が大きくなるため、gzipを使った圧縮が行われる場合も多い。 たいていの3次元モデリングツールには、VRML形式での保存機能が付いている。
このフォーマットの開発を推進するためにWeb3Dコンソーシアムが設立され、規格についての議論などが行われている。
VRMLの最初のバージョン(通称VRML 1.0)は1994年11月に制定された。 このバージョンではSGI社により開発されていたOpen Inventorとよばれるツールのファイルフォーマットに良く似た仕様として制定された。 その後、インタラクティブな動きなどの新しい機能を追加したVRML 97 (ISO/IEC DIS 14772-1, 通称VRML 2.0) 仕様が策定された。 現在では、VRMLと呼ぶ場合にはこのVRML 2.0を指すことが多い。
VRML 1.0の制定以降、3次元空間を容易に記述できるという点から注目され、Webブラウザからそのまま使えるさまざまなプラグインも提供され、普及も進んだ。 しかし、VRMLの表現能力の限界やモデリングツールの少なさ、操作の難しさなどから、しだいにあまり使われなくなっている。
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'''Virtual Reality Modeling Language''' ('''仮想現実モデリング言語'''、'''VRML''') は、3次元の物体に関する情報を記述するための[[ファイルフォーマット]]。[[World Wide Web|WWW]]上で利用されることを前提に設計された。
==概要==
ファイル形式は[[テキストファイル]]([[コンパイル]]が不要)であり、[[ヘッダ (コンピュータ)|ヘッダ]]、[[コメント]]、ノード(フィールド)、プロトタイプ、ルートの5つの要素から構成される。
3D[[ポリゴン]]の頂点および辺の座標、面の色、UVマッピングされた[[テクスチャマッピング|テクスチャ]]、光沢、透明度などを指定できる。
また、[[URL]]指定によってインターネット上の別の場所にある画像やVRMLファイルを指定できる。
アニメーションや光源、[[視点]]の設定などといったインタラクティブな効果も設定でき、一種の[[仮想空間]]を構築できる。
さらに、Scriptノードを使って、[[Java]]・[[JavaScript]]などの[[プログラミング言語]]と連携させた動作を行うことも可能である。
VRMLファイルは「ワールド」とも呼ばれ、.wrl という[[拡張子]]が付く(たとえば bird.wrl)。VRMLファイルを閲覧するVRMLブラウザには、Cortona VRML Client [http://www.parallelgraphics.com/products/cortona/]、blaxxun Contact [http://www.blaxxun.com/en/products/contact/]、PivoronPlayer [http://www.neeneenee.de/vrml/desktop.html] などがある。
また、VRMLファイル自体はテキスト形式だが、座標値などの3Dデータを多く含み、ファイル容量が大きくなるため、[[gzip]]を使った圧縮が行われる場合も多い。
たいていの3次元モデリングツールには、VRML形式での保存機能が付いている。
==歴史==
このフォーマットの開発を推進するために[[Web3Dコンソーシアム]]が設立され、規格についての議論などが行われている。
VRMLの最初のバージョン(通称VRML 1.0)は[[1994年]][[11月]]に制定された。
このバージョンでは[[Silicon Graphics|SGI]]社により開発されていた[[Open Inventor]]とよばれるツールのファイルフォーマットに良く似た仕様として制定された。
その後、インタラクティブな動きなどの新しい機能を追加したVRML 97 (ISO/IEC DIS 14772-1, 通称VRML 2.0) 仕様が策定された<ref>{{Cite web|和書|date=1998-01-27 |url=https://internet.watch.impress.co.jp/www/article/980127/vrml97.htm |title=VRMLを国際標準としてISOが認可 |publisher=INTERNET Watch |accessdate=2012-09-04}}</ref>。
現在では、VRMLと呼ぶ場合にはこのVRML 2.0を指すことが多い。
VRML 1.0の制定以降、3次元空間を容易に記述できるという点から注目され、[[ウェブブラウザ|Webブラウザ]]からそのまま使えるさまざまな[[プラグイン]]も提供され、普及も進んだ。
しかし、VRMLの表現能力の限界やモデリングツールの少なさ、操作の難しさなどから、しだいにあまり使われなくなっている。
VRMLの表現能力の限界などから、次世代の仕様として[[Extensible Markup Language|XML]]ベースの[[X3D]]を一から作成することとなった。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連規格 ==
*[[3DMLW]] (3D Markup Language for Web)
*[[COLLADA]]
*[[Universal 3D|U3D]]
*[[X3D]] (VRML の後継)
==関連項目==
*[[コンピュータ言語]]
**[[データ記述言語]]
==外部リンク==
* [http://www.web3d.org/ Web3Dコンソーシアム(英語)]
* [http://www.viewlife.com Web3D software to view VRML files without ActiveX plug-in]
* [http://hp.vector.co.jp/authors/VA004037/ VRML LABO]
{{3Dファイル形式}}
{{Normdaten}}
[[Category:ベクターグラフィックス・マークアップ言語]]
[[Category:オープンフォーマット]]
[[Category:仮想世界]] | 2003-04-24T02:35:47Z | 2023-10-01T05:32:48Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/VRML |
7,189 | モバイルエージェント | モバイルエージェント(Mobile Agent)は、ネットワークを介した分散処理技術の一種であって、ネットワークに接続されたコンピュータ間をエージェントと称されるプログラムが移動しながら処理を行う。
エージェントは自律的なプログラムであり、自律的に移動先を選択可能であり、コードと状態を移動先に移動することにより、移動先では移動前の状態からの処理を継続可能である。エージェントが実行されるコンピュータでは、モバイルエージェントの実行環境が備えられている必要がある。実行環境が備えられていれば、パソコンや携帯電話、PDAなどあらゆる機器上で、エージェントは動作可能である。
ネットワークやCPUといった資源の効率的な利用や、障害時における柔軟な処理変更に対応するといった目的で開発されている。
また、エージェントのデータに対して盗聴・改竄するといったセキュリティ問題が発生しやすい。 主な製品としては東芝のBeegentなど。オープンソースではAgletsがある。 | [
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] | モバイルエージェント(Mobile Agent)は、ネットワークを介した分散処理技術の一種であって、ネットワークに接続されたコンピュータ間をエージェントと称されるプログラムが移動しながら処理を行う。 エージェントは自律的なプログラムであり、自律的に移動先を選択可能であり、コードと状態を移動先に移動することにより、移動先では移動前の状態からの処理を継続可能である。エージェントが実行されるコンピュータでは、モバイルエージェントの実行環境が備えられている必要がある。実行環境が備えられていれば、パソコンや携帯電話、PDAなどあらゆる機器上で、エージェントは動作可能である。 ネットワークやCPUといった資源の効率的な利用や、障害時における柔軟な処理変更に対応するといった目的で開発されている。 また、エージェントのデータに対して盗聴・改竄するといったセキュリティ問題が発生しやすい。
主な製品としては東芝のBeegentなど。オープンソースではAgletsがある。 | '''モバイルエージェント'''(Mobile Agent)は、[[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]を介した分散処理技術の一種であって、ネットワークに接続された[[コンピュータ]]間をエージェントと称されるプログラムが移動しながら処理を行う。
エージェントは自律的なプログラムであり、自律的に移動先を選択可能であり、コードと状態を移動先に移動することにより、移動先では移動前の状態からの処理を継続可能である。エージェントが実行されるコンピュータでは、モバイルエージェントの実行環境が備えられている必要がある。実行環境が備えられていれば、[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]や[[携帯電話]]、[[携帯情報端末|PDA]]などあらゆる機器上で、エージェントは動作可能である。
ネットワークやCPUといった資源の効率的な利用や、障害時における柔軟な処理変更に対応するといった目的で開発されている。
また、エージェントのデータに対して[[盗聴]]・[[改竄]]するといった[[セキュリティ]]問題が発生しやすい。
主な製品としては[[東芝]]の[http://www.toshiba.co.jp/rdc/beegent/ Beegent]など。[[オープンソース]]では[http://sourceforge.net/projects/aglets/?source=directory Aglets]がある。
== 関連項目 ==
*[[ソフトウェアエージェント]]
*[[Magic Cap]]
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[[Category:ソフトウェア|もはいるえしえんと]] | null | 2021-03-16T10:53:29Z | false | false | false | [
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